「魔理沙ちゃんを曇らせたいだけ」あとがき

 本作は強迫性障害という精神障害をテーマにして構成されました。

 実は著者の私自身も軽度の強迫性障害を罹患しておりました。私は子供のころから忘れ物が多かったのですが、そのため何度も鞄の中身をチェックして忘れ物がないよう気をつける習慣ができました。

 それはもちろんよい習慣だったのですが、いつの間にか、チェックしないととんでもない不安を抱えることとなりました。大事な書類であればあるほど不安の炎は高まりました。四、五駅しか離れていない駅間を移動するだけで、何度も鞄の中身を開けては閉めて開けては閉めてを繰り返していました。

 私の認知は歪んでいました。鞄を開けて書類をチェックしているのになぜもう一度確認したかというと「鞄を閉めたとき、書類がどこかに落ちたかもしれない」という恐怖に苛まれていたからです。普通に考えればそんなことはありえない、馬鹿馬鹿しい考えです。ただ私にとっては真剣でした。そう、作中の魔理沙のように。

 魔理沙は親しい間柄の葬儀に行ったことと、霊夢に対するライバルとしての思いからか、とてつもないストレスがかかります。そのせいで、強迫性障害に罹患してしまいます。

 強迫性障害はストレスと密接な関わりがあります。仕事に忙殺されていたり、伴侶の死だったり、衝撃的な出来事によって強迫性障害に罹患してしまう可能性があります。

 そのまま坂道を転がり落ちるように魔理沙の症状は悪化していきます。適切な治療を受けなければ、強迫性障害は難治の病なのです。

 途中、永琳から薬を受け取りますが、あらゆる薬を作ることができる永琳でも強迫性障害は治せませんでした。いえ、永琳は治せたんですが、魔理沙が人ではないナニカになるから選択肢に取らなかったのです。現実でも、薬物療法だけで治すことは中・重度の障害にまで陥っていると困難です。
 
 ただ適切な処置を行えば強迫性障害は寛解します。これを作中で語れなかったのが私の落ち度だったんですが、その適切な処置とはCBT(認知行動療法)と呼ばれるものです。

 このCBTの考え方はシンプルです。「不安だと思う行動にわざと身を晒して、それでも何もしないこと」と言う考えに基づいて治療を進めていきます。

 私自身の話を例にしてみましょう。「私は書類を持っているとき、持っていないか不安で何度も確認する」という強迫症を患っておりました。そこで私は自身でルールを設けました。「一度確認したら二度と確認しない」と。

 最初は本当に苦痛でした。今までは何度もちらちら見ていたのに、いきなり一度だけしか見てはいけないのはつらいのです。ただ私は症状が軽度であったため耐えられました。

 そうしていると次第に耐えるのが苦痛ではなくなってきました。私の「認知」が回復してきたのです。確認しなくても別に問題がなかったという成功体験によって認知が正常に働くようになったのです。

 尺の都合上、チルノと魔理沙のCBTによる治療は描けませんでした。具体的には、チルノの家という「綺麗な」環境からゆっくりと「汚いもの」に曝露するというCBTを行うことによって、魔理沙の認知は正常になっていったという部分が語れなかったのは大変申し訳ない限りです。

 ただ、最終話、霊夢のライバルとしての魔理沙を描き切れたのはよかったです。最後は大団円にすると決めておりました。強迫性障害は適切な治療によってちゃんと治ることを伝えたかったのです。

さて本作は

『亀井士郎・松永寿人(2021)強迫症を治す 不安とこだわりからの解放 (幻冬舎新書)』

 からたくさんの着想を得ております。特に強迫性障害の症例は大変参考になりました。また私自身の強迫性障害を治すきっかけにもなりました。著者の二方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

 加えて、改めまして物語を書くきっかけを与えてくれた「陰鬱曇らせ杯」の主催者、TE勢残党様には心より感謝申し上げます。

 そしてここまで読んでくださった皆様のご健康が守られますよう心よりお祈り申し上げます。


日時:2023年11月07日(火) 23:13



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