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(0)『う……うわぁ……』
(0)
(0) 凛の脳裏にアーチャーの呻きが伝わる。サーヴァントの出現に驚愕したわけではない。士郎の断りも、凛の挑発も、彼がアレンジしている以上、それ自体は想定内であった。
(0)
(0) 現れたライダーは、長身で女性美の極致のような肢体の持ち主だった。一点のしみも傷もない、乳白色の肌。ほっそりと長い首は、華奢ながらも優美なまろみを帯びた肩へと続く。くっきりとした鎖骨のくぼみの下には、双つのたわわな果実が実る。半面、細くくびれた腰から足へと続く曲線は、小さな円周に反比例する高さをもつ。そこから連なる手足も、長さといい、細さと滑らかさを兼ね備えた肉付きといい、男ならば魅了され、女ならば羨望することだろう。
(0)
(0) 彼女の体を縁取るのは、膝を超え踝あたりまである、紫水晶を紡いだような美しい髪。卵形の輪郭におさまった彫像のような眉目は、半ば隠されているが、絶世の美貌と表現しても不足なほどだ。彼女の容貌に、ケチをつけられる人間などいないだろう。
(0)
(0) 問題があるのは、体形を克明に描写できるような服装である。万事に鈍感なアーチャー ヤン・ウェンリーでさえ、動揺するような代物だった。
(0)
(0) 黒と紫のベアトップのワンピースは、素肌に貼りつくようなデザインで、上下とも実に際どい位置までしか布地がない。その露出を埋め合わせるかのように、腿までのブーツと、上腕まであるレザーグローブを身に着けている。色はいずれも黒。双方に紫のベルトがあしらわれ、首にも紫のチョーカー。そして顔を半ば隠しているのが、仮面のような紫の眼帯。
(0)
(1)『未成年の前では、口に出せない職業の人にしか見えない……』
(0)
(0) 口に出されなくても、彼の思考が駄々漏れの凛はどうすればいいというのだ。
(0)
(0)『アーチャーには完全に同意だけど、仕事着ならある意味マシじゃない?
(0) 本人の服の趣味がコレなら、超美人なだけに痛すぎるわ。
(0) 痴女よ、痴女』
(0)
(0) 凛の内心を読み取ったのか否か、うちひしがれた様子のアーチャーが実体化した。
(0)
(1)「……ひどい、あんまりだ。私の夢を返してくれ。
(1) 全っ然、召喚に応じた意味がないよ。凛、もう帰ってもいいかい?」
(0)
(1)「馬鹿言わないで。どこに帰る気よ? 『座』とか言ったら殴ッ血KILLわよ」
(0)
(0) 図星だったらしく、アーチャーは口を噤んだまま、実に嫌そうな表情で間桐の主従に向き直った。だが、どちらとも目を合せようとしない。
(0)
(0)「は、どうしたんだよ、遠坂。ずいぶんしょぼいヤツじゃないか」
(0)
(0) 黒い瞳が、ライダーのマスターに恨みがましい視線を向けた。
(0)
(0)「あなたね、そんなにショックを受けることないじゃない。
(0) 召喚者のイメージに左右されるのかもって、推理してたんでしょ。
(1) 間桐くんらしいじゃないの。……この変態。最っ低!」
(0)
(0) 凛の口調に電撃が加わり、騎乗兵の主従を打ち据えた。次いで視線の風刃が、少年の心を切り刻む。腐ったゴミを見る目だった。
(0)
(0)「なっ……僕が変態だって……!?」
(0)
(0) 無言のライダーは、眼帯の下で涙ぐんだ。岩塊を頭上に落とされた気分だ。
(0)
(0)「それ以外の何だって言うのよ! どこの英雄がそんな格好してるのよ!?」
(0)
(0)「えーと、マスター。ランサーが、ほら」
(0)
(0)「あっ……そうね。うっかりしてたわ。彼の方がまともだもの」
(0)
(1) まったく、さっぱり、ちっとも慰めにならないフォローと、同性からの厳しい査定は、ライダーをいたく傷つけた。
(0)
(0) あれよりはマシだと思っていたのに!
(0)
(0)「いずれにせよ、遠坂とアインツベルン、衛宮の三家は停戦を選択したわ。
(0) あんたの選択肢は二つよ。私たちに同意するか、残りの陣営をまとめて
(0) 戦争の継続を教会に訴え出るか」
(0)
(0)「ちょ、本当だったのかっ? 衛宮の言ってたことは」
(0)
(0)「そうよ。士郎の言葉は遠坂の言葉と同じ。
(0) 今からでも我々に与するならばよし。敵対し、向かってくるなら叩き潰すわ。
(0) 停戦を呼びかけたけれど、防戦をしないとは言っていないわよ。
(0) わたしたちに喧嘩を売る気なら、覚悟することね」
(0)
(0) 小気味よい啖呵のマスターの隣、黒髪のサーヴァントは表情を曇らせたままだ。
(0)
(0)「よく考えるといいわ。わたしだって間桐の長男を殺したくはないもの」
(0)
(0)「そんな弱っちいヤツに、ライダーが倒せるもんか」
(0)
(0) この言葉に、ようやく凛のサーヴァントが口を開いた。
(0)
(0)「君自身を倒すのと、彼女を倒すのはイコールではない。
(0) サーヴァントの力はマスターの力ではない。
(0) 私のマスターの言うとおり、よく考えることだ。
(0) 私はテロリストとは取引するつもりはない。司法取引も望ましくはないがね」
(0)
(0) 慎二とさほど違わぬ年齢に不似合いな、すべてを見通すような漆黒の瞳だった。
(0)
(0)「君ははじまりの御三家の一員だ。
(0) 聖杯戦争を継続したいなら、我々以外の陣営に呼びかけをしたまえ。
(0) あと二日以内にね。不可能なら停戦になる。
(0) よく考え、ただし早急に判断することだ。
(0) じゃあ、凛、失礼しようか。授業が始まるよ」
(0)
(0)「そうね。そんなに休んでもいられないもの。お先にね、間桐くん」
(0)
(0) 颯爽と長い髪を靡かせて屋上出入口に向かう凛の背後を、実体化したままの青年が警護する。少女がドアを閉めると同時に、姿を消した。歯噛みをする間桐慎二に、ライダーは眼帯の下から冷たい視線を送る。
(0)
(0)「畜生、衛宮に遠坂、僕をバカにしやがって……!」
(0)
(0)「シンジ、停戦に応じたほうがいいでしょう」
(0)
(0)「黙れ! オマエの意見なんか聞いてない!」
(0)
(0) あの黒髪の主従となんという差だろうか。自分の真のマスターは、青年の主にも劣らぬ資質の持ち主で、同じぐらいに愛らしく美しいのに。
(0)
(1) ――やはり、この姉様たちのおさがりは、私のような大女には似合わないのですね……。
(0)
(0) また目元に熱いものが込み上げてきた。
(0)
(0)「……そうですか」
(0)
(0) 一言呟くと彼女も霊体と化す。
(0)
(0) だが、アーチャーの仕掛けた罠はこれで終わりではなかった。放課後になって、衛宮士郎の言う『親父の隠し子』が、付き添いを伴って乗り込んできたのだった。
(0)
(0) 目に見える者として、金銀の髪をした美しいメイドがふたり。そして、目には見えぬ鉛色の巨人を連れて。
(0)
(0) 呼び出された衛宮士郎は、藤村教諭と共に校長や教頭の前で、冷や汗をかきながら養父のことを告白することになった。
(0)
(0) 必然的に、呪刻の調査を行うのは凛とアーチャーになる。アーチャーが作成した予想図は、実際の呪刻の位置とほぼ一致していた。これにより、非常に効率的にチェックと妨害が進んでいった。
(0)
(0) 今日も、昏倒事件や通り魔事件のため、部活動は五時までに短縮。その間には人がいなくなる、特別教室周りを中心に回る。
(0)
(0)「ちょっとぉ、いつまで不景気な顔をしてるのよ」
(0)
(0)「いや、あのライダーの恰好はたしかに衝撃的だったよ。
(0) だがあれで吸血鬼事件の犯人でもあることがわかってしまった。
(0) できるだけ、サーヴァントも排除はしたくなかったんだが、
(0) そうも言っていられないかな」
(0)
(0) げんなりした表情の従者に、主も同じ表情になった。
(0)
(0)「英雄として話を聞きたいから?」
(0)
(0)「いいや、これまでの四回、望みを叶えた者はなく、斃れたサーヴァントは存在する。
(0) 『聖杯』というのなら、特別な器に満たされた中身が重要なんだ。
(0) それが魔力。六十年かかるインターバルが、六分の一になったっていうのは、
(0) オーバーフローを起こす手前じゃないのかと思うんだよ。
(0) だからサーヴァントの犠牲という供給をしたくないんだが」
(0)
(0) アーチャーの発言は、色々な意味で問題だった。
(0)
(0)「その魔力が残存しているから、
(0) インターバルが六分の一に短縮されたのではないか。
(0) 聖杯は『さかずき』なんだ。入れすぎればこぼれる。その悪影響も心配なんだ。
(0) サーヴァントには肉体がある。
(0) 魔力によって形成されているが、結局はエネルギーだろう。
(0) E=mcの二乗が適用されないのかと疑問に思うのさ」
(0)
(0) やや吊り気味の翠の目が真ん丸になる。
(0)
(0)「え、なにそれ、アインシュタインの公式よね。何よ、急に」
(0)
(0)「物質は質量に光速の二乗をかけたエネルギーに変換されるという公式だが、
(0) 単なる公式じゃないよ。現代社会を支えている重要なものだ。
(0) だが、その前には不幸な使われ方をした。何か知っているかい?」
(0)
(1) 二羽の黒揚羽が、連なって左右に動く。
(0)
(0)「では、マンハッタン計画という言葉を聞いたことがあるかな。
(0) 平たく言うなら原子爆弾の開発だ」
(0)
(0) 人のいない教室を、沈黙の天使が旋回する。
(0)
(1)「本来の私は霊体だが、実体化すれば、176センチ65キロの質量を持っている。
(0) バーサーカーの身長は二メートル半、体重は三百キロはくだらないだろう。
(0) 残る五騎のサーヴァントも、相応の体格を持っている。
(0) これだけの質量に変換できるエネルギーたるや、凄まじいものになる。
(0) 君は、この国に落とされた原子爆弾の核物質の量を知ってる?」
(0)
(0) 凛は息を呑み込んで首を横に振った。
(0)
(0)「ヒロシマ型のウランは50キログラム、
(0) ナガサキ型のプルトニウムは6キロちょっとにすぎないんだ。
(0) それも、全ての核物質が反応したわけじゃない。
(0) エネルギーに変換されたのは、およそ1グラムだと推定されている」
(0)
(1) 寒気がしてくるような講義だった。ヤン・ウェンリーは戦史では学年一の優等生だったのだ。
(0)
(0)「サーヴァントは魔力で形成されているが、
(0) それでも一定の物理法則には縛られている。
(0) 宙に浮いたり、あちこちに瞬間移動したりはできない。令呪なしではね。
(0) この物理法則にも、当てはまらないとは言い切れない。
(0) 我々のエネルギーを合計すれば、どのぐらいの破壊力になると思う?」
(0)
(0) 凛には答えられなかった。
(0)
(0)「第三次の戦争が終了するまでに、
(0) 何騎かのサーヴァントは脱落しているんじゃないか。
(0) そして、前回は少なくとも五騎だ。もう器が一杯ではないのかな。
(0) エネルギーとは、多ければいいというものでもない。
(0) きちんと制御することのほうが、ずっと重要なのさ。
(0) 十年前の大災害は、溢れた聖杯の中身のエネルギーによるものかもしれない」
(0)
(0) 歴史学や社会学の次は、軍事知識と物理学。このアーチャーは、多彩な弁舌の矢を放つ。
(0)
(0)「だから私は、それが判明するまでは滅多なことをしたくない。
(0) 聖杯戦争の孤児である君たちが、新たな加害者となってはいけないんだ」
(0)
(0)「ちょ、ちょっと、どうしてそんなことを思いついたの!」
(0)
(0)「いろいろと考えたんだよ。聖杯とは何なのだろうとかね。
(0) キリストの血を受けた杯、あるいは万能の願望機、魔力の釜。
(0) では、魔力とは何か。それで形成されたのが我々サーヴァントだ。
(0) 物質でないなら、さっきの公式は適用されないが、まだ厄介な疑惑がある。
(0) 目に見えぬものがエネルギーを持ち、目に見える姿になると言うと、
(0) 君は何を連想する? 身近にあるもので」
(0)
(0) 凛は一瞬眉を寄せたが、すぐに答えた。ここは調理室、答えは実習机についている。
(0)
(0)「やっぱり、ガスの炎とかかしら」
(0)
(0)「ご名答。私が連想するのとはやや異なるが、炎もプラズマの一種だ」
(0)
(0)「ぷ、ぷらずま?」
(0)
(1)「私の時代だと、そいつは核融合炉で生成される。太陽の中心核と同じ環境でね」
(0)
(1) 凛にはまったく理解ができなかったが、現代においては研究の端緒がついたかどうかという、次世代エネルギーである。簡単に言えば、太陽の中心核とおなじ環境を作るのだ。十億度を超える超高温の世界。そこで水素原子が融合し、ヘリウム原子が生成される。その高温を生みだすのがプラズマである。これを封じ込め、コントロールするのが核融合炉だ。
(0)
(0)「プラズマが生み出す超高温によって、
(0) 核融合が起こり、莫大なエネルギーが発生する。
(0) それを収める容器は尋常なものじゃない。
(0) 超伝導によって強力な電磁場を作り、十億度に達する熱を封じ込めるんだ」
(0)
(0)「聖杯が、その、核融合炉みたいなものだってこと……?」
(0)
(0)「いいや、聖杯じゃなくて、その器が」
(0)
(0) 膨大な魔力を受け止めることになる器とは、どんなものなのだろう。セイバーが一瞬目にしたのは黄金の杯だったという。だが、聖杯は霊体であるとも聞いている。単純に金属の器に入れられるのか。
(0)
(0) 儀式の最も重大な秘密を握っているのはアインツベルン。他の者が戦いに勝っても、儀式が成功しない理由だ。ヤンはそう睨んでいる。
(0)
(0)「『天の杯 』、杯はフィール。
(0) アイリスフィールとイリヤスフィール。
(0) キャスターは、イリヤ君たちをピュグマリオンの末裔の作だと言った。
(0) 正直、嫌な予感しかしない」
(0)
(0)「なっ……。あんたじゃないけど、順を追って話してちょうだい。
(0) キャスターの話って何よ!?」
(0)
(0)「キャスターとつなぎが付いたんだよ。
(0) 彼女は結界と通り魔と一家殺人は、自分とアサシンが犯人じゃないと言った。
(0) その時に、そんな話が出たんだ」
(0)
(0) 凛はほぼ頭ひとつ上にあるアーチャーの顔を睨んだ。
(0)
(0)「あんたね、そういうことは先に言いなさい!」
(0)
(0)「士郎君とセイバーには、今は余計な情報は与えないほうがいい。
(0) ああいう、正義感と義務感が強いタイプは、ひたすらに邁進する恐れがある。
(0) イリヤ君という、心を繋ぎ止める錨の存在に馴染むまで時間が必要だ」
(0)
(0)「もう、そうかも知れないけどね。わたしには言えるでしょう」
(0)
(0)「君もけっこう、態度と顔に出るからねえ。
(0) 事後報告ですまないが、ライダーのマスターに会うには伏せておく必要があった。
(0) さて、吸血鬼事件だが、ランサーが犯人でない理由は言っただろう」
(0)
(0) 凛は不承不承に頷いた。
(0)
(0)「ええ、あんな容貌の若い男が夜道に現れたら、みんな逃げ出すってことでしょ」
(0)
(0)「こいつは仮説のひとつとして聞いてほしい。
(0) あの格好は確かにすごいが、私やセイバーと同じことができないわけじゃない。
(0) たとえば、ロングコートを着て、眼帯の代わりにサングラスをかける」
(0)
(0)「夜にサングラス?」
(0)
(1)「まあ、包帯でもいいさ。そして手に白い杖を持つんだ」
(0)
(0) 凛は目を見開き、口を両手で押さえた。
(0)
(0)「あんなに美しい、目の不自由な外国人女性が夜道を歩いていたら、君ならどうする?
(0) 男が鼻の下を伸ばすより、同性のほうが心配して声をかけ、大丈夫かと尋ねないか?
(0) そこでつまづいたふりでもすれば完璧だ。
(0) 助け起こそうとしたところを……」
(0)
(0)「襲うってわけね」
(0)
(0)「漠然とだが、新都の吸血鬼は美しい、
(0) 人を誘惑できる存在じゃないかと思ってはいたんだ。
(0) 若い男女が共に被害者だし、これだけ報道されているのに、
(0) 通り魔とは思いつかないような容姿なのでは、とね」
(0)
(0)「たしかにね。ランサーやバーサーカーじゃみんな逃げるわ。
(0) あんたからは逃げないでしょうけど、寄ってくるかといえば」
(0)
(0)「セイバーやライダーのような存在だろう?
(0) だが、セイバーには時間的に不可能な犯行だ。
(0) そしてキャスターとアサシンではないなら、そういうことになる。
(0) キャスターの言葉が真であると仮定したうえで、
(0) 物的証拠も目撃証言もない、状況証拠と消去法による不完全なものだがね」
(0)
(0) 猫背気味で元気のない足取りのアーチャーだが、頭脳と弁舌のほうは澱みがない。調理室を出て、隣の被服室へと移動する。予想図では、呪刻が集中している部屋だった。
(0)そして予測どおりに、あるわ、あるわ。床と四方の壁に呪刻がびっしり。
(0)
(0)「――セット」
(0)
(0) 凛は、廊下側の壁の呪刻に魔力を流した。そして、次の呪刻に歩を進めようとして、壁に貼られた『衣服の歴史』が目に入ると、疑問がむくむくと湧き上がった。
(0)
(0)「それにしても、あれどこの英雄よ?」
(0)
(1)「そんなの私が知りたいよ。ありえないだろう、あれは! 服飾史的にも!」
(0)
(0) 壁の資料を指差して、アーチャーは小声で喚いた。凛もまじまじとそれを読む。
(0)
(0)「彼女が着ているのが革や絹なら、ああいう体にぴったりするデザインは、
(0) その図表にある、ビクトリア朝あたりの服みたいにしないといけないんだ」
(0)
(0) まだしも近いのが、後ろボタンの細身のドレスだろうか。スカートの長さが全然違うが。ブーツは男性の乗馬服が参考になる。こちらも腿までの長さはないけれど。
(0)
(0)「あら、どうして?」
(0)
(0)「脱ぎ着ができないんだ」
(0)
(0) 凛は、ビクトリア朝の紳士淑女の装いを注視した。そして、ライダーとの相違点に気づく。
(0)
(0)「たしかに、こっちのは紐で編み上げにしたり、スリットを沢山のボタンで留めてる。
(0) ああ、こういうのって脱ぎ着するためなのね。デザインだと思ってたわ」
(0)
(0)「着脱の利便も、デザインに取り入れるのさ。
(0) 人間ってのは貪欲に工夫するんだ。どうせなら見栄えがいいほうがいい」
(0)
(0) 凛は素直に頷いた。
(0)
(0)「うん、わかるわ。セイバーのドレス、今見ても素敵だもの。
(0) 着替えのときに鎧を解いたところを見たんだけど、
(0) 胸元からウェストが編み上げになってたわね。あんたの言うとおり」
(0)
(0)「ゴムやファスナーみたいな便利なものがないからさ。
(0) 化学繊維の編地のような、伸縮性の高い布もね。
(0) そのせいもあって、貴族には召使が必要だったんだよ。
(0) この図の服だと一人じゃ着られないだろう?」
(0)
(0) 襟首から腰の下まで、びっしりと真珠のボタンが並んでいた。後ろ手ではめたり外したりは、たしかに無理があるだろう。
(0)
(0)「へえ、贅沢というだけじゃなかったのね」
(0)
(0)「セイバーの鎧も、本物ならば一人では着られないよ。
(0) 一方、私たちの時代の装甲服は自分で着脱できる。
(0) 技術の差が服装に現れ、歴史とも密接に関連するんだ」
(0)
(0) 壁の年表によれば、そうした素材が全部揃うのは、二十世紀中盤以降だった。繊維工業が発展し、平和が訪れて、石油や金属を豊富に使えるようになっての産物だ。
(0)
(0)「たったの四、五十年前に、こういう高度な結界の魔術を使える存在がいたのかい?」
(0)
(0) 凛は無言で首を振った。
(0)
(0)「そうだろうなあ。コピーの不具合か、伝説と実態は異なるのか。
(0) いずれにせよ、髪と瞳などに逸話を持つ、普通の人間ではない存在。
(0) で、騎乗するものとの関連がなくてはならない。
(0) ギリシャ神話の人名、首を刎ねるというのも、多分キャスターのヒントだ。
(0) 該当者がいなくはないが、なんでライダーなんだろう」
(0)
(0) 顎に手をあてて渋い顔をするアーチャーに、翡翠の瞳が再び丸くなった。
(0)
(0)「うそ、そんなこと何から思いついたのよ?」
(0)
(0)「ライダーが吸血鬼なら、歯が人間よりも鋭いはずだ。
(0) そして、あの長い髪。個人差が大きいが、
(0) 人間の髪の寿命では、あんなに長くはならない」
(0)
(0)「そんなことないでしょ。平安絵巻なんかどうなるのよ」
(0)
(0) 凛の反論に、アーチャーは凛の顎の下あたりの高さに手を置いた。
(0)
(0)「そのころの女性の平均身長は、百四十センチあるかないかだよ。
(0) そして、正座に近い姿勢で、膝で歩いたんだ。
(0) 身長から半分近い高さがマイナスになる」
(0)
(0) そこから更に手を下げる。凛の腰ぐらいの位置まで。
(0)
(0)「凛より二十センチ背の低い人の正座だ。君の髪の長さでも床に届くだろう?」
(0)
(0) 凛は頷いた。髪型ほど、女の子の好みが出る部分はない。凛も腰あたりまで伸ばしているが、これは手入れの都合もあってのことだ。とはいえ、伸ばしっぱなしにしても、髪の長さには限界があるらしい。
(0)
(0)「でも、ライダーの身長は、私とそう変わらない。
(0) 色はさておくとしても、あの長さは人間にはありえないよ」
(0)
(0)「……あんたってつくづく物知りねぇ」
(0)
(0) 凛の賞賛に、アーチャーは肩を竦めた。
(0)
(0)「こんなの雑学のたぐいだよ。
(0) 歴史学者は、これぞというテーマを選び、注力しなくちゃ一流にはなれない。
(0) 広く歴史の流れを知りたいなんて考えると、どうしても水深が浅くなる。
(0) もしも歴史学者になれたとしても、いいとこ二流で終わったろうなあ」
(0)
(0) 雑談の合間にも、地図の位置を彼が指し示し、凛がほぼ予測の場所に呪刻を見つけて魔力を流していく。
(0)
(0)「英雄にはなれなかったってわけね」
(0)
(0)「そりゃそうだ。戦争の才能ってのは非常の才の最たるものだ。
(0) 平和なこの日本で、平凡な生活を送っている人に眠っているかもしれない。
(0) でも、そんなものを知らない時代や世界のほうがずっといいよ」
(0)
(0)「わたしこそ、あんたの時代の想像なんてつかないわ」
(0)
(0) 凛は言葉を切って集中する。左腕の魔術刻印が、仄かな光を放ち魔力を流していく。
(0)
(0)「これでよし。アーチャー、あと何個ある?」
(0)
(0)「ここまでで四十個。残りは推定で最少が三十二。最大数は見当もつかない」
(0)
(0)「ああもう、キリがないわね!」
(0)
(0) ヤンは青丸の一つを赤で囲んだ。赤丸は十数個、二色の二重丸は二十数個。彼もうんざりするが、マスターをなだめる方に回った。これも参謀の役割である。
(0)
(0)「だが、魔方陣を構築する基点の、複数の交点となりそうな部分は潰せたと思う。
(0) 術を起動させようとすると、かなり時間を食うようになってると……いいんだが」
(0)
(0)「頼りないわね……」
(0)
(0)「そんなこと言われても、私には未知の技術だからなあ。
(0) この結界とやらのシステム、君にわかるかい?」
(0)
(0) 凛の柳眉が鋭角を描いた。
(0)
(0)「悔しいけど、無理!」
(0)
(0)「だからさ、こうやって地道にやるしかないんだ。
(0) 相手が諦めてくれると一番楽なんだが、君と誰かさんとの根くらべだね」
(0)
(0) と言いながらも、それは望み薄だとヤンは思っている。一番頭にくるのは、この施術者だろう。あるいはそのマスターか。
(0)
(0) アインツベルンのマスターと同席している衛宮士郎。彼または彼女の従者である金髪のサーヴァント。霊体化しているだろう、もう一騎のサーヴァント。彼らを取り巻く学校の管理職と担任教諭。
(0)
(0) 一方、姿を見せている遠坂凛と黒髪のサーヴァント。停戦の中核となっているが、サーヴァントの能力は軒並み低い。さて、どちらを狙う?
(0)
(0) それは当然弱い方だ。ほいほいと襲撃を仕掛けてくるか。これを誘いと看過して、見え透いた手には乗らないか。いや、誘いと知りつつも倒せると踏んで、やはり戦いを選択するか。 言語化したヤンの第一希望は、もっとも可能性が低いと思うのだ。
(0)
(0) 教室内の呪刻を処置し、警戒しながら廊下の出入口の戸を開いたヤンは口の中で呟いた。
(0)
(0)「ほうら、おいでなすった」
(0)
(1) 凛に室内にいるように心話を送り、彼は扉から半歩だけ体を出した。廊下の端に、長い髪の女性が佇んでいる。そこが、凛が仕掛けた霊体化防止結界のボーダーライン。
(0)
(0)「何のご用かな、ライダーのサーヴァント。
(0) ひょっとして停戦の申し出かい? あるいは、この結界の除去の協力かな?」
(0)
(0) 返答は、両手に現れた長い釘のような、鎖のついた短剣。
(0)アーチャーもポケットに手を入れた。
(0)
(0)「残念だ。どちらでもない、ということか」
(0)
(0) ポケットから抜き出した手には、黒光りする銃。安全装置を解除して、立射姿勢をとる。
(0)
(1)「では、これが最後の警告だ。投降せよ、しからざれば発砲する」