行別ここすき者数
小説本体の文章上でダブルクリックするとボタンが表示され、1行につき10回まで「ここすき」投票ができます。
履歴はこちら。
(0) 一方その頃、サモントン都市部から少し離れた辺境——。
(0)
(0) そういうモニュメントなのかと疑うほどに大きく聳える異形となったニャルラトホテプと、娘と呼んだイブ=ツトゥルの前に『位階十席』とSIDの先鋭、それにアレンとセラエノが並ぶ。
(0)
(0) 先陣に立つのは貴族の務めと語るようにミカエルは前に出て、その手にある炎を固定化させたような剣型武器『パーペチュアル・フレイム』を突きつけて指示をする。
(0)
(0)「ハインリッヒを含んだ私達サモントン組とアレンとセラエノがニャルラトホテプを請け負う。SIDの面々はもう一つの異形を頼むよ」
(0)
(0)「なら、そうしようかの」
(0)
(0)「だが、あっちはどうする」とギンはミカエルに対して顎で問題となる一体を指し示した。
(0) それは今や理性をなくして狂喜乱舞する異形のラファエルのことだ。ラファエルと判別できるのは、もう特徴的な髪飾りと僅かに面影のある顔つきだけで、その痩せ細って色彩の変わった身体や老婆のように生気のない髪は見る影もない。
(0)
(0) あれでなお生きているというなら、あまりにも可哀想で惨めだ。介錯の思いを込めてギンは非常な決断を口にした。
(0)
(0)「いっそ楽にするか? 儂の一太刀なら痛みもなく終えられるぞ」
(0)
(0)「ラファエルは大丈夫だ。あのまま放置でいい」
(0)
(0)「その心は?」
(0)
(0)「まだこっちの大本命が残っている」
(0)
(0)「なるほどな」とギンはそれだけで納得して「では、SIDはこっちの相手をするか」と言って足先をもう一つの異形であるイブ=ツトゥルへと向けた。
(0) そのあまりにも簡潔ぶりに、ヴィラは「おい!?」と驚きながらも一人暴走するラファエルへと視線を向ける。
(0)
(0)「時間が惜しいのは分かるけど、そんな簡単にアレを放置していいのか!?」
(0)
(0)「いいんじゃ。こっちの大本命と言ったら一人しかおらんだろ。そいつに全部任せておけばいい」
(0)
(0)「……レンさんのことですね」
(0)
(0) バイジュウの問いにギンは「そうだ」と認めて話を続ける。
(0)
(0)「殺すことは簡単だ。だが救うことはレンにしかできん。それを試してから切ればいいだろう」
(0)
(0)「なんつーか……割り切りがすごいな。ちょっと引くぞ」
(0)
(0)「『する』『しない』だけの考えで少しでも悩んだら『しない』を選ぶのが決断の秘訣だ。儂はそれで一度後悔したからな」
(0)
(0)「救えるなら救いたいじゃろ」とギンは改めて戦技教導官としてSIDの皆へと指示を伝えた。
(0)
(0)「指揮を執るのはエミリオだ。各自、作戦段階で話した持ち場に着け」
(0)
(0)「了解。ヴィラ、二人で前を張るわよ」
(0)
(0)「分かってる。じゃあ、バイジュウとソヤは支援は任せたぞ」
(0)
(0)「分かりました。後方でサポートします」
(0)
(0)「ギンさんはどうしますの?」
(0)
(0)「もちろん」とソヤの問いにギンは得意げに笑いながら、その手に握る二双の刀型の新型武装『天羽々斬』を抜いた。
(0)
(0)「好き勝手にやらせてもらう。儂は一人でやる方が性に合うからの」
(0)
(0)
(0)
(0) …………
(0) ……
(0)
(0)
(0)
(0)「ふんっ!」
(0)
(0) 戦いは既に再開されていた。
(0)
(0) 馬の尻尾のように束ねた黒髪を靡かせ、アイスティーナは鎖鎌をブーメランのように投擲すると、鎖鎌を意思を持つように空間を縦横無尽に動いていく。まるで空間そのものに糸を通すかのように。
(0)
(0) 鎖は近くの木々や建物を巻き込んで複雑に入り込み、その最中にニャルラトホテプの触手や軟性な身体を無理矢理に拘束して動きを取れなくした。鎖鎌はそのままニャルラトホテプの頭部と思われる部分へと刺さり深傷を負わせる。
(0) しかし、それで無力化できるわけがない。異形の傷など蚊に刺されるほどの感覚もない。何よりもニャルラトホテプの力は、この世が人間の理を基準としてる限り測定などできるはずもない。
(0)
(0) ニャルラトホテプはその異形を破裂させたかのように一瞬だけ膨張させると、割れた風船の皮が漂うかのように鎖は砕け散った。
(0)
(0) 拘束したのは僅か1秒——。
(0) だが、それだけあれば錬金術師には十分だった。
(0)
(0)
(0)
(0)「これ、何かわかります?」
(0)
(0)
(0)
(0) 懐には潜り込んだハインリッヒが既におり、不敵な笑みを浮かべてその手にあるガラス細工の容器を見せつける。
(0) その中身に形はなかった。常に点滅を繰り返しており、容器の中を今か今かと飛び出すかのように『閃光』が瞬き動く。
(0)
(0)
(0)
(0) ——その正体は『電気』だ。それも『魔力』を持った。
(0)
(0) ——それはいざという時のために、ハインリッヒが予めイルカから譲り受けた『魔力』で生成された『電気』なのだ。
(0)
(0)
(0)
(0)「『テンペスト・アタック』!!」
(0)
(0)
(0)
(0) 意識するのも一瞬。極小の『嵐』が発生し、ニャルラトホテプへと襲いかかった。
(0) 切り刻むほどに痛烈に、しかして猛烈に吹き荒ぶ風という刃はニャルラトホテプの身体を絶え間なく切り刻んでいく。
(0)
(0) それは『OS事件』で海上で交戦した亜種ドールこと『マーメイド』を一網打尽にした災害。人の力や、人の知恵がニャルラトホテプに及ばないというのなら、地球そのものが持つ現象をぶつけてやればいいだけのこと。
(0)
(0)
(0)
(0)「次っ! 『バックドラフト・ブラスター』!!」
(0)
(0)
(0)
(0) だが一つの災害では足りない。ハインリッヒは続けて容器を取り出し、この場にはいないファビオラの『火』を宿した『魔力』を解放し、その右手に纏う爆熱をニャルラトホテプへと叩きつけた。
(0)
(0) 右手は異形の形容し難い不快極まる身体の中へと深々と貫き、そこから炎が蓄積されて異形の身体を満たしていく。
(0)
(0) そしてハインリッヒは右手を勢い良き引き抜くと、ニャルラトホテプの腹部から爆発したかのように炎が噴き出てきて身体中を焼き払った。
(0)
(0) まさに『バックドラフト』——。
(0) 技の動き自体は前にレンから聞いたロボットがプロレスするようなアニメを参考にしたが、ハインリッヒ個人としては思いの外上手くいったと感じていた。
(0)
(0)
(0)
(0)「まだまだァ! 『エリンガム・レドックス』!!」
(0)
(0)
(0)
(0) だが、それで焼き払われるほどニャルラトホテプは甘くはない。焼かれて爛れる皮膚を蛹の様に開き、新たな身体となって動き出そうとする所をハインリッヒは追撃する。
(0)
(0) 今度はラファエルの『風』の『魔力』を宿した容器を媒体に、レドックスの名の通り『酸化還元反応』を駆使した錬金術だ。
(0) とは言っても『酸化還元反応』とは概念にも近い化学反応であり、その内容と分類に関しては多岐に渡る。だが根本を辿れば必要なのは温度と還元剤があれば基本は成立するものなのだ。
(0)
(0) 温度はある。先程放ったバックドラフトの焼き焦げる様な熱量が。
(0) 還元剤は生成する。錬金術によって生み出した『水素化アルミニウムリチウム(LAH)』を媒体に閉じ込めて。
(0)
(0) それをニャルラトホテプへ叩き込む。『LAH』は非常に危険で可燃性の高い代物であり、静電気程度の力で発火する程だ。
(0) それをバックドラフトが起こりうるほどの熱量を持つ相手に接近させたらどうなるか。LAHは爆発にも近しいとてもつないエネルギー反応を内包してニャルラトホテプの内部で
(0)
(0)
(0)
(0)「これで最後っ! 『タイダル・ウェイブ』!!」
(0)
(0)
(0)
(0) 災害の終わりは人類に色濃く残る最悪にして災厄の象徴。ガブリエルの『水』の『魔力』を宿した容器を素体に、様々な世界を呑み込んだ神の怒りとも呼ばれる『津波』を生成して押しつぶす。
(0)
(0) その質量はどれほどのものか。それは目に入れたら嫌悪感を催すほどだろう。しかし、その質量こそが異形を飲み込んだ。地球の理そのものが、地球外から来た生命体を退けようとしている。
(0)
(0) しかし、ハインリッヒの奥の手はこれからだ。
(0) 何のために『エリンガム・レドックス』をしたのか。それは下準備のためだ。『LAH』はもう一つ特殊な反応を見せることを知るからこそ。
(0)
(0) そう『LAH』は——たかが水どころか水蒸気にも反応するほどに機敏なのだ。
(0)
(0) その調和と反応により、レドックスは覚醒する。
(0) ニャルラトホテプの内包されたエネルギーは一気に膨らみ爆発し、津波によって生み出された小さな池をすべて空に打ち上げるほど極大な衝撃を発生させたのだ。
(0)
(0)
(0)
(0) ——つまりは『水素爆弾』に近しい物をハインリッヒは生み出したのだ。
(0)
(0)
(0)
(0)「おい! サモントンを人が住めない土地にする気か!?」
(0)
(0)「比較的クリーンなエネルギーに変換する様な術式も組んでるので、恐らく大丈夫ですよっ!」
(0)
(0)「恐らくっ!?」と驚くアイスティーナを他所に、不安になりながら押し込んだ先にある麦畑の跡地をハインリッヒは見る。
(0) 油断することなく『ラピスラズリ』『フラメル』『フィオーナ・ペリ』の三種の武装と、自身が最も信頼する錬金術によって生み出された戦闘用ホムンクルス『蒼き守護者』を背後に展開させながら、打ち上げた水によってほとんど田んぼにもなった麦畑へと足を進める。
(0) 使い物にならずただ水上を漂うしかない何百万キロという麦の数々。その種が無造作に広がる中、深き底から異形は何事もなかったかのように這い出てきた。
(0)
(0)「……この程度で終わりか?」
(0)
(0) 異形には何の異変もダメージもない。その名状し難い身体には傷一つ見えない。あれほどの追撃を与えたのに、有効打はなく地球の理ではニャルラトホテプを退けることは叶わなかった。
(0)
(0) なら、それが分かるだけ良し。ハインリッヒは次なる手を打とうと模索し、一つの答えを即座に得る。
(0)
(0)「————ッ!」
(0)
(0) だがニャルラトホテプも攻撃を受けるだけではない。触手を世界を犯さんと言わんばかりに乱雑に振るって寄せ来るすべてを払い除け、ハインリッヒを殺し尽くそうと全てを切り裂く悍ましいカギ爪が襲いかかった。
(0)
(0) しかしそれは突如として立ちはだかる『障壁』に阻まれ、もう少しというところでカギ爪は届かずに止まってしまう。突破しようと突き出そうとするは、それでも進むことはない。
(0)
(0) それは概念としての強さだ。単純な硬いとかそういう次元ではない。
(0) こんな防御手段を行えるとしたら、それは一人しかいない。
(0)
(0)「今です、ハインリッヒ!」
(0)
(0) それはモリスが持つ盾『不屈の信仰』によるものだ。
(0) 一時的にニャルラトホテプを動きの限界値を定めていた障壁を取り除き、その一瞬で今度はハインリッヒへと展開して攻撃を防ぐ。それを合図にハインリッヒも即座に動いて、ニャルラトホテプの懐へと再度潜り込んできたのだ。
(0)
(0) あまりにも正確無比な動作に、ニャルラトホテプも思わず感嘆したような声を漏らす。
(0)
(0) 祈りとは言わば、心のあり様。心の作法。
(0) その形を維持することも、変化することも非常に困難な物だ。維持は何事であっても揺るがない祈りが必要であり、変化は祈りを揺るがせる物。
(0) その二つは本来なら相反する物だ。例えるならば宗教上では禁忌にも等しい宗教を変えるに等しい愚かさ。キリスト教を心から信仰しておきながら裏切る度量も持ち、同時にイスラム教を信仰し、それもまた裏切って厚顔な面構えでキリスト教へと戻る。それを繰り返す様な在り方。
(0)
(0) それを両立させるモリスの信仰とは——。
(0) ニャルラトホテプは理解していながらも内心笑みを溢してしまう。
(0)
(0)
(0)
(0) ——この女、正常のまま『狂って』いると。
(0)
(0)
(0)
(0)「うぉおおおおおおおお!!」
(0)
(0) 地球の理が通じないというなら、外宇宙の理をぶつけるだけ。
(0) ハインリッヒは己が身に宿す忌々しき呪いにも近い『守護者』として宿していた魔力を全解放して全武装の刃をニャルラトホテプへと叩きつけた。
(0)
(0) 一撃で腕を裂き、二撃で目を抉り、三撃で触手を断つ。
(0)
(0) それだけで終わるはずがない。その手に握る『ラピスラズリ』はそれを繰り返すだけだが、残る武装である『フラメル』と『フィオーナ・ペリ』と『蒼き守護者』はハインリッヒの意思が幾つもあるかの様に各自動いているのだ。
(0)
(0) 赤き刃である『フラメル』は踊る様に、ハインリッヒを付け狙おうと周囲に漂うニャルラトホテプの触手を捌き、概念武装である『フィオーナ・ペリ』が発生させている『汐焔』の効力でニャルラトホテプの動きを鈍重にさせる。残る『蒼き守護者』は半透明ながらもその巨体で物理的にニャルラトホテプと組み合い、行動そのものを制限させている。
(0)
(0) ニャルラトホテプは辛うじて動く部位を動かし、いずれかの迎撃に当たろうとすると——。
(0)
(0)「させるかぁっ!!」
(0)
(0) 即座にその動きを察知して、アイスティーナの鎖鎌がその部位を束縛して制限させる。
(0) もちろん、それを振り解くことはニャルラトホテプからすれば可能ではある。
(0)
(0)「少しの時間でもあれば、このモリスが通しはしません」
(0)
(0) だが、そうしたらところで時既に遅し。モリスはニャルラトホテプの攻撃を察知して、自らが持つ盾の効力を駆使してハインリッヒへの防御体制を完了させてニャルラトホテプの触手を弾く。
(0) ならばいち早くモリスから止めるべきか。そう思って誰の意識からも遠ざかっている切り離された触手を遠隔で操作し襲わせようとするが——。
(0)
(0)「セラエノ!」
(0)
(0)「分かっている」
(0)
(0) 全周囲を警戒しているアレンの一言を合図に、セラエノが自らが持つ『断章』のカケラを知らぬ間に受け渡していたモリスへと発動し、モリス自身への攻撃を転移で回避してしまう。
(0)
(0) 圧倒的な手数の暴力。ニャルラトホテプの攻撃を全て真正面から受け止めて、攻守兼備を各々が分担して少しずつ追い詰めていく。
(0) これらは『位階十席』の皆が高水準な戦闘技術を持ってるからこそ肉薄できる物だ。ハインリッヒ、アイスティーナ、モリス、セラエノの四人が動き、アレンが統括することでようやく渡り合うことができる。
(0)
(0)
(0)
(0) ——その程度で並ぶなんて烏滸がましい。
(0)
(0)
(0)
(0) ニャルラトホテプは内心苛つきにも近い感情を持ちながらも、冷静に戦況を把握して一つの謎を究明しようとしていた。
(0)
(0)
(0)
(0) ——何故ミカエルが見えない?
(0)
(0)
(0)
(0) 戦況のどこにも燃える様な緋色の少年は見えない。目につけばすぐに分かる神々しさを持つというのに、その気配すらニャルラトホテプの周囲からは何も感じない。
(0)
(0) いったいどこにいるのか——。
(0) それを思考しながらも戯れ感覚で、拮抗していき——。
(0)
(0)
(0)
(0)「はぁああああ!!!」
(0)
(0)
(0)
(0) ハインリッヒが渾身の一撃を振おうと、全ての武装と『蒼き守護者』を同期させ、さらには先程災害を錬金するために媒体とした『電気』と『火』『風』『水』の練り固めて刃に宿している。
(0)
(0) 絶好の一撃を振るい、ハインリッヒの刃は確かにニャルラトホテプへと届いた。無防備に、ニャルラトホテプの身体へと深く突き刺さり、その身体を裂いた。
(0)
(0)
(0)
(0)
(0) 何故そうさせるのか——。決まりきっている——。
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0) ——希望を与えられ、それを奪われる。
(0) ——その絶望へと変わるまでの一瞬が一番楽しいからだ。
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)「——もう飽きた」
(0)
(0)
(0)
(0) 切り裂かれた傷口から、名状することも悍ましい漆黒が姿を見せてニャルラトホテプに仇なす者をすべて捉え、飲み込むかのように爆発的に溢れ出してきた。
(0)
(0) その速さと規模は何の因果か、それとも報復として意図的なのか。先程ハインリッヒから受けた『津波』と同規模の量が、ニャルラトホテプに敵対する者達へと襲いかかってくる。
(0)
(0) 漆黒の津波——。飲み込まれれば、確実に命を落とすのが見える存在を目にするのはいったいどれほどの恐怖だろうか。
(0)
(0)
(0)
(0) それがハインリッヒへと襲い掛かり——。
(0)
(0)
(0)
(0)「……やはりモリスがいる限り届かないか」
(0)
(0)
(0)
(0) 一転して窮地。その中でもモリスだけは冷静に漆黒を『不屈の信仰』で障壁を展開して受け止める。
(0) だが押し寄せた漆黒はヘドロの様に障壁へと粘りつき、障壁内部から出ることは叶わない。触れさえすれば人間である限り、一瞬で発狂させる劇物なのだから。
(0)
(0)「……ミカエルだけ何故いない?」
(0)
(0) それでもこんな状況というのに、ミカエルが一向に姿を見せることはない。あんなに自分が指揮を取ると言わんばかりに剣を掲げて前に出ていたというのに、戦闘が始まると一転して影も形も見せない。
(0)
(0) だとすれば、どこに——。その答えはすぐさま辿り着いた。
(0)
(0)「これは受け入りなんだけどね。ある奴はこう言ったそうだよ」
(0)
(0) 足下——。突如として、その声はニャルラトホテプに届いた。
(0) 今の今まで警戒を続けに続け、カケラも存在を認知できなかった緋色の少年の声が。
(0)
(0)「希望を与えられ、それを奪われる。その絶望へと変わるまでの一瞬が一番楽しいと」
(0)
(0) 見下ろすと、そこにはミカエルがいた。見間違えるはずもない燃える様な赤髪に、全てを見通すかの様な神秘的な緋色の瞳。
(0) 間違いなくサモントンを統べる者として、誰よりも『Noblesse oblige』を体現し、誰よりも近くにミカエル・デックスがそこにいたのだ。
(0)
(0) しかもミカエル一人じゃない。その隣にはアレンとセラエノがいた。
(0) アレンが『ディクタートル』を構え、セラエノが『断章』を展開して、どういう理由があるのか検討が付かないままに、真の意味で油断したニャルラトホテプの懐へとミカエルの接近を導いていた。
(0)
(0)「なら——これも楽しんでくれ」
(0)
(0) 腰だけは入った一閃。少年の身体では並の兵士どころか、恐らくSID活動を始めた頃のレンやアニーにも劣る一撃が、ニャルラトホテプの胴体のほんの小さな部分を裂いた。
(0)
(0) 剣を振るうだけでもミカエルからすれば全力だったのだろう。見下ろした背後から、慣れない行動で消費された酸素を求めて呼吸が荒くなってるのが分かる。
(0)
(0) 何ともまあ可愛らしい。所詮は貴族という立場で胡座をかいていた存在。いくら政治面で強力な存在で、その思想はサモントンにとって貴重とはいえ、こと戦闘に関してのフィジカルは絶望的に足りていない。
(0)
(0)
(0)
(0) その程度の攻撃、何の意味がある——。
(0) そう——。ニャルラトホテプが不敵に思っていると——。
(0)
(0)
(0)
(0) 切り裂かれた部分からいきなり「ボウッ!」と熱が噴き出てきて、ニャルラトホテプの思考を始めて『ある感情』へと一色に染めた。
(0)
(0)
(0)
(0)「ぐぁぁああああああ!!? なんだ!? 熱い!? なんだこの熱さァ!!?」
(0)
(0)
(0)
(0) その熱は今までのとは違う。ハインリッヒが生み出した『バックドラフト』による単純な炎とは根本的な部分が違うのだ。
(0) どれほど違うのか。それは都合よく振り始めた『雨』が証明する。
(0)
(0)
(0)
(0) 消えない——。冷えない——。
(0) この『炎』は永劫に燃え続ける。例え空気がなくなろうと、例え世界がなくなろうと、例え『炎』という概念さえ消失したとしても。
(0)
(0)
(0)
(0) ——それほどまでにニャルラトホテプを覆う『炎』は概念的構造が違っていたのだ。
(0)
(0)
(0)
(0)「この一瞬が欲しかった。『パーペチュアル・フレイム』の一撃……これさえ届けば君を焼き殺すこともできる」
(0)
(0)
(0)
(0) そう言ってミカエルは見せつける様に『パーペチュアル・フレイム』をニャルラトホテプの前へと掲げて告げる。まるで既に勝負でもついたかの様に、高らかな声で。
(0)
(0) その赤い剣を食い入る様に見てニャルラトホテプは初めて気付く。あの『パーペチュアル・フレイム』という武器の正体が何なのかを。
(0)
(0)
(0)
(0)「その『炎』……!? まさか……!? そんな馬鹿なことが……!!?」
(0)
(0)「ご明察。『パーペチュアル・フレイム』はお前がよく知るアイツの『炎』が剣となった概念武装だ」
(0)
(0)
(0)
(0) ニャルラトホテプは、その『炎』の正体を本能よりも早く気づいた。何せ自身の存在において、根っこの根っこ——それこそ核にまで刻み込まれた最も嫌悪すべき『天敵』の『炎』だったから。
(0)
(0) そいつは巨大な燃える塊だ。故に絶え間なく形を変え続けることをニャルラトホテプは知っている。
(0)
(0) ある時は『雲』か。
(0) ある時は『隕石』か。
(0) ある時は『怪物』か。
(0) ある時は『人間』か。
(0) ある時は『法則』か。
(0)
(0) その形に際限はない。
(0) 故に『剣』となることもあるだろう。
(0)
(0) それでも、どんなに形を変えても『天敵』のある部分だけは、そういう象徴でもあるかの様に形を変えても必ずそれだと認識させる。
(0)
(0) 例えどんな存在になろうと、例えどんな存在が相手だろうと。
(0)
(0)
(0)
(0) ——ただただ『炎』と。
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)
(0)「『生ける炎』——。『クトゥグア』のね」