シャニマスの二次創作は、書いてて疲れる

シャニマスは、俺がこれまで嗜んできたサブカルチャーの中でも一二を争うレベルで素晴らしい。その真髄はやはり魅力的なキャラとシナリオと、その表現にあると思う。中でもキャラの魅力は凄まじく、シャニマスの、現実にいそうな人間というコンセプトの名に恥じない、非常に奥が深いものになっている。キャラの奥深さ無くしてシャニマスはここまでの神ゲーとはなっていなかっただろう。

しかし、ここで一つの問題が出てくる。プレイヤーの9割にはほとんど影響はないだろうが、残り1割に当てはまる奇特な人間、すなわち物書きにあたる部類の人間は、キャラの奥深さに苦しめられる。
二次創作を書くにあたって、一番大事なのは原作へのリスペクトである。つまり、自分の都合によって原作の魅力を削ぐことは絶対にしてはいけないということだ。これは俺個人のモットーではあるが、同時に二次創作を書く人間が全員持って然るべき意識だと思ってる。

もちろんシャニマスの二次創作を書くときも常に意識してることなのだが、実はシャニマスでは原作リスペクトが非常に難しい。
原作リスペクトが難しいってなんやねんって思うだろうが、端的に表現するなら『原作が凄すぎる』ってことだ。

シャニマスは他の作品と比べてキャラの奥深さが凄まじく、更にセリフ主体のスタイルであるのでキャラの心情が詳細に語られることが基本的にない。読者はモチーフや比喩、引用、行間を読んで、キャラの真意を自分の力で見出さなくてはいけない。更にこれが非常にシビアで、ミスリードはないものの、一つ読み違えをするだけで解釈が異なってしまう。そのめんどくささこそシャニマスの長所であるが、こと二次創作にあたっては非常に大きな壁として立ち塞がる。

解釈は人それぞれ、とよく言うが、やはりライターの真意は一つであろう。そして、ただ供給されたものを消費するだけのオタクならいいが、俺のような二次創作書いちゃう系のオタクは、ライターの真意を読み違えるわけにはいかないのだ。それは原作への等閑であり、ライターへの侮辱に等しい。
そして俺のような二次創作書いちゃう系オタクは、どうしてもキャラの深いところの描写をしたがる。表面上だけ?ならそれっぽく書けるのだが、やはりわざわざ書いてるのだから深いとこまで書きたくなっちゃうのが性である。特にキャラに魅力があるシャニマスではなおさらだ。
しかしそうなると、自分の中の創作オタクと解釈おじさんが喧嘩し始めるのである。

「めぐるはそんな短絡的じゃない!」「でもこう言わないと話進まないだろ!それともプロットからまた作り直すか!?」「だからってここを適当にやるなんて許せないねぇ!?」

といった具合に、脳内で常に血で血を洗う戦場が繰り広げられる。

そして俺は思うのだ。

「なんでこんなことしてるんやろ」

と。

結局そうやって頓挫した二次創作は数知れず。めぐるとのラブコメ、ポケモンとシャニマスのクロスオーバー、まみみヒロインの学園もの、などなど途中まで書いた作品は多くあれど、その全ては脳内の解釈おじさんによって頓挫させられた。唯一解釈おじさんが何も言わずにゴーサイン出してくれたのが拙作、『プロフェッショナル〜悪徳記者の流儀〜』だ。みんな大好き阿久井徳次郎の華麗なる仕事ぶりを描いたドキュメンタリーである。冬優子ちゃん、なんなんすかねこれ

まあつまり何が言いたいかと言うと、シャニマスの二次創作書くのはめちゃくちゃめんどくさいし、疲れるということだ。逆に言えば、日刊ランキングとかでよく上位取ってる彼の作品は非常に素晴らしい。シャニマスん中でもトップクラスでめんどくせー女を、よく性格改変させずにあんな面白く書けるものである。俺の中の解釈おじさんも全裸で脱帽である。

あーあ、俺も好きなもん書いて高評価もらいてぇなぁ。自分でもつくづくめんどくさい感性を持ったものである。あと新ちょこ先輩は可愛くてえっちである。


日時:2021年09月22日(水) 23:06

ネタ被りしちゃったワ >>


返信

    現在:0文字 10~1000文字