ラインの娘
作者:ほいれんで・くー

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感想

ほりぃー  2021年02月27日(土) 21:48 (Good:1Bad:0) 33話 報告

こんばんは。最新話をさっそく拝見をしました。

前提としての今回の話を読んでいると思ったのは、ベルファストとかでるしイングランドっぽいなっていうことでした。最終的なあとがきを見るとアイルランドと書いてるので近いけど、惜しいって言ったらアイルランド人にぼこぼこにされるんじゃないかと思ったり。ほかの短編はドイツもしくはフランスを舞台にしていたような気がするので、ある意味新天地でしょうか

デュラハンという存在が出てきて、さらに主人公は魔法を使っているという中世としての物語化と思っていたら、妖精が軍服を着てでてくるということ銃をつかっていたり、ネズミとはいえ騎兵を運用していたりして、なるほど近代と中世の狭間なのだろうなと世界観を想像しました。そして、彼らの世界感がその「地名」の言い表し方から、視覚もしくはその他の5感を基にしたつけたかをしていることに妖精としての視点の面白みが感じられます。
(25行省略されています)

返信:ほいれんで・くー 2021年02月28日(日) 20:49

ご感想ありがとうございます!

ここ最近はドイツと日本をモチーフにした話を多く書いていたので、今回は思い切って話の舞台を変えてみました。後書きでも書きましたが、以前よりイエイツの本を読んで「アイルランドの妖精の話を書いてみたい」と思っていたので、ついに今回それに着手した形です。実はベルファストという地名は英語読みによるもので、アイルランドの言葉では「ベール・フェイルシュチ」というらしいのですが、それでは読者にそれとなくヒントを与えるという目的が果たせないので、あえて英語読みを採用した次第です。

妖精に関しては、そのデザインについてかなり色々と考えました。彼らを「いかにも妖精チックな妖精」として書くことも考えましたが、しかし、それだとあまり新しさがなく、意外性も薄いように思われたので、思い切って現代風な装いにしてみました。ファンタジーの存在である妖精に強い現実味を帯びた描写を加えることで、いわゆる「異化」という効果を与えることはできないか、という目論見です。それに適うようにするため、当初は、妖精たちが乗っているのもネズミやハリネズミといった小動物ではなく、オートバイや自動車にしようかと考えていましたが、それでは却って妖精らしさが消えてしまうのではないかと思い、描写を変えることに……ここら辺はかなり悩ましいところでした。ちなみに、エーファたち人間世界の技術・文明水準が15~16世紀位を想定しているのに対し、妖精たちのそれは20世紀初頭を念頭に置いています。

エーファの視点については、まさしくおっしゃる通り、死体から離れたところにあります。彼女は死んでおり、その意識は死体のそばに存在していますが、死体の目から世界を見ているわけではありません。いわば彼女は魂となって、自己の死体を第三者的な視点から見ていることになります。それなのに彼女は死体に加えられる様々な接触をおぼろげながら感じることができており、嫌悪感すら覚えています。一見矛盾しているようですが、このある種の落ち着きのなさ、説明のしようのない現象を描くことによって、彼女が体験している超現実的な現実を浮き彫りにさせようという意図が込められているのです。

神の不在という点にも関わりますが、今回書き始めるに当たって最初に留意したのが「この作品はホラー的なものにしよう」ということでした。私は普段、ヒューマンドラマ的なファンタジーは整合性と理由付けを重視し、ホラー的なファンタジーはあえて説明がされていない・明確に説明のつかないもの、として書いています。今回の話は別段ホラーとして書いたわけではありませんが、作劇的にはホラーなんですね。人は、それがどれだけ妥当性を欠いていたとしても、何らかの「説明」をされれば恐怖や不可思議を感じません。ならば、説明を省けばお手軽に、かつ効果的にホラー性を出せるのではないか。まあ、あまりにも突飛だとホラーよりも「なんだこれ」感が強まりますし、リアリティも消えてしまうので、そこらへんのさじ加減が難しいのですが……ちなみに説明はしていませんが、私の中ではいちおう妖精たちの世界についても設定があります。

キーアンについては、これもなかなか書く上で大変なキャラクターでした。因習的な村の中でも一応の「例外的」存在として描かれている彼ですが、その実、彼は例外ではないのです。少し言葉を知っており、少し善意を表出する術を知っているだけで、彼の本質は実のところは「愚昧」です。妖精たちは極悪人としてキーアンを捉えていますが、彼は悪意あっての極悪人ではなく、言うなれば単なるアホなんですね。妖精たちは新聞や雑誌やニュース映画という報道を通じて彼を見ているので、勝手にイメージを膨らませているようです。言葉に関してもそうで、彼は己の言動が己の本質にどうかかわるのかについて、あまりにも無頓着です。そういう点で、彼はかなり現代的な存在となっています。妖精たちとは別のベクトルでの現代的存在です。

エーファの最後の心の移り変わりについてですが、これもまた死体が村に到着し、キーアンが彼女の死体を目の当たりにすることによって、別の方向へ変容していきそうな予感があります。彼女は死んで妖精たちによって運ばれることで、初めて「変化する」という人間的な事態を経験したのです。妖精たちの死や戦いを見ても「悲惨だ」とか「もうやめてくれ」だとか真剣に考えなかったあたり、彼女もまた一筋縄ではいかない、ある種の「魔女的な」性格をしていたと見ることも可能でしょう。ここら辺は自由なご解釈にお任せします。

妖精と死体というモチーフはかなり気に入っているので、今後も何か書くかもしれません。

次回もどうぞお楽しみに!!


投稿話順全話感想

ふぁっしょん  2024年01月28日(日) 20:32 (Good:3Bad:0) 40話 報告

ものすごく久しぶりに更新がきて、ああいいところにいいものがきたと思いました。
読み進めるうちに、すさんでいたものが満たされて、すっきりとした気分になりました。
作中に明確なかたちで存在しないのに伝わってくる許しというものが作中に、かすかでも間違いなくある優しさをもたらしているような気がしています。勝手に感じてしまっているだけかもしれませんが。
ともかく、私は今日の更新を噛み締めるほど、ぐちゃぐちゃに絡んだ気持ちの流れが整っていくようで、読んでとても良かったと思いました。
まとまった感想でなく申し訳ないです。
とにかくよかった。

返信:ほいれんで・くー 2024年01月28日(日) 20:51

ご感想ありがとうございます! ぐおお、なんだか私も嬉しくなってきたぞ! こんなことなら更新をサボらないでコツコツ書くべきだった(笑)

この作品を書いた直接的な動機というものは特にないのですが、私自身がかつて常に「いつかとんでもない目に遭うぞ」という不安を抱えていたこと、「人は憎むことと愛すること、傷つけることと慈しむことの双極的な性質を持つ」という最近得た気づき、それから「人はいつ来るか分からない死刑を待ち続けるくらいなら自分から死刑を望むものだ」という私の持論、こういったものがいろいろと絡み合った結果、今回の「ジョン」が生まれたような気がしますね。ジョンはもしかすると単なる全般性不安障害なのかもしれませんが、私たちは(少なくとも私は)彼の苦しみを理解することができるだろうと思います。無論、理解できなくてもそれはそれで普通なのかもしれませんが……

私も久しぶりの執筆でけっこう気持ちが入りました。2万字まで書いた段階で「これからブリストルの街を焼いて最後は市街戦か」と思うと「もうやめて良い?」となりましたが、なんとか最後まで書き上げることができました。次からはもっと計画的にやっていこうと思います。

今年は生産量をあげていく予定です。またお付き合いしていただければまことに幸いです!


ほりぃー  2024年01月28日(日) 20:09 (Good:2Bad:0) 40話 報告

こんにちは、読了しました。なんだか不思議な感覚を覚える短編でした、実在といいうかリアルなイングランドがベースということでいままでの作品とは世界観自体が違いますね。

先にも書きましたが不思議な感覚を覚え、この小説の正体を探しながら読んでいた気がします。これは何らかの風刺なのか、それとも幻想小説なのか……そう考えればいくつかの想像と解釈を内包した豊かなものであるという感覚があります。くーさんは古典や昔の小説をよく読んでおられるので何らかの下地があるのかと思い、「眠っていたのかい」などで検索をかけてみたら……落ち着いてくださいのあの禿の画像しか出てこず謎は深まるばかりで下地があったとしても比定できませんでした。

上記はどちらかというと外殻なはなしではりますが、小説の内部的な面としてジョンは誰のポケットにもいるしかもそれは別々の姿でということでありました。ここから何らかの風刺なのか……? とも考察をしましたが、そう思うにはどうにも世界が優しく、駄菓子屋の後の老人も女の子も公園の女性も……それぞれジョンのことを大切に取り扱っているし、どうなのだ? と思いました。終盤に当たるまでのジョンの「おびえ」を鑑みればこれも一人一人の心の中の何かかと思いましたが、ジョンの語る怯えの詳細な内容と戦争体験を見るに一般化できるような話でもない。ひとりひとりの心の中にジョンがいるという風には成り立たないなと思いました。

最終的に公園で彼を見つけたわけですが、眠っていたのかいという問いかけに今まで眠っていないと答えていたジョンが答えなかったと思えば、彼に起こされるのを待っていたのかなと思いました。

かなりとっ散らかった感想になりましたが、読み解けてないのではないかという感覚もあり的外れなことを言っている気もしているのでお気に障ったらすみません。

返信:ほいれんで・くー 2024年01月28日(日) 20:21

いつもご感想ありがとうございます!

いいですか、落ち着いて聞いてくださ(略)

読み解けていないとかそんなことは全然ありません! ここまで詳細に読んでくださってむしろありがたいです!

なぜジョンが人々のポケットに現れたのか、なぜ人々はジョンを捨てないで一緒にいるのか、なぜジョンを見つけようとする人としない人がいるのか。ジョンとは一体何者で、いったいどういう意味を持たされているのか。最初はそのすべてを作中で書くつもりでしたが、それをやると全体的にわざとらしく説教くさいものになるのが目に見えていたのでやめました。特に何かを風刺したわけではありませんが、「究極的な懲罰や決定的な事態をもたらすものを信じないようになったのに、そういったものがいずれ訪れることだけは信じている」人々のことを私は念頭に置いたつもりです。ジョンはもしかすると単なる全般性不安障害なだけかもしれませんが、彼の抱えている怯えというものはけっこう一般的なものだと私は思っています(というより、以前の私はそういったものに苦しめられていました。今は違うけどね!)

最後にジョンの生死をはっきりさせるのかさせないのか、かなり迷いました。しかし主人公が探していたのはジョンであってジョンの死体ではないので、これ以外の書きようはなかったと思っています。

今回はリハビリも兼ねて書きました。今年は生産量をあげていくつもりですのでまたお付き合いいただければ幸いです!


OVER52694  2023年02月25日(土) 15:06 (Good:2Bad:0) 39話 報告

作者さんの作品は読んでいて不思議な気持ちになる事が多いですが、これもまたそうです。
主人公は一言も言葉を発する事がなく、自らの過去はおろか悲惨と言っていい現状すら常に客観的に独白している。
しかし、何故か読んでると焦燥感や考察を考えてしまいます。
ゆっくりと高台に歩いていく様な、その続く道が断頭台へなのか、神の降臨の祭壇へなのか。
何故か左右に心を振られました。

返信:ほいれんで・くー 2023年02月25日(土) 17:54

ご感想ありがとうございます!

久々のオリジナル短編ということもあってか、今回の話はかなりの難産でした。書いても書いても先が見えないというか……せっかくだから内容的に新しいものを目指してみようと思ったのですが、内容を変えたら文体も変えざるを得ず、語り方もそれなりに考えなければならず、書いていて「もうこれお蔵入りにしてやろうか」と思ったことも一度ならずありました。

当初考えていたプロットは以下のようなものでした。「主人公は八歳くらいの男児。時代は終戦直後あたり。舞台は瀬戸内海の小島。男児の一家は満洲からの引揚者で、島の中で迫害されている。ある日、主人公は学校からの帰り道に小人の家族と遭遇する。それは妖精の家族であった。時を同じくして、近くの『本土』から小人の妖精たちが船に乗って続々と島にやってくる。船に乗ってきた妖精たちは凶暴で残忍な性質をしており、大量繁殖を始め、島の経済と生活に大打撃を与え始める。一方で、主人公が最初に遭遇した妖精の家族は大人しく、優しい性格をしており、主人公は彼らと密かに親交を深めていく。妖精の群れの暴虐によって困窮を極める島。対策は功を奏さない。島民たちは最後の手段として主人公の父に助けを求める。かつて父は満洲において妖精を用いた事業を展開しており、島に蔓延った妖精たちを駆除する方法も知っていた。父の指揮のもとに妖精が狩りたてられていく。自らが暴力を振るう立場に立ったことで次第に性格が変容していく父。その目を逃れるようにして、主人公は妖精の家族を生かすために奔走するが……」

社会から迫害されている者たちは自らが迫害者となることで迫害から逃れようとする、それは再生産という構造を伴って行われる。このことを「島に大量繁殖する妖精」というファンタジー的な道具を使って表現しようとしましたが、考えてみたらこれ、明らかに吉村昭の短編「鼠の島」と、開高健の短編「パニック」の影響を受けすぎでした。どちらの作品も鼠の大量発生が主題の一つです。いまさら二人の巨匠に倣った作品を書くのも芸がない。それに、細部を突き詰めていくうちに「なんか苦労して書き上げたところで面白くならなさそう」という考えがなんとなく浮かんできました。これで一度断念。

考えているうちに「そもそも『社会』というものをテーマにするから面白くない気がするのではないか」と思い至りました。どうせ書くならマクロな社会ではなく個人のミクロに焦点を当てたい。「社会がどう成り立っているか」ではなく、「人間はどう成り立っているか」の方が個人的に興味がある。それで、まあ色々と考えた結果、島で迫害される少年の話という骨子は受け継ぎながらも、テーマとしては「人はなにによって生きているのか」というものに移りました。考えている最中にトルストイを読んだことが大きく影響しているのはまあ御愛嬌ということで……ファンタジーの道具も「大量の妖精(鼠)」から「一匹の蛇」へと変わることになりました。蛇といえば、やはりファンタジーの王道である「バシリスク」(蛇の王)しかあり得ません。こうして蛇の王を育てる少年の話ということになりました。

今回、書く上で注意したことは何点かあります。一つは、少年に喋らせないこと。会話文は意図的に排除しました。「」の会話文を一つも入れなかったのは、少年が言葉を発するということを知らず、したがって会話というものを知らないからです。しかし少年はよく物事を見て、考えています。彼は周りの人が何を言っているのかをよく理解しています。彼は言葉を発することはできませんが、彼の中では言葉が煮えたぎっています。さながら蛇の王の中で毒が煮えていたように。

もう一つは、はっきりとしない時間軸に基づいて書くこと。この作品を語っている主人公は、いったいどの時間軸においてこれを語っているのか。どうやら語っている彼は語られている彼よりも成長しているようですし、色々と記録を調べたり証言を聞いて回ったりしているようですが、ではそれはいつなのか。やっぱりはっきりとしません。明確な時間設定がなされていればこの作品は架空の回想録のようなものになったでしょうが、それは私の望むところではありませんでした。これは私の小さい頃に少し関係しているかもしれません。思い返してみると、私は小さい頃けっこう色んなことを頭の中で考えていたような気がします。しかしそれも「今の私が、過去の幼い私に成り代わるような形で『幼い頃の私はよく物事を考えていた』と考えているだけであって、本当のところはどうであったのかはっきりとしない」わけです。部分的に見るとはっきりとしているが、全体的にはやはりはっきりとしない感じ、点描のような感じ、これを文章として表現することが今回の課題でした。だから疲れたわけですな……しばらく似たようなものは書きたくない。

もう一つ、出てくる登場人物はすべて悪人にしないことを心がけました。子どもも大人も、父も母も、本家の人間も、全員を殊更に悪人として描くことは避けました。彼らは積極的に悪を行うものではありません。いうなれば普通の人間です(この小説のラストに関わることですが、もし彼らが本当に嫌な奴らで、悪意と敵意が擬人化したような人たちだったのならば、きっと私はバシリスクを大暴れさせて島を壊滅させていたと思います)。端的に言えば、しょうもない人間ばかりです。子どももしょうもないし、大人もしょうもない。

しかしながら、彼らはやはり悪という側面を持っています。これは「人はなにによって生きているのか」というテーマに関わるのですが、彼らは主人公(とその母)に対して、人が生きていく上で必要不可欠なもの、たとえば愛だの思いやりだのといったものを最後まで与えないままでした。人間は物質によってのみ生きているのでは決してないのです。しかし、「じゃあやっぱり人間は愛がないとダメだよ」と能天気に考えることも私にはできませんでした。そうだとしたらそもそも愛を知らない人間はどうやって生きていけば良いのでしょうか。それこそ、この作品の「私」のように、生まれてこのかた愛らしい愛を注がれたことのない人間は? 作中、「私」は最後まで愛を発揮することがありませんでした。蛇の王を育てている間も彼は丁寧な世話をしていましたが、そこに愛はあったのでしょうか? 母を世話している時、彼に愛はあったのでしょうか? 愛を知らない人間はどうやって生きていけば良いのか……?

人を生かすものは、愛の他にもあるのではないか。今回は、それを「毒」として考えてみました。毒は汚染することもできれば、薬となって清めることもできます。愛を「働きかける力」と定義するならば、毒もまた「働きかける力」を持っています。愛は善きものですが、毒は中立的です。しかし少なくとも力ではあります。「私」は愛については知りませんでしたが、(幸か不幸か)毒については父と母を通じて、また母の「選択」を通じて知っていました。「私」は最後、毒を得るためにバシリスクのもとへ向かいますが、実のところを言うと彼自身気付かないうちに彼の中に既に毒はあったのです。でなければ彼はバシリスクを殺すという選択はできなかったでしょう。最後のシーンは、はからずも彼が本来的に持つ毒性が爆発したものではないかと作者は考えるわけですが、これはもちろん作者の解釈に過ぎません。

人は毒を本来的に持っており、その毒を振りまきつつもまた他人からの毒を受けて生きていく。それが人間らしい生ではないでしょうか(だから私は人間を無毒化するような教育を教育と見なすことができません。しかし世の中そんな教育ばかりが理想的な教育と言われているようです)。

長くなりすぎました! これで今回「私が何を考えて書いていたかについて」だいたい整理がつけられたと思います。こうして反省の機会を与えてくださったOVERさんに心から感謝申し上げます……

次回もどうぞお楽しみに! でも次はかわいい女の子が書きたいなぁ、なんて……


ほりぃー  2021年08月01日(日) 14:47 (Good:3Bad:0) 36話 報告

こんにちは「わが胸を射貫くアルテミス」を拝読しました。

なかなか難しいテーマというか題材に手を付けられたな、と思いますが意外とクーさん的には比較的書きやすかったのではないかという逆説的な観測を勝手にします。他の短編と微妙に世界観が同じなのではないかと思うのですが、そうであるならばある意味これは「とある戦争の短編集」とも取れるのではないかと思った次第であります。

さて、主人公とその環境についてですが、基本的に歴史とは後世の人間が論ずるため簡単に善悪や正邪を断じやすく、反論する相手もすでにこの世にいないので先鋭化していくものです。小説に関係ないこと何を言っているのかと思われると思いますが、つまるところ我々のいう「善悪」「正邪」などは後からの安全地帯からの視点を多分に含んでいるという仮定を提示したく書きました。
(7行省略されています)

返信:ほいれんで・くー 2021年08月02日(月) 20:14

ご感想ありがとうございます!

今回の話はもともと、私の大好きな作家吉村昭の短編「焔髪」に触発されて構想を練り始めたものでした。「焔髪」は、戦争中に仏像を疎開することになった東大寺の一僧侶の目から描かれた作品で、脆く壊れやすい仏像を囚人たちの手によって運ぶという内容です。信仰と国家との関係、戦時という特殊な環境における信仰の形など、短いながらも多様なテーマを含んだ大変味わい深い短編でして、私は深くこれに感銘を受けました。

それで、最初は「少女たちの手によって運ばれるアルテミス像」というシーンが思い浮かび、「それならば舞台は西欧をモチーフにした方が良いだろうか」と考えました。しかし逆にギリシア神話的な要素をあえて日本を舞台として書いた方が面白かろうと考え直し、今回の話の骨子を組み上げました。信仰と国家との関係について、エーテルという戦争資源の観点から考えるとなかなか面白くなるのではないかと、そういう目論見です。以前から私の作品世界では混合濃縮エーテル液がたびたび登場しており、これについて深く掘り下げたいという気持ちもありました。

信仰や思いといった、国家や社会によって潰されることのない究極の内面的価値すらも、戦争経済の維持という至上命題によって利用され、消費されていくという状況、これはファンタジーでなければ(あるいはSF)でなければなかなか書くのが難しいのではないか。それならば、今回の話は大いに書く意味がある、そのように考えてまあ書き始めたわけですが、まあこれが大変で……というのは、主人公をどのように描くのか、主人公の内面をいかにして展開していくのかという(小説にはつきものの)問題に執筆中常に悩まされたからであります。はじめから「今回は主人公の一人称視点で書いてみよう」と決めていたのでなおさらです。

主人公は戦地での体験により、自分がいま属している状況やこなしてきた仕事、あるいは戦争そのものについて懐疑的になり、そして常に罪悪感を覚えています。まあ、いうなれば非常に真面目だったんですね。作業監督のように無知と侮蔑に逃げ込むことも、中尉や兄たちのようにあえて深く考えないことも、ふざけた態度をとって茶化すこともできないし、戦争そのものを忌避して逃げることもできない。彼は国家に尽くし、仕事をこなし、使命を果たすことに非常に忠実です。その一方で、彼は幼いころから神というものと身近に接してきたために、人間性や信仰、生命の意味について敏感でもありました。そのせいで彼の内面は常に強い葛藤に見舞われていたわけですが、少女たちを見舞った運命を目の当たりにしたことによって、ついに崩壊一歩寸前まで追い込まれてしまうのです。

アルテミスは、最後彼を射貫くことによって救いをもたらします。アルテミスが彼の狂気による幻覚だったのか、あるいは本当に神的な存在だったのか、いずれにせよアルテミスは究極的な解決を主人公にもたらしました。すなわち、「罪悪感を抱くことなしに生きていけるように」したのです。ある意味でこれはデア・エクス・マキナ(アポ・メーカネース・テオス)と言えるかもしれません。というか、ぶっちゃけるとエウリピデスリスペクトです。そういう意味では、今回の話は悲劇的ですが、結末そのものには明るさがあるのではないでしょうか。

先にも書きましたが、今回はなかなかつらい思いをしながら書いた作品ですので、こうして詳細に読み込んでいただいてひときわ嬉しく思います。これからも面白い作品になるよう頑張っていきますね。

次回もどうぞお楽しみに!


ほりぃー  2021年04月18日(日) 17:50 (Good:1Bad:0) 34話 報告

こんにちは。また、ピエールは一日を繰り返すを拝読しました。いつもの通りこの下は適当な私の感想というよりも主観をまじえた話になりますので。どうぞご容赦ください。

この話を読んでいる途中で笑ってしまいました。内容ではなくて、文章一つ一つに詳細な描写を施して、細かな世界観につながる描写があり、かといって失礼ながら大衆向けというほどにストーリーは平易ではない、というよりは最後まで読んだときに「どう感じるか」を読者に投げかけているように見えました。

なんで笑ったかというと、これを書いているときに勝手な想像ですがくーさんが苦悩して書いたんじゃないかなと思ったためです。細やかさがあるこの作品を描くのは流れるような執筆ではなかったのではないかと想像しました。上記に書いてある通り私の主観での解釈なので違ってもお許しください。
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返信:ほいれんで・くー 2021年04月22日(木) 00:50

ご感想ありがとうございます!

今回の「また、ピエールは一日を繰り返す」ですが、確かに難産となりました。そもそも「また何か書いて更新しなければならないが、さてアイデアをどうしよう」と初っ端の段階で苦しみ、そこで家族から「瓶詰の妖精の話などはどう?」と示唆を受け、「それなら妖精が一つの産業となっている世界について描いてみよう」という気持ちになりました。そこで架空の職業である「養精家」を設定したわけです。

架空の職業とは言え、リアリティを出すためにはそれなりに詳細な描写をしなければならず、その点でも苦労が多かったです。参考にしたのは現実世界における「養鯉業」で、ちょうどそれに関する小説を読んだところでしたから、「これなら大いに作品が書けるだろう」と勢いを得ました。まあその、書いている間はご賢察のとおり、非常に苦しんだわけですが……妖精の出現から歴史的経緯、産業化、養精家の一日と仕事内容、生活……こういったものを書いて初めて本題(主人公について)に入れるわけですから、なかなか筆が進まず苦労をしました。これまでに他作品で培ってきた世界観が上手い具合に組み合わさってくれたのが幸いでした。

この作品、かなりカレル・チャペックの『山椒魚戦争』に影響を受けています(まだ半分くらいしか読んでいませんが……)。しかし一方で『山椒魚戦争』とは明白に異なる点がありまして、それはまさしく妖精が「ものを言わぬ存在」「人間と心を通わせることがない存在」として描かれているところです。チャペックのそれは山椒魚たちが人間に利用されつつも次第に力をつけ、最終的には人間に代わって世界を支配するところまで(たぶん)行くのですが、今作ではあえて妖精を喋らせないようにしました。妖精たちが話してしまうとチャペックと同じく「妖精が生きる意味」だの「妖精を産業利用することの是非」だの、ひいては「人間が他の生命体を利用することの意味」だのに話の主題がズレて行ってしまうのではないかと考えたからです。

私が描きたかったのは、時代と状況に翻弄され、疲労困憊し、生きる希望もなくし、かつ生命すら脅かされている人間でした。重度の鬱病になっているピエールですが、それでも彼は日々をなんとか生き抜いています。なぜ彼が生きていることが可能なのか。それは「妖精たちが炎にまかれて死の舞踏をする光景を(養精家でありながら)美しいと感じてしまったから」なのですが、それを最後に持ってくるのが今作のクライマックスでした。

ピエールとその父が「妖精そのものではなく仕事を愛しているようだ」とのご感想ですが、それは当たっています。彼らは確かに妖精を愛していますが、しかし彼らの生き方は妖精を愛でることにあるわけではありません。彼らはあくまで養精家であり、そこから生じる職業観念によって「愛の形」はおのずから一般人のそれと異なっているのです。これはあらゆる仕事についても言えることかもしれませんが……

対ゲルマニア協力者に関しては、もう少し勉強をしてから書きたかった要素でしたが、あれはあれで上手く纏まった感があるので一応は満足しています。書き終えてから関連書籍を買いましたが、まだ読んでいません……これからももっともっと勉強をしないといけないと感じています。

ピエールがこの先生きていくことができるのか、それは私自身にも断言はできませんが、何か大きな変化が彼の精神上に起こらない限りは難しいのではないかと思います。例えばそう、妖精が突然変異で人間の言葉を話し出すようになった、とか……そうなってくるとこれはもう長編になりますね。長編に書き直すならそういう話になりそうです。

いつもありがとうございます。次回もどうぞお楽しみに!


OVER52694  2021年02月12日(金) 00:30 (Good:1Bad:0) 32話 報告

魔族少女のリゼンプション読了。
贖罪というテーマと同時に武士道というか、状況のために、無骨で不器用に過ぎる情の交わし合いを魅せて頂きました。
まず父親の戦場に出る前と帰ってきてからの厳しさ、そして処刑される時の心情ですね。
主人公のリツは父がどんな気持ちだったのか全く分からず、それどころか自分が何故あれだけ冷静に事に当たれたのか悩み続けていました。
梨本を通じて、自分と向き合い、彼が言った「友人に斬られるならば惜しくは無い」という台詞と「贖罪の手助けをしてくれ」によって長年悩んでいた父の思いを知る事ができました。
(28行省略されています)

返信:ほいれんで・くー 2021年02月13日(土) 21:22

ご感想ありがとうございます!

今回は「リデンプション」(贖罪)というウォーキングの最中にふと脳裏をよぎった単語から話を組み立てるという、普段あまりやらないことをやったわけですが、ではその「贖罪」というテーマをどれだけ掘り下げることができるか? これが書き始めるに当たってやはり巨大な問題として浮上したわけです。そこで、書いている本人としても明確に「罪」の意識を覚える、身内殺し・親殺し(しかも意に染まぬ)をまず取り上げてみようと思いました。

実はリツの父親に関しては、当初はかなりの溺愛キャラとして考えていました。作中では「リツが幼い頃は優しかったが、リツが十四歳になった頃から急に厳しくなり、最期に至るまであまり愛情を表面に出さなかった」というキャラになりましたが、初稿の段階だと最後の最後までリツに対して甘い、愛情剥き出しな性格でした。道場が焼けても純粋に彼女と使用人たちの無事を喜び、戦地からは頻繁に便りを送ってくるような、そういう性格です。しかし読み直しているうちに「これではリツが『罪』の意識を抱いてくれない」という風に思い直しました。なにより、父親の言動や行動の裏に隠された本当の感情、意図を読者が作者と一緒になって読み解いていくという楽しみが生まれないんですね、父を優しくしてしまうと。リツ自身が大いに葛藤するためには、父の性格は厳しいものへと変えざるを得ませんでした。結果として、かなりの「コンプレックス」をリツに抱かせることができたのではないかと思います。

梨本については、途中何度も「このまま能天気なパイロットのまま死なせたい」という気持ちが湧き起りました。死を告げられても従容としてそれを受け入れ、リツに斬られる。それはそれで一つの「人間が本来的に持つ不可解な心情の働き」を表現できるかとも思いましたが、しかしそれではやはり話のメッセージ性(このメッセージ性という言葉はどうにも苦手なのですが)が浅薄なものになってしまう。冒険活劇ならばそれもありだったのかもしれませんが、もともと梨本はリツの心を映し出す鏡として考えていたので、それならばリツと(その方向性は違えど)同じくらいに大いに悩んでもらわなければならない。彼には彼なりの生の苦しみがあり、葛藤を抱えていて、それから解き放たれたいと願っている。リツとの違いと言えば、彼女がそういった望みを生来の生真面目さから内に閉じ込めてしまったのに対し、梨本は(リツというきっかけもあり、状況も状況だったとは言え)自分自身で分析し、自分で自分を解放するまでの道筋を見出すことができた点です。そういった意味では、梨本は明らかにリツよりも「大人」だったのでしょう。

守備隊参謀である叔母ですが、彼女も書いているうちに大いにキャラ付けが変化していった存在です。というより、当初は単にリツの親戚であるというだけの位置づけでした。参謀がリツを呼び出し、処刑についての話を始めるシーンを書いているうちに、作者である私自身が参謀の魅力を見出して、「これはもっと書き加えなければ」と再認識したような形ですね。決して優しい人ではありませんが、しかし彼女なりの「愛」がある。この作品の裏テーマの一つが「想いの形」である以上、参謀の愛という想いの形を書かねばならないのは必然でした。

私自身がリツと共に思い悩みながら書いていったので、最後に彼女が彼女なりの答えを見出して迷いを斬り捨てることができたのを嬉しく思っています。書き上げてから三日間くらいは最後のシーンのリツの心情の流れについて加筆を続けました。最終的に二、三文ほど書き加え、ようやく理想形になったと満足しています。戦時、敵=味方という異常な状況と関係における想い(友情)の形について書くことができたとも思います。まあ、苦労して書いた甲斐があったなぁ……と、今では(次に書くべき短編のことも忘れて)ほっとしている次第です。

私としても今回の作品は大いに得るところがありました。毎回このような感じで作者自身としても成長を実感できる作品ばかり書きたいのですが、まあそういうわけにもなかなかいきませんので、その時々で書きたいものを精一杯書いていくだけですね! その成果を今後も引き続きお披露目したく思います。

次回もどうぞお楽しみに!


ほりぃー  2021年02月07日(日) 23:02 (Good:2Bad:0) 32話 報告

こんばんは、最新話を拝見させていただきました。

今回は「贖罪」をテーマにされた短編ですね。勝手に主人公の少女(17歳が少女かどうかは人に依るでしょうが) を赤い髪で想像してたら、全然そんなことはなかったとかいう変なことをしてました。まあ、目は赤いからセーフでしょう。

今回の珍しさとしては他の短編とは違い、別の文化圏同士の争いではなくておそらくは同じ歴史を共有する国と国の戦争物語ということでしょうか。確かにそのような舞台設定はあまり考えたことはなかったで思考の隙間を疲れた気がしました。
(17行省略されています)

返信:ほいれんで・くー 2021年02月08日(月) 21:10

ご感想ありがとうございます!

今回の話を書く前に、例によって「さて次はどのような話にしよう」とかなり悩みました。ネタ出しを兼ねて散歩をしている最中に、まず「魔族少女」というキーワードが浮かびました。そもそも「次は女の子を主人公にしたい」という気持ちがあり、では「武士娘」というのはどうだろうと連想し、最終的に「あ、武士娘×魔族少女って良いじゃん」となりました。そして、「魔族少女」という言葉を頭の中で繰り返しているうちに、どういう脳髄の閃きの結果か、なぜか「リデンプション」という言葉が浮かんできました。おそらく直前に読んだ本で「リデンプション(贖罪)という言葉はもともとラテン語で『奴隷が自分自身を買い戻す』という意味であり~」という記述を読んでいたせいだと思われます。こういうわけで「魔族少女のリデンプション」というタイトルが決まりました。

いつもは本文を書き終えた後にタイトルを考えるのですが、今回は逆で、思いついたタイトルに沿うようなストーリーを書いていったわけです。32本目にして初めての試みでした。

では、どういった「贖罪」を描こうか? これに関しても最近読んだ本が影響しておりまして、ちょうど数日前に吉村昭の『遠い日の戦争』を読み終えたところでした。終戦の日にB-29搭乗員を処刑した陸軍中尉が、混乱している戦後社会で占領軍からの追及から逃れようと苦闘する話でして、吉村昭一流の文体と濃密な心理描写に魅了されました。そこでまず初めに、「では敵の搭乗員を処刑する話を考えてみよう」となったわけです。

しかし単に搭乗員を処刑し、その罪について考えるだけでは吉村昭の劣化コピーに過ぎません。それに、魔族の少女(十七歳は立派な少女です! 少女!)が軍隊にいて敵を処刑するというのもいかにも唐突な感があります。最初は山の村にいた少女が、復讐の念に駆られて脱出した敵爆撃機の搭乗員を斬り殺してしまい、戦後になっても山の洞窟の中を彷徨うという話を考えたりもしましたが、これではまったく救いのない話になってしまう! 私の信条として、贖罪とは単に自由人として社会へ復帰するためにするものではなく、魂の安息のためになされるべきものだ、というものがありますから、話の最後に「救い」を描くことは絶対条件でした。

ご感想の中で、リツの時間が止まっていたと言っていただきました。まさにその通りです。彼女の時間は父親を斬った時から止まっており、彼女の魂は囚われの身となっていたのです。それを解き放ってあげたい。それは作者としての願いでした。そのために対照的な存在となる梨本を描いたのです。上手く対比させることができていたのか不安でしたが、どうやら上手に書くことができていたようでホッとしています。

リツの魂を解き放ちたいとは思いましたが、最終的には、彼女の魂が解放されるところまで書くのはやめようと考えを改めました。リツがこれからどう生きて行くのか、それは私自身にも分からないところですが、おそらく彼女は力強く生きて行けるのではないでしょうか。私にはそう思えます。

次回もどうぞお楽しみに!


ほりぃー  2021年01月31日(日) 22:17 (Good:2Bad:0) 31話 報告

フォルモサ島への飛行を拝読しました。ありがとうございます。

まず思ったのは敦賀県という過去に実在した県をだされているところから、大「坂」とかいうやはり過去の文字の使い方にくすりとしました。世界観的には我々の世界のとは同じではなく、似た世界で魔力という概念のある世界ということですね。これもほかの作品とつながっていそうな気がします。

さて、内容としてはまずは兄の話から始まり、その後世間からの迫害があったということですが、意外に思ったのは武門の家として誇り高い父が憔悴していたとは主人公に軍人になることを止めて、むしろ世間の風が凪ぐことをおさまるまで待つように諭したことですね。
(11行省略されています)

返信:ほいれんで・くー 2021年02月08日(月) 20:51

ご感想ありがとうございます!

今回の「フォルモサ島への飛行」ですが、これまでに書いてきた「和風」(といって良いのか作者自身でも分からないところがありますが)ファンタジーの世界観と設定を一部で受け継いでいます。「キヨのメタモルフォシス」や、「父が遺したマドンナ」などですね。今私たちがいる日本とは、言うなれば「一枚だけ異なっている」日本を自分なりに表現してみたい、という創作欲の表れです。どうやら豊臣家が幕府を開き天下を取ったのか、それとも徳川家が敗退したのか、そういう歴史を辿ったようです。

さて内容についてですが、主人公の父親の性格をどのように描くかについては、かなり気を遣いました。劇中で語られることはありませんでしたが、実は父親は戦場にて重傷を負っており、その後遺症のせいで軍務を継続することができず、今は退役軍人として敦賀の家にいたという設定を考えていました。そこら辺を書くと複雑になり過ぎるので、今となっては書かなくて良かったと思うのですが、とにかくそのような過去から、どうやら父親は口では「国家への忠誠と奉公」と言っておきながら、その実、国家というものは全身全霊で忠義を尽くすに値するものでもない、と思っていたようです。子どもの教育や躾においてとかく建前を優先するというのが生真面目な性格の親にはありがちなもので、しかし一方で主人公とその兄は親の言う建前を真剣に信じ込んでしまったようです。以上のことは裏設定のようなものなので、スルーしていただいて一向にかまわないのですが……

主人公の家族関係者以外をアルファベットで表現したのは、当初は「もういちいち名前考えるの面倒だな」という創作者にあるまじき怠慢のなせるものでしたが、書いているうちに「これは却って記憶というものを相対化する上で重要な表現技法になるかもしれない」と思いました。アルファベットでの表記は、一見正確そのものな表現に見えますが、その実なにも表してはいません。単なる記号に過ぎないからです。W軍曹は主人公にとって非常に重要な人物であり、彼を今でもある意味で苦しめている張本人なのですが、その名前すら記号で表現するしかない。そういう矛盾じみた記憶の曖昧さを、アルファベットによって少しでも表現することができていたなら……というのは私の願望でしょうか。

最後に兄についてですが、彼も彼なりに敵国での捕虜生活で色々と考えが変わったのでしょう。捕虜第一号として敵国の尋問に耐え、捕虜の恥辱を甘んじて受け、その後増え続ける同国人捕虜に対してまるで精神的上位者のように振舞う……そんな生活の中で、兄は兄なりのリアリスティックな考え方を身につけたのかもしれません。それは主人公とはまた違った、兄なりの罪と罰の意識にも関わっているでしょう。

次回もどうぞお楽しみに!


OVER52694  2021年01月25日(月) 21:57 (Good:2Bad:0) 31話 報告

フォルモサ島への飛行読了
淡々とした語り口調ながら、世間や直ぐに手の平返しする人々への怒り、そしてそれに翻弄されてしまった自分への自省も感じますね。
彼の家族は色々ありましたが、なんだかんだで兄弟二人生き残り、その後の家族関係も悪くはないだろうと思える所は救いです。
父親も世間の冷たい風に参っていたにせよ、敵に捕まった長男を責めることもなく、主人公にも危険の無い道を選ぶように諭す所を見ると親らしい情のある人だったと思います。

W軍曹はとても格好良く、青空のサムライや永遠のゼロなどを思い出しました。
主人公が見たW軍曹の最後は彼を失った大きな哀しみを慰める為に、無意識に作り上げたものだったのかなと思います。
また三人とも違う証言をしている所を思い返すと、主人公から見たW軍曹は自分の理想像を投影していて、他の人から見た彼の人物像は大分違うものかもしれません。
この話はどちらかというと美談でしたが、戦争というものも色んな角度から見るとそれぞれ違った見え方をする気がします。
生き残った人達が危惧しているのは、その悲惨さより、自分たちが哀しみを乗り越える為に作った武勇や美談が伝わってしまうことだろうとも思いました。

返信:ほいれんで・くー 2021年01月25日(月) 22:50

ご感想ありがとうございます!

この作品を書くきっかけとなったのは、最近のkindkeセールでなんとなく買った某戦記漫画でした。その漫画は非常に良く描かれており、細かな取材に創作的な妙味のある「嘘」が織り交ぜられていて、読んでいて素直に「面白い」と感じました。しかし反面、「どこか物足りない」とも思ったのです。それはおそらく、戦争をモチーフにした話を読んでおきながら「面白い」と感じてしまった自分自身への疑問が、大いに関係しているでしょう。

話を組み立てるに当たって念頭にあったのは、「語りとその虚偽性」、それから「美談が構築される過程」でした。後書きでも書きましたが、チャブリス、シモンズの『錯覚の科学』において、人間はより楽に、より効率的に生きて行くために、独自の認知システムを作り上げていきました。いわゆる認知バイアスというものは、Twitterなどではとかく悪く言われがちですが、その反面「人間が楽に生きて行くために」必要不可欠なものでもあるのです。

私たちが面白いと感じる「美談」は、それを語る当人にとっても美談であるはずです。ではなぜ、その当人は自分の経験を美談として再構築したのか……? その裏には、到底美談にはできないはずの、隠しておきたい、あるいは忘れてしまいたい、別の経験が潜んでいるのではないか? その当人にとって「生きやすく」なるために、美談は作られていくのではないか? そして、そういったことは、戦争や自然災害といった、過度にストレスをかけてくる状況にこそ多く見受けられるはずです。まあ私は心理学者ではないですし、一介の創作者ですので、その仮説を科学的に検証するのではなく、いわば足掛かりとして、この話を構築したわけでございます。

書いている最中、「このままこの話を『W軍曹の自己犠牲という美談のままで』終わらせたいなぁ」という欲望に何回か襲われました。しかし最終的にはその誘惑になんとか打ち克つことができました。単なるW軍曹の美談で終わらせてしまっては、私が面白いと感じたあの戦記漫画となんら変わることがありませんし、それに語り手である主人公の辛さや悩みを無視することになってしまいます。それは創作者として真摯な態度であるとはいえません。

まあW軍曹のカッコよさとか、空戦の話とか、輸送機内の話とか、書いていてかなり楽しかったですけどね、正直なところを申し上げれば! おそらく、美談が作られる過程においては、前述の「生きやすさ」の他に、「語っているうちに楽しくなってきてしまった」というのもあると思います。今回書き終えてそのことを実感しました。次に似たようなテーマで書く時は、この「楽しさ」というものに焦点を当ててみても良いかもしれませんね。

重い話となってしまいましたが、個人的には大いに示唆を得るところのある創作となりました。自分で自分の作品から学ぶというのもおかしな話ですが……お付き合いくださりまことに感謝申し上げます。

次回もどうぞお楽しみに! そろそろ女の子書きたいです!



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