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履歴はこちら。
(0)「例えば、自分の国が滅びませんようにとか……」
(0)
(0)「千六百年後のことを今願っても仕方がない。
(0) 先祖さえ生まれていない子どもの葬式を、キャンセルなんて出来やしないさ。
(0) 君こそ、この平和が永遠に続きますようにと願わなくていいのかい?」
(0)
(0) 凛は唾を呑み込んだ。夢で見た、星をも飲み込む宇宙の闇。それがじっと見つめている。
(0)
(0)「……願わないわ。
(0) 永遠の平和って、対立もないけど、競争も生まれないということでしょう。
(0) あなたが、魔術の衰退を指摘したのと同じことよね。それは停滞よ。
(0) そうなったら、人間は腐って滅びると思うの」
(0)
(0) アーチャーはゆっくりと瞬きをした。その色は、茫洋としたいつもの彼の目だった。
(0)
(0)「たしかに君は賢者だ。
(1) それ以前に、この願いのスピードはどのくらいなんだろう」
(0)
(0)「は?」
(0)
(0)「宇宙で最速なのは、現在のところ光だが、
(0) それで進んだとしても私の国まで届かないよ」
(0)
(1) 凛はぽかんと口を開けた。そういえば、そんなことを言っていたっけ。奴隷だった先祖が、五十年をかけて、一万光年の逃亡の果てに新たな惑星を見つけたとか何とか。彼の先祖は、光の二百倍の速さで宇宙を航行していたのだ。
(0)
(0)「え、ちょっと待って。あんたの国は、地球から……」
(0)
(0)「ざっと一万一千光年ぐらい離れてる。
(0) 首都のある恒星バーラトは平凡な星だから、
(0) 地球最大級の望遠鏡でも見えるかどうか。
(0) 千六百年じゃ、十分の一を超えたぐらいの距離しか到達しないなあ」
(0)
(0)「いちまん、いっせん、こうねんって……ええ!?」
(0)
(0) たどたどしい鸚鵡返しをした凛に、更なる事実が突きつけられた。
(0)
(0)「私の時代なら、亜空間跳躍航法で二か月ぐらいで行けるけどね。
(0) 一日百五十光年ぐらいは進む。航路図があるおかげだ。
(0) そいつがない、未踏の領域を航行したから五十年もかかったのさ。
(0) 自由惑星同盟は、地球のあるオリオン腕じゃなくて、サジタリウス腕にあるんだ」
(0)
(0)「その、オリオン腕とかなんとかって、何なのよ!?」
(0)
(0)「銀河の渦の名前だよ。サジタリウス腕はここの一本隣だ。
(0) 銀河系中心に近い方になる」
(0)
(1) 凛の思考が固まった。改めて聞かされると本当にとんでもない。アーチャーは、先人の苦労をしみじみと語った。
(0)
(1)「渦の間にある、航行不能宙域を乗り越えるのが大変だったんだよ。
(0) 千六百年後でも、二か所の回廊宙域しか見つかってないんだ」
(0)
(0) 彼の時代になると、一日に光の何万倍もの距離を飛ぶというわけだ。それでも宇宙は広大で、謎と危険に満ちている。
(0)
(0)「うそぉ……亜空間跳躍って、それ」
(0)
(1)「君の言う、平行世界の運用の一歩手前じゃないかな。
(1) ほぼ時差なく一万光年に届く、超光速通信波なんてのもあるが」
(0)
(0) 凛は頭を抱え込んだ。聞くんじゃなかった。
(0)
(0)「ま、世界の内側ってのが地球を指すなら、どのみち範囲外。
(0) 人間のいる領域だとしても、願いが光速なら時間が足りないってわけさ。
(0) 逆に一瞬で届いたら、千六百年後までエネルギーが残るとは思えない。
(0) エネルギーの恒久的な保存なんて、それこそ第三魔法と同じだ。
(0) そいつができるなら、聖杯戦争なんて必要ないじゃないか」
(0)
(1) 道理で、アーチャーが聖杯に願いを抱かないはずだ。ヤン・ウェンリーは千六百年先の未来、一万一千光年離れた星の住人。彼の時代では、その距離も二か月で飛べる。科学が魔法の領域にまで迫っている。だからこそ、限界が見えるのだろう。
(0)
(0)「ん、待てよ、銀河帝国の首都星になら届く、かなあ?
(0) 彼のお姉さんが、皇帝の寵姫になりませんようにと願うか……」
(0)
(0) ヤンは髪をかき回しながら、脳裏で距離を計算した。ヴァルハラ星系オーディーンなら、地球から八百光年ぐらいだ。しかしすぐに首を振る。
(0)
(0)「うーん、どう考えても、そこまで彼に塩を送る義理もないよな。
(0) というか、むしろ塩を撒いて追っ払いたかったし。
(0) 世界の外側の座にいる英霊が不変なら、意味ないだろうからなあ。
(1) 私なんかが英霊になれるんなら、彼は確実になってるはずだ」
(0)
(0) 凛のサーヴァントは、聞き捨てならない言葉を続けざまに放った。
(0)
(0)「あ、あなた……何を言ってるの?」
(0)
(0)「言峰神父が言ってただろう。世界の内側の願いなら、おおよそ叶うって。
(0) 『内側』に降り立ったサーヴァントの願いは叶う。
(0) だが、『外側』の座にいる本体に影響を及ぼすものではない。
(0) そういうことじゃないだろうか。確証も何もない、私の憶測だけど」
(0)
(0) 暖房の効いている部屋なのに、背筋に霜が下りていく。
(0)
(0)「君の研究テーマの平行世界とは、
(0) 歴史年表が何冊も隣り合わせに並んでいるような感じなのかねえ?
(0) 本ごとに、ページの記述は微妙に異なっている。
(0) 英霊は本棚の前の閲覧者だけど、サーヴァントは本に突っ込まれたしおり。
(0) この本の中なら、しおりとして干渉できるけど、よその本には関係ないし、
(0) 本の中に戻れない本体にとって、大した意味はない。
(0) そう推測しているんだが、どうなんだろう?」
(0)
(2) 凛の前にいるのは、知恵と戦の女神の使いだった。黄昏に飛び立ち、海鷲の群れを蹴散らし、黄金の有翼獅子をも爪に捕らえる梟。昼の微睡みから目覚めれば、微かな光で彼方を見つめ、わずかな音も聞き漏らさない。
(0)
(0)「わからないわよ!」
(0)
(0)「そりゃそうか。一回も成功していないものなあ」
(0)
(0)「うっ……」
(0)
(0) 痛いところをずばりと衝かれ、呻き声しか出てこない。ヤンは肩をすくめてみせると、右手の指を立てて、判明しているサーヴァントを挙げていく。
(0)
(0)「その辺を割り切ったサーヴァントならいいんだがね。
(0) クー・フーリンは確実にそうだから、敵にはしたくないんだよ。
(0) ヘラクレスは、イリヤ君の意志に従うだろうから、
(0) 彼女と背後の面々を味方にできるかが鍵だね」
(0)
(0)「ランサーはわからないけど、イリヤはアーチャーに懐いているものね。
(0) あのバーサーカーなら、クー・フーリンには有利よ。
(0) マスター殺しに出られたらまずいけど」
(0)
(0)「そいつはランサーの望むところじゃないだろうが、
(0) 令呪に逆らえないのがサーヴァントの悲しさだからなあ。
(0) 早いところ、彼のマスターを割り出しておきたいんだがね」
(0)
(0) それも会食の目的の一つだ。キャスターとの会合を乗り切らなくてはいけないが。
(0)
(0)「これほど魔術に詳しいキャスターなら、このカラクリも承知のうえだろう。
(0) それで召喚に応じたのならば、望みによっては折り合える。
(0) 彼女はアサシンの動向を知っているから、同盟なり利害調整をしておきたい」
(0)
(0) ヤンは説明を続け、薬指と小指も立てる。生前はほとんどできなかった、戦略家としての本領発揮だった。ここまでで立てられた指は四本。アーチャーを除くと残り二騎になる。
(0)
(0)「セイバーはどうするの?」
(0)
(0) 親指が立てられ、次に左手の人差し指も立つ。
(0)
(0)「一番切実に聖杯を求め、一回失敗しているセイバーがもっとも危なっかしい。
(0) 士郎君に慎二君の対応をしてもらい、彼女にはライダーに目を向けてもらう。
(0) 桜君に対する為にも、士郎君と藤村先生の協力が欲しい。
(0) 彼は君の弟子で桜君の兄貴分、彼女は二人の姉貴分で、最近身近に接しているしね」
(0)
(0)「そんなことで、大丈夫かしら……」
(0)
(0)「それが管理者 遠坂凛の腕の見せどころさ。
(0) お墓参りをしたり、切嗣氏の遺品整理をするのは
(0) 士郎君やイリヤ君にとっていいことだと思うんだ。セイバーにとってもだよ」
(0)
(0)「セイバーにとっても?」
(0)
(0) 首を傾げる凛に、ヤンは頷いてみせた。
(0)
(0)「前回の失敗の遺恨はあるだろう。
(0) 聞いた限りじゃ、円満な主従とは言い難そうだしね。
(0) 余計にむきになるってことはあると思うんだよ。
(0) その養子と向き合うことで、彼女には見えなかった衛宮切嗣が見えてくるだろう。
(0) 冷静になってから、聖杯の取得をよく考えてほしいんだ」
(0)
(0) まどろっこしいと思っていたアーチャーの牛歩戦術だが、二重三重に意味があったのだ。
(0)
(0)「セイバーを止めてたのはそのせいだったのね」
(0)
(0)「あとは魔力の補給だね。戦いで一番重要なのは食料と機動力なんだ。
(0) 武器がなくても、そいつがあれば逃げられるからね。士郎君の調子はどうだい?」
(0)
(0) 波打つ黒髪を飾るリボンが、力なく右往左往する。
(0)
(0)「スイッチは出来たけど、肝心の魔術回路の稼働はまだまだよ。
(0) なにせ、二十六本分も認識が出来てなかったぐらいだもの。
(0) あいつのは、ちょっと普通じゃなくって、神経と一体化してる。
(0) わたしが魔力をほとんど感じなかったのは、そのせいもあると思うわ。
(0) 一応、ラインはつながったようだけど、糸みたいなものよ」
(0)
(0)「満タンまで時間がかかりそうってことかな?」
(0)
(0) リボンの蝶が上下に動いた。ガソリン用のノズルではなく、実験用スポイトで給油しているようなものだ。せめて、手動式の灯油ポンプぐらいには動いてくれないと困るのに。
(0)
(0) おまけにセイバーのスキルの一つも問題であった。
(0)
(0)「あんたが止めたのは正しかったと思うの。
(0) ランサーと戦ったときに、セイバーのスキルが見て取れたけど、
(0) 魔力放出で腕力なんかをブーストしているのよ。その分魔力を食ってるはず。
(0) 今の状態で連戦して、宝具なんか使ったら、彼女は消滅しちゃうわ。
(0) アーチャーもあんまり連戦しないでちょうだい。
(0) で、多少は魔力を補うためにも、あんたも食事しなさい」
(0)
(0) アーチャーは決まり悪げに黒髪をかき回した。
(0)
(0)「私まで、君んちのエンゲル係数を悪化させる存在になろうとはね……。
(0) それにしても、君が料理するなんて意外だなあ」
(0)
(0) 形のよい眉が、ぴくりと動いた。
(0)
(0)「見くびらないでよ。ルゥを使っているカレーより、私の方が上よ。
(0) あんた、中国がルーツって言ってたけど、中華料理って平気?」
(0)
(0)「うん、コーヒー以外に嫌いなものはないよ。ありがとう、マスター」
(0)
(0)「じゃあ、客用寝室の掃除でもしてて」
(0)
(0) 凛は台所へ、アーチャーは寝室へと身を翻したその時、遠坂邸の電話が鳴り響いた。凛は受話器に手を伸ばし、応対する。流れてきたのは英語だった。時計塔からの電話だ。やりとりをするうちに、凛の額に皺が刻まれた。次に白い氷にひびがはいって、蒼い水流が現れる。最後に浮かんだのは、美しき微笑だった。
(0)
(0)「くわばら、くわばら」
(0)
(1) ヤンは呟いた。仰せのとおりに掃除して、落雷を避けよう。そう思ってドアノブを捻ったがピクリとも動かない。魔女の仕業だ。恐る恐る背後を振り向くと、完璧な笑みを浮かべたあかいあくまが手招きをしていた。
(0)
(0)『あんたが電話に出なさい。嫌味の限りを言ってやって。
(0) 連絡つかないんですって。今回の参加者と前回の参加者、両方がね!』
(0)
(0) 心話で命じられて、しおしおと電話を替わったアーチャーの眉がはね上がり、マスターのオーダーに応えたのは、それから三十秒と経たない後のことであった。
(0)
(0)***
(0)
(0) 凶報二つに、もう一つも吉報とは言えなかった。ロンドンの時計塔からの返事は、時計塔から公式に聖杯戦争に参加した魔術師は二人。彼らの双方と連絡が取れないという。
(0)
(0) それに先駆けて、昨晩の内に電話をしたのは、アーチャーことヤン・ウェンリーである。凛の英語力は高いが、聖杯の加護により言語の壁がないアーチャーの方が適任だ。なにより、交渉や尋問の能力は従者が主人に遥かに勝る。
(0)
(0) ――始まりの御三家、聖杯の担い手アインツベルンと、冬木の管理者遠坂が望んでいるのは、聖杯戦争を一時停止し、不具合発生の疑いが濃厚な、聖杯のシステムを解析することだ。
(0)
(0) この状況下での交戦は、我々ともう一組の主従の望むところではない。しかし、主催者の言葉を信じるのも難しいだろうから、教会からも停戦の呼びかけを行うように依頼した。だが、潜伏行動中のマスターへ伝達できるか定かではない。ゆえに、時計塔からも連絡をお願いしたい。
(0)
(0) ヤンの依頼に対し、相手の対応は煮え切らないものだった。さすがにカチンときたヤンは、勤め人ならではの啖呵を切った。
(0)
(0)「そちらの所属の魔術師にとって、時計塔は生命線でしょう。
(0) なんらかの連絡方法はお持ちのはずだ。給与口座とか、雇用保険とかね。
(0) そして、第四次聖杯戦争に、時計塔から参加した魔術師がいるならば、
(0) 是非教えていただきたいことがあります。ご連絡をお願いします。
(1) は、私ですか? 遠坂のサーヴァントである、アーチャーと申します。
(0) じゃ、よろしく」
(0)
(1) これが、一昨日の深夜に掛けた電話の内容である。ロンドンはちょうど午後のティータイムの頃だった。神秘中の神秘、人から昇華した英霊の一欠片であるサーヴァントが、まさか、こんなに俗っぽい事務連絡を電話でやろうとは。従者にやらせたのは凛だが、電話を受けた時計塔が気の毒になってしまったものだ。
(0)
(0) だが、今にして思えば、もっとガツンと言わせてやればよかった。
(0)
(1) 職員も引っくりかえりそうになったろうが、学び舎も上へ下への大騒ぎになったのは想像に難くない。万事、秘密主義に権威主義、しごく腰の重い時計塔が、翌日に連絡をくれるなど、開設以来の快挙に違いあるまい。
(0)
(0)「はあ、二人とも連絡がつかないと……。
(0) お宅の安全対策はどうなっているんですか。
(0) 魔術は死を許容する? 聖杯戦争は魔術師としての栄誉?
(2) へえ、随分なたわ言をおっしゃるものだ。
(0) そちらから参加した魔術師も、一家の当主や次期当主になるのでしょう。
(0) そこからそっぽを向かれて、お宅の今後の経営が心配ですよ。
(1) 私のマスターが入学し、卒業するまで存続するんですかねぇ?」
(0)
(0) 電話の向こうの人間は押し黙ったらしい。アーチャーの舌が切れ目なく火を噴いたからだ。
(0)
(0)「前回の正規の参加者は、そちらの講師だったロード・エルメロイ氏。
(0) こちらは死去なさっていると先日うかがいましたがね。
(0) 前回といい、今回といい、そんな調子だとますます心許ないですね。
(0) いっそ、名物講師だという方を、アインツベルンと遠坂で招聘し、
(0) 家庭教師になっていただいたほうがいいんじゃないのかな、マスター」
(0)
(0) 送話口を押さえもせずに、アーチャーは凛に質問した。
(0)
(0)「後で考えるから、続けなさいアーチャー」
(0)
(0) 彼の質問に、日本語で答える凛だ。マスターが来年入学しようとしている学校に、サーヴァントが喧嘩を売るなんて……。
(0)
(0) しかし、アーチャーの非難にも大いに頷ける。大学に進学したかった人間だけに、時計塔の体制がいたく不満らしく、正論でくるんだ毒舌を叩きつけている。
(0)
(0) 前回の参加者については、昨日連絡した時に教えてもらうことができた。故人であるロード・エルメロイこと、ケイネス・アーチボルト・エルメロイは、降霊科の神童とまで呼ばれていたらしい。そして、風と水の二重属性を持ち、礼装は水銀。
(0)
(0) アーチャーが言うには、アインツベルンはケイネスに協力して貰うべきだったそうだ。敵として排除するより、戦争に敗れることも考慮して、六十年後の布石を打ったほうがいい。略歴を聞くに、たしかに聖杯を研究する適性が高そうだ。
(0)
(0)『いや、切嗣氏よりも婿入りさせるべきじゃないか。
(0) アインツベルンの願いは、第三魔法の復活のはずだ。
(0) 切嗣氏の魔術がどんなものかは知らないが、十代で神童と呼ばれた人と、
(0) 魔術師殺しと呼ばれた人では、学者としてどちらが適しているだろうか。
(0) 降霊の専門家ならば、魂の物質化にも大いなる栄光を感じてくれるだろうに』
(0)
(0) 衛宮切嗣が聖杯にかけた願いを、はっきりと知る者はいない。
(0)
(0)『士郎君への遺言からすると、正義と平和、救済というのが彼の願いのように思える。
(0) 戦いに勝ったとして、第三魔法を復活させてくれるだろうか。
(0) あるいは魔法を復活させて、魔法使いになるのが余所者でいいのかい?
(0) それとも、マダム・アイリスフィールが魔法使いになるならば、
(0) 誰を不老不死にするのか』
(1)
(0) 今日の授業中、凛に心話で明かされた考察だが、改めて考えると眉間に縦皺が寄ってしまう。こうやって整理されてみると、戦闘力にのみ秀でた傭兵の婿入りには無理がある。衛宮切嗣には、彼なりの願いがあったのではないか。それが舅と一致しているとは限るまい。
(0)
(0)『魂の物質化を、自分にかけられるならばいいが、無理ならどうする。
(0) よそ者の夫、魔術師殺しを不老不死にしていいものかな?
(0) 冬木の聖杯の力を、ドイツのアインツベルンまで持ち帰れるのか。
(0) 今まで成功していない儀式なんだから、誰にもわからないんだ。
(0) その場で願いを叶えるほうが、素人には確実だと思えるんだがね。
(0) 凛は宝石に魔力を貯めておくことができるが、魔術師がみんなできるのかい?』
(0)
(0)『宝石魔術は、流動と変換の特性を持っていないと難しいけど、
(0) アインツベルンの魔術は錬金術だったわね。
(0) 聖杯の器にそういう仕掛けをしておけば可能かもしれない。
(0) でも、魔術基盤の冬木から離れて、平気かはわからないわ』
(0)
(0) アーチャーの言葉に首を捻りつつ、凛は自分の迂闊さに理科の教科書の裏で歯噛みした。優勝したら魔力をとっておくことを考えていたが、最上質の媒体が大量に必要だ。
(0)金庫ではなくて、遠坂家の地下室から屋根裏まで満杯になるぐらいの宝石が。当然そんなものはない。そこで大量の宝石を願ったら、溜める魔力は残らない。
(0)
(0)『ああもう、十年での再開なんてイレギュラー、不利ばっかりじゃないの!』
(0)
(0)『……あのねえ、六十年周期で巡ってくる彗星が、十年で訪れたら凶兆じゃないか。
(0) 正常な軌道を外れてるってことだ。
(0) 衝突するんじゃないかと心配するのが当然で、
(1) チャンスと思って飛びつく、君たち魔術師がどうにかしてるよ』
(0)
(0) ちょうど授業でやっていた地学の内容で皮肉るなんて、何て憎たらしいサーヴァントだろう。とっても悔しいが、口に出して反論できなかった。……授業中だったから。
(0)
(0) おのれ、知能犯の確信犯め。思い出しても腹が立つ。凛は、罪もない白菜を一刀両断にして憂さを晴らした。
(0)
(0)『そんな不測の事態だって、いくらでも起こりうるんだよ。
(0) 外部に助力を頼むなら、価値観を共有できそうな人の方がいい。
(0) 九代も続く魔術の名家ならば、うってつけだろうに』
(0)
(0) 彼の死去に伴い、教え子がエルメロイの名を継いだ。彼は優れた教師だが、術者としては二流半。エルメロイ家の魔術刻印も失われ、家門の伝統や栄誉も地に墜ちたそうである。
(0)
(0) それは、遠坂家が追うことになるかもしれない道だった。父の死に際しては、魔術刻印の保全が間に合った。魔術の知識は伝達もなされた。遠坂時臣が万全の手はずを整えていたからではあるが、後見人言峰綺礼の力も大きい。
(0)
(0) さもなくば、アーチャーの嫌味は遠坂家にも浴びせられたのであろう。
(0)
(0)「へえ、辞められたらお困りになるのに、
(0) 先代のエルメロイ氏の戦争参加は止めなかったんですか。
(0) その二代目ロード・エルメロイ氏が、前回のイレギュラーのマスターですか。
(0) で、あなたが名乗られたのは、エルメロイでもベルベットでもなかったですが、
(0) ご本人はどうしていらっしゃるんですか」
(0)
(1) 生前は凄腕の事務の達人がいたので、この手の要求はやらずに済んだ。経験がないため、先日に引き続き、ヤンは先輩のやり口を真似てみた。効果は絶大だった。顔の見えない電話ならではのプレッシャーもあったろう。サーヴァントの詰問に、相手はたまらず口を割ってしまった。
(0)
(0)「は、エジプトへ出張中? ……いいなあ……。実に羨ましい。
(0) 連絡がつかないんですか? ライバルの本拠地だから難しい?
(0) いや、学問の府なら競い合い、協力してなんぼでしょう。
(0) 早急に連絡してください。
(0) ロード・エルメロイ二世と、冬木入りしているはずのマスター二名にです。
(0) 遠坂まで連絡が欲しいと。できれば明日中、不可能ならば明後日までに。
(0) 連絡が来るまで、こちらから時計塔に連絡を続けますからそのおつもりで」
(0)
(0) 言うだけいって、アーチャーはかなり乱暴に受話器を置いた。
(0)
(0)「まったく、どうなっているんだ。危機管理がザルどころか枠じゃないか!」
(0)
(0) ぶつくさ言いながら、隣のキッチンに入り、椅子にどかりと座り込む。護衛嫌いで、要塞防御指揮官にお小言を食らったのを、遠くの棚に投げ上げた発言だった。だが、それを告げ口をする者はいないのだから構やしない。
(0)
(0) イリヤが評するように、アーチャーの声はとおりがよく、食事の準備中の凛にも明瞭に届いていた。
(0)
(0)「やっぱり、あんたの言ったことが正しかったような気がするわ。
(0) これは魔術の勝負、マスターには殺すまでの危害を与えないって、
(0) そういうことを時計塔に言ってたのかもしれない。
(0) そして、十年前の冬木の災害と、聖杯戦争との関連があると思っていないんだわ。
(0) 参加者との連絡もままならないなんて!」
(0)
(0) ぼさぼさになった髪を更にかき混ぜて、アーチャーは渋面を作った。
(0)
(0)「そのとおり。脱落したサーヴァントはいないが、
(0) マスターはその限りじゃないのかもしれないなあ」
(0)
(0) 凛は、海老の殻を剥く手を止めた。
(0)
(0)「うう、じゃあ、こういうことよね。
(0) 所在とマスターがはっきりしない、ランサー、キャスター、アサシンの、
(0) 三分の二が時計塔の魔術師のサーヴァントだって。
(0) で、二人とも連絡が取れない。脱落してるのかもしれないって!」
(0)
(0) 悲観的だが、蓋然性の高い推論である。アーチャーは楽観論を捻り出してみた。
(0)
(0)「キャスターはアサシンの動向を知っている。
(1) この二者のマスターが、連携して篭城しているのならいいんだが」
(0)
(0) これは即座に駄目だしを食らった。
(0)
(0)「よくないでしょう、よけいに危険よ!
(0) 私と士郎とイリヤにアーチャーじゃ、死にに行くようなものじゃない」
(0)
(0) 事象を分析すれば当然だが、この子は賢いとヤンが感心するゆえんだ。素質の差はあれど、ほぼ独学なのは凛も士郎も一緒だろう。学び、考え、改善することの適性が、魔術師としての二人の格差につながっている。良い悪いではなく、向き不向きということだが、双方の交流は互いに実りをもたらすだろう。
(0)
(0) そんな前途有為な少年少女を、若死にさせるなんてとんでもない。
(0)
(0)「だからこそ、夜じゃなくて昼間に行動するんだよ。
(0) おおっぴらに集団行動する人間が、いきなり失踪したら不審に思われる。
(0) あのキャスターならば、そんな下手を打たない」
(0)
(0) たしかに一理ある。
(0)
(0)「だといいんだけど……。
(0) まあ、柳洞くんも普通に学校に来てるし、
(0) お寺の参拝者が帰ってこないなんて騒ぎも聞かないし、
(0) なんとかなるかしら?」
(0)
(0)「士郎君に、藤村先生にも同行していただくように頼んでもらおう。
(0) 日程的にきっとそうなるだろうけど、念を入れてね」
(0)
(0)「わかったわ、士郎に電話しとく。
(0) イリヤと一緒に、藤村の親分さんに話を聞くんだから、
(0) 藤村先生も同席するでしょうしね。弓道部は午後からだし」
(0)
(0)「ただ問題は、私が長時間実体化する必要がある。大丈夫かい?」
(0)
(0) 凛は海老の殻剥きを再開しながら、昂然と宣言した。
(0)
(0)「やってやろうじゃないの! そうと決まれば食事よ。あんたは掃除!」
(0)
(0) アーチャーは首を竦めた。
(0)
(0)「ま、魔力節約のために霊体化しようかなーと……」
(0)
(0)「霊体化は節約にはなるけど、魔力の取り込みには効率が悪いのよ。
(0) あんたも寝てるうちに実体化してるでしょ。だから、サボらないでやりなさい」
(0)
(0)「はいはい……」
(0)
(0) 遠坂家の家具は、どれもこれも由緒あるアンティークだ。掃除が下手ということを差し引いても、ヤンは十倍になった腕力で扱いたくない。彼の世界の地球では、全面核戦争によって、地上の多くが灰燼と化した。地下金庫などに保管されていた美術品と異なり、木製家具は日用品だ。ゆえにほぼ全てが焼失した。たとえ難を逃れていたとしても、ヤンの時代まで千六百年もの時が流れている。
(0)
(0) もしも、どこかからこの家具で発見されたら、とてつもない金額になるはずだった。宇宙暦八百年にあるとするならば、ゴールデンバウム王朝の皇宮『新無憂宮 』ぐらいだろう。
(0)銀河帝国の皇帝でも、入手できるかわからない貴重品なのだ。
(0)
(0) 根っから小市民のヤンは、へっぴり腰で、そろりそろりと不器用にはたきを動かした。それでも、階下から食事の支度を告げる声が聞こえる頃には、ひととおりの埃をはたき、箒で集めてゴミ箱に。カーテンをしたまま、細く窓を開けて、空気を入れ替える。
(0)
(0)「それにしても、どうしたものかね……。わかった、今行くよ」
(0)
(0) 明日のランサーとの食事をどう乗り切ったものか。マスターらやセイバーが思うほど、ヤンも能天気に楽しみにしているわけではない。凛が作ってくれたのが、最後の晩餐となるのかもしれなかった。