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(0)「ん~?」
(0)
(0) 最近どうも、何かがおかしい。
(0)
(0)「やっぱり、なんか変だな・・・」
(0)
(0) 月宮家の裏庭。
(0) 青白い月光を浴びながら、久路人はそう思った。
(0) 近頃は雫が自室に戻った後、こっそりと一人で鍛練に励むようにしており、今も素振りと黒鉄の操作をしていたところだったのだが・・・
(0)
(0)「霊力が、扱いにくくなったような?」
(0)
(0) 身体強化をした際に、効果にムラがある。
(0) 黒鉄を操ろうとした時に、少しタイムラグがある。
(0) 術具を調整しようとした時に、流れる霊力がブレているような気がする。
(0)
(0)「気のせい、といえば気のせいなのかもしれないけど」
(0)
(0) 違和感があるといっても、本当にわずかなものだ。
(0) もしかしたら、気にしすぎということも考えられるのだが。
(0)
(0)「雫も、朝に特に変わったことがあるとか言ってないしなぁ・・・」
(0)
(0) 神の血という強大な力を内包した血が久路人には流れているが、それが影響しているとすれば雫が気付きそうなものだ。そのために朝に一緒に起きて血を吸わせているのだから。最近も依然と変わらず「うん、おいしい!!」と言うばかりで、本当に変化が分かるのかは正直疑問なのだけれど。
(0)
(0)「う~ん・・・そこまで大きな影響があるってわけじゃないけど、気になるな」
(0)
(0) 久路人は改めて自分の体に霊力を流す。
(0) 直接霊力を雷のようなエネルギーに変換するのは暴発の危険があるが、身体強化や黒鉄の操作、術具の調整など、物体に流すだけならばきちんと制御ができる。むしろ久路人は霊力の扱いはかなり才能がある方で、七賢である京からもお墨付きをもらっているほどだ。久路人以外が神の血を持っていたとしたら、普通の生活すら難しかったかもしれない。そんな才能ある久路人の感覚では、やはり以前までと微妙な違いがあるような気がする。
(0)
(0)「なんだろう・・・靄がかかってるっていうか、ノイズ、みたいな?」
(0)
(0) 例えるならば、ホースの中に細かな何かが詰まって水がでにくくなっているといった感覚だろうか?
(0)
(0)「でも、そんなに大したことがなさそうなら、今は気にしなくていいかな・・・」
(0)
(0) そこで、久路人は裏庭の芝生の上にあぐらをかき、座禅を組む。
(0) 目をつぶり、血の流れ、心臓の鼓動、肺の呼吸といった自分の体の中に意識を向けた。
(0)
(0)「スゥ~・・・・・・・ハァ~・・・・・」
(0)
(0) 大きく息を吸って、長い時間をかけて吐く。
(0) それを、規則正しい一定のリズムを崩さず続ける。
(0)
(0)「・・・・・・・・・・・」
(0)
(0) 久路人は黙したまま一心に、いや、無心で自分の中に意識を潜らせ続ける。
(0)
(0)「・・・・・・・・・・・」
(0)
(0) そのまましばらく久路人は瞑目していたが・・・
(0)
(0)「ダメだ、やっぱりわからない。瞑想じゃ見つけられないのかな・・・」
(0)
(0) 諦めたようにため息を吐いて、目を開けた。
(0)
(0) 瞑想。
(0)
(0) 霊能者の行う基本的な修行の一つであり、体調管理の一環でもある。
(0) 意識を集中して呼吸と共に霊力を循環させることで増強するのが主な目的だが、霊力の把握を行うことも気休め程度だができる。まあ、霊力の調子を見るだけならば、京いわく、「血を直接分析する方がずっと正確」とのことだが、夜の修行ではあまり激しく動いて雫にバレるわけにもいかないので瞑想を取り入れているのだ。しかし、成果は芳しくない。
(0)
(0)「神の力を、早くものにしたいのに・・・」
(0)
(0) 久路人が探しているものは、自分の中に眠るという神の血だ。
(0) 久路人は雫との契約を破棄・変更するために強くなろうとしているが、やはりそれには神の血について知るのがよいのではと考えた。
(0) うっすらとしか覚えていないが、葛城山で発揮した力は凄まじいものであったし、あれを使いこなせるようになれば、自分を害することができるようなのは、大穴を使わなければ現世に来れないような大物か七賢くらいだろう。それだけの力が付けば、雫に守ってもらう必要もなくなるし、血を与えてさらに自分への依存を深めさせるようなこともなくなる。
(0) だが、瞑想でも、朝の日課でも、神の血とやらは眠っているようなのだ。「不思議な力は感じる」とは雫の言葉だが、あくまで変わった力を感じるだけで、強大なものではなさそうとのこと。術を使ってみようと霊力を巡らしても、雷が出るだけで他に特別な効果もなさそうであった。そういうわけで、特別な力が使えるようになる兆候はまったくない。
(0)
(0)「まあ、焦って無理しちゃ本末転倒か・・・・」
(0)
(0) 以前に無理をしすぎて風邪をひいたことがあるので、久路人はそこで切り上げることにした。雫は久路人が無茶をするのをものすごく嫌う。前に風邪をひいたときは、看病の時こそ優しかったが、治った後は無理が原因で風邪を引いたということもあり、しばらく不機嫌だったものだ。久路人としても雫が不機嫌だと心が痛む。好きな女の子に叱られれば、心のダメージも大きくなるというものだからだ・・・・少しゾクゾクする物があったような気もするが、気のせいに違いない。久路人にその方面の趣味はない。
(0)
(0)「それにしても・・・・・」
(0)
(0) そこで、久路人はふと疑問に思ったことを口に出した。
(0) それは、霊力に違和感を感じるようになって、注意深く瞑想をして気付いたことなのだが・・・
(0)
(0)「霊力の中に混じってるノイズみたいなの・・・・雫の霊力に似てるような?」
(0)
(0) 自分の中にある異物感の正体が、よくよく観察すると自分がよく見知っている少女の霊力と似ているような気がしたのだ。だが、すぐに首を振って否定する。
(0)
(0)「まさかね・・・雫の霊力が僕に混ざる理由がないし。一緒の家で暮らしてるくらいじゃ、霊力が入って来ることはないものな」
(0)
(0) 人間にとって霊力の混入というのは、非常に危険な現象だ。
(0) ガソリンで動く車に軽油を補充するようなもので、霊力を扱えないようになるばかりか、霊力の発生源である魂に大きな負荷がかかる。エンジンならば交換すればよいが、魂となるとそうはいかない。魂が破損するというのは、その存在そのものが壊れるというのと同義だ。魂が壊れたという情報が肉体へと伝わり、肉体も大ダメージを受ける。そのため、自分とは異なる霊力が体に入ってこようとすると、霊力の循環が高まり、押し出そうとするのだ。そうそう他人の霊力がとどまるということは起こりえない。そんなことが起きるとすれば、根気よく、少しづつ長年かけて霊力を体に馴染ませるか、あるいはよほど親和性が高い場合だろうが、それでもまずないだろう。ちなみに、霊力の混入が危険なのは人間の場合であって、動物も含めた人外は魂の構造が違うので平気なことが多い。なんでも、人間は肉体から精神を通して魂を変容させる段階で他の生物と異なるようだが、詳しいことは知らない。ともかく、雫が久路人の血を飲んで力を高めることができているのも、雫の器が大きいからだ。そう・・・
(0)
(0)「霊力を混ぜるなんて、直接血でも飲ませない限りありえないしね」
(0)
(0) 久路人が血を与えるのは契約によるものだが、雫から血を与える理由がない。霊力量が劣る雫から久路人に血を飲ませたところで上昇はしないし、危険である。まあ、葛城山で重傷を負った久路人を治すために血を飲ませても平気だったようだから相性はいいのだろうが、健康体の状態で飲ませることにやはり何の意味もない。あるとすれば、雫に血をこっそり飲ませる趣味がある、といったところだろうが・・・・
(0)
(0)「まさか、そんなことがあるわけないって」
(0)
(0)
(0)--雫にそんな変態的な趣味があるものか。
(0)
(0) 久路人が見てきた雫は、そのようなことをするはずもない。
(0)
(0) 冷たさを感じさせるほどの美貌を持ち、その紅い瞳を見ていると、心臓の鼓動が早くなる。
(0)
(0) 凛として清楚で、戦う時には大妖怪にふさわしい威容を見せる。
(0)
(0) でも、時々抜けてるところもあって、普通の少女のように漫画やアニメを見て可愛らしく笑っていることもある。
(0)
(0) 服の類はあまり買わないが、自分の作る術具兼アクセサリーには興味津々で、「こういうのが欲しい!!」と目を輝かせながらリクエストしてくることもあり、そういうところは「女の子なんだな」と思う。
(0)
(0) 料理についても熱心で、家事も自分と共同でやってるとはいえ、家庭的だ。
(0)
(0) 恋バナも好きだし、ネットのまとめサイトやら掲示板に入りびったている俗っぽいところも親しみがあるというか、なんだかギャップがある。
(0)
(0) よく漫画の推しキャラを巡ったレスバトルに顔真っ赤になりながら熱中し、「板に残り続けて最後にレスしたから私の勝ち!!」と煽りカス丸出しの子供っぽいところも見ていて飽きない。
(0)
(0) 京やメアはともかく、他人に対しては冷たいが、自分にだけは暖かい心の中を見せてくれる。それは血のせいなのかもしれないが、やっぱり優越感を感じてしまうし、嬉しい。
(0)
(0) 蛇兼大妖怪でありながら、その中身はちょっと変わっただけの、「普通の女の子」。
(0) それが、久路人から見た雫だ。
(0)
(0)「普通の女の子が、そんなことするわけないし」
(0)
(0) 変態的どころか、清楚で性的なことにも免疫のなさそうな雫である。
(0) 自慰すらしたこともなさそうなのに、どうしてそんなアブノーマルな趣味を持っているはずがあろうか。
(0) 大体、雫の血が混ざれば、そのぶん神の血の純度も下がる。血を欲しがっている雫にとっては不利益でしかないだろう。
(0)
(0)「というか、ずいぶん失礼なこと考えてるよな・・・・もう戻ろう」
(0)
(0) そして、妙な方向に進んだ思考を打ち切り、月夜を背にして久路人は月宮家の中に戻っていったのだった。
(0)
(0)
(0)-----------
(0)
(0) 翌日の午前11時。土曜日。
(0) 大学が休みの日は、夕方以外にも訓練を行っている。
(0) これは久路人から言い出したのだが、雫は正直反対であった。
(0) ただでさえ術技の使用は久路人の身体に負担がかかる。それを一日に二回もやるなど、雫としては心配でしょうがないのだ。しかし、久路人になら四肢切断からのダルマプレイでも快感に変換できる自信のある雫であるからして、そこまでべた惚れしている久路人から「頼む!!」と頭を下げられては承諾するしかなかった。
(0) そういうわけで、休日の午前から訓練が始まったのだが・・・
(0)
(0)
(0)「はぁっ!!」
(0)
(0) 力強い踏み込みと共に、久路人は凍った大地を踏みしめて駆ける。
(0) その手に握る直刀には紫電がまとわりつき、眼前に迫る氷の礫をことごとく打ち払う。
(0)
(0)(遠距離戦だとジリ貧だ・・・勝つには、接近戦しかない!!)
(0)
(0) 雫に遠距離で戦いを挑めば、術の撃ち合いで霊力と時間をひたすらに削りあうだけだ。
(0) そうなれば、肉体の限界がある久路人では絶対に勝てない。それは、これまでの訓練でわかりきっていた。
(0)
(0)「電光石火!!」
(0)
(0) 故に久路人はひたすらに距離を詰める。
(0) 使うのは高速移動の術技、電光石火。黒鉄で覆った靴底を2層にわけ、最下層との磁力の反発で吹き飛ぶように移動する。これによって、久路人の身体は宙に飛び出し、矢の如く雫に迫るが、その軌道もまた矢のごとく直線。そして相手は久路人と何度も相対してきた雫である。
(0)
(0)「流氷!!」
(0)
(0) 当然、雫はその軌道を見切っていた。
(0) これまでも、本当にわずかな隙を見計らって、久路人は懐に飛び込んできた。だが、だからこそどうすればよいかも体が覚えている。
(0) 確かに目にもとまらぬ速さで動く。だが、その先が見えていればそこに壁を置けばいい。
(0) 確かに氷の礫やツララ程度では止められない。ならば、止められるだけの勢いのある攻撃を選ぶまで。
(0) その手に握られる玩具のような水鉄砲、「蛇井戸」改め「大蛇ノ釣瓶」から、大人の背丈ほどもある氷塊をいくつも飲み込んだ大波が現れる。
(0)
(0)「飲み込めぇ!!」
(0)
(0) 空中を跳ぶ久路人は急な方向転換などできない。
(0) ならば、正面からこの大波に突っ込むしかない。
(0) 完全に止めることはできないだろうが、大幅に勢いが落ちるのは間違いない。
(0) だが、それで十分だ。速さが緩めば、それで最後。幾重もの水の壁で押しつぶし、絡めとる。抜け出しても、振出しに戻るだけ。依然として、自分の有利に変わりない。それが、今日までの流れだった。
(0)
(0)「電迅誘導 !!」
(0)
(0) しかし、久路人は成長し続ける。
(0) 昨日のままで終わらない。少しでも力を付け、目の前の少女を契約から解放するために進み続けている。
(0) 故に、「今日まで」の流れなど、まるでないかのように突き破るだけだ。
(0)
(0)「ええ!?」
(0)
(0) 突如として、宙に舞う久路人の身体がさらに斜め上に吹き飛ぶ。
(0) その先にあるのは、久路人が黒鉄をまき散らす「黒飛蝗」の応用で空中に作り上げたバネ。バネまでの間には砂鉄が描くレールが敷かれ、飛び出した時よりもさらに加速して突き進み、バネまで至り、強く蹴り飛ばすように踏みしめ・・・・
(0)
(0)「疾風迅雷!!」
(0)「氷鏡 !!」
(0)
(0) その速さは矢を超え、雷のごとし。
(0) 空中でさらなる加速を経た久路人は三角飛びの要領で氷の津波を回避し、一息に雫の元にたどり着いた。
(0) だが、雫もさるもの。その進行を阻めないと判断するや、氷の壁を作り出し、防御。
(0)
(0)「チィッ!!」
(0)「くぅ・・・・!!」
(0)
(0) 久路人の刀は磨き上げられ鏡のように艶やかな氷を砕く直前、炸裂装甲として雫に砕かれて飛び散った氷の破片が散弾銃もかくやと襲い掛かる。久路人の纏う黒鉄のマントを貫くには到底及ばないが、カウンター気味の衝撃で一瞬足が止まる。
(0)
(0)「大蛇 !!」
(0)
(0) そこに襲い掛かるのは、氷の牙を備えた水の大蛇。
(0) その蛇は足の止まった久路人を飲み込んで弾け、終わらせる一手だ。これで仕留めきれずとも、その破裂だけで雫自身も距離を取ることができる。そうなれば、どのみち終わりだ。ここまで術技を連続し、無茶な移動をした久路人のスタミナはそこで切れ・・・・
(0)
(0)「紫電改・5機散開!!」
(0)「っ!?」
(0)
(0) 蛇の頭が弾けた。しかし、その弾け飛び方は、雫の想定とは異なる。
(0) 全方位に放射状に濁流を生み出すはずだった蛇は、3本の矢とともに天空へと打ち上げられるように消し飛んでいき、その刹那に・・・・
(0)
(0)「きゃっ!?」
(0)
(0) 濛々と煙る霧を切り裂いて、黒い矢が二本、雫の草履の先端を射抜いて地に縫い留めた。
(0) 放たれた矢は5本。3本は蛇を吹き飛ばし、残りの2本で雫を捉えたのだ。雫本人ではなく、足元を狙うような攻撃を、雫はタッチの差で察知できなかった。
(0)
(0)(距離を取ろうとしたのを読まれてた!?でも、この距離で一度剣を捨てて弓に持ち替えるなんて・・・!!)
(0)
(0) 雫相手に距離を詰めるのは至難を極める。それを久路人は良く知っていたが、だからこそ、刀ではなく弓を持った。
(0)
(0)(今の雫は、必ず僕との鍔迫り合いは避ける!!少しでも隙があれば、攻撃しながら逃げを選ぶ!!)
(0)
(0) お互いがお互いのことをよく知る仲だ。
(0) しかし、この場においては熱意が違う。
(0) 「雫を打ち倒す」しか勝ち目のない久路人と、「倒してもいいが、逃げ切っても勝ち」な雫。
(0) 元々、最近の久路人の身体を気遣って、戦うことにそこまで乗り気ではない雫である。その場に挑む気概の差が、読み合いの差を分けた。
(0)
(0)「はぁぁぁあああ!!!!」
(0)「う、うわぁぁあああああああ!!!?」
(0)
(0) 雫は動けない。草履を脱ぎ捨てるにも、一瞬の間はいる。
(0) その一瞬があれば、久路人が迫るには充分すぎた。
(0) 瞬時に刀を弓に変えつつ雫の元まで詰め寄り、雷を切り裂く斬撃を見舞う。
(0) 対して雫はろくに踏み込むこともできず、苦し紛れに作り出した薙刀で受ける。
(0) この時点で、雫の敗北は決定した・・・・はずだった。
(0)
(0)「雷きりぃぃ・・・・・・ぃぃいいいいい!?」
(0)「え?」
(0)
(0) 久路人がコケた。
(0)
(0) 正確には、氷の上を踏みしめた久路人がそのまま足を地面にまでめり込ませ、つんのめったのだ。
(0) そして、そのまま顔面から氷の上に叩きつけられた。
(0)
(0)「・・・~~!!?」
(0)「だ、大丈夫!?」
(0)
(0) よほど痛かったのだろうか。
(0) 珍しく久路人は起き上がることなく、氷の上をゴロゴロと転がりまわる。
(0) 雫は少しの間呆けていたが、我に返ったように草履を脱ぐと、宙に浮かんだまま久路人の顔にアイシングする。
(0)
(0)「クッソぉぉおお!!!もう少しだったのに・・・・うう、痛い」
(0)「ほら、こっち向いて!!すぐに冷やすから!!後、早く家の中に戻るからね!!」
(0)
(0) そして、久路人は雫に手を引かれ、鼻を押さえながら家の中に連行されていったのだった。
(0)
(0)-----------
(0)
(0)「それで、さっきはどうしたの?久路人があんな風に転ぶなんて、何があったの?」
(0)「う・・・そ、それは」
(0)
(0) 月宮家のリビング。
(0) 備え付けの術具で傷を治し、風呂で汗を流した二人は、居間のテーブルを挟んで向かい合っていた。
(0) だが、その雰囲気は重い。まるで刑事ドラマの取り調べである。もちろん、雫が刑事で、久路人がホシである。
(0) ちなみに、テーブルは前に雫によって穴があけられたものを、久路人が補修したものだ。綺麗に円形の穴が開いていたので、塞ぐのも簡単だった。
(0)
(0)「その、たまたま、足が滑って・・・・」
(0)
(0) ドン!!
(0)
(0)「・・・・・久路人、こういうことで嘘ついたら、私本気で怒るからね?」
(0)「・・・・はい」
(0)
(0) 雫が思いっきり拳を叩きつけると、久路人が補修した箇所に再び大穴が空いた。
(0) 今度の穴もきれいに開いたので、また塞ぐのも楽だろう。
(0)
(0)「・・・それで?」
(0)「えっと、その、ですね・・・実は最近、調子が悪くて・・・・」
(0)
(0) そして、久路人は最近の霊力の扱いにくさについて話した。
(0)
(0)「・・・・というわけで、制御がブレて力みすぎちゃったんだけど」
(0)「・・・・・・」
(0)
(0) シン・・・と部屋の空気が冷えた。
(0) 恐る恐ると言った風に、久路人が雫を見ると、その紅い瞳は凍り付いたかのように瞬き一つしない。
(0)
(0)「えっと・・・・」
(0)「訓練禁止」
(0)「え?」
(0)
(0) ぼそりと、雫はそう言った。
(0)
(0)「いや、その・・え?」
(0)「訓練禁止」
(0)
(0) 久路人の目を見たまま、雫は光の灯っていない眼で再びそう言った。
(0)
(0)「あの、それは、ちょっと困るというか・・・・」
(0)「・・・あのさ」
(0)
(0) 雫は、基本的に久路人にはダダ甘だ。
(0) 久路人が元々羽目を外さない性格というのもあって、久路人に怒ることなど年に一回あるかどうかというもの。しかし、年に一回は怒るのだ。そして、雫が久路人に怒る時、それはいつだって本気で久路人に言い聞かせたい時。すなわち・・・
(0)
(0)「私、体調悪かったら言ってって、いつも言ってるよね!?なんで黙ってるの!?なんでそのまま術技まで使ってるの!?それで久路人に何かあったらどうするの!!!!」
(0)「はい・・・」
(0)
(0) 久路人のことを本気で心配している時なのだ。
(0) 久路人の身に危険が迫りそうなとき、その時は例え久路人にどう思われることになろうと、雫は本気で怒る。
(0)
(0)「はい、じゃない!!どうして黙ってたのか聞いてるの!!」
(0)「それは、雫に心配かけたくなかったから・・・・」
(0)「ふざけないで!!心配してくれるのは嬉しいけど、やり方が間違ってる!!私に気を遣うくらいなら、最初から言ってよ!!!久路人に何かある方が、私はずっと嫌なんだからね!!!」
(0)「ごめんなさい・・・・」
(0)
(0) ただでさえ、強力な力を秘める久路人は、術を使う度に肉体に負荷をかけている。
(0) それでも今まで訓練を続けてこれたのは、中学くらいまでは霊力の成長がまだ緩かったことと、久路人の類まれな霊力制御あってこそだ。
(0) 翻って、今ではかつてのころよりもはるかに霊力が増幅し、護符が役に立たないほどにまでなっている。
(0) そこで、霊力の扱いに異常が出たというのならば、久路人は絶対安静しなければならないということである。ただの運動ですら暴発のきっかけになりかねない・・・・と雫は思っているのだろう。
(0)
(0)「そういうわけだから、訓練はしばらく禁止!!私は付き合わないし、一人で自主練しようとしたら、ベッドに縛り付けるからね!!!」
(0)「う・・・で、でも!!」
(0)「でももだってもない!!・・・・久路人だって、無理して体壊したら本末転倒だってことくらい、わかるでしょ?」
(0)「それは・・・・」
(0)
(0) 烈火のごとく怒っていた雫だが、頭の中は冷静だったようだ。怒っていた声音を抑え、諭すように語り掛ける。
(0) 久路人は実に合理的な性格をしており、感情的に威圧するよりも、論理的に理由を説明する方がよほど納得してくれるということを、雫は良く知っている。
(0) そして、久路人も以前に倒れた経験から、無理をするとよくないことは身に染みて知っていた。
(0)
(0)「わかったよ・・・・」
(0)「わかればよろしい!!それじゃ、久路人はちょっと休んでて。私はお昼の支度してくるから」
(0)「え?それくらいなら僕も・・・・」
(0)「・・・・・・」
(0)「わ、わかりました・・・」
(0)
(0) 霊力を使わない調理ぐらいなら動けると、ソファから身を起こそうとした久路人だったが、絶対零度の視線に刺されてすぐに座り込む。滅多に怒らない雫だが、その分怒ると根が深いのだ。
(0)
(0)「・・・じゃあ、ここで休んでて。動いたら・・・わかってるよね?」
(0)「は、はい・・・・」
(0)
(0) それから雫が昼食を運んでくるまで、久路人は大人しくしていたのだった。
(0)
(0)
(0)-----------
(0)
(0) 月宮久路人は、人間の枠を外れつつある。
(0)
(0)「・・・・・やっと、効いてきた」
(0)
(0) 月宮家の台所で、雫はそれまでわざと しかめていた顔を、ドロリと崩して三日月のように裂けた笑みを浮かべる。
(0) 本当に大変だった。久路人から、霊力の扱いに違和感があると聞いてから、怒っているフリをするのは。
(0) いや、それは正確ではない。久路人が黙ったまま体を酷使することには本気で怒った。だが、その怒りを押し流してしまうほどの、圧倒的な「喜び」を抑えるのが、本当に、本当に大変だった・・・・!!!
(0)
(0)「ふふ、ふふふ・・・!!ああ、ダメ、我慢しなきゃ・・・!!!久路人は居間にいるんだし、ここで笑ったらバレちゃうよ・・・・!!!」
(0)
(0) なぜ雫がここまで喜んでいるのか?
(0) それは単純だ。
(0)
(0)「久路人が、化物 に近づいてる・・・・!!!」
(0)
(0) 久路人が、人間ではないモノに、己と同じモノになりつつあるからだ。
(0) これまで続けてきた仕込みが、実を結ぶのも遠くない。
(0)
(0)「血の味に違いがないから、効果がないかもって思ってたよ・・・・ふふ、これは嬉しい誤算かな。血は美味しいに越したことないしね」
(0)
(0) 毎朝の日課で血の味を確認していたが、特に変化が無かったのを、雫は気にしていた。
(0)
(0)「ああ、量を増やしてよかった!!」
(0)
(0)--私の決断は間違っていなかった。
(0)
(0) そう思いながら心の底から嬉しそうな顔をしつつ、雫は怪しまれないためにも昼食の準備をする。とはいっても、昨日の内に久路人とともに料理は作ってある。冷蔵庫から、昨晩から寝かせていたビーフシチューを取り出して、流し台の傍に置く。そして・・・
(0)
(0)「よっと!!」
(0)
(0) 流しの中に、白い腕が転がった。
(0)
(0) 唐突に雫は己の腕を手刀で斬り飛ばしたのだ。
(0) 噴水のように血が噴き出そうとするが、それはすぐに不自然に動きを止める。
(0)
(0)「おっと、ダメダメ。勿体ない。私の血は・・・」
(0)
(0) そこで、雫は片腕で、流しに転がる自分のもう片方の腕を手に取った。
(0)
(0)「全部、全部、久路人に飲ませるんだからぁ!!!」
(0)
(0)
(0) ブシュッ!!
(0)
(0)
(0) 雫が己の腕を握りしめると、果実を搾り取るように、真っ赤な血がジュースとなって滴り落ちる。
(0) それは、しばらく前とは桁違いの量だった。
(0)
(0)「本当に、私が水を扱う才能があってよかったよ。これも運命だよね、きっと」
(0)
(0) 戸棚を空けて、大量に買い込んでおいた香辛料の缶を一つ手に取って開ける。
(0) 「そんなに買うの?」と久路人にいぶかしげな眼で見られたが、ごり押しした甲斐があったというものだ。
(0) 追加された香辛料と、雫の術によって、大量に混ざった血の臭みはあっという間に消え去った。
(0) 味見をしてみたが、これならば気づかれまい。
(0)
(0)「ふふふ・・・!!朝昼晩、ぜーんぶ、私の血を腕一本分混ぜてるもんね。これなら、もっと、ずっと早く久路人を私のモノにできる・・・・!!そうだ・・・・・!!」
(0)
(0) 干からびてミイラのようになった腕を元の部位に取り付けつつ、雫は口を開いた。
(0) 繋がれた腕は瞬く間に潤いを取り戻し、切れ目はもはやどこにあったのかもわからなくなった。
(0)
(0)
(0)「人間の雌なんかに、久路人を渡すもんですか!!!」
(0)
(0)
(0) それが、雫がここ最近、久路人に飲ませる血の量を増やした原因だった。
(0) 「久路人は自分のモノだ!!」という証を、早くその手に収めたかったのだ。
(0)
(0)「振られたんなら、いつまでも付き纏うんじゃねぇよ、見苦しい・・・・!!!」
(0)
(0) 事の始まりは、霧間家からの見合い話は断ったことだ。
(0) 確かに、久路人の意思で見合いは断り、きちんと久路人からのチェックを通ったお断りの手紙も出した。 だが、話はそれで終わらなかった。
(0) 「その気がございましたら、こちらはいつでも場を用意いたします」と、久路人との婚姻を諦めるつもりはないという返事が届いたのだ。しかも、それだけではない。
(0)
(0)「ウジャウジャウジャウジャ・・・・!!!鬱陶しいんだよ、クソどもがっ!!!」
(0)
(0) 霧間一族がお見合いの申し出を断られた、というのが広まったのか、他の家からも同じような手紙が届くようになったのだ。どれもこれも、「ぜひウチの娘とあって欲しい」という当主の手紙が同封されており、「神の血」が欲しいという卑しい願いが丸見えであった。それにはさすがの久路人も引き気味だったが。
(0)
(0)
(0)--久路人に女が寄ってくるだけでも不愉快なのに、久路人の血しか見ずに、その中身を蔑ろにするだと?よほど死にたいようだな?
(0)
(0)
(0) ポストに入っていたいくつもの封筒を一つ一つ開けて、目に焼き付けるようにして読んだ後、それらを凍らせて粉々にした雫はそう思った。
(0)
(0)
(0)--ああでも、恐ろしい。
(0)
(0)
(0) そして、抱いたのは、俗物どもへの怒りだけではない。
(0)
(0)
(0)--もしも、もしも久路人が気に入るような女がいたら・・・・
(0)
(0)
(0) 写真もすべて確認したが、どれもこれも人間の中では容姿の整った子女ばかりだった。
(0) 霊能者というのは、なぜか美形が多い。一番は霧間朧の妹である霧間八雲だったが、他もアイドルになれるようなレベルだった。久路人も男だ。そんな美人に惹かれて、魔がさすこともあるかもしれない。
(0)
(0)
(0)--久路人が、私の傍からいなくなってしまうかもしれない。
(0)
(0)
(0) そう思ったら、雫は自らの腕を切り飛ばしていた。
(0) 一刻も早く、久路人を自分だけが独占したかった。他の女の目に触れさせるのも嫌だった。久路人が他の女に目を向けることにも、胸がズキンと痛んだ。
(0) そうして、これまで少しづつ少しづつ入れていた血を、大幅に増やしたのだ。
(0) それでも最初は恐る恐ると様子見していたが、特に急激な悪影響はなさそうだったので、さらに混ぜる量を増した。その成果がやっと出てきたとなれば、喜ばないでいられるわけがない。付け加えるなら、ほんの数年で霊力に異常が出るまで進むほど、自分の血と久路人の相性がいい、ということも誇らしかった。やはり、自分こそが久路人にふさわしいのだ!!と、自信が付くようだった。
(0)
(0)「でも、ここからはまた気を付けないと・・・霊力に異常があるってバレてるなら、私が犯人って分っちゃうかもしれない」
(0)
(0) もう少し、と思って焦る気持ちはある。一気にゴールまでの距離を縮められるなら、飛びついてしまうだろう。だが、そんなショートカットはないのだ。
(0) それに、久路人はとても合理的な性格をしている。仮に雫の犯行という疑惑があったとしたら、「まさかそんなはずはないだろう」と思うかもしれないが、可能性の一つとして完全にその疑いを捨てることはないだろう。
(0)
(0)「とりあえず、訓練はしばらく禁止だね。私の霊力が一番感じられるのもその時だろうし、戦わなければそんなに霊力のことは気にならないよね。それになにより危ないし・・・・まあ、危なくしてるのは私のせいなんだけど」
(0)
(0) さっきはちょっと言いすぎてしまったかもしれない。
(0) 本来、自分に久路人を叱る資格などないのだが。
(0) だが、雫が久路人を守るというのは、出会ってから今まで続いてきた契約だ。
(0) それに、最近の久路人の訓練への熱の入れようは、正直異様だ。それだけ珠乃に襲撃されたときのことがトラウマなのだろうが、少し気に食わないところでもある。
(0)
(0)「もっと、私を頼ってくれていいのに・・・・」
(0)
(0) 自分は久路人の護衛だ。
(0) 例え契約がなくなっても、久路人の傍に居座るつもりではあるが、大手を振っていられるのは、護衛という立場があるからだ。それは、久路人と自分を繋ぐ太い鎖の一つだ。そして護衛というからには、頼られる存在でなければならない。
(0)
(0)「守りあうって約束はした。すごい嬉しかった。でも・・・・」
(0)
(0) 確かに、久路人とは契約がなくとも守りあうという大事な大事な約束はした。だが、本来ならば久路人を危険にさらすような場面を作ってしまうことは護衛として失格であり、護衛対象に守られるのも同様だ。ならば、そうならないように強くあらねばならない。あの約束を結んだのも、あの時は雫はそこらの蛇と変わらないほどに弱くて、不安だったからだ。護衛どころか逆に久路人に守ってもらう情けない始末だった。
(0)
(0)「今は、違う。もう、私は大丈夫」
(0)
(0) 葛城山の事件より、雫は久路人の鮮度の高い血を飲み続け、修行を重ね、封印される前よりもはるかに強くなった自負がある。相性もあるが、今ならば、人質さえなければ陣の中でも珠乃に勝てるだろう。
(0) そして、ここから先の久路人は、そんな自分に頼らざるを得なくなる。
(0)
(0)「もう、久路人を危ない目には会わせない!!久路人が霊力を使えない間は、ずっと私が守るんだ!!守って、守り抜いて、全部終わった後に、怒られよう」
(0)
(0) 目標までの道筋が確かなものになったからこそ、気を引き締める。見えてきたとはいえ、まだ至ってはいないのだから。
(0) それに、ゴールにたどり着いた後にこそ、久路人と自分の道は始まるのだから。
(0) 例え、そこで久路人に憎まれることになったとしても。
(0)
(0)「とりあえず、ご飯にしなきゃ・・・・大分待たせてるし、おなか減ってるよね」
(0)
(0) 温めなおしたビーフシチューは、少し冷めてしまっていた。
(0)
(0)-----------
(0)
(0)「ああ、さすがだ!!さすがだよ、京!!」
(0)
(0) その日は、新月の夜だった。
(0) 白流市とその隣街との境目。道路から外れた森の中に、ヴェルズは影からにじみ出るように現れた。
(0)
(0)「すさまじい強度の結界だ!!これを正面から破ろうとするのなら、このボクでも一筋縄ではいかない!!仮に突破できたとしても、確実に気が付かれる!!本当に素晴らしい結界だよ!!」
(0)
(0) 過去、京とヴェルズには因縁がある。
(0) ある亡霊が原因で、二人は争うことになったのだが、様々な要因が絡んだ結果、その勝者は京だった。
(0) ヴェルズにとって京は憎き敵とも言えるのだが、結界を見てその落ちくぼんだ眼を不気味に輝かせる様子からは、そのような印象は受けない。純粋に、目の前にある結界の完成度と、その術者への敬意がそこにはあった。
(0)
(0)「さすがは、我が宿敵!!ナイトメアを花嫁としただけある!!いやぁ、思い出すなぁ、あの時を!!あれは勿体なかった!!あれだけの規模の悪霊を友達にできたら、今も楽ができただろうに・・・!!!だが、あのときの勝者は京だ!!そして、ナイトメアと京は結ばれた!!ならば、敗者であり、同じく愛する者のいるボクにできるのは、二人を祝福することのみ!!!ああ、おめでとう!!願わくば、その幸福が永遠に続きますよう!!!」
(0)
(0) パチパチパチパチ!!!
(0)
(0) 満面の笑みを浮かべながら、スタンディングオベーションといったように高らかに拍手をするヴェルズ。
(0) 夜の森で、誰も聞くものもいないというのに大声で語り始め、拍手をする様子は、ひたすらに不気味だった。
(0)
(0)「しかし・・・」
(0)
(0) フッと、ヴェルズは唐突に手を止めた。
(0) 突然音が消え去り、森はしばしの間、静寂に包まれる。
(0) だが、次の瞬間、その静寂は再び破られた。
(0)
(0)「しかし!!しかし!!しかぁあしぃぃいいいいい!!!!敗者はいつまでも敗者というわけではない!!何度負けようと、諦めずに何度でも挑む者に、勝利の女神は微笑む!!!ああ、そうだ!!ボクは確かにキミに負けた!!だが、負けっぱなしじゃ終わらない!!ボクは、月宮京!!キミにぃぃ!!新たな挑戦状を送ろう!!!」
(0)
(0) そのピエロが着るようなタキシードをはためかせながら、頬まで裂けるかのような狂笑を浮かべながら、唾を飛ばし、高らかに告げる。
(0)
(0)「キミが守っている、神の子!!その子の持つ力を、ボクがいただく!!大事に匿っている子だ!!その子を手にいれれば、ボクの勝ちといってもいいだろう!!ああ、そうだ!!必ず!!ボクはあの力を奪って見せようじゃないか!!!」
(0)
(0) 神の血を宿す子。だから、神の子。
(0) その身が宿す力は、世界の理に通じる鍵。
(0) 世界の理を手にすれば、それはあらゆる願いを叶えられることと同義。
(0) 例え、禁忌と呼べる願いであったとしても。
(0) そのために、ヴェルズは必ず神の子を今すぐにでも手にすると・・・・
(0)
(0)「だが、今じゃない」
(0)
(0) ・・・誓わなかった。
(0)
(0)「神の力!!ああ、あの力は強大だ!!世界そのものを壊しかねない力!!世界の理を覆す力!!ああ、欲しい!!欲しいさ!!欲しいとも!!だが!!!」
(0)
(0) ヴェルズは、どす黒い血の涙を流しながら、慟哭する。
(0)
(0)「ああ!!なんということだ!!あの力は強すぎる!!とてもボクの手には負えない!!ああ、なんということだ!!これじゃあボクのささやかな、誰もが望むような慎ましい願いは叶わない!!!」
(0)
(0) 神の力は強力すぎる。
(0) それこそ、その持ち主すら傷つけるほどに。
(0) そのような力を、他者に十全に扱えるはずもない。
(0) ヴェルズは、その願いを諦めるしか・・・・
(0)
(0)「だが、前例がある!!!」
(0)
(0) ・・・諦めるわけがなかった。
(0) 七賢という異能者のトップから抜け出して、ごろつきの集まり同然の旅団に流れ着いてでも叶えようとした願い。
(0) 人の身を捨て、不浄なアンデッドと化しても捨てきれない望み。
(0) 否、それはもはや望みではなく執着だ。
(0) まさしく憑りつかれたかのように、ヴェルズは止まらない。
(0)
(0)「あの力は、原油のようだ!!原油と違って純粋だけれども、粗削りだ!!使うのに、最適化されてない!!ああ、京とも違う!!京は肉の身体を捨てて合わせに行ったが、そのやり方は、彼には使えない!!力の質そのものを変える必要があるんだ!!そして、その前例をボクは知っている!!それに必要なモノも知っている!!!」
(0)
(0) 寿命亡きモノとして、現世と常世を彷徨ったからこそ、ヴェルズは多くの秘儀を、怪物を、奇跡を目にしてきた。故に、自分の求めるモノへの道筋も見えていた。
(0)
(0)「蛇だ!!あの蛇の少女も必要だ!!あの二人は、つがい!!魂が繋がれた、引き裂くことの叶わぬ運命の相手!!二人を揃えねば、意味がない!!それこそが、ボクの求める力への、唯一の道!!!」
(0)
(0) 久路人と雫。
(0) ヴェルズの狙いは、どちらか片方ではない。
(0) 二人を揃え、誰にも引き裂かれないように雁字搦めに縛り付けてこそ、彼の求めるモノが手に入る。
(0) しかし、だ。
(0)
(0)「さあ!!ここで振出しに戻るわけだ!!考えよう!!考えるんだ、ボク!!どうすればいい!?どうすれば、ボクはこの壁を越えて、二人を結びつけることができるんだ!!?」
(0)
(0) そして、結局は目の前にある結界に話は戻る。
(0) 七賢第三位の京の張った術具を介した結界は、容易に打ち破ることは敵わない。こっそりとすり抜けることも、同様に不可能だ。
(0)
(0)「ああ、どうしよう!!どうしたら!!どうすればいいんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!おお!?」
(0)
(0) そこで、ヴェルズはハタと気づいた、と言うように、まじまじと結界を見つめた。
(0)
(0)「おお、おお!!おおおおお!!?神よ!!ああ、神よ!!!感謝します!!!あなたの与えた力に!!!ああ、そうだ!!月宮京!!!キミは素晴らしい術具師だ!!だが、相手が悪い!!!キミが匿おうとしているのは、人の手に負えぬ神の子だ!!!ああいや、キミが人間を捨て去っているのは知っている!!!
(0)ならば、人外の手にも負えぬと言うべきか!?まあいいさ!!ともかくともかく!!!結界に閉じ込めるには、あの力は強すぎる!!!細かな細かな、小さな小さな穴が、ところどころに開いているじゃあないか!!!!!」
(0)
(0) 久路人の持つ力は、日々成長している。
(0) 最初は、護符で抑えることができた。
(0) しかし、ある時期から護符では足らず、大きな結界で覆わなくてはならなくなった。
(0) またある時期からは、さらに大きな結界で。そうして今では、街一つを包む、地脈の力を引き出した大結界でなければ対応できなくなっていた。いや、それは正しくない。
(0) 今や、それほどの檻ですら、足りなくなっていた。
(0)
(0)「あの蛇の少女が平気なのは、彼女もまた染まりつつあるからか!!?だが、今は置いておこう!!重要なのは、目の前に壁に穴がいくつもあることだが・・・・・ああ、とてもじゃあないが、小さすぎる!!!」
(0)
(0) 京の張った結界は、大きく分けて、登録した妖怪以外の人外や穴を抑える効果と、妖怪であれ人であれ、異能が外から侵入するのを防ぐ効果、そして中からの神の力の漏洩を塞ぐ効果の計3つの役割を持っている。
(0) 他にも中に穴から侵入してきた連中の探知を行う機能や、その除去用に傀儡を送る機能もあったりするが、大抵妖怪や穴は久路人の前で開くために、彼らによってどうにかされている。
(0) そして、それだけの効果を広範囲に発揮できているのには、久路人の力や、一級の霊地である白流市の地脈を使っている以外の理由がある。
(0)
(0)「ああ、もどかしい!!!欲しいものがあるのに、届かない!!ああ、届かないとも!!ああ、このボクでは!!!」
(0)
(0) ヴェルズが髑髏がいくつも取り付けられた杖を振るうと、周りの木々がざわついた。
(0) そして・・・・
(0)
(0)「だが!!!だが!!!だがぁぁあああ!!!!彼らならば問題ない!!!」
(0)
(0)
(0)--ブブブブブブブブブブブブブ・・・・・・!!!!
(0)
(0)
(0) 蠢動。
(0)
(0) まさしく、蠢動であった。
(0) ヴェルズの背後に、赤黒い粒のようなものが無数に現れる。
(0) それはまるで、紅い霧にようだったが、そうではない。
(0) 「それら」は蠢いていた。
(0)
(0)「この国には、素晴らしい諺がある!!!『一寸の虫にも五分の魂』!!!素晴らしい!ああそうだ!!彼らにも、魂がある!!!」
(0)
(0) 神の子という特大の地雷を抱えながらも、街を覆うたった一人の術者によって張られた結界が機能し続ける理由。
(0) それは、締め出すものを大きな的に絞っているからだ。
(0)
(0)「ああ、そうだ!!しょうがない!!!いくらキミでも、神の子を完全に抑え込むのは不可能だ!!!どうしてもザルになる!!!小さなもの相手にまで気にしすぎていたら、維持できない!!そして、そんな小さな穴では、普通の妖怪も異能者も、入ることなどできやしない!!!けど!!彼らならどうだ!!!」
(0)
(0) 紅い霧が、街を包むように薄く広く広がっていく。
(0) それは、暑い今の時期ならば日本のどこにでもいる生き物だった。いや、それは間違いだ。蠢くそれらは、すべてもう死んでいるのだから。
(0)
(0)「ああそういえば!!諺だけじゃない!!こんな現象もあるらしいじゃないか!!そう!!えっと、なんだったかな!!!そうだ・・・」
(0)
(0) ヴェルズの前で、いくつもの『蚊柱』が散らばっていく。
(0)
(0)「そう!!蚊柱だ!!その一匹一匹が、ボクの支配下にある蚊の死骸!!名付けて『死紋蚊 』!!!中々便利な術だろう!?霊力はわずか!!見た目もそこらの蚊と変わらない!!!ああ、それになによりだ!!!それだけじゃあない!!」
(0)
(0) そう、紅い霧の正体は、すべて蚊の死骸が集まったものだったのだ。
(0) そして、旅団の幹部であるヴェルズの死霊術が、ただの蚊の死骸をあやつるだけで終わるはずもない。
(0) むしろ、蚊の死骸など、この術の表層でしかない。その真価は・・・・
(0)
(0)「来てくれ!!カレル!!カレン!!」
(0)
(0) ヴェルズが、誰かの名前を叫んだ。
(0)
(0)「はっ!!お呼びでしょうか」
(0)「なんなりとご命令を、ヴェルズ様」
(0)
(0) 蚊柱が集い、二つの男女の生首が、ヴェルズのすぐ傍に浮かぶ。
(0) その顔は整った北欧系のようだったが、大きく突き出た八重歯が特徴的だった。
(0)
(0)「そう畏まらないでくれ!!!ボクと君たちは友達・・・・いや!!ボクの子供のようなものなんだから!!そして、ここに君たちを呼んだのは他でもない!!!お願いしたいことがあるからさ!!!」
(0)「「はっ!!」」
(0)
(0) 首しかないものの、二人は45℃に自身を傾けて、己の創造主の命を聞く構えを取った。
(0)
(0)「君たちは、これからこの壁の向こうに行って、ある蛇の妖怪を襲って欲しいんだ!!!一緒にいる男の子は無視していい!!いや、そっちは絶対に殺しちゃダメだ!!!逆に言うと、殺さなければ何をしてもいい!!!殺さなければ反撃してくれていい!!!」
(0)「「承知いたしました!!!」」
(0)
(0) そして、二人はその身を再び蚊へと変えて主の命を遂行しようと・・・・
(0)
(0)「話は最期まで聞けよ!!!このグズどもがああああああああああああああああああ!!!!!!!」
(0)「「ガフッ!?」」
(0)
(0) 宙に現れた黒い鎖が、散らばろうとした首を無理矢理に固める。
(0)
(0)「この!!!グズがっ!!!グズがっ!!!グズっ!!!グズグズグズグズグズグズグズグズグズグズグズグズ!!!!!!!!!親不孝者がぁぁあああああああっ!!!!!!!」
(0)
(0) ヴェルズは、鎖を滅茶苦茶に振り回す。
(0) まるでハンマー投げで放り投げられるハンマーのように、二人の生首は引っ張られ、そこかしこに叩きつけられる。
(0)
(0)「フゥーッ!!!フゥーッ!!フゥーッ・・・・・・・ああ、済まないね!!!取り乱してしまった!!!もう、ダメだよ!!?人の話は最後まで聞かなきゃさ!!」
(0)「「も、申し訳ありませんでした・・・・」」
(0)
(0) やがて散々首を痛めつけて気が済んだのか、それまでの鬼気迫る様子が嘘のように、ヴェルズは朗らかに笑いかける。二つの首は、息も絶え絶えになりながらも、返事を返した。
(0)
(0)「うん!!謝れるのはいいことだ!!!親として鼻が高い!!!さて、それじゃあ、気を取り直してやってもらいたいことを言うよ!?まず、蛇の妖怪を襲うこと!!一緒にいる男の子は殺さなければ何をしてもいいこと!!そして最後に、一番大事なことなんだけど・・・・・」
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(0)
(0)--『血の盟約』について、二人に教えてあげて欲しんだ!!!
(0)
(0)
(0)-----------
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(0)「フフフフフフ!!!!」
(0)
(0) 二つの生首が蚊へと変わって、飛び去った後。
(0) 暗い森の中で、ヴェルズは笑っていた。
(0)
(0)「さて!!あの子たちはやられちゃうだろうけど、それは仕方ないかな!!子は親のために尽くすもの!!このボクのために滅びることができるんだから、本望ってヤツだよね!!」
(0)
(0) 造物主でありながら、いや、だからこそ、ヴェルズは自身の作品が壊れることを何とも思わない。
(0)
(0)「あの程度なら、また何度でも材料があれば作れるしね!!ああ、不安だなぁ!!!あのグズども、ちゃんと血の盟約について伝えられるかなぁ!!!」
(0)
(0) 何度でも作れる。
(0) だから、その一つ一つに愛着などない。
(0)
(0)「ああ!!心配だ・・・・・・ん!?」
(0)
(0) 自らが子とさえ呼んだ作品ではなく、自らの目的が達成されるかを不安に思うように呟いていたヴェルズは、後ろを振り向いた。
(0)
(0)「おやおや!!君たちも来ていたんだね!!いやあ!!見て見なよ!!この結界!!君たちも見覚えがあるだろう!?」
(0)「「・・・・・・」」
(0)
(0) そこにいたのは、狐のようなナニカだった。
(0) 美しい女の首と男の首が縫い付けられたかのように二つついている。
(0) その9本ある尻尾のようなものは、すべて人間の腕だった。
(0)
(0)「フフフフ!!!いやあ!!君たちは本当に強いねぇ!!!さっきのグズどもとは大違いだ!!!まだ意思が残っているだなんて!!!でも、残念!!君たちの出番はまだまだ先さ!!!君たちにとって因縁のある相手だろうけど、まだまだダメさ!!!お預けさ!!!」
(0)
(0) 狐、かつて久路人たちと戦った珠乃と、その夫である晴は憎々し気にヴェルズを睨むが、それを意に介した様子もなくヴェルズは喋り続ける。
(0)
(0)「さあ!!!月宮京!!そして、かつてのナイトメアよ!!!今夜から始まるのは、前哨戦だ!!!君たちに挑むための前座!!!だけど、手は抜かないぜ!!!ボクは、ボクの目的のために必ず成功させて見せるとも!!!!」
(0)
(0) ヴェルズは、高らかにステッキを振り上げた。
(0)
(0)「すべては!!!我が愛しき妻のために!!!」
(0)
(0) そんなヴェルズに、狐の身体に縛られた二つの首は恨みがましい視線を向けることしかできなかった。
(0)