とうとう来てしまった・・・・
17時過ぎ
父 急変
シャワー中、母の錯乱の声。父が息をしていないと喚いていた。
急ぎシャワーから上がり、弟がどうにか119番を呼ぶが、その繋ぎとして自分は心臓マッサージ、人工呼吸を開始。
細くなった父の肋骨が折れるような感覚がするのも構わず口を合わせ、人工呼吸を続けたおかげか、大量に黄色い吐しゃ物を吐き出したが、呼吸をしているようには見えない。頭を横にし、痰(たん)、だろうか、それを口から掻き出した。
触った父の体は驚くほど冷たい。
そうやって心肺蘇生を続けているうちに救急車がやってきた。
正確には分からないが、5分ちょっとでやって来たのではないだろうか。
後は救急隊、プロに任せ事の成り行きを見守る。父の隣では詰まった吐しゃ物を機械で吸い取るしかできなかった母が喚き散らしていたのが頭に焼き付いていた。
後は自分の部屋におり、応答などの対応は駆けつけてきた叔父さんに任せた。
とにかく頭がいっぱいだった。
やがて応急処置を終えたらしい救急隊によって父は運ばれていった。
今思えば冷静に対処できていたのは当時の朝、映画「ダンケルク」を見ていたからだろうか。
あの理不尽に次ぐ理不尽を見た後だったからこそ取り乱さずに心肺蘇生ができたのかもしれない。
やがて病院に呼ばれ駆けつけた。
父はどうやら駄目だったらしい。
病院側は全力を尽くしてくれたかは分からないが、真面目に取り組んでくれたはずだ。そこは信用している。
母がすがるように父にわめいているのが嫌に耳に付いた。
19時10分
医師による死亡診断が下された。
父の急変から2時間くらいである。
それからのことはあまり覚えていない。
時間が流れ、葬式が始まり、長らく合わなかった人たちにも再開した。
やがて父は火葬され、骨だけになった。
火葬される直前の父の顔は、まるで死んでいるのが嘘みたいにきれいであった。
50歳も歳の離れた父との死別。
いろいろと思い出を書こうとしてみたけれど、いざそうするとなかなか思い浮かばない。
ただ少なくとも、楽しかったこともあったのは間違いなくて。
死んで逝くとき、苦しかっただろうか。
もし、死後というものがあるのならば、せめてこれ以上苦痛のないものであってほしい。
日時:2017年10月14日(土) 00:10
<< 屋代、手に入らなかった・・・・ッ! |
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返信コメント
くいあらためよ
お悔やみ申し上げます。
安らかなる冥福をお祈り致します。
日時:2017年10月18日(水) 08:35
金曜日(うんのよさ)
お悔やみ申し上げます。
安らかなるご冥福を心よりお祈りいたします。
日時:2017年10月14日(土) 17:45
バリカッサイ
お悔やみ申し上げます。
お父様に安らぎのあらんことを。
日時:2017年10月14日(土) 16:32
billy003
お悔やみ申し上げます。
僕も祖母が去年の冬亡くなりました、僕は気づかなかったのですが、看護師歴30年以上の母が「そろそろ危ないかも」と言っていた3日後に亡くなりました。
心臓マッサージを等を冷静に行っていた母がとても記憶に残ってます。
時間がかかりますが辛い記憶を乗り越えて、故人との楽しかった頃を思い出話として語り合える事が一番の供養だとおもってます。
日時:2017年10月14日(土) 07:26