『居ない艦娘の名前を呼ぶ病』の考察

!!注意!!


・この考察は本編の幕間『残されたモノ』についての補足の面を含んでおり、当該話における【ネタバレ】を含んでおります。そのため、そこまで話を読むまで絶対にこれを読まない様にしてください。

・これはあくまで今作における考察であり、公式なものでは一切ございません。

・なお、読まなくても一切本編に影響はございません。


 上記のことにご注意ください。








































 実際の艦これゲーム中において、多くの艦娘が自分以外の仲間の名前を呼ぶのだ。それだけなら艦娘同士の繋がりが見えて楽しい一幕なのだが、実際の所は凄まじくホラーな状況が多発する。例えば……

例1、そもそも泊地に当該艦娘が居ない。

Zさん「あ、翔鶴ねー!」
*泊地に翔鶴さんはまだ居ません
Fさん「妹の山城ともども宜しくお願い致します」
*泊地に山城はまだいません
Kさん「ちょ、大井っち、さわらないでよー……って提督じゃん」
*泊地に大井っちはまだいません


例2、事実の誤認
Fさん「山城、出撃よ!」
NGTさん「あの、私は長門なんだが……」
*艦隊にも泊地にも山城は居ません
Iさん「どうなのさー日向」
MTさん「あの、私は陸奥だけど?」
*艦隊にも泊地にも日向さんはいません

 上記の事態は実際に私の泊地で発生した状況だが、こういう心霊現象と事実の誤認が艦これをやっていると本当にしょっちゅう発生する。こういった事態を総称して、艦これプレイヤーはこれを『居ない艦娘の名前を呼ぶ病』と呼称する。

 この事態に対して各プレイヤーはそれなりの脳内補完を強いられる訳だが、本当に見えている(精神崩壊)説や、ちょっとねぼけているだけ説、幽霊になった艦娘がそこにいる説、実は最初から鎮守府に当該艦娘が隠れている等々プレイヤー毎の鎮守府の世界観が見えてきて面白い。

 今回艦これを小説にするにあたって、この部分に目を当てた結果、当作においては『本人だけ感じられる存在が確かにいる』そしてその正体は『近代化改修に使われた艦娘の魂』である事となった。

 それに伴って近代化改修の設定も私が想定する中で一番重くてダークなものにさせて頂いた。常々プレイヤーの間でも『近代化改修に使われた艦はどこに行くんだ』というのはペットショップの売れ残りの行き場を探るような考えたくない話題扱いになっている。(一応、艤装だけ使われて本人は普通の少女に戻る的なアナウンスが合ったはずだが、それはそれで『大量の同じ顔の少女をどうやって普通の少女に戻すんじゃろうか……』という別の問題が発生する)

 当作においては世界観的に提督毎の『ダブリ』というものが基本的に発生しないため、近代化改修というものの扱いを若干変更し、死に際の最後の手段というものにさせていただいた。その上で近代化改修に使われるのは命の根源足る魂そのものであり、一度行われたが最期、もはや不可分となった魂が延々と輪廻を回り続けるというモノになった。

 その結果、前世で近代化改修で吸収された相方が転生してもくっついてくるため、建造されたばかりの北上さんや大井っちが相方の名前を呼んだりするのも大体このせいである、という考え方である。

 本編において鈴谷は当初死にかけた際に己の命を熊野へと託す事も出来たが、それによって発生する熊野の心労を慮って当初は死を選んだ。だが、熊野はその思いを無視して、己の魂を熊野へと渡してしまったのである。

 それによって鈴谷は、熊野の魂を糧として死の淵から蘇ってしまったのだ。これが、本編の顛末である。
 




日時:2017年11月29日(水) 18:49

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