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(0) そこからの歩みは不気味なほどに問題なく管制室にたどり着いた。
(0) 管制室には電気制御室と同じく基地内を隈なく見渡せる監視カメラのモニターがいくつもあり、そこには凄惨となった基地の様子が全モニターに映し出されていた。
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(0) 特にミルクの目を引いたのは電気制御室の一部を映すモニターだ。より正確に言うなら秘密倉庫の出入口前を映すモニターだが、そこには爆散したように拉げた鉄鋼のくず鉄が映っていた。
(0) それが意味するのは予測として複数あるが、どうあれ過去のバイジュウと『ドール』が互いに干渉できるという状況に間違いないのだ。ミルクが考えていた秘密倉庫の安全性は瓦解しており、背筋に嫌な汗が伝うのが理解してしまう。
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(0) 他のモニターでミルクは過去のバイジュウの行方を追うが、大半のモニターは信号が停止していて姿を目視できない。
(0) となれば考えられる可能性は三つ。秘密倉庫からの脱出や『ドール』の度重なる戦闘の疲労で身動きが取れないか、既にスノークイーン基地からの脱出を終えているか、もしくは既に『ドール』との殺されて物言わぬ肉塊になったか。
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(0)「……いや、未来のバイジュウちゃんはここにいるんだ。きっと無事なはず……」
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(0) ここにいるミルクは知る由もないが、その可能性はどれも実際とは違う。むしろ一番近しいのは最後とも言えるほどに、バイジュウは奇跡的な経緯で救出された。それを伝えることができないのがバイジュウはもどかしい思いが沸いてしまう。なぜならミルクに要らぬ心配を抱かせてしまっているのだから。
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(0) ミルクは無事であると仮定して深呼吸をすると、早急に管制室のシステムをハッキングして情報の照合を始める。やるべきことはたった一つであり、手元にある『アレ』のサンプルを可能な限り調べて情報を残すこと。照合して該当するデータがあれば幸いであるが、そんな都合のいいことなんて起こるはずもなく、検索結果は該当なしとなって記録を続ける。
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(0)「まあ……そんなもんだろうと思ったけど」
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(0) ミルクは溜め息を吐きながらもテキストを打ち続ける。いつかバイジュウが目覚め、そこにある情報を知ってもらうために。
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(0) まずミルクはいくつかの実験を試みた。このサンプルは単純に生物学的分類は何なのか。これが判明するだけでサンプルは歴史的価値があるのかどうか大きく変わるからだ。
(0) 密閉された空間でもなければ、安全性も高いレベルで保障されるものではないので、とりあえずミルクは単純に生命活動の方法を観察していたが、一切分からなかった。サンプルを入れてる容器は可能な限り密閉にしていることから酸素とかの空気中で漂う成分で行っているわけでもない。深海で発見されたことからも植物のように光合成などを必要としているのは思えない。
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(0) 酸素を必要としないなら基本的には多細胞生物とは思えないとミルクは感じてしまうが、もしかしたら例外もいるかもしれないとミルクは考えてしまう。
(0) 実際その考えは間違っておらず、当時2018年のミルクには知る由もないが2020年には酸素を必要としない多細胞生物『へネガヤ・サルミコラ』というサケに寄生する寄生虫の一種が発見されている事例もあるほどだ。
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(0) では単細胞生物かと言われると非常に怪しい。確かにアメーバ状ではあるが、このサンプルは濁った廃油やタールがそれに近しい形を取ってるだけでアメーバとは決して思えない。もっと言うなら深海という状況でも生命活動を行え、南極という極寒の地上に移ってもなお生命活動を続けられる適応力の高さは、そもそも生物学的に非常に特殊なのだ。環境次第では簡単に死滅する単細胞生物の機能で順応するには不可能と言っていいだろう。
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(0) つまりは絞り込める要素すら見当たらない完全なる未知の生物だ。正確に言うなら現在発見及び定義されている生物という範疇では測ることは不可能だ。それが分かるだけ儲けものだと考えて、ミルクの実験は続く。
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(0) 防衛本能といった反射行動はあるのか。
(0) とりあえずサンプルの容器に、軍服から回収しておいたライターを当てて沸騰させてみるが反応なし。熱に耐性があるのか、それとも単純に反射行動というものを持ち合わせていないのか。ともかく分かったことは水の沸点である100℃以上には反応を示さないことをミルクは記録しておく。
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(0)「こういう虱潰しは性に合わないだけどなぁ……」
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(0) 愚痴を溢しながら反射行動の実験をミルクは続ける。
(0) 容器の蓋を少し開けて、基地に転がっていた手頃な針をサンプルに刺してみるが反応なし。続けてはもう接続されていないカメラの配線を拝借して、電流を流し込んでみるがこれも反応なし。
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(0) ならばミルクは一計を投じてみることにした。それは先の戦いで発現した奇妙奇天烈で摩訶不思議な武器の光線を照射してみることにしたのだ。
(0) 出力の管理にミルクは多少不安であるし、そもそもどうやって照射するのかどうかすら不明だが、その気持ちに呼応するように非常に細くて優しく、しかし確かに焼き殺すような熱線をサンプルに照射したのだ。
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(0) するとどうだ。今までの無反応が嘘のように、サンプルは機敏に動きだして反撃を試みるようにアメーバ状の身体を躍動させはじめたのだ。
(0) 幸いにもサンプルそのもの大きさがさほどなかったことでミルクは無傷でいられたが、これがバイジュウが観測した大型の状態だったらどうなっていたのか。大怪我どころでは済まない事態に、ミルクは己の迂闊さに反省しながら改めて思考を深めた。
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(0)「こいつには反応するのね……。ということは……」
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(0) 予定を変更してミルクは突如として出現した『黄色い浮遊物』こと『OS事件』でレンとバイジュウに助力してくれた『未来の開拓者』を触れて観察してみる。
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(0) 動力源一切不明の謎の浮遊物。明らかに質量と規格が見合ってない高性能っぷりは、ミルクからしてもどういう原理で可能にしているのか一切分からない。それどころか解体して観察しようとかと思ったが、残念ながらそういう分解できそうな繋ぎ目は一切見当たらない。外見上に見えるのはあくまで見かけでしかなく、どこにも手の施しようがないのだ。
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(0) 仕方ないので、ミルクはさっさと光線を適当な壁に照射してみることにした。
(0) 数秒後、管制室の特殊合金製のゲートの枠組みが、まるで飴細工のように簡単に溶けてしまったのだ。
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(0) ミルクは乾いた笑いが出てしまうと同時に、内心では「これ熱エネルギーとして使えば色んなエネルギー問題解決しない?」と現代の異質物科学の基礎と同じ思想を抱くが、それはそれとして『未来の開拓者』の光線についてある既視感を覚えていた。
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(0)「これバイジュウちゃんが発した白い粒子と性質が似てる……。現代科学では到達できないエネルギーのみに反応してるってこと……?」
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(0) それはバイジュウのことなら何でも観察して覚えてしまうミルクの良いところというべきか、悪いところというべきか怪しい趣味があるから気づけたことだった。
(0) バイジュウだけが持つ能力『量子弾幕』と『未来の開拓者』が持つ光線は類似点が多すぎる。どちらも『ドール』相手に有効打となる一撃を与えることに成功し、発現と同時に身体能力などと一部のフィジカルが目に分かるほどに変化を見せている。まるで自分たちが相手していた『ドール』にでも近づくかのように。
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(0)「……いやいや。それが本当なら、つまりここって……」
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(0) 同時にミルクの中で嫌な予感と噂が脳内を巡る。
(0) その噂とは、まだ黎明期とはいえ学園都市の一部で話題に出る『異質物』の力を人体に取り込むという研究だ。『異質物』の力と、その影響は千差万別であり、それを単純なエネルギーとして利用するのが難しいものが多いというのが当時の研究結果で導きだされた結論だ。
(0) 故にエネルギーの抽出方法そのものを変化させる必要があるという話も出てきたのだ。それはつまり『人体のエネルギー』として利用するという考え方であり、要は現代でいう『魔女』という存在を人工的に生み出そうとする話。
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(0) 問題はその人工をどうすれば可能にできるのか。『異質物』の情報量は当時でも尋常ではないということは理解されており、容量としては人間の記憶領域である『脳』を全領域を使用しても有り余るほどだ。いくつか代用となる記憶媒体を外付けするという考え方も生まれるほどであり、そのプロセスの確立は現代でも明確には把握しきれていない。
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(0) だとすればサンプルとなるデータが欲するのは当然だ。情報が少ない当時であれば猶更であり、そのためなら何百人という犠牲を出しても価値があるに違いない。
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(0) そうなるとミルクの中で辻褄が合ってしまうのだ。そもそもどうしてここに『ドール』が発生しているのか。それは人工的に『魔女』を作ろうとして、その実験施設としてスノークイーン基地が選ばれたのだ。
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(0) これなら余裕があれば『ドール』を生け捕りにしておくことも考えておくべきだったとミルクは悪態をついてしまう。
(0) もし『ドール』と自分達が繋がる要素を見つけることができれば、その仮説を成立させることができる。そしてその『ドール』から『アレ』と共通あるいは共鳴している部分を発見できれば、そのまま自分と『アレ』が何らかの関連性を持つことも意味し、そもそもとしてミルクの覚醒自体が『異質物』である『魔導書』が繋がったことが起因している。となると『アレ』と『異質物』そのものが繋がっているという仮説も成り立たせることができるのだ。
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(0) その結論を、黎明期という当時としては一切の情報がない状況でミルクは導き出した。
(0) 現状は証明するデータはなく、脳内で存在する推論で成り立っているが、導き出された情報を残さない手はない。ミルクは早速それをデータに記すためにキーボードへと指を奔らせようとした時——。
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(0)「…………ん? 『ドール』って何?」
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(0) そこでミルクは自身の中にある妙な違和感に気づいた。
(0) 私は今まであの化け物についての名称なんて微塵も知っていなかった。だというのに何故頭の中に『ドール』という単語が出てきて、それを当然のように受け入れているのか。そこに違和感を覚えない自分自身に違和感を覚えたのだ。
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(0) まるで『ミーム汚染』でもされたかのように————————。
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(0)「……なに、これ? 頭の中に知らない……いや、知ってるのに知らない記憶が……っ!!」
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(0) 意識したら、その違和感は止めどなく溢れてくる。ダムが決壊したかのようにミルクのすべてを侵しつくすような得体のしれない記憶が脳に寄生してくる。
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(0) 同時にミルクに変化が起き始めた。吐き気を催して口を塞ぐが、鼻から得体のしれない液体が突如として零れだし、更には人体の構造を無視して耳からはそれは爛れてくる。
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(0) ミルクは一瞬で理解した。この液体は『自分自身』だと。自分を形成している何か——つまりは『情報』が根こそぎ自分から抜け落ちていってるのだと。
(0) なら逆に今自分に入り込もうとしている『情報』とは何か——。それを思考し、結論に至るにはあまりにも今のミルクには時間がなかった。
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(0)「少しでも……! 少しでも多く『アレ』について残さないと……!」
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(0) 既に左腕が壊死でもしたかのように動きはしない。血管から違う者に書き換えられる恐怖と焦燥がミルクの冷静さをこれでもかと刈り取ろうとして躍動を始めている。
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(0) しかしそれを黙っている見てられるほどミルクは大人しくはない。
(0) すぐさまミルクは『未来の開拓者』の光線を自分へと向けて、その左腕を焼き切って少しでも『情報』の進捗を遅らせようと模索する。足に侵食しようとするなら足を、目に進捗しようとするなら目を躊躇なくミルクは光線で焼き切った。
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(0) だがバイジュウには、ミルクの胆力そのものが恐怖でしかなかった。
(0) 何かに取りつかれたということは分かる。それをどうにしかしようと抵抗する手段として行っているのも分かる。自分の命はどうせここまでだと覚悟しているから雑に扱うのも分かる。
(0) だけどそれを迷いなく行う胆力だけは理解できなかった。バイジュウにはその胆力そのものが、また別の恐ろしい『何か』に侵されていて、その『何か』はそれでミルクを遊んでいるようにしか見えなかった。
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(0) それでも情報だけは確かに残っていく。
(0) 今回スノークイーン基地で得た客観的な事実を中心に、ミルクの正解に等しい推測を補足して理路整然とした文書を記録していく。だけどそれをバイジュウ以外には見せるわけにはいかない、というのがミルクの中にある危機感が警鐘する。
(0) もしも本当にこの推測が合っているのだとすれば、それはきっと後世において倫理を容易く踏み外す劇薬に他ならない。何故なら意図的にバイジュウ達を襲った連中——つまりは『ドール』を人工的に量産できる手段を確立させることを意味しているのだから。
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(0) そうなれば世界中でどんな影響が起こる?
(0) まず当然として『国の軍事力』そのものが機能しなくなる。何せ銃弾や火傷なんか物ともしない不死にも近い身体だ。四肢を一部欠損しても問題なく動くことができる人体の構造を根本から逸脱した存在なんて、既存の人間社会において脅威以外の何物でもない。
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(0) ならあえてこの情報を残さないという手もあるのではないか?
(0) 否。既にその計画は少しずつ動き出しているのだ。今更そのような配慮をしたところで、遠くない未来にはその冒涜的な技術は確立されるのだろう。その足掛かりがこのスノークイーン基地なのだから。
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(0) ——そこでミルクは確信してしまった。『ドール』という存在、後に『魔女』とも呼ばれる存在が『生まれる理由と意味』を推測と直感によって到達してしまった。
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(0) であれば、せめての願いはこの情報がバイジュウや、あるいはそれに近しい良心的な倫理観を持つ人物や組織に渡されるのを願うしかない。自分の中で確立された悍ましい技術の実態というものを。
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(0)「セキュリティチェック完了……。第一パスワード設定、親和数『220、284』……。第二パスワード設定『100485』……。第三パスワード設定『124155』……」
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(0) ミルクは厳重にパスワードを設定してテキストファイルを制作していく。バイジュウにだけは分かるように、二人を繋いでくれた縁深い数字を思い出を噛みしめながら刻む。そうでもしなければ、今にも自分というものが全て吐き出されれて『別の何か』に変貌してしまいそうだったから。
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(0)「最後に物理キーと音声キー設定……。連動と共有……」
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(0) そこでミルクは腕時計を見る。所々が傷がついた年季の入った腕時計。何度壊れてもミルクはそれを改修して大事にしてきただけあり、ミルクの腕には特有の日焼け跡が付け痕が見えるほどだ。
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(0)「大事な物だったんだけどな……。華雲宮城で支給される安物だけど、これだけが私がバイジュウちゃんと会う前の宝物にしてたから……」
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(0) バイジュウは一度ミルクから聞いたことがある。ある日、大学の講習を終えて街で二人の時間を謳歌している時、軍の仕事もないのにプライベートでその腕時計をつけている理由を。
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(0) 曰く『思い出』だとミルクは簡潔に言った。
(0) ミルクは元々生まれも育ちも一般的だった。何もかもが特殊なバイジュウとは違い、ミルクは最初から何でもない普通の家系に生まれ、普通に育てられた。
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(0) ただ一つだけ一般的じゃなかったのは、その聡明すぎる思考能力にあった。幼少時から成績優秀で中学の時には大学入試レベルの問題は既に解けるほどであり、華雲宮城の情報機関から一目置かれるほどだ。それが遠因となって飛び級扱いでミルクに大学での潜入工作を任せられるほどに。
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(0) だが、そんなミルクが両親には怖く見えたらしい。子供らしい反応を何一つ見せず、いつも本やパソコンに噛り付いて、まるで自分達を見下すような、品定めするような子供らしからぬ視線は恐怖を抱かせてしまった。
(0) それは華雲宮城の情報機関には好都合だった。情報機関はミルクの両親へと直接交渉をし、目も眩むような大金と地位を用意する代わりに、ミルクの身柄を情報機関に一任してほしいと告げた。つまりは『子供を売る』という親として最低の行為をするよう促したのだ。
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(0) その交渉にミルクの両親は迷いなく応じた。簡単に自分の子供を売ったのだ。
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(0) 何せ華雲宮城の政治による思想形態は『栄光と歴史と伝承』——つまりは古くからある『序列』という階級社会で秩序を保つことだ。
(0) 流れる水が決して上に昇らないように、一度生まれ落ちた身分は変えることは決してできない社会。例え偉そうにしてるだけの無能でも、人や国に尽くす賢人相手にしても無条件で地位が上だと確立される努力ではどうにもならない政治思想。
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(0) 何年も普通の家庭として築き、何年も普通の地位として生きてきたミルクの両親からすれば願ってもないことだ。自分達の地位が上がれば、同時にそれはミルク自身を除く血族すべての生活を豊かにするということもであるのだから。
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(0) だからミルクの両親は売った、自分の子供を。
(0) もちろんミルクだってそれを理解していた。仕方ないことだと納得して両親を恨むこともせず、ただ一言だけ育ててくれた感謝を告げて華雲宮城の情報機関で過ごすことになった。
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(0) そしてミルクは情報機関に配属することになった。その証として軍用の腕時計を渡された。
(0) まるでその『腕時計』が今までの人生の成果であるかのように渡され——ミルクは内心自分でも「つまらない報酬」だと自重して笑ってしまうほどだった。
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(0) それからの日々は単純だった。任務のためにあっちこっちに行って、特に辛くも苦しくも楽しくもない毎日をこなすだけの日々。両親のとこに居ようが、情報機関のとこに居ようが、彼女は満たされることなく、代わりに上っ面だけの笑顔や言葉だけは上手になっていった。
(0) 度重なる任務で腕時計が壊れることは何度だってあった。だけどその度に再支給ではなく、改修することをミルクは選んだ。
(0) 別にミルク自身は両親を恨んではいない、むしろ愛している。どんなに僅かな愛であろうと、どんなに両親から腫れもの扱いされようと、自分の思いだけは——『思仪』という名前にかけて捨てることはできなかった。その腕時計だけが両親と対価で得た小さくも掛け替えのない物だったから。
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(0) そんなある日——ミルクは運命と出会う。
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(0) …………
(0) ……
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(0)「今日はこの大学で任務ね……。教授の金庫を開けて秘匿している文書を調査か……」
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(0)「……何をしてるんですか?」
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(0)「えっ!? いや、ちょっと教授に論文について聞きたいことがあってね……」
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(0)「…………あぁ。そういうことですか」
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(0)「そうそう、そういうこと!」
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(0)「……親和数ですよ」
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(0)「はい?」
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(0)「親和数です、その教授が使っている番号。それで金庫は開きますよ」
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(0)「え~~と……何が何やら?」
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(0)「それじゃあ頑張ってくださいね。スパイさん」
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(0)「…………ちょっと待ったぁぁあああああ!!」
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(0) ……
(0) …………
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(0) 聡明なミルクからすれば何も理解できないトンチキな女の子が突如として現れ、しかも何の理由も聞くことなく無警戒に機密情報を教えたのだ。その理解不能な破天荒さにミルクは強い興味を沸いて惹かれてしまった。
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(0) その女の子の名は『バイジュウ』——。
(0) そこからミルクの人生は色が付き始める。何もかも退屈に感じていた日常が、彼女のおかげで一気に鮮やかになったのだ。
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(0) 何をするにも常識からちょっと外れていて、だけど聡明で、それなのに天然がある可愛い子。ミルクからしてもちょっとやそっとじゃ何も分からないミステリアスな子に惹かれてしまった。
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(0) だから何度も何度も一緒に遊びに行った。
(0) だから何度も何度も一緒に食事に誘った。
(0) だから何度も何度も一緒に勉学に励んだ。
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(0) その度に彼女の新しい一面を知った。
(0) 彼女が本当は人懐っこい部分があることを。それなのにどこか人見知りで、壁を作ろうとしてしまう奥ゆかしい部分があることを。
(0) 彼女の心はどこまでも冷静で冷たく見えるけど、本当は誰よりも優しくて見捨てることができない根っからのお人よしだということも。
(0) 彼女の夢はどこまでも澄んだ純粋なものだと。父親の研究を継ごうと知識を得ようとしているが、その果てにあるのは、どこまでも『人間』という在り方を知りたい知的好奇心から来るものだと。
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(0) ——だから、彼女のためにすべてを捧げるのも悪くない。
(0) ——それこそ『思仪』という名に相応しく、ミルクという一人の親友として応援したいという、二つの意味で生まれ持って初めて素直に抱いた気持ちだったから。
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(0)「……バイジュウちゃんのためなら仕方ない! グッバイ、思仪!!」
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(0) ミルクは最後に自分の本名を告げると、腕時計を外して端末へと繋げた。今までの自分と決別でもするように、これから待ち受けるであろうバイジュウへの困難の力となるために。文書の最後のセキュリティキーとして自分の腕時計を設定した。
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(0) ————そこで世界は一度ノイズが奔る。
(0) ————ここは記憶の世界。記憶の主となる人物が気を失えば、そこで世界は断続されてしまう。
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(0) ————深い深い記憶の闇の中、ミルクは切に願う。
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(0) ————どうか。バイジュウちゃんだけは救ってほしい。私はどうなってもいいから。