「相手の立場を考える」ことは、ハーメルンで作者を名乗るための大事なスキルであり読者の大事なスキル

ふと、ハーメルンのみならず創作可能な場で是非言いたい自分の意見の話


ボランティア等の標語で、「相手の立場を考えること」が人助けの最初の一歩、とある
だがしかし…それは中々難しいこと
ここで例題を一つ出そう

「一日と二日は日本晴れ、日中は日向市で日なたぼっこしていた」

これは、とても難しい問題だ…と言われても、大抵の日本人には理解し難い
何がクイズや問題になって居るのか、と言う点から理解することはできないだろう
そこでヒントを出す、「この例文は外国の日本語学校や大学の専門のコースの最難関の例文一つ」だ、と

そう、要するに日本語の国籍を得たり日本語の文章を外国語訳する仕事に就きたい外国人には「日」の読み方の様々な解読が本当に困難なのである

つい「たち」とふつ「か」は「に」ほんばれ、「にっ」ちゅうは「ひゅうが(宮崎県にある『日向』は二文字で合わせて特殊な読み)」しで「ひ」なたぼっこしていた…と、なる例文
自分達日本人が中高レベルの英語を読むのが大変だったりする様に、彼等からしたら小学校一年レベルの漢字一字がラスボスでしかないのだ


と、こう言う思考実験は創作する時に必ず役に立つこと

一つの考え方に凝り固まらず「相手が何を考えて行動するのか」と言う視点でモノを見ること
そして「感情論ではなく理性的に考えて、相手の言い分を鵜呑みにはしないこと」
こう言う対人関係の初歩的なことってわりと大事なことなんだな、と時々考える

実はこう言うことをふと思い至ったのは、自分の場合は所謂「メシマズスレ」のまとめサイトを見てのこと
嫁や彼女の作るメシがマズい!非常識だ!と文句を垂れるスレ…と書けば、知らない人にも伝わるだろうか
そこには、COOKPAD等の知識を鵜呑みにしてレシピの質と特売品の家の材料の質のギャップで上手くいかないとか火傷や炎上の恐怖から強火に出来ず野菜炒めや炒飯が不味いと言う些細なことから、洗剤やら香水やらを鍋に入れようとする傷害事件一歩手前の話まで、まあ色々あった訳なのだが…そう言った話を見ても、「じゃあ俺が作るよ」とか「俺が嫁に飯を教えるよ」ってオチはほぼ見ない
精々、口でぼやく様に、アドバイスするのが関の山なのである

結局のところ、彼等は話の根本的な前提として「お前は下手くそで段取り悪いくせに、かーちゃんは簡単そうに料理を作っていて、黙っていても朝昼晩の三食出ていたぞ」と言う怠惰な感覚と、「そして嫁は俺等と同い年ぐらいだけど、生活費のメインを稼いでいるんだから、俺は炊事場に立ちたくないがお前の失敗は絶対に許さない」と言う傲慢な感覚が根本的に抜けてないんだなと言うのが透けて見えて、「嫁や彼女の非常識以上にお前等の人間性も大概非常識じゃないか」と感じたことが上述の思考実験のことに思い至った切っ掛けだった
実際、他人から「上手い」と誉められる腕の人間が書いてるのか…と言う疑問を持ちながら読んでいると、わりとメシマズの非常識とはまた別な意味で、頭の悪さに対して頭を抱えるスレの話だったりする

脱線になるが、また少しだけ別な話をするならば、母が昔勤めていた中華屋の店長さんは呑む打つ買う三拍子揃った料理の腕以外ろくでなしだったのだが、それでも嫁さんやバイト達の修行をかねて作る賄いや弁当にはどんな味でも嘲笑しなかったことを母が誉めていたのは覚えている
部下の失敗に対しても笑って受け入れる度量、失敗に改善点を的確に入れる知識と腕の二点を以て初めて「一流」になるのだ、とパートに行く前と行った後の中華の腕の差がアラフォーにして一気に上がった母が、食卓でポツリと語ったことも合わせて思い出す事でもあった
本当にその道で上手い人は、他人の失敗を恨まず笑わず嘲らず、的確に改善しながら他人をさりげなく最短の道で一流の道に引き上げる…と言うことなのだろう
        
逆に言うと、人の失敗を嘲笑して本名を隠して匿名で自分が絶対的に正しいと思いながら他人をけなす連中なぞ、すべからく彼等こそ「三流」と罵って差し支えない話
そうでないなら「恥知らず」と言い換えても良い、聖書では「汝、罪を犯したことがない者が彼女に石を投げなさい」と説いているが、それは石を投げる連中は「己が罪が無い」と思い込み罪があることを考えられない頭だからこそ彼等は石を人に投げるのだ…と

とある漫画では「人の悪口を言えば気持ちいい、何故なら他人を無責任に見下したら自分が上等な人間だと思えるから(意訳)」と三コマぐらいでバッサリ切り捨てられている話だが、要はそう言うこと
自分の書いた話や文章を見たら、他人がどうその人の政治信条や思考回路の方向性を感じるかなんて岡目八目的にすぐバレる
他人への評価の付け方を見るだけでも、他人にはその人の人間性や姿勢や信条は本人以上に理解される

まあ、要は「汝、深淵を覗きこむ時、深淵も汝を見ている」と言う意識を常に持つことこそが、モノを書く時や誰かを評価をする時の第一歩
何かを書いたり評価をする時の態度は、常に自分に跳ね返っていることも良く考えるべき話でもある
そう言う己が傲慢だと言う「恥」と、それでも恥を感じても文章を書く「覚悟」を持つこと
これが自分流の「相手の立場」への考え方なのだ


日時:2017年09月14日(木) 09:56

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返信コメント

たんぺい

SPIRIT様へ

実際、言うは易し行うは難し、と言うように自分も心で思っていても完全に実行は出来てない情けない人間の戯れ言ではあるんですけどね
相手の立場を考えることへのあり方として、ちょっとこんな話でも


「人の話を聞きなさい」と叱る大人は、自分の胸に手をあてその子の話を聞いてあげてるか考えなさい
「人に手をあげるな」と憤る大人は、自分より弱いものに手をあげた事があるかその右手に訊きなさい
「人に優しくしなさい」と説教する大人は、他人に優しく出来ているのかを人に問いなさい 
「人に嘘をつくな」と諭す大人は、己の親や恩師に向かい自分は嘘をついたことが無いのかを考えなさい
「人を愛せよ」と言う大人こそ、自分の過去を鑑みて、己が誰かに受けた愛に報いられる生き方をしているかを愛するものに教わるのです 
…子供はあなた方の怒った時の拳と罵声ではなく、あなた方の普段の言動や行動から「正しさ」を学びます
子供が悪いことをしているのを見た時に、叱り正そうとするならば、それを一番に忘れずに考えてください

何処かで見た子供に対する接し方の本の一文でしたが、子供以外にも当然当てはまる…むしろ、大人相手だからこそ当てはまる話
人に偉そうにすることは簡単なのに我が身を省みることはとても難しい、何故ならばそれが一番自分の痛みを感じることだからなのです


日時:2017年09月14日(木) 16:38

SPIRIT

僕にとっては難しい課題だけど、まさにその通りな気がしますね。


日時:2017年09月14日(木) 11:14



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