俺ガイル13巻のお話、その2。

 以下はネタバレ前提のお話になりますのでご注意下さい。
 昨日は雑感と一色の話と雑談で終わったので、今日はその続きから。

 さて、陽乃の話をするにあたっては、12巻からパワーワードとなった「共依存」を避けて通れません。でもこれ、使い方が不正確というか違和感があるんですよね。

 かつての「相互確証破壊」も少し微妙な感じでしたが、今回はあの時以上に「言葉の本来の意味と作中の現状にズレがある」→「両者を無理に近づけようとして違った部分に歪みが」という印象を受けました。

 とはいえ小説家の立場からすると、言葉の正確性よりも話の面白さや言葉の通りの良さを重視するのは理解できますし。そもそも、この言葉を本来とは違った意味で使っているのは作中の陽乃や八幡であって、作者さんではないわけで。

 なので揚げ足を取りたいわけではなくて。でも私としては、言葉の正確性に目を瞑って作中のような意味で使うのは少し気持ちが悪いので、以下では「共依存」と表現するのをお許し下さい。


■陽乃と葉山に関するあれこれ

 最初に取り上げるのは、間接的に関わってくる部分なのですが。
 サイゼに助っ人を呼んだ場面で、材木座が「誤前提提示」(p.162)という言葉を口にします。この時には、ダミーのプロム案を出すことで雪ノ下のプロム案を選ばせる=不採用という選択をさせないというお話でした。

 でもよく考えてみると、10巻以降の陽乃ってずっとこれですよね。

 11巻のバレンタイン直前イベントでは「それが比企谷くんのいう本物?」(p.212)と問い掛けることで、本物か否かを考えさせる=向き合わないという選択をさせないように仕向けたり。

 12巻で「共依存っていうのよ」(p.346)と言ってこの言葉を持ち出した結果、八幡は13巻で「共依存ではないことの証明」(p.85)を試みることになりますが。これも受け入れがたい解釈を突き付けることで、よりマシな関係性を見いだす方向に誘導しているわけで。

 どちらの場合も「相手にしない」という選択を取り上げているんですよね。現状維持を選ばせず、三人の関係性に変化をもたらそうとしています。

 こうした八幡や雪ノ下への関与は、どこまでが計算通りなのか。そして陽乃の真の目的は何なのかという疑問が、ずっと解決されないままでした。それが13巻で、葉山とのやり取りを通して明かされます。


 この辺りは大事な部分なので、描写されている順に慎重に確認していきます。

 まずは八幡と由比ヶ浜が、葉山に助力を頼む場面から。
(関係ないですが、この場面で八幡が伝票を取って葉山たちの食事代を支払ったのは高校生らしくないような……それとも最近はこれが普通なのでしょうか?)

 由比ヶ浜が「ゆきのんは(略)依存しちゃうから、あたしや、……ヒッキーには頼らないって」と伝えると、葉山は動揺を見せ「彼女が、そう言ったのか」と確認して、深い息を吐いて瞑目します(p.246)。

 動揺の理由は陽乃の関与を悟ったからで、瞑目の理由は葉山が「彼らはあれでよかったんだ」(p.262)と考えていたから。それを陽乃は「私が見たいのは本物だけ」(p.262)と言って切り捨てるのですが、それは少し後回しにして。


 八幡と葉山が差し向かいで会話をする場面では、4巻で簡単に明かされていた葉山と雪ノ下の小学生時の話が披露されます。とはいえ目新しい情報はあまりなく、言葉の切れ端の部分に重要な情報がいくつか出ていました。

 例えば葉山の「全力で助けるべきだった」(p.253)という言葉。仮にそれをしていたら、どんな状況が現出したかは、陽乃と向き合う場面で明かされます。これもちょっと後回しにさせてもらって。
(ちなみに拙作の1巻5話では「全力で動いたけどダメだった」ですが、本質的な意味合いは変わらない気がしました。)

 もう一つ葉山の言葉を引用しますと、「俺にはその覚悟も動機もなかったけれど……君は違うだろう?」という発言は凄いですね。言葉を補うとこうなります。

・小学生当時の葉山には雪ノ下を全力で助ける覚悟も動機もなかった。
・今の八幡にはそれらがあるはずだと葉山は考えている。

 この話の続きも例によって後回しにして、葉山が過去を悔いる姿を見た八幡が嫉妬していた理由がこちら。「生涯忘れることができないくらいに、ただ一つのことを想い続けていられるなら。俺はそれこそ悔いがない」(p.255)という独白は、次巻のポイントになりそうです。

 あと個人的な解釈ですが、雪ノ下の願いにあっさりと頷いた理由もおそらくこれかなと思いました。


 そんなこんなで、八幡に逃げられた葉山は「確かめなければ俺も彼も彼女もこの先に踏み出すことができない」(p.258)と考えて陽乃に連絡を取ります。これ、彼=八幡は確定としても、彼女=陽乃は断言しにくいですよね。

 その場合は葉山の中で雪ノ下の扱いが軽すぎますし、かといって彼女=雪ノ下だと、陽乃の進退を考慮していないかのように受け取れます(陽乃も「留まって」(p.262)いると葉山は考えているわけで)。でも「彼女たち」じゃないということは、相応の意味があるのでしょう。


 陽乃と会って、先程の切り捨てられた場面に至ると、葉山はその言葉の中に拗ねた響きを感じ取ります。それに背中を押されて反論した葉山を襲った非情な言葉。

「ありえない。そうだったでしょ?」(p.262)
「あなたでは無理よ。そうだったでしょう?」(4巻p.143)

 そして陽乃の闇が一部分だけですが明かされます。つまり「自身が大切にしているものを」「誰にも傷つけられないようにと先んじて自分で傷つける」「傷つけたものは誰一人として許さない」(p.262)という陽乃の行動こそが、葉山と雪ノ下姉妹の三人を呪縛している形です。

 葉山は陽乃に「憎んでるの?」(p.263)と問い掛けますが、葉山のこととは言い切れないのが難しいところ。何故なら葉山自身が「玩具にすらなり損ね」「爪とぎ板ほどの価値」(p.260)しかないと自嘲しているからで、「許さない」と「憎む」の間には隔たりがあるからです。あるいは葉山はそれを確認したかったのかもしれません。

 陽乃は「大好きよ」(p.263)と答えますが、これが葉山のことである可能性は更に低く、本命は雪ノ下、対抗が八幡で、それ以上は絞り込めないですね。どちらにしても、家族愛や恋愛的な好きとはまるで違った意味なのは確かだと思われます。つまり「大好き」の対象が仮に葉山だとしても、救いとは正反対の意味にしかならないということで。


 ここから葉山の独白が始まりますが、考察しているifはかなりの地獄絵図です。先程まとめて先送りしたことが全てここに繋がっています。つまり。

・助ける覚悟も動機もない雪ノ下を、あの時に全力で助けていたら、
・(雪ノ下と)一緒に地獄に落ち、たとえそれが紛い物で、この世でただ一つの歪な贋作で、
・でも、誰も偽物などと呼べないはずだ。(p.263)

 その光景を想像しながら、葉山は心の中で「あなたは俺を許してくれましたか」(p.263)と問い掛けます。その対象はほぼ確実に陽乃で、ここに葉山たち三人がどうにもならなかった理由の全てがあります。


 話は少し進んで、由比ヶ浜が単独で陽乃のところに戻る直前。陽乃はinterludeで「嘘偽りない唯一つの正しい結末」(p.330)を誰かに証明して欲しいと望んでいます。

 そして「比企谷くんはガハマちゃんに依存しちゃって(略)ここが一番重症」(p.332)と諭して反論されて睨まれて「それは、本物って呼べるの?」(p.333)と呟きます。

 残念ながらその後の顛末は明かされていませんが、このやり取りは次巻でも重要な意味を持つのは確実かと思われます。


 結局のところ、陽乃を何とかしないことには、葉山も雪ノ下も過去から解放されないままだと判明した形です。陽乃は奉仕部の三人を「共依存」と評しましたが、幼なじみの三人は陽乃が言う「共依存」にすら至っていない状態です。

 最近の俺ガイルは「依頼」の存在意義がすっかり薄くなりました。それを解決することが第一ではなく、それによって「奉仕部の三人がどうなるか」に重点が置かれた書き方になって来たと思います。その兆しは4巻で現れ、6巻では後退して、7巻以降に確定した感じでしょうか。

 次巻では、それは逆になるかもしれないし、今まで通りかもしれません。奉仕部三人の関係を清算した上でまた新たに始めることで、陽乃の問題を解決するのか。逆に陽乃の問題と向き合った上で、奉仕部三人の関係を決着させるのか。

 いずれにせよ、ここまで話を広げておいて陽乃の一件を未解決で終わらせるのはちがうと思うので、14巻を大いに楽しみにしています。


■材木座と海老名の話

 思った以上に文字数を費やしたので、この二人は駆け足で。

 材木座はあれです、一つ挙げるなら斬新なプロポーズ(p.154)しかないですよね。お互い独身じゃなくても楽しい老後を過ごして欲しいものです。

 その他にも遊戯部の二人を呼んできたり、ダミーのプロムのために色々と仕事をしたりと、かなり頑張っていたのが嬉しかったです。玉縄が妙な成長を遂げていましたが、材木座もらしさを失わないまま少しずつ成長している感じで、こういうの良いですよね。


 海老名は自作でも掘り下げたところだったので(7巻15話)長々と語りたい気持ちもあるのですが、一つ挙げるならこの発言でしょうか。

「結局、比企谷くんは私と違うから」(p.283)

 キマシタワ「比企谷くん」呼び!

 八幡と海老名には似た部分もあるけど違っていて「その距離感はある意味、俺と葉山隼人の距離感に通じるものがある」(p.286)という八幡の認識も、うんうんって感じで。
 海辺で三浦・由比ヶ浜・海老名の三人娘が楽しそうにしていると、少し目が潤んできたりもして。

 昨日もちょろっと書きましたけど、二次創作をやってて良かったなと思った場面でした。

 その理由は、原作者さんが生み出してくれた各キャラを、何とかかんとか動かせてるのかなぁと思えたことで。先程の葉山の言葉ではないですが、紛い物で贋作かもしれなくとも、偽物という言葉には多少の反論ができるのではないかなと思えたからで。

 原作という本物を読んでそんなことを思えた私は幸せだなと、そんな感じです。


■つづく

 では今夜はこの辺りで。次回は明日、雪ノ下と由比ヶ浜のお話になる予定です。


日時:2018年11月27日(火) 02:23

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