自作についての戯言
「数字を気にするとロクなことはない」とあるが、やはり気にしてしまうのがアクセス数。
気合いを入れたとは異なるものの、少なくとも自分が納得できる水準にまで仕上げた作品が、数日たっても数か月たってもアクセス数件だったりするとやはり寂しいもの。
もちろん読者の立場になって、より読みやすく、楽しい作品を書ければいいのだろうが、自分の描きたいものと読者の望むものって、なかなか一致しない(私だけ?)。
たかだか原稿用紙10枚弱を仕上げるのに資料となる図書を十冊以上読んで半月から一箇月かけて仕上げても読者を置いてけぼりにしてしまっているのが実態。
やっぱりニッチな作品なのだろうと諦めています。
日時:2018年01月15日(月) 05:43
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返信コメント
しろっこ
通りすがりで失礼します。
アクセスは気になりますよね。でもやっぱり、あれは参考値です。
小説の雰囲気は一種のセンスのようなもので、読者に受けるかどうかは運みたいな世界もあります。
仰る通り投稿サイトでは「自分の書きたいものを納得が行くまで書ききる」事が重要だと思います。
むしろアクセスとか低評価とか心無い感想とか。
そういった障壁を乗り越えてでも書き続けられるかどうか?
耐えられるかどうかが一つの鍵だと感じます。
その峠を越えた先には必ず熱心なファンとか、真摯な感想を頂けるようになります。
あとマルチ投稿してみるのも一つの方法です。
ネットは広いので別の投稿サイトだと自分の小説の世界観を好む人が居たりします。
日時:2018年01月15日(月) 01:39