ゴールデンカイトウィッチーズ (帝都造営)
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第一章
第一話 「クリアランス~みちしるべ~」前編


 初めて「そらがきれい」だと思ったのは、いつだっただろう。

 そのそらを飛べたらいいなと思ったのはいつからだっただろう。

 

 

 ――――それができると知ったのは、いつだっただろう。

 

 

 

 

 

 何歳の頃だっただろうか。私は初めて空に憧れた。

 

 

 空が()()()

 普段は静かで、あんなにおっとりしている空が、そんな音を立てたなんて信じられなかった。それはわたしの鼓膜に、肌に、眼に突き刺さって、一気に背骨を震わせた。そして地面を通じてわたしからすぐに出て行ってしまった。出て行ったはずなのに、震えが止まらなかった。

 

 わたしはお父さんに聞いた。アレは何なのか、と。

 

 お父さんはいつも通りに微笑みながら答えてくれた。

 

 

 

 わたしは飛行場の近くに住んでいた。別にテレビに映るような大きな飛行場じゃなくて、二三人しか乗れない小さな飛行機の飛行場。『こうくうまにあ』を仕事(仕事ではなく趣味だったのだけれど)にしているお父さんは、よくわたしを飛行場に連れて行ってくれた。

 飛行場はいつも閑散としていた。わたしが寂しいねと言うと、お父さんは「そういうもんさ」と笑った。

 

 でも、あの時は違った。

 

 

 

 わたしはあの震えをもう一度感じたくて、必死で空を見上げる。普段からは考えられないぐらいの人で埋め尽くされた飛行場。周りからの歓声がうるさいとすら思った。今の音をもう一度聞きたい、その瞬間はそれだけを望んだ。

 わたしの願いが届いたのだろうか、もう一度()が戻ってきた。わたしは息を大きく吸い込んで、身体中の穴からその()を吸収する構えを取った。

 

 

 

 わたしは、そらがだいすきになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、米川さん……ねえ、ねえってば!」

 

 米川(よねかわ)と呼ばれた少女は、身体を揺すられてようやく目を開き、それからバネじかけのように飛び上がった。

 

「……しまった!」

 

 彼女……米川ひとみは慌てた様子であたりを見回す。閑散とした教室。黒板には『五時限目は第三格納庫に集合!』とデカデカと書かれていて、次の授業が機体整備の実習であることを示していた。

 

「ち、遅刻だぁぁぁぁぁああああ……!」

 

 実習、それはひとみがこの学校に入った理由である。小学校を卒業したばかりのひとみは、世間一般で言うなら中学一年生。でもここ『扶桑皇国航空幼年学校』の飛行士養成課程においては航空学生と呼ばれている。

 実習。それは普通科中学校ではなかなかない教科。そしてこういう学校においては、それが出来なければ卒業は出来ない。

 

 

 それに遅刻……しかも「昼休みの寝坊で遅刻」となれば、それは大変なことだ。

 

 だからひとみは大急ぎで荷物をまとめる。教科書は確か『噴進式航空脚のいろは』と『航空脚整備基礎Ⅰ』、それと作業服着用で……

 

「ストップストップ! 米川さん、まだ授業じゃないって!」

 

「ふえ?」

 

 時計を見る。

 

 ……まだまだお昼休みであった。窓の外を見れば校庭でドッジボールに興ずる同級生たち。

 

「なんだぁ……びっくりさせないでよ」

 

「勝手に遅刻と勘違いしたのはそっちでしょ……」

 

 確かにそうだ。確かに彼女は「ねえ」と言った、でも遅刻だとは言っていない。

 なら、何の話なのだろう? ひとみが首を傾げると、同級生は教室の出口を向きながら言った。

 

「教官が米川さんを呼んできてくれって……なにかあったの?」

 

「え……私、なにか失敗しちゃったかな……?」

 

 そういえば昨日の授業でスパナを落としたっけ、その前は航空用語基礎の授業でブリタニア語の発音がおかしいって言われたし……考えれば考えるほどこれまでに失敗したことが出てきて、ひとみの頭の中をぐるぐるまわる。もちろん失敗してこその航空学生なのだが、やはり失敗して気持ちがいいものではない。

 

「もう、考えてないでとにかく行ってきなさいよ」

 

「うん……そうだよね……」

 

 ひとみは机に広がった雑誌を仕舞おうとする。と、同級生はもう一言。

 

「ところで米川さん、それって……『飛行ファン』?」

 

 指差されたのは丁度ひとみが仕舞おうとしたその雑誌。見開き1ページを使ってデカデカと写真が載っている。

 

「そう! 今月の『飛行ファン』は501統合戦闘航空団の特集だったんだよ!」

 

 思わず買っちゃったんだ~、と雑誌の表紙を掲げるひとみ。相手はその501という単語を思い出すように頭に手を当てる。

 

「501航空団……えーっと、あのヨーロッパで活躍した……」

 

「違うよ! 確かに初めて編成されたのはブリタニアで、大戦期は主に欧州で活躍していたけれど……その後の活躍の場は欧州に留まらないんだよ!? 確かに何度も解散するけど、必要になった時は人類連合でいっちばん強いウィッチが集まって戦う文字通りのエース部隊! 60年のトンキン湾や90年代のフォークランドでも大活躍! 何世代にも渡って伝説であり続ける、私たち航空ウィッチの目指すべき頂点!!」

 

「……えーと、詳しいんだね……」

 

 当たり前だ。

 ひとみにとっての501空は憧れなのである。あの日、家の近くの飛行場で空を翔ける彼女たちを見て以来の憧れなのだ。世代交代を重ね続けた501空、その部隊章が忘れられないのだ。あの()を奏でる資格が自分にもあると知った時の驚きと嬉しさと言ったら!

 

「そっか、じゃあ私用事があるから先に行くね? また授業でねー」

 

 ひとみは眼をキラキラさせていたが、どうも同級生はあんまり同調してくれなかったようだ。そそくさと教室を出て行ってしまう。

 

 

「え、あぁ……うん、じゃあねー……」

 

 どうして皆は501空のことを知らないんだろう。それはひとみの素朴な疑問だった。あんなにすごいウィッチたちが名を連ねた精鋭中の精鋭。それが501空なのに……。

 

 でもその前に、教官のところに行く。それがひとまずひとみに課せられた仕事だった。

 

 

 

 

 

「し、失礼します……」

 

「おう、きたか」

 

 教官室――――有り体に言えば職員室――――に入ると、そこにはひとみの担任ではなく、なんと学年主任が待っていた。学年主任、まさかとは思うが三者面談とかそういう類ではないだろうか、いやそうに違いない。ひとみは僅かに扉を閉めかけ、そしてギリギリで踏みとどまる。

 

「あの……」

 

 なにに関するおしかりでしょうか、とひとみが言おうとした時、主任が椅子から立ち上がった。

 

「よし、いくぞ」

 

「え?」

 

 ぽかんとするひとみ。いったいどこへ向かうというのだろう。呼び出しと言えばおしかりだろう。なにをやらかしたのかは分からないけれど、でも怒られるのだろう。ところが主任は机から立ち上がると、なんと第一種常用軍装に袖を通し……ひとみの横を通り過ぎた。

 

「え?」

 

「何してるんだ、さっさとついてこい」

 

「え? え?」

 

 そもそも教官は教え子を叱るために第一種などを着込むものだろうか。そしてわざわざ廊下に出ていくものだろうか。

 しかしひとみの疑問に答えてくれる主任は、既に廊下の向こうへと消えかけているのだ。

 

「ま、待ってくださいよぉ!」

 

 慌てて追いかけるひとみ。もちろんすぐに追い付いたのだが、主任は小さくため息をつくだけ。

 

「あ、あの……」

 

 どこに向かうのでしょうか、そんな質問はしない。既に入学してから四週間とちょっと、もう学校の間取りくらいは把握している。主任と一緒に渡り廊下を通り過ぎれば……そこには厨房や倉庫、そして校長室。まさか厨房に用はないだろう、お昼ご飯はさっき食べたわけだし。

 

 

「失礼の無いようにな」

 

「……」

 

 そして予想は見事的中。目の前に佇む重厚な木製扉、もちろん『校長室』の札がかかっている。

 え、おしかりとかそういうレベルじゃない? 停学? 退学? あんなに勉強して、せっかく幼年学校に入ったのに……。

 

 そんなひとみの様子を察したのだろうか。扉の目の前で固まったひとみに主任は笑ってみせた。

 

「大丈夫、悪い話じゃない……ほら、制服を正して」

 

「はい……」

 

 

 しゅんとしつつも扉に向き合うひとみを確認した主任は直立。ひとみもつられて直立を取る。短い期間だが訓練も受けた。もちろんしっかりとした直立姿勢を取ることができる。その気配を確認した主任は、よく通る声で言った。

 

「秋葉です、連れてまいりました!」

 

 そして扉の奥より返事が聞こえてくる。もちろん入室許可。まだ心の整理が終わっていないひとみは、人生初の校長室突入というビックイベントへのドキドキ、そして主任は悪い話じゃないと言うけど一体どんなことを言われるのやらという不安。そんなこんなが入り乱れていた。

 

 そして、無慈悲に扉は開かれる。

 

 

 一歩踏み出す。右足と右手が同時に出る。慌てて修正を試みる。目の前に校長用の執務机と、窓の脇に飾られた幼年学校旗に扶桑国旗、そして制服で身を固めた校長。かちかちになった左手が左足と連動。修正が間に合わない。

 

「よ、幼年……あいえ、横須賀幼年学校83期。米川ひとみですっ!」

 

 所属を全部名乗ったけど、よく考えたら校長相手に学校名から名乗るのはおかしい。さっそく失敗(やらか)してしまった……と、次の瞬間。ひとみは真横からの視線を感じた。

 

 いや感じるとかそういうレベルじゃない。突き刺すような視線だ。

 

「え……?」

 

 もちろん視線を逸らしちゃいけないのは分かっているのだけれど、しかし反射的に視線をそちらにやってしまい……そして即座に後悔した。

 なんでかって? それは実際に見てみれば分かる。なにせそこ、つまり校長室の壁際には大量の制服や背広姿が並んでいるのである。ウイングバッジを付けた空軍佐官、背広姿の丸眼鏡。そして入学式の時にやたらと短い訓示を披露してくれた大迫(おおさこ)横須賀鎮守府司令までも並んでいる。

 

「米川ひとみ、2004年生まれ。東京府出身……あってるかな?」

 

 そして、執務机に鎮座した校長からの温かい声が聞こえてくる。もちろん答えなければ始まらない。

 しかしひとみの肩は油差しが必要なほどに凝り固まってしまった訳で、彼女の首はガタガタ震えながら校長のほうを向く。もう隣からのプレッシャーが半端ないのだ。

 とはいえ答えないわけにもいかない。ひとみはどうにかして言葉をひねり出す。

 

「……は、はい。間違っていません」

 

 今にも消え入りそうな声だったが、どうにか届いたようだった。

 

「学校には慣れたかな?」

 

「はい……その、一応は」

 

 それを聞いた校長はゆっくりと頷く。

 

「うん、君の幼年学校(うち)への志望動機を読んだよ……欧州に行きたいそうだね」

 

 途端、ひとみの眼は輝いた。全身に力が篭った気すらした。志望動機、それはひとみがここまでやって来た理由であり、それは全ての原動力だった。

 

「はい! 欧州に行って、501統合戦闘航空団に入りたいんです!」

 

「うん、いい顔だ」

 

 校長は微笑んだ。

 

「仮定の話だが……もし君に、ヨーロッパに行くチャンスがあるとしたら、どうする?」

 

「はい! 行きます!」

 

 即答だ。ひとみの父が言っていた。チャンスの神様の後ろは禿げていると。つまりどういうことかというと、チャンスを見つけた次の瞬間には飛びつかなければならないのである。

 

 

 だが。

 

 

「それが、今だとしても?」

 

 それを聞いた瞬間。ひとみは固まった。

 

「え……」

 

 今。それはどういうことだろう。考えてみるが、もちろんなにも思い浮かばない。というよりひとみはただ困惑してしまったのだ。目の前の優しい顔つきをしている校長が、なにを言っているのか全く分からなくなってしまったのだ。

 

 校長が立ち上がった。ゆっくりと近づいて来て、そしてひとみの目の前に立つ。

 

 

 差し出されたのは、一冊の分厚い茶封筒。ひとみの両手に収まらないほど大きな封筒はいつも配布されるようなものと違い紐の留め具まで付いている。いったい何枚の書類が入っているのだろう。重みが全然違った。

 表には一体、何が書いてあるのだろう。いやそもそも、本当にこれは自分宛なのだろうか。

 

「……これって」

 

「君の辞令に()()()()()()()

 

 なりうるもの。その言葉をひとみは頭の中で反芻してみる。でも反芻したところで、全く頭に入ってこない。

 

「見ても……いいですか?」

 

「もちろん」

 

 唾を飲み込んで、一回深呼吸してみる。そこでひとみは、入学試験の時よりもずっと鼓動が早くなっていることに今更気付いた。

 

 裏返す。すぐさま眼に飛び込んできたのは、『扶桑皇国遣欧統合軍 総務部 人事課』の文字。

 

 

 扶桑皇国()()統合軍

 

 

「……な」

 

 声が詰まる。口の中が急に乾いていく。

 

 

「なんで、わたしが……?」

 

 ひとみは別段優秀という訳ではない。別に座学ができるわけでもないし、ガラス職人である父を持ちながらも機械なんてチンプンカンプン、幼年学校に入るまでは銃火器の類など触ったことすらなかった。加えて、ひとみは幼年学校(ここ)に来てからまだ一ヶ月程度。あらゆる知識が不足していたし、模擬戦の経験すらないのである。いやそもそも、ここにはひとみ達一年生の他にも二年生の先輩方がいる。編入の誘いが来るならそちらの方ではないのだろうか。

 

 校長はひとみの質問に答える。平べったい声……もう、優しさの片鱗もなかった。

 

「我が国含め十数カ国で共同開発していたF-35ライトニングⅡ……それの第一陣が納入されたことは、当然君も知っていると思う」

 

 校長は一旦言葉を切った。もうひとみだって、次に彼がなんと言うかぐらい分かっていた。

 

「この前の航空適性検査……あれで、君とF-35の相性が抜群に良かったのだよ。だからこそ、君に白羽の矢が立った」

 

「……」

 

 ひとみはもう一度封筒へと目を落とす。その茶封筒の文字はどんなに睨もうと覆らなくて。

 

「君()()()、出来ない任務だ」

 

 

 分かっている。ひとみだって分かっている。もう小学生じゃ、子供じゃない。お姉さんなのだ。ウィッチとしてこの世界を守れるんだ。

 

「わ、」

 

 

 言わなくちゃ。言わなくちゃいけないのに。喉の奥で声が張り付いて出てきてくれない。

 

「わたしは――――」

 

 今、わたしの夢がかなうかもしれない。万歳をして喜びたいぐらいのことのはずだ。校長からも君にしかできないと言われた。みんなから必要とされている。ウィッチになってみんなを守れる。その夢が今、封筒に入っている。これを受け取ったことを復唱して、敬礼をすればそれでいいはずだ。何を躊躇う必要があるのだろう。怖がる必要がどこにあるのだろう。

 

「よ、米川ひとみ、は、はい、拝命――――」

「――――だが!」

 

 校長はにわかに語気を強め、学校旗と国旗が震えるほど強く言い放った。

 

「私は、君の意思を尊重する。君がもし『行きたくない』と、そう言ったのなら、私は全力をかけてその意思を尊重する。誰がなんと言おうと、例え今上陛下が勅命を出されようとも、私が君を守ろう」

 

 

 一瞬の沈黙。ひとみは呆気にとられる……とまではいかなくても、驚きながら校長を見ていた。

 そこで校長は、ようやく表情を緩める。ぽむ、と頭に柔らかな感触。そういえば、男の人に撫でられるのなんてお父さん以外じゃ初めてだ……ひとみは場違いなことを考えてしまう。

 校長先生が言葉をもう一度紡ぐ、優しい声音が戻ってきていた。

 

「ゆっくり考えなさい……と、言いたいところだが、残念ながら時間もない。一日の外泊を許そう。しっかり考えて、君の本当の意思を伝えに来なさい」

 

 ひとみは校長先生を見上げた。窓から差し込む光、それが校長先生とひとみを優しく包み込む。

 

 

「……はい!」

 

 

 

 と、その時だった。

 

「貴様ァ!!」

 

 部屋を、窓ガラスすら震わせる罵声。声を荒らげたのはさっきの丸眼鏡。

 ひとみが肩を震わせるのと、ひとみを庇うように肩に手が回されたのは、どちらが早かっただろうか。

 

「この国家の! いや人類の存亡がかかっているという状況下で! 一体どうして個人の意思などを尊重するというのか!」

 

 丸眼鏡がこちらに向かってくるのが、校長先生の背中で隠される。脇には主任の先生も入り込んできて、絶対に通さない鉄壁のディフェンスを作る。

 

「お言葉ですが、幼年学校生徒の軍への途中編入に関しては生徒本人の希望がなければなりません。私は至極必要な事務手続きを行っているに過ぎません」

 

 校長先生は落ち着いた声で返す。その声はひとみを支えている彼の腕からしっかりと伝わってきた。

 

「なにを言うか! 遣欧軍への編入はいかなる皇民においてもこれ以上とない名誉であるぞ! これを拒む非国民がどうしてこの場にいようか!」

 

「そうは言われましても、手続きは手続きです。返答の猶予期間に関しても、こちらの内部規則でキチンと定められております」

 

 きっぱりと言い切る校長先生。背中越しに丸眼鏡が肩を落とし、小さく息をつく気配がした。

 

「なるほど……確かにその通りだ。私の批判は見当違いもいいところ。謝罪しよう」

 

 しかし次には「だが」と言葉が紡がれる。

 

「だが、米川くん……これだけはくれぐれも忘れないでくれ給え。君は今『持てる者』なのだ」

 

 持てる者。その言葉が、ひとみにとって重く、響く。だってそれは彼女を認めてくれると同時に、縛る言葉だから。

 

「世界はいま、何時までも終わらぬ危機に直面している。私は何人たりにも「扶桑は国際協調力に欠ける」「扶桑は弱虫だ」などと言われるわけにはいかない」

 

 ひとみは僅かに俯いた。丸眼鏡は続ける。校長先生が間に入っていようと、彼の声だけはよく届く。

 

「世界を見回せば、国家単位で『持てる者』そして『持たざる者』が存在する。航空学生たる君は紛れもなく『持てる者』……」

 

 

 世界では、軍備が足りないが故に蹂躙される国家が、民族がある。ひとみは確かに501空への憧れだけで幼年学校に入ったのかも知れないが、しかしそれを知らないわけがない。もう子供じゃない。

 

 

「私のような『持たざる者』の分まで、君は、いや幼年学校生(きみたち)は、人類の生存闘争を担う権利が、そしてなにより義務がある。それが扶桑皇国に生まれた人間としての……」

 

「――――是非ともご高説の続きを賜りたいものですが」

 

 そこで遮られる丸眼鏡の声。口を開いたのは校長先生だった。

 

「残念ながら次官補。ここは文部省管轄外とはいえ『学校』です。あなたは教員免許をお持ちですか?」

 

「持っている訳無いだろう」

 

 丸眼鏡は鼻を鳴らす。その言葉を聞いた校長先生は、僅かに立ち位置を直した。

 

「なら……()()()()()を受け持つ資格はありますまい?」

 

「なに?」

 

 向こうの調子が変わる。

 

「私は誰でも知っているマトモな話をしていたはずだが……ここでは教員免許がなければ常識を説くことすらできないというのか?」

 

「当然です。私の学校ですから」

 

 即座に返答。部屋の空気がさらに張り詰める。

 

「貴様……私を誰だと思っている」

 

「正義や法律を振りかざしつつ航空幼年学校(ひとのいえ)に土足で入り込み、生徒(ざいさん)を奪ってゆく外交官の鏡……」

 

「何だとォ!? 貴様もう一度言ってみろォ!」

 

 丸眼鏡が一歩前に出る。背中に隠れていたひとみにも丸眼鏡の怒りに歪んだ顔が見え、思わず目をつむって体を強ばらせた……その時。

 

「次官補殿、どうもご気分がすぐれないようですな」

 

 その言葉を境に、急に丸眼鏡の調子が変わった。

 

「大迫くん?! 君は派兵派だろうが!」

 

「そんなことはどうでもいいのです。派兵関連の交渉に関わるあなたが体調を崩されては、海軍(こちら)の計画にも支障が出ます……ささ、こんな()()()()()は置いておいて、とりあえず医務室に向かいましょう。私が案内します」

 

 背中越しでも揉める気配が伝わってくる。どうやら脇に控えていた大迫鎮守府司令が、丸眼鏡を取り押さえているらしかった。

 

「どいつもこいつも、私をなんだと思っている。私は外務省の人間だぞ?! キサマらがこうして軍備を蓄えられるのも、我々が常日頃から国際社会で活躍しているからだ! そんなこt」

 

 

 ドアが閉まる。丸眼鏡の声はまだドア越しに聞こえたが、しかしそれもすぐにフェードアウト……そしてほとんど聞こえなくなったあたりで、残された空軍佐官があからさまにため息をつき、それが静まり返った部屋によく響いた。

 それを合図にするように、校長先生はひとみに向かい合う。目は僅かに伏せられていた。

 

「君には……見せなくてもいいものを見せてしまったね」

 

 何と言ったらいいのだろう。ひとみはこの状況を完璧に把握していたわけではない。それでも、多分言うべき言葉はひとつだろう。

 

「その……ありがとうございました」

 

 ひとみは目の前の校長先生へと小さく頭を下げる。それから校長先生と目を合わせると、もう校長先生は微笑んでいた。

 

「うん、いい眼をしている……君ならきっと、悔い無き決断ができるはずだ。私がどんな決断でも受け止めよう」

 

 

 家へ帰って、ご家族と一緒にしっかり考えなさい。その言葉が、()()の終了を意味していた。

 



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第一話 「クリアランス~みちしるべ~」後編

 ひとみの家は東京の郊外にある。海軍の街である横須賀からは電車でそこそこの時間がかかるものの、どうにか陽が傾く前に帰ることができた。

 ドアを押さえている空気圧が抜ける音がして、目の前にほぼ一ヶ月ぶりとなる故郷のプラットホーム。

 

「帰ってきちゃった……」

 

 夏までは帰れないと思っていただけに、なんとも言えない気分がひとみを包む。ぱらぱらと降りた人の流れに乗るように、ゆるゆると改札へ向かう。ICカードを押し当てると「残額不足」と赤字で表示、改札は大きな音を鳴り響かせて閉まった。

 

 と、そんなひとみを呼ぶ声が。

 

「あっ! ひとみちゃん!」

 

 振り返るとひとみへと手を振る、まだ真新しいセーラーブレザーに身を包んだ人影……彼女の姿を見た瞬間、ひとみの顔も輝いた。

 

「そらちゃん!」

 

 弾かれたように駆け出すひとみに応じるように相手もぱっと駆け出して、すぐに二人はランデヴー。

 

「やっぱりひとみちゃんだぁー! ひさしぶり!」

 

 そうやって目の前で笑う彼女の名前は麦野(むぎの)氷空(そら)。ひとみの幼馴染で、小学校ではいっちばんの親友だった。ひとみが航空幼年学校に進む一方で府内の一流私立女子中へと入学、電車通学をすることになるという話は聞いていたけれど……まさかこんなところで会えるとは。

 

「こんなところで会うなんて、すっごい偶然だね!」

 

「そうだね!」

 

 と、ひとしきりの感動が済めば急に周りが見えてくるものである。周りからジロジロと視線を感じるひとみ。

 そういえば……ここ改札の目の前だったっけ。

 

「えっと……とりあえず退けよっか?」

 

「そ、そうだね」

 

 

 ひとみは精算機へと向かい、そらも続く。そういえばひとみが改札に引っかかったのを彼女は見ていたわけで……そう考えると、なんだか何とも言えない気分である。

 

 精算機にICカードを投入して、表示された不足額にちょっと驚いていると、そらが横から聞いてきた。

 

「そういえばひとみちゃんって、確か夏までは帰ってこないんじゃなかったっけ?」

 

 その通りなのだ。本来ならば。

 

「ま、まぁ……ちょっと、ね」

 

「ふーん……」

 

 ひとみはいそいそと紙幣を投入。微妙に足りないので小銭を探して……小銭なんてほとんど持っていないことに気付いた。致し方なく千円札をもう一枚投入。お釣りとして大量の硬貨が転がり出てくる。

 

「あーあ、チャージにすれば良かったのに」

 

「あぁ、その手があったかぁ……」

 

 全くもって調子が出ない。財布に硬貨を収めつつ、ひとみは小さくため息。このあとに待ち受ける問題も相まって、余計に気分が重くなる。

 

 とりあえず改札を通過。駅前ロータリーへと向かう二人。

 

「そ、そんなに気にすることじゃないって、ひとみちゃん」

 

「う、うん、それはそうなんだけど……」

 

 もう通学にも慣れたのだろう。地元の利用者以外にはあまり優しくない動線配置の駅構内をずんずんそらは進んでいく。ひとみは後ろから追いかける。

 

「それで、いつまでお休みなの? みんなも会いたがってるよ?」

 

 みんな、か……そういえば、毎日とても忙しくて小学校の友達のことなんてすっかり忘れていた。みんな元気にしているのだろうか?

 また会いたい。でも。

 

「ごめんね、明日には戻らなきゃいけないんだ」

 

「え? そうなの?」

 

 そらが振り返った。驚くのも当然だろう。

 

「うん……ごめん」

 

 ひとみは小さく肩を落とす。目の前のそらちゃんは制服をしっかり着こなしていて、まだまだ幼年学校の制服に()()()()()()感じがするひとみよりもずっと似合っていた。

 

 

 無言。嬉しいはずの再会なのに、なんだか微妙な空気。

 

 そんな沈黙を破ったのは、『あるもの』に気付いたそらだった。

 

 

「あれ……?」

 

「どうしたの、そらちゃん?」

 

「あれって……」

 

 そうしてそらちゃんはロータリーの一角、そこに停車した乗用車を指差してみせる。

 

 見間違うはずがない。なんせあの車は……

 

「……お父さんの、車?」

 

 社用車兼自家用車であるひとみの父の車。側面には何のためらいもなく『米川硝子加工(株)』と書かれ、せっかくの自動車国内有名ブランドを台無しにしてしまっている。

 

 

「おう、おかえり」

 

 ひとみはその声に驚いた。いきなり予想外の方向から声をかけられたことじゃなくて、その声が信じられないほど心に響いた自分自身に驚いた。ベンチに座って待っていたのだろう。お父さんがタバコを携帯灰皿に落としながら歩んでくる。

 

「お父さん……ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 変わってない。いや、たったの一ヶ月なのだから変わるわけがないのだけれど。

 

 自動車の窓の外を流れてゆくひとみの町。お父さんのちょっと荒っぽい運転も変わらない。後部座席にはひとみと「近いから送るよ」と言われたそらが乗っていて、全部座席で運転するひとみの父親と同様に無言でいた。

 

 

 無言で続く根比べ。先に根を上げたのはひとみだった。

 

「ねぇお父さん……最近どう?」

 

「どうって、なにがだ?」

 

「えっと……工場の調子、とか?」

 

「特に変わったことはない。いつも通りだ」

 

 突き放すような父親の言葉。バックミラー越しでも彼の眼は見えなかった。

 

「そっ、か……」

 

 

 またしても沈黙が流れかける。それをどうにかして止めようと、そらが口を開く。

 

「あ、ひとみちゃんのお父さん、五つ先の信号機を右です」

 

 ちょっとどころか早過ぎる進路の指示。それを聞いたひとみの父親は笑った。

 

「はは、分かってる……ところで麦野さん、いま携帯持ってる?」

 

「え? はい、持ってますけど……?」

 

「じゃあ今日はうちで晩御飯を食べていくって、連絡してくれないかな?」

 

「えっ……?」

 

 せっかくひとみが帰ってきたんだ。積もる話もあるだろう」

 

 バックミラー越しの父親がそう言い、そらはちょっと迷うようにひとみへと目配せ。もちろんいいに決まっている。ひとみは頷いた。

 というか、ただトンボ返りするだけだと思っていた一時帰宅に「親友との夕食」というビックイベントが入りかけているのである。断る阿呆がいるものだろうか。

 

「……じゃあ、よろしくお願いします」

 

「ん」

 

 

 そして車内はまた沈黙へ。でもさっきまでとは違って、ちょっとだけ温かい沈黙だった。

 

 

 

 

 

 車が止まり、ギアを入れ替えると軽い警戒音と共に後ろに滑り出す。慣れたハンドル捌きで駐車を完了した父親に促される形で、ひとみとそらはアスファルトの上に立つ。

 

「……」

 

「ひとみちゃんの家、なんだか久しぶりだね!」

 

 そらがそう言って、ひとみはまじまじとその建物を眺めた。大正の頃にひいおじいちゃんが買ったという土地。帝都の郊外にあるとはいっても交通の便があんまり良くなかったから安く買い叩けたというこの土地に、ひとみの一家は住んでいる。昭和の中頃におじいちゃんが立て替えたらしい家は平屋で、その奥にトタンの外壁に覆われた建家。ペンキで刻まれているのはやっぱり『米川硝子加工(株)』の文字。

 

 ああ、帰ってきたんだ。

 

 いつの間にか身体が動いて、鞄の底へと忘れたように仕舞っていた家の鍵を取り出す。ひとみが鍵を差し込むとそれを鍵穴は受け止め、カチャリと開錠。

 

 開けようとして、でもすぐには開かない……すっかり忘れてた。(ウチ)の扉、すっごい立て付け悪いんだっけ。

 

「ふんっ……」

 

 大げさに力を入れてみれば、競争するように大げさに音を立てながら横へとズレる扉。この平成の時代において正面玄関がスライド式、しかも立て付けが悪いときた。いったいどれほどお父さんに扉の買い替えを陳情したことだろう……いったい何回、「防犯にもなって一石二鳥、何が悪い」と一蹴されたことだろう。

 それを思い出したひとみは、どこか胸が締め付けられる気がした。なんでだろう。

 と、そんなひとみの耳に届くまたまた懐かしい声。

 

「あらあらひとみ、帰ってきたのね!」

 

「……お母さん」

 

 また少し、胸が痛くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()、良質な羊肉が手に入ったらしい。そんな理由でひとみの目の前にはジンギスカン。

 

「こ、こんなのもらっていいんですか?」

 

 扶桑人の特徴的な性格として遠慮がちなところがあるのは知っての通りで、ジンギスカンという一見豪勢な料理を前にそらはその特徴を遺憾無く発揮していた。

 

「いいのよ、麦野さんにはいつもひとみがお世話になっているもの」

 

「ね、お母さんもこう言ってるし、そらちゃんも食べよ!」

 

 そしてそれを汲んだ上でもてなすのが扶桑人である。そらは頷くと食卓につき、ひとみの父親に従う形で食前の挨拶。目の前で待ち受けるアツアツのお肉をついばむ。

 

 基本的に食材の「クセ」を嫌う傾向のある扶桑では、羊肉などを食べる機会はなかなかないのだが、母が北海道の生まれなひとみにとって羊肉(ジンギスカン)とは生活の一部だ。東京生まれの父だって大学で学ぶために北の大地を踏みしめて以来、すっかりジンギスカンと母の虜である。だから東京に戻ってきてからも何かあればジンギスカン。別に特別な料理という意味合いはなく、普段の中に散りばめられたちょっとの贅沢。

 

 いつも通りにテレビもラジオも切られた部屋で、そらとひとみだけが会話を交わす食卓。時計の短針が全世界共通の間隔で時を刻み、い草の香りと市販のタレの匂いが混ざり合う。通算で10年近くは過ごしたはずの家なのに、妙に真新しく、そして落ち着く空気が出来上がっていた。

 

 

 

「――――ごちそうさまでした」

 

 腹八分目を忘れる頃にはもう、皿の上は綺麗になっていた。ひとみはそのまま畳に寝転がってしまいたい気持ちであったが、一方でそれは絶対にしないと確信している自分もいた。だって食事が済んだら次の行動が待っている。食休みという概念を可能な限り省略するのが軍隊だ。一応ひとみはそういう所で一ヶ月間教育を受けてきた。生活態度が変化するのには十分な時間だ。

 

 でも、それは理由じゃなかった。ひとみは目の前の母親へと視線を注ぐ。その時ちょうど目を伏せていた彼女はゆっくりと顔を上げ、ちょうど向かいに座っているひとみと視線を重ねた。

 

「ねぇ……ひとみ」

 

 子供というのは、その生存のために大人の気持ちを読み取る術を持っている。それは本能のようなものであり、理屈とかそういう段階にはない。だからひとみは、母が次に何を言うのかを理解していた。

 

「今日、あなたが帰ってくる前……電話があったわ」

 

 誰から、それは言わずとも伝わるだろう。

 

「……そう」

 

 ひとみは、もちろん何も返したくなかった。しかし会話のキャッチボールが始まってしまった以上、何か返さないといけない。だから返したのはなんとも中途半端な相槌。

 ひとみは自分の空っぽになった食器に目を落とす。茶碗には一粒の米も残っておらず、食事は終わってしまったのだと強く主張している。

 

 

「お母さんはね……反対」

 

 

 小さな声だったはずだが、いやによく響いた。父親が視線を宙にやり、状況を察してしまったそらが押し黙る。ぶら下げられたLED電球の光が部屋にいる全ての存在を照らす。

 

「……ひとみがね、なんで飛行学校に行ったのかは知ってるわ」

 

 数秒ほどのいやに長い沈黙を置き、母は耐え切れぬように言葉を紡ぎ出す。

 

「それは立派なことだと思うし、決心した以上は応援する。それは当然のこと」

 

 ひとみが目指す機械化航空歩兵(航空ウィッチ)。人類の、世界の平和を脅かすネウロイと戦う存在。それは素晴らしいことであり、全ての人間が享受出来るわけではない特別な資格だ。だからそれを否定することなどしないし、許されない。

 

「でもね、ひとみ……まだ一ヶ月よ?」

 

 

 それを出されてしまっては、ひとみに反論の余地はない。それを知っているからこそ、母親はそう娘に問いかけるのだろう。

 

「どのくらい練習したの?」

 

「……赤トンボを、十時間」

 

「あかとんぼ……?」

 

 一旦会話が止まり、そのせいでまた歪む母の顔。それは困惑とかではなく、ただただ悲痛であった。一ヶ月という時間は既にもう、母娘の間に少なからずの溝をこさえているのだ。

 

「赤トンボ。二人乗りの富嶽T-7型初等演習脚……そうだな、ひとみ」

 

 意外というべきか、潤滑油役となったのは父だった。ひとみは頷くことで肯定。赤トンボというのは、教官である現役航空ウィッチと共に飛行の基礎を学ぶための機体だ。

 

「じゃあ……ひとみは一人で飛んだことがないってこと?」

 

「うん……ないよ」

 

「なら余計に反対。幼年学校の校長先生もひとみの意思を尊重するって言ってたわ、どんなことがあったって、絶対にひとみの意思を守ってくれるって。私は校長先生を信じるわ、あなたは選ぶことが出来る。それはつまり『行かない』っていう選択が出来るってことなのよ?」

 

 それはその通りなのだろう。母親のいうことは何一つ間違ってない。

 

「でも、私は……ヨーロッパに」

「何ができるっていうの!」

 

 

 沈黙。父親は大げさな動きでポケットより煙草を取り出すと、ライターお供にのらりくらりと部屋を出ていった。

 

 

「あなたの夢は知ってる。よーく知ってるわ。ウィッチになる。みんなを守る。有名な部隊にはいる……どれも素敵な夢」

 

「なら……!」

 

「でもね」

 

 母はしっかりとひとみを見据えた。

 

 

「でも、それは今なの? 今じゃなきゃいけないの?」

 

 

 ひとみは言い返しもせず、目を背けもせず。ただ母を見つめる。母は焦るように言葉を急ぐ。

 

「昔は、どの国も10歳になるかならないかの子を招集して、半年かそれ以下で戦えるようにしたって聞くわ。ガリアやカールスラントといった先進国すらその有様で、今でも最前線のオストマンや華僑ではそうだっていう話……でもね、あなたは扶桑(ここ)で生まれたの。今すぐ戦わなくちゃいけないなんてことはない。それはあなたの持つ立派な権利なのよ?」

 

 

 それが扶桑皇国に生まれた人間としての――――。昼の丸眼鏡の言葉が思い出される。どっちも権利だった。

 

 

「あなたには、私が娘を乱暴に言い聞かせようとしている風に見えるかも知れない。こんなことを言う私は「非国民」だって言われるのかもしれない……でもね、まずは現実を見て、ひとみ。あなたはまだ小学校を卒業したばかりで、どこにでもいる女の子よ? 幼年学校の試験が難しいのは知ってるし、あなたはそれに合格した。でも問題全部解けた? 百点満点だった? あなたは本当に最優秀? 看護学校で一時は従軍してたから分かるけど、戦争は最優秀の人でも簡単にいなくなっちゃうの。あなたの夢ってそんな簡単なこと? 誰でもなれるもの?」

 

「でも! 校長先生は! 私にしか……出来ないって……」

 

「あなたはまだ12じゃない。学校は二年間なんでしょう? そこでじっくり学んで、それで出来るようになるんじゃないの?」

 

「それは……」

 

 航空系統に限らず、ウィッチは大変短命な職業だ。そんな事情から「飛び級」制度は存在する。でも制度として認められているのは早くて一年。一年学ぶのが普通なのだ。

 ひとみはまだ、一ヶ月しか学んでいない。

 

 

「お母さんの言っていること……間違ってるかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に暗く沈んだ空港。そこそこ数が整備されている街灯と人々の営みが浮かび上がる大地では、滑走路はポッカリと空いた穴になる。

 丘の上でその穴を覗くひとみ。春の陽気をほんの少し残した、でも肌触りの冷たい風が肌を撫でる感覚。

 

 ここは、生まれ育った町が一望できる小高い丘。飛行場が一望できる、絶好の撮影場所だと言って何度もお父さんに連れられてきた小高い丘。今夜は、ひとみだけ。

 

 

 結局、ひとみはなにも言い返せなかったのだ。そらも家に帰って現在時刻は午後零時。家族が寝静まるのを待ってからこっそり抜け出してやって来たのはいいけれど、しかし見るものもやることもない。

 

「……」

 

 ひとみは縮こまるように――――そう、所謂「体育座り」というヤツである――――座っていた。税金により人為的に整備された芝生の座り心地は柔らかく、冷たい。

 空を見上げれば星空。北海道の空と違って都会の光にその大部分は殺されてしまっているけども、しかし遥か彼方からひとみを見下ろしていた。ひとみはどこかぽっかり穴の空いたような気分になって、地面に手を付く。

 

 この瞬間も、時間は一秒一秒減っていく。ひとみは明日――――厳密に言うなら今日――――には「結論」を出さなきゃいけない。家で寝ていてもこうしてうずくまっていても、時間はどんどん減っていくのだ。

 

 でも今日は、ほんとうにいろんなことがあった。校長先生や鎮守府司令、外務次官補。ひとみにとってはそれこそ「雲の上の存在」が自分の目の前で、自分に関する議論を交わしていた。でもなんでだろう、ひとみはそこにいなくて、なんというか……いないのである。

 

 

「……やっぱりここにいた」

 

 突然、星空が喋った……なんてことは無いわけで。

 

「え?」

 

 そらちゃんだった。

 

「麦チョコ持ってきたよ、好きだったよね?」

 

「え? あ、うん……」

 

 そらはひとみの隣に座る。別に咎める気はない、でも。

 

「ここにいるかな……って思ったから」

 

「……」

 

 ひとみは顔を膝にうずめる。そうだ、そらちゃんだってご飯の時の会話を聞いていたのだ。あのまま流れでお開きになってしまったけれど……そらちゃんにきっと、心配させてしまったのだろう。

 

「話、聞いちゃってゴメンね?」

 

「……ううん」

 

 そらは無言でコンビニのレジ袋から麦チョコを取り出して、そして二人は無言でチョコレートのほんのり甘くて、どこか苦い味を噛み締める。やっぱり目の前の滑走路はぽっかり大穴で、星空は広かったけど、さっきみたいなどこか抜けた気持ちではなくなっていた。

 

 だから、聞きたくなった。

 

 

「ねぇ、そらちゃん……わたしさ、なにがしたいんだろう」

 

 そらは何も言わない。それはひとみにとってもありがたいことだった。そらちゃんがここで何か言ったら、ひとみは次の言葉を紡げなくなってしまったかもしれない。

 

「ウィッチにはなりたいんだよ? そのために学校に入ったんだもん。それはわたしが自分で決めたこと……ウィッチになって、501空に入って……みんなを守りたいっていうのも、嘘じゃない」

 

 でもね。ひとみはそこで小さく息を継ぐ。空気が肺の中に入って出て、もう一度。

 

「でもね、分かんなくなっちゃった。わたし」

 

 

 校長先生は、君にしか出来ないと言う。丸眼鏡の人だって――――厳しい口調だったけど――――わたしにしか出来ないことだと思ってるのだろう。そうじゃなかったら、あんなに真剣に怒らないはずだから。

 でも、お母さんは違うって言う。まだダメっていう。そんなことは分かってるのだ。まだまだ全然勉強したりないって自覚はあるし、もっとあの学校で勉強したい。でもそれでいいのかと聞かれると、迷ってしまう。だって、夢が目の前にあるから。

 

 

「ひとみちゃんが羨ましいな」

 

「え?」

 

 羨ましいな、なんて、そんなことはないだろう。だってそらちゃんは東京の一流私学に入学してるじゃないか。駅で再会した時もそうだ。もう小学校のころとは全然違くて、輝いてたはず。

 そらはそんなひとみに顔を向けると、それから逸らして続ける。

 

「だってさ、私はひとみちゃんみたいに自分で決めてないよ? ひとみちゃんみたいな夢だってまだ決まってないし」

 

「……でも、そらちゃんだって」

 

 そう言うとそらはゆっくりと首を横に振った。

 

「私は、お父さんとお母さんが私立に行きなさいって言ったから、そうしちゃったんだと思うんだ。そうするのが、一番楽だから」

 

「一番、楽……?」

 

「逃げたの。お父さんとかお母さんから。言いなりになったの。私はひとみちゃんみたいに、悩もうとすることも、考えることもしなかった。できなかった。ぜーんぶ、お父さんとお母さんが決めてくれたから。……そんな私が、嫌で嫌で、たまらなくなった時だってあるんだよ」

 

 そう言うとそらはひとみの肩にそっと手を置いて、そのままゆっくりと抱きしめた。

 

「だから、私はひとみちゃんが羨ましいんだ。いつか、私もひとみちゃんみたいになりたいって、ずっと思ってた」

 

 だから、ね。と言葉を紡ぐそら。抱きしめられたせいで、ひとみからはそらの顔は見えないが、どこか声色が揺れているのを耳で感じる。

 

「ひとみちゃんの答えは、ひとみちゃんで出してほしい。私のわがままかもしれないけど。ひとみちゃんには、私みたいにならないでほしいの」

 

 初めて聞く、親友の声。

 

「つらいかもしれない。怖いかもしれない。でも、そうやって悩んでるひとみちゃんのこと、私は大好きだよ。だから、私みたいになっちゃだめ。ひとみちゃんの答えを出して」

 

「私の、答え……」

 

「明日、行っちゃうのかもしれないけど、いつか、答えを私にも聞かせて。私にひとみちゃんの答えを見せて。それまで、信じてるから。それまで私も、頑張るから……!」

 

 そういう声はどこか震えている。ひとみはそっとその体に手を回した。

 

「そらちゃんが、泣いてるところ、初めて見た……」

 

「だって……恥ずかしいもん。こんなみっともないの」

 

「みっともなくなんてないよ。そらちゃん」

 

「なら、ひとみちゃんも」

 

「……うん」

 

 回された手に力がこもって、ひとみにもそらの心の音が聞こえてきた。暖かい、音がする。それを聞いてゆっくりと目を閉じてそらを抱きしめ返す。

 

「ありがとう、そらちゃん。そらちゃんが友達で、本当によかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けた。地平線から昇ってきたばかりの太陽が、『米川硝子加工(株)』の文字をさんさんと照らしている。

 

 まだ工場の人たちは出てきていなくて、工場も家の中も静か。それを確認したひとみは、外へと出ようと玄関扉の前に立った。いつの間にか丁寧にアイロンがけされた制服を着て、忘れ物がないことを確かめる。

 

 

「お母さん……ごめんなさい」

 

 ひとみは小さくポツリと呟く。玄関を開ければ大きな音が出る。きっとお母さんはすぐに気付いて、そして追いかけてきてくれるのだろう。でも大丈夫。足の速さにはそこそこ自信があるのだ。いっきに駆け出して、曲がり角を曲がってしまえば……お母さんの顔は見なくて済む。

 

 

 そう思ってたのに。

 

「……ひとみ」

 

 ひとみの肩が跳ねた。なんで、まだ扉に手を掛けてもないのに。勝手に出ていこうとしたことを怒られる気がして、ひとみは恐る恐る後ろを振り返った。

 

「はいこれ、列車の中で食べなさい」

 

 差し出されたのは、巾着袋。その中におにぎりが入っているのは容易に予想がつく。

 お母さんは、それ以上何も言わない。

 

 

「ありがと……いってきます」

 

 お母さんに背を向ける。お母さんから一歩離れる。扉に手を掛ける。

 

 

 相変わらず騒がしい音を立てて扉が開いた。外の世界は春らしい爽やかさで、雀のさえずりが聞こえた。

 

 もう一歩踏み出せば、家の外だ。まだ厳密には米川家の敷地だけど、もう外の世界だ。

 

 

 なのに、踏み出せなかった。

 

「ひとみ……!」

 

 お母さんが腕を回してきたのだ。お母さんとひとみはまだ顔二個分くらいの身長差があって、ひとみはお母さんに包まれるようになる。ひとみは自分の表情が見られるのが怖くて――――一歩前に踏み出した。

 

 秒針が何針か歩みを進める、お母さんは動かなかったけど、ひとみを留めることはしなかった。

 ひとみは家の外へ。最後にひとこと言いたくて足を止めるけど、振り返ることなんて絶対出来ない。

 

 だから言うのだ。ひとみの声が朝の故郷に響いた。

 

 

 

「米川ひとみ――――いってまいります!」

 



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第二話 「デリバリー~ふるさと~」前編

 少女の決断。それを校長は、やっぱり微笑んで受けて止めてくれた。

 

 

 

 

 

 ひとみは生徒寮を走る……と寮母さんに怒られるので、大急ぎで早歩き。絶賛授業中となれば寮は無人地帯と化すわけで、誰もいない静かで活気を失った廊下を歩いてゆく。

 

 すぐに目的の部屋にたどり着く。ひとみに割り当てられた部屋。四人一組で割り当てられる共同生活空間はお泊り会でなければ同年代と床を共にしたことなどないひとみにとっては新鮮で、一ヶ月経った今でも慣れたかどうかは怪しいところだ。

 

 部屋に入って、そして今日で別れとなる住処(すみか)を見回してみる。相変わらず右手上段の吉川さんのベッドは乱れていて、やっぱり今日も大慌てで飛び出したのだろうと察することができた。もちろんこのままでは今日も怒られてしまう。だからきっと、昼食までの僅かな間を縫って取り繕いにくるはずだ。

 

 ……なら余計に、早く荷物を纏めてしまわないと。

 

 そう思ったひとみは、迷うことなく自分の机にとりついた。引き出しの中や机の上に分散配置されている教科書やノート。数は多くないけれどやっぱりかさ張る着替え。その他諸々をとても大きなカバン――――たしか、ボストンバッグとかいったっけ――――に詰めてゆく。

 寮の床に張り巡らされた木の板に窓から差し込む光が当たって、ほんのりと香りが漂う部屋。自分以外がいなくなってしまったんじゃないかってほど静か。何も感じないようにテキパキ作業を進めてゆく。

 

「あれ……?」

 

 と、ひとみの手に見覚えのないノートが数冊あたった。表紙に薄くでかでかと『College』とプリントされたノートは、購買部で売っているいつものやつ。でも、ひとみにこの色を買った覚えはない。

 ところが変なことに、表紙には「米川ひとみ」と書かれていて。きっと自分のものに違いなかった……なのにどうしてだろう。どこか違和感を感じる。

 

 

 しかし気にしてる場合ではない。校長先生がなるべく早くといった通り、急いで身支度を整えねばならないのだ。書類を提出してしまえば、もう幼年学校に戻ってくることはない。全部の荷物を片付けなければならないのだ。

 

 とりあえずノートは手提げ鞄に仕舞い、とにかく作業の続行を優先する。部屋の中を一通り片付ければひとみは一旦廊下に出る。普段なら部屋ごとにまとめて届くはずの洗濯籠に入っているのはひとみの洗濯物だけ。これを入れてしまえば、もう残す荷物はなくなる。背比べ相手のボストンバッグに、手提げ鞄。

 

 

「……寮母さん、ありがとうございました」

 

 

 ここに寮母さんは居ない、だから声は届かない。でもきっと届くと思ったひとみは、そう小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 ひとみは学生寮の廊下を歩く。ぎしりぎしりと軋む床の音は今日はやけにうるさくて、そしてあっという間に出口にたどり着いた。寮母さんとは結局すれ違うこともなく、ひとみは校舎へと向かう。雨が降った日にはルームメイトと走った校舎へのあぜ道。今は太陽にさんさんと照らされて、雑草も気持ちよさそうに手を伸ばしている。伸ばす先には晴れ渡った空。被った帽子で見ないようにして、進む。

 

 そしてあっという間に校長室の目の前。昨日はあんなに緊張していたはずなのに、どうしてだろう。もうすっかりここに立つのも慣れてしまった。

 

「83期米川ひとみ、参りました!」

 

 入室許可。ひとみは重厚な木製の扉を押す。やっぱり扉は軽やかに動き、執務机に腰掛けた校長先生の姿。窓辺の国旗も学校旗も、さっきと変わらない。

 でもなんでだろう。校長先生に、ちょっと違和感。しかしひとみが踏み出て中心へと進むと、校長先生は微笑んで、そしていつもの雰囲気に戻る。

 

「うん、準備はできたかな?」

 

「はい!」

 

 校長先生は頷くだけで返す。そこでひとみは、窓際の扶桑国旗脇に立つ人影に気がつく。

 

 その人は、海軍の高級将校制服に身を包んでいた。冬服の開襟と男性向けのスラックス。黒光りする革靴で全身を真っ黒にして、軍帽をしっかりと被っている。ひとみに背中を向ける形だから顔も略綬も見えないけれど、肩章が示す階級は大佐。ちょっと長いように感じる髪の毛が印象的に映った。

 

「……男の人?」

 

 流れ的にはひとみの上司となる人なのだろう。でも、いやだからこそひとみは驚いた。ひとみはウィッチだ。運用方法は一味も二味も異なり、通常兵器により編成された部隊に慣れた指揮官ならその癖を理解するのに五年はかかると言われる特殊な部隊である。

 だから、通例としてウィッチの指揮は元ウィッチ……EXウィッチが執ることになっているはずなのに。

 

 

「ああ、紹介が遅れたね……紹介しよう」

 

 ひとみの困惑を察した校長先生が口を開く。それに応じるように人影が振り返った。

 

「あっ……」

 

 開襟にはストライプの紺ネクタイ。軍帽のつばを彩る桜葉模様(スクランブルエッグ)が目を引いた。金色に編み込まれた参謀モール。四段はあるズラリと並んだ略綬……そしてその上に輝く、片翼の航空胸章(ウィングバッヂ)

 

石川(いしかわ)海軍大佐だ」

 

 大佐と呼ばれた影が軍帽を取った。そこから現れる細くしなやかな顔立ち。片翼の航空胸章なんてなくとも雰囲気で分かってしまった……この人、ウィッチなんだ。

 

 校長先生は石川大佐の方に向き直る。

 

「石川大佐、彼女が横幼83期の――――」

「米川ひとみ」

 

 遮るようように石川大佐。一瞬だけ部屋の空気が凍りついて、続けられる大佐の言葉で溶かされる。

 

「2004年生まれ、12歳と8ヶ月……校長、彼女は小学校からの飛び級組か?」

 

 石川大佐が見定めるようにひとみへと視線を注ぐ。まるで鷹のような大佐の双眼。思わず足が竦んで、立っているのが精一杯になってしまう。

 答えられないひとみに変わり、校長が口を開いた。冷静に、やけに平坦な声だった。

 

「いえ、今年度より入学した一年次です」

 

 それを聞いた大佐は目を細めた。視線がひとみから校長へと移り、彼を貫く。

 

「ほぉ……これが横幼の『誠意』か」

 

「本学において、彼女が一番の適性を持っています」

 

 間を開けずに校長が反論。そんな校長に大佐は僅かに口角を釣り上げて見せた……笑っているはずなのに、全然笑っていない。

 

「我々は実戦部隊だ。それは配備場所云々の話ではない、まさかあなたがそれをご存知ないとは思えない……彼女の『品質』の保証は、誰がしてくれるんだ?」

 

「準備室の方にも彼女の資料はお送りしたはずです。その上で承認が降りていることから、大佐もご承知の上で選抜されたものと本校では解釈しております」

 

「……ふん」

 

 校長はそう答える。答えはするが、どこか空虚に響く言葉。それを大佐は鼻で笑う。

 

 目の前で繰り広げられる会話。ひとみの胸には書類の束が握られていて、その中には大量の書類が詰まっている。なんどもなんども名前を書かされたのは大変だったけれど、この一枚一枚がひとみの人生を支えるわけで、この場ではまた自分の話が交わされている。

 

 でも、でも、目の前でなにが繰り広げられているか分からなかった。これじゃ昨日と同じだ。また私の知らないところで話が進んでいく。

 

「くり返し尋ねておこう、初期訓練は済ませてあるんだな?」

 

「当然です……そうだろう、米川君?」

 

 校長がきっと視線をひとみへ。ひとみは返答に迷ったが、考えてみれば迷ってはいけない問答なのだと気付かされる。

 ひとみは、会話に参加していないのだから。

 

「はい……」

 

 これは、確認でしかない。その事がひとみにもはっきりわかるぐらい、校長の声は色が抜けていた。昨日や今朝に感じた温かみはすっかり消え去り、なんの色も温度も残していない。

 どうしてだろう。なんでこんなに、わたしは遠いんだろう。

 

 校長と大佐。扶桑国旗を挟んだ二人の間に、静かな沈黙が流れる。

 

 それを破ったのは、石川大佐であった。

 

「……そうか、では手続きを続け給え」

 

 手続き? 一瞬ひとみの頭に疑問符が浮かび、そしてすぐに解消される。ひとみは昨日たくさんの書類を書いた。それは遣欧統合軍への編入手続きになるわけだが、ひとみの所属は幼年学校。このままでは二重所属になってしまう。

 

 校長が立ち上がった。なにかを持ち上げ、ひとみの方へ寄ってくる。

 

「米川君、荷物を置きなさい」

 

「は、はい……」

 

 言われてひとみは床に荷物を置く。校長の威厳を示すような絨毯に、支給品とも言えるボストンバッグが、手提げ鞄が着陸。

 

 校長のほうを見やると、目の前に大きな影。背後からの光が差し、対する校長の顔は暗い。

 

「――――卒業証書」

 

 

 読み上げられる文章、その声はただただ平坦で、なにも感じさせない。まるで機械に表示される文章を読まされている気分だ。

 

 横須賀航空幼年学校――――関東の、最難関中学のひとつ。

 

 あんなに頑張って勉強した。とっても緊張して試験に臨んだ。発表版の幕が下ろされた瞬間の、自分の受験番号を探す高揚感と、そして見つかった時のあの安堵。

 

 たった一か月前なのに、まだ一か月しか経ってないのに。

 

 

「――――2017年5月19日、扶桑皇国横須賀航空幼年学校学校長……富永光政」

 

 

 わたしの、幼年学校生活が終わってしまった。

 

 

 小学校の時とは違って、校長は握手もせずに引き下がる。変わって前に進み出る石川大佐。

 

「書類を」

 

「は、はい」

 

 ひとみは分厚い封筒を石川大佐へと手渡す。

 

「うむ、これにて君は正式に準備室の所属となった。士官候補生となるため階級は空軍准尉だ」

 

「……はい」

 

 それは逆に言えば、もう引き返せないってこと。これでもう、ひとみは幼年学校の生徒ではなくなったのだ。石川大佐を見上げると、大佐はまっすぐな視線をひとみに注いでいた。

 

 そしてひとみへと手を差し出される手。握手……ということでいいのだろうか? どぎまぎしながら握手に応じたひとみ。触れた石川大佐の手は予想よりもずっと柔らかくて、温かかった。

 

「よろしく、米川ひとみ」

 

「は、はい!」

 

 手が離れる。石川大佐は軍帽を被り直すと、無言で扉の方へと歩き出した。もちろんひとみは追従する。

 

 

「……米川君!」

 

 その時だった。校長先生が、絞り出すようにひとみの名前を呼んだのは。

 

 振り返った先の校長先生は、執務机に両手をついていた。ただ両手をついていた。昨日まではあんなに遠かった校長先生。入学式のとっても長いお話しか印象になかった校長先生。あの丸眼鏡から守ってくれた校長先生。今日の冷たい校長。

 

「校長先生……」

 

「ここは君の母校だ。いつでも帰ってきなさい……顔を見せに、帰ってきなさい」

 

 今ひとみの前にいる校長先生は、ひとみが知ってるどの校長先生とも違って。

 

「……はい」

 

 だからひとみは、しっかりまっすぐ頷いた。

 校長は石川大佐にも顔を向ける。

 

「うちの生徒を、何卒よろしくお願いします……」

 

 校長先生は、そうやって大きく頭を下げたのだった。さっきまでのギスギスした会話が嘘のように、迷いのない言葉だった。

 

 

 

 石川大佐は――――振り返りもしなかった。歩き続けて、扉に手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとみは大佐の後ろに続いてゆく。目的地はもちろん校舎出口、そして正門だ。訪問者を想定しているとは思えない簡易さで、一応幼年学校旗だけが飾られている校舎出入り口。小学校ではここに下駄箱がずらりと並んでいたのだが、とかく即応性が求められる軍人を育てる幼年学校に上履きという時間を浪費するだけの概念は不要ということで校舎内も外履きというルールになっている。はじめはものすごい違和感を感じたものだが、それも懐かしい『思い出』になろうとしている。

 

 そして校庭へ。トラックを迂回しつつ正門へと向かい、そこを出てしまえば……もう戻ることもないのだ。

 

 

 

 耐えきれなくなって振り返る。頂点に昇った太陽が白い光を放ち、木造校舎後ろに控える緑の山並みが萌えている。空は限りなく青く、透き通っていて。

 

 あぁ、振り返るんじゃなかった。昨日まで学んできた一年二組。その教室の窓は太陽の光で輝き、中は見えない。もう学友にも会えないのだ。まだずっと時間があるって思ってた、そんな昨日までの自分が恥ずかしい。

 

 でも、このまま見ていても始まらない。ひとみが石川大佐の後を追おうとした、そのとき。

 

 

 窓が、開いた。一つや二つじゃなくて、それこそ教室全部の窓が。

 

 

「よねかわさーん!!」

 

 一番に叫んだのは誰だったのだろうか。そんなこともわからない。ひとみはただ驚いて、窓から身を乗り出す級友たちを唖然と見るばかり。彼女の名を呼ぶ声が十、二十、三十と増え、校庭に広がってゆく。

 隣の一組も窓を開け始める。寮の同室や、実技の班仲間、たった一か月という短い間に結んだ友達が、ひとみの目の前で必死に叫んでいる。元気でね、頑張って、また会おうね……言葉はあまりに多種多様で、いちいち理解する余裕もない。

 

 ひとみはとにかく叫んだ。

 

「うん! わたし、頑張るから――――絶対頑張るからっ!!」

 

 それに皆が答え、静かな自然の中の幼年学校敷地が沸く。授業の間だろうに、教官たちが騒ぎを止めるどころか校舎を飛び出してきた。

 

「米川ぁぁぁ! しっかりやってこいよぉ!」

「はいっ!」

「米川! 向こうで死んだら殺すからなぁアア!」

「はぁいっ! 絶対に戻ってきまァす!」

 

 いかつい男性教官たちが叫び、負けじとひとみも怒鳴り返す。騒ぎはやむ気配もなく、ひとみはこの故郷へと大きく背を向ける。泣き声すら聞こえる校舎で、誰かが歌い始めた。教官たちと学友たちは皆それに乗っかり、メロディーは雑だが力強い歌が聞こえ始める。すぐにまとまりを帯びたそれが、ひとみの背中を力強く押す。ひとみは振り向けないし、振り向かなくたって仲間が見えた。この大空へ、これから羽ばたくのだ。

 

 

 

 校門を出ると、当然石川大佐が待ち受けていた。横須賀の街へと続く狭くて荒い舗装の道には見慣れない黒塗りの車。ナンバーは一般車と同じものだけど、間違いなく軍用車だろう。

 

 大佐もひとみに気付いたようで、視線を手からひとみへと移す。手に握られていたのは……懐中時計。

 

 しまった。ひとみの背中に冷や汗が走る。同級生たちの見送り、それはスケジュールにない行程。軍隊において遅刻は絶対に許されない。出会ったばかりの六つも階級が上の上司相手なら尚更だ。

 

「す、すみませんっ! 遅くなりました!」

 

 パチリと軽やかな音を立て、大佐の懐中時計が閉じられる。あわせてひとみの肩もびくり。

 ところが石川大佐は、僅かに微笑んでいた。

 

「いや……いい同期をもったな」

 

 いきなりの言葉で、なんの脈略もない台詞。でも「同期」という言葉はストンとひとみの底へと落ちた。そうだ、ひとみと皆は「同期」という記号で結ばれているのだ。

 

「はいっ!!」

 

 そんなひとみに、大佐は頷き……次の瞬間には口調も表情も、軍人のそれに戻った。

 

「出発だ、乗れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 横須賀市街をすり抜け、幹線道路を駆け抜ける。併走する自動車の数はたちまち増え、脇に流れる建造物も、そこから飛び出る看板もどんどん大きく、騒がしく……どうやらいつの間にか横浜市街に突入していたようだ。

 

 どこに向かっているか。ひとみは知らなかったけれども、大体の予想は付く。なんせ石川大佐は海軍。横須賀飛行幼年学校に一番近い海軍基地は横須賀にあるわけで、なのにここまで来たということは目的地は横須賀以外……となると、移動に使うのは飛行機か新幹線だ。

 

「そろそろ新横浜だ、降りる準備をしろ」

 

「ということは、新幹線に乗るんですよね!」

 

「そうだが……なんだその嬉しそうな顔は」

 

 石川大佐は困惑。しかし父方の実家が東京で、母方の実家が北海道なひとみにとっては新幹線だって新しい経験である。頬の一つや二つ緩むというもの。

 

 そろそろ、新幹線も通っている新横浜のターミナルも見えてくるはずだ。

 

 

 

 

 

 駅。この漢字は常用外で「うまや」とも読むらしい。昔は電気もなかったから連絡には狼煙や早馬が使われていたようで、早馬が疲れてもいいように街道沿いに沢山の驛が設置されていたらしい。

 

 そんな小学校の先生が自慢げに話していたうんちくを思い出しつつ、到着したのは新横浜駅……だったのだが。

 

 

「あの、石川大佐?」

 

「なんだ」

 

「ここって……改札じゃ、ないですよね?」

 

 コンクリート打ちっぱなし。むき出しの蛍光灯。なぜかいる国防色に身を包んだ兵士。民営化とはなんだったのか。

 

「軍専用の搬入口だな」

 

 広々とした地下空間にはFR貨物のコンテナに、軍の高機動車やらトラック……宇宙基地の撮影キットと言われても納得してしまいそうだ。

 

「すごい……まるで秘密基地みたい」

 

「ここは公表されてる場所だぞ」

 

 水を差す石川大佐。そういうことじゃないと言いたげにムスっとなるひとみを無視して上がっていくのは昇降装置(エレベータ)。しかもアレである、動物の檻みたいな鉄柵で囲まれた……ほら、映画でしか見たことがないようなすごい古いやつ。今にも軋んで壊れてしまいそうな騒音を立てながらずんずんと上昇すれば、あっという間にプラットホームに到着。ひとみの目に色が矢のように飛び込み、世界の彩度が急激に上がった。

 

 空を跨ぐ配線に、雨から守ってくれるひらべったい天井……どこにでもある駅としての設備に、ようやく現実に戻ってきたような気分になる。

 

「足元に気をつけろよ」

 

「えっ?」

 

 意気揚々と踏み出そうとしたひとみは石川大佐に注意され、足元を見る……そこには、というかエレベータの周りにはびっしりと埋め込まれたレールが。

 

「貨物運搬用の軌条だ。蹴躓まづくなよ」

 

「あっ……はい」

 

 その言葉に応じる様にせり上がってくるハーフコンテナ。係員が取り付いて、ホーム上を自由に動かされていく……なんだろう、やっぱり現実離れした世界だ。

 

 ひとみは言われたとおり足を引っかけないよう気を付けながらエレベータを降りる。一部の新幹線駅では軍専用の民間人立ち入り禁止スペースがあるということは知っていたけれども、こうやって実際に入って設備を目にするのは初めて。大きな音がしたので振り返ってみると……今度は見たことのないコンテナがせり上がってきた。

 

 太陽光を弾き返して輝く銀の塗装。もちろん他のコンテナ同様に少なからずの傷や汚れが付いているのだけれど、それを抜きにしても輝いているのだ。

 ……そしてなによりも、そこに張り付く警備。さっき地下で警備していた兵士が着ている国防色の制服は礼服の一つなのだけど、その銀のコンテナを守る警備は頭から足まで漆黒の完全装備。肩から吊るされた黒光りする短機関銃。それがなんと五名。

 

「……なんなんですか、あれ?」

 

 若干引き気味のひとみが恐る恐る聞いてみると、石川大佐は至極簡単に、短く答えた。

 

「お前の機体だ」

 

「え?!」

 

「なんだ、五人じゃ足りないか?」

 

 そんなことはない、というか五人は多すぎだろうに。

 

「あいえいえ、そういうんじゃなくて……」

 

「覚えておけ……お前とあの機体(F-35)は、今の我が国では最高レベルの軍事機密だ」

 

 なんせ何カ国での合同開発だからな。石川大佐はそう続ける。もしも開発に関わっていない国に情報が漏れれば、それこそ国際問題に発展しかねない訳だ。

 

 

 そんな機体を――――わたしが履くんだ。ふわふわしていた『F-35パイロット』という言葉が文字になり、実体になり、胸に突き刺さり……そして突き上げられる。わたしが、わたしが『あの』航空ウィッチ……皆を守るために太陽輝く大空を守る……憧れの……

 

 

「軍人なら、気持ちは表に出すな。少なくともその緩んだ頬を引き締めろ、空軍准尉」

 

「す、すいません……」

 

 

 と、そこで聞こえてくるアナウンス。乗客向けで分かりやすいはずなのによく注意しないと右から左に流れてしまいそうな音声情報の後に、颯爽と滑り込んでくる白と青。扶桑が世界に誇る鉄道の王様――――新幹線である。

 

 しかしその様相も途中から急に変わる。青い線が消え、まっしろになってしまう車体。

 ひとみにとっては初めて見ることとなる軍用新幹線。それはもうすっごいやつだ。

 

 しかしそれが見え、そしてプラットホームに差し掛かった瞬間のことだった。

 

 

 弾ける複数の破裂音。バコン! バコン! と響く非日常的な音。

 

 

「わ、わぁ!」

 

 ひとみは思わず声を上げる。

 破裂音といえば敵襲だ。石川大佐や駅長だけでなくその場にいた何名かがそう身構えた。さっきの完全武装五人衆が短機関銃を握り直し、減速して進む新幹線を背景に空気が張り詰める。

 

 しかしすぐに、彼らはあっけにとられることになる。

 

「うおお、すげえええええ!」

 

 レールが埋め込まれた軍用プラットホームのすぐ向こう、押せば倒れそうな簡易柵の向こうに見事な横列陣形で展開していたのは反政府組織とかそういうのじゃなく、ひとみと同じくらいの学生だったからだ。そして彼らが握るのは所謂「一眼レフカメラ」というやつ。つまり、破裂音はシャッター音だったのだ。

 とはいえ問題は問題だ。なんせ彼らは軍事機密(ひとみ)に向けてシャッターを切っているのである。これを容認するわけにはいかない。

 

「おいキサマら! 何を撮ってい……」

 

 石川大佐が注意しようとするが、しかしよく見れば彼らはひとみになんて目もくれていなかった。

 

「すげえ! あれ最新鋭の91Sコンテナだぜ!」

「うっそだろおい……あれって西の管轄でしか運用されないんじゃないの?」

「いや、あれと同種のコンテナが軍の研究機関に売却されたって噂を聞いたことがある。だからあれはきっと91SじゃなくってU91PかU92Sだ。塗り分けがネタ」

「ていうか、それよりもユニット見ろよ! Px5編成に軍用ユニット増結ってだけで相当珍しいのに、増結ユニットがXx91編成じゃん!」

「うわ! ネタじゃん! てことはなに? なんかネタなものでも積んでるの?」

 

 繰り広げられる怒涛の会話。気づけば新幹線は完全に停車し、時間が止まってしまった石川大佐御一行の後ろで貨物の積み込みが始められる。

 

「えーと、本日の6217Aは変Px5編成、釜は前補機は915ー901、後補機は915-5、軍ユニットはXx91っと。目撃あげとこ」

「はーい、石橋鉄橋待機50Bでーす」

 

 

「え、えっと、彼らは何をしているんですかね……」

 

 てっきり自分が撮影(というより襲撃)の対象になっていると思い込んでいたひとみは困惑を隠しきれなかった。

 

「……情報局に通報だな」

 

 石川大佐はその問いには答えずに、表情を変えず言う。だが、大佐もかなり困惑しているのであろうことは気配で伝わってきた。

 

 

「てかなに、あの塗り分けのU93Dってどこの塗装?」

 

 と、学生たちの会話の色が変わる。ちょうど今新幹線に飲み込まれようとしている例の銀色コンテナに気づいたらしい。

 

「あー、たしか研究所じゃなかったっけ?ウィッチ系の」

「あ、ほんとだ、ウィッチっぽいのがいる」

「ネタじゃん」

 

 その言葉ひとつでひとみは身構える。石川大佐は守るように身体を動かした。

 

「女の子盗撮とか趣味悪すぎるわ」

「いや、さすがに撮んねえよ」

 

 しかし学生たちの興味はそこには無いわけで。彼らはひとみには目もくれずにパシャパシャと車両の記録を再開してしまう。

 撮られることはなかった。いや、それはいいことだと思う。大変結構……まぁしかし、引っかかるところはある。

 

「さすがに、これは……」

 

「女だからな、同情はする」

 

 ひとみがポツリ。それに応じた石川大佐は苦しげな表情をして腕を組んだ。それを見たひとみは自分の胸元を見て、もう一度石川大佐のそれを見る。さらにもう一度自分の胸元に視線を戻して、ため息。

 

「どうした?」

 

「いえ、なんでもないです……」

 

 そんな二人にもちろん興味の欠片もない彼らは、柵の向こうで会話に花を咲かせる。会話の内容はどうやら列車の具体的な仕様に関してらしいが、聞いたことのない文字の羅列で全く頭に入ってこない。同じ扶桑語なのかと疑いたくなるほどだ。

 

「……あ、広島で軍レの目撃上がった。定期便でも予定臨でもないし、交検と臨回のスジとも違うし広島で6127Aからの継走で間違いないね」

 

 と、カメラから手を放して端末を弄っていた一人が声を上げる。即座に食いつく相棒らしき学生。

 

「え? 6127Aって京都止まりでしょ? キトで積み替え?」

「いや、キトからヒロまで回送扱いで流すはず。ていうか、6127Aは軍レ指定列車だから基本的に広島まで運転で、広島に行ったら二日間運用ないってパターンだったはず」

「確か軍A236運用だっけ? だから順当にいけば回送は明後日の6118Aのスジだね」

 

 学生たちの会話。それはもう爽やかで嬉々としたものであったが、そこに散りばめられた用語がいろいろ不穏である。「軍レ」が何かは分からないが、言葉の響きから察するに軍事列車を指すのではないだろうか。会話の様子から運行計画(ダイヤ)を詳細まで把握しているのは間違いなさそうだ。

 

「あの、軍事機密漏れまくってる気がするんですけど大丈夫ですか!?」

 

 思わず声をあげてしまうひとみ。これでいいのか皇国軍。

 

「……厳正に対処する」

 

 まさかここまで漏れているとは思わなかった。少々垂れた肩がそう言っているようにも見える。柵の向こうで警備に勤しむ鉄道警察と思しき警官が学生たちを思いっきり睨んでいるが、効き目はない。

 

「――――じゃあ石橋が8時ごろか。 まあ、光線はそこそこかな」

「明後日の石橋なら5086レも一緒に撮れるじゃん。ほら、明後日なら横須賀ワムくっついてるし」

 

 そして話は流れ、話題は撮影へと戻っていく。ついていけないというか、もう放って置くしかないのだろう。このヒトたち怖い。

 

「はいすみません、ちょっと通して」

 

 そんなシャッターの砲火を掻い潜り、黒でまとめられた綺麗な制服を着た偉そうなおじさんがやって来た。柵前の警官と敬礼を交わす姿にひとみは違和感を覚える。なんせ、その敬礼は海軍式でも陸軍式でもなかったからだ。ついでに言えば肩章もない。

 

「ああ、どうも。本日この列車の運行をさせていただきます運転手の田浦です」

 

 どうやら運転手らしい……あれ、運転手って先頭車両にいるんじゃなかったっけ? 記憶が正しければ新幹線は十六両編成。ここは十三両目。

 田浦と名乗った人の後ろから、人がぞろぞろとやってきた。みんな同じように清潔な黒の制服だが、微妙にデザインが異なっている。

 

「こちらが運転助士の汐入(しおいり)、そして車掌長の向洋(むかいなだ)、荷扱い車掌の安芸(あき)以下8人です。我々が広島まで安全に確実にあなたをお届けいたします」

 

 胸に輝くエンブレム。そして帽子に入った金色の線。

 軍人ではないけれど、まるで軍人みたいな力強さ。扶桑が鉄道大国と言われることがあるのは知っているけど、この人たちがその名前を支えているのだとひとみは感じた。

 

「ご苦労、よろしく頼む」

 

 だから、石川大佐も敬礼で応じる。ひとみも倣う。

 

「車内の事に関しては、そちらの中乗り車掌の(ひろ)、後部車掌の早岐(はいき)、警備主任の日宇(ひう)にお任せください」

 

 名前を呼ばれた彼らは、一礼するとすぐに動き出す。広と呼ばれた車掌が車体に取り付きドアコックを扱い、ひとみの為にドアを開けた。

 

「えっ……」

 

 これまでとは全然違う世界を見せつけられ、そしてそこに今自分がいるのだと自覚つつあったひとみであるが、これは全くベクトルの違う異世界だ。自分のためにドアを開けてくれるなんて、まるでVIPじゃないか。

 

「お前は准尉とは言え立派な尉官だ。幼年学校(がっこう)での待遇は忘れろ」

 

 そう言う石川大佐。そんなこと言われたって。

 

「ほら、とりあえず乗れ」

 

「は、はい!」

 

 とっとと乗るように促され、ひとみは新幹線の中へと飛び込んだ。



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第二話 「デリバリー~ふるさと~」後編

「この車両は600系新幹線といって、最新型ではないものの、高い信頼性と最新型に引けを取らない性能により今でも生産が続けられている形式になります。まさに、千里を走る馬と言ったところでしょうか……とても良い車両です。なにかありましたら、我々にお申し付けください」

 

 車内に案内されると、そこはドラマや映画に出てくる新幹線とは全く異なる光景だった。グリーン車以上のゆったりとした間取り。新幹線の型を説明してくれた警備主任さんによれば十三両目から後ろ四両が軍用車両となるらしい……ちなみにここは十三両目。士官乗り込みのスペースだ。

 

「あの、石川大佐。どこに座れば……?」

 

「適当なところでいい。今日は貸切状態だからな」

 

 石川大佐はそう言いながら座ってしまう。とりあえずひとみはその横へ。新幹線なんて早さも微妙で、将官クラスになると移動には飛行機を使うのが一般的らしい。だから軍事車両の運行は多くて隔日とのことだ。兵員輸送に特化したタイプもあるらしいけど……そんなの使うのだろうか。

 

 と、発車ベルの音が聞こえてくる。いよいよ出発だ。

 

「ほら、米川」

 

 石川大佐が窓の外を指し示す。

 

「あっ」

 

 窓の外、プラットホームにはたくさんの人が並んでいた。警官や作業員、任務を引き継いだのか完全武装五人衆までいる。みんなこちらへ敬礼している。ひとみを送り出そうとしてくれているのだ。

 

「――――ありがとうございました」

 

 ひとみは感謝を込めて答礼。石川大佐は「いい敬礼だ」と褒めてくれた。

 

 

 

 

 

 一発の警笛。列車は滑るように走り出す。不規則でお腹の底に響くような音が鳴りだして、窓の外の景色がどんどん流れていく。あっというまに加速されれば、電柱が、壁が、家が、全てが吹っ飛んでいるように見える。たちまち小田原を通過、街一色だった景色が移り変わり、急に景色が山に変わった。

 

 トンネルに入り、耳が痛くなる。飛行機で飛んだ時のアレと一緒だ。窓の外が真っ暗になると、石川大佐が口を開いた。

 

「もう見る景色もないな。そろそろ昼にしよう……従兵(ボーイ)!」

 

 数瞬も待たずに無音で進み出てくる男の人。警備兵とは思えない軽装だが、そのきっちりした制服はやはり軍人のもの。当たり前だがひとみよりもずっと年上だ。

 

「こいつに昼を出してやってくれ、俺の分も頼むぞ」

 

 ――――一人称、『俺』ですか?!

 

 ひとみは思ったが、いやしかしどうしてそんな言葉を放てたものだろうか。相手は上司である……そういえば、石川大佐はここまで徹底して一人称を使っていなかったっけ。

 ひとみがそんな風にフリーズしている中、従兵は気にかける様子もなく恭しく頭を下げた。

 

「かしこまりました。浜松うなぎ弁当、たこめし弁当、牛たん弁当、幕の内弁当などございますがいかがいたしますか?」

 

 その言葉と共に差し出される紙。食べ物の名前がずらりと並んでいて、もちろん金額は書いていない。

 

「ほら、なにがいい?」

 

 石川大佐にそう振られ、ひとみは今聞いた言葉を頭の中でぐるぐるまわす。うなぎ、たこ、牛、幕の内……幕の内って食べ物だっけ?

 

「え、ええっと……」

 

「こっちは幕の内で」

 

 大佐、幕の内ってなんですか……とは言えない。でも、どうしよう。全く決まらない。

 

「あの、大佐……わたし、その……これじゃダメですか?」

 

 そう言って指し示すのは小さく書かれた「ハムチーズ&たまごサンド」という文字列。サンドウィッチだ。

 

「何言ってるんだ、軍人ならもっと食え……こいつには牛たんを」

 

「えっ」

 

「かしこまりました」

 

「えっ、ええっ?」

 

 問答無用とはまさにこのこと。ひとみはなにも言えず、ただ従兵さんを見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 耳をふさいでいた手をどけたかのように開ける音がすると、一瞬だけ見える海。青一色の景色にほんの少しの地の緑と空の白。ところがすぐに見えなくなってしまう。またしてもトンネルに入ったのだ。

 

「あっ……」

 

「東海道は何度もトンネルが続くんだ、仕方ないさ」

 

「そうですか……あれ?」

 

 ひとみはもう一度窓を見て違和感を感じる。さっきまで窓の外はトンネル特有の黒だったはずだが、なぜか今は灰色だ。

 

「あぁ、それか……機密保護のための瞬間調光ガラス(UMU)だな」

 

 大方、何かしらの通報でもあったのだろう。気にする風もなく石川大佐は流す。でもひとみにとっては外が見えなくなるという以外の意味はない。

 

「そんなぁ……」

 

「諦めろ、機密ということはつまり、行動に不自由が付きまとうということだ」

 

 

 そしてまた駅を通過する。いつの間にか解除されていた曇りガラスの向こうに流れるカラフルな人だかり。一体何かと思えば、一瞬だけ見えた「あたみ」の駅名標。熱海といえば 熱い海……つまり温泉って聞いたことがある。きっと旅行客に違いない。車窓から、煙を上げている温泉街が見えた。時が止まってしまったような、古い街並み……感慨に囚われるより早く、列車は進んでいく。

 

「お待たせいたしました。幕の内弁当と牛たん弁当です」

 

 『朝摘み・会心の一滴』と書かれたお茶と一緒に弁当が出て来た。

 

「いただきます」

 

 石川大佐が食べ始める。

 

「い、いただきます」

 

 ひとみも食べ始める。

 

 カポッとふたを開けると、牛タンとその下に生姜ご飯。ちいさな玉子とガリみたいなものとよくわからない名状しがたい味噌みたいな物体X。

 

 試しに牛タンを一枚めくってみる。そして塩ダレがしみ込んだ生姜ご飯をひとくち、ぱくり。冷めたせいか何とも言えない不快感が口を埋め尽くす。かき消すように牛タンを食べてみれば、まあおいしい。けど噛み切れない。

 とにかく、牛タンと生姜ご飯を口の中に掻き込み、お茶で流すことにする。視線を戻せば弁当は全然減っていなくて、あと何回続ければいいのか……。ひとみは勝手に牛たんにした隣の大佐をちょっとだけ恨んだ。

 

 

 

 

 

「――――ところで、米川」

 

 出された駅弁をたっぷり堪能――――駅弁に蹂躙されたともいう――――したところで石川大佐は切り出してくる。ちなみに石川大佐はもちろん既に弁当を完食していた。それどころか新幹線名物と聞くアイスまで食べていた。とてつもなくカタイアイスだったらしく、プラスチックのスプーンがひん曲がっている。

 というかそんなことはどうでもいいのだ。石川大佐の声から真面目な話であることが予想できたひとみは、少し身構えた。

 

「は、はい」

 

「お前は、欧州についてどのくらい理解してるんだ?」

 

 欧州とは、多くの場合ウラル以西のユーラシア大陸のことを……という意味ではない。聞かれているのは欧州の戦局についてだろう。

 

「えっと……北はカールスラント・オストマルクのアルプス国家要塞、南はアドリア海……でしたっけ」

 

「それは中欧の話だな、東欧は? 中東のオストマンやペルシアはどうなっている?」

 

 それを聞いたひとみは一瞬固まった。ペルシア……それってどこだっけ。知識を引っ張り出そうとするが、しかし何も出てこない。おかしい、これでも一通りの国名は授業でならったはずなんだけど……いや、思い出した。ペルシアといえばペルシア湾、ペルシアといえばホルムズ海峡!

 

「ウルディスタンの隣! ペルシア湾北部に広がる国ですよね……たしか今は、亡命政府でしたっけ」

 

「そうだ、2012年に()()全国土を喪失したことにより亡命政府が樹立、現在はニューデリーに居を構えて徹底抗戦を指導している……最近は、ロンドンへの移転を検討しているそうだが」

 

「そうなん、ですか?」

 

 それはつまり、戦局が悪化しているということ。石川大佐はため息をつくように「そうだ」と認めた。

 

「もっとも、極東も悪いには悪いがな」

 

「新羅半島ですよね……漢陽(ハニャン)が落ちたのが、二か月前」

 

 1989年までの凍りついた戦争(Cold War)の『解凍』。そこから始まった数々の騒乱。それは全世界に波及し、欧州はまたしてもネウロイに侵略されようと――――いや現実に侵攻されている。再び、世界に危機が訪れているのだ。わたしがこれから向かうのは、そういう世界。

 

 少しばかり流れる沈黙。

 

「米川、見てみろ」

 

 ちょうど新富士の駅を通過したとの表示が出たとき、石川大佐は沈黙を破った。ひとみを席から立ち上がらせると、通路を挟んで反対……山側の席へと連れていく。

 

「ほら、もうすぐだ」

 

「え? なにも見えませんよ?」

 

「いいから見ていろ。ほら」

 

 

 

 次の瞬間、窓の外に見えていた建物が消えた。河川を通過するための鉄橋に突入したのだ。そしてひとみは目を奪われる……橋を構成する鉄骨の幾何学的な美しさにではない。その向こうに鎮座する存在にだ。

 

 何度も観てきたはずだ。晴れた日はいつも見えたじゃないか。幾度となくテレビでその映像を見たし、天気予報でも報じられている場所ではないか。観光客が増えてからはゴミだらけだって話もよく聞いている。扶桑で一番なんて言われても、三千数百メートルなんて、ヒマラヤの半分――――そんなことを一度でも考えたことを後悔した。ずっと大したことないと思っていたその数字が、自分の想像なんかよりずっと大きかったからだ。

 

 ひとみの前に佇むのは富士の山。

 

 あまりに綺麗で、ひとみは恐怖すらした。目の前にそびえ立つ三七七六メートルの活火山と一メートルちょっとしかない自分の違いを全身で感じて、畏怖の念を抱いたのだ。

 

 

 

「これが扶桑だ――――お前の、守るべきモノだ」

 

「私の……守るべき」

 

 

 しっくり来た訳じゃなかった。そんなこといきなり言われたって分からない。それでもただどっしりと大きく構える富士山を見上げていれば、なんとなくわかった気がした。

 

 わたしにも守れる。こんな感動を与えてくれる素敵なものを守れる――――それだけは確かだ、確かなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか眠ってしまったひとみ。石川大佐に起こされると、すでに広島駅に着いていた。

 

「……なにが乗り心地最高の千里を走る馬だ。一般客がいなくなって(きょうと)からはまるでロデオじゃないか……」

 

 そんなことを毒づく石川大佐と共に業務用エレベータで在来線へと向かう。切符を出そうとしてその必要は無かったことを思い出したり、初めて見るコンテナ積み替え用のカーゴに目を奪われている間に呉線の7番のりばに到着。

 

 駅はすごく賑わっていた。ちょうどそろそろ帰宅ラッシュだろうか?駅案内掲示板を見ると、安芸路ライナー、急行みよし三次行、普通下関行、特急しおじ京都行……行き先が多種多様なら、列車の名前も十人十色。

 

 その中に一つ、長距離列車の欄に、「東京行」という表示を見つけた。寝台急行宮島、という列車らしい。発車は線路を挟んだ向かい側の5番のりば。既に列車は入っているようで……ちょっと背伸びして探してみると、ちょっとくすんだ青い車体が見えた。あの列車が踏みしめる軌道は東京に繋がっているのだ。

 

 広島駅はかなり忙しい駅らしい。後ろをオレンジ色のディーゼルカーが通過していったと思ったら、珈琲(カフェオレ)みたいな色の電車がひとみとブルートレインの間を突っ切っていく。そうかと思えば、真っ黄色に塗られた電車が走り抜けていく。いちいち見ていたら石川大佐すら見失って迷子になってしまいそうだ。

 その後ろをトロトロと、茶色に染まった列車がゆっくり入ってきた。ひとみ達が乗り込む軍用列車。周りがカラフルな分、そのセピア色はかえって目立つ。ここだけ世界が染まってしまったかのようだ。

 

 うん、なんか……いかにも『歴史の教科書から飛び出してきました!』って感じ。果たしてこんなので大丈夫なのだろうか。

 

「随分と古いな……」

 

 石川大佐も同じ感想らしい。それを聞いた案内の駅員が、少し微笑みながら説明してくれた。

 

「確かに古く見えるかもしれませんが、もちろん規格は現行のものですのでご安心ください」

 

「だがそこに『1975年製』と書いてあるじゃないか……」

 

 石川大佐が指さす先には車体に貼り付けられたプレートが。『扶桑鉄道省 鷹取工場 1975年』……民営化以前の代物だ。

 

 とはいえ乗り込まない訳にはいかず、石川大佐はやれやれとため息をついてから乗り込む。さっきのロデオ云々とか、一体自分が寝ている間の新幹線で何があったのだろうか……ひとみは考えてみるが、もちろん答えは出てこなかった。

 

 

 

 

 車内に乗り込むと、どこか懐かしい青と緑の中間のような寒色に塗られた床がひとみを出迎える。椅子は青色の座席。先ほどと同じように石川大佐の隣に座る。

 ちょうどそのタイミングに合わせてやってきたのは鉄道の制服。運転手は忙しくて来れないと説明しながら挨拶してくれる列車の車掌さん。

 

「すみません。ちょっと山陽本線が遅れていますね。その影響で一部呉線にも遅れが出ています。こちらの列車を優先して発車させますので、余り影響はないかと思いますが……」

 

 そう言い終わらないタイミングで、ブルートレインとこちらの列車の間の線路を、貨物列車がすごい勢いで通過しようとして、ドンと大きな音が響き渡った。続いてギイイと耳障りな音……急ブレーキをかけたらしい。外を見れば砂煙が上がっている。

 

「これで当列車が先行できます。信号はもう変わっていますので、運輸指令より指示があり次第発車いたします」

 

 耳を塞ぎたくなるほどの騒音をものとせず、車掌はそれだけ言う。それだけ言うとさっさと車掌室に引っ込んで、それから何かを操作する音と共にドアが閉まる。軽い汽笛が鳴って車体に衝撃、それから走り出す。

 

「それにしても、すごい音でしたね……耳ふさいじゃいました」

 

「戦地に出れば嫌というほど聴ける音だ……それにしても、どうしてこんなに乱暴なんだか」

 

「遅延の影響ですかね?」

 

「知らん。遅延の影響が出ないよう頑張ってくれるのは結構だが、もう少し優しくやって欲しいものだな」

 

 石川大佐は不機嫌さを滲ませながら窓の外へ視線を投げる。つられて外を見ると、隣のブルートレインも動き出していた。やはりダイヤが乱れているせいか、両列車ともにトロトロと走っていく。それは広島駅を出ても続く。

 こんなにぴったり走っていれば寝台列車の乗客とじゃんけんでもできそうなものだが、あいにく列車に乗客はほとんどいない。しかも列車は止まったり動いたりを繰り返すのものだから景色は一向に変化しない。新幹線の後ということもあり静止画でも見せられている気分だ。

 

 退屈だ。まあ言っても仕方がないので、ひとみは雑に詰め込んでぐちゃぐちゃになってしまっている手提げ鞄の中身を整えることに。膝の上に乗っけて、金属製の留め具を開ける。

 

 もう使わない、大っきらいな地学の教科書。修身の授業で使いもしなかった『心のノート』。机に並んでいた教科書ノート類はボストンバッグの方に仕舞ってあるから、こっちに積め込まれているのはこういったしようがないものばかりである。持ってきたのはいいけど使う機会はあるのだろうか。あとで整理しなくちゃ……そんなことを考えていたとき。

 

「……あれ?」

 

 ひとみは数冊のノートに気付く。そう、寮で見つけた見慣れないノート。表紙に書かれた「米川ひとみ」という文字列……あの時は大急ぎだったから何も考えず放り込んでしまったけど、やっぱり自分の字じゃない。自分の書きクセに似せてあるけど、やっぱり違った。

 

 その表紙に「飛行脚整備演習Ⅰ」と書かれた黄色のノート。私の整備演習のノートは緑色のはずに何故か黄色になっているノートを開く。そこには並んでいたのは……自分の字よりもずっと几帳面な字。

 

『「飛行脚整備演習Ⅰ及びⅡ」の()()()()指南』

 

「これ……」

 

「どうかしたのか?」

 

 石川大佐がどこか怪訝な様子で問いかける。答えようと思ったのだけど、それは言葉にならなかった。代わりに漏れたのはこのノートを作った「犯人」の名前。

 

「秋葉……教官……」

 

 ノートにはペンでびっしりと書き込まれたイラストや図。しかも黒・赤・青の三色で見やすく書きこまれている。所々にあるアルファベットの羅列はおそらくオンライン教材のURL、教科書に書かれていない細かな注意事項(ノーティス)や、トルク等の数値管理の早見表なども手書きで書きこまれている。ノートにもページ番号が振られていて、関連するページをすぐ参照できるように工夫が凝らされていた。

 

「まさか……これ、全部?」

 

 震える手で他のノートに手を付ける。飛行技術演習Aには簡単な飛行技術から実戦的な戦闘技術まで丁寧なイラスト付きで書きこまれていた。この丸っこい字はおそらく二人乗りの練習機(T-7)で一緒に飛んでくれた飛行教官のもの。航空力学入門のノートに書かれた右肩上がりの癖の強い字はいつも白衣を着て授業をしていたあの理科の先生のもの。航空ブリタニア語基礎のノートに綴られたとても読みやすいブロック体のローマ字に比べ、どこか崩れた扶桑語の羅列は専門用語だけじゃなくて外国のことも教えてくれたリベリオン出身でノッポな先生のもの。

 

 書き方も内容も千差万別だけど、とにかく詰まっていた。

 

「先生……」

 

「お前のために用意してくれたのか」

 

 石川大佐が口を開いた。

 

「……はい」

 

 ひとみは辛うじて答え、もう一度ノートに向き直る。この文量をまとめるのにどれだけの時間がかかったのだろう。ひとみに欧州行きの声がかかってからまだ一日。事前に知っていたとしても、そんなに時間はなかったはずだ。その間に何冊分ものノートを用意してくれた。その一文字一文字がこんなにも暖かくて、溶けてぼやけ始める。耐えろ、わたしはもう軍人なんだって、熱い目頭へと言い聞かせる。

 

 最後に残った、まだ見ていないノートを手に取る。こんどはタイトルも、名前も何もないノート。それを開く――――直後、必死に耐えていたものが零れだしそうになる。

 

 寄書きだった。寝食を共にしたクラスメイト。とんでもない知識量(マシンガントーク)でひとみを制圧した飛行研究同好会の先輩。結局ジャージだけで道着に袖を通さなかったけどいろいろお世話になった合気道部の先輩や友達。いろんな人が寄書きを残してくれていた。あんまり顔を覚えて居ない人もいる。それでもみんなが寄書きを残してくれていた。

 

 欧州にいっても元気で。米川さんならゼッタイ大丈夫! ハンモックナンバー1が堕ちるなよ! 後から追いかけるから待ってて! 目指せトップエース! メールや手紙待ってるよ!

 

 一つ一つを指でなぞりながら読み進めていく。皆、ひとみのことを案じてくれていた。皆が思い思いに言葉を残してくれていた。似顔絵などを書いてくれている人もいる。

 

「みんな……」

 

 ページを進めていくと文字の雰囲気ががらりと変わった。イラストが減り、グッと字がキレイになり読みやすくなる。教官一人一人が言葉を残してくれていた。きっと机に向かってじっくりと時間をかけて書いてくれたのだとわかる。それに応えられるよう、一字一句見逃さないように読んでいく。

 

 難しかったり、簡単だったり。威勢のいい言葉もあるし、偉い人の言葉をいっぱい引用しているのもあった。そんな先生たちの言葉を一つ一つ読んでいくと……一番最後に筆ペンで綴ったらしい短い一文。添えられていたのは、校長先生の名前だった。

 

 

 

「『てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった』……?」

 

 

 そう言うと石川大佐が軽く笑みを浮かべたのが見えた。石川大佐には意味がわかっているらしい。

 

「これ……どういう意味なんでしょう……?」

 

 

 ノートを見せて聞くひとみに、石川大佐が口を開く。

 

「安西冬衛の『春』という詩だ。聞いたことはないのか?」

 

 素直に首を横に振る。

 

「もう90年近く前の作品だ。韃靼海峡……間宮海峡と言えばわかるか?」

 

「えっと……オラーシャと樺太の間の……」

 

「そうだ。そこを蝶が超えていくという詩だな」

 

「……?」

 

 詩の意味は分かったが、まだ、腑に落ちない。校長先生は何を言いたかったのだろう。そんなひとみに、石川大佐はゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「韃靼海峡はオラーシャ側から見た時の呼び名だ。この詩を読んだ安西は扶桑ではなく、オラーシャにいたとされている」

 

「その安西さんって……」

 

「あぁ、扶桑の人間だな」

 

 ひとみが息を飲んだのを見て、石川大佐は続ける。

 

「……蝶を見ている人間は扶桑へは行けない。自由に空を飛ぶことができないからだ。90年前じゃストライカーユニットもないし、安西は男で魔女ではなかったため尚更だ。海を渡ろうとも荒波砕ける韃靼海峡も通してはくれない。だけれども頼りなさげな蝶々が一匹、春の空の上を飛んで行きつきたい場所へと飛んでいく。弱々しくも健気な蝶は、海をも超える力を持つ。オラーシャから離れられないとしても、心だけでも蝶と共に約束の場所に託せたら。そんな解釈なんだろう」

 

「じゃぁ、校長先生は……」

 

「君を応援してくれている。海を渡った先から、ちゃんと海を渡って扶桑まで帰ってこいといいたいんだろう」

 

 

 優しそうな校長先生の顔が浮かんだ。嗚咽が止まらない。ここまで暖かくしてもらえたのに。わたしになにができるのだろう。わからない。でも、それを考えないことはできなくて。

 

「……この後お前は海を渡る。欧州に行くためだ」

 

 隣から声が聞こえてきた。石川大佐の声だ。空気が喉につっかえそうになり、それを飲み込んだようやくひとみは返事をする。

 

「はい……」

 

「海では真水は貴重だ。こんなところで水分を無駄に消費するな、准尉」

 

 そうだ。いつだってそうだ。わたしには、わたしにはできることがある。できることを精いっぱい、やり続けることができるんだ。それしかないんだ。

 

「はい……!」

 

 

 そう答えるのを待っていたかのように、列車は急にスピードを上げた。同時に、ブルートレインもスピードを上げる。

 

 急に目線があがった。呉線へと向かう線路が、東京へと向かう山陽本線の線路を大きくまたいだのだ。列車は一気に坂を駆け上り、そして駆け降りる。

 

 ブルートレインがひとみの目の前にせり上がってきた。「東京行」という文字がひとみの前にやってくる。

 

 これに乗れば、東京に行けるのだ。みんなの元へ、行けるのだ。しかしひとみは、その列車には乗れない。乗るわけにはいかないのだ。列車は更にスピードを上げ、揺れが一段と大きくなる。列車の連結器同士がこすれる音がけたたましく響き、軽く鋭い風切り音が鳴る。

 

 ブルートレインとひとみの間を、海田市駅のホームが遮った。通り過ぎると少しずつカーブし始める。ここで山陽線と呉線は別れるのだ。列車はブルートレインと離れていく。

 

 向こうから警笛が聞こえた。規格通りの甲高い警笛が、なぜか言葉のように聞こえて。

 

 ブルートレインが見えなくなる。ひとみの目は、もう窓の外を見ていなかった。

 





 ――――米川君

 今これに目を通している君は、まだに扶桑にいるだろうか。それとも、欧州に向かう艦艇に乗っているだろうか。もう欧州で活躍しているのだろうか。もうウィッチを引退しているだろうか。私にはわからないが、君に何か残せることがあればと、今これを書いている。
 遣欧統合軍への配属が告げられた時、未だ十三にも満たない君はどのような気持ちでそれを受けとったのか、私には想像もつかない。恐ろしいと見えたのか、光り輝いて見えたのか、はたまたピンとは来ておらず、その判断を持て余していたのか、わからない。それでもそれを選び取ったことは、君にとって大きなことだったということは容易に想像がついた。本当ならばそれは二年間という時間をかけて向き合い、自分の選択を探すものだ。それだけの時間をかけてたとしても、答えられる人は稀だろうと思う。それを君はたった一日で選ばなければならず、そして君はそれを成した。それは並大抵の人ではできないことだろうと私は考えている。それだけで、君は大きなことを一つ成した。その選択を我々横須賀幼年学校の教員一同はそれを認めて、それを全力で応援する。
 誰よりも早く海を渡り、誰よりも早く高空を飛ぶ君のために、我々教官ができることは少ない。私からは小さなアドバイスしか贈れないが、受け取ってほしい。
 ちゃんと人を頼りなさい。軍人たる君が飛ぶ空は決して希望だけが溢れる空ではないだろう。何度となく無力を嘆いて、何度となく悲しんで、何度となく泣きたくなるだろう。それを一人で背負うのは大の大人でも辛いことだ。軍人でも辛いことだ。だから大人は協力し合っている。協力し合って、辛いことを乗り越えている。周りの大人はその術を知っているから、しっかり相談して、頼りなさい。
 逃げることの大切さを知りなさい。どんなトップエースでも常に戦い続けることはできない。無補給で何日も空を飛び続けることができないように、戦うことができない時が必ず来る。その時は逃げられるだけ逃げなさい。逃げることは恥ではない。戦略的撤退は有効な国防手段であることが証明されている。国は退いていいが軍人が退いてはならないという道理はない。君が飛ばない間の穴は誰かが必ず埋めてくれる。信じて逃げられるようになりなさい。
 生きていなさい。これがなによりも大切なことだ。生きてさえいれば、どんな状況も拓ける。生きることをあきらめてはいけない。どんなに己を無力に感じても、どんなに辛く感じでも、君の帰りを待っている人がいる。隊の仲間が、基地の仲間が、学友が、家族が、友人が、君を必要として待っている。もちろん、私も君が顔を見せに横幼に来てくれることを心の底から待っている。だから、生きていなさい。
 まだ齢十二の幼い君の成長を、短い期間だったが大人の一人として見守らせてもらえたことを心から光栄に思う。いつか成長した君に会えることを信じている。
 武運長久と君の健やかなる健康を願っている。

扶桑皇国航空幼年学校横須賀校 第八十三期学年主任 秋葉大輔


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第三話 「タキシング~ふなで~」前編

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地図に関しては割と情報が錯綜しているので中華大陸を消滅させるか迷いました(アニメでの地図は現実のそれと結構似ているのですが……まあ新大陸はすごい形のままですし)が、基本的には史実の地図をモデルにしていきます。

また統合戦闘航空団編成に関してですが、21世紀では編成の条件がかなり緩和されているものとして執筆しています。そのため、この部隊には五か国以上のウィッチが参加しているわけではありません。
部隊番号が203と500番台でないのもそういった事情からです。


 春から夏へと移り変わるための力強い朝日。五月ともなると夏至へまっしぐらな訳で、起床時間よりも早く太陽が顔を出し、そして太陽光線が窓へと突き刺さる。きめ細やかなカーテンを透過すれば、優しい春の光となって部屋の中へと流れ込んでくる。

 

「……」

 

 ひとみはまどろみから目覚める。ごそりとふかふかの布団から這い出ると、ロボットみたいに固まってしまった身体をほぐすように全身を拗らせる。絹の寝巻きが身体に違和感なく張り付いて、それが逆になんだか変な感じである。時計を見ると……起床時間にはまだ早いが、寝るには全然時間が足りない。そんな時刻。ひとみはベットに腰掛けて、小さくため息。

 

「全然、眠れなかった……」

 

 家では畳の上。幼年学校では二段ベッドの下段で寝ていた彼女にとって、羽毛布団なんて初めての経験。初めての羽毛布団な訳で……なんだろう、すごいふわふわしているのはわかる。石川大佐とは別部屋だったことを利用して飛び跳ねもした。飛び跳ねたというか沈み込んだという表現が正しいのかも知れないけど。

 

 電気スイッチに手をかけ、部屋をもう少し明るくする。天井から床まで雰囲気が統一された内装、この施設の名前も相まって全てが高級品の気が――――いや、実際安物ってことはないんだろうけど――――してくる。なんだか自分の荷物がくすんで見え、そんな自分もここにいるのが間違いな気がしてくる。

 

「はぁ」

 

 なんでこんなことになったのか。それは大体ひとみの上司のせいだ。おかげで昨日から続いている異世界旅行はいっこうに終わる気配を見せな……

 

 と次の瞬間、種類も分からない木材で出来た扉の方からなにやら叩く音。ノックの音が聞こえてきた。大きな声で返事をしようとして、ここがホテル……それも最高級の「扶桑皇国ホテル」であることを思い出して口を塞ぐ。扉の方に駆け寄って、向こう側の相手に聞こえるように返事。

 

「石川だ……起こしてしまったか?」

 

 やっぱり相手は石川大佐。「噂をすれば影」ということわざを思い出しつつ、ひとみは扉を開けた。目の前に佇む大佐は、もう正装に着替えている。

 

「いえ、大丈夫です。もう起きてましたから」

 

「そうか、〇六〇〇時に朝食を手配している。十五分後にこの部屋でだ」

 

 差し出された紙に書かれているのは館内見取り図。小さくマークされたのは……会議室か集会室だろうか? でも……

 

「レストランじゃないんですか?」

 

 いつも忙しい父が旅行に連れて行ってくれたことはない。ひとみにとっての旅行といえば北海道のおじいちゃんへの帰省だけ。当然観光地とは無縁なわけで、従ってホテルに行ったこともない。レストランでは食べないのがホテルの常識なのかもしれない。

 でも案内板で「ご朝食は午前七時よりとなります」と書いてあったように、朝食はやっぱりレストランで食べるものだと思う。

 

 しかし石川大佐の返答は、予想の斜め上だった。

 

「あぁ、確かにレストランではないな……要はルームサービスの応用だ。これならある程度の機密は保たれる」

 

「る、るーむさーびす……」

 

 ルームサービス。圧倒的な響きとしてひとみの中に響く言葉だ。

 

「あとでまた迎えに来る」

 

 ひとみの呆然を質問がないと受け取ったらしい石川大佐は、そのまま扉を閉めてしまった。

 

 

 

 

 

 きっかり十五分後。昨日と同じ正装にきっちり着替えたひとみは、石川大佐と一緒にその朝食を運ばせているという部屋へ向かう。

 

「わぁ……」

 

 またまた初めて見る光景だ。差し込んだ朝日に照らされる部屋。壁に配置されたロウソクを設置できそうな装飾品。天井には……あれ、なんて言うんだっけ? とにかくすごい高級そうな調度品。

 

「あ……」

 

 そして極めつけとして壁に控えてる海軍の士官。石川大佐はすぐに慣れると言ったが、果たしてこの待遇に慣れてしまってもいいのだろうかとは思う。

 まあそれを言っても仕方ない。ひとみは真っ白なテーブルクロスをかけられた二人分にしてはやけに長い長机の脇を進み、食事の置かれている場所へととりついた。石川大佐は迷うことなく正面の席……いわゆる「お誕生日席」に座り、ひとみはその次の席に座った。石川大佐と一緒に食事の挨拶。

 

 無言で進んでいく朝食。朝ごはんにパンが出てくるなんて日曜日だけのひとみにとっては、これもまた非日常の一部。真っ白な皿に載せられた輝く食材たちを、ひとつづつ味わっていく。

 

 

「米川、良く眠れたか?」

 

 不意に石川大佐が話しかけてきたのは、慣れないナイフでオムレツに切込みを入れようとしたときだった。眠れたかと聞かれれば答えはNoなのだが、ここでテンプレ的返答をしてしまうのが扶桑人というもの。

 

「えっと……はい」

 

 そう言えば、お誕生日席に座った石川大佐はあからさまなため息をついてみせた。そして次の瞬間、ひとみを貫く鷹のような視線。

 

「俺は航空団の司令として部下の健康状態を判断しなければならない。それも部下の報告に基づいてな……報告義務違反にあたるぞ」

 

「す、すみません。あんまり眠れませんでした」

 

 急に高圧的になった大佐に、ひとみは肩を縮こませて白状するしかない。一人称が俺だったり何故か男性用のスラックスを履いていたりといろいろ変わっているが、やっぱり本当に現役のウィッチなのだと思い知らされる厳しい視線……そういえば、石川大佐って何歳なんだろう?

 

「ところで米川」

 

 と、話題を変えるように石川大佐。

 

「はい?」

 

「お前には203の説明をしていなかったな」

 

 突然飛び出すのは知らない単語。にーまるさん……数字の羅列? 頭の上に「はてな」を浮かべるひとみ。知識不足は理解しているけれど、今のは軍事用語でもなさそうだ。

 

「203……第203統合戦闘航空団のことだ」

 

「統合戦闘航空団?!」

 

 コップの牛乳をこぼさなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。統合戦闘航空団と言えば、人類連合軍傘下の航空部隊ではないか。そう、あの501空と同じ、とは言わないけどそにかく同格の存在だ……そんなものに、いきなり入ってもいいものなのだろうか。

 石川大佐はそんなひとみを落ち着くよう手で制すると、言葉を続けた。

 

「今はまだ第203統合戦闘航空団『準備室』だがな……正式に発足すれば、極東方面においてオラーシャと扶桑が持つ三つ目の多国籍航空部隊となる」

 

 ネウロイはただただ迫ってきて、人類はそれを迎え撃つ以外に選択肢がない。ネウロイの巣を破壊するまでそれが延々と続くわけなのだから、ネウロイとの戦いはある意味で体力勝負と言える。

 

 だからこそ国際協調が、世界が手を取り合うことが求められるわけだ。極東方面の防衛を担う扶桑・オラーシャは対馬海峡や扶桑海への飛行種侵攻を防ぐために新羅半島の201空、山岳を超えてやってくる陸上種や飛行種を迎え撃つためにハバロフスクの202空を展開しており……203はその続き。つまりそういうこと。

 ひとみは扶桑の皆が知っている身近な統合戦闘航空団と肩を並べる航空団に入ることになってしまったのだ。

 そういえば、渡された書類にも統合戦闘航空団という単語があったようななかったような……今更ながら、ちゃんと文章を読まなかったことを後悔する。名前ばかり急いで書くんじゃなかった。

 

「お前は扶桑の遣欧統合軍に空軍准尉として所属するが、同時に人類連合の一員として戦うことになる。実際に指揮を執るのは航空団長である俺だが、作戦の決定権は……」

 

 具体的な組織の説明に入っている石川大佐。しかしひとみには、それよりもずっと気になる疑問があった。

 

「あの……石川大佐」

 

「なんだ?」

 

 おどおど切り出したひとみに対し、石川は話を遮られたことを咎めることなく聞く姿勢をつくる。

 

「あの、わたしたちって欧州に向かうんですよね?」

 

「そうだが?」

 

「ならその……どうして扶桑で部隊を編成するのでしょうか?」

 

 それを聞いた石川は、一瞬呆気に取られてからすぐ納得顔になる。

 

「ああ、それは簡単だ。なんせ203は――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 デカデカと張り出された広告板には海軍による観艦式の予定。錨マークを施されたブリタニア語の看板は喫茶店だろうか。ここ呉が海軍の街と呼ばれるのはこういう理由だろうかと変なところで納得。舞鶴に行けば通りの名前まで海軍だぞと石川大佐に言われて驚きつつ、呉市街が視界の端を流れていく。

 

 

 そして人気がすっと少なくなる。どうやら軍の敷地内に入ったらしい。こんもりと茂った並木の向こうに見える洋風二階建ては呉鎮守府司令官庁舎。軍隊の基地とは思えない穏やかな風景だ。しかしそれもどこまでも続くわけではなく、すぐに倉庫や工場みたいな建物が立ち並び始める。軍服の人だらけではあるけど、まるでドラマに出てきそうな工場街だ。

 

「呉は我が国で一番安全な瀬戸内海に面しているからな、様々な施設があるのは当然だ」

 

「それで今、ここには……」

 

 ちょっと迷い気味に言いかけたひとみの言葉を、石川大佐が継ぐ。

 

「ああ……もうすぐお前の乗る(ふね)も見えるはずだ」

 

「ホントですか!」

 

 石川大佐がそう言ったので窓の先へと意識を飛ばせば……煉瓦造りの倉庫から灰色の軍艦色が現れた。

 

 ひとみは無言でそれを見る。写真で見たことがあっても本物を見るのは初めてだ。船体と一体化した山は二つあって、まるでラクダのよう。一つ目の山から飛び出す斜めに傾いたマストにはありたっけの観測機器。剣のように研ぎ澄まされた先端に載せられたのはゴツゴツした大砲で……

 

「違う、それは「秋月」だ」

 

「えっ」

 

 ひとみが驚くと、石川大佐の呆れた様子で窓の外を指差す。

 

「お前の艦はほら、あっちだ」

 

 汗をかきつつひとみはそれを見る。岸壁に張り付くように泊まっているその巨体はまるでビルのようだ。平べったくどこまでも続く甲板がこの艦が空母なのだと思い知らせてくれる。その飛行甲板を隠すように右舷には構造物が立ちふさがり、煙突と思しき黒い塗装も「秋月」と比べてずっと大きい。マストはまっすぐ、天へと高く掲げられていた。

 

「加賀だ」

 

「加賀……」

 

 そういえば幼年学校で貰った古典の教科書の後ろにも『加賀』という文字があった。そうそう、昔の扶桑で使われていた旧国名だ。大きな軍艦の名前は旧国名から取るとか先輩が言ってたっけ。

 

「出雲級強襲揚陸艦の二番艦、1995年に就役だから、お前よりずっと先輩だな……旧式だがいい(ふね)だぞ」

 

「そうなんですか……」

 

 そんな会話を交わす間にも「加賀」はどんどん迫ってくる。灰色一色の塗装が大きくなるにつれ、その存在感は圧倒的なものになっていく。ビルより壁と表現したほうがよさそうだ。

 

 

 

 軍用車を降りると、思ったよりも岸壁は騒がしかった。人はそれこそラッタル脇に控える警備くらいしかいないのに、空が騒がしいのだ。見上げると、沢山の白い鳥たちが飛んでいる。

 

 

「加賀を旗艦とする第五航空戦隊……これが、『203空の根拠地』となる場所だ」

 

 

 上を向いているひとみに石川大佐がそう言った。初めて聞いた時もそうだが、やっぱり飲み込めない話だ。オラーシャ公国と一緒に第203統合戦闘航空団を編成するのはわかる。だがそれを扶桑の空母で運用してもいいのだろうか? 石川大佐によれば人類連合が扶桑海軍に補給と整備、団員たちの世話をしてもらっているという形だそうだが……よく分からない。というか海の上なのに「根拠()」って言ってしまっていいのだろうか?

 

「石川大佐……この艦が、わたしを欧州まで連れて行ってくれるんですね」

 

 ひとみは、目の前の巨大な城を仰ぎ見る。年季を感じさせない船体には誇りが漲っていて、まなんでも出来そうなエネルギーが渦巻いているように感じられた。そんな艦に乗ると思うと、なんだかワクワクしてくる。

 

「何を言っている、いくら「加賀」がいい艦だといっても所詮は強襲揚陸艦……刀を収める鞘に過ぎん――――お前が、欧州までの道を切り開くんだ」

 

 そうだった。わたしはもうウィッチ。みんなのために空を飛べるんだった。ひとみはしっかりと「加賀」を見据える。この艦に乗って旅立っても、きっと大変なことがたくさんあるだろう。だからわたしは、それを全部乗り越えなくちゃいけない……。

 

 肩に手が置かれた。石川大佐の手だ。

 

「そんなに肩を張るな。なにも飛べるのはお前だけじゃない……ほら、あれを見ろ」

 

「あっ」

 

 石川大佐の言葉と共にラッタルを駆け下り……いや、手摺を滑り降りて来る影。岸壁の手前でぱっと飛び上がり、ひとみの前方一メートルのコンクリートに着地してみせる。着地の衝撃で揺れる扶桑人とは思えないほど明るい茶色のサイドテール。

 

「大村……あまり派手に動くなと言っているだろう」

 

「石川大佐は分かってませんねぇ、こっちのほうが断然早いんですよ。つまり時間の短縮ですって」

 

 そう言い返すのは紺色の軍服、石川大佐のそれと似ているから……海軍のヒト? 腕に階級らしい何かが付いているが、見分け方を知らないのでどういった階級なのかは分からない。

 

「そうか、楽しそうでなによりだ」

 

「……」

 

 完全に取り残されたひとみ。サイドテールの海軍さんはそんなひとみを見据えてから、にやりと笑ってみせた。

 

「ん、あんたが石川大佐が連れてくるって言ってた新人だね? 私は大村のぞみ、第203統合戦闘航空団準備室所属」

 

「あ、えっと、米川ひとみです。所属は横須k……同じく、第203統合戦闘航空団準備室所属です」

 

「うん、よろしくね~」

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

 そう交わすと大村さんはぐいっと接近。なにか見定めるようにひとみのあちこちを見つめている。

 

「えっと……」

 

「その制服ってさ、幼年学校のやつだよね? つまり横幼?」

 

「え? はい、横須賀幼年学校です」

 

「一年次の制服ってことは……あんたも飛び級組か」

 

「わたしも……ということは」

 

 つまりこのヒトも、わたしと同じように一か月で卒業した83期生ってこと?

 

「そ、呉航空幼年学校の82期。ま、これでも私は2016年度の一年錬成組トップだし……一応私が格上ってことでいいかな?」

 

 は……82期。わたしは83期だから……それってつまり……。

 

「格上もなにも大村、お前のほうが一か月准尉任官は早い……だからそんなよく分からん『格上』なんて持ち出さなくてもお前の飛行組長は揺るがん」

 

「そうだったんですか、そりゃあよかった……ん? ちょっと待って、一か月?」

 

 大村さんの表情が引きつる。ひとみの表情も合わせて引きつる。

 

「そ、卒業試験ポシャった……感じ?」

 

「ち、違います……その……」

 

 どう言えばいいのだろう。目の前の大村さんはちゃんと一年間勉強しているわけで、対するひとみは一ヶ月。

 

「こいつは83期だ……先輩としてしっかり面倒見てやれよ、大村」

 

 凍りついた場を融かすように、石川がぽそりと言った。

 

「な、なるほど……83、期かぁ……83期ィ?!」

 

 ひとみはびくりと肩を震わせた。こんなに大きく驚かなくてもと言いたいところだが、まあ驚かないはずがない。

 ところが大村さんは、もう既に先ほどの、先程以上に楽しそうな顔をしていた。

 

「そうかぁー私より有能な人材がいるのかぁ……こりゃ期待大だね、後輩さん?」

 

 どうしよう……なんか、このヒトとんでもない勘違いをしているみたい。

 とはいえどうしようもない。ひとみは直立姿勢を作ると、ぺこりと頭を下げた。

 

「よろしくお願いします、大村先輩」

「――――ん? 今なんて言った? もう一回言ってくれる?」

 

「え?」

 

 ひとみは顔を上げた。目の前には、さっきとうって変わって期待に満ち溢れた表情の大村先輩。

 

「いいから、もう一回「~お願いします」の後に言った言葉を、ほら」

 

「えっと……大村先輩?」

 

 ひとみの目の前で大村先輩はふふん、と鼻を鳴らした。

 

「うん、先輩、いいねぇ、私もついに先輩かぁ……あ、のぞみでいいよ。のぞみ()()って呼んでね!」

 

 さぁ続け米川ー! そんなことを言いながらのぞみ先輩はラッタルへと走っていく。

 

「あ、あの……石川大佐?」

 

「悪い奴じゃない。大方、お前と同じで浮かれてるんだろう」

 

 ほら、乗り込め。その言葉に突き動かされてひとみもラッタルへと。

 

「ああそうだ大村! 米川は下士官食堂に連れて行けよ! このあと乗員たちにこいつを紹介しなきゃならんからな!」

 

 

 ……え、紹介ですか。石川大佐。もうすでに嫌な予感しかしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして悪い予感ほどよく的中するものだ。向かった先は()()()食堂だというのに待ち構えていたのは少将、大佐、石川大佐、中佐、少佐……といった感じで偉い人ばっかり。しかもひとみが立たされたのは朝礼でいう先生側の列。目の前に控える何十人もの海軍曹士さんたちに圧倒され、三分前にされた自分の紹介文すら覚えていない。

 

「お疲れって感じだね、大丈夫?」

 

 ぞろぞろとガタイのいい男の人たちが出ていく中、声をかけてきたのはのぞみ先輩だ。

 

「はい……大丈夫です」

 

「ならいいんだけどさ、ちょっと気になることがあってね?」

 

 気になること……なんだろうか。身構えるひとみにのぞみ先輩が口を開く。

 

「83期ってことはさ……飛行訓練、過程どこまで進んでる?」

 

 聞かれてしまった。しかし聞かれた以上、答えないわけにはいかない。

 

「その、2-3……です」

 

「2-4をクリアしてようやく航空学生……って言葉は、聞いたことあるよね」

 

 ぐさり。実際その通りなのである。2-4での実践的な課題をクリアして、ようやく航空学生となれる。それは教官の言葉だった。ひとみはまだ、その足がかりすら掴んでいない。

 

「はい、その……ごめんなさい」

 

「あぁーいやまあ、一ヶ月なら妥当だよね……」

 

 頭に手を当てるのぞみ先輩。ひとみが何も言えないでいると、先輩はざっと石川大佐の方へ向き直った。

 

「石川大佐……彼女の訓練は私に任せてくれるって、話でしたよね?」

 

 すると大佐は小さく笑った。

 

「やるのか」

 

「はいっ! 飛行計画(フライトプラン)の作成をお願いしますっ!」

 

「分かった、すぐに手配しよう」

 

 そして石川大佐はぱっと踵を返して出口へと向かってしまう。

 

「えっ、ええっと……?」

 

「米川准尉!」

 

 のぞみ先輩の声が、ぴしゃりと誰もいなくなった食堂に響き渡る。反射でひとみは直立。

 

「練度が足りないのは事実。なら、補うしかない……いきなりで悪いけど、大村家流教練でいかせてもらうよ?」

 

「お、大村家流……?」

 

 なんだ、その凄そうな響きは。ひとみがのぞみ先輩の言葉に圧倒されていると、先輩はにやりと笑った。

 

「大丈夫、私が飛行組長(エレメントリーダー)になった以上は……203空が正式発足する三日後までにあんたを立派なウィッチにしてあげる!」

 

「わっ、分かりました!」

 

 力強く返せば先輩も力強く頷いた。

 

「それでは準備を整え次第、フライトハンガーに集合のこと――――では、解散!」

 

「はいっ!」

 

 そう言われたひとみ。意気揚々と下士官食堂を飛び出した……のはいいのだが。

 

「そういえば……ここ、どこ?」

 

 今日加賀に来たばかりなので、艦内の説明を一切受けていない。下士官食堂に向かうときは先任であるのぞみに付いてきたのだが、いきなりここで解散になるとは思っていなかった。

 

「のぞみせんぱいー?」

 

 ひとみ二人分ほどの狭さの通路を見回すが、先輩の姿は見当たらない。食堂に戻ってみても、やっぱりいない。先輩はもうフライトハンガーとやらに向かってしまったようだ。自分も行かなくては。

 

「と、とりあえずフライトハンガーだから……格納庫で、ハンガーデッキ、だよ……ね?」

 

 ハンガーデッキは……たしか航空ウィッチや航空機の離発着を行うフライトデッキからギャラリーデッキを挟んで2階層下のはず。そんなことをどこかのタイミングで聞いた気がする。

 

「えっと……下士官食堂は……03デッキだから……二つ上、の、はず……!」

 

 そう言いながら滑り止めの効いた床を歩く。非常時でもないのに走ることは厳禁だ。さすが船と言うべきか、天井側をずっとうねるように続く配管を眺めながら上に昇れるラッタルを探す。

 

「ど、どこかに地図ないのかなぁ……」

 

 いくら旧式とはいえこの『加賀』は軍事機密の塊。そんな都合よく地図が張り出されている訳がない。とにかく上層階に上がれれば解決するのだ。見つけたラッタルを覗き込む。

 

「封鎖されてる……」

 

 仕方ないので次のラッタルを。

 

「ここも?」

 

 次。

 

「機関科以外立ち入り禁止……?」

 

 次。

 

「……ここ上がればいいんだよね?」

 

 手当たり次第に探せばなんとかなるもので、上に続きそうな急角度のラッタルを発見。さっそく登ってみる。上がった先には代わり映えのしない廊下が続いていて……どうやら居住区らしい。生活音がするのはどこか安心できた。少々汗臭いのは気になるけど。

 

「あれ……? 兵員区画にどうされましたか? 准尉」

 

 後ろから声をかけられ慌てて振り返る。筋骨隆々というにふさわしいマッチョマンが立っている。海軍式の敬礼が飛んできて、慌てて答礼。

 

「あの……ハンガーデッキに行こうとして迷っちゃって……。今日配属になったばかりで場所もわからないんです……?」

 

 おどおどとひとみが事情を説明すると相手は納得顔。

 

「この通路を通ってもいけないことはないですが、若い女性が一人で通るにはおそらく精神的にもよろしくない状況でしょうし、このラッタルを降りてから38L区画のラッタルを昇るのが一番近いでしょう」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「お役に立てたなら光栄です、准尉」

 

 答礼を返して慌ててラッタルを下る。38L区画は……

 

「そういえば、区画名言われてもわかんないや……」

 

 とりあえずこのラッタルがある場所ではないことは確かだ。進んできた道沿いに上がれそうなラッタルがなかったのは確かなので、もう少し進んでみることにする。船は箱だ。箱からでなければ、いつかは目的地にたどり着く、はず。

 

 

 

 そして数分が経過した。

 

「……本当に、どこなのここ」

 

 塵ひとつない清潔な通路には、ぽつんと佇む絶賛迷子中の米川ひとみ准尉の姿があった。もう現在地もさっぱりわからない。

 

「のぞみ先輩きっと怒ってるだろうなぁ……」

 

 溜息をつきながらとぼとぼと歩いていく――――その時だった。

 

「……よーねかーわ准尉っ!」

「ひゃああああああああああああああ!」

 

 体中の毛を震わせながら文字通り飛び上がるひとみ。背中に指をツーと這わされたのだ。とっさに魔法力を解放してナキウサギの耳と尻尾を振りながら飛び退く。空中で半回転して、背中を撫でてきた犯人と向き合うように臨戦態勢を整えた。

 

「かわいい顔して機敏な反応。結構結構、流石横幼ご推薦かな?」

 

 腰を低く落としたその影はひとみの反応を見て小さく口笛を吹く。

 

「な、な、なな、なん……!」

 

「そんなにナンを食べたければインドにでも行く?」

 

「そ、そんなことは思ってません!」

 

 ケラケラと笑う犯人。長い黒髪をポニーテールにまとめたその人は、満面の笑みを浮かべながら体を起こした。

 

「船の上とは言えここは戦場だよー。不用意に近づかれるような隙を見せる方が悪いのだよー」

 

「あ、あなたは……」

 

「ん? さっきの紹介の時に二つ隣にいたんだけど、覚えてない?」

 

 そう言われて、頭をひねる。二つ隣というと……

 

「……あ! 艦長さんっ!?」

 

「大正解ー。扶桑皇国海軍大佐にして加賀艦長、霧堂(きりどう)明日菜(あすな)。よろしくね、米川ひとみ空軍准尉」

 

 敬礼ではなく右手を差し出され、それをひとみはおずおずと握る。霧堂の体温は高いのか、とても温く感じられた。

 

「よ、よろしくお願いいたします」

 

「そんな硬くしなくてもいいよー。航空隊の石川大佐の方針は知らないけど、少なくとも加賀はそこまでガチガチにはしないつもりだから」

 

「は、はぁ」

 

 軽くウィンクしてそう言う霧堂にどこか戸惑うひとみ。そんなことを気にせずに霧堂は続ける。

 

「こんなところでぼーっとしてたってことは、迷子ってたかな? どこ行こうとしてた?」

 

「えっと……ハンガーデッキに」

 

「だったら、二つ前の角のラッタルが正解だったね。まぁ、今日明日で艦内旅行はしとこうねー」

 

 行こうか、と言って霧堂は歩き出す。どうやらひとみを連れて行ってくれるようだ。彼女の背中で長めのポニーテールが文字通り馬の尾のように上機嫌に揺れる。

 

「いやー、大変だよね、よねっちも」

 

「よ、よねっち?」

 

「米川准尉だからよねっち。あ、、ヒトミンがよかった?」

 

「え、えっと……?」

 

 言葉を濁すしかないひとみに。霧堂艦長はぬるりと振り返る。注がれる視線は値踏みするそれ。相手は艦長、大佐なのだ。しかも海軍。軍が異なる分礼節はある程度必要だろう。

 

「だーから、硬くならなくていいよー。元々私も空軍だしね」

 

「え? でもその制服……」

 

 念のためもう一度確認、やっぱり石川大佐と同じ海軍の制服だ。というか、さっき本人も「扶桑皇国海軍大佐」と名乗っていたではないか。

 背中越しにひとみの困惑を察したらしい霧堂は、顔だけ向けて笑顔を見せてくれた。

 

「うん。ウィッチ経験者で艦とかの指揮を取れる人材ってのが足りないらしくてね、引き抜かれちゃった……知ってる? 航空ウィッチを直接発着艦させる艦艇の長はウィッチ経験者がやるわけ」

 

「じゃ、じゃぁ霧堂艦長は」

 

「これでも(エクス)ウィッチだよ。わかんなかった?」

 

「えっと……すみません」

 

「あはは、気にしないで気にしないで」

 

 ラッタルを上りながら霧堂艦長は笑った。

 

「この部隊なんだかウィッチらしくない人が多いからねー。まぁ、ウィザード疑惑が浮かぶ石川大佐ほどじゃないけどさ」

 

「――――誰がウィザードだ」

 

「げ、石川大佐いたの」

 

 ラッタル上がり切ったところで仁王立ちしている石川大佐が目にとまる。大佐は手元の懐中時計から目を上げて、霧堂艦長を睨んだ。

 

「……米川准尉が遅いから迷っているんだろうと思ってきてみたら、貴様に捕まってたのか、霧堂」

 

「やだなぁ。迷って錨鎖室のあたりまで行ってたひとみちゃんを連れ戻しただけだよ? まだ旅行も終えてない子を野放しにしておいて、その言いぐさはないんじゃないの? 石川大佐?」

 

 どこか面白そうな顔をしてそう言った霧堂艦長。石川大佐はどこか不満そうに鼻を鳴らした。

 

「まぁ、何事もなくてよかったんじゃない?」

 

「……それはそうだが」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 どこか厳しい視線の大佐。米川がとっさに謝ると、さらにバツの悪そうな表情になった。余計にひとみが縮こまる悪循環。それを霧堂が指摘する。

 

「もー。石川大佐が怖い顔するから」

 

「別に俺は責めているわけじゃない」

 

「ウィッチとはいえ普通に女の子なんだから、優しくしないとほらスマーイル!」

 

 霧堂艦長は石川大佐の頬に指を当てて、無理矢理口角を持ち上げさせる。その瞬間、大佐の切れてはいけない線が切れた音が聞こえた。

 直後に打撃音。ひとみはとっさに目を閉じる。

 

「痛っいなぁー。航空団長雑すぎ、いきなり脳天唐竹割りはひどくない?」

 

「人になれなれしく触るからだ……ったく」

 

「石川大佐のそこに痺れる憧れるゥ!」

 

「……もう一発いっとくか、霧堂」

「ごめんなさい」

 

 もう大丈夫だろうか。ひとみがゆっくり目を開けるとそこにはまだ足りないと言いたげに拳を構えたままの石川大佐。一方の霧堂はしゃがみ込んだまま笑みを顔に張り付けている。

 

「もぉー、空飛ぶ美人霧堂を堂々と殴れるのもあんたぐらいだからね石川。トップエースに対しての扱い雑じゃない?」

 

「へ?」

 

 トップエース? ひとみの疑問符に、霧堂艦長はちょっと意外そうな顔になる。

 

「あー、ひとみちゃん知らない? 単独撃墜364の『扶桑製エーリカ・ハルトマン』もしくは『漢陽の黒椿』……はたまた『空飛ぶ美人』こと霧堂明日菜とは私のことだよ?」

 

「へっ? え?」

 

 突然の二つ名の嵐についていけないひとみ。真偽を確かめるように石川大佐を見る。

 

「安心しろ米川。漢陽の黒椿も空飛ぶ美人も『自称』だ……まったく、自分で美人という人間が何処にいる」

 

 石川大佐はそう言った。でも大佐、一番重要なところ訂正しませんでしたよね? つまり『扶桑製エーリカ・ハルトマン』は本当の話ってこと? 大変失礼な話ではあるが目の前の霧堂艦長からエースのオーラなんて全く感じられないわけで……そんなひとみを置き去りにして会話は進んでいく。

 

「悪い? 一応立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花を体現してる自覚はあるんだけど」

 

「口を開けばただのヘクソカズラだろうが」

 

「うわー。雑草扱いされたー。ひとみちゃーん。石川大佐がいじめるぅー!」

 

「勝手に言ってろ、行くぞ米川」

 

「え、私スルー?」

 

 大袈裟に「ショック!」と言いたげな霧堂艦長を置いてあっさり歩いていく石川大佐。

 

「いつまでつかえてるんだ、早く来い」

 

「は、はい! ……で、でも」

 

 ひとみは口ごもる。なんせラッタルのところで霧堂がつかえているので、このままじゃどうやっても石川大佐のところへ行けないのだ。

 

「ん? ああ。お先にどうぞ」

 

芝居がかった動きで霧堂が腰を折り、道を譲る。

 

「ありがとうございます。よいしょっ……と」

 

 

 ひょこひょことラッタルを昇り、ひとみは天井の高い格納庫へと出る。

 ラッタル下から生ぬるい気配を感じるような気がしなくもないが……うん、気のせいだ。そうに違いなかった。



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第三話 「タキシング~ふなで~」後編

「――――遅い、何処ほっつき歩いてんのよ、米川」

 

 

 格納庫にはすでにのぞみ先輩もいた。どうやら搬送用キャニスターに挟まれたF-35FBストライカーユニットを点検しているところだったようだ。

 

「ごめんなさい」

 

 米川が素直に頭を下げるとのぞみは肩を竦めた。

 

「まー置いていった私にも一定の非があるし、今回はしようがないか」

 

 じゃあついてきて、と言わんばかりに背を向けて歩き出す先輩。慌ててひとみは問いかけた。

 

「あの、のぞみ先輩……これから何をするんでしょうか?」

 

 大村家流教練うんぬんとか言っていたけど、実際になにをやるかは全く聞いていない。

 

「何って……そりゃあ飛ばすんだよ。ライトニング(F-35)を」

 

 いやそう答えるだろうなぁとは思ってた、思ってたけども。

 

「わたし、まだ一人乗りのストライカー履いたことないん、ですけど……」

 

 ついでに言えば、まだF-35のマニュアルすら読んでいない。そんなひとみにのぞみ先輩はぐっ振り返った。

 

「じゃあ飛ばないの? 私はそれでもいいけど」

 

 これで飛ばないと答える航空学生がいるだろうか。ましてやここは格納庫(ハンガー)。そしてここに立つわたしは――――ウィッチだ。

 

「そんなことありませんっ! 飛びます!」

 

「そう来なくっちゃね……ほら急ぐ、あんたのユニットの積載始まっちゃうよ」

 

「はい!」

 

 そう言って慌ててパタパタと用意を始めるひとみ。それを見てクスリと笑ったのは後頭部にたんこぶを拵えた霧堂である。彼女は横に立った影へ一言。

 

「初々しくていい子じゃない、石川」

 

「……危なっかしくて見てられないがな」

 

「そんなこと言って、育てる気満々なくせに……あんたにはあんな後輩ができて羨ましいよ」

 

「……奪うなよ、霧堂」

 

 すると霧堂は軽く舌なめずりして見せた。

 

「そんなこと言われると欲しくなるじゃない」

 

 目線でロックオンされたひとみ、寒気を感じて背を震わせる。

 

「……ねぇ、米川」

 

 悪寒の説明がつかないまま装備品一式の詰まったワンショルダーバックを手にしたひとみに、のぞみが耳打ちしてきた。

 

「なんですか? 先輩」

 

「霧堂艦長にはさぁ、なんというか……気を付けたほうがいいよ」

 

「え? なんでですか?」

 

 するとのぞみは躊躇うように間を取る。

 

「あの人ね……()()んだ、ウィッチを」

 

「く、喰う? ど、どういう意味ですか?」

 

「わ、私の口からはちょっと……。知らないなら知らない方が幸せよ」

 

 返事を濁したのぞみ。そそくさと距離を取るように歩き出してしまう。

 

「ど、どどういう意味なんですかのぞみ先輩っ!」

 

 その先に待っているのはストライカーユニットの運搬キャニスター。ひとみの腰ぐらいの高さのある艶のないコンテナがデッキの端の方に鎮座していた。黄色と黒のシマシマの線が床に引いてあり、ここがストライカーユニットの保管場所になっているらしい。のぞみはその中の一つに向けて歩いていく。ひとみも後を追う。

 

「そう言えば米川、自分の飛行脚との対面は済ませてるの?」

 

「えっと、まだ……です」

 

「そう、じゃあ感動の御対面だね」

 

 そう言って、のぞみはキャニスターの天板を操作。ピーという電子音がすると、天板の一部が持ちあがった。空気が抜けるようなプシューという音が響くと持ちあがった天板がスライド……よこにずれるようにして中に入っているモノが見える。

 

 

「これが……」

 

「F-35AライトニングⅡ、あんたの機体だ。他のどんなストライカーユニットとも違う最高の機体よ」

 

 

 そう言われてひとみは一歩前に出た。そっとそれに手を伸ばしてみる。グレーに塗られたストライカーユニットはとてもひんやりしている。

 

「F135-PW-100魔導ターボファン推力機を搭載し、実用高度は15000メートル、行動半径1200キロオーバー。電子式光学画像配信システム(E O - D A S)の導入で高度になったセンサー類、それの統合運用が可能になった最新型よ。機体生産番号はAX4、扶桑で導入されたF-35A飛行脚としては4機目で、誰よりも速く実戦投入されることになる機体ね」

 

 のぞみがそう語ってくれているのだが、残念なことにひとみには届いていない。目の前にある飛行脚に釘付けになっているのだ。足を差し込む場所をゆっくりと撫ぜる。思っていたよりもざらざらとしているような気がした。

 

「――――専用のマルチバイザーは当然最新鋭の第三世代(Gen-Ⅲ)モデル。照準線外攻撃(オフボアサイト)照準能力は維持したまま軽量化。当然ISIE11暗視装置とのリンクや前方監視型赤外線(F I L R)照射装置の結果投影も可能。ウィッチを強力にサポートしてくれる」

 

 ひとみはゆっくりとF-35FAを眺める。くるぶしのところからかかと側に飛び出しているのは垂直安定板。そこにはこの機体の登録番号であろう『72-8904』という数字の羅列が薄いグレーで書かれている。

 

「――――ステルス性重視だからあんまりミサイルとかを数持っていくことはできないけど、その分軽いし、高機動性を活かして相手を叩けるいい機体だと思うわ……って、米川?」

 

 のぞみはそこまで言って、ひとみからの反応がないことにやっと気が付いたらしい。ぽけっとしたままどこかを見ている。

 

「米川ー?」

 

 やはり反応はない。視線の先にはひとみの愛機となるであろうF-35FA。でもそれを見つめているというよりかは、宙に浮いているというか。

 

「ふふーん……?」

 

 のぞみは口角を吊り上げると、ゆっくりひとみの後ろへ回る。そして……

 

「ひゃ!? ふぁにふふんふぇふか!」

 

 口元を引っ張られて我に返るひとみ。両頬をぐいぐいと引っ張る手から逃れようとじたばたするが、のぞみの方が上手だった。

 

「……なーに自分の名前が書いてあったぐらいでにやけてんのよー」

 

 まったく逃れられない。ユニットに小さくH.YONEKAWAと自分の名前が刻んであるのを見つけて少し有頂天になったくらいでこの仕打ち、やりすぎというものではないだろうか。

 

「ひ、ひたいふぇす! ひたいふぇすって!」

 

「額フェスって面白くなさそうなイベントねー」

 

「ふぉんなふぉとふぃってまふぇん!」

 

「そういわれてもなーせっかくキミの機体のプロフィール述べてあげてるのに聞いてないんだもんなー」

 

 そんなことないと言いたいひとみだが、頬を引っ張られていれば言葉にするのも難しい。

 

 ひとみの心の叫びが届いたのだろうか。どこかケラケラと笑う声がした。先輩のでもなければ、もちろん自分自身のでもない。声の方に視線をやると、そこには緑色の繋ぎを着た女性が立っていた……ワッペン型の階級章は中尉。上官だ。頬を引っ張られたままだが、ひとみは敬礼。それを見た中尉は噴き出した。

 

「ほっぺグニグニされながら敬礼する人初めて見たわー。ほらノンちゃん、そんなに後輩をいじめないの」

 

「いじめてたんじゃありません。米川が私の話を聞いていないのが悪いんです」

 

「十分後輩いびりじゃないの?」

 

「後輩ではありません。同じ准尉で同格ですので、加藤中尉」

 

 加藤と呼ばれたその中尉は答礼を返してひとみにむけて手を伸ばした。

 

「米川ひとみ准尉だね? 君が使うF-35FAの機付長を務める加藤聡子中尉だ。よろしく頼むね」

 

「よ、よろふぃくおねふぁいふぃまふ」

 

「ノンちゃんもう離してあげようか、そろそろちゃんと話がしたい」

 

「……はーい」

 

 のぞみがどこか残念そうにそう答えて離れる。つねられていたところが熱を持っていて痛い。

 

「とりあえず堅苦しいの苦手だから公式の場以外はひとみちゃんでいい?」

 

「は、はい! 大丈夫です!」

 

 そう答えると、加藤中尉は小さく頷く。

 

「ん。じゃぁひとみちゃん。この後は君の飛行訓練ってことであってる?」

 

「はい、そうです」

 

「じゃ、そのキャニスターの積み込みいくから見ててね」

 

 積み込みと言われ、ひとみは首を傾げた。積み込み? 積み込みと飛行訓練は関係ないだろうに、というか仕舞っちゃっていいの?

 

「えっと……加賀から発艦するんじゃないんですか?」

 

「あー、石川大佐とかから聞いてないのか。ノンちゃんも教えてないの?」

 

 のぞみが肩を竦めた。どうやらひとみにはまだ教えられていないことがあるらしい。加藤中尉は人差し指を立てる。

 

「とりあえずひとみちゃん、君の機体の登録記号は?」

 

「F-35A……ですけど」

 

「A型は空軍向けの機体ってのは知ってる?」

 

「い、一応……」

 

「じゃあさ、空軍機の離着陸方式って?」

 

「え……滑走路から離陸して……あ」

 

 ひとみの脳裏に嫌な予感が浮かぶ。

 

「まさか……」

 

「気が付いた? F-35Aは通常離着陸(C T O L)機。一応カタパルトや降着機(アレスター)に対応したCATOBAR機ではあるんだけど、カタパルトが付いていない「加賀」からの自力発艦はできない」

 

「そ、そんな……!」

 

 それでは本当にヨーロッパに到着するまで私はただのお荷物ではないか、と絶望するひとみ。その様子を見てのぞみが笑みを浮かべた。

 

「大丈夫。飛ばす方法はあるから安心しなさいな」

 

 のぞみに同調するように加藤中尉がうなずいた。

 

「そ、それってどういう……?」

 

 滑走距離がなければどんな飛行脚も翔べない。「加賀」の甲板を伸ばすぐらいでしか対処できないだろうに……。

 

「ま、見ておきなさいって」

 

 加藤中尉はそうだけ言ってウィンクを一つ投げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、飛ぶ方法ってこれですかっ!?」

 

「そうだけど?」

 

 HV-22オスプレイの回転翼(プロップローター)の騒音に負けじと叫ぶと、加藤中尉は余裕の笑みで頷き返した。どうやら本当にオスプレイから蹴落とされることになるらしい。

 

「わ、わたしこれまで一切F-35を飛ばしたことなんでないんですけど……いきなり落とされるんですか……?」

 

「落とすんじゃないの、離陸手段だから離陸手段」

 

 目の前に鎮座するのは、これからの愛機になるF-35FAライトニングⅡ。床に固定された大きな機械に乗せられているのだが、それに射しこむ太陽光がどこか妖しく見せる。

 

「ん? ライトニングが怖い?」

 

 さっきとは打って変わって恐る恐るその新しい翼を眺めるひとみに、加藤中尉が一言。

 

「いえ、そう言うことじゃなくて……あの、本当に飛行機から発進していいのかなぁ……とか」

 

「まぁ。パラサイトファイターとか20年以上前の理論だからねぇ」

 

「ぱら……なんですか?」

 

「パラサイトファイター。FICON計画とかトムトム計画とか、わかる?」

 

「……ごめんなさい」

 

 しゅんとした表情をしてしまったのか、慌てて加藤中尉は大丈夫大丈夫と言った。昨日からの二日間だけでもう知らないことで頭がパンクしそうだ。

 

「要は大型機に小型機乗せて運んでおこうって話だよ。これなら航続距離が短い飛行機やストライカーでも遠くまで行けるし経済的だからね。だけど、発進はともかくとして回収に難がありすぎるせいで、計画は全部凍結。だけど長い滑走路が確保できないけど無理矢理飛ばしたいときとかは使えるから今でも使ってる訳」

 

「な、なるほど……」

 

「……本当にわかってる?」

 

「わ、わかってます! ……多分」

 

 途中でわからなくなってきたから正直に答える。加藤中尉は苦笑い。

 

「ミサイルとか誘導爆弾みたいなものよ。今このオスプレイは米川准尉の空中発射プラットフォームってわけ。だから安心してね」

 

 安心しろと言われても、ミサイルみたいに玉砕する(ぶっとぶ)ことになりそうで冷や汗は止まってくれない。いや逆に具体例を挙げられたせいで冷や汗は増えた気もする。

 

「大丈夫……なんですよね?」

 

《大丈夫大丈夫》

 

 無線の音声がいきなり割り込んだ。のぞみの声だ。

 

「のぞみ先輩? 聞いてたんですか?」

 

《まぁねー。米川、いいこと教えてあげる》

 

「な、なんですか?」

 

《『ストライカーユニットなんて全部一緒だ!』……ということで一つ》

 

「さっきいろいろ違うって言ってませんでしたかっ?」

 

「あー……もう通信切ってる。聞こえてないよひとみちゃん」

 

 ケタケタと笑う加藤中尉。全部一緒だなんて言われても……正直不安だ。

 

「だ、大丈夫なんですよね」

 

「心配性だなぁ、ひとみちゃんは。大丈夫なようにこれから用意をするの。それじゃ、外周点検(ウォークアラウンド)からいってみようか」

 

 加藤中尉はそう言ってタブレットを振った。今回はチェックリストの読み上げは私がやるわよ、とは加藤中尉の談。暗いオスプレイの中だとタブレットの明かりが眩しい。

 

「じゃぁ12時から時計回りに行くよー。ピトーカバー・リムーブ」

 

「えっと……ピトー管だから……これだ。ぴとーかばー・りむーぶ」

 

 ストライカーユニットの脇に飛び出した管のキャップを取り外す。でかでかと『REMOVE BEFORE FLIGHT』と書かれた真っ赤な札ごと引き抜いた。

 

「そのラベルとキャップは、キャニスターのここに置く。全部定位置があるからね」

 

 加藤中尉がストライカーユニットを床に固定している大ぶりな機械の上を指さした。指さされたところにはPITOT-COVER-Lという字とピトー管のイラストが描かれている箱がついていた。透明なアクリルの蓋を開けて、仕舞う。

 

「ここに入れたら、復唱」

 

「えと……ぴとーかばー・りむーぶ・ちぇっく」

 

全温度計センサー(T A T)カバー・リムーブ」

 

「たっと……カバー……」

 

 ゴテゴテといろんな箱やら紐やらを取り外しては定位置に置いていく。これをやってみるとストライカーユニットが本当に精密機器の塊であることがわかる気がする。つるっとしているイメージがあるストライカーユニットだが、実はいろいろ飛び出しているものがある。なかなかとげとげしい。

 

「次、翼面確認。エルロン・下げ幅」

 

 ストライカーユニットから飛び出した翼にあたる部分の動翼を上からグッと押す。後ろ半分がゆっくりと折れ曲がり、ある角度で止まる。

 

「15.2度、ノーマルです」

 

「エルロン・上げ幅」

 

 操縦翼面にはいろいろ種類がある。今動かした補助翼(エルロン)は左右の傾きを操作するものだし、装着した時にかかとの位置に来るのは方向舵(ラダー)で、くるぶしの位置から横ににょっきり生えているのは全遊式昇降舵(スタビレーター)……これで空気のサポートを受けながら飛ぶ事になる。歴史の教科書の中にいる魔女らしく箒で飛ぶウィッチには必要のなかったものだが、今ではこれがないと大暴走してあっという間にどこかに墜落してしまう。速度が段違いに速くなって、重さも増えたかららしい。

 

 こういうときだと手で動かしても動くのに、魔力を通すとびくともしなくなるんだからストライカーユニットは不思議だ。これがなければまともに飛ぶことが難しいぐらい重要な部品なのに、高々12歳の女の子、しかもその中でもさらに非力な部類に入るひとみの腕の力で動くのだ。これに今から命を預けると思うと、しっかり確認しなきゃという気分になる。

 

 一周ぐるりと回りながら全部のカバーと武器以外の安全ピンを箱に仕舞ったことを確認していく。

 

「外周点検チェックリストコンプリート」

 

「ふぅ……」

 

 一周回っただけでかなり疲れる。これを基本的には毎回やることになると思うと少々気が滅入りそうだ。

 

「疲れてる余裕はないわよ。はい、マルチバイザー」

 

「ありがとうございます……」

 

 手渡されたのはスポーツ用サングラスみたいなゴーグル。レンズの色は透明だし、かなり分厚い眼鏡の()()の部分のせいでかなり重たくて、ちょっとヘンテコな感じだ。でも右のつるには『H. YONEKAWA WO/3rd Lt』と書かれていてなんだか格好いい気もする。

 

「ほら、見とれてないでさっさと掛けないと。下でノンちゃん待ちぼうけだよー」

 

「は、はいっ!」

 

 慌ててバイザーをかける。飛び回っても落ちないように、ゴーグルのバンドを頭の後ろに回して固定する。ピピッという電子音がして、レンズに情報が表示され始めた。扶桑空軍の徽章が現れたり、使用者情報が流れたり結構忙しく画面が切り替わる。

 

「あい、起動したらいよいよストライカーユニット装着だよー」

 

「が、がんばります」

 

 うつ伏せになってストライカーユニットに足を通す。どこか体がムズムズする感覚があって、すぐに落ち着いた。頭の上のあたりに少し違和がある。使い魔のナキウサギの耳が生えた関係でバイザー固定バンドのすわりが悪くなったらしい、ちょっと直す。

 

「はい、プリエンジンスタートチェックリストいくよー」

 

用意良し(ごーあへっど)、です!」

 

「プリエンジンスタートチェックリスト。スロットル」

 

「スロットル・ミニマム」

 

「フューエルコントロール」

 

「カットオフ」

 

 このあたりは幼年学校の訓練と一緒だからわかりやすい。のぞみ先輩の「ストライカーユニットなんて全部一緒だ!」というのもなんとなくだがわかる気がする。

 

「IFF」

 

「え、……あい・えふ・えふ……?」

 

 初めて聞いた言葉に指が止まる。

 

「敵味方識別装置、ウェポンアビオニクスの左上の表示」

 

 そう言われてバイザーを確認する。IFFの表示が薄くなっている。

 

「オフです」

 

「ん、オッケー。次VHF」

 

 今度はわかるVHF航法装置だ。

 

「えと、オフ」

 

「Vmax」

 

「えっと……」

 

「ウェーブオフに使うやつ、スロットルコントロールの左脇。オフになってる?」

 

「えっと……なってます」

 

「マスターアーム」

 

「……オフです」

 

「アンチアイス」

 

「えっと……オフ」

 

「INS」

 

 ……やっぱり嘘だ。『ストライカーユニットなんて全部同じ』なんで嘘だ。使ったことのあるT-7と比べると確認しなきゃいけないものが多すぎる。なんとか慣性航法装置(INS)自律待機(アライン)を確認したら次の指示は『緯度経度をデータリンクで同期させろ』。そんなこと言われても、オスプレイとのINSリンクとかF-35のマニュアル見ても乗ってない。本当にミサイルとして特攻する(ぶっとぶ)プランが現実味を帯びて来た。

 

 そんな調子で四苦八苦。ようやく加藤中尉からプリエンジンスタートチェックリスト・コンプリートの言葉を聞くころにはもう飛ぶ気力を使いきってしまった気がした。しかしどう考えてもここからが本番なわけで……ストライカーユニットに内蔵されたエンジンスターターを起動する。内部回路に切り替えて、外部電源をカット。機能がどんどん生き返ってくる。直後に背後で警告音がする。なにか間違えた?

 

 慌てて振り返るとオスプレイのドアが開いていき、見え始めるのは青空。加藤中尉が武装の安全ピンをまとめて抜いて何かを操作した。

 

「じゃ、頑張ってね」

 

「え? へっ!? まだエンジンも掛けてないですよっ?」

 

「こんな狭いところでエンジン吹かしたらオスプレイごと落ちるでしょ? だから外に出てからスタートね」

 

「それってやり直し効かないパターンですよねっ? わたしまだ一度もライトニングのスタート完全にはやったことないんですけど!」

 

 その概要を教わったのもついさっき。加藤中尉とマニュアルの要点に目を通しただけだ。

 

「大丈夫大丈夫。高度は十分あるから落下しながらウィンドミル方式で点火できるから」

 

「そんなっ!」

 

 そんな問答をしている間にもスロープを下がるようにストライカーユニットを挟んだキャニスターが後退していく。歯車の音がストライカーごしにひとみへと伝わってきて、ここままいったらスロープから落っこちるんじゃなかろうか。

 

「……なんか、ドナドナされてく仔牛みたい」

 

「だったら助けてくださいよぅ!」

 

「私の権限じゃどうにもならないし、どうしてもやばかった時のためにのんちゃんが下で待機してるんだし、何とかなるでしょ、がんばれー」

 

 ミサイルとしてぶっ飛ぶ事すらも叶わず海面とランデヴーの可能性も出てきた。あぁ、なんでこんなことになってるんだろう。ガツンという衝撃と一緒に後退が止まる、横を見ると青い空と白い雲が見える。こんなときでも空がキレイなのはずるいと思う。小さくため息をついたひとみに、加藤中尉がテキパキと指示を飛ばす。

 

「はい無線入れてー、とりあえずストライク管制にコンタクトするね、次回からこれはひとみちゃんやってねー。KAGA-STRIKE, This is VENUSCAREER51,Approaching GOLF2. Ready to launch KITE2」

 

《VENUSCAREER51, KAGA-STRIKE, Roger. KITE2, KAGA-STRIKE, Do you copy?》

 

「えっ……カイト・ツー。リーディングファイブ!」

 

 いきなり無線を振られてなんとか答える。無線の相手は男性らしい。きれいなブリタニア語に答えるけれど、どこか投げやりになる。

 

《KITE2, Revised Clearance》

 

「り、りばいす?」

 

 飛行のクリアランスは編隊長が既に承認しているはず。なんでいきなりクリアランスが出てくるのかわからない。パニックになっているのを察したのか無線の奥がブリタニア語から扶桑語に切り替わった。

 

《カイト・ツー、加賀ストライク管制。修正版の飛行承認を伝達します。用意は?》

 

 四角四面な無線だが、声色が優しいためそこまで威圧感がない。少しホッとする。

 

「は、はい! 大丈夫です!」

 

《カイト・ツー、演習空域ゴルフ・ツーでの訓練飛行を承認します。空域内では高度3万5千フィートを超過しない範囲における、全ての高度、全ての方位の飛行が許可されます。演習海域内ではカイト・ワンの指示に従い、VFR方式で飛行してください。以上復唱を》

 

「こちらカイト・ツー。ゴルフ・ツーでの訓練飛行を許可。空域内3万5千フィートを超えない範囲で、カイト・ワンの指示に従い、VFRで飛行します」

 

《復唱確認。ゴルフ・ツーへの進入を確認。無線をカイト・ワンにハンドオフ》

 

《こちらカイト・ワン。遅いっ!》

 

「ごめんなさいっ!」

 

 無線が切り替わった瞬間に飛んできた声。ひとみは反射的に頭を下げる。ところがストライカーユニットに足を通してうつ伏せになった姿勢のまま頭を下げようとしたので、思いっきりキャニスターに頭をぶつけてしまった。地味に痛い。加藤中尉が噴き出す気配。

 

《……まぁいいわ。とりあえず降りてきなさい》

 

「えっと……まだ、心の準備が……」

 

《 い い か ら 降 り て き な さ い 》

 

「ひゃい……」

 

 とりあえず降りてこないと下でお冠らしい。あとでどういわれるだろうとか思っていると、無線にケラケラという笑い声が乗った。加藤中尉だ。

 

《じゃぁ、ひと思いに逝っちゃおうか。射出シーケンス開始するねー》

 

「しゃ、射出!? あとやっぱりこれ危険なんですかっ?」

 

《大丈夫大丈夫。クルビットターンみたいにバック転するように吹っ飛ばすだけだから》

 

「なんでわざわざバック転なんですかっ!?」

 

《あ、上半身とか顔とかオスプレイのスロープでヤスリ掛けしたい?》

 

「それはいやですけど! 痛いのいやですけど!」

 

《いけるいけるゥ》

 

「全くいけないですからっ! なんか『いく』の字変な漢字当ててませんかっ!」

 

《気のせい気のせい。じゃぁ行くよー》

 

「待って、心の準備がぁ――――――っ!」

 

 ピープ音が聞こえると同時にガクンと衝撃。うつ伏せから体が跳ね上がるようにばねが解放された。ストライカーユニットのロックも解除。文字通りバック宙をするように体が持っていかれる。昔絵本で見た投石具で投げ込まれる石ってきっとこんな気分だ。

 

 太陽が頭の上から足元へとぐるりと動く。そのまま上下に太陽が動いていく。青と白がずっと回っていく。それが怖くて目を閉じる。

 

《はい、エンジンスタート!》

 

「エンジン……スタート……!」

 

 耳に入った声に反射で答える。そうだ、エンジン始動しなきゃ。魔力を足に徹す。直後、一瞬火災警報がついて消える。火災警報装置試験終了。いつでもこれで火を入れられる。

 

《ほらちゃんと頭下げなさい! ちゃんと体で行く先を制御する!》

 

「そんなこと、言われても……!」

 

《風を見て! ちゃんと空気取り込めるように安定させないと吸気不足でエンジン落ちるわよ! ほら目を開けた!》

 

 骨伝導式で云々と説明を受けたバイザーから声が響く。風切り音が耳を押す。それでもゆっくりと目を開けた。そうだ、飛ばなきゃ。バイザーの高度計の数値がガンガンと減っていく。後3500フィート、海面から1キロをそろそろ割った。

 

《そう、頭を下げて! そう!》

 

 自分の周りをぐるぐる飛びながら、のぞみさんが叫んでいる。頭を海面に向ける。これも結構怖い。雲はなくて、真下には海が見えている。

 

 エンジン、スタート。一気に魔力が足から吸われていくような変な感覚。それと引き換えに速度計と高度計の回転が速くなった。加速して、海面に突っ込もうとしている。

 

《ほら、ゆっくり引き起こし!》

 

 エンジンの回転数が50%を超えた。もう十分に出力は出ている。無事エンジンがかかったのだ。グッと体を逸らせるようにして上昇させようとする。

 

「えっ……? 高度が上がらないっ!」

 

《無理に引き上げたら落ちるよ! 慎重に!》

 

「ちょ、ちょっ……!」

 

 速度が上がりすぎているせいなのか引き上げが重い。どんどん高度が下がってきていよいよ砕ける波頭までくっきり見えてきた。最初で最後のキスは海面でしたとか笑えない。

 

 

 

「上がってぇぇえええええええええ!」

 

 

 

 細かい振動が足に伝わる。それでもゆっくりと角度が変わりだした。あと、300メートル。250、200……

 

 

 次の瞬間、一気に舵が効き始めた。海面をなぞるように角度を変える。ドンッ! という衝撃で進路がぶれるがすぐに落ち着いた。

 

《オッケー、3000まで上昇して。やればできるじゃない。ヒヤヒヤしたわよ、米川准尉?》

 

 横に並ぶように速度を合わせたF-35FBから無線が飛ぶ。もちろんそれを履いているのは今回の編隊長を務めるカイト・ワンこと大村のぞみ海軍准尉だ。

 

《次からは落下率を少なくしてかないとね。無駄に落下してるからあんなことになるの》

 

「そんなこと言われたって……」

 

《大体、1回分のバック転で大体オスプレイのローターの危険域から外れるぐらいには降りてるんだから。さっさとエンジン回しなさい。しっかり一回分回ったら水平飛行(レベルオフ)のタイミングで吹かせばそこまで落下せずに高度と速度維持できるんだから、しっかりやりなさいよ。空戦では高度は命よ》

 

 そう説教しながら高度を上げていく編隊長を追ってひとみも高度を上げていく。ある程度の高度を取ったところで、編隊長がくるりとひとみの方を見た。

 

《ま、今のが次からの課題ね……とりあえずは――――ようこそ、超音速(ライトニング)の空へ》

 

 そう言われてはっとする。そうだ。今私が履いているのはライトニングⅡ飛行脚。それは即ち、超音速で飛べる足があることを意味する。

 

「はいっ! よろしくお願いします!」

 

《足手まといになるなら置いていくからね。とりあえずはホイールワゴンからやっていくから、しっかり私の後ろをトレースしなさい》

 

 前を行くライトニングが一気に右に傾いた。それに合うようにバンクを揃え、追いかける。

 太陽の日差しが暖かく感じる。背筋を伸ばして進む。

 

 

 

 少しだけあの時の『そら』に近づいた気がした。

 



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第四話 「ホールド~にちじょう~」前編

「――――出雲級強襲揚陸艦、設計は1990年。設計は海軍艦政本部で製造は石垣島播磨重工。一番艦の「出雲」の就役が1994年なあたり……典型的な解凍戦争型の艦だよねぇ」

 

 

 

 艦内の照明は昼も夜も同じだ。隔壁が開いているとは言えここは外部から隔絶された密閉空間な訳で、ひとみとのぞみの足音もよく響く。

 

「基準排水量は1万と9500トン。ウェルドックもないし収容能力は歩兵400名とイマイチ。ベースになった日向級ヘリ母艦の艦載機(ウィッチ)運用能力に陸軍の輸送(ゆそうかん)随伴艦への補給(ほきゅうかん)という役割を下手に持たせようとした割には排水量が増えてないから……まあ強襲揚陸艦を名乗るのにはちょっと能力不足な感じになっちゃったんだね――――でも考え方を変えるなら、出雲級は難民400名を収容しつつ航空ウィッチ一個編隊&ヘリ八機分の整備能力を持ち、さらに随伴艦三隻への水燃料供給が可能という超多目的艦(エキサイティングな)仕様! カタパルトもジャンプ台なく空母としては能力不足とか言われてるけど、はっきり言ってこいつと随伴艦だけで一海域は任せられるね」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 正直、1万と9500トンで小柄と言われても十二分に重いと思うし、ウェルドックという言葉は初耳だ。ウィッチ一個編隊を運用できるのはすごいと思うけど……。

 

「ま、次代の河内級3万2000トンは出雲級の拡張に加えて何故かVLS復活で多目的艦化し(おかしいことになっ)てるんだけどねー」

 

「は、はぁ……」

 

 話についていけないひとみに、のぞみはくるりと振り返ってため息をついてみせた。

 

「あんたねぇ、これから何ヶ月もお世話になる船のことに興味ないの?」

 

「そんなことは……」

 

 ないのだ。ないのだけど……どこがどういう風にすごいのか分からないのである。多分これをいうと目の前の先輩は怒るだろうから言わないけど、実は「強襲揚陸艦」という単語自体、なにそれ強そうといったレベルの認識だ。

 

「まー、ストライカーほど直接命を預けるわけじゃないけどさ。とりあえずこの艦だけでもマスターしよ? そのための艦内旅行でしょ?」

 

 もうストライカーのことだけでいっぱいいっぱいだと言うのに、このヒトはまだ知識を叩き込めというのか。艦内旅行って部屋の配置が覚えられればいいんじゃなかったっけ? いろいろ言いたいことはあったけど……今のひとみにとっては一つの言葉で十分だ。

 

「……というか先輩、「加賀」広すぎじゃないですか?」

 

 初日からさっそくひとみが迷子になってしまったのを受け、もう道に迷わないようにと始まった艦内旅行。案内してくれるのは「ひとみを放置した罰」としてのぞみ。罰という割には喜々として案内してくれる先輩の解説も聞きつつ、先程からずっと歩いているのだが……これがなかなか終わらないのである。

 

 

「横須賀や佐世保の正規空母(スーパーキャリア)様と比べてみりゃ小さい小さい」

 

「比べる対象おかしくないですか!?」

 

「でも大和とかだとほぼ同じ大きさになっちゃうしなぁ……」

 

「え……そんなに「加賀」って大きいんですか」

 

「出雲級の全長は248m、全幅38m。戦艦大和は263mに39m……さっき言わなかったっけ?」

 

「えーと……言ってなかった、と思い、ます」

 

 少なくとも大和の全長は聞いていない。というかそんな数字を川みたいにさらさら流されても覚えられるわけがない。

 

「まあ結構時間かかっちゃたけど、そろそろ終わるから……終わったら夕食の前に航空脚整備の復習でもしよっか」

 

 そう言いつつのぞみは歩いてゆく。ひとみは続こうとして……ふと、扉が少しだけ開いていることに気がついた。ここは兵士や難民の収容に使う区画だから普段は使わないはずなのに、なぜか電気がつけっぱなしになっている。掃除の人が消し忘れたのだろうか。

 

 電気を消そうと思ったひとみは扉を押す。普段は強固にロックされている扉も、開いていれば軽い。すうっと扉の向こうの視界が開けた。思ったよりも部屋は広くて、壁にいくつも取り付いた小さな丸窓から夕日が差し込んできている。

 

 

 そこに、ひとつの影。

 

 

 見たことのない制服だった。石川大佐のでもないし、のぞみ先輩のでもない。もちろん加藤中尉のそれとも違った。見る限り正装ではなさそうだから作業服か戦闘服だろうその制服に、少しくすんだようで、うねりのある銀髪が首筋あたりまで伸びている。そんな後ろ姿を見たひとみには、その影がどこか遠くを見ているように感じられた。まるで存在しない世界を見つめているような、不思議な雰囲気。

 

「米川、どした?」

 

「あ、のぞみ先輩……その、あれ」

 

 なかなかついて来ないひとみに気がついたのぞみも戻ってくる。彼女もまた扉から顔を出すと、急に真面目な顔になった。

 

「あれ? いや、なにも見えないけど?」

 

「……え?」

 

 ひとみは慌てて視線を部屋の中に戻す。すると影がかき消えていた――――なんてことはない訳で。

 

「ほ、ほら、あそこに影が……」

 

「いやだから、なにも見えないって……米川まさか」

 

 のぞみはぐっとひとみに顔を近づけると、離した。

 

「……艦内旅行の行程追加だね、こりゃ」

 

「え?」

 

 困惑するひとみ。対するのぞみは部屋の中を見る……彼女の視線は影を捉えていない。

 

「米川あんたさ、幽霊って……信じる?」

 

「え……」

 

 なにを言ってるんだ、この人は。ひとみはそんな横目でのぞみを見たが、しかし彼女の眼はまっすぐひとみへと注がれている。

 

「加賀の怨霊――――どうやら、あんたにはそれが見えるらしいね……」

 

「そんな……」

 

 その時だった。影がこちらにゆらりと向いた。静かに一歩ずつ歩んでくる……ひとみの方へと。

 

「あっ先輩、こっちにやってきm」

「目を逸らしちゃ駄目!」

 

 いきなり叫ばれ、ひとみは肩を縮こませる。

 

「せ、先輩?」

 

「軍艦加賀は特に怨念の強い子だ。先代の加賀は栄光の戦艦、世界最強の戦艦と叫ばれつつも軍縮条約で殺され、関東大震災で二度殺された……そして、今世に強襲揚陸艦として生を受けようと、その怨念は少しも収まらないどころか、余計に増えていると聞く」

 

 そうこう言っている間にもどんどん近づいてくる影。夕日にその白髪がなびく。あと八メートル。

 

「え? え?」

 

 七メートル。

 

「気をしっかり持ちなさい米川……」

 

 五メートル。口を結んだ影は無表情のまま、テレビで見た幽霊みたいに肌は青白くないけど、でも真っ白な肌。扶桑人のそれとは似てもに似つかない。あぁもうダメだ。わたしのほうにまっすぐ向かってくる。きっと食べられちゃうんだ。頭を首ごとがしっと掴まれて、手足を拘束されて、身体中から魔法力と血がなくなるまで吸い尽くされてしまうに違いない。な、なにかしなくちゃ……!

 

「あっ、悪霊退散っ!」

 

 わたしにできること。それがこれだった。一応航空幼年学校の制服は巫女服がモデルだし、効果はあるはず……たぶん。

 

 しかしあと一メートル。両手がすうっと伸ばされてきた。気だるげな視線は焦点があっていないように見え、それが此の世の存在でない証拠にもなる。

 

「きゃっ……」

 

 ひとみは耐え切れず、目をギュッと瞑ってしまった。世界が暗闇に堕ち、感覚がなくなっていく。

 

 

 

「いたた”った”た”た”あ”た”た”っ――――!!」

 

 

 

 切り裂くように聞こえてきたのは、()()()()悲鳴だった。

 

「のっ、のぞみ先輩っ!」

 

 目を開く。差し込む赤い太陽光に照らされたひとみ視界に入ってきたのはのぞみがその影の手に絡められている光景だった。首に手が回され、かっちりと締め上げている。影とのぞみの体格差はおおよそ20cm。のぞみの抵抗は無意味だ。気道を絞められたのか、悲鳴すら聞こえなくなる。

 た、助けなくちゃ……そうは思うのだが、身体はセメントでも張り付いたかのように動かない。でも固まってたらのぞみ先輩がやられてしまう。いやそれどころか先輩がやられたら次の標的は間違いなく自分だ。動け、動けわたし!

 

 その次の瞬間だった、影が喋ったのは。

 

「……幽霊じゃ、ない」

 

「え?」

 

 ひとみは別の意味で動けなくなる。そりゃ幽霊が「アイ・アム・ゴースト」なんて言うことはあり得ないのだが、問題は次に続いたのぞみの発言だ。彼女は首に回された細い腕をぺちぺち叩いてから、喘ぐように言った。

 

 

「――――わかった分かった! 悪かったってПрасковья(プラスコーヴィヤ)!」

 

 

 その言葉を受けるとのぞみはその影にもたれ掛かるように全身から脱力。大きく息を吸ってるあたり、相当キツく絞められていたようだ。

 

「あ、あれ? のぞみ先輩? 先輩は、見えてなかったんじゃ……」

 

 しかし目の前の光景はそれを否定する。のぞみは思いっきりその影にもたれ掛かっているし、その影もしっかりとのぞみを支えていた。

 

「……いやー、私もここまできれいに引っかかるとは思ってなかったよ」

 

 掌を団扇にしながら笑って見せたのはのぞみだ。

 

「ひ、引っかかる……?」

 

「『よく分からないもの』の象徴であった魔法力ですら科学で解明される時代だよ? 幽霊が実在するにせよその次元はこの世界と絶対違うんだから物理的に干渉されるわけないじゃん」

 

 目の前の先輩から放たれるのはさっきまでのとほぼ真逆の意味を持つ言葉。いや確かに、こうして聞いてみるとこっちのほうが断然説得力あるけど!

 

「つまり……のぞみ先輩、わたしのこと騙したんですか?」

 

「そ、一芝居打ったってわけ。これぞ大村劇場の面目躍z……まってやめてもう一度絞めようとしないで」

 

 するりと首に手が回されたのを見て慌てるのぞみ。ひとみはそのさっきまで戦艦加賀の幽霊だと思っていた影を見やる。というかよく考えたらこんなに扶桑人離れした雰囲気の人が扶桑の幽霊な訳がないわけで……とするとこの人は誰なんだろう。

 その問いに答えるように、人影が前に出てきた。

 

「……Прасковья(プラスコーヴィヤ)  Павловна(パーヴロヴナ) Покрышкин(ポクルィシュキン)

 

「ぷ、ぷらこびゃぱーぶろぷら……?」

 

 これは……名前? 名前を言っているのだろう、多分。しかしそれにしたって長い。とても長い。覚えられる自身がないひとみ。

 

「コーニャ」

 

「え?」

 

「……コーニャで、いい」

 

 そして沈黙。ひとみもコーニャと名乗った人影も黙ったまま。この時間の意味を考えたひとみは、目の前のコーニャはこちらが名乗るのを待ってくれているのだということに気づいた。

 

「よ、米川ひとみです」

 

「……」

 

 するとコーニャは、そのままクルリと振り返って……通路へと出ていってしまう。

 

「え?」

 

 ひとみも慌てて通路へと出る。その頃にはコーニャは思ったよりもずっと早いペースですたすたと歩いていってしまった。

 

「まあま、コーニャはああ見えて無口だから、どうか勘弁してやってよ」

 

 後ろからのぞみの声。勘弁もなにもさっきまでの一連の騒動はだいたいこのヒトのせいなのだが、今のひとみにそれを咎めるほどの気力はない。

 

「先輩、コーニャさんってどこの人なんですか? 制服も扶桑のじゃなかったですし……」

 

「オラーシャだね。ハバロフスクあたりの基地から来たって聞いてるよ」

 

「お、オラーシャですか……ということは」

 

 ひとみは石川大佐の言葉を思い出す。第203統合戦闘航空団は扶桑とオラーシャによる多国籍部隊。

 

「そ、我らが203の大事な僚機ってわけ」

 

「そうだったんですか……」

 

「なに? うまくやれるか不安?」

 

 のぞみがひとみを覗き込んでくる。

 

「いえ、そういうことではないんですが……」

 

「あ、ちなみに中尉だよ」

 

「え?!」

 

「じゃあ私らもいこうか」

 

 ちゅ、中尉ってことはわたしより二階級も上ってこと? というかのぞみ先輩、上官にあんな態度とっていいんですか?! そのひとみの困惑をすべて無視してのぞみは通路の先へと行ってしまう。

 

「ま、まってくださいよう!」

 

 

 ひとみは後を追いかける。なんというか、いろいろ不安であるが……とにかく、頑張らなくちゃ。その思いでひとみは後を追いかける。あやうく走りそうになったのは内緒だ。

 

 

 

 

 

 そんなわけで長い艦内旅行も終わり、スタート地点であるハンガーへと戻ってきたひとみ。既にストライカーユニットはきれいに収納されており、オスプレイの加藤中尉は何かの部品の前で作業していた。今日の復習を少ししているうちに、すぐ夕食の時間が迫ってきてくる。時間の流れはいつも早い。

 

「……ところで、のぞみ先輩」

 

「なに、米川?」

 

 ロッカールーム代わりになっていたハンガーすぐの待機室で、幼年学校の制服に着替え直して荷物を持ったひとみ。ひとつだけ気になることがあった。

 

「わたしの部屋って、どこですか?」

 

「……気になる?」

 

「はい」

 

 そう言えば、のぞみは一秒ほど静止。それから僅かに視線を逸らした。

 

「一応私と同室。まあ下士官だからね」

 

「じゃあなんで案内してくれなかったんですか?」

 

「え、それはあれだよ、どうせ後で行くでしょ? そん時は私も一緒に行くし……」

 

「……のぞみ、隠してる」

「わわっ」

 

 真横からぬっと現れたのはさっきの影、コーニャだ。

 

「いつも通りの神出鬼没ね……で、何しに来たの?」

 

「……隠してる」

 

「隠し、てる?」

 

「ん」

 

 ひとみがそう聞くと、コーニャはうなづく。冷や汗をかくのはのぞみだ。

 

「い、いいや? 別になにも……」

 

 それにしても不思議な反応である。のぞみ先輩らしくもない……そう考えてみると、ひとつの可能性が導き出された。そういえばこういうヒト、幼年学校にもいたよね。

 

「……も、もしかして、先輩の部屋ってきt」

「違う! 愛国心に溢れてるだけ!」

 

「え、それってどういうことですか?」

 

「……ん」

 

 うなづくだけのコーニャ。のぞみは一度床を見てから、キッとひとみコーニャ両名を見据えた。

 

「なるほど、米川は私の部屋が汚いと考えてるわけね……わかった。なら私の部屋になんの非もないことを証明してあげよう……」

 

 そう言うと、のぞみは振りかぶって……脱兎の如く駆け出した。

 

「三分、いや三十秒ちょうだい!」

 

「やっぱり片付けるつもりじゃないですか!」

 

 ひとみの声も聞かずにハンガーから消えてしまうのぞみ。残されたのはひとみとコーニャだけ……あとついでに、肝心の「ひとみの部屋の場所」は分からず終いだ。

 

「ど、どうしよう……」

 

「……ついて来て」

 

 それだけの言葉が聞こえる、ひとみが振り返るともうコーニャは歩き出している。

 

「え、コーニャ中尉?」

 

「ひとみの部屋……となり」

 

 それってつまりひとみの部屋の隣がコーニャの部屋という意味だろうか? とりあえずついて行くひとみ。

 

「あの、コーニャ中尉……ありがとうございます」

 

「……よびすて」

 

「え?」

 

「よびすてで、いい」

 

「そ、そんな!」

 

 ひとみは准尉。コーニャは中尉だ。軍組織において最も重要なのは規律。即ち縦方向の関係である。幼年学校では小学校と違って先生に気安く話しかけてはならないと言われていたし、やっぱりそこはしっかりした方がいいような気がする。ひとみが抗議すると、コーニャは振り返った。

 

「気にしない、のぞみもそうしてる」

 

 確かに……のぞみ先輩はコーニャ中尉のこと、呼び捨てにしていたっけ。というか幽霊扱いしたり呼び捨てよりもひどい扱いしてたよね。

 

「分かりました……コーニャさん」

 

 でも呼び捨てはどうかと思ったのでさん付けだ。コーニャさんは「ん」とだけ返してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食の後は石川大佐と一緒にブリタニア語の授業。

 

 第203統合戦闘航空団は人類連合の部隊であり、その公用語は基本的にブリタニア語なので、書類などは全てブリタニア語で扱われる。あとついでに言えば航空管制もブリタニア語。世界はブリタニア語で溢れている。203だって、参加する国と人員が増えればブリタニア語での会話を求められるようになるだろう。

 そんな訳でブリタニア語の授業だったわけだが……まさか「扶桑語禁止」の授業だとは思わなかった。普段は使わない脳細胞まで動かした気分で、もうクタクタだ。そして部屋に帰るとのぞみ先輩が

 

「じゃあ授業の復習もかねて、航空史クイズ大会でもしよっか。もちろん全部ブリタニア語で」

 

 ……なんて言ったもんだからたまったもんじゃない。専門語はみんな表意文字である漢字に置き換えてしまう扶桑語と違い、表音文字なブリタニア語の専門用語なんて覚えてないと分からない。というかのぞみ先輩ってブリタニアと扶桑のハーフなんですか。確かに茶髪にしては明るめだと思ってたけど……語学力でもこのヒトに勝てそうになかった。

 

 ともかく先輩に航空ブリタニア語をみっちり叩き込まれたひとみ。クタクタにクタクタを積み重ね……ひとみは就寝時間になると同時に眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 それがいけなかったのだ。ベッドの上でひとみは目を開ける。昨日眠った皇国ホテルよりかはずっと硬いけど、眠るのには十分なベッド。寝心地が悪いなんてことは全くなかったし、むしろやっと「らしい」場所に戻ってきた気分だった。

 そう、だからついうっかり、寝る前に行きそびれてしまったのだ。

 

 ベッドから起き上がり、部屋の中を見回す。もちろん就寝時間を過ぎているので電気は落とされている。上段で眠っているのぞみ先輩を起こさぬよう、静かに扉へと向かって……開けた。

 

 失念していたわけではないのだ。通路を明るく照らしてくれていた照明は落とされていて、かといって常夜灯があるから真っ暗な訳ではない……。

 

「……ど、どうしよう」

 

 無理だった。ひとみの体は小さい。背の順で並ぶと小学校では常に最前列。幼年学校でもそうだった。見た目と心は異なるものだと先生は言ってくれたが、やっぱり心も身長に比例して小さい。どうしてこの前人未踏の夜の通路に踏み出せというのだろう。「加賀」は精密機械の塊だ。そこに存在するのは効率化を目指したが故の機能美のみ。のっぺりとどこまでも続いている通路の天井や側面に蛇みたいな配管がうねっているのがなんだというのだ。常夜灯が妖しくひとみを誘うのがなんだというのだ。艦内旅行はちゃんとした。お手洗いまでの距離、必要な処置を施すのに必要な時間、往復にかかる時間。今ならそれらをレポート用紙にまとめ、そこからリスクを算出して審議会にかけてやってもいい。絶対にひとみは無事に帰って来れると証明できr

 

 

『軍艦加賀は特に怨念の強い子だ』

 

 

「……!」

 

 ごめんなさい……やっぱり無理です。

 

「のぞみ先輩、のぞみ先輩」

 

 ベッドの梯子に登って、上で寝ている先輩を起こしにかかる。

 

「のぞみ先輩……」

 

 小さく呼びかけても起きる気配はなく、夢を見ているのか何事かを呟くだけ。

 

「攻撃目標はぁ……赤坂表町、大蔵大臣邸……」

 

 先輩、なんて物騒な寝言を言ってるんですか……大きな声で呼べば起きてくれるのかなとは思ったけれど、そんなことをする勇気もないわけで。

 

「やっぱり、ひとりで行くしか……ない、のかな」

 

 石川大佐の部屋はむしろ遠いし、他に頼れそうなヒトなんて……そこまで考えたとき、ひとみの脳裏に浮かんだのは隣の部屋だった。

 

 

 

 自室は安全圏だ。だとすれば、すぐに逃げ込めるようにしておけばいい。ボストンバッグで扉を開いた状態にしておいて、隣の部屋の前に立つ。もし、もしだ。もしもノックして誰も返事しなかったら、自分ひとりで行こう。大丈夫。ひとりでだっていけるはず……多分。

 

 鉄の扉を叩く。木の扉をノックするのとはまた違う感覚と音。ひとみは二回しか叩かなかったのですぐに静かになる。そりゃあ寝てるよね、こんな時間だし。そう思いながら腕時計を見ると……ちょうど丑三つ時。時計なんか見るんじゃなかった。

 

 ガチャリ。扉が開いて、ぬっと出てきて見下ろすのは白い顔。

 

「ひゃっ……」

 

 自分でノックしたくせに、いきなり開いたので驚いてしまう。

 

「……」

 

 もちろん相手はプラスコーヴィヤ・ポクルィシュキン……コーニャだ。

 

「えっと……コーニャさん」

 

「……なに」

 

 首を傾げるコーニャ。対峙するのはひとみ。

 

「あの……一緒に、その……」

 

「……わかった」

 

「え?」

 

 まだ何も言っていないのにコーニャはうなづく。それから部屋を出てひとみの手を取った。雪みたいに白いと思ってたその手は、思ってたよりずっと温かい。

 

「……」

 

 無言でコーニャはひとみの手を引いてく。歩幅の違いもあって、あれよあれよと引っ張られる間にたどり着いてしまった。

 

「……ここ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 パチリとスイッチを押して照明を付ける。ここから先は大丈夫だ。

 

「あ、あの……コーニャさん」

 

 待っててくれますか? そう言おうと思ったとき、先手を打つように放たれる一言。

 

「……おやすみ」

 

「……えっ? あっ、あのっ……」

 

「……」

 

「そ、その……」

 

 なんというべきか。臆病なのは恥ずかしいことだ。でもコーニャさんはどうやらわたしがトイレの場所を知らなかったと思っているようで、このままだと帰っていってしまう。そんなことされたらひとみは朝まで漂流を余儀なくされてしてしまうというのに……でも、言い出しづらい。

 思いっきり顔に出ているのだがなかなか言い出せないひとみに、オラーシャ人が一言。

 

「……こわい?」

 

「は、はい……」

 

 そう言うとコーニャさんの無表情が、少しだけ柔らかい無表情になった気がした。

 

 

 

 

 

「……いいんですか?」

 

「ん」

 

 手を洗って出ると、コーニャさんがなにかの缶を差し出してきた。見てみるとそれは缶ジュース。そこの自販機で買ってきたらしい……艦内旅行の時は一風景としてスルーしてたけど、よくよく考えてみると軍艦に自販機が積んであるのはおかしな話だと思う。今度のぞみ先輩に聞いてみよう。

 

 そんなわけでひとみとコーニャ、二人は「加賀」の飛行甲板へと出てきていた。もちろん暗い艦内や食堂をひとみが嫌ったからだ。甲板に椅子とかはないのでそのまま座る。のぞみ曰くF-35Bの垂直離着艦に対応した耐熱加工が施されている飛行甲板は、冷たくて気持ちいい。

 

 まだ呉の岸壁に係留されている「加賀」。そんな飛行甲板からは呉の街並みがよく見えた。空には東京よりもたくさんの星が瞬いているけれど、いかんせん幼年学校が山奥だったせいで星が少なく見えてしまう。

 

「じゃ、じゃあ……乾杯?」

 

「……ん」

 

 アルミ製の缶が触れ合って、それから二つのプルタブを開ける音。そういえば炭酸水を飲むのなんて本当に久しぶりだ。舌の上で泡が弾ける感覚を味わう。

 

「そういえば、コーニャさんって」

 

「ん」

 

「とっても扶桑語、上手ですよね……どこで習ったんですか?」

 

 扶桑語の習得は外国人にとっては相当に難しいと聞いたことがある。島国であるが故に、言語がかなり独自に発展したのが原因らしい。コーニャさんの母国語はオラーシャ語だから……発音だって簡単じゃないはずだ。

 

「……ひとりで、勉強してる」

 

「すごいですね……わたしなんて、一対一で教えてもらってもブリタニア語とかよく分からないのに……」

 

「……ひとみは、ブリタニア語好き?」

 

 その問いにひとみは少し困った。他の中学と違って幼年学校では英語の試験がある。どれほど苦労させられたものか……その苦労が蘇ってくる。わずか三ヶ月前の話だからすごい鮮明だ。

 

「好きじゃ、ないです」

 

「……好きになったら、覚えられる」

 

「そ、そういうものですか?」

 

 外国語は勉強しなきゃいけないもの。そう考えているひとみにとってはよく分からない言葉だった。

 そして流れる少しの沈黙。ひとみはコーニャを横目でじっと見る。甲板に座った彼女がどこを見ているのかは分からなかったけど、なにかわたしの知らない、大事なものを見つめているような気がした。

 

「コーニャさんの、好きなものってなんですか?」

 

「……コンピュータ」

 

「こ、こんぴゅーたー……」

 

 コンピュータって好きなもの? ピンと来ないひとみに、コーニャは表情を変えずに続ける。

 

「ん……プログラムとか、つくる」

 

「へ、へぇ……すごいですね」

 

 コンピュータープログラミングなんて雲の上の言葉なひとみは、それ以外に言葉の返しようがない。

 

「……ひとみは?」

 

「へ?」

 

「ひとみの好きなもの」

 

 それを言われたひとみ。もちろん即答できる問題だ。

 

「――――もちろん、501空です!」

 

「……どうして?」

 

「どうしてって、どうしてもです!」

 

 もちろん原稿用紙に書けと言われれば書けるし、それこそ何十枚も書いてやろう。でもここならそんな言葉はいらない。それで伝わるって思ったら、ひとみはそれだけ言った。

 

「わたし、欧州にいったらいっぱい活躍して、それで501空みたいな大活躍をしたいんです! だからここに来たんです!」

 

「ん……頑張ろ」

 

 そう言ったコーニャは、頬を緩ませて……小さく笑った。無表情よりずっと素敵な表情が、夜空に映える白い肌が輝いた。

 

「はい! 頑張りましょうコーニャさん!」

 

「……さん」

 

「へ?」

 

 ひとみは目を丸くした。さん? Sun?

 

「さん、やめて」

 

 それだけ言われれば分かる。「コーニャさん」のさん付けのことだ。

 

「え、でも……」

 

「そらでは、みんな一緒……違う?」

 

「あ……」

 

 昼の空を思い出す、わたしの新しい空。わたしたちは203という一つの大きな翼。その空を、ひとみはコーニャやのぞみと一緒に飛ぶことになるのだ。

 

「ん」

 

 ひとみはコーニャに向き直る。もう無表情に戻っていて、目も気怠げだったけど……しっかりひとみを見据えている、ような気がした。

 

「じゃあ……コーニャ、ちゃん?」

 

「ん、ひとみ」

 

「うん……コーニャちゃん、よろしくね!」

 

 

 帰り道の通路を、もう怖いとは思わなかった。



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第四話 「ホールド~にちじょう~」後編

 その後は飛行訓練に座学。時計を見る間もないほどの訓練にのぞみが言っていた「大村家流教練」の恐ろしさを感じつつ……あっという間に編成式を迎えてしまった。

 

 春にしてはちょっと強めの陽気を目の当たりにしてもめげず、見事なまでの直立で整列した正装の男の人達。装備された楽器類が互いに援護し合う形で岸壁から勇ましい軍歌を披露する。日差しに照らされて金色に輝く軍楽隊。そんな風景に見とれるひとみ。

 

「うわぁ……かっこいい」

 

「呉鎮守府の軍楽隊による行進曲……私的には陸軍分列行進曲の方が勇ましくて好きなんだけどねぇ」

 

 その横で呟くのはのぞみだ。

 

「分裂行進曲?」

 

「……今度動画サイトで見せてあげる」

 

 それからのぞみは大きく空を仰いだ。雲量は3か4。ポツポツと雲が浮かんでいる。

 

「晴れてもいるし、極端に日差しが強いわけでもない……いやはや、まさに絶好の式典日和! お偉いさんは5月26日の海軍記念日にやりたかったらしいけど、26の予報は雨だしやっぱし今日が正解だったよ、ねぇポリエステル中尉?」

 

「……Покрышкин(ポクルィシュキン)

 

 のぞみのどう考えてもワザととしか思えない呼び間違えに、訂正するだけのコーニャ。ひとみも初めて聞いたときは驚いたというか呆れたものだが……数日一緒に過ごしてみれば分かる。これはもはや二人のルーティーンだ。突っ込んでいては疲れるだけなので、ひとみもスルーして会話を続ける。

 

「でも、先輩。編成式ってあれだけでおしまいだったんですか?」

 

「うん、まあ形式的に過ぎると言われればアレだけど、今回は一応欧州への緊急派遣だしね。そんな何人も呼ぶほど時間がなかったんでしょ」

 

 のぞみがそう返す。呉鎮守府司令の訓示とかはあったけど、なんだか式自体はあっけなく終わってしまった感じがあった。もしかすると卒業式や入学式が長すぎるだけなのかもしれない。

 そんなことを考えていると、のぞみはにやりと笑った。

 

「それにしても……あんたの空軍制服、大き過ぎると思ってた割には似合ってるわね」

 

「え? ホントですか?」

 

 そう言われてひとみはもう一度自分の制服を見てみる。純白のジャケットには青の縁どり。空軍航空ウィッチ候補生の准尉だけが着用できるそれは卸したてで、自分でも『着られている』感覚がある。正装用のマントもどこか落ち着かない。北海道にいたことがある身としては、マントを羽織っていても暖かくないのがかなり違和感があって落ち着かない。ジャケットタイプの制服は初めてだし、いきなりダブルのボタンは着るのも難しかった。襟の合わせの奥のストラップは結局一体どこのボタンに掛ければよかったんだろう……?

 

「もう、身だしなみには注意しなさいよ、米川。アンタは航空ウィッチで皆の憧れ高根の花だし、アンタ背中を見て下士官は動くのよ、准尉殿。しっかりなさい」

 

 そう言いながらも、のぞみはひとみの襟元を正した。濃紺の細いリボンはしっかり綺麗に結んだつもりだったのだが、及第点スレスレだったらしい。直すなら式典の前に直してほしかったような気もする。

 そうやってすこし膨れていたが、のぞみが言っていた文言を思い出す。襟に貼り付けられた階級章と袖のラインが示すのは准尉、そして……胸に輝くのは航空ウィッチの証である金メッキが光る片翼のウイングバッジ。わたしも正真正銘のウィッチなんだと思い知らせてくれる。

 

「その百面相とニヤケ顔さえなければ本物のウィッチなのになぁー」

 

 そう言うのぞみ先輩の顔もいつもより緩んでいて、今日も無表情を貫き通しているのはコーニャちゃんぐらいだ。

 

「そういえば……石川大佐はどこいっちゃたんですか? 加賀に乗り込んでから見かけませんけど」

 

「あー、石川さんなら艦橋だね。一応203は第五航空戦隊の航空隊みたいに運用されるわけだし、戦隊司令部との連携は大事だからね」

 

「なるほど……」

 

「おっ、ほら米川、あれ! あれ見て!」

 

 と、急に声に興奮を滲ませるのぞみ。ひとみがその方向を見ると……僅かに見えたのは軍艦の姿。灰色のそれはゆっくり瀬戸内海を滑っていく。すぐに加賀の側舷に隠れてしまう。

 

「113……高波型の「漣」。五航戦所属の艦だね」

 

「さざなみ……なんだかきもちよさそうな名前ですね」

 

「うんうん。扶桑の艦名は人名とか使わないからカッコイイよね……まあ、裏を返せば扶桑式の名前がダサいってことなんだけど」

 

 戦艦信長なんてダッサいの進水したら私は腹切ってもいいね。そんな人が聴けば真っ赤になりそうな言葉を平然と吐くのぞみ。ひとみは聞かなかったことにして、話題を変えるように別のことを聞く。

 

「他に五航戦にはどんな艦がいるんですか?」

 

「秋月型の「秋月」「冬月」が防空役として配備されてるね。それと水底の用心棒として潜水艦「瑞鶴」。あと確か、欧州に派遣されるってことで村雨型も二隻応援に来るけど……彼女らは厳密には五航戦の所属にならないはず」

 

「そうなんですか……」

 

 そして曲調が変わる。行進曲が終わり、別の曲目へと移ったのだ。その曲を聞いたのぞみは、思い出したように口を開く。

 

「そういえばさ……ゴールデンカイトってどう思う?」

 

「203の名前のことですか?」

 

 ひとみがそう返すと、のぞみはうなづく。

 

「ゴールデンカイト・ウィッチーズ……203空の通称にて、ガチガチの扶桑語に直すのなら金鵄航空団。我が国の神話にも登場する霊鵄で、これのおかげで皇帝は勝利できたとかいう話だったかな」

 

「へえ……すごい鳥さんなんですね」

 

「まあ戦いを勝利に導いてくれるのならこれほど嬉しいものはないし、そんな霊鵄の名を借りて戦えるのは光栄なことだけどさ……」

 

 それだけ言うとのぞみはひとみから視線を逸らしてしまう。そんな会話を交わす間にも「加賀」は曳船に連れられて岸壁を離れていく。軍楽隊もたちまち小さくなり、あんなに大きく見えたはずの軍艦たちも、工場施設も小さくなっていく。その風景はだんだんと呉の街並みに移り変わり、そしてそれすらも小さく、背後の山々と交わりながら地平線となっていく……。

 

「さらば呉! 私の一年間!」

 

 のぞみ先輩が叫んだ。先輩は笑っていた。

 

 

 2017年5月23日。人類連合軍第203統合戦闘航空団「ゴールデンカイト・ウィッチーズ」は正式に発足。同日扶桑皇国海軍の第五航空戦隊に便乗し――――欧州へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 何もすることがない、というのは嘘だ。ひとみの手には今化学の教本があって、視界に入ってくるのは元素表。元素を覚えるのにぴったりだと教えてもらった歌をイアフォンから聞きつつ、ノートに書いてあることを読み取っていく。小学校では習わなかったことばっかりなので、読んでいるだけでも十分楽しい。

 でも、ちょっと気になることがひとみにはあった。

 

「あの……のぞみ先輩?」

 

「ん?」

 

 ひとみの言葉を受けてのぞみが雑誌から顔を上げる。「世界の艦艇」と書かれたその雑誌にはデカデカと空母の写真。

 

「あの、これで任務なんでしょうか?」

 

「あー、退屈なら外の空気でも吸ってくる?」

 

「あいえ、そんなことは……」

 

 そう言えばのぞみは雑誌を閉じた。ひとをダメにするとウワサになってるクッションから立ち上がると、少しだけ背を伸ばす。

 

「いいのいいの、別にあんたは三十分待機だからブラブラしてて大丈夫なワケだし」

 

「そうじゃなくてですね……こう、ここまでのんびりしてていいのかなぁ、と」

 

「アラート任務なんてこんなもんでしょ、ねえ?」

 

 そういってのぞみはコーニャに目配せ。コーニャは分厚い本から目を離すと、肯定も否定もせずに本へと視線を戻した。

 

「……」

 

 これ以上言葉が続かずにひとみは椅子に座る。この椅子だってただのパイプ椅子じゃない。柔らかく座り心地のいいやつだ。霧堂艦長に「どれがいいー?」と何種類かの椅子やソファを並べられた時には驚いたが、なるほどこうやって長時間座っているなら選ぶ必要もあったわけだ。

 でもなんだろう、この変な感じ。アラート任務っていわば戦いに備える任務なわけで、もしもネウロイがやってきたら次の瞬間には飛び出さなきゃいけないわけだ。そう考えると、なんだかむずむずしてくる。

 

「やっほーヒトミン」

 

 と、そんな待機室に新しい人影が。霧堂艦長だ。

 

「艦長、艦橋に戻ってくださいよ」

 

「うっわ、せっかく僅かな時間を見つけて会いに来てあげたのに、相変わらずノンちゃんは面白くないねぇ」

 

 呆れた様子ののぞみと言葉を交わしてから、霧堂艦長はひとみへと向き直る。

 

「どう? 椅子の座り心地は?」

 

「あっ、はい大丈夫です」

 

「悪いねー時間がないからって私がほとんど決めちゃって」

 

「いえ、そんなことは……」

 

 すると霧堂艦長はひとみにぐっと顔を近づけてくる。

 

「んー?」

 

「な、なんでしょうか……」

 

 近い。艦長の笑みに溢れた顔がすごい近い。

 

「それっ」

 

「ひゃあっ!」

 

 途端におでこにパチンと衝撃が。思わず目をつむるひとみ。デコピンをされたのだと気付くのに二秒ほど。

 

「あははは、ヒトミン緊張しすぎ」

 

 そうやって霧堂艦長は笑う。それから頭を守るように抱えたひとみに一言。

 

「あのね、こういう場所では緊張したら負けなの、ほら、リラックスリラックスぅ!」

 

 それからひとみの両脇に手を伸ばし、細かく指先を動かしていく艦長……いわゆる「コチョコチョ」というやつだ。

 

「ひゃ、ひゃああ! たっ助けてください先輩!」

 

「……そんなこと言われても」

 

 抵抗しようにもすっかり力が抜けて手も動かせない。必死に逃げようと背を向ければかえって背中からしっかりホールド。

 

「つっかまえったぁー」

 

「わぁあぁああ!」

 

 艦長の手が脇からだんだん下っていって肋骨あたりを通過、ひとみの柔らかい脇腹を好き放題に――――

 

 

「……うちの貴重な戦力になにをしている」

 

 見えないところから石川大佐の声。途端に解放されるひとみ。危ないところだった、もう笑いすぎてお腹が張り裂けそうだ。椅子にへたりと座る間に、二人の海軍大佐が会話を交わす。

 

「あれ、艦隊司令との協議もう終わったの?」

 

「俺が仕事をこなす間に、貴様は随分なご身分だな」

 

「だって私があそこにいたら司令の援護しなきゃいけないじゃん? いちおう上司だし」

 

 すごいややこしいのだが……ひとみが属する第203統合戦闘航空団は石川大佐が率いる人類連合の部隊。対して「加賀」をはじめとする第五航空戦隊の艦艇は扶桑海軍が直接運用している。つまり石川大佐は人類連合で、霧堂艦長は扶桑海軍。指揮系統が違うらしいのだ。どう違うのかはのぞみ先輩が丁寧に説明してくれたのだけど……正直ひとみにはピンと来ていない。

 

「それで石川大佐、オスプレイの指揮権どうなりました?」

 

「ああ、一応米川のオスプレイだけは確保させてもらった……予備機はナシだがな」

 

 少し苦そうな表情で返す石川大佐。了解ですとだけ返して雑誌に目を戻すのぞみに変わって、霧堂艦長がひとみを見ながら言った。

 

「そんなことより石川団長、あなたの部下ガッチガチに緊張してるわよ」

 

「……俺には貴様に怯えているようにしか見えんが?」

 

 ひとみを一瞥してから非難の色を滲ませる石川大佐の声。霧堂艦長はにへらと笑ってみせる。

 

「ガッチガチだったからほぐしてあげたんだって、感謝しなさいよ?」

 

「米川、何かあったら言えよ……よし、203注目!」

 

「またスルー?!」

 

 背後の霧堂艦長を無視して、石川大佐は待機室の全員に向き直った。どうやら霧堂艦長とは違い、石川大佐はひとみたちに伝達する事柄があるらしい。

 

 

「我々は正午前に関門海峡を通過し、午後には舞鶴からの駆逐艦「曙」と「有明」が艦隊に合流する。その際に行われる艦隊運動訓練に合わせ、203は着艦訓練を行うことになった。昼食後には飛ぶことになるが……外洋での着艦は全員初めてだからな、心してかかるように」

 

 

 

 

 

 

 

 

 准尉であるひとみの食事場所は基本的に下士官食堂だ。主計科の人から食事をもらうため、ステンレスのお盆をもって十数人の列に並ぶ。のぞみの後ろにひとみ、その後ろにコーニャが並んだ。

 

「あーそうそう、石川さんから昼食まで黙っているように言われてたんだけど……実際には私らのアラート任務のシフト割は全員一時間待機になるから」

 

 その言葉を聞いたひとみは首をかしげた。一時間待機ならハンガー脇の待機室にいつもいる必要がない。

 

「え、じゃあ実際にはアラート待機はしないんですか?」

 

「うん、戦闘脚使うのが二人だけじゃシフトなんて組めやしないし……あとついでに言えば、五分待機やれるの私のF-35FBだけだよ? 流石に24時間はあそこから動けないのは生物学的に無理だって」

 

「……た、確かに」

 

 先輩のいうことももっとだ。それに下士官食堂が別世界に感じるほど待機室(あのへや)はどきどきする。あそこにずっと詰め込まれてるなんて……押し黙ったひとみに、のぞみは笑いながらいう。

 

「まああんたを発射するV-22(オスプレイ)だけは飛行前整備終えた状態で待ってなきゃいけないんだけどね……そういう意味では、203付きのオスプレイが一機しかいないっていうのは厳しいんだよね。厳しいというか、詰んでる? 北条少将も融通効かせてくれればいいのにね」

 

 そんなことを話すうちに順番が回ってくる。のぞみがお盆を差し出し、すぐにひとみもお盆を出す。工場のロボットアームみたいな極められた動きで盛り付け。

 盛られた内容を見たのぞみがポツリと呟いた。

 

「あそっか、今日は金曜だったねぇ」

 

「え? 金曜がどうかしたんですか」

 

「……カレー」

 

 後ろから小さくコーニャの声。振り返って見るコーニャの影はやっぱり大きい。そのお盆に盛られているのも、やっぱりひとみと同じカレーライスだった。

 

「扶桑の、カレー」

 

「ほら二人共、つっ立ってないで早く座る」

 

 いつの間にか席に着いていたのぞみを追って座るひとみとコーニャ。周りから雑談が聞こえてきて、下士官食堂はのんびりとした空気だ。

 

「というかひとみ、海軍カレー知らなかったの?」

 

「海軍カレー?」

 

 ひとみがそうオウム返しに聞くと、のぞみはやや驚いた様子になる。

 

「うん、海の上だとテレビもねぇ ラジオもねぇ 車はそもそも走ってねぇで曜日感覚が薄れやすいでしょ? だから毎週金曜日の昼食はカレーなの」

 

「……なるほど」

 

 なぜカレーなのかは分からないけど、とにかくそういうものらしい。そんなひとみに、のぞみはスプーンを振ってみせた。

 

「しかも! カレーのレシピは基礎が決まっているだけで残りは千差万別門外不出! 口承によってのみ受け継がれた艦艇の歴史でもあるんだね。ちなみに、「加賀」のカレーは一度蒸気鍋を使って野菜がルーに溶けきるまで煮込まれ、その後に食べるための野菜を投入する念の入れよう。1995年より続く二十二年の研究により完成したクミン、コリアンダー、オールスパイス、カルダモン、クローブにシナモン、その他スパイスの調合比は……」

 

 コン。スプーンで机を叩く音。のぞみの解説が一瞬だけフリーズ。

 

「……また加えて牛肉ベースで長時間煮出した濃厚なブイヨンを使用。しかもホールトマト缶を使うことにより、フルーティーさとマイルドさを兼ね備え、かつ飽きさせない辛さ! 煮込む際にローリエを葉で入れることもこだわりと言えるね」

 

 コンコン。スプーンで机を叩く音。さっきより強い……が、めげずにのぞみは続ける。

 

「……そして米に対するこだわり! 通常の炊き方と比べると、水を少なめにして炊くことにより、やや固めの白米に! さすがにサフランライスや長粒種を用意するのは難しかったみたいだけど扶桑のカレーというジャンルが確立された今、最も相性がいいのはやはり短粒種! 弥生時代より続く、まさに扶桑文化の代表といっても差し支えないものだよ! つまりあれだ、扶桑カレーには扶桑文化が詰まってるんだよ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「先輩、長いです……」

 

「え? まだまだ大村家流カレー談義は続くけど?」

 

「そっちは、お腹いっぱい……いただきます」

 

 お預けにされ続けたコーニャがついにカレーを頬張る。小さく口を動かして咀嚼し、喉がこくりと動く。お気に召したのだろう、コーニャは表情筋を一切動かさずに喜ぶという器用な真似をした。

 

 

 

「……おいしい」

 

 追加情報のごとく呟いたコーニャに、なぜか自慢げになるのぞみ。ふふんと鼻を鳴らしてみせる。

 

「そりゃあもう、扶桑海軍のカレーは世界一だからね」

 

「……なら、早く食べさせて」

 

 不満げに言いながら、再びスプーンにカレーを掬ってぱくり。

 

「……毎日、食べたい」

 

「や、でも金曜日に食べる決まりだし……」

 

「金曜日を、増やす」

 

「まってそれ本末転倒」

 

「……土曜カレーの、復活?」

 

 表情はそのままで首だけ傾げるコーニャ。のぞみの顔が引きつった。

 

「あれれ、ポリエチレン中尉も意外と詳しいわね」

 

「……Покрышкин」

 

「米川はどう? 加賀カレーの感想は」

 

 突然話題を振られてひとみは少し慌てた。カレーは具が多くてコクがあって、ちょっと海の上の食事とは思えないレベルだったからだ。

 

「すごい美味しいです……」

 

 石川大佐もいい(ふね)だとは言っていたけれど、本当に「加賀」はすごい。毎食違ったメニューはもちろん、どれも皆美味しいのである。しかも牛乳までついてくる。

 

「無事に士官佐官になれれば、ビフテキとかも食べられるようになるよ」

 

「そっ、そうなんですか?」

 

「もちろん……というかコーニャも無理せず士官のほう行けばいいのに」

 

 というか先輩がきちんと「コーニャ」というのを聞いたのは何げに初めてだ。そんなことに驚くひとみに、コーニャは無言のまま首を振った。

 

「ならいいけどさ、私もポリカーボネート中尉が一緒のほうが楽しいし」

 

「あ、もどった」

 

「……戻ったって何さ」

 

 思ったことが漏れてしまったひとみに、のぞみがじとり視線を送り――――その時だった。

 

《石川より全203隊員へ》

 

 常に装着しているようにと石川大佐に指示されていた魔導インカムが鳴った。電池切れの心配がないこのインカムは、空中では通信距離不足が指摘されるものの……艦内や基地にいるときはこの上ない高性能通信機である。石川大佐は続ける。

 

《その場で待機だ、いいな?》

 

「えっ……?」

 

 その時だった。耳をつんざくようにベルの音。一気に現実を切り裂いた甲高い音が、ひとみたちの耳に突き刺さる。下士官食堂が瞬間に緊張し、次の指示を待つ姿勢を取る。続いて唸るスピーカー。ヒトの声を電気信号化し、それを音に戻して伝える。

 

『総員、対空戦闘配置。総員、対空戦闘配置』

 

「対空戦闘配置!」

 

 ひとりが叫び、それを受けた全員が走り出す。誰も目の前に置かれた食事を顧みたりはしない。

 

「わ、わたしたちも行かないと……」

 

「バカッ、石川さんから通信あったでしょ。ここで待機」

 

「あ……はい」

 

 それから通信。スピーカーではなくインカムの方。

 

《接近してきているのはAS4。高速突撃特化型だ、お前らを上げる時間はない。そのまま待機だ》

 

「……了解」

 

 その言葉を受けて、のぞみは顔をしかめた。それだけで椅子に座ってしまう。

 

「あ、あの……避難とかしなくていいんですか?」

 

「食堂は応急修理要員の待機場所。どういう意味かわかる?」

 

「え、えと……」

 

 のぞみは答えられないひとみに対して淡々と答えた。

 

「応急修理要員は被弾時のダメージコントロール(ダメコン)を担っている。この人たちが怪我しちゃ修理もなにもないでしょ。つまりどういうことかというと、ここは相当に安全。私たちを待機させておくには最高の場所ってこと……なにも出来ないことを除けばね」

 

「そんな……」

 

 そんな間にも、下士官食堂に放置されたステンレスプレートを主計科の人たちがどんどん片付けていく。配慮してくれたのかひとみたちのカレーはそのまま……わたしたち、本当に戦えないんだ。

 

「……貸して」

 

 その時、聞こえたのはコーニャの声だった。

 

「え?」

 

「貸して、足りない」

 

 そう言うコーニャの視線はまっすぐと手元に注がれている。手元にあったのは、携帯も可能な小さめのタブレット端末。203の支給品だから……ひとみのタブレットも貸せという意味だろうか。

 

「ほい」

 

 ひとみが迷う間にコーニャに手渡されるタブレット。のぞみが差し出したのだ。コーニャは無言で受け取ると、急かすかのようにひとみを見つめる。

 

「ほら、米川も渡す」

 

「あっ、はい! どうぞ!」

 

 のぞみにも急かされてひとみはタブレットを取り出すと、コーニャへと手渡した。受け取るとその三つのタブレットを机に置くコーニャ。同じタイプの端末を三つも集めて、一体何をするというのだろうか? そんなひとみに、のぞみは笑ってみせた。

 

「まあ見てなって」

 

 コーニャは目を閉じる。すっと息を吸って、それから身体がちらりと光った。魔法だ。使い魔の耳が現れれば、その輝きはコーニャの全身へと伝播する。

 

「あっ……」

 

 その光はタブレットにも伝わった。輝きに包み込まれた三つのタブレット。まるで細い光の線で繋がっているよう……無言の数瞬。ひとみは固唾を飲んでその様子を見守る。なにをしているのかは全く見当がつかなかったけど、なにかすごいことが目の前で起きているのは疑いようがなかった。

 

「……カレー」

 

「ん? カレーがどうした?」

 

 ぽつり、放たれたのはその一言。瞬間に反応したのはのぞみだ。先輩にはコーニャがなにをしているのかはっきり分かっているらしい。コーニャはのぞみへときっと視線を向けると、ひとみが初めて見る形相をしてみせた。

 

 

「カレーなんか……食ってる場合じゃねえ!!」

 

 

 ひとみは一瞬沈黙。その後フリーズ。

 

「嘘でしょ、「加賀」の随伴は秋月型だよ? 入力数値合ってんでしょうね?!」

 

「あってる、間違いない!!」

 

 なんの驚きもなく怒鳴り返すのぞみに、同様に怒鳴り返すコーニャ? ひとみはついていけるとかそういうレベルではなく、まず目の前の人物が誰なのかを見失っていた。コーニャは立ち上がると、ばっと食堂を飛び出す。

 

「あっこら! どこいくの!」

 

「攻撃!!」

 

 声が届く頃には通路に消えるコーニャ。

 

「待機命令でてんでしょーが! 戻りなさい!」

 

「あっ、ちょっと置いてかないでくださいぃっ!」

 

 のぞみが飛び出し、ワンテンポ遅れてひとみも飛び出す。通路を駆け抜け、ラッタルを飛び越え……あっという間に甲板へと飛び出した。乱暴に開けられた鋼鉄の分厚い扉がガコンと騒々しい音を立て、太陽の光がひとみたちを照らす。

 

 真っ平らな飛行甲板の先には青い海。そこに控えているのは随伴艦の姿。そこから鋭い破裂音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には白煙が生えてきた。ぐんぐんと成長する白い柱から飛び出すのは……艦隊防空用の短SAMだ。幾筋もの槍は途端に向かう方向を変え、突き刺さるように飛び去ってしまう。後には寂しげに乱れる飛行機雲。

 

 そんな事も気にせずにコーニャは跳躍した。魔法力の補助も得て、高く、高く、バック宙の要領で姿勢を安定させる。空高くに陣取る太陽がコーニャを照らし、その黒色生地のズボンが見えた。あっけに取られたひとみの前で、コーニャは「加賀」の艦橋前の構造物……そう、この前のぞみ先輩が話していたすごい近接防空ミサイルの発射装置(S e a R A M)へと飛びついたのだ。

 

「コーニャちゃん!?」

 

 ひとみが叫ぶのと同時に、コーニャは早口言葉のような扶桑語の羅列を繰り出し始める。コーニャが全身に纏う魔法力の輝きが、その頭でっかちな発射装置に伝達されていく。

 

「……雷の子を制した人の子よ、魔導に歯向かいし愚かなる英雄たちよ。星の流れを乱し、宇宙の深淵を破壊した、神殺し(罪の権化)よ。その罪の重さに腰が砕け、無様に哂われながらも、この非道なる運命に抗う黒キ者よ。今、我らが懦夫(だふ)をして立たしむ時!集え!Мир в моей руке(全てよ我に従え)!」

 

 

 言葉に応じるように動き始める発射装置。と同時にひとみの耳に入ってくるのは連続する重たい破裂音――――砲撃音だ。この一週間で叩き込まれた成果を思い出す。AS4と呼ばれるネウロイの速度は最大マッハ4.6。秋月型が64口径5インチ砲を撃ってるってことは……短SAMによる迎撃は失敗、到達まで約二十秒!

 

 

「力を与えられず、その無力さに泣いた子羊よ。薔薇のように醜く腐るか、桜のように勇ましく散るかを選べ。そして桜を選ぶならば、我の為に散れ!терминал героя(英雄が英雄であるために)!」

「さあ、(復讐)の用意は整った。罪を背負いしものは立ち上がり、力の無きに泣いたものは今、散るための力を手に入れた。その赤キ怒り(強制された罪)を、黒キ涙(運命づけられた虚無)を、蒼穹のフロンティア(偉大なる大宇宙)へと吐き出せ!Огонь после пожара(悲しみを乗り越る復讐)!」

 

 瞬間に展開される魔法陣。それから空を切り裂く衝撃音。短距離ミサイルが発射されたのだ。

 

 

 そして、音よりも早く流れていく白い結晶……ネウロイの破片だ。

 

 

「うそ……やっつけたの?」

 

 

 そう呟くひとみの前に、ストッとコーニャが着地。その目はもう見開かれておらず、無感情な視線がゆっくりとひとみを認めた。

 

「……ん、倒した」

 

 その無表情はいつもどおりで、それがひとみの疑問を余計に膨らませた。

 

「というか……今の、呪文? なんですか?」

 

「……」

 

 それにしては聞いたことのない呪文だった。これが古代魔法という奴なのだろうか? 流れる無言の空白に、のぞみが頭の後ろに手をやってケタケタ笑う。

 

「あーあ、化けの皮が剥がれちゃったねぇーこりゃ」

 

「え、化けの皮?」

 

 ひとみが視線を向けると、コーニャは少し視線を逸らす。

 

「コーニャ、さん? 扶桑語、勉強中だって……」

 

「……フソウゴ、ムズカシイ」

 

「さっきまでカタコトじゃなかったですよね!?」

 

「Я изучаю язык . Вы не знаете, что вы говорите」

 

「いやさっきまでバリバリ扶桑語話してたじゃないですか!」

 

 ひとみの追及にコーニャの白い肌が桃色に変わっていく。のぞみがひとみの肩を叩いた。

 

「ま、知られたくないことは誰だってあるでしょ。ここで見逃してあげるのが扶桑の懐の深さってやつよ」

 

「は、はあ……」

 

 そしてもう一度沈黙。ネウロイを倒したはずなのに、どうにも気まずい。話題を逸らそうと考えたひとみは、そういえば気になっていたことを口に出す。

 

「ち、ちなみに今のはどうやって……」

 

 そうひとみが言うと、コーニャは目を伏せた。無表情はさっきよりも極まったように見えたが、色がすっかり変わっているので全然雰囲気は違う。

 黙ったままのコーニャ。ひとみがのぞみ先輩の方を見ると、のぞみはやれやれと首を振ってみせた。

 

「……まあ簡単に言えば、さっきのタブレット三枚で五航戦とデータリンクまがいのことして、そこから得た情報でAS4の撃墜確率を算出。今の魔法陣でSeaRAMの弾頭を魔導弾化。そして発射機構の制御まで全部やってのけたわけ。行程はこれでいいとしてなにを具体的にやってるのかは国家機密らしいから、説明できるのはここまで」

 

「こ、国家機密……」

 

 のぞみ先輩の説明はなんとなく――――いや、わかんないけど――――分かった。でも国家機密? さっきとは別方向に「やばい」単語が出てきたことでひとみは言葉に詰まる。

 

「特異な固有魔法は機密保護の対象、そうでしょ?」

 

「じゃ、じゃあ……固有魔法でタブレットを操作したのも、いまの機械を操作したのも……全部固有魔法ってこと、ですか?」

 

「……」

 

 沈黙は無言の肯定だ。すごいというかすごい。それはもう言葉も出ない域ですごい。言葉もでないひとみは立ち尽くし、とりあえず一難去った「加賀」の甲板に潮の匂いが混じった風がそよそよと吹く。

 

《……いろいろ言いたいことはあるが》

 

 そこで突然聞こえてくる通信。石川大佐の声だ。

 

《今のは先発に過ぎなかったようだ。第二波が来るぞ》

 

「えっ……」

 

 その言葉にひとみはドキリとする。ということは、つまり……

 

 

第203統合戦闘航空団(ゴールデンカイト・ウィッチーズ)は直ちに出撃。ネウロイを迎撃せよ》

 

 

 ひとみは空を見上げた。そこにはどこまでも開けた青い大空――――その向こうから、ネウロイがやって来る。

 

 戦いは、始まったばかりのようだ。







今回のひとみたちの楽しい食事シーン(直前)の挿絵は、かくや様に書いていただきました!
とってもカワイイ……本当にありがとうございます!!


さらに!戦闘直前でアレではありますが、第203統合戦闘航空団正式結成を祝して



【挿絵表示】



オーバードライブ作成の203JFW部隊章であります!

203いざ空へ!!


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第五話 「エイティ~たたかい~」前編

 ストライカーユニットに足を通す。魔力増幅機の接続を確認。レスポンスノーマル。

 

「プリエンジンスタートチェックリスト……」

 

 短期間ではあるが、何度も繰り返してきた流れを思い出す。出力最小(スロットルミニマム)敵味方識別装置(I F F)オフ、VHF航法装置オフ、Vmaxスイッチオフ……。

 

 視線を忙しなく動かしながら、確認を進めていくひとみ。その間にも加藤中尉が武装の安全ピンを引き抜いた。飛行脚の中に収納されるようにリベリオン-ライセニアン製JANAAMMミーティア対空魔導ミサイルが隠れる。爆弾槽(ウェポンベイ)の扉が閉鎖されてロックしたことがマルチバイザーに表示される。

 

「大丈夫?」

 

 加藤中尉がひとみに耳打ちした。それに頷いて答える。ジェットエーテルスターター始動、出力計が動きだす。必要トルクが得られたら外部電源切り離し。慣性航法装置(INS)が無事に動いていることを確認する。

 

「ちゃんと、生きて帰ってきなさい。わかった?」

 

 その言葉と共に渡されたのは64式7.62mm小銃。頷きながら受け取る。幼年学校の行進訓練で背負ったことしかないそれは、本当に重い。それでもこれに命を預けて戦うことになるのだ。とすればこの重みもある意味では当然のものなのかもしれない。そんなことをどこか冷静に考えている自分に驚いた。

 

「……いける?」

 

 確認するように声が聞こえてきた。ひとみが返事をしなかったからだろう。

 

「はい!」

 

 カラ元気かもしれない。それでも声を張る。

 

「ランプ展開。ひとみちゃん、ストライク管制にコンタクト」

 

 加藤中尉がオスプレイのスロープを操作した。今日も皮肉なぐらいの青空が後ろに現れる。深呼吸を一つ。今からわたしは、あの空を飛ぶ。

 

「了解です。えと……カガストライク・ディス・イズ・カイト・ツー、チェックイン・フォー・ホットスクランブル」

 

《KITE2, KAGA-STRIKE, Check-In roger. Your flight is approved. Cleared to take off by GATE.》

 

 加賀の管制からの指示はゲイト出力……機体の出せる最大出力をもって現場に向かえという意味だ。オーグメンター、いわゆるアフターバーナーの使用が指示された。

 噴流式魔導エンジンは反応器の中で個人の魔力と大気中のエーテルを反応させ、飛行魔法を断続的に反応させる仕組みだ。しかし吸気中に含まれる全てのエーテルを反応させると、魔導エンジンはその反応量に耐えられず破壊されてしまう。使えるのはせいぜい30%程度、70%は未反応のまま排出される。それを魔導エンジンの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()爆発的な推力を得るのが推力増強装置(オーグメンター)だ。魔力を高速で消費する代わりに、高速での行動が可能になる。

 

 唾を飲む。苦い。

 

「ラジャー・クリアードテイクオフ・バイゲイト。カイト・ツー」

 

 復唱を返すと同時、魔導エンジンの回転率が規定値に達したことをマルチバイザーが告げた。警告音が骨伝導イヤフォンで頭に響く。機関出火警報装置試験(ファイア・ワーニング・テスト)、実施。警告灯が瞬いて消える。火災警報装置の正常起動を確認。主警報灯(マスターワーニングランプ)が消灯していることを確認。

 

「システムグリーンライト。用意良しです!」

 

《生きて帰ってきなさいよ。ひとみちゃん!》

 

 なぜか辛そうな顔をしている加藤中尉の声がイヤフォン越しに聞こえる。すぐピープ音。バック転をするように体が弾き飛ばされる。エーテルと空気の混合器(ミクスチャー)の値はエーテル多め(リッチ)。その値を見るころには頭は真下を向いていた。そのまま4分の1回転。ジェットエーテルスターターの出力をメインエンジンに繋げる。これでいつでも吹かすことが出来る。

 

 ちょうど水平線が視線の少し下に入る位置で、一気に加速。そのままオスプレイを追い抜いた。速度が安定する。出力を最大値まで上げて、もう一度強く魔力をストライカーに込める。警告音がした後、さらに出力が上がる。オーグメンターが無事に点火した。さらに加速。

 

「カガストライク、カイト・ツー。テイクオフシーケンス・コンプリート」

 

《Roger. Push Ch.6》

 

「チャンネルシックス、カイト・ツー」

 

 無線の6番(チャンネル・シックス)は早期警戒機との通信チャンネルに割り振られている。この部隊の管制をするのはひとみのはるか上空を飛んでいるであろう……オラーシャ空軍のA100飛行脚を使う早期警戒管制ウィッチ。

 

「コ―ニャちゃん!」

 

《ん》

 

 レーダー等のデータ共有の許可申請が表示される。ひとみがそれを承認すれば、バイザーに白い矢印が一本表示された。

 

《そこに飛んで》

 

「わかりました!」

 

 オーグメンター全開でその方向に向かう。すぐに減速の指示が出た。オーグメンターカット、指定された時速720キロまで減速していく。遠くにキラリと何かが光った。すぐにバイザーに情報が表示される。F-35FB、コールサイン・カイト・ワン。

 

「のぞみ先輩! 遅くなりました!」

 

「戦闘前ギリギリね。まぁ間に合ったから及第点かな」

 

 のぞみの横に並べるように一瞬だけエアブレーキを展開、相対速度をゼロにする。ちらりとひとみの姿を認めたのぞみは、確認するように武器を持ち直した。

 

「それで、あんたも64式小銃(ロクヨン)か。……米川、シールドは張れたっけ?」

 

「は、はい!」

 

「じゃぁ自分の身は自分で守れるわね。……米川、離散隊形(スタガット)ポイントツーファイブ(0 . 2 5)マイル、高度を取って付いてきて。私の背中頼むわよ、僚機殿(ウィングマン)

 

「はい!」

 

 機首上げで高度を取りながら速度を落とす。気をつけないとあっという間に引き離される。位置につくか付かないかのところでテキストメッセージが届いた。

 

 

 KITE1 TO 2 REQ AAM SLV

 

 

《空対空ミサイルの一斉射の指示とは最初からかっ飛ばしてくるじゃん! ポリプロピレン中尉》

 

《……Покрышкин(ポクルィシュキン)

 

 のぞみの無線にどこか不満げな声が答える。

 

《いそいで》

 

《はいはい、わかってるよボルシチ中尉》

 

《Покрышкин》

 

《米川、マスターアーム・トゥ・オン! カイトフライト・インゲージング!》

 

 コ―ニャの抗議には一切答えず、のぞみが高らかに宣言する。交戦可能距離、ミサイルの交戦距離に入った。

 

「ツー!」

 

《スリー》

 

《文字通り『流星墜とし』と行こうか。ミーティアミサイル一斉射いくよ! 共食い事件とかやめてよね》

 

《……がんばる》

 

 武装の安全装置解除、武装選択(セレクタ)は空対空魔導ミサイル。ストライカーユニットの爆弾槽が開く。速度を合わせるように僅かに出力を上げた。

 

 

《FOX1!》

「フォックス・ワン!」

 

 

 ミサイルを切り離す。1秒ほどのラグがあって、白煙を退いて高速で飛びぬけていくそれ。JANAAMMミーティア空対空魔導ミサイルは音速の何倍も早く飛んでいくミサイルだ。ライトニングよりずっと早い。

 

《これで落ちてくれれば、楽なんだけどね》

 

 どこか呑気にそう言うのぞみの声を聞く。飛んでいった全部で8本の白煙を見ながらひとみは手にした小銃を握り直した。手の汗で銃が滑り落ちてしまいそうだ。銃の肩紐(スリング)を肩に掛けて、手汗を制服でぬぐう。本当はハンカチでも使うべきなのだろうが……時速800キロを超える飛行中にそんなことをする度胸はない。

 

 コ―ニャの声が割り込む。

 

《……撃墜6。残4。フレスコが3、ブローランプが1》

 

《わざわざNATOコードでどうも。小型高速型が3、中型爆撃型1ってところか。福岡かどこかに襲撃するつもりかな、これは》

 

 のぞみが不満そうにそう言う。

 

「福岡が……」

 

《やらせるわけないじゃん。まずは護衛のフラスコ型をやる。護衛を落としてから決めるよ》

 

「は、はいっ!」

 

《そんな緊張しないの、大丈夫。前衛(ポイントマン)は私がやるんだから。バックアップよろしくね》

 

 距離を取っているせいでかなり小さく見えるのぞみがくるりとその場でロールを決めた。その時の笑顔がどこか楽しそうに見える。

 

《……くる》

 

 その声にハッとして前を見る。慌ててシールドを張った。瞬間的に感じた衝撃に息が詰まる。体が軋む。

 

「くぁ……っ!」

 

《よく耐えた米川! ナイスガッツ!》

 

 その声が聞こえてやっとシールドの抵抗がなくなっていることに気が付く。シールド解除。速度が落ちている。再加速。

 

「ネウロイのビームって、あんなに……」

 

《ビームは実体弾じゃないけど高エネルギー体だよ! 真正面から受けたら減速Gがかかる! 気をつけなさい!》

 

 のぞみの言葉にハッとする。シールドで受けたはずなのに、全身に痛みが走った理由はそれか。ビーム兵器をシールドで真正面から受け止めれば、当然そのビームの運動量はすべてシールド……そしてそれを張った術者で受け止める必要がある。ストライカーはウィッチを飛ばそうと前に体を押し付け続けるから、真逆の方向に向かうネウロイのビームとストライカーの推進力でひとみの体は押しつぶされそうになったのだ。

 

「了解……!」

 

《ネウロイ視認! カイト・ワン交戦開始!》

 

 のぞみがオーグメンターに点火。急加速した後、垂直に距離を稼ぐ。ズーム上昇。高度を急速に稼ぐ常套手段だ。それを認めたネウロイが上昇する。上に付いていったのは小型が1機だけ。ひとみの方にも小型ネウロイが一機飛んでくる。

 

「か、カイト・ツー! 交戦開始!」

 

 バイザーの端に表示してあったストップウォッチを起動させる。戦闘の経過時間を把握するためだ。動きだしたのを確認してから小銃のセーフティを引いて、回す。セレクタは『レ』、連射にセット。

 

《無茶しないでよ、米川!》

 

「わかって、ます!」

 

 シールドの展開の用意だけして、加速。左へブレイク。天地が入れ替わる。そのまま加速し続けながらゆっくりと回転をかけ続ける。バレルロールだ。機体は透明な樽の内側を撫ぜるかのように回り込んでいく。

 ネウロイがひとみの後ろにつこうと大振りに回り込んできた。昇降舵(スタビレーター)で蹴るように方向を変える。普通に飛んでいれば真上に吹っ飛ぶように方向を変える動作だが、海面が左手真横に見える横向きの姿勢でそれをやれば右に急激に頭を振るような動作になる。

 

「うぅ……っ!」

 

 体にかかるGで息が浅くなる。腹筋に力を入れてなければ次の空気を吸えない。視界がクラクラする。それを抑え込むように息を吸って、小銃を構える。小銃を撃つ訓練なんてしたことがない。見よう見まねだが、撃たないよりはマシだろう。

 ネウロイがひとみの急激な軌道変更についてこれず、ひとみを追い越した。超過飛行(オーバーシュート)だ。旋回率ならネウロイよりもウィッチに分がある。

 ハーフロール。海面の位置が左から右へ急激に動く。追い越した相手を正面に見れる位置についた。

 

「あたれ……!?」

 

 ネウロイが赤く光っていた。話に聞いたことがある。光学攻撃の前兆。それがまばゆい光を放つのと、ひとみがシールドを張るのはほぼ同時。

 

「きゃぁあっ!」

 

 予想よりも強い力を受けて弾き飛ばされる。補助翼が耳障りな音を立てる。空力限界ギリギリなのだろう。ストライカーユニットがねじられるような感覚。太ももが少し痛いが、そのおかげで気を失わずに済んだ。目を開ける。水平線がひとみの周りを飛び回っている。

 

 魔導エンジンは幸いにも失火(ストール)していない。加速して、ラダーをキック。回転を止める。重力に引かれるように頭を下にした姿勢になる。そのまま海面ギリギリまで加速する。速度も高度も失えば、空中戦闘では致命的だ。

 

「……、上がって!」

 

 背を逸らすようにして水面をなぞるように水平飛行へ。オーグメンター、オン。追いかけるようにビームが駆けていく。ビームが海を割って、水蒸気に変えていく。

 

 背面飛行に入り、上に向けて引金を引く。ネウロイは案外遠くにいた。狙えない。またビーム。

 

「きゃっ!」

 

 慌ててシールドを張る。シールドをの端に当たったのか、左につんのめるように体が回った。慌てて機首上げ。海面から距離を取る。時速700キロ以上の速さで海面に突っ込めばいくら魔女でも木っ端微塵だ。機首上げを読んでいたのか、目の前にビームが迫る。シールドを張ればそれに弾かれてビームが明後日の方向に消える。

 

「しょ、小銃が……!」

 

 目の端で水柱が立った海面を見る。バランスを崩した拍子に取り落としてしまった。それを悔やむ間もなく、ビームの嵐が飛んでくる。

 

《キル・フラスコ1! 米川! 2分耐えなさい!》

 

「りょ、了解……!」

 

 小形ネウロイを1機撃墜したらしいのぞみの声を聞きながらひとみは高度を上げる。オーグメンターで無理矢理加速。ストップウォッチの表示を見ればまだ1分、やっと1分だ……この2倍の時間を耐えねばならない。翼端から雲を曳いて上昇。曳光弾の光の筋がかなり上空で揺れていた。その射線に入らない様に動きを変える。綿雲を突っ切るように雲の中を一度潜り抜けた。一瞬敵の目から逃れ、息を整える。雲もあまり大きくはない。その小さな雲も強い風に吹き飛ばされそうだ。

 

 ずっと雲に隠れるわけにも行かない。すぐに外に飛び出す。追いかけるように飛んでくるレーザーの嵐。さっきよりも太い。中型がこちらを狙っていた。光った瞬間、自分の前に影が割り込む。

 

「のぞみ先輩!?」

 

 左手一本でシールドを展開したのぞみがひとみの前にいた。空中でホバリングした姿勢のまま、右腕が振るわれる。握られた64式小銃が火を噴いて、ひとみを追ってきた小型のネウロイを粉砕した。

 

「キル・フレスコ! 米川、あんたロクヨンはどうしたの!?」

 

「攻撃よけてたら手からすっぽ抜けちゃいました!」

 

「馬鹿! サブウェポンなんか持ってないの?」

 

「渡されたのはあれだけです!」

 

「サバイバルキットは!?」

 

 墜落した時用の装備を言われ一瞬ぽかんとするひとみ。

 

「も、持ってますけど……!」

 

「そん中にM550ESが入ってるはず! 50口径の短銃身回転式拳銃(ショートリボルバー)! 弾5発しかないから慎重に使いなさいよ!」

 

 言われて後ろに回していたサバイバルキットを開ける。キットのケースと吊り紐(ランヤード)で繋がれた拳銃が出てきた。ド派手というか、目に痛いオレンジ色のゴム製のグリップを握る。エマージェンシーサバイバルという名前どおりすごく目立つものだ。銀色眩しいステンレスの銃身も太陽光を反射してしまいそう。

 

 だが、それよりも重大な問題がこの銃にはあった。

 

「お、大きいし太いし……持ちにくいです!」

 

 グリップが太すぎるのだ。ただでさえひとみは小柄な方で、手も体型相応のサイズである。片手で持つのはほぼ不可能だ。

 

「無いよりましでしょ! とりあえずアンタは自分の身だけ守ってなさい!」

 

 中型が妖しく赤く輝いた。のぞみの放つ弾丸は当たっているはずだが、相手が衰える様子はない。

 

「ロクヨンの威力じゃ中型は抜けないか。仕方ない」

 

 のぞみの左手が腰に回る。引き抜かれたのは刃渡りの長い、短刀。

 

「……直接ぶち抜くしか、ないね」

 

 そういった顔はどこか笑っていて、左手のむき身の短刀が彼女の掌の上でクルクルと回る。

 

「着剣よーいっ!」

 

「へっ!?」

 

 小銃のアタッチメントに短刀をあてがい、固定。のぞみはそれを一度強く振った。銃剣となったそれが風を切る。

 

「よし!」

 

 満足げにそう言うとのぞみは中型に向き合う。

 

「さーて、お待たせずんぐりむっくり! あんたのコアはどこかしらっ!」

 

「ほ、本当に突撃する気ですか!?」

 

「銃剣術は扶桑ウィッチの魂! 着剣精神舐めてると――――痛い目見るわよ」

 

 そう言い残して、加速。

 

「のぞみ先輩?」

 

「ついてきなさい、ウィングマン! 吶喊!」

 

 のぞみを追いかけるように体を動かしていく。ネウロイのビームが横を掠める。赤い光は遠くを横切っただけでも熱い。のぞみは小さく張ったシールドでうまくいなしながら速度を上げて接近していく。キックラダー。頭からネウロイに突っ込むように速度を上げるのぞみを見て、ひとみは喉が干上がった。

 

「ぶつかるっ!」

 

 耐え切れずにひとみが先に編隊解除(ブレイク)。のぞみのことを目で追いながら左へ転舵して回り込む。

 

《せいっ!》

 

 のぞみの雄叫びが無線に乗る。銃剣の切先が鋭く光って、のぞみはそれをネウロイに向けて叩きつけた。魔道エンジンの唸りが甲高くなった。ネウロイの装甲が白くはじけ飛ぶ。

 

《アンタのコアは、何処だあああああ!》

 

 刺した銃剣を引きずるように飛ぶのぞみ。ネウロイのビームが収束されていく。

 

「のぞみ先輩!」

 

 無線に叫べば、のぞみは小銃の引き金を引いて無理矢理銃剣を引き抜いた。光線の奔流をするりと回避して、のぞみは笑う。

 

《サーンキュ!》

 

「無茶です! 当たったらどうするんですか!」

 

《当たらなければどうということはないでしょ! いいから黙って見てなさい!》

 

 のぞみが再接近。ひとみはその斜め上後方につく。拳銃を構えてはいるが、ひっきりなしにビームが飛んでくると狙っている余裕はない。5発しか弾はないから、ばら撒いて支援というのができないのだ。

 

《米川! どこでもいいからネウロイの装甲破壊して!》

 

「は、はいっ!」

 

 銃を構え直して、引き金を引く。

 

「きゃぁっ!」

 

 肩が吹き飛びそうなほどの衝撃が来た。狙ったところからは大きくずれたが、何とかネウロイの後部に着弾。とりあえずフレンドリーファイアにならずに済んだことを感謝する。ネウロイの破片が飛び散るが、それはすぐに吸い込まれるようにへと戻っていく……再生してるのだ。コアを破壊しなければ、ネウロイは倒せない。

 

《カイト・スリー! コアの位置の確認! 再生速度で予測がつくでしょ!》

 

Роджер(了解)

 

 淡々としたコ―ニャの声が無線に答えた。すぐに視界にフィルターがかかって、ネウロイの影にグラデーションがかかる。

 

《あのあたり》

 

《色の濃いところね、よくやったポリスメン中尉!》

 

《Покрышкин》

 

 コ―ニャの抗議をやはり黙殺し、ネウロイのコアのあるであろうあたりに飛び込んでいくのぞみ。ネウロイもずっとまっすぐ飛んでくれるような馬鹿ではない。急激にロールを打った。横に張り出した翼のようなものがのぞみを叩き落とさんと迫る。

 

《甘いっ!》

 

 それに動きを合わせてその薄い翼を切り捨てる。切り捨てられた翼が白く光って弾けた。その衝撃すら利用して、のぞみは加速。コアがあるであろう位置にとりついた。

 

《墜ちろぉおおおおおおおおおお!》

 

 のぞみはここぞとばかりにシールドを張り、力ずくで接近。ネウロイのビームを押し返しながら小銃の引き金をを引きっぱなしにする。白い破片がどんどん散っていく。

 ひとみがビームを避けながらのぞみを追いかけていると、ネウロイの一部が大きくはじけ飛んだ。

 

《そこだ!》

 

 のぞみを見れば、顔が赤く照らされている。煌々と輝くネウロイのコアが姿を現したらしい。銃床に手を添えそれを担ぐように振り上げるのぞみ。そしてそのまま振り下ろそうとして――――警告音が鳴り響いた。コ―ニャが警告を鳴らしたのだ。

 文字列はUUU KITE-1 LOCKED ON……ロックオン警報。

 

 

 

 この時、のぞみもひとみも失念していたのだ。落としていないはずの小型機が一機、姿を消していた。

 

 

 

《しまっ……!》

 

 ひとみの視界の先でのぞみの顔が驚愕に変わる。のぞみに向け突っ込んでゆく小型ネウロイは既に必殺の間合い。中型も小型もすでに光線を撃てる状況だ。のぞみのシールドはすでに中型に向けて張られていて、小型には対応できない。回避はもう間に合わない。ひとみが飛び込むには距離がありすぎた。

 

 のぞみ先輩が、墜ちる。

 

 まるでコマ送りになったように感じる時間の流れの中、ひとみはとっさにM500ESを構えていた。構える時間がもどかしい。

 

 

「――――やめてぇええええええええええええええ!」

 

 

 音が消えた―――――気がした。

 

 怖くて、目を瞑り、指に力を入れる。撃鉄が落ちた直後、反動で腕が真上に跳ね飛ばされる。何かが砕ける音。

 

 そっと目を開ける。すると辺り一面に舞っているのは白い破片。粉砂糖を散らしたようにキラキラと白く光っている。ネウロイの姿は、何処にもない。

 

 その中で、銃剣を振り抜いた姿勢のままいる、のぞみの姿を認める。

 

《……こちらカイト・ワン、確認されたネウロイの撃破を確認》

 

《カイト・スリー、ボギー・ネガティブコンタクト》

 

 コ―ニャが周囲に国籍不明の飛行体がないことを確認した旨を告げてくる。のぞみの了解の声を、ひとみはどこかぼうっとしたまま聞いていた。そうしているとのぞみがひとみのほうに飛んできた。

 

「やるじゃない、ウィングマン。初撃墜おめでとう」

 

「のぞみ、先輩……」

 

「なあに、米川」

 

「無事、ですよね……?」

 

 ひとみがそう言うと、一瞬面食らった表情をするのぞみ。

 

「見てわからない?」

 

「怪我してませんよね、生きてますよね……?」

 

「あのね、米川。亡霊だったらわざわざこんなところに来てないわよ」

 

「大丈夫なんですよね……?」

 

「ああもうしつこい!」

 

 堪忍袋の緒が切れたのぞみは、手にした64式小銃を吊り紐(スリング)で肩に提げると、真正面からひとみの肩に両手を回し、そのまま強く体を密着させた。

 

「ほら、あったかいでしょ。あと心臓の音、ちゃんと聞こえるでしょ。これで生きてないとか言ったらさすがに怒るからね」

 

「あ……」

 

 石鹸の香りと花火で遊んだあとのような匂いがふわりと鼻をくすぐった。首の後ろに当たるのぞみの腕は確かに熱い程に火照っていて……ひとみよりもかなり早く、強く刻む鼓動に少し驚いた。

 

「のぞみ先輩……」

 

「ありがとね、米川」

 

「え?」

 

「いま生きてられるのは、あんたのおかげだ」

 

 そう言われ、一瞬何のことを言われているかわからなかった。

 

「わたし……」

 

「あんたがフラスコ型を墜としてくれなかったら、私は今頃海の底だ。助かった」

 

 その言葉を聞いて、なぜかひとみの視界が歪んだ。

 

「……のぞみ先輩」

 

「ばか、なんであんたが泣いてんのよ」

 

 背中をポンポンと叩かれて、生きていることを確かめる。二人とも――上空のコ―ニャもいれて三人とも――無事に生き残った。それがこんなにもうれしい。背中を叩かれるのに任せて、少し甘える。体を預けても、少しぐらいなら許されるだろう。

 

 そう思って、目を一度閉じるのだった。



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第五話 「エイティ~たたかい~」後編

「へ? 米川?」

 

 ひとみの体からカクンと力が抜けて、慌てて体を支える。出力を上げて高度を維持する。慌ててひとみの口元に耳を近づける。呼吸音、心拍ともにあり、危険な状態ではなさそうだった。

 

「ばっか。何安心して寝てんのよ、空中だぞ、まだ」

 

「……初戦闘、仕方ない」

 

「なに、プレリュード中尉」

 

「Покрышкин」

 

 いつの間にか高度を下げていたコ―ニャが旋回しながら降りてくる。のぞみにむかって手を差し出した。

 

「持つ」

 

「あ、そう?」

 

「大型機の方が余裕がある。のぞみより適任」

 

「なによ、勝ち誇ったように言っちゃって」

 

 のぞみが膨れながら気絶したひとみをそっと渡した。肩を貸すような姿勢から、お姫様だっこに姿勢が変わったせいで、ひとみが一瞬唸り声を上げた。

 

「……でも起きないのね」

 

 呆れて、でもどこか嬉しそうに溜息をついたのぞみがそう言ってゆっくりと進みだす。

 

「で、加賀まではあんたが誘導してくれるの?」

 

 頷いたコ―ニャが隣に並ぶ。どうやらついてこいと言うつもりらしい。

 

「まったく……武器を落とすし、帰る前に寝るし、とんでもない新人じゃない」

 

「……人のこと言えない」

 

「はぁ?」

 

編隊長(リーダー)僚機(ウィングマン)の責任を持つ。ウィングマンの動きをリーダーは見ておく。ウィングマン置いて突撃したのぞみの責任」

 

 コ―ニャの言いぐさにムッとした表情を浮かべるのぞみ。

 

「だってあんなデカブツ近づかないと装甲抜けないじゃない」

 

「……ライフルグレネード」

 

「へっ?」

 

「ライフルグレネード、使わないの?」

 

 コ―ニャはどこか冷たい視線をのぞみに向けた。のぞみの頬を冷や汗が一筋流れる。

 

「だ、だって! ロクヨンだとソケットつけなきゃグレネード撃てない!」

 

「銃剣も手間は変わらない」

 

「当たるかどうかわからないじゃない!」

 

「被弾率を上げる接近は、愚策」

 

「そ、そもそもグレネードがコアに届くかわからないじゃない!」

 

「銃剣が届く範囲にコアがなかったら?」

 

 反論の余地を潰されてのぞみは押し黙った。コ―ニャは涼しい顔だが、のぞみにとっては勝ち誇った余裕が滲み出ているように見えて不愉快極まりない。

 

「……あぁもう、私のスタイルなんだからしかたないじゃん!」

 

 そう言って加速するのぞみ。コ―ニャはそれには言い返さずに、速度を上げるのだった。

 

 

 

 

 

「あれ、私……?」

 

「目が覚めた? ひとみちゃん」

 

 太陽光とも違う白い光に目を細め、ひとみは自分が寝かされていることに気が付いた。手がじんわりと暖かく感じて、それが感覚を引き戻していく。

 

「霧堂……艦長……?」

 

「はぁい?」

 

 霞んでいた目のピントがゆっくりと合う。扶桑人形そのままのような黒い艶のある黒髪が揺れている。

 

「ここは……」

 

「加賀の医務室。ひとみちゃん戦闘の後で気絶しちゃったの、覚えてない?」

 

 そう言われ、考える。そう言えば加賀に着艦した覚えが一切ない。

 

「覚えてないです。ライトニングは……いたっ!?」

 

 体を起こそうとしたら、首筋から背中にかけてに痛みが走った。思わずうめき声をあげるひとみ。霧堂艦長はひとみの肩をそっとおさえて、ベッドに戻した。

 

「無理に体起こさないで」

 

「えっと……」

 

「体の痛みは戦闘機動で振り回されたことによる物理ダメージ。後遺症が残る可能性はほぼゼロだそうよ」

 

「そうなん……ですか?」

 

「加賀の医療班は優秀だから大丈夫。体がだるいかもしれないけど、一晩安静にして魔力を回復させればすぐ吹き飛ぶわ」

 

 不安げなひとみにそう言った霧堂艦長。ベッドにかけられた毛布をひとみの肩口のあたりまで引き上げる。

 

「えっと……霧堂艦長」

 

「なになに? なんでも聞いて?」

 

 優しく笑ってそう言う霧堂艦長。ひとみはベッドに横になったまま口を開く。

 

「今、何時でしょうか?」

 

「フタヒトヒトヨンFST、扶桑標準時午後9時14分。ひとみちゃんがポクルィシュキン中尉にだっこされて帰ってきてから6時間半くらいかしら」

 

「そんなに……」

 

「そんなにでもないわよ、初めての戦闘を経験してこのダメージで生き残った。それは称賛に値するわよ」

 

 そう言われるも腑に落ちないひとみ。顔に出ていたのか霧堂艦長が笑みを浮かべた。

 

「ひとみちゃんはウィッチの負傷理由の内訳は知ってる?」

 

「負傷理由……ですか?」

 

「そう、一番多い負傷の理由はなんでしょーか?」

 

 わからない。首を振ってこたえようとして……痛みでやめた。ホントに身体が自分のものじゃないみたいだ。

 

「わからないですけど……ネウロイのビームを受けて、とか……」

 

「残念。実は無理な戦闘機動をしたせいで体が追い付けなくて傷つくのがダントツで多いの。今日のひとみちゃんの怪我もそのパターン」

 

「え……」

 

「超音速の世界は生身で飛ぶには速すぎるのさ。いくら魔法が使える魔女でも、ね」

 

 そう言って肩を竦める霧堂艦長はどこか寂しげな笑みだった。

 

「レシプロの低速戦闘だった40年代の第二次ネウロイ大戦とは比べ物にならないぐらいの戦闘機動負荷が体にかかるんだ。おかげでただでさえ儚く散り征く高嶺の花の航空ウィッチの生涯がさらに短命になった。ひどい時は内臓破裂まで持ってかれることがあるくらいなんだよ? それで皆『(エクス)』ウィッチになっていく」

 

「そうなん……ですか?」

 

「そうなの。……正直なことを言うとね、石川大佐と私は、今日でひとみちゃんが飛べなくなることも覚悟してたんだよ。なにせ、戦闘機動は1週間もない短い期間の付け焼き刃、武装の訓練も積んでない。模擬戦もやってないわけだから、誰かに勝ったという自信もない。――――その状況で高空で自分の命を掛け金(チップ)にした実戦投入だ。パニックを起こして無理に加速しようとしたり、限界を超えて操縦翼面を動かしたりしたら、あっという間に視界はブラックアウトするからね。魔導エンジン吹かしたままで制御を失ったストライカーがどう吹っ飛ぶのか、想像に難くないでしょう?」

 

 そう言われ唾を飲んだ。意識を失ったまま魔力だけを吸われることになるから、大暴走の果てにどこかに墜落するか、撃墜されるかの二択になるだろう。

 

「そんな、危ない状況になるところだったんですか……?」

 

「普通はそうならないように2年以上かけて訓練をするんだよ。恐怖心を理性で抑え込んで、死なずに生きて帰ってこれるようにする。それを叩き込むことが飛行教官の役目であり、生徒が学ぶべきことだ――――ひとみちゃんものぞみちゃんも、そのカリキュラムを短縮してここまできているから、送りだした石川大佐は気が気じゃなかっただろうね。でも、今日生きて帰ってきたんだ、きっと大丈夫だね。ひとみちゃんものぞみちゃんも、エースパイロットになれるかもしれない」

 

 その言葉を聞いて心臓が跳ねた。

 

「エースパイロット……」

 

「もう私が飛べなくなった空は、君たちが飛ぶ空は、きっと君たちに優しくない。それでも君たちはそこに飛び上がって、生きて帰ってきた。それは十分にすごいことなんだよ」

 

 霧堂艦長はそう言ってひとみの頭を撫でた。

 

「それに君には才能があるわけだし、ね?」

 

「才能、ですか?」

 

 さっきまでとは方向性の全く異なる言葉。聞き返せば、霧堂艦長の方がきょとんとした表情を浮かべていた。それもすぐに納得顔に変わる。

 

「そっか、気が付いてなかったんだね……ひとみちゃん、小型のフレスコ型を撃破した時のこと、覚えてる?」

 

「えっと……、のぞみ先輩の後ろにいたネウロイのことですよね?」

 

「そうそうそれそれ」

 

 そう言われてもあの時は必死で全く覚えていない。頭をひねる間にも霧堂艦長はなにやらタブレット端末を取り出すと、嬉々として操作を始めた。

 

「あの時ひとみちゃんは小型のネウロイを一撃で撃破してる。正確にコアを撃ち抜くことが出来ているわけだ。そうじゃないとネウロイは破片に変わらないからね。そこまでは大丈夫?」

 

 言われてみれば確かにそうだ。コアを正確に破壊することがネウロイ撃破の唯一の方法だと最初に教わるのだ。

 

「だ、大丈夫です」

 

「うん。じゃぁ、あの時、君は小形ネウロイとどれくらい離れていたか覚えているかい?」

 

「えっと……すいません」

 

「責めているわけじゃない。褒めてるんだよ。その距離、実に約550メートル強。500メートル以上先にいる高速機動中のネウロイなんてものはね、狙撃銃や選抜射手用小銃(マークスマン・ライフル)ならいざ知らず、2-3/4インチの非常用拳銃(M500ES)()()()で命中させられるような、そんな甘いものじゃぁないんだ」

 

「ど、どういう……」

 

 目を細めた霧堂艦長がひとみにタブレット端末を差し出した。その先には数字やらグラフやらが大量に並べられた書類っぽいものが表示されている。ブリタニア語のオンパレードで専門用語が多すぎてさっぱりわからない。

 

「固有魔法はわかるね?」

 

「い、一応……」

 

「説明してみて?」

 

「えっと……ウィッチには時々オリジナルの魔法が使える場合があって……他の人とは違う魔法の能力が現れることがある……ですよね?」

 

「加えてもう一つかな、トップエースと呼ばれるようなウィッチほど固有魔法が顕現していることが多い。言い換えるなら撃墜数において、固有魔法保持者と非保持者では有意な差が認められるってこと」

 

 いきなりそんなことを言われたせいか、霧堂艦長が言ってることを理解するまでに、数秒の時間を要した。

 

「……つまり、固有魔法を持っている方が強い、ということですか?」

 

「固有魔法を活かした戦い方を学べば有利と言った方が正しい。固有魔法も得意も才能も、全部まとめて『強み』だ。苦手をなくして生き残り、得意を伸ばして戦果をあげる。それがウィッチの生存戦略になるわけだけど……今回の出撃でひとみちゃんが伸ばすべき『強み』がわかった」

 

「強み……?」

 

 オウム返しにそう言うと霧堂艦長はタブレット端末の一部をタップ。何やら画像が流れ出した。

 

「これって、わたし……?」

 

「君の戦闘時の映像、ポクルイシュキン中尉が記録していたデータだね。ここで君が拳銃を発砲、次の瞬間にはネウロイのコアを撃ち抜くわけだけれども……」

 

「あ……魔法陣……」

 

「やっぱり意識してなかったんだね。魔法使って強化してたの」

 

 映像の中のひとみは、手首のあたりから大きな光の輪を出していた。それが収束した直後、大きく腕が跳ね上がる。銃を撃った反動で持ちあがったのだから、この直前に撃ったのだろう。

 

「この時の魔法陣の解析を進めた結果がさっき見てたチャート図ね。かなり独特な固有魔法陣だしまだ解析の真っ最中だけど、何を起こしたかから逆算するに――――君の能力は『弾道安定化』だ」

 

「だんどう……あんていか……?」

 

「この時、実は30ノットを超える強風が吹いている。でもM500から飛び出した50口径のマグナム弾は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。普通ならありえないんだよ、これ。スナイパーなら誰でも喉から手が出るほど欲しい能力だね。めんどくさい横風計算とかしなくていいから」

 

 そう言われるも、いまいちピンと来ていないひとみ。どこかぼーっと聞いていると、驚いていると思われたのか、霧堂艦長が人差し指を振った。

 

「これだけだったら、固有魔法とはいえ、()()()()部類だ。問題はここからなんだよねぇ」

 

「え……?」

 

 問題といわれて、ひとみは唾を飲む。

 

「まだまだあるんだ、わけがわからないこと。君が使った50口径マグナムは高威力弾なんだけど、あのM500ESに装填されていたのは、不時着時のサバイバル用の()()()。魔導弾なんかじゃなかったんだ。それでも倒せないことはないんだけど、威力が足りないはず。君は魔法力を普通の弾丸に無理やり乗せて魔導弾として打ち込んだと推測される。こっちもこれだけなら()()()()部類なんだ。こーにゃんだってやってるしね」

 

 霧堂艦長はそう言って笑う。その顔がどこか恐ろしく見えて、ひとみはバレないように唾を飲みこんだ。

 

「でもね、この二つを()()()0().()3()2()()()()()()()()()()()()()はそっとやちょっとじゃ転がっていないんだよ」

 

 ひとみはそう言われて、ぼんやりと思いを巡らせた。まだどこかピンと来てはいない。いきなりそんなことを言われても、どうすればいいのかわからないままだ。

 

「あんまりピンと来てないかい?」

 

「はい……」

 

「似たような能力をもっているのは……そうだな、ブリタニア空軍のリネット・ビショップ中尉とかかな?」

 

「リネット・ビショップ中尉って、あの初代501のスナイパーですよね!?」

 

「お、詳しいじゃん。そうそう、初代となると軍曹のころだね。ビショップ中尉の場合は弾道安定化に照準補正に高威力化……三拍子そろった狙撃手になるしかないような才能だったからね。それに視野も広くて指揮官適性もある。……君が目指すべき戦闘スタイルに一番近いんじゃないかな」

 

 そう言われ、ひとみは小さく頷いた。何度も雑誌で見た優しそうな目をした女の子。

 

「ビショップ中尉が……目標……」

 

「ひとみちゃんなら届くよ。きっと」

 

 そう言って霧堂艦長はひとみの頭をそっと撫でた。

 

「高速で飛び回りながら、短時間で正確に照準を合せ、撃破し、味方をサポートする。その能力を磨けば、いい航空ウィッチになれる。トップエースだって夢じゃないだろう」

 

「本当ですか!?」

 

「元トップエースの言葉が信じられない?」

 

 そう言われブンブンと首を横に振った。振ってから首を痛めていたことを思い出す。地味に痛い。

 

「私はあんまり力になれないけどさ、教えられることは教えていくから」

 

「霧堂艦長は……何か固有魔法持ってるんですか?」

 

「私? 私は三次元空間把握。おかげであっという間に指揮官に祭り上げられちゃった」

 

「三次元……というとミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ少将と一緒……」

 

「光栄ながらね。まぁ、前線隊長として残してくれたのは僥倖だけどさ。だって上にいけば行くほど現場で飛べなくなるし、上層部は暑苦しい脂ギッシュなおっさんしかいないし、嫌になるもんねー。それだったら前線で若い同僚と青春してたほうが楽しいじゃん?」

 

「そういうものなんですか……?」

 

「そういうものよ。瑞々しい魔力を持っている子ほどきれいでかわいいし、そんな子と沢山遊んで、たくさん学んでいたほうがずっと長生きできるんだよ」

 

 ずっと頭を撫でてくる霧堂艦長の目は優しい。ひとみはどこかお母さんに似た雰囲気を感じていた。

 

「直属の上司ってわけじゃないけどさ。たまには仲良くさせてね、ひとみちゃん」

 

「き、霧堂艦長ならよろこんで!」

 

「ん。まぁ、今日はゆっくりお休み。ひとみちゃん向けのデブリーフィングは明日にするから」

 

「はい……わかりました」

 

 頭を撫でられていたせいか瞼が重くなってきた。そのまま目を閉じる。意識が落ちていく間に、霧堂の声が響く。ブリタニア語だろうか、少なくとも扶桑の言葉ではない。

 

 そのメロディーを聞きながらひとみはゆっくりと眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 ひとみの規則正しい寝息を聞いて、霧堂艦長はゆっくりと立ち上がった。彼女が寝ているベッドを離れ、外に出る。

 

「……子守歌に『六ペンスの歌』とは趣味が悪いな、霧堂」

 

 廊下の壁に寄り掛かっていた影が、パチリと軽やかな音を立てた。その影を認めた霧堂艦長はクスリと笑みを浮かべる。

 

「盗み聞きも趣味が悪いんじゃないかな、石川大佐?」

 

 霧堂がそう返すと、石川大佐はどこか不満げに鼻を鳴らす。そのまま石川大佐は左手に持っていた懐中時計を胸ポケットに戻した。

 

「寝かしつけている子どもを起こすのも忍びないだろう」

 

「そういうことにしておくわ。……で、ここで私を待っていたということは、ヒトミンに聞かれたくないけど、彼女に関係あることかしら?」

 

「……」

 

 石川大佐は答えないが、その表情が雄弁に語っていた。

 

「……彼女の能力に副作用でもあったかしら?」

 

「魔力の消費量が著しいぐらいだが、危機感に駆られて制限なしに魔力を継ぎ込んだせいだろうから副作用とはいえまい」

 

「じゃぁ、なにかしら?」

 

 石川大佐が霧堂の肩を叩いて歩き出す。霧堂も彼女についていった。艦内の消灯まで今しばらく時間がある、明るい廊下もまもなく見納めだろう。

 

「……米川のこと、どう見る?」

 

「すっごく可愛くて素直、目もぱっちりしてるし小動物系の可愛さがあってストライクゾーンど真ん中」

 

「誰が貴様の性癖を聞いた……聞きたいことはわかってるだろう」

 

 そう言われ、霧堂は口元の笑みをしまった。声のトーンが下がる。

 

「彼女、必死に隠そうとしてたけどさ……震えてたよ。医務室で」

 

 石川大佐は黙ったまま歩き続ける。それをいいことに霧堂は言葉を続けた。

 

「初戦闘とは思えない落ち着き具合だったから、不安になって確かめてみたら案の定。メンタル面は当然だけど年相応。……ストレスをため込むタイプだね、あれ。周囲の期待に応えようとずっと気丈にがんばって、ボロボロになっていくタイプだ。たった一ヶ月で幼年学校を卒業したスーパーエリートさんだから、周囲の期待もすごいだろうし、使うのはトップシークレットレベルの戦闘飛行脚だ。彼女の精神を蝕むには十分すぎるプレッシャーとストレス環境だろうね」

 

「やはりか……」

 

「……なんで採用したの、あんな小っちゃい子。航空団の人事権、あんたにないなんて言わせないわよ、()()

 

 呼び捨てにされても、石川は振り返らない。廊下の角を曲がる。

 

「中東・欧州戦線への対策は急を要する。扶桑海軍にも伝わってるだろう、霧堂大佐」

 

「そりゃぁ当然だけどさ。私が聞きたいのは()()()()()()()()()()()、石川。ノンちゃんも含めて、実戦投入は早すぎる。そりゃぁウィッチ生命は短命だけれども、青田刈りも過ぎればエース級の才能も潰していくよ。それを知らないあんたじゃないでしょう」

 

「だからどうした」

 

 その答えを聞いて、霧堂が溜息を挟んで言葉を続けた。

 

誠意を見せろ(ショウ・ザ・フラッグ)……今回の派兵の前倒しは外交側の圧力がかかった結果でしょう。金と後方支援だけを振るまって、安全圏でふんぞり返る扶桑皇国、第二次ネウロイ大戦期の海外支援を思い出せ……そう言われたからこその前倒し、違う?」

 

 石川はやはり沈黙。

 

「だから錬度が伴っていない『形だけの派兵』で十分。だからこそ、台湾・新羅半島方面の一航戦も南洋方面で遊んでいる二航戦も動かさなかった。捨て駒としての203空……そう思われてもおかしくない布陣だ」

 

 捨て駒、その言葉を聞いて、石川が足を止めた。

 

「俺があいつらを捨て駒にするとでも?」

 

「まさか。あんたは()()飛ぶ気だろうし、天地がひっくり返っても、太陽が西から昇っても、あんたが部下を見捨てるようなことはしないだろうとは思っているさ。でも、指揮官としてそうせざるを得ない状況に陥る可能性はゼロじゃない……切り捨てられるの? あんたに」

 

 そう言われ、霧堂を睨む石川大佐。霧堂は薄い笑みを張り付けた。

 

「ウィッチに依存する対ネウロイ戦線で貧乏くじを引くのはいつだって年端もいかない少女たちだ。わざわざその世界にヒトミンやノンちゃんを引き込んだ。その責任をあんたは問われる。人類連合空軍の石川大佐」

 

「その覚悟がないとでも?」

 

「状況はいつだって覚悟を超える。だから十二分な覚悟をしといたら?」

 

「当然」

 

 その答えを聞いて、霧堂は満足そうに頷いた。

 

「なら、大丈夫だ。覚悟決めた石川の底力は私もよく知っている」

 

「貴様は俺を信頼しているのか、していないのか、どっちだ?」

 

「信頼しているわよ、相棒」

 

(エクス)がよく言う」

 

 鼻で笑った石川大佐の横に霧堂は立ち、右手を差し出した。

 

「加賀を代表して、改めて歓迎申し上げます。203統合戦闘航空団団長、石川桜花(さくら)大佐」

 

 それを聞いた石川大佐はやはり不満げ。だが、差し出された右手を取った。

 

「本拠として使わせてもらえることを光栄に思う。霧堂明日菜艦長、貴艦の防空の一翼を担わせてもらえれば幸いだ」

 

「それはもう、喜んで」

 

 握手を終えた霧堂は本当に上機嫌で、それが猶更石川大佐を不満げな表情にした。

 

「ほら、トップが笑ってないと部下の士気が下がるよ」

 

「貴様はもっと腰を据えて堂々としたほうがいいだろうな、霧堂」

 

「そういうタイプじゃないし?」

 

「なら俺も貴様のいうタイプじゃないな」

 

 霧堂が石川大佐の肩を叩いた。その軽い音が響くころ、加賀の一日は終わりを告げて常夜灯に切り替わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――状況はいつだって覚悟を超える。だから十二分な覚悟をしといたら?

 

 

 ちょこっと遊びに来たつもりだった。咄嗟に物陰に隠れてしまった大村のぞみに、その言葉はいやに深く突き刺さる。時刻は既に消灯前。恐らく米川は寝ているだろうが、とりあえずその寝顔だけでも拝んでおこうとやって来たのだが……まさか大佐が、それも二人とも来ているとは。

 

 通路を照らす照明が常夜灯へと切り替わる。つまり就寝時間を過ぎたというわけで、いい加減に部屋に戻らねばなんと言われるか分かったものではない。

 

「寝てるだろうけど……やっぱり顔だけ見に行くかな」

 

 石川大佐と霧堂艦長がいなくなった通路。そう小さく、言い聞かせるように呟いて……足が止まった。角を曲がった先には医務室の扉がある。

 

 その扉の前まで来てドアノブに手を掛けた。回せば開くだろうに、どうしても重い。

 

「……」

 

 ドアノブを回せないまま、想う。

 

 米川ひとみの今日のフライトは決して褒められたものではない。体の負担を考えない戦闘機動、魔力消費を考えないオーグメンターの多用、戦闘後に気絶するような心構え、武器を落としてしまう不用心さ。赤点まっしぐらのフライトだったことは間違いない。それほどに『だめだめ』なものだった。

 

 それでもあれが戦闘訓練をまともに積んでいないのであれば話が変わる。ストライカーユニットに触れてからまだ2カ月も経っていないはずの米川ひとみがなぜ部隊に配属されたのか。今日一日で嫌と言うほど思い知らされた。

 

「……とんでもない原石ね、あんた」

 

 才能の塊。その表現はきっとあの子のためにあるのだろう。それほどのものだ。

 

 バレルロール、ズーム上昇、シャンデル、ローヨーヨー。戦闘機動は数多くあるが、ひとみにそれを教えた覚えは一つもない。だが、それらをやすやすとこなして見せた。おそらく固有魔法の使用があったのだろうが、銃撃で弾丸一発で小型ネウロイを落として見せた。まさにF-35を操るために必要な素質を揃えている。だからこそ、2カ月にも満たない訓練期間で実戦投入されたのだろう。

 

 ドアノブからそっと手を離した。

 

 どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。きっとあの子は寝ているから表情なんて気にしなくてもいいのだろう。それでも、どんな顔をすればいいのかわからなかった。

 

 もし起きていたら、八つ当たりでもしてしまいそうだ。私だって初実戦だったし、あんたよりも落としてる機数は多いし。――――それをあの子にぶつけて何になるというのか。

 

「おやすみ、米川」

 

 それだけ、ぽつりとつぶやく。のぞみはただ誰にも聞こえていないことを願った。

 



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第六話 「チェック~ありか~」前編

 どこか湿度の高い空はどこか気だるげにひとみたちを見下ろしていた。

 

「あーもう、ムシムシするわね」

 

 のぞみが手で顔を仰ぎながらそう言った。気温はそこまで高くないはずだが……さすが海の上、湿度が高いのだ。

 

「五月なんですよね、まだ」

 

 どこかぼんやりしたように言うのはひとみ。そんな二人に脅しをかけるのは(エクス)ウィッチでひとみの使うF-35FA機付長の加藤中尉だ。

 

「こんなのでバテてたら、マレーのあたりを通過するときにはどうなってるか楽しみだね」

 

 そうだ、欧州に行くから西に向かうことばかり考えていたが、海路で向かう以上は西に向かうというよりか大陸をぐるっと回っていく形になる。そうなると当然、どんどん南下していくわけで……。

 

「……もっと暑くなるんですか」

 

 東京も暑い。でも夏休みは北海道でほとんどの時間を過ごしていたひとみだ。連日続く熱帯夜にギラギラと照りつける暴力的な太陽……そういった「本番の暑さ」というやつを経験したことはない。溶けたりしないだろうか。

 

「南洋方面の二航戦はこんなもんじゃない暑さのところで頑張ってるんだし、ほらしゃんとする」

 

 そう笑う加藤中尉に、海を見ながら呟くのはのぞみだ。

 

「常夏の南洋島ですか……二航戦も大変だ。まぁ、一航戦みたいに激戦続きじゃないだけいいのかねぇ」

 

 ひとみはのぞみのその言葉に大きく「?」マークを浮かべる。

 

「一航戦って、第一航空戦隊……」

 

「そ。さすがにあんたでも知ってたか。今は台湾でしたっけ?」

 

「だねー。台湾沖でネウロイ討伐の真っ最中。そろそろ新羅の方に移動するらしいけど。海軍記念日前に隊通算5000機撃破を目指そうと躍起になってるらしいよー」

 

 その言葉に目を丸くするひとみ。

 

「ご、5000機……?」

 

「なにも一人で成果出してるわけじゃないわよ。部隊全部で5000機。さすがエース部隊と言うべきかねぇ……で、5000機はいきそうなんですか?」

 

 のぞみの声に加藤中尉は肩を竦めた。

 

「昨日の段階では残り一機だから、今日が海軍記念日だし、栄光の5000機目いくんじゃない?」

 

「そりゃあいきますよ、なんせ、大陸からならネウロイが山ほど飛んでくる訳ですし……」

 

 嗚呼、ネウロイのバーゲンセール会場から離れていく我が五航戦の行く末に、さらなる戦果のあらんことを……そんな風におどけてみせるのぞみ。

 

「まぁエース部隊に負けないように今は訓練と行きましょうや、未来のエースたち」

 

 加藤中尉がそう言ってウィンク。これから訓練のメインになるひとみは既に緊張気味だ。

 連れてこられたのは加賀のフライトデッキの最後尾、可倒式の柵はすでに倒されている。甲板員の水兵さんに敬礼。

 

「じゃあ、はじめようか。ひとみちゃん。これから何をするかわかってる?」

 

「えっと……わたしが使う、銃の選定……」

 

「そう。ひとみちゃんに高い狙撃手適性が認められたから、普通のアサルトライフルじゃない専用の銃を選ぶ権利が与えられた訳だ」

 

「本当なら選抜射手(マークスマン)認定受けなきゃ使えないんだからね、特別待遇なんだぞー」

 

 のぞみにそう言われなくてもわかっている。甲板に置かれたいくつものトランクみたいなケースを見てもわかる。とりあえず、グレーのケースはなんだか高そうである。緊張する。

 

「一応加賀に正規備品として乗せてあるのは全部持ってきたはず。まぁ4種類撃ち比べして、その成果しだいかな。それじゃ、早速やってみようか」

 

「が、がんばります!」

 

「いい返事。それじゃ」

 

 加藤中尉はそう言って、ヘッドセットを付けた。

 

「後部ミッションベイ、加藤です。『キラートマト』の用意はできてますか? ……ありがとうございます。それでは流してください。曳航索は300繰りだしたら停止を。……了解しました。以上、通信終わり。……さて、じゃぁどれから行くかな……とりあえずは国産からいってみる?」

 

 ひとみが頷くのを確認して、一番端にあったケースを開けた。

 

64式小銃(ロクヨン)そっくり……」

 

「そっくりもなにもそのものよ。64式7.62mm狙撃銃、ロクヨンの精度のいいやつを選んでスナイパーライフルに改造したの」

 

「そ、そんなことできるんですか?」

 

「実際よくやることだよ?」

 

 のぞみにそう言われ、ひとみは差し出されたそれを受けとる。

 

「使い方はわかるわね?」

 

「い、一応は……狙い方はあやふやですけど……」

 

「……そこからか、オーケー」

 

 加藤中尉は一瞬眉を顰めたが、すぐに笑顔に戻った。

 

「んじゃ、とりあえずマスターアイはどっち?」

 

「ま、マスターアイ……?」

 

「利き目のこと。……私の人差し指を両目で見てて」

 

 加藤中尉は人差し指をピンとたて、そう言った。

 

「じゃ、左目だけ閉じてー」

 

「は、はい」

 

 そう言われ片目だけ閉じる。ウィンクの要領なのだが、そんなことをする機会もあまりないので少し難しい。

 

「米川、面白い顔になってるぞー」

 

「茶化さないの大村准尉殿。どう? 見え方変わった? 位置がずれるとかある?」

 

「ないです」

 

「じゃぁ右目がマスターアイだね。よかった。ひとみちゃん右利きだよね?」

 

「はい」

 

「じゃぁそこまで問題もないね。それじゃやってみようか」

 

 そう言っていきなり渡された64式狙撃銃。いったいどうしろと。

 

「えっと……」

 

「とりあえず、標的見える?」

 

「あの……引っ張ってるやつですよね?」

 

「そうそう、あの赤いバルーン。通称『キラートマト』。曳航標的だね」

 

 そう言って指さした先を流れていくのは真っ赤な風船。「加賀」が海を切り裂いた関係で生じた航跡(ウエーキ)に揉まれてはらはら揺れている。

 

「じゃいってみよー」

 

「へっ?!」

 

 驚くひとみにのぞみが追い打ちをかけた。

 

「ま、時間もないしさっさとやる……ちなみに魔法禁止ね」

 

「えええええええええええ!」

 

「米川ー、今日は海軍記念日。海軍に関係ないものを持ち込んじゃあいけない」

 

「いや先輩! それどういう意味ですか!」

 

 笑いながら平然と超理論を展開するのぞみ。加藤中尉はひとみをなだめるように言う。

 

「まぁ、ひとみちゃんの場合、能力使うと記録に差が出なくなるからねぇ。魔力消費も激しいみたいだし、ずっと頼ってられないでしょ?」

 

 た、確かに……そう言われてみればその通りだ。ひとみの固有魔法は弾道固定。これでは銃のクセもなにもない。

 

「あ、当たるかなぁ……」

 

 狙撃だから……姿勢を整えないと。ひとみはしゃがんで、ドラマのワンシーンを思い出しつつ床に、つまり甲板に寝そb

 

「熱っ!?」

 

「なーんでいきなり横になるかなー米川ー。太陽光で熱した甲板だとあっという間目玉焼きになるよ」

 

 呆れた様子ののぞみ。加藤中尉も困り顔だ。

 

「ひとみちゃん、空では何かに銃を依託するなんてできないんだから、ちゃんと両手で支えないと」

 

「そ、そうですね……」

 

 半分涙目になって、太ももをさするひとみ。直接甲板に触れたところが熱いを通り越して痛い。

 

「ほら、横風計算も知らないだろうしさっさと撃つ! あとちゃんと耳当て(イヤーマフ)!」

 

 のぞみに急かされつつ、ひとみは耳当てを付けてから64式を構える。ここまでは急いでもいいけど、ここからはゆっくり落ち着いて……息を吸って、止める。真っ赤な風船を照準器のど真ん中に収め……

 

 

 発砲音。イヤーマフ越しだからくぐもって聞こえる。

 

 

「……左上にずれたね。引き金ガク引きしたでしょ。もうちょっとゆっくり引金を引いてね」

 

「は、はい……!」

 

「とりあえず3、4発撃ってみて、いろいろいじってみようか」

 

「はい……!」

 

 

 再び発砲音。さんさんと輝く太陽のもと、64式の7.62mm弾が海を穿つ。

 

 海を穿つ。

 

 海を……

 

 

「……全然当たりません」

 

「んーじゃあ次行ってみよっか」

 

 そう言いながら加藤中尉は隣の箱に取り付き……振り返った。

 

「あ、そっか」

 

「えっ?」

 

 加藤中尉はなぜか納得顔。

 

「ひとみちゃん……まず、狙撃の勉強しよっか」

 

「え……?」

 

 飲み込めずに首をかしげるだけのひとみ。加藤中尉はひとみに向き直って告げる。

 

「狙撃の基本出来ないと、撃ち比べも何もないもんね」

 

「言われれば……そうですね!」

 

 爽やかに応じたのはのぞみだ。

 

「えぇっ!? じゃぁ私のやったことは……」

 

「経験になったでしょ?」

 

「そん、なぁ……」

 

 なんかとてもいい笑顔でそう言われたが、一切腑に落ちないひとみ。というか皆さん初めから分かってましたよね?

 

「まぁ、慣れるためにも銃は選んでおいた方がいいから、とりあえず持ち比べといこうか?」

 

「は、はい……」

 

 そう言われれば仕方がない。64式を仕舞い、次のを取り出し、また仕舞い……

 

 

 

「で、4種類持ってみてどれがよかった?」

 

「三番目の……ですかね?」

 

 そう言って三番目の箱を指差すひとみ。なんせこれが一番短くて、ひとみの身体にちょうど良かったのだ。

 それを受けて、のぞみと加藤中尉は顔を見合わせた。ひとみに向き直った二人の顔は……なんともいえない微妙な表情。

 

「な、なにか問題があるんですか……?」

 

「L86 LSWかぁ……いやぁね。確かにそれ、弾も沢山使えるし、取り回しもしやすいんだけどさ……」

 

 どこか言葉を濁しながらそう言うのぞみ。

 

「その……なんというか、ねぇ、加藤中尉?」

 

「……まぁ、ねぇ」

 

「な、なにがあるんですか……?」

 

「ひとみちゃん、実はそれ……故障が多いことで有名なんだよ」

 

「えぇっ!?」

 

「具体的に言えば弾倉3回交換する間に一回は動作不良を起こすの」

 

「それって……」

 

 加藤中尉の言葉にどこか困惑気味にのぞみを見るひとみ。

 

「4マガジン分だから……一回の出撃で使いきることもある弾数よ、それ」

 

 毎回出撃する度に壊れるようだと確かにいい顔はしないだろう。

 

「まあペルシアとかではブリタニアがそれで銃剣突撃もやってるし、別に悪い銃ってことはないと思うよ……多分?」

 

 機能面の解説では銃剣ゴリ押しだったのぞみにしては、いやに押しが弱い。それがなんとなくこの銃の評価がわる……もとい、特殊であることを感じさせた。

 

「で、でも他の銃だとなんだか前に引っ張られるというか、長くて持ちづらいんです……」

 

「作る側もこんな小さな子が持つことは考えてなかっただろうしねぇ」

 

 そんなこんなで皆揃って頭を捻っていると高笑いが響いてきた。ひとみは一度幻聴かと思ったが、周りもきょろきょろと見回しているから幻聴ではないらしい。

 

 

「――――お困りのようだね、魔法少女諸君!」

 

 

 振り返ると、太陽を背にした黒い影。二番煙突の上から颯爽と飛び立つと、ひとみたちの目の前に着地した。

 

「フッ、決まった」

「かんちょー、ちょっとムカつくんですけど」

 

 加藤中尉は階級が四つも上の霧堂大佐へと漏らす。相当に距離があったはずだが、一足飛びにやってきた霧堂艦長はどこ吹く風だ。

 

 

「ところで、お困りのようだね」

 

「……お困りなのは、煙突の上に登られた機関科じゃないですか? 絶対排気止めさせてましたよね、アレ」

 

 のぞみが返す。しかし霧堂艦長はめげない。

 

「細かいことは置いといて」

 

「細かくなんて……」

 

「置いといて、ひとみちゃんの体格に合う狙撃銃がないんでしょ? そんな君たちに第五の提案だ」

 

 霧堂艦長がそう言って差し出したのはグレーの塗装のケースではなく、革張りらしい高そうなトランク。

 

「これって……」

 

「開ければわかる」

 

 そういって渡されたずっしりと重いトランクを甲板に置き、開く。

 

「ワルサー社製WA2000カスタム。一応扶桑空軍がウィッチ用装備のテストモデルとして輸入していたやつが使わずに廃棄されるっていうんで、拾ってきてたの。今は私の私物ねー」

 

「……それって横領じゃ?」

 

 ぼそりとのぞみ。聞かないフリして霧堂艦長は続ける。

 

「少し銃としては重いほうだけど、全長は短いし、バランスもいいと思うよー、さすがブルパップだよね。あ、質は保証するよ。元々警察系特殊部隊向けの高精度モデルだ」

 

「へぇ……」

 

 どのくらいすごいかはよく分からなかったが、ひとみはそれを持ってみる。さっき持ったL85みたいな色合いで、ちょっと長いくらい……そして思ったより重い。

 

「うん、いいね。ちょっと構えてみなよ。照準調整(ゼロイン)は狂ってないはずだから」

 

 霧堂艦長にそう言われ、いまだ引っ張ったままの『キラートマト』に向かって銃を向けてみる。

 

「頭を銃に持っていくんじゃなくて、銃を頭に近づける感じでね」

 

 ひとみはそう言われて、背中側に暖かい気配を感じる。

 

「ほっぺたをちゃんと銃床に乗せてー。そう、肩とほっぺ、右手と左手の4点で支える感じでね。あとスコープを覗いてないほうの眼もちゃんと開けてー。スコープから飛び出したターゲットを追えなくなるからねー」

 

 目のピントが合ってないような気がして、少し変な感じだ。それでもなんとかスコープで拡大された赤い標的が映る。

 

「焦らなくていいから、一度深呼吸しましょう。ゆっくりと吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。体の力が抜けたかなーと思ったらー、吸ってー、止める!」

 

 言われた通りに息を止めた。スコープ越しに赤い標的が揺れている。

 

「はい、少しだけ吐く―。止める。じゃぁ、ゆっくり引き金引いてみよう。ゆっくりねー」

 

 そう言われ、そろりそろりと引き金を絞っていく。鋭いショックが体を走ったが、構えていたよりも幾分弱いショックだった。

 

「BINGO! やるじゃんヒトミン!」

 

「魔法力の使用なしで……ド素人が300オーバーの距離を一発……?」

 

 どこかわざとらしくよろけるのぞみを見ながら、霧堂は笑った。

 

「ゼロインは350にしてあるし、落ち着けば当てられる状況だとは思うけど、まぁここまで正確にできるのは、ま、才能かな」

 

「えっと……」

 

「ひとみちゃん、撃ってみてどうだった?」

 

 霧堂の声にひとみは一瞬考え込んだ。

 

「ロクヨンよりは……大分狙いやすかったです」

 

「まぁねー、根っからの狙撃銃とバトルライフル由来の違いかな。重くない? 大丈夫?」

 

「大丈夫です」

 

「んじゃ、私物だけどひとみちゃんが使えるように手続きしとくとしようか」

 

 霧堂がそう言って笑ったタイミング。甲板に甲高い雑音が響いた。続いて聞こえてくるのは声。

 

『おいこら霧堂! 遊ぶのは勝手だが周りに迷惑をかけるな!』

 

「げ」

 

 霧堂は笑いながら艦橋の方を振り返る。そこには身を乗り出して拡声器を向ける石川大佐の姿が。

 

『なにが「げ」だ! ほっつき歩いてないでとっとと戻ってこい!』

 

「指図は艦長より偉い司令にでもなってからだよー石川大佐? というか拡声器なんぞ使わなくても話せるでしょうに」

 

 霧堂がそういうが、石川大佐は気にせず拡声器へと声を吹き込む。

 

『いいから戻ってこい!』

 

「はいはい……」

 

 そう肩を落としてみせる霧堂。やれやれと言わんばかりに首を振ってからひとみの方へと振り返った。

 

「じゃあ今日の訓練はここまでっ……あーあ、空気読まないのが来たねぇ」

 

「えっ」

 

「はい、じゃあみんなは先にブリーフィングルーム行っててね」

 

「あっ、はい!」

 

 よく分からないけど、とにかく返事をしなきゃいけない。どこか直感的にそう感じたひとみは、慌てて返事をした。

 

「ん、ありがとねー」

 

 そうひらひらと手を振りながら去っていく霧堂艦長。あっけに取られているのぞみとひとみに、加藤中尉が漏らすように言った。

 

 

「いやはや、スイッチ入ると怖いねぇ……流石『扶桑製エーリカ・ハルトマン』」

 

 ……スイッチ?

 

 飛行甲板を、熱せられた潮風が撫でていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 新羅半島南西の海は多島海だ。島を通り過ぎればまた島。ひとみの視界を海の青と緑が流れていく。ストライカーのエンジン音だけの世界。

 

《さて、そろそろ新羅半島に到着するけども……米川?》

 

ゴーグルから伝わってくる無線。ノイズのほとんど走らないその声は飛行組長(エレメントリーダー)であるのぞみのものだ。

 

「はい?」

 

《今回の任務、どんなのか覚えてるわね?》

 

「も、もちろんです」

 

 ひとみは少し緊張した様子でそう言った。

 

 

 

 

 

 数時間前。

 

 ひとみたちがブリーフィング・ルームに入ると、待ってたのは石川大佐だった。映写室も兼ねるこの部屋には数十人分の椅子が並んでいて、でも座っているのはひとみにのぞみにコーニャだけ……なんというか、だだっ広い。

 

『お前らには昨日の今日で申し訳ないが、済州の201空より支援の要請があった』

 

『201? そこって再編中じゃ』

 

 声を挙げたのはのぞみだ。新羅半島中部の漢陽(ハニャン)が陥落したために一時解散を余儀なくされた第201統合戦闘航空団、今は済州島に拠点を移して再編を行っているはず。

 

『ああ、だからこその要請だ』

 

 石川大佐の言葉と共に、するするとスクリーンが下りてくる。大佐がリモコンを操作すると天井に固定された映写機(プロジェクター)が起動、扶桑の北西に位置する新羅半島を映し出した。

 

『新羅半島南部の木浦(モクペ)にて、陸上型ネウロイが連隊規模で集結しているのだが……その中に、SS1が紛れ込んでいるという情報があった』

 

『SS1? なんで高速突撃飛行型が地上にいるんです?』

 

 懐疑の声を挙げたのはのぞみだ。飛行型のネウロイは出現と同時に突っ込んでくるのが普通。いくらミサイルに見かけが似ているとはいえ、地上においてあるようなことはないはず。

 

『なんでも、先週木浦を放棄した陸軍の高射部隊が、無傷なままのMIM-23 (ホーク)の発射車両を破壊せずに撤退したとのことでな……十中八九、ネウロイに取り込まれたんだろう』

 

『ほ、ホーク……?』

 

『そーいう対空ミサイルがあんの。でもなんで使いもせずに逃げ出すかなぁ……』

 

 不満げにのぞみが頭の後ろに腕を組む。石川大佐はため息交じりに言った。

 

『新羅撤退戦の混乱だ。ともかく、終わったことを言っても仕方がない』

 

 その言葉とともにスクリーンの地図が切り替わった。新羅半島の沿岸部。木浦のより細かい周辺地図だ。

 

『まだ木浦は陥落したばかりだから仮にネウロイ化していてもSS1が飛来するのには猶予があると考えられるが、201が再編中のせいで肝心のその情報が事実かどうかを確認する術がない。もたもたしているとこの地域も瘴気に取り込まれかねないからな……よって、203に任務が回って来たというわけだ』

 

 

 

 

 

 

《――――米川ー。おーい。聞こえてるのかー?》

 

「は、はいっ!」

 

 思い出していたら、ずっと黙り込んでいてしまったらしく、のぞみが声をかけてきていた。慌てて返事。

 

《で、我々の任務とは?》

 

「ホークがネウロイ化してないかの確認。している場合はその位置の確認、です」

 

《まぁそれにプラスして被害状況の確認くらい? 向かうまでは暇だけど気を抜かないでよ? 特に高度管理。多島美に見とれるのもいいけど、海面にぶつからないように。今の高度割と低めだからね》

 

「はい。のぞみ先輩!」

 

 高度そんなやり取りを交わしつつ飛び続ける。ネウロイも人類と同じように様々な方法で索敵を行ってくるが、物陰に隠れてしまえば見つからないという原理は同じ。そういった理由でひとみたちは高空を飛ばず、航空機にしては低い高度を飛んでいた。おかげで海が遠いのに近く感じる。

 

《海上はネウロイは出にくいからいいとはいえ、木浦市街にはネウロイがうろうろしてるだろうから、見つかったらヤバいやつだね》

 

 そういうのぞみに、ひとみはごくりと唾を飲み込んだ。そうだ。昨日の戦いは「加賀」を守るための戦い、防衛戦だった。でも今回は違う。今回は偵察任務、ネウロイが沢山いる新羅半島へと乗り込む任務だ。また汗が滲んできて、新しい武器WA2000を握る力も強くなる。

 

《まー偵察は見つかっても逃げればいいだけだから、艦隊防空よりかずっと気が楽だね。ネウロイは偵察に気がついても逃げるとか隠れるとかズルいことしないし》

 

「は、はあ……確かにそうかもしれませんが……」

 

 それでもどんな敵がいるか分からない場所へと突っ込む以上、気弱になってしまうひとみ。そんなひとみにのぞみは指を振って見せた。

 

《偵察で大事なのは生きて帰ること。逃げ回ってばっかりでも、生きて報告さえできればそれは立派な戦果なわけ……行われるだろう攻撃は天下の一航戦に任せて、私たちはスカッとネウロイを見つけようっ!》

 

 その言葉に合わせるかのようにひときわ大きな島が水平線より現れる。水平線を覆い尽くすようなそれは、もちろん新羅半島だ。

 

 緑の山を乗り越える……そして現れたのは、高層ビルがポツポツそびえ立つ灰色の街。コンクリートの灰色が目立って、これまでとは全く異質な風景が広がった。

 

 

「あれ……?」

 

 思ったより、普通だ。ひとみが思ったのはそれだけだった。丘から見た東京の風景とか、こんな感じだ。まばらに散りばめられている緑は公園のそれだろうか。後ろに添えられた小山にはどこか懐かしさすら感じる。

 

《……おかしい、攻撃してくる気配がない》

 

 一方冷静に呟いたのはのぞみ。緩やかに旋回し始め、ひとみもそれに続く。

 

《米川、とりあえず様子見だ。木浦市街をぐるりと回って偵察》

 

「えっ、でもネウロイもいませんし……実はまだ来てないんじゃ?」

 

《何言ってんの……あれ見る》

 

 のぞみが指さしたのは街と隣の島をつなぐ橋……だったもの。真ん中が崩落して、海には石造りかコンクリート製の橋桁だけがポツンと海の中に残されている。

 

 

 ネウロイは――――鋼鉄を喰う。小学校で、幼年学校で、テレビでも言っていたこと。皆が知っている事だ。

 

 

《大方、支えるべき鉄橋だけ喰われたんだろうね……食事中に海に落っこちたネウロイに合掌っと》

 

 先をゆくのぞみが海峡へ向けて両手を合わせる。

 

「と、いうことは……」

 

《そ、どこに潜んでてもおかしくないってこと……米川、シールドいつでも張れるようにしといてよ》

 

 そう言われて、ひとみはもう一度WA2000を握り直した。木製のグリップが変に馴染む。

 

《ホントにいない……? おーけぃ、ちょっと危ない橋渡ろっか》

 

「え?」

 

《木浦駅上空を突っ切ってみよう。プロレタリアート中尉がいないから不安だけど、ここまでブラブラしてて撃ってこないなら大丈夫っしょ》

 

「その呼び名はコーニャちゃんに怒られますって!」

 

 コーニャがいないのをいい事に言いたい放題ののぞみ、ひとみの忠告が届くはずもなく、のぞみは市街地上空へと一気に進路を取る。

 

《そらっ、突撃隊形作れ(トツレー)!》

 

 そう声高に叫んだわりにはのんびりとした速度で飛んでいくのぞみ。陽動なのだから当然だ。ひとみも続く。大丈夫、対空特化型でない限りはビームの出力も極端に高くないし、対空特化型がいるならもう撃ってきているはず……そう言い聞かせながら後に続く。

 

 

 しかしそれにしても……不思議なほど静かだ。街からは閑散としていて、道路にも誰も、そう車一台走っていない。まるでジオラマみたい……でも、ところどころ壊れた家屋が――――ここが陥落した街。ネウロイに荒らされてしまった街なのだと思い知らせてくれる。

 

《敵影もなし、迎撃もなし。新羅半島とは思えないね》

 

「はい。でも、どうしてこんなに……無傷な建物が多いんでしょうか?」

 

《騎兵級の小型種しかいなかったのかもねぇ。連隊級とかいう情報も、あくまで探知系のウィッチが観測した結果だろうし……火星のGの如く、ワラワラやって来てワラワラ帰っていったのかも》

 

 そんなのぞみの言葉を半分聞きつつ、ひとみは眼下の街を、死んでしまった街を注視する。空色の駅舎の屋根が見えてきて、そこに続くべき線路が一本も通っていないことに気づいた。線路も全部、喰われてしまった後だということだ。

 

 

 その時、時の止まった街で、死んでいるはずのその街に――――動く影。

 

 

 

「のぞみ先輩っ!」

 

《どした、スカッド(SS1)見つけた?!》

 

「いえっ……なにか動いたんです!」

 

《陸上型か?!》

 

 そう問うのぞみ、ちがう。あれはネウロイなんかじゃない。ひとみは思ったことを口にする。

 

「違いますっ、でも……なにか動いてたんです。もしかすると――――逃げ遅れた人かも」

 

 ひとみがそう言うと、無線の相手は静かになった。

 

《……米川、そんなはずないでしょ》

 

「で、でも……!」

 

《木浦が放棄されたのは先週。生存者が残ってるなら……とっくに救出されてる》

 

 のぞみ先輩はそう言った。確かにそうかもしれない。でも石川大佐が言っていたように新羅撤退戦は大混乱のなかで行われた作戦だったと聞いている。それにこんなに傷ついてないこの街でなら、無事に一週間くらい耐えることが出来るはず。そしてなにより……もしも、もしも助けを求めてる人がいるなら――――。

 

 

「……でもわたし、助けたいんです!」

 

 

 のぞみ先輩の言葉を待たずにひとみは高度を落とした。

 

《あ、ちょっと!》

 

 速度を落として、ストライカーの特権である低速度飛行へと移行する。確か影は、あのマンションの角を曲がっていったはず。周囲の建物にぶつからないように高度をどんどん落とす。扶桑の町と違って電信柱や電線がないから気が楽だ。思えば、このF-35FA(ライトニング)の操縦にもだいぶ慣れてきた気がする。

 

 高度を落としたところで、その影も大きくなっていく。

 

「わぁ!」

 

 犬だ。ちっちゃくてころっとした犬だ。ひとみに気付いたのか、むこうも足を止めて、尻尾を振って見せる。

 

「カワイイ……」

 

 ひとみが手を伸ばすと、犬はくるっと振り向いてどこかへ行ってしまう。首輪に繋がれたリードが尻尾の延長みたいについて行く。

 

「あっ、待って!」

 

 角を曲がって、見えない。目の前には交差点。そこまで進んで――――

 

 

「あ」

 

 

 多分空から見ていただけなら、気づかなかったのだろう。

 

 唖然とするひとみの目の前を、風に吹かれてチラシが飛び去っていく。ガラス窓が足元に散らばっている。空っぽの街がそこにはあった。目の前を走っていく犬だってそうだ。首輪が付いていた。リードも付いている。でも……飼い主はいないのだ。マンションの一階部分に作られたスーパーマーケットのショーウインドウが全て割れていて、余すところなく食われてしまったのだろう道路には標識もガードレールもない。散らばった家財の破片や非金属。

 

 

 ――――そしてその先に、ネウロイ。

 

「あっ……」

 

 

 慌ててWA2000を構える。着弾点を示すドレッドサイトを覗き込む間もなく引き金を引こうとして、引けない!

 安全装置がかけられたままだったのだ。そうしているうちに目の前のネウロイにある顔のような部位がぐるりと回り、ひとみをとらえた。結晶部が不気味に赤く煌めいて……

 

 

 しかしそれが、これまでたくさんの町を焼き払ってきたビームがひとみへと放たれることはなかった。

 

「えっ?」

 

 ネウロイの脚に、さっきの犬が吠えながら体当たりを仕掛けたのである。姿勢を崩した怪異の熱線はあらぬ方向へと飛び去り、犬は続けて噛みつく。しかしその温もりのない脚に、その小さな牙は刺さらなかった。

 

「ダメっ! 逃げてっ!」

 

 ひとみは叫んだが、もう遅い。ネウロイは邪魔者を蹴り飛ばし、犬の肢体が吹っ飛ばされる。そして――――

 

 

 

()っ!》

 

 無線に声が走った。同時に空からネウロイの頭へと飛び込む白い筋。真っ白な煙とともに響く破裂音。そこに五月雨のごとくなだれ込む曳光弾。ネウロイは仰け反り、次の瞬間に白い結晶となり砕け散った。

 

 

《見たかっ! 扶桑が誇る06式小銃てき弾の威力!》

 

「のぞみ先輩っ!」

 

 ひとみのすぐ上から、のぞみがネウロイを倒してくれたのだ。

 

《……ホントは着剣したかったんだけど、まあ今回ばかりは仕方ないよね》

 

「先輩……!」

 

《言っとくけど謝ってる暇ないよ、今の盛大な爆発音で呼び寄せちゃっただろうからね――――ほら来た》

 

「え?」

 

 その言葉に応じる様に、廃墟の向こうから現れるネウロイ。

 

「空飛んでないんじゃ分が悪い! 逃げるよっ!」

 

「待ってください! まだあの子が――――!」

 

 道路にうずくまった犬へと手を伸ばすひとみ。相手も応えるようにふるふると震えながら立ち上がると、ひとみのほうへと駆け寄ってくる。

 

「ああもう!」

 

 ひとみが犬を回収するのと同時に、空から降りてきたのぞみがひとみをガシッと捕まえた。



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第六話 「チェック~ありか~」後編

「……はい、こっちに来てここに座る」

 

 ここは木浦駅からほど近いオフィスビル、そのエントランスホール。荒らされた様子もなく鎮座するソファを指差したのぞみは、そうひとみに座るよう促した。

 

「あ、でもストライカーのエンジンは落としちゃダメだよ」

 

「えっ、じゃあ座れないじゃないですか?」

 

「地上時姿勢安定装置切るの、それ高度10以下だと自動起動するようになってるから」

 

 のぞみが切れといったのは姿勢制御装置だ。操作がなければ直立の姿勢を取ってくれて、滑走時や着陸時に転倒することを防ぐ装置である。

 空を飛ぶ――――重力に真っ向から逆らうこの行為は、一言で言えば難しい。特に難しいのが空中でバランスをとること、つまり姿勢制御だ。木製の箒が鋼鉄の箒であるストライカーとなり、その速度が音速を越えようと、空を飛ぶ原理自体は古代から変わらない。その難しさだけが多くの魔女を空から遠ざけてきた理由だった。箒でなんて飛んだこともないひとみはこの装置なしでは飛ぶことは出来ない……そう考えてみると、科学の力ってすごいと思う。

 

「な、なるほど……」

 

 手動で切るのは初めてなのでちょっと戸惑ったが、地上時姿勢安定装置をオフに。ガクンと揺れそうになるのをなんとか抑えて、エンジンを極限まで絞った。ソファに軟着陸。背中をふわりと支えられ、足は起動したままのストライカーに引っ張られて軽くて……なんだか揺りかごにいるみたいな気分。

 隣にのぞみが同じようにして座った。

 

「まあ、前進待機と同じ体勢であれだけど……少しだけ休憩しよう」

 

 やっぱりだ。のぞみ先輩は隠れるためというより、わたしのこと心配してくれて、休むためにここに来たんだ。分かってたことを突きつけられて、ひとみは少し俯く。

 

「……はい」

 

「まあ、ワンコがいたということはある程度は安全みたいだし……多少なら休んでも大丈夫でしょ」

 

「あ、あの……ありがとうございました」

 

 結局ここまで抱えてきた犬を撫でながらそう言うひとみ。

 

「まあ、私の使い魔もワンコだしねー、ほっとけなかったというか」

 

 僅かな沈黙。ひとみは抱えた犬の首輪を見る。誰かの飼い犬だったのだろう。じゃあ家族の人たちはどこへ行ってしまったのだろう……。

 目を伏せたひとみの手に、何やらかが押し付けられた。

 

「はい、三本満足バー。購買部(PX)で買ったやつだから、リベリオンのレーションよりかずっといいよ。水分も補給してね」

 

「す、すいません……」

 

 渡されたのはいかにも民生品らしい色彩に満ちたパッケージ。開くと鼻腔につんと香りが突き刺さる。口に入れると思ったより固くて、そして思ったよりも甘くない。しかもパサパサしてる。半分くらいかじったところでストロー状の水筒から水分を吸う。口の中の渇きが少しだけよくなる。

 

 全部食べ切ったところで、のぞみはゆっくり口を開いた。

 

「まあ……なんというか。同じ回数しか出撃してない私がいうことじゃないけど、あることだよ」

 

「のぞみ先輩は……」

 

 平気なんですか? そう言い切れずにひとみの言葉がこぼれた。それを聞いたのぞみもまたうつむく。

 

「こういう場所は珍しくない……事実として知ってはいたし、写真でも見たことがある」

 

 そこでのぞみは沈黙する。少しだけ迷った様子で自分の手を見てから、続けて言う。もううつむいてはいなかった。

 

「でもまあ、これでダメになるようじゃあいつらに示しがつかないし? だから私は大丈夫」

 

「あいつら……?」

 

 ひとみがそう言うと、のぞみはそのままの表情で言った。

 

「私の同期。……っていっても私は飛び級で81期に混じって卒業したから厳密には同期じゃないのかも知れないけどね」

 

「その人たちは……?」

 

「ん? 特に仲のよかった連中はだいたい空母「和泉(いずみ)」かな」

 

「和泉……」

 

 なんだろう。とても強そうな名前だ。いったいどんな空母なのだろうとまだ見ぬ、どこの部隊にいるとも知れぬ空母に思いを馳せるひとみ。

 

「ちなみに「和泉」が配備されてるのは一航戦ね、もちろん知ってると思うけど」

 

 って、それ今日の会話に出てきたやつだ。慌ててのぞみのほうを見るひとみ。

 

「えっ? あ、はいもちろんです!」

 

「……ふーん?」

 

「し、知ってましたよ……というか、すごいですね。一航戦なんて」

 

 話を逸らすように言うひとみ。のぞみは笑ってみせる。

 

「私も『合同作戦計画』と『大規模航空攻撃実習』の授業さえ取ってれば志望できたんだけどねー。飛び級だとカリキュラム的に無理で」

 

 の、のぞみ先輩も十分すごいじゃないですか……先生が言っていたけれど、卒業直後に空母勤務の志望を出せるのは各幼年学校で海軍に進む予定の航空学生上位十名だけって話。まあ海上勤務である空母勤務にしちゃうと実家にめったに帰れなくなるから、あんまり志望するひとは多くないって先輩たちは言ってたけど。

 そんなことを考えていると、ふと疑問が浮かんだ。

 

「……あれ? でも「加賀」も空母なんじゃ」

 

「出雲級は強襲揚陸艦ね、あと203は空母航空隊の扱いにならないから問題なし……まあ結果オーライだけどいい部隊に入ったと思ってるよ? なんせ指揮官は()()石川大佐だし」

 

 ()()石川大佐?

 

「石川大佐って、そんなにすごい人なんですか?」

 

「あれ知らないの? そりゃもう――――」

 

 

 その時だった。

 

「あっ」

 

 ひとみの腕の中に収まっていた犬がひらりと飛び出す。すちゃりと床に降り立てば、身を屈め警戒を促すように低く唸った。

 

 

「っ!? 米川っ!」

 

「はっ、はい!」

 

 先に動けたのはのぞみだった。言われてひとみはWA2000を取り直し、ストライカーにぎゅっと魔力を通す。最低限度の回転数だったメータが一気に跳ね上がり、姿勢安定装置も再起動。これでいつでも滑走体勢に入れる。

 

「……やるわねワンコ、体格は微妙だけど軍用犬の才能あるんじゃない?」

 

 のぞみがロクヨンのアタッチメントに銃剣を装着しながら笑った。のぞみとひとみの耳にも瓦礫を踏みながらこちらへ向かってくる足音が聞こえている。もちろんこんな場所で友軍なんていない訳で、ネウロイがこちらに向かってきているのは明らか。場所がバレたのか、それとも探し回るうちにたまたま辿り着いたのか……いずれにせよ、戦わなきゃいけないらしい。

 

「米川」

 

「はい」

 

「飛ぶまでが勝負だ。こんな建物の密林じゃレーダーはろくに使えない。F-35FA(あんた)の方が離陸には距離がいる。援護はするから米川、あんたは離陸に専念しなさい」

 

「はい」

 

「……あと、ワンコは置いていくこと」

 

「え?」

 

「当たり前でしょ、ストライカーのG負荷に訓練も魔法力もないワンコが耐えられると思う? 飛ぶだけならともかく、もし戦闘機動になったら? ネウロイがどこに潜んでるかなんて分からないんだからね?」

 

「そ、それは……」

 

 のぞみの言う通りだ。飛ぶだけならひとみが守ってやればいいが、物理法則に従うG負荷だけは防げない。のぞみはひとみから犬へと視線を移し、それから犬をくしゃくしゃと撫でた。

 

「よーしいい子だ……いいかい、ここを出たら太陽のほうに向かうんだ。まだ半島の最南端では撤退作戦が継続中だからね。陸軍が助けてくれるはず」

 

 のぞみが生やす使い魔の耳と尻尾は、イヌ科のそれ。

 

「のぞみ先輩……」

 

 ひとみは目をそむけるように俯いた。目に入ったのは、両手に握られたWA2000……わたしの武器。守るための、武器。

 

「……のぞみ先輩!」

 

「ん? なによ」

 

 のぞみがひとみを見る。

 

「のぞみ先輩が先に飛んでください。わたしがネウロイを倒します」

 

「あんた何言って……」

 

「それなら――――この子を助けられるかも」

 

「……聞こうか」

 

「のぞみ先輩はいま来てる敵を倒したら、そのままこの子を抱えて飛んでください。先輩のストライカーなら滑走距離が短いから、市街地でネウロイに遭遇する可能性も低いですよね?」

 

「そんなこと言って、米川はどうすんのよ。もし私にネウロイが襲い掛かってきたら?」

 

「わたしが……倒します」

 

「ワンコ抱えてたら援護なんてできないわよ?」

 

「なんとかします!」

 

 ひとみが自分の武器をより強く握りしめる。その言葉を受けたのぞみは僅かに沈黙。

 

「……言ったからにはやってもらうわよ。ワンコ、前言撤回だ。ついておいで」

 

 

 そしてのぞみは――――得物(ロクヨン)を天井へと掲げた。

 

 

「吶喊!」

 

「はいっ!」

 

 のぞみが、犬が、ひとみがビルから飛び出す。次の瞬間に響き渡る甲高い悲鳴のような音。のぞみがエントランスに残っていたガラス窓へと発砲したのだ。

 砕け散ったガラスの破片が地面へとぶつかり、そして砕け散る。ネウロイは音にも反応するわけで、飛び出す瞬間に狙われないための攪乱だ。ビルを囲んでいた陸上型ネウロイがその破片に気を取られる一瞬の間に、のぞみが7.56mmをばら撒く。目の前にいるのは行動特性や弱点などが研究しつくされた陸上型。コアの位置も予想がつくし、しかもこの至近距離である。あっという間に残り一体にまで数を減らして、その一体ものぞみの一閃で砕け散る。

 

「よし、任せたわよっ!」

 

 目にもとまらぬ速さで背中に小銃を回したのぞみは、そのまま犬を抱えて走り出す。F-35FBのSTOL性能を生かせば、後数ブロックで飛び立てるはずだ。

 

 ひとみはWA2000構える。F-35は空の王者たる戦闘機。しかし飛んでいなければそれはバカ高い金属と可燃物の塊に過ぎない。今、速度を稼いでいるのぞみのF-35FBはそういう状況だ。しかも犬を抱えているから実質丸腰。

 

 そして知性がないというのが定説であるネウロイとてそんなおいしい状況を見過ごすはずがなく、立ちはだかるように陸上型が現れた。

 

「……それっ!」

 

 ひとみは引き金にかけられた人差し指を僅かに引き、反動を全身で吸収する。照準器の中で白い粉が弾け、のぞみが駆けていく。

 

「っ……」

 

 狙い、づらいっ……! 照準器の精度がギリギリで、しかも倒さなくちゃいけないネウロイが次々飛び出してくるのだ。あっという間に弾倉の6発を使い尽くしてしまった。

 

「り、再装填(リロード)!」

 

《了解!》

 

 そして無線に飛び込んでくる小銃の発砲音。のぞみがロクヨンをばら撒いているのだ。弾倉排出、装填。再び構える。発砲。

 

 

《よしっ、上がった! 米川も上がって来い!》

 

 その言葉を聞いてひとみはスロットルを一気に押し込んで加速する。間をすり抜け、一直線の大通りへと躍り出る。のぞみよりは距離が必要だけれども、ここなら離陸に十分な速度を稼げるはず。

 

 一気に加速する。廃墟へと変わり果てた町並みがそれを感じさせないほどの速さで視界を流れていく。

 

 

 あと少し、すぐにでも引き起こしたくなる気持ちを抑えるひとみ。十分な速度が出るまではガマンしなくちゃいけない。陸橋を通り抜け、交差点を通過する。

 

 百貨店のショーウィンドウを四散させながら躍り出てきたネウロイに7.56㎜弾が叩き込まれる。空に上がったのぞみからの援護射撃だ。舞い散る粉は風防代わりのシールドが防いでくれた。

 そしてひとみのバイザーにもようやく十分な速度が表示される。フラップで揚力を稼ぎ、一気に空へと舞い上がる。

 

 建造物から海、そして水平線が見えるようになれば、あっという間に木浦の傷跡は見えなくなり、ジオラマみたいな整った街並みへと変貌していった。

 

 

「……ここが、木浦」

 

 わたしの初めて知った街。もう、誰も住んでいない街。

 

 

《ここ木浦では、人類側の抵抗はほとんどなかった。そのおかげで町が残るなんてね》

 

 隣にのぞみが並ぶ。街並みに視線を落とすのぞみ。

 

《でもまあ……》

 

 

 その制服からひょこりと顔を出す子犬。のぞみはその子を、そっと撫でたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿者!」

 

 しかし「加賀」に帰ったひとみたちを待っていたのは、称賛とは真逆の言葉だった。

 

「なにが犬を助けて来ただ。その犬のせいでお前らの命が危険にさらされたんだぞ!」

 

「ですが大佐、この子がいたから我々はネウロイの接近に気づくとことができました。見捨てることはできませんでした!」

 

 反論するのはのぞみだ。

 

「そんなんで偵察が成り立つものか! 偵察任務は基礎中の基礎。何万もの軍が動く戦場において、そのような言い分が通ると思っているのか!」

 

「上空及び市街の偵察によりネウロイの大部分は移動したものと判断しました。長距離弾道型ネウロイは発見できず、これも移動したと判断します。この報告は先ほどした通りです! そして大佐、軍犬は戦友です!」

 

 のぞみの言葉に石川大佐は深いため息をついた。

 

「全く……とんだ斥候兵だな。で、犬なんかを軍艦に置いてなんの役に立つんだ?」

 

「そ、それは……」

 

「そもそもだな、軍艦は人間が密集しているうえに高湿度、疫病を誘発するには十二分な条件だ。そこに検査を受けてもいない野良を入れることの危険性を理解しているのか?」

 

 そこまで言われてしまえばのぞみに返す言葉はなかった。

 

 

 とその時、パンパンと手を叩く音。

 

「あーはいはい。石川大佐もそうカッカしないの。連れてきちゃったもんはしょうがないじゃない」

 

 間に割って入ったのは艦上構造物(アイランド)からやってきた霧堂艦長だ。それを見た石川大佐はより一層の盛大な溜息をついて見せる。

 

「また貴様か……これは203の問d」

「はいストップ」

 

 石川大佐の目の前にぴっと指さす霧堂艦長。

 

「作戦でのお叱りは確かに203の問題だ。それは石川大佐にやってもらうとして……今これから、この子をどうするか。それは「加賀」の問題」

 

 つまり私の胸三寸ってわけ。霧堂加賀艦長は不敵に笑って見せた。それからくるっと振り返ると、

 

「さ、ひとみちゃん。どうする?」

 

「ええっ! 私ですか?」

 

 いきなりお鉢を回されたひとみ。のぞみと石川大佐も一斉にひとみのほうを見る。

 

「ええっと……」

 

 なんて言えばいいんだろう……いや、初めから言うべき言葉は決まっているじゃないか。

 

「霧堂艦長、この子を加賀に置かせてください!」

 

「よーしっ、可愛いヒトミンのお願いとあらばしょうがない――――子犬よ、貴官の乗艦を特別に許可する!」

 

「霧堂、貴様なぁ……」

 

 色々言いたげな石川大佐の声を遮るようにして続ける霧堂艦長。

 

「あーもううるさいわねー石川、あんたに代わってこの子を203空司令にしてあげようか?」

 

「なぜそうなる。そもそも貴様に任命権はないだろうに」

 

「そういやヒトミン、この子の名前は?」

 

「えと……分からないです」

 

「おい、俺の話をだな……」

 

 しかし石川大佐の声など霧堂艦長の耳には入っていない様子で、艦長は高らかに宣言する。

 

「よーっし、今日から君の名前は『さくら』ちゃんだ!」

「ブフッ……おいこら霧堂」

 

 盛大に吹いたのは石川大佐である。なぜだろう?

 ひとみがそれを疑問に思う中、控えめにのぞみが手を挙げた。

 

「あー……艦長。その子オスなんですよ、さくらは流石に……」

 

「え、そなの?」

 

 

 沈黙。

 

 

「じゃあ、あれでいこう。ゆうさくで」

 

「なんか急に渋くなった!?」

 

 のぞみがズッコケそうになりながらツッコむが、当の霧堂艦長は満足げにうんうんと頷く。

 

「ひとみちゃんもそれでいいよね?」

 

「えっ? は、はい……」

 

「よーしじゃあ決まりだ」

 

 それだけ言うと霧堂艦長は踵を返して戻ってしまった。その様子を見ていたひとみ達。のぞみがまとめるように言った。

 

「まあともかく、任務も終わってワンコの名前も決まったし……これで一件落ちゃk――――」

 

「――――とでも思ったのか?」

 

 

 二人を見下ろしていたのは海軍大佐だった。

 

「え、えとですね。石川大佐。まあ今日はいいじゃないですか。ほら、今日は海軍記念日ですよ?」

 

 しどろもどろになりながらのぞみが言う。

 

「ほうほう、そうかそうか……全ての罪悪に恩赦が下る日と大村准尉はお考えの訳だ」

 

「えっと、あの、その……」

 

 もちろん、ひとみとのぞみで仲良く甲板を走らされることになったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽が沈み。整備員たちも居住区へと戻ってしまった無人の格納庫。

 

「さーくらちゃん?」

 

 その言葉に反応したのはそんな格納庫でなにやらかを弄っていた影だ。引き攣るように身構えてから、相手が誰なのかを認めてどこか安心したように口を開く。

 

「貴様なぁ……下の名前で呼ぶなと言っているだろう」

 

 格納庫には不釣り合いな扶桑海軍の上級将校服に身を包んだその影は、もちろん203空の司令を務める石川(いしかわ)桜花(さくら)扶桑海軍大佐だ。

 

「え、裁縫が趣味のさくらちゃん?」

「黙れ」

 

 そう言いながら小箱を工具箱の後ろへと隠す石川大佐。霧堂艦長はその中身についてあと数十分はイジリ倒すことも出来ただろうが……そうはせずに歩み寄ると、それから隣にしゃがみこんだ。

 

 石川大佐が向き合っているのはストライカー。それはひとみやのぞみ、コーニャのストライカーではなかったが……表面は磨かれ、飛び立つ瞬間を今か今かと待ち構えているかのようだ。

 

「相変わらず自分の機は自分で整備してるのね」

 

「……基本だろう」

 

「そんなこと言っても、今の時代のストライカーはブラックボックスだらけじゃない。私たちみたいな素人が出来る整備なんてたかが知れてるでしょうに」

 

「何もやらないよりは、マシだ」

 

「ま、中東組の私たちならそうなるんだろうけどさ」

 

 短い沈黙。石川大佐は何も返さずストライカーユニットに視線を戻す。

 

 

「そういえば、意外だったわよ?」

 

「……何がだ」

 

 霧堂艦長は視線を少し先へと。そこには丸くなって眠っている犬、ゆうさくの姿があった。格納庫の床では冷えるとの判断だろうか、それらしく段ボールが敷かれている。誰が用意したかは明白だ。

 

「海に放り出さねばならないほど状況は逼迫していなかった。それだけだ」

 

「嘘」

 

 石川大佐が顔を上げて霧堂艦長に視線を注ぐ。

 

「あなたなら次の寄港地で降ろすって言ったはず。違う?」

 

「違う」

 

 即答だった。だから霧堂艦長は微笑む。

 

「事前に用意した模範解答なんて聞きたくないんだけどな」

 

「じゃあどういう答えが正解なんだ。貴様を満足させることか?」

 

「拗ねないの。かわいいなぁもう」

 

 

 ――――私が聞きたいのはね、あんたから建前とか言い訳とかを取っ払った答えだよ、石川。

 

 

 石川大佐は、何も返さなかった。

 



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第七話 「ブイ・ワン~めいれい~」前半

 夕日が水平線の向こうへと沈んでいく。

 海はギラギラと照らされ、橙色の海原に白く輝く波のコントラスト。輪形陣を組んだ十二隻が、そんなキャンバスに航跡を描いてゆく。屈強な艦艇群に守られる輪形陣の中心にいるのは数万トンの巨体を誇る航空母艦。甲板上には多数の航空機が並べられ、幻想的な夕日の中で佇んでいた。

 

 扶桑皇国海軍が世界に誇る大型航空母「和泉(いずみ)」。彼女が率いるのは扶桑最強の空母打撃群たる第一航空戦隊だ。

 

 

 

 

 

『――――ウィッチ隊、着艦します』

 

 

 

 そんな「和泉」の右舷側にそびえ立つ艦上構造物(アイランド)。そこにある広々とした航海艦橋内にスピーカーが響き、手の空いているものは窓の方を見やる。

 

 アングルドデッキに並べられた国産戦闘機の向こうを、魔法陣を吹かすジェットストライカーがするすると滑っていき……止まった。発着艦を取り仕切る黄色の影がわらわらと動き、機械の箒であるストライカーを格納庫へと誘う。

 

 そんな日常を見守る影がいた。この場にいる士官たちの中でもひときわ金が目立つその影。夕日から眼を守るように軍帽を深く被っていたのではっきりとした表情は見えなかったが、たっぷりと散りばめられた桜葉模様(スクランブルドエッグ)だけはよく輝いている。

 

「……やけに残念そうだな、せっかく故郷(くに)に帰れるというのに」

 

 と、背後から声が。振り返った先に佇んでいるのも将官。桜の数は二つ、中将だ。

 

「いえ、故郷に帰るのはもちろん楽しみなのです」

 

 口元に笑みを浮かべ彼がそう答えると、相手の将官も隣に立って飛行甲板の様子を眺める。

 

「ただ……」

 

「なんだ?」

 

 どこか迷うように言葉を紡ぐ。

 

「我々の任務は華僑民国(どうめいこく)の防衛でした。彼の国の状況は決して安定したとは言えません……それが、残念でなりません」

 

 

 

 華僑民国の北部には広大な荒漠地帯が存在し、陸軍を一般市民の住む地域より先に進出させるのは難しい。しかしネウロイが嫌うのは水であり、荒漠地帯ではない訳で……つまり、航空戦力だけが頼りに出来る戦力なのである。最近の一航戦の撃墜数がうなぎのぼりであったのも、激戦が続いている証拠なのだ。

 

 

 

「……仕方あるまい」

 

「はい、連合艦隊(GF)の見解は理解できます。新羅半島への戦力抽出は急務です」

 

 視線を窓の先、海の向こうの中華大陸へと注ぐ。華僑民国は大事な同盟国だ。しかし扶桑海軍の任務は本来的に自国の防衛、今回の新羅半島撤退を受け、対馬海峡防衛のために引き抜かれる事となったのである。

 

 

 

『CDC艦橋、山東半島方面より接近する機影1有り。バウンダーと断定、接触まで40分』

 

 二人の会話を遮るようにスピーカーが鳴る。CDC、戦闘指揮所からの通信だ。それを聞いた中将は素早く反応する。

 

「対空戦闘用意、輪形陣を密に……片桐君。直掩を上げろ」

 

「はい。直掩機械化航空歩兵(ウィッチ)を発艦させろ」

 

「直掩機械化航空歩兵(ウィッチ)発艦!」

 

「対空戦闘よーい!」

 

 艦隊司令から戦隊司令、そして航空団司令……復唱とともに命令は下へと下り、「和泉」の航海艦橋は俄かに騒がしくなり始めた。

 

「……それにしても、山東半島方面からですか」

 

「連中もピクニックが好きだな」

 

「そのようですね」

 

 緊迫し始めた艦橋とは逆に、むしろより一層のんびりとした雰囲気になる艦隊司令と戦隊司令。軍は徹底した縦社会であり、それは逆に言えば命令さえ出せば指揮官の仕事は終わりということ。焦ってもしようがないのである。

 

 

『発艦します』

 

 

 蒸気カタパルトの駆動音が響き、直掩ウィッチが颯爽と飛び立っていく。蒸気カタパルトによる射出はウィッチの身体に相当な負担を強いると聞いている。リベリオンのジェネラル・フォード級では加速度を抑えることで負担を軽減できる電磁カタパルトが採用されたと聞いているが……。

 

「ああそう言えば、上は次世代航空母艦の予算を来年度分で上げるつもりらしい」

 

「ほお、ようやくですか……艦名はどうなるんでしょうな」

 

「00年代就役の河内級と和泉級はいずれも五畿の旧国名……これに負けない艦名案を捻り出さなきゃいけない艦本も大変だな」

 

 笑ってみせる艦隊司令。次期航空母艦にはきっと電磁カタパルトが搭載されることだろう。となると、近いうちにテスト役として適当なウィッチ運用艦に電磁カタパルトの設置が行われることもあるかも知れない。そんなことを呑気に考える。

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

『CDC艦橋、バウンダーより飛翔体多数分離』

 

「分離……?」

 

 スピーカーの報告に将官二人は互いの顔を見合わせ、艦橋の空気が変わる。発言を促すように司令が参謀の一人を見やると、参謀も重々しげに頷いた。

 

「はい。二番隊を上げるべきでしょう」

 

「ん、発艦急げ」

 

 間に合うかは正直微妙であったが、だからと言って指をくわえて待つわけにもいかない。とにかく指示が飛ぶ。

 しかしスピーカーが続けて唸ったのは、その指示が通るよりも早かった。

 

『飛翔体……数50超、マッハ3で突っ込んできます!』

 

「……」

 

 艦橋は数瞬沈黙。柔らかな夕日が基準排水量7万8000tの航空母艦「和泉」に差し込み、そこに立つ武人たちを緩やかに照らす。静止画のようになった艦橋で、一番先に、そしておもむろに動いたのはこの場の最上位たる艦隊司令だった。

 

 

「片桐君。私はCDCにいくよ」

 

 慌てた様子もなく、焦る訳でもない。ただ艦隊司令の任を全うしようとするだけ。指揮系統の維持は最優先だ。

 

「はっ。ここはお任せ下さい」

 

「……ん、和泉を頼む」

 

 それから艦隊司令は艦橋の全員へと目配せ。それから踵を返してハッチへと向かう。

 残された将官は軍帽の位置を両手を使って調整し、それから水平線の向こうを睨んだ。間もなく陽が沈む。

 

 

「これより私が指揮を執る。輪形陣を密に――――対空戦闘、始め」

 

 

 

 

 

 

 

 

「第五航空戦隊、戦隊司令の北条だ。これは扶桑海軍よりの203の諸君に対する正式な要請となる」

 

 会うのは顔合わせ以来となる将官服のオジサン。襟章には大きな桜がひとつ。正式な要請という言葉の意味を測りかねたひとみが首を傾げ、それに構わず小太りなオジサンは続ける。

 

 

 

 ――――扶桑海軍第一航空戦隊より、全力魔女支援要請(ブロークン・アロー)が宣言された。

 

 

 

「嘘でしょ……一航戦が?」

 

「残念ながら事実だ。黄海で空母「和泉(いずみ)」が被弾、随伴艦も相当な損害を受けている」

 

「そんな、なんで……」

 

 のぞみが力なく放ったその言葉は、将官が去った空間でいやによく響く。

 木浦の強行偵察から数時間。203空の所属メンバーだけが残されたブリーフィングルームに招集された203の面々に向けて放たれたのは、あまりに信じがたい事実だった。

 

「一航戦って、強いんじゃなかったんですか……?」

 

 困惑したひとみが小さく呟くと、その言葉を拾った石川大佐はため息ひとつ。

 

「この前お前ら、というかポクルィシュキン中尉が迎撃した高速突撃特化のAS4だ。数十または数百発による飽和攻撃だったらしい」

 

 そう考えると、この前のは「試し打ち」的な攻撃だったようだな。再び苦い表情へと変わる石川大佐。

 

「現在は陽も沈んだこともあり、一航戦上空に敵影はないそうだが……これはあくまで小康状態に過ぎない。霧堂、扶桑海軍の作戦を説明してくれ」

 

 石川大佐の言葉を受けて、霧堂艦長が前に出てきた。同時に真っ白なスクリーンがするすると降りてきて、そこに投影されるのは東シナ海の海図。そこに「1stAD」(一航戦)「5thAD」(五航戦)を示すアイコンが表示される。

 

「あいあい、一航戦が立ち往生してるのは沖縄からも九州からも遠い中途半端な場所。はっきり言ってどの部隊も援護するには遠すぎる。五航戦(うち)の居場所だって170海里(300kmくらい)はあるわけで……とりあえずは村雨型二隻を急行させてるけど、ずっと全力疾走できて五~六時間、現実的には八時間は必要だろうね」

 

 そこまで言うと霧堂艦長は言葉を切り、手元の革製ファイルを開くと紙を取り出した。普通のコピー用紙とかとは質感の違う感じの紙。それを石川大佐へと渡す。

 

「で、これが一九二〇(ヒトキュウニーマル)時点での一航戦の被害状況。一枚しかないから回覧板みたいに回してね」

 

「……紙媒体か。懐かしいな」

 

「ちなみに回収して扶桑海軍(こっち)で処分するからねー」

 

「一航戦がらみは士気に関わる。当然の判断だな……ほら、大村」

 

「はい……」

 

 石川大佐はそう言いながら受け取ると、さっと目を通してのぞみへと渡す。のぞみは受け取ってからそれを一度見て、そしてもう一度見てからコーニャに回す。

 

「……ん。次、ひとみ」

 

 コーニャから紙を受け取るひとみ。そこに踊る文字の羅列が、いかに一航戦が危機的状況にあるかを示している。ひとみはゆっくりと霧堂艦長にその紙を差し出し、それをおもむろに受け取った霧堂艦長がそれから口を開く。

 

「見てもらった通り、第一航空戦隊は複数の艦艇が重大な損傷を負っており、沈没が確認された艦もある状況だ。しかも艦隊の(かなめ)である空母「和泉」では被弾により操舵機能を喪失しており、各所で火災が発生……格納庫が大炎上中との未確認情報もある」

 

 そこまで霧堂艦長が説明したところで、スクリーンの画面が切り替わる。大きな空母の図面、きっとこれが「和泉」に違いない。それを見ながら霧堂艦長の説明は続く。

 

「「和泉」は固定翼機の運用も可能な大型航空母艦。現在左舷に浸水が集中しているけど、舵が右に取られていたから大事には至っていない感じだね……でもまあ、満載9万tの「和泉」を曳航、それもいつ攻撃を受けるか分からない場所から曳航するなんてどだい無理な訳で、「和泉」は自沈処分されることになった」

 

 霧堂艦長はまるで別人みたいに、すらすらと事務的に説明を終える。

 

「そんな……」

連合艦隊(GF)にしては、随分思い切った決断だったな」

 

 やや渇いた声を漏らすのがのぞみ、大型空母を諦めるという苦渋の決断を評価するように頷いたのが石川大佐だ。霧堂艦長はおもむろに頷く。

 

「私も石川大佐に同感だね、思ったより早い判断だ……でも、「和泉」乗員は4090人。彼らをすぐに逃がすのは不可能。よって203空には、乗員の救出支援、そして「和泉」自沈後の撤退支援をしてもらうことになる。以上が今作戦の目的だ」

 

 

 救出。霧堂艦長の言葉がひとみの胸に染み込んだ。空母にはまだたくさんの人が乗っている。その人たちを助けるのが、今回の任務。もし失敗すれば……脳裏に誰もいなくなった木浦の景色が浮かんで、ひとみは慌てて頭を振って追い払う。

 違う、失敗すればじゃない。わたしたちが、わたしが助けるんだ――――助けなきゃいけないんだ。

 

 

 霧堂艦長が下がり、代わりに石川大佐が前に出る。

 

「では詳細を説明する。現状「和泉」は海域を旋回し続けているわけだが、機関はまだ制御が可能らしい。そこで、五航戦の航空隊が到着すると同時に「和泉」の機関を停止。注水を行い傾斜を復元、そのタイミングで運用可能な全航空機(ヘリコプター)を動員、全乗員を脱出させる」

 

 それに合わせてスクリーンにヘリコプターの写真が現れる。第五航空戦隊の艦艇が搭載している航空機はロクマル(SH-60K)が十機、オスプレイ(V-22)が四機。

 

「一航戦残存艦艇による救出作業も並行して行う予定だが、肝心なのは脱出のために「和泉」が機関を停止させるということ。救助作業中の間、「和泉」は巨大な標的(マト)になる……激戦は必至だ、気を引き締めてかかるように」

 

 石川大佐がそう言い、203の三人は表情をさらに引き締めた。それに頷き、石川大佐は続ける。

 

「作戦開始は〇五四五時。〇五〇〇時にはハンガーに集合するこt……」

「ちょっと待ってください!」

 

 しかし、それを遮った声。ひとみは驚いてその声の主――――のぞみの姿を見た。のぞみは立ち上がっていた。

 

「……なんだ、大村」

 

「大佐、どうして作戦開始が明朝なんですか? 今すぐにでも「和泉」の救出に向かうべきです!」

 

 ブリーフィングルームが静寂に包まれた。石川大佐は小さくため息をつくと、それから壁掛け時計を指さして言う。

 

「大村、すでに日没を迎えている。夜間の作戦実施は不可能だ」

 

「私は飛べます!」

 

 のぞみは頑として譲らず、石川大佐へと一歩踏み出した。石川大佐はそのまま、視線をじっとのぞみへ注ぐ。

 

「お前が出来るか出来ないかの話はしていない。さっき言った通り救出作戦ではヘリを「和泉」に着艦させる必要がある。「和泉」の正確な損害状況が分かっていない以上、二次災害を避けるためにも日が出るのを待って視界を十分に確保してから行わなければならない」

 

 石川大佐に睨まれたのぞみは、しかし逆に睨み返す。

 

「しかし大佐、こうして私たちが手をこまねいている間に「和泉」が沈むかもしれないんですよ?!」

 

「舵が強制的に固定された「和泉」は結果論ではあるが回避運動(ぼんおどり)を続けている。だが一度救出作業を始めれば「和泉」は止まり、無防備になる。その時間は最小限にすべきだ」

 

「なら偵察に行かせてください……状況は一刻を争います!」

 

「駄目だといっている」

 

「ですが!」

 

 のぞみはもう一歩前に出かけて、それから俯いた。

 

「ですが……!」

 

「座れ」

 

 石川大佐はそう言ってのぞみを座らせる。しぶしぶと沈むのぞみ。

 

「もう一度言うぞ、出撃は〇五四五。これは命令だ……いいな」

 

 

 全体へ向けていう石川大佐に、ひとみは頷くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日の作戦は早朝から。戦闘後の整備が終わったと呼びに来てくれた加藤中尉と一緒にひとみはストライカーの整備をしていたのだが。

 

「あれって……石川大佐?」

 

 格納庫にやって来た人影を見たひとみは首を傾げる。なんだろう、石川大佐だと思うんだけど、すごい違和感を感じるのだ。でも立ち振る舞いも石川大佐らしいし……。

 

「米川か、整備とはいい心がけだな」

 

 と、石川大佐の声が。やっぱり本物だ。

 

「えっと、石川大佐?」

 

 ひとみがそう言いながら敬礼を返すと、石川大佐は眉間に皺をよせる。

 

「……なんだ、その中途半端な反応は」

 

「あっ、す、すみません!」

 

 怒らせてしまったと慌てて頭を下げるひとみ。視界から石川大佐の顔が消え、上半身が消えて……

 

「あれ?」

 

 そして気づいた。顔を上げる。石川大佐の全身が視界に入る。そうだ、違和感の正体は服装だ。

 

「石川大佐、その服って……」

 

「ん? あぁ、これか」

 

 石川大佐は自分の服装を見てから納得顔。普段の石川大佐は第一種軍装に男性用スラックスという男性軍人と同じ格好をしているのはずなのだが、今の石川大佐は女性用ズボンを着こなしているのだ。

 

「今回は「加賀」も危険域まで前進することになる。作戦域に侵入してきたネウロイが「加賀」に向かってくる可能性もあるからな……万一に備え、俺も待機することにした」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

 ひとみは少し考えてから、というか少し迷ってから言った。

 

「石川大佐って、飛べるんですか?」

 

 その言葉を聞いたひとみの上司は盛大かつながーいため息をつく。

 

「……飛べないと思ってたのか」

 

「あいえ、そんなことは……」

 

 航空ウィッチとは短命な職業だ。魔法力のピークは大体17、18あたりと言われていて、そこから先はどんどん減っていく……20代も後半になればストライカーを動かすのも難しくなってくるという話だ。石川大佐の階級は大佐。年齢なんて知らないけど、この人がそこまで若いとは思えなかったのだ。そんなひとみの心配をよそに、石川大佐は笑ってみせた。

 

「俺は平均よりずっと魔法力の減りが緩やかでな、最新式の増幅器の力を借りれば「加賀」の空ぐらいは守れる」

 

「そうなんですか……じゃあ、石川大佐の機体は?」

 

 ひとみがそういうと、石川大佐は格納されたストライカーの一つを指さして見せる。普段はカバーにかけられたそれ、見たことない機体だ。

 

「ファントムの偵察仕様F-4RE。あれが俺の機体だ」

 

 そのストライカーに注がれる石川大佐の眼が、ひとみにはどこか寂しげに見えた。

 

「石川大佐!」

 

 そこへ石川大佐を呼ぶ声が。駆け寄ってくるのは扶桑海軍の尉官だ。

 

「ん? どうした!」

 

「北条司令がお呼びです!」

 

「分かった、すぐ行く……しっかり休んでおくように、いいな米川?」

 

 そう言い残して石川大佐は呼びに来た尉官と一緒に格納庫を出て行ってしまう。

 

 と、石川大佐が向かう出入り口からのぞみが入ってきた。先ほどのぞみを探していると言っていた石川大佐は一度足を止め、遠巻きに見ているひとみには聞こえないような声の大きさで何かを言った。のぞみも何事かを石川大佐に返す。

 

 

 

「……あぁ、米川も来てたんだ」

 

 ひとみの姿を認め、どこかぶっきらぼうに言うのぞみ。

 

「今回の戦闘は明け方のものになるよ。私たちは東から展開するからまさかないだろうけど、くれぐれも太陽をスコープで覗かないように。分かってるわね?」

 

 のぞみはそう言いながらF-35FBに取りついた。整備用の機器とストライカーを同期して計器を表示させてチェックを始める。

 

「あの、のぞみ先輩……」

 

「ん、なに?」

 

 のぞみはひとみに顔をむけないまま返す。

 

「さっき石川大佐が先輩のことを探してましたけど、何かあったんですか?」

 

 するとのぞみは、やや乱暴に機器のカバーを閉じた。それからひとみを一瞬睨む。それはひとみが見たことない表情で、それに構うことなくのぞみは言う。

 

「……”焦るな”だってさ、私はこれでも意見具申のつもりだったんだけどね」

 

「先輩……」

 

「焦ってる」

「わっ」

 

 ぬっと現れたコーニャ。どうやらコーニャもストライカーの整備をしに来たようだ。

 

「なによプラスコーヴィヤ(Прасковья)、そりゃオラーシャ人にとっては扶桑の危機なんてどーでもいいんでしょうけどね」

 

 のぞみが吐き捨てるようにそう言う。やっぱりいつもと様子が違う。

 

「……違う」

 

「何が違うっていうのさ」

 

「のぞみ、心配してる……「和泉」のこと」

 

「してないってば。私は扶桑軍人として、純粋に――――」

「違う……そういう意味じゃない」

 

 遮るようにコーニャは言ってから、のぞみをまっすぐ見据える。

 

「……なにが違うのさ」

 

 

 のぞみがそう言った時。魔導インカムに入感。

 

《石川だ。先行した「曙」が黄海を南下してくるネウロイの反応を検知、場合によっては「加賀」を狙ってくる可能性がある。五分アラート待機に変更、急げ》

 

『総員、対空戦闘用意! 総員、対空戦闘用意!』

 

 ブザーが鳴り響き、先ほどまで静寂を保っていた格納庫が、「加賀」が、艦隊が動き出す。

 

「米川! コーニャ!」

 

 その言葉を受けたのぞみが二人へと叫ぶ。それと同時にF-35FBストライカーに飛び込んだ。のぞみの側頭部から使い魔との契約の証であるイヌ科の耳が飛び出し、ジェットストライカーが機動する。

 ひとみも遅れじとストライカーを収めた簡易ハンガーに飛び乗る。機付き整備士官である加藤中尉も駆け寄ってきた。

 

「ひとみちゃん!」

 

「はいっ!」

 

 ひとみは加藤中尉と一緒に最終チェックを始める。その隣では予定をはるかに繰り上げられたひとみ用のオスプレイに整備員たちが取りついて、慌ただしく準備をし始めた。ひとみのF-35FAはオスプレイに高度を稼いでもらわないと飛び立てない。だから、出撃準備が整うのはまだまだ先だ。

 

 そして、格納庫に鳴り響く警告音。振り返れば、重々しい駆動音と共にせりあがっていく昇降機(エレベーター)。そこにひとみの毎日見ている姿を認める。

 

「のぞみ先輩……」

 

 簡易ハンガーごと移動したのぞみは、もう飛行甲板へと向かっているのだ。ひとみのF-35FAやコーニャのA-100は滑走距離が足りないからいろいろと準備が必要だ。そういうのが必要ないのぞみが真っ先に甲板へと上がっていくのは当たり前。だけど。

 

「……のぞみ、おかしい」

 

 コーニャがぽつりと漏らす。ひとみはそれを聞いて、あることを思い出した。

 

「そ、そういえば……たしか一航戦には、友達がいるって……」

 

「……」

 

 それを聞いたコーニャは顔を歪め、それからぱっと駆け出した。

 

「えっ、コーニャちゃん?」

 

 ひとみの言葉が空を切る間にコーニャは意を決したように飛行甲板へと繋がる階段に向かっていく。

 

「止めなきゃ……のぞみを」

 

 そしてその影はすぐに階段の上へと消えていく。

 

「コーニャちゃん!? えっと加藤中尉、少しだけお願いしますっ!」

 

 わずかにひとみは迷ったが、追いかけることを選択するとストライカーから足を引き抜く。つまづいて転びそうになる手前で堪えてコーニャが上っていった階段を駆け上がる。艦内の構造は複雑で、コーニャを追いかけてラッタルを登ったり廊下を走ったりするうちに視界が開けた。

 

 空には散りばめられた星屑たち。月は出ていない、新月近くの夜。どこかむんむんと暑さを残した潮風が頬を撫でる。

 

「コーニャちゃん、のぞみ先輩!」

 

 飛行甲板に立ったひとみが見たのは、いつでも簡易ハンガーを離れて飛び立てるように待機するのぞみの姿。

 

「のぞみ……」

 

 コーニャが口を開こうとした、その時。

 

《石川だ、本艦の先60km地点に別の機影を確認した。小型機ゆえに見落としていたようだ》

「!」

 

 魔導インカムに入感。航空戦においての60kmは、もう懐に入られたも同然だ。まだ艦隊の対空ミサイルは届かないが、一度突撃されればあっという間に突破されてしまうだろう距離。非常事態を知らせるブザーが鳴り響く。

 

《大村、迎撃しろ》

 

「了解っ――――KAGA-PRIFRY, KITE1.Request scramble!」

 

 「加賀」ストライク管制の回線を開いたのだろう。のぞみがそう叫ぶや否や、F-35FBの呼吸音が一気に甲高くなる。甲板作業員がばらばらと動き、真っ黒な空へ向けての道を開ける。

 

「そんな……こんな暗いのに」

 

 そう、太陽は沈んだ今は夜。そして空に月はなかった。これでは飛行のほとんどを計器に頼るしかない。ひとみは夜間飛行訓練もしたことがなかった。のぞみにはもちろんあるのだろうけど……。

 

 

 簡易ハンガーが盛大な金属音をたてながら結束を解除。つんのめるような空気の渦が巻きあがり、のぞみのストライカーは甲板を滑り出す。200m越えの甲板を一気に駆け抜け、そして――――甲板の向こうへと落ちた。

 

「のぞみ先輩っ!?」

 

 しかし墜落した訳なんてないわけで、ふわりと浮き上がるひときわ目を引く二つの光点。のぞみのストライカーが放つ魔道エンジンの光だ。

 

「よ、よかった……」

 

 ほっとするひとみの一方で、コーニャは魔導インカムに手を当てながらくるりと踵を返した。

 

「大佐、あがる……あがらせて」

 

 

 どこか焦るように、そう言って。

 

 

 

 

 

 

 

 

「対象をB(ボギー)‐1と呼称する」

「対空戦闘用意よし」

「予想以上に速度が遅い、直掩機が先に到達するかもしれません」

 

 ところ変わり、強襲揚陸艦「加賀」の中枢。第五航空戦隊の旗艦であるこの(ふね)に集められた膨大な情報を捌くのがこの部屋である。壁一面と言わんばかりに並べられた電子機器が情報を弾き出し、モニターに取りついた要員がそれを捌いていく。

 

「いや。ポクルィシュキン中尉、この状況での上空警戒は間に合わん。待機だ……そうだ、いいな?」

 

 そんな場所に仁王立ちしながら指示を飛ばすのは石川大佐である。懐中時計を取り出し眺めるその姿は普段なら男性用スラックスを身に着けていることもあり周囲に溶け込んでいるのだが……今日はやや事情が違う。今日の彼女は女性将校用の制服。もちろん職務に忠実な扶桑海軍将兵はそんなことは気にしないし、女性将校ならいつもから見慣れている。

 その見慣れている理由である霧堂艦長は、艦長に用意された椅子の上に座っていた。

 

「で、北条司令まだなの」

 

「間もなく起きてくるとは、思いますが……」

 

 霧堂艦長の口から平坦に発せられた質問に、おどおどと士官が答える。

 

「あーもう、こういう時って戦隊旗艦の艦長が指示だしちゃっていいんだっけ? まあいいか、防空輪形陣! この(ふね)中心に三角形作って守り固めて。はいはい急いで、状況開始ですよー」

 

 やけに軽い調子だが、まあ焦りが乗るよりかはマシである。こんな命令でも無線を通じて僚艦へと伝達されれば、艦隊という強大武装生物を動かしていくのだからそれで十分だ。情報を示す光点が瞬き、刻一刻と状況が変化していく。

 

 そんな様子を見守る石川大佐。懐から取り出した懐中時計を弄ぶように開くと、それをじっと見つめる。

 

 

「なーに不安そうにしてるのよ」

 あきれた様子で霧堂艦長。石川大佐は振り返る。懐中時計がパチリと閉じられた。

 

「ウィッチは二機編隊(エレメント)運用が基本だ。大村単騎で上げるのはな……」

 

「んーまあねぇ。のんちゃん以外にも夜戦える子がいればいいんだけど。あ、こーにゃんは誘導弾(ミサイル)ガン積みなら夜昼関係ないか」

 

「言っておくがポクルィシュキン中尉のA-100は警戒機だぞ……米川の夜間訓練を繰り上げるべきかもしれんな」

 

 そうひとりごちるように言う石川大佐に、霧堂艦長は笑って言う。

 

「ちょっと、あたしのヒトミンに無理させないでよねー。適度に疲れてるぐらいがちょうどいいんだから」

 

()()()ではない。そして「ちょうどいい」とはなにが丁度いいんだ」

 

「さあねー」

 

「短SAM発射時期、近づく」

 

 そんな間にも部屋の中を飛び交う報告の波。

 

「さてさて、秋月型の本領発揮の時間ですかな?」

 

「その前に大村が接敵する。まだ撃つなよ」

 

「そんくらい分かってるって」

 

《カイト・ワン、これより接敵(インターセプト)!》

 

 そののぞみから通信が入る。間もなく五航戦はネウロイとの戦端を開く。誰もがそう確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

《――――カイト・ワンより五航戦(Vesta)! 対空戦闘止め! 止め! 接近する対象(ボギー1)はネウロイではない! 撃ち方止め! 止め!》

 

 

 その報告が入る、その時までは。



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第七話 「ブイ・ワン~めいれい~」後編

「米川、もどりましたっ!」

 

 「加賀」の格納庫へと戻ったひとみは加藤中尉のもとへと駆け寄る。

 

 真夜中の格納庫はいつもと違う雰囲気だ。とはいっても、出雲型の格納庫は普段から太陽の光が差し込むわけではない。だからひとみたちを照らしているのはいつも通りの照明。しかし照らすのは真夜中とは思えないほどの喧騒だ。急かすような会話があちこちで聞こえ、あちこちで鋼鉄の部品が触れ合う音がする。

 既にひとみのストライカーもオスプレイに積み込まれており、そのオスプレイは発艦に向けての準備を急いでいるが……まだ出撃出来る様子ではなさそうだ。

 

 コーニャもオラーシャ語で何かを指示、すると慌てたようにオラーシャ空軍の整備兵がストライカーに何かを取り付ける。

 複雑な筒状の機械。ひとみはそれに見覚えがあった。

 

「コーニャちゃん、それって……」

 

 コーニャはひとみが指差す機械を見ながら頷いた。

 

「ん……ロケットブースター」

 

「ロケット、ブースター……」

 

 それはジェットストライカーの明瞭期から存在したと聞く。ストライカーの出力が足りないなら使い捨てでもいいから出力を増やしてしまおうという発想で、固体燃料の反応効率を魔法力で無理矢理引き上げてしまうのである。

 実用化はもう半世紀以上前の話。あの初代501空メンバーたちだってロケットブースターを使ったことがあるくらいだ。それでコアを破壊すべく成層圏まで駆け上がる501空の精鋭たち……ひとみのような501に憧れるウィッチにとっては神話の如き作戦だ。

 

 でも今回は成層圏に行く予定はないはず。するとコーニャは、説明するように言葉を足した。

 

「滑走距離、足りないから……これで補ってる」

 

「補う?」

 

「ん」

 

 コーニャのA-100は大型ストライカーだ。重たいストライカーは加速が悪く、離陸に必要とする滑走距離は長い。それこそひとみのF-35Aよりも長い。なのにコーニャがオスプレイから発艦(うちだ)されていなかったのはロケットブースターで急加速を実現することで短い「加賀」の甲板でも必要な速度を稼げるからなのだ。

 

「あれ……? じゃあ私もオスプレイなしで発艦出来るんじゃ」

 

「あー、それは難しいと思うよ」

 

 横から口を挟んできたのは加藤中尉だ。

 

「ひとみんも知ってるとは思うけど、ロケットブースター(これ)ってすごい魔力を消費するんだよね」

 

「あっ……」

 

 加藤中尉はもちろん知っているし、ひとみだって分かっている。ひとみの魔力量は決して多くはないのだ。毎回ロケットブースターで発艦してたらひとみの魔力はあっという間に絞りつくされてしまうことだろう……逆に、毎回ロケットブースターで発艦するコーニャがおかしいとも言える。

 

「大丈夫よ、ひとみんが上がるまでの時間はのんちゃんが守ってくれるからね」

 

 しゅんとしたひとみに対して励ますように加藤中尉は言う。のぞみのF-35Bは短距離離着陸(STOL)性能を有しており、素早く「加賀」から発艦することが可能だ。

 

 そして今日も、のぞみが真っ先に飛び出していった。

 

 ひとみが見上げるとそこには鉄骨が剝き出しになった天井。あの向こうに広がる空を、のぞみはひとりで飛んでいるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カイト・ワンより五航戦(Vesta)! 対空戦闘止め! 止め! 接近する対象(ボギー1)はネウロイではない! 撃ち方止め! 止め!」

 

 

 軍隊という巨大組織において、何よりも求められるのは正確で迅速な報告だ。しかし、いやだからこそのぞみは目視(インサイト)の報告よりも先に叫んでいた。手順よりも重要な情報がそこにはあった。

 

 真っ黒に沈んだ黄海。そらを満たす星明りとバイザーに示された光点だけが照らす世界。

 五航戦(Vesta)()()を小型ネウロイだと認識している。のぞみのバイザーに映されている未確認機の位置と()()の座標はきっかり一致。あれが敵機(ボギー1)だと訴える。

 

 だが、扶桑皇国海軍の大村のぞみ准尉の目に映ったのは()()()であった。ネウロイはそんなもの出さないはず。ストライカーの出すようなやつではないけど……間違いない、あれはネウロイじゃない。

 

《大村、何があった。報告しろ》

 

 どこか焦ったような石川大佐の声が無線越しで聞こえる。

 

「ボギー1はネウロイではありません。発展型シースパロー(ESSM)の攻撃を止めてください!」

 

敵味方識別装置(IFF)に反応はないが》

 

「現に攻撃してこないんですよ!」

 

 のぞみは身体を捻って旋回、大回りしながらボギー1と正対する形から並走するようにして距離を詰め始める。暗闇に浮かび上がるように見える蒼い炎……違う。のぞみはそれの正体に気が付いた。

 

「回転呪符……ということは回転翼航空歩兵(ヘリウィッチ)?!」

 

 周囲に他の目標がないことを確認してからバイザーの暗視装置(ナイトビジョン)のスイッチを入れる。目に見えない赤外線を増幅させることで闇夜を見通すこの装置は、ボギー1と呼ばれていた存在の真の姿を明らかにして見せる。

 

 ジェットストライカーを装備し身軽さと速度を追い求めるのぞみとは全く異なる恰好の回転翼航空歩兵(ヘリウィッチ)

 重武装を是として発展したその容姿は、カタログで見たのとは異なり大きく傷ついていた。左右対称であるはずの可動武装は大きく欠け、回転呪符の輝きも時折途絶えてとてもじゃないが規定の回転数を達成できているようには見えない。

 国籍マークは? 目を凝らす。真っ暗闇だが回転呪符の光で僅かに見えた。黒い太陽に赤い月、やはり扶桑機だ。こんなところには扶桑機ぐらいしかいない。

 

「扶桑の国籍マークを確認。友軍機です!」

 

《……接触しろ》

 

 石川大佐からの指示が微妙に遅れて入る。IFFには応答はなし、無線を回してみてもノイズすら入らない。だがあれは友軍機だ。ここにいるということは――――一航戦所属機に違いない。

 

「なんでこんなところに友軍機、それもSH-60(シーホーク)が……?」

 

 とにかく連絡を取らなくては。のぞみはなにかに追われるようにエマージェンシーキットの袋からフラッシュライトを取り出す。ここに居るってことなら海軍機。海軍なら、これを理解できるはず。ライトを相手に向けて、スイッチを入れた。そこに手を添える。

 

(・--・)(--)(---・)(・・)(・・・-)(・---)(・・-・・)(・・-)……」

 

 手のひらを蓋にするようにして光を遮断。それを断続的に繰り返すことで信号を送るのだ。リズム感だけでトン()ツー()の符号を組み合わせるのはなかなか難しいが、幼年学校時代からやっているのぞみにとっては慣れっこである。

 

 出来る限り急いで信号を送る。相手は天下の一航戦、まさか早すぎて読めないなんてことはないだろう。

 繰り返し送るでもなく、相手も光った。モールス信号はちゃんと通じたらしい。口ずさみながら、解読を試みる。

 

「……トン、トン、トン、ツー、ツー、ツー、トン、トン、トン。SOS?!」

 

 

 誰もが一番初めに習うであろうリズムを見て、のぞみは迷うことなくストライカーを傍へと寄せる。大型の回転呪符にほのかに照らされるヘリウィッチ。SOSを送ってくることだけあり近づけば近づくほど彼女が深く傷ついているのが見て取れる。これだけの傷をユニットに負いながら今なお飛んでいるのが信じられないほどだ。

 

「なにこれ、今しがた戦闘でもあった訳? いや、今はそれどころじゃない」

 

 のぞみはそう呟くと海図を脳裏に描く。「加賀」まで連れて帰るのは不可能。だが幸いにもこの周辺には一航戦援護のために先行している駆逐艦「曙」がいるはず。そこまで誘導できれば……大丈夫、間に合う。

 

「第203統合戦闘航空団だ! 何があった!」

 

 魔道エンジンの音にかき消されないように大声で叫ぶ。ヘリウィッチはのぞみの姿を認めると、バイザーを上げて疲れ切った笑みを浮かべた。

 

「味方だ……良かった」

 

 次の瞬間ガクリと崩れそうになる。下から慌てて支えるのぞみ。

 

「あわわっ、なんてザマなのよ。あんた一航戦なんでしょ?」

 

「そ、それが……」

 

 よほど疲弊しているのだろう。相手の声は擦れていて、安定翼が空気を切り裂く音だけでかき消えてしまう。のんびり話している余裕はなさそうだ。

 

「ああもういい! とにかく駆逐艦まで連れてくよ!」

 

 のぞみは彼女を支えたまま、駆逐艦のいる方角へと空を蹴った。

 

 

 

 

 

 村雨型駆逐艦の特徴はかつての汎用駆逐艦では考えられない大型さ、そして強度向上という理由があったとはいえ世界でも珍しいミニ・ネーデルラント坂がその細長い船体の美しさを引き立てていることにある。備砲の三インチ砲を覆う丸っこい砲塔は「高波」以降採用される五インチよりも4400tの船体には似合っているし、前部と後部の艦上構造物のバランスも完璧といっていいだろう。

 

 

 そんなことよりも救護である。受け入れに応じた「曙」の誘導と後部甲板に埋め込まれたランプに従いながらのぞみは高度を下げる。暗黒の海を進む151mの巨大な船体から探照灯が灯台の如く周囲に光を放っているから、見つけるの自体は容易だった。だから余計に、相対速度をゼロにしなければならない着艦は難しい。しかしF-35Bはやろうと思えば垂直離着陸だって出来るのだ。焦らず急いで、のぞみは艦番号の刻まれた後部ヘリ甲板へと着艦した。

 

「衛生兵!」

 

 叫ぶまでもなく駆け寄ってくる「曙」乗り組みの水兵たち。素早く駆け寄ると手際よくヘリウィッチの装備を外していく。一方通信として石川大佐に救護活動を行う旨は伝えたが、それ以来返事はない魔導インカム。恐らく集中させてくれているのだろうが……何かおかしい。のぞみは眉をひそめた。そもそも、なんで一航戦の航空機がこんなところにいるというのだ。

 とにかく誘導が完了した旨を伝えるべく、魔導インカムに触れる。

 

「カイト・ワン、所属不明機を「曙」まで誘導終了」

 

《よくやったカイト・ワン、上空に不明機は認められない。帰還せよ》

 

 不明機は認められない? のぞみは腹の底からイヤなものが沸々と湧き上がってくる感覚に襲われる。何もいないのにウィッチが傷つくのか。そして南下してくるネウロイとやらはどうなった。突然現れたボギー1はウィッチだったけども、あれの迎撃はしていないじゃないか。

 

《……大村、復唱はどうした》

 

 石川大佐の言葉を無視して、のぞみは近くの影へと近づいた。照明が逆行となり顔すら見えないが、作業をしていないということは将校に違いない。この人なら何か知ってるはずだ。

 

「すみません! 戦局はどうなってるんですか?」

 

 相手は担架に乗せられて運ばれていくヘリウィッチを見届けているところだった。のぞみに気付いて振り返ると、不思議そうな表情を浮かべる。

 

「ん? 君は「加賀」に乗っているんだろう? 聞いていないのか」

 

「聞いていない……?」

 

 

「一航戦は目下空襲を受けている。小型ネウロイだから迎撃出来ているようだが……」

 

 その言葉を聞いて、のぞみの思考が一瞬止まる。

 

「じゃあ、今の子は……」

 

「随伴艦乗り組みのウィッチだろうな。シーホークじゃ飛行型ネウロイ相手に分が悪すぎるから、大方五航戦(こっち)に逃げるよう指示が出たんだろう。もしかすると後続が逃げてくるかもしれないな……」

 

 まさか、そんな。

 

「おい、受け入れ態勢を強化するぞ。あらゆる周波数で呼びかけろ! まだ友軍機が飛んでいるかもしれん!」

 

 呆然とするのぞみをよそに、「曙」の将校は叫びながら格納庫の方へと入っていってしまった。

 

《大村、何か問題でも起きたか?》

 

 魔導インカムから聞こえる復唱を求める石川大佐の声。のぞみははっとして、そして遮るように口を開いていた。

 

「石川大佐!」

 

《大村、復唱はどうした》

 

 ぴしゃりと高圧的な石川大佐の声を聞かされ、のぞみは言葉を続けるか躊躇う。

 

 そりゃ知ってる。大村のぞみ、扶桑皇国海軍所属。階級は准尉、士官候補生。もっと悪く言うなら下士官、将校ですらないのである。作戦立案に口出しなんて出来ないし、得られる情報だって限られている。

 だからって、何も教えてくれないなんて酷いじゃないか。もしもこのまま何も知らずに復唱していたらと思うと身体中から冷汗が噴き出しそうだ。だからこそ、のぞみは言葉を紡がなければならないのだ。

 

「……和泉乗員救出作戦の開始を繰り上げを具申します」

 

 それを聞いた石川大佐の声はすっと冷えたものだった。

 

《駄目だ。ブリーフィングの際にも言っただろう。まだ作戦機の準備が整ってないうえ、この状況(くらやみ)でヘリを飛ばせば二次災害を引き起こしかねない》

 

「では事実確認だけさせてください。今、「和泉」上空の制空権は我が方にあるのですか? ないのですか?」

 

《……》

 

 答えはない。分からないのか、それとも、答えたくないのか。

 

「もしも一航戦が空襲を受けているなら、作戦自体を組みなおす必要があるかと考えます」

 

 これならきっと答えてくれるだろうと色々捲し立ててみる。それから無線の先は沈黙とは異なる間。やけに冷えた春の潮風が、のぞみの額に伝う汗を撫でる。

 

《……当該海域上空には小型ネウロイが多数確認されている。一航戦が空襲を受けているのは間違いない。だが、小型種だけなら通常兵器でも十分に対処可能だ。違うか?》

 

 やっぱり知っていたのだ。胸の奥がかっと熱くなる。

 

「では、先ほど南下中とされていたネウロイ。あれは私たち(ウィッチ)が迎撃するのが望ましい中大型ではなかったのですか?」

 

《大村。堪えろ》

 

 それを聞いたのぞみは自身の耳を疑った。堪えろ、堪えろだって?

 

《確かに一航戦は空襲を受けつつある。危険域に取り残されているのだから当然だ。だがその状況は「加賀」だって同じ。203空には根拠地である五航戦を守る義務がある。今回の作戦は既に無理をしているんだ。これ以上危険は冒せない》

 

「ですがっ、まだ五航戦は空襲を受けていません! 一航戦は既に空襲を受けています!」

 

 今この瞬間、一航戦が、同じ扶桑の艦隊が危機に陥っているのだ。五航戦も確かに危険域にまで進出してきている。だけれどまだ、襲われていない。

 どちらを優先すればいいかなんて判り切ってるじゃないか。

 

 それなのに、石川大佐はそれに理解を示そうとしない。それどころか諭すように言う。

 

《いいか、よく聞け大村。俺たちは203空、人類連合軍東アジア司令部傘下の部隊だ》

 

「そんなの知ってます!」

 

《一航戦の救出は扶桑海軍からの要請を受けて行っている。つまりは扶桑の問題(さくせん)なんだ。人類連合軍が主導となる作戦ではない以上、勝手に動くわけにはいかないんだ》

 

 そんな風に切り捨てろと言う。まるで扶桑の艦艇(ふね)を助けるのが内政干渉とでも言わんばかりに。のぞみは絞り出すように叫んだ。

 

「大佐は……石川大佐は皇国軍人ではないのですかっ!」

 

()()()人類連合軍の軍人だ》

 

 上官の言葉は書類上の話だ。

 

《忘れるな、203空(ゴールデンカイトウィッチーズ)統合戦闘航空団(じんるいのつばさ)だ。扶桑のものでは無い》

 

「納得できません!」

 

《納得しろ》

 

 それっきり石川大佐は言いたいことは全て言い切ったとばかりに沈黙する。国際部隊だから扶桑を、祖国の同胞を見捨てろというのか。そんなことがまかり通っていいのか。まず母国を護って、それから世界を護るのが軍人の務めではないのか。その何が間違ってるというのだ。

 

 

「私は……皇国軍人です!」

 

 

 そう言いながら魔導インカムを耳から抜く。力いっぱい抜いたせいで少し痛い。だがそれが何だというのだ。今、ストライカーで飛ばせば手が届くほど近い場所で一航戦が沈もうとしている。シーホークのウィッチが逃げてこれたのは損傷が激しくない随伴艦だったからに違いない。

 

 このまま帰ってしまえば、空母「和泉」に乗り組んでいるウィッチたちは逃げることも出来ずに――――それだけは絶対にさせない。インカムを投げ捨てる。小さな耳栓のようなそれは、甲板にぶつかって飛び跳ね、そのまま落下防止ネットをすり抜けて暗闇の海へと消える。

 

「発艦します! 下がってください!」

 

 戦術リンクをオフにする。もう誰にも止めさせない。

 

 のぞみは甲板の要員を退避させると、F-35FBの能力を存分に生かし、駆逐艦からまっすぐ飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、のぞみ先輩が?」

 

 カイト・ワンが連絡を絶った――――その一報を聞いたひとみは目を丸くした。それを伝えた加藤中尉も困惑気味だ。

 

「ええ、なんか接敵した後なにかあったらしくて……」

 

「そ、それって! のぞみ先輩が撃ち落とされたとか……!」

 

 加藤中尉に詰め寄るひとみ。背後で話を聞いていたコーニャが顔色を変える。かつかつと歩いてくると、力を込めるようにして使い魔であるヘラジカの耳と尻尾を出す。

 

「中尉……借りる」

 

「えぇ? 借りるって何を……」

 

 そういう加藤中尉の横をすり抜け、オスプレイの機体に触れるコーニャ。彼女の掌からエーテルの輝きが鋼鉄の航空機へと伝わる。コーニャの固有魔法は電子機器に直接介入するものだ。この前もタブレットを使って扶桑海軍とデータリンク、その後対空兵器(SeaRAM)の直接操作までやってのけている。

 そんなコーニャは耳を澄ませるように目を閉じると、それから静かに目を開いた。

 

「……いけない」

 

 コーニャの声はいつものと違って、まるで歯ぎしりするかのよう。

 

「こ、コーニャちゃん……」

 

 いったいコーニャは何を視たのだろう。それが分からなくて、でも今大変なことが起きようと、いや実際に起きているのであろうことは分かっていて。ひとみが何も出来ないでいる中、コーニャは振り返ってストライカーへと戻る。

 

整備兵(Tехническое)! 鉄槌を用意しろ(Железный Молот)!」

 

 その言葉を受けたオラーシャ空軍の整備員たちが血相を変えたように動き出す。オラーシャ空軍章がでかでかとプリントされた貨物コンテナから出されるのは――――巨大な筒。

 

「あれって……フリーガーハマー!?」

 

 フリーガーハマーというのはあの初代501空のサーニャ・リトビャクが使っていたカールスラントの対空ロケット砲である。大量の魔力を込めることにより戦略兵器級の威力を誇るこの兵器は、改良に改良を加えられロケットから魔法を用いずとも精密射撃が可能な誘導ロケット(ミサイル)へと換装され、今でもウィッチの使う大火力無反動砲として現役なのである。

 でも、コーニャが使ってるA-100って警戒機だったはず。戦闘にはどう考えたって不向きのはずなのに……。

 

「出る。これがあれば、戦える」

 

 コーニャは、ひとみを見てそう言う。その感情を消したように見える無表情は、今日も変わらない。

 

 

「待て! ポクルィシュキン中尉!」

 

 その時、遮るように声が飛んだ。

 

「石川大佐!」

 

 つかつかと早歩きで進路を塞ぐように割り込む石川大佐。

 

「情報が錯綜しているようだが、簡潔に説明しよう。大村との連絡が途絶えた。だが墜ちたわけではない」

 

「知ってる。一航戦を助けに行った」

 

 コーニャがぴしゃりと言う。石川大佐は、眉間を揉みながらため息を吐く。

 

「やっぱり把握してるのか……それと中尉、俺は貴官にフリーガーハマーの装備を認めた覚えはないが?」

 

「作戦の繰り上げ」

 

「無理だ。今回の作戦には五航戦のヘリ部隊が不可欠なんだ。人類連合軍の傘下にある203空と扶桑の五航戦は指揮系統が違う。そう簡単に出来るものじゃない」

 

「……」

 

 コーニャはきっと石川大佐を見つめる。コーニャは石川大佐を睨んでいるんじゃないかってくらい強く見つめていた。

 

「中尉まで()()しそうな顔だな」

 

 石川大佐はコーニャを牽制するようにその二文字に力を籠める。

 

「命令を。大佐」

 

 沈黙。石川大佐は軍帽を取る。

 

「……俺のストライカーを用意しろ」

 

「石川大佐?!」

 

 驚いたように言ったのは加藤中尉だ。石川大佐は加藤中尉の方を見ながら言う。

 

「ウィッチは二機編隊(エレメント)運用が基本だ。中尉は俺の指揮下に入れ」

 

「ですが石川大佐……」

 

 食い下がる加藤中尉。石川大佐は受け付ける様子もない。

 また、わたしの知らないところで話が進んでいく。今のぞみ先輩が必死に、一航戦を助けようと飛んでるはずなのに。

 ひとみは手元を見る。その腕に抱えられているのはワルサー2000。わたしの、守るためのちから。

 

 

「わたしに――――わたしに行かせてください!」

 

 

 格納庫の皆がひとみの方を見た。一番に口を開いたのは石川大佐。

 

「何を言ってるんだ米川、お前は夜間飛行訓練もしたことないだろう!」

 

 ガツンと殴るような厳しい調子。それでも、ひとみは引き下がるわけにはいかない。

 

「でも……!」

 

「ポクルィシュキン中尉は夜間飛行の経験がある。私もある。それに今日はほぼ新月だ。完全な計器飛行になるんだぞ」

 

 石川大佐の調子が諭すようなそれに代わる。確かに、ひとみは夜の空を飛んだことはない。真っ暗闇を飛ぶなんて想像もできない。でも、ここで何もしなかったら、何も出来ないなんてそんなの嫌だった。ひとみは強くワルサーを握る。石川大佐に真正面から向き合う。

 

「……」

 

 石川大佐は何かを確認するかのようにコーニャへと視線を逸らした。ひとみはちからいっぱい喰らい付くように叫んだ。

 

「お願いコーニャちゃん! わたしを連れてって!」

 

 わがままなんだと思う。それでも、わたしに出来ることを、やらないで出来ないなんて言いたくないのだ。のぞみ先輩のこともそうだ。のぞみ先輩だって、きっと守りたいから勝手に行っちゃったはずなんだ。加賀(ここ)で待ってるだけなんてイヤだった。

 

「……分かった」

 

「ポクルィシュキン中尉!」

 

 咎める石川大佐に、コーニャが向き直る。

 

「小型中型は扶桑一航戦でも対処可能。相手は大型ネウロイ、装甲を遠距離からフリーガーハマーで。その後米川准尉の狙撃」

 

 それが妥当な選択だ。そう言わんばかりにコーニャは石川大佐に言う。

 沈黙。格納庫の照明に照らされた石川大佐とコーニャ。

 

 しかし今この瞬間、決断を迷う時間などない。

 

「責任は俺が取る。必ず帰れ、いいな」

 

 それだけ。石川大佐は軍帽を被ると踵を返して出ていく。それを見届ける間もなくコーニャはオラーシャ語で整備兵へとまた指示を出した。整備兵たちは短く返事をすると今度はコーニャのブースターを弄り始めた。

 

「ひとみ、来て」

 

「うん!」

 

 ひとみが駆け寄ると、コーニャは首を振った。

 

「違う。ストライカー、履いて」

 

「え?」

 

 

 

 

 

「も、もしかしてこのまま飛ぶのっ?」

 

「……ん」

 

 「加賀」の甲板は今、出来る限りの照明で照らされていた。並走する駆逐艦からの探照灯(サーチライト)が闇夜を照らす道を作っている。

 

「ひとみ、もっとくっついて」

 

「そ、そんなこと言われましても……」

 

 ひとみは躊躇うようにコーニャに身を任せる。オスプレイの発艦を待ってる時間はない。でも滑走距離が足りないひとみたちがとった手段は、コーニャと一緒に「ぶっ飛ぶ」ことだった。つまりこうだ、コーニャがひとみを抱えて、そしてロケットブースターでかっ飛ばす。ただそれだけ。

 

 ……なのだけれど。

 

「こ、こーにゃちゃん……」

「ひとみ、もっとしっかり」

 

 そう言われてギュッと抱きしめられる。ひとみとコーニャは向かい合う形で甲板に待機している。コーニャのストライカーが魔法陣を描き、オラーシャのソロヴィヨーフD-30魔道ターボファンエンジンが唸り声を上げる。ひとみの魔道エンジンとはどこか違うその音。こんな間近で聞くのは初めてだ。

 

「で、でもぉ……」

 

 ひとみとコーニャには結構身長差がある。コーニャがのっぽというのもあるかも知れないけど、どちらかと言えばひとみの背が低いのが原因だ。よって背の高いコーニャがひとみを抱き込んでいるような形になっているのであるが……。

 

 暗闇でよかった。これならコーニャちゃんも気付いてはいないだろう。ひとみは僅かに顔を赤らめながら息を吐く。なんで顔を赤らめるかと言えばその、ひとみの頭部が収まってしまうからである。コーニャの胸部に。

 とはいえ身体を密着させないことにはコーニャが離陸できない。ひとみは意を決するように目をつぶり、コーニャに身体を押し付けた。

 

「……や、柔らかい」

 

「?」

 

「な、なななんでもないよ!」

 

 なんだかとってもいけないことを言ってしまったような気がして、ひとみはコーニャの腕の中で身体を縮こまさせる。密着させてるせいかコーニャの体温が伝わってきて、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「……ん、行くよ」

 

 そんなひとみを気に留めもせずコーニャはブリタニア語で管制と会話。その次の瞬間、全身を震わす激しい振動がひとみとコーニャを襲う。ロケットブースターを起動したのだ。

 

点火(воспламенение)!」

 

 いろんなものをかき混ぜたような振動と轟音。即座に感じる激しい加速度が即座に浮遊感に変わりどんどん高く飛び上がっていっているのだと感じる。

 

 

 少し目を開けるとコーニャの腕の隙間から、遥か眼下になった「加賀」と五航戦の探照灯。

 

 

(のぞみ先輩……待っててください!)

 

 真っ暗な空へと、ひとみは翔け上がっていく。先に駆けて行った先輩(のぞみ)を追いかけて。



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第八話 「ローテート~みちびく~」前半

 コーニャのロケットブースターは、轟音と噴煙をこれでもかと言わんばかり放出しながら速度と高度を稼ぐ。オスプレイなら発艦から含めてどんなに急いでも数分はかかる高度にあっという間に達してしまった。深い緑と紺を混ぜたようなオラーシャ空軍制服の隙間から、ひとみは流れていく星空を見る。

 

 

「ひとみ……今」

 

「うんっ!」

 

 コーニャの合図でひとみは手を放す。発艦の邪魔にならないよう極限まで絞っていたスロットルを解放、それで姿勢を安定させる。

 

 前を見ると、本当に闇しか見えなかった。それを背景にして、青というよりは碧に近い色合いのマルチバイザーの数値が緩やかに表示を変わっていく。魔道エンジンは安定しているようだ。その他には何もなし。頬に当たる空気は澄んでいて、保護魔法を通しても冷たい風が身体を撫でる。

 

 ふと不安に襲われたひとみは周囲を見回した。すぐ上を見上げればいつの間にやらヘラジカの角のような魔導針を展開したコ―ニャが飛んでいる。

 魔道針からこぼれるその青い魔力光。それだけが彼女の、整った顔立ちを照らす。

 

「コ―ニャちゃん……」

 

「……どうしたの?」

 

 A-100の翼端灯がちかりと瞬いてそれから消えた。それが繰り返し。

 

「コ―ニャちゃんは、怖くないの? 夜……飛ぶの」

 

「怖くない」

 

 コ―ニャは端的に答える。それを聞いてひとみは小さく俯いた。

 

「ひとみは、こわい?」

 

「……ちょっと」

 

 何もできないのは怖い。待ってるだけなんてが嫌だ。だから飛び出しては来たけれど、それでも真っ暗闇では自分ひとりだけ。コーニャからひとたび目を逸らせば、世界全体から切り離されてしまったようにも感じてしまうのだ。

 

「大丈夫。いつもと変わらない」

 

 コ―ニャはそう言ってすっと降りてきて、ひとみの耳の後ろに手を伸ばした。

 

「コ―ニャちゃん……?」

 

「じっとしてて」

 

 そっと彼女が耳の後ろ、マルチバイザーのアンテナ部に触れた。直後にバイザーの表示が一瞬消え、それから瞬くようにして戻ってくる。

 

「あれ……?」

 

 最初はコーニャが何をしたのか分からなかったが、すぐに変わりはじめるバイザーの表示。細いワイヤーのようなものが何本も現れ、格子状に組み合わさり……

 

「これで外の地形がわかる。敵の位置は見つけたら表示する」

 

 そう言ってすっと距離を取るように離れるコ―ニャ。振り返るとコ―ニャの陰に青い輪郭線がついた。同時に友軍(FRIENDLY)を示す青三角のマークが重なり、その横にKITE-3と表示される。

 

「……これで少しは、楽?」

 

「う、うん……」

 

 手にしたWA2000を握り直して前を向く。海面を示すラインが水平線まで続いている。その中を飛ぶ。その奥に一つの点が現れた。水平線の下。コールサインのタグが現れるKITE-1、のぞみだ。

 

「のぞみ先輩……?」

 

 なんで水面下に? まさか、撃墜された……!?

 

「まだ距離がある。地球の丸みに隠れているだけ」

 

「あ、そっか……そうだよね……」

 

 安心するがそれは同時にそれだけのぞみが遠くにいってしまっていることを示している。

 

「……のぞみが、心配?」

 

「わたしは……のぞみ先輩の僚機(ウィングマン)ですから」

 

 それが答えになるかどうかはわからないが、それでもそう言わずにはいられなかった。

 

「ひとみ、無理はしないで」

 

「え?」

 

「無理をしても、助けられないこともある」

 

「コ―ニャちゃん……?」

 

 コ―ニャはそれ以上答えない。沈黙が、落ちる。

 

「――――――警戒せよ(Предупреждение)!」

 

 コ―ニャの声と同時、視界が赤く染まった。ロックオン警報、反射的にひとみは頭を下げる。スロットル全開。速度計が跳ね上がる。直後真上をネウロイのビームが飛びぬけた。

 

「コ―ニャちゃん!」

 

「大丈夫。……敵機捕捉。種別、フィドラー、3。B-1からB-3とナンバリング」

 

 コ―ニャが種別を告げる。同時にひとみのマルチバイザーに表示が現れた。

 

 大型の戦闘タイプ。こちらに向かってくる。

 

「……ひとみ、先に行って。和泉が傾斜復元を始めた。のぞみだけで守らせるのは、不安」

 

「え? コ―ニャちゃんはどうするの?」

 

「わたしは、大丈夫」

 

 コ―ニャは高度を上げているのか魔導針の輝きが遠くなっていく。

 

「でもコ―ニャちゃんは銃持ってないのに……」

 

「わたしにはフリーガーハマー(これ)がある」

 

 そう言ってコーニャは空飛ぶ拳骨(フリーガーハマー)を起動する。ぐわんと振り回すように持ち上げ、筒先を前方に指向。

 

 

「……それに、私は一人じゃない」

 

 

 そう言ってコ―ニャは無線のチャンネルを切り替える。

 

「石川大佐、カイトツーを先行させる。許可を」

 

《……分かった。早期警戒管制機(AWACS)の判断を信じる。カイト・ツー、和泉上空に展開してからも長丁場になる可能性が高い。魔力の消費は極力抑えろ。オーグメンターの使用は禁ずる》

 

「了解です!」

 

 無線の奥のアルトの声が笑った気配がした。直後に「いい返事だ」という声。霧堂艦長だろうか。

 

《……必ず、生きて帰ってこい》

 

「カイトツー、了解!」

「Согласен」

 

 ひとみの声にコ―ニャの声が被った。その直後、コ―ニャが一気に高度を上げていく。

 

「ひとみ、指示の通り飛んで。外れるとミサイルに当たるかも」

 

「は、はいっ!」

 

 バイザーに白い線が現れる。それをなぞるように飛んでいく。ネウロイの影は輪郭線もまだ見えない。遠くにネウロイを示すB-1からB-3の数字が動くだけだ。高度を下げるように指示が来た。白い線をなぞるように飛べば、あっという間に海面近くまで降りることになった。

 

《このまま指示があるまで高速で低空飛行》

 

「分かりました!」

 

 魔導無線に返すと指示が点線に変わる。先ほどまで細かく出されていた指示がガイド程度になったのである。戦闘に集中するために違いない。

 

(コ―ニャちゃん……)

 

 後ろ髪を引かれるような思いを断ち切って、ひとみは前に飛んだ。

 

 

 

 

 

 ひとみの青い魔法光が遠く溶けていくのを確認して、コ―ニャはゆっくりと息を吸った。

 

 空中で足を止める。魔女にだけ許された機動だ。ふわりと体が浮くような感覚。中性浮力を意識するのは難しいと言われるが、コーニャにとっては慣れた感覚だった。

 

「……その日には光明なかるべく輝く者消うすべし

 

 意識が澄む。その間にも口から流れ出るのは扶桑語だ。

 

(こゝ)只一(たゞひとつ)の日あるべし、我が主、これを知たまふ。是は(ひる)にもあらず夜にもあらず夕暮の頃に明くなるべし

 

 右手に持ったフリーガーハマーのセーフティを弾く。セーフティ・オフ。

 

あゝ、我が主の顔の輝きを受けられぬものよ、悔改めん。汝らの父等のごとくならざれ(さき)の預言者等かれらに向ひて呼はりて言り萬軍の主、かく言たまふ

 

 右手に構えたその四角い筒を虚空に向ける。

 

汝らその(あし)き道を離れその惡き行を棄てゝ、(かへ)れ』然るに彼等は(きか)ず耳を我に傾けざりき

 

 直後、爆炎が後ろに飛ぶ。ブラストマスを残していくつもの矢がカンマ数秒の間をもって空を舞う。だがコ―ニャがそれを見ることはない。

 すぐに出力を絞り、重力に任せて一度降下。その頭上をとびぬけるのはネウロイの光だ。

 

 ブラストマスの光や熱、当然ながらそれらはネウロイにとって格好の的。しかしコーニャのストライカーも熱を帯びている。逃げたところでその熱源(ストライカー)が新たな的となる。掠めるように、迫る赤い光線。

 

 だからこそコーニャは同時にフレアを展開。A-100早期警戒脚から放たれた酸化マグネシウムの光源が彼女の後ろに伸び、白い雲を引いて燃え落ちる。天使の羽のようにも見えるそれに向けていくつものビームが突き刺さり、穴をあけていった。

 

我が主よ、是等は何ぞやと問けるに、我と(ものい)ふ天の使(つかい)、我に向かひて是等の何なるを我、汝に示さんと言へり

 

 闇夜に溶けた誘導弾が意思を持つかのように動き出す。誘導弾と彼女を繋ぐものは見えないが、それでも彼女には、その行く先がはっきりと()えていた。

 

第一の御使ラッパを吹きしに、血の混りたる雹と火とありて、地にふりくだらん

 

 彼女の見ている、否、彼女が感じている空間の中、赤い熱源が帯を引く。それを彼女のレーダーが描きだし、彼女に視せるのだ。

 

 

 彼女が使っているA-100早期警戒飛行脚『プレミヤ(Премьер)』は、情報戦・電子戦に特化したストライカーだ。

 戦場を俯瞰し、戦闘に必要な情報を迅速かつ確実に前線に届け、指示を出すことを目的にする大型飛行脚。アクティブフェーズドアレイレーダーやマルチチャンネルを同時に裁くための通信アンテナ群、600機もの空中目標の敵味方識別装置(I F F)を瞬時に識別することが可能なハード類……それらを平均台を逆さに吊るしたようなバランスビーム型アンテナにまとめ、懸架しているのである。

 それらの高性能を達成する代償としてA-100は平均的なストライカーよりもはるかに重く、無理矢理にでも宙に浮かせるために4機の噴流式魔導エンジンを用いざるを得ない。言うまでもないが、操縦者に多大な負担を強いるストライカーだ。

 

 そんなA-100で安定して飛行できるのは、魔力量に十分な余裕があり、加えて情報の奔流に耐えることが出来るウィッチに限られる。

 

 

 ――――そして、オラーシャ航空宇宙総軍第11高空防空軍第2457戦術偵察飛行隊を原隊とする空軍中尉、プラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ・ポクルィシュキンはそれに必要な素質をすべて備えていた。コーニャの一族にはこういう情報に関する固有魔法を持つ者が多いのだ。

 

 緑じみた電子空間の先でミサイルのアイコンとネウロイのアイコンが重なり、二つとも消える。それが続けて3回。

 

 ゆっくりと目をあければ遠くで白い花火のように光るものが見えた。数瞬前までネウロイであったものだ。その真下をひとみが飛びぬけていく。

 

 

 

 

 

「きれい……」

 

 白い光が燃え落ちるように振ってくる。微かにきらめく天の川を背景にしたそれはあまりに幻想的で、ひとみは思わず見とれそうになる。だが海面ギリギリを駆けるひとみにそれは許されない。高度維持は電波高度計が頼り。100を切らないようにして飛びぬける。

 

 マルチバイザーに投影されたKITE-1の表示が細かく動いているのを確かめる。まだ、彼女は飛んでいる。大々的に動いている様子は見えない。おそらくは、艦隊の上空で足を止めているだろう。戦闘は膠着状態と言っていい。

 

「……急がなきゃ」

 

 オーグメンターが使えないのがもどかしい。自分にもっとたくさんの魔力があればと思う。魔力があれば、あっという間にこんな空を飛び抜けてゆけるのに。

 

「……! 動いた!?」

 

 のぞみを示すアイコンが一気に高度を上げた。同時にコーニャの声が飛び込む。

 

《AS4、数26、着弾まで、後2分》

 

 新手の超高速型だ。しかも数が多い。

 

「……っ!」

 

 使うなと言われていることは忘れたことにする。オーグメンター、オン。急加速。滑らかに舵を切る。大きな弧を描きながら上昇する。遷音速を一気に飛び越えた時、背後の海面が爆ぜる。衝撃波を残して前に飛ぶ。

 

「コ―ニャちゃん!」

 

《B-1からB-26までナンバリング。カイト・ツーは現在高度維持。AS4はシースキミングに入った》

 

 視界の左奥が真っ赤に染まっている。タグが被りまくっているせいで潰れてしまっているどれがどれだかわからないレベルだ。それだけの密度でネウロイが迫ってきているのである。

 

《こちら203空、ゴールデンカイトウィッチーズ所属、コールサイン、カイト・スリー。扶桑海軍、一航戦へ。これより支援を開始する》

 

 コ―ニャの声が無線に乗るのを聞いている間にも、海の上に光点が見えた。火の赤色。あれが火災を起こしたらしい一航戦の旗艦「和泉」だろう。

 

 「和泉」の真上を飛びぬける。「加賀」よりも大きなフネ。父親が集めていた『飛行ファン』で見たことがある、船の舳先から明後日の方向を向いた角度付飛行甲板(アングルドフライトデッキ)。これが、正規空母。ここに4,000人もの人がいる。そして、1分半少々で、ここを目指してネウロイが高速で突っ込んでくるのだ。

 

 

 ひとみの脳裏に木浦で見たあの廃墟が浮かぶ。コンクリートだけが残された、灰色の世界。

 

 

 あの時とは違う。自分の足元には人がいるのだ。生きた人が待っているのだ。

 

 私が守らなきゃいけない。

 WA2000を握り直し、同時にウェポンベイを解放する。

 

「コ―ニャちゃん! ミサイル誘導お願い!」

 

 そう言いきるのが早いか、持ってきた4発分の『ミーティア』空対空魔導ミサイルに合わせて4つのターゲットサイトがロックされた。

 

《誘導用意良し》

 

全弾発射(サルヴォー)、です!」

 

 ふわりと一瞬体が浮くような感覚。重量が数十キロも一気に軽くなったのだ。それを受けて体が跳ねようとして、ひとみは押さえつけるように体を下に倒し込んだ。

 

 同時に警報、ひとみの放ったミサイルを迎撃しようとAS4型ネウロイがビームを放ってきたのだ。いくらF-35ライトニング飛行脚がステルス性能を向上した飛行脚だと言えども、ミサイルを放てば当然感知される。ひとみのすぐ真上をビームが横切った。その熱から逃げる様に一瞬高度を下げる。オーグメンターの加速度の中だとその一瞬の動きがひとみの体をひねりつぶさんとする。それに耐え前を見据えた。

 

 WA2000――――セーフティ、オフ。

 

 オーグメンターを切って一度出力をアイドルまで絞った。その間に体を振り上げ、空中で立ちあがるような姿勢に持っていく。惰性で前に飛びながら魔力を高度維持に使いながら、狙撃銃を構え、スコープを覗き込む。

 

《ナイトヴィジョン切って。ネウロイのビームで目が焼き切れる》

 

「は、はいっ!」

 

 コ―ニャの声に慌ててスコープを操作した。そうだ。光を増幅して使う暗視装置(ナイトヴィジョン)は強烈な光量のビームの光エネルギーも増幅してしまう。

 スコープを覗き込む。それと同時に覗き込んでいない左目側のバイザーに現れるマーカー。コ―ニャが攻撃目標の優先順位をつけてくれたのだ。

 

《赤いのから撃って》

 

「はいっ!」

 

 一番赤いのはB-8。それを撃てとの指示。

 

 釣り紐(スリング)を左腕に巻きつけて、少しでも銃を安定させる。右肩にしっかりと押し付け、固定。頬づけをしっかり、暗いスコープを覗き込む。手首から先で、魔力が吸われるような感覚。注射で血を抜かれるような感覚と同時。バイザーの向こうで魔法陣が光る。

 

「当たれっ!」

 

 引金を引く、衝撃。燃焼した火薬がガスピストンを押し下げ、次弾を勝手に薬室に押し込む。目標がリアルタイムで更新されていく。すぐに次のB-17に照準を合わせる。その間にB-8が消えたことを示した。それとほぼ同時にB-6が消え去る。コーニャは発砲していない。ということは、のぞみが撃墜したのだろう。

 

「……のぞみ先輩」

 

 無線に問いかけてみても答えはない。それでも彼女の魔力光がひとみのかなり前の方で光っている。彼女に向けていくつものビームが走る。

 

「……っ!」

 

《ひとみはそのまま撃って》

 

 のぞみのシールドが光ってるのを見てとっさにそっちに飛び出したくなった。それが見えているかのように、コ―ニャから釘を刺される。

 

「でもっ……」

 

《少しでもネウロイを落とすことがのぞみも、一航戦も助ける》

 

 言われなくてもわかっている。それでも胸が張り裂けそうだった。それを見なかったことにして、ひとみは魔法を展開、拡張、ネウロイと銃口を結ぶ線をイメージ。そのイメージを固めて、弾丸に乗せる。

 

 魔力弾がひとみとネウロイを音速の線で結んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 旗艦である「和泉」の指揮系統が壊滅して、肝心の「和泉」も艦隊運動ができないせいだろう。第一航空戦隊の輪形陣はひどく崩れていた。ゆえにこの艦隊はまだ十隻ほどの護衛艦艇が生き残っているのに、30弱に過ぎないネウロイの突撃すら防げない。

 

 そんな「和泉」と一航戦にとどめを刺さんと迫ってくるネウロイ。その一つが砕け散った。

 

 

「……遅いわよ、バカ」

 

 ひとみが狙撃で散らしたらしいネウロイを横目に、のぞみはそう悪態をつく。インカムがあれば悪態の一つもつけたのだが、そもそも無線を聞いていたらとっくのとうに加賀まで引き戻されていた。結果的にこうして迎撃できているのだから結果オーライだと考えることにする。

 

 眼下には燃え盛る航空母艦。何かに誘爆したのか側舷から炎が噴き出し、それが海面を照らす。そこでようやく気付いたのだが、先ほどよりも航跡(ウエーキ)が薄くなっている。

 

「減速している……?」

 

 間違いない。ということは救出作戦の第一段階である傾斜復元が始まっているのだ。手を回してくれたのであろう石川大佐(じょうかん)の顔が浮かぶ。お冠には違いないが、あの人もやっぱりやるべきことは分かってくれているのだ。

 

「なら余計に、期待に応えないと……ねっ!」

 

 がむしゃらに「和泉」へと突っ込んでいくネウロイに喰い付き、64式小銃の引金をひいては放す。ネウロイの赤い光を目印に閃光弾交じりの弾丸が叩き込まれていく。指きりで反動を抑えつつしっかり狙って落とす。一直線を描く高速型のネウロイの何機かが急にその軌跡を変えた。のぞみに狙いを変えたのだ。

 

「上等じゃないの……!」

 

 高速型は小回りが利かない。その点ウィッチの方に利がある。それを活かさない手はない。もっとも……のぞみの魔力がそれまで保てばの話であるが。

 

「銃剣もある、グレネードだって持ってる。まだ飛べる。――――何を恐れることがあるんだ大村のぞみ!」

 

 自分を鼓舞し、残り少なくなった弾倉を落とし、新品の弾倉に付け替えた。その間にもネウロイは迫ってくる。残り17。向かってくるのは5機。12機はほぼノーマーク。

 

「一航戦、あと米川。手柄は譲ってやるから12機ぐらいなんとかしなさいよ」

 

 背中を丸める余裕はない。着剣した64式を振り、のぞみの方から距離を詰めていく。

 

「扶桑皇国軍人を、舐めるな――――――っ!」

 

 叫びながら相対した。叫ぶことにより得られるものは科学的には何もない。それどころか歯を食いしばれなくなるので力が出せないと聞く。石川大佐や霧堂艦長が見たら自暴自棄な無意味な吶喊だと言うだろうか、傍から見れば愚かだろうか。上等だ。それで一航戦を守れるならば、特上の上だ。

 

 死ぬつもりも、殺させるつもりもない。だが、それ以上に譲れないのだ。飛び込む。照準器の銃星とネウロイが重なる。

 

 ジェットストライカーを使えるのはウィッチの中でも一握りの人間だけ。魔力量に恵まれ、五体満足で心身ともに健常であり、半世紀前とはくらべものにならない複雑な機器をコントロールしつつ、相対するネウロイの必殺の光線を避け、致死級のダメージを相手に叩き込むことができること。空戦ウィッチに求められる最低限ラインだ。

 

 その立場を得、迫りくる脅威に立ち向かうため、誰もが多かれ少なかれ、須らく何かを犠牲にして戦場(ここ)にいる。のぞみだって例外じゃない。誰よりも早く、速く、高く翔るために人一倍の努力と才能を、そして支えてくれる仲間と教官を必要とした。

 

「ネウロイなんかが、ネウロイ程度が……」

 

 先人の血と躯によって確立された技術と、それを惜しげもなく叩きこんでくれた教官と、同じ目線で苦楽を共にした仲間と。

 

 それらで今ののぞみがある。

 

「……一航戦に」

 

 だとするならば、それを易々と奪われることは、自らを失うこと同義だ。

 全身に魔力がみなぎる。魔導弾を叩き込み、先頭の一機を破る。そのまま加速。さらに前へ。

 

「手を出すな―――――――っ!」

 

 左手でハンドガードを握りしめ、真横に銃剣を突きだすようにして構える。そのまま高速型のネウロイの真横を撫でるように突き抜ける。銃剣から火花と共に白い装甲の破片が散り、その隙間に魔力弾を叩き込む。ネウロイの悲鳴が聞こえたような気がするが、音速の世界では気のせいだ。

 

「おぁああああああああああああっ!」

 

 相対速度が時速1000キロを超えるネウロイ相手に銃剣を叩き込んだとする。普通ならその速度差に耐え切れず銃剣は小銃ごと手からもぎ取られるはずだ。だがのぞみはそんなことにならずに前に飛び続ける。なぜか。

 

 答えは単純、のぞみは念動系魔法の一種である『怪力』の持ち主だ。紀州犬の尾を引いて、その怪力で無理矢理にネウロイを切り裂きながら、彼女は飛ぶ。

 

 禍々しい火災を背景にネウロイが光へと変換。のぞみはそれを見送ることなく体を反転させる。エンジンが失火(ストール)しそうになるのを無理矢理抑え込み、加速。暗闇を飛びぬけたネウロイを追いかけんと加速する。全身が悲鳴を上げる。それでものぞみはまだ落ちるわけににもいかなかった。さらに加速。オーグメンターも使う。出力が思ったよりも上がらない。

 

 魔力切れが、近い。

 だがそれがどうした。どうしたというのだ。

 

「私は、大村のぞみは、ここだ――――――――っ!」

 

 小銃弾をばら撒いて、のぞみは叫んだ。大きな弧を描いて戻ってくるネウロイを見て、嗤う。

 まだ私は脅威として認識されている。未だ私は、空に求められている。

 

「そうだ! 私は! ここだっ! 扶桑大村家が長女! 大村のぞみはまだ飛んでいるぞ! ネウロイッ!」

 

 ネウロイが言葉を解するという事実はないとされている。それでも叫ばずにはいられない。それを糧とし、追いかけ、向き合い。そして切りつける。敵がまた破裂するように消える。

 

 それを愚かだというなら嘲るがいいさ。それを蛮勇だというなら罵るがいいさ。

 それでものぞみは立ち止まるわけにはいかないのだ。

 

 一航戦は扶桑皇国国防の要だ。ここで落とすわけにはいかない。一航戦に所属する28人

のウィッチの命を守るためなら、無名の准尉の一人の犠牲ぐらいなんだというのだ。

 

 死ぬつもりはない。それでも、命を賭けなきゃ通れる場所じゃない。戦場なんていつだってそうだ。祖父が、叔母が、父が、母が、皆そう言っていた。

 だからのぞみに、躊躇う理由などない。

 

「お前の相手は、私だぁああああああああっ!」

 

 斬りかかってネウロイを粉に変え、その足で別のネウロイに狙いをつけ――――撃ってもいないのに爆発した。

 

「え……?」

 

 同時に耳に入ったのは砲撃音、ネウロイが次々爆散し、塵となって消えていく。先ほどまで散発的だった弾幕の密度が急に濃くなり始めた。ロクに機能していなかった防空網が急に機能し始めているのだ。

 

「どうして……?」

 

「介入した」

 

 答えるように声が聞こえる。インカムをつけてないのに聞こえる。次の瞬間のぞみの視界に入ってきたのはオラーシャ空軍ウィッチの姿。コーニャだ。

 

「ポクルイシュキン……」

 

 最新設備――――即ち、最新のセキュリティ――――が揃っているはずの一航戦に介入したなどとトンデモないことを言いながらコ―ニャが上がってくるのを認め、思わずといった風にそう呟くのぞみ。いつのまにか、ネウロイの全てが駆逐されていた。

 それを確認して安堵、それと同時に疑問が浮かぶ。

 

「……なんで米川がコ―ニャにだっこされてる訳?」

 

 なぜかは分からないがコーニャの腕の中にひとみがいるのだ。のぞみが眉をひそめるのは当然のこと。

 

「さっきの戦闘で魔力をほとんど使い果たしてる」

 

 答えたのはコーニャだ。支えられるということはひとみのストライカーは出力がよほど足りていないのだろう。それほど魔力不足なのだ。ひとみの息もどこか荒くなっているように感じられた。

 

「ひとみの固有魔法は、魔力を喰う。それにオーグメンターも使って飛ばしてきた、仕方ない」

 

 そう言うコーニャにごめんなさい、とバツが悪そうに俯くひとみ。スリングを左手に通して吊ったWA2000が夜風に揺れる。

 米川ひとみの固有魔法である『弾道安定化』は魔力をごっそり持っていかれるらしいとは聞いていたが、自力での飛行が困難になるレベルで使い果たすほど魔力を馬鹿食いするとは知らなかった。本人すらも把握していなかったようだ。

 

「あんたね、なんでそんなに無駄に魔力使ってるの? 自分の魔法ぐらい使いこなしなさいよ」

 

 203空は所属ウィッチが少ない。だからこういう風に連戦続きとなることはこれからもあるだろう。仲間に迷惑をかけるぐらいなら、むしろ出撃しない方が

 

「――――それを、のぞみが言う?」

 

 コ―ニャの声が、冷えた。

 

「ひとみがこうなったのは、カイト・ワン、エレメントリーダーであるのぞみのせい。聞き捨てならない」

 

 二つの影の間を風が駆け抜ける。のぞみは小銃をスリングで背にかけると、場を和らげるように笑ってみせる。それから冗談みたいに口を開く。

 

「なんであんたが怒ってるのよ」

 

 疲れのせいか表情筋が引きつってしまった。コーニャはいつもの通り無表情のまま。

 

「のぞみ、なんで先走ったの?」

 

 問いに答えずにコ―ニャは問いで返す。闇に溶けそうな無表情がのぞみを見据える。

 

「なんでって……扶桑皇国の同胞が沈みかけてるのに見捨てておけるとでも?」

 

「……僚機を殺しかけておいて、それを言うの?」

 

 コーニャの表情は、一切動かない。

 

「コ―ニャちゃん……?」

 

 腕の中に抱かれたままのひとみが、どこか不安そうにコーニャを見上げる。

 だがコーニャは止まらない。

 

「ひとみはのぞみを守ろうとして、墜落しかけながら高速型のネウロイを2機、仕留めてる。のぞみにすこしでも敵が行かないようにネウロイを撃ってる。そうやって守られているのぞみのやることは、なに?」

 

 コーニャにとっては外国語のはずなのに、そうとは思えないほど流暢に、的確に事実を突き刺す扶桑語。

 だが、だからこそ。考えるよりも先に身体が動いていた。

 

「……だったら、だったらどうしろって言うのさ!」

 

 のぞみはコ―ニャの胸倉に腕を伸ばした。怯えたようにひとみが身を縮こませるが、そんなことを気にする様子もなくのぞみはコーニャに掴みかかる。

 

「扶桑皇国の同胞が飛べもしないまま海に沈むのをおめおめ眺めてろって!? 冗談じゃない!」

 

「仲間を、危険に晒してまで?」

 

 目の前のオラーシャ人が何を言いたいかはよーく分かる。

 ひとみは頑張ったんだろう。まだ使い慣れてもいないだろう魔法を魔力が尽きるまで使いまくったんだろう。だがそもそも夜間戦闘訓練もやってないはずのペーペーが戦場に出てくるのがおかしいだろう。何故出てきた? それがエレメント・リーダーである自分の責任だっていうのか。常識(セオリー)ド外れの行動を米川ひとみ(こうはい)が冒したのは、大村のぞみ(わたし)せいだっていうのか? 私は出来るからやったんだ。後輩のそんなところまで面倒見ろって?

 

「……私は。私は出来ることをやったんだ! 「和泉」はまだ健在だ、でも! 私が来なきゃ沈んでたかもしれない!」

 

 のぞみの声が爆ぜる。それでもコ―ニャは表情を変えなかった。その間にひとみのおろおろとした視線が迷う。

 

「……のぞみは、203の仲間じゃないの?」

 

「そんなことは言ってない」

 

「でも、一航戦の方が大事」

 

 のぞみが言い返そうと口を開いたが、それよりはやくコ―ニャが言葉を継いだ。これまでのどんな言葉よりも早く伝わり、割れたガラスのように鋭い。

 

「だから、ひとみが必死に追いかけてきても、こんなになってまで助けても、軽口を叩ける――――仲間を軽く見るな、大村のぞみ」

 

 

 

 

 

「こ、コ―ニャちゃん……言いすぎなんじゃ……それに、わたしはそんなこと……思ってないですよ」

 

 ひとみの戸惑う声には誰も答えない。のぞみは下を向いたまま、何かを堪えているようだった。そこから、ポトリと言葉が落ちる。

 

「じゃあさ……あんたは私にどうしろっていうのさ」

 

 コ―ニャは僅かに目を細めた。

 

「……やったことには、責任を持つ。僚機や部下を生きて帰還させること。それだけ」

 

 コ―ニャがのぞみに向けて何かを投げた。

 

「石川大佐に繋がってる」

 

 予備のインカムを受け取ってのぞみは、恐る恐る耳に差し込んだ。

 

「こちらカイトワ―――――っ」

 

《馬鹿者っ!》

 

 のぞみは身構えていたようだが、それでも肩が跳ね上がる。ひとみの肩も同じタイミングで跳ねたということは、つながっているのは部隊無線だ。

 

《誰が勝手に突っ込んでいいと言った!? そんなに早死にしたいか!》

 

「すいませんっ!」

 

 反射で謝罪するのぞみ。腰を45度に折る最敬礼だったが、もちろんその姿が無線の向こうの石川大佐に見えるはずもない。

 

《言いたいことはままあるが、帰還後にたっぷり言わせてもらう。謹慎は覚悟しておけ。現時点から正式な処分が確定するまでの間、大村のぞみ海軍准尉の編隊指揮権限を凍結する。カイト・スリーが代行。異論はないな?》

 

 のぞみは悔しそうな表情をするが、沈黙をもって了解とした。石川大佐はそのまま続ける。

 

《……全員残弾は?》

 

「カイト・ワン、64式小銃(ロクヨン)は残り弾倉1つ。サブウェポン(M P 5)の方を魔導弾にして叩き込んでもいいんですが、それをするにはいささか魔力が足りません」

 

「カイト・ツー……えっと、狙撃銃(WA2000)の弾倉は残り4つなんですが……飛ぶとフラフラします」

 

 弾倉一個当たりの弾数は6発。狙撃銃で20発を超える銃弾は多いとは言えないが、決して少ない数ではない。ひとみの銃なら攻撃力は足りるが、飛ぶのもままならない状況では戦闘というのは現実的ではないだろう。

 

《その状況で固有魔法頼りの狙撃は無理か……カイト・スリーは……聞くまでもないな》

 

「戦闘リンクに参加すればサイティング支援はできるけど、さっきの攻撃でフリーガーハマーを使いつくした。……現状カイトフライトは魔力及び弾薬の枯渇により、戦闘能力をほぼ喪失していると判断。これ以上の戦闘は実質的に不可能」

 

 コーニャがテキパキと状況をまとめる。

 

《カイト・スリー、了解だ。帰還せよと言いたいところだが、和泉の傾斜復元完了まで上空待機しろ、あと10分で完了するが……》

 

「……もう、次が来てる。またフィドラー、数は5」

 

《対艦型のAS4じゃ分が悪いと判断したのか。まぁいい。……10分、耐えられるか?》

 

「耐える以外の選択肢は?」

 

 コ―ニャの声に石川大佐は僅かに間を置いた。

 

《……ないな。悪いことを訊いた。総員、10分だ、10分耐えろ》

 

「了解」

 

 コ―ニャが代表で答え、通信を切る。

 

 

 あまりに長い10分が始まった。



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第八話 「ローテート~みちびく~」後編

 5月の末は既に初夏とはいえ、夜の海の上はかなり冷え込んでいた。

 

「……のぞみ。まだ飛べる?」

 

「舐めるんじゃないわよ」

 

 そういうとのぞみは背を向け飛ぼうとする。

 

「戦術リンクは切らないで。一航戦の護衛の砲も使う。流れ弾が当たるかもしれない」

 

「わかってるわよ」

 

 そう言い残して、のぞみが飛び出した。それをコ―ニャはその場で見送った。コ―ニャに後ろから抱きすくめられて辛うじて飛べているに過ぎないひとみも必然的にそのまま見送る形になる。

 

「のぞみ先輩……」

 

「大丈夫。のぞみは、死なせない」

 

 コ―ニャがそう言って抱きすくめる腕に力がこもる。僅かに高度を上げたのだろう、視界の端に映る一航戦の艦艇たちが少し小さくなる。

 

「ひとみ」

 

 コーニャの声が耳元で聞こえる。今更だけど、なんだかくすぐったい。

 

「ひとみの狙撃が頼り。目視で、狙える?」

 

「や、やってみる……」

 

 ひとみはWA2000を構える。ライフルの基本は3点保持だ。肩に銃床を押し付け、頬付けをしっかりし、左手で銃を支える。これで3点。後はスリングを左腕にかけて少しでも安定させつつ……引金を引く右手は基本的に力まず、添えるだけ。

 

 覗いたスコープの倍率は現在5倍、夜間で扱うには高倍率過ぎるが、それでもこの倍率でなければ相手が点にしか見えない。それほど離れている位置で迎撃しなければ間に合わないのだ。

 

「風は……」

 

「東北東から12ノット、ひとみ、弾道計算はできる?」

 

 そういわれてひとみは僅かに首を横に振った。銃床の左側に横風計算とスコープを使った距離の算出に使う計算のチャートは張り付けてあるが、実際にそれを使って撃ったことはない。加えて言うなら、これに頼って計算している間にネウロイはその位置から飛びぬけてしまう。

 

「なら、計算は私がやる。……固有魔法は使わないで。計算がぶれる」

 

「う、うん……」

 

 十字型の照準線(ヘアクロス)に視線を合わせる。ゼロインは500メートル。十字の交点に合わせて打てば、500メートル先にピタリと合うように調整がされている。だがそれは風が適切で、しっかりと銃が保持できていた場合だ。

 

 心拍が上がる。それを感じたのか、コ―ニャがひとみを抱きしめる手に僅かに力を込めた。

 

「深呼吸。大丈夫、皆ついてる」

 

 ひとみの耳元に囁くようにそう言って、コ―ニャは目を閉じる。コ―ニャの吐息が、ひとみの使い魔であるナキウサギの耳にかかってくすぐったい。それから少しだけ逃げようと体をよじると、首元に押し付けられた形になる二つの大きな塊が揺れた。

 

「んっ……ひとみ、あんまり動かないで」

 

「ご、ごめん……」

 

「リズムを合わせて」

 

 何があったのかは考えないようにして、息のリズムを合わせる。狙撃銃の上下のぶれのリズムが落ち着いてくる。

 

「シールドは張る。ひとみは、撃つことに集中。わかった?」

 

「う、うん……」

 

 WA2000は決して軽い銃ではない。それでもこんなにも重いものだっただろうか。それでも構え続けなければならない。この狙撃がきっと誰かを救うのだ。

 

「……カイトフライト、エンゲージ」

 

 コ―ニャが戦闘開始を宣言。同時に視界の奥で動いていた敵ネウロイのマーカーが危険性の高いものから順に色付けされていく。

 

「マスターアーム・トゥ・オン。のぞみ、左翼側、B-31、お願い」

 

《了解》

 

 指示に合わせてセーフティを解除する。のぞみから端的に返ってきた答えを聞きながら、ひとみは息を吸った。アイコンが現れる。狙撃目標の指示、B-33とナンバリングされたものに合わせる。

 

「東北東の風、ワンクリックレフト、ツークリックアップ」

 

 コ―ニャの声を聴く。照準線についた目盛を言われた数だけずらして、そこに捉える。トリガーガードに引っかけていた右手の人差し指を、引金にかける。ゆっくりと絞り、撃鉄が落ちる前で止め、戻す。引金自体は元の位置まで戻るが、撃鉄自体は前に押し出された状態で止まる。これで、より軽い力で撃鉄が落ちるようにできる。

 

「――――今」

 

 

 撃鉄を落とす。真後ろに叩きつけられるようなショック。魔法を一切使わずに撃つとこれだけの衝撃がくるのか。

 

 

「っ……」

 

 それでもなんとか銃の跳ね上がりを押さえて、もう一度構え直す。

 

「レティクルから目を離しちゃダメ。B-33は減速。B-32、エイム。スリークリックライト」

 

 B-33のネウロイを庇おうとしたのか、別のネウロイが速度を上げて突っ込んでくる。どれも海面に降下する様子はない。どうやらこのネウロイは「和泉」ではなく、上空を飛んでいるウィッチ……ひとみたちを排除するために飛んできたらしい。一気に高度を上げていくネウロイに合わせてコ―ニャも上昇を開始。ひとみもそれについて行く。

 

「うぅ……っ!」

 

 ひとみは照準器の中にネウロイをとどめておくことだけで必死だった。陸上での狙撃とはわけが違う。狙撃手も目標も時速3桁キロで飛び回りながらの狙撃である。求められる能力が格段にはねあがってしまうのだ。加えて今は夜間。ただでさえ狙いにくい状況である。

 

「……当たって、お願いだから……っ!」

 

 ひとみの視界にコ―ニャが整理したレーダーの情報が流れ込む。大型のネウロイであることがここからでもわかる。コアの位置は統計的に予測がついているが、そこに確実にあるという保証はない。それでもそこにコアがあると信じて、撃つ。

 

 

 反動。銃声。ネウロイの装甲が白く弾け飛ぶ。それでもネウロイ自体は弾け飛ばない。コアを外した。予測の位置から少しずれたのだ。

 

 

「誤差修正、ワンクリック――――っ!」

 

 コ―ニャが慌ててシールドを張った。直後に視界が明るい赤に覆われる。シールドの青白い魔力光が削られるように舞う。それでもコ―ニャは真正面からそのビームを受け止め続けた。

 

「ひとみ!」

 

 コ―ニャの声がひとみの耳朶を打つ。赤い光が途切れる。その瞬間を逃がさなかった。残像が踊る視界でも、なんとかその影を捕らえる。絞るように引金を引く。ヒット。それでもネウロイは落ちない。

 

「どうして……っ! 当たってる、はずなのに……っ!」

 

 焦りがひとみに引き金を引かせる。こんな遠距離で当たるはずもなく、銃声だけが空しく舞う。

 

「おちついて。大丈夫……距離を、詰める」

 

 コ―ニャがシールドを展開したまま距離を詰めようと加速する。ひとみを抱えていることと、もともと速度を求められない早期警戒飛行脚を使っているため加速は緩慢だ。

 

「ビームが来るときは目を瞑って。私が守るから、大丈夫」

 

「コ―ニャちゃん……」

 

 ひとみにそう語り掛け、コ―ニャはただ撃ちやすいであろう場所にひとみを連れていく。今203空でまともな攻撃力を持っているのはひとみだけなのだ。だからこそ、ひとみを守りながら、飛ぶ必要がある。それが無茶だとしても、それが203に課せられた役割ならば、こなさねばならない。

 

「大丈夫、飛べる」

 

 また、ビーム。シールドで魔力がごっそり削られていく。それでも逃げるわけには行かない。

 

「ここで止める。狙える?」

 

 ひとみが頷く気配。既に高度は十分とった。飛んできたネウロイは全部で5機。そのうち4機がコ―ニャたちについてきた。1機はのぞみが相手取っている。すべて、203空を追ってきていた。高度と距離を取って戦っていられる限り、遥か眼下の「和泉」は安全なはずだ。

 

 後はネウロイに高度を落とさせないように、もう少しだけ。そう4分少々だけ引きつけ続ければいい。

 

 

「状況はシンプルになった。いくよ、ひとみ」

 

「うんっ!」

 

 コ―ニャが息を吸って、目を閉じる。ヘラジカの角のような魔導針が一際明るく光る。まるで青のような緑のような、その光がコ―ニャを頂点として、溢れ、揺れ、広がる。

 

(すべ)寡婦(やもめ)あるひは孤子(みなしご)(なやま)すべからず

 

 コ―ニャの声が凛と響く。無線にも乗っているのだろう。広域に凛と響いた。

 

汝もし彼等を惱して彼等われに(よば)はらば、我かならずその號呼(よばはり)を聽きくべし 。我が怒り(はげ)しくなり、我(つるぎ)をもて、汝らを(ころ)さん

 

 コ―ニャの魔力がひとみの身体を包み込む。その感覚は水の中に潜った感覚にも似て、身体は軽くも息苦しく感じる。その奔流の中でひとみは迫りくるネウロイの姿がはっきりと見えることに気がついた。マルチバイザーがちらつくように一瞬警告灯をちらつかせたが、すぐに消えた。

 

(これが……コ―ニャちゃんの、固有魔法……!)

 

 高度や気圧、温度もしくは湿度に緯度。ストライカーで観測され、もしくはデータリンクを通じて流れ込む情報の渦の中にひとみは置かれていた。文字が重なり合って真っ黒に塗りつぶされてもおかしくないその奔流にも関わらず、頭は恐ろしく鮮明だった。ネウロイが見え、風が見え、空が見える。

 

是は彼の契約なり。是は彼の證據(しるし)なり。《i》彼は(あり)()る者なり。我有(われあり)といふ者もの、我を汝らに(つかは)したまふ

 

 ネウロイが魔力に釣られてかコ―ニャたちの方に寄ってくる。その中で、ひとみははっきりと見えた影に向けて、狙撃銃を構えた。距離はどんどん詰まってくる。真正面からとらえた影に向け、ひとみは引金を引き絞った。

 

「―――――(すなは)ち彼が()(すべて)(ことのは)につきて汝と結びたまへる契約の血なり!

 

 飛び出した魔力弾は真正面からネウロイを叩き割る。白い破片がコ―ニャの魔力の網に触れ、弾け、消える。それに激高したのか、他のネウロイがひとみたちに向け、吶喊してくる。コ―ニャの足元に巨大な魔法陣が現れる。そこに向け放たれたネウロイのビームが弾かれ、勢いを失って虚空に消えていく。ネウロイはそれがシールドであることを知ったことだろう。

 

 ひとみがそこに向けて撃ち下ろすような角度でライフルを構える。弾倉に残ったのは一発。

 

 

 その時、見つけた。

 

 

 狂ったような勢いで上がってくるネウロイと。

 そこに向けてオーグメンター全開の強烈な魔力光を伴って上がってくる、ウィッチの姿。

 

「あれは……!」

《FOX1!》

 

 無線に聞きなれぬ声が滑り込み、刹那爆散するネウロイ。炸薬の火球が真っ黒な夜空を紅くする。

 

 それをすり抜けるように、複数の影がひとみたちの横を飛び抜けていった。真っ青なエーテルの残光を放つのは双発の魔道エンジン。扶桑の国産艦上戦闘脚だ。

 

「すごい……!」

 

 ひとみが呟く中、四機編隊(ダイヤモンド)を組んだ海鷲たちは、曲芸飛行のように一糸乱れぬ動きで旋回。真っ黒な空に一筋の光を描く。あれが、一航戦。扶桑最強の、機械化航空歩兵。一閃でたちまちネウロイが白い結晶へと姿を変えていく。

 

「……B-30から34、消滅」

 

 空に敵がいなくなったことを告げるコーニャの声も、どこか嬉しそうだ。

 

 

 そしてひとみ達の目の前にも一人のウィッチがやって来る。暗闇でもよく映える純白の制服は扶桑海軍士官ウィッチのそれ。ストライカーに堂々と刻まれたいくつもの桜が、彼女がエースパイロットであることを示していた。

 

「扶桑皇国海軍第611飛行隊! 遅れて済まない!」

 

 海軍式の敬礼と共に名乗られる。611といえばひとみも知っているぐらい有名な部隊。扶桑で一二を争うエース部隊だ。

 

「連合軍、第203統合戦闘航空団。敬礼は……省略。失礼」

 

 のぞみを抱えて両手が塞がっているコーニャがそう返す。とりあえずひとみは陸軍式から受け継いだ空軍式で敬礼。

 

 足元を見れば、そこには静止する扶桑の大型航空母艦「和泉」の姿が。航跡(ウエーキ)はまだ残っているけど、ほぼ静止しているのがここからでも分かった。傾斜復元が成功したのだ。だからウィッチ隊が出てこられたのだ。

 

「じゃあ、作戦は成功したんだ……!」

 

 手放しで喜びそうになったひとみ。しかしその時、コーニャの魔導針が再び瞬いた。

 

 

「新たな反応――――」

 

「……っ!」

 

 バイザーに現れる複数のネウロイの表示。大型と超高速型、今度は混合だ。しかも数が多い。

 

 まだ終わっていない。そう。わたしはまだ空にいるのだ、戦闘は終わってなんかいない。眼下では航空母艦が止まったまま燃えていて、暗闇の中ではイヤというほど目立つのだ。それこそ、撃ってくださいと言わんばかりに。

 

 「和泉」の救出作戦は、ようやく第一段階が完了したにすぎないのだ。

 

 

 だが、それを聞いても目の前の一航戦のウィッチは顔色一つ変えなかった。それどころかどこか楽し気に笑ってすら見せる。

 

「感謝している」

 

「え? えっと……」

 

 相手の真意が分からないひとみ。構わず士官ウィッチは続ける。思い出すかのように目をゆっくり閉じ、深く息を吐く。

 

「……奇襲を受けたからとはいえ、貴隊の奮戦がなければ今頃我らは母艦もろとも海の屍であっただろう。これは扶桑(われら)の失態だ」

 

 だが。

 その言葉と共に開かれた眼。ひとみを見てニヤリと笑ってみせる。

 

 

「――――もはやネウロイに後れを取るのもこれまで」

 

 

 その言葉と同時に、空を駆けあがる閃光。三つや四つではなくて、それこそ何十と。

 

《照明弾射出成功!!》

 

 全体無線に踊る声。

 

「よろしい、続けてネウロイを排除」

 

《611空、313空戦闘開始(Engage)! 突っ込め! 倍返しだ!》

 

 二個航空隊、既に「和泉」に搭載されているウィッチが全員上がっていたのだ。艦上戦闘機だけじゃなく、ライセンス生産しているリベリオンのストライカーも見える。

 

「ひとみ、あれ」

 

「あっ」

 

 さらに空にいたのはウィッチだけではない。コーニャが顎で指し示す先、煌々と輝く照明弾の光の中を突き進んでいく飛行体があった。四枚の細長い羽根を高速回転させるそれは……回転翼機(ヘリコプター)

 先行している駆逐艦から飛び立ったのだろう。そして暗闇に紛れてやって来てくれたのだ。後続のヘリコプターもすぐやって来るに違いない。

 

 一航戦の護衛艦艇からも次々と生き残りのヘリが飛び立ち、「和泉」乗員を助けるために輪形陣の中心部へと集結していく。「和泉」に寄り添うようにくっついた駆逐艦が燃え盛る炎へと放水し、甲板上で着陸ポイントを指定するように立ち上がる発煙筒の煙。救出作戦が始まった。

 

「カイトスリー、「和泉」上空の制空権の確保……完了」

 

 

 その光景を見守りつつ、コーニャは実に穏やかな調子で作戦終了を宣言したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりに疲れ切っていたせいで「加賀」に帰還するや否や動けなくなってベッドに倒れ込んでいたひとみは、部屋のドアが開く音がして薄ぼんやりと目を開けた。

 

「ひーとみん! 起きてたりするかなー?」

 

 その声で顔を上げると、視界にぼんやりと見えるポニーテール。

 

「へ……? 霧堂艦長?」

 

 ソフト肩章に編み込まれた金線は大佐の階級を示している。ワイシャツ姿の霧堂艦長だ。ゆっくりと体を起こして右手を額に掲げようとするひとみを艦長は笑って止める。

 

「敬礼しようとしなくて丈夫大丈夫。あと私だけじゃなくてこーにゃんもいるよー、あとおまけで石川大佐も」

 

「俺がおまけ扱いか」

 

 その後ろからついてくるのはどこか眠そうなコ―ニャと、頭痛を抱えているかのような姿勢の石川大佐だ。ひとみは慌てて立ち上がり、敬礼。下段とはいえ二段ベッドなので頭がぶつかる。

 

「へうっ」

 

 背丈は届くか届かないかぐらいなのでそんなに痛くはないのだが、いかんせん大佐二人の前ということもあり顔が熱くなる。

 

「あははは! 律儀だねぇ、ひとみん」

 

「貴様がラフすぎるんだ、霧堂……休みと言っておいてアレだが、少しだけ話をしてもいいか?」

 

「はいっ!」

 

 ひとみが返事をするとコ―ニャとひとみが椅子を引き出す。ここはのぞみとひとみの2人部屋なので、デスクの椅子は当然二つしかない。コーニャは二人の大佐へと椅子を差し出すが、霧堂艦長は迷うことなくひとみのベッドに腰掛けた。そのままひとみのほうに手招きして、自分の太ももをポンポンとたたく。

 

「ほら、おいでおいで」

 

 もしかしなくても膝の上に座れと言うことなのだろう。

 

「えっと……」

 

「米川、アレには付き合わなくていい」

 

「えー、石川大佐のケチー。私なりのいたわりと親愛の形なのにー」

 

「私の部下を勝手に誘惑するんじゃない」

 

 石川大佐はさも当然のように椅子に座りながら霧堂艦長をひと睨みしたが、結局は諦めたようにコ―ニャに座れと指示をだした。ひとみは戸惑いながらも霧堂艦長の隣、自分のベッドに腰掛ける。すかさず霧堂艦長が距離を詰めてきた。石川大佐は溜息。

 

「……えっと、お話って?」

 

「そんな肩肘張らなくても大丈夫よー。お疲れ様ー、っていうのと、君の固有魔法が少しずつだけど解明されてきたからその情報共有。公式には堅っ苦しい報告書が来るからその先取りだけ」

 

 霧堂艦長にそういわれ、ひとみは首を傾げた。

 

「固有魔法……? 弾道安定化じゃないんですか?」

 

「それで合っているが、詳しいメカニズムがわかってきたという事だ」

 

 そう言ったのは石川大佐。コ―ニャが立ち上がってタブレット端末を差し出してきた。その画面をのぞき込む。またブリタニア語の専門語オンパレード。いつぞやの資料と何が違うのか正直さっぱりわからない。とりあえずスクロールしてみるけど写真も添付されていない。

 その間にも石川大佐が内容を説明する。

 

「米川准尉の能力は念動系Ⅱ類亜種に分類される大気エーテル反応型物理干渉による弾道の安定化だという事が判明した。大気中のエーテルと自魔力を薄く化合させ魔力帯を形成し、その力場の間に……どうした米川?」

 

「ねんどうけい二塁捕手……?」

 

「誰が野球の話にした。お前の話をしているんだ」

 

 すでに頭から煙を出さんとしているひとみに石川大佐がすぐに指摘する。その横で霧堂艦長がくすくすと笑った。

 

「石川大佐が難しく説明しようとするからだよ? 固有魔力の分類系統なんて幼年学校二年次の内容だし、12歳のひとみんがそれ知らなくても仕方ないじゃん」

 

 そういうと霧堂艦長がひとみの方に向いた。

 

「えっと、ひとみんはリニアカタパルトとか、レールガンとか、リニア新幹線とか聞いたことある?」

 

「えっと……リニア新幹線なら一応……」

 

「ん、じゃぁリニア新幹線でいこうか」

 

 そういうと霧堂艦長は立ち上がって、デスクの方に向かう。

 

「ひとみん、消しゴムと鉛筆二本借りていい?」

 

「いいですけど……何につかうんですか?」

 

「説明だよ? ……っと、まぁとりあえず、リニア新幹線の仕組みは知ってる?」

 

 消しゴムと長めの鉛筆を取った霧堂艦長はひとみの横に戻って鉛筆を両手に持ってそう言う。ひとみはいつだったかテレビで特集していたリニア新幹線の仕組みを思い出す。

 

「えっと……磁石の力で、新幹線を浮かせて……」

 

「うん、あってる。正確には磁石のレールを作って、その間に浮かせる形だね」

 

 霧堂艦長は自分の膝の上に消しゴムを置いて、その横に鉛筆をかざした。消しゴムが新幹線、それを挟むように横たわる二本の鉛筆が磁石のレール。磁石の力で、新幹線は地面に触れることなく走るのである。

 

「さっきの石川大佐の言葉を超大雑把に要約すると、ひとみんの弾道安定化は、これと同じことをやってるって言うのがわかったってこと」

 

「はぁ……」

 

「つまりひとみんの場合、リニア新幹線の代わりに銃弾が走るレールを作ってるの」

 

 そういわれてもいまいちピンとこない。それを察したのか霧堂艦長は消しゴムを手に取った。もう片方の手に鉛筆を二本持ち、レールのような形にする。少しいびつだが、さっきと同じことをしようとしているらしい。

 

「こういう風に自分の魔力を使って大気エーテルを集めて空中に魔力のレールを作って、その間に魔導弾っていう高魔力伝導体を通す……って言う感じかな。そのレールから外れそうになったら、魔導弾の方がレールに吸い付くように軌道を修正する。そんな感じ」

 

 霧堂艦長はどこか自慢気だ。

 

「つまり石川大佐の説明は『それをどこかのお偉いさんが作った分類に合わせると、物理現象に干渉する魔法をまとめる《念動系》で、空間自体に作用する《Ⅱ類》の中でも、大気中のエーテルを活用する《亜種》にカテゴライズされますよ』ってことになるわけ。まぁ分類は覚えなくてもいいけど」

 

「身も蓋もないこと言うな」

 

 石川大佐が口を挟む。

 

「その分類を覚えることで生き残れるなら覚えろって言うけどさ、それを意識するときは教材があるんだから、それでいいじゃん?」

 

 石川大佐は何度目かわからない溜息で返事をする。控えめな肯定というやつだ。霧堂艦長は向き直ると、うっとりとひとみを見つめて笑みを浮かべる。

 

「……それよりも、こんなすごい魔法を持ってるひとみんのほうに興味があるしね」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「うん、ひとみんは魔力の高速展開の素質が高いんだろうね。というよりも、異常? 反応量はごく少量の低密度魔導帯とはいえ、普通なら500メートル近い長さのソレなんて作れないよ? それも一秒以下でできてるからねぇ。魔力の精製速度が凄まじく速いんだ」

 

 霧堂艦長はそう言って目を細めると、そっとひとみの頭を撫でた。

 

「……もっとも、ひとみんの魔力総量自体は人並みだから、こんな空間に魔力ばら撒くような燃費が悪い攻撃をそうホイホイ使わせるわけにはいかないんだけどね」

 

「そうなんですか?」

 

「下手すると、命に関わるレベル? あっという間に魔力の枯渇で墜落するよ?」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 強いだけの武器なんてない、どんなモノにも弱点がある。ひとみの固有魔法の弱点は燃費らしかった。

 

「でも応用は効きそうだよね。弾道を無理矢理曲げて、銃口とは別の方向にいる敵に当てることもできそうだし、弾丸の再加速とか、ふつうに撃ったら銃身がぶっ壊れるレベルの高威力化とかできそうなんだけど……いくら連戦だったとはいえ6発装填のボックスマガジン撃ち切るだけでストライカーの使用すら危うくなるんじゃ、使いどころが難しいってのが正直なところかな」

 

 鉛筆を振りながらそう言う霧堂艦長。石川大佐が継ぐように口を開く。

 

「そんなものを常日頃から使わせるわけにはいかない。米川は203空の貴重な戦力の一人だ。貴重な人材の命を削るような魔法の常用は断じて許可できない……そこで、だ」

 

 ひとみの両手に収まりっぱなしになっていたタブレット端末が勝手に動き出す。驚くと、コ―ニャが首を傾げた。……おそらくコ―ニャが操作しているのだろう。

 

「米川ひとみ空軍准尉には正式な狙撃手の訓練を受けてもらうことになる。魔力に頼らない狙撃能力を身に着けることが必須だ。それも早急にな」

 

 そういわれ、視線が落ちるひとみ。

 

「……不安か?」

 

「はい……」

 

「ひとみなら、大丈夫」

 

 コ―ニャがそう言ってひとみの前にしゃがみ込んだ。

 

「ひとみには狙撃手の才能がある。もう、魔力に頼らなくても一度、ネウロイを倒してる」

 

「え?」

 

 コ―ニャはいつも通りの無表情だったが、その目の色はいつもよりも優しく見える気がした。

 

「最後に落としたネウロイ、ひとみは弾丸の魔導弾化以外に魔力を使ってない」

 

「でもあれは……コ―ニャちゃんの魔法があったから……」

 

「でも引金を引いて撃破したのはひとみ。情報の得方と計算を覚えれば、できる。私も応援する」

 

「それに、お前の機付きの加藤中尉は元選抜射手だ。生の意見も聞ける。俺もできる限りの支援を行おう……やれるな米川?」

 

 ひとみは自分の手を見る。コーニャや石川大佐よりも小さな手。でもわたしは、確かにこの手でネウロイを倒したのだ。それが誰かを助けたことになったかは分からないけど、でもわたしにも出来たのだ。これからもっと頑張れば、もっと出来ることが増えるはずだ。

 

 顔を上げる。石川大佐をまっすぐ見る。

 

「はい、頑張ります!」

 

 石川大佐は満足げに頷いた。

 

「よし。ではまずポクルイシュキン中尉から陳情があった、最新式のスコープへの換装だ」

 

 スコープ、ですか? とひとみが聞けば、コ―ニャが頷いた。

 

「空戦起動中の狙撃には、スペックが追い付いてない。ひとみの能力を生かすにも、役不足」

 

「これでも狙撃手御用達のスコープなんだけどねー」

 

 そう笑う霧堂艦長。石川大佐がそれに合わせるように苦笑いして、場の空気が少し緩んだ。ひとみも笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大村」

 

 扉を開ければ、名前を呼ぶでもなく相手はこちらの方を見ていた。部屋の中には一応パイプ椅子だけが置かれていて、そこにやけに律儀に座っている下士官。

 なんでこんな殺風景な部屋に彼女が座っているかと聞かれれば、もちろん座っていろと命じたからである。命令無視に独断行動、作戦参加艦艇を危機に晒し、ついでに言えば魔導インカムも捨てたので備品紛失も犯している。第203統合戦闘航空団の秩序を維持するうえでも、団長の石川大佐は大村のぞみ海軍准尉に何らかの罰を与えぬわけにはいかないのだ。

 

「あの……」

 

 おずおずと控えめに口を開くのぞみ。いろいろ反省するところはあったのだろうが、石川大佐は彼女が後悔していないことを知っていた。だからこそ、次の言葉も予測が付く。

 

「石川大佐、ありがとうございました」

 

 それは感謝。大方、上司が無理を通してくれたとでも思っているのだろう。軍令がそんな単純なものじゃないことぐらい、彼女の頭なら理解できるだろうに。

 

「……礼ならお前が立ち寄った駆逐艦の艦長に言うんだな。彼がヘリを飛ばした上で司令部に働きかけてくれなければ、作戦の繰り上げはなかっただろう」

 

 そう言って、石川大佐はのぞみから備え付けられた小さな丸窓へと目をやる。

 統合戦闘航空団というのは、なかなか融通の効かない部隊だ。そもそも統合司令部の直轄である時点で現地部隊(よこ)との折衝が非常にしづらい。だからこの言葉は本物だ。駆逐艦「曙」からの意見具申と半ば独断に近い搭載機(ヘリコプター)の発艦がなければ、まだ作戦は始まってすらいない。そして「和泉」は乗員もろとも蒸発していただろう。

 

 だが、現実には「和泉」乗員の救出は成功した。優秀なウィッチや航空機パイロットだけでなく、経験豊富な整備兵や水兵たち。多くの貴重な人材を救うことが出来た。「和泉」は工作爆弾で自沈処分となり、回収出来た機材といえば精々ストライカーぐらいだが、一人育成するだけでも何年、何千何億がかかる人材と比べれば安い損害だ。

 

 

「「和泉」の乗員たちは一航戦の残存艦艇に乗って内地へと戻る。「加賀」に着艦した航空歩兵も明日には駆逐艦「有明」に乗せて内地へ戻ることになる」

 

「……?」

 

 石川大佐の言葉に、のぞみは理解が追いつかないといった様子で首を傾げる。石川大佐はそれを背後に感じながら、しかしのぞみの方は見ないで言葉を続ける。

 

「同期がいるんだろう? こんな情勢だ、今日のうちに会っておくんだな」

 

 背後は沈黙。

 

「……ですが私は、謹慎中では?」

 

 迷うように繰り出された言葉はのぞみにしてはやけに消極的だった。命令違反しておきながらそこは律儀に守るのか。その変な律義さに石川大佐は内心微笑んだ。案外、散々説教したのが聞いたのかも知れない。

 

「ここに座ってろとは言ったが、俺はそれ以上は言っていない」

 

「なんですかそれ」

 

 どこか納得できないのぞみが中途半端に漏らすが、気にせず続ける。

 

「それに、だ……我が部隊のエースを閉じ込めておく訳にもいかないだろう」

 

「エース?」

 

「気付いてなかったのか。お前、今回の戦闘だけで単独撃墜5だぞ?」

 

「あ」

 

 撃墜数5――――いくら戦時とはいえ、誰もが届く数字ではない。ネウロイとの戦闘は過酷であり、戦闘をこなし、生き残るだけでも優秀と言われる世の中だ。その中で、5機を撃墜し、生きて帰ってくる。それをこなした人を周りは敬意と畏怖を込めて『エースパイロット』と呼んだ。

 

「これでお前はエースの仲間入りだな」

 

 その言葉で喜ぶのはやはり誰もが同じなのだろう。のぞみの顔がぱっと明るくなって、それから威勢よく右手を額に当てた。肘を鋭く曲げる。

 

「大村のぞみっ! 光栄であります!」

 

 石川大佐は、そこで今日初めて口角を吊り上げるのだった。

 

「馬鹿が、それは着帽時の敬礼だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 のぞみが出ていき、部屋には石川大佐だけが残された。

 

 結果論ではあるが、作戦の繰り上げは承認された。のぞみは先行したことになっている。一航戦司令はのぞみに感状を出したがっているそうだ。203の大村のぞみ海軍准尉は一航戦を救ったわけで、少なくとも後方ではそう報じられるに違いない。

 命令を無視するのは難しいことなのだ。それをやってのけた人間は大犯罪者であると同時に大英雄なのだ。だがそれは軍人ではない、決してだ。

 

「まったく……ほんとうに」

 

 だが彼女はやってのけてくれた。命令にとらわれることなく、守るべきものを守った。人員選抜の時に大村のぞみを選んだのは自分はやはり正解だったのだろう。

 同時に、不正解でもあった。

 

 懐より懐中時計を取り出す石川大佐。開いて二本の針を見つめれば、それは今日も今日とて使命を果たすべく時刻を示していた。

 

「本当に――――ろくでもない」

 

 懐中時計を閉める。誰もいない部屋に、パチリと音が響いた。



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第九話 「ブイ・ツー~まちなみ~」前編

 まさに満点の星空。当然だ。海の上は視界を遮る排煙を吐く工場もないし、眼を眩ませる生活光もない。月も新月から回復し始めたばかりで、まだまだ空は遥か彼方の恒星たちの独壇場。それぞれが声高に叫び合っている。対する海はなにも自己主張をすることがなく、空が明るいからようやくそこに海があるのだと認識できるくらいの中途半端な暗さ。

 

 当直と言葉を交わしつつ艦橋の外へと出た石川大佐の視界に入ってきたのは、そんな空と海の境界線だった。

 

「……」

 

 誰もいない飛行甲板を見下ろし、それからもう一度水平線へと視線を戻す。潮風に乗って海のささやきが聞こえてくる。どんより暗い海に真っ黒となって浮かび上がるのは僚艦の姿。衝突防止用の側舷灯すらも灯火管制がキチンと敷かれた中では見えない。

 

 第五航空戦隊は台湾海峡を通過、現在は華僑大陸を沿うように西へと進路をとっている。艦橋で聞いた話によれば海も穏やかで、明日の朝か……遅くても昼前には一回目の寄港地である香港に入港できるとのことだ。

 

 内ポケットから手のひらサイズのオイルライターを取り出し、やめる。迷うように弄ぶ。

 

 

「……まーた吸いに来たの?」

 

 

 と遮るように声が聞こえた。相手が分かってる石川は、海を見たまま返す。

 

「昼だと北条少将とかち合うことが多いんでな、落ち着いて吸うにはこの時間が一番いい」

 

「まったく、現役のウィッチ様が喫煙なんてホント子供たちの風上にも置けないわね」

 

「前では吸わないようにしてるじゃないか」

 

 そう言い返せば、声の主でもある「加賀」艦長の霧堂は石川の隣へ。

 

「でしょーね、ヒトミンとか絶対気づいてない」

 

「……何しに来た」

 

「なにも? 副長みたいに艦の見回りしてたら男装した面白ウィッチがいたもんでね、ちょっと声をかけてみたくなったのさ」

 

 男性用の将校服に身を包む石川大佐は、霧堂艦長を一瞥するだけ。

 

「明日、203に華僑民国軍からのウィッチが合流するんでしょ? 寝不足でクマつくって初対面とか、あんたの顔じゃトラウマもんだよ?」

 

「貴様だって明日は補給とか色々仕事があるだろうに」

 

「あー、それは優秀な司令に丸投げしときゃいいでしょ」

 

「貴様は上司をなんだと思ってるんだ……」

 

 霧堂艦長はそれに返さず、石川大佐もそれ以上は言わない。再び海の上は静けさに支配される。

 

「……ま、これで制空用のウィッチも数が揃ってきたし、参加国がそろった意味でもようやく203ゴールデンカイトウィッチーズの本格始動かな?」

 

「だといいが」

 

「そそ、F-4なんて旧式機は、もうお役御免ね」

 

「……なんだと?」

 

 石川大佐が目を細めた。霧堂艦長は真顔だ。

 

 

「いつまで『大空のサムライ』坂本美緒を気取ってるつもり?」

 

 

「口を慎め……『ハルトマン』」

 

 そう石川大佐は言う。霧堂艦長はやけに長い間を取ってから、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「……それなら、ヴィルケ中将に例えて欲しかったかな」

 

 

 石川大佐は黙ったまま。それをいいことに霧堂艦長は前を、艦首方向へと視線を飛ばした。まだ朝は遥かに遠いはずなのに、水平線の先が光っている。

 

「ほら見て石川……香港だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ中華大陸が荒漠に覆われる前、そこには強大な帝国が栄えていたという。

 

 その末裔がモンゴル帝国やここ華僑民国な訳であり……その中でも、香港という街は特に目を引く場所であろう。1997年にブリタニアから華僑民国へと返還されたこの街はまさに中華大陸にて最も富が集中し、そしてブリタニア統治時代の欧州文化と一世紀以上塗りつぶされることのなかった華僑文化が入り乱れる街でもあるわけだ。

 

「……補充要員?」

 

 首を傾げたのはひとみだ。香港入港を控えてブリーフィングルームに集められたひとみたち203空メンバー。その指揮官である石川大佐が説明する。

 

「そうだ、203空には発足時より華僑民国空軍の参加が決まっている。もとよりここ香港で合流の予定ではあったのだが、着艦訓練も兼ねて一時間後に加賀(ここ)へ来ることが決まった」

 

「はい石川大佐!」

 

 盛大に手を挙げたのはのぞみだ。

 

「なんだ大村」

 

「華僑空軍の機体はなんですか?」

 

「ミラージュ2000だな」

 

 その言葉を聞いたのぞみは、少し不安げに言う。

 

「……それ発艦出来るんですか?」

 

 間。

 

「……米川准尉が発艦で来ている以上、出来ないわけではない」

 

「のぞみ先輩、なんですか? そのなんとか2000って」

 

 ひとみはこっそりのぞみへと聞く。まあ四人しかいないブリーフィングルームで内緒話ができるはずはないのだが、のぞみも応じるようにこっそり答えてくれた。

 

「ミラージュ2000。ガリアのゲッソー社が開発した多目的機(マルチロール)。ウィッチの少ない203なら使い勝手がいいだろうって判断なんだろうけど、だから余計にSTOL性能高い機体が欲しかったわねぇ……」

 

 そうブツブツいうのぞみ。彼女の操るF-35FBは戦闘機としては203で唯一「加賀」より直接発艦できるストライカーだ。ひとみのF-35FAがオスプレイから発艦したり、コーニャのA-100がロケットブースターで無理矢理発艦するのと違って手間がかからないからすぐ飛び立てるわけで、空襲を受けた際には真っ先にのぞみが飛び出すことになっている。つまり、「加賀」直掩に関してはのぞみに大きな負担がかかっているのだ。

 

「いい加減……「加賀」にもカタパルトが欲しいものだな」

 

「でも蒸気カタパルトなんて超重いだけですし、2万トンの出雲型には無理ですよ」

 

 

 のぞみがそう言ったとき、突然スピーカーからデパートの館内放送とかで流れるような上り調子の音が聞こえてきた。懐かしいねぇとのぞみが言うと、扶桑のデパートなんて行ったとこがないコーニャが首を傾げ……軍艦に不相応なサウンドを使った犯人を察した石川大佐がまたしても盛大なため息をつく。

 

『えー艦橋より迷子のお知らせですー、人類連合からお越しの石川大佐。石川大佐はいらっしゃいますかぁー?』

 

「霧堂ゥ! いい加減にしろ!」

 

 石川大佐は聞こえるわけでもないのにスピーカーに向かって叫ぶ。ところが相手は満足げに返してきた。

 

『よーし聞こえてるね、CICによるとなんか華僑空軍機がこっちに向かってきてるみたいだけど……なんか予定より早くない?』

 

「なんだと? 確かに早いな……」

 

『でしょう? だから受け入れの準備しといてね。それではっ!』

 

 

 そしてスピーカーはご丁寧に下がり調子の音を奏でてから沈黙。どこにもやりきれない怒りを石川大佐は持て余しているようだが……マイクを持っていないのに、どうして会話が成立していたのだろう? むしろそっちのほうが気になったひとみだった。

 

 

 

 

 

「はいこれ」

 

 というわけでひとみに渡されたのはなんだかすごい古そうな銃。ボルトアクション式の単発銃らしく、大半の部分が木でできている。黒光りしそうなほど磨かれて使い込まれていることが感じられるそれはとっても手に馴染むのだけれど……一つだけ問題が。

 

「……こ、こんな長いのを持つんですか?」

 

「まー儀仗任務だからね」

 

 そう、長いのである。なぜか興奮気味ののぞみが抱えた銃はのぞみの身長と同じくらいの長さ。ひとみよりはちょっと大きいぐらいだ。普段使っているWA2000(ワルサー)が長さ90㎝くらいなのに対して、この銃に銃剣とかつけたら長さは140㎝くらい。いつもより50㎝も長くなってしまうのである。なんとひとみの背丈より長い。

 

「はい着剣して」

 

 のぞみに言われるままに銃剣を着ける。ずいぶん昔の銃剣らしく、デザインもいつもの――――使う予定はないけれど、一応支給されている――――ともどこか違う。

 

「銃剣もすごい古そうですね……」

 

 そう思ったままの感想を口にするひとみ。するとのぞみが信じられないといった顔をした。

 

「え……米川もしかして、三八(サンパチ)式を知らないの? 扶桑の魂なのに?」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 そう返すと、のぞみはどこか楽しげな顔つきに。

 

「よーしじゃあ大村家流軍事知識クイズだ。三八式の『三八』とは何を意味するのでしょうか?」

 

「え? え、えっと……三八だから、1938年?」

 

 きっと六十四式(ロクヨン)と同じだろう。そう思っての回答だったが、のぞみは笑みを深めるだけ。

 

「……やっぱり引っかかってくれたねぇ」

 

「えっ違うんですか?」

 

「違うも違うも大違い、三八式の三八は仮採用された明治三十八年から来てるんだね」

 

「えっと、明治三十八年ってことは……」

 

「1905年。一世紀以上前の武器ってことだね、ちなみに二度のネウロイ大戦でも大活躍してるよ? 陸軍歩兵の装備としてだけど」

 

「す、すごい……」

 

 なんかよく分からないけど、すごい。そんな感想を口にしたひとみ。

 

「さ、三八式歩兵銃殿のありがたみも分かったところで、さっそく捧げ銃の姿勢を取ってみよう!」

 

「は、はいっ!」

 

 ちなみにひとみは今、カッチカチの正装に着替えている。なぜかと言えば、もちろんこれからやってくる新しいウィッチを迎えるためだ。統合戦闘航空団は著名な多国籍部隊であり、新しい参加国を迎え入れるのは大事な儀式。

 

「というわけで、ポリウスロケット中尉。号令よろしくぅ!」

 

「……Покрышкин(ポクルィシュキン)

 

 いつものように返しながら、コーニャはサーベルを抜いた……って、サーベル?!

 それからコーニャは小さく息を吸い込むと、いつもの無表情を崩して目を見開き、力強い号令を放った。

 

 

「На караул!」

 

 

 沈黙。ぎっちりと固まった三人は誰一人として動かない。

 

 

「えっと……それなんだっけ?」

 

 のぞみが懐より『誰でも分かる扶桑オラーシャ会話語集』とでかでかと書かれた小冊子を取り出す……って先輩、どこにそんなの仕舞ってたんですか。

 コーニャはいつもの無表情に戻ると、それからぼそりと言った。

 

「……捧げ銃。その本には絶対載ってない」

 

「あー、うん。そうだろうとは思ったよ」

 

「На караул」

 

 もう一度コーニャが号令をかける。

 

「ほ、ほら米川、捧げ銃しないと」

 

「あ、は、はいっ」

 

 

 もうグダグダである。

 

 

()()()()なかなか様になってるじゃないか……馬子にも衣裳とはこのことだな」

 

 そう声をかけながらやって来たのは石川大佐だ。リベンジとばかりにコーニャが号令をかける。

 

「На караул!」

 

 それに合わせてのぞみとひとみが捧げ銃。今回は決まったようだ。石川大佐は答礼して、それから全員をひとりずつ見ていく。そして姿勢がしっかり乱れないことを確認すると、満足げに頷いた。

 

「よろしい、これなら華僑民国軍に恥じることない出迎えが出来る」

 

 それから石川大佐は、ひとみのほうを見て何かに気付いた。

 

「米川……もしかして重いのか?」

 

「はi……あっいえ! いいえ!」

 

 ひとみは「はい」と言いかけて、慌てて訂正する。はいと言おうとした瞬間、急に横からとんでもない気配を感じたからだ。

 

「……ならいいんだが、大村はどうだ?」

 

「はっ! 儀仗兵の任を預かり光栄でありますっ!!」

 

 肺と口だけを動かして返すのぞみ。もちろんひとみに圧力をかけたのはこのヒトだ。

 

「……そういうことは聞いていないんだが」

 

 そんな会話を交わすうちに、いよいよひとみの腕は限界が近づいているようだった。ぷるぷると三八式が震え始める。

 

「米川……大丈夫か?」

 

「は、はい……そ、そのあんまり大丈夫じゃ……」

 

 そんなひとみを見た石川大佐は、コーニャへと目配せ。

 

「Вольно!」

 

 再び沈黙。コーニャちゃん! 多分『休め』なのは分かるけど! 雰囲気で分かるけどさ!

 

 結局ひとみの腕は震えたまま、もう二の腕あたりが弾け飛びそうだ。そこまでしてようやく、石川大佐はやれやれとかぶりを振って見せた。

 

「もういい、総員休め」

 

 その言葉でようやく銃を下すことが許される。息を深くつくひとみに、のぞみがからかうように言う。

 

「米川ぁ、いくらなんでも筋力なさすぎ。だいたい、サンパチとロクヨン、ワルサーだってみんなおんなじくらいの重さだよ? なんで耐えられないかなぁ」

 

「だ、だって……」

 

「……ひとみ、頑張って」

 

 他人事みたいに言うコーニャだったが、よくよく考えてみるとコーニャが扶桑語で号令してくれればもっと早く休めたはずだ。ひとみはささやかな抗議の視線をオラーシャ人に送る。

 そんな三人に、石川大佐は呆れた調子で言った。

 

「こらお前ら、休めの姿勢で私語をするな」

 

「「「ごめんなさい」」」

 

 至極当然の注意に三人同時に謝る。石川大佐は困ったように頭をかいた。

 

「もういい、隊列解散。いろいろ言いたいことはあるが……とりあえずポクルィシュキン中尉。号令はオラーシャ語ではなくブリタニア語でかけるように。本番で失敗は許されないぞ」

 

「……ん」

 

「まあつまり、いよいよ我が第203統合戦闘航空団(ゴールデンカイトウィッチーズ)でも公用語がブリタニア語になるのですかねぇ」

 

「そうだな」

 

 のぞみが何故か感慨深げに言う。石川大佐も頷いて肯定を示した。

 

「公用語がブリタニア語……って、ええ!?」

 

 大きな声を出してしまったのはひとみだ。皆は何事かと視線を注いでくるが、何事もなにも、ひとみにとってそれはもう重大な危機である。ブリタニア語が公用語。今ですら石川大佐のブリタニア語講座でひいひいなのに、あれが公用語となってしまったらどうなるというのか。絶望しかない。

 

「ブリタニア語……」

 

「あと大村、さっきの返事は訳が分からなかった。とりあえず聞いたことにキチンと答えてくれ」

 

「了解です大佐」

 

「毎日、ブリタニア語……」

 

「あぁそうだ米川、三八式で捧げ銃を保つのが厳しいようなら拳銃装備にするか? 正式なものではないが、途中で態勢を崩すよりかは……」

 

「ブリタニア語……毎日がブリタニア語……」

 

 せっかく石川大佐がひとみの腕が機能不全になるのを防ごうとしてくれているのに、どうやら「公用語がブリタニア語」というのに押しつぶされてしまっているようだ。耳には何も入っていない様子。

 

「……ひとみ、頑張って」

 

 ひとみの肩に手を添えるコーニャ。ちなみにこの台詞、本日二回目である。

 

「無理ですよう……」

 

 ひとみが盛大に肩を落としたタイミング――――いきなり盛大に警報が鳴った。瞬間的にのぞみとコーニャが身構える。それと同時に左耳に突っ込んでいた魔導インカムに入感。

 

『PAN-PAN PAN-PAN PAN-PAN, CODE-U, Uniform, Uniform, Uniform.Chi-RAF WITCKA-01 request emergency landing for mechanical troubles.』

 

 響いた声はおそらくいつも航空無線を担当してくれている人の声。早口の声がすると同時に飛行甲板が一気にあわただしくなった。

 

《石川大佐、戻って》

 

 霧堂艦長のいつになく真剣な声がする。当の石川大佐もすぐに「了解」とだけ返して、艦橋の方へと消えていった。

 

「米川! そんなところに突っ立ってると邪魔!」

 

「へ? えぇっ!?」

 

 いつの間にやら艦橋の方へ走りだしているのぞみを追いかけるようにひとみも走り出す。

 

「何があったんですか!?」

 

「機械トラブル抱えたウィッチが緊急着艦してくる! パンパン言ってるんだから非常時だって気が付きなさいよ!」

 

「そんなこと言われても……!」

 

 確かに航空無線でパン-パンはメーデーの一歩手前らしいとは聞いてはいるが、こんなタイミングで来るなんて考えてもいなかった。

 

「さっさと壁際寄っておく! あたしらがいても邪魔なだけだから!」

 

「は、はいっ!」

 

 のぞみはそういうと艦橋のそばの壁際に立つ。ひとみがそこの壁際に寄ったとたん、その艦橋の入り口が勢いよく開いた。観音開きのドアがばね仕掛けのごとく開け放たのである。

 

「ひゃぁっ!」

 

 その音に驚いて肩を思いっきり跳ね上げる。横を見るとオレンジ色の目立つバッグを背負った人が飛び出してくる。白いベストに白いヘルメットのその人に続いて、担架を担いだ同じ格好の人が続く。

 

「あー、医療隊まで待機ってことは結構ヤバイ感じかな……?」

 

 のぞみが恐ろしいことを言い始めた。それに被るように甲板ではいろんな大きな音がし始める。

 

「万が一の落水に備えてオスプレイが上がって、バリケード・スタンチョンが立って……ほんとにザ・緊急態勢。面白くなって参りました!」

 

「そんな不謹慎な!」

 

 のぞみにそう突っ込むひとみだが、甲板が見たこともないような状態になっているのは確かだ。オモチャみたいに小さな消防車――あんなオープンカー見たいな消防車があるなんて知らなかった――が引っ張り出されたり、甲板の真ん中あたりに大きなネットが張られていたり、甲板は大忙しだ。

 

 そんな喧騒の中に、ひとみは何かとんでもなくおぞましいものを見つけた。

 

「あ、あのネット……なんなんですか……?」

 

「バリケードスタンチョンに掛かってるあれ?」

 

 そもそもバリケードスタンチョンがわからないのだが、のぞみがネットを引っ張っている柱――普段は甲板に埋まっているのだが――を指さしたからとりあえず頷いておく。

 

「あーあれね、謎の緑の液体ついてるやつでしょ」

 

 そこだけ聞けばかなり怪しいが、見た目も実際怪しいので仕方がない。粘り気の強い粘膜っぽいのがしたたる目の細かい網が加賀の甲板を横切るように張られていた。

 

「米川はアレだっけ、非常時着艦見るの初めてだっけ?」

 

「は、はい……」

 

「空中でのホバリングとか、垂直着陸とかだと思いっきりストライカーに負担かけるのは知ってるわよね?」

 

 のぞみにそう言われて頷く。魔導エンジンがあれば確かに空中でホバリングだってできるし、短距離での着陸が可能だ。実際にひとみも着艦は完全な垂直着陸ではないものの、高揚力装置と姿勢制御装置のおかげで加賀の甲板に着艦することが出来ている。

 

「今回加賀に突っ込んでくる誰かさんはメカニカルトラブル……要はストライカーユニットがぶっ壊れたって言っているわけだ。その状況で垂直着艦(VTOLランディング)なんてさせられないでしょ。だからあれに突っ込ませて無理矢理止めるわけ」

 

「それって大丈夫なんですか……?」

 

「かなり痛いらしいけどね。まぁ甲板でヤスリ掛けよりはマシでしょ? それにあのヌメヌメがローションみたいな感じになるから、緩衝材になるし、まだマシなんじゃない?」

 

 痛いとかマシとか、大丈夫ではなさそうな言葉が飛び出してくるあたり、かなり大変な状況らしい。

 

「でも正直あのヌメヌメって後処理大変なのよね。手とかならいいんだけど髪に着くとねー。夜間用の蛍光塗料ってなかなか落ちないし」

 

「あ、あの緑って夜間用なんですか……」

 

「塗料を使わないとただの謎の白い液体だけどいいの?」

 

「謎の……?」

 

 のぞみがなにを言っているのかわからないでいると、コ―ニャから肩をぽんと叩かれた。

 

「ひとみは、知らなくていい……」

 

「はい……?」

 

 コ―ニャがどこか遠い目をしている。どうやら触れなくてもいい話題らしい。それをどことなく察したタイミングで魔導インカムが入感する。

 

《Chi-RAF WITCKA01, KAGA-APPROACH, We already stand by your landing. Cleared to approatch in CACE I RECOVERY. Decend and maintain 1,200》

 

 デッキの用意は整ったから降りてこいということらしい。着陸管制パターンはケースIリカバリー。上空から緩やかに降下しながら加賀の右舷側上空を追い越してから大きく反時計回りに回り込んで高度と位置を合わせるアプローチ法だ。有視界飛行規則(V F R)で飛ぶから計器に頼らなくても飛べる。

 天候も落ち着いているし、これが妥当な判断だろう。ところが、無線の応答は思わぬものだった。

 

《NEGATIVE. Request Straight-in. I can NOT maintain flight level. Chi-RAF WITCKA01》

 

 のぞみよりも大分高い声。声だけ聴くとかなり幼いような高い声が返ってきた。どこか詰まったような音の裏に、警報音が鳴っている。

 

「えっと……これって……」

 

 のぞみの方を見るとのぞみが厳しそうな顔をした。

 

「高度を維持できないから回り込まずに直接突っ込ませろってことは……相当やばいかもね、これは」

 

 その声にかぶるようにして無線はまだまだ続いている。

 

《Willco, Chi-RAF WITCKA01.Your request is affirmative. Decend 700》

 

《Rojer,Decend 700, Chi-RAF WITCKA01》

 

 高度700フィートまで降下の指示。もうかなり低い。コ―ニャは軽く唸るように目を閉じた。耳と尻尾が出てきているので、魔法で何かをしているらしい。

 

「……速度もあんまり出てない。右の飛行脚が完全に死んでる」

 

「えぇっ!? それって危ないんじゃ……!」

 

「あのねえ米川。危なく無かったら緊急着陸なんてしないの。香港の空港にも戻れないような緊急事態だよ?」

 

「そ、それはそうですけど……」

 

 そう言っている間にも無線が続く。

 

《Chi-RAF WITCKA01, KAGA-APPROACH, Call Ball》

 

 管制官からのコールボールの指示。ミートボール、要は光学式着艦指示灯(F L O L S)が見えるかどうかの確認だ。ちゃんと着艦できる位置を飛んでいるかをそれで確かめながら飛ぶから、これが見えなければ着艦できない。

 

《Ball》

 

《Ball Roger, Chi-RAF WITCKA01, Cleared to full stop》

 

 無事にミートボールを確認できたので、着艦許可が下りる。デッキにも緊張が走っていく。

 

「上手く突っ込みなさいよ、華僑空軍!」

 

 のぞみがそう言って加賀の艦尾の方を見る。黒い煙を引いた何かが高速でこちらに突っ込んで来ようとしてるのが見えた。

 

「あ、あれ……!」

 

「降下率が大きすぎる」

 

 コ―ニャがそう言った。左右に大きく振られながらもこちらに向かって必死に飛んできているのがわかる。

 

「がんばれ――――っ!」

 

「米川、叫んでも多分聞こえない」

 

 のぞみの冷静なツッコミが入るが気にしていられない。無事に加賀までたどり着いてくれることを祈る。

 

「ばっか……速すぎる!」

 

 のぞみが焦ったようにそう言った。海面スレスレを飛んでくるように突っ込むそれはあっという間に影が大きくなっていく。かなりの速さなのは間違いないが、ひとみにはどれだけ速いのかはわからなかった。だが、ひとみにもわかるぐらいにその高度が低すぎることはわかっていた。

 

「ぶつかるっ!?」

 

 後部甲板の影に隠れるような位置まで来てその影がいきなりふわりと高度を上げた。甲板の上に滑り込むような角度、そしてその影がつんのめった。飛び込んできた魔女の表情も驚いたようなモノになる。空中で前転をするようにストライカーユニットが振り上げられ、低い放物線を描くように吹っ飛んでいく。あの姿勢では揚力も魔導エンジンもなにもない。ただ慣性だけで吹き飛ぼうとしていた。

 

「きゃぁっ」

 

 ひとみはとっさに目を閉じる。そのまま甲板に叩きつけられるような気がしたからだ。何かがぶつかるような音、金属が軋むような音、どこか水っぽい――ぬちゃぁ、とかべちゃぁとかそんな感じの――音がした。

 

 恐る恐る目を開けて、あのウィッチが飛んでいったであろう方向を見る。そして、息をついた。

 

「えっと……あれって大丈夫なんですか?」

 

 指さした先では上下逆さまにネットに磔にされたウィッチの姿があった。緑色のあの液体はどうやら強い衝撃でぶつかったウィッチを明後日の方向に吹き飛ばしたりしないように、接着剤のような効果も果たすらしい。純白であっただろう制服のジャケットは既に黄緑のようなその液体がドロドロと這っている。

 

「……あんな形で着艦するウィッチ初めて見たわよ」

 

 とりあえずのぞみがそう言って溜息をついたあたり、なんとか着艦成功と言ったところだろうか。消防車がその近くに寄っていき、煙を出してくすぶっているストライカーユニットに水をかけまくる。

 

『※△〇☆◇▽□~~~!』

 

 それに耐えきれなかったのかそのウィッチの女の子が大暴れしながらストライカーユニットを足から外した。直後に彼女が甲板にでろん、という感じで落ちる。

 

 

「えっと……あの子って今日203に来るはずのウィッチの人……ですよね?」

 

 そういうひとみにのぞみやコ―ニャは黙り込んだ。その横を医務隊に抱え込まれたその子が医務室まで連行されていく。

 

「……儀仗兵は、必要なさそうね、ほんと」

 

 引き攣った笑みを浮かべながらそう言うのぞみに笑っていいのか分からず、ひとみは曖昧な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……外傷とか打撲はなし、いたって健康だってさ」

 

 代表して華僑民国空軍ウィッチの容体を聞きに行っていたのぞみが戻ってきた。

 

「よかった……」

 

「……ん」

 

 あれだけ盛大に搬送されていたものだからヒヤヒヤしていたひとみたちはその言葉でほっと胸をなでおろす。相変わらず狭い「加賀」の通路内では手に持った三十八式歩兵銃がぶつかりそうだ。

 

「よーしじゃあ出迎え行ってみよー」

 

 と、いきなり調子を変えるのぞみ。

 

「え?」

 

「いやだって、早く出迎え済まさなきゃね。向こうも元気だっていうし、「加賀」を引っ搔き回した華僑人の顔を早く拝んでやりたいし」

 

「は、はぁ……」

 

「……ん」

 

「ではレッツゴー! プロビデンス中尉、先導よろしく!」

 

「……Прасковья」

 

 抗議の言葉と共にコーニャがすたすたと歩き出す。のぞみが三八式を肩に乗せた担え(つつ)の姿勢で続き、ひとみもそれにならう。幸いにも背が低いので三八式が天井にぶつかることはなかった……ひとみとしては、ちょっとフクザツである。

 

 

 

 

 

「……ついた」

 

「よーし米川、配置につけ……ダイナミック・エントリーだ。犯人は一名、人質はナシ。犯人はミラージュで武装している」

 

 ところが、到着と同時にのぞみはやけに楽し気な調子で扉の真横の壁に張り付いた。

 

「え? あ、あの……先輩?」

 

「アーアー、大村班突入準備完了です。いつでも行けます、オクレッ」

 

「いや誰に向かって言ってるんですか先輩!」

 

 するとコーニャがのぞみの隣に駆け寄り、サーベルに手をかけた。止めてくれるかと期待したひとみだったが

 

「我らに仇なすは一柱……いや、堕天し翼を折られた闇の愚物がひとつ……。よかろう、我が聖なる力でその魂を穢れから解き放とうぞ……せめて、来世でまた人として生き行けるように。これ以上(カルマ)を失わぬように……っ!」

 

 あぁ、そう言えば。ここ数日はなりを潜めていたが、そう言えばコーニャ(このひと)もこういうヒトだった。

 

「さあ行こうか米川。オデッサの階段を駆け上がり、我らの正義を打ち立てようぞ!」

 

 のぞみもさっきまでの特殊制圧部隊風味の台詞を投げ捨て、そっち方面にシフトしたらしい。ちなみに、両者の会話は全くかみ合っていない。

 

「刮目せよ! 嫉妬の魔女が我に授けし愛の力!我が右目に集いし闇の光! 闇を葬る罪を恐るるなかれ! 世界に求められた暗闇の集積地(необходимое зло)!!」

 

「なんでコーニャちゃんまでノリノリなんですか!」

 

 そしてツッコミ役になってしまっているひとみ。というか最近ずっとツッコんでばっかりだ。

 

「……まあ茶番はおいといて、米川。挨拶やってみる?」

 

「え”?」

 

 のぞみによる予想外の切り返しに固まるひとみ。

 

「いや、まあ私やポリタンク中尉がやってもいいんだけども?」

 

「……Покрышкин。ひとみ、やってみて」

 

 さっきまでと打って変わって無表情に戻ったコーニャも、ひとみに挨拶役を勧めてくる。

 

「お、お譲りします……」

 

 控えめにのぞみとコーニャに道を譲るように身を引くひとみ。ところが

 

「まあぶつかって砕けろ、ゴー!」

「そんなっ」

 

 次の瞬間のぞみは扉を開け、ひとみを医務室へと押し込んだ!

 

 

「あ……」

 

 医務室はいつも通りの明るさで、他の部屋とは違う色合いの床には塵ひとつ落ちていない。

 そして、その部屋の真ん中にぽつりと座った人影。

 

「あ……えっと……」

 

 間違いない、さっき甲板で見た華僑民国からのウィッチだ。どこかむすっとした表情で座る彼女は粘着質なアレに引っかかったせいで制服はすごい、そう、なんというか、すごいことになったまま。どうして着替えなかったんだろう……いや、違う違う。まず何か言わなきゃ。

 

「えっとぉ……あの」

 

 と、とりあえずブリタニア語でいいよね? なんだっけ、挨拶、挨拶ってなんだっけ? 大変だ出てこない!

 そうこうしている間にも相手はじっとりとこちらを見てくる。まるで異星人を見るみたいな目、相手の恰好が恰好なので本当に緑色の異星人と出会った気分である。ブリタニア語すら通じなさそうだ。

 しかし後ろにはのぞみとコーニャがひとみのブリタニア語力を見定めるように待機しているのである。退却は許されない。ひとみは渾身のブリタニア語を放つ。

 

「……どぅ、どゅーゆーすぴーくぶりてぃっしゅ?」

 

「あんた発音どうなってんよの、ブリタニア語はイントネーションがいのち! もう一度!」

 

 精一杯やったつもりだったのに、のぞみが進み出てくると咎めるようにひとみに言う。慌ててやり直す。

 

「どぅ? づぅ? どぉぅゆー?」

 

 唇に引っかかって上手く発音できない。やり直せばやり直すほど、頭の中の理想からどんどん遠ざかっていってしまう。

 

「まず『ぶりてぃっしゅ?』をなんとかしなさいよ。なんで『しゅ?』に力を入れるのよ、しかもブリタニア語話せますか? って挨拶にすらなってないし……Hello,I’m Nozomi Omura.Empire FUSO NAVY. 分かったわね? はいやってみる」

 

 お手本のごとくスラスラ言ってみせるのぞみ。

 

「……は、ハロー。アイム、ノゾミ、オオm」

「バッカ、なんでアンタまで『のぞみ大村』になってんのよ」

 

「そそ、そういわれましても……」

 

 

 

「……扶桑語ぐらいわかるですよ」

 

 

 

「……」

「……」

「……」

 

 ひとみ、のぞみ、コーニャ。共に沈黙。

 

「……な、なんでやがりますか」

 

「キ……」

 

 のぞみの口から言葉が漏れる。

 

「き?」

 

「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!」

 

 瞬間、のぞみの奇声が医務室を揺るがした。ひとみは腕を振りながらハッキョーしたように叫ぶ先輩に(おのの)き、コーニャは何かを察したように少しばかり目を逸らす。

 

「うっさい!!」

 

 華僑人が対抗するように叫び、ピタリと一時停止するのぞみ。コーニャは小さく一言。

 

「……のぞみ、すべった」

 

 のぞみ、しばし沈黙。それから

 

「キェェェェェェアァァァァァァスベッタァァァァァァァ!!!」

 

 またしても再始動した。「加賀」の医務室は陸軍部隊の乗り込みも想定しているためだだっ広く、空きベッドが並べられた部屋にのぞみの声が響いていく。

 

 

「……何してるんだ、大村准尉」

 

 と、石川大佐が扉を開けて入ってきた。

 

傾注(Attention)!」

 

 その姿を認めるや否や直立し、ブリタニア語で教科書通りの海軍式敬礼をするのぞみ。石川大佐は一瞬面食らったようだったが、それから小さくため息。

 

「変にごまかすな。今のは見なかったことにしておいてやるから」

 

 それから石川大佐は華僑空軍軍人へと向き直る。

 

「部下の非礼を詫びよう。扶桑皇国海軍の石川、第203統合戦闘航空団の司令だ」

 

「……華僑民国第499戦術戦闘機連隊所属、(ガオ)夢華(モンファ)。階級は少尉。本日付で人類連合軍に着任となりやがります」

 

 その少女、華僑民国のウィッチは、(ガオ)夢華(モンファ)と名乗った。華僑の名前は姓の後に名前なので、夢華が名前ということだ。

 

「よろしい、我が隊は人材不足でな。華僑民国の国際貢献に感謝する」

 

 そう言いながら石川大佐は手を伸ばし……微妙なところで止まった。

 

「……」

 

 そりゃそうだ。なんせ少女は……身体中をネトネトでベトベトな緑色のアレにデコレーションされてしまっているのだから。

 

「大村、まずは客人を清めてやってくれ。着任の手続きはその後とする」

 

「了解です大佐」

 

 それだけ言って石川大佐は踵を返す。去り際に「あれはムリだ、ムリ」と聞こえた気がしない訳でもなかったが、ひとみは聞かなかったことにする。

 それから華僑民国のウィッチ、高夢華の方を見てみると……自身の手、というか全身を見ながらなんとも言えない微妙な表情になっている少女の姿が。

 

 

「よし。大佐の命令だ。連れて行くよ」

 

 のぞみがそう言い、扉へ向かおうとする。

 

「あ、そーだ。その前に自己紹介しておかないとね。私の名前は大村のぞみ。海軍准尉だから、一応アンタの方が上官になるわね」

 

 そう言いながら振り返って身分証を見せびらかすのぞみ。

 

「上官だっていうなら、そんなエラソーな態度を取らねえで欲しいってんですよ。(ダー

)(ツォン)(イー)(ズィ)(ジュン)(シュゥ)(ヂャン)

 

 身分証をわざわざ華僑の発音に直して読み上げるあたり、どうも夢華はのぞみのことが気に入ってないらしい。のぞみも喧嘩腰に口調が変わる。

 

「ふーん……ところで華僑空軍、アンタの名前って寝ると見る『(ゆめ)』に華僑の『()』であってる?」

 

「だからなんでやがりますか」

 

 それを聞いたのぞみは、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「いやなに、確認をとっただけだよー()()()少尉殿?」

 

「なあっ……!?」

 

「扶桑語読みじゃあ『ゆめか』になるんだから当然だよねぇ?」

 

「勝手に扶桑語読みすんじゃねーです、あたしの名前は『Meng fua』! 『ゆめか』じゃねーです!」

 

「の、のぞみ先輩、やめた方がいいんじゃ……もんふぁちゃんも怒ってますし」

 

「そっちも! ちゃん付けしやがんな!」

 

 両手を天井に突き上げて夢華は抗議する。

 

「はいはい、そんなちっこい身体で言っても効果ないぞー」

 

 のぞみのいう通り、夢華はこれまで203空では一番小っちゃかったひとみよりもさらに一回り小さく……

 

「うっさい! あたしは上官だぞー!」

 

「……」

 

 夢華より上位の中尉であるコーニャも、どこか穏やかな目線で見守るだけだ。

 

「少尉殿のワガママよりも石川大佐の命令が優先! ほら、ついてくる!」

 

 そう言ってぬめりのある緑色の液体に臆することなくのぞみは夢華の手を握ると、さっさと医務室から連れ出した。

 

「や、やめやがるんのですっ!」

 

 抵抗むなしく連れ去られる夢華。

 

「……さて、どう料理してあげようかねぇ」

「なっ!」

 

 のぞみが医務室を出る間際に放ったとどめの一言に、夢華の顔は見事に引きつった。

 



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第九話 「ブイ・ツー~まちなみ~」後編

 強襲揚陸艦加賀は戦闘艦である前に、500人以上が生活を送る一つのコミュニティである。当然風呂やら床屋やらが入っていることになるのだが……

 

「一人で脱げるって言ってるです! ってか、勝手に脱がすな!」

 

「はいはいはいはい、万歳してねー」

 

 姦しい声が脱衣所から響いて、何人もの隊員が驚いたようにそちらを見る。ドアには「女子入浴中」の札が掛かり、それが叫び声に押されたように揺れていた。隊員たちには知る由もないが、中では相当にひどい様子が展開されていたのである。

 

「うわ、ほんとにシャツもズボンもドロドロじゃない。こんなんでよくOK出るわね華僑空軍」

 

「うるせーです。というよりほとんどミラージュが壊れた時とあのネトネトのおかげつってんです。あたしは悪くない!」

 

「にしては本当に汚れてるわね。こりゃぁ洗い甲斐があるわ」

 

 そういいながら夢華を羽交い絞めにするのぞみ。

 

「暴れに暴れるから強硬手段。私が押さえてる間に米川、さっさとこいつの服脱がせちゃって」

 

「えぇっ!? わたしですか?」

 

 ジャケットだけひん剥かれ羽交い絞めにされる夢華をどこか他人事のように見ていたひとみだったが、いきなり仕事が飛び込んできて飛び上がった。

 

「だって埒が明かないじゃん。とりあえずこの子風呂に叩き込まないと」

 

「だからそんなのひつよー」

 

「ねーとは言わせないからね、ゆめかちゃん。こんなギトギトの油まみれで艦内歩かれたら居心地悪い」

 

夢華(モンファ)ってさんざん言ってんでしょーが!」

 

 ジタバタと暴れる彼女を背中側からぎゅっと抑え込むと、夢華とのぞみの身長差の関係で、夢華の足が地面から浮く。半分宙吊りの状態のまま暴れる少女を前にひとみは唾を飲み込んだ。

 

「えっと、いいんですよね……?」

 

「良くないっ!」

 

「いいから脱がせちゃって」

 

 夢華が反射的に噛みつくように言い返したが、のぞみがそれをきつく抑え込む。その目はひとみに「扶桑皇国軍人として従うべきはどちらか」と問うているように見える。というかこんなことのために睨まないでほしい。

 

「ご、ごめんね? もんふぁちゃん……」

 

 一言謝ってからそっと彼女の服に手を掛ける。ひとみよりもさらに一回り小さい体はどこか華奢で、のぞみに抑え込まれてはびくともしない。その状態で白い襟付きシャツ――今はオイルやらなにやらで汚れているが――のボタンを外していく。シャツをはだけていくと白い肌がさらけ出された。

 

「も、もんふぁちゃん、シャツの下……キャミとか着ないの?」

 

「は?」

 

「いや、何でもないです……」

 

 なんだが、素で何を言っているか分からないみたいな反応をされたのでとりあえず黙る。……なんとなく、とんでもなくいけないことをしている感覚がないわけではない。

 

「えっと……」

 

「もうズボンも脱がせちゃえ」

 

「やーめーろ―――――っ!」

 

 半分涙目でそう叫ぶ夢華を見て良心が痛むが、それ以上に後ろでその子を羽交い絞めにしてるのぞみの目が怖い。開けてはいけない扉を開けそうで、震えながらも先輩の指示に従おうとして……。

 

「わかったわかった! 自分で脱げばいいんでしょーがっ!」

 

「やっと素直になったか、ほらさっさと脱げ脱げ」

 

 拘束から解放されて、夢華はため息をつきながら羽織るだけになっていたワイシャツを脱ぎ捨てる。それをじっと見ていたひとみに気がついたらしく、どこか怯えた目を向ける。

 

「な、なによ……」

 

「なんでもないよ」

 

 やたらとニコニコしているひとみ。凹凸の少ない体を見て親近感が湧いたとは口が裂けても言えない。どこか気味悪そうにしながらも、ズボンを足から抜いた夢華はどこかやけっぱちに口を開いた。

 

「全部脱いだわよ! これでいーんでしょ!」

 

「チッ! 手間かけさせやがって……」

 

「のぞみ先輩、なんかいけない感じになってませんかっ!?」

 

「いーのいーの、どうせ女同士だし」

 

 そうあっけらかんと言い放って、夢華の腕を掴んで浴室に連れていく。のぞみもひとみも服は着たまま大浴場に入る。服を着たまま浴室に入るのはかなり違和感があるが、気にしなかったことにした。

 

 一応大浴場として十何人が同時に使える広さがあるこの浴室だが、さすがは軍艦、窓もなく本当に大きな風呂桶と配管むき出しのシャワーがいくつも並んでいるだけの部屋である。

 

「ほーら、お姉ちゃんたちが洗ってあげますからねー、そこに膝を折れ」

 

「なんか脅しに入ってますけどいいんですかっ!?」

 

「いいのいいの」

 

「自分で洗えるからいーです」

 

「髪痛んでるところを見ると雑にしか洗ってないでしょ? この際徹底的に洗ってやる」

 

 そういいながら、のぞみは、小さなプラスチックのカゴを横に置いた。どうやら私物のシャンプーやらコンディショナーを持ち込んでいるらしい。

 

「大村流洗浄術をお見舞いしてやるから覚悟しなさい」

 

「なによその大村流って……」

 

「 い い か ら ゆ め か は 座 っ て な さ い っ ! 」

 

「だからモンフ……ぅわぷっ!」

 

 いきなり頭からシャワーを掛けられる夢華。お湯と一緒に文句も飲み込まざるを終えなかったのが大層不満だが、いまは黙らないとどうしょうもない。

 

「奥義其の壱、シャンプーの量はケチるべからず」

 

「あんた雑すぎじゃ……」

 

 抗議を無視するようにのぞみは乳白色のリキッドをこれでもかと振りかけ、それを髪に刷り込むかのように強引に馴染ませていく。

 

「ちょ、痛っ!」

 

「あんた本当に髪洗ってる? 泡立ちがすんごく悪いんだけど」

 

「そういうのを余計なおせ――――痛い痛い痛い痛いっ!」

 

「先輩の話はよく聞くもんだ、ゆめかちゃん」

 

 そういいながら髪をわしゃわしゃと泡立てながらのぞみが溜息。だがその顔はどこか楽しそうだ。

 

「もう、枝毛のオンパレード……ちゃんとキレイにしないからだよー。絡まってるから髪洗うだけでいろいろ引っ張られてるし……全く。これに懲りたらちゃんと綺麗にすること、わかったね?」

 

 そう言ってシャワーのコックを開きっぱなしにしてシャンプーを流していく。ハイ以外の答えをさせる気はないのは、ひとみから見てもよくわかった。

 

「はい、次は体」

 

 そういうとタオルを豪快に泡立てて、夢華の背中を思いっきり擦っていく。

 

「だから痛いっていってやがんですっ!」

 

「おっと」

 

 振り返りざまに右手を叩き込もうとした夢華の攻撃をさらりと受け止めたのぞみ。かなりの勢いがついていたはずだが、のぞみはびくともせずにその勢いを殺しきった。

 

「ふふん、いい右フックだけど裸ですごまれても迫力はないかな?」

 

「魔法つかうのはずっこくねーですか?」

 

「孫子だって言っている。兵は詭道なり、だ」

 

 左腕でしっかり受け止めているのぞみの髪の隙間から目立つ犬耳が生えている。ひとみからはふさふさのしっぽも制服の下から生えているのが見えていた。

 

「か、怪力とは……ほんとずっこい……」

 

「こればっかりは、生まれつきだから、妬まれてもしようが……ないっ!」

 

 そう言って夢華の腕をとるとそのままうまく、椅子に座らせるのぞみ。やたらその手つきが手慣れていて、ひとみはどこか恐怖を感じざるを得ない。

 

「もっとしっかり食べたほうがいいんじゃない? あんた体軽いし。食べないと大きくなれないぞー」

 

「そんなガキじゃねーです」

 

「んー? 実際何歳なのかなー?」

 

 そう言われ、夢華は黙り込んだ。からかうようなテンションでのぞみが声をかける。

 

「ゆめかちゃあーん?」

 

「…………………………さい」

 

「え?」

 

 夢華の声はなぜか消え入りそうなほど小さかった。ひとみも耳を澄ます。

 

「9歳っていってんです。なにか文句ありやがっかっ!」

 

「「きゅ、9歳っ!?」」

 

 ひとみとのぞみの声が被った。

 

「ひ、一桁……!?」

 

「4つ下が上官かー。というか一桁歳のがきんちょを前線に出さなきゃいけないあたり、この世界も終わってるよねぇ」

 

 そういいながらも、のぞみはニヤニヤと笑った。

 

「ならお姉ちゃんのいう事は聞きなさいよー? ぺったんこのゆめかちゃん」

 

「あーもううるせーです! あたしが上官だし、体はあんたと違ってこれから成長期だからこれから成長するの!」

 

「はうっ……」

 

 流れ弾で地味にダメージを受ける身長130ちょっとしかない米川ひとみ(12)。

 

「せ、成長期……終わる……?」

 

「なんであんたがダメージ受けてんですか、あたしと同じでしょー」

 

「ちがう! わたし12歳! もんふぁちゃんより年上!」

 

 そういうと夢華はどこか憐憫の目を向けた。

 

「……チビ?」

 

「いわないでぇっ!」

 

 耳を塞いで首をふるひとみ。

 

「分かってる。分かってるもん。前ならえだとえっへんポーズしかしたことないもん。ちびだけど、ちびだけどぉ……!」

 

「えっへんポーズってあれ? 前ならえで先頭の子がやるアレ?」

 

 頷くひとみ。周りの目がどんどん同情の色になっていく。

 

「ま、まぁ伸びるよ。うん……」

 

「気にすることねーですよ。うん」

 

 初めて意見の一致をみる夢華とのぞみ。何となく複雑である。

 

「ま、まぁ今後の成長に期待ということで……って、あれ?」

 

 のぞみが言葉を切ると、その隙間を誰かが走るような盛大な足音が埋めていく。

 

「えっと、なにかあったんでしょうか……?」

 

 ひとみが疑問符を浮かべるなか、脱衣所に繋がる扉が開き――――

 

「可愛い子ちゃんいた――――――――!」

 

「霧堂艦長っ!?」

 

 黒髪のポニーテールを揺らす霧堂艦長が着衣のまま浴室に飛び込んでくる。満面の笑みでそのまま夢華に体当たりするように飛びかかる。

 

「へっ!? あんたなんでぇえええええええええっ!?」

 

「ロリッ子じゃぁああああああっ!」

 

 いきなりそんなことを口走りながら夢華を抱きしめる霧堂艦長。

 

 だが、場所が悪かった。

 

 ここは浴室。さっきまでシャンプーやらボディソープなどを使っていた場所だ。そこに飛びかかるような勢いで走り込んだらどうなるか。

 

 

「艦長危ないっ!」

 

 ひとみやのぞみが慌てて手を伸ばすがもう遅い。夢華を抱きかかえた姿勢のまま、床を滑っていき―――――

 

「―――――ッ!」

 

 浴槽の中に二人まとめて落ちた。

 

「きゃぁっ!?」

「熱っ!」

 

 人二人分の質量が浴槽に落ちたせいで大きくたった波をかぶってしまうひとみとのぞみ。熱いとか思う前に浴槽に駆け寄った。人は水深10センチあれば溺死することができるとか、昔学校で聞いた話を思い出す。

 

「ぷはっ! 抱きつくな! 誰だあんた!? なにをってか、離しやがってください!」

 

「いやー、かわいい子が来たーうれしー……ってか沈めようとしないでお願い私死んじゃう」

 

「なら離しやがれっ!」

 

「霧堂貴様何やってやがる!」

 

 夢華が必死に乱入者を溺死させようともがいている後ろからいきなりそんな罵声が飛んできた。

 

「風呂に入れさせたと言った途端全力疾走したと思ったらこれか! 馬鹿か貴様! セクシャルハラスメントで訴えられたいか!」

 

「それ決めるのは石川大佐じゃないでしょー?」

 

「口答え無用! とりあえずそこに直れっ!」

 

 怒髪天という描写がピッタリな形相の石川大佐が無理矢理に霧堂艦長を浴槽から引きずり出した。

 

「大村准尉、米川准尉、ご苦労だった。脱衣所の方にお前らの服の予備も含めて持ってきてある。(ガオ)少尉を連れていけ。俺はこの霧堂艦長(ドアホウ)と少しばかりお話してから行く」

 

「は、はい……」

 

「わかりました」

 

 どんな表情をしていいのかわからなかったので、ひとみとのぞみはとりあえず乾いた笑みを浮かべてそこを出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあ、そんな具合で散々な目にあうウィッチたちのことなど露知らず、「加賀」を旗艦とする扶桑第五航空戦隊は無事香港へと入港を果たした。

 

 

「……はぁ、酷い目にあった」

 

「まーいいじゃないですか少尉殿。大村家流洗浄術のおかげで髪もすっかりキレイになったんだし、しかも上陸許可までおりたしねー」

 

 そして諸事情――――主に霧堂艦長――――により上陸許可と自由行動許可をもらったひとみ、のぞみ、夢華、そしてコーニャの4人はそれぞれ軍服のままで香港の街に繰り出すことになったのである。意気揚々と歩いていくのぞみに、夢華は噛みつくように言った。

 

「単に洗剤の質が良かっただけでしょーが。それと、あたしにとって香港は数時間ぶりでやがるんで、嬉しくもなんともねーですよ」

 

 ちなみに、替えの服がなかったということで今の夢華は扶桑皇国海軍下士官制服を着ている。身長差15㎝ほどあるのぞみの予備なので結構ぶかぶかで、持て余した袖が何回か折られている。

 

「二つほど訂正しておこうゆめか、まず洗剤じゃない、入浴用洗剤(シャンプー)だ。そして次にだゆめか、質が高いのは洗剤ではなくて我が大村家の誇る……」

 

「あーもう、あたしの名前はモンファだっつってんでしょーが!」

 

 そんな調子で積み下ろし作業に賑わう岸壁を抜け、軍所有のちょっとボロ臭い倉庫群を抜ける。木造の倉庫の中にストライカーユニットを詰め込む様子はかなりシュールだ。

 

「あれ……? のぞみ先輩、イーグル(F-15)ってここで下ろしちゃうんですか?」

 

「だってF-15に乗るウィッチがいないし、あれもともと一航戦のだよ? もともと載せてた「和泉」でさえ無理を押して無理矢理カタパルトで撃ち出してた訳だし「加賀」で運用するメリットもないからここで下ろすんだってさ。後で扶桑の補給艦とかが取りに来るんじゃない?」

 

 のぞみはどこか興味がなさそうにそう言った。それからにやりと笑って夢華の方を見る。

 

「それに空いたスペースにはミラージュを詰め込まないといけない訳だし」

 

「そのヤな笑いひっこめやがれです」

 

 夢華がそうぶすっとした顔でそういうのを横目に、華僑軍の兵士が守るフェンスを出ると、もうそこから先は港湾区画。香港の街だ。夢華はともかくとして、ひとみ達にとっての(おか)は一週間ぶり。

 

「――――で、どこ行く?」

 

 フェンスから十歩も歩かないうちに口を開いたのはのぞみだ。

 

「そういえば香港って何があるんですか?」

 

「んー、大量のネオンと看板かな?」

 

「……今、おひる」

 

 当然のように言うのぞみにツッコむコーニャ。それを少し後ろから聞いていた香港出身のモンファは、そっぽの向いたままぼそりと言う。

 

「別にそれだけじゃねーですよ。まあ、ネオンが有名なのは認めやがりますけど」

 

 香港の夜景は有名だ。闇に明るく煌めくネオンは美しく、ここで告白されたらロマンチックだろうなーと乙女心に思わせるほどにだそうだ……だがそれも夜ならではのもの。今は太陽光が降り注ぎ、紫外線が肌をガンガン焼いてくる。つまり真っ昼間もいいところだった。

 

 のぞみはくるりと振り返って、ひとみたちから微妙な距離を取っているモンファに声をかけた。

 

「私としては地元民のゆめかに案内してほしいかな? やっぱ住んでなきゃ分かんない場所もあるでしょ?」

 

「……ネットで調べりゃいーじゃねえですか」

 

「なんだよーゆめかー。そんな山中でネウロイに出会ってしまった蒋介石みたいな顔しないで、楽しくいかなきゃダメだぞー?」

 

 のぞみがけしかけるが、モンファは拒むようにそっぽを向いたまま。その視線はそびえ立つ香港金融街の摩天楼へと注がれていた。

 とそこで、コーニャが小さく手を挙げる。

 

「……行きたいとこ、ある」

 

「お、ポリウレタン中尉の目的地は何処(いずこ)?」

 

「……Покрышкин(ポクルィシュキン)

 

「ポリウレタン?」

 

 唐突に出てきた語句に首を傾げるモンファ。それを聞き逃さなかったのぞみは盛大に反応した。

 

「よくぞ気付いてくれた(ガオ)夢華(モンファ)! このオラーシャ人はだね、三分おきに名前を変えるのだよ……セキュリティ上の都合でね」

 

「は、はあ……?」

 

 首を余計に傾げるモンファ。そんな訳の分からないことをいうのぞみの後ろにコーニャは回り込み首に腕を回しかける……が、やめてしまった。

 

「いいから……こっち」

 

 コーニャは無表情のまま迷いなく歩いていく。

 

「まー行く先もないし、とりあえず行きますかね」

 

「しょーがねぇです、付きあってやりますよ」

 

 そう言いながら付いていくのぞみと夢華。ぞろぞろと四人のウィッチは香港市街へと足を踏み入れていった。

 

 それにしても、コーニャがのぞみの首を絞めることより優先することって何なのだろう? ひとみそんな失礼な疑問を抱いていたのだが……。

 

 

 

 

 

「……ここ」

 

 そして、無表情のまま歩くオラーシャ軍人が足を止めた。

 

「これ、アニマーズグー……ですよね?」

 

「だねー」

 

「……フン」

 

 目の前にそびえ立つ看板。それが示すとおりここは扶桑にもある有名なアニメーションショップだ。その中へコーニャがつかつかと入っていこうとする。興味なさげに鼻を鳴らす夢華を視界の隅に、特にすることもないひとみもついて行こうと――――

 

「はいはいはい! ストップストップ!」

 

「……なに」

 

 くるりと振り返ったコーニャはいつも通りの無表情。そんな無表情で、引き留めたのぞみを見やる。

 

「あのねぇ、状況を考えようよ」

 

「……目の前に、サブカルの王国」

 

「そういう意味じゃないっつうの!」

 

 のぞみがそう言うと、コーニャはそれを流すようにひとみとモンファのほうを見た。

 

「……どう思う?」

 

「え、えっと……別にいいと思います、けど?」

 

「どうでもいいってんですよ、そんなことは」

 

「米川まで何言ってんの! ていうか夢華もスルーしない! 私たちは軍人、それも多国籍部隊を構成する世界の代表選手だよ?! 私たちの恥は扶桑の恥! 全くもって愛国的じゃない……」

 

「……のぞみ、秋葉原にいく」

 

「 ぐ ん ぷ く き て な き ゃ ね ! 」

 

「……軍服着てても、いく」

「行くな、止まれぇ!」

 

 踵を返して堂々とその聖域へと踏み込もうとするコーニャ。必死に止めるのぞみ。ひとみは話にあまり、どころか全くついていけていない。

 

「えっと……アキハバラ?」

 

「え、米川東京に住んでるんだよね? 秋葉原駅ぐらい知ってるでしょ」

 

 呟いたひとみに、呆気にとられた表情をするのはのぞみだ。

 

「あ、はい……京急に乗り換えれば……」

 

「それ新宿に行っちゃうじゃなない。山手線か中央線に乗りなさいよ。あーったく、関東民なのにもったいない。秋葉原っつたら電子機器の一大マーケット。外国人観光客も東京といえば必ず行くのが秋葉原……というかポリネシア中尉も扶桑来たなら秋葉原行けばよかったのに」

 

「……かった」

 

 名前の訂正もせずにうつむくコーニャ。

 

「?」

 

「いけな、かった……秋葉原」

 

 沈黙。

 

「あー……ま、ご愁傷様」

 

「……いくよ」

「人の話聞いてた?!」

 

 歩き出すコーニャをのぞみが止める。

 

「よくない、よくないよプラスコーヴィヤ。私たちは誇り高き航空ウィッチだよ? それが仮にも上陸許可が下りたからって、これはよくないって……」

 

 するとコーニャは、自分自身を指差した。

 

「……中尉」

 

「う”」

 

 続いてのぞみを指差す。

 

「……のぞみ、准尉」

 

「こ、こんな時だけ……」

 

 のぞみは何かの圧力に押されるように下がっていく。

 軍隊において階級が重視されるのは自明の理である。何故か? 簡単だ。一瞬が数百名の部下の死を招く戦場において、判断の遅れは許されない。そして判断の遅れを招くのは単に指揮官の優柔不断さからだけではない。人間が組織を組む以上、そこには対話というものが生まれる。その対話にかかる無駄の多い時間を節約するために、指揮権というものは存在するのだ。

 

「……中尉」

 

 コーニャはもう一度自分を指差す。やはり無表情であった。

 

 

 

 ――――待つこと数十分。

 

 

 

「……お待たせ」

 

「い、いっぱい買ったね、コーニャちゃん」

 

「……うん」

 

 一応無表情なのだけど、どこかホクホク顔なコーニャがたくさんの袋を下げて店から出てきた。よほどいい買い物ができたらしく、頬が僅かに緩んでいるようだ。

 ひとみはふとコーニャが何を買ったのか気になり、ちらりと覗いてみる。そして、覗いてしまったことを即座に後悔した。

 

「!」

 

 ひとみは袋の隙間から見えた何かとアレなオーラを放つ肌色満載な本を直視してしまったのである。

 

 見てないっ! わたしは見てないっ!

 

 記憶から抹消しようと必死になって頭を振る。なんだか知ってはいけない世界を知ってしまった気分だ。同じように袋の中身を見て、眉を顰めただけの夢華とはずいぶんな差だ。

 

 一方そんなひとみの苦難も知らず、のぞみが仕切るように言った。

 

「コーニャの用事も済んだみたいだしお昼にしよっか。どこか美味しい店はないかなーっと。あ、すいませーん」

 

「ちょっと先輩!?」

 

 現地人らしき人にひとみの制止を無視してのぞみが声を掛ける。現地人だからきっと華僑語、ブリタニア語が出来るのぞみでも太刀打ちできるわけが

 

附近有好吃的餐厅吗(近くにおいしいお店はありませんか)?」

 

対面有米線好吃的餐厅(向こうに米線のおいしい店があるよ)

 

谢谢(ありがとうございます)!」

 

 のぞみが一礼すると現地の方も陽気に手を振る。そしてあっけにとられて見守るだけだったコーニャとひとみの元に嬉しそうな色を浮かべて戻ってきた。

 

「この近くに米線のおいしいお店があるって。お昼はそこにしよっか」

 

「先輩……華僑語、話せたんですね…………」

 

「……知らなかった」

 

「あれ? 言わなかったっけ? てか米川はまだしもポリグロット中尉は話せないの?」

 

「Покрышкин。……扶桑語で手一杯」

 

「あ、そう? 待って。つまりここで話せるのって私だけ?」

 

 コーニャとひとみが頷く。それを見たのぞみがニンマリと笑う。

 

「ふ、ふふふ。そうかそーか! ならば私についてこーい!」

 

「待ってくださいよ! ていうか先輩、何カ国語話せるんですか!」

 

「ブリタニア語からロンゴロンゴ文字まで! これぞ大村家流よ!」

 

「最後……まだ解読されてない…………」

 

 コーニャのツッコミなど聞こえないと言わんばかりにのぞみが噂のお店とやらに向かって前進していく。そのあとを追いかけながら大村家流ってホントになんだろう、と首を傾げるひとみだった。

 

「私は母国語だってんですけどね」

 

 お店へと直進していく列の最後尾を気だるげに歩きながらぼそっと夢華が言ったが、意気揚々としたのぞみの耳には入らなかったようだ。

 

 

 

「うん、なかなかいけたね」

 

「おいし、かった……」

 

「あれが米線……初めて食べたなぁ」

 

「まあまあってところですよ、あんなんは」

 

 お腹を満たした4人が店から出てきた。相変わらずコーニャの手には大きな袋が提げられたままで、その中身を見ないようにさっきからひとみは少しだけコーニャから距離を取っていた。

 

「あんまり時間もないことだし土産屋でも冷やかしに行こっか、冷やかすだけ」

 

「何か買いましょうよ……」

 

「いいのいいの。さ、しゅっぱーつ!」

 

 ずんずんと進んでいくのぞみに付いて行くしかない3人。のぞみは自分が主導権が握れていることが嬉しいのか鼻歌まじりだ。そこで少し調子にのった、というか馴れている感を出そうとしたのだろう、のぞみが足を踏み入れたのは明らかに怪しげな雰囲気の漂う商店街モドキだった。

 

「先輩……ここ大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫大丈夫。たぶん」

 

「今……たぶんって言った…………」

 

「そこ! 細かいことは気にしない!」

 

 ビシッとのぞみがどこか胡乱な目つきのコーニャを指差す。

 

「いくよっ」

 

 手近な店にのぞみが進み入る。なんとなく傾いた感じがして、漆喰が露出している店だ。中のラインナップが不気味な紹興酒や謎の爬虫類の抜け殻に贋物くさい干した人参である。つまるところ怪しさ全開だった。

 

「ここ……大丈夫かなあ?」

 

「…………」

 

「ここなら……まあ普通ってとこか」

 

「夢華ちゃん、なにか言った?」

 

「や、別になんでもねえってんですよ」

 

 ついにしゃべることを放棄したコーニャと不安そうなひとみ。ぼそっと夢華が何か言ったような気がしたため、ひとみは夢華に聞いてみたが否定されてしまい、気まずい沈黙が流れる。そんな中で、まったく意に介さないのぞみは薄汚れた麻布の服を着た店員らしき人と話していた。

 

「チョト、そこのあなた!」

 

「え? 私!?」

 

「ソウ! そこのお嬢サン! いい服ある! 着てみるヨ!」

 

「えっと、コーニャちゃん助けて……っていない! 夢華ちゃん……もいないし!」

 

 見知らぬ人に話しかけられ戸惑うのぞみは咄嗟にコーニャに助けを求めるが、さっきまで重そうに大量の袋を抱えていたコーニャは忽然と消えていた。次に助けを求めた夢華も何を察したのか姿を消し、後には枯れ草の塊らしきものがカサカサと転がるのみ。

 

「サアサア! 着るだけ、着るだけ!」

 

 ぐいぐいと何かを押し付けられ、あり合わせといっても過言ではないフィッテイングルームに押し込まれてカーテンが引かれた。中で戸惑うひとみはとりあえず押し付けられたものを見てみることにした。

 

「! これって……」

 

 

 

 適当に擦り寄る店員をあしらったのぞみは辺りを見回して違和感を覚えた。

 

「あれ、米川は? 夢華、知らない?」

 

「さあ? よくわかんねえです」

 

「あ、そう? ポリアミド中尉は?」

 

「Покрышкин。……さっき試着室に入ってた」

 

「試着室? なんでそんなとこに……おーい、米川ー」

 

「……………………はぃ」

 

 か細い声が試着室から漏れ聞こえる。返事をするだけでいっぱいいっぱいな様子だ。

 

「んー、米川?」

 

「はい、そうです…………」

 

「どしたの? よくわかんないけど開けるよー」

 

「そ、そんなあ! だめですぅ!」

 

「えーい! ……あんたなんてカッコしてるのよ」

 

「コス、プレ?」

 

「はあ……まあそんなとこだろうとは思っていやがったんですけどね」

 

「ちっ、違います! これは仕方なくっ……あっ、やめて! コーニャちゃんとらないで! ていうか夢華ちゃんは何を予想してたの!?」

 

 試着室のカーテンをのぞみが思いっきり開けるとそこには空色の布地に黄色の飾り紐があしらわれたチャイナドレス姿のひとみがいた。スリットは太ももの付け根ギリギリまで深く入り、まだ成熟過程の生足が覗く。意味があまりないとわかっていながらも、必死でお腹近くの布を下に引っ張り、いろいろ隠そうとしているが隠しきれていない。その顔は羞恥のせいで熟れたトマトよりも赤く、ドレスの空色とのコントラストが見事だ。

 そのひとみをコーニャがタブレットタイプの端末で撮影していた。フラッシュが数回光を放ち、シャッター音が響いた。呆れたように夢華がやれやれと首を振る。

 

 

「うん、まあ、似合って、るんじゃ、ない?」

 

「なんでそんなに区切るんですか!」

 

「そういえば……ひとみ、ラインが、見えない……」

 

「ライン? なんのこ……あ」

 

「っーーーーーーー!」

 

ツッコミに回ることでなんとか平常心を保てはじめたひとみの顔が再び赤く染まっていく。

 

「ねえ、米川。あんた、もしかして今、穿いてない―――」

「そ、そそそ、そんなことないでありますってば! い、いやだなー、あはははは!」

 

「わかりやすすぎってもんですよ……」

 

目は口ほどにものを言う。だが今のひとみは、目どころか全身がものを語っていた。

 

「米川、私の目を見てもう一回いってみなさい」

 

「だから穿いてますってばー!」

 

「米川」

 

「う”……」

 

 ひとみがのぞみに詰め寄るが、のぞみの再度の問いかけによりその勢いは急速に衰えていく。

 

「まあ私はよくわかんないけどそういう趣味もいいんじゃない?」

 

「だから違うんですってばー!!」

 

「…………そこ」

 

「ん? どうしたコーニャ」

 

「ひとみの……ふく」

 

 コーニャの指差す方向をのぞみとひとみが振り向く。そこにはボロを纏った少女がひとみの服を抱えて駆けていくところだった。

 

 もう一度言おう、見知らぬ少女がひとみの服を持って駆けて行った。

 それが示す意味。それはすなわち――――

 

「ああっ! 私の服!」

 

「まあいいんじゃない? 服くらいは。ほら、そこにちょうどいいのがあるじゃない」

 

 目の前で立派な盗難事件が発生したにも拘わらず呑気なのぞみはひとみの着たチャイナドレスを顎でしゃくる。

 夢華が少し離れた場所でキツい目線で走り去ろうとしている少女を見つめ、今にも雑踏に消えようとしている少女に焦ったのはひとみだ。

 

「で、でも! あの中には私のズボンと空軍手帳が……」

 

「あ、やっぱり穿いてなかったんだ……ってハア!? 空軍手帳!? なんで身に付けとかないの!」

 

「さっきまで身に付けてたんです!」

 

「ばっ……! ああもう、追いかけるよ!」

 

「ま、待ってください! これ、恥ずかしくて走れないっ……」

 

「気合でなんとかする! ほら早く!」

 

「っ……ああもう!」

 

 逃げる少女をひとみとのぞみが追いかける。何か躊躇うような様子を見せてから、ヤケクソ気味に何事かを叫んだ夢華がすぐ後に続いた。コーニャは荷物が多すぎるのでかなり遅れている。

 

 ひとみは走る。しかし少女、小柄ということもありスルリと人混みを潜り抜けるようにして逃げていく。距離が縮まる気配はない。

 

「うぅ……やっぱり無理…………」

 

 ひとみはもちろん、服を取り戻したい。だが走っているとこう、見えそうなのだ。恥と服を天秤に掛けているのだが、今まさに恥に傾きかけている。

 

「急げ米川! あんたは自分のズボンがどこの誰ともわからない奴の手に渡って何されてもいいの!?」

 

 その瞬間、ひとみの頭をよぎったのはコーニャの買った本だった。そして、

 

「きゅう……」

 

 頭から煙を出してオーバーヒートした。なんかもう、いろいろ限界だった。お父さん、お母さん。ひとみは乱れた娘になってしまいました……。

 

「ひとみ……大丈夫?」

 

「はは、あははははは…………」

 

 崩れ落ちて、壊れた人形のように乾いた笑い声を漏らすひとみをコーニャが介抱する。その手荷物の中身が原因とは知らずに。

 一方、自分の言葉がひとみにトドメを刺したとは思っていないのぞみは少女を追いかけていた。のぞみは航空ウィッチ、つまり軍人である。そこらにいる少女に身体能力で負けるわけがなく、順調に差を縮めていた。その後ろから夢華がぐんぐんと近づき、のぞみを追い抜いて少女に接近する。やはり障害物(ヒト)だらけの市街地ではのぞみより背の低い夢華の方が早かったようだ。

 

「いけっ! 夢華!」

 

「うるせーんです、よっ!」

 

 あと少しで捕まえられる。そう思った直後、香港市内にサイレンが鳴り響いた。腹の底にいやに響くそれは、空襲警報というやつ。

 

「これは……まさかネウロイ!?」

 

 条件反射で走りを止めてしまい、詰めていた距離を一気に離されてしまう。夢華も思わず足を止めてしまったため、少女の姿は街角に消えてしまった。のぞみが軽く舌打ちをするが、すぐに切り替えることにした。もうそれどころではないのだ。

 

「米川! コーニャ! 夢華! 加賀に戻るよ!」

 

「ん……」

 

「了解」

 

「……あ、ちょうちょー」

 

 約一名、気の抜けた返事。意識があらぬところへランデブーしているようだ。のぞみはそんな扶桑空軍ウィッチに近づくと、

 

「てい!」

 

「はっ! 私は何を……」

 

 のぞみにチョップを叩き込まれたひとみが我に返った。

 

「加賀に行くよ! ネウロイだ!」

 

「は、はいっ!」

 

 駆け出す四人。警報を聞いて四方八方へと逃げ惑う香港市民たちの間をすり抜けるようにして、全速力で港湾へと向かう。

 この時、ひとみは気づくべきだった。自分が今、どんな格好なのかを。だがネウロイという単語を聞いてそんなことは頭の中から吹き飛んでしまっていたのだ。

 

 

 後にひとみは語る。

 

 

 あのとき気づいていれば、あんな思いはしなかったのに……。

 



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第十話 「ポジティブクライム~ひしょう~」前編

《確認されたのはフレスコA型21機。石崗(せっこう)飛行場の部隊がスクランブルで上がっているが、こちらにも応援要請が出ている》

 

 街中からのひとみたちを回収するべくやってきた軍用のピックアップトラック。なに言ってるのかは分からなかったけれどのぞみ曰く「加賀」まで連れて行ってくれるらしい。その荷台で石川大佐からの報告を聞く。無線機越しの大佐の声は少し雑音が混じっていて、それを聞いた夢華の顔が一瞬曇った。

 

「石崗の殲撃(チエンチー)六型じゃフレスコA型なんてとても耐えられたもんじゃねーです!」

 

 夢華はそう言いきって、上空を見る。晴れた空に飛行機雲(コントレール)が曳かれる。それを見た夢華が歯ぎしりをした。

 

「恵州の26は!? 汕頭の27は!?」

 

《恵州の第26航空戦隊が沖合に展開して迎撃中だが、すでに防衛線が割られそうだ。汕頭の第27航空戦隊も今応援部隊の展開用意中だが、領土奪還作戦用の対地装備からの換装に時間がかかる、応援到着予定ネクスト23》

 

 流れるように戦局を伝える石川大佐の無線。空の飛行機雲といい、大変なことになっているようだ。

 

「あと45分もかかったら全滅しやがります! あぁもう、肝心な時に使えないなあいつらっ!」

 

「あんたの祖国でしょーが、ぼやいても仕方ないでしょ。石川大佐!」

 

 運転室にもたれかかるように座っていたのぞみがそう言って無線チャンネルに割り込んだ。

 

《なんだ? 大村准尉》

 

「私と米川のライトニング、出撃用意は?」

 

《両機とも飛行甲板に上がっている。両機とも機動戦を想定し、増槽も外部懸架のミサイルもなしのクリーン状態、大村機は暖機を開始している》

 

「米川の分のオスプレイへの積載は待ってください。オスプレイで上げてる時間はありません。私が無理矢理上空に放り投げます」

 

《……分かった。許可する。米川機の発艦用意を開始する。二人ともすぐに飛べるな?》

 

「大村米川両准尉、飛行用意万全であります!」

 

「えぇっ!?」

 

 ひとみが自分の服を押さえて素っ頓狂な声を上げた。それを睨むのぞみ。

 

「なによ?」

 

「き、着替える時間は……」

 

「あるわけないでしょ」

 

 一刀両断。

 

 せめてズボンだけでもなんとかしたかったが、それすら許されないような勢いで否定される。裾を軽く引っ張ってせめて見えにくいようにしておきたいのに……というかこの服、スカートの横のスリットが深すぎるのである。ウェストのあたりまで切れ込んでいるし、ズボンは空軍手帳と一緒に強奪されたままのせいで、ドレス以外なにも身につけていない状況なのだ。

 

「そ、そんなぁ……」

 

 車の荷台に巻き込む風だけでも腰から下がスースーして仕方がない。裾を股の下で止められれば少しは気が楽なのにと思えども、こういうときに限って誰も持っていない。

 

 万事休すである。

 

「ま、空色のチャイナドレスだし、対空迷彩の代わりになるでしょ。割り切れ」

 

「うぅ……せ、せめて安全ピンでもあれば……」

 

 そう言って目をショボショボさせるひとみにコ―ニャが自分のズボンに手を掛けながら首を傾げた。

 

「私の、履く……?」

 

「ポリゴンメッシュ中尉とあんたじゃ体型違いすぎるでしょ。ずり落ちるわよ」

 

「Покрышкин……でも、たしかに……」

 

「うぅ、どうせわたしはちびだけどぉ……」

 

 ひとみの精神がガリガリと削られる中、ピックアップトラックは急旋回。軍用埠頭に向かう大通りに躍り出た。一気に加速。回転灯を鮮やかな赤に輝かせながら、片側三車線の中央をかっ飛ばす。

 

「あぁもう、うじうじしない! とりあえず203空から上がれるのは私と米川だけなんだからしゃんとする!」

 

「え、コ―ニャちゃんは……?」

 

「護衛が付けられない状況下で電子索敵機が今上がってやることある? コ―ニャの固有魔法なら加賀からの情報支援で十二分」

 

「あたしを忘れてんじゃねーですよっ!」

 

 かみつく様にのぞみの後ろから乗り出してきたのは夢華だ。

 

「なに言ってんのゆめか。あんたのミラージュはぶっ壊れてるでしょうが、機体がないのにどうやって飛ぶ気よ」

 

「ミラージュの一機や二機置いてねーんですか」

 

「扶桑はイーグル(F-15)バイパーゼロ(F-2)に時々ファントム(F-4)! それに加賀(うち)に積んでるのはライトニング(F-35)! ロートルミラージュなんておいてないっ!」

 

「つ、使えねー……!」

 

「壊したあんたが悪いっ!」

 

 風切り音に負けないように大声で話しているとノンストップで軍の検問を突っ切る。軍の管理区画に入った。埠頭は目の前だ。後輪を盛大に振り回しながら岸壁沿いに出た。木造の倉庫が並ぶ埠頭に最新鋭の強襲揚陸艦である加賀が横づけされているのはかなりシュールだ。

 

 トラックは盛大にブレーキ音を響かせながら船に繋がるタラップの目の前で急停止した。止まりきる前にのぞみが飛び出した。

 

「米川ついて来い!」

 

「は、はいっ!」

 

 ひとみも追いかけるように飛び出して、ひらひらと捲りあがる裾を慌てて押さえてそのままタラップに向かう。

 

「……いくよ」

 

 コ―ニャがトラックから降りて夢華に手を伸ばした。夢華はその手を取らずに荷台から飛び降りた。

 

「先に行ってろです」

 

 その言葉で、コーニャは動きを止める。

 

「……何する気?」

 

 夢華はそれに答えず倉庫の方をじっと見た。それを見て何かを察したのかコ―ニャが歩き出す。

 

「……手伝う」

 

「はぁ? なに言ってんですか、あんたの協力なくたって……」

 

「扶桑語、読めるの?」

 

「……ある程度は読めるに決まってるです」

 

「強がり……手伝う」

 

 そう言ってじっと夢華を見るコ―ニャ。視線がしばらく交差していたが、先に耐えられなくなったのは夢華だ。

 

「……あーもう勝手にするですよ!」

 

 夢華はそう言ってズカズカと倉庫の方に向かう。コ―ニャはそれに黙ってついて行った。

 

 

 

 

 

 

 

「ヒトミンその恰好なにっ?」

 

「もう言わないでくださいっ!」

 

 明らか笑いをこらえている機付長(ユニットディレクター)の加藤中尉に開口一番そう言われ、ひとみは半分やけになりながらそう言って、飛行甲板を駆ける。艶消しグレーに塗られたユニットハンガーに駆け上がった。普段はオスプレイに横向きに積まれるから普通に立った状態でストライカーを始動するのは久しぶりだ。隣ではもうのぞみがユニットに足を通して高速で用意を進めている。

 

 ユニットハンガーの両脇に立った男の人がひとみの方に手を伸ばす。ストライカーユニットに向けて飛び込むひとみの両腕を取って彼女を支えた。つま先がユニットに吸い込まれると同時に青い魔法反応光が弾ける。背中と頭にむず痒いような感覚が走る。使い魔の尾と耳が生えるときの感覚はどこかぞくぞくする。ナキウサギの耳と尻尾はあまり目立たないが、それでもやっぱりぞくぞくするのだ。

 

 加藤中尉が差し出したマルチバイザーを受けとって掛ける。宙返りしても落ちないようにするための固定バンドがあるのだが、それを付けるのは男の人がやってくれた。

 

「プリエンジンスタートチェックリスト! スターターオン!」

 

「スターターオン、コンプレッサーグリーンライト!」

 

 ひとみが離陸前確認手順の開始を宣言、それに合わせて飛行脚管理員(ユニットハンガーオペレーター)がエンジンスターターを始動させた。外部電力の供給が開始され、F-35AライトニングⅡの一部機能が息を吹き返す。規定出力まで達していないことを示す黄色いランプが点灯しているのを確認して、ひとみはバイザーに出力される数値やアイコンを確認していく。

 

「スロットル・ミニマム、エーテル・カットオフ、Vmaxセレクタ・オフ、IFF・オフ、VHF・オフ……」

 

 声に出して確認していく間にも赤いベストの武装管理官(ファイア・オードナンス・クルー)弾薬槽(ウェポンベイ)に格納される対空ミサイルの安全ピンを引き抜き安全ピンにデカデカとついている赤いフラッグを振って見せる。これでマスターアームを入れて撃てと命じるだけでミサイルを撃てるようになった。

 

 電子音、スターターがエンジンを回すための規定トルクを叩きだしたことを告げる。火災警報装置試験(ファイア・ワーニング・テスト)実施。主警報表示(マスターコーション)が瞬いて消える。

 

「プリエンジンスタートチェックリスト・コンプリート! スタートNo.2! レディ!」

 

 地上での魔導エンジンの始動は右の飛行脚にある第二エンジンからだ。作業員が全員安全距離まで下がり何にも触れていないことを示すため両手を顔を高さまで掲げた。加藤中尉が頷いて、それに合わせて魔力を送り込む。足元に飛行用の魔法陣が現れ、輝きを放つ。出力計の数値が跳ね上がってから落ち着く。アイドル出力まで絞ってから外部電源から切り替え、スターターや外部電源から飛行脚を切り離す。

 

「ウェポンベイ・クローズ……フライトアシストコンピュータ(F A C)・システムアクティベート!」

 

 航法装置などを一手に司るコンピュータが正常起動した。それを受けて各種無線や電波航法装置が一斉に自律待機(アライン)に切り替わる。INS航法装置が緯度経度入力を求めてくる。緑色のベストを着た男の人がボードを掲げる。22°32’00”N-114°19’66”E、北緯22度32分00秒、東経144度19分66秒を入力。くるりとそのボードがひっくり返されて現れたのは離陸重量の確認だ。……一致するのを確認して複雑な気分のまま頷く。ストライカーユニットの重量はわかっているわけだから、搭乗者の体重が甲板員全員に赤裸々大公開である。

 

 非常用のサバイバルキット等が入ったウェストポーチが腰に回される。それをつけてもらっている間に加藤中尉が真面目な面持ちで駆け寄ってくる。

 

「ドレスの裾吸い込まれたら困るから上で止めるよ」

 

「えぇっ!?」

 

 加藤中尉はひとみの前でかがみこんで手早くチャイナドレスの裾を三つ折りにするように畳むと安全ピンを通して固定した。

 

「ちょ、ちょっと短くないですかっ!?」

 

「これ以上長いとインテークに絡まるかもしれないから却下。ストールして墜落したら恥ずかしいじゃ済まないよ」

 

「そ、そんなぁ……!」

 

 前垂れと後ろ身の布が膝上15センチ程の長さにされてしまう。安全ピンが飛行中に当たらないようにしっかり布に入れ込んでくれるのはありがたいが、身体的よりも精神的にダメージが大きすぎる。これでは普通に歩いても見えそうだ。

 

「う、後ろと前繋ぐようにはで、できませんか……!」

 

「足の可動範囲制限するからダメ。実戦でしょ、恥は捨てなさい。生きて帰ることに集中する!」

 

「は、はいっ!」

 

 初めて加藤中尉に怒鳴られとっさにそう叫ぶように返事をした。それでもやっぱり気になって必死に裾を押さえようとするが、狙撃銃を渡されてしまえばそれもできなくなる。とりあえずは吊り紐でたすき掛けに銃を背負う。

 

「す、スースーする……!」

 

 魔導エンジンの起こすエーテルと空気の混合気が服や髪を持ち上げる。いつもの薄い布地でどれだけ守られてきたかを知る。

 

《あぁもううっさい! あんたがズボン無くすのがいけないでしょーが!》

 

 無線のチェックも兼ねてだろうが、のぞみが隊内無線でそう怒鳴られる。とっさに肩を竦める。ひとみも無線で返す。

 

「だってこんなことになるなんて思ってなかったんです……!」

 

《常在戦場!》

 

 そう叩きつけられると同時に無線のチャンネルを切り替えたようだ。

 

《KATE-FLIGHT Checked-in》

 

 編隊長を務めるのぞみが代表して管制にコンタクト。大村機の支援クルーは既に後退。手には64式小銃、腰には銃剣を下げた装備のぞみは既にフライトの準備を終えていた。飛行承認を要求。それに間髪入れずに加賀の発艦管制所(プライフライ)が指示を飛ばす。

 

《KITE-FLIGHT, KAGA-PRIFLY. Clearance》

 

《Go ahead》

 

《KITE-FLIGHT. After launch , heading 1-7-9, angel 6, Contact, STRIKE Channel5. Read back》

 

 飛行承認がきた。加賀発艦後、機種方位179度に向け6000フィートまで上昇、無線チャンネル5で要撃(ストライク)管制にコンタクト。管制管が復唱を求めてきた。のぞみが代表して返答。

 

《KAGA-PRIFLY. After launch, heading 1-7-9, angel 6, Contact, STRIKE Channel5》

 

《Read back is CORRECT. Cleard to launch aircrafts, wind 0-3-5 at 1. Good luck, KAGA-PRIFLY》

 

《Rojer, KITE1》

 

「ツー」

 

 無線に答えると同時に加藤中尉が肩を叩いて距離をとった。先にのぞみが空に上がった。真上にではなく、短く滑走してから上昇する。香港の街並みを横切るように上昇し左に傾いて方向を変えた。

 

《米川! 後ろからかっさらうから用意!》

 

「分かりました!」

 

 魔力を込める量を増やす。出力が上がったためにユニットを挟みこんでいるハンガーが軋んだ。のぞみが視界から消えて背中側にストライカーユニットの甲高い音が移った。米川機を担当するクルーがユニットから一斉に離れていく。加藤中尉に合わせて敬礼を送ってくれた。答礼を返してからユニットのロックを解除。ふわりと宙に浮く感覚を覚えてから一瞬振り返った。

 

《来い! 米川!》

 

 のぞみの合図に合わせて、出力のセレクタをVmaxモードにいれる。いきなりエンジンが最大出力を叩きだす。強烈な加速度に体が軋む。あっという間に目の前に加賀の舳先が迫ってくる。両手を真上に振り上げてその勢いで少しだけ体を持ち上げた。その両手を――――のぞみが捕まえた。

 

「オーグメンター!」

 

 足元に緑色のような海面が見える。それを突き放すようにオーグメンターを吹かす。斜め上に上昇して、高度計が跳ね上がった。500フィートを超えたあたりでのぞみがひとみを突き放す。軽くよろめきながらも、なんとか安定飛行に移った。オーグメンターオフ。

 

「無事発艦おめでとう、ヘディングワンセブンナイナー。指定高度まで上昇するよ!」

 

「はいっ!」

 

 そう言ってエンジン出力を上げようとしたその時、足元で盛大に土埃が立った。

 

「へっ!?」

 

「何っ!?」

 

 加賀の斜め後ろに立っている木造の倉庫が盛大に音を立てて潰れようとしていた。青い屋根がメキメキ音を立てながら崩れていく。

 

「ネウロイっ!?」

 

「まだ到達してないし、ビームも飛んでない!」

 

 のぞみが最悪の可能性を否定して目を凝らした。土煙の中から海の方に真一文字に何かの影が飛び出した。

 

「あれって……!」

 

 海の上で一度ピタリと停止するとそのまま真上に無理矢理に方向を変えた。耳に残るエンジンノイズが飛び込んできて目を疑った。

 

「もんふぁちゃん!?」

 

「ゆめか何してんの! というよりなんで扶桑イーグル(F-15F)使えてるの!?」

 

 扶桑を示す赤三日月紋が輝くF-15を振り回しながら夢華が合流した。扶桑海軍のセーラー襟の制服、その腰回りには、武骨なベルトが巻かれ、レモンのような形の手榴弾を幾つも括り付けていた。拳銃を携帯しているらしく、ホルスターも後ろに吊られていた。

 

「モンファだって何度言わせんなです。あとストライカーユニットなんて基本は同じじゃねーですか、上下左右に飛んでエンジンの強い弱いが付けられればいい」

 

「確かにF-15の魔導エンジンなら理論上ではエンジン出力だけで上昇できるけど……なんつーでたらめな……」

 

 のぞみが呆れたタイミングで部隊無線に入感。響くのは石川大佐の怒声だ。

 

《高少尉! お前何をしている!?》

 

「こんな非常時に使えるストライカー遊ばせとくのは無駄すぎんです。香港を守らねーとどうにもならない」

 

 そういうと夢華は背負っていた華僑民国製らしい銃を手に取る。ひとみの狙撃銃と同じような短い銃だった。

 

《飛行者登録はどうした!? セキュリティは!?》

 

《……私が、解除した》

 

《ポクルイシュキン中尉……!》

 

 無線に割り込んだ声に石川大佐が苦々しそうな声を上げた。

 

《香港の人口は340万人、守り切るには、数が必要。それに……夢華を飛ばしてはいけないとは、言われてない……》

 

《……だとしても危険すぎる。高少尉のF-15飛行経験は?》

 

「ない決まってんじゃねーですか」

 

《無茶だ! 慣れてない飛行脚での戦闘は……》

 

「その無茶を押し通すのが華僑流ってもんです」

 

 右手の人差し指を槓桿に引っかけて初弾を薬室に送り込む夢華。

 

《……接近警報、数18、1-7-9より高速接近中、香港が射程に入るまで、あと9分》

 

 コ―ニャが急かすようにそう言った。無線に小さく石川大佐の悪態が乗った。

 

《高少尉、スコーク2034、カイトフライト三番機、作戦行動を許可する》

 

是的(シディ)女士(ニゥシー)!」

 

 夢華はそう返し、加速する。のぞみが追いかけるようにエンジンを吹かした。ひとみも慌てて追いかける。

 

「ゆめか! あんた勝手にどこ行く気!?」

 

「ネウロイぶっ叩くに決まってんじゃないですか」

 

 なにを当然のことをと言いたげな彼女の答えにのぞみのいらだった声が答える。

 

「だからって先走られるのは困るって! カイトフライトのフライトリーダーは私! 従ってもらうわよ!」

 

「准尉が少尉に偉そうな口をきいてんじゃないですよ」

 

 ぴしゃりと言い捨て、夢華はじわじわと加速する。速度が上下しているのは、ユニットの具合を確かめているのだろうか。

 

「どうせ3人で18機も相手にすることになりやがります。防衛線を作ることすらできねーのに連携も何もねーですよ。寄って撃って壊して次」

 

「だからって勝手に先走られると困るの! 米川が!」

 

「わたしですかっ!?」

 

「遠距離型でしょ、どうやってサポートする気よ?」

 

 加速しながらもせめてスカートを押さえて飛んでいたひとみだったが名前を呼ばれて視線をずらした、のぞみはかなり焦ったような表情をしている。

 

「端から誰かの支援なんて期待してねーです。生き残るときは生き残るし、死ぬときは死ぬ。足を引っ張られるのも引っ張るのもイヤなんで勝手にやりやがってください」

 

 その言いぐさに明らかムッとするのぞみだったが、ひとみは怒りよりもどこかかなしさを感じていた。モンファの後ろ姿を見ていると、その向こうで何かが瞬いた。

 

「話は終わりですだよ。――――ネウロイ目視、エンゲージ」

 

「あっこらっ! あぁもう、勝手に死なれちゃ困るのはコッチだっての! ひとみは高度取って相手の頭を押さえて全体把握! カイトスリーの支援を開始! カイトフライト・エンゲージング!」

 

「ツー!」

 

 ひとみはオーグメンターを使って加速し、速度を上げた。頭を一気に持ち上げ、上昇。高度計がぐんぐん跳ね上がった。

 

 足元を見るとくらくらとするほど高い。足元にはいくつもの島々が見える。小さく屋根も見える。人が住んでいるのだ。

 

「守らなきゃ。わたしたちが、守るんだ」

 

 セーフティオフ。ワルサーWA2000を構える。スコープを覗き込んで、一度深呼吸、上がっている心拍数を少しでも落ち着けないと。

 

「すー……はー……」

 

 スコープを覗いていない左目で大体のネウロイの居場所を掴み、右目で覗いたスコープで拡大する。三角定規が飛んでるような形の小型のネウロイが何機も飛んでいる。

 

「当てられる……はず!」

 

 魔法陣を展開。何となく音が遠のいた気がした。照準表示(レティクル)に影をピタリと合わせ、ゆっくりと引金を引いた。

 

「……っ!」

 

 撃鉄が落ちた時の衝撃で一瞬ライフルが跳ね上がる。それでもなんとか撃った相手をスコープの中に捕らえ続け、それが白い結晶となって弾け飛んだことを知る。

 

「まずは、一機……!」

 

 WA2000は自動式狙撃銃(オートマチック・スナイパー・ライフル)だ。引金を引いた次の瞬間にはすでに次弾が薬室に叩き込まれている。反動を殺しきって構え直したタイミング、無線が飛び込んでくる。

 

《勝手についてきてんじゃねぇ馬鹿っ!》

 

《勝手にやれってゆめかが言ったから勝手に支援してんのよなんか文句あっか!》

 

《文句しかねーですっ! モンファつってんでしょ! FOX2!》

 

 夢華の声が響くと同時に、彼女が先頭のネウロイを散らした。矢じりのような形で飛び込んできたネウロイが陣形を崩す。各個撃破の体制に持ち込んで、夢華が動いた。

 

 ハーフロールを打って背面飛行に入ったのもつかの間、そのまま一気に高度を落とす。エンジン全開のパワーダイブだ。その先にはネウロイの姿がある。

 

 細かく引金を引くように小銃を制御してネウロイはあっという間に灰となってしまう。その白い灰が風と重力で落ちるより早く、夢華はその間を突っ切った。白い光の束を衝撃波で散らして、引き起こし、海面近くを高速で飛びぬける。

 

 ひとみはそれをなぜか綺麗だと思った。

 

《あの馬鹿……あんな低高度まで降りてどうするつもりだっ! 米川! アイツの上のネウロイ狙って! あの高度じゃ狙い撃ちされる!》

 

「はいっ!」

 

 咄嗟に返事を返してWA2000を構え直した。照準線にネウロイを捕らえる。下向きにレーザーを撃ち散らしているのはおそらく夢華を狙っているから。息をいっぱいに吸って、少し吐く。そして引金を引く。その刹那。

 

「っ!?」

 

 扶桑海軍のセーラー襟がレンズの端を過ぎった。それに気が付いた時にはもう撃鉄が落ちている。白く輝いてネウロイが消えるのを尻目に慌ててスコープから目線を外した。

 

「もんふぁちゃんっ!?」

 

《支援なんていらないって言ってやがるのきいてねーんですか》

 

 そう言う夢華の声は上昇時のGのせいなのか少し声がきつそうだ。そんな彼女をネウロイが3機追いかけていく。慌ててそちらに銃を振ろうとした時、ひとみの真横にビームが走って慌てて飛び退いた。ロールを打って高度と引き換えに加速。慌てて銃を構えながら、振り返るように急制動。その衝撃で息を詰まらせながらもなんとか狙いをつける。追いかけてきたネウロイの真正面を何とか撃ち抜いた。コアが見えた。それでもネウロイは消えない。

 

「っ……!」

 

 再度照準。その間にも追ってきたネウロイが赤い光を纏い始めた。撃たれる。シールド展開。間に合え!

 

 そう思ってシールドを展開したが衝撃は飛んでこない。怖さに閉じていた目をそろりと開けるとネウロイのコアを銃剣で突き刺したのぞみの姿が見えた、直後ネウロイは爆裂。光の粒に変換される。

 

「支援だけにかまけてないでちゃんと回りを見る! でないと他のネウロイの侵攻に置いてかれるよ!」

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

「謝ってる余裕あるならちゃんと見る! ゆめかが先走ってるからとりあえず追いかけて相手の侵攻を阻止! 香港市街に入るまでに片付けるよ! あんたもその恰好で市街地戦やりたくないでしょ!」

 

 そう言われ顔を赤くするものぞみはそんな彼女を待ってはくれない。必死に忘れようとしていたことを思い出してしまう。とたんに足の付け根のあたりの解放感を意識してしまい頬が赤くなるのを感じる。

 

「ほら行くよ!」

 

「まっ、待ってくださいよぅ!」

 

 ひとみが慌ててのぞみをおいかける。ネウロイの群れが放つビームが空をまばらに染めるなか、ひとみも速度を上げた。

 

 

 

 

 ストライカーユニットの操作は簡単なようで煩雑だとよく言われるが、夢華はそうだとは思ってなかった。少なくともそんな難しいことを戦闘でやる余裕はないはずで、コントロールは至極簡単にできなければいけない。というよりも、至極簡単だからこそ、空を飛んで戦えるはずなのだ。

 

 だからこそ、そんな簡単なことが出来ない人間は、空を飛ぶ資格はない。幸いにも夢華はその資格がある人間だった。

 

「……とりあえず生き残らなきゃいけねーんですけどね」

 

 そうぼやきながらハーフロール。左頬のすぐ横をレーザーが霞める。掠めただけで熱湯を引っかけたような熱さを感じる。高温の粒子状の何かをぶっ飛ばしてるとも光学レーザーの強力版らしいとも聞くが、夢華にとってその正体はどうでもいい。どちらにしても当たれば死ぬものには変わりなく、その正体がなんであれ当たらなければいいだけだ。

 

 ハーフロールの頂点、天地が入れ替わる。海面側に発砲。真下に見えた敵が白く光って消えたことを確認。撃破。

 

「残り12!」

 

 観光気分の扶桑人二人は置いてきた。12対1は絶望的かもしれないが、足を引っ張られる12対3よりは幾分マシだ。

 

 やることは単純、相手の頭を押さえて、引金を引くだけ。それでいいのだ。それ以外のことは必要ない。

 

 背面飛行のまま引き起こし。上下が反転したままの姿勢だから一気に頭から突っ込む形になる。初めて使った扶桑イーグル(F-15F)だが、これはいい。ミラージュよりもパワーがあって頑丈なのがわかる。魔力を一定に保ったまま緩降下。重力も使って加速。アンロード加速と言うらしいが名前などどうでもいい。これが速度が出やすいのだからやるだけだ。

 

 真正面に向けて放った小銃弾が編隊の先頭をゆくネウロイを散らした。相手が散開。こちらも引き起こし、水平飛行(レベルオフ)。相手よりも高度をとった状態で真下に打ち下ろす。また一機撃破。今日は機嫌がいい。軽快に落としていこうか。

 

 腰に差していた手榴弾の安全ピンを左手で引き抜いた。バネの力で安全レバーをベルトに残したまま放り投げられる破片手榴弾(フラグメンテーション)。夢華はそれを()()()()()()()()()()()()。それは過たず夢華が予想したルート通りに宙を飛び、ネウロイたちの只中で爆裂する。

 

「もらったぁ!」

 

 使用した破片手榴弾はそれ単体で撃破できるほど威力はない。それでも至近距離で爆裂すれば、装甲の一つや二つは削れる。そしてそこに小銃弾を叩き込めば、ある程度楽に撃破できる。しかし普通ならば、手榴弾を空を飛び回るネウロイに当てられるかの方が問題になるのだが、夢華についてはそこについてはクリアできていた。

 

 固有魔法。

 

 夢華が眺めた『数秒先の未来の可能性』をなぞるようにして、物事が動いていく。これがあるから生き残ることが出来、これがあるから、華僑空軍の高夢華少尉は軍人たりえたのだ。

 

「高々ネウロイ程度が香港を落とそうなんて100年はえーんですよ」

 

 そう嘯いて、加速。見込み通りに夢華の横をビームが抜ける。それを避ける動きのままバレルロール。高度を落としてネウロイの前に出る。緩やかに降下しながら加速。これが一番加速しやすい。そしてネウロイの前に出た。オーグメンター、オン。急加速。ネウロイが追ってくる。

 

「食いつきやがりましたね」

 

 適当に後方に弾をばら撒きながら海面スレスレまで降りる。F-15の加速ならネウロイも追いすがることはできても、追い抜くことはできないらしい。そもそも空中戦で追い抜くことに意味はあまりない。追いかける方が攻め、追いかけられるのは守りなのだ。

 

「なら交代させりゃーいーんでしょう」

 

 一瞬頭をあげて急減速。同時に小銃の銃床を脇の下に挟んで真上に向けた。ネウロイが頭のすぐ上を飛び越えるのを見越して引金を引く。フルオートで引きっぱなしにした引金のせいで絶え間なく飛び出す小銃の弾がネウロイに穴をあけていく。小銃の消炎器(フラッシュハイダー)がネウロイに接触して火花を上げそうなほどの至近距離なら狙いも何もない。強烈な反動を感じながら推力を真上に向ける。白い破片の中を真上に飛んだ。エンジン出力に物を言わせて無理矢理加速して、高度を上げていく。急激な速度の変更で翼端から雲を引く。

 

 ビームが夢華を撃ち落とさんとやってくる。もう目の前には香港の街が見えていた。ここで勝負を仕掛けなければ、市街地上空での戦いになってしまう。

 

 上昇、上昇、上昇。背後にはネウロイが三機。ビームが夢華を何度も追い抜いていく。だがその機動はすべて()()()()()()()()()

 

 高度6000フィート。十分に高度を稼いだ。ネウロイ側もそろそろ必殺の間合いに入っただろう。

 

「……せいっ!」

 

 一気に魔法力を絞り、出力をアイドルへ。フラップとスタビレーターをめい一杯上げ切る。空気の流れが剥離して、足に強い振動を与えた。失速警報を無視。速度が一気に失われ、引いてきた雲が弾け飛んだ。

 

 ネウロイに感情があるなら驚いただろうか。

 

 そんなことを考えながら夢華は一瞬の無重力感を感じて、ゆっくりと体を反らした。空を前面に仰ぐような形。背中から海に向けて落ちるように重力に引かれ降下する。その目の前を……ネウロイが飛びぬけた。

 

 撃破。

 

 体を振って頭を下に。ストライカーの翼が気流を捕らえ、身体を安定させる。出力増加。加速。

 

 夢華を追ってくるネウロイも慌てて反転して降りてこようとするが、それより早く夢華は低空で背面飛行に入った。反転しようと腹を見せているネウロイに銃を向けて、引金を引く。距離があるとどうしても弾数が増えるが、それで撃破できれば問題ない。弾倉一つ空にして、撃破。ロールを打って通常飛行に。

 

 古い弾倉を海面に落とし、新しいものを叩き込む。後で上官に回収しておけと小言を言われるかもとは思ったが、優先するべきは撃破だ。丁度横にネウロイのビームが振ってきたし驚いて取り落としたということにしておこう。

 

 再加速。高度を滑らかに上げつつ、開けっ放し(ホールドオープン)になっていたボルトを前に戻す。ネウロイのビームを背後に残して、加速。

 

「手ごたえねーですね……」

 

 時速三桁キロの世界では遠くに見えていた香港のビル群もあっという間に近づいて来てしまう。上昇の動きに変えて少しでも距離を稼いでおく。レーダーを信じるなら後6機。これなら十分間に合うだろう。

 

 追いかけてきたネウロイとの距離を意図的に詰める。そして重力を活用してふわりと減速。夢華の魔法はそうすれば真上をネウロイが飛び越えていくことを示していた。

 

 

 

 その、はずだったのだ。

 

 

 

「……っ!?」

 

 虚空を弾丸の列が通過する。相手がいない。目の端で赤い光が停滞しているのを認める。

 

―――――読み間違えたってんですか……っ!?

 

 夢華の魔法は『数秒先の未来の可能性』を提示するものだ。だが、運命論的にすべての確定した未来を示すものではない。未来はとても流動的であり、遠い未来になればなるほど様々な可能性が関わってくるせいで、はっきりとはみえなくなる。すなわち、こう動く可能性が高いというものを示すだけに過ぎないのである。そして夢華はたくさんの取り得る未来の中から経験に裏打ちされた直感で選択し、行動している。

 

 だから、夢華が見た『未来の可能性』から外れることは、多くはないにしても、ありえる。たとえそれが3秒先の未来だったとしても、だ。

 

 シールドを張るべきか、避けるべきか、迷った。その刹那が仇となる。

 

 ネウロイが笑っているようにすら見えた。その光線が放たれようとしている。反射的にシールドを張ろうと手を伸ばす。しばらくシールドを張ったことがなかったせいか自分でも展開がひどく遅く感じる。

 

 そして次の瞬間、そのネウロイが真っ二つに切り裂かれる。夢華の頬を掠めるようにして高熱のビームが駆け抜けた。その痛みにとっさに目を閉じると次の瞬間に前につんのめる。

 

「アンタ馬鹿!? 勝手に突っ込んでおいて勝手に死にかけるとか何様のつもりだっ?」

 

 真正面からぶつけられた怒声に目を開ける。左手で夢華の胸倉を掴んで引き寄せたのぞみがものすごい形相で睨んでいた。『それをのぞみが言う?』というコ―ニャの無線は黙殺して続ける。

 

「階級で上だろうが国が違おうが、あんたは今カイトフライトの三番機だ。私が一番機である限り、あんたには勝手に死ぬ権利なんて一切ないこと覚えてろ! (ガオ)夢華(モンファ)!」

 

 右手に銃剣付きの小銃を下げるその手は本当に怒りで震えていた。

 

「あんたが何抱えてるかは知らないし知りたくもないし聞かないけどさ、感情論だけで動くな!」

 

 それだけ言ってのぞみが夢華を突き放した。その間をネウロイのビームが横切った。反射的に銃をそちらに振り上げると、それより早くネウロイが吹っ飛んだ。

 

「サンキュ、米川。……あんたが思ってるより扶桑皇国軍はヤワじゃない、舐めるな」

 

 のぞみがそう言ってエンジンを吹かす。それを追いかける夢華。

 

「あんた、ウィングマンの経験は?」

 

「ねーですよ」

 

「ならしゃーない。じゃぁ好きに喰いな前衛隊員(ポイントマン)。背中は私が固めてやるから」

 

「……横取りは許さねーですからね」

 

「共同撃墜ならいいわけだ」

 

 鼻を鳴らしてそれに答える夢華。増速。あと四機を落とさねばならない。もう香港の摩天楼は目前。急いで追いつかんと前に飛ぶ。

 

「ゆめか、あんたはどうしたいよ?」

 

「モンファっつってんでしょ。……大村(ダーツォン)、シールドは得意でやがりますか」

 

()()()()だ。少なくとも人並みには張れるけど?」

 

「なら先回りしてとおせんぼしやがれください」

 

「りょーかい。街を直接守ればいいのね?」

 

「まぁ出番がないようにあたしが落とすので問題ねーんですけどね」

 

「強がりは結構。かっちり守ってやるから心配しなさんな。米川! 聞いてたわね?」

 

《はいっ!》

 

「あんたは上空からバックアップ。乱戦おっぱじめる気の夢華を遠距離から守ってやって」

 

《わかりました!》

 

 ひとみの声を無線越しに聞いたのぞみが頷いてネウロイの真上を飛び越えていく。適当に機銃弾をばら撒いていき、ネウロイの気を引きながら乗り越えて行くのぞみを尻目に夢華は高度を取る。この合間に少しでもいい場所を締めておきたい。

 

米川(ミーチュアン)、あたしが指示出したら左翼の後ろのやつ落としやがって」

 

《ミーちゃんって私……?》

 

「ほかに誰がいんですか。じゃ、任せるですだよ」

 

 そう無線に投げてから相手の真上を取る。夢華の視線の先ではのぞみが上手いこと眼下に広がる香港を守っていた。のぞみ自身が高度を上げることでビームの流れ弾が街にいかないようにする腹積もりだろう。

 

「……たく、誰かと戦うのは性にあわねーんですよ」

 

 そうぼやきながらも、彼女はその場でコンパクトにハーフロール。降下、開始。

 

「狙撃!」

 

 無線に叫んでからワンテンポ遅れて左端のネウロイが砕けて消えた。断末魔のようなネウロイが砕ける音を聞きながら夢華は小銃の引金を引いた。右翼の端にいるやつを粉にしてから下に飛びぬける。海面スレスレまで飛び込んで速度を上げた。新しい弾倉を叩き込む。

 

「左はくれてやります」

 

「はいよ」

 

 夢華が体を引き起こすと、のぞみが左手一本で張ったシールドでビームを受け止めていた。その横をすり抜ける。

 

 刹那の間、目があった。

 

 のぞみが追い付いてくる。銃剣付きの64式小銃を腰だめに構えるのを横目に、夢華は95式自動歩槍を構えた。

 

「おりゃああああああ!」

「とっか―――――ん!」

 

 真正面からネウロイと交差して。

 

 その背後で最後のネウロイが塵と消えた。

 



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第十話 「ポジティブクライム~ひしょう~」後編

「ふー、終わった終わったー」

 

 のぞみがそう言って伸びをした。夢華はどこかぶすっと膨れている。

 

「街への被害は皆無。避難等で経済的損失が上がった以外、被害は出てないみたいだけどさ、なーんでゆめかちゃんはそんな不満そうなの」

 

「モンファだって言ってやがんです。それに別に不満なんてねーですよ」

 

「面白くない顔してるけど?」

 

「元がブサイクだからじゃねーですか?」

 

 夢華は主装備の95式自動歩槍を釣り紐(スリング)で担ぎながら軽く流すようにそう言った。

 

「いーや、違うねゆめか」

 

「だからモンファ!」

 

「あんた黙ってればふつうに美少女で通るんだし不細工ってことはないでしょ」

 

 口にはしないがどこか見透かされているようで、痛い。夢華は黙ったままゆるゆると加賀に向かう。

 

「……ま、いいけどさ」

 

 肩を竦めたのぞみが空を仰いだ。手でメガホンを作ってそっちに叫ぶ。

 

「よーねーかーわー! 帰るよー! 降りてらっしゃーい!」

 

「無線ならわざわざ叫ばなくてもいーでしょうに……」

 

 夢華がうるさそうに魔導ヘッドセットを押さえている。骨伝導イヤフォンだから耳を押さえたところでいやでも耳に入るのだ。

 

《降りなきゃ……だめ……ですよね……》

 

「なに? その恰好で魔力切れで墜落したい?」

 

《そっ……それはいやですけど……!》

 

「ま、わかるけどねー気持ちはさ。戦闘中も高度落とさなかったのってあれでしょ? 高度取ってれば下から見上げられてもわからないからでしょ?」

 

《わかってるならわざわざ指摘しないでくださいっ!》

 

 ひとみの必死な声にのぞみが笑いをかみ殺す。

 

《だって、こんなにミニじゃ……クシュン!》

 

「ほらほら、風邪ひくから早く降りといでー」

 

《うぅ……っ!》

 

 ひとみがゆっくりと高度を落としてくる。顔を赤くして短い丈の――というより無理矢理短くまとめた――空色のチャイナドレスの裾を精一杯下向きに押さえながら降りてくる。

 

「こんなんで真っ赤にしてたらこの後が怖いよー? なんせ加賀に着艦しなきゃいけないからねー」

 

《分かってます、けどぉ……!》

 

 ひとみはそう言っていやいやをするように顔を横に振った。これから進む先にはヴィクトリアハーバー、そしてそこに並ぶ摩天楼や歓楽街が見える。そのビクトリアハーバーのど真ん中にある軍用桟橋に加賀は停泊しているのだ。

 

「あ、あそこに降りなきゃいけないん……ですよね」

 

「ほかに一度降りても同じことよ?」

 

「繁華街の上を……飛ばなきゃ……ですよね……?」

 

「そうなるわね」

 

「なんでそんな面白そうな顔してるんですかのぞみ先輩っ!」

 

 そんなことないわよ、と口では言うものの、のぞみは至極楽しそうだった。夢華は溜息。

 

「そんな冗談してないでアプローチすんじゃねーんですか」

 

「そうねぇ、じゃぁ米川は腹くくろうな、プッシュチャンネル3」

 

「そんなぁ……」

 

 ひとみの不安げな言葉を無視してのぞみが無線のチャンネルを切り替えた。コンタクトするのはマーシャル管制だ。

 

「KAGA-MARSHALL. This is KITE-FLIGHT, 15 miles south of you. Request approach」

 

《KITE-FLIGHT, KAGA-MARSHALL. Rader contact. Your request is approved. CACE I RECOVERY. Decend and maintein angel 2 and start hold POINT-1》

 

「け、ケース・ワン・リカバリー……!」

 

 マーシャル管制からの指示はいつも通りの指示だ。2000フィートまで降下して高度を維持。空母の真上から反時計回りに長方形を描くように旋回しながら飛んで、着陸指示があるまで待機せよ。

 

 この指示に青ざめるのはひとみだ。待機パターンは空母の前後それぞれ2.5マイルに及ぶ大きな長方形を描くことになる。加賀は今ビクトリアハーバーの桟橋に係留されている。……つまり、どう考えてもビクトリアハーバーを挟んだ市街地の上空を行ったり来たりしなければならないことになる。

 

「ま、安全な降着の為だからしかたないね」

 

「わかってますよぅ……」

 

 ひとみがぼやくがそれに取り合わずのぞみが旋回の合図を出す。人差し指と中指を立て、二回振った。一番機から順番に編隊解除(ブレイク)。二秒間隔で旋回し、縦一列に並ぶように飛べという指示だ。二秒は短く聞こえるが、ジェットストライカーの速度があれば十分に安全な距離となる。

 

 のぞみが左旋回。ひとみが頭を振るようにして二秒数えてから同じ方向に角度を変えた。高度計が2000フィートを示すように緩やかに降下。あっという間にビクトリアハーバーに沿うような形で香港入りだ。

 

《KITE-FLIGHT, Contact KAGA-APPROACH, channel-1, KAGA-MARSHALL》

 

「KAGA-MARSHALL, Willco, Push channel-1, KITE-FLIGHT」

 

 のぞみの管制の受け答えを聞いて、ひとみも無線の周波数を切り替える。

 

 発艦も着艦もウィッチ一人を飛ばすだけで沢山の人が関わっているのを感じる。着艦に関わる航空管制だけでも、ストライク管制、マーシャル管制、アプローチ管制、LSOと4人は関わっている。

 

事前登録(プリセット)のチャンネル1、加賀のアプローチ管制だ。

 

「KAGA-APPROACH, KITE-FLIGHT, Now approaching POINT-1. Mother’s insite」

 

《KITE-FLIGHT, KAGA-APPROACH, Rader contact, Start hold from POINT1》

 

 加賀を目視したことをのぞみが伝えるとすぐに先ほどと別の人の声で指示が飛んでくる。やっぱり上空待機だ。ひとみは左手で裾を押さえながらのぞみに続いて右旋回。摩天楼の窓ガラスに青空が反射してきれいだ。加賀の2000フィート上空を飛びぬける。ポイント1通過。あとは長方形を描くように適宜左旋回を繰り返すだけだ。

 

「み、見えませんよね? 下から見えたりしませんよね?」

 

「後ろからは丸見えってんです」

 

「ひゃっ!?」

 

「あたしから見えたって別にどうってことねーじゃねーですか。女同士恥ずかしがっても埒が明かねぇってんですよ」

 

「で、でもぉ……」

 

 気になっているうちにのぞみが旋回。ひとみが慌てて追いかける。その様子を見ていられなくなったのか、部隊内無線が入感した。

 

《米川》

 

「石川大佐?」

 

 ひとみの名前を呼んだ石川大佐の声はいつもよりも優しい色で、それにどこか落ち着く。

 

《安心しろ、空では誰も見ていない》

 

 そう言われてそう思いこもうと自分に言い聞かせる。その思考にいきなり別の人の声が割り込んだ。

 

《だが私は見る》

 

「ひゃっ!?」

 

《霧堂貴様は黙れっ! ……妙な混信はあったが誰も見ていない。お前は安全に降りてくることに集中するんだ》

 

「りょ、了解……」

 

 とんでもなく微妙な無線に一応了解を返して、ひとみは溜息をついた。

 

「ま、そういうこともあるわね」

 

 のぞみが乾いた笑みを浮かべてまた左旋回。先ほどとは逆方向……香港島に向けて海峡を横切る方向に飛び始めた。直後無線が入感。

 

《KITE-1, KAGA-APPROACH, Clear to Land. After passing POINT-IV, decend flight level 06 to Point-3. KITE-2 and 3, maintain level and hold》

 

 まずはのぞみに着艦許可が下りた。ひとみと夢華は高度を維持して飛び続ける。待機経路の維持は二番機であるひとみに責任が移る。本格的に飛行に集中しないとまずい。ただでさえ着艦には危険が伴うのだ。

 

「……でも、気になるのは気になる……よね……」

 

 まさかこんな格好で襲撃したウィッチは自分ぐらいだと、ひとみは思う。

 

「ほら、うじうじしてないで飛びやがれです」

 

「もんふぁちゃんもわかってるから……」

 

 そうこうしている間にものぞみが加賀に着艦したらしい。無線が入った。

 

《KITE-2, KAGA-APPROACH, Clear to land. Decend flight level 06 to Point-3》

 

「カイト・ツー、ラジャー、ディセンド・フライトレベル・ゼロシックス・トゥ・ポイントスリー」

 

 600フィートまでの降下指示。加賀の左舷側を横切るまでにはその高度にならねばならない。夢華に敬礼を送ってから降下開始。滑らかに高度を下げつつ、左旋回。加賀が先ほどよりも大きく見える。

 

「カイト・ツー、リーチング・ポイント・ワン」

 

《Roger, KITE-2. Do not acknowledge for further transmissions》

 

 復唱不要の指示。着艦誘導が始まったのだ。青い魔力光が大気を押し出し、ひとみをゆっくりと降下させていく。

 

《Initial rate of decend is good. Approaching pich, heading 2-3-5 for Vector to fix POINT-II》

 人が歩いているのが遠目にわかる。すごくむず痒く思いながら裾をしっかり引っ張って隠しながらターン。クロスウィンドレグに入って、指示された235度に向かって飛ぶ。

 

《Slightly above glidepath, adjust rate of decend》

 

 降りたくないって思っているのが出ているのかもっと降りてこいとの指示。高度計を見ればまだ1200フィートぐらいだった。そろそろ1000フィートを目指さなければならない。足元にはのぞみが言っていたネオン街の看板があった。

 

 旋回指示。ダウンウィンドレグに入る。来た方向を逆方向に進む。なんとか降下率を合わせる間にもストライカーはどんどん体を押し進めていく。

 

《Reaching POINT-III, TAS-D should be on》

 

 タスディと言われ地上時姿勢安定装置(TAS-D)が起動していることを確認する。これが無ければ甲板の上で上手く止まれず海面にランデヴーとなる可能性が格段に上がる。

 

「タスディ・オン。グリーンライト」

 

《Roger, GREEN-DECK. Heading 0-5-5. Go POINT-IV》

 

 甲板の着艦用意も整ったらしい。機首方位55度に旋回して、指示されたポイント4に向かう。速度は112ノット。フルフラップダウン。着陸灯点灯を確認。350フィートで最後のポイント4を通過できるように降下していく。

 

《Now guidance limit. take over visually, if Mother not insight, execute missed approach》

 

 誘導限界限界に達した。有視界飛行に変更し、加賀が視えなければ、進入復行(ミストアプローチ)せよ。その指示を聞いてひとみはちらりと視線を動かし、加賀を目視した。

 

「マザー・インサイト」

 

《Roger, Approached POINT-IV. Contact LSO Channel2》

 

 ポイント4に到達、着艦信号士官(LSO)に指示が移された。

 

「プッシュ・チャンネルツー、カイト・ツー」

 

 そう言って無線チャンネルを切り替える。ここから先はエンジンの出力と高度との勝負だ。

 

「エル・エス・オー、カイト・ツー、ポイント・フォー・パッシング」

 

《はいはい、インサイト。おしっこ我慢してるの?》

 

「してませんっ!」

 

 いきなり航空無線からプライベートど真ん中な会話が飛んできてとっさに叫び返した。とっさにバランスを崩さなかったのは自分でもよくやったと思う。高い女性の声がケラケラと笑う。

 

《いやいや、おまた押さえてもじもじしてるからね。緊急事態なら真っ先に降りてくればよかったのに》

 

 その声に盛大に溜息をつきそうになったが堪えた。着艦信号士官(LSO)は海軍系の(エクス)ウィッチが軍に残るときに配置される部署の一つで、たぶんこの人も元ウィッチだ。海面の波の一つ一つが見える高度の低さで加賀の真後ろについた。

 

《悪かったって、機嫌直してよ。コールボール》

 

 光学着艦誘導装置(IFLOLS)を確認しようと加賀の後端を見る。レンズを通り抜けた青い光が見える。正規のルートに乗っている。

 

「ボール」

 

《ラジャーボール。速度少し落としな、スレッショルドで90ノット以下だよ》

 

「了解……!」

 

 少し体を起こし、空気抵抗で減速。全遊式水平安定板(スタビレーター)でバランスをとりながら加賀の後端に飛び込む。

 

《スレッショルド! リバーサー!》

 

 WA2000の吊り紐(スリング)を左手でつかんで銃が暴れないようにして甲板の端(スレッショルド)に飛び込んだ。そのまま足を前に振り出し、エンジン出力を上げる。万が一の時はこのまま空に飛びあがらなければならなくなるからだ。

 

 一瞬背骨が軋む。一気に速度が落ちてゆっくりと甲板に速度を合わせる。人が歩くぐらいの速度の移動速度になると横からストライカー固定用の鎖を下げた加藤中尉が駆け寄ってくる。互いに敬礼を交わしてから加藤中尉の指示に合わせて、ユニットハンガーに向かう。甲板員に支えてもらうようにしてユニットハンガーにストライカーを預けた。

 

「ふぅ……!」

 

「ヒトミンえらい。その恰好でよく頑張った。4機撃墜、通算8機。これをもって米川ひとみ准尉も晴れてエースパイロットの仲間入りだ」

 

 そう言われてもどこか実感がない。それよりも体がヘトヘトだった。ジェットストライカーを使った後はどこか頭がぼうっとしてしまう。

 

「緊張と急な魔力消費でへとへとかな?」

 

「はい……」

 

 後ろからひょいとわきの下を抱えられるような形でストライカーから引き抜かれた。ストライカーのどこかふわふわした感覚から感覚が変わる。正座から立った直後みたいなチリチリとした痛みが軽く足にかかる。

 

「ま、お疲れさま。こーにゃんから大体聞いてるよ。一休みしたらもうひと頑張りして服を取り返しに行かなきゃね」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、無事にネウロイも倒したし米川の空軍手帳を取り返さないとね」

 

「あの、私のズボンは……」

 

「二の次」

 

「そんなぁ…………」

 

 ばっさりとのぞみに斬り捨てられるひとみ。それだけ空軍手帳が大切なものであることは理解しているが……やはり他人に自分の服、それもズボンのことを二の次と言われるとショックである。なんせそのズボンが今なにされているのか分かったものでは無いのだ。普通にコワイ。

 

「ポモドーロ中尉まだー?」

 

「Покрышкин……でた」

 

 コーニャがのぞみにタブレットを渡す。短時間で空軍手帳に内蔵されているチップを頼りにコーニャが逆探知したのだ。表示された広大な香港の地図のとある一点には赤色のピンが輝いていた。

 

「うーん、加賀からだとちょっと遠いかな。車出させようか?」

 

「艦長が湧いた!」

 

「湧いたはひどくない? Gじゃあるまいし」

 

「G……ぐらびてぃ?」

 

「いや、Gって言ったらあれでしょ? 昆虫網ゴキブリ目のカサカサ動くヤツ」

 

 扶桑ならチャバネが一般的だね、と付け加えるのぞみ。

 

「なんでそんなに詳しいんですか……」

 

「え? これくらい一般常識、一般常識」

 

「先輩の常識を一般に当てはめないでくださいよ……」

 

 普通はそこまで詳細に言えない。この人は一体どんな教育を受けてきたのだろうか。

 

「とにかくヒトミンの空軍手帳は取り返さないとね。ほら、車の準備はできてるかられっつごー!」

 

「待て」

 

 右手を高々と突き上げて出て行こうとした霧堂艦長の首根っこをいつの間にか現れた石川大佐が掴む。

 

「貴様は艦長だろうが! 艦長がふらふら出歩くな!」

 

「あーれー、ご無体なー」

 

「うるさいっ!」

 

 ずるずると引き摺られていく霧堂艦長。もう見慣れた光景に「あ、またか」みたいな雰囲気が周囲に流れた。

 

「さて、いこっか。せっかく車を用意してくれたんだし」

 

 加賀から出ると、重厚感のある車の前に筋骨隆々の逞しい男性が待っていた。霧堂艦長の言っていたのはこれだろう。

 

「すみません、ここまで」

 

「わかりました」

 

 のぞみがタブレットを見せる。体躯のいいその男は画面を確認すると小さく頷いて後部座席のドアを開けた。入れということだろう。3人が後部座席に滑り込む。

 

「で、なんで夢華がいるわけ?」

 

「地元の人間がいた方がなにかといいってんですよ。行ってやるんだから感謝しやがれです」

 

「まあ、いいけどさ」

 

「ズボン……ズボン……」

 

「ああもう米川うるさい! ちゃんと返ってくるから安心しなさい!」

 

 ぶつぶつとうわ言のようにズボンと連呼するひとみ。頭の中は空軍手帳のことよりもズボンが返ってくるかどうかでいっぱいだった。

 

 車は町の中を何度もカーブ。そして道脇に寄せて停まった。

 

「ここの辺りですね」

 

「えっと、なんか……」

 

「はっきり言って汚いね」

 

 ひとみは窓から町並みを見つめた。観光で歩いていた時の華やかさは消え、壁の落書きが目立ち、ごみが散乱している。そして道端には継ぎ接ぎのボロを纏った目つきの悪い男がたむろしていた。

 

「車から出ねえでくださいよ」

 

「あ、ちょっとゆめか!」

 

 のぞみの制止を振り切って夢華が車のドアを開けて路地の奥へと突き進んでいく。

 

「ど、どうしますか?」

 

「まあ夢華が戻ってくるのを待とっか。ちょっち危なそうだし、ここは郷の者に従っといた方がいいみたいだし」

 

「でも夢華ちゃんが……」

 

「あんだけ堂々と入ってったんだし大丈夫でしょ。ほら、帰ってきた」

 

 のぞみが窓の外を指差す。その延長線上にはさっき入っていった路地から夢華が荷物を抱えて戻ってくる姿。

 

「ん、これが目当てのもんでいやがりますよね?」

 

 ドアを開けて夢華がひとみに向かって荷物のうちひとつをぞんざいに放る。ひとみの膝に投げられたそれは紛うことなきひとみのズボンだった。

 

「私のズボン!」

 

「その他も全部回収しやがりました」

 

「ナイス夢華!」

 

 夢華が置いた荷物を確認。財布から服、そして空軍手帳まですべて完璧な状態だった。

 

「ありがとう、夢華ちゃん」

 

「なら次からはもう無いようにしやがってください」

 

自分の財布や服をひとみがぎゅっと抱きしめる。フン、と夢華が鼻を鳴らした。

 

「じゃあ加賀に帰ろっか」

 

「そうですね」

 

 会話の流れを聞いていた運転手がエンジンを掛けてアクセルを踏んだ。車はだんだんとスラム街から遠ざかっていく。行きと同じ風景が逆再生され、ほとんど同じ時間で加賀へと到着した。

 

「ありがとうございました!」

 

「いえ。それでは」

 

 それだけ言い残すと運転手はまた車に乗り、走り去っていく。ずいぶんと無口な人だったな、と思いながら車が見えなくなるまでひとみは加賀の前で見送り続けた。

 

 

「ま、今日はネウロイも撃破できたし、米川の空軍手帳も無事に返ってきたし上々でしょ」

 

 203オフィスとは名ばかりの空き部屋でのぞみが椅子の背もたれに体を預ける。夢華は加賀に乗るとさっさと部屋へ引き上げてしまい、結局この部屋にいるのはのぞみ、ひとみ、そしてコーニャだった。

 

「コーニャちゃんもありがとうね。おかげでちゃんと戻ってきた」

 

「ん……なら、よかった」

 

 タブレットをいじりながらコーニャが頷く。

 

「あれくらいはポタージュ中尉にかかればお茶の子さいさいだよね」

 

「Покрышкин……」

 

「あはは……」

 

 今度はポタージュか、と内心で呟くひとみ。毎回思うことだが先輩の語彙はどれだけ豊富なんだろう。これまで何回も似たような場面を見てきたが、一度たりとも被ったことはない。

 

「そういえば霧堂艦長はまだ石川大佐に絞られてるのかなあ……」

 

「やっほー! 呼ばれて飛び出て霧堂明日菜! ただいま参上!」

 

「うわ、また湧いた」

 

「のんちゃんひどーい。せっかく石川大佐の説教から逃げてきたのにー」

 

 霧堂艦長がカラカラと笑う。逃げてきた、ということから今ごろおそらくは石川大佐の沸点は限界突破し、般若の形相になっているだろう。

 

「それよりヒトミン、このサイトを見たまえー」

 

「えっ? なんですか……ああっ!」

 

 霧堂艦長の差し出したタブレット。そこにはストライカーで香港の空を飛んでいるひとみがアップになって映っていた。もちろん例のチャイナ服で飛んでいる姿である。安全ピンで裾を留めていたため、超ミニスカートのようになりもういろいろと見えそうな画像だ。

 

「な、ななななんでこんな写真が!」

 

「戦闘終了後に着艦するとき順番待ちで市街地を旋回してたじゃん。あの時に撮られてたみたいだねー」

 

「消してくださいー!」

 

「私にできるわけないよ。だってこれネットにあがってるやつだよ? どうしようもないって」

 

「うう、そんなぁ……」

 

 うなだれるひとみ。もうネットにあがってしまった以上、ひとみに止めることはできない。ただ延々と電子の海で回り続けるだけだ。

 

「あれ、私にはできないけど……コーニャ、ちゃん?」

 

 電子戦のエキスパートであるコーニャなら消せるのではないか。一縷の望みに賭けてひとみはコーニャの方を向く。

 

 ばっちり目と目が合う。お願いします。神様、仏様、コーニャ様!

 

 思いのこもった視線で見つめ続ける。だがこの世界に神はいないようだ。ふいっとコーニャは目線を外した。

 

「コ、コーニャちゃあああああん!」

 

 ひとみの悲痛な叫びが部屋に反響する。結局のところ、チャイナドレスの画像データは消してもらえずにその後もネットで語り継がれていくのだった……

 

 

 

 

 

 なお、噂になった例のチャイナドレスのせいでひとみの給料の半月分にあたる額が吹っ飛んだのはまた別の話。

 



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第十一話「ギアアップ~おもい~」前半

 それは一瞬だった。

 

 

 軽い衝撃とともに中途半端な音。べちゃり、言葉にするならそんな感じだろうか。とにかくなんとも表現しがたいイヤーな音だ。それと同時に激痛が走る。

 

「あうっ……!」

 

 いくら模擬戦向けのペイント弾といっても、模擬銃である以上飛び出す速度は相当だ。ストライカーに当たれば良かったのだが、身体に直接当たればむちゃくちゃ痛い。

 

 しかし実はペイント弾で厄介なのはその痛みが去った後だ。水気のあるそれは服を濡らして生乾きみたいな感じにしてしまい、これがなかなか気持ち悪いのである。しかも今回の被弾個所はズボンときた。

 ズボン越しにそれを肌で感じて、ひとみはぞくりと鳥肌を立たせた。

 

《青軍米川被弾! 模擬戦終了!》

 

 僅かなタイムラグを置いて魔道インカムに入るのはのぞみの声だ。模擬警報が鳴りまくっているマルチバイザーの演習モードを終了しつつ押し上げれば、目に入ってくる真っ青な空に眩しい太陽。

 

 そんな太陽の下で現代の魔法の箒であるF-35ライトニングⅡは調子よさげにエーテルを反応させ大気へと放出、音速飛行も可能なその強力なエンジンでどんどん空を切り裂いていく。

 まだ六月に入ったばかりだというのに、目の前にぽつりと浮かぶ雲はもう夏みたいだ。どこまでも広がるのは爽やかな青さの水平線。

 

 風も保護魔法で適度に抑えられ、気持ちがいい。遮るものはなにもなくて、どこまでも飛べそうだ。

 

 

 ……こうして、いつまでも飛んでいられたらいいのにな。

 

 

《――――こら米川! ぼさっとしてないで早く集合!》

 

 そんなことを考えているのを見透かすようにのぞみの声。

 

「すっ、すみません!」

 

 慌てて思考中止。ひとみは慌ててストライカーで空気を蹴って旋回して、先輩のところへと駆け寄った。

 

「まったく……戦闘が終わったからって気を抜いてるんじゃないわよ、それどころか米川。あんた今回は敵を落としたんじゃなくて、落とされたんだからね? 天国へ行きたくなければ現実逃避しないこと」

 

 そうため息をついてみせるのぞみ。ちなみに彼女は今回の模擬戦の審判を担当している。のぞみはひとみに対して今回の問題点を一通り列挙してみせると、それから既に集合していた華僑空軍のウィッチ、高夢華へと向き直る。

 

「で、ゆめかもゆめかでホントにストライカー狙って撃ってる? 米川の身体にも結構当たってるんだけど」

 

 のぞみにそう言われて、華僑民国の96式歩槍を抱えた夢華は乱暴な言葉使いで返す。

 

「そりゃあんな馬鹿正直に一直線になってる状態で撃てば嫌でも尻に当たるに決まってんじゃねーですか、あとアタシの名前は(ガオ)夢華(モンファ)! 扶桑読みすんな!」

 

「扶桑皇国海軍のセーラー着て言われても全く説得力ないわよー水兵さん?」

 

 そう言われて自分の恰好を見下ろす夢華。彼女が着ているのは加賀に乗りこんでから愛用している加賀乗務の水兵用制服の一番小さなサイズである。一応女性用にはピッタリと体を引き締める上下一体型のボディスーツがセットであるのだが、夢華は中華民国空軍時代からの白い綿のローライズを履いていた。

 

「軍人なら中身に見合った制服を着る。当然だよねー? 戦闘に使えない正装の一着しか持ってきてないゆめかちゃん?」

 

 今にも組みつかんとしそうなほどににらみを利かせる夢華を、ニマニマとみつめるのぞみ。

 

「ふ、扶桑海軍下士官が偉そうに……!」

 

「ふふーん。郷に入っては郷に従え。扶桑海軍の船に乗ってるんだから扶桑のシステムに従いましょうねー。そのF-15F(イーグル)使えるのだって、我が扶桑皇国のおもいやりあってのことなのだよ。もちろん分かってるわよねぇ ゆ め か ?」

 

「それとこれとは……」

 

「どう違うのかなー? F-15FのFは扶桑のF、ゆめかも扶桑仕様。一体なんの問題があろうか?」

 

「ぐぬぬ……」

 

 上手い言い返しが思いつかないのだろう。表情筋を引きつらせる夢華。夢華が扶桑仕様のストライカーを使うことと「ゆめか」と扶桑式に呼ばれることはどう考えても違うだろうとひとみは思うのだが……会話に入りこむと「チャイナドレスで戦う『魔法少女マジカル☆ヒトミン』!」などとからかわれる――実際、もう何度もからかわれた――ので黙止を決め込むことにする。君子危うくに近寄らず、だ。

 

「ほらほら、もう諦めなさいー? せっかくのF-15(イーグル)取り上げられても知らないぞー?」

 

「ちょ、調子に乗りやがってからに……」

 

 ちなみに、夢華は華僑空軍のウィッチだ。F-15Fは扶桑皇国軍の機体。いくら統合戦闘航空団とはいっても他国の機体をほいほい使えるわけではない。夢華がF-15Fを使えるのにはふかーい訳があった。

 

 その説明には、時をしばし遡る必要がある。

 

 

 

 

 

「……で?」

 

「これだけは譲らねーって言ってんです」

 

 訓練のために格納庫(ハンガー)にやってきたひとみだったが、いきなり石川大佐の低い声が響いて足を止めた。驚いて声がした方をみると険しい表情の石川大佐とその足元に胡坐をかいて座り込んでいる夢華の姿。

 

「高少尉……」

 

 どう対処したものか、といった様子の石川大佐。

 

「石川大佐と……もんふぁちゃん?」

 

 ひとみに気付いた石川大佐が振り返る。

 

「ん? ああ米川か、これから訓練飛行だったな」

 

「はい。あの、どうかしたんですか?」

 

「いや、大したことではないんだ。ほら高少尉、訓練に参加するんだろう。米川にまで迷惑をかけるつもりか?」

 

「だから何だってだです。とにかくアタシは大佐殿が頷くまで動かねえって決めやがったですから」

 

「はあ……米川、こいつを説得してやってくれ」

 

「せ、説得?」

 

 一体なんの話だとひとみが首をかしげると、石川大佐は横目で夢華の方を見た。

 

「彼女がイーグル(F-15)を使いたいといって聞かなくてな」

 

 ひとみは夢華の方へ目をやった。ひとみよりも僅かに背の低い華僑人はその幼顔に似合わない戦闘態勢な表情で座り込みを決めており、テコでも動かなそうだ。

 

「えっと……もんふぁちゃん? ほら、そんなところに座ってたら冷えちゃうし……」

 

「旧暦ならもう夏、むしろ蒸し暑いぐらいでやがります」

 

「そ、そうだけどぉ……」

 

 説得方法を間違えたか。というか本当に説得できるのだろうか。

 

「いいから、このアタシにイーグルを使わせやがればいいんです。それで万事解決じゃあねえですか」

 

「何度も言うがな高少尉、それは我が国の装備なんだ。他国の人間に使わせるわけにはいかない」

 

「せっかく艦に積み込んでおきながら使わない。それが扶桑のやり方ってんですか」

 

「違う。「加賀」にF-15を積んだのはどこかの華僑空軍軍人が格納庫を吹き飛ばしたからだ」

 

「う”……」

 

 盛大に心当たりのある夢華の旗色が急に悪くなる。先日の香港防空戦で夢華が扶桑のF-15Fを無断借用したことは記憶に新しいが、その時に無理矢理吹かして離陸したために周囲の倉庫を盛大に吹き飛ばしてしまったのである。

 

「まあ格納庫は華僑海軍の所有物だし、吹き飛ばしたのは華僑空軍。俺はそれを責めるつもりはない。ただF-15はどのみちシンガポールで降ろし、そこで扶桑南遣艦隊に引き渡す。それだけだ」

 

 とあるオラーシャの空軍中尉(どこかのだれかさん)が飛行者登録をねじ込んでしまったので203空としては大した問題ではない。ただF-15Fは一応輸送中の扱いであるし、使い続けるのも問題だろうという話だ。

 

 石川大佐が一歩前に出る。夢華は慌てて後ずさると、後背地……つまりF-15Fを懸架している簡易ハンガーを庇うように張り付いた。

 

「……アタシが、一番うまくこの子を使えるって言ってやがんです! いいから使わせろってです!」

 

「ならん。扶華関係にも関わる」

 

 F-15Fは扶桑の主力要撃機。半世紀前の機体とはいえ軍事機密には変わりない。石川大佐は仁王立ちで夢華を真正面から見据えた。

 

「貴官も軍人だろう。分かってくれ」

 

「……いやだです」

 

「高少尉」

 

 ダメ押しするように言う石川大佐。

 

「い”ーや”ーた”ー!」

 

「……高少尉」

 

「いやだいやだいやだ、いーやーだー!」

 

「も、もんふぁちゃん……」

 

 強襲揚陸艦の「加賀」格納庫はトラック回転翼機など航空機の運用も想定された構造をしている。冷たい鋼鉄の鳥籠では、その駄々をこねる夢華の声は良く響いた。

 整備兵たちが何事かとそちらの方を見やる。足を止めた士官たちが格納庫入口から顔を覗かせる。軍艦の人口密度というのはなかなかに高いのだ。逃げ出したくなるくらい視線が集まってくる。

 

 おろおろするひとみに対して、石川大佐は黙ったまま動かない。そんな手には乗らないぞと言っているのだろう。

 と、そこに歩み寄ってくるやや汚れた服装。「加賀」の整備兵たちを束ねている尉官のオジサンだ。それを見たい石川大佐は彼が口を開くより早く言い放った。

 

「いや違うぞ、俺のせいではない」

 

 一瞬その言葉の意味を察しかねた尉官だったが、すぐ理解したのだろう。真顔で務めて事務的に返す。

 

「それは存じております大佐。ご報告したいことがありまして」

 

「……なんだ、報告か。さっさとやってくれ」

 

 そう言う石川大佐に、尉官はクリップボードを渡す。

 

「南遣艦隊に引き渡す装備品のリストです」

 

「それをなぜ俺に見せる……ん、やけに少なくないか?」

 

「香港の際に多くが余計に傷ついてしまったので、引き渡しが難しくなったのです。南遣艦隊も補給が滞っている訳ではありませんし、部品食いを渡しても意味ないでしょう?」

 

「確かにそうだが、半壊のユニットだけ残しても仕方ないだろうに……」

 

 そこまで言ってから、石川大佐は「まさか」と顔色を変えた。ニヤリと笑ってみせる尉官。

 

「北条閣下の取り計らいです。必要ならばF-15運用にオスプレイももう一機手配する、とも仰っています」

 

 ほうじょうかっか……ひとみは少し考えてから、北条閣下が誰だったかを思い出す。この艦隊を率いる司令官だ。

 

「本気で言ってるのか?」

 

「扶華軍事連携強化のためです……ほら野郎ども、もってこい!」

 

 尉官が合図すると、平べったいキャニスターを整備兵たちが押してくる。それは夢華が海軍向けということで海洋迷彩を施されていたユニットとは異なり、扶桑空軍のF-15Fを思わせる灰色の塗装が施されている。

 

「廃棄物100%の特製ストライカー。加賀航空機中間整備部門(A I M D)のアフターサービス付。如何です華僑のお嬢さん?」

 

「ふ、ふふふん。別にそこまでしてくれやがらなくってもいってんですよ」

 

 さっきまでの態度と打って変わって両手を腰に当てる夢華。よかった……のだろうか? うん。きっとよかったのだろう。

 

 

 

 

 

 そういう理由で、今回の模擬戦は正式に狙撃手となったひとみの訓練と、そして夢華のF-15完熟訓練を兼ねているのだ。

 

「ほんと、よくまー他国のストライカーなんて履く気になるわよね」

 

(ダー)(ツォン)のF-35もリベリオン製じゃねーですか」

 

 やれやれと言わんばかりののぞみに切り返す夢華。

 

「バーカなコト言っちゃあいけない。ライトニング(F-35)は共同開発、扶桑だって一枚噛んでる……それにしても、上手く発艦したわよねぇ。ゆめかは初めてのオスプレイ☆ジャンピングだったんでしょ?」

 

 そう言いながらのぞみは輪形陣を組んでいる海上の軍艦たちを見る。水面に浮く灰色の畳はひとみたちの母艦、強襲揚陸艦「加賀」。

 ジェットストライカーを発艦させるのに十分な飛行甲板を持たない「加賀」を母艦とする第203統合戦闘航空団で、なんの補助もなく発艦できるのは今のところのぞみのF-35Bだけ。

 もちろん香港でやったように倉庫を吹き飛ばしながらロケットの如く『発射』することも出来なくはないが、オスプレイを回してもらえたお陰で夢華もひとみ同様にオスプレイから射出(ぶっとば)されることになっているのである。

 

「ふん、あんなのどうってことないってんです」

 

「……もんふぁちゃん、すごい上手だったよね」

 

 当然だと言わんばかりの夢華に、どこか羨ましそうなひとみ。

 

「なにその微妙な反応。もしかして米川、ゆめかより……」

 

 そこまで言いかけたのぞみだったが、流石にひとみの表情を察したようで口を噤んだ。

 

「まあほら、機体も違うし? 仕方ないよね。うん」

 

「わ、わたしだって一回転で点火できますもん……」

 

 そうだそうだ、今日はちょっと上手くいかなくて余計に回ってしまっただけなのだ。それだけなのだ。年下の夢華の方が上手だったとか、機付きの加藤中尉があいまいな笑みを浮かべてとかそういうのはどうでもいい……とりあえずそう考えたかった。

 

「まあこればっかりは基礎訓練の差だろうねー。摸擬戦に関してもそう。米川、一回背後取られたらそのままずっと喰らい付かれたままってどうゆうことよ?」

 

 のぞみはいきなり話を模擬戦に戻した。

 

「だ、だって……もんふぁちゃんが全然離れないんだもん」

 

 決して言い訳じゃあない。右に行こうが左に行こうが、どうしても夢華から逃げられないのだ。一度後ろを取られたが最後、まるで先読みされているかのようについて離れず、結局ひとみは模擬戦の間中ずっと後ろから撃たれ続けていただけだったのだ。

 

「ゆめか、まさか固有魔法とか使ってたりしてないでしょーね?」

 

 のぞみが言ったその言葉に、ひとみの使い魔であるナキウサギの小さい耳がピクリと動いた。確か、夢華の固有魔法は未来を視るような感じのものだと聞いている。

 

「……もんふぁちゃん、ずるい」

 

 ぼそりと漏らしたひとみを夢華は鼻で笑う。

 

「つかわねーでも分かるってんですよ。あんな必死さのない回避運動、誰だってついていけやがるってんです」

 

「うん同感。そして米川、固有魔法という点ではあんたの方がよほどズルいから」

 

 同調するのぞみ。実際、ひとみの固有魔法を全力で使えば、どんな状況でも百発百中が約束されている。実際には百発も撃てないのが最大の欠点ではあるのだが、シールドを使用しないことが前提の模擬戦なら楽勝だ。

 

「全く、こんなんでよく生き残れたもんで」

 

 肩をすくめてみせる夢華。自信を無くしてしまったひとみは項垂れるしかない。なんせ、なんにも間違っていないのだから。まだのぞみと違ってエースでもないし、コーニャみたいにみんなを助けることも出来ない。唯一できる狙撃だってまだまだ魔法頼りで出来ているに過ぎないのだ。

 

「いや、それは違うよゆめか。米川は実戦では結構いい回避運動をしてた」

 

 否定したのはのぞみだ。

 

「今日の米川は逃げながら撃ち返そうとしてる。人間二つのことを同時にやるってのはなかなか難しいんだ。普段はそんな動きしてない、だよね?」

 

「確かに、そうですけど……でも」

 

 実際、ひとみの得物であるWA2000は狙撃銃だ。夢華やのぞみの装備する歩兵小銃とは訳が違い、素早い攻撃――ましてや、今ひとみがしようとしているのは空戦という三次元の格闘戦――を想定していない。

 でも、それが出来てのウィッチじゃないだろうか。そう考えてしまうひとみ。

 

「そりゃ普段は弾道固定の魔法おかげで構えとか横風計算とかの行程をすっ飛ばして狙えてるんだけどもさあ。それでも集中しなきゃダメなわけで、一瞬の遅れが命取りに繋がる回避行動をおざなりに出来るわけがないじゃない」

 

 そう言いながらのぞみは手に持った64式小銃を構えて見せる。

 

「とりあえず米川は攻守の切り替えをしっかりやろう。後ろを取られたら攻撃は一切考えずに避け続ける、そして撃てるときに全力で撃つ! 見敵必戦!」

 

「はい!」

 

 ロクヨンを振り上げてのぞみが叫び、ひとみもそれに応じた。「けんてきひっせん」というのがなんなのかは分からなかったが、それは後で聞くことにする。

 

「……扶桑人は軍でも精神論でやがるのですか」

 

 ぼそりと漏らす夢華。それを見てどう思ったのか、のぞみは小さく息をつく。それから掲げていた小銃を背に戻すと、夢華に向き直る。

 

「まあ置いといて、ゆめかの役目はやっぱし米川の護衛だろうなぁ……」

 

「は?」

 

「いやだって、見てる限りゆめかは私よか中距離向きだし」

 

「なんでそれをあんたが決めやがるってんのですか」

 

「……え、いやだって。私飛行組長(エレメントリーダー)だし?」

 

 のぞみが言えば、夢華はあからさまに顔を歪めて見せた。

 

「なにいってやがんですか。あたしの方が上官でしょーに」

 

 そう言われて、のぞみはふむ。と腕を組んだ。

 

「……なるほど、確かにそうだ。となるとこの部隊の現場指揮官は誰になるんだろう?」

 

 夢華が上官であることを散々無視してやりたい放題なのぞみだが、流石に指揮系統の話となると真面目になるらしい。

 

「普段から敬ってほしいものでやがりますね」

 

 夢華がもう散々だと言わんばかりにかぶりを振った。

 

 

 

 

 

 

「……いや、戦闘隊長を設けるのはまだ早いだろう。四機で小隊(フライト)を編成するなら俺が出て直接指揮を執るからな」

 

 強襲揚陸艦「加賀」艦内に設けられた203空のオフィス……ということになっている空き部屋で、石川大佐は僅かに書類から眼を上げてそう言った。

 

「ということは! カイト1は私で継続ですよね?!」

 

 それに食いついたのはのぞみである。机に両手をついたので置かれていた白いコップが揺れる。

 

「まあ、真っ先に上がるのは大村だからな。基本的にはそうなるだろう」

 

飛行組長(エレメントリーダー)は?!」

 

「大村だろうな」

 

「っしゃあ!」

 

「……ったく、なにが嬉しいんだが」

 

 石川大佐のその言葉にガッツポーズを作って見せるのぞみ。冷ややかな視線を送るのは夢華だ。

 

「分かってないわね。一番槍は武士(もののふ)の名誉! でしょ米川?」

 

「へっ? そ、そう言われましても……」

 

 そもそも武士なんて、大河ドラマぐらいでしか見たことがない。ひとみの脳裏に浮かんだのは赤備えを身に纏い着剣64式小銃を振り上げるのぞみだ。ピンと来ない。

 

「ですよね大佐!」

 

「ああそうだな、時と場合さえ間違えなければ、突撃は有効な戦術だ……だが僚機とはぐれては元も子もない」

 

 くぎを刺すように言う石川大佐。先頭に立って突っ込む武将は勇猛だが、後ろから家来が付いてこられなければ何の意味もない。しかしのぞみに効果はないようで、意気込み強くぐいっと前に出た。

 

「僚機に気を配りつつ突撃します!」

 

「……お前は米川を突撃させる気か」

 

 あきれ顔の石川大佐。

 

「では高少尉と突撃します!」

「発音できやがるんなら普段から言えってんです!」

 

 夢華がすかさず抗議し、オフィスは一時の平穏を得る。石川大佐はコップを口へと運ぶと、それから言った。

 

「そうだ。話は変わるが……当面、高少尉と米川には飛行組(エレメント)を組んでもらう」

 

「えっ?」

 

 夢華と飛行組を?

 いきなり放たれた石川大佐の言葉に困惑したひとみだったが、ひとみがそれ以上言う前に夢華が抗議の声を上げる。

 

「なんでこんなのと……!」

 

「なにか不服か少尉」

 

「大佐、あたしはこの扶桑二人組のなかよし飛行組がお似合いだと思うんですがね」

 

「いや、現状のシフトでは艦隊直掩任務も兼ねている大村の負担が大きいからな。このまま大村・米川組を使い続けるべきではないと判断した」

 

 石川大佐は立ち上がり、部屋の壁に吊るされた簡易作戦板(ホワイトボード)(マグネット)を動かす。母艦である「加賀」の前方にひとみと夢華がセットになって配置される。

 

「基本的には大村とポクルィシュキン、そして俺が「加賀」に張り付き……高少尉と米川には索敵や哨戒を任せることになる。数が少ないせいで戦闘となれば変則的な編成になだろうが、まあこればかりはどうしようもない」

 

「だったら哨戒とかだけ臨時編成でいけばいいじゃねーですか。わざわざ編成変えなくてもいいと思うんですが」

 

 食いつく夢華。その態度が本当に嫌そうだったので、ひとみは少し目を逸らした。

 

「少尉も知っているとは思うが、南方へ進む関係上積極的な戦闘を行う訳ではない。従って今後我々のメインの任務は哨戒になる。そして余裕が出来た以上、大村には「加賀」に張り付いてもらわねばならん」

 

「……」

 

 夢華は不服そうに石川大佐に相対する。

 

「高少尉。大村は突っ込みすぎるきらいがある。米川の狙撃には中距離で堅実に戦える僚機が必要だ。203で一番格闘戦経験が豊富な少尉にやってもらいたい」

 

「……そこまで言うってんなら」

 

「よし、ポクルィシュキン中尉も異存はないな」

 

「ん」

 

 さっきからずっとパソコンのキーを叩いていたコーニャが手を止めて肯定の意を返す。

 

「大村」

 

「異存ありません!」

 

「米川も大丈夫だな?」

 

 大丈夫かと確認する石川大佐。団司令である石川大佐に対して、たったの准尉に過ぎないひとみが何か言えるわけがないのだ。

 

「え、えっと……はい」

 

「よろしい、ではこれで決定だ。大村、直掩任務について細かい説明があるから夕食後に俺の部屋に来い。いいな」

 

「はっ!」

 

 石川大佐はそのままオフィスを出ていく。

 

「……」

 

 沈黙。コーニャが再びパソコンのキーを叩き始めて、その音が室内に響き渡る。

 

「あ、あの……もんふぁちゃん」

 

「なんでやがりますか」

 

「その、よろしくお願いします」

 

 それに対して夢華は、僅かに顔を歪め――――

 

「……ちっ、来やがった」

 

「え?」

 

 何のことかと首を傾げるひとみ。そそくさと物陰に隠れる夢華。耳をかざせば、こつこつと足音が聞こえてきた。

 

「やほーい」

 

「あ、かんちょー」

 

 現れたのは「加賀」艦長、霧堂大佐である。

 

「あれ、華僑っ子ちゃんは?」

 

 キョロキョロと見回す霧堂艦長。

 

「あー高少尉ですか? そうですねぇ……格納庫とかにいるんじゃないですか? ねぇ米川?」

 

 視線を逸らしながらひとみの方を見るのぞみ。そ、そんな風に話を回されても。

 

「ヒトミン知らない?」

 

「え、えと……知らないです」

 

 ひとみは夢華が隠れているであろう物陰の方は見ないようにしながら答えた。

 

「うーん、まあいいや。とりあえずヒトミンにはこれを上げよう」

 

「?」

 

 ひとみが差し出されたのを受け取ってみると、それは茶封筒だった。

 

「よし、じゃあ格納庫へ行ってみるかなぁー、ではまた」

 

 などと言いつつ霧堂艦長は踵を返して部屋を出ていってしまう。

 

「……行きやがりましたか」

 

 物陰から出てくる夢華。先日風呂場で霧堂艦長に襲われて以来、夢華の中で艦長がトラウマとなっているのだ。

 

「庇ってやったんだから感謝しなさいよー。それにしても……我らが母艦の艦長は暇してるのかねぇ」

 

「……暇はしてない、たぶん」

 

「あの女からは狂気を感じやがるんです。何なんですかあの女は」

 

 そんなことをのぞみたちが話す中、ひとみは霧堂艦長から渡された茶封筒を見つめていた。そこに張り付けられているのはいくつかの切手。それに被さる様に押された判子……どう見ても郵便だ。それも見慣れた国内郵便だ。

 住所は東京から始まっているが、ひとみには全く心当たりのないもの。

 

「これって……?」

 

「あ、知らない? 海外勤務の軍人さんには本土の司令部に手紙を送るのさ」

 

「はぁ……そうなんですか」

 

 横から覗き込んだのぞみがそう言う。司令部に手紙を送る? 内容をイマイチ理解できないひとみが封筒をとりあえず裏返してみると、そこに書かれているのは見慣れた住所。そして――――

 

「お、お父さん!?」

 

 そう、ひとみの父親の名前が書かれていたのである。

 

「すごいすごいすごいすごいですよのぞみ先輩! お父さんから手紙が届くなんて!!」

 

「あーもうっ、うるさいわね。というか米川興奮しすぎ! 今の時代手紙なんてすぐ届くでしょーが! ポスパケット中尉にだって来てる!」

 

Прасковья(プラスコーヴィヤ)

 

 訂正するだけのコーニャの机にも、確かにそれらしき便箋と封筒が置いてあった。

 

「というか手紙渡すのを言い訳にしてやって来るなんて、艦長はよほどゆめかにご執心なのかねぇ」

 

「だからゆめかじゃねーですって」

 

 夢華をからかうように笑ってみせるのぞみ。言い返す夢華。だがひとみにはそんなのぞみと夢華の会話など耳には入っていなかった。歓喜の声を上げて手紙を抱きしめながらくるくると回る。

 

「うわあっ、うわあっ!」

 

「うるせーですよ」

 

「でも手紙だよ! お父さんからの手紙なんだよ!」

 

 夢華のしかめっ面で言い放たれた文句すらひとみのテンションを前に意味を成せない。思えば呉で加賀に乗ってからずいぶんと経つ。ホームシックにこそならなかったが、両親に会いたいと思わなかったわけではない。

 

「なにが書いてあるんだろ? あ、お母さんもなにか書いてくれてるかな?」

 

 封を切って手紙を開ける。便箋を広げると、懐かしい文字が飛び込んできた。ずっと見ていなかった、だけど忘れることはない字体。

 

 ひとみへ、の書き出しから始まる便箋を広げる。何枚も重なっている便箋は厚く、どれもびっしりと字が書き込まれていた。

 最後まで読み進めて、もういっかい最初から読み返す。文章のありとあらゆる場所から自分を思ってくれている気持ちが伝わってきた。

 

「そっか、お父さんたちも、元気にしてるんだ……」

 

 ひとみの身を案じながらも、家のことは気にしなくていいと語りかけてくれる父親の文字。それに少し救われる。ペンで書いているのだが、何度も下書きをしたのだろう。初めて開いたはずなのに、どこかくたびれた印象の便箋に、どれだけ心配をかけているかを知る。それでも送り出してもらえた。応援してもらえた。そのことがじんわりと胸に広がる。

 

「ひとみ……元気でた?」

 

「うん。ありがとう。ちょっと元気になった」

 

 疲れが吹き飛んだ、とまでは言わない。だが気持ちが軽くなったのも確かだ。

 

 

「フン――――紙ペラでよくもそこまで」

 

 

 夢華がそう吐き捨てるまでは。

 

 

「ちょっとゆめか……!」

 

 のぞみの声が飛ぶ、が。それ以上続くより先にひとみの口が動いていた。

 

「紙ペラじゃないよ? 手紙だよ?」

 

「そうだゆめか、訂正してもらおうか」

 

 のぞみもひとみの側に立つ。夢華はその様子を見て、どっかりと椅子に座った。

 

「ならただの手紙でよくもそこまで喜ぶもんですね、そう訂正すれば満足しやがるんです?」

 

「ただの手紙じゃなくて家族からの手紙だよ?」

 

「それが嬉しいって?」

 

「嬉しいに決まってるよ!」

 

 どうして夢華はそんな言い方をするのだろう。ひとみには全く分からない。でも、家族からの手紙が嬉しくない訳なんかないはずなのだ。ここは譲れない。

 なのに夢華は笑って見せる。片方だけの口角を吊り上げたそれは、嘲笑だった。

 

「たかだか血の繋がりなんてやっすいもんで喜ぶとかおめでてーってんですよ」

 

 くだらない、と夢華が吐き捨てる。ひとみは頬のあたりがかっと熱くなるのを感じた。

 

「くだらなくなんかない!」

 

「はっ、家族なんてすぐに切れる縁を後生大事にする意味がわかんねーです」

 

「家族はとっても大切なものだよ! 切っても切れない絆で繋がってるんだよ!」

 

「絆なんてなんの役にも立たないくだらねーもんだってんですよ」

 

「そんなことない! だって……だって…………」

 

 ひとみが言葉に詰まり、だんだんとか細い声になっていく。そしてついに消えてしまった。

 

 絆。言葉だけじゃ言い表せない繋がり。それがどう役に立つかなんて考えたこともなかった。でも皆が大切だって、そう考えているものだと思ってた。

 でも夢華は違うと言う。そんなもの役に立たない、何の意味もないって、本気で言っている。だからついかっとなってしまった。そして同時にとても悲しかった。

 

「っ!」

 

 手紙を掴んで胸に抱きしめる。部屋を飛び出し、走るなと言われてる廊下を全力で駆け出した。

 

「ちょっと米川!」

 

 後ろから聞こえるのはのぞみの声だろうか。でもひとみは止まれない。

 あの場所にあのままいたら夢華の言葉が正論になってしまいそうで、そんなの違うはずなのに言い返せない自分がいて、それがとても怖かった。



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第十一話「ギアアップ~おもい~」後編

「あぁ大村、さっき提出してもらった報告書で気になる点があるんだが……」

 

「すいません大佐、後でお願いします!」

 

 書類に何か不備があったらしく戻ってきた石川大佐。だが、のぞみはそれを押しのけるようにして駆けて行ってしまう。石川大佐が怪訝な表情を浮かべながらオフィスへと入ると、そこにはひとみの姿もなかった。残されたコーニャと夢華もただならぬ雰囲気である。

 

「なにがあった?」

 

「さあ? 知らねーです」

 

「ひとみ……泣いてた」

 

 夢華がそっぽを向きながら言い、抗議の色を滲ませてコーニャがささやくように言う。泣いていた。ということは何らかのトラブルでもあったのだろうか。そこまで理解すれば、先ほどのぞみが走っていったのはひとみを追いかけるためだったのだろうということは察しが付く。

 そして、トラブルの相手が十中八九夢華であるだろうということも。

 

 そして案の定、夢華は椅子から立ち上がると石川大佐の横をすり抜けて部屋を後にしようとする。

 

「待て。どこにいくつもりだ?」

 

「いちいち部屋に戻るだけで許可が必要でごぜーますか?」

 

 夢華は石川大佐の返答を聞かずに廊下へ進み、そして姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 太い鎖が保管されている錨鎖庫はとても静かで、普段は誰も立ち入らないだけになおさらだ。絶対に跨いではいけない、触ってはいけないと厳しく言われて装置や鎖から距離をおくと、意外と身を置ける場所は少ない。体育座りで座れば、自分が余計にちっぽけに感じる。

 

「……はあ」

 

 とにかくたくさん走って、でもどこに行っても人がいて、その結果行き着いたのが錨鎖庫(ここ)だった。もちろん空調は効いていないが、日差しから隔絶された空間であるせいか少しだけ涼しい。

 

「ひどいこと、言っちゃったかな」

 

 さっきのことを思い出して、それを取り消したい衝動にも駆られる。夢華に対して怒鳴ってしまった。ひとみは全く反論できなくて、そのまま逃げだしてしまった。お父さんが知ったら怒られるだろうか。

 

「……まったく、手間かけさせるんじゃないわよ」

 

 後ろから声。金属だけで作られた部屋ではよく響く。

 

「のぞみ、先輩……どうして」

 

「どうしてって、錨鎖庫の扉が開いてたらあからさまに怪しいでしょうが。鎖に触ってたりしてないだけいいけど、(ふね)ではどんな扉も基本開放厳禁、これ忘れない!」

 

 そう言いながらのぞみは扉に手をかけ、閉める。隔壁の役割もあるのであろう鋼鉄の扉は結構な重量物で、盛大な音が部屋に響く。思わず肩をすぼめるひとみの横に、のぞみが座った。

 

「アンタねぇ、華僑人(ゆめか)の言うことなんて放っときゃいいじゃない」

 

「で、でも……ごめんなさい」

 

「なんで謝んのよ」

 

 やれやれと言わんばかりの調子でため息をついてみせるのぞみ。だがそれだけ言ったら押し黙る。先輩はこんなところまで来てくれたんだ。何か言わなくちゃと思い、ひとみは口を開いた。

 

「あの、のぞみ先輩」

 

「なに?」

 

 のぞみは目の前に安置されている鎖を眺めつつ返事をする。

 

「もんふぁちゃんは……」

 

 そこまで言いかけて、やめた。多分これ以上言ったら、わたしはもんふぁちゃんの悪口を言ってしまう。慌てて言い直す。

 

「わたし、もんふぁちゃんを怒らせちゃったんでしょうか?」

 

 それを受けて、のぞみは考える素振り。

 

「うーん……まあ、幸せMAXみたいな空気を作ってたのは間違いないけど。怒らせたはないと思うな」

 

「でも! もんふぁちゃん。家族なんて、絆なんて、くだらないって……」

 

「じゃあ聞くけどさ、米川にとっての絆ってなにさ」

 

「えっと、それは……」

 

 それが分からないかった。絆って確かにそこにあるはずなのに、現にわたしが今両手で抱えてるこの手紙として存在しているはずなのに、説明できない。分からない。

 

「私さ、結構怒ってるんだよね」

 

 どもって言葉が出ないひとみに業を煮やしたのか、のぞみが急に声の調子を変える。

 

「ふぇ?! ご、ごめんなさいっ!」

 

 慌てて全力で謝ると、のぞみはギョッとしてから、全力で手を振って否定する。

 

「違う違う違う! 私が怒ってんのはあの華僑人に対してだよ」

 

「え……もんふぁちゃんに、ですか?」

 

 驚くひとみに、うんうんと頷いて見せるのぞみ。

 

「そりゃそうよ、だってあの子。くだらないって言ったじゃない」

 

「……」

 

「分かってないわよねー、米川みたいなごく一般的なウィッチは皆、家族のために戦うっていうのに」

 

 ホント分かってない。そう横で言うのぞみはまるで自分は違うと言ってるみたいで、どこか夢華に似てて、ひとみはそっと両手の袖を掴んだ。

 

「先輩は……家族ために戦うんじゃないんですか?」

 

「家族のため? うーん。私の場合それはちょっと違うかなぁ……」

 

 のぞみは困ったように頭をかく。それから迷うように続ける。

 

「私たちは扶桑人でしょ? そして私には魔法が、この力がある。それは決して万人に与えられたわけじゃない――だからさ、私は一扶桑人として戦う。私にとっての愛国心(きずな)はそれ」

 

 のぞみは拳を握りしめた。

 

(それ)が薄っぺらいとかないでしょ、それって全部否定してるんだよ。私たちが戦ってるのを」

 

「……」

 

能力(ちから)があって、それを自分のために使いたいならさ。普通逃げるでしょ? いくらでも生き方なんてあるじゃん。自分の国が灰になるのを気にしもせずに、どこかでお気楽に暮らせばいい」

 

「そんなことは……もんふぁちゃんも思ってないと思いますけど」

 

「私もそう思うよ? ゆめかだって軍人だし。だから戦場(ここ)にいるんだって信じてる」

 

 どう返したらいいか分からない。するとのぞみはひとみの肩をポンと叩いた。

 

「なーに深刻そうな顔してんのよ」

 

「私は、もんふぁちゃんと、どうすればいいんでしょう?」

 

「どうするって?」

 

「そのつまり……このあと、なんて言ったらいいか、とか」

 

 夢華とどんな風に接したらいいのか分からない。

 

「謝ればいいんじゃない?」

 

「えっ」

 

「だって、上官に怒鳴っちゃったのは事実じゃない」

 

「た、確かに……」

 

 夢華は少尉、ひとみにとっては上官だ。

 

「このまま謝らないのは問題でしょ。だから謝る。それだけでいいじゃない」

 

「でも……」

 

「高少尉だって軍人なんだし、まさか米川と無意味に関係を悪くすることなんてないと思うけど」

 

「そう、ですよね」

 

「ほらもっとシャキッとする! 食堂言ったら謝るんでしょ」

 

「はい!」

 

 せめて声だけでも。そう大きな声で返事をしてみる。

 

「よしっ、その意気だ! 当たって砕けろ!」

 

 背中を叩くのぞみ。そうだ、きっと謝れば大丈夫。大丈夫に決まってる。そう信じて部屋を出る。ちょうどもうすぐご飯時、夢華とコーニャも、食堂に向かっているはずだ。

 

 

 

 ――――だが、夢華は()()()食堂にはやってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数万トンの排水量を誇る大型艦であっても、数千トンの駆逐艦であっても、どんな艦艇でも空間というものは常に足りないものだ。

 故に、扶桑海軍所属強襲揚陸艦「加賀」においても()()食堂は狭い。厳密に言うなら決して広いとは言えない。

 

 だが、相手にするのは士官。場合によっては将官である。国民を護る壁であり、時には国の顔としての働きすら求められる彼ら幹部将校たちが、冷遇されることはあってはならないのだ。

 

 だからこそ待遇(サービス)は徹底されている。給仕係として各科より供出された水兵が一つ一つ食事を運び、しかもフルコースである。正装の「加賀」幹部士官たちが、のんびりとした雰囲気で銀色の食器具を動かしている。

 

 ちなみに、今日のメニューは『とろとろ卵のオムライス』と『ビーフステーキとバルサミコ酢のソース』だ。各々好みで選ぶのだが、そこはやはり漢の艦隊勤務。ビフテキを選ぶ将校が圧倒的に多かった。

 

 

 

「おや、石川君。君はオムライスでいいのか?」

 

 少将の階級章を襟に飾った中高年の将官――第五航空戦隊の北条司令――は石川大佐に配膳された皿を見てそう言う。

 

「ええ、今日はこちらにしようかと思い」

 

 敬語で返す石川大佐。最近少々胃が痛むので……とは口に出さないでスプーンを手に取る。

 

 外は綺麗に焼かれた卵にスプーンを入れると、とろりと半熟に仕上げられた卵が内側から溢れ出す。丁寧にケチャップから手作りされたチキンライスは、市販のケチャップとは違って角が立たない丸みのある優しい味だ。そして極めつけはデミグラスソース。玉ねぎが透明になるまで炒め、赤ワインをふんだんに使い、じっくりと蒸気釜で煮込まれたデミグラスはまろやかでありながら深みがある。そして何時間も煮込んでからきのこをたっぷりと投入されたデミグラスソースがオムライスにはかけられているのだ。あえて何もかけずに食べ、別の皿に用意されたデミグラスをかけてからいただくことを加賀の給養員は勧めている。

 

「ふむ」

 

 オムライスを楽しむ石川大佐の様子を見て、北条少将もナイフを動かして肉を切り裂き、口へと運ぶ。

 

 彼が食べるビーフステーキは、もちろん焼き加減が選べる仕様となっている。士官室係へとレア、ミディアム、ウェルダンの3つの焼き加減から好みを指示すれば、それを受けて肉を焼き始めるのだ。艦船という都合上、牛肉にこだわることは出来ないが……そこは給養員の腕の見せ所。表面はこんがりと、だが内側はやわらかく。ナイフを通せば抵抗なくするりと切れ、口へ運べばこれは飲み物かと思うくらいにするりと喉へ落ちていく。

 もちろんこれだけでも十分にうまい。だが肉である以上は食べ続ければだんだんとくどくなってくる。それを解消するためのバルサミコ酢のソースだ。熟成されたバルサミコ酢は酢にある独特の酸味が弱い。だが酸味がまったくないわけではない。つまり嫌な酸っぱさにはならない程度の酸味があるのだ。これを使って作ったソースは肉汁でこってりとした口内をさっぱりとさせてくれるだけでなく、次へ次へとフォークを進ませる効果を果たしてくれるのだ。

 

「うん、美味いな。やはり食事はこうでなくては……そうだ艦長」

 

 深く頷く北条少将。それから少将は石川大佐から今度は霧堂艦長へと目を向ける。

 

「今日の艦隊運動訓練、なかなかいい動きだったぞ」

 

「いやぁ、ありがとうございますー北条閣下」

 

 笑顔を見せる霧堂艦長。食事というのは栄養補給という生物としての目的だけではない。なんせ艦の運営に関わる幹部たちが一堂に会するイベントである。しかもそれが一日に三回。生物の如き円滑な行動を求められる軍艦において、コミュニケーションほど重要な活動はない。

 

「シンガポールを抜けてからが正念場だからな、しっかり錬成を頼むぞ」

 

「もちろんですとも閣下、この霧堂明日菜にお任せください」

 

 ちなみに、同じ卓に座って自身気に言ってみせる霧堂艦長のメニューはビフテキである。流石の艦長も大佐というべきか、礼儀作法(テーブルマナー)を守って粛々を食事を……

 

「あ!」

 

 ……していたのだが。霧堂艦長の口より突然奇声が飛び出し、次の瞬間には机を叩く。北条司令のコップが揺れ、同じ卓にいた砲雷長のビフテキが皿からズレ落ちそうになり、石川大佐はスプーンを落としかけた。

 

「可愛い子ちゃん来たぁ!」

 

 霧堂艦長がフォークで指し示すのは士官食堂の入口。そこには周りの士官たちより遥かに背の低い下士官制服姿の少女、夢華だ。霧堂艦長の姿を認めたのか、すぐに顔を引き攣らせる。

 

「げ」

 

「ようこそ士官室へ! いやあ暇を作っては探してたのに、ぜんっぜん出てきてくれないんだもの! やあっと心を許してくれたんだね!」

 

 そう言いながらずかずかと士官室を縦断する霧堂艦長。つい先ほどまで上品に食事をしていた両手が奇妙な動きをしながら夢華へと迫る。

 

「な、ななんでこんなところにいやがるんです」

 

「なんでもかんでも、私は「加賀」の艦長サマだよ? 士官室にいない理由がないじゃないか。さぁ、さぁ……」

 

 にじり寄る霧堂艦長。同じ分だけ下がる夢華。よもや戦術的撤退以外に道はないのか。

 

「……艦長」

 

「む、なんだいこーにゃん」

 

 間に割って入ったのはコーニャだ。夢華よりはるかに背の高いコーニャが、霧堂艦長との間の防壁になる。

 

「食事、させて」

 

「えー、これから面白いところなのにぃ?」

 

 コーニャに向けてニカリと笑って見せる霧堂艦長。その隙に夢華はコーニャの後ろに完全に隠れるように退避した。俗にいう鉄壁の護り(マンネルへイム=ライン)である。ちなみに鉄壁といっても、コーニャは決して鉄壁ではない。

 そして要塞線に釘付けになった霧堂艦長の背後に、怒気を滲ませた影が現れる。

 

「艦長! いい加減にして下さい!」

 

 霧堂艦長は振り返るが、しかし相手は石川大佐ではなかった。見れば石川大佐は胃薬片手に悶えている。連日の疲れが溜まっているのだろう。

 

「えーなにさ砲がないくせに砲雷長」

 

 小馬鹿にされた砲雷長はその四角い顔に添えられた四角い眼鏡ごと震える。

 

「なんですかその呼び名は! 本艦には20㎜『砲』が搭載されてます! 誘導弾(ミサイル)だって……いや、そうじゃなくてですね。艦長、流石に他国のウィッチに対してその態度はどうかと思うのです」

 

「えー」

 

「えーじゃありません」

 

 そんな会話が交わされる中、勇敢な従兵がコーニャと夢華にメニューを聞く。尉官である彼女たちは、当然ながら士官待遇を受けるのだ。メニューを聞いた夢華は、眉をひそめて怪訝な表情を浮かべた。

 

「ステーキにオムライス? それ、あとで請求したりしやがりませんよね?」

 

「夢華、どうしたの?」

 

「いや、なんでもねえです。あたしにはオムライスを持ってきてくだせい」

 

「中尉殿は?」

 

「……オムライス」

 

「かしこまりました」

 

 従兵が去り、空いている席に座る夢華とコーニャ。隣からは艦長と砲雷長の声がまだ聞こえてくる。

 

「まったくこれだからトマホーク菊池は」

「本艦に対艦誘導弾は搭載されておりません」

「早く空母撃沈を具申するんだ、私に!」

 

「……なにを言ってやがるんですか、あれらは」

 

「「加賀」砲雷長の名前が、菊池。それだけ」

 

 意味が分からんといった様子の夢華に、端的に答えてそれ以上は続けないコーニャ。首を傾げていた夢華だったが、程なくしてオムライスが運ばれてくると顔色を変えた。黄金色に輝く卵からはふわりと湯気が立ち上り、夢華の鼻をくすぐる。

 

「こ、これは……!」

 

 食事への感謝もおざなりに口へと運ぶ。

 

「……扶桑はいつもこんな良い食いモンを食ってやがるんですか」

 

 どこか怨みの籠った言い方ではあったが、もちろん料理の虜となっているのが今の夢華。実際、塩しかない海の上とは思えないほど豪勢なメニューではある。食材だって伊達にいいものを集めたわけではなさそうだ。食べれば分かる。

 海軍は海の上に食料を持ち込むという事情から糧食に予算が回りやすいし、他軍と違って砲艦外交(がいこうかん)としての仕事もある。しかもここでは士官向けの食事が出されているのだ。ほっぺが落ちない訳ないのである。

 

「取ってつけたように押し付けられた階級でやがりますが、今日ほど将校であったことに感謝した日はねーですね」

 

「……そう?」

 

 コーニャがスプーンを動かす手を止め、そう夢華に問う。その僅かに籠った抗議に夢華は気付けない。

 

「下士官食堂と違って広いし、食事も数段いい。これぞ将校サマの待遇ってもんです」

 

「でも、置いてきた」

 

 コーニャが言わんとしているのはひとみとのぞみのことだ。ここには夢華とコーニャだけ、二人は来ていない。というか来れない。ここは士官食堂なのだ。

 

米川(ミーチャン)大村(ダーツォン)は来れないんだから仕方ねーじゃないですか。あたしは食べられるから食べる、それだけだってんですよ」

 

「ほんとに、それでいいの?」

 

「フン、あたしはむしろせいせいしてるぐらいでやがります。そんなこと言うぐらいなら、アンタだけでも戻ったらいいんじゃねーですか? 二人よか三人の方が多くなるってんです」

 

 そこまで矢継ぎ早に言って、それから夢華はコーニャがじっと見つめていることに気付いた。

 

「なんでやがりますか」

 

「別に」

 

 それだけ言ってコーニャは視線をオムライスに戻す。それから目を合わせずに言った。

 

「……戻らない。戻ったら、夢華がひとりになる」

 

「フン、勝手にやってろです」

 

 もう話すことはないと言わんばかりに夢華はスプーンでオムライスを大振りに削り取り、口へと運ぶ。数口だけで食べなれてしまったのか、やけに鈍い味になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――こちらカイト・ツー。定期連絡1535、マップコードD-2374E、ネウロイ、確認できず」

 

 魔導インカムを入れてそう言うひとみ。やや間があって、コーニャの声が返ってきた。

 

《ん……わかった》

 

 哨戒フライトというのは地味だが、危険度の高い任務だ。

 

 哨戒ということはもちろん敵が出そうな場所をうろうろする訳だが、だが敵がいつ出てくるかは当然知らされていない。たとえ晴天の穏やかな天気でも接敵すれば関係なく、空はたちまちその顔色を変えることだろう。それはいきなりにやって来るのだ。しかし今日は来ないかもしれない――――故に、緊張を保つのが難しい。

 

 それだけではない、こちらで都合をつけて出撃できる攻撃と違い哨戒に全戦力を投入することはできない。対して攻撃してくる敵は全力だ。

 つまり哨戒中に会敵した場合、圧倒的な戦力差が前提となるのである。増援が到達するまで少数の戦力で効率よく足止めをする必要があるのだ。

 

 

 だからこそ、僚機との連携が求められる。

 

 求められる……のだが。

 

 

「……なんであんたと組まなきゃいけねーんですか」

 

 ひとみは、夢華にまだ謝れずにいた。

 

「もんふぁちゃんは、わたしとは飛びたくない?」

 

 ひとみは浮かび上がってくるどこか暗い感情を押さえつけ、努めて明るく答える。夢華はひとみに聞こえるようにあからさまに鼻をふんと鳴らす。

 

「命令じゃねーならとばねーですよ。なんで下校(しょうい)のあたしがウィングマンで、あんたの指揮を受けなきゃいけねーんですか」

 

 夢華の指摘も実は最もなのである。夢華の方が階級も経験も撃墜数も上であり、ひとみが勝てるものといえば、年齢と、どんぐりの背比べ程度の身長程度のものだったりする。

 

「それは……石川大佐の命令だし……」

 

 それでも石川大佐が飛行組長(エレメントリーダー)に指定したのは米川ひとみ空軍准尉だったのだ。

 

《ひとみのほうが指揮官適性が高い。経験を積んだ方がいいと判断。たぶんそう》

 

 無線で飛んでくるコ―ニャの声。「加賀」の上空に留まってレーダーサイト役になっているので、ひとみたちの会話を聞いていたのだろう。

 

「にしても納得いかねーですよ。なんで弱いのに従わなきゃいけねーんですか」

 

「うぅ……確かに模擬戦で負けたけどぉ……」

 

《最初から強い人もいる。でも弱い人がずっと弱いとは限らない。それにひとみもエースパイロット、強い》

 

「ふん」

 

 夢華はコ―ニャの弁護に不満タラタラらしい。

 

《後輩を育てるのも、上官の仕事。夢華》

 

「はいはい、わかってますよーだ」

 

《ならひとみに従う。次の捜索エリア、D-2376F。展開を》

 

「了解です、ヘディング・ワン・フォー・ファイブ。ストレートアプローチ」

 

 ひとみがハンドサインを出しつつ左へ旋回。高度を下げないように出力を僅かに上昇させて水平に旋回。その航跡をなぞるようにして夢華がついてくる。

 

「頼りないかもしれないけど、わたしはもんふぁちゃんを信じたいし、信じてるよ。だって、同じ203空でしょ? ……だからもんふぁちゃんも信じてほしいってのは……ちょっと言いすぎかな?」

 

 ひとみは頬をポリポリと掻きながらそういう。盛大な溜息が聞こえる。

 

 

「……あんたさ」

 

「なぁに? もんふぁちゃん?」

 

 ひとみは前方に視線を向けたまま声だけでそう返す。夢華は僚機の警戒位置、組長機の斜め後方上空に位置取りながら声をかけた。

 

「よくそんな能天気で死なずに飛びやがりますね」

 

「え? それってどういう……」

 

「……あたしが」

 

 カシャン、という音。金属音。ひとみがちらりと横を見る。

 

「――――こうやってあんたを撃ち殺すこととか、考えねーんですか」

 

 黒光りする真っ黒な口。夢華が小銃を向けていた。

 

「えっと……もんふぁちゃん?」

 

 銃を構えているのを確認して、ひとみは飛びながら、くるりとハーフロール。夢華の方に体を向けた。攻撃の意思はないよ、と示すために胸の前で両手を上げる(ホールドアップ)

 

「ど、どうして夢華ちゃんがそんなことをする必要があるの?」

 

 もしも今夢華が、少し指先に力を入れたなら……万が一というか、億が一のためにシールドの展開の用意だけはしておく。そんなことなんてないって思いたいのに、自然とWA2000のグリップを握る手に力が入ってしまった。わたしも、そういう力を持っている。でもそれを本当に誰かに向けられるなんて、信じられなかった。

 

「理由なんてねーですよ」

 

 夢華は小銃を構えたまま続ける。

 

「気に入らないから、ムカつくから、そんな理由でニンゲンはニンゲンに殺されて死ぬってのに、それも知らずに空飛んでやがるんですか」

 

「もんふぁちゃん……?」

 

「フン」

 

 呆れるように夢華が小銃を下ろす。それを確認して、ひとみも通常の飛行姿勢に戻る。

 

「もんふぁちゃん、怒ってる?」

 

「アホくさ。あんたはご機嫌取りする犬かなんかでやがりますか?」

 

 ひとみが明らかムッとした表情を浮かべる。夢華の位置からは見えていないだろうに、彼女はケラケラと笑った。

 

「何ムキになってやがるんです。ニンゲンは簡単に死ぬし、いつ死ぬかわからねーんです。無理に飛びたくもない人と飛ぶ必要もねーですし、そのニンゲンの機嫌を取る必要もねーですし。……それは弱いやつがすることですだよ。米川(ミーチュアン)

 

「……もんふぁちゃんは、わたしのこと、嫌い?」

 

「認めるのはまっぴらごめん」

 

 あんたもそうでしょ、と夢華は聞く。ひとみはワルサーを握りこむ。

 

「……私は、みんな好きだよ」

 

「はっ、これだから甘ちゃんは。あたし相手に良くいいやがりますね」

 

 夢華は心底楽しそう。その様子を見て、ひとみには思い当たる節があった。

 

「手紙の時のこと、怒ってるの?」

 

「怒ってるのはあんたじゃねーですか」

 

「それは……あの時は、哀しかったけど……」

 

 空はこれ以上ない程の晴天で、燦々と降り注ぐ陽光は南の海を温めている。それを見て、ひとみは努めて明るい声を出した。

 

「わたしは、もう怒ってないよ。だからあの話はもうおしまい。だって、203空の仲間だし、ずっと『よくもあの時あんなこと言ったなー!』って思ってるのも悲しいし疲れるし、いいことないもん。もんふぁちゃんもいろいろあったんでしょ?」

 

「ふん……」

 

 ついと視線を逸らす夢華。

 

「でもあたしはあんたを認めねぇ」

 

「なら、どうすれば認めてくれるの?」

 

「まずはそのご機嫌取りをやめやがってください」

 

「えっと……ご機嫌取りをしてるつもりはないんだけど……」

 

 苦笑いでそう言ったタイミング、ひとみの通信機が受信を告げた。

 

「スコーク77……? これって……」

 

 ひとみはその無線に転送措置をかける。同時にコ―ニャに無線を繋ぐ。

 

「コ―ニャちゃん! これ……!」

 

《スコーク77、航空救難信号……敵味方識別装置(I F F)信号、短信一発、送信》

 

「は、はいっ……!」

 

《ひとみ、落ち着いて。ひとみの機体はこちらでもモニターしてる。深呼吸して》

 

 そう言われ、深呼吸してからIFF信号を送信。

 

《……反応なし》

 

「コ―ニャちゃんには見えてる?」

 

《見えない。たぶん、遠すぎる……。石川大佐》

 

 コーニャが呼び出したのだろう。無線に石川大佐の声が乗る。

 

《今、行方不明機や救難を出してる機がないか問い合わせているが情報は出ていない……。カイト・ツー、スリー、あとどれくらい飛べそうだ?》

 

「こちらカイト・ツー。魔力増槽にまだ余裕があるのであと1時間半は飛べます」

 

「カイト・スリー。あと1刻ぐらいは飛べやがりますが、戦闘になると保障できねーです」

 

 僅かな間が入る。それから石川大佐は言った。

 

《……よし。航空救難を想定し、当該機捜索を開始する。魔力の余裕を鑑みて1610時をもってカイト・ツー及びスリーによる捜索は終了。近隣の航空隊に捜索を移譲する。異論はないな?》

 

「カイト・ツー、ラジャー」

「スリー」

 

《よし、いってこい》

 

《信号への誘導を開始する》

 

 コ―ニャが情報支援を開始。飛行ルートが指示された。それを目指して飛ぶ。

 

「もんふぁちゃん、編隊飛行を変更します。ワイド・アブレスト。スタガット・ワン・ポイント・ツー」

 

 ひとみが捜索に向けて指示を出す。横一列で飛ぶように指示、1.2ノーティカルマイルの距離を開けて飛行する隊形だ。

 

《ひとみのトランスポンダーの信号の送信地点まで、12分……スプラトゥーン諸島のあたり》

 

「故障じゃねーですか?」

 

 故障? 夢華の声にひとみはどこか不安になる。

 

「もんふぁちゃんのレーダーには反応ないの?」

 

「あったらそんな質問しねーですだよ」

 

「そ、それもそうだよね……」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らす夢華。そのテンションのまま口を開く。

 

「……それにしても、スプラトゥーン諸島でいやがりますか」

 

 まるでとんでもないところに来てしまったと言わんばかりだ。

 

「もんふぁちゃん、スプラトゥーン諸島になにかあるの?」

 

米川(ミーチュアン)、スプラトゥーン諸島がなんて呼ばれてるのか知りやがらねーですか」

 

「し、知らない、けど……」

 

 それを聞いた夢華がにやーっと不気味な笑みを浮かべた。

 

「華僑空軍ではこう呼ばれてやがるんですよ――――悪魔の南沙諸島(スプラトゥーン)

 

「あ、悪魔……!?」

 

「この近海でよくウィッチが行方不明になりやがるんです。何の前触れもなく消えて、その怨霊がいつまでもそこをさまよっているとか……」

 

 その声にごくりと唾を飲むひとみ。

 

「で、でもそこで助けを待ってる人がいるなら……」

 

「あんまり深入りはしないほうがいいんじゃねーですか」

 

「それでも、無視は、できない……っ!」

 

 ひとみが夢華から距離を取るように出力を上げた。

 

「……たく、何を真に受けてやがるやら」

 

 飛んでいくひとみの残した魔法光を見ながらケラケラと笑う。

 

「怨霊なんてそんなものないに決まってるじゃねーですか。軍人がそんなの怖がっててどうするってんです」

 

 お構いなしに飛んでいく夢華。だが、悪魔の南沙と呼ばれているのは本当だ。実際この辺りで消息を絶つウィッチは多い。

 

 しかしこの科学の時代。どんなものにもからくりはある。それはここの立地的条件だ。

 

 

 

 スプラトゥーンの存在する海は、言うならばアジアに開いた大穴だ。どこの有人島からも等しく遠い。

 だが北には華僑民国、南にはブリタニア連邦、そして東西にはガリア、リベリオンの強い影響力が及んでいる。ネウロイとの戦争に精一杯な状況だが、各国は当然ネウロイとの戦争の後を見据えて対策を練らねばならない。その戦後を考えた時、このスプラトゥーン諸島は交易、資源の要所として重要な位置を占めうる。こんな情勢だ。自国民を住まわせるのは難しい。ここを手に入れるのには、成果だ。この地域を守ったという成果が必要なのだ。

 

 だからこそ、各国はここを哨戒ルートに加え、実効支配をしているとアピールしている。おかげで哨戒ウィッチがこのあたりを頻繁に飛び交うことになる。要は他の海域より飛び交うウィッチの量が多いのだ。母数が多いのだから確率論的に考えて、トラブルが発生する確率が高いというわけである。

 

 

 

《夢華、ひとみはどうしたの?》

 

 ひとみの指示に一応従い、指定の距離で飛ぼうと調整していた時に、無線が飛び込んできた。

 

「へ? 飛行組長殿なら、そこに……え?」

 

《……哨戒網から、ひとみの反応が、消えた》

 

「……んなばかな」

 

 夢華は足を止め、能力を展開してみる。ひとみの方から接触してくる未来は、見えない。

 

「……どこ行きやがった」

 

 まっすぐ飛んでみる。一度エンジンをアイドルまで絞って極力耳を澄ます。自分の足元を除いてジェットノイズも聞こえない。振り返ってみても彼女の影は見えない。

 

「……悪魔の南沙諸島(スプラトゥーン)、でやがりますか」

 

 夢華の呟きが、南洋の空に消えた。

 



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第十二話「レーダーコンタクト~ひとり~」前編

「米川機をロストした!?」

 

 飛んできた報告に石川大佐がオウム返しに叫んだ。暗い指揮管制所に声が反響し、横にいた霧堂艦長がその声量に片耳を抑える。それをちらりと見てから石川大佐はインカムを押さえ直した。

 

「……どういうことだ?」

 

《カイト・スリーは捜索のために離散隊形を取っている間にロストしたと言っている。ネウロイの反応もビームも確認されていない》

 

「米川機の情報は?」

 

《不明。一切の情報が上がってこない》

 

 コ―ニャから上がった報告に、石川大佐は唇を噛んだ。汚らしい言葉(Fワード)を口にしようとして、止める。部下が聞いている。教育的にも上司的にも聞かせていい言葉じゃない。

 

「……ポクルィシュキンが情報を捕まえられないとなると、考えられるのは米川機の無線システムが一斉にダウンしているか、救難信号を出す余裕もなく、撃墜されたか、か」

 

《撃墜の可能性は、かなり低い》

 

 コ―ニャの声は淡々としている。

 

「その理由は?」

 

《二つ。一つは夢華の固有魔法。飛行中、夢華は可能性予知が使える。ネウロイのビームを予知していない》

 

「もう一つは?」

 

《ネウロイのビームが走ったなら、A-100飛行脚のセンサーで捉えられる。ウィッチを即死させられるようなビームなら、通信に影響がでる。ひとみロストした直後、夢華との通信は明瞭。通信障害が起きた形跡もない》

 

「となれば……米川だけが原因不明の理由により忽然と姿を消したということか」

 

 逡巡し、決断を下す。早いに越したことはない。

 

「……霧堂」

 

「くると思った。いいよ。船ごと向かおうか」

 

 一瞬の間も置かずに霧堂艦長が言う。

 

「恩に着る。……一度全員帰投しろ。装備を整え、米川の捜索を行う」

 

《了解。カイト・スリーをストライク管制圏まで誘導する》

 

「頼む。高少尉をストライク管制に引き継いだ時点でポクルイシュキン中尉は先に帰投しろ」

 

《わかった》

 

 無線が切れる。目の前に広げていた電子書類に保存をかけ、立ち上がる。

 

「……石川、あんたが今思ってること当ててあげようか?」

 

「貴様とお喋りしている余裕はない」

 

「いーや、あるね。こーにゃんと夢華ちゃんを引き戻したってことはその後ブリーフィングをするはず。それまでの余裕はある。違う?」

 

 霧堂艦長はそう言って笑う。

 

「さくらちゃんが考えていること一つ目、捜索の手が足りない。私も飛ぼう。偵察型のファントム(RF - 4)を用意しなきゃ」

 

「分かってるなら……」

 

「さくらちゃんが考えていること二つ目、自分が飛んでればこんなことにならなかった」

 

 霧堂艦長は艦の個別兵装を指揮する指揮官卓の座席に座ったまま、振り返るようにして石川大佐を見る。

 

「……図星だよね。それ、部隊全員に失礼だから」

 

「……」

 

 押し黙るという表現が似合う表情で石川大佐が黙り込む。

 

「まずはあんたが落ち着かないと。あんたの指示で全員が動くんだ。人類連合軍大佐、石川桜花」

 

「……言われなくとも」

 

「だったらあんたが真っ先に飛び出そうとしないの。もうあんたは強行偵察ウィッチ(ワイルドイーゼル)じゃないんだ」

 

 そう言った霧堂艦長の表情を見て、石川大佐は黙り込む。どこか寂しそうな笑みで言われれば、言える反論などなくなってしまう。

 

「……くそ」

 

「汚い言葉を使わないの」

 

「無線は切れてるんだろう。悪態ぐらいつかせろ」

 

 そう言った石川大佐には肩を竦めるようにして返す霧堂艦長。その顔には笑みが浮かんでいる。

 

「それで、どうするの?」

 

「米川が自分から無線を切るとは考え難い。十中八九何らかのトラブルに巻き込まれたとみて間違いないだろう」

 

「それは同感。グレそうにないもんねーひとみんは」

 

 霧堂艦長はそう言って笑う。

 

「F-35の機械的故障?」

 

「実用実験は十分行われている、通信機器が使えなくなるような深刻なトラブルなんて俺は聞いてない」

 

「でも可能性はゼロじゃない、かな?」

 

「もしそんなことがあれば重大インシデントでは済まないがな」

 

 そう言って石川大佐は今回の哨戒図を見る。

 

「それより不可解なことがある。米川機がロストする56秒前まで、高少尉と米川は会話している。それはポクルイシュキン中尉が確認済みだ。陣形はラインアブレスト……同じ方向に平行に飛んでいて、たった一分足らずで魔力光すら残さずに消え去るか?」

 

 そう言われ腕を組む霧堂艦長。

 

「……まぁ、オーグメンターを使った加速ならありえるけどねぇ」

 

「オーグメンター使用時の爆音に高少尉が気付かないはずがない」

 

「だよね。夢華ちゃん耳良さそうだし……誰かが『きゃー、ひとみんカワイイー!』って連れ去っちゃったとか?」

 

「全く……貴様じゃあるまいし」

 

「でも、可能性はゼロじゃないよね?」

 

 霧堂艦長の声がすっと冷える。

 

「人類連合の最高機密(トップシークレット)級の飛行脚とライトニング・ドライバー(ひとみちゃん)が消え去った。大問題どころじゃないよ」

 

 石川大佐は霧堂艦長を見やる。彼女の笑みは同じ笑みだが、どこか黒い笑みへと代わっていた。

 

「周辺各国は喉から手が出るほど欲しいんじゃない? 低視認性(ロービジリティ)飛行脚。おあつらえ向きに海域は魔のスプラトゥーンだ」

 

「……貴様はどこかの組織の連れ去りだと?」

 

「可能性としてだよ。ここの利権はヤバイからね。……君はあまり聞きたくないかな? 石川桜花ちゃん」

 

「……場を弁えろ霧堂」

 

 そう言われるがどこ吹く風で霧堂艦長は続けた。その笑みが石川大佐の神経を逆なでする。

 

「スプラトゥーン諸島海域のパイは大きいからね。皆独占したくて仕方がない。東のフィリピンから飛んでくるリベリオン軍、西のベトナムから飛んでくるガリア軍、南のシンガポールからもブリタニア-アウストラリス連邦王国空軍だって機体を飛ばしてくる。勿論、南洋島を抱える扶桑皇国も、シーレーンは確保しておきたい華僑民国もまた然り」

 

「……それがどうした」

 

「そんな中でのこのこ最新鋭機を使って()()()()を行わせたんだ。うるさいでしょ? 普通なら」

 

「だから見せしめに落として見せた、と?」

 

「そこまでは言わないさ。空の仲間は家族だというし、どこのウィッチも進んで空の戦友を落としたいとは思わないだろうさ。でも、(まつりごと)は待ってくれない」

 

 霧堂艦長の声が冷える。

 

「203は国際部隊だ。そう簡単に向こうも手を出せなくなる、でもそれはそれだけ鼻につくってことだ。……可能性として人に落とされた可能性も否定しきれない、違うかな?」

 

 霧堂艦長は間を取るが、石川大佐は黙したままだ。重い間を破ったのはやはり霧堂艦長だった。

 

「もっとも、熱光学迷彩(とうめいマント)が開発されたなんて話は聞かないし、1分かからず忽然とひとみんを消し去るマジシャンに心当たりもないんだけどさ」

 

「……まったくだ。それに国際部隊たる人類連合を敵に回してまでやるメリットが思いつかん。それに、それができるならどんなトンデモだ。ネウロイのせいと言われた方が納得がいく」

 

「まぁ、その場合は、前者のトンデモが後者のトンデモに代わるだけだけどさ。……ま、おイタした人を笑って許すほど、人類連合も扶桑皇国海軍も甘くはない。そうでしょ、()()()

 

 その言いぐさに石川大佐は溜息をついた。

 

「感情的になってるのはどっちだ」

 

「あら、落ち着けとは言ったけど、私が落ち着いてるなんて一言も言ってないわよ。……ちょうどいい具合に(はらわた)は煮えくり返っているしね」

 

「……人に見せていい顔をしてないぞ、ユーフラテスの饕餮(とうてつ)

 

 あら失礼、と言っていつも通りの笑顔に戻る霧堂艦長。

 

「ま、お互いろくに飛べなくなったとしても、難儀な称号をいただいてるわけだ。私はまぁ人面羊でなんでも食べちゃうわるーい怪物ちゃんだし、あんたは根暗な感じなおくりびと。部下を率いるのに縁起が悪いことこの上ないね」

 

 でもまぁ、と笑ってから霧堂艦長は続けた。

 

「私のひとみちゃんに手を出したやつ、おしりぺんぺん100回程度じゃ許してやるつもりもないのさ。久々に食い散らかしたくなるのも無理はないでしょ?」

 

「だからいつから米川は貴様のものになったんだ……ほどほどにしとけよ、高血圧は体に障るぞ」

 

「ご心配どうも。……上層部(おかみ)は私が説得する。意地でもスプラトゥーン諸島まで運んでやるから、犯人ぶん殴っておいで」

 

「感謝する、霧堂」

 

「アンタと私の仲だからね、言いっこなし」

 

 振り向きもせず手をひらひらと振る霧堂艦長を残して、石川大佐は指揮所を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 石川大佐が怒りの矛先を全力で探していたころ、当の米川ひとみはパニック寸前だった。

 

「なんで……っ! 無線がどこにもつながらないの……っ!」

 

 いきなり夢華の声が聞こえなくなったと思って無線を開いてみたら、音もなにも聞こえない空間になっていたなんて本当に笑えない。コ―ニャとの通信も繋がらなければ、全地球測位システム(G P S)はエラーを吐きだしている。

 

「本当に、ここどこなの……」

 

 GPSがエラーとなったおかげで、航法図の位置にずれが生じていて、さっきからマルチバイザーのエラー通知が消えない。慣性航法装置(I N S)のデータで動かしているのだが、島があるべき場所になかった。正直どこを飛んでいるのかすらさっぱりである。

 

「こんな短距離で島がずれたりすることって……そんなことないはずなのに」

 

 コンパスもずれているように思う。少なくともまっすぐ飛んでるはずなのに太陽の位置がずれているように思う。

 

「風で流されてるわけじゃないはずなのに……」

 

 まっすぐ飛んでいるはずなのに、じわじわとコンパスが回っていくなんて、どうなっているんだろう……。

 

「つ、つかれた……」

 

 GPSもINSも信じられない状況で下手に飛び続けるのは下策だろう。おそらく加賀も米川機行方不明事件の発生は伝わっているはずだ。伝わっていると信じたい。

 

「そろそろ、魔力も尽きそうだし……下りるしか……ないかなぁ……」

 

 いびつな三角形の島には木がこんもりと茂っている。直射日光で干からびてという事は防げそうだ。とりあえず、あの島に降りてみようか。……疲れが結構限界に近い。とりあえず海岸線に向けてアプローチ。加賀への着艦と比べれば楽なのだが、気が重くて仕方がない。白い砂浜は見た目にきれいだ。これが観光だったら大喜びで海に飛び込むのだが、そんな余裕はどこにもない。

 

 出力をゆっくり絞っていく。止まれなかった時も考えて、浅い角度で砂浜に突っ込むように持っていく。待っ正面から木にぶつかりましたなんて漫画みたいなことになったらいやすぎるし、それが致命傷になりましたとか言ったら単独遭難で治癒魔法持ちじゃないひとみには泣くに泣けない。

 

「ゆっくり、ゆっくり……」

 

 フルフラップダウン。体を起こして水平尾翼(スタビレーター)でバランスをとる。いつも通り右肩にかけたWA2000のスリングを右手でつかみ、勝手に吹っ飛ばないようにしてからどんどん身体を起こしていく。できる限り低速で海面に近づいていく。今は横風が吹いてくれなければいいが。

 

 地上時姿勢安定装置が始動、10フィートを切った。足元にまっしろな砂浜がやってくる。何とかこれで着陸――――

 

「へぶっ!」

 

 ――――したつもりだったのだが、砂浜を蹴りつけてしまった反動で前につんのめってしまった。砂が熱い、というより、痛い。柔らかい砂浜もこうなれば天然のヤスリだ。

 

「――――失敗した」

 

 ストライカーユニットへの魔力の供給を緊急カット、エンジンを止めると足が押し出される。砂浜を這うように手で体を押し上げ、足が抜けるスペースを確保する。

 

「えっと、とりあえず……」

 

 何とか二本の足で立つことに成功し、周りを見回してみる。真っ白な砂浜。青い海にヤシの木、ヤシの木の向こうには結構うっそうとした森。……いわゆる南国のビーチだ。こういうところで結婚式挙げたーいとか言っていたクラスメイトを思い出すが、一人きりだと不安以外の何物でもない。

 

「と、とりあえず、ストライカーだけでも隠しとかないと……」

 

 砂浜をズリズリと引きずるようにしてヤシの木の下までもっていく。ひとみの腕力では片方ずつしか無理だ。どうしてストライカーはこんなに重く作られるんだろう。魔力を通さねばただの重い合金製のなにかである。

 

「こ、これで少しは……マシ、かなぁ……」

 

 二つ運び終わった時にはすっかり息が上がっていた。魔力の消耗が激しい。身体は既にヘトヘトだ。ぺたん、と砂地に腰を下ろそうとして砂の熱さに飛び上がる。日光に晒された砂はこれでステーキくらいなら焼けるんじゃないかと思うくらい熱かった。

 

「えっと、確かサバイバルパックの中に……」

 

 ごそごそとポケットサバイバルパックを探して中身を並べる。ビニールに包まれた金色に輝くスペースブランケットを取り出した。丁寧に袋を破いてブランケットを取り出すと金色を内側にしてくるりと体に纏った。

 

「初めて使ったけど、以外に涼しい……」

 

 同じくサバイバルパックの中にあった救命水のキャップを外すと少しだけ飲んだ。サバイバル経験などこれっぽっちもないが、長丁場になったら水はなくてはならないものである以上、がぶ飲みするのは気が引けた。

 

「イタッ……」

 

 ブランケットが右肘に触れた瞬間、小さな痛みが走る。慎重にブランケットから右腕を引き抜いて、痛みを感じた場所を確認。

 

「擦り剥いてる……あっ、さっき着地失敗した時に……」

 

 思い返せば砂浜に頭から突っ込んでしまっていた。減速していたおかげで大ケガというわけではない。しかし擦り剥いた痕には血が滲んでいる。

 

「ほ、他にケガはしてないよね……」

 

 立ち上がって全身をくまなく調べる。ストライカーに覆われていた脚部は無事だったが、右肘の他に右の頬を擦り剥いていた。

 

「えっと、応急処置は……傷口をきれいにしなくちゃいけないんだっけ」

 

 砂まみれで放置しておくことは明らかに不衛生だ。破傷風などの恐れもあるため、きれいな水で洗い流さなければいけないのだが、問題のきれいな水がほとんどないのだ。

 

「川の水は怖いし……やっぱり救命水かなあ」

 

 貴重な飲み水だ。正直にいって使いたくはない。けれど傷を放置しておくのはもっと嫌だ。

 

 救急キットを取り出してから救急水で擦り剥いた右肘を洗い流す。こびり付いていた砂などを落として上からドレッシング材を吹きかけて防水フィルムを気泡が入らないように貼り付ける。続けて頬にも同じようにして傷を防水フィルムで覆った。ちょっといびつになったが、ないよりは大分ましだ。

 

「もうほとんど残ってない……」

 

 そして炎天下にいるせいで、喉はもうカラカラ。わずかに残っているボトルの水を一気に飲みたい衝動に駆られる。

 

「まずは飲み水を確保しなくちゃ……」

 

 ブランケットを脱いで立ち上がる。風で吹き飛ばされないようにヤシの木の下に置いてあるストライカーを重しにして固定すると、島の外周を歩き始めた。

 

「川はあったけど……たしかこういう水は飲んじゃいけないんだよね……?」

 

 飲んではいけないと、どこかで読んだような気がする。たぶん。うろ覚えの知識だが、いけないような気がするのに飲むのは少しばかり躊躇われた。

 

「湧き水ならいいんだっけ……どこかにないかなあ」

 

 ちらっと森の中を見る。だがストライカーを装着していたひとみは裸足だ。森の中へと踏み入れるのは危ない。変な虫に刺されるかもしれない。足をひどく傷つけてしまうかもしれない。そんなリスクがあるのに森へ入るのはちょっぴり、いやかなり怖い。万が一にもライオンさんと出会ったらどうしよう……!

 

「とっ、とりあえず森に行くのはなしっ!」

 

 となると、行ける場所は限られる。海で泳いでもいいが、泳いで対岸まで行ける気はしない。というより、下手したら三桁キロあるのに泳げるわけがない。従って森でもなく海でもないこの海岸線を歩くしかないのである。

 

「えっと飛んでるときに崖を見つけたからそこなら……」

 

 さくさくと砂浜を歩いて、崖があった方へ。記憶が正しければそんなに離れていなかったはず。残り僅かな水がついに底を突いた。あともう少し。あともう少しであったはず……

 日差しがひとみを照りつけ、もうかなり消耗していた体力をさらにごっそりと持っていく。北国生まれの北国育ちであるひとみにはこの熱さはかなりきつい。

 

「あれ……これってストライカーだよね?」

 

 海岸線を歩いていると、シュロの木の下に安置されている赤さびたふたつの長い金属塊が目に入った。潮風に晒されてボロボロになっているが、明らかにストライカーユニットだ。

 

「ここまでボロボロだと詳しい機体名まではわかんないけど……ちょっと古い機体かな?」

 

 主流となりつつあるジェット機ではなく、プロペラ機であるらしいところを見ると、ひと昔以上前のものだ。骨董品というほど古いわけではないが、少なくともこのタイプはもう空を飛んでいないだろう。

 

「夢華ちゃんが言ってた行方不明のウィッチが使ってたストライカー……かなぁ?」

 

 だとしたら使っていたウィッチはどこへ……

 

 いや、考えるまでもない。ここまで風化したストライカー。かなりの歳月が経っていることは確実だ。そしてここはスプラトゥーン諸島。ウィッチが数多く行方不明になる魔の海域だ。そしてストライカーが置きっぱなしということは未帰還機のはず。つまりは()()()()()()なのだろう。

 

 錆びたストライカーの近くにひとみがしゃがみこむ。目を凝らして表面の赤錆の下にある紋章を見つめた。

 

「これは……リベリオンの紋章だよね」

 

 その他に何かわかることはないかとストライカーをいろんな角度から眺める。だがそれ以外はわかりそうにもない。それにここまでボロボロならば使えそうなものも残ってなどいないだろう。

 

「……水、探さなきゃ」

 

 いつまでもここにいて、古いストライカーを眺めていたところで水は手に入らない。それにひとみができることもない。

 

 ズボンに付いた砂を手ではたいて落とすと、また島の外周をてくてくと歩き始めた。気持ち速足になる。さっきの古いストライカーユニットの持ち主に目を付けられる前になんとか距離を取ってしまいたいと思ってしまう。

 

 さざ波の音、風で葉と葉が擦れ合う音。たまに聞こえる鳥の鳴き声。「加賀」のような人の喧騒は聞こえない。

 

「もう少し……もう少し先にあったはずっ…………」

 

 ひとみが自分を励ますように呟く。崖は絶対にあった。水は……湧いているかはわからないけど、きっと大丈夫。

 日光の照りつける中をひたすらに歩く。あとちょっと。あとほんの少しだけ。

 

 砂地だった足場が岩の転がる悪路に姿を変え始める。歩きづらい。でもいい兆候だ。このまま歩いていけばきっと……

 

「あった!」

 

 切り立った、というほどではない崖。そしてその割れ目から零れ落ちる透き通ったそれはまさにひとみが求めていたものだ。

 

「み、水!」

 

 いますぐにそのせせらぎに口をつけたい。乾いた喉に向かって無心でその清流を流し込みたい。

 ふらふらと岩の裂け目にひとみが近づく。流れを手で遮ると心地よい冷たさが指先に伝わった。

 

「まだ飲んじゃだめっ……」

 

 念のためにろ過してから飲んだ方がいい。それでも完璧とは言いがたいが、やらないよりはやったほうがいい。

 空になったボトルに湧き水を満たす。きっちり限界まで注ぐとフタを閉めてもといた砂浜へと引き返すために、またぽつりぽつりと歩き出した。

 

「携帯ろ過器があったからそれを通してから飲めば問題ない……はずだよね?」

 

 サバイバル訓練なんて受けたことのないひとみにとって完全に手探りだ。だが生き残るためにはやるしかない。

 

「絶対みんなが見つけてくれる。だから!」

 

 だから、こんなところで諦めるわけにはいかない。

 

 魔力はもうほとんど残っていない。さっきまで飛んでいたからヘトヘトだ。それでも生き残るためには立ち止まるわけにはいかない。みんなが来ると信じているから。

 

「えっと、携帯ろ過器……携帯ろ過器……」

 

 ライトニングを置いた木陰でストロータイプの携帯ろ過器を湧き水を汲んできたボトルに差して、おそるおそる口をつける。

 慎重にストローから吸い出した水を口に含む。嫌なにおいはしない。我慢できなくなって含んだ水を飲むと、乾いていた喉に冷たい水が染み渡る。

 

「おいしい……」

 

 水が飲める。それがこんなに嬉しいと感じたのはひとみの人生において初めての経験だった。

 

「とりあえず水はなんとかなった、次は……!」

 

 とりあえず動き続ける。動いていないと考えすぎてしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、おめおめ帰ってきたわけ?」

 

「こっちの魔力の問題を考えてほしーだよ、大村(ダーツォン)

 

「 お お む ら だよ、ゆめかちゃん」

 

 どこか冷ややかな目をしたのぞみの横をすり抜けようとして夢華は顔の高さに掲げられた腕に行く手を阻まれた、ギロリとのぞみを睨む。

 

「なんでやがりますか」

 

「……ただの八つ当たりだけどさ。飛行組長をロストしておいてよくそんな澄ました顔してられるわね」

 

「だからなんでやがりますか。あたしが泣けば帰ってきやがるんですか」

 

 そういうと溜息をつく夢華。

 

「当然、驚いてんし、なんとかしなきゃと思っとりますがね、だからって今動いてもどうにもならねーんですよ。あたしまで落ちたらこの部隊どうなるってんです」

 

 そう言って夢華はのぞみの腕の下をくぐる。

 

「待ちなよ」

 

「まだ何かあるって言いやがるんですか?」

 

「あんたさ、ホントにウイングマンとしての仕事果たしたの?」

 

「決まってるじゃねーですか。任務でやがりますからね」

 

 それを聞いて、のぞみは夢華をじっと見つめる。どうやら信じてくれていないらしい。とはいえ、夢華は僚機として正確にひとみに従った。ちょっとした冗談はあったが、まああれは冗談だ。もっとも、この扶桑人はそれを聞いたら顔を真っ赤にして怒るのだろうが。

 

「……生憎私は扶桑(みうち)びいきなんでね。指揮が悪かったとか、そういう言い訳使ったなら」

「なに熱くなってやがるんですか」

 

 ぴしゃりと夢華は言ってのける。のぞみも一歩も引かない。

 

「だから八つ当たりだって言ってんでしょーが高夢華」

 

 夢華は、肩を竦めてみせた。

 

「……そうやって情に流される奴からお六(したい)になっていきやがるんだってんです。扶桑がどうなろうが勝手ですが、これ以上アタシの負担を増やさねーでくださいだ」

 

 それだけ言い残して背を向けた。背後で何か殴ったような蹴ったような物騒な物音は聞かなかったフリ。どうせ始末書を書くのは当人だし、自分には関係ないことだ。

 

 

 

 

 

 その後は部隊員の義務として部隊長の石川大佐に帰還報告。

 

 状況を根掘り葉掘り聞かれたが、わからないものはわからない。距離を取っている間にいつの間にか消えていたとしか言いようがない、それ以外に答えようなどないのだ。

 

「……そうか、分かった。ゆっくり休んでくれ」

 

 石川大佐が話が分かる人で良かった。とりあえずはそれ以上の追及もなく、責められることもなく退出、部屋に戻る。おそらく数時間後、遅くても一日経たずに再出撃になる。少しでも体力を回復させなければ。

 

 

 

「……おかえり」

 

「帰ってやがりますか」

 

「夢華より早く」

 

 部屋に戻れば、同室のコ―ニャことプラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ・ポクルィシュキンがベッドに腰掛けていた。もともとコ―ニャは二段ベッドの下段だ。半ば無視するようにしてベッドの梯子を上る。

 

「……夢華」

 

「質問攻めはお断りですだよ」

 

 そう言ってベッドに横になる。サイズの合ってない扶桑皇国海軍のセーラーは軽く汗で濡れており気持ち悪い。とりあえず脱ぎ捨てて投げ捨てておく、冷たいシーツが心地よい。

 

「……見つけ、られなかった」

 

「それを責めてもなんの役にもたたねーですよ」

 

 聞きたくないと寝返りをうつ。こいつもあれか、甘ったれた部類か。

 

「それで死んだら死んだとき、互いに不運だったと諦めるしかねーですよ。運悪く死ぬならしゃーないでやがりますが、悔やみで死ぬよりはマシでやがります」

 

「でも、私が見つけなきゃいけなかった……見つけてたら、ひとみは……!」

 

「……あのさぁ」

 

 そう言って夢華はベッドの下を覗き込んだ。コ―ニャは灰色がちな瞳を持ち上げ、彼女と目を合わせる。

 

「悲しむフリは終わりですだよ。それで何が変わるってんです」

 

「……フリじゃ、ない」

 

「ならなおさらタチが悪くなりやがる。悲しめば人が還ってきやがる? 喚けば誰かが助けてくれる? そんなおめでたいこと、ここには、ない」

 

 コ―ニャは黙り込む。普段から無口な彼女だが、何かを堪えるような雰囲気だ。

 

「……あほくせーですだ。悲しむフリで自分を慰めて、言い訳を振りかざして認めてほしいだけじゃねーですか。それをアホ以外どう言えばいーんです。バカ? マヌケ?」

 

 返事はない。

 

「……まぁ、どーでもいーですけどね、効率が悪いのは嫌いですだよ。機械も世界もニンゲンも。そーやってるヒマがあるならさっさと休んで次のフライトに備える方がよっぽど効率よいだよ、中校(ちゅうい)

 

「……夢華は、飛べる? ひとみを助けに」

 

「それが命令なら飛んでやるですよ」

 

 そう吐き捨てるように言ってベッドの下を覗き込むのをやめた。ごろりと横になる。何処でも寝れることは軍人のスキルであり、いつでも起きれることもまたそうだ。これ以上会話をするのは諦めてもらうことにして、寝る。少なくとも寝たふりをすれば諦めてくれるだろう。

 

 

 

 そうしているうちに、夢華は眠りに落ちていった。

 



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第十二話「レーダーコンタクト~ひとり~」後編

 どこにいっても、そこは肥溜めだった。

 

 

 

 そこにいたから気が付かなかったけれど、遺伝子上の母親を追いかけていって、見つからずに戻ってきた時に、そこがどれだけ肥溜めに近しいかを知った。

 

 ネオンの輝きも血の付いた毛布も、お情け入りの冷たい粥も歯形がついたチキンの残骸も、全てが等価であったはずなのに、それからはどれも黄ばんで傷んだ世界にしか見えなかった。ここで女が生きていくなら身体を売る以外にほとんど道がないと知ってしまってから、世界は黄ばみを強くした。

 

 世の中ではそれを慰み者と言うらしいと教えてもらったのはニヤニヤ顔の坊主からだ。尼僧になれば買ってくれると言ったが、とりあえずは股間を蹴り上げておいたのも記憶に残っている。痛快だ。

 

 どうせ同類、蹴落とさねば喰われる。

 

 肥溜めには肥溜めにふさわしいものしか流れてこない。食事も服もゴミもニンゲンも。そこしか知らなければそれで満足できたのだろう。それでも半歩外に出ただけでもうダメだった。

 

 香港。それは光輝く街。スーツに軍服、ドレスに宝石が闊歩する街であり、新聞紙に段ボール、使い捨てのゴムの残骸を肥溜めに恵んでくれる街だ。大量の恵みは肥溜めに居場所を与えた。

 

 居場所の外、あちら側にはこの半歩すら下ろす場所がないのだとしても、この肥溜めから抜け出したくてたまらなかった。『あちら側』に行きたかった。

 

 

 いつだったろう。どこかのおっさんがこんなことを言っていた。「威張り腐った『ぶるじょあ』が我々を食い物にするからこんなところでこんな生活をせねばならないのだ」。そうだというならば、その『ぶるじょあ』の生活はどれだけ楽しいことに満ちているのだろう。

 だとしても、私は肥溜めから出られない。おっさんが言うには、ガッコウに行って勉強をした人しか行けないらしい。『ぶるじょあ』のものは肥溜めにはない。肥溜めにないものを奪おうとして痛いことになった人はたくさん見てきた。そんなことは勘弁だった。吐いた後みたいな酸っぱい炒飯も、蠅に刺される鈍い痛みももうこりごりだった。

 

 でも肥溜めから出ることはできなかった。自分には夢のまた夢と諦めていた。

 

 

 

 

 

 ――――――魔法力が開花する、その日まで。

 

 

 

 

 

 何が理由だったのだろう。何が切っ掛けだったのだろう。そんなことは知ったことではない。覚えていない。だがそこからは早かった。大切なのはそこだ。

 

 勝手に周りが祀り上げてくれた。初めて残飯やごみではなく、にんまりと笑う『ぶるしょあ』が描かれた紙を何枚ももらった。『しほん』があれば、何でもできた。それは逆もまた然りで、この『しほん』というやつを手に入れるためにニンゲンは何でもする。

 

 そう、何でもする。

 

 まず、それまで身を寄せ合って来た暖房器具(なかまたち)が裏切った。返り討ちにしてやれば、私を「うらぎりもの」などと罵った。よく言うものだ。先に『しほん』を奪おうとしたのはそっちじゃないか。

 

 次に、『しほん』をくれたはずの大男が裏切った。異国人と取引して、その対価が自分だったらしい。いくら『しほん』をくれるとはいえ、あの大男に従う意味はなかった。あいつも肥溜めのニンゲンだったし、僅か数千メートル先に輝く摩天楼は、まだ「あちら側」だった。

 

 異国人とやらはそこから来たに違いない。どうせ大男は『しほん』をもうくれない。だからさっさと鞍替えした。また裏切り者と言われたが知ったことか。勝手に裏切って、勝手に泣かれても困るのだ。この時は異国人が守ってくれた、黒い『テッポウ』とやらは本当に便利らしい。じっと見つめてたら、異国人がヒッドイ発音で『謝謝(シェイシェイ)』と言った。感謝される覚えもないが、してくれるならもらっておくべきだ。また『しほん』をもらった。

 

 背中や腕に仰々しい絵を描く異国人たちは、「あちら側」の人間だった。肌に描いているその絵――リュウというらしい――が大きい人ほど『ぶるじょあ』だったらしい。ひどい発音のおじさんが結構上の方にいるのはすぐわかった。周りの人間が肥溜めの人間が『ぶるじょあ』を見る時と同じ目をしている。その人がどうやら『しほん』で自分を買った。飼い主は俺だとか言っていた。

 

 魔法力万歳。飼い主の袖をちょいちょいと引いて『テッポウ』で死なないようにするだけで、こんなにも『しほん』が手に入る。肥溜めの返り討ちのほうがよっぽど怖かった。相手が撃つなとかやめろとか勝手に言ってくれるから本当に楽だ。

 

 『しほん』は貸せば何倍にもなって帰って来るし、粉とやらはそうとうにもうかる商売らしい。連中は自分が異国語を理解できていなかったと思ってるらしいが、そんなことあるものか。必死に連中の言葉を覚え、一字一句理解しようと努めた。

 

 

 その結果分かったことがある。ここは「あちら側」ではない。その境界線なのだと。

 

 

 まだいけないのか。どうやら肥溜めと「あちら側」には、当たりもしないライフル提げた兵隊やフェンス、それ以上に険しく、そして見えない壁があるらしい。

 なんで自分は「あちら側」に行けないのか? 足りないものがあるからだ。『しほん』だ。まだ『しほん』が足りない。だったら『しほん』を手にすればいい。『ぶるじょあ』が『しほん』を使うなら、『しほん』を持っているニンゲンが『ぶるじょあ』だ。

 

 いわれるままに動いてやった。魔法のことを知らない馬鹿な賭場を欺いてもやった。恨んでくる奴はぜんぶ返り討ちにした。いつの間にか軍隊とやらに連れていかれてパイロットをやらされているが、肥溜めから抜け出せるなら何でもよかった。あの肥溜めに比べれば命の危険がなんだというのか。

 

 それ以外は正直どうでもよかった。あそこに戻らなくていいなら、「あちら側」にいられるのなら、正直どこへでも行ってやる。

 

 そのためなら嫌でも納得できる。銃を撃つのも前より上手になった。肥溜めを抱える香港だって、それを守ることで自分が『ぶるじょあ』になれるなら喜んで守ろう。『ぶるじょあ』になれば、あそこに戻らなくて済む。ゴミだカスだクソだと言われていた自分でも生き残って見返せるなら喜んで引金を引こう。

 

 それだけで何が悪い。それ以外を引きずって何ができる。引金が重ければ死ぬのはこちらだ。弱ければ負ける、負ければ死ぬ。それなのに、なぜ皆は理由をつけたがる。

 

 肥溜めから永遠にオサラバできるなら、それはそれで一つの勝ちだが、それよりは生きて『ぶるじょあ』になるほうが楽しいに決まってる。それだけでいいはずだ。

 

 

 

 

 

 ……うるさい、なぁ。

 

 

 

 

 

 迷うな。悩むな。疑問を持つな。いつもそれで切り抜けた。いつも未来は視えていた。

 

 

 

 

 

 それを信じてなにが悪い。あたしは間違ってない。

 

 

 

 

 

 寝返りを、一つ。ドアが開いて閉まる音。薄ぼんやりと目を開ける。コ―ニャが部屋を出ていったらしい。

 

 目を閉じる。これでいいのだ。勝手に消える様なバカに心を乱されるいわれはないはずだ。

 

「……うるさいよ」

 

 まぶたの裏に浮かんだ小さな影を、夢華は忘れたふりをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢華が必死にその影を忘れようとしていたのと同じころ、件の扶桑皇国空軍准尉、米川ひとみもいろいろ苦戦していた。

 

「ストライカーはとりあえずあれでいいし、武器は確保してあるし、次は……」

 

 水の確保以外にも、やらなくてはいけないことがあったはず。ひとみのうろ覚えサバイバル辞典を頭の中で必死になってめくる。

 

「そう、火だったはず!」

 

 というわけで次のミッションは火を起こすこと。火は重要だ。だんだんと太陽が落ちてきている今は特に。

 夜になってしまうと、気温は下がっていく。そして気温が下がれば体温も下がってしまう。スペースブランケットがあるから大丈夫ではあるが、まっ暗というのはなんとなく怖い。なにせ無人島に街灯はないのだ。明かりとしての役割、それに加えて煙を出すことができれば狼煙代わりにもなるかもしれない。

 つまり火の確保は、太陽の落ちかけている現状においては急務だ。さっき調べた時、サバイバルパックの中には防水マッチがあったから、それを使えば火をつけることはできる。

 

「問題は薪だよね……えーっと、燃えるもの燃えるもの……」

 

 生木は燃えないとどこかで聞いた気がする。乾いた流木か、それとも落ちた枝とかがいいらしい。

 

「砂浜に流れ着いたのもあるけど、マッチで火をつけただけじゃ燃えないよね?」

 

 薪に火をつけるためには火種を大きくしなくてはいけなかったはず。アウトドアならば新聞紙などを使うが、無人島に新聞配達のおじさんが自転車をこいでくるなんてことは起こらない。つまり代用品を探さなければいけないのだ。

 

「燃えるもの……燃えるもの……」

 

 燃えるもので次に思いついたのが布だったがさすがに服を燃やすのは自殺行為過ぎる。紙も非常食の包み紙ぐらいしかないからとりあえず却下。どうしても思いつかなければの最終手段に取っておく。

 

「あっ!」

 

 難しい顔で考え込んでいたひとみの頭にひらめきが舞い降りる。がばっと立ち上がって早歩きでさっきの錆びたストライカーを見つけた場所へ。

 

「あれ……燃えないかな……?」

 

 そう思ってナイフを持ってシュロの木かヤシの木……ともかく、南国にありそうな木に寄ってみる。

 

「……表面にある毛みたいなものは燃える……よね?」

 

 北海道でおじいちゃんと山を歩いた時に火種にしていたものを思い出す。さすがにヤシの木はなかったが、松の葉っぱやおがくずを火種にしていたはずだ。少し触ってみる。かなり硬くて、乾いた感触。焚付にはなりそうだ。

 

「は、ハサミのほうがいいよね」

 

 ナイフで力づくでやって汚しましたなど笑えない。とりあえず救急キットの中にあった服を裂くためのハサミを取ってきて、それでシュロの木の樹皮から伸びる硬い繊維を切る。ごわごわとした固い繊維状のシュロの皮を持てるだけ持って、再びライトニングの元へ。

 

「シュロの木の繊維を集めて、その上に小枝を置く……でいいんだよね?」

 

 シュロの樹皮、そしてその上に乾いた流木。小さな山のようにうず高く積み上げると防水マッチを擦って樹皮の中へ投げ入れた。繊維が身を捩り、火種が生まれる。ちりちりと樹皮を火の粉が侵食していく。

 

「お願い……燃えてっ…………」

 

 砂浜に伏せて生まれた火種に息を吹きかける。儚げで小さかった火種がゆっくりと勢いを増していき、ついに小枝に燃え移った。

 そこまで来てしまえばあとは早い。だんだんと火は勢いを増していき、火の粉を散らしながらあたりを明るく照らし出す。

 

「やった! 燃えた!」

 

 ひとみが小さくガッツポーズ。決して大きくはない焚き火だが、自分で火を起こしたので、達成感があった。

 

「あったかい……」

 

 火に手をかざす。パチパチとはぜながら燃える焚き火はじんわりとひとみの身体を温めてくれた。その暖かさに、少しだけ安心した。

 もう既に日は落ちて真っ暗だ。黒い海が不気味に波を寄せては返す。だがひとみには焚き火がある。赤々と燃える炎はひとみの周りに光を与えてくれていた。

 

「う……ぅん…………」

 

 まぶたが重い。無人島に不時着してからずっと動き回っていたせいで、今まで気づかなかったが、かなり疲れているようだ。

 ここまでくれば別に起きている理由はない。手に持っていた流木を焚き火の中にくべて、少し火の勢いを強くするとスペースブランケットを引っ張り出して包まった。

 

 波の音がサラサラと聞こえる。ひとりなのに案外賑やかだ。

 

「……!」

 

 ひとり。

 

 そう思った途端に寒気のような震えがきた。慌ててスペースブランケットをきつく体に巻き付けた。

 

「南の島って案外寒いんだね! 知らなかった!」

 

 言い聞かせるように、努めて明るい声を出す。そして、ちょっぴり後悔。答えが返ってこないことが少しだけ怖くなる。……答えが返ってきたら返ってきたで怖いのだが。

 

 誰かが返事をしてくれるわけではない。でもすぐに返事をしてくれる人たちが迎えに来る。信じよう。きっとそのほうがいい事がある気がする。

 

 眠れるならば眠っておいた方がいい。疲れを溜めたままではすぐに倒れてしまう。ひとみはそう言い聞かせながら瞼をギュッと閉じた。目の端が冷たい気がしたが、砂がそれを吸ってくれる。

 

「おやすみなさいっ!」

 

 そう大声で言って、ブランケットごとゴロンと横になった。波の音と薪の音を聞かないように耳を塞いだ。

 

(大丈夫、きっと来てくれる!)

 

 眠りに落ちるまで、ひとみは長いことそのまま耳を塞いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢華」

 

 ドアの脇にもたれかかって、コ―ニャはそう呟いた。溜息をついていても仕方ない。やるべきことがある。……自分を責めてもどうにもならない、夢華の言う通りだ。動かねばならない。

 

「……分水嶺は、まだ先」

 

 その時、廊下に響く足音。どんどん近づいてくるが、成人の歩幅ではない。

 となればあり得るのは一人だけだった。

 

「なーに怒ってんのよ、ポストオフィス中尉」

 

「Покрышкин……のぞみは?」

 

「いや? 単に散歩というか、今回自分が飛べてなかったからね、体力があり余っちゃって」

 

 のぞみはそう言うが、その目はギラついている。……休んでおけと言われても興奮で休めないのだろう。

 

「で? そっちも華僑人に怒ってるクチなんでしょ、Прасковья(プラスコーヴィヤ)

 

「……別に」

 

 コーニャはゆっくりと歩き出す。のぞみもついてくる。

 

「冬が来るまで我慢するのがオラーシャ人ってか。米川が凍え死ぬわよ?」

 

 黙ったまま進む。士官居住区から程なく歩けば、自動販売機がある。どちらともなくそこで足を止めるが、どちらも硬貨を投入しようとはしなかった。

 

「のぞみ、夢華は203の僚機」

 

「ああ知ってるって、知ってるよ」

 

「なら――――」

「だからこそさ」

 

 のぞみはゆっくりと、深く息を吐く。

 

「アレが華僑軍人だって思ってた私がトンデモなく憎い。こんなトラブルが起きたんだ、どうせ二人は険悪なまま哨戒任務に突入したんでしょ?」

 

「……」

 

「私ね、石川大佐に言っちゃってるんだよ。あの後直掩任務の説明を受けた時、石川大佐に二人の口論のことを聞かれて『いえ、些細な問題です。米川も問題の解決を望んでますし、高少尉も問題をこじらせようとはしないでしょう』って……だから大佐は哨戒任務に米川をそのまま送り出した」

 

 強く拳を握りしめるのぞみ。歯を食いしばっているのだろう、コーニャから見るその横顔は、ひどく歪んで見えた。

 

「些細な問題なんかじゃなかった。高少尉を信じた私が馬鹿だった。あれでも軍人なんだろうって、それを信じた私が馬鹿だった」

 

「違う……今回のは、本当に事故」

 

 コーニャは目を逸らしながら言う。嘘を言うのは、コーニャの最も苦手とするところだ。

 

 ひとみと夢華が救難信号を受信する直前、ひとみの心拍数が俄かに跳ね上がったのをコーニャは知っている。その直後にひとみが回避運動(ハーフロール)をうっているのも。

 

「本当にそうなんでしょうね?」

 

 のぞみが剣呑な眼でコーニャを見据える。コーニャは表情を崩さない。

 

「……ごめん、私がどうかしてたわ。仮にもПрасковья(プラスコーヴィヤ)を疑うなんてね」

 

 のぞみは息をふっと吐くと、かぶりを振って見せる。

 

「それで、あのバカは何処に消えたんかね……」

 

 そう空を仰いでみせるのぞみ。空と言っても、ここは艦内。真上を塞ぐのは配管むき出しの天井だ。そんなのぞみを背にして、コ―ニャは速足で廊下をあるき始める。

 

「……目途はついた」

 

 緑色の滑り止めが効いた床を彼女の軍用ブーツが音を立てて蹴っていく。後ろからのぞみが追いかけてくる気配。

 

「そなの?」

 

「……届いてるはずの電波が届いてない。なら、逆もあるはず」

 

 コ―ニャはそう言ってラッタルを登る。その先にあるのは艦長室だ。何歩か昇って、後ろを振り返った。のぞみがコーニャを見据えている。

 

「のぞみ」

 

「なによ」

 

「……のぞみは、飛べる? 仲間(ひとみ)のために、どこまでできる?」

 

「扶桑軍人を舐めるな、Прасковья(プラスコーヴィヤ)

 

 半ば噛みつくように言ってからのぞみはコ―ニャを睨むようにして続ける。

 

「米川は私の僚機だ。僚機を守るのが編隊長の務めだ。米川は命令を守って飛んで、いなくなった。命令に殉じていなくなった。命令を信じて飛んだ米川を救い出すのは――――カイト・ワン、金鵄飛行隊(ゴールデンカイトウィッチーズ)一番機の栄誉を頂く私の義務だ」

 

 そう言ってのぞみは自分の胸の前で右手で拳を握る。

 

「扶桑軍人はその義務を愚直なまでに果たすことにより、この国を、この世界を守ってきたんだ。その延長に私が、米川がある。アイツは馬鹿で素直過ぎてダメダメかもしれないけど、軍人だ。私達の仲間だ。扶桑の武士(もののふ)だ」

 

 拳が宙を切る。大きな風切り音を残してコ―ニャの方に突き出された。

 

「なんでもやってやる。命懸けだろうがなんだろうが、米川ひとみ空軍准尉は、私が救い出す」

 

 その答えに、コ―ニャはいつもの無表情を、僅かばかり歪めた。

 

「――――――それが、聞きたかった」

 

 そう言って踵を返してラッタルをずっと登っていくコ―ニャ。拳を強く握りしめたままのぞみがそれに続いて艦長室のドアをノックする。

 

「はいはーい。どちら様ー?」

 

 いつも通りの明るいトーンの声が響く。

 

「ポクルイシュキン中尉、大村准尉、以上二名、入ります」

 

「入っといでー」

 

 許可が出たのでコ―ニャがドアを開ける、のぞみが続いて入り、ドアを閉めたところでそろって敬礼。海軍式のコンパクトなのぞみの敬礼と肘をしっかりと張る空軍式のコ―ニャの敬礼を受けて、中にいた二人の将校が答礼を返した。

 

「石川大佐、霧堂艦長」

 

「どうした」

 

「こーにゃんとのぞみん二人ともってことは穏やかじゃないかな?」

 

 執務机に寄り掛かり左手をついたままのラフな敬礼を解いた霧堂艦長はそう言って僅かに笑った。小さな息遣いが空気を渡る。コ―ニャたちは決して狭くはない艦長室を歩いて石川大佐と霧堂艦長が待つ反対側へと寄っていく。応接室を兼ねたこの部屋のソファやテーブルを超えて二人の前に立てば、デスクの上を見て取れた。散乱する書類は全てブリタニア語で記載されているが一目みればすぐにわかる。「加賀」がスプラトゥーン諸島に向かうために必要な承諾や必要書類の山だった。

 

「作戦を提案する。検討を」

 

 石川大佐は口笛を吹いた霧堂艦長を睨んでからコ―ニャを見つめ返した。

 

「……目途がついたのか?」

 

「やってみないと分からない。でも、今取れる手段はこれしかない。状況が揃うのを待っている間に、ひとみの生存確率は絶望的になっていく」

 

 コ―ニャはそう言った。この段階で抑止する声がないことを確認して続ける。

 

「石川大佐、ひとみは、どれだけ訓練を積んでる?」

 

「米川准尉は早期錬成組だ。1月半で幼年学校卒業扱いとなり、准尉任官されている」

 

「ひとみは、全てのプログラムを修了してる?」

 

「していない。緊急派遣だったから補填も行われていないため卒業扱いだ。正規の卒業とは違う。未修了のカリキュラムも多い」

 

「これで前線送りだもんね、趣味が悪いと言えば否定はできないかな?」

 

 霧堂艦長のぼやきを聞いたコ―ニャがわずかに間を取ってから続けた。

 

「……ひとみが修了したカリキュラムのなかに、墜落時のサバイバル訓練は入ってる?」

 

 石川大佐は苦い顔だ。

 

「受けていない。その状況で米川がまとも生きていられるのは」

 

「エマージェンシーキットの食糧が尽きるまでと思うのが妥当。つまり、3日前後。南の孤島じゃ飲み水も確保できるか怪しいから、下手をすると、明日が限界」

 

「食べ物についても、米川に毒の有無は見分けがつかない、か……」

 

 石川大佐の声にコ―ニャが頷く。南国の小島にある生き物は限られる。しかし、毒があるものも多い。熱帯魚なんて有毒魚類の宝庫だ。何が飛び出してくるか分かったものではない。

 

「食べ物も水もなくなったら死なないために危険でも手を付けるはず。……その前に助け出さないと、加速度的に危険が増す。……石川大佐」

 

「……そのために、情報が一切ない場所に飛び込むのか」

 

「危険は承知」

 

 コ―ニャの声に石川大佐は黙り込む。アナログ時計の時を刻む音が間を埋めた。

 

「……大村、どう見る?」

 

「すぐにでも助けに行くべきだと考えます」

 

 即答だった。

 

「スプラトゥーン諸島沖が魔の海域だというなら、その原因たるなにかに米川が接触している可能性が高いでしょう。ならば、近海の安全確保のためにも現状、どこの海域・空域の鎮守にも組み込まれていない遊撃兵たる203空による強行偵察は理にかなっています。我々が万が一消え去っても、周辺各国に即座に脅威が及ぶとは考えにくい。我々の出撃が最適であると確信しています」

 

 のぞみはまるで用意してきた原稿を読むかのようにすらすらと答えてみせる。

 

「霧堂艦長はどう考えます?」

 

 敬語で飛び出した問の意味を過たず捉えた霧堂艦長は笑う。

 

「第五航空戦隊としては加賀の直掩を残していただきたいところですが……どうせ4機じゃその余裕もないでしょう? それに、消えた米川機の機種が大問題でしょう。万が一の際には機密保持のためF-35A飛行脚の破壊を確認しなければならない。人類連合の飛行が扶桑皇国の国益に適う以上、止める理由はありません」

 

「元ウィッチとしては?」

 

「私が飛べるならすぐにでもぶん殴りに行きたいかな。夜? ネウロイの巣かもしれない? 国際問題が発覚するかもしれない? 知るかそんなこと。知ったことじゃないから今すぐ単騎駆けでもいいから飛び出してしまいたい……そう思う程度には頭に血が上ってるよ」

 

「だから霧堂、貴様はそんなにがっつくな」

 

 そう言って石川大佐は髪を掻き上げ溜息をついた。

 

「……石川大佐、ご決断を」

 

 のぞみが急かすようにそういう。石川大佐は目線を上げる。

 

「ポクルイシュキン中尉の案を聞かずに決断できるか。作戦を聞かせろ。話はそれからだ」

 

 コ―ニャが頷いた。タブレット端末を取り出しテーブルに置く。

 

「……まだ荒削りだから、意見が欲しい。途中で止めてくれていい」

 

 そう言って差し出されたタブレット端末に表示されていた文字列を、皆が覗き込む。記されていたのはシンプルな作戦名、ドラゴン退治の英雄にして、兵士や旅人の守護聖人の名を冠したものだった。

 

「……オペレーション・ユーリィの説明を開始する」

 

 

 部隊が動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 スペースブランケットに包まったひとみがもぞもぞと動く。やがてぱっちりと目が開いた。

 

「朝……」

 

 水平線から太陽が顔を出す。海面に反射した陽光がきらきらと輝いた。焚き火の燃え残りが燻り、一筋の煙が所在なさげに空を漂う。

 

「また、水を汲みにいかないと…………あれ?」

 

 ひとみは立ち上がって大きく伸びをした。その瞬間、視界がぐるりと反転する。

 

「身体が……あつい、よ…………」

 

 ひとみが砂浜に倒れ込む。ぼーっとしてうまく頭が回らない。全身を気だるさが包み込み、動くこともままならない。

 

「おかしい、な……ウィッチは風邪なんてひかないはずなのに…………」

 

 立ち上がろうとしても力が入らない。身体が熱を持ったように火照り、目が潤む。呼吸もかなり弱々しい。

 

 昨日はちゃんとブランケットを巻いて暖かくしてから寝た。だから体温が下がってはいないはず。

 

「どうし、て……」

 

 思い当たる原因はひとつ。水だ。ろ過はしたが、完璧ではなかったのかもしれない。それにあの時はひとみ自身がかなり疲れていたし、魔力も底をつきかけていた。つまり抵抗力は大幅に下がっていたのだ。可能性としては十分にありえる。

 

「うぅ……」

 

 くらくらする視界の中には砂浜と、そこに横たわる狙撃銃。

 

 それもすぐに遠くなり、ひとみの視界は完全にブラックアウトした。

 



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第十三話「ディパーチャー~なかま~」前編

 数分前までは紫色だった東の空が、もう橙色に染まり始めている。間もなく夜明けだろう。

 日差しのない甲板は意外と冷えている。最も、そんな些細なことを気にする人間など今の「加賀」甲板上には誰もいないだろうが。

 

「……まっさか、こんなゲテモノ装備を使うことになるとは」

 

 のぞみは台車の上で黒光りする金属の箱を前にそう言った。

 

「ゲテモノじゃない。フリーゲルハマーD-34。正式な武装」

 

 訂正するのはコーニャだ。のぞみはその箱をもう一度見る。巨大な箱は大の大人もすっぽりと収められそうなほど大きい。

 そして何より問題なのは、それが()()あることだ。

 

「……使用者が怪力能力者限定になるあたり十分ゲテモノじゃないの、ポリフェノール中尉」

 

「Покрышкин」

 

「そもそもフリーガーハマー上下二連で腕を挟みこんで使いますとか、そんな『バ火力』必要なわけ? それも両手持ちとか。爆弾槽(ウェポンベイ)空対空ミサイル(ミーティア)も含めたら1ソーティで40発とか爆撃機でもしないと思うんだけど」

 

 のぞみはそう言ってからストライカーに足を通す。その横ではコ―ニャが既にフリーガーハマーを手に出撃用意を整えていた。

 

「ひとみが消えた空域、ネウロイの巣窟になっている可能性もある。……手数がいる」

 

「わかってるけどさ、重いしデカいしで、これじゃ速度でないわよ」

 

「速度が必要な時には捨てればいい。のぞみは小銃も背負ってる」

 

「そりゃそうだけどさ」

 

 のぞみはそう言いながらストライカーの脇に付けられたロケットブースターを見る。

 

「でも離陸重量限界超えてるし、戦闘は短めでお願いするわよ」

 

「頑張る」

 

 のぞみが笑ったタイミング、背後でオスプレイが二機、飛び上がっていく。あの片方には夢華が、もう片方には……石川大佐が乗っている。

 

 コ―ニャに先に発艦許可が下りた。

 

「のぞみ」

 

「ん?」

 

「……ひとみは絶対連れて帰る」

 

「当然。そのための無茶でしょうが」

 

「ん……」

 

 コ―ニャのロケットブースターに火が放たれる。弩に弾かれるように加速してコ―ニャが飛び出していく。加賀の舳先で僅かに沈み、すぐに上昇に転じた。

 

 すぐにのぞみにも発艦許可が下りる。金属の箱、フリーゲルハマーD-34を両手に下げる。魔力を体の中で循環させるように意識。血が身体を巡り筋肉を駆動させるように、魔力を前進にいきわたらせる。重いハンドルを持ち上げる。難なく持ち上がるそれにのぞみは口の端を持ち上げた。

 

「……私じゃないと確かに無理ね」

 

 両脇に機付長(ユニットディレクター)をはじめとした兵や下士官が整列する。揃って敬礼。

 

「両腕塞がってるため、省略で失礼!」

 

 スロットル最大、ユニットハンガーが軋む。

 

「カイト・ワン! 大村のぞみ! F-35B、出ます!」

 

 ロック解除と同時にオーグメンター及びロケットブースター点火。強烈な加速度で飛び出していく。2秒かからずに飛行甲板の先端を通過。揺れは一瞬で抑え込む。離陸安定速度通過。ロケットブースターが燃焼しきる前にある程度上昇しておく。

 広がる水平線が丸みを帯びていく。太陽が一気に水平線を飛び越える。清々しい日の出だ。

 

「一度やってみたかったのよねー、この名乗り」

 

《……いい年して、恥ずかしい》

 

「ああん!? どういう意味だポストイット中尉!?」

 

 のぞみがそう噛みつくがコ―ニャは答えない。ムッとして上空を見上げれば二機のオスプレイの後部ランプが開いていた。そこから二つの影が飛び出してくる。

 

《カイト・スリー、テイクオフシーケンス、コンプリート》

 

《カイト・ゼロ、発艦手順完了》

 

 のぞみは高度を稼いだところでブースターを投棄。速度を合わせるために一瞬機首を上げてスポイル。速度を合わせて二番機ポジション。石川大佐(カイト・ゼロ)の右後方に位置取った。

 

「……一緒に飛べるなんて光栄です、石川大佐」

 

「俺と飛んでもご利益もなにもないがな」

 

 そう言って笑ったらしい石川大佐。地上迷彩である緑色のユニットから伸びる特徴的な逆ガル翼に斜め下に飛び出す水平尾翼(スタビレーター)、偵察型ストライカーRF-4が陽の光を輝かせた。

 

「石川大佐、自信のほどは?」

 

「全く、というのが正直なところだが、こんなところで落ちてやるつもりもない」

 

 そう言って脇に差している扶桑刀の柄に左手を添える石川大佐。右手が魔導インカムに伸びる。

 

「飛びながらとなるが……『オペレーション・ユーリィ』の最後の確認と行こう。今回は米川機が消息を絶ったパグアサ島周辺の強行偵察となるが、電子的な欺瞞手段を持つなにかがいる可能性が高い。ネウロイもしくは何らかの反社会的な組織であると考えられるが、十中八九、ネウロイとみていいだろう」

 

 石川大佐の声はブリーフィングルームと同じく凛とすんで落ち着いていた。

 

「ポクルイシュキン中尉、解析結果を改めて口頭で。今の状況も含めて」

 

「了解」

 

 三人を僅かに見下ろす位置についたコ―ニャが口を開く。

 

「海面へのレーダー反射波を解析した。パグアサ島の周辺だけ、データが返ってこない。反射波のシャドーゾーンから、データの欠損エリアは半径20キロ程度の球形と思われる。海面反射はノイズ扱いだから、レーダーに現れない。盲点だった」

 

「解釈には変更なないな?」

 

「ん。この辺りが魔の海域と言われている理由が、おそらくこれ。空間まるごと欺瞞していると考えられる」

 

「空間まるごと……ねぇ……」

 

 夢華はどこか胡散臭そうな表情を浮かべていた。それに答えたのはやはり石川大佐だ。

 

「仮に不可知戦域と呼ぶ。内部がどうなっているか外から感知することができない。中がネウロイの巣窟になっていてもおかしくない」

 

「米川機はそこに突っ込み、帰ってこなかった」

 

「生きてると思います? 米川」

 

 のぞみがそういうと、石川大佐は一瞬目を伏せた。

 

「生きていると信じよう。仮に戦死していたとしても、連れて帰ってやらなきゃな」

 

 石川大佐の声にのぞみが頷いた。

 

「半径20キロとは、やけに狭くなってやがりますね」

 

 夢華はどこかぶすっとしたままそう言うとコ―ニャが頷いた。

 

「おそらく中に入ったウィッチを外に出さないようにするからくりがある」

 

「……要は、一度突入したら出てこれないかもしれねぇってことじゃねーですか」

 

「この天変地異はネウロイに派生するなら、ネウロイを破壊すれば止まるんでしょ、ならぶん殴って出てくれば問題ない」

 

 夢華の疑問を一笑に付したのはのぞみだ。それから続ける。

 

「要はネウロイ倒して生きて還ってくればいいんでしょ。いつも通りじゃない」

 

 そういう間にも状況が変わっていく。不可知戦域とコーニャが呼んだエリアがレーダーにマークされる。その方向を眺めても穏やかな海が広がっているだけである。

 

「それで、ポニーテール中尉」

 

「Покрышкин」

 

「まさか視えない敵に対してがむしゃらに撃ちまくれとか言うんじゃないでしょうね?」

 

 それを聞いたコ―ニャは僅かに笑ったように見えた。

 

「……A-100飛行脚を舐めないで。からくりはわかった」

 

 コ―ニャがフリーガーハマーを構え、引金を引いた。たちまち9条の白煙が噴き出す。穏やかな海に向かってラインが伸びていく。

 

「……なら、ジャミングには、ジャミングで対抗する。目には目を、歯には歯を。それが、オラーシャの流儀」

 

 空中で飛び出した弾頭が弾け飛ぶ。その直後、一瞬で広範囲の空間が光った。爆発とは違う輝き。それを見た石川大佐は笑う。

 

「なるほど、チャフパックか」

 

 ミサイルが弾けた空間には、今や無数の銀色が舞っている。何百の、いや何千枚のアルミ箔だ。薄っぺらい銀色の短冊が、くるくる回りながら太陽光を反射して光る。

 

「何もない空間にいきなり電波を吸収する幕を設置することはできない。おそらく、飛んできた電波に合わせて対になる電波を照射することで回避している」

 

 アクティブ・ステルスというやつだ。理論は分かるが実用化は……といったレベルで、まだどの国も実用化には至っていない。それをやってのけたネウロイ。技術者なら喉から手が出るほどサンプルを欲しがることだろう。

 だが今は、ただ単に敵だ。

 

「なら、それを惑わせればいい」

 

 アルミ箔の制御されていない運動は、結果としてランダムに電波を反射、かき乱すことになる。それを目の前で大量にばら撒かれたのだ。ネウロイが仮にスーパーコンピュータ以上の演算能力を持っていたとしても、瞬時に対応するなど不可能。隙が出来る。

 コ―ニャの魔導針が鋭く輝いた。

 

「サーチパターンはわかった。……ここが貴様の墓場だ、ネウロイ」

 

 コ―ニャが高度を上げていく。そして宣言。

 

「フェーズワンを開始する」

 

「許可する。大村機はポクルイシュキン中尉の直掩。高少尉、俺に続け」

 

「カイト・ワン了解」

 

「スリー」

 

 その間にもコ―ニャの声が無線に乗る。

 

 《我が主、我を獅子の爪と熊の爪より援ひいだしたまひたれば、此異邦人の手よりも援ひいだしたまはん。往け、ねがはくは我が主、汝とともにいませ

 

 言葉が紡がれ、飛び出す度に光が大きくなっていく。突破口は出来た。ここからは電子戦機の出番だ。

 

 《異邦人、羊飼いにいひけるは我がもとに來れ汝の肉を空の鳥と野の獣にあたへん

 

 コ―ニャの魔導針が輝き、それと同時に周囲の風景が一気にざらついたものへと変わっていく。ネウロイの欺瞞手段を打ち破らんと、コ―ニャの魔法が牙をむく。

 

 《羊飼い、異邦人に応へて曰く、汝は劍と槍と矛戟をもて我にきたる。然ど我は萬軍の我が主の名、すなはち汝が搦みたる此の地の軍の神の名をもて汝にゆく

 

 まるで古い映画のノイズのように揺らぐ空間に向けて、夢華と石川大佐が加速するそれを追いながら、コ―ニャが叫ぶように唱えた。

 

 《今日我が主汝をわが手に付したまはん。我、汝をうちて汝の首級を取り異邦人の軍勢の尸體を今日空の鳥と地の野獣にあたへて全地をして此の地に神あることを知ら占めん

 

 バチン、とスイッチが切り替わるような感覚、一瞬、空気の壁に叩かれたような感覚に襲われた。姿勢を保つ、そして次の瞬間、のぞみが笑った。

 

「やるじゃん、プラスコーヴィヤ」

 

 のぞみたちのマルチバイザーに警告が走る。ロックオン警報。だが、それは同時に、コ―ニャが敵の欺瞞を打ち破ったことを意味する。フェーズワンは成功だ。

 

《カイトフライト・エンゲージ》

 

 石川大佐が静かに宣言する。戦いが幕を上げた。

 

 

 

 

 

「203空、通信途絶えました」

 

 「加賀」の戦闘指示所(C D C)に無線担当の声が響く。それを聞いた霧堂明日菜艦長は大仰に頷いた。

 

「場所のプロットはできてる?」

 

「今モニタに出します」

 

 そう言って映像に出てきたのは一本の線。この強襲揚陸艦(かが)を本拠とする203空の部隊アイコンだ。消えた地点にはバツ印が付けられている。それを見た霧堂艦長はつまらなそうな顔になった。

 

「その表示さ、なんだか被撃墜(キルマーク)みたいだからやめない?」

 

「と言われましても……」

 

「ま、いいけどさ。……今はこうやって見ていることしかできないけど。桜花(さくら)ちゃんが前に出てるんだ、何とかするでしょ」

 

「はぁ……」

 

 ちなみに桜花ちゃんとは石川桜花第203統合戦闘航空団団長のことだ。階級が同じ大佐で同格とはいえ、人類連合軍という別組織の人間に向けて放たれるセリフにしては砕けすぎている。作戦中とは思えないラフさに困惑するかもしれないが、いつも霧堂艦長はこのノリだった。周囲は気にせず――というか、スルーして――職務を遂行する。

 

「問題は不可知戦域が解除された結果として大規模なネウロイ部隊がわんさか出てきた場合だけど、今はCIWSとかの展開用意ぐらいしかできることない。今は気楽にいこう」

 

「……艦長は、203空を信頼されているんですね」

 

「まぁねー。第203統合戦闘航空団団長(さくらちゃん)とは昔から懇意と言えば懇意だし。彼女の腕は折り紙付きだよ。最近は大分柔らかくなったし、上手くやるでしょ。ねーキクチン」

 

 キクチンと呼ばれた男がピクリと反応する。ブルーの士官用作業服に添えられた少佐のソフト肩章の金糸がモニタの光を反射した。

 

「……なぜ私に話題を振るんですか?」

 

「いやー、あの子たちの戦闘はキクチンが見てるでしょ? 砲雷長で戦闘時はここに籠ってるわけだし」

 

「菊池です、キクチンではありません」

 

「硬いなぁ……きく……菊池砲雷長は」

 

 キクチンと言おうとして睨まれたこともあり、霧堂艦長は肩を竦めていい直す。

 

「まぁそれもアリだけど、というより必要なんだけど。部隊全員が私みたいだと船も動かないわけだしさ。……で、君はどう見る? この状況」

 

「……最悪の可能性は考えておいた方がよいかと」

 

「君のいう最悪の可能性は203が状況の打破に失敗し、ネウロイが拡散することかな?」

 

「はい」

 

 やろうとしていることは蜂の巣を叩くどころかぶっ壊す行為だ。そしてここは海上交通の要所。居心地のいい住処を壊されたネウロイが暴れるだけでも大問題だ。

 

 さらには不幸なことに、この海域で即応性がある部隊と言えば203以外には駆逐艦3と強襲揚陸艦1、あとおまけの潜水艦1により構成される扶桑第五航空戦隊(このかんたい)しかいない。軍艦は鉄の塊、ネウロイは喜び勇んで突っ込んでくることだろう。

 せめて一旦内地に戻ってる駆逐艦2が追いついてくれれば良かったのだが……いや、その程度では変わらないか。そんなところまで考えてしまった自分に気付いて、霧堂艦長は心の中で笑った。

 

 今考えてたのは艦長の仕事じゃない、艦隊司令の仕事だ。

 

「まあその時はその時で我らが艦隊司令長官殿がなんとかしてくれるだろうし……そうならないことを願おうか」

 

 思えば不思議なものである。

 まだ空を飛んでいた頃にはネウロイに対して決定打にならない駆逐艦なんてどうでもよかったが、いざ艦の長となってみれば護衛に一隻でも多くいるだけでありがたいと感じる。

 これが慣れだというのなら、自分もすっかりウィッチ母艦の艦長ということか。

 

 そんな霧堂艦長を見た菊池砲雷長は首を傾げる。そのどこか煮え切らない答えに違和感を感じたのだろう。

 

「お疲れですか?」

 

「疲れてるって言ったら変わってくれる?」

 

「無理です」

 

 即答。当然だ。そもそも艦艇というのはキチンと指揮権の継承順位が決まっているものである。艦長の代わりは副艦長、その代わりは航海科長……もちろん、分かり切ったことだろうから菊池砲雷長もそんなことまでは言わない。

 

「……だよねぇ。なら答えは『大丈夫、どうってことはないさ』だよ」

 

 霧堂艦長は菊池砲雷長へと笑ってみせて、それからモニタに向き直った。状況は動いていない。実際には大きく動いているというのに。

 

「飛べない自分が不甲斐ないと、思ってはいるけどさ」

 

 それを聞いた菊池砲雷長は、怪訝な表情。

 

「……それを野郎である私に言いますか?」

 

「いいじゃん、(エクス)ウィッチはもうただの軍人だ。君たち男の人と変わりない。……君たちはこういう気分で魔女を見ていたのかと思うと、なかなか感慨深いよ」

 

 どこか皮肉が鼻につく言い回しをして、霧堂艦長はどこか乾いた笑みを浮かべた。

 

「さて、今は祈ろうか。ちなみにキクチンは宗教信じるタイプ?」

 

「私は無宗教ですが」

 

「そ、私もよ。神様が助けてくれるならとっくにネウロイは神の怒りを買って死滅してないとおかしいしね。でも、祈るという行為は祈る側にも祈られる側にもいい効果を与えることはリベリオンで実証されちゃったことだし、祈ることで誰かが救われるなら、私は祈ってみるよ。誰に祈ればいいかわからないけどさ」

 

「とりあえず、203空が敵を落として帰ってくることを、彼女たちに祈ればいかがですか?」

 

「そりゃ名案だ。中世だったら火あぶりの刑で死ねるね」

 

 そう言いながらも、彼女はゆっくりと目を閉じる。

 

 

 あんたら、生きて還ってきなさいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちぃっ……」

 

 編隊解除(ブレイク)。石川大佐のRF-4が唸る。その横をネウロイのビームが駆けていく。夢華はそのビームを難なく避けていた。思い切りがいい。

 

「……歳は取るもんじゃないな」

 

 石川大佐は苦笑い。64式小銃を構え、セレクタはフルオートのまま指切りで撃っていく。人の半身程度の大きさの小型のネウロイが幾つも飛んでくる。それを撃ち捨てて、石川大佐は軽く笑った。インカムを入れる。

 

「こいつら全部コアなしか……! 勲章の華にはできそうにないな……っ!」

 

「キリがねーですよ。撃った先から増えるんじゃジリ貧でやがります」

 

 夢華はぼやきながら素早くマガジンを交換する。腰の太いベルトに差したダンプポーチに空のマガジンを叩き込んで新しいマガジンを叩き込む。ボルトストップを解除し初弾装填。コアが無ければ体組織が再生することもないが、増え続ける敵の供給を止めることはできない。

 

「レルネのヒュドラかなにかか、全くやっかいな。ポクルイシュキン中尉! 親玉がどこかにいる! 見つけられるか?」

 

《今割り出してる》

 

 コ―ニャの声は端的に返ってくる。余裕はなさそうな声。それ以上の声はかけない。おそらくコ―ニャにとってはそれはノイズ以外の何物でもないだろう。

 

 石川大佐、ハーフバレルロール。高度を上げつつネウロイのビームを避けながら、スリングを肩にかけ両手を開けた。左手を腰に下げた扶桑刀の打刀の鞘に沿える。鍔の縁を押し、鯉口を切る。金属の澄んだ音が響く。

 

「こういう戦闘は柄じゃないんだが、なっ!」

 

 目の前には空飛ぶ魚雷と言うのが正しいのではないかと思えるような小型のネウロイ。ビームで薙ぎ払うような事前挙動は見えない。それを必殺の距離に(まみ)え――――抜刀。

 

 まるで鈴の音が鳴るような鞘を刃が滑る音。弓鳴りのような音。その刹那に抵抗なくネウロイは真っ二つに切り捨てられた。背後で爆散。

 

 それを見ることなく石川大佐は刃を返す。青眼に刃を構え直しながら振り返った。再生をすることなく消えているが、コアを切ったような感覚はない。やはりこいつもコアなしだった。

 

「……ほんとキリがな――――っ!」

 

 一瞬だけエンジンを吹かし、振ってきた何かを紙一重で避ける。続けて振ってくる何かをほぼ反射で切り捨て――――驚愕する。

 

「なんだこれは……! 液体か!?」

 

 刀にまとわりついているのは、乳白色の液体のようなナニカ。ゼリーのような半液体状のソレを嫌悪感を抱きながら振り捨てようとしたとき、カクンと力が抜けそうになった。慌てて刃についた液体の残滓をはらう。

 

「魔力を……吸われた、だと?」

 

 なぜ、という疑問が溶ける前に、また、それらが振ってくる。今度は切り捨てずに避けることに専念。

 

「やってくれる……カイト・ゼロより各機。上空の中型が放っているのは粘性の高い高魔力吸収体! 魔力をごっそり削られるぞ。シールドで耐えるよりも回避を優先しろ」

 

《また面倒なものを……謎の白い液体とは趣味悪い》

 

 のぞみのそういう声が無線に乗る。本当に嫌そうだ。

 

《なにまどろっこしい言い方してやがるんです。あれに当たらなきゃいーだけの話じゃねーですか、あのせーえ》

 

「《それ以上いけない》」

 

 石川大佐とのぞみの声が被った。その後に鼻を鳴らした夢華はどこか不満そう。

 

《……要は当たらなければいーんでしょう》

 

 そう言って夢華は高度を取っていく。位置エネルギー優位を取っているネウロイが白い何かを飛ばしている。それを最小の動きで躱しながら一気に距離を詰めていく。液体を飛ばしてくるやつの動きは緩慢だ。距離を詰めること自体は容易い……液体を引っ被ることさえ考慮しなければの話だが。

 

 だが、夢華だけはそれができる。固有魔法を駆使して相手の脇をすり抜ける。魔導エンジンをアイドルまで出力を下げ、惰性だけでふわりと高度を取る飛び込み前転を決めるように足を大きく振り回しながら小銃ですぐ真下に見えるネウロイを叩き潰した。いつものように白い光に代わるネウロイだが、同時に白い大量の液体をまき散らした。

 

「うわっ! ちょっとゆめか! 下の事考えなさいよ!」

 

 真横をその残骸がすり抜けたのぞみが大声で抗議。それを夢華は鼻で笑った。

 

《アンタが避けることは確認済でやがります》

 

 出力を絞ったままゆっくりと回転を続けていた夢華だが、水平状態になったレベルオフと同時に出力を跳ね上げる。背面飛行のまま加速してハーフロール、姿勢を戻してエンジン出力最大で緩降下(アンロード)。石川大佐を追っていた液体吐きに向かってその勢いを乗せて手榴弾を投げつける。ネウロイにぶつかった手榴弾が跳ね、それを撃つ。爆発。

 

 夢華も高々手榴弾が上空で爆ぜた程度で撃破できるとは思っていない。それでも彼女は笑っていた。予測通りネウロイは迷ったように首を上げる。怪異と言えど空気抵抗という物理法則には逆らえない。空気の流れをスポイルしたせいで速度が落ちる。その真上を高速で突っ込む。真下に向けて引金を引きっぱなしにしておく。撃破。

 

「あぁもう、訓練じゃないんだからペイント弾もどきはやめろネウロイ。汚いでしょうがっ!」

 

 ナワバリバトルじゃねーんだ! とのぞみが叫ぶが夢華には何が何だかわからない。とりあえずはあの扶桑人がいう事だ、碌なものではあるまい。

 

《キリがねーでやがります》

 

 左右のスタビレーターを逆方向に動かしわざと失速。警報は無視。のぞみを追いかけていた奴に遠距離から牽制弾を叩き込む。その隙をついてのぞみはくるりと宙返りを決め、一発だけ撃った誘導弾がネウロイを塵に変えた。

 

 夢華、レフトラダーをキック。錐揉み回転を止めて増速、海面スレスレまで飛び込んで島の方向に加速する。その衝撃波で吹き飛ばされた白波にネウロイのビームが刺さる。

 

「不用意に突っ込むな高少尉!」

 

 石川大佐が全力で忠告を与えるがそれを無視。夢華に向かってネウロイが一気に集まっていく。

 

「囮役でも引き受けたつもりかアイツ! こんなところで勝手に見栄きるんじゃないわよ!」

 

 のぞみはそう叫ぶが、夢華の行動に救われたのも確かだ。フリーゲルハマー二つを二つ装備したのぞみにとっては逃げるだけでも一苦労。直線軌道を描くビームとは異なり、液体は軌道が読みにくい。

 

「……くそっ、どういうつもりだゆめかは」

 

「まったく、世話が焼けるな。大村! 支援を!」

 

 石川大佐が夢華を追いかける。のぞみはそれを受けてフリーゲルハマーを振りかざす。

 

「りょーかいっ!」

 

 そう言った先、はるか下方で赤いビームと共に白い何かを吐き散らすネウロイが見える。夢華を追いかけているやつらだ。

 

「うまく当たってよっ……!」

 

 コ―ニャは今、親玉を探そうと演算中。その演算を邪魔するわけにはいかない。セレクタは単発。誘導法は画像追尾。ネウロイをロックして、発射。

 

 直後にそれを撃ち落とさんとネウロイのビームが集中する。それを受けてミサイルは爆裂。舌打ちをする余裕もなく、今度はのぞみにビームが集中する。

 

「くっ……」

 

 小型のネウロイのビームは出力が低いと言われるが、実際に受けてみると嘘だと思う。ビームの勢いに後ろに押されてしまう。避けようにも、小型故の小回りの良さで喰らい付いてくる。というか、やはり舵が重すぎる。速度も出ない。ストライカーは旅客機じゃないというのに。

 

「フリーゲルハマーが本当に邪魔だっ! ポストモダン中尉! まだか!」

 

「もう少し……!」

 

「速度が出せなきゃこっちが疲弊するだけだ! 急いで見つけなさいよ!」

 

 コ―ニャを庇う位置でシールドを張りながら、のぞみはそう悪態をつく。

 

 そもそも、これも全部あのちんちくりんな後輩のせいだ。勝手にいなくなって、勝手に心配かけさせて、連絡の一もつ入れはしない。

 

「あぁもう! 米川――――!」

 

 無線全開でかき鳴らす。

 

 届け。無視するならあとで教練追加だ。

 

「米川! どうせ生きてんでしょ! 返事しなさいよバカ! 生きてなかったら私がしばき倒してやるから返事しろ――――!」

 

 無線には応答がない。それがいらだちを強くする。

 

「アンタはヨーロッパまで行くんじゃないの!? 憧れの501に入るんじゃなかったの!? こんなところでバカンスしてる余裕ないでしょうが! 准尉ごときがこんなところで有給休暇使っていいわけがないでしょうが! 聞いてんでしょ、米川! 返事しろこのチビ!」

 

 半ば滅茶苦茶な怒声が無線に乗る。その無線目がけてなのか何なのか知らないが、ネウロイが一斉にのぞみの方に向かってくる。放たれるビーム。重量過多では避けきれない。シールドで守るが、弾き飛ばされる。

 

「つぁ……!」

 

 それでもロールを撃ってバランスを保った。すぐに第二射。今度はギリギリ避ける。

 

 

 

「アンタは! アンタは私の僚機でしょうが! 仲間でしょうが! カイトフライト二番機でしょうが! 二番機が一番機の許可なく落ちてるんじゃね――――――っ!」

 

 

 

 叫ぶ。返事をしてくれ。お願いだから。

 



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第十三話「ディパーチャー~なかま~」後編

 夢を、見ていた、たぶん。

 

 彼女にとっては身に覚えのない突拍子もない光景だったから、夢なのだろう。ネウロイとの戦争が終わって、皆が笑っていて……夢のような光景だった。彼女にとっては生まれた時から戦争はずっとあって、それが「ふつう」だった。終わればいいと思っているが、本当に終わったらなにが起こるのか正直検討も付かないというのが正直なところだった。

 

 でも、そこでは終わっていない。ネウロイがいないわけではない。それでも、戦っていない。ネウロイも一緒にいるのに、戦いは終わっているのだ。

 

 ヒツジ雲の間を悠々とネウロイが飛んでいく。子供がそれに手を振っている。それでもネウロイはビームを撃ってこない。戦いは終わって、皆が笑っている。……夢みたいな光景だった。

 

 彼女はウィッチとして空を飛んでいるけど、もう銃は持っていない。カバンをたすき掛けにして、空の上を飛んでいる。カバンを開けてみる、入っていたのはたくさんの絵葉書。戦争が終わったことを喜ぶもの、帰りを待っていると記したもの、たくさんの絵葉書が入っている。

 

 戦争が終わったら、こんな風景がみられるのかな。彼女はそれをどこか嬉しく思う。

 

 葉書の中に彼女に宛てたものも一枚入っていた。もう戦わなくてよいことを心底喜んでいること、無事に帰ってくることを心から願っていること。沢山の好物を用意して待っていること、それが綴られた絵葉書。裏面には富士山のイラストが描かれている。故郷の山だ。大佐と新幹線で見たことを思い出す。どこか懐かしく思う。

 

 ……?

 

 感じた違和に彼女は首を傾げた。

 

 仲間や先輩はどうなったんだろう。まだこうやって飛んでいたりするのだろうか。それとも地上に降りていたりするのだろうか。

 

 平和で明るい、こんな未来になればいいのにと、想う。それでも、どこか、なぜか、寂しい。なぜか違和感が拭えない。

 

 そう、感じた。

 

 その刹那――――

 

 

《米川――――!》

 

 

 名前を呼ばれた気がした。夢のような風景がブラックアウトする。

 

 重いまぶたを必死に開ける。昼間の燦々と輝く光の中、赤い何かが空間を横切った。

 

「ネウロイ……」

 

 頭は未だぼーっとしたままだ。重くて重くて仕方がない。目のピントが合わない。それでもなんとか、身体を起こそうとしてみる、身体がふらついて起き上がれない。遠くでフラフラと舞うそれをぼうっと眺めながら、砂の熱さを頬に感じる。手当てした後の傷が少し痛い。それでも彼女は頭を持ち上げることが出来なかった。

 

《米川! 生きてんでしょ! 返事しなさいよバカ!》

 

 魔導無線の音、誰かが怒鳴っている。聞き覚えのある声。

 

「……のぞみ、先輩?」

 

 その声が聞こえた気がした。なんでだろう。どうして、先輩がここにきているのだろう。

 

 視界の奥、横一線に何かが走る。赤と白の中間のような光が走って、消える。

 

 身体が重くて、動かない。熱のせいだ。動けない。動きたくない。

 

《アンタは! アンタは私の僚機でしょうが! 仲間でしょうが! カイトフライト二番機でしょうが! 二番機が一番機の許可なく落ちてるんじゃね――――――っ!》

 

 その声に叩き起こされる。

 

「そうだ……先輩が、戦ってる……、行かなくちゃ……」

 

 身体を、起こす。狙撃銃を探す。頭が酷く痛い。何とか銃のスリングを手に取る。

 

 構える。銃身が安定しない。棕櫚の木に上半身を預けてスコープを覗き込む。赤い線が走る。

 

 夢の世界は、きっと本当にいいものなのだろうと思う。戦いがなくなって、平和になって。それはきっともう100年近く誰もが願ってきて、手に入れたかった未来だ。それのために彼女も、皆も戦っている。

 

 それでも、あの夢の中に()()()()()()()()()()()()()()()()()、誰もいなかった。

 

 

 それは、嫌だ。

 

 

 スコープを覗き込む。頬付けの位置が決まらない。いつもはしっかり見えるはずの光が、スコープの中をずれていく。これじゃだめだ。しっかり、しっかり狙わないと。

 

「わたしは、ウィッチなんだから、しっかり、しないと……」

 

 体育座りのような姿勢で銃を膝に乗せると少しは安定しただろうか。軽く脇を締めるようにして銃床を頬に近づける。視界が安定する。そのスコープの円の中を何かが横切った。スコープを覗いていない左目でそれがなんなのかを追う。

 

「もんふぁ、ちゃん……」

 

 ネウロイがその影に向けビームを放つ。それを見て、引き金に指をかけた。

 

「やめて……」

 

 動きはひどく緩慢だ。それでも、狙いをつけていく。十字の照準線に、目標を合わせる。

 

 赤い光を、止めねばならない。203空の仲間が空を飛んでいるのだ。

 

 

 

 落とされるのは、嫌だ。仲間がいなくなるのは、嫌だ。

 

 

 

「……わたしの居場所を」

 

 願い、引金を引き絞る。

 

「奪わないで……」

 

 撃鉄が、落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――この音は!」

 

 それに気が付いたのは石川大佐だった。

 

「島の東側から銃撃!」

 

 そう報告しながら、石川大佐は速度を上げる。彼女の回収はできるかどうかわからない。それでも彼女の位置を特定することは容易い。

 

 石川大佐が使用するRF-4ファントム飛行脚は偵察に特化した飛行脚だ。ストライカーを装着したときにちょうど太ももの位置にくるフェアリングの中には撮影装置が収められている。左足のフェアリングに収められた下方撮影(ルックダウン)用のカメラを起動、高速で海岸線の上を飛びぬける。高速でシャッターが切られ続ける。

 

 ネウロイが石川大佐を追いかけてくるが、なんとか速度に任せて海岸線を撮影、離脱。小銃で振り向きざまに撃破。再生はしない。コアはやはりないようだ。

 

 移動しながら、データを確認する。

 

「見つけた!」

 

 撮影12枚目、棕櫚の木の陰にストライカーが見えた。

 

「東側海岸中央部! F-35Aストライカーを確認!」

 

《確保します!》

 

 のぞみが即答するが、それをすぐに諫めたのはコ―ニャだ。

 

《夢華の方が近いし推力に余裕がある。カイトスリー》

 

 コ―ニャの声に反射的に噛みついたのはのぞみだ。

 

華僑人(あいつ)に米川を任せられるかっ!》

 

《――――仲間なら!》

 

 

 初めて、コ―ニャが声を張ったのを聞いた気がした。

 

 

《仲間なら、信じよう。のぞみ》

 

 その声にのぞみが押し黙る。もう一度銃声。単発のこの音は間違いなく狙撃銃のそれだ。ネウロイが一機落ちる。それがある意味決定的だった。ネウロイがその弾丸の出元に気が付いたのだ。

 

《ああもう! 夢華!》

 

 のぞみの位置からではもう間に合わない。それは火を見るよりも明らかだ。

 

 だから、叫ぶ。

 

《米川を殺させるな!》

 

「……叫ばなくても、わかってやがりますよ」

 

 島の方に向けてネウロイがそろって旋回。その間隙をオーグメンター全開の夢華が翔る。それを認めたコ―ニャが叫ぶ。

 

《のぞみ!》

 

《アイマム!》

 

 のぞみの両腕に収まったフリーゲルハマーが斉射される。30を超える白い矢が一気に加速。その飛び出した弾頭全ての制御がコ―ニャに乗っ取られる。

 そうして意思を与えられた弾頭は次々にネウロイを破砕するだろう。だがビームはそれよりも早く放たれようとしている。

 

「いけっ! 高少尉!」

 

 石川大佐の声に押され、夢華が飛び出していく。追い抜きざまにネウロイを一機撃ち抜いて、夢華は高度を落とした。

 

 

 気に入らない。気に入らない。気に入らない。

 

 

 夢華にとって米川は全くもって気に入らない存在だ。

 

 部隊の皆がヨネカワ、ヨネカワ、ヨネカワ……そこまでガキの命が重要か。士官食堂から締め出しを喰らうような奴がそんなにかわいいか。

 

 家族ごっこの中でうぬぼれて、大嫌いなはずの相手にまで笑って見せるあいつがそんなに大切か。

 

 絆がなんだ。仲間がなんだ。そんなもの、ネウロイの前じゃ屁にもならないじゃないか。そんなものにうつつを抜かして消えた途端にすぐこれだ。周りが勝手に騒ぎ立てる。あの子はお姫様かなにかか。

 

 オーグメンターカットオフ、エアブレーキ展開。その空気抵抗を使って頭を持ち上げ、そのままバック転の要領で上下反転。振り返る。目の前にはビームの山。

 

 固有魔法展開。数秒先の未来を視る。手に持っていたライフルを捨て両手を翳した。『テッポウ』は捨てるなと教わっていたはずだ。いよいよ毒されてきたか。

 

 それでもシールドを張らねば任務は達成できそうにない。仕方ないのだ。仕方なく、張ってるに過ぎない。

 

 魔力光が迸る。シールドを張るのはいつ以来だろう。全くもって思い出せない。それでも逆さまの姿勢のままなんとかシールドを張った。こんなこと流儀に反する。全力を使い切ったらその背後から寝首を掻かれる。常に余裕がなければ生き残れない。

 

 わかっているのに、何をムキになってシールドを張っているのだろう。

 

 そんな場違いな疑問が頭をよぎった直後、視界が赤く染まる。同時に、衝撃。

 

「――――――っあ、」

 

 息が詰まる。それでも何とかその奔流に耐える。

 

 感じるのは熱さと息苦しさ。それでも夢華はシールドに力を籠め続ける。

 

「おあああああああああああああああっ!」

 

 叫ばなければ意識を保てそうもない。それほどの力だ。ナイフかなにかで皮膚をそぎ落とされるような感覚が全身に走る。

 

 気に入らない。

 

 流儀を変えてまでこんなことをしている自分も、わりに合わない仕事をさせることになった僚機も、全くもって気に入らない。

 

 だのに、何故逃げる気が起きない。

 

 その答えは、自分の生死に直結する。この悩みは致死性だ。悩んでいる間に死にかねない。すぐに答えを出さなければならない。それでも、その答えは魔法が導き出してはくれないらしい。

 

 その答えは、誰が、何が握っているのだろう。

 

 いきなり負荷が軽くなる。その瞬間に前につんのめった。集中できていない。悪い兆候だ。それでもビームの奔流は止んでいた。

 

「―――高少尉よくやった!」

 

 ビームを撃っていたらしいネウロイを叩き切った石川大佐がそう叫ぶ。そうか、防ぎ切ったか。身体がガクンと重くなる。一度頭を下にして落ちて姿勢を確認。エンジン出力上げ、身体を起こして海面を滑るようにして低速で海岸線にアプローチ。

 

「まったく、こんなところで油売ってる余裕があるなら、さっさと帰ってきやがれです」

 

 棕櫚の木に背中を預けたままライフルを握りしめているひとみを見て溜息をつく。赤いピントの合わない目が夢華に向けられた。

 

「もんふぁ、ちゃん……?」

 

「何だってんです」

 

「ごめん、なさい……」

 

 いきなり飛んできた謝罪に夢華は僅かに目を伏せる。

 

「謝るぐらいならさっさと帰ってきやがれってんです。おかげで加賀がうるさくて仕方ない」

 

 夢華はそう言って拳銃を取り出した。もう半世紀以上前の黒星(ヘイシン)は、どこかのだれかの使用癖が残っていて未だに手には馴染まない。それでも今はこれを手に使うしかない。魔力弾を発射できるだけましだと思いたい。

 

「グズグズしてないで戻りやがり――――」

 

《ゆめか後ろ!》

 

 のぞみの声が割り込む。夢華はとっさに身体を前にたおし倒す。頭上を黒い何かが過った。

 

「……見えてやがってます」

 

 振り向きざまに弾を叩き込む夢華。巨大なネウロイが空気から溶けて出るように姿を現したのだ。

 

 それは蜘蛛のような6歩足の巨大な、なにか。

 

「……これが親玉でありますか」

 

《ほぼ間違いないと思う》

 

「なるほど」

 

 夢華が引き金を引いた。熱で鈍色になった薬莢が一つ一つ落ちていく。

 

「クソ硬ぇ……」

 

 もっとも、トカレフTT-33のコピーである黒星(ヘイシン)の威力がもともと足りないのは事実だ。必要に駆られたとはいえ、小銃を捨てることになったのを後悔した。

 

 そんな内心を知ってか知らずか、ネウロイは夢華に向けたビームを収束させていく。

 

「……っ!」

 

 ひとみは木にもたれかかったまま動けないようだ。ストライカーも履いていないから空に上がるのは不可能。夢華だけ上空に上がることも考えたが、これでひとみが死んだら夢見が悪すぎる。

 

「はぁあああああああっ!」

 

 ビームが放たれる直前、その足を何かが叩き切った。後ろ脚の一本を失いバランスを崩して上に顎を振るようにしたそのネウロイのビームが明後日の方向に飛んでいく。

 

「大佐!」

 

「今のうちに米川を回収しろ! 俺が引きつける!」

 

 RF-4のエンジンが唸る。その中で石川大佐が獰猛な笑みを浮かべてみせた。

 

「老骨だからと舐めるなよ、ネウロイ」

 

 ネウロイは片足を再生させながらゆっくりと石川大佐の方を向いた、間違いない。こいつはコアを持っている。

 

「私の部下を勝手に捕まえた落とし前、しっかりつけてもらおうか」

 

 ネウロイが跳躍する。石川大佐はそのまま海岸線をなぞるように飛ぶ。ネウロイは石川大佐を押しつぶさんとする、それでも石川大佐の方が一枚上手だった。

 

 ネウロイが接地する寸前に、急激に進行方向を変える。相手の脇をすり抜け、再生したばかりの足を切り落とした。ネウロイは柔らかい砂浜に着地、それに足を取られバランスを崩し、横倒しになろうとする。水しぶきが立った。

 

 ネウロイは水を嫌う。それはウィッチなら知っていて当然の知識だ。これがあったからこそ、人類は大部分の陸地を奪われながらも、生き延びることが出来ている。

 

 そのネウロイが波打ち際から海に落ちるように横倒しになればどうなるか。

 

 禍々しい唸り声のような声が響く。それでもネウロイは倒れない。でたらめにビームを放っている。

 

 そんな攻撃が当たるはずもなく、石川大佐は悠々と上昇していく。

 

「射撃開始!」

 

 上部に位置を占めていたのぞみに指示を出す。石川と二人掛かりで弾丸を叩き込んでいく。

 

「やったらめったら硬いですねこいつ」

 

 のぞみがほぼ真下に撃ち下ろすような姿勢で魔導小銃弾を叩き込んでいく。ネウロイがもがきながらも体勢を立て直していく。

 

「させねーですよ」

 

 ネウロイの上面で丸い金属の弾が爆ぜた。のぞみがちらりと横を見るとひとみを肩に担ぐような姿勢で空を飛んでいる夢華の姿があった。

 

「回収ご苦労! 案外やるじゃないゆめか」

 

「お褒めいただきどーも、ダーツォン。コイツやたらと熱出してやがります。さっきの一撃がよく入ったもんですよ、たく」

 

 改めて見るとひとみの顔は真っ赤だ。それでも狙撃銃を握りしめたままで、それを見たのぞみが笑った。

 

「案外根性あるじゃない、米川」

 

 そう言いながらのぞみは撃ちきったマガジンを交換。飛んできたビームをするりと避けて笑う。

 

「さて、第一目的は達成したわけですし、サクッと終わらせちゃいましょうか」

 

「大村。任せてもいいか」

 

 石川大佐が夢華からひとみを受けとりながらそう言った。その顔には汗が浮かんでいる。石川大佐の魔力量だと長時間の戦闘機動は厳しいのだろう。それを察したのぞみが笑って答える。

 

「もちろん、ミサイルキャリアより前衛(ポイントマン)の方が性に合ってるって噛み締めましたし」

 

「では、俺は下がるとしよう」

 

 ひとみを御姫様抱っこの姿勢で確保したまま飛んでいく石川を見送って、のぞみが笑った。

 

「陸上型となると対処が難しいかな、ゆめかちゃん」

 

「モンファって何度言えばいーんですか。対処しにくいのはあんたの方でしょ」

 

「さて、それはどうかなっ!」

 

 のぞみが先に距離を詰めていく、ネウロイは断続的に叩きつけられた弾丸によって動きを制限されていた。

 

「扶桑皇国の魂、着剣精神を喰らうがいいっ!」

 

 のぞみが飛び込む。相手のコアがありそうな真ん中あたりを一突きして、三点バーストを叩き込んで銃剣を引き抜いて、離脱。その背後で夢華が手榴弾のピンを抜いた。

 

 ネウロイが叫び声を上げながらのぞみの方を向く。

 

「そうだ! 私が相手だ。感謝しろっ! ネウロイっ!」

 

「どーしてそんな自信満々に突っ込めるんですかねっと!」

 

 傷がついた装甲を削るように手榴弾が炸裂。間髪入れずに夢華が弾丸を叩き込む。拳銃弾だと命中率が下がる、すぐに弾倉を使い切り、一度後退。代えのマガジンを叩き込む。

 

「よーし! そのまま距離とっときなさいよ!」

 

 のぞみはストライカーのウェポンベイを解放。飛び出した4発のミーティア空対空ミサイルに点火。

 

「ポスコロ中尉! 頼んだ!」

 

《Покрышкин》

 

 ミサイルが4発。ネウロイに突っ込み、一気に装甲を弾き飛ばす。仄赤い光が周囲に帯びる。

 

「見えたっ! コアだ! ゆめかっ!」

 

「モンファだっ!」

 

 そう叫び返した夢華は既にネウロイに取り付いていた。コアに拳銃をぴたりと突きつけ、引金を引いた。

 

 次の刹那――――ネウロイが弾け飛んだ。

 

 白い粒子に変換されると同時、空間が弾けるように突風が吹き去る。どこまでも広がる青い空。ネウロイが創り出した空間が消滅したのだ。

 

《……GPS電波、復活。不可知戦域は消滅したものと思われる》

 

 コ―ニャがそう告げる。

 

 終わってみれば、あっけない幕切れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「急性扁桃炎……まぁ、命にかかわることは少ないだろう。しばらく安静にしておく必要があるが……まずは無事でなによりだ」

 

 石川大佐がそう言うのを、ひとみは点滴袋が下がる医務室で横になったままぼうっと聞いていた。枕元近くに置かれたスツールに腰掛けた石川大佐の表情はいつもより明るく見える。

 

「他人に感染するリスクはかなり低いそうだ、まぁ、抗生物質が効いて炎症が収まるまではここで寝ることになるだろうが、この程度で済んでよかったと言えるだろう」

 

 熱が出ているのはその『きゅうせいへんとうえん』のせいらしい。

 生水を飲んだり、動物に触らなかったか、と白衣を着た女性に聞かれたが、心当たりがありすぎる。島について岩からしみ出した水を飲んだ。濾過機を通しているが飲むのはまずかったらしい。海鳥のフンで汚染されているから次こんな機会があったら生水は飲まないようにと言われたが、そんな機会が無いことを願うばかりだ。

 

「石川大佐……」

 

「なんだ?」

 

「わたしのストライカーは……」

 

「ポクルイシュキン中尉が回収してきてくれている。今、分解整備が行われている」

 

「分解整備……」

 

 ひとみがそう言ったのを聞いてか、石川大佐が軽く笑った。長い髪が揺れる。

 

「心配するな、砂を吸いこんだりしていないかの確認と洗浄が主な内容だ。別段壊れているわけではない」

 

「そうですか……よかった、です」

 

「今はゆっくり休め。あの島でなにがあったのかを今後聞くことがあるだろうが、今はその発熱を治すことが最優先だ。魔力の回復に伴って急速に快方に向かうはずだが、無理は禁物だ。……しっかり養生するように」

 

「わかりました」

 

「よろしい。……堅苦しい話はここまでだ」

 

 それから石川大佐は、くるりと後ろを向いた。

 

「……入ってきていいぞ、ドアの裏にいるのはばれてる、大村、あとはポクルイシュキン中尉と高少尉もいるんだろう?」

 

 石川大佐がそう声を掛ければ、ドアが小さな音を立てて開いた。

 

「……廊下側には窓ないのにどうしてわかるんですか」

 

 エスパーか何かですか? と続けながら入ってきたのは大村のぞみ准尉だった。その後ろには背の高い影、コ―ニャが見える。どこかふてくされた顔の夢華が見えた。

 

 三人を認めた石川大佐がうむ、と頷く。

 

「人が動く気配がしたからとしか言いようがないが……」

 

「ではなぜ私だと?」

 

「こんな時に覗きに来るのはお前たちぐらいだからな」

 

「……霧堂艦長は?」

 

「覗くまでもなく飛び込む」

 

「あー……なるほど」

 

 石川大佐の即答にのぞみは納得顔だ。そのままつかつかとひとみのいるベッドの近くまで寄ってくる。

 

「案外元気そうね。重畳重畳」

 

「心配……かけちゃいましたか?」

 

「そりゃ当然。僚機が消えて、仲間が消えて心配しない奴なんていないわよ」

 

 そう言って笑って見せたのぞみは、そのままひとみのベッドを回り込み、寝たままのひとみの顔を見下ろせる位置にスツールを置いて座り込んだ。

 

「熱があるって言うし喉の奥が腫れてるってことは普通の食事は入らないかなーと思って、はい、アイスクリーム買ってきたわよ、ポツリヌス中尉が」

 

「Покрышкин」

 

 律儀に修正しながら、コ―ニャが小さな銀色の袋を掲げてみせる。保冷剤入りの袋らしい。

 

「バニラしかないけど、いい?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「みんなの分も、ある。石川大佐のも」

 

「俺のもあるのか? 医務室で食べるのは行儀が悪いが、いただこう。どれ、ベッドの背もたれを持ち上げるボタンはどこだ……?」

 

「あわわっ……!」

 

 石川大佐がリモコンを操作するとなぜかひとみの足元が上昇して変に転びそうになるひとみ、慌ててのぞみがひとみを支える。

 

「す、すまない。えっと……背もたれ、背もたれだから……」

 

「もしかして石川大佐……」

 

 のぞみがどこか怪訝な顔をする。どことなく余裕がない表情の石川大佐が口を開く。

 

「ち、違う。間違えただけだ……」

 

 そう言いながら石川大佐じゃリモコンに向き合うが、その手がリモコンの上を迷う。それを見たコ―ニャがさらりとリモコンを取り上げる。足元の段差が下がって、背もたれが上がる。

 

「大佐、見かけによらず機械音痴でやがりますか?」

 

 真正面からバッサリ言った夢華。嫌な沈黙が落ちる。

 

「……医療用ベッドの使い方を知らないだけだ」

 

「で、でも石川大佐、大佐のファントム(RF-4)は自分で整備なされてましたよね……?」

 

 のぞみの恐る恐るの指摘に、石川大佐は妙に穏やかな声を出す。

 

「大村、人には向き不向きと言うものがあるな?」

 

「へ……?」

 

「つまりはそういうことだ。これ以上の議論は禁ずる」

 

「やっぱり苦手なんじゃねーですか」

 

 夢華の指摘に石川大佐はにらみを利かせるだけだ。もう意地でも話題には出したくないらしい。

 

「ほ、ほらアイス溶けちゃいますし……」

 

 ひとみがバツが悪そうにそういうと、何とか場の空気が戻る。しっかり皆でいただきますをしてからアイスにスプーンを刺そうとし……

 

「硬い……っ!」

 

 刺さらない。いつぞやの新幹線で石川大佐が顔を歪めながら無理矢理堅そうなアイスを食べていたが、こういうことだったのか。

 

「これなんでこんなに硬いんですか……?」

 

 熱のせいもあって力が入らないひとみがそうぼやくが、答えられる人はいない。のぞみの「海軍さんのアイスの伝統だから諦めなさい」というのが唯一の答えらしきものである。

 

「おいしい……」

 

「そりゃよかった、プロヴァンス中尉が金払った甲斐があったわね」

 

「Покрышкин」

 

 コ―ニャがアイスにスプーンを刺そうと腕をプルプルとさせているのを見ながら、ひとみはバニラエッセンスの香りを味わう。冷たい甘味が熱で火照った喉にうれしい。腫れた喉を冷やして落ちていくアイスがこんなにもおいしいとは思わなかった。

 

「アンタ、本当にいい顔で食べるわね」

 

「? そうですか?」

 

「なんかリスみたい。使い魔ほんとはリスなんじゃないの? 耳小っちゃくてよく見えないしさ」

 

「えっと……」

 

「でも尻尾は見えないしなぁ……あ、あれか。リスのしっぽはモゲやすいってやつ? 誰かに引きちぎられた?」

 

「私のはナキウサギです……」

 

 なんだかリスさん可哀そう……と続けたところでのぞみはどこ吹く風だ。話題がコロコロ変わっていく。

 

「でさ、しあわせそうに食べてる米川はいいとして、なーんでゆめかはそんな仏頂面でアイス食べてんの」

 

「人がどんなふーに食べててもいーじゃねーですか」

 

「なに? バニラアイス苦手? せっかくポルトープランス中尉が買ってくれたのに」

 

「誰も嫌いとは言ってねーです」

 

「なに、じゃぁ何が不満?」

 

 のぞみがしつこく聞いているせいもあるのだろうが、夢華の周りの低気圧が発達していく。

 

「あたしには黙る権利もねーんですか」

 

「ないね。少なくともそうやって不満そうにアイスをつついてる理由がわからなきゃ、状況の解決のしようがない。悪いことは言わないから建設的な話をしようや」

 

 のぞみが半ば啖呵を切るような事を言って、夢華はスプーンを硬いアイスに刺すようにして固定するとゆっくりと口を開いた。

 

「何が楽しくて家族ごっこをしなきゃいけねーんですか」

 

「家族ごっこ……?」

 

 ひとみの声はどこか悲しそうだった。

 

「あたしたちがやってるのは戦争で、訓練じゃねーんです。そんな甘いことに巻き込まれて墜ちるのは、御免でやがります。僚機にかまけている間に撃たれたら終わりじゃねーですか」

 

「……もんふぁちゃん?」

 

 ひとみが首を傾げながら夢華の言葉を切った。

 

「もんふぁちゃんは寂しくないの?」

 

「は?」

 

「わたしは、ひとりは寂しいし、怖いと思うんだ」

 

「それはアンタが弱いからじゃねーですか、米川(ミーチュアン)

 

 その言葉の奥に潜むのは、あたしはお前ほど弱くないという棘だ。その棘を気にしないことはできないけれど、ひとみは苦笑いで済ます。実際、夢華に勝てていないのだ。反論材料がない。

 

「そうかもしれないけど……でもね、わたしは間違ってないと思うんだ。弱くてダメダメだけど、いろんな人から助けてもらって、叱ってもらって、励ましてもらって、ここまで来たんだ」

 

 そういうひとみの瞼の裏に浮かぶのは、今も部屋に行けば大事にしまってある寄書きの言葉。背中を押してくれた、学年主任の言葉。人をちゃんと頼ること、相談すること。その大切さを語った言葉。

 

 ここにいる石川大佐やのぞみやコ―ニャだけではなく。いろんな人に支えられ、期待されて、心配されて。そうして今、米川ひとみはここにいる。

 

「一人じゃきっと、ここまで来られなかった。わたしはそれを大事にしたい。いっぱいいっぱい励ましてもらいたいし、励ましたいんだ。そう思うのは……間違ってるかな?」

 

「知らねーですよ。助けて『もらった』、叱って『もらった』、励まして『もらった』、もらったもらったもらった、ぜーんぶ()()()()()()()()()()()()ものじゃねーですか。慈悲深い人が多くてよーござんしたね。それで、自分で何が出来たんです?」

 

「あんたね……!」

 

 のぞみが腰を上げたのを、石川大佐が無言で腕を伸ばし制する。コ―ニャは黙ったままだ。

 

「できたことは少ないよ。でも、わたしは今ここにいて、203空で飛んでるんだ。のぞみ先輩とこーにゃちゃんと、もんふぁちゃんと、……石川大佐と」

 

「その間はなんだ米川」

 

 石川大佐のドスの効いた声が飛んできて表情を引きつらせるひとみ。

 

「だ、だって、石川大佐飛んでるのわたし見てないんです……」

 

「……「加賀」まで抱えて連れて帰ったのは俺なんだが」

 

「えぇっ!? そうなんですか?」

 

「気づいてなかったのか……」

 

「だって、フラフラで……」

 

 石川大佐、盛大に溜息。それにどこかイライラした雰囲気を返す夢華が割って入った。

 

「で? 一緒に飛んでるからなんだっていうんです。死んだら骨でも拾ってくれと言うつもりでやがりますか」

 

「違うよ。……航空ウィッチはひとりだけじゃ飛べないし、24時間ずっと飛ぶことはできないし……だからいろんな人に助けてもらって、助けて、そうやって飛んでいくんだと思うんだ」

 

 ひとみはそう言って手をギュッと握りこんだ。左腕にささった点滴が揺れる。

 

「わたしはひとりじゃ飛べないけど、でもみんなといっしょなら飛べる。私だって、守れる。一航戦だって、香港だって、みんなで守ってきた。だから、これからもみんなで守っていけるように頑張りたいんだ」

 

「答えになってねーですよ。それがなんで家族ごっこになりやがるんです」

 

「そう? みんなで頑張ったんだから、その分、楽しいことを一緒にするのは間違ってないと思うけど」

 

「そーゆーあんたは遭難してただけじゃねーですか……」

 

「そ、それでも一機落としたし……」

 

「コアなし雑魚機だからノーカンでしょうが」

 

「そ、そうだけど……!」

 

 ひとみがどこかふてくされたように頬を膨らませる。

 

「で、でも……もんふぁちゃん助けに来てくれたし……」

 

「それはそれが任務だっただけでやがるからです」

 

「そんなことない」

 

 会話に割り込んだのはコ―ニャだ。

 

「夢華、昨日一人でベッドで悔やんでた」

 

「はぁっ!?」

 

 いきなりマジトーンで叫び返す夢華。

 

「『うるさい、なぁ。……あたしは間違ってない』」

 

 コ―ニャがものまねのつもりらしい高い声をだす。それから。

 

「悔やんでる」

 

「どっ……どうやったらそれが悔やみになりやがる!」

 

「自己正当化。責任転嫁。夢華はひとみが消えたことに大きな責任を感じてた。それを誰かに押し付けようとするのは防衛機制が起こす人間の本能の一つ」

 

「でたらめなことを言うのはやめやがれ――――っ!」

 

 コ―ニャにつかみかかろうとする夢華だったが、コ―ニャが左手を突っ張り棒にするだけで夢華の攻撃を回避する。腕の長さは必然的にコ―ニャの方が長いのだ。

 

「離しやがれっ……!」

 

「叩いたりつかみかかろうとする人を離したら危険」

 

 コ―ニャは突っ張り棒を解かないままそういう。顔を真っ赤にしてコ―ニャに攻撃しようとする夢華だが、その反応がどうも図星じみている。のぞみが笑う。

 

「なーんだ、可愛いところあんじゃん」

 

「いきなり後ろから抱きつくな大村(ダーツォン)!」

 

「お お む ら だよ。ゆ め か ちゃん?」

 

夢華(モンファ)だっつってんでしょうが!」

 

 一気に姦しくなっていく病室の空気。それを見てひとみはクスクスと笑った。

 

「石川大佐」

 

「なんだ、米川」

 

「楽しい部隊になってきましたね」

 

「……そうだな」

 

 石川大佐はどこか満足そうに笑う。ひとみは少し溶けて食べやすくなったアイスをスプーンで口に運んだ。さっきより甘く感じるのはきっと間違いじゃないだろう。

 

 のぞみのからかうような声と夢華の半ばヤケクソのような反論を乗せて、強襲揚陸艦「加賀」は南へ進路を切る。

 

 

 扶桑の制空・制海圏内の南端を抜け、ブリタニア-アウストラリス王国軍、リベリオン合衆国海軍の制空エリアにへと。

 

 

 艦隊は一路、第二寄港地――――シンガポールを目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

南洋日報電子版

皇国海空軍ウィッチ、南沙諸島のネウロイを撃破。シーレーン防衛に重大な貢献。

2017年6月26日(月)午後4時43分

【新発田・シンガポール支局】

 人類連合軍東アジア司令部の発表によると、人類連合第203統合戦闘航空団は本日午前、南沙(スプラトゥーン)諸島に潜伏していたネウロイを補足、撃破した。撃破したネウロイは新型種であると報じられている。南沙諸島は我が国のシーレーン防衛において重要な地域であり、南遣艦隊司令香椎(かしい)中将は「今後は、より徹底した哨戒網の構築、並びに南方展開戦力のより一層の増強に努めなければならない」と語った。

 第203統合戦闘航空団には、我が国より海空軍のウィッチ、並びに艦隊戦力が供出されている。









長かった。本当に長かった。

これにて第一章完結です。はい、『まだ』第一章です。ですが書き上げました。ブレイブウィッチーズ放送記念小説のつもりがここまで既に26万字。遠くまで来てしまったものです。
ですが、もちろんこれからも203の旅は続きます。この第一章は言うならば旅立ちの章。扶桑のウィッチ「米川ひとみ」が、203という人類の新しい翼が21世紀の空へと羽ばたく章でした。彼女たちを乗せた強襲揚陸艦「加賀」の旅は欧州にたどり着くまで続くことでしょう。


……無事ブレイブウィッチーズも最終話を迎え、今年も残りわずか。気付けば書こうと思い立ってから既に半年以上の月日が経っていました。まだまだ今作は道半ばにすら達していませんが、こうして一つの区切りがついたことを嬉しく思います。

ここまでこぎつけることが出来たのは共同執筆者の皆さん、そしてなにより本作品を応援してくださった読者の皆様のお陰です。
この場を借りて感謝の言葉を送らせていただきます。本当にありがとうございました。

今後も「ゴールデンカイトウィッチーズ」をどうぞよろしくお願いいたします。


平成28年12月30日 帝都造営


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いんたーばるっ!
征く空来る空(ウィッチたちの赤裸々座談会)


※著しいキャラ崩壊、メタ発言が含まれますのでご注意下さい※





のぞみ「はい! というわけでやってまいりましたTHE白紙コーナー! ここから先に脚本(シナリオ)は存在しない、即ちこの大村のぞみの場所だ、OK?」

 

コニャ「……OK」(ズドン)

 

ひとみ「これ大丈夫かなあ……」

 

ゆめか「不安しかねーじゃねーですか」

 

のぞみ「こらこらこらこら、なんでそんなにテンション低いんだね諸君!」

 

ゆめか「なんでそれに付き合わねばならねーんですか。というよりですね、なんであたしの名前、扶桑語表記でやがるんですか。あたしの名前はモンファ! ガオ・モンファ!」

 

のぞみ「いやだって、ハーメルン様は日本語サイトだし、日本語準拠は当たり前だよねぇ?」

 

ゆめか「理由がメタすぎませんかねぇ大村(ダーツォン)!」

 

のぞみ「 お お む ら だ 」

 

コニャ「……夢華は、マシ。コニャはさすがに、ない……」

 

のぞみ「じゃぁポクルがよかった?」

 

ひとみ「コロポックルみたい」

 

のぞみ「仕方ないじゃない、三文字で揃えたいんだから。出る杭は打たれるってやつよ」

 

コニャ「……もう、コニャでいい」

 

ひとみ「え、えっと……コニャちゃんは元気出して?」

 

コニャ「怒るよ」

 

のぞみ「まぁとりあえずからかうのはこれぐらいにしてサクッと行ってみよー」

 

ひとみ「えっと、そもそもの話として、この企画の趣旨がわかんないんですけど……」

 

コニャ「……暇、つぶし」

 

ひとみ「ひつまぶし? ああ、おいしいよね。あの香ばしいタレを塗ってふっくらと焼き上げられたうなぎにあったかいご飯は最高だよ! やっぱりシメはお茶漬けにしていただくのが私は王道だと思うんだけどね、でも薬味をたっぷりかけて食べるのもおいしいんだよー」

 

ゆめか「普段の1.5倍速で説明どーも……扶桑にはそんな美味しそうな物出しやがるんですか」

 

コニャ「夢華、お腹減る?」

 

ゆめか「……あとで加賀で作ってもらうです」

 

ひとみ「うなぎはあるかなあ……」

 

のぞみ「えーと、とりあえず話し戻すよ?」

 

一同「……はーい」

 

ゆめか「ここだけ三文字じゃねーんですけどこれは認めやがるんですか」

 

のぞみ「じゃあ次から誤魔化すよ? とりあえずここまでブラウザバックせずに付き合ってくださった皆様!」

 

 

一 同「ゴールデンカイトウィッチーズ、第一章を最後まで読んでくれてありがとうございます!」

 

 

のぞみ「今話は作品誕生の秘話や企画裏話、あと米川の性癖など大大大公開してまいりますので、どうぞごゆるりとお付き合いくださいませ」

 

ひとみ「先輩!?」

 

ゆめか「やーい、魔法少女マジカル☆ヒトミーン」

 

コニャ「……スッ」(保存された写真を見せる)

 

ひとみ「やめてえ! それ私の黒歴史! お父さんに『ひとみ、お前は空軍なんだよな……』ってマジトーンで言われたからぁ!」

 

のぞみ「まあ米川が社会的に死亡した以外はほぼ丸く収まったし、なかなかいい話だったんじゃないかなーなどと思います、うん」

 

ひとみ「ていうかあれの発案だれでしたっけ?」

 

ゆめか「え? 執筆者の一人のプレリュードでやがりますが?」

 

コニャ「上海だったら†魔都†になってたのに、残念」

 

のぞみ「……ネウロイの脅威が迫りくる、昭和十二年、秋!」

コニャ「皇国海軍内部に密かに諜報機関が設立された」

のぞみ「精神と肉体の極限を要求される訓練を安々と乗り越えたウィッチたちは」

コニャ「霧堂艦長の指示の下、世界各地で暗躍し始める……」

のぞみ「ここに、新たな諜報組織が誕生した。その名は――――」

の&コ「――――G機関」

 

ゆめか「……唐突な他アニメネタはNGじゃねーんですか。それにGだとゴキ〇リにしか見えねーんですよ」

 

ひとみ「あ、既に察された方もいると思いますがこれから先はメタ・パロ・キャラ崩壊のオンパレードです。本編とは一切関係ない話しかしないので苦手な方は読まなくとも影響はありません」

 

ゆめか「んで、今回は一応あたしら四人がそれぞれの作者の代理としてしゃべっておりますのでご注意くだせー。ちなみにあたしはODことオーバードライヴの代理でやがります」

 

ひとみ「私はPことプレリュードの代理です! プロデューサーではありませんよ!」

 

のぞみ「私はもう察するまでもないと思うけど、企画主である帝都造営の代理だ」

 

コニャ「最期の執筆者、矢神の代理……といいたいのだけど」

 

のぞみ「共産趣味者である帝都造営が代理させてもらった。ロシアだし、まあ多少はね?」

(矢神は欠席なのです!)ハラショー

 

ゆめか「それいーんですか。あと共産趣味って……」

 

のぞみ「気にしては負けだ」

 

ゆめか「…………そーでやがりますか」

 

ひとみ「まあ、あの人が赤いのはいつものことだから」

 

のぞみ「いつもってなにさー酷いなーちょっと別世界で欧州全土を赤化させただけだよー?」

 

ひとみ「203をレッドパージしましょう。それで解決するから」

 

ゆめか「そーでやがりますね、赤の前奏曲(プレリュード)先生様ー?」

 

コニャ「……ん、あと名前はПокрышкин(ポクルィシュキン)。いい加減覚えて」

 

ひとみ「ああ、ありましたねー。とりあえず3人ともそこになおれ」

 

ゆめか「キャラ豹変してるじゃねーですか……」

 

ひとみ「あ? 事前に連絡なしで『ペニシリン中尉』だった原稿を『プレリュード中尉』に書き換えやがった共産趣味者とエセ華僑人にはちょっとお灸を据える必要があるから」

 

のぞみ「そうだそうだーエセ華僑人はしべりあおくりだー」

 

ゆめか「言い出しっぺの共産趣味者はペレストロイカとグラスノスチで死すべし」

 

のぞみ「で、ペレストロイカ中尉はこの件どう思う?」

 

コニャ「Покрышкин(ポクルィシュキン)、あと、巻き込まないで」

 

ひとみ「とりあえず全員黙れ」

 

ゆめか「アッハイ」

 

ひとみ「わかりますか? 帰り道にスマホで更新確認しようとしたら原稿ではペニシリンになってたはずなのにプレリュードに変わってた時の気持ちが!」

 

のぞみ「すごく楽しい!」

 

コニャ「歴史に名が刻まれた……」

 

ゆめか「有名になっていーじゃないですか」

 

ひとみ「◯すぞ? ワルサーで」

 

のぞみ「怖いわ~テロリストよ~」

 

ゆめか「テロリストが持ってるにしては物騒すぎやがりますよそれ。高精度狙撃銃もっててどうするつもりでやがりますか」

 

ひとみ「当然撃つ。……まぁ、冗談はこれぐらいにして、とりあえず後で2人は霧堂艦長の刑にします」

 

ゆめか「すいませんでした」

 

のぞみ「そういや霧堂艦長も、気づけばすごい突出した方になられたよねぇ」(原稿見つつ)

 

ゆめか「そのうちえっちぃのが来そうで本当に恐ろしいですよ」

 

コニャ「実は……フォルダが存在する。編集用のクラウドにアクセスすれば、分かる」

 

ひとみ「ああ……それを言っちゃうのか。今まで見ないようにしてきたのに。企画倒れになれと密かに思ってたのに」

 

ゆめか「……最初の被害者は米川(ミーチュアン)、てめーでやがります」

 

ひとみ「 し っ て た 」(ブワッ)

 

のぞみ「さて、いい加減話を進めよっか。とりあえず『クエスチョンになんでも答えちゃいますよ』のコーナーから」

 

 

 

Q.どうして書こうと思ったの?

 

 

 

ひとみ「あー、これ気になるな。私は途中参加だから詳しい経緯は知らないの。プレリュードが本格的に執筆参加したのは香港あたりからだから」

 

のぞみ「あーそうだねぇ、どっから説明すればいいかな。ねえ、ポリグリップ中尉」

 

コニャ「Покрышкин」

 

ゆめか「? 一番初めに帝都造営が声をかけやがったのはオーバードライブじゃないんでやがるんですか?」

 

コニャ「……違う。全ての始まりは、蒼き草の原を駆ける鋼鉄の箱」

 

のぞみ「あーごめ、それだと絶対伝わらない」

 

ひとみ「ああ、ガルパンの映画見たのかー」

 

のぞみ「伝わるんだ……まあポピュリズムに触発されて、私も見に行ったのさ。公開一年経ってたし、ロクにお客さんいなかったけどね」

 

 

のぞみ「で! いやもうヤバかったのなんの!!」

 

 

ひとみ「無駄な特殊タグの使用、ごくろーさまですー」

 

のぞみ「いやまあ、ほんと良かったんだって」

 

ゆめか「で? それがどう作品に繋がってやがるんですか」

 

のぞみ「いやほら、実は私ね。各校がそれぞれのドクトリンを自慢するシーンで心ぴょんぴょんした訳よ。で、そうなればさ! まあ当然書きたくなるわけですよ、多国籍ミリタリ物!」

 

コニャ「それ、聞いてない」

 

のぞみ「話してないもの」

 

ゆめか「ODは聞いてやがるんですけどね」

 

のぞみ「いやまあ、その段階でストライクウィッチーズ原作で書くの決めてたし、ODに報告したのは企画に誘うためだからね」

 

ゆめか「で、空戦ばっかり書いてる、と」

 

のぞみ「まそういうことだねー」

 

ひとみ「なんで戦車ものにしなかったの? ほら、陸戦ウィッチもいるのに」

 

のぞみ「え、だって……私戦場の女神(砲兵)の方が好きだし?」

 

ひとみ「漢字に漢字でルビ振りというとんでもない暴挙に出ましたね……」

 

コニャ「ガルパンは……なんで避けたの?」

 

のぞみ「ガルパンは難しすぎる。ガルパンはいいぞ。」

 

ゆめか「それで空中戦、というわけでやがりますか? おかげでODが毎回空中戦描写で死んでやがるんですけどね」

 

のぞみ「帝都造営はすっごい感謝してるんだよ? はじめは空中戦や現代軍用機に関する知識を貰えるだけでも助かるなーと思ってただけなのに、ここまで原稿に協力してくれたんだ」

 

ひとみ「今では空中戦の描写をほぼ一手に引き受けてるわけだからわからないよね」

 

ゆめか「機動はかなりインチキやらかしてやがりますがね、とくにあたし関連。ストールターン連発は負担もかかるし、エネルギー損失が大きすぎでやがります」

 

コニャ「かっこよければ、全て良し。――――汝は彼の鎗をもてその將帥の首を刺とほし給ふ 彼らは我を散さんとて大風のごとくに進みきたる 彼らは貧き者を密に呑ほろぼす事をもてその樂とす!」

 

のぞみ「でもこのオラーシャ人が聖書を引用する展開になるなんて、企画当初は全く思わなかったけどね。厨二病担当は矢神のはずだったのに、いつの間にかODの担当に切り替わったから本当に何があるかわからないよ」

 

ひとみ「いや、矢神の厨二ワードたち、私は好きだよ? もちろんODの聖書も」

 

のぞみ「別に嫌いだなんて言ってないさ。帝都造営は聖書分からないし、引き出しが多いのはいいことだ」

 

ひとみ「じゃあ回から私は般若心経を唱えながら狙撃する!」

 

のコも「やめて」

 

 

 

Q.共同執筆ということですが、執筆時に意見が割れたらどうするの?

 

 

 

のぞみ「意見が割れないのが望ましいけどねー」

 

ゆめか「割れた時は殴り合えばいーんですよ」

 

ひとみ「そうそう。潰死合いだよー」※誤字ではありません

 

のぞみ「誤解を招かないように言っておくけど、ディベートするだけだから!」

 

コニャ「論理性と合理性の戦い」

 

ひとみ「そして時には展開を優先したいという熱い思いをぶつけ合う!」

 

ゆめか「一航戦救出戦をやるかとか揉めやがりましたねぇそう言えば。投稿開始後ですよね、あの予定足したの」

 

のぞみ「あの話にどんな意味を持たせるのか、どんな風に皆が動くのが適当なのか、散々もめたねー」

 

ゆめか「スプラトゥーン諸島編だって最初はやらないはずでしたし、やるならあたしも一緒に仲良くサバイバルでやがりましたしね」

 

コニャ「……最初は、シンガポールまで10話もかからないはずだった」

 

ひとみ「それが13話まで行ったんだからわかんないものだよね」

 

ゆめか「まぁ結構行き当たりばったりだけども、会議というかネタの確認と投入は時々やってやがりますもんね」

 

のぞみ「まぁ、執筆自体は宿題形式だからねー」

 

 

 

Q.キャラクターの元ネタは?

 

 

 

のぞみ「そもそもさ、私たちに元ネタってあるの? 大日本帝国は滅びてるじゃん」

 

ひとみ「それは企画主の言うことなんですか? っていうか帝都造営やってるの先輩じゃないですか!」

 

ゆめか「扶桑組はエースパイロットじゃなくてこーくーじえーたいの……ばくりょうちょう? から取ってるらしいでやがります」

 

のぞみ「航空幕僚長な。ちなみに、大村氏が第18代。米川氏が第19代だ。私が先輩なのはそう言う理由よ」

 

ひとみ「ほえー。そうだったんですかー」

 

のぞみ「ちなみに米川氏は防衛大学校からじゃなくて一般大学の出身、いわゆる地方人で、実力でのし上がったらしいね。大村氏は幼年学校に入ったけど在学中に戦争が終わっちゃって一般大に入ってるから、この方も地方人。技術職から昇り詰めたそうだ」

 

コニャ「他に地方人なのは、初代の上村氏だけ……」

 

ひとみ「じゃあもんふぁちゃんは?」

 

ゆめか「あたしはフツーにエースパイロットからでやがりますよ。軍隊のない日本とは違う根っからの軍人でやがりますよ」(フンス)

 

コニャ「高少将は、中華民国空軍のエース。フランスで学んで、日本軍機を落としてる……ちなみに、上海事変では空母「加賀」の八九式艦上攻撃機も落としてる」

 

のぞみ「やっぱり米川を落としたのはお前か夢華ァ!!」

 

ひとみ「もんふぁちゃんの裏切り者!」

 

ゆめか「元ネタであってあたしじゃねーってんでしょーが!」

 

コニャ「裏切り者は置いておいて」

 

ゆめか「おい、置いておくんじゃねーです」

 

コニャ「私……でいいのかな。は、Александр Покрышкинから」

 

ゆめか「よめねーです」

 

コニャ「アレクサンドル・ポクルイシュキン」

 

のぞみ「実はブレイブウィッチーズのサーシャと元ネタが被ってることに書き始めた当初気付いてなかったんだよねー」

 

ひとみ「ちゃんと調べときましょうよ……」

 

のぞみ「いやだって、まだアニメも始まってないし(書き始めたのは夏前)、それにワールドウィッチーズを帝都造営は持ってなかったし?」

 

ゆめか「502のアニメのPVみて、オーバードライヴが『あぁっ!?』って言ってやがりました」

 

のぞみ「つらい。」

 

ひとみ「そんな面白くも悲しい事件が起きてたんですね……」

 

のぞみ「まあ固有魔法も似てるっちゃ似てるし、親族扱いでもいいかなーということで強行した」

 

コニャ「感想欄でも、突っ込まれた」

 

ひとみ「『強行した』。ここ重要ですよ、奥さん」

 

のぞみ「だねー、あと最後に我らが団長、石川大佐についてだね」

 

ゆめか「団長もこーくーばくりょーちょで?」

 

のぞみ「いや……元ネタはエースじゃないんだよね。確かに石川氏は第10代航空幕僚長として実在するし、さらに加えて帝国陸軍のエースなんだけど、そっちから引っ張ってきたわけじゃないんだ」

 

ゆめか「帝都造営の未公開作品のキャラクターからでやがりますからね」

 

のぞみ「その実、普段は空を飛ばないのであまり深く考えてなかったところがある。のんちゃんの憧れのヒトなのにごめん!」

 

ゆめか「自分で自分に謝りやがった」

 

ひとみ「……ちなみに、霧堂艦長は?」

 

のぞみ「そんなものはいない」

 

ひとみ「ええ……」(困惑)

 

 

 

Q.某ハッキョーセットのネタは……実際に「ある」ネタとして受け取って良いの?

 

 

 

のぞみ「あー米川が言ってたアレねー」

 

ひとみ「私じゃないですぅ! あれは先輩じゃないですか!」

 

のぞみ「うん。」(開き直り)

 

ゆめか「他国の尉官にいきなり使いやがって……」

 

コニャ「キェェェェェ​ェアァァァァァァシャベッ​タァァァァァァァ!」

 

のぞみ「まあお察しの通り、大村式情報戦術のなせる業だ。ちなみに私はプレミアム会員、一般とは違うんだZE?」(帝都造営は一般会員です)

 

ひとみ「いつも思うんですけど、大村式っていったい何種類あるんですか?」

 

のぞみ「んー、114154種r……」

 

コニャ「それ以上いけない」(ちゅどーん)

 

のぞみ「ボルガ博士、お許しください!」

 

ゆめか「ケッ、きたねー花火でいやがります……」

 

ひとみ「えっと……? つ、次行きましょう! 次!」

 

 

 

Q.タイトルの命名規則は?

 

 

 

ひとみ「これはもんふぁちゃんだよね?」

 

ゆめか「あい。命名規則はお気づきの方も多いと思いますが、航空機の離陸シーケンスをもじってやがります」

 

ひとみ「あ、やっぱり?」

 

ゆめか「いちおうこんな感じで。扶桑文字で書いてやったんだからありがたく読みやがりください」

 

 

【挿絵表示】

 

 

ひとみ「もんふぁちゃんのひらがな可愛いー」

 

ゆめか「うっ、うるせーですよ!」

 

のぞみ「でもまぁ、うん。やっぱりこうなるよね」

 

コニャ「でも、時々、変」

 

ゆめか「まぁ民間機をモデルにしてやがりますし。投稿を開始してからも話数が二転三転してやがりますからね。その名残でむりやり増やしたり減らしたせいでやがりますよ」

 

のぞみ「投稿開始時に5話までしか出来てなかったからねぇ……こればっかりは」

 

コニャ「5話は……ひとみの……初戦闘」

 

のぞみ「からの気絶」

 

ひとみ「言わないでよぉ! ……もんふぁちゃんも笑わないで!」

 

ゆめか「プークスクスプークスクス。だっせーでありますなぁ」

 

ひとみ「おい、簀巻きにして霧堂艦長に差し出されたいか?」

 

ゆめか「すいませんでした」

 

ひとみ「まぁ、いろいろあることないことありましたけど、思えば書き始めてからいろいろ修正したりしたね」

 

のぞみ「例えば、「和泉」乗り組みの同期のウィッチと私が犬猿の仲っていう設定とか、第十一話のスプラトゥーンで遭難するのは米川だけじゃなくゆめかもまとめてだったり」

 

ひとみ「そうなんですよー」

 

ゆめか「遭難だけに? ズボンを簡易濾過機の為に差し出す予定だった米川准尉?」

 

コニャ「あれも……いろいろ酷かった」

 

のぞみ「需要的にはありだったのかもしれない。ね、マジカル☆ヒトミン?」

 

ひとみ「せーんぱーい? 霧堂艦長がそんなにお好きですかぁ? それともワルサーちゃん?」

 

のぞみ「じゃあ次に行こう」

 

ひとみ「先輩? せんぱーい?」

 

 

 

Q.ストライカーのデザインは?

 

 

 

のぞみ「さぁ、我らが扶桑技術廠の力を見せてやる!」

 

ゆめか「はいはい、勝手に言ってやがってください。とりあえず、ジェットストライカーでやがりますが、基本デザインは1945年からあまりは変わってねーですよ」

 

ひとみ「つまりアニメ版のプロペラ機とぱっと見はあんまり変わらないよ。プロペラがないことくらい?」

 

ゆめか「魔導エンジンが噴流式になって、魔力光が断続的に出てることと、エアインテークも含めてかなり角ばった見た目になってることが特徴的でやがりますかね」

 

のぞみ「あーあと、F-35は単発機だけど、ストライカーだと双発になるね、これは原作のゼロ戦ストライカーとかと一緒だね」

 

コニャ「わたしのは、4発機」(ドヤァ

 

ひとみ「UFOみたいで変なやつだよね!」

 

のぞみ「あー……UFOみたいって、早期警戒管制機によく乗ってるレドーム(円盤状の大型レーダー)のこと言ってる?」

 

ゆめか「そもそもこの世界にUFOはいやがるんですかね……」

 

のぞみ「UFOとネウロイの見分け方講座みたいな眉唾なテレビやってたよねー」

 

ひとみ「あー、あれ番組のヤラセが発覚して放送中止になったんでしたっけ。確かディレクターにパラシュートつけて空から投げ捨ててたって」

 

ゆめか「テレビジョンの話は置いておきやがってください。とりあえずコ―ニャの使うあのストライカー、レドーム回ってはいやがりませんですが」

 

コニャ「ん。平均台(バランスビーム)型。ストライカーからフェイズドアレイレーダーまとめて吊り下げてる。2本。おかげで重い。だから4発機」

 

ゆめか「だから翼の下にもエンジンポットを吊り下げてやがりますか」

 

コニャ「足元に2基、翼に2基の4基」

 

ひとみ「ていうかそんなに重いストライカーで私を抱えながら飛んだコーニャちゃんっていったい……」

 

コニャ「力持ち。あとストライカー自体にパワーある。ロケットブースターないと発艦できない」

 

ひとみ「あれ? そう言えばコ―ニャちゃんだけなんでオスプレイからのジャンプじゃないの?」

 

コニャ「……バランスビーム型アンテナが、バック転発艦の衝撃に耐えられない」

 

ひとみ「あ……そうだったんだ」

 

のぞみ「私はF-35Bだから短い甲板でも発艦できるけどね。そういえばこんなご意見もいただいてたわねー」

 

 

オスプレイを利用したライトニングⅡの発進シーンが非常に斬新かつ、脳内で再現された映像が格好良すぎて堪りません。この作品のOPがあるとしたら間違いなくサビ前のカットだなあと(真顔)

 

 

ゆめか「ふん、あたしがやるんだから当然でごぜーますよ」

 

のぞみ「いや、ライトニングⅡって言ってんだから米川のことね」

 

ひとみ「あれ、難しいんですよー。空母からの発艦ができないっていうからまさかのオスプレイ☆ジャンピングはつらいです。バランスくずすと本当にずっとバック転しっぱなしになっちゃうんですよね.....」

 

コニャ「でも一発で決めると、カッコイイ……」

 

ゆめか「条件揃うと翼端雲ひきやがりますしね」

 

コニャ「OPでサビ前……もしOPつくるならそこで決まり」

 

ひとみ「ですねー」

 

 

 

Q.ネウロイの設定は?

 

 

 

のぞみ「次は人類の敵、ネウロイについてだ」

 

ゆめか「憎き敵、それでいーじゃねーですか」

 

のぞみ「 そ れ じ ゃ ロ マ ン が 足 り な い 」

 

ゆめか「……さいですか」

 

ひとみ「でも、いろいろ出てきてますよね? フレスコ型とか、AS4とか」

 

のぞみ「まぁ一応NATOコードを参考に振ってる。公式ではX-○○で管理コード振ってるみたいだけど、それだけだとわかりにくいからニックネームがついてる感じかな。Fから始まるニックネームなら戦闘型、Bから始まるのは建物とかばかり狙う爆撃型、よくわからないけど飛んでるのがMで多目的型ね」

 

コニャ「また、西側規格……」

 

のぞみ「あんたの所占領されっぱなしで大国だけど土地が少ないってことになってるから仕方ないでしょ? あとこの世界東西冷戦ないから」

 

コニャ「そうだけど……」

 

のぞみ「とりあえず出てきたネウロイを挙げてくよー、まず四話で「加賀」を襲い、「和泉」を航行不能にせしめた超高速型AS4、こいつはNATOコードに存在するソビエトの対艦ミサイルが元ネタだ。対空ミサイルとか艦砲でも普通に落とせるんだけど、それを知ってるのか七話では数に物を言わせた攻撃で一航戦の防空網を突破した。飽和攻撃ドクトリンはネウロイの十八番なのかもね」

 

ひとみ「ストライクウィッチーズ(501JFW)では、そんなに物量戦なんてなかったような気が……」

 

のぞみ「あれは渡洋攻撃だし、精鋭ばっかりぶつけてたんでしょ? アジアは物量が命よ。華僑民国も毛沢東が開発するんでしょ、人海戦術(ヒューマンウェーブ ドクトリン)

 

ゆめか「皆で動けば地震も起こせる華僑民国でありやがりますからね」

 

ひとみ「いや、そんな赤信号渡るノリで天災を起こさないで……」

 

のぞみ「で、真っ先に壊滅してると」

 

コニャ「そもそも、プレートが違う……ユーラシアプレートだけ壊滅しても、意味ない」

 

のぞみ「じゃあ次、五話の初陣で出てくるフレスコとブローランプ。フレスコは香港にも来たよね。外見の微妙な違いでA型B型あるけど、ぶっちゃけ性能は変わんないと思う。どっちも銃剣で倒せる」(断言)

 

ゆめか「手榴弾使った方がはえーじゃねですか」

 

コニャ「普通に銃撃して倒して」

 

ひとみ「狙撃の方が安全ですよ!」(フンス

 

のぞみ「まあともかくとして、だ。さっきのNATOコードに則れば、フレスコがFだから戦闘型、ブローランプが爆撃型ってわけ」

 

ひとみ「なるほど……」

 

のぞみ「他には……あー、結局見つからなかったけど、SS1とかいたね。ちなみにSはNATOコードで地対地ミサイル。元ネタのSS-1はアメリカ国防総省識別番号でスカッドミサイルのことだ。半島だからね、こいつを出すしかなかったよ」

 

ゆめか「あとはスプラトゥーンの変なのでやがりますが、あれ新種でやがりましたよね、あの白いせーえk」

 

ひコの「それ以上いけない」

 

ゆめか「……あれは新種ならどうなりやがります?」

 

のぞみ「うーん、一応攻撃型かねぇ、でもあれは子機だし、本体は陸だからなぁ……」

 

ひとみ「そういえばあれ、倒せたんですか?」

 

コニャ「……たぶん」

 

のぞみ「海軍としては是非あのアクティブ・ステルス技術は欲しいところ、アドミラル56建造したい」

 

 

 

Q.今後の予定は? 何話くらいまで続きそうなの?

 

 

 

ひとみ「えっと……とりあえずシンガポールで寄港するって感じでいいんですよね……?」

 

のぞみ「だねー、ちなみにシンガポールはブリタニア領だよー」

 

コニャ「ひとみに、何買わせよう」

 

ひとみ「もう堪忍してつかぁさい……この前のチャイナドレスで何万とんだと思ってるの……」

 

ゆめか「で、そこ抜けてインド洋からスエズ、地中海でやがりますか」

 

のぞみ「まぁしばらく先になるんだけどね」

 

ひとみ「長くなりそう……」

 

のぞみ「時間あるんだから勉強しときなさいよー。ブリタニア語とかブリタニア語とかブリタニア語とか」

 

ひとみ「私は扶桑人です。一生ガラパゴスに生きるから問題ありません。ブリタニア語なんざクソ食らえ」

 

ゆめか「ガラパゴス諸島は扶桑領じゃねーですし、シンガポールで僚機が来たらどうしやがるんですか」

 

ひとみ「そいつに扶桑語を話させる。扶桑語話せない奴は死ね」

 

ゆめか「横暴すぎるうえにド〇フターズネタわかる人居やがるんですかね」

 

のぞみ「203の参加国はオラーシャ、扶桑に華僑だけだし、まあ直ちに影響はないでしょ」

 

コニャ「死亡フラグ……」

 

のぞみ「来たときは来ときでレッツ☆サバイバル!」

 

ひとみ「ほんやくコ◯ニャクの実装を急いで!」

 

のぞみ「青ダヌキいるならとうの昔にネウロイ殲滅できてるって……で、まあ何話ぐらい続くかに関してなんだけど」

 

ゆめか「最低でも……あと25話?」

 

のぞみ「それだけで欧州までたどり着けるかなぁ?」

 

コニャ「まだ先は長い……」

 

ゆめか「字数で換算すると後50万字程度でやがりますが……。執筆者一人ひとりが文庫本一冊分ぐらい書けば終わる計算でやがります」

 

のぞみ「文庫本かぁ……あ、そーいえばコミケとかにだしたりするんかね?」

 

ひとみ「採算が……それに印刷所のツテとか絵師さんとか探さなきゃいけませんよぅ……」

 

コニャ「……漫画、売れる。小説は……」

 

のぞみ「文字書きには厳しい世界だ……」

 

ひとみ「絵師さんがついてはいるんだけど……。向こうも忙しいみたいだし……」

 

コニャ「それに……なかなか本にするとなると大変。誤字とかのチェックの量も漫画より多い」

 

のぞみ「この前私が買った本ね、工兵と書くべきところが全部「公兵」って書いてあったのよ」

 

ゆめか「つらい。」

 

 

 

 

 

のぞみ「……さて、気づけばここまででもう一万字を突破しています。そろそろお別れの時間です」

 

ゆめか「結局コーナー一つしかやってねーです」

 

コニャ「尺」

 

のぞみ「せやな。」

 

ひとみ「お付き合いしてくださったみなさま、本当にありがとうございます!」

 

のぞみ「さーて、来週のGK-WITCHESは……」

 

米川父「パパです。私の工場に扶桑空軍から注文が舞い込んできました……どうやら娘がつかう軍用スコープの依頼らしくて、よーしパパ張り切っちゃゾ☆」

 

米川母「お父さん、歳なのに無理しないの。というわけで来週もまた見てくださいね! ジャーンケーンポン!」

 

のぞみ「ぐー!」

ゆめか「ちょき」

ひとみ「グー!」

コニャ「……チョキ」

 

米川母「ウフフフ」(パー)

 

の&ひ「負けたぁぁぁ……!」(※ホントにダイス振ってます)

 

ゆ&コ「ふ、勝ちもうしたわ……」

 

のぞみ「で、ここまでやっといて悪いんだけど、来週は更新しません」

 

ひとみ「あ、お父さんとお母さんはもういいよ! 出口はそっちにあるからー」

 

のぞみ「ここまでは怒涛の更新だったけど、現状原稿ストックないからねー。流石に週当たり二万、日産三千字のノルマは厳しい」

 

ゆめか「今後は執筆陣も忙しくなるでやがりますからね」

 

コニャ「……というわけで、しばらく更新はお休み」

 

のぞみ「第二章の開始は春頃を予定しています。それまでお待ちいただけると幸いです」

 

ゆめか「それまでは何かやりやがるんです?」

 

コニャ「短編とか、番外編とかネタとかをやるかもしれない……」

 

ゆめか「あぁ、また米川(ミーチュアン)のズボンがどこか行きやがりますか」

 

ひとみ「いかないっ!」

 

コニャ「いかないの……?」

 

のぞみ「次回は私の気分次第で”映画「男たちのKAGA」”や”設定集『ウィッチ剥いちゃいました』”を投稿予定だ! 楽しみに前進待機していることっ!」(注:投稿を確約するものではありません)

 

ひとみ「むっ、剥かれちゃうんですかっ!?」

 

ゆめか「あんたはいつものことじゃねーですか」

 

ひとみ「わたしそんな露出狂じゃないもん!」

 

コニャ「香港」

 

のぞみ「空母」

 

ゆめか「アプローチ」

 

ひとみ「うわああああああああああああん!」(ダダダダダダダダダダダ

 

のぞみ「お前は戦いから逃げようとしている、逃亡者は銃殺される」

 

ひとみ「ここはバトルフィールドじゃないいいいいいいいいいいい」(ジタバタジタバタ

 

のぞみ「敵の潜水艦を発見!」

 

ゆめか「\駄目だ/ \駄目だ/ \駄目だ/」

 

コニャ「艦尾に被弾! 右舷に被弾! 艦首に被弾! ズボンに被弾!」

 

のぞみ「コウヘー! キテクレー!」

 

ひとみ「そんなふざけながら羽交い締めにしないでくださいよぅ!」

 

のぞみ「ホーレホレホレー。ここかー。ここがええのんかー」

 

ひとみ「ひゃ、ふわぁっ! そ、そんな…ダメですぅ!」

 

のぞみ「あーもう、この反応見てると霧堂艦長が手を出したがるのもわかるわー。とりあえずはさ、あと一つ質問来てるし、最後の最後にこれだけ読んで終わりにしようか」

 

ひとみ「ぐすっ……えっぐ……そ、それで最後ですからね」

 

のぞみ「大丈夫大丈夫、質問だしそんなとんでもないものが来るわけ……」

 

 

 

Q.203空の面々のスリーサイズってどうなって……?

 

 

 

のぞみ「変態! 変態! 変態!」

 

ひとみ「…………///」(←機能停止中

 

コニャ「とりあえず、ひとみは、残念……」

 

ひとみ「コ―ニャちゃあああああああああんっ!」(泣き

 

ゆめか「あたしは計ったことねーですけど、そんな恥ずかしがるようなもんでしょーかね」

 

ひとみ「もんふぁちゃんは! 計ってないから! 言えるの! あと! 成長期入ってないだけでしょっ?」

 

ゆめか「知ったこっちゃネーですよ。プークスクスプークスクス」

 

のぞみ「高夢華先生の成長にご期待ください!」

 

ゆめか「……そー言われるとムカつきやがりますね」

 

コニャ「……がんばって、ひとみ」

 

ひとみ「コ―ニャちゃんその生暖かい笑みやめて! ずっとぺったんこなまま可哀そうみたいな目やめて! ねぇ!」

 

コニャ「私ぐらいには、なる」

 

ひとみ「ほんと! コ―ニャちゃんぐらい大きくなれる!?」

 

コニャ「……(スッ」

 

ひとみ「目を逸らさないでぇええええええ!」

 

のぞみ「まぁ、なんだかんだで米川のぺったんこさに一部需要があることを信じて! では今回はこれにて閉店! 股の……じゃなかったまたの機会にお会いしましょう!」

 

ひとみ「これで本当に終わりなんですか!? 終わっていいんですか!? ねぇっ!? 先輩っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




帝都造営「……こんな終わり方で良かったのだろうか」(困惑)

プレリュード「まあ、いいんじゃないっすかねないっすか? いつもの会議っぽいノリも再現できてて」

八神敏一「いえーい! こんちきこんちき! これが我々流ですよね!」

オーバードライヴ「この情熱で他の人も戦闘シーン書いてください、ODが死んでしまいます」(切実


それでは皆様! 次回更新でお会いしましょう!


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Chapter2
2-1-1"Ceremony"


ceremony [sérəmòʊni|‐məni]
【名詞】1.(可算名詞)(宗教上または国家的・社会的な公式の厳かな)儀式、式典
    2.(不可算名詞)(社交上の) 儀礼、作法; 仰々しさ



南洋日報電子版

皇国海空軍ウィッチ、南沙諸島のネウロイを撃破。シーレーン防衛に重大な貢献。

2017年6月26日(月)午後4時43分

【新発田・シンガポール支局】

 人類連合軍東アジア司令部の発表によると、人類連合第203統合戦闘航空団は本日午前、南沙(スプラトゥーン)諸島に潜伏していたネウロイを補足、撃破した。撃破したネウロイは新型種であると報じられている。南沙諸島は我が国のシーレーン防衛において重要な地域であり、南遣艦隊司令香椎(かしい)中将は「今後は、より徹底した哨戒網の構築、並びに南方展開戦力のより一層の増強に努めなければならない」と語った。

 第203統合戦闘航空団には、我が国より海空軍のウィッチ、並びに艦隊戦力が供出されている。

 

 

 

 

第三種郵便物2017年6月30日(金曜日)
〖芙蓉新報〗

 

<社説>若き翼 南洋で活躍 203空の光と影

 今月二五日に南沙(スプラトゥーン)諸島沖で発生した戦闘で発見されたネウロイについて、人類連合軍東アジア司令部は新種と断定し、メインマストと命名した。この戦闘において南沙諸島近海のネウロイは無事に掃討され、扶桑皇国を含む周辺諸国には直ちに影響はないという。この討伐を行ったのは扶桑皇国・極東オラーシャ・華僑民国の三国共同で設立された第二〇三統合戦闘航空団である。

 第二〇三統合戦闘航空団、通称「ゴールデンカイトウィッチーズ」が発足したのは記憶に新しい。設立後一月あまりでありながら、すでに部隊通算のネウロイの撃破数は二桁にのぼり、扶桑皇国海軍が誇る第一航空戦隊「一航戦」と肩を並べようかという撃破ペースで快進撃をつづけている。その攻撃の中核を担うのは、扶桑皇国海軍の大村のぞみ海軍准尉(十三)と同空軍米川ひとみ空軍准尉(十二)の二名のまだ幼いという表現が担う士官候補生だ。

 軍属の魔女の低年齢化においては度々議論の的になっているものの、その度に空海軍を中心とした国防体勢の維持のためにやむをえない処置として認可されてきている。その解釈がいよいよ国際協調の場にも持ち込まれた形であると解釈できよう。ウィッチの幼年化について歯止めを掛けようとする動きは既に歴史の教科書に記載されるほど過去の遺物になってしまった。

 ガリア=インドシナ戦争後期は現状ととても似通った状況である。インドシナ半島周辺の地域にとどまらず世界各国から義勇兵としてウィッチが参加し、泥沼化したインドシナ半島を救うべく活躍した。しかしながら、ジェットストライカーが全面的に使用されたインドシナ戦線ではウィッチの「損耗」が激しかった。損耗と言えば穏やかだが、実態は二度と飛べなくなったウィッチの墓標が増え続けていたのである。

 プレティーンやローティーンのウィッチの軍属禁止運動はその状況を知った1人の母親が声を上げたことから始まった。まだ幼いウィッチに世界平和の実現という重すぎる命題を預け、ウィッチが使い潰されている現状を糾弾するその活動は、国会への乱入事件等を引き起こした一大社会現象となった。それは瞬く間に世界中に広がり、幼いウィッチの採用、徴用の自粛をもって結実したこととされた。

 苦い勝利ではあったが、それらの活動により十五歳以下のウィッチの投入が全世界的に咎められるようになり、それでもネウロイに蹂躙されることなく、戦線の維持が可能になっていた。ウィッチをしっかり時間をかけて錬成できることで生存率も上がり、守り切ることができること、幼いウィッチの才能に頼り、やみくもに数を増やさなくとも、ネウロイに対抗できるようになったはずであった。

 しかしながら、二〇〇一年リベリオン東海岸を襲った大陸間弾道飛翔ネウロイ(I C B N)による同時多発攻撃に端を発した21世紀危機をもって自粛が解除され、年々戦線維持を名目にウィッチの低年齢化が進んでいる。ガリア=インドシナ戦争から全く進歩していないどころか、六〇年代以前まで人類は後退してしまったようだ。これらへの反発運動も今や『ロリコン紳士の紛争』と揶揄されるのみである。

 中東及び欧州方面の旗色の悪さのために設立が前倒しとなった「未熟な」部隊である二〇三空。その活躍を喜ぶべきか、こんな幼子を前線に出さねばならない体たらくを嘆くべきか、一扶桑人として悩ましいばかりである。

 

 

 

 

 

「で、これをどう思う?」

 

「……すごく、おおきいです」

 

「阿保か」

 

 机に座った相手は何の感傷もなくそう吐く。無感情に平べったくにそういうことを言われると意外とグサリとくるものだが、別にこっちだって返したくて返している訳ではない。だが新発田(しばた)という人物はそういう人間なのだ。だからこの返しは至極当然、自然の摂理なのである。

 

 まあそれはともかくとして……目の前に放り出されたのは数版の新聞紙や週刊誌。論調は様々であるが、どれも203空ことゴールデンカイトウィッチーズに関する文章だ。その一つを取り上げ、眺めてみる。

 

 まだまだ203の実力に疑問を呈する記事があることからも分かるだろうが、この多国籍部隊は決して強いというわけではない。そもそも団長含めて僅か五名のウィッチ。一個小隊分の戦力しかないのである。精々が母艦の防空戦力。それ以上の戦力としては使えない。

 

 そして、それを目的に編成されていた。そのはずだ。半島にて厳しい戦いを強いられている扶桑が世界に送り出すのは()()石川大佐が指揮する扶桑の少数精鋭部隊。

 ……蓋を開ければ退役間際のベテランウィッチに率いられた幼いウィッチばかりの部隊。まあ、オラーシャ軍が派遣したウィッチだけは実戦経験豊富な中堅ウィッチのようだが――――それにしたってお粗末なものだ。

 

 それをこうも祭り上げるとは。

 

「……金鵄飛行隊(ゴールデンカイトウィッチーズ)、名前だけは立派なんですがね」

 

 すると向こうは、小さくため息。

 

「今後この部隊を載せた空母加賀はシンガポールの東アジア司令部の指揮下に入ることになる」

 

「は?」

 

「言ったままだ。203は東アジア司令部(シンガポール)の指揮下に入る。その後は()()()()()()()西アジア司令部(ニューデリー)に移動し、スエズを突破して欧州へと向かう」

 

「ちょっと待ってください。()()()()()()()()

 

 

 203空は東京の極東アジア司令部にて運用する。そういう話ではなかったのか。

 

 

 多国籍部隊たる統合戦闘航空団は、人類連合軍直轄の部隊である。しかし世界中に広大な戦線を抱える人類連合は各地に司令部と軍集団を設置することで戦場を管理しており、実際の作戦では各司令部の指揮下に入って行動するのだ。

 つまり203がシンガポールの指揮下に入るというのは、彼女らの戦場が移動するということを意味する。

 

「貴様も知っての通り、東アジア司令部(シンガポール)も今では最前線だ。ペルシア陥落で西アジア司令部の本拠はインドに移され、インド洋すら安全地帯ではない」

 

「……新編部隊をいきなり実戦投入して鍛えるなんて、いつから皇国軍は懐古主義になったんですかね」

 

 思わず頭を抱えたくなる。だが頭を抱えても何も解決しない。実戦叩き上げは確かに強いだろう。ウィッチならシールドも張れる。そう簡単に万一の事態は起きないと言えるかも知れない。

 だがそれは昔の話だ。音速を超える戦闘機動はウィッチに信じられないほどの負荷をかける。パニックに陥りとんでもないことをするかもしれない新人をホイホイと前線に送り込んではならないのだ。なのに。

 

「これは決定事項だ」

 

「……文句を言う気も覆す気もありませんけどね、海軍は空母を失ってもまだ遣欧を下げないとは。驚きですよ」

 

「第五航空戦隊は遣欧艦隊として人類連合の指揮下にある。扶桑の匙加減では動かせないのだよ」

 

 先日沈没した航空母艦「和泉」。正規空母を失ってしまった扶桑は今、文字通りのピンチである。それこそ1975年の函館以来、本土戦を許してしまうかもしれないというほどの由々しき事態なのだ。

 

 ああ、そう言えば「和泉」乗員の救出でも203空は活躍したんだったか。203の実力を否定するつもりは全くないが、それでも撤退戦だからこそ活躍できたのだ。

 203は順当に考えて華僑民国の支援か対馬海峡の封鎖、せめて「和泉」の穴を埋めるべく回航されるであろう二航戦の後を継いでオセアニア方面の警備に充てるべきだろうに……。

 

「安心しろ。既に海軍は予算でのテコ入れを決定しているし、人類連合だって203に戦線の維持を期待しているわけではない。普通に欧州まで行って、その最中に何度か航空支援に参加してもらうだけでいいんだ」

 

「でもスエズ攻略には参加させる、と」

 

「新発田」

 

 たしなめるような口調……相手の顔は、残念ながら壁際の窓から差し込む光が逆行となって見えない。

 

「華僑、オラーシャ、扶桑。既に203はこの三国だけの存在ではない。少なくとも国際世論はそう認識している」

 

「……」

 

 無言で睨んでやる。

 混迷を深める中東・西アジア戦線のことは彼だって知らない訳ではないだろう。

 ここらは交通インフラが未整備であり、軍は欧州方面ほどの機動力が確保されない。一方ネウロイの進撃速度は変わらない。鈍足の人類と、神速のネウロイ。防戦一方ならともかくとして、攻勢となればにっちもさっちもいかなくなるのである。

 

「残念だが、203が海上戦力であるという事実は変わらない」

 

 中東戦線の攻勢は地上兵力(ランドパワー)でなく海上兵力(シーパワー)。海の機動性を生かした浸透強襲が基本である。つまり、扶桑の艦隊に便乗する203もその攻勢部隊としての要件を満たしているということ。

 

「で、私はなにをすればいいんです? 従軍記者らしく磨り潰される少女の写真を撮ってこいなんて言われたら流石に怒りますけど」

 

「そう話を急くな。言っただろう、203は()()()()()()()()()()()

 

「と、いいますと?」

 

「ブリタニアとリベリオンが乗り気だ。列強の一員としてアジア戦線は支えねばならないが、あれらがアジアに展開できる余剰兵力はないだろうからな」

 

「2、3人の増員で済ませるわけですか。彼らのやりそうなことです」

 

 世界がネウロイの侵略にさらされている。誰もがネウロイの殲滅を願い、そしてそれをすぐに成しえない政府に腹を立てている。203に参加してアジアの平和を守ったなら、機動艦隊を派遣するよりリーズナブルで皆満足という訳だ。

 まあ、同じように形式的派遣をしようとしたのがそもそもの203なのだが……政治は都合よくコロコロと変わってしまうものだから仕方がない。

 

「ともかくだ。203はアジア、ひいては国際世論の関心事だ」

 

「心得てますよっと」

 

「もっていけ」

 

 その言葉と共に、飛んでくる小さな箱。なにかと思えば、手帳サイズの折り畳み式ボードゲーム。

 

「……なんですかこれ、1ドルショップでも買えそうですけども」

 

「餞別だ、もっていけ」

 

 そう言われては仕方がない、何も言わずにそれを鞄に仕舞う。それを認めた上司は、話は終わりだと言わんばかりに背を向けた。

 

 

 

 部屋を出る。廊下を進む。階段を降りる。欺瞞企業(ペーパーカンパニー)の門を潜り抜け、外界へと出る。差すような太陽。7月は雨季ではないのでこういう風景はいつものことだ。

 

 と、風に乗って何かが飛んできた。反射で掴むと、それはブリタニア語で書かれた新聞の切れ端。

 

「おや」

 

 やけに丁寧に切り出された新聞記事。誰かこれをスクラップのコレクションにでもしようとしたのだろう。それにしても、何日前の記事だろうか。ブリタニア語で明るいことばかり綴られている。添えられた写真に写されているのはやけに若いウィッチ。

 

 

【アジアの希望の星、第203統合戦闘航空団本日入港!】

 

 

「ふぅん、そういうものですかねぇ……」

 

 彼ら曰く、203はこの決していいとは言えない南アジアの戦場を変えてくれる存在とかなんだとか。

 

 変えてくれる?

 中隊にも満たない規模の部隊が変えるのか? 何十年も続くこの混迷の戦線を? ネウロイとの戦争を?

 

 その紙きれをそのまま風に落とし、()()はシンガポールの雑踏に消える。民族も言語もごちゃ混ぜにされた繁華街の上に聳え立つ支配層とはシンガポール中枢の摩天楼。この島にはまだ帝国主義の構図が残っている。

 そして目指す先にも帝国主義の残滓……ブリタニア海軍が誇る巨大ドックがそびえ立っていた。

 

 ここはシンガポール。地球の真ん中に宝石のような輝きを散りばめた、南国の楽園だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっほーひとみん、今日もいい天気だねぇ!」

 

「霧堂艦長……おはようございます」

 

 扶桑皇国空軍のウィッチ、米川(よねかわ)ひとみは寝ぼけまなこで返事をする。シンガポールは赤道直下に位置することもありとてつもなく蒸し暑い。扶桑近海で暑い暑い言っていたのが遠い昔のようだ。

 

「かんちょー暇ですねぇ」

 

 そう言うのは隣のスツールに座っている大村(おおむら)のぞみ。扶桑皇国海軍所属で、ひとみの教導役的なこともしてくれる先輩ウィッチである。ちなみに、まるでひとみを庇うかのような言い草だが、そもそも「総ぉぉ員ぃん、起こしぃぃぃぃ!」などと言いながら突っ込んできたのはこの御仁である。

 

「いやそりゃ暇さあ、だって「加賀」の総員退艦が済んだのは昨日のことだもの」

 

「せめて両舷上陸って言いましょうよ、縁起が悪い」

 

 のぞみがそう言っても、強襲揚陸艦「加賀」の艦長を務める霧堂(きりどう)明日菜(あすな)は笑うだけ。

 

「で、そんなことより私が気になるのはひとみんの調子さ、どう? 元気になった?」

 

 そう言う霧堂艦長、ひとみは先日の戦闘で――――というか、遭難で――――高熱を出してぶっ倒れ、とりあえずシンガポール入港と同時に地元の連合軍病院へと叩き込まれたのだった。久しぶりの揺れないベッドは懐かしいと同時に、203の皆と離れた夜だったので少し寂しかったけど……。

 

「はい、もう大丈夫だと思います」

 

「そりゃあ良かった良かった。じゃあ今日の受勲式は大丈夫だねー」

 

「へ? じゅくんしき?」

 

 

 

 

 

 鳴り響くファンファーレ。扶桑を出港した時もこんな金ぴかの楽器を持った人たちが見送ってくれたっけ。その音楽を聞きながら高らかに南の風にたなびくのは世界地図をモチーフにした人類連合旗。そこに扶桑、オラーシャ、華僑と国旗が続く。

 

「こ、ここ、こんなところに来てよかったんでしょうか……?」

 

 そんな晴れやかな舞台、それを一目袖から見ただけでひとみはガッチガチに固まってしまっていた。あれよあれよと正装である純白の空軍下士官制服に着替えさせられ、そのまま霧堂艦長に連れてこられたのがいきなり式典会場なもんだからたまったものじゃない。なんかすごい偉そうな人とかいるし、扶桑の人だけじゃなくて外人さんもいっぱいいる。

 

「何を委縮してるんだ。米川」

 

 そう言うのはひとみの上司、第203統合戦闘航空団の団長である石川(いしかわ)桜花(さくら)大佐だ。男性用のスラックスを着こなす石川大佐は、こんな場所でもいつも通り落ち着き払っている。

 

「で、でも石川大佐ぁ……」

 

「式典がどうした。狙撃でもない限り大丈夫だ、落ち着け」

 

「そ、狙撃……!」

 

 そんなひとみの反応を見てしまったという顔をする石川大佐。もちろん手遅れである。なんせ弾道固定の固有魔法を持つひとみは最近狙撃の勉強をしたばかり。もちろん、狙撃で命を散らした有名人たちのこともたくさん知ったばかりだ。

 そう、もしこの場で狙撃されたなら……。オープンカーに乗ったリベリオン大統領の姿がありありと頭に浮かび、ひとみはギュッと目をつぶる。

 

「ふん、狙撃なんて大したことねーでやがりますよ」

 

 そう吐き捨てるのは(ガオ)夢華(モンファ)。華僑空軍のウィッチで、なるほど確かに超短期未来予知の固有魔法を持つ彼女なら狙撃なんてどうってことないだろう。

 

「……ひとみ、大丈夫」

 

 そう言うのはオラーシャ空軍所属ののっぽな少女、プラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ・ポクルィシュキン――ひとみたちはコーニャと呼んでいる。階級は中尉で、石川大佐の次に偉い。落ち着き払っているように見えるが……稀によくとんでもない言動をしでかすことは、皆が知っていることだ。

 

「まったく米川、なーにをそんなに堅くなってるんだか。勲章なんて名誉なことじゃない」

 

「で、ですけど先輩、わたし。なにもしてないんです」

 

 そう言えば、のぞみはひとみへと向き直る。

 

「あのねぇ米川。私たちはもう立派なエースなんだよ? 203空はもう立派に務めを果たしてる、それをわざわざ勲章なんて形にして祖国が祝ってくれるの、ありがたいと思わないの?」

 

「そ、それは……」

 

「なら貰っときなさい、あんたがみんなを守った証拠なのよ?」

 

 みんなを守った証拠……そうだ、まだ扶桑を出て一ヶ月と少ししか経ってないけど、いろんな所に行った、いろんな景色を見た。わたしが初めて行く場所には人が住んでいたり、戦っていたり……誰もいなかったり。

 地図で見ていた扶桑も小さいけど、わたしはもっと小さくて。今まで見てきたのは世界のほんの端っこに過ぎないのだって、そんなことも改めて知った。

 

 でも、わたしは前に進んでる。あの501が活躍した欧州の空に、前よりもずっと近づけた。そう思うんだ。

 

「よし、いくぞ」

 

 石川大佐が前に進み、ひとみたちは後に続く。式典が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 視界の中で国家が動く。国家とは物理的には存在しえないが、新発田に言わせるのなら制服をもって国家はこの世界に顕出する。

 制服とは即ち壇上に佇む海軍中将であり、彼を取り巻く参謀たち。

 

 そして彼らが神のように仰ぐ扶桑国旗。それが翻る横には、華僑民国とオラーシャ帝国の国旗が、同じように各国の将校たちが並ぶ。まるで何世紀も前から仲良しこよしであったかのように。

 

「それにしても、受勲とはまあ……」

 

 呆れたように呟いて見せる。もちろんヒトひとり程度の呟きなど大衆のざわめきに埋もれて消える。

 

 勲章とは名誉であると同時に、国がヒトを縛り付ける格好の手段でもある。

 退職した御老体に贈られる勲章ならともかく、若者に贈るそれは楔だ。戦場に縛り付ける楔だ。

 

 海軍中将がにこやかに少女たちに歩み寄り、どこかで聞いたことのあるような謝辞と共にキラキラと輝く勲章をふかふかの座布団から持ち上げる。そして敬礼したままの少女――――そう、本当に小さな少女だ――――の胸へとかける。

 勲章はネウロイを倒すのにも、自分を守るのにも使えない。金メダルがあっても人種差別は乗り越えられないし、貴族サマだって領地と臣下を失えば着飾っただけの人間だ。

 

 わっと歓声が沸いたのは気のせいなのだろう。軍楽隊すら黙りこくって真面目に聞いている。これは式典なのだ。

 

 少女がカクリカクリと変な動きになりながら下がる。米川と紹介されている彼女は、扶桑空軍から出向してきたと聞いている。それも、幼年学校を一か月と少しで卒業したとか。

 

 エリート? 冗談じゃない、死地に送り出しているだけだろう。

 

 皇国空軍も落ちぶれたものだ。体質や魔力の性質で乗機を決めたり、自動化ばかりに頼ってウィッチの訓練を怠ったり……挙句の果てには人員の早期投入ときた。

 

 

「米川さん、あなたはそれでいいんですか?」

 

 

 新発田の言葉は、青空に消える。軍楽隊は再び盛大に奏で始めようとしていた。

 

 

 

 

 

「ご苦労だった、今日の日程はこれで終わりだ。俺は北条司令と香椎閣下の相手をしてくるが……お前らは羽根でも伸ばしてくると良い」

 

「了解です大佐!」

 

 石川大佐は頷き、会場の方へと戻っていく。さっきひとみたちに勲章を下げてくれた偉い人たちとの食事会があるのだという。

 

「やっと終わりやがりましたね」

 

 やれやれと言わんばかりに頭の後ろで腕を組む夢華。

 

「そーいうこと言わないの。大事な式典なんだから……って米川?」

 

 のぞみが振り返ると、ひとみはそこに突っ立ったまま。

 

「あははは……」

 

「おーい、よーねーかーわー?」

 

 のぞみが目の前で手を振って見せるも反応がない。まるで英雄を讃える銅像のよう……いや、それにしては表情筋がだらしなく緩み切ってい過ぎるというもの。

 

「あーあ、ダメだこりゃ。流石の私もお手上げだよ」

 

「ひとみ、頑張った」

 

「まー米川にとっちゃ檜舞台みたいに感じるだろうけどねぇ……あんなの序の口よ?」

 

大村(ダーツォン)はまるで知っているかのように言いやがりますね」

 

「そりゃあ知ってるからねぇ……って。ちょっと米川、姿勢正して」

 

「ふぇ? なんですかぁ先輩?」

 

 次の瞬間、建物から影が飛び出してくる。

 

「え?」

 

 それも一瞬、一瞬で影は踏み込んできて――――

 

 

 

 

 ――――米川に()()()()()()()()()()

 

 

「どもっ恐縮です、南洋日報ですぅ! 一言お願いしますっ!」

 

「ふえっ!? こっ、殺さないでください!」

 

「殺さないですよ!?」

 

「待った米川、そのネタ扶桑人にしか通用しない……って、通じてるっぽいしそもそも南洋は扶桑系か……」

 

 のぞみがよく分からないことを言っているが、とりあえず殺される心配はなさそうだ。ひとみは襲って(?)来たらしい人物を見やる。アロハシャツに半ズボン。いかにも南国してそうな格好の女のヒトだ。

 

「えっと、どちら様……でしょうか?」

 

「はい、(わたくし)南洋日報シンガポール支局の新発田(しばた)青葉(あおば)と申しますぅ! 本日は扶桑の英雄たる米川ひとみ氏にぜひともお話を伺いたく!」

 

「え、英雄……扶桑の、英雄……」

 

 またも思考回路が壊れそうになりそうなひとみ。のぞみが割って入る。

 

「あー申し訳ないんですが記者さん。ここは軍の区画でして、必要に応じてブリタニア法律が適用されますが」

 

「えっ、のぞみ先輩? そんな言い方しなくてもいいんじゃ……」

 

「米川。ここは式典場とはいえ軍の敷地内だ。一般人が入ってくる場所じゃないんだよ。それに取材があるなんて話は聞いてない」

 

 振り返れば、コーニャも新発田のことを睨んでいる。夢華なんて使い魔の耳を出していて、完全な臨戦態勢だ。

 一方の新発田は、怯えることも笑みを崩すこともない。

 

「もーやだなぁ大村のぞみ氏、ちゃんと許可証は頂いてますって!」

 

 そう言いながらやけに大きいショルダーバッグを開き、許可証を取り出す。受け取るのぞみ。

 

「……従軍記者?」

 

「ええ、南洋日報より扶桑皇国海軍に派遣されました! 石川大佐にお会いしたかったのですが……丁度第203統合戦闘航空団の皆さんがいらっしゃいましたのでご挨拶と取材をしようと思いまして!」

 

 のぞみは黙って許可証をじっと見ていたが、やがてそれを返す。

 

「……許可あって立ち入ったのは理解しました。ですがこちらでは対応しかねます。遣欧艦隊司令部か石川大佐の方に直接お問い合わせください」

 

「そうですか……では、写真だけでも!」

 

 そう言いながらショルダーバッグからカメラを取り出そうとするが……のぞみはそれを手で遮った。

 

「とにかく、お引き取りください」

 

 有無を言わさぬのぞみ。新発田はガックリと肩を落とすと、さも残念そうに言った。

 

「……はぁい。では、今日のところはこれにて失礼します」

 

 そうトボトボと帰っていく。なんだかその後ろ姿が寂しそうで、ひとみはその後ろ姿に向かって言った。

 

「あの! 新発田さん! こんどきっと、取材に来てくださいね!」

 

 すると相手は、くるっと振り返って笑顔を向けた。

 

「ではその時は青葉とお呼びくださいっ! 次会ったときはFriendsですからねっ!」

 

「はいっ!」

 

 ひとみも笑顔で青葉を見送る。来た時と同じ、すばしっこい動きで角の向こうへと消えていく。

 

 するとのぞみが、真後ろで盛大にため息。

 

「……米川ねぇ。軍人は記者に向かって勝手なこと言っちゃいけないの」

 

「え?」

 

 振り返ると、のぞみは不機嫌そうにひとみの前に立ちふさがっていた。

 

「こんどきっと……てさ、米川はそれを保証できるわけ?」

 

「それは……できませんけど」

 

「米川。私たちは軍人だ。軍人とは国民・国家を守る存在だ。それがもし『ネウロイに勝てません』なんて言ったらどうなると思う? 世の中大混乱だよ?」

 

「でも……! 可哀そうじゃないですか」

 

 そう言うと、のぞみはさらに眉間のしわを深くする。それからビシッとひとみに人差し指を突き付けた。

 

「じゃあ、アンタはそれ全員に言えるの? 世界中の人に可哀そうって、それで私の力でなんとかしてあげられますよって」

 

「そ、それは……」

 

「なによりも、軍人は国家のもの! 勝手な行動は勿論のこと、発言だけでも絶対に許されるものではない! 特に報道記者は世界と繋がってるんだ、アンタは世界に向けて行っちゃったんだよ? 責任はだれがとると思ってんの、アンタじゃない石川大佐だ!」

 

「ひぅっ……ごめん、なさい……」

 

 肩をすくめるひとみ。ちょっと元気づけてあげたかっただけなのだ。でも先輩のいうことは正しくて、それに気が付かなかった自分が情けない。なによりこの場にいない石川大佐に迷惑が掛かるなんて思いもしなかった。先輩が怒るのも当然だろう。

 

「……のぞみ、そのくらいにする。十分伝わった。それに……今のはのぞみにも当てはまる」

 

 のぞみの更なる追撃を止めたのはコーニャだ。のぞみは盛大にため息をついて見せる。

 

「そのくらい分かってるわよ……ったく、ポッドキャスト中尉は甘いんだから」

 

「のぞみ」

 

 名前は訂正せず、少し睨むだけに留めるコーニャ。のぞみはバツが悪そうに肩を竦めた。

 

「悪かったってПрасковья(プラスコーヴィヤ)……ごめん米川、私あんまり記者とかそういうの好きじゃなくてさ。ちょっと言い過ぎた」

 

「いえ……ごめんなさい」

 

「ま、今度からは互いに気を付けよう。どうせあの記者とは長い付き合いになりそうだし、甘い顔しといて損はないって考えれば大したことないない」

 

「長い付き合い? あんな胡散臭いのとなんでそうなるんでやがりますか?」

 

 夢華がそういうと、のぞみは打って変わって明るい表情を作る。

 

「あーゆめかは扶桑語読めないもんねー。許可証に何が書いてあるのかしらないもんねぇー?」

 

「……そもそも許可証に目を通したのはあんただけでやがりますよ」

 

「まあそれはそうなんだけどさ。あの人、五航戦の従軍記者だ」

 

 従軍記者?

 

「え、それって……」

 

「そ、あの人は「加賀」に乗り込む許可を取ってるってわけ」

 

「じゃあまた会えるってことですか?」

 

「あーうん。まあ、そうね……」

 

 良かった、ということは嘘にはならなかったのだ。ほっと息をつくひとみ。先輩に怒られてどうなることかと思ってたけれど、どうにか責任とかそういうのにならずに済みそうだ。

 

「……あーもう! はい! この話終わり! 終わり!」

 

 どこか振り切るようにブンブン頭を振ってから、のぞみは駆けだす。

 

「行くよ米川!」

 

「えっ? 先輩!? どこ行くんですかぁ!」

 

「大佐は羽を伸ばせって言ったんだ! 観光に行こう! 観光!」

 

「ま、待ってくださいよぉ!」

 

 どんどんゲートの方へと走っていくのぞみ。ひとみはそれを追いかける。

 

「夢華、行くよ」

 

「……はいはい」

 

 

 それに続くコーニャと夢華。ゲートの先には、太陽を受けて輝くシンガポールの中心街が聳え立ち、空はペンキをぶちまけたような青一色だ。




さて。ゴールデンカイトウィッチーズ第二章、いよいよ幕開けです!

そしてごめんなさい。久々の更新だというのに全然女の子がキャッキャウフフしてないです。これから!これからたくさんやるから!

というわけで第二章ではシンガポールから始まります。南洋の宝石シンガポール。ちょっと怪しい雰囲気もありますが……203空再始動です!


当面は週一投稿となります。それではまた来週!


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2-1-2"Ceremony"

「というわけでやってきました、シンガポール!」

 

「ずいぶんとテンションたけーでいやがりますね」

 

 ブリタニア軍の兵士が守る軍区画へのゲート。のぞみはその境界線手前で大きく飛び上がって向こう側へと両足で着地。体操選手みたく両腕を伸ばしてY字のような格好でピタリと静止した。ぶすっとしながら夢華が続く。

 

「いやいや。やっぱり新たなる地に着いたら観光するのが醍醐味でしょ!」

 

「わちゃわちゃやるのがそんなにいいでいやがりますか」

「そう言いながらゆめかもついてきているじゃない?」

 

「だからあたしはモンファ!」

 

 困惑気味の兵士を尻目に早速のぞみと夢華が言い合いを始める。少し遅れてひとみとコーニャが境界の先へ。

 

「このやりとりもなんだか見慣れてきたね」

 

「ん……」

 

「お、米川もポリューション中尉も来たね」

 

「Покрышкин」

 

 そしてこのやりとりも1種の定型文。そうひとみは認識していた。さっきはちょっと険悪な雰囲気だったけど……大丈夫、これからしっかり楽しめばいい。

 

「じゃあ4人そろったところで恒例の観光へいざゆかん! 今日は夜まで寝させないぜ! って言いたいところなんだけど……」

 

 のぞみが右拳を天高く突き出して叫ぶ。だが、急に尻切れトンボに終わり、ひとみは首を傾げた。

 

「どうしたんですか?」

 

「いやさ、米川はまだ病み上がりじゃん? だからオールナイトはさすがにねー」

 

「そもそも、深夜までの外出は許可されてない……」

 

「そゆことー。ま、近場を適当にぶらつこうか」

 

 いつまでも桟橋にいたところで観光とは言えない。それに、せっかくの外出許可なのだ。ずっとベットの中にいたのだから、(おか)を自由に出歩くのは本当に久しぶり。石川大佐が言ってくれた通りゆっくりと羽根を伸ばしたいものだ。

 

「てゆーかどこ行くつもりでいやがるんですか?」

 

「とりあえずシンガポールといえば世界三大がっかり名所のマーライオンじゃない?」

 

「がっかり? がっかりするってわかってるのに行くんですか!?」

 

「まーいいじゃん。それに百聞は一見に如かずだよ、米川」

 

「いや、そうかもしれないですけどぉ……」

 

「いーからいーから。さあ、いざ参らん!」

 

 のぞみはさっさとビルがたくさん並んでいる方角へとずんずん進み始め、ひとみがあとを追いかける。

 

「さ、付き合ってやりますかね……」

 

 夢華が深いため息を吐きながら右足を踏み出して、小走り目に歩き出す……と、急に足を止めた。後ろから視線を感じたのだ。

 

「……な、なんだってんですかその目は」

 

 コーニャだ。振り返るとコーニャがじっと夢華のことを見つめていた。

 

「別、に……」

 

 夢華もぶちぶちと言っていたが、小走りになる程度には期待していたのか。そしてそれを無表情なままで見つめるコーニャは見透かしたように穏やかな目を投げかけていた。

 

 

 

 閑話休題(それはそうとして)

 

 

 

 東南アジアとは思えないくらい、綺麗に舗装された道を歩いていくこと数十分。お昼が近づいてきたせいか、至るところからいい匂いの漂う中で、それらの誘惑を振り切って進み続けると、次第にひとみたちの前に目的地として据えたマーライオンがその偉大なる姿を────

 

「なんか……うん、がっかりするね」

 

「言うほどおっきくないです……」

 

「この前、倒したネウロイの方がでけーでいやがりました」

 

「微妙…………」

 

 ────姿を表した。それはよかった。だがとてつもなく微妙なサイズ感と、なんとも言えないデザイン性。そしてただそれが口から水を噴き出しているだけ。

 

 そう、はっきり言ってがっかりだった。

 

「さすがは世界三大がっかり名所……」

 

「そんなにかわいくないんですね……」

 

 うーん、とひとみが首を傾ける。そこに屹立する白磁のマーライオンはお世辞にもかわいいとは言えなかった。

 

「まあ、かわいさを求めたものではないんでしょ」

 

「ていうかもう飽きたってんですよ」

 

「それにゃ私も同感だね。確かにつまらない」

 

「……ひどい言いよう」

 

 だが面白みのないことは変わらない。ただそこにある。そんな像を見続けたって楽しいわけがない。

 

「うん。いこっか」

 

「そうですね」

 

「つまんねーでいやがります」

 

「……」

 

 コーニャだけが無言。けれど4人の意志は完全に統一されていた。もう終わり。ただそのひとつに満場一致で決まってしまった。

 

「あ、土産屋だ。すみませーん!」

 

「ああっ! 先輩、待ってくださいよ!」

 

 そしてまたものぞみの独断専行。なんとも怪しそうと言うべきな店構えにのぞみがずんずんと進んで行く。その後ろ姿を追いかけながらひとみはうん、と小首を傾げた。

 

「なんだろう、この感じ……」

 

 ひとみにものすごく感じたことのある感覚が走る。これがいわゆる既視感、というやつだろうか。そしてのぞみが振り向くと同時に背筋に冷たいものが走る。

 そしてのぞみが、口角を吊り上げた。

 

「……ねえ、米川。男気(おとこぎ)じゃんけんって知ってる?」

 

「ふぇっ?」

 

「なんでいやがりますか。その男気じゃんけんってのは」

 

「……じゃんけんで、勝った人が物を買う」

 

「さっすがポルノ中尉」

 

「Покрышкин……さすがに、怒るよ」

 

「痛い痛い痛い痛い痛い!!」

 

 コーニャがひとみの首に腕を回して締め上げる。ヘッドロックまでいったのは久しぶりだなぁ、とどこかひとみが遠い目で考える。

 

「話、進めたらどうでいやがりますか」

 

「ケホッケホッ……まあとにかく! こいつを賭けてじゃんけんといこうか!」

 

 ででん! とのぞみが効果音つきでひとみが指差した物。それはついさっき見たマーライオンのミニチュア像。

 

「うわ、いらねー」

 

 ミニチュア、といっても全長は1m弱ほどもあるためかなり大きい。

 

「……普通に邪魔」

 

「なんだろう、前にもこんなことが……」

 

「細かいことはほっといて。じゃあほら全員、手を出して!」

 

 3人とも渋々、のぞみが嬉々として拳を突き出す。

 

「「「「じゃーんけーん…………」」」」

 

 

 

 

 

「…………ぐすん」

 

 ひとみがほとんど自分の背丈に迫りそうなほどもあるマーライオンの像を抱きかかえるようにして運ぶ。勝負は一発でついた。ひとみのひとり負け……いやひとり勝ちだった。

 

「ていうか夢華ちゃんは絶対、魔法を使ったでしょ!」

 

「さあ? なんのことかわかんねーでいやがります」

 

 さっきまで飛び出ていたハチクマの耳を収めて夢華が明らかにとぼけるようにしてそっぽを向く。

 夢華の固有魔法は『未来予知』もどき。いくら完璧な未来予知ではなくとも、ひとみがじゃんけんで出す手を予測することくらいは容易いはずだ。

 

「まあまあ米川。それにもう出た結果に文句をつけるなんて男気がないよ?」

 

「私は男の子じゃありません!」

 

「ほら、そういうルールだし。ルールは守らなくちゃいけないよねえ?」

 

「そうでやがります。約束はしっかり守りやがれってんです」

 

「うぅ……」

 

 なんでだろう。いつもこの2人は口喧嘩しているような気がするのに、どうしてこういう時ばかり気が合っているというかなんというべきか。

 

「お、重い……」

 

「ひとみ……きっといいこと、あるよ」

 

 軽くひとみの肩をコーニャが叩く。その叩き方もマーライオンを抱えるひとみの負担にならないように気を使ったものだった。だがひとみにとって慰めになるかと言われるとだいぶ怪しい。なんせこのヒトも共犯者なのだから。

 

「さて、ちょっとしたイベントも終わったしお昼にしよっか!」

 

「ま、待ってくださいよぅ……これ重くって……」

 

「ま、がんばりなさい」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 認めたくはないけれど、ほんっとうに認めたくないけれど、ひとみは背の高い方ではない。それが1m近くのマーライオンを抱きかかえて運ばされているのだ。歩きにくいことこの上なかった。

 そしてマーライオンを抱きながら歩くひとみはおそろしく目立っていた。たまにクスクスと笑う声すら聞こえる気がする。

 だがそんなひとみを他所に元凶たるのぞみは元気なものだ。

 

「さあさ、お昼ご飯! いざ出陣!」

 

「でも、のぞみはどこで食べるつもり……?」

 

「んー? フードコートがあったし、そこでいいじゃん」

 

「どーでもいいから早くしろってんですよ。なんでもいいから腹に入れてーでいやがります」

 

 夢華が空腹を不機嫌そうに訴える。 マーライオンを抱きかかえてよろよろと歩くひとみをよそに食事の話。だがひとみとしてもお腹は空いているのでご飯にするという意見には賛成だ。

 

「じゃあ行くよー。そこにフードコートみたいな感じで店が並んでいるからそこで好きに買えばいいよね?」

 

「それでいーでいやがりますから、さっさとしろってんですよ」

 

「はいはい。ほんじゃ、れっつらゴー!!」

 

「ごー」

 

「だ、だから待ってぇ……」

 

 フードコートを目指して進んで行く3人の一歩後ろをひとみが追いかける。マーライオンの重みのせいで、どうしても遅れがちになってしまうのだった。それでもなんとかついていけているのは先頭を歩くのぞみがさりげなく気を配っているからだが、それにひとみは気づいていない。

 

「じゃあテーブルの確保はしたから各自で昼食を購入して集合ね」

 

「り、了解です……」

 

 息も絶え絶えにひとみがマーライオンをテーブルの側に置いた。湿度のせいか汗が滲んで服が張り付く。フードコートに冷房が効いていたのはひとみとしても幸いだ。

 

「ええっと、なに食べようかなあ」

 

 ぐるっと店を見渡してみる。何がおすすめなのかさっぱりわからない。うんうん悩んでいる間にのぞみもコーニャも夢華も何を食べるか決めて、さっさと席に戻ってしまっていた。

 

「じ、じゃあこれと……あ、マンゴーアイスだ! これもください!」

 

 結局、焦ったひとみはよくわからない料理名と、かろうじてわかったマンゴーアイスを注文。どんなものが出て来るのかと思えば、なんだかツンとした匂いを放つ、エビの入った赤いスープだ。

 

「すっごく辛そうだけど……大丈夫だよね?」

 

 トレーに乗せられた赤いそれを不安に思いながらテーブルに戻る。そこではすでに食事を取り始めている3人。

 

「あー、米川おそかったね」

 

「先輩は……なんですか、それ?」

 

「ヨンタオフーっていう煮込み料理。野菜も魚も麺もあるから栄養バランスばっちり」

 

 のぞみの指し示す底の広い器には、はんぺんのような白い球体とブロッコリー、マッシュルームなどが半透明のスープに入っている。なんだかぱっと見だけでいくならおでんみたいだとひとみは思った。

 

「まったくお嬢さまぶることがそんなにいいんでいやがりますか。栄養バランスなんていちいち気にしてんじゃねーでいやがりますよ。野菜なんてナヨナヨしたもんをいちいち食ってなんからんねーです。肉でいやがりますよ、肉!」

 

「あーもう、ゆめかはそういうことにちょっとは気を使う! それに食べ方! 服にタレが飛ぶでしょうが!」

 

「だからあたしは夢華! あと服なんてどうだっていいでいやがるですよ!」

 

「良くないわ! それ貸してるだけで私の服なんだからね?」

 

「あははは……ちなみにコーニャちゃんは何を選んだの?」

 

「ん……カレー」

 

「わあ、お魚の頭が入ってるんだね」

 

 フィッシュヘッドカレー、というタイプのカレーだ。魚の頭を丸ごと入れて煮込むことで魚の旨味をカレースープに出し、タリマンドやクミンなどのスパイスを使って、ピリッとした辛さと酸味がありながら、奥深いコクを生み出している。一緒に夏野菜を煮込んでいるため、魚の旨味だけでなく野菜の旨味もカレースープに溶け込んでいるのだ。

 一方で夢華が食べているのはシシケバブ。ただしパプリカなどは串に刺さず、ただ肉しか刺さっていないものだ。こんがりと焼けた肉からジューシーな肉汁が滴り落ち、立ち昇るタレの濃厚な香りが食欲を刺激する。

 

「私も食べようかな」

 

 赤いスープを一口、ゆっくりと啜る。エビの出汁が染み出したスープは思っていたよりも辛くない。どちらかというと酸っぱい感じだ。だが辛さが後を引いて喉に引っかかるようなこともなく、むしろすっきりとしている。中に入っているよくわからないキノコも初めて食べたが、風変わりな食感でおいしい。不思議な味ではあるが、ついついもっと食べたくなってしまう、癖のある味だ。スプーンを運び続けると、すぐに器のそこをスプーンがこすった。

 

「デザートは……アイスー」

 

 ウキウキとひとみはデザート用のスプーンを手にとってマンゴーアイスをすくい上げる。

 

「ん? あんたが食べてたのって……待て、米川ぁ!」

 

「ふぇ? あ、先輩もマンゴーアイス食べたかったんですか?」

 

「あー、もう遅いか……」

 

 のぞみが呆れたように頭を掻いた。なんでかはひとみにわからなかったがマンゴーアイスがおいしいからよしとした。さっき街中で見つけたマンゴーが一個、120円くらいで売られていたのはびっくりしたけれど、味もかなりいいらしい。

 

「んー、おいしー!」

 

「…………まあ、米川がいいならいいけどさ」

 

 ほほに手を当てて、ひとみがマンゴーアイスを満喫する姿を半目でのぞみが見つめる。

 冷たくて甘いアイスは、ついさっきまで辛いものを食べていたせいでヒリヒリとしている口に心地がいい。

 

「ほーら、米川。食べ終わったらさっさと行くよ。まだまだシンガポールぶらり旅は続くんたからさ」

 

「またこのマーライオン、運ばなくちゃいけないんですか……」

 

「そりゃ、じゃんけんで勝ったあんたのもんだし、しょうがない」

 

「ひとみ……どん、まい?」

 

「コーニャちゃんひどい!」

 

「がちゃがちゃうるせーってんですよ。さっさと行きやがるです」

 

「ちゃっかり楽しんでるじゃん、ゆめかもさ」

 

「…………うるせーでいやがります」

 

 プイッと夢華がそっぽを向いてしまう。にやにやとひとみが笑ってはいるが、追撃するつもりはなさそうだ。

 

「ま、とにかく行こっか。あてない旅へ、いざゆかん!」

 

 

 この時、ひとみは失念していた。のぞみがどうしてアイスを食べることを制止したのか。その後に意味深な間を作って頭を抱えていたのはどうしてなのか。

 

 そう、辛いものとアイスの食い合わせは()()である。

 

 

「あ、あの……せ、先輩…………」

 

「あーうん、やっぱりそうなるよね。いいから行ってきなよ」

 

 食い合わせの悪いものを食べるとお腹を壊す。それを予想したからこそ、のぞみは止めようとしたのだ。

 まあ、遅かったわけだが。現在進行形でひとみのお腹はものすごい腹痛を訴えかけてきている。

 

「お、お手洗いはどこっ……」

 

 マーライオンを抱きかかえているため、ずいぶんとコミカルな絵面になってしまっているが、ひとみのお腹はもう限界だ。あと少しきっかけが生まれてしまえば、もれなく社会的に死ぬ可能性すらある。それだけは1人の女の子として、そして1人の人として絶対に避けなければいけないことだ。

 天に召します我らが神よ。どうかこの米川ひとみに休息を!

 

 神はいた。ひとみの必死の祈りは通じた。

 

「あった……!」

 

 目の前にトイレ(オアシス)が現れた。しかも並んでいない。これを好機と言わずしてなんというべきだろうか。ひとみは止めるものはなにもない。だからマーライオンを抱えてトイレにひとみは突き進み、個室のドアを開いた。

 

 

 

 

 

「……遅いなー、米川。腹を下してるにしてもかかりすぎなんじゃない?」

 

「ったく。弱っちい体をしてるから腹なんて壊すんでいやがりますよ」

 

「米川がまだ病み上がりってこと忘れてない?」

 

「関係ねーです」

 

 ぷい、と夢華がそっぽを向く。

 

「さすがに、心配……」

 

「だよねえ……ん? ちょっと待って」

 

 のぞみのポケットの中で通信機が電子音を鳴らした。手早く取ってのぞみが通信に出る。

 

「はい、こちら大村。はい、はい。はい? 了解。至急、加賀へ向かいます」

 

「どう、したの……?」

 

「霧堂艦長が帰って来いってさ。しょうがないし、米川を探すとしようか」

 

「ん……」

 

「ほら行くよ、ゆめか」

 

「だから私はモンファ! そいでもって何で私まで探すことになってんですか!」

 

 そうブチブチ言いながらもちゃんとのぞみの後ろを夢華は着いてきた。それを見てコーニャは小さく微笑んだが、夢華とのぞみは気づかなかった。

 

 

 

 一方、ひとみはようやくトイレから出て手を洗っていた。

 長い長い戦いだった。ネウロイと戦うよりも苦しい戦いだったかもしれない。だが時間はかかったものの、解決の糸目は見えた。ピンチは過ぎ去って、現状におけるひとみの腹具合は平穏を取り戻していた。

 だが次なる問題がひとみに降りかかった。

 

「先輩……もんふぁちゃん……コーニャちゃん……どこ?」

 

 3人と合流できないのだ。それにさっきまでの場所へ戻ることができないのだ。どこをどうやって歩いているのかわからないが、さっきまでの綺麗な道を歩いていた感覚とは違って、裏道のような場所に出てしまった。

 

「うぅ……ここどこ?」

 

 迂闊に離れるべきではなかったかもしれない。でもあの状況下では仕方のないことだろう。特にここはシンガポール、つまりひとみが初めて訪れた場所で、勝手が全くわからない土地だ。道に迷ってしまうのはある意味、当然と言えた。

 

「重い……道わかんない……」

 

 一難さってまた一難。お腹のピンチは脱しても今度は道がわからなくなってしまった。とたんに心細くなり、ちらちらと周りをひとみは見渡した。もちろんマーライオンは抱えて、だ。結構な金額がかかっているので捨てるのはさすがに気が引けた。

 

「重いし、わかんないし……」

 

 よくわからないままでろうろすればするたびに、なんだか怪しげな道に入っていってしまう。さっきまでの舗装されてきれいな町並みはどこかへ消え去って、どこか危なげな雰囲気のする町へと変わってしまった。

 

「Hey , girl!」

 

「わっ! な、なんでしょう?」

 

「How are you spare time?」

 

「Oh! You are cute! Type of taste!」

 

「わ、わからない……」

 

 超絶早口で捲くし立てられた英語ではまだブリタニア語に慣れていないひとみには厳しい。こんな目に合うんだったら日ごろからちゃんとブリタニア語を勉強しておくんだったと後悔してもいまさら手遅れだった。帰ったらのぞみ先輩にしっかり教えてもらおう。うん、帰られたら。

 逃げようにもひとみは1m弱のマーライオンを抱えている。こんなものを抱えた状態で走る余裕なんてなかった。マーライオンを捨てればいいのだが、焦りすぎたひとみはそこまで頭が回っていなかった。

 

「え、えっと……えっと……」

 

「It`s over 」

 

 ひとみがおろおろしている間に男たちがひとみとの距離を詰めてきた。だが突如としてひとみへにじり寄る男たちをさえぎるように一人の男性が立ち塞がり、声を出して制止させようとした。短く刈り込んだ金髪に青みがかった目はいかにもリベリオン人といった風貌だ。

 

「What you?」

 

「Back off!」

 

 男たちの中から一人がひとみを庇ってくれたリベリオン人に向かって殴りかかる。

 

「あ、あぶない!」

 

 思わず声をあげるひとみ。だがリベリオン人は危なげなく振りぬかれた拳を軽く受け流すと、男の勢いを生かしてそのまま地面に叩きつけた。

 

「Be off」

 

 静かにリベリオン人が倒れ付した男に言い放つ。同時に立ちすくんでいる残りの男たちに睨みを利かせた。

 

「Fxxk you!」

 

 どうやら捨て台詞だったらしいものを吐き捨てて男たちが足早に立ち去っていく。あまりに一瞬のことでぼんやりとしていたひとみはようやく覚醒して真っ先に考えたのはお礼を言わなくてはということだった。

 

「あ、ありがとうございます! ……じゃなくてええっと、サ、サンキュー?」

 

「いいえ。それより、お怪我、ない?」

 

「は、はい! ……あれ、扶桑語?」

 

「少し。送ります、分かるところまで」

 

 にこやかにリベリオン人がひとみに笑いかける。扶桑語が通じるという事実がひとみの緊張をいくぶんか和らげてくれた。というか通じなかったら本当にどうしようと思っていたところだったのでこの人が扶桑語を話せて本当にーーーー

 ここまで来て思い出す。そういえばまだ名前を聞いてなかった。

 

「すみません、お名前は……」

 

Lucas(ルーカス)Brandon(ブランドン)Nolan(ノーラン)です」

 

「ルーカスさん……ですか。あ、私は米川ひとみです」

 

「ヒトミ、ですね」

 

 ああ、本当に優しい人でしかも扶桑語のしゃべることができる人でよかったと心からひとみは思った。マーライオンは買わさせられるし、お腹の調子は壊すし、道には迷うし、変な人たちには絡まれるしで踏んだりけったりだと思っていたけれど、ここでようやく運が巡ってきたのかもしれない。

 

 そう思いたかったのに。

 

「ヘィ、ルーク。その娘は誰かしら?」

 

 ルーカスとひとみの前を少女が遮った。まっすぐで艶やかな黒髪に褐色がちな肌。同性のひとみから見てもかなり美人だが、明らかに声の中に怒りの調子が隠しきれないほど滲み出してご立腹な様子。ひとみは無意識に一歩後ずさり。

 

「あ、アレクシア……これはわけがあって…………」

 

「ふぅーん。私を待たせておいて他の女の子に構うなんてさぞかし立派な理由があるんでしょうね?」

 

 ルーカスの額に汗が流れた。確かにシンガポールは暑いが、それとは別種の汗だ。対照的にアレクシアと呼ばれた少女はピクピクとこめかみ辺りが引き攣っている。慌てたルーカスがアレクシアの傍に駆け寄ってなだめようとするが、組んだ腕をアレクシアが解こうとする気配はまったくない。

 

「だいたいどうしてそんな娘を連れてたのよ?」

 

「ヒトミが絡まれてたから……」

 

「ヒトミ? へえー、もう名前まで聞いてるの?」

 

「あ、いやこれは流れで……ったぁ!」

 

「フン!」

 

 アレクシアがルーカスの臀部を蹴り、たまらずルーカスが声を上げた。そして蹴るだけ蹴ると、アレクシアの鋭い視線はひとみに向いた。あまりの気迫が篭ったにらみに思わずひとみは身を縮ませる。

 

「で、あんたは? というかそのマーライオンの像は何?」

 

 なんて言ってるんだろう……こっちを見て指させてるし……名乗ればいいのかな?

 

「えっと……米川ひとみです」

 

 というかどういう状況なんだろう。ルーカスさんが蹴られたという状況だけはよく分かる。ということは知り合いの人、なのかな?

 

 なんか勘違いしてるみたいだし……とりあえず状況を説明しないと。

 

「えと、ルーカスさんは私を助けくれたんです……あっ、それでマーライオンはじゃんけんに負けて、いや勝っちゃってですね……」

 

 怪訝な顔をするアレクシア。察したルーカスが翻訳してくれる。

 

「……あ、そう」

 

「だから言ったろ、アレクシア。別に俺はナンパなんて……」

 

「うるさい! フン、いいわよ。こういう娘が好きならそう言えばいいじゃない」

 

「だからな、アレクシア……」

 

 ひとみを置いてぎゃあぎゃあと展開されるブリタニア語の応酬。何を言っているのかは分からないけれどアレクシアが一方的でもう喧嘩というか言葉の暴力だ。

 ひとみはルーカスに助けてもらった身としてなんとかルーカスを援護したいのだが、あまりの剣幕に口を挟むことができない。

 

「ど、どうしよう……」

 

「あ、米川はっけーん。どこまで行ってんのよ、まったく」

 

「の、のぞみ先輩!」

 

 これでなんとかルーカスとアレクシアの二人の間へ割り込めるかもしれない。ひとみはずんずん迫ってくるのぞみを手招き。

 

「ちょっと来てくだs」

「加賀に帰るよ。召集がかかったから」

「えっ?」

 

 のぞみがひとみの手を握った。手というか腕だ。腕をガシリと握った。

 

「で、でも……」

 

「デモも示威運動もないの。ほら帰るよ」

 

 拘束も辞さないと言わんばかりに引っ張るのぞみ。もちろん抵抗できるわけなく、ひとみはずるずると引きずられて連れられていく。

 

「えっ、あのちょっと……ルーカスさん! 助けてもらってありがとうございましたぁぁぁぁ! サンキュー! ベリーサンキュー!」

 

 せめて最後にちゃんとお礼くらいは、と考えたひとみがお礼を全力で叫んだが果たして伝わったかどうか。

 

「ほら、米川。そろそろちゃんと歩く!」

 

 引っ張られるのぞみが止まった。周りは見覚えのある大通りだ。ホントにどうしてあんな裏路地に迷い込んでしまったのか。もう会うことはないだろうけれど、また会うことがあったらちゃんとお礼を言おうとひとみは心に誓った。

 

「は、はい。そういえば召集って……?」

 

 大通りを基地の方へと歩き出したのぞみに続きつつ、ひとみは聞く。のぞみは振り返らずに答えた。

 

「さあ? 帰って来いって言われただけだからなんともね。とにかく急ぐよ。米川を見つけた時点でプラスコーヴィヤにもゆめかにも加賀へ戻るように伝えたから」

 

「いつ通信機を使ったんですか……」

 

「さっきちょろっと、ね。よしっ米川、ちいとばかし急ぐよ。駆け足、用意!」

 

「へっ?! 先輩っ、マーライオン(これ)とっても重いんですけどぉ!」

 

「気合いだっ、前へ!」

 

 そう鋭く叫ぶとのぞみは駆け出す。ひとみも慌てて加賀への道のりを急ぐ。

 

 4人でのんびりと歩いているときはそんなに遠くまで来たような感じはなかったのに、急がなくてはいけないとなるとすごく長い道のりのように錯覚するのはなんでだろう。

 

 ……まあ、どう考えても巨大なお土産のせいなんだろうけど。考えれば考えるほど重くなってくるんだから不思議だ。

 

「加賀が見えてきた。ほら、あと少しだ米川!」

 

「は、はい……というか先輩、速すぎますよ…………」

 

「扶桑国軍人なら当然!」

 

 息も切れ切れなひとみにくらべてまだ余裕を残しているのぞみ。

 

 体力をすり減らしてようやく加賀にたどり着くと、盗る人もいないだろうと思ってマーライオンの像を加賀の適当な空き場所に放置する。

 

「わあ……身体がとっても軽い」

 

「なに老人みたいなこと言ってんのよ……ほら行くわよ」

 

 呆れるのぞみ。しかしこの身体の軽さはまさに革命的なのだ。どれだけマーライオンが負荷になっていたのだろうと思いながらのぞみの後をひとみは追う。

 

「大村のぞみと米川ひとみ、遅れました!」

 

「遅い!」

 

「相変わらず厳しいねー、石川大佐。だいじょうぶ、だいじょうぶ。ぎりぎりセーフだよん」

 

 ブリーフィングルームに駆け込むと、真っ先に2人を迎えたのは腕を組んで一喝した石川大佐と対照的にのんびりと笑う霧堂艦長だった。すでにコーニャと夢華は着いていたようで、直立して待っている。同じように石川大佐の前で直立。

 

「よし、これで全員だな。折角の休みをフイにしてしまってすまない」

 

「石川大佐、私たちが呼ばれたのはどうしてでしょうか?」

 

「大村の疑問も当然だな。呼ばせてもらったのは他でもない。顔合わせのためだ」

 

「顔合わせ?」

 

 いったい何の話だろう。

 

「先ほど203空との合同演習の話が持ち上がってな」

 

「合同演習ですか」

 

「そうだ。相手はリベリオンとガリア、アウストラリス。三国から一名ずつで三名。こちらからも同じく三人を出す」

 

「リベリオン、ガリア、アウストラリス……」

 

 国名ならよく聞くものばかりだ。リベリオンは太平洋の向こうにいるとっても大きくて自由な国で、アウストラリスは南洋島の近くにある羊がたくさんいる国で……ガリアは、ええと。

 

「さて。そろそろ来るはずだが……」

 

 そう言っていた石川大佐の言葉を遮るようにブリーフィングルームのドアがノックされる。霧堂艦長が「はーい」と答えると加賀の乗組員がドアを開けた。

 

「あ」

「What?」

 

 ひとみと先頭で入ってきた少女の声が被った。その少女は長くまっすぐな黒髪を持つ少女。ひとみがさっきルーカスに助けてもらった後にやってきた少女だ。なんかよく分からないけどとっても怒っていた様子の少女。

 

 そう、確か……。

 

「アレキサンダーさん!」

 

誰がアレキサンダーよ!( I’m NOT Football player,)私はどこの大王だ!(Fighter or Great King!) 私はアレクシア!(I’m Alexia!) アレクシア・ブラシウよ!(Alexia Vraciu!) 間違えるなこの泥棒猫ーーーー!!(Don’t forget home wrecker!)

 

「えっと……なんて言ってるの……?」

 

 困惑するしかないひとみ。

 

「アレキサンダーじゃなくてアレクシアだってさ。というか二人は知り合いなの?」

 

「えっ、と……さっき会ったんですけど……」

 

「泥棒猫とか言ってるけど、なに、寝取ったの?」

 

「だっ、だれが泥棒なんて……」

 

ちょっと!(Wait!) なに知らない言語で(Don’t use strange language!)コソコソ話し合ってんのよ!(Use British and talk with me!)

 

 怒っているのは間違いない。

 

「ど、どうしましょう先輩……」

 

「ま、ここはこの大村のぞみに任せておきなさい……すみませんが(We are sorry your bad mood. However)ウチの米川は(She is)誰かを寝取るほどの度胸持ちではない(too shy to have a affair.)と思いますが(I think.)人違いではないでしょうか?(I'm afraid you are speaking to the wrong person.)

 

 のぞみがペラペラとブリタニア語を喋っていく。のぞみ先輩はやっぱりすごい……ところが、アレクシアはみるみる顔を真っ赤にしていく。それから怒鳴りつけるように言ってきた。

 

(Ha)……私のルークを寝取った!?(Had a affair!?) こ、この淫乱娘!(You Lecherus girl!)

 

 え、なんで怒ってるの……ひとみがのぞみの方を見やると。

 

「Lecherus girl……米川が淫乱娘だってさ」

 

「い、淫乱娘って何ですか! そんなことしてないですってば!」

 

「のぞみ、話をややこしくしないで……」

 

 コーニャが止めたところでもう止まるわけがなかった。最大の燃料を投下されたアレクシアとなんとか弁明しようとするひとみの喧騒はその後、状況が飲み込めた石川大佐によって止められるまでしばらく続くのだった。

 



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2-2-1"Exercise"

exercise [éksɚsὰɪz|‐sə‐]
【名詞】1.不可算名詞 [具体的には 可算名詞] (体の)運動.
    2.可算名詞
     a,練習、稽古、実習
     b,[しばしば複数形で] (軍隊・艦隊などの)演習、軍事演習
    3.可算名詞 練習問題、課題 〔in〕
    4.不可算名詞 [しばしば the exercise]
     a,〔精神力などを〕働かすこと、使用 〔of〕
     b,(権限などの)行使、執行 〔of〕
    5.[複数形で]式(の次第)、 儀式
【動詞】1.[他動詞]
     a,〈手・足を〉動かす
     b,[exercise oneself で] 手足を動かす
     c,〈人・馬・犬などを〉運動させる
     d,《文語》〈兵などを〉訓練する
     e,〔+目的語+in+(代)名詞〕《文語》〈人に〉〔…の〕訓練をする
     f,〔+目的語+in+(代)名詞〕[exercise oneself で] 《文語》〔…の〕練習をする
    2.[他動詞]
     a,〈器官・機能・想像力などを〉働かせる,用いる
     b,〈権力などを〉行使する; 〈役目などを〉果たす
    3.[他動詞]〔+目的語+前置詞+(代)名詞〕〔…に〕〈影響・力などを〉及ぼす,ふるう 〔on,over〕.
    4.[他動詞]〈人・心を〉煩わせる; いらだたせる



《よーし、それでは新生203の初陣といこう! 準備はいいかな諸君!》

 

 先頭を行くのぞみが身を翻して口をパクパクと動かし、魔導インカムがのぞみの声を伝える。こうやって先輩たちと空を飛ぶのは久しぶりだ。

 

《ったく、空でも相変わらず騒がしいでやがりますね、ダーツォンは》

 

《お お む ら だ よ。ゆめかちゃん?》

 

《アタシはモンファでやがりますよっ……で、なんでアンタが指揮を執ってやがるんですか》

 

《そりゃあ私が少尉殿だからさー》

 

 そう言いながらF-35FB飛行脚でぐるんと回って見せるのぞみ。夢華はさも不満げな顔をする。

 

《アタシのほうが先任でやがるんですがね》

 

《ほお、ご不満だってんならまずはこっちで決着つけとこうか?》

 

《別に。指揮権なんてどーでもいいでやがります》

 

 そう言いながら夢華はすいっとのぞみの前に出る。それからニヤリと笑ってみせる。

 

《そんなのにこだわるほどアタシは「おこちゃま」でやがりませんので》

 

「も、もんふぁちゃん?」

 

 夢華の唐突なのぞみへの宣戦布告にひとみは慌てて止めようとするが、もちろん手遅れ。しかしのぞみは微笑みと共にかぶりを振って見せた。

 

《おこちゃまねぇ……分かってないなぁゆめかは》

 

《な、なにがでやがりますか》

 

《ゆめか少尉、既に戦いは始まってるのだよ。この演習でこの大村のぞみが名を挙げることによって、私が203の戦闘隊長になる。カイトワンは誰にも渡さない――――これぞ、大村家流出世術!》

 

 そう言うが否やのぞみは大きく舵を切る。高度を取るようにぐるりと大回り。

 

《……さいですか》

 

 呆れたように夢華が続き。それに倣ってひとみも大きく旋回。ふとマルチバイザー越しの視界にシンガポールの街並みが映る。一番大きくてビルがたくさん建っているシンガポール島が次第に小さくなっていく。カラフルな露店や生い茂ったヤシの木、ぽつぽつと見える小さな点はヒトだろうか。

 

《さて、今回の作戦だけど》

 

 と打って変わって真面目な調子になるのぞみ。

 

《まず機体においては赤軍(あいて)よりも青軍(こちら)の方が勝っていると言えるだろう。ライトニングⅡ(F-35)は最新鋭機だし、F-15は我が扶桑の空を護る最強の戦闘機だ》

 

 ひとみの前を飛ぶのぞみのF-35FB戦闘脚。その塗装に鈍く太陽が反射する。

 

《対する敵さんはホーネット(F-18)ハリアー(AV-8)、そしてラファール……さて米川、こちらが圧倒的に勝る点を答えよ! 配点100文字上限10!》

 

「えっ? えーと……」

 

 最新、と答えそうになって慌てて首を振るひとみ。オラーシャとの開発競争で生まれたF-15の初登場は1970年代。一番旧式なのはF-15だ。

 

「速度、ですか?」

 

《んー。速度はラファールが一番早いね》

 

「あっ、旋回性能!」

 

《んー。ノズル噴射方向(あしのむき)を変えることで強制的に方向転換できる飛行脚(ストライカー)じゃ旋回性能(カタログスペック)なんてあってないようなもんでしょ?》

 

 実際、ウィッチの旋回性能は個々人の耐G能力に依存している。機体は決定的な差にならない。

 

「えと……じゃあ搭載量……! は負けてる……」

 

《だねー》

 

 ホーネットもハリアーも戦闘爆撃機。搭載量で勝てるはずがない。

 

「あ、分かった! ステルス性ですね!」

 

《んー。これから有視界戦闘するのに米川准尉はステルス性が勝敗を決すると仰るわけだ。なるほどなるほど》

 

「ああっ?!」

 

 頭を抱えるひとみ。もし肩紐(スリング)がなければワルサーは海に落っこちてしまっていただろう。

 

《さらに加えるとこちらは実戦投入されたばかりの新人ウィッチが二人に年齢一桁のおこちゃま。向こうはお国の代表として東アジア司令部に出向くほどの強者(つわもの)揃い……》

 

《要は勝てない、ってことでやがりますか》

 

 つらつらと言うのぞみに夢華が時間の無駄とばかりに言う。実際、今のところ「勝ち」に繋がる要素は見当たらない。

 

《いやいやゆめか、それじゃあ私の出世術がパアになってしまうでしょ? 実は勝ってるとこがあるんだな》

 

「え……?」

 

 

《それはだね――――エンジン出力と、アンタだ。米川》

 

 

 

 

 演習空域に指定されたシンガポール東の海域まで移動するのには少なからず時間がかかる。シンガポールに置かれる人類連合東アジア司令部の防空指揮所はネウロイの攻撃が直撃することも想定し地下に設置されており、空を征く203の様子はモニター上の数字としてしか表示されない。

 

《いい? 米川は会敵と同時に全力で空域ギリギリまで逃げる。もちろんオーグメンターは使ってよしだ。で、そこから即座に反転、三発で全部落とす》

 

《む、無理ですよぉ先輩。シールドで防がれちゃいますって》

 

《そのために私とゆめかがいるんでしょーが、私らが三機を引き受ける。やれと言われれば一分や三十秒は耐えられるでしょ、ゆめか》

 

大村(ダーツォン)には厳しいんじゃねーですかね》

 

《手前は行けるわけだ。なら結構。203空は、米川のアウトレンジ攻撃によって敵編隊を殲滅する!》

 

《で、でも先輩……空域が狭く設定されてるのは格闘戦における錬度を見るためだろうって石川大佐が……》

 

《あのねぇ米川。それは『だろう』であって誰も格闘戦をしろなんて言ってないんだよ? それに米川じゃ格闘戦の『か』の字も出来ないでしょうが》

 

《そう、ですけど……》

 

 

「全く、大村のやつは……」

 

 やれやれと首を振ったのは第203統合戦闘航空団の司令を務める石川大佐。演習中のウィッチたちの動きは高度や速度、武器から無線による会話までモニタリングされている訳で、ひとみたちの会話は丸聞こえだ。

 

「なーにつまらなそうな顔してんのよ」

 

 後ろからそう笑いかけるのは強襲揚陸艦「加賀」――203空が拠点とする扶桑海軍の艦艇――の霧堂艦長。石川大佐は振り返ることなく制帽を深く被りなおした。

 

「別にそんなことはないだろう」

 

「あぁ、つまらない顔はデフォだったわね」

 

「貴様なぁ……」

 

「なーに怒ってるのよ。いい話じゃない、()()()()()()補充人員がもらえるんでしょ?」

 

 その言葉に、石川大佐はさもつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「……そのやり口自体が気に入らないと言っているんだ」

 

「『東アジア司令部は203を歓迎する。そして203には戦力強化が必要であろう。だがこちらも人員が足りない、そう簡単にはウィッチを貸せないから力を証明してもらおう』だっけ?」

 

 長ったらしい東アジア司令部からの伝達を、簡潔にまとめて見せる霧堂艦長。それから笑みを深めた。

 

「……単純明快でいいじゃない。私はむしろこんなに単純化してくれたお偉方に脱帽するけど?」

 

 やっぱ扶桑のおっさん方と違って、欧州紳士はジョークが言えていいねぇ。そんな風に霧堂艦長は笑い飛ばす。

 

「もぉー可愛いヒトミンたちをコケにされて怒ってるのは分かるけど、そこら辺はビジネスライクに考えないとダメだよー? 勝ったら貰えばいいし、負けても失うものはナシ。最高の取引じゃない」

 

「だから大村に指揮を任せたんだ。今回は()()()()()からな」

 

「負ける気なんて無いクセに」

 

 その言葉に石川大佐は無言で答えとする。損がないからと言って負ける理由にはならない。

 

「石川君。君は相手チームのプロフィールを知らされているのか?」

 

 横から口を挟んできたのは扶桑海軍の北条少将。この場における最上位で、石川大佐が率いている第203統合戦闘航空団は彼の率いる第五航空戦隊に便乗している。

 

「いえ。こちらにも回って来ていません。演習のデータはポクルィシュキン中尉に分析させます」

 

「そうか……まあ、お手並み拝見といこう」

 

 そう括って目の前の情報機器に向き直る北条司令。

 今の203の戦力不足は火を見るよりも明らか、東アジア司令部からの戦力供出がなければ立ちいかない。だから、どう転ぼうと最終的には203は戦力供出を受けることとなるのだろう。

 

「……さて、石川桜花海軍大佐。これから始まる東アジア駐屯の連合軍部隊との演習ですが……ずばりっ! 大佐の意気込みをお聞かせください!」

 

 タイミングを見計らうように石川大佐に差し出されるテープレコーダー。腕章には「PRESS」そして併記された「南洋日報」の文字。シンガポールから203に同行することになった従軍記者の新発田青葉だ。

 

「今後も203には過酷な任務が待っているだろう。団員を引き締め、熱帯特有の空気になれる意味でも、今回の演習は有意義なものになると考えている」

 

「ありがとうございますっ。ところで北条司令……」

 

 取材はこれで良かったのだろうか。それだけ言って記者は北条司令へとターゲットを変える。演習と言えば決まってお祭りだ。きっといい記事が書けることだろう。

 

 石川大佐はそのまま暫くは情報が投影され続けるアクリル板を見ていた。203の移動経路が映し出されるだけの単調な表示。石川大佐は見飽きたと言わんばかりに踵を返した。

 

「おい石川君。どこへ行くつもりだ」

 

「少々外の空気を吸ってきます。演習開始までには戻りますので」

 

 いきなり席を外そうとする石川大佐を慌てた様子で北条少将が止めるが、それに構わず天幕を出ていってしまう。外の光が彼女の制帽に制服、そして男性用のスラックスの影を作らせ、そのまま天幕が閉じることで影ごと消える。

 

「どうしちゃったんでしょうか?」

 

 首を傾げる記者。小さくため息を吐くだけの北条司令。

 

「……」

 

 霧堂艦長だけは、無言でその背中を見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 天幕の中は暗かったから、どこまでも青いシンガポールの空と太陽は眩しい。石川大佐――石川桜花(さくら)海軍大佐――は制帽を深くかぶり直す。

 

 軍服というのはよくできているものだ。通気性の良さはこういった熱帯気候での不快感を緩和してくれるし、布地が日光を吸収しにくい紺色であるおかげで太陽は眩しいが焼かれている気分にはならない。

 懐から懐中時計を取り出す。風に吹かれて雲がのんびりと流れていく。見上げた空は本当に青い。

 

「……大佐」

 

「ポクルィシュキン中尉か、どうした」

 

 石川大佐は振り返る。オラーシャ軍から派遣されているポクルィシュキン中尉――――コーニャは普段の無表情のまま立っていた。脇にはタブレット端末、固有魔法も相まって電子機器を使わせれば右に出る者はいない彼女らしい。

 

「そろそろ、始まる」

 

「そうだろうな。分析は頼んだぞ」

 

「ん」

 

 オラーシャ人とは思えないほどの流暢な扶桑語。石川大佐は小さくひとつ息を着いてから、呟くように言った。

 

「……参加したかったか?」

 

「役割は理解してる」

 

 そう言うコーニャ。彼女が地上にいるのは演習が3対3で行われるという数合わせ的な意味合いも強かったが、そもそもコーニャが操るA-100は早期警戒機。格闘戦を想定した演習には参加できないからだ。

 

 改めて空を見る。ここからでは確認できないが、この向こうには確かに第203統合戦闘航空団が飛んでいる。

 

「今回の演習で人員が増えようと増えまいと203の中東戦線投入は確実だ。大村と米川はまだまだ経験不足。高少尉はウィッチとしては優秀だが指揮官には向かん。頼んだぞ」

 

「……大佐」

 

 なにか言いたげなコーニャを尻目に、石川大佐は天幕へと向かう。

 

「始まるんだろう? 戻るぞ中尉」

 

 久しぶりに空を飛ぶひとみの慣らしも兼ね、長めの飛行を行いつつ演習空域へと向かっている203。対抗部隊であるリベリオン・アウストラリス・ガリア三国の飛行隊も間もなく離陸することだろう。

 

「……ん」

 

 

 演習が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、その対抗部隊が待機している格納庫。整備員たちが所要の点検を一通り終わらせようとしていたその時、唐突に扉が力強くはね開けられた。

 

 扉の可動域に近づいてはならないのは常識でもあるしキチンと教え込まれることだからけが人こそ出ないが、扉が壊れるんじゃないかと思うほどのイヤーな金属音が格納庫中に響き渡る。

 

「……あー腹立つ腹立つ腹立つっ!」

 

 格納庫にやってきたのは昨日まで休暇を取っていたリベリオン海兵隊のアレクシア・ブラシウ少尉。黒っぽい髪を揺らしながら大股で歩く姿は見るからにイライラしている。目を逸らす整備員たち。休暇とはリフレッシュして元気に出勤するためのものではなかったのか。

 

「少尉!」

 

 そんな彼女の前に勇猛果敢にも進み出る整備員。被った帽子に描かれているのは「LHA-6」の文字列と刺繍された空母特有の全通甲板シルエット。

 

 アレクシアが乗り込んでいるLHA-6こと強襲揚陸艦「リベリオン」の整備員だ。彼はアレクシアのストライカーユニットを担当する機体付き整備員でもある。

 

 そんな彼を、アレックスはギロリと睨みつけた。向こうも怯むが、だが仕事だと言わんばかりにタブレット端末を差し出す。

 

「機体の状態です。ご確認ください」

 

 受け取り目を走らせるアレクシア。それからジロリと見やる。

 

「ルーク……まさかとは思うけど、あの小娘が勝てるように小細工とかしてないでしょうね?」

 

「なっ……!」

 

 ルークと呼ばれた整備員は顔を歪める。一歩近寄り、窘めるように言う。

 

「……なぁアレクシア、俺がそんなことすると本気で思ってるのか?」

 

「鞍替えしたんでしょ? だったら十分な理由じゃない」

 

 鼻を鳴らすアレクシア。何を隠そう整備員の名前はルーカス・ノーラン、アレックスの機付き整備員であり米川ひとみに寝取られた男である……無論寝取られたはアレクシアの完全な誤解なのだが、そこまで言われしまってはルーカスも黙ってはいられない。

 

「ふざけるな! それは誤解だし、俺はアレクシアを危険な目に合わせたりしない! 神に誓ってもいい!」

 

 正義の尖兵たるリベリオン軍人として上司に冤罪で疑われるのも癪だが、なによりそんな訳の分からない突飛な妄想にアレクシアが取りつかれているのが一人の男として納得いかないのだ。

 

「……フン。状況は確認しました。ご苦労()()()()()()

 

 しかしアレクシアには全く届かず、電子サインをさっさとしてタブレット端末をルーカスにつき返す。それからストライカーユニットが収められている簡易ハンガーへとズンズン進む。母艦から丸ごと輸送されてきた簡易ハンガーには愛機AV-8B++アドバンスド・ハリアーが収まっており、外部バッテリーに繋がれてレクシーを待っているのだ。

 

 さっさと使用機体の外周点検(ウォークアラウンド)を開始するレクシー。すると、隣で待機している少女がおずおずと声をかけてきた。

 

「あ、あの……アレックスさん、どうされたんですか?」

 

 アウストラリス空軍の制服に身を包んだ彼女に誰か殺せそうな形相を向けるレクシー。もはや八つ当たり以外の何物でもない。

 

「なにもないわよっ! それより()()()()、アンタの方は用意で来てるんでしょうね?」

 

「で、できます……けど」

 

 そんなに怒らなくてもいいじゃないですか、とレクシーにも聞こえる音量で呟いた彼女に、レクシーはぎろりと目を向ける。睨まれた彼女はくすみの少ないきれいな金のおさげを揺らして慌てて目を逸らした。レクシーは溜息。

 

「とにかく、今回負けるわけにはいかないの」

 

「で、でもアレックスさん前に『欧州に行きたいから恥ずかしくない程度に戦って適当に負けてもいいし』って……」

 

 元々アレクシアの配属希望は欧州だ。だが配置されたのは太平洋、欧州の「お」の字もない場所で何通配置願を書いたことか。

 だからそういう意味では今回の「負けたら相手部隊に編入」という謎のルールは、まさに渡りに船だったのだ。まあ普通に考えればこのルールと演習は茶番で、どう転がろうとアレクシアたちは203に編入されるのだろうが……とにかく負ければ欧州に行く切符がもらえるのだ。

 

 しかし、今のアレクシアにはそれ以上に為さねばならぬことがある。

 

「あの時はあの時。負けたくない理由ができた」

 

「はぁ……」

 

「なによその覇気のない返事」

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

「仮にとはいえアンタは僚機なんだからね、アウストラリスと組むのは初めてだけどしっかり合わせなさいよ、ティティ少尉」

 

 名前を呼ばれ、お下げをゆらして頷くティティ――――メイビス・ゴールドスミス少尉。彼女はアウストラリス空軍所属のウィッチだ。今回は彼女と、あともう一人と組んで戦うことになる。

 

「で? シャンは?」

 

「えっと……ナンジェッセ中尉はシャルル・ド・ゴールまで呼び出されたらしいです」

 

「はぁ? 演習遅刻とかしたら許さないわよ。なんとか連絡つかないの?」

 

「えっと……ガリア海軍の人に聞いてみないと……」

 

「まったく……」

 

 耳にインカムを差し込み、ゴーグル型のアイウェアをつける。それらに魔力を通しながら機体についているカバーを外していく。その間にも規定魔力の閾値を超えたことを示すピープ音が鳴る。直接音声入力機器(D V I)を起動。

 

「フライトアシストコンピュータ、アクティベーション・スタート。飛行前電子(エレクトロニカル・プリフライト)点検(・チェックリスト)を実施、システムグリーンならばフライトアシストコンピュータを自律待機(アライン)へシフト」

 

 マイクを通して指示をだすとコンピュータが勝手にチェックリストを進めてくれる。当然ハリアーライダーたるレクシーもそれらをしっかり進めていくのだが、電子の目とダブルチェックをすることで事故を減らしていくことができるのだ。

 

「それでティティ?」

 

「は、はいっ!?」

 

 横でエンジン始動をしていたティティが肩を跳ね上げた。使い魔のものであろう鮮やかな青い鳥の尾と羽が一緒に跳ねる。彼女の足元にはブリタニア-アウストラリス連合王国空軍の国籍記票(ラウンデル)が刻まれたF/A-18E Block2+……改装型スーパーホーネットだ。

 

「あんたは爆撃担当(ボマー)だからあまり期待はしてないけど、落ちるんじゃないわよ」

 

「が、頑張ります……」

 

「それと」

 

 強い声でレクシーは続ける。

 

「フレンドリーファイヤは勘弁してよね。あんたの攻撃は何でもかんでも面攻撃になっちゃうんだから」

 

「あうぅ……」

 

 小銃を握り締めて恐縮しっぱなしのティティを尻目にレクシーもストライカーユニットに足を通す。

 

「それじゃぁ、行くわよ。絶対あいつらに負けてたまるか、ティティ(TITTY)

 

「分かりました、フープラ(HOOPLA)

 

 ストライカーユニットを履いたレクシーに、TACネーム……ウィッチにつけられたあだ名で返す。

 

「……そういえばティティ」

 

「なんですか?」

 

「なんであんたデカパイ(TITTY)の方でずっと呼べって言うわけ? 自慢?」

 

 その一言で、ティティの顔は真っ赤に染まった。とっさに胸元を隠しながら叫び返す。

 

「じ、自慢じゃないですっ! それに由来はおっぱいじゃなくて童話の『ネズミの姉妹、ティティとタティ』です!」

 

 その動作で揺れる膨らみを見て、ジト目を返すレクシー。最後にはフン、と鼻を鳴らしてゆっくりと格納庫を出ていく。

 

「……そ、そんなこと言ったらアレックスさんだってやかまし屋(HOOPLA)じゃないですか」

 

「あ゛?」

 

「いえ、なんでも、ないです……」

 

 ティティはしゅんと小さくなりながらレクシーについて行く。

 

「まぁいいわ。とりあえず、勝つわよ」

 

「が、頑張ります!」

 

 

 クリアランスはもう取ってある。スロットルを押し込み、身体全体に加速度Gがかかる。南国の空へと続いている滑走路を駆け抜け、ふわりと飛び立つハリアーⅡ.垂直離着陸機能を備えるこの機体でも、十分な距離があるなら普通の滑走で飛び立つのは当たり前の話だ。

 

 後方をちらりと見やれば、問題なくティティもついてきている。ぐんぐん小さくなっていく。それにしてもシンガポールは人類軍にとっての巨大軍事基地だ。市街地の周りは軍事拠点で埋め尽くされているし、海には大量の艦艇が停泊している。

 

 その中でも目立つのは平べったい甲板が特徴的な空母型艦艇たち。レクシーの母艦である「リベリオン」やブリタニア軍の船渠(ドック)に入って何やら工事中の扶桑海軍「加賀」に、我らが正規空母(スーパーキャリアー)「カール・ビンソン」だっている。そこに加えてガリア海軍の「シャルル・ド・ゴール」だ、環太平洋合同演習(Rimpac)もびっくりな艦隊集結と言えるだろう。

 

「それにしても、シャンは何やってんのよ……」

 

 そんなことをレクシーが呟いたとき、不意に「シャルル・ド・ゴール」から何かが飛び出す。即座に入る呼び出し。やれやれと言わんばかりに首を振ってからレクシーは回線を開く。

 

「遅いわよシャン!」

 

《すみませんレクシーちゃん!》

 

「誰がレクシーちゃんだ!! TACネームで呼びなさいサルコ(SARCO)!」

 

《ふええん。すみませぇんフープラ(HOOPLA)……》

 

 イヤホンから聞こえる弱々しい声は主はガリア空軍所属のシャンタル・ナンジェッセ。

 

《アレックスさん。流石にその言い方は……皆さんも見てらっしゃいますし、それにナンジェッセ中尉の方が階級が……》

 

 たしなめてくるティティ。シャンタル・ナンジェッセはガリア空軍中尉。レクシーは海兵隊少尉なので……シャンは彼女の上官にあたる。

 そういえばそうだった。さすがに上官に対して乱暴なのはよくない。

 

「……とにかく、早く指揮を執ってください中尉」

 

《は、はい……じゃあまず、状況報告をお願いしまぁす》

 

 状況か。とりあえずマルチバイザーに表示される空域情報を見る。今回の演習空域は決して広いとは言えない。まあつまり速度に頼らず純粋な格闘戦で頑張れということだ。

 

「演習空域は格闘戦向け、地上や海には報道記者がたくさん。あと中尉は遅れてます。早く来てください」

 

《急いでますからぁ……》

 

 急いでる、と言っても高度も距離も離れている。編隊を組んで飛べてない時点で小言が飛んでくるのは確定だ。まあそれはレクシーのせいではないし、どのみちお叱りを受けるのは隊長を務めるシャン。そんなことはどうでもいい。

 

「で? 中尉はどうやって勝利へ導いてくれるわけ?」

 

《……相手にはF-35が二機含まれています。これはA型とB型ですが基本的な戦闘能力は変わらないとされていて、でもF35の戦闘力は未知数なので評価は難しいのですが……》

 

 それからごにょごにょと数字を並び立てるシャン。彼我の上昇性能は何メートルまで何秒とか、負荷を何G、速度何ノットとした際の旋回半径だとか……。

 

「あーもうっ! そうじゃなくて戦略を教えなさいよっ!」

 

《戦略ですか……ええと、F-35はステルス性にこそ優れますが、格闘戦においての評価は今のところ総じて低いものとなっています。運用面については……》

 

「だーれーがっ! そんな議会で延々と論じられそうなこと聞いてるかっての! 戦略を教えなさいって言ってんの!」

 

《アレクシアさん、そこは戦略(strategy)ではなく戦術(tactics)ではないかと……》

 

「うっさい!」

 

 咄嗟にティティから謎の添削が入り、だから何だと叫び返す。無線の向こうは沈黙したものと思われたが、意外にもティティは言葉を続けた。

 

《アレクシアさん。シャンタルさんに、もう少し分かりやすく話してあげないと……》

 

 落ち着いた様子で、一言一句。アレクシアをなだめる調子なのが見え見えで余計に腹が立つ。

 

「なに? 自慢? クイーンズ・ブリティッシュを使えって? 悪かったわねブリタニア!」

 

《……ご、ごめんなさい》

 

 あぁもう、なんでアタイの僚機は弱っちいのばっかりなんだか。レクシーは心の中で毒づいた。中尉であるシャンのことを尊重して作戦指揮を任せるつもりだったが、もう数分と待たずに作戦空域だ。とてもじゃないが作戦会議なんてしてられない。

 

「とりあえずサルコ(SARCO)、敵で一番弱っちいのと一番強いのを教えなさい」

 

《……一番の脅威は華僑民国のガオ少尉が乗り込むF-15です》

 

「華僑がイーグル(F-15)? なんで?」

 

《はい……このF-15は華僑民国に扶桑軍が機材を貸し与えているそうです。詳しい事情は分かりませんが、とにかく一般的な華僑空軍機とは比べ物になりません。そして彼女が相手チームで最も多くの戦闘飛行をこなしています。階級が最上位なのもその証拠かと》

 

「相変わらず分析になると急に流暢になるわね……なるほど確かに。ならボスはガオ少尉なわけだ。で? 一番弱いのは?」

 

《F-35Aですね。パイロットのヨネカワ准尉は過去の成績がほとんど明かされていません。推測が含まれますが扶桑にウィッチをプールしておく余裕はないはずですし、仮に()()()だとすればここで投入してくる理由が見えません。恐らくは新人であり、長時間の戦闘機動には耐えられないはずです》

 

「ヨネカワ……ヨネカワか」

 

 

 ヨネカワはさっきの泥棒ウィッチ。弱そうだとは思っていたけど、まさかシャンに分析さても弱いとは。

 

《ですが、203の所属メンバーの固有魔法は全員伏せられています。報道写真を見ればF-35Bのオオムラ准尉は怪力であると思われますが、残りの二人については……》

 

「シャン、ありがとう。それだけあれば十分よ」

 

《えっ? でもレクシーちゃん、私まだ最後まで……》

 

「私が開始三秒でヨネカワを()る」

 

《えっ……》

 

 殺す(KILL)という表現は、別に軍事的には間違ってない。

 

「そのあとガオ少尉と交戦に入る。二人は残ったF-35Bをなぶり殺しにしてやればいい」

 

 そう言いながら得物を構えなおすレクシー。どう見ても個人的な復讐の念に駆られている彼女の殺気をティティとシャンはびりびりと感じ取った。

 

《アレクシアさん……あんまり熱くならないでくださいね?》

 

 一応それらしい忠告をするティティ……恐らく聞こえてないだろうけど。忠告は忠告。

 

 そしていよいよレクシーたちは演習空域へと近づく。飛び交うブリタニア語の数が跳ね上がり、演習への最終確認が始まる。

 

 演習形式は昔からの伝統的なヤツで、2-7-0から進入するレクシーたちの飛行隊そして正反対の0-9-0から突っ込んでくる203空……両者が既定の速度ですれ違ったのと同時に演習開始、空域制限アリ時間無制限、誘導弾並びに接触攻撃は禁止、固有魔法の使用制限は出ていない。

 

 

 

 ルーク、見てなさいよ……アンタを落したヨネカワって泥棒猫、アタイは一瞬で墜としてやるんだから……!

 

 

 

《陣形を整えます。フープラ(HOOPLA)ティティ(TITTY)、私の後に続いてくださあい!》

 

 シャンが叫びながらやや増速。豆粒が見える。豆粒が大きくなる。顔が見える。なんと三機編隊のど真ん中がヨネカワだ。

 

 新人教育のつもりかヨネカワを指揮官にしたのか? レクシーはほくそ笑んだ。

 

 ウィッチの戦闘にはいろいろあるが、経験の差を見せつけるならやはり低速においての高機動戦である。すれ違うのと同時に素早く宙返りし、無理矢理機動戦に持ち込んでやる。新型機を持ってこようが、新人に、さらには恋敵には絶対負けられない。

 

 影が海の上で交差する。勝った。レクシーは勝利を確信した。

 

 

フープラ(HOOPLA),Enga……」

 

 

「米川ッ! やれぇいっ!!」

「はいっ! オーグメンターオン!」

 

 

 

 次の瞬間、真後ろから吹き飛ばされるまでは。

 



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2-2-2"Exercise"

 背中を激しく叩きつけるような衝撃波、空はかき乱され、意識はポテトサラダにマヨネーズをぶっかけたようかのようにぐちゃぐちゃにされ、息すらも詰まりかける。マルチバイザーに表示される計器が狂ったようにグルグル周り、正常な値に戻すのに一秒はかかってしまっただろうか。

 

 実戦ならもう死んでる。それほど長く翻弄された。このアタイとしたことが情けない。

 

 それにしても……いったいなにが? まさかネウロイの襲撃?

 

「ティティ! シャン!」

 

 大空に向かって叫ぶ。もう陣形なんてないも同然だ。それ以前にあいつらは生き残ってるのか?

 

 見えるのは、(F-15)(F-35A)(F-35B)。三機の敵機はなんの疑問もなく平然と宙に浮いている。

 ネウロイの襲撃では、ない。

 

「まさか……」

 

 誘導弾の使用は禁止だ、武装はペイント弾が込められた小銃だからあんな爆発は起こりえないし、固有魔法や魔力の過剰集積による爆発なら何らかの事前動作(モーション)があるはずだ。それなら演習のルールに反することになる。爆発はすれ違ったその瞬間に起きたのだ。

 

 共通回線を開く。演習にて万一の事故や緊急の伝達がある際に用いられる回線だ。

 

ちょっと(Hey)! あんたら何(What do you)してくれてんのよ(think you are doing)?」

 

《uwa-n! gomennasaaiii!》

 

 即座に反応、何語だこれ……あぁ、この耳を撫でまわすような感じの言語は扶桑語だったか。

 しかし全くなにを言っているのか分らない。これが噂に聞く”勝利の雄叫び(カチドキ)”というやつなのだろうか……なら共通無線なんかに言わないで欲しいものだ。

 すると別の声が返ってきた。今度はしっかりとしたブリタニア語だ。

 

《何してくれてるか、と申されま(”You are doing”)しても? 彼女はオーグメンターを(She only used )使用しただけ(augmentor).なんの問題が(That’s)ございましょうか(normal).》

 

 なんだこの無駄に丁寧な返しは……どう考えてもアタイのこと馬鹿にしてるでしょ?!

 

 その言葉を放ってきているのであろうF-35Bがクルリと回転し、それから銃先が向けられる。ルールに従っていればなんでもいいと言わんばかりにチロリと光る。

 

 本能的にロールを打っていた。空を切る弾丸。連射ではない。単発(これだけ)で仕留められると判断されてるらしい。

 

 だが、ロールを打ったことで頭に血が戻って来たのか戦場が見えてきた。

 

 とりあえず落下していくシャンは見えた。ティティは多分生きてる……はず、というかティティまで落ちてたらもう詰み(GAME OVER)だ。

 

 それにしても……アフターバーナー(オーグメンター)か。

 

 つまりさっきの爆発と衝撃波はオーグメンターの使用による爆発的な魔力反応だったわけだ。すれ違いざまにヨネカワ――一番弱そうなくせにアタイのルークを奪った泥棒猫ーーだけがオーグメンターで超加速し、丁度一番機同士ですれ違ったシャンにその大爆発が直撃、見事に一機撃墜と相成ったわけだ。

 

 ……だから、格闘戦形式は嫌いなのよっ!

 昨日まではお気に入りだったが今日からは大嫌いだ。格闘戦演習の評価を地獄にまで叩き落し、無線に怒鳴りつける。

 

アンタらっ(Look)なにしたか(what)分かってんでしょうね (you’ve done)!?」

 

何が問題だと(How dare you say)いうのですか(it’s my fault)?》

 

 そう言いつつF-35Bが発砲、聞く気はさらさらないらしい。

 

お前に用はないわよっ(I don’t tell you)! ヨネカワを出せ(I ask for YONEKAWA)!」

 

 そう叫びながら撃ち返す。折角のプランが台無しだ。シャンは墜ちるし、ティティはどこ行ったか分かんないし、そして何より泥棒猫(YONEKAWA)は戦いもせず逃げるし! 全くもってひっちゃかめっちゃかーーーー

 

 

アレクシアさん(Alexia)!》

 

 ティティの声……! どこっ!?

 

 それがレクシーの注意を全体に拡散させた。彼女にとっては、それが幸運であった。

 

 瞬間身体を貫くような殺気。いや殺気じゃない。でも突っ込んでくる。反射で張ったシールドに確かな手ごたえ。

 

「くぅうっ……!」

 

 銃弾だ。目の前に立ちふさがるブリタニア語と小銃を使うF-35Bのじゃない、別の方角から来た、弾丸。

 

 目線が飛ぶ、空を探す。見つけた、ヨネカワだ。ヨネカワがとんでもなく遠くから銃弾を放ってきたのだ。F-35Bがさも悔しそうに毒づく。

 

ちぃっ、バレたか(Oh shit)!》

 

 狙撃か。そのためにオーグメンターを使って距離を取るのか。そうやってアタイの手の届かないところから、アタイのルークを奪いやがったのか。この、このっ……!

 

「……ヨネカワァァァァッ(YONEKAWAAAAAA)!!」

 

 戦略など知ったものか、レクシーはキロ単位で離れているであろうF-35Aへと突貫した。

 

 

 

 

 

ちぃっ、バレたか(Oh shit)!」

 

 あえて聞こえるように英語で毒づいてやったのぞみは、しかし予想以上の戦果に内心ホクホクであった。

 

 もともとオーグメンターの使用はYONEKAWA――――ひとみが格闘戦に巻き込まれないための策だったが、まさかガリアのラファールがひゅるひゅると落ちていくとは思わなかった。

 爆風に煽られたぐらいでぶっ壊れるほどストライカーユニットはヤワじゃないから、恐らくウィッチの方が失神したのだろうが……。

 

「……こんなことなら、全員でオーグメンター吹かせば三機とも落ちたかもね。再装填(Reload)!」

 

 そんなことを呟きつつのぞみは愛銃である64式歩兵小銃(ロクヨン)に弾倉を叩きこむ。

 

 目の前にはひとみの狙撃を間一髪で防いだリベリオン海兵隊のハリアー。

 

 適当に撃ちつつ無線で抗議に返答する風を装いつつ煽り、注意をこっちに向かせられれば米川の狙撃で一発だと思ったのだが……まあ一瞬で作ったプランなどこんなものだ。失敗するのは仕方ない。

 

 それに、ちょっと戦闘時間が延びるだけのこと。

 

ヨネカワァァァァッ(YONEKAWAAAAAA)!!》

 

 突っ込んでくるハリアーは牽制程度にしか撃ってこない。狙撃手であるひとみを一気に落とすつもりなのだろう。

 

「ゆめか!」

 

夢華(モンファ)!》

 

 了承の意が名前の訂正なのはもはやお約束のコンビネーション。とにかく夢華が食らい付く(つっこむ)

 

「30秒持たせなさい! 米川っ!」

 

《ハイッ!!》

 

 打てば響くひとみの返事。ハリアーへの狙撃は失敗こそしたがひとみの動きは良かった。なにより、あれだけYONEKAWAYONEKAWAと罵声(ラブコール)を浴びせられながらでも怯まずに撃てたのはよくやったというべきだろう。

 

 ……いつの間にか、成長したものだ。もっとも、戦場では一撃で落とせるようにならなきゃダメなのだけど。

 

「私らで残ったホーネット潰すよ!」

 

 既に3対2、勝負はついたも同然。全力でホーネットを潰し、その後総力を持ってハリアーをやる。夢華の固有魔法は未来予測、時間稼ぎならいくらでも出来るだろう。

 

「さぁーって、接触(ちゃっけん)禁止なのは癪だけどやりますか。吶喊!」

 

 どうせ帰路の魔力を気にする必要はない。躊躇いなくオーグメンターオン。のぞみが構えるロクヨンは大口径の7.56㎜弾。反動で狙いが付けづらく、陸軍では弱装弾使用が前提とされるくらいの曲者だ。

 

 しかし、半面威力は絶大。そしてなにより、のぞみの固有魔法である怪力を持ってすれば反動など計算に入れる意味もない。

 

 照準が重なる。目標はF-18を操るアウストラリス空軍ウィッチ。金色のおさげに使い魔のカラフルな羽根に爽やかな青色の制服。そんな少女の顔が恐怖に染まる。

 

 ついつい口角が吊り上がる。ブリタニア系の国籍マークはまるで射撃の的だ。別にそこを狙う訳じゃないが、中央にいる白色のカンガルーを撃ち抜く気分で引き金に指を乗せる。

 

「墜ちろ蚊トンボォォォォッ!」

 

 引き金を引く。慣れっこの反動が来るのと同時に飛び出していく三発のペイント弾。設定は連射ではなく三点射撃。あくまで決定打はひとみに譲り、相手のシールドを確実に展開させることが目的の射撃だ。

 

 しかしシールドをむやみやたらに張ることの愚は相手も当然知っている。

 まるでミサイルの様に飛び上がると、固定翼機じゃ考えられないようなジグザグ機動で高度を徐々に取っていく。足に取りつけるような格好になっているおかげで実質的に噴射ノズルがフレキシブルな飛行脚(ストライカーユニット)だからこそ出来ることといえるが……そういう意味じゃ条件は同じ、すかさずのぞみは尻についた。

 

 さっさと済ませて夢華の援護に回りたいところだが、そのためには相手をひとみに対して無防備にさせる――つまり、こちらに対してシールドを使わせる――必要がある。

 

 よく狙って、撃つ。F-35は戦闘機動を得意とする訳ではないが、今の相手はF-18、こちら以上に格闘戦が苦手な機だ。

 

「墜ちろ! ほら墜ちろっ!」

 

 焦らすように弾をばら撒く。ネウロイと闘っていると忘れがちだが、敵を焦らせるのは立派な戦術だ。実際、アウストラリスのウィッチは完全に錯乱しているご様子。しかし流石に演習相手として出てくるだけはあり、なかなかシールドを使わせることが出来ない。

 

「逃げてばっかりで良いわけね? なーらこっちにも考えがある。米川っ、撃て!」

 

 指示を待っていただけのひとみが間髪入れずに射撃。彼女の装備はカールスラント製の狙撃銃であるワルサーWA2000。さらに固有魔法は弾道補正。

 

「!?」

 

 シールドを使う以外に防ぐ方法などない。遠距離から高速で叩き込まれた7㎜弾が、ホーネットの行き足を無理矢理止める。

 

「もらったぁ!」

 

 一気に距離を詰めるのぞみに慌てて振り返り、顔を真っ青にしながら彼女は引き金を引く。

 

 

来ないでぇぇぇぇ(Stay away)!」

 

 

 動体視力が良くなくたって弾丸が飛んでくるのは分かる。当たれば痛いがまあ当たるような弾道ではない。のぞみは身体を捻って躱そうとし――――

 

 

 

 ――――目の前が真っ赤に染まった。

 

 

 

 

 

「のぞみっ!」

 

 悲鳴にも聞こえる声を出したのはコーニャだ。天幕の中には大量のモニターが並べられ、詰めかけた将校たちに情報を提供している。ここでならスタート直後に落伍したガリアのウィッチが無事に回収されたことだって分かる。

 

 だからこそ、目の前に写された映像をコーニャは信じられなかった。

 

「……」

 

 空が、()()()()()

 

 モニターが写すのは爆炎。先ほどまでのぞみがいた空を焦がす炎。

 反射的に魔力を開放。使い魔であるヘラジカの尾と耳が生えて、コーニャは手近なコンピュータ-へと手を伸ばした。接続。演習中の各機のモニタリング情報。カイト・ワンを探すが……ノイズまみれで聞こえない。視えない。

 

「これはどういうことだ」

 

 コーニャの気持ちを代弁したのは203空の司令である石川大佐。北条司令も驚きを隠せない様子で、霧堂艦長だけが小さく息を漏らす。それから振り返った。

 

まさかとは思うけど、実弾を混ぜてたんじゃないでしょうね?

 

 もちろんその台詞はブリタニア語で放たれたもので、向けられたのはアウストラリス軍の佐官。

 演習の連絡役として派遣されてきたアウストラリス軍人は、向けられた霧堂艦長の視線に対して微笑んで見せた。

 

どういうこともなにも、アレが彼女の固有魔法ですよ

 

固有魔法だと?

 

 石川大佐が怪訝な表情を浮かべ、それに対し表情を変えずに頷くアウストラリス軍人。

 

ええ、そうです

 

「……ポクルィシュキン中尉」

 

「ん」

 

 言われるまでもない。モニタリングから広域魔力モニターに切り替える。ウィッチのより効率的な魔法運用を促進するために設置されたセンサー類とその膨大なログに蓄積された魔力の拡散具合を瞬時にザッピングすれば、大した時間もかからずにある仮説が出来る。

 

「ホーネットが放った銃弾……魔力が、流れていた」

 

「それは魔力弾化された弾頭ということか?」

 

 ならどちらにせよ違反だろう。そう言いたげな石川大佐。

 

「違う。魔力弾化処理はされていない……こんな短時間にこんな沢山の弾頭を魔力弾化するなんて、無理」

 

 そこに先ほどのアウストラリス軍佐官の()()()と併せて考える。先ほどの爆発は固有魔法。石川大佐が僅かに目を見開いた。

 

「……演習(ペイント)弾を、固有魔法で爆薬に変えたのか?」

 

 石川大佐の言葉に、アウストラリス佐官はにやりと笑ってみせる。

 

そう言うことです。別に問題はないでしょう?

 

お言葉ですが、それでは演習弾を使用しても実戦と同じ威力を発揮することが出来るはずです。それでは……

「石川君」

 

 抗議しようとする石川大佐、彼女を留めるように北条司令が前に出る。この場の扶桑側の責任者は彼だ。

 

なるほど、確かに問題はない。問題はないが……しかしそれは事前に伝えておいてほしいものです。安全に関わりますから

 

それを言うなら固有魔法を制限すべきでしたな。そちらは当方の示した条件を飲んだではありませんか。シールドも使えるわけですし、安全な演習といえるでしょう

 

 演習弾でも実弾でも爆薬に変えてしまうのなら、相手の固有魔法はルールを破っているといえる。しかしそれは固有魔法によるものだ。こちらも同じくひとみが固有魔法で戦っている。夢華の予知だってそうだ。やっていることは相手と同じ。

 

 無言で微笑むアウストラリス空軍佐官が掲げるのはそういう理屈だった。

 

「……」

 

 無言で石川大佐は睨む。霧堂艦長はそんな彼女にそっと手を添える。

 

 悲しいことにこの国際協調の時代においても、いやだからこそ複数国で行う演習というのは示威行為だ。

 なんせ多少の制限がかかるとはいえ完全武装のウィッチたちが大空でドンパチやるのである。国家の威信という単純な言い回しでもいいが、外交における()()()()()のことを頭に置けば自国ウィッチの実力を示すのは重要だ。

 それが分かっていても、まあ気分がいい話ではない。

 

 その時、コーニャの耳に無線特有のノイズが走った。雑音が多いが、それは確かにコーニャの探していた音だ。

 

《…………こ…………ト……》

 

「!」

「大村かっ!?」

 

 石川大佐も声を上げる。間違いない。これはのぞみの無線だ。同時に映像の煙も晴れ始め、センサ系でののぞみの反応も復帰する。

 

 映像に写ったのぞみは――――良かった、無事だ。咄嗟にシールドを張っていたらしく、服装にも髪の毛にも乱れは見られない。コーニャが静かに息を吐く横で、石川大佐はおもむろにマイクを持ち上げてから口を開いた。

 

「私だ。大村、無事か?」

 

《……ええ大佐、サプライズでしたが、なんとか無事です。機体に異常はありません。もっとも、実弾を使ってくるとは思いませんでしたが》

 

 これは不戦勝ってことでいいんですかね? ぼやきというよりか信じられないといった様子でのぞみの言葉が続く。やはり固有魔法であることには気づいていない。これは直接伝えないと分からなさそうだ。

 

「いや、残念ながら今の爆発はゴールドスミス少尉の固有魔法によるものだ。演習は続行されている。二射目が来るぞ、用心しろ」

 

《はあぁっ?! 固有魔法って……!》

 

 映像と音声が爆音に染まる。急激なノイズを検知したことで自動的に音量が絞られ、スピーカーからは遠雷のような音が漏れ出るのみ。小銃弾の一発一発を爆弾に変えてしまうとなれば、それはつまり榴弾(グレネード)が雨あられと降ってくるわけで……のぞみの劣勢は明らか。

 

《先輩っ!》

 

《米川、今撃っても無駄なの分かるでしょ?! アンタは魔力温存しときなさい!》

 

 状況が流れていく。石川大佐は隣で同じように演習を見守る北条少将へと目配せ。考えることは同じようで、彼も顔を僅かに歪めた。

 

「ねぇ石川」

 

 そんな状況を見て何を思ったのだろう。霧堂艦長は石川大佐にそっと耳打ちする。

 

「あの子欲しいんだけど」

 

「欲しいというと、なんだ。戦力として有用だからか」

 

 なるほど確かに戦力になるだろう。なんせあの規模の爆発だ。飛行型のネウロイには大して有効でなくとも、地を這う陸上型ネウロイには有用なのは間違いない。

 

「ううん。可愛いから」

 

「……」

 

「いや、めっちゃ欲しくない!? 『来ないでぇ(Stay away)!』とかああいう感じもうすごい良い」

 

 しかも幼顔のくせに大きいときた! 畳かけるように握り拳を見せつける霧堂艦長。真横でぷるぷると震えている北条司令を横目に見つつ石川大佐も頭を押さえる。

 

「………………貴様には場所を弁えるという考えがないのか」

 

「扶桑語だから周りのヒトには分からないでしょ?」

 

「それが場を弁えないというんだ……っておい!」

 

 霧堂艦長は石川大佐からマイクを奪い取る。もちろん無線を使うためだ。

 

「のんちゃんのんちゃん。私だ、霧堂大佐だ」

 

《……艦長? あの、ご覧の通り私は忙しんですけども!》

 

 爆音を背後にのぞみの困惑気味な声が飛ぶ。

 

「あの娘落として、最優先」

 

《言われずとも最優先です!》

 

「いーから。皇国の興廃この一戦にアリ、奮闘努力せよ!」

 

 のぞみには伝わらないだろうに拳を振り上げるジェスチャーを送る霧堂艦長。

 

「……()()の間違いだろうに」

 

「上手い! 流石は桜花(さくら)ちゃん! 司令、座布団一枚持ってきて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……後方の騒乱はともかく、前線での戦闘はノンストップである。うるさい警告音を切っても、マルチバイザーに表示された酸素警告はそのままだ。

 

 酸素警告と言っても、身体の全周を保護する保護魔法の外側の酸素濃度が急激に下がっただけで別に息苦しくなることはないのだが、まあ気分のいいものではない。

 

「そりゃ、あんだけ盛大に爆発したからねぇ?」

 

 のぞみは余裕げに笑って見せる。しかしそれは表情だけの話。先ほどの()()は見事なまでのポジションでそのエネルギーを空中に解き放っており、保護魔法とシールドがなければ大怪我だったことだろう。

 

 目の前のウィッチが構えた銃が光る。のぞみは迷うことなく魔導エンジンをふかす。捻じるように回避しつつ真横へとシールド展開。想定通り爆発はのぞみのちょうど隣で起き、今度は危なげなく防ぐことが出来た。

 

「ホント、これが固有魔法とはね……砲兵隊もびっくりな精密砲撃だっての」

 

 厄介な相手だが、戦わないのは恥。それはのぞみには許されない。

 

「米川、聞こえてる?」

 

 回線を開く、次の瞬間飛び込んできたのは耳に刺さるような声。

 

《先輩っ! 大丈夫ですかぁ?!》

 

「だいじょーぶだいじょーぶ、この程度で落ちやしないよ」

 

 無線の向こうの後輩に笑って見せる。同時に目の前がまた爆炎に染まる。

 

《先輩!》

 

「大丈夫って言ってんでしょーが! 警戒を厳に、流れ弾の爆発で墜落とかやらかさないように!」

 

 そんな心配されなくたってシールドさえあれば防げる。心配はいらない。少なくともこちらに()()が向いている限りは、そうそう落ちるつもりはない。

 

 三度発砲。また空が赤く燃える。レーダーに移された相手が一気に動き出した。一直線に動いていく。

 

 戦闘機動に直線なんて単調な動きは滅多にない。この動きは逃げるか、突っ込んでくるか。

 

 この場合は言うまでもなく前者だろう。大方、弾切れ。

 

 

「だから逃がしてくれって? 甘いわよ――――米川ッ!」

 

 

 米川のWA2000が唸る。しかし流石に読まれていたらしく、弾かれたようにハーフロールを打ち7㎜弾を正面で受け止めるホーネット。ワンテンポ遅れて聞こえてくる発砲音。こちらも引き金を引いて三点射撃、銃身から飛び出した7.56㎜弾が空を切り裂き、空を舞った。

 固有魔法で命中が約束されているひとみとは違い、流石に高速で動き回る目標に当てるのは厳しい注文だ。

 

 ともかく敵さんの装填時間(ゴールデンタイム)は終わってしまった。再び()()が再開される。

 

《ひゃああっ!》

 

 一発飛び込んだ訓練弾が固有魔法のために爆発、煽られたひとみの悲鳴が聞こえる。

 

「……継続火力も申し分ないって訳か。まったく、とんでもないデモンストレーションね」

 

 単調だが、いかんせん火力が伴っているから突破は難しい。敵さんは面制圧に最も向いている火力バカ。それをただただ喧伝するような戦闘に付き合わされている。

 

 さてはて、困ったものだ。

 

 相手は固有魔法でバンバン撃ってくる。まさに固有魔法のデモンストレーション。宣伝し放題。一方こちらはやられ放題である。

 

 さあ困った。これは演習だ。扶桑・リベリオン・ガリア・アウストラリス、世界の主要国が参加する大演習である。世界中……は見ていないかもしれないが少なくとも北条司令は見ている。あの石川大佐だって見てくれている。

 

「悪いけど……私もやられっぱなしってわけにはいかないんでねっ!」

 

 底抜けて青空な空を蹴る。

 

 再び発砲。もうパターンは読めた。適度に感覚を開けてばら撒かれた数発の弾丸が突っ込んでくる。瞬間エンジンを吹かす。自滅しない程度に抑えられているとはいえ音速飛行を実現するために存在するF135-PW-100魔導ターボファン推力機の全力は伊達ではない。頭から足に向かって流れる加速度に一瞬血の気が引き、視界が色あせる。

 

 だが、身体を爆炎がなめることはない。

 

「……!」

 

 ホーネットのウィッチの顔が驚愕に染まったのが手に取るように見える。思った通りだ。

 

「やっぱり爆発するだけの時限信管。近接信管(マジックヒューズ)なしで音速機が落とせると思ってんの?!」

 

 笑ってクルリと回る。3点射撃中止、指を滑らせて安全装置を連射へ切り替え。

 次の瞬間、のぞみはロクヨンを――――()()()()()

 

「さぁーって――――大村家流火力主義ってやつを全世界に見せつけてあげようじゃない!」

 

 

 腰にぶら下げられたH&K MP5(サブウェポン)を取り出す。安全装置を解除、バナナマガジンを叩きこむ。

 右手にロクヨン、左手にMP5。チャンネルを開く。

 

アウストラリス空軍(Australis Air Force)いざ尋常に勝負(Let’s play fair)!」

 

 のぞみのブリタニア語は母親譲りのクイーンズ・ブリタニッシュ。まさか意味が通じなかったわけがないだろう。返事を待たずに追いすがる。

 

 実のところライトニングⅡ(F-35)ホーネット(F-18)の速力に大した差はない。さらに言えばそもそも格闘戦を想定した演習空域は非常に狭く設定されているのだ。逃げられはしないし、ましてや逃げる理由もないだろう。

 

 だが相手も必死だ。のぞみを近づけまいと光る銃口。同時にのぞみはエンジンノズルを一瞬()()()()()。噴射方向が変われば反力が働く方向も変わるわけで、のぞみは姿勢を変えぬまま何かに突き上げられるように跳ね上がる。ホバリングモードに手動で介入する強引な手段だが、人型の動きを完全にコンピューター制御しきれなかった関係で実質手動なのだ。

 

 だがこれで、懐に飛び込んだ。これならお得意の爆撃も使えまい。

 

「貰ったァ!」

 

 引き金を引く、両腕にかかる反動は全て固有魔法の怪力で抑え込み、確実に全てを叩きこむ。シールドが展開され、7.56㎜と9㎜弾は尽く阻まれる。シールドを使うとは卑怯……と言いたいところだが、さっきからのぞみも使ってしまっているし、これは道楽の模擬戦ではなく戦闘訓練。シールドを使うことに制限などない。

 

 そして何より、距離だ。シールド展開より早く叩き込まねばならない。もしくは、シールドを叩き割るぐらい雨のような銃撃を浴びせるか。

 しかし、速度に決定的な差がなければ追いつけないし手だって無限にあるわけじゃないから瞬間火力にも限度がある。そしてなにより、ロクヨンとMP5の二丁持ち()()では埒が明かない。

 

「これでも足りないかッ!」

 

 そう乱暴に吐くのぞみ。投射できる最高の火力を的確に叩き込んでも、シールドを正面突破することは出来ないらしい。いつだったか機械化航空歩兵(ウィッチ)がいかに防御的な兵科かを説く論文があったけか。そんなことを考えるくらいには分厚い防御だ。

 

 MP5の弾倉が空になる。装弾数はロクヨンと同じだがこちらは9㎜パラベラムの短機関銃。先に球が切れるのは分かっていたことだ。

 

 ロクヨンから、再び手を放す。突如として空中に放り出された歩兵小銃は肩掛(スリング)で辛うじてのぞみの身体に留まる。

 

「……?!」

 

 MP5を空いた右手へ。ただ一つだけの動作のために、全身の筋肉に動員をかける。

 

 

「食らええええぇぇぇぇぇぇぇえええ!!」

 

 

 振りかぶって、右腕に全身全霊を。相手は何の躊躇いもなく固有魔法を使ってきた。それこそ、演習場を揺さぶる程に。一方のぞみの固有魔法は怪力でしかない。怪力は今や陸戦ウィッチのほうが役に立つ固有魔法で、持てる武装の重量がどうしてもストライカーの出力に左右される航空ウィッチじゃ決して華やかとは言えないだろう。

 

 それで結構。カールスラント製短機関銃MP5がシンガポールの空を駆ける。そのままアウストラリス空軍ウィッチに直撃。無論シールドが展開されるが、弾丸よりか遥かに質量の大きい物体を高速で叩きつけたのだ。重い一撃が刺さる。

 

 相手の動きが、止まった。正確に言うなら釘付けにさせた。

 

 距離を詰める。改めて互いの顔がよく見えるぐらいまで踏み込んでやる。

 

「――――ッ!」

 

「これで終いっ!!」

 

 フレアを解放。大量の赤外線を発する金属粉末の燃焼は、なんらダメージにもならないだろう。だがいい目くらましにはなる。ましてや手が届いてもおかしくない距離でばら撒いてやったのだ。

 

 直上へと飛び上がる。F-35でもB型にしか出来ない噴射ノズルの調整により素早く銃口を向ければ、案の定相手さんは腕で顔をかばっている。

 

 引き金を引く。弾丸が飛ぶ。アウストラリスのウィッチがペイント弾の色に染まる。

 

 終わってみれば一瞬。F-18ホーネットは既に30年以上前の機体、それに二機のF-35で挑んでようやく勝利。決してキレイな勝ち方ではない。

 

 

 だが、勝利は勝利だ。のぞみはロクヨンを振り上げた。

 



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2-3-1"Shame"

shame [ʃeɪm]
【名詞】1.恥ずかしい思い、恥ずかしさ、羞恥心
    2.a,恥辱、恥、不真面目
     b,(a shameで)面汚し、不名誉な事物
    3.(a shameで)残念な(気の毒な、ひどい)こと
【動詞】1.(…に)恥をかかせる (…の)面子を潰す
    2.(優秀さなどで)(…を)顔色なからしめる 赤面させる
    3.〔+目的語+前置詞+(代)名詞〕
     a,〈人を〉恥じさせて〔…〕させる 〔into〕
     b,〈人を〉恥じさせて〔…を〕やめさせる 〔out of〕



「ちぃ……っ! ティティのやつ落ちやがったっ!」

 

 レクシーはそう叫びながらペイント弾の列を避ける。アドバンスド・ハリアーのエンジン音が急上昇、加速。そのまま背後にいる華僑人……なんで華僑人が扶桑海軍の制服なんて着ているのかは知ったことじゃない……から距離をとらんとする。

 

F-15(イーグル)相手に空中戦じゃさすがに分が悪いか」

 

 F-15戦闘飛行脚は空中戦最強の名を何十年もほしいままにしてきた制空権奪取に特化したストライカーだ。堅牢な機体に魔力の大量消費と引き換えに得た高出力魔導エンジン。それらに支えられた空戦格闘能力はどんな飛行脚と比較しても圧倒的優位を誇るとまで言われる。

 

「だけど、ガキンチョに負けるほど、リベリアンは甘く、ないっ!」

 

 レクシーは一気に姿勢を変える。空気抵抗増大。その減速の勢いで機体が軋む。警報が鳴る。うるさいが仕方ない。無視。体を右にひねるようにして、後ろを確認。目の前に弾丸が迫る。首をひねって回避。重力に引かれるままにわずかに降下する。追ってきていた華僑人が真上を超過飛行(オーバーシュート)する。

 

 その刹那、弾丸が交差する。

 

お行儀がよくてよろしい(You are good girl)

 

 華僑人の声が無線に乗る。きれいな英国語(クイーンズ・ブリティッシュ)、粗雑な振る舞いには全く似合わないその声に歯がみする。F-15が一瞬アフターバーナー(オーグメンター)を使用、レクシーを足場に飛び上がるような動きをする。その出力に弾かれレクシーは高度を落とすも、数回転するうちに動きを安定させる。空力限界ぎりぎりで、誰も被弾していないにもかかわらず、金属が軋む音が響く。

 

「こんのぉ……余裕そうに笑いやがって……!」

 

余裕そうじゃなくて(You think I may afford it,)余裕なんです( but I can afford it.)

 

 華僑人がそういって高空から撃ち下ろす。いちいち嫌らしい正確さが鼻につく。

 

《Yumeka, zouen iru?》

 

《Yumeka ja naitte ittendesyouga ! Mong-fa!》

 

 共用無線で扶桑語で会話されても何を話しているかわからない。こちらの注意力をそぐつもりだろうか。

 

《Zouen nante hituyou ne desu. Damatte mite yagari kudasai》

 

 とりあえず、馬鹿にされた気がした。動く理由はそれで十分だ。

 

「あーもう、腹立つなぁ」

 

 アドバンスド・ハリアーが一気に加速。弾倉の予備はまだある。玉をケチるのはやめた。目の前のこいつと泥棒猫だけ撃ち落とせればいいや。

 

やかまし屋(フープラ)を舐めるなぁあああああっ!」

 

なにが楽しくてフラフープなんて(I think that it is not delicious)舐める必要があるのでしょう(to lick hula hoops, so I will not lick)

 

 華僑人が笑う。小銃の銃口がこちらを向く。小銃のリロードは終わった。このまま突っ込む。

 

フラフープならせいぜい(Rock and Roll)回ってろ(,hoopla)

 

 照星越しの目が、楽しそうに歪んだ。

 

 

 

 

 

 

「あーあ、ゆめかのやつ、一人で突っ込んじゃった」

 

 のぞみが軽いテンションでそういった。その横で飛びながらひとみは不安顔だ。

 

「もんふぁちゃん大丈夫なのかな……」

 

「大丈夫でしょ。天下の扶桑イーグル乗ってるんだし、格下のハリアーなんぞとタイマンでやって落ちる程度なら、香港沖の時にとっくに化けの皮が剥がれてるわよ」

 

 のぞみはそう言って周囲に目を走らせた。青い魔力光が自分たちよりも低いところで弾けては消える。

 

「にしても、あんな低空で格闘戦なんざ気が狂ってるとしか思えないね。平均高度1,000とか正気?」

 

 高度1,000フィートと言えば海面からの距離は約300メートルしかない。そんな低空では一歩間違えれば一瞬で海面に突っ込んでしまう。

 

「なんで高度を上げないんでしょう……?」

 

「たぶんハリアードライバーがゆめかに低空での戦闘を強要してるんだ」

 

 のぞみがそう言ってその戦闘の様子を見る。めまぐるしく上下が入れ替わってはいるものの、夢華が上昇しようとするたびに、ハリアーの少女は夢華を海面に追い込むように弾をばらまいている。

 

「ゆめかは確かに強いけど、あいつは遠距離戦はあんまり得意じゃない。ゆめかが遠距離からミサイル攻撃したり、狙撃するの見たことある?」

 

「言われてみれば……ないです」

 

「でしょ。未来予知だって数秒レベルだし、風の影響とかコリオリ力とか、予知に関わる要素が多くなる遠距離攻撃は不安定になってしまう。だからゆめかは接近戦にいっつも持ち込んでるんじゃないかな。……ゆめかは自分の弱点をわかってる。だからハリアーから離れられない」

 

 のぞみは目を細める。一気に距離を詰めようとする夢華をハリアーはふわりと避け、背後に回り込もうとする。夢華が直線的な剃刀のような軌道なら、ハリアーは柳の枝ような柔らかな曲線を描いて空に軌跡を残す。

 

 ハリアーから放たれたライフル弾を夢華は真上に飛び上がるようにして回避。失った運動エネルギーをエンジンで補う前に追撃が下る。強制的に立ち上がったような姿勢に持って行かれては、空気抵抗のせいで一気に減速してしまう。翼の揚力を失えば、いくら空戦格闘最強のF-15でも動きは鈍重になる。果てには海面に引きずり落とされてしまいかねない。

 

《ーーーーこの》

 

 夢華はのどこか苛立った声が無線に乗ると同時、彼女が左手で何かを落とすように投げた。それを片手で持った小銃で射貫く。焦ったのはハリアーだ。翼が海面をなぞるようなすれすれの軌道で左旋回。落ちてきた手榴弾を避ける。

 

「ゆめかも焦っちゃってまぁ」

 

 のぞみがのんきにそう言って、弾かれたように一度距離をとる二人の影を見る。

 

「ハリアーは低速域での粘りがあるからなぁ。ホバリング性能だとハリアーに勝てないし、低空で失速寸前の戦いを強いられたらそりゃF-15は不利だ。あのハリアードライバー、結構頭に血が上ってるかと思ったら、案外冷静だ。それに」

 

 上昇しようとする夢華に向けて曳光弾が伸びる。

 

「ゆめかより銃は上手い」

 

 のぞみは64式小銃を持ち直した。

 

「援護に入るよ。カイトツー、プリパレーション」

 

「ら、らじゃー! カイトツー、プリパレーション、スナイピングサポート、レディ!」

 

 のぞみに言われ、狙撃銃(WA2000)を構える。セーフティに指をかけ、解除。

 

「夢華と私で追い込む。カイトツーの狙撃で締める」

 

《手出し無用って言ってるのが聞こえてねーんですか》

 

 共用無線に流れ込むへたくそな無線にのぞみが笑う。

 

「あんたじゃ分が悪すぎる。手に余るって言ってんの。さっさと下がりなさい」

 

《DO NOT TOUCH! こいつは、あたしの獲物だ》

 

 夢華の声が、冷えた。

 

《手出しはいらない。そこで黙って見てやがってください。大村(ダーツォン)

 

「命令違反なんだけど」

 

《知りやがりませんね》

 

 無線が切れる。

 

「あの馬鹿、ブリタニア語の発音は異様にいいのね。驚いた」

 

 のぞみが場違いなところに関心する。ひとみは小さくため息をついた。

 

 

 

 

 ひとみがどこかあきれたようにため息をついた時、当の夢華もため息をついていた。

 

「まったく、足を引っ張るしかできねーんでやがりますか、あの編隊長殿」

 

 夢華は高度を稼ぎ見下ろす。逃げる側は不利だが、あれと低空戦は分が悪い。悔しいがのぞみの指摘は当たっている。だからこそ、あれを高空に引きずり上げなければならない。

 

 だから、追わせる。隙を見せてやるから上がってこい。

 

 ハリアーは最低限の高度上昇に押さえ込みたいらしい。弾の消費を気にせずに弾幕を張ってくるのは噂のリベリオンの工業力にものを言わせているからか。たしかにこれはやっかいだ。

 

「あーもう、めんどくせぇですね」

 

 弾を避けた動きそのままロールを打って降下。距離を適度に詰めつつ、弾切れを待つのが得策らしい。それまでは攻めはお預けだ。

 

卑怯者!(Cowards!) 逃げるしかできないのかおまえは(Do you only have the ability to escape)!? 撃ってこいっ(ATTACK ME)!》

 

 共用無線にそんなことを叫ばれてもため息をつくしかない。夢華はせめて皮肉に笑って高度を落とした。背面飛行でハリアーを見上げる。右手に小銃を握ったまま、降参するかのように両手を掲げる。

 

撃つ必要がありますか?(I do not need to shoot, do you?)

 

当然だっ(You have to)!》

 

それは困りましたね(I was in trouble)戦いは嫌いなんですが(I am a pacifist)

 

 よく言うよ、と扶桑語で割り込んだ編隊長殿のぼやきは黙殺。

 

私には理由がないので(I have no reason to win,)負けてあげてもいいんですよ(so I can lose to you as well)

 

うっさい黙れっ(NO KIDDING)! 心にもないことを(You do NOT think such a thing.)

 

 降ってくる弾丸。前髪を掠って抜けていく。斜めに上昇しつつ海面から離れつつ、引き金を軽く引く。指切りで三発ずつ、相手に向けてたたき込む。相手はそれをふわりと最小限の動きで避けていく。

 

(……おかしいでやがりますね)

 

 夢華は弾丸をたたき込みながら、わずかに首をかしげた。おかしい。当たらない。

 

 手を抜いているのは確かだが、長引かせるつもりもない。しっかり固有魔法も使っている。相手の動きを予測して、そこに弾丸を送っているにもかかわらず、相手はそれを最小限の動きで避けていく。

 

 まるで、こっちの動きが読まれているように避けられる。なぜだ。

 

《ーーーー単純すぎる(Toooooo simple,)へたくそ(unskilled)

 

 その一瞬の思考の隙を突かれた。

 

「ーーーーーーっ!」

 

 目の前に突き出された銃口を、体を大きくそらすようにして避ける。衝撃波が顔を撫でて地味に痛い。いつの間に間に飛び込んできた?

 

 真上から振り落とすようにM27 IAR自動小銃の銃身(バレル)が迫る。高度もあまりない。バランスを崩しすぎれば、墜ちる。

 

馬鹿にするなヤンキー(我是傻瓜美國人)!」

 

 降ってくる小銃の先を95式自動歩槍を頭の上に掲げて受ける。エンジン全開、出力にものを言わせ無理矢理上昇、パワー勝負なら絶対に負けない。逆にバランスを崩したハリアーを見下ろして小銃弾を浴びせようと構えた直後、不意にバランスを崩した。

 

捕まえた(I catch you)

 

 銃の先端、消炎器(フラッシュハイダー)をつかまれ、無理矢理引っ張られたのだ。夢華が引き金を引いたころには、すでに銃身はあさっての方向に向けられ、曳光弾は空しく宙を走る。相手は小銃を手放したらしい。

 夢華は銃を真下に降るような動きでその手を離させる。相手がそのままこちらの頭か首をつかんでくるのは予測済み。スロットル最小、相手のストライカーを蹴るようにして無理矢理危険域から頭を引き抜く。髪の毛を数本捕まれてかなり痛いが、そのまま頭突きされるよりはマシだ。

 

「ふんっ!」

 

 避けた動きの流れで、水平安定板(スタビレーター)を相手のストライカーに引っかける。そこを軸にするように体を振りだし、体重をかけてぐるりと回る。すぐに滑って引っかかりは外れたが体を支える支点に近いところを崩されれば相手は否応なしにバランスを崩す。夢華の体をつかもうと腕を前に伸ばした姿勢ならなおさらだ。

 

あっぶないなぁっ(It's dangerous)!」

 

 夢華の天地が入れ替わる。タイミングを見てエンジンを吹かす。相手を吹き飛ばすように上昇。尾翼が相手の服を切り裂いたらしいがとりあえずは無視。

 

《演習中止! 危険行為だ!》

「「伊洛沉默(Shut up, outsiders!)!」」

 

 こういうときだけ相手と気があっても全然うれしくないが、続けられるのはありがたい。軽い発砲音、拳銃に相手は切り替えたのだ。

 

「ガキンチョ、名前は?」

 

「……高夢華、華僑民国空軍第四九九戦術戦闘機連隊所属」

 

 胸元を一袈裟に切り裂かれた彼女は、それを聞いて鼻を鳴らした。

 

「リベリオン海兵隊第三海兵遠征軍第一航空兵団第十二海兵航空群第二四二攻撃飛行中隊所属、海兵隊少尉、アレクシア・ブラシウ」

 

 アレクシアーーーーレクシーが笑う。

 

「なら、夢華。楽しかったけど、これで終わりにしよう」

 

 強大な魔力光が、あふれる。

 

「墜ちろ」

 

 

 

 

 

「もんふぁちゃんっ!」

 

「あの馬鹿、意地張りやがってっ!」

 

 のぞみ、オーグメンター全開。急加速。そのまま飛び出す。何が起こったのかは分かっていた。理屈は全くもって分からないが、起こったことは簡単だ。いきなり夢華が弾き飛ばされた。

 

「いきなりゆめかが避けきれずにまともに食らったんだ。まともな攻撃じゃない! 固有魔法だ!」

 

 空中で耳を押さえて高度を落とす夢華。鼓膜を抜かれたか。のぞみが魔導回線を開く。

 

《夢華、一回距離とりなさい。こっちで対応する!》

 

《……ちゃんと発音できるなら普段からしやがりください》

 

《毒づく余裕があるならそのまま離脱! 方位1-2-5! まだ戦えるなら演習空域からは出ないでよ!》

 

 のぞみが一方的に通信を切り、腰のベルトからゴム製の銃剣を引き抜いた。接触禁止(ちゃっけんNG)とか今更知るかと開き直る。もう米川以外全員大乱闘スマッシュシスターズだ。全員そろって後で正座すればいいなら泥は相手に多く塗らせたもの勝ちだ。

 

「一番槍じゃないのが癪に障るけど、仕方ない。着剣!」

 

 のぞみが加速度をつけたまま真一文字にレクシーに向けて突っ込む。それを斜め後ろに飛び退くようにして勢いを殺したレクシーは左足を軸にするようにくるりと空中で回り、のぞみをやりすごす。加速度がつきすぎたのぞみに拳銃を向け、発砲。弾丸がいくつも伸びていく。

 

「あっ……ぶなっ!」

 

 辛くも髪の毛数本を散らしたかというきわどいレベルで弾丸が飛び抜ける。それでものぞみの姿勢が崩れた。オーグメンター使用時ではそのわずかなブレが体に悲鳴を上げさせる。

 

 レクシーの拳銃のスライドが後退したまま止まる。ホールドオープン、弾切れだ。彼女の左手が代えの弾倉に伸び――――それが弾かれ海と空の青の合間に小さく消える。

 

「――――くっ」

 

 レクシーは弾倉をはじき飛ばした弾丸の線の出所を探し、高い位置に青い魔力光を認め――――目をつぶされた。太陽を直接見てしまった。出力最大、緩降下、アンロード加速を行い最大効率で加速度を得る。せめて動かねば第二射がくる。逃げつつその先にいた―――――のぞみに飛びかかる。

 

「のぞみ先輩っ!」

 

 ひとみの忠告も間に合わない。のぞみが小銃を向けるよりも早く、レクシーとのぞみの進路が交差する。

 

「その銃よこせぇえええええええ!」

 

 そのまま体当たりをする。互いのシールドがぶつかり、強烈な魔力光が残る。勢いを殺しきれないせいで、のぞみとレクシーが団子になったまま海面近くまで急降下した。

 

「こんのぉ!」

 

 のぞみが全力でレクシーを蹴り飛ばす。海軍用F-35Bにつけられたリフトファンが始動、背中側のダクトが立ち上がり、轟音とともに無理矢理のぞみの体を押し上げた。

 

 そしてのぞみは気がつく。

 

 蹴り飛ばした時に小銃をもぎ取られた。銃剣ごと。

 

 

 

「ふっっっざけんなぁああああああああああああっ! 返せ私の銃剣―――――――っ!」

「ほしいの銃剣だけですかっ!?」

 

 

 

 思わずひとみが突っ込んだが、その余裕もなくなる。ひとみの方に小銃弾が飛んでくる。左ロール、回避。その刹那に右耳に爆轟の音が飛び込むと同時、激痛が走る。

 

「えっ……なにっ!?」

 

 どこかくぐもったような音しか返さなくなった右耳を押さえて、ひとみは回避行動を続ける。まだ小銃の銃撃は続いている。一発一発は体から遠く離れたところを通っているはずなのに、痛い。空気に殴られているような感じだ。

 

「……そっか! 衝撃波だ! のぞみ先輩! 衝撃波ですっ!」

 

《衝撃波がどうしたっ?》

 

 銃剣を返せーっ! と素手でレクシーをぶん殴ろうとするのぞみに通信を飛ばす。ひとみを狙っていた銃口がのぞみに向く。発砲をするりと避けた望みが痛みに顔をしかめた。

 

「きっとこの人衝撃波をコントロールして威力を強めてます!」

 

《よくやった米川っ! だったらやりようがあるっ!》

 

 レクシーの懐まで飛び込んで、のぞみは右肘を相手にたたき込まんとする。レクシーは首をそらすようにしてそれを回避するも、その間にのぞみの左手は64式小銃に伸びていた。マガジンキャッチのリリースボタンを押し込み、弾倉を落下させるのぞみ。これで残弾一発。予備の弾丸はのぞみしか持ってない。これでレクシーの攻撃をほぼ封じた。

 

能力には察しがついてる(I understand your abilities)これであんたは衝撃波は使えない(You can not use shockwaves anymore)!」

 

 のぞみの叫びに吹き出すレクシー。

 

お馬鹿さんだね嬢ちゃん(You’re stupid, kid)いつから衝撃波を操っていると錯覚していた(When did you realize that I would manipulate the shock wave)?」

 

 のぞみが慌ててシールドを張りながら飛び退くがすでに遅い。レクシーの背後に一瞬魔法陣が現れた。

 

「――――去ね(Get out)

 

 レクシーの声がのぞみの脳を揺さぶった。三半規管が狂う。

 

(……音波そのものを増幅してんのか! さっきのアウストラリスのデカオッパイといい、なんつーデタラメな固有魔法だっ!)

 

 音波はシールドでは防げない……正確には防げる方法がわからないのだが……おかげで真正面からもろに食らってしまった。視界が回る。人力スタングレネードなんて何の冗談だと思いたい。

 

「よし、後はあんただ泥棒猫!」

「ええっ!?」

 

 そう言ってレクシーが振り返った直後。彼女の目の前に手榴弾(リンゴ)が落ちてきた。避ける間もなく、炸裂。

 

「――――三対一でやっとでやがりますか。無様としか言いようがねーですね」

 

 夢華が痛みに左目をきつく閉じながらそうつぶやく。

 

「……赤軍二番機を撃墜(Kill Red Wing 2)

 

 夢華のその報告に、のぞみがハッとした表情を浮かべる。夢華は僚機として編隊長に報告を上げたのだ。受けるのは編隊長の役目だ。

 

「お疲れ、カイトスリー。こちらブルーウィング、レッドウィングの全機撃墜を確―――――」

 

《何が全機撃墜だ馬鹿者!》

 

 飛び込んできた怒声に203空面々全員の肩が跳ね上がった。

 

《全員今すぐ降りてこい。楽しい楽しい反省会(デブリーフィング)だ》

 

 それっきりで無線が途絶える。

 

「えっと……石川大佐、かなり怒ってます、よね?」

 

 ひとみが冷や汗をかきながらそういえば、すでに全身汗でびっしょりののぞみが乾いた笑みを浮かべた。夢華はため息。レクシーが片耳押さえて渋い表情をしているのを見ている限り、レクシーたちも似たような境遇らしい。

 

《降りてこいと言ったのが聞こえなかったのか?》

「アイマムっ!」

 

 同情の視線を送る合間もなく、のぞみが踵を返す。ひとみたちもそれに続いた。

 

 

 なお、皆が正座から解放されるのは3時間後のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

南洋日報電子版

シンガポールの空を飛ぶ扶桑軍ウィッチたち

2017年7月4日(火)午後8時10分

【新発田・シンガポール支局】

 人類連合第203統合戦闘航空団は本日午前、シンガポールにおいて東アジア司令部と合同の演習を行った。同航空団に所属する我が国のウィッチ二名もこれに参加、同司令が「過酷な任務に備え結束を高める」と語った通りその連携を確認した。

 今後は地中海への打通作戦を遂行していく予定である第203統合戦闘航空団。人類連合軍を構成するリベリオン合衆国とガリア共和国ならびにアウストラリス連邦も参加の意を表明しており、今後も活躍が期待される。



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2-3-2"Shame"

 熱帯雨林気候に属するシンガポールにとっての七月は乾期、雨の日も少ない時期は観光客にとって最高の季節だ。

 

 宝石箱には最高の宝石を。青い空、青い海、白い雲に白いビーチ。シンガポールはブリタニアにおけるアジア支配の重要拠点であったが、そんな歴史を飲み込むくらいに美しい、いや美しいに過ぎる景色が広がっている。

 まさにバカンス。バカンスとはこうあるべしと示す教本のような景色だ。

 

 ……目の前に鎮座する熱に焼かれたアスファルトと鋼鉄のストライカーを除けば、だが。

 

 

 

「で、飛行禁止処分(バカンス)の仕事がこれでやがりますか……」

 

「謹慎室とか減俸とかじゃないだけよしとするしかないよね……」

 

 

 ウィッチや小型機の発着場指定されている滑走路の脇、海近くの駐機場(エプロン)に並べられたストライカーユニット。テントのような休憩スペースにいるのは新生203空の面々だ。夢華の嘆きにひとみが苦笑いで返す。ひとみは羽織った丈の長いウィンドブレーカーを揺らしながら持ってきたバッグを漁る。

 

「日焼け止め日焼け止め……あ、のぞみ先輩とかも使いますか?」

 

「サンキュ米川、でもとりあえず着替えてからにしない? 今荷物広げても邪魔だし」

 

「あ、そうですね……」

 

 ひとみがそういってデイパックを開ける手を止める。半ば掘っ立て小屋のような更衣室はウィッチが7人も入ればかなりぎゅうぎゅうだ。

 

「それにしても暑いわねこの部屋。なんとかならないのかしら、ティティ、なんとかできない?」

 

「そ、そういわれても……」

 

「レクシーちゃん、いくらティティちゃんでも無理ですよー。風でも入れるぐらいしかないですねぇ」

 

 手をうちわにして扇ぎながら不満げに言うのはアレクシア・ブラシウ リベリオン海兵隊少尉。困ったように微笑むのはティティことメイビス・ゴールドスミス アウストラリス空軍少尉。そしてシャンタル・ナンジェッセ ガリア空軍中尉。()()203空の新メンバーたちは各々マイペースにブリタニア語で会話を繰り広げていた。

 

「みんなちゃんと水着は持ってきてます?」

 

 流暢なブリタニア語で振り返りながらそう聞いたのぞみにこくりとうなずいて見せるティティ。

 

「少し、恥ずかしいんですけど……」

 

「ティティちゃん大きいもんね……」

 

「い、言わないでシャンちゃん……」

 

 顔を真っ赤にして俯くティティ。そっちを見て首をかしげたのはひとみだ。

 

「えっと……ゴールドスミス、さん? 大丈夫ですか? ……て、ブリタニア語じゃないとわからないか、えっと……」

 

 大丈夫ですかってなんて言うのか考えて、恐らく正解っぽいブリタニア語を捻り出す。

 

「あーゆーおーけい?」

 

 ひとみの言葉にティティが一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。

 

「え、えとえと。ゆぁふぇいす……いず、れっど」

 

 これで伝ったかな? 冷や汗ダラダラのひとみだったが、ティティはぱあっと笑ってみせる。

 

「Yep, I’m not bad. It’s okey, thanks Ms Yonekawa」

 

 悪くない……と言ったらしい。外国語がわかるって素晴らしい!

 

「And you do not need to use my last name for me. It’s too polite. I’m Pilot Officer too. Please call me Titty.」

 

「ぽ、ぽらいと……?」

 

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべるひとみ。すると見かねたようにのぞみが助け船を出してきた。

 

「少尉同士だし、名字呼びだと余所余所しいからティティって呼んでってさ。米川あんたさ、本当にブリタニア語大丈夫?」

 

「うぅ……」

 

 これは帰ったら大村流ブリティッシュブートキャンプだね。とはのぞみの談。がっくりと肩を落とすひとみ。

 

「頑張って、ひとみ。明けない夜はない」

 

 その肩をぽんとたたいたのはコ―ニャことプラスコーヴィア・パーブロブナ・ポクルィシュキン。オラーシャ空軍中尉である。

 

「夜明けがすごく遠い気がしますです……」

 

「えっと、ヨネカワ少尉はどうしちゃったんでしょう……?」

 

「ティティが気にすることじゃないわ。ごめんね私の後輩が。この子ブリタ二ア語苦手でさ、大村流ブリティッシュブートキャンプしなきゃねって言ったらこの様なんだ」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 ティティはどこか困り顔だ。それでも肩を落としたひとみと視線を合わせるようにちょっとだけ膝を曲げる。

 

「I have a good idea. Please teach me Japanese, and I will teach you British」

 

 ひとみがそれを聞いて顔がほころぶ。ひとみがティティの手をがっしりと握った。

 

「あの、よろしくお願いしますっ!」

 

「It’s my pleasure, ahh,Hitomi?」

 

「うん、ティティちゃん!」

 

 そのやりとりを聞いたのぞみはくすりと優しく笑った。

 

「扶桑語とブリタニア語でなんで会話がつながるんだか」

 

 肩をすくめてパンパンと手をたたく。

 

「はいはい、米川もさっさと着替えないと」

 

「は、はいっ!」

 

 ひとみは返事をしてデイパックを漁る。

 

「……やっぱりあんたも由緒正しき扶桑の正装(ボディスーツ)なわけね。でもなんで白? というより、空軍だから使わないでしょ、ボディスーツ」

 

 取り出した袋から出てきたものを見て、目を細めるのぞみ。ひとみが取り出したのは真っ白な下着。様々な条件下で運用が可能、各公的機関でも採用されているロングセラー商品である。

 

「えっと……実は水着を持ってきてなくて……」

 

「そりゃそうだよね。いつでも泳げる万能服なんて必要ない訳だし」

 

「……見かねた霧堂艦長が貸してくれました」

 

「んー。一応言っとくけど、白は透けやすいから気をつけなさいよ」

 

「えぇっ!?」

 

 驚くひとみに肩をすくめるのぞみ。

 

「ま、今更言っても仕方ないんだけどさ」

 

 魔法使用時に飛び出すしっぽを通す穴を気にしながらものぞみは用意をぱぱっと調えている。

 ちなみに扶桑海軍所属ののぞみはセーラー襟の上着を脱ぐだけの簡単仕上げ。紺色のボディスーツが彼女の肢体を艶やかに引き締めていた。

 

「ほーら、さっさと着替える」

 

 のぞみに言われなくてもわかっていたが、少々気恥ずかしい。それでもひとみは自分の制服に手をかけた。最近はだいぶ着慣れてきた純白のジャケットの金ボタンを外していく。

 

「そういえば米川の制服って切り替わらないんだね。普通空軍だったらあれでしょ、黒のジャケットになるでしょ?」

 

 新生203の編成に伴い、米川ひとみと大村のぞみ両准尉は少尉への昇格が決まっている。シンガポールを出航するまでには正式な辞令が下る予定だ。

 

「実はわたしに合うサイズがなくて特注になるんだそうです……加賀には空軍制服の予備がなくて」

 

「あー、なるほど。だから階級章だけ先に取り替えてってことか。まぁ確かに海軍(かが)空軍(そらさん)の制服の予備なんておいてないわね」

 

「みたいですー」

 

 そういいながらジャケットから腕を抜く。少し汗で湿ったワイシャツを外気が撫でて気持ちがいい。言われてみれば、汗で軽くぬれただけでもワイシャツは体に張り付いて、キャミソールや肌の色を透けさせる。白色しか借りられなかったとはいえ、確かに透けると大変そうだ。

 

「で、でももう仕方ないよね……」

 

 そう言いながらリボンタイをほどき、片手でするりと引き抜く。衣擦れの軽い音とともにスカイブルーのひもが襟を放れた。それをかごにぱさりと落として、ボタンを一つ一つ外していく。みんなの前で着替えるかもと、お気に入りのレモンイエローのキャミソールを着てきたが周りはあまり気にしていないようだ。すこしほっとする。

 

「よ……っと」

 

 頭からキャミソールをすっぽぬく。そろそろカップ入りのキャミに替えてもいいかなぁと親と相談してそれっきりになっていた下着を見て少しため息。この下着でも何ら問題ないのが少し寂しい。横をちらりと見る。

 

「また大きくなっちゃった、かなぁ……」

 

 ブリタニア語でぶつぶつ言いながらレオタードの水着を着けていくティティ。ひとみに聞こえたのはビッグとかそのあたりの単語だけだが、なんとなく胸の話をしているのはわかる。布面積の多いライムグリーンの水着の収まりが悪いのか、ティティは水着と肌の隙間に手を差し込み調整していく。そのたびに、何とは言わないが、揺れるのだ。

 

「……はぁ」

「Hitomi? What’s up?」

 

 ひとみの視線に気がついたティティが首をかしげる。何も言わず首を横に振るひとみ。ティティの頭の上にはてなマークが浮かんでいるが胸が小さいのが悩みだなんてどうブリタニア語で説明すればいいかわからないししたくない。

 

 ズボンから足をするりと引き抜いて片足に引っかけて持ち上げる、少しでも胸のことは頭から追い出したい。今は着替えに集中しよう。

 

「ははーん、やっぱり米川は気にしてる訳だ」

 

「の、のぞみ先輩っ!」

 

 後ろから伸びてきた手にとっさに脇を締めるがもう遅い。少女の掌の内にすっぽりと収まる小s……慎ましいサイズのふくらみがのぞみの両手に納められた。

 

「の、のぞみ先輩っ! やめてくださいっ!」

 

「ここかー、ここがえーんかー」

 

 身長差のせいで、ひとみの耳にのぞみの吐息が直にかかる。背筋を走るむずがゆさから逃れようとひとみはとっさに屈んで逃れようとするが足の方が浮いてしまった。空中で体育座りみたいな姿勢になって一瞬ぽかんとする。

 

「の、のぞみ先輩っ!? 魔法までつかってやることですかっ!?」

 

「いや、あんたが軽いだけなんだけど」

 

 首をそらせて確認すると確かにのぞみには使い魔の耳は見えない。紀州犬の耳はよく目立つから見過ごすはずがないので、確かに魔法ではないらしい。

 

「……そんなにわたしのからだって貧相ですか」

 

「まぁ豊かじゃないけど、いいんじゃない? きっと需要あるわよ」

 

「需要ってなんなんですかっ!?」

 

「え? 知らない? あんたの親衛隊(ファンクラブ)、加賀の中にもあるのよ?」

 

「初耳なんですけどっ!? なんですかファンクラブって?」

 

 着替えるどころの問題じゃなくなったひとみ。のぞみに詰め寄るがのぞみは曖昧な笑みを浮かべるだけだ。

 

「……アホクサ。胸のサイズも親衛隊もどうでもいいでしょ」

 

 そうつぶやいたのはレクシーだ。その背後に小さな手が迫る。

 

「そういうあんたはどうでやがりますか」

 

 イタズラっ子の笑みを浮かべた夢華が豊かとはいえないまでも確かに()()双丘を揉みしだいた。瞬間的にレクシーの顔が赤く染まる。

 

「○×♨△※♀☆#ーーーーーッ!」

 

 声にならないレクシーの悲鳴、直後にドアが蹴破られた。

 

「大丈夫かアレクシアッ!?」

 

 木の扉が破砕されるけたたましい騒音と同時に届く、男性の声。

 

「何があっ……た……」

 

「あ……」

 

 恋人の叫び声を聞いて一気呵成に飛び込んできたレクシーの機付長、ルーカス・ブランドン・ノーラン技術軍曹。

 

 ここで状況を整理したい。

 

 ここは海の横にしつらえられた掘っ立て小屋。中では水着に着替え中のウィッチが七人。普通に上着を脱ぐだけだったのぞみはもう着替え終わっているとはいえ、他の面々はまだ着替え中。シャンはふくよかな胸にセパレートの水着を押し当てたところだったし、ティティはパレオでなんとか足下を隠そうと奮闘中。黒のハイレグビキニを整えていたコ―ニャがジトッとした目をルーカスに送っている。

 

 被害甚大だったのは残りの面々だ。夢華はのぞみからの借り物の上着を脱いだだけ、下の綿のズボン一枚という格好でレクシーとじゃれ合っている状況だ。当のレクシーも上はすべて脱いでいる状況、かろうじて腕で隠すことに成功したレベルである。ひとみの場合は一糸まとわぬ状況でのぞみにうしろから拘束されている姿勢だったせいで、隠すことすらできない。

 

 野郎の描写をしたところで一切面白くないが、ルーカスが男だと言うことさえ把握していればいい。問題はドアを蹴破らん勢いで飛び込んだせいで、掘っ立て小屋の中を一望できる位置までそのまま飛びこんでしまったことだ。

 

 全員が訳がわからず硬直したまま数秒――――状況が『解凍』された。

 

「ふぇ……えっ……えっぐ……!」

 

「ーーーーー何してくれてんだこのクソルーカスーーーーーーーっ!」

 

 マジ泣きし始めるひとみをよそに、顔を真っ赤にしたレクシーが魔法力全開で彼氏を吹っ飛ばす。かなり向こうの海面に大きな水柱が立つ。

 

「……はぁ」

 

「解凍戦争とはマジでこのことだね。米川ー、泣くなー」

 

「も、もうお嫁に行けないですぅ……」

 

 新生203空の船出、同時に飛行禁止処分一日目から前途多難な幕開けだった。

 

 

 

 

 

「ほぼ死体みたいになってる哀れなノーラン技術軍曹を回収したことだしーーーー気を取り直して我が加賀乗務のウィッチ諸君! 作業に入ろうではないか!」

 

「それはいいんですけどなんで霧堂艦長までここにいるんですか?」

 

 水着にパラソル、サングラスというバカンス全開(フルバースト)の霧堂明日菜艦長がストライカーを前にしてそう言っても、周りはどこかだらけた様子だ。一人ふてくされた様子のレクシーだが、パラソルの真下で伸びているルーカスを一瞥してからぷいと顔を反らせる。その様子をほほえましく見ながら、霧堂艦長はのぞみの問いに答える。

 

「いやーね? 北条司令……あ、新入り諸君に説明すると、扶桑海軍(うち)の艦隊の司令官ね、その司令に『お前も休んでいいぞ』って言われたから休みをもらってみんなの引率を仰せつかった訳よ」

 

「それって私たちといっしょに謹慎しやがれください。ってことでやがりますよね」

 

 夢華がそう言ってため息をついた。だぼっとした白いTシャツを羽織った彼女に霧堂艦長はにこりと笑った。

 

「なーに? 不満?」

 

「そりゃあ水着とやらを貸してくれたことは感謝しやがりますが、なんで休暇(バカンス)まで一緒にいなきゃいけねーんですか」

 

「ゆめか。今回に限っては無理にお礼言うことない。ほとんど紐というか全部紐なビキニを渡しておいてそれはない。というよりなんで艦長はゆめかにジャストサイズの紐ビキニとか、米川のサイズの白いボディスーツとか持ってるんですか」

 

「モンファ。……でもまぁ、そうでやがりますね。あれならズボン一枚で十分でやがります」

 

「それでも、上丸出し、許さない」

 

 新メンバーたちと違い、以前より霧堂という女を知っているウィッチたちが生暖かい視線を送る。

 

「のぞみんも夢華ちゃんもコーニャンもひどーい! わざわざシンガポールのモールであわてて買ってきたのに!」

 

「気持ち悪い」

 

 夢華に即答され石化して崩れていく霧堂艦長。それを尻目にため息をついたのは、制服姿の石川大佐だ。

 

「全く何をやってるのやら……ノーラン技術軍曹を回収したと思ったらまた問題事か」

 

「さくらちゃーん、そんな言い方ないんじゃないのー?」

 

「その呼び方はやめろ。それに監督役は私の仕事だ」

 

「えー。ゆうさく連れてても説得力なーい」

 

 石川大佐の足下でしっぽを振っていた雑種の犬が名前を呼ばれたのに反応してくるりと振り向いた。舌を出している姿は愛嬌があると言うべきだろうか。その頭を撫でた石川大佐がにやりと笑った。

 

「……ゆうさく、ゴゥ」

 

「ワンっ!」

 

 リードなどなくとも石川大佐に従順に従っていたゆうさくが一気に飛び出した。そのまま水着姿の霧堂艦長に飛びかかる。

 

「ちょ、いだだだだだだだっ! 爪! 爪! 爪が刺さってるからああああああああっ!」

 

「さて、少々うるさいがストライカーの洗浄を始めようか」

 

「あの、キャプテン・霧堂は助けなくていいんですか……?」

 

 おずおずと右手を挙げシャンがそう切り出すが、石川大佐はかまわん、と即答。のぞみたちも反応が薄いこともあり、シャンはそろそろと腕を下ろした。

 

「ちょっとぉぉおおおおお! このワン公なんとかしてくれぇえええええええ!」

 

 身体のあらゆる関節という関節を動員してゆうさくの魔の手ーー厳密には爪ーーから逃れようとする霧堂艦長。当のゆうさくはとても楽しそうに尻尾を振りながらじゃれつく。

 

「運動不足解消にはいいだろう?」

 

「無理無理無理っ! さくらちゃんのスパルタ軍用犬トレーニング積ませてるのに乙女がかなうわけないじゃない!」

 

「対人訓練にはちょうどいいだろう?」

 

「だったら防具とかあるときにしてよっ!」

 

 石川大佐はため息をついて、指笛を吹く。霧堂艦長を熱いアスファルトの上に押し倒すことに成功したゆうさくがうれしそうに石川大佐の元に戻る。

 

「あ、あの……大丈夫ですか……?」

 

「だいじょばないです。えっと、シャンタルちゃんだっけ?」

 

「は、はい。もしよければ……治療しましょうか……?」

 

「マジで!? 助かるっ!」

 

 霧堂艦長がそう言ってガバリと飛び起きる。それに驚きながらもシャンは腰に下げていたーーレイピアを引き抜いた。

 

「え、ちょっとちょっと! 霧堂さんあなたになにもしてませんことよっ!?」

 

「霧堂貴様、本当に節操なく……」

 

「いやいやいや! 今回ばかりはマジで! マジで!」

 

 弁護士を呼ぼう! まずは法廷で! なんやかんやと慌てる霧堂艦長をよそにため息をついたのはレクシーだ。

 

「……それ、シャンの固有魔法なんで、別に刺すわけじゃないので」

 

「え、そなの?」

 

「こ、固有魔法なんてものじゃないんですけど……」

 

 シャンがそう言いながらレイピアの鞘から指の先でつまめるぐらいの小さなナニカを取り出し、霧堂艦長に渡す。

 

「これって……琥珀と……?」

 

 渡されたのは小さなプラスチックの丸い筒だ。透明な筒の中でからからと小さな石が音を立てている。太陽に透かせるようにして霧堂艦長は中身を確かめようとする。

 

「チャロアイトっていう石です。それを両手で持って、胸の位置で……はい、そこで持っててください。琥珀(アンバー)とチャロアイトを触媒にしてヒールをかけます」

 

 シャンはそう言ってレイピアを取り直した。自分の顔の前にかざすようにレイピアをかめ、左手を(ガード)に添える。カチリというどこか機械的な音がして、その鍔を回転させる。

 

「主よ、禁忌を侵すことを赦したまへ。現理の理を超へ、魔の理の域へと侵すことを赦したまへ」

 

 空気がシャンの緩くカールした髪を持ち上げる。緑色のような魔力光が周囲からわき上がる。

 

「これって……」

 

「古代魔法……か」

 

「石川大佐は分かるんですか?」

 

 ひとみの驚いた声に石川大佐はゆっくりとうなずいた。

 

「大地や大気に含まれる魔力素(エーテル)の流れを使った魔法だ。古くからあって強力だが、あまりにコントロールが難しいから、近代魔法やストライカーができると同時に廃れたと聞いている……俺も見るのは初めてだ」

 

「神の赦さぬ敵過去栄えし試しなし。神の赦し給ふ者すこやかなりけり」

 

 シャンの言葉が紡がれれば紡がれるほどそれに反応して霧堂艦長が手の隙間から緑色の光が強くあふれ出す。その光がまるで空中に紋を描くように広がる。

 

「神の息吹よ、審判せよ!」

 

 光が弾けた。シャンがレイピアを一度振り、鞘に戻す。

 

「はい。これで……どうでしょう?」

 

「お、おおおおおおお!」

 

 立ち上がって肌を確認する霧堂艦長。

 

「治ってる――――っ!? すごーい!」

 

 元から海上勤務とは思えないほど白い肌が日光に輝く。それを見て石川大佐がうなった。

 

「五大元素を活用した古代治癒魔法というのは分かるんだが……剣は風のシンボルで水ではなかったはずだが……?」

 

「石川大佐は古代魔法をご存じなんですね」

 

「基礎教養として存在を知っている程度だ。火・土・風・水・そしてエーテルの5つの要素で世界をとらえ、その中の要素の持つ意味合いを増幅し、自然の摂理自体に介入する……少ないエネルギーで最大の効果を得られる文字通りの『魔法』……制御に失敗すれば、文字通り周囲が吹き飛ぶほどのエネルギーが暴走するはずだが」

 

 石川大佐の声にシャンがどこかうれしそうに頷いた。

 

「はい、その暴走を防げるようにこのレイピアと宝石を使うんです」

 

 そう言いながら鞘に収められたレイピアを撫でるシャン。

 

「レイピアの中には転置式暗号の一種である回転グリル暗号を活用した魔導回路が積載されていて、レイピアのガードを回転させることでその意味合いの取り出し方を適宜変換して取り出せるようになってます。その取り出した意味で古代魔法を発動させて、補助的に宝石の中の鉱物から意味を抽出し、増幅させることでさらなる安定化と魔力素の急減少による魔力場生成陣自体の意図しない崩壊を防ぎ――――」

 

「シャン、長い。結果としてキャプテン霧堂が治ったんだからいいでしょうが」

 

 レクシーが話をぶった切った。

 

「何を言うんですかレクシーちゃん! 魔法は理論です! 結果を導くためには大量のデータの蓄積とそれに裏付けされた理論が必要なんです! それを結果だけを重視するスポンサーの意向が現代の魔術進歩は足踏みしてるんですっ!」

 

「スポンサー?」

 

 のぞみが首を傾げる。横で苦笑いしているティティが耳打ち。

 

「シャンちゃんのお母さん、ガリア国立工芸院の古代魔術アカデミー所属研究員なんです。あのレイピアもシャンちゃん出征の時に作った特注品らしくて……」

 

「あー、宝物をけなされた気がしてムキになっちゃってるやつか」

「そこっ! 聞いてますかっ!?」

「「すいませんっ!」」

 

 耳打ちのこそこそ話をしていると、シャンの声が飛んできて、とっさに45度に腰を折る二人、その様子を見て吹き出したのは夢華だ。

 

「中尉からの指示には問答無用で従いやがりますか……早く中尉になりたいものです」

 

「もんふぁちゃん……」

 

 ニヤリと悪い表情を作る夢華につっこんでいいのか悪いのか分からずにひとみが困っていると、ティティが控えめに申し出た。

 

「こ、ここで話しているのもいいですけど、そろそろ機体の洗浄に入りませんか? 炎天下だと日に焼けちゃいますし……」

 

 軽く目が泳いでいるのはシャンの話から逃げたい一心なのだろうが、それをさらりと拾ったのは石川大佐だ。

 

「そうだな、そろそろ作業を開始しよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストライカーユニットは魔法の箒と言われるが……蓋を開けてみれば鋼鉄の塊であり、人類の叡知を集めた精密機器の集合体である。ならば当然『整備』というものが必要になる。

 

「さて、これよりエンジンの整備を開始する」

 

 大村のぞみ扶桑海軍少尉が威厳をもって宣言した。

 

「今回の整備はエンジンの機能回復のため、洗浄を行なう」

 

 やることは単純だ。エンジンをまるっと水洗いである。魔導エンジンに火を入れず、スターターのみで回転させ、エンジンの吸気口から水をホースで流し込む――――人類の英知を結集した最新の精密機器の塊であるストライカーユニットをもってしても、整備はいささか原始的だ。

 

「あのー、のぞみ先輩?」

 

「どうしたね米川少尉」

 

 白いボディスーツで軽く緊張しながらも米川ひとみはおずおずと手を上げた。

 

「これ……必要なんですか?」

 

「何言ってんの。海上飛行をがんがんしてるし、無茶な飛行をかなりしているからね。当然エンジンの中にも塩分やら埃やら煤やらが吸い込まれ、それが汚れとなっている。それを落とすことこそ今回の任務だ」

 

 そう熱弁するのぞみの右手に握られたものに、ひとみは見覚えがあった。たしかひとみの母親が家庭菜園で使っていたのとほぼ同じもの、緑色が太陽にまぶしいビニール製のホースだ。

 

「で、米川はこの整備の必要性を疑ってるわけ?」

 

「そ、そうじゃなくて……こ、これホントにわたし乗る必要あるんですか……? 必要なのはスターターの動力なんですよね」

 

「説明を良く聞いているようで何より、その通りよ」

 

「なら私が乗務しなくても外から魔力スターターを接続して回せばいいんじゃ……」

 

 ひとみの指摘ももっともなはずだ。F-35A型はジェットエーテルスターターを積載しているため、ウィッチがストライカーを履けば、確かに始動させることも可能だし、スターターだけでゆるりと回転させることも可能である。

 

 しかしながら、ジェットエーテルスターターを積んでいるからといって、ソレを使わなければならないということはないのだ。

 

「えっと……のぞみ先輩?」

 

 ひとみが困惑した声をあげる。のぞみは薄い笑みを浮かべながらゆっくりとホースの先端をひとみに向けた。

 

「これは正式な整備だが、私はその前に米川ひとみ少尉に問わねばならないことがある」

 

「問わねばならない、こと?」

 

「先日の演習で通常攻撃による撃墜が唯一なかったことに弁明はあるかね?」

 

「へっ!?」

 

 思わず、といった感じで素っ頓狂な声が出た。

 

「べ、弁明って言ってもその……わたしだって撃墜したじゃないですか。立派に撃墜1ですよっ! ねっ?」

 

 そういって目を流して横をみると被撃墜1を記録したガリア空軍中尉……シャンタル・ナンジェッセが目をそらしたところだった。シャンの横で、ティティがどこか浅い笑みを浮かべている。

 

「……あんな落とし方されると思ってなかった、です、けど」

 

 シャンがそう小さく言うと、我が意を得たりといった表情を浮かべたのぞみが浪々と声を張る。

 

「米川少尉、あんな姑息な手段で初演習の初撃墜を上げたことになんも思うところはないのかねっ!?」

 

「そんな理不尽なっ! そんなこと言ったら、接触禁止(ちゃっけんNG)って言われるのに銃剣取り出したのぞみ先輩だって姑息じゃないですか!」

 

「扶桑皇国の魂、着剣精神を愚弄する気か貴様ァ!」

 

 ホースの先端を銃剣を突き上げる要領でひとみの喉元に突きつけるのぞみ。

 この少尉、実にノリノリである。

 

「も、もんふぁちゃんだって!」

 

「~♪」

 

「口笛でごまかさないでよぅっ!」

 

 ひとみの抗議もむなしくスルーされ、そのときがやってくる。

 

「それではちゃっかり一番槍を持っていきやがった米川ひとみへの制裁を開始するっ!」

 

「それただの私怨なんじゃ……!」

 

「問答無用ォ!」

 

 のぞみがそう叫んだと同時に夢華が嬉々として水道の蛇口をひねった。透明な水の奔流がホースの先からあふれだし、ひとみを襲う。

 

「わぷっ! ちょ、のぞみ先輩っ! これ痛いですっ!」

 

「ほらほら、整備も兼ねてるんだからスターターを回すのだっ!」

 

「ほら、頑張れ頑張れー」

 

 のぞみと夢華が茶化すが、ひとみには聞いている余裕は実はなかったりする。

 

「ちょっと、ストップ! ストップして……! だれか、こーにゃちゃん! ティティちゃん! レクシーちゃん……!」

 

 ひとみが助けを呼ぶが周囲の皆はどこか遠巻きだ。

 

「こ、これがジャパニーズ・シゴキ……! 扶桑の強さの根源はこれか……!」

 

「あの、アレックスさん、それは違うんじゃ……」

 

 ティティがおろおろとしながらレクシーに突っ込む。コ―ニャはため息をついた。

 

「あの、プラスコーヴィアさん、止めなくていいんですか……? 助けて欲しそうに見てますけど……」

 

「あののぞみを止めるのは、難しい」

 

 コ―ニャは嬉々として水をかけ続けるのぞみを遠巻きに見ながらそう言った。

 

「つよくいきて、ひとみ」

 

「お、お助けぇええええええ!」

 

 ひとみの声が青空に溶ける。結局その攻撃が止まるまでにはあと数分が必要だった。

 



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2-4-1"Paradise"

paradise [pˈærədὰɪs]
【名詞】1.[Paradiseで]
     a,天国
     b,エデンの園
    2.[a paradise] 楽園、パラダイス
    3.不可算名詞 安楽,至福.



 強襲揚陸艦「加賀」の歴史は意外と長い。1994年に就役した彼女は既に艦齢23を数える古参であるが、その艦歴は波乱に満ちたものであった。

 

 ウィッチの集中運用による局所的制空権の確保を目的とする制海艦。構想自体はそれこそ第二次ネウロイ大戦の時代まで遡ることができても一度は潰え、そして近年になって再び脚光を浴びることとなったこの艦種の扶桑における先駆けともいえる出雲型は、歴史が解凍戦争と呼ぶ最近の戦争と共に生きた艦といえるだろう。湾岸戦争に始まる中東の混乱、東南アジアの危機、そして最悪のリベリオン東海岸攻撃に始まる中東総攻撃、そして撤退戦。

 

 その輝かしい艦歴の大半を戦役で飾る。それが扶桑皇国海軍の誇る軍艦「加賀」である。

 

 しかしだ。その黒鉄の城といえど人の手なくてはただの工業製品。海に浮くだけならともかく、その使命を遂げるためには多岐にわたる供給を必要とする。タービンを動かす燃料や自衛兵器の弾薬は無論のこと、艦を動かす水兵たちの食糧、そしてなにより作戦に必要な設備が揃っていなければならない。

 

 

「で、どうなんだ。「加賀」の改修は順調に進んでいるのか」

 

 臨時に宛がわれたデスクを出て、気分転換にシンガポールの港湾地区へと繰り出した扶桑海軍の北条少将は「加賀」砲雷長を務める菊池中佐に聞く。

 

「そう聞いています。早く終わるといいのですが」

 

 もたもたしていると科の連中も鈍ってしまいますから。そう答える菊池砲雷長。本当なら艦長か副長が北条司令の散歩に付き合うのだろうが、今副長はブリタニアの船渠に「加賀」の様子を見に行ってしまっているし、艦長である霧堂大佐は謹慎中な(あそんでいる)ので菊池がこうして付き合っていた。

 

「私は電磁カタパルトを運用する艦艇は初めてでな。なんでもかんでも砲雷(いちか)に押し付けているようで申し訳ないが、しっかり頼むぞ」

 

 北条司令がいうのは現在「加賀」への取り付けが進んでいる電磁カタパルトのことだ。「加賀」の能力ではF-35FAなどは直接発艦することが出来ない。これまではオスプレイを用いた空中発進で誤魔化してはいたが、203空が増員されるとなった以上このやり方はいつまでも通用しない。

 そこで、ウィッチの射出専用の小型電磁カタパルトを追加装備することとなったのだ。

 

「おや……」

 

 ふと目の前が何やら騒がしい。この異国の地では少し安心する扶桑語の喧騒。

 

「彼らはどこの艦かな?」

 

 ここは一応ブリタニア軍が管理する区画である。となれば扶桑人なんて軍関係者かつい最近やって来た従軍記者ぐらいしかいない。扶桑語を話す水兵たちは間違いなく北条が率いる遣欧艦隊の乗り組みだろう。

 

「アレを見ろ……俺たちの桃源郷だ」

「あの外人さんは大きいねぇ!」

「米川准尉は……A? いやBか?」

「馬鹿を言うなAに決まってるだろAがいいんだ」

 

「……」

 

 何かを察したようにそっと目を逸らす菊池中佐。せめて彼らの手に双眼鏡が握られていなければ弁解のしようもなくはないのだが。

 北条司令はそのまま歩みを止めずに進む。進んでそのまま、彼らの中に割って入ろうとしているのだ。もちろん頭を抱えたのは菊池中佐だ。ニコリと笑ったままの北条司令と彼らを話させるのは非常に良くない。状況的に、怒鳴り込んで場を収めるのは自分しかいないらしい。

 

「おい貴様等ァ! なにをやっている!」

 

 「加賀」の先任伍長がすっ飛んでくるまであと少し。シンガポールは平穏にもまして平穏である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 海。

 

 この地球上の七割の面積を占める巨大な水がめ。

 

 海。

 

 色はどこまでも青く、でも手に取ってみると透明で。そしてしょっぱい。

 

 それはまるで空の蒼を映すために生まれた大鏡。そして我らの母であり古郷。アイオワに住んでいた頃には知る由もなかった、地球の七割を覆いつくす巨大な揺りかご。

 

 寄せては返すその波音を背景音楽にして、リベリオン海兵隊少尉アレクシア・ブラシウ。レクシーは静かにたたずむ。

 足で少し水をひっかけてみればしぶきが飛ぶ。そんな物理法則に従っただけの現象も無性に楽しい。不思議なものだ。

 

 嗚呼、こんな世界がいつまでも、ずっと続けばいいのに。空も海も、どこまでも蒼く、私の心を蒼く染めていくこの世界が……

 

 

 

「突撃ィいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 

 

 

「shut up!!!」

 

 せっかくのおセンチな気分を、のぞみの吶喊がぶち壊す。レクシーはおもむろに立ち上がると自身も海に向かって猛ダッシュ。丁度()()()()()()()()()のぞみの頭に海水を手ですくってぶちまける。

 

「ひゃあ!」

 

 いつもののぞみらしからぬ可愛い声が漏れる。それを聞いてレクシーはご満悦だ。なにかと不憫なひとみがやっとのことで海から這い上がってくる。

 

「ぷはあ! もう、なんでいきなり沈められなきゃいけないんですかぁ……」

 

 なんとなく、レクシーはとりあえずひとみをもう一度海に沈めることにした。そう、()()()()()だ。他意はない。シンガポールでの誤解はもう解けているはずだから他意はない。

 

「はぶっ!」

「……やれやれ、今度の新入りは悪戯小僧でやがりますね」

「ゆめか、さすがにアンタには言われたくないと思うよ」

「もんふぁでやがります。大村(ダーツォン)

 

 扶桑人と華僑人がなにやら言葉を交わす。レクシーは扶桑語を知らないが、しかしそこは同じ人間。ニュアンスというものは案外伝わるものだ。

 無言で大量の水をお見舞いしてやる。

 

「ちょっと何すrきゃあっ!」

「ひゃあ! やったなあ!」

 

 しかしのぞみとてやられっぱなしではない。魔法力を発動。そして小さな手を肩まで突っ込んで――――

 

「大村家式復讐術! 海龍の怒り!」

 

 ――――そこら辺の砂ごとすくい上げた。

 

「なんでわざわざ技名を叫ぶ必要がありやがるんですかねえっ!」

 

 完全に巻き込まれた格好となる夢華が慌てて飛び退く。レクシーも同じく回避を試みるが間に合わない。

 

 えぐれた砂浜。潮だまりのなかに残されたレクシー。攻撃により髪はぐちゃぐちゃ。貞子の様に水をピチャピチャと垂らしているが……しかしその眼には更なる闘志が宿りつつあった。リベリオンに敗北の二文字は存在しないのだ。

 

「ふふふ……やってくれるじゃない。いいわ! あたい()()が相手にしてあげる!」

 

「ねえ、いまアレックスさん、『私たち』って言いませんでした?」

「ティティちゃん。それたぶん、気が付いちゃいけないやつ」

 

 レクシーからそっと目を逸らすティティとシャン。そんな様子を気にも止めずにのぞみはレクシーへと飛びかかった。

 

「おおおけええええええい! れっつぱああありいいいいいいいいいい!」

 

 のぞみが繰り出そうとした大技をレクシーは巧みに回避。

 

「いいねえ! 演習の続きと行こうか!」

 

「わああああ! にげますぅ! 助けてコーニャちゃあん!」

 

 ヒートアップした水遊び(せんそう)に耐えられなくなったひとみが戦線から離脱する……がもちろん逃がしてくれるはずがない訳で。

 

「逃がすか!」

 

 そんなひとみに意識を奪われたレクシーに対し、のぞみが海龍の怒り(バンザイ)

 

「甘い!」

 

 しかしレクシーが学習していないはずがない。華麗なバックステップでその奔流をいなした。

 

「フン! もうその手には引っかからないわよ!」

 

 大攻撃は、前回よりものぞみとレクシーの位置が離れているため放たれる水量が少ないかわりにかなりのライナー性をもって放たれた。

 

 結果、その射線上に存在した、逃げようとへっぴり腰で走っていたひとみとひとみを待ってぼーっと立っていたコーニャに命中。

 

「「あ」」

 

 何の罪もないひとみとコーニャは、見事に濡れ鼠になってしまった。

 

「……」

 

「ごめん米川、POS端末中尉」

 

「……」

 

「いやごめんてポーレット中尉」

 

「……」

 

「あの、もしもし、ピギーパック中尉?」

 

「……しれ」

 

「は、はい? なんでしょうかポイントヒーター中尉」

 

「思い知れ! リヴァイアサンの咆哮!」

 

 いつの間にかに水鉄砲を装備したコーニャとひとみが、大村へ向けて吶喊する。そして後ろに回り込み、首筋をきれいに打ち抜く。

 

「わかった本当にごめん! Прасковья(プラスコーヴィヤ)! 米川!」

 

「ゆ! る! し! ま! せ! ん! ハァ!」

 

 コーニャに気を取られているのぞみに向けて、ひとみが水鉄砲を射撃。そしてのぞみの注意がひとみにそれた瞬間にコーニャが射撃。異常に連携の取れたプレーだった。

 

「フフフ……愉悦! 攻撃を外しフレンドリーファイアをした挙句、仲間に追いつめられるだなんて、愉悦としか言いようがないわ! ヨネカワ、そして中尉! ようこそリベリオンへ。我々合衆国は貴方たちをかんげいs」

 

「くらえ! 伝統の秘術、市民革命(Gaul Revolution)!」

 

 高笑いをしていたレクシーのお尻に向かって水鉄砲が放たれる。びっくりしたレクシーはそのまま飛び上がり前へ転がる。そこにすかさずひとみが顔面に水をかけた。

 

「貴女達に与するつもりはない。だいたい、貴女達が避けなければこんなことにはならなかった!」

 

「言いがかりよ!」

 

 そういうレクシーとついでにのぞみに向けて、ひとみが腰だめで乱射する。

 

「わあああああああああ! みんな敵ですうううううう!」

 

 統合戦闘航空団は国際共同の先駆けではなかったのか。

 

「うわっ、ちょ、米川! せめて狙って打て! あんた狙撃手でしょ!」 

 

「やったわねイヴァンめ! くらえ!」

 

 レクシーも負けじとコーニャに向けて射撃する。しかし、コーニャは海へ走りよると、そのまま海中に潜航してしまった。

 

「しまった、水中弾効果か!」

 

「水鉄砲に水中弾もクソもねーでやがりますよ!」

 

「ええい! ティティ、シャン! やっておしまい!」

 

「そんなあ!」

 

 結局巻き込まれた新入り二人も織り交ぜ総勢7名。かくして、三者入り乱れる姦しい争いが繰り広げられることとなった。

 

 

 

「……あの馬鹿ども。なんで今日ここにいるのか理解しているのか?」

 

 激しい戦いを端から眺めるのは第203統合戦闘航空団にて唯一の中立を保っているウィッチである石川団長。隣に控えた霧堂艦長はケラケラと笑う。

 

「まあまあいいじゃないの。女の子がキャァキャァいいながら逃げ惑う姿なんてそうそう見れたもんじゃないし!」

 

「霧堂……ほんっとうに貴様というタワケは……」

 

「ま、これでニューフェイスたちも203に馴染んでくれたらいいんだけどねー」

 

 目を細めながらそう言う霧堂。視線の先にはひとみたち。

 

「どう? 203のメンバーとして、さくらちゃんも混ざっちゃう?」

 

「その呼び名はやめろ」

 

「もうさくらちゃんったらぁ。これだからオバs」

「ゆうさく、」

「分かったゴメンナサイ許して石川桜花海軍大佐」

 

 さっと距離を取る霧堂艦長に、どこか優越感をにじませつつ足下の忠犬(ゆうさく)に「まて(Stay)」と命じる石川大佐。なんだかんだで彼女も楽しんでいるようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――いやぁ眼福眼福。わざわざ奮発した甲斐があったというものです」

 

 ところ変わって某所。南洋日報所属の従軍記者、新発田青葉はほくそ笑みつつカメラを構える。立ち入り禁止の看板は当然のように無視した。許可証はもらってるからセーフということにしておけばいいし、そもそも写真の出来不出来に適法かどうかは関係ない。

 

 白い砂浜に負けるもんかと、これまた輝かんばかりに白く光るレンズが躍る。数百メートル先には同じくらい眩しく輝く女の子(ウィッチ)たち。今回の目標だ。

 

 遮蔽物に隠れるようにバケモノのような長玉(超望遠)レンズが大きな音を立てて動きだす。扶桑が誇るカメラブランド、今は亡きタレルホカメラの末裔、SONIC純正の400㎜F2.8のレンズ。

 価格は余裕の100万円超。それを代償として、400㎜まできっちりとF2.8で抜けてくれる。ピンぼけの仕方(ボケ味)もきれいで申し分ない。まさに至高のレンズ。

 

 そのレンズを装着しているのは、これまたSONICのKI-21‐M(最上位機種)、SONICの最新モデルである。常用最高感度ISO142400では、夜間でも木々がしっかりと把握できるほど明るく撮影でき、最高感度では火の明かりだけでまるで昼間のような明るさを得られる。

 

 だが、SONICシリーズの最大の欠点として、色味の調節が圧倒的に困難なことが挙げられる。自然色に近いような微妙な発色で、赤色が苦手。人物を撮るとくどくなり過ぎるきらいがある。また、陰影がシャープになりすぎる。

 

 だが、このぐらいの性能で丁度いい。あとは我々がなんとかしよう。そんな信頼関係が築けるカメラ、という意味ではこのカメラは最高だ。人間と機械の最大のシナジーでどこまでも進んでいける。そんな気がする。

 

「すてんばーい。すてんばーい……」

 

 すっかり手に吸い付くようになったグリップを使ってゆっくり動かす。重量は少し重いがそれで結構。良さはそのまま重さだ。軽いレンズなどゴミも同然……いやジャーナリストとしては軽い方がいいんだけれども。もちろんこれから乗り込む予定の「加賀」には持ち込めないから後で支局に預けに行かないといけないのだが。

 

 目標、補足。撮影可能。

 目測、600㎜相当レベル。400㎜では数値上は少々役不足だが、問題ない。

 

 ファインダーをのぞく。水にぬれて、女の子がスケスケになっている。あれは青優しい女の子……米川さんだ。白い服装であることも相まってまあいい感じ。特にカメラに気付いていないのがキモといえる。被写体の表情は作品においてなによりも重要な要素の一つだ。

 

 レンズをしっかりと支えシャッターボタンを半押し、ピントを固定。

 オートフォーカスを解除。すでにピントを固定した今オートフォーカスは無用の長物。

 

「いいですねえ……最高です」

 

 水鉄砲を構え直すその瞬間。シャッターボタンが押し込まれる。

 ミラーが落ちる。

 視界が消える。

 ほんの数千分の1のスピード。センサへと光が飛び込む。瞬時に0と1により構成される電子の情報に変換。高性能SDへと落とし込まれる。

 

 連写はしない。それは飛行機レベルに視覚速度が速い動態を撮るときか素人が撮るときに行うべきことだ。

 

「……」

 

 確認を行う。当然、頭で描いた通りの絵面が出来上がっている。完璧じゃないか。

 

「ふふふ……こりゃ転職も選択肢ですかねぇ?」

 

 今度はレンズを替えて、もっと詳細に。

 

「もっとズームできる奴がほしいですねえ。よいっしょ」

 

 今までのレンズをパージする。そして接続するは「YONEKAWA:500~1000mmF5.6」。民間用としては世界一と名高い米川硝子加工の超望遠レンズ。

 ボケ味は伝統の六芒星。特殊素材により収差が少ないのが高評価……異常に重すぎるのが唯一の欠点。値段は欠点に非ず。

 

 ファインダーを覗く。射線に余計な男が割り込んでいた。

 男が去るのを暫く待とうかとファインダーから目を離すと、遠くの空が目に映る。湿気を含んだ空は、晴れてはいるがだんだんと白んでくる。雲にはならないだろうが、背景は汚く白くなることだろう。

 

「うーん。こりゃ転職するなっていうお天道様の思し召し。いやいや青葉は諦めませんよぉ?」

 

 道楽とはいえ全力でやらねば面白くない。なに、あのゴミ晴れが来る前に写真を撮ってしまえばいいのだ。かなりシビアだが……ツイてるときは絵が勝手に飛び込んでくるもの。

 

 レンズを覗く。一瞬でも男が射線から消えたらその瞬間にシャッターを押してやればいい。何度も半押しを繰り返し、都度都度ピントを細かく調整していく。

 

 

「おや……?」

 

 と、急にウィッチたちが蜘蛛の子を散らしたように走り出す。いったい何があったのだろうか。口元を見てると……狙撃? シールド? なにやら物騒な言葉ばかりが連ねられている。

 

「口元もしっかり読み取れる望遠レンズには流石米川硝子。そして青葉にはピュリッツァー賞……っていうのんきに言ってられる状況でもなさそうですね」

 

 残念だが副業の時間はおしまいだ。カメラから目を離す。シンガポールで襲ってくるとは大変予想外だったが動きが速かったのなら仕方がない。

 

「ったく、ドンパチはなるべく治外法権が効く場所でお願いしたいって言ったんですがねぇ」

 

 

 

 そんなことをつぶやいた瞬間、レンズが吹き飛んだ。

 

 

「――――ふえっ?」

 

 飛び散る一瞬前までカメラだったものたち。反射で飛び退く。隠れる場所は幸いにも多い、四散した破片の様子を見るに攻撃は砂浜の方から、なんで砂浜から?

 

「Hold up! Give away your weapon!」

 

「!」

 

 いきなり飛び込んでくるのは下手くそなブリタニア語。視界に飛び込んでくるのは扶桑の軍人さん。

 

「っ……あ、兵隊さんたち。これはこれはお疲れ様です。大丈夫扶桑語通じますよ、だからその、銃口下げてもらっていいですかね?」

 

 どう見ても扶桑海軍である。訳が分からない。向こうもどうやら同じようで、ぽかんとしたま小銃を青葉に向け続ける。

 そういえば海軍の地上戦力なんてシンガポールにいただろうか……ああ、彼らは陸戦隊か。かつての名残で各艦艇には一定数の白兵戦要員が配置される。いきなり飛び出してきたと言うことは艦が改装中で使えない「加賀」の隊員に違いない。

 

「あっ! というか聞いてくださいよ、青葉のレンズがっ何者かに壊されたんです!」

 

 さも今思い出したように言ってみる。正直敵意を向けられるのは好きじゃないが、それより怖いのはまだ見ぬ狙撃手(スナイパー)だ。一体どこから撃ってきているのか分からない状況での「Hold up」は気分がいいものではない。

 

 しかしどんどん増えていく陸戦隊員たち。後ろに回り込まれて……。

 

「えちょ、なんで捕縛っ? いや流石にこれは抗議ものですよ!? 報道の自由の侵犯です! 新発田青葉は撃たれたんですよ? むしろ扶桑海軍に保護を求めますっ!」

 

「何を言っている。お前が撃ったんだろうが」

 

「はぁ?!」

 

 

 訳が分からないという調子を崩さずにいる青葉だが、今の言葉でなんとなく状況を把握した。

 

 これあれだ。自分のカメラが狙撃銃のスコープかなんかと勘違いされてるやつだ。なんでそんなしょうもない勘違いをするんだこの人たちは。

 まあそんなこと面と向かっていえるはずもなく、後ろに回り込まれると拘束具が結びつけられて手の自由が奪われた。

 

「やだなぁ青葉こういうプレイは嫌いなんですけども。せめて一対一でやって頂かないと困りますよぉ」

 

 さーて誤解しかないとはいえ面倒なことになってしまった。口では冗談をいいつつ、青葉は困った笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーで、こいつがそのバカモンか」

 

 そんなジトッとした目線を投げかけられても新聞記者の表情は揺るがない。いや、揺るいでいるように見せかけているだけ。さすがはジャーナリスト、無駄に胆力がある。いつもはその胆力をさぞくだらなくはた迷惑なことに使っているんだろう。

 南洋日報は軍に対してかなり好意的な記事を書いてくれるのだが、ここまでトラブルメーカーなのはむしろ迷惑というもの。「加賀」陸戦隊の隊長を務める板倉大尉は露骨にため息を吐いて見せた。

 

「ったく、なんだってあんなところで写真なんか撮っていたんだね」

 

「いやぁご同伴に預かりたかったのですが、なぜか許可が下りなかったんですよぉ、仕方がないので立ち入り自由なここから撮っていた訳でして」

 

 本人は絶好の撮影スポットを見つけたなどとのたまうが、無論それは狙撃においても絶好のスポットだということを意味している。立ち入りが自由なわけない。

 

「新発田記者。あなたは看板見なかったんですか」

 

「ううん、青葉知らないなあ……」

 

 嘘つけ。と全身で表現してやる板倉。もちろんそれはこの場のいる部下全員の総意でもある。

 

「大尉、狙撃犯を拘束したそうだが?」

 

 と、石川大佐が向かってきた。「加賀」の所属である板倉は石川大佐の直接の指揮下にはないが、陸戦隊の性質上警備を担当することもある。面識がないわけではない。

 

「はい大佐。こちらが……」

「石川大佐ぁ! 助けてくださいよぉ!」

 

「……なんで彼女がいるんだ」

 

 新聞記者を一目見て石川大佐は頭が痛いといった面持ちで頭を抱える。

 

「狙撃現場にコイツがいたのです」

 

「違うんですよ! 青葉はむしろ被害者で、三百万円が吹き飛んだんです!」

 

「……なんの話をしているんだ?」

 

「はぁ。なんでもカメラを壊されたそうなのですが、残念ながらコイツ以外に怪しい影は見つからないのです」

 

「そんな訳ないですよ! 絶対砂浜から飛んできたんですよ? 嘘じゃないです!」

 

 そこまで聞いた石川大佐。表情が急に曇る。艦長と比べてこの人は顔に感情が出やすいのだ。

 

「あー……それは、アレだな。大尉、本当に怪しい者はいなかったんだな?」

 

「間違いありません。大佐」

 

「うむ。分かった。まあ、知らなかったのなら仕方がない」

 

 何が仕方ないというのだろうか。首を傾げる板倉大尉を尻目に石川大佐は眉間を揉む仕草。

 

「大佐。どうかされましたか?」

 

「いや……」

 

 石川大佐は、言葉を濁しつつ無表情となった。

 

「はあ、一体どう始末をつければいいんだ」

「知らなかったからから怒られるのは分かりますけど、折角の米川レンズを壊されたのはあんまりですよぉ……一体誰が」

 

 なにかに気をもんでいる石川大佐としょぼんと項垂れる青葉。状況が理解できない陸戦隊の面々はただ困惑するのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……三百万円」

 

 全表情筋を引きつらせているのはひとみだ。

 

「かめらってのはそんなに高いんでやがりますか。それじゃあ監視カメラは金の無駄でやがりますね」

 

「いやゆめか、街頭の監視カメラはもっと安いよ。カメラってのは変に凝ると急に高価になるものなんだよ」

 

「ど、どうしましょう先輩……わたし、そんなお金持ってないです……」

 

「落ち着きなさい米川、結局あのアホ記者か全部悪いんだから。弁償にはならないわよ」

 

 女の子らしからぬ顔で言ってのけるのぞみ。一方ひとみは完全に反省モードである。

 

「ひとみは、悪くない。皆を、守った」

 

「でもコーニャちゃん……結局スナイパーっていうのは青葉さんのことで、わたし青葉さんに酷いことを……」

 

 とりあえず簡潔に説明するとこうだ。

 突如飛び込んできた「スナイパー!」という叫び声。シールドを張れるよう構えながらの待避。のぞみの指示に従って石ころを投げたら見事直撃……今回もひとみの固有魔法の力をしっかりと生かしたのだが、なんと狙撃手なんていなくて、それは写真を撮っていた青葉だったのだ。

 

「気に病むことじゃないでしょ」

 

「でも、もし青葉さんに当たってたらって思うと、わたし……!」

 

「あっこら、米川!」

 

 そうしてひとみは駆け出す。目指すのはもちろん青葉のいるところ。

 ひとみは危うく青葉に怪我させかけたのである。石川大佐の魔導インカムを通じて伝わってくる情報の限り青葉は怪我などはしていないようだが、ウィッチの魔法の力を持ってすればヒトは簡単に傷ついてしまう。

 

 

 それは、恐ろしいことであった。

 

 

「青葉さんっ!」

 

 兵士たちの間に割って入って飛び込むひとみ。

 

「米川、待ってるように言っただろうが」

 

 顔をしかめたのは石川大佐だ。

 

「青葉さんごめんなさいっ! わたしっ、青葉さんだって知らなくて!」

 

「え……米川さんだったんですか?」

 

 ぽかん。といった表現が似合いそうな表情を浮かべてみせる青葉。

 

「ごめんなさいっ! わたしが魔法で……」

 

「米川」

 

 石川大佐が止めるが、もう遅い。青葉はさも合点がいったと言わんばかりに手を叩いた。

 

「……ああなるほど。そういうことでしたか。米川さんが青葉の三百万を……あんな遠距離ってことは、固有魔法ですか?」

 

「ほんっとにごめんなさい!」

 

「あーいやいや。それはいいんですよ、旅のお供って訳でもありませんしそれにデスクの拳骨と比べれば可愛いものですって」

 

 そう言いながら青葉はひとみの手を取る。

 

「だから、気にしないでくださいね?」

 

「は、はい……」

 

 ニコニコと笑う青葉に、ひとみはなんとか笑顔を作る。

 

「うんいい顔です。いやぁカメラが壊れるのが勿体ないくらいです」

 

「あっ……ごめんなさい……」

 

「あっ、違うんですって! 別にそういう意味じゃなくて!」

 

 手をブンブンと振る青葉。そこに石川大佐が釘を刺すように言う。

 

「新発田記者、分かっているとは思うが……」

 

 固有魔法は国家機密、ひとみのような特殊な固有魔法となればなおさらだ。さらっとひとみが漏らしてしまったが、本当ならこれは大変な情報流出である。拡散されるわけにはいかない。

 石川大佐に睨まれて、青葉はニコリと笑うのだった。

 

「ええ当然です。()()()()ですものね」

 



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2-4-2"Paradise"

「陸戦隊まで出動したのに……大山鳴動して鼠一匹とはこのことね」

 

 赤い太陽に照らされる南国の楽園。その砂浜を、やれやれと言った様子で歩いていく重武装の兵士たち。とある従軍記者のカメラが発端で始まった狙撃騒動もどうにか終わり、砂浜には本来の観光地としての雰囲気が戻りつつあった。

 

「青葉さん……」

 

「ほっときなさいよ米川」

 

「でも……」

 

 のぞみは苦笑するに留め、夢華はやれやれと首を振る。

 

「ま、しばらく近づかないでほしいわね」

 

「どうしてですか?」

 

「そりゃ米川、向こうは写真を撮ってたのよ? それも無許可で」

 

「でも敷地に入るのはいいんじゃ……」

 

「通常の取材ならね。でも無許可で写真を撮るのはダメでしょ」

 

 そんな風に吐き捨てるのぞみ。確かに無許可はいけない。「加賀」の中にもいくつかある『防衛秘密区画』とかいう場所にはひとみだって入ることは許されないのだ。

 でも今回はそうじゃない。ひとみにしてみれば青葉は写真を撮っていただけなのにカメラーーそれも三百万円の超高級品ーーが壊されてしまったわけで、つまり単純に被害者なのである。

 

 その時、目の前にひと仕事を終えたであろう霧堂艦長がやって来た。

 

「あー、諸君」

 

「あ、かんちょー!」

 

「ちょっち皆を集めてもらってもいいかな?」

 

 

 

「ーーーーさて、騒動も一段落し、各々お楽しみのところと思う」

 

 不敵な笑みを浮かべる霧堂艦長。奥には石川大佐。

 雲行きが怪しくなる。というより、この人が異常にニコニコしているときはろくなことがないことを、彼女たちは身をもって知っていた。実際、石川大佐も厳しい顔つきである。いやこの人の顔はだいたい厳しいけど。

 

「今から、我らが新生203を徹底取材してくれる記者を紹介して進ぜようと思う! とくに新規組は初顔合わせとなるかな?」

 

「記者? それって……あっ」

 

 なにかを察した様子ののぞみ。そりゃそうだ、記者と聞けば思い当たるのは一人だけ。

 

「どもっ、新発田青葉です! 南方日報シンガポール支局、これより第203統合戦闘航空団を!」

 

「でしょうね!」

「知ってた」

「帰れえええええい!」

 

 それぞれ新喜劇もミスタービーンも驚くツッコミを決める。すかさずその様子を写真に収める青葉。

 

「まあまあ諸君、落ち着きたまえ。これから君たちは世界を救うために戦うんだ。折角だから写真に残った方がいいじゃないか」

 

「夢は加東圭子! 皆さんの最高の写真をバッチリ収めさせて頂きますよ!」

 

 サムズアップしてみせる青葉。腕にはしっかりと「南洋日報」の文字が躍っている。霧堂艦長も拳を振り上げた。そして言い放つ。

 

「というわけで、海を楽しんじゃおう! みな散れーい!」

 

 

 

 訳が分からないといった様子で霧堂艦長に追い払われるウィッチたち。

 

「うーん。青葉嫌われちゃいましたかねぇ……?」

 

「なーに、皆いい子たちだからだいじょーぶよ」

 

 ケラケラと笑う霧堂艦長。

 

「ホントですかぁ?」

 

 そう言いつつも新たなカメラをショルダーバックから取り出す青葉。なんだかんだで『取材』は続行するつもりらしい。

 

「で、それよりもだ新発田記者」

 

 そんな青葉にいつになく真剣な顔つきで詰め寄る霧堂艦長。

 

「……質は保証しかねますよぉ? なんせカメラは副業ですし」

 

「ナマじゃなくていい。しっかり現像してからだ。受け渡しは後程こちらから指示する」

 

 砂浜を見定めるように眺めている青葉は、横目で返す。

 

「おいくらで?」

 

「ここに入れたのは特別措置だ」

 

「はいはい、わかってますよ」

 

 だからタダで頼む、ね。青葉はそう受け取った。ここで契約は成立。これ以上の深入りは禁物。青葉は引き際をわきまえているジャーナリストだ。そのまま霧堂艦長となんの会話もなかったかのように立ち去る。

 

「青葉っち、頼んだよ……」

 

 つぶやきが聞こえて振り返ると、霧堂艦長が浮かべるのは微笑み。と言ってもくっくっくと声が漏れてくるあたり、ろくなことを考えているようには見えなかった。

 

「いやぁ親切な艦長さんには感謝しませんとね」

 

 まあそれは青葉も一緒だ。艦長に劣るとも勝らぬ笑顔を浮かべる彼女のフッコール105㎜F2.5レンズが黒光りする。

 

 軍事用カメラといったらFukon。これは扶桑だけでなく、世界の常識である。そのレンズブランドであるフッコールの製品に外れがあるはずがない。

 

 そんな中望遠で狙うは米川さんの油断した二の腕と絶壁~きれいな腋を添えて~。カメラから離れているせいか少し油断した表情がナァイス! ジャァスティス! マーベルァス!

 流石は天下の扶桑光学(フコン)、40年物のレンズだが信頼のおける安定性は変わらない。これぞ扶桑のモノづくり。ガリア=インドシナ戦争の際も、このレンズは軍用として大きく活躍したのだ。

 

 さて今度は接写。一気に間合いを詰めて――でも極度に驚かせないように、勢いをつけないように――カメラをより小さく近距離用のものに交換。シャッターを切る。

 

「米川さーん?」

 

「あ! 青葉さん!」

 

 彼女は狙った通り少し驚いたような顔をして、それから微笑んだ。

 

 私は驚いた顔を一枚撮ると、彼女が微笑む前にフィルムを巻き、微笑んだ瞬間にもう一枚写真を撮った。なんという早業。自分でも惚れ惚れしてくる。

 

「うん、いい笑顔頂きました! あとで差し上げますね!」

 

「わぁ! ありがとうございます!」

 

 お気づきだろうか。私が今持っているカメラは、デジタル一眼レフではない。50年も60年も前のカメラ。そう、フィルムカメラだ。

 

 フコンのカメラはフコンF2。かなり売れた人気機種で軍用カメラの代名詞的なものだ。そして今しがた持ち替えたカメラはライカのライカⅡ。そう、先の大戦でアフリカにて大活躍をされた「フジヒガシ」の東方、加東圭子氏の使用していたカメラと同機種である。

 

 僭越ながら氏と同じカメラで、氏と同じくうら若きかわいいウィッチを激写しているわけである。

 

 ちなみにだが、こんな風に颯爽と割り込んでいって写真を撮ってくる技術は、まさしく加東圭子流だ。彼女の撮影したハンナ・マルセイユ氏の写真は世界一との呼び声が高い。

 

 そんなわけで撮りたかったものは抑えた。撮ったら即時撤収はカメラマンの鉄則だ。

 

「ではっ、失礼しましたー!」

 

 そういって距離を取る私に米川さんは屈託のない笑顔を向ける。うんうん、やっぱ被写体は純粋な方が可愛くとれる。

 

「高少尉も一枚如何です?」

 

「……フン」

 

 やっぱこちらをずっと睨んでくるペッタンコよりも、明るく優しいペッタンコの方がいい。

 

 そんなことを思っていたら背後に迫り来る気配。振り返れば大きいねぇ、オラーシャのプラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ・ポクルィシュキン中尉。203編成時から参加している初期メンバーの一人だ。

 

 無表情でも……まあ身体と背景が良ければ十二分にいい絵は撮れそうである。

 

 そしてにゅっと手が伸びてきた。カメラにだ。慌てて逃がす。

 

「やだなぁ中尉。あなた()止めくださいよぉ。えっと、ぷ、ぽ、ぽぷて、えーっと、ぽる、ぷる、ぷら、ぷぉろるすちかーやそやん?」

 

「ポクルィシュキン。そんな間違え方をしたのは貴方が初めて」

 

 無表情に言う中尉。懲りもせずにもう一度手を伸ばしてくる。思ったよりしつこいヒトだ。ひらりひらりと躱していく。

 

「それと言っておきますけどねポートライナーさん、そんなことをしても無駄ですよ」

 

 ポクルィシュキン中尉の手がピタリと止まる。

 

「どういう意味。あと、ポクルィシュキン」

 

「ああ失礼。そのままの意味ですよ。これは機械式の、つまり一切の電子部品を使わずに稼働するカメラです。いわゆるフィルムカメラと呼ばれる骨董品ですよ。年代的には先の大戦の時代より少しあと、程度です」

 

「……だから、何?」

 

「それはお互い言葉に出さんほうがよろしいでしょう。で、無駄であることはご理解いただきました?」

 

 彼女はひたすら無表情。だが、その瞳の奥に0と1が躍っているのがわかる。凄いな彼女。栄養が胸にもアタマにもいってる。

 

「データを消去するつもりは?」

 

「あいにく、ありませんね」

 

 一番大口の霧堂艦長(クライアント)がいる限り、それの支障になる条件を飲むわけにいかない。

 

「……」

 

 彼女は胡散臭そうにこちらを見ている。

 

「まあまあそんな顔せずに、笑って笑って」

 

「なに」

 

「おひとついかが?」

 

 そんなことを言ってる間に、素早くライカのセッティングを済ませる。順光、バリ晴れ、夏光線。感度をISO100にしていることを考慮し、素早くノールックでシャッタースピードと絞りを合わせる。

 

「言ってる意味が解らない」

 

「いいじゃないですか一枚くらい。仲間外れはいやでしょう? 何でしたら後で焼いてお渡ししますよ?」

 

「……。わかった」

 

 むふふ。これでいっちょ上がり。いくら冷静なツラ構えでも、女の子は女の子だ。

 

 焦点を合わせる。小ぶりなレンズが気持ちよく動く。目算と同じくらいの位置でしっかりとピントが合った。

 

 カメラを向けると、少しほほを赤らめてそっぽを向かれた。手は後ろで組んでいる。素直に撮ってもらうのが恥ずかしいのかな?だが、申し訳ないがこっちのほうが可愛い。

 

 青空に白い肌が輝く。でもその白は、少し桃色を含んでいる。私は現代にカラーフィルムがあることを感謝した。

 

「はい撮れました! いやぁいい写りしてますよぉ? ここで見せられないのが、まあ残念なところではありますが」

 

 この写真たちはあとで有効に使わせていただこう。どうということはない。こんな風に写真を政治的材料にして立ち回るのも、加東圭子流。少なくとも「加賀」の士官様たちにはよく売れるに違いない。

 

 氏と同じカメラで同じように撮る。むふん、最高だ。ライカも心なしかいつもより輝いている。

 このライカとなら、どこまでも進んでいけそうな気がした。

 

 さあ、次のターゲットだ! 青葉はさも楽しげに駆け出した。

 

 

 

「……なーんか撮りまくってるよ」

 

 のぞみがシャンとティティを撮りに行った青葉を見ながら苦々しい顔をしてつぶやく。

 

「のぞみ」

 

「なんか絡まれてたねぇー。お疲れ」

 

 コーニャに向き直るのぞみ。

 

「で? ポルティカル中尉はデータを消したわけ? まあ盗撮は気持ちいいもんじゃないし私としてもせいせいするけどーーーー」

 

「無理だった」

 

「え?」

 

「電子データに依存しない方式で写真を撮っていた。アナログ式」

 

「えなに、このデジタル万歳の時代にフィルムってこと?」

 

 ふーん。懐古主義ってやつなのかねぇ。そんなことを言うのぞみに対し、コーニャは周りを憚るように低い声で言った。

 

「……アレは知ってた。私のこと」

 

 その言葉を聞いたのぞみは、訝しげな表情でコーニャを見返した。

 

「本気で言ってる?」

 

「確証はない。けど、わざわざアナログを持ってくるなんて、ない……可能性は高い」

 

「んな馬鹿な……あんたはオラーシャの最高機密でしょーが」

 

 コーニャの固有魔法は電子機器への直接介入だ。複数のタブレットを並列化して演算能力を高めたり、ミサイルの制御だってお手の物。彼女が操るオラーシャ空軍のストライカーA-100も、コーニャの固有魔法によってそのポテンシャルを大幅に引き上げられている。

 それはこの時代においては非常に希有な、そして有用な魔法なのだ。故に徹底的に秘匿されているはずだというのに。

 

 のぞみは少し俯いて、それから顔を上げる。

 

Прасковья(プラスコーヴィヤ)。私に手伝えること、ある?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンガポール海峡。言わずと知れた国際海峡。その海を眺めながら、レクシー達は遊んでいる。

 

 白い砂浜と海。穏やかな風。それはまるで平穏そのもの。

 

 だがしかし忘れてはならない。それは大自然なのだと。

 

 海、それはどんなに優しい顔をしていたとしても、人間によって管理され運営されるプールではないのだ!

 

 

 

 打ち寄せた海水が蒼いトンネルを作る。それはひと際大きな波。夢華たちに押し寄せ、そして襲いかかる。体の小さな夢華がは少し体勢を崩され、そして流されてしまった。

 

「hahaha! なんてザマなのおチビちゃん(What’s a worthless runt, girl)?」

 

 レクシーがそれを見てせせら笑う。夢華はそれを聞いて顔を赤くするが、次の瞬間レクシーを見て笑い出した。

 

「プフッ。その丸出しのケツとチチでよくもまあ人のことを笑えたもんでやがりますねえ。成熟した()()()のレクシーさん?」

 

「What the fxxk!?」

 

 慌ててレクシーはなぜかスース―する身体を見る。すると、ついさっきまであったはずの水着が上下ともに無くなっているではないか。

 

 慌てて振り返ると、水着の上下が水面にぷかぷかと浮かんでいる。

 

「○×♨△※♀☆#ーーーーーッ!」

 

 そう、大自然の脅威である大波が、彼女の水着を奪い取ったのだ。

 

 レクシーは慌てて件のカメラマンの位置を確認する。幸いまだこちらには気が付いていないようだ。

 

 レクシーは一目散に海へ飛び込む。水着を回収するためとそのナァイス!な身体をあの小賢しいカメラマンにスクープされないようにだ。

 

 激しい水の抵抗が身体を蹂躙するがお構いなしだ。レクシーは水との格闘を始めた。

 

「レクシーちゃん、とんでもない勢いですっ飛んで行きましたねえ~」

 

 そんな大騒ぎの少し後ろでシャンがのんびりと砂山を作っている。その近くには騒ぎを聞きつけたルーカスが何が起こったのかわからずうろたえていた。

 

「でも、アレックスさんって泳げましたっけ?」

 

 ティティも砂山の造成を手伝いながら、その砂山越しにのんびりと慌てるレクシーを眺める。砂山は大きなお城とそれを囲む城下町へと進化していた。ルーカスはレクシーの姿が見えなくて右往左往する。

 

「泳げなかった気がしますね~」

 

 砂山は頂上部分のお城の建設が終わり、城下町の道路整備の段階に入っていた。城下町の小高い丘には手掘り式の山岳トンネルが開通した。ルーカスがばしゃばしゃと水しぶきを上げる物体を確認した。

 

「うーん、大丈夫かなあアレクシアさん」

 

 城下町の建設は着々と進み、商業地区の人口を受け入れるためのニュータウンの造成が開始された。ルーカスが万が一に備え、浮き輪の準備を始める。

 

「あ、溺れた」

 

 官庁街の建設が終わり、あとは居住区の整備だけだ。もはや砂山王国の完成は近い。

 

「アレクシアー!」

 

 その瞬間、レクシーは情けない声を出しながら溺れた。それを見つけたルーカスが走り出す。

 

 砂山の王国を踏み超えて。

 

「「あー!私たちの国が!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青葉は、当然この騒ぎの全容を理解していた。

 

 すっぽんぽんの美女。これは格好の獲物である。

 

 だからこそ、青葉は歯ぎしりしていた。

 

「なぜ……なぜ……!」

 

 青葉はうなだれる。火に照らされた灼熱の白い砂に無念をぶつける。

 

「なぜこのタイミングで……カメラが壊れる……っ!」

 

 青葉の目の前には、シャッターが下りなくなったライカⅡ。

 

「ああもう!なんでよりにもよって彼女がひん剥かれたと同時に壊れるんです!」

 

 青葉は激怒した。青葉にはカメラは分からぬ。だが、被写体に対する欲望だけは人一倍強かった。

 

 青葉は仕方なしにフコンF2に切り替える。正直言って今すぐデジタル機に持ち替えたいぐらいだった。

 

 青葉にとってフィルムカメラはコーニャを出し抜く手段でしかない。デジタル機を専門、というかそれ以外を基本的に使用しない彼女にとって、付け焼刃的に習得したフィルムカメラの技術はやはり不完全なものだったようだ。

 

「ああ、しかしライカですよ……加東圭子氏と同じライカ……」

 

 新宿で同じような感じのが22万円で売られていたのを覚えている青葉は、目の前が真っ暗になる。

 

 青葉はたくさんのカメラを操っているが、カメラ通ではない。であるから故障したらどこへ持っていけばいいのかもわからなければ、なぜ壊れたのかもわからない。

 

「どーしたでやがりますか。四つん這いになって」

 

「高さん……。ああいえ、カメラが壊れてしまって」

 

 だがしかし、高級品であることは分かる。そして、壊れてしまうと滅多に買いなおせる品物でも、ホイホイ修理できるモノでもないこともなんとなくわかる。

 

 話によれば1932年だか1951年だかの製造らしい。とっくのとうにサポートなんか切れているだろうし、そもそもとしてライカは海外の会社だ。そんなサービスがあったかも怪しいし、あったとしても見つけるのは至難の業だろう。

 

 青葉にとってカメラを壊したことはこれが初めてではないが、こんなフォローがメンドくさいカメラを壊したのは初めてだ。お気に入りだったのもあって、珍しく本気で落ち込む。

 

「青葉さんかわいそう……」

 

 連続でカメラがお釈迦になった青葉に対し、ひとみはかなり同情的だ。

 

「でも、替えのカメラはきっちり持ってやがるんですね」

 

 夢華は青葉の持つフコンF2を一瞥する。

 

「それとこれとは違うんですよお……」

 

「青葉さんかわいそう……」

 

 ひとみは口に手を当てて、同情でもらい泣きしそうな顔をする。青葉はそれを見逃さなかった。

 

「ああ、せめて可愛い女の子を撮れたらなあ。そしたら今までの事全部忘れて喜べるのに」

 

 ちらっ。ちらっ。顔を手で覆って嘆きのポージング。そして指の隙間から卑しくならない程度に意味ありげな目線を送る。

 

「ねえ、もんふぁちゃん。一緒に撮ってもらおうよ!」

 

 かかった!青葉は心が躍り上がるのを必死で押さえつけた。想定通りひとみは夢華とのツーショットを望んできた。

 

「はあ?嫌でやがりますよ!だいたい、なんだってこんなヤツに写真を撮られなくちゃなんねーでやがりますか」

 

「でも……ねえ?」

 

 ひとみが上目で夢華を見つめる。

 

「あーもう! しょうがないでやがりますねえ!」

 

 夢華が承諾したとみるや、青葉は今までの落ち込みが嘘だったかのように喜々としてカメラを構える。

 

「じゃ、おねがいしまーす!」

 

「くっ……こいつ、やっぱりロクでもねえ奴でやがります」

 

 そういいながらも夢華はきちんとポーズを撮る。ひとみの隣に並び、ブスーっとした顔でレンズを見つめる。

 

「うーん、やっぱ米川氏のほうが若干発育はいいですかねえ……」

 

 青葉がファインダーをのぞきながら口を滑らせる。それが夢華のスイッチを入れた。

 

「こんなちんちくりんと一緒にされたくねーでやがりますね!」

 

 夢華は左手を首に当てると思いっきり胸を逸らす。そして口角が上がり、蠱惑的な笑みを浮かべる。あごから首筋が魅惑の曲線を描く。それに激烈に反応したのは当のひとみだ。

 

「だ、だれがちんちくりんですかっ!?」

 

「他に誰が?」

 

「――――もんふぁちゃぁあああああああああああんっ!」

 

 腕をぶんぶんと振って相手を追い詰めようとするひとみだが、未来予知を使える夢華が捕まるはずもなく、するりと魔の手をすり抜ける。追いかけっこが始まるが青葉はどこか優しい目だ。

 

「子供が張り合ってもねえ……」

 

 青葉はファインダーをのぞき込んだ。その瞬間、青葉は仰天する。

 

「こ、これは……なんで、なんでだ!?高さんが何故こんなにも魅力的に……っ! まさか、『ぺたんこは胸を反れ、ぽっちゃりは丸まれ』の法則か!?」

 

 無い胸を反らす。それはむなしい行為であるはずなのに、青葉の目にはこれ以上ない美しさに思えた。

 

 そしてその横に、恥ずかし気にひとみが肩を並べる。ひとみはカメラに対して斜に構え手を後ろで組み、もじもじと上目づかいでレンズをのぞきこむ。

 

 青葉は、カメラを持つ手が震えた。

 

「強気な顔の高さん、恥ずかし気な米川さん。これは陰影! これは陰影! コントラストですっ!」

 

 我を忘れて青葉はシャッターを切る。そして、人物撮影ではあまり好まれない、下から煽り上げる構図(ローアン)に移行する。砂浜にべったりと寝転がり、体中に砂が付き暑さのあまり鋭い痛みが走るが、気にならない。

 

「ローアンからの撮影に耐えた……そうか、二人とも細身だからローアンで下から煽ってもきれいに写る……っ! 写真に疎い青葉でもわかる! 彼女たちは、天に選ばれた被写体だぁ!」

 

 砂浜に膝をつけたままガッツポーズをする。そして叫ぶ。魂の叫びだ。

 

「なんという奇跡、なんという出会い! これこそが美、これこそが芸術う!」

 

「きりどーの変態と同じ匂いを感じるですね」

 

 砂浜に、青葉の嬌声がこだました。周りはため息ばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レクシーは改めて大空に輝く太陽を見つめた。この地球を育む全ての母。太陽系を統べる主。それは今日も人類を、そして未来を照らしている。

 

 海岸線に目をやれば、砂防林の緑と海の青に挟まれた白い砂浜に人影が踊っている。一方こちらは波に揺られるだけ。レクシーは浮き輪の下に向かって声をかける。

 

「ルーク、もういいわよ。止めて」

 

 その一言で浮き輪は進むのを止める。もちろん自走式浮き輪ではない。ルーカスに押してもらっているのだ。

 ずかずかと海に入り、そして溺れたレクシーは、その後慌てて助けられたルーカスによって浮き輪をはめられ、ルーカスの牽引により浜を目指している。

 

 なんだかんだでだいぶ沖の方まで出てしまった。もちろん禁止区域には出てないし問題はない。むしろやっと得られた静かな環境。照り付ける太陽は冷えた身体を温めてくれるし、波の揺れは心地よい。

 

「ねえ」

 

「なんだい?」

 

 レクシーはルーカスの胸に体を預けながら言った。肌と肌の間に入り込んだ冷たい海水が二人の体温でぬるくなるのが、まるで二人が溶け合っているかのように感じさせる。波の揺れに合わせて髪のうなじをさわってくる水が少しこしょばっくい。

 

「ねえ、あなたはどこまでアタシを愛してくれる?」

 

「どういう意味だ?」

 

 レクシーは水をすくい上げ、そして落とす。

 

「そのまんまの意味よ」

 

「言ってくれなきゃわかんないよ。士官じゃないんだ僕は」

 

「その程度のやつを選んだつもりはないんだけど」

 

 レクシーはそう言って軽く空を仰いだ。彼の顔が視界を埋める。整ってはいるが、確かに粗雑と言えなくもない。英国紳士らしいかと言われれば間違いなく否だ。

 

「それでもあんたはリベリオン海兵隊員でしょ。バカじゃない」

 

「だったら海兵隊の将校殿は恋愛の達人かい?」

 

「そういう切り返しが出来る時点で頭いいじゃないの」

 

「女遊びは経験不足なんだ」

 

「嘘つき」

 

 それからレクシーはルーカスに詰め寄る。

 

「ヨネカワに手を出しておいて?」

 

「あれは事故だ」

 

「限りなき故意に近い?」

 

「そろそろ怒るぞ」

 

 別にそのことをいつまでも引きずるつもりはない。長い黒髪がしっとり濡れて、顔に張り付く。その顔は髪の毛で出来た陰で表情が見えない。

 

 少し高い波が首筋までかかる。口にかかった飛沫が少ししょっぱい。

 

「……もし私たちが離れ離れになっちゃったら、どうする?」

 

 その言葉に顔を曇らせるルーカス。二人はリベリオン軍人。だが世界を救うウィッチであるレクシーに対して、ルーカスは一整備員に過ぎない。

 

「その仮定に意味があるとは思えないね」

 

 ルーカスはレクシーの体を強く抱き寄せた。いままで触れ合っていた部分とは違うところが触れ合う。水分を含んだ肌同士がこすれ合い、鈍い音を立てて滑る。二人がこうしていられるのは同じ母艦「リベリオン」に所属しているからだ。レクシーにとっては、それは奇跡のようなものだった。

 

「ねぇルーカス。私、ヨーロッパに行くんだよ」

 

「ああ、分かってる。アレクシアの夢なんだろう?」

 

 夢。確かに夢なんだろう。何度も何度も転属願いを書いたのは、欧州に行くため。欧州を占領しているネウロイを倒すため。アジアに展開する第三海兵遠征軍は欧州で戦うことはない。

 

「お父さんの故郷を、ダキアを取り戻す。その第一歩なんだろう? だったら君は進むべきだ」

 

 ダキア。それは地中海の西に位置する小国だ。1995年のデリバリット・フォース作戦以来東欧には目が向けられていないが、ネウロイがそこを占領し続ける限り追い出された人間は帰れない。レクシーの父親はそこからリベリオンにやって来たのだ。

 レクシーは、父が語る欧州しか知らない。

 

「そうね、夢。夢よ。パパに笑って欲しい。ファザコンが抜けきらない夢だけど、大切な理由」

 

「知ってる」

 

「ルーカス、それでいいの?」

 

 貴方は、という主語が消えた問いに首肯で答えた。

 

「君の人生だ。君のやりたいことをやればいい」

 

「冷たい人」

 

「君を愛するのが僕の人生だ。僕は君を僕のやりたいように愛するだけさ」

 

 そう言う顔はいつになくまじめで、少し引けてしまう。

 

「ゴールデンカイト、203JFWはヨーロッパに向かう。アタイの二つ目の故郷があるヨーロッパ。そこがどんなところか、アタイは知らないけど、激戦地だと聞いてるわ」

 

「それがどうした」

 

 その言葉が、どこか突き放すように聞こえて。

 

「そんなに気安く言わないでよ。ルーカスの知らないところで死ぬかもしれないのよ」

 

 どうしようもなく寂しくて。だからついぶっきらぼうになってしまう。

 

「死なないさ。君は死なない」

 

「僕が守るからとか言ったら張ったおすわよ」

 

「そんな身の程知らずでもない」

 

 ルーカスはそう言って彼女の頬に触れた。

 

「君は強い。生きて帰れるさ。勝てなくても逃げ帰ってくればいい」

 

「それでどうなるのよ、居場所なんてないわ」

 

「僕が居場所になるさ」

 

「ただの整備兵のくせに」

 

「その整備兵に恋したのは君だ」

 

 自意識過剰よこの馬鹿ルーカス、とでも罵倒して一発ぐらいぶん殴りたかったが、波で揺れてバランスを崩した。彼が抱き留め、彼の腕の中にすっぽりと収まってしまう。男性にしては細いと思っていた腕も、ここではこんなに頼れる。男らしいごつごつした腕で抱えられてしまっては、彼女が拳を振り下ろすべき場所はなかった。

 

「……バカ」

 

「そんな顔は似合わないよ」

 

 そう言いながらルーカスはレクシー顎を手に取ってくいと顔を自分の方に向けさせた。二人の距離が離れ、冷たい海水が割り込む。

 

「アレクシアにはずっと笑顔でいて欲しいんだ。それを僕は見ていたい」

 

「一緒にいられるのかも分からないのに?」

 

「どうして? 簡単なことじゃないか」

 

 そうルーカスは手を広げ、そのせいでレクシーが沈む前にもう一度持ち上げる。

 

「だって、俺は君か若しくは神様が何をどうしたって、君のそばに居続けるからだよ。ずっと一緒さ、アレクシア」

 

 そう言うと、ルーカスは正面からレクシーを抱きかかえる。レクシーはルーカスの右肩にあごを乗せ、首に手をまわし、そして耳元でささやく。

 

「ホント男って……ありがとう」

 

「一緒に地獄でも地の底でも行こう。だから行きたいとこに行け。俺はどこにだってついていくし、いつだってそばにいるさ。愛してる、アレクシア。この世界のすべてよりも」

 

「私も。愛してる。ルーク」

 

 二人の温度が上がる。海水の冷たさから逃げるように、二人は更に強く抱き合う。潤った肌と肌が吸い付き海水の侵入を拒むが、ふと体勢を変えた瞬間に二人の肌が離れ、おなかのあたりに水が侵入してくる。それがいやで、レクシーは更に強く身体を密着させる。

 

 どこまでも蒼い、蒼い大空と海の境界線で、二人だけが浮かんでいた。

 

 

 

「ひゅー!あの女!男とイチャイチャしてるぞ~!」

 

クソチビぃいいい(おおむら)!」

 

 強烈な罵声が耳元から飛んでルーカスが笑う。太陽はまだ沈まない。南国の強烈な太陽が皆を燦々と照らしていた。

 



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2-5-1"Regard"

「せ、先輩……これ、重いです……」

 

「私は米川の2倍は持ってる」

 

「それは先輩が固有魔法を使ってるからじゃないですか!」

 

 ひょこひょこと頭に犬耳を躍らせていてのぞみが軽々とバーベキューコンロとクーラーボックスを運ぶ。その後ろに砂浜で足を取られておたおたとひとみが炭の入ったケースを持ちながら追いかけていた。

 

「てか米川、あんたも魔力を使えば? 私ほどじゃなくてもある程度の力は出るでしょ」

 

「あ」

 

「……米川、いつも思うけど抜けてるとこありすぎじゃない?」

 

「うぅ……」

 

 ひとみは何も言い返せなかった。思えば最初から魔力を使えばよかったと言われればその通りだ。使おうかと思ったけれど、もうここまで来てから使っても意味がない。たかだか数メートルで魔力を使うのはなんだがバカらしい。

 

「さ、物資はそろったわね」

 

バーベキューに使用するセットを運び込みが終わると、水着に薄手の上着を羽織ったのぞみはコンロの中になれた様子で炭を積み上げていく。少し位置を調節しながらガスバーナーを取り出した。

 

「って、ガスバーナー使うんですか先輩!?」

 

「当たり前でしょ。こういうのは火力が命よ。あとは時間短縮」

 

 そ、そうなんですか……バーベキューと言えば木の櫓を組んで新聞紙とマッチで火を付けるイメージしかないひとみにとっては、なんというかごり押しだなあと思えてしまう。

 

「なに? 米川は外でこういうのやったことないの?」

 

「ありますけど……普通ジンギスカンとかはガスコンロ使いますし……」

 

「なるほどねぇ、じゃあ米川は炭火の良さを知らないわけだ。大変結構、きっとこの大村家流バーベキュー術を気に入るはず……それでは始めよう! 着火!!」

 

 そんな着剣みたいに言わなくてもいいのに、ひとみがそう思う横でガスバーナーをコンロに向けるのぞみ。吹き出した青色の炎に触れたことで温度が発火点に達した炭から火が出る。

 

「わぁ……」

 

 燃える様を観察するひとみ。のぞみは満足げにガスバーナーを仕舞って、そしてあることに気付いた。

 

「おや、リベリオン組もバーベキュー……どこの国も浜辺といえば考えることは同じな訳だ」

 

 ルーカスの使っているコンロを見たのぞみが唸る。きらりと眼が細められて光った。

 

 のぞみの視線の先ではルーカスがバーベキューコンロに取り付いていた。まだかまだかとレクシーにせっつかれながらも、食材を網に乗せて焼き始める様子はない。

 

早く焼きなさいよ

 

火が落ち着くまで待ってくれよ

 

 今の火は燃え盛るような炎だ。この状態で焼いてしまっては肉は表面が黒コゲになり、中までじっくりと火が通らなくなってしまう。まずは火を落ち着けることからバーベキューは始まるのだ。

 

 厚紙を手にしたルーカスが火に向かって柔らかい風を送り込む。炭に火が着いてさえくれれば、あとは時間をかけて落ち着いた火にしていけば準備完了だ。

 

まーだー?

 

今から焼き始めるよ

 

 トングを使って肉を網に乗せていく。燃え盛るような火で焼くのではなく、放射する熱で焼くのだ。

 

もっと火力を上げなさいよ

 

黒コゲになるんだってば

 

 くるりと肉を引っくり返す。薄めに切られた肉は長く焼きすぎてはいけない。素早く返していく。ルーカスの隣でレクシーがぶちぶちと文句を言っているがこればっかりは待ってもらうしかない。

 

アレクシア、皿を貸して

 

まったく遅いのよ

 

 レクシーが文句をつけつつ、ルーカスに紙皿を差し出した。手早く焼きあがった肉をルーカスが紙皿に乗せていく。急に口笛でも吹きそうなくらい機嫌のよくなったレクシーが紙皿を受け取った瞬間、のぞみが紙皿から一枚だけ肉をかっぱらった

 

こんのクソチビ! 私の肉を!

 

「せ、先輩!? な、ななな何をやってるんですか!」

 

 レクシーがとんでもない剣幕でのぞみに詰め寄り、あわや殴りかからんとする。さすがに暴力は、と思ったひとみによって止まられて事なきを得ているが、そんなことはお構いなしにのぞみがルーカスの焼いた肉をもぐもぐと味わいながら租借する。

 

「わかってる……」

 

「先輩?」

 

 じっとコンロをのぞみが見続ける。そして視線は燃え盛るような炎ではなく、炭の内側に閉じ込められた火から放射される熱でじりじりと炙るように焼いているルーカスへ。

 

「米川、バーベキューで絶対にやったらいけないことって知ってる?」

 

「わ、わかりません」

 

「それはね、炎で焼くこと。いちばん美味しく焼けるのは炎が落ち着いた炭で炙るように焼かなきゃいけないの」

 

「へえ……あ、じゃあルーカスさんの焼き方は正解ってことですね」

 

「その通りだけど問題はそこじゃないんだ、米川」

 

 のぞみがコンロを組み立てて、炭の火を落ち着かせていく。ルーカスに頼んで追加で焼いた肉をレクシーに渡すことで何とかなだめることに成功したひとみは首を傾げながら炭に風を送る手伝いをしていた。

 

「世の中でバーベキューをする連中の大半が炎で焼こうとするんだよ。なんとも嘆かわしいことにね」

 

 やれやれとのぞみが首を左右に振る。そう言われてひとみは改めて思い返してみた。そういえば昔に家族で行ったバーベキューでは、全体的に燃え盛る炎で焼く人が多かったような……。

 

「ヒトミ、ノゾミ。どうぞ」

 

「ふえ? あ、ありごとうございます!」

 

「これはまさか……」

 

「レバーペースト、です」

 

 ルーカスがにこやかにパンの上にペーストが乗せられたものをひとみとのぞみに差し出す。事前にパンは軽く炙ってあるらしく、ほのかに温かい。

 

 ひとみにとってレバーペーストは始めて食べるものだ。どんな味がするのだろう、と楽しみ半分、怖々半分でゆっくりと口に運ぶ。

 

「あ、おいしい……」

 

「…………」

 

 ふわっとしているだけではない。元がレバーだとは思えないくらい滑らかな舌触りだ。レバー、ということは肝臓だ。けれど内臓系によくある臭みはまったく感じさせない。何かはわからないが、ピリッとした辛味がいいアクセントだ。

 

「米川、気づいた?」

 

「何がですか?」

 

「レバーペーストってね、おいしく作るのが難しいんだよ。臭み抜きをしっかりやらないと食べられたものじゃなくなるから下ごしらえが大変なの。でもこれは臭みは感じさせないし、黒胡椒をアクセントにしてるから肉特有の濃い味も食べ飽きしないように工夫してある」

 

「ほえー、そうなんですね」

 

 ひとくちぶん齧られたパンをひとみがじっと見る。そんなに手が込んでいるものだとはとても思えない。けれどのぞみの説明が正しければ、このペーストを作る過程にはかなりの手間がかかっているはずだ。

 

「なるほどね、これがリベリオン……」

 

ルークのバーベキューを見たか扶桑人!

 

 なぜかレクシーが誇らしげに胸を張る。ひとみが揺れるそれを見てから自分のものに視線を落とす。それなりに大きい。少なくともひとみよりは。

 

「いつかおっきくなるもん……」

 

 ぼそっとひとみが呟きながら手を当てる。だからその隣で俯きながら震えるのぞみは見えていなかった。

 

「ふ、ふふ。はははははは……」

 

「せ、せんぱい?」

 

「上等! これがリベリオン流というのなら見せてやろうじゃない! 我が大村家流バーベキュー術を!」

 

「またですか!? というかいつも思うんですけど大村家流っていくつあるんですか!」

 

 のぞみにはひとみのつっこみなど届かない。眼を見張るような手際のよさでのぞみが炭の火を整えると網を乗せた。手早く網に上に重そうなフライパンを安置させると、オリーブオイルを注ぎ込む

 

「米川、あんた審査員ね。はいこれ」

 

「いいですけど……なんですか、これ?」

 

「いいから見ときなさいって」

 

 どこからともなく取り出したナイフでのぞみがにんにくをスライス。さらに唐辛子を輪切りにしてから2つとも温めたオリーブオイルの中へ。

 

「まさか……ノゾミ、それは」

 

「ふっふっふ。気づいたかリベリオン!」

 

 ルーカスがのぞみの持つフライパンにじっと視線を注ぐ。ひとみにはなんだか真っ黒で底が少し深めのフライパンにしか見えない。

 

 なにがなんだかわからないひとみは首を捻って成り行きを見守る。のぞみは手早くエリンギを縦に裂くと、エビとイカをフライパンへ投入していく。さっと一つまみぶんだけのぞみが塩コショウを振り掛けると、ふつふつと煮立つまで待つ。

 

「よし、完成! 米川!」

 

「え、えっと食べていいんですか?」

 

「審査員が食べなくてどうする! ほら早く食べる!」

 

「は、はあ……」

 

 紙皿に乗せられたエビとエリンギを箸で掴むとひとみは口へそれを運んだ。

 

 オリーブオイルをあんなに使っていたから脂っこいのかと思っていた。けれどそんなことはない。

 オリーブオイルに閉じ込められたにんにくの香りが食欲をそそり、唐辛子のピリッとしたアクセントが舌を弾く。プリッとしたエビやイカ、エリンギを噛み締めるたびにそれらが一体となって口の中ではじける。

 

「んっ……ふわぁっ」

 

 こんなの我慢できるわけがない。まだバーベキューは始まったばっかりなのに、箸が止まらないよぉ……

 

なにあれ……

 

あれはスキレットだ、レクシー。かなり使い込んでるからいい味が出てる。にんにくのカットも香り付けがしやすいスライス。いい仕事だ

 

 

やっぱり気づくよねぇ

 

 びくびくと身悶えするひとみから紙皿を取り上げつつ、のぞみがルーカスに向かってにやりと笑う。それはまるで次を出してみろよ、と言わんばかりの笑みだ。

 

ならばこちらも本気でやるよ

 

 ルーカスが取り出したのは漬け込まれた何かが入ったビニール袋。中から取り出した塊をどさりと金網の上に乗せた。ひとみの鼻を肉の焼けるにおいがくすぐった。

 

 引っくり返してもう反面を焼きにいれる。ジュワーっと油が火に悶える音が辺りに響き、ひとみとレクシイが唾を飲み込む。その中でのぞみだけが眼を光らせ続ける。

 

「ヒトミ、ノゾミ。どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 食べる前にひとみが皿の上に乗せられたものをじっと見つめる。じゅうじゅうとまだ音を立てるそれは骨付きの牛肉のようだ。だが表面についたこのつぶつぶはなんだろう。

 

「いただきます」

 

 骨にペーパーナプキンを巻くとはむ、とひとみは肉にかぶりついた。瞬時に肉がほろりと崩れ、さっきの唐辛子とは違った辛みが口内を刺激する。だがさっきより辛みはない。むしろ口当たりのいい甘さすらある。肉汁が噛むほど溢れ出し、今まさに肉を食べているのだと否応なく認識させてくる。

 

 こんなにおいしいものには逆らえない。野性味あふれるスペアリブに責められるようだ。抗おうにもただ次を求めてしまうのだ。

 

「あっ……お、お肉に…………だめぇっ」

 

「粒マスタードで香りを重視してる。でもここまでスペアリブが柔らかく……待って」

 

 恍惚とした表情のひとみを無視してのぞみがもう一口、スペアリブを味わう。外部からの余計な情報の一切を遮断し、無心になって咀嚼。

 

「このフルーティーな甘み、はちみつじゃなくてリンゴを使ってる……?」

 

「さすが、です」

 

「スペアリブでリンゴ……そっちこそ見事だよ」

 

「あの……どういうことですか?」

 

 バチバチと火花がルーカスとのぞみの間で散る。至福の顔でスペアリブを味わいつくしたひとみがなぜリンゴが出てきたのか理解できずに疑問符を投げる。

 

「肉を柔らかくするにははちみつを使うのが多いけど、甘すぎるって感じる人もいる。でもね、米川。これってリンゴでもできるのよ。しかもマスタードと合わせて漬け込んでるからクセのない仕上がりになってる」

 

 もぐもぐと口を動かしながらのぞみがひとみのために解説を加える。おいしいものはもちろん好きだが、そんなふうに見たことがなかったひとみとしては新鮮だった。

 

「肉……なら!」

 

 次はのぞみのターンだ。ばっとクーラーボックスから取り出したのは何かのタレで漬け込まれた鶏肉。トングでそれらを挟み込むと焼きにかかる。じゅわじゅわと脂が炭に滴り落ち、炎が燃え上がる。

 

「きゃあっ」

 

「いちいちびっくりしない!」

 

 トングを使ってのぞみが鶏肉を引っくり返す。ちょうどいい具合の焦げ目が鶏の皮に付き、テカテカと光り輝いている。

 

「さあ、大村家流バーベーキュー術レシピその8、『鶏もも肉のコチュジャン焼き』!」

 

 またしてもひとみの前に紙皿が突き出される。ごくりと唾を飲み込みながら抗うことを許さない肉の魅力を前にひとみの箸が伸びていく。

 

 噛んだ瞬間にパリパリとした鶏の皮から旨みがしみ出す。噛んでいくたびにジューシーな肉汁が溢れ出し、口内を責めたてる。少なくない、だが決してくどくない。スパイシーな味付けが脂っこさを緩和してくれているのだ。

 

「辛い……でも、もっとぉ……」

 

 コチュジャンとだけあってだいぶ辛い。けれどその辛さはむしろ癖になる辛さだ。一緒に野菜と食べるのもこれまた相性ばっちりだ。

 

「ノゾミ、やりますね。これは、ガーリックのすりおろし、ですか。下ごしらえも丁寧、です」

 

「これが大村家流だよワトスン君」

 

 得意げにのぞみが胸を張る。ちなみにワトスンなどという名の人物は加賀にいない。そう、念のため。

 

「先輩、何をやったんですか?」

 

「余計な脂や筋を落としただけ」

 

大したことじゃないのね

 

レクシー。これが結構、大変なんだ

 

 すべての鶏もも肉をきっちりと下ごしらえするというのは割と疲れるのだ。なにより、特に面白みがあるわけでもなく延々と切っては取り除いてを繰り返す単純作業は地味に面倒くさい。

 

「次は、私ですね」

 

 ルーカスが薄めにスライスされた豚肉を数枚ほど焼いていく。同時に網の端を使って2つに割ったマフィンを炙る。

 

 マフィンにレタスを敷くとその上に焼き上げた豚肉とトマトを乗せて挟み込む。そうやって手際よく組み立てたサンドイッチをのぞみとひとみにルーカスが差し出す。ちなみにちゃっかりとレクシーはサンドイッチに既にありついていた。

 

「ん……あっ、やぁ…………」

 

 肉の塩っけはかなり強めだ。だが共に挟まれているレタスやトマトがその塩気と見事に調和している。野菜で豚肉の塩気をさっぱりさせてくれるためだ。

 

 逆らえるわけない。シャキシャキのレタス、塩気によって甘みの引き立てられたトマト。こんなサンドイッチを残すなんて冒涜だ。

 

「パンチェッタだね、これ」

 

「ぱんちぇった?」

 

「豚バラ肉の塩漬けのこと。こういう利用法もあるのか……」

 

 のぞみがマフィンサンドイッチを齧りながら唸る。塩分を控えめにして作る手法もあるが、そんなことは一切していない。始めからサンドイッチのように野菜と併せて食べることが前提だ。

 

 改めて食べてみると、ベーコンに近いような気がしなくもない。つまりこれはBLTサンドのようなものなのだろう。

 

「サンドイッチおいしい……」

 

「米川の心を掴んだ……? くっ、扶桑人の心を取り戻せ米川!」

 

 のぞみが三角形の物体を網の上に乗せる。うちわで煽りながらこまめに引っくり返す。ころころと網の上で転がるそれはひとみにも見覚えがあるものだった。

 

「おにぎりじゃないですか!」

 

「ふっふっふ。扶桑人であるなら反応せずにはいられないよねぇ?」

 

 にやりとのぞみが笑いながらおにぎりに焦げ目をつけていく。醤油の焦げるにおいで空腹を感じるのは扶桑人の特権だ。

 

 焼きあがったおにぎりを底が深い紙皿に。小口切りのねぎを散らして、またしてもどこからともなく取り出した急須から少し濁った液体を注ぐ。

 

「これが何かわからないなんてことはないよねぇ、米川?」

 

「や、焼きおにぎりの出汁お茶漬け!」

 

「大正解! 正解者にはこのお茶漬けを下賜してしんぜよう!」

 

 ははー、とひとみがのぞみの差し出すお茶漬けを受け取る。箸を取るとざくざくと焼きおにぎりを崩して、出汁と一緒に口へ流し込んだ。

 

 焼きおにぎりにはゴマが混ざっているため、食感だけでなく香りもいい。出汁は魚介系で丁寧に取ってあるらしく、雑味と言えるようなものがまったくない。芳ばしい醤油が出汁に溶け出して、得にも言えぬ旨みを醸し出す。

 

 これは扶桑人でなければ感じられない喜びなのかもしれない。そしてひとみは立派な扶桑人だ。

 

 醤油の焦げる香り。これだけで既に空腹感が刺激されるというのに、そこにきて薬味のねぎやゴマ、そして丁寧に取られた出汁がかけられたお茶漬け。扶桑人であるならば、この極上の一品に抵抗することなぞできるはずがない。

 

「あぅ、んんっ……ぅあ」

 

 まぶたの裏に懐かしき扶桑がよぎる。温かいご飯を食べるため、家族で食卓を囲んだ在りし日。

 

 一口ごとにそんな景色が蘇る。ふんわりと柔らかい毛布に包み込まれているようだ。ずっと出汁を啜るたびに体の芯からじんわりと温もりが満たしていく。止められるわけがない。こんなに体も心も温めてくれるご飯を。

 

「おいしかったです、先輩!」

 

「ふふん、大村家流を舐めるな!」

 

 得意げなのぞみ。ルーカスがごそごそと火が落ち始めた炭を整え始めた。のぞみのコンロの温度も心なしか下がってきているようだ。そろそろバーベキューも終わりだろうか。

 

 お腹もだいぶ膨れてきたからちょうどいいかも。そう思い始めていたひとみの前に、またしても皿が出された。

 

「これ、デザートです」

 

「それは……まさか!」

 

「そう、焼きリンゴです」

 

 だがただの焼きリンゴでないことは一目瞭然だ。ほかほかと湯気を立ち上らせる焼きリンゴの上にバニラアイスが乗せられているのだから。シナモンと、とろけるバニラアイスの甘い香りがふわりとひとみの鼻をくすぐる。

 

 お腹はもういっぱいのはずだった。けれど女の子には魔法の言葉があるのだ。

 

 甘いものは別腹、という言葉が。

 

 柔らかくなったリンゴに溶けかけたアイスクリームが絡み合う。口へ運べば冷と温が混ざり合い、見事なコントラストを描く。

 

「こんなの……こんなのおいしいって感じちゃうよぉぉぉ…………」

 

 ぽて、とひとみが満ち足りた笑顔を浮かべて砂浜に倒れこんだ。味覚の嵐がひとみを腰砕けにしてしまっていた。

 

「リベリオンもやるじゃない」

 

「ノゾミのバーベキューも素晴らしい、かったです」

 

 のぞみとルーカスががっしりと握手を交わす。それは互いに力の限りを尽くして戦った戦友(ライバル)の顔だった。

 

「むぅ……」

 

 そしてその後ろで満腹感が5割、嫉妬心が5割の表情でレクシーがその握手を複雑そうに見つめているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、バーベキューもいいが砂浜の醍醐味はまだまだある。もちろん水着で泳ぐことを筆頭にビーチバレーやバーベキュー、ポロリにエトセトラ……。

 

 それに加え、扶桑独特ともいえる文化がひとつある。

 

「さあさあ、やはり砂浜と言えばスイカ割りだよね!」

 

 バーベキューが終わったかと思えば今度はスイカをのぞみが持ち出した。一体どこから持ち出したのやら。もうひとみはのぞみの突拍子もない行動は慣れているので今更いちいち突っ込んだりはしない。きっと買ってきたのだろう。どこで売ってるのかは知らないけど。

 

 砂浜にのぞみがスイカを転がらないよう安定させる。そしてどこからともなく先の曲がった鉄の棒を取り出す。

 

「先輩、それバールですよね……?」

 

「うーん、まあ名状しがたいバールのようなものではあるかもね」

 

「バールじゃないですか! なんてものでスイカ割りしようとしてるんですか、先輩は!」

 

 だがさすがにバールでスイカ割りをしようとする事態は見過ごせなかった。まだバットを持ち出したりするのならばよかったが、バールでスイカ割りはいろいろと台無しな気がした。

 

 だがどうせここで止めたところでのぞみが止まるわけがないことはわかっている。ひとみは肩をがっくりと落とした。

 

「用事が済んだらさっさと退くでごぜーますよ」

 

 ひょこっと夢華がひとみを押しのけて、のぞみが置いたスイカを怪訝な目で見ながら突く。

 

「なんでごぜーますかこれは」

 

「スイカ割り。ま、ビーチにいるなら避けて通れないイベントでしょ。とりあえず一番手は米川ね」

 

「私なんですか……まあ、いいですけど」

 

 白いタオルで眼の周りを覆われると視界がゼロになる。のぞみに手渡されたバールを掴んだ。完全な暗闇の世界で唯一、信じられる感覚はバールの硬質な鉄の感触だ。

 

「米川、右!」

 

「違う……前」

 

「え、ええ!? ど、どっち?」

 

 ひとみが右往左往してスイカのありかを探す。完全に面白がっているのぞみと、それに乗っかったコーニャの指示によってひとみが砂浜をあっちへこっちへと歩き回る。

 

「後ろにいやがります」

 

「Left……ひだり、です」

 

そこにあるでしょ

 

 便乗するように夢華とティティ、そしてレクシーが正しいのか間違っているのかわからない方向指示を飛ばす。しかも一部はブリタニア語のため、ひとみにはちんぷんかんぷんだ。

 

「うーんと、えーっと……えいっ!」

 

 振り上げたバールをひとみが振り下ろす。ひとみの細腕で速度をつけられたバールが砂浜を抉った。

 

「はい、米川はずれー」

 

 素早くのぞみが視界を覆っていた白布を取り除く。眩しさに目を細めながらスイカを探すと、だいぶ遠くに緑色のそれが安置されているのを見つけた。

 

「ずいぶん遠いですね……」

 

「ふらふらしてたからね。次は……新人のティティ! 行ってみよう!

 

ええっ!?

 

まあまあ。バールでスイカを粉砕するだけの簡単なお仕事だから

 

「……?」

 

 ひとみは首を傾げた。またブリタニア語でのぞみが会話をしているせいで、なにがなんだかわからない。だが明らかに何か間違っているような気だけはした。

 

ま、真っ暗なんですね

 

 そろそろと慎重にティティが砂浜を進む。どこに行くのか当てもないように彷徨うティティを見ながら、たぶんさっきの自分はこんなふうだったんだろうなぁとひとみは思った。

 

「右……えっとrightですっ」

 

さっさと終わらせなさいよティティ

 

そ、そんなこと言われても……

 

 よろよろとバールを振りかぶってティティがえいっと振り下ろした。

 

あー、ティティも外れだね

 

 ティティもひとみと同じように砂浜の砂を散らしただけだった。一度やってみたからこそわかるが、周りの指示は声が混ざり合うためあてにならない。結構、難しかったりするのである。

 

「じゃあ次は……ゆめか、君に決めた!」

 

夢華(モンファ)だって言ってんでしょうが!」

 

「まあ、いいからいいから。はいバール」

 

「よくわかんねーでいやがりますけど、用はこれでスイカをぶっ叩けばいいんでごぜーますよね?」

 

「そそ。じゃあいってみようか」

 

 夢華もひとみと同じように目を白布で隠すとバールを振りかぶる。すぐに夢華の頭からぴょこっとハチクマの耳が飛び出した。

 

「えっと、夢華ちゃん。右に……」

 

「うるせーでいやがります。外野は黙ってろってんですよ」

 

 ひょいひょいと躊躇いのない足取りで夢華がまっすぐにスイカへ向かっていくと、バールを振り下ろして叩きつけた。ばしゃっと辺りにスイカの果汁と破片が飛び散って潰れる。

 

「こんなもんでいやがりますよ」

 

 ふふん、と夢華が自慢げに胸を張る。ひとみが当てられなかった。しかし自分は迷うことのない正確無比な一撃でスイカを割って見せたことにご満悦らしい。

 

 だがそうは問屋が卸さない。

 

「はい、ゆめか失格」

 

「は?」

 

「いや、だって未来予知はアウトでしょ」

 

 自分がスイカを割ることができる未来を見るまで動き、そしてその未来が見えた瞬間にバールを振り下ろした。結果、夢華の未来予知の告げたように予定調和を起こしたというだけのことだ。

 

「ダメなら最初からそう言っとけってんですよ」

 

 ぶすっと夢華が膨れながらバールをのぞみに手渡す。渡されたバールをのぞみは隣のコーニャへ流れるようにスライドさせた。

 

「四番手、プラスコーヴィヤ!」

 

「でも先輩、スイカ割れちゃいましたよ?」

 

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。どーせ1個じゃ足りないと思って、あと2個ほど用意してあるから」

 

 コーニャの目を布で覆い隠すと、のぞみが2個めのスイカを砂浜に置いた。スイカがのぞみの手によって置かれている最中に、コーニャの頭からヘラジカの角が飛び出す。

 

「あ」

 

「のぞみ、退いて」

 

「えっ? プラスコーヴィヤ、あんたまさか……」

 

 夢華と同じように迷いのない足取りでコーニャがスイカに向かって突き進むと、軽くバールを振り下ろしてスイカを2つに割った。自分で目を覆っていた布を外すと、ご満悦げな表情がうっすらと伺えた。

 

「成功……」

 

「いや、プラスコーヴィヤもアウト。あんた近くにあるカメラとか全部ハックして見たんでしょ」

 

「未来予知は、ダメでもハッキングがダメなんて言われてない……」

 

「いや、ダメでしょ……ああもう、それじゃあ次の選手入場! レクシー、行けっ!

 

人を何だと……まあ、いいけど

 

 レクシーにしては大人しく視界を覆われると、バールを手に持った。ぴょこっと獣耳が頭から飛び出す。

 

「「あ」」

 

 今度はのぞみとひとみの声が被った。だがそれもやむないとするべしだろう。もうすでにオチが読めてしまったのだから。

 

「ーーーーーー」

 

 レクシーが口を開くと喉を震わせる。聞こえるか聞こえないかくらいの音がレクシーの喉から発せられるとにやりと笑った。

 

捉えたり

 

  ここまで来てしまえばもう、この後はどうなるのか予測するのは容易い。

 

 ずんずんとレクシーが大またに歩いていくと全力でスイカにバールを叩きつけた。今までよりも派手に果汁と果肉と砂浜に撒き散らしながら割れると、レクシーが覆いを外して自慢げに笑った。

 

 レクシーは自らの固有魔法を応用してアクティブソナーのように使ったのだ。自分の声を音波にしてスイカの位置を特定し、そこに向かって歩いていくとバールを振り下ろす。

 

 固有魔法も使い方とは言ったが、世の学者たちもまさかスイカ割りのために固有魔法が使われるようなことがあるとは露ほども思わなかっただろう。

 

「先輩はスイカ割りやらなくていいんですか?」

 

「3個しか用意してなかったからスイカがもうない」

 

「じゃあ……」

 

「うん。私だけやれない」

 

「……ご愁傷様です」

 

 のぞみとしては誰もうまくスイカを叩けずに、最後になってから真打登場と洒落込むつもりだった。まさか固有魔法を駆使してスイカを破壊してくるなんて微塵も予想してなかったのだ。

 

「みんなさぁ、スイカ割りのルールくらい守ろうか」

 

 いまさら言ったところで後の祭りでは、とひとみは思ったが心の中にしまっておくことにする。

 

「ま、いいよ。私だけじゃなくてシャン中尉もスイカ割りチャレンジできてないし」

 

「あ……」

 

 ひとみが思わずシャンの方を向いた。スイカがなくなったことは理解しているらしく、バールを砂浜にざくざくと振り下ろしている。

 

ごめんね。なんかこんなことになって

 

大丈夫ですよぉ。それにして扶桑はおもしろいんですね。バールでスイカを叩く文化があるなんて

 

普通はバールじゃないけどね。まあ、せっかくのスイカだから切ったらみんなで食べちゃおうか

 

「先輩? 何を話してるんですか?」

 

 またしても目の前で繰り広げられるブリタニア語の応酬にひとみが困惑する。いい加減にちゃんとブリタニア語を話せるようにならないと今後は本当に苦労しそうだ。しっかり勉強しておこうと密かにひとみが決意する。

 

「スイカ食べちゃおうかって話。米川、包丁を持ってきて」

 

「あ、わかりました!」

 

どこへ行くんですか?

 

 とてて、とひとみが砂浜を走って包丁を取りに行こうとするとシャンが首を傾けて尋ねる。咄嗟にブリタニア語が理解できないひとみはシャンと同じように首を傾げる反応を返すのみ。

 

包丁を持ってきてもらおうと

 

ああ、それなら任せてください!

 

 シャンがスイカを一箇所に集めるとバールで砂浜に円を描く。そしてその円の内部に図形や記号、文字などを器用に書き加える。

 

うーん、砂浜は書きにくいですねぇ

 

「あの、先輩。これって何をやってるんでしょう?」

 

「魔法陣を書いてるね」

 

「それはわかりますけど……」

 

でーきまーしたー!

 

 誇らしげに言いながらバールを脇に置くと、シャンが腰に下げられたエストックをすらりと抜いた。これで切ろうということなのだろうか。だがエストックは刺突用の剣だ。あまりスイカを切るには適していない。

 

風の神カルデアよ、我が純なる魔女の血において承認せよ。我が名はロートヘクセ! 断ち切れ、テンペスト!

 

 シャンが詠唱を終えると同時にエストックを水平に構える。次の瞬間、風が魔方陣の中で吹き荒れ始め、風刃が形成された。シャンがエストックを勢いよく振り下ろすと風刃がスイカに襲い掛かり、バールによって歪な割れ方をしていたスイカをきれいに等分した。

 

ふぅ、これでいかがでしょう?

 

ありがとう中尉

 

 まあ、普通に切れば良かったような気もするけど……そんな言葉は飲み込んで、のぞみは皆にスイカを配っていく。

 

 その時だった。

 

「ん? あれって……」

 

 のぞみは何かに気付いたようだ。ひとみがのぞみの視線を追うと、数台の自動車。停車と同時にばらばらと数名の人影が降りてくる。いったい何だろうか。

 

ナンジェッセ中尉(Lt.Nungesser)!」

 

 ブリタニア語とは違う発音の知らない言葉が飛ぶ。何語だろうかとひとみが首を傾げるよりも早くシャンが反応した。どうやら声をかけてきたのはガリア海軍のヒトらしい。シャンはすかさず駆け寄ると、ガリア海軍のヒトと言葉を交わす。

 

 それから戻ってくると、言った。

 

 

あのぉ、みなさんにお知らせがあります……

 

なんでしょうか? 中尉

そんなもったいぶらないでさっさと言いなさいよね

 

 各々が続きを促す。もちろんひとみは何を言っているのか半分以上分からないのだけれど……次にシャンが口にする言葉、翻訳ナシでも意味が分かってしまった。

 

 

私、みなさんと一緒に欧州へは行けないみたいです

 



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2-5-2"Regard"

 ひとしきりの説明をブリタニア語でされて、それからのぞみに翻訳されてその内容を知ったひとみは、受け入れられないといったように呟いた。いや、受け入れられないという表現は正しくないだろう。起きたことがあまりに突拍子過ぎて、理解が追い付かなかったのだ。

 

「一緒に……行けない?」

 

 シャンは扶桑語を理解できないはずだが、ひとみの顔を見て言わんとしていることは分かったのだろう。少し寂しそうに笑った。

 

「先ほど伝えたとおりだ。ガリア軍から正式に第203統合戦闘航空団への参加時期()()の通達があった」

 

 シャンの代わりとでもいうように告げるのは石川大佐。謹慎という名のもとのんびりとした空気が漂っていたひとみたちだったが、こうも急に事態が動いてしまってはバカンスどころではない。ひとまず全員が大型テントの下に集合し、緊急ミーティングとなっているのだ。

 

「ちょっと待ってください大佐、シャン中尉は正式に参加したんじゃないんですか? それを『延期』って……」

 

 挙手から即座に質問に移るのはのぞみだ。なんせシャンには即座に203から離脱、その後ガリア海軍空母「シャルル・ド・ゴール」の航空隊に合流せよとの命令が来ているのである。参加時期延期というよりか、実質的な参加取り止めだろう。

 

「止めておけ大村。今回の措置はあくまで一時的な原隊復帰であり、作戦が終了し次第中尉は203に再び合流する」

 

「要は戦力の共有ってことでしょう? よくあることじゃない。必要なところに必要な戦力を配置する。当然ね」

 

 そう言ったのはブラシウ少尉ことレクシーだ。シャンの引き抜きについても別に驚く様子はない。そんなレクシーへと石川大佐は肯定の頷きを返した。

 

「その通りだブラシウ少尉。そもそも統合戦闘航空団の人事については採用こそこちらに権利があるが人員の引き上げに関しては参加国側に決定権がある。参加延期という文言で復帰を約束してくれているんだ。それでいいじゃないか」

 

 そう言う石川大佐。どうやっても覆ることはないのだろう。それはひとみにだって分かる。外国の軍隊と一緒に戦うっていうのが難しいということは、小さな203に居たって分かるのだ。

 シャンがブリタニア語で別れの挨拶を。どんなことを言っているのか予想がつきそうなくらい短い言葉。それに皆が同じく短い言葉で返す。

 

また会いましょうね

 

 そう言って水着姿のままガリア海軍の士官について行くシャン。着替える時間もないなんて……本当に急なことなんだと思い知らされる。

 

 それでも。

 

「石川大佐、シャンちゃんは帰ってくるんですよね?」

 

 ひとみは座っていた折りたたみ椅子から立ち上がる。

 

「ああ、そういうことになるな」

 

「じゃあ……シャンちゃん!」

 

 ひとみはシャンを呼び止めて、追いかけるようにシャンの手を取った。

 まだブリタニア語には全然自信がないけど、なにも言わずにお別れはいやだったのだ。

 

「えっと……しーゆー! あんど、れっつフライ アゲイン!」

 

 また会いましょう、と伝えるのに「Meet(会う)」はなんとなくおかしい気がしたので再び一緒に飛びましょう! と伝える。そして笑顔で右手を差し出す。きっと意味は伝わるはずだ。

 

はい、また手合わせいたしましょう?

 

 返すような笑顔でひとみの手を取り、シャンがそう言う。でもどこか引きつっているように見えたのは気のせいだろうか? とにかくシャンは自動車に乗り込み、あっという間に浜辺から走り去ってしまった。

 

「いやー米川、最後に思いっきり宣戦布告されちゃったねぇ?」

 

 自動車に手を振っていたひとみにそう言ったのはのぞみだ。

 

「えっ? ……せ、先輩。最後にシャンちゃんはなんて言ってたんですか?」

 

「んー? 次演習することがあれば引けを取るようなことはしないってよ? まああんな恥ずかしい目に遭わされているんだもの、当然だよねぇ」

 

「恥ずかしい目……? あっ」

 

 そこまで言われて思い出す。そういえば演習の時、一番初めにオーグメンターを使ってシャンのラファールを吹き飛ばしたんだっけ。吹き飛んだシャンはそのまま脱落、まあその結果203は演習で勝利を掴めた訳なのだが……。

 

「あんた気付いてないようだけど、シャン中尉意外とあんたのことトラウマに思ってるっぽいわよ?」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

 衝撃の新事実に少したじろぐひとみ、それでちょっと引きつってる笑顔だったのだろうか。のぞみはそんなひとみの肩をポンと叩く。

 

「ま、『シャルル・ド・ゴール』がネウロイをひと殴りしたら中尉も帰ってくるだろうし、そしたらあんたの成長を見せつけてやればいいのよ」

 

「……はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんなことだっていつかは終わる。夏休みだって終わるし、同じように新学期だってすぐ終わる。同じように、きっとネウロイとの戦いだっていつか終わる。

 

 そしてネウロイとの戦いを終わらせるため、ひとみたち203空の訓練が始まった。彼女たちを欧州まで連れてってくれる扶桑海軍の軍艦「加賀」の改修作業が終わったので、これから改修で追加された新装備への慣らしを行うのだ。

 

 

 青い海というには少し濁りが強い穏やかな海に、ジェットストライカー特有の轟音が響く。目の前を一陣の風が吹きすさび、あっという間に収まった。

 

「きゃあっ!」

 

 遅れて轟音が鳴り響き、目の保護のために透明なサングラスのようなアイウェアをつけているのだが、それでもとっさに目を閉じてしまった。ようやく開いた視界の向こうには、あっという間に小さくなっていくF-4RFファントム、203JFW「ゴールデンカイトウィッチーズ」の司令である石川大佐の乗機。

 

「い、いきなりこれですか……?」

 

「そうなの、いきなりこれなのよ」

 

 狼狽えたような表情を見せるひとみの目の前に無音で小さな機械が滑って戻ってくる。これが石川大佐を吹っ飛ばしたのだと考えると、なかなか恐ろしい。

 のぞみは息を吸うと、胸を張って甲板中に聞こえるかのような通る声で言った。

 

「今石川大佐直々に実践してくれたのが、我らが扶桑皇国海軍強襲揚陸艦『加賀』に新規実装された電磁式航空歩兵投射器(ミニ・リニアカタパルト)である! ……残念ながら大村製造(わがくに)のものじゃなくてブリタニアン・ミッチェルBXC-Vってところがちょっとあれだけど、まぁ仕方ないよね」

 

 扶桑製は通常機もぶっ飛ばせるモデルだから加賀にはオーバースペックで、電力足りなくなりかねないしねー。意気揚々と解説を加えるのぞみ。その目はとてもキラキラ輝いていた。

 

「はぁ……」

 

 そう言われても、端から見ただけでは飛行甲板にレールが敷かれていてそこを機械が往復しているだけ、具体的になにがどうなっているのかはよく分からない。もちろん今石川大佐を弾き飛ばしてしまうくらいの力持ちなのはよく分かる。分かるのだけど……。

 

「じゃ、米川行ってみようか」

 

「えっと……のぞみ先輩からお先に……」

 

 得体の知れない「りにあかたぱると」とやらに、思わず身を引くひとみ。しかしのぞみは逃がしてくれない。

 

「何言ってんのさ。私はB型でVTOL機なんだからカタパルト使わないよ。ハリアー使うレクシーはあたしと一緒で垂直離着艦できるわけだし。カタパルト使うのはポクスンア中尉にゆめかにあんた。あとはティティもね」

 

「Покрышкин」

「ゆめかじゃねーです」

 

 すぐに訂正が飛んでくるが、いつもの通りにのぞみは指摘を華麗にスルーする。ティティやレクシーもいい加減これに慣れたらしく、もはや乾いた笑みしか返さない。

 

「本当はシャン中尉もだったんだけど、まあ事情が事情だから仕方がない。あ、ちなみになんだかんだと習熟訓練必要なのは米川だけだよ。他の面々は投射器射出(キャット・ショット)トレーニングは習熟済なんだから」

 

「ティティちゃんも……?」

 

 どこか縋るような視線を送られてティティはバツが悪そうに頬を掻きながら、目線を逸らした。

 ティティとレクシーが203に加わってからもう一週間が経つ。その間ずっとひとみはティティと一緒に居たおかげもあって、ティティのブリタニア語を少しは理解できるようになってきていた。その分だけ仲良くなってきたのだ。

 

「えっと……キャットショットAライセンスは取得してるから……」

 

「そんなぁ……ティティちゃん」

 

 一緒に頑張ろうね! となればどれだけ幸せだっただろう。

 

「ひとみちゃんだって、シミュレータ訓練やったし大丈夫だよ、多分……」

 

「多分……?」

 

「多分だろうとなんだろうと、出来なきゃ話にならないよ? あんた専属のオスプレイを確保してくれてた大佐のことも考えてみなさいって」

 

 装備があるのに使いこなせないのは不味いよ? そういうのぞみにどこか不安げなひとみ。ブリタニア語にカタパルト、わたしに出来ないことばっかりだ。大村流ブリタニア語基礎力養成講座(コミュニケーション・ブートキャンプ)からというか、シンガポールに入ってからというか……劣等感がむくむくと湧き上がってくるのである。コミュニケーションも満足に取れず、出撃すらままならないとなれば……。

 

「このままだとわたしはいらない子……?」

 

 そんなことをぶつぶつと言っていると、ティティがどこか目を逸らしたまま右手を少し上げた。

 

「で、でも私も電磁式(リニア)は初めてだから少し怖いかも……」

 

「だよねっ!」

 

 我が意を得たりといきなり機敏な動きを見せてティティの手を取るひとみ。のぞみが溜息をついたタイミングで部隊無線に入感した。

 

《おい、いつまで遊んでいる気だ》

 

「あっ、すいません石川大佐。射出訓練に入ります」

 

 無線は代表してのぞみが取った。ちらりと全体を見回してからティティを見る。頷くティティ。

 

「では射出順はゴールドスミス、米川、高の順番でいきます」

 

《了解》

 

 石川大佐も了承し、射出順番がきまった。

 

「さーて米川、デカおっぱい(ティティース)が手本見せてくれるからしっかり見ときなさいよー」

 

「はいっ! 頑張ってティティちゃん!」

 

 ティティというTACネームを弄るようにニヤニヤの笑みを浮かべているのぞみ。それには気付かず純粋無垢な笑みで素直に応援の体勢に入ったひとみ。

 

「う、うん……頑張るねひとみちゃん……」

 

 複雑な気持ちになりながら、ティティはF/A-18E スーパーホーネットが収められたユニットキャニスターに手をかける。飛行甲板や滑走路で動かすことを想定した可動式のそれは非常にコンパクトで、外部電源や始動ユニット等が収められた大きなユニットキャニスターの階段を数段登れば愛機が魔女を迎え入れんと待機している。

 

 ユニットの両脇に立っている甲板員がティティの手を取り、ユニットに足を通すサポートをする。外部電源で既に稼働用意を始めていたスーパーホーネットに彼女の足が滑らかに吸い込まれ、青白い魔力光を迸らせた。

 

「ありがとうございます」

 

 補助した水兵にお礼を言いながらアイウェアをスーパーホーネットとリンクさせる。青みが強い緑色のホログラムのアイコンがレンズに燈る。

 

音声直接入力装置(D V I)アクティベーション。プリエンジンスタートチェックリスト。魔力供給を開始、機関始動補助装置(J E S)を始動します」

 

 口に出すのは骨伝導インカムを通してストライカーユニットにコマンドを打ち込むためだ。一気に手順が進んでいく。ファイアワーニングテストを実施し、エンジンの始動用意が整ったことを確認する。

 

「カタパルトへの誘導を開始します」

 

「お願いします」

 

 ティティの用意ができたことを確認してカタパルトの後端までトーイングカーがキャニスターごと引っ張っていく。誤差数ミリしか許されないキャニスターの設置指定位置に、トーイングカーが一発でピタリと合わせる。

 

「少尉、地上時姿勢安定装置(T A S - D)カタパルト射出(CAT SHOOT)モードになっていることを確認してください」

 

「キャットショット確認」

 

「確認了解。ショットギア装着します」

 

 その言葉を受けた水兵たちがわらわらと動き出す。てっきりすぐ撃ち出されるかと思っていたひとみにとっては意外だ。

 

「あれ? まだ発射しないんですか?」

 

「そりゃね。やっぱりウィッチにもストライカーにも負荷がかかるし、多少の手間は必要よ」

 

 そんな会話をする間に、スーパーホーネットの一番下の部分、つま先にあたる部分には小さなコロのような車輪がくっつけられた。使ったこともない車輪に、ひとみは首を傾げる。

 

「先輩、ストライカーユニットって車輪なくても地上滑走できますよね?」

 

「石川大佐の発艦見てなかったの? カタパルトで無理矢理引っ張るときにあの車輪ないと甲板に魔導エンジンのダクトこすりつける羽目になるの。その為の車輪よ」

 

 もっとも、飛び上がったらデッドウェイトになるから、飛び上がると同時に投棄される安物なんだけどね。そう付け足すのぞみ。言われてみれば車輪はくっつけられたというか押し当てられた感じで、いまにも落っこちそうだ。

 

「そういえば車輪あった方が地上でも便利じゃないんですか? ウィッチだけで移動する時とか引っ張れるだけで便利ですよ?」

 

「まあそうなんだけどねー。あの位置普通に魔導排気もろ被りになるし、ノズルの動きの邪魔になったら困るからさっさと捨てるに限るらしい」

 

「そうなんですか……」

 

 そんな会話を交わしている間にもティティの発艦準備が続く。

 

「ブライドルバー、接続します」

 

 そう言ったのはなにやらT字型の棒を持ち、緑色のベストを着こんだ筋骨隆々な甲板員だ。彼女の前でかがみこみ、ブライドルバーをティティの足の間に通そうとし……。

 

 

 

 ……むにゅ。

 

 

 

「ひゃあっ!」

 

 手元が狂ったのか、彼女の純白のズボンにTの字の短辺の端が押し付けられた。顔を真っ赤にしてズボンを抑えるティティ。

 

「も、申し訳ありませんっ!」

 

 慌てて飛び退くようにして距離を取る甲板員。殺気だったのは、加賀乗り込みのアウストラリス空軍の整備班だ。ひとみでも「あぁなんかきれいじゃない言葉で罵ってるんだろうな」とわかるぐらいには語気を荒げているのが分かる。

 

「ブライドルバーって……危険なんですね」

 

 そっとズボンに手を当てるひとみ。一方のぞみはニヤニヤしながら腰に手を当てる。

 

「まぁでも事故でしょ。ストライカーユニットの長さにもよるけど、チビほどああいう事故起こりやすいっていうし覚悟しときなさいよ?」

 

「へっ!?」

 

「だって身長からすると股下までの高さも低くなるでしょ? ブライドルバーは一定なんだから単純な確率論の問題ね」

 

「そ、そんなぁ……!」

 

「ぶ、ブライドルバー接続っ!」

 

 なかばやけくそらしい甲板員がそう叫んでストライカーユニットの背面――丁度人間の脚の膝裏の位置だ――に引っかける。それを甲板にちょこんと顔を出した小さな鋼鉄製の突起、カタパルトシャトルに引っかける。

 ストライカーユニットを挟みこんでいたキャニスターが後退、キャニスターがあった甲板の一部が立ち上がり壁のようになる。

 

「あ! あれ映画で見たことあります!」

 

「エーテル・ブラスト・ディフレクター。ジェットストライカーの噴流から甲板員やキャニスターを守るためのシステムだね。今回の改装で『加賀』にも配備、これでヘリが甲板にいてもウィッチの発艦が出来るから、即応性が高まるって訳」

 

 それが上がり切る前に、金属製の棒を手にした男の人がティティの背後に走り込み、ブライドルバーになにかの棒を取り付けていく。

 

「えっと、あの人って……」

 

「あぁ前進抑止棒設置員(ホールドバックバーパーソネル)ね。あの棒がないと離陸推力が出る前にストライカーユニットが前進しちゃうからあれで無理矢理甲板に止めとくの。ここまで来てようやくエンジンスタートが出来るわけだ」

 

「……カタパルトって大変なんですね」

 

「だねー。まあ滑走路ナシで空に飛びあがろうとするんだからそりゃ色々手順を踏まなきゃね。ウィッチの前や後ろで何度もしゃがみ込まれるのはいろいろアレだけど」

 

「……」

 

 そうなのだ。さっきの事故(ブライドルバー)といい、今のホールドバックバーといい、設置するのはストライカーの真下、つまりウィッチの股下だ。香港の件もあるし、ひとみにとっては半ばトラウマとも言えるアングルである。

 

「とはいえ出撃できないのは勘弁だし、オスプレイジャンピングとは比較にならないくらい経済的だしね、仕方ない仕方ない」

 

「そ、そうですけど……」

 

 ちなみにのぞみは語っていないが、ブライドルバーをウィッチに装着する射出装置操作員(ブライドルバーオペレーター)前進抑止棒設置員(ホールドバックバーパーソネル)は、海軍において、ウィッチ――正確には、ウィッチのズボンを、なのだが――を超至近距離で拝める下士官以下の役職として絶大な人気を誇っている。

 

 そして同時に艦内で『謎の怪我(カワイガリ)』のせいで入れ替わりが激しい部署であることでも有名だ。

 

「ま、向こうもいろいろ大変なんだし、少しは甘く見てあげなよ?」

 

「……?」

 

 そんなことを知る由もないひとみは素直に首を傾げている。そんなひとみたちを尻目にティティには重量確認盤操作員(ウェイトボードオペレーター)が機体の重量を掲示し、確認を取る。その重量が射出管理士官(カタパルトオフィサー)射出運用員(シューター)に伝達されていく。白いベストの安全管理士官(セーフティオフィサー)が周囲の安全を確認し、許可を出す。

 

「さーて、いよいよ射出だ!」

 

 のぞみがハイテンションにそう言う。

 ティティが魔導エンジンを吹かした。青白い魔力の奔流が一気にあふれ出す。シャトルがわずかに前進し、ウィッチに前傾姿勢を取らせる。

 

 ティティは敬礼をしてから背負った小銃のスリングを握り締めて暴れないように固定。最大出力まで魔力が叩き込まれる。吹き出したエーテルの蒼い光がひとみの所まで届く。

 

 魔導エンジンに吹き飛ばされないように低い姿勢を取ったカタパルトオフィサーが射出の指示。シューターがカタパルトを起動すれば、ホールドバックバーを真っ二つにしながらティティを空中に投げ飛ばした。

 

「すごい……」

 

電磁(リニア)だから理論上は再射出に時間はいらないし、三分もかからずに一人のウィッチを空に上げられると考えるとコイツが如何にトンデモな装備が分かるわね」

 

 後に残されるのは砕け散ったホールドバックバー、だったもの。残された甲板員がそれをさっさと片付ける。

 

「えっ、あれ使い捨てなんですか?」

 

「ホールドバックバー? 火薬で吹き飛ばして加速させるからね」

 

「な、なるほど……」

 

 なかなかに乱暴だ。いや、そりゃ無理矢理ぶっ飛ばす時点で既に乱暴か。そんなことを考えているひとみは、ある大切なこと忘れていた。のぞみが思い出されるように肩を叩く。

 

「じゃ、次は米川だね。頑張って」

 

「も、もんふぁちゃんの後ってことには……」

 

「なるわけないでしょ、ほれ」

 

 そう言って指さされた先には、既に取り外した固定用鎖(タイダウンチェーン)を体に巻き付け、そこにサングラス。ギャングさながらの恰好をしていい笑顔を浮かべる加藤中尉。

 

「さて少尉、心の準備はいいかな?」

 

 そしてその脇には彼女に整備されて準備万端なひとみの愛機、F-35AFライトニングIIが待機していた。よもや逃げられるはずもなし。

 

「が、がんばります……」

 

 

 

 そして5分後。

 

 

 

「うきゃあああああああああああっーーーー!」

 

 謎の叫び声を上げながら、海面接触寸前の危うさで射出されるひとみの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「加賀」の艦内に設けられた第203統合戦闘航空団のオフィス。改装の間は使えなかったこともあってこの部屋に戻ってくるのは久々。改装中の職務は東アジア司令部の一角を間借りさせてもらっていたが、今日からは再びここが仕事場となる。

 

 荷物の運び込みに、新しく参加したレクシーとティティに席を割り当て、とりあえずここまでやってひとまず終了。団司令である石川大佐を除いた皆はもう部屋に戻ってしまっていた。部屋も再割り当てになるだろうから、今頃は部屋割りをどうするかで揉めていたりするかもしれない。

 

「……それは霧堂(アレ)が適当に裁くか」

 

 心配いらないなと小さく笑った石川は、夕食までの時間を仕事に費やすこととした。

 電源にノートパソコンを繋ぎ、起動。既に用意されている報告書の書式に合わせ、必要な事項を記入していく。軍隊は官僚組織であり、いやでも書類仕事(こういうの)が多い。一つの部隊の長となればなおさらだ。なれた様子でキーボードを弾いてゆく。

 扉が開く音が聞こえたのは、もう間もなく書類が完成しようかという時だった。

 

「やあやあ、お疲れさまだねぇさくらちゃん?」

 

 その小馬鹿にしたような調子の声。それを聞いた石川大佐は深いため息をつきながら振り返る。

 

「貴様なぁ、下の名前で呼ぶなといってるだろうが。何しに来た」

 

「いーじゃない可愛いんだから。それと私は君の愛するウィッチたちが皆巣に戻ったのでご報告にやって来たのだ。感謝することだねー」

 

「……」

 

 石川大佐の沈黙(むし)をどう受け取ったのだろう、霧堂艦長はそのまま手頃な椅子を引き寄せると、石川の隣に座った。

 

「今日の報告書?」

 

「そうだ。後数分もあれば完成すると見込んでいたが、貴様が来たからにはあと数時間は完成しなさそうだな」

 

「いくらなんでも扱い酷くない?」

 

 そう嘆く霧堂、石川は用事は済んだとばかりにノートパソコンへと視線を戻す。

 

「日頃の行いだろう、胸に手を当てて考えてみるんだな」

 

「胸に手を……!? えなに? 今日の石川すっごい積極的なんだけど?!」

 

 大袈裟に驚き、それから興奮気味にわしゃわしゃと手を動かしてみせる霧堂。空気を掴んでいるからいいようなものの、その手の動かし方はロクなものではない。

 

「なんで貴様はそういう発想しかできないんだ……ほら、用が済んだなら帰れ」

 

 片手でしっしっ、と追い払う仕種をする石川。霧堂はそれに応じるようにごめんごめんと渇いた笑い声をあげると、それから言った。

 

「で、どうよ?  あんたから見たヒトミンは」

 

「正直、予想以上だな。この調子なら数日中に問題なく訓練を修了できるだろう。スケジュール通りに出航出来るのは喜ばしいことだな」

 

「ホント、ヒトミンはすごいよねー。さっき通りすがりに抜き打ちテストやって見たんだけどね、小型の偵察型ネウロイを攻撃力のある大型種よりも優先して落とさないといけない理由をしっかり論理立てて説明できてたよ。座学も文句なしってわけだ。本当に飲み込み早いよ、あの子」

 

 そして私には教育者としての才能があるからね。相乗効果でなおよし! 冗談めかしてそう言う霧堂。石川はしばし作業の手を止めてから、霧堂に向き直る。

 

「貴様は米川に執着しすぎだ」

 

「そうかな? まあ仮にそうだったとしても、それはあんたもでしょ。石川」

 

 少し低くなった霧堂に、続きを促す石川。言い返すつもりはないようだ。

 

「私は個人的な理由でヒトミンが気に入ってる。でも団司令であるアンタはそれじゃあいけない。新規参入のウィッチ達もまとめなきゃだし、こーにゃんやのんちゃん、もんふぁちゃんにだって気を配らなきゃいけない。私がヒトミンに構ってあげるのは、さくらちゃんの仕事をサポートとも言えるのだよ?」

 

「なら変な目を彼女達に向けるのは止してくれ……貴様、最近は高少尉にも色目を使ってるだろう」

 

「あれ、もしかしてさくらちゃん嫉妬してる?」

 

「そうじゃない……ったく、だから貴様といると仕事が進まないんだ」

 

 それで会話は終わったことにして、ノートパソコンの画面に向き直る石川。キーボードを叩く音は先ほどよりも遅い。

 その様子をしばらく眺めていた霧堂は、物思いにふけるように言った。

 

「……ホント、面白い固有魔法を持った子たちばっかりよね203は」

 

「このような形になるとは思わなかったがな」

 

 第203統合戦闘航空団は風雲急を告げる欧州救援のための部隊。その名目は変わっていない。だが203は元はと言えば扶桑皇国の形式的な派兵であるし、混迷極める中東、そして封鎖されたスエズを突破し欧州にたどり着けるなどと考えた人間は露程もいなかっただろう。

 しかしそれは、リベリオンとアウストラリス、そしてガリアという主要国が次々と参加を表明したことで変わりつつある。

 

「……でも、ガリアのシャンちゃんは結局203には残れなかった。聞いたわよ、ウィッチ不足が甚だしいのにもかかわらず『シャルル・ド・ゴール』が急遽先行することになったのは、ウルディスタン方面のネウロイに不穏な動きがあるから、でしょ?」

 

「インダス川流域が失われれば西アジアにおける人類は反撃のチャンスを失なうからな。シャルル・ド・ゴールを先行させて戦線を維持させるのも、その任務に駆り出されるガリア海軍が少しでも多くのウィッチを欲しがってナンジェッセ中尉を引き抜くのも当然だ」

 

 世界四大文明の一つでもあるインダス文明を育んだ、インダス川。この地域を支配するウルディスタン。この国の立ち位置は複雑だ。

 

「ウルディスタンを金床にして、インド洋における全海上戦力を投入しペルシアに蔓延るネウロイを殲滅する(たたく)。『シャルル・ド・ゴール』に『カール・ビンソン』私の『加賀』や『ヴィクラマーディティヤ』……ここら辺にいる空母を全て投入しての大作戦」

 

 ほんと、大盤振る舞いよねぇ。どこか遠くを見るように言う霧堂艦長。

 ガリア、リベリオン、扶桑、さらにはブリタニア連邦インディア。これらの国々がアジアに展開させる主要な空母艦隊が全て合流してペルシアを目指すのである。まさに2010年代になってこれ以上ない大作戦といえるだろう。

 

「……ねぇ石川。やっぱりリベリオンは『生来の決意作戦(Operation Inherent Resolve)』を終わらせる気なんでしょ」

 

 その問いに答えたのは沈黙だ。

 

 生来の決意作戦(Operation Inherent Resolve)。中東方面における防衛戦略として発動され、ペルシア陥落により崩壊して早くも五年。中東戦線はいい意味でも悪い意味でも膠着している。

 

「……ともかく人類連合の正式作戦として命令が下りている以上、我々は作戦を遂行するのみ。第203統合戦闘航空団としては扶桑遣欧艦隊には今後も協力を求める次第である」

 

 頼むぞ艦長。そう言う石川を、霧堂はあははと笑い飛ばす。

 

「そーゆー堅っ苦しいのやめてよねー。そりゃ中東の泥沼にはもう誰も彼も飽き飽きしているし、ここで大戦力をもって『生来の決意作戦』を終わらせるってのもよく分かるんだけどさ」

 

 そこで言葉を区切って。霧堂艦長は石川大佐にくいっと顔を近づける。

 

「ねぇ石川、私たち……いや、私はもう(エクス)だけどさ。ウィッチは人類の希望なんだ。そしてゴールデンカイトウィッチーズ、皇帝陛下を勝利へと導いた金鵄の名を冠するこの部隊。その指揮官には大きな裁量権がある」

 

「何を今更、そんなことは百も承知だ」

 

「ならよろしい」

 

 満足げに笑うと、霧堂艦長はくるりと回って去っていく。彼女のポニーテールがゆらゆら揺れて、そのまま壁の向こうに消える。

 

「……」

 

 石川大佐はそっと懐中時計を取り出す。そこに刻まれた時間を見やる。

 ノートパソコンに目をやったが、よもや作業がはかどることはないだろう。椅子に腰掛け直し、目を閉じる。

 

 

「俺は、帰ってきたぞ」

 

 勢いよく閉じられた懐中時計が、今日もパチンと軽やかな音を立てた。

 

 



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2-6-1"Maneuver"

「な、なんだあれは……」

 

 荒い息を吐きながら男が加賀の廊下の壁にもたれかかる。肺臓が新鮮な酸素を求めているせいで、いくら空気を送っても落ち着いてくれない。

 

 こっそりと角から廊下の様子を窺う。誰もいない。どうやらうまく撒いたようだ。

 

「こうしちゃいられない。はやくこのことを艦橋に……」

 

 少し呼吸を落ち着ける時間ができたおかげで冷静な思考を取り戻すことに成功した。近くに設置されている通信機に駆け寄ると、艦橋に向けて発信する。

 

《こちら艦橋。どうした?》

 

「た、大変です。加賀の中で……」

 

 続きを言おうとした瞬間、真後ろで足音がした。早く伝えなければ。そう思っているのに凍りついたようにこの体は動いてくれない。

 

「みつけまーしたっ」

 

「ひ……う、うわああああああああ!!」

 

《おい! 何があった? 応答しろ! おい!》

 

 どさりと重いものが倒れる音。そして通信が切られた。男を打ち倒した人物はきょとんと首を傾けてから廊下の向こう側へ歩いていく。

 

 『加賀の衝撃』。後に加賀の乗員たちによって語り継がれていく伝説の事件はこうして幕を開けたのである。

 

 

 

 

 

 軍艦というのは戦闘をする場所である以前に数百人を越える人員が生活する空間である。したがってその中には売店(しゅほ)があり、床屋があり、郵便局もある。当然仕事場であるオフィスもあるわけで。

 

「歓迎レセプションの後で済まないな。やっと君たち用のPCが使えるようになったのでな」

 

 石川大佐がそう言って連れてきたのはブリーフィングルームのすぐそばにある隊員用のスペースだ。いくつもの事務机が並ぶ姿は普通の陸上にあるオフィスルームを思わせる。……もっとも、船の動揺に備えてすべての引き出しがロック付きのものになっていたり、椅子のキャスターが外されていたりと細かいところは海上仕上げだ。 

 

「ここがこの艦における我々の仕事場になる。デスクの数も足りている状況だ。この規模である間は個人のデスクとして割り当ててかまわない」

 

 石川大佐がそう言いながら書類整理用のパソコンの山をデスクに置いていく。ひとみやのぞみ、夢華にコ―ニャと旧来の203空の面々にとっては見慣れた部屋だが、新入りの面々には違和感があるらしい。ティティがきょろきょろと周りを見回して口を開く。

 

「さすがにタタミマットにはならないんですね……」

 

「扶桑をなんだと思っているんだゴールドスミス少尉」

 

 石川大佐はそう言ってため息。レクシーが一瞬ポカンとしてから続ける。

 

「扶桑といえばワシツでサドーでチャンバラじゃないのかしら?」

 

「何を言っているんだ君は。茶室に刀を持ち込むな……畳を入れる予算で業務効率が向上するなら導入を検討するがな」

 

「興味があったんですけど、残念です」

 

 レクシーがそういって少し残念そうに笑う。それを見たひとみが横ののぞみをちらりと見た。

 

「やっぱり扶桑のイメージって畳なんですね……」

 

「まぁわかりやすく『ワーォ、ジャパニーズ・カルチャー』だからねぇ」

 

「そんな感じなんですねぇ……畳、好きですけどなくてもなんとかなっちゃいますし」

 

「扶桑人がリベリアンの事を四六時中ハンバーガーとポテトフライとコーラを喰ってると思ってるようなモノよ」

 

「なによ、毎食食べてるけど文句ある?」

 

「……リベリアンはこーゆーのがいるから話がしづらい」

 

 会話に割り込んできたレクシーに頭を抱えたのぞみ。

 

「なにおぅ! 文句あるかイエローモンキー」

 

 もちろんレクシーが即座に反応した。リベリオン人は祖国と人民をけなす存在は許さないのだ。それを聞いたのぞみは楽しげに口角を吊り上げながら向き直る。

 

「おう文句しかないから表でろヤンキー」

 

「け、ケンカしないでくださーい!」

 

 ひとみが二人の間に入って止めるが周囲はどこか冷めた反応だ。その間に夢華がちらりと石川大佐を見た。

 

「席順の要点はどうなってやがります?」

 

「基本は自由だ。ポクルィシュキン中尉以外は皆少尉なわけだからな。俺が向こうのデスクに座ることになるから、そこに一番近い席に連絡役をおいてくれればそれでいい」

 

 それを聞いておずおずと手を上げる。ティティ。

 

「連絡役というと編隊長、ですか?」

 

「通例ならな」

 

 そう答える石川大佐。言われてみれば、確かに前まではこの席にのぞみが座っていた。

 

「ならあたしは関係ないでやがりますね」

 

 そんな会話を器用にもケンカしながら聞き分けたのぞみがそそくさと連絡役の席に腰掛ける。

 

「じゃあここが私の席ってことで」

 

「なんでそうなる」

 

「ヤンキー、文句ある?」

 

「なんであんたが編隊長なのよ」

 

 どっかりと座り込み、事務用の椅子にふんぞり返って大村のぞみ少尉は笑う。ご丁寧に御御足を大仰に組んで笑って見せた。

 

「203の一番機は私、大村のぞみだ。これまでもそうだったしこれからもそう、古事記にもそう書いてある」

 

「乞食がなんだか知らないけど、階級順ならポクルィシュキン中尉じゃないの?」

 

 レクシーがもっともな事を突っ込むと当のコ―ニャは首を横に振った。

 

「私は戦闘隊長にはならない。AWACS役で、今度からコールサインも変わる」

 

「え? コ―ニャちゃんカイトフォーじゃなくなるんですか?」

 

 驚いた声を上げたのはひとみだ。それになぜか自慢げな顔で親指を立ててみせるコ―ニャ。

 

ストリックスワン(S T R I X 1)。我、夜の猛禽、梟の名を冠する賢者となりて、この宙を俯瞰し命を刈り取る狩人とならん」

 

「まーた始まった。†夜の覇者†ことパリコレクション中尉の大演説」

 

 どこかじとっとした目を送るのぞみには我関せずでコ―ニャは続ける。

 

「その叡智を以てこの夜を飛び、無音の白刃を忍ばせる尖兵たらんと欲する我は、今名実ともにその術を得たことをここに認め――――」

 

「あーはいはい分かった分かった。すごいですねー。で、指揮権にはどう関わりやがりますか」

 

 夢華がめんどくさそうに彼女の演説をぶった切る。珍しくむすっとした表情を浮かべるコ―ニャは渋々ながらもそれに答える。

 

「……私は203空隷下の第2032戦術偵察飛行隊の所属と言うことになる。203空のメンバーであることには変わらないけど、大佐たちに的確な情報を提供し、支援する役割に正式につくことになった」

 

「ならしばらく一緒というのは変わりないでやがりますね」

 

「うん」

 

 コ―ニャが頷いたことで一応の収束。それを聞いたのぞみがふんぞり返ったまま話を進める。

 

「分かったかな諸君。203の戦闘機部隊は現状最先任であるこの大村のぞみ少尉がやることが実力的にみても順当ということだ」

 

「なんでそうなるのよ」

 

「あれれー? なにか文句あるかなぁ。演習で大敗を喫したアレクシア・ブラシウ少尉殿」

 

「あんな演習だけで強い弱い決まってたまるかっ! それに飛行経験ならこっちの方が上だし、第一、演習でのMVPは高少尉でしょう」

 

「あたしでやがりますか?」

 

 編隊長なんてめんどくさそうなこと……と夢華が言ったタイミング、レクシーが彼女の肩をつかんで耳打ちした。

 

「編隊長には管理職手当でお賃金アップくるし、士官食堂でも好待遇よ? そんなものをあのクソ扶桑人に取られ続けるのは癪じゃない?」

 

「ーーーーっ!」

 

 一瞬にして目を輝かせる夢華。

 

「……し、仕方やがりませんね。そーだーそーだー。我こそ編隊長にふさわしいでやがりますー!」

 

「ちょろい」

 

 夢華が棒読みのシュプレヒコールを挙げ始めたことに、彼氏(ルーカス)の前ではしないであろう黒い笑みを浮かべるレクシー。それを見たのぞみはあきれ顔だ。

 

「安易にリベリアン式物量交渉術に踊らされてるんじゃないわよ華僑人。お前はブリタニア寄りではないのか。同盟国扶桑に組みしたまえっ!」

 

 もうのぞみを椅子から引きずり下ろさんとする勢いで迫り来る夢華の両手をがっしりつかみ押し合いへし合いが始まる。

 

「もう和食は食い飽きでやがります。洋食をよこすのです! ハンバーグ! ビフテキ! オムライス! ナポリタン!」

 

「ハンバーガー! ハンバーガー! ハンバーガー!」

 

「ナポリタンは扶桑発祥だゆめか! それにリベリアン、謎のハンバーガーごり押しはなんだっ!」

 

「なんだリベリアンの国民食に文句をつける気かっ!?」

 

「なんでもいいでやがります! もう健康的な食事はお腹いっぱいに決まってるです! 不健康でおいしい食事をよこせくださいっ! ギヴミービーフ! ギヴミーオイル!」

 

「オリーブオイル漬けにでもなってろっ!」

 

 既に趣旨がズレ始めているが当の夢華は関係ない。瞳には「$」マークが浮かんでいる。

 

「その金の椅子をいますぐよこせ大村(ダーツォン)!」

 

「金の亡者がガタガタ言ってんじゃねぇえええええええっ!」

 

 のぞみの叫びに追い打ちをかけるようにレクシーが声を上げる。

 

一本バター(バターバー)が着いていていい席じゃないんだ、さあその席を渡せっ!」

 

「だれがバターだ。こちとら立派に少尉だ」

 

 胸を張ってみせるのぞみ。

 

「……ばたーばー?」

 

 全く聞き覚えのない言葉が飛び出して周囲を見回すひとみ。よく分からない言葉が出てきた時は誰かに聞くしかない。

 のぞみ先輩は渦中のヒトなので教えてくれないだろうが、同じくブリタニア語が得意なティティなら教えてくれるはずだ。

 

「えっと、ティティちゃん、バターバーって……あれ?」

 

 

「あれ? ティティちゃんは?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、あんまり話せなかったな……」

 

 食堂の隅に寄せた椅子に座り込んでいたティティがぽつりと寂しげにつぶやく。手に持ったオレンジジュースのコップをくいっと傾けると、きつい酸味が喉に引っかかって残る。

 

 本当ならもっと新しい仲間たちと話したかった。輪の中に入っていろんなことをおしゃべりして、笑い合いたかった。けれどやっぱりうまくいかないのだ。どうしても物怖じしてしまって、結局はこんなところまで逃げてきてしまった。

 

 だからティティはオフィスから離れ、ひとりぼっちで食堂に来ているのだった。

 

「だめだな、私って……」

 

 レクシーは険悪そうでありながらすでに馴染み始めている。その証拠に気がついたら周りには誰かがいた。本人に言うと全力で否定しそうなものだけれど。

 

 喚くようにレクシーが否定する姿をいとも簡単に思い浮かべることができて、思わずクスッと笑ってしまう。

 

 視線をグラスに落とすとオレンジ色の液体に不安げな自分の顔が映る。なんとなく嫌になって、オレンジジュースを一気に飲み干した。

 

「なーんか嫌なことあったの?」

 

「ひゃうっ!? キ、キャプテンキリドー……ど、どうかしましたか?」

 

「硬いなあ。明日菜でいいんだよ?」

 

「で、でも……」

 

 さすがに階級も年齢も上の人に対してそんなに気さくな話し方をするのはティティにとってハードルが高すぎた。もじもじとティティがしていると、霧堂艦長がどこからともなくコップを2つ取り出した。そこに薄い黄色の液体をほんの少量、注ぎ込むと片方をティティに差し出す。

 

「ま、これから加賀に乗る仲間ってことでよろしくねん。乾杯」

 

「は、はい。えっと、乾杯」

 

 コップを小さく打ち付けあう。不思議な香りのするその液体におそるおそる口をつけるとほのかな甘みが舌の上を転がる。嫌いな味じゃない。底に浅く残る液体もコップを傾けて飲み干した。

 

「いい飲みっぷりだねー。せっかくのパーティーにお酒がないもんだから厨房からみりんを拝借してきたのよ。ま、アルコール入ってるけどこれくらいなら……」

 

「ヒック」

 

 霧堂艦長の言葉が途中で小さなしゃっくりに遮られる。なんともかわいらしいしゃっくりだが、問題はそれではない。

 

 念のため霧堂艦長が食堂を確認するが、ここにはティティと霧堂艦長の2人だけしかいない。

 

 もちろん霧堂艦長はしゃっくりをしていない。ということは、だ。

 

「キャープテーンさーん。あはははっ」

 

「あー……どうしようか、これ」

 

 隣でとろん、とした目のティティがふらふらと左右に揺れていた。

 

 みりんにはアルコールが含まれているのは確かだ。だが日本酒などと比べればそこまで度数は高くない。加えて言うのなら、注いだ量もほんの少し。これで酔うことなどまずありえない。

 

 そのはずなのに。

 

「うふふふー」

 

「あちゃあ……部屋に運ばなくちゃいけないね、これじゃ」

 

 目を細めながら霧堂艦長がティティに寄る。口元にたくらむような笑みが浮かび、ティティの全身を嬲るように見つめた。

 

「……」

 

「…………」

 

「………………」

 

「……………………ふふふ。諸君、不可抗力って知ってるかな?」

 

 2人以外は誰もいない食堂で霧堂が誰に言っているのかわからない言い訳がましい言葉を紡ぎながらティティに近づく。

 

「いやー、この大きいの触ってみたかったんだよねえ」

 

 わきわきと動く手がティティの胸部へ向かっていく。不可抗力もへったくれもないが、あえて言おう。

 

 私は揉みたい、と。

 

 その柔らかな2つの山を揉みしだかんと霧堂艦長の手が徐々に間を詰めていく。そしてついにその間がゼロになった。

 

「おお……」

 

 柔らかい。だが同時に手を押し返してくる弾力と、優しい包容力がある。

 

 控えめに言っても上物だ。それは今まで霧堂艦長が触ってきた数々のウィッチたちが持つそれとは比べ物にならない。

 

 そう、素晴らしい(エキセントリック)な胸だった。

 

「やーん、えっちさんですぅー」

 

 ふらふらのティティが謎の感慨に浸る霧堂艦長に向かって振り向く。ぴょこっと獣耳と尻尾がが飛び出して。

 

 目にも止まらぬ速さの拳が振り抜かれた。

 

「げぼぶぅぅぅぅぅ!」

 

 ティティの拳は正確に霧堂艦長の腹部を捉えると。そのまま5m以上も吹っ飛ばした。ばたり、と壁に激突してようやく勢いが止まってから霧堂艦長が地べたに倒れこむ。

 

「ふふ……我が生涯に一片の悔いなしッ…………」

 

 それだけ言い残すとサムズアップをして霧堂艦長は意識を手放した。殴って吹き飛ばした本人のティティは不思議そうに小首を傾げている。

 

「ふぅ……あついよぉ」

 

 ティティがプチプチと胸元のボタンを外すと幾分か締まっていた胸が楽になる。風通しがよくなり、少しは涼しい。

 

「ねぇ、キャプテンキリドー。ねちゃったんですかぁ?」

 

 近くに来てからティティが揺さぶってみても霧堂艦長が起きる様子はない。反応を返してくれたのは制服の圧政から解放された揺れるティティの胸くらいだ。

 

「むぅー、ねむっちゃうなんてひどいです……」

 

 不満げにティティが頬をぷぅ、と膨らませる。起こすことを諦めたティティは霧堂艦長のそばを離れると、食堂を歩き回り始めた。

 

 しばらくうろうろしていると、ばあっと花が咲くような笑顔でティティが両手をパン、と合わせた。

 

「そうです! ほかのひとにあそんでもらいましょう!」

 

 せっかくの歓迎会もあまり参加できなかったから、ここでいろんな人と交流を深めよう。そう考えての行動だ。

 

「だれかわたしとあそんでくださーいっ」

 

 軽やかにスキップをしながらティティが食堂を出ていく。まずはどこへ行こうか。そんな思いに胸を膨らませながら満面の笑みでティティが加賀を進んでいった。

 

 

 

 

 

 催し物の最中といえど「加賀」は航海のまっただ中。艦橋には当然要員が配置されている。マラッカ海峡は地図で見れば確かに狭く、シンガポール付近の最峡部では二キロほどしかないが……そこを抜けてしまえば浅いだけの海である。ここから陸地が見えないくらいには広いのだ。

 

 

 

「……」

 

「どうした?」

 

 怪訝な表情を浮かべながら受話器を戻す曹士。声をかけるのは当直士官だ。

 

「いや、通話が途切れました」

 

「途切れた? もう少し正確に報告してくれ」

 

「は。どこの科を名乗らず「加賀の中で」とだけ言った直後に悲鳴、その後不通です」

 

 その言葉を聞いた当直士官は顔を歪める。言うまでもないが通信において自身の所属と名前を述べるのは常識である。それをわざわざ破り、しかもダメージコントロールに用いられる艦内電話を使ってきたのだからただ事ではない。

 

「誰か確認しに行かせろ! 艦長呼んでこい!」

 

「はっ!」

 

 見張り員の一人が駆け出していく。当直士官は別の受話器を取った。

 

「艦橋CIC、艦内にて何らかの事態が発生した模様。詳細不明」

 

 何もなければいいんだが。当直士官の呟きは誰にも聞かれることなく消える。

 

 

 

 

 

 

 そのころひとみは加賀に謎の事態が起こりつつあることなど露ほどもしらず、廊下をのんびりと歩いていた。

 

 加賀に乗船したばかりの頃は夜に廊下を歩くことが怖くて堪らなかったが、何ヶ月も乗っていれば自然と慣れてくる。もう道もほとんど頭に入っていた。

 

 それでも用事がなければ出歩かないで大人しく部屋で寝ている。けれど今夜に限ってひとみの喉は渇きを訴えていた。

 

「お水、お水」

 

 ジュースばかり歓迎会で飲んでいたので口の中が甘ったるくなってしまっていた。寝てしまってもよかったが、糖分で口の中が粘ついたままなのは歯の健康的にも気分的にもあまりよろしくない。

 

「んっ……」

 

 食堂の扉を押し開けると第一目標の水を求めて厨房へ。食堂は薄暗いが、見えないほどではないため明かりはつけない。ガラスコップに大型冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを注ぐ。

 

「んくっ……」

 

 冷たい水で口内を満たす。夜とはいえ赤道に近い南国。どうしても蒸し暑い。だからこそ喉から食道へと流れ落ちていく冷水の感覚が心地よかった。

 

「ふぅ……」

 

 まだ日が落ちたばかりとはいえ暑いものは暑い。いくらエアコンが入っていても喉は渇く。脱水症状で倒れるウィッチなど洒落にもならないため、こまめな水分補給は重要だった。

 

 まだ寝るには早いため、もう少し部屋でのんびりしてから寝よう。そろそろブリタニア語もちゃんと話せるようにならなければコミュニケーションが取れないから、寝るまで勉強してみるのもありかもしれない。

 

 のぞみに仕込まれた大村式ブリタニア語講座の内容を思い返して復習する。うんうん唸りながら食堂から出て行こうとすると足元にぐに、とした感覚が走る。

 

「ふえ……?」

 

 おそるおそるもう一度、踏んでみると、ぐにぐにと謎の弾力性を足に返してきた。冷たくもなく、かといって暑いわけでもない。気味の悪い生暖かさ。怖くなって足を引っ込めようとした瞬間、急にがしっとひとみの足を掴まれる。

 

「ぴぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 何かわからないものに足を掴まれたひとみが叫び声を上げる。力強いというわけではないが、パニックに陥ったひとみは振りほどくに振りほどけない。

 

「いや、いやぁぁ! 食べないでくださいぃぃぃぃぃ!」

 

「どうした米川!」

 

 食堂のドアを荒々しく開けてのぞみが飛び込んでくる。パチン、と電気を入れると食堂に光が満ちた。

 

「せ、先輩……」

 

 いつもは自分勝手なテンポで周囲を振り回すのぞみだが今のひとみには女神に見えた。今すぐにこの状況から解放してほしい以外にひとみは考えられない。

 

「……米川、下を見てみなよ」

 

「へっ……ああっ、霧堂艦長!?」

 

 さんざん逃れようとひとみが抵抗したせいで横たわる霧堂艦長はボコボコに蹴られていた。どこか満足げな表情で気絶しているのは気のせいか。

 

「あー、どうしよう……」

 

 疑いようのない上官への暴行。のぞみも困ったように頭をかく。

 

「あ、あの……」

 

「ま、しょうがない。それに寝てるみたいだし。逃げるよ、米川」

 

「ええ!? で、でも霧堂艦長は……」

 

「いいの。寝てるなら気づいてないだろうし。あんたはここに来なかった。OK?」

 

 のぞみがひとみの手を引いて食堂から連れ出す。なぜ霧堂艦長が食堂で寝ているのかどれだけ考えても思い当たる節がない。だが触らぬ神に祟りなしとも言う。そしてたいていの場合、加賀にトラブルを招き寄せるのは霧堂艦長なのだ。

 

「ま、戻るよ。おおかた酒でも飲んだんでしょ」

 

「風邪ひいちゃいますよ……」

 

「南国だから寒くて風邪をひくなんてことはないでしょ」

 

 確かに気温は夜でも高いため、毛布のようなものをかけなくても風邪はひかないだろう。さすがにそのまま置いていくのは躊躇われたが、酔っているのなら仕方ないのかもしれない。

 

「ま、いろいろ歓迎会は盛り上がってたしさ。そのノリで飲んじゃったんでしょ。今日くらいはってやつよ」

 

「はあ……あ、そういえば先輩」

 

「ん? なに、米川?」

 

「さっきからティティちゃんを見ないんですけど……どこへ行ったか見ませんでしたか?」

 

「あれ? そうだっけ? あー、言われてみればいなかったような……お腹でも壊したかな?」

 

「艦長みたいにどこかで寝てることはないと思うんですけど……」

 

「それはさすがに……てか米川、あんた何気にひどいね」

 

 じとっとした目でのぞみがひとみを見つめる。気まずくなったひとみは目を逸らした。

 

 それにしてもいくら南国とはいえ夜は気温も落ちる。ましてここは海上。水は地面よりも熱しやすく冷えやすいため、夜の冷え込みはけっこう厳しいものになったりする。

 

「先輩、やっぱり冷えちゃうといけないしもどり……むぐっ」

 

 戻りませんか、と言おうとしたところでのぞみが急に立ち止まったせいで背中に激突した。ひとみが鼻を擦りながらのぞみの背中から離れる。

 

「米川、何か聞こえない?」

 

 のぞみは振り返らずにそう言う。

 

「えっ……そうですか?」

 

「うん……ほら、また。叫び声みたいな声が遠くから」

 

「お、脅かそうとしてもだめですよ!」

 

「そうじゃなくて……ほら」

 

 言われてひとみも耳を傾けてみる。確かに遠くの方で何か聞こえると言われればそんな気がしなくもない。

 

「ま、まさかお化け……」

 

「あのねえ、米川」

 

 呆れたようにのぞみは振り返る。

 

「加賀に亡霊がいるとか初めのときに言ったけどお化けなんて非科学的なものがこの電子の時代にいるわけないでしょ」

 

 そう小声でひとみを嗜める。だが事実としてのぞみの耳は声を捉えていたし、ひとみですら耳をそばだてると何か聞こえているような気がしてきていた。

 

「……」

 

 叫び声とうめき声と悲鳴が混ざったような音。それが薄暗い加賀の廊下にひっそりと響いているのだ。

 

「か、風の音ですよね、きっと!」

 

「風の音ならもう少し法則性がありそうなものでしょ。これは不定期すぎる」

 

 なんとかお化け説を自分の中で否定したいひとみが必死になって考え出した予想もすげなくのぞみに却下される。

 

「行くよ、米川」

 

「ええっ!? へ、部屋に戻りましょうよ!」

 

「もし加賀に何かあったら、あんたどうするつもり?」

 

「わ、わかりましたよぅ……」

 

 仕方なくひとみがのぞみのあとに続く。のぞみは油断なく気を張りつつ、前方を探るようにじりじりと進む。

 

 薄暗い廊下に生暖かい南国の空気が流れ込み、ぞわりとひとみの背筋が粟立つ。だんだんと近づいているのか、音は聞こえやすくなっていく。

 

 明らかに隙間風の音ではない。これは人の声だ。

 

「先輩……」

 

「静かにして」

 

「は、はい……」

 

 きつい言葉尻でのぞみに制止され、ひとみが口を閉じる。足音を立てないようにひっそりと加賀の廊下を進む。正直にいってひとみは怖かった。慣れたとは言ったが、現実に声が聞こえていると足が竦んでしまう。現時点で歩けているのはのぞみが前を歩いてくれているからだ。

 

「米川、気づいた?」

 

「な、なにがですか?」

 

「もっと気を配ろうか米川。声、聞こえなくなってない?」

 

「あっ、そういえば!」

 

 耳を慎重に傾けてみるが、もうさきほどまで聞こえていた声らしきものは聞こえなくなっている。

 

「じゃあ引き返しませんか?」

 

「なにを寝ぼけたこと言ってんの? 確認だけはするよ」

 

「引き返しましょうよぉ……」

 

 ずるずるともうほとんどのぞみに引きずられていくような形でひとみが歩く。水だけ飲んだらすぐに部屋に戻ってのんびりとすごすつもりだったのに、どうしてこんなふうに夜の加賀を引きずり回されているのだろう。

 

 なんだか面倒なことになってきたと思いながらひとみが角を曲がる。するとまたしてものぞみの背中にぶつかってしまった。

 

「ふぎゅっ! せ、先輩?」

 

「米川……これヤバいやつかも」

 

「えっ……あっ!」

 

 のぞみのいつになく真剣な声を聞きながらひとみが肩越しに覗く。飛び込んできた光景にひとみはあっと息を詰まらせた。

 

 そこには倒れ伏す加賀の乗員がいた。

 

「だ、だいじょうぶですか!」

 

 ひとみが倒れている乗員に駆け寄る。気絶しているだけで幸いにも命に別状はないようだ。だがもうひとつ問題がある。明らかに暴行を加えられたらしき痕跡があり、証拠として乗員は殴打されたような痕があるのだ。

 

「加賀でなにが起きてるんでしょうか……?」

 

「わからない。でもあんまりいい状況じゃなさそうだね」

 

 眉間にしわを寄せたのぞみが周囲を見渡す。艦橋への連絡用に設置された通信機を壁に見つけるとのぞみがそれに近づく。なにが起きているのかわからないが、とにかく艦橋に報告する必要があるからだ。

 

 いつの時代も報告(ホウ)連絡(レン)相談(ソウ)は必須だ。特に自分だけで対処できないと思われるケースと遭遇した場合は。

 

「艦橋へ。こちら大村のぞみ少尉。応答せよ」

 

 のぞみが通信機に呼びかける。連絡をのぞみがしてくれているのなら、とひとみは介抱に力を注ぐ。気絶したままの乗員をなんどか呼びかけてみるが意識が戻る様子はない。

 

「米川、艦橋に行くよ」

 

「じゃあ私がこの人を運んで……」

 

「いや、いい。私が担いだ方が早いから」

 

 のぞみの頭に犬の耳がぴょこっと生えると、ぐったりと気絶したままの乗員を軽々と持ち上げる。持ち前の固有魔法である怪力を使ったのだ。

 

「何よ、その目は?」

 

「えっと、その……」

 

 バツが悪そうにひとみがのぞみに合わせていた目を逸らす。ついさきほどまでのぞみに向けてものすごく胡乱な視線を送っていたのを見られたので、気まずいことこの上なかった。

 

「大方、私があんたに押し付けないで自分で運び始めたから不審に思ってるとかそんなんでしょ」

 

「う……」

 

「いつもなら大村式お仕置き術でとっちめるとこだけど今は勘弁しといてあげるわ」

 

「お、お仕置きってそんな……」

 

「しないって言ってるでしょ。それに……」

 

 乗員を担いだのぞみがひとみに背を向ける。その時、一瞬ではあったが確かにひとみはかつてないほど険しい表情になったのぞみをしかと捉えていた。

 

「先輩……?」

 

「間違いない。これはサボタージュだ」

 

「ポタージュ?」

 

破壊活動(サボタージュ)。この(かん)をぶっ壊そうとしてる奴がいる」

 

 いまだかつてないほど声に緊張感を滲ませたのぞみに唾を飲み込んだ。ここまでのぞみに言わせたということは本当に並大抵の事態ではないのだろう。

 

 

 いやに静まり返った艦内。あるのかも分からぬ鈍い脅威にひとみは身構えた。

 



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2-6-2"Maneuver"

《石川大佐、緊急》

 

 

 飛んできた無線を寝ぼけ眼でとった石川大佐だったが、無線の言の葉を聞いて瞬間的に覚醒した。ベッドを転がり出て、壁のロッカーを乱暴に開くところまで脊髄反射でこなしつつ無線を聞く。

 

「状況報せ、ポクルィシュキン中尉」

 

 緊急で飛行隊の隊長がたたき起こされる事態だ。普段の男性用スラックスではなく女性用のローライズを引き出す。足を通す石川大佐の耳に、無線の主は告げる。

 

《加賀艦内でなにか異変が起こってる》

 

「異変? 報告は明瞭に」

 

 そういいながら石川大佐はブラジャーのホックをはめ、肩紐を直していく。ロッカーの中には、のりがバッチリ効いた制服がハンガーに掛けられている。取り出してハンガーをロッカーに叩き込みながら最悪の事態の可能性を考える。

 

 少なくとも船に動揺はない。ここでは音も聞こえない。至って平穏だ。加賀の致命的なメカトラブルによる総員退艦の可能性を除外する。飛行隊の隊長に連絡が来る事態だ。最も可能性があるのはネウロイの急襲だが「加賀艦内で」異変が起こっているなら考えにくい。

 

 となると所属ウィッチに異変があったか、その身に危険が生じているか。

 

 思えば通常ならこのような連絡は艦隊側からあるはずだ。部下であるポクルィシュキン中尉から連絡が上がっている時点で、既に異常。

 

《加賀艦内で何らかのサボタージュが行なわれている》

 

「サボタージュ? 霧堂は?」

 

《霧堂艦長が下士官食堂で倒れているのが確認された。艦内巡回中の人員が廊下で何者かに殴られ全滅。CICが緊急事態に備えて動き出してる》

 

「ポクルィシュキンは大丈夫なのか? 今どこにいる?」

 

 加賀艦内でサボタージュとは考えにくい事態だが、可能性がないわけではない。となれば石川大佐がやるべき事は配下のウィッチの安否確認と保護だ。ウィッチはネウロイに抵抗するための訓練は積んでいるが、対人戦闘は不得手だ。暴徒に囲まれればなすすべもない事態も考えられる。

 

《部屋にいる。非常事態につき、電子錠をいじらせてもらってる》

 

「ということは正規錠があっても開かない状態だな。よし、緊急避難措置として大佐権限をもって追認する。ポクルィシュキンはそのまま自室待機、俺以上の権限を持つ人物による別命があるまで自室待機」

 

《了解。自室待機する。大佐は?》

 

 ジャケットを羽織り、ポケットに忍ばせていた鍵を使ってデスクの引き出しを開けた。デスクの中のボックスにIDカードをかざす。ロック解除。聞き慣れた軽快な解除音が静寂の仲で響く。

 

「他のウィッチの確認が先だ」

 

 自前の自動拳銃(オートピストル)に弾倉を差し込む。遊底を引き、初弾装填。

 

《大佐も危険。下手に動かない方がいい》

 

 察したかのように告げる無線の奥。聞かずに石川大佐はセーフティだけ掛けた拳銃を腰のホルスタに差し込む。

 

「護衛を待ってられないのでな。それにシールドは一応張れる。拳銃弾程度ならなんとかなるさ」

 

 ゆっくりと扉を開ける。やはりと言うべきか廊下は夜間の非常灯に照らされ静まりかえっている。

 

「さて、あの霧堂を仕留める手練れだ。蛇が出るか何が出るか……」

 

 背筋を伸ばして廊下に出る。203空の長い夜が幕を開けた。

 

 

 

 

 

《203空、ネガティブレポート》

 

 魔導無線に入感し、大村のぞみがイヤホンを押さえた。横の米川ひとみも肩をぴくりと跳ね上げる。団全体への呼びかけだ。

 

「カイト1」

 

「か、カイト2」

 

 しばらく無線の間隔が開いた。雑音の後で、入感。

 

《こちらカイト4》

 

 そう答えたのは眠そうなアレクシア・ブラシウ少尉の声。再び間隔が開く。

 

《ストリックス1》

 

 コ―ニャの返答を最後に返事がなくなる。

 

《カイト3、カイト5、応答せよ。繰り返す。カイト3、カイト5。感度いかが》

 

 無線越しに夢華とティティを呼びかけるが一向に返答がない。

 

《203空、石川だ。第二級戦闘配備。各員、加賀艦内における武装の携帯を飛行隊長権限で許可する。加賀艦内で何らかの破壊活動が発生していることが確認された。加賀所属ウィッチはストライカーによる脱出を想定せよ》

 

「ストライカーによる、脱出……!? 加賀を捨てるんですかっ!?」

 

 その指示にひとみの顔が青ざめる。加賀からの『脱出』。そんな可能性なんて考えたことがなかった。一方のぞみの表情は変わらない。

 

「まぁ、内輪のごたごたでウィッチとストライカーなんてめちゃくちゃ値の張る必殺兵器を失うわけにはいかないか。そもそも移動は簡単だしね。……石川大佐、こちらカイト1」

 

《カイト1》

 

 石川大佐がコールサインを復唱、発言を許されたのぞみが廊下の先を睨みながら告げる。

 

「現在03デッキ03-Dブロック廊下で米川と一緒にいますが、今さっき倒されたばかりと思われる加賀第二分隊(こうかいか)の隊員を保護しました。……03デッキ周辺に対象がいると思われます」

 

《了解した。対策は菊池砲術長を中心として対応中だ。まもなく北条司令に引き継がれる。203空は戦闘能力の維持を優先して行動せよ》

 

「戦闘能力の維持……?」

 

「要は捨て置け、ということですね」

 

 のぞみがどこか不満そうに言えば、無線の奥で深いため息が聞こえた。

 

《ウィッチが奪われたら対処が不可能になるからだ。大村お前はポクルィシュキンや米川、ゴールドスミス少尉を相手に鎮圧戦闘をやりたいか》

 

「御免被りますね」

 

《そういうことだ。一般兵士なら尚更だ》

 

 石川大佐はそう言ってのぞみの意見をねじ伏せ、すぐ無線に繋いだ。

 

《護衛を送る。現在地にて待機。何者かに襲われた場合は反撃してよろしい。可能な限りでいいが、殺すなよ》

 

「善処します」

 

《よろしい。カイト3およびカイト5の捜索はこちらで行なうが、もし見かけた場合は保護せよ》

 

「併せて了解しました。カイト1」

 

「……カイト2」

 

《カイト4》

 

《ストリックス1》

 

 全員から了解の確認が出来たためか無線が一度沈黙。ひとみは不安顔だ。

 

「ど、そうなるんですか……?」

 

「さぁ、でも非常事態なのは確かだ。それを考えればなにがあるか分からないが……起こってないことを考えることは大切だが、心配してもしかたない。何かあったら全力でシールド張りつつ逃げるよ」

 

「えっと……加賀のみなさんは……?」

 

「どっちみち私たちだけじゃ救いきれないから無理。石川大佐の命令に従う、今できるのはそれだけよ。最大限の警戒をしつつ護衛が来るのを待つ」

 

「はい……」

 

 背中合わせに立つような形になってひとみは暗い廊下の向こうを見る。甘ちゃんなんだからと小声で言ったのぞみに小さく舌を出してみる。どうせ背中合わせで見えないし。

 

「ひとみーん、のんちゃーん、生きてるー?」

 

「あ、加藤中尉!」

 

 そんな二人の前に拳銃片手に現れたのはひとみ専用F-35Aの機付長、加藤中尉だ。横にいるのは確かF-35整備チームのメカニックだったはず……ひとみとあまり接点がない人だから名前は覚えられていない。

 

「石川大佐からエスコートを頼まれました、二人とも無事だね?」

 

「はいっ!」

 

 ひとみの頭を撫でながらのぞみを見る加藤中尉。

 

「のんちゃんも無事でなにより。とりあえずこれ」

 

 二人に差し出されたのは正式装備の自動拳銃だ。のぞみはためらいなく受け取るがひとみはそれをためらってしまう。

 

「あの……」

 

「持っておきなさい。許可は取り付けてあるから」

 

 そう言ってから、笑う加藤中尉。

 

「大丈夫、あなたが使わなきゃいけなくなるのは私たちが守れなくなった後、まずそんなことないわ。伍長も腕利きだし、あたしも中東帰り、大船に乗ったつもりでいなさいってば」

 

 加藤中尉はそう言ってひとみに銃を握らせて自分も銃を構えた。

 

「それじゃ、直接格納庫に向かうから。先導は私がやる、伍長は殿(しんがり)お願いね」

 

「はっ」

 

 伍長が軽く笑いながら小さく敬礼。それを認めて加藤中尉が歩き始めた。

 

 廊下はあくまで静かだ。それがどこか落ち着かなくてひとみは周囲をきょろきょろと見回してしまう。

 

「不安ですか? 米川少尉」

 

「えっと、あの……少し」

 

 拳銃を低く構えた伍長が笑ってひとみにウインクをする。

 

「安心してください。我らが天使に指一本触れさせませんよ」

 

「おー、言うねぇ親衛隊長」

 

 先導する加藤中尉がチャチャを入れる。

 

「えっと、親衛隊長……さん?」

 

「伍長はひとみんのファンなんだってさ。下手に墜ちれないねぇ、ひとみん?」

 

「えっと……?」

 

 非常時とは思えない会話にのぞみはどこか苦笑いだ。

 

「ひとみんも人を使うことを覚えときなよ、君はもう少尉でウィッチだ。みんなのあこがれで希望の星だ。女の子にとっても男の子にとってもね。ひとみんかわいいし、艦内でも一 二を争う人気者なんだから」

 

「わ、わたしがですか?」

 

「ひとみんが、うまくやれば加賀で絶対王政作れるぞー?」

 

「あのですね加藤中尉、不用意に軍規を乱しかねない発言は……」

 

「あれ、のんちゃんの親衛隊やたらと自治意識高いけど統制してるんじゃないの?」

 

「だれがしますか!」

 

 ケタケタと笑いながら加藤中尉はのぞみをからかっていたが、後方の物音に足を止める。殿の伍長がとっさに片膝立ちの姿勢をとり加藤中尉に射線を開けつつエイミング、一気に空気が張る。

 

「……騒ぎすぎた、かな?」

 

 加藤中尉がそういうタイミング、伍長が左手でハンドサイン。壁際に寄れの指示。ひとみが息をのむ。

 

「対象が敵性だった場合、伍長は遅滞戦闘に努め、私が二人を護衛しつつ抜ける、ルート1-3、伍長」

 

「了解」

 

「二人は合図したら走ってね」

 

「了解」

 

「わかりました……」

 

 物音が大きくなる。現れた影を見て、二人の銃口が一斉に照準された。その影を見て――――ひとみが声を上げる。

 

「ティティちゃんっ!」

 

「あー、ひとみちゃんだー」

 

 至極嬉しそうな顔のティティが走ってくる。

 

「どこに行ってたの? 心配したよ?」

 

「ごめんなさーい、少し遊んでてぇ……」

 

「ティティちゃん……?」

 

 その言動にひとみはどこか違和感を覚えるが、それを言い表せないままに状況が動いていく。伍長が拳銃のセーフティをかけ直す。口を開いたのはのぞみだ。

 

 

「ほらティティ、いろいろ大変なんだからさっさとこっちに来る」

 

「えー」

 

「えーじゃない、遊び足りないならいくらでも遊んであげるから、米川が」

 

「えっ? わたしですか?」

 

「仲いいでしょ? それともいや?」

 

 首を横にぶんぶんと振って意思表示をするひとみ。その動作にこてんと首を倒すティティ

 

「ひとみちゃんが遊んでくれるの?」

 

「えっと、うん。だから一緒にいこう?」

 

「はぁい」

 

 そういった直後、その姿がひゅんと消える。

 

「少尉!」

 

 その刹那、ひとみの前に大きな背中が割り込んだ。そしてその背中が吹き飛ばされる。

 

「伍長さんっ!?」

 

「ティティっ!?」

 

 ひとみは目の前の事を信じられないまま呆然としている。笑顔のティティが視線の先にいる、拳を振り抜いた姿勢のティティ。壁に叩き付けられたような姿勢の伍長がうなりを上げて腰を押さえている。

 

「ひとみちゃん?」

 

「てぃ、ティティちゃん……なにを」

 

「遊ぼ、ね?」

 

「ひとみんっ!」

 

 加藤中尉がひとみの制服の襟首をつかんでティティの前から引っこ抜く。そのまま加藤中尉に担がれる。揺れる視界の奥でティティが笑っている。

 

「一度撤退っ! のんちゃん走って! 全力疾走!」

 

「とっくに全力っ!」

 

 ひとみを背負ったまま加藤中尉がラッタルに飛び込む。手すりを軍靴が滑り、耳障りな音を立てながら滑り降りる。1階層下の廊下に飛び出すと同時に無線を繋げる。

 

「石川大佐っ! こちら加藤!」

 

《何があった》

 

 無線の奥の声が緊張している。

 

「犯人判明! ティティちゃんだ! ティティちゃんが元気いっぱい大暴走中!」

 

《……なんだと?》

 

「なんか知らんけど左雨(さっさ)伍長をぶん殴って吹っ飛ばした! とりあえずウィッチ勢は無事だけどヤバい! 後ろから高速でティティちゃん追ってきてるヤバい!」

 

《と、とりあえず位置報せ》

 

「02-Eブロックを艦首方向に向けて疾走中! とりあえずは適当に鬼をまかないと……っ!」

 

 加藤中尉の顔に焦りが見える、目の前のドアががちゃりと開いたのだ。

 

「うるさくて寝れねーです! 夜は騒ぐなってママに教わら……!」

 

「走れゆめか! ティティに殺される前に!」

 

「なに言ってやがります……って、えええええええっ!?」

 

 壁際に寄って一行をなんとか避けた高夢華少尉だが。その後ろから笑顔で追いかけてくるティティを見てさらに驚愕。

 

「こーんばーんはー!」

 

 穏やかな声だがその動きは物騒この上ない。飛んでくる拳をしゃがみ込んでなんとか避ける。

 

「あっ……ぶねぇやがりますっ!」

 

 全力疾走で追いついてくる夢華。

 

「なんでこうなってんです!?」

 

「 知 る か ! ティティに聞けっ!」

 

「クスリか何かキメてる相手にどう話せって言いやがりますっ?」

 

「だったら逃げろ!」

 

「あぁもう、なんでこんなことに……! で、丸太な米川(ミーツァン)はなんでこんなことになってやがります?」

 

 肩に担がれたままのひとみを横目で見ながら走り続ける夢華、答えたのはのぞみだ。

 

「現状生き餌!」

 

「私、餌ですかっ!?」

 

「最悪ティティに投げ渡せばおとなしくなるでしょ」

 

「そんな殺生な!」

 

 ひとみが抗議するがそれどころじゃないらしいのぞみが横に向け叫ぶ。

 

「ゆめかアンタ未来予知できるでしょ! 解決法くらい思いつくでしょっ!?」

 

「んな無茶なっ!」

 

「ならみんなで仲良く追いかけっこだ! ティティとあたしたちでどちらが先にへばるか賭けるかい? 験担ぎで私たちが生き残るに10ドル!」

 

「逆に賭けろはやめやがれください、ったく。高く付きやがりますよ」

 

 夢華の頭にハチクマの翼が現れ、そしてすぐに仕舞う。

 

「……見なかったことにしよう」

 

「で、どうなの?」

 

 落ちる沈黙。

 

「だあああああ! もう使えないわねアンタの一里眼!」

 

「一里眼とは失礼なっ!」

 

 夢華がそう叫び返し一気に喧噪が大きくなる。

 

「ならさっさと未来予知でなんとかして……こいっ!」

 

 のぞみが横に足を繰り出し、夢華がそれをなんとか避けるが、それで足が追いつかない間にティティに捕捉された。

 

「夢華ちゃーん!」

 

「頑張れゆめか! 骨は拾ってやるっ!」

 

 のぞみの声が恨めしいがこうなっては言ってられない。なんとか向き直り足を止める。

 

「ダーツォン、後でオムライス山ほどおごらせてやる……」

 

 嬉しそうな顔でティティが足を止める。静かににらみ合う。双方使い魔の耳が頭にぴょこんと出ているが、夢華の顔に冷や汗が垂れる。

 

(……全く勝てる未来が見えねーのはなんででやがります)

 

 じりじりと間合いを計るように距離を調整し、――――その刹那、二人とも同時に動き……。

 

「そーれ、たかいたかーい」

 

「ひやあああああああっ!」

 

 響くかわいらしい悲鳴。宙を舞う夢華。

 

「も、もんふぁちゃあああああああん!」

 

 

 

 

 

 

 

「……ゴールドスミス少尉、だと?」

 

 いろいろ混迷を極める無線を聞いて石川大佐は頭を抱えた。その様子を見たアレクシア・ブラシウ少尉が怪訝な顔でのぞき込む。赤い夜間灯に照らされた格納庫は今いろいろな音が反射してそれも掻き消えそうだった。

 

「何かありましたか?」

 

「あったもなにも、魔力全力使用のゴールドスミス少尉が艦内で暴れ回っているらしい」

 

「……ティティが?」

 

「たった今、(ガオ)が吹き飛ばされた。大村と米川は加藤に連れられ全力で撤退中だ」

 

「何やってるのよ、あのデカチチ……」

 

 こうなってくると状況はかなり変わってくる。この事態の沈静化に際し、誰がイニシアチブを握るかが大きく変わってきた。加賀艦内の問題であれば、艦長と扶桑海軍の責任の下で大捕物となるが、その犯人が203空のウィッチだということになれば話は別だ。そのお鉢は部隊長である石川大佐に回ってくる。

 

「配下に置かれている同盟国のウィッチによる破壊工作の可能性を除外していたな。まったく面倒だ」

 

「どうします?」

 

 レクシーが拳銃を掌の上で転がしながら問いかける。

 

「どうしますもこうしますもない。さっさと沈静化させる」

 

「沈静化させるって……どうやって?」

 

「それは今から考えるしかあるまい。とりあえず、北条艦隊司令に一報をいれる」

 

 何を言われるやらとぼやきながらも石川大佐は壁に掛けられた艦内電話に手を掛けた。コール音も待たずに艦橋要員が電話を取り、北条司令へと取り次いで貰う。

 

《石川君、私だ。今格納庫にいるんだな? 被害は?》

 

「いえ、幸いにもストライカー・艦載機共に被害を免れています」

 

《それは良かった。直ぐに飛行甲板に来てくれ》

 

「……はい?」

 

 報告のつもりが、逆に移動しろと言われてしまってはたまったものではない。しかし電話先の北条司令はどこか焦るような調子で続けるのである。

 

《駆逐艦漣からヘリが出た。増援陸戦隊一個分隊の輸送が目的だが……遣欧艦隊司令部はこの機の往路で司令部を移動することになる》

 

 その言葉を聞いた石川大佐は何を言っているんだと眉をひそめ……すぐに察しをつけた。

 

 北条司令にとってはまだ「加賀」の艦内で正体不明の敵が暴れているのである。(エクス)ウィッチである霧堂艦長を始めとする海軍兵たちを次々と倒す敵が。

 

 指揮系統の維持は何よりも優先である。北条司令の下には強襲揚陸艦1駆逐艦5潜水艦1で構成される遣欧艦隊がいるのだ。彼が倒れることはあってはならない。

 故に「加賀」からの脱出を図るべく護衛艦から艦載機を寄越させたのだ。回転翼機(ヘリコプター)なら僅かな時間で離着艦が可能であるし、脱出なら確かにこれが早い。

 

《とにかく時間が惜しい、同盟国ウィッチの防護が最優先だ》

 

「……いえ、北条司令」

 

 その同盟国ウィッチが大暴れしているのだが。とは言い出しにくいが事実である。致し方ないので混乱させないよう注意しながら状況を説明する。上官相手の説明で変な汗が流れたのは本当に久しぶりだ。

 

《……石川君。つまりこういうことだな? 霧堂大佐以下加賀乗組十数名に危害を与えしはアウストラリスのウィッチだと》

 

 理解が及ばないと言った様子の北条司令。破壊活動を想定していただけに、飲み込めていないのであろう。

 

「そういうことになります」

 

《あれか、我が国はネウロイだけでなく同盟国とも戦うのか》

 

「いえ、そうではありません。これはゴールドスミス少尉の個人的な……」

 

《なら、君たち203航空団の問題だな。意味が分からんがとっとと片付け給え、艦内設備への損壊は私の安眠分までしっかり請求させて貰うからな》

 

 ガシャンと激しい雑音と共に電話が切られる。音のしなくなった受話器を握りしめた石川大佐の表情は、なんとも言えないモノだった。

 

 

 

 

 

 艦番号113。高波型駆逐艦の四番艦である漣搭載のSH-60K。陸戦隊一個分隊を満載したそれは航空管制の誘導通りに進路を描きながら「加賀」の直上へと滑り込む。

 巨大な飛行甲板を持つ強襲揚陸艦とはいえ海に浮かべてしまえば笹舟のように小さな目標。インド洋の波にゆらゆら揺れるそれに着艦することはいくら「加賀」が誘導してくれるとはいえそう簡単ではない。

 

 しかしそれを容易に成し遂げた漣搭載機は、飛行甲板に描かれるヘリコプター向けの着艦エリアにピタリと車輪を押しつけた。着艦による僅かな揺れとインド洋の空気を切り裂く盛大な回転翼(ブレード)の羽音。ドアが開かれ重武装……いや、全ての武器を放棄した陸戦隊員たちが躍り出る。

 

 端から見ればこれほど滑稽な光景もない。維持コストも馬鹿にはならないヘリで颯爽と現れておきながら、徒手空拳で敵と戦うというのか。

 

 だが、これが正解なのである。甲板員の示す通りに艦上構造物(アイランド)の方へと、分隊長と思しき人物が声を張り上げる。

 

「いいかお前ら! ここで暴れているのはウィッチなのは聞いたな! いくら暴れているとはいえ、ウィッチに危害を加えることは許されない! 我々は紳士だからだ!」

 

 初めは「加賀」で起きた破壊活動の鎮圧、そして遣欧艦隊(ごこうせん)司令部の救出が任務と聞いていたが、それは既にキャンセルされた。

 

「お前ら! ドレスコードは大丈夫か!」

 

「全員戦闘服であります! 隊長!」

 

「ならよろしいィッ! 総員単横陣! バラの花束(ライオットシールド)を掲げて前進sーーーー」

 

 

 しかし、その言葉は最後まで続かない。何故ならば彼らの頭上に黒い影が現れたからである。空を切り裂くその羽ばたきは、疑いようもなく扶桑海軍の海鷲(SH-60K)。底に描かれた所属番号は『08』。

 

 

《ーーーーこちらァ、駆逐艦「曙」陸戦隊ッ! ウィッチの淑女を救うべく、ただいま参上!》

 

 スピーカーでも使ったのか、艦隊中に声を響かせながら乱暴に高度を落としながら、なにか紐のようなモノが落とされる。

 

「貴様らァ! 無線封止を解除したからってなにをしてるんだァッ!」

 

 我慢ならぬように誰かが叫んだような気もするが、陸戦隊の面々にとっては落とされた紐が問題だ。アレは疑いようもなくファストロープ。高所から素早く兵員を降下させる装備だ。

 

「あの野郎っ、リペイリングでショートカットする気だ!」

 

「しまった! 先を取られるぞ!」

 

「ええい村雨型に後れを取るなっ! 突撃!」

 

 艦の上で笑うメイビス “ティティ” ゴールドスミス少尉。その笑みが深まる。

 

「わぁああ、お友達たくさーん!」

 

 悪魔の饗宴が幕を開けた。

 



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2-7-1"Fact"

Fact [fˈækt]
【名詞】1.a.可算名詞(実際に起こった[起こりつつある])事実
     b.〔the fact〕<……という>真実
     c.不可算名詞(理論・意見・想像などに対して)真実
    2.a.〔the fact〕(犯罪などの)事実,犯行
     b.可算名詞[しばしば複数形で]申し立ての事実



 海ほど恒常性が担保されている場所はなかなかない。そもそも地球環境が暴力的と言って差し支えない宇宙空間で一定の気候を保っているのは海があるからこそなのだ。

 

「……海上(うえ)はなかなか面白いことになっておりますなぁ」

 

 ヘッドホンを丁寧に装着した聴音員からの報告を聞きつつ、紺色の作業服に身を包んだ士官が笑う。胸に輝く潜水徽章(ドルフィン・バッジ)に肩章が示す佐官相当の階級を見れば、彼がこの艦の幹部であることは明白だ。

 

「副長、加賀にヘリが二三機降りたぞ。さっきからの無線を聞く限り、こりゃ大騒ぎだな」

 

 潜望鏡から顔を話した男が作業帽をかぶり直すーー潜望鏡を覗くときは帽子のつばが邪魔になるのだーー。そこに描かれる潜水艦のシルエットと艦番号の刺繍。ローマ字で刻まれる「ZUIKAKU」の文字列。

 その名を預かる彼は、そのままニヤリと笑うのであった。

 

 

 

「浮上しろ、メインタンクブロー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽もどっぷり暮れて深夜のインド洋。扶桑皇国にとっては久々の大規模派兵となる第五航空戦隊を基幹とした遣欧艦隊。

 

 護衛の駆逐艦はその二万の巨大な城をインド洋に照らし出し、どこか焦ったように回転翼機(ヘリコプター)が暗黒に染まった空を舞う。

 

 近接防空を担当することとなっている駆逐艦「秋月」の艦載機が加賀管制の誘導に従って飛行甲板に着艦。そこから整然と吐き出される陸戦隊員たち。当直以外はたたき起こされたばかりだろうに、誰一人文句一つも言うことなく乱れぬ行軍を披露する。

 

 ……が、その旗艦を務める強襲揚陸艦「加賀」の艦橋にはその勇ましい艦名に似合わない重苦しい空気が漂っていた。

 

 

《CIC艦橋。瑞鶴、浮上します!》

 

「浮上だとォ?」

 

 もういい加減にしてくれと言わんばかりの形相で言い返す北条海軍少将、遣欧艦隊司令である彼も今回の騒動でたたき起こされた一員だ。

 

「右前方!」

 

 見張り員が叫び、艦橋にいた者の目線が全てそちらの方へと向けられる。黒々としたうねりを見せるインド洋が急に沸騰したと思えば、浮かび上がるのは真っ黒なシルエット。

 

「馬鹿じゃないのか、なにを考えてるんだ……」

 

 無論北条司令、怒り心頭。

 

 遣欧艦隊の用心棒である潜水艦「瑞鶴」の任務はもちろん対潜水艦警戒。対潜水艦戦はヘリ空母としても運用可能な「加賀」が担当することもできるのだが、第203統合戦闘航空団「ゴールデンカイトウィッチーズ」の母艦機能を優先した結果護衛の潜水艦を付けることとなったのである。

 

 なったはずなのだが。

 

「発光信号! ワレ、キカンノキキニサンジョウス。リクセンタイヲハケンス!」

 

「答信、ヘルファイヤ(ヘリ搭載ミサイル)がお望みか! 送れ!」

 

 手順など無視して半ば投げやりに怒鳴り返し、北条司令は受話器を取る。

 

 

「私だ。状況はどうなってる」

 

 

 指揮官たるもの。常に平静を保たねばならない。言うは易しだ。

 問題は、その騒動の原因。この真夜中に巻き起こった大きな渦の中心が如何ともし難いということか。

 

《司令、残念ですが……ウィッチを食い止めることが出来ません!》

 

「……」

 

 まったくもってダメではないか。どいつもこいつもノリで突っ込んで行くからこうなるんだ。

 

 「ウィッチのマウントポジションが取れる!」などとオープンで叫んで突撃していった陸戦隊員には最高の報酬を送らねばと、北条司令は心の中で強く決意したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《第一回ティティ対策会議!》と書かれた横断幕が仮設会議室の壁にかけられた。妙に達筆な毛筆で書かれたそれはのぞみ渾身の力作らしい。こんな事態になにをやっているのかというつっこみもあったが、のぞみが力づくで押し切る形で片がついていた。

 

「……さて、ゆめかの尊い献身でネウロイが相手じゃないことがわかったのはいい。問題は何の理由かは知らないけど暴れまわるティティを止めなくちゃいけない」

 

 のぞみが腕を組んで高らかに宣言する。だが残念なことにこの会議室にはのぞみを除いてひとみとレクシーの二人しかいないため、あまり映えていないが。

 

「今は加賀の陸戦隊が食い止めてくれてるからいいけど、部隊の不始末は部隊でカタを付けるのが筋ってものよ、そして何より、我がゴールデンカイトウィッチーズからも犠牲者が出ている。分かってるわね?」

 

 夢華は現在、夢の中。医務室のベットでのた打ち回っているが正しいだろうか。ともかく、ティティに討たれたことに変わりは無い。ちなみに石川大佐とコーニャはCICで対応に当たっているだけなので、別に倒された訳ではない。

 

 ともかく暴走するティティを放置するわけにはいかない。しかしレクシーは、どこか諦めた調子で肩をすくめて見せた。

 

「……どうにかできるの、これ」

 

「なんとかするしかないでしょ。レクシー、あんたの固有魔法で音波を使ってティティを気絶させられないの?」

 

 そう言うのぞみ。イルカだって狩りに超音波を使うのだ。きっとやりようはあるはずである。そしてレクシーは肯首。

 

「できるわよ。ただし、ティティがある一点から五分以上は動かずにじっとしてくれるなら、だけど」

 

 五分ね、足止めできるのなら音波の反射とかぜんぶ計算して確実に意識を落とせるわよ。そう言うレクシー。

 

「本当に落とせるとは……まあ、五分の足止めはちょっと厳しいかもね」

 

「だからどうにもならないんだってば」

 

 ううん、とのぞみが頭を抱える。レクシーの言うことは理解できる。一点に音波を集中させなくてはいけないため、壁などの反射率もすべて計算に含めなくてはいけない。結果として時間がかかってしまうのだ。

 相手に手を触れることなく気絶させられるだけで既にすごいのだ。端から無理だったと諦めるほかないだろう。

 

「うーん。これがまだ酒に酔っ払ったおっさんとかだったら良かったんだけどなぁ」

 

 見境なく暴れまわるウィッチが相手であるということはこの上なくたちが悪い。ネウロイとの戦いが長引く現代においてウィッチは女神だ。現人神だ。言うまでもなく神聖不可侵であり、特に国際部隊ともなるとその身の安全には重々気を遣わねばならない。警棒などで殴って傷が出来てしまったら国際問題だ。

 

 だからこそ加賀の陸戦隊は現在、素手でティティに対処しているわけだが……流石に魔法で身体能力を強化できるウィッチにそう簡単に勝てるわけがない。

 加えてティティは魔力の総量も多い。魔力切れを狙うにしても時間がかかりすぎるため、いたずらに被害が拡大してくだけだ。

 

 さらに付け加えるなら命令でウィッチを直接手で触れられる(おしたおせる)機会なんてそうそうないため、複数人である統率された鎮圧行動を陸戦隊がとれていないという悲しい現実もあった。

 

「あのー、先輩……」

 

「なに、米川?」

 

 レクシーと話し込みかけていたのぞみがぐるりと首を回してひとみへ振り返った。

 

「どうしてティティちゃんはあんなふうになっちゃったんでしょう? 私が知ってるティティちゃんはもうちょっとこう……オドオドした()だったと思うんですけど」

 

「それも気になるけど、止めることが先決でしょ。うーん、しょうがないか。米川、ワルサー持ってきて」

 

「ええっ!?」

 

 いきなり放たれたのぞみの物騒な台詞に驚くひとみ。

 

「せ、せせせ先輩!? 何を考えているんですか!」

 

「実弾を使うわけないでしょ。演習用の模擬弾を使うのよ」

 

「それでも痛いですよ!」

 

「ああもう! めんどくさい!」

 

 のぞみが拳銃を取り出す。そしてためらうことなくのぞみが銃口を自らのこめかみへと運ぶ。

 

「先輩っ!?」

 

「模擬弾程度じゃ、どうってことなし!」

 

 そう叫ぶとのぞみは引き金に掛けられた人差し指を引ききった。軽い銃声が室内に響く。

 

「ーーーーっ! ほら、これだけで済む。撃っても死にはしないから大丈夫。わかった?」

 

 痛みに顔をしかめながらのぞみが撃った場所を指で指し示す。軽く青あざになっているくらいで大きな外傷はない。

 どうやらあらかじめ暴徒制圧用のゴム弾を込めていたらしい。変なところで用意周到なのぞみのことだ。ティティ対策に使うこともあると踏んで事前に用意していたのかもしれない。

 

 だから安心だ、そうのぞみはひとみに言いたいのだろう。わざわざ実演しなくてもいいでしょうに……とレクシーが呆れたように呟く。

 

「え、ええ。いや、それはわかりましたけど……」

 

「じゃあ米川、こっちでティティを甲板に誘導するからあんたが狙撃しなさい。ワルサーの威力なら意識くらい奪えるでしょ。レクシー、あんたと私で追い込むよ。狐狩りの要領。いける?」

 

「なんであんたの言うことなんて聞かなくちゃなんないのよ」

 

「レクシーがひとりでティティを止めてくれるならそれでいいけど?」

 

「……わかったわよ。やりゃあいいんでしょ、やりゃあ!」

 

 不承不承ではあるがレクシーはのぞみの指示に従うことを認めた。やけっぱちではあるが、心強い。

 

「よし、じゃあ方針は立ったしやろうか。米川、狙撃ポイントを探すのに何分かかる?」

 

「10分で大丈夫ですよ。加賀は慣れてますから移動だけで終わりますし」

 

 ひとみが薄い胸を張る。そう、残念ながら薄いのである。だがひとりのスナイパーとしてひとみの持論を言わせて貰うなら大きな胸は邪魔だと思う。なお決して嫉妬とかの類ではないのだ。

 

「じゃあ、米川は先行しといて。こっちでうまいこと追い込むから。ああ、通信機は常に入れときなさいよ。何かあれば連絡するから」

 

「はい!」

 

 とてて、とひとみが会議室から出て行く。途中でつまづいて転びかけたがすぐに持ち直して走り去っていく。これから武器庫にワルサーを取りに行き、暴徒制圧用のゴム弾を装填しなおすと狙撃ポイントに向かうのだろう。

 

「さて、と。米川も行ったことだし私たちも動くよ、レクシー」

 

 そう言いながらのぞみが会議室を出るとレクシーが後に続く。

 

「ったく。わざわざ動いてあげるんだから、ちゃんとやりなさいよ」

 

「私が信じれない? まったくこの大村のぞみも甘く見られたものだ」

 

 振り返って笑ってみせるのぞみに、レクシーは小さく首を振って見せた。

 

「そうじゃなくて……あのちっこいのよ。本当に撃てるの?」

 

「ああ、米川のこと? 大丈夫、大丈夫。ちょっと抜けてるし、扶桑軍人としては優しすぎるとこもあるけど、やるっていったらやるタイプだから」

 

 その言葉を聞いたレクシーは信用ならないといった面持ちでのぞみに詰め寄る。

 

「土壇場で撃てないとは言わないでよ」

 

 僅かな沈黙。

 

「少しは米川を信じなよ。やるよ、米川は。じゃなきゃとっくに落ちてる」

 

「……ふうん。ま、どうでもいいけど足は引っ張らないでよね」

 

「そっちこそ」

 

 不敵に笑ったのぞみと、まるで流れ作業だと言わんばかりのレクシーが加賀の廊下を進む。ティティが今、どこにいるかはわからないが場所を見つけるのは簡単だ。用は騒がしい方向へ行けばいい。

 

「お、あっちが騒がしいね。たしか陸戦隊が対応に当たってるはずだから、現在進行形でやりあっているのか……駆け足前へっ!」

 

「急に走るな! ああ、もう!」

 

 のぞみがレクシーを置いて駆け出した。置いてきぼりにされかけたレクシーも文句を言いながら走り出す。

 

 

 のぞみ達が駆け寄った先は……まさに阿鼻叫喚と言う以外に表現のしようがないものだった。

 

 そこはどこにでもありそうな。そう、実際どこにでもありすぎて迷子になりそうな加賀の一角。冷たい鉄の壁に囲まれ、剥き出しになったパイプが殺風景を飾るどこにでもありそうな移動用の通路。

 

 そこに、大勢の海軍軍人とウィッチが一人。多勢のはずでさらに体格でも大きく勝るはずの兵士(つわもの)たちが何故か押され気味の奇妙な戦場。既に倒れ、気絶したところを後送される勇敢な海の男たち。

 

 たかがウィッチ1人と鷹を括ったのだろうか。まともに装備を持っていないのも問題ではある。だが最大の問題は陸戦隊の隊員たちが皆、男であり紳士であったことだ。

 

 用はティティに対して暴力の欠片でも振るうことを陸戦隊が躊躇っているのだ。だったら組み付いて倒してしまえばいい。そう考えた紳士は躊躇いなくティティへとダイブを敢行するが……

 

「うふふふー。えーいっ」

 

 どこから沸いたのか分からないほどの怪力で投げ飛ばされてしまう。

 

「ええい、私が相手だ。加賀陸戦隊隊長、板倉! 押して参るっ!」

 

「たいちょーさーんですかー。すごーい」

 

 そうティティが笑えば、既に積み上げられた部下達と同じ紳士である加賀陸戦隊隊長の板倉大尉がいともたやすくティティに投げ飛ばされる。

 

「ぐわぁぁぁぁ!!」

 

「た、隊長ーーーー!」

 

 板倉は壁にぶち当たるとずるずると床に倒れて伸びた。これが決定的一撃となる。

 

 普段の戦闘であればなんの問題もなく戦闘を継続しただろう。だがウィッチ相手の戦闘なんてそもそも想定していない。純粋な組み手に勝たなければならないのだ。

 正直これまでは隊員が勝手に突っ込んでは自滅するばかりだったが、その陸戦隊でも指折りの実力者であるはずの隊長が気絶したことで、加賀陸戦隊が浮き足立ってしまったのだ。

 

 だかしかし、危機においてこそ英雄が現れるというもの。

 

「ふははは! お困りのようだな諸君!」

 

「だ、誰だ!」

 

「誰だと聞かれたらァ、答えてあげるが世の情け!」

 

 どこからともなくスポットライトが差し込まれ、3人分のシルエットが浮かび上がる。

 

「対空砲火はお任せです! 秋月レッド!」

 

「護衛にキタコレ! 漣ピンク!」

 

「紐を解かないで! 翔鶴ホワイト!」

 

「「「3人あわせて瑞鶴レンジャー!!!」」」

 

「いや、瑞鶴要素がない!」

 

 思わずのぞみが突っ込む。無関係とまでは言えないラインを突いているのがこれまたうっとおしさをマシマシにしてくる。ちなみに全員作業服姿なので瑞鶴ブルーと表現するのが正しそうだ。

 だが彼らはその周囲から流し込まれる冷たい視線をものともしない。彼らはただ瑞鶴の乗員として、瑞鶴を愛しているだけなのだ。

 

 

「いくぞ! 我らが瑞鶴ジャーの総集奥義……」

 

「いや、待て。いつからレッドが仕切るようになった。ここは階級が大尉のホワイトこと私でしょうが」

 

「待て待てホワイト氏。ここは紅一点であるアタシの出番であることは確定的に明らか……」

 

「なにを言っているんですか! レッドがリーダーなのが王道でしょう!」

 

「どうでもいいから早く動け!! ほら、前! 前!!」

 

「「「えっ?」」」

 

 素っ頓狂な声を瑞鶴ジャーこと瑞鶴陸戦隊が上げる。既にとても楽しそうな笑顔のティティが目前に迫っていた。

 

「あはははっ! えいやー!」

 

 ぽーん、ぽーん、ぽーんとお手玉でもするかのように瑞鶴ジャーがティティによって次々と投げられる。投げ飛ばされるたびに壁へぶち当たり、気絶していく。

 

「……なんだったの、アレ?」

 

「レクシー、何も起きなかった。いいね? 強いて言うなら我が国は広報が得意なんだ」

 

「よくわかんないけど、まあいいわ」

 

 のぞみが頭を抱えた。いやもう、いっそなにも見なかったことにしてしまおうと心の中で決めた。そう、のぞみは何も見ていない。たった今、ここに到着したのだから。そういうことにしておこう。

 

「誰か隊長を運べ! いったん引くぞ」

 

 些細な乱入者こそあったが、状況がそれで変わるわけではない。臨時で指揮を執る少尉に引き連れられ、陸戦隊は撤退の道を……

 

「ああん?」

 

 のぞみの声にどすが利いた。撤退準備を始めた加賀陸戦隊をのぞみが突き刺すような視線で射抜いたのだ。居心地の悪さのせいか、加賀陸戦隊の足が止まる。

 

「はあ……がっかりさせないでほしいね加賀陸戦隊。まさか隊長がやられたからって安易な撤退を選ぶとは思わなかったよ」

 

 のぞみが何とも残念そうに芝居がかった仕草で首を振る。残っている加賀陸戦隊の面々が一斉にのぞみへと振り返った。

 

「引くな! 前へ進め! ここで引いておいて何が扶桑軍人か! 相手はたかだかウィッチ1人のみ! それが撤退? 笑わせるな!」

 

 水を打ったような沈黙。だがのぞみはそんなことに構うことなく言葉を続けんと口を開く。

 

「その命を母国に捧げると決めたその時より、扶桑国軍人に撤退の二文字はない! 大和魂を見せてやれ!」

 

 精神的に膝をつきかけていた加賀陸戦隊が徐々に面を上げていく。のぞみの声が伝播していくたびにその輪も広がっていく。次第にそれは鬨の声へ。

 

ティティ(もくひょう)を甲板に追い詰めろ! できないとは言わせないぞ、栄光ある加賀陸戦隊よ!」

 

 ゆっくりと前へ突き出した手をのぞみが強く握った。完全に揃った鬨の声と共に加賀陸戦隊が立ち上がるとティティへと向かって駆け出していく。ちなみに瑞鶴臨時陸戦隊こと瑞鶴ジャーは立ち上がらなかった。

 

「いくよ、レクシー」

 

「いいの? 下手したら死人が出るかもよ」

 

「大丈夫だって。そんなに扶桑国軍人はやわじゃないし、ティティがマジで殺す気ならもう、とっくに加賀は沈んでる」

 

 様々な物質を爆発物に変えるというとんでもない固有魔法を持つティティが本気を出そうものならば、そもそも加賀が原型を留めていられるかどうかさえ怪しい。

 だが今のところ夢華など怪我人は出ているが、死者はいない。怪我人たちも軽症者ばかりだ。これこそまさにティティが本気ではなく、『遊んで』いる証拠だ。

 

「ま、だからこそ制圧の余地があるんだけどね。米川ー、聞こえる?」

 

 加賀陸戦隊を残してティティとレクシーが甲板へ。道中にのぞみが通信をひとみに向かって飛ばす。

 

《はっ、はい! クリア、ですっ!》

 

「よーし、おっけー。そろそろティティが甲板に行くと思うから」

 

《わかりました》

 

 甲板に出ると、すぐにレクシーを引っ張って適当な砲台の影へ身を隠す。ぶつぶつと文句を言い続けるレクシーに黙るよう身振りで伝えると息を潜めて甲板の様子を窺った。

 

「さ、頼んだわよ米川」

 

 

 

 

 

 のぞみとたちと別れて会議室を飛び出した直後のひとみの動きは単純だった。ともかく騒がしい場所を避けながらハンガーへ向かい、武器保管庫でワルサーを回収する。暴徒鎮圧用のゴム弾になっていることを何度も確認しながら廊下を走った。

 

「ええっと、どこかなかったかな……」

 

 ひとみが頭の中で加賀の地図を展開する。甲板にティティを誘導するとのぞみは言った。ならばちゃんとティティは甲板へやってくる。そしてひとみに与えられた仕事はティティをゴム弾で狙撃して意識を奪うこと。そのために必要な狙撃ポイントとしてどこが適当だろうか。

 

「航海艦橋の天井上、かなあ」

 

 視界が開けていて甲板がたしか一望できたはず。これくらいしか思い当たる場所はない。足の向きを航海艦橋へ向けるとひとみはワルサーを抱えてひたすらに駆けていく。

 

 そうして今、ひとみが伏射姿勢を取っている航海艦橋の上に到達したのがつい5分前。

 

 航海艦橋の上にのぼるために航海科の人に肩車してもらったりと数々の苦労を重ねながらようやく到達したこの地でひとみはじっとその時を待ち続けていた。

 

 そしてつい先ほどのぞみからティティがそろそろ甲板に向かうという連絡が舞い込んだ。今回は長い時間ではなかった。だがトリガーを引けるこの時こそがスナイパーにとってやってきた下準備が成功に繋がる瞬間だ。

 

 ひとみがスコープを覗く。じっと待ち続けるとティティがスキップをしながら甲板に現れた。

 

 風速、気温、湿度。ひとみは肌で感じて照準をゼロコンマ単位で修正していく。ワルサーの前部を左手へ包み込むように乗せると二脚でさらに安定させる。

 

「ごめんね、ティティちゃん」

 

 スコープごしにティティへ謝罪する。背中をこちらに堂々と晒してスキップするティティを観察して狙撃の時が来ることをひとみは身じろぎのひとつもせずに待った。

 

 おそらくティティはスキップをやめないだろう。だからひとみはそれを逆手に取ることにした。

 

「とん、とん、とん、とん……」

 

 小さく口ずさんでティティのスキップとリズムを合わせる。テンポが合った瞬間に呼吸を落ち着けていく。吸って、吐いて、吸って。半分ほど吐いて息を止める。

 

 ティティはまっすぐに甲板の先端にスキップで向かっていく。規則的な動きだ。つまり狙点を先に持って行くだけでいい。

 

 ティティの少し先へ狙いをつける。ぴょこっとナキウサギの耳が飛び出した。躊躇いなく、だが余分な力はかけずに。その人差し指を引く。

 

 指が引き金を引く時間と弾の到達時刻。すべて計算済み。加えて固有魔法の軌道修正付き。確実に直撃ルートだ。

 

「ふにゃり」

 

 まさかティティが酔っ払い特有の動きで回避するとは思わなかったが。

 

「ええっ!? あ、あれを避けるのっ?!」

 

「あはははー。これはひとみちゃんかなあ?」

 

 完全に必中だったはず。それなのに避けられた。しかもスコープごしにティティとひとみの目がばっちりと合う。

 

 潮時だ。場所が割れてしまったのなら二射目を撃っても絶対に当たらない。ワルサーの二脚を畳んでひとみが撤退準備に入る。

 

「せんそうごっこかなぁ? うん、じゃあこんどはわたしのばーん」

 

 くるりとティティがつま先でターンをすると、右手で指ぱっちんをした。ドン! と大気が爆発。そして止まることなく連鎖させながらひとみのいる航海艦橋の上へと爆発が近づいていく。

 

《今すぐそこから飛び降りろ米川ぁぁぁぁぁぁ!》

 

 耳につけていた通信機からのぞみの切羽詰った叫び声が吐き出される。考える時間はない。ここにいてもティティの固有魔法である爆発を食らうだけだ。

 

「えーっと……えいっ!」

 

 ワルサーを抱えてひとみが航海艦橋から飛び降りる。直後に頭上が大爆発を起こした。

 

「きゃあああああっ!」

 

 咄嗟に張ったシールドで爆風と爆炎は防いだ。だがひとみの体は爆風に煽られ加速していく。

 

「米川ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 のぞみが犬耳を飛び出させてひとみの下へ駆け込む。お姫様抱っこのようにして受け止めると同時に襲い掛かる衝撃を、のぞみが魔法力を全開にして殺していく。

 

「ぐぁう……やああああああっ!」

 

 のぞみが猛々しく叫んだ。必死にひとみが落下した衝撃を押さえ込む。

 

 わずか数秒の出来事。だが永遠にも感じられる数秒だ。けれどのぞみの体にかかっていたエネルギーが次第に薄れていく。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「……うん、どういたしまして。でも、それどころじゃないかも」

 

 息も切れ切れなのぞみがなんとか声を絞り出す。

 

「それって……」

 

「ひーとみちゃーん」

 

「!」

 

 目の前にティティが躍り出た。遠くからレクシーが駆け寄って来ているが間に合わない。のぞみはひとみを抱えた状態だから動きようがない。

 狩られる。ひとみの運命はここに決した。

 

「わああああ! 来ないでくださぃ!」

 

 ひとみは思わず叫びながら手を前に、反射でシールドを張った。

 

 瞬間、時が止まる。

 

 

「ーーーーへぶっ」

 

 

「……あれ?」

 

 来たるべき衝撃が来なかったことに驚くひとみ。目を開けてみれば……

 

「あ、ティティちゃん……」

 

「うわーん。なんですかこのかべー?」

 

 見事にティティがシールドにぶつかっていた。確かにウィッチのシールドはネウロイのビームだけでなくあらゆる物理攻撃を防ぐことが可能だとは聞いていたけれど、人がぶつかるとこういう風に作用するのか。

 

「とりあえず米川、立って貰っていい?」

 

「あっごめんなさい先輩」

 

 のぞみの上から立ち上がるひとみ。ちなみにシールドは怖いので展開したまま。ティティはシールドの先にどうしてもいけないのが不服らしく、いろいろやってシールドに穴を開けようとしているが……まあそんな程度でネウロイの攻撃も防ぐシールドが割れるはずもない。

 その様子を見たのぞみがポンと手を叩いた。それから意味ありげに何度も頷く。

 

「……そうか、そうか。私としたことが気付かなかったよ」

 

「先輩?」

 

 なにかを閃いたのはのぞみだ。首を傾げるひとみに、自信満々にのぞみは口を開く。

 

「レクシー、米川! 私たちで三方から囲むよ! そこでシールド展開、ティティを鳥籠に閉じ込める!」

 

 そう言ってシールドを展開させながら走るのぞみ。駆け寄ってきたレクシーもシールドを展開させる。

 

 シールドは面、線の存在でしかない。だがその線が三本あればどうだろう? 加賀の甲板にはシールドのまばゆい三面の魔法光が構成する三角柱が生まれ、ひとみのシールドにばかり構っていたティティはあっという間に閉じ込められてしまった。

 

「これなら……少なくともこれ以上酷いことにはならないはずっ……!」

 

 のぞみが苦しそうにそう言い、ひとみも必死にシールドの維持に努める。

 

「あれー? うごけなくなっちゃったですぅ。じゃーあ、こうするとぉ?」

 

 当のティティはひとみたちの頑張りに目もくれず、そう言いながら先ほどと同じように指をパチンと鳴らす。

 

 が、それが良くなかった。魔法障壁(シールド)という障壁があったせいかティティの爆発は見事に彼女の足下で起き……ティティ、メイビス・ゴールドスミス少尉はシールドの中で吹き飛んでから動かなくなる。

 

「ティティちゃん?!」

 

 慌てて駆け寄るひとみたち。のぞみがそっと首元に指を当ててから、落ち着いた様子で言った。

 

「……大丈夫だ、ただ気絶してるだけ」

 

「そ、そうですか。よかった……」

 

 ほっと息をつくひとみ。

 

「諸君! 加賀の脅威は討ち取られたぞ!」

 

 のぞみがそう高らかに宣言し、陸戦隊員たちが上空を舞うヘリコプターにも負けぬ雄叫びを上げる。

 終わってみれば余りにあっけなく。こうして『加賀の衝撃』は終わりを迎えたのである。



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2-7-2"Fact"

「大山鳴動して鼠一匹……結局はこうなったか」

 

 石川大佐が髪をガシガシ掻き上げながらそういった。加賀の医務室には妙な沈黙が降りていた。医務官がぱたぱたと働いているはずだが、その一角だけは雰囲気が異なる。それもそうだろう。完全装備の警備兵がマシンガンのグリップに右手を添えた姿勢で待機しているのだ。物々しくもなる。

 

「ウィッチの暴走という危険性は以前から指摘されていたらしいですけど、ここまで大きくなるとは……」

 

 大村のぞみ少尉がそういった。彼女の視線の先には魔力が枯渇気味の状態で『魔力酔い』――――他人の高い魔力にあてられた事で起こる軽度の魔力障害――――で目を回している米川ひとみ少尉が寝込んでいる。その横にはたんこぶを冷やす氷嚢の下でうなる高夢華少尉がいた。

 

「加賀の被害が航行自体に問題はないのが救いだな」

 

「空間魔力拡散爆発の使い手が暴れた。船の一隻沈んでもおかしくなかった」

 

 そう言ったのはプラスコーヴィア・パーブロヴナ・ポクルィシュキン中尉。石川大佐がソレを聞いて大げさにため息。

 

「まぁその結果が空戦ウィッチの戦闘能力一時喪失という大問題だ。今飛べるのが大村とブラシウ、ポクルィシュキンと俺じゃどうにもならん」

 

「後方の地固めが出来る米川・ティティ両少尉が使えないのが痛いですね。米川はさっさと回復しそうですが、問題はティティです」

 

 大村のぞみの指摘に石川大佐が寝込んでいるティティの方を見た。警備兵が見張っているベッドの上、両手をベッドの柵に万歳をするように縛り付けられたティティが眠っている……というより、気絶している。

 

「あのティティがまともな状態であの言動を行なうとは思えない。何らかの理由があるはずだが……」

 

「やっぱり石川大佐も薬物だと思います?」

 

 のぞみと石川大佐が一番警戒しているのは、何らかの薬物を使用したオーバードース(O D)反応による暴走だ。

 

「考えられるのは違法ドラックのトリップ状態か、はたまた抗不安剤かなにかか……」

 

「ティティはホーネットドライバーです。血液検査などもありますし、可能性は低いと思いたいですが……」

 

「薬を服用している状態での飛行は禁止されているからな。定期的に抜き打ち試験があるから、常用しているならば見抜けていておかしくはないが……」

 

「ネウロイの攻撃の可能性は?」

 

 コ―ニャの指摘に石川大佐はわずかに黙り込んだ。

 

「……可能性は低いだろう。ウィッチだけを外部からピンポイントで狂わせることが出来るなら今頃全員踊り狂っているはずだ。ティティだけを狂わせる意味も理由も説明が付かない」

 

「ならティティを出汁にした人類連合所属国への攻撃でしょうか」

 

 唯一否定できないのがそれだ。外部の人間が何らかの目的をもってティティに接触、薬物か何かを強引に摂取させ、暴れるよう仕組んだ。

 

「……警戒しておくに超したことはない、か」

 

「ですね。ブラシウ少尉も呼びますか」

 

「頼む」

 

 のぞみが敬礼して呼びに走る。帰ってくるまで時間があるだろう。そんな中で石川大佐はティティを見下ろす。

 

「全く、なんでブリタニア系のやつらはこうも……」

 

「大佐?」

 

 コ―ニャが首を傾げて問いかければ、石川大佐はなんでもないとだけ返した。乱雑に男性用のズボンのポケットに腕を突っ込む石川大佐。銀の懐中時計の鎖が揺れた。

 

「やっほ、やっぱりここにいた」

 

「霧堂、もう起きて大丈夫なのか?」

 

「大丈夫大丈夫、不意打ちで殴られたぐらいじゃウィッチの体は砕けない」

 

 浅葱色の病院着を揺らして、この艦の長、霧堂明日菜大佐が入ってくる。見張りの兵士が敬礼、ラフに答礼を返した霧堂艦長は肩をすくめた。

 

「ティティちゃん、まだ目が覚めてないのか」

 

「あぁ、おかげでなんであんなことになったのかも確認できていない。後で彼女の部屋の検分もするが……」

 

 そこまで言って石川大佐が胡乱な顔で霧堂艦長を見た。

 

「お前は関与するなよ」

 

「なんで!?」

 

「関係ないものが消えそうだ」

 

「そこまで信頼ない?」

 

「胸に手を当てて考えろ……誰が胸を両手で支えろと言った馬鹿者。しかもなぜ俺のだ」

 

「いやぁ重そうだと思って、考える間ぐらい楽させてあげようかと」

 

 げんこつが落ちる。霧堂艦長はその場に撃沈。せいせいした表情で鼓舞しの熱を冷ましながら石川大佐は彼女を見下ろす。

 

「で? お前の方に心当たりはないのか」

 

「ん? 私はわからないなぁ。食堂でふらふらしてたティティちゃんを介抱しようとしたら『やーんえっちさんですー』って軽い表現の後、腰の入ったパンチを頂戴しただけだもん」

 

「ということは貴様と遭遇する前から事態が進行していたと見るべきか」

 

 石川大佐はまじめな表情でそう言ってティティを見下ろした。

 

「ゴールドスミス少尉は現在人類連合で預かっている状況だ。犯人の割り出しによる安全の確保が最優先課題だ。霧堂、済まないが加賀乗員への事情聴取等を頼むことがあると思うが許可願いたい」

 

「……わかったわ。それぐらいなら協力しましょ」

 

 霧堂艦長がどこか含みをもたせたような笑みを浮かべて肩をすくめたタイミング、医務室のドアが開いた。

 

「大佐、ブラシウ少尉を呼んできましたよっと……あれ、霧堂艦長。お体の方は宜しいのですか?」

 

「やっほーのぞみん、おかげさまで無事。まったく、災難だったねぇ今回は」

 

「ティティをたぶらかした奴がいるのはほぼ確かだと思うのでそいつをとっちめれば災難じゃなくて笑い話に出来ます。僚機をまんまと利用されたこの屈辱、大村流報復術できっちり晴らさせていただきましょう」

 

 のぞみがそういって拳を掌に叩き付けるようにパシンとならした。その晴れやかな表情は決意の証明でもある。霧堂艦長はそんなのぞみから僅かながら目逸らし。

 

「……私刑にならない程度にね」

 

「はい艦長、心得ていますとも」

 

 そのとき霧堂の顔がどこか引きつっていたことにはだれも気がつかなかった。理由は単純、ティティが寝ぼけたような声を上げたからだ。その場の全員がベッドの上を注視する。

 

「……ぅうん、あ、あれ……?」

 

 寝返りを打とうとしたのかもぞもぞと体を動かすティティ、両腕を頭の上で縛り上げられているような体勢に気がついたのか、とろんとした瞳が開かれる。

 

「あれ、なんで動け……っ!! えっ、なんでっ!? なんで縛られ、えぇっ!?」

 

「落ち着けゴールドスミス少尉、我々はすぐに貴官に危害を与えるつもりはない」

 

 石川大佐が冷静を取り繕ってあくまで事務的にそういった。スツールに腰掛け、石川大佐はパニック状態のティティにゆっくりと語りかける。

 

「残念ながら少尉に黙秘権は存在しない。聞かれたことに答えてもらいたい」

 

「えっと、私はなにを……な、なんで私は縛られて……?」

 

「何をしたのか覚えていないのか?」

 

 石川大佐に問い返されてもティティは困惑顔で首を横に振るだけだ。

 

「非武装の陸戦隊は、まあ良くやったと言うべきだろう。だが甲板員(いっか)から32名、増援に駆けつけた五隻の護衛艦から合計41名、理由は分からんが(あそびにきた)潜水艦乗組員3名、計76名が皆程度の差はあれど軽傷だ。これにより加賀の航空機運用能力を喪失、レーダー系統が爆風により破損しているため索敵にも困難が生じている。今、北条司令がセイロン島コロンボへの緊急入港を決めた」

 

 コロンボにはブリタニア軍の工廠があるからな、と石川大佐が言う間にもティティの顔が青ざめていく。

 

「あぁぁぁぁぁぉぁぁぁぁ、やっちゃったぁ……」

 

「心当たりがあるんだな?」

 

 石川大佐の声が険しくなる。泣きそうな顔で石川大佐を見て、震え上がるティティ。

 

「……あの、私、その……」

 

 ティティの視線が石川大佐と天井の間で揺れる。なにかを言い淀んでいるのか、消え入るようにぼそぼそと言うティティに、石川大佐は目を見開いた。

 

「報告ははっきりと、大きな声で!」

「はいぃ!」

 

 ティティの肩が跳ねる。ベッドがギシリと抗議するように鳴いた。

 

「あの、私、アルコールを飲むと、その……周りにご迷惑をおかけするらしくて……」

 

「……アルコール?」

 

 石川大佐の声が数段陰険なものになる。ティティがガタガタ震えているせいでベッドが細かな音を立てている。

 

「軍規上禁止されている嗜好品のはずだが」

 

「ぶ、ブリタニアンスタイルのアウストラリス海軍だと禁止されていませんけど……」

 

「加賀は扶桑皇国海軍の軍艦だ。その国旗を掲げた船に乗り込む以上扶桑海軍の軍規に従ってもらう。そもそも飲酒可能な年齢ではあるまい。なぜ飲んでいる」

 

「の、飲まされたんですっ! 軍に入ったすぐ後の歓迎会で、衛兵さんの厩舎から馬で逃げ出したり、先輩蹴り倒したりしたらしくて、それ以来『きかん坊のメイヴィちゃん(アンタッチャブル・メイヴィ)』なんて呼ばれるし……それ以来一滴も飲んでないですよ!」

 

「ならなんでこの加賀で暴れる羽目になった。レセプションの時にもアルコールは出ていないはずだが」

 

 石川大佐の言うレセプションは前日夜の新生203空の結成記念レセプションのことだ。確かに一滴もアルコールらしいものが出ていない。香り付けで料理酒が使われていたぐらいだが、アルコールは飛ばしてあるはずだ。

 

「えっと、その……ミリ……ン? ていうものを食堂でキャプテン・キリドーに飲まされて……」

 

 石川大佐が弾かれたように振り返る。今名前が挙がった人物が忽然と姿を消していたことを確認する。

 

「霧堂貴様あああああああああああああ!」

 

 石川大佐が全力疾走で廊下に飛び出す。

 

「今回は私ただの過失でしょうっ!? 故意じゃない故意じゃないっ!」

 

「ならば逃げるな戦えっ!」

 

「 だ れ と ! ? 」

 

 ドップラー効果でだんだんと音が低くなっていく二人分の騒音が加賀艦内を駆け巡る。それで目を覚ましたのかひとみがもぞもぞと体を起こした。

 

「えっと、あの、おはようございます……えっと、あれ? どうなりました?」

 

 まだ起きたばかりで状況が掴めてないらしいひとみ。のぞみも完全に状況を理解したわけではなかったが、それでも説明出来るのはのぞみしかいなさそうだ。

 

「うーん。とりあえず原因も分かったし、ティティの処分はないんじゃないかな」

 

「そうですか……よかった」

 

 それを聞いて胸をなで下ろすひとみ。のぞみは大きくため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

南洋日報電子版

遣欧艦隊、集団食中毒か。セイロンに緊急入港

2017年7月31日(月)午後5時20分

【青山・東京本局】

 海軍省は本日午後、対ネウロイ作戦「生来の決意作戦」の為にインド洋に展開中の遣欧艦隊がセイロンに緊急入港していたことを発表した。同省は航行中に食中毒が発生したことが緊急入港の原因とした上で、最後の寄港地であるシンガポールで積み込んだ真水に問題があったのではないかと指摘。ブリタニア植民地省に確認を取っている最中だとした。

 遣欧艦隊は第五航空戦隊を中心にする計7隻の艦隊。同艦隊は人類連合の航空部隊も受け入れており、海軍省は「早急な原因究明と戦線復帰を目指す」としている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんと、派手にやられたわねぇ」

 

 防水布で覆われた艦橋、そしてマストを見ながらのぞみが呟く。ひとみの狙撃を躱したティティの爆撃は「加賀」の艦上構造物を直撃。元々被弾を想定しない現代艦艇だ。ことさら喫水線上の防御は貧弱で、艦橋の窓は大体割れ、明らかに歪んでいる箇所もある。

 

「こ、こんなことになってたんですね……」

 

「そりゃああれだけ盛大に爆破すればね。艦を爆発物に変えなかっただけ幸いと言うべきか……いつ直るんだか」

 

 酷いことになっている加賀を目の当たりにして口をあんぐりとあけるひとみ。のぞみは何度目になろうかため息を吐く。

 

「残念だが、艦の修理には相当かかるらしいぞ」

 

「石川大佐」

 

 やって来た石川大佐にひとみとのぞみは敬礼。石川大佐は答礼してから同じように艦橋を見上げる。

 

「艦橋の修理自体はセイロン(ここ)でも出来るんだが、レーダー系は本国から取り寄せるしかないからな。技官も呼んで取り替え、調整にどのくらいかかるか……」

 

「それ、一旦本土に回航した方が早いんじゃ……」

 

「ウィッチ専用の電磁カタパルトを積んだ出雲型は世界で一つだけだからな。回航したところで我々が孤立無援になるだけだ」

 

「……現地修理を選んでくれた本国に感謝、ってことですか」

 

 のぞみがやれやれと言った様子で言う。セイロンのブリタニア海軍基地に緊急入港した「加賀」は現在、割り当てられたブイにて停泊中。応急処置が施されただけということもあり、今は丁度損傷の具合を確認している最中だ。場合によっては、修理期間の長期化も予想される。

 

「いずれにせよ加賀は当面使えない。生来の決意作戦に影響が出なければいいんだが……」

 

「ということは大佐、我々だけ前進展開する可能性も?」

 

「前進展開……?」

 

「つまり加賀を離れて、私たちだけが前線に出るってこと。まあ203は空母航空団という訳じゃないし、前進展開という表現があうかはわかんないけどね」

 

「それはまだ分からん。連合司令部より追って今後のことについては命令があるだろうが……セイロンに入港した段階で、第203統合戦闘航空団の指揮権は西アジア司令部に移されているからな。十中八九、加賀の修理を待たずに移動命令が下ることだろう」

 

「そうですか……」

 

 そう言いながらコロンボ港のブリタニア軍区画に整然と並んだ軍艦たちを眺めるのぞみ。扶桑海軍遣欧艦隊の旗艦を務める加賀、それを護るのは5隻の駆逐艦と1隻の潜水艦。

 

「あ、そういえば霧堂艦長は結局どうなったんです?」

 

 思い出したように聞くのぞみ。石川大佐は思い出したくないことを思い出したと言わんばかりに額に手を当てながら言った。

 

「今は全艦長を漣に集めて会議中だ……陸戦隊の無断派遣(おせっかい)に謎の潜水艦浮上、そして全ての原因を作ったのは艦隊旗艦の艦長、公表されれば艦隊人事はまるごと吹き飛ぶだろうな」

 

「そ、それって大変なことになるんじゃ……」

 

「その通り! ですからっ、扶桑海軍省はこの件を集団食中毒と発表したそうですよ?」

 

「あ、青葉さん」

 

「どもっ、恐縮ですっ!」

 

「記者さんホントに突然現れますね」

 

 口調では呆れたように言いつつも青葉を睨むのぞみ。その様子を気にすることなく青葉は笑って続ける。

 

「それが南洋日報ですから! ところで米川さん、青葉聞きましたよぉ? 大活躍だったそうで」

 

「い、いえ……私は別に……」

 

 実際、狙撃は失敗してしまったしその後のシールドだって反射で張ったもの。結果としては上手くいったけれどひとみとしてはもっと上手くやれたんじゃないかと思ってしまう内容だった。

 どう伝えればいいのかと迷っていると、青葉はいきなり首を振ってある一方を見る。

 

 青葉の視線の先に居たのは、三つ編みお下げのアウストラリス空軍ウィッチ、ティティが丁度甲板へと出てきたところだった。

 

「おっとぉ! これはこれは話題のゴールドスミス少尉ではありませんかぁっ!」

 

「ふえっ!?」

 

 ティティへと一気に駆け寄ろうとする青葉。遮るように立ちはだかったのは石川大佐だ。

 

「……新発田記者。ウチのウィッチたちに過度なストレスを掛けるのは止めて欲しいものだな」

 

「おっと、これは失礼いたしましたぁ。まーどのみち箝口令とか敷かれるでしょうし、取材は一通り落ち着いてからまたにしましょうか」

 

「必ず団司令である俺を通すんだぞ」

 

「はいはい、分かってますって」

 

 そんな会話を交わす青葉と石川大佐。その隙にティティはひとみたちの所へ。

 

「あれっ、ティティちゃん? もう歩いていいの?」

 

 この緊急入港の原因を作ってしまったともいえるメイビス・ゴールドスミスことティティ。今回の件はティティというよりティティにアルコールを摂取させた霧堂艦長に責任があるということで彼女に懲罰こそ無かったが、だからといって体内のアルコールが完全に消えるわけではない。念のためということで隔離されていたはずだ。

 

「うん。まだ護衛の人がいないとだめなんだけど」

 

 そう言うティティの後ろには確かに水兵が控えていた。何十人もの大の大人を投げ飛ばしたティティに対して役に立つかは全く不明だが、まあ少なくともこれで誰かに酒を盛られたりはしないだろう。

 

「そっか。良かったね」

 

 ひとみがそんなことを言う中、石川大佐はティティの方へと歩いてきた。どうやら青葉を追い払い終わったらしい。

 

「ゴールドスミス少尉、身体はもう大丈夫か」

 

「えっ、と……はい、大丈夫です」

 

「そうか。ならいい」

 

 それだけ言うと石川大佐は踵を返して歩き去る。

 

「石川大佐? どちらへ?」

 

「機体の様子を見てくる」

 

 のぞみが声を掛けると、石川大佐は振り返ることもなくそれだけ返す。返してそのまま 艦橋の入り口の扉に入ると、扉が閉まりその影は見えなくなってしまった。

 

 残されたのはひとみと不思議そうに首を傾げるのぞみ、そしてどこか浮かない顔のティティ。

 

「……」

 

「ティティちゃん? どうしたの?」

 

 その質問はひとみにとっては会話のきっかけのつもりだった。友達のティティちゃんがどこか元気なさそうだから、声を掛けた。それだけのつもりだったのだが。

 

「……私、石川大佐に嫌われているんでしょうか?」

 

「嫌われてる?」

 

 いきなり飛び出したティティの言葉に首を傾げるひとみ。石川大佐は確かに厳しいヒトだ。ひとみにとっては幼年学校の教官なんかよりずっと厳しいのが石川大佐だ。それに、石川大佐が誰かを嫌ったりするとは思えなかった。

 ティティは少し俯いて言う。

 

「はい……初めから避けられてるような気はしていたんですけど……」

 

「……そりゃあ。あんなことがあれば、ねぇ?」

 

 察してくれと言わんばかりに艦橋を見上げるのぞみ。掘り返すのはさすがに躊躇われたのか。好き放題にやっているように見えるが、こういった気遣いをするのがデキる女、大村のぞみなのである。

 

「そうなんですけど、ずっと前から避けられてるんですよ……」

 

「そうなんですか?」

 

 言われてみればティティと石川大佐が仕事以外の言葉を交わしているのを見た記憶が無い。でもそれが直ぐ避けられているとか嫌われているということになるだろうか? ひとみだって石川大佐とは仕事の話しかしないのだ。

 

「気のせいじゃない? 石川大佐は確かに素っ気ないかも知れないし鉄面皮だけど、特定の誰かにキツく当たったりすることはないと思うよ?」

 

「そうでしょうか……」

 

「気にしやがることはないでやがりますよ」

 

「あっ、夢華ちゃん!」

 

 そう言いながらやって来たのは夢華の姿を認めた途端、夢華の元に駆け寄るティティ。

 

「身体、大丈夫ですか?」

 

「この程度、どうってことねーでやがりますよ。ちょっとヘマやらかした手前の責任でやがります」

 

 そう言いながら身体をさする夢華。かなり申し訳なさそうなティティが気まずそうに視線を地面に落とした。

 

「あー、もうめんどくせーでいやがりますね。過ぎた話をいちいち掘り返すなってんですよ」

 

 ぐいぐいとティティを夢華がドンッと押し返す。ふええ、と言いながらティティが夢華から遠ざけられていった。

 

「ぎゃんぎゃんうるさい! もっと静かにできないの!」

 

「……レクシーの声が、いちばん大きい」

 

 ひとみたちにレクシーが一喝しながら近寄る。残念だが、コーニャのツッコミは少しばかり声が小さいせいで届かなかった。時折、コーニャのツッコミは遠いが今回は更に遠かった。

 

「ティティもいつまで引っ張るつもりよ! そこのちんちくりんが言ったとおり、過ぎたことなんだからもういいの。あんたが悪いわけじゃないんだから気にしすぎ!」

 

「待つでいやがります。ちんちくりんとはなんでいやがりますか、この色ボケやかましウィッチが!」

 

「ああん!? やんのかチャイニーズ!」

 

「はーいはーい。そこまで、そこまで。これで全員が集合したんだから争わない!」

 

 のぞみが手を鳴らして制止をかける。手を叩いた音に全員がのぞみに視線を注いだ。

 

「なんであんたが仕切ってるのよ」

 

「そうそう、それ。すっかり忘れてたけどカイト1はこの大村のぞみでいいんだよね?」

 

「ちょっと待ちなさいよ、誰もそれでいいなんて言ってないんだけど? というかなんでこのタイミングで出してくるのよ」

 

「そりゃ石川大佐を除く我がゴールデンカイトウィッチーズのウィッチ全員がそろってるからだよ少尉」

 

「いつからあんたのゴールデンカイトウィッチーズになったのよ……」

 

「でも私がカイト1であることを否定することは出来ないと思うよ? 石川大佐を除けば203に所属した期間は最長だし、シンガポールでの演習にも勝った。そしてなによりこれまでのカイト1はずっと私だった。ゆめかも演習の立役者ではあるけど、どうせあんたは隊長なんてやる気無いでしょ? 管理職って面倒だし、報告書とか大量に書かされるよ?」

 

「……それは勘弁でやがります」

「はぁ。もう勝手にしなさいよ」

 

 各々引き下がるウィッチ二名。のぞみは満足げに頷く。

 

「うんうん。物わかりがよろしくて結構」

 

 それは物分かりがいいと言うのだろうか……ひとみは困り顔だ。一方、夢華は小馬鹿にした様子で親指と人差し指の先端を合わせて円を作る。

 

「とはいいやがりますけどね。ダーツォンだって、結局は管理職手当が欲しいだけなんじゃねーですか」

 

「んな失礼な。私だって5000兆円欲しいさ。でもねゆめか、扶桑軍人には給金以上に重要なこともある。カイト1の座は私にとってはそういうものなのだよ……さあ無事カイト1も決まったことだし諸君、早速コロンボの街に繰り出そうじゃないか!」

 

「まーた観光でやがりますか」

 

「ゆめか、観光をなめちゃいけない。別に道楽目当てだけじゃない。その土地の風土を知っておくことは重要なんだよ? それにどうせ艦隊が修理で動けないんだ、今のうちに羽根を伸ばしておけばいいのよ」

 

「ダーツォンが言うと言い訳にしか聞こえないでやがりますね」

 

「……でも。夢華も楽しんでた、シンガポール」

 

「うっ……そ、そんなことはねーでやがりますよ」

 

 ホントに? と無表情のまま首を傾けるコーニャ。あくまで否定する気のない夢華。

 

「アンタら、本当に仲がいいわね」

 

「えっと……いいことなんじゃないですかね?」

 

 ため息をつきながらも笑うレクシーにティティ。

 

「……」

 

 不思議だ。そうひとみは思った。

 

 ひとみは今、生まれ育った扶桑から何千キロも離れた場所にいる。セイロンなんて地図で見たことしかない場所にいる。

 そこで、オラーシャ、華僑、リベリオン、そしてアウストラリスの人たちと一緒に過ごしている。

 

 こんな風に外国の人たちといっぱい話して、いろんなところに行くなんて半年前の自分、まだ幼年学校の受験勉強で頭が一杯だった自分に言ったら信じるだろうか? 苦手なブリタニア語を教えて貰ったり自分で頑張って調べたりして、まだ下手っぴだけどコミュニケーションを取ろうとしてる自分がいるなんて信じて貰えるだろうか。

 

「どうしたの? 米川」

 

「いえ……なんでもないですっ」

 

 

 確かに今は戦争中で、ひとみたちはネウロイを倒すためにここセイロンに、インド洋に居る。それは事実だし、ネウロイがやって来たら笑ってばかりじゃいられない。

 

 それでも今は、この楽しい時間がどこまでも続いてるって、この海の向こうにいつか平和な世界が広がってるって、そう信じたいのだ。

 

 

 風が吹く。それはひとみの頬を撫でて西へ流れていく。遙か遠くへ、欧州まで。

 

 

 

 

 

 

 

南洋日報電子版

ウルディスタン政府、ロンドンに亡命政府を設置

2017年8月23日(水)午前1時20分

【国峰・ロンドン支局】

 ウルディスタン政府は現地時刻の22日午前10時、ロンドンに政府機能を移したことを発表した。ウルディスタン政府は首都陥落以降臨時首都をパンジャーブ州のラーホール市に移していたが、同市の防衛が困難であると判断されたためとされている。人類連合は同亡命政府を支持するものと見られる。

 ウルディスタンの人口は2012年で1億8000万人。人類連合では既に一億を超える難民が発生しているとされていた。

 



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いんたーばるっ!弐
ウィッチたちの赤裸々座談会 2


はい。今回の更新は共同執筆者たちによる座談会の第二回目です。今後の更新とかにも触れますが基本的にはネタ話ばかりです。

前回の座談会同様、著しいキャラ崩壊、メタ発言が含まれますのでご注意ください。

今後の連載についての情報が気になる方はあとがきを確認していただければ幸いです。


ひとみ「た、助けてください! へるぷ、へるぷですーーっ!! ビートルズの5thシングルー!」

 

スミス「ひとみちゃんー? って後ろにいるのはー?」

 

あおば「そのネタ通じるんですかねぇ? あ、どもっ恐縮です!」

 

レクシ「邪魔するなら帰って~」

 

あおば「ほなさいらな~……ってアホですか! なにが悲しくてリベリオン人が関西弁をしゃべるんですか!」

 

スミス「あ、あはは……えっと、座談会的ななにかやるからって言われてきたんだけどー、えっと、場所、合ってるよねー?」

 

ひとみ「そうなんだけどー! とにかく私だけじゃ新発田さんの質問は捌けないんですーっ! ティティちゃん助けてっ!」

 

スミス「えっと、新発田記者さんはひとみちゃんになにを……?」

 

あおば「よくぞ聞いてくれましたメイビス・ゴールドスミス少尉! 実はですねぇ、南洋の敏腕記者であるこの私が扶桑海軍の奮闘を手記に纏めようかと思いまして!」

 

レクシ「敏腕とか自分で言うのね東洋人」

 

あおば「そりゃあもう敏腕ですから。私の手にかかればどんなウィッチも丸裸!」

 

スミス「やーん、えっちさんですぅー」

 

レクシ「誰だティティに酒飲ませたの!」

 

スミス「飲んでらいですよー……」

 

レクシ「飲んでる! 絶対飲んでる! 中止! 中止!」

 

 

―――1時間後―――

 

 

スミス「うぅ、もうお嫁さんに行けないよぉ……」

 

あおば「まんぞくまんぞく……さて、これが『遣欧艦隊集団食中毒事件』の真相なのは間違いなさそうですねぇ……」

 

レクシ「誰か、こいつの口封じて」

 

あおば「言論の自由を侵害するなんて! 自由の国リベリオンのやることじゃないですよ!」

 

レクシ「国体の維持のためにやむなしよ。さて、そろそろ本題はいりましょうか。ほらヨネカワ、あんた音頭取りなさいよ」

 

ひとみ「えっと、と、とりあえず! シンガポール編完結……で、いいんだよね、の座談会を始めたいと思います!」

 

あおば「もう既にお察しでしょうが……今回も前回同様、執筆四人組がそれぞれキャラになりきって書いております! とりあえず自己紹介をば!」

 

スミス「ブリタニア=アウストラリス王立空軍少尉 メイビス・ティティ・ゴールドスミス少尉です。今回はオーバードライヴの代役を務めます」

 

レクシ「リベリオン空軍少尉 アレクシア・ブラシウよ。今は矢神の代役よ!イエス!セレンディピティ!」

 

ひとみ「そして前回から続投してプレリュードの代役をやらされることになってしまった米川ひとみです!」

 

あおば「そして私、扶桑系の新聞社《南洋日報》より派遣されて参りました新発田(しばた)青葉(あおば)と申します! 本日は帝都造営の代役ですっ! とりあえず……」

 

ひ・ス・レ・あ「「「「シンガポール編を読んでいただきありがとうございました!!」」」」

 

あおば「いやーそれにしても平和でしたねぇ、七話で合計約14万字! シンガポールからコロンボに移動しただけでしたね!」

 

ひとみ「ほ、ほんとうに平和でしたか!? とんでもない演習とBBQとミリンとか大パニックだった気が……」

 

レクシ「ネウロイが来なかったんだから平和でしょ、加賀は沈みかけたけど」

 

スミス「ミリンは不可抗力です……」

 

あおば「そうそう、それなんですけどね? あれって結局どういうことだったんですか? 軍人さんたち皆口が堅くて、なにが起こってるのかよく分からなかったんですよぉ」

 

スミス「うぅ……。よ、要は酔っ払った私が第五航空戦隊の皆さんをしばき倒したってことらしいです。私はキャプテン・キリドーにミリンを飲まされた後から記憶はないですし、アルコール飲むとどうも暴れてしまうらしくて……」

 

あおば「あ、はい。暴れるのは先ほど体感しました」

 

スミス「ごべんなざいぃぃぃぃ!」

 

ひとみ「ティティちゃん泣かないで。でも魔法力全開のティティちゃんすごいよね。私の狙撃も避けちゃうし……あれ、けっこう自信あったのに」

 

レクシ「そうよ! 自爆とはいえあんなに空高く飛べるなんて! まさにウィッチの鑑」

 

あおば「打ち上げティティ、上から見るか、横から見るか……名作の予感ですかね?」

 

スミス「映画になんてしなくていいですから! あれから整備兵の皆さんに『伝説が増えましたね』とか言われるんですよ!」

 

レクシ「それはしかたない。って、ん? 伝説が『増える』? 前にもなんかやったの?」

 

あおば「アルコールを飲むと云々のところでも経験がおありのような言い方でしたけど」

 

ひとみ「ほら、ティティちゃん。話そう? 私も前回、いろいろ暴露されたから。うん、いろいろと……」

 

スミス「うぅぅ。……えっと、それを説明するには私が軍に入った経緯から話さなきゃいけないんですけど……」

 

あおば「ま、まさかその年でアルコール依存症に……!? 強制隔離のためですか?」

 

レクシ「更生施設で苦労したのね……」

 

ひとみ「恥の多い人生を送ってきたんだ……」

 

スミス「そろいもそろって違いますっ! も、元々の生まれがブロークフォードウィッチワインで、実家が農家でワインセラーとかもやってるんです。それが養成校を出て、はじめての配属になったティンタル基地の先輩方にバレまして……」

 

あおば「あぁ、アウストラリス空軍は営倉内での飲酒ができますからねぇ、献上させられましたか」

 

スミス「はい……あと基地の定番で歓迎会の後に、シゴキも兼ねた肝試しをするんですけど……ワインをしこたま飲まされた後でやりまして」

 

ひとみ「あー……なんとなくわかっちゃったかも」

 

スミス「……仮装して準備万端名先輩たちを衛兵の厩舎から強奪した馬で蹴散らしました」

 

あおば「さすがに予想外です。よりにもよって馬で蹴りましたか……一面に踊るのは【現代に蘇る騎兵】ですかね?」

 

レクシ「それにしても馬って……よく死人が出なかったわね」

 

スミス「先輩たちはシールドだって使えますし……」

 

レクシ「シールド使わなきゃどうにもならないレベルで追い込んだのね……」

 

スミス「私は歓迎会の最初の方までしか覚えてないんですけど、暴徒鎮圧用警棒を片手に馬で夜中中ずっと走ってたらしくて……そこから『利かん坊メイビィ(アンタッチャブル・メイビィ)』とか呼ばれて、メイビスって名乗る度に先輩達がビクンってするんで、ずっとティティって呼んでもらってます」

 

レクシ「ワオ! シマヅスタイル!」

 

あおば「関ヶ原ですか……」

 

スミス「えっと、何言ってるか分からないんですけど……」

 

ひとみ「武田の騎馬隊は世界一ィィィ!!」

 

スミス「ひとみちゃん!?」

 

あおば「いやぁ米川さん。座談会ということであらぶってますねぇ」

 

レクシ「あぶらうってますね?」

 

あおば「さっきからやけに扶桑語がお上手ですね。でも、確か本編ではレクシーさん扶桑語喋れない設定でしたよね?」

 

ひとみ「そうなんですよ青葉さん! レクシーちゃんもティティちゃんも扶桑語が通じないんです!」

 

スミス「な、なのでひとみちゃんに扶桑語を教わってます。難しいですね、扶桑語」

 

レクシ「扶桑語なんて覚えてられへんねん。あんなんどないせぇっちゅうねんホンマに。アホ言うんは文系の数を5に整えてからにしてやー」

 

あおば「ペラペラに見えるのは気のせいですかねぇ……あ、そうそう、貴女の愛しの彼氏さんは仕事上覚えるしか無さそうですよ? この際勉強されては?」

 

レクシ「……善処する」

 

ひとみ「あ、扶桑語が話せない人は私が月に変わって(ワルサーで)お仕置きしちゃいますよ!」

 

レクシ「上等じゃあ! おんどりゃあ!」

 

あおば「くやしいのぅ。くやしいのぅ」

 

スミス「そろそろ(版権的にも)危ないのでそろそろ話を戻しましょうか」

 

あおば「権力には屈しないつもりだったんですが、しかたありませんねぇ。では改めて、新登場ウィッチである皆さんの元ネタについてお聞きしていきましょうか! ではまずレクシーさんから!」

 

レクシ「アタシはアレキサンダー・ブラシウ、米海軍空母『レキシントン』で19機撃墜の戦果を挙げたエースパイロットよ。ルーマニア移民の子供としてインディアナ州に生まれたわ」

 

あおば「あれ、でも確か劇中ではアイオワが故郷云々の記述がありませんでしたっけ?」

 

レクシ「似たようなもんでしょ。どうせ畑しかないところよ。大差ないわ」

 

スミス「そういえばレクシーさんはフィリピンでゲリラを指揮したこともある凄い方なんですよね」

 

レクシ「そっちよりもマリアナでの活躍を褒めて欲しいものだけどね」

 

ひとみ「あはは……ティティちゃんは?」

 

スミス「私はエイドリアン・ゴールドスミスさんが元ネタです」

 

あおば「エイドリア―――――ン!」

 

ひとみ「えいご〇あーん」

 

スミス「うるさいです」

 

あおば「あ、はい」

 

ひとみ「ごめんなさい」

 

スミス「エイドリアンさんはオーストラリアのエースパイロットで第二次世界大戦期に17機の撃墜記録があるんですよ。枢軸国の皆さんには数では劣りますがこれでもれっきとしたエースなんですから!」

 

レクシ「気にしちゃだめよ。三桁なんて行く方がおかしいの」

 

ひとみ「あ、あの! シャンちゃんのことも忘れないであげてください!」

 

レクシ「ナンジェッセ中尉……。いい奴だった……」

 

スミス「シャンタルさんの元ネタは実は第一次大戦のシャルル・ナンジェッセ中尉が元ネタなんです。この方は大西洋横断飛行にチャレンジして愛機『白鳥号』と一緒に行方不明になりました」

 

あおば「それが気づけば米川少尉のアフタアーバーナーで焼き払われる始末……南無」

 

ひとみ「あれは事故なんですぅ!」

 

スミス「シャンタルさん、かなりトラウマになってましたよね……」

 

ひとみ「あとでもう一度謝っておきます……ナンジェッセ中尉は今ホルムズ海峡の方に行ってるんでしたっけ?」

 

レクシ「そうね。今頃行方不明になってないといいけれど」

 

あおば「まー大丈夫だとは思いますよ。ホルムズ海峡の方へ、といっても今回はまだインダス川流域らへんの爆撃ですし。本格的にペルシア湾に踏み込むのはもう少し先のことになりそうですし」

 

スミス「まず先にウルディスタン地域をなんとかしないと西アジア奪還もなにもなくなってしまいますからね……」

 

ひとみ「ウルディスタンって……」

 

レクシ「あんた大丈夫? ウルディスタンといえばインディア帝国の北西側、宗教的紛争でインディア帝国から分裂してできた国じゃん」

 

あおば「宗主国のブリタニアにはちゃんと纏めて欲しいものですけどねー。とにかく、そんなのですから戦争一歩手前だったりするんですよね……まあ、ネウロイがいるからそんなコトしてる場合ではないんですけども」

 

ひとみ「ふえぇ……」

 

あおば「米川さんも知っておいて損はないですよー? 意外とこういうのって役に立ちますし」

 

スミス「そ、そういえば! アオバさんの元ネタって……」

 

あおば「え? 別に私は空飛ぶ訳ではありませんし、元ネタになった軍人さんは……特にはいらっしゃいませんねぇ」

 

レクシ「……新発田駅かな? 白新線の駅よね(迫真) それとも新幹線?」

 

あおば「某お船が女の子してるゲームの方が先にでるかと思ったんですが、えぇ」

 

ひとみ「えっ? ゲームを作るんじゃないんですか? シナリオライターは闇ですよ?」

 

あおば「そちらの青葉でもありませんよ。……露骨に話題をそらされましたが、この先はネウロイだけじゃなく(まつりごと)にも無関係ではいられない訳です。ここからはいろんな意味でノンストップになるかもしれませんね」

 

レクシ「我らがリベリオンの『生来の決意作戦』も大局を迎えるわけだから、当然よね」

 

スミス「なんですけど、執筆の都合上、投稿ペースを隔週ないしそれ以下に落としていくことになりそうなんですよね……」

 

あおば「まーまたしても原稿のストックなくなっちゃいましたからね……」

 

ひとみ「仕方ないよ。みんな忙しかったし、なにより毎週1万文字の投稿ペースを保ち続けるのは難しいからね」

 

レクシ「ここから先はしばらくコロンボで休憩よ。誰かさんが『かが』をこわしちゃったから」

 

あおば「まあまあ、流石にゴールドスミスさんが可哀想ですよ。それでは皆さんっ! またお会いしましょう!」

 

スミス「変な気遣いが痛いですっ! で、でも、今後の活躍で、デキる女ティティを見せつけてやるんですから……! 頑張りますよ!」

 

ひとみ「ヤる時はヤる女、ティティちゃん! どうぞお楽しみに!」

 

スミス「ひとみちゃああああああああああん!」

 

 

 

 

★ ★ ★

 

 

 

 

OD「毎度の事ながらこの裏話本当に必要なのかと思いながら大暴走してるけど、大丈夫だよね?」

 

帝都造営「大丈夫。瑞鶴ジャーは世界を救います(第二章七話前半より)」

 

プレリュード「そのとおりだ、同志聖都造営。失礼、かみまみた!」

 

矢神「そうですね。いつも心に瑠璃子。これさえあれば世界は救われる(救われない)」

 

ひとみ「今回はティティちゃんが犠牲(いけにえ)になってくれたおかげであまり私は怪我せずにすみました(暗黒微笑)」

 

帝都造営「ともかく、203空もいよいよ西アジアへと突入です! ウルディスタン編も鋭意作成してまいりますので、これからもゴールデンカイトウィッチーズをよろしくお願いいたします!」

 

 

 

 

★ ★ ★

 

 

 

 

 

 

 

 米川ひとみ。扶桑皇国空軍少尉。

 

 彼女が人類連合第203統合戦闘航空団、通称「ゴールデンカイトウィッチーズ」に参加し、欧州を目指して旅立ってから……早くも三か月。

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 お父さん お母さん へ

 

 

 お元気ですか? 私は今スリランカで訓練に明け暮れています。毎日へとへとですが、休みの日には観光に連れて行ってもらったりして楽しく過ごしています。

 

 今日はお父さんたちから小包が届いたのでお礼を言いたくてメールしました。もらったスコープ、大切に使います。今使っている狙撃銃にもぴったりでとても使いやすいです。特注で作ってくれたんだよね。本当にありがとう。隊長の石川大佐や分隊付狙撃手にいた経験のあるウィッチの方がとても驚いていました。これなら狙撃ユニットの正式装備としても十二分に通用するとかいろいろ言ってます。私はまだスコープのよしあしとか基準とか分からないけど、少し誇らしいです。

 

 米川硝子っていろいろ有名だったんだなぁって加賀に乗ってから気がつくようになりました。従軍記者の方やカメラに詳しい整備兵の方もみんな米川硝子のレンズのことを知っていて、世界トップクラスのレンズメーカーだとか、米川硝子がなければ今のフレネルレンズはないとか、褒められたりすごいねって言われるんですよ! 少し恥ずかしいですけど、嬉しいです。

 

 今はもう私もエースパイロットらしいです。自分だとまだまったく実感がないんだけど、いろんな人から挨拶をしてもらったりすることも増えて、楽しいです。だから心配しないで。私は元気です。父さんたちのスコープもあります。たくさんの人が支えてくれます。だから心配しないでください。

 

 いろいろ話したいことが沢山あります。メールやお手紙じゃなくて、電話とか会って話せたらいいなぁ。

 

 また、メールします。

 

 大好きです。

 

 米川ひとみより

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

――――――彼女たちはいつだって、その理不尽と戦ってきた。

 

 

 

「諸君、緊急事態だ。ウルディスタンが政府機能をロンドンの亡命政府に移した。ウルディスタンは間もなくネウロイの瘴気に沈む」

 

「く、国一つ丸ごとですか……!?」

 

「そうだ。現在ウルディスタン領内から脱出できていない市民は一億人強。全市民が脱出できたとして、その8割が難民となる」

 

「ど、どうするんですかそんな数の難民……逃げ場なんて、ありませんよ!」

 

「ネウロイの規模は8,000体を越えていると推察される。数千万の無辜の民がそれに飲まれる。我々はそれを看過することはできない。俺たちはウィッチだ。それ以上の答えが必要か?」

 

 

 

――――――大地を喰らい、生命を喰らう。その理不尽に否と声を上げ続けた。

 

 

 

「どこまで行ってもクソ溜めはクソ溜めなんじゃねーですか。やっぱりネウロイなんかより、ニンゲン様のご機嫌の方が大切だ」

 

「だけど、私たちは飛ばなきゃいけない。違う?」

 

「オラーシャ式は御免ですだよ。中尉」

 

 

 

――――――己の能力(ちから)、その持てる全てを捧げてきた。

 

 

「そんなことをすれば皆が自己矛盾に陥りますよ?支持率も株価も真っ逆さま(フォーリンダウン)。世界を壊してなにが楽しいんです?」

 

「なるほど? それがお茶の間戦局報道(ウォーゲーム)の作り手が考える戦争というわけね?」

 

「そりゃあそうでしょう。こんな僻地で誰が傷付こうと悲しもうと、誰も気にしやしない。気にしちゃいけないんですよ」

 

「……その台詞、もう一度言ってもらおうか」

 

 

――――――声を上げ続けることが容易なはずはない。

 

 

「難民を迎撃!? いよいよ狂ったかインディア帝国陸軍は!」

 

「ウルディスタンから押し寄せる武装した暴徒たちを野放しにするわけにはいかない。当国と彼の国は戦争状態なのですよ。祖国を護ることこそ我等の使命。インディア8億の民の望み」

 

「貴様らは見えていないのか! 敵は、本当の敵はその後ろにいるんだ! 放っておけば貴様の言うその祖国とやらも同じ運命を辿るんだぞ!」

 

「明日の敵より今日の敵。今日国土を侵されてしまっては、明日の国土を守ることは出来ません」

 

 

――――――喉は枯れ、どこにも響かず声は消えていく。

 

 

 

「先輩、助けられないことと、助けないことの境界って、どこなんですか……?」

 

「さぁ? でも結果は一緒よ。それにどう納得するか、軍人に必要なのは、それだけよ。割り切れ、米川。あんたが喰われるぞ」

 

「でも……!」

 

 

――――――それでも、守らねばならないものがある。

 

 

 

 

「こちらウルディスタン陸軍第342ライフル中隊、ウィッチ殿、どうか他の部隊に伝えてくれ。我々中隊は此の地にて雄々しく戦い、国土回復の礎となった。我に続かれたし、と言伝を願いたい」

 

「諦めないでください! 必ず! 必ず助けますから!」

 

 

 

 

――――――たとえそれが、血にまみれた綺麗事であったとしても、

 

 

 

 

「俺にも娘がいました。生きていれば少尉殿と同じぐらいです。エスコートできて光栄です。我らが命に代えてでも必ずお守りいたします」

 

「……生き残らなきゃ、意味なんてありませんから。命に代えてなんて言わないでください」

 

「我々はもう老いたのです。これが我々の戦いだ。これが君たちを地獄のただ中に叩き込んだ老兵の、ただ一つの償いであり、わがままなのです。少尉殿、祖国を、この国を、お預けします。――――必ず彼のネウロイに鉄槌を」

 

 

 

 

――――――たとえそれが、幻のようなものだとしても、

 

 

 

 

「わたしは諦めたくないんです! 絶対にみんなで帰れる場所がある! 絶対にそこまで行ける! だから、死なせません! 何があっても、守って見せます!」

 

 

 

 

――――――それを信じ、舞う。

 

 

 

「こちら人類連合軍第二〇三統合戦闘航空団『ゴールデンカイト・ウィッチーズ』! これより支援に入ります!」

 

「無茶だ! ここだけで万単位でネウロイが攻めてきているんだぞ!」

 

「押し返して見せます! ウィッチに不可能なんてありません! 私たちはソレを信じて、ここまで飛んできた!」

 

 

 

――――――皆の希望を背負い、彼女達は空を駆ける

 

 

 

 

「だれにも口出しなんてさせない。私たちがいる限りここは―――――」

 

 

 

 

――――――人は彼女たちを、ウィッチと呼んだ。

 

 

 

 

 

 

「ここは、私達の空だっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――ウルディスタン、最後の都市ラホールが陥落するその日、私は純白の天使を見た。

 

 

 

「無茶してごめんなさい。カイトツー、リロード。カバーお願いします」

 

 

 

――――――空から降りてきた彼女は光を纏い、砂と汗にまみれた顔をゆがめて笑った。

 

 

 

「お怪我はありませんか? もう大丈夫です」

 

 

 

――――――私たちの戦いは、まだ終わっていない。

 

 

 



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تیسری باب
پیشگی بیس پر جانے پہلا حصہ


Chap3-1-1 "Go to an advance base"


 ゆるゆると煙が上がった。それは砲煙でもないし、砂嵐でもない。

 

 カラカラに乾いた大地には草など見当たらない。いや昔は確かにあったのだ。ろくに雨も降らないこの気候でも、人々は地下水によって、雄大な文明の母である大河の下で生きてきた。草の一つや二つ、生存を許されないはずがないのである。

 

 だが、その草木というのはもはやどこにも見当たらない。草という草は緑色であろうと黄色であろうと、それこそ水分を失い茶色となっていても誰かしらの飢えを凌ぐのには丁度良かったし、木という木は枯れ木であろうと夜の寒さを凌ぐのには役に立つ。波のような人垣の向こうに立ち上る煙も、恐らくはその燃え残りが燻っているのであろう。

 

 東から立ち上る朝日。夜明け時は礼拝の時間である。遙か地平線の向こうへと一斉に頭を垂れる。この儀式にはいくつかのルールが存在するらしいが、これだけの人間が屋根もない台地の上に詰めかけ、さらに食料にも事欠く状況となっては、それらを全て達成することは叶わないだろう。

 それでも、礼拝を止めようなどと考える人間はいない。

 

 

 シャッターを切る。心地の良い音が耳朶を打ち、ファインダーに映し出された景色が切り取られる。

 注釈(キャプション)ナシのただ景色だけを切り取った一枚。電子化されたそれは即座に衛星通信で本国へと。その後は自宅のパソコンに繋がれたハードディスクに収められる寸法となっている。一連の行程はいやに高く付くが、いつネウロイのビームで焼かれるとも知れないカメラ、そこに収められた絵の価値を考えれば安いものだ。

 

 朝焼けの中の即席宿営地は静まり返っている。ゆっくりと退いていく紫色の空がどこか人々に重くのしかかるようで、誰もが息を殺したようにゆっくりと身支度を調える。

 

 

 ふとカメラを持ち上げる。ファインダー越しに見えた子供は一瞬だけこちらを覗く。こんな世界じゃ貴重品なカメラに好奇心が沸いたのだろうか。それとも、ただ貪欲に絵を求めるこちらの視線に気付いたのだろうか。とにかくシャッター音が鳴り止むころには、その双眼は朝日の方向。ゆっくりと空へ昇ってゆく太陽が生まれた場所へと注がれていた。

 

 この先に何があるのか。この子は知っているのだろうか。いや知るはずがない。

 ネウロイが宇宙までもを侵していないおかげで衛星経由の電波は届くが、電波が届いたところで端末を充電する電気がないのだ。太陽光発電で動く便利な端末も存在するのだが、そんなものを持っているのは外国人である私だけだろう。

 支援物資が行き渡っていないのだ。時折リベリオンの輸送機が地面に物資を落としていくが、それらは全て食料品。しかも私の端末が示す通りなら、あの支援は正式なものではないらしい。

 

 

 国土の喪失、物流の混乱。情報は致命的なほど足りない。明日明後日が仮に来るとして、彼らはどこへ行けばいいのかも把握できないのだ。

 ただ今言えることはただ一つ、東へ。ただ東へ。

 

 人類の所業には目を見張るものが確かにある。しかし人類は私の同類である。怪異の殺戮には絶対の信用がおけるが、しかし人間というものは同族への信頼という賭けを選ぶのである。

 

 そして私もその賭けに上乗せ(レイズ)なのである。

 端末を開く。政治家のスキャンダルと同じくらいに重要な前線リポートに目を通す暇はない。河を作らんばかりの避難民に続く。

 

 目前に迫ったビルディングの群れ。国道を埋め尽くすヒト、ヒト、ヒト。この国最後の街は彼らを歓迎も拒みもせず、ただただ荒野の中に佇んでいる。

 

 

 ここはウルディスタン共和国。パンジャーブ州は州都ラホール。

 

 私――――アーネスト・T・クロンカイトは、真実を切り取るためにここに()る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくら州都とはいえ、外国人の私がラホールを知るはずもない。最後の街、辺境の街と聞かされていた私がラホールに抱いていたイメージは片田舎の寂れた町そのものであったのだが、そんなことは全くなかった。

 

 この国が隣国と上流の水使用権を巡って対立しているという河を渡り、ラホールの中心街区へと。途中あちらこちらで市の様子をカメラに収めていたこともあり、恐らくは仮設であろう防衛軍の司令部へとたどり着いたのはそろそろ日も沈もうかという頃だった。

 

 取材の許可を取り付けるべく報道担当官を探す。祖国リベリオンでは軍が報道官どころか戦地へのヘリコプターまで用意してくれたものだが、もちろんそんな至れり尽くせりはこの国に望んではいけない。それでも基地、しかもウィッチ部隊が駐屯するという基地の取材許可が下りた。

 

「驚いてるだろう?」

 

 サスペンションの効きが悪いジープから腰を守っていたとき、訛り気味のブリタニア語で話しかけてきたのは運転手兼通訳兼通行手形のウルディスタン兵士。

 

「なにがです?」

 

「ウィッチを取材する許可が下りたことにだ。ウルディスタンの恥をさらすようなもんだからな」

 

「恥、ですか……」

 

 いまいち要領を得ずに私がそう言えば、兵士は心底不満げに毒づいた。

 

「恥以外の何者でもなない。聖法(シャリーア)をねじ曲げてまで女を戦場に立たせ、足を晒させた。まるで娼婦だ。預言者の書(ハディース)の教えすら忘れたムスリムの恥としか言い表せやしない」

 

 ストライカーユニットを履くためにはローライズのズボンを履かねばならない。それは仕方ない処置のはずだ。

 

「女子は顔と手を除き、晒すべからず、でしたか」

 

「彼女たちの奮闘の精神(ジハード)は称えられるべきものだが、それを盾にして、彼女たちにシャリーアを破らせる奴ら。後方に逃げふんぞり返る奴らはすべからくジャハンナムへ下るべきだ」

 

 イスラームの専門用語が多くて、聞き取りには時間がかかる。たぶん地獄に落ちろとかそんなところだろう。

 

「そんなやつらがこの国でふんぞりかえっているかと思うと腸が煮えくりかえる」

 

 そういって運転手はちらりと横を見た。

 

「記者さんよ、この国の恥をさらすことになるだろうが、しっかり見てきてくれよ。遠くのムスリムの兄弟達にこの国の惨状を伝えてほしい。少女に頼らなければ聖戦を続けることすらできないこの国の惨状を知らせてやってくれ」

 

 それには頷いて答える。元からそうするつもりだ。私を乗せたジープはそれに答えるかのように加速する。砂埃が舞い、サスペンションで殺しきれなかった振動が骨に響く。

 この国を護っているという少女たちの基地、そのゲートが間近に迫っていた。

 

 基地はヒトでごった返していた。しかし身なりはとてもじゃないが正規兵のそれには見えない。案の定写真撮影の許可も下りず、その区画から逃げるようにして走る。ウィッチのことではあんなに饒舌だった兵士も、何も言わずに車を走らせている。

 

 しかし、この景色こそ評価されるべきではないのだろうか? 人類が、これまで互いにいがみ合っていた人々が危機を前に手を取り合う光景こそが。

 ネウロイという怪異、戦艦すらも簡単に屠るその存在が表れて以来、人類はただひたすらにおのれの生存をかけて戦ってきた。これまでの人生で知り合った多くの知人たちの故郷が焼かれ、今なお家に帰れない人が大勢いる。

 

 だからこそ戦うのだ。太陽が照り付ける砂漠で、輝く水を湛えた河川で、荒涼としたサバンナで。人類は決して降伏しない。最後の一人になっても抵抗し続けることだろう。

 この光景はその決意を表すものではないのか。

 

 

 ……いや、そんなことは言うまい。彼の言い分が間違っていると糾弾するのは私の役目ではない。この場所で起きている全てを知った世界中の人々だ。私の記事はこの世界の真実を広めるためにあるのだ。

 

 

 ヘリコプターが爆音を羽ばたかせながら頭上を過ぎ去っていく。胴体からせり出した小翼(スタブウィング)にぶら下げられた無数のロケット弾やミサイルはまるでブドウの房のよう。

 

 それにしても、攻撃ヘリか。

 ネウロイの攻撃にはめっぽう弱いはずの攻撃ヘリを見るのは久しぶりだ。なぜこんな所に……いや、問うまでもない。ここは元より紛争の絶えなかった地域。ここラホールでは今となってこそ対ネウロイ戦争の最前線、そして全世界の注目を浴びる街であるが、二ヶ月も前まではインディア帝国との国境を接する街に過ぎなかった。私を初めとして誰も目を向けることはない街だった。

 

 しかし、ウルディスタンにとってはその頃から最前線だったのだ。宗教、言語、水の使用権。そのいずれを持ってしても説明しきることの出来ない溝を隔てた前線だったに違いない。

 

「着いたぜ記者さんよ」

 

 

 そこに待っていたのは、物々しい警備に固められた一つの掩体壕(ハンガー)であった。なるほど爆弾やネウロイのビームの直撃に耐えることを前提にした航空機用の倉庫は、確かにウィッチの身の安全を確実に守ってくれることだろう。

 

「ここは空軍だけの飛行場なんですか?」

 

「義勇空軍の、な」

 

 運転手はそう言って歩き出す。私はPRESSの腕章をつけている事を確認してからその後をゆっくりと付いて歩く。掩体の方からちょこんと飛び出した顔に彼が足をとめる。

 

「シャイーフさん! ヒジャブはどうした!」

 

「あっ……」

 

 彼女は驚いたような顔をして顔を引っ込める。

 

「まったく……もうすぐ成人だというのに、はしたない」

 

 運転手はそう言ってため息。慌てて赤い頭巾を被って飛び出してくる彼女。どこか危なっかしい足取り。重心がどこか安定しないというか、見てて不安になる走り方だ。

 

「あの、お呼びでしょうか!」

 

「ルクサーナさんは中か?」

 

「はい、さっき降りてきました。えっと、そちらの人は?」

 

「記者さんだそうだ」

 

「こんにちは、アーネスト・クロンカイトです」

 

「こんにちは、えっと、ウルム・パフシュ・シャイーフといいます」

 

 はにかみながらそういった少女――ウルムという名前らしい――を見て、私は何かが痛むのを感じた。あまりに幼すぎる。エレメンタリースクールに通っているぐらいの年齢だろう。10歳いっていないのはほぼ間違いない。

 

「シャイーフさんは義勇兵の一人だ。シャイーフさん、失礼のないように」

 

「はい。わかりました」

 

「それじゃぁ記者さん。私は他にも用事があるからここでいいか? 帰りは昼の礼拝の後に迎えに来る」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 運転手はそれだけいうとひらひらと手を振って帰って行った。

 

「えっと……あの人悪い人じゃないんですけど、ぶっきらぼうですよね」

 

 ウルムちゃんはそう言って控えめに笑った。

 

「えっと、クロカトさんは……」

 

「クロンカイト、……言いにくいならアーネストでいいよ」

 

「ごめんなさい……、じゃぁアーネストさんはルクサーナに会いに来たんですよね?」

 

「うん。案内してくれるかい?」

 

「いいですよ。こっちです」

 

 ウルムちゃんはそう言って私を連れて掩体の方に向かう。

 

「えっと、ウルムちゃんはウィッチなのかい?」

 

「ウィッチ見習い、です。体が小さいのと魔力が少なすぎてあと1年はストライカー使っちゃだめだっていわれてるので、今はルクサーナのお世話役兼メカニック見習いです」

 

「レディに歳を聞くのはマナー違反なのは知っているけど……いくつだい?」

 

「8歳です。結婚するなら1年待ってくださいね?」

 

「冗談だろう?」

 

「冗談ですよ。もしアーネストさんがその気なら考えますけど」

 

 茶目っ気たっぷりにそういう彼女に目の前がくらくらしそうだ。古典イスラーム法だと9歳から結婚できたり、ウルディスタンには結婚同意年齢について定めた法がないとは聞いていたが、それでも大問題だ。なんでそんな子どもが前線で軍属なのかと正気を疑う。郷に入れば郷に従えというが、さすがにこれは拒絶反応がでてしまう。

 

「ここでの生活に不便はないかい?」

 

 全力で掩体のスライドドアを引っ張るウルムちゃんを手伝いながら私は声をかける。

 

「ありますよー。よく発電機が壊れるのはなんとかしたいですけど、部品が取り寄せられないの。少し大変です」

 

 ヒジャブを揺らしてくるりと振り返るウルムちゃん。その屈託のない笑みが向けられる。

 

「でも、ルクサーナがいるから寂しくないの。ルクサーナが居れば夜も明るく――――」

 

「ウルム!」

 

 横から割り込んできた声はウルムよりも少し低い声。だけどまだまだソプラノと言っていい声だ。黄色いヒジャブの女の子。こっちもまだ子どもが抜けきらない雰囲気だ。

 

「失礼ですよ」

 

「ごめんなさいナシーム……えへへ、怒られちゃいました」

 

 ぺろりと舌を出すウルムちゃん。ナシームと呼ばれた黄色いヒジャブの女の子は少し厳しい目で私を見てきた。

 

「ルクサーナは今、帰還後の身支度をしております。ご面会でしたら、今しばらくお待ちいただけますか」

 

「えぇ……ナシームさん、でいいのかな?」

 

「なんとでもお呼びください」

 

 どこかつっけんどんな感じの女の子というか、思春期真っ只中というか、そんな雰囲気だ。それとなく距離を取るに限る。

 

「ナシームは結構怒りっぽいの」

 

「ウルム!」

 

「ほらね?」

 

 そんな私の心中を知らないでウルムちゃんはナシームちゃんをからかう。目の前で地雷が爆発している感じだ。ほほえましいがとばっちりがこっちに来てくれるなと思う。

 

「賑やかですね。えっと、そちらの方は……」

 

「あ、ルクサーナ!」

 

 凜とした声を響かせながら入ってきた少女にウルムちゃんが飛びつく。それを難なく受け止めながら笑顔で首を傾げる少女を見て、私は一瞬姿勢を正した。

 

「ジャーナリストのアーネスト・T・クロンカイトと言います」

 

「ラホール第7飛行場へようこそ。ルクサーナ A/P アランといいいます」

 

 名乗った少女は、とても気高く見えた。

 

 

 

 

 

 安全圏から眺める戦争ほど、エンタテインメント性の高いものはないと言われたことがあるが、確かにそうかもしれない。敵味方の射線が混じり合い、砲兵が敵をなぎ倒し、戦車が敵を踏みつけて作り上げた街道を歩兵が前進する。これほど痛快で悲惨なエンタテインメントは存在しないだろう。

 

 もっとも、その時代は70年以上も前に終わりを告げたはずだったのだ。目の前で繰り広げられているこの惨状は言うならばタイムカプセルだ。

 

「そんな事を言っていられるのも、ここがまだ層が手厚いからだ」

 

 そう言ったのは連れてきてくれた運転手だ。ちょうどはぐれの地上型が出て支援要請が入ったとのことで連れてきてもらった。予測進行ルート沿いの丘の上から広大な砂漠を見下ろす。望遠レンズの向こうに小型の地上型ネウロイが見えた。

 

「気をつけてくれよ記者さん。こっちから見えると言うことは向こうからも見えるってことだ。赤く光ったら真後ろに向かってダイブだ」

 

「わかってます」

 

 この丘の上は観測所として使われている。塹壕がネウロイ戦でどこまで有効なのかは分らないが、ビームが直撃するのと、ビームのせいでドロドロに溶けたガラス質の砂を被るのはどちらがマシかと聞かれたら、まだ砂を被る方がマシと言える。文句は言うべきじゃないだろう。

 

「偵察Ⅰ型1体のみとはついているな。あれならやろうと思えばウィッチじゃなくても潰せる」

 

「そうなんですか?」

 

 その言葉に、運転手は顔を向けることもなく返す。

 

「本当に君は戦場記者なのかい? 偵察Ⅰ型は火力が低いからこちらの被害を無視して数で押し込めばある程度接近できる。そして至近距離で車を爆破してやれば、詰みだ。市街地なら街道沿いに車を並べておいて爆発させればいい。適度な大きさで爆発に巻き込みやすいしな」

 

「それって自爆テロっって言いません?」

 

「他にウィッチ以外で手段があれば喜んで切り替えるさ」

 

 運転手はそう言って寂しそうに笑って見せた。

 

「もっとも、自分の番がきたら俺も同じように突っ込むつもりだがね。この国土にはもう後が無いんだ」

 

 運転手の言葉が胸に重くのしかかる。それを無視するようにして、ファインダーを覗き込んだ。ネウロイは思ったよりも素早く動いている。

 

「たしかに、砲撃で狙っていたら、当たらないか……」

 

「んで、有効なくらい強力な砲だと動かしている間に向こうからビームが飛んでくる」

 

 運転手がそう言って笑って見せる。

 

「だからこそウィッチの優位性が担保されるわけだ。……噂をすれば、だ」

 

 運転手が空を仰ぐ。小さく聞こえる音はエンジンの音か。目をこらすと後ろの方から小さな点がやってくるのが見える。大きくズーム。ファインダーから気をつけないとあっという間に抜け去ってしまう。慎重に空を撫でながらピントを合わせた。

 

 

 きれいだと思った。

 

 

 生成り色のシャツに、おそらくは米国からのお下がりだと思われるぼろぼろのタクティカルベスト、足に履いているのは何世代も前のものだというガリア製のストライカーユニット。それでまっすぐと風に乗ってやってくるのは技量のなせる技だろうか。そんなことを思っている間にも近づいてくる。

 いけないいけないとシャッターを切る。デジタルのカメラのおかげでシャッター音は大きくない。さすがにこの程度ならネウロイに聞かれることもあるまい。

 

 かなりの大きなエンジンの音を残して頭上を飛んでいくウィッチ。青いヒジャブ。間違いない。ルクサーナ A/P アラン飛行士だ。

 

 地上型がルクサーナ飛行士に気がついた。上空に向けビームが走る。慌てて絞りを調整。このままでは昼間でもホワイトアウトする。

 

「あれが……ネウロイのビーム」

 

「あんまり直視するなよ。目がやられるぞ」

 

 そう言われ納得すると同時にぞっとした。そのレベルで危ない物をつかうのか。ネウロイは。

 

 ルクサーナ飛行士は危なげなくそれをシールドで受けると明後日の方向にビームが吹っ飛んでいく。ビームの射程は5マイル程度だと聞くから空に向けて散ったビームが誰かに当たることもあるまい。

 

 ときにシールドを張り、ときにかわしながら、距離を詰めていく。

 

「すごいですね、あれ……ランダムに撃たれるビームをほいほいと……」

 

「ルクサーナさんぐらい長いこと飛んでいると、なんとなく撃ってくる場所がわかるんだそうだ」

 

「ルクサーナ飛行士はそんなに長く飛んでいるんですか?」

 

「11ヶ月だよ」

 

 その言葉に黙り込む。11ヶ月で長いと言われるのか。それで彼女は長いと言われるのか。返せる言葉も無くなって、シャッターを切ることに専念した。

 

「そういう意味ではルクサーナちゃんはラッキーだ。皆より少しだけ長く生きて、誰かに覚えてもらえるように写真もとってもらってな」

 

 そういう運転手の顔がどこか遠くを見ている。それを横目でちらりと確認してから、ファインダーを改めて覗き込んだ。

 

「……死ぬことが前提なんですか?」

 

「それ以外の路があるならとっくにそっちを選んでいるさ」

 

 その声にはどこか諦めが滲んでいて。それが無性に神経を逆なでした。

 

「まだ生きているのに。諦めていてはなにもできないじゃないですか」

 

「そんなことを言ってた人が前にもいたよ。俺の指揮官だった」

 

 そう言って彼は手元のライフルを抱えて塹壕の壁に背中を預けた。ルクサーナ飛行士から目をそらす様な姿勢に見えた。

 

「インテリ崩れの隊長殿は『つらくても仲間がいればなんとかなる』と言った。軍隊お決まりの精神論だったな」

 

 ルクサーナ飛行士はぐるりとネウロイを回り込むようにぐるりと飛んでいく。風の音がうるさいが、それでも運転手の話が聞こえていた。

 

「次は『仲間がいなくても希望があれば』と言った。それも叶わず『夢破れても元気があれば』と言った。挙げ句の果てには『元気が無くても生きていれば』と言った」

 

 幸いにも『生きていなくても』と言い始める前にネウロイとお友達になったがね。と言って彼は笑った。

 

「3時間前に一緒に煙草を吸った仲間の葬式に出ることもしょっちゅうだ」

 

「だからって、後退すれば」

 

「インディアに入れば義勇兵は問答無用で銃殺だよ。陸戦条約もへったくれもねぇ。それがたとえ敗残兵で白旗を揚げていても撃ち殺されるだろうさ」

 

 砂が舞い上がる。戦闘しているルクサーナ飛行士の姿も見えないほどにたくさんの砂が舞い上がった。

 

「俺たちにもう、帰る場所もなければ、逃げる場所もないんだ。だからあんたも写真なんて撮りに来たんだろう?」

 

 砂嵐の向こうが光る。風が止んだ時にはネウロイも消えていた。



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پیشگی بیس پر جانے دوسرا حصہ

Chap3-1-2 "Go to an advance base"


「それで、あの記事、どう思った?」

 

 霧堂艦長はそういうと目の前でトランクケースに荷物を詰めていく部屋の主――――石川桜花大佐に声をかけた。部屋のドアの枠に体重を預け、中を覗く。

 

「クロンカイト・レポートか。あまりにリベリオン的な、民族紛争を無視したただの外野のわめき声にしか聞こえなかった」

 

 どこか煙ったような光が丸窓から差し込むこの部屋で、石川大佐はそういって代えのワイシャツやスラックスを几帳面に仕舞っていく。

 

「あんたが好きそうな記事だと思ったんだけどねぇ」

 

「そんな風に思っていたのか、霧堂」

 

 霧堂艦長は肩を軽くすくめ、笑った。

 

「冗談だよ。でもまぁ、思うところはあったんだろう?」

 

「……」

 

「ほら、そこで黙ると図星だと言われているようなものだよ。まぁ、9歳の夢華を()()している時点でこっちも同罪だ。ムスリム国家ではないし、9歳を越えれば成人なんて言い訳も通用しない。文字通りのプレティーンを最前線に送り出す組織ってわけだ。彼の断罪も正しい」

 

 霧堂艦長は浪々とそう語り、目を細めた。苦り切った顔で石川大佐はその様子をちらりと見てから、手元に視線を戻した。

 

「その誹りは甘んじて受けるさ。その覚悟無くしてあの子たちを前線に出せるか。それは大人が背負うべき物であり、俺が背負うべき十字架だ」

 

「よく言うよ、大刀洗(たちあらい)一期組は使われた側だろうに」

 

 石川大佐がトランクを乱雑に閉めた音で言葉が断ち切れる。石川大佐の目を見て、霧堂艦長は深いため息を一つ。

 

「背負いたいなら勝手に背負えばいいけどさ。あんたの怒りは別のところにあるのかい? 高々私の世話話程度でそこまで怒るほど、堪忍袋の緒に傷はついていないだろうし。民族紛争を無視した云々については聞いてなかったし」

 

「……あんたが話をそらしたんだろうが」

 

「そうともいう」

 

 悪びれることなくそういった霧堂大佐に、今度は石川大佐が深いため息。

 

「幸せが逃げるよ」

 

「とっくに逃げてるさそんなもん。……ネウロイも人も分からず、ただうわべだけで書いた記事にしか読めなかった。たくさんの人々がウルディスタンを支援している? 違う。あまりに浅はかだ。国単位で支援しているところなどどこにもないのに」

 

「国レベルのバックアップが無ければ、ネウロイ相手じゃあっという間に軍が崩壊するのは、身をもって知ってる、か」

 

 石川大佐は答えず、荷物に鍵を掛けた。

 

「ウルディスタンの即時陥落はあり得ない。まだウルディスタンは耐えられる。そういう空気が満ちている。……あまりに、ネウロイを知らない答えだ。石川、あんたの感想はそんなところか」

 

「……俺がそれを言ったところでどうにもならないがな」

 

「何をふてくされてるのさ、一体」

 

 霧堂艦長の声に石川大佐は応えない。このトランクは後続のティルトローターで運ぶことになる。長距離飛行訓練も兼ねた前進は身軽でいいのが救いだろう。

 

「まったく、中東といい、南アジアといい、ままならないねぇまったく」

 

「霧堂、お前は本当に何を言いに来たんだ」

 

「戦友がひとり戦地に飛び込むのに、見送りに来たつもりなんだけど、いけなかった?」

 

「俺にそういうのは必要ないことはお前がよく知ってるだろう」

 

「知ってる。それでも言いたくなるのはしかたないじゃない。まともにあたしに付いて飛べたのは、あんたぐらいだったからね」

 

 そう言って霧堂艦長は体重を預けていたドアの枠から離れ、石川大佐の前に立った。

 

「石川、死ぬなよ」

 

「……何を今更」

 

「言っただろう。中東も南アジアも()()()()()って。おそらく203が前にでて『はいそうですか』と進むような状況じゃない」

 

「だからといって飛ばないわけにはいくまいよ。俺たちはウィッチだ。俺たちが飛ばずに、誰が飛ぶ」

 

「……本気でそう言い切れるあんたが羨ましいよ、石川」

 

 そう言って霧堂艦長は石川の頬にそっと触れた。大人にしては高めの体温。その温度に霧堂艦長は頬を緩める。

 

「あんたは変らないな、まっすぐで、スペシャル不器用なところ」

 

「それは俺に喧嘩を売っていると思っていいな?」

 

「褒めてるのよ。うまく騙して自らを失う連中や、すり切れていく子が多かった。三十路を越えて今もそうやって言えるのは強い証拠だ。人類の共闘、平和の構築、世界の盾たらんとする青く馬鹿げた理想を今も背負えるあんたは、強い」

 

「褒め殺しは勘弁だ。いい気にさせても何も出ないぞ」

 

「ちっ、アイスの一つや二つおごってもらおうと思ったのに」

 

「油断も隙もないな貴様」

 

 頬をなで続けていた霧堂艦長の右手をパシンとはたき落とし、石川大佐はトランクを持ち上げた。

 

「……霧堂。203は生き残れると思うか」

 

「それが本音か」

 

 石川大佐は答えない。外の陽が陰る。羊雲のような雲の塊が窓の外を流れる。

 

「生き残るよ。ここは中東じゃない。いくらあんたが『葬儀屋』でもあの子達を送ることはないさ。みんな優秀だ。コ―ニャがいれば索敵も、電子情報の制圧も思うがままだし、ティティちゃんがいれば面制圧は一瞬で片がつく」

 

 霧堂艦長が指を一本一本立てながら、メンバーを数え上げていく。

 

「レクシーちゃんの戦術眼はたいした物だし、頭に血が上らなければこれほど優秀な副官タイプはいない。夢華ちゃんの未来予知や身体能力は発展途上、もう少し体ができあがれば、立派なインレンジファイターになる。のんちゃんのリーダーシップと突撃能力があればどんな膠着状態でも打破できるだろうさ」

 

 右手の指をすべて開き終わって、霧堂艦長はにやりと笑った。

 

「そして、かわいいひとみんがいる」

 

「あいつはアイドルか何かか」

 

「お手々ちっちゃくて体温高くて、膝に乗せてだっこしてると暖かくて気持ちいいんだよーあの子。ちょうどいいサイズと重さでさ。クーラーガンガン効かせた部屋で脱がせたあの子を湯たんぽ代わりに抱き込んで横になるとかもう最高。いろいろ無垢だからいろいろ仕込めるし」

 

「そのあたりは今度調書を取りながらゆっくり聞かせてもらおうか。というより、俺に隠れて何をやってやがる」

 

 

「あら、焼き餅?」

 

「そろそろ殴るぞ」

 

 拳を掲げた石川。冗談冗談、と笑いながら霧堂艦長は続けた。

 

「でも、実際あの子がジョーカーだよ。鍵はきっとひとみんになる」

 

「……どういう意味だ?」

 

「喰えないんだよ、この饕餮(とうてつ)をもってしても。こんなこと初めてだ。強い奴もいた。私なんかより強い奴も吐き捨てるほどいた。才能の原石も、努力の宝石も、たくさん見てきた。優し過ぎる奴も甘過ぎる奴も、無鉄砲な奴も頑固な奴もたくさん見てきた」

 

 霧堂艦長は眼を細める。

 

「でも、この悪食の怪物をして、御せないと思わされたのは初めてだ」

 

 霧堂艦長はそう言ってどこか乾いた笑みを浮かべた。

 

「喰いたくないと思って喰わないことはいつもしてきたし、愛おしすぎて喰えないあんたみたいなのもいるし」

 

「なんだその愛おしいって」

 

「そのままの意味だけど?」

 

 さらりとそう言って霧堂艦長は続ける。

 

「でもね、米川ひとみ空軍少尉だけは全くの別ものだった。石川、あの子、何者?」

 

「……俺に聞くな。そもそも貴様の()()については門外漢だ。それに、米川の力が特殊なのはシンガポールに着く前から分かっていたことだろう」

 

「それはそうなんだけどね、そもそもあの子の解析にあそこまで時間がかかるのは予想外だった訳だし。――――私はね、石川。あの子達の可能性に賭けてみたいと思っているよ。子どもの命を賭け(ベットす)るクソ軍人に成り果ててしまったことに怒り狂いそうだがね。その道理を曲げてでも、あんたやひとみんたちが啓く世界を見てみたい。そう思えてならない」

 

「いつから貴様は老人みたいになったんだ」

 

「アラ失礼、これでも若いつもりだけど。あんたほどじゃないけどさ」

 

 そう言ってケタケタと笑って霧堂艦長は石川大佐の方を見た。いつも通りの笑みだが、その眼の色だけが冷える。

 

「だから、あんた達は死んではいけない。必ず、全員で、生きて帰ってこい」

 

「それは命令か?」

 

「先輩からの願いであり、この艦に帰ってくるものへの命令だよ、命令権がないことなど些細なことだろう。……必ず帰ってくること、わかったね石川。部下を連れて帰ってこい」

 

 それを聞いて、石川大佐は左手にトランクを下げたまま、踵を鳴らした。

 

「石川桜花大佐、拝命しました」

 

 瞼の上に添えられた手を見て、霧堂艦長はどこか寂しそうに答礼を返す。

 

「武運を祈る。君たちの空に栄光あれ」

 

 出て行く石川大佐を見送って、霧堂艦長はため息をついた。

 

「まったく、柄でもないことした」

 

 そういう顔には寂しさと少しばかりの後悔が滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カタパルトからの発艦の衝撃からなんとか持ち直し、高度を緩やかに上げる。加賀の戦闘指揮所(CDC)からの情報によれば、周囲には友軍機しか居ないらしい。落ち着いて姿勢を整え、指定高度まで上がっていく。

 

「カイト・ツー、テイクオフシーケンスコンプリート」

 

《Roger, KITE2. Contact STRIX1 Push Ch2. いってらっしゃい。頑張っておいで》

 

「ストリックス1にチャンネルツーでコンタクト、いってきます!」

 

 暖かい言葉に笑みがこぼれる。

 

「ストリックス・ワン、こちらカイト・ツー。テイクオフシーケンスコンプリート」

 

《ん、ヘディング3-2-0。マップコードI-368N3で編隊(ジョインナップ)

 

わかりました(うぃるこぴ)ー、ヘディング3-2-0」

 

 初めて飛んだときと比べてずいぶんと上達したものだと我ながら思う。ほとんど飛んだことがなくておっかなびっくり飛んでいたあの頃より、少しは飛べるようになったはずだ。

 

 そう、こんなに重くて締め付けてくる防弾着をきっちりと着込んでいなければ。

 

「ほら米川、急ぐ」

 

「あの、先輩。これ締め付けが強くって……」

 

「我慢する。死ぬよりかマシでしょ」

 

「それもそうですけどぉ……」

 

 だが重いものは重いのだ。下半身から胸あたりまでを覆うようにして着用している防弾着はどれだけ有効かはさておき、ひとみの命を守るものだ。なにより命令として装着をするよう言われていた。

 

「米川少尉、貴官の能力上、重い狙撃銃を持つことも今後考えられる。重量物の携帯および使用には慣れておいた方がいい」

 

「そうは言っても石川大佐……これ本当に腰とかおなかに食い込むんですよ……」

 

「耐えろ。しっかり体に密着させることで衝撃を分散させるんだ。仕様だ」

 

 任務中の石川大佐の口調はどこまでも冷徹だ。編隊飛行の起点となる1番機ポジションを飛びながら、言葉を続ける。

 

「米川少尉、ジョインナップが遅れている。しっかりと大村少尉に合わせろ」

 

「は、はいっ!」

 

 編隊形成(ジョインナップ)が遅れれば後続機にも迷惑がかかる。ひとみは慌てて石川大佐の左斜め後方、のぞみと肩を並べる位置につく。

 

「それにしても、こんなもん何の役に立つってんですか。そもそもこのぶかぶかなの邪魔でしかたねーです」

 

 最後尾の列の真ん中に位置取った高夢華が扶桑海軍の水兵服の襟元を引っ張りながらぼやく。

 

「しゃらーぷ、ゆめか。なにがあるかわかんないのがこの世の中だ。それに防弾ジャケットがぶかぶかなのはあんたの発育が悪いのが原因でしょうが」

 

「だから夢華だと……」

 

「あー、もうガチャガチャうるさい! 遠足に行く児童か、あんたらは!」

 

 堪えかねたようにレクシーが最後尾右翼から怒鳴る。夢華がほらきた、と言わんばかりに肩をすくめる。『うるさ屋(フープラ)』のTACネーム通りといえばそれまでだが、非があるのは騒いでいた側であることも重々承知のためか夢華ものぞみも何も言おうとしない。

 

 空気を変えようと無理にひとみが話題をのぞみに振ろうと頭を振り絞る。咄嗟に思いつくのは防弾着についてだった。

 

「先輩、これってネウロイのビームに対してどれくらい守ってくれるんですか?」

 

「守ってくれないけど? てかそもそもこれは『防弾着』であって『防ビーム着』じゃないんだし」

 

「えっ?」

 

 とんとん、とのぞみが自らが着込んでいる防弾着を叩く。あまりにものぞみがさらっと告げた言葉にひとみが耳を疑う。

 

「じ、冗談ですよね?」

 

「あのさあ、米川。いまから行く場所、わかってる?」

 

「えっと、ムンバイですよね?」

 

「じゃあ目的は?」

 

「ウルディスタンにおける対ネウロイ戦闘の支援です……でしたよね?」

 

 ひとみが不安になって確認しなおす。はあ、とわざとらしさすら感じさせるため息をのぞみがついた。

 

「あそこら辺が宗教紛争の絶えない地域って歴史でやらなかった?」

 

「あまり世界史は得意じゃなくて……」

 

「だとしてもニュースくらい見てたでしょうに。そもそもウルディスタン自体がインディア帝国から分離してできた国家でしょ。いつ国境線が変わるかわからない地域でネウロイと戦闘をするの。果たして本当にネウロイのビームだけで済むと思う?」

 

「それって……」

 

「ムンバイはいつ爆ぜるかわからない火薬庫だ。ほんの小さな火種であっという間にドカン、かもしれない。だからちゃんと着ときなさいって言ってるの。少なくとも私は同族に撃たれるなんてごめんだからね」

 

 あまりにあっさりとのぞみは言ったが、ひとみにとってあまり信じたいことではなかった。同じ人間。しかもネウロイと敵対するという意味では味方同士のはず。

 

 それなのに背中を撃たれることを心配しなくてはいけないのがどうしようもなく嫌だった。

 

「で、でも、ウルディスタンは国の大部分がもう大変な事になってるのに」

 

「あのさぁティティ。その事情がインディア帝国にとってどういう意味を持つか考えてみようか」

 

 そういったのはレクシーだ。

 

「インディア帝国にとっての意味、ですか?」

 

 そのタイミングで肩をすくめたのがのぞみだ。

 

「精々防波堤として見てるんだろうよ。戦争の相手を喰ってくれてるんだ。こういう言い方は好きじゃないけどさ、インディア帝国からしたらネウロイに感謝したい人もいるんじゃないの?」

 

「そんな……」

 

 ひとみがそういうが、周りにそれに答えてくれる声はない。

 

「もし、もしですよ、ウルディスタンが……」

 

「全部ネウロイに呑まれたら、ってこと?」

 

 ひとみの問いに、レクシーは問い返す。ひとみの消え入りそうな「……はい」という答えが宙をきる。

 

「そしたらインディア帝国軍がネウロイ戦線に出るだけよ。なかったことにされるだけでしょ、ウルディスタンの悲劇なんてさ」

 

「どこまで行ってもクソ溜めはクソ溜めなんじゃねーですか。やっぱりネウロイなんかより、ニンゲン様のご機嫌の方が大切だ」

 

 夢華がそう言って頭の上で手を組んだ。肩に提げた95式自動歩槍がカチャカチャと鳴る。石川大佐が笑った気配。

 

「それでも我々は飛ばねばならない。違うか」

 

「オラーシャ式は嫌いですだよ」

 

「安心しろ高少尉、オラーシャ式も扶桑の精神論一点突破もするつもりはない」

 

 石川大佐がそう言うと、夢華は肩をすくめた。振り向かない石川大佐はそれを承諾の沈黙と受け取ったようだった。そして続ける。

 

「人類同士の連携がとれない状況での戦闘が発生しうる。納得しろとも迎合しろとも言わないが、割り切れ」

 

「了解」

 

「わかりました」

 

「しかたねーですね」

 

 のぞみやレクシー、夢華からさくさくと答えが返ってきて、ひとみの視線が下がった。

 

「米川、ゴールドスミス少尉、返事はどうした」

 

「はいっ!」

 

「わ、わかりましたっ!」

 

 石川大佐にせっつかれるように言われ、慌てて返事をする二人。その返事は石川大佐のため息で帰ってきた。

 

「それでも、やっぱり悲しいですよね」

 

「優しいのと甘いのは違うよティティ。米川もだ。その甘さが誰かを殺すぞ」

 

 のぞみの言葉が胸を指す。それに言い返そうとひとみが口を開いたタイミングで無線が入館した。

 

《アテンション》

 

「コーニャちゃん?」

 

《ネウロイ接近、数1》

 

 剣呑さが宿る声で呼びかけられてひとみがぴくりと反応する。無意識にぎゅっとワルサーを強く握り締める。

 

「ポクルィシュキン中尉、情報を送れ(インフォメーション)

 

 石川大佐が即座に反応した。

 

《11時方向、方位2-8-4、距離12万5,000でヘッドオン。タイプはマンドレイクと推察》

 

高機動偵察型(マンドレイク)か……敵側に動きは?」

 

見られない(ネガティブ)。まだ気づかれていないとは思うけど120秒後に交差する》

 

 石川大佐は逡巡。ちらりと後方を見た。

 

「米川少尉の狙撃で対処する」

 

「へっ!? わたしですか?」

 

「まぁサクッと抑えるなら狙撃で一発で仕留めるに限るよねぇ。頑張れ米川」

 

 のぞみが軽く言うが唐突に話を振られたひとみは慌ててWA2000に初弾を送り込んだ。

 

 偵察機に近接戦闘を仕掛けるのは悪手。一度でも見られてしまえば本隊に手の内が伝わってしまう。可能ならばこちらの数や武装を見られる前に撃墜させたい。そしてそれができるのはこの中で遠距離狙撃を専門とするひとみだけだ。

 

「よ、用意できました!」

 

「カイトゼロからカイトツー、迎撃行動へ入れ」

 

「カイトツー、迎撃行動に移りますっ」

 

 ストライカーの出力を上げてひとみが編隊から外れると、更に上へ。ワルサーのセーフティを解除してトリガーガードに指をかける。

 

「コーニャちゃん、お願い」

 

「ん……」

 

 短い返答があるとひとみのバイザーに赤い点がひとつ、光った。同時に気候情報の羅列が脇で流れるようにして表示されていく。

 

「あとはなにが欲しい?」

 

「相対速度と偵察型の画像と高度……あと偵察型の予想進路が欲しいです。できるだけ正確なものをお願いしていい?」

 

「わかった……」

 

 今まで表示されていた情報を押しのけるようにして偵察型の写真と相対速度、そして小さなマップに偵察型とひとみたちの現在地と予測進路がラインになって浮かび上がる。

 

「ありがと、コーニャちゃん」

 

 お礼を手早く言ってから、目の前に流れる情報をすべて頭に叩き込む。いくら弾道固定の固有魔法があるとはいえ、すべてそれだけに任せてしまうと余計に魔法力を消費してしまう。できるものならば魔力は節約しておきたい。

 

 バレル下を包み込むように左手でささえ、ストックを脇で挟み込んだ。頬付けしてさらにワルサーを固定させると愛用のスコープを覗き込む。

 

 現実の動きとコンマ数秒単位の狂いもなく同期して動く点に狙いをつける。スコープ越しの形状を頼りに進行方向からどの向きで飛行しているか予測。どこをどうやって撃ち抜けば一撃で落とせるかは小型の偵察型ネウロイ相手に考える必要はない。ワルサーが中心に一発あたってさえしまえばそれで終わる。

 

 ピッチアップ。高度を偵察型ネウロイにあわせる。できるかぎり速度もあわせて相対速度を限りなくゼロに近づけた。

 

 半分ほど息を吐いて止める。固有魔法を弾道が安定するように調整すると、トリガーにかけた人差し指が力まないように優しく引き絞った。

 

 強烈なリコイルショックが襲い掛かる。ストライカーの出力を一瞬だけ下げることで反動を後ろに逃がす。弾着まで数秒。止めた息を吐き出さずにバイザーの赤い点をじっと見続ける。

 

 そしてぱっと点が消えた。

 

《反応ロスト》

 

《迎撃行動の終了を宣言。米川少尉、降りてこい》

 

「ふうっ」

 

 コーニャの報告と石川大佐の命令を聞いて、ようやく残っていた半分の息を吐き出す。一時的に上げていた高度を下げるためピッチダウン。のぞみたちの編隊へと戻るために速度を調整する。後ろから相対速度を合わせてゆっくりと接近する。セーフティオンを確認、間違えても仲間を撃墜しないようにしてから追い抜いていく。

 

「すごいよ、ひとみちゃん」

 

「えへへ、そうかなあ。ありがとう、ティティちゃん」

 

 追い抜くために横に並んだタイミングでティティにそう言われる。褒められるのはやっぱり嬉しいものだ。自然に頬がほころぶ。

 

「やっぱりひとみちゃん、すごいなぁ。まだこっちからじゃネウロイなんて見えないのに」

 

「偵察型はサイズ自体がかなり小型だ。試射なしで正確にあてられるだけでも十分に賞賛に値する」

 

 石川大佐にまでそう言われ小躍りしそうになるが必死に抑える。それでも軽く進路がふらついてしまったのか、ティティは軽く手を伸ばしてひとみを支えようとする動きをとった。ひとみ、なんとか自力でリカバリー。

 

「ごめん、ティティちゃん」

 

「大丈夫? 魔力使いすぎたとか?」

 

「ううん、少しバランス崩しただけ」

 

 そう言ってもティティはどこか心配そうだ。

 

「無理しないでね。経由地のバンガロールまであと1時間もかからないはずだから」

 

「うん、ありがとう」

 

 ティティはそう言いながら腕を胸の前で振った。その動作に少し勇気づけられる。203空の中で癒やしの中心になっているとひとみは思う。「ティティちゃんは料理を作るのも食べるのも大好きで、気配り上手」というのが203の共通見解になりつつある。ひとみのF-35A機付長の加藤中尉曰く「203の生活能力は壊滅してたから、バランスとれたよね」と言われたほどにくるくるとよく動いていた。失礼なと思うが反撃できないのがもどかしい。

 

 ……お酒さえ入っていなければ、という条件がつくが。

 

「なんだかひとみちゃんにひどいこと思われている気がする……」

 

「ぜ、ぜんぜんそんなこと思ってなんかいないよ? うん、ぜんぜん!」

 

 両手をばたばたと振って否定する。あまりに激しく振りすぎたせいでバランスを崩しかけ、慌てて背筋を逸らして体を上昇させた。しかしなかなか上昇しなかったことにひとみは違和感を感じる。

 

「やっぱりひとみちゃん大丈夫……?」

 

「大丈夫大丈夫! あ、やっぱりいつもよりバランスが取りにくいかも。あと上昇するのに時間がかかるかなあ」

 

「重いからね……それに息苦しいし……」

 

「息苦しい? 私はそんなことな……」

 

 そんなに息苦しいだろうか、どちらかと言えばおなか周りのほうが苦しい気がす……

 

 そこまで考えてひとみは気がついた。持たざる者の自由(ひとみのおっぱい)持つべき者の束縛(ティティのおっぱい)の差に。

 

 繰り返しになるが、胸まで覆う防弾着をひとみたちは装着している。もしも脱げたりしないようにきつく締め付けてあるそれが体を圧迫しないはずがない。

 

 息苦しさを感じないのは単純にひとみの胸部における体脂肪率がたいへん低い数値をたたき出しているからに他ならない。

 

「ティティちゃんの裏切り者……」

 

「ええっ!?」

 

 急に手の平を返したひとみにティティが驚愕の声を上げる。だがこればかりはどうしようもないのだ。遺伝と発育のせいであってひとみには逆立ちしたって覆らない現実だ。

 

 

「――――――――裏切り者ぉおおおお!」

 

 

 ひとみの乾いた叫びはどこにも反響せず青空に吸い込まれた。

 



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مشکوک ہوائی اڈے پہلا حصہ

Chap3-2-1 "Suspicious airport"


 海の上であろうと港に碇を下ろしていようと、軍艦は軍艦であり軍人は軍人である。

 

 だから入港しても仕事が別段変わったりするわけではない。いつもの如く書類を片付け、休憩スペースへと向かえばそこに先客。それを認めた霧堂は片手を上げる。

 

「やっほー。お疲れー」

 

「お疲れ様です」

 

 立ち上がりかけた砲雷長を手で制しつつ、自動販売機に硬貨を投入。値段の下に据えられた購入ボタンのランプが点り、押せば無機質な機械音と共に飲料缶が転がり落ちる。取り出してプルタブを引けば心地よい破裂音。

 

「……今頃、あの子達はなにしてるのかねー」

 

「そろそろバンガロールにたどり着いた頃でしょうか」

 

「やだなーキクチン。私が言ってるのは麗らかなウィッチたちがどんな表情でどんな会話をしてるんだろうなぁという話だよ」

 

「その呼び方はお止めください」

 

 加賀の砲雷長を務める菊池中佐はあきれ顔。霧堂は気にせず彼の隣へと座る。

 

「静かになっちゃうだろうねぇ」

 

「これが普通、とも言えるかと」

 

「んーまあウィッチなんて我々軍人さんの総数に比べりゃ数えるほどしかいないし、その通りなんだけどねぇ……」

 

 そう言いつつ喉にコーヒーを流し込む。いつも通りの単調な苦みが口に広がる。203空が飛び去って、これから整備組も旅立つとは言え加賀の大所帯は変わらない。それでも現場の雰囲気は変わるものだ。

 

「ま、私にとっちゃ鬼の石川がいなくなるわけだし、命の洗濯とするかな」

 

 さっさと飲み干してゴミ箱へと缶を放り込む。視界端の菊池が小さくため息。

 

「仕事はしてくださいよ」

 

「うわー子鬼がいるよ」

 

「誰が子鬼ですか」

 

「キクチンが子鬼なら北条司令は閻魔かな?」

 

「コメントしかねます」

 

 そう言いながら菊池は眼鏡を押し上げる。

 

「あーあー。石川大佐(おに)がいなくなったっていっても菊池砲雷長(こおに)北条司令(えんま)がいるのかー。こりゃサボれないなー。あそうだキクチン、例の記者見なかった?」

 

「南洋の新発田さんですか」

 

「そそ」

 

 菊池がさん付け呼んだのは例の記者……新発田(しばた)青葉(あおば)が女性だからだろう。漢ばかりの軍隊という組織の取材を行う従軍記者というのは男の仕事であるが、ウィッチ部隊の取材となれば話は別。ウィッチだって同性の方が心を開きやすいし、それは記者が若ければ若いほど顕著だった。

 

「いえ……もう出発したのでは?」

 

「んー。まだ整備隊は準備してるしそれはないと思うけどなぁ」

 

 そう言いながら立ち上がる。先に戻るよと声だけかけてその場を立ち去る霧堂。従軍記者の動ける場所は限られている。探せばすぐに見つかることだろう。

 

 

 

 

 

 実際、暫く艦内を進めば簡単に見つかった。廊下に響く乾いた声。間違いなく青葉のものだ。角の向こうから聞こえるその声は揚々としており……誰かに取材でもまた敢行しているのだろうか?

 

 しかし霧堂の足は止められた。いや止まってしまったと言うべきか。別に青葉が悪いわけではない。問題なのは、彼女が話していた相手。

 

「……なるほど。閣下のお考えはよーく分かりました。じゃあお話は空軍の方にも?」

 

 その一言で霧堂の足が止まる。聞こえてくる青葉の声が普段のそれとは違ったのだ。

 

 そして話し相手。青葉は閣下と言った。この艦隊において閣下、将官クラスはただ一人しかいない。

 

 扶桑海軍遣欧艦隊司令、北条少将そのヒトである。他に誰がいようか。

 

「既に話は付けてある。彼女たちの行き先はチャントラパティシヴァージーになる」

 

「あぁあそこですか。なら心配は無いじゃないですか」

 

「万全に万全を期したいのでな」

 

「はいはい、分かってますよぉ」

 

 何の話をしているのかは分からないが、少なくとも取材では無さそうである。北条司令も記者に対する対応のそれではない。

 

集団食中毒(あんなこと)さえ無ければ、ギリギリまで同行出来たんだがな……」

 

「いやぁむしろ僥倖だったと言うべきでしょう。おかげでいろんな理由付けが出来るようになりましたし」

 

「ふん……ともかく一週間だ。203の展開を理由に扶桑がインディアに前進司令部を展開すれば、石川(アレ)の手綱も握れることだろう」

 

「そんな事態が起きないことを願うばかりですけどもねぇ。では私、出発の準備などもありますので、この辺で失礼させて頂きますっ」

 

 その言葉を最後にしんと静まる廊下。飾りのない控えめな塗装に覆われた様々な管、そして蛍光灯。ゆったりと響く足音は北条司令のものだろうか。

 

「あれぇ……これはヤバいの聞いちゃった奴かな?」

 

 そんなことを自問してみても、もちろん答えてくれる相手などいないわけで。幸いにも気配を消すのは下手ではないし、角から出ているわけでもないから気付かれたことはないだろう。

 

 良くあることではあるのだ。

 いつにおいてもウィッチは軍人であり、軍人というのは政治に左右されるものである。今回がどんな政治が絡んでいるのかは知らないが……。

 

 

「――――という次第なんですけど。霧堂艦長」

 

 

 どうやら今回は対岸の火事とはいかないようだ。聞きようによっては小馬鹿にしているようにも感じられる声音。霧堂は諦め混じりのため息をついてからその小柄な従軍記者へと向き合った。

 

「なぁに? 従軍記者さん?」

 

 首を傾げた霧堂に、新発田を名乗る従軍記者はニコリと微笑んだ。

 

「ちょこっおと青葉にご助言いただけないでしょうかぁ?」

 

「助言? 貴女には必要なさそうに見えるけど」

 

「やだなぁ。海軍の大佐さん、それも主力艦艇の艦長さんが相手じゃあ勝てませんよぉ」

 

「ふーん。そう?」

 

 そう返し、霧堂は青葉を見下ろす。紫色のシュシュで髪をまとめた従軍記者とやらは、表情こそ笑っていたが……その眼は笑ってなどいない。

 

「ええそうですとも……なんか石川大佐を止めなきゃいけないらしいんですけど。どーしたものかと青葉悩んでおりまして」

 

「それ、インタビューのつもり?」

 

「そこはご想像にお任せします」

 

 少なくとも記事(もじ)にはしませんのでご安心を。それは記者(カバー)を逸脱すると宣言したつもりだろうか。少なくとも霧堂はそう受け取った。

 

「なにが目的だ。新発田」

 

「下の名前で呼んでくださいって言ってるじゃないですかぁ。別に青葉に目的なんてありませんよ……まあ北条閣下は金鵄(ゴールデンカイト)を空に上げないことをお望みだそうですけど」

 

「203には人類連合の命令が下ってるはずだ。いくら北条司令でも口出し出来る話じゃない」

 

 先ほど記者と話していた相手が北条司令だったことは霧堂にだって分かっている。しかし北条といえど、所詮は小さな艦隊を率いる司令官に過ぎない。人類の命運をかけて飛ぶ第203統合戦闘航空団(ゴールデンカイトウィッチーズ)を止めるなど、出来るはずがない。

 

「それについては心配在りませんよ。連合各国は誰しもインダスには口出ししたくない訳ですし」

 

 どういう意味か、なんて聞かないでくださいよ? そう微笑む青葉。インダス川流域に位置する国家ウルディスタン。かの国がインダス川上流のカシミール地方、そしてインダス系河川の水利権を巡ってインディア帝国と争っているのは有名な話である。

 

「実際、石川大佐も防弾チョッキ用意させてるんでしょう? 理由は治安の悪さだそうですが、想定しているのがウルディスタン軍の銃弾なのは明らかだ。どうです? 青葉の推理当たってます?」

 

 霧堂は沈黙。そんなことは少し考えれば分かることだ。ウルディスタンは西にネウロイ、東にインディアと挟まれた。物資は足りず、情報だって末端まで届いているか怪しい。

 そして、ないない揃いで進退窮まった彼らの前に現れた新たな未確認飛行物体(ウィッチ)に、彼らの目がどう向けられるか……。

 

「……ま、否定も肯定もして欲しいわけじゃないからいいんですけどね。窮鼠猫を噛むというのは見ているだけなら心地のいいものですが、当事者にはなりたくないものです」

 

 ましてや、噛まれる側にはね。それが青葉(かのじょ)の意見なのだろう。

 国境線に追い詰められ、ウルディスタンの状況はさながら門前の虎後門の狼。そこでインディアから突如飛来する航空隊。それを援軍と解釈するかは……残念ながら微妙な所。

 

「で? だからウルディスタンを見捨てるって?」

 

「そんなことしませんよぉ。人類連合は人類を救うために戦っているんです」

 

 そう言うと青葉は両手を広げた。右手にペン、左手に手帳。

 

「青葉のお仕事はそんな人類連合の戦いを世界に伝えること。青葉が伝えなきゃ行けないのは人類が手を取り合って強大な敵に立ち向かう姿。そんな美しい世界です……自分の身可愛さで誰かを見捨てるなんてことをすれば皆が自己矛盾に陥りますよ?」

 

 支持率も株価も真っ逆さま(フォーリンダウン)。もちろん青葉も失業です。そう世界の終わりかのように天井を仰ぐ青葉。それから霧堂にじっと視線を注いだ。

 

「世界を壊してなにが楽しいんです?」

 

「言ってることが繋がらないよね。助ける、助けないどっちなの?」

 

「どちらでもありませんよ。だって――――」

 

 

 ――――インダス川に人類なんていないんですもの。

 

 

「……ほう?」

 

「差し伸べるべきヒトがいれば善良な市民と優秀な軍隊は手を伸ばすでしょうが、虚空に伸ばしたところで誰も救えません。そして救うべきヒトは欧州にもアジアにもごまんといるのがこの世界。優秀な市民ならばもっと素晴らしい人助けが出来るはずです」

 

「……なるほど、なるほどね?」

 

 霧堂は吐き出される息を抑えるようにくっくと笑う。なにを笑うというのか。しかしおかしくてしょうがないのである。なんたる傲慢か、なんたる偽善か。

 

「それがお茶の間戦局報道(ウォーゲーム)の作り手が考える戦争というわけか。一億の民を捨てて、残りの何十億で悠々と生きるのがお前の正義か」

 

戦局報道(ウォーゲーム)とは失礼な。ゲームと違って勝者なんていませんし、復活(リスポーン)だって出来ません……青葉残念だなぁ、現役の将校さんにこんなこと言われるなんて」

 

 ガッカリですぅ。そう口元に笑みは残したまま分かりやすく肩を落としてみせる青葉。対して霧堂は一歩引く。

 

「おーけぃ記者さん? 私だって菩薩じゃないんだ。結局アンタなにが言いたいわけ?」

 

「さっき言ったじゃないですかぁ。金鵄(ゴールデンカイト)を空に上げるわけにはいかないのです」

 

 沈黙。青葉は微笑みを崩さない。

 

「お忘れですか? 203は実戦向きではないのです」

 

「あら? 私の加賀(ふね)を護るウィッチたちが弱いと?」

 

「そういう意味ではありませんよ大佐。弱いのではなく……そうですね。リスクなんですよ」

 

 霧堂は黙って次の言葉を待つ。

 

「分かりやすい例から行きましょう。オラーシャ空軍のプラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ・ポクルィシュキン中尉。青葉は詳しいことは存じ上げませんが、アレがどれほどの代物か艦長はよくご存じのはずです」

 

 一つお伺いしますけど、この艦隊は戦術リンクに接続しているのでしょうか?

 

「さぁ? 私は知らないしいくら従軍記者さんにもそこまで教えられない」

 

 それは答えでもあった。確かにこれまで遣欧艦隊と203空はコーニャの固有魔法に支えられてきた。彼女の卓越した電子戦能力がなければどの戦いでも203空の勝利はなかったであろう。

 しかし一方、それはポクルィシュキン中尉というオラーシャの軍人に扶桑の情報ネットワークを晒す行為でもあった。彼女の固有魔法を用いれば戦域全体のミサイルを制御することが可能。それは即ち、扶桑国軍を網の目のように覆い彼らの全ての作戦行動を支援する戦術データリンク。扶桑皇国の全ての手の内を晒す行為に他ならない。

 

「まあ、遣欧はいいんですよ。秋月型以外の水上艦はもう型落ちのそれですしね。クローズドでなら多少の許容はしましょう」

 

「……でも、一航戦はよくなかった」

 

「理解が早くてうれしいですぅ」

 

 青葉が飛び跳ねるように喜ぶ。霧堂と同じように後ろに一纏めにした髪があわせて揺れた。

 

破魔矢作戦(Operation HAMAYA)。一航戦の救出作戦、全てが狂った始まりの作戦。あの危機的状況で、一航戦は言うまでもなく戦術データリンクに接続していました。その状況下でかの艦隊の火器管制がポクルィシュキン中尉に()()()()。青葉の言いたいことはもうおわかりだと思います」

 

「私の住んでる国は千何百の将兵よりもそれを優先するわけ? だとしたら結構私は残念なんだけど」

 

「まさか、扶桑皇国は先進国で兵隊さんは完全志願制。人命はどんな機材にも代えがたい。しかしですね霧堂艦長。億の命を支える国防装置(ぐんたい)というものは、残念ながら完全でなければならないのです。可能性だけでもセキュリティシステムは総取っ替え、洗練されたシステムすら放棄せねばならないのです」

 

「まさかとは思うけど、それが今回の無謀な派遣命令なんてことは」

 

「そればかりは青葉には分かりかねますよぉ。なんせ兵隊さんをどう動かすかなんてお上のお上が決めることじゃあないですかぁ……そして話を焦ってはいけませんよ? なんせ青葉が口にしたことはオラーシャ本国でも同じなんです。今は中尉だから出来ることも限られるでしょうが……」

 

「後々になれば国家まるごと乗っ取ることだって夢ではありません? 滑稽な話ね。新聞記者辞めてゴシップでもやったら?」

 

「いいですねぇゴシップ。青葉も大好きですよ。そして彼女にはそのゴシップをこの青葉の脳味噌から引き出すだけの素質、才能を持っているんです……ですけれど、まあ現状は単なる左遷。お払い箱でしょうね」

 

 その言葉に霧堂の表情が動いたのか、動かなかったのかは定かではない。だが青葉は確かに笑みを深めた。

 

「艦長だってお分かりなのでしょう? 性格素行に問題大ありの華僑民国高少尉、友軍誤射(フレンドリーファイヤ)が大得意なゴールドスミス中尉は現実に『加賀』のレーダーを御釈迦にした。リベリオンのブラシウ少尉についてはなかなかに優秀ですが。これはまあ、両国の首脳が蜜月なのが幸いしたとでもいいましょうか……」

 

「話が長い。そろそろその長ったらしい口を閉じて貰えない?」

 

 そうぴしゃりと遮る霧堂。青葉は打って変わったように声を低くする。

 

「ではさっさと纏めましょう。結局203は各国のお払い箱。綺麗に梱包(ラッピング)して広告塔です」

 

 誠意を見せろ(ショウ・ザ・フラッグ)に始まった扶桑皇国の海外派兵。内実は世論向けの宣伝塔。本気で欧州まで打通する気もなく、遊撃戦力に数えられれば御の字程度の海上戦力と航空戦力。

 

 確かにそうだ。

 

「記者さん。確かに石川は撃墜数も私よか少ないよ。無口だしコミュ力もない。でもね、石川(アイツ)を、203を舐めてもらっちゃ困るよ」

 

 だが、その広告塔がここまで大きくなった。

 

 本土爆撃を防ぎ。一航戦を救い。南洋に潜むネウロイを倒し海上交通の安全も確保した。ウィッチ戦力が増強され、「加賀」自身も改装により本格的なウィッチ母艦となった。203は今や立派な人類の翼。険しい道のりが待っていようとも、政治(まつりごと)程度で潰れるようなヤワな翼ではないのだ。

 

「ええ仰るとおりです。貴女の石川大佐と203()大丈夫でしょう」

 

「あら意外、てっきり否定するかと」

 

 霧堂が言えば、青葉は「事実は事実ですから」と首肯。

 

「石川大佐については青葉も信頼してますし、数多くの実戦を積んでいるブラシウ少尉や高少尉、そして類い希なる固有魔法に恵まれたゴールドスミス少尉やポクルシュキン中尉を使いこなすことも容易でしょう。それぞれ癖が強いとはいえ素質は一線級。203は一騎当千!」

 

 まさに統合戦闘航空団――――かの大戦で欧州を救った第501統合戦闘航空団(ストライクウィッチーズ)のような大活躍だって夢じゃない! 両手を広げ、見えないナニカを奉る様に空を見る青葉。

 

「――――でもね。第203統合戦闘航空団(ゴールデンカイトウィッチーズ)には飛んでもらっちゃあ困るんです」

 

 それが、すとんと落ちる。霧堂は大げさに首を傾げて見せた。

 

「言ってることが、矛盾しるように思うんだけど?」

 

「やだなぁ艦長。アナタは分かってるでしょうに」

 

 青葉が、嗤う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄曇りのチャトラパティ・シヴァージー国際空港の幅の広い滑走路に編隊を組んだまま着陸する。元々特大の旅客機が着陸できる空港だ。45メートルもの横幅がある滑走路だから人間サイズのウィッチは同時に進入しても安全に降着できるということである。

 

 もっとも、ひとみにとっては陸地のこんなに広い滑走路に僚機と同時にアプローチするのは初めての経験だった。

 

「ふー、緊張した……」

 

「いい経験になったな」

 

 石川大佐がそう言ってハンドサインを出した。縦列になりながら、目の前の高速待避用の誘導路に入る。地上管制官(グラウンド)からの指示は目の前のN誘導路に入り国際ターミナル前の182番スポットへ向かえ、だ。

 

「それにしても低空待機が長かったですねー。結局爆弾は見つからなかったんでしょう?」

 

「ん」

 

 のぞみがそう言いながら伸びをすると、最後尾で軽く頷く声。コ―ニャだ。

 

「ガセだったみたい」

 

「あーあ、数億円規模の損害賠償が犯人を追いかけるゾー」

 

 のぞみがそう言うとモンファが頭の上で手を組んだ。

 

「いっそのことその損害賠償にこっちのホールド分の補填を上乗せしてくれねーですかね」

 

「ゆめかナイスアイデア。悪を経済的に粉砕するなら正義には悖らないし」

 

「モンファっつってんでしょうが」

 

「俺たちの給料については飛行手当が飛行時間にあわせて上乗せされるし、私益のために正義の鉄槌を使うな馬鹿者」

 

 石川大佐の声が二人をいさめる。ひとみはそれを聞きながら苦笑いだ。N滑走路を走っていくと行く末に見慣れたティルトローター機が見えてきた。

 

「本当にオスプレイの方が先に着いちゃいましたね」

 

「まぁこれで専用のキャニスターに駐機できるから楽っちゃ楽なんだけどね」

 

 のぞみはそう言って苦笑いだ。エプロンにはそれぞれの整備班が既に整列していた。加賀の甲板上みたいに、機付長が甲板固定用(タイダウン)チェーンを体に巻き付けて居ないのは少し新鮮だった。

 

「ひとみーん、おつかれー」

 

「あ、加藤中尉ー!」

 

 手前から三番目のキャニスターの前でひとみに向けて帽子をつけた女性が手を振っていた。

 

「ロングフライト本当にお疲れさま」

 

「加藤中尉もお疲れさまです」

 

「機内では爆睡できるからいいんだけどね。驚いたよ、ひとみんよりも先に着いてるんだもん」

 

「中尉は機内の連絡ぐらいは起きて聞いててくださいよ。F-35A整備班の班長なんですから」

 

 そうため息交じりに言ったのはティティ騒動から少し話すようになった左雨(さっさ)伍長である。

 

「伍長が聞いてくれるから安心して寝てられるよ」

 

「 だ か ら ! ちゃんと話は聞いてくださいって今言いましたよね?」

 

 漫才のようなやりとりを聞きながら、加藤中尉に手を引かれる形でひとみはその場で180度反転し、ゆっくりと後ろに押し出される。加藤中尉と左雨伍長の二人にサポートされながらキャニスターに飛行脚を挟み込む。

 

「クランプ接続完了。シャットダウン・チェックリスト、レディ」

 

 左雨伍長がバインダー片手にそう声をかけた。

 

「シャットダウン・チェックリストをお願いします」

 

「シャットダウン・チェックリスト。スロットル・アイドル」

 

「スロットル・アイドル、チェック」

 

「マスターアーム・オフ」

 

「オフ」

 

 エンジンをカットするまでがフライトです。とはよく言われたもので、その段に入ると私語がぴたりと止む。

 

「……シャットダウン・チェックリストコンプリート。お疲れさまでした。降機していただいてOKですよ」

 

「ふー。疲れました」

 

「お疲れさまです。カルピコ飲みます? クーラーボックスに冷えてますよ。他のウィッチの方の分もありますし」

 

 左雨伍長がそう言ってオスプレイの近くに置かれている緑色の箱を指さした。

 

「いいんですかっ?」

 

「封を切った飲み物は税関に持ち込むとめんどくさいですし、消費してくれると助かります」

 

 そう言われひとみは差し出されたスニーカーをつっかけそっちの方に走っていく。ソレを見送って加藤中尉は悪い笑みを浮かべて左雨伍長を見上げた。

 

「あんないい子を餌付けかい? 左雨クン」

 

「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい」

 

 そんな会話を知ることもなくひとみはキンキンに冷えたペットボトルのキャップを開け、乳酸菌飲料を口に含む。甘酸っぱい味が乾いた喉を流れ落ちる。

 

「あぁあああああ、生き返るぅ……」

 

「なーにおっさんみたいな顔してやがりますか」

 

「もんふぁちゃん! おっさんってひどいよっ!」

 

 そう夢華に抗議するも夢華はどこ吹く風でクーラーボックスを漁る。

 

「だるだるに緩みきった顔してる米川がいけねーんでありますよ」

 

「あ、夢華。コーラある?」

 

 ヘイ、パス。とレクシーが手を振る。夢華はめんどくさそうにビッグサイズの缶コーラをレクシーの方に放る。

 

「サンキュー、夢華」

 

「後でツケやがりますので」

 

「あんたの財布からでているわけじゃないでしょーに」

 

 レクシーの声に夢華はわずかに笑みを浮かべた。

 

「まったく、疲れ…わぷっ!?」

 

 開封の衝撃でレクシーの手元で缶のコーラが破裂。顔に思いっきりコーラの噴水がかかる。それを見た夢華がケタケタと笑った。

 

プラフープ(フープラ)のコーラ漬け……!」

 

「夢華! あんたね……っ!」

 

「あたしは言われたとおりに渡しただけですだよ。パスって言って投げさせたのはあんたじゃねーですか」

 

「ゆーめーかー!」

 

「なんであんたまで大村(ダーツォン)化してやがりますか」

 

 そんな言い合いを見ながらひとみがおろおろしていると、フリップボードをもった兵士がひとみたちの方にやってきた。兵長の肩章をつけたその兵士がどこか困惑した表情なのを見て、ひとみも首を傾げる。

 

「米川少尉、少しよろしいですか?」

 

「はい? なんでしょう」

 

「少尉の私物のトランクが空港の税関で引っかかったんですけど……」

 

「へ?」

 

 まさに青天の霹靂。思いも寄らない言葉に思考が止まる。

 

「なに? ひとみん。ヤバい物なんか入れた?」

 

 ストライカーの格納を終えたらしい加藤中尉が寄ってきてひとみの肩に手を回す。慌てて首を横にぶんぶんとふるひとみ。

 

「兵長、それ税関書類よね。なんで引っかかったくらい書いてあるでしょ」

 

「はい、えっと……それが……」

 

「なによ」

 

 加藤中尉の声にどこか申し訳なさそうな顔をする兵長がゆっくり口を開く。

 

「どうやら米川少尉が私物としてトランクに詰めていたチャイナドレスが引っかかったようです」

 

 過ぎ去る沈黙。次の瞬間に加藤中尉と夢華が同時に吹き出した。

 

「あっはっは! なにひとみん、アレ入れてきてたの? そりゃ引っかかるわ! だってそれほとんど着てないから新品の輸入扱いになるだろうし!」

 

「そんなにお気に入りだったでやがりますか!」

 

「え? ええっ? なんで入ってるの!?」

 

 状況がつかめずに目を白黒させるひとみ。慌てて今日の朝の事を思い返す。

 

「えっと、前進配備が決まったのが昨日で、トランク渡されて……荷物を詰めて……」

 

「なに? なにがあったの?」

 

 そのタイミングになってのぞみがやってくる。嬉々として状況を伝える加藤中尉におろおろしきりのひとみは気づかない。

 

「そりゃあれでしょ。米川あんた、ベッド下の収納の服を全部突っ込んだからでしょ。普段から収納袋にしまってるみたいだし」

 

「だって……幼年学校でそうしろって……」

 

「適宜分けてないからそうなるのよ」

 

「だからってのぞみ先輩は散らかしすぎだと……」

 

「あ゛?」

 

「なんでも……ないです……はい」

 

 ひとみがしゅんとしたタイミングで加藤中尉がひとみの肩を叩いた。

 

「ま、仕方ないね。それじゃ、納税して私物を返してもらおうか」

 

「か、関税かかるんですね……」

 

「まぁ私物だし? そこまでの額じゃないから安心しなよ。それにそもそも輸出用じゃないし、そこまでの値段じゃないからちゃんと説明すれば免除されると思うわよ」

 

 そう言って加藤中尉に連れられるようにしてひとみはトボトボと民間国際ターミナルの方に歩き始めたのだった。



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مشکوک ہوائی اڈے دوسرا حصہ

Chap3-2-2 "Suspicious airport"


 ……とまぁ。ここまではまだよかったのである。

 

「すごい……人、ですね……」

 

「プライオリティレーンですらこれだからまぁゆっくりいこうか」

 

 加藤中尉がそう言う。今ふたりがいるのはイミグレーション、要は入国審査である。関税カウンターに行くにはどうやってもここを通らねばならない。軍関係者だと加藤中尉が交渉したらしいが、優先レーンを使えることになっただけだった。

 

「気楽に待つしか無いか。とりあえず今日はあとデブリーフィングぐらいだろうし。明日以降が大変そうだけどね」

 

「明日以降、ですか?」

 

 ひとみが首を傾げる。

 

「だって考えてみなよ。初日でコレだよ? 母艦から離れて煩雑な事務手続きに、足りない専用機材、現地の人とはやたらと訛りの強い英語でしか会話が出来ないストレスフルな環境だよ? 先が思いやられるよ。だってここ、民間空港のせいでストライカーユニット用の汎用キャニスターすらなかったんだよ? 手持ちの道具だけだから長期でここにいるのは厳しいし……」

 

 鋼鉄製の魔法の箒であるストライカーユニットが無ければ、ひとみは飛べない。正確に言えば、戦えない。昔みたいに箒で飛ぼうと思えば飛べるだろうが、音速を超えての戦闘がたびたび発生する今の戦場で、速度上限がかかる上に片手が箒で埋まることによる武装の制限が生じる箒ではあっという間にネウロイに蜂の巣にされる。

 

 そういう意味では、ストライカーユニットはひとみの生命線だ。その生命線は整備によって生きていて、前線展開というだけでそれに影響がでることを今気づかされた。

 

「そうなんですね……」

 

「まぁ、言っても仕方が無いんだけどね」

 

 加藤中尉が笑ったタイミング。なんとなく空気がざわついた。

 

「……? なんでしょう? あっちって……」

 

「普通の入国レーン……すこしヤバいかも」

 

 誰かが言い争っているような声。それに触発されたようにざわめきが広がっていく。その間に薄く刺激臭が漂い始めた。

 

「ひとみん」

 

「なんですか……?」

 

「保護魔法展開しときな、まだ防弾チョッキ着てるね?」

 

「へっ?」

 

 いきなり加藤中尉が臨戦態勢に入ったのに戸惑う。小声の指示にひとみんもつられて小声になりつつ、魔法を展開。ひとみの場合使い魔の耳としっぽが生えるとはいえ、ナキウサギのため、しっぽも耳も目立たない。そっと展開しつつ加藤中尉の方を見る。

 

「この臭いって……」

 

「知らないけど、体にいい物ではなさそうだね」

 

 そう言って加藤中尉は左耳を押さえた。よく見ると肌色の無線インカムが刺さっていた。ひとみの耳にもまだインカムが刺してあるままだが、それの回線がオープンになる。

 

「ロッジホテル、ロッジホテル、こちらカトー。セキュリテ・セキュリテ・セキュリテ。国際ターミナル入国ゲート付近」

 

 ロッジ(lodge)ホテル(H)は、今回の203空の前進基地司令部を呼び出す符丁だ。すぐに返事が返ってくる。セキュリテは「非常事態発生の可能性があるため応答求む」を意味する略号だ。

 

 それにすぐさま応答したのは石川大佐だった。

 

《ロッジホテル、セキュリテ了解。なにがあった》

 

「国際ターミナル到着側制限区域で石油系の刺激臭」

 

 それを聞いただけで石川大佐はすぐに指示を出した。

 

《離脱しろ。装備B2で迎えを出す》

 

「了解、離脱する」

 

 加藤中尉がひとみの手をとって列から離れた。

 

「えっと、なにが……」

 

 そのタイミングで悲鳴が上がった。いきなりひとみたちの方に一斉に全力疾走してくる人の波が流れてくる。

 

「ガッデム!」

 

「きゃぁっ!」

 

 加藤中尉は強引にひとみを抱き寄せ、なんとか入国審査エリアの外にダイブするように飛び出した。

 

 直後に爆発音。ひとみはとっさに目を閉じた。強烈な衝撃。加藤中尉と一緒に床に投げ出された。悲鳴と怒号に混じって、真上から冷たい水が降ってきた。

 

「――――――、生きてるひとみん!?」

 

 ガバリと跳ね起きた加藤中尉が必死な顔でひとみを抱き起こす。

 

「は、はい……!」

 

「逃げるよ!」

 

 そう言ってひとみを立たせる加藤中尉。あたりは起動したスプリンクラーで水浸しだった。入国ゲートの前には強烈に火を吹き続ける何かが見える。そして、その周りで燃えるなにかが見えた。ひとみがそれが何かを知る前に手を引かれ、ここまで来た道を戻るように走り出した。

 

「あれって……」

 

「ナノテルミット……なわけないな。あんなショボい爆発で終わるわけないし、刺激臭なんてしない。たぶんリチウムイオンバッテリーかなにかを大量にまとめたお手軽爆弾だ」

 

「爆弾!?」

 

 ひとみの脳裏に浮かんだのはコ―ニャの無線だった。ひとみたちが上空待機になった理由。

 

 

 ネットにインディア国際航空旅客機の爆破予告が掲載された。

 

 

「爆弾テロはフェイクじゃなかったわけだ。やっかいだねホント」

 

 加藤中尉はそう言って走る。後方でなにかが破裂する音が響いた。

 

「急ごう。何機も緊急着陸させてる状況でいくつ本命があるかわからない」

 

《加藤、なにがあった!?》

 

「爆弾テロ発生! ゲート付近で火災発生中! 加藤中尉・米川少尉とも無事! 現在避難中!」

 

《空港連絡バスの発着場で将棋倒しが起こってる! 他の出口を探せ! 行っても潰されるぞ!》

 

「了解……焼死か圧死か選べとか親切ねホント!」

 

 無線を切って悪態をつく加藤中尉。それでも状況が変わるわけではない。

 

「あった! 非常口!」

 

 防火シャッターの横の通用扉を押し開け、飛び出すが、そこも人でごった返していた。悲鳴と怒号が飛び交う中呆然と立ち尽くす余裕もない。後ろからの人の波に圧縮される。

 

「ちっ……」

 

「うわっ……ちょ、痛っ……!」

 

 人の波に圧迫されて次の息が吸えない。慌てて息を飲み込むようにして耐える。息を吐ききってしまえばもう次は吸えない。

 

「南無三宝。致し方ないか」

 

 加藤中尉がひとみのほうに人混みをかき分けやってきた。胸の前に抱き込むようにしてひとみが息できるスペースを確保した。

 

「ど、どうするんですか」

 

「こういうときは出口を作るに決まってるでしょう!」

 

 加藤中尉の体に青白い光が纏わり付いた。それが意味するのは単純だ。

 

「魔力光……!」

 

「ひとみん、しっかり掴まってなさいよ!」

 

 そう言うと同時、加藤中尉は真っ黒な羽――ひとみにはカラスの羽のように見えた――を輝かせ真上にトンとジャンプした。ふわりとひとみの体も浮き上がる。

 

「ええええええっ!?」

 

 そのまま非常口の隣、はめ殺しのガラスの壁に向けて加速するように突っ込んでいく。

 

「加藤中尉っ!?」

 

「加藤流魔導血闘道! 第64式!」

 

 謎の文言が飛び出してくるが、ひとみには何がなんだか分からない。ひとみに分かるのは加藤中尉が魔力を全開にして全力で突っ込んでいっていること。なにやら腕を振りかぶっていること。どうやら窓を全力で殴りつけるつもりらしい。

 

鉄血破砕槍(Zerquetschender Eisblutspeer)

 

 その叫び声と共に降り出された拳がガラスに叩き付けられると同時、そのガラスが思いっきり吹き飛んだ。ガラスは砂のように粉々になり太陽光を輝かせ、その中に加藤中尉がすたりと飛び降りた。着地でバランスを崩したひとみが、ドテンという効果音が似合う雰囲気で地面に落ちる。

 

「よし! 脱出完了!」

 

「加藤中尉……」

 

「大丈夫? 怪我した?」

 

「怪我はないですけど……魔法、使えるんですね」

 

「まぁねー。あんまり現役時代に使わなかったし、減衰は遅い方だよ。そんなことより、合流急ぐよ」

 

 そう言われ、手を取って起こしてもらっている間にも、無線が入る。

 

《加藤中尉たちの脱出を確認した。派手にやったな、加藤中尉》

 

「霧堂艦長に比べれば穏健に済ませた方でしょう石川大佐」

 

《万国びっくり人間博覧会と一緒にするな馬鹿者。貴官の2時方向にいる。避難民の大集団を迂回して合流してくれ。俺と大村、左雨伍長で迎えにいく》

 

 のぞみが来ることにひとみは驚くが、加藤中尉はどこか苦々しい顔だ。

 

「……警官隊のご到着だ。ひとみん、一応警告しとくけど、動かないでね」

 

 えっと、という間もなく、警官隊が拳銃を抜いた。銃口こそ足下に向いているものの、いつでも撃てる状況だ。

 

「なんで……」

 

 悲鳴が上がる。警官隊から距離を取ろうと避難民の先頭集団が足を止めたせいだ。車が急には止れないように、群衆も急には止れない。集団の中で人が圧縮されていく。

 

「犯人グループがいる可能性もあるから致し方なしとはいえ、歯がゆいね。私達は自らの身の安全を最優先にして撤退。ひとみん――――米川少尉!」

 

 ひとみが呆然とその様子を見ていたが加藤中尉の強い言い方に現実に引き戻されていた。あわてて加藤中尉を追うが、その目は集団に向けられたままだった。

 

 その視線の先、避難民の輪の中から弾き出されるようにして男が飛び出してくる。その手に見えるのは――――大きなトランク。それが宙を舞った。

 

「いけない!」

 

 ひとみが叫ぶが間に合わない。それは上空で炎を上げた。落ちてくるそれを慌てて避けた警官隊が拳銃を男に向ける。乾いた音がいくつも弾けた。

 

 その男が仰向けに倒れる様子はあまりにリアリティがなかった。少なくともひとみにはなにが起こったのか分からなかった。遅れて弾ける悲鳴を聞いてもなにが起こったのか、理解ができなかった。

 

「え……?」

 

 男の人はなぜ倒れたのだろう。そんなことをぼんやりと考える。その時だった。

 

「――――HELP!」

 

 誰かの『助けて』と言う声がひとみの頭をぶん殴った。

 

 いかなきゃ。いかなきゃだめだ。

 

 その声の出所を探して、見つけた。子どもが一人地面に這いつくばっていた。その上を大人が踏みつぶすようにして通っていく。

 

 たすけなきゃ。たすけをまってるひとがいる。

 

 その思いがひとみを突き動かした。次第に足が急いて早足になり、駆け足になり、全力疾走になった。

 

「ひとみん! とまれ!」

 

 加藤中尉の声がしたが、なにをいっているのかは分からなかった。いまは目の前の子どもを助けるほうが優先だ。

 

 子どもを大人の足下から引っ張り出す。その子は既に血まみれだった。

 

「大丈夫っ?……え?」

 

 声をかけるがその顔に影がおちる。あわてて顔を上げれば自分の視界いっぱいに女性物のハンドバッグ。

 

 視界に星が散る。くらくらとする頭で反射的にシールドを張っていた。ハンドバッグで思いっきり殴られたと気がついたころには、あっという間に避難民に取り囲まれていた。何が起こったか理解出来ない。理解する前に背中側に衝撃。何かに蹴られたか踏まれたか。保護魔法がなければとっくに血まみれだろう。

 

「かはっ……!」

 

 熱で溶けたコンクリートの駐機場が、ひとみの肌を焼いていく。反射的に頭を護り、亀のように蹲る。直後、服の背中を引っ張られひっくり返された。

 

「ひっ……!」

 

 見えたのは恐怖に引きつった顔。何かを叫んでいるが、言葉が分からない。

 

 

 このままでは、殺される。

 

 

 本能的に理解したが、動けない。男に馬乗りで押さえつけられてはひっくり返せない。反射的に腰に手が回った。

 

 ()()()()()()()を使えば、逃げられるかもしれない。引き抜いて、相手の頭に向けて、引き金を引く。それだけだ。それで逃げられる。頭では分かっている。

 

(でも、だめだ……!)

 

「米川――――――!」

 

 聞き慣れたアルトの声が飛んでくると同時に、腰に乗っていた男が視界から掻き消えた。乱雑に地面から起こされ、引っ張っていかれる。

 

「左雨! 加藤!」

 

「石川大佐……どうして」

 

 ひとみの声に答えること無く、石川大佐はひとみを肩に担いで走り出す。その背後では小銃を手にした左雨伍長と加藤中尉が避難民に向け、ピタリとエイミングしているのが見える。

 

「大村!」

 

「わかってます!」

 

 のぞみが石川大佐とひとみを護るようにシールドをはりながら二人を追いかける。しばらくして、加藤中尉と左雨伍長も追いついてきた。

 

「米川、どうして、どうしてだ!」

 

 石川大佐の苦り切った声に、ひとみはどう答えていいか分らなかった。

 

 

 

 

 

 小気味よい音を立てて缶コーラが開いた。炭酸の弾ける音を聞きながら、加藤中尉はそれを煽る。その様子を見ながら、石川大佐は手元のやたらと甘いコーヒーを啜った。

 

「それで、米川少尉はどうでした?」

 

「俺の判断で今は部屋で休ませてる。今は整理が必要だ」

 

「……それもそうかもしれませんね」

 

 加藤中尉はそう言い、石川大佐の隣に座った。

 

「なにか言いたげだな」

 

「言いたいのは石川大佐では?」

 

 加藤中尉にそう切り替えされ、石川大佐はしばらく黙り込み、ため息。

 

「……米川はショックを受けてるようだった」

 

「当然でしょう。目の前で人が撃たれるところなんて初めてでしょうから」

 

「お前はあったのか? 加藤中尉」

 

「クェート配備時代に何度か」

 

「そうだったか……」

 

 会話がそこで一度途切れた。互いがそれぞれの飲み物を啜るだけの時間がおちる。

 

「米川は」

 

 石川大佐がそう言い、言葉を切る。

 

「助けたかったと言っていた。助けなきゃって思ったとな」

 

「純粋ですねぇ」

 

 加藤中尉はどこか他人事のよう。石川大佐は疲れ切った様子で「本当にな」と同意した。

 

「同じ人間、同じ世界、人類連合とは名ばかりだな、加藤。米川には、それがまだ見えていないんだろう」

 

「……同族嫌悪」

 

 加藤中尉がそう呟いて、石川大佐の目がギロリと回った。

 

「なんだと?」

 

「どうして石川大佐御自(おんみずか)ら最前線に助けに出て行ったんですか? 危険なのは承知の上でしょう」

 

 加藤中尉の声に石川大佐は答えられない。

 

「きっと石川大佐と米川少尉はよく似てる。真っ直ぐで、純粋で……」

 

「それを俺に言うか」

 

「そして、自分を騙すのがうまい」

 

 その一言に、石川大佐が目を見開く。

 

「石川大佐、あの子の飛ぶ理由、知っていますか?」

 

「第501統合戦闘航空団のように空を飛ぶことだったはずだが……」

 

「あの子には本当に才能がある。あの子ほどの才能があれば、きっとその夢も夢じゃなくなる……もっとも、ずっと解散状態の501が結成されるかどうかは限りなく不明ですけどね。それにしても、その夢には希望がある。だから彼女は無垢でいられる」

 

 加藤中尉はそう言って目を伏せた。

 

「でも、その希望を信じられなくなったときに……」

 

「飛べるかどうかか?」

 

 それには首を振って答える加藤中尉。

 

「まさか。飛ぶことをやめられるかどうかです。あの子は間違いなく、空に縋り付く。理由をつけて、言い訳を編み出して、希望をメッキ張りした自分を振りかざして、飛び続ける。そんな気がして怖いんですよ。私は」

 

 最後の一滴を煽って加藤中尉はダストボックスに空き缶を投げ込んだ。

 

「米川は、強いぞ」

 

「でも子どもですよ石川大佐。最悪の事態になる前に引き戻すのが大人の仕事です」

 

 加藤中尉はそう言って立ち上がる。

 

「出過ぎた事を言いました。申し訳ありません」

 

「情報の共有は業務の範囲内だ。かまわん」

 

 敬礼を交わして、加藤中尉が外に出て行こうとする。

 

「加藤中尉、君はクェートに居たと言ったな。所属は?」

 

「第23統合飛行団、第41飛行隊でした。もっとも、飛べたのはたった三回でしたが」

 

「そうか。悪いことを聞いた」

 

 石川大佐はそう言って目を伏せた。

 

「石川大佐、あなたは英雄です。すくなくとも、我々対地攻撃ウィッチにとっては、偵察ウィッチのあなたが英雄だった」

 

 偵察ウィッチなくして、攻撃ウィッチは続けない。発見できなければ、迎撃も攻撃もままならない。暗に語られたその言葉を黙って聞いている石川大佐。

 

「大佐の情報のおかげで生き残った。ユーフラテスを越えられたのは、あなたのおかげだ」

 

 その言葉に弾かれたように顔を上げる石川大佐。そこには敬礼をする加藤中尉がいた。

 

「だから、胸を張ってください。あなたも米川少尉も、間違っていない」

 

 加藤中尉はそう言って、今度こそ背を向けた。呆然とした石川大佐が一人取り残される。制服の左胸を押さえる。

 

「どうすれば……どうすればよかったんだ……」

 

 銀時計の鎖が揺れる。

 

 

 

 

 

 加藤中尉は歩き続ける。歩き続けると言えば聞こえは良いが、残念ながら行く先を見失ったと言う方が正しい。

 

 出過ぎた真似をした。仮にも相手は海軍大佐。間違っていないなんて、言えたモノではないというのに。当然留まれる訳もなく、背を向けて立ち去るほか手段がなかったのだ。

 第203統合戦闘航空団が降り立ったこの空港。もちろん先に到着していたのは加藤中尉たち整備チームである。もちろん建物の構造は頭に入っているから迷うことなどはないだろうし、歩き回ってなにか問題があるわけでもない。

 問題としては、先ほどのテロ騒ぎ(ゴタゴタ)のおかげで空港は厳戒態勢。歩き回る場所がないということか。

 

 なら、仕事にでも打ち込んでしまえば良い。酒や賭博(ギャンブル)なんかよりずっといい選択。しかも先ほど丁度仕事(ストライカー)もやって来たところだ。そこへと向けて足を伸ばすことにした加藤はゆっくりと歩き出した。

 

 統合戦闘航空団向けのスペースは旅客ターミナルにほど近い、貨物ターミナルの一部を借り受ける形で設けられている。

 

「いやぁ、()()()()()()()加藤中尉」

 

 そのどこか気の抜けた調子の声を聴いて、加藤中尉は振り返る。

 

「なんだ。南洋日報の新発田(しばた)記者じゃないですか」

 

 別に久しぶりでもなんでもなかった。

 

「もう、新発田って呼ばないでくださいっていってるじゃないですかぁ中尉。気にせず青葉のことは青葉とお呼びください」

 

 そう人懐っこい笑みを浮かべるのは新発田青葉(あおば)。加藤達整備チームと一緒にムンバイまでやって来た従軍記者である。ムンバイについてからは今日の今日まで同じ貨物ターミナルで寝食を共にしてきた。

 

「貴女が私のことを下の名前で呼んでくれたら考えてあげるけど」

 

「そんな! 皇国軍の方を名前でお呼びするなんて失礼なことは出来ませんよ!」

 

「なら姓で呼ばれるのを受け入れなさいな……それで? なにか御用ですか記者さん?」

 

 新発田青葉というのはウィッチ部隊の取材ではよくある女性の若手記者だ。若い、それも女子だけで構成されることが基本のウィッチ部隊において、男性記者では取材するのも一苦労。そんなこともありウィッチ部隊を取材するのはたいてい女性の記者なのだが……その実、ウィッチ部隊に従軍記者が付くことは珍しかったりもするのだ。

 理由はもちろん、機械化航空歩兵(ウィッチ)が軍機の塊であると同時に、年端もいかない少女に過ぎないウィッチ自身が繊細であり、その精神状態に戦局が大きく左右されかねないからだ。

 

 にも拘わらず、このゴールデンカイトウィッチーズには従軍記者がいる。

 これには第203統合戦闘航空団の設立理由――即ち、扶桑の国際貢献における広告塔であること――が深く関わってい派いるのだが……それにしても、加藤中尉はこの記者というものに懐疑的であった。

 

 しかしこればかりは仕方がない。従軍記者を受け入れた以上は相手をするしかないのだ。

 

 そんな加藤の内心も知らず、青葉はメモ帳を取り出した。リング式のそれはくるりと回り、何やらか書き込まれた白地の紙が空をぐるんと舞う。いつのまにやら右手にはボールペンが握られていた。

 

「いやぁ。少々中尉にお伺いしたいことがありまして」

 

「私に? 折角米川少尉達が来たのに?」

 

「ええまあ。そうしたいのは山々なんですが、生憎面会謝絶状態でして」

 

 ほら、あんなことがあった後でしょう? そう青葉は笑いながらターミナルの外――――駐機場(エプロン)を指さす。半ば管制を放棄され、無秩序に並べられた旅客機からぞろぞろと降ろされる乗客たち。

 

「皆、ウルディスタンから逃げてきた人々だ。せっかく安住の地インディアに来たというのに、同胞の馬鹿(テロ)のせいで収容所送りですよ」

 

「収容所?」

 

 温厚そうな青葉の口から随分と物騒な台詞が飛び出し、思わず加藤は眉をひそめる。

 

「ああご存じないんでしょうね。先ほどの爆弾騒ぎを受けて、インディア政府がウルディスタンに対する国境の無期限封鎖を――――」

 

「無期限封鎖?! それ正気じゃないでしょうね!」

 

「そ、そんなこと青葉に言われても困りますよぉ。青葉はインディア政府の決定を知ってるだけですよ?」

 

 無期限封鎖。もしそれが本当なら、今は小康状態とは言え確実に押され続けているウルディスタンはどうなるというのか。もちろん明日陥落するという訳ではない。それでも、一日国境が閉ざされればそれだけの人間がウルディスタンを出れなくなる。ウルディスタンの前にはネウロイしかいない。後方のインディアへと下がる以外に、道はないというのに。

 

「なんてことを……」

 

 無神論者の加藤ですら思わず十字を切りたくなるような事態。この決断により何千万の罪もなき人々が犠牲となることであろう。その現実に駐機場のコンクリートすらも歪ん見えそうだ。

 しかし当の青葉は、平然とそこに立っていた。

 

「まあまあ、インディア政府の決定には口出しできませんよ。ましてや今回は彼らも自衛のためにやったんですから……あ、そーだ!」

 

 何かを思い出したように青葉はペンを胸ポケットに戻し、空いた右手でポケットをまさぐる。

 

 普段なら何にも感じないであろうその一挙一動が、今は癪に触って仕方がない。

 

「どうですか一服? まずは血圧を下げませんと」

 

 取り出されたのは煙草のケースであった。恐らくは加賀の購買部(PX)ででも手に入れたのだろう。銘柄は軍配給品のそれであった。

 とんだ場違いな気遣いに、呆れ声も出ない。

 

「私、吸わないんだけど」

 

「あれぇそうでしたっけ。すみませんてっきり吸うものかと記憶してましたよ……まあそれならいいんです。青葉は今のインディア政府の決定を踏まえたうえで中尉にお聞きしたいことがあるのです」

 

 加藤は答えず、じっと青葉を見つめる。それは無言の拒絶であるつもりだったのだが、相手が記者ではそれは伝わらない。

 

「インディア政府の強硬姿勢は、そもそもウルディスタン・インディア両政府のカシミール地方における領有権、そしてインダス水系水利用権をめぐる根の深い対立が原因です。そして、難民に紛れた過激派が発見された以上はインディア政府は恐らく引き下がれない。国境封鎖は当面続くでしょう」

 

 印度亜大陸に存在する国家、インディア帝国とウルディスタン共和国。両国はかつてのブリタニア帝国から独立し、宗教や利権、様々な問題で対立してきた。

 その不仲は未だ解消せず、両国ともに人類連合軍に積極参加することはなかった。そしてそれで良かったのだ。独立の体裁を保っていると言っても両国ともに一応はブリタニアを宗主に仰ぐブリタニア連邦の一員。それは制御された対立であった。それで良かったのだ。その対立が全面戦争にさえならなければ良かったのだ。

 

 そう、中東が戦場となるまでは。

 

「人類連合は、恐らくはこの事態をどうしようもできない。なんせ今のインディアはネウロイの進出による欧州企業の撤退、それが招いた絶望的な不況からくる国民の不満を『外敵(ウルディスタン)との対立』という茶番劇で誤魔化している状況ですし、今となってはリベリオン軍が介入したってウルディスタンは間に合わない。ブリタニア連邦は、言うまでもなく中立の立場。両国が仲直りするまでは動きません」

 

 そんなことは、言われずとも分かっている。だから加藤は動かなかった。国際教養をひけらかすかのようにペラペラ喋る彼女(あおば)が次に何を言うか、それをじっと待つ。

 

「そのうえで、ですよ。あなたの上司はどう動くか、中尉はどうお考えですか?」

 

 その問いを聞いたとき、頭に浮かんだのは数分前のこと。

 

『米川は、強いぞ』

 

 そんな石川大佐の言葉が脳裏をよぎる。

 

「私の一存で答えていいのかしら?」

 

「そうじゃなければ、あなたには聞きませんよ」

 

 そう言われ、逡巡。そうだ。大佐は、あの人は――――

 

「……飛ぶ、でしょうね。ほぼ間違いなく」

 

 それも、部下(よねかわ)と一緒に。

 

「その答えが聞きたかった。人類連合は動けないというのに、石川大佐は飛ぼうとしていらっしゃる。たとえそれが、独断行動であったとしても」

 

 断定的な口調、どこか誹るような響きすら含まれた単語の一つ一つ。これまで目の前の記者が見せたことがないような文字列の連なりが、彼女に全く異なるヴェールを被せていく。

 それが、加藤の中での仮定を確信へと変えた。

 

「ねぇ新発田記者。今度は私から質問してもいいかな?」

 

「ええもちろん。記者という生き物は聞き上手でもありますので」

 

「じゃあ遠慮なく――――その服の下に隠した拳銃。誰に貰ったの?」

 

 亜熱帯のインディアでは誰もが軽装。故に青葉だって軽装。当然、吊ったショルダーホルスターは浮かんで見える。

 

「え、あぁーこれですか? あちゃーバレちゃいましたかー。護身用ですよ護身用。爆弾テロが起きるような国でしょう? 痴漢に強姦、恐ろしいものはいくらでもあります。青葉だって『おんなのこ』ですからねー」

 

「従軍記者は一切の武器を持たないのが常識よ。それに、あんたの荷物には武器の類は含まれてないしあんたに武器を貸し出すアホは扶桑海軍(ウチ)にはいない……というか見せびらかしてるでしょ。歩き方だってそう、昨日と比べて、重心の位置が違うよね」

 

 親指の付け根に重心を常に合わせる動き。それは陸軍の歩兵部隊では必須で叩き込まれる動きだ。少なくとも一般人はそんな動きはしないはずだ。

 

「ましてや昨日までアンタはそんな歩き方はしてなかった。ねぇ青葉、()()()()()()()()()()()?」

 

 青葉が口角を吊り上げる。まさにそれは、彼女(あおば)()()()()()であった。

 

「……やっと名前で呼んでくれましたね」

 

「嬉しいでしょ? じゃあ質問に答えてもらおうか」

 

「別に答えてもいいにはいいんですけど。この後の会話がつまらなくなっちゃいますよ?」

 

「別に会話を楽しもうって気はないんだけど」

 

「えぇ~いいじゃあないですかぁ。前線なんてロクな娯楽もないんですし……ですがまあご安心ください。別に青葉は加藤中尉の敵ではありませんし、ましてや石川大佐、203空の敵という訳でもありません。この拳銃だって、護身用というのは事実ですし」

 

 そう言いながら堂々と拳銃を取り出す青葉、咄嗟に得物に手が伸びる加藤であったが、加藤の銃が青葉に向けられる頃には青葉は銃身を握って(グリップ)を差しだしていた。武装解除のそれである。

 

「やだなぁ青葉全然信頼されてないんですねぇ」

 

「そりゃそうでしょ。これは預からせてもらうわよ」

 

「えぇどうぞどうぞ。そのために差し出しているんですから」

 

 手を伸ばし、微動だにしない青葉を睨んでからその拳銃を取り上げる。奇しくもそれは加藤のと同型であった。まあ扶桑海軍ではままある型式なのだが、問題はそこではない。

 

「……なるほど。そういうことか」

 

「その魔眼が健在なようで何よりです……。ほら、答えを言うよりも面白かったでしょう?」

 

 青葉は再び微笑む。それから両手を広げて見せる。

 

「で、そろそろ()()、降ろしてもらっても?」

 

 青葉が顎で示すのは加藤が構えた拳銃だ。対する加藤は銃は突き付けたまま。

 

「これだけじゃなんの証拠にもならないからね」

 

「それは残念ですねぇ。でもまあ、別にあなたにお願いしたいことは至極簡単なことですから」

 

「銃を向けられながら『お願い』をするの?」

 

「ええ。だって青葉がお願いしなくたって中尉はそれを為してくれるでしょうからね――――中尉。軍人であってください。人類の矛は折れてはならないのです」

 

「……」

 

「貴女は矛の守り人であってください。国家が退いても兵士が退いてはならないなんて道理はない」

 

 退かない、いや()()()()()()()()()退()()()()()()()()()()をどうか連れ帰ってください。

 

 

 その為に青葉(わたし)はいるのです。

 

 

 いつ落ちるとも知れぬ撃鉄を前にしても彼女は動じてなどいなかった。ただひたむきに立ちはだかる様に。ただそこに在った。

 加藤はついに、その拳銃を腰に収めた。

 

「ひとまず話を聞かせてもらおうじゃない青葉。あんたの上司……いいえ、依頼人(クライアント)様がなにを考えているか」

 

「それがいい選択です。それじゃお近づきの印に……」

 

 青葉が再びポケットから煙草のケースを取り出した。一振りすれば白の安い紙煙草が半分ほど飛び出す。

 

「お久しぶりです加藤()()。一服如何ですか?」

 

 これは狼煙だ。こんな安物だというのに狼煙なのだと加藤は感じた。いや思い出したといった方が適当か。

 帰って来るのだ、あの祖国から遠く離れた地での名誉が屈辱が青春が。それが全部帰って来るのだ。

 

「貰うわよ」

 

「火もどうぞ」

 

 半ばひったくる様に煙草を受け取り、火を貰う。後送された時に味わった屈辱の味は、二十年越しの今日も健在だ。

 

 

 中東が、加藤の中に帰って来た。

 



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تھوڑا سا باقی امن پہلا حصہ

Chap3-3-1 "Slightly remaining peace"


 蝉が鳴いていた。

 

 平年越えの太陽が地を焼き、アスファルトを焼き、コンクリートを焼く。それに加えて自動車やエアコンの排気まで加わって来るのだから溜まったものでは無いというもの。

 

「コード・ボルケニックアッシュを発動しろだと?」

 

『ええ、そうです。()()はまだ噴火の兆候こそありませんが、住民の避難が済んでいるとあってはもう防ぎようがありません』

 

 その暑さは二重窓程度なら容易に突き破ってくる。ことさら、冷房の効きが悪い欠陥部屋となってはなおさらだ。

 

「防ぎようがない? チャトラパティ・シヴァージー国際空港なら問題ないといっていたではないか」

 

『本来ならば問題はなかったんですがね……インディア政府の発表はご存じかと思いますが』

 

「それは聞いている。だからこそ、桜島だってそうそう踏み切らないはずだ」

 

 いまさら言うまでもないだろうが、ここにおいて「桜島」というのは鹿児島にある活火山のことではない。それは彼らが今最も関心を寄せる対象であり、また本来ならば電話の相手が全てを片付ける手筈になっていた……いや、本当に手筈通りに事が運んだのならば電話の相手すら動かなかったはずのこと。

 

『逆ですよ。桜島を止める因子は増えましたが、問題はそれ以上に大切な枷が無くなってしまったのです』

 

「……司令部の編成についてのこちらの書類はもう整っている。もう一日あれば、完璧とは言えないが体制は整うんだぞ。それを、まだ何も起きていないのに発動とは、話が違うじゃないか」

 

 苛立ちが混ざる声で返しつつ。視線を窓外の樹木から後ろに移す。そこには数名の影。椅子に座ったり直立のまま情報端末を見つめていたりと様々だが、いずれも服装だけは揃えられていた。

 扶桑皇国海軍の略式夏服。太陽と海に挟まれたなら輝かんばかりの純白も、この蒸し暑い室内では淀んだ白に見える。

 

 受話器を握った海軍軍人は、その部屋に座る一人へと目配せ。その間にも、受話器の先は地球の裏側から送られてくる相手の声を再現し続けた。

 

『今回は不幸であったのです。ウルディスタン人による爆弾テロは全くの想定外、それに伴うチャトラパティ・シヴァージー国際空港の封鎖。結果として民間機に埋め尽くされていなければならない滑走路(みち)は開かれてしまった』

 

 とにかく今は、時間を稼ぐことが最優先です。どのみちボルケニックアッシュは、桜島が噴火してしまってからでは発動できないのですから。電話の相手はそう括ると沈黙。どうやら肯定以外の返事を聞くつもりはないらしい。

 

「……」

 

 ここで肯定を返せば、直ちにコード・ボルケニックアッシュは発動されることであろう。自作自演の大茶番、前座にもならない劇が始まるのである。

 目線を横へ。おもむろに頷く一つの影。

 

「いいだろう。コード・ボルケニックアッシュを発動する」

 

『実行させて頂きます。それでは失礼』

 

 それだけ言って通話は切れる。部屋の誰もが耳に伸ばしていたイヤホンを外す。

 

「よろしい。では始めよう。空技廠に連絡を取れ、各員手筈通りに」

 

 号令が響く。部屋の誰もが各々の荷物と役割を担いながら部屋を出る。たちまち部屋はがらんどうに。残されたのは蝉の声、効きの悪い空調。そして二人。

 

「……よろしかったのですか。閣下」

 

 既に賽は投げられた。これより事態は彼らの手を離れ、母国より遠く離れた地にて全てが決まることであろう。それがどのような結末になったとしても、それを拒むことは出来ないのだ。

 

「百年兵を養うは一日これを用いんがためである……君だって聞いたことはあるだろう」

 

 最も、最近は兵を用いてばかりだが。そう付け加えつつも男が立ち上がる。部屋に飾られるのは扶桑国旗と海軍旗。窓のない壁を飾るのは世界地図。

 

「兵は、養わなければならない。ただそれを用いるために養わなければならない。軍人はそのようにして養われるべき存在だ。養うことは軍人の仕事ではない。それが悲しいかな、我々は政治家にでもなったのだろうか」

 

 兵を用いるのは将軍ではない。将軍とは兵の長であるだけで、(まつりごと)の長ではない。それは政治家の仕事であるはずだ。

 

「政治家ではないでしょう。私たちは軍人です」

 

「そうだ。政治家ではない。我々は政治家であってはならないのだ……我々は扶桑皇国の軍人だ。扶桑皇国の軍人は、等しく皇帝の元に養われ、そしてその意思において戦わねばならん」

 

 それは傲慢と呼ばれるべきであろうか。現代の扶桑軍は決して皇帝の意思などという着飾られたものによって運用されるわけではない。行政の長が命じ、必要だからと駆り出されるものである。

 

「まあ、この際理想論は置いておくとして、我々は必要とされるから存在するのだ。その意義や居場所を自らの手で作ることは許されない」

 

 仮にも軍人という立場で政治を転がそうとする輩がいるのならば、身内の恥は自らで収めねばならん。そう言い切る彼が視線を注ぐのは、果たしてその世界地図のどこなのか。

 

「例え、閣下が同じ轍を踏むとしてもですか」

 

「そうだ。だからこそ道を外した私はこの後に淘汰される。同じ軍人である、そう君や君の仲間にだ」

 

 そう顔を向ける彼の表情は、酷く穏やかであった。

 

「私などは所詮老骨、今更なんの役にも立ちはしない。だからこそ、この身を挺して守るべき若者がいる。そのために道を外せるのならば、それは素晴らしいことだと思わないかね?」

 

 言うならばこれは最後の奉公とでも言おうか。そんなつもりはないだろうに、そう言い切ってしまう彼の顔の顔は本当に分厚いのであろう。軍組織の最高位に間もなく手を掛けようとする人間の発言とは思えないほどの愚かな(わかい)台詞を、彼は言ってのけたのである。

 

 とんでもない狸だ。だからこそ、まだついて行く価値がある。彼の奥底がいかに淀んでいようとも、そんなことは知ったことではない。

 

「インディア軍に連絡を取る、繋いでくれ」

 

 

 

 これは、国家の恥だ。皇国2700年の歴史を傷つける大いなる恥であろう。

 

 蝉が鳴く、その耳障りな音が反響する。送話器を机に置いた男は地球の裏側、顔も知らぬ同胞に思いを馳せる。

 真夏の陽は全てを塗りつぶすように、ただ輝き続けていた。

 

 

 

「帰ってこい若鷲、お前の戦場は――――――――そこじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 壊れかけのエアコンは嫌な音を立ててまわっている。熱帯気候に属するムンバイはエアコンがなければ寝られたものではないが、エアコンの音のせいで寝られないのはどうなんだろうと思う。

 

「……そのせいだけじゃないのは、知ってるんだけどな」

 

 米川ひとみはそう呟いて、ごろりと寝返りをうった。

 

 寝返りをうてば見えるのは部屋にあるもう一つのベッド。毛布の塊が規則正しく上下しているところを見ると、大村のぞみは熟睡しているらしい。この状況で眠れるのは正直すごいと、素直に思う。

 

 そんなすごい同僚の方に、手を伸ばしてみる。シングルの狭いベッドから手が伸びる。ベッドとベッドの間に手が浮くが、向こうには届かなかった。手を戻す。小さな手。それがなぜかたまらなく嫌なものに思えた。

 

「……弱い、なあ、わたし」

 

 口にしてから、慌てて耳を塞いだ。言うんじゃなかった。そう思っても遅い。エアコンの音がくぐもった音になっただけだ。その耳障りな音に自分の言葉の残響が乗っかっただけだった。

 背中が冷たい。汗が冷えたらしい。いつの間にか毛布を蹴飛ばしていたようだ。

 

「……先輩」

 

 名前を呼んでみる。物音はしない。これで「夜中にうっさい」とか、「寝るのも任務のうちでしょーが米川」とか言ってくれればよかったのに

 

 怒られたかった、といったら、怒られるだろうか。

 

 そんなことを考えている間にも時間が過ぎている。いけない。寝ないといけない。眠れる気がしない。目をつぶれば頭の中の秒針がコチコチと早く寝ろとうるさく音を立てる。

 

 

 寝られるわけがない。

 

 

 もそりと体を起こした。持ってきた荷物を開ける。チャイナドレスは無視。その影に忍ばせていたノートを数冊と一応筆記用具を持って外に出る。外に出るときは防弾ジャケットを着ていけと石川大佐から言われているのを思い出したが置いて行くことにした。どうせこのホテルの中から出ないのだ。

 

 廊下は薄暗い蛍光灯に照らされていた。このワンフロアは203空の面々と隊付整備班で貸し切りだと聞いていた。非常口やエレベーターの前には警備兵が立っている。ひとみの姿を見て敬礼してくる。寝間着姿で階級章なんてつけていないのに、向こうから敬礼してくるのに少し驚きながら答礼。その手が重い。寝ぼけているせいだと思いたい。

 

 自動販売機と簡単なベンチのあるスペースに入る。鉄格子に閉じ込められたベンディングマシーンというのはひとみからすればかなり奇異に見えるが、こんなものなのかもしれない。硬貨があれば買えるが、財布は部屋に置いてきた。そもそも財布には扶桑円と米ドルが少々しか入っていないから買えないのだが。

 

 ベンチに座る。ベンチが抗議するように啼く。

 

「……なにやってるんだろう、わたし」

 

 モルタル製の壁は妙に暖かかった。インディアの気候は壁まで暖めてしまうらしい。少し期待外れな展開を感じつつも持ってきたノートを開く。

 

 中にあるのは、ひとみよりも力強く、それでいて、几帳面な、文字の羅列。

 

 それを指でなぞる。飛行脚整備演習Ⅰ第3章§2『低バイパス魔導エンジンの特徴とその整備性』と書かれたそのページをゆっくりと指でなぞりながら、読み込んでいく。

 

「……ひとみちゃんは勉強?」

 

「あ……ティティちゃん」

 

 不意に掛けられた声に顔を上げると、見知った顔があった。ひとみよりも幾分背が高いメイビス ”ティティ” ゴールドスミス少尉だ。

 

「ううん、寝られなくて、ぼーっと読んでただけ。ティティちゃんは?」

 

「私もそんな感じ。だからオレンジジュースでも飲もうかなって」

 

 そう言ってティティは自販機にコインを投入して小さな瓶のオレンジジュースを買っていた。王冠をはじき飛ばしたティティがひとみの横に座る。またベンチが抗議するように啼いた。

 

「……」

 

 どちらも話す切欠を失ってしまったかのように、少し重たい沈黙が落ちた。ここもエアコンの音がうるさい。盛大に機械音を響かせるのがインディアの冷房の標準装備らしい。

 

「……ひとみちゃん」

 

「なに?」

 

「……あれは、ひとみちゃんのせいじゃないよ」

 

 勇気を出して言い切った、という感じのティティがひとみを見ていた。それがどこかおかしくて、笑おうと思ったのに、笑えない。

 

「うん、そうかも……」

 

「だから気にすること、ないよ……ひとみちゃん?」

 

 ひとみの手がノートをなぞっているのを見て、ティティはゆっくりと名前を呼んだ。

 

「わたし、ね。501に入りたいって思ってたの」

 

 ひとみが訥々と言葉を紡ぐ。

 

「わたしは、空が大好きだったの。お父さんが航空マニアで、近くに飛行場があって、たまたまそこでイベントをやってて、……初めて、ウィッチを見たの」

 

 ティティは黙って聞いている。ひとみはノートのページをめくる。

 

「お父さんはデモフライトがどのコースを飛ぶか知ってたみたいで、飛行場じゃなくて近くの丘に連れてってくれて、わたしの真上、本当に手が届きそうなところをウィッチのお姉さんが飛んでいくのを見て、わたしも、航空ウィッチになろうって決めたの」

 

「ステキな思い出だね」

 

「うん、大切な思い出。それからいっぱいウィッチについて調べて、魔力トレーニングもして、使い魔の茶々丸と会って、魔法が使えるようになって、勉強して……夢が叶いそうって思ってた」

 

 その言葉の全部が過去形だ。それに気がついたティティは何も言えなくなってしまった。

 

「ウィッチになれば、空を飛べる。だけど、空を飛ぶだけじゃ、何も変らないって、分かってたはずなのに。見ないふりをして。501で活躍したいなんて、私のことしか、見えてなかったんだなって……」

 

「ひとみちゃん……」

 

 几帳面な字の上に滴が落ちる。

 

「助けたかったんだよ。守りたかったんだよ。でも……」

 

 あのときのことがリフレインする。爆発の熱とスプリンクラーの水の冷たさ。何を言っているのかは分からないけど、怒っていることはわかる怒声、シールド越しに見た振り下ろされるハンドバッグ、小銃を抱えてやってくる治安維持部隊、恐怖に染まる難民の人たち。

 

「ティティちゃん」

 

「なに……?」

 

「間違ってた、かな……?」

 

 ソレを絞り出すだけで精一杯だった。ひとみの目がぎゅっと閉じられる。パタパタと音をたて、ノートとその上で握り込まれたひとみの手に人肌の滴が降る。

 

「空を飛びたいから、ウィッチになるのは、間違いだったのかな……!」

 

 彼女の言葉は止まらない。自分で(せき)を叩き切ってしまったのか、言葉の奔流があふれ出す。

 

「でも、もう止まれないよ。みんなに応援してもらって、送り出してもらって、エースパイロットなんて呼ばれて……もう、戻れないよ……! 誰かを傷つけて、守るなんてできなくて……!」

 

 ティティはとっさに否定しようと口を開くが、言葉が出てこない。安易な言葉じゃ、届かない。そんなことないといっても、大丈夫と言っても、きっと言葉は腐って彼女には届かない。それでも、彼女にはつたえなければ。何も言えないのは、いやだ。

 

 息を吐く。その息が震えていた。私まで、泣くな。

 

「……ひとみちゃん」

 

 ゆっくりと彼女の手に触れる。ひとみの手はティティよりも暖かかった。

 

「ひとみちゃんが、間違ってるって思うなら、きっとそれは、間違いなんだと思う。でも、私はそれでいいと思うよ」

 

「え……?」

 

「私ね、ウィッチになるつもりも、軍に入る気もなかったの」

 

 そう言ってティティは笑う。笑えと自分に言い聞かせ、笑う。

 

「使い魔と契約したのが、実家の納屋で、魔法のマの字も知らないまま、暴走しちゃって……1年分の干し草ごと納屋を燃やしちゃって……、それから寄宿舎付の魔法学校に強制転入、あれよあれよという間に軍からの招集がかかって、訳も分からないまま、ここまで来ちゃって……」

 

 天井を見上げてティティは笑う。

 

「私が軍でなんて呼ばれてるか、知ってる?」

 

 ひとみがゆっくりと首を横に振った。

 

利かん坊のメイヴィ(アンタッチャブル・メイヴィ)とか放火魔(パイロマニア)とか、言いたい放題。まあアンタッチャブルなのはアルコールで大暴走したせいでもあるんだけど、放火魔は私の力のせいで。……殲滅戦に単騎投入ぐらいしか使い道がないって言われてたんだ」

 

 ひとみが黙りこくっている。

 

「近づいたら殺されるとか、僚機殺し候補生とか、周りには誰も友達だって言ってくれる人は居なかったんだ。ひとみちゃんが初めてなんだよ? 私のこと怖がらずに来てくれて、能力のこと知っても一緒にいてくれたの、ひとみちゃんが初めてなんだ」

 

 そう言ってひとみの手を包んでいた右手をするりと持ち上げ、頬にそっと触れた。

 

「ひとみちゃんは、優しくて、強くて、誰かを助けて救える人だよ。私はそれを知ってるよ。そんなひとみちゃんを、主がお見捨てになるはずがありません」

 

 親指でそっと涙の後を拭う。

 

 ティティはひとみがきっとこのまま自分を押し込めて、地獄行きの階段を降りていくような、そんな嫌な気配を感じてしまっていた。それは思い過ごしだと信じていたい。

 

「ひとみちゃんは、空を飛んでいたい?」

 

 思わずといった雰囲気で、ひとみが頷く。それを見て、ティティはそのまま彼女を抱き留めた。

 

「なら、きっと大丈夫。絶対大丈夫。石川大佐も、のぞみさんも味方だよ。頼りないかもだけど、私もついてる。」

 

「頼りなくなんて、ないよ……」

 

 涙混じりの声が耳元から聞こえる。ひとみの頭を撫でながらティティも目を閉じる。

 

「優しいね、ひとみちゃん。きっと大丈夫。みんなが居るから、ひとりじゃないから、大丈夫だよ」

 

 作戦が実施になるのかどうかはわからない。それでも、いつ出撃要請がきてもおかしくない。。

 

 うまくいくかわからない。ネウロイだけじゃない。だれが味方で誰が敵になるのか分からない戦場が、きっとすぐ目の前まで迫っている。

 

 それでもなんとかなると信じることくらい、許されるはずだ。

 

「それでも、もしダメだったときは、いっしょに二人で泣こう?」

 

 間が開いて、こくりと頷く気配。それを感じても、ティティはしばらく彼女を抱きしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……杞憂、だったかなぁ」

 

 自販機コーナーの灯を遠くで見つつ、大村のぞみはため息をついた。

 

「まったく、戦闘隊長というのは大変だな、大村」

 

「そういう石川さんこそでしょう」

 

 のぞみにそう言われ、無表情で肩をすくめる石川大佐。203空の司令官。のぞみは小さく笑う。

 

「米川はショックを受けてましたからね。ここで飛行不能になられると困るんで少し発破かけとこうかと思ったんですが、米川にはティティ方式が有効らしいです。小官にはわかりませんが」

 

「大村式教導術だけが有効というわけではないようだな」

 

 石川大佐に茶化され、のぞみは少し驚いた表情。

 

「なんだ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

 

「あ、いえ、何でもありません」

 

「俺だって四六時中気を張っているわけではないのでな……もっとも、気を張らねばならない状況がもうすぐそこまで来ているが、な」

 

 その言葉にのぞみはわずかに目を細めた。

 

「ウルディスタンの情勢ですか。急変しました?」

 

「依然変化無し、だ」

 

「つまり相も変わらず最悪、と」

 

 ウルディスタン共和国。インダス河流域をその版図とする国家は、今や風前の灯火だ。203空……第203統合戦闘航空団のムンバイ展開には無論その情勢が関わっているのだが、しかし多国籍軍とは簡単に動けるものではない。

 

「そういうことだ。だが大きな問題の追加があってな」

 

「大きな問題?」

 

「F-35の扶桑ロットに電子攻撃があった、修正パッチが上がるまで飛行禁止だ」

 

「はぁっ!? なんですかそれ!?」

 

 のぞみの驚いた声が廊下中に響き渡る。自販機コーナーから「ひゃっ!?」と「ふぇっ!?」と二つの小さな叫び声が出る。怒声を至近距離で聞いた石川大佐が片耳を押さえる。

 

「……大村、いちいちリアクションがでかいのはなんとかならないのか」

 

「のぞみ先輩、ど、どうしたんですか……?」

 

「石川大佐、お疲れさまです。寝間着で失礼しました……」

 

 おずおずと顔を出したひとみと、石川大佐が居ることを認めて慌てて敬礼をしたティティに、石川大佐が少し目を伏せてから答礼を返した。

 

「それで、石川大佐、F-35の飛行禁止ってどういうことですか」

 

「えぇっ!?」

 

 ひとみが驚いたような声を上げる。それに応じるようにどこかの壁越しから「うるさいのよ! 眠れないじゃない!」「そういうあんたの方こそうるせーでごぜーますリベリアン! 同室で絶叫するなっ!」などの叫び声が返ってくる。

 こうなるからめんどくさいんだ、と呟きながら石川大佐は頭を掻いた。

 

「何らかの電子攻撃を受けたらしいというのは分かっているが詳細は不明だ。扶桑本国で対応中。対応パッチが上がるまでは飛行は無期限で停止される」

 

「そんな……じゃぁ、私は飛べないってことですか?」

 

「ポクルィシュキン中尉がいるでしょう。彼女がいれば一発では?」

 

 のぞみの声に石川大佐が首を横に振った。

 

「オラーシャ軍人に扶桑の軍事機密の塊であるF-35のブラックボックスを意図的に触れさせる気か。それこそ、ポクルィシュキン中尉がスパイ容疑で検挙されるぞ」

 

「じゃ、じゃぁ……どうするんですか?」

 

 不安そうなひとみの声に石川大佐は彼女の方を見る。

 

「現在代替機を用意中だ。慣れないストライカーでの飛行となるが、米川のF-35Aへの適応速度を見るに十分対応可能だろう。大村も十分に乗りこなせるものと考えている」

 

「代替機……別の機体、ですか?」

 

 米川の声に石川大佐は頷いて答える。

 

「それの手配ができるまでは飛行訓練も無しだ。現地順応訓練の期間としてはちょうどいい。息抜きでもしてくるといい」

 

 米川の頭をぽんと撫で、石川大佐が背を向ける。不安げな顔でのぞみを見上げるひとみ。

 

「わ、わたしたち、どうなるんでしょう……?」

 

「さぁ。……でも一筋縄ではいかないみたいね」

 



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تھوڑا سا باقی امن دوسرا حصہ

Chap3-3-2 "Slightly remaining peace"


「そういえば、今更なんだけどさ」

 

 今朝のブリーフィングが『本日は現地順応に務めることとする。解散』と、三秒で終了してしまったので手持ち無沙汰になっていたのぞみが、ティティの方をみて声をかけた。

 

「なんですか?」

 

「どうしてあんたティティって呼んで欲しいわけ? あんたの名前メイビスでしょ? ティティの要素全くないわけだし、機体を下りてもTACネームで呼ばせるのってなにか理由があるわけ?」

 

「あー……」

 

 話題を振られたティティこと、メイビス・ゴールドスミスが曖昧な笑みを浮かべた。

 飛行隊の全員がそろっているここは、203空が借り受けているインディア航空の整備場の休憩室。ものすごく軋むパイプ椅子をぎしりと言わせて体を反らし、会話を視界に捉えたアレクシア・“フープラ”・ブラシウが会話に割り込んだ。

 

「そりゃぁあれでしょ。デカオッパイ(ティティース)っていうのの自慢でしょ?」

 

「違いますっ! 元ネタがあるってアレックスちゃんには説明しましたよね!?」

 

 既に涙目になりそうなティティ。その横で首を傾げたのは米川ひとみである。

 

「えっと、ティティちゃんの元ネタって……」

 

「『子ネズミティティと子ネズミタティ』なんだけど……知ってる?」

 

 同時に全員の首が横に振られた。それにがっくりと肩を落すティティ。

 

「ブリタニアのおとぎ話なんだけど……」

 

 そう言ってティティは目を閉じた。

 

「子ネズミティティと子ネズミタティ おんなじ家にくらしてた ティティはタティにものを貸し タティはティティにものを貸す ふたりはなんでも半分こ」

 

 どうやらティティは暗記しているらしく、さらさらと流れる声を皆で追いかける。

 

「子ネズミティティはタティへと、とんがり帽子のお耳をかした。こネズミタティはティティから とんがり帽子のお耳をかりた だからふたりは半分こ」

 

 童話なのもあって英文自体は簡単だ。頭の中に浮かぶのはとんがり帽子のお耳をつける三等身ぐらいのティティである。ひとみは勝手にタティ枠に自分を当てはめて二人で帽子交換だ。

 

「ティティがプディング作ってね タティもプディング作ってね ティティはお鍋にプディング入れて ポッドのお湯を注いだの」

 

「かわいいお話ですねぇ……」

 

 ひとみがそう言って笑う。絵本を読んでるティティちゃんとかかわいいんだろうなぁとか思いながら話を聞く。この話みたいに今度二人でお料理とかしたら楽しそうだなぁ……

 

「子ネズミティティは転がり落ちて お鍋のお湯で大やけど」

 

「えっ?」

 

 ひとみはいきなりの急展開に目を白黒させているが待ってくれない。開始30秒も経たずに当のティティが鍋で釜ゆでの刑である。

 

「子ネズミタティは泣き出した 三本足のいすが言う『どうしてタティは泣いてるの』

『それはね』タティは答えたの『子ネズミティティが死んじゃった。だから私は泣いてるの』 『それならぼくが跳ねましょう』 答えたいすはぴょんぴょんと 三本足で飛び回る」

 

「救済もなく死んじゃったよ……」

 

 のぞみがそう言うもティティには聞こえてないらしい。話がドンドン奇っ怪な方に進む。イスが飛び跳ね、箒が踊り、ドアがギシギシ、窓がガタガタいうのはまだ良い。それでもクルミの木は枯れ果て、鳥は自らの羽を毟り取り、通りすがりの少女は兄妹のためのミルクをひっくり返し、それを見たおじいさんが飛び降り自殺で死ぬのはやりすぎじゃないだろうか。

 

「そして倒れたクルミの木、タティも丸ごと押し潰し、みんながみんなぺしゃんこに……っていう話なんだけど」

 

「それを聞かされて私はどう反応すればいいか教えてください」

 

 素で突っ込んだのぞみ、ティティは不満げだ。

 

「言葉遊びが楽しいお話ですから内容考えたら負けです。本当はタティがよかったんですが……」

 

「まぁ自分で丸裸になるまで羽を毟り取る小鳥に比べたらマシでやがりますが、なんでティティですだよ?」

 

 高夢華がそう言うと、ティティが笑った。

 

「えっと、私が魔女になったとき、納屋丸ごと爆散させた話ってしましたっけ?」

 

「なにそれこわい」

 

 レクシーが距離をとりつつそういった。それにムッとするティティ。

 

「固有魔法が固有魔法だったのと、魔力コントロールが甘かったのと、認識が甘かったのとで、使い魔と契約した時にいきなり暴走して……実家の納屋と1年分の干し草を一瞬で燃やし尽くしまして……」

 

「あぁ……だから大やけどで死んだティティなんだ……」

 

 えぇー、と言いたげなのぞみ。

 

「で、この話をしたアウストラリス空軍のリクルーターの先輩ウィッチがこのTACネームをつけてくれまして……ティティっていう響きが好きだったのと、一発で自分だと分ってもらえるので便利なんです」

 

「ついでにデカオッパイ(ティティース)でやがりますし」

 

「夢華ちゃんまでやめてくださいっ!」

 

 ニシシと笑う夢華にそう言ってティティが腕を振る。それにつられて揺れる二つの塊にひとみの目線が下がる。自分の体をぺたぺたと触るとなぜかちくりと胸が痛んだ。

 

「要は利便性の問題か……」

 

 そんなひとみにはお構いなしで腕を組みそう言ったのはのぞみだった。

 

「でもなんでメイビスって呼ばれたくないの?」

 

「枕詞に『きかん坊(アンタッチャブル)』がつくからです。ひとりぼっちにされてるみたいで寂しくなるんです」

 

「ひとりぼっちはさみしいもんな……」

 

 ずっと眠そうな顔で話を聞いていたコ―ニャことプラスコーヴィア・パーブロヴナ・ポクルィシュキン中尉が会話に参入。我が意を得たりとティティが微笑む

 

「ですねー」

 

「パルクール中尉、ジャパニメーションネタが誰にも通じると思わない方がいいわよ」

 

「Покрышкин」

 

 そんな会話をしている中、レクシーが片手を持ち上げひらひらと振った。

 

「ねぇ、ティティはティティでいいんだけどさ、扶桑組(フソーズ)二人はいつになった私達にTACネームを教えてくれるわけ?」

 

 秘密主義もいいけど疎外感を生むわよ、と言うレクシー。

 

「え、えっと……先輩。そういえばわたしたちってTACネーム決めてましたっけ?」

 

「ん? 私の名乗ってなかったっけ。私はハウンド(HOUND)だけど?」

 

「え、のぞみ先輩決まってるんですか?」

 

「嘘でしょ、米川TACネーム決まってなかったの?」

 

 互いが互いに驚きながら衝撃の事実が明らかになる。

 

 元々TACネームとは、戦闘機乗りがパイロット個人を呼び出す時に使用するあだ名のようなものだ。誰に傍受されているか分らない無線でパイロットの本名を叫ぶのは都合が悪いということもあり、TACネームを使うのだ。しかし、ウィッチにとってのTACネームというのは少しばかり特殊だ。

 ネウロイは人語を解さないというのが常識であり、人類共通の敵に一矢報いんとするウィッチは人類共通の盾で財産だ。したがって本来ならばTACネームがなくとも仕事はできる。実際にひとみがTACネームを持っていなかったのもこのためだ。

 慣例としてTACネームをつけるという理由もあるが、対人戦略が絡む戦場に投入される場合もあるため、戦線に参加する前にTACネームは確定させることが通例だ。

 

「そっか米川の場合、扶桑空軍の原隊に寄ることなく直接こっちに来たからTACネームで弄られる儀式が終わってないんだ……」

 

「ぎ、儀式ですか……?」

 

「そ、ろくでもないものをつけられる事が多いから覚悟しておくように、石川大佐のセンスが常識的であることを祈れ」

 

 私なんて使い魔が紀州犬(イヌ)だからそのまま狩猟犬(ハウンド)よ? 雑すぎにもほどがあるっての。

 

「え、えぇ……」

 

 ひとみが困惑しながらそういうとのぞみの顔がくるりと別の方向を向いた。

 

「そういやゆめか」

 

「モンファ」

 

「あんたのTACネームってどうなってんの?」

 

窮奇(QUIONGQI)でやがりますが?」

 

「なにそれ。キョンシーの仲間?」

 

「誰が生ける屍(キョンシー)でやがりますか、チョンギー、カマイタチの仲間でやがります」

 

 夢華が不満そうにそう言う。それを聞いて頭の上で手を組んだのはレクシーだ。

 

「無駄にすばしっこいアンタにはぴったりよ」

 

「無駄にとは失礼でやがりますね。あんたらが鈍重なだけでしょうが」

 

「なにおうっ!」

 

「やんのかコラ。表にでやがりください」

 

 一触即発な雰囲気の二人におろおろするひとみ。周りの面々は慣れた様子だ。無視するようにして、コー二ャが声をかけた。

 

「ひとみ、ひとみはTACネームはどういうのがいいとか、あるの?」

 

「うーん、そういえば考えたことないかも」

 

 腕を組むひとみ。どういうのが似合うのだろう。

 

「あんまり強そうなのは自分でも似合わないだろうなって思います」

 

「それは……うん。そうかも」

 

「あっさり断言されるとそれはそれで悲しいなぁ……」

 

 ひとみは方を落としつつ、そんなことを言う。

 

「そうねぇ……セルフィッシュなんてどうよ?」

 

「のぞみ、ひとみはわがまま(セルフィッシュ)の対極だと思う」

 

「やだなぁポットラックパーティー中尉。こういうのは皮肉が重要なのだよ」

 

「Покрышкин」

 

 律儀にもちゃんとそう返すコーニャ。その様子にいたずらっ子の笑みを浮かべたのは夢華だった。

 

「ならコーニャはなにがぴったりだと思うますか」

 

「……レッドキャップ」

 

「ものすっ……ごく物騒なゴブリンきたよこれ」

 

 話が見えていないひとみが首をかしげる。のぞみが耳打ちすると戦いたような表情を浮かべた。

 

「そ、そんな血染めの帽子なんてもってないですよっ!」

 

「だーから皮肉だっていってるでしょうが米川」

 

 のぞみがそういって両手をパンパンと打ち鳴らし、皆の注目を集めた。

 

「はーい、それじゃぁ『米川ひとみ扶桑空軍少尉のTACネーム予想大会』はっじまっるよー!」

 

「えぇっ!?」

 

「みんなでろくでもないやつ考えるでやがりますか」

 

 至極楽しそうにそういって、夢華が右手を挙げた。

 

「はい、高夢華君早かった」

 

「こういうときだけちゃんと呼ぶんですね……」

 

 ティティの呟きを、当事者ふたりは無視。

 

「つるぺた!」

 

「もんふぁちゃんさすがに怒るよ!」

 

 もんふぁちゃんだけには言われたくないっ! と両手をブンブン振って猛抗議するひとみ。それを見てゲラゲラと笑うレクシー。

 

「じゃぁ私ね」

 

「どうぞ、アレクシア・ブラシウ君」

 

「泣き虫」

 

「たしかに、泣いて、ばっかり、だけ、どぉ!」

 

 ひとみは飛び出さんとする感情を必死に押さえ込みながら遺憾の意を表明する。

 

 次から次へと飛び出す悪口の嵐に震え出すひとみ。実際さんざんである。

 

「なにか賑やかだね」

 

 そう言いながら入ってきたのはリベリオン海兵隊の整備員でレクシーの愛機、AV-8B++アドバンスド・ハリアーの機付長、ルーカス・ノーラン軍曹である。

 

「あれ、ルーク、なにしてんのよ。その大きな包みはあたしへのプレゼント?」

 

 ルーカスとの仲は彼氏彼女と自認するレクシーが真っ先に声を掛ける。彼女より先に声を掛けるととてもめんどくさいため、残りの面々はとりあえず会釈で済ませた。

 

「いや、加藤中尉からの預かり物、米川少尉への荷物だって。さっき、リベリオン(うち)の貨物便が持ってきたんだって」

 

「わたしですか?」

 

 なにか届けられるような荷物なんてあったっけ、と思いつつもひとみがそれを受け取る。

 

「だったら加藤中尉がくればいいじゃないの」

 

「加藤中尉は今トラブルシューティングで忙しいらしい。それにここに来ればアレックスにも会えるだろ?」

 

「まったく、ルークの本音はどうなんだか」

 

 言葉とは裏腹に砂糖を吐きそうな甘ったるい空気になっているレクシーとルーカスを無視して残りの面々が大きな段ボール箱を見る。天地無用やら上部積載禁止やらいくつも注意書きが張られた段ボールだった。

 

「確かにわたし宛だ……差出人は……え?」

 

 驚いた顔を浮かべるひとみに興味を持ったのか、後ろから夢華が覗き込んだ。

 

「Mitsuji YONEKAWA……あんたの知り合いかなにかであがりますか?」

 

「お父さん……」

 

「なに? 実家から仕送りか、いいねぇ」

 

 仕送りとは確かに珍しいし嬉しいが、このタイミングというのには正直「?」である。品目の「精密機械」というのも心当たりがない。

 

「とりあえず開けてみたら? 親御さんの贈り物ならヤバイものは入ってないでしょ。軍の検閲済みマークもあるんだし」

 

「そ、そうですね……」

 

 そういってひとみはごそごそと箱を開封。開けて目に飛び込んできたのは大量の緩衝材。箱の半分以上緩衝材じゃないだろうか。よっぽど壊したくなかったらしい。それを掻き分け強化プラスチック製のアタッシュケースを取り出す。箱に刻まれていたのはひとみにとっては見慣れた文字列だ。

 

「米川硝子の製品……なのかな」

 

 鍵がかかっているらしく、箱に貼り付けられていたビニール袋から鍵を取りだし、解錠。小気味良い音をたててバックルが跳ね上がり、天板を開く。

 

「これって……」

 

「どう見ても狙撃銃用のスコープよね。見たことないモデルだけど」

 

 ぴったりはまるようにセットされたウレタンフォームから顔を見せたのは、黒いつや消しのライフルスコープだった。スコープ本体からはいくつかコードも伸びており、スイッチ類が別についているのも見える。

 

 添付されていた手紙を手に取る。封はされていなかった。中にはどこかよれた便箋が入っていた。その文字列をひとみは目で追う。

 

 

 

 ひとみへ

 

 元気に飛んでいますか? 体調崩してないですか? 父さんは元気に過ごしています。母さんはひとみの様子が知りたいと、やっとスマートフォンを買いました。工場のみんなも元気です。休憩室の新聞の種類が増えました。昼休みにみんなで新聞をめくり、ひとみの記事を探すのが日課になりつつあります。

 軍の方からひとみがエースになって選抜射手として活躍していると聞きました。私たちからできることはないかと考えて、米川硝子の全員でひとみのためにスコープを作りました。ひとみ相手にセールスをしても仕方がないけれど、どこのスコープよりも高精度に仕上がってるはずです。替えのレンズやクリーニングキットも一通り同封しています。軍の方があきれるほど頑丈に作りました。思う存分使ってください。私たちがひとみの目になれるように、それでひとみが生きて帰ることができるように、それを願って作りました。

 私ができることは本当に少ないけれど、どんなことがあっても父さんも母さんも、じいちゃんたちも、米川硝子の全員もひとみのファンで、絶対の味方です。何かあったらすぐに頼りなさい。出張整備でも、会いたいだけでも、すぐにどこでもいきます。辛いときは連絡をください。母さんが電話の前で待っています。

 こんな手紙を書くのも、こんなことを話すのも柄じゃないとは思うけれど、もう少しだけ読んでください。

 父さんはレンズには命が宿ると信じています。眼鏡は目の不自由な人に光を届け、灯台のフレネルレンズは船の安全を守り、望遠鏡は見えないものを見せてくれます。そこには必ず助けたい、守りたい、知りたいと願った誰かの命が吹き込まれていると思っています。その願いを叶えるのが私たち米川硝子の使命だと思い、工場を続けてきました。このスコープはひとみが生き抜くための力になりたい私たちの命を全力で詰め込みました。だから、このスコープのレンズのなかに、私たちがいます。

 どんなときも、ひとみはひとりじゃない。私たちがついています。それを信じてください。

 きっと母さんがものすごい枚数の手紙を書くと思いますし、今回は工場のみんなの手紙もあります。だから短くこれくらいで。

 元気で、笑顔でいられることを心の底から願っています。

 

あなたの父親でファン一号、米川光司より

 

追伸 スコープのフレームとセフティシャッターは大村製造さんから技術提供を受けました。大村さんの娘さんも同じ部隊と聞いています。ひとみからもお礼を言っておいてください。

 

 

「……のぞみ先輩知ってたんですか?」

 

「まぁね。結婚記念日で父さんが母さんにいいカメラを送ろうとしてたからアドバイスしたぐらいよ。あと米川硝子のヨネックスレンズシリーズといえば灯台や望遠鏡用高精度大型レンズの世界最大手だからね。あんたぐらいよレンズ作ってるだけみたいに思ってるの」

 

「そ、そうだったんですね……」

 

 ひとみがどこか感慨深くそう言うと、半ばあきれたようにのぞみがため息をついた。

 

大村家(うち)経由の情報だけど、採算度外視でそれを作ってたみたいよ。超々ジュラルミンのフレームにうちのマイクロベアリングを使ったゼロイン調整機能。昼間は光ファイバで収集した自然光で、夜間はトリチウムで勝手に発光する照準線(レティクル)。ボタンひとつで6倍から12倍に倍率が一瞬で切り替わって照準用の計算尺も合わせて切り替わるとか正直正気の沙汰じゃないからね」

 

「はぁ……」

 

 なぜそこまでのぞみが知ってるのかが気になるところだが、説明をしてくれているのはありがたい。ウレタンフォームからその照準器を取り出してみる。対物レンズ側にはハニカム型のシールドがつけられていて、光の反射とレンズへの衝撃を緩和するようになっている。レンズを覗き込むと思ったよりクリアで明るい視界が手にはいる。薄いヘアクロスの照準線がオレンジ色に輝く。

 

「とんでもないのが、夜間戦闘時ネウロイのビームによる目潰し(オートムスカ)を防ぐセフティシャッターね。夜間にマウント部の光学センサが光量の急増を感知すると緊急で絞りを自動で全閉にしてくれる機能。これで何人分の眼球が死んだかわからない夜間狙撃も目が眩むぐらいで済むんだからありがたい代物よ。大村製造(うち)の狙撃銃用トライアル向けの虎の子だったんだからね。米川硝子の狙撃銃向けレンズの専売契約を条件に技術を提供したらしいんだけど……って聞いてないし」

 

 のぞみのスペック説明そっちのけでひとみはスコープを覗き混む。本体のノブはひとみでも操作しやすい。スムーズに動き、かちりと止まる。有線リモコンの裏側には固定用のネジ穴がある。どうやら銃の前床にとりつけ、構えたときに左の親指で操作するものらしい。スライドスイッチひとつで倍率が変更できるし、レティクルの色も緑とオレンジの切り替え式だ。もとからグラスデバイスの併用を想定しているらしく、計算尺の表示非表示も切り替えられるのはありがたい。コーニャからの情報提供を受けたときに左目で情報を見て右目はサイティングに集中できる。

 

「これすごい……!」

 

「そらそうよ。文字通り世界最先端の技術が結集されてるんだから。あんたのためのマシンなんだからね」

 

「わたしのための……マシン」

 

 手のなかの小さな機械。決して重くはないーーそれでもスコープとしてはかなり重たい部類なのだがーースコープをそっと抱き締める。

 

「少し……席をはずしてもいいですか?」

 

「どうぞ? ブリーフィングは終わってるわけだし、順応訓練に必要なんでしょ。ついでに段ボールも持っていきなさいな。ここに置いていかれても処分に困るから」

 

「はい……!」

 

 ひとみがそういってスコープを丁寧にケースに戻すと、休憩室を走り出る。抱えた段ボールが音をたてていたが、あれだけの緩衝材に包まれているのだ、問題はあるまい。

 

「泣きにいきやがりますか」

 

「そういう無粋なことを言わない。ゆめかちゃん」

 

「モンファっていってんでしょ」

 

 それには取り合わず、のぞみは優しい笑みを浮かべた。

 

「これで少しは元気を出してくれればいいんだけどね」

 

 のぞみが視線を送った先、もうひとみは走り去った後だった。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ホテルの部屋に走って戻り、段ボールを机に置いた。中から取り出したのは輪ゴムでまとめられた手紙の山だ。こちらには封がされている。一つ一つ開いては一文字一文字読んでいく。

 

 がんばれ、ひとりじゃない、応援している、大丈夫だ。その言葉たちに背中がすらりと伸びる気がした。工場のみんなや母さんたちは、この手紙でどれだけ救われた気がするか知っているだろうか。

 

「みんな、ごめんね……! わたし、がんばるから……あきらめないから」

 

 手にした紙の束にぱたりと水滴が落ちる。母親の几帳面な字が滲んで見える。

 

 あなたの戸惑いや悩みは、きっとまちがっていないはずです。迷ったあとの答えを信じて進んでください。その答えは正解じゃなくても、きっとまちがっていない。自分が信じられないときは私たちを信じてください。あなたは、まちがっていない。

 

 欧州行きに反対した母親の言葉。何度も消しゴムをかけた跡があるその便箋を持つ手が震えた。

 

「お母さん……!」

 

 このことで泣くのは、これで最後にしよう。そう決めた。飛ぶ理由を疑うのは、これで最後だ。私は一人で飛んでいるわけではないのだ。私の後ろにいる人たち、私を支えてくれる人と一緒に飛ぶのだ。

 

「大丈夫、私は、飛べる!」

 

 ひとみの声が、部屋に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

「――――米川のTACネーム?」

 

 なんだ決まってなかったか。オフィスに詰めかけた203空の面々の前で何でもないように言った石川大佐。半ば無理矢理つれてこられたひとみを一瞥。

 

「たしか米川の使い魔はナキウサギだったな」

 

「は、はいっ!」

 

「ならナキウサギ(PIKA)でいいだろう」

 

「「「えー……」」」

 

 どこか不満そうな声をあげたのはのぞみ、夢華、レクシーの三人である。

 

「お前らは俺のセンスに文句でもあるのか」

 

「いえ……」

「文句はねーでございますが」

「ドストレートだなぁ……と」

 

「よしわかった。格納庫を特別に使わしてやるから三人は2時間ほど走ってこい」

 

 

 三人の声にならぬ抗議と共に、時間は流れていく。

 緩やかに、しっかりと。



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ایک بجر نیلے رنگ سے پہلا حصہ

Chap3-4-1 "A bolt from the blue"


「……で? 私は説明のひとつやふたつはして貰ってもいいと思ってるんだけど?」

 

「あのー。青葉が思うに、そういう質問は普通こっちがするものだと思うんですけど」

 

「よく言うわよ。魔力弾を拳銃に込めてたクセに」

 

 昨日取り上げたばかりの拳銃を振りかざしながら203空の隊付整備員である加藤中尉が言う。その視線の先に居るのは南洋日報所属、新発田青葉と名乗る記者である。記者は盛大にキーボードを打ち鳴らしながらなにかを入力し続ける。加藤の言葉に答える様子はない。

 

「魔力弾はこんな数グラムの鉛にも絶大な威力を与える反面、大した時間を置かずに充填した魔力が空気中に拡散、すぐに使えなくなる。私があんたの銃を取り上げた時、既に魔力の拡散は始まっていた。あの場所であんなものを使えばテロリストは愚か他の民衆も盛大に巻き添えを食うでしょうね」

 

「まあインディア政府曰く、入国する方々はみなさん揃ってテロリストみたいですけども。そうでなきゃ国境の全面封鎖なんてしないでしょうから」

 

 インディア帝国の都市ムンバイ。インド亜大陸でも一二を争う商業都市であるこの街を世界と繋ぐチャトラパティ・シヴァージー空港で発生した爆弾テロ予告。予告通り税関を吹き飛ばすこととなったその爆弾攻勢は、かねてより紛争には強硬な態度で臨んできたインディアを動かすには十分な出来事だった。ましてや犯人は歴史的に紛争を繰り広げてきたウルディスタン共和国の人間と言われているのだから溜まったものでは無い。

 たちまちに国境は封鎖され、今やウルディスタン共和国に取り残された人々はネウロイに押しつぶされる日を待つのみとなった。

 

「私は政治の(そんな)話をしたくて来たわけじゃないんだけど?」

 

「ええ、それはもちろん承知の上です」

 

 そう返す青葉はスクリーンから目を離さない。加藤は続ける。

 

「それだけじゃない。魔力を小さな拳銃弾に籠められるのは訓練を受けたウィッチだけだ。それも、軍の訓練をだ。あんたは非正規の人間には見えないし、しかしそうなると私たちに開示された『新発田青葉』という人間の経歴と矛盾する。新発田青葉をどこにやった?」

 

「いや知りませんって、青葉は青葉です」

 

 青葉のキーボードを打つ手が止まる。彼女は画面に流れる文字列を確認してから、エンターキーを軽やかに鳴らした。それからラップトップを閉じる。

 

「ともかく、そんなことが出来るあんた()だ。今回のはあんたらの仕業なんでしょ? 青葉」

 

「『今回』というのの含意が広すぎます。もう少しかみ砕いて頂かないと」

 

 首をわざとらしく傾けてみせるその存在に、加藤は見せつけるようなため息。それから言った。

 

「私の仕事、奪ったのはあんたらのせいでしょって話。F-35の扶桑ロットへの電子攻撃は扶桑軍の自作自演――――203空を飛べなくするため」

 

 その言葉を聞いた青葉は、ゆるりと表情を緩めた。細められた眼が、加藤に対峙する。

 

「……いや? なんの話だか見当も付きませんね?」

 

「よく言うわよ。扶桑におけるF-35は運用が始まったばかりどころか実戦配備は203空のみ、電子攻撃を仕掛けることで与えられる損害は少ないし、そもそも進入口が少なすぎる。バックドアでも用意してなきゃ無理な話よ」

 

「だからそれを用意出来るのは軍のネットワークに自由にアクセスすることが出来る扶桑軍だけだと? 無茶な、まだ国産ばかりに拘るが故に国防の要たる次世代戦闘機(F-X)技術実証機(みかんせい)を据えようとする重工業組からの攻撃のほうが納得だ。F-35の脆弱性を証明出来るわけですからね。相対的に有利になれる」

 

「扶桑の企業がそんなこと出来るわけないでしょ……あんたの側についてやってるんだからさっさと口を割りなさいな」

 

 先日の扶桑軍に対する電子攻撃。扶桑向けF-35という微妙なラインを突くその攻撃。現時点でF-35を保有する実戦部隊が203空しかいないことを考えても、首謀者の標的が203空の『翼』であることは明白だ。

 

 そしてそれを否定するつもりは、端より青葉にもないらしい。

 

「ええまあ。こちらとしては貴女の整備士としてのキャリアを損ねないようにするための配慮だったつもりだったんですが」

 

「私を慮って祖国(ふそう)の権威を失墜させるなんて、私ってあんたの国にとってそんなに重要なんだ?」

 

「そんなうがった見方はやめましょうよぉ。最後には全部綺麗に収まりますし、そんな心配しなくても大丈夫ですよ」

 

「……そんなことしても石川大佐(あのひと)は止まらないわよ」

 

 事実、今日のミーティングでは各国に回せる予備機がないか聞いて回っているのであろうことが言葉尻から窺えた。そう簡単に軍用機が転がっているとは思えないのではあるが……ウルディスタンに介入出来ない以上インディア(ここ)は人類連合の最前線である。

 

「ええ、石川大佐のことですからまあ、すぐにどこかの軍から見つけることでしょうね。本国からは待機命令しか受けてないでしょうに、仕事熱心なものですよ。本当に」

 

 そう第203統合戦闘航空団司令官(いしかわたいさ)を褒める青葉は、もちろん笑ってなどいなかった。

 それから彼女は、さも思い出したように言うのである。

 

「ああ加藤中尉。ここからは本題となるのですが……」

 

「なに? まだなにか企んでるの?」

 

「まだどう転ぶかは分かりませんが、恐らく石川大佐はリベリオン軍の装備を引っ張ってくることでしょう。その際の米川少尉の乗機を整備は、中尉が担当されるわけですよね?」

 

「まあ、機種にもよるだろうけどね」

 

「ええ分かってます。だから可能だったらでいいのですが、米川少尉を――――」

 

 青葉が次に紡いだその言葉に加藤は眼の色を変えることとなる。

 

 ――――飛べなくして頂きたいのです。

 

「……今、なんて言った?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現地環境への順応期間。

 

 それがひとみたちウィッチに告げられた全てだ。それぞれがそれぞれにこのとんでもなく多湿な雨期のムンバイに順応しようと努力していた。

 

 その結果が今である。

 

「暇だね、ティティちゃん……」

 

「うん、暇だね。どうしよっか、ひとみちゃん」

 

「なにかしたいけど……なんにもないよね」

 

 ひとみとティティが揃ってため息をつく。驚くほどにやることがなかった。ここまでくると暇も極まれりだ。

 

 することがなくなったひとみが何という目的もなしに、部屋を出て廊下を歩いていたところに、同じく用という用もなく屋内散歩と洒落込んでいたティティと鉢合わせをしたのだ。

 

 そして互いに暇を潰すために会話を始めて既に一時間。いい加減に会話の種も尽き、限界が近づきかけていた。

 

 だいたいどうして屋内から出てはいけないというのだろうか。ここまで来ると半分以上が非番扱いのようなものなのだから、多少くらい街へ出てしまってもいいはず。

 

「どうして許してもらえないんだろうね」

 

「わたしの場合は飛べない理由もわかるけど……なんでティティちゃんたちもなんだろう」

 

「代替機、まだ見つからないの?」

 

「このあたりに扶桑軍の部隊が居ないから予備機もほとんどないんだって」

 

 ひとみがそう言うとティティが困ったように笑った。

 

「順応訓練だったら、そろそろ外に出ても大丈夫なころなんだけど……」

 

「でも、命令だからね……」

 

 ひとみも理解はしている。けれど出てはいけないことと、出たいと思う感情はまた別物なのである。

 

「ふっふっふ。そこの暇を持て余して仕方のないおふたりさん。もうこの大村のぞみがきたからには大丈夫だ!」

 

 黄昏れはじめていたひとみとティティたちを前にのぞみが高らかに宣言する。ぼんやりとしていたティティが驚いたように振り向いた。だいたい慣れ始めているひとみはゆっくりとのぞみの方を向いただけだ。

 

「米川、反応うすい!」

 

「このパターン何度目だと思っているんですか、先輩……」

 

「だめだねえ、米川。それじゃあ、この魅惑のチケットはあげれそうにないかな?」

 

 ひらひらとのぞみが空の手を振る。どうみてもチケットなんてものを持っているようには思えない。ティティがきょとん、と首を傾げる。

 

 こういう時はたいていのぞみは何かしらを用意してはいる。だがそれをギリギリまで明かさないのがのぞみのやり方だ。いい加減に長い付き合いでひとみも学習した。

 

 もちろん、まだ付き合いの浅いティティがそんなことを知るわけもなく。

 

「チケットってなんでしょうか? なにも持っていないように見えますけど……」

 

「ふふふ。そりゃあ、目には見えないチケットだからね。だが安心したまえ! この大村のぞみ、嘘はつかない!」

 

 なにをそこまでハイテンションになることがあるのだろう、とひとみはようやく興味が出てきた。ここまでのぞみが強調するのならそれなりのものを持ってきたのだろう。

 

「おふたりさんには外出許可証をプレゼントし……」

 

「本当ですか今すぐ行きますさあ行きましょう!」

 

「ひとみちゃんのテンションが急にあがった!?」

 

 そう、確かに異常なまでにテンションはあがった。だがわかってほしい。ずっと缶詰めはもうそろそろ限界なのだ。

 

 ひとみだって外の空気を吸いたいし、狭苦しい屋内という檻を破って飛び出したかった。ずっと屋内に居続けるのは精神衛生的にもよくないというし、太陽の光を全身に浴びたいという欲求も抑えがたいものとなりはじめていた。

 

「米川もいい感じに仕上がってきたね。まったく他の連中ときたら……いや、今はやめとこう。で、ティティは?」

 

「うぅ……行きます!」

 

「そう来なくちゃ。それじゃあ、レッツゴー!」

 

「ゴー!」

 

「ご、ゴー……!」

 

「待て」

 

 いきなり飛び出してきた声に全員の動きが止まった。

 

「な、なんですか石川大佐。外出許可ならさっき……」

 

「あぁ、出した。存分に楽しんでこい。その前に忘れ物だ」

 

 そう言ってのぞみに何かを差し出した。

 

「……これは、餞別ですか?」

 

「お前達の身を守る物だ」

 

 そう言って受け取った物を振るのぞみ、その手からは黒光りするオートマチックピストルのグリップが見えていた。

 

「まさか丸腰で出すわけにもいかんだろう。ここはインディア最大の経済都市。麻薬や性犯罪が蔓延る悪徳都市でもある。ガイド兼運転手もつける。間違えてもガイドを置いていくなよ」

 

「なるほど。了解です」

 

 のぞみが納得したようにそう言ってカイテックス製のホルスターを受け取り、腰に下げた。

 

「それと携帯電話を持って行け」

 

「どうしてです?」

 

 投げ渡されたコンパクトな携帯電話にのぞみが首を傾げる。通信だけなら魔導無線があれば確実かつ簡単だ。

 

「ウィッチだとバレると危険な場合がある。それに、万が一の際、ポクルィシュキンの能力で追跡をかけやすいからな」

 

「用心に越したことはないということですね。了解しました」

 

 そう言ってのぞみは右手に携帯を挟んだまま、敬礼。

 

「では、石川大佐!」

 

「楽しんでこい。米川も、ゴールドスミス少尉もだ」

 

「はいっ!」

 

「いってきます!」 

 

 意気揚々とのぞみが飛び出して行く。釣られるようにひとみが半ばスキップしながらついて行き、ティティもその後に続いた。後ろからかけられた石川大佐の「ホテルのロビーでドライバーが待ってるから合流しろ!」という指示に返事をして廊下を進む。

 

 実際のところティティも外に出たいのは同じだった。そこにのぞみが外出しないかと許可を取った上で誘いに来たのだ。渡りに船だということは言うまでもない。

 

「まあ、これだけ大見得を切っておいてあれなんだけど、夕食を食べることくらいしかできないんだけどね」

 

「十分です、先輩!」

 

 もうひとみを邪魔するものはない。ほんの一時。それがどうした。ただ外でご飯を食べることだって立派な気晴らしになる。

 

「いこっ、ティティちゃん!」

 

 ティティの手を取ってひとみが駆け出す。少しティティは躓きかけたが、すぐに取り戻して走り出す。エレベーターを使うより階段の方が早い。というより、いつ止まるか分らないエレベーターを使いたくない。皆、階段を二段飛ばしで駆け下りる。

 

 待ってくれていたドライバーに案内されたのはいかにもな軍用ジープ。三人で硬い後部座席に並んで座ればドライブの開始だ。ひとみが真ん中、前が見やすくて少しだけ特別感がある。

 

「あー、久々の外だー!」

 

 ちゃっかりUVカットガラスになっている窓から外を覗くと広い道路を走っていく。どうやらハイウェイに乗ったらしい。

 

「でも石川さんが許してくれるなんて意外だったなー」

 

 腕を頭の後ろで組みながらそういったのぞみにひとみは首を傾げる。

 

「え? ならなんで石川大佐に……?」

 

「だって他に権限持ってる上官がいないじゃん?」

 

「それはそうですけど……」

 

 ひとみがそういうとくすりと笑うのぞみ。

 

「ま、石川さんは石川さんなりに考えていることがあるんだよ」

 

「いつも大変そうですもんね……」

 

「石川さんは結構部下を気遣ってるからなぁ……ほんと感謝だよ」

 

 のぞみはそういいながら窓の外に目を向けた。ハイウェイから見下ろせるのはバラック街だ。ほんとうに人がひしめいている。本当に大きな都市だというのは間違いない。

 

「私……石川大佐から避けられているんでしょうか?」

 

「ティティちゃん?」

 

「どしたの急に」

 

 ぽつりとつぶやいたティティに視線が集中する。

 

「なんというか……私だけ、階級付きなんです。ほかのみんなはファミリーネームかラストネームの呼び捨てなのに」

 

「あー……確かに言われてみれば。ティティだけ『ルテナント・ゴールドスミス』だね」

 

 のぞみが納得顔でそういった。ゴールドスミス少尉(ルテナント・ゴールドスミス)

 

「そういえばわたしたちは苗字で呼び捨てでしたよね」

 

「扶桑組はまぁ、身内だから当然として、ゆめかは(ガオ)夢華(モンファ)、ぽっくり下駄中尉はポクルイシュキン、レクシーもブラシウ呼びだったね」

 

 こくりとうなずくティティ。それを見てのぞみはひとみを軽く押しのけて、ティティの肩に手を伸ばす。

 

「そこまで気にすることじゃないわよ。そもそもオフィシャルな場所だと全員ファミリーネームに階級付きなんだから」

 

「それは……そうなんですけど。なんというか、石川大佐。私と話す時だけ、少し寂しそうなんです」

 

「寂しそう? ティティちゃんと話す時だけ?」

 

 ひとみが首をかしげるとのぞみがどこか胡乱な目をした。

 

「ぶっきらぼうを装うのはいつものことだし、気のせいじゃないの?」

 

「そうかも……しれませんけど……なんというか、私と話す時だけ私を見てないというか……どういえばいいんでしょう」

 

「知らないけど、そう思うわけだ」

 

「はい……なんというか、嫌われているというか……」

 

「嫌われているとは思わないけどなぁ……。それに嫌われたところでそれで態度を変えるほど子供じゃないよ、石川大佐は」

 

 のぞみがそういって窓の外に視線を動かした。

 

「おー、いつのまにか海の上だ」

 

「あ! ほんとだ!」

 

「夕日の時にこの橋わたるときれいでしょうね」

 

 大きな湾の入り口を渡る橋を抜けていく車。どことなくけだるい空気の中、海を渡っていく。

 

「おなか……減りましたね」

 

「ですね。ダウンタウンに行ったらまず腹ごしらえです」

 

 いつもより少しだけ穏やかな笑顔を浮かべた望みの視線の先で、ひとみとティティがそういって軽く笑いあう。この時、二人の頭の中は外で食事ということしかなかった。

 

 つまり、メニューのことまで考えていなかったのが運の尽きである。

 

 

 

「ま、またカレーですか!?」

 

 ダウンタウンのど真ん中、満面の笑みでドライバーが進めてくれた店に入ってから声を上げるひとみ。メニューにはまったく読むことのできない地元のものらしき言語と英語で書かれた品目の数々。

 

 そのいずれもがカレーばかり。

 

「もうカレーは食べ飽きましたよぉ……」

 

「しょうがないでしょ。ここらへんってカレーしかないんだから!」

 

 ばん、とのぞみが机を叩く。周りの客が一斉に振り向き、しまったとのぞみが苦笑いしつつ頭を下げる。

 

「でもおいしくない?」

 

「おいしいですよ! おいしいんですけど辛いんですよ!」

 

 来る日も来る日もスパイシーな味付けのものばかり。まずいわけでは決してなく、むしろ味はとてもいいのだが、如何せんひとみにとっては辛すぎた。

 

「毎回、食べるたびに口の中がヒリヒリするのはもう嫌なんです! そろそろ普通に辛くないものが食べたいんですよ!」

 

 もうここまで来てしまえば自棄にも等しい。ただひとみとしても理解してほしいところだった。

 

 確かにひとつひとつの味付けは違うため、食べ飽きすることはないのだろう。

 

 本来なら。

 

 さすがになにかにつけてカレーばかり食べ続ければ、いくら味付けがそれぞれ異なるといっても限界は来る。というか普通に辛い。舌が痺れる。

 

「いつになったらカレー漬け生活から私たちは解放されるんで……」

 

「えいっ」

 

「ムグッ!」

 

 ティティがひとみの口にカレールーをつけたロティを突っ込んだことにより、ひとみが強制的に黙らせられる。

 

 ああ、また私の口の中をスパイスが蹂躙するんだ。どうせめちゃくちゃにされちゃうんだ……

 

「あれ、そんなに辛くない?」

 

「ひとみちゃん、もしかして辛いタイプばっかり頼んでたんじゃない? そんなにスパイシーじゃないやつもあるよ?」

 

「えっ……えっ?」

 

 そんな馬鹿な。いや、でも口の中に広がるのは今まで食べてきたスパイシーなそれとは違う。ココナッツミルクの香りが広がるそれに食べてきた辛みはなく、むしろ包み込むようなまろやかさだ。

 

「そんな……私が今まで食べてきた異常なまでに辛いカレーはなんだったの……」

 

「えっと、ひとみちゃん?」

 

 がっくりとひとみが肩を落とす。ティティが気を使うようにひとみを覗き込む。

 

「っていうか私の食べるカレーを注文してきたの、ずっと先輩でしたよね!? もしかしてわかって辛いの注文したんじゃないんですか?」

 

「さー、食べよっかー」

 

「確信犯ですよね!? ねぇ!?」

 

 絶対にわかって辛いものばかり渡してきた。そう確信をもってひとみは今なら断言できる。

 

「なんでいつもいつも私にそういうことするんですか――っ!」

 

「まあまあ。ほら、その代わりに外出許可を取ってきてあげたじゃん」

 

「そうですけど……」

 

「そういえば他の人たちは呼ばなかったんですか?」

 

 むう、と頬を膨らませているひとみを隣に空気を変えようとしたティティが強引とも取れる話題変換を謀る。

 

「そう、それなんだけどね。誰ひとりとして食いついてこなかったのよ!」

 

 果たしてティティの策略は狙い通りにいった。のぞみが見事にティティが撒いたエサに引っかかったからだ。

 

「人がせっかく苦労して取ってきた外出許可を何だと思っているのやら! あー、はいはいみたいな態度で流されるとさすがに腹が立つっていうかさあ!」

 

「だから私たちですか……」

 

「やー、本当にいい反応で報われたね」

 

 ひらひらとのぞみが手を振る。なんとなくダシにされた気がしなくもないが、外に出られたことは嬉しかったのでよしということにしよう。そう無理やりひとみは納得することにする。

 

「まあ、いいですけど……あっ、このカレーおいしい。ティティちゃん、口開けて?」

 

「えっ? あ、あーん……」

 

「それっ」

 

「むぐ……あ、本当だ。おいしい……」

 

 辛くないカレーの存在を知ったひとみに敵はない。角が立っていないというか、全体的に丸みを帯びたカレーは食べやすい。そしてお腹を壊すこともない。

 

 ああ、なんということだろう。もう口の中がヒリヒリすることもない。ただ純粋にカレーを楽しむことができる。

 

「あんたら……ずいぶん仲よくなってるけどいつの間に……」

 

 喜びを噛み締めているひとみを他所に、目の前で食べさせ合いっこを見せ付けられたのぞみが半目でげんなりとしていた。

 

 

 

「いつもおかわり二回ののぞみ先輩が一杯しか食べないなんて……体調でもわるいんですか?」

 

「人をフードファイターか何かと勘違いしてないか米川」

 

 口が裂けても甘ったるいひとみとティティの空気にお腹いっぱいですとは言えない空気だ。だからのぞみはため息一つで済ます。

 

「んで、観光と言うことで最寄りのチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅にやってきたわけですが……」

 

「すごく、大きいですね。この駅……」

 

 ひとみが目を白黒させる先にあるのはゴシックリバイバル建築の荘厳な建物だった。

 

「インド最大都市ムンバイが誇る陸の玄関口だしね。そりゃ荘厳にもするでしょ。東京駅みたいなもんよ。ちなみにこれ、世界遺産ね」

 

「駅自体が世界遺産なんですね……」

 

 ティティがのぞみのうんちくを聞きながら建物を見上げる。

 

「ずっと見てると首が痛くなりそうですね」

 

「まぁねー。でもティティは見慣れてるでしょこーゆーの」

 

「? なんでです?」

 

「アウストラリスもインディアも同じ大英国連邦(コモンウェルス)でしょ?」

 

 そんなことをいうのぞみにティティは少し悩んだような声を上げた。

 

「うーん……でもアウストラリスには『これぞ歴史的建造物!』って言えるものがないので……」

 

「えー、つまらないなぁ。なんというか、こう……我ら大英国! 市民の連帯で世界を救おうみたいなプロパガンダみたいなのないの?」

 

 のぞみのボケと言っていいのか分らないネタをティティは笑ってスルー。

 

「それで……世界遺産のすごい駅ってのは分りましたけど、この後は?」

 

「ん? みんなにお土産買ったら帰るけど? 駅のギフトショップならばらまき用の菓子みたいなの売ってるんじゃない?」

 

「モンファちゃんも喜びそうですね」

 

 ティティの言葉に笑いながら肩をすくめるのぞみ

 

「ゆめかはなんだかんだでお子ちゃまだからね。餌付けは有効だろうしね」

 

 チョコレートかなにかがあるといいんだけど。とのぞみがいいながら駅構内に入っていく。吹き抜けの高い駅構内は人でごった返していた。壁に吊られた巨大なテレビがものすごく違和感を発している。

 

「さっすがに人が多いね。はぐれないでよ二人とも」

 

「はいっ!」

 

「わかりました」

 

 そう言いながら三人列になって歩く姿は観光客観丸出しだ。英語も聞こえることは聞こえるが、それ以上に現地の言葉の方が強い。異世界に迷い込んだような感覚にも思える。

 

「なんていうか、すごいところですね」

 

「そう? シンガポールも似たようなもんだったじゃない」

 

 ひとみにそう言い返したのぞみだったが、いきなり足を止めた。その背中に突っ込むひとみ。

 

「わぷっ……のぞみ先輩、いきなり止まらないでくださいよう……のぞみ先輩?」

 

 ひとみの抗議をまるで無視するように、のぞみは答えない。それを怪訝に思ったひとみがのぞみの視線を追う。

 

 彼女の視線は斜め上の方向に向けられ、その先には壁に吊られた巨大テレビジョン。なにやらニュースが流されている。現地語の字幕で、ひとみには内容が分らない。

 

「のぞみ先輩……ニュースがどうしたんですか?」

 

「ウルディスタンが……」

 

 耳障りな着信音に、のぞみが携帯電話を耳に当てる。その間ものぞみの視線はテレビから動かない。

 

「こちら……大村。いま、テレビで見てます……」

 

 ひとみからは彼女が何を言われているのかは分らない。それでもその先にあるのはテレビの文字列だ。ソレが今、英語に切り替わった。

 

Uldistan declares the government to move to the London exile.

 

「ウルディスタン、ロンドン?」

 

 ひとみはとっさに内容が理解出来ない。exileってどんな意味だっけ……。

 

「ウルディスタンが政府機能をロンドン亡命政府に移した……」

 

 ティティの顔が青ざめていく。政府機能を国外に出す。それが意味することはたった一つだ。

 

「ウルディスタンが、陥落した……!」

 

 それはすなわち、その国がどうしようもないほどにネウロイに食い荒らされたということだ。

 

「戻るよ! 米川! ティティ!」

 

「はいっ!」

 

「わかりましたっ!」

 

 息抜きは終わりだ。戦場が、もう目の前まで迫っている。

 



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ایک بجر نیلے رنگ سے دوسرا حصہ

Chap3-4-2 "A bolt from the blue"


 結論から言えば、状況は相当に悪い。いや、元より悪かったのだ。それがいよいよ、差し迫ったモノになってきただけのことだ。

 

 はっきり言って、タイミングが悪かった。本当ならばチャンディーガルのオフィスで指揮が執れればいいものを、都合上ムンバイまで来てしまったモノだからどうしようもない。ラホール市街にネウロイが侵入したとなれば既に国境まで10マイル。場所を変える暇などないのである。

 

 オペレーションセンターと化した会議室は喧騒に包まれていた。もはやネウロイが祖国を覆い尽くす日が夢でもゴシップでもなくなってしまった現状、誰も状況を理解出来ているものはいないであろう。実際この場の最上位であり、インド西方の守備を任される彼すらも理解出来ていないのだから。

 

「人類連合第203統合戦闘航空団の石川大佐がお越しです」

 

 耳元でそう囁かれ、インディアを象徴するような装飾で飾られた肩章を付けた男は眉をひそめた。

 

「……会議は中止だ。そう伝えておけ」

 

「いえ、それが……」

 

 言い淀んだ副官の言葉に、嫌な気配が背中を撫でる。振り返れば無言で首を振るだけの副官。そして彼らの予感を肯定するように開け放たれた会議室の扉の向こう聞こえてくるアジア訛りがひどいブリタニア語。

 公用語にブリタニア語を採用しているインディアでも完璧なそれを聞くことは珍しいのだが、少なくとも自分の部下はあんな話し方はしない。訛りが強いというより、それは独特な訛りであった。

 

「失礼する! ダース・ビハーリー・ボーズ大将はいるか!」

 

 扉が開く。あまりに勢いよく開かれたドアに手前を歩いていた士官が書類の束を取り落としそうになる。部屋を我がものと進むのは白い影。

 大将はいるか。というが、もちろん誰が大将かなんて一目瞭然であろう。影は躊躇うことなく男の方へと向かってくる。

 

 すかさず間に入って割ったのは副官だった。

 

「貴様は何者だ。誰の許可を得てここに? ここはインディア政府の――――」

 

「人類連合軍第203統合戦闘航空団の石川だ。そして言うまでもなく人類連合軍の許可だ。本日1500時よりインディア帝国陸軍と人類連合軍の間におけるインディア西部における作戦展開についての事前協議が行われるはずだが?」

 

 イシカワと名乗る彼女は、資料では現役のウィッチであるそうだ。扶桑海軍のウィッチは士官服に航空機械化歩兵(ウィッチ)専用の軍装であるローライズの下履きと聞いているが、ウィッチであるはずの彼女は何故か男性用の一般的な軍装に身を包んでいた。

 ともかく相手は名乗った。副官の対応が先ほどの調子とは打って変わる。

 

「失礼しましたイシカワ大佐。事前協議につきましては、事態急変のために延期と既に連合軍の方には通達済みのはずなのでありますが……」

 

 最も、下手に出たところではいそうですかと帰ってくれる相手でもないだろう。そして協議が中止という情報はここに来るまでに嫌というほど聞かされたはず。案の定、扶桑人は表情一つ変えない。

 

「延期は不適当だ。むしろ、状況が切迫したということは事前協議を繰り上げねばならない」

 

「そうは言われましても延期は延期です。事前協議は明日の1300時から。ご足労をかけますが、明日もう一度お越しください」

 

「ではこうしよう。人類連合軍第203統合戦闘航空団の司令官として()()()インディア西部コマンドの司令、ダース・ビハーリー・ボーズ大将との面談を要求したい」

 

「いや、ですから事態急変により……」

 

「我が第203統合戦闘航空団は人類連合西アジア司令部より必要に応じてのネウロイ迎撃を命じられている。私はその指揮官としてその事態急変への対処に馳せ参じたのだぞ? それともか、インディア帝国は人類連合軍を軽視しているとみなしてよろしいか?」

 

「いや、それは」

 

 コマンダー・イシカワが強引な人物だというのは資料で知っているが、目の前で見るとはまた違ったように見えるものだ。一度決めたならば絶対に引き下がらない。いくつ屁理屈を並べても平然としていられる。

 まったく、どうしてこうも魔法使いは強情なのか。

 

 男は重い腰を上げる。それから完全に気圧されている副官の肩を叩いた。

 

「もういい」

 

「ですが……」

 

「構わん。インディア帝国としては人類連合軍を軽視するつもりは全くない。非常事態は互いに手を取り合う、面談が必要というのならば、喜んで受け入れよう」

 

「貴官がインディア陸軍西部コマンドの指揮官だな?」

 

「如何にも。私が陸軍大将、ダース・ビハーリー・ボーズである」

 

「簡潔に申し上げる。国境封鎖を解いていただきたい」

 

「イシカワ大佐。まずは座ろうじゃないか。急いできたのならば喉も渇いただろう。紅茶でも出そうじゃないか」

 

 そういって会議机と椅子を指し示してやる。イシカワと名乗る扶桑皇国の高級将校は、渋々といった様子で従った。

 単刀直入すぎる一言。奇跡のような国際調和と強すぎる外敵によって首の皮一枚繋がっている人類連合の看板を躊躇いもせずに使おうとする大胆さ。その蛮勇に隠されたのは焦りと恐怖だけだ。なにが彼女を突き動かすにせよ、まずは勢いを殺し、冷静になってもらわねばなるまい。そう男は考えたのである。

 

 彼はおもむろに深緑の軍帽を被ると、一度椅子に深く座り直してから言った。

 

「銘柄は何がいいかな? 我が国が世界有数の紅茶の生産量を誇ることはまあ、知っていると思うが」

 

「お好きなもので結構、本題に入らせていただいても? いかんせん、事は急を要しますので」

 

「構わんよ。この非常事態だからな」

 

「では失礼――――簡潔に申し上げる。インディア帝国が現在実施しているウルディスタン共和国に対する国境封鎖を解除していただきたい」

 

「ほう。それは出来ない相談だ」

 

 即答。そんなことをわざわざ聞きに来たのではあるまいに、しかしイシカワは食い下がった。

 

「何故だ? ウルディスタンの陥落は間近だ。このままでは国境地帯に取り残された数千万人が犠牲になるぞ」

 

「それは理解している。しかし、国境封鎖はインディア政府の決定だ。私にはそれを取り払う権限はない」

 

「権限がない? だから見殺しにすると?」

 

「そうだ」

 

 端的にそう答える。この場にいるのは軍人だ。わざわざ話を逸らす意味もないし、美辞麗句を並べる意味もない。実体を持たない言葉などに意味はない。広報官が脳みそを絞って創り出した政府解釈は国境線を維持してはくれない。これから始まるであろう戦線を支えるのは、ただただ砲兵の鉄と散兵線の血のみである。

 

「……」

 

 途端に押し黙ったイシカワを見据える。彼女がどのような意図を持ってここにいるかは分からない。だからこそ敢えて()()()()()()のだ。既にこちらは言葉を捨てた。それが人道に対する罪だのと言われたところで引き下がるつもりはない。もはやそんな言葉は届かないからだ。

 そして彼女は国際人であるが故に言葉は捨てられない。だからこそ、既に効き目のなくなった言葉を放つことは出来ない。意味のない言葉を並べることは言葉を捨てるに等しい行為だ。錯乱した国際人など、誰も見たくはないだろう。

 

「話はこれで終わりかね?」

 

 その時だった。早足の声が聞こえ、扉が開け放たれる。

 

「閣下、失礼いたします」

 

 踵を揃えての敬礼。来客にようやく気付いたようで、その強張った頬に一瞬の躊躇いが混じる。

 

「構わん。報告したまえ」

 

「はっ、Ⅺ軍団より入電。フィズロズプル周辺の国境線に多数の群衆が押し寄せ、既に一部ではサトレジ川の越境を許しているとのこと」

 

 その言葉に部屋の空気は一変する、訳がなかった。そんなことは分かり切っていたことだ。非常事態宣言を政府の口から出させた時点で、ネウロイの侵攻は確定的。即ち、押し出されたウルディスタン人はインディア国境に殺到する。フィズロズプルはインディア帝国の国境の街。ウルディスタンが最後に拠点を置いていたラホールからは南方100kmに位置する。

 

「対処は?」

 

「現状は不法入国に対する対処で留めていますが、既に限界です。現地判断で国境警備隊の支援に入った第七歩兵師団からの報告では、サトレジ川の対岸が群衆で埋め尽くされているとも」

 

 それは当然のことである。二千キロを優に超える国境線に満遍なく兵士を配置することなど出来ないし、そもそも国境警備というのは少数のならず者と多数の法務執行官との戦いである。これが大量の難民となってしまっては、もはや対処のしようがない。いかに武装警察であるインディア国境警備隊であれ、完全武装の歩兵師団であっても不可能だ。

 

 本当に、タイミングが悪い。

 

 しかしこの場で命じねば誰が国を守ろうか、即断即決なくして何のための軍司令であろうか。

 

「――――迎撃しろ。フィズロズプル第七歩兵師団は全火器の使用を許可、必要とあらば五号線のサトルジ橋も爆破しろ、判断は現地指揮官に任せる」

 

 その言葉に表情を変えたのは言うまでもなくイシカワだ。もはや反射神経のようなその動き、こちらがぼろを出すのを待っていたかのよう。

 

「難民を迎撃!? いよいよ狂ったかインディア帝国陸軍は!」

 

 これだから国際人は嫌いなのだ。先進諸国のルールを押し付け、全ての民が等しいと勘違いをしている。インフラ、法制度、文化すらも国際標準でなければならないと(のたま)う。そんなことが出来るものか、この国にはこの国のやり方というものがあるし、仮に国際標準があるとしてもそれを受け入れるのはこの国だ。

 断じて国際人などが決める問題ではない。

 

「難民ではないのだよ。イシカワ大佐」

 

 その言葉に、イシカワの眼が変わる。興奮のそれから激高のそれへと。

 

「難民ではない? ではあれか、ボーズ大将は目下ネウロイに追われて国境線に殺到している人々が侵略者とでも仰るつもりか? 彼らにとっては、インディアこそが最後の希望だというのに!?」

 

「今回の件がそうとも限らないが、これまでに越境を試みたウルディスタン人は大抵が武装していた。当然重火器は入国の段階で没収されるわけだが、これにウルディスタン人が従わなかった場合はどうなる?」

 

 言うまでもなくそれは侵略だ。力によって現状の変更を試みる、蔑まれるべき行為だ。

 

「……将軍、何が言いたい?」

 

 火には水を。そんな表現が当てはまるようなダース・ビハーリー・ボーズ大将の返答。それに対しての答えを、そう国際人としての答えを、もちろんイシカワは持ち合わせているのだろう。

 

 だがそれがどうした。

 

「ウルディスタンから押し寄せる武装した暴徒たちを野放しにするわけにはいかない、ということだ。貴官も存じているだろうが我が国と彼の国は戦争状態。休戦の合意こそ交わされてはいるが戦争状態にある。祖国を護ることこそ我等の使命。インディア8億の民の望み……私は、ただそれを粛々と実行するのみ」

 

「貴様らは見えていないのか! 敵は、人類共通の敵はその後ろにいるんだぞ!」

 

 国際標準がなんだというのだ。

 

「イシカワ大佐。人類共通の敵がなんであれ、今この瞬間、我が国に押し寄せてきているのはウルディスタン人だ。そして、報告にもあるように現地の処理能力は飽和している。それこそが彼らの目的なのだ。自らの家を失った日には、隣人の家を手に入れればいい。そんな唾棄すべき考えを持った連中が、今、我が国を犯そうとしている」

 

「ボーズ大将、なぜお分かりにならない。人類はもはや一つの箱舟を共にしているのだというのに。インディア政府も、人類連合の理念は理解なさっているだろうに」

 

 宥めるようなイシカワの声。その宥めでインディア帝国が救われればいかに幸福なことだろうか。

 

「いずれにせよ敵は敵。我らは、敵を撃ち払い、祖国の安寧を護る」

 

 その言葉に、イシカワが立ち上がる。

 

「ウルディスタンを放っておけば貴様の言うその祖国とやらも同じ運命を辿るんだぞ!」

 

「明日の敵より今日の敵。今日国土を侵されてしまっては、明日の国土を守ることは出来ない……扶桑の軍人とはこの点でだけは共通見解を得られると思っていたが、残念だ。お引き取り願おう」

 

「人類連合軍を軽視したことを後悔するぞ。大将」

 

「それは同じ事が言えると思うんだがね、イシカワ大佐。君だってこの面談の存在を明るみにされたくはないだろう?」

 

「……」

 

「人類連合の佐官がいくら発展途上のインディアとはいえ、その国防の理念を否定した。()()()()()我が国土が侵されるのを認めろと言った。ここまでの侮辱をしたのだ。その意味は分かっているのだろう?」

 

 最後にこちらを睨んで、それから無言で立ち去るイシカワ。

 

 それが、面談終了の合図であった。

 

 

 

 

 

 敬礼を向けてくるインディア軍兵士への答礼もそこそこに、石川大佐は廊下を進む。早足で靴を鳴らす彼女を止める兵士は、行きと打って変わって誰一人としていない。たちまち出入り口までたどり着けば、ムンバイの青い空が広がっていく。どこへ向かうのだろうか、編隊を組んだ航空機が白い尾を引いていた。

 

「飛べば……」

 

 飛べば、届く。ウルディスタンの最後の砦、ラホールまでは1300km。人間には遠すぎるその距離も、F-35ならば戦闘行動圏内にあるのだ。もちろんそれはF-35に限った話であって、それもギリギリの距離ではあるのだが……届くはずなのだ。

 

 当然ながら203は小さな飛行隊だ。しかしそれでも、背後には強大な人類連合軍が控えている。

 

 今この瞬間、ウルディスタンを救えるのは人類連合軍だけだ。人類連合軍さえ巻き込むことが出来たのなら、インディアだって決してそれを軽視することは出来ない。来るべきネウロイとの決戦に人類連合軍の力が必要なのは火を見るよりも明らかで、人類連合軍に見捨てられればインディアとて滅びを待つしかないのだから。

 

 ただ一撃。ただ一撃が必要なのだ。一発の銃弾でもいい、人類連合軍が、ウルディスタンを救うために一発の銃弾を放てば、それだけでこの閉塞した状況を打ち破れるはずなのだ。

 

 しかしそれも、飛行禁止と言われてはどうしようもない。

 

 そもそもおかしな話なのだ。米川ひとみと大村のぞみの乗機、F-35の代用機が用意できていないばかりか、西アジア司令部の命令は203空所属全機の飛行停止。現地順応が名目とはいえ、明らかに異常な命令だ。

 

「何が望みだ」

 

 悪態をつくように吐き捨てる。インド洋航路を守るためのインド亜大陸死守ではなかったのか。何故邪魔が入るのか、203が飛ばなければ得があるというのか。それが見えない。

 

 いかなる悪意にも立ち向かいようというのもはあるのだが、悪意の正体がわからないとなってはもはや如何としがたい。

 F-35Fが使えないことによる扶桑軍の横やり? 戦果の横取りを恐れるのなら、こんな高度な外交手段ではなく、さっさと別の機体を寄越すはずだ。輸送機を徴発してでもやりかねないのが扶桑軍であったはず。

 では人類連合の戦略的判断? ならば人類連合も地に墜ちる日が来たということだ。長期的な影響を考えても、連合が積極的にウルディスタンを見捨てるとは思えない。

 

 

 もし見捨てるつもりならば――――結構、こちらで自由にやらせてもらうだけだ。

 

 

 建物を出ればすぐに待ち構えていたのは検問。乱雑に設置された「STOP」の文字が、無表情で石川を見下ろしている。あらゆる環境においても限りなく理想に近い性能を発揮する軍服は、こういう場では通行証にもなるわけで……石川は身分証を示すだけで足を止めることはない。

 こんなところでのんびりしている間にも、ネウロイの侵攻は続いている。ウルディスタン軍は敗走を続けることだろう。インディア国境に殺到した難民たちに、越境を阻止せんとするインディア軍の銃先が向けられていてもおかしくはないのだ。

 

 事態は一刻を争う。だから石川には、足を止める時間などない。

 

 ない、はずだった。

 

「石川大佐」

 

 検問前に控えていたのは203空付整備隊の加藤中尉であった。

 

「なんだ。迎えに来たのか」

 

「いえ、迎えに来たというより、送りに来たんですよ。()()()()をね」

 

 そう加藤中尉が手のひらを振ってみせると、彼女の背からひょっこりと影が現れる。

 

「いやぁ加藤中尉助かりました。ウルディスタン陥落でこれから治安が悪くなりそうですし、街歩きに軍人さんがいてくれると心強いですよぉ」

 

 それはアロハシャツを着て、首からカメラを引っ提げた女性。腕につけられた『南洋日報』の文字。

 

「……なんだ。貴様か」

 

「はいっ、青葉です! 南洋日報の新発田青葉ですっ!」

 

 そう名乗るとともに彼女はおどけた風の敬礼もどき。加藤中尉が小さくため息をつく。

 

「何をしに来たんだ? 取材というなら申し訳ないが俺は今忙しい」

 

 そう言い切った石川に対し、青葉はボールペンを引っかけた右手を上げる。それをくるりと器用に回すと、すまし切った様子で言う。

 

「ですが青葉とて取材が仕事ですので」

 

「失礼する。行くぞ、加藤中尉」

 

「まぁまぁお待ちくださいって、ウルディスタン陥落間際との情報が入っていますが、人類連合軍及び第203統合戦闘航空団は動かれるんですか?」

 

「軍機につき、回答は控えさせて頂く」

 

 一歩を進みだそうとする石川。青葉は全身で行く手を阻む。

 

「もう一つほど聞かせてください。先ほど本局から、先日扶桑軍が大規模な電子攻撃を受けたとの情報を聞いたのですけど。それについては?」

 

「知らんな。失礼する、急いでるんだ。ことは急を要するのでな」

 

 ところが、石川の道を塞ぐように青葉が回り込む。石川にとっては見下ろす格好。南洋日報の記者は曖昧な微笑みを浮かべている。

 これでも扶桑海軍が呼んだという従軍記者。普段ならばあしらう程度の相手はしなければならないのだが、はっきり言って今は記者(ブンヤ)風情に対応している暇などない。

 しかし、青葉の次の言葉が石川の足を止めさせた。

 

「――――飛べもしないのに急ぐ必要はないでしょう?」

 

「なんだと?」

 

「……困るんですよね石川大佐」

 

 振り返れば、青葉はもう笑ってはいなかった。

 

「たかが人類連合軍の佐官がインディア陸軍の大将閣下に直談判って、下手すれば、いや下手しなくとも国際問題ですよ? こんなに派手に動かれては、真実を報道せねばならない記者としては非常に困るのです」

 

 その青葉は端的に表現するなら無感情。いや無表情と言うべきか。その裏に感情がないはずがない。現に眼だけは正直であった。敵意でもなければ憎悪でもない。故に殺気という表現も似合わない。しかしどこかで覚えのあるその気配。

 

 それは直感であった。石川は悟られぬように重心をずらす。青葉は気づいた風もなく喋り続ける。

 

「職務の遂行は第一ですが、国の恥を報ずる売国奴にもなりたくは……っわわっ!」

 

 踵を返すのは一瞬。空で死線を躱すように重心を動かし、次の一歩で間合いに踏み込む。故に、青葉の言葉が皆まで続くことはない。

 重力に引かれ、主の手から離れたボールペンが大地へと落ちる。

 

「……やだなぁ。これだから前線の将校さんは乱暴で嫌いなんですよぉ」

 

 石川に襟首を掴まれ、宙ぶらりんと空に浮いた青葉はそれでも、無表情のまま淡々と台詞を吐いてみせた。両手はだらりと下げられ、抵抗の素振りは見えない。

 

「ねぇ、なんとか言ってくださいよ大佐。民間人への暴行は良くないんじゃないですか?」

 

 石川は一言も返さない。一寸の隙もなく青葉を睨み付け、手元に力を入れる。目の前の小柄な新聞記者の体重は石川の手、そして青葉の衣服によって支えられている。繊維が破れる気配はない。

 横の加藤中尉は、ただ無言でその様子を見ていた。

 

「貴様、何を知っている?」

 

 その言葉に、青葉は目を細める。

 

「えぇ。皆まで知ってますよ――――石川桜花。大分県出身1992年生まれの海軍大佐、幼年学校では大層な成績を収めたそうですね。そしてそのまま中東動乱に伴いペルシアへと派兵、帰国後は第603飛行隊司令として……いや、貴女が知りたいのは来歴ではないはずだ」

 

 それは一番、貴女が知って(わかって)いることでしょうから。青葉が嗤う。

 

「……当たり前だ」

 

「では大真面目にお答えしましょう。青葉の()()は貴女を止めること。これで満足?」

 

「人類連合は人類連合としてなすべきことをするまで。誰にも邪魔はさせない」

 

「ふーん? 人類連合。人類連合ですかぁ……現在進行形でその人類連合の命令に背こうとしている大佐がその台詞を口にされるとは」

 

 そんなことを聞いている訳ではない。石川がさらに力を込めようとしたその時、軽快な電子音が響いた。

 

「……?」

 

 それは単調な電子音であり、聞き覚えのある呼び出し音。衛星電話のそれだ。石川は衛星電話など携帯しない。青葉を見やると、彼女は無表情のまま、石川を見つめ返した。

 

「大佐、お電話ですよ。あなたにね」

 

「何を言っている」

 

「青葉程度じゃ話をしてもつまらないでしょう? まあ、そういうことです。いいから出てみてくださいよ」

 

 勝ち誇ったようにも見える彼女の顔。石川は青葉を放す。地に足をつけた青葉はどこか演技臭く咳きこんでから、ベルトに括られた衛星電話を手渡した。

 値こそ張るが、ありふれた衛星電話の送話機。黒のプラスチックに囲まれた電子機器を手に取った石川は通話開始のボタンを押し、耳を当てる。

 

「……誰だ」

 

 受話器の電源は確かに入っているようで、静かなノイズだけがのんびりと流れる。

 

《久しぶりだな》

 

 男の声だ。音声変換機(ボイスチェンジャー)を使っている様子はないが、聞き覚えがある訳でもない。青葉が渡してきたということは彼女の上司(ボス)依頼人(クライアント)なのだろうが……。

 石川の沈黙をどう受け取ったのだろう。声の主は続ける。

 

《貴官の活躍は聞き及んでいる。素晴らしい成果を挙げているそうじゃないか》

 

 誰だ。こちらのことは知っている様だが、それはなんの手掛かりにもならない。口調からすれば軍人だろうが、それにしては言い回しがやけにくどい。

 

 青葉を一瞥すれば、どこか薄っぺらい笑みを浮かべる。ご想像にお任せしますよ、そんな彼女の声が霞がかかった幻聴のように耳元にまとわりつく。

 自然と送話機を握る手に、力が入った。

 

「……誰だと聞いている。答えろ」

 

《編成準備の命令を出したのは私だったんだがな》

 

「まさか……!」

 

 それは答えを言ったようなものだろう。石川は目を見開いた。203空――――扶桑・オラーシャそして華僑により編成される統合戦闘航空団。その編成命令が下った地は首都東京にほど近い横須賀。その横須賀の長。

 

「大迫善光……横須賀鎮守府司令!」

 

《相も変わらず威勢はいいな大佐。インド洋に入ってからの報告は私の元にも来ている》

 

 受難であったな。なんの感傷もなく放たれる労いの言葉。

 

 これが依頼人(クライアント)だと? この事態(シナリオ)脚本家(ライター)だと? だとすれば、203の翼を()ごうとしているのが扶桑海軍だというのならば。

 また力が入る。送話機のプラスチックが悲鳴を上げる。

 

「閣下、これは許されざることです。ならば電子攻撃というのは扶桑の自作自演だったというのですか! 世界を欺いてまで、なんのために!」

 

《大佐。はやとちりはいいが、そう冷静さを欠くのは良くないな。君は優秀だが、そういう気の早いところが問題だ。視野を広く持ちなさい》

 

「どのような視野をもってしても、これから為されるのが見殺しという名の虐殺なのは明白だ! 大迫閣下は出兵派であられたはずだ。扶桑より遥々兵を進め、そして為すのが虐殺だと――――?」

 

《大佐はよくやっている。しかし、物事には限界というものもある》

 

 限界、限界と言ったか。

 

 限界など、インディアの空に在りはしなかったはずだ。

 

 端よりおかしな話ではあったのだ。インディアへの前進展開に伴い、人類連合が確保した展開先は即応性が低く、すでに飽和状態であった民間空港。兵站も万全からはほど遠く、そもそもムンバイという場所自体が最前線から中途半端に離れた場所。

 そして一方的に通告された飛行停止、その直後に情勢の悪化。未だ頑として国境を開かぬインディア帝国。

 

 限界など存在はしなかった。全ての限界とは後付け。誰かが書類とペンで作成したこじ付け。

 

「その限界を設けたのは閣下ではないのか! 答えろ、誰がための遣欧艦隊だ! 誰がための金鵄(ゴールデンカイト)だ!」

 

《……大佐。私は君に世界を救えと命じた覚えはないぞ》

 

 世界を救え。それは高慢だろう。地球の果てすらも一度に見渡せない人類に、果たして世界が救えるだろうか。救えなどはしない。人の腕は短く、手は小さい。

 否。それに否というのが、世界を救うのが人類連合ではないのか。それぞれの手が小さいからこそ、その小さな手を取り合って、世界を包んで見せるのではないのか。

 

「……それは人類連合軍の理念への挑戦か?」

 

 ようやく吐き出したその台詞は、なるほど傲慢だ。そんなことは石川も百も承知。

 だからこそ、電話は止まらない。

 

 

《大佐。私が託したのは、いや()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただ二人の少尉候補生――――いや、今は立派な少尉だったな。()()()()だ》

 

 

 ただ、そう言った。

 



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نیلے آسمان پر پہلا حصہ

Chap3-5-1 "To the blue sky"


「北条司令はご存じだったんですか」

 

 司令官室をノックも無しに開けるや否や、加賀艦長、霧堂明日菜大佐が口火を切った。

 

「目的語をまず明らかにしてくれ。何を知っているのかと問われても答えようもない」

 

 アポイントメントもなく飛び込んで来た霧堂艦長を落ち着いた態度で迎えたのは、扶桑皇国遣欧艦隊司令官兼第五航空戦隊戦隊司令の北条恒彦だ。その彼の前のデスクに紙の束が滑る。それを手に取ると北条司令は老眼鏡を持ち上げ文字を追う。

 

「コード・ボルケニックアッシュ。F-35Fシリーズへのハッキング偽装による203空の戦力パッケージ無効化作戦。いや、石川桜花大佐へのカウンターというのが正しいですか。これが実施されることについてです」

 

「知っていたとしても知らなかったとしても、私に答えられる権限も言葉もない」

 

 それ自体が答えだ。彼は知っていた。知らされていたのだ。

 

「……わかっているのですか。F-35を潰したことが本艦隊へも大きなリスクになるんですよ」

 

「ハッキングによりF-35が使えなくなることが、か? 機体は換えが効くが人は換えが効かん」

 

「詭弁ですね」

 

 壮年の海軍将官は紙から目を上げると、老眼鏡を外し霧堂を見やる。それから軽く紙束で机を叩いて見せた。

 

「話の筋をみせないのは君だろう。態々ペーパーで出してきたんだ。要求があるのだろう?」

 

「艦隊を守るためにもF-35は必要です。コードの中止を上申していただきたい」

 

 艦隊司令がその視線に臆することはない。逆に艦長を視線で射貫く。

 

「言ったはずだぞ。答えられる権限も言葉もないと」

 

「あの記者風情にはあったのにですか」

 

 その言葉を聞いて北条がわずかに目を細めた。

 

「そうか、立ち聞きしていたのは君だったか。しつけがなってないな」

 

「小さい頃から戦場に叩き込まれていまして、まともなしつけは受けた覚えがないのです。ご容赦を」

 

 その答えに盛大にため息をついた北条司令。僅かに目を曇らせて、それから諭すように言う。

 

「……この世界の情勢くらい、君なら理解しているだろう。ペルシアの自由作戦(Operation Pelsya Freedam)に参加し、中東の光とまで謳われた第301統合戦闘航空団のトップエース、霧堂明日菜なら」

 

「その名前、誰も口にしようとしないので、てっきり過去の遺物になっていたものかと思っていましたが」

 

「敗北の前の栄光など、誰も好き好んで語ろうとしないものだろう。私も、無論、君もだ」

 

 苦り切った顔で北条司令は指を組んだ。

 

「我々は犠牲を払いすぎたのだ。扶桑海軍だけではない、扶桑皇国、ひいてはこの世界の軍隊全てがもう限界をこえている。ウィッチの青田刈りが異常なまでにすすんでいるのも、君は知っているだろう。既に軍役に耐えられるウィッチの6割を消費したんだぞ」

 

「今更ですか、それ」

 

 呆れかえるような仕草をしながら霧堂艦長は不快感を欠くそうともせずそう言った。

 

「限界なら2000年代前半にもう来ていましたし、使い物にすることすらできないくらい幼い子を前線に叩き込んでおいて、今更ですか」

 

「大刀洗一期組、石川桜花少尉のように、か?」

 

 その返しに霧堂明日菜はただ北条司令をにらみつけた。司令は構うことなく続ける。

 

「我が祖国は何度も失敗した。何度も何度でも、最前線にウィッチを送り込んだ。そうしなければ切り抜けられない現状があった。世界平和をまだ夢物語だとはだれも思っていなかった。だが、祖国も学んだ。未来のエースを今ここで、中東という半端な場所で潰す必要はない。才能の蕾を開かせることなく潰すことはない」

 

「……」

 

 霧堂艦長が言い返さないことをいいことに北条司令は続ける。

 

「昔は皆々して本土決戦をやっていた。若くても幼くても使えるものは使う。そうしなければ祖国が滅んだ」

 

 でも、今は違う。

 

「ウィッチはハイバリューウェポンだ。それも育てれば育てるほど成長していく。それを他国のためにすり減らすなど、もはや馬鹿げている状況だ」

 

「あら、他国への献身は決して悪いことじゃないでしょう。それは歴史が証明している」

 

「500番台飛行隊の伝説か、米川少尉なら喜びそうだが、そんな純粋な事を言ってられる状況ではない。違うか」

 

 かつての扶桑皇国というのは、先進国というにはお粗末な国であった。人口の大半が農業などの一次産業に従事し、工業国としての側面はほんの一部にしか持ち合わせていなかった。

 しかしそれでも、扶桑は先進国(れっきょう)であった。国際政治における扶桑の発言力というのは欧州への派兵によってのみ高められてきた。

 

うら若き娘(ウィッチ)を差しだして国益とする……君も軍人らしいな」

 

「一応は」

 

 褒められてもうれしくはないですけど、と霧堂艦長が続ければ、全くだ、と北条司令も同意する。

 

「しかし、もうそれも通用しない。本土重視に舵を取らざるを得ない」

 

 本土重視。扶桑本国及び南洋島を初めとする経済圏、そしてそれらを繋ぐ海上交通網(シーレーン)防衛のみに注力する函館事変以降扶桑軍が採用してきた戦略。

 

「インディアの今日は扶桑の明日だ。新羅半島戦線が崩壊した時から、扶桑は太平洋にネウロイを侵入させないための防波堤になった。本土決戦は静かに始まっている」

 

 その状況で一航戦の母艦だった『和泉』が沈んだ意味は大きい。本土防空の前進基地たる空母を失ったのだ。今扶桑は窮地に立たされている。ただそれを、まともに認識できている人が少ないだけだ。

 

「実際これで半世紀近く平和だった。戦争はテレビの向こうの出来事となり、扶桑は軍資金だけをばら撒く存在になった。お金で平和を買う。物理的に身を切らずとも平和を謳歌しえた。そんな夢――――」

 

 ――――扶桑人には、夢が必要だったのだ。と北条司令は語ってみせた。

 

 函館事変。1975年に起きたあの惨劇。扶桑の防空網をかいくぐり突如飛来したネウロイに対し、扶桑軍は目に余る醜態を晒した。

 

 それはガリア=インドシナ戦争のあおりで世論が完全に反軍隊に傾いたことによるウィッチ志願者の減少、リベリオンとの貿易摩擦に端を発する外交上の懸念より軍の注意が大陸ではなく太平洋に向いていたことなど様々だろうが、事実として残るのは北海道と東北に残されたあまりに大きな傷跡だ。

 

「でも、その夢はとうの昔に覚めた。違いますか」

 

「その通りだ。しかし、世界は変わっていない。今日もリベリオンは半島戦線に参加することなく、軍は既に本国を守るので手一杯」

 

 戦線整理と言えば聞こえはいい、しかし半島からの撤退は扶桑軍の大敗北以外の何物でない。ネウロイが扶桑海を超えないという神話は、一世紀近くも前に扶桑海事変により破られている。半島の次に戦場になるのは紛れもなく、扶桑本国だ。

 

「はっきりと言おう。軍は『第二の扶桑海事変』に怯えている」

 

 でも派兵を決定した。決定せざるを得なかった。

 

「……それが外国からの圧力だったら、どれほど良かっただろう」

 

 誰が決定したかと言えば政治家だろう。政治家を動かすのは国民だろう。国民主権のこの時代においては、国民こそが主役なのだから当然だ。

 

「――――だからこそ、我々が止めねばならん。祖国の過ちを、看過するわけにはいかない」

 

 

 

 

 

 

 

 

「閣下……あなたは今、なにを仰ったか、理解なさっているのか?」

 

《皇国軍人が守るべきは、一に皇国、二に皇国臣民。そのためならば命をも差し出す、それが皇国軍人たる我々だろう? 二人の臣民を無理にでも死地に送り出す必要はない》

 

「もしも閣下の仰る二人の少尉というのが米川、大村両少尉だとすれば……」

 

 米川も大村も、本当ならばまだ幼年学校にいるべき幼子だ。いずれも飛び級――米川に至っては未だかつてないほど短縮されたカリキュラム――で戦場へと送り出す。

 それが狂っていると? その発言は海軍大将、それも親補職であるはずの鎮守府司令長官の発言とは思えない。派兵を決めたのは上層部ではなかったのか。それとも、大将は上層部には含まれないとでもいうのか。

 

「閣下、それは二人への侮辱。二人はもはや引けの劣らぬ皇国軍人である。それは私が保証する! 今の発言は両少尉を皇国軍人と見なさいものだ。直ちに撤回していただきたい!」

 

《大佐》

 

 強く、静かに一言。

 

《大佐。いや石川、貴様はなぜウルディスタンを飛びたがる?》

 

「愚問でしょう閣下。そこに、我らが守るべき人々がいるからです。インディアは彼らを見捨てようとしている。我ら人類連合が、守らねばならぬ人々がいるのです。守るべき人がいるならば、それだけで理由は十分でしょう」

 

《そのために、扶桑人の血を流すことを望むか。真に必要な時に国家の前に立つ、皇国軍人の血を》

 

「流させはしません。そのために私は幕僚課程を選んだのです。皆を守るために」

 

《なにを言っているんだ大佐。ストライカーであれ輸送機であれ、飛べば部品は消耗する。軍隊は巨大な機械だ。動けばただ摩耗するのみ――――私は、君の夢を聞きたいわけじゃない》

 

 ぴしゃりといってのける電話先。

 

《皇国は不必要な血が流れることは望まない。そしてなにより、人類連合も望んでいないのだ》

 

「人類連合が? 嘘だ。人類連合軍が見捨てると本気でお思いか、少なくとも俺は見捨てない」

 

《人類にだって優先順位はある。大佐だって分かるだろう。彼らが求めているのは欧州への救援、その広告塔だ。間違っても中東で散ってもらってはこまるのだ。金鵄が舞い降りれば暗黒立ち込める欧州に希望の光が差す。彼らはただ、その舞い降りたという『事実』のみが欲しいのだ》

 

「それが閣下の、人類連合の望みか。それを彼女らに説明できるか? 先ほど閣下が仰った『不必要』を、どう説明するというのか? それを飲み込めというのか? それは無理な相談だ。私は確かに米川、大村両少尉を託された。だからこそ、世界に恥じぬウィッチに育て上げねばなりません」

 

 石川はそう言ってのけた。銀時計を繋ぐ鎖が揺れる。無意識のうちに、小さな懐中時計を握りしめていた。

 

《大佐。それを判断するのは皇国であり、少なくとも君ではない。君の独断で、晒す必要のない危険に部下を晒すつもりか?》

 

「少なくとも、大人の恥を見せるべき時ではありますまい」

 

《我々は軍人だろう。君にとっては不服だろうが、ウルディスタンへの介入は誰も望んでなどいない。政治が望んでいるのは我が軍が派兵を行っているという『事実』だけだ。今やウィッチの損耗がなによりも恐れられているのは君も承知の上だろう》

 

「それは……」

 

《大佐。いいんだ。我々は……いや、君たち(ウィッチ)はもう犠牲をこんなにも払ってきた。払わせたのは私だ。紛れもないこの私だろう》

 

「いずれにせよ。ここで黙って指を咥えているわけには参りません。ネウロイの殲滅、そして無辜の民を救うことは、先帝陛下の御代より我々に下された命ではありませんか」

 

《大佐、まだ分からないのか。もう限界だと言っているのだ。我が国はこれ以上の犠牲には耐えられない。半島戦線の長期化のせいで人材は枯渇し始めている。なにもウィッチに限った話じゃ無い。君はまだ聞いていないかも知れないが、昨日「瀬戸霧」で事故が起きた。17日の事故から、十日と立たずに起きた事故だ》

 

 現場の疲弊は、否定し得ない。石川の言葉を、大迫は聞くことはない。息をつかずにそう続けた。

 

「だからと言って……」

 

 だからと言って、なんと言葉を繋げば良いのだろう。現場が疲弊しているから、だから戦線を放棄しろと、ここで戦わずに羽根を休めよと?

 しかし、羽根を一秒多く休めたところでなにが残るというのだろう。今この瞬間もネウロイはウルディスタンを飲み込まんとしている。消えるのは何千万の難民。

 

《皇国は、戦線を縮小せねばならない。これは絶対に必要なことだ。望まれもしない戦いで……》

 

「いえ。私が望んでおります閣下」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ですが、どんな手を使おうと石川は飛びますよ」

 

「そうだろう。だからこそコード・ボルケニックアッシュが存在する」

 

 部下の命に代えてまで異国の空を飛ぼうとするようなヤツだとは私も考えたくないがね。そう言いながら北条は背を向け、司令官室備え付けの机を撫でた。それから天井を仰いでみせる。

 

「……あなたたちは本当に何も分かってないんですね」

 

 霧堂はそう言って笑った。

 

「どういう意味だ」

 

 緩慢な動きで振り返る北条司令の顔は険しい。霧堂は勝ち誇るように、無邪気な笑みを深めてみせるが、それも一瞬。途端に無表情に帰る。

 

「お聞きの通りです。石川の事もウィッチの事も、あなた方は理解されていない」

 

「聞き捨てならんな。一体何を理解していないというんだね、霧堂明日菜君」

 

「我々の中東は、何一つ終わってはいないのです」

 

「ほう」

 

「石川の戦争も、私の戦争も、加藤中尉の戦争もまたそうでしょう。ユーフラテス川を越えるために多大な犠牲を出しながら、戦友を葬ることもできないままネウロイに喰わせて生き残った我々の戦争は、未だ継続中だ」

 

「それがどう繋がるというのだね」

 

「命令だからと引き下がった悔恨、もう少し飛べれば助けられたという呵責、戦果の一つ、勲章の一つも渡せなかった無念、泣き叫ぶ家族になにも言えない絶望。それを我々は背負ってきた」

 

「それを背負ってきたのがウィッチだけだとでも言うつもりかね」

 

「まさか、司令部もまたそれに悩まされてきたのは百も承知です。しかし我々には翼があった。軍という檻を叩き壊し、飛び立てば救えたかもしれないという()()()が今でも中東帰りを苦しめる。もうあんな思いはしないと、あんな思いは誰にもさせないと、むざむざと逃げ帰るようなことはしないと誓い、歯を食いしばり生きてきた」

 

 霧堂明日菜はそう言って一歩前に出た。

 

「石川もそうでしょう。だからこそあいつは空にしがみついた。そして我々はそれをバネに空を飛ぶ」

 

「それが国益に繋がらないとしてもか」

 

「ウィッチは生まれついてのウィッチであって、軍人ではないのです」

 

 それはあなたも嫌というほどご存じなはずです、と言えば北条司令は苦々しい顔をした。

 

「我々は飛ばねばならない。そこに助けを求める民がいる限り、奇跡を信じる民がいる限り、我々はその民の為に飛ぶ鳥だ。明日を迎えられないとしても、朝を世界にもたらすため、血を流し、涙を流しながらも飛ぶ鳥だ」

 

 霧堂艦長はそう言って真正面から北条司令を見つめ返す。遣欧艦隊を預かる将官は、小さくかぶりを振って見せた。

 

「霧堂君、203空は希望の箱船なのだ。こんなところで沈めるわけにはいかないのだ。欧州になにがあっても彼女たちを運ぶこと、それが五航戦の任務であり、ひいては軍艦加賀の任務だ。違うか。納得しろとは言わん。だが君は加賀乗組400名を預かる軍人だ」

 

 軍人として、それは君もわきまえたまえ。

 

 ――――その一言が霧堂の地雷を真上から踏み抜いた。

 

 箱船だと、箱船と言ったか。

 

 箱船に詰め込まれたのは大洪水の後にも残すべき命。それが203空。鋼鉄の船に守られ、降り立つべき地まで守られ、運ばれる命。

 

「ウィッチを馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ。あいつらはそんな弱い奴らじゃない。守られなければならないような非弱な花じゃない。希望の箱船? ふざけるな。箱の中身に守られるプレゼントボックスがどこにある」

 

「霧堂君。わきまえろと言っておるのだ。実情はどうでもいい。たとえ我々が木偶であり、彼女たちに守られている状況であったとしても、それを国家は容認しない。彼女たちは民の望んだとおり欧州の空を飛ばねばならんのだ」

 

「それが扶桑の正義だと言うつもりか」

 

「扶桑を救うなら、それが我々扶桑皇国軍人の正義だ。世界を救う余力などとうに尽きたのだ。現実を見ろ霧堂君」

 

 それを鼻で笑い飛ばした霧堂が獰猛な笑みを浮かべた。

 

「現実を見ることがあいつらを否定することになるなら、私はそれを拒絶する」

 

「……正気の沙汰とは思えんぞ、霧堂君」

 

「どれだけ未熟だと嘲られようと、どれだけ理想論だと誹られようと、我々はその青臭い正義を掲げ、その正義を胸に刻み込んだ。国に、民に対しこの世界の防人たる事を誓い、愚直なまでにその理想を守ってきた。誰もがネウロイに侵されることなき大地を享受し、誰もが手を取り、だれもが笑える世界を。それを信じ、我々は飛ぶ。それがウィッチの本質なのですよ。司令」

 

 霧堂艦長はそう言い残し、司令室を出る。そのまま胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、短いメッセージを打ち、送信した。

 

「あの記者風情に協力するのは腸煮えくり返るが……」

 

 致し方なしだ。霧堂は足を速めた。

 

 

 

 

 

《正気の沙汰ではないぞ、石川大佐。独断専行も甚だしい。君が望むからという理由だけで他国に介入する気か》

 

 誰が望んだか? そんなことも分からないのか。国家も経済も政治もどうでもいい。助けるべきヒトがいるから飛び込むのだ。心の底から助けいたいと願うから飛べるのだ。それは航空力学でも魔道工学でもなければ、もはやニュートン卿の物理学ですらない。ウィッチがウィッチたる、人間が人間たる所以なのだ。故に、国家が国家たる所以でなければならないのだ。

 

「結構、後で好きなように処分すればよろしい。ただ私は、どうかこれ以上皇国の汚点が増えないことを切に願うばかりだ。F-35Fへの工作の件は、後で明らかになり次第、人類連合経由で抗議させて頂く」

 

 工作? なんの話だ。そう嘯く海軍大将の声を聴きながら、石川は電話を切った。

 

「大佐……」

 

 呆然とした様子で視線を投げてくるのは加藤中尉。石川はこれでいいんだと言わんばかりに頷く。不意に静寂が訪れた。

 

 静寂を打ち破ったのは、やけに軽い手を叩く音であった。

 

「いやぁ素晴らしい。鮮やかに公私混同を覆い隠す名演説じゃあないですか。正義、いいですねぇ正義。青葉、大好きですよその言葉」

 

 石川と加藤の眼はその音……乾いた拍手を投げてくる青葉に向けられる。彼女は笑っていた。

 

「これで戦果を挙げれば貴女は大英雄、しかもお咎めなしのナシの完全勝利だ。失敗しても立ち回り次第で咎を逃れられるんですから、司令官ほどお気楽なポジションもないものですよ」

 

「……好きに言え、俺は好きにやらせてもらう」

 

「いやあ青葉は褒めてるんですよ? 誰もが見捨てたインダス川に救世主が訪れようとしている。この瞬間に立ち会えるんです。これほど記者冥利に尽きることはありませんよ……それでなんですがね大佐。折角ですしサービスさせてくださいな」

 

 青葉がそう言って誰かを呼ぶと、四角四面な敬礼を返すベレー帽の兵士がやってきた。

 

「インディア陸軍のチャンドラー・シン中尉です」

 

「閣下のご無礼をお許しくださいイシカワ大佐。中央政府の姿勢が変わらない以上、致し方なかったのです」

 

 彼の言う閣下とは、無論インディア陸軍西方コマンド司令、ダース・ビハーリー・ボーズ大将のこと。先ほど石川の目の前でウルディスタン難民に対する発砲許可を出した男だ。

 それが、致し方ないと言う。一体何が致し方ないというのか。話が見えない。

 

「……どういうつもりだ。青葉」

 

 睨まれた青葉は、大袈裟にため息をついてみせる。

 

「大佐、貴女は視野が狭すぎる。こればっかりは大迫大将の指摘ももっともです。ネウロイが国境に迫りくる状況で、インディア軍が貴重な砲弾を()()()()()()撃ち込むと本気でお思いですか?」

 

「どういう意味だ」

 

「そのままの意味ですよ。インディア陸軍に必要なのは発砲許可、飛ぶ砲弾は国境線を遙かに超え、彼の国の()()()へと届く……ですよね。シン中尉」

 

 青葉に同意を求められた中尉は無言で頷く。インディアの中央政府はウルディスタンへの支援を決して許しはしない。

 では、国内に攻め込む武装勢力に対しての発砲は? もちろん許すだろう。

 

「師団……いや、方面軍規模の()()だと」

 

「えぇ。流石に人類はそこまで道を踏み外していないようです。まあ国境で武力衝突が起きていることは事実ですし、結果としてインディア軍は()()()()()()()()()()ことにはなるでしょうが……」

 

 その青葉の台詞に石川は口元を歪めた。戦争や紛争において何百何千の大虐殺が認められるのは、双方が殺し殺されるという戦闘行為を行うという意思を持っているから、交戦意思を失った兵士……即ち白旗を揚げて進んでくる兵士を撃つ権利はない。故に彼らは捕らえられ捕虜となることだろう。捕虜には人道的な扱いが求められることになる。

 インディアのボーズ西方コマンド司令が交戦命令を下したのは、そういう目的だったのだ。

 

 なんたる暴論、なんたる横暴だろうか。詭弁を積み重ね、回り回ってヒトを救うなど。呆れてものも言えなくなりそうであった。

 そこに、インディア陸軍のシン中尉が進み出る。

 

「第203統合戦闘航空団司令へ、陸軍西方コマンドよりお伝えします。貴航空隊にインディア陸軍より()()()()を要請。目標は――――ウルディスタン臨時首都、ラホールです」

 

 

 

 

 

「……それで? 具体的な話を聞かせて貰おうか。ラホールに向かうのはいいとして、あそこまでは1300km。どうやって向かうつもりだ?」

 

 ラホール、パンジャーブ地方は確かにF-35の戦闘行動圏内にはある。だがそれはF-35に限った話であって、それもギリギリの距離である。

 

 これが通常の戦闘機や爆撃機であったら空中補給やら途中の空港に降りるなどして燃料を補給すればいいのだろうが……ウィッチの航続距離は魔力量もさることながらウィッチ自身の精神的な面におおきく左右される。1300kmを移動して疲労困憊のウィッチに、雲霞の如く迫ってくるであろうネウロイと満足に戦えるかというとそれは怪しいものがあった。

 

「大佐。お言葉ですが青葉はいつから貴女の参謀になったんです? その質問はせめて加藤中尉にされては」

 

「技術的には不可能であることは自明だ。それに、邪魔はしたくないんでな」

 

 その言葉には、どうせツテはあるんだろうという暗黙の圧力。知って知らずか、青葉は朗らかに笑う。

 

「なるほど。流石は石川大佐です」

 

 石川大佐の目先には『とあるストライカー』の点検に励む加藤中尉始め整備員たちの姿。

 本国より下った大仰な飛行停止命令はあくまでF-35Fについてのものだった。ならば、別の機体を用意するまでの話……ではあるのだが、その機体が手に入らなかったのだ。

 

 それが、こうも簡単に運び込まれてくる。

 

「お前が言うと、皮肉にしか聞こえんな」

 

 その言葉に、青葉は肩を竦めるだけ。

 

「――――石川大佐!」

 

 聞き慣れた部下の声が聞こえれば、ぱたぱたとひとみが走ってくる。後ろからはのぞみや夢華、203の全員が揃っていた。

 

 

 

 誰しもやるべきことは分かっている。後は、ただ号令を待つのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

南洋日報電子版

ネウロイ、インディア帝国へ侵入か。人類連合へ合同作戦の実施を要請。

2017年8月28日(火)午後2時33分

【川岸・ニューヨーク】

 人類連合は、ウルディスタン共和国がネウロイにより突破され、インディア帝国国境の複数箇所で戦闘が発生していること。また同政府が人類連合軍に対し支援要請を出したことを発表した。ウルディスタン・インディア両国は人類連合軍には参加しておらず、人類連合とはネウロイに対して有機的な対応を進めるべく参加の協議中であったが、事務総長は「多くの人命を救うためにも可能な限り早く対応したい」と加盟手続きを一部省略することを示唆している。

 インディア政府によれば、ネウロイが侵入したとされるのは北西部地域。首都のニューデリーまでは約200km。

 



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نیلے آسمان پر دوسرا حصہ

Chap3-5-2 "To the blue sky"


 椅子が倒れる音が響いた。それを聞いて米川光治(みつじ)は慌てて工場の休憩室に飛び込んだ。

 

由里(ゆり)! どうした!」

 

 そこで戦いた表情で背中を壁に預けた姿勢で震えている妻を見て、光治は彼女の側に駆け寄り、震える肩を支えた。

 

「みっちゃん、ひとみが、ひとみが……!」

 

「ひとみがどうした、なにがあったんだ」

 

 一人娘の声を呼ぶ由里に問いかけると、机の上のスマートフォンを指さしていた。慌ててそのスマートフォンのホームボタンを押す。ロックを震える指で解除。そこに表示されたのはニュースのヘッドラインがまとめられたページだ。ひとみを空軍に送り出した後から、妻は一日に何度も、新聞の国際面やニュースアプリの国際欄のまとめを確認している事は光治も知っていた。嫌な予感が頭を過ぎる。

 

「ひとみが……ウルディスタンの方に……」

 

 その声を聞きながらページをスクロール。『人類連合軍・インディア帝国を支援へ』というタイトルの記事がある。

 

「……きっとひとみなら、大丈夫。そう信じよう、由里」

 

「でも、あの子は、あの子はまだ13なのに、軍隊に入ってまだ四ヶ月も経ってないのに、最前線に送られるのよ?」

 

「まだひとみが送られるとは決まった訳じゃない。俺たちが作ったお守りだってある。とびっきりの鷹の目(スコープ)も持ってる。送る前にお祓いだってしてもらったし大丈夫だ。あの子も一人じゃないっていってたじゃないか」

 

「でも、でもぉ!」

 

「由里。君よりもひとみの方が怖いはずだ。それにあの子は耐えているはずだ。その親が情けなくてどうする。あの子を信じて、信じて、帰ってくるまであの子の絶対の味方でいるんじゃなかったのかい」

 

 光治はそう言って妻の体を抱きしめる。

 

「大丈夫だ。あの子は、必ず帰ってくる。まだ子どもで、弱虫で、泣き虫で、甘えん坊だけど、誰よりも芯が強い子だ。空を飛びたいって決めたらテコでも動かずに必死に頑張った子だ。あの子が本気になったら誰も勝てない。ネウロイでも勝てないはずだ」

 

「そんなの、男の理屈よ」

 

 その非難を聞いて彼は笑った。

 

「そうだ。それでも信じようって決めたじゃないか。私はあの子の味方だ。君もそうだ。だから信じて待ってあげよう。あの子がSOSを出してきた時が、私達の出番だ。全世界を敵にしてもあの子を助け出すって決めたじゃないか」

 

 さめざめと泣く妻の頭を撫でながら、彼は無機質な天井を見上げた。親としてできること、人としてできることは尽くした。後は待つことしかできることがない。

 

 ひとみ、無事で。無事に帰ってこい。

 

 冷房が緩くかかった休憩室で埃に汚れたシーリングファンがゆるりと回っていた。

 

 

 

 

 

 

「ひとみ」

 

 コーニャが声をかける。かけられたひとみはベンチレストからライフルを取り上げ。立ち上がる。WA2000には真新しいスコープがついていた。

 

「調子はどう?」

 

「ゼロインを750で再調整したし大丈夫。このスコープやっぱりすごいよ。高倍率でもしっかり見える」

 

「……銃の話じゃなくて、ひとみのこと」

 

 そう問い返したコーニャにひとみは時間を少しおいてから答えた。

 

「うん。制服の下がけっこうきつくて少し気になるけど」

 

 ひとみはそう言いながら自分の制服の襟首を引っ張った。

 

「防弾ジャケットに身体装着型水筒(ハイドレーションキット)に飛行姿勢補助のテーピング。重装備になるのはしかたない」

 

 いつもの制服の下、ワイシャツの上にはたくさんの装備がこれでもかと言わんばかりにごてごてとつけられていた。一番重いのは砂や破片から体を守るためのセラミックス製のプレート入り防弾ジャケットだ。普段はシールドを使えるウィッチにとっては無用の長物なのだが、今回ばかりは薄手のやつを持って行った方がいいだろうということで着用するように言われた。

 

「しかたない。今回は後ろから鉛玉が飛んでくる可能性もある」

 

「考えたくはないけどね」

 

 そう言いながら更衣室から出てきたのは大村のぞみだ。すでに装備を完了しているらしい。

 

「ウルディスタンとインディア帝国がいがみ合ってるところに颯爽と203空がしゃしゃり出てネウロイを殲滅することになるんだ。ネウロイの戦争の間に両国の紛争に巻き込まれる可能性も無きにしも非ず……そのあたりってプライオリティ中尉がなんとかしてくれるわけ?」

 

「Покрышкин。保証はできないから着てもらってる」

 

「そりゃそうだわ。いらんこと聞いた」

 

 のぞみはそう言って右肩に下げた64式自動小銃を揺らして肩をすくめる。

 

「のぞみ先輩、二丁持ちでしたっけ? たしかA-10でガトリング砲持って行くんでしたよね」

 

「ん? あぁ、違う違う」

 

 のぞみはそう言ってケラケラと笑う。質問したひとみは首を傾げるだけだ。

 

「ロクヨンは着剣用だからね。ほら、一丁はシンガポールの演習の時にダメにしちゃったから。それを銃剣突撃専用にさせてもらったの」

 

「そ、それ普通にロクヨン一丁じゃダメなんですか……?」

 

 ひとみがかるく笑みを引きつらせてそういった。確かに曲がった小銃じゃ照準どころじゃないし、確かに撃つのに使えないのは分かる。もったいないのもわかる。だけど、だからといってそれを再利用して銃剣突撃専用に持って行く意味はわからないのだ。

 

「これで銃の破損を気にせず思いっきり振れる!」

 

「そ、そんなものなんですか……?」

 

「わかってないなぁ米川。銃剣は現代の武士(もののふ)の魂にして神髄。それを具現化したに過ぎないのだよ。それにせっかくA-10に乗れるんだし、ガトリング(アヴェンジャー)を使わなきゃもったいないじゃん?」

 

 そういって自慢げに笑うのぞみを見てコ―ニャがひとみの肩を叩いた。黙って首を横に振るコ―ニャ。ひとみはため息で返した。

 

「さて、そろそろいこうか」

 

 のぞみがそう声を掛ける。ひとみが立ち上がって、左肩に狙撃銃を背負った。重い。いつもより重く感じる。それでも、よろけずに立ち上がり歩き出す。体が重いのは防弾チョッキのせい。今から行く任務は誰かを助けるための戦いだ。だから、重いものなんてない。

 

「米川」

 

 そう思っていると、横からのぞみがぽんと肩に手を置いた。

 

「今から行くのはいつも通りの鉄火場だ。ウサギ狩りみたいなもんだ。気楽にいこう」

 

「……ウサギ狩りもしたことないですけど」

 

 そう返せばなぜか吹き出すように笑うのぞみ。

 

「そう返せる余裕があるなら声かけなくても良かったかな。ならいいや。まぁ問題はそのウサギの量が多すぎることでもあるんだけど、そこは考えても仕様がない。気楽に行こうじゃないか、我が同胞よ」

 

「似合わない」

 

「あんたには言われたくないわよプラスコーヴィア!」

 

 のぞみが噛みつきながら外にでるドアを開けた。日の光が目を射る。それでもすぐに順応し、あたりの様子を示してくれた。ムンバイは快晴。絶好のフライト日和だ。

 

「さて、それぞれの乗機は……みんな鎌首持ち上げて元気元気」

 

 エプロンに引き出されているのはGiG-29K艦上戦闘機。インディア帝国海軍の最新戦闘機でオラーシャ航空機設計局製造の戦闘機だ。のぞみの鎌首という言葉にひとみは少し引っかかったが、言われてみればなるほど、確かに鎌首を持ち上げた蛇のようにも見える。

 

「あんな戦闘機に乗るのなんて初めてです」

 

「私もよ。というより固定翼戦闘機にまともに乗ったことのあるウィッチなんて少ないんじゃない?」

 

 気楽な様子でそういうのぞみが敬礼。フライト前のチェックをしていたらしいパイロットや整備士がそろって敬礼をしていた。ひとみも足を止めて答礼を返す。そこに駈けてきたのはツナギみたいなフライトジャケットを着た男性だ。インディア帝国海軍の階級章はよく分からないが線がいっぱい。たぶん大尉か大佐か……どちらにしても上位階級だろう。

 

「インディア帝国海軍航空群ヴィクラマーディティヤ部隊第三戦闘飛行ユニットを代表し、貴隊の協力に敬意を表します。ユニット長のマハヴィル・ヴァージペーイー大尉であります」

 

「人類連合軍第二〇三統合戦闘航空団前線隊長、大村のぞみ少尉であります。敬意を表するのはこちらの方です。道中ご一緒できること、光栄に思います」

 

「はは、東洋の淑女はお上手ですな」

 

「上手もなにも、当然のことを述べたまでであります」

 

 のぞみはそう言って笑みを深めた。

 

「人類の危機にはせ参じてこそ人類連合の名を名乗れます。そしてまたその最前線に立つのは軍属ウィッチの義務であり栄誉、それも同じ戦場に立った者のみが理解可能な他に代えがたい至高の名誉であります。しかし、貴官たちは義務ではなく志願としてそこに名乗りを上げられています。それに対して我々は敬意を抱くのであります、大尉殿」

 

 のぞみが流暢な英語でそう答え敬礼を解いた。

 

「お話をしたいのは山々ですが、出撃命令が下っております。続きは帰還後のデブリーフィングでいたしましょう」

 

「……では、こちらに」

 

 何かを飲み込むような表情をして大尉が戦闘機の方に皆を連れて行く。

 

「皆ベテランです。()()()()()()安心の空の旅をお約束します」

 

「なるほど。それで私達はどれに乗れば宜しいのでしょう?」

 

 そういえば大尉は横に並んだ機体を見やった。

 

「手前から一番機二番機で並んでいます。カイトフライトの皆さんはコールサインの逆の順番でご搭乗いただき、ストリックス1は六番機へ」

 

「なら一番機にカイト5、五番機にカイト1の私ということことですか。万が一の時に司令機全滅を避けるためですね、了解いたしました」

 

 のぞみがそう言って敬礼。それぞれが散っていく。

 

「あの、のぞみ先輩」

 

「どうした米川」

 

 五番機の方に向かって歩いていくのぞみを追いかけて走りながらひとみが声を掛けた。ひとみは四番機に搭乗予定だから方向も一緒だ。

 

「ティティちゃんともんふぁちゃんは?」

 

「ティティはほら、向こうで()()()中。ゆめかはさっき着替えてたからもう来るでしょ」

 

「そ、そうでしたっけ?」

 

「米川、いつまで引っ張る気だ?」

 

 のぞみが足を止めて振り返った。

 

「割り切れ。あんたは人間だ。神様でも仏様でもない。救えるものも救えないものもある。そもそも動き出してないのに何を怖がっている?」

 

 のぞみの目はいつもより鋭く、ひとみはそれに射止められたように動きを止めてしまった。勢いでものを言えなくなっては答えるべき言葉はなかった。

 

「千手観音でも一度に救えるのは千人だ。私達には二つしか手がない。それでも目の前には万もの人が助けを待っている。私達が全力を尽くしても間に合わない人がきっといる。それで恨まれたり呪われたりするはずだ。でもね、米川」

 

 のぞみはそう言ってひとみの目をじっと見つめた。

 

「私達だから助けられる人がきっといる。だから征くの。ここで待っていたら誰も助けられない。だから征くの。それが扶桑軍人としての責務だから。だから征くの」

 

 ひとみの肩にのぞみの右手が乗った。

 

「失うことを恐れているうちは誰も守れない。守りたければ銃剣を携え、先陣を切り激戦地に飛び込み、我々の敵を排斥し、撃滅し、殲滅せよ。――――――私の恩師の言葉よ。救いたければ、守りたければ、割り切りなさい。失う事を受け入れなさい」

 

 ひとみはそう言われ俯いた。

 

「……失わなきゃ、守れないんですか」

 

 その声はどこか悲しく響き、のぞみの声に諭すような色が帯びた。

 

「その覚悟なくして、どうやって飛び続けるのよ。一回目はいいかもしれない。でも一度失ったら飛べなくなるぞ。それは私が許さない。あんたはカイトフライトの一人だ」

 

「それでも、わたしは守れるって、絶対に守れるって信じたいんです!」

 

 その答えを聞いてのぞみは盛大にため息。

 

「……あんたそれ、割り切るよりも馬鹿でかい覚悟がいるって分かってるんでしょうね。銃乱射しながらラブ・アンド・ピースって叫んでるようなものよ。守り切れない度に自分のせいだって責めるんならあんたの命一つじゃとうてい足りない」

 

「それでも、守りたいって思うのは、おかしいですか?」

 

 ひとみの言葉にのぞみは何か言いたげにいくつかの表情を見せる。が、それだけだった。のぞみは茶髪をかきむしって、それから叫ぶように言う。

 

「――――――あぁもう! 勝手にしなさい! ただし、大見得切ったんだからちゃんとやり遂げなさいよ!」

 

「はいっ!」

 

 こういうときの返事だけはいいんだから、とのぞみは言ってひとみに改めて背を向けた。

 

「あんたも搭乗準備、駆け足!」

 

「はいっ」

 

 ひとみは指定された四番機へ。四番機のところには既に加藤中尉とストライカーの入っているキャニスター、そしてGiG-29K艦上戦闘機のパイロットが待っていた。

 

「ヒトミ “パイカ” ヨネカワ少尉、シーヴァフライト四番機操縦士を務めます。アーカーシュ・シャルマ飛行士であります」

 

「米川ひとみ少尉です、よろしくおねがいします」

 

 敬礼を交わしてから戦闘機を見上げる。間近で見たのは初めてかもしれない。改めてみると大きい。海上迷彩の濃い青が砂にまみれて汚れて見える。

 

「少尉殿は珍しいですか」

 

 アーカーシュと名乗った飛行士はそう言ってひとみの横で同じように機体を見上げた。ひとみよりずっと大きい背丈の彼の目元には深いしわが刻まれていた。

 

「はい、乗るのは初めてです」

 

「安心してください。これでも隊では一番のベテランです。若いものには負けません」

 

 そう言ってアーカーシュ飛行士はそっと笑った。

 

「さぁ、カトー中尉がお待ちです。私もフライトの準備を続けます故」

 

「わかりました。よろしくおねがいします」

 

「話はまた後で、積載後はインカムでも話せますから」

 

「じゃぁ、また後で」

 

 そう言いあってそれぞれの持ち場へ。ひとみは小走りでGiG-29K艦上戦闘機の右翼の下へ。

 

「ひとみん、バッチリ?」

 

 加藤中尉が聞いてきた。ひとみは大きく頷いて答え、横に寝かせて置いてあるキャニスターを眺めた。

 

「機体はバッチリ仕上げた。せっかくの晴れの日だ。ピカピカに磨き上げたよ、みんなで」

 

「ありがとうございます……」

 

「慣れない機体だからいろいろ大変だと思うけど、基本は変らないから気楽にね」

 

 キャニスターが開かれた。そこに入っているのはリベリオンの星マークが刻まれたA-10攻撃飛行脚。武装マウントには大量のミサイルや爆弾が既にセットされていた。

 

「A-10の頑丈さは証明されてる。片翼吹っ飛ばされても、エンジンを片方吹き飛ばされても飛んで帰ってきた、頑丈さは折り紙付だよ。オーグメンターは使えないけど、対地上戦闘がメインの今回なら使う機会も少ないだろうし、問題ないはず」

 

「分かってます」

 

「米海兵隊に感謝だね。アレクシアちゃんにも後でお礼言っておきなよ。珍しく、しおらしく整備をお願いしてきたんだから」

 

 加藤中尉の言いぐさに少し笑ってひとみは横を向いた。それに気がついた加藤中尉が笑った。戦闘機の翼につるされた()()()()()()()()()()()()()()()()()()の増槽のようなものを眺める

 

「EXINT POD-01……ウィッチの積載、空中輸送と展開に特化した輸送ポッド。通称『空飛ぶ棺桶(フライング・コフィン)』。言っとくけど、オスプレイジャンプよりは安全だからね?」

 

「はい、わかってます」

 

「ならよろしい。じゃぁ乗り込む前の簡単な儀式をしてから乗り込もうか」

 

「儀式、ですか」

 

「そ、儀式よ」

 

 加藤中尉がそういって小さい缶をひとみに渡した。

 

「スプレー缶……?」

 

「それで中に落書きするの。計器のじゃまにならないところに願い事とか、思いとか、思いっきり書いていいわよ」

 

「そんなことしていいんですか? これ、備品ですよね?」

 

「そうよー。使い捨てだけどね。恥ずかしいことも書いてもいいけど、使い終わった後で民間人に見つかってもいいやつでお願いね」

 

 加藤中尉に示されたのはハッチの内側の鉄板だった。左側だけがぽっかりと開いている。なんて書こうか考える。あまり時間はないから急いで決めないと。そう思って、悩む。

 

「ひとみん?」

 

「い、いえ! 何書こうか、迷ってしまって……」

 

「そっか。なんでもいいのよー? 迷ったらKILROY WAS HEREとでも書いときなさいな」

 

 キルロイ・ワズ・ヒアと言われても何が何だか分からないひとみだったが、とりあえずラッカーがよく出るように缶をを振る。からからと音がして中身が使えるようになる。

 

「じゃ、じゃぁ……」

 

 青い線をきざみながらなんとか仕上げていく。少し楽しい。

 

「ははーん、ひとみちゃんらしいわ」

 

 加藤中尉は訳知り顔で言ったがひとみは真剣。下の開いたスペースに「平和(ピース)」と覚え立ての筆記体で書き込む。

 

「ほんと()()()ね。天使の羽みたい。ちょうどひとみんが乗れば片翼の天使(ソロ・ウィング・エンジェル)になるね。洒落が効いてていいんじゃない?」

 

 天使の羽と加藤中尉が言ってくれたあたり、絵はなんとか及第点といったところだろうか。絵心は皆無だったからまあよしとしたい。そう思っていると手からスプレー缶が引き抜かれた

 

「じゃぁ、乗るかい」

 

「……はい」

 

「大丈夫。後から私達も追うし、ね」

 

 そう言われキャニスターから引き出されたA-10を見て、一度深呼吸。薄いクッションが貼り付けられた鉄板とも言うべきものの上に腰を下ろして足を飛行脚に通す。エンジンのスタートはしない。外部電源用のコードは空飛ぶ棺桶に吸い込まれている。どうやら棺桶を投下するまでは戦闘機から電力を借りられるらしい。

 

「はい、背中を固定するよ。射出後はハーネスだけ残して後ろはパラシュートで勝手に外れるからね。ハーネスが苦しければ空中投棄してもいい」

 

 加藤中尉がそう言いながらクッションから伸びたハーネスをひとみの胸の前で固定した。遠慮なく締められ、少し肩が痛いが空飛ぶ棺桶の中で揺さぶられて頭を打つよりはマシだ。

 

「はい、空気マスクの試験。空気が来ていることを確認」

 

 そう言われ棺の中から引き出された酸素マスクを受け取る、鼻と口に押し当て息を吸ってみる。シュッ、という音と共に息ができた。ソレを見た加藤中尉がハーネスに小さな黒いボンベを括り付ける。

 

「はいオッケー。フライングコフィンが投下された後、3分間はこの酸素タンクから酸素が供給される。その三分の間に魔力による防護幕張ってね。そうしないとあっという間に気絶するよ」

 

「気をつけます」

 

「そのままで、次、機内インカム試験。右手下ろしたところのハンドルの上にプレストークスイッチがあるから押して話してみて」

 

「はい、えっと。カイト・ツー、ラジオチェック、わんつーすりーふぉーふぁいぶ、ふぁいぶふぉーすりーつーわん」

 

《ラジオチェック、シーヴァ・フォー、リーディングファイブ、クリア&ラウド》

 

 コックピットにいるはずの飛行士から答えが返ってきた事を確認して右手でサムズアップ。

 

「よし。全体無線は魔導無線でやってもらうけど、これでも聞くだけならできるから、魔力温存したいなら、魔導無線を待機モードにしといてもいいよ」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

「ん、じゃ。思う存分暴れておいで」

 

「はい」

 

 そう言われ、送り出される。胸にWA2000があることを確認してそれをしっかりと抱く。ここから先は、本当に戦場だ。棺の中は豆電球に照らされて簡単な計器が見えた。電圧計と高度計、あと速度計だ。

 

「あ、そうだひとみん」

 

 棺が閉まる前に加藤中尉が笑って声を掛けた。

 

「スペル間違ってたよ。あれじゃ平和(Peace)じゃなくて欠片(Piece)だ」

 

「えぇっ!?」

 

 ひとみが「なんで言ってくれなかったんですか」とか「もっとはやく教えてくださいよ」とか言う前に完全にハッチが閉じられた。豆電球と両脇にある横の小さな丸窓――ひとみのてのひらよりも小さい――しかあかりがなくなる。そんなときに機内用の通信が繋がった。

 

《ははは、愛されてますな、ヨネカワ少尉殿》

 

「愛されているのか、からかわれているのか……」

 

《それは愛されているのですよ。よい仲間を持たれた。大切になさい。銃も生活もお金で手に入るが、愛してくれる人と命はお金があっても手に入らないのです》

 

「はい……!」

 

 優しい声にそう返せば、笑った声が響く。

 

《こんなに和やかな出撃用意は初めてですな。レディのエスコートがこんなに楽しいものだとは思いませんでしたよ》

 

 その声と同時に機体はゆっくりとタキシングを開始。仰向けに寝たまま運ばれるのはどこか変な気分だ。小窓からは加藤中尉や整備員が敬礼をしているのが見える。見えないだろうが、答礼。豆電球に照らされた棺の中にはコピー用紙に出力された作戦要綱や空域図が張ってあることに気がついた。そこに見覚えのある字が見える。

 

「これって……」

 

 作戦報告書のサインでよく見た几帳面な字、間違いなく石川大佐の字だ。作戦要綱の余白に小さくメモが書いてあった。

 

 てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた

 

 時々見返す、あのノートの最後のページにあったものと同じ言葉。それが几帳面にボールペンで書いてあった。

 

 それを見て、笑う。

 

 あぁ、そうだった。わたしには、たくさんの待ってる人がいるんだ。前にも、後にも、きっと。

 

《離陸します。ご注意を》

 

「はい。用意良し、です」

 

 必ず、帰る。いってきますと言ってきたのだ。ただいまと言わねば。

 

 

 

 現地時間10時34分、203空を積載したインディア帝国海軍機6機がチャトラパティ・シヴァージー国際空港を離陸。一路パンジャーブ地方、アムリトサル方面へと舵を切った。

 



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الجھن میدان پہلا حصہ

Chap3-6-1"Confused field"


 警報が鳴った。警報は日常的に聞く音になった。それでも毎回心臓がわしづかみにされるような気がする。それでも彼女は飛び出す。滑走路脇に止まっている自分のストライカーユニットに飛び込む。頭巾(ヒジャブ)がおちないようにしっかりとめて、足を守っていた腰布を外す。教義では手と顔以外は晒してはならないと言われているが、ストライカーユニットを使う時には晒さねば戦えない。恥ずかしいけど我慢だ。

 

「神よ、どうか私の無礼をお許しください」

 

「ルクサーナ! まだ魔力が回復してないのに! 無茶だって!」

 

「ほかに飛べる人がどこにいるの?」

 

 そう言って笑う。ここの前線基地でウィッチは彼女一人だ。他の人はいなくなった。逃げた人も死んだ人もいるが、いないという意味では変わらない。それを責めるつもりもない。

 

「ナシーム。武器を持ってきて。避難民が下がれるだけの時間を稼がないといけないから。急いで!」

 

 腰布を腕に引っかけたまま彼女はアイウェアをつける。もう壊れて速度表示も出力計も動かないが、目を守れれば十分だし、そもそもブリタニア語もガリア語も読めない彼女にとって意味はない。まだ片言ながら話せるブリタニア語ならともかく、聞いても意味が分からないガリア語をインカムに流されても耳障りだから切っている。

 

 彼女には、ルクサーナA/Pアラン飛行士には学と呼べるものはない。それでもここで飛べるならば飛ぶほかにないのだ。

 

「エンジンをかけますから用意を! ウルム! お願い!」

 

「わ、わかりました……!」

 

 キャニスターについている弾み車(フライホイール)を全力で回すのは整備士のウルムだ。全力でハンドルを引いて外部スターターを起動させる。エンジンを回していいことを示すらしい赤いランプが光るまで待機だ。その間に足にはめたストライカーユニットを撫ぜる。ウルディスタン国空軍から供与されたガリア製だというミラージュIII-Vは砂まみれだ。それでもルクサーナたちがいるラホール北西防衛線で使える唯一の機体だ。

 

「間に合ってよ……!」

 

 これは人類の存亡をかけた聖戦(ジハード)だ。ルクサーナはウルディスタン国防義勇飛行隊の飛行士であり、この世界を守る戦士としてここに配属されている。戦わなければウルディスタンの人たちが死ぬ。それを防ぐためなら啓典を破ることになったとしても、その罪を懺悔すれば許していただけるに違いない。そう信じて腰布を整備士を勤めてくれているウルムに渡す。やはり、足を晒したり肌をみられたりするのは少し恥ずかしい。

 

「ルクサーナ……もう弾薬はこれしかありません」

 

「大丈夫よナシーム。私は武器が無くても戦えるのを貴女は知ってるでしょう?」

 

「ですが……」

 

 ナシームという副官は武装を渡すのを渋る。ウルディスタンの義勇飛行隊に配備されているのはMPi-KM自動小銃。質実剛健なオラーシャ設計で、安心と信頼のカールスラントが製造したものだと聞かされたことがあるが、ルクサーナにとってはよくわからない。それでも引金を引けば弾が出てくれる。それ以外に必要なものはないのだ。

 

「ですが、いくらルクサーナでも弾倉3つじゃどうにもなりません! ネウロイは本当に……本当にたくさん……」

 

「だから行くの。……みんなは避難誘導を。一人でも多くの非戦闘員を国境沿いに。インディアには入国させてもらえないかもしれないけど、ネウロイからできるだけ遠ざけて」

 

「ルクサーナは……!」

 

「大丈夫、落ちたりしないよ」

 

 そう言って自動小銃を受けとってから、弾倉を差し込む。玉は90発。多いようで少ない。もう陥落したラホールからやってくるネウロイを迎え撃たねばならない。

 

「あなたに偉大なる(アッラーフ)の御加護があらんことを!」

 

「死なないでくださいね、ルクサーナ……!」

 

「あなたたちもです、ウルム、ナシーム。あなたたちのおかげで、私は飛べる」

 

 ルクサーナはエンジンを掛けながら敬礼を受ける。敬礼を返した。出力上げ、ストライカーユニットを地面に戒めていたロックを解除、ミラージュIII-Vはその推力を全開にし、垂直上昇する。熱い埃っぽい空気が身体を打つ。高度を上げていく。周囲の畑がまばらに広がる大地を見下ろして一度上空で旋回してからネウロイがいるであろう場所を目指して飛ぶ。

 

「まだ避難民が沢山いる……」

 

 足元の幹線道路を人がゆっくりと歩いている。幹線道路の車は動いていない。前にも後にも進めなくなった車列は既にただの障害物となった。せめてネウロイが車を()()してくれることで少しでも足を止めてくれることを信じたい。

 

 ラホールから国境線まで20キロ。その間にはほぼ平坦な農耕地帯、そのわずかな間隙に何万人もの、下手をすれば何十万人もの避難民がひしめき合っている。

 

 そして嫌でもわかるほど地平線の向こうは異常なほど黒く沈み込んでいた。ネウロイだ。山のようにネウロイがやってきている。地上型が殆どだが、空にもいくつも飛行型が浮かんでいるらしい。レーダーの文字は読めないが、赤い色何かが点々と光っている。これが光るときはネウロイがいることは経験から学んだ。

 

「嘘……でしょう……っ!」

 

 少なく見積もっても、視界に映るだけでも、千体はくだらない。下手をすれば万いるかもしれない。

 

《ラホール上空のウィッチ、及び機体へ。誰か聞こえているか。応答を求む》

 

「! こちら義勇飛行隊第三班、ルクサーナ・アラン飛行士であります!」

 

 ノイズ交じりの無線が飛び込んでくる。男の声。ウィッチではない。

 

《重畳。こちらはウルディスタン陸軍第342ライフル中隊。クアイド・アザン・ジャンクションに展開し時間稼ぎを行っている》

 

「クアイド・アザン・ジャンクションですね! 今すぐ援護に……!」

 

《不要だ。我々はこの場所を死守する。たった今、現状確認できた最後の避難民が国境線キャンプへ向け避難を開始した。そちらには我が中隊から第3422ライフル小隊及び第345予備ライフル小隊を護衛につかせ、グランドトランクロードを東進させる。ルクサーナ飛行士は避難民上空援護をお願いしたい》

 

「ですが……!」

 

《守るべきは市民だ。我々軍人を守っている間に市民が死ねば、これまでの戦友に向ける顔がない。それに我々は祖国において百戦錬磨と言われた第342ライフル中隊だ。ネウロイの100や200蹴散らしてやれる》

 

 嘘だ。それが嘘であることぐらいすぐにわかる。嘘でなければジャンクションに展開し()()()()()()()()()()なんて言わなかったはずだ。

 ルクサーナの沈黙をどう受け取ったのだろう、相手は押し出すように言葉を紡いだ。

 

《わが国民を、頼む》

 

「……了解しました。これより、避難民の護衛に入ります」

 

《恩に着る。あともう一つだけわがままを許してもらいたい。私はファキール。アリー・ファキール・ザルダーリー大尉だ。別の陸軍の士官と合流できたならば、第342ライフル中隊は聖戦(ジハード)の中で雄々しく戦ったと伝えてくれ》

 

「……わかりました。必ず。ですが、それはどうかザルダーリー大尉殿が自分でお伝えください」

 

 無線でそれを交わす頃にはジャンクションの真上を横切れる位置まで飛んできていた。そのままローパス。ジャンクションの道路には迫撃砲やRPG-7を抱えた兵士が見える。その前を横切るように飛ぶ。右手をこめかみに当てる。敬礼だとちゃんと受け取ってもらえたらしく、兵士は敬礼を返してくれた。その中でずっと最後まで敬礼をしていた人と目が合う。兵としてはかなり年老いた部類に見えるその彼に頷く。

 

「ご武運を」

 

《神の御加護を》

 

 ファキールと名乗った指揮官が口を動かすのが見えた。それに背を向け、ルクサーナはその十字路のようなジャンクションの一本をたどる。すぐに人の流れが見える。その横を飛ぶように速度を落とす。

 

「第3422ライフル小隊指揮官へ、こちらウルディスタン義勇飛行隊、ルクサーナ・アラン飛行士です。応答願います」

 

《こちら第3422ライフル小隊、どうぞ》

 

「第342ライフル中隊ファキール・ザルダーリー大尉より避難民の護衛支援要請を受けています。これより貴隊の護衛に入ります」

 

《魔女がついているというのは心強い。支援感謝します》

 

 親に手を引かれた子どもが手を振ってきた。高度を上げて護衛隊の後方上空につく。

 彼女が託された避難民。分かってはいたことだがその数は膨大だ。ラホールは元々人口一千万を数えるウルディスタンで二番目の巨大都市。首都が陥落してからは中部北部南部とあちこちからヒトが押し寄せ、行政の担当者は流れ込む人間を数えることを止めた。

 

 そんな街が、ネウロイに飲み込まれるとなればどうなるか。その答えがこれだ。

 

 グランド・トランク・ロードことGTロード。16世紀は王朝時代、栄華を誇った帝国の街道として整備されたその道は、王の道(そのな)に恥じぬ主要幹線だ。現在ではアスファルトにより舗装され、国道五号線として首都とラホールを結び、ラホールからはインディアの国境の街であるアムリトサルへと続く。つまるところ、この道がインディアへと逃げる最も分かりやすい道なのだ。

 

 避難民の列はもはや列と呼ぶのも相応しくはないだろう。インディアとの国境へ向けて引かれていたその道に、いや道をはみ出したヒトの群れは、もはや秩序などは保っていなかった。畑であろうと踏みつけ、河となれば橋を、なければ干上がりかけていることをいいことに浅瀬を突き進む。

 己が、生き延びるために。

 

 それでもインディアの官吏はあくまでその使命を果たすようだ。避難民の群れが国境沿いに広がっていく。本来地図の上にしか現れないはずの国境線が、空からならくっきりと見える。ヒトがいる場所までがウルディスタン。そこから先はインディアだ。

 

《環状線にネウロイ接近。これより中隊が交戦》

 

 無線が教えてくれなくとも、ルクサーナの眼には既に戦場が映っていた。

 

 

 

 

 

「行きましたな。中隊長」

 

 顔の皮膚が折り重なってしわくちゃになった副隊長が、その顔を更にしわくちゃにさせながら言う。それを聞いたウルディスタン陸軍のザルダーリー大尉は、固まったようにしていた青空への敬礼をようやくやめる。

 

「あぁ、行ってくれた」

 

 あの青空の先にはインディアが待ち構えている。国境線が開かれるとは思っていないし思えない。

 宗教による境界線でインディアとウルディスタンが別れて以来、両国の歴史は硝煙と血によってその大半が占められていた。国力の違いから常に劣勢を強いられるこの祖国。志願して軍に身を投じたときから、ウルディスタン共和国軍は敗北と隣り合わせにあった。

 それはまだネウロイが遠い世界の厄介な出来事でしかなかった頃でも、祖国がネウロイにより消滅の憂き目に遭っている今この瞬間でも変わりはない。

 

 サルダーリーは双眼鏡をのぞき込む。郊外のジャンクションから望むラホールは、土煙にその身を委ねようとしていた。

 ネウロイだ。地を駆ける異形たちの巻き上げる砂埃、体当たりで悲鳴を上げる建築物。

 

 ネウロイは、鉄を喰う。

 

 その鉄は紛れもなく人々の暮らしの証で、今さっきまで生きていたもの。自動車が、道路の電柱が、ビルが、看板が、まるで日常が消し去られるかのように敵の腹へと消えていく。築き上げた生活が消えていく。

 誰が(カルマ)を犯したというのか。ただ全ての民が生きることを望んだだけだというのに、そんな簡単な思いすらも消し去れられるというのか。

 

「2小隊の若造たちが、うまくやってくれればいいんですがね」

 

 副長は本気で不安げにいう。避難民の護衛として抽出した第3422ライフル小隊は、中隊の中でも特に若者たちだけを集めた小隊だ。

 

 故にこの場合の「うまくやる」とは「如何に生き残るか」という意味になる。

 

 ウルディスタンはこれまでだ。もはや下がるべき後背地はない。政府の高官はとうの昔に国外へと逃げ出した。比較的マシな戦力が駐留し、どうにかこうにか守りを固めていたラホールですら、逃げ出せる者は皆逃げ出した。この街に取り残されたのは金やコネを持たない者ばかりだ。

 

 だが、未来はある。まだ若者たちは天国へ行くに相応しい徳を積んでいない。だから生き残らねばならないのだ。第3422ライフル小隊も、少年兵ばかりで構成された第345予備ライフル小隊も。

 

「さあ。始めるとしよう。祖国の誇りに、中隊の誇りにかけて」

 

 第342ライフル中隊が歴戦であるというのは、決して嘘ではない。隊の中核はインディアとの戦役にも参加した古参兵が占め、イスラマバード撤退作戦から今日まで下がるばかりの戦線を保ち、民を守った。

 

 その精鋭たちは、老骨に鞭打ち、地へと伏せる。彼らがこれより相まみえる陸上型ネウロイというのは総じて足が速く、図体が大きい。野戦となれば戦線を突破されるし、市街戦となれば力押しで最後には負ける。

 

「連中のお出ましだ」

 

 だがそれでも、中隊は散兵線を築いた。市街地での消耗戦は部隊の温存には有用かも知れない。建物はビームから身を守る盾となり、考えなしに突っ込んでくるネウロイを倒す仕掛けは市街地の方が作りやすい。

 

 しかし、ウルディスタン軍にはもはや戦力と呼べるような戦力は残されてなどいなかった。故に、ザルダーリーが採用したのは何のひねりもない散兵戦術。少ない兵士を、効率的に民衆の盾とする。薄皮一枚の絶対防衛線。

 

 ジャンクションへ向けてGTロードを突っ込んで来るネウロイ。渋滞により路上に放置された自動車へと喰らいつく。

 奴らは満足そうにうめき声を出した。

 

 この場に焦っている者などはいない。ビームという避けることの叶わない武器を使うネウロイが相手では、感情を高ぶらせた人間が真っ先に死んでいく。残されたのは奴らの射線を見抜き、そしてじっと惨めに身を伏せた者だけ。土に交わるようにして横たわる彼らは、言うなら半身を土葬したようなものだ。

 

 争うように自動車を喰らうネウロイ達。無秩序な動きの彼らは、じわりじわりと国を圧迫してきた。それが今、ラホールという最後の都市を飲み込んだことで完成しようとしている。

 

 食事を終えたのだろうか。それとも同じ車の味に飽きでもしたのか。奴の躰が動き出す。

 

 今だ。一発の銃声が響き先頭のネウロイの体に当たる。それを合図にして道路に臥せっていた“骸”は立ち上がり、攻撃を始めた。

 

 これが我々の戦い方だ。

 潜伏し、騙し、肉薄し、分割し、撃破する。圧倒的な戦力差の中で勝利を勝ち取るのは、我々の十八番であり生き方だ。

 

 我々は常に戦場に居る。ぬくぬくとどこか知らん遠い大陸で呑気に歌でも歌って生きてきたやつとは、生き方が違うのだ。

 

 敵は混乱し立ち止まる。そうだ、それでいい。

 物陰から手榴弾を投擲する。固まって立ち止まったところに、きれいに落ちて爆発。炸薬に引き裂かれた鉄片がネウロイを切り裂く。

 

 その光景が一面に渡って繰り広げられたのである。打ち合わせ通りの手榴弾一斉投擲。奇襲だからこそ成立する、第342ライフル中隊の乾坤一擲。

 ネウロイは一番先頭が立ち止まったもんだからたまらない。前に前にと個体同士で押し合いながらその速度を減じる。

 

 ネウロイは間違いなく中隊を認識したことだろう。憎むべき、直ちに排除すべき敵として。

 

 ネウロイの一集団がこちらへ向かってくる。兵士達は辛うじての連携を保ち、代わる代わる銃弾をくれてやりながら後方の陣地へと走る。

 釣られたように複数のネウロイが走り出す。その奇怪な足を代わる代わるに繰り出しながら、こちらへと向かってくる。ビームを乱射し、前線の兵を貫こうとする。

 

「撃て!」

 

 GTロードをまたぐ高架から、固まりになった敵へ機関銃や小銃の弾が降り注いだ。射撃の腕が立つ兵士と、なけなしの機関銃を集中配置した機関銃分隊による一斉射。

 先頭のネウロイに射線が集まり、汚い音と光を残して、敵は四散する。その光がキラキラと輝き、やけに美しく見えたのは錯覚だろうか。

 

 ともかく、兵士達は無事に陣地転換という名の小撤退を終えることになる。元より用意してある塹壕、または蛸壺に飛び込み、弾倉を付け替えた者から再び射撃を開始する。

 塹壕といっても深さなどない。伏せればビームの射線は防げるかといった程度の浅い溝と呼ぶべき代物だ。

 それでも、あるとないとでは大違いなのだからこれで我慢するほかない。

 

「いいぞ、もっと、もっとやれ!」

 

 得体のしれない怪異のその狂気と混乱の最中で、誰かが笑った。誰かなどとは考える間もない。身体を上げたが最後、彼の右腕は一発の細いビームに貫ぬかれる。

 

「まだまだ、まだまだぁ!」

 

 想像を絶するほどの高温だ、血はでない。神経回路を丸ごと寸断された苦痛は計り知れないだろうに、それでも彼は臥せることはない。精神の限界をとうに超えて、彼は狂ったようにその浅い塹壕を飛び出した。肉薄しありったけの弾と手榴弾をくれてやろうというのだが、寸刻も持たずにその身体を大地へと還すことになる。

 

 ビームによって貫かれたり、ビームで破壊されたものに支障されたり、中隊の損害は確実に増えつつあった。

 

 それでも、我々は立ち続ける。例え痛みを超え足が砕け立ち上がれなくなっても、最期のその時まで攻撃は止めない。

 

 

 これが、我々の聖戦だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 空飛ぶ棺桶(フライング・コフィン)ことウィッチ空輸用ポッドEXINT POD-01の中は快適とは言えなかった。口元を戒める酸素マスクの音が耳障りだ。酸素マスクから流れてくる空気の湿度はゼロに近いから喉渇くよとは言われていたが、予想以上だった。必死に唾を集めて飲み込む。魔法力を使ってカバーすれば酸素マスクなんてなくても余裕なのだが、戦闘用に少しでも魔力を温存しろと言われている以上しかたないと諦める。自分の魔力の総量は軍属としては少ない方なのは米川ひとみ自身も知っているのだ。

 

《少尉殿》

 

 酸素マスクと一体になったインカム――百円均一ショップのイヤホンみたいな安い作りのものだ――から声を掛けられ、右手の送信スイッチを押した。

 

「はい、なんですか、えっと……シャルマ飛行士さん」

 

《シャルマで結構ですよ。少尉殿の方が上官です》

 

 ひとみを運ぶ飛行士の声はノイズに紛れていてもよく聞こえた。

 

《……機窓から見ても砂ばかりでしょう。タール砂漠の上を飛んでいると迷子になるんじゃないかと思う時がありますから》

 

「砂漠……初めて見ました」

 

《そうでしたか。単調でしょう、横しか見えないと。前は遠くにヒマラヤ山脈が見えているんですが……ポッドからは見えないですね》

 

 そう笑うシャルマの声はどこか乾いていた。

 

《……空域までは今しばらくあります。こんな老骨(ロートル)相手では退屈かもしれませんが、少しお話でもしませんか》

 

「はい、よろこんで!」

 

 そう返すと、シャルマの笑い声が小さく響く。

 

《少尉殿の出身は扶桑でしたな。扶桑とはどういうところなのです?》

 

「うーん。……東京はビルばっかりで、ムンバイとあまり変らないです。あ、でもマーケットやスラムみたいなのはないです。きれいな山もあって、海もあって、大好きな場所です」

 

 ふーじはふそーでいちのやまー、って歌もあるんですよ。と笑えば、インカムの奥がまねして歌ってくれた。

 

「シャルマさん、お上手なんですね」

 

《父が露天商をしていて手伝って客寄せをしたものです。喉には自信があるのですよ。士官様に気に入られたのはいい思い出です》

 

 笑った彼の声はどこまでも穏やかだ。

 

《少尉殿は、クシャトリアですか?》

 

「えっと……クシャトリアって……えっと……」

 

《ヴァルナやジャーティの事です。英語だと社会的身分(ソーシャル・ステータス)ということになりますか。そのお年で少尉任官ということはさぞご高名な軍人の血筋だとお見受けしましたが……》

 

「えっと、お父さんは硝子職人で、わたしはそんな偉い人じゃないですよ?」

 

《……》

 

「シャルマさん……?」

 

 なにか悪いことを言ってしまったかとどこか不安になる。

 

《そうでしたな……ヴァルナはインディアでしか通じないのでした。失念してしまっていました……》

 

 その声は乾いていた。何かに蓋をしてしまっているような、そんな気がした。

 

《インディアをどう思われますか? 少尉殿の目にはこの国はどう映りましたか?》

 

 そう問われ、口を開こうとして、閉じる。いい国だと言うのは簡単だ。それでも今、命を預けているこの人に嘘はつきたくなかった。

 

「ムンバイしか知らないので、あんまり知りませんけど……大変な国だとお思います。どこも人がいっぱいで、たくさんの人が憎み合ってて、でも、憎んでる人だけじゃなくて、なんとかしたいって思ってる人も居て、難しい国みたい、です」

 

 冷たい鉄の板に背中を預けて、WA2000を抱く。

 

「ムンバイの空港で、子どもを助けたんです。言葉が分からなくて、その子どもがウルディスタンの子どもだったのか、インディアの子どもだったのか分かりません。もみ合いの中でその子が倒れて、助けようとして、シールドを使って……そのあとはめちゃくちゃでした」

 

 あの時の目を忘れられない。子どもの怯えたような目、シールドの奥に見えたいくつもの怖い目、それが銃を向けられた瞬間に怯えた目に変わっていく。それが忘れられない。

 

「でも、放っておけなかったんです。手を出すなって言われたんですけど、放っておけなかったんです。でもそれが正解だったのか、わかりません」

 

 電源の切れたグラスデバイスの向こう、丸窓を通して荒涼とした砂の大地が見える。

 

「私はきっとこの国が大好きだって言えないです。でも、いつか好きだって言えるようになりたいなって、思います」

 

《……あなたは、聡い子だ》

 

「シャルマさん……?」

 

 しばらく黙ってから、通信機の奥がぽつりと語った。

 

《私は、この国が嫌いなのです。ダリッドの私にとってこの国は苦い汁を煮詰めたような場所なのです》

 

「ダリッドって……?」

 

不可触民(アンタッチャブル)の事です。ジャーティの外に置かれヒンドゥーの掟の中で不浄な物に触れる仕事をする者の事です。父がなめし革職人(チャマール)だった私はどうやったってダリッドになってしまう。それが嫌で、ジャーティに左右されない空軍に入ったのです》

 

 エンジンの音は穏やかだ。高速巡航しているはずだが、そんな事を感じさせない静けさが満ちている。

 

《それでも変らなかったのです。この国も私も。いつまで経っても私は貧者(ダリッド)でした。どれだけ憎んでも、苦しくとも、それでもインディアは私の祖国なのです。この国が、私を育てた。私が守るべき国なのです》

 

 そういう言葉は重かった。

 

《人類連合の少尉殿に言うことではないのかも知れません。ですが、あなたはこんな国で死んではいけないのです。ここは、私の空です。インディアの、空です》

 

「シャルマさん……」

 

《我々の空でなければならなかった。我々だけの戦場でなければならなかったのです。少なくとも、少女に銃を預け、命を散らせるような空であってはいけないはずなのです。軍人が守るべき存在であるはずのあなたを、あなたたちに死ににいけと言わねばならないこの国が、この空が、私は憎くてたまらない。それに従ってしまう私が情けなくてたまらないのです》

 

 そう言って彼は自嘲するような笑い声を上げた。

 

《ですがこの国はあなたたちを頼らざるを得ない。この国を守るために、この国に風穴を開けてもらうために。ですから、この願いはただの一兵卒のわがままです》

 

 シャルマ飛行士はそう言って悩むような間を開けた。

 

《どうか、せめてあなたが空に飛び立つまで、守らせてほしい。私はあなたを戦場に叩き込む悪魔かもしれない。それでも、どうかあなたを守る事を許して欲しい》

 

 それを聞いて、ひとみは頷いた。ここからだと見えないのを思い出して、慌ててインカムに言う。

 

「おねがいします。わたしを連れて行ってください」

 

 そう言うと、向こうでどこかほっとしたような気配。

 

《エスコートできて光栄です。命に代えてでも必ずお守りいたします》

 

「……生き残らなきゃ、意味なんてありませんから。命に代えてなんて言わないでください」

 

《わかりました。そうすることといたしましょう》

 

  笑ったシャルマ飛行士の声に父親の声色に近いものを感じた。すこし胸が痛くなる。それでも声を明るくして、言葉を掛ける。

 

「そういえばシャルマさんのご出身ってインディアのどこなんですか?」

 

《チェンナイという都市です。南の海沿いで、小綺麗な街です、年中暑いので――――》

 

 話しているとシャルマ飛行士は案外饒舌だ。ちくりと痛い胸を押し隠すようにしながら、ひとみは彼の話を聞く。その間にも、眼下の風景はどんどん変っていた。砂漠を越え、若干の緑が見えてくる。

 

《降下ポイントまで240秒。降下前確認手順(テイクダウンチェックリスト)開始》

 

 全体無線に英語でのぞみの声が乗り、ひとみはゆっくりと唾を飲み込んだ。喉の奥が張り付いているような嫌な感覚。それを飲み込んで、豆電球に照らされたチェックリストを指でなぞる。

 

「テイクダウンチェックリスト、スロットル・ミニマム、フューエルコントロールスイッチ・カットオフ、マスターアーム、オフ、IFFアライン、VHFアライン、INSアライン……ジェットエーテルスタータ、オフ、Vmaxオフ……電圧計32AHオーバー確認、正常値……えっと……」

 

 外部電力の供給をGiG-29K艦上戦闘機からウィッチ輸送用ポッドのバッテリーに切り替え、ストップウォッチをスタート、エンジンスタートにだけ使う電力とはいえ、ここから先の電力は十分。脈拍が上がっていく。

 

「グラスデバイス起動確認、フライトアシストコンピュータノーマル、ファイアワーニングテスト、コーションライト、ターンオンチェック。ブラックパネル、ノーライト、チェック。フライトシステム、オールグリーンライト。酸素供給(LOX)ライン、カット、グリーンライト、チェック」

 

 酸素マスクのホースを外して、壁の方に固定。壁にイラストでやり方が描いてあるから迷わずできた。テイクダウンチェックリストあと一つで終わる。機内用のインカムのライン切断だ。切り離したら、もう接続することはできない。その前にもう一度だけ、言葉を交わしておきたかった。

 

 インカムの通信ケーブルに手を掛けながら、回線を開く。

 

「行ってきます、シャルマさん」

 

《ご一緒できて光栄でした。あなたに神妃(ドゥルガー)のご加護があらんことを》

 

「死なないで、くださいね」

 

《あなたもです》

 

 それを聞いて、ゆっくりとケーブルを抜いた。耳からイヤホンを外す。指定された箱にそれを突っ込んで蓋を閉める。

 

「テイクダウンチェックリスト、コンプリート」

 

 そう言って、覚悟を決める。窓の外には煙が立っているのが見える。人がいるのだ。街があるのだ。

 

 何万人もの人が、今、ネウロイに飲まれようとしているのだ。その最前線に今から飛び込む。

 

「大丈夫。必ず、帰るから」

 

《降下30秒前》

 

 無線を聞きながら、作戦概要をざっと見る。余白の文字を見て、笑みを浮かべてみる。笑えなくても、無理に笑った。そうしてから、気を引き締める。

 

《降下10秒前》

 

 WA2000を握りしめる。スコープをそっと撫でて深呼吸。息を吸った。8割まで吸って、止める。

 

《降下》

 

 世界が回った。もう戻れない。

 



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الجھن میدان دوسرا حصہ

Chap3-6-2"Confused field"


 ウルディスタンの臨時首都、いや()臨時首都というべき都市、ラホール。その郊外を走るラホール環状線(リングロード)は今やウルディスタン軍最後の砦であった。

 

 しかし、既にラホールはネウロイの大群に埋め尽くされている。建物の背も低くなる郊外での戦闘はひたすら人類側に不利。なぜこんな場所に防衛戦を引かねばならないというのか。

 

「大尉、3小隊が後退の際に甚大な損害を被り、これ以上の戦闘は不可能とのこと」

 

「そうか」

 

 中隊指揮官、ザルダーリー大尉がその報告を受け取るのは立体交差のジャンクション。環状線と交差するGTロードの前にはネウロイ、そして後ろには避難民。道は閉鎖されたインディア国境線へと続く。

 そう、ウルディスタン陸軍はインディア国境へと進む自国民の命を少しでも長引かせるべく、臨時首都を飲み込んだネウロイの群れに立ちはだかったのである。

 

 その数、陸軍一個中隊。

 

 これを後年の軍事評論家が知ればなんと表するだろうか。万の避難民を若干百余名の兵士で守ろうというのである。無謀という他の言葉が見つからない。

 しかし、それが抗戦を止める理由になろうか。歴戦の第342ライフル中隊はその全員が闘志を全身に滾らせ、雲霞の如く群がるネウロイへと銃口を向ける。

 

 そのような状況であっても、常に指揮官というモノには冷静さが求められるものだ。ザルダーリーは己の頭の地図に問い詰める。右翼を支える3小隊が壊滅した今、当初の作戦計画が実施できるかを。

 

 環状線とG・Tロードの結節点であるこのジャンクション、クエイド=イ=アザームインターチェンジの周囲に広がるのは低層住宅。

 統一感なく建てられた住宅群はこの国では見慣れたモノで、ネウロイの衝撃力を防いでくれるかというと微妙なところだ。むしろこんな中途半端な建物は射線の邪魔ですらある。射界を確保する都合上機関銃分隊はジャンクションの高架上に設置するほか無い。それでも射線は前方方向に限定される。

 

 端的に言うなら、中隊の防御陣地は側面攻撃に弱かった。

 

「……1小隊から一個分隊を抽出、右翼を支えさせろ」

 

「了解です」

 

 となれば中央の戦力を戦線崩壊を防ぐために回すほかはない。避難民の護衛にも戦力を割かねばならない状況では、中隊に予備兵力などを用意出来るはずもなく、中央からの戦力抽出はむしろ中央突破を許すリスクを生む決断だ。

 

 いやそれどころか、分隊を丸ごと引き抜いてしまえば、この高架を守るのは機関銃分隊のみ。いくら機関銃の火力が有用と言えども、これではこのジャンクションを突破してくれと言わんばかりである。

 

「分隊続け!」

 

 他の国でならもう年金生活が出来そうな曹長がガラガラ声で叫び、それに兵士が続く。いずれも兵士にしては老いた顔。軍隊の平均年齢が20代であるという統計を出したとして、誰がそれを信じるだろうか。

 ペルシアがネウロイに飲まれたことで始まった戦いは既に五年。ウルディスタンの人的資源はとうの昔に枯渇していたのだ。老兵が軍の主力を成し、まだ少年と呼ぶに相応しい兵士達が死線をくぐる。こんな戦場が、なぜ今日まで持ちこたえて来たのか不思議なくらいである。

 

 だから、一度戦線が崩れれば後は早い。

 

 誰もが誤解していた。この戦線がインダス川に勝る流血で保たれていたという真実から目を背けていた。

 多くの先進国が対ネウロイ作戦においてウィッチを主兵力とし、故に押さえられてきた人的資源の消耗。これを考えることは終ぞなかったのである。あのペルシアが十年以上戦い続けられたのはひとえにリベリオンやブリタニアといった主要各国の精鋭ウィッチたちの尽力あってのことだというのに。

 

 ウルディスタンはまだ持ちこたえられる。あの国はまだ敗れることはない。いつの間にか定着してしまったその認識が、どれほどこの国を蝕んだことか。

 

 しかし、そんなことは彼らには関係ない。いやそもそも、他国の支援ありきで成り立つ国家を果たして国家と呼べるのであろうか。これは彼らの聖戦であり、彼らが成し遂げねばならない戦いなのだ。その戦いぶりを示すことで、彼らは天国へと誘われるのである。

 

 ならば、そうであるならば。

 

「敵集団より蜘蛛! 突っ込んでくる!」

 

 ネウロイの群れより抜け出したのは一際目立つ八本足のネウロイ。蜘蛛と呼ぶに相応しいあの陸上型ネウロイは高い不整地走破能力を持ち、戦車の装甲をも貫きかねない高出力のビームで陣地を突き崩す。高架のコンクリートは貫かれることはないだろうが、その高熱は間違いなく中隊の足場をチーズのように溶かしてしまうことだろう。

 

「RPG!」

 

 ザルダーリーのかけ声に一人が携帯式対戦車擲弾発射器を持ち上げる。オラーシャ製の傑作対戦車兵器。さながら槍のようなそれは、穂先にネウロイですらもその高圧力で融解せしめる成形炸薬弾を括り付けている。既に装填済みのそれを構え。照準器をのぞき込んだ。

 

 だが、まだ撃たない。彼我の距離が遠すぎるのだ。比較的安価、そして簡便とされるRPGは、その構造上命中精度に難がある。100mでも命中出来るかは怪しいものがあり、熟練の兵士をもってようやく命中が期待できる程度。

 

 蜘蛛が走る。目指すは機関銃陣地と化したジャンクション高架。足止めに一人の兵卒が射撃を食らわせ、それを受けた蜘蛛は足を止めることも無く消し飛ばす。塹壕という名を冠した浅い溝に寝そべった兵士を踏み潰し、ジャンクションへと迫る。

 

「今だ!」

 

 号令一声。射撃手の指が撃鉄を落とす。発射薬(ブースター)に点火、クルップ式無反動砲特有の大袈裟な後方噴射(バックブラスト)が土煙を吹き飛ばす。発射口から飛び出した弾頭は折りたたまれていた安定翼を展開、ブースターに火が入るころには、蜘蛛めがけての突貫を開始していた。

 

 安定翼があるとは思えないほどの不安定な軌跡を描きつつ、蜘蛛へと迫る。しかしネウロイだってその飛翔物体が重大な脅威であることは認識していることだろう。即座にビームが走るが、当たらない。不安定な弾道が予想外の効果をもたらしたようだった。

 

 そして命中。装甲車をも貫く高火力に、蜘蛛はのけぞり、それからあっけなく倒れる。舞う土煙。幸いにも再生の気配は、ない。

 

「よくやったな」

 

 ザルダーリーは射手を讃えようと肩を叩く。肩を叩かれた兵士は()()()()()()()()、そのまま背中をコンクリートに預けた。

 

 眉間を見事に打ち抜かれていたのだ。出血と同時に血は蒸発。ケロイド状になった各組織の壁で作られた直径五センチほどのトンネルが彼の頭にくり抜かれていた。

 

「12mm弾僅少!」

 

 その言葉がザルダーリーを指揮官に戻す。戦いは、まだ終わらない。

 

 

 

 

 

「中隊本部より阻止砲撃命令!」

 

 無線が入る。それは作戦がとりあえず計画通りに始まったことを示していた。

 

「よし、撃て!」

 

 環状線を越えて、更に国境側。GTロードの脇には迫撃砲陣地が展開されていた。

 装備するのはブリタニア製の81mm迫撃砲。3つの部品に分解することが可能で陣地転換が容易なそれ。手榴弾とRPGだけでネウロイと渡り合っている戦線がごまんと存在するこの国で、ブリタニア軍の気まぐれとは言え迫撃砲を入手できたこの中隊は幸運であった。

 

 照準射撃は既に済ませてある。ジャンクション手前に群がるネウロイ。合計して9名の要員が取り付いた3門の迫撃砲はその16口径の滑腔砲身に砲弾を飲み込むと、それからやけに軽い破裂音と共に砲弾を吐き出す。

 

「アッラーフアクバール!」 

 

 射手が神へ祈りをささげた瞬間、戦場が爆ぜた。着弾したのだ。ジャンクション手前は今頃大混乱だろう。砲弾と銃弾が飛び散り、ネウロイの群れはかき乱される。その間隙を縫って兵士達は着実に戦線を下げる。もはや意味を持たないジャンクションを死守する理由などない。戦線は下がるものであるし、彼らにとっての戦術とは下がるためだけに存在するものだった。

 

 迫撃砲分隊は射撃を止めない。僅か3門、されど3門。迫撃砲は戦場に降り注ぐ文字通りの鉄槌だ。ネウロイを食い千切り、戦場に華を咲かせる。全ての友軍が待ちわびて、そしてあらゆる敵軍が畏怖するその力。

 

 彼らには戦場が任されている。彼らの活躍が、戦場の全てを決すると行っても過言ではないのだ。

 無線手がヘッドホンに耳を当てる。新たに入る知らせは凶報か、はたまた吉報か。

 

「中隊本部ならびに機関銃分隊、後退します!」

 

 その言葉に砲兵分隊の指揮官は、その報告に一瞬頬を緩ませ、それから引き締めた。弾丸の残りが心許なく、携帯にも適さない重機関銃は放棄と事前の計画で決められている。

 つまり、機関銃分隊は全ての弾薬を使い果たした。即ち、中隊でもっとも効率よく小型ネウロイを屠れる支援火器が消えたと言うこと。

 

「ここからが正念場だぞ! 分隊全力射撃、奴らを釘付けにしろ!」

 

 その言葉に励まされ、迫撃砲が唸る。砲弾は次々と発射口へと運ばれては、重力に従って砲身を滑り降りそして発射薬のガスに押し出されてラホールの空を舞う。短い飛翔の後にもたらされるのはネウロイの破片と土煙。

 

 だがその程度で止まるほどネウロイもヤワでは無い。彼らを食い止めていた機関銃の唸り声はもう聞こえず、ジャンクションへと群れは押し寄せる。その姿は地上を覆い尽くす真っ黒な津波だ。このままで中隊司令部などあっという間に波に飲まれてしまうことだろう。

 

 それは避けなければならない。

 

「今だ、突っ込め!」

 

 そう叫んだのは誰だったか。トラックに取り付いた兵士はエンジンに火を入れると、()()()()()()()()。手元のハンドルはガムテープで固定されている。これから何が始まるのか、誰の目に見ても明らかであった。

 

 アクセルを踏み、トラックは走り出す。クラッチを踏み込み、変速を切り替えたのが最後の仕事。あらかじめ用意してあったコンクリート片でアクセルを固定してからはたと()()()()()

 幸いにもG・Tロードは広い国道、更に付け加えればこんな最前線をドライブする酔狂な人間などとうの昔に命が果てている。だだっ広い道を、自重数トンを数える自動車は疾走する。かつては冷凍車としての機能も備えていた中古車らしいが、今となってはただの走る重量物である。

 

 そしてもちろん、トラックはネウロイのビームの束を浴びることになる。

 フロントガラスは融解より先に砕け散り、運転席の背もたれに火がつく。側面に何故か扶桑語で書かれた『常磐水産(有)』という文字がビームの熱で消え去り、ウルディスタン共和国のナンバープレートが真っ黒になって読めなくなる。既に製造から何十年。異国の地で生まれたガソリン内燃機関搭載の自動車はその命を文字通り燃やし尽くそうとしていた。

 

 だが、最後の使命が残っている。ついに車軸を射貫かれたトラックは車体をアスファルトに押しつけた。フレームとの摩擦で散る火花、だがもはや、その運動エネルギーを止めることはビーム程度では叶わない。ネウロイのビームは車体を貫くばかりで、その動きを押し返すわけではないからだ。

 

 激突。トラックに前面の騎兵型が押しつぶされ、障害物に当たったトラックは宙に浮く。すかさず一人が手元の携帯の通話ボタンを押した。その間にもトラックは重力に導かれるままに大地へと落ちる。

 

 単調な接続音の後、呼び出し――――――刹那、車体は爆散。

 

 既に運用叶わず、郊外の空港にて放置されていた航空爆弾が仕掛けられたトラックは見事ネウロイの群れの真ん中で散って見せた。これを最高のパフォーマンスと言わずして何というだろう。携帯電話という民生品と、航空爆弾という無用の長物の合わせ技。破壊力としては簡易爆弾の中でも最高レベルというべき品質。それがネウロイの群れの中で弾けたのである。

 

 だがそれでも、ネウロイは止まらない。倒れ砕け散る同類の屍に構わず、先へと進む。

 

 更に携帯電話が鳴る。今度鳴ったのは橋脚の付け根。そうジャンクションの高架を支える橋脚だ。流れる電流が撃鉄と化し、炸薬に火を入れる。僅か数キロの工作用爆弾は直接使えばただの火薬、上手く使えば何者にも勝る。高架に走ったひび割れはその自重によりにわかに傷を広げ谷を作り、そのまま轟音と共に崩れ去った。ネウロイの影もそこに消える。

 

 

 

「上手くやったようですな!」

 

 後ろを振り向くことはしないが、何が起きたかはよく分かった。肺の息を全部出しそうな大声で副官が叫び、ザルダーリー大尉は頷くに留める。

 

 まだ、戦線の後退は順調に進んでいると言って良いだろう。問題はそれをどこまで続けられるか。というものだ。

 

 GTロードには何十両もの車両が放棄されている。いずれもインディアへと向かおうとして足止めを食らった車両達で、一方の道――即ちラホールへと続く道――には一両の車両もいない。

 だからこそ先ほどのように操縦者のいない自動車を走らせることが出来たのだし、これからもその開けた道路に頼ることになる。

 

「大尉!」

 

 ザルダーリーが辿り着いたのは、中隊の集結地点。高架を破壊した後、部隊は直ちにここへ集まることとなっていた。

 下士官が敬礼。もはや数百メートル先までネウロイが迫っている状況でも直立不動を保つその姿に答礼しつつ、ザルダーリーは口を開いた。

 

「集合にどれほどかかる」

 

「既に20人ほどが集まっています。3小隊は誰も来ていません」

 

 逆に言えば、()()()()()()()()()()ということである。それで総勢二十余名。歩兵中隊とは百五十余名を持って編成されるのではなかったか。

 

「潮時だ。トラックの準備をさせろ。迫撃砲の残弾はどうなっている?」

 

「五割を消費したと、砲撃の継続を上申してきています」

 

 その言葉の間にも、ジャンクションの向こうに爆煙が上がる。砲撃が続いているのだ。迫撃砲は攪乱には有効だが所詮は着弾観測の叶わない()()()撃ちに過ぎない。砲撃で足止め、同時に止めを刺せる歩兵がいるならともかく、時間が経てばネウロイに再生されるのがオチだ。

 

「無駄撃ちだ。止めさせて直ちに陣地転換、そう伝え――――――」

 

 しかし大尉の言葉は続かない。

 

 その()()を見つけようとして、ある者は空を、ある者は地を、またある者は上官を見る。全身が震え、視界が揺さぶられる。まるで大隊規模の砲兵が自分の周囲に射撃を喰らわせているような――――にも関わらず一つの破片、煙も飛び交わない奇妙な()()

 

 

「――――――足下!」

 

 そう悲鳴のように叫んだのは誰だったろうか。皆が足下を見て、そして息を飲む。釣られて国道に眼を落としたザルダーリーの視界には、アスファルト。

 

 なんの変哲もないアスファルトに小さく、細長いひび割れ。

 

 何処まで続いているのか、いや、いつからそんなひび割れがあったのか。考えることを頭が拒否する。その可能性を可能性で終わらせたいと思考が進まない。その間にもひび割れは震える。ひび割れがアスファルトを砕き、何重にも折り重なるように広がっていく。

 

「退去ォォォォォォ!!!」

 

 その叫びがいったい何人の耳に届き、そして実行されただろうか。アスファルトが、国道が、GTロードが()()()。車線と平行に何重ものひび割れが大地の裂け目に変わり、道沿いの家々が根こそぎ倒壊する。

 

 次の瞬間――――大地が()()()

 

 大尉は必死に視線を泳がせる。小銃を捕まえようとする者、空に手を伸ばす者。誰もが重力に引かれて落ちてゆく。こんな場所に爆薬を設置した覚えはないし、そもそも岩と金属の塊であるはずのこの地球でいきなり大穴が開くなんてあり得ない。

 

 となれば、犯人はただ一人に絞られた。それが()()()()()()

 

 それはこれまで見てきた幾多の中でも、とびきりに大きな獲物。思えば首都死守を謳った精鋭達を砕き、この国を絶望のどん底に落とし込んだのはこのような巨大な奴ではなかっただろうか。

 

 ()()()。確かにそう感じた。冗談のような緩慢さで重力が瓦礫や部下を引きずり込む向こう側でアレが笑ったのだ。土に埋まって全貌が見通せない程に大きく、あざ笑うかのように赤い光を纏っていた。

 

 そうか、貴様か。この国を蹂躙し、孫を奪い、娘をすり潰し、妻を引き裂いたのは、貴様か――――

 

「――――ネウロイ!!!」

 

 意識が吸い込まれる間際、大尉は祖国の敵に向けてそう叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かだ。

 

 それがひとみの思った最初の感想だった。風切り音だけが響いている。静かすぎて耳鳴りがしているような感覚に陥る。息が白く曇った。ポッドの電熱ヒーターが投下されたことにより切れたのだ。

 

 体が冷えていく。それで思い出したように保護魔法を展開。ひとみはそのまま機体が揺れるに任せる。

 

 作戦自体はシンプルだ。インディア帝国軍が進行できる領空限界まで飛び、高高度からウィッチ輸送用のポッドを投下、滑空させつつウルディスタンに突入させる。あとは現場の様子を確認し、()()()()()()相手を撃滅する。それだけだ。

 

 投下されたポッドが格納されていた細い板のような翼を展開した。希薄な空気をつかみ、安定した姿勢で高速で滑空を開始する。気流のせいで細かく機体が揺れる。

 

《米川、降下の衝撃で死んでないでしょうね》

 

「はい、大丈夫ですっ!」

 

《予定通りポリシーラー中尉が先に展開した》

 

《Покрышкин》

 

《無線チェック協力どうも、ポストメン中尉》

 

《Покрышкин》

 

 のぞみは通常運転。気負わない声に勇気づけられた気がした。

 

《私達はこのまま降下。酸素マスクが切れる前に保護魔法だけ展開しておきなさいよ》

 

「既に展開済みです!」

 

《上等》

 

 高度計がぐんぐん下がっていく。WA2000の吊り紐(スリング)をたすき掛けにしてしっかりと提げる。酸素マスクの残量計に注意しつつぐんぐん針が回る高度計を確認。

 

《ストリックス1、インディア陸軍の迫撃砲・戦車隊の管理システムを掌握。これでとりあえずインディア陸軍からのありがた迷惑(フレンドリーファイア)は来ない。カイトフライトは予定通り1万まで降下》

 

《待った。戦車隊の射程まで戦域が収まってるって事?》

 

《降下時にそこをかすめるだけ。車載ミサイル隊はとっくに制圧済み》

 

《つくづく恐ろしいわ、ポリアセタール中尉》

 

 コ―ニャの声は至極落ち着いている。気流の乱れが激しいのか大きく周囲が揺れた。高度4万3000を通過。保護魔法の展開も完了。

 

《カイトフライト、カイト・ワン。総員、戦術リンク、リンクスタート!》

 

 目元を護っていたグラスデバイスが起動する。視界に戦術情報がオーバーラップする。

 

《状況は最悪。避難民の後方に陸戦型ネウロイの群れだ。敵が七分に陸が三分って本当に使うときが来るとは思ってなかったよ。数を数えるのもばからしい。それに制空権を喪失。避難民の規模は……》

 

 のぞみのどこか愉しそうな声にコ―ニャが割り込んだ。

 

《最低で4万人規模。どうする?》

 

《どうするもこうするも、無視するのはあまりに人の道に悖るでしょう。目の前のネウロイを撃滅せよ。勲章の大盤振る舞いだ》

 

 のぞみがそう笑う。それを聞きながらひとみはWA2000のチャージングハンドルを引いた。初弾が送り込まれる。セーフティオン。グリップを一度全力で握り、力を抜く。

 

《さーて時間がないよ。減圧弁解放! 一気に突っ込もうか!》

 

 ひとみ、ポッドの壁につけられた操作盤のパネルを開き、中のボタンを押す。一瞬でポッドの中が白い霧のようなもので覆われた。減圧弁を開いたことで一気に気圧が下がり、気温も低下する。あっという間に空気は水蒸気を保持できなくなり、一瞬のうちに細かな氷の粒に変化したのだ。気圧の変化に耳が痛くなる。

 

《す、水蒸気が……!》

 

《なーにやってんのティティ。当然でしょうがっ!》

 

 レクシーの叱咤を聞いてひとみは苦笑い。ティティと同じ反応をしそうになっていたから言わなくてよかったという気持ちが浮かび――――苦笑い出来る余裕があることに気がついた。

 

 私は、まだ飛べる。

 

 そう思えた。まだ、飛べる。

 

《米川! 先に出ろ!》

 

「へっ!?」

 

 いきなりのぞみの命令が飛び出し慌てる。

 

《開幕の狼煙として中央のデカブツを叩く。このままじゃ降下より前にデカブツが地上友軍を食い尽くす》

 

 最前線で戦っている人がいる。そしていまその人達が、そこまで考えて、ひとみは首を横に振った。そんなことにはさせない。止めるんだ、そんなこと。そんなことさせてたまるか。

 

《コ―ニャ! 米川のサポート!》

 

《ん》

 

《米川は高度1万8000で先に展開。超長距離射撃を敢行せよ! あんたの狙撃だけが頼りだ、気張れ!》

 

「了解っ!」

 

 降下手順を早める。速度計を確認。マッハ数0.85。遷音域は下回った。展開可能だ。高度計確認、2万をまもなく、割る。

 

「のぞみ先輩」

 

《なによ》

 

 すぐに声が返ってくる。一人ではない。それを知って、左手が黒と黄色のストライプに塗装されたハンドルをつかむ。

 

「いきます」

 

《いってこい、米川》

 

 ポッドの解放ハンドルを一気に引いた。引き切って、左手を体に引き寄せる。数瞬の間を置いて、強烈な音が響いた。暗いポッドに強烈な日光が刺さった。

 

「――――――っ!」

 

 青い。青い空のなかを飛び抜ける。白い雲はまだ遙か彼方下のほう。群青というには薄い青だが、水色というには濃い青の中を飛ぶ。

 

 解放ハンドルが引かれた事で、ポッドのフレームのボルトが火薬によって吹き飛んだ。強烈な風圧によって、外装板が遙か後方に吹き飛ばされていく。

 

 同時に警報。速度超過警報が一気にバイザーに流れ込んできた。翼のひずみ計の枠が赤く光りながら現れた。空力限界ぎりぎりだ。A-10飛行脚は元々低空低速での地上型ネウロイ掃討を主目的として造られた機体だ。高高度からいきなりはじき飛ばされる事を想定しているわけではないのだ。それでも壊れないのは頑丈すぎると言われるほどの機体設計のおかげだろう。

 

「外部フレーム、切り離しますっ!」

 

 背中を戒めていたハーネスの紐を引ききる。緊急リリースの為のケーブルだ。ハーネスがものすごい勢いで後ろに飛び去った。フレームに固定されていた制動用のドラッグシュートが開いたのだ。これでひとみを戒めるものはなくなった。吊り紐(スリング)をたぐり寄せ、狙撃銃WA2000を両手に納める。

 

「マスターアーム・トゥ・オン! コ―ニャちゃん! インフォメーション!」

 

《転送開始》

 

 視界のバイザーに一気に流れてくる情報の洪水。それをひとみは目で追いながら、ターゲットの位置を確認。雲の向こう、直視することは叶わない。それでもコーニャが転送してきた情報がその輪郭を浮き彫りにした。

 

「全長340メートル!? 大きい……っ!」

 

《それでもコアを抜ければ問題ない。対象ネウロイの再生行動を検知。コアの位置の特定完了》

 

 その言葉の通り、ネウロイの1カ所にマーカーが設置された。そのマーカーに向け、スコープを覗き混む。スイッチ切り替え、倍率最大。

 

《狙撃距離は1万メートルをはるかに越える。いける?》

 

「わたしを、誰だと思ってるんですか?」

 

 そう言って、ため息。ついでに肩の力を抜く。レティクルの向こうにネウロイの姿を捉えた。左目のバイザーの情報と右目のサイトの視界がリンクする。

 

「……って言えればいいんだけど」

 

 姿勢が安定。エンジン始動用意よし。

 

《ひとみにそういうのは、似合わない》

 

「そうだね……っ!」

 

 火を入れる。一瞬だけ進路がぶれるが舵を当て、再度安定させる。速度を限界まで上げる。エンジン出力全開。速度を上げることで機体を安定させる。

 

《でも大丈夫。信じてるから》

 

 呼吸を整え、肩に狙撃銃を当てる。姿勢を整え、魔力を展開した。イメージするのは、一本の線。それが相手を繋ぐ事をイメージし、その上を最速で弾を走らせるイメージを持つ。

 

 

 わたしは、ひとりじゃない。

 

「カイト・ツー、米川ひとみ」

 

 相手は雲の向こう。薄い雲の向こうで電子の影がゆっくりと動いている。ソレを捉えた。スコープと、バイザーの情報が完全に一致。十字の交点の向こうにコアを捉えた。魔力レール形成。ひとみの能力ならば風も重力も関係ない。

 

 ひとりじゃない。みんながついている。だからみんなのために、わたしは飛ぶ。

 

「これより、支援を開始します!」

 

 威勢のいい言葉とは裏腹に、その引き金は静かに音も無くゆっくりと押し込まれた。

 

 そして、それが放たれる。音速を遙かに超え、銃口と対象を一本の白い光で繋いだ。

 



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شکریہ پہلا حصہ

Chap3-7-1"Thanks"


「――――逃げてくださいっ!」

 

 ルクサーナの絶叫も届かない。迫撃砲レベルで装甲が抜けないことは火を見るよりも明らかだ。それでも彼らは止まらない。

 

《ザルダーリー大尉に続け! これは聖戦(ジハード)なり! 祖国を奪いしネウロイに鉄槌を!》

 

 ルクサーナの耳に響くのは威勢の良いウルドゥー語。ザルダーリー大尉に続けという彼らに届くよう、ルクサーナは無線に問い返す。

 

「憎悪と復讐による争いは聖戦ではなくただの戦争(キタール)です! 一度撤退してください! 生き残ることこそ戦いです!」

 

 その無線に応える者はない。応えることを目の前の敵が許さない。

 

「これが、『要塞』……!」

 

 どうやってこんな巨大なものがラホールの地下に潜んでいたんだと疑いたくもなる。全長だけで300メートルはあるだろうか。高さもビル6階建てくらいはある。こんなもの、ビームを撃ってこなかったとしても歩き回るだけで大問題だ。

 その重さを支えるためか、巨大な足が何本もうごめき、目の前で第342ライフル中隊()()()()()をアスファルトの破片と一緒に漉き込んでいく。鉄骨造の建物でもまるごと骨組みにでもしたのかと思える程の図体に押し潰されては人なんてたまったものではないだろう。

 

 そのタイミングで緊急通報が入った。

 

《インディアの航空機がラホール方向に接近中。数6、軍用機だ。戦闘爆撃機の可能性大》

 

「あぁもう。なんでこんな時に……!」

 

 愚痴っていても仕方ない。まずは目の前のネウロイをなんとかしなければならない。MPi-KM自動小銃の槓桿を引く。最後のマガジンだ。これで、抜けるか。

 

「……お願いだから、私に気がついて……!」

 

 引き金を引く。鉄製のピープサイトでは狙いも曖昧だが。そもそも的が大きいので外すことはない。装甲が白く弾けるのが見えるが、それでもネウロイは気にせず悠々と前進を始めた。

 

 その方向には、インディアが広がり――――数万人の避難民がいる。

 

「お願いだから、止まってよ―――――!」

 

主たる神は偉大なり(アッラーファクバル)! 主たる神の他に神は無し(ラー・イラーハ・イッラッラー)!》

 

 動ける戦力はもうルクサーナ以外に見当たらない。第342ライフル中隊は壊滅したと言っていい。残っているのは今全滅に向けて全力疾走している迫撃砲分隊だけだ。魔導弾も使えない迫撃砲でこのデカブツをどうやって防げというのだ。それだけではなく、小型のネウロイもまだ残っているのに。

 

「これじゃ、なんの為に私がいるのか分からないじゃないですか……」

 

 虎の子のMPi-KM自動小銃も力不足だ。迫撃砲の砲弾はまるで豆鉄砲だ。それを小馬鹿にするかのようにネウロイが赤い光を収束させていく。ビームを撃つ気だ。どれだけのエネルギーがあるかはわからないが、避難民を丸々飲み込んでもおかしくないだろう。

 

「させませんよ!」

 

 ネウロイの前に回り込む。全力で張れるだけ大きくシールドを張った。

 

 ルクサーナには1つだけ、切り札があった。

 

「お願いだから、耐えてよ私」

 

 願うと同時に、視界が赤く染まる。シールドがその光に染まるかのように赤く光った。

 

 

 そして、ネウロイのビームを180度跳ね返した。

 

 

 ルクサーナは固有魔法保持者である。というよりも、固有魔法があったからこそ、義勇兵としてここまで生き残ることができたとも言える。

 

 その能力は、光の屈折の制御。

 

 日光や蛍光灯の明かりのみならず、シールドを活用してネウロイの高エネルギービームを任意の方向に跳ね返すことができる。この能力があったからこそ生き残り、戦い抜くことができていたのだ。

 

「――――――っ!」

 

 照射された時間は3秒もなかっただろう。それでもその合間が長く感じられて仕方が無い。一瞬意識が飛んだ気がした。気がついたら飛行脚がピープ音をけたたましく鳴らしていた。魔力供給が足りないらしい。

 

「これでも、落ちないの、ね……!」

 

 目の前には、少しばかり装甲が削れたものの、ものすごい速度で再生していくネウロイの姿。それを前に何ができるだろう。先ほどのネウロイのビームで魔力をごっそり削られた。次の攻撃を受けきれるかどうかは分からない。

 

 ネウロイに目があるのかどうかは分からないが、確かにネウロイはこちらを見た。笑ってみせる。腰だめに構えた自動小銃の引き金を引く。火力が足りないのは当然かもしれないが、それでもこれで正式に敵認定だ。

 

「そろそろ観念、かな」

 

 諦めたくない。それでも勝つ手段が見当たらない。ならばせめて避難民が逃げ切れる時間を稼ぐしかない。

 

 ネウロイのビームが再び収束しはじめる。ロックオン警報。左に舵を切る。この方向なら避難民が少ないはずだ。受け止め切れなければ死ぬだけだ。

 

「でもせめて、守りたかった、なぁ。ウルム、ナシーム。来世で会えたら、また」

 

 覚悟を決める。ネウロイのビームが一気に収束。その刹那。

 

 

 

 

 ソレが来た。

 

 

 

 

 ルクサーナには白い光に見えた。

 

 細く白い光の矢がネウロイを貫いたように見えた。

 

 その白い矢が刺さったとたんネウロイが熟したザクロのように装甲を散らすのが見えた。ここで初めて光の矢が空から降ってきた事を知った。

 

 続いて強烈な衝撃波がルクサーナを叩いたのを知った。石弩に弾かれたらきっとこんな気分だ。それでもルクサーナは目を閉じなかった。

 

 そして巨大なネウロイが白く光に変換される様は文字通りの奇跡に見えた。

 

「うそ……どうして、誰が……」

 

《……繰り返します。こちら人類連合軍、第203統合戦闘航空団。ゴールデンカイト・ウィッチーズです。これより、ラホール付近に展開中のウルディスタン軍の支援を開始します!》

 

「ぞう、えん……、助かった……?」

 

 無線から流れるのは訛りの強いブリタニア語。まだ子どもの高い声。

 

《もう死なせません。わたし達が、助けてみせますっ!》

 

 

 

 

 

 

「あのやろ、大見得切りやがった!」

 

 のぞみはそう悪態をつきながらも、口の端が緩むのを止められなかった。

 

「その意気やよし! 扶桑の武士(もののふ)ここにありと示さねば、ね!」

 

《ネウロイがこちらに気がついた。カイトフライト戦闘用意》

 

「さーて、カーニバルの始まりだ!」

 

 のぞみの輸送ポッドがはじけ飛ぶ。空中で前転を決めるようにして空気抵抗で急制動。高度が一気に落ちていく。その真上をネウロイのビームが通過した。

 

「ィヤッホォォォォ!」

 

 のぞみの役割は単純だ。誰よりも早く低空に降下し、陸戦型のネウロイを掻き回すこと。

 

「ゆめか! レクシー! 空は頼んだ!」

 

《モンファっていってんでしょーが!》

 

《アレックス様と呼べっ!》

 

 上空から降ってきたの無線にカイトフライト3番機と4番機が無事に展開したことを知る。オーグメンター全開の爆音すら置き去りに上空を白い光が駆けていく。白い雲の傘が一瞬ででき、それがはじき飛ばされる。音速を一気に越えたのだ。衝撃波を引いて緩降下(アンロード)加速していくF-15。おそらくマッハ2.0に限りなく近い速度でぶっ飛んでいく。扶桑鷲(イーグル)に乗る夢華の視界の先には空中型がまばらに広がっていた。

 

《墜ちろ》

 

 夢華の声が冷徹に響いた。超高速のせいでネウロイのビームの照準は間に合わない。遙か後方の空気を切り裂いていくネウロイの攻撃をあざ笑いながら夢華はハードポイントに吊っていた空対空魔導ミサイルの引き金を引いていた。視界外(オフボア)サイティングを可能にする照準システムがネウロイを自動ロック。計8発のミサイルが白煙を引いて飛んでいく。

 

 その行方を見ることなく、夢華の95式自動歩槍が火を噴く。すれ違い様にネウロイ一機をクシャクシャにした。引き起こし、失速。翼の上の空気が剥がれ落ち、白く雲をつくるが、それも衝撃波で吹き飛んでいく。慣性の法則だけで前向きに跳ね飛ばされながら周囲を見回す。速度計が悲鳴を上げた。急制動。

 

 二秒後、ネウロイからの射撃。直撃はしない。

 

 その予測通り飛んできたビームの熱を感じながら、引き金を絞る。撃破。その間に左手は手榴弾の安全ピンを引き抜いていた。遠心力でレバーだけを残して手榴弾が吹っ飛んでいく。その先にいた小型の空中型が爆散。

 

《さすがデカチチ(ティティ)特製。よく効きやがる》

 

 それを目の端に捉えながらラダーをキック。砂煙混じりの空気を翼が捉えた。回転が緩くなったタイミングでもう一度アフターバーナーをオン。超音速での機動ではあっという間に戦闘域を逸脱する。元来た道を戻るように鋭角に飛び抜ける。

 

 ネウロイのビームが夢華に集中する。それをすり抜けながら、夢華は笑った。

 

《精々囮になったんだから、しっかり決めやがってください》

 

《うるさいわね、ちびっこいの》

 

 無線に声が乗ると同時に空間に響いたのはネウロイの絶叫。次々に射線が刺さり、その間を極低速でホバリングしながら飛ぶ影が1つ。

 

やかまし屋(フープラ)が何を言うやら》

 

 アレクシア・ブラシウはそれを聞いて小さく舌打ち。M27 IAR自動小銃の絶え間ない射撃が一気に敵を一掃していく。

 

《これで文句ある?》

 

《喰えねぇ野郎でやがります》

 

《私は男じゃないんだけど、なぁ!》

 

 真下から突き上げるように迫り来るビームの山を躱したレクシーが無線に怒鳴る。

 

扶桑人(フソーズ)二人! 地上掃討遅いっ!》

 

《ごめんなさいぃぃぃ!》

 

「制空取れてないのに遊覧飛行が出来るかっ! 展開30秒で地上掃討が完了するならとっくに戦闘終わってるわっ!」

 

 レクシーの叱責に涙声を返したのはカイト・ツー、米川ひとみだ。開幕早々にゴリアテ殺し(ダビデ)よろしく大物喰らい(ジャイアントキリング)をやらかしたせいで、魔力に余裕がなくなったらしい。戦闘前に打ち合わせた戦闘下限高度600フィートギリギリまで下りていた。

 

 そのひとみをカバーしつつ、軽快にGAU-8ガトリング砲『アヴェンジャー』を振り回し地上型を次々と撃破していくのはカイト・ワン大村のぞみだ。

 

「ここまで重くて硬い機体はいいねぇ!」

 

 のぞみはそう言いながらビルの合間を悠々と飛ぶ。腰のベルトに懸架されたアヴェンジャーを左右に振りながら彼女は飛んでいく。地上型の戦線をどんどんと押し上げて行く。

 

「のぞみ先輩っ! そんな低空大丈夫なんですか?」

 

「何言ってんの、低空高速飛行ほど安全なモノはないっての」

 

 もっとも、全然速度ないけど、と呟いてのぞみは空を見上げる。

 

「ポレーチュカ中尉! そろそろいける?」

 

《Покрышкин。もういってる》

 

 訂正が飛んでくると同時に遠くで音が低く轟いた。

 

《着弾時に破片が飛散する可能性が高い。各機は高度600以下に入らないで》

 

「それはいいけど、激突(インターセプト)だけは勘弁だからねっ!」

 

 バイザーに映る高度表示に目をやれば高度80m(250)約200m(600)という高度制限は、正直なところ対地支援としては高すぎる設定だ。だからコーニャも見逃してくれていたのだが、いざ()()が来るとなれば仕方がない。高度を上げる。

 

《弾着、今》

 

 コ―ニャの声と寸分違わず、ラホールの街にいくつもの土煙が立った。

 

「うひゃー。ミサイルの嵐……どちらかと言うと(スメーチ)と言った方がいいかな?」

 

《誘導装置が電子式で助かった》

 

 群青の空の只中を飛ぶコ―ニャの姿は戦場から見えない。それでもその刃はここまで届く。どうやらインディア陸軍のBM-30多連装ロケット砲をハッキングして無理矢理ぶっ飛ばしたらしい。

 いきなり制御を奪われ、和平もできていない隣国に多数のロケット弾を叩き込む羽目になったインディア陸軍のオペレーターはさぞ生きた心地がしなかっただろうが、副次的災害(コラテラル・ダメージ)として許してもらうしかない。

 

 ミサイルの一斉射により空域にわずかな間隙ができた。その隙間を縫うようにしてのぞみとひとみが上昇。その合間で呆然としているウィッチに近づいた。

 

「ウルディスタン義勇軍の方ですね? 助太刀遅くなり申し訳ありません。ゴールデンカイト・ウィッチーズ戦闘隊長、大村のぞみ扶桑海軍少尉であります」

 

「同じく米川ひとみ扶桑空軍少尉です」

 

「あの、えっと……ルクサーナ、です」

 

 ヒジャブを被ったそのウィッチは戸惑ったようにそういう。無理もない。インディア軍が採用しているオラーシャ製戦闘機が落としていった爆弾のような何かから、リベリオン製の飛行脚を身につけたウィッチが出てきて、扶桑の軍人だと名乗ったのだ。そんなデタラメを初見で信じろというほうがどうかしている。

 

「安心してください。少なくとも私達は、あなたの味方です」

 

 のぞみがそう言って笑い、手にしていたガトリング砲(アヴェンジャー)を彼女に差し出した。

 

「使い方、分かりますね?」

 

「は、はい……」

 

 ルクサーナは言われるがままそれを受け取ってしまう。弾帯が重いし邪魔だが仕方が無い。

 

「あの、えっと……」

 

「あ、私の武装なら心配に及びません。銃剣(こいつ)があれば一騎当千です」

 

 そういう心配はしていないんですがとは言い出せず、ルクサーナはのぞみが笑顔でバトルライフルに銃剣を取り付けるのを眺めた。

 

「あなたはこれから後方に下がりつつ、避難民の誘導を。うちの爆撃屋がネウロイを丸ごと焼き払います」

 

「ま、丸ごとって……」

 

「心配御無用。避難民は焼き払わないように最大の注意を払います。避難民の最後尾は市街地から12キロのあの集団で合ってますか?」

 

「は、はいっ! ……たぶん、ですが」

 

「わかりました。ストリックス1、聞いてたな?」

 

《座標プロット確認。セカンドフェーズの開始用意良し》

 

「米川!」

 

「はいっ!」

 

「景気よく行こう。ミサイルコントロールを、ストリックス1へ委譲。全弾発射せよ」

 

 ひとみとのぞみが並び、両翼に吊られたパイロンに懸架されたLAU-61C/Aミサイルランチャーを起動した。からおびただしい数の小型ミサイルが放出される。その数、二人合わせて合計152発。その全てが白い帯を引いて空域全体にばらまかれる。

 

「これって……」

 

 ルクサーナがその行動を疑問に思う。何かが起こりつつあるのは分かる。しかし、なにが起ころうとしているのかは分からない。

 

「うちには少しばかり特別な固有魔法持ちがいましてね」

 

 のぞみはそう言いながらガトリングで近接防護をしつつ笑う。

 

「あの弾頭、ごく少量ずつですが、すべてに彼女の魔力を充填してあります。ネウロイに当たってくれれば僥倖。当たらなくても結構。時限信管で空中にばらまかれた彼女の魔力が残ればそれでいい」

 

 それが意味するものは。

 

「空間……攻撃魔法……!」

 

「ご名答です。最終安全確認。ストリックス1!」

 

《避難民グループの攻撃想定エリア外への到達を目視確認。キルゾーン設定、魔力素濃度適正値まで、後45秒》

 

「カイトフライト各機! 待避! 待避! 待避!」

 

 ルクサーナの手を引いてのぞみが下がる。それを支援するようにひとみが反対側を警戒しながら飛ぶ。

 

「カイト・フォー! 音声警告! 原稿読み上げ!」

 

《了解》

 

 端的なレクシーの返事の直後、スピーカーを通したわけでもないのに、大音量で空間に音が響く。

 

『地面に伏せて! お腹に力を入れて! 口を開けて! زمین پر لیٹ اپنے کانوں کو بند کرو. اپنا منہ کھول لو』

 

 それはレクシーの固有魔法である音波の増幅。声を魔法で増幅することで、自らを天然スピーカーとしたのである。

 ブリタニア語の後に続いた耳に慣れない発音はウルドゥー語。そこだけどこかぎこちない。ひとみがちらりとそちらを見ると、レクシーはメモを見ながら指示を出しているらしい。

 

「カイト・ファイブ! ティティ! 用意は!?」

 

《で、できてますっ!》

 

 無線の声の主の方をのぞみはちらりと見た。自分たちの頭上。かなりの高度だ。

 

「あんたの固有魔法が頼りだ。トチんじゃないわよ!」

 

《頑張ります!》

 

《こちらウルディスタン陸軍第3422ライフル小隊! 空間攻撃魔法か!?》

 

 無線に飛び込んできたブリタニア語にのぞみが返す。

 

「こちらカイト・ワン。その通りだ。貴隊は地面に伏せ耐衝撃姿勢を取られたし」

 

《攻撃を一時中止せよ! 後方に落伍者あり!》

 

「はぁっ!?」

 

 のぞみが反射的に叫び返す。

 

「なんで本隊が殿(しんがり)務めてないのよ!」

 

《落語したのは義勇軍のウィッチ見習い2名と軍属カメラマン。当人たちの強い希望により先行していた!》

 

「ウィッチ見習い!? ウルム! ナシーム!」

 

 ルクサーナが驚いたようにそういう。それにはかまわず、のぞみは目をこらす。見つからない。どこだ。どこにいる!

 

「いた!」

 

 ひとみがそう言って飛び出していく。

 

「待ちなさいよバカっ! あんたの魔力でどうするつもりよっ!?」

 

 ひとみは答えない。エンジンの轟音を残してひとみが去って行く。

 

「ストリックス1! カウントダウン停止は!?」

 

《できるけど停止したらこのネウロイを防ぎきる手段を失う。後18秒》

 

「あぁもう!」

 

 のぞみが奥歯をかみしめる。

 

 ひとみの事を考えれば今すぐ中止すべきだ。しかし、現状において最大の切り札を捨てることになる。数千を超えるネウロイを避難完了までの数時間、たかだか6人で捌ききるのが不可能である以上、これ以外に方法はない。

 

「それがあんたの答えか米川……!」

 

 失わないと言った。切り捨てないと言った。死なせないと言った。ひとみはその言葉を嘘にしまいと必死だ。

 

 それが彼女の選択ならば。

 

「――――――米川っ!」

 

 それを支えるのは編隊長の仕事だ。

 

「飛べ!」

 

 

 

 

「カメラマンさん……!」

 

「走れ! 走るんだ! ナシームちゃん!」

 

 ヒジャブを押さえながら走る少女の手を引いて、アーネスト・T・クロンカイトは走っていた。砂の浮いたアスファルトは走りづらいことこの上ないが、走らねば死ぬのだ。後ろにネウロイが迫っている。砕けそうになる膝に鞭を打って走り続ける。

 

 超大型の地上型が白い矢に倒され、援軍らしきウィッチが空中を飛び回っているが、避難民にとって状況はあまり変らなかった。大量の小型のネウロイが追ってくることには変わりないのだ。

 

 ナシームと名乗った少女の息は絶え絶えだ。ジュニアハイスクールをでたかも分からない年齢の少女に10キロ近いランニングは酷すぎる。本当は背負ってやれればいいのだが、クロンカイトの背中は既にもっと幼い――8歳だと言っていた――少女で埋まっていた。ウルムと名乗った少女のぐずった声を耳朶に受けながら、クロンカイトは走り続ける。首に提げたカメラがガチャガチャと音を立てる。これと写真のクラウドバックアップ用通信端末以外の荷物は捨ててきた。

 

「アーネスト、さん。置いて、いってくだ……さい。私を、下ろせば、もっと早く……走れる……」

 

「馬鹿野郎!」

 

 ウルムの幼すぎる声を遮るように叫ぶ。

 

「ガキが遠慮してるんじゃない! 大人を舐めるな!」

 

「私は、これでも、軍人です。ジハードに死ぬなら、本望、です」

 

 これが、地獄か。

 

 クロンカイトは初めて理解した。絶望だ。絶望が追いかけてくる。背後からものすごい勢いで絶望が追いかけてくる。

 

 こんな重荷を、私達は少女に背負わせていたのか。こんな地獄に、私達は少女を縛り付けていたのか。

 

 幼すぎる少女を最前線に出していることは知っていた。それでネウロイをを追い詰めていることも知っていた。しかしながら何一つ理解していなかったのだ。年端もいかない少女が大人を助けるために自分を捨て置けと言ったのだ。それを強いるほどにこの世界は歪んでいたのだ。

 

『HEAD DOWN! BREATH IMPACT! OPEN YOUR MOUTH!  زمین پر لیٹ اپنے کانوں کو بند کرو. اپنا منہ کھول لو』

 

 スピーカーかなにかから大声で警告が飛んでくる。伏せろと言われても伏せたらネウロイに喰われる。

 

「クソッタレ!」

 

 どれだけ悪態をついたところで絶望は待ってくれない。解決策もないまま、全力疾走を続けるしかない。

 

「――――っ!?」

 

 ナシームがいきなり手を振り払った。それに驚いて振り返れば、ナシームが笑って一人背中を向けるところだった。

 

「ナシームちゃん!? なにを!?」

 

「カメラマンさんはウルムを連れて走って!」

 

「馬鹿言え! 一人で何をする気だ!?」

 

「これでもウィッチの端くれです!」

 

 後方から高速で追いすがる小型の陸戦型ネウロイ。それがビームを放とうとしていた。

 

「ナシームちゃん!」

 

「私だって、戦えるっ!」

 

 そう言って彼女は両手をネウロイの方にかざした。両手の先に青い魔法円が空中に浮かぶと同時に、そこにネウロイのビームが突き刺さる。

 

 砂煙が巻き起こり、吹き飛ばされる。全身が熱い。それが過ぎ去って目が開けられるようになったとき、クロンカイトは砂の上に倒れていた。

 

「ウルム……ちゃん、ナシームちゃん!」

 

 背中側で咳き込んでいるウルムの無事を確かめる、ナシームは数メートル先、ネウロイの目の前で座り込んでいた。

 

 助けにいかねば。クロンカイトはそう思い立ち上がろうとしたが、バランスを崩して地面に倒れ込む。足を見れば金属の破片が左足の甲に刺さっていた。

 考えるよりも先に、叫んでいた。

 

「ウルムちゃん、歩けるか!? 逃げろ! 走って! ナシームちゃん、逃げろ! 逃げるんだよ!」

 

 そうか、これが絶望か。これが戦場か。

 

 ナシームに今にも覆い被さらんとするネウロイの姿。その背後にもいくつもの土煙が見える。あれを倒せても、もう、だれも動けない。ネウロイの波にのまれる。

 

 クロンカイトはとっさにカメラを手に取っていた。写真は自動で通信衛星を経由してリベリオンのサーバーに送られるはずだ。もしここで死んでも、このカメラの映像は世界に届く。人として間違っていることなど百も承知、それでもこうするべきだと思った。もうどうせ、自分は動けないのだ。

 

 この腐りきった歪みを誰かが変えてくれることを願い、せめて彼女たちがここにいた証を残そうと思ったといえば、聞こえがいいかもしれない。それでも、本当にそう思っていたのかはわからなかった。ただ、カメラを手にしていた。

 

 ファインダーの先で、座りこんだままの少女の背中が見える。勝ち(どき)を上げるように、ネウロイが伸び上がるのが見える。連射でそれを捉えていた。少女が小さな小さなシールドを張るのが見える。人一人を覆えるかどうかも怪しい小さなシールド。次の刹那にはそのシールドも砕けよう。

 

「ナシームちゃんっ!」

 

 音が、消えた。自分の息の音すら、鼓動すら消えたような一瞬だった。時間が延びていくような感覚。押し潰さんとするネウロイの動きすら緩慢だ。そのネウロイを、白い矢が貫いた。

 

「なっ――――――!?」

 

 クロンカイトのすぐ真上、手を伸ばすことができれば間違いなく触れることが出来るほどのすぐ真上をストライカーが飛び抜ける。翼の国章(ラウンデル)は祖国リベリオン、A-10攻撃飛行脚だ。

 

 光の粒に変換されるネウロイ。その居た場所にふわりと降り立つ少女。白いジャケットに、東洋系……シャム王国か、華僑か、扶桑か、そのあたりの顔立ちと肌の色。見たことのない制服だ。乱反射する光の粒の中、彼女はクロンカイト達を守るように背を向けたまま向かってくる巨大な軍勢と対峙する。

 

 ファインダー越しのその背に、小さな翼が見えた気がした。ぎょっとしてカメラのファインダーから目を放す。見えたのは小さな、小さな背中。真っ白な制服に包まれた背中、それだけだった。

 

 少女の体には不釣り合いなほどの厳つい銃が彼女の手から離れた。左肩に掛かった吊り紐(スリング)に振られ、その銃が彼女の側で揺れる。ハンティングの時に見たことがある。スリングを使った銃の携行方法の一つ、アフリカンキャリーだ。

 

「伏せて!」

 

 A-10乗りの少女は一瞬だけこちらを見ながらそう叫び、腰に下げた強化樹脂(カイテックス)製のホルスターから拳銃を引き抜いていた。

 

 その目に涙が浮かんでいるように見えたのは、気のせいだっただろうか。

 

 肩に掛かったライフルのスリングを左頬で押さえながら、左手(サポートハンド)は右手が押さえた大口径の回転式拳銃(リボルバー)に向かう。その銃口の先にはいきりたつネウロイの群れがいた。

 

 見たことがないほど強烈な光が彼女の手から現われる。青白い魔力光、思わずシャッターを切っていた。いくつかの魔法円が瞬時に展開されたかと思えば、それは彼女の手に吸い込まれ、消え去ると同時に音が弾けた。彼女の腕が大きく真上に振られていた。拳銃の威力としてはあまりに大きな音と反動を残して、ネウロイの一体を粉々にした。それを知る頃には、A-10乗りの少女がナシームを左手に抱いて見たことがないような巨大なシールドを張っていた。そのまま彼女はこちらにスライドするように寄ってきて、叫ぶ。

 

「ティティちゃん! 今!」

 

 その時。

 

 世界が壊れる音がした。

 



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شکریہ دوسرا حصہ

Chap3-7-2"Thanks"


 空を飛んでいたい。それだけだった。

 

 今もきっとそう思っている。憧れだけで飛んでいるのは、なんとなく自分でも分かっていた。

 

 それはきっと間違っているんだと思う。誰かを傷つけたり、傷つけられたりする軍属のウィッチになるにはきっと、甘過ぎるんだろう。そんなことはもうわかっている。

 

 ――――――それでも、わたしは!

 

 

「守るって、決めたんです!」

 

 

 スコープの先、見えるのは黄色い布を被った女の子とネウロイ。あと2秒もすればあの女の子はネウロイの下敷きだ。左腕に絡めたスリングが腕に食い込む。テンションをかけて、銃を安定させる。真上に伸び上がったネウロイが見える。

 

 そんなこと、させるもんか!

 

「いっけえええええ!」

 

 WA2000が弾丸を送り出す。自分の魔力を込めた一発がネウロイを光に変えていく。

 

 自分の真下をカメラを持った男性が過ぎ去る。上空で急制動。足を進行方向に降り出して、すとんと落とす。ネウロイまでの距離が近すぎる。つまりここは、ティティの効力射程内だ。

 

 とっさに狙撃銃からM500ES拳銃に持ち替え。50口径の方が魔力を込められる。初速も精度もこの距離なら心配ない。左腕を振り上げ、スリングを肩に合わせて銃をつり下げる間にも右腕は腰の後ろの拳銃を引き抜く。

 

「ヘッドダウン!」

 

 呆然とする少女とカメラマンにそう言って、拳銃を向けた。イメージは的にあてると破裂するイメージ。引き金を引く。とんでもなく強いリコイルで腕が吹っ飛ぶんじゃないかと思うほど真上に拳銃跳ね上がる。進路がぶれそうになるのと、体が後ろに引けそうになるのを必死に押さえ込んだ。

 

「ティティちゃん! 今!」

 

 女の子を左手に抱えつつ、拳銃をホルスターへ。WA2000の前床(フォアエンド)を右腕で確保し銃口を空に向け、カメラマンをシールドの裏に庇える位置まで飛ぶ。その女の子がこちらを見上げているのはわかったがそっちを見る余裕はない。ストライカーが砂に接地した。シールド展開。全魔力を使い切る勢いでシールドに魔力を集中する。

 

《信じるからね! ひとみちゃん! カウントゼロ、いきます!》

 

 ティティの無線越しの声。上空にいくつもの魔法円が浮かぶ。空が丸ごと光ったかと錯覚するほどにいくつもの光が浮かんだ。

 

 否――――空間自体がティティの魔力に飲み込まれたのだ。

 

 ひとみやのぞみの放ったたくさんのミサイル、夢華の手榴弾。それぞれが持っている小銃や狙撃銃の弾丸――――それら全てに微量ではあるが、ティティの魔力が封入されていた。

 

 だれも口にしないが、ウィッチが一番恐れている状況がある。少数精鋭にならざるを得ないウィッチがもっとも恐れる事態。ネウロイの物量戦に押し込まれる状況だ。いくらウィッチ一人で通常機の2個飛行隊に相当すると言われていても、体は1つで目と手は2つずつしかないのだ。

 

 高々6人で数千のネウロイから数万人の避難民を守り切ることなど到底不可能。

 しかし、その盤面を根底から破壊することができるジョーカーを第203統合戦闘航空団は一枚だけ所有していた。

 

 

 アウストラリス王立空軍少尉、メイビス・“ティティ”・ゴールドスミスの固有魔法、空間魔力拡散爆発。

 

 

 自分の魔力を触媒に、物質を強制的に酸化/還元させ、そのときの熱量を活用し、空間そのものを破裂させる。水蒸気があれば酸素と水素に、空気と鉄があれば、酸化鉄へと変化させる。エーテルと酸素を反応させれば、空間まるごとエンジンのシリンダーに早変わりだ。

 

 砂漠であっても空気中に水蒸気は存在する。すでに起爆剤となる彼女の魔力は広く拡散した。そこはティティの支配する炉の中だった。

 

点火(インジェクト)!》

 

 直後に感じたのは、目に刺さる黄色がかった光。同時に衝撃波がひとみのシールドを猛烈な勢いで叩いた。

 

 爆風の流れに丸ごと飲み込まれた。ひとみはシールドに魔力をさらに送り込む。

 

 死なせない。護り抜く。切り捨てなど、しない。

 

「あああああああああああああああああああああっ!」

 

 左手もシールドに添え、耐える。手の表面がやすりにでも掛けられているように痛い。

 

 姿勢維持装置が悲鳴を上げる。吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえる。吹き飛ばされれば、後ろの三人を守り切ることなどできない。

 

 なにかの断末魔が響く。それでもひとみはシールドを張り続けた。

 

 そして、圧力が一気に軽くなり、前につんのめった。

 

「ぷわっ……と! なんとか耐えきった! 大丈夫ですかっ!?」

 

 慌てて振り返る。ぺたんと膝をつくような形でひとみの腰にしがみつくようにしていた女の子……といってもひとみよりも背は高いのだが……は潤んだ目でひとみを見上げていた。

 

「大丈夫!?」

 

 女の子がコクコクと頷く。ひとみの服をぎゅっと握りしめてしがみつく彼女。

 

「大丈夫、もう、大丈夫」

 

 ポロポロと流れる涙を見てひとみは微笑む。向こうに見えていた建物群は消し飛ばされていた。そこにいたであろうネウロイも一緒に吹き飛んだか、地面に()き込まれただろう。手前のネウロイも黒焦げになるか、圧壊して動かない。再生する兆候もない。それを見ながらWA2000のを持ち直した。左肩にかけたスリングと左手で銃を押さえる。

 

 そうしながら思うのだ。追ってくるネウロイがどれだけ怖い存在か。それは想像に難くない。ひとみは地上型に追い縋れた体験はないが、ネウロイに対峙してきた経験はある。それは怖くて怖くてたまらないことは身にしみていた。それは理由や義務や命令で自分と一緒に縛り付けなければ抑えきれないことをひとみは知っている。

 

 それでもこの子が護らんと魔法を使いシールドを張ったのは、ひとみも見ていた。それを成すのは大変な事だ。ひとみはそれを肌で知っている。

 

 そんな彼女になんて声をかければいいのだろう。少し悩んで、砂だらけの黄色い頭巾に包まれた頭にそっと右手を乗せる。そして、言う。

 

「よく頑張ったね。みんなを護ってくれてありがとうね」

 

 その言葉に女の子が決壊した。どれだけ怖かっただろう。どれだけ逃げ出したかっただろう。それでも彼女はここで立ち止まり、立ち向かったのだ。彼女の泣きじゃくる声を聞きながら、ひとみはその思いを噛みしめ、頭を優しくなで続けた。

 

「ありがとうね」

 

 普通なら立場は逆なのかもしれないとひとみはうっすら思ったが、それでもありがとうと言いたかった。その言葉がいいと思ったのだ。

 

 

――――――その時、だったのだ。

 

 

即応せよ(プリパレーション)! 米川(ミーチュアン)!」

 

 耳に夢華の叫び声が届く。反射的に狙撃銃を左手で押し出しつつ、右手をグリップへ。スリングを肘に引っかけ銃を安定させるヘイスティスリングの姿勢ができると同時に黒焦げのままこちらに向けて飛んでくる小型のネウロイを見つけた。背筋が凍る。

 

 狙撃で撃破はできる。問題はコアを撃ち抜いてからネウロイが消滅するまでのタイムラグだ。その間に地上に到達してしまえば、シールドごと今度はひとみたち丸ごと潰される。シールドに受けた衝撃は術者に跳ね返るのだ。

 

 ひとみが引き金を絞る。過たずネウロイを撃ち抜くがその残渣がそのままひとみたち目掛けて落ちてくる。シールドで受けきれるか。

 

 その直後、轟音。

 

「へっ!?」

 

 ひとみが素っ頓狂な声を上げた。落ちてきたネウロイがいきなり真横に吹っ飛んだのだ。正確には大量の弾丸がネウロイの横っ腹を叩いたせいでそれが吹っ飛ばされたのだ。誰かが大量に鉛玉を吐き出しているのだ。慌てて出所を確認すると、上空で腰だめに構えたガトリング砲をぶん回しているルクサーナが見えた。

 

「米川――――っ! うわぁっ!?」

 

「のぞみ先輩何やってるんですかっ!?」

 

 ひとみを庇おうとしてだろうが、空中でネウロイを切り捨てようと銃剣装着の64式を振りかぶったのぞみが思いっきりルクサーナの射線に飛び込んだのだ。ルクサーナが緊急で射撃を中止、のぞみも全開でシールドを張って事なきを得る。

 

「っと、危ないわね!」

 

「なんでいきなり射線に飛び出すんですかのぞみ先輩っ!」

 

「飛び込まなかったらあんたどうなってたか!」

 

「ルクサーナさんの射撃でとっくに吹っ飛んでます!」

 

「なにおぅ!」

 

《今のはどう見てもダーツォンが悪いでごぜーます》

 

《ごめんなさい……否定はできないです》

 

《よね。まったく突撃一辺倒のこいつがなんで戦闘隊長なんだか》

 

 無線で夢華・ティティ・レクシーから次々と刺され、のぞみが面白い顔になる。コ―ニャはスルーを決め込むつもりらしい。

 

「ああもうわかったよ! 私が悪ろうござんした! で、米川は生きてるんだし無事でいいでしょうが! 戦果は!」

 

 のぞみのA-10が降下してひとみの真横に降り立った。

 

「はいっ! 要救助者3名を保護しました」

 

「上出来だ米川!」

 

「ナシーム! ウルム!」

 

 ものすごい勢いで降下してきたのは砂にまみれたミラージュ。それを見てウルムがぱっと表情を明るくした。そのままルクサーナに飛びつく。

 

「ルクサーナ!」

 

「無事でよかった! 本当に、無事で……!」

 

「うん、うん……!」

 

「ルクサーナも、よく生き残ってくれました」

 

「あなたもです、ナシーム。よく生きていてくれました」

 

 抱き合う三人を見て、のぞみが笑う。そのまま何も言わずにひとみの方に拳を差し出す。

 

「……ふふっ」

 

 ひとみも砂だらけのぼろぼろの手で拳をつくって、それに重ねた。その合間にシャッターの音が響く

 

 笑い合っていると、ひとみの視界がくるりと回った。地面が傾いたように感じる。

 

「おっと」

 

「のぞみ、先輩」

 

 それを危なげもなく受け止めたのぞみがやれやれという雰囲気で肩をすくめた。

 

「あれだけヤバい魔力拡散爆発に巻き込まれて……というか突っ込んでいって魔力酔いしないわけないじゃん。魔力が底をつく限界でそんなことしたら一発でこうなるのぐらい考えていきなさいよ」

 

「ごめんなさい……」

 

「ま、今回は人命救助ということで不問にしましょ。それに、リボルバー(M500ES)に持ち替えたのって、自分の魔力を空間にばらまいてティティの爆発の衝撃を和らげるつもりだったんでしょ?」

 

「それでもかなりきつかったですけど……」

 

「ま、米川なりによくやったんじゃないの? あぶなっかしくて見てらんないけど」

 

 ひとみの髪をくしゃりと優しく掻き上げ、のぞみはそういった。空を見上げれば編隊飛行するウィッチの姿。高高度を飛行しているのだろうか、雲すらも吹き飛んだ真っ青な空に白い飛行機雲が描かれていく。

 

「インディア空軍飛行隊のご到着だ。遅いっての」

 

 のぞみが悪態をつくようにそういう。ルクサーナが不安そうな顔をした。

 

「インディア……のウィッチ」

 

203空(うち)のトップがたぶん脅しに脅してなんとかさせたんだろうし、この状況でウルディスタンを攻撃したところで、インディアにはなんのメリットもないから放っておいていいと思うわよ。さて……弾薬もかなり危ない事ですし203は後方支援にいったん移ろうか。ここまで焼き払っておけば、難民の撤退の時間ぐらいは凌げるでしょ」

 

 のぞみがそう言って笑う。

 

「カイトフライト全機、こちらカイト・ワン、状況を終了する。アムリトサル空港で整備班の到着を待つよ」

 

 のぞみの声に続々と返事が返ってくる。皆、無事だ。

 

「米川、まだ飛べるね?」

 

「――――――はいっ!」

 

 A-10のエンジンがうなりを上げる。計器を確認。さすがA-10、あれだけ無茶をしてもまだ飛べる。

 

「あのっ!」

 

 ナシームがひとみのほうに叫んだ。

 

「ありがとう、ございました……!」

 

 それを聞いて、ひとみは満面の笑みを浮かべた。

 

「うん。ありがとうございました」

 

 離陸推力にスロットルを叩き込む。短い滑走でふわりとひとみの体が浮く。それをのぞみが追いかけた。

 

「米川」

 

「なんですか?」

 

「なんでありがとうで返したの? そこは『どういたしまして(You're welcome)』とかじゃないの?」

 

「いいんです、サンキュー・ベリーマッチで」

 

 死なないでくれてありがとう、守らせてくれてありがとう。

 

 あの一言のおかげで、わたしはこれからも飛べる。

 

 口には出来ないけれど、そう思えたのだ。

 

「……そ、ならいいわ」

 

 のぞみは少し笑ってそう答えた。

 

 高度を上げる。203空の面々が上空で待っている。

 

 まだ、飛べる。また、飛べる。

 

「さーて、もう少しだ、頑張っていこうか」

 

「はいっ!」

 

 米川ひとみは、スロットルを開いた。

 

 

 

 

 

 終わってみれば、インディア帝国とウルディスタンを隔てていた国境線はあんなにも脆かったのかと思わなくもない。そんな脆いものを突破するまでに私たちは兄弟姉妹にどれだけの犠牲を強いてきたのかと考えてしまうのだ。

 

「ナシーム。難しい顔をしていますよ」

 

 横からそんなことを言ってきたのは私たちの英雄、ルクサーナ・アラン飛行士。私たちの戦線を3ヶ月も守りきった英雄。外からの力で戦線はあっという間に変わってしまい、ぼろのテントから3時間でカチッとした建物の廊下に腰を下ろしているというのに、英雄は余裕そうだ。

 

「難しい顔もしたくなります。ルクサーナが必死に守った戦線が崩壊したほうがよかったなんて認めたくありません」

 

「そうかしら」

 

 当のルクサーナはあっけらかんとそういった。

 

「崩壊したことで戦線がこじ開けられ、たくさんの仲間が生き残ったなら、わたしのジハードにも意味があったと信じるのみです」

 

「ルクサーナは、強いですね」

 

「できることをしているだけよ」

 

 そういえることがすでに強いのだと、少しばかり僻んでみる。それでも自分がどれだけ弱小であるかを再確認するだけだった。

 

「私は、ルクサーナほど強くはなれません。そう、痛感しました」

 

「それは……ウルムや記者さんを守れなかったから?」

 

 そう言われ、考える。直接ネウロイと相見えたのははじめてだった。ネウロイがあれほど恐ろしいものだと、頭ではわかっていても心ではわかっていなかったのだと思い知った。

 

「無力でした。あの人が飛んできてくれなければ、どうなっていたか……」

 

「ヨネカワ少尉のことかしら」

 

「ヨネカワさん、というのですか? あの白い服のウィッチの方は」

 

「扶桑国の少尉殿だそうですよ。あの要塞みたいな地上型を狙撃一発で屠ったのも彼女だそうです」

 

 あの白い矢があの人の力なのかと思うとうすら寒い。あんな破壊力のある矛を持ち、同時に見たこともないほど大きなシールドを張ってみせた。そんなエースを世界はこのウルディスタンに派遣してきたのだ。私たち難民を守るために。

 

「……なんというか、その」

 

「想像もつかないわよね。見た目はウルムよりちょっと大きいくらいなのに」

 

「ヒジャブをしていないので、8歳くらいかと思っていました」

 

「13歳だそうよ。ヒジャブをしていないのはムスリムじゃないせいね」

 

 すごい人もいたもんだと、本当に思う。自分の両手を見下ろした。私は無力で、あのヨネカワ少尉にすがり付くしかできなかった。

 

「天使が降りてきたのかと思いました」

 

「詩的な言い方ね」

 

 優しくそういうルクサーナに甘えてもう少しだけ、続ける。

 

「私の前に降りてきた時、ヨネカワ少尉殿は泣いておられたのです。まるで地獄の中で悶える罪人を嘆くイスラーフィールのように涙しておられた。そしてその力をもって神の軍勢の到来を告げるラッパを吹き鳴らし、私たちを救い上げた」

 

「……そうね。確かに私たちにとって、あの矢は救いだった。私も、あの空で生きることを諦めそうになった。来世に期待して、投げ出そうとした。それを唯一の神(アッラーフ)はお嘆きになったのかもしれないわね」

 

 かなり美化されてそうだけどね。と言ったルクサーナの言葉は聞かなかったことにする。

 

「少し妬けちゃうかしら。ナシームもそろそろ私から離れてもいい時期だしね」

 

「ヨネカワ少尉殿に鞍替えしようとか思っている訳じゃ……私はルクサーナの副官で、ウルムの付人ですから」

 

 顔が赤くなっているのを感じる。少し強引に話を畳みすぎただろうか。そのタイミングでドアが開く音がした。これ幸いとそちらに視線を向ける。

 

「ルクサーナ……ナシーム……」

 

「おかえりなさい、ウルム。大丈夫でしたか?」

 

 目の前の部屋から衛兵の護衛つきで出てきたのは、身体検査とか事情聴取その他諸々を終えて囚人服のような服装に着替えさせられていたウルムだ。眠そうな目を擦っている。まだ8歳。インディア軍の聴取は酷だろう。

 

「うん。何度も同じようなこと聞かれた……少し疲れた」

 

「よく頑張りました、ウルム」

 

 ルクサーナにそういわれ頭を撫でられるウルム。とろんと眠そうな目を細めて笑えば、その力がふっと抜けて倒れそうになる。ルクサーナと二人で慌ててカバー。

 

「ふふ、ウルムも疲れてたんですね。ナシーム、あなたも少し休んだ方がいい」

 

 ルクサーナはウルムをベンチに横にしながらそういう。ウルムの頭がちょうど見下ろせる位置にきて、その寝顔を見ていると、少しばかりの抵抗をしてみたくなった。

 

「私はそこまでこどもではありません。すでに成人していますし」

 

「それでも休めるときに休むのも戦士の基本ですよ」

 

 そういわれ、ふてくされそうになる。僻むなと言い聞かせながら言葉を探す。

 

 

「――――そもそも論として、あなたたちが最前線で戦士となることが社会的な大問題なんですけどね」

 

 

 スッと頭に入り込んできたウルドゥ語に顔をあげる。反射的にルクサーナを守る位置に入ったら、後ろで鈍い音がした。ウルムが頭を押さえてぐずっている。

 

「そんな急に跳ね起きるからですよナシームさん、ルクサーナ飛行士を守ろうとするのは結構ですけど、ウルムちゃんのことも考えてあげましょうよ」

 

 声の主はそういって小さく笑った。後ろでひとつ縛りにした髪が揺れる。この女、私たちのことを知っている?

 

「何者ですか」

 

「扶桑の記者、青葉といいます。以後お見知りおきを。こちらは人類連合軍の加藤中尉。あなたたちに交渉……というより連絡なんですが、ウルディスタン亡命政府からのメッセンジャーを任されているのでお話をしにきました。少しだけお時間をいただきたいと思います」

 

 

 

 

 

「――――いやぁ、お疲れ様でした。万事が快調とはこのことですね」

 

 ハイタッチでもするかのように片手を挙げた偽従軍記者に返事を返す気にはなれず、加藤中尉は視線を向けるに留めた。それでも彼女が気にかける様子も無く煙草の箱を取り出すのだから、仕方なく掌を押し出す羽目になる。

 

「職務中だからね」

 

「これは失礼」

 

 そう箱を仕舞う青葉は、さも五月蠅そうに空を見上げる。晴れ間を縫って進むのはインディア陸軍の戦闘ヘリ。そして無機質な殺人兵器を護衛するかのように併走するウィッチたち。正式に戦線に参加することになったインディア帝国は、人類連合と僅かなウルディスタンの残存戦力ともに戦線を押し上げつつある。

 

「それにしても、やってくれたわね」

 

 

 先に口を開いたのは加藤の方だった。空を見上げたままではあるが、その矛先はしっかりと青葉を捉える。

 

「なにをです?」

 

「全てよ。石川大佐を止めるから手伝えーとかなんとか言いつつ、Fー35の代替機(A-10)インディア海軍機(はこびや)の調達、ウルディスタンの人類連合参加。人類連合は動けないと分析したくせに結局最後まで西アジア司令部の妨害は入らなかった」

 

 アンタのせいなんでしょ。断定的な加藤の声に、青葉は乾いた笑い。

 

「なんですかそれ。機体を貸してくれたのは国内での地位向上を願ってやまないインディア海軍が国難(ネウロイ)に対して自軍が無能でないことを示すためでしょうし、ウルディスタンの人類連合参加は宗主国ブリタニアを初めとして各国が賛成だったからこそ成しえたことですよ? それに、西アジア司令部の妨害が入らないってことは、つまり『人類連合は動かない』って青葉の予想が正しかった...…ってことじゃないですか」

 

「その根回しをさせたのがアンタだって言ってるんだけど?」

 

 その加藤の言葉に、青葉は「ないない。ないですよ」と笑う。それは加藤にしてみれば到底信じられないものではあったが、だからといって根回しの証拠があるわけでもない。

 ただ、加藤をけしかけたのが青葉(コイツ)であることは疑いようがない。思えば最初から最後まで、青葉に試されていたのではなかったか。

 

「……しかしまあ、現場で判断が覆るなんてことは()()()()()()です。目的が達されるならば、過程は問われませんよ」

 

「『人類の矛は折れてはならない』だっけ?」

 

「ええ、そうです。幸いにも今回の件では誰も損をしなかった。203は全機健在、人類連合もインディアも自己矛盾を生じずに()()()()()()()()()()()()()()

 

 最後の言葉をやけに強調した青葉は、加藤に横目で睨まれて肩を竦めた。

 

「……そんな怖い顔しないでくださいよ。その過程で出る犠牲が最小限で済んだんですから、それにこしたことはないじゃないですか」

 

 それに、戦いは始まったばかりですし。そういう青葉に、加藤はため息。

 

「戦いは始まった、どっちの話さ青葉。本職? 記者(カバー)?」

 

 扶桑の記者はもちろん前者でありますよぉと元気な返事。

 

南沙(スプラトゥーン)諸島は良かったんです。あくまで地域レベルのニュースですし、元より見つかってなかった(ネウロイ)だ。別に誰も眼を向けはしなかった。でも今回の件(ウルディスタン)は違いますからねぇ……」

 

 ウルディスタンの情勢には、アプローチの違いこそあれど各国が関心を持っていた。もちろんそれに伴う難民の発生、彼らに構うこともせず中傷合戦を繰り広げるインディア、ウルディスタン両政府の姿勢についてもだ。

 

 その閉塞を、絶望的な西アジアの国際政治を打ち破ったのは203空、ゴールデンカイトウィッチーズ。扶桑皇国(ひいづるくに)より来る金鵄(つばさ)

 国家のエゴに縛られて停滞した戦場にそれは現れ、伝説の通りに戦場を勝利へと――たとえそれが、辛勝であったとしても――導いた。

 

 ラホール撤退作戦……今では人類連合主導の作戦とされているこの大規模な難民保護作戦において、ウルディスタン共和国とインディア帝国は共同戦線を張った、とされている。すでに両国の人類連合参加は承認されており、撤退戦の立役者の一人であるルクサーナ・アランが第203統合戦闘航空団に参加することは、先ほど加藤が本人たちへ伝えたとおりである。

 

「ウルディスタンを救ったのは203です。たった数人の航空ウィッチが数千万の人々を救うなんて軍事的にはちゃんちゃらおかしい話でしょうが、政治的には正しい。これからは良くも悪くも脚光を浴びることとなる」

 

 つまり、体の良い駒というわけです。表情を変えることも無く言う青葉。

 

「……ねぇ青葉。アンタ結局、誰の味方だったの?」

 

「また愚問ですねぇ。青葉は扶桑の味方です。中尉の味方ではありませんし、中尉の大好きな米川少尉、ましてや石川、霧堂両大佐でもない。今回の件で空回りしていたとある将官殿でももちろんありません。扶桑という国家。青葉のだーいすきな祖国の味方です。それ以上でもなければ、それ以下でもない」

 

「嘘」

 

 加藤の短い返しに、青葉はきょとんとして声の主を見る。

 

「扶桑の味方だなんて、よく言ったものね。だったらアンタは203を飛ばしたりなんかしなかった。だって扶桑にとっての正解はコード・ボルケニックアッシュなんだから。違う?」

 

「さぁて? それは中尉の主観じゃないですかねぇ。土壇場とはいえインディア帝国は人類に対しなすべき貢献をした。これで国際社会からの支援と介入は約束された訳です。そうなればアジアにも戦力が積極的に回されるでしょうし……回り回って、最後には扶桑が得をするかもしれませんよぉ?」

 

 第一、あのコード・ボルケニックアッシュが『正解』だなんて言うんだったら、なんで中尉はそれに同調してくれなかったんですか? そう聞く青葉に、加藤は苦笑い。

 

「大佐と同じよ。ひとみんやのんちゃん……あの子たちに、大人のカッコ悪い姿なんて見せたくないじゃない?」

 

「子供を動員して戦争なんてやってる時点で、カッコ悪い以前の問題だと思いますけどねぇ……()()()が本当に成すべきは、きっとウィッチなんてものがいない世界、ウィッチを使役せずともネウロイに勝てる戦争だと思うんですよ」

 

「でも、アンタはそれを成さなかった」

 

 青葉は無言のまま。加藤はため息ひとつ。

 

「ホント、悲しいもんね。扶桑のためとか言ってのけるアンタも、結局魂は中東(あそこ)に囚われたままなんだ。とって欲しかったのは戦友の(かたき)? それとも中隊の名誉?」

 

 その言葉を聞いた青葉は、一瞬の間をおいてからニコリと微笑んだ。

 

「……なんだ。てっきりお忘れになっていたものかと思いましたよ」

 

「忘れてたわよ」

 

 加藤はそれで言葉を切る。続きを紡ぐのは青葉だ。

 

「罪ですよ。罪。私たちは脱落者です。不適格者です。おめおめと祖国の旗を捨て、兵卒すらも見捨てて輸送船に乗り込んで。本国に帰れば可哀想、辛かっただろうの雨あられ、一億人の大合唱。私たちには軍人たる資格すらもなかったんです。せめて青葉(わたし)の無能を、青葉の臆病を詰ってくれる人間が一人でもいれば良かったというのに」

 

 ですが、それをしてくれるヒトは誰もいない。

 

「青葉は理想主義者(ロマンチスト)ではありませんから、中隊の皆が私を殴ってくれるなんて思っていません。でも、この無能には鉄槌が下らねばならない。そのために必要なのは、勝利だったんですよ」

 

「あの子たちが中東に勝てば、私たちの無能が証明されるって?」

 

「ええ、そうです。そうでもしなきゃ折り合いがつかない。復讐戦(リベンジマッチ)ですよ。青葉の成せないことを彼女らが成したとき、初めて私は救われるんです」

 

 理解できないでしょうね。青葉は嗤う。その笑みが向かう先は加藤ではなかった。

 

「それが(エクス)ウィッチの罪……まあ、戦場の過酷さをよーく知ってるはずの私たちが、わざわざ手を貸して、お前は立派だと持ち上げてあげてまで幼子を戦場に放り込むんだ。確かに罪と言えば罪ね。それで、その言い訳が『扶桑の味方』? 笑わせないでよ」

 

「どうかお笑いください。ところで中尉は、芙蓉新報ってお読みになってます?』

 

「読んでないけど?」

 

 アンタの南洋日報もだけどね。その言葉を無視して、青葉は続ける。

 

「その新聞社が面白いことを言ってましてね……《若干十二三の子供を戦地に送り出すとは何事か、我々はガリア=インドシナ戦争の轍を再び踏もうとしているのではないか? 我々が尊い犠牲を持って学んだのはなんだったのか》」

 

 ガリア=インドシナ戦争なんて遙か昔、それこそ半世紀前の話。加藤は生まれてもいないし、それは青葉も同じことだろう。

 

「数十年で寿命を迎え、入れ替わり立ち替わり社会を動かしていく人間は結局、何も学びはしないのです。インドシナの時は知りませんが、中隊の皆が中東(あそこ)で散らした犠牲は尊かったのでしょうか? 誰にとって尊い犠牲だったのでしょうか。その犠牲(いけにえ)で得られた天の恵みとはなんだったのでしょうか?」

 

 その問いに向けての答えは用意されているはずもなく、また与えられることもないであろう。いつ終わるとも知れず延々と続くネウロイとの戦争、軍民問わず増え続ける犠牲者。

 

「それは想像上の存在に過ぎません。だからこそ、みんなそこに逃げたがる。抽象的で実を伴わず、故に甘美な愛国主義(ナショナリズム)に。青葉は、私の中隊はそんなものを守るためにすり減らされたんじゃない。どんなに泥臭い勝利であっても、目の前の「実」を掴み取りたかった……とまあ、悲劇的な美しさがあるでしょう?」

 

「よくもまあ、ぬけぬけと」

 

 それであの子たちをあの空へ送り出すわけ? その問いは、辛うじて加藤の舌先に留められる。口を出たなら最後、向かう先は自身でしかない。

 しかし口から出ずとも、青葉の鼻にその匂いは届いたらしかった。彼女はニコリともせず、冗談じみた表情筋を瞬時に引き締めてみせる。

 

「お題目はともかく祖国は203は飛ばします。中尉もそれを飛ばすのでしょう? なら、青葉と同罪じゃあないですかぁ」

 

「そうね。同罪よ、私もアンタも、とっとと地獄に落ちれば良いと思ってるし、目を開けてその先に広がる景色は、海も山も空も全部が地獄なんじゃないかって毎日思ってる……でもね、それはあの子たちには関係のない話でしょ」

 

「だから猫かぶって、陽気な整備兵で居続けると?」

 

「アンタがどう思おうと知らないわよ。私は私の成すべきこと、やらなきゃいけないことをやるってだけ」

 

「えぇ、続けて下さい。ボートを揺らし続けて下さい。中尉のその精神が……いえ、石川大佐の率いる金鵄(ゴールデンカイト)たちにウィッチの精神(たましい)がある限り、青葉は観客席から無責任に審判の時を待つことが出来る」

 

 話を畳んでしまった青葉は、お仕事中に失礼しましたと恭しく頭を下げてから加藤に背を向ける。

 

「……ねえ、これからどうすんのよアンタは」

 

 

 青葉は振り返らない。彼女の後ろにまとめられた髪が僅かに揺れる。

 

「何も変わりません。青葉はインタビューや写真が大好きな従軍記者ですし、今は道を外していないだけでいつ石川大佐(さくらじま)が噴火するとも限りません」

 

「その時飛び散るのは、人命でなく火山灰(ボルケニックアッシュ)じゃなきゃ……って? その灰がいかなる弊害を及ぼすとしても?」

 

「そーゆーことです。皇国への献身と忠誠を。では頑張って下さい」

 

 片手を挙げた従軍記者は、そのまま立ち去る。

 

 

 

 

 

 

「あ!」

 

 補給を一通り終え、夜間哨戒に備えていたひとみがいきなり叫んで駐機場の方へと走り出す。手にしていた狙撃銃を肩に担ぎ左手でスリングを確保し小走りでお目当ての人物の方に向かう。

 

「シャルマさん!」

 

 パイロットスーツを着た男性がくるりと振り返り、笑みを浮かべた。

 

「おぉ、米川少尉殿、ご無事でなによりです」

 

「はい! 約束通り生きて帰ってきました。シャルマさんも無事でよかったです」

 

「レディとの約束ですから、破る訳にはいきますまい」

 

 シワが入った顔をくしゃくしゃにして、シャルマ飛行士が敬礼、ひとみも満面の笑みで答礼を返す。アムリトサル国際空港は沈みかけの夕日に照らされ、赤く染まっていた。

 

「観測班からデータを拝見しました。さすがそのお年で少尉に任官されるだけありますな。関心いたしました」

 

「そんなことないですよ。わたしにできることを全力でしただけです」

 

 そういって肩の狙撃銃を軽く揺らした。自分の身長ほどあるWA2000を見て、シャルマがわずかに目線をおとした。

 

「それができることがあなたの才能なのです。どうかご自愛ください」

 

 そういって差し出された手を、ひとみは一瞬ためらってから握った。

 

「シャルマさんも、ですよ? 無茶な飛行は控えてくださいね」

 

「ははは、一本とられましたな。これじゃしばらくくたばれそうもありませんぞ」

 

「当たり前です。生きてなんぼの人生、ですから」

 

 そういって笑ったタイミングで、シャッターの落ちる音がした。出所を探すと夕日に顔を赤く染めた男がカメラを下ろすところだった。

 

「えっと……あ! ネウロイに襲われそうになってた軍属記者さん!」

 

「軍属というわけではないんですが……アーネスト・クロンカントです。先ほどは本当にありがとうございました」

 

 そういって差し出された手をひとみは握り返す。

 

「空軍少尉、米川ひとみといいます」

 

 ひとみは名乗り、その記者の顔を見つめ返してみる。色素の薄い青い目が優しげに細められた。

 

「本当になんと申し上げてよいやら……あなたのお陰で生き残ったのに、感謝の言葉も出てきません」

 

「いいんです。人を助けるのが軍人の仕事ですから」

 

「国民がいなくても、ですか」

 

 その言葉にひとみは首をかしげる。

 

「国とかあんまりわからないです。でも飛びたいから飛んで、守れるだけのものを守りたくて飛んでます。私は航空ウィッチですから」

 

「そうですか……失礼な質問をしました」

 

「大丈夫ですよ。気にしないでください」

 

 ひとみがそう答えたタイミングで魔導無線に入感。インディア空軍の偵察隊が航空型ネウロイの接近を感知。防衛ライン到達まで、あと40分と知らせてきた。203に上空待機指示が出る。

 

「……っとごめんなさい。行かなくちゃです」

 

 ひとみはそういって敬礼をした。

 

「生き残ってくれて、ありがとうございました! 機会があれば、また!」

 

 そういって走って戻る。飛行制限が解除された愛機F-35Aの暖気が始まっている。

 

「搭乗します。プリフライト・チェックリスト、スタンバイ!」

 

 武器もある。翼もある。そして、理由がある。だから、米川ひとみは飛べる。

 

「エンジンスタート!」

 

 ひとみの声で翼が甦る。息を吹き返したアビオニクス、全ての表示が適切であることを確認。

 

「カイト・ツー、チェックイン」

 

《遅いっ!》

 

「ごめんなさいっ!」

 

 開始早々のぞみに怒鳴られながらも、それでも気分は軽かった。キャニスター解放。地上タキシング開始。

 

《現状確認されている航空型は6機。アポもなく突撃してくる阿呆は玄関で叩き返せ》

 

 威勢のいい言葉でのぞみが発破をかける。

 

《カイトフライト、出るぞ!》

 

 異国の空を、F-35が駆ける。

 人類の未来と、彼女たちの正義のために。

 

 



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インターバル ”Operation Persia Freedom”
前編 「インド洋 2017 / 2003」


「これが……海……!」

 

 ティルトローター機の小さな窓に張り付いてそういうまだ幼い子を見て、荷役責任者(ロードマスター)を務める加藤中尉は苦笑いを浮かべていた。

 

「ウルムちゃん、はじめての海とはじめての飛行機でご機嫌なところ悪いんだけど、ハーネスはちゃんと締めといてね。この空域は安全とはいえなにがあるかわからないから」

 

「はぁい」

 

 赤いヒジャブを揺らして素直に返事をしたのは203空の最年少記録を更新した八歳のウィッチ候補生、ウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹である。ヒジャブに光るバッジはウルディスタン陸軍のものだ。

 

「ウルム、はしたないですよ。あなたはもう少しで成人なのです。もう少し落ち着きをもちなさい」

 

「そういうナシームもそわそわしっぱなしのくせにー」

 

「ウルムっ!」

 

 同じく陸軍軍曹に編入されたナシーム・パルヴィーンがウルムに対して怒鳴るが、ウルムは気にせず笑っていた。

 

「あ、米川少尉殿」

 

 ウルムがそういうと、ナシームがぱっと窓の外をみる。その先では狙撃銃を担いだひとみがティルトローター機と並走するように飛んでいた。視線を機内に戻してウルムが口を開く。

 

「それにしてもきれいに飛びますね、米川少尉殿は」

 

「まともな訓練受けて入ったらあれくらいできるようになるわ。まともな訓練設備も時間もない状況だったら仕方がない……って、ひとみんについては時間はなかったか」

 

 加藤中尉は苦笑いだ。けっこう大概な形でひとみは実戦投入されていることもあり笑えない。

 

「まぁ、ルクサーナ少尉はこれからしごかれるだろうし、ウィッチ候補生のあなたたちも麗しき加賀のエクスウィッチ隊が空き時間見つけて訓練つけてくからある程度覚悟しておいてね」

 

 欧州まではまだまだあるから。そういって加藤中尉が肩をすくめたタイミング。ベルが一瞬だけなった。

 

「さて、そろそろ加賀に到着だ。新人諸君をご紹介しなきゃね」

 

 加賀に向けてティルトローター機がアプローチしていく。203空にとっては約一月ぶりとなる、本拠地への帰還であった。

 

 

 

 

「おかえりみんなー! きりどうちゃんさびしかったよーう! そしてかわいこちゃんが増えてる――――――っ!?」

 

「帰還報告ぐらいまともにさせんか貴様っ!」

 

 デッキに降りると同時に艦橋からメガホンで飛んできた挨拶に久々の飛行を終えたばかりの石川大佐が怒鳴り返す。

 

「いーじゃんいーじゃん! とりあえずウィッチ組とウルディスタンの子達連れて上がってきてー。5分後艦長室で!」

 

 霧堂艦長はそれだけ言い残すと顔を引っ込めた。さっそく石川大佐の額に青筋が浮かぶ。

 

「あいつはまったく……!」

 

「えっと、賑やかな艦長さんです?」

 

 ウルムが聞くと石川大佐がため息。

 

「お前たちはあれを反面教師とするように」

 

 それだけ言い残して石川大佐がずかずかと艦の中へと入っていく。慌ててそれを追いかける203空メンバー。最後尾に続いたのはルクサーナたちだ。

 

「船ってこんなに大きいんですね……」

 

 ナシームがすぐ前を進むひとみにそう声をかけた。

 

「加賀は大きい方だよ。私もはじめてみたとき驚いちゃった。でも、こんなに大きくてもカタパルトがないとわたしのF-35は発艦できないから大きいんだか小さいんだかわからなくなるんだけどね」

 

「そうなんですね……」

 

 そういう間にも石川大佐は艦長室のドアをノックもなしに開き、中に怒鳴りこんだ。

 

「霧堂貴様! 初対面であの対応はどういうつもりだっ!」

 

「だから堅いってさくらんぼちゃん」

 

「誰がさくらんぼだ! 貴様は扶桑軍人たる自覚が足りん!」

 

「石川までのんちゃんになると艦内暑苦しくてたまらないからパス。そしてそれを言うなら、あんたこそ後ろの新米ウィッチを差し置いてあたしの説教に入っているあたりどっこいどっこいなんじゃないかしらー?」

 

 にやにや笑みを浮かべてそう言う霧堂艦長はデスクから立ち上がり、石川大佐をひょいとかわすと、胸に右手を当て軽くお辞儀。

 

「アッサラーム・アライクム・ワロマツロー・ワバラカア-トゥ。はじめてお目にかかります。扶桑皇国海軍第五航空戦隊旗艦『加賀』艦長を務める海軍大佐、霧堂明日菜です。本艦の最高責任者としてあなたたちの乗艦を心より歓迎します」

 

 その挨拶に顔をぱっと明るくしたのはウルディスタン組の三人だ。

 

「ワ・アライクム・サラーム。神の御心のうちに。歓迎ありがとうございます。ウルディスタン国防陸軍第三七八支援飛行隊派欧分遣隊隊長、ルクサーナ・アラン少尉です。こちらから付属整備隊のウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹、ナシーム・パルヴィーン軍曹、以上3名が派遣団となります。これからよろしくお願いします」

 

 イスラーム式の挨拶が交わされ、霧堂艦長もご満悦だ。石川大佐がなぜか苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 

「まずは貴様、その『してやったぜ』と言いたげなうるさい顔を仕舞え」

 

「あらご挨拶ね。いいけどさ。それじゃ、すこしばかり実務的な話といこうか」

 

「実務的な話、ですか」

 

 ルクサーナがどこか不安げな表情を浮かべた。

 

「任務の遂行能力とかそういうところを疑っているわけではないし、歓迎していることに間違いはないんだけど、それでも問題がないわけじゃない」

 

 霧堂艦長はそういってわざとらしく腕を組んで見せた。ルクサーナたちの表情が曇る。

 

「要は君たちの宗教的に充足した生活を保証できるかどうかというところにあってね。この船にはムスリムの方をのせた経験がない。取り急ぎ食堂を管轄する第四分隊にはハラール認証を受けた食材とそれを心得た調理アドバイザーの手配を指示しているし、こっちの石川には礼拝の時間等は戦闘配置時を除き配慮するように言うけど……」

 

「貴様に言われるまでもなくそこは最大限考慮するが、食事と部屋は加賀側で用意してくれるのか」

 

 それを受けて霧堂艦長は肩をすくめた。

 

「部屋については三人ともウィッチ用の区画で用意する。ウルムちゃんとかナシームちゃんは整備班側でもいいんだけど、軍曹だからといって野郎と一緒に兵員ベッド(かいこだな)に押し込めるわけにもいかないから別行動をとってもらうのは確定だ。となると加藤中尉とかと女性士官室になるけど、それだったらもう飛行隊で三人まとめての方がシンプルで早いでしょ?」

 

 それを聞いてこくこくとうなずくナシーム。若い男性兵士のただ中に放り込まれることを考えたのか、その反応は必死だ。

 

「あと食事は特別食になるから提供場所を限定せざるを得ない。ダーティシャツ・ワードルームのみで提供する形にする。ウルムちゃんとナシームちゃんには利用許可証を発行するよ。ルクサーナちゃん……長いからるーちゃんって呼ばせてもらうね、るーちゃんは士官食堂で食べることもできるけどそのときはダーティシャツから取り寄せることになるからよろしく」

 

「えっと……ダーティシャツ・ワードルームって……」

 

 控えめに手をあげて質問したのはナシームである。それをいいことに会話に入り込んだのは石川大佐だ。

 

「作業服で入れる士官用食堂だ。場所については後で米川少尉に案内させる」

 

「というわけでかなり不自由な生活になると思う。祈祷室の用意もするし、うちの隊員には君たちの信仰の自由を守ることを徹底させるよう指示するけど、足りないところがたくさんありそうだから、そのときは遠慮なく言ってね」

 

「はい、ハラールを守れるだけでも十分です。よろしくお願いします」

 

 ルクサーナの返事に霧堂艦長は満足そうだ。

 

「じゃ、ここから先は飛行隊にお任せかな。機体の方もそっちの管轄になるし。旅行の段取りも済んでるみたいだしね。じゃ、退出していいよ」

 

 言うだけ言って追い出される形になり、石川大佐はものすごく不服そう。

 

「なんども言うがアレを反面教師とするように。米川、艦内を案内してやれ」

 

「了解しました!」

 

 ひとみは敬礼してウルディスタン組をつれていく。それを見送ってから石川大佐はため息。それを聞いたのぞみが小さく笑みを浮かべる。

 

「どうしたんですか?」

 

「これから毎日アレを相手にしないといけないかと思うと頭が痛くてな」

 

「お疲れ様です。でもまあ、賑やかでいいじゃないですか」

 

「節度さえ守ればな」

 

 加賀に賑やかな声が戻ってきた。セイロン島沖の海は穏やかだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、米川少尉」

 

 艦内を見て回っている間に声を掛けてきたのは整備隊の左雨(さっさ)伍長だ。

 

「あ、左雨さん。どうしたんです?」

 

「後ろの方達、ウルディスタンからの派遣団の方であってます?」

 

 そういってルクサーナに敬礼をしながら左雨が聞く。頷いて答えるひとみ。

 

「そうですけど、どうかしました?」

 

「えっと……ウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹は」

 

「えっと、私ですけど……」

 

 そう言っておずおずと手を上げたのは赤いヒジャブを被った一番背の低い少女だ。文字通り目を剥く左雨伍長。

 

「うおっ……失礼いたしました。F-35FA整備隊の左雨嗣人(ひでひと)伍長であります。この度、ウルディスタン陸軍派欧分遣隊付属整備隊の補佐として軍曹の指揮下に入ります」

 

「へ?」

 

 きょとんとしたまま首を傾げたのは敬礼を受けたはずのウルムその人だった。

 

「えっと……私の指揮下って……え?」

 

「ウルム、答礼をなさい」

 

 ナシームにそう言われ、慌てて敬礼をするウルム。この場にいる誰も状況をまともに把握出来ていない。ひとみが左雨に問いかける。

 

「左雨さん、F-35FA整備隊から異動なんですか?」

 

「異動というか……ウルディスタン機の整備隊が明らかに人手が足りないので私が応援に入ることになりました。米川機付き整備隊は比較的人員が豊富ですので……加藤中尉、図りましたね」

 

 そんなことを苦々しげに言う左雨伍長だったが、ウルムを見て苦い顔を隠した。

 

「軍曹、機体整備について少し検討したいことがありますのでご同行していただいてもよろしいですか?」

 

「はい! よろしくお願いします」

 

 ひとみの横を『マジかよ。この子が上官か……』と呟きながら左雨伍長が歩いて行く。

 

「私達はどうしましょうか?」

 

 ルクサーナがひとみと左雨伍長を交互に見ながらそういった。ひとみが左雨伍長に目配せ。頷いたので笑って見せる。

 

「じゃあついていこうか。左雨さん。格納庫ですか?」

 

「はい。ルクサーナ少尉もできればご同行いただけると助かりますし」

 

 左雨伍長に連れられてやってきたのは格納庫。今は遠征から帰ってきたストライカーの本格整備が行われており、ほとんどの機体から魔導エンジンが引き抜かれ、整備が行われていた。

 

「あ、加藤中尉!」

 

「ヤッホーひとみん。あとルクサーナさんたちもこんにちは。あとロリコン野郎もお疲れ様」

 

「 だ れ が ! ロリコン野郎ですか加藤中尉!」

 

 そう言って叫び返した左雨伍長。それを受けて加藤中尉はケラケラと笑った。

 

「いやぁ、だって幼女の上司を持ててご満悦でしょ?」

 

「んなわけありますか。というより仕組んだの加藤中尉でしょう?」

 

「いやぁ、性癖的にも適任だと思ったし? つるぺたロリ好き左雨嗣人伍長?」

 

「事実無根の情報を流すのもいい加減にしていただきたい!」

 

 そんな声の横でウルムが首をかしげた。

 

「ろりこん……? ってなんなのですか?」

 

「シャイーフ軍曹は知らなくていいことです」

 

「素性がばれるから?」

 

「加藤中尉そろそろ殴ってもよろしいですか」

 

「はっはっは」

 

 加藤中尉は笑ってごまかしてひとみたちの方に歩いてきた。

 

「それよりも、あのミラージュの件で来たんでしょ。左雨君、案内案内」

 

「後で覚えておいてくださいよ。それで、ルクサーナ少尉のミラージュIIIVなんですけど……」

 

 すごく不満げな左雨伍長に案内されたところにはいろいろとバラバラになったストライカーがあった。

 

「よくこれで飛べてましたねっていうのが正直なところなんですけど、これをどうするか少し考えないといけないわけでして……」

 

「あー……」

 

「とりあえず砂を落として洗浄してみましたが、どこもかしこも摩耗が激しくてですね」

 

「パーツ交換がほとんどできませんでしたからね……」

 

 ルクサーナがそう言って苦笑い。その様子を見て左雨伍長はため息をついた。

 

「当たり前です。今じゃパーツ自体が存在しないんです」

 

「パーツが存在しない……?」

 

 そう首を傾げて聞き返したのはナシームだ。

 

「それってどういうことですか」

 

「この機体、とっくに生産打ち切りどころか、VTOLジェットストライカーの実験機として二機製造されただけの代物の上に、一機は事故で喪失しているので、これが現存する最後のミラージュIIIVということになるんです。20年くらい前から所在不明になっていたもので、まさかここでお目にかかるとはというレベルですよ。設計図が開発元のゲッソー社に残っているかどうかすら怪しいです」

 

「ほへー、そんな貴重なモノをルクサーナは使ってたんですね」

 

 感心しているウルムの横で、ひとみが手を上げた。

 

「あの、左雨さん」

 

「米川少尉、どうしました?」

 

「それって、このストライカーは飛ばせないってこと……ですよね?」

 

「え?」

 

 ルクサーナがきょとんとした表情を浮かべた。頷く左雨伍長。

 

「はい。何時墜ちてもおかしくないほど疲労したパーツ群、しかもパーツを交換できないではどうやっても無理です。もう博物館に送っとけレベルの機体ですし……。それでなんですけど……」

 

 ウルムの方にタブレットを渡す左雨伍長。ウルムはそれを受け取りまじまじと眺める。

 

「えっと……これって……」

 

「代替機の調達および整備計画についての原案です。機付長はパフシュ・シャイーフ軍曹ということなので、これを確認してもらって……」

 

「あ、あの……」

 

 ウルムがすごく申し訳なさそうな顔をして手を上げた。

 

「どうしました?」

 

「ごめんなさい……私、字が読めないし、書けないんですけど……」

 

「…………………………………は?」

 

 左雨伍長がフリーズした。周囲もあまりの事態に状況が飲み込めていない。

 

「えっと………英語が読めないってこと?」

 

「数字はなんとか………です」

 

「母国語はなんとかなりますか? ウルドゥー語は?」

 

「……ごめんなさい」

 

 左雨伍長は呆然としたように天井を仰いだ。

 

「……わかりました。とりあえず代替機は私と加藤中尉でなんとかしますし、代替機整備についても私が指揮をとりますんで、軍曹は……読み書きの訓練から、はじめましょうか……」

 

「お願いします……ごめんなさい……」

 

「いえ、謝らないでください……なんとかします……」

 

 前途多難。それ以外に言葉が見つからない滑り出しだが、とにかく203の新しい翼はこうして動き出したのである。

 

 

 

 

 

 

 夕焼け空で赤く染まった加賀がのんびりと海上に泊まっている。その艦橋では紫煙がゆらりと真上に伸びていた。珍しく凪ぎの海だ。

 

「なーに難しい顔してんのよ、さくらちゃん」

 

「そう呼ぶなって言っているだろう、霧堂」

 

「いいじゃないの、今頃他のウィッチ達はウルディスタン組の英語トレーニングの真っ最中なんだしさ。聞かれる心配はないでしょ」

 

 霧堂明日菜はそう言ってウィングの落下防止柵に体重を預け空を仰いだ。

 

「飛んだんだね、あの子達は」

 

「約束は守っただろう」

 

「約束…………あぁ、約束ね」

 

 もう一ヶ月も前の約束。203が、あの混迷のインダス流域へと旅立つ前に交わした約束。

 

「そうだね、生きて帰ってきた。あんたも203も帰ってきた」

 

 どこか寂しそうな笑みを浮かべてちらりと横を見た霧堂はしばらく躊躇するような間を空けた。

 

「大丈夫?」

 

「何がだ」

 

「あんたが」

 

「大丈夫だ」

 

 それを聞いた霧堂が笑う。

 

「その即答が怖いんだけどな」

 

「意味がわからん」

 

 石川大佐はそう言って霧堂の方を見た。

 

「大丈夫じゃないのは貴様の方じゃないのか」

 

「……バレた?」

 

 首を傾げてみせる霧堂。石川は迷わず言葉を継ぐ。

 

「何を焦ってる?」

 

「…………ウルムちゃんがかわいすぎてつらい。『蛇口を捻ると水が出るって本当だったんですね!』なんてとんでもないこと言ったりするからなんというかかわいい。いろんな常識を教えてあげたい。ねぇさくらちゃん。英語教えてあげるから部屋においでって言ったらウルムちゃんたち来てくれるかな」

 

「ロリコンもいい加減にしろ阿呆」

 

 石川大佐はそう言うがそれ以上の事は突っ込まなかった。二万トンの大型艦を率いる艦長は笑うだけだ。

 

「後悔してるのか?」

 

「なにを?」

 

 石川の疑問に、霧堂は問いかけで返した。

 

「そんな顔をしていた」

 

「まさか。後悔なんてないさ。それでも、どこか引っかかりがないといったら、きっと嘘になってしまう」

 

 霧堂の視線がわずかに下がった。

 

「中東は、どうだった」

 

「相変わらずだ。宗教と国境が入り交じる絶望の坩堝、とでも言おうか。そんな場所だ」

 

「石川、詩人の才能あるよ」

 

「それで救えるなら、いくらでも」

 

「ほんっとに……あんたは変わらないな、石川。そんなあんたがうらやましいよ」

 

 霧堂はそう言って自分の両腕を見下ろした。

 

「中東の光、扶桑製エーリカ・ハルトマン、ユーフラテスの饕餮(とうてつ)……英雄らしい名前をいくつももらったって、私には変えられなかったか」

 

「霧堂……」

 

「ままならないね、石川。あれだけネウロイを喰っても、あれだけ人を救っても、それでも必ずどこかで誰かが死ぬ。力が及ばず誰かが死ぬ。それはとうに理解していたはずなのに、わかって翼を畳んだのに、今更になって心がざらついてしかたない」

 

「飛びたかったのか?」

 

「当たり前じゃん。私達の空だったんだよ、ここは。数万人を数人で守り切らななければならない切迫した状況で、203が潰れるかもしれないという可能性は、恐ろしかったよ」

 

 そう言って霧堂は石川の方を見た。

 

「もうウィッチじゃいられないか、私も。クソッタレな軍人に成り果てた」

 

「お前は知っていたのか、本国の方針を」

 

「知らなかったよ。だから203を無策で送り出せたのさ。203はお飾りだと本国は思っていた、あんたもひっくるめてね」

 

「だが203は勝ってきた」

 

 石川はどこか誇るような、そしてどこか優しく目を細めた。

 

「そうね。勝ってきた。もうあの子達は引き返せない。あの子達がなんと言おうと、あの子達は英雄になってしまった。のんちゃんも、ひとみんもね。……地獄が幕を開けるぞ石川。もうあの子達は表舞台から降りられない。希望であり続けなければいけない」

 

「トップエースとしての勘か?」

 

「確信だよ石川。予言と言ってもいい。あの子達の望み通り、203は世界を守るための翼になる。もう憧れだけでは済まない。それでもきれい事を必死に抱えて飛ぶ世界の幕開けだ。……石川、あの子達を守れるかい?」

 

「何を今更」

 

 石川が即答する。それを見て吹き出す霧堂。

 

「……まったく、あんたにはかなわないよ。完敗だ。ままならないな。ほんとにままならない。そうだろう?」

 

 霧堂が見上げた空を、石川も見上げる。

 

「あぁ……まったくもって、ままならないよ。中東は」

 

 インド洋が紅く染まっていく。間もなく、太陽と水平線は交わることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 母なる海を押しのけつつ、大質量の軍艦が驀進してゆく。

 

 軍艦の塗装は久々に見る扶桑海軍のそれで、どうやっても目立つ左右非対称の島型艦橋(アイランド)に大っぴらに広がる飛行甲板。そこにはヘリコプターの発着エリアを示すのであろう白い印が刻まれている。

 

《ほぉおう? あれがKagaですか》

 

 外耳道に差し込まれた魔導インカムがその僚機の言葉を振動として伝え、鼓膜から耳小骨を通じて言葉に変換される。中東に送り込まれて以来散々聞いてきたブリタニア語だ。もう聞き取りに困ったりはしない。

 

「オーちゃん正解。私も見るのは初めてなんだけど、思ったよりも小さいわね」

 

 そう言いながら改めて眼下を往く飛行甲板に目を落とす。インド洋を我がものと進む2万tの巨艦は複数の護衛艦による輪形陣の中心に位置しており、まさに空母機動部隊ここにありと言わんばかりの壮観である。

 まあ現実には「加賀」の艦種は強襲揚陸艦。甲板長はもちろん整備能力の限界から固定翼機は運用不可能。機械化航空歩兵(ウィッチ)回転翼機(ヘリコプター)だけが武器の()()()に過ぎないのだが。

 

 だからこそ護衛部隊として彼女たちがこうして派遣されているのだ。ペルシア領土の大半を奪還して以来ネウロイの動きは妙に静かで、テヘランを拠点にする彼女たちの部隊も最近はこうした『雑用』ばかり。

 

「ま、へーわなのはいいことなのだけれどさ」

 

 そうやって目を閉じ、愛機であるF-15EFの振動だけに身を委ねる。幼年学校を出て以来の愛機としてこの傑作機を使い続けてきた明日菜にとっては、座禅並みに心の研ぎ澄まされる心地よい振動だ。こういうのを中毒ともいうのかも知れない。

 

《おや? あの細々と布にくるまれてるのは何ですかね?》

 

 と、思考を中断する声が。先ほど言葉を交わした僚機……オーガスタ・マクファーレン中尉の声だ。明日菜はあれで会話が終わったと思っていたが、どうやら中尉の中では続いていたらしい。

 

 改めて「加賀」に目を落すと飛行甲板の半分を何かが埋め尽くしている。控えめに、しかし確かに存在を主張する布でくるまれたそれは、よくよく見ると飛行機の形状。

 

「……アレはディブレークよ。あれだけ厳重に保護されてる感じを見るに、ペルシアにでも売りつけるんだろうね」

 

 塩害を考えればもちろん露天駐機は悪手。それでも致し方ないといった様子で積まれたようにも感じられるそれは、現地につくまでは使う気ゼロと言わんばかりに丁寧に保護されていた。

 

夜明け(daybreak)? あまり聞いたことのない航空機ね》

 

 F-73ディブレーク。本土防空を担うはずの国産要撃機がどうしてもリベリオンF-15に勝てず、それでも諦めずに扶桑が決死の覚悟で開発した何世代目かの短距離離着陸(STOL)機。その海外向け生産版だ。確か国内向けは『暁風』とでも呼ばれているんだっけか。

 

「そりゃあそう、だって失敗作だもの。ミサイル照準が出来ないわ整備性が最悪だわで使うのは海軍さんだけよ? 生産コスト抑えるためにあちらこちらに売りつけてるってわけ」

 

 そう吐き捨てる明日菜。ディブレークの名誉のために言っておくとミサイル照準器の問題は既に解決されている。おかげで2003年の今では偏向ノズルを用いないことで堅実なSTOL機としての性能を達成、山岳地帯でも運用可能なそこそこ戦闘機動に秀でる機体。別にスペックとして問題があるわけではない。だからこそ中堅国には好まれてはいるのだが……。

 

「……ホント、胸くそ悪い話よね」

 

 彼女にしてみれば扶桑がそれを売りさばくこと自体に不満があるのだ。吐き捨てるようなその台詞に僚機が不安そうに声をかけてくる。

 

《アスナ?》

 

「んーいや、ちょっち考え事してただけよ。気にしないでオーちゃん」

 

 

 本当にクソッタレな戦争だ。人類の危機だなんだの言って、イマイチな戦闘機を国内産業のために海外に売り飛ばす。それを人類の協調だと言って憚らない国内メディアに軍上層部。

 

 

 そしてなによりも――――

 

 

 別の周波数で呼び出しがあると機械が教えてくれる。はて誰かと思えば、いつの間にやら「加賀」よりウィッチが飛び出してくるのが見えた。

 

《おや、お客さんのようですねぇ》

 

「大方扶桑海軍の直掩ウィッチってところかしらね……こちらは第301統合戦闘航空団、貴官の所属は?」

 

 これでも明日菜は護衛部隊の隊長ということになっている。だから自分の名前を名乗って相手に名乗らせる。単純な作業だが、これと敵味方識別装置(I F F)だけで敵味方を見分けなきゃいけないのだから空というのは大変だ。

 

《扶桑皇国第三航空戦隊所属、石川少尉であります!》

 

 無線に息を吸い込む気配が乗るくらいの大きな挨拶。そんな気張らないでもいいだろうにと明日菜が苦笑する。

 デカン高原でネウロイへの抵抗を続けるペルシア軍を支援すべく、行われている軍需物資の輸送。これの護衛が霧堂たち第301統合戦闘航空団の最近の主任務な訳だが、正直危険度は低い任務だ。そこまで肩を張るものではない。

 

「護衛ご苦労様、少尉。これより301空は貴艦隊の護衛に入る」

 

《あ、あのっ……小官は貴航空隊に合流するようにと辞令を受けておりまして!》

 

 補充要員の話は聞いている。戦線は膠着状態だが、人類連合としてはこれからペルシアを奪還するべく大作戦が始まる間際。そのための軍需物資であり、そして補充要員。

 

「その件については聞いてる。私が戦闘隊長の霧堂大尉だ。よろしく」

 

 それを聞いた石川少尉。彼女が顔色を変えたのを見て、霧堂は胸の中にマグマのようなわだかまりが湧き上がるのを感じた。

 

 

 嗚呼。この子もか、と。

 

 

《霧堂大尉殿、お会いできて光栄です!》

 

《……ほおぉーう》

 

 空中での引き締まった敬礼を見せつけてくる石川少尉。こりゃあ面白いネタを見つけたといわんばかりにこちらに視線を送ってくる僚機。一方の明日菜は表情を険しくして、それから答礼もせずに冷たく言い放った。

 

「少尉。現在は作戦中だ。私語は慎むように」

 

《あ……》

 

 何かでガツンと殴られたように表情を変える石川少尉。明日菜はそれを無視するように大きく旋回。護衛対象の上空につく。

 

 

 本当にクソッタレな戦争だ。明日菜はこの戦争が嫌いも嫌い。大嫌いであった。

 

 人類の危機だなんだの言って、遠く離れた安全な自国で武器を作り、そして海外に売り飛ばす軍産複合体。被支援国の経済を破壊し、人類連合に依存せずにはいられなくなるように投入される様々な支援物資。それらを人類の協調だと言って憚らない国内メディアに軍上層部。

 

 

 そしてなによりも――――こういう風に『ウィッチ』に憧れて、この来なくてもいい戦場(ばしょ)にくる同胞(バカ)が増える。だから霧堂は戦争が嫌いなのだ。

 

 

 遡ること14年の2003年。

 今年で21歳となるベテランウィッチ、霧堂明日菜の姿は――――――中東に在った。

 

 



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中前編「デカン高原  2003」

 ――――――大刀洗(たちあらい)一期。

 

 

 それが、霧堂明日菜の石川桜花(さくら)に対する第一印象であり、また評価の全てであった。

 

 2001年に発生したネウロイのリベリオン東海岸への襲撃、これが21世紀は平和の世紀になるであろうという人類の幻想を容易に打ち砕いてから早くも二年が経つ。

 思えば、半世紀以上も続けた対ネウロイ戦争は、大戦という表現が用いられるほど大規模ではないものの、確かに続いてきたのである。第二次ネウロイ大戦が1940年代後半に西欧及び中欧の奪還という形で一応の収束を見ても、その実東欧諸国はネウロイの瘴気に沈んだまま。それが20世紀のうちに片付かないのだから、まさか新世紀になったぐらいで人類が平和を享受できるはずもなかったのである。

 

 とにもかくにも、ネウロイの侵略は止むことを知らない。人類の戦いはどこまでも続く。リベリオンに落着した大量の大陸間弾道飛翔型ネウロイ(I C B N)は、扶桑皇国に函館戦争以来となる本土決戦の予感をもたらしていた。対弾道ネウロイ防衛(B N D)の整備はもちろんのこと、恐らくは避けられない()()を防ぐべく本土防衛用のウィッチの早急なる育成が声高に叫ばれたのである。

 

 では、増やせと言われたところで増やせるだろうか。21世紀に徴兵制などは存在しない。ウィッチは志願者が幼年学校に入学することで育成されるが、既に国の定める基準に叶う少女達は入学したか、もしくは軍に入ることを望んでいないかのどちらかだ。

 高校生以上となるとウィッチ志願者はいても適性の問題が立ちはだかるし、15を過ぎてからのウィッチ勤務というのは本人にとっても酷な話。

 

 実のところ、ウィッチの増員なんてものはそうそう出来ないのである。

 

 しかし、国家が望めば道理は通るもの。その結果としての大刀洗幼年学校というウィッチ養成機関。

 小学校中学年相当の学力で受けられる入学試験をパスすることで『編入』することが出来、卒業すると()()()()()()()()()()()()()()()、晴れて軍での勤務を許される。

 

 ……明日菜に言わせるなら、扶桑は小学生という手をつけてはならない()()に手を出したのである。

 

 適性重視の推薦(スカウト)制度……まだ人生の選択が出来るかも怪しい少女を戦場に送り出すその幼年学校は、言うまでもなく批判の対象となった。

 

 しかし、戦争は始まってしまったのだ。

 1990年代に始まった解凍戦争は、あくまでこれまで『冷凍』されてきた東欧の巣が動き出しただけであった。だから扶桑も遠い異国の地として、世界の工場として欧州を支援すれば良かった。

 

 しかしICBNは飛んだ、飛んでしまった。遙か彼方のリベリオンが戦場と化したのだ。

 

 果たして扶桑も例外たり得るだろうか。そんなことはない。ウィッチの数を揃えることが、扶桑を護る唯一の手段であったのだ。反対意見は即座に封殺された。一週間も絶たぬうちに反大刀洗派の人間に非国民の(レッテル)が張られるのを、誰もが見て見ぬふりをした。

 

 

 ……であるからして、明日菜は大刀洗一期である石川を好んでなどいなかった。それこそ、今すぐ本国へ送還してやりたかった。

 問題は、その姿勢が当の石川から見れば冷遇にしか見えなかった、ということだ。

 

 

 

「それはアスナなりの嫉妬だと思うんだけど、そこんとこはどーなのさ」

 

 応接セットに座ってケタケタ笑うのは王立空軍所属のオーガスタ・マクファーレン。流暢なクイーンズ・ブリタニッシュというのは教材にはぴったりだが、ともすればB”R”itanishをからかわれるのだから溜まったものではない。

 それでも、同じ飯を食い空気を吸う。ついでに煙草も吸う。そんな異国の人間は遠い母国の人間よりかは近しいのだと思う。

 

 しかし困ったことに、最近はその戦友たる共通項が抜け落ちて来たように思うのだ。無論各国の利権調整の結果として生まれた統合戦闘航空団であっても、そうそう配置換えなどあるものではない。だから抜け落ちたのはもっと簡単で、最も大切なこと。

 例えば、煙草だ。

 

「そういうオーちゃんは煙草を辞めたじゃない。そこんとこどーなのさ」

 

「質問に質問で返さないでよねーアスナ。別に辞めた訳じゃないさ。ただ、将来有望な”処女(Cherry)”を汚したくなくてね」

 

 証明して見せようか? そう言いながら箱を取り出すマクファーレン。明日菜はニコリともせずに手を振った。

 

「ふん。オーちゃんはそうやってすぐ辞められるからいいわよねぇ。私には到底無理」

 

 それでも、執務室で煙草を吸わないのは最低限のケジメだ。喫煙なんて見るからに身体に悪影響を及ぼす存在は随分と昔から上流階層を中心に嗜まれてきたが、ことさら身体が資本であるウィッチ部隊において大々的に流行り始めたのはつい最近のこと。1970年代の冷凍戦争(Cold War)はガリア=インドシナ。ガリア連合構想が事実上の失敗に終わり、政治的求心力を完全に失ったインドシナ共和国の政情不安定につけ込むようなネウロイの侵攻。

 ガリアは永遠空番とも言われた501JFW(ストライクウィッチーズ)を復活させてまで人類共同戦線の構築、即ち国際社会の支援を得ようとしたが、結果は知っての通り。ガリア解放の英雄であるド・ゴール大統領は退陣に追い込まれ、肝心の統合戦闘航空団はその火消し役に回されることとなった。

 

 それはまさに、廃退と停滞の時代。黒海にネウロイと呼ばれる新種の怪異が現れて以来半世紀、人類を動かし続けて来た歴史の原動力の消滅。ガリア=インドシナを失うことで人類はなにを失ったのだろう。むしろ、ガリア=インドシナを保持せんとした代償の方が大きかったのではないだろうか。反社会が若者社会(サブカルチャー)の代名詞となった。軍隊というのは平均年齢が20代前半となる極めて極端な若者の組織だが、ウィッチ部隊の平均と言えば10代である。秩序の崩壊は強靱なはずの国防体制を失墜させた。

 

 だから、明日菜は執務室では煙草を吸わない。自らの喫煙は決してそんな意味のない反戦主義には寄与しない。国防体制の欠陥が招いたのが函館事変ではなかったか。

 どんなに腐敗しても、自分を何度も裏切っても、それは永遠に故郷であり、この事実だけは変えられない。だから決して、自分もその安易な主義主張に迎合してはならない。それが彼女なりの意地であり、矜持であった。

 

「でもさあ、アスナは嫉妬深いよねぇ本当に」

 

「別に煙草程度で嫉妬なんかしないわよ」

 

 そう言い放てば、目の前のブリタニア空軍中尉はケタケタと笑う。

 

「話を逸らさないでよ。アンタが嫉妬してるのは私なんかじゃなくてサクラよ」

 

 それとも、イシカワって言わないと通じないかしら? 三つ編みの金髪をさながら小麦のように揺らしながらそういう彼女。明日菜はこれ見よがしなため息をついて、それから手元のバインダーを机に置いた。

 

「石川に嫉妬なんてするわけないでしょ。同じ扶桑のウィッチだし、そもそもこの私に勝てるとでも?」

 

「してるでしょー? だってアスナはミサイルとか触らせて貰えない訳だし」

 

「……」

 

 そこか。中東の光などと呼ばれることもある第301統合戦闘航空団であるが、その戦闘隊長を務める霧堂明日菜はは極度の機械音痴であるというのが定説になりつつあった。実際既にF-15EFのパーツを17機分ほど磨り減らした身としては反論のしようもないのであるが、別に機械が苦手なんてことはないのだ。

 ただ、時折ネウロイを倒した後に機材が滅茶苦茶に壊れていることがあるだけなのだ。

 

「――――ま。そこは自明の理だから置いておくとして、だ」

 

「なに勝手に自明の理にしてるのよ」

 

 いいでしょいいでしょ。そう手を振りながらマクファーレン中尉は笑う。それからすっと表情を固めたままに眼を細めた。

 

「扶桑人が身内びいきなのは知ってるけれど。流石に度が過ぎるんじゃない?」

 

 その言葉に、今度は明日菜が笑う番。

 

「……なんの話?」

 

「みんな知ってるわよ。あのズボラリベリアンのブリジットだって気付いてる。なんでだってイシカワを前線に出さないのさ」

 

「出してるじゃない? ちゃんと」

 

運び屋(トランスポーター)を前線というなら、そうかも知れないけれどねぇ」

 

 そう言いながら執務机の周りをうろうろするマクファーレン。明日菜はやかましいと言った様子で振り払う仕草をするが、その程度で追い払われる訳がない。

 

「アイツは未熟だ」

 

「なにがさ?」

 

「まず練度。今はようやく戦闘にも投入できるレベルになったけれど、ここに来た時なんてボロボロだったじゃない? それに年齢、あの子はようやく十になったばかり。精神も年相応で……」

 

「要は全部足りないんでしょ?」

 

「……まあ、そういうことになるわね」

 

「そりゃ私たちに比べたらなんでもかんでも劣るに決まってるでしょう。あんなんじゃ育たないわよ?」

 

 その言葉を聞いた明日菜は、少しばかり声を堅くする。

 

「育てる? 何のために育てるっていうの?」

 

「そりゃあ、私たちが飛べなくなったときのためよ。今は向こう(ネウロイ)さんも動く気配がないからいいけどさ。もし二年前みたいな大攻勢があったらどうするの?」

 

 マクファーレンが言うのは2001年に実施された《不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)》のこと。リベリオン東海岸を襲った大陸間弾道飛翔ネウロイ(I C B N)による攻撃は、なんの関係もないはずの中東のパワーバランスを崩すこととなった。

 つまることろ、湾岸戦争の傷が癒えていないメソポタミア共和国連邦にはネウロイを食い止める力がなかったのである。巨人(さばく)の盾を喪った共和国連邦など砂漠の楼閣。その際に形式上はリベリオン陸軍の主導で実施されたのがこの《不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)》。それは何百何千万の避難民をペルシアまで逃がした、史上最大規模の撤退戦であった。

 

「だけど、私は飛んだわよ? 飛び続けた」

 

 何処までも、そう何処までも。砂漠の嵐だなんて勇猛な台詞と武器を持った巨人が去った世界。ネウロイの闇に覆い尽くされたメソポタミアの空。

 威張っていた先輩も、よくしてくれた戦闘隊長も皆落ちていった。

 

「みんなアスナみたいな天才じゃないのよ。ああ訂正、私はアスナみたいな天才じゃないのよ」

 

「何言ってるの、私はオーちゃんのことを一番信頼してるのよ?」

 

「……ふぅん?」

 

 よく言うわよ。そう呟いたオーちゃん……オーガスタ・マクファーレン中尉の顔には笑みが戻ってきていた。

 

「その割には、旧知の仲の私だけは蚊帳の外なんだから。ホント、嫉妬しちゃうわ」

 

「あら? 特別扱いはお嫌いで?」

 

「ぜーんぜん?」

 

 オーガスタ・マクファーレンはそして笑う。笑ってくるりと振り返る。三つ編みの金髪が再び揺れた。

 

「さーて。あたいはそろそろ待機任務(アラート)にいってきますかね」

 

 明日菜はそれを無言で見送る。この小麦畑のような背に何度助けられたことだろう。あの国家のエゴばかりが衝突したクソッタレの自由を守る作戦で、たった二人だけ戦場を支えた明日菜の相棒。

 

「あ、そーだアスナ」

 

 ところが、彼女は振り返る。それから明日菜に聞き取れるよう、はっきりと言った。

 

「――――今夜、私のこと抱いてよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あぁ、本当に癪に障る。

 

「戦闘隊長、訓示!」

 

 第301統合戦闘航空団の看板が掛けられた掘っ立て小屋のような集会所で副官が告げる。整列した部下達の前に一人だけ反対向きに立った――すなわち向かい合った――霧堂明日菜は部下を見回す。

 

「諸君、いよいよ部隊にメソポタミア共和国連邦ムサンナー共和国への前進命令が下った。サマワ南方ムサンナー空軍基地へと前進する」

 

 直立不動で部下たちがその訓示を聞いている。表情一つ変わらない。まるで機械だ。決して平均年齢16.2歳の集団がしていい顔ではないなと考えて、心の中で嘲った。部隊は部隊長の影響を強く受ける。これもおそらく私のせいだ。

 

「ユーフラテス河より南方についてはネウロイは歯ごたえがないものばかりと言えた。おかげで我々の主なる敵は時代遅れのオペレーションシステム(T R O N)と絶望的な遅さの通信回線だったわけだが、上層部はいよいよ我々がオフィサーではなくウィッチであることを思いだしてくれたようだ」

 

 喜べ諸君。と言ってもだれも反応無し。これでは道化となった意味もないではないか。

 

「まぁいい。出発三時間後、ヒトヒトサンマル時だ。気象軍団からの報告によれば、天候は晴れ、風北から弱く、時々弾丸とのことだ。これを受け、我々は万が一の事故に備えるため、NIJ-IIIA対応の防弾ジャケットの着用を指示されている」

 

「えっ」

 

「どうした石川少尉」

 

 伸長の関係で最前列に並んでいる石川少尉が驚いたように声を発した。

 

「し、失礼しました!」

 

「結構。しかし、疑問点があるならばここで解消しよう。石川少尉の疑問は『なぜ、ネウロイ相手の戦闘では屁の突っ張りにもならない防弾ジャケットを我々が着なければならないのか。重いし邪魔になるし、良いこと無しではないか』ということかな」

 

「……はい」

 

「よろしい。その疑問に答えよう。今回の前進にあたり、もっとも警戒しなければならないことはなにかを整理する必要があるな。良い材料だ。まず絶対的に明らかなものから確認していこう。石川少尉」

 

「はっ!」

 

「第301統合戦闘航空団が派遣されている目的とはなんだ」

 

「メソポタミア共和国連邦の領土奪還の支援です」

 

「結構。その通りだ。では今回の前進の意味とは? マクファーレン中尉」

 

 いきなり話題を振られて後ろであくびをかみ殺していたマクファーレンが呻いた。

 

「私に振るの、アスナ?」

 

「眠そうにしていたからな。あと私語は慎めマクファーレン。一応訓示の最中だ」

 

「はっ、失礼いたしました」

 

「それで、答えは?」

 

「ユーフラテス川西岸までの掃討を完了し、いよいよバグダート方面へ進出する為であります」

 

「30点。正確に言えば、我々はバグダート方面への飛行は行うものの、地上部隊の支援がメインとなる。我々はあくまで鷹の目。そして安全圏の確保のための盾だ。――――サマワの回復した土地には既に、一般市民の再入植が始まっている」

 

「すごいバイタリティだ」

 

 マクファーレンは肩をすくめる。それを見た霧堂も薄く笑みを貼り付けた。

 

「全くだ。護りがいのある市民様をこの目で拝みながらの前進。光栄だろう。だが、我々は手放しで歓迎されていると言えないのは君達も知っての通りだ。そして、今後激化することが予想される」

 

「激化……」

 

 石川の声に霧堂が頷いた。

 

「彼らの教義によると、女子は顔面と手首より先しか晒してはならない。かといって我々ウィッチは足を晒さねば戦えない。これが原因でウィッチの導入が遅れたためにユーフラテス戦線は一気に押し込まれた訳だが、今になってもこれを律儀に守らせようとする奴らが存在する。『ウィッチを守るため』に『軍事基地のお偉いさんを吹き飛ばして』くれるらしい」

 

 その言葉にどこかから低い笑い声が漏れた。

 

「それで我々の給料が上がったり、書類から解放されるならまだいいが、そんなただのとばっちりを喰らうのも癪だ。それにそんなことで戦力が半減しては我々の役目にも差し障る」

 

 そう言って霧堂は目を細めた。

 

「我々は戦場にあって、健常であらねばならない。そのためにまずは自分たちの身を守らねばならない。そのために我々は防弾チョッキを着用する。対人戦闘を想定してな」

 

 その言葉に石川の顔が曇る。()()()()()()()()――――それはすなわち、撃ってきた誰かに撃ち返す事を想定するということだ。

 

「他に質問はない? では次に行こう」

 

 

 曇りっぱなしの顔を見て霧堂は心の中で笑った。

 

 あぁ、まだ石川は若い。兵士としては若すぎる。 

 

 それを嘆くべきではないだろう。その年相応の反応を本来なら喜ばねばならない。だが霧堂はそれが許される立ち位置ではないのだ。戦闘隊長はそういうものだ。それは先立った先輩達の後ろ姿から学んできた。

 

 だらだらと情報をしゃべりながら頭の中はくだらないことばかりを考えている。

 本当に癪に障る。どうやったってこの中東という地域はいけ好かない土地らしい。

 

「以上だ。それなりの奮闘を期待する。各自、乗機の確認を行え。11時半に死ぬほど熱いエプロンで会おう。解散」

 

 

 

 

 

「――――今夜、私のこと抱いてよ」

 

 その言葉を聞いた明日菜の第一声は、驚きと言うより呆れだった。

 

「……なに、言ってんだか。私の話聞いてた?」

 

「うん。聞いてたよ? ユーフラテスの饕餮(とうてつ)さん?」

 

 ユーフラテスの饕餮(とうてつ)。その二つ名は霧堂明日菜という扶桑皇国のウィッチがネウロイを三桁喰った撃墜王(スーパーエース)であるということのみを意味する訳ではない。

 

「なんでさオーちゃん。私はあんたをそんな眼では見れないわよ。知ってるでしょ?」

 

「うん、知ってる。痛いほど知ってる。でもね、私気付いちゃったんだよね」

 

 ――――アンタが抱かない相手は《過去》にしたくない相手だ。

 

「そんな訳ないでしょ? そりゃ私はちょっち開放的かもしれないけどさ、別にそういう意味はないわよ。ほら、なんていうの? オーちゃんは可愛すぎて逆に食指が動かないのよ」

 

「じゃあサクラも可愛すぎるわけ?」

 

「そりゃもちろん。オーちゃんは凜々しい系だけど、石川は小動物的な可愛さよね。愚直で向こう見ずで、夢ばかり見てる……って、なに言わせてんのよ」

 

 咄嗟に並べたジョークのつもりだったが、向こうには冗談とは受け取ってくれなかったよう。

 

「ほら、やっぱりちゃんと見てるじゃない。それであの子のキラキラした輝きに嫉妬してるんでしょ?」

 

「話を戻さないでよオーちゃん」

 

「私もね、嫉妬してるの」

 

「話が見えない」

 

 そうは言うが、まさか明日菜が分からないわけがない。こんな顔の同僚を、後輩を何人も見てきた。しかしそれは自分が蒔いた種であって、咲いて当然の花。収穫するための果実。

 今回は、違う。

 

「思い出が欲しいの。ダメ?」

 

 目の前に迫った戦友は、どこか思い詰めたような、それでもまだ自分をからかうような余裕が見て取れた。

 だから明日菜は表情を歪める。

 

「……アンタまで《過去》になるつもり?」

 

 それを聞いたマクファーレンは、ふっと笑う。

 

「ほらやっぱり、気にしてるのね。科学的じゃないわよアスナ」

 

「私を何だと思ってるのよ。魔女(ウィッチ)に向かって科学的とか言う?」

 

「あんたの能力だってその科学を使って解明したからこそ使いこなせてるんじゃない?」

 

「あら? なんの話? あくまで私の固有魔法は三次元把握なんだけど」

 

「それは()()のでしょうが」

 

 そう笑みを凍り付かせて言うマクファーレン。どうやら賄賂やらなんらやで逃げることは出来ないらしい。

 マクファーレンは一歩前に出ると、執務机に釘付けにされたままの明日菜に詰め寄った。

 

「アンタだって聞いてるでしょ。今回もリベリオン主導で行われる《ペルシアの自由作戦(Operation Persia Freedom)》は激戦になる。きっとアンタや私でも苦戦するくらいのね」

 

「でしょうね。だから思い出?」

 

「だって私もCherryだもの。思い出くらいいいじゃない?」

 

「……私のことどう思ってるんだか」

 

 切羽詰まった本気と馬鹿にするような冗談が入り交じったマクファーレン。明日菜には頭を抱えることも許されない。

 

「それにね、アンタは思ってないだろうけどこっちは怒ってるんだよね」

 

 

 ――――明日菜(あんた)にとって、私と石川(サクラ)は同列な訳でしょ?

 

 

「私が墜ちるとでも思ってるわけ? あの時は私の方があんたを助けてやったってのに? そんなアンタにサクラを護れるわけ? 至極大事にして離さないサクラを?」

 

「……護るしかないでしょ。あの子をここで死なせるわけにはいかない。決してね」

 

 祖国(ふそう)は確かに過ちを犯した。その罪は扶桑のものであって、決して前線にいる兵士達の罪ではない。

 だからといって、こんなことが許されるだろうか。大刀洗一期。扶桑の過ちの犠牲者である石川桜花。彼女は第301統合戦闘航空団(こんなところ)に送られたばかりに、他国の面子(リベリオン)が巻き起こした人類を守る戦い(どうでもいいせんそう)に送り込まれ、そして最後には名誉の戦死(いぬじに)を遂げるのだ。

 

 許されざる、決して許されざることだ。

 

「アスナ、貴女は弱くはないわ。それはこのオーガスタ・ハリエット・マクファーレンが保証してやる。でもね、貴女は弱くないだけで決して強くはない」

 

「知ってるわよ。そんなこと」

 

 分かっている。分かってはいるのだ。

 どんなにシフトを襲撃の少ない時間にしても、戦闘から避けることは出来ないように。

 陣形の最も安全な位置にしても。決して彼女が被弾しない日はないように。

 偵察に誘導弾の管制といった、いざとなれば全部投げ出したって構わない仕事を与えても……彼女が被弾しなかった日はないのだ。

 

「でも、私は守るわよ。こんな場所で、扶桑人をむざむざ死なせない」

 

「うんうん。いい度胸。いい覚悟だよアスナ……だからね。私の力を貸してあげよう」

 

 もちろん、貸した手前は返してよね。

 それが彼女の意思だというなら、返す言葉は一つしかないだろう。

 

「悪いけど、利息はゼロどころかマイナスになるわよ?」

 

「分かってるわよ。分かってる」

 

 

 

 3月20日。人類連合軍はかねてより定めていたペルシア共和国国境線を基準とする防衛計画を更新。ネウロイの瘴気に沈んだユーフラテス流域を奪還すべく、全面攻勢に打って出た。

 この作戦にて人類連合は全線戦にて圧倒的勝利を収め、5月にはペルシア湾岸の全域を掌握。第一段階の作戦を完了することになる。未だに指揮系統の混乱が見られる人類連合軍であったが、参加各国軍はその能力を存分に発揮し、各所ではさしたる混乱もなかったという。

 

 そして第二段階の目標はメソポタミアの中枢――――バグダード。

 

 この作戦実施の支援のため、第301統合戦闘航空団はメソポタミア共和国連邦ムサンナー共和国、ムサンナー空軍基地へと前進する。

 

 

 時に、2003年。《ペルシアの自由作戦(Operation Persia Freedom)》。

 

 

 霧堂明日菜の姿は――――――中東に在った。



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中後編「クウェート 2003」

三話に収まりませんでしたので、今回は中後編です。


「中隊長へ意見具申、一個小隊を貸してください。後藤少佐を援護します!」

 

 地平が燃えていた。都市部のあった方角からは黒煙が何本も伸び、纏まって一つの樹のようになる。砂で黄ばんだ青空に向けて成長していくその姿はどこかの童話に出てくる豆の木のよう。

 

「C小隊を任せます! 行って!」

 

 クウェート共和国。1961年にブリタニアより独立したメソポタミア共和国連邦の構成国で、同国の最南端に位置する共和国。かの湾岸戦争の激戦地であることから扶桑人にとってはメソポタミア以上に有名な国名。

 砂漠に広がる街に、どこか明るい海水を湛えた雄大なるペルシア湾。歴史ある石造りの町並みは、ネウロイの瘴気に数年沈んだ程度で朽ちたりはしない。元より人類連合の抵抗がロクに行われなかった地域であることもあり破壊が最小限に抑えられたことも、《ペルシアの自由作戦》発動後にすぐ再入植が始まる大きな理由にもなったであろう。

 

 それにしても、賑やかだ。

 空には黒い太陽に紅い月――扶桑軍の国籍マーク――が描かれた丸っこいデザインの回転翼機が、しきりに高度や向きを変えながら回避機動に勤しんでいる。このアリ・アル・セーラム空軍基地から4km東に位置するジャフラの市街地でデモ団体が暴徒化したとの報を受けたのが30分前。基地のゲートに迫撃砲弾が降り注いだのが僅かに10分前。

 

「大隊長の返答は!?」

 

 しきりに続く爆発音にかき消されないように叫ぶ。半分以上憤りに任せた叫びは、少なくとも伝わらないということはない。

 

「『シールド出力に全魔力を集中し、使用武器は小口径弾でかつ警察比例の法則を厳守せよ』と!」

 

 通信機で背嚢を大きく膨らませた部下が叫び返す。その言葉に扶桑皇国第七師団大村支隊第一魔導大隊第三中隊長、高峰(たかみね)青葉(あおば)陸軍大尉は歯ぎしりせんばかりの思いだった。

 麾下のC小隊を後藤少佐――分からず屋の大隊長――の元に向かわせたのが何のためだと思っているのだ。目下()()()()()()()により釘付けとされている本部中隊の救援、そして指揮統制の立て直しのためである。それを追加の防弾板が増えた程度にしか認識していないのである。

 

 所詮は偵察機に過ぎない回転翼機が遂に火を噴いた。いや決して機体に被弾したのではない。欺瞞炎(フレア)だ。どこかから赤外線誘導弾が発射されたのだ。

 

「ああもう、これのどこが暴徒だっての!」

 

 叫べど泣けど、攻撃の手が緩められることはない。ついに回転翼機は飛行場への着陸も許されぬままに被弾を許し、独楽のようにぐるぐると回りながら砂漠へと墜ちていく。

 

 魔導インカムのスイッチを入れたのは、もはや反射だった。

 

「3中隊高峰です。至急、陸戦脚主砲の使用許可を」

 

《大尉、何度も言わせないでちょうだい。向こうにウィッチは確認されていない。実力の行使は通常の警察行動に留めるの。そう言ってるでしょ!》

 

 ノイズの向こうに顔面蒼白なモヤシ魔導歩兵(ウィッチ)の顔が浮かぶ。

 

「大隊長! 状況を理解しておられないようですが、たったいま友軍ヘリが墜落しております。これ以上武装した暴徒を放置すれば、我が軍にも致命的な損害が――――」

 

《76mmの迫撃砲ではシールドは抜けないわ。対魔法陣(シールド)徹甲弾の存在も確認されていない。大丈夫、皆助かる》

 

 大隊長の後藤少佐は数ある機械化陸戦歩兵の指揮官の中でも特に臆病な方と言われている。貧血気味で、いつも顔が白い。魔眼と臆病ながらも堅実な指揮という如何にも平時向きな将校だ。実際、20前後ばかりで皆血気盛んなウィッチの中では相当に()()()指揮官(ウィッチ)と言えるだろう。

 

「そのようなことを言っていては手遅れになります! 直ちに反撃を!」

 

 その声に応えるのは大隊長ではない。空を切り裂く魔導エンジンの音。直後に耳を切り裂く衝撃音、続いて心地よい爆発音。

 

 人類連合空軍による空爆が開始されたのだ。もちろん狙いは暴徒と称する武装集団。

 

「大隊長! 空軍が攻撃を開始しました、もはや迷っている場合ではないでしょう!」

 

《ええ迷いなどしませんわ。攻撃は行いません》

 

「何故です!? 空爆部隊には皇国空軍のウィッチも参加しております! 栄光ある我が陸軍が――――」

 

 そこまで言って、高峰大尉は自らの過ちに気付く。この台詞は高級将校には効く。たかが設立数十年の空軍に、設立百年を超える皇国陸軍、その最精鋭たる第七師団が遅れを取ることは許されないからだ。

 

 だが、今の会話相手は若干20の女子(ウィッチ)である。同じく若干20の高峰に言えたことではないかも知れないが――――彼女たちは皆、夢見がちだ。

 咄嗟に言い直す。

 

「――――いえ、我が陸軍に損害が出ることは避けねばなりません」

 

《だから言ってるでしょ、私たちのシールドは抜けないわ》

 

「違います、支隊には2300の人員が随伴しているのをお忘れですか。2300人は76mm迫撃砲弾の直撃に耐えられるのですか!」

 

 説得には、可能な限りの数字。そして相手の想像力と罪悪感を巧く利用するのが肝要。こればかりは相手が中高年だろうと青年だろうと変わらない。

 

「使用許可を下さい。支隊の皆を、護らせて下さい!」

 

《――――――ダメよ、私たちの刃はネウロイを討つためのモノ。私たちはウィッチとして戦ってはいけないの。貴女なら分かるでしょう高峰大尉。とにかく――――――》

 

 通信がそこで途切れる。魔導インカムを押す、正常に作動した機構がマイクをミュートにし、その通知音だけが聞こえる。ミュートを解除しようとした瞬間、爆発音。

 

 音の方角を見る。一際大きな煙が上がっていた。迫撃砲なんて比じゃない。

 

 瞬時に計算する。通信途絶から爆発音まで約4秒。音速換算すると、爆発位置からは約1500m。

 

 その方角と距離は、後藤少佐の居場所。先ほどC小隊を送り込んだ場所。

 

「少佐? 応答願います、少佐」

 

 マイクのミュートは確かに解除されている。が、返事はない。ただ虚無と僅かなノイズのみ。

 チャンネルを切り替えた。

 

「古河中尉、C小隊応答せよ。古河応答しろ、応答して!」

 

 副隊長の名を叫ぶが、理性は理解している。爆発の大きさは目算でも120mm越えの榴弾砲。重機関銃に釘付けにされた後藤少佐と本部中隊、そしてC小隊をまとめて吹き飛ばしたのだ。

 

 それが”敵”の狙いだったのだ。

 

 

 

 

 

《……後藤大隊……名誉の戦…………られた、これよ…………隊長の高…………の指揮を執る。大隊長代理の判…………可、主砲魔…………開け。各中隊阻止砲…………は任せる》

 

 

 そんなノイズまみれの扶桑語による通信が狼煙であった。扶桑皇国の担当する東地区の戦線が一気に切り開かれる。どうやら原因は指揮系統の崩壊とそれにより始まった独断専行らしい。

 

「それでもあの統制具合とは、流石は《北鎮部隊》とでも言うべきなのかねぇ」

 

 第301統合戦闘航空団の戦闘隊長、霧堂明日菜大尉はさも他人事のように言い放つ。文面は単なる暴動とあったのに出動命令が下るなんてどうもおかしいと思えば、暴徒とやらは野戦砲まで投入しての大攻城戦だったのだから笑えない。

 

「でも、まだ滑走路や格納庫(ハンガー)とかへの侵入は許してないみたいね」

 

 隣を飛ぶオーガスタ・マクファーレン中尉が冷静に分析する。人類連合という名の多国籍軍部隊は押されていても崩壊はしていない。「暴徒」の切り札であったに違いない120mm野砲がリベリオン砲兵の速やかなる応射により撃破されたのは確認済みだ。

 

「流石は湾岸戦争の絶対防衛線と名高いアリ・アル・セーラム基地。生まれ変わっても難攻不落は変わらないのね」

 

 徹底された防御態勢に明日菜は舌を巻く。ここに進出した地上兵力は扶桑とブリタニアとリベリオンの合同部隊合計3800。ここに50の陸戦ウィッチと70を数える航空ウィッチが付き添っているのだ。ネウロイであっても早々負けない布陣といえるだろう。いや、本来なら負けるはずもない戦いなのだ。

 

 しかし航空兵力が移動・偵察用の回転翼機を除いて航空ウィッチに頼り切りだったことが裏目に出た。「暴徒」の襲撃にウィッチはその大半が精神的な原因により出撃が出来ず、先ほどの空爆だって切羽詰まった一部の志願ウィッチが爆弾を落としたに過ぎない。しかも阻止爆撃だから敵に被害が出たわけでもない。

 状況は絶望的だ。

 

「でも、間に合ったみたいで良かったじゃない」

 

 眼下には、「殺さねば殺される」という状況に陥ったことで撃てるようになった、いや撃てるようになってしまったウィッチ達の姿。砂漠の砂を巻き上げながら突撃する陸戦ウィッチと歩兵たちが、練度と個人装備で劣る「暴徒」たちを撃退していく。

 

《皇国万歳! 皇帝陛下万歳! 皇国陸軍万歳!》

 

「……とにかく、私たちはやるべきことをやるわよ。ブリジットは広域警戒、野砲(おかわり)は流石にもうないと思うけど気を抜かないで、私とオーちゃんで国道を封鎖爆撃。全部ばらまくわよ。石川は上空待機で残りはチヌークの護衛!」

 

 その言葉と共にCH-47(チヌーク)が降下を開始する。

 

《隊長……イイ知らせとワルイ知らせ、どっち知る》

 

 片言のブリタニア語はモリジアナ・スマイール少尉。メソポタミア共和国連邦はサンクチュアリ共和国の出身で、301空では情報解析役も務めるナイトウィッチ。

 

「めんどうね、じゃあいい方から」

 

《フソウの大佐。オオムラが目を覚ました》

 

「それ悪い知らせって言わない?」

私も思ったわ、それ(Great minds think alike)

 

 明日菜の呆れ声にマクファーレンが応じる。

 扶桑皇国陸軍の大村大佐。この基地での最大勢力を誇る大村支隊の支隊長は、明日菜にとっては目の上のたんこぶ以外の何物でもない。一介の陸軍大佐の癖して301空に対して何度無茶ぶりを振ってきたことか……正直、今回の暴徒による襲撃で意識を失ったと聞いたときは密かにガッツポーズしたものだ。

 

 加えて言えば、彼の復活は心情面以外にも悪い知らせである。基本的に猪突猛進な扶桑陸軍において、大村大佐はその急先鋒。そもそもクウェート共和国に彼らが駐留するのはペルシア湾岸を抑える第一段階作戦において彼らが文字通りの「一番槍」であったからである。

 防衛戦において、突撃思考の指揮官が復活するのは非常に面倒だ。というか既に突出気味になっている東地区の戦線がこれ以上伸びるのは止めてほしい。

 

「……まあ、いいわ。で、悪い方は」

 

「オオムラ、チヌーク乗らない言ってる」

 

「知ってた。ブリジット、命令変更。大村とかいう阿呆、鼻をへし折ってでもいいからチヌークに叩き込め! あれを助けることが今回の命令なんだから!」

 

《イェス、マァム!》

 

 その言葉と共にブリジットが飛び込んでいく。味方も敵にもロクな航空戦力はいない。野戦砲や迫撃砲の砲弾にさえ気をつけていればまさか撃墜はあり得ないだろう。

 

 

 地上には地獄絵図が広がっていた。

 明日菜にとっては厄介でしかない指揮官の復活は、しかし支隊にとっては最高のサプライズだったらしい。更に増した銃声と怒号と共に、扶桑陸軍は戦線を切り開く。

 一方で元より数も少ない南地区のブリタニアやリベリオン軍は徐々に勢いを削がれつつある。いや違う。勢いを削がれつつあるように()()()()()()()のだ。

 

 そもそも今回の『救出任務』はこの地獄絵図の原因の八割方を占めるとある連邦評議会議員サマを基地から連れ出すこと、そしてこれを機にクウェート共和国より人類連合を()退()()()()()()()である。

 

 ということはつまり、別に基地を保持する意味はないしこれ以上戦い続ける必要もないのだ。

 

 301空のウィッチ達の直掩を受けつつ、ヘリポートへと落着するチヌーク。西アジア司令部直々のお達しである評議会議員を回収する。

 

《アスナ! オオムラというか取り巻きがウザいんだけど! 人類連合の命令って伝えてあるんでしょうね!?》

 

「伝えてるわけないでしょ本人が今さっきまで伸びてたんだから」

 

《ふっざけんなアスナ! 覚えときなさいよ!》

 

「あーはいはい覚えとくね」

 

 声にならない罵声と共に通信が途切れる。まあ格闘戦ならブリジットが一番得意だろうし、任せるに限る。

 

 流れるように作業(てったい)は進んでいく。ブリジットは本当に殴ったらしく、再び意識を失うことになった扶桑陸軍軍人がチヌークに運び込まれる。

 そしてカーキ色に染められた回転翼機飛び立つ。妨害するように飛んでくるミサイルはシールドでたたき割る。

 

《アスナ、南地区が突破されたよ。暴徒が雪崩れ込んでくる》

 

「よろしい、()()()()だ。石川!」

 

《はいっ!》

 

「事前の作戦通りだ。アリ・アル・セーラムの重要施設へのマッピングは済ませてあるな?」

 

 後ろを振り返る。地対空誘導弾(SAM)の届かない上空に待機させた石川と、その周囲を取り囲む物々しい物体達。

 戦場での経験が浅い石川少尉を如何に()()()()()。その答えが運び屋(キャリア)。戦場に素早く高火力を提供するための運搬役。

 

《は、はいっ……あの、その》

 

「案ずるな石川。爆破のことは既に通達してあるし、既に放棄が決まった基地だ」

 

 何を言いたいかは手に取るように分かった。基地を、それも味方の基地を爆撃するのだ。しかし仕方がない。もはや人類連合は攻勢限界を迎えてしまったのだ。

 当初こそは悠々と領土を奪還していた人類連合軍であるが、それは即ちネウロイが大きな障害になっていない。即ちネウロイをロクに倒していないことを意味する。

 

 この状況で想定以上に早く進む再入植は輸送網に想定以上の負担をかけ、更にはあり得ない速度での治安悪化が進んでいる。いくらメソポタミア共和国連邦がブリタニア連合構想という政治的事情で発足したという事情を鑑みてもなお、考えられない頻度でデモが、テロが、既にその毒牙は非政府系の団体にまで及んでいる。

 

 残念ながら人類連合の主敵は、今やネウロイではなく反メソポタミア共和国連邦のテロリストと言わざるを得ない訳だ。ネウロイに戦い慣れたウィッチでも治安維持なんて未知の領域だ。(てき)を倒せば終わりという訳ではなく、精神的な負担も大きい。ネウロイと戦わずして、どんどん消耗していく。

 

 だからこそ、もう畳むしかないのだ。

 

 ネウロイを倒すことは出来なかったが、作戦の主題であるペルシア共和国の軍事的負担は減らされた。ネウロイがそのまま退くならこれほどいいことはないではないか。例え「暴徒」が大量の重火器を持ち出してまで人類連合の戦闘機材や()()()()()しようとしていても、人類の生存領域が広がるならいいではないか。少なくともこれでペルシアと西アジア司令部はネウロイ戦線から開放される。

 

「やれ」

 

斉射(サルヴォー)!》

 

 その無線と共にサジタリウスの弓は空を翔る。十数本の対掩体壕誘導弾(バンカーバスター)が丁寧に舗装された空軍基地の滑走路脇に控える格納庫に刺さり、そして爆ぜる。

 リベリオンが設計した破壊兵器だ。まさかリベリオン製の掩体壕を貫けない訳がない。

 

「それにしても、まさか友軍基地を焼く日が来るなんてね」

 

 しかし仕方がない。「暴徒」に機密の塊であるストライカーを奪われる訳にはいかないし、既にここはネウロイとの戦場(そういうばしょ)ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 通信技術の発展は凄まじい。おかげでわざわざ狭苦しい無線室に足を運ばずとも、オフィスで手軽に連絡がとりあえるようになった――――が、今回ばかりは恨ませて貰おう。

 もしもこれが電信だったら、こんなアホな文面を叩きつけられることもなかっただろうに。

 

《はっはっはっ――――! 見たか、これぞ大村家流替え玉術!》

 

 こんなのが栄光の第七師団。その支隊長だというのだから笑えない。明日菜は痛くなるほどに米神を抑えながら、必死で出そうになる罵詈雑言を抑えた。

 ブリジットめ。覚えていろよ。観察力がなさ過ぎる部下を恨む。

 

「大佐、この件につきましては陸軍の方にしっかと報告しておきます故」

 

《報告? なんだ、君らのウィッチが50越えのおじさんと30手前の若造を間違えたとでも報告するつもりか。これは盛大なジョークだな》

 

 端的に言えば、支隊長である大村大佐の救出には失敗した。

 ムサンナー空軍基地へと帰還した明日菜たち。チヌークの「積み荷」を確認すれば、そこに居たのは大村()()。大佐ではなかった。誰かと思えば支隊長の甥。別人を掴まされたのだ。実際大村を名乗っていたし、怪我もしていた。気絶するに決まっている酷いヤツだ。だからブリジットも勘違いしたのだろう。

 

《まあいいではないか。暴徒とやらの撃退は貴隊のおかげだ。大変感謝しておるぞ》

 

「ではせめて私の指示に従って欲しかったモノですがね!」

 

《ははははは! そうそう、若者はそのくらい素直がよろしい!》

 

 もうどうせ考査に響くなんて事はないだろう。言いたいことを言ってやれば、完全に開き直った大村支隊長の笑い声が無線機を超えて明日菜の耳朶を打つ。

 

 しかし。

 

《それに――――私も部下を見捨てた臆病者にはなりたくないのでな》

 

 支隊長が続けた次の言葉に、明日菜は心臓でも掴まれたように表情を変えた。

 

「……今、なんて?」

 

 アリ・アル・セーラム基地は放棄される。それは既に決定していることだ。だから移動に必要な機材と携行できるだけの食料弾薬以外は焼き払ったのである。

 二日三日遅れて部下も皆帰るというのに、なぜ《見捨てた》と。

 

《なんだ、知らんのか。中東の狼と呼ばれたこの私を救出だなんておかしな話だろうに》

 

 中東の狼(それ)は自称でしょう。なんて言い返せない。そんなことより重い事実がのしかかる。元よりクソッタレな戦争。クソッタレな任務。またお偉方が勝手に作った事情だと目を向けもしなかった。

 

《ふむ。分からんなら教えてあげよう。我が皇軍の敗北は、兵卒の役不足によるものでなければ、国家の戦略失態でもない――――》

 

 

 ――――ひとえに、無能な指揮官でなければならない。

 

 

「まさか……支隊長」

 

《おっと。それ以上言ってくれるなよ。さらばだ若人、人類連合軍の健闘を祈る》

 

 それだけ言って通信は切れる。向こうから切られる。

 

 

 ()()()()()。扶桑大村支隊では、指揮官が逃げ出した。故に敗北した。

 

 

 何に敗北した? 今はまだ敗北してない。しかし指揮官が『逃げ出す』と同時に敗北する。

 その対象といえば、思いつくのは一つだけ。

 

「アスナ! ヤバいよ、バグダート方面にネウロイ急襲。それだけじゃない、全ての戦線が一斉に攻撃を――――!」

 

 無線室兼司令室から駆け込んできたのであろうマクファーレン。執務室から飛び出す間際だった明日菜はその言葉を最後まで聞かずに飛び出す。遅れたようにサイレンが鳴り響き始めた。

 

 知っていたのか、支隊長は。今日、この瞬間にネウロイが攻め立てると。なら人類連合軍司令部は分かってわざわざ大村支隊長を、人類連合クウェート分遣隊司令である彼を救出させようとしたのか。メソポタミア共和国連邦の最も果てにある共和国の防衛司令官を不在にしようとしたのか。

 

 全ては――――――ネウロイへの敗北に理由をつけるため。

 

 ネウロイだって馬鹿じゃないことは知っている。そりゃ飛行場をあんなに爆撃したのだ。遠目に見ても被害が甚大であること、そして今が最高の「攻め時」であることはネウロイであっても理解できることだろう。

 

 だから攻めてくる。これほどの好機、今をおいて他にはない。

 

 

 本当に、クソッタレな戦争だ。どうせ人類連合軍は全面的に撤退するのであろう。その犠牲を、戦線を畳む理由を、全て一人の司令官に押し付けようとしていたのだ。

 

 たった一人に押しつけられるほど――――――クウェート分遣隊3800人、そしてこの《ペルシアの自由作戦》に投入される78000人の命は軽いのか。

 

 空を仰ぐ。輝くのは暗黒の空。魔導インカムを手に取っていた。

 

「飛び出してごめんオーちゃん。ブリーフィングやるよ。全員招集して」

 

 

 

 

 

「メソポタミアの太陽は今日までネウロイ以上の難敵であった。しかしそれは向こう方にとっても同じであるらしい。闇夜に乗じてネウロイの襲撃が現在進行形だ。把握した分だけでも一四カ所。それも我々の銃先(つつさき)が向く北部ではなく西部地区でだ」

 

 ホワイトボードに書き殴られたのはメソポタミアの地図。《ペルシアの自由作戦》の第二段階として北進を始めた人類連合に対し、ネウロイの襲撃を示すバツ印はメソポタミア西部に集中している。見事に軍は横っ腹を殴られた形だ。

 

「既に西アジア司令部はプランⅦCを発動。守りが薄くなっている南部が突破されて本隊が孤立する前に、ペルシアまで撤退する算段を立てた」

 

 その言葉に全員が息を飲む。

 

「諸君も疑問に思っていることだろう。先日のバグダード奪還で残すは掃討戦という段にあったというのに、おめおめと全てを捨てて帰るというのか……故に、全面撤退という言葉にはしばし齟齬がある」

 

 そこで一度言葉を切る。そう。《不朽の自由作戦》の教訓をたっぷり生かして編み上げられたのが今回の《ペルシアの自由作戦》であったはずだった。いざという時の撤退作戦が、状況別に様々なシナリオとして組まれていたのだ。

 撤退は可能。そのはずだったのに。

 

「既にここら周辺ですら再入植が済んでいるというのに、どうして軍が下がることが許されるだろうか。許されるはずもない。なにせ我々は()()()()なのだから。同胞を見捨てるという選択肢は、無論人類連合軍司令部には存在しない」

 

 だというのに、入植してしまった民衆がそれを邪魔する。既に人類連合は撤退の手段を失ったも同然だ。計画を発動したところで、一度家に帰った人々がそう簡単に土地を手放すモノだろうか。ありえない。

 

 本当に。

 

 本当に、本当に、本当に――――

 

「故に我々の目下の目標は、バグダード周辺の戦線維持と言うことになる。不安は多いだろうが、撤退作戦は段階的に進めていく。諸君は決して流言に惑わされることのないよう」

 

 

 クソッタレな――――――――

 

 

「――――待って下さい!」

 

 そこで、一人の魔女が立ち上がる。

 

 

 2003年6月。メソポタミア共和国連邦に展開した人類連合軍の《ペルシアの自由作戦(Operation Pelsya Freedam)》は最終局面を迎える。

 

 

 石川桜花の姿は――――中東に在った。

 



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後編 「ユーフラテス 2003」

 結論から言えば、撤退作戦は至極順調に進んでいた。

 

 見事に鳩尾に一発を食らう形となった人類連合軍はそれでも可能な限りの地帯戦術を繰り返しながら後退を進める。入植者をひとしきり迎え入れては、ひたすら後送する。その繰り返し。

 

「……でも、もう限界だ」

 

「何言ってんのよオーちゃん。今日だって300人を救った。昨日なんて1000人だ」

 

 そんな実績(スコア)の話をしているわけではないのだろう。そんなことは分かっている。何人救おうと、現実は変わらない。

 

「聞いたでしょ、海兵隊の中隊がまた消えた」

 

「仕方ない。私たちがいなければ一個擲弾大隊が消えた」

 

 プランⅦC――メソポタミア共和国連邦からの撤退計画――が発動されてから一週間が経過した。その間の戦傷者は既に10000を超えた。作戦が実行に移されてから既に三ヶ月、つまり総作戦期間の一割にも満たない時間で軍は総兵力の約13%を損耗したことになる。

 単純計算でも、この時間があればネウロイはこの方面の人類連合軍を全て磨りつぶすことが出来たわけだ。

 

「それで、明日はどうなる」

 

「リファイに展開するリベリオン陸軍の撤退支援。明日中に七号線の撤退が完了すれば、私らもこの基地からおさらば――――また始まったか」

 

 その言葉が終わるのを待たず、残響のような爆炎が響く。今度は撤退する人類連合軍への抗議活動だったか。サイレンが鳴り響くのと同時に、窓の外を照明弾の光が覆った。差し込んだ光がマクファーレン中尉の顔を照らしだし、明日菜は逃れるようにカーテンを閉める。

 

「大丈夫よ。ここの基地には4000のリベリオン軍が張り付いてる。まだネウロイも来ない。大丈夫だ」

 

 どうすればいいのだろう。すっかり細くなってしまった肩に手を添える。とにかくここは安全だと、そう伝えるしかない。

 

「そりゃ、ここは安全でしょうよ……ここが落ちれば本隊は撤退もままならない。だから死んでも戦うでしょうね。彼らも……そして、私たちも」

 

 そんなことは分かってたことじゃない。そう、軽口のように言えたらどれほど良かっただろう。気持ちを晴らそうと電灯のスイッチを入れる。発電機の電圧は安定していないようで、何度か瞬いてからようやく部屋とマクファーレン、そして明日菜が照らされる。

 

「オーちゃん……」

 

 信じられない話だった。先週から変わらないのは小麦畑のような三つ編みの金髪だけ。いやそれすらも力を失ってしまったように見える。肌の張りも、艶も、まるで最初からなかったかのように抜け落ちてしまった。食べていないのだ。

 

「ねぇ、アスナ。あんたはスゴイよ」

 

「なにが」

 

「こんなになっても、あんたは301の戦闘隊長だ。中東の光だ」

 

 マクファーレン中尉はそう言う。明日菜は久々に口の中が乾くのを感じた。戦闘隊長になって以来、こんなことはなかったのに。

 

「なに、なに言ってんのさオーちゃん。中東の光は私たちのことでしょ、私たち11人のことでしょ」

 

 舌が巧く回らない。中東の光なんて呼ばれ出したのはいつからだったろう。そういえば、昔の301はそんな風には呼ばれていなかった。あの頃はまだメソポタミア共和国連邦も健在で、少女(ウィッチ)により構成される統合戦闘航空団は目の敵にされていた。

 何故こんなことを思い出すのだろう。明日菜のとりとめもない回想に従うことなく、目の前のマクファーレンは言葉を紡ぐ。

 

 それは、マクファーレンを追いかけて、追い抜いて来た明日菜が、初めて見る表情。

 

「へぇ。11人。中東の光にはサクラも入ってるんだ」

 

「……当たり前じゃない」

 

 

 

 

 

「――――――待って下さい!」

 

 時は一週間ほど遡る。まだ第301統合戦闘航空団はムサンナー基地にあった。そう、あの夜だ。クウェートの「暴徒」に鉄槌を下した夜。人類連合軍が負けを認めたあの夜。

 

「バグダード周辺の戦線維持ってことは、いつも通りってことですか?」

 

「そうだ。シフトも別段変えることはない。表向きは、だがな。近々、少なくとも一両日には人類連合軍は北部からの撤退を開始することだろう。要は、荷物は纏めておけと言うことだ」

 

 石川の質問は何か変わったモノではなかった。だから明日菜はかみ砕いた説明をしただけだった。その「いつも通り」という石川の言葉に、どれほどの意思が込められていたのかなどを考えることはなかった。

 

「じゃあ――――西部の部隊はどうするんですか」

 

「西部については全面的に撤退だ。生半可な戦力で抗戦しても血を増やすだけだろうからな。ひとまずはユーフラテス流域まで後退の後、再集結と戦線構築が――――」

「そうじゃなくて!」

 

 そう叫んでしまってから、「しまった」というように口を押さえる石川。これまで自分でも嫌になるくらい強く当たってきたのだ。石川が明日菜のことを恐れるのは当然だ。ましてや、上官の発言を遮るという明らかな落ち度を前にしては。

 

「いいよ。言いたいことがあるんでしょ? 私らの隊長はこのくらいじゃ怒りゃしないって」

 

 口を挟んだのはマクファーレン。石川はマクファーレンと明日菜を交互に見遣り、それからしっかりと背筋を伸ばして言った。

 

「き、霧堂戦闘隊長へ……直ちに西部の救援に向かうことを進言します!」

 

 笑おうなんて思わない。石川の意思はその言葉だけでしっかりと伝わっていたハズだった。明日菜だってそんなことは百も承知だ。

 

 だが、温度は。二人の言葉の温度だけは、見落としていた。

 

「少尉。脈絡のない進言は謹んで貰おう。プランⅦCというのは――――」

 

「――――プランⅦCが撤退作戦なのは知っています。私たちがもう戦えないから、下がるってことも。でも」

 

 明日菜の言葉を遮るように石川は続ける。石川と言葉を交わすのはデブリーフィングでの数言のみ。全てを正論で塗り固めてきたから、石川がそれに抗することは一度もなかった。

 

「でも。でもそれは、誰かが負けそうってことです。なら私たちは、今すぐにでもその誰かを助けに行かなくちゃいけない」

 

「司令部の命令に西部の救援は含まれていない。そもそも一四カ所での同時攻撃だ。対応できるならもう手を打っている」

 

 今日も、確かに正論で塗り固めたはずだ。

 

「でも! それでも誰かを助けに行かなくちゃ!」

 

「サクラ、分かるよ。でも西だって無防備じゃない。私たちが助けに行かなければいけない状況に陥るくらいなら、今から行ったって間に合わない」

 

 そうでしょアスナ? マクファーレンの視線を受けて、明日菜は小さく頷いた。

 

「そうだ。私たち301に求められるのは夜空に飛び出すことでも、こうして動転することでもない。それでは向こうの思う壺。今夜はしっかりと休み、明日からの戦いに備える。どうせ夜に撤退などはできないのだから」

 

 そう。闇夜の撤退戦などは存在しない。ましてや夜間の砂漠は氷点下を優に下回るというのに。

 

「……じゃあ」

 

 続く言葉を探す石川の、あの表情。

 

 多分それを、明日菜は忘れない。

 

「じゃあ――――――クウェート分遣隊はどうなるんですか!」

 

 

 

 

 

 あの時、西部の部隊は確かに貧弱だった。固定翼機などは皆々バグダード方面へ引き抜かれていたし、海軍による支援体制も決して万全ではなかった。

 

 それでも、人類連合軍は伊達ではない。これは《ペルシアの自由作戦》なのだ。この戦いは中東での、解凍戦争にケリをつける戦いなのだ。湾岸戦争以来メソポタミアには数え切れないほどの兵士とウィッチが動員されてきた戦いを終わらせる。

 装備に不十分なことがあっただろうか。ネウロイの襲撃を想定しなかったとでも?

 

 西側の部隊はネウロイと交戦に入った。その情報は正確に司令部へと伝達された。

 それこそが、西側が健在だった証拠ではないか。

 

 だが、それでも。例外は確かにあった。許されないはずの例外が。

 

「タイミングが悪ったんだ」

 

「タイミング? 運で片付けないでよ。あの日、あの時、暴徒はXデー(あのひ)を知って攻撃してきた。通じてたのよ」

 

 そう宣うマクファーレン。それが本当なら暴徒はネウロイと通じていることになってしまう。あり得ない妄想だ。

 

「なにを馬鹿なことを……」

 

「じゃあなに、アスナはアレがたまたまだって言うの? ネウロイの大攻勢が始まる日に、そのネウロイから身を護ってくれる軍隊になんで暴徒は銃を向けたの!? なんで私たちはクウェート分遣隊を爆撃したの?!」

 

「だから、タイミングが悪かったんだ。私たちはあの時あの場所で、最善の決断と行動をした」

 

 ダメだ。止めようもない。止められるはずがない。力を失ったように目の前に座り込むのは青春を費やしたこのクソッタレな軍隊で明日菜が唯一見た華などではない。ただ何処にでもいる、クソッタレな戦争に磨り潰されたウィッチの姿。

 もう、どんなに正しいことを言っても通じはしないのだ。

 

「ねぇ、明日菜。アンタ、なんでウィッチになった」

 

「……私が、ウィッチだからだ。力があるから、祖国があるから」

 

「違う。アンタはウィッチなんかじゃない。軍人だった。軍人だったんだよ」

 

「オーちゃん……いや、マクファーレン中尉。あんただって軍人だよ。魔女狩りの時代ならいざ知らず、怪異(ネウロイ)を倒すのはウィッチであり軍人だよ」

 

 魔女(ウィッチ)と軍人。果たしてなんの違いがあるというのだろう。同じく国家の、人類のために戦い、等しく血を流す。一体なにが違うというのだろう。

 

「違うよ、ぜんっぜん違う!」

 

「マクファーレン中尉、私は霧堂大尉だ、霧堂明日菜大尉だ。そしてあんたはオーガスタ・マクファーレン中尉だ。二人とも軍人だよ。今日までネウロイを倒し、一人でも多くを救ってこれたのは、私たちがウィッチで、そして軍人だからだ」

 

「だから――――それが間違っているっていってるのよ!」

 

 窓に掛けられたカーテンを、電球を、床を壁を天井を、マクファーレンの声が揺らした。

 

「違うでしょ、軍人になったほうがネウロイを効率よく倒せたからでしょ?」

 

「それは」

 

「否定なんてしないでよね。だって私たちが生まれる前からネウロイと戦ってるんだもん。そりゃあ効率よくなってなきゃ、洗練されてなきゃおかしいよ。私たちに戦い方を教えてくれた、私たちが戦い続けられる武器と作戦を与えてくれた」

 

 私たちは、一心同体のハズだった。

 

「それがいつの間にか、私たちは命令に従うだけになっていた。騙されてたんだよきっと。私たちは軍人になってた。軍人に仕立て上げられてたんだ。国の命令に逆らえない従順な犬っころになってたんだよ。私たちは魔女(ウィッチ)だったのに!」

 

「いい加減にしなさいマクファーレン中尉……私たちはそれでも、人類を護ってきた。何の役にも立たない勲章でも、それは私たちが護ったヒトの数だ」

 

 その言葉を聞いたマクファーレンは、嗤う。

 

「ほら、ほらそうだ。アスナ、やっぱりアンタ軍人だよ。アンタは正しい。まるっきり正しい。模範解答だよ」

 

 ――――――けど、それは軍人としての答えだ。

 

「アンタは確かにヒトを護ってきた。避難民を一人でも多く助け、友軍を導き。そして、私たち301の翼を支えてくれた。でもさ、それは軍人なんだ。私たちは魔女(ウィッチ)であらねばならなかったんだよ」

 

 その言葉は、301を、人類連合を、そして明日菜を導き護ってくれた全ての戦友達への冒涜だ。昨日までを否定しようとするマクファーレンを、明日菜は双眼で睨み付ける。

 

「じゃあ……聞かせて貰おうか。中尉の言う『魔女』っていうのを」

 

「うん。いいよ、教えたげる。魔女はね、護らなくちゃいけないんだ。全てを分け隔てなく護らなくちゃいけないんよ。軍人は結局、最後は国家の持ち物だ。たった一人の国民(かぞく)を守るためなら、何百何千だって他人(ヒト)を殺す。違うんだよ魔女ってのは、魔女には家族なんていない、一人の家族を捨てて――――万の命を救う!」

 

「そんなものは詭弁だ、マクファーレン中尉。人間に家族を見捨てることは出来ない」

 

「魔女なら出来るよ。アスナ……なんなら」

 

 試してみようか?

 

 小麦畑が解ける。これまでネウロイのビームを浴びることもなかったマクファーレンの三つ編みがバラバラに崩れる。崩れた一本一本の金色が、今にも消えそうな電球の光を受けて輝いていた。

 そしてようやく明日菜は気付いた。ああ、私はいつの間に――――――彼女(オーガスタ・マクファーレン)を哀れんでいる。

 

 先輩であり、301空最先任であり、明日菜が五年かけて追いつき追い越したマクファーレン中尉はもう、いなくなってしまった。

 

「……私は、万の他人なんかよりアンタを選びたい。それじゃダメなの?」

 

「ダメだよアスナ。ウィッチ(わたしたち)は英雄なんだ。ネウロイを倒して、人類を守る。例外(トクベツ)は許されない」

 

「英雄ならもっとマシな表情ってものがあるわよ。アンタだって軍法会議で経歴を終わらせたくない。そうでしょ?」

 

「軍法会議? 知らないわそんなもの。私はもう傀儡(ぐんじん)じゃない。私は魔女(ウィッチ)だ」

 

「軍人よ。悲しいほどにね。私たちはネウロイの倒し方を軍に、祖国に教わった。その拳銃の撃ち方だって――――そうだったじゃないですか! マクファーレン先輩!」

 

 明日菜の言葉に、怯えるようにマクファーレンは髪を揺らす。

 

「知らないよ、知ったこっちゃない。先輩なんて、祖国なんて! 帝國の秩序(ルール・ブリタニア)なんて知ったこっちゃない! 私たちは何のために戦ってるの? 人類を守るためでしょ!」

 

 そう言いながら、マクファーレンは一歩一歩下がり始めた。明日菜は身体を動かすことも許されず、必死に言葉を探す。

 

「どこに行くつもり?」

 

「魔女のところよ、私も早く軍人なんて辞めればよかった。今からでも遅くはないはず」

 

「止めてよ、アンタまで過去になるの? アイツはもう――――」

 

「サクラを勝手にMIA認定(ころした)のはアンタでしょうが、戦闘隊長」

 

「脱走よりはマシでしょ? それしかなかった」

 

「またそれだ、そうやってクウェートも殺したクセに! 殺させたくせに!」

 

 マクファーレンの眼に炎が灯る。

 クウェート分遣隊――アリ・アル・セーラム基地駐留の3800人――を護っていたのは70を超える航空ウィッチとその翼であるストライカー。軍事機密の塊であるストライカーを「暴徒」の手に渡すわけにはいかないとはいえ、格納庫ごと破壊したのは紛れもない301空――――更に言えば、石川桜花少尉だ。

 

「サクラは違った。彼女はちゃんと自分のしたことに気付いてた。だからそれを必死に償おうとしたんだ。すごいよサクラは、私がここまで追い込まれないと、手遅れにならないと気付けなかったことに、あの子はすぐに気付いたんだ。あの子が魔女だった証拠だよ。だから躊躇いなく飛び出せた」

 

 クウェート分遣隊は翼を喪った。陸戦ウィッチは無事でも、航空型ネウロイへの対抗は叶わない。301が格納庫を破壊してしまった時点で、クウェート分遣隊は空に対して無防備になった。

 

 だから、石川は飛んだ。飛んで行ってしまった。

 とんだ命令無視だ。軍の機材を持ち出して命令にない場所に飛んでいくなんて、とんでもない叛逆だ。

 

「無理だ。三個対地飛行隊に二個戦闘飛行隊が支えるべき戦線を、たった一人で保つ訳がない。もうとっくに、クウェート分遣隊は壊滅してる」

 

「ソレが嘘だって信じてるのはアンタでしょアスナ。アンタはサクラが死ぬなんて露ほども思ってない。だからアンタはそんな白々しい顔でここでそんなことを言えるのよ」

 

 真正面から明日菜を見つめ、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「私は助けにいくの。魔女として、魔女にしかできないことをしに」

 

「矛盾してる。万の他人を助けるために私を捨てるクセに」

 

「アンタよりかはしてないわ。私は魔女よ」

 

 さようなら軍人さん。その言葉と共にドアが閉まる。

 

 

 それが――――――彼女の最期の台詞になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 水の都、アレクサンドリア。

 

 大昔の大王の名前を冠するだけあってその土地は肥沃で、暮らしは荘厳だった。前線勤務続きだった301を労ってのご招待なのだろうが、等の本人達にとっては嫌味でしか無い。

 

 ディスティンギッシュト・サービス・オーダー。殊功勲章は武功を挙げた軍人に捧げられる上位の名誉。このためにわざわざブリタニアの王族がアレクサンドリアくんだりまでやってくるぐらいには、本当に名誉な事だ。

 

 ――――それを扶桑の軍人程度に付与するぐらいに、ブリタニアは切羽詰まっているらしい。

 

 控え室の椅子にどっかりと座り込む。態々シャンデリア風の明かりを下げたせいで薄暗い控え室では、もらった勲章も鈍く光って見えた。

 

「霧堂大尉……」

 

「もう少佐だよ」

 

 正装というのは本当に肩が凝る。無事に撤退が完了し、土地が瘴気に飲まれたというのに、晴れ着を着て勲章を受けるとはなんという事だろう。

 

「霧堂少佐」

 

 か細い声に顔を上げる。椅子に座ってもそこまで首を持ち上げなくても済む高さに、不安そうな顔をした部下が立っていた。

 

「英雄譚を聞かせに来てくれたのかい? それとも、私を笑いに来たのかい? 小さな英雄さん」

 

 結局、明日菜とマクファーレン、二人の見立ては正しかった。クウェート分遣隊を助けるために飛び出した石川は、見事に役目を果たして見せた。《ペルシアの自由作戦》全体での損耗が二割に迫り多くの部隊が再起不能な損害を被る中、クウェート分遣隊は見事に撤退を完了したのだ。

 

「そんなこと……」

 

 目の前の少女は、自らが身につけている制服と同じデザインの制服だった。自分のよりも大分小さいサイズのソレを見て、彼女は笑った。

 

「そんなことあるだろう、石川桜花少尉殿。ひと月にわたってたった一人でクウェートの空を護り続けた。どれだけ落とした? 30? 50? まさか。それだけの間飛び続けたのにそんな数で収まるわけがない。3ケタは落としたでしょ?」

 

 答えは返ってこない。明日菜も聞きたいわけじゃない。

 

「……0なのは、霧堂少佐がよくご存じのはずです。だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あぁ……。そうだったね」

 

 興が醒めるね、と吐き捨てれば、石川はどこか悲しそうな顔をした。

 

「これを、返しに来ました」

 

 そう言って石川が差し出したのは、新品の箱。銀の箔押しには301st JFWと刻まれていた。今日渡された戦線への参加褒賞、その副賞だった。

 

「どういう洒落(ジョーク)だ?」

 

「わたしには、受け取る資格がありません」

 

「あるさ。なんせそれは人類連合軍の空を守った第301統合戦闘航空団に送られるものだからね。君が言ったことだぞ」

 

「それでも、です」

 

「あっそう。でも私も持っていて二つは必要ないんだ。捨てるなり壊すなり、好きにすればいいさ」

 

 心底興味ないね。そう言って霧堂明日菜は制服から煙草を取り出した。ガラスの灰皿があるからまさか禁煙だとは言われまい。

 

「41飛の加藤とかいう少尉から礼を言われたよ『一人でもウィッチを残してくれてありがとうございました。あの子のおかげで私達は生き残れました』だとさ」

 

 第41飛行隊と言えば、対地支援飛行隊としてアリ・アル・セーラム基地に配置されていた部隊だったはずだ。石川にとってはあまりなじみのない名前。明日菜にとってはなおさらのことだ。

 その翼はネウロイと戦う前に捥がれたのだから。

 

「笑えるよね。その子のストライカーは私達が焼き潰したはずなんだよ。それでもありがとうだとさ。ホント笑えるよ。笑っても良いんだよ。笑えよ」

 

 真一文字に口を結んだままの石川に投げかけても答えは返ってこなかった。その分も笑おうと明日菜は朗々と声を張る。

 

泣け(Howl)叫べ( howl)喚け( howl)嘆くがよい( howl)おぉ( O)貴様は石像か( you are men of stones)

わしにその(Had I your )舌と目があれば(tongues and eyes)それをおおいに奮い立て( I'ld use them so)

天を引き裂き(That heaven's vault)ご覧にいれよう( should crack)この子は逝った( She's gone)永遠に( for ever)

私は知っているのだよ(I know when one is dead)人が死ぬとき、生きる時( and when one lives)

 

 石川はそれを聞いても黙ったままだった。

 

「リア王はお嫌いだったかな? きっとマクファーレン中尉だったらちゃんと返してくれると思ったんだけど。手鏡は必要? って言ってくれただろうよ」

 

 後味が苦い沈黙だけが落ちる。

 

「石川」

 

「……はい」

 

「あんた、なんでウィッチになった」

 

 ひどく頭が痛い。まるでミキサーに掛けられたみたいに考えがまとまらない。

 

「……それ、は」

 

「憧れたかい? ウィッチの優越感に」

 

「わかりません。……それでも、私には魔力がありました。スカウトされて、それで……」

 

「……あまり考えずに、ここまできた、か?」

 

 明日菜はこめかみを押さえながら天井を仰いだ。シャンデリアの明かりが嫌に眩しい。

 

「成すべき者が成すべきを成す。昔の人はそれを持てる者の義務(ノブレス・オブリージュ)と言ったそうだ」

 

 明日菜はゴテゴテと装飾のついた椅子の背に体重を預けたまま、独白のように続けた。

 

「そうやって、褒め称えて、使い潰して、捨てていく。それがこの人類の正義だったらしい。私達の頑張りには値がついた」

 

 チャラリと音を立てて、彼女に授与された十字型の勲章が揺れる。

 

「君達にも授与されたんだろう? 石川には何が来た?」

 

「……僭越ながら、エアフォースメダルをいただきました」

 

「妥当なところだ。人類連合の兵士を上空で先導し、犬死にを避けさせた。私の命令に反したが、人道的には正しい」

 

 そういえば、石川は頭を下げた。

 

「すいません、でした」

 

「責めてないよ。むしろ救われたと思っている。嫌味でもなく、心の底からね。軍隊の中であんたはちゃんと人間だった。それは、あんたが強かった証拠だ」

 

「そんなこと……」

 

「私には無理だった。信じられなくなった。だれかの為に戦うことは、いつか無理が来ると思っている。それでもここまで登りつめ、部下を守って戦うリーダーシップとそれを成した事への正当な評価として、こんな重たい勲章を授与してくれる」

 

 自嘲して明日菜は続ける。

 

「私には夢があった。ネウロイ撃滅とかそういう大それた事じゃない。私はね、信じてみたかったんだよ。それでも人類は手を取れると信じていたかった。それが、このザマだ」

 

「このザマって……」

 

「アリ・アル・セーラム空軍基地を襲ったのは暴徒なんかじゃない。おそらくは、誰かがユーフラテス流域を手放させたかかったんだろう。人間の敵は人間だった。それだけだ。それを、私は理解していなかったんだろう。いや、理解したくなかったんだ」

 

 ずっと目元を押さえていた明日菜の手がだらりと垂れた。

 

「なぁ、石川。間違ってただろうか」

 

「なにが、ですか……?」

 

「私がさ」

 

「それ、は……っ!」

 

 石川が焦ったような声を上げる。

 

「そんなことありません! 霧堂隊長じゃなければ、みんなもっと……」

 

「死んでいた? まさか」

 

 そう言って明日菜は初めて石川と目を合わせた。いきなり怯えたように瞳を収縮させる石川。

 

「間違ってたとは思わないさ。それでも、最善は他にあった。そう思えてならない」

 

「そんなに、卑下しないでください。それをきっと、マクファーレンさんも望まないはずです」

 

「――――――――――――あんたにアイツの何が分かるのよ!」

 

 その声にとっさに首をすくめた石川、その動きすら癪に障る。

 

「オーガスタ・マクファーレンも! あたしも! こんなモノの為に死にたかったわけじゃない!」

 

 そう言って床にたたきつけられたのは、作戦参加褒賞だった。ガラスのケースが床で粉々になる。破壊的な音が響いた直後、明日菜の右手はもう一つの箱を掴んでいた。

 私が掴みたかったのはこんな箱なんかじゃない。

 

「やめてください!」

 

 その箱が地面に向けて振り落とされる直前、その手首を掴むようにして石川が割り込んだ。その手首を両手で押さえるようにして、それを必死に守ろうとする。

 

「それだけは! それだけはだめです! その銀時計はマクファーレンさんのです!」

 

 その箱に入っているのは、301のユーフラテス戦線参加褒賞の副賞。それぞれの名前と、飛行隊名が刻まれた銀時計だ。

 

「お前が止めるな石川! お前に何がわかるっ?」

 

「わかりません! それでも、それだけはダメなんです!」

 

 石川の足が払われた。背中をしたたかに地面に叩き付けた石川の視界に星が散る。その胸ぐらを掴んで無理矢理に引き起こす明日菜。制服が喉元に食い込んだ。

 

「あんたの身勝手のせいで、あんたのためにオーガスタ・ハリエット・マクファーレンは犬死にしたんだ!」

 

「そう、です……! 私が、マクファーレンさんを殺したんですっ!」

 

 石川の絶叫が部屋に乱反射する。双眸からあふれた水滴が彼女の頬を流れて落とす。

 彼女は確かに分遣隊を守った。しかし、最後の最後で彼女はネウロイに敵わなかった。

 

 ユーフラテス河を超えようとした分遣隊に襲いかかったネウロイを止めるには、殿が必要だったのだ。

 

「許してほしいなんて言えません。言うつもりもありません」

 

「当たり前だ!」

 

「それでも、みんなを守りたかった! 守れると信じています!」

 

「その結果がこれだろうが! 英雄気取りで死を美徳にするな! 石川桜花!」

 

 ぽろぽろと涙をこぼす石川が絞り出すように続ける。

 

「……英雄になれば誰かを守れるなら、私は英雄でも神様でもなってみせます。それで誰かを救えるのなら、私は空を飛び続けます。でも、どうしようもなく私は弱かった。だから、マクファーレンさんを、殺してしまった」

 

「お前、誰に向かってそれを言っているかわかってるの? 撃墜数196の英雄、中東の光、霧堂明日菜よ。この後ろを飛んでて英雄がどんなものかもわかってないの?」

 

「それでも、です」

 

 石川の瞳が、明日菜の瞳をしっかりと捉えた。

 

「ここはあなたの空だった、あなたが守った空だった」

 

 それを聞いて明日菜は石川の胸にその箱を叩き付ける。顔をしかめながらも石川は、跳ねたそれが地面に叩き付けられるよりも前にそれを両手で抱き込んだ。

 

「許さないわよ、石川桜花」

 

 それだけを残して、明日菜は部屋を出る。後には少女のすすり泣きだけが残される。

 

 

 

 

 

 ”Operation Persia Freedom”――――ペルシアの自由作戦。

 

 

 彼女たちは、中東に在った。



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いんたーばるっ!参
インド洋 2017


 一日中甲板を焼き続けた太陽がインド洋へと沈んでいく。残された赤色が海に散りばめられて、藍色をベタ塗りされた空という名のカンバスにいくつかの星が浮かび上がっていた。

 

 そんな凪ぎの空にまっすぐ、紫煙が緩く上がっていく。それは空からの重力に惹かれる、やがては暴風にかき乱される一本の糸。それはやがて二本に増え、最後には消えてなくなる。

 

 霧堂明日菜はすっかり短くなってしまった棒きれを耐熱加工の施された携帯タバコ皿に入れ、空を仰いだ。

 

「そういえば石川、アンタ……いつから煙草を始めたんだい?」

 

「……たしか、5年位前だったかな」

 

「へぇ、ちゃんと大人になってから始めたんだ」

 

 感心したように霧堂は言って、手すりに顎を預けた。

 

「ま、ほどほどにしときなよ」

 

「部下の前でもスパスパしてた貴様に言われたくないな」

 

「いーじゃんか。少しぐらいは」

 

 霧堂はそういってどこか寂しそうに笑った。舌に絡みつくのは、タールよりも重くて粘っこい、過去の残滓。

 ようやく吐き出した息は、辛うじて言葉になった。

 

「そういえばね」

 

「どうした」

 

「オーちゃんから伝言があったんだった」

 

 霧堂の言葉に驚いたような表情をみせる石川。

 

「マクファーレン中尉……少佐から、か」

 

「『貴女の味方になれなくて、ごめんなさい』……だってさ」

 

 その言葉を聞いて石川は目を伏せた。

 

「……マクファーレン中尉は、いつまでたっても……なんというか、いらないところで気を回しすぎだ」

 

「先輩面するなって?」

 

 霧堂がそう言って力なく笑った。それから続ける。

 

「もう私達の方が上官だ」

 

「貴様は前から上官だったろう」

 

「あれは適性の話だよ。私の方が部隊長向きだった。それだけ」

 

 そう言って霧堂はケラケラと笑う。今度は綺麗に笑えた。

 

「あの子は、武国(ブリタニア)の貴族だったそうだよ。いろんな期待を背負って、役割を背負って、それでも自由に飛びたかったらしい。家族の反対を押し切って、招集に応じた」

 

「……先輩らしいといえば、らしいか」

 

「本当にね……」

 

 霧堂の脳裏からあの小麦畑の三つ編みが消えることはない。それは石川も同じだろう。ただそれでも、霧堂の網膜に纏わり付いて離れないのはあの日の、あの最後に見せた彼女の姿だ。

 アレは、あの解けた小麦畑は、本当に彼女の本心だったのだろうか。

 

「石川」

 

「なんだ」

 

「すまなかった」

 

 石川は、霧堂の方を見なかった。見なくてもどんな顔をしているか理解していた。見る必要などなかった。分かっているから、霧堂は続ける。

 

 

「君の才能を潰したのは、私だ」

 

 

 石川桜花、その公認撃墜数はたったの4機。索敵専門のウィッチとして空を飛び続け、索敵をしては後方のウィッチを誘導し、その撃破を見守り続けた彼女は未だ、エースを名乗ることは許されていない。

 

「……謝罪を受け取るつもりはありませんよ、霧堂()()

 

 石川はそう言って小さく笑った。つられるように、霧堂も笑みを浮かべてみせた。

 

「よしてくれよ()()殿()、もう私はウィッチではいられなくなったんだから」

 

 霧堂明日菜はそうおどけて、手すりに背中を預けた。再び空を仰ぐようにして見た先には加賀のマストがあった。今の彼女は加賀の艦長。それ以上でも、それ以下でもない。

 

「そういえばさくらちゃんの初任務(しょじょ)は加賀の護衛で中東入りだったか。なつかしいよ。もうあれから14年だ」

 

「その言い方はなんとかならんのか」

 

「いーじゃん、ちっちゃい子たちはまだ下なんだからさ」

 

 ケラケラと笑った霧堂は視線を足下に戻す。

 

「あーあ、しらけちゃったね。まぁいいや。中東に入れば本当に調子が崩れる」

 

 そういったタイミングで、ドタバタとした足音が上がってくる。

 

「おや、何かトラブルかな?」

 

「艦長っ!」

 

 飛び込んで来たのは男性士官。作業服に略帽を被った砲雷長。

 

「おや、どうしたキクチン。鳩が豆食ってポーみたいな顔して」

 

「なんですかその鳩……じゃなくてですね。緊急事態です」

 

 菊池は霧堂に向かって真面目くさって口を開く。

 

「ハンガーデッキの電源を喪失しました。原因不明です」

 

「……はいっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 時間は幾分遡る。

 

「とりあえず、これで一通りアルファベットは書けるようになったわね」

 

 疲れ切った顔でそう言ったのはカイトワン、大村のぞみである。目の前にはそれ以上に疲れ切った表情を見せるウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹とすでに机に崩れ落ちているナシーム・パルヴィーン軍曹である。

 

「左から書くなんて、訳がわかりません……普通右からでしょう」

 

「言っとくけどねパルヴィーン軍曹、右から横書きするのはウルディスタンとインディアとあとオストマンあたりだけだからね?」

 

「ならば、唯一神(アッラーフ)の教えを広め、神がお許しになれた言語を知らしめればよいのです。そうすればアルファベットなんて使わずに済むのです」

 

「うわ、自分の苦手を宗教弾圧(ごりおし)で解決しようとしてるよ」

 

 のぞみが苦笑いを浮かべる。それにムッとしながらナシームは口を開く。

 

「ジャーパーンだって右から書くってヨネカワ少尉殿から聞きました。この聖戦に大村少尉殿も参加できるのではありませんか?」

 

「勝手に聖戦にしたら神様に怒られないのそれ? もっとも、扶桑は縦書きだけどね。興味ある? ひらがなとカタカナで100種、漢字2,000種をとりあえず覚えようか」

 

 喰らえ大村流国語教育術! 大きく振りかぶって拳を突き出すのぞみ。当たるはずもない言霊(こぶし)を受けてナシームは見事に仰け反り、それから力尽きたように再び突っ伏せた。

 

「何でそんなに多いんですかホントに!」

 

 伏せたままバンバンと机を叩くナシームに勝ち誇ったように高笑いを響かせるのぞみ。

 

「世界有数の豊かな文化のおかげだ! 甘く見るなよ!」

 

 姦しい二人の横で苦笑いを浮かべたのがルクサーナ A/P アラン少尉である。

 

「でも、これでやっとゴーグルの表示の意味が分かってきました。……私の英語、合ってますか?」

 

「合ってますよ。大分英語の発音も良くなってきましたね」

 

 ティティがそう言って三人にグラス入りのお水を配る。横で苦笑いを浮かべるのはひとみだ。手元には分厚い参考書が抱えられている。

 

「あの、なんでわたしまで講師枠なんですか?」

 

 それに腕組みして応えるのはのぞみである。

 

「人に教えることで初めて真の語学力が身につくというもの、あとはナシームの指名」

 

「米川少尉殿は優しいでありますから」

 

 いきなりナシームが割り込んで、それも格式高いブリタニア語で割り込んできたのだからひとみは苦笑いを続けるしかない。指名されるのはともかく、優しいというだけで講師としての働きを期待されても困るというものだ。

 

「あんまりわたしも自信ないんですけど……」

 

「そんなことありません!」

 

「そ、そんなこと……」

 

「米川ッ!」

 

 次の瞬間割り込んだのはのぞみの一喝。

 

「は、はいっ!」

 

「おどおどしないの見苦しい! 扶桑の武士(もののふ)たるもの潔く散れっ!」

 

「散るの前提ですかっ!?」

 

 ひとみが全力で抗議するが、のぞみは反応に飽きたのか無視。テーブルを見回して、生徒の数が一人足りないことに気がついた。

 

「あれ? ウルムは?」

 

「ウルムならテーブルの足下で、クッター(کتّا‬)と戯れています」

 

 ナシームがそう言う。のぞみが足下を覗き込む。

 そこに居たのは、いつかのぞみとひとみが助けた犬……ゆうさくの姿があった。

 

「クッターって犬の事か。ウルム、本当にゆうさくに好かれたわね」

 

「授業中もずっと足下に張り付いてましたもんね……」

 

 ティティがそういうと、ゆうさくはもっそりと動いてティティの方を見た。そしてとたんに興味を失ったかのようにウルムの方に顔を寄せる。

 

「でも、ここまで好かれるとウルムがうらやましいかな」

 

 ティティの声に一瞬きょとんとした顔をしたウルムだったが、すぐに満開の笑顔になる。

 

「はい、この子かわいいです。ずっと私にいるんですよ」

 

「そういうときは(at)じゃなくてそばに(by)ね。アンタと同じ座標にいるとか融合してるわよそれ。それにこの子は男の子。He is always by my side. がいいかな」

 

 律儀に添削しながらのぞみ。加賀に来てから栄養状態も良くなったのか、かなり体格も良くなったゆうさくにウルムが顔を埋めるようにして目を細めていた。

 

「この子、石川大佐ぐらいにしか懐かなかったのにねぇ。珍しいもんだ」

 

「そうなんですか?」

 

「アンタみたいに枕にさせてもらえるなんてこと無いわよ、ウルム。軍用犬並みのしつけはしてあるから、噛んだり吠えたりはないけど、それでもプライドは高いんだから」

 

「そんなことないよねー、ユゥーサック」

 

 ゆうさくに顔を舐められて嬉しそうなウルム。

 

「ま、とりあえず今日はこれくらいにしときましょうか。それじゃ解散。ウルディスタン組は明日は簡単な日常英会話の書き取りやるわよ。聞き取りや発音は大分できてるから、発音と綴りが合致していけばあっという間よ。性根入れて短期間で終わらせようね」

 

「明日もこれが続くのね……」

 

 ナシームは既に限界が近そうだ。その彼女に既にブートキャンプ経験済みの米川ひとみは乾いた笑みを送ることしかできない。

 

「はいっ! 大村少尉殿」

 

 ウルムが右手を挙げて声をかければ、のぞみは腰に手を当て胸を反らす。

 

「なんだね、ウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹、発言を許可する」

 

「ユゥーサックを散歩に連れ出していいですか!」

 

 その質問に、のぞみは姿勢を変えることなく――つまり胸を反らしながら――答える。

 

「許可するが、貴官の立ち入りが許可されている範囲に限る。すでに外は日が暮れてるから外には出ないように。ハンガーならちょうど良いだろう」

 

「ありがとうございます!」

 

 いこっ! ユゥーサック! と、自分の腰ほどもある高さの犬を引き連れてウルムが出て行く。

 

「あそこまで素直だとかわいいねぇ。そう思わない? 米川」

 

「えっと……」

 

「それに比べて、ゆ め か ?」

 

「夢華ならとっくに寝てる」

 

 部屋の隅で眠そうな顔でそう言ったのは、コ―ニャ。あまりにも読めない字で報告書を書き上げる高夢華少尉にもこの際書き取りを叩き込もうと思ったのだが、本人はどうにもこの調子らしい。

 

「知ってた。ゆめかももう少しかわいげがあればねぇ」

 

「のぞみ、本人に言ったら、怒られる」

 

「まぁそうだろうねぇ、それを見越して寝たふりだもんねぇ、ゆ め か ?」

 

 ビクン、と夢華の体が跳ねた。

 

「……そんなにあたしとやり合いたいでごぜーますか……!」

 

「あん? アンタのキャリアアップと昇給のためにも講座を開講してるっていうのに、その口の利き方はなんなのかなー?」

 

「モンファつってんでしょーが、ダーツォン」

 

「大村だよ。せっかくのスキルアップのチャンスを()()にしたゆめかちゃんにはすこーしばかりお節介を焼こうかなと思ってね。その怠けきった性根が根腐れを起こす前に荒療治をしてしんぜよう」

 

「やれるモンならやってみろ。背の割にちっちゃいおっぱい!」

 

「あ゛ぁ゛ん?」

 

 のぞみの顔に青筋が浮かび上がる。

 

「大村家が長女、大村のぞみに向かって良い度胸だ小娘。二度と(おか)を踏めると思うなよ……」

 

 ゆらりと夢華の方に寄っていく、それを見て焦り始めたのはナシームである。

 

「だ、大丈夫なんですかこれ……? 高少尉殿も大村少尉殿も接近戦闘のプロなんじゃ……」

 

「大丈夫だよー?」

 

 あっけらかんと言ってのけたのはティティである。ひとみも横で頷く。

 

「ふたりとも仲良しだから」

 

「「だれがこんなやつと!」」

 

 ね? とティティが茶目っ気たっぷりにウィンク。

 

「とはいえ、あんまり暴れるのはダメですよ。お掃除大変です」

 

「それに、周りを巻き込まないようにしてくださいね」

 

「……デカパイとチビがお姉さんぶってるの見ると」

 

「なんか苛つくわね……」

 

 妙な連帯感を醸し出してる夢華とのぞみ(もんだいじふたり)ひとみたち(がいや)を気にしながらにらみ合う。

 

「えぇい、もうめんどくさい! とりあえず夢華! そこに直れ――――っ!」

 

 そう言って右手を振り上げたとたん――――部屋が真っ暗になった。

 

「きゃぁっ!」

 

「へっ?」

 

「なに!?」

 

 暗闇の中で怒号のような悲鳴が飛び交う。

 一番初めに悲鳴が怒号に変わったのは、やはりというか夢華であった。

 

「ダーツォン! 本格的になにやらかしてやがりますか!」

 

「まってまってまって! 私じゃない! 今回ばかりは私じゃないっ!」

 

「ひ、ひとみちゃん……!」

 

「ティティちゃん、く、苦しい……!」

 

「とりあえず明かり! 全電源落ちてやがりますか!?」

 

 夢華の声のタイミング、部屋が仄明るく光った。

 

「やっとあかるくなりやがり……て、えぇぇええええええっ!?」

 

「うきゃぁっ!」

 

 驚いた顔で絶叫する夢華。とっさにしがみつかれたのぞみが素っ頓狂な声を上げる。

 ティティに鯖折りされて息も絶え絶えのひとみだったが、その異様な光景には言葉をかけざるを得ない。

 

「る、るーちゃん……? な、なんで光ってるの……?」

 

 その質問を受けたルクサーナは、どこか迷いがちに答えた。

 

「……明かりって、言われたから……」

 

「い、いや。そうなんだけどさ」

 

 そういうことじゃなくてね、と言ったのは、面白いぐらいに震えている夢華を背中に貼り付けたのぞみである。

 

「なんでルクサーナの顔とか髪とか、とにかく全身が光ってるのかって話よ」

 

「えっと、私の、……体質?」

 

 こてんと首を傾げたらしく光源がコテンと横に傾ぐ。電球色とでも言うのだろうか、黄色がかった光りが、ルクサーナを中心に全方位に柔らかくばらまかれている。金箔貼りの大仏とか光ったらこんな感じなのかな、など考え始めたあたりで、のぞみは思考を放棄した。

 

「それ、ルクサーナの固有魔法なんです」

 

 そう言ったのはナシームだった。それを聞いたひとみが首を傾げた。

 

「るーちゃんの魔法って、あれだよね? シールドでビーム反射するの」

 

「そうなんですけど、あれはこの能力の応用で、ルクサーナは自分に向かって放たれた光を好きな方向に曲げたり、弱くしたり強くしたりできるんです」

 

「だ、だから斬新なルームライトみたいになるわけか……」

 

 そんなことを困惑した顔でいうのぞみ。そのころになって予備電源に切り替わったのか、赤い常夜灯が灯る。ルクサーナ、消灯。

 

「と、とりあえずなんだったんでしょうか……」

 

 なんとか解放してもらえたひとみがそう聞くが、答えを持っている人は居ない。のぞみは一応部屋のスイッチを弄っている。

 

「部屋の電気がつかないとなると、電気系統のトラブル、か。ポチョムキン中尉」

 

「Покрышкин」

 

 そう言いつつも、眠そうな顔のまま、コ―ニャの頭の上に魔力光が現れる。ヘラジカの角のように伸びる光の針はコ―ニャの魔法の象徴だ。コーニャの能力を持ってすれば、二万トンの強襲揚陸艦である加賀のあらゆる配電盤から火器管制システムまでも掌握できるのである。

 やがて魔力光が消えると、コーニャは言った。

 

「……電力自体が落ちてる、ギャラリーデッキは復旧が進んでる。もうすぐここも……ん」

 

 コ―ニャの声にかぶるようにして、パッと電気が灯った。

 

「眩しい……」

 

「とりあえずは大丈夫、か」

 

「そうでもない」

 

 そう言ってコ―ニャが立った。

 

「というと?」

 

「ハンガーデッキだけ応答がない。全システム落ちている」

 

「はぁっ!?」

 

 のぞみが勢いよく聞き返す。

 

「侵入者の可能性は?」

 

「現状不明」

 

「あんたが入れないってことは、電子システムが落ちてるか」

 

「だから、そう言っている」

 

 コ―ニャの声にのぞみは深呼吸一つ。

 

「総員、警戒態勢! 飛行脚を確保する。夢華、勝負は後だ。とりあえず虎の子をとられるわけにはいかない」

 

「へいへい。何時だってタイミングが悪いでやがります」

 

 のぞみが出て行く。のぞみが腰に差したホルスタから拳銃を引き抜くのが見えた。

 

「米川」

 

「はい!」

 

「ナシームの護衛について。あとの面々は自分で身は守れるわね」

 

「わ、わたしだってウィッチです! 米川少尉殿のお手を煩わせるわけには……!」

 

 腕を胸の前で振って、頑張れる事をアピールするナシームを横目で見たのぞみが絶対零度の声で告げる。

 

「訂正、米川はナシームとルクサーナの保護。ハンガーデッキから応答がないということは、ハンガーデッキでなにかがあった可能性が高い」

 

「えっと、それがどういう……」

 

 要領を得ないひとみの困惑した声にため息をついたのぞみ。

 

「わからない? ゆうさくとウルム、どこ行った?」

 

「ウルムちゃんですか? ゆうさくを散歩に……あっ!」

 

 頭の中に浮かんだのは、数分前ののぞみの声。散歩に連れて行って良いかと聞いたウルムに対しての言葉。

 

 

――――許可するが、貴官の立ち入りが許可されている範囲に限る。すでに外は日が暮れてるから外には出ないように。ハンガーならちょうど良いだろう。

 

 

「ナシーム、ルクサーナ。ついてくるなとは言わないけど、ついてくるならウルムがどんな状態になってても取り乱さない覚悟を決めてから来なさい。最悪の場合、もう殺されている可能性すらある」

 

 のぞみはそう言って拳銃を構えながら進む。ラッタルの手前まで来て、のぞみが足を止めた。片手をあげて停止の合図。

 

「夢華」

 

「こーゆー時だけ名前ちゃんと呼ぶのは止めやがりください」

 

 そう言って夢華はポケットから取り出した拳銃に弾倉を叩き込み、右手一本で前に雑に向ける。淡い魔力光の後、彼女にクマタカの羽が生える。

 

「見えるか?」

 

「なにも」

 

 それを聞いてラッタルを下りようとしたのぞみ。手を横に伸ばした夢華が通せんぼした。

 

「アンタの図体じゃバックアップできねーであります」

 

 それだけ言って夢華はゆっくりラッタルを下りていく。足音を消すようにゆっくりと下りていく。

 

「来やがれください」

 

 一通り危険は無いようだ。殿にコ―ニャがついて皆で手早く階段を下りる。

 

「なんか、変に涼しくない?」

 

 のぞみの声に鼻を鳴らす夢華。

 

「喉の奥に張り付きそうな空気ですだよ」

 

 そう言ってから夢華は通路の奥に目をこらした。

 

「味方でやがります!」

 

 そう声を張る夢華。懐中電灯の明かりが飛び込んで来て、のぞみたちはとっさに目を守る。

 

「大村少尉! 皆さんご無事でしたか」

 

 そう言って飛び込んで来たのは左雨伍長だった。防弾チョッキに小銃、フラッシュライト……ひとみのストライカー整備員とは思えないほどのフル装備である。

 

「左雨さん! 何があったんですか?」

 

「分かりません。いきなり電力がショートしたので、確認したらヒューズが飛んでいました。どこかで漏電が起きたのだとは思いますが、念のため」

 

 そう言って左雨は小銃を揺らした。その銃先が向けられるのは侵入者。加賀の乗員たちものぞみと同じ結論を出していたらしい。

 

「それで、問題があるとしたら……」

 

「この格納庫の奥、ってわけね?」

 

 のぞみがそう言って親指で扉を示した。半分ロックがかかって止まった隔壁、普通の加賀乗組員なら、完全にロックする。

 

「何者かがここに入った、もしくは出て行った」

 

 のぞみの頭に犬の耳が現れる。シールドを張りながら隔壁に近づいた。そのまま隔壁の操作ハンドルに手をかけた。

 

「夢華から突入。伍長はその背中を守って」

 

「お守りはいらねーですがね」

 

「そういうわけにもいきませんので」

 

 二人が銃を構える。ドアを開けると同時に突入する態勢だ。

 

 そして、のぞみが一気にドアを開け放った。同時に二人が突入。のぞみもつづいて駆け込んだ。

 

「寒っ!」

 

 夢華の声が響く。ひとみたちもその後に続いて入り――――。

 

「あたっ!」

 

 思いっきりずっこけたひとみの頬にひんやりとしたものが触れた。

 

「つ、つめた……なにこれ……!」

 

「薄い氷が張ってやがる」

 

 どこまで広がっているのだろう。ライトの照らす先はどこもかしこも氷という有様であった。いったい何があったというのか。

 その時ふいにカラン、という音がして左雨と夢華が同時に銃を音の方に向けた。左雨のフラッシュライトがその先を照らす。

 

「う、撃たないでください。た、たすけて……!」

 

 その真ん中でボロボロと涙を流しながら、必死に氷を叩く子どもの姿を認め、のぞみが目を見開く。

 

「な、なんでアンタこんなことに!」

 

「わかんないけど! とりあえず足が痛いです……!」

 

 腰から下を氷漬けにされたウルムに慌てて駆け寄るのぞみ。その後ろから駆け寄ろうとしたナシームやルクサーナが凍りに足を取られて動けなくなる。

 

 その合間にものぞみがストライカーユニットのケースにとりつく。携行品のセットが仕舞われているスペースを無理矢理開け、エマージェンシーキットを取り出す。とりあえず体温の保温が最優先だ。非常用のアルミブランケットを取り出し、ウルムの肩にかぶせた。

 

「とりあえず上半身だけでも保温!」

 

「ど、どうして格納庫が氷漬けに……」

 

「ティティ、考察は後! 人命優先!」

 

 のぞみが叫びながらウルムの様子を確認する。ひとみはオロオロするばかりだ。

 

「まだ体温下がりきってないね。上々上々」

 

 のぞみはそう言って周囲に目を走らせる。

 

「とりあえず氷溶かせそうな物ない?」

 

「動かせそうなもの、ほとんど凍り付いちゃってますよ!?」

 

「泣き言言わない米川! 炎熱変換系のウィッチがいれば一発なのに……!」

 

「はい!」

 

「ティティはダメ! 加賀が沈む!」

 

 ティティが不満げに頬を膨らませる。

 

「わ、わたしだってちゃんと制御してできますよぅ……」

 

「いろんなトラウマがありすぎるからダメ!」

 

 そんな状況で必死に頭を回し続けるのぞみ。

 

「熱があれば……バーナーは、ウルムごと焼き切れるわね。却下。ヒーターは電力が回復しないとだし、待ってられないか。体温だとこっちが持たないし、とりあえず……私がたたき割るのが一番か!」

 

 のぞみに犬耳が生える。

 

「氷には抵抗するで! KO☆BU☆SHI☆DE!」

「ひぃっ!」

 

 思いっきり振りかぶった拳が高速で落ちてきて、とっさにウルムが肩をすくめて頭を守る。腰の横に叩き付けられたのぞみの拳が氷を白く変化させる。細かいヒビが入ったのだ。

 

「パラケルスス中尉!」

 

「Покрышкин」

 

 のぞみの呼びかけにコ―ニャが応える。

 

「人払いお願い。左雨伍長! 出てけ!」

 

「はいっ!?」

 

 いきなりの戦力外通告に左雨伍長が目を剥く。

 

「ウルムのズボンだけを残して引っこ抜けばたぶんいける! ロリコンだと証明したい!?」

 

 ムスリマの素足を異性に晒させるのはさすがに酷だ。全力疾走で左雨伍長がハンガーを飛びだしていく。それを目の端で確認して、のぞみはウルムの脇に手を回した。

 

「せーの!」

 

 そのまま氷からウルムを引っ張り出す。長いズボンのおかげで氷で足にヤスリかけというのを避けられたせいか大分楽に引き抜くことができたのか、ずるりという雰囲気でウルムの体がすっぽ抜ける。氷に彼女の長さがズボンが脱け殻のように残されているが、とりあえずは無事脱出だ。

 

「よし! ブランケットで体隠してあげて。……ん?」

 

 晒された素肌を隠すようにひとみがスペースブランケットを巻こうとして気がついた。

 

「……しっぽ?」

 

 

 

 

 

 

 

「あっはっはー、そうか、結論はウルムちゃんの暴走ってわけだ!」

 

 艦長室であっけらかんと笑って見せたのは霧堂艦長その人である。目の前で恐縮しきりなのは騒動の中心だったウルムだ。使い魔のしっぽに対応できる服を持っていないため、とりあえず間にあわせで作ったくるぶし丈の腰巻きで腰から下を隠している。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「いいよ、謝らなくて。まぁ仕方ないよ。トレーニング前だもん。いきなり使い魔でパワーアップしても扱いきれないって」

 

 騒動の理由は至極単純。ゆうさくを散歩させにウルムがハンガーに訪れたタイミングで、ゆうさくがいきなりウルムにタックル。使い魔として融合を果たしたのだ。それに驚いたウルムの魔力が暴走し、顕現した固有魔法が制限無しで大暴走し、ハンガー内の水蒸気を全て氷の結晶に変えた。

 

「それで、壁を走っていた電線の周りに霜が降りて、ブレーカーを落とし続けた。反応がないはずだよ。電気を通す度に漏電ブレーカーが作動するんだもん」

 

「俺の監督不届きだった。申し訳ない」

 

「石川大佐に予期できる可能性はなかった。それにゆうさくが懐いていたとはいえ、まさか使い魔の適合者が現れるとはかなりの奇跡だろう。ただの事故だし、いまは一人のウィッチの誕生を祝おうじゃないか」

 

 そう言って霧堂艦長は笑った。

 

「そうとはいってられないんですけどね。ハンガー周りは今砲雷科全員で霜取りと除湿の作業中です」

 

「キクチン、さすがに空気読もうか。ちびっ子を虐める趣味はないでしょう?」

 

 霧堂艦長はくるりと椅子を回してそういった。報告のために立っていた菊池砲雷長を見る。笑みはいつも通りだが、目は笑っていない。

 

「……失礼しました」

 

「よろしい。でも、確かに問題が皆無とは言わない。元々ストライカーは高高度の低温でも作動するように作られているからいいとして、スターターやキャニスターは極地対応品じゃなかったからね。いま皆が必死こいて整備中だ。そっちの報告は、加藤ちゃんから来てる?」

 

「とりあえず明日の午後までに、最低限の物を動かせるようにすると言われております」

 

「ん、なら問題ないね。セイロン入港中で助かった」

 

「ごめんなさい……」

 

「だからウルムちゃんは悪くないよ? というより穏便な方だし、これ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「いろいろあるんだよー。使い魔と契約した直後に訳が分からないまま魔法使って大変なことになるの。納屋をまるごと焼き払ったとか、サッカーボールを蹴ったら高度3,000メートルまで蹴り上げてUFO騒ぎとか、大会の最中に百メートル走を0.28秒で走りきって世界新記録とか。最後のやつのパターンだと本人もただじゃ済まないし。君がちゃんと生きていられるレベルの事故で助かった」

 

 艦長の椅子から降りて、霧堂艦長はウルムの前まで来ると、しゃがみ込んでウルムと視線を合わせた。

 

「だからいいんだよ、泣かなくて」

 

 そう言って親指でウルムの頬を撫でた。優しい手つきで涙の跡を拭う。

 

「さぁ、魔女の誕生を祝って宴でも開かないとね」

 

「うたげ……?」

 

「パーティーのことさ。断食明けの犠牲祭(イード・アル=アドハー)みたいに盛大にいこう。魔女の祭りだ。せっかくだから魔女のお鍋にしましょうか」

 

「魔女の鍋って……?」

 

「毒ヒキガエルにハリネズミの目玉、かえるのつま先、 こうもりのうぶ毛、 蛇の割れ舌その毒牙、その他諸々黒々とした物をぐつぐつ煮える鍋で煮詰めて作るのさ」

 

「そ、そんな鍋があるんですか……っ?」

 

 戦いた顔のウルムに笑って見せる。

 

「冗談冗談。マクベスではあるけどさ。では姫のために……ヒキガエルの代わりに人参を、ハリネズミの代わりにゴボウを、かえるとこうもりの代わりにお肉を少し。蛇の代わりにニンニクをひとかけら入れて、おいしいスープを作りましょう」

 

 そう言って立ち上がった霧堂艦長はウルムの肩をそっと押して、回れ右をさせると、背中をトンと押した。

 

「さ、元気な顔を見せておいで。きっとみんな心配してるから」

 

「――――はいっ!」

 

 そういってヒジャブを揺らして艦長室を出て行くウルムを見送って、霧堂艦長は笑った。

 

「なぁ、石川」

 

「なんだい?」

 

「こんな私を笑うかい?」

 

「まさか、笑えるはずがない、俺たちをな」

 

 石川はそう言って肩をすくめた。

 



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「大惨事お料理大戦」前編

少しばかり、休憩しましょう。


「ドキドキ! ウィッチだらけのぉぉぉぉぉぉ!」

 

「……お料理対決、でいやがります」

 

 ものすごいハイテンションっぷりを発揮して普段からは想像もつかないコーニャと、「私は完全につき合わされているだけで、望んでここにいるわけではありません」オーラを全開にしている夢華によるタイトルコール。

 

 わずかに時間が空いてからまばらな拍手。通常におけるローテンションなコーニャを見ているだけの人間からすれば当然ともいえる混乱だったからだろうか。

 

「ええっと、これはどういうことでしょう……?」

 

 混乱が隠しきれていないルクサーナ。当然の反応だとひとみは思う。気づけば食べ歩き観光が恒例になり、ひとみに先々で何かを買わせる。かと思いきや砂浜で固有魔法も容赦なく使う水かけ合戦が展開される。挙句の果てには酔ったウィッチが大暴れして瑞鶴ジャーなるものが現れたり。

 

 こんなことが起こるのは203だけのもの。それを知らなければ困惑するのは至極当然の反応だ。

 

 と、ひとみは思っている。少なくともこんな騒動がどの部隊でも起こるようなことはないはず。

 

「ほら、さっさと話を進めるでごぜーますよ」

 

「ルール説明! おいしい料理を作る。以上ッ!」

 

「THE・雑!」

 

 コーニャによって為されたあまりにも簡略化したルール説明にのぞみがつっこむ。大まかな主旨そのものはあっているとはいえ、それにしては省略しすぎだ。

 

「というか微妙にタイトルセンスが古いね、ポラロイド中尉」

「Покрышкин」

 

「先輩、ポラロイドも古いと思うんですけど」

 

 そんなひとみのつっこみはスルー。いつものことなのでもう諦めたひとみは流れに任せることにした。止めてもしばらくは続くのだから、しばらくは話させておこう。

 

 だからコーニャの隣でどうにかしろ、とアイコンタクトを送ってくる夢華はひとみには見えないのだ。見えないったら見えない。

 

「いきなり食堂に呼び出されたと思ったらこれ、どういうわけ? こっちは休んでるってのに」

 

 私はとても不機嫌です、と全身で訴えるレクシーがつかつかと食堂に現れる。その影に隠れるようにしてひとみのオアシスこと、ティティが顔を覗かせる。

 

「えっと、ひとまずは私は説明するね?」

 

「……ん」

 

 不満タラタラであることは変わらないようだが、レクシーは聞く姿勢を作ってくれた。ここで帰る、などと言われたら引き止めたりするのが大変なので、よかったと胸を撫で下ろしながら食堂の椅子を引いて勧める。

 

「ありがと、ひとみちゃん」

 

  律儀にお礼を言うティティと、椅子を傾けて座るレクシー。さすが心のオアシスは違うと思いながらひとみも腰を下ろす。

 

「なんかあんた失礼なこと考えてるんじゃないでしょうね」

 

「か、考えてないよ! と、とりあえず説明しちゃうね。まあ、簡単に言うとお料理大会です」

 

「ひとみちゃん、はしょりすぎだよ……」

 

 もうちょっと説明して、とティティがお願いする。確かに説明足らずだったかもしれない。さっきのコーニャの説明に引っ張られてしまったのかもしれない。

 

「簡単に言うと、ルクサーナちゃんの歓迎会かな」

 

「ああ、なるほど。でもなんで大会なの?」

 

「先輩がせっかくならウィッチ内でお料理上手を競おう! と言い始めてそれにコーニャちゃんが乗っかっちゃって……」

 

「ようはあのふたりの悪ノリね」

 

 的確なことこの上ない一刀両断な指摘をするレクシーに苦笑いを浮かべるしかない。実際にその通りだからだ。先述の通り、のぞみがふざけてコーニャが悪ノリするというパターンは非常に多い。

 

「わ、私はいいと思いますよ! いろんな国のお料理が食べられますし」

 

「そう! ティティ、それが今回の目的よ!」

 

 いつの間にかコーニャとの悪ノリ合戦が終わっていたらしいのぞみがびしっとティティを指差す。前触れなく名前を予想だにしていない方向から呼ばれたティティの肩が驚きでびくんと跳ねる。

 

「気づいていないかもしれないけどね、ここには扶桑に華僑、オラーシャ、アウストラリス、リベリオンにウルディスタンの人間がいる。実に国際色豊かだよ。まあ、これでこそ人類連合って感じになってきたわけだけど、ならこの豊かな文化に触れない手はないだろう、諸君!」

 

「あんたこんなこと勝手にやってどやされるわよ」

 

「ふふ、心配ご無用! 許可は取ってある!」

 

 のぞみが自信満々にサムズアップ。直後にのぞみの懐から取り出される一枚の紙。

 

「これ、石川大佐の許可証ですか?」

 

「ついでに霧堂艦長の許可証もね。息抜きは大事だからってさ」

 

「息抜き、ですか……」

 

 ついこの間にウルディスタンであんな戦闘があったばかりでいいのだろうか、とひとみは考えてしまう。血を血で洗う、なんて表現すら生易しく感じられるあのウルディスタンでまだ苦しんでいる人はいる。それなのに私ばかりが楽しんでしまっていいんだろうか。

 

「ま、そういうわけだからリラックスしつつ進めよう。とりあえず新入りのルクサーナは参加できそう?」

 

 そんなひとみの抱える悩みなど気づいていないらしいのぞみはさっさと進行していく。名前を出されたルクサーナが自分自身を指差した。

 

「あ、私ですか? えっと、お料理はあんまり上手じゃないですけど……」

 

「いいの、いいの。楽しんでやることが目的だから。それとも料理したことない?」

 

「いえ、少しくらいは……」

 

 ずいぶんと控えめにルクサーナは微笑みながら人差し指と親指の間を絞って『少し』のジェスチャー。だがひとみは知っている。こういう言い方をする人というのはたいていが結構な腕前だったりするのだ。

 

「じゃあとりあえず目玉のルクサーナに一番槍を任せようか。1時間でいい?」

 

「わかりました!」

 

 ルクサーナが軽やかに厨房へと向かう。その様子でひとみはルクサーナは料理経験があることを察した。やったことがなければ緊張するに決まっている。それが他人に振舞うための料理であるのならなおさら。それが足取り軽やかなのだ。

 

 そこそこに自信があるか、やったことがないから未知への挑戦にわくわくしているかの二択なのである。ちなみに未知への挑戦であった場合、とんでもない代物が出てくる可能性が高いということもここに加えておこう。

 

 ひとみの観察眼が正しければルクサーナは前者だ。

 

 そう、だよね? ルクサーナちゃん。

 

 だんだんと不安になってきているが、口に出すのはさすがにちょっと失礼なので憚られる。今のひとみにできることは、ただルクサーナが上手だと信じて待ち続けるのみ。

 

「米川、顔に出てるから先に言っとくけど審査員は別に決まってるからね」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「あったりまえ。あんたも参加すんのに審査員を兼任させちゃ公平性に欠くでしょ」

 

「ああ、やっぱり私も作るんですね」

 

 薄々、というより初めからそうじゃないかと予感はしていた。具体的にはコーニャがノリノリでウィッチだらけのお料理対決! と銘打ったあたりから。ウィッチということはもちろん自分も含められるんだろうなあ、と。

 

 なにしろウィッチだらけである。まさかルクサーナひとりだけをウィッチだらけなんて呼称するわけがない。それではただの誇張表現だ。

 

 まあ、そうなれば複数名のウィッチが投入されることは予想できて、のぞみがひとみを放っておくわけではないはずで。

 

「ちなみに誰が参加なんですか」

 

「全員だけど?」

 

「ちょっと、私の意思は!?」

 

 噛み付くレクシーをのぞみは華麗にスルー。強制参加、ということなのだろう。いつものことなのでひとみは慣れた。願わくばレクシーにも慣れる日が来ることを。

 

「先輩、全員が持ち時間を1時間でやったら日が暮れちゃいますよ」

 

「え? あー、うん。そうだね。どうしよっか……」

 

 現在、203にはウィッチが石川大佐を除いて7人。石川大佐はさすがにのぞみでも動かすことはできないだろうことから、7人が参加することになる。

 

 だが1人あたりの持ち時間が1時間ならば、7人いれば7時間。間に審査だのを挟みつつ、片付けまで含むと余裕で10時間コースだ。半日近くもかかるお料理大会はもはや息抜きではなくてただの拷問だ。作っていない間はじっと待たなければいけないのだから。

 

「んー、じゃあこうしよう。扶桑組、シンガポール組、その他組の3ペアに分けて、先に扶桑組とその他組、その後にシンガポール組で同時に厨房を使う。これなら3時間ちょいで片付くでしょ」

 

 扶桑組というのは言うまでもなくのぞみとひとみ。シンガポール組とはシンガポールで加わったティティとレクシー。その他組は残り物のコーニャと夢華だ。

 

 大人数の食事を用意する厨房はコンロの数も多い。2組くらいなら同時並行で料理できるだろう、とのぞみは考えた。

 

「さて、そうこうしているうちにルクサーナが完成間近っぽいよ? なんかスパイシーな匂いがしてきたし」

 

「そういえばそうですね……」

 

 さんざんインディアで嗅いだ匂いだ。ひとみにはよくわからないが、きっといろんなスパイスが混ぜ合わさっているのだろう。いまいち判別としないのが残念だが、こちらの料理に詳しくないのだから仕方ない。

 

「お待たせしました。肉団子入りコフタカレーです。えっと、こちらふうに言うと煮込みハンバーグ、ですね」

 

「はんばーぐ……」

 

 なんだか懐かしい響きだ。ここのところ食べたものはカレーばかり。コフタカレー、なんて聞いたことのない名前に『カレー』という単語が含まれていたような気がしたけれど、きっと空耳だ。そうに違いない。『コフタカ・レー』という名前の料理に決まっている。

 

 そんな現実逃避をしたところでこの香りは言い訳や言い逃れのしようもなくカレーなのだが。

 

「プラスコーヴィヤ、進行よろしく」

 

「わかっ、た……。と、言うわけでぇ! 一番手のルクサーナを審査するのはぁぁぁ……この人こそが加賀のドン。加賀の名物艦長ことぉぉぉ……霧堂明日菜艦長だぁぁっ!」

 

「コーニャちゃん……」

 

 あまりのテンションの落差についていけない。コーニャはそういう傾向がある、というより乗る時は徹底的に乗るタイプなのでわかってはいるのだが、時たまついていけない時もある。いきなり切り替えられた時などは特に。

 

「はいはーい。呼ばれて飛び出て明日菜さんだよーっと」

 

 これまたいつも通りというべきか、スキップでもするかのような気軽さで霧堂艦長が現れる。のぞみが用意していたらしい審査員席に流れるような仕草で腰を落ち着ける。

 

「霧堂、貴様は相変わらず……。ここに座ればいいのか、大村?」

 

「はい。石川大佐も参加してくれてありがとうございます」

 

 ちょっと以外だな、とひとみは思った。こういうイベントに霧堂艦長が参加するのはまだしも、石川大佐まで来るとは思わなかったのだ。

 

「意外だ、とでも考えている顔だな、米川」

 

「ふえっ? そ、そんなことありませんよ!」

 

 この人は心の中を読む方法でもあるんだろうか。不意をつかれたひとみは慌てて取り繕うとしたせいか、素っ頓狂な声で応じてしまった。

 

「別に気にしなくていい。息抜きもたまには大事だと言ったら大村に参加してくれと言われたから来ただけだ。それにまあ、ちょうど飯時だからな」

 

「石川大佐は次なのでちょっと待っててください。とりあえず霧堂艦長、ルクサーナの料理の審判をお願いします!」

 

「あいあいー。んじゃ、いただきますか!」

 

「どうぞー?」

 

 ルクサーナが霧堂艦長の前に深めの皿に盛られたコフタカレーを置いた。どこか嘗め回すような視線でルクサーナのどことは言わない部位をさりげなく見た霧堂艦長は隣の石川大佐から注がれる責めるような目線の銃撃を避けながらスプーンを手にとって口へ。

 

「んー、いいねこれ。肉団子がふわっとしてるのにジューシーで……で……」

 

 頬をスプーンを持っていない手で押さえながら咀嚼していた霧堂艦長の動きが前触れなくぴたっと止まる。

 

 そしてスプーンがぶるぶると微細に振動を始めた。

 

「おい、霧堂?」

 

 明らかに様子がおかしい霧堂艦長に石川大佐が珍しく心配そうに覗き込む。一方でそんな石川大佐の気遣いも気づかないのか俯いたまま。

 

「か……はっ」

 

 理解不能の音声を吐き出しながら霧堂艦長が顔を機械的にあげていく。

 

「ご、かはっ……こほはっ……」

 

「おい、霧堂! 大丈夫なのか、霧堂!」

 

「か、があああああああ! 辛いぃぃい!」

 

 スプーンの落ちたカラン、という音。そして喉元を押さえて悶絶する霧堂艦長。床に倒れこんだかと思えばブリッジのように反り返り、かと思えばその姿勢のままで歩く。合間に「こあー!」とか「くあー!」とかおそらく人類には認識不能の言語を発しながら暴れまわる。

 

「なんだ、辛いだけか。心配して損したぞ、霧堂」

 

「ほんっとに辛いんだって桜花ちゃん!」

 

「だから名前で呼ぶなと……というか大袈裟だろう」

 

 懐疑的な表情で石川大佐が自身のスプーンを手にとって霧堂艦長にサーブされた皿からスープがしっかりと絡んだ肉団子を掬い上げる。そのまま躊躇うことなく口へ運んだ。

 

「……大、村」

 

「はい?」

 

「水を」

 

「………はい」

 

 のぞみによって手渡されたグラスの水を石川大佐が一気に飲み干す。それでも軽く咽てからようやく石川大佐は平静を取り戻した。

 

「とても……ああ、刺激的な料理だな」

 

「そんなにですか……?」

 

 興味半分、怖さ半分でのぞみがちょっと断って少量を掬って食べる。シワを寄せていた眉間にじわりと汗の玉が滲み始めた。

 

「けほっ……あー、これは確かにきっついわ。ルクサーナ、これガラムマサラとショウガ?」

 

「はい、そうです!」

 

 わかってくれたことが嬉しいのか両手の平を合わせて明るい表情でルクサーナがうなづいた。一方でのぞみは頭を抱えている。

 

「市販のじゃないよね、ガラムマサラは」

 

「よくわかりましたね! いつもカレーに入れてるガラムマサラの配合は私の特製なんです! ショウガもたっぷりいれました!」

 

「カイエンペッパー利きすぎてもはや兵器になってるけどね……」

 

 のぞみがさらっと物騒なことを口にしたので、ひとみはまじまじとルクサーナが作ったコフタカレーなるカレー煮込みハンバーグを凝視した。確かに色彩が少し赤っぽい感じもするが、どちらかといえば普通のカレーみたいなターメリックの色の方が強い。

 

 これが霧堂艦長を悶絶させ、あの石川大佐をして即時に水を要求させた激辛兵器だとはとても思えなかった。

 

「米川、疑うなら食べてみればいいよ。別にまずいわけじゃないし、おいしいよ。ただ覚悟はしときな。命を落とすよ」

 

「そ、そこまで……」

 

 のぞみがここまで強い言葉を使うということは相当なのだろう。そしてひとみはルクサーナの作った料理の破壊力を目の当たりにしている。だが怖いもの見たさという誘惑に抗いきることもできずにひとみの手はスプーンへと。

 

 軽く舌で押してやるだけでほろりと崩れる肉団子にはしっかりと奥まで味が染み込んでいる。これは鶏肉だろう。こりこりとした歯ごたえは中に細かくした軟骨を砕いてあるようだ。

 

 別段、辛さは襲ってこない。もしかして私を騙すために演技を、とひとみが思い始めていたその時。

 

 それは襲来した。

 

「!?!?!?!?!?!?」

 

 何故あそこまで霧堂艦長は不気味な動きをして這いずり回ったのか。何故あの石川大佐が引き攣った表情で水を頼んだのか。何故のぞみがオーバーな表現をしたのか。

 

 嗚呼、そういうことかと。ひとみは身をもって理解した。

 

「えほっ、けほっ、ごほっ!」

 

 ひとみが口元に急いで手をあてると咳き込む。不味いわけではないのだ。むしろ最初はスパイスの香りとスープに染み出した野菜と鶏肉の旨みが口に広がり、極楽浄土ですらあった。

 

 だがしばし後。もはや辛いを通り越して痛いに発展した刺激がひとみの口を蹂躙した。それはもはや地獄。ただただひたすらに口から喉へ、そして胃の腑までをも焼き尽くす。

 

「しぇんぱい、しゅごく辛いれふ……」

 

「だから言ったじゃない。下手したら死ぬよって」

 

 死因がカレーなんて笑えない冗談を、と頭の隅でこっそり考えていたことをひとみは公開した。これは確かに辛い。それはもう、燃えるが如く。

 

「ふ、ふふ。ふふふふふふ」

 

 戦闘不能になったかと思われていた霧堂艦長がゆらりと起き上がる。そしてしっかりと自身のスプーンを握りなおした。

 

「さて、せっかく作ってもらったものなんだから完食しないとね」

 

「霧堂、貴様は死ぬ気か!」

 

「あの、辛いなら無理しなくていいですよ……?」

 

 石川大佐が目を見張り、ルクサーナが制止をかける。だが空いた手で霧堂艦長はサムズアップ。

 

「この私がかわいいウィッチの作ってもらったものを残すわけがないじゃない。ウィッチの作ってくれたものを食べるのは私の義務よ!」

 

「「「か、艦長ーーーー!!」」」

 

 全米が泣いた。そう、霧堂明日菜という一人の女の生き様に。笑って黙々とスプーンを動かしてカレーを運び続けるその姿を変態と詰るものはいないだろう。

 

 皿が空になった時。そこには白く灰がちになって微笑んでいる英雄が残った。

 

「見事だった、霧堂」

 

 石川大佐が瞑目してそうつぶやく。霧堂艦長は反応しなかった。だがその言葉はきっと彼女に届いているのだ。

 

「さて、茶番はいいから次に行こうか」

 

「せ、先輩!?」

 

「それではぁ! 次は扶桑の鷹の目こと米川ひとみとぉ! 扶桑の雷神トール、大村のぞみペアの番だっ!」

 

 ざっくりと斬り捨てたのぞみと、何事もなかったかのように進行するコーニャ。つっこみどころがありすぎてどこからつっこめばいいのだろうか。まずもってひとみは扶桑の鷹の目なんて呼ばれたことはないし、のぞみも扶桑の雷神トールなんて呼ばれたことは今だかつてないはずだ。そしてコーニャと夢華のペアも同時並行で調理を進めることになっているのにどうして名前を出さないのか。

 

「あとプラスコーヴィヤとゆめかもでしょ。ほら、さっさと司会席から降りる」

 

「だからモンファだと……というかなんで私までんなことしなくちゃいけねーでいやがりますか、ったく……」

 

「息抜きの命令よ。ほらほら、さっさと行く」

 

 半ば以上がずるずると引きづられるように夢華が厨房へと連れて行かれる。初めは抵抗らしきものを見せていたが、割とあっさりと夢華は諦めたようでもうすでにのぞみのされるがままだ。

 

「私たちも行こうか、コーニャちゃん」

 

「ん……」

 

 わちゃわちゃと騒いでいるのぞみと夢華を追いかけて厨房へ。なんだかいろんな食材が山と積まれていて、どうやってこれほどの量を取り揃えさせたのか気になるような知りたくないような気持ちになった。

 

「さて、米川。米川は料理に関してどれくらいできる?」

 

「ちょっとしたことくらいなら……」

 

「よし、じゃあ米川は私のフォローね」

 

「先輩こそお料理は得意なんですか?」

 

「大村式百八の嫁入りレシピ集が火を噴くわよ」

 

 なんで煩悩の数なんだろう、と少し気になったが聞くことはやめた。それより、さりげなくチェックしていた食材の山に違和感を覚えて、もっと聞きたいことが出てきた。

 

「お肉、なんで羊とかあるのに豚さんがないんですか?」

 

「米川、イスラム教の教義は知ってる?」

 

「えっ?」

 

「豚肉は食べちゃだめなの。で、ルクサーナはイスラム教。OK?」

 

「あ、あんだすたん……」

 

 つまり豚肉がないのはわざと除いたからのようだ。思い返せばルクサーナが作った肉団子も鶏だった。

 

「とりあえず先輩、何を作るんですか?」

 

「ふふ、まあ見てなさい。とりあえず大村・米川クッキング、スター……」

 

 ドォォォォン!! スタート、と言おうとしたのぞみの開始宣言は爆発音によってかき消された。

 

「えっ、えっ? な、なにが起きたんですか!」

 

 なんの身構えもしていなかったせいでひとみは飛び上がって驚き、やる気に満ちていたのぞみは腰を折られて不機嫌さを隠すことなく爆心地を探す。

 

 そこにはどうしてそうなったのかわからないが、黒い煤にまみれた夢華とコーニャ、そしてぐしゃぐしゃになった金属製のフライパンが無様に転がっていた。

 

「……一応だよ? 一応だけ聞こうか。プラスコーヴィヤ、ゆめか。なにをやらかした?」

 

「ステーキを、作ろうとした……」

 

「ブルジョワステーキが食べたかったんでいやがりますよ……」

 

「私の知る限り、ステーキって料理は爆発するようなものじゃないはずなんだけど」

 

 ちなみに呆然として口を出すことができていないが、ひとみの中でもステーキという料理は爆発物に属するようなものではない。

 

「なにをやったのよ、ステーキで」

 

「牛の肉を焼こうとしただけでいやがります。ただこのフライパンが全然、温まらないんでいやがりますよ」

 

「火力が、火力が足りない……」

 

「うん、だから?」

 

 のぞみがそれはもう、満面の笑みでコーニャと夢華の前に立つ。額にビキビキと青筋を浮かばせながら。

 

「言え。何をどうした」

 

「火力を上げるためにNH4NO3を……」

 

「フライパンのコンロにぶちこんでやったんでごぜえますよ」

 

「そっかー。火力が足りなかったら硝酸アンモニウムをコンロに叩き込めばいいんだー。わー、のぞみびっくりー……馬鹿なの!?」

 

 いったい化学式で言われた時はなんのことかと思った。だが硝酸アンモニウムと言われればひとみにも思い当たるものがある。

 

 そう、ダイナマイトの原料だ。

 

「過去に硝酸アンモニウムを加熱して大爆発した事故を知らないわけ?」

 

「だから、量を加減した……」

 

「せいぜいが火力の上昇だけになるように調整したでいやがります」

 

「その結果が炭化した牛肉、と。せいぜいが聞いて呆れるわ」

 

 のぞみがトングを使ってフライパンの中にある黒コゲの何かを掴み上げる。掴みあげた下からポロポロとこぼれて落ちていく。

 

「これはなにかな?」

 

「ステーキ、だったものでいやがりますかね……」

 

 さすがにばつが悪いのか目を逸らして頬を引き攣らせているのぞみを直視しないように夢華が言った。あのコーニャも煤まみれの顔をのぞみと合わせまいとしていた。

 

「よーくわかった。ゆめかとプラスコーヴィヤ、失格。さっさと煤を風呂場で流す。はい、駆け足!」

 

「そーするでいやがりますよ」

 

「ん……」

 

 いつもならある程度はつっぱねる夢華もさすがに顔中が煤だらけというのは気分的によろしくないらしい。珍しく素直にのぞみの言うことに従い、厨房からすごすごと去っていった。

 

「先輩、これどうしますか?」

 

「フライパンは廃棄だね。コンロは歪んでるけど……よっ、と」

 

 のぞみの頭部から獣耳が飛び出すと無理やり歪んでいた部分をのぞみが直した。その後に布巾でさっと拭けばだいぶマシになった。

 

「まあ、キッチンが広く使えるのはいいことだ。そう思うことにしよう。さて、米川。とりあえずこの魚の切り身から骨を外して塩を加えたらフードプロセッサーにかけておいて」

 

「は、はい。わかりました」

 

 よくわからないけれど、手早く調味料を合わせているのぞみの手つきが慣れていたので大人しく指示に従っておくことにする。細かい骨を渡された毛抜きのようなものでプチプチと抜いていくのは見た目どおり地味だ。けれどきっとこういう作業が効果を発揮していくんだろう。

 

 ひとみが地味にちまちまと小骨を抜いている間にのぞみが鍋に水を注いでこんぶを浸す。かと思えば別の鍋でお湯を沸かすと、ほうれん草をさっと湯がいて絞ると箸でさっとほぐす。

 

「米川、魚のすり身は?」

 

「できました!」

 

「よし、じゃあそれこっちに寄越して。米を炊いておける?」

 

「はい!」

 

「じゃあ、米を炊いておいて」

 

 ひとみから受け取った魚のすり身をのぞみは板に半円形になるように整えていく。そして形を整えたら蒸し器の中へ。ようやくひとみはついさっき自分がつくった魚のすり身をのぞみがどうするつもりなのか察した。

 

 お手製のかまぼこだ。

 

「米川、米がセットできたら昆布の入ってる鍋を中火!」

 

「はい!」

 

 手の平が浸るか浸らないかくらいに釜へ水を入れると、炊飯器にセット。そしたらのぞみの指示通りに昆布が入れてある鍋を中火にした。沸騰したタイミングで火を止める。

 

 その間にのぞみも動き回る。鶏肉を一口サイズにしたらお湯をかけて臭み抜き。椎茸を削ぎ切りにしたら、次は卵を割ってかき混ぜた。ひとみが取った出汁の一部を掬うと白醤油と塩を入れて、きれいに混ぜ合わせる。蒸し器からかまぼこを取り出すと、急いで一センチの厚さで切って、容器にいれると卵液をそっと注ぎいれて三つ葉を落とす。容器に蓋をすると、再び蒸し器へ。

 

「米川、この調味料に出汁をちょっと入れたらほうれん草をごまと一緒に和えたら小皿に盛って」

 

「はいっ!」

 

 ここまでくればひとみも何を作っているのかわかる。これはほうれん草のおひたしだ。そして今まさに蒸し器に入れられているのが茶碗蒸し。そしてすぐそこの炊飯器ではご飯が炊けている。

 

 王道そのものをなぞった和食。

 

 のぞみがフライパンに油を注いで温める。タレに漬け込まれていた魚の切り身をフライパンに乗せると、そのままタレを回しかけ。じゅわーっと醤油の焦げる匂いがひとみの鼻をくすぐった。

 

「照り焼きですね、先輩!」

 

「大正解! ただ一品くらい足りないからこのきゅうりを叩いておいて。長芋は短冊切りで。ああ、あと梅干しも種を除いて潰しておいて。めんつゆと出汁をちょっと入れて和えるだけだから」

 

「はい!」

 

 言われたとおりに和えて、小鉢に盛り付ける。のぞみが平皿へ照り焼きを乗せるタイミングに合わせてご飯をお茶碗によそえば完成だ。

 

「じゃあ配膳!」

 

「わかりました! ……どなたに?」

 

「石川大佐!」

 

「了解です!」

 

 お盆に料理たちを乗せると厨房から運び出す。ひとりでは運び出せなかったが、持ちきれないぶんはのぞみが運ぶ。石川大佐はおいしく食べてくれるだろうか。そんな期待に胸を膨らませながら。

 



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「大惨事お料理大戦」後編

 扶桑皇国の強襲揚陸艦加賀で開催された203空「ゴールデンカイトウィッチーズ」によるお料理大会は、紆余曲折を経つつも佳境に向かいつつあった。

 

 目の前に差し出された銀色のトレーを見て、団司令の石川大佐は唸る。

 

「ほう、和食か」

 

「大村家式和食術です! ほうれん草のおひたしにきゅうりと長芋の梅肉和え、茶碗蒸し、白米にシイラの照り焼きです!」

 

「しいら?」

 

 聞いたことのない魚の名前が飛び出てきて、きょとんとひとみは首を傾げる。なんだか見たことのない白身だなとは思っていたけれど、きっと鱈かなにかだろうと思っていたのだ。

 

「えっ、米川はシイラ知らないの? 死んだ方がいいんじゃない?」

 

「そこまで知らないといけないお魚なんですか!?」

 

 ひとみの人生において聞いたことのない名前の魚だったからなんとなく聞いただけなのだが、のぞみからは想定していた以上に激しい言葉が返ってきた。

 

「シイラは南国の魚よ。淡白で脂質が少ないヘルシーな味で、クセがないからけっこういろんな料理に応用がきくの。だから照り焼きにしてみた。ちなみにさっきかまぼこにするために、米川に作ってもらってた魚のすり身もシイラ」

 

「へえー……ちなみに扶桑では?」

 

「南扶桑の方で食べられるかな」

 

「私が北海道の出身だって先輩は知ってます?」

 

 どう考えたって北海道は南扶桑に属するとは思えない。子供の頃から慣れ親しんできた魚はにしんとかそういうものだ。シイラなんて食べたことは一度たりともない。

 

「落ち着け。とにかく次の審査員は俺なんだろう? なら冷めないうちにいただくぞ」

 

 石川大佐が箸を手にとって噂のシイラの照り焼きの身をむしる。そして慎重にむしった身を咀嚼した。無表情のまま、ひとみが作ったきゅうりと長芋の梅肉合えに箸を伸ばす。

 

 果たしておいしくできているのだろうか。もし自分の作ったものが石川大佐の舌にあわなかったらと思うと不安だ。

 

 結局、表情を石川大佐が変えることはなく、そのままほうれん草のおひたしから茶碗蒸し、そしてもう再び照り焼きからの白米という順番で食べていく。

 

「どう、でしょうか……」

 

 まったく感想を言わずに黙々と食べ続ける石川大佐にいい加減、不安を押し殺せなくなってきたひとみがおそるおそる訊ねる。

 

「懐かしい味だ」

 

 目を細めながら石川大佐が囁くようにそっと言った。のぞみがこぶしをぐっと握ってガッツポーズ。

 

「素朴で丁寧な飯だ。下手な感想しか出せんが、うまい」

 

 すっと目を細めて石川大佐が呟く。その口角はわずかにあがって、微笑みらしきものを形作っていた。

 

 珍しいな、とひとみは思いながらこっそりと石川大佐の表情を覗き見る。あまり笑うイメージがなかったから正直、意外だった。でも石川大佐だって人間なのだ。笑わない、なんてことがないわけじゃない。

 

 それ以降は石川大佐が口を開くのは食事を運ぶためであって話すためではなかった。ただ沈黙したままに、目の前のいわゆる照り焼き定食を胃へと収めていく。

 

「気の利いたことは言えんが、うまかった」

 

「いえ、作る側の人間はその一言だけで嬉しいものですから」

 

 のぞみがはにかみつつも応じる。うまい、という短い言葉だけで嬉しいというのぞみの言葉は身をもって実感できる。事実、ひとみも踊りだしそうなくらい石川大佐のうまいという感想が嬉しかった。

 

「さーってと、最後はティティとレクシーペアだけど」

 

「もうできてるわよ」

 

「ええっ!?」

 

 レクシーが食堂のドアを開けながらさらっと言った。まったく想定していなかったらしいティティが驚愕に声をあげる。

 

「いつの間に作ったんですか?」

 

「購買で買ってきたハンバーガーだけど」

 

「それ作ってないじゃないですか……」

 

「せ、せめてちょっとくらいは参加しましょうよ!」

 

 諦めないティティはレクシーに縋りつく。このままだとティティ・レクシー組は家事が壊滅的だから買ってきたと思われかねない危機感をティティは抱いていた。

 

「だって面倒じゃない。購買のパンズとフライドチキンを挟んでおけばチキンバーガーでしょ」

 

「そ、そんなのダメですっ! せめて中に挟むパティくらいは作りましょう?」

 

「ぱてぃ?」

 

 怪訝な表情でレクシーが聞き返す。必死なティティとしてはそこに食らいつくほかない。なんとしてでも家事もできない酔いどれ暴走魔の悪名だけは避けなければいけないのだ。

 

「ハンバーグのことです。ね、作りませんか? 私もがんばりますから!」

 

「……少しだけよ」

 

「はいっ」

 

 傍から見ているひとみはティティが胸を撫で下ろしている姿をこっそりと見ていた。なにか援護をしてあげるべきだったのかもしれないけれど、レクシーに部外者は黙ってなさいと怒鳴られる未来しか見えなかった。

 

「あ、ちょっとティティ、いい?」

 

「はい?」

 

 ちょいちょい、とのぞみがティティを手招き。安心した矢先になんだろうと不安さと不思議さを抱えつつティティが近づいた。近づいたティティにのぞみが耳打ちする。

 

「えっとだね……」

 

「はい、はい、はい……ふふっ。はい、わかりました!」

 

 おそるおそるだったティティの面持ちが次第に明るいものへ。最後にはいつもおどおどしているティティが、滅多に見せない嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 

「ティティ? さっさとしなさいよ」

 

「わかりました。すぐに行きますね」

 

 急いでティティがレクシーを追いかける。もうなにをそうするべきかティティの頭には完成図ができあがっていた。

 

「で、悪いけど私は料理なんてできないわよ」

 

「とりあえずハンバーグを作りませんか。そんなに難しいものでもないですし」

 

 そう言いつつ、ティティが手早く玉ねぎをみじん切りにすると、ボウルに牛ひき肉と牛乳、パン粉に塩コショウとナツメグにオールスパイスを加えた。

 

「これをこねてもらえますか?」

 

「わかったわよ……うわ、べとべとする。気持ち悪っ」

 

 ぶつくさと文句を言うレクシーをはらはらしながら見張りつつ、ティティがケチャップを基調としたバーベキューソース作りに取りかかる。手際がいいとは決して言えず、いつボウルを引っくり返すかわかったものではない危うげなレクシーの手つきは目が離せない。

 

 ソースを作ったあとは、レタスやトマト、チーズなど挟むものを用意。フライドポテトをつけるのがリベリオン流と聞いたことがあるので、くし切りのじゃがいもを準備しながら揚げ物用の油を温める。

 

「こんなんでいいでしょ」

 

「えっと……だめですよ! ぜんぜんきれいに混ざっていないじゃないですか!」

 

「適当でいいのよ」

 

「作るときは食べる人のことを考えて、おいしくなれって思いながら作るものなんですよ! アレックスさん、ちゃんと相手のことを考えましたか!」

 

 ぐいぐい、とティティが押すとレクシーがたじろぐ。今までにティティがここまで強く出たことがあっただろうか。少なくともレクシーの中で思いつくのは酔っている時だけだ。

 

「ちゃんとやりましょう。ご飯を作るんです。せっかくなんだからおいしく作りたいじゃないですか!」

 

「えぇ……」

 

 どうしてそこまで必死なのよ、とレクシーが引き気味で訝しげに訊ねる。ティティの肩がびくっと跳ねた。びくびくと震える手でじゃがいもをティティが鍋に油が跳ねないように気をつけながら投入していく。

 

「はあ……わかっているわよ。やりゃあいいんでしょ」

 

 フライドポテト作りに勤しむティティの背中に乱暴なレクシーの言葉が投げかけられた。直後にレクシーがハンバーグの肉ダネと格闘を始めたらしい音。

 

「ったく、なんで私がこんなことを……」

 

 ぶちぶちと文句は言うらしい。でもなんだかんだとやってくれるようだし、よかったとティティは胸を撫で下ろした。

 

 芋類は揚げるために必要とする時間が長いため、待つ時間が長い。なのでレクシーがハンバーガーのパティを焼くためにフライパンと油を用意しておく。レクシーは料理ができるとティティは聞いたことがないし、さっき肉ダネを混ぜる手つきで未経験、ないしは素人だと当たりはついた。だからレクシーがやることは最低限。けれど、できるかぎり「私が作った」とレクシーに思わせるようにしなくてはいけない。

 

「大変なことをお願いされちゃったなぁ……」

 

「ティティ、なにか言った?」

 

「い、いえ! な、なんでもないです!」

 

 あはは、と笑って誤魔化す。レクシーが違和感を全開にして怪しげな視線を注いでくるので、ティティはなんとか目を逸らして来るかもしれない追及からの逃避を謀った。

 

 レクシーはいまいち納得できていないようだが、とりあえずは肉ダネをきれいに混ぜることにしたようだ。

 

「ほら、こんなんでいい?」

 

「ええっと……はい、これなら大丈夫です。そしたら形を整えましょう」

 

「そんなに詳しいならティティ、あんたがやりなさいよ」

 

「それだと私のお料理になっちゃいます。それじゃあダメなんです!」

 

 そう、とにかくダメなのだ。今から作る料理はティティのものではなくてレクシーのものにならなければいけない。なのにティティがほとんど作ってしまうようでは、とてもじゃないがレクシーの料理とは言えない。

 

「試しに私がやって見せますから、真似してやってください」

 

「ならあんたがやりなさいって……」

 

 さすがに繰り返し言ってもティティが聞く耳をもたない様子にレクシーも諦めたのか、大人しくティティが肉ダネを整形していく手つきを観察する。

 

 ハンバーグを作る要領と同じように両手の平で肉ダネをぺったん、ぽったんと叩き付け合う。混ぜる過程で空気が肉ダネに混ざってしまうので、その空気を抜かなくてはいけないのだ。これをしないと、焼くときに空気が熱膨張を起こして膨らみ、ハンバーグはひび割れててしまう。そしてひび割れは中に閉じ込めるべき肉汁が逃げ出す経路(みち)となる。

 

 なので空気抜きは丁寧に。きちんと空気抜きをしないだけで、完成されるもののクオリティは格段に違ってくる。

 

「こんな感じです」

 

「なによ、簡単そうじゃない」

 

 そう、横から見ているだけならば割と簡単そうに見える。加えてちょっと面白そうにも見えてしまうのだ。しかし。しかし、だ。残念ながらそう容易いものではない。

 

「えっ。ち、ちょっと! なに崩れかけてるのよ!」

 

「そんなに強く叩きつけたら形が崩れちゃいますよ」

 

「そういうことはっ……先に、言いなさいよっ!」

 

 言葉も切れ切れになっているのは苦戦している証拠だろうか。まあ、レクシーが苦戦を強いられていたとしてもティティは声援を送ることくらいしかできないのだが。

 

「こんな、もんで……いいわよね?」

 

「大丈夫だと思います。あとは軽く中央を窪ませれば」

 

 多少、形が不恰好だったりはするものの、大まかにはできていた。あとは仕上げの焼きだけと判断して、ティティはOKを出す。

 

「じゃあ、焼いていくんですけど、まずフライパンを温めてください」

 

「? ティティ、あんたがやればいいじゃない。こう、固有魔法でさくっと」

 

「そんなことしたらフライパンがぐにゃぐにゃになっちゃいますっ! 私の魔法は便利なカイロじゃないんですっ!」

 

 ふーん、と気のない相槌を打ちながらレクシーがコンロに油をしいたフライパンを乗せて火にかける。固有魔法を使え、なんて言われて不安を覚えていたティティは中火ですよと釘をしっかり先に刺しておいた。

 

「まずは窪ませた面を下にしてください」

 

「時間は?」

 

「私が見てタイミングになったら合図しますから」

 

「わかった」

 

 レクシーの目がキッとつり上がり、フライパンの一点を凝視する。ようやく本気になってくれた、とそのたわわな胸を撫で下ろしながらティティも頭を切り替えた。

 

 アレックスさんが真剣にやってくれるのなら、私がミスするわけにはいきませんから。

 

 じっと観察。時間経過はあくまで大まかな目安だ。あまり信用を置きすぎると焼けすぎたり、半生だったりしかねない。

 

 下側からゆっくりと肉に火が通って色が変わっていく。ハンバーグの半分より少し下くらいまで色が変わってきた。

 

「今です! 引っくり返してください!」

 

「了解!」

 

 すばやくレクシーがフライ返しを肉の下部に差し込んで引っくり返す。きちんと油はティティの手によって引いてあるのでつっかえることもなく、するりとハンバーグは返され、ほどよい焦げ目が顔を覗かせる。

 

「次は?」

 

「蒸し焼きにします! 水を入れたらすぐに蓋をしてください!」

 

「水は?」

 

「計量しておきました! 回すように入れてください!」

 

「よし!」

 

 ひったくるようにレクシーがティティの手から水を受け取ると、手首を回して水を注ぎいれると空いていた左手でティティが傍に置いておいた蓋を取ってすばやく閉める。

 

「蓋を開けるタイミングも任せるわよ、ティティ」

 

「はい! 大丈夫ですっ!」

 

 水が急に熱されて蒸発していく音。ティティは目を閉じて耳をそっと澄ました。蒸発して注いだ水が減少していくと徐々に、しかし確実に音が変わっていく。蓋がフライパンの中で密閉された水蒸気によって曇った。

 

 目はあてにならない。最初からわかっていたから、ティティは目をつぶった。見えないのなら見る必要性なんてない。信じるのは己の聴覚のみ。

 

 音が変わった。だが焦ってはいけない。まだ注いだ水が蒸発しただけ。これで蓋を開けるのは早計だ。蒸し焼き、と銘打ったからには蒸し上げなくてはいけない。

 

「まだ?」

 

「はい」

 

 時間が短すぎては生焼けになる。今は我慢の時だ。

 

「まだなの?」

 

「はい」

 

 もどかしくとも待つ。ただ、細心の注意を払って耳を傾けて待ち続ける。

 

「まだなの、ティティ!」

 

「今です!」

 

 蓋をレクシーが淀みやためらいなど微塵も感じていない速度で蓋を開ける。行き場もなくフライパンの内部に閉じこまれていた蒸気が一気に解放される。レクシーはすんでのところで顔を背けて蒸気の直撃を避けた。

 

「引っくり返して強火です!」

 

「任せなさい!」

 

 一度やって慣れたのか、さっきよりも手早くレクシーはハンバーグの下へフライ返しを滑り込ませると、くるりと返した。

 

「強火です! ちょっと焼いたらすぐにあげてください!」

 

 指示だけきっちり残すと、ティティはレクシーが買ってきたパンズにレタスを乗せる。そして大急ぎでレクシーの元へ。フライ返しにハンバーグを乗せたままに、どうしようかと困惑しているレクシーがティティの意図に気づいた。流れるようにハンバーグをレタスの上へと滑らせる。

 

 あとはティティ特製ケチャップベースのバーベキューソースをかけてからトマト、スライスチーズの順に乗せたら胡麻のついているパンズで挟み込むと、竹串で貫いた。あとは塩をふったフライドポテトが盛られた皿にえいやっと移す。

 

「これで完成です!」

 

「まだよ」

 

「ふぇっ!?」

 

 完成の宣言を満足感と共にした瞬間、レクシーに割り込まれて素っ頓狂な声がティティの口から漏れた。

 

「まだリベリオン魂が足りない」

 

「り、リベリオン魂?」

 

 これ以上に何か加えたらせっかく整えた味が、とティティは不安に駆られる。そんな不安をティティが覚えているとは露知らず、レクシーは冷蔵庫をごぞごぞと漁ってどん、と何か黒い液体が入っているボトルを置いた。

 

「あの、アレックスさん。これは何でしょうか……?」

 

「なにって……コーラだけど。ハンバーガーと言ったらコーラでしょ?」

 

「はぁ……」

 

 きょとん、とティティが首を傾げる。レクシー曰く、ハンバーガーと言ったらコーラ在りとのこと。しかしそれがどうリベリオン魂に繋がるのかティティにはさっぱりわからない。

 

 まあ、せっかく作ったハンバーガーに余計なものを加えられたりしなかったのでよしとしよう、と無理やりティティは納得することにした。

 

「持って行きましょう。冷めちゃいますよ」

 

「そうね。これだけやったんだから一位はいただきよ!」

 

 ノリノリでレクシーが皿を持ち上げる。厨房から出て行くレクシーの後姿をティティは見ながら食堂へ。

 

「終わったー?」

 

「ふふん、完成よ。これがリベリオンだ、とくと見よ扶桑人!」

 

「あー、悪いけど審査員は扶桑出身じゃないわよ」

 

「はぁ? じゃあどこのどいつよ?」

 

 誇らしげに言った矢先に出鼻を挫かれたレクシーが不機嫌さを露わにする。椅子にもたれかかっていたのぞみが跳ねるようにして立ち上がると、にやっと笑った。

 

「それでは審査員の方に来ていただきましょう! アレクシア・ブラシウ少尉専属の整備員、ルーカス・ノーラン軍曹くんであります!」

 

「えあちょまっ……」

 

 おそらく「えっ? あっ、ちょっと待って」とでも言おうとしたのだろう。だが驚愕ゆえかレクシーの舌はもつれて回らず、結果として意味のなさない不明言語を発する。

 

 舌がもつれても仕方がないというものだろう。本当にレクシーの機付き整備員(ボーイフレンド)であるルーカスが士官食堂に来たのだから。

 

「やぁ、レクシー」

 

「な、なんでここにいるのよ、ルーク!」

 

 必死に冷静を装おうとしているが、声は上ずっているわどもっているわでまったくもって隠しきれていない。周囲も見えていないのか、声を押し殺して爆笑しているのぞみに気づいてすらいない。

 

「レクシーの手料理を食べるために来て欲しいって言われたからだけれど」

 

「誰に!」

 

「ヒ……ヨネカワ少尉に」

 

 ひとみ、と下の名前を呼びかけて以前にレクシーの機嫌がとてつもなく悪くなったことを思い出したルーカスは急いで取り繕う。だが余裕のないレクシーは気がついていないのか咎めなかった。

 

「待ちなさい。手料理? 私は作るつもりなんて……」

 

 そもそもレクシーは手を抜くつもりしかなかった。事実、厨房に入ってからも始めのころはろくにやろうともしなかった。

 

 そんなやる気マイナスのレクシーをひとみは厨房にいなくなるまで見ていた。なのにレクシーの手料理が食べれる、なんてどうして保証できるだろうか。

 

 本気でやらざるをえなくなったのはあのティティが必死になってレクシーに訴えかけたからであって……。

 

 訴え、かけたから……。

 

「ティティぃぃぃぃぃぃ! あのデカチチ嵌めやがったわね! っていない!」

 

 というか気づけばのぞみを除いて食堂にはレクシーとルーカスだけになっている。お料理大会はどこへいったと文句をつけてやるつもりでのぞみをきっと睨む。

 

「お料理大会は別室で継続中。ささ、あとはお若いふたりでごゆっくりー」

 

「ちょっと! 待ちなさい!」

 

 なぜか後ろ歩きでそそくさと退場しようとしていくのぞみを止めようとしたがもう遅い。するりと蛇のように食堂の扉の隙間から抜け出ていき、無慈悲に扉は閉められた。

 

「……あとで全員、締め上げてやる」

 

 恨めしげにレクシーが扉に吐き捨てる。そんなこといわれましても、と扉は黙っているのみ。

 

「レクシー、これはいただいてもいいのかい?」

 

「何をよ!」

 

「何って、このハンバーガーだよ。レクシーが作ってくれた」

 

「た、食べるの?」

 

 まさかルーカスが最後の審査員だとは微塵も想像していなかったレクシーは今さらながらに後悔した。これなら多少強引にでもティティにやらせた方がよかった、と。

 

 ティティが作ったほうがずっと上手く作れる。下手な手出しをしないほうがよかったに決まっているのだ。

 

「せっかくレクシーが作ってくれたんだ。食べるよ。もうひとつあるみたいだし、ふたりでランチにしないか?」

 

 ティティが形を整えたハンバーグを挟んだハンバーガーの皿を指差しながらルーカスが提案する。普段なら渡りに船と思って適当に文句をいいつつも、歓迎するところだが、今日は事情が違う。なにせレクシーにはほとんど料理経験がないのだ。味に自信があるわけがない。

 

 でも、この機会を逃してしまったら次にルーカスと一緒にふたりきりでご飯を食べることなんでいつになるのかわかったものではない。

 

「いただきます」

 

「ちょっと!?」

 

 不恰好だし、そもそも私は料理なんてしたことないから止めなさい、と制止の言葉をかけようとしたがうまい台詞が浮かぶ前にルーカスはハンバーガーに齧り付いた。

 

「ん、うまい!」

 

「えっ?」

 

「うまいよ、レクシー」

 

「そんな……」

 

 半信半疑でレクシーもハンバーガーをかじってみる。途端に口へ広がるあつあつの肉汁と、豪快な肉の味。ティティ特製のバーベキューソースに混ぜられたマスタードがぴりっと利いて脂っこさを打ち消す。さらにしゃきっとしたレタスに甘みのあるトマトが弾け、それらのとろりとハンバーグの熱で溶けたチーズが包み込む。

 

「おいしい……」

 

「ありがとう、レクシー」

 

「ふ、ふん! せいぜい私に感謝することね!」

 

 そんな大口を叩いてしまってから後悔。これが自分だけの力でないことはレクシーはよくわかっている。ティティが材料を計ったり、焼き時間を教えてくれたりという縁の下的なアシストがあったからこそだ。

 

「また作ってくれるかい?」

 

 だからこれほど答えに困窮する要求をされると言葉に詰まる。ああ、認めよう。私はルークにご飯を作ってあげたい。だが今回はティティの手助けがあったから成功したようなもので、私だけの料理スキルの熟練度は壊滅的だ、と。

 

「私の料理は高いわよ?」

 

「じゃあ、なにかお返しを考えなくちゃな」

 

 ……やって、しまった。

 

 フライドポテトをもぐもぐと頬張ってルーカスに誤魔化しながら内心でレクシーは沈んでいた。どうしてこう、意地というか格好をつけたくなってしまうのだろう。

 

「ま、いつかね」

 

 そのいつか、はいつ来るんだろう。正直、あまり自信がないのでどうしたものだろうかと思う。ティティあたりにまた手伝ってもらうべきかと考えながらコーラをぐいと傾けると炭酸が舌を弾いた。絡みつくように炭酸の気泡がのどに残る。

 

「それにしても本当にうまいな」

 

 夢中になってハンバーガーを食べていくルーカスを見てこっそりとレクシーは誓う。ちゃんと料理はできるようになろう、と。彼の満足した表情はわりといいものだった。

 

「ま、たまにはいいでしょ」

 

「レクシー? 何か言ったかい?」

 

「なんでもないわよっ。ふふっ」

 

 203のメンバーはここにいないのだ。だからちょっとくらい素直になったって見ているのはルーカスだけ。それ以外は誰も見ない。

 

 いつか、ちゃんと私だけで作れるようにならないとね。そう、胸にしっかりとレクシーは書き留めた。

 

 

 

 

 

「あ、アレックスさんがあんなに混じり気のない笑顔を……」

 

「レクシーも意外に乙女じゃない」

 

 液晶ごしのレクシーを見てティティが別室で戦慄する。その隣でニマニマとのぞみが愉しそうに笑った。

 

 ルーカスとレクシーをふたりで置いてどうなるか見張るためという名の鑑賞会が別室では開かれていた。ちなみにリアルタイム映像の提供はどこぞのオラーシャウィッチであるということだけは述べておく。なお個人情報の観点からその実名は伏せるものとする。

 

「おふたりとも楽しそうですね!」

 

「仲、いい……」

 

「いいですねえ、こういうのって」

 

 ひとみ、コーニャ、ルクサーナもだいたいが同じような反応だ。いや、約一名だけ映像に介入してスクリーンショットを保存しているウィッチがいたが。ちなみにこの保存しているウィッチの名前も禁則事項により明かせないのだが、電子操作のオタク中尉であるとだけ言っておく。

 

「けっ。よそ様のいちゃいちゃなんて見てなにが楽しいんでいやがりますか」

 

 そして我が子が旅をする姿を見守るかのように盗み見ている一団から外れた場所で夢華が興味なさそうに残っている料理にがっついているのであった。

 

 

 

 ちなみに後日、レクシーに「私に料理を教えろ!」と迫られ追い掛け回されるティティと、それを微笑ましい気持ちで見守るひとみの姿が目撃されたり、某中尉が裏でルーカスにレクシーがハンバーガーをちょっと笑いながら頬張る写真を売り捌いたという噂が立ったりした。

 






ここまでお読み頂きありがとうございます。帝都造営です。

シナリオは混迷を極め、そもそもタイトルが読めないと散々フォロワーさんに言われた第三章ウルディスタン編。そして闇が深くなってしまったインターバル「ペルシアの自由作戦」編。お気に入りが減るのではないかと戦々恐々しながら小説情報を覗く日々でした。

思えば連載開始から一年半。企画開始からはもう二年。文字数は六十五万字。思えば遠くまで来たものです。
作中世界でも遠くまで来ましたね。もう1万キロは移動してるはず。にもかかわらずまだ道半ばとか……。


そういうわけで恐らく百万の大台を叩きそうな匂いのする今作品ですが、またしても暫くお休みになりそうです。

私とオーバドライヴ先生は夏コミの原稿がありますので……。(本当にごめんなさい)
ひとまず、七月中旬ないしは八月上旬の連載開始を目指しておりますので、どうかゆるりとお待ちください!

ではまた、次の空で!


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