斎藤幸平氏は『令和の安藤昌益』か ~人新生の資本論・感想~

『一般に自分で耕作し、大小、上下、すべて階級を作らないのが自然の姿である。
(中略)
武士が上に立って、民が耕して作った穀物を横取りし、これに従わない者がいるととらえて縛り上げる。民は重税に苦しむため不幸な人を救う余裕がない。だから生活困窮者が生じる。
武士が「わが子を愛するように民を治めている」というのは、とんでもない失言である。自分は少しも働かないで、民の生産物を奪い、民によって飢えや寒さを救われながら、「愛する」とは、逆説も甚だしい』

以上は、うろ覚えだが、小学校の補助教科書にあった安藤昌益の『統道真伝』の一説だったと思う。
秋田出身のこの特異的な彼の思想、僕は
「面白いけど、現実はそんな簡単な物じゃない」
と今になっては思う。
「土地をどう分けるか疑問が出るし、熱心に働く人間もいればそうでない人間もいて、しかも馬力にかかわらず豊作のものもいれば不作のものもいる。
人の善意にばかり頼って恵まれた人が不幸な人を全面的に助けるわけでもない」
といったところか。
(江戸時代もそうだが、今のホームレスも秩序を守るために露骨な縦社会で生きているという話だし)
今だったら『武士』を『資本家』、『民』を『労働者』と置き換えることも可能だろうが、ひふみ投信の藤野英人氏は投資を『脳みそに汗かくこと』と説いている。(『虫の目』『魚の目』『鳥の目』、つまりマクロ視点もミクロ視点も必要なわけで)
江戸時代の武士たちも、いわば脳みそに汗かきながら政務を行ってきたと思うのである。(『わが子を愛するように』は言い過ぎなのかもしれないが)
加えて今はネットの発達で、株や投信を買うのにも少額でできるようになっている。
『トラノコ』という買い物のおつりで投資できるスマホアプリもあれば、Paypay証券のように1000円単位で株を変えるところもあるし、SBI証券では100円単位で答申を変えるのである。
これだけ垣根が下がってしまうと(ここから先は厳しい言い方になるが)、あとはもう自分たち一人ひとりが自分で一歩踏み出すしかない気がするのである。
一歩踏み出して新しい世界を見るか、踏み出さず現状維持に甘んじるか。


前置きがやたら長くなってしまったが、『人新生の資本論』の斎藤幸平氏
『令和時代の安藤昌益』
に思えてならないのである。
もともとこの本は、カール・マルクスの晩年の考えを頼りに脱成長経済を模索し、格差解消や地球環境問題についての抜本的解決法について提案する本。
なのだが、結構難しい言葉や言い回しも多く、慣れないうちは理解するのに苦労する。
僕なりに解釈してまとめると
・今の市場価値ではなく、「使用価値」に重きを置き、大量生産・大量消費から脱却する
・生産性を多少落としてでも労働時間を短縮する
・画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働創造性を回復させる
・様々な生産機関を、労働者が管理する
・エッセンシャルワーク(使用価値の高い労働)に重きを置く
が大事だと。
そのためには、
・3.5%の人々が、非暴力的な方法で立ち上がると、社会が大きく変わる(エリカ・チェノウェス氏)
ということらしい。


最後の点は正しいのかもしれないが、様々な疑問が残る。
まず
・『使用価値』はだれが決めるのか
「現金は価値と交換できる引換券、現金自体に価値はない」というウシジマの言はこのブログでもさんざん言ってきたが、使用価値を現金で表現しようとしても、いったい誰が決めるのか疑問が残る
政治や政府かもしれないが、何しろ日本の国会にも、各々の業界からの利益を代表する『族議員』が少なくない。
もっとも利害関係者(ステークホルダー)はどこの業界でもいるが。
人間が自らの利益を正義と信じやすい性質がある以上、それぞれの層が話し合って『使用価値』を決めるのはかなり時間がかかる気がする

・『エッセンシャルワーカー』はだれが決めるのか
この先社会が急激に変化していく中で、エッセンシャルワーカーだったものがくだらない仕事(ブルシットジョブ)になり、その逆もまたあるような気がする。
しかもこの先、画一的な労働はロボットにすべてとってかわられるという未来予測も出ている。
これも政治や政府が決めることなのだろうが、先に言ったように、様々なステークホルダーがいる中では本当に時間がかかってしまう。

最後の疑問、これが大疑問なのだが、
・今の大量生産・大量消費の社会に慣れきってしまっている人間たちは、脱成長経済のための生産制御ができないのでは?
もちろん本当の自由とは、ドラゴン桜でもあったように
『自分の価値観で自身を律して生きること。(ぐうたらで易きに流されるのは自由ではなく、ただ楽なほう・不毛なほうへ流れ流されているだけ)』
なのであり、もちろん斎藤氏も脱成長経済に動くために『人々の自己抑制』を求めている。
本当の自由と自己抑制が表裏一体なのは重ね重ねうなずくが、人々が大量生産・大量消費の生活に慣れきっている以上、それは極めて難しいのではなかろうか。
年中無休で24時間営業しているコンビニには、人々はフラーっと行くし、それが急にやめると言い出せば、人々は文句を言うだろう。
コンビニでは一定の数の商品が出そろっているが、生産が制御されればコンビニにある商品の数も減ってしまう。
当然、人々は文句を言うはず。
丹羽宇一郎氏が言ったように『人は簡単に変われない』というのは事実なのかもしれない。
(余談。ウシジマの話によると、詐欺師が最も価値を見出しているのは、過去に詐欺にあったことのある被害者の名簿なんだとか。)


まとめると
『考えとしては面白いが、現実的に無理』
ということになるだろうか。


日時:2021年10月16日(土) 17:07

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