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(1)ヤンがヤン・ヴェンリー・フォン・ローエングラム伯爵でもなく、ヤン・ユリシーズ・フォン・ヴェンリー子爵でもなく、帝国貴族に生まれる前のただの楊文里 と呼ばれていた頃の二つ名に、”魔術師”というものがある。
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(1)言いえて妙だ。錯覚に思考、心理……隙や盲点を突き、”奇跡という事象が起きたと誤認させる”ことが魔術の本質なら、ヤンが行ったのはまさにその手の行動だろう。
(1)別の言い方をするなら、ヤンは”戦場の心理学者”とも呼べる。
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(1)それは今も健在であり、敵も味方も「軍人ならば」彼が掌で躍らせることは容易いかもしれない。
(1)しかしそれが軍人ではなく、”門 閥 貴族としての判断”として行われたとすれば……どうだろうか?
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(0)第015話でラップが語っていたが、「いや。ヴェンリー子爵家は独立系だ。代々、意図的に門閥化してないよ。ローエングラム伯まで継いだ今でも門閥化はしてない筈だ。フォーゲル中将はブラウンシュバイク閥で、エルラッハ少将はリッテンハイム閥らしい。」だ。
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(0)そもそも門閥というのは貴族同士が政略結婚や養子の融通などをし、血脈により繋がり一門化/貴族として派閥化していったものだ。
(0)ブラウンシュバイク公爵家やリッテンハイム侯爵家は、まさにその典型だろう。
(0)例えばフレーゲル男爵は、先代の故フレーゲル男爵とブラウンシュバイク公の妹との間に生まれた甥にあたる。
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(0)対してヴェンリー家は代々の総領が可能な限り庶子から嫁を取るように心がけており、少なくともヤンにヴェンリー家の家督全てをヤンに押し付け、合法ロリな妻と頑強な初老の執事と少数の使用人を乗せて現在銀河の彼方を目指し旅立ったフリーダム過ぎる先代……タイラー・フィッツジェラルド・フォン・ヴェンリーの代まではそうだった。
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(0)またヴェンリー家が首尾徹底してるのは、基本的に「相続者たる男子は一子しかもうけない」という家訓があることだろう。
(0)銀河帝国開闢の中に名を連ねるヴェンリー家の長い歴史には、二人以上男児をもうけた者もいるかもしれないが、その場合はヴェンリー家とは関わりの無い者として異なる姓が与えられ養子にだされたようだ。それも原則として非貴族の家にだ。
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(1)別にこれはヴェンリー家代々に渡りストイックだったとか、あるいは清廉潔白だったという話ではなく、門閥化による勢力拡大より、代替わりのたびに起きる相続の面倒事やそれに漬け込まれたときの厄介さを嫌ったというものであろう。
(0)いずれにせよ貴族としては稀有な存在なのは間違いない。
(0)事実、代々の当主は門閥を持たぬ代わりに人脈作りやコネ作りには熱心だったらしく、そのネットワークは未だ深く広く、帝国のさまざまな階層に広がり、またフェザーンや同盟にも伸びているという噂さえある。
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(0)だから未だヴェンリー家は明確な門閥化はしておらず、また相続することになったローエングラム伯爵家も断絶(領地は断絶したときに返納という形がとられ、皇帝直轄領として管理されていた)しており門閥は存在しない。かつてローエングラム家と血縁のある貴族が帝国有数の金持ちであるヤンが継承したことを幸いに門閥を主張しているが、家門が復活した現ローエングラム伯と血縁が無い以上、あらゆる意味で認められていない。
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(0)例えば、国務尚書のクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵によれば「血縁がない以上、ローエングラム伯が認めん限り門閥とは言えんな」とのこと。無論、ある理由から好意的な意味で昵懇な関係であるリヒテンラーデ侯は、ヤンが天地がひっくり返っても特権階級に胡坐をかきたがっている門閥の増量など認めないことをよく知っていた。
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(0)さて話をエルラッハに戻そう。
(0)エルラッハは本名にはフォンがつくが、どうやら次男かそれ以下だったようで爵位は継承できていない。
(0)基本貴族の爵位と家督、財産は長男相伝なので次男以下は雀の涙程度の財産分けしかこないのが普通だ。基本的には爵位を相続する長男が不慮の死を迎え、なおかつその長男に男子が居ない場合の体のいいスペアというところであろう。
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(0)エルラッハもそんなスペアの中の一人なのだが、この男にもそれなりの自尊心と野心があった。
(0)家督が継げなかった実家は、大きくも豊かでもないが幸い大貴族のリッテンハイム家の門閥の一つ。食うのに困って入った軍でもそれなりに”貴 族 枠 ”に入れ、大して武功もあげずに閣下と呼ばれるまでになれた。
(0)おかげでリッテンハイム閥の中でも武闘派の一人として名が知られるようになれたようだが……
(0)そこで降って沸いたのが今回の遠征への参加だった。
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(0)つい先ごろ、帝国開闢以来の武と船と商売を司ると言われる名門ヴェンリーの自分より若い総領が、妬ましいことに同じく開闢以来の名門だが断絶し陛下自らの預かりとなっていたローエングラムの爵位と領地までも継承したというのだ。
(0)これが別の世界線のローエングラム伯だったら「なり上がり風情が、高貴な血を差し置いて許せぬ!」となったであろうが、元々開闢以来の名門貴族であるヤンに面と向かって言うのは憚られた。
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(0)それにヤン自身の貴族としての権勢や経済力、そして妹が寵姫となったことで得られと恩われる陛下やリヒテンラーデ侯などの宮廷での後ろ盾などを考えれば、財務尚書で汚い金を溜め込んでると噂されるカストロプ公爵などを尻目に”総合力は帝国貴族第三位”のヤンに向かってケンカを売るなど貴族としては自殺行為だ。
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(0)だが嫉ましいものは妬ましい……そんなときに同じ”次代の帝国を担う若い貴族”というカテゴリーの中で、ヤンに貴族としての評価で天地ほども水があけられていた門閥の若手爵位持ちが声をかけてきた。
(0)「ヤンを殺せば自分たちに疑いがかかり、一歩間違えば破滅させられる。だが、あいつの武功を少しでも下げられればいい。元帥昇進の話が流れれば上出来」という誘いは、中身こそ単なる嫌がらせだが自分と同じ暗く湿った思いの発露であり、それに共感したエルラッハは進んで受けた。
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(0)同じような参加背景のあるフォーゲルもだが、エルラッハは完全にアテが外れてしまった。
(0)自分とフォーゲルは見事にヤン艦隊の両翼を勤め、よりによってヤンの武功の一助になってしまったのだ。
(0)自分の軍才を疑うということを貴族らしい特性で思考回路から削除しているエルラッハは、自分達が計画通り順調にヤンの”重し”になってることに気づかず、むしろ自分たちの軍才を使いこなすヤンに戦慄していた。
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(0)このまま行けば自分は「たった1個増強艦隊で敵3個艦隊を撃滅した英雄の一員」として中将への出世は間違いないだろうが、それはヤンも同じであり、ヤンが元帥となった暁には「ヤンの英達の一助になった」という評価が確定してしまう。
(0)そうなれば自分はリッテンハイム閥の中で爪弾き、最悪は追放されてしまう。
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(0)明らかに自己に対する過大評価であるが、あまり明るいとはいえない未来にエルラッハは焦り、こう結論してしまう。
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(0)「そうだ。ローエングラム伯が武功一位ではなく、私が一位となればよい。さすればローエングラム伯の元帥昇進に疑問視が生まれるはずだ」
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(0)「艦隊、全速前進せよ!!」
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(0)「ですが、まだ旗艦より命令が……」
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(0)「かまわん! 戦場で武功を立てられず何が武人! 全艦、加速しつつ取り舵一杯! 進路、敵艦隊側面!!」
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(0)かくて喜劇が幕開ける。