母に愛されて見守られながら育つ事で穏やかな人格が育ち、穏やかな対人関係が築けて、関わる人をも良い変化に導く。
そんな当たり前の事を改めて考えさせられる小説でした。
(70行省略されています)
4歳までの児童虐待の末に、愛情の芯に正義の細胞を纏わせた様な「山口」の判断と行動に依って命を繋ぐ事が出来たテワさん。
その後の20年以上の成長に「山口」と「弥生さん」から溢れんばかりの愛を注がれ育ってきた事で、虐待の記憶と葛藤しながらも「山口」に似た正義を纏い、日向ちゃんに愛を注ぐ事が出来る母になった。
子供が育つ過程でどれ程の愛に包まれていたかに依って、思考や判断、行動までもが大きく影響し、飛躍し過ぎた表現かも知れませんがいずれ世の中を変えられるのかも知れない。
母に愛されて育った「山口」と
「山口」に愛されて育ったテワさん。
テワさんに愛されて育つ日向ちゃん。
弥生さんも大輔くんもそれぞれに見合うだけの器があるからこそ生まれた人間関係であり、夫婦としての成り立ちとなるのでしょう。
通常、親の愛は対価を求めない。
でも一方通行の愛でも無い。
愛情を注いだ分、喜びも発見も驚きもある。
愛すれば愛する程に幸せが溢れてくる。
ただその愛が一方通行になった時
至る所で綻びが発生し脆くなり
詐欺の餌食になっている様に感じる。
日々のコミュニケーションが密なら
詐欺の矢が当たっても我が子にそれを伝える手段を身につけているでしょう。
掛かってきた電話を、元の番号に掛け直す習慣を繰り返せるのかも知れない。
一方通行にならない為のコミュニケーション
それは親子だけに留まらず、
ATMやコインロッカーの前で困ってそうな素振りの高齢者を見過ごしていたかも知れない。
人と人のコミュニケーションは
天に唾する様に我が身に返ってくる愛情かも知れない。
助け合いとかってうわべの言葉では無く、
自分に置き換える事で、相手を思う事が出来るでしょうし
もしかしたら自分が救われる時が来るかも知れない。
我が子を助けたいが為の行動も
一方通行では無く、折り返す、掛け直す、確認する事で未然に防ぐ事が出来るかもしれない。
愛って人を形成する積木の様な気がする。
密に積み上げられ穏やかに整えられた積木には滑らかな綺麗な絵が描けるでしょうし
無理やり積み上げ、投げ出され、散らばった積木には線は疎か色すら載せることも出来ない。
見守る愛
注ぐ愛
包み込む愛
愛のカタチはみんな違うし、沢山ある。
読み終えて、まず最初に浮かんだ感情
自分に対する否定
この小説が陽炎の様に感じる、自分の距離の遠さ。
そういった思いを経てからの読み返し、飲み込み、そして吐き出した感想なので、書き手の思いとはかけ離れているかも知れない。
愛って何?
▲短縮する