どこまで深く考えるべきか

私は小説や漫画などの物語、悪いい方をすれば作り話というものは、嘘を楽しむものだと考えております。

 

たとえば某エロい食レポ漫画では、キャラが美味しさのあまり服が脱げるシーンがあります。しかし普通に考えたら、いくらおいしいものを食ったからってあんな風になるなんて大げさすぎます。実際私もこのシーンを読んで「大げさすぎだろ」と冷笑したことがありました。

ですが、だからといって私はあのシーンについてどうこう言うことはありませんし、ましてやアンチになることもありません。何故なら、あれは「そういうお話」だからです。だからそこをあれこれ言うのは無粋ですし、意味もありません。

 

作り話には前提になっているコンセプトのようなものがあります。暗殺教室では虐げられているE組が暗殺を通して学び、前に進むこと、先ほど例に挙げたソーマでは過激に反応するほどの美味い飯を作ること。けど現実に考えるならば、虐げられるのが嫌なら学校やめて転校すればいいし、美味い飯だってたかが飯ごとこにでそんなに過剰反応するはずがありません。

けどそこに突っ込みを入れるのはバカバカしい。たとえば、ある人が有名なラーメン屋に行って「たかがラーメンごときに金払えるかよ」って冷笑してるようなものです。ラーメンが嫌なら最初からラーメン屋来るなよって話になりますよね?


だからそういった前提条件に突っ込みを入れるのは野暮。いちいち重箱の隅つつくような指摘するのも時間の無駄です。ですから少し受け入れがたい展開でもそういうものなんだと受け入れなくては作り話なんて楽しめないと私は愚考します。

 



しかしいくら虚構の存在でも、キャラクター立は与えられたその虚構のルールの中で、起きた事象に沿うことで出来た因果関係の中で生きています。

 

 

ですから、そのルールを無視することは許されない。ちゃんとそれに則した事象があり、因果関係が成り立てなくてはならない。キャラクターの人物像を唐突に歪めたり、補正で無理やり動かすような展開は悪手であり読者への裏切りだと私は愚考します。

路頭の小石程度なら無視する。しかし、眼前に巨岩があるのに無視するような、そんなルールを無視したような行為は作り手がしてはいけない行為であり、読み手も無視できないものではないのでしょうか。

 

とまあ、私がこう考えているだけで他の人が違うなんてことは所詮作り話だからどうなろうがどうでもいいって人から、いや例え嘘の存在であろうとリアリティに忠実であるべきだっていう人もいます。

そこは正直どうでもいい。私はこう思っているのですが、みなさんはどうですか? 私が言いたのはそれだけです。


日時:2018年06月11日(月) 20:29

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返信コメント

HAY

確かに漫画・アニメをはじめとする、空想の物語というものは「そういう世界」「そういう常識」「そういう設定」だと割り切って、見るべきものですね。
登場人物の人格や物事の因果関係についても、人によっては許せないものかもしれませんが、私はそういうものなのだと割り切るべきだと思います。

しかし、あえてそこにツッコミをすることによって生まれる二次創作物もあると思います。
純粋に作品を読んで楽しむためには、そういった考えは余計なことかもしれませんが、楽しみ方の一つとしてはそういう考えもあっていいのではないかと私は思います。


日時:2018年06月23日(土) 10:35

ヌシカン

インフレと主人公補正で片付けられない御都合主義、刃牙にドラゴンボールのフリーザが混じる様な基本原則が破綻する展開の一次が容認し難いって事?


日時:2018年06月12日(火) 19:38



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