君の名は。~After Story~ (水無月さつき)
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君の名前は……
君の名は―――


朝、目が覚めるとなぜか泣いている、こういうことが私には、時々ある。

そして見ていたはずの夢は思い出せない。ただ、とても大切な何かを思い出そうとするかのように、私はじっと右手を見る。けれどもそこには何もない。

 

―――もう少しだけでいい

 

俺はベットから降りて顔を洗う。鏡に写る俺は、何かものいいたげな顔をして俺を睨んでいる。ただ、俺にはそれが―――わからない。

 

―――あと少しだけでいい

 

私はいつもの様に燈色の組紐で髪を結い、春物のスーツに身を包む。

住み慣れたアパートのドアを開け、止めどなく流れ行く東京の街を足早に歩く。溢れんばかりの人だかりに押されながら、満員電車に私は乗る。

 

―――もう少しだけでいいから

 

電車に揺られながら、東京の街を眺める。人、車、電車、飛行機……

この千万にも及ぶ人に溢れる東京で、ずっと

 

だれかひとりを、ひとりだけを、探している―――

 

ふと、電車が交錯する。一日千本もの電車が流れる東京で、その中のたった二つ。

 

君だ―――

 

殆ど反射的に、俺はそう思う。ほんの薄い壁を二枚隔てたその先で彼女はまっすぐ俺を見ている。会ったことないはずなのに、彼女だとはっきりわかる。俺が探していたのは彼女だって、そう確信できる。そうして、俺はようやく自分の願いに気づく。

 

手を伸ばせば届きそうな場所に、彼がいる。私が探していた彼がいる。ずっと探してきた、名前も知らない彼が確かにそこに立っている。そうして私はずっと抱いてきた願いを知る。

 

―――もう少しだけ、一緒にいたい

 

気が付くと、俺は電車から駆け出している。人ごみを抜け、細い路地を行き、心の惹かれるまま道を進む。彼女も同じ気持ちだということを、露程も疑っていない。俺と彼女は必ずまた出逢える。会ったことなんてない。名前も知らない。けれども、この気持ちは嘘じゃない。俺はもう少しでいいから、彼女と一緒にいたいと、そう願う。

 

私は坂道を駆けながら必死で彼の姿を探す。彼のことは覚えていない。会ったこともないのかもしれないけれども、私の心が彼に遭えってそう叫んでいる。そうして導かれるようにして階段へ、私はやってくる。眼下には、確かに彼がそこにいる。

 

逸る気持ちを抑えて、俺はゆっくりと階段を登る。彼女が階段の上にいるのを感じるのに、その姿を直視できない。

 

私はゆっくりと階段を下る。一歩、また一歩と降りる歩調に合わせて、私の心臓がとくんとくんと音を立てる。彼の姿を目前に捉えて、私は思わず目を伏せる。

 

ふと、俺の勘違いじゃないのかと悪い予感が頭を過る。

 

嫌な感覚が私の頭でぐるぐると渦をまく。

そうして、私たちはそのまますれ違う。一歩、また一歩と彼との距離が離れていき、あれだけ強く感じていた心臓の鼓動が、押し潰されそうにすーっと弱くなっていく。

 

あれだけ強く抱いた想いが離れていくのを感じて、俺は思う。こんなのは絶対間違っていると、殆ど確信をもってそう思う。そうしてふと思い出す。それはいつの日か消えてしまいそうな美しい景色の中で、どんな運命にも足掻いて見せると、神様に喧嘩を売った強い記憶。その内容はどうしても思い出せないけれど、どんな理不尽にも立ち向かってみせると、俺は確かにそう決めた。

 

だから、私は振り返る。彼もきっと同じ気持ちな筈だと自信を持って振り返る。そうして確かに君はいる。その力強い瞳で私を見ている。私の髪を結んでいる夕陽みたいに鮮やかな組紐がざわざわと風に揺れる。私は思わず髪を抑え、ふと懐かしい言葉を思い出す。

 

ムスビ―――

 

俺はこの言葉を何処で知ったのだろうか。よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながる。俺と君はきっと組紐のよう。そんな確信めいた想いに俺は取り憑かれている。

 

思わず私の目から涙が溢れる。けれど、それは決して悲しいからじゃない。嬉しくて、涙が溢れて止まらない。見上げると、君もちょっぴり泣いていて、その姿に思わず笑みがこぼれる。

 

俺は大きく息を吸う。初めて言う言葉はもう決まっている。

私は胸いっぱいに息を吸う。初めて交わす言葉はこれしかないとそう思う。

 

やがて()たちは同時に口を開く。

 

―――君の、名前は、と。

 

―――

 

立花瀧くん……瀧くん……か。

 

この名前を噛み締める様に、心の中で反芻していた。不思議だ。この名前を思う度に、心の奥がぐっと熱くなって、今迄ぽっかりと空いていた感情をすっと満たしてくれる。

 

瀧くん……瀧くん……瀧くん……

 

私達は互いに名乗り合った後、結局殆ど会話をしなかった。仕事の時間も迫っていたし、話したいことが多過ぎて、何から話せばいいのか分からなかった。けれども、今はそれで十分だった。君に出逢えた、そのちっぽけな幸せに私は十分に満足していた。

 

だけど……うーん、これはちょっと不味いかも……

 

折角仕事に行ったのに、全く身が入らない。気がつくと彼のことを考えている自分がいる。

 

背丈は私よりも一回り大きいくらい。顔立ちは控えめに見ても良く整っていて、見るものを包み込んでくれそうな優しい深みを持ったその瞳に思わずのみ込まれそうになる。それに、私の大好きなハリネズミみたいな髪型をしていて、何処となくとても可愛らしかった。

 

……だめだめ私。気を切り替えなきゃ。

 

正直、私は公私の区別はきっちりつけることが出来るしっかりした人間だと思っていた。そういう風に今まで生きて来たし、これから歳を重ねて、恋をして、或いは結婚しても、公私の区別はつけられる自信があった。

 

しかし、現実は易々とそう思い通りにはならないのものだと、私は痛感させられる。会社についてしばらく経つのに、胸の高鳴りが抑えられない。こんなにも恋に飢えていたのかと、君を思うとこんなにも弱くなるのかと、私は身をもって体感してその脆さに思わず身が震える。

 

「立花……瀧くん……」

 

周りに聞こえないように口の中で声に出してみる。私の中にその言葉がすっとしみ込んで、何かあたたかい気持ちが私を包み込んでいく。やっぱり不思議だ。遭ったこともない君にこうも惹かれるのは一体どうしてなのだろうか。

 

私は殆ど無意識に、自分の髪を結ぶオレンジ色の組紐をそっと触る。組紐は、人と時間と場所とものを繋ぐ神聖なもの。

 

この組紐を使って髪を結うようになったのはいつ頃だっただろう。もう長年使っているから、ところどころ解れたり色褪せたりしている。妹の四葉は、いい加減替えたらいいのに、なんて言うけれど、なぜだか私はこれを手放す気にはならなかった。せつない気持ちになった朝、鏡を見てこの組紐で髪を結うと、少しだけ寂しさがまぎれる気がしたから。

 

ひょっとしたら、私たち、遠い昔にあってるのかな?

それとも、遠い遠い前世の記憶?

 

私はオカルトとかをそれほど信じないタイプだけれど、実際にこんな経験を味わってしまった以上、少し考えざるを得ない。

 

だけど、どうしてだろう、この出逢いを運命と呼ぶのは、少し違う気がした。この出逢いは、私たちが手繰り寄せたもの。偶然なんかじゃ決して無く、いわば必然と呼べる、そんな出逢い。

 

私は、私たちはずっと、まだ知らない誰かを探してた。

 

だから、もし今回出逢えなくても、きっと何処かで出逢っていた。もし私がお婆ちゃんになって、顔が皺くちゃになっていても、私たちはきっと分かる。分かり合える。そんな確信が私にはあった。

 

だからこの出逢いは運命じゃない。この出逢いは必然だ。

 

「瀧くん」

 

私は何度も名前を呼ぶ。まるでこの名前を忘れたくなくて、胸に刻み込もうとするかのごとく、何度も何度も名前を呼ぶ。その度に体の内側が温かくなる。

 

「……さん。ちょっと、宮水さん! 聞いてる?」

 

その瞬間、私は夢から覚めたみたいにはっとなる。気がつくと、会社の同僚が心配そうな顔をして私をしきりに呼んでいた。

 

「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてて」

 

「宮水さん、今日ちょっとおかしいよ? 熱でもあるんじゃない?」

 

「あはは……ごめんごめん。私はこの通り、ピンピンしてるから安心して。それで、どうしたの?」

 

「そう、なら良いんだけど。それでね、これなんだけど……」

 

私は、その同僚の話を聞きながら、心の中でもう一度だけ、名前を呼ぶ。

 

立花……瀧くん……

 

―――

 

宮水さん? それとも三葉さん?

 

熟成されたワインを舌で転がすかのように、彼女の名前の響きを俺は味わう。俺としては、宮水さんと呼ぶよりは三葉さんと呼ぶ方がしっくりとくる気がする。しかし、それでもどこか違う気がする。そうして、俺は思わず首を捻る。

 

俺は一体何を求めているのだろう。

彼女とは今日会ったばかりのはずで、彼女の名前を知ったのはつい先程のことだ。それなのに、この名前は酷く懐かしい。

 

第一印象は、素直に綺麗な人だと思った。とても大人びていて、さり気ない仕草一つ一つに異性としての魅力を感じた。雪のように白い肌、流れるように風になびく黒の長髮。艶めかしいとまでは言えないものの、スーツを卒なく着こなすその魅惑的な身体つき。

 

しかし、俺が彼女に惹かれるのは、そういった外見的特徴からでは無かった。いや、その姿に惹かれていないのかと言えば、それは嘘になる。しかし、俺が彼女にこうまで心を奪われるのは、そんな単純な理由では無いと、確信を持ってそう言える。

 

が、それなら一体何に惹かれたのかと聞かれると、それはそれで答えに詰まってしまう。俺が忘れてしまっただけで、彼女に会ったことがあるのだろうか。一度でも会ったことがあるならば、絶対に忘れたりしないと思うんだけどなぁ。

 

そんな事を職場で悶々としながら考えていたのだが、

 

「立花くん? 手が止まっているよ。遅れた分はしっかり取り戻して貰わないと……」

 

宮水さんのことを考えるあまり手が止まっていた俺に対して、課長がやんわりと苦言を呈す。

 

「あ、はい。申し訳ありません」

 

スーツが似合わないなどと友人たちに散々コケにされながら、苦労の末、やっとありついたこの仕事。今は覚えることが一杯で、未だに慣れていないのも相まって、仕事をこなすのがやっとな状態だ。考えごとが出来る余裕なんて何処にも無かった。

 

よし、今は一先ず目の前の仕事に集中しよう。

宮水……三葉……

大丈夫。彼女のその名前を、その姿を、そしてその笑顔を、俺は確かに覚えている。この我慢のひと時ですら、今の俺には糧となる。彼女との出逢いはそれ程までに俺に大きな変化を与えた。

 

俺は深呼吸をしてこの大き過ぎる雑念を振り払い、書類の山との格闘を始めるのであった。

 

―――

 

「それでねー、テッシーったら、お前が痩せるんはどだい無理な話や、なーんて言うんやさ。酷いと思わへん?」

 

「なにそれー。女の敵なんよー。許すまじテッシー」

 

昼休みになり、私は兼ねてからの親友であるサヤちんこと名取早耶香と、電話で女子トークに花を咲かせていた。と言うのも、同じく親友であるテッシーこと勅使河原克彦と彼女の結婚式があと二ヶ月というところまで迫り、その式に関して彼女から色々と相談を受けているのだ。私の働く会社はブライダルプランニングにも携わっており、その関係上、色々と情報を入手しやすいのである。

 

サヤちんとテッシーは私にとって、何者にも変えがたい大切な友人だ。その二人が結ばれるなんて、親友としてこれ程喜ばしいことはない。私は出来うる限り力になりたいと思い、あれこれと相談に乗ってきた。

 

が、式まで残り二ヶ月に迫り、(おおよ)その計画が定まった今となっては、最早改めて決めることもない。そんな訳で交わされる会話は相談とは名ばかりで、ただの雑談である。

 

「そう言えば、三葉。なんか今日はいつもより気分が良さげやね? いつも昼休みには、つかれた〜、なんて愚痴りよるんに今日は一度も聞いとらんのよ」

 

さやちんの鋭い感性に、私は内心舌を巻いていた。実際、今日は気分が良くて仕方がなかった。正直、今朝から彼の話を誰かに聞いて欲しいという欲求に囚われており、止めどなく溢れるこの思いを話したくてしょうがなかった。

 

「えー、やっぱり分かっちゃう? 実はね、実はね、今朝、すごくいいことがあったんよ!」

 

私は今朝の出来事を捲し立てるように話す。朝起きてから彼と別れるまでの話を順を追って振り返る。この話を初めて聞いたサヤちんはと言うと、極めて半信半疑な様子で要所要所に、えー、だとか、うそー、だとかいうような懐疑的な相槌を打っていた。

 

「分かっとるんよ、信じられんのは。私自身、何でこんなことになっとるんか上手く説明できんのよ。だけど、心の奥底から湧いてくるこの思いは間違い無く本物なんよ」

 

私は真剣な口調でサヤちんに語る。我ながら小恥ずかしいことを言っているのは十分に承知している。しかし、私は溢れ出るこの思いを止めることが出来なかった。それ程までに、私はこの出遭いに衝撃を受けたのだ。そう、それは例えるならば、彗星が落ちたようだった。

 

「そっか」

 

私の話を聞き終わり、サヤちんが初めに発した言葉がこれだった。受話器越しからでも分かるトーンの変わりように、私はしまったと思う。ちょっと熱くなりすぎた。幾ら相手がサヤちんとは言えども、これじゃあ引かれたって文句は言えない。しかし、私はすぐにその考えが杞憂だったと気づかされる。

 

「三葉、おめでとう。良かったね。三葉が探してた人、ようやく見つかったんね」

 

え……どうして……

 

「私らね、本当は三葉に後ろめたさがあったんよ。糸守に彗星が落ちたあの日から、三葉、ずっと寂しそうやった。あんた、気が付くといつも悲しそうに自分の右手見とったやろ……」

 

「……なんで知ってるん」

 

「あほやなぁ。ずっと一緒におった私らが気づかんわけないんやさ。伊達に長年三葉の親友やってないんよ。私らには詳しく分らんけど、きっと三葉は何か大切なものを無くしてしまったんやなって、そんな予感はしとった」

 

「……うん」

 

「だから、そんな三葉を差し置いて、私らが幸せになってしまうんは、なんだかとっても後ろめたかった。ずっとテッシーと話しとったんよ。私は三葉の為になんかしたいって、そう思ってた。だけどテッシーが、そりゃあいつ自身がどうにかせにゃいかん問題や。俺らはあいつが助けを求めてきたら、手を差し伸べればええんや、って」

 

「あはは。テッシー、ほんといい男やなぁ……」

 

私は思わず軽口を叩く。そうでもしないと、感極まって泣いてしまいそうだった。

 

「ふふ。三葉がそんな風に言ってくれたって知ったら、テッシーきっと泣いて喜ぶんよ」

 

「もう、大げさだなあ」

 

ここまで私のことを思ってくれている二人がいる。それは、この上ない幸運なことなんだと、私は心の底からそう思う。

 

「でも、本当に良かった。なんだか、そんな風に熱くなる三葉、久しぶりな気がする。これで、私らも三葉に遠慮なく結婚できるってもんよ。でも三葉、話聞いてる限りじゃその人とまだ出会ったばかりで、付き合ってもいないんでしょ? ちゃんと頑張って私らを早く安心させてえな」

 

「あはは、そだね。まだ私、何も始まっとらんのよね。うん私、頑張ってみる。二人を笑って送り出せるように、頑張るんよ」

 

「是非そうして欲しいんやさ。結婚式で萎れた三葉なんて見た日には、悪い意味で一生忘れない一日になりそうなんよ。あんた巫女やったし、なんか呪われそうやもん」

 

「大丈夫。呪いなんかしないんよ。ただひたすら睨み倒すだけだから」

 

「うげぇ。そっちの方がたち悪いわぁ」

 

そんな風に冗談を交えながら、私たちはしばらく会話を続けていたが、やがて話すこともなくなり通話を終了した。

 

胸の奥がぽかぽかして温かい。こんなにも穏やかな気持ちになるのはいつぶりだろうか。二人の為にも幸せにならないといけないなと、私は思う。

 

「立花……瀧くん……」

 

今一度彼の顔を脳裏に浮かべながら、私はその名を口にする。大丈夫。私たちはきっと通じ合える。

 

唯一心配があるとするならば、私が男性と付き合ったことがないのでどう接していいのか今一つ分からないという所だろうが、そこはきっと時間が解決してくれる。

 

そんな不確かな自信に満ち溢れていた私だったが、ふと携帯の着信音が鳴り響き、

 

立花 瀧

 

携帯の着信画面に表示されたその名前を見て、さきほどまで抱いていた自信は一瞬のうちに霧散したのであった。

 

 

 

 

 

 




初めまして。
水無月(みなつき)さつきと申します。

この度は、私の小説をお読みくださいまして誠に有難うございます。
一ファンとしてこんな後日談であればいいなと妄想しながら書いたこの作品ですが、それが皆さまのお気に召して下されば幸いです。

所々に誤字や脱字、あるいは描写ミス等がみられるかもしれませんが、なにとぞご容赦いただけると幸いです。もし可能であれば、教えていただけるとさらに助かります。

皆様にご満足いただけるよう精一杯頑張りますので、なにとぞよろしくお願いします。


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初めて約束で

結局、午前中はやる事が盛りだくさんで、切りの良い所まで集中して作業をしていると、気付いたら既に昼休みの半分が経過していた。

 

本当であれば、今日は近場に新しく出来たお洒落なカフェで昼食でも取りながら、ゆっくり三葉に電話しようなんて思っていたのに、流石に今からでは間に合わない。

 

そこで取りあえず昼ごはんの事は後回しにして、彼女に電話をすることにした。

昼休み開始から三十分程度経った今であれば、彼女も食事を終えて休憩している頃合いだろうから、丁度いい。俺は自分のスマホを取り出し、早速彼女に電話を掛けた。

 

無機質な電子音が数回鳴った後、デフォルトの呼び出し音が流れ始める。

一回、二回とコールを重ねていく間、俺は彼女と何を話そうかなと頭を捻らせていた。

彼女と話したいと言う欲求に駆られあまり深く考えずに電話をしたものだから、何を話そうか全く考えていなかったのだ。

 

やがて、六回目の途中位で呼び出し音は途切れ、電話が繋がった。

 

「あの、急に電話してすいません。立花ですけど……」

 

「た、立花君! えっと、この度は一体何ようですか?」

 

……何だか言葉遣いがぎこちない。やっぱり、急に電話したら驚くよなぁ。俺は少し申し訳ない気持ちになった。

 

「あ、あの、急に電話なんてしてすいません。ただ、少し宮水さんとお話ししたくて……」

 

俺は素直な気持ちをそう告げたのだが、振り返って自分の言っていることの恥ずかしさに、思わず赤面してしまう。電話で良かった。もしこんな姿を彼女に見られようものなら、威厳もへったくれもない。

 

「わ……私も、もっと君とお話ししたい……よ」

 

宮水さんは受話器越しからも分かる程度に恥ずかしがりながらも、そう告げる。その言葉は、俺の心を温かくする。

 

「その、俺、最近できた行ってみたいカフェがあるんですけど、良かったら今日、仕事終わりにご一緒にどうですか?」

 

そうして、考えるよりも先にそんな言葉が口をついていた。

 

「え、それってひょっとしてヴォートル・プレノン? 今凄い有名だよね。私も行ってみたかったの」

 

「本当ですか!? それなら、ちょうどいいですね。それじゃあ、また後で詳細な予定をメールしますね」

 

「うん、すっごい楽しみ」

 

「はい、俺も楽しみです。では、また後ほど」

 

うん。我ながら名案だ。彼女とお話しできて、行きたいカフェにも行ける。正に一石二鳥の作戦である。そうして少し冷静になり、漸く俺は自分の提案の意味を理解する。

 

……あれ? 宮水さんと一緒にカフェ?

これって、ひょっとして、いや、ひょっとしなくても……

デートじゃん……

 

その事実に気付いた俺は愕然とする。何せ、俺はデートに余り良い思い出がないからだ。

 

そもそも、ずっと恋人がいなかった俺は圧倒的に女性経験に乏しい。当然、デートなども碌にしたことがない。いや、大学時代、女性からのアプローチでデートする機会が何回かあるにはあった。しかし、その結果は例外なく散々だった。恋愛に対する意欲という感情がやけに希薄であった俺は折角のお誘いにも関わらずどうにも他人行儀な接し方をしてしまい、終わった頃に、

 

瀧くんって私に全然興味ないんだね。今日一日一緒にいたけど、一度もちゃんと私の事見てなかった。まるで、見えない何かに恋してるみたい。正直、あなたの事ちょっといいなって思ってたけど、勘違いだったみたい。ごめんなさい。

 

などと、相手に半分罵られるようにして振られるという、散々な結果に終わっていた。

 

そんな事実もあり、大学時代終盤には菩薩などという不名誉な渾名までつけられる羽目になり、よく司や真太にからかわれていた。

 

そういえば、最早しっかりとは覚えていないけれど、高校生の頃に一度だけ奥寺先輩をデートに誘って、あの時も碌に会話が続かず似たような理由で振られたっけ。

 

ともかく、そんな事情で俺はデートに軽いトラウマがあるのだ。一度も女性に楽しんでもらえるデートを出来ていないというトラウマが。

 

そんなわけで、俺は昼ごはんも取らず残りの休み時間でインターネットを使ってデート攻略法を読み漁ったのであった。

 

―――

 

「お待たせ。ひょっとして、待たせちゃった?」

 

「いえ、たった今来たとこですよ」

 

「そう、よかったぁ」

 

待ち合わせの場所に定刻の10分前に現れた彼女の頬はほんのりと紅潮しており、若干だが肩が上下している。ひょっとして走って来たのだろうか?

 

「あの、すいません。急がせちゃったみたいで。ここ、俺の会社からは近いけど、宮水さんの会社からは結構ありますもんね。申し訳ないです」

 

そんな俺の謝罪を聞き、宮水さんは少しむっとした表情を浮かべる。

 

「だめ、謝るの禁止。私が早く君に会いたくて勝手にやったことだし、立……瀧くんは何も悪くないんだから」

 

そう言って少し恥ずかしそうに笑う彼女がとても愛おしく見えて、俺は胸の鼓動が高鳴るのを感じた。それに、さり気無く名前で呼ばれたものだから、余計にドキドキしてしまう。

 

「い、行きましょうか。場所はすぐしょこです」

 

……噛んでしまった。明らかに動揺が隠し切れていない。

 

「くすっ。瀧くん、可愛いね」

 

「や、やめてください。いい年して可愛いなんて言われると真面目に落ち込みます」

 

目的のカフェは本当にすぐそこで、俺達は店内に入ると予約してあった窓際の席に腰を掛ける。

店の内装は若者向けのポップな感じで、白を基調とした外壁に高そうな絵画がバランス良く掛けられている。照明は意図して抑えられているのだろう、暖色系の光が店内を仄かに照らしている。

 

「わあ、お洒落な店だね」

 

彼女は嬉しそうに笑う。その姿は初めて玩具を与えられた子供の様に無邪気だった。

 

「そうですね。気に入ってくれて良かったです」

 

「うん、とっても素敵な場所ね」

 

俺達は早速メニューを注文する。

まだ、仕事が終わって間も無い、日も暮れていない様な時間だったが、昼御飯を抜いていた俺はお腹が減って仕方なかった。

 

一方、彼女の方はどうやら甘い物に目が無いようで、高そうなスイーツを目を輝かせながらあれこれと注文していた。そんな微笑ましい姿に、思わず笑みが溢れる。

 

やがて俺達は、出される料理に舌鼓を打ちながら、取り留めない会話を楽しんでいた。

そんな折に、ふと彼女が窓の外を指差す。

 

「ほら、見て」

 

夕暮れ時、日中悠然と輝いていた太陽が最後の仕事をしようと空を真っ赤に染める刹那の一時。

東京の街にそびえ立つ高層ビル達が纏う赤い衣と、太陽の真逆より滲み出る夜闇から浮かび上がる様に漏れ出る窓からの光が重なり合い、幻想的な光景を演出していた。

 

「綺麗……だね」

 

「ええ、めちゃくちゃ綺麗です」

 

それは、普段見慣れた景色。幼いころから嫌になるほど見てきた何気ない景色。それなのに、今この時見るこの光景があまりに美しく思えるのは、一体どうしてなのだろうか。

 

誰そ彼(たそかれ)と われをな問ひそ 九月(きさらぎ)の 露に濡れつつ 君待つわれそ」

 

「え?」

 

「昔ね、先生に習ったの。黄昏時の語源って誰そ彼から来てるんだって。私ね、この詩好きなんだ。なんだかとても切なくってね」

 

そう言う彼女の姿は何故かとても儚げで……

 

「ねえ、カタワレ時って知ってる? 私の故郷の方言らしいんだけどね。誰そ彼、彼は誰(かわたれ)、でカタワレ。だから今はカタワレ時……」

 

「カタワレ……時……」

 

「私ね、ずっと誰かを探してたの。私にとって大切な人。忘れたくなかった人。だけど、忘れちゃった。昔、ある事がきっかけで、全部なくなっちゃった」

 

うっすらと彼女の瞳に涙が浮かんでいる。そんな彼女を見て、俺は胸の奥が熱くなる。

 

「だから私は大切な何かを無くした片割れ。大切な何かを失ってから、私の胸にはずっとぽっかりと穴が空いていたの。だけど、今日……君と出会って、胸のあたりが暖かくなって、その穴が埋まっていくのを感じたの」

 

心臓が弾けそうな程に高鳴るのを感じる。彼女が愛おしくて、愛おしくて、ただただ愛おしい。

 

「ねえ、瀧くん、君は……

私のカタワレ?」

 

彼女の頬に一筋の涙が伝う。

 

「あれ? おかしいな。こんなつもりじゃ……なかったのに……」

 

大事な人。忘れたくない人。忘れちゃだめな人。

 

「だめ……私……ごめんなさい」

 

彼女は両手で自分の涙を拭いながら店外へ駆け出す。

俺がずっと探していた、会ったことのない大切な人……。

 

みつ……は……?

 

記憶はない。覚えも無い。

彼女と会ったのは今日が初めてで、俺達はまだ出会ったばかりの筈で……

 

だけど、俺の心は、身体は、確かに君を求めている。

理屈なんかじゃない。運命だとか未来だとかって言葉がどれだけ手を伸ばしても届かない場所で、きっと俺達は恋をしていたんだろう。

昔、あの糸守の地で、夢の景色のように美しい夕暮れの記憶と共に、失われてしまった俺のカタワレ……

 

大事な人。忘れたくない人。忘れちゃだめな人。

君の名前は、名前は――

 

「みつはーーー!!!」

 

―――

 

……おかしいな。こんな筈じゃ……無かったのに……

涙が溢れてとまんないよぉ……

 

今日、お昼に彼からデートに誘われて、とっても嬉しくって……

だから私、頑張ってみようと思って、本当はとっても恥ずかしかったけど、積極的にアピールしてみたりして……

彼と過ごす一時はとてもぽかぽかしていて暖かくて、彼と過ごす一秒一秒が私の中で大切な思い出として刻まれていって……

 

君と見る夕日は何時もと違って見えた。もう見慣れてしまった無機質に並ぶビル街も、初めて東京に来て見た時の様に夢と希望に溢れた街並みに思えた。

 

そう、それは全部君がいたから……。君と過ごすこの世界は本当に何もかも違って見えた。

 

だから、君を失ってしまう事がどうしようも無いくらいに怖くなって……

今まで溜まっていた思いが止めどなく(あふ)れて、言うつもりの無かった言葉がぽろぽろと(こぼ)れて、挙句怖くなって逃げ出してしまった。

 

ああ、私ってどうしようもないあほだ。

折角楽しい時間を、自ら台無しにしてしまった。

 

胸がとっても苦しくなって、私の右手が大切な温もりを求めてぎゅっと切なくなる。

私の瞳から溢れた涙はいつの間にか頬を伝う一筋の雫となっていた。

 

私は行く当ても無くただただ走った。人混みの少ない公園を抜け、街灯の眩しい歩道を駆け、忙しなく車両が行き交う道路に架かる人通りの少ない歩道橋の真ん中辺りで、私は走り疲れて足が止まる。

 

愛おしい、こんなにも君が愛おしい。

 

瀧くん……

 

瀧くん……

 

瀧くん……

 

「瀧くん……会いたいよ……」

 

「みつはっ!!」

 

その声に振り返ると、そこには確かに君がいて。君は私に駆け寄って私の体を抱き寄せて……

大きくって力強い、それでいて何処か優し気な瀧くんの腕に抱かれ、私は嬉しさで涙が止まらなくなる。

 

ここに瀧くんの温もりを感じる。ここに瀧くんの胸の高鳴りを感じる。君は、確かにここにいる。

 

私達は互いを感じ合う様に暫くの間ただただ無言で抱き合っていた。やがて、数秒にも数分にも思える時間が過ぎ、私の涙が止まった頃合いを見て、瀧くんは私を抱いていた腕をそっと解く。

 

「落ち着いた?」

 

彼の優しい問いかけに、私は無言で頷く。

 

「そう、良かった」

 

そうにこやかに笑う彼はとても格好よく見えて、つい彼から視線を外してしまう。

振り返ると、私は瀧くんの胸でさめざめと泣きながら、瀧くんに無言であやされていた訳で、冷静になってみると、それはもう恥ずかしさのあまり死んでしまいたくなる程だった。

 

「さて、それじゃあ、俺から三葉に説教しなきゃならない事が三つある!」

 

「え?」

 

まさかの台詞に驚いて瀧くんに視線を戻すと、彼はにやりと不気味な笑みを浮かべながら、指でカウントを始める。

 

「まず一つ目。いきなり店から飛び出したりされたら、本気で困る。周りの人の視線とかめちゃくちゃ痛かったし。あれだけ手間かかりそうなスイーツ注文しといて、結局手をつけないまま会計した時の店主の目、一度三葉も味わってみるべきだ」

 

うぅ、まさにぐうの音も出ない正論とはこの事だ……

 

「二つ目。いなくなるの早すぎ。店出たら姿もう見えないし。色んな人にあちこち聞いて回ったから見つけられたけど、道行く人に聞いて回るのがどれだけ恥ずかしかったか分かる?」

「……はい」

 

「三つ目、慣れない事し過ぎ。大人ぶってリードしようとしてくれてたんだろうけど、めちゃくちゃぎこちないし、それで逃げてるようじゃ世話無いよ」

 

「……そんな事言って、鼻の下伸ばしとったの知っとるんよ、私」

 

瀧くんは一瞬ギクッとした表情を浮かべるが、直ぐに気を取り直して強気に戻る。

 

「それはそれ。俺が言いたいのは、無理する位ならやらなくていいって話。自然体が一番って事」

 

何だか少し釈然としないが、確かに慣れない事をやっていたというのは間違っていないので、これ以上の反論は控えておいた。

 

「それじゃあ四つ目」

 

「えぇ!? さっき三つって言っとったやんね?」

「いいから、黙って聞け、ばか三葉」

 

な、な、な、なにをぉ!?

言うに事欠いてばかとはなんね? ばかとは?

 

いくら私に非があるとはいえ、こちらにも我慢の限度というものがある。

流石に人をばか呼ばわりされて黙っておける程、私は大人しい性格では無かった。

 

「さっきから言わせておけ「お前が好きだ!」」

 

「……え」

 

「どうしようも無いくらい、三葉が好きだ。まだ会って一日にも満たないけど、俺の心が三葉を求めてる」

 

……待って。急にそんな事言われたら、私、また……。

 

「俺も、今までずっと誰かを探してた。会った事の無い誰かを探してた。今日、三葉に会って、

短いけれど同じ時間を過ごして、それが三葉だったって確信してる。俺のカタワレは、三葉だって」

 

涙が頬を伝うのを感じる。あれだけ泣いて、体中の水分は全部枯れてしまったと思っていたけれど、おかしいな、涙が溢れて止まらない。

 

「ずっと君を探してた、三葉」

 

「私も……瀧くん、あなたが……好き」

 

瀧くんはそっと私の肩を抱く。私は彼の首に手を回して、そっと目を閉じる。

やがて、永遠にも思える刹那の後、瀧くんの唇が優しく一瞬だけ、私の唇に重なるのを感じる。

 

初めてした瀧くんとのキスは、自分の涙のせいでほんのりとしょっぱかった。




どうも、水無月さつきです。
今回もご覧下さいまして誠に有難うございます。

私の書く二人の再会はいかがでしたか。これは、私が考えた数ある話の中の一つに過ぎないのですが、きっと皆様一人一人考えるその後がおありで、それも全てがあり得る話なんでしょう。

私の話が、その参考になればいいなんて、私はそう思います。

さて、今話は多少ビター(?)なお話でしたが、次話からはもっと甘く出来たらいいななんて思っております。

ちなみに、次話には巷で人気の妹ちゃんを登場させる予定ですので、乞うご期待です!


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宮水姉妹
三葉と四葉


……おかしい、今日は明らかにおかしい。

 

私は両腕を組みながらテーブルに置いた自分のスマホを睨みつけ、首を捻る。トップ画面は今が二十時五十四分であることを示していた。

 

私と姉は今、東京で二人で暮らしている。糸守に彗星が落ちて暫くして東京にやってきて以来、ずっと姉と生活を共にしてきた。

 

ちなみに、父と祖母は糸守の隣町で糸守の再建に注力しているらしい。あの一件以降、二人の(わだかま)りも多少は改善されたらしく、今では一緒に暮らしている。

 

そんな訳で、姉は八年もの間、私の親代わりとして色々と面倒を見てくれた。

こちらに来て暫くは、自分の事を二の次にして、料理から、掃除、洗濯までありとあらゆる家事をやってくれた。

 

私が中学生になって、家事当番が交代制になってからも(姉はあくまで自分がやると言い張ったが)、自分の番は毎回欠かさずやってくれていた。

 

だから、恥ずかしくて決して口には出さないが、私は姉に心から感謝していた。当時の姉と同じ位の年齢になった今だからこそ分かる。放課後、碌に遊びもせず、家事をこなす事の大変さが。

 

その一方で不安な事もあった。姉はもうじき二十六となる。恋人の一人や二人作って、或いは結婚していてもおかしく無い年齢である。しかし、不思議な事に、そういう類の様子を一切見せないのである。

 

多少身内贔屓な点を差し引いたとしても、姉は美人だ。私と違って今でも焦ると方言が出るなど、田舎っぽさが抜けていない節はあるが、それを差し引いても言い寄る男などごまんと居るだろう。にも関わらず、男の影が微塵も感じられない。

 

初めは私の面倒を見る為だと思った。姉は責任感が強いから、私の存在が姉を縛っているのだと思った。だから、必死に家事を覚え、手の掛からない様になろうと私は全力を尽くした。

 

が、私が家事をやる様になっても、特に変化は見られなかった。友達と遊ぶ時間は増えた様だったが、それを恋愛に向ける気概というものが一切感じられなかった。

 

姉にそんな器用な事が出来るとは露ほども思っていなかったが、よもや私に隠れて男と付き合っている可能性を考慮して、何時に無く気合いを入れて化粧している日に尾行してみた事もあったが、結局さやちんとテッシーに久しぶりに会っていただけだった。

 

そんな訳で、私は姉の行く末をわりかし本気で心配していた。姉が時々、どこか遠くを見つめて、右手を押さえて泣いているのを、私は知っている。八年前のあの日から、私には分からない何かを思って泣いているのを、私は知っている。

 

私にとって八年前のあの日は、私達から糸守の何もかもを奪っていった衝撃的な日だったけれど、姉にとってあの日はそれ以上の意味を持つ特別な日だったに違いない。

 

だからこそ、私は姉に早く幸せになって欲しかった。時折見せる寂しげな表情を、私は見たく無かったのだ。しかし、当の本人に全くその気が無いときている。いい加減焦ったくなって、私はそろそろ強行手段を取ることも考慮しなくてはならないかななどと考えていた所だった。

 

そんな姉が、今日、初めて家事をさぼっているのである。なんの連絡も無しにである。こんな事は今まで一度も無かった。

 

ひょっとして私が忘れているだけかも、と昨日の姉の言動をあれこれ振り返ってみたが、それらしい事は何も言っていなかった。

姉は社会人である。急な残業や飲み会という可能性も考慮して、今まで待っていたのだが、連絡の一つも寄越さないときた。何か事情があるのかもと思ってこちらから連絡することは控えていたのだが、流石にそろそろ本格的に心配になってくる。

 

時刻は二十時五十八分、二十一時になったら電話しようと決心した矢先、玄関の扉が開く音が聞こえた。

 

私はホッとする反面、これ迄連絡も無しに遅れた事に対する怒りが湧いてきて、理由を問い詰めてやろうと玄関まで駆け寄って、

 

「あ、四葉、ただいま。ごめんね、連絡も無しに遅れちゃって」

 

姉の姿を見て言葉が出なくなった。

泣いていたのか、目は真っ赤に腫れていて、走り回ったのか、朝は綺麗に整えていた髪の毛があちこちの方向を向いている。

それなのに、姉はかつて無い程幸せそうに微笑みながら、上機嫌に鼻歌なんか歌っている。

 

「ちょっと待っとってね。ちゃっちゃと料理作っちゃうんよ」

 

……方言出てるし。やっぱり今日の姉は明らかに変だ。

これはひょっとして……

 

―――

 

「お姉ちゃん、彼氏でも出来た?」

 

瀧くんと出会った日の翌朝、何時もの様に朝食をとっている所に、いきなり今の質問が飛んでくる。私は唐突な予期せぬ質問に、思わずご飯を喉に詰まらせそうになる。

 

「な、な、な、いきなり何言い出すんよ、あんたは」

 

突拍子も無い事を聞いた本人は、平然とした様子で白米をぱくぱく食べている。

 

「ん、別に、ちょっと聞いてみただけ。それにしても、その反応、ひょっとして本当に彼氏出来たの? 方言出てるし……」

 

「ち、違います! というか、方言は関係無いやんね? 寧ろ、四葉が東京に馴染みすぎなんよ、この裏切りもん」

 

正直、いきなり核心を突かれて私は舌を巻いていた。私は、四葉に一体どこで勘付かれたのか、昨日の出来事を回想する。

 

思い当たるとすれば、食事当番の件だろうか。確かに昨日瀧くんからのデートのお誘いに舞い上がって、家事当番をすっかりと忘れてしまっていた。

しかし、それだって瀧くんと別れて、その事実に直ぐに気が付き、急いで帰ってきた。

結局、食事は二時間程度遅れてしまったが、料理を作ってしっかりと謝ったら四葉自身、

 

「偶にはそういうこともあるよ。社会人なんだし」

 

と笑って許してくれた筈だ。

その他に恋人だとか気取らせる様な事は……

 

恋人かぁ。

やっぱり、私達、恋人になったんよね……

 

私は瀧くんとのキスを思い出してしまう。あの後も瀧くんは優しくて、私が落ち着くまで私の髪を撫でながらずっと抱き締めていてくれた。

あの時の瀧くん、とっても男らしくて格好良かったけれど、彼の腕に抱かれていると心臓が高鳴っているのが感じられて、冷静な顔して彼もドキドキしている事が分かって、瀧くんを尚の事愛おしく感じられた。

 

瀧くん、ちょぴり可愛らしい所もあるし……

 

「……お姉ちゃん、ニヤニヤして気持ち悪いよ?」

 

「に、にやにやなんてしてません」

 

「ふーん、まあ、そう言う事にしといてあげる。今はね(・・・)

 

四葉は不気味なくらい満面の笑みを浮かべる。

これは、明らかに何か良からぬ事を企んでいる時の笑い方だ……。

私は、改めて四葉に瀧くんの存在を気取らせまいと、心に誓ったのだった。

 

 

******************************

 

 

……ふぅ。今日も一日仕事が終わった。新入社員のため、今のところはあまり残業も無く、定時での帰宅となる。

俺は、デスクの片づけを済まし、帰りの支度をすると真っ先にスマホの通知を確認する。

……特に連絡はなしか。

 

俺は、そのままメールアプリで三葉あてに仕事に対する労いの言葉を送った。

なんでも、三葉の仕事は最近繁忙期らしく、残業が多いらしい。

今日も残業かも知れないとお昼休みに軽い愚痴交じりの連絡を受けたのだ。

三葉は仕事が終わると真っ先に俺に連絡を寄越すので、やはり仕事に忙殺されているのだろう。

 

あれから三日か……。

俺と三葉が恋仲になってから既に三日が経過していた。

しかし、先も言ったように三葉は仕事で忙しく、俺たちはあれ以降一度も会っていない。

 

正直、少しでも三葉に会いたいという思いは強くある。会って三葉をこの手に感じたいと本気で思う。

 

しかし、仕事が忙しい以上、こればかりはどうしようもない。

それに、会えなくても、彼女を感じる手段は幸いにも幾らでもあった。

 

メールアプリで連絡は簡単に取れるし、声が聞きたくなったら電話も出来る。

それに、これは三葉が提案してきたのだが、その日のお互いの一日の出来事を纏め、寝る前にメールし合うという試みを、俺たちは行っていた。

 

所謂、現代版交換日記である。

 

自分でいうのもなんだが、俺は比較的まめな性格で、昔からスマホに日記を記録していた。日記のデータが全部飛んでしまった事を境に日記を取ることを止めてしまったが、俺自信は日記を取る事は案外好きだったりする。

 

俺は、昨日三葉から送られてきた日記を確認して、思わず笑みが零れる。絵文字や顔文字がふんだんに散りばめられた日記は可愛げがあって微笑ましかった。それに、彼女の一日の行動を日記として見るという行為に、何処となく懐かしい思いを抱いていたのだ。

 

そして、彼女の日記の最後の方で目が止まる。

そこには、明後日、これが送られてきたのは昨日なので実際は明日だが、のデートを楽しみにしているという趣旨の一文が書かれていた。

 

そう、今日は金曜日、明日は念願の休日である。

早速、三葉とデートの約束を取り付けたのだが、何せ、恋人になって初デートである。

 

どうせなら思い出に残る様な素晴らしいデートにしたいと思う反面、どうすれば三葉が一番喜んでくれるか分からないという問題があった。

 

何せ、俺達は出会ってまだ三日である。思えば俺は、三葉の好きな事、嫌いな事、彼女の人となりを全然知らないのである。

彼女の喜ぶデートプランを立てようにも、肝心の彼女が喜ぶ事を何も知らないのである。

 

さて、どうしたものか……と首を捻っていると、俺のスマホのバイブレーションがメールの着信を告げる。

 

おや? 三葉のやつ、仕事早く終わったのかな?

と通知を確認すると、そこには三葉では無く旧友の名が記されていた。

 

 




どうも、水無月さつきです。
今回も最後までご覧頂き、誠に有難うございます。
今回は末尾のおまけに力を入れすぎて、少々本編が短くなってしまいました。
ちなみに、トータルで1話5000文字を意識して書いております。

今回は何といっても四葉の登場が印象的ですね。ここから数話は彼女視点の話が複数回出てくる事になると思います。

あ、それともう一つ、私はずっと二人に交換日記をさせたいなあと思っていたので、その描写が書けて良かったです。交換日記というよりは日記メールですが……
あの劇中での日記のやり取りがあったからこそ、二人は惹かれあっていったわけですし、日記は一つの大きなキーワードだと私は思っています。
そんなわけで、二人がスマホで日記交換っていうのは個人的に凄くにやにや出来る妄想なわけです。
ちなみに、下の方におまけで三葉の送った日記を晒しておきますので、良かったらご覧ください。
正直甘々で書いていて胸やけがしそうでした笑
あと、動く絵文字使いたかったんですけど、絵文字が使えないので苦労しました……
顔文字とか表現が難しいですね……

次回は瀧くんの旧友たちが登場致します!
また是非次話もご覧頂けると幸いです。
それではまた。


―――――――――――――――――――
差出人:宮水 三葉
宛先:t.taki××@○○○.ne.jp
件名:今日の出来事♡♡♡
―――――――――――――――――――
今日は朝からてんてこ舞い!
四葉が今日、学校の行事で遠出する事にな
ったから、気合を入れてお弁当を作りまし
たー(•̀ᴗ•́)و ̑̑ぐっ
いつか瀧くんにもたべてほしいなーエヘへ
その時は、みつはさん、いつも以上に気合
入れちゃうんよー♡♡♡
あ、ちなみに瀧くんは卵焼きは甘いのと辛
いのどっちが好き―???
ちゃーんと好みに合わせて作ってあげちゃ
うんやから覚悟しとってーよ( ̄^ ̄)え
っへん
それで、ちょっと疲れちゃって会社ではあ
まり気合が入らなかったの(●´ω`●)ゞ
おかげで、ちょっと上司に怒られちゃった
……しゅん
こんどあったらまたなぐさめてね(*^_^*)
ハズカシイー♡♡♡
お昼は、職場の先輩とイタリアンレストラ
ンへいってきました!!!
ちょっと隠れ家的な所でへんぴなとこにあ
るんやけど、これがとってもおいしいの☆
☆☆
また今度二人でいこーね♡
今日も仕事が長引いて、帰ったのが9じで
した(´ω`。)グスン
でもでも、帰ったら四葉が朝のお弁当のお
礼だっていって、豪華な食事をつくってく
れてました!!!
とってもいい子に育ってくれて、おねぇち
ゃんは誇らしいのです\(^▽^)/
でもでも、最近なにか悪だくみしてる気が
するので、ちょっぴりこわいみつはさんで
す(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
今日は明後日瀧くんとのデートの想像しな
がら寝る事にします♡♡♡
明後日が待ち遠しくて眠れない~
それじゃあ、また明日ー
おやすみ、大好きなんよ♡



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旧友たちと

「かんぱーい!!」

 

「くぅぅ!! 仕事終わりの一杯はたまんないなぁ!」

 

「おいおい、高木、めちゃくちゃおっさんくさい事言ってるぞ、お前」

 

「何だ、瀧。お前にはこの気持ちがわかんないのかよ? 司、お前なら分かるよなぁ」

 

「すまん。俺はそもそもワイン派だ」

 

今日は花の金曜日。仕事終わりの司から連絡を受けた俺は、近所の酒場に飲みに来ていた。

大学卒業後、司は俺と同業他社の建設企業に、高木は商社の営業マンに進路を進めた。

 

ちなみに、俺は内定が貰えず就活に苦労したが、司はさらっと複数社から内定を勝ち得て、俺の事を揶揄っていた。数ある内定の中から俺と同業の今の会社を選んだのも、俺の会社より業績が上だから、だそうだ。(勿論、それ以外にも色々理由はあるだろうが)

 

「くそぅ、いつかはお前の会社より業績を上げて、ぎゃふんと言わせてやるからな!」

 

「ああ、競争は互いに成長を遂げるいい機会だからな。何せ、我が社の業績はそれはもう業界断トツの一番で、少々社内も弛んでいると思っていた所だ。瀧の会社が良い成果を上げてくれることで、よい相乗効果となる。まあ、期待せず待っておくよ」

 

「く、い、今に見ていろよ……」

 

「瀧、それ完全に負け犬の台詞だぞ……」

 

そんな取り留めない会話を続けていたのだが、次第に酔いが回り始め、自然と互いの恋愛事情の話へ方向がシフトしていく。

 

「へぇ、やっぱり高木もそろそろか。付き合ってもう三年だもんな」

 

「まあ、もう少し仕事に慣れて、余裕が出来たらって感じかな。それより、婚約者との同棲生活はどうなんだよ、司」

 

この様に、この二人にはそれはもう熱々の恋人がいる。大学時代、飲みの場でいやという程聞かされた話だ。そして、この会話自体に挿して意味はなく、いわば一種の通過儀礼の様なものだ。

 

つまる所、この会話の終着点は俺である。

 

「で、瀧。お前はどうなんだ? 社会人になって新たな出会いもあったろ?

目当ての一人や二人見つけたか?」

 

高木が満を持したと言わんばかりに気合を入れて俺に話を振る。

 

「いや、高木、ちょっと待て。賭けをしないか? 目当ての女子がいるかいないか。ちなみに俺はいないに賭ける」

 

「まてまて、それは賭けにならないって。俺も当然いないにベットだよ」

 

「お前らなぁ……」

 

「それでは、瀧くん! 答えをどうぞー!!」

 

「ででん!!」

 

……こいつら、ノリノリである。こうなってくると、素直に彼女が出来たと告げるのも面白味に欠ける気がしたが、だからと言って、これだけ言われてわざわざ楽しませてやる義理もない。

 

という訳で俺はシンプルに答えることにする。

 

「ん、出来たよ、彼女」

 

あれだけ盛り上がっていた場が、一瞬時間が止まったかの様にシーンとなった。

 

「え? 悪い、聞き間違えか? もう一度言ってくれ」

 

……こいつら、俺を一体なんだと思ってるんだ? よもや、本気であらゆる煩悩を捨て去った菩薩だと思ってはおるまいな?

 

「だ、か、ら! 彼女が出来たって言ったんだよ!」

 

司と高木はまるで打ち合わせたかの様に顔を見合わせ、

 

「「えぇ〜 !!??」」

 

店内に素っ頓狂な声が響き渡った。

 

―――

 

「へぇ、不思議な事もあるもんだなぁ」

 

司はサングリアを片手に、俺の話を聞いていた。ちなみに高木の方は、あれだけ言われた仕返しにビールを三杯ほど呑ませたら、酔い潰れて寝てしまった。

ちなみに当然司も呑んだのだが、こちらの方はけろっとしている。

 

「まあ、正直な話、俺も高木も本気で心配してたんだぜ?」

 

「うそつけ、絶対面白がってただろ」

 

「はは、ばれたか。しかし、良かったじゃないか。初めての彼女がこんなべっぴんさんで。羨ましいぞ、この野郎」

 

司は、俺のスマホに保存された三葉の写真を見ながら俺を小突く。

初めてカフェに一緒に行った時に少し撮った程度だったが、幸いにも上手に撮れていた様で写真からも彼女の可愛らしさが見て取れる。

 

「いや、でも本気で真面目な話、少し後ろめたさみたいなものはあったんだよ。お前、モテない訳でも無いのに一切その素ぶりを見せないし、かと言って、女に興味がない訳でも無さそうだったしな。まあ、女の扱いは昔からダメダメだったけどよ」

 

「うるせぇよ。俺はお前と違って純真無垢なんだよ」

 

言っておいて自分で頭が痛くなる。

 

「そうか、純真無垢か。一目ぼれした女をわずか一日で口説き落とす男は、流石に言うことがちがいますな」

 

「そろそろいい加減にしないとガチで殴るよ? 司くん」

 

司は参った参ったと言いながら両手を上げる。

くそぅ、やっぱりこいつには口では勝てない。

 

「まあ、冗談はさておきだ、明日のデート、お前結局どうするつもりなんだ?」

 

「そ、それは、一先ずこの雑誌に載ってるデートスポットを巡ってみて、おしゃれな店で食事してって感じか」

 

俺は、明日のために購入した雑誌をカバンから取り出して司に渡す。その雑誌のめぼしい所には分かりやすい様に付箋をつけてある。

それらページには、女性必見!だとか、彼女が喜ぶデートスポットベスト10といった情報が所狭しと記載されていた。

 

俺としては三葉が楽しめそうなデートプランを企画したつもりだった。しかし、司は呆れた様に首を振る。

 

「だめだな、全然だめだ」

 

一応、分からないなりに一生懸命考えたプランを頭ごなしに否定され、俺は少しばかり頭にくる。

 

「な、何が駄目なんだよ。俺は俺なりに彼女が楽しめそうなプランを考えたんだよ」

 

「彼女が楽しめそう……ね。全く、そんなんだから誰とデートしても碌に相手を満足させられないんだよ」

 

「そ、それは、俺の方も本気じゃなかったし……」

 

我ながら情けない言い訳だと思う。実際、本気を出したとしても、彼女たちを満足させられた自信はない。

 

そんな俺の内心を知ってか知らずか、司は大きくため息をついた後、真剣な表情をして話し始める。

 

「あのな、瀧。お前に足りないのは、自分が楽しもうとする心意気だよ」

 

「自分が楽しむ?」

 

「ああ、そうだ。まあ確かに、話を聞く限りではお前の彼女は、どんなデートでも楽しんでくれるだろうよ。でも、このプランの中にお前のやりたいことはあるのか? 少しでも興味の惹かれるものはあるのか? お前とは長年付き合ってきたが、ただ俺がお前にこんな趣味があると全く知らなかっただけか?」

 

「で、でも、彼女が楽しめるならそれでいいじゃねぇか」

 

「だから、その考えが間違いなんだよ。確かに、お前の彼女はどんなプランでも楽しんでくれるだろうよ。それを見て、お前は満足するんだろうな。じゃあ、彼女は? お前が彼女に楽しんで貰いたいと思うように、彼女もお前に楽しんで欲しいんじゃないのか? もしお前が楽しめていなかったら、彼女も満足できないんじゃないのか?」

 

全く反論できなかった。確かに、俺は今まで相手を楽しませることに固執しすぎて、自分が楽しめていなかったのかもしれない。

 

「いいか、人を楽しませるにはまずは自分から。人を満足させるにはまずは自分から。自分が楽しめないのに、他人を楽しませるなんて出来っこないだろ。お、俺、今すげぇいいこと言ってねえか?」

 

その最後の一言が余計だよ……

 

「つっても、それならどうしろっていうんだよ。俺と三葉はたった三日前に出会ったばかりなんだよ。お互いが楽しむなんて、簡単じゃないだろ?」

 

「なーに。何も俺は常に同じタイミングでお互いが楽しみ合えなんて言ってねぇよ。互いが互いに違うタイミングで楽しめばいい。いいか、瀧、お前格好つけるなよ」

 

「は?」

 

「分からないなら、素直に聞けばいいだろ。お前はデートを企画して男らしさをアピールしたいのかも知れないけど、そんなのは時代遅れだ。何せ、今は男女平等社会だからな」

 

司が最後に小声で、いや、寧ろ女性の方が強いか、なんて低いトーンで言っていた気がしたが、聞かなかった事にしよう。

 

「とはいえ、好きな女の前で格好付けたいという気持ちも分かる。だから、そんなお前にぴったりなデートプランを教えてやろう」

 

「おお、やっぱり持つべきは親友だな!」

 

自然と体が前のめりになる俺を見て、変わり身早えよ、と司は毒を吐く。

 

「すまんすまん。で?」

 

「今のお前にぴったりなデートプラン。その名も……

 

入れ替わりデートだ!!」

 

―――

 

「ただいまー」

 

玄関の扉が開く音と同時に、姉の声が聞こえてくる。

姉は、そのままリビングへやって来て、着の身着のままソファーへダイブを敢行した。

 

「あ〜、幸せなんよぉ〜。金曜日。週の終わり。明日から休日。私はこの幸せを得るために、仕事をやってるんかも〜」

 

……一時の幸せを得るために、五日間の重労働をこなすというのはどう考えても割に合わないと思うのだけれど、それを口に出すのは余りにも野暮というものなのでやめておいた。

 

実際、私自身金曜日は幸せな気持ちになるし……

 

「お姉ちゃん。のんびりするのはいいけど、早く着替えてきて。スーツに皺が寄っちゃうでしょ」

 

「ん〜、あと少しぃ」

 

姉はソファーの上に乗せてある座布団を抱きしめて、心地好さそうにごろごろしている。その姿は例えるなら、冬に炬燵の上で丸くなる猫の様だ。

 

私は溜め息をつきながらも、暫くそっとしておいてあげた。

実際、最近の姉はかなり忙しそうにしている。社会人になって四年目になり、徐々に本格的な仕事を任される様になってきているのだろう。

 

それに、家ではこの様にだらしなくても、外ではもの凄くきっちりした性格だということも知っている。それはもう、気にしなくてもいい所まで気を回してしまう程度には。

 

そんな訳で、姉は昔からストレスを溜め込みやすい性格だった。確か、糸守にいた頃、あまりのストレスで自分の胸を揉みしだいたり、奇行に走ったりした時期があったっけ?

 

ふと、そんな懐かしい思い出を回顧しながら、やがて私は淡々と作っておいた食事をテーブルに並べていく。

 

基本、こうなった姉は何を言っても動かない。動かないなら、早々に次の行動を起こさざるを得ない状況を作ってやれば良いのだ。

 

「お姉ちゃん、先食べちゃうよ?」

 

「え? もう? ちょ、ちょっとまってよぉ」

 

姉は急いで自分の部屋へと駆け込み、Tシャツとスウェットというラフな部屋着に着替えてきた。

 

姉は、もうちょっと待ってくれてもいいのに、とでも言いた気に膨れっ面をしているが、どうせいつものことなので華麗にスルーして、自分の茶碗にぴかぴかした白米を盛り付ける。

 

「お姉ちゃん、どれ位?」

 

「あ、待って、自分でやるから」

 

やがて、私たちは食事を味わいながら、最近学校どうなのよ、とか、会社は忙しいの、

とか言ったような取り留めない会話を交わしていたが、ふと話題が明日の休日の話に変わる。

 

「あ、そういえば、私、明日遊びに行ってくるから。お昼も夜も外で済ます予定だから、四葉には悪いけど、適当に済ましといてね」

 

「ん。サヤちんとテッシー?」

 

「ううん、別の人」

 

姉は澄ました顔でそう言ったが、一瞬だけ間があった事を私は見逃さなかった。

 

「ひょっとして、彼氏?」

 

「な、な、なんなんよ。そんなわけないんよ。私に彼氏なんかおるわけないんよ」

 

……ものすごく分かりやすい。ここまであからさまだと、姉が社会でやっていけているのか少々心配になるレベルだが、そこは上手くやっているのだと信じたい。

 

「……お姉ちゃん、方言」

 

「うっ、あ、あんた方言方言って、うるさいんよぉ……」

 

「東京で方言使ったら笑われるからって、家でも標準語で喋る様にお互い注意しようって言い出したのはどっちだっけ?」

 

「……ごめんなさい」

 

やがて、食事を終え、姉がお風呂へ行っている間に、私は食事の後片付けを行っていた。

 

姉は私に揶揄われるのを嫌がってか、何故か露骨にその存在を否定するが、まず間違いなく彼氏、或いはそれに準ずる仲の良い好きな相手が出来たと見て間違いないだろう。

 

ふんふんふ~ん。

 

……お風呂場の方から、何か鼻歌とか聞こえてくるし。

最近の姉はやけに上機嫌だ。

 

正直、姉に彼氏が出来る事は、私にとっても非常に喜ばしいことだ。そろそろ、姉は本気で自分の幸せを考えてよい頃だ。勿論、揶揄い甲斐が増えるという楽しみもあるが。

 

しかし、それはあくまで、姉が幸せであるという前提があってのものである。

三日前、帰ってきた姉は目を真っ赤に腫らしていた。姉は比較的涙脆いけれど、それでもあんなになるまで泣く姉を私は今まで見たことは無かった。

 

姉は、基本しっかり者だが、その一方で所々とんでもなく抜けている所もある。

そして、姉は二十五になるまで一人の彼氏も作った事がないと言う、今時では珍しい貞操観念の持ち主である。

姉に限ってそんな事は無いと信じたいが、男に慣れていない分、変な男に騙されているという可能性も考えられる。

 

もし、悪い男に引っかかって、姉が泣かされているなら、もし、上手い具合に言い包められて、自分が幸せだと思い込まされているなら、そう考えると私は居ても立っても居られなかった。

 

私は姉に感謝している。家族として姉を愛している。

だからこそ、姉に悪い虫が寄っている様ならば、私が払わなければならない。

 

明日はデートらしいから、姉の彼氏とやらを測る絶好の機会だ。

もし碌でも無い様な男だったら、叫んで警察に引き渡してやる。

 

私はそんな決意を胸に刻み込んだったのだった。

 

 




どうも、水無月さつきです。
こんな所まで私の拙い小説にお付き合いいただきまして、誠に有難うございます。

さて、今話はいかがでしょうか?
今回の話は、友情と姉妹愛のお話です。

特に遠慮せずに何でも言い合える気兼ねない親友。
言葉に出さずとも姉の事を憂慮する妹。
どちらも素晴らしいですね。
それが話をややこしくする原因となるわけですが……

次回はいよいよデート本番。
四葉がどのように絡んでくるか、楽しみですね!(まだ決めてない……)
また次回もお付き合いくださると嬉しいです。
それでは。

※10/18 司の発言を変更
自己紹介デート→入れ替わりデート
(話の続きを書く上でより適した名称に変更)


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初めてのデートで……
入れ替わりデート


まどろみの中、夢を見る。

遠い遠い昔の記憶。

私は君で、君は私で。

君の温もりを、誰よりも近くで感じていた。

君は私で、私は君で。

私の思いを、ただ一身に受け止めている。

それは、星の瞬きと共に失われた記憶。

夕焼けの様に儚い、過去の記憶。

 

ふと、目が開く。

そこは何の変哲もない、東京にある自宅の自室。

先ほどまで見ていた夢の記憶はまるで霧のように消えてしまった。

後に残るのは喪失感と虚しさだけ。

 

だけど、涙はもう零れなかった。

私の右手には君の温もりが確かに残っている。

あの時聞いた君の鼓動を確かに覚えてる。

私は君の名前を――

確かに覚えている――

 

―――

 

ふと、スマホのアラームが、部屋の隅から隅まで漏れのない様に気合いを入れて鳴り響く。

既に少し前に自然と目が覚めてうとうとしていた私は、反射的にアラームを停止する。

すると、まるで落ち着きを取り戻したかの様に室内に静寂が訪れる。

 

朝。東京の朝。

糸守では、朝になると、鳥の囀りや虫の鳴き声で、部屋が一杯だった。

あの頃は、私の快眠を邪魔するなんて、絶滅すればいいのに、なんて物騒な事を思っていたが、今こうやって東京の朝の静けさの中でぼうっとしていると、糸守の自然がふと思い出され、あの朝の喧騒も少し懐かしく思えた。

 

私は重い体をゆっくり起こし、顔を洗う。

そして、寝惚け眼で鏡を見ながら、いつも通り手早く髪を結う。この鮮やかな橙色の組紐を使って髪を結う様になったのは、一体いつからだっただろうか。

髪を結い終わり、私は昨日小一時間かけて散々悩み抜いて選んだ服に袖を通す。

ネイビーのブラウスにカーキ色のガウチョパンツという、非常にシンプルなコーデだ。

ちょっと地味すぎかな? 男の子ってもっと露出多めの服の方が嬉しいのかな?

鏡に写る自分の姿を見て、やはりどうしても不安になる。

こういう時に四葉を頼れないのは、非常に不便だ。

 

とはいえ、これ以上時間をかけた所で結論が出るわけでもない。

とりあえず食事を取ろうとリビングに足を踏み入れると、そこでは四葉が既に朝ご飯を食べていた。四葉は昔からどういう訳か、私とは違って異常に寝起きが良かった。どんな日でも大抵六時には起床している。

 

「四葉、おはよ。あんた、折角の休日やんに、相変わらず朝早いんね」

「おはよ。お姉ちゃんが休みの日起きるの遅すぎるだけでしょ? あと、方言でてるよ?」

「朝くらい堪忍して〜」

「お姉ちゃん、やる気あんまないよねぇ」

 

などと、心底どうでもいい会話を交わしながら、私も四葉に続いて朝食を取る。その際、四葉の服装が余所行きの格好だったので、ふと気になって聞いてみると、

私も今日遊ぶ事にしたの(・・・)

との事だった。遊ぶ事になった、ではなく、遊ぶ事にした、と言う所に一瞬違和感を覚えたが、それ程大した意味も無いだろうしスルーした。

 

今日の待ち合わせ時刻は午前十時。時計の針は、今七時半を示している。化粧に十分、待ち合わせの場所までがおよそ四十分。最低でも三十分前には到着しておきたいから八時出発でいいか。

……あれ? 時間が合わない。まあ、いいや。

などと、適当すぎる試算を頭の中で終えた私は、ふとテレビのリモコンの電源を入れる。

 

面白そうなのやってないなぁ〜

とチャンネルをぽちぽちしていると、丁度『今日の運勢』をやっている番組があったので、見てみる事にした。

 

げぇ、六位とか微妙ー。

今日は基本的に幸運な日! だけど、普段慣れないことをすると、大失敗するかも。ラッキーカラーはオレンジ色!

だそうだ。

 

デートなんて普段慣れない事の最たる例な気がするが、所詮占い、モーマンタイ!

なんて、無理やりテンションを上げて乗り切った。

 

そして、そうこうしているうちに時間がやって来る。

私は手早く準備を済ませ、四葉に行ってきますと声をかける。

 

「やけに早いね。遠く行くの?」

 

「ううん。この辺りだけど」

 

「六本木とか?」

 

「ううん、新宿あたりかな」

 

やがて、妹は満足したのか、ふうんと相槌を打って、行ってらっしゃいと私を送り出した。

 

玄関を開ける。そこに広がるのは、既に見慣れた東京の街並み。

しかし、今日はその景色が、いやに美しく映った。

 

私は胸を昂らせながら、希望溢れるこの街並みへと、足を踏み入れて行くのだった。

 

―――

 

「ごめん、待った?」

 

「ううん、今来た所、って言いたいけど、ちょっと待ったよ。瀧くんとのデートが楽しみすぎて、早く来ちゃった」

 

三葉はえへへと笑いながら、まるで褒めて褒めてとせがむ子犬の様な瞳でこちらを見る。その姿に、俺は思わずときめいてしまう。

 

今日の三葉は以前見た時よりもあどけなく見えた。

前はスーツをビシッと着こなすビジネスウーマンスタイルで、とても大人びて見えたが、今日の三葉はゆったりとした服装をおしゃれに着こなしており、可愛らしさ満点だった。

 

「その服、とっても似合ってる」

 

「そう? 良かったぁ」

 

三葉は俺のそんなたったの一言に、満面の笑みを浮かべて喜んでいる。

よし、この間昼飯を犠牲に得た、『女性を満足させる百の方法』の知識が早速役に立った。

 

「瀧くんも、その服似合ってるよ?」

 

そうやって小首を傾げる姿がいちいち可愛らしく思えてどぎまぎしてしまう。

何だこれ? これが恋なの? これが恋なのか??

 

「ほら、瀧くん。行くんやよ」

 

三葉は、本当に自然に、違和感なく俺の左手を取って手を握った。

 

なるほど、これが三年間長く生きている差か、などとよく分からない事を考察して気を紛らわしていたが、よく見ると彼女の頬がうっすらと紅潮しているのが分かる。

 

「ほ、ほら、何しとるん? はよ、いこ?」

 

彼女はこちらを振り返ることなく、俺の手を引きながらずんずんと歩みを進めていく。

 

別に慣れているとかそういう訳ではない。ただ、彼女はこのデートを思い出深いものにしようと頑張ってくれているのに過ぎない。それが分かって、彼女への思いが一層募ると共に、俺も頑張らなくてはと、自然と気合が入った。

 

「三葉」

 

「な、なに?」

 

俺は彼女の手をぎゅっと握り返す。細くしなやかで、ちょっと力加減を間違えてたら壊れてしまいそうなその感覚に、彼女を守りたいという思いが自ずと強くなる。

 

「好きだよ」

 

ふと、三葉の歩みが止まる。振り返ると、彼女は下を向いて空いている左手で髪の毛を触ったりして何やらもじもじしている。

 

「た、瀧くんのあほぅ。折角今日は私がリードしてやろうって思っとったんに。そんな事急に言われたら、あれこれ考えてたこと、全部忘れちゃったんよ」

 

そう言うと、三葉は俺の手を引きながら黙々と目的地へと足早に歩みを進め始める。

 

お、これは少し主導権を握れただろうか?

― 愛の言葉は唐突に ― 出典:恋人いない歴=年齢のワイが彼女をゲットした件

成る程、確かにこれは効果覿面(てきめん)の様だ。やはり、先人達の言葉は偉大である。

 

いつもは色々とあれこれ考えて気を回し、挙句何を話せば良いのか分からなくなって会話が続かなくなり失敗していたが、三葉とはこの沈黙の時間ですら心地よかった。

 

今日のデートは絶対に上手くいく、俺はそう確信したのだった。

 

―――

 

「こっちの方がいいんよ!」

 

「いいや、ないね。こっちの方が絶対いい」

 

数時間前の確信などどこ吹く風やら、三葉と俺は本日三回目の言い争いをしていた。

 

ちなみに、この言い争いの火種は、

今日の記念に買うペアネックレスのデザインはどれがいいか、

である。

 

何故こんな事になっているかを掻い摘んで説明すると、

全ての元凶は司

の一言で丸く収まる。

 

つまり、昨日奴に散々力説された入れ替わりデートとやらを実行に移した結果がこれである。

 

そもそも、入れ替わりデートとは一体絶対何ぞ? という方の為に説明すると、

デート中の選択権を相手に委ねる

以上である。

 

分かりづらいので具体的に説明すると、例えば何かを食べよう! となった時、自分では無く相手の料理を選ぶのである。

ちなみに、当然相手に意見を聞くのは無しである。

 

つまり、自分の動きを相手に委ねるという事から入れ替わりデートというらしい。

 

司曰く、こうする事で常に相手を思いやる事になるので一体感が生まれ、かつ相手の好きな物を当てるというゲーム感覚で楽しめるので、二人の仲がぐーんと縮まる、との事だった。

 

確かに、これはお互いをまだあまり知らない段階でやらないと面白く無いだろうし、実際相手の事を知る良い機会となるので、今回のデートにうってつけだという訳だ。

 

実際、三葉にこの提案をすると、彼女は目をキラキラと輝かせながら、

 

「すごい面白そう!! やろやろ!」

 

と、物凄くやる気満々だった。

しかし、実際にやってみると、このルールが凄く難しい。

 

まず、欲しいものを自分で買えない。これが非常に厄介だ。

例えば、ある服を三葉が、わぁー可愛いー、と言いながら見ているとしよう。

そこで、俺はこの服が欲しいのかな、とその服を買うことにする。

そうすると、

 

「え、この服高かったでしょ? 嬉しいけど、ちょっと申し訳ないよ」

 

となる訳である。

つまり、良いものと買いたい物は別という事だ。

 

そして、最大の誤算は俺も三葉も初めての恋人に色々してあげたくて仕方がないという事だった。

 

詰まる所、三回の言い争いの理由はこうである。

まず、一回目は、料理のオーダーについてだ。

俺達は、ランチにおしゃれなフレンチレストランをチョイスした。

 

そして、折角だから良いものを食べさせてあげたいなと、多少値は張るが、その店一押しのランチ料理を注文した。すると、それを聞いた三葉は俺に負けじと高級フレンチコースを注文する。それを聞いた俺は、豪華なデザートを注文し、三葉はそれに負けじと追加で注文しと、終わりの無い堂々巡りへ陥ったのだ。

 

結局、傍から聞いていたウェイターのお姉さんが、

 

「お客様? 仲睦まじく大変羨ましい限りですが、ここでは他のお客様の目も御座います。ここはどうでしょう。こちらのコースでしたら、お客様もきっと満足されると思うのですが」

 

と、満面の笑みを持って丁重にオススメしてきたので、俺達は大人しくそれに従う事にした。

俺も長年レストランでウェイターをやってきたから分かる。あれは、まさしく厄介な客に対するそれだった。

 

ちなみに、二回目はこの支払いをどちらが持つかという話だった。

三葉は三歳年上という事を理由に全額支払おうとするのだが、彼女に奢って貰うなど俺の尊厳が許すはずも無く、どちらが払うかで揉めに揉めた。

結局、お互いの分を払い合う(自分の分でないのがポイント)という事でまとまった。

 

そして、今、俺達は互いが似合う方のペンダントを買おうと必死なのである。

 

「瀧くんには、絶対こっちが似合うんよ!! クールでタイトな外枠の中にちょっぴり可愛らしい三日月があしらわれたデザイン、瀧くんのイメージにピッタリなんよ。絶対これがいい!」

 

「いや、この三つ葉(みつば)のペンダントが絶対いいね。そのペンダントは、デザインが男向けすぎだろ。その点、これなら三葉が付けてたら絶対似合うし、三葉と三つ葉でこれを付けたら三葉を身近に感じていられそうだし、二人ともに合うこっちが絶対いい」

 

こんな調子で、俺達は一歩も譲らず、既に十分近く言い争っていた。

そんな俺達を見るに見兼ねたのか、店員さんが近づいて来て、そっと声を掛けた。

 

「あのう、お客様? もし、お望みでしたら、二つを一セットとする事も可能ですが、どう致しましょう?」

 

俺達は一瞬きょとんとしながらお互いを見て、やがて示し合わせるでも無く同時に声を発する。

 

「「じゃあ、それでお願いします」」

 

―――

 

「私たちって、結局似た者同士やね」

 

買い物を終えた俺達は、ショッピングモールの屋外にある、噴水の周りに草花があしらわれた庭園風のスペースにあるベンチに腰を掛け、少し休憩をしていた。

 

三葉は左隣にぴったりとくっついて、俺の左腕に両腕を絡ませながら、俺の方に体重を預けている。

その首には、先ほど購入したばかりの三日月と三つ葉が合わさったペンダントがきらりと光っている。

 

「三葉があんなに頑固だとは思わなかった」

 

「それを言うなら、瀧くんはちょっと格好つけなんよ。瀧くんはまだ社会人一年目なんだし、無理しなくていーの」

 

「そう言うなよ。そりゃ年齢は三葉の方が上だけどさ。好きな女の前でくらい、恰好つけさせろよ」

 

「……もう、またそういうこと言う。そういう所、ほんとに卑怯」

 

俺の腕を握る彼女の力が強くなる。自分の腕を包み込む三葉の柔らかい感触に、俺は胸の鼓動が早くなるのを感じる。

 

「み、三葉? そ、その、まだ人の目もあるし、ちょっと離れないか?」

 

このままでは、とてもとても理性が保てそうにない。

そんな、俺の弱気な発言に三葉は不服そうに頬を膨らます。

 

「あー、今瀧くんやらしいこと考えとったやろ。瀧くんのえっち」

 

「あ、あれだけくっつかれて平然としてる方が無理だろ。俺は菩薩じゃないんだぞ」

 

「全くもう、仕方ないなぁ」

 

三葉はそう言うと、すっと顔を近づけ俺の頬にキスをした。

鼻孔に広がる三葉の甘いシャンプーの香りが俺の思考回路を鈍らせ、頬に感じる吐息交じりの生温かな感触が、俺の頬をふやけさせる。

 

一体、俺はどれだけ三葉の事を好きになれば気がすむのだろうか。少し恥ずかしそうにはにかむ三葉の姿に、俺の心臓が爆発してしまいそうだった。

 

そんな俺の気を知ってか知らずか、三葉は絡めていた腕を解き、ふとベンチから立ち上がった。

 

「どうした?」

 

「もう、察してえよ。ちょっと、お化粧直しに行ってくるんよ」

 

俺は遠ざかって行く三葉の後ろ姿を見ながら、ぼうっと今日のデートを振り返る。

色々と言い争いもあったけれど、間違いなく俺と三葉の仲は深まったように感じる。

初めは俺達が入れ替わりデートに振り回されていた気がするが、このデートのお蔭で三葉の知らない一面を知ることができた。

 

そう考えると、やはり司には感謝しなくてはならないのだろうな。

どや顔をする奴の顔が目に浮かぶ。

……よし、今度会ったら一発殴ってから御礼をしよう。

そう決意を固めて、この後の夕食以降のプランに想いを馳せていたのだが、

 

「あのう、ちょっといいですか?」

 

ふと、背後より声がかかる。

回りを見渡しても誰もいない事から、俺を呼んでいると判断して振り返ると、そこにはうら若き少女が俺に向かって笑いかけていた。

 

「少し、私とお話ししませんか? お兄さん(・・・・)




今回もご覧いただきましてありがとうございます。
どうも、水無月さつきです。

今回のお話は如何だったでしょうか?
デート描写って難しいです泣
ずっといちゃつかせておいた方がいいのでしょうか?
どうなんでしょう?
ちなみに私は甘辛のお料理大好きです。(聞いてない

最後に、一つお詫びを。
前話の司の提案したデートプランの名称を自己紹介デートから入れ替わりデートに変更しております。
いやぁ、やってしまいました汗
徒然なるままに書き連ねている弊害が……
普段は大まかなストーリーを書き終えてから修正するので大丈夫なんですが、思うがままに書いているとどうしても後になって、あっとなる事が多いですね……
今後もやらかすかもしれませんが、ご容赦頂けると幸いです。

さて、最後になぞの女の子が登場致しました。
一体誰なんでしょうか??
分からないですねー棒読み
次の展開どうしましょう……誰か助けて……

と、弱音はここまでにして、もしよろしければ、是非次回もご覧下さいませ。
それでは!



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四葉ちゃん

お話しをしよう。俺は今、ここにいる謎の女子Xにそう話しかけられている。

化粧っ気が薄いのと、髪の色から察するに、現役高校生、もしくは高校を卒業して間もないといった位の年齢だろう。

 

長めの黒髪を青と赤のシンプルな髪留めで二箇所にまとめている。白と紺のボーダーティーシャツの上から黒のカーディガンを羽織り、シンプルなジーンズを履いている。

 

多少、あどけなさは残るが、非常に整った顔立ちをしており、その物腰は柔らかで、非常に落ち着いて見えた。俺は年甲斐もなく、最近の女子は大人びて見えるなぁ、なんて思っていると、

 

「ねえ、いいでしょ? 私、お兄さんに興味があるんです」

 

彼女は流れる様に俺の横に座って、身体を俺の方に傾けながら俺を見上げる。どうやら、この娘は自分がどうやったら男の心を揺さぶれるのか、正確に熟知しているらしい。

 

ああ、成る程。これは噂に聞くあれだ。道端で急に綺麗な女性に話しかけられ、乗せられるまま乗せられて、最後に怖いお兄さんが出てくるというあれだ。

 

しかし、今時はこんな若い娘がそんな事やるんだなぁ。

東京の街は千差万別、様々な人間がいるとは聞いていたが、実際に自分が美人局のターゲットになるなんて、まるで思ってなかったぜ。

こういう時は、相手のペースに乗ったら負けだ。

そういう訳で、俺は丁重にお断りする事にする。

 

「いや、自分、そういう事、興味ないんで大丈夫です」

 

すると、彼女はぽかーんとした表情を浮かべる。よもや断わられるとは思っていなかったかの様な表情だ。

 

ふぅ。実際問題、三葉と付き合っていなかったら、危なかったかも知れない。それ程までに、彼女は可愛らしかった。どことなく、雰囲気が三葉に似てるし……

 

「……あの、何勘違いしてるんですか? 警察呼びますよ、この変態」

 

……訂正しよう。やはり、こいつは何処にでもいる生意気な女の子だ。一瞬でも三葉と似てるとか思ってしまった過去の俺をぶん殴ってやりたい。

 

しかし、仮にも俺はもう大人だ。昔の俺ならまだしも、今の俺はこの様な子供に顔を真っ赤にして憤る程、大人気ない真似はしない。ここは、ひたすらに紳士の対応をしようじゃないか。

 

「おーけい、それは失礼した。それじゃあ、君は俺なんかに一体何の話があるんだ?」

 

「それじゃあ、戻ってくる前に早めに済ませましょうか。お兄さん、私の姉と付き合ってるんですか?」

 

「ああ、そうだよ……って、姉ぇ!?」

 

思わず声が裏返ってしまう。今この娘は確かに私の姉と言った。つまり、この娘が三葉のメールに頻繁に登場する妹の四葉ちゃんか。成る程、俺が三葉に似ていると思ったのも当然か。そう意識して見ると、目付きや鼻だち、顔の輪郭など、細かな差異はあれど、瓜二つだ。

 

姉妹が二人ともこうも綺麗に育つ辺り、遺伝というやつは馬鹿にならないのだなぁ、などとついどうでもいい事を考えてしまう。

 

「そこまで驚く事ですか。お付き合いしているなら、私の事ぐらいご存じかと思ったのですけど」

 

「まあ、話には聞いてたよ。仲良さそうな姉妹じゃないか」

 

「仲が良い……ですか……」

 

彼女は少し言い淀む。おや? 三葉の話を聞く限りでは姉妹仲は良好だと思っていたのだが、違ったのだろうか?

俺は、四葉の様子を伺っていると、彼女は何かを決心した様子で口を開いた。

 

「私、姉の事嫌いなんです」

 

「え……?」

 

「いつも外面ばかり気にして、へらへらしてて、そのくせストレスばかり抱え込んで一人で悩んでる。情けなくて、本当に見ていてイライラするんです。その癖、最近楽しそうに笑うんです。それが許せない」

 

彼女は溜め込んでいたものを吐き出すように捲し立てる。

 

「ねえ、お兄さん。お兄さんは、本当に姉の事が好きなんですか? もし、人肌が恋しくて付き合ってるだけなら、私が代わりになってあげます。だから、姉なんかやめて私と付き合いましょ。あんな朴念仁の姉なんかより、私ならもっといい事してあげられますよ。お兄さん、ちょっぴり私のタイプだし」

 

四葉はそっと俺の左手に両手を重ね、上目づかいでこっちを見やる。

顔には笑顔を浮かべていたが、目にはふつふつとした怒りが湧きあがっていた。

 

「……それで、四葉ちゃんは満足なの?」

 

「ええ、姉がショックを受ける姿が見れるのなら。どうせ、あんな姉です。お兄さんも、若い人の方がいいでしょ? ほら、私の体、お兄さんなら好きにしていいんですよ?」

 

四葉は俺の左腕を取って、胸を押しつける様にして腕を絡める。

 

「ほら、どうですか、お兄さん。私、こう見えてかなりモテるんですよ。それに、私って、好きな人にはとことん尽くしちゃうタイプなんです。ねぇ、年を取った姉なんかより、若い私の方が良い、そう思いません?」

 

四葉は俺の耳元で息を吹きかけるように呟きかける。それは、まるで悪魔の囁きのようだった。

 

「……四葉ちゃん」

 

俺は、そんな彼女をなるべく優しく引き離す。彼女は、驚いたようにこっちを見てくる。何故引き離されたのか分からない、そんな表情をしていた。

 

「あのさ、俺は三葉の事も君の事もまだあまりよく知らない。いや、ひょっとしたら何も知らないのかもしれない。まだ、知り合って間もない俺が、こんな事を言う資格なんてないかもしれない。だけど、一つだけ言わせてほしい」

 

俺は、慎重に言葉を選ぶ。きっと、彼女は彼女なりに色々な思いが募って、こんな行動に出ているのだろう。そんな彼女の気持ちを、俺は汲み取らなければならない。彼女のためにも、俺のためにも、そして三葉のためにも。

 

「俺は、四葉ちゃんが言うような三葉を知らない。俺なんかより、ずっと長く一緒に暮らしているのだから、実際、そんな一面もあるんだろう。だけど、俺にしか知らない三葉もいる。俺の知ってる彼女は、いつも一生懸命で、どんなことにも真面目で、だけど気が抜けると少しだらしなくて、でもそんな時に見せる笑顔が可愛いくて、ちょっと涙もろくて、嬉しくても悲しくても泣いてしまう。そして、君の事をいつも思っている。君の成長を喜び、君の事をいつも心配していて、君の事を深く愛している。そんな三葉を、俺は知っている。君の知らない姉の姿を、俺は知っている」

 

実際、言葉で聞いた事はない。でも、この数日交わしたメールの中で、何度も四葉の話題があがった。その殆どが、四葉の成長を喜ぶ内容だった。偶には四葉に対する愚痴の話もあった。しかし、そのいづれの文面も、四葉を思う気持ちに溢れていた。

 

宮水三葉は、宮水四葉を愛している。これだけは、確信を持ってそう言える。

 

「確かに、長く暮らしたら、鬱陶しく思う時期もあるだろうさ。そん時は、愚痴くらいなら俺が聞いてやるよ。仲良くしろなんて言わない。だけど、三葉が君を大切に思ってる、それくらいは知っておいてあげてくれ」

 

「あなたは、姉の事を本気で愛してるんですね……」

 

四葉は顔を伏せてしまっているので表情からは何も読み取れない。しかし、きっとこの気持ちは通じたと信じている。

 

「俺は、三葉を愛してる。何時、何処で、どんな時でも、俺のこの気持ちは一生変わらないと思う。だから、世界中のどんな美女が寄ってたかっても、俺は三葉を選ぶ。まあ、四葉ちゃんの提案はすごく魅力的だったけど、四葉ちゃんは俺になんか勿体ない美人さんだから、俺なんかよりよっぽど相応しい男がいるはずさ」

 

四葉は黙り込む。この年代は特に多感な時期だ。彼女にも色々と思う所がある筈だ。別に、今直ぐじゃ無くていい、長い時間をかけて、ゆっくりと心を解きほぐしてあげればいい。俺は、そう思って彼女をじっと見つめていたのだが……

 

ぐすん

 

あれ? ひょっとして泣いてる?

いい大人の男が若い女の子を泣かす構図は非常にまずい……

なんか色々と犯罪臭がする。そんな風に狼狽していると、

 

「うわーん。ごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 

彼女は、何故か謝罪をしながら泣き崩れたのだった。

 

―――

 

「それで、姉を心配してそんな嘘をついたのか……」

 

「はい……もし、お姉ちゃんの事を大事に思ってない様な人なら、私の提案に飛びついてくるかなと思って……

だけど、お兄さんは私の思っていた以上に姉を愛していて……あんなに酷いことを言う私なんかにも優しくって……

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました」

 

これには、思わず苦笑いが溢れる。て事はさっきの全部演技かよ……

女はみんな女優なんて言うけれど、本当に全く見破れ無かった。目とか本気で据わってたし……

この娘は将来、大物になりそうだ……

 

「いや、でもさっきのが嘘で本気で安心したよ。ええー、君ら姉妹の関係ってそんなにドロドロしてるのかよ、って凄い焦ってたんだぜ、俺」

 

「本当にごめんなさい。ただ、お姉ちゃんに幸せになって欲しくて、お兄さんの事を見極めたかっただけなんです」

 

彼女はさっきからずっとしゅんとしている。本気で反省しているのだろう。とは言え、いい加減立ち直ってくれないと、そろそろ周りの目が痛くなってくる。

 

「いや、いいんだ。四葉ちゃんが本気で三葉の事を考えてくれてるって分かって、俺も嬉しかったよ。それに、四葉ちゃんみたいな美人さんに本気で迫られるって役得もあったしね」

 

「あっ、そう言えば私……演技とは言え、あんな大胆な事を……」

 

四葉はそれに気づいていなかったのか、今思い出したかの様に両手で顔を覆って恥ずかしがる。それはもう、耳の先まで真っ赤になっていた。俺としては、励ますつもりで言ったのだが、どうも逆効果だった様だ。ああ、このロリコンめとでも言いたげな周囲の視線が心に染みる……

 

「それにしても、お二人は本当に仲が良いんですね。私、お姉ちゃんが羨ましいです。お二人はいつ頃付き合い始めたんですか?」

 

「ん? 一週間だよ。三葉から聞いてたんじゃないのか?」

 

「え!? 一週間なんですか?」

 

四葉は信じられないとでもいうかの様に驚きの声を上げる。まあ、確かに一週間前に付き合い始めたにしては、酷く小っ恥ずかしい事を言ってたな、俺……

 

「てっきり、もう付き合って大分経つのかと思ってました。朝から、それはもう見ているこっちが恥ずかしくなる程仲良さ気にされてましたし」

 

「そうだよなぁ、俺達まだ付き合って間もないんだよなぁ。時々、自分でも信じられなくなるよ。……って、あれ? 今朝からって言った?」

 

四葉はしまったとでも言うかの様に口を抑える。冷静になってみると、四葉は俺の事を知らなかった筈だ。それに、この場所に偶然居合わせるなんて虫のいい話ある筈がない。しかも、丁度三葉のいないタイミングで。という事は、ひょっとして……

 

「四葉ちゃん、俺達の事つけてた?」

 

「えぇ」

 

「……いつから?」

 

「それは勿論最初から」

 

四葉ちゃんは、満面の笑顔を浮かべながら、特に悪びれる様子も無く、まるで語尾に音符でもつきそうな調子であっけらかんとそう告げる。

 

「色々と遠目から楽しまさせて頂きましたよ。あんな姉、中々見た事無かったので、新鮮でした」

 

……なんか、三葉がこの娘に俺の話をしなかった理由がわかる気がした。

 

「しかし、まさか一週間とは思って無かったです。それはそれはもう、見ていてお腹が一杯になる程度には仲睦まじく、長年連れ添った夫婦の様でした。となると、お二人は長い交際期間を経て恋仲になったパターンですか? ちなみにお二人が初めて会ったのはいつなんです?」

 

四葉は興味津々といった様子で、身を乗り出して聞いてくる。それはもう、二つに纏めた髪を飼い主にじゃれ付く子犬の如くぶんぶん振り回し兼ねない様子で……

 

うーむ、どうしたものか……。別に隠しておくつもりもないのだが、何故だろう、この娘に真実を話すと後が怖い。そんな訳で俺は答えを出し渋っていたのだが、

 

「早く言ってくれないと、もう一度泣きますよ?」

 

「一週間前です」

 

……なにこれ。この娘超怖いんですけど……

 

「えっ、本当に……。やっぱりお姉ちゃんも、宮水の血筋ね……」

 

どんなリアクションをされるかヒヤヒヤものだったが、意外にも彼女は妙に納得した様にそう呟く。

 

「宮水の血筋?」

 

「ええ、私達、代々巫女の家系なんです。あ、バイトとしてやる巫女とかでは無いですよ? ちゃんと由緒のある地元の宮司の家系です。そして、私たちの家系の巫女は、不思議な出会いをされているそうなんです。なんでも、私達の母も父と初めて会った時に結婚する事を確信したそうですし、お婆ちゃんもその祖先も、みな運命的な出会いだったって聞いています。宮水の巫女には、そういう能力があるんですかねぇ?」

 

運命的……か。俺と三葉の出会いは、それはもう運命的と言っても過言ではないだろう。相変わらず、記憶も覚えもなくて、どうして三葉にこうも惹かれるのかは定かではない。けれども、俺たちは記憶だとか思い出だとかそんなところではなく、もっと深い所で強く強く“ムスビ”ついている。そういう風に、俺は思う。

 

それにしても、巫女さんか……俺は巫女服を着た三葉を想像して、思わず顔が綻んでしまう。

 

「あー、お兄さん、やらしい顔してますよぉ〜。お姉ちゃんに言いつけちゃおうかな」

 

「おいおい、勘弁してくれ。そりゃあ、ちょっとは見たいけどさ……

しっかし、三葉の奴、妙に遅いな」

 

もうかれこれ十分は四葉とあれこれお喋りを続けていた。幾ら化粧直しとは言え、少し遅すぎではあるまいか。

 

すると、四葉はその言葉を待ってましたと言わんばかりの満面の笑みを浮かべて、少し大きめに声を上げた。

 

「だそうですよー。おねーちゃん?」

 

その言葉を皮切りに、ベンチ裏手の草木の陰から三葉が焦った様子でひょっこり顔を出した。

 

「な、な、なんでばれたん?」

 

「そりゃあ気づきますよぉ〜。私達、仲良し姉妹ですもん」

 

「い、いつから?」

 

「そりゃあもう、初めから」

 

そう勝ち誇った様に微笑を浮かべる四葉を見て、俺もこの娘には逆らうまいと心に誓ったのだった。

 

 




どうも、水無月さつきです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

今回は四葉ちゃん成分満載です。ちまたで噂の四葉ちゃんファンクラブの方々には、私の描く四葉ちゃんはご満悦いただけるのでしょうか……

次回はこの話の続きとなります。
作者遅筆でありますので、ゆっくりとした更新にはなりますが、どうぞ気を長くお待ちくださいませ。
あ、あと、もし良かったら感想なり私のマイページにメッセージを送るなりして気楽に絡んでいただけると嬉しいです。
君の名は。について語り合ってみたいです。

もしよろしければ次回もご覧くださいませ。
それでは。


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想い―sparkle―

少し、時間は遡る。

 

化粧室に向かった私は、別に化粧をする訳でも無く、ぼへーっとガラスに映る自分の姿を見つめていた。

 

もう、今日の瀧くんはちょっと反則なんよ……

瀧くんに何度も何度もああ真っ向面から好きと言われて、ときめかない筈が無かった。

 

瀧くんをもっと感じたい。瀧くんにもっと触れたい。そんな思いに取り憑かれて、ついつい恥ずかしい事をやってしまった。うう、まだ付き合って一週間よ。こんなんじゃ、はしたない女って思われちゃうんよ……

 

私は気合いを入れる為、水で冷やした両手で両頬をぱしぱし叩く。

気をしっかり保つのよ、私!!

 

さて、あんまり化粧室に長居するのもそれはそれで瀧くんに変に思われるので、そろそろ戻ろうか。こういう時、正直な話、女である事を面倒くさく感じなくもない。

 

私は化粧室を後にして、瀧くんの待つベンチに向かう。

すると、遠目から瀧くんの隣に誰か座っているのが見えた。

 

え? だれ??

 

私は不審に思って、気付かれない様に物陰に隠れながら二人に近づいた。

二つに纏めた黒髪。質素ながら品の良いその服装。落ち着いたその佇まい。

 

……四葉じゃん。ぜーったい、四葉やんね!?

何なの? 私の瀧くんにあんなにベタベタしちゃって。一体絶対どういうつもりなんよ?

っていうか、そもそも何で四葉がこんな所におるんよ?

 

私は二人の会話を聞くために、更に距離を詰める。途中、四葉が一瞬こちらを見た気がしたが、瀧くんから離れようとしない辺り気の所為だろう。

私はベンチ裏の木陰から二人の様子を伺った。

 

「私、姉のこと嫌いなんです」

 

えっ……どういう事?

 

四葉は更に瀧くんとの距離を詰めて、私の事を非難する。

ただ、私にはそれが本心でないと直ぐに分かった。私は伊達に長年一緒に四葉と過ごしている訳ではない。四葉は、どんな事があっても人の悪口を言う事は無い。何故ならば、四葉は陰口だとかいじめといった類の事が大嫌いだからである。

 

四葉は昔から曲がった事が嫌いだった。だから、気に入らない事があったら真っ向から言ってくる筈だ。それに、そもそも四葉はあの様に怒りを表すタイプでは無い。

一度、四葉と本気で喧嘩した事があったが、その時の四葉はそれはもう不気味な程に満面の笑みを浮かべながら、理詰めでとことんこちらの心をへし折ってきた。ああ……今でも思い出すだけで身震いがするんよ……

 

それは兎も角として、つまり何が言いたいかというと、四葉は明らかに嘘をついている。では、一体絶対どうして瀧くんにそんな嘘を付くのか……考えるまでもない。間違い無く、四葉は瀧くんを試している。どうやって瀧くんの事を知り得たのかは分からないが、四葉は瀧くんが私の彼氏に相応しいかどうかを見定めているのに違いなかった。

 

ああ、もう……昔からあの子はそうなのよう……

そう、四葉は昔からあれこれと考えすぎなのだ。四葉は人一倍観察眼が鋭い。そして、いい意味でも悪い意味でも想像力がたいへん豊かだ。

 

その為、四葉は考えすぎた挙句、その豊かな想像力で思い込み、それが仮定の話であることを忘れて、暴走することが度々あった。

 

そう言えば、かなり昔、私が宮水神社の跡取りとしての重責に多大なストレスを感じていると思い込み(実際問題、それなりにストレスはあったのだが)、突如、

家の事は私が何とかするから、自由にしていいよ!

などと言いながら、何故か私にタックルを決めてきた事があったなぁ。

 

東京へ来てからは、思春期になり多少恥じらいを覚え始めたのか、暴走することは稀になったが、それでも想像力が豊かで思い込みが激しい所は変わっていない。

 

大方、今回の件も私に彼氏がいることを鋭い観察眼で見抜き、その後どう転んでそう解釈したのかは皆目見当もつかないが、恐らく私が彼氏に虐げられている、あるいは騙されている等と思い込んだのだろう。

 

……止めなきゃ!

そんな事調べるまでもない。私は瀧くんを信じている。瀧くんは私を好きと言ってくれる。それだけで十分だ。

 

それに、四葉が今とっている手段は、色々と好ましくない。絶対私を選んでくれると確信しているが、その場合、瀧くんは四葉が私の事を嫌いと認知する訳だから、どうしても瀧くんの四葉に対する心象が悪くなる可能性がある。

 

そして何より、もしこのことが原因で瀧くんに非難される事になっても、四葉自身がそれを甘んじて受け入れるだろう。四葉はそれだけの覚悟を持ってこれだけのことをやっている、そんな確信があった。私とずっと共に生きてきた妹は、宮水四葉という妹はそういう人なのだ。

 

だから、妹の為にも、こんな無駄なことは止めなくてはならない。そう思って木陰から飛び出そうとしたその時、

 

「……四葉ちゃん」

 

瀧くんはべったりとくっついていた四葉をそっと優しく引き離した。

その声には、普段私に投げかけてくれる様な優しい温かさがにじみ出ていた。その声に、思わず飛び出そうとしていた動作が止まる。

 

「あのさ、俺は三葉の事も君の事もまだあまりよく知らない。いや、ひょっとしたら何も知らないのかもしれない。まだ、知り合って間もない俺が、こんな事を言う資格なんてないかもしれない。だけど、一つだけ言わせてほしい」

 

そう言って、瀧くんは、瀧くんの知る私についてゆっくりと語る。

私が知ってる私の姿。私も気づいていない私の姿。そして、四葉の成長を喜び、四葉を愛する私の姿……

 

ああ、不要な心配だった。瀧くんが、私の想いを知ってなお、四葉の事を嫌う筈が無い。私の知る瀧くんは……私が愛した瀧くんは、そういう人なのだ。

 

「あなたは、姉の事を本気で愛しているんですね……」

 

顔を伏せた四葉がここから聞くのがやっとという位の消え入りそうなか細い声でそう尋ねる。ここからでは表情は見えないが、四葉は大いに反省しているに違いなかった。

 

瀧くんはそんな四葉を心配しながら、その問いに答えようと口を開こうとする。

 

……いけない。その先は聞いちゃいけない。じゃないと……私、もう……この想いに歯止めが利かなくなっちゃう……

 

「俺は、三葉を愛してる。何時、何処で、どんな時でも、俺のこの気持ちは一生変わらないと思う―――」

 

ああ、駄目だ。今まで私を私たらしめていた何もかもが、打ち崩されていく。理性だとか常識だとか羞恥心なんて言うリミッターが、まるで彗星が落ちたかの様に全て粉々にされてしまった。もう、私の想いは止められない。

 

瀧くんが欲しい。瀧くんの全てを知りたい。瀧くんの腕の中で永遠に抱かれていたい。

 

時が来たら、瀧くんに身も心も全部捧げよう……私はその時、そう決意したのだった……

 

―――

 

「しっかし、三葉のやつ妙に遅いなぁ」

 

……しまった。完全に出て行くタイミングを逃してしまった……

というか、四葉の奴、いつ迄いる気なのよぉ!!

 

あれから既に五分以上経過したが、四葉は瀧くんと楽しそうにお喋りを続けるばかりで一向に立ち去ろうとしない。

四葉としても、きっと私と顔を合わせづらいだろうから、四葉が帰るまで待ってあげようと言う私なりの気遣いだったのだが、そんな私の思いとは裏腹に、四葉は瀧くんとのお喋りを満喫していた。

 

四葉のあほぅ!! もし、私の瀧くんに手出ししたら、ただじゃおかんのよ?

私は隠れながら四葉を睨んでいたのだが、ふと四葉がその視線をこちらに向ける。

 

「だそうですよー。おねーちゃん?」

 

えぇ?? 何で? 何で分かったんよ?

私は諦めて木陰から姿を出した。

 

「な、な、なんでばれたん?」

 

「そりゃあ気づきますよぉ〜。私たち、仲良し姉妹ですもん」

 

ひ、ひょっとして、初めに目線が合った気がしたのは気の所為なんかじゃ無かったの?

 

「い、いつから?」

 

問題はここだ。初めから私がいる事を知っていたなら、瀧くんのあの言葉を私が聞いてしまったという事がばれている。それは、瀧くんからするととても気恥ずかしい事だろうし、私としても非常に気不味い。

 

どうかお願い。さっき気づいたって言って!!

しかし、そんな思いとは裏腹に、四葉は勝ち誇った様な笑みを浮かべる。

 

「そりゃあもう、初めから」

 

ああ、我が妹ながら、この娘が恐ろしい……

 

「初めって、いつ頃?」

 

瀧くんは焦った様に聞いてくる。そりゃあ、私の為に私に聞かれたくない事、いっぱい言ってくれたもんね。そんな瀧くんに恥はかかせられない。

 

「んー、ついさっきだけどね、四葉が瀧くんの横にいるのが見えたから焦って隠れとったんよ」

 

私は四葉に無言の視線を送る。

私の言うことに合わせるんよ。じゃないと絶対許さんよ!

 

「そうそう、つい一分程前に戻ってきたと思ったら、私の姿を見るなり隠れるんです。全く、可愛らしいお姉ちゃんです」

 

四葉は私の意図を読み取ってさらりと口裏を合わせてくる。その辺りは流石と言わざるを得ない。とは言え、幾らフォローがよかろうと、この事態を引き起こした張本人は四葉である。ちょっとファインプレーしたところで、免罪符にはならない。

 

「ちょっと四葉! なんであんたがこんなとこいるんよ。いくら四葉でも、今回ばかりはゆるさんのよ!!」

 

「そんな焦らなくても、大丈夫だって。お姉ちゃんと瀧さんの間に割って入るスペースなんて全くないし。朝から見ているこっちが恥ずかしかったもん」

 

「そう言う問題じゃないんよ! 四葉、ちょっとこっち()ない!」

 

「はーい……」

 

四葉は渋々という様子で瀧くんから離れ、私の方に寄ってくる。

なるべく平然とした顔をしようと努めているのだろうが、何時もより若干表情が固い。怒られる事を覚悟しているのだろう。

 

「四葉……」

 

「え……」

 

私はそんな四葉を優しく抱き締めた。四葉からどうしてと言わんばかりに声が溢れる。

私は四葉の髪を撫でながら、なるべく瀧くんに聞こえないように小さな声で囁く。

 

「本当、あんたってあほやなぁ。もっと私の事信用しない。そりゃあ、たまにはぼんやりしてるかも知れんけど、基本的にしっかりしてるでしょーに。昔から、ちょっと極端な思考しすぎなんよ、あんたは。まあでも、私の事心配してくれて、こんなことやったんでしょ。四葉、ありがと」

 

「……お姉ちゃん」

 

「まあ、でもその件は許すけど、瀧くんにべたべたした件は絶対許さんのよ」

 

私は四葉を抱いていた手をそのまま頭に持っていって、両手でぐりぐりする。

 

「いた、ちょ、お姉ちゃん、痛いって。ごめんなさい~」

 

四葉はそう言いながら笑っていた。瀧くんもそんな姿を見て笑っていた。そして、それに釣られて思わず私も笑ってしまった。

 

そう、たったそれだけ。たったそれだけのちっぽけな幸せを、私はずっと恋い焦がれてきた。この八年間、何をやっても満たされなかった私の心が、たったこれだけのことで満たされていく。

 

今朝見た夢の内容はもう覚えていない。

悲しい夢だった気もするし、楽しい夢だった気もする。ただ、その夢は、私にとってとても大切な夢。夜空に瞬く彗星の輝きと共に、八年もの間、私をずっと縛り続けてきたまどろみの記憶。

 

ふと、瀧くんと目が合う。

瀧くんは私に、どうかした、と笑いかける。

私は、ううん、何でもないよ、と微笑み返す。

 

何となく、本当に何となく、もう二度とあの夢は見ないのだろうな、と私は思う。

それはただの直感で、けれども、それは確信だった。

気が付く度にやっていた右手を見る癖も、いつの間にかもうやらなくなっていた。

 

ほら、行くよ

 

瀧くんが差し出した手を、私はぎゅっと握る。

私の心にあった空白の一ページに、また、少しずつ、新しい物語が書き込まれていく。

 

この世界は時に不条理だ。宮水神社の跡取りとして生まれたことは正直いやでいやで仕方なかったし、糸守に彗星が落ちるなんていう理不尽には怒りを感じなくもない。正直、瀧くんに二十五歳といういい年になるまで出会わせてくれなかったことも不合理だと思う。

 

だけど、あの時見た彗星は、夢の景色の様に美しかった。今では厄災の象徴となってしまったけれども、その輝きは私の心を確かに満たした。

 

この世界には希望が溢れている。楽しいことに満ちている。生きてさえいれば、想いはいずれ叶う。この世界はきっと、あの時見た彗星の様な輝きに満ちている。

 

だから私は決意する。

 

 

そんな世界を二人で、一生、いや何章でも生き抜いていこう……と。

 

 




今回もご覧いただきまして、誠に有難うございます。
ここ最近、非常に多くの方にご覧いただいたようで、本当に感謝するばかりです。
一人でも多くの方が満足できる様、全力で頑張りたいと思っております。

さて、そんな中、再びお詫び訂正がございます。
四葉の現在の年齢に関してです。
私は、映画終盤に映る女子高生姿を見て、瀧と三葉が再開した時期には、四葉は高校生だと思っておりました。
しかし、彗星落下8年目の四葉の年齢は9+8=17
彗星落下時四葉は4年生なので、9か10才でなくてはいけないので、四葉は彗星落下後に誕生日を迎えることになります。
ということは、彗星落下8年目の四葉は高校3年です。
つまり、瀧が社会人1年目の春には年度が変わっていますので、四葉は既に大学生となっていなくてはならないというわけです……
こんなイージーなミスをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
これまで投稿いたしました内容も、"四葉は大年生"という設定に沿った内容に修正いたしました。
幸いにも、高校生と明言している文は少なかったので、特に物語に大きな支障は御座いません。
原作の雰囲気を壊さぬように努めてはいたのですが、設定ミスという大きなポカをやらかしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

既にお読みいただいた方は、申し訳ありませんが脳内補完していただけると幸いです。

次回もこの話の続きとなります。また、この日の四葉の行動や心情にスポットを当てた番外編も近いうちに書きたいと思っております。

何分失敗が多い私ですが、是非今後もご覧くださると非常にうれしいです。
それでは、また次回。




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思い出のレストラン

「わー、男の子の部屋に入るのってなんかとっても新鮮なんよ。 あ、ほら見て〜! 玄関に可愛らしい絵が飾ってあるんよ!! きゃー、すてきー」

 

「ほんとほんと! 瀧さんって、やっぱりセンスいいなぁ。私の周りの男子なんて、みんな子供っぽい人らばっかやし、私も瀧さんみたいな彼氏欲しいんよ」

 

「あー、よーつーはー。もーし、私の瀧くんに手出したら、たーだじゃおかんのよぉ〜。あ、私、瀧くんの前で私の瀧くんなんて……えへへ」

 

……どうしてこうなったのだろう。

俺の家で、それはもう自由奔放にはしゃぎ回る三葉と四葉の姿がそこにはあった。三葉は普段よりも露骨に甘えてくるし、四葉は四葉で、あれだけ丁寧な標準語を操っていたのに、いつの間にか方言混じりの喋り方に変わっていた。

 

二人とも、顔は真っ赤になっており、三葉に関しては若干呂律が回っていない。そう、彼女たちはべろんべろんに酔っ払っていた。四葉に関しては、未成年にも関わらず、である。

 

今まで男以外上げたことが無かった我が家にいきなり泥酔した彼女とその妹がやってくるという奇妙な展開に、俺の頭はオーバーヒートしかけだった。

 

俺は、落ち着きを取り戻す為にも今一度これまでの展開を振り返ってみることにした。

 

四葉によるひと騒動の後、俺は食事に行こうと提案した。

時刻はちょうど六時を回った位で、夕食をとるにはうってつけの時間だ。

 

すると、四葉は、

 

「それじゃあ、この辺りでお邪魔虫は退散して、お二人で楽しんで下さいね」

 

と、笑顔で俺たちを冷やかしながら、さっとその場を後とした。俺たち二人に気を使ったのだろう。けれども、俺にはその笑顔が作り物に思えて、彼女の後ろ姿がやけに寂しげに写って、

 

「なあ、三葉が嫌じゃなければ、今日は四葉も一緒に夕食にしないか?」

 

と、殆ど反射的に三葉に提案していた。

 

そんな俺の提案に、三葉は見ているこちらの心が温かくなる様な優しい微笑みを浮かべながら、二つ返事で俺の提案に賛成する。

 

「瀧くんが言わなかったら、私から提案しようと思ってたんよ。折角のデートだし、瀧くんと二人っきりで楽しみたいって思いはかなりあるんやけどね。だけど、やっぱり私にとって、四葉は大切な妹なんよ。だから、瀧くんも同じ様に四葉のことを大事に思ってくれるんは、本当に嬉しい」

 

でも、と言って、三葉は左手を腰に当て、少し前のめりになりながら、これだけは守るよーに、とでも言いたげに右手の人差し指をびしっと立てて、俺の鼻先まで持ってくる。

 

「もし、四葉に手出したら只じゃおかんからね!!」

 

そんな姿が可愛く見えて、俺は前のめりになっているので丁度良い位置にあるおでこを、自分の中指で軽く弾いた。

 

「いたっ。ちょっと、何するんよ」

 

「ばーか。俺はお前一筋だよ」

 

「もう……またそういうこと言って……私だって瀧くん一筋なんよ?」

 

我ながらバカップル街道を全力でひた走っている事は自覚していたが、こればかりはどうしようもなかった。それほどまでに三葉が好きなんだから仕方がない。これまで、人前でいちゃつくカップルを見て、恥かしくないのかな、などと思っていたが、三葉が彼女になって彼らの気持ちが漸く理解できた。要するに、周りなどどうでも良くなるのである。

 

しかし、そんな俺にもまだ人並みには羞恥心が残っていた様で、俺は恥ずかしさを紛らわせる為に、急いで四葉を追いかけたのだった。

 

 

 

「それで、どーするの?」

 

四葉を連れ戻した俺たちは、四葉を交えて三人で本日の夕食をどうするか思案していた。

腕を組みながら、首を少し傾ける二人の姿は瓜二つで、やっぱり姉妹って似るんだななんて考えると思わず口元が綻んでしまう。

 

「それなんだけど、俺の行きつけって言うか、思い出深いイタリアンのお店があるんだけど、良かったらそこ行かない?」

 

そんな経緯で、俺たちは俺が大学卒業まで、長年働いてきたレストランへ行く事になった。そう、今から思うと、これが全ての元凶だった。

 

そのイタリアンレストランは俺にとって非常に思い入れのある店だった。司や高木、そして奥寺先輩と仲良くなったのも、そのレストランで共に働いていたと言う理由が大きいし、その他の方々にも色々と良くして頂いた。

 

そんな訳で、今でも俺は折を見てはここへ通っているのだった。

 

「いらっしゃいませー、って瀧先輩!? 珍しく女の人を連れてきたと思ったら、こんな美人さんを二人も……先輩も隅に置けませんねぇ」

 

受付で俺を出迎えた今時の大学生風の女の後輩が肘で俺を小突いてくる。東京の一等地に拠を構えるリストランテなだけあって、採用される女性はお洒落な人が多かった。

 

「ほら、軽口叩いてないで、仕事に戻れ。で、予約して無かったけど、今って空いてる?」

 

「ちょーっと待って下さいね。席は一杯なんですけど、一つキャンセルが出そうなんで、そこ入れないか確認します」

 

そう言って、彼女はインカムで上に掛け合ってくれる。

 

「ありがと、毎回助かるよ」

 

「他ならぬ瀧先輩の頼みですから。……と、大丈夫みたいです。じゃあ、ご案内しますね」

 

彼女に連れられて店内を歩いて行くと、仕事中の元ウェイター仲間たちが手を振ったり、軽く会釈したりと、三者三様の挨拶をしてくる。人それぞれやり方は違えど、歓迎して貰えるというのはとても喜ばしい事だ。そして、俺の後ろに付いて歩く三葉と四葉の姿を見て、

え?あの瀧さんが!?

とでも言いたげに首を傾げるまでがテンプレだった。あいつらなぁ……

 

案内された席は店内が一望できる二階のロフト席で、普段は真っ先に予約が埋まる人気席だった。案内を終えた受付の彼女は、担当の男の先輩社員にバトンパスした。その人は俺にとっても先輩に当たるベテラン社員で、色々とお世話になった人だった。

 

「本日は、ご来店頂きまして誠に有難う御座います。お客様、当店のご利用は初めてでしょうか?」

 

先輩社員は茶目っ気たっぷりに定型の質問を投げかける。これには思わず笑みが溢れる。先輩社員は俺の言葉を待つまでもなく、続け様に本日のコースメニューを紹介する。

 

「本日のコース料理は、アンティパストに季節の野菜5種を使ったサラダ、プリモに北海道産子羊のパッパルデッレ、セコンドは本日の鮮魚のピカタか子牛の頬肉の赤ワイン煮込みからお選び頂けます。ドルチェはそちらに御座いますメニューよりお好きな物をお選び下さい。ちなみに、本日、ピエモンテより新しくワインが入荷しておりまして、大変お勧めとなっております」

 

ふと、二人の方を見ると、一体絶対何が何だか分からないと言った様子で目が点になっていた。まあ、あまりイタリアンに馴染みがないと全然分からないよなぁ。俺も初めは料理を覚えるのに、めちゃくちゃ苦労したからな。

 

そんな訳で俺は分かりやすく噛み砕きながら彼女たちの意見を聞き、料理を注文した。

 

やがて、俺たちは出される料理に舌鼓を打ちながら、食事の時間を堪能した。俺と三葉はワインを一杯だけ注文したが、少なくともそれで酔い潰れる様な事はなかった。

 

そう、ここ迄は非常に楽しいひと時だった。間違っても三葉が酔い潰れ、未成年の四葉までお酒を飲むなどと言う事態には成り得るはずが無かった。

 

おいしい料理を満喫しながら取り留めない会話を交わしつつ、次のメイン料理をいよいよ待つばかりという俺たちの所に、何故か頼んでいない赤ワインが一本運ばれてきた。しかも、グラスが三つもある。四葉は雰囲気が大人びて見えるから、ひょっとすると成人していると勘違いしたのかもしれなかった。

 

「お客様、こちら、当店からの心ばかりのサービスで御座います」

 

先輩社員はウインクをしながら周りの客に気付かれない様に小声でそう告げる。とは言え、いくら何でも未成年にお酒を飲ますのは不味いので、四葉のドリンクを追加で注文しようとしたのだが、

 

「瀧さん、大丈夫」

 

四葉はふるふると首を横に振った。きっと、お店の好意を無下にしたく無かったのだろう。

まあ、ちょっと位なら大丈夫か。ワイン一本なら一人当たり二杯程度だし、俺はお酒は強いので、無理そうなら俺が飲めばいいしな。だが、俺は直ぐにその考えが甘かった事に気付かされる事になった。

 

結局、俺がグラス三杯飲み、三葉と四葉が二杯弱飲んだのだが、この二人が、俺の想像以上にお酒に弱かった。ワイン一杯飲んだあたりで口数が少し減り、二杯飲み干した辺りで目がとろーんとしてきた。顔はみるみるうちに赤く染まり、次第に饒舌になっていく。

 

結局、デザートを食べ終わった辺りで、酔っ払い二人の完成である。

 

「あはっ、瀧くんが二人いるー。瀧くんがいっぱーい」

 

「それなら、私に一人ちょうだい〜」

 

「だーめ。瀧くんはみんな私のもんやの」

 

「えー、お姉ちゃんのけちー」

 

レストランの会計を終え、店長に御礼を言って店を出て以降、二人はずっとこんな調子である。

どうも、二人とも酒に酔うと笑い上戸になるらしく、何がおかしいのやらあらゆる出来事に笑いが止まらなくなっていた。

 

「ほら、三葉。四葉。このまま帰れるか?」

 

「えー、私瀧くんと離れたくないんよお。今日は一緒にいて?」

 

「わー、お姉ちゃんってば大胆ー。瀧さん、お姉ちゃんを末永くよろしくなんよぉ」

 

「えへへ、不束者ですがー」

 

こんな調子の二人を見て、俺は途方に暮れていた。このまま解散しようにも、正直危なっかしくて、ちゃんと家まで帰れるのか不安だし、かと言って、家まで送ろうにも場所が分からない。

 

今日は土曜日、幸い明日は休日だ。それに、都合がいいことに丁度我が家は親父が出張のため留守にしていた。

 

「はぁ、仕方ないか。ほら、三葉、四葉。今日は俺の家が空いてるから、そこに泊まりな。すぐそこだから」

 

「えー、お泊りなんて、ちょっと早いんよぉ。そりゃあ、瀧くんなら構わないけど、もうちょっと段階を踏んでからの方が良いと、三葉さんは思うんよ」

 

「もー、お姉ちゃん、そんな事言っとるから行き遅れるんよ。お姉ちゃん、もう結婚してもいい年なんだし、折角瀧さんが誘ってくれてるんだから、もっと積極的にアピールしぃー」

 

「えー、やっぱりそうかなあ」

 

「……お前たち、ちょっと落ち着け。ほら、ここに水があるから、ちゃんと飲む」

 

「きゃ、瀧くんと間接キスやぁ」

 

……もうめちゃくちゃである。俺は、二度とこの二人に酒は飲ませまいと、心に誓いつつ、二人を介護しながら自宅へと連れて行ったのであった。

 

―――

 

……知らない部屋だ。ふと目を覚ました私は、その部屋の間取りを見てぼんやりとそう思う。今流行りの接触冷感度に優れた、青を基調としたカバーに包まれたベッドの上で、なぜか四葉が私の直ぐそばで横たわっている。その服装も、昨日着ていた余所行きの格好のままだ。

 

あれ? 私たち、どうして一緒に寝てるんだろう。ていうか、ここはどこ?

 

寝惚け眼で部屋を見渡しながら、私は半ば眠った頭で昨日の出来事を思い出す。

ええと、昨日は瀧くんとのデートの日で、確か四葉と三人でイタリアン料理を食べた筈……

それで、べろべろに酔った私たちを瀧くんが送ってくれて……

 

送る? 何処に?? 瀧くんは私の家なんか知らない筈なのに?

 

思考を回転させると、徐々に昨日の出来事の細部まで思い出されてくる。

そうよ。瀧くんは酔った私たちを自分の家まで連れて来てくれたんだ。

 

えっ? じゃあ、ここって瀧くんの家!?

じゃあ、ひょっとしてこれって瀧くんのベッド?

 

ふと、本当にふとした気持ちで、瀧くんの布団を抱き寄せて、その匂いを嗅ぐ。

ああ、男の子だ。男の子の匂いがする。これが、瀧くんの匂い……

 

そんな事をしながら、昨日の出来事を振り返っていると、漸く、昨日の自分の言動が思い出されてきた。

 

私、酔った勢いでとんでも無い事言ってたんよ……

ああぁぁ、穴があったら入りたい……

兎に角、色々を迷惑を掛けてしまったから瀧くんに謝らなくては……

 

隣では四葉がまだぐっすりと眠っている。普段自然に朝早く目が覚める四葉にしては珍しい。私は、四葉を起こさないよう、ゆっくりとベッドから抜け出し、もう一度部屋の中を見渡す。

 

瀧くんの勉強机にはデッサンや風景画の教本がびっしりと並べられ、壁には画用紙に書かれた風景とか建築物のデッサンが隙間無く貼り付けられている。

 

そのどれにも何度も書き直した跡が微かに残っており、細部に対するこだわりとこれらを書き上げるまでの苦労がひしひしと感じられた。

瀧くんが見て、瀧くんが歩んできた光景が、それらデッサンを見る事で感じ取られ、自然と胸の奥底が温かくなった。

 

瀧くんは、こういう見ている人が温かくなる様な建物を作りたいと思っているのだろう。そんな思いがこれらの絵からは感じられる。

 

私は暫くの間、それらデッサンに見惚れて、ぼんやりとその一枚一枚を眺めていた。そして、壁に無数に貼り付けられたデッサンのある一角で、私の目はふと止まる。

 

あれ? この風景って……

 

それは、八年前、嫌になる程見てきた何気ない風景。本屋も無ければ歯医者もない、電車もバスも碌に走らず、コンビニは九時には閉まる。カフェも無いのにスナックは何故か二件もある。そんなど田舎の何気ない光景。当時は嫌で嫌で仕方がなかった、田舎特有の緑しかない単調な景色。

 

そして、もう二度と見る事が出来ない、穏やかでのんびりとした愛しい町のとある一面。

 

これ……糸守だ……

 

私は、瀧くんの書いたその風景に、暫くの間、時間を忘れて心奪われていたのだった。

 




いつもお読み頂き誠に有難うございます。
気づくと本作が日間ランキングにランクインしており、驚きでいっぱいです。
大勢の方にお読みいただいて、本当に感謝するばかりであります。
それと同時に、君の名は。の人気の凄まじさをふつふつと感じますね。

さて、今話では瀧のバイト先が登場致しました。
ちなみに、モデルとなっているお店は、リストランテというよりはトラットリアに近い雰囲気なお店という気もしたのですが、まあ、細かい所はご容赦下さい。
あ、あと、未成年の飲酒は法律で禁じられております。
絶対に真似しないでくださいね?

次回は糸守の話からです。
なかなか時間が取れず、更新が遅くなるやもしれませんが、
必ず書きますのでよろしければ次回も是非ご覧くださいませ。
それでは。




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番外編〜四葉の思い〜

夢を見ていた。何処かとても懐かしい夢。

私とお祖母(ばあ)ちゃんと姉の三人は趣ある木造建屋の八畳程の作業部屋にいて、私は簡素な着物に身を包み、一心不乱に糸を巻いていた。その作業はひたすらに単調で、痺れを切らした私は思わず文句を漏らす。

 

「この作業つまらんよ〜。あーん、私もそっちがいいわぁ」

 

「四葉にはまだ早いわ」

 

私の必死の抗議もお祖母ちゃんの鶴の一声で一蹴される。

 

「糸の声を聞いてみない。そうやってずーっと糸を巻いとるとな、じきに人と糸との間に感情が流れ出すで」

 

「へ? 糸は喋らんもん」

 

お祖母ちゃんの話はいちいち難しい。人以外の思いを読み取れる様になれなんて、小学生だった私には到底理解し難い話だった。

 

すっと、何の違和感も無く場面が切り替わる。

 

高々と(そび)え立つカエデの葉群れから暖かみを持った太陽の光が透け、足場の悪い砂利道を明るく照らし出している。山々はまるで寒さを凌ごうとするかの如く黄色や紅に染まった落ち葉を着込み、木々の合間を吹き抜ける木枯らしがひゅうひゅうと音を立てて鳴いている。

 

そこは糸守神社の御神体が祀られてる(ほこら)へと続く一本の山道。

 

「ね、婆ちゃん! おぶらせて、良かったら」

 

そう言って姉はお祖母ちゃんをふらふらしながらも背負って山道を登る。全く、無茶しすぎなんよ……

そう、この時期の姉はいつも以上にうすらぼんやりしていて、正直見ていて危なっかしかった。けれども、そんな姉の姿に、何処か憧れを抱く私がいた。

 

「ムスビって知っとる?」

 

「ムスビ?」

 

お祖母ちゃんの問いに、私は疑問形で返す。お姉ちゃんなら知っているのだろうかと思い、その顔を覗き込んで見たが、姉は何のことやらとでも言いたげにしかめっ面をしていた。

 

「土地の氏神(うじがみ)さまのことをな、古い言葉で産霊(むすび)って呼ぶんやさ。この言葉には、いくつもの深いふかーい意味がある」

 

お祖母ちゃんの話は難しい。だけど、その言葉には重みがあって、私の中にすっと入ってくる。

 

「知っとるかい? 糸を繋げることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ、同じ言葉を使う。それは神さまの呼び名であり、神さまの力や。ワシらの作る組紐も、神さまの技、時間の流れそのものを顕しとる」

 

私は今まで作ってきた組紐を想像する。赤、青、黄、緑、様々な糸が寄り集まって作られる組紐。

 

「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それが、ムスビ」

 

私は私たちが作った組紐がすーっと解かれて行くイメージを浮かべる。ああ、実際にそんな事になったら、お姉ちゃん、きっと発狂してまうんやろな。幼い私は、その姿を想像して大きく溜息を吐いた。

 

やがて、カルデラの窪地にある、宮水神社の祠に到着した。そこは湿原になっており、(さなが)ら糸守にある空中庭園だった。

 

私達は祠の中で自らの半身である口噛み酒を神さまに捧げる。

半身だとか隠り世(かくりよ)だとかは小学生の私にとっては理解不能だった。

ただ、終始、お祖母ちゃんを献身的に支えるお姉ちゃんの姿が、とても頼もしく、そして格好良く見えて、知らず知らずの内に姉への憧れが募っていく。

やる事を終えた私たちが帰路に着く頃、何処からかひぐらしのカナカナカナという切なげな声が聴こえてきた。私は、こんな時期にひぐらしが鳴くなんて珍しいなぁなんて、のほほんとしながら思っていた。

 

「もう、カタワレ時やなあ」

 

やがて私たちは山里を一望できる所まで来て、夕暮れ時の糸守の美しい光景に目を奪われていた。私は夕刻より浮かび上がる夜空に彗星が見えないか、必死で探した。ああ、あの時はまだ、彗星はただただ美しいものだと、そう思っていたっけ……

 

無邪気にはしゃぐ私を尻目に、おや、三葉、とお祖母ちゃんがふと気づいた様に声を上げる。

 

「―――あんた今、夢を見とるな?」

 

はっと目が覚める。そこは一面白壁に包まれた無愛想な東京の自室。

やけに鮮明な夢だった。懐かしい糸守の記憶。今はもうない、私たちが生まれ育った自然がいっぱいの田舎で過ごした思い出の一ページ。

 

それにしても、夢を見ているのは私だというのに、どうしてお姉ちゃんが夢を見ているのか。やっぱりお祖母ちゃんの話は難しい、なんてある程度大人になった今でも思ってしまう私は成長してないのだろうか?

 

……どうしてこんな夢を見たのだろう。私はふと疑問に思う。必死で考えてみたが、結局答えは見つからない。ううん、そうじゃない、きっと私は……

 

―――

 

毎日六時にきっちりと目が覚める私は、いつも通りキッチンに立って簡単な朝ご飯を作る。平日は当番制だが、休日の姉は頑として起きようとしないので、各々で準備する事になっている。

 

本人曰く、

 

「折角の休日やんに、寝やんと損やろ。四葉も社会人になったらわかるわぁ」

 

との事だった。寧ろ折角の休日こそ、早起きして有効活用すべきなのではと思ったりしたが、姉にそんな事を言ってもどうせ無駄なのでやめておいた。そもそも、お姉ちゃん、社会人になる前からずっと休日は遅くまで寝てたよね……

 

そんな少々だらしないとも思える姉だったが、今日は珍しくきっちりと朝早くに起きて来た。

質素ながら絶妙に可愛らしさが垣間見れる姉の装いを見て、今日のデートへの意気込みを感じる。

その一挙手一投足に気合いが入っている様子が見て取れて、我が姉ながら分かり易いなぁ、なんて生温かい目で見守っていた。

 

ふと、姉がテレビの占い番組をつける。

姉は六位の様で複雑そうな表情を浮かべていた。ラッキーカラーはオレンジ!

良かったじゃん、その髪を結ってる組紐、オレンジ色だよ?

 

そして、私はと言うと、見事に一位だった。

今日は長年抱いてきた思いが叶う最高の日! だそうだ。

馬鹿馬鹿しい、と私は思う。別に占いを否定したりしないが、数億もいる人間をたった十二等分しただけで、願いが叶うなんて無責任な事言わないで欲しい。

 

どうせ、私の願いなんか叶いっこ無いんだから……

 

―――

 

鼻歌でも歌いそうな勢いで意気揚々と出かけた姉の後を、こっそりと私は追っていく。

 

相変わらず東京は人で溢れており、駅で一瞬姉の姿を見失いかけたが、前もって何処へ行くか聞いていたおかげで何とか再び見つける事が出来た。

 

やがて、お姉ちゃんは目的の場所に着いたのか、ベンチに座りながら前もって買っていた缶コーヒーを両手でちびちびと飲んでいる。

 

そんな姉をずっと遠目から見守っていたのだが……

 

長くない??

 

待ち合わせ場所に到着してから、彼此一時間近く経つ。え? 何? ひょっとしてすっぽかされたの?それにしては、姉の表情はとても穏やかだ。

 

時々、ナンパだろうか男から声をかけられていたが、毅然としたら態度でいつも通り丁重にお断りしていた。

うーん、待ち惚けを食らった挙句、ナンパされたりしたら、普通面倒くさくなって帰るけどなぁ。やっぱりお姉ちゃんの感覚はよくわからない。

 

やがて、漸くお姉ちゃんね彼氏らしき人物がやってくる。

整った顔立ち、ハリネズミみたいな髪型、清潔感溢れるその出で立ち。成る程、確かにお姉ちゃんの好みを詰め込んだ様な男ではある。

 

その人は、特に悪びれる様子も無く、笑っている。そんな彼を見て、姉も笑っている。これには思わず首を傾げざるを得ない。ちょっと、お姉ちゃん、一時間以上遅れる様な人、ろくな奴じゃないよぉー!

 

やはり、姉の感性はよく分からない。昔から(まこと)にうすぼんやりしているとは思っていたが、流石に一時間待たされて一切怒らないというのはうすぼんやりでは済まされない。

 

やっぱり、お姉ちゃん、騙されとるん??

そんな疑念が強まったのだが、ずっと姉らを観察していると、どうもそんな感じでもない気がする。

 

割と頻繁に言い争っているし、決して互いが遠慮し合うという仲でも無さそうだ。かと言って仲が悪いかと言えば、そんな事は決して無く、傍目から見ても仲睦まじいラブラブのバカップルにしか思えなかった。

 

そこで、私はお姉ちゃんが居なくなった頃合いを見て、彼に近づいた。

こう言うのは直接話すのが一番手っ取り早い。何を聞けばいいか、どう接したらいいか、そんな細かい事は全く決めていなかったが、接していれば大体の人となりは把握出来る自信があった。

 

そうして、私は彼に話しかける。彼は大きくって力強い瞳で私をじっと見つめている。

 

軽く会話を交わし、何か大切な思いに満ち溢れているかの様に力強い彼の態度を見て、私は何故か、そう、何故かとても嫌な思いに取り憑かれる。

 

そうして私は殆ど無意識のうちに、姉への暴言が口を衝いて出ていた。

 

「私、姉のこと嫌いなんです」

 

どうしてだろう。本当は違うのに、こんな事を言いたい訳じゃないのに、まるで決壊したダムの水の様に姉への悪口が溢れて止まらなかった。私を見つめていた彼の温かい瞳が、見る見るうちに私への不信感を内包していく。

 

怒られる。私はそう思った。確かに名目は彼を試す為だったけれど、この人が姉を心から愛している事は、少し接しただけで十分に分かった。そう、分かった筈なのに……

どうして私は……

 

「四葉ちゃん……」

 

その言葉に私は思わず下を向く。怖い……怒られる事が? 嫌われる事が? ううん、そうじゃない……

 

だけど、彼は私を怒らなかった。こんな私を心配して、優しく接してくれた。その言葉は、私の心の奥まで酷く染みるものだった。思わず、涙が溢れた。彼への申し訳なさに、姉への申し訳なさに、そして、自分の心の醜悪さに……私は、涙が止まらなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさい」

 

それは心の奥底からの謝罪。今の私に出来る事は、ただひたすら謝る事だけだった。

 

そして、漸く、理解する。

 

ああ、私は……

 

一人ぼっちになるのが怖かったんだ。

 

小さい頃に母を失い、母を失った哀しみもさめやらぬまま父がいなくなり、そうして、糸守町まで無くなった。結局、お祖母ちゃんとも離れ離れになり、友達とも別れ、見知らぬ町東京で、私はずっと姉を頼りに生きてきた。

 

姉が結婚して、私の元から去ってしまったら、私は一人ぼっちだ。それがどうしようもなく怖くて、私はきっと自分でも気付かないまま、姉の彼氏が駄目な人間である事を、心の奥底で願っていた。そうすれば、姉はまた私の元へ帰ってくる、いつ迄も私の側に居てくれる、そんな思いに取り憑かれていたのだろう。

 

そう、本当はとっくの前から気付いていた。あれだけ恋愛に興味を見せなかった姉が、ずっと何かを失ったかの様に右手を見つめていた姉が、幸せに満ちた微笑みを浮かべたあの日、姉が運命の人を見つけたんだというそんな確信が、私にはあった。ただ、私はそれを認めたくなくて、あれこれと理由を付けて姉が別れる要因を探していたに過ぎない。

 

けれども、今朝からずっと姉の姿を見て、本当に幸せそうな姉の微笑みを見て、私はこんな考えに取り憑かれる自分が嫌になった。だからこそ、私は彼に近づいた。私が彼の前で姉を非難すれば、きっと彼は私を嫌うだろう。それでいい。それが、こんな嫌な考えしか出来ない、私への罰だ……彼の前で見せた怒りは、殆ど自分自身への怒りだった。

 

それなのに、彼はこんな私にも優しかった。何処までも何処までも優しかった。その姿はどうしてだろう、何故か、遠い昔、お祖母ちゃんを気遣う姉の姿を彷彿とさせた。そうして気付く。お姉ちゃんも彼も、似た者同士なんだなと。

 

ふと思い出す。

 

ムスビ―――

 

よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながる。

 

ああ、これがムスビなんだな、と私は殆ど直感的にそう思う。お姉ちゃんと彼は、ムスビによって強く、強く、どこまでも繋がっている。それは、私なんかが何をやったって、決して揺らぐことは無いのだろう。

 

だから、私は立ち去らなくてはならない。彼は凄く良い人だ。私なんかの我儘で、この二人の邪魔をしてはいけない。大丈夫、私は別れる事には慣れている。きっと今回だって、笑顔で姉を送り出せる筈だ……

 

私は時々二人の事を揶揄いながら、なるべく気丈に振る舞う様に努めた。二人に気取られてはいけない。弱気になっちゃいけない。これは、自分勝手な私への罰。その償いは、二人の幸せを笑って送り出す事。

 

そうして別れの時間が訪れる。私は二人に別れを告げる。それは思っていたよりも以外と呆気なかった。

 

私は帰り道をとぼとぼと歩く。ふと上の方を見上げると、あれだけ青かった空がいつの間にか真っ赤に染まっていた。

 

「もう、カタワレ時やなあ」

 

私は無意識のうちにそう呟く。どうしてだろう。街並みも風景も全然違うのに、このカタワレ時は何処までも何処までも美しい。いつか……いつか私にも、お姉ちゃんと瀧さんの様にお互いを思い遣れる相手が出来るのかな……

 

そんないつになるかも分からない話を柄にも無く考えていた私の背後から、ふと男の人の声が掛かる。それは、つい先程知った、優しい声。

 

「四葉ちゃん! もし良かったら、俺たちと一緒に晩御飯でもどう?」

 

それは、正しく私が求めていた言葉。この二人なら、私を一人ぼっちにしたりしない。それを確信させる、そんな一言。嬉しくて、心の底から嬉しくて、気を抜くと涙が溢れそうになる。

 

だから、私は涙を見せない様に、憎まれ口を叩きながら、素直な気持ちをこう告げる。

 

「えー、お二人の熱々っぷりを見ていたら、お腹一杯になっちゃいますよぉ。でも、折角なので、ご一緒させて下さい。

 

……ありがとう」

 

そう言えば、今朝の占いも馬鹿に出来ないな。これからは、少し位占いを信じてみてもいいかも知れない。私はふと、そんな事を思うのだった。

 




今回もお読み下さいまして、誠に有難うございます。
どうも、水無月さつきです。

今話は番外編でしたが、如何でしたでしょうか。
番外編と言いつつ、個人的にはかなり気合いを入れて書いた一話になります。
同じ場面を三者から異なる視点で見ると、こうも見方が変わるんですね。

ちなみに、待ち合わせの時間に関しまして、多少わかりづらいかも知れないので補足しておきますと、
待ち合わせ時刻 10時
三葉 8時30分着
瀧 9時30分着
ですので、決して瀧が遅れた訳ではありません。この時三葉は浮かれていて、一刻も早く待ち合わせ場所に行きたかっただけなんですね。

さて、前回、次話は糸守の話と言っていたのに、急に番外編で申し訳ありません。ただ、この話を入れるならここしかないなと思ったので、急遽変更いたしました。
次回こそ、糸守の話となります。
どうぞ次回もご覧下さると嬉しいです。
それでは。


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糸守の記憶

朝、目が覚めると、俺はリビングのソファの上だった。

 

ああ、そう言えば、昨日は結局ここで眠ったんだっけ?

 

部屋の中はまだ真っ暗で、時が止まったかの様に静寂な空間に、リビングに面したキッチン備え付けの年老いた換気扇のキィキィという錆びついた音が時折虚しく響く。

 

こんな時間に目が覚めるのは、ソファの寝心地が悪いせいか、はたまた酒が入っていたから眠りが浅かったせいか……

 

いや、どちらも違うだろうな。

そう、答えは分かっている。俺は、ソファから起き上がり、なるべく音を立てない様に自分の部屋の扉を開ける。

 

一定のリズムで心地良い寝息を立てながら、お互い寄り添う様にして仲良く眠る三葉と四葉の姿がそこにはあった。

その、幸せそうな寝顔を見て、俺もなんだか幸せな気持ちになった。

 

俺は、自分の机に座って頬杖を突きながら、暫しの間、彼女たちの寝顔を眺めていたが、彼女たちが余りにも気持ちよさそうに眠るものだから、少し悪戯してやりたいという衝動に駆られる。

 

なんと言っても、本当に昨日は大変だったのだ。

四葉は割と早い段階で眠ったのだが、三葉の方はあのおかしなテンションを持続したまま、べったり甘えてきて、寝かし付けるのも一苦労だった。まあ、正直な話、甘えてくる三葉は非常に可愛かったのだが、その反面、無防備すぎて色々と危なっかしい。あの時の俺は酔いも醒めており、ほとんど素面だったから何とか理性が効いたが、俺も酔っぱらっている状態だったら間違いが起きても不思議ではなかった。

 

俺も男である。彼女を作らなかったし、そういう体験もした事がないので、どうも周りからはそういう欲求が薄いと思われがちだったが、俺にも人並みには性欲だってある。当然、好きな女を抱きたいという本能的な欲望も湧いてくる訳で、それを理性で抑え込んでいるに過ぎない。

 

俺は三葉を大切にしたい。考え方が古いだとか、へたれなんて言われるかも分からないが、少なくとも俺は自分の欲望の赴くままに、彼女を抱くなんて真似をしたくなかった。急ぐ必要なんてない。ゆっくり時間をかけて、ちょっとずつ段階を踏んで行けばいい。だって、三葉はここにいるのだから……

 

そう思っていたのだが、肝心の三葉がそれを許してくれない。彼女は易々と俺の理性の壁を突破してくるのだ。きっと無意識のうちにやっているのだろうが、三葉は俺と接する時かなり距離が近い。四葉の話を聞く限り三葉は脇が甘いなどということは決してなく、寧ろ男とは必ず一定の距離を置く程度には身持ちの堅さに定評があるとのことだった。

 

四葉は俺と接する三葉の姿を見て、まるで性格が百八十度ひっくり返ったかのようだ、と評していた。それだけ俺の事を信頼してくれている、そう思うと猶の事、三葉を大事にしなくてはと気合が入るのだが、しかし、三葉にくっ付かれて湧いてくる抑えがたい欲求は如何せん何ともしがたい。そんな訳で、俺はこのどうしようもない欲望にひたすら耐えながら、三葉を何とか寝かしつけたのだ。

 

そんな事を思い出して、俺は少しむかむかしてきた。俺の気も知らないで、この女は……。さて、どんな悪戯をしてやろうか。

俺は机の上に置いてあったマジックペンを取り出して、三葉の顔を覗き込む。

 

「瀧くん……バーニャカウダを浴びるなんて……危ないんよぉ……」

 

……一体どんな夢を見ているのだろうか。バーニャカウダが出てくる辺り昨日のイタリアンが尾を引いているのだろうが、夢の中で俺がどんな目にあっているのか非常に気になるところだ。

 

全く、本当にぐっすり眠りやがって。憎らしいやら愛らしいやら、何とも言い難い気持ちになった俺は、彼女の右腕に”ばかみつは”と落書きしてやる。

 

……あれ? どうしてだろう。

どこか懐かしい気持ちが、心の奥の方から湧き上がってくる。こんなこと、前にもどこかであったような……

 

俺はその懐かしさに身を委ね、心の赴くままに彼女の右の掌に文字を書く。

ほんのちょっぴり恥ずかしいけれど、どこまでも確かな俺の気持ち。

決して揺らぐことのない、俺の思い。

 

朝起きて自分の掌を見たら、彼女は一体何を思うのだろう。

その時の彼女のリアクションが楽しみだ。

 

もうしばらくの間、俺はそのまま仲良く眠る姉妹の姿を眺めていたが、やがて満足した俺は眠気を覚ますべく朝風呂に入った。

 

三十度位のほんのりと冷たい水を全身に浴びると、体中に血液が巡っていくのを実感できる。昨日はとても良い一日だったが、今日もきっと良い一日になりそうだ。

 

気が付くと窓から太陽の光が差し込んでおり、もうすっかり朝を迎えていた。

風呂から上がった俺は、キッチンへ向かい、三人分の朝食を作る。

 

レタスにトマトを添えた簡単なサラダにスクランブルエッグ。パンは二人が起きてから焼けば良いだろう。そう言えば、宮水家は朝食は和食だったな。

……あれ? なんでそんな事知ってるんだっけ?

 

そんな疑問がふと浮かんだが、次の瞬間シャボン玉のように消えていった。三葉が焦っているような、照れているような、困惑しているような、そんな色々な感情が入り混じった何とも形容しがたい表情を浮かべながらリビングへやってきたからだ。

 

「あ、あ、た、瀧くん。あの、おはよ」

 

「ああ、おはよ。どうだった? 俺のサプライズは」

 

「ば、ばかはひどいんよ。ばかは。で、でも、その、”すきだ”って言葉は、なんだか胸の奥がとっても温かくなって、嬉しかった」

 

三葉は少しもじもじしながら、俺の正面の方へ近づいてきて、すっと俺の腰へと手を回す。俺の事をじっと見つめるもの言いたげな大きな瞳に吸い寄せられるように、俺は三葉に口づけをする。

 

小鳥がついばむ様に、優しく何回かキスを交わした後、三葉は恥ずかしそうに俺の胸へと顔を埋める。

 

「瀧くん……私も、瀧くんの事、大好きなんよ」

 

俺はその言葉を何度も心の中で噛み締めながら、俺たちは抱き合ってお互いを感じていたのだが、

 

「朝から、それはもう熱々ですねぇ、おねーちゃん」

 

ふと、後ろの方で四葉の声がして、俺たちは慌てて離れる。

そうだった、四葉がいる事をすっかり忘れていた……

 

「全く、お熱いのは大変結構ですけど、出来れば私のいない所でやって貰いたいものです」

 

「な、な、な、何よーもう! あんたさっきまで寝とったやろー!?」

 

「そりゃあ、ぐっすり寝てる横で自分の腕を見て嬉々としながらくねくねしてる姉がいたら、否が応でも起きますよぉ」

 

言い返す言葉がないのか、三葉は悔しそうに歯ぎしりしている。まるで、今にもぐぬぬと言い出しかねない形相だった。

 

しかし、等の四葉はというと、三葉を歯牙にもかけない様子で俺の正面に立つと、ちょこんと頭を下げた。

 

「瀧さん。おはようございます。昨晩は、姉妹共々、色々と御迷惑をお掛けしまして、大変申し訳ありませんでした」

 

「え、ああ、構わないよ。俺も賑やかで楽しかったし」

 

「ちょっとお、なんで私を差し置いて先謝るんよぉ。瀧くん! 私からもごめんなさい!」

 

負けじと三葉も深々と頭を下げる。この二人、本当に仲が良いんだなぁなんて思って、思わず笑みが溢れる。それを見た三葉は不服そうに頬を膨らます。

 

「ちょっとー!? なんで笑うんよ〜」

 

「お姉ちゃんが面白おかしいからでしょ、そりゃあ」

 

それは、とても幸せなひと時だった。彼女たちが今ここにいる。その何気ない事実が、どうしてだろう、とても尊いことの様に思えた。この小さな幸せをいつ迄も……俺は心の底からそう願うのだった。

 

―――

 

「ねぇ、そう言えば、聞きたい事があるの。大切な話……」

 

ふと、三葉が真剣な面持ちでそんな風に話を切り出す。先程まで一緒に笑っていた四葉も、深妙な面持ちで俺を見ている。

 

「あのね、瀧くんって、糸守は知ってるよね?」

 

糸守……その名を聞いて、とくんと心臓が跳び跳ねるのを感じる。

八年前、彗星が落ちた悲劇の町。その町に、ずっと惹かれている俺がいた。糸守の話題がニュースに上がるたびに、言い表し難い焦燥感に俺は駆られていた。

 

……そう、例えるならば、ずっと大切にしてきた忘れ物を探し求める小学生のような焦りと不安。

 

だけど、何故だろう、彼女から糸守の名を聞いた今、その感覚はやってこなかった。

 

「瀧くんって、遠い昔に糸守に居たことあるの? あのね、瀧くんの部屋に飾ってあった風景画、勝手に見ちゃったんだけど、その中に糸守の絵、あったよね」

 

「ああ、あの絵見たんだ。何でだろうな、俺も不思議なんだ。俺は、糸守に居たことはないよ。だけど、あの町に、あの風景に、ずっと何処か惹かれていた。大切な何かを忘れてきた、そんな感覚」

 

そんな俺の言葉を聞いて、三葉は少し沈黙する。やがて、暫しの時間が経過したのち、三葉は決心したような面持ちで口を開く。

 

「あのね、私たち糸守出身なの……」

 

彼女は語り始める。八年前に糸守に彗星が落ちたこと。その後、祖母と別れて惹かれるようにして東京へやってきたこと。東京で、四葉とずっと二人で生活してきたこと。気の毒に思われるのが嫌で、ずっと糸守出身であることを隠してきたこと。

 

彼女の話を淡々と聞いていて、今まで感じていた違和感にようやく腑が落ちる。今まで抱いてきた陰りがすっと晴れていく、そんな感覚。

 

「俺は糸守を知らない。だけど、覚えている。そんな矛盾した感覚にずっと捕らわれてきた。そんな風になったのは……そう、確か五年前……」

 

俺は語る。五年前、何故か無性に糸守に惹かれて、記憶にない風景を書き連ねたこと。その風景を頼りに二人の友人を連れて糸守へ行ったこと。何故か友人たちと別れて、景色が綺麗な山の頂上で一泊したこと。その後から、糸守に関するニュースを読み漁ったこと。

 

そうして全てを話し終えた俺は、なんだかとても清々しい気持ちになった。三葉もすっきりとした面持ちを浮かべながら、真ん丸な大きな瞳で俺を見ている。

 

三葉を抱きしめたい、ふと、そんな感覚に襲われる。四葉がいるのは分かっている。だけど、俺はこの思いのままに彼女を強く抱きしめた。

 

「ひゃっ……瀧……くん……?」

 

三葉は初めは恥ずかしそうな声を上げたが、やがて体の力をすっと抜き俺に全身を委ねてくる。

 

四葉はと言うと、恥ずかしいのか楽しんでいるのか、ひゃあーなんて言いながら両手で顔を覆い、まるで邪魔者は退散しまーすとでも言うかのようにそろりそろりと部屋の外へ出て行った。

 

あの日、あの時、あの場所で、俺は君を探していたのかな―――

 

そうだといいね―――

 

と三葉は笑う。俺は三葉の髪を弄ぶようにして右手に絡める。彼女の長くて良く手入れされたその黒髮は絹のように滑らかで、触れていると心地が良かった。そうしてふと、彼女の髪を束ねている組紐に右手が触れる。

 

夕陽のように鮮やかな燈色を基調とした綺麗な組紐。幾つもの糸が丁寧に編み込まれたその艶やかな色合いに、俺は何処となく懐かしい思いを抱く。

 

「「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり」」

 

俺たちは、ほとんど同じタイミングでそんな言葉を呟いていた。俺の腕の中で三葉が驚いたようにこちらを見上げてくる。

 

「どうして知ってるの? それ、私のお祖母ちゃんの受け売りやのに」

 

「何でだろうな。ただ、その組紐を見てると、自然とその言葉が浮かんだんだ」

 

「そっかぁ。でも、どうしてかな。全然不思議じゃないや」

 

三葉はすっと俺の腕から抜け出して、正面から俺を見る。そうして自分の髪を結っていた組紐をすーっと解いて両手の上に乗せ、俺に差し出す。

 

「ねぇ瀧くん。これ、持ってて」

「いいのか? 大切なものなんじゃないのか?」

 

「うん。ずっと持ってる大切なもの。だから、瀧くんに持っていて欲しいの。その代わりに、必ず返してね。いつか、私たちが―――」

 

「私たちが?」

 

俺は三葉の言葉を待った。だけど、彼女はそれ以上言葉を紡がなかった。

だから、俺は彼女から組紐を受け取って、殆ど考えるまでも無くそれを右手首に簡単に巻いた。

 

「分かった。必ず返すよ。まだ少し先かも知れないけど、必ず返す。いつか、俺たちが―――」

 

だから、俺もその先は言わなかった。言わなくても俺たちはきっと通じ合っている。

急ぐ必要なんてない。君は今ここにいるのだから。

 

そう思って彼女に微笑みかけると、彼女もにっこりと笑顔を見せる。そうやって俺たちは、言葉を交わさずただただじっと見つめあっていたのだが、恐らくドアの陰からじっと様子を伺っていたのであろう四葉が、あまりに動きのない俺たちにしびれを切らしたのか、ひょっこりと顔を出した。

 

「あのぅ……いい加減、私、お腹すいてきたんですけどぉ」




毎度ご覧下さいましてありがとうございます。
水無月さつきです。

糸守の話とあれだけ言っていたのですが、あまり糸守の話、出てきませんでしたね……(焦り
とは言えども、糸守はやはり非常に重要なキーワードな訳ですから、この話は糸守の話で間違いありません!!

さて、ここで一つお知らせですが、本作の序章を書き直そうと思います。と言いますのも、あの二話は映画を見て勢いのまま直ぐに書いた話でして、今読み返すと、色々と気になる点があるからです。
話の大筋は変えませんが、特に一話に関しては完全に差し替えようと思っております。その為、次話に関しましては今暫くお待ち下さいませ。もし宜しければ、書き直した序章もご覧頂けるとうれしいです。
丁度、今章も一区切りとなりまして、次章へ変わります。
どんな話になっていくのか
私にも分かりません(おいおい
なるべく皆様に満足頂けるよう頑張りますので、今後ともよろしくお願いします。



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旧友たちとの初めまして
ダブルデート


彼女と出逢ってから、一ヶ月が経とうとしていた。時には、喧嘩したり言い争ったりもするが、その度俺たちの仲は深まっていくように思う。そう言えば丁度つい先程も些細なことでちょっとした喧嘩になったのだが……

その時の事を回想すると、とても心地よい気分に満たされる。

 

「仲直りのちゅー……しよ?」

 

三葉はそう言って、俺を抱きしめる形で背中に手を回し、目を閉じながら意味ありげに可愛らしい形の唇を少し突き出している。俺も目を瞑りながら、右手を彼女の魅惑的なうなじの辺りに持っていき、そのすべすべとした首筋とふわふわした髪の生え際の感触を楽しみながら、一回、また一回と唇を交わす。

 

やがて何度目か分からなくなる位に唇を重ねた後、ふと目を開くと、彼女も同じタイミングで目を開けていたのか、すっと視線が合う。そのもの言いたげな大きな瞳に吸い寄せられて、俺はもう一度彼女の唇を奪う。そして、その勢いのまま彼女の口内へと舌を這わせる。彼女を抱く腕に自然と力が入る。俺の背中を抱く彼女の力も強くなるのを感じる。

 

彼女は甘い吐息を漏らしながら、俺の舌に自分の舌を絡ませてくる。その舌はまるで別の生き物のように俺の舌を搦めとる。俺も負けじと舌を這わせると、彼女からまた吐息が漏れる。ザラザラとした触感とヌメヌメした感触が混ざり合い、次第に何も考えられなくなってきて、頭がバカになりそうだ。

 

数秒にも数時間にも思えるそんな深い深い口付けを交わした後、三葉は顔を真っ赤にして俺の胸の中に顔を埋める。

 

ああ、いけない。これは、癖になってしまう……キスがこんなに気持ちいいものなんて知らなかった。それは、やっぱり彼女が相手だからなのだろうか。

 

「あかんよぉ。瀧くんと一緒におると、私あほになってまうんよ……」

 

そんな風に恥ずかしがる彼女の姿を見て、俺はなるべく平然としているように努めた。本当は物凄く恥ずかしかったけれども、俺が恥ずかしがってしまったら、彼女はもっと恥ずかしくなるだろう。だから、俺は強がって、彼女を強気に攻める。

 

「それじゃあ、もっとあほにしてやろうか?」

 

「瀧くんのえっち……うん、もっと……しよ?」

 

……どうやら三葉の方が一枚上手だったようだ。俺は自分でも分かるくらいに顔を真っ赤にしながら、三葉ともうひと勝負挑んだのだった。

 

そんな風に、こうやって自分で振り返って恥ずかしくなる程度には、それはもう順調な交際を続けていた。よく四葉も交えて食事に行ったりもするのだが、その度四葉から、式の日取りはいつですか、とか、新婚旅行はどこにいくんですか、とか聞かれて揶揄われていた。

 

その辺りの質問などはまだ優しいレベルで、ついこの間、

 

「赤ちゃんは何人作る予定なんですか?」

 

と聞かれて、思わず食べていた物を喉に詰まらせそうになった。普段の揶揄には恥ずかしそうに笑って誤魔化していた三葉も、この時ばかりは顔を真っ赤にしながら席を外してまで本気で四葉にお説教をした後、全力で俺に謝罪をしてきた。

 

ちなみに、この時三葉は満面の笑みを浮かべながら無言で立ち上がり、四葉をお手洗いまで連れて行ったのだが、数分後涙目になりながら人が変わったように萎れている四葉を見て、絶対に三葉を本気で怒らせないようにしようと誓ったのは内緒の話だ。

 

さて、そんな順風満帆な日々を送っていた俺たちだったが、ある平日の朝、三葉からのメールの思わぬ文面に目を見張ることになった。

 

今度、ダブルデートをしたいんだけど、大丈夫?

 

それは本当に唐突な提案だった。三葉がそんな提案してくること自体が意外だったし、俺と三葉との共通の知人など、思い当たる限りいなかった。

 

いや、一人だけ四葉がいるな、と思い当たり、よもやと思いながらも、ひょっとして四葉ちゃん? なんて聞いて見たら、そんなわけないんやよ、と可愛い顔文字とともにやんわりと否定された。

 

詳しく話を聞いてみたところ、どうも三葉の昔からの友人らしい。三葉がその人たちに俺の話をしたところ、是非会ってみたい、と強く主張され、断るに断り切れなくなったそうだ。

 

三葉曰く、とってもいい人たちだし大丈夫。瀧くんとも絶対仲良くやれるんよ、とのことだった。

正直な話、この提案に俺はあまり乗り気にはなれなかった。幾ら三葉の友人とは言えども、折角の三葉との時間を見ず知らずの他人と一緒に過ごすのは勿体ない気がした。それに、三葉の友人ということは、俺より三歳年上であるわけで、そういった色々な理由から俺だけ話題に取り残されそう、そんな気がしたからだ。

 

が、そんな俺の思いはメールでは汲み取ってもらえなかったようで、結局最後には押し切られて了承してしまった。

 

そんなこんなでデート当日。俺は不安な気持ちを心の底に押し留めて、駅前の待ち合わせ場所で三葉の到着を待った。今日は遊園地で遊ぶ予定になっており、ここで三葉と待ち合わせた後、現地で三葉の友人と直接合流する事になっている。

 

初め会ったら何を話せばいいのかとか、どんな調子で話し掛ければいいのだろうとか、あれこれ考えていると、俺の背中がふと柔らかい感触に包まれる。

 

「たーきくん! お待たせ〜。んー、瀧くん成分を補充しちゃうんよぉ」

 

三葉は俺の背中に覆い被さりように抱きついてきて、その吐息が微かに首筋に当たり、なんともこそばゆい感覚に襲われる。

 

この一ヶ月、三葉と一緒に過ごしてきて、徐々に分かってきた事がある。

その一つが、三葉はかなりの甘えん坊だということだ。四葉曰く、普段の三葉はかなりしっかりした性格で、赤の他人から見たら隙の無い女として有名らしい。が、四葉から言わせてみると、それは周囲の目を気にして仮面を被っているに過ぎず、実際にはそれがかなりのストレスだそうだ。

 

そして、どうもそのストレスをこれまで発散させることが出来ず、かなり溜め込んでいたようだ。俺が四葉ちゃんに初めて会った時に聞いた陰口の内容は、たとえ本気でなくとも多かれ少なかれ事実ということだ。そして、その反動からか、仕事が忙しかった日などに、三葉は人が変わったように俺に甘えてくる。

 

互いに好き合ってるいるだけあって、基本的に俺にはかなり心を許してくれているらしく、三葉は普段から割と無防備だ。普段お堅い人が俺の前では別の顔を見せてくれるというのはとても喜ばしいことなのだが、ことこの時に関しては、三葉のあまりの無防備さにどぎまぎせずにはいられなかった。そして、どうやら今日もその類らしい。

 

まあ、分かりづらいのでぶっちゃけてしまうと、おっぱいが当たるのだ。おっぱいが……

大きいとまではいかないが、確かにあると実感できる程度にはある、品のいい柔らかさを背に感じて、つい興奮してしまう。

 

だって仕方ないだろ? 俺だって健全な男なんだ……

好きな女に密着されてなんとも思わない方が失礼ってもんだ……

などと、半ばやけっぱちで開き直っていると、三葉は俺の首元に回していた右手のその柔らかな指で俺の顎あたりを撫でるように触りながら、

 

「たーきくん……」

 

なんて、俺の耳元で吐息混じりに囁いてくる。

え?何? 俺のことからかってるの?

そんな錯覚をする位には今日の三葉はおかしかった。いつも、別れ際には名残惜しそうに甘えてくる三葉だが、今日は会って早々にいつになく甘えてくる。不思議に思って後ろに向き直り、三葉の顔を伺ってみたのだが、彼女は何が嬉しいのか、頬を軽く桜色に染めながら、えへへと笑みを浮かべて今度は正面から抱きついてくる。

 

「ちょっ、三葉、どうしたんだ? 今日はなんか変だぞ」

 

「んー、変なんて酷いんよぉ。ただ、私は瀧くんに会えて嬉しいだけなんよ」

 

うーむ。正直、やはり少し違和感を感じ得ないが、次第にそんなことどうでも良くなってきた。三葉がそれを望むなら、満足するまで乗ってやろうじゃ無いか。変なスイッチが入った俺は彼女の桃色に染まった頬の柔らかさを左手で感じながら、すっと唇を奪う。

 

初めはぎこちなかったキスも、今では自然に交わすことが出来るようになってきた。とは言え、キスする際のこのドキドキ感は今でもなお衰えない。

 

口づけを交わした後、名残惜しそうに俺を見る三葉のどこまでも深く澄んだ黒色の瞳を吸い込まれるようにじっと見つめていたが、やがて恥ずかしくなったのか、三葉はすっと顔を背ける。

 

「俺の勝ちだな」

 

「もう、何が勝ちなんよぉ」

 

三葉は少し悔しげにそんな台詞を口にした。割と負けず嫌い、これも最近知った三葉の一面。

 

「ほら、そろそろ行かないと、三葉の友達待たせちゃうだろ。それに、流石にそろそろ周りの視線が恥ずかしくなってくる」

 

「そだね。行こっか」

 

多少行き過ぎにも思える挨拶を交わした俺たちは、気を切り替えて待ち合わせの場所へと向かうのであった。

 

―――

 

はぁ、また瀧くんに持っていかれた……

 

サヤちんとテッシーとの待ち合わせ場所に向かって歩く中、先程までの攻防を思い出し、私は内心大きく溜息をついた。

 

今日は何か変かぁ……

 

そう、実際私はかなり恥ずかしい思いを我慢しながら、瀧くんを攻めた。私にくっつかれて顔を赤くする瀧くんの姿は、とても愛らしかった。それに、瀧くんに触れていると、彼が今確かに自分の腕の中にいる事が実感できて、とても安心出来た。

 

しかし、いくら付き合っているからと言えども、会って早々あれだけいちゃつくのはかなり勇気がいる。これまで他人に弱みを見せる事を良しとしなかった私にとっては一入(ひとしお)だ。

だが、それでも敢えて甘えて見せたのには、ふか〜い事情がある。

 

それを説明するには、そもそも今回のデートをするに至った経緯を説明しなければなるまい。

 

それは、今から一週間前、私はサヤちんとテッシーにランチに誘われた。その日の瀧くんとの予定は夕方からだったので、当然私は快く承諾した。

 

私たちは食事を楽しみながら、お互いの近況を話し合った。その際、サヤちんには瀧くんの話をした事がある為、当然その事に触れてくる。

 

「で、噂の彼とはどうなったんよ?」

 

サヤちんが身を乗り出して興味津々という様子を全面に出して聞いてくる(かたわら)で、テッシーは料理を突きながらあまり興味無さげな様子を装っていたが、視線はばっちりこちらを向いていた。

 

テッシーがいる手前、あまり派手な女子トークは繰り広げられないので、私はこれまであった事をオブラートに包みながら掻い摘んで二人に説明した。

 

「珍しいことあるもんやな。そりゃ絶対、前世の記憶や! あるいは……」

 

「テッシーは黙ってて!」

 

相変わらずオカルトマニアなテッシーの話をぴしゃりとサヤちんが遮る。流石に夫婦になるだけあって息ぴったりな二人の様子を見て、思わず笑みが溢れる。

 

「やっぱ、二人とも仲いいなぁ」

 

以前そう言うと決まって、良くないわ!

なんて否定されていたけれど、今の二人は恥ずかしそうにはにかみながら、そうかな?

なんて聞いてきた。そんな二人を見て、夫婦っていいな、なんて思い、瀧くんのお嫁さんになった自分を想像して、思わず恥ずかしくなる。

 

「あ、なになに? ひょっとして今、噂の瀧くんのこと思い浮かべとったん?」

 

「その瀧くんっちゅうやつに、是非会ってみたいな! サヤちんもそう思うに?」

 

「あ、いいね、それ。三葉が気に入る人やし、絶対仲良くなれるわ。なあ、三葉、今度一緒に四人で遊ぼうやぁ」

 

「えぇ? ちょっとまってよぉ」

 

いくらなんでも、この面子で遊んだら、瀧くんが浮いてしまわないだろうか。彼は三つ年下だし、気まずく思うかもしれない。そんな不安を告げたのだが、

 

「大丈夫や! 三葉の彼氏なら俺の親友やに、 絶対仲良くなれるって」

 

「流石にその辺りはちゃんと気回すで、大丈夫やさ。それに、私も三葉の彼氏なら仲良くなれる自信があるんよ」

 

そう言って、二人主導であれよあれよとデートの詳細まで決まってしまった。

 

「しかし、まさか三葉が年下と付き合うとはなぁ。そればっかりは今でも信じられんわ。お前、色々ぼんやりしとるで、年上にリードして貰わな絶対うまくいかんと思っとったんやがなぁ」

 

割と失礼な事を言うテッシーを無言で睨みつけるも、隣に座るサヤちんまでもが、

 

「本当やわさ。私も三葉の好みは色々リードしてくれる年上やと思っとった」

 

なんて合いの手を入れる。まさかの勅使河原夫妻の包囲網に業を煮やした私は思わず、

 

「そんなことないんよ! 私が年上としてばっちりリードしてるんよ!」

 

なんて、強がりを言ってしまった。実際には、瀧くんに終始リードされっぱなしで、正しく二人の言う通りなのだが……

 

と言うのも、私にはどうも瀧くんが年下という感覚がないのだ。彼と話していると、そう、丁度サヤちんやテッシーのような同年代の人と接っしているような感覚に襲われる。そんな事も相まって、気がつくと瀧くんに身を委ねている私がいるのだ。

 

「ほう? 言ったな、三葉。ほな、今度のデートで三葉がお姉さんらしくリードしよるとこ、とくと見せて貰おうやないか」

 

「楽しみやね。私も知らん三葉の一面。ちょっと気になるわぁ」

 

ぐぬぬ……い、今更、嘘です、なんて告げるのは私の自尊心(プライド)が許さない。

 

「い、いいんやよ。二人ともきっと驚いて目を見張るんよ」

 

結局、更に強がりを重ね、引くに引けない状況を自ら作り上げてしまったのだった。

 

そんな自業自得と言う名の浅い……いいえ、深い深いです!

兎に角、ふか〜い事情の元、瀧くんをリードすべく、最初が肝心ということで出会い頭から全力投球してみたのだが、そんな私の努力も瀧くんの男らしさを前に雲散してしまった。

 

もう、瀧くん、ちょっと格好良すぎなんよ!!

私がちょっと攻めたらこれ幸いとカウンターで倍にして返してくる所とか、本当に卑怯なんよ。

 

我ながら非常に贅沢で我儘か話だとは自覚しているが、今日に限ってはちょっと位リードされてくれてもいいんに。

 

そんな事を思いながら、瀧くんの顔を見つめていたのだが、

 

「ん、どーした? 俺の顔、何か付いてる?」

 

瀧くんはこっちを見て、無邪気な笑顔を私に振りまく。その爽やかさに思わず心がときめいてしまい、少し経って理不尽な怒りが湧いてきた。私は瀧くんに聞こえるか聞こえないか位のトーンで文句を言ってみる。

 

「ふん、そういう所、反則なんよ。ちょっと位、私に甘えてくれてもいいんに」

 

「え? ごめん、今何て言った?」

 

「んーん、別になんでもないんよ」

 

不思議そうに首を傾げる瀧くんを見て、ちょっぴり満足する私なのだった。




いつもご覧頂きありがとうございます。
水無月さつきです。

今回の話は如何でしたか。まあ、正直なところ、何も動いてないですね……
一応、ちょっとずつ二人の仲は進展しているのは分かって頂けたらなぁなんて思って書いたのが冒頭のキスシーンなんですけど、ちょっと強引でしたかね汗

まあ、次回はいよいよ勅使河原夫妻と瀧くんの出会いですので、期待してお待ち下さい。
……いや、やっぱりあんまり期待しないで下さい笑

また次回もお読みいただけたら嬉しいです
それでは


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懐かしの初めまして

嬉々として廻るコーヒーカップ。風を切り裂くジェットコースター。空と一体になれるフリーフォール。煌びやかな空間の中で唯一不気味な雰囲気を漂わせるお化け屋敷。そして、それらを風景を見守るようにゆったりと回る観覧車。

 

自らの好奇心赴くままに無邪気にはしゃぐ子供たちと、幼少に帰ったように目を輝かせながら嬉々とした声を上げる大人たち。遊園地は来るものをみんな、何時もとは違う喜びで満たしてくれる、さながら夢の空間だ。

 

かく言う俺も久しぶりのこの感覚に、胸を膨らましていた。学生時代にも、友人たちと何度か行ったものの、何回来ても遊園地のこのワクワク感は薄まらない。

 

「わあー、遊園地なんて、滅多に来たことないんよ。めちゃくちゃ楽しみ〜」

 

俺の横で、三葉も目をきらきら輝かせながら、無邪気にはしゃいでいる。

 

「遊園地、来る機会なかったのか?」

 

「昔は田舎暮らしだったし、こっち来てからも中々遊園地行こってはならなかったんよ。瀧くんとこうやって遊園地巡れるなんて、まるで夢のようなんよ」

 

夢のようか……

例えが俺と全く同じな所に、思わず笑みが零れる。何気ないこういう小さな共通点を見出して幸せな気持ちになれる辺り、俺は心底こいつに惚れてるんだなぁ、なんて実感する。

 

恥ずかしくて決して口には出せないそんな思いを抱きながら彼女を見ていると、ピロンというラインの着信音が鳴り、三葉は気付いたようにスマホを取り出して画面を操作する。

 

「二人も着いたみたい。この辺り、人が多いから入った所で待ち合わせよう、だって」

 

エントランスでは親子連れの客たちがチケットを買い求めてひしめき合っているが、俺たちは既にネットで購入済みだ。ビバ、情報化社会!

 

そんな軽い優越感に浸りつつ、俺たちはエントランスのゲートを潜る。相変わらず人でごった返しているものの、確かにゲート前よりは幾分マシに思える。

 

「で、二人はどんな人なんだ?」

 

俺は周囲を見渡しながら三葉に尋ねる。探そうにも本人たちを知らないことには探しようがない。

 

「うーんとねぇ、背が高くてぬぼーってしてるのがテッシー、前髪ぱっつんの可愛らしい子がサヤちんなんだけど……」

 

三葉も辺りをキョロキョロ見渡しながら、そんな二人の特徴を告げる。

 

 

何となく要領を得ない三葉の説明だったが、何故だがそれで二人のイメージが出来上がった俺は、ふとたった今抱いたイメージ通りのカップルの姿を発見する。

 

「あの二人じゃないか?」

 

「んー? どこどこ? あ、そうなんよ! あの二人よ。よう分かったね」

 

……どうして分かったんだろう。三葉に言われて自分でも不思議に思う。あれ?

前にもこんな感覚を……どこかで……

 

二人の方に向かって歩みを進める三葉の後ろ姿を眺める。そう……

つい最近、三葉と初めて会った時に抱いた感覚。失くしてしまったピースのかけらがピタリと埋まる、そんな感覚。

 

「サヤちん! テッシー!」

 

三葉は二人に駆け寄って、大きく手を振りながら周囲の喧騒に掻き消されないよう声を上げる。

すると、二人も気付いたようで、こちらに駆け寄ってくる。

 

「おう、三葉。待たせてもうたな。悪い悪い。こいつが支度に手間取ってな」

 

「はあ? 何言うんよ。格好はこれでいいかって何度も確認してきたんはそっちなんよ。三葉の彼氏に舐められたらあかんって言って」

 

「おぃい!? それは内緒や言ったやないか」

 

二人は三葉からの噂通り仲睦まじく夫婦漫才を繰り広げている。

 

薄緑のパーカーにジーンズ、そしてニット帽というラフな服装がよく似合っている背の高い人が勅使河原さんで、白のワンピースにジーパンという組み合わせをお洒落に着こなすパッツン前髪と左目の泣きぼくろが特徴的な可愛らしい人が名取さんか。

二人の左手薬指にはお揃いの指輪がキラリと光っている。

 

「で、こっちが噂の彼氏さんか」

 

「わぁ、三葉から聞いてはいたけど、中々のイケメンやね」

 

二人の視線がこちらに向かう。何故だろう。胸の奥が熱くなる。

 

「あの、立花瀧って言います。よろしくお願いします」

 

俺が半ば恐る恐るテンプレのような面白みに欠ける自己紹介をすると、

 

「俺は勅使河原克彦ちゅうもんや。テッシーって呼んでくれ。あと、俺ら年上かも知れなんけど、そんなの関係なしに、タメ口で構わんで。三葉の彼氏は俺らの友達や、遠慮はいらん。仲良くしてくれな」

 

「私は名取早耶香です。気軽にサヤちんでいいんよ。ちなみに三葉から聞いてるかもだけど、もう直、名字は変わるんよ。だから、名前で覚えてえな」

 

二人は示し合わせたかの様に同じタイミングで右手を差し出してくる。

 

「そっか。じゃあ、遠慮なく。俺も瀧って呼んでくれ。よろしく!」

 

俺はそう告げて、二人と握手する。何だか心が温かくなる。懐かしの旧友たちに出会えた、そんな錯覚をする位に、この二人に親近感を抱いた。

 

「ちょっと、瀧くん、どうしたんよ?」

 

隣の三葉が慌てた様子でハンドバッグから淡いピンク色のハンカチを取り出して俺に渡してくる。

気がつくと俺の前に立つ二人も心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。

 

「……あれ?」

 

そうして俺は自分の違和感に気づく。視界が霞み、声が震える。

 

「……な、なんだよ、これ。あれ……おかしいな」

 

目頭がぐっと熱くなって、頬に涙が伝う。胸の底から様々な感情がぽろぽろと溢れ出す。

気がつくと、俺は泣いていた。何故だかはわからないけど、思わず泣いていた。

 

そんな俺を心地良い香りと優しい感触がふっと包み込む。赤子を包み込む様なその温もりに、どこから溢れたか分からない感情がすっとおさまっていく。

 

「瀧くん、大丈夫なんよ。私は、私たちは、ちゃんとここにいるんよ……」

 

悲しいわけでは決してない。きっと俺は嬉しくて泣いている。小さい頃失くしてしまった大切な宝物がふとした瞬間に見つかった様なそんな感覚。俺は三葉の腕の中で、よく分からないこの感情を暫くの間ただただ噛みしめる様に味わっていた。

 

―――

 

「本当にびっくりしたで! 急にどうしたんかって焦ったわ」

 

「テッシーの顔がいかついからやわさ。ごめんな、テッシーがこんなんで」

 

「何を言うんや。俺の顔は関係ないやろぉ」

 

遊園地の中のテラス調のカフェの丸テーブルを囲みながら、俺たちは雑談を繰り広げていた。

 

「いや、本当にごめん。正直、何であんなことになったか自分でもよく分からないんだ」

 

「いやはや、でもあの時は中々良いものを見せてもらいましたわぁ。ねぇ、三葉さん?」

 

「やだ、やめてよサヤちん。正直凄く恥ずかしかったんよ? それに、あんまり私の瀧くんをいじめんといて!」

 

こんな感じで、先ほどから俺たちはずっとこの勅使河原カップルから集中攻撃を受けていた。今まで人前で泣くことなど親の前ですら殆ど無かったのに、初対面の二人の前で泣いてしまったのは恥ずかしいことこの上無かった。その上、更にそんな二人の前で三葉にあやされるという恥の上塗りに、正直死んでしまいたい気分だった。

 

「ほう。私の瀧くんときたもんや。そんな台詞、結婚する俺らでも言えんよ。いやー、瀧、お前さん、どないしたらあの恋愛とは無縁の朴念仁三葉さんをしてここまで言わせれるんや?」

 

「ちょっとー! 誰が朴念仁よ! 誰が恋愛とは無縁よ! 私は彼氏作らんかっただけやの」

 

テッシーが言うように、今日の三葉は割とおかしかった。朝からやけに甘えてきたかと思えば、テッシーたちと合流して以降はやたらとお姉さんぶっている。恐らくだが、旧友たちに年上らしくリードしているところを見せたいのだろうが、どうにも空回りしている。そんな三葉がとても可愛らしくて、俺はつい意地悪をしたくなる。

 

「なあ、テッシー。これくらいで勘弁してくれ。正直、恥ずかしくて死にそうだ……今の三葉の態度も含めて……」

 

思わず浮かぶ笑みに気づかれない様に手で口元を隠しながら、最後の所を強調してみる。案の定、三葉はまるでパンチを食らったかの様な衝撃的な顔を浮かべる。

 

「え? ちょっと、瀧くん? どう言うことなんよぉ?」

 

「そりゃあ、三葉。彼にだって男としての自尊心(プライド)ってのがあるんやよ。私らにはよう分からんけど、テッシーなら分かるんよね?」

 

「まあなぁ。正直今の三葉は男を駄目にする典型よな。お前さんの苦労がよう分かるわ」

 

三葉はまるで雷に撃たれたかのように黙り込んでしまった。なんだかんだで俺のことを思ってあれこれしてくれたのには違いないので、流石にちょっと可哀想になった。まあ、三葉をいじめるのもこの辺りが頃合いだな。

 

「おいおい、あんまり三葉をいじめないでくれよ。俺の(・・)三葉は割とナイーブで繊細なんだよ」

 

俺は、"俺の"のあたりに力を入れてそう告げると、テッシーは俺の意図に気づいたのか、標的を俺へと変える。

 

「ほほう! 今度は俺の三葉ときたもんや。なんや、二人とも偉いバカップルやのぉ。こりゃあ、お天道さんも恥ずかしくて見ておれんわ」

 

俺とテッシーは顔を見合わせて笑い合った。やはりというか、不思議と二人とは初対面な感じがしなかった。

 

「テッシーもサヤちんもいい人で良かったよ。俺、初めてダブルデートするって聞いた時、少しびびってたんだぜ? だって、三つ年上の初対面のカップルと上手くやれるなんて思わないだろ」

 

「そうかもなあ。だけど、俺は三葉の彼氏なら、絶対仲良くなれる思うとったよ。実際、お前さんとは初めて会った様な気がせんしなあ」

 

「あ、なんかそれ分かるんよ。私も瀧くんにはどこかで会った気がしとる」

 

驚いた。俺もまさに同じ気持ちだった。どこか懐かしいそんな感覚。それを告げると、テッシーは目を輝かせて嬉々としながら、体を前のめりにして語り始める。

 

「こりゃあ、絶対前世の記憶や。或いは多平行世界における軸移動という線もある。せや! 糸守に彗星が落ちたやろ! だけど、死者は誰も出んかった。こりゃ、なんかの介入があったに違いない。それが多平行世界の瀧っちゅう線はどうや! 多平行世界の瀧やから、軸が変われば記憶は改変される。これなら、俺らみんなが会ったことある気がするのも説明いくやろ!」

 

「「はいはい。そんな訳ないやろ」」

 

熱く語るテッシーに冷めた調子で女性二人の突っ込みが入る。

 

「多平行世界とか前世の記憶とか、相変わらずオカルト好きやねぇ」

 

「私と二人の時もたまにスイッチ入るんよ。いい加減卒業して欲しいわぁ」

 

「なんや、冷めとるのぉ。瀧、お前なら分からんか、俺の気持ち?」

 

「はは、確かに面白いけど、流石にそれはないだろ。その仮説なら俺、どんなスーパーマンだよ」

 

そう。それはあり得ない仮説。だけど、もしそんな不思議が少しでもあるならば、それはとても素敵なことだと、そう思う。それならば、三葉へのこの想いも少しは説明いくのかも知れない。

 

そんな思いを三葉も抱いたのか、テーブルの下で三葉が俺の左手に自分の右手で互いの指をからませる様にして握ってくる。このちっちゃくて柔らかい温もりが、確かに今この手にある。それはとても大切なこと。

 

だから、俺は言葉を繋ぐ。

 

「過去に何があろうと、今こうして出会えことは事実だろ。だから、俺が言いたいことはただ一つ。これからよろしく、だな」

 

「さっきまで泣いとった奴がやけに格好ええこと言うやないか。このやろう」

 

「なんて言うか、男ってあほやねぇ。でも、ちょっと羨ましいんよ」

 

「おいぃ、サヤちん、あほとはなんやあほとは。オカルトは男のロマンやぞ」

 

「いや、流石にそれは俺も同意しかねるぞ」

 

俺は笑う。三葉も笑う。それにつられてテッシーとサヤちんも笑う。こんな、さりげない幸せがいつまでも続けばいい。俺は心の底からそう思う。

 

「ほら! 折角遊園地に来たんだし、早く行こうぜ? 俺、あのジェットコースター乗ってみたいんだよ」

 

俺はそんな幸せを胸に、喜びに満ちたこの空間を駆けていくのだった。

 

 

 




今回もご覧きまして、誠にありがとうございます。
水無月さつきです。

さて、ようやくテッシーたちと出会いましたが如何でしたか。
まあ、実はまだ二話も使って朝から出会ったとこまでしか行ってないので、作中の時間ではわずか数時間しか進んでないんですよね……

ちなみに、テッシーの仮説は惜しい線いってます。
彼のオカルト好きも捨てたものじゃありませんね。

次話は作中内での時間がぐっと動きます。四人には時間を忘れて遊園地を満喫してもらいましょう。
よろしければまた次回もご覧下さい。
それでは


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めくるめく想い

「いやぁ、楽しいねぇ」

 

「本当やね。こんな風に楽しんだの久しぶりやわぁ」

 

遊園地のアトラクションを一筋堪能した私はサヤちんと二人で木陰のベンチに腰をかけながら、屋台で購入したストロベリーバナナクレープの味を堪能していた。ちなみにサヤちんはベリーベリークレープをこれまた渾身の笑みを浮かべながら小さな口で頬張っている。

 

男陣はというと、まだまだ遊び足りない、なんて言って二人で二回戦へと繰り出していった。どうやら二人は意気投合したらしく、まるで肩でも組み出しかねない勢いだった。きっと仲良くなれるとは思っていたのだが、ここまで仲良くなるとは正直予想外だった。

 

そんな訳で、私たちは子供のごとく無邪気に遊園地を楽しむ二人を笑顔で見送った後、彼らには聞かせられない女子トークに花を咲かせていた。

 

「しかし、瀧くんって、本当にいい男やねぇ。お化け屋敷で三葉をリードする彼、格好良かったわぁ。私、思わず惚れちゃいそうやったよ〜」

 

サヤちんの言うように、お化け屋敷での瀧くんは本当に頼もしかった。ここのお化け屋敷は中々に本格的で、怖いことで有名なのだ。そんなお化け屋敷にカップル単位で挑戦することになったのだが、怖いところからさり気なく身を呈して庇ってくれる瀧くんに、恥ずかしながら恐怖など忘れて終始めろめろだった。

 

ちなみに、テッシーサヤちんコンビは私たちより先に入ったのだが、瀧くんのフォローのおかげでサクサク進めてしまい、サヤちんがかなり怖がりなこともあって、終盤に追い付いてしまったのだった。

 

「なに言っとるんよ。なんだかんだいいながらずっとテッシーにしがみついとったんに。それにサヤちんがテッシー一筋なんは、周知の事実なんよ」

 

「えへへ。ばれた? でも、そういう三葉は三葉で瀧くんにべた惚れやねぇ」

 

「やっぱりそう見える? 見えちゃうよね〜。まあ、否定は出来ないかも。瀧くん、かっこよすぎなんよぉ〜」

 

「ふーん。だけど、私のテッシーへの思いも負けとらんのよ。なんて言っても、ずーっと片想い続けてきたんやからね」

 

などと、何も知らない人が聞いていたなら、脳内お花畑の痛い奴認定されること受け売りな会話をクレープを味わいながら繰り広げていた私たちだったが、やがてクレープを食べ終わったあたりでサヤちんはきょろきょろと周りを見渡して、誰もいないことを確認したのち、私に近寄ってふと耳打ちをする。

 

「そういやぁ、三葉。あんたたち、今どこまでいっとるん?」

 

「……な、な、なにをぉ!?」

 

……思わず叫んでしまった。一体絶対何を言い出すんね、サヤちんは……

当のサヤちんはにやにやとしか言い表せない笑みを浮かべながら、興味津々という様子で目を輝かせている。正直、サヤちんからこのような話題が振られるとは思っていなかったので驚いた。

 

「なにをって何をそんなに驚くことがあるんよ。瀧くんはまだ若いにしても、あんた結構いい年なんよ? 今後の事を真剣に考えてもいい年やさ。男と違って、女は子供を産むっていう一大イベントがあるんよ! 歳をとればとるほど、それが難しなってくんやから」

 

割と真面目な事を言っているが、顔は完全に緩んでいる。真面目二割、興味八割といったところだろう。

私は内心でため息を漏らしつつ、念の為最終確認を入れる。

 

「そ、それって、要するに……」

 

「もう。分かってるくせに。うぶっていうかなんていうか……。よ、う、す、る、に! 瀧くんと、その……えっちとかしとるんかなって話!」

 

やっぱりそういう話かぁ。今度は実際に大きくため息をつきながら、サヤちんの問いに一言で回答する。

 

「キスだけ」

 

「え?」

 

「だーかーら、まだキスだけなんよ!」

 

サヤちんは一瞬、驚いたという表情を浮かべたのち、まるでやれやれね、とでも言いたげにかぶりを振る。

 

「全く、純情というかなんというか……。都会でイケメン男子を、なんて息巻いとった昔のアグレッシブな三葉さんはどこへ行ってしまったのやら」

 

「な、なんよぉ。べ、別にいいやんね? それくらい。ちょっとずつだけど、確実に進歩しとるんよ?」

 

サヤちんはやれやれとでも言いたげに苦笑いしていた。

うへぇ。私も学生時代の友達からなんだかんだでそういう話は色々聞いていたけど、よもやそれをサヤちんにまで言われるとは思っていなかった。

 

やっぱり悠長なのかなぁ、私。私なりには色々と頑張ってアピールはしてるんだけどなぁ。

確かにもう直に二十六歳にもなろう私がキスして満足しているというのも実際どうなんだろう。

 

正直な話、私は瀧くんが求めるなら、それに応じるつもりだ。ちょっぴり怖さもあるけれど、瀧くんともっと深く繋がりたいって思いの方がよっぽど強い。

 

だけれど、不思議と瀧くんとそういう雰囲気にならなかった。聞くところによると瀧くんも私が人生初めての彼女とのことだし、初めて同士でタイミングを計りかねているというのが実情なのだろう。

 

うーん。最近は肉食系女子、草食系男子なんていうし、凝り固まった貞操観念なんて捨てて私がもっとリードするべきなのかなぁ? 私の方が三つも年上な訳だし……

でもなぁ、それではしたないなんて思われるのもなぁ。

 

そんな葛藤を内心で繰り広げていた私を見るに見かねたのか、サヤちんが私に耳打ちをしてくる。

 

「仕方ないなぁ。さり気なく彼をその気にさせる方法を、このサヤちんが教えてしんぜよう。私も昔、先輩に教わったやり方なんだけど、効果抜群だったんよ?」

 

「そ、そんな方法があるん? お、教えて欲しいです」

 

「うむ、ではしかと聞くんよ。それはな、帰りの電車でな……」

 

私はそんなサヤちんからの教えをしかと心に刻みつけたのだった。

 

―――

 

そんなこんなで楽しい時間はあっと言う間に経過していった。その後再び合流した私たちは、まだ回っていなかったアトラクションを巡ったり、お土産店でみんなでお揃いの記念品を買ったりした。

 

そうして日が暮れて、夜空に星が浮かび出す頃合いに、

 

「最後はやっぱり観覧車や!」

 

テッシーアンドサヤちんの息ぴったりなそんな一言で、私たちは観覧車にやってきた。なんでもここの観覧車から見る夜景はとても綺麗らしく、夜になって人集りが出来ていた。ちなみに、客層は若い男女が多かった。聞くところによると、夜この観覧車に二人でのった男女は必ず結ばれるという噂があるらしく、ちょっとした名物らしい。高校生くらいの男女がそわそわした様子で乗り込む様子ははたから見ていて微笑ましかった。大丈夫だよ、二人でこの観覧車に乗ろうとなった時点で、カップル成立みたいなものだから。

 

そんな訳で、小一時間ほど待って、漸く観覧車に乗り込むことができた。当然私と瀧くん二人でである。ちなみにテシさやカップルは一つ前の観覧車に乗っている。

 

私は瀧くんの左隣に身を預けるようにして座りながら、目を閉じる。そうすると、隣にいる瀧くんの温もりが一層感じられ、私は抱きしめるように掴んでいた瀧くんの左手に自分の指を絡ませる。そうしてより一層強くなる瀧くんの感触を噛みしめるようにして味わう。

 

「遊園地、楽しかったな。また、みんなで来ような」

 

瀧くんのその言葉を受けて、半ば夢見心地で私はそんな光景を瞼の裏に思い浮かべる。すると、そこに想像とは思えない程はっきりとした景色がありありと広がっていく。それは、夢のように温かい光景。私の隣にはやっぱり瀧くんがいて、その周りを二人の小さな子供たちが楽しそうに笑っている。そんな幸せいっぱいの世界。

 

そうして、私はぼんやりと、殆ど無意識の内に、

 

「そうやね、今度は子供たちも一緒来たいね」

 

そんな言葉が口をついて出ていた。その瞬間、私の腕の中にあった瀧くんの左手がぴくりと動き、それに驚いた私は思わず彼の手を離す。そうして瞼を開けると、瀧くんは驚いたような表情をしてじっとこちらを見つめていた。

 

私はそんな彼を、どうしたのかな、なんて思いながらぼおっと見つめていたのだが、ふと目が覚めたように自分の言った台詞が思い出され、漸く自分の発言の意味を理解する。

 

慌てて改めて瀧くんの様子を見ると、顔を真っ赤にしながら目をぱちくりさせていた。い、い、いけない。早く誤魔化さないと……

 

「……ち、ち、違うんよ。これは、ええと……そう、四葉! 四葉ってまだ子供だから、きっと四葉も一緒に来れたら楽しいだろうねって意味なんよ」

 

「……そ、そうだよな。うん……こ、今度は四葉も一緒だな」

 

わ、私のあほぅ〜!!

流石にそれは無理があるでしょう?

 

優しい瀧くんは私の話に合わせてくれたけど、未だに狼狽している様子を見ると、確実に嘘だとばれている。

 

私はあまりの恥ずかしさに、つい黙り込んでしまった。瀧くんも顔を俯けて黙り込んでいる。そんな私の思いなど素知らぬ顔で、月夜へ歩みを進める観覧車。

 

あーん、折角二人で綺麗な夜景を堪能できると思ってたのにー

私のあほあほあほぅ……

 

やがて、辺りの景色が一望できる高さまで観覧車がやってきた。評判の通り、眼下に広がる遊園地の煌びやかなスポットライトと遠くに見える東京の夜の灯りがきらきらと重なり合い、さながら光の交響曲(シンフォニー)だ。

 

そんな景色に魅せられて、私は窓に手をついて前のめりになりながらその光景を眺めていた。本当は、瀧くんと、

 

きゃー、綺麗な景色ー!

そうだな、でもお前の方が綺麗だよ

嬉しい。瀧くん、大好きなんよ。ちゅっ

 

みたいな展開を望んでいたのだけれど、それは私の大ポカのせいでお預けのようだ。

 

そうして、一番高い所までやってくる。相変わらず私は恥ずかしさのあまり瀧くんの方が見れず、瀧くんに背を向けて外の光景を眺めていた。とはいえ、ずっとこのままというのも気まずいので、ひとまずこの美しさに対する感動を口に出してみようか……

 

「……わ、わぁ。き、きれい〜」

 

自分で想像した以上に上ずった声が出て、また恥ずかしくなる。ど、ど、どうしよう。こんなんじゃ、瀧くんの顔見れないよ……

 

とはいえ、このままじゃまずいと思い、思い切って振り向こうとした瞬間、

 

「三葉!」

 

瀧くんが背中から力強く私を抱きしめた。私を抱く腕の力強さと、背中越しに感じる瀧くんの心臓の鼓動に、私の胸の脈動が早くなるのを感じる。

 

「なあ、三葉」

 

私の耳元で囁く瀧くんの声に、思わず耳が蕩けそうになる。瀧くんは、そんな私の気を知ってか知らずか、同じ調子で囁くように言葉を紡ぐ。

 

「俺は……お前を愛してる。この気持ちは絶対一生変わらない。だけど、俺はまだ社会人になったばかりのひよっこで、三葉を幸せにできる準備が出来てない。だからさ、もうちょっとだけ……もうちょっとだけ、俺を信じて待っててくれ」

 

私を抱く力が自然と強くなる。背中に感じる瀧くんの心臓の音も、ドクンドクンと高鳴っているのが分かる。

 

……これって。ひょっとして……

 

「……うん。ちゃんと、待ってるんよ。いつ迄も、待ってるんよ。だから、絶対幸せにしてね……」

 

それ以上、言葉はいらなかった。私を抱く瀧くんの手に自分の手を重ねて、私はゆっくり目を閉じる。そうして私たちは観覧車が回りきるまで、ただただずっと互いの感触を味わっていたのだった。

 




いつもご覧いただき、ありがとうございます。
どうも、水無月さつきです。

更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
これには深い事情(PC故障によるデータ全ロスト+仕事が多忙)が御座いまして、ご容赦頂けると幸いです。
ペースはかなり遅くなりますが、必ず更新は続けようと思いますので、ゆったりとお待ちいただけると幸いです。

さて、今話に関しては久しぶりに二人をいちゃいちゃさせられて満足です笑
次話ももっといちゃいちゃさせられるよう頑張りたいと思います。

次回もご覧いただけると嬉しいです
それでは


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繋がる心と……

よりとりどりの光に照らされたこの眠らない東京の街を、俺たちは満員電車に揺られながら、ひた走る。

 

今日は休日だというのに、相変わらずこの街の電車は人で溢れている。いや、寧ろ休日だからなのか?

 

兎にも角にも、俺たちは押し競饅頭状態で、俺は出口側のコーナーに三葉をかばうようにして陣取っていた。

 

「大丈夫か、三葉? 苦しくない?」

 

俺がそう聞くと、三葉は俯きながら黙って首を縦に振る。そうして俺の方をもの言いたげにじっと見て、暫くして恥ずかしそうに頬を赤らめて顔をひょいと背ける。

 

……うーむ。少々気まずい。何せ、遊園地でテッシーたちと別れてから、三葉はずっとこんな感じだ。三葉は黙んまりしたまま、俺の方をチラチラ見て、目が合うと恥ずかしそうに目をそらす。だけれど、避けられている訳では決してなく、黙って俺にべったりとくっついている。

 

元から三葉は割と恥ずかしがり屋で、その癖に甘えん坊な気があったけれど、今の三葉は明らかにおかしかった。そわそわしているというか、落ち着きがないというか……

 

まあ、こうなった原因は考えるまでもない。どう考えてもあの観覧車からだ……

 

今から思い返すと、少々早まったかなあなんて弱気になってくる。はっきりと明言した訳ではないとはいえ、プロポーズまがいな事をしてしまった訳だしなぁ。

 

とはいえ、三葉は三葉でとても嬉しそうに、幸せにしてね、なんて返事をしてくれたし……

あれ? なんか今更ながら実感が湧いてきたけど、実は俺、割ととんでもない事を言った気がする……

三葉は実質オッケーをくれた訳だから、つまりは三葉は俺の婚約者みたいなもので……?

 

そう意識して三葉を見つめると、彼女は俺の目を真ん丸な瞳でじっと見つめて、また恥ずかしそうにして顔を俺の胸に埋めた。

 

そんな事をしているうちに、車内アナウンスが三葉の最寄駅への到着を告げる。俺の最寄駅はまだ先だけれど、三葉と少しでも長くいたいと思った俺は、三葉を家まで送ろうと思い、三葉の手を取って、

 

「三葉、着いたぞ。降りよう」

 

そう声を掛けた。が、三葉は顔を俯けたまま、動こうとしない。

 

「三葉?」

 

不思議に思って三葉の顔を覗き込むと、三葉は顔を真っ赤に染めて、目をそらす。

そうこうしているうちに、電車のドアは閉まってしまった。そんなタイミングで、三葉はちょっぴり背伸びして顔を近づけ、俺に耳打ちする。

 

「……今日はね、ずっと瀧くんと一緒にいたいんよ」

 

その言葉に、俺の頭が破裂しそうな衝撃を受けた。自分の顔が紅潮し、今迄考えていた事とかが全て吹っ飛んでいくのを感じる。

 

それと同時に、自分の甲斐性の無さを恥じた。彼女にこんな事を言わせるなんて、男失格だ。彼女は観覧車から降りた後から、ずっと意味ありげに俺を見つめていた。ずっと俺の誘いを待っていたに違いない。

 

そりゃそうか。俺は三葉を幸せにすると言った。三葉はそれに答えてくれた。それなら、行き着く所なんて一つしかない。

 

三葉は覚悟を決めて待ってくれていたのに、俺は覚悟が出来ていなかった。それを俺は恥じた。そして、これ以上彼女に恥をかかせるようでは、最早男ではない。

 

俺は三葉を静かに抱きしめる。彼女も人目を気にしてか弱々しくはあったけれど、俺の背中に手を回してぎゅっと抱きしめ返してくる。

 

その姿がどうしようもなく愛おしくて、俺は次の駅に停まるやいなや、三葉の手を引いて足早に街を歩いた。目的地など言うまでもない。

 

いつもはそれ程意識しせず通り過ぎていた街角のネオンの光が嫌に俺を刺激する。一つ、また一つと煌びやかな店を通り過ぎる度に、胸の高鳴りが強くなる。

 

三葉は俺に手を握られて黙って付いてきているが、彼女も緊張しているのか、徐々に俺の手を握る力が強くなっていく。

 

やがて、俺たちは一軒のホテルの前へとやってきた。比較的落ち着いた佇まいではあるが、普通のビジネスホテルとは一線を画した煌びやさと色っぽさに溢れた縦長のホテル。そうして、徐々に現実味の帯びてきたこれから三葉と及ぶであろう行為を想像して、俺は思わず息をのむ。

 

三葉は三葉で、恥ずかしそうに彼方此方に視線を泳がせてもじもじしている。

 

ええい、こう言う時こそ、男の見せ所だろ! 俺!

 

俺は覚悟を決めて、三葉に声を掛ける。

 

「……三葉、行こっか」

 

「……うん」

 

そうして、俺たちはホテルへと足を踏み入れた。

借りた部屋はイメージしていたよりもシンプルで、薄明かりに照らされたクラッシックな色調の部屋の真ん中にデカデカとしたベッドが鎮座していた。

 

俺たちは手を繋いだまま、ひとまずベッドに隣り合わせで腰を掛ける。

そうして互いに暫し沈黙する。え、ええと、こう言う時、どうするんだっけ??

 

「……た、瀧くん。先にお風呂、入ってきていいんよ」

 

「お、おう。そうだな」

 

テンパって頭が真っ白になっていた俺に痺れを切らしたのか、三葉は俺に風呂に入るよう勧めてくる。俺は、その言葉に従って、シャワーを浴びる事にした。

 

体を洗っていると、浮き足立っていた考えも幾分か落ち着いてきた。正直な話、ここまで緊張するとは思っていなかった。これから三葉とひとつになる。その事実に喜びを感じる一方で、しっかりリードできるだろうか、三葉を満足させられるだろうか、などという不安も大きかった。

 

そんなこんなであれこれ考えているうちに、体も洗い終わってしまったので、俺はバスルームから出て、備え付けのバスローブに身を包んだ。

 

「み、三葉、お先にー」

 

「あ、それじゃあ、わ、私も入ってくるね」

 

俺たちはぎごちなく会話を交わす。互いに意識し過ぎており、まともに目も合わせられない。ぐぬぬ……俺がしっかりリードしなければ……

 

などと延々と脳内シュミレーションを重ねる俺。緊張し過ぎて、最早どれだけ時間が経過しているのかすら分からなかった。

 

そうこうしているうちに、三葉はシャワーを浴び終わったようで、ベッドの上にこちこちに座る俺の横にとことことやってくる。風呂上がりの三葉はその華奢な身体をバスローブに包んでおり、火照った身体からほんのりと熱気を感じる。おろした髪からは芳しいシャンプーの香りが漂い、ゆっくりと肩を上下させながら息をするその艶やかな姿に、俺は思わず息をのむ。

 

「た、瀧くん……?」

 

三葉は俺をもの言いたげにじっと見つめる。その瞳に吸い込まれるように、俺は三葉の唇を奪う。一度、また一度と唇を交わすたびに、三葉から柔らかな吐息と小さな喘ぎ声が漏れ出し、それが俺を更に燃え上がらせる。

 

そうして俺は、覆いかぶさるようにして三葉を押し倒した。その勢いで彼女のバスローブがはだけて、鎖骨から肩までの柔らかみを帯びたラインが露わになる。また、ほんの少し視線を下げると、女性を象徴する膨よかな二つの丸みが溢れ出そうになっており、俺は慌てて視線を上に戻す。

 

そうすると、ほんのりと頰を紅潮させながら、嬉しそうに微笑む三葉の顔がそこにある。

 

「もう……瀧くんのえっち……。……そっちもいいけど、今はちゃんと私を見て?」

 

「……お前なぁ。そんなこと言われたら、めちゃくちゃにしちゃいたくなる」

 

「やっぱり、瀧くんはえっちやなぁ。……いいんよ? 瀧くんなら……」

 

その言葉で、首の皮一枚で繋がっていた俺の理性がふっとぶのを感じた。そうして、俺は精魂尽き果てるまで三葉を抱いた。そのひと時は何も考えられなくなる程に恍惚とした時間だった。三葉も終始俺にしがみつき、嬉しそうに時折俺の名前を漏らしていた。

 

お互い初めてでぎこちないところもあり、また、三葉は少し痛がっていたけれど、終盤の方では高ぶる吐息と共に恥ずかしそうに小さく喘ぎ声をあげていたので、ちゃんと三葉も気持ち良く出来た様で一安心だ。

 

そうして事が終わると、俺たちはぎゅっと抱きしめ合って眠りに落ちた。感じるのはとても優しい温もり。恐れることなど何もないかの様に、すっと安心させてくれる柔らかな感触。

 

その日、俺たちは、確かに一つになったのだった。

 

―――

 

朝、眼が覚めると、そこには柔らかそうな二峰の山が目の前にあった。俺は、戦々恐々としながら右手でその片割れに触れてみる。

 

ぷにゅ

 

その瞬間、俺は得も言われぬ感動に包まれる。滑らかな手触り、一見柔らかそうに見えて、しかししっかりとした弾力がある。も、もしや、こ、これは……

 

もみっ

 

俺はその勢いのまま、それを軽く揉んでみる。おおお、なんだこれは。掌に収まるくらいのそれは俺の右手に吸い付く様に形を変える。す、すごいぞ……これは……

 

……うん。まあ、ぶっちゃけると、それは正しくおっぱいだった。そう、目覚めると、そこにはおっぱいがあった。

 

目の前におっぱいがあるなら、揉まなくては男ではない。そんな謎の理論を引っさげ、俺は目の前のおっぱいの感触を味わっていた。

 

……うーむ。しかし、女性の胸を揉みしだいたことなどないのだが、何かとても懐かしい気がしてならない。最早、一種の感動すら覚えるレベルだ。……これはあれか? 赤ん坊の頃の朧げな記憶が蘇っているのか?

 

などと下らない事を考えながら、気持ち良く眠る三葉の胸を揉んでいた。しかし、こいつ、中々起きないな? どうやらかなり眠りが深い様だ。

 

それで調子に乗った俺は、両手ですやすやと眠る三葉のおっぱいを弄んでいたのだが、

 

「ちょ……た、た、瀧くん!? な、な、何しとるんよぉ!!」

 

流石にやり過ぎたのか、目が覚めた三葉に全力の説教を食らう羽目になった。

 

「全くもう、全くもう、ほんっとに全くもうなんよ。瀧くんがえっちなんは知っとったけど、人が寝てる間に、そ、その、お、おっぱいを揉むんは、三葉さんどうかと思うんよ」

 

「はい。全くもって反論のしようが御座いません」

 

「もう。分かったら次は無いんよ?」

 

などと、怒られて割と反省していた俺だったのだが、

 

「……大体、瀧くんが望むなら起きてる時言ってくれたらいくらでも触らせてあげるのに」

 

と、恥ずかしそうに小さく呟いた三葉の声を俺は聞き逃さなかった。

 

「え? え? なんか言った?」

 

俺はからかう様に聞き返してみたのだが、

 

「ふーんだ。瀧くんには二度とえっちなことさせてあげないんだからねーだ」

 

どうも、にやつく俺の姿が気に食わなかったらしい。そのまま暫く口を聞いてくれなかった。

しかし、まあ、何度も謝っているとシャワーを浴びてホテルを出る頃には機嫌も直ったようでニコニコしながら俺の腕に手を回していた。

 

そんなこんなで、早朝に三葉を自宅まで送り届けた後、少々寄り道をしたりして帰宅した。ちなみに、三葉を家まで送った際に、大変間が悪いことにエントランスでゴミ出しをしている四葉にばったりと出くわし、散々からかわれる羽目になったのは言うまでも無い。

 

そうして、俺は昨日の出来事を考え深く振り返りながら、自室のベッドの上で寝転がっていたのだが、

 

ピロリン

 

と、携帯が音を鳴らすので、画面を確認すると三葉からだった。

 

内容はとりとめの無い話。今どうしてる? だとか、サヤちんかわいかったでしょ? だとか。ただ、彼女と交わすこのあまり深い意味の無いやり取りが、とても価値のあるものだと、そう思う。

 

少し時間が経った今でも明確に思い出せる。三葉の柔らかくて小さな体の感触。何処か弱々しくて、守ってやらなくてはと、自然にそう思った。

 

そう、俺は、三葉を守っていこう。この先どんなことがあっても、必ず俺は、あいつの側にいよう。

 

それは、一種の覚悟であり、そして決意だった。そうして俺は、時を忘れて三葉とのやり取りを楽しんでいたのだが、ある時を境に、急に会話の途中で三葉からの返信がばったりと途切れてしまった。会話が終わる流れでは無く、既読すらついていない。

 

こまめに返信する三葉にしては珍しいな、なんて気楽に考えていたのだが、

 

「お、お祖母ちゃんが、倒れたんやって」

 

明らかに動揺を隠せず、震えた声でそう告げる三葉の着信を受け、俺は迷う事なく三葉の家へ走り出したのだった。




今回もご覧下さりありがとうございます。
そして、明けましておめでとうございます。
水無月さつきです。

えーと、まずは更新の遅さに謝罪を……
完全に言い訳ではありますが、仕事が忙しくてなかなか書くモチベが上がらないのです
ちなみに、三が日もお休みなしです号泣
まあ、泣き言ばかり言っても仕方ないですので、ゆったり頑張りたいです。
どうぞお付き合いいただければ嬉しいです。

さて、今話ですが、如何でしたか?
何処まで描写したものかと、書いたり削除したりして結局今の形に落ち着きました。
敢えて言わせて頂きましょう。
末長く爆発しろ……
いやあ、本当に二人には末長く幸せになって頂きたいものです。

さて、次話は今回の話の続きになります。幸せの絶頂にある二人を襲う急展開に乞うご期待!?
さて、一体どうなることやら……

相変わらずゆっくりですが、頑張りますので、お待ち頂けると幸いです。
それでは、また。


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〜糸守〜
真実と決意


瀧くんは実家から車に乗り、半ばパニックだった私の元へ直ぐさま駆け付けてくれて、動揺する私たち姉妹を冷静に落ち着かせてくれた。

 

連絡を受けて不安そうにそわそわしていた四葉も、瀧くんの冷静な対応を見て幾分か気が紛れた様だ。勿論、瀧くんが来てくれて何より安心したのが私だった事は言うまでもない。

 

そうして、そのまま私たち姉妹を連れて、東京からお祖母ちゃんの住まう糸守の隣町までの長距離を、碌に休憩も取らずに車を走らせてくれた。

 

何から何まで瀧くんには感謝の言葉しか出ないけれど、それよりも今はまずお祖母ちゃんの容態を確認しないと……

 

私と四葉宛に同時に届いた父からのメール。そこには短く、

母が倒れた。追って連絡を入れる

と書かれていた。だが、一向に父から連絡が来る様子はなく、私と四葉は幾度と無く電話を入れていた。今一度私は父に電話する。しかし、またしても呼び出し音が虚しく繰り返されるだけだった。

全く、この緊急時に、あの馬鹿父は一体何をやってるんよ??

 

仕方がないので、私たちは一度、現在父とお祖母ちゃんが住まう住宅へと足を運んだ。ひょっとすると、父が何かしらの置き手紙などを残しているかもしれない。先ほどから四葉が繰り返し父へ連絡を入れているが、一向に出る気配がない様だ。どうも電源を切っているらしい。

 

私は持っていた合鍵で住み慣れた木造建て屋とは趣の異なる馴染みのないマンションの一室の扉の鍵を開け、中へ足を踏み入れた。後ろから四葉も追ってくる。瀧くんは直ぐに車を出せる様に、外で待機してくれている。

 

玄関から直進しリビングへ入るも、特に置き手紙などは見当たらなかった。仕方がない。こうなったら近場の病院に手当たり次第に電話をかけるしか無さそうだ。

 

「四葉! この辺りの病院の電話番号を調べて。私が電話をかけるから」

 

「うん、分かった。ちょっと待って」

 

「おや、三葉に四葉。そんなに焦って、どないしたんさ?」

 

「どうしたって、お祖母ちゃんが倒れたんよ! 一刻も早く、容態を確認しないと」

 

「ほぅ……そりゃ、大変やのぅ。で、誰が倒れたって?」

 

「「……え?」」

 

私たちが振り向くと、そこには見間違えようもなく、お祖母ちゃんが立っていた。それを確認して、私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。四葉も状況が飲み込めないのか、口を半開きにして馬鹿みたいな表情をしていた。

 

「え? え? ど、どういうこと……お祖母ちゃん、倒れたんじゃ……」

 

「ああ、そりゃあ、ちょっと貧血で倒れてしもたが、こうしてぴんぴんしとるでな。しかし、一体誰がそんなこと言うたんや?」

 

私はスマホで父からのメールをお祖母ちゃんに見せる。すると、見る見るうちにお祖母ちゃんの機嫌が悪くなるのが分かった。

 

「あの馬鹿義息子(むすこ)が。おおごとにしよってからに……。自分の娘達に無駄な心配掛けさせるとは、全くどもならんの」

 

「ほ、本当に大丈夫なの?」

 

四葉が恐る恐るという様子でそう尋ねる。確かに元気そうに見えるが、実際に倒れたというのはやはり不安だ。

 

「そないに心配せんでも大丈夫やて。それよか、わしは、お前さん達の方が心配だわね。わざわざ東京から急いできたんかね。大変やったやろうて。ほら、なんもあらせんが、お茶でも出したるから、ゆっくりしてきんさい」

 

「……なんだ、ほんとに大丈夫なんね? 本当に心配したんだから。良かった……。あ、それなら、瀧くんも呼んできてあげないと!! ずっと待って貰ってるんよ」

 

「……ほう、瀧くんとな?」

 

と、ここで私は安堵のあまり口を滑らした事に気づいた。普段からあまり表情が読めないお祖母ちゃんだが、相変わらずよく分からない表情で何かを見透かすようにこちらの表情を伺ってくる。

 

そこに待ってましたと話をややこしくする気満々の小娘が、意気揚々と声高らかにしゃしゃり出てくる。

 

「はいはーい。やっぱり気になる? 気になるよね? そうだよねぇ。あのね、あのね、瀧くんってのはお姉ちゃんのね……」

 

 

―――

 

「……で、これはどういうことなんだ?」

 

俺は、いまだかつてない疑問の渦に巻き込まれ、頭がフリーズしていた。

 

「ほっほっほ。これが三葉の運命の人か。ふむ、良い目をしておる。少し昔にも同じ目をした者を見た事があった気がするで。なぁ、三葉?」

 

「な、何のことよ? というか、運命の人とか、重いし恥ずかしいからやめて欲しいんやけど。ほら、瀧くんも困っとるで」

 

「えー、とか言いながらお姉ちゃん、満更でもなさそうな顔しとるよ。顔赤くしちゃってわかりやすいねえ」

 

……状況を整理しよう。俺は倒れたと聞いていた三葉の祖母を含む宮水一家に囲まれて質問責めに合っていた。本当に質問したいのはこっちだ、と突っ込みたいのは山々であったが、そこを何とか堪えて、俺は彼女達と会話を交わしていたのだが……

 

「わしも若い時はの、そりゃあ熱い恋をしたもんや。もうろくに覚えてないがのぉ」

 

「えー、お祖母ちゃんもー? ええなぁ、私もお姉ちゃんと瀧さんみたいに熱々の恋して見たいわぁ」

 

「もう、熱々だなんて、そんなこと言われたら恥ずかしいんよ」

 

完全にアウェーである。お祖母さんは昔話を淡々と語り、それを聞いた四葉が姉を揶揄い、揶揄われた三葉が満更でも無さそうにくねくねする。それが延々と繰り返されている。

 

「あ、あのぉ、それで結局お祖母さんは大丈夫なんですよね?」

 

「そりゃよく見てみない。こうしてぴんぴんしとるでな。心配してくれたみたいで、ありがとなぁ」

 

「ま、それなら良かったです。お祖母さんが倒れたって聞いた時、三葉さんも四葉ちゃんも本気で心配してましたし。本当に何ともなくて良かった」

 

俺が心の底から思った事をそう伝えると、お祖母さんは何を思ったか、ニッコリと笑って立ち上がり三葉に何やら耳打ちして部屋を出て行ってしまった。

 

三葉はというと、えっ、えっ? と口に出しながらオロオロしている。かと思ったら、

 

「ちょ、ちょっとお祖母ちゃんと二人で話してくるんよ」

 

と言い残し、部屋を飛び出して行った。

 

「……どうしたんだ、一体?」

 

「さあ? ただ、お姉ちゃんのあの様子からして只事ではなさそうですね……」

 

そんな風に四葉と顔を見合わせながら彼是考えていたのだが、やがて十分程度経って三葉だけ部屋に戻ってきた。何故かその顔が真っ赤になっている。

 

「い、一体何の話をしたんだ?」

 

「え、な、何でもないんよ、何でも。瀧くんは知らなくていい話。そ、それでお祖母ちゃんが瀧くんともお話ししたいって」

 

「え?」

 

「だから瀧くんと二人でお話ししたいんだって。向こうの座敷の部屋に来てって言ってたんよ」

 

聞き間違えかと思って聞き直したのだがどうやら本当の事らしい。まさかいきなり面談まがいな事が始まるなど露ほども考えていなかったので、幾分か焦りが生じる。

冷静になってみると、俺は今、彼女の実家に来ているのだ。大事に育てた孫娘が男を連れて来たら、積もる話も一つや二つあるだろう。

 

急にその実感が湧いてきて俺は思わず身震いする。そんな俺の気を知ってか知らずか(恐らく前者だと思うが)、

 

「おや。これはお祖母ちゃんのテストですね? 父が母と結婚する時も、お祖母ちゃんは厳しかったらしいですし、大丈夫ですかねぇ」

 

などと、どんぴしゃな煽りを入れてくる辺りが、流石四葉といった所か。

 

「だ、大丈夫なんよ! というか、多分試すとかそんな話じゃないと思うし……。まあ、とにかく一度二人で話して欲しいんよ」

 

「お、おう。まあ頑張ってくる?」

 

「なんで疑問形?」

 

とまあ、こんな感じで三葉に促されるまま、俺は三葉のお祖母ちゃんの待つ部屋へ単身乗り込んだのだが……

 

「さて、立花瀧くんやったね。お前さんに少しばかり話とかなあかんことがある。他でも無い三葉のことさね」

 

お座敷のテーブルを挟んでピシッと正座しているお祖母ちゃんの視線に晒され、俺は思わず物怖じしそうになる。

 

そんな俺の心情を察したのか、お祖母ちゃんは、

 

「なに、そう気構えなくともええさね。別にとって食やあせん。それに、お前さんと三葉の事について彼是口出す気もないさね。ただな、それでもお前さんに話しとかんとあかんことがあるんやさ。まあ、兎に角座りんさい」

 

と、朗らかな笑みを浮かべつつ俺が座るように促してくる。

実際、このまま突っ立っていても拉致があかないので、俺は言う通りにお祖母ちゃんとテーブルを挟んで向き合う形で置いてあった座布団の上に正座した。

 

「それで、お話とは……?」

 

「お前さん、糸守の事は知っとる?」

 

「それは勿論。八年前に起きた彗星災害のこと、奇跡的に死者が一人もいなかったこと、そして、三葉が当時その村に住んでいたこと」

 

ティアマト彗星が地球に大接近した五年前、突如彗星が割れてそのかけらがその地へ降り注いだ。当時の俺はまだ中学生で、ただただその美しい眺めに心奪われた事を覚えている。そして、糸守町。未曾有の彗星災害にも関わらず死者が出なかったと言う奇跡に、その当時のワイドショーは暫くこの話題で持ちきりだった。けれども、当時の俺は全く興味がなくて、この話が下火になるにつれ徐々に俺の記憶から薄れていった。

 

当時の俺にとって糸守の話は、映画やドラマと何も変わらない、所詮現実味のないテレビ越しの数あるお話の一つに過ぎなかった。しかし、それがある日、何故かこの話に無性に心惹かれるようになった。それがいつで、何がきっかけだったかも覚えていない。ただ、何かを探し求める様に無我夢中で糸守の話を探し求めたということは朧げながら覚えている。

 

「ほうか、それなら話は早いね。ほなら、あの彗星災害について広まっとる噂についても知っとるんかね?」

 

「噂ですか? 有名な所だと国家陰謀論だとか、町長大予言者説とかですかね」

 

あれ程大きな大災害にも関わらず死者が一人も出なかったという特異性から、マスメディアは彼是と無責任な噂を並べ立てた。例えば彗星が落下することは天文学者らによって予見されていたが、混乱を避けるため閣僚達は黙殺した、とか。当時の内閣に不満を持った有力政治家がスキャンダルによる内閣支持率の下落を目論み、マスコミにリークしたところその情報が回りまわって糸守まで広まった、とか。

 

或いは、その日彗星が落ちる前に町長が避難命令を出しており、町長の遍歴が学者から神主を経て町長という極めて変わったものであったことから、実は町長は彗星の落下を予知していた、とか。酷いものでは町長は未来からやって来たタイムリーパーだというゴシップ誌すらあった。

 

「そうやねぇ。あの件については、そりゃもうある事ない事マスコミが囃し立ててくれたんよ。おかげであの馬鹿義息子がいろいろ苦労してな。いい気味やわ」

 

「……お祖母さんの息子さんというと?」

 

「そうや。三葉と四葉の父親やなぁ。入婿として宮水家に来たんやけどな、はっきり言ってええ父親ではなかったわ。お前さんもひょっとしたら見た事あるんやないかなぁ。一時期噂の町長としてメディアに引っ張りだこやったからのぉ」

 

……そうだ、思い出した。宮水町長。三葉と出会った時から、宮水という苗字を何処かで聞いた事があると思っていたのだが、あの宮水町長の娘だったのか。

 

「三葉さんと"お父さん"は、あまり良い関係では無かったのですか?」

 

「ほっほっほっ、"お義父さん"か。もうすっかりその気やねぇ」

 

「えっ、あっ、すいません。そんなつもりじゃ」

 

「ええんやさ。あの()ももうすっかりその気やでな。お前さんにもちゃんとこちらの家庭の事情を話しとかなあかん。あの娘らはな、早くに母親を亡くしとる。それがきっかけで父親は家を出てしもて、大きくなるまでわしが一人で育ててきたんや」

 

お祖母ちゃんは語る。三葉の母親である二葉さんのこと。父親の俊樹さんのこと。そして三葉や四葉が小さかった頃のこと。俺はこれまで三葉とお互いの家庭の事情について詳しく話をした事がなかった。小さい頃に母親も父親もいなくなるなんて、きっと人知れぬ苦労もあったに違いない。ただ、意外とその事実に対して驚きは無く、お祖母さんの告げる昔の話はすっと頭に入ってきた。

 

「彗星の一件は、間違いなく不幸な出来事やった。やけどな、わしはふと思うんや。あの一件は、歪んでしもたわしら家族がやり直す、いい機会やったんやないかって。うちの馬鹿義息子もあの一件以来丸なって、大分自分の娘達の事を思いやるようになったでの。それにマスコミから彼是と騒ぎ立てられて、いいお灸になったっちゅうもんやさ」

 

なんでも、彗星の一件以降、少しずつではあるが離れ離れになった家族が元に戻りつつあるらしい。お祖母ちゃんとお父さんは一緒に暮らすようになったらしく、険悪だった三葉とお父さんの仲も徐々にではあるが改善したらしい。今では適度にメール等でやり取りする仲だそうだ。

 

「やけど、一つだけ、一つだけあの彗星が引き裂いたもんがあった。なあ、お前さん。お前さんは”ムスビ”って知っとる?」

 

ムスビ。人と人との繋がり。俺と三葉、三葉と四葉、四葉とお祖母ちゃん。そんな風に巡り巡ってみんなは繋がってる。

 

「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それがムスビ。人と人との出会いには深い意味がある。例え、出会った事が無くとも、離れ離れになろうとも、このムスビがある限り、人と人は繋がっとる。せやけどな、三葉はそのムスビを失ってしもた。一番太く、強固なムスビを、あの子は糸守の彗星に奪われてしもたんや」

 

「それって……」

 

「これから言うことは他言無用やでな。あの彗星の日、皆を救ったのは他でもない三葉や。わしら糸守の巫女はな、幼い時不思議な夢を見る。何でかはよう分からんし、夢の記憶も残っとらん。ムスビを司る氏神様に仕える巫女やで、きっとそれもムスビなんやろなぁ。三葉はその夢で、彗星が落ちる事を予見しとった」

 

初めて聞く話だった。どんなメディアにも取り上げられていない話。糸守の大勢の人々を救ったのはあの三葉だったという突拍子も無い話。普通なら衝撃的な物語。けれども、その話に驚きは無かった。寧ろ、今まで調べても調べても取れなかった心の中のしこりすっと解れていく。

 

「あの馬鹿義息子が矢面に立って必死に三葉を守ったでな。これまでの贖罪とでも思ったのかのぉ。まあ、おかげで三葉はマスコミの追求から守られた訳やし、ちょっとばかしは町長という役職も役に立ったっちゅうもんや」

 

「それで、三葉さんはどうなったんですか?」

 

「三葉は糸守のみんなを救ってくれた。せやけど、代わりに最も大切にしていたムスビを失ってしもたんやと、わしは思っとる。正直な、わしにもはっきりした事は分からん。彗星が落ちる前の事ははっきりとは思い出せんし、三葉があの日何をしたんかも、靄がかかったように思い出せん。ただ、三葉の説得で義息子が動いたと言う事は紛れも無い事実や。そして、その後三葉が心の底から笑わなくなったことも。あの一件以降、三葉はよく寂しげな顔をして右手を見つめておった。三葉のあんな姿を、わしはもう二度と見とうない」

そう言い終わるや否や、お祖母ちゃんは急に身体を屈め激しく咳込み始める。

 

「だ、大丈夫ですか? やっぱり倒れたって本当なんじゃ?」

 

「心配せんでいいんやよ。さっきのは本当に何ともないんじゃ。じゃがの、わしももういい歳や。いつお迎えが来るか分からんでな。やけど、わしはずっと悔やんどった。若い三葉に糸守の重荷を背負わせてしもた事を。三葉がその事でずっと悩んどる事を。だから、三葉がお前さんと心の底から笑い合う姿を見て、わしはほっとしとるんよ。探しとった人が、漸く見つかったんやなあって」

 

お祖母ちゃんはテーブルから少し下がり、正座のままピシッと姿勢を正した。そうしてゆっくりと頭を下げた。

 

「三葉をよろしく頼むでな」

 

俺もお祖母ちゃんに習って少し身を引き、姿勢を正して頭を下げる。

 

「必ず、必ず幸せにしてみせます」

 

心から、心からそう思う。まだ三葉にプロポーズなんて出来てないし、付き合って数ヶ月だけれど、俺は彼女を幸せにする義務がある。改めて、強く強くそう思った。

 

そうして俺とお祖母ちゃんは同時に頭をあげる。

 

「ちゃんと三葉が幸せになるとこ、お祖母ちゃんにも見てもらわないとな」

 

「ほほほ、こりゃ長生きせんといかんねぇ」

 

そうしてお座敷に俺たちの笑い声が響きあったのだった。




お久しぶりです。
水無月さつきです。

投稿が非常に遅れてしまい(14日と365日……)誠に誠に申し訳ありませんでした。

正直モチベーションが低く、このまま消えようと思ったりもしたのですが、未だにご覧下さる方々や感想をくださる方がいらっしゃって、楽しみにしてますと言ってくださる以上、書き上げねば失礼だと気合いを入れ直しました……
お読み下さる方々には感謝するばかりです。

次回投稿が次いつになるかも確約できませんが、完結できるよう頑張ります。

今後ともよろしくお願いします。


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