東方信頼譚 (サファール)
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序章.二度目の生に響く哀れな慟哭
0話.プロローグ(リメイク)


 

 皆さん初めまして。サファールという者です。
 この小説が初投稿ですが、文章に慣れていくにつれて上達すると思いますので、何卒温かい目でご覧下さい。

 サブタイにある通り、プロローグはリメイクしました。
 なぜかと言うと、ある日序盤の内容を見返していた時に、「ちょっとこのプロローグは見るに耐えん」と思ったからです。

 初見さんには申し訳ありませんが、元祖のプロローグは削除します。元祖を気に入っていた方、ごめんなさい。

 では、どうぞ。

 


 

「…」

 

 始まりなんて、ほんの些細な出来事だった。起きても気付かないような、そんな小さな出来事。

 倒れるドミノが段々と大きくなっていくように、世界は色を変え、全てが狂い始めた。

 

「……」

 

 モノクロの現実は静かに、しかし素早く青年の心に染みてゆき、(またた)く間に黒く染め上げていく。眩いばかりの純白は、残酷な漆黒の前では無力。故になす術なく、彼は“罰”を受けてしまった。

 

「………」

 

 何でもない校舎の、何でもない屋上。腰まである手すりに手を置いて、彼は呆然と眼下の大地を見下ろしていた。

 

「…………」

 

 まるでトイレの水に浸したかのような、異臭のする濡れた上履き。

 まるでバケツを頭から被ったような、びしょ濡れの全身。

 まるで袋叩きにされたような、痛々しい青あざと血の痕。

 

 荷物はどこかに消え、腹は昼から煩く鳴っている。ここに来るまで浴びた罵声と陰口は彼の心を抉り、鮮血を撒き散らしていた。

 

「…信じてたん、だけどなぁ…」

 

 零れた言葉すら詰まる程、彼の口は酷い状態だった。

 

 始めは、違和感。次いでその真意に気付き、疑問を感じる。何か気に食わないことがあったのか、自分の何が至らなかったのか。必死に努力し、解決を望んでいた。

 

────なのに。

 

 気付けばそれは周りにも波及していて。思えばずっと前からだったなと小さくない衝撃を受け。何故、と問いかける口すらも彼らには不快なようで。

 

「……なんで」

 

 涙なんて出ない。そんなものとっくの昔に枯れたし、流せば嘲笑は更に酷くなるのだと学んだから。

 

 抵抗はした。

 

 しかし両親はまともに取り合ってくれず、先生はお前が悪いと逆に非難した。友達は軒並み彼の前から姿を消し、近隣の人は耐え難い視線を突き刺してきた。

*学校は休ませてはくれなかったし、周りが求めるハードルもどんどん高くなっていった。いくら鈍感な彼でも、流石に察してしまった。

 

「……どうして」

 

 手すりに乗せた手に握力が込められる。

 全て信じていた。全て許容していた。全てを、全てを受け止めていたからこそ、その反動は通常の比ではなかった。

 

「アハ……ハ…ハハ…」

 

 自嘲気味な笑いは空に溶けて霧散した。下校中の生徒達は屋上の彼を見向きもせず、親しい者と談笑をしている。

 

(なんで…なんで今まで知らなかったんだろう)

 

 世界は白だけではないという事に。人間は決して優しい物ではないという事に。──友達とは、呆気ない程に薄っぺらな関係であるという事に。

 

 世界が黒色に変わってから(しばら)くして、彼に転機が訪れた。

 その他有象無象と変わりないと思っていた一人の女子が、彼に声を掛けたのだ。

 もう何年もしてないような暖かい会話。彼女の纏う雰囲気は彼を癒し、耳に入る声は夏夜に響く風鈴のように彼の心を揺らし、見せる表情は(きら)びやかに彼を照らした。

 

 久しく忘れていた朗らかな感情。彼女のお(かげ)で、また元の世界が戻って来る。

 そう、思ってたのに……

 

「………っ」

 

 伸ばした腕に絡みついたのは、真っ黒な茨。茨は棘を深々と皮膚に突き刺し、その毒を容赦なく流し込んできた。上がり始めた心はどん底へと叩き落とされ、精神が病んでいく感覚に襲われる。

 

 どうして、どうしてだろうか。頑張って信じようとしていたのに、どうしてこうもあっさりと手の平を返されるのだろうか。屈託のない笑みで誘いながら、実際は内心ほくそ笑んでいたというのか。

 

────楽しかった?

 

 そう問えば、きっと外面ではそんな事無いと叫ぶのだろう。

 しかしその言葉の裏はどす黒い。だから彼は、その内面を見据えて毒づくのだ。

 

 何をしようと変わらない。だから選択肢に差はない。何故なら、全てが悪い方向へと向かってしまう死の選択だからだ。世の中は理不尽で溢れていると父は言ったが、都合のいい方便に過ぎない。

 

「……残酷だなぁ……」

 

 彼は徐に手すりに足を掛け、静かに飛び越えた。縁に立ち、後ろ手に手すりを掴む。

 

 思えば、既に闇は潜んでいたのかもしれない。全てが白色だと信じて疑わなかったあの頃から、既に。

 空を見上げると、そこには清々しい青空が広がっていた。

 

 彼は、そんな世界に最期の一言を言う。

 

「────」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 日が照る事の無い場所。世界と世界を橋渡すために存在する、川の向こう側の空間。

 ここにいるのは、川を渡る為の船頭をしている死神や、運ばれてきた魂を判別する閻魔、その他の取り留めのない存在。

 

 死後の世界の行き先を示す場所。有り体に言えばそれがこの空間の全てであるが、判決を下す建物と目の前の川以外に何も無いこの場所に名前はない。

 一応属する世界はあるが、ここは隔絶された空間。別世界と考えても差し支えない場所だった。

 

「う〜ん……」

 

 (くだん)の建物の中。私室で一人唸っている女性は、机にある一枚の書類に頭を悩ませていた。

 本日の業務は全て終了し、後は部屋でゆっくりと一日の疲れを癒すだけ。だがしかし、彼女はまだ閻魔装束を脱いでおらず、彼女の持ち物である悔悟棒(かいごぼう)もまだ手元にあった。

 

「どうしよう、これ」

 

 まだ仕事から解放されていない原因は、目の前の書類の処理に時間がかかっているからである。今までに類を見ない案件なだけあって、その処理難度は桁違い。難しい顔のまま固まるのも仕方ないことだった。

 

 閻魔の仕事とは一つだけ──死後の魂を天国か地獄に送ることである。その判決をするのが主な部分なのだが、この書類──青年の処遇だけは、どうしても決められなかった。

 

「いい加減決めないと。期限が迫ってるし…」

 

 閻魔である彼女に用意されている私室。

 ここで彼女は、一人静かなティータイムを楽しんだり、ピシッと垂直に固まった背筋を解すためにベッドにダイブしたりするのだが、生憎それはまだお預け状態となっている。お洒落なテーブルも、控えめながらも目を引くこの椅子も、使用者である閻魔がグデーっとしていれば、その華やかさも形無しであろう。

 

「う〜。どうしようもないじゃない、こんなの!」

 

 机に突っ伏して、仕事を放棄する。

 

 魂に直接判決を下し、その後彼らの書類をまとめて天国と地獄に本人と共に送る。これが閻魔の唯一の仕事である。どこかの閻魔は、わざわざこの世に降りて善行を積ませようとするようだが、そんな面倒な事はしない彼女だ。

 書類をまとめると言っても、実際は判子を押して二言程度備考を書くだけだ。しかしこの青年については、対処のしようがなく判断に迷っていた。

 

「もう天国でも地獄でもどっちでもいいか……いや、そもそもの話だったわね」

 

 下の世界では諸説あるが実際の話、天国と地獄は想像されているような場所ではない。天国の魂が転生の順番に優遇されて、地獄の魂は少し遅れるだけ。たったそれだけの違いだ。

 死者の魂はそこで永い時を過ごし、その身に染み付いた善行や悪行を全て削ぎ落とし、まっさらな魂へと生まれ変わって転生する。待つ間、それぞれの環境が少し違うだけ。

 

 だがどうしてか、下の世界の人々はやたらと天国を美化する。誤解を解こうと死神を派遣して説明させた事もあったが、“警察”とやらに捕まりかけて泣く泣く諦めた。

 あの時の書類作業は今までにない苦行だったと彼女はこめかみを押さえる。ただでさえ人員不足なのに職員を減らされてはどうしようも────

 

「……はっ!?」

 

 他事に思考がシフトしていた事に気付き、慌てて掻き消す。

 

(こんな事思い出してる暇ないのに…)

 

 隅に置いていた湯呑みに手を伸ばし、僅かに啜る。まだ温かさの残る緑茶は、疲弊した彼女の心を癒してくれた。

 

 彼には、とある問題がある。

 前世での事なのだが、ある災難が彼の身に降りかかり、非常に濃い負の感情を背負ってしまったのだ。

 

 前述の通り、転生するには過去の善行や悪行を削ぎ落として、まっさらな魂にならなければならない。だがたまに、どれだけの年月を費やしても過去の“所業”が取れない魂があるのだ。

 その場合には、こちらで無理矢理その癒着した“所業”を切り取り、天国や地獄に送る。

 

 だがしかし、件の彼の“所業”だけは、どうしても浄化出来なかった。

 

「一体、どれだけの“負”を受けたのかしら…」

 

 想像するだけで身震いが止まらない。神やその末端にあたる閻魔一同の力を持ってしても、完全に消すことの出来ない頑強な“負”の殻。どれ程酷い経験をすれば、こんなものがこびり付くのだろう。

 

 数日前、時間を掛けた除去が難しいと上が判断し、一度強制的に魂に付着した善悪の“所業”を抹消しようとした事がある。

 しかし結果は失敗。大半の記憶や前世の情報を消去したが、問題である特定の記憶などは残ってしまった。

 それを受けて上は匙を投げ、処遇を彼女に一任すると言ってきた。つまり、どんな方法を使っても構わないが、残りの“所業”を排除出来なければ処罰すると言っているのだ。

 

「やっとの思いで閻魔になったのに…クビとか嫌よ」

 

 人の魂を扱うので、失敗と事故は許されない。簡単に首がすげ変わるのは重役の辛いところだ。

 一人苦悩する閻魔だが、そんな彼女に突然声を掛ける者が現れた。

 

「はいはいはい。そんな悩める閻魔ちゃんに朗報だよ?」

「シャラップ!!」

「ぶべらっ!?」

 

 イライラが限界点に達していた事もあり、一人である自室に現れた人物に反射的に机上の分厚い冊子を投げつけてしまった。

 次いで閻魔である彼女は頭を働かせる。誰も入る事を許されていない自室に、気配も無く現れた存在。仕事が仕事なだけに、魂を狙って忍び込む輩は少なからずいる。

 腐っても閻魔な彼女は一瞬で思考し、結論を導き出す。呑気な声で話しかけてきた向かいの女性を視界に入れると、すぐ様立ち上がって悔悟棒を突き付けた。

 

「っ!…侵入者ね。声を掛けるなんて馬鹿かしら」

「いてて…。おデコにヒットしたよほら。このタンコブどうしてくれるのさ〜」

 

 悪びれる様子もなく平然と立ち上がる侵入者。机を挟んでいるので少し距離はあるが、それでも閻魔の武器である悔悟棒の射程内。全く問題はない。

 

「警備が杜撰だからってあまり油断しない事ね。一人でどうにか出来る程、ここは甘くはないわよ」

「無視された……。まぁ、侵入者な事に変わりはないから弁解はしないけどさ」

 

 大げさにガックリして見せる侵入者。ゆったりとした服装の女性だが、世界の狭間にあるここを襲撃した時点で、容姿なんてアテにならない。どっかの閻魔のように、小さくて説教臭い子でも、凄まじい力を持っている世界だ。油断は禁物である。

 

「目的は何?どうせ魂でしょうけど」

 

 全く感じ取れないほど上手く力を隠している侵入者。相手の実力を鑑みてこっそり応援を呼ぶ閻魔に、彼女は首を振って見せた。

 

「違う違う。私はそんなものに興味は無いの」

 

 本心であろう言葉に内心で首を傾げる。ここに来て狙うものなど、人間の魂以外に無いというのに。侵入者は武器を突きつけられている状態で、閻魔に手を差し伸べた。

 

「私はね、悩める閻魔ちゃんにいい話を持ってきてあげたの」

「いい話?」

 

 侵入者は微笑み、話を――――

 

 

「閻魔ちゃんを悩ませている青年の対処法なんだけどね――」

「天誅!!」

「ぴぎゃっ!?」

 

 

 不意打ちの悔悟棒が、彼女を襲った。

 

 

 

 

 閻魔が処理する死者の情報は、トップシークレットだ。上司である神ですら、その口を鉄糸で縫うほど情報規制は厳しい。故に侵入者がその事を知っている事実に、彼女は反射的に攻撃してしまったのだ。

 

「…話くらい黙って聞いてくれないかな…」

 

 棒に頬を強打され、部屋の隅に吹き飛んだ侵入者。しかし次の瞬間には元の位置に戻っており、真っ赤に腫れた頬を擦りながら飽きれた溜息を吐き出した。

 ダメージが無いことには驚かない。しかし力の波動を感じさせずに瞬間移動をされ、閻魔は更に警戒した。

 

「……どうやって──」

「死者の情報を手に入れたのかって?」

 

 予想していたかのように人差し指を立てる侵入者。すると彼女の周りに隠されていた力が滲み、閻魔にも感じ取れるようになった。その力の性質に、閻魔はギョッとする。

 突き出している悔悟棒が震える。種族としての格差に、本能的な服従を強いられそうになる。

 

 

「それは、私が神様だから」

 

 

 憎たらしい笑みを浮かべて腕を広げる侵入者は、自らを神と名乗る。滲み出る力の名は神力と言い、神のみが扱えるエネルギーだ。

 神は閻魔よりも上の存在。何故ここに、と考えて、揺らいでいた腕に力を込めた。

 

「…そうですか」

「んん?反応が鈍いなぁ」

「神力を持つことから、確かにあなたは神様なのでしょう。しかし何を司る神様かは存じ上げませんが、この場に侵入する事は重罪です」

 

 例え目の前に居るのが神だとしても、閻魔が従うべき神は上司と呼ぶ数名の神のみ。こいつは違う。

 また、人間の輪廻転生を管理する職場の職員は、中立的な立場を維持する事が義務付けられている。他者からの干渉により魂の流れを乱してはならないからである。

 

 神だろうと、侵入者は侵入者。捕まえ、上司に突き出すのが義務である。

 

「どうやってこの彼の事を知ったのかは知りませんが、その情報の取得も重罪です」

「これは、閻魔ちゃんが言う上司から教えて貰った情報だよ」

「え?」

 

 思わず信じそうになってしまう。閻魔は上司を尊敬しており、彼が間違った選択をする事は絶対に有り得ないと確信している。

 しかしそれをのたまった口は身元も分からぬ侵入者のもの。信じる道理はどこにもない事を自分に言い聞かせ、頭を振る。

 

「お茶目で固い閻魔ちゃんに納得してもらうために、こんな紙切れも用意してくれたし」

 

 しかし、そんな侵入者からの痛恨の追撃。服の内側から取り出した書類を机の上に置き、読むように促す。不信感マックスながらも、物品の証拠があれば、信用度はグッと増す。閻魔は悔悟棒を構えながらも、その紙を手に取った。

 

「これは…」

 

 尊敬する上司の字体で、侵入者──『幸福の神』に対して例の彼の情報を渡す事に同意している。しかも、上司の神力が込められた印付きだ。

 

「どう?信じてくれた?」

 

 しつこく尋ねてくる神に生返事を返しながらも、あまり信じたくなかった事実を受け止める。次に閻魔は、悔悟棒を降ろし、書類を机の上に置いた。

 

「……情報の取得法に正当性がある事を認めます」

「あ〜良かった!これ以上拗れるのは面倒だから、物分りが良くて助かったよ」

 

 安堵の吐息を漏らす幸福の神。しかし悔悟棒の次に突き付けられたのは、下界でも使用される手錠と呼ばれる拘束具だった。

 「えぇっと、閻魔ちゃん?」と把握しきれない様子の神に、閻魔は仕事顔でこう言い放った。

 

「ですが、ここに不法侵入した罪は消えていません。素直に投降願います」

「……頭固過ぎでしょ」ボソッ

「せぇい!」

「まそっぷ!?」

 

 地獄耳は閻魔の標準装備らしい。悔悟棒の錆となった神は結局手錠を付ける事になり、閻魔の自室の真ん中で正座する事となった。

 

「あの方が認めた点を考慮し、事情聴取は私が行います。どうせ応援を呼んでも来るまでに時間がかかりますからね」

 

 ここの職員である死神は、閻魔の部下でありながらあまり仕事に義務を感じていない。

 死神は魂をここに連れて来る事が使命であり、他の事は二の次になる事が多いのだ。川向かいまで運んだり、閻魔の元へと誘導したり、建物内を警備したり。それらにはあまり身が入らないらしい。

 

「さて、処罰は後で決めるとして、まずは動機を訊きましょうか」

 

 神だからある程度の敬語は使うが、やはり犯罪者ということで棘を含めてしまう。神は不貞腐れたように顔を背けた。

 

「ちぇ……どうせ私の持ってきた話が気になるだけの癖に」

「…次はフルスイングですよ?」

「閻魔ちゃんにいい話があるからですはい!」

 

 閻魔は一応神とはいえ、その地位はやはり神の中ではあまり高くない。幸福の神が素直に従ったのは、閻魔の迫力のお陰だ。仕事を忠実にこなす彼女の性格は、よく同僚の閻魔と比べられる。

 

「では、そのいい話とは?」

「そっちで解決出来なかった“彼”の問題を解決する方法があるのよ」

 

 話の内容に、閻魔は思わず鼻で笑ってしまった。

 

「あ〜、神様を嘲笑っちゃいけないんだぞ〜?」

 

 バチ当てるぞ〜?と脅してくるが、生憎こちらも神の一種である。バチは当てられないだろう。

 閻魔が鼻で笑うのも仕方ない。何故なら、上司や閻魔の持つ力でさえ彼の魂を清める事が出来なかったのだ。輪廻転生に特化した自分達が解決出来なかった問題を、彼女がどうにか出来るとは思えないのだ。

 

「すいません。面白かったので、つい」

「何が面白いのさ〜」

「私達で対処し切れなかった案件です。輪廻転生に関係していないあなたには無理です」

 

 神とは、この世の何かを司り、その力を操る存在だ。ピンキリだがその性質は全ての神が持っており、逆に範囲外の事は全く対処出来ない。

 

「ちっちっちっ。幸福の神様には出来るのだよ」

 

 手錠されながらのドヤ顔は非常にムカつく。悔悟棒を振りかざして威嚇したら、案外すぐに引っ込んだ。

 

「はぁ…それで、そんなお伽噺をするためにここへ?」

「お伽噺じゃないよ。ちゃんとした方法があるんだ」

 

 片眉を上げた閻魔は悔悟棒を降ろす。

 

「なら、聞くだけ聞きましょう。徒労に終わるでしょうが」

「そんな事ないよ。やる事はただ一つで、とても簡単な事だから」

 

 寧ろ閻魔ちゃんの出番は無いしね、とカラカラ笑う幸福の神。そして彼女は、不意の真顔でその方法を口にした。

 

 

「──私の能力を使う」

 

 

 能力、と呟いて、閻魔は続きを促した。

 

「私の能力は、閻魔ちゃんの親友の担当する世界で言えば、『幸福にする程度の能力』。幸せにしたいと思った相手の事を、必ず幸せにしてあげる能力」

 

 能力の内容を聞いて、閻魔は戦慄した。幸福を司ると聞いて若干嫌な予感はしていたが、彼女の能力はとんでもなく強力なものだ。

 

「発動に力は要らない。能力を使用すれば相手が幸せになる道筋を導き出し、その過程をクリアするために必要な分の力を手に入れることが出来る。…どう?凄いでしょ」

 

 つまり、彼女の匙加減一つで、どんな悪党でも世界を征服できるという事だ。殺人も強盗もテロも不正も、彼女が対象を幸せにしたいと思えば叶えられる。そうなれば、人間界は滅びてしまう。

 閻魔が最悪の事態を想像していると、神は手錠を煩わしそうにしながら言った。

 

「…安心して。閻魔ちゃんが考えてるような使い方はした事ないし、するつもりもない。私は幸福を司る神。大多数や──世界の平和を基準に動いているから」

「そう、ですか」

 

 少し不安が取り除かれたが、次に「気分で動く事もあるけどね」と言われ、本格的に拘束しようかと思った。

 

「それで、その能力を使って彼を助けると?」

「そうそう!肉体や自我がなくても能力は使えるから、彼が何も出来ない間にパパっとね」

 

 何も出来ないという言葉が引っ掛かるが、取り敢えず閻魔は首を振った。

 

「……よしんばあなたの言った事が本当だとしても、あなたに彼を預ける事は出来ません」

「え〜?なんで?」

「それは、彼が私達の管轄下に置かれているからです。部外者に干渉されては、今後の立場が危うくなります」

 

 誰にも干渉されず、ただ淡々と人間界の輪廻転生の概念を維持する機関。一度でも外部から手を出されたとなれば、調子に乗って他から色々と口出しされるだろう。

 自分にも管理させろ。その人間を寄越せ。死神を貸せ。前例が規模を肥大させ、やがて崩れてしまう。それだけは避けねばならない。

 

「一柱の神が閻魔の自室に不法侵入し、人間の魂を要求する。その罪は、決して軽くはありません」

 

 神の中には、人々から信仰を得て存在している者もいる。別の神が人間を管理出来るようになれば、その者は手綱を握られているのと同じだ。

 バランスが崩れる。その事実を理解している筈なのに、幸福の神は意志を折らない。

 

「お願い。彼を助けさせて。私の能力を使わないと、世界中の人間が死ぬ事になる」

「……どういう事ですか?」

 

 聞き捨てならないセリフだ。神は机に上にある書類に目を向けた。

 

「彼はこのままだと悪霊と化し、ここを抜け出して人間界に行く。そして心にこびり付いた感情のままに、地球上の人間を殺し尽くす」

「…そんな馬鹿な。流石に管理庫のセキュリティは万全です。内外から出入りする事は有り得ません」

 

 神のヘラヘラした雰囲気は既に消え去っている。彼女の言う事が信じられず、閻魔はすぐ様否定した。

 魂が逃げ出さないように、裁判を終えた魂は一旦管理庫に入れられ、そこから天国や地獄に送られる。現物を扱う場所なので、そこは閻魔の自室付近よりも強固な警備が敷かれている。どんな高位の神でさえ、侵入は困難だ。逆も然りである。

 

「いいや、脱走するよ」

 

 確信を持って、神は言う。

 

「私の能力は、使うとまずそのまま時間が経過した場合の未来が視えるの。それを視てから力を行使するのか決めてるわけ。結果、私にはさっき言った未来が視えた」

 

 捕まった状況にも関わらず、神は尚も懇願する。自身の身はどうなってもいい。彼を救い、人類を幸せにしたいと願う彼女の言葉は、真に人類を案じている温かさを感じた。

 閻魔の頭には、彼女の言っている事が全て嘘っぱちである可能性は捨てていた。

 実際、彼に残った黒い感情は彼を悪霊化させるに充分で、その強さは比類なきものだ。懸念を正確に言い当てた彼女の正当性は、証明されたのだ。

 

 しかし、と閻魔は申し訳ない顔をした。

 神は自身が司る領分においては我が物顔で居られるが、輪廻転生関係はそうはいかない。再三言うが、この機関は中立を貫く必要があるからだ。

 

「……そう言われましても…」

「頼むよ閻魔ちゃん。これが、最後のチャンスなんだ」

 

 責務か、私情か。

 悪霊化したとしても、人類が滅ぶ前に神が出張るだろう。そうなったら、ただの霊である魂に抗う術はない。神を抑え付ける程の悪霊なんて有り得ないし、上司が監視すれば万事解決ではないだろうか。

 

「彼の心は、想像してるよりずっと暗い。神如きが消せるものじゃない」

 

 読心でもしたのか。内心ビクついた閻魔は、暫く神と見つめ合い、生涯に一度であろう葛藤を経験した。

 自分達に対処出来るのか。この神に託してもいいのか。様々な思いがせめぎ合い、交差し、混ざり合って。

 

 

「………はぁ」

 

 

 聡明な閻魔は、実の所見切りはつけていたりする。彼女の決定を妨げる材料は自身への言及と処罰のみ。上司が情報を渡した時点で、既に答えは出ていた。

 

「…規則を破り侵入した神が、勝手に魂に処置を施した。異論はありませんね?」

「っ!ありがとう…」

 

 涙を流すほどの事だろうか。感情の起伏が激しい彼女に思わず笑ってしまい、神は軽く憤慨するのであった。

 

 

 

 

「区域座標E-P-K、識別番号A-5972をお願いします」

「了解しました。こちらです」

 

 神を連れて魂の管理庫へとやって来た閻魔。門番の礼に会釈を返し、受付をしている死神に“彼”の元へと案内するように命令した。

 魂は下手に移動させる事が出来ない。自我がない場合は触れることすら許されず、扱いには細心の注意が必要である。

 

「沢山あるんだね」

「日本の死者を全て管理していますから。それに、魂が路頭に迷う事のないよう、収容数に余裕を持たせているのです」

 

 死神に案内されながら閻魔は簡単に管理庫について説明した。

 ここまで数名の死神に見られているが、自室の近くや管理庫の付近は信頼の置ける部下に任せている。口裏を合わせることは容易い。

 

「こちらです」

「ありがとう。流石ですね」

「恐悦至極。…では」

 

 公私は分けるタイプである。

 

「え?もしかして、魂ってここにあるの?」

「そうですよ?どうしました?」

 

 受付の死神に案内されて辿り着いた所には、一枚の扉が。

 

「もっとこう…白い玉が棚に並んでる感じかと…」

「……ハリー○ッターですか?」

「そうそう」

 

 溜息をついた閻魔は扉を開け、中に入る。神もそれに続いた。

 

「そんな雑な扱いはしませんよ。仮にも人間の根幹ですよ?個室に一つずつ、丁寧に保管しています」

「おぉ、ちょっと見直したかも」

「今までどんなイメージだったんですか…」

 

 閻魔と直属の上司しか侵入を許されていない禁域なので、様々な憶測が飛び交っているそうで。中には、こっそり魂を使って非人道的な実験をしているという噂もあるとか。誠に遺憾である。

 

「でも、殺風景だね」

「保管室なので。場所しか用意してないんですよ」

 

 中央の台座に、件の“彼”であろう魂がある。それ以外は何も無い数畳の個室で、二人は会話を区切った。

 

「……それで、どうするんですか」

「私の能力は、一度行使すると決めたら止まらないの。でも間違った事はしないから、何をしても怒らないでね」

「物凄く不安なんですが」

「大丈夫大丈夫!失敗はした事ないし、正確性は抜群だよ」

 

 『幸福』という重要なポジションに居るのに、どこか軽い雰囲気が抜けない。それがとてつもない不安を煽り、早くも後悔し始めた閻魔であった。

 

「場所はここで?」

「うん。儀式も道具も要らないからね」

 

 それじゃ、やるよと言い、魂に手を翳す神。固唾を飲んで見守る閻魔は部屋の隅に後退り、一部始終に祈りを捧げた。

 あらゆる手を尽くし、どうしようもなかった厄介な魂。メンツが潰れるどころか、このままでは悪霊と化してしまう危険性もあり、組織は解決策を渇望していた。

 

(これで本当に…)

 

 人間を大切に思い、いい関係を保ちたいと思うからこそ、この輪廻転生に携わる。ここの職員は、皆同じ考えを持っている。

 助かるのか、彼は。彼の無事を案じ、閻魔は目を閉じた。

 

「……」

 

 微風が個室に流れ出し、神の神力がそれに乗る。彼女の神が揺れ、だんだんと神力の密度が濃くなってゆく。

 

(……!これは…)

 

 能力を使い判明した道筋に驚愕する。神は動揺したが、これしか幸せになる方法がないのなら、意を決して飛び込む他ない。

 

「…はは、これは想像以上に大変だ、な」

 

 突如、暴風が吹き荒れる。空中に滲む神力は閻魔が立っていられないほど高密度に達し、個室の壁が振動した。

 

「…でも」

 

 全ての幸せを追求する存在として。『幸福』を司る神として。僅かばかりの理性を主人として。

 彼を助けたい。助けてあげたい。理不尽を潰すかの如く、可哀想な未来に抗いたい。

 

「……いくよっ!!」

 

 溢れ出ている神力が一点に集中する。集中点は彼の魂がある部分。そうして集められたエネルギーの塊は一瞬で練られ、構築され、デタラメな法則を生み出す。

 

 衝撃波の代わりに光が部屋を満たす。目を開けていられなくなった神は目を閉じ、急いで隅にいた閻魔を庇うように抱き抱える。

 そして、祈った。

 

(────どうか、あなたの人生に幸がありますように)

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、一人の青年の人生を綴った愚譚である。

 人間の世に絶望し、諦観し、生きることを放棄した年端もいかない青年。しかし彼に待っていたのは、理不尽に強制された『人生のリスタート』であった。

 

 彼の想いを、数多の事例の一つと一笑に伏すだろうか。よくある事だ、誰しもが通る道だ。そう達観する事は難くないだろう。

 しかしその想いには、どんな代償をも厭わない覚悟と信念がある。侮るなかれ。気付けばその喉元には、『疑心の懐刀』が添えられている。

 

 呪いと化し、魂にこびり付いた黒く固い怨念。心地よく神経を撫でるその感情を、彼はどうするのだろうか。

 私達に出来る事は、その行く末を見届けるだけである。

 




 

 上達してないって?HAHAHAご冗談を。

 目を通して頂き、ありがとうございます。今後もご愛読頂けると幸いです。

 以上でリメイク版プロローグを終わります。ばいばーい。


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1話.記憶喪失な彼と都市の彼女

 今回から本格的に本編開始です!!

 尚、サバイバルに関する知識は作者の適当な妄想によるものですので、あまり気にしないで下さい。


 それではどうぞ。


 夢を見た。

 こんな曖昧なものを夢と呼んでもいいのかと思ってしまうほど意味不明な夢だったが、それでもこの状況を考えると、やはりあれは夢だったのだろう。木漏れ日が目を照らしていることから、そう判断出来た。

 

 目が合った。

 真っ黒に塗り潰された不思議な空間の中、ただ一人、僕がそこに漂っていた。

 ここは何処だろう。そう思って、まずは状況確認をしようと辺りを見渡してみるが、黒い空間には何も無く、ただ自分がそこに存在しているだけだった。だが、そこに赤い光があったのだ。それは二つ、割と近に間隔にあり、僕の前方にあった。

 あれは何だろうと思っていると、その光が形を変えたのだ。そう、丁度人の目みたいに。そしてそれに瞳孔らしきものが出来始めてから、それはやはり人の目であると確信した。

 ギョロりと僕を見つめる赤い双眸。なんの感情も無く見つめているように見えるが、僕はあいつの抱いている感情を痛烈に感じ取った。

 

 それは“信頼”。彼と親しくする人が抱く、所謂友達という奴が持つ素晴らしい感情だ。

 しかし、僕にはそうは見えなかった。彼はきっと、僕を“嗤っている”。

 憎悪を感じたのでそのまま表情として顔に出していたら、いつの間にか赤い目が増えていた。二つ、三つ、四つ。限りなく増えていくそれらは、皆信頼した目で僕を見つめてきた。それらは何時しか僕の見える範囲限界まで増え、視界を赤く染め上げた。

 

「…止めろよ、胸糞悪い」

 

 顔を変えずにそう呟くと、双眸は真っ赤に輝いた。徐々に光を強くしていく目に、僕はイライラしながらも、眩しくて目を覆った。

 

 そこで、夢から覚めたのだ。

 

 

「うぁ……ん…ここは?」

 

 目を開けると、視界には一杯に広がる枝葉があった。どうやら、木の根元で寝ていたみたいだ。…あれ?

 

「おかしいな…。さっきまで…」

 

と言いかけて、彼は次の句が思いつかなかった。何故、と問われてもどう返答すればいいか分からない。言うならば、“分からないのに分かっていた”、という感じだ。

 彼はどうしてこんな場所で眠っていたのかを思い出そうとして、ここまでの経緯を想起しようと思考を巡らせた。

 しかし…

 

「…?何も思い出せない…」

 

何も思い出せなかった。自分の名前や年齢、体重などの基本的な記憶は保持しているのに、何故かそれ以外の記憶が欠如していたのだ。これが俗に言う記憶喪失というやつか。にしても、僕がなるとは思わなかったなぁ。毎日頑張って通ってたし、毎日早寝早起き朝のランニングもしていた。…ん?毎日通ってたって、何に?

 

「……分からないが、仕方ない。取り敢えず起きるか」

 

 何も思い出せないならば、思い出すまで気長に待つとしようか。

 僕は起き上がると、状況確認の為に周囲を確認した。

 

(…うわぁ、見事に周りが木しか無いや。近くに家があるわけでもなさそうだし、どうしようかな…)

 

 立ち上がって少し周りを回って見たが、それはもう清々しいほどに木しか無かった。土地にはあまり起伏が無いので、木々の隙間から見える景色で判別する事は出来ず、また木登りして見てみようと画策してみるも、皆同じような高さなので、登るべき高い木が無かった。

 

「えっと、まずは持ち物確認から…」

 

 次に自分の身辺を漁ってみる。持ち物としては……

 

「え、何も無い…?」

 

参った。何も無いや。持っているもの(というより着ているもの)は、普段から着ている制服だけだった。学生証は勿論、普段からポケットに入っている筈の財布すら無かった。…と言うか、制服って何の?学生証って?そもそも学生とは?

 

「っと、分かんない事をうだうだ考えていても駄目だ。取り敢えず、使える物を探そう」

 

思考を断ち切って、僕は、かっこよさでは定評のある制服の乱れを直した。

 そして、特に宛もなく彷徨う。持ち物が無い時のサバイバルの心得は、父さんにせがんでみっちり教えてもらったから大丈夫だ。…ここで父の名前が出てこないのが何とも物悲しいが、ここは我慢だ。生き残る為には、相当な我慢が必要だと、お父さんも言っていたではないか。ここで音を上げてどうする。

 焚き火を使えそうな小枝を脇に挟み、そして道中に見つけた繊維性の高い茎を持った植物を引っこ抜く。それと、尖った石も忘れない。食べられる草や木の実、茸などを採りながら、僕はズンズンと森の中へと(どっちが奥かは分からないが)進んでいく。

 

「…ん?この音は…」

 

足を止めて耳を澄まして集中すると、何処からか液体が流れていく音が聴こえてくる。

 

「ラッキーだな、沢があるぞ」

 

 音のする方に走っていくと、そこには浅い川が流れていた。丸い石がそこらに転がり、野営するには申し分無い場所だった。

 

「ここで今夜は過ごすか」

 

近くの木の根元に集めた資材と食料を置き、糸の代わりに細長くてちぎれない芦のような草を慣らしてよって結んだ。そしてそれを穴を開けた枝にグルグルと巻き付けて十字に枝を重ねて、簡易的な火起こし器を作った。我ながらいい出来だ。だが、何回も使う事は出来ないだろう。定期的に採集する必要があるな。

 日が暮れない内にやれる事はやっておかなければ。だが、これ以上の生活レベルを実現させるには、どうしても動物の皮が要るな。

 

「だが、今はこれだけで十分だ」

 

 彼が上空を見上げると、そこには赤く染まった空があった。これから夕飯を作るだけで、もう暗くなってしまうだろう。 いつ何が起こるか分からない自然の中では、決して無理は禁物だ。

 

 その後は、周りの音に気を配りながらも夕飯を済ませ、火を早々に消して、少々危険だが、安定している枝の上で就寝した。こういう時のために寝相を直しておいて正解だった。

 現代では有り得ないほどの量が瞬く星空の下、一人の人間が安らかに眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 腰が痛い…。

「うぁ…こんな所で寝てたら当然か」

まだ猛獣に遭遇してないので確かなことは言えないが、恐らくこの森のには結構やばい奴がいる筈だ。昨日、木に大きな爪跡が残っているのを見つけた。きっと何かのナワバリなのだろうが、その跡の大きさが問題だった。縦が彼の背丈ほどもあり、その幹を深く抉っていたのだ。

 

(あんな大きな手を持っている動物なんて見たことも無い。一体どれだけの個体なんだろう…)

 

一抹の不安に駆られながらも、僕は今日の食材を手に入れる為に木を降りた。生きる為には常に動き続けなければ…。

「特に異常は…無いな、取り敢えず安全だ」

地面に降りて、獣の足跡が無いかを調べる。どうやらこの辺りには動物がいないらしく、足跡どころか、糞さえも無かった。

 

「よし、今日は動物を狩ろうか」

 

 森を歩き、生き物を探す。ちゃんと元の場所に戻れるように、所々に印を残しておくのを忘れずに、周囲に動く物が無いか探索をする。

 そして、近くの町の探さなければいけなかった。ここがどれ程山奥なのかは知らないが、日本はそんなに国土が広いわけではないし、最近は調査が終わってない地域は少ない。探れば何かしら人が残した痕跡がある筈だ。もっと欲をいうならば、避難用の小屋や、道路に出たいものだ。町は少々高望みかもしれないが、可能性が無い訳では無い…筈。

 

(…お、いたぞ)

 

 茂みに隠れながら前方を見ると、そこには一匹の小鹿がいた。何故一人でいるのかは謎だが、この際それはいい。問題は、目の前のそいつが後脚に怪我をしている事だ。患部をいたわる様にヒョコヒョコと移動し、時折転びそうになっている。

 

「さて、行くか…」

 

 叩き割って鋭利な刃物と化した石を手に、彼は鹿に飛びかかろうとした。

 だが…

 

 

 

グオオォォアアアァァ!!!

 

 

 

 突如反対側から現れた巨大な化け物によって、鹿は真っ二つに引き裂かれた。

(…っ!)

 血飛沫が飛び散り、肉塊が軽い音を立てて落ちる。

 その風貌は熊のようだった。筋骨隆々な四肢は、どんな大木をも破壊出来る程の怪力を誇っているように見え、その巨体から溢れる獣臭はいかなる、ものをも寄せ付けない殺気を放っていた。

 

(な、なんだあいつは!?)

 

彼は驚いた。それも当然だ。目の前に現れた熊のような生き物は、到底彼が知り得ている大きさではなかったのだから。まるで巨大な岩の如き体躯に気圧されて、彼は茂みに再び隠れた。もしや見つかっているのかと思ってヒヤヒヤしながら熊を見たが、今は眼前の(鹿)に執心しているようで、彼の事など見向きもしなかった。

 

(大きい…。どう見ても普通の熊じゃないぞ。それに、どの図鑑にも載ってない姿だ)

 

鹿を貪っている熊をまじまじと観察していると、不意に熊がこちらを向いた。赤く染まった口元が向けられ、彼は思わず後ずさってしまった。

 

 

パキ…

 

 

(しまった…!)

ゴオォォアァァ!!

 

 小枝を踏んでしまった間抜けな新しい獲物を見つけて、熊は歓喜の声を上げた。鹿の事はどうでもいいのか、熊は真っ直ぐこちらへと向かって来る。

 

「ちっ…!」

 

今手持ちには割れた石が二つしかない。この装備で闘っても負けるのは確実だろう。戦闘に関して父から教わったが、それは対人用であり、化け物に対して使う事は出来ない。ましてやこんな怪物相手に勝つなんて無謀すぎる。

 

「うわぁ!!」

 

熊の巨大な手が迫り、彼は大きく後方に転がって躱した。考えている場合じゃない。走りながら対策を練らねば、直ぐにあの鹿のようになってしまう。

 

 熊が周囲を轟かせる咆哮を発し、それに腹の底が震わされて同時に恐怖が頭に流れ込む。何とか地形を利用して逃げてはいるが、それも時間の問題だ。熊が凄い勢いで木々を体当たりでなぎ倒しているので、回避に使う木がもう少ししかないのだ。熊の馬鹿力に驚嘆しつつ、彼はそれでも、決して諦めはしなかった。

 

「はぁ…はぁ……こんな所で死んでたまるか…」

 

 僕は復讐を遂げるまで、絶対に諦めない。絶対に…絶対に死んでたまるもんか…!!

 

「うおおおぉぉぉぉ!!!」

 

恐怖を跳ね返すかのように全身から気合いを放ち、思い切って熊と正対する。熊は相手が観念したと思っているのか、立ち止まって同じく彼を睨んでいる。

 

 そんな熊に彼は駆け、両手に尖った石を持って熊に突き刺そうと肉薄する。

 熊はそんな彼を踏み潰そうと前脚を上げ、直進してくる彼に向かって振り下ろした。それを察知した彼は咄嗟に横転する事でこれを避け、勢いを殺さずに起き上がるとそのまま熊の横っ腹に向けて右手の石を突き刺した。

 

ゴギャアアァァァァ!!

 

 熊が生き物とは思えない叫び声を上げて、思いっきり横に前脚を払う。それを読んだ彼はさっと後退すると、今度は地面の砂を掴んで熊の顔面目掛けて投げつけた。

 

(分かる…)

 

 彼は苦悶の声を上げる熊が振り回す四肢を躱しながら、一人不思議な感覚に陥っていた。

 熊が放つ次の手が分かるのだ。未来予知のように熊の“次”が頭の中に描かれ、それに従って自分は身体を動かす。何故分かるのだろう。熊の挙動のその初動が分かった途端、熊の次の攻撃が手に取るように分かる。

 

 砂で動揺している間にまた熊の身体に石を突き刺すと、今度は熊が立ち上がって噛み付くのが分かった。それに合わせて彼は右に避けると、熊は噛み付かず、腕を横薙ぎに振るって彼にぶち当ててきた。

 

「がはっ…!?」

 

 体感したことがない衝撃が脇腹にかかり、身体が宙に浮いて吹っ飛ばされてしまった。地面を転がり、途中にあった切り株にぶつかって停止する。そして蹲って痛みに耐えた。

 

 分かっていた未来とは違った。いや、正確には、“途中までが分かっていた”、だ。熊が以前噛み付いてきたときに見せた挙動があの立ち上がりだった。そこまでは同じだったのに、そこからのあいつの行動が違って、それに対応出来なかった。

 自分の中で何か未来予知のような能力でもあるのかと思っていたが、どうやらそれは違ったようだ。熊の“初めて見た”挙動に反応出来なくて、遂にダメージを食らってしまった。

 

(…?初めて…?)

 

 その言葉に微かな違和感に感じ取ったが、それを追求する前に、目の前の現状によって思考が引き戻された。

 

グアアァァァ!!

 

熊がトドメに振り下ろしてきた前脚に気付き、彼は後ろに転がろうと思ったが、背後にはぶつかった切り株があった。その間の悪さに(ほぞ)を噛む彼だったが、素早く機転を利かして、熊の体の下に潜り込むようにして転がり込んだ。そのまま地面を転がって熊の後ろから脱出した彼は、振り向かずに必死に距離をとろうと熊から離れた。

 

「くそっ…」

 

 熊には確実にダメージを与えている筈なのに、一向に死ぬ気配がない。よく見てみたら、血もそんなに出ていなかった。そんなこいつの皮膚の分厚さに舌を巻きながらも、彼は次の作戦を考え始めた。

 

(どうする…。石での攻撃は全くと言っていいほど効かない。かと言って体術でダメージを与えれるような相手じゃないし、周囲にはバラバラになった木と切り株くらいしか………?)

 

 そこまで考えて、彼はハッと思いついた。だが、これは相当な賭けだ。失敗すれば勝ち目はほぼ無くなるだろう。

 だが、このまま闘ってもジリ貧で負けが確定する。そんな闘いを続けるくらいなら、僅かな可能性に賭けるしかないだろう。

 

(…よし、やってやる…)

 

 彼は周囲に丁度良い切り株と抱えれるかギリギリの幹を探した。そしていい感じの大きさのを見つけると、そこに向かって走り出した。

 それを見て熊が四肢を躍動させて飛ぶように彼に駆けてくる。何とか熊が来る前に目的の木に辿り着いた彼は、木をとある切り株に向かって投げつけた。そうしている間にも迫ってくる熊。それを見やった彼は石を両方投げつけると、熊はそれを全く意に介さずに突進してきた。しかし構わず地面に手を突っ込んだ彼が泥を掬うと、猪以上の威力で迫る肉の塊に向かって泥を投げた。

 

「…よっしゃ!」

 

 泥が上手く熊の顔に当たり、砂よりも厄介な目くらましへと変わる。両手を顔に当てて必死に泥を落としている熊には目もくれず、彼は先程投げた木に向かって力の限りに走った。

 そして切り株の窪みに折れた木の片方を付けると、熊の方へと向けて木を寝かせて木の前に出た。

 

グルアアァァァァァ!!

 

 何とか視界を確保した熊が再び突進を開始した。それを出来るだけ引き付けて生唾を飲み込む青年。しかしその目はみなぎる闘士を迸らせており、決して臆することはなかった。

 

「来いっ!!」

 

 爪が擦る寸前まで引き付けていた彼が熊の間合いに入った瞬間大きく後ろに飛び退り、同時に地面の木を抱えて一瞬で斜めに持ち上げた。

 

「喰らえええぇぇぇ!!!」

 

 飛びかかった熊の胸に折れて先が尖った木が刺さり、熊の勢いを使って深々と────

 

 

 

 

 

「なにっ!?」

 

 

 

 

 

────突き刺さる事は無かった。どうやら木の強度が熊の胸板に負けてしまったらしく、木は切り株の熊の胸に挟まれて半分にへし折れてしまった。

 

「そんな……ぐっ!?」

 

 折られて吹き飛ばされた木片と一緒に飛ばされ、青年はまたもや地面に倒れてしまった。今度は渾身の攻撃が看破された衝撃でまともに受け身もとれず、地面に激突した瞬間に肺の空気が全て吐き出された。失った空気を取り戻すために必死に喘ぐ彼に動く余裕などなく、のっそりと迫ってくる熊から逃げる事は出来なかった。

 

(ここで…終わるのか?)

 

 薄く開いた目から見える熊の手(死)をどこか諦観した感情で見つめ、彼は自分の最期を悟った。

(まだ…復讐が…)

自分にはまだらやなければならない事がある。それを完遂するためには、まだまだしぬわけにはいかない。

 だが、現状を打破する策はない。…無念だ。そう思い、彼は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

────ザクッ!!

 

 

 

 

 

 

 いくら待っても衝撃が来ない。

ドシン!!

そして響く質量が地面に落下した音。これらから想像出来る有り得ない結論に半信半疑だったが、青年は恐る恐るその瞼を持ち上げた。

 

「……は?」

 

 そこには、眉間の辺りにジャストミートして突き刺さっている弓矢の矢羽根があった。目の焦点をずらして全体を確認すると、熊の頭に一本の弓矢が刺さっており、熊が絶命していた。ピクピクと四肢が痙攣しているのが、絶命した証拠だ。

 

「い、一体何が…」

 

事実は分かる。熊のようだったが放たれた矢によって一撃で死んだ。たったこれだけの事だ。だが、そこには“誰”という要素が欠けている。一体誰がこの矢を撃ったんだ?

 青年が軽くパニックに陥ってると、彼の背後から綺麗な声が響いた。

 

 

「危なかったわね、大丈夫だった?」

 

 

 声がした方に顔を向けると、そこには銀色の長い髪を持ち、赤と青の特徴的なツートンカラーの服を纏っている綺麗な女性がいた。手に弓を持っている事から、彼女が矢を放った本人だと理解出来た。

 

「え、あ、はい…ありがとうございます」

「それにしても、あなたよくこんだけ闘ったわね。周りを見てみなさい」

 

 女性に言われるままに顔を回すと、そこには唖然とした光景が広がっていた。なんて残酷な森林破壊だろうか。木々は殆どへし折られ、地面はどうしようもなく抉れ、激しい戦闘の爪痕が生々しく残っている。これをこの熊と二人だけでやってのけたと考えると、頭が急に疲労が襲ってきた。

 

「うっ…これは酷い…」

「それについては同意するわ。…それで?」

 

 背後の彼女の声音が変わったのを感じて、彼は体ごと顔を彼女に向けた。彼女の目は先程の呆れたようなものとはかけ離れ、静かに相手を見つめる冷ややかさを宿していた。袖口に隠された小型ナイフのような鋭く隠れている殺気を感じたのかは分からないが、直感で彼女は決して味方ではない事が分かった。

 

「えっと…何ですか?」

「あなたにはいくつか質問があるわ」

「拒否権は?」

「ないに決まってるでしょう」

(デスヨネー)

 

 出来るだけ相手を刺激しないように、最後の言葉は喉の奥に押し込んだ。

 弓に矢をつがえ、緩くこちらに向けられる。

 

「あなた、都市の人間じゃないわね。一体何者?」

「え?都市?」

 

 いきなり訳の分からない質問だ。僕の素性を知りたいんだろうが、これでは何を答えればいいのかがさっぱりだ。

 

 

「あの…僕h────っ!!!」

 

 

 取り敢えず何か答えようとした瞬間、頭に激しい頭痛が響いた。頭を大槌でぶっ叩かれているような感覚に陥り、立とうとした足が膝から崩れ落ちる。目が霞んで、耳鳴りが聴覚を支配する。女性が何か言っているが、今は何も聴こえないし良く見えない。…と、視界が茶色に染まって、地面に突っ伏したのだと想像する。あはは、これじゃあさっきの熊と同じようなもんじゃないか、なんてつまらない考えを始めてから、彼は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 …頭が痛い…。まだ頭痛は続いているようだ。地面で横になって、何時間くらい経ったんだろうな。きっと熊の死体の臭いに釣られて、他の猛獣が寄ってきているだろう。体を動かそうとしても全く動かない。こんな死に方はもっと嫌だ。意識が朦朧としている中でゆっくりと獣に肉を噛みちぎられる経験なんて、きっと僕が初めてだよ。

 最期に僕を食べる動物の異形な顔面でも拝むとしようかな。

 青年は必死に瞼を開けるように努力すると、ゆっくりとだが、視界が持ち上がってきた。

 

(…ん?)

 

 だが視界に広がったのは真っ白な天井だった。無機質はそれは何処か僕の過ごした懐かしい場所に似ていて、何かを彷彿させるものだった。

 

(えっと……こういう時はなんて言うんだっけ?)

 

欠けた記憶にあるかもしれないある一句を探し出し、そして重たい唇でそれを言う。

 

「…知らない天井だ…」

 

よし、ちゃんと言えた。心の中に僅かな満足感を感じて、僕は少し微笑んだ。実際に唇が動いているかは分からないが、それでもいい。久しぶりにこんな感覚を味わったよ。

 その後もこの感情に浸っていようと思考に耽り始めた青年だったが、それは唐突に開いたドアの音でかき消された。

 

(誰か来た)

「あら、やっと起きたのね」

 

 なんとそこには、さっきまで僕に弓を向けていた女性がいた。何故…と言うのは野暮かもしれないな。何処かの建物に運ばれる可能性があるとすれば、それは彼女によってだろう。警戒されていた筈なのに、どうして僕を放って置かなかったのだろうか。

 

「何故って顔をしているわね。それは、私があなたに興味を持ったからよ」

「興…味?」

 

ただの男に興味を持つ女性がいるとは思わなかった。それにしても、僕の一体どこに興味があるというのだ。こんな平々凡々で、ちょっと身長が高いくらいのガリな僕のどこにそんな部分があるんだ?

 

「まぁ、今はそんな話はいいわ。起きられる?」

「はい…何とか…」

 

 まだ体が痛むが、起きられない程ではなかったので、案外すんなりと起きることが出来た。

 

「お水、飲んで」

「ありがとうございます」

 

彼女から水の入ったコップを受け取り、それを喉に流し込む。ゴクゴクといい音がして、冷たい水が体を癒していく。

 

「全く…あなた、いつまで寝てるのよ」

「え?いつまでって…?」

 嫌な予感がする。そういえば、ここは病室のようになっているのに窓がない。所謂密閉された部屋だった。お蔭で時間の感覚が狂ってしまっている。今は…何時だ?

 

 

 

「あなたは、一ヶ月もここで眠っていたのよ?」

「ぶふぅ!?」

 

 

 

盛大に水を噴き出した。

(え!?一ヶ月!?そんなに酷い怪我じゃなかった筈だけど。ただタックルとかを喰らっただけだから外傷はないだろ?なんでそんなに寝てたんだ…)

 頭痛だって気絶するくらい酷いものだったけど、一ヶ月も昏倒するような頭痛だったら、きっと今頃はあの世行きだろう。脳がそんな負荷に耐えられるわけがない。

 

「い、一ヶ月って、マジですか…」

「本気よ。あの時に助けていなかったらどうなっていたことか…」

 

彼女が額に手をやって溜息をつく。何だか非常に恩着せがましいように見えるが、一応命を助けてもらった身だし、ここは礼を言うのが筋だろう。

「あ、あの、本当にありがとうございました!」

「ん?あぁ別にいいわよ。いい研究も出来たし」

「…へ?」

 

 今、彼女はなんと言ったか。研究?一体何の?もしや、人体実験の非検体が居なかったから丁度良く僕が使われて、ゾンビをなる薬や突然変異しちゃうような薬を…!?

 

「何を心配しているのか分からないけど、安心して。あなたの体を検査して、少し血を採っただけだから。それ以上の事はしてないわ」

 

顔に出ていたのか、彼女が僕に宥めるように言ってきた。そんな心配そうな顔をして、そんなに僕の顔が酷かったのか?

 

「ん…まぁ、それについては気にしてません。問題は、何故一ヶ月も眠っていたのかですよ。自分の事なのに分からないだらけで…」

「それについては後で説明するわ。あなたを調べて分かったことをね」

それはありがたい。情報秘匿だったらどうしようかと思っていたところだ。勝手に検査されて内容を知れないなんて人権侵害だぞ。

 

「お願いします」

「そう急がないで。まずは今のあなたの診断よ。質問に答えて」

健康診断をやるらしい。どこからか取り出したクリップボードに挟まってる紙にサラサラと何かを書きつけ、そして診断を始めた。

 その姿がどこか病院のナースに似て堂に入った様だったので、あなたは看護師ですかと問いかけたところ、お医者さんらしい事もやっているだけだと言った。もしや悪徳な無免許医じゃないかと一瞬思ったが、そんなマンガのような人がこの世にいるわけないなと思い直し、素直に質問に答えていった。

 

「────最後よ。今、頭痛はする?」

「するしないで言えば、します。でも、そんなに酷くはありません」

 

 その他も軽く身体検査をさせられたが、どうやら異常はな無かったらしく、今日中にも退院出来そうだと彼女は言った。

 

「あの、治療費とかは…」

「大丈夫よ。あなたのお蔭でいい研究が出来たから、それでチャラにしてあげるわ」

 

悩みの種が消えて、僕は安心した。当然ながら、今は着の身着のままだ。原始人のような暮らしをしていた僕にとって、お金なんて次元の違う話だった。

 

「…これで終わりましたね。それじゃあ、僕の事について教えてくれませんか?」

 

 今の僕の目的はこれしかないと言っていいだろう。謎の記憶喪失、戦闘の時に感じた違和感、そして彼女を見た時に生じた、一ヶ月も昏倒してしまった頭痛。自分の事にこれほど疑問を抱くとは思わなかった。

 彼女の研究がどのようなものかは分からないが、こんな森の奥の村のような場所の研究施設ではたかが知れている。求めていた答えが返ってくるとは思っていないが、可能性には賭けてもいいだろう。藁にもすがる思いというのはこのような感情を言うとかとしみじみ思った。

 

「悪いけど、まだやる事があるわ」

 

 しかし、その願いはまだお預けとなった。

 

「え!?何故ですか?」

ここまで我慢して彼女に付き合ってあげたのに、どうして僕の言い分は通らないのだ。もうやる事は無い筈だ。

「もうやる事はないですよね?」

「いえ、まだあるわ…」

 

 

 

 

 そして、僕にとっては心底恐ろしい話を切り出したのであった。

 

 

 

 

「…一ヶ月ぶりだけど、あの時の続きをしましょうか」

「あの時の?………あ」

 

 僕は思い出した。この人と出会った時は、随分と殺伐とした問答をしようとしていたのだ。結局あの時は一問も答えれなかったが…。

 彼女の纏う空気が底冷えしたものに変わり、医師のそれから捕縛者のそれへと変わっていった。いつの間にか片手にはあの時の弓があり、矢筒が背に装備されていた。何処から出した、と聞くのは御法度である。

 

「…どうぞ」

 拒否権は勿論無かった。

「ありがとう。まず、あなたは何者?」

 これはあの時もされた質問だ。しかし答えは…

「…分かりません。気付いたらあの森にいて、記憶も無くなっていたんです」

「それは、記憶喪失?」

「恐らく。実際、あの森で目覚めた以前の事はさっぱり思い出せません」

 

嘘は言ってない。これは本当の事だ。当然だが今は丸腰だ。入院する時に着るであろう服を着せられ、いつもの制服は何処かに行ってしまった。今彼女に敵と判断されれば、確実に僕は死ぬだろう。

「…嘘は…言ってないわね。それじゃあ次の質問よ。」

一息吸い、次の質問(脅迫)に入る。

 

 

 

 

「あなたは、本当に人間なの?」

 

 

 

 

「………はぁ?」

 これに思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。常識的に考えて、僕のどこが人間じゃないと言うのだ。確かに熊と素手であんなに闘う人間はあまりいないし、記憶喪失でいきなり森の中というのも常軌を逸している。だが、それを踏まえてもその人に人間か?なんて馬鹿な質問はしない。

 

「これは検査の結果から判断出来たのだけれど、まずはあなた自身の見解を訊こうと思ってね。どうなの?」

「いやいや、僕は正真正銘の人間です。そりゃあ、ちょっと熊と闘えたり、記憶喪失してたりと色々ありますが、その部分は間違ってないですよ。」

「言っておくけど、あの熊のような怪物は妖怪よ。普通の人間ではとても太刀打ち出来ない筈なの」

「えっ!?」

 

 これまた衝撃の事実。昔の日本には妖怪という摩訶不思議な生物がいるのは小耳に挟んで知っていたが、まさかまだ現代にいるとは…。

 

「あれは結構な強さを持つ妖怪で、私はあれの討伐に行っていたのよ。あなたが注意を引き付けてくれたから、楽に終わったけど」

 

この人は妖怪退治を生業としているのだろうか。話をしていくほど、彼女の職業が分からなくなっていく。

 

「そ、それでも、僕は人間です!何があってもそれは譲れません」

「…なるほど、あなたの決意は分かったわ」

 

 

 彼女はそう言うと、弓を肩に担いで更に書類を取り出した。そして近くにあったテーブルを引っ掴んでベッドに付け、一枚一枚丁寧に並べていった。

 

「えっと…これは…?」

 

レントゲン、グラフ、図形、難しい字ばかりが羅列された紙面。これらが一瞬で何を表しているのかが分からなかったが、暫くそれを見ていると、一瞬の激しい頭痛が起こり、その全てを理解する事が出来た。

 

「これは「僕の検査結果ですね」…そうよ」

 

 彼女が心底驚いたような顔をして言う。

「これを見た人はみんな訳の分からない顔をするのに…」

「何故か分かるんですよ、僕には」

 

頭痛の事は話さずにおく。変な事になって話をややこしくしたくない。

 この散らばった紙の意味が分かると言うことは、内容を理解出来るということだ。僕の頭の中に検査の結果が流れ込み、彼女の解説を要らずして自分を人間でないと言った理由を知る。

 

「…………」

「理解出来るなら、この不自然さも分かるでしょ?」

 

 

 

 

 本来、人間の脳にはその生を全うしても余りある記憶容量がある。それのお蔭で、人間はその人生の中で限りない希望を孕んでいられるのだが、青年は約100年分の容量をその脳を刻み込んでいた。

 当たり前の事だが、青年はまだ20年も生きていない。脳にあるものといえば、高校までの基礎的な知識くらいが主である。そんなたかが18の子供の脳に、一体どんなモノが入っているのだろうか。

 

 流石に容量の中身までは分からないが、これは頭痛と関係があると、青年は思っていた。女性の方も全くの無関係とは思っていないようで、書類の中にも頭痛との関連性を示すものがチラホラあった。

 

 そして最も驚いたのは…

 

 

 

 

「あの、僕の脳の容量が測定不能って、機器の故障なんじゃないんですか?」

 

 

 

 

 青年の脳が無尽蔵の容量を保持していることだった。

「故障じゃないわ。これは正確な結果よ」

だが、これは間違いではないようで、彼女は自信を持って言った。

「じゃあ、これは何なんですか?」

 問いかけた青年に彼女は顎に手を当て、暫し逡巡した後、不意にポロッと言葉を零した。

 

「もしかしたら…能力…かもしれないわね」

 

 能力。その意味が頭の中で反響して、返すように彼女に一言。

 

「え?それって厨二びy「冗談じゃないわよ?」すいませんその弓を下ろして下さいお願いします」

 

物凄い殺気を感じてすぐさま青年が土下座する勢いで謝ると、彼女は睨みながらもそれを下ろしてくれた。

 

「ふぅ……能力って、どういう事ですか?」

 敵意が消えたのを確認してから青年が訊くと、彼女は説明してくれた。

 この世界には時々能力を持った生き物が現れるらしい。能力の種類は実に多種多様で、名称は“程度の能力”と言うらしい。因みに彼女の能力は『ありとあらゆる薬を作る程度の能力』らしい。これまた何とも便利な能力だこと。これがあれば万病に効く夢のような薬も作れるではないか。

 能力を人間が持っていることは大変珍しく、彼女はその都市という場所ではかなり重役だと言っていた。

 

「…まぁ、大体は理解しました。それで、僕に能力があるとして、一体どんな能力なんでしょうか」

「さぁ?それは分からないわ。でも、あえて言うなら、『いくらでも記憶する程度の能力』かしらね」

「…微妙ですね」

 

 熊と渡り合えたからどんな能力かと思ったら、非常に微妙な能力だな。

「これはまだ仮定の話よ。まだその名称が正しいとは限らないわ」

女性が優しく言う。確かにまだ決まったわけではない。きっとこれからこの能力については色々と分かることだろう。

 

 

 

 

「取り敢えず、これであなたが普通の人間じゃない事は理解してくれた?」

「……それは、能力があるからですか?」

「…両方の意味よ」

「そうですか…」

 

 ここまで証拠と理由が揃っていれば言い逃れはできまい。青年の身に降り掛かった災難は、彼を人外へと変貌させてしまったのだ。

(…それでも…)

 しかしそれでも、彼の意志に揺らぎはなかった。

 

 

「…僕はそれでも、人間を貫き通します」

 

 

「ふふっ、いい答えね。嫌いじゃないわ」

 この答えに彼女は微笑んで、散らかした書類を全てまとめて彼に渡した。弓と矢筒もいつの間にか消え去っており、彼女の目からは敵意が完全に無くなっていた。

「人間のあなたには二つの選択肢があるわ。一つは、都市を出て、もう一度あの野外の生活に戻るか。もう一つは、都市で暮らして、安全な生活を送るか。どうする?」

 

 そんなもの、決まってる。

 

 

 

 

 

「ここに住みます」

 

 

 

 

 

 迷いなく言い放った彼に女性は笑みを零した。

 

「ようこそ、ツクヨミ様が治める“都市”へ。歓迎するわ」

 

 




 少し前に書いたものを見返すと身悶えしますね(笑)。


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2話.頭脳な彼女と記憶の彼

 主人公の能力はまだ出てきません。
 自動的に能力名が分かったりなどのご都合主義成分は出来る限りなくしていこうと思っていますので、「えぇ~マジで~?」みたいな状況を作らないように努力していきます。

 原作キャラの口調や挙動がおかしいなと思うところがあるかもしれませんが、それに関しては作者がどうしようもないにわかだと思ってスルーしてくれれば幸いです。


「さて、まずは自己紹介といきましょうか」

 病室の二人は、これまで名も知らないで会話していたことに少し笑いながら、互いに自己紹介をした。

 

「えっと、初めまして…よね、こういう時は。私の名前は八意永琳(やごころえいりん)。この都市の人間よ」

 

「僕の名前は白城(しらき)修司(しゅうじ)。記憶喪失で熊の妖怪を相手に出来るただの人間です」

「わざと言ってるの?」

 

八意からジト目で言われたが、彼はそんなことは無いと白を切った。

 

「…まぁいいわ。…はい、あなたの服よ。ボロボロだったから修復して自動補修機能を付けといたわ」

「…ちょっと待って下さい」

 

 彼女の両手に抱えられて出てきたのは、彼と青春時代を共に過ごした制服だった。だが……えっと、まずツッコんでいいかな。

 

「その自動なんたらって何ですか!?」

「あら、知らないの?てっきり知ってるかと…」

口元を隠して笑う八意。これは確実におちょくってるな。

 

 仕方ないので漢字を当てはめて推測しようとした瞬間、突然、修司の頭に知識が浮かび上がった。

 

「…それは、衣服が破れたり損傷を受けた場合に働く機能ですね。繊維の遺伝子を直接弄って、細胞を元の状態へと戻そうとするように仕向けた事が発端となって開発された技術で、衣服自体が全損しない限り、たとへ切れ端だけが残ったとしても全てを再生させることが出来る大変便利な技術です」

 

「…凄い、正解よ。あなた、ひょっとして博識なの?」

 

 八意が驚嘆しているが、先程の単語が己の口からスラスラと出た修司自身も驚いていた。これはいよいよ訳が分からなくなってきたぞ…。今喋った内容は、高校ではおろか、現代の科学技術でも達成し得てないものだ。それを修司は“知っていた”。しかも、無意識にだ。

 

「あの…そうみたいです…」

「なんで他人事なのよ」

「そ、それより八意さん、着替えるので席を外してもらってもいいですか?」

「えぇ、終わったら出てきて。退院の手続きを済ませるから」

 

 これはやばい。そう思った彼は、八意から制服をひったくると、急いで部屋から出るように言った。八意はそれを訝しむ様子もなく素直に出ていってくれた。

 バタンと扉が閉まる音がし、静寂が訪れる。

 修司はベッドから脚を降ろして座ると、まず制服に変わりがないかをチェックした。だが特に変わった点はなく、八意が言っていた自動なんたらの副作用のようなものは見当たらなかった。

 

「…ふぅ…」

 

 特に問題は無いという結論を下し、入院した時の服を脱いで制服を着る。このかっこいい制服の為に受験を頑張る馬鹿もいるらしいが、これは確かになかなかかっこいいと自分も思う。ここで修司は受験の意味が分からないのだが、そんな事が気にならないほど、今の彼は思考の海に溺れていた。

 

(これは、どういう事だろう。僕にはてんで分からない筈の話が“まるで知っているかのように分かる”。しかもさっきは言わなかったが、この自……機能の更なる向上を実現する手法まで分かった。知っているだけじゃない、“理解してその進化の先も分かる”んだ。彼女は記憶容量の事だけを取り上げて能力と言っていたが、きっとこの事や頭痛の事も能力に関係していると思う。…これは後で実験が必要だな)

 

更に知っていることは無いかと頭の中を探って(自分で何を言っているのかと滑稽に思えてくる)みると、まだまだ僕の知らない内に理解していた知識があった。

 

(何だこれ…って分かるんだけど、不老不死とか素粒子とか色々、現実では有り得ない技術が分かる…。だけどそれなりに難しいようだな。これは流石に材料があっても一筋縄じゃいかないや)

 

修司は頭の中の訳の分からない知識は取り敢えず放っておいて、自分の身に起こっている現象は能力のせいであると結論づけた。

 

(でも、どんな能力だ?八意さんは『いくらでも記憶する程度の能力』とか言っていたけど、これじゃあ一つしか説明出来ない。まだ分からない事だらけだが、これから時間をかけて理解していくか…)

 

 ベルトを締めて、身だしなみを整える。着替え終わった修司はテーブルに置かれた書類を持って扉を開けた。

 

 

ガチャ…

 

 

「遅かったわね、マイペースなのかしら?」

「そうですか?結構普通くらいだとおもうんですが…」

 ドアを開けるとそこはよく見る病院の廊下だった。所々に不思議なアイテムが設置してあったりゴミ箱が自分で動いている事などを除けば普通の病院の廊下だった。

 

「さ、行きましょ」

「行くって、どこにですか?」

「退院届けを出すのよ。それから、あなたの住居に行くわ」

凄い。もう僕の住まいが用意されているようだ。でも、いくらはやく用意出来たからって、縁側の下がお家…みたいなオチはやめて欲しいが…。こんな未来じみた森の奥の田舎に限ってそんな事はないと信じたい。

 

 

 階段を降りて受付に行くと、八意が受付の人と何か会話を始めた。そして紙を取り出され、そこに何かを書いている。あれが僕の退院届けなのだろう。八意自身が医者もやっているから、もしかしたら彼女自身が僕の主治医だったのかもしれない。主治医が退院出来ると言っているならいいという理屈か。大雑把だな。

 

「────終わったわよ。さぁ、はやく行きましょ」

「あ、ちょっと待って下さい!」

 

 書き物をさっさと済ませると、八意はスタスタと出口に向かって歩き出した。置いてかれそうになったので慌てて追いかける。途中視線がチラチラと僕達の方を見ていたが、あれは何故だったのだろうか。

 

ウィーン

 

 現代ではお馴染みの自動ドアが開き、彼女のあとを追いかけて修司は一歩を踏み出した。夕暮れの陽射しが顔を照らし、思わず顔を(しか)めて手で覆う。光に慣れてきたところで手を下ろすと、そこには…

 

 

 

 

「……えぇっとぉ…ナニコレ?」

 

 

 

 

 そこには、まるでファンタジーの世界を顕現したかのような光景が広がっていた。一瞬自分の目に異常が生じたのではないかと思い、両目をゴシゴシ擦ってからもう一度見たが結果は同じ。

 空飛ぶ車、ガラスの空中道路を走る電車らしき乗り物、地面では忙しなく何かのロボットが働いていた。…もう一度言おう。

「ナニコレ?」

「あら、知らないの?」

随分と離れた場所から八意が話しかける。それを見てまた彼女に向かって走るが、走りながら彼女に一言。

 

「あの、分かるんですけど、こんな街、見たことないですよ」

「当たり前よ。ここ以外にここの都市と同レベルのインフラを備えた場所なんて知らないわ。というか、ここの他に人間なんて見たことないし」

「え?それは言い過ぎですよ。いくらここが森奧の田舎だからって、日本の人口を嘗めてませんか?人間を他に見たことないって…」

 

 僕の言葉に八意は首をかしげた。

 

 

 

 

 

「え、日本って、何?」

 

「…はい?」

 

 

 

 

 

 日本の名前は今や全世界に知れ渡っており、その名を知らない人はいないと言っても過言ではない。ましてや、僕と言葉が通じている時点で日本人なのは確定だと言うのに、自分の国の名前を知らないって…。一体どんなギャグだ。

 

「ちょ、ちょっと…悪ふざけが過ぎますって…。日本ですよ?」

「だから、そんな名前は知らないわ。それは何処かの国の名前?そこにはあなたのような人間がいるのかしら」

「えぇ?…えぇぇ!?」

 

僕の思考回路はショート寸前だ。いや、僕の脳に限ってそんな事は起こらないと思うが、それでもこれはおかしい。

 確かに、こんな未来風なSF風景を持つ都市なんてものが日本にあったらそれこそ世界中の注目を集めるだろうし、技術が他に流出していてもおかしくない。

 しかし彼女は日本を知らないと言い、他に人間が住む土地を見たことが無いと言った。ここから導き出される答えは一つ…。

 

 

 

 

 

「…ここは……僕の知る世界じゃない…?」

 

 

 

 

 

 ボタンを触り、現れた二つの光を同時に触ってクルリと反転させる。そうすれば、ドアが開き、空中を進む自動車に乗れるわけだ。八意の私物らしく、使い方は分かるが僕が運転するのは不躾なので彼女に運転席を譲ったが、彼女曰く、これは自動運転なので使用者は乗るだけでいいと言う。便利だな。

 

 彼女が言う僕の住居まで時間がかかるらしいので、ここで彼女にこの世界について教えてもらった。記憶喪失を利用して、僕を元々この世界の住人だということに仕立てあげたのだ。

 彼女が説明した内容を要約すると、ここはツクヨミ様という神様が治めている都市というものらしく、堅牢な防壁に囲まれた安全な場所だと言う。防壁の外には鬱蒼と茂る森林地帯が広がり、そこは(おびただ)しい量の妖怪が跋扈する危険地帯らしい。兵士が徒党を組んで踏み入らなければ生きて帰ることは出来ないほど危ない所だが、僕はそこで見つかったという。よく生きてたな。

 そして、この都市の他には人間が生息する場所は無く、探索はしているが成果は皆無らしい。それに凶暴な妖怪が出現し始めており、捜索を断念して防衛に専念するところだったという。あの時八意が僕を見つけてなかったら、都市にはいなかっただろうな。

 

 一通り彼女が話し終えると、ハイテクな自動車が止まった。窓から外を見てみると、そこには凄い豪邸が…。え?こんな場所に住むの?僕だけで?

 

「さ、着いたわよ、降りなさい」

 

八意に言われるまま車を降りると、改めてその凄さを肌で感じた。

「ほら、ボケっと突っ立ってないで、入るわよ」

 彼女は既に扉を開けており、体を半分入れてこちらを見ていた。

「お、おじゃましま〜す」

まだ敷地に入っていのに言う言葉ではないな、うん。せめて中に入ってからだな。

 

 

 

 

 中に入ると外観通りの素晴らしい内装だった。では早速荷解きを…と行きたいところだが、生憎持ち物はこの服のみなので、特に何もなかった。

 だが驚くべきは、既に中に家具や道具などの色々な物が揃っていることだった。これは流石に準備が良過ぎないかと疑問に思っていたら、案の定誰かとの同居だと言うではないか。別に同居をするのは一向に構わないのだが、一体誰とだろう。こんな豪邸に住まわせてくれるほど寛容な人がいるなんて、まだまだ世の中は捨てたもんじゃないな。

 

「一人だけだと何だか寂しくてね。それにあなたの監視も出来て一石二鳥よ」

 

うんうん。こんなに広くても一人で住んでるんじゃ寂しくて敵わん。監視とはいえ同居人が増えるのはいい事だな。

 

「それにこんなに大きな家だと掃除とか家事が大変なの。それも手伝ってくれる人を探していたのよ」

 

後から来た人間だから文句は言えないしな。家事くらいなら全然大丈夫さ。寧ろ何もしないとかニートじゃないか。…………ん?

 

「や、八意さん、そう言えば、家主さんはどこですか?」

「どこにいると思う?」

目を細めて僕を見る彼女。僕は不思議に思いながらも取り敢えず周りを見渡してみた。

 外観から豪華絢爛な内装を予想していたが、思えばそんなに豪華ではない。質素な雰囲気を努力して醸し出しているような…。元々は僕の予想通りに煌びやかだった跡が所々にあり、一部を捨てて庶民的な物を適所に置くことで、中の空気を過ごしやすいものにしている。

 

「…ここの家主さんは、きっとこんな豪華な家には住みたくないんじゃないでしょうか」

「ふ〜ん?」

「部屋の家具の配置からそんな印象を受けますね。きっと、体裁を保たなければならなかった理由があるのでしょう」

「…………」

 

 八意は興味深そうに修司を見ていた。その目は彼に対する様々な感情が渦巻いて、はっきりと判別しない。

 

「でも…」

振り向いて彼女を見る修司。視線が合わさり、八意の方が先に視線を落とす。

「…凄いと思います」

「………え?」

 

彼の言葉に、彼女は驚いた。

「望めばどうとでもなりそうなくらいに位の高そうな人なのに、それをせずに“使命感”でここに留まって頑張っている。ここまで意志の強い人はなかなかいません。尊敬します」

 

 ただ部屋を見ただけでここまで言うなんておかしいという人もいるかもしれない。だが、彼はこの家にある“それ”を、少しの頭痛を伴って読み取る事が出来たのだ。本人が何をしようと思ってやったわけではない。これは彼の無意識から来る“本能に能力が呼応”したものだった。

 これは能力のせいで知れた事だ。だが、彼の口にした言葉は“本心”から来る本物だった。彼は気付かなかったが、彼女は驚かすつもりだった。元から本気にしないで茶化すつもりだったのだ。しかし、彼から放たれたこれまでにかけられたことの無い心のこもった言葉に、彼女は思わずたじろいだ。これまで彼女にかけられた上辺の世辞とは違い、彼の言葉は彼女の心を深く揺さぶった。

 それは凍っていた彼女の心に優しい陽射しを降り注がせ、ゆっくりと溶解させていった。

 

 

「…私よ…」

「何がですか?」

 

 

 いきなり何を言い出すのだろうと言いたげな顔をする。当然だ。彼は能力でこの家から家主の心情を推測しただけで、ここの家主が誰かを知って言っていたわけではなく…。

 

 

 

 

 

「…ここの家主は、私よ」

「……………うぇ!?」

 

 

 

 

 

 盛大に驚嘆し、彼の顔は羞恥に染まった。

 

「そ、そんな…えぇ!?」

「残念ながら、これは本当の事よ」

八意は半目で彼を睨んだ。

「随分と色々な事を調べてくれたわね」

「え、いや、その…これはなんと言いますか……不可抗力というものでして………兎に角すいませんでした!!」

「プライバシーの侵害よ?これは」

 

 容赦なく追い討ちをかけていく八意にただただ頭を下げる修司。夕暮れの太陽が窓から顔を覗かせ、変な構図の二人を優しく照らしている。都市の重役と居候の記憶喪失は、そんな“普通の時間”を、互いに久しく思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 取り敢えず修司は八意に挨拶をして、自分の部屋に案内をしてもらった。廊下が嫌になるほど長く、ここに一人で住んでいたのかと思うと、修司は彼女を少し不憫に思うのであった。

 

「ここよ。これからこの部屋があなたの部屋」

「おぉ〜」

 

だが、そんなに廊下は歩かず、案外近くに彼の部屋はあった。中を見てみると、それなりに広い空間が広がっていた。最低限の家具などは揃えられており、何から何まで本当頭が上がらないな。

 

「それで、ここに住むに当たって幾つか条件があるわ」

「条件?」

 

そんなに酷いものじゃないといいけど。

 

「まず、家事の分担」

それは分かっている。当たり前の事だ。

「次に、家主の命令は絶対」

ん、まぁ、許容できる範囲だ。

「そして、私の研究の手伝い」

え?それ、僕に務まるのか?ちょっと不安だな…。

「最後に、薬の実験台に…」

「それは待ったああぁ!!」

 

 この人、なんて事をサラッと言ってんだ!

 

「何?これくらい大丈夫でしょ?」

「いやいや!全然大丈夫じゃないですって!それ下手したら死にますよ!?」

「大丈夫よ。危険な物は服用させないようにするから。あなたが服用するのは少なくとも人体に悪影響を及ぼさないもの限定よ。拒否権は無いから安心しなさい」

「理不尽だ!?」

 

どうしようもないので項垂れるしかない修司に、八意は意地悪く笑った。

 

「それじゃあ最初の命令よ。取り敢えず敬語を取りなさい」

「え?何でですか?」

 

命の恩人であり、居候の身である僕が敬語を取るのはどうかと思うが…。

 

「私が嫌なのよ。これから一緒の家で暮らすのに、敬語じゃ固くてやになっちゃうわ。あ、それと、苗字も無しでね」

「え、え、永琳…さん…」

「さんも無しよ」

「え………永琳…」

「よし」

 

腰に手を当てて満足した永琳に修司は肩を落とした。

 

「どうしたの?」

「いや、今まで人を名前で呼んだことが無くて…」

 

記憶は無いが、何となく分かる。僕は以前、碌に人と喋ってなかった筈だ。コミュ障という訳では無いが、いきなり女性を名前で呼ぶなんて出来ない。慣れるしかないのだろうが…。

 

「ふふっ、そうなの。」

 

僕の初心っぷりが面白いのか、さっきから口元を手で隠して忍び笑いをしている。誰だってこんなもんだろ。何か悪いか。

 

「あぁ、拗ねないで。悪かったわよ」

 

僕がそっぽを向いて、永琳は慌てて宥めてきた。

 

「…それで、後はやる事ありま……あるか?」

「う〜ん。今日はもうご飯を食べて寝ましょうか。明日から色々とやらなきゃいけない事があるの」

「了解。じゃあ、今日は僕が料理を作るよ」

 

居候は働かなければ。

 

「そう?それじゃあ、楽しみにしてるわね」

 

 ハードルが上がったが、善処しよう。

 

 

 

 

 

 僕の作った晩ご飯はとても好評だった。一人暮らしをしていたので料理が出来るのかと彼女に訊いたら、彼女は今まであまり料理はしてこなかったそうだ。お蔭で僕のような料理でも美味しいと言って食べてくれた。そんな様子にホッコリしつつも、僕はもっとこの世界の事を知りたいので食後にまた説明を頼んだ。頭では分かっているが、どうにも人から説明を受けないと確実にならない。名前も分からない僕の能力が上手く制御できてない証拠だな。

 

 彼女からは実に沢山の事を教えてもらった。

 彼女は都市ではトップクラスの権力の持ち主であり、それと共に実力も兼ね備えており、更には都市の発展に大いに貢献してきた天才という、正に非の打ち所がない完璧な人間らしい。彼女自身はそんな事ないと謙遜していたが、彼女との会話に不意に量子論が飛び込んできたりするので、彼女の普通の基準はえらく高い事が分かる。それのせいで、今まで話の合う人が居なかったらしいが、僕にはその話が理解出来たので、彼女は久しぶりの楽しい会話に顔を綻ばせていた。

 

 彼女は、僕を森から連れ帰った後、僕を都市に住まわせようと上で議論したのだが、上が未知の存在というものにすっかり怯えており、なかなか許可してくれなかったらしい。しかし永琳が何とか妥協点を提示すると、彼女自身が監視するという条件で住むことをやっと許可されたと言う。僕が寝ていた間にそんな努力をしてくれていたなんて、永琳にはやはり頭が上がらないや。

 

 僕はかなりの自由が利くらしい。その辺をブラブラしてもいいし、お金があれば買い物も出来るとか。普通の住人と権利は変わらず、身分は八意永琳の従者になると言う。何かあった時は私の名を口にすればいいと永琳は言った。その優しさをありがたく思いながらも、それだけは絶対にしないでおこうと心に決めた。

 

 

他にも色々と知っておいて損は無い情報を永琳は教えてくれ、僕はそれを全て反芻して理解した。

 

「……もう遅いわね。今夜はこれくらいにして、続きはまた今度にしましょ」

「賛成だな。悪い、長いこと付き合わせて」

「気にしないでいいわ。分からないことは早めに知っておきたいものね」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 同時にフッと笑みが漏れ、それが引き金で二人共噴き出してしまった。あぁ、本当にこんな会話は久しぶりだ。普通の会話がこんなにも楽しいものだったなんて。それは彼女も同じだろう。周りに人がいるのに孤独な感覚は、何年やってても決して慣れるものじゃない。

 

「はははっ」

「ふふふっ」

 

二人の笑い声は暫く続き、月光が照らす家に吸い込まれていった。二人はり笑うと、これまた同時に言うのであった。

 

「「おやすみなさい」」

 

 これが、これからの長い生活の第一歩だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 永琳の家で生活してからもう数ヶ月が経った。後で彼女から聞いた話だと、彼女達には寿命が無いらしかった。なので少し気になって、永琳に今の歳を訊いてみたら、弓矢で人間ダーツをされるはめとなった。どこの世界に行っても女性に年齢の話は御法度なのである。

 

 そんな衝撃の事実をサラリと受け流して、今日も清々しい朝を迎えた。朝を早起きするのは、僕の習慣だ。まだ朝日が登っていないにも関わらず、僕は“元”制服の袖に腕を通した。何故制服で生活出来ているかと言うと、ここに来てから次の日に、永琳が僕の制服と同じ格好の服(材料などは不明)を何着も用意してくれ、この制服がそのまま僕のトレードマークとなったのだ。

 元々運動に特化したタイプの制服だったので、これで全く問題は無かったのだが、都市が作成に使用した繊維がこれまた凄い代物で、僕が着ていた“元祖”制服も、熊と闘えたほどの機動性を持ち合わせているのだが、それとは比べ物にならないくらいに軽く、関節の可動域や伸縮性などが非常に優れており、そして安定の自動修復機能付きという優れものだったのだ。

 都市の人達はみな同じような服装をしているので、僕が街中を歩くととても目立つ。しかしそんな事は全く気にしてないようで、特に視線を気にする事無く過ごせていた。

 

 閑話休題。

 

 朝の日課であるトレーニングをやり終えたら、永琳の部屋に行って、彼女を起こす。彼女は少々ねぼすけだが、それがまた彼女の美しさを際立たせていた。

 そして僕はいつもの様に朝食の準備に取り掛かる。いつもは僕が用意した朝食を永琳と食べ終えてから今日の家事に入るのだが、食べ終わってから食器を片付け始めた僕を、まだ椅子に座っている永琳が引き止めた。

 

「ねぇ修司」

「ん?何?永琳」

 

最初の頃とは違って、僕達も随分と仲良くなった。名前呼びや敬語無しに抵抗が無くなり、“あの時”のように自然体で接する事ができるようになった。彼女もそれは同じらしく、僕同様、砕けた感じになっている。

 

「あなた、軍に入ってみる気は無い?」

「え?軍って、防衛軍の事?」

 

 軍とは、防壁外から攻めてくる妖怪を撃退する為に組織された都市防衛特化の軍事集団の事だ。現代には無いような光線銃や高性能爆撃ミサイルなど、設備に富んでいるが、最近人手不足だと聴いた。

 

「あなたも知っているでしょう?最近妖怪が凶暴になってきて、防衛軍の兵士が少なからず減ってきている事」

「知ってるよ。でも、僕なんかが軍に入れるの?」

「あら、愚問ね。あなたは熊を相手にするただの人間でしょ?それなら大丈夫よ」

「うぐっ……数ヶ月前の話さ。今はきっとそこらの犬にさえも負けるよ」

 

 これは謙遜である。事実、彼は父から全てを学んでから、一日たりとも訓練と地道なトレーニングを怠っていない。その体は一見細身な長身で弱そうに見えるかもしれないが、実はそうではない。彼の筋肉は無駄なく引き締まり、その細い腕から放たれる一撃は外見不相応の威力を秘めている。成長期なのもあって、彼はトレーニングをする度に、着実に成長を遂げていった。今では格闘戦においてなら軍に十分通用するだろう。

 

「取り敢えず、入隊はしなくてもいいから、一度顔を見せに行くわよ。私も行くから」

「…分かったよ永琳。大体先が読めてきたけど…」

 

溜息混じりに言った一言に満足し、永琳は、じゃあ今日の午後に行くわよと言い、一人自室に篭って研究の続きを始めてしまった。

 何となく今日の午後の予想が頭をよぎり、修司はまた一つ、大きな溜息をつくのであった。

 

 

 

 

 お昼を食べ終え、修司は永琳に言った。

「それで?何時くらいに訓練場に行くのさ」

「食べたら行くわ。夕方までかかりそうだし」

そんな長い時間訓練するのか…。これは筋肉痛確定だな。

 

 着替えなどの用意を済ませ、玄関を開くと、既に永琳は門の前で待っていた。そこにはお馴染みのハイテク自動車がある。あれで目的地まで行くのだろう。

「ごめん、待たせた?」

「ううん、大丈夫よ。それじゃあ、行きましょうか」

 ボタンを押して、現れた二つの光を同時に押してクルリと反転させる。そして開いたドアの中に体を滑り込ませ、奥に乗る。隣に永琳が座ってきて、これで幅が丁度になった。思ったよりも小型なのだ、これは。

「目的地は、防衛軍の訓練場ね」

「お、御手柔らかに…」

「私に言ってどうするのよ」

 

 

 目的地を設定すると、自動車か勝手に空中を移動し始めた。相変わらずこの技術力の凄さには舌を巻くが、僕は既にこの都市の全てを知識として吸収していると言っても過言ではない。

 この数ヶ月間、僕は必死に能力の修行をした。また永琳と初めて会った時みたいな醜態は晒したくないからだ。

 結果、僕は、この摩訶不思議な能力の大半を理解した。

 

 この能力について今は説明しないでおくが、これはいずれ説明するはめになるだろう。世の中そんなに甘くはないのだ。案外、今回の訓練の時に使うかも知れないな……なんて…あはは。

 

「…ねぇ」

 

 と、突然永琳が話しかけてきた。

 

「何?」

「あなたは…どこかに行ってしまうの?」

 

 …難しい質問だ。元の世界に帰りたい気持ちは塵ほども無いが、それでも帰る帰らないと選択を迫られてしまったら、腕を組んで唸ってしまう。元いた世界に楽しい事は一切無かったし、辛い事はあったかと訊かれればそれはもう首がちぎれんばかりに縦に振る。しかし、愛国者というか、故郷がやっぱり気に入ってると言うか、それとも腐れ縁と言うか…。元の世界に戻ったってそんなに大した事は出来ない。強いていうなれば、“復讐”をしたい。

 

(……あぁ!もう分からない!)

 

 記憶が欠如しているせいか、そういう感想のようなものはツラツラと言えるのに、結局どちらだと言われると決断ができない。まだ必要な記憶が無いからか…。

 

 

(…でも…)

 

 

 僕は隣の永琳の頭に手を乗せて、微かに頭を撫でた。

 

「選択の時が来たら、その時はきっと、僕は悔いのない決断をするだろうさ」

「わっ……いきなりなによ…」

 

返答の内容よりも頭を撫でられているのが気になるのか、永琳の双眸は上を向いている。だがすぐに視線を彼に合わせると、少し不安そうな顔をした。

 

「………それは、私にとってどうなのかしら」

 

 

 

 僕は、その問に答える事が出来なかった。

 




 東方でハーレムって、本当に原作に入らないとタグ詐欺ですよねw

 そんなことを思いつつ、とりあえず予定という二文字をつけてればいいやと考えてタグを残している今日この頃です。
 タグに関して何か忘れていることがあったり、コレ違うんじゃね?って思ったタグは随時追加&消去していくので、もし何かご指摘があればコメント下さい。


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3話.能力の闇と欺瞞の彼

 狂うとか、闇堕ちしている時の表現って本当に難しいですね。他の作者さんの素晴らしい闇落ち作品と自分の文章を比べてみると、自分の文の稚拙さがよく分かります。

 まぁ、文章力はこれから努力していきたいと思っていますので、寛大な心で気長に待って頂けると幸いです。

 あ、それと、前話投稿時に確認したところ、なんと、この小説がお気に入りに登録されていることに気付きました!!!
 更に、初のコメントも届きました!!!

 本当にありがとうございます!!!

 ではどうぞ。


 ハイテク自動車が停車したので、永琳との会話を打ち切って外を見てみると、そこには色んな建物が乱立していて物々しい雰囲気を纏った外観を持つ、街とは違った感じの建物群があった。それを囲むように塀があって、僕達の目の前にはよく学校なんかである感じの門があった。そこには門兵のような人が二人いて、永琳が窓を開けて来た理由を説明すると、門を開けて中に入れてくれた。

 

 自動車が滑るように中にある駐車場に停車し、下車して(そび)える建物を見上げた。

 

「大きいな」

「本当ね。でも、都市の防衛軍は妖怪から生存する要だから、どの施設よりも予算が降りるのよ。実際、この都市の中で本部の次に大きい建物よ」

 

 圧迫してくる建物の間をすり抜けて、永琳はとある一つの施設の中へと入っていった。

 そこでは沢山の人が訓練をしており、それを見ている一人の男がいた。永琳が彼に挨拶をすると、彼はビシッと敬礼して、ハキハキといい返事をした。

 

「八意様!御足労、ありがとうございます!」

「今日は彼の実力を試させたいのだけれど」

「はい!そういう事であれば、いつでも!」

 

話が早いということは、きっと既にアポは取ってあるのだろう。毎回手回しが早いな。

 

 

 

 まぁ、それは僕もなんだけど。

 

 

 

 部隊長だと言った彼に連れられ、修司は兵士達が乱闘している所へ向かった。隊長が一声「集合!」とかけると、兵士達はすぐさま彼の元へと集まってきた。皆息は切れておらず、得物はそれぞれ違ったものを装備していた。

 

「よく聞け!今日一日俺達の訓練に参加する事になった奴が一人いる!まずは自己紹介からだ!」

 

彼はそう言うと、修司に目配せをしてきた。既視感のある光景に半ば感動しつつ、修司は声を張り上げて応えた。

 

「えい…八意様の従者の白城修司です!今日一日、よろしくお願いします!」

 

最初永琳と言いかけたのは秘密だ。僕が自己紹介をすると周りがヒソヒソと小声で話し始め、チラチラ向けられる視線は好奇の視線だった。これはよく見たことのある視線だ。

 

(あれが噂の…的なやつだな)

 

最近僕の事が噂になっているのは気付いていたが、それでも街中で少し視線を感じるだけだった。そして、好奇は段々と慢心に変わっていく。

 

(あ〜、これは相当嘗められてるな)

 

これまで訓練してきた自分達がこんなヒョロヒョロの優男に負ける筈がない。そう、彼らは言いたげだった。流石に侮辱を口に出す馬鹿はいなかったが、それでも視線から痛いほどそれが伝わってきた。

 

「よし、白城の実力をまず測りたい。適当に誰かと手合わせをしてみてくれ。誰がいい?」

 

 部隊長はそれに気付いたのか、少し口角を上げて訊いてきた。この人、俺の実力を既に見切っているというのか?

 兵士達が全員にやけている。これは…ちょっとやるしかないな。

 

「じゃあ、この中で一番強い人とやりましょう」

 

その場にいた永琳と僕以外の全員が息を飲んだ。そして、次々に抗議の声が上がる。

「俺達を何だと思ってやがんだ!」

「お前みたいなヒヨッコが勝てる訳がねぇだろ!」

「ちょっと八意様に近い役職だからって調子に乗ってんじゃねぇ!」

 

 

 とまぁこんな風に、色々な罵倒を食らった。君達は沸点が低過ぎんだよ。

 

 

「静かにしろっ!!!」

 

 

 すぐさま部隊長が叱咤してその場は収まったが、彼らからの嫌な視線は止まることを知らなかった。

 

「部隊長、ここは俺がやります」

 

と、手を挙げて前に進み出たのは、他の兵士よりも筋骨隆々な大男だった。背は修司より少し高いくらいだったが、その体つきは修司の何倍もがっしりとしていた。

 

 恐らくこの中では一二を争う実力者だろう。手に持つ幅広い刀身の両刃直剣が小さく見えてしまう。

 

「ここのナンバーワンはあなたですか?」

「おう。俺は強いぜ?本当にいいのか?下手したら怪我しちまうぞ?」

「そんなのは百も承知ですよ。お気になさらず」

 

軽くおちょくってきたがそれを意に介さず受け流し、修司は部隊長に言った。

 

「あの、僕に武器って支給出来ますか?」

「あ、あぁ。なんでもいいぞ」

 

部隊長に武器の支給をお願いしたところ、どうやらここにあるものならなんでも貸してもらえるようだ。なにやら部隊長の顔が変だが、どうかしたのだろうか。

 

「それなら、脇差を一本貸してもらえますか?片刃のやつを」

「えっと、脇差か…。誰か持ってるか?」

 

部隊長が暫く考えた後、兵士の集まりに向かって声をかけた。すると、中に埋もれていた一人が手を挙げ、自分の腰に刺さっていた脇差と鞘を修司に渡した。

 

「ありがとうございます」

「い、いや……」

 

渡してくれた兵士も何故か萎縮している。部隊長といい彼といい、一体どうしたというのだろう?

 

「よっ、ほっ、はっ」

 

 慣らすために何回か素振りをした後、開けた場所へと移動していたあの大男に声をかけた。

 

「待たせました。さぁ、やりましょうか」

「…後悔するなよ」

「皆、壁に沿って並べ!さ、八意様もどうぞ」

 

 部隊長が僕達のために空間を開けてくれた。わらわらと壁に駆け足で寄っていく兵士達の中で、永琳だけがこちらを見て読めない表情をしていた。

 

 彼と正対した修司は、頭の中が何かに侵食されていくのを感じていた。それは懐かしい暖かみを纏っており、同時に鋭い冷たさを内包していた。だが、それを拒むことはしなかった。修司は本能的にこれが“望んでいた自分”であることを理解していたからだ。

 逆に言えば、これが“僕”であり、これまでの“僕”は“僕”の“僕”だったのだ。

 

(ふふっ………ふふふふふふ………)

 

 これまでにない高揚感が体を支配し、自然と笑いが出てくる。だが外面は非常に冷静で、無表情を貫いていた。

 羽織る殺気に意味は求めない。込める力に理由は無い。ただ、全ての根底に“心”があればいい。

 

「それでは、降参か気絶による戦闘不能で勝敗を決定する。致命傷や瀕死の怪我は負わせないように。殺すなんてもってのほかだ。それでいいか?」

「はい」

「分かりました、部隊長」

 

二人が応と言うと、それぞれ得物を構えた。男は長さが1mほどもある両刃の直剣。修司は30cm程度の片刃の細い脇差。武器共に貧弱に見える修司とは対照的に、男からは(みなぎ)る気迫を感じた。

 全てにおいて男に負けているような印象を受ける構図だったが、修司の纏う雰囲気が、それを真っ向から否定していた。

 

(…あんな異常な彼、見たことないわ)

 

 永琳はダラリと両腕を垂らして気のない構えをしている修司を見て戦慄した。顔は無表情、口調は平然と、構えはヤル気が無さそうに。一見すれば何ともない感じの彼だったが、彼の目は、そのハイライトを爛々と輝かせていた。これだけ鑑みれば戦闘狂ではないかと思うのだが、それもまた違った。彼には……そう、“心”が無かった。

 

(相手は霊力を開放しているのに、修司は霊力のレの字も無いほど完全に素の状態。彼はまだ霊力の事を知らない筈だから使えないのは知っているけど、どうして知らない筈の霊力を“完璧に抑えている”の?)

 

彼はまだ霊力の存在すら知らない筈である。それが、常人ならば微弱に垂れ流している筈の霊力さえも抑えているのだ。これに彼女が驚かないわけがない。

 部隊長が右腕を振り上げた。あれが振り下ろされれば、修司と彼の闘いが始まる。だが、部隊長の目には、僅かながら躊躇いが見えた。永琳はそれから、彼が薄々ながら修司の異変に気付いたのだろうと推測した。殺気を完全に隠して、霊力も抑えている。そして倦怠感すら感じる雰囲気。

 これまでの彼とは明らかに一線を画していた。それは永琳の不安を煽るには十分であり、心の内で切に祈った。

 

 

(どうか、“無事”でいて…)

 

 

 

 

 

「────始めぇ!!!」

 

 

 

 

 

 

 部隊長の腕が振り下ろされると同時に、男は修司に向かって思いっきり剣を突き刺してきた。

 一同は彼の行為に驚いた。訓練用に刃は削って斬れはいようにはしているのだが、それでも力の限りに突き刺したり、肌を撫でたりすれば、当たり前だが肉が断ち切れるほどの傷を負わせることが出来る。致命傷を与える事以外が許可されているとはいえ、彼は都市の重役、八意様の従者であり、その地位は少なくとも下級兵士よりは上なのである。そんな彼に酷い怪我を負わせたとなれば、リーダーである部隊長の責任になりかねない。

 

「…」

 

 だが、それはあくまで彼に剣が当たったらの話であって、現実が絶対にそうなるとは限らないのだ。

 

 

ギャリィン!!

 

 

「何っ!?」

 

男が不意打ち気味に放った刺突は、剣の刀身に添わせて軌道をずらした修司の脇差によって、呆気なくいなされた。しかし、刺突の勢いはまだ健在であり、それによって男は体を無防備に曝け出すことになった。そして修司は彼の腹に空いている左の手の平を当て、打ち出した衝撃を男の内部にぶち込んだ。

 

「破っ」

 

短い気合いと共に男が体はくの字に折れ曲がり、受けた衝撃によって数10mほど吹き飛ばされた。内蔵をひっくり返される感覚がして、男は地面を情けなくゴロゴロ転がり、腹に受けた攻撃に苦悶の声を上げる。

 

「っあああああぁぁぁぁぁ!!!」

 

 余程痛かったのか男の声は部屋中に響き渡り、原因である修司はその五月蝿さに耳を塞いだ。

 

「…これはいい。体術に物理学を織り込んで、中国の攻撃法を真似てみたんだが、予想以上の効率だ」

 

だが表情は相変わらず無表情で、静かに自分の攻撃について色々と感想を述べていた。

 修司は、男が起き上がるまで待ってあげると、近くに落ちていた彼の剣を持って、彼に放ってあげた。剣が床に刺さり、男の目の前で天井の蛍光灯の光を反射してキラリと光る。

 

「…………」

 

男は剣を無雑作に掴み取って立ち上がると、先ほどの嘗めた視線ではなく、本気で相手を殺しにかかる時の目で修司を見つめた。

 

「まだ僕の実力は測れてませんよね?もうリタイア…なんて事は止めて下さいよ」

「勿論だ。俺も本気でやってやる」

 

 下級の兵士で使用できるのが珍しい霊力を限界まで開放し、男は剣を構えた。永琳にしてみればそんなに多くない量の霊力だが、霊力を全く出していない修司にとっては脅威だ。

 そもそも、先の一撃だって、男は剣に霊力を這わせていたし、体にも少なくない霊力を纏わせていた。こういう力の前では、ただの肉体の攻撃は無謀に等しい。霊力が使える事は(すなわ)ち、無条件に一般の人間以上の存在である事を示していた。

 その攻撃を彼はただの脇差で軽くいなし、ただの掌底でダメージを与えた。この事実が何を意味するか。

 

「やぁぁぁぁ!!」

 

故に────

 

「おりゃあぁぁぁぁ!!」

 

男の攻撃は────

 

「らああぁぁぁぁぁ!!」

 

全て完璧に────

 

「まだまだああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

防がれていた。

 

 

 

 

 男が両手をついて肩で息をしている。対して修司はまだ鼻で息をする余裕があるようだ。剣を取り落とし、男の顔は驚愕で染まっている。霊力を出していない人間に負けたのだ。そのショックは相当だろう。それに対して修司は小声で、「あと1cm誤差を…」なんて言っている始末だ。

 

「…もう、勝負はついたでしょ、終わりにして」

「いくら八意様と言えども、それは了承しかねます」

 

 彼らの繰り広げる一方的な“心を折る闘い”は、既に決着がついたようなものだ。しかし、部隊長は打ち切ることをよしとしなかった。勝敗条件は、相手を気絶させるか、降参させるかだ。男はまだそのどちらもしていない。つまり、まだ負けてないのだ。こんな拷問のような状況をまだ続けるのかと、彼の友達の兵士は部隊長に詰め寄った。しかし部隊長はその剣幕に臆することなく、こう言い放った。お前は友人の顔に泥を塗るのか…と。

 

「ねぇ、もういいじゃない。修司の実力はよく分かったでしょ」

「いいえ、まだ終わるわけにはいきません」

 

 永琳が説得しようとするも、相手は部下をまとめあげる部隊長。その生粋の武人魂に揺らぎはなく、権力に屈しない風貌は永琳ですら敵わなかった。

 

「さぁ立って下さい。まだ負けを認めていないということは、まだ闘う意志があるということですよね?」

「うぅ………ぐぅ…」

 

修司の問いかけに返答することすら出来ない。それほど彼は完膚無きまでに叩きのめされ、体力的にも精神的にも立ち上がれない状態だった。そんな彼がまだ降参を認めないのは、ひとえにただの安いプライドだった。

 霊力が使えて、集団の中で抜きん出ていた才能を有していた彼は、それこそ下級兵士の中では神童、秀才、希望ともてはやされていた。しかし彼はあくまで下級の中では、という条件を忘れ、一人才に驕っていた。そんな彼を部下に持つ部隊長は、藁にもすがる思いで八意様に頼み込んだのだ。

 

────彼を更生させる策はありませんか…と。

 

 結果、彼のメンタルは木っ端微塵に砕かれた。もう力に驕ることはしないだろう。しかし、永琳は一つミスをしていた。

 それは、修司の事だ。

 彼は以前、熊の妖怪と互角に渡り合っていた。そして、彼女が今すぐ動かせる唯一の人材であったので、永琳はこれ幸いと彼を誘ったのだ。彼ならなんとかしてくれる…。確かになんとかはしてくれた。しかし、その代わりに永琳は“何か”をミスしてしまった。その何かは今の彼女には理解出来なかったが、それが良くないものであるのは容易に分かった。その結果、“この修司”が出来てしまったのだから。

 

「まだ立てませんか?もうそろそろ一時間は経ちますよ?」

「……………」

 

 最早声すら出なくなってしまった。兵士達は更に部隊長に迫り、永琳もそれに参加する。しかし部隊長は静かに事を見守る姿勢を崩さない。

 やがて修司は起き上がらない男に近づき、優しく話しかけた。

 

「…霊力を使えるみたいですね。その階級で使えるというのは、とても有利です。すごい才能ですね」

「………」

「ですが、あなたはそれにかまけて人間の強みである“努力”を怠ってしまった」

「………」

「それが今回の結果です。目下の人達を見下して満足していたあなたが招いた、必然です」

「………」

「────でも、それでもいいじゃないですか」

「………!」

 

 反応が無かった彼に、この時初めて反応があった。

 

「過去は変えられませんが、これからを変えていく事は出来ます。それまでが駄目でも、その先に影響を及ぼす事は可能です。…後は、自分が何をすればいいか、分かりますよね?」

 

まるで先生が子供に言い聞かせるように、修司は彼に慈愛を込めて語りかけた。その一句一句に彼の心は揺さぶられ、そしてか細い声で一言、修司に言うのであった。

 

 

 

 

「……負けました」

 

 

 

 

 手合わせが終了し、部屋の空気はいつの間にか溜めていた圧力を吐き出すように緩んでいった。男の友人は彼に駆け寄り、部隊長はその場の指揮を取り、永琳は修司の元へと向かった。

 

「…修司」

「ん?何?永琳」

 

クルッと振り返った修司の顔はいつもの修司の顔に戻っており、男との戦闘の跡がなければ完全に日常の風景に溶け込んだ表情だっただろう。それが逆に永琳の顔を暗くし、修司はそれを不思議に思った。

 

「どうした?何だか顔色が悪いよ」

「いえ、別に大丈夫よ…」

 

心配する修司をよそに、永琳は部隊長のところに行った。

 

「…今日はもう帰るわね」

「あ、そうですか。それではまた機会があれば…」

 

部隊長が出会った時と同じく勢いのある敬礼をすると、それにつられて他のみんなも敬礼をした。

 

「えぇ、それじゃあ…」

 

 永琳は彼に別れを言い、再び修司の元へと戻っていった。彼は借りた脇差を返し終わったところらしく、貸してもらった人と軽い談笑をしていた。

 

「修司」

「今行くよ。……それじゃあね!」

「あぁ、またな!」

 

どうやら友好関係を築くことに成功したらしい。なんだか自慢げな顔をして永琳の元に来た。

 

「もう帰るのか?」

 

修司が訊いた。彼女の雰囲気から帰宅の旨を感じ取ったようだ。

 

「えぇ、今日はもうこれでいいわ。また来たいなら、今度ね」

「そっか…」

 

心做しか残念そうだ。永琳はそんな彼に言い得もない感情を煽られ、手を掴んで部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰ると、修司は早速晩御飯を作り始めようとした。

 

「待っててね、今からご飯作るから」

 

見せる笑顔はいつもと変わらなかった。まるでさっきの闘いを感じさせない爽やかな笑みに、永琳は少し不信感を感じ、彼を引き止めた。

 

「待って、少し話があるんだけど…」

「話?う〜ん、ちょっとご飯が遅くなるけど、それでいいなら」

「構わないわ」

 

寧ろ今は何も食べたくない気分だ。私は彼をテーブルの椅子に座らせると、それに対面する形で反対側に座った。

 

「あなたに訊きたいことがあるの」

「訊きたいこと?」

 

首を傾げる修司に永琳は頷き、今一番気になっている事を切り出した。

 

 

 

 

「修司、あなたは…………何者?」

 

 

 

 

 瞬間、部屋の空気が底冷えしたものに変わった気がした。目の前にいる修司はニコニコしながら怪訝そうな顔をしている。その器用さに更に疑問を深めると、永琳は言葉を続けた。

 

「あなたがあの大男と闘っている時、あなたがあなたじゃなくなったような感じがした。私の知っているあなたが消えて、知らないあなたが出てきた。…まだ疑問な点はあるわ」

「…………続けて?」

 

あからさまにわけの分からないという顔をしているが、永琳の目は誤魔化せなかった。

 

「あなた、記憶が消えているんでしょ?それなら、霊力の存在だって知らない筈よ。だけどあなたは、霊力を増減させる事はおろか、完璧にコントロールしていた。」

「?僕は霊力なんて使ってないよ?」

「わざと使わないようにしたんでしょ。あの人のプライドを折るために」

「そこまで過大評価しなくても…」

「いいえ、あなたはそれだけの事をやってのけたのよ。霊力無しで霊力を使用している人に勝つなんて、常人では到底できないことよ」

「………」

 

 修司は先程までの笑顔を消し、唐突に無表情になった。それは男と闘った時の顔と同じだったが、目はあの時のように輝いてはおらず、逆にハイライトは消えていた。

 

「もう一度訊くわ。あなたは、誰?」

 

「…あはは…」

 

乾いた笑いが漏れる。

 

「永琳…」

「何?」

「……永琳は、僕の恩人だから教えてあげるけど、他言無用でお願いできる?」

「誓うわ。絶対に秘密は漏らさない」

 

その言葉を聞いても彼は気持ち悪いほどに無表情で、お茶を煎れてくると言って、その顔のままキッチンへと向かった。

 暫くして修司がお茶を持って戻ってくると、何も言わずに二つ注いだ。いつもなら「お茶いる?」なんて一言かけたりするのだが、その能面からは何も発せられなかった。

 

「まず、永琳の感じている違和感と、あの時の霊力の話の原因は一つ。…………病室で話した時、僕の能力について話したよね?」

「えぇ、確か、『いくらでも記憶する程度の能力』だったわよね?」

 

これは永琳が検査から決めた暫定の能力名だ。

 

「僕は、あの能力について、この数ヶ月間色々と試してみたんだ。そして、この能力の本当の名前が分かった」

「分かったの?」

 

これまでに起こった事と検証を鑑みた結果だがな、と修司は言葉を添えて、やっと判明した能力を口にした。

 

 

「僕の能力の本当の名前は、『昇華する程度の能力』だ」

「『昇華する程度の能力』…?」

 

 

 自分の口でオウム返しをして、その昇華という言葉の意味を思い出す。そしてその恐ろしさが理解出来ると、永琳の顔は段々と青ざめていった。

 

「それって…」

「自分でも思うよ、なかなかに規格外な能力だってね」

 

 彼はこの能力について説明してくれた。

 『昇華する程度の能力』とは、文字通り、対象を昇華して自分のものにすることが出来る能力だ。それが物であれ、人であれ、そこに昇華出来るものがあれば、何だって昇華出来る。

 そうやって昇華したものが知識や概念などであれば、それは脳に刻まれ、頭痛という形で表れる。身体的なものであれば、体に表れる。

 昇華はコピーとは違い、得たものを進化させて取り込む。なので、例へば剣豪の剣術を昇華したとなれば、手合わせでその剣豪を倒せるくらいの剣術を手に入れた事になるのだ。これは相当にヤバい能力である。

 永琳と初めて出会った時、彼は一ヶ月も昏倒するほどの頭痛を患った。あれは、永琳の知識や概念を全て昇華して取り込んでしまったからだ。だから脳に100年分ほどの容量が存在し、彼女に教えられてもないのに彼女の取り組んでいる研究や都市の知らない技術を扱えた。まだ彼は言ってないが、彼女の研究を飛躍的に進歩させる方法も、彼は昇華したので知っている。だが、こういうのは努力して手に入れるものだ。なので、永琳には言ってない。

 熊と闘っていた時、永琳と出会った時、病室で彼女から書類を見せてもらった時、制服の説明をされた時、彼女の家を初めて見た時、兵士と手合わせをした時。この他にも数多の時、彼はこの能力を使用して知識を得ていた。

 

 ここまで説明して、修司は一旦お茶を啜った。永琳はこれを聞いて呆然とした。これが本当だとすれば、彼は既に、相当の知識を蓄えていることになる。どうりでこれまで色々と博識な部分があるなと思った。常人が永琳の話に付いていけるわけがないし、都市を一目見て驚嘆していた人間にしては対応力が異常だった。

 永琳が知っていたから霊力の事を理解出来た。あの兵士の戦闘好きな概念を得たから、自然とあの時の彼はその状態になったのだ。

 

(…あれ?)

 

 だとすればまた一つ、疑問が浮上してきた。戦闘の時の彼は理解出来たが、なら何故今、そんなにも無表情で、不気味なのだろう。

 それを伝えると彼は「永琳なら分かるよ」と言って、教えてくれなかった。

 

「ほら、そんな事よりさ、早くご飯食べよ?」

「え、えぇ」

 

そのまま押し切られ、修司はキッチンにパタパタと駆けていった。その後ろ姿を永琳はただ見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 永琳におやすみと言って、修司は自分の部屋に戻……らなかった。

 

(ちょっと風に当たって来ようかな)

 

そう思い立ち、彼は玄関を出て庭にあるベンチに座った。相変わらずここの庭は馬鹿みたいにデカイ。庭の手入れは定期的に専属の庭師がやってくれているので綺麗に保たれているが、そんな風景に権力の堅苦しさを感じ、修司はこの庭があまり好きではなかった。

 だが、永琳に盗み聞きされない場所がここしかないので、ここで我慢するしかないだろう。門に近いベンチに腰掛けたので、目の前には庭の中に建つ豪邸が見えた。そこでは今から永琳がベッドで寝ようとしているだろう。…いや、彼女の事だからきっとまだ研究に没頭しているに違いない。…後でお茶でも持ってってあげようかな。そういう事をしてあげると、彼女はとても喜ぶ。喜んでいる時の彼女はまるで少女だった。

 

「永琳……」

 

 恩人の名を呟く。それは月光照らす庭が佇んでいる涼やかな空気が吸い込んで、何処と無く霧散していった。

 

「永琳は………恐らくいい人だ。…多分」

 

 記憶を無くしても、その時に刻まれた感情は残っているようで、僕はどうしても人を信用出来ないようになっていた。過去に何があったのか。それは未だに思い出せないが、それでも、心にこんなに深く刻まれているという事は、過去の自分にとってとても酷い何かがあったのだろう。

 

 彼女を信用したい。命を助けてくれたし、優しいし、嘘偽り無く話してくれ、本心からの言葉をかけてくれる。

 こんなに信用出来る条件が揃っているというのに、僕の心は頑として拒否の姿勢を変えなかった。

 

「どうして…どうして僕は“信じることが出来ない”んだ!!」

 

 悲痛な叫びはまたもや虚空に消える。

 

 彼はさっき、自分の能力について説明した。永琳はそれを聞いて納得し、彼を“信じて”くれた。なのに────

 

 

 

「何故“全部”言えないんだ!」

 

 

 

 彼の能力は、実はあれだけではない。あれだけ聞いたならば、なんと素晴らしい能力だろうと思うだろう。だが、この能力には“弊害”がある。

 

 例へば、午後に手合わせをした兵士を例に挙げてみよう。彼の概念を昇華し、戦闘好きになったと説明したが、本当は違う。

 本当は、彼の“精神”を昇華したのだ。

 実際、彼はそんなに戦闘狂ではない。昇華して得た情報では、彼は案外快活なだけで、次ぐに手が出るような喧嘩早い人格ではないのだ。戦闘の時に修司がああなってしまった理由はもっと別にある。

 

(…混在する人格………)

 

 彼はこの弊害を、そう呼称する。

 概念や思想など、対象の内面を昇華する弊害として、対象の人格を自分の中に取り込むのだ。考えれば当たり前である。彼らの人格からくる思想や概念なのに、彼らの人格無くしてそれは理解出来ない。今、彼の中には、いくつかの人格がある。永琳、兵士、部隊長……挙げていけばキリがないが、既に“自分を保つ”のが難しいくらいに精神が混在している。

 あの男との手合わせの時、修司はその場にいた全員を昇華した。そうする事で、どんな武器でも一応は使いこなせるようにし、男の持つ剣との相性を考えたのだ。その時、あまりに多くの人格が流れ込んできたために、一時は混沌に身を落としていた。永琳が心配していたのはそれだ。

 

(どんどん、自分が無くなっていく…)

 

 一見すれば恐ろしい事だが、なんと修司は、それを受け入れているのだ。

 

「こんな“信じれない自分”なんて、居なくなってもしょうがない」

 

 諦観。その一言に尽きる。修司は既に信じる事を諦めており、もうこのまま生きていく事に決めた。

 誰かの為に流す涙なんぞ持ち合わせていない。誰かの為に笑う感情も無い。あるのは、ただ、相手の信用を得ようとする傲慢な心のみ。自分は信じないくせに、相手からは信じてもらいたい…。そんな都合の良い望みを抱き、今日も永琳に喜んでもらうために、深夜にお茶を用意するのだ。本心から彼女の為と言えたらなんといい事だろうか。だが根底にそんな綺麗な感情は無く、親切の対価に信用を要求する。

 

「こんな自分……“消えてしまいたい”…」

 

 いつか、この願いが現実になるとも知らずに、彼はそう、言葉を零すのであった。

 

 




 ここで、ちょっとやらかしたことに気付きました。

 作中に霊力の話題が出て来たのですが、修司が既に知っていたこともあり、説明するタイミングを逃してしまいました。ですので、今この場で説明させてもらいます。大変失礼致しました。
 この作品での独自解釈も含まれますので、読まれた方が、よりこれからの展開を楽しめるかと思います。

以下説明↓

 霊力とは、人間が内に秘めるエネルギーのことであり、これを操れるようになれば、その人の戦闘力は飛躍的に上昇する。これが枯渇すれば激しい倦怠感と疲労に襲われ、立っているのも辛くなる。
 どんな人間でも常に微弱ながらも霊力を全身から放出しているが、それは全く気にならない程度のものなので、普段は気に掛ける必要はない。
 だが、霊力を意識して操作するには弛まぬ努力と天賦の才が必要である。

 霊力を全身に過剰に纏うと、身体能力や神経系、肉体強度が強化され、またこれを局所(拳や脚とか)に集中して纏うと、その部分だけが強化されたりする。また、自身の霊力を武器などに纏わせることも出来、攻撃力を上げれる。

 霊力は、単純な身体強化以外に弾やレーザーとして打ち出せる。と言うか、こっちの方が主流。
 他に、霊力を固めて結界を張ったり、脅しとして適当に放出して威嚇したり出来る。

 霊力の他に、妖怪の持つ『妖力』や、神様の持つ『神力』がある。更に他にもあるが、ここでは明かせない。

――――

 余談ですが、作中に出てきた手の平を押し当てる攻撃ですが、これは、ポ○モンで言うはっけいという技であり、全身から手の平に伝えた衝撃を相手に送る、内部破壊を目的とした攻撃法です。中国うんぬんは完全に作者の妄想ですので、スルーの方向でお願いします。

 と、いった感じです。
 ではでは、また来週にお会いしましょう。


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4話.飾らない言葉と誓った決意

 今回は永琳サイドのお話です。女性の考え方なんて全く分からない作者には苦難の一話でしたが、血反吐を吐きながらもなんとか執念で書き終えました。

 上手く書けているでしょうかね。毎回そればかり気になっています。今回と次回は本当に難しかったです。



 ではでは、お待たせいたしました。


「八意様、今日もお美しいですね!」

「やはり八意様は天才です!私、感動しました!」

「このような場所にわざわざ御足労頂き有難うございます、八意様」

「今回の政策について何かご助言を、八意様」

「八意様のお蔭で新しい新薬を発明する事が出来ました、これでもっと沢山の命を救えます!」

「素晴らしい!八意様の実力は天下一ですな!」

 

 

 五月蝿い。周りが上辺だけの美辞麗句をツラツラと並べ立てていく。けばけばしく飾り立てて見栄えを良くしただけの、中身の無い空っぽの言葉はもう聞き飽きた。

 だが、そうだからって拒絶していては駄目だ。都市を繁栄させるためには、私が頑張らなくては。子供みたいに駄々をこねていられない。都市は私を必要としているのだ。高い役職に就くには、それなりの責任とストレスを甘んじて受けなければならない。

 

(…はぁ…)

 

 要らない豪邸を押し付けられ、要らない麗句に精神を蝕まれ、欲しくない賞賛で(はや)し立てられる。

 それを義務と使命感で奥底に押し込んで、理性で蓋をした。

 

(…誰か……)

 

 まだ見ぬ誰かに向かって手を伸ばす。そんな本能の叫びは暗闇に消え、代わりに現れたのはまたもや賞賛の視線だった。傀儡の言葉をその身に浴びて、彼女は更に嫌悪感を示す。

 

 

 

 

 

────彼に出会ったのは、そんな時だった。

 

 

 

 

 

 熊の妖怪の討伐を依頼され、森の中に入った時に拾った青年。他の男と比べても長身で、ヒョロヒョロとした体つきの彼は、名前を白城修司と言う。彼の特異性に気付いて検査したはいいものの、彼は私の予想を遥かに逸脱した能力を保有し、また、今までに出会った中で一番彼女を“八意永琳”として見てくれていた。

 

 

「…凄いと思います」

 

 

 彼のその言葉に、彼女は電流が走ったかのような衝撃を感じた。凄い。その言葉自体は幾度となく掛けられてきたものだ。しかし彼のそれは今までのそれとは全く異なる温かいものだった。所々に飾りをつけた言葉とは違い、彼のその一言には確かに“本物の心”がこもっていた。

 特別なものは何も必要ない。ただそこに、心を込めて欲しかったのだ。御機嫌をとるように言った虚言ではなく、本心からくる真実の言葉、それを無意識に求めていた。

 

 何も知らない他人に心を揺さぶられた事にちょっとムッとして、私は彼が謝っているのをいい事にひたすら弄ってやった。家主である私のプライバシーを侵害してきた彼に表面叱りながら、内面感謝していた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 彼を監視する名目でちゃっかり同棲を始めてから早数ヶ月。日に日に彼を意識することが多くなっていった。今まで誰もこの家に住んだことなんて無かったから意識するのは当たり前なのだが、なんだろう、この言い得もない感情は。私が朝起きるのが苦手だから毎朝私の所まで来て起こしてくれる。私が健康を崩さないように気遣って栄養バランスのいい食事を出してくれる。私が研究している時に彼から様々な形で助力をしてくれる(主に助言の方で、決して実験台という意味では無い)。私が何かを頼むとそれをすぐにこなしてくれる。私が深夜、研究に没頭していると、隣に立って暖かいお茶をくれる。私が努めて平静でいようとすると、それを察して優しい言葉を掛けてくれる。

 

 つまるところ、彼には沢山の恩があるのだ。感謝してもしきれないほど、これまで私の支えになってくれた。私に真摯に向き合って、いつも本気で応えてくれた。これまで経験したことのない温かみを感じて、久しぶりに心から笑うことが出来た。これも全て、彼のお蔭だ。何かお返しをしたい…。そう思い立ち、彼女はどうすればいいのかを研究そっちのけで考え始めた。

 

 

 

 

 ある時、一人の防衛軍部隊長から連絡が来た。簡単に要約すると、力に酔いしれて調子に乗っている奴がいるらしい。そいつのプライドをへし折って欲しいそうだ。私が直接やってもいいのだが、それでは効果が無い。…と、こちらには今、熊の妖怪も相手に出来る丁度いい人材がいるではないか。しかも、面倒な手続きは一切不要の、すぐに動かせる人材が。

 丁度いいと思った。だから誘ったのだ。案の定、謙遜から入るその物怖じぶりに半ば呆れつつも、なんとか言いくるめて行かせることに成功した。彼の戦闘能力も見ておきたいので、私の同行付きだ。

 

 自分で行かせておいてあれだが、突然私は不安に駆られた。もし、彼が予想以上に弱く、あっさり負けてしまったら。相手は霊力を使うというし、もし相手が彼を殺してしまったら…。

 

(…ううん、修司は絶対に大丈夫。強いもの)

 

自分に言い聞かせるように頭の中でその言葉を繰り返し、門の前で待つ。彼はまだ来ないのだろうか。

 

「ごめん、待たせた?」

「ううん、大丈夫よ。それじゃあ、行きましょうか」

 

 まるでどこかのカップルのような会話だ。そう思った瞬間、私は頬が紅潮するのを感じ、踵を返して車──彼曰くハイテク自動車──に向かう。後ろで彼が慌ててついてくるのが足音で分かった。

 彼がボタンを押して、現れた二つの光を同時に押してクルリと反転させる。随分と慣れた手つきで、つくづく彼の適応力の凄さに舌を巻く。彼が開けてくれたドアに片手を乗せて、私は車内に体を滑り込ませた。

 

「目的地は、防衛軍の訓練場ね」

「お、御手柔らかに…」

「私に言ってどうするのよ」

 

まだ施設すら見ていないというのにこのビビリよう。あの荘厳な雰囲気に当てられたらきっと硬直だけでは済まないだろう。

 自動車が目的地への的確なルートを算出し、地面との摩擦を避けるように電磁浮遊して空中を泳ぐ。意外と狭い車内で、互いの肩が触れ合う。終始無言なのは、ただ単に喋る話題がないからだ。これじゃあまるで葬式でも行くみたいではないか。葬式にしては場違い過ぎる服装だろう。私は赤と青のツートンカラー。彼は学校というものの制服を着ている。決して黒くはない服装だ。彼にこの制服について訊いてみたら、普通の制服は大体が黒色らしい。だが彼が持っている制服は青く、そこらの服よりもかなりかっこいいものだった。

 

 永琳は彼について考えた。森で拾った彼。しかし記憶を失っており、現時点の情報から察するに、彼は明らかに都市の人間ではなく、別のどこかの人間だ。しかし、それがどこかは分からない。もしかしたら私達の他にも都市を形成して生活をしている人類がいるのかもしれないし、極論を言えば、彼は遠い過去か未来から来た存在だと言う事も否定出来ない。まだ観測出来てないので確かな事は言えないが、別世界…というのもある。彼を決定づける要素が足りず、全ての可能性が十分有り得る。

 彼がいなくなる…?

 

「…ねぇ」

 

 静かな室内に、私の声が響く。消音機能がついているこの車において、唯一の音といえば、それは周りの喧騒だけだ。故に、私の声は嫌に良く響いた。

 

「何?」

 

 彼が反応する。その顔がこちらに向いて、目線が交差する。狭い車内だと、互いの顔が思いのほか近い。咄嗟に目を伏せそうになったのをかろうじてこらえ、ふと思った不安を口にする。

 

「あなたは…どこかに行ってしまうの?」

 

 彼がもし、元の世界又は過去か未来に戻ってしまう事になったら、彼は帰ってしまうのか。もしくはまだ見ぬ彼の故郷を思い出した時、彼はこの都市を出ていってしまうのか。それを考えた瞬間、胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 彼がここからいなくなる。最早彼は私の生活の欠かせない一部となっているのだ。大切な……人なのだ。

 欲を言えば、どこにも行って欲しくない。これまでと変わらない日常を過ごして、緩やかな時の流れを感じていたい。あなたがいれば、私はもっと頑張れる。

 

 だが、彼からの返答は応でも否でもなく…

 

「選択の時が来たら、その時はきっと、僕は悔いのない決断をするだろうさ」

 

 

「わっ……いきなりなによ…」

 

 実に煮え切らない答えだったが、内心はそれでもいいのかもしれないと思った。だって、彼のこれからを決めるのは彼なんだから、私が介入する余地なんてない。

 不意に頭を撫でられたが、不思議と嫌な気はしなかった。もう子供のような歳ではないというのに、心はまだまだ乙女だということか。

 

「………それは、私にとってどうなのかしら」

 

 思わず零れたその一言。しかし、彼はこれには返答しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 防衛軍の施設に着いた。案の定彼は驚嘆していた。こんな大きな施設は見たことがないそうだ。たかが150階まであるだけの普通のビル群だが、言葉を失うほどのものなのだろうか。因みに、この建造物の設計を手がけたのは私だ。だが、私は倒壊を阻止するための基盤と、地震突風に耐えうる構造を指示しただけで、景観や内装は干渉していない。それでも大半を設計した建設社よりももらった報酬が多かったのは何故だか今でも分からない。

 

(……え?何…あれ…)

 

 部隊長に挨拶して、修司が嘗められるまでは予想できたので、甘んじて耐えることは出来た。しかし、それからの修司の雰囲気が変わり、近付けば喰い殺されそうな猛獣の如き“静寂”を感じ取った。

 殺気や気迫は滲み出るものだ。それを感じて、相手の力量を測りとるのだが、彼のそれは、非常に薄く、ぶつからないと分からない透明なシルクのような、霧のように掴み所が無く目を凝らさなければ目視出来ないような…そんなような、“感じられないモノ”を醸し出していた。

 これはある程度の期間彼と接してきた私しか分からないような変化だ。故に、私以外は、敏感な者は何らかの違和感を気の所為程度に感じ取り、武術をそれなりに修めている部隊長は違和感を少し訝しむだった。

 

 明らかにいつもの彼とは違う。しかしこの変化の危険性にまだ確証が持てないので、壁に寄り始めた兵士達の中で、私はただ、あらゆる感情が入り混じった視線で、大切な彼を見る事しか出来なかった。

 

 

 

 

「────始めぇ!!!」

 

 

 

 

 不意打ち気味に刺突を放った男。私はその行動に驚きつつも、彼の対応に更に驚いた。

 

「何っ!?」

 

男が信じられないような顔をする。霊力を纏った一撃を、全く霊力を出していない防御で見事にいなされたのだ。驚くのも無理はないだろう。なにせ、斯く言う私も驚いているのだ。熊と闘っていた時の彼とは動きが全然違う。彼の動きには全くと言っていいほど無駄がなく、かと言って完璧だと言えばそうではない…所謂不自然なほどに自然な動きをしていた。

 

 のらりくらり。その言葉に近い彼の挙動は、男の攻撃を全て脇差で逸らし、時に織り込む体術で的確に局所に疲労を蓄積させていった。

 腕、脚、腹、肩……。順番に打ち込まれる彼の打撃に男は悶絶し、取り落とそうとする直剣を必死に握っていた。何故脇差での剣撃でダメージを与えずに、霊力を使わない打撃のみで対処しているかは、彼の時折呟く言葉から察する事が出来た。

 

 

「…後10度外側に方向をずらして…」

「次は1.5倍の力で掌底を…」

「肘方向に後2cm打撃点を向けて…」

「突きを左にやったら次は柔道で軸脚を壊して…」

「得物の接点を柄方向に1cm、タイミングを後0.5秒遅らせて…」

 

 

 戦慄。その一言に尽きる。私は、こんな正確な闘いは見た事がない。彼の呟くその言葉。それに注意して彼の動きを見ていると、確かにその通りに改善されている。そして、その改善をした挙動は、より完璧に男の攻防を崩していった。

 

「ぐぅ…!」

 

男が垂直に振り下ろした剣に対して半身になってその背から一寸の位置にその剣筋を通す。そのまま男の手に手刀を落として衝撃で剣をたたき落とし、後ろに引いていた脚を振り上げて回し蹴りを放った。弧を描いて襲い来る彼の脚は、寸分の狂いもなく男の肋骨の一番脆い部分にヒットし、メシメシと音を立てて吹っ飛ばす。彼には一切のダメージは無く、男が彼に肉薄する度に怪我を負っているのは男の方だった。

 

 先程からこのような一方的な攻防が繰り広げられている。私はこの拷問を目にして思わず苦虫を噛み潰したかのような顔をした。だがそれは他の兵士達も同様で、それぞれ耐えられない表情をしていた。中には本当に耐えられなくなり、お手洗いに直行しに部屋を去る人もいた。

 血が出ないように打撃で内臓を破壊するのは避け、脇差はどうしようもない攻撃のみを弾くために使用されている。わざと怪我しても大丈夫な部分から破壊していき、徐々に戦意喪失と戦闘不能に追い込んでいく。それは正しく獣が鹿をいたぶるのと酷く酷似していた。更に彼は、骨折や筋繊維の損傷は直ぐに治るように綺麗に完璧に砕いていた。

 

 あれだけやられても立つあいつもあいつだ。何故降参しないのか。それは私に舞い込んできた依頼の内容を思い出すとすぐに理解出来た。

 

(…随分と強情なプライドね)

 

ただひたすらに負けを認めない。その胆力と意地は見上げたものだ。だが、これまでの怠惰と慢心は、彼を木偶の坊へと変えてしまっていた。彼に剣を投げられても、男はそれを無言で掴み取り、闘士を(たぎ)らせてまた突進する。それを返り討ちにして、また傷を蓄積させていく。この尽きることのない反復作業は既に意味をなさず、その身にいたずらに報復を重ねていく。

 

 そんな作業は、彼が男にかけた言葉によって呆気ない終幕を迎えた。

 

 

 

 彼の事が心配で、手合わせが終わると、すぐに彼に駆け寄った。だが彼は私の心配をよそにいつもの笑みを浮かべて、変わらない言葉を紡いだ。

 その光景が何だか恐ろしくて、彼女はすぐに部隊長に帰る旨を伝えるために部隊長の元へと早足で向かった。私がもう帰ると言うと、部隊長は馬鹿の一つ覚えみたいに肯定して敬礼した。それに倣って周りの兵も右手を頭に持ってくる。

 

(…反吐が出る)

 

これは忠誠からくるものなのだろうが、永琳にはどうしてもそうは見えなかった。疑心暗鬼に駆られているのだろうか。彼らの表情の裏にどうしても闇を想像してしまう。

 

 

 

 

 彼を無理矢理連れて防衛軍施設を出て、私は逃げるように家に帰ってきた。彼が何か心配しているが、その言葉、そっくりそのままお返ししたい。

 既に夕暮れなので、彼が早速晩ご飯を作ろうと張り切ってキッチンに行こうとするのを、私は咄嗟に止めた。

 

「待って、少し話があるんだけど…」

「話?う〜ん、ちょっとご飯が遅くなるけど、それでいいなら」

「構わないわ」

 

 晩ご飯よりも大事だ。

 

「あなたに訊きたいことがあるの」

「訊きたいこと?」

 

 この疑問を一言で説明すると…そう。

 

「修司、あなたは…………何者?」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 この時の彼の気持ち悪いほどの無表情は、私の研究室でフラスコを振っている今でも鮮明に思い出せる。戦闘をしていた時とは違う感覚を憶える無表情だったが、それでも不気味なのに変わりはなかった。

 彼にはおやすみと言ったが、あの顔が頭から離れずにいるので、どうしても寝れなかった。ならば今日やりきれなかった分の研究をやってしまおうという事で取り敢えず研究室に来たはいいが、いまいち研究に没頭できず、フラスコを片手にまた彼について考えるのであった。

 

(…あの時…)

 

彼がその時に話してくれた彼の能力。彼の『昇華する程度の能力』は、文字通り全てを昇華して自分のものにできると言っていたが、それだと説明がつかない部分がある。

 彼は私と最初に会った時、彼は能力の事を全く知らなかった筈だ。しかし、彼は気絶するほどの頭痛を伴って私の知識を昇華した。それはつまり、無自覚に能力を過度使用してしまったということだ。流石に私の知識は量が多かったらしく、一ヶ月も昏倒してしまったが、調べたところ、彼の脳には100年分と少しの容量が使用されていた。許容量は測定できなかったが、恐らく、彼は脳細胞の性能が異常に良い。それこそ、化け物じみた性能だ。本当に私の知識を得たのなら、100年なんてちゃちな数字じゃあ決して収まらない量が彼の頭の中に流れ込んでいる筈だ。

 脳は能力の副産物でこうなってしまったんだろう。ミリ単位で軌道を修正して対応する闘い方なんて聞いたことも見たことも無い。これはもしかしたら…頭脳においても戦闘においても、私が劣っているかもしれない…。

 

「…はっ、研究の続きをしなくちゃ」

 

 いけないいけない。変に彼の事を考えていたらいつの間にか時間が経っていた。最近彼の事を考える頻度が増えてきた気がする。何故だろうか。

 

 彼の能力のせい?彼と…ど、同棲してるから?それとも…

 

「………そ、そそそうだわ!この液体をこのフラスコに入れて!」

 

 心頭滅却。今は気にしないことにしよう。さぁ、早速研究の続きをしよう、うん!よし、まずはこのフラスコにこの液体を…

 

「…あ、これ駄目なやつだったわ」

 

 

 

ボンッ!!

 

 

 

 緑と紫の液体がガラスの筒の中で混ざり合い、赤色に変色して爆発を引き起こした。軽い音が響き渡り、フラスコは木っ端微塵に吹き飛んだ。幸い、私自身に被害が及ぶ前にフラスコを投げたので私は大丈夫だったが、部屋の一角が大変な事になってしまった。

 

 駄目だ。これでは出来るものもできない。一旦落ち着いてから研究を再開しよう。そう思い立ち、私は窓際にある椅子に腰掛けた。ここからは都市から押し付けられた豪華な庭がある。三日に一回くらいの頻度でここに手入れをしにくるので、庭の美しさは常に保たれている。こんなもの私はいらないのだが、これも周りに威厳を示すためなので仕方がない。

 

「修司が来るまで休憩しましょう」

 

 彼はきっと私がまた深夜に研究しているのを知っている筈だ。彼はそれを見越して、毎回暖かいお茶を持ってきてくれる。その暖かさが毎晩私は嬉しくて、研究が捗るのだ。

 もうそろそろ来てもおかしくはない。ついでに吹っ飛んだ部屋の掃除をやってもらおう。居候の身である彼は断れない。これでも原因の半分は彼にあるのだ。これは横暴でもなんでもなく、罰だ。

 

 そうだ、少々煙たいので、窓を開けて換気をしよう。

 

ガチャ…

 

 夜風が気持ちいい。入ってくる風は優しく頬を撫で、モヤがかかった私の心身を清めるようだった。迷いを払拭するようだったが、結局そんなことはなく、頭の片隅には彼の顔が見え隠れしていた。

 

「…そういえば、ツクヨミ様の件、どうしようかしら」

 

 私の頭を悩ませるもう一つの問題。それは、この都市のトップ、ツクヨミ様から言われたことだった。私が彼を連れ帰った時、彼を都市に住まわせたいと彼女に願い出たのだが、その時に、彼に会いたいと言われたのだ。彼女自身に誰かが謁見するのは不思議ことでは無い。しかし、彼女が自ら誰かに会ってみたいなどと言うとは、私も予想外だ。彼女は、あまり人に会うような性格ではない。故に、人間で彼女と直に顔を合わせたことがあるのは私くらいだ。だが彼女は、会うのは私のタイミングでいいと言ってくれた。時期が来れば、会わせてくれ、そう言われて、私はその場を後にした。その気になれば、起きた瞬間に彼女の元へと引っ張ってっても何ら問題は無いのだが、そういう権力を使った理不尽は彼女も良くは思っていないようで、そこに彼女の素晴らしさを垣間見た。

 

 いつでも言いとは言っていたが、そろそろ会わせてもいいんじゃないだろうか。彼も十分都市に馴染んだだろうし、あれ程の胆力があれば、神を前にしても物怖じする事はなさそうだ。

 

「…遅いわね…」

 

 来ると確信していたのだが、彼はいつまで経っても来なかった。別に頼んでいるわけではないので来ないのが普通なのだが、この彼との深夜の一時が、私にとってとても安らぎになっているのは事実だ。なので来なかったら、ちょっと寂しい。

 

「まだかしら……あら?」

 

 諦めきれずに彼を待っていると、ふとした視線に彼の姿を認めた。

 

「なんで庭にいるのかしら」

 

彼は門近くのベンチに腰を下ろして一人月を見上げていた。こんな夜更けに何をしているのだろうと思い、彼も同じように思考に耽っているのかと結論を出した。

 

(でも、なんでそんなに悲しい顔をしているのかしら…)

 

気になるのは彼の顔だ。まるでこの世の嫌悪をその顔に体現したかのような歪んだ表情をしており、憂いを帯びたその空気は、私のところまでしっかりと届いていた。

 と、まじまじ彼を見ていると、不意に彼の零した声が耳まで入ってきた。

 

 

 

 

「こんな自分……消えてしまいたい…」

 

 

 

 

 彼からの全く予想外の言葉に、私は驚いた。消えてしまいたいとは一体どういうことか。彼が自身を卑下する理由はない筈だ。私は彼の言葉の意味が分からなかった。声音からは、彼が本気でそう思っていることがヒシヒシと伝わってきた。これまでの彼からはそういうのは一切感じられなかった。あるいは、私には意図的に隠していたのだろうか。私に心配をさせないため、わざと虚勢を張っていたのか。

 

(…なにも隠すこと、ないじゃない)

 

彼の負担を軽減してあげたい。背負えることは出来なくても、彼を支えることは出来る。彼が私にしてくれたように、私も彼に何かしてあげたいのだ。だが、これは恩返しではない。なにも貸し借りでそんな事を思っているわけではなく、何故だか、無償で彼に何かをしたいのだ。

 再三言うが、この感情は一体何なのだろうか。今までに経験したことが無い正体不明の思いに戸惑うが、どうしても分からない。

 

(…これが分かる時は来るのかしら…)

 

爆発四散した部屋の一角と、未だに解けない問題が山積している書類の山を見やり、そして嘆息する。彼が来てからというもの、なかなか仕事が捗らない。捗る時といえば、彼からアドバイスをもらった時くらいのものだ。会話の中で不意に専門的な話になっても対応してくれる博識な人は彼をおいて他にはいないだろう。…ん?

 

(ちょっと待って…。修司は私の知識を昇華したのよね……なら、現時点の打開策はおろか、その先の結果まで分かってるんじゃないの!?)

 

 

 音を立てて椅子から立ち上がった永琳はバッと振り返って外にいる彼を見た。相変わらずベンチを座って俯いている。

 

 彼が帰ってきたらその事を問い詰めようとして、永琳はその考えを捨てた。

 

「…いや、修司にせがんでも、絶対に教えてはくれないわね」

 

彼は非常に努力家だ。彼が毎朝きついトレーニングをしているのを私は知っているし、毎日私の書庫の本を読み漁っているのも知っている。逆に、彼が何かしていない時を、私は見た事が無かった。あの生粋の努力家である彼が、何故今まで行き詰まった時に最小限のアドバイスで留めておいたのか、それは、私に、努力してその答えを勝ち取れと言いたいからだ。確かに、努力せずに得た答えよりも、必死に考察して、実験してから得た達成感はとてもいい。研究に意欲が湧くし、何より楽しい。

 彼は暗に、私にもっと頑張れと言っているのだ。そのために、彼は毎回お茶を持ってきてくれたり、家事を請け負ってくれたり、出来る限りのサポートをしてくれている。ここまでやってくれているというのに、当の本人が成し遂げられなくては、それまでサポートしてくれた彼に申し訳ない。

 

「…もうちょっと頑張りましょうか」

 

 窓際から離れて、もう一度(問題)で溢れかえっている机へと向き合う。フラスコが二つ、緑と紫の液体で満たされている。

 

「さっきは間違えちゃったけど…」

 

新しいフラスコに、試験管立てに入っていた試験管の黄色の液体を少量流し込み、そこに緑を半分入れ、紫を一滴注ぎ込んだ。

 すると、今度は爆発せずに、綺麗な青色をした液体が完成した。それを検査機にかけて調べると、可燃性がある液体であることが分かった。

 

「やった!成功よ!」

 

 これがあれば、火力発電所で使用している燃料費が大幅に改善される。しかも、コスパが非常に良く、色々な場面で応用が効きそうだ。おまけに、炎色反応がこの上なく綺麗な空色だ。

 私の能力で作れるのは薬のみで、しかも材料が必要。それは説明した筈なのに、周りは私を何でもできる万能人だと思って何でも頼ってくる。たまには自分で考えて開発すればいいのに、開発費を渋って、適当なご機嫌取りの言葉を並べ立てて、「気長に待つよ」と言うのだ。だが、そういう奴に限って、一ヶ月くらい経つとまだできないのかと小言を言いに来る。そういう奴は、決まって上役を務めている上司の腰巾着だ。全く…溜息しかでない…。

 

「これで暫らくお休みね。何をしようかしら」

 

 明日は一日中暇だ。…ここで普通の女性なら、何処かいいお店や楽しい遊び場でも頭の中に思い浮かぶのだが、生憎そういう浮いたものとは全く縁がない。本当の意味で暇だ。

 

(何か………あ)

 

 ここで、丁度いい(修司)がいるのを思い出した。そうだ、彼と居ればいい。特に何も思いつかないが、彼がいれば何かする事でもあるだろう。彼が嫌な顔をすれば、家主命令でも使えばいい。うん、なんといいアイデアだ。

 

 

ガチャ…

 

 

「永琳?まだ研究やってたのか?…ほら、お茶」

「え、えぇ、ありがとう…ふふっ」

「ど、どうしたんだよ」

 不意に修司が入ってきた。両手にはお盆を持って、その上にお茶を二つとポットを乗せている。彼は先ほどの悲しい表情を全く感じさせない朗らかな笑みを向けてくれた。それが何だかおかしくて、不謹慎にも笑ってしまったが、不可抗力だ。

 彼がソレを隠すならそれもよしとしよう。今はそれでいい。いつか、本当に私を信用してくれた時、話してもらうから。

 

「いいえ、何でもないわ」

「変な永琳だなぁ…。あ、その液体…」

「そう、完成したのよ。明日から暫らくお休みよ」

「良かったね、おめでとう」

「わっ!?」

 

不意打ち気味に彼から手が伸びて、私の頭をそっと撫でる。最初はびっくりしたが、それも慣れ、目を細めてされるがままになっている。手が離れ、少し残念そうに彼を見るが、彼はそれに気付いていないようだ。

 

「ねぇ、明日、私と過ごしてくれない?」

「ん?折角の休みなんだから遊んだりすればいいじゃないか」

「…それ、皮肉で言ってるのだとすれば相当よ」

私のジト目を華麗にスルーして、修司は笑う。

「ごめんごめん。いいよ、明日は何をしようか。と言っても、僕は都市の娯楽なんか露ほども知らないんだけどね」

「あら、あなたが知らないなら私達は明日何をするっていうのよ」

「そうだなぁ…」

 

 深夜の豪華絢爛な豪邸の一室。その風貌とは似ても似つかない研究室で、二人の男女が明日の話で笑い合う。こんな非凡で平凡な日常を幸せに思いながら、乙女な女性はお茶を一啜りするのであった。

 

 




 はい、という訳で今回は、永琳が自身の抱いている気持ちについて考察し、そして修司をどんなことがあっても『信じよう』と思う回でした。ついでに恋心の存在を認識してもらいました(本人はまだ認めていませんが)。

 修司は正確無情な戦闘をメインとしているので、単純な攻撃だったらすぐに組み伏せられてしまいます。ぶっちゃけ頭脳戦では負けることがないでしょう。

 栄えある一人目の原作キャラである八意永琳ですが、彼女の設定は出来るだけ原作通りにして、ちょちょいとあちこちを弄った程度に止めています。
 好きになる理由も、そこから想像したありきたりなものになっていますね。ハーレムタグ回収のために必死こいて頑張る作者の姿が目に浮かびます。

 不自然にならないをモットーにしているというのにこの体たらくですよw

 まぁ、自分を貶めるのもこれくらいにして、あとはひたすら完結目指して突っ走って行きますよ!!!


 お気にいり登録ありがとうございます!

 コメントありがとうございます!


 それでは次回をお楽しみに!


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5話.ありきたりな一日と緩やかな時間

 はいどうも!!
 今回はタグの「ノロケは試練」の回収回です。と言っても、それは作者が自分に向けて言ったメッセージのようなもので、皆さんが画面を見て悶え苦しむ訓練ではないので軽く読めると思います。

 作者はどうしても、甘々でラブラブな恋愛系や、ほのぼのゆるゆるな日常系が書けません。だから試練なのです!!w

 努力はしてるんですがね~……トホホ


 ではほいどうぞ。


 薄暗い室内で目を覚ます。

 

「ん……ふぁぁ…」

 

前の世界では朝が嫌いだったらしく、ここに来てから最初の頃は朝に対して濃厚な殺意を感じていたが、永琳と過ごし始めてからはそれが軽減された。寧ろ、永琳の寝顔を拝見するために早起きするのが楽しいくらいだ。トレーニングの時間も楽しめるようになったし、誰かと話すのも苦じゃなくなった。

 さて、今日は永琳と一緒に過ごす日だ。だがお生憎様、僕は彼女を楽しませれるような場所は知らない。なので何をしようか非常に困っている。万能と言われたこの能力も、今回はお役御免だ。

 

「取り敢えず起き…」

 

 仰向けのまま考えてても寝てしまうだけだ。折角の永琳と二人きりの日だ。二度寝なんて勿体ない。

 

 

 

(…ナニコレ…)

 

 

 

 だが、僕の起床を阻害する何かが僕の隣で安らかな寝息を立てていた。病院から出て都市を見た時もこんな台詞を言った気がするが、今はそんな事を思い出すよりも、この意味不明な現状をどうするかに全力を尽くした方がいいと判断し、そのかわいい寝顔に顔を向ける。

 

(…永琳、何してるんだ?)

「すぅ…すぅ…」

 

 待て、昨日の出来事を正確に思い出そう。まず、朝は普通に過ごした。そして、昼から防衛軍の施設に赴いて、あの大男と闘った。帰ってからは、能力の説明とかをして、そのまま夜に。ベンチで一頻り黄昏た後、永琳が居るであろう研究室にお茶を持って行って、その後取り留めのない話で盛り上がって、永琳の今日の約束をして別れて、そして最後に就寝。うん、何もおかしいところは無い、皆無だ。

 

(お酒も飲んでないし、まず僕は未成年だ。こっち方面に度胸が無い僕がこんな大それた事をする筈がない)

 

布団を捲って、事後かどうかを確認する。双方服装の乱れは無いし、何かがあった痕跡は無い。そんな当たり前の事に修司は大いに安心し、思わず息を吐く。

 永琳は仰向けで真っ直ぐ寝ているので、特に不自然な点はない。強いて言うならば、夜中まで研究室に篭っていた筈なのに、何故か寝間着を着ていることだ。僕達は深夜まで何かをしている事が多いので、風呂は朝に入ることが多い。そして、寝間着は夜に風呂に入った時位しか着ない。つまり、寝る時は大体普段着で寝る。制服で寝るとかこれ如何に。決して徹夜しまくりの廃人ではないのであしからず。一応24時間の内に一回は風呂に入るようにしているし、三食キチンと食べている。毎日最低二時間は寝るようにしている。

 

(僕が寝た後に風呂に入ったのかな?)

 

彼女からほんのり香るいい臭いが鼻腔をくすぐり、彼女が女性である事を再認識する。いや、今まで女性として扱ってなかったわけではないが、ここにいることに対して僕が過剰に“女”を意識してしまっているのだ。別段、何をするわけでもないが、このままなのは非常に(まず)い。

 彼女の顔を拝んでいると、不意に彼女が身じろぎをした。

 

(っ!)

 

咄嗟に天井に顔を向け、右側で起こっている衣擦れの音に耳をそばだてる。

 

「ん…修……司…」

 

 寝言で僕の名前を零した。一体何の夢を見ているのかがとても気になるが、夢に僕が出て来ている事に少し嬉しさを感じた。

 とは言え、このままダラダラと横になっているのはよろしくない。気が引けるが、永琳を起こすとしようか。

 

「お〜い、永琳?朝だよ、起きて」

「ん〜うぅ…」

「起きてってば〜。今日は折角の休みでしょ?」

「うぅ…あと五分…」

「そんな事言って、一時間寝たのを僕はしっかり覚えてるんだよ?ほら、早く」

 

こんななりだが、僕が居候する前はしっかり定時に起きていたらしい。僕が起こすから心置き無く寝ているのだと言うが、この生粋のねぼすけは僕より前には既に発動していたような気がする。堂に入ってめんどくさいからだ。この攻略は至難の技だ。

 

「起ーきーてーよー」ペチペチ

 

 右手を伸ばして永琳の頬を軽く叩く。これは今まで失敗したことが無い必殺技だ。

 

「う〜ん?あら、おはよう」

「おはよう、永琳」

 

ほら、しっかり起きてくれた。今度からは毎回こうやって起こそうかな。

 

「永琳、なんで僕のベッd」

 

 だが、今回は失敗してしまったようだ。僕が言葉を言い終える前に、彼女が僕に抱きついてきた。

 

「え、えっ!?」

「あなたも手を回して…?」

 

突如としてベッドの上で正面から抱きつかれ、僕は思考がショートしそうだった。僕が仰向けに寝ているので、彼女はその上に乗っかり、ベッドと背中の間に両手を回して身体を余すところ無く密着させる。

 

(え、ちょ、待て待て待て待て待て!これは流石にヤバイって!)

 

身長は僕の方が断然上なので、彼女は僕の鎖骨の辺りに顔を埋めて、決して、お世辞にも小さいとは言えない“それら”が僕の胸に当たる。何が…とは言わない。言ったら負けだと思ってる。

 締め付ける力が強くなり、より永琳と身体が密着する。早く腕を回せということだろうか。

 

「ちょっと永琳!これはヤバイって!」

「いいから早く」

 

狙ってるのか…狙ってるのか…!?

 

「やらないと起きないわよ」

「ぐっ……!」

 

 思春期の男にはこれはかなりくるものがある。早く終わらせて、何か体を動かしたい。何かしてないとおかしくなってしまいそうだ。

 

 ゆっくりと腕を伸ばし、永琳の背中を優しく抱く。頭の中で必死に(これはセーフだ…これはセーフだ…)と自己暗示をかけ続け、煩悩を弾き飛ばす。起きたてでモヤがかった思考が吹き飛ぶくらいに脳内が活性化し、できるだけ早くこの拷問を解除する方法を思案する。

 

 この状態が解除されるのは、この時から約30分後だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 やはり永琳は昨日風呂に入ったというので、僕はサッと風呂に入った。決して永琳が乱入してこないように、扉をその場にあった物で頑丈に固め、彼女自身にかなりきつく言い含めた。こうでもしないと、今の彼女では本当に風呂に入って来かねないからだ。念には念を入れるに越したことは無い。

 風呂から上がって永琳を探す。言い忘れていたが、昨晩彼女は、風呂に入った後、研究室から自分の部屋よりも僕の部屋の方が近くて手っ取り早いという理由で僕のベッドに入ったそうだ。今朝のあれは完璧に寝ぼけていたらしい。僕が見たところでは、完全に起きていたように見えるけど、彼女が言うならばそうなのだろう。だが、反省したと言ってはいるが、広報端末に目を落としながら片手にコーヒーというモーニングな雰囲気から言われても、全く反省している気が見えない。

 永琳を探して、いつも僕達がご飯を食べるところまでやって来たが、ここにも永琳は居なかった。なら何処にいるのか…と、候補を絞り込んでいると、何やらキッチンからガチャガチャと音がする。

 

「永琳?そこにいるのか?」

 

 僕がキッチンに顔を出すと、そこには、調理器具を取り出している永琳の姿があった。いつもの赤青の服装にエプロンという、なんとも似合ってるのか似合ってないのか微妙な格好だが、この際、それはいいだろう。問題は……

 

「永琳……何してるの…?」

 

昨日見たキッチンとは似ても似つかない散らかった室内だった。

 

「え、えっと…料理…?」

「普通料理で器具は床にばらまかないよ…」

「うっ…折角私が朝ご飯を作ろうと思ったのに…」

 

前に言ったかもしれないが、彼女は料理をあまりしない。そして、一人暮らしをしていた時なんかは碌な料理をしなかったそうだ。居候初日に一回永琳の料理を味わったことがあるが、結果は…まぁ、なんだ、“普通”だったとだけ言っておく。

 永琳がペタンと座り込んで、長い溜息をつく。ぶっちゃけ溜息をつきたいのはこっちの方だ。この片付けは相当大変だぞ。

 

「ほら、諦めてないで、片付けよ」

「…えぇ、そうね………はい」

「…?」

 

近寄った僕に永琳が手を差し出してくる。今度はなんだと言うのか。

 

「手…」

「あ……はい、どうぞ」

 

上目遣い&涙目の永琳に耐えかねて、修司は横を向きながらその手をとった。それを見て永琳が笑い、修司は拗ねる。

 彼女が完全に立ち上がったのを確認すると、彼は手を離して彼女から離れようとしたが、彼女はそのままわざと彼に倒れ込んできて、わざわざ避けるわけにもいかず、修司はそれを体で受け止めた。

 

「わっと…。永琳どうしたんだよ」

「何となくよ、何となく」

 

微笑みながらさっきのように抱きついてくる永琳。彼女の行動に驚くよりも怪訝に思いながら、それを無碍にするのは彼女が可哀想なので、されるがままになっている。

 

「今日の永琳、何だか変だぞ?」

「そうかしら?」

 

だが当の本人は飄々とその言及を躱し、彼から離れると、キッチンを片付け始めた。修司は腑に落ちない答えに歯がゆさを感じながらも、彼女に続いて辺りの散らばった食器やらを集め始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、僕は彼女が作った料理を食べた。途中僕がアドバイスをあげたのもあって、なかなかいい出来になった。永琳はこれに満足したようで、かなり上機嫌になっている。

 今なんて、彼女が隣で僕の腕を取って寄り添っているんだ。それも、家の庭のベンチで。下手したら通行人に見られるかもしれないし、しかも、今日は庭師さんが来る日だ。と言うか、今現在進行形で庭師さんが庭の手入れをしてくれている。僕達の方をチラチラと見ながらハサミで垣根の枝をチョキチョキ切っている。そして、時折ニヤリと笑うんだ。もう僕のSAN値は限界まで削れちゃってるよ。これ以上僕にダメージを与えて何になるってんだ。今日は早朝からパニックの連続でいつなんどき何が起こってもおかしくないぞ。

 あぁ、隣で永琳が微笑みながらこっちを見てくる。思春期の僕には刺激が強過ぎる。その上目遣いは反則だ。そんなものをそこらの男子に見せたら卒倒ものだろう。都市をブラブラ歩いてみて分かったが、やはり僕の感性から見ても、永琳は相当の美人だ。それこそ、僕が永琳の家で一つ屋根の下居候しているのがおこがましいくらいだ。

 

「…なぁ、永琳」

「ん?何?」

 

 永琳がにこやかに返答をする。

 

「どうしたんだ?今日は本当に変だぞ?」

 

麗らかな昼近くの庭。庭師がわざと僕達の近くで作業をし、わざと視線を送ってくる。(よわい)は知らないが、外見は普通のおばさんに見えて、口調は何故かお婆さんな彼女。会う度に談笑しているが、彼女はなかなかに話し上手で聞き上手だ。彼女と話して悪く思う人はいないだろう。

 その彼女が、僕の言葉に反応して声をかけてきた。

 

「ちょっとちょっと、白城さんや、あんた、分からんのかい?」

「え?分からないって、何がですか?」

 

僕が頭の上に「?」を浮かべると、庭師は大袈裟に溜息をついて首を横に振った。永琳は頬を膨らませてそっぽを向いている。それを見て庭師がほっほっほと笑う。何なんだ…一体何なんだよ…。

 

「八意様、私はこれまで色々な物を見てきたつもりですが、ここまで難航したパターンは初めて見ましたよ」

「千代さん、変な事を言わないで。これはそんな事じゃないわ」

「おや?そんな事とはどういう事ですかな?」

「ぐっ…」

「えっ?えぇ…?」

 

イマイチ状況が呑み込めない修司の目の前で何やら分からない話をしているようだ。あれか、子供にはまだ早い話ってやつか。言外に含まれた意味で闘っている永琳と庭師の訳の分からない会話に全く付いていけず、修司は腕を拘束されたままなので逃げるに逃げれなかった。

 

「これは……そうよ、検証よ」

「ほう?何の検証で?」

「それは……あれよ」

「あれとは?」

「……もういいでしょ、修司、お昼にするわよ」

「へ?ちょ、えぇぇぇ!?」

 

 まだ昼にするには少し早い時間だ。それと、腕を掴んで引っ張っていくのは止めて欲しい。ほら、千代さんが笑ってこっちを見てるし、何よりも猛烈に歩きづらい。その事を永琳に言ってもやはり無視されてしまい、結局半ば引きずられる形で家へと戻っていった。最後に千代さんが零した言葉は、一陣の風によってかき消されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「検証…ですか。それは恐らくあなた様の予想通りだと思いますよ?八意様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓から庭師が仕事に戻っていくのが見える。ドアを閉じてまたキッチンに篭もり始めた永琳に嘆息しつつ、やっと開放された右腕をグルグル回す。今日は朝のトレーニングもやれてないし、永琳に調子を狂わされてばっかりだ。それに、折角の休日なのに、まだ特別な事を何もやれていない。かと言って何かをしてあげれる訳では無いのだが、そういう問題ではなく、何も出来ないことが嫌なのだ。

 本当に今日の永琳はどうしてしまったのだろうか。いつもの大人な雰囲気が消え、まるで少女に逆戻りしたような錯覚に囚われる。このデレっぷりは、僕の人生で一度も感じたことのないものだ。そもそも、女性からそんな事をされるなんて、どこかのゲームの中でしか見たことが無かった。記憶が無くてもこれだけは断言出来る。

 

「僕はきっと、超モテないダメ男だったに違いない…」

 

記憶を失う前は、きっと女の子が避けて通るような冴えない男だったに違いない。女性と会話した経験なんて数えるほどだろうし、こんな事をされるなんて夢のまた夢だろう。確証が無いので今日を素直に喜ぶことは出来ないが、戸惑いを除けば………うん、ちょっと嬉しい。

 

(って、何を考えてるんだ僕は!永琳は僕のことなんかただの居候としか思ってない筈だろ。高望み甚だしい!)

 

 こんなヒョロヒョロなもやし男なんて誰が好きになるか。僕が女だったとしても、僕みたいな男はお断りだ。頼りないし、ヘタレだし、もやしだし…。なんか、自分で言ってて情けなくなってきた。これ以上自分を罵るのは止めておこう。

 

 

「修司ー!ご飯出来たわよー!」

 

 

 どうやら早めの昼が完成したらしい。永琳の事だから、きっとまた微妙なんだろうなぁ…。

 

(でも…)

 

 味は微妙だし、見た目は崩れているし、盛り付けは雑だ。でも、不味いと思った事は一度も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 昼食を食べ終え、修司と永琳は日の当たる二階のベランダから、庭師が手入れしたての庭師を眺めていた。なぜこんな事になったかと言うと、「さて、今日は何をしようか」と、僕が言い、彼女が、「取り敢えず、今日はゆっくりしたいわ」と返し、それならば二階のベランダが妥当ではないかという結論に辿り着き、現在に至るのだ。

 色々と物申したいのは分かる。何故昼にそんな会話が出るのだとか、一日中家でのんびりしているつもりかとか、そんなのは全て受け止めても尚、ベランダという意見が通ったのにはちゃんとした訳があるのだ。

 

「時間の流れがゆっくり感じられるわ…」

「僕もだよ。最近は目まぐるしく日々が過ぎていったからね。またにはこういうのもいいね」

 

 そう、僕達は最近、やることが多すぎて、まるで下っ端のサラリーマンのような感じに色々とやる事が山積していた。永琳は研究と上役との会議や交渉。僕は家の家事と永琳の研究の手伝い。気付けばもう日が落ちていた…なんて事はざらにあり、徹夜もそれなりに経験した。時間の感覚がおかしくなり、永琳と共に庭師に注意された事もある。少々お節介な庭師だが、この都市にはなかなかいない人材なので、永琳も僕もかなり助かっている。

 そろそろ息抜きが必要だと思っていたところに永琳の休みが入り、これ幸いと便乗して僕も休んだ。僕の仕事は永琳に関係している事が殆どなので、永琳が休みなら僕も休みだ。

 やはり、休みだからどこかに出向くなんて典型的な考えは捨てるべきではないか。ゆっくり一日を感じられるのは新鮮でいい。

 

 空を見上げれば見えるのは緩やかに流れる雲。その流れを目で追っていると、ここが防壁に囲まれた未来都市である事を忘れることが出来る。壁の中でくらすなんて想像も出来なかったけど、案外狭苦しいものだ。だが、視界一杯に青い空を映し出すと、やはりこの世界は無限に広がっているのだという事を再認識し、同時に自分がこの広い全ての一部である事を感じられる。

 心地いい風が頬を薙ぎ、隣に座る女性の美しい銀髪をいたずらに揺らす。以前の僕ならばこんな事を感じる前に全てから目を背けていただろう。見えるもの全部が恐ろしくなり、逃げるという選択肢を迷わず選び、周りからなんと言われようと頑として再び手を伸ばすことを拒絶したあの頃。事実、今があの頃から改善されているかと言われれば、それは否、と答えるだろう。

 だが、変わったことも、ある筈だ。自分が気付かないだけで、本当は良くなっていると思う。そう、“信じたい”。

 

「こうもいい日だと、眠くなってくるわね」

「そうだね」

 

彼女が僕の肩に頭を寄り掛からせ、腕を絡ませてくる。ここまで来たらもう恋人の所業じゃないか。もうパニックになることは無くなったが、それでも困惑の念は拭い去れない。

 

「どうして…」

「ん?何か言った?」

「…いや何も」

 

 二の句を呑み込み、永琳に気にするなと言う。ずっとくっ付いてきて一体どうしたんだと言いたいが、その問いはもう朝から何回もやり、全てをはぐらかされている。今更答えがもらえるとは思っちゃいない。僕が訊きたいのはもっと別の事だ。

 だがその思考は、突如として僕の膝の上に乗せられた彼女の頭によってかき消された。

 

「永琳?どうしたの?」

「見て分からない?膝枕よ」

「それって普通逆じゃ…」

「いいじゃない。今日一日家主命令で私に付き合ってもらうんだから、これくらいは当たり前よ」

 

そんな事は初耳だ。命令である以上逆らえないが、最初に僕に今日の予定について言ってきたのは永琳の方じゃないか。だから朝から頑張って行く場所を探していたのに…。

 

「ふぁぁ〜。このまま寝ちゃってもいいかしら」

「ご自由に。僕はこのままでも大歓迎さ」

「ふふっ、嬉しいわね。じゃ、お言葉に甘えて…」

 

 永琳は微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。

 銀の編み込まれた髪をくゆらせて、僕の膝で綺麗な家主さんが幸せそうに寝息を立てる。こうしてると、ただの女性にしか見えない。

 

(…永琳は、本当に頑張ってるなぁ)

 

つくづくそう思う。彼女の仕事量は常人の何倍もあり、できるだけ分担してあげたりしてはいるのだが、それでも毎日仕事に追われる日々。よくこんな職場でこれまでやってきたと賞賛するに難くない。普通ならこんなブラック企業速攻で辞めてもなんの文句も言われないだろう。

 

(…今後の参考までに、やっぱり調べておくか)

 

 いつも持ち歩いている情報端末を取り出し、電源を入れる。立体的な顕現を可能にした最新型で、端末を触って操作することも出来るが、直接空間に出現したホログラムを触って直感的な操作も出来るという、優れものだ。

 

(えっとまず…僕でいうネットを開いて…)

 

所々で言葉の違いを知らしめられるが、そこは随時学んでいけば問題無い。僕の知っているインターネットに相当するソフトを起動して、そこから欲しい情報を検索する。

 

「……あ」

 

 検索をしようとしたら、そこに広告として防衛軍の勧誘ポスターが貼ってあった。

 

「防衛軍……か……」

 

悩ましい。永琳の手伝いもあるし、僕はあそこで悪目立ちし過ぎた。入りたいのは山々だが、色々と問題が起こるんだろうな…。

 

 でも…と、修司は右手を見る。

 

 僕はここが好きだ。永琳のいる、この世界が。だから、それを護るために、僕は力をつけなければいけない。

 そう、僕の本能が訴えている。大切なものを守り抜けと、頭を叩いてくる。

 

(…起きたら、話してみようかな…)

 

 眼下に横たわる可愛らしい彼女の頭をそっと撫で、銀の髪を梳く。庭師は既に仕事を終えているので家路についているだろう。よって、この現状を盗み見る不埒な輩は誰一人としていない。

 僕は、永琳が僕にしたように慈愛に満ちた微笑みで努力家の彼女を見、そして空を見上げた。

 

 こんな日々が、永遠に続きますようにと、願いを添えて…。

 

 

 

 

 

 

 

 この後永琳が起きたのは夕方だった。僕はこの麗らかな日差しに当てられ、不覚にも眠ってしまい、僕の寝顔を思いっきり晒すことになってしまった。僕が起きるまで永琳はそのままの状態で待ってくれ、起きた時に彼女に散々笑われた。僕はそれに顔を赤くしながらも、早速話を切り出すことにした。

 

「…こほん、それはそうと永琳」

「どうしたのよ、改まって」

「その……」

 

放ったらかしにしていた端末を仕舞い込み、起こした永琳に真剣な顔を向ける。その雰囲気に合わせて永琳も顔を引き締め、僕の話に耳を傾けてくれた。

 

 

 

 

「…防衛軍に入っても、いいかな…?」

 

 

 

 

「…えらく唐突ね。昨日のあれで入りたくなったのかしら?」

「それもある…。でも、理由はもっと他にあるんだ」

「理由って?」

「……この都市を…永琳を……護りたい…」

 

 これに永琳は目を見開き、その驚きを素直に表した。呆気にとられているのか、それともそんな理由で入るのかと思っているのか。

 

「修司…」

「なんだい?」

「私は、これでも強いわ。あなたに護られる必要はほぼ無いし、都市も防衛に関しては人手不足でも鉄壁のAIがいる。そう簡単に破られるものじゃないわ」

「それは分かってるでも…」

 

 口に指を当てられ、その先を言えなくなってしまった。

 

「でもね?女性は普段とてもか弱いの。そんな私を護ってくれる騎士(ナイト)が必要ね」

「え?それじゃあ…」

「えぇ、入ってもいいわよ。元々、私の方から持ちかけた話だもの。そもそも断る理由が無いわ。研究の手伝いも家にいる時だけでいいわ。わざわざ戻ってこなくていいわよ、しっかり鍛えてらっしゃい」

 

 指を離して永琳は僕の頬に手を添え、優しくそっと首まで指を落としていった。

 

「その代わり……頑張ってね?」

「永琳……ありがとう!」

「きゃっ!?」

 

感極まって、思わず永琳に抱きついてしまった。朝からの立場は完全に逆となり、今は永琳の方がアタフタする番だ。

「ちょ、ちょっと!?」

「いいじゃないか、永琳も朝からやってただろ?」

「それとこれとは────」

「────話は別じゃないよ、永琳」

「み、耳元で囁かないで〜!」

 夕暮れに一人の女性の声がこだました。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 罰として晩ご飯は僕が作ることになった。別に、いつも僕が作ってるから罰になってないのだが、それを永琳が分かってないわけがないので、敢えて無視することにする。

 今日のご飯も非常に好評だ。先程まで拗ねていたのが嘘のように機嫌が戻り、女性の気分はまるで野良猫のように気まぐれだなと思った。

 そんな野良猫さんの髪を櫛で丁寧に梳いていると、彼女は目を細めて気持ちよさそうに椅子に座っているのであった。素直な永琳はなかなかお目にかかれないので、この時間は結構貴重なものだったりする。お風呂上がりの湯気が出ている女性の髪を梳くのは記憶を無くす前では全く経験していなかったようで、最初は下手の極みだったが、それは既に昔の話だ。今の僕は、女性の世話に関しては絶対的な自信がある。気難しい永琳が満足しているのだ。他の女性にやっても絶対に太鼓判を押されるのは間違いない。他の人にやるつもりはないが。

 

「はい永琳、終わったよ」

「もうちょっとやってくれないの?」

「だーめ。今日はちゃんとした時間に寝ようって言ったの、永琳でしょ?」

「む〜」

 

 ジト目&上目遣いで睨んでくるが、努めて無視を敢行する。靡かない僕を諦めたのか、永琳は椅子から立ち上がり、一言おやすみと言うと、そのまま振り返らずに私室へと行ってしまった。

 そんならしくない永琳に一抹の不安を感じつつも、周囲の用事を済ませた後、僕も床に就こうと部屋に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドに寝ながら天井を見つめ、僕は今日の奇妙奇天烈な一日を振り返った。

 

(今日の永琳は…やっぱりおかしかったよな…)

 

そう、一番気にかかるのは、他でもない永琳の事だった。朝からグレーな行為に始まり、常に腕を絡ませて付いて来て、そのままだと散歩にすら行けないので困り果て、庭でゆっくりしようとベンチに座っていると、今度は庭師の千代さんにからかわれ、次は二階のベランダで逆膝枕。他にも色々なアレコレがあったが、それは流石に割愛させてもらう。大方想像通りの事をしていた…とだけ言っておこう。

 

 

ガチャ…

 

 

 と思考に耽っていると、突然ドアが開く音がした。そこから殺気を感じなくても習慣からいつでも迎撃できる体勢にして、その人物が来るのを待った。

 

「修司…」

 

だが、その危惧は杞憂に終わった。その声は正しく永琳であり、気配から敵意が無いことを確認した。

 だが、何故永琳がここに来た。朝の事は理由があるから説明がつくが、これはてんで予想がつかない。

 僕が返答に困っていると、永琳は更に近づいていき、僕のベッドに入り込んできた。

 

(!?)

「お邪魔するわ…」

 

背中を向けて寝ている僕からは彼女の顔が見えないが、きっと寝ぼけているのだろう。意識が朦朧として、朝のようなことを想像していたらこうなったとか。それか、怖い夢でも見て子供のように僕の所に逃げてきたんだろ、そうだろ。そうだと言ってくれ。これは決して故意じゃないと。もう僕の心臓がバクバクと警鐘を鳴らしているんだ。朝のハプニングとは違って、今回は最初から意識がある。それが僕の心臓を更に加速させ、きっと心拍数は余裕で危険値だろう。

 

「ねぇ、寝てるの?」

「……」

 

 これは今日一番で破壊力がある。緊張のあまり口をパクパクさせるだけで精一杯だ。それを就寝していると勘違いしたのか、永琳がさらに身を寄せてきた。

 

「あのね、修司」

(ち、近い近い!)

 

身を仰向けに出来ないくらいに近付かれ、背を向けている状態のままでいることしかできなくなってしまった。

 

「私、今日の事で分かったことがあって…」

 

そういえば、庭師さんとお話している時にちょくちょく検証がどうとかって話をしていたのを思い出した。

 

「…聞いてないわよね…」

 

 やけに決意を固めた雰囲気を出す永琳に、修司は妙に心が落ち着いていくのを感じていた。それは単に永琳の話に集中して気を紛らわそうとしているだけだが、彼女の次の言葉に、また心臓か破裂しそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────私は、あなたが好きよ、修司」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビクッと肩を揺らしそうになったのをかろうじて身じろぎに偽装し、僕はこの衝撃に耐えた。真後ろからいきなり告白されたのだ。これが動揺しない筈が無い。背中が熱くなってくるのを感じる。意識を頑張って永琳が離そうとするが、他に逸らすものがないのでどうしようもない。

 

(えっ!?え、えええええ永琳!?)

 

 どれだけ「え」を重ねても足りないくらいに修司は驚き、頭の中がパニックになった。

 ベッドの中での突然のハプニングに晒され、修司はどうするのが最善策か分からなくなり、ただ背後から聴こえる彼女の声に耳を傾けた。

 

「私ね、今まで、飾られた会話したことが無かったの」

 

暗く静かな一室に、声が響く。

 

「上辺だけの話で自分を着飾って、本当の自分で誰かに接したことがなかった」

 

「………」

 

「あなたを家に招待した時、あなた、なんて言ったと思う?」

 

何て言ったっけな。数ヶ月前の出来事だったが、その時の事はあまり覚えていないや。

 

「あなた、凄いです…って言ったのよ?」

 

それのどこに感銘を受けるポイントがあるというのだろうか。それこそ、永琳の言っているお世辞と変わらない言葉だろうに。

 

「重要なのは言葉じゃないわ。あなたが私に本心で言葉を掛けてくれた事が重要なの」

 

 彼女は語ってくれた。彼女の胸の内を。彼女の今までと、僕が与えたこれまでを。そしてこう、最後に締めくくった。

 

 

 

 

「あなたのその綺麗な心に、私は惚れたのよ。…あ、勿論、他が嫌いってわけじゃないわよ?」

 

 

 

 

 …誰に言ってるのか知らないが、それは人違いというものだ。僕は、そんなに綺麗な人間じゃない。見当違いな言葉を並べ立てられても困る。一時はそう見えていたかもしれないが、それは所詮幻想の僕でしかない。偽りで塗り固めた傀儡の心が吐き出した言葉が、たまたま永琳の耳にはそういった耳障りのいいものに聞こえただけだ。

 永琳は一時の気の迷いに当てられてちょっと正常な考えができてないだけだ。ちょっと外に出れば、本心で言葉を言ってくれる人は何人もいる。

 

 その後も取り留めのない話を少しした後、永琳はそのまま眠ってしまった。男の一緒のベッドで寝るのは些か度胸があり過ぎるのではないかと思うが、勿論僕はそんな事をする人間ではないので、僕はただただ緊張しているだけだった。これは新手の拷問かなにかか…。

 

 結局その日の夜、修司は一睡もできなかったそうだ。

 

 




 完全なる閑話回にしようと思ったのに、なぜか本編への絡みのある結果になってしまった……。

 今回は、永琳が自分の気持ちを確かめるために修司に苦行(ご褒美)を与えて、それが恋心であることに確信を持つ話でした。ついでに、修司が軍に入ることになる話でもあります。

 ここではっきりさせなきゃ後々面倒になるのでこうなりましたが、後悔はしてません!!
 いきなりの美味しい展開にタジタジの修司でしたが、最後まで暴走せずに耐え切ったのは、ただ単に永琳に裏があるんじゃないかと、心の奥底で勘繰ったからでもあります。修司の自制心は、都市の防壁よりも分厚く堅牢です。話の中で修司が暴走することは有り得ないというくらいに凄まじい防衛能力です。

 ここから物語が進展していきます。次回も楽しみにして待って頂けたら幸いです。
 それではまた来週。

 


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6話.雑兵な彼と都市の女王


 色んなもののシステムって、詳しく調べないとにわか過ぎてちんぷんかんぷんな事態に陥っちゃいますね。手間を渋っているといいものは出来ないと思います、ホント。

 前回から雰囲気を元に戻し、一気に展開が進んでいきます。ここから本格的に、この『序章』の最後の光景に向かっていくことになると思いますので、作者の突進っぷりをどうぞ見守ってやって下さい。

 今回、重要なオリキャラが登場します。ですが男です。ムキムキ巨漢な人です。重要と言ってもこれから長い付き合いになるだけのキャラなので、さして影響を与える主要キャラではありません。
 そしてもう一人重要な人がいたりと、計三人ほどのオリキャラが登場します。『オリキャラ多数』のタグは一応回収ですかね。


 長々とすいません。ではどうぞ。

 


 修司は短槍を片手に、屋外の訓練場の真ん中で周囲に気を配った。殺気を抑え、冷ややかな目で自分の周りにいる一人一人を分析した。

 

(直剣が15人、長槍が5人、光線銃が10人、ナイフが3人etc…。ふむ、まずは銃持ちを片付けた方が得策だな)

 

 修司がそう打算していると、上手い具合に散らばっていた彼らが一斉にこちらへと駆けてきた。

 

「「「「「うおおおぉぉぉぉ!!!」」」」」

 

訓練用に作られた短槍を握りしめ、まず最初に接近してきた相手を注視する。そいつが振り下ろしてきた両刃剣を穂先で横に弾き、続けて、自分の体を反転させて、槍の柄を彼の手首に叩きつけて得物を吹き飛ばした。

 

「ぐあぁぁぁぁ!!」

「「「うらあぁぁぁぁ!!」」」

 

 そうしている間に接近してきた背後の三人が持つナイフと長槍を流れるような動きで躱し、同様に手首を打って無力化した。

 

ヒュン!

 

 すると、彼らの体を縫うように光線銃の光線が修司に迫った。修司はそれを前転する事で射線から外れ、一気に光線銃を撃っている後衛の彼らへと駆け出す。

 

 しかし、行く手を阻むように剣持ちの五人が間に躍り出て、同じように剣を構える。修司はそんな事は予想していたので、焦らずに短槍を地面を刺すと、その柄先に片足で飛び乗って大きくジャンプした。兵士達の頭上を軽々と飛び越え、修司は銃部隊の中心に着地する。あの防衛網を突破されると思っていなかった彼らの一人を掌底で強制退場(気絶)させ、そいつの持っていた光線銃を奪い取る。

 

バン!バン!バン!

 

「喰らええぇぇぇ!!」

 

 遅ればせながら修司に対応し始めた彼らは、腰だめで銃を彼に向かって乱射し、その軌道を先読みして修司が躱す。そうしながらスコープに目を通し、修司は的確に一発づつ銃部隊の頭にヘッドショットを決めていく。威力は抑えてある弾丸を使用しているので、当たっても気絶で済む。

 

カチカチ…

「…弾切れか」

 

 それで銃部隊を全て片付けると、丁度弾が切れた。エネルギーマガジンは所持していないので、ここで銃はお役御免だ。

 近くにいたナイフ兵に突進し、相手が突き刺してきたナイフに光線銃の銃身をぶち当てる。そして得物が行動不能になっている間に、修司はその彼の鳩尾に拳を叩き込み昏倒させ、ナイフを奪った。

 

 今まで振り切っていた近接兵が目の前まで迫り、修司は体術戦を余儀なくされた。

 穂先で突きを繰り出してくる二人の槍兵の槍を脇に抱え込み、手首と脇下を使って槍を持ち上ようと力を込める。

 

「「うおっと!」」

 

体ごと持ち上げられそうになり、二人は慌てて槍を離す。そうして奪い取った槍を左右に薙ぎ払って、数人を撃破した。無手となった二人はやけくそ気味に突進してくるが、槍を手放した修司は一人をナイフの柄で鳩尾に一発、もう一人は殴ってきた腕を利用して背負い投げを掛けた。

 

(…後20人くらいか)

 

 まだ立っている人数を眺め、修司は内心、小さく溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 一通り訓練が終了し、今は昼間の休憩時間。僕が所属している部隊の隊員は息を切らしながら地べたに座り込んで飲み物から口を離さない。

 武器を放り投げて必死に休息するその様は、まるで半日死にものぐるいで特訓したんじゃないかと見間違うほどの気迫が伝わってくるが、実際はそうではない。彼らは、単に僕と手合わせをしていただけだ。しかし、僕は一撃ももらってない。それに、僕自身は全く息を切らしてないのだ。

 つまるところ…

 

(え…都市の防衛軍って…もしかして相当弱い…?)

 

 そう、最近の人手不足や鉄壁の防壁にかまけて、肝心の隊員が凡人レベルの戦闘能力しかないのだ。しかも、それで兵士の育成に着手するかと思いきや、上役は防衛軍よりもAI技術の方に力を入れ始めた。お蔭で防衛軍の怠けに拍車がかかり、永琳の仕事量が増えた。これに対して永琳や僕も抗議したが、上役は全く聞く耳を持たなかった。

 

 長所と言えば、装備の充実さと、兵器の性能だった。これは殆ど永琳が設計して開発したものだが、使い手がこんな阿呆ばかりならば、そのお墨付きの性能も真価を発揮できないだろう。兵器が可哀想になってくる。

 例を挙げるなら、この光線銃はどうだろうか。発射の反動は最小限、スコープは切替式で最高倍率は約2km、レーザーは文字通り光の速さ、威力は大木に穴を開けるほど。しかもフルオートも出来るので中距離戦も持って来いだ。こんな高性能な狙撃銃が他にあるだろうか。

 だが、防衛軍はこれを完全に持て余している。スコープは碌に見れないし、動く的に対して光の偏差射撃が出来ない。そこらを歩いているお婆さんにやらせた方がましなくらいだ。

 

 これでは、父の職場の訓練の方が余程鍛錬になる。存在しか思い出せない悲しい父だが、僕は父を尊敬していた。父の働く場所をよく見に行ったものだ。

 

「白城、どうだ」

「あ、部隊長」

 

 先輩達の酷さに呆れていると、僕が所属している部隊の隊長────霊力が使える兵士を部下に持つあの時の彼────がやってきた。すぐさま敬礼して、尊敬を示す。

 

「今や君の方が上だろ」

「いやいや、権力や威厳は全くですから、敬うのは当然ですよ」

 

今の僕は一介の兵士。八意永琳の従者という立場は今は無く、防衛軍の縦社会に組み込まれた雑兵だ。

 腕を下ろすと、修司はタオルを持ってへばっている先輩達に駆けていった。

 

「どうぞ」

「おう!サンキューな!」

 

「お疲れ様です」

「いつもすまねぇなぁ」

 

「タオルです」

「ふぃー生き返るぅ!」

 

 永琳に許可をもらってからすぐに防衛軍に志願して、永琳の計らいで縁が生まれたこの第六番部隊部隊長、(かつ)史郎(しろう)さんの部隊に編入させてもらった。因縁があるのではと思うかもしれないが、案の定最初はそうだった。常に睨む視線が続き、悪質な行為をされたこともあった。

 だが、彼らの諸々を昇華した僕は、彼らの好む行為や、彼らの機嫌をとる方法を知っており、案外すぐにわだかまりは解けた。今では、この六番隊の若きエースとして皆からの信頼も厚く、その実力は他の部隊も一目置くほどだった。

 

「うへぇ…。やっぱ強過ぎだぜ、修司はよぉ…」

「あはは、ありがとう雄也」

 

僕が痛めつけてしまった屈強な青年、蔵木(くらき)雄也(ゆうや)とは、今ではタメ口で話し合える仲だ。この六番隊の中で一番仲がいい。

 

「半日無傷で息切れ無しって化けもんだろぉ…」

「よく言われるよ」

 

これは本当だ。稀に、他の部隊からスカウト紛いの手合わせを吹っかけられることがあり、その度に修司は無傷で相手を吹っ飛ばす。そして周りから化け物と捨て台詞を吐かれるというパターンを全30部隊中、もう20隊もやっている。防衛軍の中では知らぬ人はいない有名人だ。

 

「それで霊力使ってないっていうからまたなぁ」

 

彼の言うように、僕は霊力を一切使ってない。永琳に調べてもらったところ、霊力は常人を遥かに上回る量を保有していたが、そんなのはお構い無しに、体術だけで全てに対処していた。恐らく、僕が霊力を使う時は、きっと相当の強者とやりあう時だけだろう。

 当然だが、雄也を含め、防衛軍の皆にそんな強い人はいない。部隊長ですら、さっきのように実力に関して僕を敬ってるくらいだ。きっと将軍ですらそうなるだろう。いや、都市は権力がものを言う場所だ。きっと将軍は案外座学に富んでいるだけの人だったりして……有り得そうだから怖い。

 

「おらお前らぁ!さっさと飯に行ってこい!」

「「「「「はい…部隊長…」」」」」

 

 部隊長の檄が飛んでもこの有様。この昼休憩が終われば今度はきつい訓練が待っているのだ。しかし、その“きつい”は、彼らにとっての“きつい”で、僕にとってはそんなに苦ではない。

 

「ご飯食べに行こうか」

「そうだな。今日はカツカレーだ!」

「またお腹壊すよ?」

「心配すんな!俺はカレー如きに遅れをとるような奴じゃねぇ!」

「それは昨日も聞いたよ…」

 

 防衛軍に併設してある食堂に向かってゾンビの群れが列を成して歩を進めていく。その後ろで二人は楽しく談笑しながら目的地へと向かっていった。

 一応、彼も霊力を使う者の端くれ。そこらの兵士よりは断然強く、よって先ほどまでの訓練での疲労もすぐに回復して、ゾンビになるのを回避していた。だからこうして、修司と会話が出来ているのだ。目の前を歩く彼らは、時々漏らす呻き声以外、決して声を出さず、ただ食堂に向かうがためにその脚を前に突き出していた。その光景は、途中で合流した他の部隊が震撼するほど(おぞ)ましいものだったという。

 

 しかし、これが毎日続けば、流石に周りも耐性がつく。今では、その光景を見て合掌していくのが通例となっているようで、ゾンビ一行が通路を通ると、真ん中を空けて左右でお辞儀しながら両手を合わせるという何とも奇異な現象を拝むことが出来る。

 一種の軍の見世物となっていることに失笑を禁じ得ない。

 

「すいません、僕はAセットで」

「俺はカツカレー大盛りだ!」

「はいよっ!」

 

防衛軍兵士は食堂の代金が免除されるので、ここでは気兼ねなく色々と注文することが出来る。だが、残すのはご法度だ。それをしてしまうと、ここの料理長が般若の形相でフライパンを武器に襲いかかってくる。その時ばかりは並の兵士よりも強く、不躾な輩の頭にマンガばりのたんこぶを作っていく。

 

 元気のいい返事と共に厨房へと入っていったアルバイトと青年を見送って、修司は雄也との会話を再開した。

 

「そういえば、もう雄也と会ってから二年が経つんだね」

「おうよ。思えば、あの時から結構月日が経ってるんだな」

「これからの人生を考えると、二年なんてあっという間だろうけどね」

「ははは、違ぇねぇや!」

 

 今、僕の歳は20歳だ。森で目覚めた時は18歳で、あの時から既に二年経っている。心も体も大人に……なれると思っていたのだが…

 

────なんと、寿命というものが無くなっているようなのだ。

 

永琳から説明を受けた時、寿命の話になり、その時に彼女らは不老の存在であることが判明した。彼女らはある程度成長すると、成長がストップして、その姿を維持したまま、老いることなく生きていくらしい。これには穢れというものが関係しているらしいが、その辺はまた今度説明しよう。

 彼女達都市の人間が不老なのは理解出来たので、まぁ、それはいいかなと諦めていたが、永琳達は穢れが無いから寿命が無いらしい。

 

 何が言いたいか分かるだろうか。

 僕が永琳に能力を使った時、知識だけを昇華したのかと思っていた。だが、本当は違う。

 

 僕は、都市の人間の性質そのものも昇華していたのだ。つまり、今の僕には穢れが全く無いので、寿命が無い。それに、“昇華”したので、恐らくだが、常人よりも回復力が高い筈だ。疲労がすぐに癒えるのも、それが関係していると思う。

 最早真っ当な人間でいられなくなってしまったが、何故か拒絶感は無かった。不思議な事に、それを受け入れている自分がいるのだ。

 

「そうだよね……たった二年だよね…」

「どうした?」

 

 寿命という、人間ならば至極当然な概念が頭から抹消されたことで、僕は穴が空いたような空虚な感覚に陥っていた。普通なら考えられないようなことが起こっているこの世界に、自分の常識を押し付けるのはなんともおこがましい行為ではあるのだが、それでも自分と周りとの摩擦を感じることを止めることは出来なかった。

 忘れたくないのだ。自分の元いた世界を、自分という一人の人間を。それを忘れてしまった時、僕は本当の意味で人間ではなくなってしまうだろう。

 

「………」

「お〜い?修司?」

 

 そういえば、これからはどうしていこうか。目標といえば元の世界に帰るという事になるのだが、次元を超えるとか、永琳や僕でも無理そうだ。そもそも、何故この世界に来てしまったのだろうか。しかも、記憶を失っている。記憶の件は転送(?)の反動かもしれないが、元の世界でなにかやらかしたのだろうか。うむ、となると────

 

「おら修司!」

「のわっ!?」

 いきなり頭にチョップをかまされ、修司はその場に蹲った。

「つっ…!」

「もう飯来てるぞ」

 

雄也がそう言うので顔を上げてみると、そこにはホカホカと湯気を立てて美味しそうに鎮座している僕の頼んだ定食があった。

 

「あ、ごめん…」

「先に行ってるぞ」

 

完全に思考がトリップしていた。

 修司は急いでそのお盆を持つと、雄也の向かったテーブル席に座るために振り返った。

 

 だが、そこにはいかにも高級そうな服に身を包んだちょび髭がおり、いかにも大儀そうに目を細めて腕を組んでいた。僕の上から下まで舐めるように見回し、品定めをするかのようにちょび髭を摩った。

 

「おい、そこのお前」

「…はい、何でしょうか」

 

まるでゴミ処理場の掃除を任されたかのような嫌そうな顔をし、周りの兵士達を見渡す。その嫌悪の目線を気付いた周囲は避けるように自分の食事に専念し始めた。それまでこちらをチラチラ見ていた彼らの逃げるような行動から、彼らとこの人との関係性を導き出した。

 

「ツクヨミ様がお呼びだ。すぐに来い」

(あぁ、そういう事か)

 

 こんな下衆、能力で中身なんて知りたくもない。

 永琳が、そろそろツクヨミ様と面会をさせたいと言っていた。僕としても、都市のトップに会える機会があるなら是非ともだ。

 時期が来ればあちらから声が掛かると彼女は言っていたが、まさかその日に呼び出しがくるとはな。

 

(…だが)

 

 お盆を持つ手に力を込め、口角を上げて満面の笑みでその人に言った。

 

「…今すぐですか?」

「愚問だ、すぐに来い。ツクヨミ様もそう言っておられる」

 

さも当然のように上から目線でものを言う。いや、当然だし、彼は僕にとっては上の存在なので何も間違っちゃいないのだが、それでもこれはちょっと“クル”ものがあるな。

 

「今からお昼なんですが…」

 

 こう言うと、ちょび髭と周りはとても驚いた顔をし、その後にちょび髭は顔を真っ赤にして睨んできた。

 

「お前如きに時間を割いてくれるとツクヨミ様は仰っておられるのだぞ!そんなゴミ、後からいくらでも食えるだろ!いいからさっさと来い!」

 

 僕は内心、この男に対するイラつきに身を焦がれながら、盆を持っている腕を掴もうと伸ばしている彼の手を見ていた。だが、盆が床に落ちる事はなく、男の腕はその数倍は太そうな料理長の腕によって掴まれていた。

 

「貴様、何をする!」

「俺の料理がゴミだと?」

「離さんか!下っ端め!」

 彼の右手には例の如くフライパンが握られており、左手は今も尚ちょび髭の細い腕を握力で潰さんとばかりにガッチリ握っていた。ちょび髭は権力で威圧してくるが、負けじと料理長はその大きな体躯でそれを跳ね返す。

 己の信念を貫くために権力に楯突くなんて、そうそう出来るもんじゃない。僕は改めて料理長のすごさを実感した。

 

「離さんとお前をクビにしてやるぞ!」

 

さて、そろそろ僕も参加するか。

 お盆をカウンターに置き、笑みを絶やさずに彼に向き直る。

 

 

「撤回しなさい」

「…あ?お前まで何を言っている」

 

 

 一歩踏み込み、ちょび髭に近づく。

 

「撤回しなさい」

「ご、ゴミをゴミと言って何が悪い!」

 

 更に一歩。気持ち悪いほど口角を上げて。

 

「撤回しなさい」

「う…五月蝿い!お前も仕事をクビにするぞ!」

 

 料理長は腕を離し、僕と男との間に空間を作ってくれた。

 そしてもう一歩。

 

「撤回、しなさい」

「だ、誰に向かって口を聞いているのか分かっているのか!?」

 

 目の前に立つ。男の顔面を見下ろして笑顔で威圧する。

 

「撤回しなさい」

「ひっ…お、おい、来るな!」

 

 後ずさる男を追い詰めるように歩を進め、壁まで追いやる。

 

「…………」

「な……何故黙る…」

 

 人の不安を煽るのは簡単だ。既に彼は僕の手中にあると言っていいだろう。後は…命令するだけ…。

 不意に無表情になり、目のハイライトを消す。突然の変化に男は情けない声を上げてへたりこんだ。

 

「…ツクヨミ様に、言っといてくれるかな…」

「ひぃぃぃ…!」

 

完全に怯えきっている。必死に首を縦に振り、浴びせられている殺気に耐えているその様は、さながら怪物を前にした小動物だった。

 

「ご飯を食べてから行く…ってさ」

「うっ…わあぁぁぁぁぁ!!」

 

ちょび髭は威厳のいの字も無くなり、転がるように立ち上がると、お化け屋敷に来た子供のように手足をばたつかせて走り去っていった。

 

「ふぅ…」

 

 撤回させることは出来なかったが、これであいつは暫くトラウマを残すだろう。ふんぞり返っていた分、せいぜい長く苦しめ。

 あいつが走り去っていくと共に、食堂には安息の空気が流れ出した。ある者はいそいそとスプーンを動かし始め、またある者は注文を再開した。そこで怯えていたアルバイトは料理長の言葉で我に返り、せっせと客の注文をとり始めた。

 

(さてと、僕もご飯、食べようかな。あ、そういや、部隊長に今日は午後の訓練休むって言っとかなくちゃ)

 

 僕は周りの空気が戻ったのを確認すると、カウンターに置きっぱなしになっていた定食を手に取った。

 

「…白城さん」

 

声をかけられて振り向くと、料理長が立っていた。

「何ですか?」

「…ありがとうございました。それと、すいませんでした」

 

料理長は元々寡黙な人なので、言葉は少なく、顔のパーツが動かない人だが、とても実直な性格で、曲がったことを決して許さない正義感溢れる人だ。

「いえいえ、僕のせいな部分もありますから、謝るのはこちらの方ですよ」

「…そういうわけには…」

 

僕は手を挙げてその先を制し、これ以上の謝罪を断った。

「食事の場でこんな話、止めましょう?この件はこれでお終い、いいですね?」

「…はい」

 

僕が下手な問答をしたばかりに、料理長の料理が貶されてしまった。言ったのはあいつだとしても、責任は半分僕にある。料理長が謝るのは筋違いというものだろう。寧ろ、彼の行いは賞賛されるべきだ。権力に屈しず、はっきりと自分を突き通す。これほどまでに気骨のある人間はそういないだろう。

 料理長が厨房に戻っていくのを見送って、僕は雄也が座ったテーブルを探した。

 どうやらすぐそこの席に座っていたようだ。僕はそこに早足で向かい、こちらを心配そうに見つめている雄也に笑顔で片手を挙げた。

 

「やぁ、雄也」

「やぁ、じゃねぇよ!あんな事して大丈夫だったのか!?」

 

開口一番そう叫んだ雄也を宥める。

 

「まぁまぁ、僕がやってなかったら雄也がやってたでしょ」

 

実は、僕が割って入ろうとした時、雄也も盆を置いて同じことをしようとした。だが、僕はそれを視線で制し、自分がその役をかって出たのだ。

 

「うっ…ぐうの音も出ねぇ…」

「そういう事さ。…ツクヨミ様を待たせるわけにもいかないし、僕は早く食べちゃうね」

「あ、そうだよ!それ!」

 

カレーを食べるために中途半端に開いた口を閉じて、左手の人差し指をビシッと僕に向ける。ちょっと行儀が悪いので止めて欲しい。

 

「料理に関しては同意するけどよ、なんで昼飯の事まで言ったんだ?飯くらいどうとでもなるだろ」

「あぁ、そんな事…」

 

言葉を遮って食事マナーについて注意しようとしたが、先に彼の質問について答えることにした。

 

「…一言で言うなら………教える為…かな」

 

「はぁ?何をだよ」

素っ頓狂な声を上げた雄也に僕は肩を竦めて、それは秘密さ、と言った。それが腑に落ちないのか、雄也はしつこく食い下がってきたが、僕はそれを華麗にスルーして、パクパクと定食を胃の中へと入れていった。

 

 

〜約30分経過〜

 

 

 たとえあんな大口を叩いたからと言って、決してツクヨミ様をわざと待たせていいということにはならない。なので、掻き込むようにして定食を食べ終えた修司は、早々に盆を回収棚に戻し、ご馳走様と言ってから、そのまま携帯端末で永琳にツクヨミ様の所に行くと伝えた。

 

 廊下を走っていると、丁度そこに曾さんが居たので、曾さんにもツクヨミ様の件の事を言い、午後は休む旨を伝えた。

 

「おう、いいぞ、行ってこい」

「ありがとうございます」

 

彼からはすんなりと了承されたが、永琳からは…

 

ピピピッ…

 

(うわっ…まただ…)

 

 現在、彼女からのメールが10件以上溜まっている。これらは全て内容が一緒なので見る必要はない。なので、ストレージを圧迫させないためにも、一々消去しているのだが、消去したものも含めて30件くらい来た時から既に諦めた。

 ただ、音は五月蝿いので、マナーモードにしておく。

 

(心配してくれるのは嬉しいんだけど、これはちょっと過保護過ぎないか?最終的にツクヨミ様の所に直接行くとか書いてあったけど…まさか、本当に来ないよね?)

 

 一抹の不安は残るが、修司は駐車場に停めておいた自分のハイテク自動車に乗り、目的地を、ツクヨミ様の居る施設へと設定した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 景色が左右に分かれて過ぎ去っていく。それなりのスピードを出して向かったのでもうすぐ、この都市で一番大きい建物の目の前に着くだろう。

 

フォン…

 

 どうやら着いたようだ。腕を頭の後ろで組んで寝ていた僕は、徐ろに窓の外から見える巨大な建造物に目をやる。宙を泳ぐように進んでいた車がゆっくりと地面に着き、アナウンスで目的地に着いた事を知らせる。

 ドアを開けて外に出、車を自動駐車モードにしておく。再び浮き上がって近くの駐車場に向かった車を一瞥して、僕はそこに立っている警備員に事情を伝えた。

 

「待て、確認する」

「どうぞ」

 

二人いる内の一人が確認をしようと警備室の中に入っていき、一人がまた警備に戻る。僕はその間暇になったので、壁に背を預けて永琳に「絶対に来ないで」という旨のメールを送るために端末の電源を入れた。

 

トゥルルルル…

 

 だが、メール画面を開こうとしたところで、突然電話がかかってきた。相手は勿論永琳。狙ってやったとしか言いようがないタイミングを怪訝に思いながらも、丁度いいと、僕は通話ボタンをタッチした。

 

『修司!ツクヨミ様に呼ばれたって本当なの!?』

「うわっ…ちょっと声が大きいよ」

 

思わず耳から離してしまうほどの音量で永琳が叫び、目を閉じて顔を顰める。

 

「それは本当だよ。でも、永琳は来なくていいからね」

『相手は神様なのよ!心配するに決まってるじゃない!』

 

 神と人間の間には絶対的な差があると、彼女は言っていた。神という存在は種族的に人間や妖怪の上にあり、人間は本能で彼らに逆らうのを躊躇うらしい。そんな前提があるのに神と対談したりすれば、あちらの言われるがままにされるのは目に見えている。

 これはツクヨミ様がこの都市のナンバーワンに君臨している所以であるが、きっと彼女自身も、相当にやり手なだろう。他種族に遅れをとるほど神は耄碌(もうろく)した存在ではない筈だ。

 

「大丈夫だよ。いざとなったら能力使うから」

『え?能力でどうにか出来るの?』

「うん。何とかなるよ」

『…本当?』

「本当本当」

 

 制御が出来るようになってから、無闇矢鱈に全てを昇華する事は無くなり、任意で選択したものを自由な量だけ得ることが出来るようになった。これで適当にツクヨミ様の何かを昇華すれば、後は何とかなるだろう。

 だが、完全に制御出来たかと言われれば、まだ出来てない。どうやら能力にはオートとセミオートがあるようで、無意識に何かを修得している場合があるのだ。こればっかりはどうしようもない。

 

『…頑張って』

「勿論。まだ何をするのか伝えられてないけどね」

「おい、確認がとれたぞ」

 

 端末から意識を離すと、そこにはさっきの警備員がいた。

 

「それじゃあ、切るよ」

 

プツン…

 

端末の通話を切り、ポケットに仕舞い込む。

 

「終わったか」

「はい。案内してくれますか?」

「いや、今案内役を呼んだ。すぐに来るだろう」

 

 警備員と暫し談笑していると、言った通り、すぐに案内役が来た。僕はその人に連れられ、天高く聳える建物の中へと入っていった。

 因みに、案内人は食堂で会ったちょび髭じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 随分と長い時間エレベーターに乗り、僕は案内で最上階の階に来た。建物内の中は他の施設とは一線を画ほど美しく、改めてここがトップのいる建物なのだと実感した。

 

「ここでございます」

「ありがとうございます」

 

 とある一室に案内され、彼がドアを開けてくれたことに感謝の意に示して、僕は中に入った。

 

「それでは、私はこれで…」

 

パタンという軽い音がして、案内役の彼はドアを閉めて、自分の持ち場に戻っていった。

 僕は部屋を見渡してみた。

 低いテーブルが一つ、対面するようにソファが二つ。適当な家具に、神々しいまでに装飾が施された花瓶と活けられた花々。そしてその階数の高さを誇示するように一面鏡張りにされた壁。さしずめ応接室だろう。神というくらいだから玉座なんて大層なものを用意しているのかと思ったが、案外普通な感じだな。

 

(取り敢えず座っとくか)

 

 ドアから遠い方の客用ソファに腰掛け、膝上に肘を置いて手を組む。前傾姿勢から顔を上げて、まだ見ぬ神を想像してもう片方のソファを睨む。

 

 

 

 

 そのまま30分程したところで、不意にドアが開かれた。ノック無しで入ってくるところがまた神らしい。

 

「おや、もう来ていたのか」

「知らせが入っていた筈ですが?」

 

 そこには、いかにも神という感じの雰囲気を出した大人の女性がいた。その威厳と存在に恥じぬ風貌と気配を兼ね備えた彼女は、わざとそう言って挑発してきたが、それに当たり障りの無い返答で取り敢えず返しておく。

 薄らと分かるように力を纏い、こちらを脅してくる。これが神力というものか、この感覚、覚えておこう。

 

 さて、わざと分かるように神力を纏っているということは、早速僕を潰しに来たということだ。それも物理的ではなく、精神的に。

 改めて気を引き締めなければ。ここからはいつ呑まれてもおかしくない状況だ。相手の一挙手一投足に細心の注意を配り、表情、仕草、声音から、心理学に基づいて相手の心を読む。少しでもこちらが有利になる要素はフル活用し、籠絡(ろうらく)されるのだけは阻止する。

 

「すまんな、暫し用事に駆り出されてな」

「そうですか、なら仕方ありませんね」

 

 ここまでは社交辞令だ。こんなので心を乱されてはこの先どうにもならない。

 

「よっと…悪いな、すぐにお茶でも用意させよう」

「それはありがとうございます。なにせここまで走ってきましたので、喉が乾きまして…」

「下っ端というのは努力が欠かせないのか、研鑽ご苦労」

「なんと、ツクヨミ様に労いの言葉をかけてもらうなど恐悦至極。その優しさ、心に染みました」

 

 牽制のし合い。言外に色々と刺を含ませて互いを斬りあう。互いに笑みを浮かべて、僕は反対に座ったツクヨミ様を見る。

 

「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったな。私は、知っての通りツクヨミ。この都市を治めている神だ」

「お噂はかねがね…。僕の名前は白城修司です。…と言っても、都市を管理しているあなた様ならば、とうの昔に知っておられるでしょうが。八意様の従者をしております」

「それと兼ねて防衛軍の兵士も務めているらしいな。毎日大変なのではないか?」

「ご心配にお呼びません。僕はたかが一介の兵士、毎日の訓練以外に、特にこれといった仕事もありませんので、そんなに辛くはありません。ツクヨミ様こそ、日々の激務、お疲れ様でございます」

 

基本は相手の挑発を活かして切り返すのが定石となるだろう。こちらから打って出ると、どんな反撃を喰らうか分かったもんじゃない。先手を取らなければいけない場面のみに迅速に対応すればいいのだ。

 

「ありがとう。…おい、お茶を持ってこい」

「…はい、ツクヨミ様」

 

 ドアの裏に隠れていたと思われる彼女の側近らしき人物が応答し、小さな足音が遠ざかっていくのが分かった。

 さてと…とツクヨミ様が漏らしたのを聞き逃さず、僕は彼女の目を真っ向から見つめ返す。本題を切り出す前に、まずは相手の力量を測らなければいけない。それはあちらも同じようで、瞳の奥の探るような光に臆することなく、こちらも同等のそれを返す。

 

「………お前、本当にただの兵士か?」

「勿論です。僕なんかがこの場に居れるなんて、なんて僕は幸福者なんでしょうか。しかも目の前にツクヨミ様がおられるなんて」

「ぬかせ。お前の事は八意から聞いている。さっさと化けの皮を剥げ、狐が」

 

 大袈裟に感激したふりをして様子を見てみたが、どうやら彼女はそんなに上っ面の会話は好きではないらしい。すぐに本当の姿を見せろと言ってきた。

 面倒なのが嫌なだけなのか、それとも、ただ単に僕の芝居が気に入らなかっただけなのか、どちらかは分からないが、これは少しいい傾向だ。

 

「………」

 

 僕はここで黙りを決め込んだ。

 第一、永琳から聞いているという事実が本当かどうか分からない。それに、その“程度”も知れないではないか。永琳が僕の事を洗いざらい話しているとは想像し難いが、もし教えているとしても、それは本当に少しの部分だけだろう。そこまで嫌われてはいないと思う。

 

「黙る…か。それも選択肢の一つだな」

 

ツクヨミ様は面白そうな目をして僕を見る。

 

「一言くらい言ったらどうだ?」

「…では一言」

 

表情は微笑。ここで一言口を開く。

 

 

 

 

「狐ではなく、そこは猫ではありませんか?」

 

 

 

 

「………は?」

 化けているという点では狐という表現は賛成だが、この場合、猫をかぶっているという方が近い表現なので、剥がすとなればそれは猫が妥当だろう。

 何故今こんな時に洒落を言ったかというと…

 

「……ふふふ…」

 

 こういう人は大体…

 

 

 

 

 

 

「────あははははははは!!!」

 

 

 

 

 

 

 こんな性格なのである。ここまでの会話と彼女の立場から、彼女の性格を予測し、怒られない程度に仕掛けてみたのだが、案外上手くいった。

 つまりは、面白い奴だと思わせればいいのだ。底の知れない不明な存在とは思わせず、興に乗らせてくれる楽しい人だと思わせる。

 簡単な事だ。臆せず、緊張せず、まるで神をそこらの友人と同じようにして接するその胆力を見せつければいい。

 

「神に屈しず、それでいて洒落の効いた事を吐けるとは、何とも面白い奴だな、お前は」

「これくらい当たり前ですよ」

 

そうかそうかと含み笑いをするツクヨミ様。神にここまで話せる人は少ない筈。神力に当てられて少しふらつくが、外面には出さずに耐えている。後は彼女の用件を聞いて、さっさと帰ろう。

 

「…少々遊びが過ぎたな、早速本題に入ろう」

「今日は何用で僕を呼んだのですか?」

 

「ツクヨミ様、お茶をお持ち致しました」ガチャ…

 

 ここで先の側近さんが帰ってきた。ここの人はノックはしないのだろうか。急須と湯のみを二つ盆に乗せ、目の前のテーブルに置く。

「粗茶ですが…」

急須を傾けて、湯のみに緑茶を注いでいく。

 二つ煎れ終わったら、側近さんは早々に退出してしまった。

 

「…うむ、まずは一杯飲んでからにしようか。走ってきたのだろう?」

「あ、はい。頂きます」

 

 嘘を嫌味で返されたが、それを言うわけにもいかず、僕は素直に緑茶を飲んだ。

 

「あ、美味しい」

「だろう?私の側近が淹れるお茶は格別なのだよ」

 

これは学ぶ必要があるな。能力を使ってお茶の情報を昇華しておこう。

 

 

 

 

 この時、僕は気付けなかった。知らぬ内に能力の制御が緩んでしまい、ツクヨミ様の何かを昇華していた事に。だが、それに気付くのは何億年も後の事である。

 

 

 

 

 ツクヨミ様は存外注意するべき人物ではないかもしれない。言葉の端々まで配慮を怠らなければ普通に会話出来るようだし、脅しで纏っていた神力も今は通常時まで下がっている。依然として従いそうになる神々しさは健在だが、それは神としての性質そのものなので仕方がない。というか、僕がそれに耐えれている事が少し驚きだ。

 それにしても、神…か。想像上の存在だと思っていたのに、今、それが目の前にいる。この世界と僕が元いた世界を比べてみると、やはりここは相当にファンタジーだな。

 でも、ファンタジーなら、他に都市があってもいい気がする。何故ここだけしか人間がいないのだろうか。何故妖怪なるものが全ての土地を跋扈しているのだろうか。

 色々と謎は尽きないが、今は一番の有力候補(永琳)がいるので、そんなに気にしていない。

 このまま過ごせば、きっと彼女を信じれる日が…

 

「さて、お茶なんかに時間を使ってられんな」

 

 おっと、今はツクヨミ様に集中しなくちゃ。彼女の声に反応して、僕は彼女と視線を交差させる。

 そこで僕は悟った。

 

 

 

 

「────単刀直入に言おう、白城修司、お前は何者だ?」

 

 

 

 

 ツクヨミという神が、一筋縄じゃいかない相手であることを。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は、永琳と同じ質問を僕に浴びせた。しかし、今度はその意味が少し違うように感じる。それは、種族そのものを問うような永琳の質問とは違い、“存在”を問う雰囲気だった。

 

「何者…と言われましても…」

「妖怪と渡り合えるだけのただの人間…と言うのか?」

 

そこは永琳から聞いていたのか。どこまで知っているかは知らないが、下手に喋って墓穴を掘るのだけは勘弁だ。

 

 甘く見ていた。相手のガードを砕いたと思って、完全に油断していた。お蔭ですっかり心を乱されてしまい、咄嗟に何を言ってしまうか分からない状況に陥ってしまった。やはり年季が違う。相手は恐らく何千年も生きている神だ。他種族の頂点に座り、階段下の僕達を見下ろす種族。

 たかが20歳の青二才に相手が務まる奴じゃない。結局、僕如きでは崩せなかったのだ。

 

「…あなた様には…どう見えますか?」

 

 だが、こちらから崩せないなら、あちらから崩れてもらえばいいだけだ。そんなに簡単にボロを出すとも思えないが、こっちが馬鹿をやるよりはましだ。

 

「ふむ…どう見えるか…と。言っていいのか?」

「勿論です。僕自身も、今の僕の素性が知れないので、第三者の、それも神様からのご意見を聞けるならば」

 

(へりくだ)って、さり気なく僕が何も知らない事をアピールする。こうすれば先に僕の意見を求められることも無くなり、あちらを立てているので無返答は許されない。

 

 だが、少し余裕ができた心も、すぐに驚愕で染まることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、妖怪に“なる”ぞ?」

 

 





 まだ腹の探り合いの描写が苦手な作者ですw。

 段々と性格に影が差していく修司。能力と胸中に渦巻く黒い『ナニカ』。これらがこれからどのように形を変えていくのか、乞うご期待下さい。

 今回は修司の軍での一日と、彼の中にある黒い部分、そしてやっとの思いで書き上げたツクヨミ様との対話です。ツクヨミ様との会話はもう少し続きます。
 序章の行き着く先は既に決まっているのですが、原作を知っている方ならある程度の予測がつくんじゃないでしょうか。そうです、あれですよ。

 まあそんなことは置いといて、やっと物語が進んだって感じがしますw。

 序章は、完結までの布石作りの章という意味合いがあるので、作者としては少々物足りない展開ではあります。展開の進みとフラグの両立を出来るように早く上達したいものです。


 そんではまた次回に!
 


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7話.異変の兆候と水面下の共謀

 今回、珍しく修司の心がブレます。主人公が冷静を保てなくなるのは本当に珍しいことなのですが、これはまだ修司が能力を手に入れてから数年しか経っていないのが理由です。まだまだ作者の理想像とはかけ離れています。主人公の変化はまだ続きますよ~。

 作者は相手側の視点で話を書くというのが苦手で(ぶっちゃけめんどくさいですすいません)、どうでもいいかな、なんて思っている箇所の裏話的なのは一話分や数千字も使って書かないかもしれません(当て馬みたいな奴)。ですが、書いたほうが話の重みや読者さんの理解が深まると判断した場合、キッチリと細かく書いていこうと思っています(前回のような感じ)。
 まあ、脳ミソのキャパがチートな修司なら、大抵のことは予測しますけどねw。


 ではでは、ツクヨミ様との後半戦からどうぞ!
 


 彼女は今、なんと言ったか。

 

「え?…妖怪?」

「正確には、“まだ”妖怪ではないがな」

 

 信じられない。ここまで寿命が無くなるとか、回復力が人間を超越するとか、それなりに人外経験をしてきたが、まさか妖怪に“なりかけている”なんて、誰が想像しただろうか。

 

「言っておくが、お前は今は完全な人間だ。妖怪────妖怪の要素が増えるのは、まだ先の話だ。…あ、質問の答えだが、私はお前が人間に見えるぞ。まだ…な」

「それって……半分は人間で、半分は妖怪…という事ですか?」

「いや、それは違う。お前自身は人間のままだが、“お前とは別に妖怪となるモノ”が、お前の中に寄生する」

 

まだ僕は妖怪ではないと彼女は言うが、僕はそれよりも、これから先、妖怪となるモノが寄生するという事実に困惑した。

 それはいつ、何故、どうやって僕の中に入るというのか。物理的に?精神的に?それとも、霊魂的な概念を使用しての魂への介入か。

 

「おい、落ち着け。取り敢えず深呼吸をしろ」

「はぁ…はぁ………深呼吸…ですか…」

 

どうやら知らない内に過呼吸になって混乱していたらしい。ツクヨミ様が心配し、僕ははっと我に返った。そして言われるまま深呼吸をし、何とか心を落ち着けようと努力する。

 スーハースーハー…

 …よし、かなり無理矢理だけど、少し落ち着いた。防衛軍兵士として防壁の外を哨戒する任務に就いた時、何十回と妖怪を殺しているから、あいつらの悍ましい姿は目に焼きついている。あいつらみたいになってしまうと思っただけで頭がどうにかなってしまいそうだが、取り敢えず今までの人外経験を思い出したら何とかなった。経験って凄いね。

 

「落ち着いたか?」

「はい…何とか」

 

 だが、冷静に考えると、ここで疑問が浮かんでくる。

 

「…ツクヨミ様、何故そのような事が分かるのですか?」

 

いくら神とはいえ、未来が分かるなんて最強な力が備わっているわけがない。…いや、神ならば、能力という可能性があるか。それなら、僕が昼食を食べて遅くなる事もあのちょび髭の未来を見れば分かるだろうし、僕が将来妖怪の何かに寄生されるのだって分かった。

 

「それは私の能力だが、お前が思ってるような単純な未来視ではないぞ?」

「え?では…」

「…まぁいいか。どうせ知ったところで対策のしようもないしな。私の能力は、『兆候を視る程度の能力』。文字通りの能力だ」

 

 『兆候を視る程度の能力』。これを文字通りの能力ととるならば、それはそれで恐ろしい能力だ。これでは ほぼ未来視と変わらないではないか。兆候とは、物事が起こる前ぶれという意味で、要は物事のその先が視えるという意味なのである。

 

「…未来視と変わらないじゃないですか」

「違うぞ。未来視は未来の選択肢を教えてくれるが、私の能力は一つの物事しか教えてくれない。しかも、条件が変われば見視える兆候も変わる。案外使いにくい能力さ」

 

 さて、話を戻そう。そうツクヨミ様は言い、お茶を啜った。一面ガラス張りの窓から少し赤みがかった陽が射し込む。そこから広がる都市の風景は、正しく皆が思い描いているようなSF未来ファンタジーの世界であり、異物の存在を全く感じさせない恍惚さを憶えるものだった。

 

「自分の身に起こっている事については?」

「知りませんでした。知らない事が多過ぎて混乱しそうです」

「まぁそう悲観的になるな。マイナスに考えていたら良くなるものも良くならんぞ」

 

今のところ変な情報は渡してないが、これではいつか必ず相手に弱みを握られてしまう。

 ここは賭けてみるか…

 

「…ツクヨミ様」

「何だ?」

「私は……都市にいてもよろしいのでしょうか」

「今はいい。しかし、妖怪になってしまった時は……選択肢をやる」

 

 そんなに上手く乗ってはくれなかったか。まぁそれでもいい。いい情報は得られたし、こちらがやらかさなかっただけでも及第点だ。途中で“人格”がぶれてしまったが、それも悟られずに済んだ。

 

 

「選択肢…ですか。…その時は…」

 

 

 しかし、選択肢…か。もし…もし、“最悪の事態”が起こった場合は…

 

 

 

 

「────もれなく“アイツラ”の仲間入りですかね」

 

 

 

 

 刹那、部屋を揺らすほどの神力が放出された。

 

「…返答には気をつけろよ?」

「あはは、何分こういう性分でして。言葉が足りなくてすいません」

 

もう神力の屈服力は能力で克服した。これで僕には霊力と変わらない影響しか及ぼさない。

 ツクヨミ様はその事に気付いていないようで、神力をこれ程までに出しているのに何故、と大層驚いていた。

 

「何故気を失わない…!」

「これでも防衛軍兵士ですよ?鍛え方は普通の人間の比じゃないんです。あまり人間を嘗めていると、足元を掬われますよ?」

 

確かに、この量は普通の人間ならば気絶ものだろう。雄也の場合でも失神確実だ。だが生憎僕は普通の範疇に存在しない。自分で言ってて悲しくなってくるが、それを呑み込んで、目の前の事に当たる。

 

「それで、さっきの言葉に不備があった事についてお詫びします」

「…不備だと?」

 

一瞬の間にツクヨミ様は僕のソファの後ろに立って、首筋に爪を当てた。しかしこれも予想通り。僕はそんな事を意に介さず、淡々と言葉を紡いでいく。

 

「先の台詞の最初に、皆…と付けます。“皆もれなくアイツラの仲間入り”、とします」

「皆…?」

 

溢れんばかりの怒りから、まるで先が読めないという困惑に気配が変化する。後ろを振り向かなくても分かる。

 

「それはどういう意味だ、答えろ」

「残念ながら、それは不可能です」

「何故だ」

「言いましたよね?僕自身、知らない事が多過ぎて困っていると。聞いている筈ですよね?僕の記憶の事を」

「………」

 

ここで初めて情報提供。だがこれを言わなければ即殺されるので、知っていようがいまいが教えておく。

 

 僕の方も、何故こんな事を口走ったのか内心かなり吃驚していた。皆と言った意味も分からないし、アイツラと言った時の心に刺さったトゲの訳も不明だ。だが、これが僕の根幹に関わる大事な事なのは分かったので、取り敢えず記憶喪失を理由にこの場を収めようと画策する。

 どうやら記憶喪失なのは永琳から聞いているようなので、意外とすんなり許してくれた。まだ皆が誰かというのも分からないし、アイツラというのが妖怪という意味だという確証もない。妄想で行動したのでこれ以上下手に言及する事が出来ず、ツクヨミ様は手を離して元の位置に戻っていった。

 

「憶測でお前に手を出して済まなかった」

「いえいえ、それが正しい判断です。僕の言動にこそ謝罪する部分があります。申し訳ありませんでした」

「暴力を正当化する方法は存在しない。それは兵士であるお前が一番分かってるんじゃないか?」

「…互いに謝罪を受け取るということにしておきましょうか」

 

 

双方謝罪するという形でこの場は収まった。それから当たり障りのない微妙な駆け引きを続けながら、雑談めいたものをいくらか繰り広げていたのだが、やっとその会話にも終わりのゴールテープが訪れた。

 

 

「よし、じゃあもう帰っていいぞ」

「え?用って、これだけですか?」

「あぁ。お前がどんな奴か…。永琳と同棲してるって聞いたから、どうしても会ってみたくなったのだ」

「…そんな理由だったんですか…」

「理由に大小あれど、価値は同じだとは思わないか?」

「共感は出来ますが賛成は出来ません。生き物それぞれ価値観は異なっているので、世の中ケースバイケースかと」

「ふふっ。そんな返答が来ると思った。お前はやはり面白い男だ」

 

 質問については完全についでだとツクヨミ様は言った。僕にとってはあれが一番の難所だったのについでって…。まぁ、ともあれ特に何事も無く(?)今回の件を切り抜けられてよかった。

 

 あちらにとってはこれは娯楽かもしれないが、あの質問。あれは嘘から来る虚言ではなく、真実から来る未来だろう。彼女の能力も本物だ。そうなると、これからの過ごし方次第で、僕は妖怪になってしまうということだ。残りの人生…と言っても無限なのだが、それをどう生きていくか。それをよく考えなければな。

 最後に「今日の話は誰にも話すな、永琳にもだ」と言われ、断れない僕はそれを承諾した。まぁ、永琳に聞かせていい事がある訳では無いし、寧ろ混乱を招くだけだろう。

 

 側近の人に連れられて、僕は応接室を出る。その時、ツクヨミ様の口角が微かに上がっていた事に、僕は気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 ハイテク自動車に乗って家まで帰ると、永琳が早速飛び出してきた。研究室の窓から覗き見していたに違いない。お蔭で薬の分量を間違えたらしく、部屋は爆発の跡がチラホラあった。僕がその時眉間を指で押さえて俯いたのは言うまでもない。

 

 ツクヨミ様との会話についてしつこく訊いてきたが、僕はそれに答えることは出来なかった。ツクヨミ様から口止めされているのもあるが、僕が殺されそうになったなんて言えば、永琳は完全にどうにかなってしまうだろう。それこそ、ツクヨミ様のいる建物にカチコミに行ってもおかしくない。それは慎んで止めて頂きたいので、敢えて無言を貫き通した。

 

 そして案の定、永琳は昼食をインスタント食品で済ましていた。別にたまにはいいとは思うが、毎日これは流石に健康に悪いと思う。秘密を守っていたら永琳が拗ねてしまったので、今日の晩ご飯は腕を奮って豪華なものにした。

 二年もすれば、料理スキルも三星シェフ並に上達する。昇華する程度の能力を甘く見てはいけない。永琳はとても喜んでくれ、幸せそうにモグモグしていた。

 だが、このままの生活がいいとは決して言えない。これからはインスタントに頼らなくても美味しい料理を作れるように、永琳に料理を教えていこうと思う。それを言うと永琳は嫌々ながらも了承してくれた。

 

 ツクヨミ様の事も忘れてくれ、僕はほっと一息つきながら風呂に浸かるのだった。

 

 

 

 

〜それから約四週間後〜

 

 

 

 

 そんなこんなで月日は流れ、僕は今、毎日の訓練をしようといつもの施設のドアを開けた。自動ドアが機械音を立てて左右に分かれ、中にいるであろう仲間達に向かって片手を挙げる。

 しかし、そこにいる筈の仲間はおらず、受付以外はもぬけの殻だった。

 

「えっと、みんながどこに行ったのか知らないですか?」

「みんな…ですか?…恐らく、掲示板の所に集まっていると思いますよ。何だか今日は隊員全員に対する通知が書いてあるようで」

「何だ?それ……兎も角、ありがとうございます」

 

 受付にお礼を言い、早速掲示板に向かって早足で歩く。

 

 受付の言う通り掲示板に近づいていくと、段々と人にすれ違うようになっていった。その全員が神妙な面持ちで、更にその内数人が、不安に塗れた表情をしていた。

 いや、不安というよりは、困惑だ。何故なのか真意が見えない。そういった雰囲気の顔をしている。

 

 

「────おい、あいつだぞ…」

「あぁ、あいつか」

「資格は申し分無いが、なんでだ…」

「なんで俺が…」

「命令なんだ。仕方ないさ」

 

 

 周りのヒソヒソ話が嫌に大きく聴こえる。それはいつもの妬みや嫌悪を臭わせる類いの会話ではなく、疑問と悲嘆を感じさせるものだった。

 

「おはよう雄也。これは一体どんな騒ぎだい?」

 

 掲示板がある所に行くと、一番前には彼がいた。

 皆は僕に気付くと、まるでいつものゾンビ一行のような感じで左右に分かれた。まだ入隊してから数年しか経っていないのに、そんな尊敬される事なんてしたっけな…。

 

「あ、修司!お前これ…」

 

僕の永琳の次に信頼を寄せる友達、雄也は、目の前にある掲示板を指して言った。

 

 

 

 

「────お前、新しい部隊の部隊長になってるぞ…」

 

 

 

 

「…はい?」

 言ってる意味が分からない。

 

「だから、取り敢えずこれを見てみろって」

 

雄也に勧められるまま壁に表示されている電子掲示板を眺めてみる。

 

 

──全隊員に告ぐ──

 

 今日から新しい部隊、『第三十一番特別任務部隊』を設立する。

 設立にあたって、部隊長は第六番隊隊員、白城修司に任命する。それに伴い、以下の欄に名前が載っている隊員は、今日からこの部隊の隊員として、異動の命を出す。

 拒否は無い。これは全部隊長と将軍の決定である。これまでより一層努力に励むこと。

 

 異動者名前

・井上梨花

・蔵木雄也

……………………

 

 

 

 

 一言言おう。

 

「ナニコレ…」

「本当、ナニコレだよなぁ…」

 

 数年の付き合いで僕の口癖を覚えたようだ。と言うか、僕が部隊長ってマジですか…。それに雄也が僕の部隊に入ってくるってことは、僕が雄也の上司に…。

 

「これ…抗議してこようかな…」

「止めとけ。上が満場一致で決定した事だ。今更覆せないさ」

 

雄也は乾いた笑い声を出す。新部隊長である僕が来た事で居づらくなったのか、周りの人々が蜘蛛の子を散らすように去っていく。

 

「…兎に角、これからよろしくな、部隊長さん」

「茶化さないでくれ…これでも落ち込んでるんだ」

 

 僕が部隊長だって?僕は人の上に立つ系の人間じゃないんだ。そんな、「気合い出せお前らぁ!!」なんて事言えるわけがない。あ、これは曾隊長の真似だよ。

 

 

 

 

 僕は急いで六番棟に向かい、六番部隊部隊長である曾さんの所に直接問いかけた。

 

「何故僕が部隊長なんてすか!?」

「落ち着け…これは仕方の無い事なんだ。俺も賛成をせざるをえなかった」

「せざるをえなかったってどういう意味ですか!」

「すまん。これ以上は言えない。…ただ一つ、言っておこう」

 

 

 

 

「────全く、雲上人(うんじょうびと)が考える事は分からんよ」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 僕は新たに造られていた防衛軍施設のドアの前、三十一番棟の目の前に来ていた。他とは違い急ピッチで仕上げたのだろう、あるのは最低限の設備と軽く事務室があるくらいだった。事務員も異動して来たらしく、既に数々の書類をテキパキと処理していた。事務員を優秀な人にしてくれたのは上の粋な計らいだと思う。

 

 ドアを開け、中を見てみる。そこには既に僕の下につく隊員達が揃って敬礼していた。

 数はざっと見積もって100程度。皆の中には雄也もおり、少しニヤついていたのは僕の見間違いではない筈だ。

 

「「「「「白城部隊長!これからよろしくお願いします!」」」」」

「……こちらこそよろしく。では、自己紹介から始めようか。これからは日々を共にする仲間だ。それぞれ誰かに思うところがあるかも知れないが、それは水に流そう。こっちに来てくれ」

「「「「「はいっ!!!」」」」」

 

 僕は迷いを見せずに彼らに接した。人を束ねる人間の凄いところは、迷わない心だ。ただ一点を見つめて、部下を引っ張る。見据える先をしっかり提示し、鼓舞する威厳と風格を醸し出す。

 これは俗に言う、カリスマというやつだ。曾隊長にはこれが少しあったが、まだ僕達を纏めるには値しなかった。

 

 彼が言った最後の言葉。あれの意味を僕は瞬時に理解した。

 

『全く、雲上人が考える事は分からんよ』

 

 雲上人とは、即ち雲の上の存在、人間とは隔絶した存在。

 

 ────神だ。

 

 それ以外有り得ない。そして、都市の敷地が広くとも、永琳がどれだけ博識だろうと、この辺りに神はただ一人────ツクヨミ様だ。

 

 彼女の真意は分からない。だが、一部隊を任される以上…

 

()の部隊は死なせない…)

 

 父が言っていたのを何とか“憶えている”。これを耳にタコができるくらいに聞かされたので、記憶にも鮮明に残っているのだろう。

 

 

 

 

 大きな部屋に移動し、輪っかになるようにパイプ椅子を並べる。そしてそれに全員座り、一人一人が簡単に自己紹介をしていった。それをコルクボード片手に全て書き留め、みんなの性格と諸々を記録していく。

 100人からなる部隊となると、各々の相性や性格が非常に重要になってくる。それが生命を賭け合うとなれば尚更だ。能力を使うのはどうしても良心が許さず、こういう方法をとることにした。この方が、互いの仲が深まると思ったからだ。

 

「─────よろしくお願いします」

パチパチパチパチ…

 

 最後の隊員が終わり、次は自分の番となった。まだ雄也がニヤニヤしているが、努めて無視する。

 

「よし、じゃあ最後は僕だね…。コホン、みんな、僕の名前は白城修司。防衛軍に入隊したのは二年前で、前は六番隊にいた。軍の仕事と兼ねて、八意様の従者もやっています。これからビシバシ鍛えていくから、よろしくね」

 

 

 

 

パチパチパチ……えぇ!?

 

 

 

 

 どうやら“八意様の従者”という部分に反応したらしく、部屋にいた全員が驚嘆の声を上げた。雄也と、僕と同じ六番隊の隊員以外は、パイプ椅子をガタンと後ろに飛ばして立ち上がった。

 

「ほ、本当ですか!?白城部隊長!」

「あの天涯孤独と謳われた八意様が従者を!?」

「部隊長があの噂の!?」

「という事は毎日八意様と一緒…!」

「何とも羨ま…驚きです!」

 

 一人おかしい奴がいた。

 

「ちょ、ちょっと待って…一人ずつ…」

「あーはいはい。質問はあると思うが、今はその時間じゃないぜ?少し冷静になれよ」

 

 ナイス雄也。僕とみんなの間に割って入ってくれたお蔭で、危うく僕が後ろに倒れるのを阻止してくれた。

 雄也のガタイのいい体が上手くストッパーになってくれ、みんなは冷静さを取り戻した。それぞれ元のパイプ椅子に戻って、静寂が舞い戻ったところで、僕はコホンと咳を一つした。

 

「…まぁ、おいおい色々な質問は受けるとして、まずはお昼にしようか。今日の訓練はそれからしよう」

 

 僕のこの一言で、始めの浮いた雰囲気は鎮まった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 初日という事もあって、今日は事務が異常に多かった。多くが経費やその他の諸問題の対処に関する書類ばかりだったが、永琳の仕事の手伝いでそういうのは慣れていたので手早く済ますことが出来た。二十歳が既に事務のプロとはこれ如何に…。

 

 だが、彼らを強くするにあたってどうしてもこのままの設備では不十分である事が判明した。

 この第三十一番特別任務部隊(略して特隊)に支給されている費用だけではどうしても他に遅れをとってしまう。最低限の維持費しか貰ってないからだ。これは新手のイジメかと部隊長として将軍達に抗議しようとしたが、バックにツクヨミ様がいる以上、下手に突撃してもこちらが被害を被るだけなので、仕方なく対策を考えた。

 

 そもそも、まずは何が足りないか。僕の持つ部下には何が必要かを知らなければいけない。そう思い、初日午後は、適当に武器有りの乱闘をさせてみた。

 すると、大体予想通りの事が分かった。

 

 一つ、兎に角体力が無い。

 二つ、技術が乏しい。

 三つ、戦闘経験が皆無。

 四つ、根性が無い。

 五つ、戦闘におけるイロハが全くなってない。

 

 とまぁ、他の部隊とさして変わりない欠点だった。当たり前だ、彼らは昨日まで他の隊で訓練をしていたばかりなのだから。

 

(…これは……ちょっと鬼畜にならないとどうにもならないかな?)

「はぁ…はぁ…修司、お前、今相当ゲスい顔してるぞ…」

「へ?そうかな?」

「あぁ…まるでこれから都市外周100周とか言いそうな顔してる」

 

 欠点やらなんやらを書き出したコルクボードを脇に挟んで頬を両手で押さえる。若干筋肉が上がっていたが、そんなに戦慄するほどゲスな顔をしていただろうか。

 それよりも雄也、君は霊力を使えるのに何故毎回毎回死にそうなくらいに疲れてるんだ。他は最早死んでるようにしか見えないけどさ、それにしては根性が無さ過ぎじゃないかい?

 

「それもいいかな…」

「止めてくれ、そんな事したら確実に死ぬ…」

「まぁそうだよね。よし、みんな今日はここまでにして帰っていいよ!」

「「「「「お、お疲れ様でした……」」」」」

 

 死屍累々。死体ではないのだが、それでもこの惨状は目も当てられない。

 やはりこれは早急に手を打たなければ…。それも、経費がかからない方法で…。

 

 

 

 

 家に帰っても、その悩みが引き起こす頭痛は同じだった。

 

 永琳から頭痛薬を処方してもらっても効果は薄く、それほどまでに軍関係とツクヨミ様関係の問題は僕の頭を締め付けていた。

 ツクヨミ様は一体何を思って僕を特隊の部隊長に昇格させたのだろうか。人格を能力で得ておけば良かったと今更ながら後悔するが、それで分かるのはあくまで人格や性格のみで、過去の記憶やこれからの行動などが分かる訳では無い。だが、得た情報からそれらを推測することは出来るので、決して無駄ではないのだ。

 

 彼女の問題は今考えてもしょうがない。今は僕の部隊のこれからのトレーニング法を考えよう。

 基本的な筋力トレーニング設備はあるし、自由にできる土地も少しある。隊員が怠惰を極めている訳ではなく、彼らはただ単にそれらを上手く使えていないだけだ…と思う。

 

 しかし、それを有効活用するのは些か不可能だ。機材は他の隊がいつも使っていて僕達が使える余裕が無いし、土地は、そこに物を建てる資材が無い。更地でランニングでもいいかもしれないが、それだけだと絶対に強くなれない。

 まず、前提が違うのだ。人間相手に四苦八苦しているようでは、妖怪なんぞ倒せるわけがない。防衛軍の真の敵は、異形の姿をした妖怪なのであって、体格が似た同種ではない。全ての要素において人間は妖怪に劣っており、それを補うようにして技術が発展した。だが、使用者が軟弱者では宝の持ち腐れというものだろう。

 では、人外に打ち勝つにはどうすればいいか。

 

 どんな切り口で問題を見てみても、結局はそこに行き着く。

 

「はぁ…」

 

 溜息の一つでも漏れるだろう。取り敢えず、今は目の前にある片付けられる問題に着手しなければ。

 自分の部屋のドアを開け、いつも事務をこなしているテーブルに持ち帰った書類を置く。

 

(さっさと終わらせて、永琳の手伝いに行かなくちゃ)

 

 

コンコン

「どうぞ」

 

「修司?お茶淹れたわよ」ガチャ…

 

 事務がまだ少し残っているので、それを自室でせっせと片していたら、永琳が部屋に入ってきた。

 

「ありがとう。それよりも、仕事の方はいいの?」

「心配しないで、それなりに順調だから。私よりもあなたよ。そのまま言葉を返すわ」

「あはは、この通りさ」

 

両手を挙げて降参の姿勢をとり、書類を手の甲でパシンと叩く。彼女にはメールと口頭で事を伝えておいた。勿論、とても驚かれたが…。

 これだけの動作で僕がどれだけ悩んでいるかを見抜いた永琳は、椅子に座ってお茶を湯のみに淹れ始めた。毎度思うのだが、何故こんなにも未来的なのに、お茶は緑茶で急須に湯のみなのだろうか。紅茶やジュース、コーヒー、まだ見ぬ未知の飲み物があってもおかしくないのに、何故か緑茶の需要が飲料の約六割を占めている。

 

「不思議だ…」

「ん?何が?」

 

目の前に出されたお茶を眺めて呟いた一言に永琳は怪訝そうな顔をしたが、僕は何でもないといい、舌が焼けそうになりながらも慌てて一口啜った。

 永琳はこの頃料理に熱心に取り組んでいる。この調子だと、すぐに僕の域まで到達するだろう。これで彼女はまた一歩完璧に近づくんだな……。時の流れを感じて、僕はそうしみじみ思った。

 

「あ、そうそう、聴いてくれない?」

 

 このまま永琳が僕の相談に乗ってくれると思ったのだが、現実はそうはいかないということを再認識した。

 

「…何?研究以外で問題?」

「そう、そうなのよ。最近ね、防衛軍はまだ人手不足を解決出来なくて、防壁の周囲の哨戒任務ですらみんな渋ってるの」

 

 まぁ、自分の部下や自分自身を危険に晒したくないし、人手不足をこれ幸いに理由に出来るから、今はサボり時なのだろうな。

 

「それで、壁外調査の任務が一番成果が芳しくなくて、上の人達はもう壁外に興味を示さなくなってきたのよ。予算を他にまわしてしまおうって」

 

 まだここ以外に人間が存在しているのかもしれないという一縷の希望を胸に、都市は月一程度で壁外調査を行っている。当然その時の兵士は防衛軍から出るのだが、これが毎回壊滅状態で帰還してくるのだ。

 もう、他の人類を探し出すのは無理なのかもしれない。そう、上は思っているのだろう。それには賛成だ。きっと、この世界に僕達以外の人間の集団なんて存在しないだろう。

 

「だから、もう壁外関係の任務は打ち切りにしようって議論が出てきたんだけど、私としては、まだやる価値があると思うのよね」

 

 上は、自分達だけよければそれでいいと思っているような下衆な連中なのだろう。永琳が顔を顰めたという事は、相当嫌っている筈だ。彼女が感情を顔に出す機会はそうそうない。彼女のポーカーフェイスは鉄壁だし、それを崩すほどの出来事もあまり起こらない。

 僕の想像としては、デブで、ケバケバしてて、人を舐めるように見て、無駄に豪華な格好をしていると思う。そして、かなりのナルシストだ。うん、思い浮かべただけで吐き気がしてきたから止めよう。

 

「私達の知らない事や、不足している資源、妖怪の生態の調査etc…。まだまだ外でやる事は山積みの筈よ」

 

 確かに、永琳の言う通りだ。だが、外には本当に何も無いように思える。あるのは夥しい量の妖怪と、豊かな自然と、見渡す限りの森しか………

 

「────これだ」

「だから私は…え?修司何か言った?」

「これだよ!永琳!」

「きゃっ!?どうしたの!?」

 

 ふふふ。我ながらなんていい作戦だ。これならば一石二鳥でいいことずくめではないか…!

 

「永琳、その予算の話、まだ終わってないんでしょ?」

「え、えぇ。と言っても、志願してくれる兵士が居ないし…」

「兵士なら僕達がいるよ」

「えっ!?でも、いくら修司でも流石に壁外は…」

「それに関しては大丈夫。予算の事だけど、そこで交渉だ」

 

 

 修司は人差し指をピンと立て、片目を瞑って不敵に笑った。

 

 




 今回は、ツクヨミ様との後半戦と軍での一悶着でした。

 曾隊長のあの『雲上人』という台詞、これは、作者の尊敬する小説家様がある本の場面で使っていた言葉です。著作権なんてものに引っかからないかは、運営のみぞ知る……。これを知っている人とは友達になれそうです。話が合う的な意味で。

 主人公の記憶喪失の件ですが、ご存知のとおり、何も知らないという訳ではありません。一般的な教養は持ち合わせていますし、ほんの少しではありますが、記憶はあります。
 しかし、記憶については非常に曖昧で、言葉や漠然とした思い出はあるのですが、それらがの詳細についてはさっぱりなんです。
 例えば、『両親』のおおまかな性格や印象は憶えているのに、具体的な姿形や様々なエピソードは思い出せない。『学校』というものに所属していたのは憶えているのに、どんなところだったのか、自分そこで何をしていたのかなんてことも忘れています。

 ポッと記憶喪失前の言葉が出てきたりする度に内心訳がわからなくなります。それを口に出すことはありませんが。
 とどのつまり、第一話で、主人公が持ち物確認をした時のようなレベルです。


 ……あ、言い忘れていましたが、現在の永琳が原作の彼女と違う点があるのは、『現時点』がそういう『時代』だからです。つまり、そういうことです。

 長文失礼致しました。それではまた次回に( ´ ▽ ` )ノ

 


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8話.鬼畜な打開策と地這いの妖怪

 どうしましょうか……。
 ここで説明しておきますと、修司はこれからどんどん『中身の仕組み』が変わっていきます。
 中身というのは精神的なあれこれのことでして、変化の度に出来るだけ詳しい説明を、作中か後書きにでも書いていきます。



 あと、言っておきますが修司はSではありません。これは絶対頭に入れておいて下さい!絶対ですよ!


 


「よしみんな!今日は別の場所で訓練するぞ!」

 

 永琳に交渉を持ちかけてから数日。たった数日で手を回してくれた永琳に感謝しながら、僕は部下に命じてある場所に行くことにした。それは……

 

 

 

 

「…やっぱり、森ばっかりだなぁ〜」

 

 

 

 

 この台詞で何処か分かった人はなかなかに勘がいい。雄也も含めて、部下全員が肩身を寄せ合ってブルブルと震えており、門の前だから居るわけがないというのに、森に向かって武器を構えている。その手も小刻みに震えていて、ガタガタいっていた。

 

 

 

 

 さて、こんな事になっているのには理由がある。それを今から数日に遡って説明しよう。

 

 

 

 

「そこで交渉だ」

 

 僕はそう言い、永琳を、いつもの目ではなく、ツクヨミ様を見た時のような目で見た。永琳はそれに気付き、顔を引き締める。

 

「交渉?」

「そう。実は、僕の部隊は今、途轍もない経済難に陥っている。更に、深刻な実力不足も。それもこれも、全部将軍達が仕組んだことなんだけどね」

 

 ツクヨミ様は僕をとことん苦しめたいらしく、経費はまともに使えないし、防衛軍の中でも成績がよろしくない隊員達を僕の隊に異動させた。雄也が異動してきたのは、恐らく曾隊長のせめてもの慈悲だろう。

 

 そして、と僕は立てている人差し指をそのまま永琳に向けた。

 

「永琳は、壁外調査を続行したいけど、上が興味を無くし、護衛の兵士も集まらないという」

「えぇそうよ」

「そして、僕は経費が足りずに、色々な面で不十分。ここで提案だ」

「提案?」

 

聞き返す永琳に修司は頷いて見せ、また不敵な笑みを作った。

 

 

「護衛を務める兵士を僕が育てるから、その経費をその予算で賄って欲しいんだ。期間は半年。それだけあればもう護衛の心配は無いし、今までみたいに妖怪に惨敗するなんて事も起きない。永琳も外で好きな事を出来る。どうだい?」

 

 

「…それは、凄く魅力的な提案ね。でも、本当にそんな事出来るの?修司、あなた、もしそれが達成出来なかった時は、流石の私でも守りきれないわよ?」

 

 それはそうだ。もしそこまで息巻いていたというのに、半年で碌に成長も出来ず、更に調査の成果が凄惨なものだったとしたら、永琳の従者としての僕の立場でも流石にお咎め無しは有り得ないだろう。都市の刑法に死刑があるのかは定かではないが、あるとすればそれが適用されるくらいに上の人達は怒る筈だ。

 僕は、元は得体の知れない存在だ。僕が一つでもミスをして、都市に何か損害を与えたとなれば、ツクヨミ様達はすぐに僕を切り捨てる。僕が成功しようと失敗しようと、それほど深刻な問題ではない。成功したらラッキー程度にしか思われてないからだ。

 それでも僕は、生き残るために成功し続けなければいけない。

 

「分かっているよ。これは賭けだからね。信用を勝ち取るためにはじっとしてちゃいけないんだ。それで、どうだい?」

「…………自信があるのね?」

「勿論。勝率は十分にある」

「………分かったわ。私が皆を説得してくる。失敗したら死刑でもいいというくらいで臨んでよ?」

「任せてよ」

 

永琳が心配が拭えないような顔をしている。修司はそれを見て、ズイっと右手を差し出した。

 

「はい、交渉成立」

 

有無を言わさずに選択を迫る。 それに流されるように永琳は手を出して握手をした。

 

「それじゃあ、説得の方はお願いね。僕は作戦を立てるから。くれぐれも、上の人達には注意してね。あんまり信用しちゃ駄目だよ」

「あっ…」

 

 手を離し、僕は部屋を出た。彼女の顔が覚悟を決める顔になっているのを見て、僕はそっと心に雨を降らした。

 

 

 

 

 彼女は全く分かっていない。“上の人”は信用出来ない。それはツクヨミ様や防衛軍の将軍、そして財閥や貴族などが当てはまるのだが、そこに八意永琳が含まれている事に、彼女は全く気付いていなかった。

 僕の本心はきっと彼女を信用したいのだろうが、今の僕は何者も信じない鉄壁のバリケードが張られているのだ。

 ここに来た最初は良かった。まだ能力もそんなに使ってなかったし、何より“僕”がしっかりと、心の奥底の、よく分からない黒い部分を抑えていたから。

 だけど、その状態は長くは続かなかった。“僕”は、どんどん膨れ上がっていくその闇を抑えきれなくなり、遂にそれは、僕の心を飲み込んでしまった。

 

 では、今この身体を動かしている意識は誰なのか。

 実は、“さっきの僕”は、曾隊長の人格が“本物の僕”の意志と混ざり合ってできた僕だった。隊長の少々無理矢理な性格が垣間見え、永琳は不審な顔をしていたが、何とか誤魔化すことが出来た。

 

 簡単に僕の精神を説明すると、心の闇という名の檻が、本物の僕の精神の一部を閉じ込めた。僕が能力で取り込んだ人格達は、その檻の外側に居る。そして、僕の身体を動かすために、その人格達が協力して“僕”の一部として生活しているのだ。だが、そのまま行動していたら、永琳達に必ずバレてしまう。なので、檻の中から、僕が彼らに逐一アドバイスを送っている…といった感じの状態だ。

 しかし、心の闇はその影響を、取り込んだ人格達にも及ぼしており、僕の意志とは無関係に他人を欺いてしまう。その結果、僕は見かけ綺麗な人間として生きてはいるが、中身は非常にドス黒く歪んでいる事になっている。心を読める妖怪とかが居たら一発でアウトだ。

 

 『混在する人格』。これは厄介な能力の弊害ではあるのだが、同時に白城修司の命綱でもあった。

 当然ながら、今身体を支配している人格達は、この状況を理解している。なので、永琳達に隠れてこっそりと、この闇を消滅させる方法を探していた。だが、効果的な方法はおろか、精神に干渉できる方法自体があまり無く、そのどれもが僕の望むものとはかけ離れたものだった。

 

(全く…いつまで騙し続ければいいんだ。交代してやらないと耐えられない)

 

 孤独でいるのは大変辛い事だ。誰も居ない牢屋で四肢を鎖で拘束されている“本物”は、これの比じゃないだろう。それに、闇が本物に少しづつ闇を注入していっているのを、僕は感じていた。時間はあまり残されていない。

 

(…だけど、まずは目の前の問題だ)

 

 廊下を歩くその後ろ姿は、さながら死地に向かう戦士のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 こんな事が数日前にあった。

 結果から言うと、永琳は上の人達の説得に成功し、僕は予算を受け取ることが出来た。

 

 僕はそれまでにある理論を立てた。

 

 

 

 

『人外と闘うには人外の特訓を』

 

 

 

 

 これは、言葉通りの意味だ。人外と闘うのに、人の範疇の修行をして勝てるわけがない。僕が熊の妖怪と死闘を繰り広げてから静かに思っていた理論だ。防衛軍の施設に収まってチマチマ運動していたんじゃ、勝てるものも勝てない。因みに、都市に来てから毎朝やっていたトレーニング法は、聞くと目を回すほどの内容なので知らぬが仏だ。

 

「なので、これから毎日都市の外で修行をしまーす」

「なのでじゃねぇよ!!!」

 

 僕が周りの木々を見てほくそ笑んでいると、後ろから雄也が叫んできた。

 

「人外と闘うには人外の特訓を。言ったでしょ?人間に勝てないのに、妖怪に勝てるわけがないって。なら、人間辞めちゃうくらいにハードな特訓をすれば、人間はおろか、妖怪にも勝てる」

 

「それは分かったけどさ、わざわざ壁外に出なくてもいいんじゃないか!?」

「「「「「そうだそうだ!!」」」」」

 

「僕達には時間が残されてないんだ。これくらいはやらないと、半年で成長しないよ?集合した時に説明した筈だけど…。他に三十隊もあるから、碌に訓練も出来ない。壁に囲まれた都市にとって土地はとても貴重なものだ。僕のやる訓練だと、どうしてもあそこじゃあ狭過ぎる」

 

 僕は訓練用の刃こぼれした脇差ではなく、真剣の太刀を持っていた。軍の借り物だが、なかなかの代物だ。それを鞘ごと肩に担いで言った。

 

「大丈夫。こんなに都市に近い所で妖怪は出ないし、出たとしてもそれは責任を持って僕がやるよ。そこは安心して」

 

 はにかんだ修司にみんなは段々と緊張が解れていき、次第に散開していった。

 

「よし、じゃあまず、体力トレーニングをやるよ!」

 

 さて、大型輸送車の手配をしておかなくちゃな。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「一人一本、斧で木を切って!出来るだけ根本を狙ってね!」

 

 地獄の特訓のファーストステップは、木こりだ。これは全身の、特に足腰と体幹を使う重労働だ。

 隊員は各々斧(洒落じゃないよ)を持って、近くの木の前に立った。そして、柄を両手で握って、高く振り上げた。

 

ザクッ!

 

 これだけでも結構な体力を使う。僕は順調に木を切っている彼らを視界の端に収めながら、平地を増やすために太刀でどんどん木を切っていった。一撃で根本を断ち切ると、周りから驚嘆の声が上がり、同時に僕の人外認定度が上がった。僕を化け物を見る目であまり見ないで欲しい。

 

ザクッ!ズドン!ザクッ!ズドン!

 

 軽快なテンポで木を切っていく。彼らも半分くらいまで切り終わっており、中にはグラグラとその幹を揺らしている危ないものもあった。

 僕が大体100本くらい切り倒したくらいで、隊員達が切っていた木が倒れる音がチラホラし始めた。あちこちで不規則に緑の山が地面に横たわっていくのが見える。

 二時間位で全員が一本切り終わり、再び僕の元へと集まってきた。

 

「次はこれだよ」

 

ノコギリを取り出し、掲げて見せる。

 

「これを使って倒した木の枝を全て落としてくれ」

 

 僕は倒木と共に枝も太刀で切り落としていたので、周囲には建材に使えそうな丸太がゴロゴロ転がっていた。

 隊員達がまた散っていくのを見ながら、僕は半年のスケジュールの第一段階がいつまでに終わるかを予想した。

 

(う〜ん。この調子だと……短くて二ヶ月かな…)

 

 既に彼らには疲労の色が見え始めていた。このくらいでバテてしまってはこの先が不安で仕方ない。ハンドチェーンソーなどを使わずに手作業のノコギリを使うのは、勿論特訓のためだ。

 

 枝切りにまた一時間かかってしまい、もうそろそろお昼が近付いてきた。だがまだ休憩はしない。これはメンタルを鍛える訓練でもあるのだ。限界を突き抜けるくらい疲れてもらわなければ、訓練の意味がない。

 今日の予定としては、日が暮れるまでここの土地を更地にする作業をやる事だ。今日一日で終わり、明日から地獄を味わってもらう。と言っても、僕が毎朝やっているトレーニングとあまり変わらないのだが…。

 

 枝切りが終わったようだ。次は、一人二本丸太を門前まで運んでもらう。それが終わったら、今度は切り株を引っこ抜く作業、次は、地面を掘り返して慣らす作業だ。

 

「さぁて!やるからにはとことんやるぞ!」

 

 後の隊員の話では、指示を出す時の隊長の顔は生き生きしていたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 夜中まで長引いたが、何とか今日のノルマは達成できた。隊員達はヘタれた雑巾のように倒れ込み、大型輸送車を手配していてよかったと思った僕だった。丸太を運ぶために手配したのではなく、こうなる事を予想していたから用意したのだ。

 だが、それも数ヶ月すれば必要が無くなるだろう。これから化け物対策の鬼畜な修行が始まるのだ。門から軍施設までマラソンで来るくらいには体力をつけてもらう。施設は門から三桁キロメートルくらいはあるので、それを片道大体一時間で移動できるようになれば及第点だ。因みに、中央にはツクヨミ様がいるドでかい建造物が建っている。

 

 さてさて、壁外訓練二日目。

 

「今日からみんなには、今から言うメニューを毎日やってもらう。最初は死ぬかもしれないくらいきついかも知れないけど、頑張ってね」

 

「い、一体どんな……」

「き、昨日の筋肉痛が…」

「うごぉ…後は頼んだぁ……痛ぁ!?」

 

 早速リタイア発言をしている奴には挙骨をかまして、僕はこれからのトレーニング(拷問)を説明した。

 

 飛びっきりの笑顔を添えて。

 

「まず、丸太にロープを括りつけて、平地に沿ってそれを引っ張って走る。これを百周走ったら、次は────」

「ちょっと待った!そんなの出来るわけねぇだろ!」

「出来ないじゃなくて、やるんだよ。そして次は、丸太を持って素振り千回。そしたら今度は………」

 

 ツラツラと地獄のフルコースが修司の口から出てくる。殺意を帯びていないのが不思議なくらいに殺人的な内容に隊員達は震え上がり、昨日の疲れが愛おしくなるほどの恐怖に体を支配された。まだ何もやっていないというのに、身体が急に重くなり、自然と瞳に絶望が浮かんでくる。

 

「────それで、目標は、今言ったのを全て昼までに終わらせる事。それまではひたすらこの体力強化をやってもらうよ。終わるまでは帰れないから」

 

 最早虚となった目をしながら輸送車に積まれている太いロープを手に取る。それを腹に巻き付けて縛り上げ、昨日自分達で放って置いた丸太に反対の端で括りつける。

 

「さて、僕もやろうかな」

 

 ここで腕を組んで達観していると、隊員達から反感を買いかねない。部隊長である僕も一緒になって修行をすることによって、これが人間に不可能なものでない事を示し、同時に僕に対する、尊敬に似た忠誠心を育てる。上司として部下の信頼はとても大切なものだ。それに、僕の修行にもなるので、一石二鳥である。そろそろ都市内でやっているトレーニングだけでは足りないと思っていたところだ、丁度いい。

 

(そういえば、ここまで触れなかったけど、なんで僕の筋力とかは凄いことになってるんだろう。それも、最初は普通だったから、毎日のトレーニングのせいだと思うんだけど…)

 

 太刀で木を伐採したり、現在進行形で丸太を引っ張って競輪選手並みの速度を出していたり、この前は雄也の霊力を纏った拳を片手で平然と受け止められたし、一体僕の身体に何が起こっているのだろうか。

 と、考えながら走っているところで、ある一つの結論に行き着いた。

 

(…もしかして…また能力のせい?)

 

最近概念系の本ばかり読んでいたので、屁理屈や概念、別視点からの切り口を見つけ出すといった難しい作業が上達してきた。

 

(きっと、能力のせいで身体の方も限界が無くなっちゃったのかな…)

 

 都市の人間に寿命が無いのは、穢れが無いからだ。そして、寿命が無いという事は、その人の限界も無いという事。人間に寿命があるのは、そこに限界を設定されているからではないか。

 『寿命は限界の象徴』。これは全ての生き物に適用される原則であると僕は思う。聞けば、妖怪にも寿命────限界があるというではないか。つまり、年数を追うごとに、戦局は僕達都市の人間に有利になってくるということ。

 

 だが、寿命が無いからってそれにかまけて然るべき訓練をしていなければ、絶対に人間は勝利出来ない。僕がやっている訓練は、人間の終わり無き成長を促進させる特効薬なのだ。

 

(でも…)

 

 僕は素振りをしながら、まだノロノロと走っている僕の部下達に目をやった。

 

(曲がりなりにも何年も訓練をしていた彼らを軽々と抜いちゃうなんて、おかしいと思うんだよな…)

 

 原因があるとすれば、それはやはり能力の効果なのだろう。だが、人間を遥かに凌ぐ力のある何かを昇華した記憶なんてない。失った記憶の中にあるのだろうか。

 

「う〜ん…?」

 

 考え事をしながら無心で丸太を振り回していると、門から見て正面に妖怪の気配がした。数は三体。このままだと門前の土地で訓練をしている僕達と鉢合わせをしてしまうだろう。

 

「みんな!急いで門まで来て!」

 

 これは寧ろいいことかもしれない。妖怪との闘い方を教えるまたとな機会だ。

 隊員達は丸太と繋がっているロープから脱出し、急いで僕の後ろに下がった。僕の声音から危険を察知したのだろう。

 

「今から妖怪が来る。数は三体。僕の闘い方をよく見て、学んでくれ」

 

 今日の装備は脇差よりも少し短い両刃の剣を二本持って、双剣スタイルだ。両腰にその鞘を引っ提げ、他に装備は無し、軽装だ。と言うか、僕はいつも武器だけを持つ軽装スタイルだ。防御よりも機動力に重きを置いている。

 永琳に改造してもらった僕の制服のベルトにかけられた双剣を、腕をクロスさせて抜き放ち、ゆっくりと前に出る。妖怪の気配は、平地が途切れて森が残っている所で茂みにアンブッシュしている。こちらの様子を窺っているのだろうが、バレバレだ。恐らく、妖力もあまりない低級妖怪だろう。

 

 しかし、直ぐに飛び出さないところを見ると、知性はあるようだ。低級にしては珍しいタイプだな。

 隊員達は置いてある光線銃を装備しようと輸送車に駆け寄ろうとするが、それを雄也が制した。

 

「…止めろ。隊長が自ら妖怪との戦闘を見せてくれるんだ。絶好の機会だぞ」

 

 防衛軍は、哨戒任務で妖怪との戦闘はチラホラあれど、それのどれもが敗走している。つまり、妖怪に勝てるビジョンというものを持っていないのだ。妖怪との戦闘のノウハウは、本で教わっても決して身につかない。雄也達にとって、これは最高の経験だった。

 それを理解したのか、全員が一列に並んで、修司の後ろ姿を見守ることにした。

 

 背後の一悶着に僕は笑みを零しつつ、目の前の茂みに隠れている妖怪を睨んだ。

 双剣をダランと垂らし、自然体で相手の出方を窺う。知性はあってもそれ程ではないようで、それを好機と見た狼型の妖怪が二匹飛び出してきた。

 

「…まぁ、こんなものか」

 

 頭脳戦も視野に入れていた修司はそう嘆息し、斜め前左右から襲い来る大きな口との距離を把握した。

 体長は成人男性と同じくらい。引き締まった胴を持ち、鋭い鉤爪と木の幹をも噛み砕けそうな牙。低級妖怪でもこれは上位に位置するそれなりの妖怪だ。

 

 二方向からの攻撃だが、行き着く先は同じ。

 修司は咄嗟に後ろに飛び退くことで初撃を避けた。

 これで狼同士衝突するかと思った修司だったが、左が途中で地面を蹴って勢いを殺し、右にスペースを作った。

 

(へぇ…意外と考えるね)

 

 無事に着地した二匹はその場からサッと飛び退り、その脚力を活かして一瞬で修司の左右に陣取った。これで挟み撃ちにしたとでも言いたげに唸り、こちらを知己のある目で見る。

 

「僕は動かないよ。さぁ、かかってきな」

 

修司はそう言って双剣を仕舞うと、二匹に向かって挑発をした。だが二匹は唸るだけで、襲っては来ない。

 

ヒュン!

 

「うおっ」

「グオォォォ!!」

 

 まだ茂みにいるのであろう妖怪から、唐突に石が投げられた。それと同時に左の狼が大きく吠え、修司は首を傾けて石を避けながらそちらを見て身構える。

 だが、狼は吠えただけで、その場から動いていない。という事は…

 

(後ろか…!)

 

微かに地面を駆けてくる音が聴こえてきた。こいつら、なかなか策士だな。石で余裕を削り、咆哮で意識を咄嗟に逸らして、ダッシュしてきた片方の気配を上手く誤魔化した。

 だが、こちらは化け物とまで言われた人間。そんな小細工でやられるほど間抜けではない。

 

「はっ!」

 

 体を逸らしてブリッジをし、上半身目掛けて突撃してきた狼の真下に入る。そしてそのままの勢いで脚を畳んで逆立ちの状態になり、タイミングを合わせて狼の無防備な腹に両脚で蹴りを入れた。

 

「キャン!」

 

狼が真上に向かって打ち上げられる。そのままバク転で立った修司は、落ちてくる狼向かって左腰の剣を右手で抜き、その胴に斬り上げを放った。

 鮮血が迸り、剣で撫でられた胴から真紅の液体が飛び出す。地面に落ちた狼はゴロゴロ転がって逃げようと試みるが、修司は追撃しようと剣を逆手に持って振り下ろした。

 

 それを見たもう片方の狼が飛びかかってきた。だが修司の刃の方が数瞬速く、首に深々と突き刺さった剣が一匹の命を刈り取った。

 

「ガルアァァァ!!」

 

死体の目の前でしゃがんだ状態の修司に、頭がすっぽり入りそうなくらい開かれた口が迫る。そこに並ぶ鋭利な牙が太陽の光を受けて煌めき、彼を噛み砕かんと距離を詰める。

 

「破ぁ!」

 

 咄嗟に左手でカチ上げるように掌底を放ち、狼の顎を無理矢理閉じさせる。その際衝撃を狼の頭部に撃ち込み、軽く脳震盪(のうしんとう)を起こさせた後、そのまま口を掴んで地面に叩きつけた。

 狼や犬などの四足歩行の生き物は、基本口を押さえると身動きを封じることが出来る。

 この狼も例に漏れず、右手に握ったままの剣を引き抜いて、突き刺そうとしても、頭の部分はピクリとも動けなかった。

 

 

ザシュッ!!

 

 

 二匹とも始末した修司は、ゆっくり立ち上がると、まだ出てきていない残りの妖怪に目を向けた。

 

「終わったよ、いい加減出てきたらどうだい?」

 

 右腰の剣も抜いて、狼の死体から離れる。死体に足を取られる可能性があるからだ。

 

 

 

 

「────君、強いね、名前はなんて言うんだい?」

 

 

 

 

 余程知性のある妖怪なのか、言葉を使った意思疎通をしてきた。

 

「驚いた。喋る妖怪なんて珍しいね」

「私もつくづくそう思うよ。何せ、周りは喋れない奴ばかりだからね」

「記念に姿を現してくれないかい?」

「それは無理だね」

「そうか、残念だ。…それで?闘うかい?」

 

 茂みの中の誰かさんは暫し考えた後、若干笑って言った。

 

「いや、“今”は止めとくよ。その代わり、会いたいなら会ってあげる。湖がある山の頂上に来れればね」

 

 近くに湖がある山といえば、門から真っ直ぐ行ったところにあるあの山くらいしかない。あそこはかなりの危険地帯となっており、その頂上ともなれば、生きて出られる確率はかなり低いだろう。だが、僕なら行ける。

 

「あはは、それじゃあ、気が向いたら会いに行くよ」

「そうかい。それなら気長に待つとしようかね」

 

 こいつは危険な妖怪だ。今だから分かるが、溢れる妖力をひた隠しにしている。ただ力があるだけじゃなく、力の制御も完璧だ。実力は大妖怪レベルに匹敵するだろう。こいつをこのまま野放しにしていたら、いずれ都市に攻めてくるかもしれない。不安要素は排除しておくにかぎる。

 だだし、今飛び込むのは非常に命取りだ。暗く、アンブッシュしている敵に真正面から突っ込んで何とかなった実例は一つとして存在しない。ここは、相手の誘いに乗っかって互いに一旦退いた方が賢明だろう。折角相手が待ってくれるのだ、対策を練ってからでも遅くはない。

 

「せめて、名前だけは教えてくれないか?」

「ん?名前かい?……そうだねぇ…」

 

 森の気配に上手く同化しており、声が森全体から聴こえてくるかのように錯覚してしまう。

 

「…私の事は、『地這いの妖怪』って呼んでくれ。名前は会った時に教えるよ。君の名前もその時にね」

「『地這いの妖怪』…分かった。覚えておこう」

 

 僕が了解したと言うと、妖怪の気配が遠ざかっていくのが感じられた。だが、それでも警戒を緩めずに、双剣を構える。投げ物が飛んでくる可能性もあるからだ。

 基本妖怪は信用ならない。本質として人に畏れられ、人を喰らう事で生きながらえる生物だ。騙し、卑怯な手を使い、残虐に攻撃してくる。

 山で待っているというのも嘘かもしれない。途中で大群を襲わせて殺すかもしれないし、そもそもあの山にいないかもしれない。

 それでも行くしかないのだ。それを理解しているから、わざとこんないやらしい手を使ってきた。下手するとそこらの人間よりも頭のいい奴かもしれない。あいつの言動からは人並み以上の知性を感じられた。

 

 気配が完全に消え、森が柔らかな雰囲気を取り戻したのを確認してから、修司は剣の血を払い、鞘に収めた。

 

「ふぅ…さぁ、終わったよ!」

 

 努めて元気な顔をして振り返る。そこには色んな感情が混ざり合った隊員達がいた。

 驚愕、尊敬、畏怖、疑問…。色々あるが、やはり一番は恐怖だった。それは僕に向けられたものではなくて、妖怪に向けられたものだった。一瞬僕に対してだったらどうしようかと思ってしまったのは秘密だ。

 唖然としている彼らにゆっくり歩み寄る。

 

「妖怪と闘う時は空間把握能力が重要だ。それと、視野を広く持つ事。常に相手の隙を窺って、最善の一手を打ち続ける。妖怪の一撃は強力だ。極力攻撃を受ける事はお勧めしないよ」

 

 まだ固まっている隊員達に先の戦闘の解説を始める。開いた口が塞がらない彼らは、僕の言葉をただ頭の中に入れていくことしか出来なかった。

 

「────一通り説明し終わったかな。じゃあ、訓練を再開しようか」

 

 先ほどまでの気迫をまるで感じさせない爽やかな笑顔で拷問の再開を言う。これまでの訓練で手合わせをした時とはまるで違った雰囲気を纏っていた僕に気圧されるように、彼らは自分の丸太に駆けていった。

 これが本物の殺し合いだ。どちらかが生き、どちらかが死ぬ。兵士ならば当たり前のように理解していた筈のその現実を目の当たりにし、彼らは肝を握られたかのような恐怖感に包まれていた。殴られ、斬られ、撃たれて怪我をする。それのなんと生易しい事か。

 このままではこの狼のようになるのは自分だ。次は、自分が襲われて死ぬかもしれない。その未来がありありと思い浮かび、彼らは強くなるための道を決死の覚悟でひた走る事を、固く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 壁外での訓練を開始してから約一ヶ月が経過した。

 最初は月が天辺に来るまで体力トレーニングが終わらなかった隊員達も、今ではお昼を食べ終わる頃くらいまでに終了出来るくらいに体力をつけた。当初の予想では二ヶ月かかると思っていたのに、これは嬉しい誤算だ。

 どうやら、僕が二日目に見せた戦闘が、彼らの尻に火をつけたようだ。必死に体を動かすその姿を見て、僕はそう予想づけた。人間死を目の前にすると何でもするのだ。火事場の馬鹿力…なのかどうかは知らないが、兎に角、危機感を持って死にものぐるいで訓練した分は、しっかりと体に力となって反映される。

 隊員達が驚いていた。部屋の模様替えで箪笥を持ち上げた時、片手で軽々と持ててしまったらしい。他にも、遠くのスーパーに向かうために走っていたら、いつもの半分以下の時間で着いた等等、色々な場面で特訓の成果が出ている。

 

 だが、まだ鍛えたのは体力面だけだ。このままではただ逃げ続けるだけの敗走者になってしまう。では次は戦闘技術を鍛えるのかと言われれば、否だ。それはまだ先の話。

 

 全員が昼頃に終わったのを見計らって、修司は武器を取るように言った。え、戦闘訓練はまだ先じゃないのかって?いやいや、これから行うのはただの……イジメだよ。

 

 

 

 

「よし、全員武器は持ったね」

 

 

 

 

 僕は今、隊員達を全員、僕を囲むようにして座らせている。そして、一人の兵士が自分の得意とする武器を持って躍り出た。

 

「これからやるのは妖怪と消耗戦をやるには欠かせない訓練だ。何も考えずに、ただ僕を倒すために来て欲しい。僕はそれをこれで受けて────反撃する」

 

 僕はそう言って、眼前にナイフを持ち上げた。

 

 僕の言葉に、みんなは驚いた。刃こぼれをしていないナイフで反撃をする。それがどういう事か、それを理解していたからだ。

 彼らが持っている武器。それも刃こぼれをしておらず、また銃ならば、大木を穴を開けるくらいに強力な本物のエネルギーマガジンを装填している、所謂“殺せる武器”だった。

 隊長は、互いに怪我をする覚悟でかかって来いと言っているのだ。しかも、殺さない…なんて事は一言も言ってない。つまり、殺される危険がある。

 更に最悪な事に、隊長に攻撃を当てられた人は一人もいない。これは即ち、一方的なイジメだということだ。

 

「……お願いします…」

「お願いします」

 

 最初の兵士(生贄)が両刃剣を持って僕の前に現れる。そして、たどたどしい動作で剣を構え、少し息の上がった肩で震えを押さえる。さっきまで地獄のトレーニングをやっていたのだ。今の体力なんてたかが知れている。彼らは昼までにあのメニューを終わらせれるほどの信じられない体力の持ち主だが、今はそれで精一杯な状態だ。とても闘う体力なんて残されていない。

 

 だが、このまま黙って突っ立っていると、僕に攻められてしまう。それを分かっていた彼は、気力を振り絞って僕に突撃してきた。

 

「はああぁぁぁ!!」

 

 純粋な唐竹割り。上から下に振り下ろすだけの単純明快な攻撃。もっと芸のある接近をしなければ触れることすら叶わないというのに、彼にはそれをするだけの力が残されていなかった。

 故に────

 

「ふっ」

 

 短く吐いた息と共に、修司はナイフの刃で彼の攻撃を楽々受け止めた。

 そしてそのまま真上に弾き、空いた胴に蹴りを放った。油断をしていない、本気の蹴りだ。

 

「がはっ!?」

 

 方向を斜め下にしておいたので、地面で衝撃を押さえながら彼は転がる。人垣で作られたリングから出ないための修司の計らいだ。

 予想通りすぐに彼は停止し、その場に横たわったまま蹲る。

 

「うぅ…」

 

 骨は何本か逝ってるだろう。だが、これで終わる修司ではない。

 

「あ"あ"ぁぁぁ!!」

 

 蹲っている彼を仰向けにして、その肩をナイフで突き刺した。生々しく肉が裂ける音がして、そこから血が吹き出る。

 更にエグいことに、傷口にナイフを突き刺したまま、前後左右にナイフを動かし始めた。声にならない叫び声が上がり、痛くなるのも構わずにジタバタともがき始める。しかし修司は、しっかりとマウントポジションをとっているので、生半可な反抗では解けない。

 修司は更にナイフを色々な箇所に刺していき、その度にグリグリと患部を抉っていく。筋肉をグジャグジャにしていくように刃を操り、心臓の鼓動に合わせて動脈からテンポよく吹き出る血液を噴水のように放出させる。

 

 周りの隊員達はこの残酷な現状に我慢出来なかったのか、輪の外に弾き出て森へと走っていく。口元を押さえていたので、そういうことなのだろう。

 

 妖怪に対抗出来る頑強な兵士の条件は、無尽蔵の体力と、一撃ももらわない回避能力、それと、“痛みに対する耐性”だ。

 ついでに言えば、グロい状況にも耐えられるようになるのが理想だが、そっちは自然と身につくだろう。だが、“これ”は、どうしても避けては通れない修羅の道だ。それも、わざと負う怪我ではなく、闘って負う怪我でなければ意味がない。こうして戦闘の中で傷を負うことで、もし妖怪の一撃をもらったとしても戦闘が続行出来る強靭な精神力を培うことが出来るのだ。

 これは妖怪に襲撃された時に生き残るための重要なステップであり、訓練の第二段階でもあった。

 都市で怠惰の限りを尽くしているこいつらを立派な兵士にするには、少々強引で残酷な方法かもしれないが、これが一番の近道だった。部隊長からの愛の鞭だと思って頑張って耐えて欲しい。

 

「修司!このままだと死んじまうぞ!」

 

 雄也がそう叫んだ。確かに、今僕の下にいる彼は、皮膚を青白くしており、完全に失血状態だった。痛みで死ぬよりも先に、失血死で死ぬだろう。

 

「…ふむ、ここまでか…」

「修司っ!!」

「彼のいつも使っていた丸太をここに持ってきてくれ」

 

雄也の叫びを全く意に介さず、僕は一番近くにいた隊員に声をかけた。隊員は急いで丸太を引っ掴んで二人の元へ飛ぶように駆けていき、振動で彼に痛みを与えないようにそっと地面に置いた。

 

「これを実際に使うのは初めてだな……ふっ!」

 

 僕が丸太に手を翳して力を込めると、丸太が淡い光を放ち始めた。そしてその輝度を増していき、遂に一つの光源となった時、丸太の形が変形した。丸太の体積はどんどん小さくなって、最終的に瓶のような形になった。

 そして光が消えると、そこには液体が入っている一つの小瓶があった。隊員達はその摩訶不思議な現象に驚き、目の前でつい先程起こった出来事そっちのけでその瓶に視線を向けた。

 

「さて、これを傷口に垂らして…と」

 

跨った状態を解除して立ち上がり、その小瓶を手に取ると、死ぬ寸前の彼の患部に瓶の中身を一滴ずつ垂らした。

 中身の緑色の液体が彼の傷口に触れて染み込んだ時、不思議な事が起こった。なんと、傷口が自己回復を始めて、完璧に塞いでしまったのだ。それに隊員達は更に驚き、最早見世物を通り越した目で二人を見た。

 

 これは、僕が永琳と過ごして数年経った時に偶然気付いたのだが、僕は、永琳の都市の人間の性質と、彼女の蓄えた知識を昇華したつもりだった。

 しかし、本当はもう二つ、人格と“能力”も得ていたのだ。

 人格の方は能力を得たと同時に得るのだが、問題は僕の能力の性質だった。

 永琳の能力名は、『あらゆる薬を作る程度の能力』。そして、僕の能力は、『昇華する程度の能力』。僕の能力で得たものは、数段階進化した────所謂上位互換となって僕に蓄積されるのだ。

 つまり、僕は永琳のこの能力を手に入れたが、それよりも上位に位置する、『どんな薬でも創造する程度の能力』となって僕のものになった。名前は、この能力を認識した瞬間に頭に浮かんだものだ。

 

 この能力は、僕の想像が及ぶ範囲のものならなんでも薬を作れる能力だ。しかし、それには相応の体力を消費するか、それと同価値のものを対価に選ぶ必要がある。今回は、隊員のいつも使っていた丸太を対価に能力を使用して、彼を全快の状態にする薬を創造した。丸太なら僕が切り倒したものが何本もあるから、それを使えばいい。

 

 とどのつまり、僕は能力を二つ保持している事になった。いや、考えようによっては、僕の本来の能力の派生能力と考えるのが妥当か?元を辿れば、この能力を生み出したのは『昇華する程度の能力』なのだし…。兎に角、これがあれば兵士をどれだけ傷つけようとも、無傷で家に返すことが出来る。なかなかに便利な能力だ。

 

「さぁ、彼を輸送車両に運んでくれ。…次は誰だい?」

 

 血に濡れたナイフを指でなぞりながら、僕は殺気を込めてそう言った。

 

 




 今回は、永琳との交渉とマジで鬼畜な訓練のスタート、それと『地這いの妖怪』というオリキャラの登場(?)です。


 戦闘や技術、様々な理念に関する記述は完全な個人の見解ですので、何も文句は言わないでください。

 さてさて、オリキャラ追加ですね。果たして『地這いの妖怪』は修司にどんな影響を及ぼすのでしょうか。ついでに隊員達はどうなってしまうのでしょうかw。土台が出来上がってきた気持ちの作者です。
 戦闘シーンにしか希望のない作者ですが、戦闘シーン、どうでしょうかね?詳しく、それでいて端的に、加えて疾走感のある戦いを目指しているものですから、ハードルが高すぎて頭痛がしますw。

あと、修司の能力のえげつない効果が判明しましたね。能力を上位互換に進化させて手に入れることが出来る……インフレの予感!w

 それでは次回もお楽しみに。
 閲覧ありがとうございます!!

 


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9話.化け物の不死隊と奇妙な友人

 今回は、完全に作者にとっての息抜き回です。

 展開は進むのですが、普段よりはシリアス成分少なめです。いつものをブラックコーヒー並の渋さだとすると、これは砂糖二杯分くらいの甘さが追加されています。……え?違いが分からない?作者も分かりませんw


 閑話的な役割を担っている今話ですが、微妙に楽しんでいってください。

 ではどうぞ。

 


 壁外訓練も三ヶ月目が終わろうとしている。隊員達は非常に(たくま)しくなった。目から余分な光が消え、淡々と相手を見据える冷えた目つきというのを修得し、兵士らしい“底を見た”雰囲気を纏うようになった。体力と精神面を鍛え上げたことで、“雰囲気と体だけ”は他の部隊の兵士とは比べ物にならないくらいの仕上がりとなった。

 

 第二段階のイジメのせいで隊員達から嫌われるのではないかと内心ビクビクしながら日々を過ごしていたのだが、案外そんな事は無く、寧ろ頑張って僕に一太刀浴びせようと躍起になっていた。きっと兵士に志願した時から、心の奥底で、強くなりたいという渇望が燻っていたのだろう。それには最大限応えなければ、部隊長の名が泣く。

 

 男女分け隔てなく細切れに(メンタルを)切り刻んでやったのだが、僕が創造した薬のお蔭で傷は一つも無い。なのでお嫁に行けないなどの問題は無いのだが、最近、忠誠心があるのか、僕の部隊の女性達が必要以上に僕に接してくるようになった。それも、かなりの尊敬の眼差しで。僕は付き合うとかそんな気は全く無いという事をそれとなく教えてみたのだが、全然効果が無かった。

 

 二日目にあったような妖怪の襲撃が何度かあり、それを見抜けなかった僕が、たまたま妖怪の近くにいて襲われそうになっていた女性の隊員を助けたのが英雄のように見えたのかもしれない。

 

『ふぅ…危なかったね、大丈夫だったかい?』

『あ…はい…だ、大丈夫…です…』

『ごめんね。守るって息巻いていたのに、こんな危険な目に遭わせちゃって。ほら、立てる?』

『わっと…あ、ありがとう…ございます…』

『部下の心配は部隊長として当たり前の事だからね。これくらい当然さ』

『そうですk…きゃあ!?』

『おっと、はは、腰が抜けたのかい?しょうがないな…』

『ふわあぁぁぁ!?』

『見て!隊長がお姫様抱っこで運んでるわ!』

『……ちょっといいかも』

 

 これのせいで、女性陣から絶大な人気を得ることになった。それは他の部隊にも波及しているらしく、用事で防衛軍施設の方に顔を出した時なんかは、それはもう、言葉に表したくないくらいに凄かった。

 あんな事しなきゃ良かったと後悔しても後の祭り。今では秘密のファンクラブまである始末。そこでは僕の事を王子様だの英雄だの好き勝手に呼んでいるらしい。実際に見た事は無い。いや、見たくもない。

 あの時の永琳みたいな事件が今度は沢山の女性相手に起こるなんて想像もしたくない。あれは軽く女性不信に陥るくらいに僕には刺激の強過ぎるものだった。

 

 と言うか、僕みたいなシチュエーションは他にもあるような気がする。それが気になった僕は、雄也にこっそり訊いてみた。

 

『ねぇ、以前にも僕みたいに誰かを助けた人って居ないの?』

『いんや、一人も居ないな。防衛軍全員が臆病で、まず一番に逃げる事を考えるような連中だ。それに…』

『それに?』

『不意打ちでお姫様抱っことかする奴を俺は見たことが無い。自覚なしというのがまたな…。もしやお前、天性の女たらしか?』

『ぶふぅ!?』

『うぉい!?飲んでた水を吐き出すな!』

 

 とまぁ、こんな感じだ。

 

 

 

 

 さてさて、今日もしっかり訓練をしようかな。

 

「隊長!」

「ん?どうしたの?長谷川さん」

「あの、これ、飲み物ですっ!」

「えっ?あ、ありがとう…」

「し、失礼します!」

 

 昼前、みんな最初のトレーニングを普通にこなすくらいまで成長した。痛みの耐性も十分だ。いよいよ次のステップに進む時期かな…。予定よりも大分早くに二段階目までが終了した。次はついに、武器の扱い…即ち戦闘訓練だ。

 

 それはいいのだが…

 

「隊長!タオルです!」

「あぁ、ありがとう」

「家でお菓子作って来ました!食べて下さい!」

「う、うん。訓練が終わったらね…」

「隊長はどうしてそんなにお強いんですか?」

「ぼ、僕はそんなに強くないよ…」

「隊長はすごく優しいですね!前の部隊長とは大違いです!」

「こら、他の部隊長さんを悪く言っちゃいけないよ」

「「「「「は〜い!」」」」」

 

 女性陣は群がり…

 

「おい、最近隊長が妙にモテてねぇか?」

「「「「「同感だ」」」」」

「悔しいけど確かに顔はそれなりだしな…」

「「「「「気に食わん」」」」」

「あの高身長もモテる理由かな…」

「「「「「そう思う」」」」」

「だが、ひょろひょろだぜ?筋肉なら俺達の方があるだろ」

「「「「「全くだ」」」」」

「けど、あの時の隊長は結構かっこよかった…」

「「「「「悔しいがな…」」」」」

「つまるところ……」

「「「「「はぁぁ〜〜」」」」」

 

 男性陣は溜息を漏らす。

 

 なんだこのマンガの中の転校生のような構図。学園モノの定番だが、こんなものが実際に起こるとは思わなかった。こういうのは空想上の出来事ではないのか。

 ともあれ、このまま流れに流されてはいけない。時間は有限寿命は無限。覚える事は数多あれど命は一つなのだ。

 

 ヤイヤイしている隊員達(生徒達)を宥めて、取り敢えず集合させた。いつもは輪になって一人ずつ手合わせという名の耐久訓練をするのだが、今回からは次のステップに進むので、もうそれは無い。

 

「修司、一体何をするんだ?」

 

 雄也が訊いてくる。

 

「今日からは次の段階にいく。みんな、“好きな武器”を取ってみてくれ。いつも使っている武器でも、気になっている武器でも、なんでもいい。兎に角好きな武器を選んでくれ」

 

 この言葉の意味を図りかねた隊員達だったが、取り敢えず言葉通りに受け取って、各々輸送車両から自分の趣向に合う得物を取り出した。いつも使って慣れ親しんだ物、友達が使っていて気になっていた物、単純に形が好きな物、間合いが気に入っている物。

 僕の言う通り、理由は様々あれど、好きな武器を持ってきた隊員達を見渡し、光線銃を持っている人には取り回しのいいクロスレンジ用の武器を渡した。

 

「今君達が持っている武器は、君達の“心が選んだ武器”だ。じゃあ、今から言う人はこっちに来てくれ────」

 

 約100人の内半分程の50人をこちらに呼んで、残り半数はそのままにした。

 

「今名前を呼んだ人達は、選んだ武器が君達の“身体の適性武器”だった人達だ。つまり、君達は“得意な武器も好きな武器も一致”した、ラッキーな人達。そして呼ばれなかった君達は、適性武器がそれじゃなかった人達。この意味、分かるよね?」

 

 半分もいた事に少し驚いた。もっと少ないかと思っていたからだ。

 

 今、彼らに選ばせた武器は、彼らが戦地を共にするなかで、最も頼れる得物────つまり、信頼が置ける武器だ。心で選んだ武器は、彼らが窮地に立たされた時、最も真価を発揮してくれるものだ。

 次に僕が言った、“身体の適性武器”とは、文字通り、その人の才能に合った武器の事を指す。所謂、それを扱う才能がある武器という事だ。

 

 簡単に分かりやすく説明しよう。

 

 まず、僕が名前を呼んだ“ラッキーな人”。

 例えば、ある男がいた。その男は反射神経が並外れており、剣道などの運動に向いていた。そして、その男は剣道に興味があり、やってみたところ、すぐに剣道を好きになった。これが、“心も身体も合ったラッキーな人”だ。

 次に、名前を呼ばれなかった人。

 男は、脚の回転が天性の才能を保持しており、短距離走に向いていた。しかし、男はボクシングが好きで、ボクシングをやりたかった。だけど男は上半身の使い方が壊滅的に悪く、また反射神経も全然駄目だった。これが、“心と身体に相違があるアンラッキーな人”だ。

 

「呼んだ君達はそれぞれ武器の特性について、実際に使って試してみてくれ。呼ばれなかった君達は、もう一度よく考えてくれ。妥協するのか、そのまま押し通るのかを。もし妥協する場合は、その人に合った武器を僕が提供する。一時間あげるからじっくり悩んで」

 

 解散、と僕が言うと、隊員達は色んな所に散って武器を徐にに弄り始めた。試すために他の人の手合わせをする人、色々な部分を触ったり使ってみたりしてる人、眺めて思考に耽る人、他人に意見を求める人、黙って考える人。

 

 人間というのは十人十色千差万別。個人個人に様々な特徴があり、個性があり、欠点がある。特に、兵士に関しては、使用する得物に対してそれが顕著に現れる。槍を使って遠距離で安全に闘いたい人や、剣やナイフを使用して近距離で肉弾戦を仕掛けるのが好きな人、銃を使って近付かれる前に倒したい人。

 

 気持ちで選んだ武器は、戦闘になっても武器を信頼して心に余裕を持って闘える。

 身体の適性を診て選んだ武器は、経験と勘、更に才能も使って効率よく相手と闘える。

 

 理想としてはその両方が合致した武器を使用するのが最善だが、そうは上手くいかないのが人間だ。そういう場合は、どっちかが妥協した、双方で納得が行く武器がいい。

 今選んでいるのは、自分の命を救ってくれる命綱だ。一時間では到底足りないが、それ以上悩んで変に考えてしまうのも逆に悪い。それに、もう一度言うが、時間は有限寿命は無限。僕達に残された時間は後三ヶ月程しかない。ここまで順調に成長してきたが、ここで的確な判断が出来ないようでは、本番(戦場)でも迷う事になるだろう。

 

 

 

 

「────それで、僕の所に来たのはこれだけか…」

 

 好きな武器で自分の運命を切り拓くと言った隊員は約50人中20人くらい。残りの30人程は僕のところに来て、自分に合った武器を教えて欲しいと言ってきた。

 

「どちらを選んでも、それはその人にとって賢明な判断だ。君達の選択をどうこう言うつもりはない。…じゃあ、こっちに来てくれ」

 

 武器を積んである輸送車両に向かう。後ろを隊員達が付いて来て、一列に並ぶ。

 車両からそれぞれの武器を選び、一人一人に渡していく。その厳かな雰囲気は、何かの証書を授与される時のように静かなものだった。

 

 

 

 

 僕の能力で、彼らの殆どを僕は知っている。無許可で彼らの全てを覗いてしまった僕は、最初は罪悪感に苛まれていたが、今になってそれが結果的にいい方向に向かってホッとしている。僕を信頼してくれている彼らを死なせたくない。たとえ僕は彼らを欺いていたとしても、その忠誠心は本物であると思いたいからだ。

 

「まず槍を持っている人から教えるよ!」

 

 鍍金(メッキ)の僕にくれる本物の心に応える為、僕は今日も彼らに手ほどきをする。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 武器の扱いはどんどん上達していった。当たり前だ。こっちはあらゆる武術を昇華している達人なのだから。効率のいい振り方や、戦闘時のイロハ、対集団戦闘と時の立ち回り方や一騎打ちの時の基本。挙げていくだけでも限りがないが、僕が言いたいのは、僕は彼らに戦闘の全てを叩き込んだ、という事だ。僕の知る限りの事を教え、隊員達は努力してそれらを全てマスターした。

 本当に熱心にやってくれた。軟弱者ならば最初の一ヶ月でとっくに音を上げているか、兵士である事を放棄しているだろうに、彼らは一人も欠けずに今日まで訓練をこなしてきた。僕も毎朝トレーニングをしている身としては、この努力の凄さがよく分かる。

 

「えーみんな、今日まで半年、本当によく頑張ってくれた。正直全員辞めちゃうかと思ったよ」

「そうだそうだ!」

「超キツかったんだぞー!」

 

 グラスを片手にマイクを持って壇上で喋る僕に、隊員達から野次が飛ぶ。ここまで仲が良過ぎると上司としての威厳が無くなるのではないかと、他の部隊長から定例会議で言われたが、そんな事は微塵も気にしてない。

 僕の部隊長としての意識は、『自然の忠誠心』だ。権力や実力を用いた恐怖政治ではなく、皆から慕われ、頼られ、尊敬されるような上司を目指している。そういった感情を持たれると、部下というのは自然と上司のあとを付いて行くものだ。

 

「今日で半年経ったわけなんだけど、別に、今日から訓練が無くなるわけじゃない。今日から、始まるんだ。それを理解してくれ」

 

 永琳との契約で、半年の訓練期間を経て護衛の兵士を育成するという条件で、予算を提供してもらった。お蔭で僕の部隊は凄く強くなった。今では、一番弱い隊員でも、他の部隊を全員相手出来るくらいに実力をつけたし、僕なんかにいたっては……言うまでもないだろう。

 雄也だけでなく、他の隊員もチラホラ霊力を使えるようになったり、思わぬ才覚を見出した人もいたりと、個人の個性が開花し、得意分野がはっきりした。

 僕の担当するこの特隊は、今では防衛軍の戦力の約九割を占めており、都市の主戦力として日々訓練に勤しんでいる。僕達の強さに憧れて、他の隊からわざわざ志願して来る人もいるが、その全てがあの地獄の体力トレーニングで朽ち果てている。そして去り際を一言言うのだ。

 

『あんた達、やっぱ化け物だ…』

 

 僕は言われ慣れているので構わないのだが、隊員達は人外だと言われるのに慣れていないので、最初はかなり悩んでいた。だが、そこは経験者である僕が何とかし、同時に僕に対しての人外発言を取り消させた。雄也が土下座で謝っていたのが今でも脳裏に蘇ってくる。

 

『人外なんて言って申し訳無かった!』

 

「これからは、対妖怪の実戦だ。しかも、調査員を連れての防衛任務。これを無傷でこなすのは至難の技だろう。怪我では済まない人も出るかもしれない」

「それを想定して俺達を細切れにしやがったんだろうがよ!怪我なんて全然平気だぜ!」

「違う!怪我をする事に抵抗を無くしてはいけない。怪我は命取りだ。決して、そんな事はしないでくれ」

 

 祝いの席だというのに真剣な話をしてしまい、場の空気が気まずいものになる。だが…

 

「面倒臭い説教は後でも出来るだろ?今はそれよりも、半年努力し続けた事に祝杯を挙げようぜ!」

 

 ここでスパっと換気をしてくれるのが雄也だ。彼の心遣いには本当に頭が下がる。

 彼は、僕の次に強い兵士として防衛軍に君臨している。霊力の扱いも群を抜いて上手く、僕が言ったことを数日でものにしてしまう程の才能の持ち主だ。特に身体強化や、武器に霊力を纏わせるのが上手く、並の妖怪ならば一撃で屠れるだろう。

 

「そうだね。…それじゃあ、みんなコップは持ったかな?」

「当たり前だ!」

「勿論よ!」

「早く飲ませろ!」

「もぉちろんさぁ!」

 

 僕の部隊には変な奴が必ず一人いる。今の返事だって、記憶は無いが、某ファストフード店の妖精の如き「勿論さ!」を披露してきた。必ず集団である時に叫んでいるので、誰が犯人かは判明していない。だが、いつか絶対に暴いてやる。

 そんな決意を胸に秘め、僕はコップを掲げた。

 

「半年の努力と、それに見合った成果を祝して────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「乾杯!!!」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三十一棟の大部屋で行った打ち上げは、正直言ってとても楽しかった。記憶を失う前の僕はこんな事をやったことが無いらしく、これまでに感じたことのない快感を味わった。

 正に人生で最高の至福のひととき。仲間というものの偉大さを改めて感じた僕であった。

 

 でも、ちょっと困ったことがあった。勘のいい人なら分かると思うが、あの時に振舞われた料理や飲み物は、食堂の料理長が用意してくれたものだ。流石に無料なのは僕が許さないので、それ相応の値段を払った。料理長はそれを受け取ろうとしなかったが、そこは無理矢理受け取らせた。

 問題はそこではない。僕達はそう、もう歳は成人しているので、お酒を飲めるのだ。飲んで食っての大騒ぎ、これまでの苦労が報われた感覚、それに加え、アルコールが入る。するとどうなるか、もう皆さんはお分かりでしょう。

 

「し、死屍累々……あはは…」

 

 どうしてこうなった………。

 お酒というのはこうまでの人を変えてしまうというのか。因みに、寿命が無くなって成人したとはいえ、僕の心や体はまだ18歳のままでストップしている。なので、お酒は飲まず、ジュースにしておいたので、酔ってはない。だから正気なままでこの惨状を見ているのだが、これを見るくらいならば一層の事僕もお酒を飲んで泥酔すれば良かった。そう後悔する程、目の前の有様は常軌を逸していた。

 

「隊長!大好きですっ!!」

「おわっ!?」

 

 それに加え、僕の周りには酔っぱらって理性が消え去った女性隊員達がいた。幸い、もう殆どは眠っており、残っているのは長谷川さんや妖怪から救ってお姫様抱っこをした人(名前は(たちばな)さん)含め数人しかいなかったが、それでも、これはキツイ。

 いきなり告白して抱きついてくるのだ。抱きつくのは橘さんだけなのでそんなに苦しくはならないのだが、あの時の永琳と同じ状態になっている。そう、当たっているのだ。何がとは言わない。

 

「だ、だから、僕は付き合えないって…」

「いえ!今しか言えないから言ってるんです!それに、これから惚れさせます!絶対に落としてみせます!」

「が、ガンバレ〜」

「はいっ!」

 

 おう、凄い気迫だ。この威圧法を教えたのは僕なのだが、それでも今の彼女には戦慄するものがある。大層な自信だ。

 

 抱きつかれたまんま動かなくなった橘さんを不思議に思った僕は、彼女の顔を覗いてみた。すると、彼女は気持ちよさそうに寝息をたててそこらの死体と同じになっていた。ふと周りを見てみると、片付けをしている料理長と料理人以外はみんな寝ている。それには先程まで周りを取り囲むように居た女性陣も同様で、特隊の中で生きている(起きている)のは僕だけになってしまった。

 

 彼女を見て微笑を浮かべた僕は、彼女が起きないようにそっと地面に寝かせ、料理長達と一緒に片付けをし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな事があったのが昨日。今日はあの時のアイツを倒すために森の中に来ている。色々なことろから許可はとってある。理由に「僕くらい強い妖怪がいる」と言ったら、臆病な人達はみんな首を縦に振った。それでも最後まで抵抗したのは永琳だ。

 彼女は権力がツクヨミ様の次にあるので、彼女からの許可が無ければ門の外に出られない。いや、訓練で出られるのだが、森に入るのは許されていないのだ。

 彼女を説得するのには相当苦労した。なにせ、最初の頃にアイツと出会ってから説得し続けていたのだから。隊員達の訓練が終わるまでは倒しに行かないと自分の中で決めていたので、説得に時間をかけてもいいとは思っていたのだが、それでも、宴会の前日までかかるのは予想外だった。

 結果的に、色々な条件を課せられた。それのどれもが僕の身を案じての条件で、本当に心配してくれているんだなというのがヒシヒシと感じられた。

 

 目の前にある山に行くのは一日とかからないので、比較的軽装で登山をしている。それも、歩きではなく走りで。途中で妖怪やら動物やらがいたが、それらを全て無視して山を登る。背中に背負っている短槍が激しく揺れるが、しっかりと背負っているので落ちはしないだろう。

 岩を飛び越え、木々を足場に駆け上がり、枝を掴んで飛び移ったりと、最早化け物ですら凌駕する勢いで頂上に向かい、通り過ぎていく妖怪達を一瞥する。目的はアイツなので、他の妖怪との戦闘はしない。そんなのに無駄な体力は使ってられない。

 

「よっと……ここか?」

 

 永琳のために作る今日の晩ご飯のメニューについて考えていると、目の前に陥没した地形と、その真ん中にある湖が見えた。これは……そうだ。

 

「カルデラ湖…だよな」

 

 こんな近くに都市が繁栄しているという事は、もう既に死火山なのだろうが、それでも近くに火山があったことに驚きを隠せない。木々が生い茂っているので、やはり死んでいるのだろうが、本物の火山というものに少し興奮した。

 地形は知っていたのだが、そこまで考えていなかった。これは、少し拙い事になるかもしれない。

 

(伏兵に取り囲まれるのだけは注意しないと…)

 

 斜面を降りてカルデラ湖に向かいながら、僕は気配の察知範囲を限界まで広げて周囲を警戒した。探ってみると、辺りには動物以外に生き物は無く、さして危険な動物もいないので、平穏そのものだった。

 

(おかしいな、誰も居な…ん?)

 

 妖怪のよの字も見当たらないので不思議に思っていると、湖にアイツがいるのが分かった。わざと妖力を出しているので、範囲に入らずともすぐに察知出来る。

 湖の畔にそっと近付き、森が途切れているところから茂みに隠れて相手を窺う。

 

「そんな事しなくても、何もしないよ。早く出てきなって」

「…バレてたか…」

 

 湖に向いて座っていたので、こちらからは背中しか見えない。なのでもしかしたらと淡い期待を込めていたのだが、やはりそうは問屋が卸さないらしい。

 

 観念して、茂みから陽の当たる湖畔へと姿を現す。

 

「来たね。意外と早かったじゃないか」

「早急に当たった方がいいと思ってね」

 

 妖怪は恐ろしく寿命がある。半年が経っているとしても、妖怪にとってそれは“たった半年”なのだ。僕達も寿命は長いが、そんな風に感じたことは無い。いや、まだ数年しか生きていないので感性が普通なのか。

 

「それじゃあ、やるか、地這いの妖怪さん」

 

 背中の短槍を両手に持った僕は、殺気を出して相手を威嚇する。

 だがアイツは、そんな事気にもしないで釣竿を湖に垂らしている。

 

「いや、まだいいだろう。今はそれよりも────」

 

どこから取り出したのか、もう一本竿を取り出して言う。

 

「釣りしないか?」

「…はいぃ?」

 

素っ頓狂な声を上げてしまった。こんな危険で、人間を害する筈の妖怪が、僕と釣りをしたいだって?冗談にも程があるだろう。それとも、これは僕を嵌めるための策略で、実は後ろをから妖怪が迫っているとか?

 

「君を騙そうとはしてないさ。ただ私は純粋に、君と釣りをしたい、それだけだ」

 

 妖力を抑え、釣竿をカランと放ると、また湖を向いて自分の釣竿に集中し始めた。

 無造作に置かれた竿と地這いの妖怪、そして気配が全くしない後ろの森を順番に見やり、その真意を図った。だが、どうしても行き着く答えは、僕の予想とは真逆の方向の答えであり、それが僕を更に混乱させた。短槍を握る力の行き場を無くし、掴み所の無い相手をただ観察する。しかしいくら頑張っても答えは同じ。

 

「はぁ…」

 

 溜息を一つ。

 僕は持ち主がいなくなった竿を掴み、短槍を背中に戻した。

 そして妖怪の隣に座り、同じように釣り針を水面に投げ入れる。

 

「お、分かってくれたか」

「いや、まだ何も分かってないさ。ただ、こうするしか無いってこと以外はね」

「それでいいのさ。私は君に会いたかった。闘いたいわけじゃない。それが理解出来てればね」

 

 こんなカルデラ湖に魚なんているのか。そんなつまらない事を考えつつ、隣にいる妖怪の容姿を確認する。

 平均的な十代女性の身長、肩下まで伸ばした黒髪、妖力を感じなければ人間としか思えないその可愛い容姿。そのどれをとっても僕の頭の中にいる妖怪の想像図とはかけ離れたものだった。

 

「君は本当に妖怪かい?」

「どうしてそう思うんだ?」

「いや、君の容姿が全く妖怪らしくなくてね…」

「私は正真正銘の妖怪さ。ちょっと性格が他とは違って、容姿もこんな(なり)だけど、足先から頭の天辺まで完全に妖怪だよ」

「異端の妖怪は周囲から迫害されるんじゃない?」

「勿論。私もそのせいでこの湖に篭ってるのさ」

「よくそれでそこまでの力を手に入れれたね」

「これは能力のお蔭さ。言わないけどね」

 

 平凡で非凡な会話を繰り広げながら竿を弄る。やはり、僕の知識によると、火山に魚はいない筈だ。それこそ、誰かがここに放流して養殖していない限りは。

 

「暇を潰すには丁度いいのさ、これは」

 

 僕が問いかける前に、妖怪は竿を揺らしながら笑う。

 

「なぁ、君、名前はなんて言うんだ?いつまでも地這いの妖怪なんて言うのは面倒臭いよ」

「む?そう?私は結構その二つ名気に入ってるんだけどな」

「これ君が自分で考えたのか…」

「そうだよ、かっこいいでしょ?」

「うん…まぁ、そうだね」

「煮え切らない回答どうも〜」

 

 ムスッと頬を膨らませて彼女はそっぽを向く。まだ周囲の気配を探っている僕だが、一向に敵襲の気配はしない。

 

「地這いの妖怪…か。能力と関係があるのかい?」

「さぁどうだろうね〜。…でも、無いわけじゃないよ」

「そうか」

 

 僕の能力を使って彼女の全てを得てもいいのだが、妖怪を取り込むと何が起こるか分からない。なので、能力は使わずに、こいつの手の内を探ってみる。

 

「………ん?妖怪を?」

「どうしたのさ」

「いや、何でもない…」

 

 今な何か忘れているような気がしたが、気のせいだろう。

 

ピクピク…

 

「おっ!来た来た!」

「え!?嘘!?」

 

 そんな感じで時間を費やしていると、突然彼女の竿が振動し始めた。餌をつけているのかいないのかは分からないが、この湖に生き物がいた事に驚きだ。

 

「どっせーい!!」ジャッパーン!

 

彼女が変な掛け声と共に竿を振り上げると、針に引っかかっていたのは……

 

 

 

 

「ギャアァァス!!」

「きゃー!あっち行けー!」ドゴォン!

 

 

 

 

 半魚人のような顔をした不細工な蛙だった。嫌におじさんっぽくて非常に気持ち悪く、それが湖から飛び出してこっちに来たとなれば、思わず殴り飛ばしてしまうのも頷ける。

 蛙が空の彼方の星となって消え、彼女は隣で肩で息をして立っている。災難としか言いようがない。

 

「ねぇ…」

「…どうしたんだい?」

 

だが、僕がかけた言葉はもっと別で…

 

「…叫び声、ちょっと可愛k」

「っ────!!」

 

 僕の方にも拳が飛んできたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 頭に響く鈍痛と共に、僕は目を覚ました。視界にあるのは、何者もいないと思っていた湖と、転がっている竿が二本。日はまだ落ちていない。と言うことは、気絶してからそれほど時間は経っていないということだ。

 上を確認。緑色の天井がキラキラ光る日光を程よく抑えて、涼しい木陰を形成していた。どうやら、僕は木の幹に背中を預けているようで、背中からゴツゴツとした感触が伝わってきた。

 それで涼しいかと言えば、案外そうでもない。今の時期は夏ではないので、木陰にいるならば全然大丈夫な筈なのだが、なにやら右腕を違和感を感じる。

 

(…ナニコレ)

 

 そこには予想通り、妖怪である筈の彼女が、僕の腕を抱えてすぅすぅ寝息を立てていた。頭を僕の肩に預け、両腕で離さないと言わんばかりに僕の右腕を拘束している。

 彼女が顔面パンチで気絶してしまった僕をここまで運んでくれたのだろうか。そして、そのまま自分も寝てしまったと。

 そうとしか考えられないが、逆にそれが一番考えられない予想だった。

 

 前提として、僕は彼女を殺しに来た。そして、彼女は、僕達人間を喰らう妖怪だ。その時点で、僕達が呑気に釣りをしているのも十分おかしいのだが、今の状況の方がもっとおかしい。気絶しているのならば、そこでもう僕を殺して食べてしまえばいいのだ。なのに、こいつはそれをせずに、あろう事か僕の前で思いっきり寝首を晒している。

 ならば脅しとして辺りに妖怪を配置しているのかと思って気配を探ってみたが、妖怪どころか、動物すらいない。正に、今このカルデラ湖には、“動物”が僕達二人だけしかいないのだ。

 武器は僕の左隣に丁寧に揃えて置いてある。ますます意味が分からない。これでどうぞ殺して下さいという事だろうか。いやいや、そんな酔狂な奴じゃないだろう。

 

「ん…」

「起きたか…」

 

 彼女の思惑を探っていると、彼女が身じろぎをして瞼を開けた。寝起きの顔は正しく人間のそれで、とても妖怪だとは思えないものだった。

 

「あ…おはよう」

「今は昼だけどね」

 

 気の抜ける挨拶と共に、彼女は再び眠りに…

 

「こらっ」

「あいたっ!」

 

 自由な左手で右肩にある彼女の頭をチョップする。コツんという音がして、彼女は両腕を離して頭を押さえた。こうしてると本当にただの女性だ。

 

「何故僕を殺さなかった」

「ん?殺さなかった理由?」

 

 若干涙目になった彼女は軽く僕を睨む。人間でもそんなに痛くないような威力なのに、なんで妖怪の君がそんなに痛そうにしてるのかとても疑問だが、今は殺さなかった理由の方が重要なので、それは口に出さずに心の中に飲み込んでおく。

 

「ん〜だってさ、勿体ないじゃないか」

「勿体ない?」

「そう。私はね、私と張り合えるだけの相手を探していたのさ」

「それが僕?」

 

 地這いの妖怪はニヒヒと笑って頷く。

 

「あの忌々しい壁の外に君が出て来た時、私は確信したよ。こいつが私の求めている奴だってね。だから、手下を送り込んで様子を見てみたのさ」

「それで、僕は合格かな?」

「勿論勿論!文句無しだよ!一応他の強い妖怪にも会ってみたんだけど、みんな私の事を殺すか逃げるかしか考えてなくてね。だから君みたいな人間がいたって事に、私は感謝してるのさ。だから…」

 

 こいつは本当に妖怪という種族から逸脱した存在だ。こんな珍しい思考をしている妖怪は他にいないだろう。

 

 

 

 

「────私と友達になってくれないか?」

 

 

 

 

 恐らく、この場合の友達とは、妖怪でいう友達なのだろう。人間のように生易しい関係ではない筈だ。

 だが、これは妖怪というものを知るチャンスにもなる。妖怪との戦闘も十分に出来るだろう。これは寧ろ、願ってもない申し出だ。

 

「…いいよ」

「本当!?」

「嘘つくメリットは無いだろう?」

「やったやった!友達だー!」

 

 兎並に飛び跳ねている彼女を木陰から眺める。湖が太陽の光を乱反射して、彼女のバックを眩く彩っており、彼女が舞う湖畔の草原は、彼女の感情を表したかのようにサワサワと気持ちよく揺れる。クルクル回り、ピョンピョン飛び跳ね、満面の笑みで僕を見るその姿は、この世の平和の象徴のようだった。今、この場には、黒いものが何一つ存在しなかった。

 

 だが、僕の心はどす黒く、彼女の種族は穢れに満ちている。第三者から見ればそれはとても綺麗で微笑ましい光景だろうが、二人から言わせてみれば、ただの奇妙で不可解な現象だ。

 

「はいっ!」

 

 彼女が手を差し出してきた。

 

「うん」

 

 僕の手はその手を取り、互いに互いを確かめるように握り合った。

 

 




 主人公の部隊の魔改造、半年後の打ち上げ、それと『地這いの妖怪』とのご対面でした。作者でもこういったシリアス少なめのを書けるのか試してみましたが、いかがでしょうか。普通にシリアスだったなんて思わないでください、これが作者の限界ですw

 雄也達の強化については本当にやっちゃった感がいっぱいです。ですが後悔はしてません、というかこれくらいで丁度いいです。
 修司はジゴロではありません(念のため)。仲間からの信頼や忠誠心を得ようとしたらこんな事態になってしまったのです。正直、修司は全く予想していませんでした(羨ましいなんて思ってないんだからね!)。

 『地這いの妖怪』ですが、彼女は今作の重要人物です。これからどうなるのかが非常に楽しみです。…あ、修司が殴られて気絶したのは不可抗力です。普段の彼なら避けます。


P.S.永琳しか原作キャラが登場していないのが辛いw


 それではまた来週に~。

 


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10話.初めての死闘と増幅する闇

 ほい、今回は戦闘です。
 書き溜めの内容を編集で確認しているのですが、現時点との作風の若干の違いが気になってしまい、なんだか恥ずかしくなりますw

 あ、会話などのかっこについて説明しておきます。

 普通の会話や台詞には「」を使います。
 回想内の会話や強調したい語句には『』を。
 『』程ではなくても注目して欲しい部分があったら””や・・・を使います。
 コソコソ話や筆談などの会話には「()」を。
 技名には【】を。
 台詞で、五人以上がハモる場合は「「「「「」」」」」となります。


 他にも何か特殊なものがあるかもしれませんが、それは作中の雰囲気で察してください。


 そんではどうぞどうぞ。
 


「私の名前は地代(ちしろ)(らん)。二つ名は『地這いの妖怪』で、ここら一帯の妖怪を統括している大将だよ!」

 

「僕は白城修司。二つ名は無いけど、都市で軍の部隊長をしてるよ。よろしくね」

 

 握手をした二人は、互いに自己紹介をした。

 

「修司も何か二つ名考えた方がいいって!」

「僕は二つ名なんていらないよ。既に部隊長っていう肩書きがあるしね」

 

 本当は、僕はあまり表舞台に立ちたくない人種だ。これまで自信満々に隊員達を引っ張っていたが、あれは仮面を被っていたから出来ただけで、本物の僕はあんな大それたことは出来ない。

 

「むー修司は欲がないなぁ。もっとガツガツいかなくちゃ、人生損だよ?」

 

権力を欲に任せて欲しがっていると、人間という生き物は必ず失敗する。そういうのはもう自然の理として確立しているほどにはっきりした事実だ。

 

「行き過ぎた欲は人を狂わせるからね。身の丈に合った分だけで丁度いいのさ。そういう地代だって、妖怪を束ねるの、大変じゃないの?」

 

地代はそう言った僕に首を振って、肩を竦めた。

 

「全然全然。あいつらは力でねじ伏せればいいから寧ろ簡単だよ。妖怪に倫理なんて無いしね。……というか、友達なんだから、ちゃんと名前で呼んで」

「え?それは…」

 

 また永琳のパターンだ。

 

「いいでしょ?」

「……拒否権は?」

「無いよ☆」

「…はぁ、しょうがないか」

 

 最早抵抗することを諦めた修司であった。

 

「……こういう所が、他の妖怪には無いんだよ…」

 

 それは僕達非捕食者がよく分かっている。妖怪は非常に自己中心的で、先ほどまで友達だった妖怪を裏切ってまで目の前の物を手に入れるほど単純な生き物だ。まぁ、中には頭のある奴もいるが。

 余程孤独だったのだろう。蘭の瞳にはこれまでの苦悩が映っていた。

 

「妖怪の業界は弱肉強食だから。私は異端だったから最初はここに一人で住んでいたけど、能力で力を手に入れてからは、みんな手の平を返すように私に媚びてくるようになった。修司が殺してくれたあの妖怪達はその中でも特に酷い連中ばかりだったから、修司には感謝してるよ」

「僕の方こそ。互いに利のある事だったから、僕からも礼を言うよ」

「どういう…あぁ、そういう事か」

 

 やはり、蘭は相当できるヤツだ。妖怪なのに、永琳のように先を見て色々なことを予測することが出来る。

 

「ふふっ。なら、これからも送ってあげようか?」

「止めてくれ。こっちにとっては死活問題なんだ」

「まぁ、これからは君がいるしね」

 

 言うと、蘭はとある茂みに向かい、その中で何やらゴソゴソとし始めた。その雰囲気から妖怪の気質を見て取り、僕は隣にある短槍を持って立ち上がる。

 

「お、やっぱり分かるんだね」

「これでも都市最強の看板を持ってるんだ。そちらの看板にも負けない逸品さ」

「やはり君を選んで正解だったよ。最高の友達だ」

 

 短槍を持った僕は木陰から出て、湖畔の草原に降り立つ。

 茂みから自分の得物を持ってきた蘭は適当な距離を取りながらそれに正対するように立つ。

 

「君は短槍を使うのかい?私が居た時は双剣だったけど…」

「基本なんでも使えるんだよ。それが僕の強みであり、弱みかな」

「そうかい。これ、見てよ。私が能力で作ったんだよ」

 

 蘭が自慢げに突き出したのは、何の変哲もない脇差だった。刃も30センチ程で平均的、(つば)は無く、柄にはなんの装飾も無かった。

 

「ほう、脇差か…。見たところ普通だね。僕達が使っている物との違いと言えば、それ全体が金属みたいなので出来ている事かな?」

 

 一瞬で相手の得物の特徴を見抜いた修司。だが、これに蘭はフルフルと首を振った。

 

「惜しいね。これは確かに全部金属で出来ているけど、ちょっと特殊なんだ」

 

 真っ黒な柄、そして白銀色に輝く美しい刀身。それはそれは神々しい光を放つ刀だ。

 

「…不思議な金属…か」

「そういう事」

「という事は、能力はきっと大地に関係するものだね」

「お?推理してみる?」

「いや、現状で判断するのは危険かな。まだ判断材料が少な過ぎる」

 

 きっと大地関係の能力なのは確かだろう。それか、物質系か、創造系か、今の会話だけでもかなり絞られる。それに加え、自己を強化することが出来る。しかも、それはどうやら永続的な効果らしい。これらから想像するに、恐らく…

 

(かなり危険な能力だな…)

 

 準備運動をし始めた蘭を睨み、こいつが都市を襲撃した時を想像する。…うん、ここで殺してしまった方がいい。

 

「それじゃあ、やろうか────!!」

 

 蘭がそう言ったのが合図となり、これまでにない闘いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 脇差を持って嬉嬉として突撃してくる蘭を見ながら、修司は取り敢えず霊力を使わずに振るわれた刀を弾いた。

 

ガキィン!

「っ!」

 

 だが、怪力の修司でも弾くのは難しく、かと言って上手くいなすのも難しかった。しかも、相手は小手調べのようで、妖力を纏っていなかった。つまり、何も無しの力比べではこちらがちょっと不利だという事だ。

 

「そらっ!」

 

 蘭が更に踏み込んで脇差を振るってくる。取り回しのいい脇差は連続攻撃やトリッキーな攻撃が主で、速さと手数、それと意外性がある武器だ。それをただ安直に当てに来ている時点で、彼女の技量は判明した。

 

「ふっ」

 

 刺突を放ってきた蘭の刀を脇のスペースに通し、その瞬間に相手の腹に膝蹴りを打つ。そのまま接近してくるとは思わなかった蘭はこれをもろに食らい、腹に来た威力を殺せずに吹っ飛んだ。

 

「妖力は使わなくていいのかい?」

「あいてて…。まだそっちは霊力を使ってないじゃないか。先に使わせたいんだよ」

「そんな意地を張っていると、すぐにやられるよ?」

 

 相手を挑発してみたが、どうやらこちらが霊力を使わない内は妖力を使わないらしい。パワーでは劣っているので霊力を使いたいところだが、相手の馬鹿みたいな量の妖力に対抗できる気がしないので、このままで闘う。

 技量ではこちらが上なのだ。それに、正確に読み取れば、いなせない攻撃ではない。…いける。

 

「はっ!」

 

 リーチの長さを活かして突きを放つ。それを蘭は紙一重で避けた。だが、そんな事は分かっている。修司は突きを完全に出し切った瞬間に穂先で斬り上げをし、蘭の首を刎ねようとした。

 しかしこれにも蘭は反応し、首だけをよじって穂先の軌跡から身を引いた。

 

ピッ…

 

 完全に(かわ)されたかと思ったが、彼女の頬から滴る血液が、それを否定していた。

 

「危ない危ない。あと少しだったよ」

「今のを躱すのか…」

「妖怪の反射神経嘗めちゃいけない…よっ!」

 

 槍を戻している間に蘭が接近し、短槍と脇差がものすごい速さで交差する。その度に金属同士がかち合う音が辺りに響き、火花が空気を焦がす。

 修司は攻め(あぐ)ねていた。力は少しあちらに有利だが、その分を得意の物理技術と脳の性能でカバーしている。的確に刃を逸らしていなすのだが、反撃する間もなくまた次の刃が迫ってくる。短槍は曲がりなりにも槍だ。レンジは普通の刀より長く、それでいて機動性に定評がある。しかし、槍の間合いの内側に入られると、槍はそれだけで使いづらくなる。脇差はかなり間合いの短い武器だ。接近されてしまうとかなり危険になる。

 それを防ぐために、全ての攻撃を弾いて懐に入られないようにするのだが、如何せん相手は妖怪。体力は無尽蔵にあり、瞬発力は人間とは比べ物にならない。

 

 修司の槍よりも蘭の脇差の方が手数が多く、修司は徐々に後ろに後退させられていった。器用に石突きの部分も使ったりして手数を同数にしているのだが、蘭が踏み込む度にこちらはその分だけ退らないといけないので、結果的に修司が押されている形が出来上がった。

 

「うりゃぁ!」

 

 闇雲に攻撃しているのに飽きたのか、蘭は一瞬溜めて袈裟斬りに仕掛けてきた。今までとは威力が違う一撃だ。

 これだ。これを待っていたんだ。しびれを切らして疎かになるこの一撃を。

 

「よっ!」

 

水平に持っていた短槍を空中に投げて浮かせ、その隙に迫る刀の刃を真剣白刃取りする。そして合掌したその両手を捻って、脇差を握っている蘭の重心を浮かせ、修司は前に躍り出た蘭の腹を蹴り上げる。

 浮いて回避不能な状態にしてから、空中に留まっている短槍を引っ掴み、思いっきり横に薙いだ。

 

「ぐぁぁっ!」

 

 だが、咄嗟に腕をクロスさせて両腕を犠牲にした蘭は、何とかその無防備な首筋を斬られる事を凌いだ。

 これで終わると思っていた修司だったが、追い討ちとして、勢いを利用して短槍を反転させ、両手で握って踏み込み、負傷した腕を掻い潜って鳩尾に石突きを叩き込んだ。

 蘭は腕が使えないので距離をとるために大袈裟に転がり、タイミング良く地面に衝撃を放って立った。腕は三分の二程切断されており、正に千切れかけだった。

 

「くっ…。私にダメージを負わせるなんて、流石だね」

「その割にはあんまり悔しそうな顔をしていないね。寧ろ嬉しそうだ」

「当たり前でしょ。こんなに楽しいのは久しぶりなんだからさ…」

 

 蘭が切断面をくっ付けて力むと、すぐに腕は元通りになった。握ったままになっていた刀をクルクルと手首で回して、治った感触を確かめている。

 

「妖怪とはいえ、その回復力は異常だな…何か使ったね?」

「当たり。じゃあ何でしょうか〜」

「能力でしょ?それ以外有り得ないよ」

「大正解〜」

 

 膝蹴りと腕の半壊、そして追い討ちとして石突きで一突きしたというのに、全く疲労している素振りがない。寧ろ楽しんでいるというから驚きだ。今は治りたての腕をブンブン振り回して修司との問答を楽しんでいる。

 

「じゃあ、次行ってみよ〜!」

 

 そう言って蘭は先程とは比べ物にならないスピードで突っ込んでくる。そうして放たれた刺突をギリギリ躱すと、さっき修司がやったように伸ばしたまま斬り上げてきた。

 短槍と一緒に避けたから間に柄があり、それに阻まれて攻撃は食らわなかったが、短槍が無かったら修司は既に昇天していただろう。

 

「ていやっ!」

「ぐっ…!」

 

だがそれだけでは終わらず、蘭は空いている左拳で修司の脇腹を殴りつけた。その外見とはかけ離れた威力に修司の顔が歪み、短槍を突き立てて衝撃を耐え忍ぶ。そして苦し紛れに片脚でハイキックを出すも、蘭はバックステップでそれを楽々回避した。

 

「凄い!普通ならここで吹っ飛ぶのに!」

「我慢強いだけさ。結構きたよ」

 

 脇腹を擦り、キラキラした目をしている蘭に苦笑する。実際、致命傷にはならなかったが、骨にヒビは入っただろう。やはり人間と妖怪にはこれほどの格差があるのだ。

 

「じゃあ霊力使えば?」

「まだ使い時じゃないからね」

「そんな事言ってると、あっという間に殺されちゃうよ?」

 

 能力を使わないとここまで自分の実力は下がるのか。いや、これが僕の真の実力と言ったところか。兎に角攻撃に対する防御とスイッチするタイミングがまだまだお粗末だ。それに、初動の差で若干先手を取られてしまっているのが痛い。

 技術では圧倒的に勝っていると思っていたがそうでもなく、案外小技も使えて意表を突いてくる。

 ここには盾となる木も、足元を掬う地形も無い。端まで移動するのは簡単だが、それだと意図を読まれて逆にピンチになってしまう。

 

「りゃぁ!!」

「ぐぁ!!」

 

 打開策を考えながら蘭の刀を弾いていたら、突然蘭が僕の短槍を脇のスペースに入れて懐に入り、同じように膝蹴りを打ってきた。僕がやったパターンをラーニングしているのか?だとすればこれは相当やばい相手だ。

 素直に吹っ飛ばされ、ついに森の入口まで追いやられてしまった。木の幹に身体をぶつけて肺の空気が吐き出されつつも急いで立ち上がると、目の前には白銀に輝く刃が…

 

 

 

 

「っ!!!」ガキィィン!!

 

 

 

 

 他に防ぐ方法は無く、反射的に修司は霊力で盾を張った。

 

「…使ったね?」

 

 ニヤリと口角を上げる蘭に修司はしまったと(ほぞ)を噛んだ。

 

「よっしゃ!じゃあ私も使っちゃうよー!」

「くそっ!」

 

 蘭から膨大で暴力的なまでの妖力が溢れ出てくる。修司は急いで回り込んで距離を取ろうとしたが、動く前に彼女の刀が修司に向かって振るわれていた。

 妖力が纏われた脇差の唐竹割りは、横にローリングした事で回避出来たが、修司が先程までいた場所のすぐ後ろの木は、綺麗に真っ二つに裂けていた。それに驚く間もなく、霊力を這わせて短槍を振り上げた。小気味よい音がして、蘭の二撃目の横薙ぎが真上に弾かれる。

 そこまでやってから、修司は蘭を視界に収めながらバックステップで湖畔に戻り、距離を取った。

 

「さぁ、こっからが本番だよ!」

 

 蘭はまた妖力を刀に込めると、その場でクロスに斬った。するとそこから妖力の斬撃が飛ばされ、一直線に修司の命を刈り取ろうと距離を詰めた。妖力の余波が周囲の空気を切り刻み、風を生み出す。

 妖力の扱いは霊力とさして変わりはないと永琳から聞いているので、対策は雄也で万全だ。ただ、雄也とは量が違うので、いつも通りに出来るかは分からないが…。

 

 短槍を両手で握り、斜めに飛ぶ斬撃二つ、持ち前の脳の演算機能で測りとり、間合いを見極めて“霊力を使用せずに”振るう。短槍の穂先が一筋の閃光となって、斬撃の“一番脆い部分”に垂直に叩きつけられる。

 

「うっそぉ!?」

 

 馬鹿でかい妖力を内包した斬撃を瞬く間に二発とも斬り落とした修司に蘭は目を丸くして驚き、修司は止めていた息を吐いた。

 

「どうやったの!?」

「ただ斬っただけだよ」

 

簡単な事さ、と修司は右手で短槍を横に払い、舞い上がった土埃をかき消す。

 

 斬撃でも普通の攻撃でも、どんな物にでも、万物には自分の形を崩す『点』がある。先程の斬撃は、斬撃の一番幅がある部分の側面がウィークポイントだった。大きな岩だって、釘をある一点に突き刺すだけで、簡単に二つに割れる箇所が存在する。細胞に核があるのと同じ理由だ。

 形を維持する為に存在するそれを、修司は見極めて、そこ一点に集中して短槍を振るったのだ。

 口で言うのは簡単かもしれないが、普通はそんな事不可能である。だが、修司の神とも渡り合う頭脳は、それを容易にやってのけた。

 隊員達を訓練させている間、修司は一人、全員を見渡せる場所で全員の太刀筋とその次の攻撃、そしてその攻撃の正確な防御の方法を脳内でシミュレートしていた。更に、雄也に協力してもらい、『点』の存在の証明とそれを瞬時に見極める経験を積んだ。

 

 これには相当の集中力を必要とする。まだ僕の頭が僕の理論に付いていけていないだけなのでそれも時間の問題なのだが、それでも今の戦闘には命取りだ。

 

「ほらっ!まだまだ行くよっ!」

「くっ…」

 

 斬撃が看破されたからと言って、それで終わる蘭ではない。ならば接近戦で押すしかないと言わんばかりに、冷や汗が出るほどの妖力を小さい脇差一本に全て収束して修司に振る。まともに防御すれば短槍が破壊されるのは目に見えているので、修司は『点』を常に見極め続けて的確に弾いていく。どうしても地力だけでは対処出来ない攻撃にのみ霊力を使い、ジワジワと相手の妖力を削っていく。

 修司はこれでも人とは一線を画すほどの霊力の持ち主だ。いつもはそれを使わないだけであまり知られていない事実だが、修司が霊力を全開したら、それなりに内包霊力も増加してきた雄也でさえ失神するだろう。

 だが、蘭はそれよりも数倍の量、妖力を保有している。彼女と初めて会った時にそれを感じた修司が、背中に嫌な汗が出るのを禁じ得なかったくらいだ。

 いくら修司に霊力があったとしても、霊力を節約して闘わないと、先に力が枯渇するのは修司の方だった。なので、修司は霊力が解禁された今でも、出来るだけ力を使わずに相手に使わせるように立ち回っている。

 

 

 

 

 修司は体力に任せて、妖怪相手には絶対不利とされる持久戦を仕掛けた。

 相手に好きなだけ攻撃させて、それに全て完璧な対応をして回避する。相手の妖力が尽きるまでこの状態を維持しようと、修司は少し脳の使い過ぎで頭痛がするのも構わずに酷使し続けた。

 

 体力だけは誰にも負けていないと自負していた修司も、流石に朝から夕方までぶっ続けで闘っていたら、自慢の体力も底が見えてくる。

 防御に専念し始めてから約七〜八時間が経過した今でも、修司は立っていた。

 身体の各所に斬り傷を負い、皮膚にはこれでもかと青アザができている。それでも両足で立っていられるのは、(ひとえ)に気合い…それだけだった。気力のみで、今修司は闘っている。

 

「はぁ…はぁ…。凄いね…本当に人間なのか疑いたくなるよ……」

「……それは…色んな…人に、言われたよ…」

 

 満身創痍。残りの霊力も僅か。体力は既に限界で、骨も何本か逝っている。

 対する蘭は目立った傷こそ無けれど、体力はもう立っていられないくらいに削られているようだ。それに、途方もない量があった妖力も、今では現在の修司と互角だった。

 ここまで彼女を削った修司だが、既に脳には無視出来ないほど激しい頭痛が起こっていた。段々と『点』を視る作業もお粗末になり、攻撃を喰らう回数が増えてきた。

 短槍を握る両手の握力が無くなってきて、最早振るうことすらままならない。両足は踏み込むだけの力を残しておらず、上がった息は肩を酷く上下させた。

 

 蘭と同様の状態だったが、修司には、彼女に無いものを持っていた。

 

(…負けない……)

 

 蘭との勝負に…ではない。この闘いに負ければ死ぬ。しかし、修司は“そんな事”よりも、もっと別の、大義にも似た、それでいて野蛮で低俗な目的の事を考えていた。

 

「………生きる…」

 

 記憶が無いことがむず痒いが、僕は過去に、“復讐したい相手”がいた事を、なんとなくだが分かっていた。その為には、生きて、生きて、生きなければ。

 

「…次で、最後にしようか」

「……そうだね」

 

 僕の申し出に蘭は応じ、霊力と妖力を同時に開放した。残り僅かと言えど、二人の全力は大気を揺らし、生き物を震撼させた。

 

 それを全て得物に送り込み、渾身の一撃を放つために両者は駆ける。一方は禍々しくも綺麗で野生の妖力、一方は静かで優しくも刺を含んでいる霊力。

 

 

 

 

「「はあああああぁぁぁぁぁぁ!!!」」

 

 

 

 

 両者の体が交差し、通り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間の隊長と妖怪の大将は、二人仲良く湖畔の草原で寝転びながら、力無く笑い合っていた。

 

「いやぁ!久々に負けたね!」

「僕も倒れたから引き分けだよ」

「いやいや、先に気絶して倒れた私を介抱してくれたのに、これが引き分けなわけないでしょ!」

「その後にそのまま僕も倒れたから同じだよ」

 

 二人は今、湖畔で仰向けに横たわりながら、先程までの闘いを振り返っていた。

 僕は気絶した蘭を仰向けに寝させて、介抱しようとした。だが、その前にそこで僕の力が尽き、一緒にそこに倒れてしまったのだ。

 僕は彼女に腕枕をしてあげている。彼女が腕枕をしたいと言ってきたからだ。別に断る理由は無いのでされるがままに腕を好き勝手されているのだが、腕枕とは腕を枕にして寝るというものであり、僕の体に抱き着いて頭を腕に乗せるというものではない。

 

「蘭、腕枕の意味、分かってる?」

「分かってるよ。こうして密着するんでしょ?」

「激しく違うよ。どうして頭いいのにそういう事は間違った知識を覚えているのかな…」

「まぁいいじゃないか。私がこうしたいからこうしてるだけだよ」

「自由奔放は妖怪の性と言うけど、本当にそうだよね…」

「私のモットーは、したい事はして、したくない事はしないだよ!」

 

 顔を横にすると蘭の顔が近過ぎるので、僕はひたすらに真っ赤に焼けている空を見つめる。

 結局、勝負は僕の勝ちとなり、僕は死を免れた。彼女はやっとできた友達と楽しそうに会話をし、その温もりを確かめるように肌に触れてくる。まるで逐一そこに僕がいる事を確認するかのように。そして、その儚さを認識するように。

 

「…ねぇ」

「どうした?蘭」

 

 さっきまで愉快に談笑していた雰囲気とは一転、怪訝そうな顔をして蘭は問いかけた。

 

「なんで私を殺さなかったの?」

 

 何故気絶している間に殺さなかったのか。倒れるまで時間に余裕はあった筈だ。それを蘭の介抱に当て、結果的にぶっ倒れてしまった。今だってそうだ。今の蘭ならば、寝たままの僕の攻撃でも殺されてしまうだろう。そこまで弱っている。だが僕はそれをせず、腕枕(?)をしてあげている。人間が妖怪を殺さずに一緒に寝転ぶなんて話、聴いたことがない。

 

 では何故か。自分の心の中を探って理由を見つけようとする。しかしそれらしい理由は見つからず、回答は「何となく」だった。

 だがそれで素直に引き下がる蘭ではない。知りたい事は知りたがる性分なので、結構しつこいのだ。何か、このモヤモヤした気持ちを一番表現できている言葉は無いか……うん、無いや。

 

「…強いていうなら、最初、釣りの時に殺さないでくれたでしょ?あれの借りを返したかったから…かな」

「え?あれは私が君をあんな簡単に殺したくなかったからで…」

「それでも、助けてくれた事に変わりはないよ。僕が勝手に借りだと思っているだけさ。これで貸し借りゼロ。次からは本当に殺すよ」

「え〜。そんな勝手に貸し借り思われても面倒だよ〜。……あ、そうだ!」

 

 空を見ているので蘭の顔は分からないが、きっとキラキラとした目をしているのだろう。挙動は完全に天真爛漫な女性だからな。

 

「それなら、今私を助けてくれたのは私にとって借り。次に私が勝ったら、見逃してあげるよ」

「いや、そんな事言ったら貸し借り無くならない…」

「いいの!私が勝手に思っているだけだから!」

 

頬をふくらませているのだろう、蘭の声が少しくぐもった。

 

「…律儀だね」

「他とは違うからね」

 

言葉の端々に自身に向けた皮肉を織り交ぜていく。彼女の言動から、今までの色々な感情が流れ出ていくようで、心に関して知識豊富な僕はすぐにそれを読み取ることが出来た。

 

「…辛いのかい?」

 

僕がそう言うと蘭は肩に顔を埋め、胴に回した腕に力を込めた。

 

「………何も言わないさ」

 

 自由に動かせる左手で、右半身にいる彼女の頭をそっと撫でる。孤独でいることの辛さは誰よりも分かっている。永琳とはまた違った孤独だが、それでも僕は彼女の気持ちが痛いほど分かった。

 真っ黒な“檻”が共鳴している。孤独の蜜に震えて歓喜の声を上げている。これまで僕の心を縛っている闇について研究してきたが、消滅法は解らず、解ったのはこの闇の本質のみだった。

 闇は、「孤独」「不信」「裏切り」と言った感情から発生したものだった。僕の心に入り切らずに溢れ出てしまったと推測するのが妥当だろう。そうして溢れ出た闇は形を造り、本質の赴くままに周囲を騙していった。

 そして厄介な事に、闇は他者の負の感情を感じ取ると、それを取り込んで自分のものとして蓄えるのだ。蘭の気持ちが痛いほど分かったというのには、そういった理由がある。

 

 

 

「────あーすっきりした!」

 

 そのまま少しすると、蘭はそう言って立ち上がった。目尻に赤い跡があるが、そこは気付かないふりをしておく。

 

「もう帰ったら?結構遅いよ?」

 

 確かに、先程までは赤かった空も、今では紫色に変色している。もうすぐ夜になってしまうだろう。

 夜の森ほど危険なものはない。妖怪達は活発になり、視界は狭まる。人間にとって夜に行動する事は命取りであり、また妖怪にとっては獲物を狩る絶好の時間帯だ。

 

「そうだね、じゃあ帰るよ」

 

 数時間寝そべっていたのである程度体力は回復した。ここから都市まで帰るのには問題無いだろう。

 

 短槍を背中に背負い、来た道を思い出してそちらの方向を向く。

 

「じゃあ、次に来た時は僕の家の釣竿を持ってくるよ」

「それまでに釣りの腕を上げておかなくちゃね」

 

背中にかかる声と短く別れの会話をし、二人同時に口を開いた。

 

 

 

 

「「それじゃあ、またね」」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 ガサガサと茂みを揺らす音がする。それに気付いた第三十一番特別任務部隊、略して特隊の隊員こと蔵木雄也は、サッと周りに指示を出してその部分を警戒した。

 他の隊が倒れるような訓練の中、この特隊だけは一人も欠けずに将軍の課した試練を乗り越えたので、周りからは畏怖と尊敬の念を込めてこの部隊には『不死隊』の二つ名が贈呈された。それが、部隊が設立されてから半年が経つ今日から一週間前の事だ。

 将軍達はこれで、特隊の部隊長である修司の無能さを示そうとしたらしく、訓練場にツクヨミ様まで招いて雄也達を貶めようとしたが、それは失敗に終わった。昨日はそれも含めての宴会だった。

 昨日の事はよく覚えていない。今日の朝修司に訊いたところによると、修司以外の全員が酒でぶっ倒れてしまったらしい。『不死隊』は酒が弱点か……何とも笑える弱点だ。

 

「(右翼は中心を軸に回り込むように展開。左翼も同様だ)」

「「(了解)」」

 

 小型通信機から右翼と左翼の伝令の返事が聞こえる。

 

 

 

 

 今日、俺達はいつも通り門外で訓練をしていた。半年が経ったからと言って訓練が終了するわけではない。それは隊長が宴会の時にも言っていた事だ。

 隊長はあの時の妖怪を狩りに行くと言って朝から山に向かって出発した。なので今は俺が臨時で皆に指示を出している。

 

 いつも通りの訓練、いつも通りの一日。周りから見ればやっている事は正気の沙汰ではないだろうが、馬鹿みたいに鬼畜な訓練も、半年もすれば日常の中に溶けて消えていく。慣れって怖いよな。

 

 訓練が一通り終わって、午後の夕方頃だった。皆が休憩していると、急に門が開いたんだ。

 何事かと思って俺が門に行ったら、そこには赤青の服を着た女性が立っていた。

 

『どうしましたか?』

 

 勝手に門を開閉出来る人はまず俺より権力が上な筈なので、取り敢えず敬語で対応する。すると彼女は俺の存在に気付くと、ツカツカと歩いてきた。

 

『あなた、特隊の隊員?』

『はい、そうですが…』

『丁度良かった、部隊長を呼んできてもらえない?』

 

彼女は、俺達の鬼畜教官、白城修司を呼べと言ってきた。素性が知れないが、今彼が不在な事を教えると、やっぱり…と言って溜息を吐いた。

 

『修司は今どこにいるか分かる?』

『あいつは、まだ山の方にいると思います。今日の朝方出て行ったきり、帰ってきていません』

 

隊員である筈の俺が上司の隊長をあいつと言ったことに眉を顰める女性。言いたい事は分かるが、今はそれどころじゃないらしく、若干焦ったように言った。

 

『夕方までには帰るって言ったのに……』

 

 ボソッと呟かれた一言で、俺はこの人が誰なのかを漸く理解した。実際に姿を見たことが無かったので確信は無いが間違いない、目の前にいる女性は、かの有名な八意永琳様ではないか。

 彼は自己紹介の時に、八意永琳様の従者をしていると言っていた。彼が従者をしているところなんて見た事が無かったからすっかり忘れていたが、本当だったんだな…。

 

『八意永琳様…ですか?』

『えぇそうよ。…あ、敬礼とか、そういうのは要らないわ。今はそれよりもやって欲しい事があるの』

 

不敬罪で処罰されるのを恐れ、慌てて右手を頭にやろうと思ったら、八意様のは頼みたいことがあると言ってきた。

 どうせ断れるわけがないし、それに頼み事の内容も何となく分かったので快諾したら、依頼は案の定「修司の連れ戻し」だった。

 

『出来る?』

『不死隊の名にかけて』

 

 自信満々に放ったその一言に八意様は少し安心したようだ。だが、任務に付いて来ると言われた時は流石に断った。

 

『八意様に何かあっては、都市のこれからに関わります。ですからここでお待ちに……』

『私の実力を甘く見てもらっちゃ困るわ。これでもあなたを倒せるくらいには強いのよ?』

 

どこからか取り出した弓に矢をつがえ、軽く殺気を出してくる。だが、そんなのは修司に比べたらまだまだだ。俺が勝てるかと言われたらそれは無理だと言うが、もし八意様と修司が闘ったら、きっと修司に軍配が挙がるだろう。半年間修司の実力を間近で見てきた俺は、そう思った。

 殺気や脅しに対する耐性はバッチリなので、俺は八意様に言いくるめられる事は無かった。だが、彼女の内面に宿る必死さを見たら断るに断れず、部隊の一番安全な場所で付いて来るという条件で、彼女を部隊に編入した。

 

 

 

 

 それが数時間前。今は修司が目指した山に向かって幅広に陣形を取りながら、森の中を進んでいる。各小隊に分かれて、妖怪を察知したらそれを避けるように進むという方法でゆっくりと山に向かっているのだが、如何せん距離がある。これが小隊五個程度の精鋭のみだったならば、すぐに目的地に着けただろうが、八意様の依頼を皆に教えたところ、全員が行きたいと言ってきた。皆の気持ちは痛いほどに分かるので、俺は全員で山に向かうことにした。

 私情に流されているのは分かっている。敵地で作戦をするにあたって私情は非常に危険だ。

 だが、こちらは防衛軍の約九割の戦力を占める特隊。そう簡単にやられるわけがない。

 

「(八意様、目の前に何かいます…お下がり下さい)」

「(私も闘うわ。大丈夫、援護の弓だけにしておくから)」

 

 俺達が前方の茂みを注視している中、八意様は頑なに戦線を退くことを許さない。頑固そうな人だとは思っていたが、まさかこれほどとは…。

 

「(…仕方ない。八代、片桐、菅谷、野村。お前達は八意様を囲むように位置取れ)」

「「「「(了解)」」」」

 

 中央に位置する俺の小隊は、司令塔として周りの小隊を管理している。数は八意様を入れて六人。俺だけが前に出て他を全て防衛に回している。

 声を抑えて指示を出している内に、揺れる茂みはどんどんこちらに近付いてくる。通信機の音を切り、気付かれないようにする。

 

「(総員、戦闘態勢…)」

 

 俺がそう指示すると、後ろで音も無く得物を構えた五人。八意様も含めて、ここにいるのは精鋭中の精鋭だ。後は言わずとも対応してくれるだろう。

 茂みの揺れが目の前まで来て、俺は木の影に隠れた。そこから相手の出方を窺い、自分の愛用している大剣を構える。

 

 

 

 

ガサ……

 

 

 

 

 出て来たと思う間もなく、俺はソイツに向かって突進する。後衛と距離を近付けてはいけないので、たとえ相手が誰であろうとも前衛は前に出て先手を取らなければいけないのだ。

 

「はぁぁぁぁ!!」

 

 思いっきり振り上げた大剣を目の前の人型妖怪に振り下ろす。妖怪は横にローリングすることでこれを躱したが、元々弱っていたのかそのまま起き上がる気配が無い。

 これはチャンスだと俺は思い、そいつの方向を向いてもう一度大剣を振り上げた。

 

ガキィン!

 

 だが、振り上げた幅の広い大剣は、後衛から射られた矢によって弾かれ、地面に突き刺さった。

 

「何をするんですか!八意様!」

 

 いきなり攻撃を中断され、俺は目の前に敵がいるのも構わずに後衛に怒鳴った。

 

「何をじゃないわよ!自分が殺そうとした相手を見てみなさい!」

 

 物凄い形相で怒る八意様の気迫を気圧され、俺は渋々顔を目の前のそいつに戻した。

 

 

 

 

「…………へ?」

 

 

 

 

 そこにいるのは、人型の妖怪ではなく、傷つき、ボロボロの人間だった。そして、背中に背負っている短槍。それは、彼が今朝持っていった────

 

「修司……なのか?」

 

 目の前に力無く横たわる人間が、我が隊長だという事実に固まり、思考が一瞬停止する。だか、次に響いた八意様の声によって我を取り戻した俺は、大剣を取り落として顔を両手で覆った。

 

「お…俺はなんて事を…」

 

 八意様が隊長を抱えて何か言っているが、それは俺の耳には入ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「修司っ!」

 

 私は弓を放り出して、彼に駆け寄った。後ろで特隊の兵士達が目の前の現実に驚いているが、そんなのお構い無しだ。

 

「大丈夫!?」

「…永琳じゃないか……なんでこんな所にいるんだい…?」

 

頭を抱えて、半身を起こしてあげる。薄く開かれた目には、いつもの覇気がまるで感じられなかった。

 

「そんな事はどうでもいいわ!それよりもどうしたのこの怪我!」

「あはは…。どうしたって…妖怪に決まってるじゃないか…」

 

彼はさも当然のように言う。

 正確に言うと、修司は、山から帰る途中、妖怪の大群に待ち伏せされたのだ。行く時に無視していた連中が山の麓で固まり、蘭のところから帰ってくるのを狙っていたらしい。

 最早帰るだけの体力しか残っていなかった修司は、更に酷い傷を負いながらも、何とかその群れを追い払うことが出来た。だが、同時に体力も底を尽き、短槍を丈替わりにしてここまで歩いてきたのだった。

 

「兎に角、急いで都市に戻らないと…!」

「そんな時間なんて無いよ。……それまでに失血死で死んじゃうさ…」

 

 永琳は素早く彼の体を診る。身体の至る所に深い傷を負い、血は既に出し切っているかのように見える。脈は弱く、口を動かすのも辛そうだ。

 

「永琳…」

「何?」

 

今の手持ちでは修司の傷は治せない。それが分かり、私は涙が止まらなかった。

 

「何か……価値のある物…持ってない…?」

「え…?」

 

 こんな状況で何を言っているのだろうか。価値のある物?そんな物今は…

 

「あっ…」

 

 ある。価値のある物。

 私はポケットから宝石を取り出すと、それを修司に見せた。

 これは彼が壁外で訓練をするようになってから、ある日彼が持ってきてくれたものだった。彼曰く、森を歩いていたら見つけ、綺麗だったから私にプレゼントするために持って帰ってきたらしい。

 綺麗で淡い光を放つその石は、彼が私に初めてくれた贈り物だった。それが嬉しくて、私は加工して首飾りなどにせず、それをその形のまま、ポケットに入れて保管していたのだ。彼からの思いの量が減ってしまうような気がしたので…。我ながらなんともちゃちな考えだ。

 

「ほら…これ」

「これは……あの時のあれか…まだ持っててくれたんだね」

 

 じゃあそれを頂戴、と修司が言った。私は無我夢中でそれを彼の手の中に押し込んで握らせると、修司は微笑んだ。

 

「ありがとう…、永琳」

 

 彼は目を閉じて息を吐いた。一瞬死んでしまったのかと思った私だったが、彼の手が光りだしたのを見て、安堵した。

 

 光が消えると同時に修司は目を開き、手の中のものを飲ませて欲しいと言ってきた。

 私が宝石を握らせた手を恐る恐る開かせると、そこにはなんと、液体が入った小瓶があったのだ。

 

「これは…!」

「それを…飲ませて…」

 

 こんな紫色をしているのに大丈夫かと一瞬思ったが、修司の言う事を信じて、私は小瓶を手に取り、その蓋を開けた。そして修司の半身を更に起こすと、口に瓶を当てて中の液体を流し込んだ。喉が鳴ったので、しっかりと飲み込めたのだろう。それを確認すると、修司はゆっくりと目を閉じた……。

 

「修司………修司!」

 

 まさか死んでしまったのか…。

 私は恐怖に駆られながらも、震える手で腕の中の彼の脈を測った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドクン…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………!!」

 

 脈がある…!しかも、その間隔はどんどん狭まっていき、ついに正常値まで回復した。傷を確認してみると、先程まで目を覆ってしまうほど酷く抉られていた患部が、まるで何事も無かったかのように治っていた。顔色も、さっきは白くて能面のような顔だったのが、いつもの健康色まで戻っている。消え入りそうな表情は無くなり今は安堵を浮かべて目を閉じている。

 

「良かった……良かった……」

 

 敵地のど真ん中、女性は男を抱きながら、起こった奇跡に心の限りの感謝を述べた。

 

 





 まさかの一万四千字w

 一話を一万付近にしている作者ですが、こんなことになるとは思いもしませんでした。次回からは自重しますので勘弁してください。

 珍しく修司が瀕死です。それだけ蘭がアホみたいに強いということですね。お蔭で超長期戦しか落としどころが見つかりませんでしたw
 そして影が薄くなってきている(かもしれない)永琳さんが登場です。修司の昇華した能力はバレましたし、雄也は危うくFFをかましそうになっちゃったので、周りがどうなるのかに期待ですね。

 この時代の妖怪は、知性と並外れた力をもつ残忍冷酷な化け物です。倫理なんてものは無く、どこまでも貪欲で自己中な生き物です。
 そういった認識なため、蘭のような存在は非常に異端であることが伺えます。
 ですが単純に実力のある者に付き従うことが多いので、武力を以てすれば集団を形成することができます。内戦や下克上なんてものは日常茶飯事ですがw


 前書き後書きを読んで頂ければ、より一層作品への理解が深まると思います。
 それではまた~。

 


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11話.実直に咲く笑顔と虚飾で彩る笑顔

今回は全体的に前フリな回ですかね。原作のアレが出て、そして布石をばら撒きまくって終わる…………みたいな感じに仕上がっています。こういう回はあまり得意ではないんですけどね……トホホ。

 前回は一万を優に超える文字数でしたが、反省して今回は一万五百字に収まっていますw


 それでは、どうぞ。


 


 あの後僕が起きたのは病院に寝かせられてから一週間後だった。知らない天井だ、と言おうとして、ここが病院の天井である事に気付き、顔を左右に動かしてみると、そこには病床に顔を伏せて床に正座をしている永琳が居た。病院だと言うのに、寝ずに僕の隣に居てくれたのかと思いながらその優しさを心に染み込ませていると、彼女が身じろぎをした。

 

「ん……私、いつの間にか…」

「おはよう、永琳」

 

 顔を上げた彼女に微笑んで、その寝ぼけた顔を拝む。

 彼女は呆けた顔をして、そのまま暫く硬直する。そして、立ち上がって俯いた。顔に前髪が掛かってどんな顔をしているのかが見えない。

 

「……………で」

「へ?」

 

 よく聞き取れなかった。

 

 

 

 

「巫山戯ないでよ馬鹿ぁ!!!」

 

 とても女性一人のものとは思えない怒声が院内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「何か言う事は?」

「ごめんなさい…」

 

 時刻は昼近く。僕は現在、永琳に笑顔で何時間も説教されていた。彼女との約束を守れなかったのもあるのだが、それよりも死にかけたことに対して怒っているようだった。逐一あの時の事を出しては、やれ傷を負い過ぎだの、やれもっと上手く闘えなかったのかだの、色々と理不尽な事で僕を叱っては、最後に「良かった…」で締める。それが何時間も延々と続くのだ。無限ループって怖いよね。

 

「兎に角、生きてて良かった…」

 

 これでこの台詞を聞くのは何十回目だろうか。もう耳にタコだ。あと少しで三桁に到達するのではないだろうか。ここは個室なので周りの人に迷惑になる事は無いのだが、それでも長過ぎると思う。

 

ドカドカドカ…

「あ、来たみたいね」

 

 また同じような説教が続くのかと思いきや、永琳はドアの方を見ると、丸椅子から立ち上がってその人が来るのを待った。

 

「起きたのか!修司!」

「雄也!?」

 

 床か抜けるんじゃないかと思うくらいに足音を立てて思いっきりドアを開けた大男は、開口一番そう叫んだ。豪快な性格なのはいいのだが、時と場所を考えてほしい。流石に個人の性格は隊長としては管轄外だ。

 

「病院では静かにしなさい」

「あ、すいません、八意様…」

 

 突撃してきてから、雄也は永琳に気付いて慌てて敬礼をした。だがすぐにこちらに振り向くと、捲し立てる様に次々と心配の言葉をかけてきた。

 

「お前、やっと起きたんだな!お前が帰ってこないから心配だったんだぞ!お前が死んじまうと思ったら夜も眠れなくてよ!それに────」

「あーはいはいストップストップ。もう十分分かったから、病院では静かにね?」

「おっと…すまん…」

「そんなにしょげることじゃないでしょ。アップダウン激しいね」

 

 僕は雄也の激し過ぎる感情反応にツッコミを入れ、その場が少し和む。

 永琳は席を外すと言い、病室を出た。雄也はその間に永琳が座っていた丸椅子に腰を下ろした。

 

「……八意様には後でお礼を言っておかなくちゃな…」

「急に八意様が出て行ってしまったけれど、どうしたんだろうね」

 

こちらとしては説教が一先ず終わってほっとしているのだが、雄也の顔を見るに、何か真剣な話があるようで、僕はまた顔を引き締めた。

 

「…雄也、何か僕に用があるのかい?」

「あぁ、修司……あの時の事なんだが……」

 

 あの時の事と言われて、僕は最初、何の事を言っているのかが分からなかった。山で死にそうだった時なんかは意識が朦朧としていたし、永琳の顔しか判別がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「────本当に済まなかった!!」

 

 

 

 

 

 

 

 雄也の突然の謝罪に、僕は目を白黒させた。だって、全く身に覚えが無かったからだ。

 

「……え?」

「俺は…修司を探しに森に入った時、お前を妖怪と間違えて攻撃してしまった。幸い、初撃は避けてくれたが、それでも俺は俺がやっちまった事には落とし前をつけたい。どんな処分でも受けるつもりだ!」

 

 丸椅子を後ろに蹴飛ばしてその場で土下座をする雄也。病床で半身を起こしてそれを見ていた僕は、信じられない告白に心臓の鼓動が速まるのを感じた。

 

 雄也が僕を襲った…?

 いくら敵地のど真ん中だったからって、幾ら何でもそれはあんまりだ。瞬時に敵味方の区別もつかないほど耄碌された覚えはない。

 それとも、もしかして雄也は、僕と分かってて(・・・・・・・)攻撃を仕掛けたのか?優しい僕なら、今謝罪しても軽い罰で済むと思って…?

 

「それは────」

 

 言いかけて、修司は頭をブンブン振った。

 駄目だ!たった一回の失敗ですぐに疑うな!闇に呑まれれば全てを失う。意識をしっかり保て!

 蘭と別れてから、僕は闇が胎動しているのを感じていた。まるで、僕が取り込んだ人格のように、一人の精神を持っているように思えるのだ。最初は、自分の思い過ごしかと思ったが、今、はっきりした。人格達と同じように、闇も意識を持ち始めている。僕は、冷や汗を出しながら、事の意味を理解した。

 

「…………」

 

 雄也は僕の次に発する言葉を、床を見つめながら、聞き逃すまいと耳を澄まして微動だにしない。それが僕の心に罪悪感となってのしかかり、取り敢えず顔を上げるように言った。

 

「駄目だ。そんな事は出来ない」

 

だが雄也は頑なに自分を罰してくれと言って聞かない。男気溢れるその姿に感銘すら覚えるが、僕はその雑念を振り払い、何か当たり障りの無い罰を考えた。

 雄也は、一度こうと決めたら曲げない性格だ。正に、『男に二言はねぇ!』という言葉を体現したようなその豪快な性格に惹かれる女性も少なくはない。

 それを鑑みて、小さいものでも何でもいいので、兎に角今後の生活に支障の起こらないような命令を考えているのだが、如何せん何も思いつかない。

 

「……………あっ」

 

 いい事を思いついた。これならば、僕も得をするし、雄也も納得してくれるだろう。

 

「……処罰を決めたよ」

「何でも言ってくれ」

「雄也、君には────」

 

 勿体ぶるように一度大きく息を吸い、目の前で土下座している親友の頭を見る。

 

 

 

 

「────これからの訓練の後、僕の特訓に付き合ってもらう。拒否権は無いよ」

 

「……へ?そんな事で……いいのか?」

 

 雄也は間抜けな声を上げて、顔を上げた。

 僕は特訓の内容について説明した。

 しかし、それはいつも、雄也が休憩の時間に僕に、手合わせと称して吹っかけていた模擬戦とさして変わりない内容だった。

 当然、雄也は抗議した。それではいつもと変わらないではないかと。しかし僕は聞いてくれ、と説明を追加し、雄也のその先を黙らせた。

 

「言ったでしょ?これは特訓だって。雄也も強くするのも目的の内。今後こんな事が起こらないように、僕と一緒に鍛えようよ」

「一緒に……か?」

 

 雄也が顔を暗くする。もう僕に刃を向けたくないのだろうが、そんなトラウマに悩まされているようでは、防衛軍の兵士の名が廃る。そんな軟弱者に育てた覚えはない。

 

「そう、一緒に。次にあいつを倒すための戦略を整えたいんだ。協力してくれるよね?」

「も、勿論!こっちに出来ることがあれば、精一杯やらせてもらうぜ!」

 

 息を吹き返して目に光を灯す彼に僕は微笑んで、何とか説得に成功したことを密かに喜んだ。こういう所は意外と単純なんだなぁ。

 僕は改めて彼に立つように言い、今度は素直に従ってくれた。

 

 

 その後の談笑に興じていると、ノックの音がして、永琳が帰ってきた。雄也の清々しい顔で察したのか、彼女はふふっと笑うと、病室に入ってきた。

 それを見た雄也は、用事はこれで終わったから帰ると言い、倒した丸椅子を元の位置に戻した。

 

「それじゃあ、俺はこれで帰る。また壁外で会おうぜ」

「うん、またね」

 

 僕は手を振り、雄也と別れた。

 

「彼との話はどうだった?」

「分かってるんでしょ。気配がドアの裏からずっと動かなかったから」

「あら、気付かれてたのね」

 

 恐らく雄也も気付いていたのだろう。だからあの時、「八意様には後でお礼を…」と、わざわざ声に出して言っていたのだ。

 

「ふぅ…説教はもういいかしらね。十分反省しているみたいだし」

「でも、また僕は行かなきゃいけない。あいつは危険過ぎるから」

 

 永琳はそう聞いて顔を顰めた。だが僕は努めて笑い、全く不安を寄せ付けない笑顔を彼女に見せた。

 

「大丈夫だって。すぐに行くわけじゃない。ちゃんと対策を練ってから行く。今度は生きて帰ってくるさ」

「………本当に?」

「本当本当大本当。だからさ、永琳も笑いなよ。折角の美人顔が台無しだよ?」

「…もぅ……馬鹿…」

 

顔を赤くして俯く永琳を茶化すような笑いに変え、そこからは久々の明るい話で病室を埋め尽くした。

 と言っても、彼女と僕の口から出てくるのは、最近までの苦労話ばかりで、どっちかというと居酒屋のようなノリだった。お酒飲んだ事ないのにね。

 

 

 

 

「────あ、話は変わるんだけどね」

「うん、何?」

 

 急に真面目な顔になった永琳。たった今思い出したようで、間の抜けた声を出していたが、そんなに重要な話しならば忘れないだろうに…。

 

「議会の連中────あ、私とツクヨミ様以外よ?────が、あなたが死にかけで帰還した事にとても怯えていてね、回復したらすぐにこっちに来て報告をするようにと言っていたわ。報告書だけじゃなくて、あなたの生の声を聞きたいらしいわ」

「それはまた、大層仕事熱心(・・・・)な事だね」

「全くよ…。病み上がりを呼びつけるってどういう神経してるのかしら」

「まぁいいよ。拒否なんて出来ないからね、行くしかないさ」

 

諦めたように苦笑を浮かべて僕は言った。

 

「あと、ツクヨミ様も呼んでいたわ」

「げっ…」

 

僕はこれ見よがしに嫌そうな顔をした。それを見て永琳は若干吹き出す。僕がツクヨミ様を苦手な事を知っているので、僕の嫌そうな顔が余計に理解出来たようだ。

 

「はぁ………そっちは謹んで辞退したいなぁ…」

「残念ながら、どっちも強制事項よ。あなたの立ち位置では逆らえないわ」

 

 防衛軍の部隊長の位置づけとは、市民の上に立ち、政治家達に膝を折ると言った感じだ。市民と上役との間に立っている。

 

「私の従者というのも、ただ私という盾があるだけだし、あなたって意外と偉くないのよ?」

「僕はあまり人の上には立ちたくないからね。これでいいのさ」

「欲がないわね」

「それ、誰かさんにも言われたよ」

 

 頭の中で、特異な存在である地這いの妖怪の事を思い浮かべる。

 

「…で、僕はもう退院出来るのかな?」

「森であなたが使った謎の薬のお蔭で、外傷は完璧に治っていたから、もう退院出来るわよ。修司が入院したのは、気絶してから目を覚まさなかったから」

「あぁ、それには心当たりがある」

 

 きっと、蘭との戦闘で脳を酷使し過ぎたのだろう。まだまだこの闘い方には慣れが必要だな。

 

「……それよりも、修司があの時に使ったあの力。あれは何なの?あなたの能力って一つじゃなかった?」

「それはね────」

 

 どうせいつかバレるだろうと思っていたので、永琳に詳しく僕の会得した能力について説明する。僕の本来の能力で永琳から取り込んだ事も。その部分を話している時に、永琳は微かに顔を動かした。自分の能力までもが昇華されているとは思いもしなかったのだろう、僕が説明し終えると、彼女が小声で、「やっぱり出鱈目よ…」と言っていたのを聞き取った。

 

「僕も驚いてるよ。………それじゃあ、さっさと報告しに行こうかな…」

「それには賛成ね。あいつら、相当ビビっていたから、あなたがゆっくりしているのが耳に入ったら、処罰されるわよ?」

 

 それはご勘弁願いたい。

 

「打ち首とかありそうだなぁ…」

「有り得るから怖いわよね」

 

 永琳がそう言って溜息をつくと、恐らく僕の荷物が入っているだろう鞄を部屋の隅から持ってきた。

 僕はベッドから出て、永琳からその荷物を受け取ると、永琳を部屋から出して着替え始めた。

 

「先に手続きしてるわ外で会いましょ」

「また永琳が主治医だったのか…」

「当たり前じゃない。居候の治療は家主の義務よ」

 

 そんな義務あるわけないのにな。

 去り際に言われた一言に永琳の気遣いを感じ、そっと言葉を零した。

 どうやら荷物というのは僕の服のみのようで(短槍は軍に返却されたらしい)、改めて僕の軽装ぶりを再確認した。武器だけ持って出掛けるって、近所に遊びに行くような感覚じゃないんだから、と思うが、やはり僕にはこれが合っている。

 

 着替えが終わり、受付に一応挨拶だけしてから、僕は自動ドアを通って病院を出た。そして目の前に広がる光景にナニコレとツッコミを入れたのは懐かしい思い出。

 すぐそこの道路に自動車を停めて待っている永琳に向かって片手を挙げながら、僕は最早何も入っていない鞄を引っ提げて駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 永琳も付いていくと言うので、僕は永琳を家に降ろさずに、そのまま本部に直行した。てっきり僕が報告するところまで付いてくる(永琳ならやりかねない)と思っていたのだが、意外にも彼女は車で待っているというので、先に議会の人達に報告する為に僕は会議室の扉をノックした。

 

 案の定彼らは情けないほどにビクビクしており、あまりの恐怖に軍を動かそうと提案する極論を言い出していた(チキン)もいた。

 僕は一応都市では一番の実力者(防衛軍の中では)なので、僕を瀕死に追い込むような妖怪の台頭に、議会の連中震撼した。しかも相手は一人だと言うから尚更彼らの恐怖心は増幅し、椅子に座って喚き散らすだけの阿呆と化していた。

 

 彼らは僕の報告で対策を練るなどとのたまっていたが、実際は軍を動かすくらいしか頭が回らないだろう。妖怪を見たことも無いのに妖怪にどうやって対抗するのか非常に見物だ。

 だが、ここで大人数で森に出たところで、生き残るのは恐らく僕の部隊のみなので、ここで一つ提案をさせてもらった。

 

 それは、僕が定期的に山に出向いてソイツを弱らせて、進軍させないようにする、というものだった。この提案に議会者達は、「そうだそれにしよう!」と、一瞬で満場一致の即決定を下した。

 こんな状況でも、彼らは私腹を肥やす事しか頭にない。軍を動かす時にかかる費用の事が頭を過ぎったのだ。そうして金を浪費するくらいなら、一人でやってもらった方が都合が良い、と彼らは考えたのだ。

 つくづくこいつらの下衆加減には額に青筋を浮かべる。

 

 結局、僕の報告は報告書と変わらない内容だったので、特に問題も無く、僕が蘭と闘うことでカタがついた。

 永琳が車の中で何も訊いて来なかった。きっと訊くまでもないと思っているんだろう。実際その通りだ。

 

 

 

 

 次はツクヨミ様との対()ということで、僕達は今都市中央のドでかい建物の前にいる。永琳はまた車で待っているようなので、こっちはツクヨミ様との一騎打ちに臨む気概で顔を引き締めた。

 この前は、危うい場面が多々あったが、今は違う。今回はただ蘭の事について色々話すだけだし、何も気を付ける事は無い筈だ。だが、そうは言っても絶対にガードを張ってしまうのが僕。備えあれば憂い無しと言うし、一応の対策は考えておこうか。

 

「こちらです。ツクヨミ様は既に居りますので、粗相の無いように」

「ありがとうございました」

「はい。では、私は…」

 

 どうせ、またあの美味しいお茶を煎れにいったのだろう。それも、高級な緑茶を。高い茶葉を使っているのもあるだろうが、あれはあの人の技量も相当関係している。むむむ、侮れないな…。

 

「────ドアの前で何を考え込んでいるのだ。早く中に入れ」

「……はっ!?す、すいません!」

 

 緑茶について変に考えていると、中からツクヨミ様が声をかけてきた。

 待たせるのは悪いので、急いでドアを開けて中に入る。

 この部屋は前回会った時と同じ部屋で、全面ガラス張りの壁が神々しく輝いていた。

 

「やっと来たか。まぁ座れ」

「失礼します」

 

 今回はそんなに身構えていないのだが、それでも神様を目の前にすると、何だか緊張してくる。今は神力で脅すような真似はしておらず、こっちとしてはかなり過ごしやすい感じだった。

 

「では、早速本題に…と言いたいところだが、今回は喉は乾いていないのか?」

「へ?…あぁ、大丈夫です。僕は先程まで議会の御方達に報告をしていただけですから、全然ですよ」

 

 そうだ、前は急いで来たとか何とか言って、意味不明な攻撃を仕掛けていたんだ。今更それを掘り出してくるとは、何たる皮肉屋だ。

 

「先に飲み物が来るのを「失礼します」…言った傍から来たようだ。私は乾いていてな」

 

 側近の人がお茶を煎れてきた。僕が部屋に入ってからすぐに来たという事は、相当ドアの前ど考えていたようだ。その事を考えると、ちょっと自分が恥ずかしくなった。

 コトン…と湯のみが二つテーブルに置かれ、側近は礼をして部屋から出ていった。

 先程喉が乾いたと自分で言っていたくせに、湯のみに手を出していない。つまり、誰かに聞かれては困る話だという事だ。薄々それは察していたので、側近さんにお礼を言い、僕はその美味しいお茶に手をつけた。

 

「ズズ…………ふぅ。やはりあの人が煎れるお茶は美味しいですね」

「だろう?これが理由で採用したと言っても過言ではない」

 

あぁ、側近さん、こんな事を言われて可哀想…。

 

「………そうですか」

「可哀想とでも思ったか?だが、人生はそんなものだ。何がどう作用するかなんて、誰にも分からない。そう思わないか?」

「それはごく稀な現象ではありますが、確かに一理ありますね」

「ふふっ…。お前との会話には飽きないな」

 

 こっちとしてはいい迷惑だ。話の奥深くまで深く読み込んで、機知に富んだ返答をしなければならない。それは僕の十八番なので大して苦行ではないのだが、相手が神となると、どうしても気を張ってしまう。

 

「……まぁ、それは今はするべきではない話だ。それで────」

「わざわざ側近さんを離してまで聞かれたくない話です。一体どんな内容ですか?」

「……やはり他とは違うな、お前は。もしかしたら永琳よりも話術に長けているのかもしれないな」

「それは過大評価です。僕はそんなに凄い人間ではありませんよ」

 

 そう言って、僕はお茶を啜る。ツクヨミ様もそれに合わせて湯のみに口をつけ、互いに一旦息を吐く。

 

「では、話に入ろうか」

「僕が死にかけた妖怪の事ですか?」

「それは別にいい。そういう奴が出てくるのは能力で分かっていた。そして、お前が死にかけるのもな」

 

 能力というのは、あるというだけで何かしらの恩恵が得られる。特に、様々な場面で応用が効く能力は重宝するものだ。ツクヨミ様や僕の能力が最たる例だろう。

 

 

 

 

「私が話題に挙げたいのは、これから先にある計画の事だ」

 

 

 

 

「計画?」

 

 ツクヨミ様から放たれた一言は、今まで知りもしなかった事だった。防衛軍の定例会議や、永琳からも聞いていないいきなりの計画発言に、僕は瞠目した。

 恐らくこれは、最重要機密事項なのだろう。側近の人まで退けてから話すような事だ。永琳は知っているかもしれないが、それは今問題ではない。問題は、何故それを僕に話したかだ。

 

「何故…と言いたげな顔をしているな」

「当たり前ですよ。何故一介の部隊長である僕にその事を話したんですか?」

「永琳の名目上の従者であり、同時に防衛軍の戦力の殆どを担っている特隊の部隊長でもある。そんな規格外なお前だ、資格くらいあるだろう」

 

 まだ信用しきってないくせに…。心の中で僕はそう毒を吐いた。ツクヨミ様の瞳には、人間を見下している色がある。しかも、僕は元は得体の知れない存在だ。そんな奴に資格があるなんて、裏しかないと言っているようなもの。

 きな臭い。現在の僕の都市の貢献方法が武力である事を考えれば、何か僕にやらせようとしているのだろうか。それも、こうやって二人っきりで呼び出してまで秘密にする事が。

 

「それで、その計画とは…?」

「よくぞ訊いてくれた。まず、(けが)れや妖怪の本質については知っているな?」

「無論です」

 

 穢れ。それは、人間に寿命を与えるもの。都市の人間はこれを全く持っていないので、寿命が無い。それは、僕も同じだ。

 そして、その穢れの塊として畏れられている生物が、妖怪である。妖怪とは穢れの象徴であり、また人類の永遠の敵である。都市は防壁と軍を結成することでこれを長年退けてきたというが、最近は蘭のような知性を持った妖怪も増え、力もそれに比例してどんどん強くなっていっている。

 防衛軍は、敵の戦力を削る為に、妖怪を殲滅する部隊を編成しようという事になった。まぁ、その役は全てこちら(特隊)に押し付けられたのだが…。それに加え、周辺の調査の護衛もとなると、もしかしたら僕の部隊から死者が出るかもしれない。

 

 穢れや妖怪がどうしたというのだろうか。それを解決する為に僕達に白羽の矢が立ったのではないか。

 僕は、今更だがツクヨミ様の思惑に気付いた。僕に強靭な部隊を作らせ、血なまぐさい事を全てやってもらおうとしているのだ。それにまんまと引っかかってしまった僕だが、後悔はしていない。どのみちやるだろうとは思っていたからだ。

 

「そうか、なら話は早い。これはお前が来る前から定期的にやっている事なのだが、我らは密かに、穢れの汚染度を調べている」

「はぁ…汚染度…ですか」

「ここ最近までは汚染度も規定値以下に留まっていたので問題は無かったのだが、妖怪側の力が強大になった事で、ここら一帯の穢れが増加し、そろそろ防壁を越えて来そうなのだ」

「え?それは、ちょっと拙くないですか?」

 

 都市内は穢れを完全にシャットアウトしている。

 だが、妖怪の凶暴化に伴って、その防御が崩されつつあるそうだ。ならば防壁を強化して外とのコンタクトを拒絶してしまえばいいと思うかもしれないが、それは出来ない。何故なら、穢れは物理的に防げるものではないから…だそうだ。所謂、空気汚染のようなもの。感染すると寿命が出来てしまう、一種の病原菌だ。

 

「そうだな。このままこの地に居ては、我らはいずれ穢れに侵食されてしまうだろう。……そこでだ、我々は考えた。穢れが無い土地(・・・・・・・)への移住をな」

「穢れの無い土地……」

 

 そんなものがあるのだろうか。曰く、これまで調査に出て他の人類や、穢れの無い土地は見つからなかったと言う。

 

「そんな夢みたいな土地があるというのですか?」

「あぁ、あるぞ?あそこに」

 

 ツクヨミ様が人差し指で天井を指す。ん?天井がどうかしたのだろうか。確かにピカピカに掃除されていて、穢れを微塵も感じさせないが…。

 

 

 

 

 

 

 

「我らが移住しようとしている土地。それは────月だ」

 

 

 

 

 

 

 

「………えぇっ!?」

 

 信じられない。いくらここがファンタジーで奇想天外な世界だとしても、月に住むだなんて無茶過ぎる。

 

「嘘ではないぞ?名付けて、『月移住計画』だ。かっこいいだろ?」

(これまた安直な…)

 

 僕はその圧倒的ネーミングセンスに落胆しつつも、この計画の重要性に気付いた。

 これは、都市の全員の命運を賭けた計画だ。もし成功すれば(本当に月に住めるのか疑問だが…)、僕達は穢れの無い土地で暮らす事が出来る。逆に失敗すれば、恐らく全員死ぬだろう。それは僕も例外ではない筈だ。

 

「…勝算はあるんですか?」

「ロケットは永琳が設計するのだぞ?成功しないわけがない」

 

 最近事ある事に永琳が僕を訪ねてくるのは、それが原因か。研究室にも入れてくれなくなったし、話す時間も前より少なくなった。だから永琳は僕と出来るだけ長く居ようとして……ってのは考え過ぎか。

 

「…計画はいつ実行するんですか?」

「珍しいな。先に時期を訊くなんて。大抵の奴は自分の仕事内容を優先するのだが…」

「ちょっとこっちにも事情がありまして」

 

ロケットが完成してこの地球とさよならする前に、蘭に勝っておきたい。いつまでなのか期間を知りたいのだ。

 

「予定としては、あと百年。遅く見積もっても、残り百五十年だ」

 

自分が不老なのは理解しているけど、それを改めて実感した。百年を普通だと思っている自分がいるのだ。いよいよ感覚が狂ってきたな。

 

「分かりました。それで、僕にわざわざ知らせたという事は、その時に仕事でもあるんですか?」

「明察だ」

 

 ツクヨミ様はそう言い、立ち上がってガラス張りの壁に歩いて行った。

 

「お前とお前の部隊には、その時に来たる決戦で戦って欲しい」

「その相手とは……」

「十中八九、妖怪だ」

 

 彼女曰く、ロケットを飛ばす時に、防壁を突破して妖怪の大群が押し寄せてくるらしい。能力で分かったことなので確証は無いが、念には念を入れておいて損は無い。僕達には最後のロケットの発射準備が出来るまでロケットを防衛して欲しいそうだ。

 ロケットの数は合計四つ。最初は権力者達が乗ったロケットで、次に人民を乗せたものを二つ、最後に防衛軍兵士の脱出用。

 

「いいですよ」

「良かった。お前以外に適任がいなかったのだ」

 

 僕を使う為に色々と仕組んでいるくせに、ツクヨミ様はわざとらしくホッとした表情をした。彼女の手の平の上で踊らされている感覚は拭えないが、どちらにしろこう転ぶしかなかった気がする。

 僕は、ツクヨミ様から、防衛AI兵器の使用許可と、都市を自由にしていいという許可を貰った。勿論、その時が来た時だけだが。

 

「訊きたかった事はそれだけだ。まだ時間はある。……頼んだぞ」

「…善処します」

 

 善処という言葉を使ったのには、もしかしたらの緊急事態(・・・・)に備えての布石だ。よしんば彼女が裏切るとした場合に備えての…。

 

「善処…か。まぁそれでもいい。もっと兵士らしい答えを求めていたのだがな。……もうよい、帰れ」

「はい、失礼しました」

 

 兵士らしい答えと言われたって、こっちはそんな精神は皆無な18歳だ(精神年齢的な意味で)。

 今回の対話では、ツクヨミ様からは何の嫌がらせや脅し、騙しが無かった。道楽で何かやってくることはあっても、重要な部分ではしっかりと真面目に話をしてきた。

 何か裏があるのではないかと不安になってしまう。

 

 ツクヨミ様から退出しろと言われたので、有り難くこのでっかい建物を後にした。永琳はツクヨミ様もの会話の内容が気になったようでしきりに僕を問い詰めたが、僕は悟られないように黙秘を貫いた。永琳はこの計画の事を知っているし、それに僕が関与する事を嫌がる筈だ。いや、確実に嫌がる。

 

 

(ここに来てから数年。平穏な時間の方が少なかったな)

 

 静かに決意を新たにし、僕は明日からの特訓を考えた。

 この時、ツクヨミ様の笑顔がガラスに映っていたのだが、僕はその違和感に気付けなかった。

 

 




 (今のうちに……………今のうちに原作キャラを出しておかなきゃ…)
 ↑ほっといてくださいw



 なんとなくですが、この小説のあらすじみたいな場所を見返していましたら、少々書き足したいなって思いまして…。もっと沢山の人に見てもらいたいなと思った時に、どうすればいいかを考えたのですが、あらすじがちょっと味気ないかなという結論に至りました。
 ですので、どういったものにするかが決まりましたら、予告無しに変えてしまうかもしれません。
 ハーメルンで読みたい小説探しをする時って、大体は題名とタグ、そしてあらすじを見て決めますよね。ですからもっと惹きつけられるような文章にしようと思います。一応あのあらすじは暫定の文章でしたからね…。

 さて!序章もいよいよ終盤に近いです。当初はアニメみたいに12話で終わらせてやろうかなと予定していましたが、なんだか序章に含めておきたい事を書き立てていったら、思いの外筆が乗ってしまい、12話に収まりませんでしたw
 果たしてこの小説は何話で完結するのか……有名なハーメルンの東方小説家様達のように大作になってしまいそうですw。将来的にいい作品に仕上げられたらいいな。



 とまあ、今日はこの辺で。さようなら~。



 と言うかこの日クリスマスイブ!?!?皆さんとりあえずメリークリスマスですっ!!!


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12話.終焉の日々と来たる決戦

 

 さあ、遂に戦争勃発です!!

 ここから決戦が始まります。出来るだけ上手く書こうと思って頑張りましたが、どこかおかしかったら遠慮なくご指摘ください!
 それと、各班のニックネームは適当なので気にしないでくださいw

 P.S.演説って難しいですね。
    ↑意味不明


 


 あの話があってから丁度110年。

 

 それまでにあった事を纏めよう。

 

 

 まず、僕が半年かけて育て上げた特隊のみんなは、周辺調査の時の護衛や妖怪掃討作戦の時も全力を尽くして戦い、見事今日まで死者はゼロ人で成功している。きっとこれからも『不死隊』の二つ名は健在だろう。

 僕がわざと蘭の管轄外の妖怪を狙っていたので大した奴がいなかったのもあるが、それを差し引いても僕の部隊は強かった。

 妖怪の数々の奇襲や囮作戦を全て見抜き、裏を取り、殲滅する様は、僕でも賞賛したくなるほどの連携力だった。

 ロケットで飛び立つというのに百年余りを調査した理由は、地球というものをギリギリまで調べるためだった。これから月で一生過ごすにあたって、月というのには、生命体や文明、更には空気さえもない。はっきりいって、不毛の土地だ。そこで出来るだけの情報と技術を手に入れておこうという算段だろう。

 

 

 次に、永琳についてだが…彼女との関係は、良好……とだけ言っておこう。

 いつかの夜にカミングアウトされる形でされた告白に、僕はまだ返事をしていなかった。相手は、僕が寝ていると思ってあんな事を言ったのだから返事をする必要など無いのだが、それでも僕なりのケジメとして、彼女に直接言わなくても、自分の考えを纏めておこうと思ったのだ。

 そんな僕の苦悩はよそに、永琳は僕に対する好意を(あらわ)にしてきた。もう動揺することは無くなったが、それでも心臓に悪いので、毎回顔を赤くしないように必死になっている。

 ロケットの設計も終わったらしく、僕は研究室に入る事を許された。結構な期間掃除されていなかった室内は、それはもう酷い有り様だった。永琳は申し訳なさそうにモジモジしながら、「掃除…お願い出来る?」と言ってきた。それに問答無用で説教して、渋々掃除したのは何十年も前の話。

 

 

 防衛軍関係の事だが、他部隊からの嫌味やイジメは無くなった。僕達が彼らよりも目覚しい成績を上げ、都市に貢献しているからだ。厄介事を全て引き受けてくれる(てい)のいいなんでも屋のような扱いなので、彼らもイジメる気が無くなったのだろう。

 自分達はただ施設で訓練をして、給料日になったら税金から給料を搾取する。何とも虫のいい話だ。

 将軍からの圧力も綺麗さっぱり消え去った。気持ち悪いほどに手の平を返されて、余計に気持ち悪くなった。周りが嘘ばかりで嘔吐が出る。

 

 

 

 

 そして、気になるのは地這いの妖怪こと地代蘭の事だろう。

 

 彼女は、まだ殺せてない。というか、殺せない(・・・・)

 

 僕は彼女と、今日まで二ヶ月おきに闘ってきた。それで約百年経っているのだから、回数でいうと、六百回は越している。そんな回数闘って、どちらも殺されていないのは不思議な事だろう。当然周りも不審に思う。何故まだ決着がついていないのかと。

 それに関しては上手く誤魔化した。ツクヨミ様に言われた通り、話術は得意なのかもしれないな。

 

 最初に蘭と闘った時、僕は借りを返すために彼女を殺さなかった。それを、彼女は勝手に借りだと言い張った。次に自分が勝った時は、借りを返してあげると。

 

 勿論そんな事は信じなかった。だが、殺すつもりで次を挑んだ時、僕はまた、彼女より先に霊力を使い、なんと負けてしまった。そして驚くことに、彼女は僕を見逃したのだ。

 僕はその時、蘭と同じ質問をした。何故僕を殺さなかったのか…と。彼女はこう言って笑った。「だって、修司も同じ事をしてくれたから」。

 

 ついでに借りも返したしね。彼女の言葉に、僕は心を揺らされた。言葉のみを取れば、それは普通の恩返しと同義なのだが、僕と蘭とでは関係がまず違う。

 僕と蘭は人間と妖怪。二種族は互いに対立し、殺し合うことでその関係が成り立っている。妖怪は人間を喰らい、人間は妖怪を虐殺する。これ即ち、交われば必ずどちらかが死ななければならないという事。

 僕が情をかけたのは、ただ単に僕の酔狂による気まぐれによる部分が多い。寧ろそれが殆どと言っても過言ではない。僕が気絶した時に殺さない程頭のおかしい妖怪ならば、賭けても(・・・・)いいと思ったのだ。

 

 では、賭けに勝ったのか。

 

(…………まだ勝ってない)

 

 というか、この賭けには終わりがない。決着は永遠につかないだろう。僕は“そういう奴”だから、こんな無謀で決まり切った出来レースを自分に吹っかけたのだ。

 この賭けに決着がつく時があるとすれば、それは、僕がロケットでおさらばする時くらいだろうか。

 

 

 

 

 二回目に蘭に倒された時、彼女は借りを返すと言って僕を助けた。僕はその時に“可能性”を感じて、一回目の蘭と同じ様に、「僕が勝手に借りだと思うだけだ」と言って、次に僕が勝った時に蘭を見逃す事にした。これでは堂々巡りじゃないかと蘭は怒ったが、蘭も人の事は言えないので、簡単に説き伏せた。

 そして三回目。僕は蘭に先に妖力を使わせ、見事倒した。僕は宣言通りに彼女を見逃し、彼女はかなり悔しがった。

 

『私は借りだと思ってるから!』

 彼女は、三回目の時にそう言った。僕はそれを聞いてから帰路につき、二ヶ月後に四回目に臨んだ。

 僕は“予測通り”彼女に負け、今度は僕が見逃された。そして僕は言う。

『これは僕にとって借りだね』

 

 

 

 

 もう分かると思うが、僕達は“互いを生かし合っている”。

 しかし、これは本当に危ない均衡の上に成り立っている。

 今までの六百回程の戦闘の全てが、ほぼ同時に倒れているのだ。倒れるまでのほんの少しの差で勝敗を分けており、更にギリギリなことに、先に倒れて負ける側の全てが、“貸しを持っている側”だった。そして、負ける側になる条件は、“霊力又は妖力を使う事”だった。毎回先に使った方が負けている。

 毎回借りがある方が僅差で勝利し、毎回負けた方が、情けをかけてくれたことを借りだと言って次回に向けて努力する。そして借りを返すために次戦を勝利し、貸しを作るのだ。

 勝って負けて勝って負けて、僕達は互いに研鑽を積み、技を極め、友達というものの温かさを肌に感じながら、命懸けで綱渡りをするのだ。

 

 だが、当人達は、そんな約束なんてしていない。そもそも、生かし合っていると言ったが、結果的にそうなっているだけであって、修司達は毎回相手を殺すつもりで刃を振るっている。だから、借りが無い状態────つまり、前回勝った状態で次も勝つと、負けた方は殺されてしまう。それを彼らは理解しているし、それを分かってて闘う。

 しかし結果は毎回勝ち負けを往復しており、どちらも相手を殺せていない。彼らはその拮抗した状態を楽しんでおり、またさっさと終わって欲しいと思ってもいる。

 妖怪との友達というのは、そういったドライなものなのだ。人間が作る友達とは全く意味が違う。死ねばそれまでで、後悔なんてしない。そこまでの奴だった、と片付けられるのだ。

 

 

 蘭は、今のところ僕にとって一番の“候補”だ。今までは永琳だったが、いつからか蘭が一番に変わっていた。

 彼女は妖怪で、人間とは決して相容れない存在だ。そして殺し合う仲であり、命を賭け合う関係でもあった。

 生き物にとって死とは等しいものであり、その者の本質を引き出す要素でもある。永琳との関係には“絶対的な要素”が欠けていたので、どうしても信じることが出来なかったが、蘭は違った。

 彼女と僕との間には命がある。命とは絶対に信用する事の出来るものだ。それがある限り、彼女は信用するに値する存在でいられる。

 

 僕が信用するボーダーの一つが命である。僕が信用するには、これくらい対価が大きくなければならない。優しく言えば用心深い。酷く言えば、根本から他を信用する事を恐れた臆病者だ。

 

 僕の心も、もう手遅れなほどに闇に侵食されてしまった。だが、まだ完全に侵されたわけではない。まだ救う手立てがある筈だ。文献でも、永琳でも、ツクヨミ様でも、雄也でも、蘭でも、何でもいいから、僕を救い出す方法を探さねば、いずれ僕は暴走してしまうだろう。それがいつであれ、きっと必然の出来事なのは確かだ。

 

 焦燥に駆られながら、僕は今日も蘭と殺し合う(遊ぶ)ために山を登る。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの空を仰ぎながら、僕達はまた湖畔で大の字で寝転がった。案の定腕枕を要求してきた蘭を軽くあしらいながら、僕は静かなこの時間を過ごす。

 緩んだ顔をして僕にひっついてきた蘭を見やり、言葉を掛ける。

 

「どうして毎回こんな事をするんだい?」

「んにゃ?これの事?」

 

蘭が体を揺らして尋ねてくる。僕がそうだと言うと、彼女は躊躇うような顔をして、顔を僕から背けた。

 

「どうした?」

「……う〜ん」

 

考え込むような声を出しているが、答えに迷っているような声ではないので、回答するか迷っているのだと理解する。

 

「答えたくないの?」

「う〜ん。…………あ、そうだ!」

 

 バッと顔をこちらに向け、キラキラした目で僕を見つめてきた。

 

「私が死んだらさ、私のお願いを聞いてよ!」

「え?お願い?」

「うん!」

 

 露骨な話題変換だが、まぁさして気にはしていないので、そのままにしておこう。

 ここで普通に死ぬ事を条件にして、それを軽く受け入れているのが、妖怪と友達になるという事だ。人間にとって物騒な会話も、妖怪には日常の中のものでしかない。

 

「…まぁ、叶えられる範囲ならね」

「え〜!そこは何でもいいよって言ってよ!男でしょ!」

「それは無理」

 

 もし心中してと言われたらたまったもんじゃない。雄也みたいに一度言ったことは曲げない主義なわけではないが、それでも男のプライドというものがある。下手な事は言うもんじゃない。

 

「む〜。でも、叶えられる範囲ならいいんだね?」

「うっ…うん…」

「よっしゃ!じゃあ問題無いね」

 

問題無いという事は、僕でも簡単に叶えられる願いなのだろうか。もしそうなのであれば、それはそれで有り難い。尤も、そんな事が有り得るのかと言われたら、可能性は無きに等しいと言うが…。

 

 

 

 

「────そろそろ帰ったら?また永琳さんって人間に叱られるよ?」

「そうだね。それじゃあ、帰ろうかな」

 

戦闘前後の会話で、互いの身の上などを話しているので、永琳の事や、都市の摩訶不思議な諸々も知っている。僕が彼女について知っている事は、大地から生まれた事(だから二つ名が地這いの妖怪なのだ)と、普段はここで独りぼっちで過ごしている事ぐらいだ。彼女自身、話せる話題が殆ど無く、とても哀しそうな顔をしていたのを憶えている。

 

 

「……修司っ!!」

 

 

 僕が森を走ろうと足に力を込めたところで、唐突に後ろから声が掛かった。振り返ると、そこにはとびっきりの()のような笑顔を携えた少女がいた。

 

「────次は、そっちに行くからね!」

 

「っ……あぁ、待ってるよ!」

 

 この言葉の意味する事を、二人は理解しながらも、お互いに最高の笑顔で別れた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 蘭が都市に攻めてきた。

 妖怪の数は約二千。殆どが中級妖怪で大妖怪はその中でも少ない。これは勝算のある戦争になるだろう。

 

 ツクヨミ様が予想した通り、妖怪が大群を成して都市に乗り込んできた。レーダーで調べたところ、防壁に到着するまでの時間は残り一時間。あまり時間は残されていないので、早速作戦に移る必要がある。

 

 二ヶ月が経った今日、僕は短槍を背中に背負って、最高倍率のスコープを取り付けたスナイパーライフル(エナジーウェポン)を持ち、四基あるロケットの目の前に立っていた。

 体調は万全。マガジンも装填完了。作戦も50パターン程用意した。都市を好きにしていいという許可ももらったし、AIの配備も完璧だ。

 僕の後ろには、『不死隊』こと特隊のみんな達。ロケットの搭乗口にはとてつもなく長い列が並び、僕の眼前には防衛軍の将軍がいる。

 

「第三十一番特別任務部隊、今回の任務は我らの命運を左右する非常に重要な任務だ。心してかかるように」

「了解です、将軍。それでは、行って参ります」

 

「敬礼!」ビシッ!

 

 背後の隊員達も揃って敬礼をし、将軍はこれに頷く。そして踵を返して、防衛軍用のロケットに向かっていった。あれは僕達が乗るために最後に発射するものだ。

 

 

 

 

 僕がその後ろ姿を見ていると、別のロケットから永琳が駆けてくるのが見えた。あれは上役達専用のロケットで、一番最初に飛ぶやつだ。

 

「修司!」

「永琳!なんでロケットから出てきたんだ?」

「なんでって、決まってるでしょ!」

 

 大声で捲し立てる永琳に振り向く者はいない。それほどみんなロケットに乗りたいのだ。今僕達を見ている人達と言えば、搭乗口にいるツクヨミ様と後ろの雄也達だけだろう。

 

「あなた、戦いに行くって本当なの!?」

「本当も何も、僕がいない特隊なんて穂先の無い槍と一緒だよ」

「でも、死んじゃうかも知れないのよ!」

「死ぬなんて、兵士なら当たり前さ。永琳、僕の後ろに居る戦士達を見てご覧」

「…?」

 

 僕が後ろに親指を立てて指し、永琳は顔を傾けてその先を見た。そこには、いつもとはまるで違う、戦士の顔をした『不死隊』が彼女のキョトンとした双眸をじっと見据えていた。

 

「あっ………」

「彼らもね、僕みたいに待たせている人がいるんだよ。それも、出身不明で記憶喪失な居候なんかじゃなくて、もっと大切な人がね」

 

 僕は振り返って彼らの真剣な眼差しを真っ向から受け止め、それに応えるように目つきを鋭くする。

 僕は、託されている。彼らをこの戦場から救って、もう一度家族や大切な人に会わせることが出来るだけの意志があるのかを。

 ならば僕はこれに誠心誠意全力を尽くして応えよう。

 

「皆!今日僕達は、何の為に闘うのかを見失ってはならない!」

 

 堂々と隊長である責任と威厳を持って仲間に向き合う。

 

「これまでの闘いとは違い、今回は懸かっているものの重さがまるで違う!」

 

 向けられる視線を一つ一つ真摯に浴びて、それぞれの意志を感じ取る。

 

「僕達は!伴侶の為、子供の為、好いている人の為、恩がある人の為、護りたいあの人の為────我ら人類の為に、今日という日を生き残り、穿(うが)つべき敵を蹂躙(じゅうりん)し、果たすべき目的を達する為に武器を取り、自らの身体を戦地へと赴かせるのだ!」

 

 戦士達からフツフツと湧き上がるものを感じて、僕自身も高揚する。それに合わせて、鼓舞する言葉は加速した。

 

「たとえそこで命尽き果て、弔いも無く敵に踏みつけられようとも、我らは決して心を折ってはならない!“ここ”はいついかなる時であろうとも、誰かに屈してはならないのだ!」

 

 自分の胸に手を拳を打ち付け、声を張り上げて宣言する。

 

「僕達は孤独ではない!共に日々を過ごし、死線を彷徨った仲間達が居る!目を開け!腕を振るえ!脚を躍動させろ!見据えるは僕達の勝利!人類の栄光の光だ!!」

 

「「「「「おおおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 突き上げた拳とタイミングを同じくして、戦士達も拳を天に突き刺す。士気は最高潮。隊長としては完璧だ。

 だが、これは残念な事に、僕の本当の言葉ではない。ただ単にカリスマのある人達の精神を集めて言葉を紡いだだけの、傀儡(くぐつ)の戯れ言だ。

 だけど、僕には責任がある。みんなを生きて帰すという責任が。それがある限り、僕は化けの皮を喜んで被ろう。それがたとえ、身を滅ぼす事になろうとも…。

 

「永琳」

 

 雄也達が雄叫びを上げている中、僕は永琳に振り向いて言った。

 

「これが僕の答えさ。分かってくれたかい?」

「……修司…私…実は、あなたの事が────」

 

 その先は言わせない。

 僕は永琳の口を人差し指で塞ぎ、乾いた心で精一杯の笑顔を見せた。

 

「永琳、今は何も言わなくていい。僕がまた、君の前に現れた時に言ってくれ」

「修司……」

 

 言いかけて、永琳は口を噤んだ。

 

「…ううん、何でもない。────それじゃあ、待ってるから」

「本物の神様がいるけど、祈っててくれ」

「あら、じゃあ私はロケットの中でツクヨミ様に跪くことにするわ」

 

 冗談めかして僕が言うと、永琳も冗談で返してきた。それがいつも以上に可笑しくて、僕達は同時に吹き出した。

 

 

 

 

 永琳が搭乗口に向かったのを確認してから、僕は振り返って集合をかけた。

 

「みんな、今回の任務はこれまでの護衛や掃討とはわけが違う。住民全ての命がかかった戦いだ。局地戦ではなく、本物の戦争はこれが初めてたが、そんなのは相手も同じ。僕達の実力を見せつけてやろう!!」

「「「「「はいっ!白城部隊長!」」」」」

 

 三つのロケットを先に飛ばして、足止めをしている僕達が最後の四つ目に乗って脱出する。今はまだ住民を移しているので、僕達が乗るまでの時間は低く見積もって約五時間。まだ一時間の準備時間があるので、実質四時間だ。

 蘭は二ヶ月おきにに宣言した通り、本当に攻めてきた。それも、二千の大群を従えて。恐らくあれは僕にも隠していた主力部隊の全てだろう。あれを殲滅、又は足止めしていれば、僕達の勝ちだ。終わりのある耐久レースほど楽なものはない。

 

「よし、まずは作戦を言う。何度も説明したから頭に入っていると思うけど、今回の作戦はそれぞれの手際が重要になってくる。しっかりと迅速に任務を遂行してくれ。また、臨時で僕から指示を出す事があるけど、その時はそれに従ってくれ」

「いよいよだな」

 

 雄也が一歩前に出て言った。彼らには密かに都市を使った捨て身の防衛戦をする事を伝えていたので、作戦などは知っている。これで素早く行動出来るだろう。

 

「あぁ、これが僕達の大一番だ。気を引き締めていこう」

「「「「「おおぉぉぉぉ!!」」」」」

 

 あらかじめ、いくつかの仕掛けは用意してある。後はそれをどのタイミングで使用するかによって、僕達が一人で何人倒さなければならないかが変わるだろう。

 

「まずは工作班。ホークは都市中央の建物から門に向かって真っ直ぐ、火力発電所で使用していた青色の液体を撒いてくれ。これは油の強化版のようなものだ。出来るだけ幅広く撒いてくれ」

「ホーク了解」

 

「次に、AI班イーグル。君達には門周辺の防壁に設置した爆弾の起爆と、都市の左右にAI部隊を配置してくれ。詳しい場所は無線で指示する」

「イーグル了解」

 

「そして狙撃班、αとβは、中央のでかい建物の後ろの建物の屋上で待機。ジップラインを地面に伸ばすのを忘れないでね」

「α了解」

「β了解」

 

「残りの狙撃班は僕と一緒に中央の建物を登って狙撃。これと数人ランチャーを持った人も数人来て」

「了解」

「「「「「俺達が行きます」」」」」

 

「爆撃班と歩兵部隊はその建物の下で待機。作戦最後の正面衝突に備えて、銃と武器の調子をチェックしておいて」

「「「「「了解」」」」」

 

 ふぅ…。ここまで指示を出すのも一苦労だ。AI班に防壁の守備を堅めさせ、爆弾の設置も遠隔操作でやっておいた。工作班は、永琳が開発したあの青色の液体をたっぷりと積んだ大型トラックを運転して作戦エリアに向かった。狙撃班はロケットを守るように建物の屋上に陣取り、残りはその下で待機している。

 僕はツクヨミ様がいた都市中央の巨大な建物の一階に爆弾をこれでもかと設置し、そのまま部下を連れてエレベーターで丁度良い高さまで登った。

 

 構図としては、蘭がいた山から真っ直ぐこちらに進軍してきており、門方面から攻めてくる。そして門と中央建物の間には液体をばらまいておいて、その左右にAI戦闘兵器を伏兵として配置。敵は真っ直ぐ進軍してくると思うので、中央建物の後ろにあるロケットを防衛するために、狙撃班と僕達を配置。作戦が終わった工作班などは全員歩兵部隊と合流させて、最後の決戦に備えさせる、といった感じだ。

 これで今出来ることはやった。後はこれがどう転ぶかだ。

 

 住民の列はさっきより短くなったが、まだまだ時間がかかるようだ。他のロケットもまだ準備が出来ていないのか、全く発射する気配を見せない。

 

 

ゴゴゴゴゴ……

 

「隊長!来ました!」

 

 恐ろしい地鳴りと共に、僕達の死闘はスタートした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 まずは、飛行型ドローンで上空から門を見る。すると、森の中が気持ち悪いほど蠢いており、これが妖怪達の頭であることに気付いた。情報通り、数は二千くらい。さて、初撃で百は削れるか……。

 ドローンの操作を行い、妖怪が門に到達する瞬間を待つ。

 

「「「「「うおおおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 妖怪達が森から姿を現した。人型のものが殆どだが、ちらほら動物の形をした妖怪もいる。百鬼夜行を二十倍にした光景を目の当たりにして、僕は若干ビビった。

 妖怪が鬨(とき)の声を上げて門に突撃していく。僕達が訓練に使っていた平地を踏みしめて、防壁目掛けて闘牛ばりの突進を見せる。どうやら物量で破壊する算段のようだ。

 防壁に設置された100余りのタレットがレーザーを手当たり次第に乱射して、近付いて来る妖怪を片っ端から殺していく。だがそれでも妖怪の進行は止まらず、タレットに気付いた妖怪の妖力で作られた結界によって、レーザーの大半は防がれてしまった。

 妖怪がタレット以外の攻撃を仕掛けてこないのを理解すると、そのままの勢いで門に突進していった。

 

 だが残念。その壁はもとより破壊する予定だ。

 

「3…2…1……爆破!」

 

 僕が無線で工作班に指示すると、工作班はぴったりのタイミングでスイッチを押した。壁にペタペタと貼られていた爆弾が次々と爆発していき、壁の根本を崩していく。

 壁が外側に倒れるように爆弾をセットさせたので、壁の上の部分は、唸りを上げて眼下の妖怪達を下敷きにしようと倒れ込んでいく。

 

「に、逃げろおぉぉぉぉぉ!!」

 

 ドローンで声は拾えなかったが、きっとそんなことを叫んでいるのだろう。先ほどまで威勢よく突撃してきていた妖怪達が、自分の頭上にある危険に慌てて退却を始めた。

 

ドガアァァァン!!

 

 だが足掻きも虚しく、防壁の下敷きになってしまった妖怪が何匹もいた。

 僕が見たところによると、タレットと防壁で死んだ妖怪の数は(およそ)五百匹ほど。それが見誤ったものだとしても、四百は殺せた筈だ。

 防壁が倒れ、土煙と地震が収まると、生き残った妖怪達は思わぬ奇襲に瞠目した。だが、最後尾にいる一人の妖怪が大きな声で指示を出すと、妖怪達は士気を取り戻して、今まで見たことが無かった都市の内部に向かって地を駆けた。

 

(蘭か……流石に大将と言うだけはあるな…)

 

 檄を飛ばした最後尾にいる地這いの妖怪に大将としての資質を見出し、賞賛の言葉を心の中で送る。

 あれだけ大勢の妖怪を束ねる彼女が不意に上を向いた。

 

「なっ…!?」

 

 ドローンの限界高度まで上昇しているので、地上から見たら点にすら見えないだろう。それを蘭は寸分違わずに、ドローンを見据えたのだ。そして片手をこちらに向けて、そこから妖力弾を放った。

 

ブツン…

「くそっ…」

 

 物凄い速度で発射された一発を躱すことが出来ず、ドローンからの信号は途切れてしまった。地上から千メートルくらいあるというのに、到達するまで一秒と無かった。化け物か、あいつは。…いや、化け物だったな。

 

「各隊員に通達。敵は防壁を突破して内部へと侵入してきた。そこで削れた戦力は最低で四百。次の作戦に移る。AI班イーグル、工作班ホークは、僕の指示を待て」

「イーグル了解」

「ホーク了解」

 

 肩についた無線に連絡し、情報を随時全員に伝える。スイッチはホークとイーグルが持っているので、特に詳しく連絡をしておく。

 僕は部屋の窓を全部壊しておくように周りの狙撃班に命令し、僕もライフルのストックで正面の一つを破壊して、最高倍率にしておいたスコープを覗く。

 そこからは大破して穴が空いた防壁と、そこを埋め尽くすようになだれ込んでくる妖怪の奔流が見えた。奥にはチラッと蘭のような姿も見える。まだこちらには気付いていないようだ。初めて中を覗いてはしゃいでいる。戦争真っ只中でよくそこまでワイワイできるものだ。

 そしてスコープを下げると、そこには広い道路が青く染まっている光景が広がっていた。上手くばらまいてくれたようだ。これならもう少しは削れるかもしれない。

 

 ツクヨミ様に会うのが嫌なので嫌いだったこの建物も、今では重要なポイントだ。こことこの周りを廻っているだだっ広い道路を使って、最終決戦を仕掛ける。

 

「……そろそろだ」

 

 妖怪の大群が足元の液体を全く気にせずに進軍してきた。猪突猛進とは正にこの事だな。

 

「ホーク、発火装置準備」

「了解」

 

 無線で敵が来た事を伝え、その瞬間を伝えようと再びスコープを覗く。本当はドローンで見る予定だったが、ここからでも確認出来る。

 遠隔装置があるのでAI操作も発火操作も危険が少ないのが幸いだ。これで万全の状態で迎え撃てるのだから、予算を過剰に注ぎ込んでいた事に感謝しなければな。

 

「用意…………何っ!?」

 

 後少しで妖怪の本陣が液体の範囲に入る。そう思った瞬間、彼らの波が二手に分かれ、撒いた液体を避けるように進んできたのだ。

 運良く待機させているAI部隊とは鉢合わせしなかったが、再び妖怪達が合流し、僕達の前方でまた大群となって行進を始めた。

 

「ホーク発火中止!狙撃部隊射撃開始!」

「「「「「了解!!」」」」」

 

 スコープの先にいる蘭が笑ったのを見て、僕は臍を噛んだ。そこまで妖怪達は馬鹿じゃないらしい。先の奇襲から学んで、僕の作戦を読み取ったのだ。流石に中級以上ともなると知性が獣よりはあるようだな。

 僕は今のうちに減らせるだけ減らそうと、連れてきた狙撃部隊と重装部隊に射撃命令を出し、壊した窓から目の前に見える禍々しい塊に向かって銃を撃ち続けた。

 

 スコープから見える奴らの頭を三秒に一体の速さで撃ち、頭蓋を砕いて紅い華を咲かせる。隊員達は五秒で一体のペースだが、高所からの超ロングレンジ射撃で百発百中ヘッドショットをかましているので、寧ろ天才だと褒めるレベルだろう。

 ランチャー部隊がバズーカを持って狙いを定め、先頭集団に向けてミサイルを発射した。ミサイルは吸い込まれるように奴らに向かって飛んでいき、見事数十体の妖怪を木っ端微塵に吹き飛ばした。ここで出来るだけ進行を遅くして、更に数を減らす。この建物に沢山人員を割かなかったのにはある理由があるのだが、それが判明するにはまだ少しかかりそうだな。

 

「マガジンが空になるまで撃てぇ!!」

 

 空になったライフルの弾倉を飛ばして、腰から新しいマガジンを差し込む。そしてまたスコープを覗き、頭を穿つ必殺の光線を異形の怪物達に撃ち込むためにそのトリガーを引く。圧縮された高エネルギーの弾丸が長い銃身から放出され、眩い軌跡を描いて蠢く集団に衝突し、また一匹、その命を散らした。

 銃声が響き渡り、バズーカが轟音を上げて妖怪を吹き飛ばす。たった十人くらいの小規模迎撃でも、これだけで数百は屠れた。

 

「隊長!もう弾がありません!」

「なら銃とマガジンホルダーを捨ててジップラインで退避しろ!そして本隊と合流するんだ!」

「了解!」

 

 一人、また一人と、銃を投げ捨てて走り去っていく隊員を背中で感じながら、僕はまだ残っているマガジンの最後の一発を撃った。ラストアタックも見事に命中し、そいつを絶命させる。

 最後にスコープで蘭を見てみると、こちらを見てまた笑っていた。

 

「みんな退却!銃火器は全て放棄してジップラインで避難しろ!」

 

 僕がライフルを捨てながらそう言うと、残っていたみんなも銃を捨て、後ろに控えている本隊と合流するためにワイヤーで空中を滑り降りた。

 ジップラインの先はだだっ広い道路を挟んだ所にある建造物の真下。もう少し遠くには、僕が待機させている本隊が控えており、その近くと建物の屋上で狙撃班が武器を構えている。

 後ろを向くと、そこには、天高く聳える高層ビルと、その奥で今も行進を続けている黒い塊。

 人数を少なくしたのは、こういう時のためだ。何らかの理由で敵がすぐそこまで来ていた場合に、素早くこのデカい建物から脱出出来るようにして、舞台(・・)の準備を手早く終わらせるために。

 

 

 

 

「派手に行くよっ!!」

 

 僕が持っていたボタンを押すと、先程まで僕達がいたツクヨミ様の建物の下から爆発が起き、支柱を木っ端微塵に破壊した。

 支えを失った高層ビルは、重力に従って落ちるように落下し、地面とぶつかった部分が細かい瓦礫となって砕け散っていった。まるで地面に吸い込まれていると錯覚してしまうほど、建物は派手に土煙を上げて、その場にコンクリートの山を積んでいく。

 爆風がここまで来て、隊員達は踏ん張って耐えた。一番近い所にいた僕達は物陰に隠れてなんとかやり過ごし、風が収まると、そろそろと顔を出して状況確認をした。

 

 先程まで神の威厳を体現していた堂々たるあのビルは、物の見事に崩れ去り、瓦礫の山となってその場に鎮座する事になった。

 工作技術は能力で修得しているので、僕は爆弾を設置する支柱を調整し、妖怪達の方へと若干倒れるように崩れさせた。

 ビルの周りにはとてつもなく幅広い道路がロータリーのように敷かれており、更に、そこから都市の門に向けて大通りが延びている。それも同じくらいの幅があるので、妖怪達は主にそこを通っていた。

 

 僕はビルの残骸がその入口を塞ぐように爆破した。なので、妖怪達は瓦礫の山を越えてこないと僕達と戦えない。

 つまりだ……

 

「狙撃班!瓦礫から頭を出した奴を片っ端から撃てっ!全隊員、射撃体勢を整えろぉぉ!」

 

ジャキッ!!

 

 屋上の狙撃班に瓦礫を登ってきた奴を撃つように指示。そして、取りこぼした妖怪は地面からの射撃で殺す。兎に角接近戦は最終手段だ。こっちは数撃もらうだけで戦闘不能になってしまうくらいに柔な体だ。たとえ鍛えてあったって、攻撃をもらっていいという理由にはならない。

 

「…イーグル、AI部隊に、このロータリーで左右から挟み撃ちにするように命令してくれ。建物の裏で待機させて、僕の合図で飛び出すようにして」

「了解」

 

 無線で背後のイーグルに命令する。僕の部隊は百人弱。AI部隊は左右合わせて二百程。合わせて三百で、残り千体以上の妖怪を倒さなくてはならない。それも、今までの任務では滅多に遭遇しなかった中級以上の強力な妖怪。その中には蘭もいる。勝敗は五分五分だ。

 

 ここで回り道をするなんて馬鹿な真似はしてこない筈だ。蘭は妖怪らしく正面突破で来るだろう。

 

 

 

 

 僕の予想通り、瓦礫の向こうから沢山の足音が聴こえてきた。それを認めた隊員達が一斉にサイトを覗いて集中する。

 

 奥からガラガラと音がする。きっとこの山を登っているのだろう。ロケットがそれなりに近くにあるので、急いでいるに違いない。

 

「「「「「うおおおおおおおおぉぉ!!!」」」」」

 

 一種の轟音にも似た雄叫びがロータリーと瓦礫のみとなった平地に響き渡り、頂上から醜い顔を見せた。

 その瞬間、狙撃班が放った一撃が顔面を貫通し、雄叫びは途中で途切れた。

 それに怯まず次々と妖怪が頭を出していく。狙える妖怪は後ろの地上部隊が撃っているが、それでも数が多い。物量で押し切る作戦だろう。ジワジワと山を降りてこようとする妖怪も出てき始めた。

 僕達は既に銃を放棄しているので、瓦礫の下で降りてくる妖怪に対応する事にした。AI班も上手くやってくれたようで、左右の物陰に目をやると、そこには赤く光るAIの目が沢山あった。一瞬ビビったが、頭を振ってそれをかき消した。

 

 頭が出ては弾け飛び、叫びながら駆け下りてくる奴にはローアングルから光の雨が降り上がる。

 遂に山を越え切る輩が出てきて、僕達の出番が来た。山は既に妖怪の雪崩が起こっており、狙撃班もお手上げ状態となってしまった。そんな時は諦めてフルオートで乱射しろと命令しておいたので、辺りには馬鹿みたいに光線が撃ち出されていた。

 背後からの射撃を躱しながらの立ち回りなので思うように動けず、取り敢えずは妖怪の攻撃を避ける事に専念していた。

 

 だが、そろそろ物量に圧倒されてしまう。僕と一緒に接近戦をしている隊員も、相当キツそうだ。

 

「よしっ!全隊員突撃しろ!ここでこいつらを殲滅するぞおぉぉぉ!!」

 

 無線にそう叫び、背後を気にする事なく背中に背負っていた短槍を振り回して妖怪の首を的確に斬り飛ばしていく。

 

 もう銃に頼るのは終わりだ。今から、僕達の最終決戦が始まる。

 

 チラッと本隊の方を見ると、鬨の声を上げて突撃してくる皆が見えた。その中には雄也の姿もある。屋上に陣取っていた狙撃班も銃を捨てて地上に降り、士気の高まった表情で駆けてきていた。

 

 みんなの表情は覚悟の色一色に染まっている。敵の数は千程。対する僕達はAIも合わせて三百。一人エリート妖怪を四匹倒す計算だ。

 イーグルにAIを突撃させるのも忘れずに命令し、自分はこの中で一番危険な敵────蘭の姿を探す。

 

 

「「「「「ツクヨミ様の為に!!!」」」」」

「「「「「敵発見、殲滅します」」」」」

 

 

 僕達の総戦力が結集した。棍棒を振り下ろしてきた妖怪の腕を斬って胴を真っ二つに裂いて、これであと数時間を稼ぐと決心する。これなら殲滅とまではいかなくても────

 

 

 

 

 

 

ドゴォン!!!

 

 

 

 

 

 

 僕が希望を持ったその時、瓦礫の山の半分が消し飛んだ。飛び散った破片は圧倒的な力によって粉々に砕かれ、僕達に砂の雨となって降り注ぐ。

 山を半分削った犯人が歩いて瓦礫を降り始めた。纏っている妖力が桁違いなので、誰も挑む馬鹿はいない。

 

「敵、殲滅します」

 

 AIが両刃剣を振りかぶって突撃していった。しかしそれに彼女は目もくれず、片手を向けて妖力を手の平に収束し始めた。

 そしてそれをレーザーとして放出すると、AIはその暴力的なまでの力の奔流に身を溶かされ、戦闘機能を完全に失った。レーザーはそのまま数体の妖怪を塵も残さずに消し飛ばしたが、邪魔をする方が悪いというのが妖怪の思考なので、全く問題ないようだ。

 

 対妖怪用に造られた頑丈な逸品だ。それを軽くレーザー一発で溶かした彼女の、相変わらずの妖力に舌を巻く。

 AIの装甲は、バズーカを連続で撃ち込んでも凹まない程頑強な合金で出来ている。並の妖怪のパンチでは傷一つつかないだろうな。

 

 ただ、そんな常識を打ち破っていくのが彼女なんだけど…

 

「やぁ、久しぶりだね」

「一回門らへんで会ったでしょ?」

「あれはドローンだから、回数に入らないよ」

 

 周りが得物を必死に打ち付け合っているというのに、僕達のやり取りはまるで通りで偶然出会った友人との会話のようだ。

 彼女はその強さを誇示しながら歩いているので、下手に攻撃してくる奴はいないが、僕は案の定霊力を消しているので、馬鹿な妖怪が何体も背後から襲ってくる。

 それを毎回カウンターで殺しているのだが、如何せんキリがない。まぁ、隊員達のノルマが減ってくれるので、喜んで数を減らさせて頂くのだが…。

 

「そんなに妖力を使っていていいのかい?」

「今まで私が本気で相手してたと思う?」

「そんな気は全く無かったな。でも、だとしてもここで殺すけど」

 

 やはり隠していたのか。薄々そんな気はしていたので、大した驚愕も無くその事実を受け止める。

 

「そっちだって、隠し玉くらい用意してるんでしょ?」

「まあね」

 

 雄也との特訓で新たに手に入れた技術がある。しかし、まだそれは使わない。実のところ、まだ完全に会得はしていないからだ。だが、それを悟らせるほど僕は間抜けじゃない。

 

 周りから金属がかち合う音や怒声が響く中、僕達はいたって冷静に互いを見つめ合っていた。

 

「……さて」

「それじゃあ…」

 

 僕は短槍、蘭は小太刀を鞘から抜いた。

 

 

「「始めようか」」

 

 




 

 大規模な戦闘と、集団戦闘の進め方って思ったよりも難しくて悪戦苦闘しています。
 あ、前書きのP.S.の意味、分かって頂けたでしょうか。開戦前の修司の、仲間を鼓舞するところですね。あれは台詞を考えるのにリアルで一時間考えましたw

 さて、ここまでは前座です。戦争はこれからどんどんヒートアップしていきます。ステージも状況もタイミングもバッチシです。章の終わりまで勢い激しく突っ走って行きますよー!!



 では、次回までさようなら。

 ……むむっ!?今日は大晦日…だとっ!?良いお年を!
 紅白観なきゃ!!ピューー……


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13話.地を這う妖怪と空を飛ぶ人間

 


 明けましておめでとう御座いますっ!!!


 新年の用事があらかた終わり、学生の方々は冬休みがもう終わってしまう……そんな時期ですね。皆さんは如何お過ごしでしょうか。
 作者はリアルが忙しすぎて過労死寸前です。もう、それはそれは目まぐるしく日々を過ごしています。うむむ………充実しているだけましと捉えるべきか。




 さてさて、今回はガッツリな戦闘と、久しぶりで刹那の間に過ぎ去ってしまうおふざけタイムが含まれています。と言うか、激しく戦闘をして、少し肩の力が抜ける描写が申し訳程度にあるだけですかね。

 ではどーぞ。


 大鉈を持った大妖怪が、その太い腕をしならせて、俺に振り下ろしてくる。大妖怪と呼ぶにふさわしい妖力を纏った一撃は、真っ直ぐ俺の命へと迫ってきた。

 

「おらぁ!!」

 

 俺は、大剣に霊力を流し込み、盾代わりに目の前に押し出すことでその一撃を防ぎ、そのまま切っ先を水平にして構え、豪快に突きを繰り出した。

 最初に隊長と出会った時には鮮やかな所作でいなされたが、こいつはそんな芸当は出来ない。妖怪の土手っ腹に深々と突き刺さった大剣の感触を確かめ、更に力を込める。

 

「ぐあぁぁぁ!!」

「終わりだあぁぁ!!」

 

 突き刺さった剣を横に薙いで、妖怪の臓物を外に引きずり出した。妖怪はそれで絶命し、仰向けにドシンと倒れる。

 

「ふぅ…次…!」

 

 俺は次の獲物を殺すために、周りをグルッと見渡した。だが、不意に視界が歪み、大剣を杖にしてその場で息を吐く。

 

「ぐぅ……流石に霊力の使い過ぎか…」

 

 これで大妖怪を相手にするのは五体目となる。これまで死力を尽くして敵を屠ってきたが、もうそろそろ限界が近い。今までの戦闘は30分もしない短期戦ばかりだった。訓練で長い間戦闘をするのは何回もやったが、やはり実際にやるのとはわけが違う。

 

「ぐああぁぁぁぁ!!」

「ちぃ!」

 

 息を整える暇なく、次の相手が 背後から現れた。俺は前転することでこれを避け、振り返って大剣を構えた。

 その時、その妖怪の奥に、俺は尊敬する隊長の姿を見た。

 

(…はぁ!?)

 

 その光景に俺は一瞬動きを止め、思わず見とれてしまった。

 

 

 訳が分からない。俺が今まで努力していたのは何だったのかと問うてしまいたくなるくらいに、そこにある現実は俺を置き去りにしていた。

 次元がまるで違う。隊長の操る短槍は、綺麗に八の字を描きながら相手の妖怪の小太刀を器用に弾いている。問題は、それが目で追えないほどの速さで行われている攻防だという事だ。

 一秒に何回攻撃している?目が追いついていないので正確な事は分からないが、金属同士が打ち付け合っている音から判断するに、楽勝で二十回は超えているだろう。

 

 更にすごいことに、そんな速さの立ち回りをしているというのに、全く息が上がっておらず、また、会話をする余裕すらあるようだ。

 

「そういえば、僕が武器を使うと毎回その脇差を使うよね。本来は無手だって言ってなかったっけ?」

「そうだよ。これは元々予備の武器だったんだけど、槍に対して素手は流石に芸がないかなって思ってさ」

「別に無手でも僕は構わないよ?」

「私が構うのさ」

 

 じゃあ今はそれは脇差じゃなくて小太刀だね。そう言って、彼らはまた光速の攻防に戻っていった。

 

 あれが隊長の言うライバルという奴か。妖怪で、馬鹿みたいに強いとは聴いていたが、まさかこれほどまでとは。そりゃ百年通って倒せないわけだ。

 俺が見たところ、互いに霊力と妖力を出して、実力は互角。隊長の霊力も底が知れずに化け物じみているとは常常思っていたが、あの妖怪の方は、最早化け物を通り越して既に災厄と呼称出来そうだ。

 先程、AIを溶かしていたのを見たが、その時の妖力の波動が俺のところまで届いて、一瞬歯が浮いた。

 

(……って!他を見ている余裕なんてねぇだろ!)

 

 特隊実力ナンバー2の看板を持っているんだ。俺が呆けていてどうする!

 

「っしゃあ!やってやるぜぇ!」

 

 なけなしの気合いで不安を弾き飛ばし、襲い来る敵に俺の相棒(大剣)を振りかぶった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 さっきチラッと見たけど、雄也、僕を見てどうしたんだろうか。戦争中に余所見とは随分余裕なんだな。

 

「余所見してていいのかい?」

「おっと、余所見は僕の方だったか」

 

 雄也の事が一瞬頭をよぎった隙を見逃さずに攻めてきた蘭に意識を戻し、迫り来る白銀の刃を穂先で一閃して弾き飛ばす。そのまま回転して裏拳気味に小太刀を振るってきたので、それを短槍の柄で防ぎ、それと同時に間合いを詰めて足裏で蹴りを背中に放った。

 だが防がれたと思ったが早いか、蘭はすかさず逃げるように前転して距離をとり、反転して僕に小太刀を構えた。

 

「やっぱり入らないか」

「何年君の“友達”やってると思ってるんだい」

「ははっ、それもそうか」

 

 こちらも足を戻して短槍を両手で握り、あちらからの攻撃に備えて意識を収束させる。

 

「…久しぶりだね、君が短槍を使うの」

「使ったのは最初に会った時だけだよね。他は全部別のでやってたっけ」

 

 実は、“今日で決着をつける”ために、今まで短槍を使うのを控えていたのだ。相手がラーニングするのであれば、使わなければデータが集まらない。それに、小太刀のようなクロスレンジ武器には、その範囲外から一方的に叩ける短槍は接近戦ではかなり有利。殺せるならばこれしかないと思い、対策を練りながら、短槍を扱う技術を極めていたのだ。練習台は雄也が担当してくれた。彼には本当に感謝している。

 

「蘭、僕の技術をちゃっかり盗んでるでしょ?だから、今日まで隠しておいたのさ」

「まぁ、昔から覚えるのは得意でね。対応力が武器でもある。だけどさ、それは修司だって一緒でしょ?私の攻撃手段を完璧に記憶して、次からはもっと正確に対応してくる。どんどん引き出しが吸収されていく感覚がするよ」

 

 僕は、闘う時に、相手の挙動全てを昇華している。つまり、記憶して覚えているのだ。だから、次に同じパターンが来た時は、より良い方法で切り返し、それを皮切りに攻守を変える。長引けば長引くほど不利になるのが、僕だ。

 

「正解。言っておくけど、回避不能だよ?」

「対策が分かってたらとっくにやってる。私の能力も不可避の障害だけどね?」

「もう大体察しはついているよ」

「お、本当?」

 

 大地から生まれたという事実。常に力が増幅するという利点。そして、『地這いの妖怪』という二つ名。

 生まれが動物や自然ではなく、地面。何かをしなくても自動的に妖力が増える継続性。地這いの妖怪という意味は即ち、“地を這わなければいけない”という事。

 これらの要素から考察するに…

 

「────君の能力は、『地脈を吸収する程度の能力』かな?」

 

 蘭から殺気が消え、代わりに驚いたような雰囲気が伝わってくる。

 

「えぇ!?殆ど正解だよ!?」

 

 どうやら正解したらしい。蘭の顔からするに、嘘ではなさそうだ。

 

「殆どって事は、若干の差異はあるのかい?」

「うん。私の本当の能力は、『地を吸い取る程度の能力』。これで力を蓄えていたし、武器も造った」

 

 カンカンと刃を指で弾く。成程、それならば全て合点がいく。確かに厄介で恐ろしい能力だ。地を操作する事も出来るところを見ると、彼女の本当の闘い方は……

 

「まだまだ奥の手があるって事か……」

「見抜いた?」

 

 本当に楽しそうに笑う奴だ。そこに宿るものが無ければ、本当にそこらの少女なのだがな。

 

「そっちの能力は恐らく、修得系の能力じゃない?」

「…当たりだよ」

 

 蘭は本当に侮れない存在だ。これまでの戦闘から、僕の能力を正確に当ててきた。

 

「私の動きを完璧に覚えて完璧に対処する。どんな才能がある輩でも出来る芸当じゃないからね。寧ろ私の能力より分かり易かったと思うよ?」

「やはりそうか」

 

 だが、蘭は僕の能力について少し思い違いをしている。僕の能力は修得ではなく、吸収と進化だ。元となる身体のスペックは自分で鍛えなければならないし、分かっていても出来ない事というのも勿論ある。無敵に見えて、案外簡単な穴があるのだ。

 まぁ、それらは既に能力や努力で補いつつあるのだが…。

 

「そろそろこっちも本気を出そうかなー」

 

 能力云々の話をしている間にも、僕達の攻防は続いていたのだが、蘭が隙を見て後ろにジャンプした。

 それを聞いて、僕は更に注意して彼女を見、サッと周りの状況を確認して奇襲に備えた。

 

 戦局は五分五分。たった数百でよく持っているものだと評価したいところだが、この結果は寧ろ必然と言えるだろう。対妖怪用に散々訓練を積んだのだ。妖怪の数は既に五百程に減っており、こちらの死者数はゼロ。AIが何体もやられているが、こいつらは足止めに使う予定だったので別段気にしない。

 一度に複数の相手と戦っている隊員が殆どだが、相手のそれぞれがそれ程の力を持ち合わせていない。それもこれも、雄也達霊力を使える集団が、大妖怪などの強力な敵を優先的に排除してくれたお蔭だろう。

 皆上手くロケットに気が向かないように注意を向けさせている。作戦の本質を見失っていないようだ。

 

「僕も頑張るか…」

 

 妖力を開放し始めた蘭を見やって、霊力を出しながら脳の出力を上げる。

 『地を吸い取る程度の能力』。これが如何程なものか、しっかりと見定めてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 蘭が左手を前に突き出すと、一瞬地面から殺気を感じた。それを認識する間もなく反射的に後ろに退ると、先程まで自分が立っていた場所から、一本の金属片が物凄い速度で飛び出てきた。あのまま立っていたら、縦に穴が空いていただろう。

 

「まだまだ!」

 

 蘭が叫ぶと、また地面から針のような金属が飛び出てきた。修司は蘭の周りを走って針に刺されるのを防ぎ、打開策を探す。

 

(あれは能力の応用だな。地面の金属を呼び出しているようだが、避ける以外に方法は無いのか…)

 

 そう思いながら地面を注視していると、不意に一瞬だけ、針の追撃が止んだ。それを不思議に思って蘭を見るも、相変わらず手を伸ばしてこちらを観察しているだけで、特にハプニングがあったわけではなさそうだ。

 

(なんだ……!)

 

 分かった。考えれば簡単な事だった。

 

 修司また地面からの針に対してギリギリで躱し続けながら、彼女が“それ”をする瞬間を待った。躱す方向も注意しながら、更に地面に落ちる金属片を調節する。

 ある程度彼女からの攻撃が続いたところで、また一瞬の隙が生まれた。

 

(────今だっ!!)

 

 修司地面に落ちている金属片の『点』に素早く短槍を振るい、今まで放たれていた金属片を全て粉々に砕いた。

 

「うわっ」

 

蘭に驚く暇を与えず、何も考えずに彼女に短槍を一突きした。彼女は地面から何かを出さずに、横飛びでそれを躱そうとしたが、突きから横薙ぎに変更し、蘭の胴を斬りつけた。

 

「ぐぁっ…!」

「破ぁ!」

 

 焼き付くような痛みに苦悶の表情を浮かべる。だが修司はそれだけでなく、一気に肉薄して掌底を放った。

 しかし修司が突き出した手の平は、突如として盛り上がって壁となった地面に阻まれ、土壁を破壊するのみとなった。

 その隙に蘭はバックステップで距離をとり、能力で傷を治した。

 

 蘭の能力は、地面の中の鉱石や地面そのものをある程度操ることが出来る。それを応用して、修司の真下からこの地下にあった金属を適当に固めて射出したのだが、これにはちょっと弱点がある。

 蘭が地下の物を操るには、“範囲”があるのだ。もし蘭の能力に限界が無いのであれば、山から遠距離で都市に地盤沈下でも何でも起こせばいい。

 それをしないという事は、少なくとも都市内部に入らなければいけないほど狭い範囲しか能力を使えないという事だ。きっと、精度を落とせばもっと範囲は広げられるのだろうが、戦闘向きではないだろう。

 だが半径が狭い分、深度は深い筈だ。一度にこれだけの金属を呼び寄せることが出来たのだ。相当深いに違いない。

 

 簡単に言えば、蘭は、出せるだけの金属で攻撃した後、地面に落ちた金属を地面に溶かして回収していたのだ。だから、砕いてしまえば再生成するのに少し時間がかかるだろうし、操作に意識を集中するから、反撃が容易くなる。

 

 これだけの事に気付くのに約二十秒。脳の出力を上げておいてよかった。

 だが、少し頭痛が酷くなってきた。金属片を一気に数百個破壊するために『点』を沢山視たのがいけなかったな。

 

「はああぁぁぁ!!」

 

 一度動揺を見せた。そのミスをすかさず攻めるために、修司は蘭に向かって踏み込み続けた。小太刀を持っているというのに怖じない接近戦を仕掛け、休む間もなく初動の差で圧倒した。

 ひたすら地面を盛り上げて壁を造り続けて後退する蘭。壁を掌底で破壊しながら体勢を整えさせず、常に冷静さを欠かすように蘭の小太刀を狙う修司。

 今まで互角だったのが嘘のように形勢が逆転し、修司の穂先が敵の得物を弾いて命を真っ直ぐ穿たんと光を描く。

 

 霊力を短槍に這わせ、相手の妖力を切り裂くように腕を振るっていく。ついに蘭の身体に穂が届き始めた。肉を裂き、その度に蘭が能力で塞いでいく。無手や小太刀の場合の戦闘能力は計り知れないが、精神が不安定な場面での能力の制御はお粗末なようだ。

 

「能力戦では僕の方に利があるようだね」

 

 言葉まで漏らす余裕がある。さっきまで嬉嬉として戦闘を楽しんでいた蘭はもうそこにはおらず、あるのはただ、狩られる側になった者の恐怖だけだった。

 

 傷の治療に専念し過ぎて壁が一瞬無くなった。その瞬間に蘭の小太刀を彼女の手の中から弾き飛ばし、誰にも見えない速さで短槍を回転させて、石突きで左腕を突き飛ばした。

 

「終わりだあぁぁ!!」

 

 短槍を手の中で滑らせて、穂先を前に出し、蘭の無防備な腹にその刃を突き刺そうと更に一歩踏み込む。

 短槍が彼女に迫り、皮膚と切っ先が触れ合う────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと油断したんじゃない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 これで決まる。そう思った瞬間、斜め下から金属の槍が飛び出してきて、突き出した修司の右腕の上腕を大きく貫いた。見た目18歳の腕にはあまりに大きいその槍は、腕をちぎってしまうのではないかと思ってしまう程に太く、それに比例するように痛みが彼を襲った。

 

 

「っぐああああああああああ!!!」

 

 

 突然の痛みに修司はなす術なく叫び声を上げ、短槍を取り落とす。蘭はその間に体勢を立て直し、出現させた槍を地面に戻してから、拳を振りかぶって思いっきり修司の腹を殴った。

 

「っ────!!」

 

 馬鹿みたいな衝撃に肺の空気が全て吐き出され、まるでサッカーボールのように地面を転がる。

 周りの怒号が全く聴こえなくなり、聴こえるのは頭を劈くような耳鳴りのみ。喉の奥から迫り上がるように鉄味の何かが修司の口から噴き出し、ベチャっという音を立てて地面に華を咲かせる。

 

「珍しく追い込めたからって油断してると、速攻で殺られるよ?」

 

 小太刀を拾い、短槍を何処かに投擲され、ゆっくりと歩きながら蘭は言った。

 

「…ぶふぁっ!…はぁ…はぁ……くそっ…」

 

 もう一度紅い液体をぶちまけて、修司は気合いで両脚を動かした。

 

「お?まだ立つの?もう気絶してもおかしくないのに…」

 

 確かに、腕が皮一枚で繋がっているような状態で、尚且つ内蔵出血が酷いこの状況で、意識を保っている事は不思議でならないだろう。だが残念。こちとら気が狂う程の攻撃に毎日耐えてたんだ。物理的なものじゃない、ジワジワくるやつをね。

 …って、これは消えた僕の18年の記憶じゃないか。どうりで訳分からないって自分で思ったわけだ。

 

「こっちは……ただの人間じゃないんで…ね…」

 

 歯を食いしばり、脚に力を込めて立ち上がる。たった二撃、されど二撃。武器に霊力を使っていた修司は、大して身体に纏っていなかった。そこに痛烈な部位破壊と妖力が死ぬほど篭ったパンチによる内蔵破壊が加われば、どれだけ阿呆な人間でも、事の重大さが分かるだろう。

 妖力に対して霊力を纏わずに立ち向かうというのは非常に危険だ。それはよく分かっている。

 だが僕は、油断してしまった。

 周囲の状況確認、敵の能力の制御、挙動からの心理、立ち回りからの奇襲。思い返せば思い返すほど、どんどん反省点が湧いてくる。しかし、それは後の祭りだ。攻撃を喰らってしまった今では、その後悔は次の行動の妨げにしかならない。

 

「まだ、やるのかい?」

「僕は…背中に色んなものを背負ってるんだ。……ここで隊長が降参して…どう…するんだい…」

 

 肺を使って声を出すのも辛い。言葉に血が混じり、吐き出す唾は真っ赤に染まっていた。口が切れているなんてもんじゃない。消化器官がやられているのだろう。パンチの位置からして…胃かな。骨も逝っている。心臓に刺さってないのがせめてもの救いか。

 

「それには同感だね。訊いた私が馬鹿だったよ。修司はそんな事する奴じゃない」

 

 妖力が増幅していく。

 

「トドメは…キッチリ刺さないとね」

 

 小太刀は仕舞い、拳にそれを集めていく。

 

「まだ……やれる…」

「そうだね、まだやれる。だから私も殺りにいくよ」

 

 遂に、均衡が崩れてしまった。先程まで修司が攻めていたとはいえ、蘭は能力で完璧に回復していた。つまり、ほぼダメージなんてものは無い。それに比べ、修司の回復力は人間にしては異常だが、それでもこんな傷を一瞬で治すほどではない。部位欠損しても数ヶ月で生えるくらいだが、今の傷は明らかにこの戦闘中には治らない。

 

 残っている左手を顔前に出してボクサーのような構えをし、右腕をダランと垂らす。前傾姿勢で、顔は見上げるように睨む。息が上がるというよりは痛みで肩を震わせ、両の奥歯を軋むくらいに噛み締める。

 対する蘭は、脇差を腰に提げ、無手で両手に妖力を纏わせ、これまでにないほどの妖力をその体から迸らせている。

 戦局は今の二人には分からないが、妖怪側が押されているのは分かっている。さっきから人間の苦しむ声が一向に聞こえないのだ。まだ修司の部隊は『不死隊』の名前を護っているらしい。逆に、妖力の断末魔がしきりに聞こえてくる。今ではきっと数的には負けないほどに妖怪が減っているだろう。

 

 

ゴゴゴゴゴ……

「ありゃ、一つ飛んじゃった」

(一つ目という事は、永琳は脱出したのか…)

 

 どれくらい戦っていたのかが分からなかったが、これで大体の検討はついた。恐らく三つ目が飛ぶのは後三十分。それまでここで持ちこたえれば、後は四つ目のロケットに乗って行くだけだ。

 

「ま、まだあと三つあるし、さして問題は無いかな」

 

 乗るだけと言ったが、こいつがいる限り、ロケットに到達する事は困難だろう。隊員達を逃がすのも大変かもしれない。

 

「動け……」

「しぶといね。やっぱり君はそうでなくちゃ」

 

 さぁ、そろそろ終わらせよう。そう蘭は言い、少しずつ近付いてくる。右拳にどんどん妖力が溜まっていき、揺らぐ妖力が目で見えるくらいに密度の濃いものとなった。

 

「これまで楽しかったよ。じゃあね、修司」

 

 蘭は最後に()にお礼を言い、その拳を無慈悲にも振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「油断してるのはどっちだろうね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に響いたその音声が、目の前にいる彼のものだと気付くのに一瞬。視界がチラついて空を向いた理由が、彼からの攻撃によるものであると気付くのに更に一瞬。倒れる瞬間、右腕の感覚が消えている事に気付くのに、更にもう一つ“一瞬”を上乗せする。

 

「………?」

 

 バタンと仰向けに倒れたので、きっと自分は顎にアッパーでも喰らったのだろう。それに、右肩から先の感覚が無い。持っていかれた(切断された)か…。

 

 事実をただ淡々と確認する。そして次に頭に浮かぶ疑問は、“どうやって?”だった。

 

 完璧な認識外からの掌底と刃物による攻撃。この二つを自分が見落とすなんて有り得ない。

 よしんばこれらをただの偶然として、まだもう一つ疑問がある。

 やったのは彼だろうが、あの満身創痍の体勢からそんな攻撃が繰り出せるか?答えは勿論ノーだった。

 

 白黒する視界を何とか元に戻し、蘭は視線を下げて足元にいるであろう人物を見やる。そこに彼は佇んでいたが、先程とは違い、真っ直ぐ毅然と立っている。堂々と両脚を地面につけるその姿は、バックの太陽と相まってとても神々しかった。

 

「君が本気を見せてくれたんだ。こちらも少々博打を打たせてもらったよ」

 

 痛みに耐えて苦悶の表情を貼り付けていたその顔には、最早傷の事を微塵も感じさせない戦士の色が映っていた。

 

「立て。そして、本気の僕と本気で勝負だ。手加減なんてしない」

 

 言われるがままに半身を起こし、踵を返して距離を取り始めた彼を見つめる。

 訳が分からない。一体どうやったらあと絶体絶命の状況を打開出来ると言うのだろうか。

 痛みに耐えながら足を奮い立たせ、生まれたての子鹿のような足取りで後ずさる。

 あれが彼の本気なのか?超回復?対価運動?気合い?それとも…実は人間じゃなかったとか?いやいや、彼から滲み出ているのは間違い無く霊力。あれは人間にしか扱えない力だ。

 

 彼の本気。それを頭の中で反芻しながら、左手で小太刀の柄を握ったところで、蘭は動きが止まった。

 

 彼の本気?という事は、今までの彼は全く本気でなかったという事。今まで私が相手してきた優しい彼は、牙を隠した狼だったという事。ここで決着をつけるという事。────これまで知らなかった修司の全てを知れるという事。

 

「……ふふっ…」

 

 彼に全てをさらけ出して、彼もまた、私に全てを出し切って命を燃やす。闘いとはいつも相手との遊びに過ぎなかったが、今、目の前にいる“白城修司”という人間は違う。彼は確実に私の喉に刃を届かせれる人物であり、私の求めていた存在でもあった。

 

 片腕の状態から、彼の後ろにあるあの建物を飛ばすための時間稼ぎをすると言っている。そのくせして、その不利要素をはねとばすかのように闘志に燃えるあの目つき。全く負ける事や、ここで私に殺される事を考えていない、“勝利を確信”した奴の目。

 そんな彼に、私は今から武器を取って闘うというのか?

 

 

 

 

「────そう来なくちゃねぇ!!!」

 

 

 

 

 小太刀に伸びた手を戻し、能力は使わずに片腕だけで無手の構えをとる。あくまでサシの勝負。ここで臆病風に吹かれていたら大将の名が廃る。妖怪なら妖怪らしく、全力を持って相手にぶつからなければ。

 

 向こうの人間が構えたのを見て、私は最後の闘いに身を投じた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 俺は隙を見せた妖怪に容赦無く霊力が篭った大剣を振り下ろし、縦に真っ二つにした。断末魔すら許さない。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

 息も絶え絶えに目を走らせて戦局を確認する。

 人間の死体は無い。つまり、これは俺達が圧倒的に有利だという事だ。流石は修司に死ぬほど(実際死にかけた)鍛えられた俺達だ。これは案外楽勝に終わるかもな。

 

「おい、大丈夫か」

「あぁ、済まねぇ」

「心配するな。俺が担いで行ってやる」

 

「え……衛生兵を…」

「わ、分かった、今呼んでくる!」

「大丈夫か!?傷の具合は!」

 

「ちっ……膝を矢を受けてしまってな…」

「こんな時にアホか!膝じゃなくて肘を怪我してるじゃねぇか!」

「大丈夫だ、問題無い」キリッ!

「痩せ我慢するんじゃねぇ!今安全な場所に連れてってやる!」

 

 …これは快勝とはいかなさそうだ。数が少なくなっていったので、こちらの隊員に余裕ができた。まだ元気は奴は残った敵の相手をしてもらい、バックアップに回った隊員達は衛生兵や運搬兵として活動し始めている。

 そろそろ俺も限界だ。運搬兵の役にまわろうか。

 

「後は任せた!俺は退る!」

「任しとけ!ここは俺達が食い止める!!」

 

 腰に提げた鞘に大剣を戻し、邪魔にならないように素早く前線に退く。死ぬとまではいかなくても、膝をついて疲労している仲間を見つけ、背中に手を回して肩を入れる。

 

「うっ……」

「安心しろ。俺がきっちり運んでやる」

 

 あれだけいた妖怪も今は百二百程しかいない。それのせいで士気が下がっているようで、疲弊している隊員でも対処は簡単だった。

 

(そう言えば、修司はどうなった…?)

 

 ふと俺は親友である隊長の事を思い出し、その姿を見つけるために歩きながら顔を左右に振った。

 

(……何処だ────はぁ!?)

 

「いってぇ…」ドサッ

 

 擦れるような声で肩を貸していた隊員がずり落ちる。俺が脱力してしまったから当然だ。こんな光景を見て、呆ける以外に選択肢があるだろうか。

 

「なぁ…」

「なんだよ…。運ぶならもっと優しく────」

「あれ、見てみろよ」

「はぁ…なんだって────ええええぇぇ!?」

 

地面に這い蹲っている隊員に声をかけ、同じものを見るように勧める。顔を上げて目を彷徨わせた隊員は、途切れそうなか細い声で文句を言うが、次の瞬間、リアクション芸人顔負けの絶叫を披露した。そんな声が出るならもっと戦えるだろ。

 

 二人して戦地のど真ん中で、ポカーンとした顔をしているのも無理はない。彼らの敬愛する白城隊長が、右腕をちぎって投げ捨て、口角を上げて左腕だけで構えているのだから。

 その先にいるのは、やはり例の妖怪だった。彼女もまた右腕を失っており、修司に負けないほどの笑みを浮かべて目をギラつかせている。

 

 千切れて肉と骨が剥き出しの腕から血が吹き出て、立つ地面を紅く染めている。しかしそれを止める事はせず、目の前にある敵を視線で刈り取るくらいに見据えている。

 双方ダメージはほぼ同じ。欠損も気概も構えだって全く同じの二人は、周りの事などまるで気にせずに、百年連れ添った友達を見つめていた。

 

「な…なんだよ…あれ…」

 

 最早人間と妖怪の闘いではない。あれは、獣だ。獣同士が生き残る為の命を賭けた戦争だ。

 俺達の先程までの生きたいという気持ちとは格が違う。自然の中で培われたその野生に、俺は冷や汗を流した。

 

「と……兎に角逃げるぞ。あれに巻き込まれたらたまったもんじゃない」

「あ、あぁ。それには賛成だ。早く肩を貸してくれ」

 

 俺達の知らない隊長に体を硬直させながら、ぎこちない動作でその場を後にした。

 

 




 


 この小説を始めたのが数ヶ月前とはいえ、こうして年を跨ぐとなんだか感慨深いです。もっともっと精進せねば。

 序章も後少しです。最早序章じゃなくて、これだけでワンクールいけそうな壮大感ですが、これは、あくまで『序章』ですからね?
 長編にする予定なので、これくらいになるのが普通なんです!(多分)

 それでは、今後ともよろしくお願い致します。


 


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14話.命を削る闘いと空から落ちる死

 


 うーむ。最近作者の執筆技術が明後日の方向へと迷走してまして(序章はもう書き終えています)、一章の執筆速度が落ちているんですよね……。

 そこで、練習も兼ねて新しく東方の短編集を試しにチマチマ書いているんですが、これが意外にのりまして、もしかしたら新小説として投稿するかもしれません。
 一応お知らせしておきます。



 ではどうぞー。

 


 『混在する人格』。これは能力の弊害であり、僕にとっての唯一の命綱でもあった。これを使って体を動かすのはすぐに出来、今では良さそうな人を見つけては人格を取り込んだりもしている。

 

 だがある日、自分の部屋で掃除をしていたら、ふとある事を思いついた。

 

 それは、沢山ある精神を一度に複数使役して使用する事だ。身体一つに一つの精神と誰が決めたのだ。そういった阿呆の思いつきだった。

 だが時間は有り余るほどある。娯楽でもいいからそれを試してみよう。もしかしたらこれは蘭との戦闘にも使えるかもしれない。

 思い立ったが吉日、その日以外は全て凶日、と何処かの美食四天王のムキムキ主人公が言っていたのを、台詞だけ覚えている。そうと決まれば早速練習だ。

 

 今だから言えるが、これは案外簡単な事だった。

 百年近く連れ添って僕を助けてくれていた人達だ。大して問題は無かったが、一つ難儀したものを挙げるならば、“司令塔”を決めるのが手間取った。

 やはり個々の判断で動かれては収拾がつかないことになってしまうので、全体に指示を出す精神を一人決める事にしたのだが、これが意外と悩ましい問題だった。

 僕自身はもう碌に声も出せないような状態に陥ってしまっていたので、取り込んだ人格から司令塔を選出する事にしたのだが、なかなか適任が居なかったのだ。

 結局、雄也が暫定の司令塔としてやってくれる事になり、一応の技として完成はした。

 

 だが、まだ複数を扱うという感覚に慣れず、この技を使う時に下手をすると、自分というものがよく分からなくなってしまう時があるのだ。

 通常、一つの体の限界は一つの精神なので当たり前の事態といえば当たり前なのだが、これは流石に時間をかけて慣れていくしかない。僕があの時に“博打”と言ったのは、そういう意味だ。

 

 

 蘭がトドメを刺そうとした時、僕はこの技を発動し、一瞬の内に反撃した。

 あの一瞬で顎に掌底を放ち、蹴り上げる足先に霊力を鋭く纏わせて刃物とし、蘭の右腕を肩から切り落とした。

 

 

 

 

「これが僕にしか出来ない技、【独軍(どくぐん)】」

 

 

 

 

 これは、たった(ひと)りの行軍。一人で幾千もの兵を体現する、能力の弊害を利用した僕の初めての技と呼べるもの。

 

 今は同時に10人が限界だが、これからどんどん増えていくだろう。

 一人には傷の痛覚を担当してもらい、一人には気絶しそうな意識を担当、周囲の状況確認、敵の挙動、気配の察知諸々、10人限界まで使って、蘭と本気で渡り合う。

 一人で全てやっていたさっきとは違い、一人一人が一つの事に集中しているので、その精度と速度は尋常ではない。身体は一つだが、一気に10人の僕を相手にするのだ、これ以上の本気があるものか。

 脳にこれまでにないほどの負荷がかかり、とても無視出来ない頭痛が生じる。それを10人の内の一人に担当してもらい、自分自身の痛みを消す。他にあと二人程空きがあるので、まだまだ闘える。

 

 意識を全て目の前の敵を倒す事に収束し、現在いらない要素の全てを破棄する。

 他の妖怪は、雄也達を信じて度外視し、酷く冷静になった頭で左腕のみの闘い方を考える。止血なんてする前に倒してやる…。

 

「行くよっ!修司!!!」

 

 本能が剥き出しとなった二人が駆け出すのは、全く同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 蘭が反転して僕の頭目掛けて踵の回し蹴りを打つ。それをしゃがんで回避した修司は、左脚で地面を蹴り飛ばして右膝で膝蹴りを放った。妖力を拳に集めた彼女は、体を後ろに反らせてこれを躱し、胴を捻って左ストレートで修司の右脚を狙う。

 だが修司は膝を伸ばし、つま先で蘭の腹を打って吹っ飛ばした。

 アニメでアッパーを受けたボクサーのように蘭が宙を舞い、そのまま左手でバク転をして距離をとった。どうやらこの手は読まれていたようだ。

 

「っ────!!!」

 

 蘭が退いたのを見逃さず、修司は距離を詰めて選択肢を無くし、今度は顔面を拳で殴ろうと霊力を這わせた。彼女はそれに気付くと、更にバックステップで退ろうとするが、修司は途中でバッと手を広げ、集めていた霊力を光線として撃ち出した。蘭の体をすっぽりと包み込む、極太のレーザーだ。

 彼女は目を見開くと、両膝を腹につけて左腕で顔を防御し、胎児のような格好で妖力の皮を被った。

 轟音を轟かせてレーザーが地面を削り、射線にある彼女の身体ごとその先の建物に丸い穴を開けた。彼の滅多にしない霊力の攻撃に思わず最低限の防御しか出来なかった蘭は、霊力の奔流に身を焦がされながら衝撃が収まるのを待った。

 

 レーザーが終わると、レーザーがあった場所には最早なにも残っていなかった。ただ一つ、蘭を除いては。

 何とか立ち上がった蘭は、少しふらつきながら修司の顔を見据えるために顔を上げた。

 だが、そこに修司の姿は無く、刹那、背後から鋭い殺気を感じ、咄嗟にまた妖力を纏った。

 

ドカンッ!!

「ぐっ…!!」

 

 とても殴られたとは思えないような音がして、蘭は前に殴り飛ばされた。左手をついて前転して振り向くと、そこには殴った後の修司がいた。

 無表情な顔を備えた冷ややかな双眸で彼女を見つめ、静かに拳を戻して自然体となった。その間に蘭も立ち上がり、ダメージの具合を測った。

 

「いいねぇ。私が追いつけない速さを人間が出せるなんて、最高だよ!」

「……………」

「ねぇ、何か言ってよ」

「……………」

「つまんないなぁ…」

 

 現在、修司は喋る事に意識を割けないほど集中していた。いや、余裕が無い(・・・・・)と言った方が正しいか。

 度重なる身体の酷使で、既に体から大量の血が流れている。痛覚や頭痛を消してはいるのだが、それも少し抑えきれなくなってきた。目も霞んできた。人としての限界が近いらしい。

 

(時間が無い……。早く決めなければ…)

 

 今度に先に動いたのは、修司だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「これで運んだのは全部か!!」

「うん!後は戦ってるみんなだけだよ!」

 

 俺の問いかけに女性隊員が答える。

 

「雄也!もう妖怪も数体しかいないぞ!」

「おう!これで俺達の勝利だ!」

 

 戦場を見ると、もうそこには殆ど人間の姿しか残っていなかった。残り僅かな妖怪も、数人の人間相手に苦戦して今まさに殺されようとしている。多数の負傷者を出したが、こちらの勝利だ。

 

ゴゴゴゴゴ………

 

「おぉ!一度に二つ発射しやがった!後は俺達だけだぞ!」

 

 誰かがそう叫び、俺はロケットの発射台がある方向を見た。そいつの言う通り、ロケットは発射され、白い尾を空に残しながら宇宙へと向かっている。

 

ドゴォン!!

 

 突然轟音がして、俺は音のした方に目を向ける。そこには、眩いばかりの極太レーザーがあり、それを発射している隊長の姿があった。

 

(隊長……)

「今行く────」

 

 言いかけたところで、俺は大剣に翳していた手を頬にやって、パンパンと叩いた。

 まだアイツとの戦闘に決着がついていないらしい。彼の焦燥に駆られた表情を見て、それが分かった。

 

「……おしお前ら!隊長との手筈通りに行動するぞ!」

 

 隊長は、もし自分が戦闘中であった時に任務が完了した場合、俺達だけで退却してロケットに乗り込むように指示をだしている。俺はそれを思い出し、隊長に助太刀するのを踏みとどまった。

 俺が隊長の立場だった時も、きっとそうして欲しいと願うだろうと思ったからだった。

 

「「「「「了解!!」」」」」

 

 隊員達はハキハキと返事をし、まだ戦える者は残り少ない妖怪を、バックアップに回った者は、負傷者を抱えて、まだ発射していない第四ロケットに向かった。

 俺はガタイがいいので、二人に肩を貸してその場を後にする事にした。武器は放棄している。運ぶのに邪魔でしかないからだ。

 

 ロケットの中では将軍が今か今かと俺達の帰りを待っているのだろう。もし俺達が負けたり、裏を取る妖怪がいた場合に備えて、第四ロケットは他三つのロケットよりも発射台が前に設置されている。それに加え、妖怪の攻撃を少し受けても大丈夫なように装甲が固く、その分かなり大きくなっている…筈だ。詳しい事はよく分からん。知る必要が無かったからな。

 

「総員、退却だ!!!ロケットに乗り込めぇぇ!」

 

 俺は修司を信じている。だから、後ろは振り向かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 これは、雄也が命令を出した時間から少し経った時の話。

 

 

 

 

 私は最初、彼を全く信用していなかった。凶暴な妖怪が跋扈し、生き残ことが非常に困難な森で発見され、しかも記憶喪失と来たもんだ。調査で、この辺り一帯には森と山しかない事が分かっており、彼なんて存在は都市には居なかったと断言出来る。つまり、完璧に中身が知れない危険人物だった。

 更に言えば、あの永琳と同棲し始めたと言うではないか。最近、防衛軍でも珍しい霊力を操る青年を下した、かなりの実力者。変な能力まで保有しているという。

 

 追い出して妖怪にでも食わしてしまおうかと考えたこともある。刺客を送り込んで、こっそり殺そうとも。しかし、それを私はしなかった。

 それは何故か。

 一つは、永琳。彼女の今までに見たことのない笑顔。彼の話をしている時だけ、都市のナンバー2と言われて囃し立てられている女性の面影は無く、最初に出会った時の、明るい永琳に戻っていた。彼を殺す事で、その笑顔を失うのを避けたのだ。

 二つ目は、軍。近年妖怪の進化が著しい。このままではいずれ都市の防壁を突破して蹂躙されてしまうだろう。それを避けるため、彼の実力に頼って、妖怪に屈しない屈強な部隊を作ってもらうように仕向けた。

 

 結果的に、私の目論見は大成功。全てが私の思い通りに進み、全てがいい方向に向かっている。彼は都市の繁栄に大きく貢献してくれた。

 

 だが、信用しているわけではない。寧ろまだ疑っている。私の能力は若干の未来が見えど、人の心までは見通せないのだ。

 もしかしたら彼は何処からか送られてきた刺客で、私の命や都市の崩壊を狙っているのではないか。そんな思いが頭の中を交錯し、離れなかった。

 私は都市の要だ。トップにいる立場として、政治的な判断をしなければならない。決して私情に流されてはいけないのだ。

 なので、私は彼を、最後まで疑い通すと誓った。これは理にかなっており、絶対に間違いではない。そう、心に言い聞かせながら…。

 

 今、私は上空にいる。ロケットの外側におり、窓から眼下に佇む都市を見つめ、彼の事を考えていた。

 今回、妖怪を食い止めるために育てた奴の部隊に事を当たらせているのだが、アイツは本当に任務を遂行しているのだろうか。もし、あそこで死ぬのならばそれでも良し、きっちり任務を完遂して来るもまた良し。どちらにしろ、役に立った事に変わりはない。どうせ出自不明の不審者だ。最期まで使って使えなくなったら捨ててやる。永琳には悪いが、これは政治的な判断だ、文句は言わせない。

 

「ツクヨミ様」

「む、永琳か。どうした」

 

 彼女が私の隣にやってきて、同じ窓から下を見下ろした。

 

「………いえ、彼は、上手くやれているのかと…」

「そんな事、ここにいる私が知るわけないだろう。奴は兵士だ。それくらい心得ておろう?」

「……はい」

 

 終始浮かない顔の永琳。当然といえば当然なのだが、公共の場くらい毅然とした態度でいて欲しいものだ。ここにいるお偉いさん達(臆病者共)の不安を煽らせないでくれ。

 

ゴゴゴゴゴ………

「あっ……!」

 

 彼女が顔を窓に近付け、眼下の都市から発射される最後のロケットを見た。

 

「遂に終わったか…」

「あれに…修司達は乗っているのでしょうか…」

「分からぬ。しかし、四基目が発射出来たという事は、私達の勝利だという事だ」

 

 さて、死んだか生きてるか、結果はどちらだろうな…。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 レーザーを放っていたので分からなかったが、どうやら民間のロケット二基が飛び立ったようだ。後は、雄也が僕の指示を思い出して、退却してくれていることを願うばかり。こちらもあちらも殆ど時間は残されていない。もう形振り構っていられないな。

 

「……………」

 

 言葉は交わさず、僕は蘭が立ち上がったのを見て突っ込んだ。

 僅かしか残されていない霊力をフル開放して、左拳で殴り掛かる。彼女はそれを認めると、同じ様に修司に向かって地を駆け、左拳を首を捻って躱し、お返しと言わんばかりに左ストレートを打ってきた。

 首にぴったりと密着するようにスレスレで避けられたので、左手で追撃が出来ず、間合いが近いので脚を上げる隙もない。

 迫り来る拳を防御出来ず、修司は胸を思いっきり殴られてしまった。肋骨が砕け、肺は空気を出し切り、心臓は電気ショックを浴びた時のようにビクンと跳ねる。鳩尾だったらやられていた。

 

 後ろに吹っ飛び、意識が飛かけるのをかろうじて耐える。痛み担当の精神を一人追加して、すぐに反撃出来るように急いで立ち上がった。

 

「お返しだよっ!!」

 

 だが居るはずの彼女はそこにおらず、背後からの衝撃によって後ろを取られていたことに気付く。そうだ、蘭は自分のやったパターンを覚えるんだ。すっかり忘れていた。

 

 気力を振り絞って霊力を纏ったのでそれほどダメージは無いが、霊力をごっそり持っていかれた。もう殆ど霊力は無いが、『点』を使えばまだまだいける…。

 

「……………」

「どうだい?楽しくなってきただろう?」

 

 無事な左手をクイッとやって挑発してくる。霊力が弱まっているのを感じているくせに、わざと「まだいけるだろ?」とでも言いたげにニヤついている。蘭も妖力はそんなに残っておらず、まだまだ使える状態だったが、飛び道具はもう使えないくらいの量だった。

 修司達は毎回、最後くらいになるとこのように霊力も妖力も無しで互いを殴り合う。極限状態に陥り、正しく獣のように勝利を望む。

 

 修司は挑発には乗らなかったが、先に動いた。

 大体分かっている事は、腕を躱されたらほぼ確実に一撃をもらう、だった。

 腕が届く間合いに居ると、脚を使うのは困難になり、頭や肘などを使わないといけなくなってしまう。故に、上半身のみの単純な攻撃になってしまい、修司の独創性溢れる闘いで相手を翻弄出来なくなってしまうのだ。また、腕が一本しかないので、なかなか組み技も出来ない。武術というのは両腕が基本なのだ。

 

(……くそったれが)

 

 だが、それがどうした。僕のアイデンティティが失われたからと言って、決して死ぬわけじゃない。寧ろ、“これから”だろ。

 武器が無くなれば四肢で。四肢が使い物にならなくなれば、今度は頭や歯、肘膝を。全て無くなれば、最後には体当たりで叩き殺せ。置き土産上等、道連れは尚上等。

 相手を殺す為には、人間性なんて要らない。それに足る殺意と、何を引き換えにしてでも命を刈り取る覚悟さえあれば、後はなんだっていい。

 

「うおおおおおおおお!!!」

 

 心を保つために、これまでに上げたことのない程の雄叫びを上げる。

 

「ふふっ……らああああああああああ!!!」

 

 蘭も応えるように鬨の声を上げ、とどまることのない連打を修司に浴びせる。

 修司も負けじと持てる全てを使って彼女に連撃を加え、血を撒き散らしながら筋肉を躍動させた。

 

 肉を裂き、骨を砕き、臓物に衝撃を与える。

 修司は、脳の使い過ぎで目から血の涙が出て、内部ダメージのせいで口や耳、あらゆる穴から血を噴き出していたが、それでも蘭に攻撃するのを諦めなかった。

 蘭は、的確に骨を砕かれ、妖力は殆ど無く、修司が少ない霊力で創り出した1センチ程の刃によって身体のあらゆる部分を切り刻まれ、患部全てから真紅の液体を滴らせていた。頭にも何発かもらっており、脳が揺らされて平衡感覚が狂っていたが、それでも修司の本気に応えるために、その華奢な身体を動かしていた。

 

 目の前にいるのは、長身の細身な優男ではなく、自身の心の穴を埋めてくれた、掛け替えのない親友であった。

 

 目の前にいるのは、可愛らしく活発な少女ではなく、自身が心から信頼出来ると思った、最高の親友であった。

 

 ここに居る理由に差違はあれど、抱く思いは同じ。

 互いに互いの為の目的を遂行する為にぶつかり、互いの心を確かめるように拳を重ね合った。

 

 

 

 

 だが、そんな時間にも、“終わり”というものは訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 最早他人の目には何が起こっているのか全く分からないだろう。そんな光速の攻防が、多数の死体が転がっている戦地の中央で繰り広げられていた。

 二基のロケットが飛び立ち、雄也達がこの場を後にしてから数十分。たったそれだけの時間が過ぎていたのだが、二人には何年も闘っていた感覚だった。

 

 二人の戦闘は一進一退だった。殴られたら蹴られ、肘で打たれたら今度は頭突きを食らった。修司は所々に霊力の刃を小さく形成する事でダメージを増やし、身体を切り刻んでいった。蘭は修司よりもある妖力を活用して、一撃一撃を重く、速くし、部位破壊を狙っていった。

 

 

 

 

 互いに負ける気配は微塵も無い。だが、その先の見えない勝負は、唐突に終わりを迎える事になる。

 

 

 

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴ………

 

 

 

 

 

 

 

「……………へ?」

 

 激しい戦闘を繰り広げている中で、突如として響いた、有り得る筈の無い轟き。地を揺らし、天へと駆ける白雲。

 その音に修司は思わず素っ頓狂な声を上げ、体を一瞬止めてしまった。

 

「はあああああ!!!」

 

 その隙に蘭は拳に最後の妖力を込め、全力で振りかぶって修司の胸に放った。

 驚いて硬直していた修司にそれはあまりに速すぎ、とても回避する事は不可能だった。

 

 蘭の拳が修司の胸にめり込み、爆音にも似た音を立てて地面に叩きつけられる。残った血が全て吐き出されたのではないかと言うくらいに吐血し、地面に亀裂を走らせながら土埃を上げて修司は倒された。

 修司を殴った蘭は、そのままの勢いで修司の横に並ぶように倒れ、二人仰向けの状態で、勝敗が決した。

 

 蘭の勝利である。

 

 二ヶ月に一回で、一年で六回。それが百十年で、計660回。今日で、661回目の戦闘だった。互いに勝って負けてを繰り返しているので、蘭の331勝目。奇数に修司が勝っているので、蘭は二連続の勝ち。

 

 つまり、借りが無い状態なので、修司を殺さない理由が無い。

 

 だが、それは最早どうでもいい(・・・・・・)

 

「ごふっ…………ま…負けた…ね…」

「…うん……そう…だね…」

 

 負けた。

 この言葉に修司はさして敗北感も無く、負けちゃったな、程度にしか思っていなかった。殺されてしまうというのに何呑気に言っているのだ、という叱咤は野暮である。

 

 修司が気を取られてしまったあの時の音。

 修司が見上げている空には、その音を出して月へと向かった四基(・・)のロケットがあった。つまるところ…

 

「はぁ……置いて…行かれた…な」

 

 四基目のロケットが発射したという事は、もう彼らに追いつく手立てが無く、この荒廃した都市に残されたという事だ。

 ロケットの発射ボタンはそれぞれのロケットに一つずつある。つまり、僕の部隊か、将軍が、ロケットを発射したんだな。

 

「はぁ…」

 

 溜息しか出ない。こうなる事は予想していたが、まさか本当に裏切りやがる(・・・)とは。

 涙が出るかと思ったが、そんなものは流れなかった。やはり、僕の涙はとうの昔に枯れてしまったらしい。居場所に裏切られたというのに嗚咽すら出ないとは、そっちの意味で泣けてくる。液体は出ないけど。

 

「ははは、災難だね」

 

 蘭が横で力無く笑う。

 

「……薄々分かってた」

「信用が無かったのかい?」

「それしか考えられないなぁ…」

「あれで?」

 

 蘭の言うあれとは、恐らく、先程まで戦っていた特隊の事だろう。僕に鍛えられ、共に笑い、泣き、支え合った戦友。特に雄也については、僕もそれなりに心を開いていた。今は既に、扉を閉ざして(かんぬき)を掛けている状態だが…。

 

「君は人間だろ?何故命を賭して戦ったっていうのに、裏切られちゃうのさ。これなら君が先に裏切る方が賢明じゃなかったかい?」

 

 本当にその通りだ。ツクヨミ様でも永琳でも、さっさと殺して山にでも逃げてれば良かった。つくづく僕の甘さには反吐が出る。もしかしたら信じてくれているかも……なんて淡い幻想を抱いていたからこその、この仕打ちだ。

 やはりこの世には、本物の信頼関係なんてものは無く、そんなものは幻の産物に過ぎない。(うつつ)に咲いた蜃気楼だったのだ。

 

「そうだね。僕が甘かった…」

 

 こんなに傷だらけで、死にかけだというのに、ツクヨミ様、永琳、雄也────都市のみんなは、身を粉にして都市に貢献した僕に対して、こういう対応をするのか…。

 

「もう、諦めよう」

 

 やはり、万物に信頼は有り得ない。これまでの僕に向けた感情は全て芝居だったと、そう言ってくれればいっそ清々しい気分になれる。

 

 僕の最後の良心が問いかける。

 

『永琳は悪くないのでは?』

『僕の事を恨めしく思っていた奴の単独犯行かもしれない!』

『ツクヨミ様がそうさせたのかも!』

『雄也達は止めようとした筈だ!』

 

(……五月蝿(うるさ)い)

 

 永琳は権力がある。知らないなんて事はない。僕を恨む奴は居ても、犯罪を犯す奴はいなかった。みんな臆病者だったからだ。ツクヨミは僕を利用していたが、切り捨てるような奴ではなかった。雄也達はきっと上から命令されていたに違いない。僕が退却させていてもいなくても、彼らは逃げただろう。

 

「同族から見放されるって、君も相当だね」

「何とでも言ってくれ。もう僕は終わりだ…さぁ、早く殺してくれ」

 

 裏切った裏切られたなんてどうでもいい。どの道、ここで僕は彼女に殺されて終わるのだから。

 

「まぁ、もうちょっと話してもいいじゃんか。どうせこの後予定は無いんだし」

「予定って……はぁ……好きにしてくれ」

 

 どうせ消える命だ。好きに使ってくれ。

 

 結局僕達は、いつものように腕枕で他愛も無い雑談をすることになった。

 青い制服が風に揺れ、上空には四基のロケットが白い雲を出して進展地へと向かって飛んでいる。

 

 僕は、誰かを信じたかった。失った記憶に理由があるのだが、何故かこれだけははっきりと憶えている。

 それに促されるままに、僕は永琳や蘭を含め、色んな人を信じようと努力してきた。だが、全て水泡に帰すことになってしまった。

 結局、僕は周りの人に裏切られてしまい、僕が信頼だと思っていたものの全てが虚像であることが明らかとなった。

 

「ならさ、私達と一緒に暮らさない?」

「僕は人間だし、君に殺される。それは無理だよ」

 

 この後に及んで何を言うか。もう誰も信じれない。無様な僕を見てからかっているだけだ。

 

「私の友達だって言えばなんとでもなるよ!」

「蘭…もう、生きるのに疲れた。悪いけどその申し出は断るよ」

「…そう…」

 

 彼女は残念そうな声を出すと、ゴロンと転がって僕と一人分の距離をとった。離れてしまったので、その顔は見えない。

 もう、僕が死ぬのもそう遠くない。血は流れ過ぎたし、人間の限界を超えて動いていたんだ、その反動は計り知れない。

 

 

 

 

「……なぁ、早く僕を────!!!」

 

 

 

 

 言いかけて、僕はその口をあんぐりと開けた。蘭は不思議そうに僕を見、上を見て目を見開いた。

 

「修司!あれ……!」

「あ、あれは……」

 

 二人が見たもの、それは、四基目のロケットから落とされたある物体だった。

 咄嗟に能力を使用して、あの空から落とされた物体の情報を得る。

 その結果に修司は更に驚き、全身から汗が吹き出た。

 

「蘭……あれは…」

 

 あれは、通称“核”。

 それも、永琳が開発したものだった。




 


 今回は修司の初めての技が登場です。『点』とかは技術の範囲内なので関係ないです。
 作者は技とかになんとなく拘りを持っていたりします。めんどくさい感じになる時もあるかもしれませんが、矛盾とグダりだけは無いように頑張ります。


 いよいよですね。戦争も大詰め。書き溜めの小分け放出状態の今で序章を見直しているとやはり違和感が……。って、これ以前にも言った気がしますw

 練習で書き始めた短編集ですが、やっぱり別小説で出すと思います。それも読んでくれたら幸いです。
 数話貯まったら出そうかな?そっちは不定期にする予定なので、フリーダムな方針ですかね。


 ではでは、今日はこの辺で。また来週です!


 


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15話.疑心の闇と最期の願い

 

 序章最終話。
 奇跡的に死者を出さずに退却を果たした特隊は、後ただ一人、白城修司の帰還を残すのみであった。
 しかし、瀕死になりながらも辛勝した彼に待っていたのは、空から産み落とされた残酷極まりない『死』の鉄塊――核だった。

 信じていた……いや、信じようとしていた者達に裏切られ、生前の感覚がフラッシュバックする。心に巣食う『闇』が、その絶望に呼応して歓喜の叫びを彼の心にもたらす。
 彼の努力によって侵攻が鈍っていた『闇』が、この隙にこれ幸いと彼を呑み込んでゆく……。

 そんな中、『地這いの妖怪は何を思うのか。
 そして、彼と、彼が取り込んだ人格達は何をするのか。

 様々な想いが錯綜し、すれ違っていく。そんな章。



 どうぞ。

 


 予想外だ。奴らは僕を見放すばかりではなく、核で都市ごと僕を消滅させようとしている。

 

「蘭っ!!」

 

 僕は隣の彼女の名前を叫び、次いで何を言うかに躊躇った。

 僕は、彼女になんと声を掛ければいい。逃げろと?防御をしろと?ざまぁみろと?一体何を言えばいいのだ。

 

「修司っ!!」

 

 蘭も同じ様に叫ぶが僕と一緒で、何を言っていいか分からないという顔をしていた。

 

 そうこうしている間に、辺り一帯を消し炭にする爆弾は爆発圏内に入って来ている。もう塵ほどしかない霊力で盾を創っても、どうにもならないだろう。

 死ぬなら、蘭に殺されて死にたかった。

 

 

 

 

 核が爆発する。その瞬間、僕はありったけの霊力を使って自分(・・)に球状の結界を張った。

 蘭は、能力を使い、二人分(・・・)の強固な地面の壁を球状に創った。

 蘭の壁の中に、僕の結界が入っている状態だ。

 

 そして、その事について思う間も無く、死をもたらす爆弾は爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那、一瞬の閃光が都市上空を走り、次に起こったのは、有り得ない程の爆音だった。熱を内包した光が都市のみならず、見渡す限りの森や山を削り、焼き、不毛の土地へと変えていく。都市の建造物はまるでバターを鉄板に乗せた時のように溶け、生き物の死体や森の動植物は、もう一つ現れた太陽によって皮膚から筋肉、ひいては骨までもが朽ちるように消滅させられた。

 

 地面のような硬い壁に覆われているので、外の様子は分からない。だが、体が跳ねるくらいに響いた爆音と、皮膚を焦がすような熱を感じて、核が爆発した事が分かった。

 

 修司は結界の維持を続けながら、永琳の事について考えていた。

 

(何故………何故!!)

 

 これで、はっきりした。永琳はこの計画について知っており、修司をこの場で置き去りにして、“処分”してしまおうと核を開発していたのだ。

 修司の事を信用しておらず、使うだけ使って捨てた。それだけならまだ分かる。だけど、殺すことないじゃないか。

 

 追放するだけでは飽き足らないのか。

 

 これまでの蓄積された記憶がフラッシュバックする。

 永琳と初めて会った時、彼女と過ごした日々、防衛軍を訪ねた時、彼女の心配そうな顔、笑った顔、怒った顔、泣きそうな顔。

 修司の頭の中でそれらが想起し、心を擽って嘲笑う。

 

(信じてたのに…)

 

 呟く言葉は声には出ず、ただ事実を心に言い聞かせるように修司の中で反響して染み込んでいった。

 地響きが身体を揺らし、轟音が耳を殺す。しかし、修司には、はっきりと分かった。

 

 

 

 

────自分が、声を上げて(わら)いながら泣いている事に。

 

 

 

 

 酷く透明な雫が視界を滲ませ、双眸から頬へと流れていく。その感覚に彼は、いつかに経験した事のある既視感を感じていた。

 

(あれ?僕、まだ流せる涙なんてあったんだ…)

 

 自分が泣いている事が可笑しくて、修司は結界の中で、声の出る限りに精一杯嗤った。もう流れる涙なんて枯れたと思っていた。だが、それは間違っていたんだ。僕は、“復讐”の為なら喉を潰して、大海を創るがの如く涙を流せるのだ。

 

「待ってろ……待ってろよ!僕は絶対に、君達を許さないからな!!」

 

 見えない空に向けて…まだ見ぬ月の都市に向けて、修司は声を張り上げて叫んだ。

 

 永琳、ツクヨミ、雄也、特隊の皆。都市の全てを僕は怨み、また復讐する事を誓おう。そして、この世が僕に見せた幻想に対し、僕は最大限の敬意を持ってそれを闇に葬り去る事を約束しよう。この世界にも、僕は復讐をする。これ以上僕のような犠牲者を出さぬように。そして、これ以上の哀しみが溢れないように。

 

 瞬間、僕は、闇が完全に“僕”を取り込むのを感じた。それはとても心地よく、また哀しみに満ちたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 ここは、白城修司の精神世界。ここにあるのは修司が取り込んだ精神達と、修司の精神、それと、修司の心の闇だった。

 

「大変!もう修司の身体の殆どが真っ黒に染まっちゃった!」

 

 闇が創り出した黒の檻に、四肢を鎖で繋がれ、そこから闇を流し込まれている修司の心。その闇は既に修司の体の殆どを蝕んでおり、残っているのは頭部と胸の部分だけだった。

 それを見た長谷川という苗字の女性。彼女は、『不死隊』の二つ名を持つ特隊の部隊の一人であり、現実の修司の部下だ。

 修司は特隊の皆を、戦争前に全員昇華し、人格を取り込んでいたのだ。彼女はその時に取り込まれた一人であり、戦争中の修司の容態をチェックする係をしていた。

 

 しかし、それに反応する者はいない。みんな目の前で繰り広げられている闘いに見入っているからだ。

 

 現在の担当者は蔵木雄也。彼の事は説明する必要もないだろう。

 雄也は今、必死に蘭と闘っていた。集中を切らせば一瞬でやられる。それが分かっていたからこそ、尚更彼の集中は凄まじいものだった。

 

ゴゴゴゴゴ………

 

「………はぁ!?」

 

 集中が一瞬途切れてしまった。ロケットの発射音が聴こえてきたからだ。

 その瞬間を現実の蘭は逃さず、一発パンチを入れて修司をノックアウトした。

 

「おいおい……まじかよ…」

 

 その場にヘタリ込み、雄也は現実に起きている事を見つめる。他の精神達もどうなったのかが気になり、ディスプレイのようなものを見た。と言っても、画面は縦が百メートルくらいあるので、画面を覗くような感じで見ているわけではない。ただそこに群がってきただけだ。

 

 だが雄也は、蘭との勝負に負けた事にではなく、ロケットが発射してしまった事に驚いていた。あれは修司も乗る筈だった最後のロケット。発射する筈が無いからだ。

 

「現実の俺は何やってやがる!!」

 

 雄也はそう叫びながらも、精神が長く離れるのはいけないので早々に“修司”を演じることにした。

 自由な他の人格達は、この事について様々な議論を始めた。

 

「確か、発射ボタンはそれぞれのロケットに搭載されてるんだよな?」

「つまり、四基目のロケットにいた誰かが…もしかして…」

「おい、まさかだとは思うがお前ら特隊の中の誰かが…?」

「そ、そんな事あるわけないだろ!」

「それか、将軍…」

「それしか考えられない。だが、そうなると…」

 

 ツクヨミか永琳くらいしか思い浮かばない。永琳だとは思いたくないが…。

 

 そんな事を考えてはいるが、彼らは自分達の終わりが近いことを薄々察していた。修司の体が死ぬのだ。蘭に殺されるか、失血死で死ぬか、その違いしかないが、それでも彼らや修司自身は、死ぬなら蘭に殺されたいと思っていた。

 彼女はまだ“可能性”を残しており、彼の闇を払拭してくれる最後の希望だったからだ。しかしながら、それは叶わぬ夢であったが。

 

「最期くらい、修司を自由にしてやりたかったな…」

 

 そう言うのは、第六番部隊部隊長の、曾史郎。彼はそう言い、闇の檻に囚われている身体の本当の持ち主に目を向ける。

 それを聴いていた他の人格達は口々に同調し、今にも泣きそうな顔で(くだん)の彼を見つめる。

 

 彼に取り込まれた彼らは、何故かは知らないが、妬んでいたり、嫌っていたりしていた人でも、彼に同情して、仲間となってしまうのだ。ここは彼の精神世界なので彼に敵対したところで無意味なのだが、完全に敵意が削がれてしまうのは何故なのか解明出来ていない。ここにいる全ての人格達が彼の味方であり、彼に対して最大限の助力をすると誓っている。修司の本心も彼らには全幅の信頼を寄せており、互いに互いの介錯を頼める程の信頼度である。ここでは死の概念は無いので介錯は必要無いのだが。

 

 蘭と他愛無い話で盛り上がっている中、修司の中では彼らが檻の中の彼に一人一人言葉をかけていった。

 

 全員が、ほぼ黒く染まってしまった彼に向けて思い思いの言葉を言っていく。その度に彼は、力無くも、はっきりとした返事を返し、そして乾いた笑い声を出すのだ。

 

「修司…」

 

 最後に、永琳の番になった。

 

「修司、私は何も知らなかったの…。私はてっきり、修司も一緒に月に行けるものだと…」

「永琳…それは分かってる。だから、自分を責めないでくれ僕から言える事はこれだけだ」

 

 彼と共に消え逝くというのに懺悔をしている事の滑稽さは重々承知しているが、それでも彼女は謝らずにはいられなかった。彼女自身、現実の彼女が何を思ってどう行動しているかは全く知れなかったので、謝る必要は皆無なのだが、彼女から取り込まれた人格である以上、その責任を感じるのは必然だった。

 

「でも…」

 

 言い淀む彼女だが、修司はその先を制すように言葉を挟み、もう十分だと言った。

 

「……これだけは言わせて…」

「………」

 

 しかし、どうにも彼女は頑固で、彼は一言だけ発言を許した。

 

「現実では言えなかったけど…私…あなたの事が────」

 

 彼は目を見開いた。それは、永琳がロケットの前で言いかけた事だ。月で再び会った時に聞くと約束した、あの言葉だった。

 それはいけない。彼が最期の時で、もうそれが言えなくなるとしても、彼女は偽物の人格であり、それを言う権利は無いのだ。

 だが、問題はそこではない。修司は、彼女の好意には肯定的に思うが、それに応える事は絶対に出来ないからだ。自分のような周りを騙し続けている偽善者に、彼女からの本心の言葉を受け取る資格がない。

 

 修司は、彼女を止めようと口を開きかけた。だが、次の言葉が出る前に、二人は弾かれたようにディスプレイを見た。

 

「あれは何だ!!!」

 

 誰が放ったかも分からない叫び声。そして、群集の中からディスプレイに伸びる一本の腕。その声音からこれまでにない危機感を感じ、精神世界にいる全ての精神が現実に目を向けた。

 

 

 

 

 そこには、現実の修司の視界に微かに映る、謎の物体があった。

 あれは何だ。そう皆が思う間も無く、現実の修司が能力を使い、情報が皆の頭の中に入ってきた。

 そして、皆が一斉に息を呑む。

 

「そ、そんな…あれは……」

 

 特に永琳はその衝撃が大きいようだ。だが、それも当然である。

 

 あれは、永琳がもしもの時に用意しておけとツクヨミに言われて用意していた、核という、辺り一帯を焼け野原にする爆弾だったのだ。

 

 現実の二人も驚き、対策を練ろうと必死になっている。しかし、精神世界にいる全員は悟った。

 

────あれは、回避不能である…と。

 

 蘭に殺されるでも、失血死で死ぬでもなく、永琳が開発した爆弾によって焼け死ぬ。それが分かった時、各々は悲嘆に暮れ、泣き叫んだ。特に永琳は、両手で顔を覆い、涙で顔面をぐしゃぐしゃにしながら、周りを(はばか)ること無く大声で慟哭(どうこく)した。

 

 その中でただ一人、檻の中にいる修司だけは、信じられないような目でその光景を見つめていた。

 

「そんな……」

 

 闇とは正反対で、信じる心を持っている本心の修司は、何があっても周りを疑わない。しかし、この時ばかりは、ほんの一瞬だけ、永琳を疑ってしまった。

 

「はっ…修司!これは…」

「永琳……」

 

 彼女がこれに気付き、涙を止める努力も忘れて振り返った時には、既に手遅れだった。

 止めて…そんな目で見ないで…。内心永琳はそう思いながらも、必死で弁解しようと言葉を探した。だが、出てくるのは言い訳にも満たないどうしようもないものばかりで、誤解を解く手立てが全く思いつかない。

 

「……君は…」

「違う…違うの!!」

 

 ここにいる彼女に何を言っても意味が無い。それは修司が一番分かっているのだが、それでも目の前にいる彼女を“そういう目”で見てしまう。

 彼女が開発した意味。それは彼をここに追放して始末する為ではない。それを説明しようとするのだが、どう頑張っても下手な言い訳にしか聞こえない。よくある、浮気現場が見つかった夫のようなどもり方だ。

 

 そして、その隙を“闇”が見逃す筈が無かった。

 

「あぐっ……!!!」

「修司っ!!」

 

 『疑心』。それは闇の本質であり、闇そのものであった。人を疑い、決して本心をさらけ出さない卑屈の塊。他人の疑心や負の感情に同調し、胎動して成長していた闇は、修司を完全に染める機会を窺っていた。

 

 そしてついに、その時が来たのだ。

 

 修司の身体に闇がどんどん侵食していき、胸は完全に染まってしまった。あとは顔だけだ。その頭部さえも、今正に呑み込まれようとしている。

 

「嫌……嫌よっ…!!」

 

 永琳は檻を掴み、こじ開けようと腕に力を込める。しかし、ここは物理的な事は干渉出来ない世界。ここにいる精神の力は皆無である。

 

 残り頭部のみになった修司。首元がジワジワと侵食されていく中で、彼は現実の自分を見つめていた。

 

「永琳……彼女の最期の願いを……」

「え?…何言って────」

 

 彼女が振り返ると、そこには────

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 爆発が収まり、修司は閉じていた目を開けた。

 地面による防壁は崩れ去っており、残っているのはビキビキにひび割れて崩壊寸前の修司の申し訳程度の結界のみだった。修司は、その紙のような結界のお蔭で、一命を取り留めたのだ。

 その幸運に感謝するよりも、修司は蘭の事が心配になり、ガバッと起き上がった。傷や死にかけなんて知るか。今は蘭が心配なんだ。

 

 

 

 

「あ……あ…」

 

 だが、修司の隣にいたのは、最早虫の息の蘭だった。

 皮膚は焼け爛れ、必死で酸素を求めて喘いでいる。

 永琳からもらった能力で薬を創り出そうにも、辺りには何も無く、自分の体力なんて塵程も無かった。つまり、自分では彼女を救えない。

 

 修司は、激しい後悔に苛まれた。

 何故…何故!

 僕が二人分の結界を張っていれば蘭も助かった。蘭の能力を昇華して得ていれば、僕も使えて完璧に防げた。いつものように腕枕の状態を維持していれば、僕の結界の範囲内に入れれて凌げた。

 蘭は、死にかけな僕を庇って、二人分の防壁を能力で創った。これを、厚さを二倍にして、自分だけにしていれば、ほぼ無傷で生き残れた筈だ。

 

 疑問と後悔で頭の中がごちゃ混ぜになり、ひたすら何故を連呼する。

 だがそれは、幽かに言葉を発した蘭によって全て吹き飛んだ。

 

「しゅ……じ…」

「蘭!!どうして…どうして僕なんかを…!」

「あ、あはは…。親…友を助ける…のは、当たり前…でしょ?」

 

 何を言ってるんだ。こんな偽善者を親友だなんて…!僕は…僕は生きてはいけない人間なのに…。何故君は命を張ってまで僕を助けるんだ!

 

「死ぬのは僕の方なのに…!!」

 

 蘭に負け、死ぬ筈だった僕。だが、今は蘭の方が死にそうになっている。それも、あと数分で。

 

「修……司?」

「何…?どうしたんだい?蘭」

 

 彼女の言葉を一言一句聞き逃すまいと、修司は彼女の吐息と変わりない声に耳を(そばだ)てる。

 

「私の…最期のお願い…聞いて…くれる…?」

「最期の…願い…?」

 

 何だそれは…と思ったが、修司の記憶がその単語を引っ張り出してきた。

 二ヶ月前、最後の山での蘭との戦闘。その時、修司は彼女に、“私が死んだら願いを聞いて欲しい”と言われ、それを承諾したのだ。

 あの時は冗談かと思って気にしなかったのだが、それを今持ち出してくるという事は、本気なのだろう。

 

「あぁ……あぁ!聞くよ!蘭の願い!」

「そう…かい……あり…がとう」

 

 息も絶え絶え。砂時計の残りの砂が無くなりかけている彼女は、一つ息を吐くと、衣擦れのような声で彼の耳に最期の願いを届けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────私の全てを……貰って…くれない…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全…て?」

 

 それは、その…どういう意味だ?

 

「そう…文字通り……全部…」

 

 蘭の願いに、修司は瞠目した。

 全てというものの定義が曖昧なのもあるが、彼女が具体的に自分に何をして欲しいのかがまるで検討つかないのだ。

 

「まずは…これ…」

 

 蘭はボロボロの腕を動かし、腰の服に刺さっている漆黒の柄を持った白銀の小太刀を差し出した。

 まずは、という言葉に次がある事を理解し、修司は取り敢えずこれを受け取る。

 

「修司、が…使って…」

「これは……うん、分かった」

 

 鞘の無い刀を両手で持ち、そして蘭の方を見みた。彼女は胸に手をやり、目を瞑っている。

 

ポゥゥ…

 

 蘭の身体が光り始め、次いでそれが彼女の手の下に集まって、一つの宝石を創り出した。

 それは水晶のように見えたが、とてもそれとは似ても似つかないものであった。不純物が全く入っていない純水のように透明で、少しの日光の反射さえなければ、そこにあると思うことさえ出来ないであろう。大きさは大体3cm程の雫の形状をしている。

 それを握り、蘭は修司にその手を伸ばしてきた。

 修司は自分の手を彼女の手の下に置き、彼女が手を開いて落としたそれをしかと握りしめた。

 

「…肌身離さず持っているよ」

 

 彼女に必要以上の言葉を喋らせたくない。その思いから、修司はその先を制した。

 

「後は……ほら」

 

 腕を重力に任せた蘭は、薄く目を開けて微笑んだ。

 

「全て…でいいんだね?」

「うん……全部…貰って…?」

 

 修司は、彼女の願いを叶える一番の方法を見つけた。

 

 修司は、焼け爛れた皮膚を傷つけないように注意を払いながら、背中に手を回し、半身を起こしてあげた。自分の事などは露ほども考慮せず、目の前の少女に精一杯の配慮を心掛ける。

 優しく膝の上に上半身を乗せ、抱き抱えるように彼女を支えて、その目を合わせる。

 

「それじゃあ、いくよ」

 

 彼女の文字通り“全て”を、能力で昇華し、自分の中に取り込む。

 突然、自分の中に様々なものが入ってきた。

 人格、思想、願望、思い、彼女の能力、妖怪としての性質、更に色々なものも。

 すると、僕の身体に変化が生じた。

 

「これは……」

 

 修司の体から、滲み出るように出てくる霊力とはまた違う力。これには、見覚えがある。

 

「妖力…」

 

 妖怪が扱う、穢れた力。これを纏っているという事実が指す結果は一つしかない。

 

(僕は、妖怪になってしまったのか…)

 

 恐らく、蘭という妖怪を能力で取り込んだ代償として、修司に妖怪という要素が追加されたのだろう。今、修司は、半分人間で半分妖怪な状態だ。

 修司は、彼女の能力も昇華した。彼女の、『地を吸い取る程度の能力』を取り込み、『地恵(ちけい)を得る程度の能力』という名前の能力を得た。

 それは蘭よりも使い勝手がいい能力で、範囲もかなり広かった。

 蘭の能力は使用限界があるらしく、このように死にかけていても能力で治せないが、修司のは違った。

 

 蘭の治療は大地に咲く自然を吸収して治すものだったが、修司の治療は少々変わっており、大地に祈る形で治すのだ。これが地恵たる所以である。

 辺り一帯の大地の残り僅かな地脈を搾取し、修司は死にかけの状態から一気に健康体まで回復した。核によって不毛の地となった辺りにはもう殆ど力が残されていなかった。

 

(もしかしたら、蘭も治せる…?)

 

 そんな思いが頭を過ぎり、急いで能力を使ってみたが、死が決定している者には効果が無いらしく、失敗に終わった。同様に、薬も創造出来なかった。

 

「蘭、君の全て、僕が受け継ぐよ」

 

 腕の中で儀式が終わるのを待っている蘭に語りかけ、修司は更に能力を使用した。

 使うのは、蘭から貰った能力。

 

 彼女曰く、彼女は大地から産まれた妖怪である。そして、修司の能力は、恵みを得るとは言っているが、半ば強制的に搾取するだけの能力である事が判明した。

 これを使えば、蘭の“記憶や存在までも”得る事が出来るのではないか。彼女は元々大地に属する妖怪。大地に搾取するこの能力ならば、それも可能であると修司は()んでいた。

 

「やっぱり……君は…」

 

 蘭は目を閉じて、次に来るであろう“事”に備える。

 僕はそれに応えるように身体を屈め、顔を近付けた。

 

 

 

 

 口が重なり、二人の距離が無くなった。皮膚を焼かれている筈なのに、彼女の唇は、柔らかく、温かく、とても優しかった。

 いつも以上に彼女の温もりを感じ、修司の心が温度を取り戻すように色を変えていく。

 

 修司は、その瞬間能力を使用し、地這いの妖怪の全てを、大地を経由して手に入れた。

 彼女の記憶、出で立ち、存在そのものを得、そして『昇華する程度の能力』で自分の中に取り込んだ。

 

「────!!!!」

 

 彼女の中身全てを得た。これが何を意味するか、修司は瞬時に理解した。

 修司は、闇の影響で、全ての者に対して疑いの姿勢を崩さなかった。それは、その人のどこかに、きっと自分を欺いている部分があると思い、その可能性が億に一つでもある場合、その可能性を捨てきれないからだった。もしかしたら…や、だがしかし…と言った、もしもの事態が頭を過ぎり、どうしても身を預ける事が出来なかったのだ。

 これは闇の性質であり、修司の消えた18年間の中で彼に植え付けられた呪いのようなもの。これは最早、修司の殆どを形成する彼の(さが)のようなものだった。

 

 彼女の内面を全て視た。これ即ち、彼女に掛けていた疑いの全てが、晴れたという事だ。

 修司は初めて、精神世界以外で、心から信じる事の出来る友人を手に入れたのだ。

 

 

 口付けが終わり、互いの口が離れる。数秒にも満たないその時間に、修司は人生を変える程の出来事が起こった。

 

「蘭……っ!」

 

 核が爆発した時とは違う涙が流れ、頬を伝って彼女の焼けた皮膚へとポタポタ落ちた。止めどなく流れるその涙は、彼の本当の心を体現するかのように透明で、混じりっけのない透き通った“色”をしていた。

 

「修司……ありがとう…」

 

 能力を使用して大地から全てを貰い受けた。

 蘭は、大地を通して修司に搾取されたのだ。

 蘭の身体が指先から、ボロボロと灰になって崩れ落ちていく。大地たる妖怪が“それ”を奪われた後に残るのは、崩壊のみである。

 

「蘭…僕は…!」

「修司…。私はね……」

 

 四肢が完全に崩れ落ちたところで、蘭が口を開いた。

 

「君に…会えて……本当に…」

 

 胸の辺りまで灰と化したが、まだ彼女の言葉は生きている。

 最期の気力を振り絞って、彼女は最期の言葉を彼に伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが聴こえたか聴こえなかったか定かではないが、修司の耳にはしかとその言葉が届いた。

 

 

 

 

 言い終えた彼女の顔は、これまでに見たことが無い程輝いており、眩しい笑顔を咲かせていた。身体の水分を絞り出したかのように目尻から涙が一筋流れ、彼の手へと染みていった。

 

 その泣き笑いは、湖の湖畔に咲く蘭のようだった。

 

 

 

 

 蘭の身体が全て灰となって、修司の腕の中から零れ落ちた。サラサラと風に舞ったそれらは、この不毛な大地を駆け、空の彼方へと飛んでいった。

 

 爆心地に残ったのは、一人の偽善者と、彼を信じた少女の遺した刀と結晶。

 

「蘭……」

 

 刀と雫型の結晶を胸に抱いて、修司は静かに涙を流し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらい泣いていただろうか。気付けば辺りは紫を通り越して、深く、暗い谷底のような暗闇へと変わり、太陽が地平線の底へと沈んでいった。地平線が見えるというのも、辺り一帯は何も遺っていないので、更地だからである。

 核が爆発したら、半径何十キロが焼けると言うが、どうやら本当らしい。修司は立ち上がって周りを見回してみたが、遠くに見える森の小ささからして、それが容易に予想出来た。

 

 さて、核が爆発したという事で、ここには高濃度の汚染された空気が充満している。本来ならば人間が即死するレベルの濃度なのだが、修司はこれを、『どんな薬でも創造する程度の能力』で創り出した薬で克服した。核の汚染に耐える事が出来る薬だ。辺りに物は無いので、自分の体力で創り出したのだが、そんなに体力を使わなかった。身体が受け付けないようにする系の薬ならば、そんなに体力を必要としないらしい。

 

 修司は『地恵を得る程度の能力』で、地中に埋まっていた鉱石を集め、墓石として、蘭が朽ちた場所に固めて造った。

 日本の墓でよくあるようなタイプの墓にし、墓石に文字を彫り込んだ。

 

 

──

 

 地代 蘭

 

 大地より産まれ、風に乗って大地へと還った地這いの妖怪。

 彼女の安らかな眠りを信じ、ここにその名を記す。

 

──

 

 

 腐蝕せず、そう簡単に壊れない特別な合金で造った特別製だ。僕の能力は能力の応用も理解した状態で取り込むので、蘭が難しいと言っていた事も普通に出来る。

 

「……………」

 

 造ったばかりの墓に手を合わせ、いくらか目を閉じてから立ち上がる。その目には、最早哀しみに暮れる男の面影は無く、墓石よりも固く、強い“意志”に燃える光りがあった。

 

 だが、それは何処か薄っぺらく、嘲笑を帯びていた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 雄也は途中で永琳に代わり、その光景を第三者として見ることにした。具体的には、永琳が雄也と代わったのは、爆発が収まってからだった。

 闇に呑まれる直前に、彼は最後の足掻きとして、一時的に『疑心』を押し退けて正常な精神状態まで戻した。その隙に蘭の最期の願いを聞き届け、何とか彼女の最期を“本当の自分”で看取る事が出来た。

 

「「「「「……………」」」」」

 

 蘭が死んで哀しいのが半分、修司が生き返って、尚且つ初めての信頼出来る人物に出会えた事が半分。喜びと哀しみが半々で、彼らはどうしたらいいのか分からない。唯々項垂れて、事実を呑み込む事に集中している。

 

 ただ一人、新入り()を除いては。

 

「なんだい…そういう事だったのか…」

 

 蘭は真っ黒に染まってしまった彼を見つめて、一人歯を食いしばって拳を握っていた。

 

 ────修司の身体は頭部まで全て、真っ黒に染まっていた。

 

 檻の中にいる彼は最早何も喋らない。檻の外で何をしても、絶対に反応する事は無い。蘭がここ(精神世界)にやってきた時、彼女の頭は全員の思考と共有されているので、すぐにここの全てを知る事が出来た。それ故、彼女は悔しがっていたのだ。

 

「どうして何も言ってくれなかったんだい!修司!」

 

 こうなる前に、何か打つ手はあった筈だ。八方塞がりで四面楚歌な状況でも、必ず突破口があるのと同様に、世の中の障害というものに、乗り越えられないものはないのだ。

 何故相談してくれなかった。何故他人を頼らなかった。何故…胸の内を見せてくれなかった。

 

 これに対する答えは至極簡単で分かり易い。

 ただ単に、修司に掛かった呪い()が強過ぎただけなのだ。彼には何の落ち度もない。

 

 それよりも、彼らにはもっと大変な問題があった。

 

 本心の修司が嘘の修司に呑み込まれた事で、完全に本心を無くしてしまった修司が出来上がったのだ。

 囚われている修司は信じる心だとすれば、闇は信じない修司。両方が生きていた頃は、行動こそ騙すが、内心では後悔するだけの良心があった。

 だが今の修司は、行動で疑い、心でも疑う。どんな時でも懐に刀を忍ばせて、いつでも相手を殺せるようにしておくのだ。裏切られるくらいなら自分から裏切る。これがこれからの彼のモットーとなる。

 

 雄也や永琳など、人格が適材適所で交代して修司を演じているが、精神とは即ち(うつわ)という意味合いが強く、身体を動かす為の動力源だと言える。人格がリモコンを持って修司の身体を操っているのではなく、精神という永久電池がエネルギーを供給して、身体が動いているような感覚だ。

 実際の行動選択は、元々の持ち主であった修司がしている。

 この精神世界に弾かれて存在している闇と本物の修司は、“信じる心”と“信じない心”が形となって顕現している状態。大元の修司の人格は、この精神世界そのものと言えるだろう。ここは彼の中なのだから。

 

 だが、精神がただの原動力かと言われれば違う。ここにいる精神達が交代する意味は十分にある。

 ここにいる人格達の影響を、少なからず修司は受けているのだ。

 それは、曾隊長の人格が担当した時に、何回か現れている。

 例へば、特隊のみんなにリーダーとして振る舞う為にリーダー性を発揮したのは、他ならぬ曾隊長のお蔭だ。彼の持つカリスマ性が、修司に少し反映されて、彼は堂々としていられたのだ。本当の彼は、本人も言うように、人の上にあまり立てない人だ。

 他にも、永琳に壁外訓練の予算を交渉した時も曾隊長のお蔭だし、戦争前に部下達を鼓舞した言葉を言えたのも、隊長のお蔭である。結構隊長は活躍しているのだ。

 

 そういうわけで、修司の性格に上乗せされる形で、少しだけではあるが、その人の性格が影響する。

 

 だが、彼らが心配しているのは、そこではない。

 

 信じる心が無くなったことによって、彼の精神に信用という感情が消え去った。これがどれほど重大な事か、分かるだろうか。

 

 一般的に、人が正常でいるための要素が一つでも欠けている状態の人間は、周りから“狂人”と呼ばれる。感情が一つ欠如してしまった彼は、正しくそれに当てはまるものだった。

 彼に限ったことではない。大切な人の死を目の当たりにして心に穴を空けてしまう人や、復讐などの強い感情に囚われて固執していまう人、更に、生活環境等の問題で人としての倫理が書き変わってしまった人も、“狂人”に部類される。

 

 そもそも、人の心には必ず陰陽があるのだ。明るい感情があれば、必ず暗い感情もある。普段は日向(ひなた)の感情が心を支配しており、陰たる闇の感情は、あまり力を持っていないので、その影響が外に出る事はほぼない。

 だが修司は、過去に起こった何かによって心の暗い部分である『疑心』を増幅させてしまい、対を為す『信頼』と精神世界でせめぎあっていた。

 結果はご覧の通り、『疑心』の圧勝。陽の感情として修司に構成していた“信じ、頼る心”は、反対の“疑う心”に呑み込まれ、消えてしまった。

 

 相手を信じるという、人の倫理に当たり前に組み込まれている筈の感情が壊された事により、修司の頭の中の信じるという概念が消去され、代わりに疑うという意識が根付くようになった。

 これは、彼の取り込んだ人格達ではどうする事も出来ない事だ。彼の心に直接干渉することは出来ないし、ここは彼の精神世界なので、彼らには何の権力も無い。ただそこにいて彼を“人間のように生きさせる”、道具でしかないのだ。

 

 

 

 

 故に彼らは泣いた。

 自分達の無力さを苛み、罵り、彼を救えなかった事実に号泣した。

 優しく、お人好しで、面倒見が良く、人当たりが良い彼。

 落ち着かながらも周囲と同様に笑い、楽しみ、一緒に心を揺らす事が出来る彼。

 

 これまで彼らが見てきた修司と、これから生きていく修司には何の差違もない。

 ただ、どれたけ親しく話そうと、どれほど楽しく笑おうと、内心では周囲に全く心を許せなくなってしまうだけだ。

 しかも、それは本心から来る感情なので、決して自分を取り繕っているとか、そういうのではない。なので、誰にも見破れない。

 誰にも気付かれずに周りを疑い、誰にも気付かれずに裏切る準備をする。そこに善悪は無く、ただあるのは、「君達はどうせ僕を裏切るんだ」という卑屈な感情のみ。

 

 彼らに出来る事は皆無。

 

「……巫山戯るな…」

 

 だが、それでも諦めない妖怪が一人いた。

 

「絶対に助かる!」

「新参者に何が出来る!」

 

 蘭の言葉に老人が反応する。

 

「この世界に新古で違いは無い筈。ここで違うのは、修司に与えられる影響力だけでしょ?」

 

 蘭の言う事は確かに正論だ。老人は言葉を迷わせ、視線を泳がせる。

 

「ぐっ…確かにそうだが、それでもお主に出来るかはまた別問題じゃ!」

「いんや、出来るね」

 

 彼女は、老人だけでなく、全員に聴こえるように声高らかに説明した。

 

 曰く、彼は既に壊れてしまったが、まだ回復する可能性は十分にあるらしい。

 彼は、彼女の全てを受け取り、“継ぐ”と言った。彼の根底には復讐があるが、同時に贖罪の意識もあり、彼女の意志や記憶や思想を全て取り込んだ彼は、彼女の目指していたものが分かっている。

 それを目指すようになれば、彼にはきっと、“救い”が巡ってくる。それを支えるために、彼女は彼を演じるのだと。

 

「それに、この中で性能が良いのは間違い無く私だろうし、基本は私が担当してもいいと思うんだけど」

「基本って事は、要所要所で担当を変えていくつもりだって事だな?」

 

 彼女の説明を聴き終えた皆の中で最初に発言をしたのは、彼の親友である雄也だった。

 まだ彼女とそれほど知り合って間もないので疑うのは当然だろう。彼女は首を大きく縦に振り、肯定の意を示した。

 それを見た数人が、人垣から数歩前に進み出て、蘭の前に立った。

 

「それならば、リーダー性が必要な場合は俺がやろう。妖怪なりの統率法では不備があるからな」

 

 そう言ったのは、部隊長、曾史郎。

 

「みんなを元気付ける時は俺だ。修司のような性格だと上手く乗せられないからな」

 

 続いて出た大男は、親友、蔵木雄也。

 

 他にも数人、固有スキルに特化した人達が名乗りを上げ、蘭の周りにはいつしか“エリート”が揃っていた。

 

 蘭に反論する奴はおらず、皆彼女の説得に折れたようだ。いつの間にかこの場にいる彼らは皆、彼女に付き従うような視線を送っていた。

 

「……なんだい修司、良い奴なら、ここに沢山いるじゃないか」

 

 足りない部分を足りてる人が補い、秀でた者が劣っている部分を支え、全体を構成していく。

 自分が出来る事は自分が担い、不足している箇所はそこが出来る人に助けてもらう。

 

 目尻に光るものを宿しながら、蘭は、“待ち受けるこれから”に備え、彼の為に、その心を揺らした。

 

 




 


 上手く纏まっているかな?違和感無く無事に序章を終えられてホッとしています。
 15話もかかったのは正直予想外で、本当は10話程度でサラッと終わる予定だったんです。それが装飾をつけて美化させている内にあれよあれよと延びてしまいましたw。

 さて皆さん。ここで疑問は残っていませんか?そう、何故、雄也達は待っていたのに、ロケットが発射され、核が撃たれてしまったのでしょうか。

 次回は一章ではなく、閑話として裏話的なのを二話放出しようかと思っています。一つ目は雄也サイドで、もう一つは『あの人』サイドです。
 それを出した後に、人物紹介と説明を書いた話を出して、やっと一章スタートです。

 本当、一週間に一話のペースでこれが進んでいると考えると、これの終わりがいつになるのかついつい計算せずにはいられませんw。
 目標は矛盾なしにスムーズに完結させること。気合入れていきましょう!!


 ご愛読ありがとうございます。ではまた来週にお会いしましょう。


 


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閑話1.手に刺さる薔薇の棘と達観する幸福

 


 閑話はこれともう一つあります。理解を深めて頂けたら嬉しいです。
 感想、お気に入り登録、評価などは、作者を非常に励ましてくれます。どうかよろしくお願いします。


 ではどーぞ。


 


 これは、彼が闇に呑み込まれてしまった原因のお話。

 

 

 

 

 雄也は、修司に事前に命令されていた撤退命令に素直に従い、隊員達を誘導していた。

 

「急げ!搭乗口はこっちだ!」

 

 命が助かれば何でもいいという心境だったので、皆武器は捨てて身一つで怪我人を背負いながら、ロケットの搭乗口に殺到した。ただ、それでも『不死隊』の名前を持つ兵士なので、迅速に効率良くテキパキと並んでいる。ここまで素行が良いのは、(ひとえ)に隊長である修司のお蔭だ。

 

「雄也!全員乗ったぞ!!」

「おし了解だ!」

 

 こちらまで地響きが届くほど激しい戦闘を繰り広げている修司の方向を見ていた雄也は、その声に応じてロケットに目を向けた。列は既にロケットの中へと消えており、後は雄也と隊長のみである。

 外で待つ理由も無いので、雄也は誘導を止めて搭乗口に通じる階段を三段飛ばしで駆け上がった。

 

「雄也、隊長は?」

「分からん。まだ戦闘中だ」

 

 最後まで誘導をしていた隊員ということで、みんなから隊長の姿が見えなかったかを問われる。だが、今も尚地面を震わせている衝撃を感じているので、自然と結論は一つに纏まったようだ。

 質問はそれ一つだけに留まり、後は皆静かに窓から隊長の姿が見えるのを心待ちにしている。口々に、隊長なら絶対に勝てる、必ず戻ってくる等等、彼の実力を信じて救援には向かわなかった。

 

「まだか……まだなのか…!!!」

 

 突如、隊長を応援する声以外の野太い怒声が響いた。

 周りの隊員達が、年嵩(としかさ)でヒゲを存分に蓄えた初老の男の方を振り返る。

 

「あいつは強いのではないのか!何をグズグズしておる!!」

 

 四基目に、防衛軍の責任として乗せられている将軍だ。防衛軍の兵士が作戦に参加しているのだからと、ツクヨミ様に言われて渋々最後のロケットに乗る事を承諾した、謂わば臆病者だ。

 

「誰か!誰か責任者は!?」

 

 まるで難癖をつけるレストランの客のように、将軍はロケットのど真ん中で喚き散らして地団駄を踏んでいる。余程イライラしているのだろう。

 

「(雄也、お前が行くべきなんじゃねぇか?)」

「(はぁ?誰があんな奴と喋るかよ)」

 

 近くの隊員が雄也にこっそり耳打ちして、代表者として進言してはと勧められる。確かに修司が居ない時の代理は彼に一任されているが、無視を決め込んで修司を待っていればいい。わざわざ耳が痛くなる会話をするなんて真っ平御免だ。

 

「(だが、このまま放っておくわけにも行かないぞ)」

「(む?どういう事だ?)」

 

 彼が気になることを口にしたので、雄也は少し屈んで声が聞こえやすくなるようにした。

 

「(将軍は本当に軍の飾りでしかないからな。これがきっかけで、俺達を処罰する事だって有り得る)」

「(そんなまさか…)」

 

 雄也は僅かにかぶりを振って隊員の言葉を掻き消すが、彼の言う事は悲しい事に当たっているかもしれない。

 将軍は正に将軍という地位だけを求めてのし上がった屑だ。皆をまとめ上げるリーダー性は無いし、権力や金以外のことは右から左へとスルーする相当な野郎なのである。

 もしここで誰も将軍の命令に反応しなかった場合、奴はこれ幸いと特隊を潰しにかかるだろう。

 こんな事で隊を処罰出来るのかと思うかもしれないが、それが権力というものであり、人間という種族なのだ。恐らく将軍は、修司が任務をキッチリ遂行出来なかったとか、将軍の命令を隊が聞かなかったとか、そう言った理由で特隊を傷つけ、最終的に消滅させる事も視野に入れている筈だ。

 将軍にとっては、自由に動いて栄光を勝ち取っている特隊が不愉快極まりないものである。将軍は特隊が設立された当初から、積極的に修司に嫌がらせをしていた張本人だ。こっちが隙を見せたら最期、これでもかと叩き潰されるだろう。

 

「(宥めるだけでいい。頼む)」

「(ちっ…わぁったよ)」

 

 舌打ち一つして、彼は顔を引き締める。他の隊員は将軍の怒声を浴びながらチラチラと雄也に視線を送っていたので、彼の舌打ちを聞いて安心した。

 

「ごほん…将軍、俺…私が、白城部隊長の補佐を務めている者でございます」

「お前か!全く、俺の下にいるならばもっと早く出てこい。命令一つまともに聞けないなんて軍の恥晒しだぞ」

「……申し訳ありません。何分状況が状況でしたので…」

 

 将軍の上からの物言いにこめかみをヒクつかせながらも礼節を弁えて対応する雄也。もう既に彼の堪忍袋は切れそうだった。そして皆がその表情を見て、いやいや早すぎるだろ、とツッコミを入れる。勿論心の声で。

 

「ふん、それで、作戦の首尾は?」

「はい、まず────」

 

 やはり将軍も、修司が遅いことよりも戦局がどうなっているのかが気になるようで、先ほどの訴えとは全く別方向の命令を出してきた。

 

「────と、なっております。妖怪は、部隊長が戦っている一人を除いて、全て撃破しました」

「それくらいでなければ困る。何せ、俺の部下共なのだからな」

 

 強力な妖怪二千を相手に、AI加えてたった数百程度の軍で死者を出さなかったというのに、こいつはどこまでも傲慢でどうしようもない奴だと、この時全員がそう思った。激昂して叫ぶ隊員が居なかったことが驚きだ。よく耐えたもんだ。

 

「はい、我らは妖怪に────」

「で、まだあいつは来ないのか」

 

 雄也が喋っているにも関わらず、将軍はさも当然のように言葉を被せてきた。そしてそれに吃驚していると、将軍はまた怒鳴り散らした。

 

「さっさと答えんか!このろくでなしめ!!誰のお蔭で飯が食えていると思ってる!給料を出すのはこの俺なんだぞ!!」

 

 そろそろ我慢の限界が近い。雄也は将軍の奥にいる人達に「もうキレてもいいか?」という類いの視線を送ったところ、返ってきたのは「耐えてくれ雄也」という懇願だった。

 いい加減にしないと、ロケットの外に放り出しそうだ。

 

「これで遅れてツクヨミ様達から何か言われたら、責任は全てあの若僧にとってもらうからな。八意様の従者だからって調子に乗りおって…」

 

 次々と口から垂れ流される文句の数々。よくそんなに喋って噛まないもんだ。というか、スラスラと言葉が尽きないあたり、相当鬱憤が溜まっているらしい。それを、権力にものを言わせて堂々と彼らの目の前で続ける、こいつの屑加減にほとほと呆れが混じるな。

 

 

 

 

「……一人くらいいいか」

 

 

 

 

 待て。

 今この馬鹿は何と言った?

 

「…は?」

 

 落ちた顎を戻そうとせず、雄也は目の前にいる将軍の言葉を頭の中で反芻し、理解という形に落とし込む。

 衝撃で処理が遅くなっている雄也に、将軍はニヤリと笑いかけた。

 

「ご苦労だった。任務はもう完了だ」

 

 そう言って彼はバッと振り返り、踵を返してとある壁のパネルに向かう。仮にも将軍なので、行く手を遮ったりすれば、即刻処罰されるだろう。皆それを恐れ、彼の行動を許してしまった。

 

 シッカリと的確にあらゆるボタンや機器を操作していく。

 雄也が彼の行動の意味を知った時には、既に最後のボタンが押されようとしていた。

 

「さらばだ!忌々しい妖怪共め!」

 

 瞬間、駆け出し、その背中を掴んでボタンから引き離そうと手を伸ばす。他の隊員の気付いたが雄也より遅く、可能性が残っているのは雄也のみとなった。

 

「待てええええええええ!!」

 

 戦争の疲弊で重い体を必死に引き摺り、権力やしがらみを引きちぎるように目の前の上司を発射ボタンから遠ざける。

 

 床に投げ飛ばした雄也は、弾かれたように機器の方を向き、次いでその文字を目にした。

 

 

 

 

 

 

 

────発射します。

 

 

 

 

 

 

 

シューーガコン!!

 

 ブン!と音が鳴るくらい首を回して背後を見やる。

 

ゴゴゴゴゴ………

 

 先程まで外を映していたロケットのドアはいとも簡単に閉じ、その意味を理解する前に下部から轟音が響く。

 

 

────え…そんな…

 

 

 認めたくない。その一心でフラフラと立ち上がる。

 そして搭乗口を虚しくも閉じたドアに向かって拳を振り上げ、殴って壊そうと突撃する。

 

 

────まだ……

 

 

 当然、他の隊員達に両サイドから腕を取られ、後ろから羽交い締めにされる。それでも振り切り、眼前にあるそれを壊そうと力を込める。

 

 

────みんなで…脱出…

 

 

 今持てる全ての力を右拳に注ぎ、間合いに入った鉄の壁に振り下ろす。

 だが、気付いた。

 

「みんな……」

 

 俺は、修司もキチッと一緒に、みんなで脱出したい。だが、目の前にあるコレ(・・・・・・・・)を壊したら、どうなる?

 

「止めてっっ!!!!」

 

 女性隊員の声が掛かる。それに従ったのか、はたまた自分で気付いてしまった(・・・・・・・・)のか。

 兎に角、彼は寸でのところで拳を止める事が出来た。

 

 コレを壊したら、このロケットは飛べなくなる。仮に宇宙まで行けたとしても、中の空気は全て外に出てしまうだろう。そうなれば、ここにいる、今まで数多の時間を共にしてきた仲間が死んでしまう。

 簡単な事実じゃないか。ドアを壊せばみんなは死に、壊さなかったら犠牲が一人だけで済む。

 

 雄也の中には、天秤があった。

 片方の受け皿には、自分を含むここにいる全ての命。

 片方には、親友である隊長の命。

 

 二つの受け皿はそれぞれに掛かった重みを確かに受け止め、もう片方の皿を浮かせようと中心を支点にしてグラグラ揺れている。

 

 拳を止めた時、彼の心の天秤は一方に傾いてしまった。

 判断の基準が何だったのかは全く分からない。ここにいる仲間は当然大事だし、外でまだ闘っている親友も、勿論大事だった。

 

「ぁ…」

 

 今更後悔したってもう遅い。

 ロケットが激しく揺れ始め、無機質な音声が内部に流れ出た。

 

 

 

 

「発射致します」

 

 

 

 

 ドアに対して寸止めの状態で止まっていた彼は、突如として自分に掛かってきた重力によって、その場でガクリと膝をついた。都市の頭脳さんが開発したこのロケットは、搭乗者の負担を減らすために特殊な機構が備わっており、あまり重力を感じないようになっている。

 

 窓から見える景色が段々と下に降りてゆき、将軍の「脱出出来るぞ!」という歓喜の叫びと、ロケットの轟音によって、その場の人の耳には何も聞こえていなかった。

 だが、ロケットの少ないGと立つのも難しい揺れによってなのか、それとも、やってしまったという後悔で打ちひしがれているのか定かではないが、ドアの前で四つん這いになっている屈強な彼。

 特隊の仲間である皆は、周囲の轟音で耳がやられていたが、確かに聞き取った。

 

 彼の、これまでに無く悲痛な慟哭(どうこく)を。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴ………

 

 四基目のロケットが発射されたのを確認した永琳達は、眼下に繁栄している都市を、何処か寂しげな面持ちで見つめていた。

 ツクヨミ様が見ている窓に近付いて、彼女と、四基目に乗ったであろう我が従者(建前上は)について言葉を交わす。永琳はしきりに彼の無事を確認したがっていたが、現場から一番に逃げ出した自分に現状が分かる筈も無く、ツクヨミ様はただただ気丈に振舞えとしか言えなかった。

 

「それで、永琳よ」

「はい。何でしょうか、ツクヨミ様」

 

 適当に雑談で、このつまらない時間を浪費していたツクヨミだったが、ふと自分が前々から思っていた推測を確かめる為に、隣で視線を外に流している彼女に問いかけた。

 

「彼…白城の事を、お前はどう思っている?」

「へっ!?し、修司の事ですか…?」

 

 下の名前で呼ぶほどだ。きっと予想通りの関係になっているに違いない。

 

「一応、お前の従者という立場は与えているが、お前達の雰囲気が気になってな」

「そ…それは…」

 

 言葉を詰まらせて目を右往左往させる永琳。

 

「…もしや、既にそういう関係(・・・・・・)なのか?」

 

 ツクヨミ様のイキナリの質問は、永琳の頭をショートさせるには十分だった。

 

「えぇっ!?」

 

 いくら歳をとろうとも、彼女はまだまだうら若き乙女なのだろう。顔はみるみる紅潮し、あまりの熱に頭の天辺から湯気を出している。都市の頭脳と言えど、こういう話(・・・・・)には全く耐性が無い。というか、彼女は生まれてこの方、こんは浮いた話なんて一度もした事が無かった。縁談やお見合いなんかで、有象無象が彼女に寄って集って甘い言葉を掛けてはいるが、そんな冷めた恋愛に対する経験は、この類いの話題には実力を発揮してくれないようである。

 

「ち、違います!私はそんな…」

「ふむ…。だが、発射間際の時のお前は、とても面白い顔をしていたぞ?」

 

 目に笑みを湛えて、ツクヨミ様は茶化した。

 永琳はまたもや激しく動揺し、両手を頬に当ててお辞儀と見間違うほどに俯いた。

 

「あ…あれは…!」

 

 彼女は最早致命的だというのに、まだ弁解しようと努力しているようだ。既にツクヨミ様に内心を看破されているという事に全く気付いていない。

 

「ふふふ……お前のそういう顔を見るのは、案外初めてかもしれないな」

 

 

 

 

 その後、永琳はツクヨミ様の生暖かい視線を受けながらも、必死に、あれはこうだのそれはどうだのと言い、盛大に墓穴を掘りながら、ソワソワする時間を過ごしていった。

 ロケットは月を目指して飛んでいく。

 

 思い出して欲しい。ここには都市の権力者が全員集まっている。彼らは窓際の二人の様子をチラチラ窺いながら、口々に脱出について喜びの声を上げていた。

 だがそう言った反応をしながらも、彼らは静かに、“その時”が来るのを待っていた。

 ツクヨミ様や都市の頭脳さんに悟られてはならない。永琳にとある依頼をして、“ソレ”を開発してもらったのだが、彼女は非常事態なのもあって、彼らの真意を図る事を怠った。元々人間の屑として彼女達に見られていた彼らを、警戒する必要は無いと思っていたからだ。

 だから彼らは、二人に気付かれる事無く、“ソレ”をあるロケットに搭載させる事が出来た。

 

 理由として挙げられる事はいくつかある。

 都市に残した不正の隠蔽。残った妖怪達に技術を与えない為。置いてきた“要らない物”の処分。

 色々な目的はあるのだが、一番の狙いは、“白城修司の排除”だった。

 

 いきなりポっと台頭し、その後どんどん権力を高めていった彼。幸い、防衛軍のお偉いさん(将軍)が何とか部隊長止まりで防いでいたが、それも時間の問題だった。八意様の従者という立ち位置を利用して政治に口を出してくるという事は一度だけあったが、きっとこれからはその頻度も増してくるだろう。

 彼の実力、そして不明性、謎の奇行。彼が彼らに与えた印象のどれもがとても不安定で、不明瞭なものばかりだった。

 今はまだ何もしてこないが、その内彼は、自分達を脅かす存在となるだろう。もしそうなった場合、自分達の席を確保するのすら困難になってしまう、そう、皆は思った。

 

 不確定で、混沌とした要素は、早々に排除するのが得策だ。それは、彼らの共通認識であり、この世界に浸ってから学んだ絶対の法則でもあった。

 ツクヨミ様と永琳以外の全ての権力者が結託し、彼を“殺す”算段を立て始めた。それの最終段階が、今、この瞬間である。

 

(……おい、集まれ)

 

 誰かが一人の男とツクヨミ達の間に立った。それを見た他の奴らは、互いに目配せをして、頷いた。

 一人の男を彼女達の視界から消すようにして人垣をつくり、不自然にならないように細心の注意を払って挙動を心掛ける。

 

「(…やれ)」

 

 一人がそう彼に耳打ちした。

 男は懐からボタンが付いた機械を取り出し、彼女達に見えないように万が一を考慮して後ろを向いた。誰がスイッチを押すかという議論はあるにはあったのだが、この男が自ら進んで買って出、喜んで引き受けたのだ。

 男の名は述べる必要は無い。特徴的なちょび髭を見れば、皆それが誰だか予想がつくだろう。

 ツクヨミが修司を呼び出す時に寄越した、あの高慢的な人物である。皆、スイッチが見つかった時の責任を恐れている中、彼だけは、修司に対する並々ならぬ憎悪を抱いていた。故、この役を望んだのだ。

 

「…………!」ポチッ

 

 男がボタンを押した瞬間、遥か下にある四基目のロケットから、エンジンを分離する時のように、ある一つの物体が落下していった。

 ドス黒いものを沢山含んだ爆弾は、重力に従って、無常にも落とされたのだった。

 

 

 

 

「…おや?」

 

 ツクヨミ様が、下を付いて来るように飛んでいる四基目から落ちた物体に気付き、目を細めた。

 

「永琳よ、あれは何だと思う…?」

「?…あの、四基目のロケットから落ちた物ですか?」

 

 一瞬彼女に視線を遣ってから、また窓の外に目を向けた永琳は、まるで水鳥の雛のように自分達に付いて来るロケットの、更に下に目を凝らした。

 

「あれは、私が議会から開発を依頼されていた、核爆弾です」

「お前、そんなもの作ってたのか…」

 

 いくら権力が強大とは言え、都市は会議による話し合いと投票で決定される。二人が意見を押し通すのは、思ったよりも難しいのだ。

 

「すいません、何分────」

「気にするな。お前に責任は無い」

 

 言い訳にも聞こえるその弁明を遮り、ツクヨミ様は固まってこちらをチラチラ見ている彼らから背を向けて、大儀そうに溜息をついた。

 

 ツクヨミ様としても、これは都合の良い結果だ。核がその残酷な鎌を振るえば、都市を跡形も無く消し去る事が出来る。残った知性ある妖怪に明け渡すよりは、核の汚染を置き土産として放って置くのも一興だ。

 ツクヨミ様も、議会の難儀さは身に染みて理解している。核爆弾の事について咎める気は無かった。

 

 兎も角、これで今回の計画は殆ど終了した。後は月に着陸し、そこで新たに都市を建て直す。終わってホッと一息、これからに溜息だ。

 

 

 

 

ウィーン…ピシャッ!

 

 暫くして、最後尾が爆風にやられないくらいに爆弾と距離を取ったところで、窓の外は閃光に包まれた。その瞬間窓にシャッターが掛けられ、目を潰す光量を放つ爆光が完全に遮られた。

 

「…何はともあれ、これで一件落着だな」

 

 自分が計画した事が全て完璧に滞り無く進み、ツクヨミ様は何処か誇らしい気持ちになった。

 

「えぇ、そうですね。彼らも満足そうで何よりです」

 

 閉じられたシャッターから目を離し、色んな意味で成功した事に喜んでいるお偉いさん達を冷ややかに嘲笑を漏らす。

 

 

 

 

ザザァ……

 

 突然、各ロケットを繋ぐ伝達機器にノイズが走り、そこから途切れ途切れに声が聴こえてきた。

 

「……!ザザッ………ぁ!」

 

 外で爆発がまだ止んでいないからか、電波が悪くて音が意味を成していない。

 だが、爆発が終わり、シャッターが開くと、途端に声は明瞭に彼らに届くようになった。

 

 その内容は兎も角、永琳は代表としてその呼び掛けに応じる。

 

「…こちらは第一ロケット、八意永琳です。何かありましたか?」

 

 一旦声は止み、喧騒に塗れていた室内が鍾乳洞の深部のように静かになる。十分歳を召しているというのに子供みたいにはしゃいでいた彼らは永琳と機器から遠ざかるように後退し、壁際まで後ずさった。

 

 注意して耳を欹(そばだ)てていると、急に、本人がその場にいるかなような怒声が響き渡った。

 

 

 

 

「────何かありましたかじゃねぇ!!!」

 

 

 

 

「っ!!」

 

 これまでの人生の中で、これ程までの罵声を浴びた事があっただろうか。権力を背景に見られ、誰もが自分を上に立たせてくる。そんな生き方をしている永琳にとって、目に見えぬ彼の声はとても久しくて、同時に不可解なものを残した。

 因みに、初めて怒られたのは修司が初めてだ。優しい彼に怒られた時の落ち込みは、半端じゃなかった。

 

「あの爆弾は何だ!あんなのをどうして落とした!」

 

 尚も激情のままに声を荒らげるが、逆に彼女はそれのお蔭で冷静さを取り戻す事が出来た。他人が怒ると自分は静かになると言うが、どうやらそれは本当らしい。

 驚嘆、狼狽、困惑と来て、最後に冷静をその心に貼り付けた永琳は、若干の声の震えさえあれど、気丈に返答した。

 

「あれは議会で決定しました。目的はあなたが知る必要はありません。それより、あなたは誰ですか?」

 

 機器からは少しの沈黙を置いて、所属を明かした。

 

「……俺は、第四ロケットに搭乗している、特隊所属の蔵木雄也。だが今それはどうでもいい」

 

ザワザワ……

 

 驚いた。

 どうりで聞いたことのある声だと思ったら、あの時の体躯のいい青年ではないか。

 ここに無線を掛けてきたという事は、自分が格上の相手と会話するのを理解している筈。彼は、それを踏まえた上で、感情を殺す事無くありのままに吐き出している。

 

 とても許される事じゃない。処罰確定の、最悪不敬罪に当たる可能性すらある危険な行為だ。

 

「どうでもよくは────」

「今はそれどころじゃねぇんだよ!!!」

「っ!?」

 

 声が少し裏返る事なんてどうでもいいと言わんばかりに雄也は叫んだ。権力が何だ、状況が何だ、それよりも大事なものを突き通すため、彼は無我夢中で追求せずにはいられなかった。

 

「八意様だよな」

「はい」

 

 今更ながら彼は罵倒している相手の名前を確認する。最初に言ったことを忘れているわけではないようだ。

 

「…あの爆弾、あれは誰が落とした?こっちにはスイッチみたいなのは無かったぞ」

「それは…」

 

 言い淀み、彼女はチラッと背後の人垣を振り返った。

 だが、彼女はこの事について知らされていない。ここで彼らだと言えはしなかった。

 

「…分かりません。少なくとも、私ではないです」

 

 ここまで一貫して敬語を通しているのは、偏に無線越しの雄也の気迫に押されているからに過ぎない。本来、彼女はツクヨミ様のみにしかあまり敬語は使わないのだ。

 

「そうか…」

 

 向こうの雄也は暫し逡巡する。その間に永琳が話の主導権を握ろうと口を開いた。

 

「あの、一体何が────」

「誰がやったかなんてどうでもいい。八意様に伝えなきゃいけないことがある」

「………」

 

 度胸は買ってやるが、流石に雄也の態度に口が引くつき始めた。眉間に皺が寄り、気配に怒気が混じる。

 周りの人達も状況に付いて来るようになり、たかが一介の隊員である雄也のことをヒソヒソと小声で罵り始めた。自分達の下で盾として利用してきた隊員が偉そうにしているのだ、良く思うわけがない。

 平等に接して欲しいと思っている永琳でさえ怒りかけている。それ程までに雄也の話し方は一方的で、癪に障るものだった。

 

 だが、そんなちゃちな感情が全て吹き飛ぶ程の報告が、彼の口から無線越しに届いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

「────あの爆弾のせいで、白城部隊長が死んだ」

 

 

 

 

 

 

 

 その後の彼女の悲痛な叫び声は、聴く者全てに生々しい爪痕を遺す事となった。

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 核爆弾が天にキノコ雲を噴き上げながら自然を蹂躙していく様を遠くから見つめながら、一人の女性は宙に浮いていた。

 そんな芸当が出来る彼女は勿論人間なんかではなく、この世の全ての『幸福』を願っている神だった。

 ツクヨミとはまた違った雰囲気の神々しいオーラを身に纏い、同族(ツクヨミ)が地球に遺した文明が消滅する光景────ではなく、そこに一人取り残されてしまった哀れな人間を見据えていた。

 神だからと言って視力がいいわけではないので、実際には見えていない。見えているのは、遥か遠くに出現したもう一つの太陽と、彼女との間にある数々の山のみである。

 

 だが、彼女にはしっかりと、絶望に染まる彼が驚愕に顔を歪ませるのを見る事が出来た。

 

 彼女には、特に名前は無い。しかし、それは“今は”という条件があるだけなので、本人は“その時”が来るまで気長に待っている。

 

 彼女は、『幸福の神』。

 

 生きとし生けるもの全ての幸福を一途に願う、幸せを呼ぶ神だ。

 現代で閻魔が裁けなかった彼に能力を使い、彼をこの時代へと飛ばした。

 ここは別世界などではなく、彼はただ単に過去にタイムスリップしただけである。外見などは生前のままに、新しく命を吹き込んで。

 彼女の能力によると、こうするのが彼にとっていい結果に繋がると示していたので、幸福の力を惜しみなく使って彼をここに飛ばした。

 

 目を細め、微かに顔を顰める。

 

 同世界へのタイムスリップの条件として、同じ時に同じ存在は二人以上は居られない。現代の彼女は、彼を送ったはいいが、これでは経過を見守ることが出来ない。そう思い、また力を行使する事にした。

 彼が送られた時代にいる自分に、今の自分の記憶を流し込むのだ。そうする事で、産まれてから常に世の幸福を想っている過去の自分が、彼を見守ってくれるだろうと予想した。

 

 結果、その予想は的中した。

 まだ都市すら産まれる前からこの世の幸福の象徴として存在していた彼女は、ある日、唐突に、頭の中に情報が流れ込んできた。

 それは、これからこの世界で起こる出来事の全て────未来で彼女が見聞きしたもの全てだった。

 そして、最後の記憶として、(くだん)の少年の事が浮かんだ。

 

 これからを知って、彼女は笑みを零した。

 

 自分が数億年経った時でも、今のまま万物の幸せを祈っていると知り、やはり自分は変わらないなと心が暖かくなる。

 

 なら、自分が今からやる事は一つだ。

 

 遥か遠くで死にそうになっている彼────白城修司という、生前の“ある出来事”がきっかけで心に深い闇を抱えてしまった不幸な彼の事を、これからも慈愛に満ちた視線を以て見届けよう。

 自分が干渉するのは“ある二点”のみ。その時が来るまで、彼女は今と変わらずにこの距離で彼を見守る事を誓った。

 

 

 

 

 どうやら、最後まで闘っていたライバルの妖怪が、彼を庇って犠牲になったらしい。彼の心の『信頼』を司る部分が深く黒く染まり、『疑心』へと変化した。

 宇宙(そら)に向かって復讐の呪詛を喚き散らしながら、修司は死に行く彼女の最期の言葉を聞き取って、彼女の願いを叶えた。

 

 それを何処か悲しそうな色で見ていた幸福の神は、彼の『心』というものの、複雑で繊細な構造に、少し辟易した。

 

 現代で彼は死に、魂となって閻魔の裁きに掛けられて、天国か地獄かのどちらかに送られる手筈だった。

 だが、生前の彼に降り掛かった災難は、彼の心を深淵の谷底のように黒々しく染め上げ、その影響は魂にまで深く根ざしていた。

 故に、閻魔は彼を裁いて輪廻の輪に送ろうとしても、穢れた魂を綺麗に浄化しきれずに、どう対処するかで悩んでいたのだ。

 

 彼女は、一度無理矢理彼の魂に浄化しようと強行手段に出たことがあった。今思えば、そんな愚かなことをせずに、もっと早く自分が彼の元に着けていれば、事件はそう難儀なものにはなっていなかった筈だと、後悔している。

 

 彼の魂は、強制的に浄化されようとした反動で、かなり脆くなっているのだ。それはまるで、厚さ1mmの硝子細工のように繊細で儚く、それでいて、幾千ものヒビが各所に枝葉を伸ばしていた。

 

 それで、肝心の精神()の方はどうなったのか。

 

 それは、これまでの彼の苦悩を見れば、大体予想はつくと思う。

 

 閻魔の強引な浄化によって、殆どの記憶と、魂と精神にこびり付いた闇はそれなりに取り除けた。

 だが、心の闇というものは、全てを除去しなければ、水面に落ちた一滴の墨汁のようにすぐに繁殖して、いずれはまた全体を侵食していく。正体は分からなかったようだが、彼は早々にこれに気付いた。

 だが、様々な手を尽くして何とかしようとしていたが、遂に彼は再び闇に呑まれてしまった。決定的なトリガーは、永琳達の裏切りと、心から信頼出来る者の死だった。

 

「────これから、どうなっちゃうんだろうね…」

 

 見守ると言った手前、何かの手段で対象に接触するのは御法度なのだが、彼の今の状況を見ていると、どうしても不安に駆られてしまう。

 このまま彼はどうなってしまうのか。本当に彼は結果的に幸せを手に入れる事が出来るのか。現状からの判断では、どうしてもそのビジョンが見えてこない。

 自分の能力を疑うわけではないが、ここまで酷いものになると、やはり懸念が心に残るのは当たり前である。

 

 遠くでむせび泣いている修司から目を背け、ゆっくりと空中を進みながら思考に耽る。

 

 彼の心の根幹は、『信頼』を司る感情が大半を占めている。これが、彼の心が“特殊”だと言われる理由である。

 では、その『信頼』の部分が闇に染められてしまったらどうなるのか、それは、今の彼を見れば十分理解出来る。

 彼の心は、それほどまでに他との信頼や繋がりを大切にしており、そこに重きを置いているのだ。

 

 心の根本を黒く染められてしまった人間は壊れる。

 自分が一番大切にしてきたものが失われるのだ、狂わないわけがない。それは、その人の存在自体を否定しているのとほぼ同義と言っても過言ではないだろう。

 

「今後の彼が、一体何をするのか…見届けなきゃね」

 

 適当な山の頂上の木に背中を預け、これから起こるであろう予測不可能な彼の行動に思いを馳せ、瞼を閉じる。

 

 根元が腐った彼の心は、緩やかに崩壊するだろう。そうなれば、もう手段はない。

 それでも、彼女は願った。

 彼を救う誰かの出現を。

 だが、彼女はそれが希望薄なのを悟っていた。

 

 何せ、これから人類が誕生するのは、何億年も先の出来事なのだから。

 

 




 


 プロローグに登場したっきりの『幸福』の神がここで出てきました。修司の心の事情が若干分かって、少し理解してもらえたかと思います。
 閑話の筈なのに、何故か結構重要な話で見飛ばせないというw。
核爆弾を落とした張本人ですが、実際はちょび髭でも誰でもよかったりします。核を落とした、という事実が必要だからです。

 次回もこんな感じに仕上がっていますので、来週までお待ちください。



 それでは今回はこの辺で。


 


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閑話2.重ねゆく年月と眩い思い出

 

 閑話二本目です。視点はとある少女です。何だかこれは書いておかないといけないという変な考えに囚われてしまいまして、半分勢いで書いたものですw


 作者の小説は基本主人公の視点のみで、必要でない限りは別視点はあまり書かない感じです。ですからこういった感じの話は新鮮で楽しかった、というのが作者の感想。

 どうぞ。

 


 初めて感じたあの時の衝撃は、今でも私の胸に朗らかな太陽となって残っている。

 

 諦めていた。

 俯いていた。

 涙も流した。

 

 それでも“生”に縋り付いたのは何故だったのだろうか。その答えが目の前にあった。

 

 “彼”に出会う為だったのだ。私の絶対零度まで冷えきった心を優しく溶かし、明るい色へと染めていった。

 

 彼の事をもっと知りたい。

 彼ともっと会話したい。

 彼と同じ時間を過ごしたい。

 

 きっかけが陳腐なものであったとしても、これは紛れも無く私の本心であると確信している。

 

 

 だから、あの日のあの瞬間から、私は────

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 今日も彼が来た。

 私は力作の竿をほっぽり出して、急いで準備を整える。二ヶ月に一度の機会なのだ。女性の心得として、身嗜みくらいはきちんと整えておかなければ、妖怪である私の“女”が泣いてしまう。

 服を着て、人の姿をして、人の言葉を話す以上、たとえ妖怪であったとしても、こればっかりはやらなければならない。

 

 彼には能力の事は話していないので、認識外から能力の応用で存在を認知している事は知らない筈だ。

 

 大体の準備を終えた私は、ミスが無いか一度確認する。

 

「髪…よし。服装…よし。刀…よし。気合い…よし。殺意…よし…」

 

 …先程までの乙女な描写を疑ってしまうようなワードが幾つか出てきたが、本人はさして気にしていないようだ。

 それもその筈。彼女は人間ではなく、妖怪。種族の根底にある弱肉強食の理念は、人間では有り得ないような残酷な選択を苦もなく選べるように非情に出来ている。

 彼女にとっては、これが日常。明日、自分が生きているか全く分からない不安定な世界で、自分が生き残る唯一の確実な方法、“殺られる前に殺る”。

 単純明快。相手が牙を剥く前に自分の爪が相手の喉を裂けばいいだけの話。

 

 人間が相互でやってるような愛情表現なんて、妖怪にとっては意味の無い事。私の考えは、全然違う。

 

 私は、互いの力をぶつけあってこそ、真の“感情”が表現出来ると思う。命をさらけ出して、本気の本能を突き合わせて初めて、互いの心が通ったと言えるだろう。

 

 

 故に、私は今日も、拳に力を込めて、彼を迎えるのだ。

 

 

 

 

「やっぱり、今日も来たね」

「都市にとって君は脅威だからね」

 

 そう言えば、前回も同じような会話をしたような気がする。

 

「それで、今日は何をして過ごそうか?」

「…全く、貫禄なのか無邪気なのか、どちらにしろ、君も相当だね」

「“も”って事は、修司もそうなのかい?」

 

 このやり取りも、もう何回目だろうか。

 ここから、私達の時間が始まる。

 修司が呆れたような声を出しながら苦笑する。困ったような顔に隠れた砂粒ほどの感情は、いくら彼女でも気付くことが出来なかった。

 

「そうさ、はぁ……取り敢えず、君の酔狂に付き合うとしようかな」

 

 彼は、今日の武器をそこら辺に放り、代わりに背中に背負った竿を手に取った。来る時に装備しているあたり、彼も密かにこの一時を楽しみにしているようだ。

 私達の朝は、まずこの湖の釣りから始まる。そこで最近の出来事や、悩んでいる事、その他諸々を話し合い、最後に笑うのだ。

 

「今日は何匹釣れるかな…?」

「私の湖にまだあんなのがいると思うと…毎回ゾッとするなぁ…」

 

 

 

 

 二人、湖畔の草原に腰を下ろし、竿を振るって糸を水面に落とす。少し高く昇った太陽が、麗らかな陽射しをカルデラに降り注がせ、髪を擽る心地よい風が、身体にまとわりついている(もや)を削ぎ落としていくように、二人の間を駆け抜けて行く。

 木々が伸ばした枝葉を、風に揺られてカサカサと擦り合わせる。二人の時間に聴こえる騒音は、それのみであった。

 

「…ねぇ」

「何?蘭」

 

 修司は基本、自分からは何も言わない。大体最初は、私からだ。

 

「修司ってさ、人間とは思えないくらいに強いよね」

「…………うん」

 

 キラキラ日光を乱反射しているカルデラ湖に沈む糸から目を離さずに、隣にいる私の問い掛けに、不自然な間を空けて答える。その空白の意味が僅かに気になった私だったけど、ややこしい人間の事情でもあるのだろうと、そう結論づけた。

 

「どうしてさ、強さを求めるんだい?」

「……」

 

 口から出たのは、自分でもよく分からない質問。妖怪である私達にとって、強さとは生きる為の必須条件。普通の妖怪ならばそれで終わりなのだが、奇異な思考の持ち主である私は、つい自然とそんな疑問が零れた。

 

「強さの意味…か…」

 

 一人呟く修司の横顔を覗き込む。

 だが、表情に変化は特に無く、湖よりも遠いものを見る目で、自分の中の何かを探していた。

 

「そうだね……強いて言えば…」

 

 人間の強さの意味なんて、大体分かっている。どうせ、大切なものを護る為だとか、自分としての存在を誇示する為だろう。それか、私達と同じで、必死に生き残る為か…。

 だが、彼から放たれた言葉は、私の予想を遥かに上回った。

 

 

 

 

「────復讐…かな」

 

 

 

 

「……え?」

 

 横顔を見る私の目が見開かれる。

 今までの彼からは想像も出来ない突飛な返答に、私は彼を凝視したまま固まってしまった。

 

「それって…」

「言葉通りの意味だよ。僕は、復讐する為に力を求めている」

 

 驚いたなんてものじゃない。優しくて、気丈で、聡明な修司が、そんな醜い目的の為に実力をつけたなんて、この湖からあの化け物(半魚人)を掃討するくらいに有り得ない事だ。

 

 蘭は気付いていないが、修司が他の人に同じ質問をされた時には、「みんなを護る為さ」と適当にはぐらかして、本心を言わない。

 修司は、誰にも本心やそれに近い事を話したことはない。それは、蘭でも同じだったのだが、彼は今、何故か話している。

 

 蘭に本心の一端をポロッと話し始めた修司は、この事の異常性に気付いていない。

 修司が無意識に、彼女には少し話しても大丈夫だと思っているのだ。

 

「それは…誰にだい?」

 

 恐る恐る彼に問いかける。いつの間にか彼の双眸は心做しかくすみ、いつもの柔和な雰囲気が(なり)を潜めていた。暖かい陽射しが照っているというのに、辺りは夜の墓場のように涼しげだった。

 

「…誰…か。それは教えられないかな…」

「そ、そうかい…言いたくないんなら、別にいいさ…」

 

 慌てて視線を湖に戻す。場違いなほどに煌めいている水面に感情が揺すぶられ、普段感じたことのないもどかしさを胸中に覚える。

 ギリ…という音を捉え、また顔を隣に向ける。

 するとそこには、瞳の色が戻り、口を一の字に結んで奥歯を噛み締めている彼の姿があった。目は相変わらず湖を見ているが、意識は己の奥深く、と言った感じだ。

 

 どうやら自分の犯した失態に気付いたらしい。

 

「…………………ねぇ」

 

 そんな彼の挙動が私の心に響いた。

 私は、振り向く彼の顔を真っ直ぐ見つめて、それを口にしようと決意を固めた。

 

 だが────

 

ピク…ピクピクッ…

 

「ん?何……ってうわああぁ!?」

「し、修司っ!?」

 

 私の変化を敏感に嗅ぎ取った修司は、そちらに意識を完全に持っていかれ、突如として引っ張られ始めた竿に対応出来なかった。

 胡座をかいて座っているので、横に倒れる修司は踏ん張ることが出来ない。

 

 そのまま湖に頭からダイブしかける彼だったが、都市の最強戦力、『不死隊』の部隊長の肩書きは伊達ではない。瞬時に状況を理解した彼は、片手を地面に突き立て、竿と拮抗するように力を込めることで、取り敢えず不意打ちで湖ダイブを回避した。

 

「お、重いぃ…」

 

 今までとは一線を画すその引きの強さに、流石の修司も引き込まれ始める。体勢が拙かった。下半身の踏ん張りが無く、片手のみでは、いくら修司でも大物とのバトルには勝てないようだ。

 

「っ!わあぁぁぁぁ!!」

 

 片手を地面に着けてつっかえ棒のようにしていた修司だったが、咄嗟の力の緩急に対応出来ず、その突っ張りを看破されてしまった。

 

「修司!!」

 

 そのまま引き込まれる……と思った瞬間、彼の背中から、お腹に腕を回され、グッと引っ張る者がいた。当然、蘭である。

 彼が大物とバトルをしている間に、蘭は自分の竿を投げ捨てると、修司の後ろに回って、背中に抱き着いたのだ。

 脚に妖力を纏って踏ん張り、彼にジャーマンスープレックスを仕掛けるようにして彼を助ける。

 

「ぐぅ…ぐぬぬぬ!」

 

 持ってかれる竿が止まった。湖の中で黒い影を作っている大物と二種族に君臨する“最強”。両者の根性が竿と糸を通してぶつかり合い、壮絶な戦いを繰り広げる。

 

「う、うぉぉぉ……」

 

 彼女の助けを受けて何とかダイブせずに済んだ修司は、胡座を解除して、地面に足裏を着けて、霊力を流し込んだ。

 いくら相手が湖の中にいて、そこが奴の土俵だとしても、こちらには規格外な存在が二人もいるのだ。本気を出せば結果は見えている。

 

 

「はあああぁぁぁぁ!!」

「りゃああぁぁぁぁ!!」

 

 呼吸を合わせて、一気に竿を引き上げる。

 

 拮抗していた力関係が逆転し、激しい水飛沫を上げながら、その対戦相手が姿を現した。

 

「ギャアアアァァァァス!!!」

 

 出てきたのは、これまでに何匹と釣り上げた経験のある、気持ち悪い半魚人のようなノッペリとした顔を持つ、オジサンのような蛙だった。

 だが、顔だけ嫌に人間臭いそいつは、二人が人生で釣り上げた獲物のどれと比較しても、相手にならない程のデカさだった。

 脚を真っ直ぐ伸ばしたら全長1mはあるのが、蛙のオジサンの普通の身長だったが、この蛙は、それの三倍も大きかった。

 

 そして驚くべきは、その顔である。二人が毎回、気色悪いオジサン顔だなぁ、と思いながら天高く殴り飛ばしていたこいつらは、全員が性犯罪者のようなヤバい顔をしていたのだが、こいつだけは、輪にかけて酷かった。

 それはもう、醜悪の一言に尽きる。寧ろ、顔だけで天変地異の災害と表現しても誇張とは思えない程のキモさである。

 

 どれくらい酷いかというと、デブ、薄毛、ブツブツ、その他諸々、世の中の顔パーツにおいてマイナスとなり得るもの全てを組み合わせたかのような、世界の害悪を染み込ませたものだと言えば、多少の想像はつくだろうか。

 兎に角、そういった気持ち悪い顔が、ギャァスと言いながら、口を尖らせて飛びかかってくるのだ。その姿がまるで、釣り上げた人にキスを迫っているようで、果てしなく拒否反応を引き起こす。

 

 二人、暇潰し(?)でこの湖のキモ蛙を駆除していたが、これは衝撃が強過ぎた。思わぬ緊急事態に気が動転してしまったのである。

 

 故に────

 

「「せぇのぉ…………」」

 

 一瞬で横に並んだ二人は右拳を引いて、迫る巨大な怪物()の醜い顔面に狙いを定めた。

 

 そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「せいやあああああああああああああ!!」」

 

ドバコオオオオオオオオオオン!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霊力と妖力を拳に纏わせていないというのに、プロボクサー顔負けの右ストレートが、有り得ない轟音を立てて奴の顔面に直撃した。

 

「ブギャアアアァスッ!?」ビュゥゥゥン……

 

 幸い、頭蓋骨がカチ割れてスプラッタな状況になるのは防げた。

 キモ蛙は、その災害級の顔面を見事に陥没させ、普段の奴らよりも遥かに上空、斜め45度の方向に飛んでいき、昇っている太陽に吸い込まれるようにして消えていった。

 ここまで綺麗にホームランを放てたのは、偏にあのキモさのお蔭である。

 二人の息と力加減が寸分の狂いも無く一致し、奴を空彼方の星々の一部とするべく振るわれたその拳は、間違いなく今までの蛙の中で一番威力のある二発だっただろう。

 

 

「「…………」」

 

 

 右腕を振り抜いたまま、奴が完全に視界から消滅するのを刮目する。

 

「……セーフ…?」

 

「…その意味は分からないけど…多分」

 

 都市の人間はやはりよく分からない言葉を使うな。

 …いや、今はそんなことはいいか。

 

 

「……………ふぅ…」

 

 張り詰めていた緊張を肺から吐き出し、二人同時にへたりこんだ。

 竿から垂れている釣り糸にはもうあの気色悪いアイツはいない。隣で仰向けになっている彼を盗み見た私は、彼が未だ片手に持っている竿の先端に目を落として、その事実をもう一度確かめた。

 

「…あれは…凄かったね…」

「うん…私が見た中で一番の大きさだったよ…」

「それは僕も同じだ…」

 

 大したことはしていない筈なのに、私も修司も、胸を上下させて軽く息切れを起こしている。

 

 

 

 

 どれくらいの時間寝転がっていただろうか。

 暫く呆けてだらしなく方々に伸ばしていた四肢を叱咤して、むくりと半身を起こした。

 

「よっと……いつまでものんびりしてられないね」

 

 放って置いた竿を取りに立ち上がり、チラッと湖の底を警戒の眼差しで睨んだ後、まだ仰向けの彼に手を差し伸べた。

 

「ほら、早く立ちなよ。いくら私が今殺さないからって、それは無いでしょ?」

「………あぁ、悪かったね」

 

 私の手を取り、若干沈んだ面持ちで礼を言う彼は、どこか深く思案しているようだった。

 何を考え込んでいるのかは私では知れないが、聡明で決断力のある修司のことだ、きっといい選択をするだろう。

 

 完全に立ち上がった彼に背を向け、私は投げ捨てた竿を拾いに湖畔の端まで足を動かす。

 

 時々、彼は自分の中に閉じこもって何かを考えている。人間だけでなく、そういう現象は自我のある妖怪にも時たまある事なので、普段はそんなに気にしないのだが、彼のそれは、他とは明らかに違った。

 

 目の奥の鈍い光が消え、瞳の中身が虚空になったかのような虚ろな表情になる。暫くすればそれは治る。その後、彼は決まって、複雑な顔をして、心做しか悲しそうに影を落とすのだ。

 その風貌は、冷えた鉄のナイフを首筋に添えられている光景を幻視するほどに、底冷えし、また谷底のように暗い深淵を纏っていた。

 五臓六腑を握り締められるような震えを理性で抑え込み、その理由を考えてみる。

 

 一言で片付けるならば、“複雑な事情”、だろうか。

 

 彼は、実力や性格からして、相当特異な部類に入る人間だろう。彼が住んでいる都市の中でも、きっと浮いている存在だと思う。

 人間離れした実力は、もう説明する必要もないだろう。今はそれよりも、彼の稀な性格の方が気になる。

 

 基本的に、彼はかなり優しく、若干だがお人好しな部分があるようだ。

 それに、何故なのかは知らないが、急に、性格に似つかわしくない事をする時がある。この前は、ここに来る前に何かあったのか、すごく憤怒に駆られた雰囲気を醸し出しながら現れた時があった。表情こそいつもと同じ柔らかな笑みだったが、逆にそれが怖かった。

 理由を訊くと、どうやら街中でイジメのような現場を目撃していたらしい。そして、それを解決して来たという。「随分な正義感だね」と茶化して言ってみたが、意外にも彼は激昴せずに、「そうだね、我ながら馬鹿だった」と、何に対してかは不明だが、自分の行いを悔いているようだった。

 迫害されているのを助けたのはいい事だというのに、何を反省する必要があるのか。自分が感情に任せて行動したからか、それとも、柄にもないことをやって忸怩(じくじ)たる思いが胸を焦がしているのか。

 

 前者は、常に冷静な判断をする彼からすれば、十分有り得る。

 後者は、彼の柔和な性格を鑑みるに、可能性は低い。

 

 穏和な性格の彼が、負の激情に顔を歪ませるのは、私には想像出来なかった。それに、その感情には何か、“私の知らない彼”が潜んでいた。

 

 ただ一つ言える事は、“彼はとても不自然”だということだ。

 

 彼の行動全てが、不自然に合理的で、高効率。

 言動の殆どが話の的を射ており、尚且つ彼に有利な方向に進む。

 言う事の(ことごこ)くに、一本の硬い筋が通っており、それも一理あるなと納得出来るもの。

 

 ただし、それらを全て統合して、白城修司という人間を形成するには、些か無理があることに気付いた。

 いつどんな時代であろうと、人間や自我のある妖怪の“理想像”というものは、多少の違いはあれど、そう変化はない。私達の望むその姿は、所謂“完璧超人”という存在である。

 そうなることを望む望まないは別として、完璧超人の風体を言えと言われたら、皆口を揃えて同じ事を言うだろう。

 

 

 

 

───何でも出来て、性格や実力にも隙が無い、全能の塊。

 

 

 

 

 今のは少し皮肉が混じっていたりするが、概ね前述の通りである。

 

 完璧超人であり、私達の理想像であるこれは、“目指すからこそ理想”なのである。

 

 憧れ、目指し、手を伸ばそうとするからこそ、この頭の中の幻想は、世の中に存在しているのだ。

 つまり、“成れないから、皆の理想”なのだ。

 これに成ろうと努力し、それでも成れないのが、理想像である完璧超人。絶対に成れない代わりに、私達に目指すべき境地を教えてくれるのが、理想と願望。

 彼は、これをほぼ達成している。

 

 

 

 

 だが、これは絶対に有り得ないのだ。

 

 

 

 

 世の中に完璧な人間なんていない。個々に必ず弱点があり、己が他者に及ばないウィークポイントがある。斯く言う私も、ちゃんと弱点はあるのだ(さっきの蛙みたいな)。

 物事には絶対的な限界が設定されており、その範疇で私達は努力している。

 

 だが、彼はどうだろうか。

 

 

 

 

 釣りはもう止めようか。

 

 彼の提案に従い、私と彼は竿を背後の森林に投げた。

 彼は佩刀(はいとう)を抜き放ち、向かいで私の自信作(小太刀)を得意気に構える私を見る。

 

 幾度と無く繰り返してきたこの光景。

 何時潰えてもおかしくない刹那を生きる均衡。

 

 私は、先の緩やかな時間も好きだが、これから始まる時間の方が、何倍も好きだ。

 それは、私の本質が人間ではなく妖怪だからだろう。

 

「今日も勝って、さっさと終わらせようかな」

「妖怪の大将をそう簡単に嘗めてもらっちゃ困るよ」

 

 後に、数秒。

 現実ではたったの二秒という僅かな時ではあったが、両者の体感では、それは永遠とも思える程の時間であった。

 

 だが、次に放った言葉によって、その静寂は打ち破られる。

 

 

 

 

 

 

 

「「────殺ろうか!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 今日も私は地面を蹴る。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 結果、今回は私が勝った。

 今まで勝って負けていているのでさして感情の起伏があるわけではないが、やはり闘いに勝った日は心が躍るものだ。

 

 夕焼けが眩しく照らす湖畔で寝そべる二人は、毎度の如く暫しの休憩を挟んでいた。

 

「はぁ…はぁ………結局…か」

 

 そう呟いたのは彼。

 何が、とは言わない。そんなの、もう分かりきっているから。

 

「それは、どっちの意味だい?」

 

 問いかける私。

 勝った日のご褒美(腕枕)は、負けた日のそれとは比べ物にならないほど格別の優越感だった。

 妖怪の大将となってから何百年。数々の命を目の前で消し飛ばし、その度に畏怖と尊敬をその身に集めていった私だが、そこには何の感情も含まれていなかった。

 

 こんな感情を抱くのは、本当に久しぶりだった。

 

 彼に初めて出会って、二回目に出会った時には打ち負かされ、三回目でその敗北を取り戻した。

 その時に感じた言い得もないこの高揚した気持ち。

 明るい感情を思ったのは、あの時が初めてかもしれない。

 もう子供と言える歳ではない筈なのに、私の心は、まるで友達が出来始めた三歳くらいの幼子のように溌剌としていた。

 

 

────楽しい。

────嬉しい。

 

 

 あぁ、これはいい。

 

 私の中を、暖かい陽射しが満たしてゆく。

 これまで、冷たい感情しか貰ってこなかった私は、この温かみに、二度目の生を、この世に受けたかのように感じた。

 生まれ変わった、そう錯覚するほどの衝撃だった。

 

 妖怪は他者からの畏れというものでその存在を確立すると言う。他者から受け取る感情によって、自分は生きているのだ。

 妖怪は、精神に依存する。これは、本能的に分かっていることだ。

 私が今感じているものは、妖怪故に、誇張されているものかもしれない。

 

(でも…)

 

 でも、そんなのは関係無い。

 今、私は幸せだ。

 白城修司という、稀有な人間と一緒に居ること。

 これこそ、私にとっての幸せ。

 

 愛情の表現の仕方は人間とは違う。

 私は、彼と命を賭けて殺り合うことで、その幸せを感じている。そこは流石妖怪だと言うべきだろうか。

 

 私にはもう、人間とは忌み嫌い合う仲だとか、私達は敵同士だとか、そんなのは最早装飾と成り果てていた。

 ここでこうして彼と闘って、過ごしている。それだけで、全てが万事許容出来た。

 

 

「…体力も回復したことだし、そろそろ帰るよ」

「次こそは君を殺すからね」

「ははは、そっくりそのまま返すよ、その言葉」

 

 物騒な会話も、二人にとっては日常の中の一節に過ぎない。

 

「今度は闘う前にさ、この湖のアイツ、全員ぶっ飛ばそうよ」

「いや、それは流石に勘弁だな。僕はあれを何匹も相手したくない」

「…………自分で言っててあれだけどさ、やっぱり私もそう思った」

 

 軽口として出した話題のアイツが、一斉にこちらに向かって唇を突き出してくる光景を想像する。

 ……うん、生理的に無理。

 

 二人は仰向けの状態から立ち上がり、それぞれの得物を腰に戻した。

 

「…今更だけどさ、その脇差、鞘は作らないの?」

「ん?これかい?」

 

 妖怪にしてはちゃんとした服を着ている私だったが、腰の辺りの部分の布に脇差を突き刺してぶら下げている姿のお蔭で、台無しだった。

 

「鞘かぁ…。抜き身にしておいた方がさ、いざって時に直ぐに使えるでしょ?だから作る予定はないよ」

「いやでも、抜刀術ってのがあるくらいだし…」

「抜刀術?それはそっちの中で通用する言葉かい?」

「……いや、多分通じないと思う」

 

 やはり、修司は時々変なことを言う。妖怪には分からなくて、更に都市にいる人間にも分からないような知識。それを持っているということは、彼はあっち(都市)の中で賢者なのだろうか。

 でも、賢者というか、物知りな人間は、他にいた筈だ。

 彼と、彼の部隊が台頭してくる前は、彼女が森に来て私達を狩っていた。あの人も十分に凄かったが、今の彼には到底及ばないだろう。

 

 

 

 

 別れの前に少し言葉を交わし、彼とは別れた。

 

 居なくなっていった方角に首を回しながら、体は湖に向けて、脚をダランと水面に浸けている。

 ヒンヤリとした水温が、戦闘で火照った私の素足を心地よく冷やしていく。

 

「………やっぱり、修司は凄いなぁ…」

 

 首を正面に戻し、再び誰も居なくなった夕方の湖畔で一人言葉を漏らす。

 このカルデラは、私の領土なので、如何なる妖怪の侵入も許さない。それは部下によく言い聞かせているので、これからも、誰かがここに来ることは無いだろう。

 生まれて最初の頃は、ここも色んな妖怪が住み着いていた。その誰もが力の無い私を蔑み、罵り、足蹴にした。唯一救いだったのは、殺されなかったことか。

 

「私も、随分強くなったつもりだったんだけどな…」

 

 本当に強くなった。

 上には上がいると言うが、そんな言葉、私には当てはまらないと思っていた。この辺り一帯の大将となって、他の妖怪を統べるようになってからだろうか、私は、慢心していたのだ。

 武器は娯楽で作り上げたし、能力は勝手に力をくれるから研鑽なんて積んでいない。武術なんてのはもってのほかだし、これまで妖力さえあればなんとでもなった。

 

 あの青年(修司)が現れるまでは。

 

 彼に出会ってから、既に数十年が経過した。まだどちらも二連勝していない。どちらかが二連勝すれば、まぁ、互いにそれまでの存在だったということだろう。

 

「…にしても、あの特技は反則でしょ…」

 

 修司は、今までに見せてきた手札を全て覚えていて、次を完璧に回避してしまう。つまり、初見しか効果が無い。更に言えば、彼は私の技術をたった一回見ただけで完全に模倣してくる。彼と闘えば闘うほど、私はどんどん不利になっていく。

 あの無尽蔵の修得能力と、それを即座に転用してくる対応力。これは十中八九、能力だろう。

 もしこれがただの才能だとしたら、彼は本当に人間ではないかもしれない。

 

 私も大抵の事は見て真似ることは出来るが、それにも限度はある。彼との攻防の間に見た幾つかを、一か八かで挑戦して、運良く成功したこともある。

 しかし、彼は違った。

 修司は、私が見せた手札の全てを記憶し、次にはもう対応策を作っている。また、数秒前に使った技を、あちらが数段上手く使ってきたりと、修得の概念もあるようだ。

 

(能力名は、さしずめ『吸収する程度の能力』かな)

 

 私の能力も十分に理不尽だと思うが、彼の能力はそれとはまた違った方向で理不尽だ。

 

「人間に、あんな奴がいたなんてね…」

 

 確か、八意、だったっけ。彼女も十分に強かったけど、まだ私には遠く及ばなかった。

 彼とあの女が闘えば、間違いなく勝つのは修司だろう。彼の事だ、きっと霊力すら使わずに倒してしまうに違いない。

 

「……いや、買いかぶり過ぎかな?」

 

 一目惚れしてしまった相手だ、過大評価してしまうのも頷ける。だが、本当にそれは、己の惚気から来る誇張なのだろうか。私にはこれでも、長年の経験というものがある。実力を見誤るほど恋に耄碌した覚えはない筈だ。

 

(ふっ…。いざ自分の事となると、途端に分からなくなる。私もまだまだだってうことかな)

 

 カルデラの淵から覗く太陽がもう消えかけている。

 長く延びる影が、今日の終わりを知らせる。湖の大半が、影に覆い尽くされていた。

 

 私は湖に浸けていた両脚を引き上げ、腰に文字通り刺していた脇差を近くの茂みに隠した。

 私の刀は特殊な合金で出来ているので、適当に放っても傷まない。流石私の自信作だ。

 

「……うん、もう寝ようかな」

 

 

 

 

 私は、カルデラの中央にある湖を挟んだ反対側にある、小さな花畑に来た。

 ここにも、芝生のような草花が綺麗に整った湖畔がある。その奥に、森をくり貫いたようにポツンと佇む、小さな小さな花の群生地帯があるのだ。

 

 規模は半径20m程。白い鈴蘭もあれば、妖艶に咲き誇る紫蘭もある。色とりどりの蘭花が乱れ咲き、その光景は観る者の視線を捕まえて離さないだろう。

 手入れなんてものは一切されていないというのに、彼らはとても美しくその花弁を天へと広げている。

 あらゆる種類の花がこの花畑には存在しており、季節や気候に関係無くここに仲良く植わっている。

 ただ、私は花の名前を知らない。知っているものもあるが、それは極小数だ。知っているのは蘭という文字が付く花のみ。何故かは分からない。それは私を生み出した大地に訊いてくれ。

 

「ただいま、帰ってきたよ」

 

 森を抜け、月光に照らされて煌々と露を乱反射させている彼らに挨拶をする。

 

「さてと、私も寝るよ。今日は色々と大変だったからね」

 

 そのこじんまりとした花畑の真ん中に、更に小さな半径で、花の咲いてない更地があった。そこに私は身体を横にして、蹲るように寝る体勢をつくった。

 

「おやすみ、皆」

 

 彼らに今日の終わりを告げ、周りの静かさを肌身に感じながら目を閉じる。

 その声音には彼らを深く慈しむ優しさが含まれており、まるで家族に親愛を寄せるようだ。

 

 察しがつかない朴念仁でも気付くだろう。

 

 

 

 

 ──此処は、蘭が大地より産み落とされた場所。

 

 

 

 

 正に今、彼女が胎児のように眠っているその円形状の更地。そこから、地這いの妖怪である地代蘭は生まれたのだ。

 

 大地の代わりの存在ということで苗字は地代。

 その周りに美しく祝福を表しているかのような花畑からそのまま取り、名前は蘭。

 

 我ながら実に安直で素直な名付け方であると、苦笑いを禁じ得ない。だが、その他に何も無かった彼女にとっては、それでも十分だった。

 だが、自分でも分からない事がある。それは、己の存在価値だ。

 

 私は、何故生まれ、何処に向かうのか。

 

 大地に属する存在であるのは本能で理解している。自分が穢れの象徴である妖怪という事も、また、それを差し引いても周囲から忌み嫌われている事も。

 世界の全てが私に向けてその刃を光らせても、この場所だけは違った。

 ここにいる時だけ、自分の立場や(しがらみ)を忘れ、一人の女の子でいることが出来る。不思議と落ち着く場所だった。

 

(………どうなるんだろ)

 

 目を閉じ、神秘的なこの場所で安らかに眠ろうとしているというのに、何故か眠ることが出来ない。辺りは静寂に包まれており、虫の声一つすら聴こえない。

 この火山には誰も侵入させないようにしているので、気を張る必要もない。

 

 ────だとすれば、原因はやはり一つだろう。

 

「………修司」

 

 最早これは病的とまで呼称しても差し支え無い。いや、これしか考えることが無いので、こうなるのは必然の至りだったのだろうか。

 兎に角、一人でいる時、必ずと言っていいほど頭を過ぎるのは、彼、白城修司についてであった。

 

 彼の強さに心酔し、妖怪特有の血の気の多さに自分自身を自嘲する。ここ数十年、そんな事が四六時中続いている。双眸に光が宿っているのが、まだ至っていない(・・・・・・)証拠であるので、彼が危惧することでは無い。

 尊敬や羨望、競争心といった、とても好ましい理由から来る初恋の一過程である……と、彼女は自己診断している。

 

(あぁ……次も勝ちたいな〜)

 

 来たる二ヶ月後の戦闘に向けて、既に心が躍っている彼女だったが、今から就寝に入るということを思い出し、かぶりを振って興奮の抑えた。

 だが、それでも彼の事は頭から離れない。

 

 次の武器は何だろうか。

 今度こそ二連勝出来るのか。

 次回はどんな手札を切ってくるのだろうか。

 

 

 

 

 ────本当に次も来てくれるのか。

 

 

 

 

 嫌な予感がチリっと思考を焦がし、急いでそれをかき消した。

 

(…その時には、こっちから行っちゃおうかな)

 

 こういう時にこういう物騒な考えが出来るのは、流石妖怪である、としか言いようがない。

 今の関係が、ただの抑制の為だけではないことを、蘭は知っている。本人はそれを否定するだろうが、完全に無い…とは言い切れない筈だ。

 

 私は、それが異端である事と分かっていながらも、緩む頬を押さえられない。

 

(…はっ、これじゃあいつまで経っても眠れないじゃないか。妖怪の大将が聞いて呆れるよ)

 

 その可愛い寝顔を少し顰めながら、彼女は頭の中を必死に他事で埋め尽くす。

 でも、彼の事を思うことで感じる温かい幸せの体温が恋しくなり、またついつい頭を覚醒させてしまう。こういう時は本当に難儀だ。いくら実力があろうとも、自らの睡眠を制御出来る訳では無いのだから。

 

(うぅ〜。眠れないぃぃぃ〜)

 

 本当に難儀な夜である。

 そんな事を思いながら、彼女は今夜もまた、初々しく顔を朱に染めるのであった。

 

 




 

 何だか感想やお気に入り登録が一気に増えましたw

 様々な意見、とてもありがとうございます。
 基本、応援コメや質問コメにはできる限り返信致します。しかし、辛辣な感想にはどう返したらいいものか迷ってしまうので、しっかり読んで反省するだけに留めておきます(どんなコメも全て読ませて頂いております。本当にありがとうございます)。


 そろそろ本気であらすじの改訂をしようかな?と考えています。文面考えておかなきゃですね。


 次回は設定解説の回です。ではまた来週に~。


 


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設定.人物解説と説明

 

 前話を投稿した次の日に何気なくランキングを見ていたんですが……


 なんと、日間ランキング17位にランクインしていました!!
 (↑ほんの一瞬です)


 本気でびびりましたよw
 こんな小説が17位に入ってるなんて作者は感激です、ありがとうございます。
 朝方からUAが跳ね上がってましたw

 この調子で引き続き頑張って生きたいと思います。何卒、応援よろしくお願いいたします。


 では今回は本編ではなく、序章終了時の現時点での人物解説とちょっとした説明をさせていただきます。
 思いつく限り詳しくまとめられた…と思いますので、何かご質問がありましたら、遠慮なく言っちゃってください。

 


 オリジナルメンバーの紹介。

 

 

白城(しらき)修司(しゅうじ)

 

 

《基本情報》

・年齢:永遠の18歳

・身長:178cm

・体重:53kg

 

・人称:一人称は“僕”で、二人称は“君”。

 

・外見:

 顔は柔和な感じで、何だか優男みたい。良さで言うと中の上というところなので、それなりにモテた。優しい性格も相まって、周囲からは“優しいお兄さん”で通っていた。

 髪は高校男子の平均的な長さで黒髪。マッシュルームみたいに揃えてなんかない。優しいゆったり系の外見。

 男らしい顔つきではない方だが、中性的ではない面持ち。微笑んだ時の表情が一番似合う。

 これと言って突出した点はない普通の青年。

 

 高身長で細身なので、どうしても華奢なイメージがある。だが、一度戦闘となると、その身体からは想像もつかない身のこなしを見せるので、色んな意味で“予想外”と周りから言われている。

 身体は見かけによらず引き締まっており、服の上や見ただけでは到底分からないが、実際に触ってみるとその凄さが理解出来る。

 いつも、元着ていて魔改造された制服を着用している。男の厨二心を擽るようなかっこいい青の制服なので、その高校の事を知っていない人が街中でその姿を見ると、コスプレと勘違いされる。

 

・性格:

 基本的に誰にでも優しく、お人好しだった。しかし、能力のせいで色んな人格を取り込んでいる内に、元の純粋な優しさは形を潜め、時に非情で厳しい決断を下せるようになってしまった。

 それでも、違和感無く周囲に馴染めるように、努めて優しく振舞っていた。

 因みに、能力は彼が森に放り出された時から常時発動状態にあったので、お人好しな場面や、生前のような行動は一度も見られなかった。変に達観して大人びていたのはそのせい。

 

 元から心の“闇”が彼を蝕んでおり、どうしても周囲に心を許す事が出来なくなってしまった。

 それが、核爆弾の一件で終に覚醒してしまい、彼の猜疑心は更に加速するようになる。

 

 

《能力》

・『昇華する程度の能力』

 これは、彼が最初から持っていた能力。この世の万物の知識や性質、概念でさえも、数段階進化させて、自身の糧とする事が出来る。当初は自動的に目の前の全てを取り込んでいたが、制御が可能になった。

 主に、相手の精神をコピーして自分の中に一人の人格として吸収する事、相手の固有概念を能力として手に入れる事、実際に目で見る必要があるが、武術みたいな相手の物理的技術等も修得可能である。しかし、あくまで“知識”の吸収なので、相手の記憶などは昇華出来ない。

 

 相手の能力を昇華する条件だが、それは2つある。

 一つは、“相手の人格を取り込んでいる事”。

 二つは、“相手の能力について、大まかな知識がある事”。

 

 要するに修得&進化系チーターである。

 際限が無いので、これからのインフレが恐ろしい(作者の震え声)。

 

 因みに、相手の人格を昇華して取り込めば、上記の二つの条件やその他諸々を“予測”でクリアする事が出来るので、あまり関係ない。

 得た人格の性格や傾向、特徴からの予測なので、ほぼ間違える事は無い。

 

 他種族の人格を二人以上取り込むと、その種族の特性をその身体や思考に反映させる事が出来る。現在、修司は都市の住人と妖怪の性質を持っている。

 更に、この能力の特徴として、修司の脳が超人の如きスペックを持ってしまった。

 複数の物事を同時に考える事や、刹那の間に最善の手を打つ事が出来る瞬間的思考、普通では無理な座標指定や演算、膨大な量の情報を一瞬で処理して結論を出す処理能力等等……脳に関して、彼に限界は無い。

 完全な自己完結型主人公なので、大抵の事は一人でやれてしまう。

 

 見て覚える系、習得系能力の究極バージョンだが、対象物に関する情報を無条件で手に入れる事の出来る『鑑定』スキルみたいな使い方をする場面も多々ある。(今思えば、異世界モノの『鑑定』は結構なチートである)

 

 

・『どんな薬でも創造する程度の能力』

 八意永琳から昇華した能力で、回復に特化したタイプ。

 どんな薬でも、修司が想像出来るものなら何でも薬として創る事が出来る。だが、身体そのものを作り替えたり、毒になるようなものを創ったりは出来ないので、治す事や耐性を付ける専門の能力となる。

 能力を使用すると、修司の目の前の地面か、彼の手元に現れる。手の中に収まる程の小さい小瓶にコルクで栓がしてあり、中身の色はその都度色んな禍々しい色をしている。

 

 この能力を使用するには、対価として“価値のある物”を必要とする。望む薬が凄い効果のもの程、対価は大きくなる。対価が無い時は、自身の体力を相応な量消費する。

 具体的には、“修司にとって価値のある物”で、本人が価値の無い物と認識しているなら、その価値は一般的なものよりも下がる。

 

 例へば、ダイヤモンドを対価に薬を創ろうとしても、修司が「そんなもの要らない」と思っていたら、ダイヤモンドの価値は石ころよりも下がってしまう。反対に、何の変哲もないそこらのパンでも、修司が「これは僕のお気に入りのパンだ」と思っていたなら、そのパンは普通の食べ物よりも格段に価値が上がる。

 

 

・『地恵(ちけい)を得る程度の能力』

 これは、蘭の能力から昇華して手に入れた能力で、強化や製作の面で最強を誇る。

 地脈からエネルギーを搾取して、自身の中に霊力や妖力として得る事が出来る。これには際限が無く、足元の地脈が枯れるまでこの能力は続く。だが、そんな事になると、その辺り一帯は核が爆発したみたいに何も無くなり、ほぼ永遠に不毛の土地となるので修司はそんな事はしない。

 修司は、この能力のせいで大地と繋がった状態となっており、霊力や妖力はどこまでも蓄えられるようになる。正直言って泣きたくなるほどチートである。

 きっとその内制限が掛かると思うので、わけ分かんない状態にはならないと思う。

 

 もう一つこの能力には応用があり、それは、大地をある程度操作出来るというものである。

 大地の恵みを得る能力なので、自分の周囲にある、大地の結晶たる様々な鉱石を集めて自身の元に引き寄せる事も出来るし、地面そのものを操って即席の防壁なんかを出す事も出来る。地面を自在に操る事は出来ず、あくまで大地の恵みを得る能力なのである。

 つまり、地面を隆起させて壁なんかを出せるが、複雑に造形する事は出来ない。

 

 だが、地面は大雑把にしか操れないが、集めた鉱石は、“大地の恵み”に相当するので、自在に操れる。蘭が小太刀を作れたのも、その為。

 それと、この能力は地面から1cmでも離れたら効果範囲外なので、地面から鉱石を浮かせてファン〇ルみたいには出来ない。

 

 

《武器》

・『蘭から貰った小太刀』

 柄は炭塵を塗りたくったかのように漆黒。刃の部分は、薄らと淡く光っているように見える程眩い白銀色をしている。

 柄から刃までひと繋ぎの金属で構成されており、柄と刃の境目に本来ある筈の(つば)は無く、忍び刀みたいな作りになっている。

 特に装飾や刻印は無いので、悪く言えばノッペリとした、良く言えばシンプルで合理性のあるデザインとなっている。

 鞘は無く、彼女は腰に直接ぶっ差していた。ワイルド。

 

 蘭が作り出した、特殊な金属で出来ている特別な脇差。彼女の形見として、修司が受け継いだ業物。

 これには幾つかの効果があるらしいが、まだ修司はそれを調べていないので、ただの頑丈な刀という印象しかない。

 これからの彼のセカンドウェポンとなる武器であるが、他に武器が無い現状はこれをメインとして使っていく予定。

 

 

 

《使う技》

・【独軍】

 複数の人格達を操って、一つの身体の色々な部分を担当する技。司令塔として誰か一人が纏めあげる必要がある。現在の上限は十人。

 簡単に説明すると、痛覚を担当してもらって痛みを無視したり、一度に何人かで考えて並列思考を実現したりと、実にヤバい技。

 因みに、人格達は、その精神世界で気絶すると、起きるまで使用出来なくなる。なので、あまりの痛さで痛覚担当の一人が気絶したら、また別の人格がそこを担当しなければならない。

 

 

《備考》

・記憶喪失であるが、一部の基本的な情報は残っている。だが、それは全体の1割程。

・彼の身体に掛かっている効果は、『寿命の消滅』と『妖怪の身体能力と妖力』である。

・生前の父の職が特殊で、生前に武術などを会得していた。その記憶は残っているので、現在ではそれを使って闘っている。

・彼の中の心の闇は侵食を始め、今では『信頼』という感情が消え去っている。彼の中にいる人格達は、彼の身体を動かして、心をこれ以上壊れないようにするので精一杯なので、どうしようもない。

・彼がこれまで『昇華する程度の能力』で取り込んだ人格達の数は、約2000人くらい。その内、戦闘での強さや反射神経の速さなど、一芸に秀でている者は500人くらい。

・蘭が死んだ時に、彼女から貰った雫型の水晶のような3cmの結晶があるが、あれはまだ正確な情報を公開出来ない。

・修司の霊力だが、量は永琳を超えていて、ツクヨミに届きそうなくらい。しかし、蘭から得た能力で無限に増えていくため、最早関係無い。

 

 

 

 

地代(ちしろ)(らん)

 

 

《基本情報》

・年齢:恐らく数百歳

・身長:160いってないくらい?

・体重:不明

 

・人称:一人称は“私”、二人称は“君”。

 

・外見:

 標準的な背丈で、髪はセミロングの綺麗な黒髪。顔は高校生のような少女の印象を受ける可愛らしい感じで、かなりの美人であった。目は黄色で、暗闇に光る猫の目のよう。顔全体に鋭い印象は無く、元気に遊び回る子供のような明るさがある。

 服装は、何処から仕入れてきたのか分からない江戸風の着物。黒髪黄色目に合うのかは知らないが、黄緑を基調とした明るい色合いをしている。

 小太刀を腰の辺りの着物にぶっ差しているので、そこだけ強烈な違和感があるが、そこを見なければ凄く可愛い。

 

・性格:

 快活で、誰にでも話しかけれるような性格。学校にいたら、ゲスくない純粋な無知系アイドルとなっていただろう。間違い無くクラスの人気者である。

 だが、彼女には妖怪としての気質も備えており、敵には冷徹で、仲間の妖怪には一線を引くような油断無い一面を持っている。闘う時は殺す事を躊躇わず、知り合いが死ぬ時は特に何も考えずにそれを見届ける。決して助けるなんてリスクは犯さない。これは、修司も一応持っている気質。

 要するに、サバサバしていて、冷酷な一面もあれば、メリハリしっかり可愛い所もあるという事である。

 

 ただ、修司にだけはそれは例外で、思いっきり甘えたり遊んだりと、本当に人間の親友同士のような行動をよくとる。しかし、戦闘の時には妖怪の面が出てくるが…。

 修司は彼女の前に現れた初めての“張り合える存在”であったので、いきなりそこまで『信頼』していたのだ。はっきり言って一目惚れのゾッコンである。

 どれくらいかと言うと、彼になら裏切られたり殺されても構わないというくらいである。

 

 

《能力》

・『地を吸い取る程度の能力』

 修司の能力と大体同じ事が出来る。ただし、精度や威力等は修司の能力の方が上。

 元々妖怪の大将としての素質があったのか、絶対に壊れることのない頑強な小太刀を、ヒント無しで創り出す程の才能を持っていた。あれを創る為に修司はそれなりに苦労するだろう。様々な鉱石を複雑に混ぜ合わせて圧縮し、摩訶不思議な化学反応を引き起こしているのだから。

 

 

《備考》

・戦争の時に全軍を一方向から進軍させて真っ向勝負を挑んできたのは、押さえるのが難しかった部下の妖怪の血の気の多さと、本人の少し大雑把な性格が反映された為。また数では圧倒的に勝っていたから。

・彼女は意外にも戦闘意外での不意打ちは苦手で、釣りの時のキモ蛙の時にそれが判明している。

 

 

 

 

【ツクヨミ】

 

 

《基本情報》

・年齢:不明

・身長:165を越えているくらい

・体重:不明

 

・人称:一人称は“私”、二人称は“お前”。

 

・外見:

 長い黒髪に、相手を探るような眼光を宿した油断無い瞳。神と呼ばれるに相応しい荘厳な雰囲気を纏っており、彼女の発する神力には人間を屈服させる効果がある。

 

・性格:

 尊大で、傲慢な性格。人間を道具や使える材料としか考えておらず、常に下に見ている。なのでよく相手を上から目線で見つめる。使える人材かどうかを試すために、かなり意地悪い嫌がらせをしてくることもある。修司の場合はまだ討論で済んで良かった方。

 そして使える人材だと分かったら、そいつを出来る限り使おうと色々画策してくる。永琳にたまに嗜められる時があるが、権力ではこちらが上なので、効果は殆どない。

 ただ、話し合いのスキルはそれだけあってやはり高く、修司も最大限に注意を払って置かなければ、すぐに足元を掬われる。

 

 

《能力》

・『兆候を視る程度の能力』

 このまま物事が進んでいった時に、一体どうなるのかを知る事が出来る、一種の未来視の能力。

 だが、単純な未来視ではなく、その瞬間から予測出来る未来の、“一番可能性のある未来”を視れる能力なので、条件が変われば視える未来はガラリと変わる。

 

 

 

 

蔵木(くらき)雄也(ゆうや)

 

 

《基本情報》

・年齢:100歳と80年くらい

・身長:189cm

・体重:81kg

 

・人称:一人称は“俺”で、二人称は“お前”。

 

・外見:

 凄く快活な笑顔が特徴の、長身筋肉野郎。だが、マッチョで汗臭いなんてむさくるしい印象は無く、凄く話しやすく、誰とでも仲良くなれるような明るい性格。身分や境遇を全く意識せず、分け隔てなく接するその暖かさに、防衛軍の女性兵士は、何人か堕ちている。

 幅広で、デカい大剣を使う彼の闘い方は外見に見合った豪快なもので、寧ろ清々しい。

 

・性格:

 前述の通り、非常に付き合いやすく、底抜けの優しさと少々乱暴ながらも気遣いのある出来る大男。その性格に違わず、彼の懐は大海のように深く、大きい。何でも許容してしまうような器の大きさがあるが、倫理に反するような事は見過ごせない性格で、まるでヒーローのような青臭い主人公気質。

 

 

《武器》

 彼の武器は体格に似合う大剣。

 想像しやすい例を挙げるとするなら、モン〇ンの初期の鉄大剣を思い浮かべて欲しい。あんなようなものを軽々と振り回す程の筋肉があり、そして189という長身。正直言ってこれは大男で済むレベルなのか疑わしい。

 幅は広く、刀身は1m以上ある。いや、2mだったか?それは忘れたが、兎に角その巨体と比べても引けを取らない大きさである。

 

 

 

 

(かつ)史郎(しろう)

 

 

《基本情報》

・関係:

 防衛軍の第六番隊の部隊長を務めている、防衛軍にしては腐っていないいい人間。

 隊長として充分な才覚を持っており、他の部隊に比べて兵士達の士気が高く、練度もそれなりにある。

 その中で霊力の使えた蔵木雄也という隊員が力に溺れ始めていたので、永琳に頼んで何とかしてもらった。永琳とはちょっとした縁で知り合い程度の関係になっている。

 兵隊を纏めあげるリーダーらしく、その性格は武人を体現したかのような頑強さで有名。度が過ぎて、最近他の隊から非難の視線があるが、本人はまるで気にしていない。

 

 

 

 

【長谷川、井上、橘、八代、片桐、菅谷、野村】

 

 

《基本情報》

・関係:

 彼らは、修司の部隊の隊員達である。長谷川、井上、橘は女性隊員で、後半四人は男である。

 作中に名前が出てきたので一応記載したが、後に出てくるのは後数回ほどしか無く、そのどれもがモブっぽい感じなので、特に設定は無かったりする。

 だが、この中で橘だけは少し違い、修司に告白している。それを彼女は憶えているのかは知らないが、彼を振り向かせるために、日々努力している。

 

 

 

 

【現代の閻魔】

 

 

《基本情報》

・説明:

 現代で死んだ者の魂を裁いて、天国と地獄に送る役割を担っている閻魔大王。

 彼女は仕事熱心で、他のことは切り捨てる事が出来るくらいに仕事を優先するが、適度に息抜きはしているので、不満は無い。

 彼女の元に送られてきた修司の魂には、どす黒い何かが癒着しており、無理矢理転生させる処置をしても完全には取り除けず、幾つか重要な記憶や基本知識は残してしまった。

 しかも、その時に魂に過度の負担が掛かってしまい、修司の魂は既にボロボロの状態になってしまった。

 幸福の神は彼女が犯したその失態に舌打ちをしつつも、頑張って能力を使用し、彼を救おうと努力する。

 魂がズタボロなのは、彼女は知らない。

 

 

 

 

【幸福の神様】

 

 

《基本情報》

・説明:

 ちょっと軽い感じが目立つ神。だが、仕事の事や他人の幸せのことを考えると、一気にその本質を表に出し、真面目な表情になる。

 生きとし生けるもの全ての幸せを願う神であり、幸福を司る神。そのせいで他人にとことん甘い神だと一部では思われているが、実際そうではなく、時に残酷はことをする時もある。

 

 

《能力》

・『幸福にする程度の能力』

 対象を幸福にする“為の手段と力”を得る事が出来る能力。その力を行使する時の彼女には誰にも逆らえない。例え最高神や天罰神であったとしても。

 




 


 はい、今回は物語が進みませんでしたが、分かってもらえましたでしょうか。

 一応忠告しておきますと、これはあくまで『現時点』での状況説明なので、勿論、こから大きく変化します。主人公の出来ない事がどんどん出来るようになったり、現時点で著されていた設定が変化したりと(ご都合ではない)、とてもチーター化していきますので、「ふーん、そなんだ」程度に考えてもらえると助かります。



 次回から第一章開幕!!

 見捨てられた男は、無常に過ぎる時の濁流に呑まれながら、己が『黒』の心を冷たく大切に抱き、立ちはだかる障害を全て塵へと還す。
 自身の生存の為、戦力の増強を測りながら放浪を続ける彼。
 そんな時、彼の前にとある妖怪が現れる。
 その妖怪は、彼の触れてはならない領域へと、無意識に入り込んでいく……。



 …これからも頑張ります!
 


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一章.その想いは造花を手折るように
16話.プロローグ


 


 新章開幕!

 皆さん、今章はすわっと大戦の章ではありません!ごめんなさい。
 そこに突入する前に、オリ展開です。
 素直に原作を辿ればいいものを、トチ狂った作者は、本能の赴くまま書き出してしまいましたw

 ですが、一応当初の予定通りの展開なので、後悔はしていない!
(。+・`ω・´)シャキーン
 拙いながらも頑張って書き上げた章なので、どうか最後までお付き合い下さい。


 どうぞ。

 


 妖怪が出現するには幾つかの理由がある。

 

 自然から理解不能なパワーを吸い取って突発的に現れる場合。

 動物やその死骸、植物等の生き物がその素質を得て妖怪へと成る場合。

 物や人間が、特別な想いを抱いて堕ちる場合。

 

 これらは、永琳達研究チームが長年の研究の成果として都市内に発表したものであり、必ずしも正しいとは限らない。

 

 

 そしてこれは、何でも無い理由で生まれ、どうでもいい過去を持って出会った妖怪達の、なんてことは無い話である。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 鬱蒼とした木々が、その背を規則正しく揃えて地平線の限りまで広がっている。

 見渡す限りの森、森、森……。

 

 ここに一人、木の下でへたりこみ、ジッとしている妖怪が居た。

 

 名前は無い。というか、名前がある方が珍しいのだが、そんな事よりも彼は今、自身に定められた運命を激しく恨むことで精一杯だった。

 

『なんで……なんで…なんでなんでなんでなんでなんでなんで!!!』

 

 外見は七歳程の小さな少年。質素な衣に、歳相応の身長、何処からか延びている管と、その管に付いている禍々しい目(・)。

 そう、彼には、顔に付いている双眸の他に、もう一つ目があった。彼はこれを、『第三の目』と呼ぶ。

 その目ははっきりとこの世を見据え、己の内面を見透かすかのように薄ら怖い光を反射している。

 

『くそっ!なんで僕は────!!』

 

 寄り掛かっている木の幹を後ろ手に虚しく叩きながら、妖怪の少年は罵倒する。

 

『…はっ』

 

 突然、少年は動きを止め、忙しなく動く眼球で目の前の虚空を見つめた。ボロボロになった衣が衣擦れの音を幽かに起こす。

 

『怖い……怖い……』

 

 誰に言うでもなく周囲を憚らずに喚き散らしたかと思えば、今度は三角座りになって顔を埋め、ガタガタと震え始めた。鼻水や涙で顔をグシャグシャにして、今現在出来る限りで怯える。

 

 一見情緒不安定に見えるが、それは全くの見当違いだ。

 

 彼は、“ソレ”に対して噴火しそうな程憤りを感じているし、同時にもうこれ以上は止してくれと恐怖もしている。怯えながら怒るなんて芸達者な事は出来ないので、いちいち身体を支配する感情が変わるのだ。

 

 

 少年は、周囲に恐怖していた。

 

 

 周りの視線が怖い。

 周りの動物達が怖い。

 同じ妖怪が怖い。

 さっき口に入れようとしていた木の実でさえ怖い。

 

 少年は周囲が信じられなくなり、半ば恐慌に陥っている。いや、半ばではなく完全に、か。

 

 周囲は彼を見て侮蔑する。

 周囲は彼を見て遠ざかる。

 周囲は彼を見て下卑た視線を送る。

 周囲は彼に追い討ちをと毒を盛る。

 

 被害妄想だとか、それが軽度であるとか、そんなのは関係無い。

 彼にとっては、その全てが彼に対する裏切りで、軽蔑だった。

 

 

 

 

 少年は、(さと)り妖怪である。

 

 身体から延びている管に繋がれている第三の目を通して、相手の心を読む事が出来る妖怪で、上位ともなれば、相手の深い深層意識まで探れるようになる、厄介な妖怪である。

 ただ、厄介な特性を持つ妖怪ではあるが、同時に覚種族は一種の禁忌的な存在だった。

 

 問題は、心を読むという彼らの性質が、ほぼ無意識の上で行われている事であるということだ。

 彼らが理性でそれを抑えようとしても、未だ誰一人として成功した者はいない。周囲は、勝手に心を読まれて気分がいい筈も無く、その内彼らを差別し、避けるようになっていった。

 近くにいれば警戒を顕にし、目に入る場所に居れば貶む視線を送る。そんな待遇を受けていた彼らは、いつしか皆の前に姿を現さなくなり、誰にも見つからない場所を転々として細々と暮らすようになった。

 

 少年は、何故同じ妖怪である筈のみんなから嫌われるのか、全く理解出来なかった。

 まだ少年が数年しかこの世で生きていないせいもあるが、彼はこの世界に淡い希望を抱いていたのだ。

 

『みんなとお話しして、みんなと一緒に居たい』

 

 人間にとっては抱いて普通の願望であるが、妖怪にとってそれは叶うことの無い夢物語だった。

 だが、数年前に生まれた少年にそんな常識が分かる筈も無く、先程まで手痛い世界の洗礼を受けてきたところだ。

 殴られ、蹴られ、踏みつけられ、最後に大口を開けて食べようとしたその隙に逃げ出した彼は、身体中に痛々しい痣を遺して必死に逃走し、脚が動かなくなって這い着いた先がこの木の下だった。

 

『なんでみんな僕をいじめるの?なんで痛いことするの?僕、なにも悪いことしてないよ?…グスッ…』

 

 まだまだ外見通りの子供の精神をしている少年には、何故こうなったのかが全く分からない。いや、分かりたくない。世界が彼の想像した通り、綺麗で輝かしいものでなく、醜く卑しい薄汚れた吐き溜めみたいな所なんて…。

 

『なんで…怖いよ…』

 

 少年には、受け入れるだけの余裕が無かった。

 この数年間で起こった出来事は、少年にとって絶対の教訓となったし、少年を醜く変貌させた。

 

『僕はただ……みんなと…楽しく居たいだけなのに…』

 

 なんとちっぽけで小さな願いだろうか。これは、少年が悪いのだろうか。

 いや、誰にも善悪の区別はないだろう。彼らは妖怪だし、少年もそうだ。妖怪には妖怪のルールがあったり、常識が存在する。それが彼らを形作っているのだから、価値観の違いで摩擦が起きるのは致し方ない。

 ただ、妖怪の規則と少年個人の価値観が違っただけの、簡単なぶつかり合いだったのだ。

 

 だが、それだけで済まないのが、覚り妖怪という種族と宿命である。

 

『お母さん…』

 

 

 

 

 少年がこの世に生を受けた時、父親はいなかった。母親曰く、自分を庇って死んだという。

 母親は言った。父はどんな時でも、笑って生きていたと。

 

 暫く生活して、この世界で自分達が笑うという事が、どれだけ大変な事かということを学んだ。石を投げられ、罵倒され、暴力を振るわれ、激しく疎まれた。

 だから、こんな世界でも笑って過ごしていた父を、少年は尊敬した。自分もそうなりたいと、見たことの無い父を想像して、それに(なら)った。

 そうすれば、自分もいつか幸せになれると、そう信じて。

 

 

 

 

 だけども、それに対する世界のお返しは母親の死だった。

 

 

 

 

 住処が見つかって、少年を殺そうとした妖怪の攻撃を母が咄嗟に庇ったのだ。

 棍棒らしきもので頭を殴られた母は即死。母に駆け寄ることもなく、少年はその場から走り去った。

 

 自分達が苦しんで暮らしていればそれでいいのではないのか。まだそれでは足りないのか。一体何がいけないのか。世界は、僕達の何が気に入らないのか。

 幼い彼は考えが及ばなかった。

 

『……お腹…減ったな…』

 

 取り敢えず、誰もいない場所目指して我武者羅に走っていたら、案の定腹が減った。

 幸いここらには他の妖怪は居ないようで、虫の声一つすらしなかった。

 

『何か…食べなきゃ…』

 

 幹にもたれ掛かりながら、少年はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 半分少女(・・・・)の彼女は、木の上で虚ろな表情をしていた。

 

 両手と口周り、そして服には、明らかに致死量を軽く越える量の血液が付着していた。だが、それは彼女自身の血ではなく、彼女はその滑らかな肌に傷一つついてなかった。

 

 では、これは誰の血か。

 

 経緯はこうだ。

 先程まで家にいて、妖怪である彼女達が上手く生きていくために必要な事を色々と親から教えてもらっていたのだが、その講義もついさっき終わり、彼女の親は最期の最期の指示(・・・・・)を彼女に出した。

 

 

『『私達を食べなさい』』

 

 

 

 

 彼女は、蜘蛛の妖怪である。上半身は少女の身体をしており、骨盤や股の辺りから蜘蛛の胴体となっている。蜘蛛らしく、多脚であり、尻や両手、口から糸を出す事が出来る。上半身は母親の衣服を剥ぎ取って羽織り、枝の上に居られるように糸で補強した枝葉に幾つもの脚を乗せていた。

 

 少女は、さっきまで自分がいた木の下に目をやる。

 そこには吐き気を催すほどの血の池が出来上がっており、何かの残骸と思わしき肉塊が二つ、寄り添っているように並んで鎮座していた。

 

 蜘蛛の両親は考えた。彼らの住む周囲には、猪なんて居なく、小鳥すらも近寄らないような土地である。両親が住んでいた時に乱獲をし過ぎて、獲物がテリトリーに入って来なくなったのだ。

 それならば他の土地に移り住めばいいのではないかと思ったが、生憎彼らの戦闘力では、他の妖怪には太刀打ち出来なかった。

 

 そんな中、ギリギリで産んだ彼らの赤子。

 育てる環境も、与える餌も無いこの状況では、ただ悪戯(いたずら)にこの子を飢え殺してしまうだけだ。

 そして、蚊の鳴くような声で親として最初で最期の謝罪と願いを言った。

 

『おとーさん、おかーさん』

 

 そんな事は露知らず、母親の腕の中で可愛らしく両腕を上げる赤子。

 

 

 

 

 彼女は、ただ愛が欲しかった。

 

 親からでも、友達からでも、恋人からでも、誰でもいい。兎に角無償の愛が欲しかった。

 この世に産み落とされ、まだ何も知らない無垢な瞳で、目の前で自分を抱えてくれる二人から、ホワホワした“幸せ”を受け取りたかった。

 

 

 

 

 ────だが、受け取ったのは親の肉だった。

 

 

 

 

『ん────!?』

 

 両親と少女の種族は蜘蛛だが、人間のように子供を少数産んで手を掛けて育てるという稀有な種類だった。

 そして、妖怪を食べればその力を少し得られるという能力も持っていた。他の妖怪よりもその能力の効率が良く、実力の高い者程、食べた時に大きく成長する。

 両親は食べられる物が自分達しかいないので、自分達を食べさせて、一気に成長させようとした。

 

『もご……がっ!?』

 

 口の中に急に入って来た異物に身体が反応し、吐き出そうと嗚咽を漏らす。

 だが、両親はそれを無理矢理飲み込ませた。

 

『あ…がああああぁぁぁぁ!!!!』

バキベキボキ…!

 

 物が胃に来た瞬間、彼女の身体が全身軋み始めた。

 力の上がり幅によって、彼らはその姿を急成長させる効果がある。骨はグングン伸び、筋肉はドンドンその量を増やしていく。骨格が乳児のものから少女のそれへと変貌し、身長が早送りをしているかのように有り得ない速さで伸びていく。

 

『おおどぉぉざぁん!!おぎゃあぁぁぁざん!!』

 

 叫び声を上げている間にも、身体は進化している。

 

『あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!』

 

 口も変化していくので、最早声は意味を持っていなかった。

 

 

 

 

 どれだけ時間がかかっただろうか。痛みにひたすら耐える拷問のような時間は終わりを告げ、少女の奇声が消えた周囲は葉擦れの音さえも聴こえないほどに静かだった。

 成長して地面に落ちた少女は、自分を見下ろしている二人の同族(・・)を見ようと、作り代えられた瞼を開いた。

 

『………ぇ?』

 

 だが、そこにはいる筈の二人の姿は無かった。

 少女は戸惑った。

 だって、自分をこんなにした彼らに一言(では足りないかもしれないが)言ってやりたかったからだ。そして、何故こんな酷い仕打ちをしたのか詰問(きつもん)したかった。二人は、自分に対して無償の愛を持ってこれから果てしない寵愛(ちょうあい)を受けるのではなかったのか。

 

『……?…?』

 

 訳が分からない。

 彼女には二人の難しい事情なんて分からないし、意味不明な物体を無理矢理食わされ、赤子には耐えられないような激痛を受けた意味も知らない。右も左も分からない頃から理不尽な事情で苦痛を強いられることに、彼女は怒りよりもまず先に疑問が沸いた。

 あまりの急な展開に頭が着いていけない。

 まだ生を受けてから数分しか経っていないただの少女なのだ。下半身の蜘蛛の脚がまだ震えて、(ろく)に立つことすら出来ない小鹿の彼女は、上半身をダラりと仰向けにしたまま先程までの出来事を思い返す。

 

 だが、いくらその事について考えても、行き着く先は常に一つ。

 

 

 

 

『…どうして、愛してくれないの?』

 

 

 

 

 彼女の望む愛。

 彼女が抱いた理想の愛の形は、涙顔で謝りながら自分に激痛を与えてくる鬼畜ではなく、微笑みと共にその柔らかな両腕で自分を女神のように包んでくれる慈愛だった。

 親とは、そういうものではないのか。

 産まれてすぐに独り立ち出来るようになっている妖怪は、その元からある程度の倫理や常識を本能として脳内に刷り込まれている。

 しかし、彼女が抱いた幻想は、それから来るものではなく、“彼女自身”の心からのものだった。

 

『愛して…愛してよぉ…』

 

 身体は八歳程度の少女でも、精神的にはまだ無形の幼児だ。地面に倒れて空を見上げている彼女は、そう零した後、未だ空っぽのままの感情の(うつわ)を満たすべく、淡々と涙を流した。愛情が注がれる筈だったそこには、哀しみの涙がトクトクと溜まっていく。

 

ドサッ…

 

 突然、音がした。

 自分の事を考えていた彼女はこれに驚き、反射的に視線を下げる。

 

 

 

 

 そこには、手を繋ぎながら互いの胸を刺し貫いている彼らがいた。

 

 

 

 

『ぁ…?』

 

 もう、理解の範疇を超えていた。

 両親が、生きたまま食べさせるのは駄目だからと、最期にキスをした後に自殺をした、なんて事実は、この時の彼女には分かりもしなかった。

 許容を超えて起こった現実は、酷くスッキリとしていて、彼女の胸の中にストンと落ち込んだ。

 

 驚くほど単純に。

 それでいて複雑に。

 

 キャンバスに黒色を塗りたくる為に、直接黒の絵の具を使わずに、全ての色を混ぜ合わせて作った“黒”のような理解の方法。簡単な黒ではなく、様々な色が重なり合った“漆黒”。

 現実が、勝手に少女の脳内で簡略化され、純粋な心を歪に変形させた。

 

 愛してくれない。

 でも愛って何?

 分からない。

 

 

グゥ〜〜。

 

 

 辿り着いた結論に同調するかのように、少女のお腹は鳴った。

 

『お腹…空いた…』

 

 乳児から一気に小学生レベルまで成長したのだ。その代償として、今は沢山のエネルギーが要る。

 

『ご飯…』

 

 そう言って、彼女はハイライトの消えた目で崩れ倒れる“二つ”を見た。

 小鹿の方がましと言えるくらい震えている八本の脚で踏ん張り、上体を起こして取り敢えず立ち上がる。そしてヨロヨロと這い進み、目の前の骸に手を添えた。

 

 あぁ、“愛”って…こういうものなんだ…。

 

 だらしなく涎を垂らして、少女は口を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 中学生ほどの体躯を持つ少年は、現在血で濡れた拳を眼前に持ち上げて震えていた。

 そこに、背後から声が掛かる。

 

『一人で生きろ。私は別地で暮らす。近寄ればその時は敵とみなす』

 

 それに頷く間もなく、背後の女性は踵を返して何処かへと去って行った。

 

 大きな少年は、暫く自分の拳に何を思っていたのか見つめていた。だが、それにある程度の踏ん切りを着けると、改めて周囲に目を回した。

 地面や木の幹に飛び散る凄惨な血飛沫(ちしぶき)

 己の周りに横たわる数々の同族の死体。

 経過を見守っていた周囲の大人達は、興味を無くしたのか、一様に無関心になって集落へと戻って行った。

 

 少年はまだ十年しか生きていない。

 周囲に倒れている死体も、同じ位の歳である。

 

 紅い身体、筋肉で盛り上がっている四肢、そして、額に突き出た幼い(つの)

 彼の種族は、所謂“鬼”と呼ばれるものだった。

 そして、先程喋っていた女性は、鬼子母神(きしぼじん)という鬼である。正式な名前はあると聴いているのだが、その名前は分からず、皆鬼子母神様と呼んでいたから彼もそう呼んでいるだけだ。

 

 

 彼女の集落には、ある掟がある。

 

 

 それは、選ばれた半数の子供の鬼を闘わせ、生き残った一人を集落から追い出し、別の場所で新たに群れを作らせるというものである。

 これは、子孫の繁栄と食い扶持を減らす目的があって鬼子母神様が定めたこの集落の掟らしいが、彼のとってはそんなものクソくらえだった。実際、群れを追い出されて新たに群れを作れた噂は一つとして聴いたことがない。

 

『強い者が生き残り弱い者は蹂躙される』

 

 鬼子母神様が常日頃口にしている言葉だ。

 

 妖怪の世界は弱肉強食。強い者が弱い者を喰らい力を得るのは当然の事実であり、弱い者が例え自分の子供や仲間であったとしても、容赦はしない。

 だから、鬼子母神は追い出す条件として、子供の中で一番強い者を追い出そうと考えた。それが今回の惨状を招いた原因だ。

 

 誰も居なくなった森で、一人考える。

 

 さっきまで両親と幸せに暮らしていた。それから考えれば、これは急な展開である。そして、それに対して鬼子母神様に食ってかかってもいいのだが、それには問題があった。

 

『俺じゃぁ、勝てねぇ』

 

 鬼は、愚直なまでに実力社会だ。強かったら偉く、弱かったら雑魚。

 当然、鬼子母神様は一番強い。自分では到底太刀打ち出来ない。それは痛い程痛感している。

 だから、彼女の言葉に、自分は黙って頷くしかなかったのだ。

 それに、自分はもう群れの一員ではない。下手したら、言動一つで敵と見なされる可能性もあった。そうなれば、死は免れない。

 

『…………』

 

 拳を降ろし、立ち竦む彼は、曇天の限りを尽くす空に目を向ける。

 

 最後に見た母親と父親の姿。

 一体どんな顔をしているのだろうかという気持ちを込めて探し、その視線と交差した。

 

『………!』

 

 見た。

 見えてしまった。

 

 両親ならば、という思いはあった。だが、そんな思いは、不可能を望む幻想である事に気付いてしまった。

 

 ────両親は、俺を子供として見ていなかった。

 

 声は上がらなかった。目を見開き、心臓を激しく打ち鳴らされた感覚が脳内を突き抜ける。

 そうか、そうなのか。

 少し考えれば分かることだったのに、答えを恐れて考えなかった。

 彼らも周囲と一緒に帰って行く。それに声を掛ける事は無かった。

 

 酷く落ち着いた心境だ。

 それでいて、この空の未来を先取りしているかのように彼の心には滂沱(ぼうだ)の雨が降り注がれている。今はその雨さえ心地よく、現実と合わせて彼を挟み撃ちをした。

 

『…………………ぁ』

 

 ポツン…と。

 

 見上げる彼の頬に一滴の雨粒が落ちてきた。それは彼の頬を伝って落ち、顎を通って首筋まで垂れた。

 

『……………ぁぁぁ』

 

 間抜けに半開きになっている口からは、吐息と一緒に意味の無い声が垂れ流れた。

 数学では、マイナスとマイナスを掛け合せるとプラスになる。

 

 現実がそうであれば、どれだけ楽だっただろうか。

 

『……ぁぁぁぁぁぁ』

 

 心は、マイナスが二つあったところで、プラスにはならないのだ。

 

『ぁぁぁぁぁあああ』

 

 集落から見放され、人生の大半を共に遊んで過ごしてきた人生の友人である彼ら(死体)。それらを一挙に失った彼には、最早何も無かった。

 

『ああああああああ』

 

 空っぽだ。

 自分には今、何も無い。

 

『ああああああああ!!』

 

 次いで湧いて出てきた感情は、憎しみではなく、後悔だった。

 自分に力があったなら。誰にも負けない、強い強い力があったならば、こんな事にはならなかったのに。

 鬼子母神様を一瞬で倒せるくらいの強大な力があれば、この世界は実に平穏で緩やかに過ぎていくものとなった筈なのに。

 

 ────なのに、俺は強くなかった。

 

 ポツポツと、雨は降る量をドンドン増していく。

 

 その中彼は、トサッ…と、空を見上げたまま、地面に膝をついた。腕は脱力し、口は相変わらず半開き。今己の感情を色で示すなら、それはこの身体のような燃える紅ではなく、悲しみに暮れる深い蒼であっただろう。

 

『────────!!!!』

 

 声にならない慟哭が辺りに響く。それに伴い雨は勢いを増し、今ではここ最近見ない記録的な豪雨に進化していた。

 周りの血飛沫を、雨がいとも簡単に攫っていく。自分と友達とが交わした最期の証が、今、大地に吸い込まれて消えていく。

 

 この世界が純白でないことは既に知っていた。だから、憎しみではなく後悔が先に来た。

 

 もう、後悔したくない。

 少年は、周りにある友達だったものに目をやった。

 

 鬼とは、非常に正直で、卑怯を嫌う種族でもあった。

 

 ならば、俺はその“卑怯”ではなく、わざと“正攻法”でアイツらをねじ伏せよう。

 己の障害となる(ことごと)くを打ち倒し、己の力として食い込んでやろう。

 

 鋭く尖った犬歯を覗かせて、彼は笑みを浮かべた。

 

 倒した死体を全て食うのに、次の日の朝まで掛かった。

 

 

 

 

 少年は、ゆらりと立ち上がった。

 全てを喰らった彼は、少しではあるが、力が増えたのを感じた。

 

『まだ…まだだ…』

 

 まだ食い足りない。アイツらを倒すにはまだまだ食い足りない。

 少年は知っていた。修行して力を増やす方法もあるし、実力をつけるためには数多の道があるが、鬼という種族はこれが一番効率がいいのだと。

 鬼は、他の妖怪よりも格段に筋力がある。子供である彼でさえ、パンチ一つで木を殴り倒せるのだ。

 

『もっと…もっと食料を寄越せ……』

 

 まだ腹は減っている。つまり、まだ食える。

 

 視界を遮る程の雨が上がった後の朝日は、燃える紅色だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 フラフラと歩く少年は、ふと鼻に幽かな血の匂いを感じ、さっと茂みに隠れた。

 この間の雨で地上のあらゆるものが洗い流されたと言っても、濃い血の匂いは少しは残るものだ。

 

グゥ〜〜

 

 だが、空きっ腹にこの匂いは耐え難いものがある。

 誘惑に負け、見るだけだと自分に言い聞かせながら、縋りつくように自分の“第三の目”を両手で包んで匂いのした方へと歩き出した。

 

 

 

 

 茂みに再び隠れ、拓けた場所にいる一人の妖怪を注視する。

 匂いは彼女からしている。上半身は人間の少女のようだが、下半身は女郎蜘蛛のそれだった。

 覚束無(おぼつかな)い足取りでキョロキョロと辺りを見回し、何かを警戒している。

 気配を察知されないようにしながら去ろうと思った時、不意に彼女の視線が彼を捉えた。

 

 見つかった。そう思った彼は、バッと立ち上がると、急いで反転して走り去ろうと足に力を込めた。

 だが、その勢いはすぐに霧散した。

 

「────待って!!」

 

 待って?

 

「…え?」

 

 非常口のシルエットのような体勢で固まった彼は、顔だけを背後の彼女に向けて、そして思考も固まった。

 

「……行かないで…」

 

 初対面で、妖怪同士で、尚且覚り妖怪である僕に対して、何故そんな目を出来るのか。その双眸に宿っていた感情は、まるで家族が先に行っていまうかのような孤独感。決して取って食おうと思って声を掛けられたのではない。自分を必要として、それこそ縋るように僕を見てくる。

 

 途端に、彼女から、第三の目によって読んだ心が頭の中に入ってくる。

 

『……寂しいよ…』

 

 それを聞いた瞬間、彼の頭の中の逃げるという選択肢は無くなった。

 

 しかしゆっくりと、まだ疑問が捨て切れない彼は、周囲と彼女に気を付けながら、茂みから出て、彼女と同じ拓けた場所に立った。

 

「……目?」

 

 少女の顔が怪訝そうに彼の第三の目に注がれ、彼は来るであろう罵倒に備える。

 しかし彼女から読み取れた心の声は、

 

『なんか凄そう…』

 

 というものだった。

 彼はそれに衝撃を受けた。

 この世に、僕に対して嫌悪を抱かない妖怪がいるなんて。

 

「…これは、僕の目。第三の目って呼んでる」

「…凄いの?」

「さぁ?」

 

 あぁ、こんなに会話したのは初めてかもしれない。たったこれだけだが、彼にはまず他者と言葉を交わした事すらないのだから、当然である。

 彼女の八本の脚がキチキチ蠢く。

 

「…こうして誰かと話したの、初めて」

「え?」

 

 驚いた。彼女も僕と同じような境遇なのだろうか。第三の目で確認しても、本当の事らしかった。

 心の距離が縮まっていく程、彼の足は彼女に近付いて行った。

 

「…名前は?」

「名前?私に名前は…無い」

 

 彼女にも名前が無いらしい。

 

 その後も、彼と彼女は取り留めのない会話を幾度となく交わし合った。彼は一方的にだが、彼女に対して少し友情を感じていた。彼女は違うのかと第三の目で確認したところ、彼女は彼とは何かが確実に違っていた。

 

『…誰かが一緒に居るって、楽しい』

 

 彼女は、彼女の傍に誰かが居ればそれでいいらしい。

 兎も角、こんな経験は相互に初めてである。腹が空いたが、それよりも今はこの事の方が遥かに大事だった。

 

「お前さ、種族は何?」

「種族?私は、蜘蛛の妖怪」

「多分それ、女郎蜘蛛だと思うよ」

「女郎蜘蛛?」

「うん」

「ふぅん。じゃあ、あなたは?」

「えっ?…………覚り妖怪」

「それって凄いの?」

「…!!怖がらないの?」

「?なんで?」

「だって僕…覚り妖怪だよ…?」

「それは関係無い。今、私の隣でお喋りしている。それが重要」

「そ、そう…」

 

 色々と価値観がすれ違っているが、そんな事は、今の二人は全く気にしていなかった。

 

 

 

 

 二人が仲良く(?)会話をしていると、茂みから誰かが出てきた。

 

「っあ〜。最近美味そうなやつが何処にも居ねぇ」

 

「「っ────!!」」

 

 紅い身体、そして小さいながらも突き出た角。間違いない。あれは鬼だ。

 

 攻撃的な妖力を感知した二人は、その鬼に向き直って、戦闘態勢に入った。少年と少女には互いに敵対する気がないから心配しなくていいが、この鬼の少年は危険だ。

 二人はまだ実力の無い弱小妖怪である。二人揃ったところで、例え子供であろうと鬼に勝てる保証は無かった。

 

 逃げれそうもない。だから闘う姿勢を見せた。

 

 だが…

 

「…ん?お前達と闘う気はねぇよ。食っても不味そうだしな」

 

 その言葉に少女は靡かなかったが、少年はそれを確認するために、第三の目から自動的に入ってくる情報を見た。

 

『俺は、強い奴を食って強くなる』

 

 よかった。僕達を食べる気は本当に無いらしい。

 しかし、それだからって警戒を解くほど愚かではない。

 実力的にはそう変わらないが、何を以て自分達を弱いと言っているか。それが少年には分かった。

 

(この妖怪、闘いに慣れている…)

 

 まだ子供の妖怪の筈なのに、戦闘で微塵も動揺しないのだ。力の弱い三人のような妖怪は、一回の動物との戦闘にも死地に赴くかのような覚悟をしなければいけない程闘いに慣れていない。

 だが、目の前の子鬼は違った。

 彼は、恐らく数回、修羅場を潜ってきたのだろう。戦闘に関して、有り得ないほどの慣れが見えた。

 妖力や筋力などのスペックに差はないが熟練度では二人が圧倒的に負けていた。

 

「おい、食わないから教えろ」

「……」

「ここらに俺より強い奴はいるか?」

「…いない」

「本当か?」

「本当だ」

 

 僕達が動じないのを見て、僕の言葉を信じたのを、第三の目で知った。

 

「そうか…」

 

 鬼は暫し逡巡した後、僕達の横を通り抜けて何処かへ去ろうとした。

 何事も起こらなくて良かった。緊張状態は解かないが、それでも峠を乗り越えた事を知った彼は、安堵の息を気付かれないように吐いた。

 

 

「……ねぇ!!」

 

 

 だが、隣の蜘蛛少女が、誰ともなく声を掛けた。

 

「「…ん?」」

 

 立ち去ろうとした鬼と、見事に返答がハモった。名前が無いので、そう声を掛けるしか無かったのだろうが、それでも袖を引っ張るとか、やりようはあったろうに…。

 

「何だよ…?」

 

 鬼が彼女に視線を移して訝しむ。もう用はないのだから当然の反応か。

 

「こっちに沢山来る!!」

『凄い数!』

 

 それだけで、僕は何が起こったのか、第三の目を通して察しがついた。

 僕はこれでも、隠密には長けていた。だから、彼女に見つかった時にはとてもビックリしたものだった。

 恐らく、気配を察知するのが得意なのだろう。その彼女が、沢山の“それ”を感じ取った。それだけで、僕には全て理解出来た。

 

「どっちから!」

「後ろ!」

「何だ何だ!?お前ら何喚いてやがる!」

 

 鬼は分かっていないようだ。

 殺す気が無い事を祈って、少女と少年は背後に向けて構える。背中にいる鬼は無視だ。それだけ、今の状況はヤバい。

 

 

タタッタタッタタッ………

 

 

 その音が聴こえてきたところで、鬼にも状況が理解出来たのだろう、取り敢えず敵意の無い僕達の横に立って、同じように闘う姿勢を見せた。

 ここにいる三人共、この音から、絶対に逃げられない事は知っていた。だから、この拓けた場所で何とかしようと、逃げずに構えたのだ。

 

「こりゃ…流石に死ぬかもな…」

 

 隣で鬼がそう呟く。

 

 

 

 

 目の前にいる狼達は、数えてざっと十体はいる。

 全体的に囲むように展開してくる狼達を見ながら、鬼は言った。

 

「いいか、俺達は力を合わせなくちゃいけねぇ。それは分かってるよな?」

「うん」

「分かってる」

 

 鬼の言葉に、僕と彼女は同意する。

 

「不本意だが、これを全て殺ったら分け前をやるから、一旦共闘しろ」

 

 分け前の意味が少し分からなかったが、二人は是非も無しに頷いた。

 

「よし、俺が突っ込む。お前ら俺を補助しろ。何か出来んだろ?」

 

 幽かな期待が第三の目を通して入ってくる。自分の力で切り抜けられない程状況は切迫しているのだろう。この鬼でも勝てないと思うくらいだ。僕達の補助で何とかなるのだろうか。

 

「…やれるだけやってみる」

「私も」

「おし、ならお喋りはここまでだ」

 

 チラッと向けられた視線が元に戻る。僕と彼女は、戦闘は彼が引き受けてくれるというので、回避と補助に専念する事にした。

 

 狼達がジリジリとその距離を詰めてくる。

 だが、それを待ってやるほど、この鬼は気長ではなかった。

 

「っしゃあ!殺るとなったら殺ってやらぁ!俺にその情けない鼻っ面を向けやがったこと、あの世で後悔しやがれぇ!!」

 

 盛大に叫んだ鬼は、正面の狼に向かった突撃していった。

 それと同時に、狼達も一斉に襲い掛かってくる。

 

「僕達もやろう!!」

「うんっ!!」

 

 これが、僕達三人の、初めての共闘だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 三つの目を持つ少年は、この世に絶望し、そして求めた。

 父のように笑って暮らせる世界を。

 誰もが幸せに、平穏に過ごせる世界を。

 だから彼はこの世に『笑い合える世界』を望んだ。

 

 半分人間で半分蜘蛛な少女は、この世界に絶望し、そして求めた。

 己の理想となる愛の形を。

 自分の器を満たしてくれる、暖かい感情を。

 だから彼女はこの世に『愛のある世界』を望んだ。

 

 紅く屈強な鬼の少年は、この世界に絶望し、そして求めた。

 何も失わない為の力を。

 己の乾いたものを潤してくれる血肉を。

 だから彼はこの世に『失わない世界』を望んだ。

 

 

 三人が求めるのは幻想か、はたまた可能な未来なのか。

 無垢な心を醜く歪ませ、真っ黒に染め上げられた彼らは、世界に絶望したが、“破壊”ではなく“変身”を望んだ。

 それぞれの野望を果たす為、三人は手を組み、この世を変えてやると強く思う。

 これから、彼らの快進撃が続くのだが、それは書く必要のないものだ。

 

 

 幻を謳え。

 真実を呪え。

 現実に辟易しろ。

 それは必ずや“力”となるだろう。

 

 

 ────真理に届くまで。




 

 オリキャラを投入っ!!

 最近執筆活動が伸び悩んできました。書き溜めはあるので投稿には問題ありませんが、早くスランプから脱しないとやばいですね(主に作者の精神衛生上)。
 趣味の一つとして生きがいになっているので、執筆出来ないと作者はミイラの如き脱力状態に陥ります。

 何とかチマチマと書けてはいるのですが、違和感満載で上手くまとめられずに、一気に数千字がデリートという事件もしばしば。一週間に一話が書き上がらない危機に瀕しています。

 いつか脱け出せると信じてとりあえず他の小説家さんの小説を漁っております。


 まあ、そんな事は置いといて、次回をお楽しみに!

 


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17話.当面の方針と孤独な研鑽

 

 今回は色々な現状説明なんかですね。タイトル通り今後の方針を決めていく感じですので、がっつり話は進みません。

 ではどうぞー。

 


 圧勝して惨敗した人間と妖怪の大戦から数週間後。

 修司は蘭の墓を中心に半径5メートル程の球状の結界を張って、自分と墓に対して敵意のある存在を弾くようにした。この結界は、その時に自分の持っていた霊力の大半を消費したくらい強力なものなので、壊される事はまずないし、自然消滅することも無い。

 

 さて、更地となったこの地域から歩いて脱出した修司は、取り敢えずこれからの目標を決める事にした。目的のない生活ほど無駄なものはない。

 十中八九現在この星にいる人間は彼のみなので、他の同族を探すというのは不可能。家を作って安定した生活をしようにも、妖怪がそこら中に跋扈しているので、定住生活の見込みは皆無。そもそもこれからサバイバルで一生を生き抜いていくなんて、しっかりした“武器”がなければ有り得ない話だ。

 

 というわけで、これからの暫定の目標は、実力を高め、新たに色々なものも“開発”しながら、武器の調達をする事にした。

 蘭から貰ったこの小太刀は、かなり頑丈で、刃こぼれもしない。全体が能力で創り出したひとつなぎの合金で出来ているので、かなり重量もある。と言っても、修司はそれを軽々と扱えるだけの筋力があるのだが。

 

 炭塵(たんじん)を塗りたくったかのように真っ黒な柄。それは金属特有の光沢を一切示しておらず、また軽く研磨してもそれは同じだった。

 刃と柄の境目に(つば)は無く、とある盗っ人三人衆が活躍する映画に登場する斬○剣のように、柄にも刃にも、無駄な装飾は全く施されていなかった。

 刃となっている部分は淡く輝いて見える程に綺麗な白銀色をしており、何を斬っても絶対に刃こぼれはせず、また血糊を浴びても、まるで撥水作用があるかのようにすぐに落ちるという物凄い業物だった。

 

 修司は能力を使用し、この小太刀について、細部まで調べた。

 それによると、これはどうやら、“金属であって金属でない”物質で作られているらしい。

 

 金属の特徴である性質がこれには全く含まれておらず、電気は通さない、磨いても光沢が出ない(柄の部分)、叩いても延びない等等、金属としてのセオリーを(ことごと)く打ち破っていた。

 ではこれは何なのか。それは、彼の能力を持ってしても遂に分からなかった。ただ、色々な物質を複雑に組み合わせているのは分かったので、ギリギリ作成可能だ。

 この刀の性質としては、絶対的な強度、外部からの影響や干渉を全て拒絶する事、そして、認めた使用者に“寄り添う”事…らしい。

 能力で得た情報なので実際にどんな感じになるのかは不明なのだが、これがただの武器ではない事がはっきりと分かった。

 

 これをよくヒント無しで作り上げたものだ。蘭の才能には舌を巻くな。

 兎に角、このまま抜き身で刀を持っているのはよろしくない。修司は適当に金属を地中から持ってきて、刀のサイズに合うように鞘を見繕い、小太刀を仕舞った。これはまだ取り敢えずの鞘だ。これに与える本当の鞘はもっと上質な物で作る。

 

 修司は基本、接近戦で闘うが、小太刀のみでこれから先を切り抜けられるとはさらさら思っちゃいない。なので、目標は、小太刀に合う最高の鞘と、小太刀と同じ物質で作り上げた自分の武器を(あつら)える事だ。

 

 

 

 

 新品の状態を常に保っている特殊な青い元制服は、制服とは思えない程に機動性に優れており、戦闘やその他のアクロバットを楽々こなせる。

 そんな制服の裾をたなびかせ、修司は目的を達する為に、森の中を颯爽と駆けていた。

 

「ガウガウ!!」

 

 後ろには、それを追いかけるように──いや、実際追いかけている──狼の妖怪が数体、修司の肉を引き裂かんと鋭い牙が並んだ口を開けて彼を追っていた。

 修司は奴らの数を把握し、適した地形を探して木々の間を縫って敵の襲撃から逃げていた。

 

 修司は視界の端に大きな岩が乱立している場所を見つけ、そこに飛び込んだ。後ろの狼達もそれを追って岩場に躍り出る。

 先頭の狼が彼の間合いに入った瞬間、彼は岩を利用して方向転換し、向かってくる狼の顎の下から小太刀を突き上げ、脳天まで串刺しにした。

 噴き出す血を気にする間もなく小太刀を抜いて絶命を確認しようと思った修司だったが、小太刀を抜いてから間髪入れずに次の狼が彼に襲いかかってきた。

 脳を一撃で貫いたので絶命しているだろうと予測した修司は、背後から迫る脅威に対して振り向きざまに回し蹴りを放ち、近くの岩に叩きつけた。

 

「キャウン!」

「はっ」

 

 その隙を逃さず、そいつに飛び掛って小太刀を首に振り下ろし、首の骨の隙間に刃を通して神経を切断した。こいつらの構造は能力で先に得ていたので、急所や襲撃方法まで、何もかもを知っている。

 

 残りの狼は後五体。小太刀を抜いて立ち上がった修司の周りには、彼を取り囲むようにその五体が逃げ道を塞いでいた。皆彼を睨んで唸り、姿勢を低くしていつでも飛び掛かれるように備えている。

 だが、修司は“妖力”を少し開放して彼らを射殺すように睨みつけた。

 

「グルルルル…」

「僕は君達より格上だ。命が惜しくば立ち去れ」

 

 仲間を無傷で二匹屠り、囲まれているというのに余裕をもって自分達よりも圧倒的に多い妖力を顔色一つ変えずに放出している。動物というのは基本的に生存本能が何よりも先に来る。自分達が束になって挑んでも、勝てる望みは万に一つとして無い。それに、こいつを倒したところで、その努力に見合う量の食料は手に入らない。

 

 故に…

 

「バウワウッ!!!」

 

 群れのリーダーのような狼が一声掛けて森の中へと消えていくと、それに従って他の四匹はしっぽを巻いて逃げていった。

 

 彼らが完全に居なくなったのを確認すると、修司は戦闘態勢を解除して、小太刀を払って血を飛ばした。仮の鞘にそれを仕舞い、体を捻って外傷が無いかを調べ、早々にここを立ち去ることにした。

 狼の血のせいで、他の妖怪が寄ってくる。蘭が引き連れて来た妖怪はこの辺りの戦力を結集したもののようで、現在付近には、修司の妖力で脅せるくらいの低級妖怪しかいない。なので彼ならば楽勝に相手出来るのだがこれが如何せん数が多いのだ。

 流石は食物連鎖の下位。下手すればそこらの動物よりも多いのではないだろうか。

 

(兎に角、目的地に向かおう)

 

 武器と鞘を作る上で欠かせないのは、多種に及ぶ鉱石などの材料だ。

 それらは一体何処で手に入るのか。答えは単純。

 

 

 ────天然鉱石が噴き出す山、即ち火山だ。

 

 

 修司の能力の範囲は“まだ”地殻やマントルには届いていない。蘭よりも深度が浅いのだ。

 どうやら蘭が住んでいたあの死火山には豊富に鉱石が含まれていたようで、それはこの小太刀を調べた時に分かった。兎に角種類と量が尋常ではないのだ。どうやってこの小太刀の体積に収まっているのか不思議なくらいに、重さと密度が内容物に一致しない。

 

「よーし、目標目の前。今日中には頂上に着けるだろうな」

 

 知性が無い妖怪しか居ないので、話し相手も居ない。言葉を話しておかないとその内に喋れなくなりそうだった。

 

「あれ、結構活発な火山だけど、大丈夫かな…」

 

 彼の前方に聳える火山は、その熱気を皮膚が焦げる程に放出しており、岩肌を露出して、その荘厳さを助長している。木々は周囲を囲むように麓でぷっつりと途絶え、火山はこの広大な森の中でその存在を誇っていた。

 時折聴こえる地響きが、この火山がまだ“生きている”事を指している。それに、何だか頂上が明るい気がするのだ。恐らく突発的に小さい噴火が頻繁に起こっており、溶岩が固まらないのだろう。つまり、蓋はされていない…と。

 

「モシャモシャ…。それにしても、登山がこんなに楽になるなんてな」

 

 途中で拾った木の実を口に放り込みながら、登山では有り得ない速度で山肌を駆け上がる。

 

 修司は、蘭という妖怪を昇華した事により、妖怪という要素を手に入れた。

 彼は他にも、普通の人間ではない、“穢れ(寿命)の無い人間”という要素も手に入れている。

 彼の体内には霊力の他に妖力があり、それが彼に妖怪としての自覚を持たせていた。

 どうやら、元の修司自身の種族である、“寿命のある人間”でない、所謂“他種族”という存在を最低二人取り込むと、その種族の要素を得てしまうようだ。

 永琳や都市の皆の影響で寿命を無くし、蘭を取り込んだ事で妖怪の力を手に入れた。

 

 しかし、ここで疑問が生まれるだろう。何故、蘭“しか”昇華していないと言うのに、妖怪の性質を持っているのか。そして、何故二人以上だと分かったのか。

 答えは、修司がここに来てから程なくして出会った“熊”の妖怪だ。

 彼が熊と闘っている時、彼は無意識に相手を昇華し、手の内を見て学んでいた。だから普通の人間だった修司でも対処出来たし、不思議な程に攻撃を躱せた。

 熊と蘭。熊だけの時にはまだ妖怪の要素は無かったので、必然的に二人の他種族の人格が入った事が条件だったのだと理解出来る。

 

 実際に、彼の中に妖怪の要素が入った事による恩恵は幾つかある。

 

 まず、妖力が扱えるようになった。これは彼女を昇華した時にすぐ分かり、一番最初に開発に取り組んだ要素だ。

 蘭の能力によって、大地に足を付けている時だけ、地面の地脈からエネルギーを自動で吸収するようになった。これによって妖力と霊力が自動的に補給されるようになったのだが、恐ろしい事に、能力によって吸い取った力は、体に無限に貯められるのだ。

 生物等に備わっている妖力等の力には、個々の“器”があるのだが、この能力を保有していると、大地の一部となって、器の際限が無くなるようだ。蘭が生きているだけで強くなっていったのは、こういう理由があったということか。

 無論、使えば減るし、無くなれば暫くは使用出来なくなる。だが、自動的に補給される力は、自然回復の速度を遥かに凌駕しており、使い切ってもそんなに困らなかった。

 こうして登山をしている間にも、彼の足から地脈の力はどんどん搾取されていっている。

 

 次に、妖怪の代名詞とも言える、圧倒的な筋力。

 蘭や他の妖怪も、殴って普通に木をへし折ってしまうほどの腕力や、地を蹴ってジャンプすれば簡単に木々の天辺まで到達出来る脚力、更には、大岩が上から降ってきても大事には至らないくらい頑強な身体(いや、これは過剰表現だ)。

 つまるところ、単純なフィジカルの強化である。それが馬鹿にならない程のものであるだけだ。

 彼の身体は今まで以上に強く、硬く、常軌を逸したものになっていた。蘭がやっていたような人外芸も、今なら楽々出来る。

 これは嬉しい恩恵だ。これで体の方の問題はほぼ解決したと言っていいだろう。

 

 そして最後に、殺生に心をブラさない冷めた本能。

 これは恩恵なのかどうか怪しいところもあるが、一応、現状では助けになっている事もあるにはあるので、恩恵の一つに数えておこう。

 元は自然から産まれ、自然の中で生きる死ぬの生活を送っていた存在だ。根底には命の儚さや、未練を残さずスパッと切り捨てる覚悟があり、見捨てる者は見捨て、自然の摂理に従って行動している。

 これのお蔭で、生命を殺す事に少し躊躇いが無くなった。彼自身、とても優しい性格なので、完全に大丈夫になるのではなく、あくまで“少し”だけだった。

 

「流石に活火山となると、妖怪も居ないね」

 

 いくら強靭な妖怪と言えど、不毛の土地に好き好んで住む輩は居ないようで、ゴツゴツした岩と時折噴出する蒸気以外に、山には何も無かった。

 火山がある辺りの鉱石を効率良く手に入れる為に登山をしているのだが、体は普通の人間である修司にとって、目を開けていられない程の熱量を浴びるのはとてもきつい。あまり時間を掛けてはいられないな。

 

 修司は妖力を身体に纏うことで、暑さを軽減し、火山での活動を可能としていた。実は、霊力や妖力を半結界のようにして周囲を遮断するのはかなりの高等技術なのだが、そんな事には気付かない修司であった。

 ここで霊力を使わないのは、単に妖力の操作の訓練と、他の妖怪に無闇に襲われないようにするためだ。

 たとえ莫大な量の霊力を保有していたとしても、対象が人間である以上、妖怪の性としては、襲わずにはいられないのだろう。これは、サバイバルを始めて数日で気付いた事実だ。

 低級妖怪は知性が乏しい。修司が身体から妖力を出しているだけで、相手を妖怪と勘違いし、更に、己を上回る妖力に怯え、修司を襲っては来ない。たまに、酷く腹を空かせた動物紛いの妖怪が掛かって来るだけで、本能に従順な彼らは修司の前に滅多に姿を現さなくなった。

 

 余程の事が無い限り、霊力は今後使わない方向で行こう。

 修司はそこに自分に対する枷として、強敵に出くわした時や、数が多い時のみに妖力と霊力を使うことにした。

 

 修司の意識としては、霊力や妖力等の、自分の生命エネルギーを使用する事はあまりしたくない。自分の生身の実力で勝ってこそ、本当に勝てたと言えるだろう。

 

 これは、修司なりの命の遣り取りに対する曲げたくない理念である。

 

 なので、非常事態が起きた時以外は、極力力を使わない事にした。

 

「でも、使わないと、際限無く増えていくのはある意味恐怖だな…」

 

 一人呟きながら、彼はゴツゴツした岩肌を、降って行くマウンテンバイクとほぼ同じ速度で駆け上がっていく。

 霊力を消費しなくなってからは、かなりの速度でその量が増えている。妖力も同様で、定期的に増える力をコントロールする練習をしなければ、容易に暴走してしまうだろう。何という規格外な能力だと思ったら、かなりの危険を孕んでいた。ノーリスクハイリターンの実現は難しいものである。

 

 普通ならば有り得ない登山を終えた修司は、数時間かけて登ったその報酬を眺めるべく、頂上に着いて背後の眼下に広がる広大な森林に振り返った。

 

「…おぉ〜」

 

 背中から焦がすように熱気が撫でていくというのに、彼の感嘆の声はその事を全く感じさせなかった。

 今まで同じ高度に立って各地を奔走していたから、実際にこんな超自然な光景を観たのは初めてだった。

 

「下半分は緑の森、上半分は澄み切った青空。こんな風景を目に出来るなんて、想像もしなかった…」

 

 さて…と。

 

 変な感想をつらつらと並べ立てて時間を潰すのは阿呆の所業である。さっさと取るもの取って離脱しなければ。

 能力のお蔭で妖力が増えているとは言え、それでもまだ高密度の妖力を纏っていられる時間はそう長くない。大事をとって過剰に妖力を放出し過ぎたせいか、妖力の残高が目に見えて目減りしている。

 

「早く終わらせようか…」

 

 クルッと踵を返した修司は、目の前でゴポゴポ言ってる赤色の湖に目を向けた。

 灼熱の溶岩が絶えず火口から溢れ出し、修司が立っている場所も少し危なくなってきている。今出来るだけ濃く妖力で膜を張っているのだが、それでもかなり暑い。本来、近くにそのまま居たら皮膚が発火して人間なんか燃えてしまうので、暑いで済ませられているだけでも僥倖(ぎょうこう)だろう。

 

「お目当てのモノは……………あった」

 

 すぐ足元の地面に手を当て、少し目を瞑って地中にサーチをかける。すると、やはりこの山にはそれなりに鉱石が溜まっているようで、溶岩に溶けているものも合わせて、予想以上の量と種類が埋蔵されているようだ。

 

「よし……っ───!」

 

 地面に着けている手に集中し、無言の気合いと共に蘭の能力を使用する。

 イメージは、マークした鉱石や液体状のそれらを自分の元にモグラのように引き寄せ、それぞれが変な作用を起こさないように上手く分ける。

 余分な岩や鉱石に張り付いている不純物を取り除き、純物質にして手早くまとめていく。

 中には金属じゃないような物もあるが、それもまとめて“大地の恵み”なので、関係無く集めれる。

 放射線物質を放つやつもあったが、修司は放射線を克服しているので、元より大丈夫だ。

 

「もっと……もっと…安定して…」

 

 地表に出してしまうと能力で操る事が出来なくなってしまうので、作業は全て土の中で行う。

 この能力の不便なところだ。地面に接しているか、中にあるものじゃないと操れない。

 まだ能力自体に慣れていないので、制御が甘い。額には脂汗が滲み、もう片方の腕でそれを乱雑に拭う。

 

 修司は、集めた鉱石を持ち運ぶのではなく、常に自分の足元の地面に埋めておくように調整しているのだ。

 修司が地面の上を移動すると、それに合わせて地中の鉱石の塊はアヒルの子供のように付いてくる。そんな風に鉱石を固めたくて、彼は今頑張っている。

 そして、純粋な物質のままで保存しておくために、集めた鉱石を粘土のように捏ねて、それぞれの物質を入れておく部屋を作っている。それをキューブ状にして足元で保存。さながら、地中の冷蔵庫みたいなものだ。自動で付いてくるとかハイテク過ぎて笑えるが。

 

「むむ………難しい…」

 

 流石の修司も、一気に数十の物質を触れさせずに密集させるのは骨が折れるようで、作業を始めてから三十分が経過している。その間も溶岩は彼の隣で粘性の液体音を響かせながら、彼の体表をジリジリと焦がしていく。

 

 仕切りに使うのは鉄がいいか、そしてこれは単体でも危ないから一番底の部分に置いて……等等、難しいと言いながらも、少しづつ完成に近づいている。

 

 

 

 

 結局、その試みが達成されたのは、始めてから二時間が経った後だった。妖力で維持するのが難しくなってから、近くに妖怪が居ないことを確認して霊力を纏ったり、一旦火口の淵での作業を止めて熱風が来ない山肌で再開したりと、色々トラブルはあったが、何とか成功した。彼自身、最悪出来なくても適当に持っていけば何とかなるんじゃないかと思い始めてはいたが、一度始めた事を諦めるのも癪に障るので、意地でも成功させてやると息巻いた事が功を奏したのだ。

 

「ふぅ………これはキツいな…」

 

 当然ながら、精神は人間である修司にとって大地をグネグネと操る感覚何て理解出来る筈もない。だが、蘭の人格の情報と、能力から得た情報を駆使し、理解するに至ったのだ。

 

 修司は出来栄えを確かめるために、その場で一回地表に出してみる事にした。

 

「えいっ」ボコッ…

 

 現れた煌めく金属光沢を誇る5センチ(・・・・)ほどの立方体キューブの塊に、修司は目論見が上手く行ったことによる笑みを隠しきれず、鉱石愛好家のような気持ちの悪い口になってしまった。

 

 一個の火山から取れる鉱石なんて、そんなものだ。

 最初から期待はしていなかったが、まだ火山によって地中深くから鉱石が浮き上がっていないのが主な原因だと彼は思っている。

 

「後はさっさと降りるだけだね」

 

 

 

 

 地面に戻してから、修司はスクっと立ち上がった。汗ばんでとても不快になるので制服を脱ぎたいが、生憎服はこの一着しかないし、この制服は魔改造済みだ。汗を吸収したそばから、自身の元の形へと戻るために蒸発させてしまう。まるで服自体が生きているかのように自分で反応するのだ。日々を必死に生きているこの原始人生活と比較すると、やはり都市の生活はかけ離れ過ぎている。それも、彼の無くした記憶の時の生活よりも。

 

 今、修司は今後の生活サイクルの事について考えていた。その時にちょっと枝先に制服が引っ掛かって傷が付いたが、彼がそれを確認しようと身をよじった時にはすでにそんなものは無かった。

 

「あいつらには恨みしかないけど、この服と知識だけは感謝しなくちゃな」

 

 付着した土埃を左手で払い、頭を掻く。

 威嚇のために薄らとある程度回復した妖力を纏いながら、今日の晩に安全に過ごせる場所を求めて彷徨う。

 さっき枯渇しかけた妖力だというのに、もう使えるくらいに復活している。あまり消費はしたくないな、主に今後火山を攻略するにあたって。

 

 

 

 

「────やっぱり、定住した方がいいのかな…」

 

 豚鼻の巨漢妖怪と対峙しながら、彼はそう零した。

 

「お前、妖怪にしては弱っちいな!こんなんじゃ俺様の腹の足しにもならないブッ!」

 

(その語尾、わざとじゃないよね…?)

 

 妖力を纏っていると言っても、彼の言う纏うとは、一般的に垂れ流しているくらいに微弱なものである。低級妖怪が普段流しているような量を淀みなく流しているので、自身を低級と間違われても仕方ない。

 普段の修司は、妖力も霊力も完全に抑えているので、何も感じられない不思議な奴なのだ。そこで、自然な存在に見えるように、異常に思われないくらいの量をそれとなく滞留させている。

 

 だが…

 

「大人しく俺様に食われるブッ!弱小野郎!」

「えぇ〜?」

 

 そう、今の彼は、そこらの低級妖怪並の妖力しかないように見えてしまうようなのだ。だが、今はそんな事はどうでもいい。取り敢えず、目の前のコイツに集中しようか。

 見たところ、力量は中級妖怪。妖力は若干その域に達していないが、筋骨隆々なその体躯を見るに、力はありそうだ。

 

 そして、何よりも豚鼻。ここ重要。

 

「ブッブッブッ!俺様に恐れをなして動けないのかブッ?」

「いや…あの…」

 

 そして語尾。何だ「ブッ」って。

 

 はっきり言って弱い。蘭が強い妖怪を全て持って行ってしまったからこんな妖怪が我が物顔で闊歩しているのだろうが、これはなかなか…。

 でも、会話出来るだけの知能があるだけまだ高等生物なのかもしれない。そんな言語能力も、相手の力量を見誤るようでは形無しであろうが。

 

「じゃあさっさと死ぬブッ!」

 

 そんなつまんない事を考えている内に、あちらではもう話が進んでいたようで、豚鼻が間合いに入って棍棒を振り上げた瞬間に、修司の意識は現実に引き戻された。

 

(こんな奴に使うまでもないな)

 

 【独軍】も『点』も軽い受け流しも必要無い。

 

 

ズンッ!!!

 

 

「ブ…ブヒ?」

「蘭が皆を連れて行ったのをいい事に好き勝手してるね、君」

 

 折角話せる相手に出会ったのに、こんな奴と会話なんて嫌だ。

 振り下ろされた棍棒を右腕で頭を覆うようにして防いだ修司は、左手の人差し指をクイッと上に上げた。

 

「ブヒイイイイイイ!?」

 

 豚鼻が気持ち悪い叫び声を上げた理由。それは、下から直径1cm程度の鉄の針が地面から飛び出て来て、豚鼻の棍棒で攻撃した右腕の上腕を刺し貫いていたからだ。勿論、地面に針の付け根は埋まっている。

 

「付け焼き刃の攻撃法だけど、案外強度あるんだな」

「ブヒョアアアアアア!!」

 

 最早豚としてのアイデンティティを放棄した豚鼻。棍棒を取り落とし、右腕を気にすることなく左脚で思いっきり鉄杭を蹴り折った。半ばで折れた鉄杭を引き抜くと、豚鼻はそれを逆手に持って修司に突き刺してきた。

 それをバックステップで躱しながら、検証結果について考える。

 

(腕は関係無いってことか…頭にキてるな)

 

 鉄というのは存外地面に埋まっているものだ。だからそれを使って攻撃出来ないかと考えて試してみたのだが、やはり焼いてない鉄は柔らかい。

 金属は焼きの工程を入れることで練度を増し、その強度を遥かに高める事が出来る。刀がそれを利用したいい例だ。

 だが、今修司が使った鉄杭は、地中にあったものを不純物無く針状に固めて打ち出しただけだ。奇襲性はあるし、並の妖怪程度なら楽々貫通するほどの硬度を誇っている。

 しかし、特定方向への硬さしか持っておらず、ベクトルの違う方向から弱い部分を叩かれたらあっさりと折れる。

 

 つまり、適切な箇所に上手く当てなければ、効力を存分に発揮出来ないということだ。【独軍】を使えばそれは容易いだろう。戦闘中に、相手の防御の薄い局部を最高のタイミングで突くのは、一人だけの思考では限界がある。

 だが、豚鼻程度の相手なら楽勝だ。

 

「ブヒョオオオオオオ!!」

 

 最初にブを付けてればなんでもいいのか?

 豚鼻は躱されたのを視認すると、もう一度左腕を振りかぶって、鉄杭をダーツのように投げつけてきた。

 鉄が勿体ない修司は、それを楽々眼前で掴み取ると、地面に投げ捨てた。そこで能力を使用して、地中に回収するのを忘れない。

 鉄単体で持っておくのはめんどくさいので、現在足元で材料を保管している鉄キューブの足しにしておこう。

 

 豚鼻は驚いている。弱小妖怪だと思っていた奴が、いいようにあしらわれているのだ。

 

「なんて技名にしようかな」

 

 そんな事を言われた瞬間、豚鼻の怒りの沸点はまた最高潮に達した。

 

「ブヒュアアアアアア!!」

 

 …もう、何も言うまい。

 

「えっと……鉄杭」

 

 取り敢えずそう言って、先程の攻撃を忘れて突進してくる豚鼻の四肢に一本ずつ、直径5cmの針のような鉄杭をぶっ刺した。背後に紅い華が迸り、鉄杭を伝ってドクドクと鮮血が流れ出た。

 

「ギュオアアアアアア!!!」

 

 “ブ”すらも言わなくなった。

 怒ると獣に戻るのか、さっきから一言も言語らしき言葉を喋っていない。

 傷つける事に違和感を感じなくなったのはいつの頃だったか。確か、自分が消えていく時……そうだ、防衛軍に行った時だったな。あの時の衝撃と混沌は凄まじかった。自分が消えるなんて感覚、初めて味わった。

 まぁ、今ではそれのお蔭でここまで生き残れてるのだが。

 

「痛い…痛いブヒーー!!」

 

 やっと正気に戻ったか。

 

「いい実験体になったよ」

「ブ…この…離しやがれブッ!」

「貫かれているのに案外普通に喋れるんだね」

「ふん…この程度、俺様には…」

「じゃあ死んでね」

「ブッ────」

 

 あぁ、やはりこんな奴とする会話は嫌悪しかない。

 

 

 これ以上コイツに構っている暇は無いので、修司は特に思うところもなく鉄杭で顎からつむじにかけて串刺しにした。

 

 だけど、それなりに物理攻撃には定評のある妖怪だった。真正面からあの一撃を受けた修司だったが、実は声音程余裕ではなかったのだ。純粋な頑丈さで勝負したのを後悔するくらいには、豚鼻は怪力の持ち主だった。

 正直に言おう。ちょっとキツかった。

 だから、そう思った修司は、褒美として豚鼻の人格を取り込んであげることにした。何に使えるかは知らないが、強い奴をどんどん手に入れていけば、自分の戦力が増えるかもしれないと思ったからだ。

 妖力量は中級だったが、腕力だけで言えば強敵だったな。

 

「はぁ…力量を見誤るなんて、僕もまだまだ研鑽が足りないな」

 

 一瞬見ただけで相手の実力を測れるくらいでなければ、修司レベルの闘いでは致命的な判断ミスを引き起こすだろう。蘭と散々闘ってきたせいか、他の妖怪が酷く弱く思えてしまい、ついつい油断してしまう時がある。これからの生活の目標に加えておこう。

 

 豚鼻の死体は、醜くも中級というだけで、他の妖怪にとってはご馳走になるだろう。妖怪は、他の妖怪を食べるとほんの少しだけ力が増す性質を持っていたりする。持っていない妖怪も少なくないが、持っている奴が目立つ。なので、この豚鼻を全て食べれば、低級の落ちこぼれでも、死なない程度には成長するだろう。

 まぁ、同じ妖怪を食べることに嫌悪感を示すような妖怪()もいるが…。そういった(やから)は大抵自我がある。

 

 別に強敵が育って欲しい訳では無いので、この死体は地面を陥没させてそこに埋めようか。

 

「……話し相手でも居ればいいんだけどなぁ…」

 

 べコンと地面を凹ませ、そこに豚鼻の死体を入れて、蓋をする。地表から10mくらい掘ったので、早々執念がある妖怪でなければ掘り起こさないだろう。血の匂いはどうしようもないので、お零れに預かりたい飢えた妖怪がやってくるが、その前に立ち去れば問題無い。

 

「う〜ん、鉄だけだと不安が残るな。道中に色々集めれるだけ集めて、ちょっと硬い合金を作成するか…」

 

 どんなに硬い金属や扱いにくい物質でも、それが大地の恵みである限り、修司はそれを粘土のように操る事が出来る。本当、この能力は凄い。これからの主力にしていこうか。

 それを沢山用意して、地中からの杭攻撃や、防壁などに使っていこう。

 

「ゆくゆくはもっと複雑な造形も出来ると、戦略の幅が広がるな」

 

 もっと闘いの手札が欲しいところである。

 

 

グオオオオオオ!!

 

 

「…やれやれだ」

 

 どうやらその場に留まり過ぎたようだ。独り言に集中して退避を疎かにする…か。

 

────パンパン!

 

 修司は、頬を両手でバシッと叩いた。軽く己を奮い立たせただけだったが、久しぶりに入れた自分への活は、想像以上に効果があった。

 

「────これから何年こんな生活を続けなきゃいけないんだろうな」

 

 本当に、最近は油断ばかりだ。




 

 この章の苦難さが身に染みて分かりました…。


 このまま主人公がボッチ生活を続けていると、その内架空の存在とお話しだすかも…w

 …まあ兎に角、修司には孤独な旅を続けてもらいましょう。


 余談ですが、化学的な話が出てくるので、タグに「主人公の化学力は世界一ィ!」っていうのを追加しましょうかね。冗談ですが。



 では、また次回にお会いしましょう。
 


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18話.万の鍛錬と想起するモノ

 

 今まで情報開示せず抽象的な表現ばかりでしたが、今回ちょっとだけ修司の過去が分かったりします。それすらも「分からねぇよこの野郎!」と言われてしまうかもしれないようなものですがw
 主人公の過去の全容は、まだまだ明かせません。あるはずなのに思い出せない感じを出したいのです、ご理解ください。

 ついに物語が動き出します。
 まぁお相手は誰か想像がつくでしょう。初めてのオリ展開で上手くまとめられるか緊張しますが、頑張ります。

 ではどうぞ。
 


 青年は一人、暗闇の中に立っていた。

 

 自分が地面に立っているのかすら怪しい、のっぺりとした暗黒の世界。もしや浮いているのではないかと思い立ち、適当に平泳ぎでもしてみるが、それも進退全く見当がつかないので分からなかった。

 そこは嫌に不安を煽る孤独な空間で、心の壁を内側から引っ掻き回し、中身をグシャグシャに混ぜ合わせてくるような混沌とした場所だった。

 辺りをグルんと首を動かして見てみるも、広がる闇に見えるのは何もなく、視線を落とすと自分の肢体が憮然とした態度で存在しているだけだった。どうして自分の身体にそんな印象を持ったのかは、その時の彼のみぞ知る。

 

 しかし、困った。

 今現在、彼には出来る事が何一つとして無い。もがいても前身しているのか分からないし、叫んでみても誰も反応してくれない、と言うか、誰かが近くにいる気がしない。

 

 

────懐かしい。

 

 

 不意に湧き出た謎の感情に、青年は頭の上にハテナマークを浮かべ、何度やったか分からない周囲の確認をもう一度行った。キョロキョロと辺りを見回す彼は、やがて一粒の点を見つけ、それに見入った。

 だが、あいも変わらず周りは真っ暗闇。

 一番星を見つけ嬉々とする子供ではないが、今まさに彼はそんな心境だった。何せ、他に見るものがないのだ。砂粒のように小さなその白点は、佇むばかりの身体を見ているよりはよっぽど楽しいものに思えて仕方ない。

 

 

カッ!!!!

 

 

 だが突如、前方から一閃の光が迸り、瞬く間に全身を包み込んでいく。砂粒程の白点が一気に拡がり、視界を真っ白に塗り潰した。

 

 思わず青年は両腕で顔を覆い、足で踏ん張って未知の衝撃を備えた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 光が収まり、青年は覆っていた腕を下ろした。(しか)めていた顔を元に戻し、そして目の前の光景に言葉を失った。

 

「なっ………!?」

 

 綺麗に整えられた室内。床に置いてある乳児用具。壁紙はとても落ち着く色を配色されてあり、窓から注ぐ陽の光は、その場の全てを祝福しているかのようだった。

 何気無い一室ではあるが、青年はこれに見覚えがあった。

 

『ほら〜修司、俺がお父さんだぞ〜?』

『ふふふ、もうすっかり骨を抜かれたわね。ねぇ?そう思うでしょ?』

『おいおい、この子に訊くのは反則だぞ?』

 

 部屋の真ん中に据えられた小さなベッド。その両隣で微笑みながら、幸せに満ちた声でベッドの中にいる赤ん坊に喋りかけている男女。

 そして、その部屋の隅でそれを傍観している青年。

 

(これは…見たことは無いけど、僕は憶えている…)

 

 この光景自体に憶えはない。しかし、頭の中にはこの光景に既視感があるという結論が出ていた。

 それは、次の二人の会話で全て判明する。

 

 

『元気にいい子に育ってくれよ?修司』

『思いやりのある優しい子になって欲しいわ。ね、修司』

「……っ!!」

 

 

 思い出した。

 彼らは、僕の両親だ。

 

 慈愛に満ち、幸せの絶頂にあるような、幸福そうな表情を浮かべている彼ら。恐らく、これは僕が産まれてから少し経った時の状態だろう。

 その中で僕は、二人の愛を一身に受けてすくすく育っていく。両親と不朽の絆で結ばれ、時に笑い、時に怒られながら、とても平凡に育っていく。

 

 幸せな人生だったな、“この時は”。

 

 

ザザッ……

 

 

 と、懐かしげに観ていると、不意にノイズが走って、繋がりの悪いブラウン管テレビのように目の前がぶれた。

 それはどんどん酷くなっていき、遂に青年のいる場所は灰色の砂嵐一色に染まった。

 これはなんだ。

 青年の記憶に無いモノに、青年は首をかしげた。勿論、赤ん坊の時の記憶なんてあるわけがない。これが夢である事は青年も承知しているが、嫌にリアルな夢なだけに、青年はこれが本物の出来事のフラッシュバックではないのかと予想を立てていた。

 

 それでも、何故?

 青年にこの記憶は無い。これまで一度も過去の夢なんて見てないのに、なんで今、それも、自分の知らない内容が出て来たのか、青年にはさっぱり分からなかった。

 

 ……おっと、次が始まったようだ。青年は自分の知らない記憶が気になり、暫しこの夢に付き合う事にした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 次は、自分である少年が、中学校に通っている場面だった。

 

『おはよっ!修司!』

『うん!おはよう!』

『お、白城君じゃないか!今日も元気だね!』

『おはようございます!』

『おはよう!今日の宿題はちゃんとやったのか〜?』

『はい!先生!おはようございます!』

 

 朗らかな朝日の元、少年は元気に登校している。その顔は今日への期待と、これからが楽しみで一杯という明るい色で美しく染まっている。

 

 だが、それを観ていた青年は、そこにおかしなモノがある事に気付いた。

 

(あれ?…これ)

 

 それは、黒い何かだった。地面の一部に影を落とし、水たまりのようにボチャんとそこにあるそれは、ただそこにあるだけで、別段何があるわけではなかったが、青年はそれに懐かしいと思うよりも先に、“心地良い”と感じた。

 

(なんだろう…見ているだけで心が安らぐ…)

 

 深くこの世を憎悪の双眸で見つめんとしているその黒いモノは、ただそこに佇んでいるだけだと言うのに、青年を招いているように思えた。

 

『おはようございます!』

 

 青年が視線を中学生の彼に戻すと、彼は既に校門を潜り、校内で友達とお喋りをしていた。

 

ザザッ……

 

 そこでまたノイズが走り、青年の視界はまたもや砂嵐となった。

 

 

 

 

 ────青年は、その後も、自分の欠如した記憶を目まぐるしく見ていった。

 

 中学卒業の卒業式。

 高校の入学式。

 友達と馬鹿をやって怒られた時。

 親友と居る時に周りから冷やかされ、それに戸惑った時。

 

 ダイジェストで青年の人生を見せられているような感覚で、次々と場面が変わっていく。

 青年はその中で、徐々に違和感を大きくしていった。

 

 なんと、あの黒い水たまりがいたる所に出現してきたのだ。

 最初は見間違いかと思ったが、次の場面ではそれは一回り大きくなり、中学を卒業する頃には、その水たまりが二つに増えていた。

 なんだこれは、どうした。と思う間もなく、その黒いモノは数と面積を増やしていき、青年が観ている記憶のあらゆる部分に深淵のような影を落としていった。

 地面、床、壁、建造物、鉛筆などの小物…。

 青年が観る場面の実に過半数は、その黒いモノに埋め尽くされて、色が分からなくなった。

 人が黒い地面の上で走り回り、黒い鉛筆らしき物を取り出して黒い紙に黒い字を書いていく。黒い扉を開けたら黒い机と並べられた椅子に座る生徒に謝り、先生が『遅刻だ!』と言って拳骨を振り下ろす。

 

 いつの間にか、人間以外の物は全て真っ黒に染められてしまった。

 

 そして遂に、人の顔が黒く染まった(・・・・・・・・・・)

 

 それが起こったのは、親友の顔が過去の青年の顔に急接近してきた時だった。決してキスをした訳では無いが、不意の出来事で親友の顔が赤くなっていったのを憶えている……と思う。

 まだ、自分の持っている記憶と初めて見る記憶の区別がはっきりとしない。場面を憶えていなくても、なんとなくその時に思った事は憶えていたりと、少しづつ幾つかの事が記憶に残っている。なんとも中途半端な記憶喪失だ。結局それも真実が判明しなかったな。

 

『し、修司!』

 

 顔面が暗闇に塗り潰された彼女はそう叫ぶと、脱兎の如く走り去った。

 そうだ。確か、この時彼女の脳がオーバーヒートして、恥ずかしさのあまり逃げ出してしまったんだ。

 

 今まで、登場してくる人物の顔はよく見えなかった。注視するとボヤけ、全体を観ていると風景の一部としてある程度浮かび上がる。

 どうしてこの時に彼女の顔が真っ黒に染まったのだろうか。そして、この黒いモノは何なのか。

 

 こう考えている間にも、人生の追体験は止まらない。

 ────止めたくても。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 どんどん場面は変化していく。

 黒の面積もどんどん増えていく。

 

 最終的に、過去の青年と青年以外の全てが真っ黒になった。

 

 暗黒の中、過去の通りに行動する青年を、現在の青年は悲しそうな目で見つめていた。

 

 この黒い水たまりは依然として心地良い気持ちにさせてくれる。見せてくれる過去の記憶は全てが朗らかとしたもので、何も不安な要素が無かった。喧嘩や仲違いも友情の内に留まるほど小さなものばかりで、何も人生に不満を感じないものばかりだった。

 

 誰もが青年の味方で、誰もが青年と友好的な関係にあった。少なくとも、知る人には険悪な仲の人はいなかった。

 

 なのに、何でだろう…

 こんなにも、胸がざわついて…

 まるで、崖の淵に立っているような…

 事件ドラマのどんでん返しの直前を観ているような…

 

 

ザザッ……

 

 

 何度も繰り返したノイズ音。

 ほぼ真っ黒な世界で灰色の砂嵐が青年を攫っていく。

 その時に見た過去の青年の顔と…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────目が合った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────はっ!」

 

 目が覚めた。

 額は汗でびっしょりと濡れていて、激しい動悸で胸が上下している。

 

「な…なんだ…今の…」

 

 と言いかけて、修司は二の句が思いつかなかった。自分がさっきまで見ていた夢の内容を全て忘れていたからだ。

 何か尋常じゃない夢を見ていた気がするのだが、漠然とした感想が思い浮かぶだけで、何も具体的な事は何も思い出せない。

 

「い、一体何だったんだ…」

 

 取り敢えず、木の枝から降りようと思い、修司はその半身を起こそうと腹に力を入れ────

 

 

 

 

「っ…ああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 修司は胸の奥に激しい痛みを感じて、自分が今どこにいるのかを憚らずに身をよじって激痛で叫び声を上げた。

 木の枝に乗って寝ていた彼は、そのまま木から落ちて、地面に思いっきり身体を打ち付けた。

 

「があああああああ!!!」

 

 そんな事が気にならないくらいに、彼は叫び散らして身を割くような痛みに耐えている。

 心臓が痛いのか。

 そう思い、修司は少ない理性で能力を使用し、身体を健康体に治す薬を体力を使って創り出そうとした。

 淡い輝きと共に小瓶が生成され、それを確認する間もなく蓋を開けて中身を飲み干す。

 だが…

 

「ああああああああああ!!!」

 

 痛みは一向に収まる気配がない。

 それどころか、激痛は酷さを増していくばかり。

 

 胸の奥で、中身を千の針で串刺しにされているような感覚。棘だらけの虫が、ギチギチいいながら自分の中を縦横無尽に踏み荒らし、蹂躙しているような吐き気のする思いに、修司は胸を掻き毟ってひたすらに喚き叫んだ。

 このままでは妖怪が寄ってくる。

 ギリギリの状態でも理性を捨てきらない彼は、壊れかけのメンタルで粗悪な結界を張ることでその場を凌ごうと考えた。

 

 言い得もない恐怖。

 五臓六腑を鷲掴みにされるような憎悪。

 誰も居ない筈なのに、周囲から感じる視線が心に突き刺さる。

 首筋に刃を当てられ、笑顔を見せろと言われて嘲笑(ちょうしょう)される理不尽。

 

 そして、手の平を返されたような裏切り。

 

 全てが一挙に押し寄せて、久々に自分を保つのが辛くなる状態に追い込まれた。混沌には慣れたつもりでいたが、今以上の揺さぶりが起こるとは思ってもみなかった。

 耐え難い憎しみに素の心が晒され、一気に支配される。いつもは激情に対して鋼の理性で抑え込み、表情一つ崩さないのだが、今回はそんな自信が打ち消される程の感情の濁流で、修司の心は呆気なく呑み込まれてしまった。

 

「があああゴボッ…ガバッ…」

 

 修司は、滅多に声を荒げない。どんな時でも落ち着いているからだ。だからそんな人が急に喉が張り裂けるような声を上げた時、喉が文字通り裂けるのは仕方のないことである。

 叫ばなくなった修司は、代わりに壊れた喉からゴボゴボと吐血することで口から代わりのものを出し続けた。

 

「オェ…グボァ…」

 

 声の代わりに血を。

 修司の謎の激痛は、その後数時間に(わた)って続く事となった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

 修司は現在、近くにある沢で口をゆすいでいた。能力の薬で喉の傷は治したので問題は無い。激痛も、あの後苦労したがなんとか治まった。結界を解いても妖怪は居らず、彼が懸念していた事は何一つ起こらなかった。

 

「くそっ…なんなんだ…」

 

 普段は胸の内に留めておくのだが、今回は訳が違う。思わず悪態をついて沢の水を手でバシャっと乱した。

 朝からこれでは、気分が優れるわけがない。今日は厄日なのか。

 

「落ち着け。動揺していい事なんて一つもない…」

 

 自分に言い聞かせ、無理矢理暴れる心を鎮めようと深呼吸を繰り返す。感情に関するコントロールや分析には自信があったのだが、やはり目に見えないモノは扱いが本当に難しい。

 自分の心の構造が他人とは大きく異なっているのは分かっている。能力で人格を手に入れ始めてから早々に気付いたことだが、どうやら感情が仕切りで分けられて存在しているらしい。

 『信頼』という感情が『疑心』という闇に呑まれ、『信頼』が消え去った時に確信を持った。自分の心は、一つ一つ明確に独立しているのだ。

 その内、他の感情も、心の闇こと『疑心』の感情のように、意思を持って胎動するかもしれない。真に厄介な構造である。

 だが、それで助かっている面もあるのだが。

 

「よし…もう大丈夫かな…」

 

 口をすすぎ終わった彼は立ち上がると、近くに置いておいた小太刀を手に取って、腰に差した。

 これを持っていると安心する。修司のたった一人の心の支え。世界で一人だけの、彼の理解者の形見。

 

「僕は君と共にある…」

 

 同時に、首に掛けておいている簡素な作りの首飾りを制服の中から取り出して、糸を通してある雫型の結晶を握る。

 これがなんなのか、未だに分からない。能力を使って中身を知ろうとしたが、何も分からなかった。こんな事もあるのかと、その時の彼はとても驚いたそうだ。

 

 こんな物を遺品として置いていくなんて、やはり蘭は凄いや。

 

 気分が落ち着いたので、修司は次の火山に向けて移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 森を歩きながら、修司は今朝の出来事について考えていた。

 

(あの夢はなんだったんだろう。そして、起きた時のあの激痛は…)

 

 分からない。能力があるから分からない事なんて無かったのに、ここ最近は分からないことだらけで頭を掻き毟りたくなる。

 

 まず、忘れてしまった夢。

 確か、楽しい夢だったような気がする。寝起きにあの痛みが襲って来ると言うならば、あんな夢楽しくもなんともないが…。

 (もや)がかかったように内容が判然としない。記憶力はいい方なのだが、こればっかりは駄目だった。

 

(う〜ん。楽しい夢だったのなら、何故“怖い”と思えてしまうんだろうか)

 

 そう、彼はその夢に楽しい印象を受けながらも、同時に怖いと感じていたのだ。

 お化け屋敷に入ったような恐怖ではなく、現実での何かを恐れているような本能的な恐怖。

 

 ただ、今朝感じたような悪寒の走る感情も少し混じっていることから察するに、今朝の痛みはやはりその夢が関係しているのは間違い無い。

 

 

 次に、今朝の馬鹿にならない痛み。

 

 昼頃の今でさえ、あの痛さを思い出すとビクッと身体が反応する。

 身体を治す薬で治らなかったところを見ると、あの痛みは心のものらしい。と言うか、それしか説明がつかない。

 身体の方に問題が無かったのなら、心が心的ダメージを負っていたに違いない。自分の特殊な精神ならば十分に疑う価値がある。

 だが、自分の精神世界には今までに取り込んだ人格達がいる筈だ。それに、白城修司という人格を形成する為の感情は、それぞれ仕切りで分けられて相互不干渉でいるから、何かが起こる訳が無いのだ。

 

(いや、そうとも限らないか?)

 

 修司は浮かんだ可能性に、薄ら寒い恐怖を覚えた。

 だが同時に、諦観に似た許容も感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方頃。

 

「ふぅ……。最近妖怪と出会う確率が増えてきたな」

 

 ズゥン…と、背後で巨大な熊の妖怪が倒れ、少し地面が浮ついた。修司は能力で穴を作ってそこに熊を放り込み、蓋をして死体を漁られないようにした。

 妖怪には低級、中級、上級、大妖怪と区別があるが、今のは上級妖怪に位置するそれなりの妖怪だった。

 低級は雑草のように尽きる気配が無いが、上級にもなると訳が違う。奴らは力も妖力も一丁前に強く、修司は“少し”真面目に闘わないと攻撃がかするくらいに危ない。

 今の熊は素早さが低い種類だったので楽勝に沈める事が出来たが、大妖怪だったら妖力と霊力を切り札として取っておくほどには厄介な相手である。

 

 修司は空を仰ぎ、血に染まった小太刀を払って血を飛ばしながら、カラカラに乾いた秋風に目を細めた。

 

 そうか…今は…秋だったな…。

 

 修司は、自分がここに来てからの年月を正確に数えている。それは、自分がまだ真っ当な人間であることの証明であり、自分が生きた軌跡を1秒たりとも忘れないようにするための習慣である。

 

 

 

 

 核爆弾が落ちてから、既に一万年が過ぎていた。

 

 

 

 

 最早寿命に関しては何も動じない。これからどれだけの月日が流れ、太陽と月が交互に彼を見下ろしたとしても、もうそこに一喜一憂する感覚は残っていない。

 ただでさえ感情の起伏があまりない修司にとってこの変化は、能面の抜け殻へと変わってしまう死活問題だった。

 しかし、これは長い時を生きる上で、仕方のないことだと思っているのもまた事実。元々寿命が百年程しか無かった存在が万の時を生きるには、こうなるしかなかったと諦めが混じる。

 

「はぁ…」

 

 吐く息が若干白い。

 何回目の秋だろうと考えるのは止めている。それよりも、自分が生き残る事を考えた方がいいからだ。

 

 一万年の時を経て、修司はまた随分と研鑽を積んだ。

 

 まず、武術の面だが、これは今までよりもキレと精度が増した。具体的には、『点』を脳に負荷を掛けずにノーコストで使えるようになり、もっと効率のいい箇所を的確に百発百中で打てるようになった。

 それと、道中で集めた鉄を使って様々な武器を作り、それを使ってそれぞれの熟練度を上げた。近距離から遠距離まで、実に多種多様な武器をマスターし、無手も技術を著しく向上させた。今では、手の平を押し付ける掌底の内部破壊威力も大きく上がり、普通のパンチよりも格段に威力が高くなった。

 そして、修司の唯一の技である【独軍】は、その使用人数を百人にまで増やした。

 これがあれば、もう修司に死角は殆ど無いと言っても過言ではないだろう。

 一言で纏めれば、「とてつもなく強くなった」。

 これは、脳が彼の理論に追い付いてきたのが大きな理由だろう。今まで、『点』や【独軍】、その他様々な技術は、頭に入っていても、身体に命令として出すのには些かの限界があった。

 『点』は沢山使えなかったし、【独軍】は一度に十人が限界だった。

 脳がそのとんでも理論を理解して、身体が慣れたというのが、今回の一番の成果である。流石に一万年もあれば、どんな奴でも強くなれるだろう。

 筋力や瞬発力も、こうして日々野生の世界で激しく暮らしていれば、否応なしに上がっていく。

 更に、人間の元々の野生が研ぎ澄まされたのか、気配の察知もかなりの範囲となった。

 

 簡単に言うと、全体的に全てが向上して、とっても強くなった。

 

 

 次に、その他の方面だ。

 

 まず、鉱石を詰め込んだ立方体の鉄キューブだが、あれは一辺が5mになるくらい大きくなった。計算に強い人ならば、最初の何倍の体積になったのかが分かるだろう。一体どれだけの火山を廻ったか、数えるのも鬱陶しい。火山だけでは飽き足らず、洞窟にも入ったりと、色々大変だった事も、一応言っておこう。

 もう少しで目標値に達する。ここまで長かったが、その努力をしただけに今の達成感は相当だ。まだあと少しだけ足りないが、すぐに集まるだろう。

 それと、道中で適当に集めて作り上げた合金は広範囲戦闘や鉄壁の防御を実現するに容易い量まで貯まった。壊れても地面に吸収すればいいから、こちらは簡単だった。

 余った鉄で鉄キューブをもう一つ作り、手に余る食糧を少しだけ貯める事にした。常温である程度の保存が効くものに限るが、それでもこれは重宝する。秋や冬などの食べ物が少ない時期に助かるからだ。

 

 修司の足元には、大きな鉄キューブと、倉庫代わりの簡易鉄キューブ、それと、戦闘用の特殊合金の塊が、親に付いて行く雛のように追従している。

 

 霊力と妖力は、妖怪の群れを一瞬で失神させれるくらいに膨大なものとなった。片方で本気を出して放出すれば、半径2~3kmの範囲にいる全ての生命体が泡を吹いて気絶する。それをやった時修司は、「…本当にヤバくなった時だけ使おう、うん」と、心に固く誓った。

 勿論、両方の鍛練も欠かしていない。

 両方のコントロールや、結界術の練習、半結界や、探知用の薄結界、力を固形物にする練習や、レーザーや弾として放出する技術を修行した。単純に纏うことによる身体強化は、もう誰にも負けない自信がある。

 

 だが、何度も言うが、霊力と妖力は、本当にヤバくなった時の切り札として使う。特に戦闘に関しては。

 

 

 どんどん人間離れしていく修司だが、これでもまだ自分は普通の人間だと言って固く信じていた。以前の自分を捨ててしまえば、己は怪物の身に堕ちてしまうことが分かっていたからだ。どうしても、人間である事だけは捨てたくない。

 修司にとって強くなる事は、“とある対象”に復讐する為に欠かせないものだった。それも、中途半端な強さではなく、圧倒的な、誰にも辿り着けない境地にある強さ。修司はそれを目指していた。

 

 いつからそう思っていのか、それはもう忘れた。ただ、ずっと前から、『ソイツ』にだけは絶対に復讐してやると誓っているのだ。まだそれが誰かは言えない。言う必要が無いし、いずれ自然と分かってくるものだから。

 

 閑話休題。

 

 兎に角、修司の眼前の目的は、残り少しの鉱石を集める事くらいである。なんだかそればっかりやっている気がするが、彼は鉱石コレクターではない、断じて。

 だから彼は今、一万年続けている火山の探索を続行しているのだが、少し気になる事があった。

 

「…やっぱり、最近妖怪とよく出会う…」

 

 今度は、猪の妖怪だった。突進を避けて真っ二つに斬り裂いて倒したのだが、それは熊の妖怪を倒したほんの数分後である。これは流石に出会い過ぎだ。

 血の処理も完璧だし、熊の煩い断末魔以外は、さして大きな音を立てていない。

 考えられる事としては、この猪が、元々とても近くにいたという事くらいだが、この二種族は、互いに縄張り意識が強い。自分の狩り場の近くにこれだけの奴がいれば、もうとっくに縄張り争いをしているだろう。

 

 いや、それとも、どちらかが自分の縄張りから出てきたのか?

 それこそ有り得ない。彼らは自分の範囲以外の事には全くの無関心を貫く生き物だ。

 ならば、正しい推測は前者となる訳だが…

 

(とても不可解な事だけど……まぁ、僕には関係無いか)

 

 猪の死体の処理が終わり、素早くその場を離れるところまででそういう考えに至った修司は、最終的に我関せずを一貫しようと決めこみ、最近の懸念程度に留めておくことにした。

 

 自分さえ良ければ他はどうとなっても知るもんか。

 こう彼は思っており、他がどんな思想や、ポリシー、願望を持っていたとしても、自分が自分を貫いていれればいいと思っていた。

 

「いや〜、先輩達って凄いっすね〜」

 

 ────この声を聴くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 彼の精神世界。『疑心』に乗っ取られた『信頼』の世界にいた人格達は、そこから弾かれ、長年その外側を漂っていた。

 

「みんな、蘭だけは絶対に守れよ。こいつが呑まれたら現実の修司は終わりだ」

 

 そう言う雄也は、真っ黒に染まった球体を眺めながら、隊員達に指示を飛ばしていた。その球体は、雄也が精一杯見上げても見切れるほどに大きく、自分達がいた世界がそれほどに巨大なものであると認識させるには充分だった。

 欠けた修司の感情の穴を埋めている蘭は、皆にとって何物にも代え難い希望の存在であり、そんな事は言われなくても分かっている。

 

 特隊の隊員達は、彼の命令に従い、サッと散開して接近して来た“敵”に備えた。

 斧や槍、弓や未来的な兵器を装備した漆黒の兵士達がわらわらと『信頼』の精神世界から弾き出て来た。

 

「ここでは疲れないし、何かが尽きる心配もない!思う存分やってやれ!!」

 

「「「「「了解っ!!!」」」」」

 

 それぞれ得意とする得物を手にし、隊員達は『信頼』の精神世界から飛び出てきた黒い敵兵士と交戦を開始した。

 

 現実での悪夢の原因、それは、闇──『疑心』が『信頼』が生み出した精神世界を全て掌握し、雄也達と戦闘を始めたからである。起きた時の痛みは、その戦闘によるものである。

 『信頼』がいたから維持されていたその精神世界は、『疑心』がその世界の主導権を剥奪したことで、そこにいた雄也達を追い出した。そして、追い出した雄也達を消すために、『疑心』は負の感情から兵士を創り出し、彼らに送り込んだのだ。

 『疑心』が『信頼』を完全に掌握するのに一万年程かかったが、永遠の寿命を生きる修司にとっては早いと言えるだろう。

 

「食らえっ!!」

 

 隊員達は前衛、遊撃、後衛に分かれて、三段交代式の陣形を作った。これは、長期戦を予定した、シンプルだからこそ安定する布陣である。

 織田信長が火縄銃の部隊に導入した三段撃ちを参考にして修司が考えた、単純明快な戦法である。

 この世界では、体力が減ることは無く、意志の力が要となる。だから永遠に戦えるかと言われたら、それは否だ。体力は減らないが、気力──即ち、集中力は減っていく。

 そこで、前衛で疲弊した者から順に後衛に回り、押し出し式でローテーションを組む。スイッチの隙間を埋めるために遊撃がカバーし、人数に応じて前衛を買ってでる。ライフル光線銃たろうが、ナイフだろうが、そんなものは修司に鍛えられた特隊には関係無い。どこが立ち位置でも、戦場で必ず何かしらの役割をこなす。一瞬の時間も“役立たず”になるな。それが…それこそが特隊であり、修司に叩き込まれた教えの一つである。

 

 特隊の兵士達は楽々と黒の兵士を倒していく。黒い球体から出てきた瞬間は威勢がいいのだが、外に出た彼らは、何故か急に動きが鈍り、そこを一撃で沈められているのだ。

 

「へっ!これなら何万年でも楽勝だぜ!!」

「スイッチのタイミングは何年後だろうな!」

「おい!今一撃食らった…えぇっと、お前!大丈夫か!?」

「大丈夫だ、問題無い」

「と言うかお前の名前知らねーんだけど!?」

「てめぇの頭はハッ〇ーセットかよ?」

「その単語も知らねぇぞ!?」

 

 …こんな会話が出来るほどだ。なんて戦場に不似合いな会話だろうか。

 

「蔵木、これからどうすればいいのかしら」

「さぁ、俺には皆目見当もつかないです。八意様はどうすればいいと思いますか?」

 

 思考共有しているとはいえ、それは皆の一部に過ぎない。言うなれば、ここの常識と現在状況を一瞬で知れるというだけである。だから、情報交換は現実とそう変わらない頻度だ。

 

「他に同じような球体は見当たりませんし、まずここがどこだかも判然としません。だから、今はただここでアイツらと交戦をしているしかないかと」

「でも、例えあなた達でも、終わりのない戦いには勝てないでしょう?」

「それは…そうですが、だからこそ今打開策を考えているところです。…くそっ、こんな時に修司さえ居てくれれば」

「修司に頼り過ぎなのよ、あなた達は。そりゃぁ、現実では頼もしい限りだったけれど、それに甘えていては単なる木偶に成り下がるわ。兵士に必要な技術と知恵は彼から教えて貰った筈でしょ?まぁ、無重力状態での戦闘は流石に教わってないと思うけど」

「ですが、それに対応出来るような柔軟性を、俺達は修司から学びました。だからこうして戦えているんですよ」

「本当、修司様々ね」

「ですね」

 

 何やら、論点がズレて阿呆な結論に至ったようだ。どちらも彼をリスペクトしているからこうなったのだが、ツッコミ不在の恐怖は並ではない。

 

 兎も角、話を戻さなければ。顔を引き締めた雄也は、必死(?)に食い止めている仲間の負担を減らすため、急いで打開策を考え始めた。それは、雄也や永琳に限ったことでなく、その場にいる非戦闘員も同様だ。考える頭は多い方がいい。

 

「うむ…兎に角、遠くまで逃げるというのはどうじゃ?」

「それは得策ではないですよ。私達を狙っているのだとしたら、発生源から離れるのは危ないです。密集している内に叩かないと」

「はい!僕はもう一回あの中に入った方がいいと思う!」

「坊主、俺らはあの気持ち悪ぃ『疑心』に追い出されたんだぜ?おじさん達をもっかい入れてくれるとは思えねぇがなぁ…」

「おいガキぃ!そんなん無理に決まってんだろぅがぁ!飴ちゃんあげるから妖怪の嬢ちゃんの世話でもしてやがれやぁ!」

「わぁありがとう!行ってくる!」

「さっさと行きやがるぅぇやぁこの野郎ぅ!」

「あんた、いい奴なのか悪い奴なのかはっきりしないわね…」

 

 こっちもこっちで和気藹々(わきあいあい)としている。ここにいる人達に緊張感というものはないのか。いや、あるにはあるのだろうが、特隊の皆が圧倒的に制圧しているので、あまり危機感を感じれないのだろう。

 

「…取り…敢えず…現状…維持が…得策…」

「もぉっとぉはっきり喋れやぁこの野郎ぅ!」

「ひぃっ!?」

「あぁもうあんたが居ると話が進まないわ!誰かこの不良をつまみ出してちょうだい!」

「そこの女性よ、俺達は室内に居ないのだが、彼をどこにつまみ出すというのだ?」

「そんなものどこだっていいわよ!あの蘭って人の所にでもぶっ飛ばしやればいいのよ!」

 

 …悪戯に時間だけが過ぎていく。

 

「……俺達だけで考えましょうか、八意様」

「そうね。あの人達、いい人なのは間違いないんだけど、如何せん会話が纏まらないわ。放っておきましょう」

 

 その答えが出るのは早かった。

 雄也と永琳は二人で戦局を逐一確認しながら、今後自分達はどうすればいいのかを話し合った。

 だが、出てくる案には必ず致命的な欠陥があり、どれもリスキーでローリターンなものばかり。決して採用とまではいかない愚策ばかりだった。

 二人は眉間に皺が寄った。

 一万年前、『信頼』の修司は消える最期の最期まで、“修司”だった。希望を捨てず、その目は常に先の光を見据え、言葉は空気を伝い皆の心を揺らした。

 彼はいつも前を向いていた。

 

 だが、自分達はどうだ。

 

 つまらない事で停滞し、意味の無い事で額を突き合わせ、頭を過ぎるのは頼れる彼の顔。

 彼はいつも状況を打破する何かを起こしてきた。それが何のお蔭とはいえ、やったのは修司である。

 そんな彼を目標にしているからこそ、二人は己の無力さに苛まれていた。背後で馬鹿な会話を垂れ流している数千人は罵倒しない。他者を貶めるくらいなら、まず目の前の障壁を突破する手立てを考えた方が賢明だからだ。

 我らが天下の修司が育てた特隊が奮闘している今、この時しかまともに考える時間はないだろう。時が経ち退却するしかなくなる前に…。

 修司ならば、それ程時間を掛けずに何か考えつくだろう。修司ならば、こんな右も左も分からない場所でも、目指す場所を指さしてくれるだろう。修司ならば……。

 

「………」

「………」

 

 ここが修司の中で、自分達はその中の羽虫である事は分かってる。

 ここで出来る事は殆ど無くて、現実以上に無力なのは分かってる。

 自分達が修司を頼って、彼に縋っていた部分があるのは知ってる。

 

 だから、だからこそ…

 

 彼に何かしてあげたいと思うのは、至極当然なのではないか。

 だから二人は、酷く顔を歪めて悪態をつくのであった。

 

「クソったれ…」

「嫌気が差すわ」

 

 




 

 修司の夢の中、現実、修司の精神世界…の順に場面が変わりました。

 取り込まれた人格達(雄也達)が元居た場所(一章で居た場所)は、実は、『信頼』という一つの感情が創りだしていた『球状の領域』の中だったんです。
 現実の修司も人格達(雄也達)も、彼の感情の構造に気付きました。感情はそれぞれ独立していて存在しているのだと。

 取り込まれた人格達が『球状の領域』の中で守っていたのは、『信頼』の化身です。信頼の感情の核を担っていた彼が『疑心』に呑まれてから一万年で、信頼という感情は100%完全に『疑心』に掌握されました。

 現実にまで精神世界での戦闘の衝撃が来たのは、彼の魂がぼろぼろで穴だらけだからです。暫くして治まったのは、それが発作的なものであるからです。


 説明足らずで申し訳ありませんが、次回もどうぞよろしくお願いします。
 


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19話.戯れる異端者と招かれる欺瞞者

 

 サブタイは「戯れる(ざれる)」と読みます。まぁそんなことはどうでもいいですけどね。

 いやー、全部自分で構成を考えるのって結構大変です。作者がまだまだ新参者であることの証拠ですね。精進します。


 ではほいっとな。

 


 それは、久しく聴いたことのない軽い口調の台詞だった。

 

 声に聴き覚えはない。当たり前だが、自分以外に人間など居ないのだから、知り合いなんぞは地球には居ない。…早く月の奴らに復讐をしたいところだ。

 余談だが、修司の復讐相手は、月の民もいるがそれは標的の一つに過ぎず、本丸は、もっと別にある。そこは履き違えないで欲しい。

 

 まぁ、それは置いといて、最近出会った喋れた奴は、随分前の豚鼻野郎を筆頭に、皆傲慢で自尊心がえらく高かった。それに比例して口調も酷さを増すので…正直言って、今は出会って速攻鉄杭で串刺しにするくらいに嫌悪感を持っている。話をする気力なんかこれっぽっちもある訳が無い。

 

「う〜ん、それにしても、あっちにいい餌がある!…なんて言って、二人共俺を放ってどこかに突進して行っちゃいましたっす。本当、仲がいいのか悪いのか。まだ会ったことは無いっすけど、きっと大将は凄く強いんっすね。じゃなきゃあの二人が殺し合わないなんて有り得ないっすもん!」

 

 なんとまぁペラペラと喋るお調子者だろうか。声だけでどんな容姿かを想像出来そうだ。

 サッと物陰に隠れ、こちらにやって来るその妖怪を、息を潜めて待つ。アイツが言っている“二人”とは、一体誰だろうか。候補はあるにはあるのだが、そんな事は無い、絶対に。有り得る筈がない。

 特に周囲を警戒せずに歩いて来る辺り、その“先輩”とやらが進んだ方向にもう敵はいないと思って油断しているのだろう。その方向が、先程まで自分が居た場所を通り、更に言えば、熊と猪の妖怪が現れてきたのも、声のする方向からだった。…いや、そんなまさか…。

 

ガサッ

 

 あれこれ少ない材料で予測を立てていると、近くの茂みが揺れ、そこからイタチのような格好の妖怪が出て来た。恐らく、あれが「〜っす」と言っていたお調子者だろう。たった今、「あ〜自慢の毛並みがぁっす!」と叫んでいたので、間違いない。

 気配を察知していたので正確な位置は把握していたのだが、こいつは低級妖怪だ。盗み聞きした内容から察するに、下っ端兼勉強の意味合いを持ってさっきの二体に着いて来ていたと見るべきだ。結果、置いてかれたようだが…。

 

「それにしても、先輩達、こっちに何があるんっすかね〜?いい餌って、さっき狩ってたデカブツよりも良い物っすかね〜?」

 

 このまま逃がす選択肢はない。これは、修司が一万年ここで生きてから、初めての出来事だった。まともに喋る奴がいて、しかも、別種族でチームを作って共同で狩りをして暮らしているようだ。しかも、こいつらだけじゃなく、こいつらには“大将”なる者がいるらしい。

 興味深い。他の事には関心が殆どなかった修司だが、妖怪のセオリーを打ち破る事案が発生しているのだ。調べておかなければ、今後に響くような気がする。

 

 修司は隠れていた物陰からバッと飛び出し、目の前でウンウン唸っていたイタチの妖怪の首根っこをつまみ上げ、プラ〜ンと眼前に吊るした。

 

「ぎゃぁ!?誰っすか!?離せ!離せっす〜!」

 

 イタチは身体を揺らして抵抗し、短い手足と回らない首を動かして噛み付こうとしてくるが、首の可動する部分を掴んでいる修司の腕や手には届かず、虚しく空気を噛んでいた。

 

「大人しくしていた方が身のためだよ」

 

 情報が欲しい。ならば至極単純。力の差を見せつけて精神的に屈服させればいいのだ。妖怪ならばそれだけで事足りる。

 特別に妖力をほんの少しだけ滲ませ、目の前のイタチに視線だけで射殺せそうな殺気をぶち当てる。途端に当てられた殺気に「ひっ!?」という普通の反応を返したイタチは、次いで海底と月面程の実力の差を悟ったのか、殺気に超絶ビビりながらも、声一つ上げずに修司の次の命令を待っていた。

 低級はこういう時に非常に純粋で助かる。中級や、なまじ実力が突出している奴は、実力を分からせてもプライドが許さないらしく、後先考えずに突っ込んで来る。本当に難儀な輩達だよ、全く。

 

「僕の質問に答えて。いいよね?」

「はっ……はいぃ…っす」

 

 こんな状態でも、語尾は無くならないようだ。

 何故口調が攻撃的にならないかと言うと、こうした方が、相手の警戒心を解かしやすいらしい。わざわざキツい言葉で脅すのは相手の反抗心を受けやすい。だから修司は、この口調を好んで使っている。と言うか、元の修司の口調に似通った部分があるという理由もあるのだが、それは今関係無い。

 誰と話す時にも、フレンドリーに穏便に。落ち着き払って物静かな態度をとっていれば、自然と相手も同調してくる。そうすればこちらとしても話しやすく、運が良ければ示談だけで事が解決する場合もある。そうなれば僥倖だし、修司としても、普通の人間を豪語しているからには、過剰な暴力解決はしたくない一存だ。

 

 閑話休題。

 

 話を戻そうか。彼はまず、どんな経緯があったのかを訊きたかった。

 

「君の言っていた先輩達って、熊の妖怪と猪の妖怪?」

「そ、そうっす…」

「そう、じゃあ、君の他に君の仲間は近くにいるかい?」

「い…居ない…っす」

「君達にはまとめ役の大将という妖怪がいるらしいね。そいつはどこにいるの?」

「え…えっと…確かあっち…って分かりましたっ!すいませんごめんなさい嘘吐きました!だから殺さないで下さい!」

 

 軽く先程を上回る殺気を出したら、あっさりと嘘を認めた。普通ならばここで痛めつけたりするのだが、そんな事をする必要無く、こいつは息をするように色々と教えてくれそうだったので止めておいた。

 

「じゃあ、君の知っている君の所属しているグ…集団の情報を、洗いざらい話してもらおうかな。そうすれば、この手を離してあげるよ」

「……本当っすか?」

「君のようなつまらない嘘は吐かないよ」

「……分かったっす」

 

 一瞬グループと言いかけて、慌てて言い換えた。そう言えば、妖怪には英語から来る単語は知識に全く無いようなのを思い出したからだ。

 イタチは、一呼吸おいた後、終始修司の視線に気を付けながら、激昴を買わないように注意してボソボソと話し始めた。

 

 

 

 

 イタチ曰く、その集団には特に名前はない。頂点に君臨している三体の妖怪が、己の実力一つで配下を増やしていき、そこから芋づる式にどんどん自分の手足となる妖怪を従えていったようだ。今ではここら一帯の妖怪は殆どソイツらの配下となり、ソイツらの出す“ノルマ”をクリアする事で、集団の庇護による安全と、安定した食糧を支給してくれるらしい。

 妖怪にしては珍しく、その上下関係にしっかりとした統治性があるところが、修司にとって一番の注目ポイントだ。

 

 蘭が言っていた通り、妖怪は血の気が兎に角多く、何でもかんでも実力でねじ伏せれば何とかなると思っているような脳筋野郎が(ほとん)どである。実力が無ければ、妖怪の業界におけるソイツのヒエラルキーは著しく下がり、他がどうであれ、下に見られてしまう。逆に強ければ、何だって周囲は従うし、着いて行く。そうすればおこぼれを貰える可能性があるし、自分より強い奴に出会った時に逃げ仰せれる。

 だがイタチが最近傘下に降ったというその集団には、明らかな集団統治政策が、簡単ながらも敷かれていた。

 

 傘下にいる妖怪は、虎の威を借る狐のようにその集団の権力を行使出来、一定量の食べ物を定期的に受け取れる。これがあれば、安定して安全な暮らしが約束される。傍から見れば、それは願ったり叶ったりな恩恵だろう。

 だが、それにはルールが存在する。

 それは、一週間に一度、規定量の食糧──つまり、ノルマがあり、それを毎週クリアする事で、集団の末席に居させてくれるというもの。だから配下の者は皆、ここらで動物や野良の妖怪を狩り、それを毎週献上することに躍起になっているのだ。献上出来なければ、大将直々に処罰が下るらしい。一体何をされるのかは分からないが、きっと碌な事ではないだろう。

 それに加え、グループの大将である三匹の命令には絶対服従。呼ばれれば参上し、何かをやれと言われたらそれを達成しなければならない。出来なかったら、これも処罰の対象になる。これはまぁ、妖怪としては普通だ。

 

 イタチが先輩の妖怪に訊いたところによると、妖怪の群れによくある領地争いを、この集団は全くしていないらしい。

 配下の妖怪を引き連れて、他の地域を縄張りにしている妖怪達のところに戦争を仕掛けに行くのだが、妖怪はこれにえらく積極的だ。蘭の配下の妖怪達が恐怖を押し退けてまで蘭に都市への侵攻を進言していたのは、妖怪がそういった傾向にあるからだ。彼女もそれを知っていたので、どうしようもなく頭を抱えていた。

 

 食糧の献上、命令への服従。破ったら処罰、守っていたら最低限の生活の保証。

 非常に荒削りで、粗末な規則であるが、ここまでの考えをたった三匹の妖怪がひねり出したという事実に、修司は大きく驚愕していた。

 いや、ここまでの事を考え出せる妖怪だ。配下が馬鹿ばかりで理解させるのに苦労し、結果的に明快な今の形に落ち着いたと読むべきか。

 

「あ、あの……俺が知ってるのはここまでっす…」

 

 おっと、イタチを睨んだままつい考え込んでしまった。

 

『いついかなる時にも懐刀に手を掛けるべし』

 

 常に気を張り、いつどんな時何処でどうやって放たれたその(ことごと)くを、決して見逃すなかれ。

 たとえ全てを疑っていたとしても、たとえ自分がいかに強くとも、油断すれば一瞬で瓦解するのが世の常である。これ程の時が経ったというのにまだ治っていなかったか。

 この何気ない刹那の隙間も、修司にとっては許し難いミスであった。過剰に意識し過ぎだと思うかもしれないが、世の中にやり過ぎはない。数字に0はあれど、最大値に限界は無い、これと一緒だ。

 

「……嘘は言ってないね?」

「言ってないっす言ってないっす!」

 

 そうか。

 もう十分に情報を聞き出せた。解放していいだろう。

 

「じゃあ、“手を離そうか”」

 

 修司はそう言って、イタチを掴んでいた手を開いた。

 イタチは重力に従って地面に落下し、猫のように身体を捻って上手く着地しようと体勢を整え始めた。

 

「────“手は”離したけど…」

 

 このまま落ちる…そう、この場に居合わせた誰もが思うだろう。

 だが────

 

 

「“手を”出さないとは言ってないよね?」

 

 

 イタチが肩の高さから落下する。その僅かな時間さえあれば、修司はそれで十分だった。

 忘れないで欲しい。修司は、全てを疑っているのだと。

 

「────!!!」

 

 イタチは何かを叫ぼうとしたが、生憎声は出ない。

 それもそうだろう。何せ、修司が空中でイタチの首を斬り飛ばしたのだから。

 クルクルと回る不思議な視界に、イタチは最初訳が分からなかった。そして地面にポテっと落ち、次いで視界の奥に受け身すらとらずに落ちる自分の身体を見た時、全てを理解した。

 

「────……」

 

 口を開けても、何かが虚しく出入りするだけで、笛を吹くような細い音さえもしない。

 やがて意識がフェードアウトし、イタチはその命を呆気なく散らすことになった。

 

 

 

 

 理由は単純。イタチを逃がし、イタチが大将の所に報告に行ったとしたら、確実に面倒なことになる。追手や群れ、最悪、全てを率いて大将自ら姿を現すかもしれない。イタチの報告の仕方にもよるが、少なくともこれからのエンカウント率が跳ね上がる事間違い無しだったので、特に躊躇いもなく殺した。戦闘は結局、時間の無駄なので、修司は鉱石を集めてさっさと念願の武器と鞘を作りたいのだ。その為には、余分な障害は全て撤去するに限る。

 

「…やっぱり凄い。一万年も使って刃こぼれどころか曇り一つ無い。あの時のまま、綺麗な白銀色だ」

 

 イタチを斬首する為に目にも止まらぬ早さで抜刀した小太刀を払って血を飛ばし、その美しい刀身を眺めてから鞘に仕舞う。サブとして使う予定なのにどんどん上手くなっている。このままでは、メインウェポンが完成しても扱いに差が出るかもしれないな。そんなに心配してないが。

 修司にとってその差は砂粒程度のものでしかない。小太刀しかないからそれを使っているが、本来修司は、色々な武器をその日の気分で決めているほど熟練度に差が無い。鉄で作った武器は強度が不安なので、脇差を用いた小太刀術しか使えないのだ。

 

「僕がそのまま見逃すと思った君のミスだね」

 

 と言っても、あの状況から逃げる手立てなど皆無。所詮は空前の灯火の命だった。

 

(さてと…どうしようか)

 

 イタチが指した方向と、足元に埋まっている5m級鉄キューブを交互に見やり、どちらを優先するか思案する。

 まだこの辺りの鉱石は全て集めきってないし、恐らくだが、それを集めたら目標値に達する筈だ。だがそう思って放浪していると、少なからずイタチが所属していた群れからのアプローチがありそうだ。自分の庭で好き勝手している人間を野放しにする訳がないからな。

 ならばと先にその集団を壊滅させればいいではないかと思ったが、折角の強敵だ。新しく作った武器の感触を確かめたいので、ソイツらを練習台にしたい。

 一万年経って、やっと大妖怪と呼べるような猛者が台頭してきた。今回の奴もそれだけの実力はある筈。蘭の小太刀と同程度に遜色無く扱えるか、それを試したい。

 

 取り敢えず足を進め、一所に留まらないようにする。途中、何度も腰の小太刀をチラ見して、溜息をつく。

 

 この小太刀の特性は能力で調べている。だが、その一つに不可解なものがあったのを覚えているだろうか。

 この金属には、三つの特性があった。

 一つ、絶対的な強度。

 二つ、外部からの干渉拒絶。

 

 そして三つ、認めた所有者に寄り添う。

 

 この三つ目が、どうしても理解出来ない。寄り添うとは一体どういう意味なのか。それがまだ分かっていないということは、まだ修司は“認められてない”のだろう。何故なら、認められたなら何かしらの反応があると思うからだ。

 蘭は認められていたのだろうか。以前の戦闘を思い返すが、そこに訝しむべき点は何一つとして見当たらない。それならばやはり、蘭は駄目だったということか。

 

 どちらにしろ、これは判明するまで時間がかかるな。

 そう思った修司は、思考を断ち切って現実に向き直った。

 

 

「弱そうな奴だ!喜べ!我が貴様を食らってやろう!」

 

 

 本当に面倒くさい。

 また溜息を吐きながら、彼は身体がだるくなってくるのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 ────命の危機を感じた三人は、協力して妖怪の群れを撃退することに成功した。

 皆身体中に擦り傷や噛み傷、引っ掻き傷などなど、皮膚をこれでもかとズタボロに切り裂かれていた。特に、一番前衛で頑張っていた名も知らぬ紅い妖怪は、血なのか皮膚の色なのか分からない程に酷い傷だった。

 

『はぁ…はぁ……やった…?』

『……うん』

『どうやら、そうみてぇだな』

 

 覚り妖怪は元々そんなに体力がない種族だ。ただし、それには“妖怪にしては”という前提が要るが。

 

『お前ら、結構やるじゃねぇか。弱いつったのは取り消すぜ』

 

 紅い彼は僕達に振り返ると、とても感心したように声をかけた。『第三の目』から視たところでは、「見かけによらず強ぇな、アイツら」と、本当に驚いているようだった。

 先程まで一触即発な状態だったというのに、今はそんな空気を微塵も感じられない。あの大柄な妖怪が剣呑な雰囲気を解いているからという理由もあるだろうが、今の彼からは、少なくとも二人への敵意が完全に無くなっているというのが大きいだろう。

 敵の敵は味方だと言うが、それはあながち間違っていないかもしれない。

 

『ふむ……』

 

 すると突然、やたらと強さに拘る紅い妖怪は、額の角を触りながら暫し考え込み始めた。

 

 話しかけも意味が無いと判断し、膝に手をつきながら、息も絶え絶えに隣の少女に視線を移し、安否を問う。

 

『だ…大丈夫?』

『……うん、痛いけど、大丈夫』

 

 その怪我で痛いで済むなんて、流石は蜘蛛の妖怪だなと思った。『第三の目』からは、心配してくれたことに対しての感謝が視えていた。

 

 二人共、癖や怖いところがあるが、それでも自分に本心から語りかけてくれるということにとても嬉しく思った。それが、自分への侮蔑の感情でないことに、二度歓喜した。

 心が読めてしまうことにどれだけ嫌気がさしていたか。この目のせいで、他者との交流がとことん嫌になっていた彼は、この二人が何か特別なものに見えた。

 

 自分を嫌わず、対等の存在として扱ってくれる。そんな当たり前の事が、忌まわしき目を持つ彼にはとても温かみのあるものに思えていた。

 

『……おい』

 

 唐突に、黙りこんでいた紅色の少年が口を開いた。

 敵意を感じなくても、一応さっきは敵だった。だから、二人は警戒心のある目で彼を見、彼はそれを片眉を上げて受け止めた。

 

『安心しろ、俺はもうお前らとは闘わねぇ。提案がある』

『提案…?』

 

 先程まで二人に全く興味の無さげな雰囲気を醸し出していたのに、急にどうしたというのか。

 

 

 

 

『なぁ、俺ら、組まねぇか?』

 

 

 

 

 真意を測りかねるその言葉に、少年は訝しげな視線を送る。『目』から送られてきた感情によるとその言葉は本物らしく、考えていることも予想していた通りの内容だった。成長すればもっと奥の深層意識から情報を引っ張り出してこれるのだが、方法も何も教わっていない少年には、まだ出来なかった。

 どう返事をしたものかと一人悩ましげに眉間に皺を寄せていたら、隣の蜘蛛少女が先に返答をした。

 

『……なんで?』

『お前ら、力が欲しくないか?』

 

 力…。その意味を咀嚼(そしゃく)する前に、紅い彼は捲し立てるように口を動かしていった。

 

『欲しいだろ?力がありゃぁ、この世界は何もかもが手に入る。そうなるように出来てんだ。それまで俺らの手に届かなかったものが、簡単に手中に収まる。力さえあれば、俺らはこれまで見下されてきた奴らを見返してやれるんだぜ!!このままでいいのか?いや駄目だっ!!俺は、全てを下にして、この俺が上に立ってやるんだ!!』

 

 かつて、力が無いばかりに全てを奪われた大柄な少年の言葉は、浪々と響き渡り、聴く者全てを魅了した。矢継ぎ早に繰り出される演説は、内の激しい憎悪と後悔、ドス黒い感情全てを吐き出すかのように周囲を蹂躙し、踏みにじっていった。『目』から、溢れる激情を痛い程に感じた少年は、自分の中にある同じ感情と共鳴し、自分の手の中から零れ落ちていった様々なモノを思い返し、当時の復讐心を掻き立てられていった。

 

『力が全てのこの世界!俺らは力がねぇから弱者として地面を這い蹲ってきた!だがそんな茶番はもう止めだ!俺らを踏んでいった奴らに復讐し、逆に上から支配する!!俺らにはその権利がある!!俺は力を得る為に、これまでいろんな奴を殺し、喰ってきた!!』

 

 言葉や心に嘘偽りは無い。彼の目には薄らと光る液体が湧き出し、握る拳には爪が刺さったのか真紅の血液が滴っている。

 ここで彼はフッと力を抜き、静寂に支配された森に呟くように言った。

 

『……だが、一人じゃあ限界があることに気付いた。どんなに意志が強くても、たった一人ではやれる事に限りがあることにな。今回だってそうだ。ぶっちゃけ言えば、お前ら、すげぇよ』

 

 俯いた彼は不意に顔を上げ、彼の言葉に感銘を受けている二人をしかと見据えた。

 

『最初、俺はお前らを見て雑魚だと思った。俺がこの拳を一振りすれば、簡単に死ぬ軟弱者だとな。だが、実際は違った』

 

 次いで見るは、先の戦闘で命を散らした妖怪の群れ。

 

『ヒョロいお前は、アイツらの手の内を読んで上手く立ち回っていたし、そこの蜘蛛女は、糸を使ってアイツらを絡めとっていた。正直、あんまし期待なんてしてなかったが、お前らがいなかったら、俺はアイツらに負けていた』

 

 己の無力に震える彼。『目』が読み取るのは、己の愚行に対する羞恥心。

 

『その時悟った。一人では駄目だと。一人では、絶対に叶う筈が無いと。“仲間”が必要だ』

 

 もう一度目が合う。

 

『だから、俺らで協力しねぇか?特別なことはなんもいらねぇ。俺らは、ただただ強くなる為に組むだけだ。他になにも必要ない。ただそれだけの関係……どうだ?』

 

 

 

 

 声でも目でも心でも嘘はない。

 脳裏で駆け巡るのは、彼の全てを奪っていった醜い奴らの歪む顔。

 父を奪われ、母を奪われ、己の鬱憤の吐き溜めとして殴られ罵倒され、悦に浸りたいが為に頭を踏みつけられた毎日。

 

 時には、“奴”がした糞を食えと言われた。

 時には、“奴”の練習相手として一方的に切り刻まれた。

 時には、“奴”の不満を満たすために母と一緒に裸踊りを強要された。

 

 やるしかなかった。だって、それが生き残る一番の道だったから。

 それしかなかった。だって、“力”を持ってなかったんだから。

 

 

『……私は…』

 

 一人、自身から溢れる過去に意識を囚われていると、少女が先に何かを言いかけた。

 

『…私は……それでもいい』

『────!』

『そうか』

 

 紅い彼は一つ頷く。

 

『…でも、一つだけ…確認』

『なんだ、言ってみろ』

 

 促す彼。少年は『目』と繋がっている管を片手で弄りながら、残った利き手で『第三の目』を不安げに撫でる。

 

『…力手に入れたら…“愛”は貰える?』

 

 予想もしてなかったのだろう、彼は瞠目し、暫し呆気にとられていた。

 

『愛ぃ?…力さえあれば、俺らには何でも揃う。勿論、お前の言う愛だって例外じゃねぇ。手に入るさ』

 

 目を見開く彼女。『目』からは途方もない欲が視えた。何故だか彼女は、“愛”という二文字に狂人なまでに固執していた。

 こういう時に『目』で視えてしまうのは辛い。相手の中身を問答無用で覗けるのは、何度やっても自分が気持ち悪くなるだけだ。

 

『…じゃあ、やる…』

『おし、歓迎するぜ。────それでお前は?』

『僕……』

 

 頭の中で様々な感情が渦巻いているからか、無意識に呟いた“僕”という声音が頭蓋の中で乱反響している。それが思考を掻き乱し、少年を少しの間混乱させた。

 

『僕は……っ』

『力があれば、愛だろうが飯だろうが手下だろうが、何でも手に入るぜ。俺らで世界に復讐をしよう』

『…愛………愛………』

 

 熱に浮かされたように愛と連呼する少女。その隣りで視線が右往左往する少年。ここで彼は畳み掛けるように説いた。

 

『お前は悔しくないのか?理不尽な暴力に晒され、どうしようもない不幸に苛まれ、運命っつう糞野郎に嘲笑われ、悔しくないのか?どうなんだよ』

 

 そこで想起するのは、数々の記憶。

 少女との会話で溶かされかけてきた心がその墨のような記憶を頭から被り、自身を漆黒へと染めていく。

 

(そうだ…。僕が何をしたって言うんだ。僕はただ、母さんと父さんと一緒に笑って暮らしたかっただけだ。……なのに…)

 

 眼球の裏に蘇るのは、幼い日の記憶。

 数年前の、あの時。

 妖怪に追いかけられ、躓き、すっ転んだあの時、母が咄嗟に両腕を広げて僕を庇った。

 直後、側頭部を何かで殴られ、身体が反転してこちらに倒れ込んできた母。顔半分は血糊で真っ赤に塗り替えられ、そちら側がパックリと裂けて生々しい肉が見えている。

 

 ────生きて。

 

 聴こえなかったが、確かにそう言った。その瞬間に、母はビクンと跳ね上がり、数秒後に脱力して動かなくなった。

 背中には、同時に『目』も串刺しにしている鋭利な爪。

 

 目から光が消え去った母の顔を次いで見た時に、僕は怖くなった。

 今まで優しい柔和な表情をしていた顔が、口を半開きにして呆けた顔をしているのだ。なんと滑稽な顔だろうか。

 どうして、と思う間もなく、途端に自分の中から恐怖がせり上がってきた。これが胃液だったなら、吐いて終わりだっただろうが、そうはいかない。腹底からつむじに向かって昇ってくる“ソレ”に吐き気がしたが、吐くことは出来なかった。

 

 だから、僕は本能に従って駆け出したんだ。

 今は感情に反応している暇はない。ひたすらに走るんだ。

 後で後悔すればいい。後で泣いて、叫んで、殴って、恐怖して…。そうやってまた、怯える生活に戻っていく……。

 

 

 

 

 

 

 

(………違うっ!!!)

 

 

 

 

 

 

 

 どんどん黒い感情で中身が支配されていく。いつの間にか俯いていた顔をバッと上げ、力を欲する(同志)と目を合わせた。そしていつ移動したのか、彼の隣に立って少年を見ている少女にも目を向ける。

 

『……僕にも、願いがある』

 

 今少年を『目』で視たらどんな事を思っていただろうか。

 

『それは、ちっぽけで平凡な、それでいて困難を極める願い』

 

 一歩、彼に向かって足を踏み出す。

 

『可笑しくて、笑えて、なんだと吹き飛ばされそうな、儚い夢』

 

 彼が手を差し出してくる。

 

『それを叶える為なら────』

 

 僕は呼応して手を差し出し…

 

 

 

 

 

 

 

 彼と固い握手を交わした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 洞窟。

 

 僕の住処として使っているここの奥で、僕は目を覚ました。

 

「……夢…か」

 

 夢と言っても、現実に起こったことなので酷く現実味を帯びていた夢だった。今でも、思い返そうと思えばまるでつい最近の事のように鮮明に振り返ることが出来る。

 あの時の僕は本当に弱かった。彼の誘いに乗って正解だったな。

 

 洞窟と言えど、ある程度の設備は整っている。彼の元いた所にあった椅子とか机とか、まだまだ幼かった時からは想像もつかない物だ。これを使い始めた時には既に数百程の部下がいたなぁ。懐かしい思い出だ。

 

 

 朝の支度を終えた僕は、今日も自分に一声かけてから一日を始める。

 

「────今日も笑っていこう」

 

 願いを叶えるには、まだ力が足りない。

 この程度の力で満足する訳が無い。

 今日も沢山喰らっていこうか。

 妖怪を一匹喰ったところで、増える力は本当に微々たるものだ。だが、修行と同時進行で食べていけば、ほんの少しづつだが、着実に増えていく。お蔭で、今では大妖怪も軽く相手どれるようになった。覚り妖怪は戦闘が苦手な部類だが、それは僕には通用しない理屈だ。

 

 洞窟の出口に向かって歩を進める。松明を等間隔に置いているので道中や僕の居住場所は全く暗くない。この洞窟は斜め下に下降するような作りなので、煙は外に向かってモクモクと立ち昇り、滞留することはない。本当にいい場所を見つけたものだ。

 

「おはようございます!大将!!」ビシッ!

「あぁ、おはよう」

 

 今日も見張りは元気に挨拶をしてくる。媚を売っているようにしか見えないが、まあ挨拶を返すくらいはしてあげようかな。『目』からは高役職に就いている自分への優越感で一杯。更に、隙あらば僕を殺そうと画策しているという結果が視える。僕に対しては内面を見透かされているというのに、実に欲望に忠実な畜生だ。単純だから操りやすいけどな。

 

 僕は取り敢えず皆と顔を合わせるため、少しの木々を抜け出て広場に顔を出した。

 

 

「「「「「おはようございます!!!」」」」」

 

 僕が姿を現すと、揃いも揃って皆一様に敬意を示した。その真意を『目』で調べると、大小様々だが、やはり目も背けたくなるような感情が蜷局(とぐろ)を巻いている。非常に不愉快だ。お前達は僕の下で、僕達に従って生きていればいい。

 

「おはよう、みんないつも通りにしてていいよ」

 

 僕がそう言うと、皆はサッと自分の事に意識を移した。

 僕はそれを確認すると、醜い欲望渦巻くソイツらを避けるようにして広場から遠ざかり、僕達専用の拓けた場所に移動するために踵を返した。

 

 日が昇ってからまだそう時間は経っていない。二人はまだ来ていないだろう。彼らは朝は優柔不断だから。

 程なくして、僕は目的地に着いてしまった。彼らと毎朝顔を突き合わせて話し合うのが僕達の日課である。二人がここに来るまでは、僕はここから動けない。

 

(しょうがないな。二人が来るまで能力で遊んでいるか)

 

 と言うか、僕は毎回ここに一番乗りで来て暇を弄んでいる。僕は毎朝能力で遊ぶのだが、それは鍛練の意味も込めているので、一概に暇潰しとは言えない。この能力、応用が幅広く、とても使いやすい。この能力を手に入れた時の僕の喜びようと言ったら、言葉で表せないくらいだった。その時の状況を第三者である二人から言わせれば、「お前にしては珍しかった」らしい。

 確かに、あの時の僕は性格に似合わず取り乱していたかもしれない。だが、僕の目標に大きく躍進した瞬間だったのだ。その一時くらいはしゃいだって文句を言われる筋合いはない。

 

 ……と、

 

(……う〜ん、朝っぱらから物騒だなぁ…)

 

 僕の探知範囲に引っかかる反応が三つ。方角からして、さっきの広場からあとを付けてきたのだろう。一人で行動している今なら隙があるとでも思っているのか、馬鹿が。

 

「……遊び相手にはなるかな?」

 

 部下だからと言って、忠誠心がある訳では無い。寧ろその逆だ。だから度々このような出来事が昼夜問わず勃発するのだが、朝から仕掛けるとは思わなかった。

 この辺りには近寄らないように厳命しているので、その時点で既に斬首確定だ。まあ、僕を殺して首が替わればそれは免れるだろうが、そんな事は有り得ない。

 

 僕は、強いから。

 

「よいしょっと……」

 

 座っていた岩から腰を上げ、近づいてくる反応に背を向けるようにして中央に立つ。

 

(そろそろ相手から僕が見えるだろうな)

 

 直立不動。これを見て疑わないのは弱きの現れ。

 三体は僕の背後で森が切れる境目の茂みに隠れ、機会を窺っているようだ。早く来ればいいのに。

 この『目』で見ている相手の心理を読み解けるのが僕達の種族の強みだが、今回はそんなものを使わないでも勝てる。だって、僕は強いから。

 

「僕はいつでもいいよ。さぁ来なって」

「────!!!」

 

 息を呑む音を微かに捉えた。完璧に尾行したと思っていたのだから、驚くのは自明の理だろうな。

 ついつい痺れを切らして声をかけてしまった。早く殺らなかったら二人が来るかもしれないのもあるが、僕自身が朝の運動をしたいと思っているのも大きい。

 

 

「っ……うおおおおおおおお!!!」

 

 やっと飛び出してきた。バッと振り返って、その姿を確認する。

 初撃を撃ち込んできたのは、筋骨隆々な巨体を誇る物理特化の妖怪だった。力に任せて僕をぶん殴る算段らしい。なんとも愚直で浅はかな選択だろうか。呆れすぎて笑いが漏れ出てくる。

 

「────遅いな」

「ぐふっ…!?」

 

 そんな攻撃が通じるのは、鈍足な上級妖怪までだ。僕には通用どころか、掠りもしない。

 僕は突き出された拳の下を掻い潜って懐に入り込み、飛び上がると共にその顎を殴り上げた。

 

「らああああああ!!!」

「どりゃあああああああぁぁぁぁ!!」

 

 それで殺れたのか確かめようとしたが、左右から棍棒と鉈を振り上げて突進してくる残りの二体によって、それは出来なかった。

 

(せめて一気に来てくれれば一瞬だったのにな…)

 

 自分で朝の運動と言っておきながら、もう早く終わって欲しいと思っている自分の心に苦笑する。だがそれで隙を作る僕ではない。急いで左右の奴への対応を始める。

 

「「はああああああああぁぁぁぁ!!!」」

 

 不意を突かれた形でも、僕の内心は悲しいほどに落ち着いていた。今日は弱かったな。そんな一言が浮かび、自分の頭を狙って振り下ろされた二振りの得物を素早く見やり、僕は一歩を踏み出した。

 頭があった場所に凶器が通り抜けるのを後頭部で感じ、それに合わせて右脚で地面を蹴って脚を揃えると共にその勢いで反転し、背後で奇襲を仕掛けた二体を視界に収める。

 

「「!?」」

 

 ただ一歩前に出て勢いで反転しただけなのに、そのタイミングが完璧だったがために、二体は肩透かしを食らったような顔をした。

 

 そんな暇を僕が与える訳が無い。

 僕は鉈を持っている妖怪の手首に手刀を振り下ろし、カランと鉈を取り落としたソイツの腹部に向けて水平に回し蹴りを放った。

 

「がはっ!?」

 

 やっと状況を理解したようだが、それでは遅い、致命的に。

 片方が慌てて棍棒を地面から持ち上げ、僕の攻撃に備えて盾のように構えた。そのせいで視界が棍棒一杯になったのを利用して、僕はジャンプして残りの奴の上に飛び乗った。所謂肩車状態だ。

 

「うぁ────!?」ゴキャ

 

 そこから素早く側頭部に両手を添え、一息に首を回して首の骨を捻った。小気味よい音がしてソイツの顔が彼の背中を向くと、司令塔からの連絡が途絶えた身体がバランスを失ってグラりと揺れた。

 

「おっと…」

 

 そのまま一緒になって倒れる趣味はない。難なく飛び降りた僕は、恐らく気絶しているのであろう二体に近寄り、喉仏を一突きして穴を開けてやった。これで朝の運動は終了である。

 

 それにしても、僕の能力や『目』を使わずに闘うとどうしても先読みが難しくなる。普段から頼っている証拠だ。まあ、使えなくなる状況になんて陥る筈もないから別段気にしてはいないが。

 

「ふぅ……今日は三体か。僕に挑むなら妥当な数だな」

 

 最後にそんな感想を残した。

 

 

 

 

 死体を一箇所に集め、再び先程の岩に座って二人を待つ。

 こんな事は日常茶飯事なのでもう慣れた。寧ろ、弱かった頃の時の方がもっと危険が多かったな。よくここまで成長したもんだと自分でも感心する。それだけ僕の中の執念が深かったというだけだが。

 

「────どうせ気付いてたくせに、ねぇ?」

 

 唐突に僕は、茂みの一点を見据え、そう言葉を投げかけた。

 

 

 

 

「……しょうがない。止める理由は無いから」

「俺にも残しといてくれよ、おい」

 

 

 

 

 待ちわびた二人が視界に映り、僕は口角を薄く上げた。

 

 




 

 パソのスペックが低すぎてやりたいことがやれない事が最近の悩みです。ゲーム一つしようにも多大な負荷がかかってしまうのであえなく断念…。
 ハーメルンに寄ってチョコチョコ小説を書いたり、ネットで軽く調べ物しか出来ません。悲しい…(´;ω;`)

 フリーホラーゲームや東方、艦これやマイクラ、更にはPC版FPS……。

 やりたいものは沢山あるのに、何とも無慈悲な現実でしょうか。作者の収入では、とてもじゃありませんが最新のPCには手が出ません。
 更に更に素晴らしい事に、リアルでは作者を過労死させようとありとあらゆる面倒事が現れてきます。忙殺されるのも時間の問題か……。((((;゚Д゚))))

 と、愚痴が過ぎましたね、ごめんなさい。


 それでは、次回まで暫しのお別れを…。
 さようなら( ´ ▽ ` )ノ

 


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20話.妖怪の大将達と歪んだ野望

 

 オリキャラ、オリ話、オリ展開。
 稚拙な文章ですが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

 あぁ、ゆっくりとした休みが欲しい……。



 ではどーぞお読み下さい。

 


 現れた二人に向かって手を挙げて挨拶しながら、僕は軽く抗議をする。

 座ったまま顔を上げ、「別にあれくらいどうってこと無かっただろ?」と開き直る二人に薄く笑った後、取り敢えず近くに座ったらどうだと僕の近くにある別の岩を指差して促した。

 

「僕の所に来たって事は、二人の所にも来たんでしょ?」

「当たり前だ。俺のとこは十体だ」

「…私は五体…普通」

 

 やはり、この中で極端に火力が劣る僕には一番少ない量の刺客か割り当てられたようだ。

 

「俺のとこには搦め手を使う奴が多かったな。お前はどうだ?」

「僕には武器持ちと剛腕が一人。遅かったから楽勝だったね」

「……こっちは素早さ重視だった」

 

 例え僕を倒したところで、残りの彼らを殺さなければ大将の首は入れ替わらない。だから同日に三人を攻めたのだが、如何せん僕達はもう慣れている。あからさまに全面戦争でも起こさない限り、僕達が本気を出すことは無いだろう。

 ある意味退屈な毎日だ。

 

 

 

 

 僕達は、この辺りの妖怪を統率している、所謂『妖怪の大将』と言うやつだ。大将は普通一人でやるものだが、僕達は三人で一つ。だから大将の役職も三人で運営している。

 

 頭脳。配下の妖怪を上手く利用するための規則の制定や、他の群れから攻められた時の参謀を務めるのはこの僕。大将の『頭脳』を担当している。他には暴動を未然に防ぐための裏工作や、部下を操って上手く事を運ぶ算段を立てるのが役目である。

 

 戦力。妖怪を率いて近くの地域を征服したり、暴力によって無理矢理事を鎮圧に向かわせるのが、目の前にいる真紅の皮膚を持つ一本角の彼。大将の『戦力』を担当しており、単純な実力が飛び抜けて優れている。僕の出した指示に従って現場で活躍する機動力のある彼は、同時に戦闘のスペシャリストであり、随時戦局を読んで一人でも素早く行動してくれる。

 

 目。糸や能力を使って周囲の状況を瞬時に判断することが出来、常に彼女には死角がない。そんな彼女は大将の『目』の仕事をしており、戦局の判断と情報網の管理が主な役目である。配下の中で何か不穏な動きがあろうとも、彼女の能力の範囲内である限り、その企みは悉く失敗する。先程のように。

 

 

 今日の物言わぬ骸も成り果てた彼らの下克上を話題に、たわいもない話で今日の始まりを盛り上げたところで、僕達はいつもやっている報告から入ることにした。

 ここには誰も近付かせないように命令してある。ここでやる事は僕達だけの秘密であり、信用ならないあの馬鹿共を近寄らせるわけにはいかない。もし誰か来ても、彼女が知らせてくれる。

 

「よし、まず、日課からやろうか。今日は誰からやる?」

 

 僕が誰ともなく問いかけると、僕の向かいに座った彼が口を開いた。因みに、彼女はそれを横から傍観するような位置にいる。

 

「俺がやる。…ごほん」

 

 彼は一つ息を吸い込むと、その巨体に似合う太く響く重低音を放った。

 

 

「妖怪の大将の『戦力』。鬼のノラ」

 

 次いで、彼女がチョンと手を挙げた。

 

「…妖怪の大将の『目』。女郎蜘蛛のレイ」

 

 最後に僕だ。

 

「妖怪の大将の『頭脳』。覚り妖怪のハク」

 

 僕達が出会った当初、僕達に名前は無かった。それだと呼びづらいとノラが言うので、仲間として初めての共同作業は互いの名前を考えることだった。

 

 僕は、迫害(はくがい)されていたからハク。

 レイは、恋愛(れんあい)の最初と最後の文字を取ってレイ。

 ノラは、集落から捨てられたから野良(のら)の妖怪ということでノラ。

 

 安直だが、僕は、今ではこの名前を気に入っている。名前がある限り、昔に誓った復讐や願望を風化させずに済むからだ。あの時の感情を廃れさせない為にも、こういった経緯で付けられた名前は重要だ。

 

 だが、この名前は配下の妖怪には知らせていない。この名前を知っているのは、ここにいる僕達だけだ。これは、それぞれが互いに仲間であることを認識させるために一役買っている。僕達が固まっている時に周りから大将と声をかけられると誰だか分からなくなるのは面倒くさいと感じるが、必要なことなので努力して呑み込んだ。

 僕達はアイツらの事を全く信用していない。朝から暗殺を試みるような連中だ、信用しろという方が無理だ。

 彼らは、僕達が力を見せつけることで従わせた。圧倒的な戦力差をつけ、精神的に屈服させたものもいる。そう言えば、精神的に殺った奴からは下克上をされてないな。それだけ僕達との実力がかけ離れていると自覚しているからか。

 

「よし、今日も僕達の願いの為に」

 

 

「「「願いの為に」」」

 

 

 三人は腕を突き出し、拳を合わせた。

 言っておくが、これはヘンテコな宗教ではないし、脈略なく始めた儀式でもない。

 これは、僕達がそれぞれの願いのために力を合わせ、互いに協力関係にあることを示している。仲間割れはしないし、目的のために力を貪欲に欲することで意見が合致しているという証なのだ。

 

 ハクは『笑い合える世界』を。

 レイは『愛のある世界』を。

 ノラは『失わない世界』を。

 

 それを求めるがために、三人はこれまで協力し、数々の強敵を倒してきた。そしてそれを喰い、結果的に大妖怪をも凌ぐ力を手に入れた。他の妖怪を配下に引き入れ、集団としての箔が付いてくると同時に更に配下に下る妖怪が増え、今では他では類を見ない大規模な群れとなった。いつしか周囲からは妖怪の大将と呼ばれ、その力に畏怖する者が殆どとなり、僕達はここら一帯の頂点に立ったのだ。

 

 だが、それはどうでもいい。僕達の目的はもっと別のところにあり、上に立ったことは別段嬉しいことではない。強くなっていけばその内そうなるだろうと予測はしてたからだ。あくまで僕達の目的はそれぞれの望む世界の創造であり、そこらの妖怪を束ねることではない。

 僕達にとって彼らは路傍の小石に等しい。使うだけ使って、後は捨てるだけ、簡単だ。

 三人は、コツンと合わさった三つの拳を降ろした。

 

 

 

 

「じゃあ、今日の会議を始めようか」

 

 今は秋。少し肌寒い風が吹く中、僕達は毎日の定例会議を執り行う。大将は三人で一つ。いくら僕達が部下をどうでもいいと思っていても、僕達は彼らに利用価値を見い出している。だから、大将として出来るだけ利用するために、しっかりと大将の役目は果たさなければならない。

 それと、僕達の願いの進捗状況や、何が足りず、何が障害かを話し合い、それに対処する時間でもある。今では障害など無きに等しいが。

 

「ちっ…。毎回これ面倒だな…」

「…そんな事言わない。毎日の状況整理は必要」

「だぁ分かってる!ちょっと言ってみただけだ!」

 

 一応、三人のまとめ役は僕が担当している。何故なら、僕がこの中で一番頭がいいからだ。次にレイがよく、一番頭が悪いのはノラである。ノラは結構脳筋だからだ。だが、戦闘になると、ノラが一番である。理由は野生児だからだ…恐らく。

 

「と言うか、近くにアイツらは居ねぇよな?レイ」

「…うん、能力で調べたから大丈夫」

「レイの能力って便利だよね」

「…ハクの能力の方が便利」

「俺の方が強ぇけどなっ!」

「「…………」」

「なんだよ…お前ら俺を憐れむような目ぇしやがって」

 

 実際、ノラの能力には汎用性が全くない。いや、捉えようによってはあるかもしれないが、ノラがそれを使いこなせるとは思えない。

 今だって、能力の話をしてしていたのに、物理的な強さで強いと言い張ってきたノラ。話の内容を理解していない証拠である。それとも、ただ単に「俺は強いから問題無ぇ!」ということだろうか。

 

「まぁそれはいいや。取り敢えず、最近で何か気になることとか、話しておきたいこととかはある?」

「…はい」

 

 能力の話なんてどうでもいいので、脱線した会議を元の路線に戻すと、真っ先にレイが手を挙げた。特にノラは言わないので、僕はそのまま彼女に話すように促した。

 

「…昨日の夕方、新人を連れて数体が狩りに出掛けて、そのまま帰ってこなかった。多分、殺られたんだと思う」

「なんだぁ?そんなの、俺らには関係ないだろうが」

 

 よくある事だ。ある程度群れが大きくなったので、侵略を止めて、自分達の戦力増強に励もうと方針転換してから、縄張りにちょっかいをかけてくる妖怪が増えた。これ以上侵攻しないのを逆手に取って、僕達の縄張りで配下の妖怪を少しづつ殺しているのだ。別に僕達に牙が向かない限り放っておいても構わないと思っているので、それだけならばさして気にかけることではない。だが、彼女を視た『目』は、僅かな懸念を感じ取っていた。

 それを知った僕は、黙ってレイを見、続きの説明を求めた。

 

「…違う、それ自体は、別にいい。だけど、問題は、殺られた妖怪の強さ」

「あぁ?」

「どういう事なの?」

 

 視ようと思えば視えるのだが、仲間としてそれは憚られるので、それはしていない。

 覚り妖怪である僕には、相手の心が読める。だが、それは制御が非常に困難で、とても理性で抑え込めるものではない。

 だが、何千何万という時を生きた僕は、相手の思っている事だけは視えないようにする事に成功した。だが、漠然とした感情だけはどうしても伝わってくるので、言葉の真偽や、裏があるかないかなどは分かってしまう。

 逆に、集中して視れば、相手の深層意識まで探れる事が出来るようになった。覚りとしての特性を制御出来たのも、単純に僕に実力がついたからだ。そこは嬉しい誤算だった。

 

 レイは首を振った。

 

「…今では中級以下の妖怪ばかりが狙われていたけど、今回殺されたのは、特に強い力を持っていた上級妖怪。それが二体同時に殺られた」

「…ほぅ?」ピクッ

 

 ノラがギラリと口角を上げ、鋭い犬歯を出す。戦闘が大好きな彼にとっては、ちまちま攻撃してくる敵に飽き飽きしていたので、この報せには刺激されるものがあったのだろう。

 

「具体的に教えて」

「…分かった」

 

 僕は戦闘は好きではない方だが、これは少々気になる事態だ。レイに説明を求めながら、それへの対処を考え始めた。

 

「…まず、死体はまだ見つかっていない。だけど、アイツらが向かった先で、新人の死体を発見して、その少し先で、二つの血の跡を見つけた。血痕は消されていたけど、臭いが少し残っていたから間違いないって、言ってた」

「ふむ………戦闘の跡は?」

「…少し枝が折れてたけど、それ以外は全然。恐らく、一瞬で倒されたと思う」

「いいねぇ…ソイツは俺が殺るぜ!」

「まだ僕達が出張る案件じゃないよ。我慢して」

「ぐぅ……ま、雑魚をけしかけてそれで判断するっつうことでいいのか?」

「…私はそれがいいと思う……ハク、どうする?」

「……」

 

 顎に手をやり、視線を下げて思案する。

 上級妖怪が二体、それも一瞬だと言うではないか。

 

「群れの中ではどれくらい?」

「…殺された二体の強さ?」

「うん」

「…結構上位に入る」

「場所は?」

「…ここから南の、縄張りギリギリの所」

「その新人の死体はどんな風?」

「…首を切断されてた。一撃死だった」

「それの切り口は?」

「とても綺麗だったから、牙や爪じゃない。もっと鋭くて、スパッと斬れるもの」

 

 呟くように問いかけた僕に、レイは答える。次々と矢継ぎ早に続く質問に、レイは知っている限りの情報を以て返答していった。やがて僕が黙ると、二人は僕が答えを出すまで、黙ってその様子を見守る体勢に入った。

 二人は、ハクが考えている時に不用意に話しかけてはいけないことを、長年の付き合いで理解している。だから、彼が先を見通すまでじっと待つのだ。

 考え始めてからどれくらい経っただろうか。静かな時間というのは時の流れを遅く感じさせるが、二人の体感的にはまだそんなに経っていないように感じた。

 不意に一言。

 

 

「────それは…きっとヤバい奴だ」

 

「「……!!」」

 

 二人は、彼がボソッと零した言葉に驚愕した。ハクは、いつでも色々なことを総合的に考えてから結論を出す性格だ。群れの状況や、事件から得た情報、他の妖怪や群れとの関係…更に、三人の実力も鑑みて、全てを統合してから最善の一手をその『頭脳』から弾き出す。そのハクが、今回の敵は“ヤバい”と表現したのだ。それは、今の三人が本気を出しても、安全に勝てるかどうか分からないということを暗示している。彼の言葉の重さを分かっていたからこそ、ノラとレイは、その顔に驚きを貼り付けたのだ。

 

「おいおい…そんなに強いのか?今回の奴はよぉ」

「…私もそう思う。私達に匹敵する妖怪なんて、そうそういない」

「あくまで想像の域を出ないけど、これはほぼ間違いないと思うよ」

 

 一呼吸おいて、ハクは語り出した。

 

「まず、上級二体を一瞬で屠れる実力があるのは確実。そして、恐らく奴は、新人を脅して、僕達の群れの情報を訊きだした筈だ。新人だからあまり知らないかもしれないけど、あちらに情報が渡っているのは(まず)い。僕達は推測で相手の情報を調べなきゃいけないからね」

 

 ここまでは二人にも理解出来る。強い奴を倒して、弱い奴からこちらの情報を訊きだす。だが、それらは全て推測で、次にどんな手を打ってくるのか、三人には予想が出来ない。推測から推測を重ねるのは、確実性を欠く行為なので、それ以上は相手の事が分からない。

 だが…と、ハクは更に続ける。

 

「敵の残した痕跡から、分かる事がある」

「…それは?」

 

 相槌を打つレイ。

 

「敵は、恐らく今ではの奴とは全くの別物だということだ」

 

 チラッと、襲ってきた三体の部下の死体に目をやって、二人に戻す。

 

「今では、単騎で挑んで来た妖怪か、群れで僕達を襲う奴らばかりだった。だが、今回の敵は、恐らく単騎。しかし、決して僕達の群れを壊滅させようとしに来た輩とは違う奴だ。ノラ、今でで単騎突入してきた妖怪の目的は、何だった?」

「ん?」

 

 突然話を振られたノラは少し言葉に詰まったが、すぐに答えた。

 

「あぁ〜、俺達を倒して大将になるとか、単純に群れの壊滅とか、そんなんだったな」

「そう、それはいずれも、僕達の事を知ってから(・・・・・)挑んで来た。だけど、今回の敵は、僕達の事を知らなかった(・・・・・・)んじゃないかと思う」

「…私達を知らない…?」

 

 首を傾げるレイ。ハクはそれに頷く。

 

「戦闘したのに、死体を隠したのがその証拠だ。喰うか晒すかして自分の実力を見せればいいのに、わざわざ時間をかけてでも隠したのは、僕達に見つかるのを防ぐためだと思う。新人を脅してから埋めたんだろうね。さっき殺した奴の報復に来るかもしれない。そう思って、敵は死体を隠し、姿を消した。実際、死体を放置すれば発見する時間が早まって、逃げ切る前に見つかる可能性があるからな」

「うん?なら、なんでソイツは“ヤバい”んだ?そんな腰抜け、俺らなら楽勝だろ」

「ノラ、死体を隠して逃げるのが必ずしも弱者のする事だとは限らないよ」

「はぁ…俺にはサッパリ分かんねぇ」

「…やっぱりノラは脳筋」

「だが俺は強いっ!!」

「どうどう」

 

 立ち上がって拳を天に突き出し、そう豪語するノラを軽く諌めて座らせ、一つ咳をしてからまた始める。

 

「死体を隠すということは、敵は相当頭がいい妖怪だ。そういう奴は必ずそれ相応の実力を伴っている。これは今までの経験から来るものだけどね。だから僕は、敵が、二体の上級を瞬殺する程度の実力でないと判断した」

「…それだけ?」

 

 判断材料が不十分だと感じたのだろう、レイがそう言ってきた。

 

「いや、まだある」

「まだあんのか?」

「勿論。それ程の実力ならば、誰かの傘下に入るのは考えにくいから単騎だろうと推測したんだけど、だとしたら敵の取った行動は不可解なんだ」

「…不可解?」

「何が解せねぇっつうんだよ」

 

 ハクは岩から立ち上がり、適当な枝を拾って地面をガリガリ削り始めた。それを見た二人も岩から腰を上げ、その絵を見る。

 そこには、大きな円と、その中心にある丸印が描かれていた。

 

「僕達の縄張りが大きな丸。真ん中は、僕達の本拠地」

「おう、それで、これがどうしたんだよ」

「敵は、南の端で今回の騒動を引き起こした。でも、僕達の事を知って逃げたなら、死体を隠す必要なんか無いんだ。だって踵を返して更に南に行けば済む話だからね、敵もそっちから来たと思うし」

 

 ハクは、大円の下の端に印をつけ、そこから下に線を伸ばして矢印を書いた。

 

「……そうね」

「うぅん…それは分かったが、じゃあなんで死体を隠したんだよ」

「それは、恐らく僕達の縄張り内でやる事があるからだ」

 

 先程書いた矢印を消し、縄張りをトントンと枝で叩いた。

 

「でも、僕達を知ってる単騎突入の妖怪は、周りの妖怪を倒すか、そのまま僕達のいる真ん中の本拠地に向かう筈だよね?被害が出てたら昨日の時点で分かったし、僕達狙いならここに来て、絶対に部下に見つかる」

「…でも、今回は知らない奴でしょ?」

「うん、それにとても頭のいい妖怪だ。わざわざ発見を遅れさせたって事は、見つかりたくないが、この内側に目的があるという事だ。ということは、本拠地を迂回するようにして、東か西に進んでいる事になる」

 

 枝で南の点から左右に線を伸ばす。

 

「なら、両方に部下をやっちまえば、殺られるんじゃねぇか?上級二体を殺れる奴でも、俺らの部下の半分を向かわせれば、流石に死ぬだろ」

「僕が“ヤバい”って言った理由はそこだ」

「「…………?」」

「新人を脅して僕達の群れの規模や、僕達の凄さを知ったのに、敵は縄張りから逃げなかった。つまり、相当隠れるのが得意なのか、僕達を凌ぐ程の実力の持ち主なのか…」

「…あっ…」

「流石に俺でも分かったぜ。そういう事か」

「…なら、ほぼ確実に後者」

「僕もそう思った。だから、部下をそこに遣っても、絶対に殺せないだろうね」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をする二人(特にノラ)。ハクも同じ気持ちだが、感情を荒立てては、冷静な判断は出来ない。感情を爆発させるのは、敵の前だけでいい。

 害意が無いなら放っておけばいいと思うかもしれないが、そうはいかないのがこの三人だ。強者を引きずり下ろし、それを喰らうことによって力を得てきた彼らには、敵を、喰らうべきものとしか見えていなかった。

 

「それに、敵はこっちの出方でも見てるんじゃないかな」

「ん?そうなのか?」

「だって、僕達を超えるかもしれない敵なのに、部下が見つけれるような痕跡を残しているんだよ?更に、新人の死体はわざと放置している。僕達に気付いて欲しかったんじゃないかな」

「…成程、そういう見方も出来る」

「と言うか、絶対そうだろうね。だから、ここで戦力を割く愚策は出来ない。下手に動くと相手の思うつぼだ」

「じゃあどうすんだよ」

 

 頭をガシガシ掻き毟って不満を露わにするノラ。こういった頭脳戦が苦手な彼には頭痛を引き起こす会話だろう。

 

「でも、内部に用があるなら、何故わざと気付かせるような真似をしたのか。そこが一向に分からない。その部分だけが不可解なんだ。それだけが、選択肢を一つに絞れない」

「挑発じゃないのか?」

「いや、なら適当に殺して回った方が効率がいい。まどろっこしい方法なんて必要ないんだ」

「…だとしたら、何?」

「そこが分からない」

 

 分からない。ここまで考えさせられたのは久しぶりだ。そこまで頭のいい妖怪と出会っていないので、こういった駆け引きにはそれ程経験がない。

 

「じゃあ、敵の目的はなんだ?」

「そこも分からない。本当に僕達を試しに来たのか、それとも他に何かあるのか…」

「…上手く情報が分からなくなってる」

「そうだな、敵は頭脳戦に長けている。とても珍しい妖怪だ」

 

「……っだあああ!!!なんも分かんねぇ!!」

 

 突如として叫び、地面の絵を踏み消したノラ。突然の発狂に二人は驚くが、ノラが叫ぶのはいつもの事なので、それほど驚かなかった。

 

「取り敢えずよぉ!探索部隊でも出せばいいんじゃねぇの!?」

「…お、ノラ珍しくいい事言った」

「珍しくってなんだおらぁ!!」

 

 怒るが手を出さずに地団駄を踏む辺り、ノラは案外仲間には優しいという事が窺える。

 

「探索部隊には賛成だね。ここで頭を突き合わせていてもしょうがない。すぐに手配しよう」

「…ノラ、よくやった…」

 

 グッと親指を向けるレイ。

 

「ふん、俺は強ぇからな、当たり前だ」

 

 フンとそっぽを向きながらもどこか誇らしげなノラ。

 

 素性の知れない敵に久々の恐怖を覚えながらも、今この瞬間に、言い得もない幸福感を感じてしまうのは、浮かれているわけではないだろう。

 こんな和気藹々とした一幕を求めて、ハクは『笑い合える世界』を望んだのだから。仲間との物騒で物騒じゃない会話に笑ってしまうのも、仕方のない事なのだ。

 

(こんな日々が続けばいいんだけど…)

 

 日々を日々、全力で勝ち取りにいっている妖怪にとって、安全な日常などそう続く筈がない。だが、それを願ってしまうのは、間違っているのだろうか。ハクは、そう思いながらも、目の前の見えない敵に向かって、素早く頭を回転させた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 イタチの妖怪から聞いた情報に興味を持った修司は、幾つかのヒントを残し、その場を後にした。あの後に出てきた妖怪は体術で血を出さずに殺し、20mという深い穴を作ってそこに放り込んだ。完璧な隠蔽工作だ。

 さて、ここは既にその妖怪の大将達の縄張りの中だと言うが、それだけあって妖怪との接敵頻度も多い。侵略せずに配下だけ増やしたらこうなるのかと、その人口(妖怪)密度に辟易する。

 鍛練のメニューとして戦闘をしているのだが、これでは先に進めない。なので、気配の探知だけに意識を向け、蘭の能力を使って鉱石のある場所を探した。

 

 相手にはそれなりに頭の回る奴がいる。だから、それを逆手に取って相手を本拠地から動けなくなるようにした。わざとイタチの死体は埋めずに残したし、熊と猪の妖怪はバレやすく隠した。これで本当に頭のいい妖怪ならば司令部から動けなくなるし、修司の見当違いで馬鹿だったなら、現場に手下共々向かって来る筈だ。その隙に縄張りの中を探索して、取るものを取ってしまえばいい。

 

(……本当に沢山妖怪がいる…森の形をした商店街か?)

 

 都市の商業区は、毎日大盛況だった。人々が目まぐるしく往来し、ガヤガヤと喧騒が鼓膜を打った。今思えば懐かしい思い出だ…あんな事が無ければ懐かしいままだったのだが。

 

(……ん、こっちに居るな。迂回しようか)

 

 左前方から妖怪の気配を探知し、避けるようにして右から回り込んだ。

 妖怪が沢山いるので、中央の本拠地には近付かない。それでいて周囲に気付かれずに獲物を掻っ攫って行く……完全なステルス潜入任務だ。どこかの名前が“ヘビ”なおじさんもびっくりの難易度である。相手は野生の中で生きている妖怪。決して侮れない。修司も長い間森と共に暮らしてきたが、心が人間である限り、純粋な野生児にはなれないだろう。それに近いものには成れるが。

 

 ここで睡眠をとるのは危険過ぎる。枝の上で寝るようにしているが、それでも寝ている間の無防備な時間を考えると、ここを抜け出る間は寝ない方がいいだろう。不眠でも数日ならまともに動ける。前に訓練の一環で修得したので大丈夫だ。これが終わったら、寝ていても気配を察知出来る訓練もしようか。

 

(鉱石の反応は………あった)

 

 遠くだが、確かに目標値に達する量と質のものを見つけた。

 

 しかし、距離がかなり遠く、範囲がギリギリだ。縄張りの真反対にあり、グルッと半周しなければ辿り着けない。修司の能力は蘭のよりも範囲が広く浅い。彼を中心として円柱状に操作範囲が定まっているが、それでも端にある。

 これでは精密な作業が出来ないので、接近してから回収する必要がある。空洞があるということは、そこは洞窟になっているようだ。もし手下の妖怪が掘り出して持っていかれでもしたら、地面から離れるので採取出来なくなる。洞窟の近くの敵は排除の方向で行こう。

 蘭が戦争に連れてきたのは大半が中級のようだったが、実力は上級、又は大妖怪に匹敵していた。ここの妖怪はあれ程粒が揃っている訳では無いが、他の集団と比べれば実力の平均値は恐ろしく高いだろう。何故侵攻をしないのかが謎なくらいである。

 

(出来れば大将達には武器が完成するまで会いたくないけど…上手くいくといいな)

 

 身を屈めながらコソコソと妖怪達の間を縫って進んでいく修司は、切にそう思った。その胸の内はただ一心。

 

 

 ────メインディッシュは最後だからね。

 




 

 妖怪としての心情や考え方、物の捉え方を上手く表現出来たか心配です。他種族の精神的な描写ってやっぱり難しいです。
 ここから修司の地味なハイディングが開始されます。それと妖怪側の読みが激しくなり、ジリジリとした展開をお楽しみいただけると思います。

 最近、いくつかの点でご指摘を頂きまして、作者の悪い部分をズバッと言い当てられました。作者自身もそれに共感できる所がありましたので、本当に申し訳なく思うばかりです。
 「ああ、やはりそう見えるのか」と思うような要改善点が挙げられ、作者の力の及ぶ限りで対応することを検討しています。
 ですが、作者は見ての通りまだまだ実力がついていません。自分でも認めるくらいに駄文です。ですので皆さんに頷いてもらえるような修正は出来ないかもしれませんが、これからも精一杯執筆させて頂きますので、どうかお付き合い下さい。



 長文失礼致しました。
 ではまた来週に。

 


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21話.投じられた小石と波紋広がる水面

 

 文明の違いを見せるのと作戦展開が今回のメインです。
 それと、レッツラハイディングのお時間です。

 説明や描写多めです。



 どーぞ。

 


 次の日の昼頃。

 

 修司はまだ洞窟には着いておらず、大体半分近く進めた。本来、修司が本気を出して疾走したならたった一日で着ける距離(普段からそんな事はしてないが)。しかし今は周囲に嫌気がさすほどの妖怪が跋扈しているので、どうしようもなく歩みは遅くなる。

 だがそれは修司だからこそ言えるもので、気配を薄くすることに長けている他の者が今の状況に夜通し挑んだとしても、一日に進む距離は彼の十分の一にも満たない。

 

 修司は海蛇の如く妖怪の視界の隙間を縫うように進み、決して誰にも見つかることなく目的地へと足を踏み出して行った。臭いに敏感な獣型の妖怪の場合は、近くの地面から腐卵臭のする化学反応を済ませた物質をボコッと突き出して撹乱し、音に鋭い妖怪には、仕方ないので金属同士を擦り合わせて嫌な音を出して(黒板を引っ掻いた時のような音である)、相手が悶えている間にサッと通り抜けた。

 こんな子供騙しの手が通じるのかと本気で思う人がいるかもしれないが、五感の一つが異常に優れている相手にとって、この方法は通常の何倍もの効果があるのだ。

 

「……目的地が洞窟で助かったよ」

 

 これは数日でどうにかなる案件ではないだろう。目的地に着くだけで、修司の睡眠は限界に達してしまう。洞窟ならば隠れて休息がとれる確率は高いし、少々危険だが、蘭の能力で洞窟の一部を塞いで立て篭もることだって出来る筈だ。運が良かったと言える。

 

 大将三人が必死に策を練っている間、修司は休むことなく行動した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 探索部隊に出した指示は四つ。

 

 一つ、見つけたら一体がこちらに戻ってきて報告をする事。

 二つ、大きな音を出して周囲の仲間を呼ぶ事。

 三つ、いきなり戦闘はせずに、情報を引き出す事。

 四つ、勝てないなら、時間稼ぎをする事。

 

 これらをしっかりとやってもらうために、一つの集団に必ず二体は考える能のある妖怪を入れて編成した。

 一つの集団の頭数は六体。一体不意打ちで殺られ、一体伝令で離脱しても、四方から囲めて戦えるギリギリの数だ。縄張り全体に効率良く分散させるためにもこの数が妥当であると思い決定したが、出来ればもう一体加えておきたかった。

 しかし、今の配下の数は、使える者だけを数えると三千程度。質のいい奴だけならば、千程しかいない。五百の部隊で広大な縄張りを中をこの数で探したとしても、相手は相当に頭のキレる奴。ほぼ確実に見つからないだろう。いや、見つかったとしても、その時には部隊一つが骸となるか。

 

「兎も角、これで何かしらの反応があれば御の字といったところか…」

「なぁ、お前だけ居りゃあ何とかなるしよ、俺もソイツを探しに行ってもいいか?」

「…駄目、三人居ての大将。私達は仲間」

「ちっ……分ぁったよ」

 

 そう、僕達はいつも三人でやってきて、次々と障害を乗り越え、食い荒らしてきた。今回の敵もきっと僕達の血肉となってしまうだろう。そうやって、僕達は三人でのし上がっていくんだ。望む世界を創り上げるために。

 

「さて…」

 

 配下の妖怪が集まっている広場で指示を飛ばしてから、そにある玉座的な形をした石造りの椅子に座って話していたハクとレイとノラ。三人で報告を待っていたのだが、ハクはそこから立ち上がって、壇上の上という立ち位置を利用して目の前にいる部下達を見渡した。

 五百程の部隊を作ったと言っても、その全てを放っていたらもしもの時に対応が出来ない。

 なので四百くらいを散会させてこの場に残りの百を待機させているのだが、何もガン待ちする事だけが領主のやる事ではない。司令塔の機能が必要なのは事実だが、使える手段が残っているのもまた事実。ならば、やれる事は全てやってしまおう。

 

「…ん、どうしたの?」

「んだぁ?」

 

 広場──と言うか本部は、僕達の縄張りのほぼ中心にある。認識の通り僕達はここで配下の妖怪を支配し、様々な指示を出している。

 ほぼ円形に森の木々を伐採してならしたこの土地には、三千体全ての妖怪を招集出来るほどの広さを誇っている。その円の北側に僕達の席である玉座があり、更にその奥、森に少し入ると僕達だけが出入り出来る場所──先程僕が暗殺されかけた僕達だけの場所がある。僕達の住処はそれぞれ縄張り内で自由な位置にあり、特に決まりはない。

 

 振り返り、二人を見る。

 

 立地、それぞれの居住地、哨戒任務に就かせた部隊諸々、僕達にはある程度の地の利と数の利がある。そして少ないが、多少の情報もある。

 この場でのさばっていても仕方ないことは以前から分かっている。動けない現状を相手が予想していることも理解している。敵がとれる選択肢もあらかた考え尽くしたし、目的も推測してみた。核となる部分が抜けているのが痛くてしょうがないが、何もしないのは勿体ない。

 

(…本当に、久しぶりだよ…)

 

 僕と頭で勝負しようとする妖怪には殆ど出会ったことがない。僕は言い得もない高揚感が体を支配してくるのを感じていた。

 しかし理性は残す。こんな楽しい勝負を降りるなんて有り得ない。

 

「この『目』でお前を視れる時が待ち遠しい……」

「どうした?なんか笑ってるけどよ」

「…なんか、笑ってる…」

 

 不敵な笑みを浮かべているのを見て、何だどうしたと訊いてくる二人。どうやらボソッと呟いた言葉は聴こえなかったようだ。

 

「いや何、打てる手を全て打っておこうと思ってね。今から僕が言う事を実行してくれ」

「おう?ここで待機しとくんじゃなかったのか?」

「そう思ったんだけど、戦いに博打は必須でしょ?」

「…………ははっ、違ぇねぇや」

 

 僕の表情から何かを読み取ったのだろう、ノラはギラリと歯を覗かせて好戦的な笑みを浮かべた。『目』で視ると、やはりそこにはこれから起こる戦闘への意欲が砂漠の陽射しのようにギラギラと湧き上がっていた。

 

「三人居ての大将だけど、三人固まってていい道理はないよね?」

「…それは…そうだけど」

「それに、今の僕達では敵には勝てないかもしれない可能性が十分にある。出来るだけ勝てる率を上げておきたいんだ」

「…分かった、何をすればいい?」

 

 暴力や侵略が必要だとしても、レイは戦闘に(ノラほど)積極的ではなかった。それは、彼女が僕達二人と違って、奪われた者ではないからだろうと推測される。

 僕達は、お互いの生い立ちについて色々と打ち明けあっている。その中でも、レイの生まれは特殊だった。

 僕は、色んな妖怪から虐げられて、親から何まで全てを奪われた。ノラは、鬼子母神という集落の族長をしていた鬼の女性の馬鹿げた掟によって、自らの手で全てを放棄しなければならなかった。

 

 どちらも“奪われて”現在の境遇に居るのだが、レイだけは違う。

 レイは親に自害され、右も左も分からない状態で放り出されたと言う。最初に貰える筈の寵愛を貰えず、彼女の胸の中は虚脱感で一杯だったらしい。

 だから、彼女は心の穴を埋める存在()を求め、日々を彷徨って生きているらしい。そんな気配は感じないが『目』で視たら、僕達という仲間がいるのに、彼女の心情は虚しさばかりだった。正直よく分からないが、僕達にとってそれぞれの欲しいものには病的なまでの執着がある。それを理解しているので、僕はその事についてなんら疑問を持たなかった。寧ろ正常だ。

 と言うか、見方によれば彼女も“奪われた者”なのだが、そこら辺には口出ししないでおこう。

 

 

 閑話休題。

 

 

 兎に角、相手に頭脳戦で一泡吹かせたい。今の僕にはその一点しか頭にない。食うまでの間、一体どれ程の戦いが出来るのか、非常に楽しみだ。

 そこには、最初の動揺は全く無かった。あるのは長年捕食者としてこの地で力を蓄えてきた尽きない無限の欲望。強敵を前にしてこの興奮を覚えるのは、(ひとえ)に僕達が妖怪だからである。

 しかし、本当に驚いているのも事実。大妖怪を相手にしても全く退かずに勝ってしまう僕達だが、敵のように鮮やかに隠密で殺せる訳では無い。しかも上級を二体だ。単純な力を測れていないなので何とも言えないが、それでも危険な相手であることは明白。手腕の高さに舌を巻くのも当たり前だ。

 だから、こちらは過剰戦力で行く。

 

「二人共、作戦がある。聞いてくれ」

「いいねぇ。俺の種族上、出来れば真正面からぶっ叩きたかったが、目的の為には四の五の言ってられねぇからなぁ」

「…私も、何でもやる」

(…僕の作戦が正面対決じゃないのは確定なんだな…)

 

 いい返事だ。やはり僕達はこういう感じでなくちゃ。僕がセコい手を使うって二人が分かったのは長年の仲間だからだろう。

 あの時から何万年と経っているのに、僕達の願いは一向に叶う気配がない。力があれば何でも手に入るというノラの理論に従ってここまで来たが、終わりはいつになるのだろうか。願いの大きさに比例して必要な実力は肥大するというのが僕の考えだが、二人に言って理解してくれるかどうか…。

 ノラは果てしなく脳筋だし、レイは愛の事以外には全く関心が無い。どうしたって変えられない事実だろう。その代わりで『頭脳』を僕が担っているのだが、もう少し自分で考える事を覚えて欲しいものだ。

 

「分かった。それじゃあ説明しよう」

 

 けれども、僕を必要としてくれる今の現状が堪らなく有意義に感じるのは、僕の勘違いじゃないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「………!」

 

 敵だ。サッと姿勢を低くし、茂みに隠れてやり過ごそうとする。その時に彼は目を見開いた。

 だが別段ソイツが強そうだとか、何か予想外な事が起こったとか、そんな事で驚いた訳では無い。

 

(……隊を組んでいる…のかな?)

 

 数は六体。実力容姿共に大小様々な種族の妖怪が、周囲を探りながらゆっくりと森を練り歩いている。

 隊を組んでいると分かったのは、そこに普段はいがみ合う筈の二種族が混じっていたからだ。しかし彼らは殺気を振り撒くことなく、まるで何かを探すように周囲を注視していて、全く仲間同士で唸り合うことはしない。背中を合わせていることから、仲間であると判断出来る。

 

「…ちっ、なんで俺がお前なんかと…」

「案ずるな、私も同意見だ」

「というか、こいつら喋れねぇじゃねぇか。どうやって指示飛ばすんだよ」

「さぁな、私は知らん。言葉は理解しているようだし、お前が纏めろ」

「はぁ!?誰がやるかよ!」

 

 しかも知性がある。話せる程度には頭のある妖怪が二体で、後の四体は話せないようだ。さっきから獣特有の唸り声しか上げていない。

 話せる妖怪が中級、残りの四体の中にも一体中級並の妖怪がいて、後は低級妖怪に部類されるだろう。

 

 さて、大将達の仕業だと見て間違いないだろう。こちらの危険さを知らしめても防備を固めない辺り、やはり敵は集団の動かし方をある程度分かっているようだ。

 目的が自分達でないならば、縄張り全体に『目』を張り巡らして敵に足跡を着けさせる。悪くない一手だ。

 

 ここでこちらが見つかれば、それをあれらの内の一体が報告しにいくだろう。そこで万一、報告させずにここでこいつらを全て殺せば、その死体を巡回中の他の隊に見つけられ、これまた報告されて位置がバレる。

 修司は南端から入ってきて、中央に踏み入らずに目的を済ませたい事はあちらにバレていると思っていた。だから、ここで足が着けば、彼がこちらに進んでいたのが知られ、それ以南の地域で哨戒していた他の隊も全て北に向かわせるだろうと考える。隠密を選択する程見つかりたくないと思われている修司は、そこでビビって南に逃げるような奴ではないと相手は推察している筈。そうなれば大乱戦になるのは時間の問題だ。

 目的の洞窟はまだ先にある。ここで見つかってから南に引き返して、縄張り外から盛大に迂回して進むなんて面倒な事、真っ平後免だ。

 よって、一つの隊にも絶対に見つかってはならない。全体的に『目』を飛ばして、反応があった所を全力で叩く。今の修司にとっては、それは結構痛い一手だった。

 

(想定してか博打か、どちらにしろこれで更に難しくなったのは確実だね)

 

 ここまで考えれる妖怪には蘭くらいしか出会ったことがない。これは会うのが楽しみだ。

 こんなくらいで(ほぞ)を噛む修司ではない。寧ろ、目標の武器が完成した後の対面に対する期待が増しただけである。いい練習台になりそうだ、程度にしか考えていない。

 

 

 どちらも舐め腐った反応しかしないが、それでいてしっかりと勝利をもぎ取るので、誰も嗜める事は出来ない。

 

 

(ここで六体全員を痕跡なく抹殺出来るけど、それは芸がないよね)

 

 そこで、と修司は能力を使い、とある『道』を作製する。それは作り貯めた合金を使って、地下に作る地下道。幾人かで行動され、抜けるのが困難な場合にと修司が考えだしたものだ。

 攻撃と防御用に用意した合金の塊だが、使用法は非常に多岐に渡る。

 足元の合金を操作して、地鳴らしで気付かれないように慎重に地下道の作製を始める。人一人がギリギリ通れるような、まるでゲリラ勢力が使用するような通路を向こう側に出口を設定して設置する。地上の出入口で隊を挟むようにして作り上げた地下通路は、厚さ数cmの特殊合金によって地中の圧力に耐え、金属ならではの光沢でテカテカと堅牢さを誇示する光を持って修司の足元に現れた。

 

(よっと…)

 

 梯子を作る必要の無いほど浅い位置に通した通路なので、両足から滑り込むようにしてスルリと降り立った修司。トッ…と体重を感じさせない鮮やかな膝折りで着地した修司は、照明が無く、出入口からの若干の陽射しで薄暗い状態の通路を見通し、出来に頷いた。

 

(これは使えるな。強度や隠密性も十分。後は、制作時の無視出来ない消費時間の長さかな。それだけが問題だ)

 

 地中のみという制限があるが、これは一応使えそうな技術だ。ただ、完成するまでに少し時間がかかることが気がかりである。五秒以内に作れるように練習しなければいけないな、と修司は思った。改善点は何だろうと改善させる。弛まない修行はいつの時代でも必要なのである。

 

 入口は閉じて、地上の六体が移動し出す前に出口へと駆ける。修司が進む度に背後の用済みとなった合金の道はグニャりと歪み、元の塊へと戻っていく。これを第三者から形容するとしたら、イン〇ィー〇ョーンズのワンシーンのようだ。自分自身が能力で壊しているので危険性は皆無だが。

 何年も前から火山だけでなく洞窟にも足を運んでいる修司だが、その時は今のようなワクワク感は全く無かった。最早作業と化した採掘行為だったので、緊張感がまるで無かったのだ。

 

(出口に敵は…居ないね)

 

 頭一つだけ地上に出して周囲を探る。グルッと顔を回したところで音も無く地表に身を出し、出口まで全ての造形を解除して合金の塊に戻しておく。鉄キューブ、食糧保管型鉄キューブと共に修司の直下で合金塊(ごうきんかい)が待機したのを確認すると、荒れた地面を怪しまれないように埋め、後ろを振り返らずにその場を離れた。

 

 

 

 

「…ん?」

「どうした、歳を取りすぎて呆けたか」

「違ぇよ。今なにか音がしたような…」

「はぁ…馬鹿も休み休み言え。私の心労も考えr」

「しっ……」

「……位置は?」

 

 聴覚が鋭い彼は、ほぼ勘に近い本能に頼った予感で痴話喧嘩を中断し、妖力を滲ませて目を素早く巡らせた。声音の緊張を読み取った一方の妖怪はその状況を察知すると、臨戦態勢をとって他の四体に気付かせる。

 

「グルルゥ…」

「ガァ!」

「グァゥゥ…」

「フゴォォ!」

(お前らうるせぇよ)

 

 心の中で愚痴りながら、ピンと立った耳を動かして必死に音を拾う。音は視覚の次に重要な要素である。そこに秀でている彼は、今役目を果たさないでいつ果たすのかと毛を逆立て、僅かな擦れ音も起こさないように微動だにせずに周囲の気配を探った。

 

「…位置は不明。ここらの仲間はみんな集団で行動するように命令されている筈だ」

 

 既に修司はその場を去った後だが、そのギリギリで微かな音を聴けた彼は、情報を共有して案を考える。

 

「そうだな、では、私達の仲間でないということか…」

「どうする?報告に行くか?」

 

 チラッと横目で彼女を見、小声で問う。喋れない四体はその二人を囲うようにして四方を警戒し、頭のいい二人の指示を待つ。この場に修司がいたならば、最悪気付かれた可能性が無きにしもあらずだ。相手は動物から妖怪になった者。野生の勘は誰であろうと侮れない。

 

「縄張り内にいる雑魚妖怪の可能性は?」

「いや、そりゃねぇだろ。ここは普段から上級妖怪が三体くらいも巡回している危険地帯だ。まず誰も立ち入らねぇ」

 

 危険を感じればまるで別人の彼ら。中級ながらこの察知能力は賞賛に値するだろう。

 だが、修司の隠密に気付ける程ではなかったようだ。

 

「勘違いの線は?」

「いやねぇな。俺の本能がそう言ってるぜ」

「ふっ…本能か。それは頼もしい」

 

 言いつつも視線を動かして耳を澄ませる二人。

 

 暫く打開策を考え合っていたが、このままでは埒が明かないという結論に至った。

 

「……逃げたのか?」

「濃厚だな。私かお前かのどちらかが報告に向かった方が良さそうだ」

「足はお前の方が速い。ここで待機しといてやるからサッサと行ってこい」

「言われなくても」

 

 彼女は足に自信があった。探知に長ける彼とは違い、彼女は戦闘開始からその真価を発揮する。そのため伝令としても優秀であり、部隊としてはとてもバランスの良い六体だったのだ。

 妖怪の彼女は警戒態勢を解かずに踵を返すと、腰を落としてダッシュする姿勢をとった。

 

 そして一言。

 

 

「────死ぬなよ、私が殺すんだからな」

「はっ、誰が死ぬかよ馬鹿野郎。…行け」

 

 

 戦闘面では凹凸噛み合う二人だったが、性格だけはどうしても合わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「……本当にいいのか?」

「あぁ、仕方がない」

「…私達の掟を破るよ?」

「構わない。今までに類を見ない敵だ、それだけをする価値がある」

 

 いや、類を見ないというのは過大評価か。ハクはそう思い直し、訂正を加える。

 

「…類を見ないというのは合わない表現だけど、これくらいやる敵の時はいつも苦戦してたからね。そろそろ倉庫やここ(縄張り)も限界だし、頃合じゃないかと思うんだ」

「…『頭脳』の大将がそう言うなら」

「ったく、しゃーねーな。抜け駆けするのは俺の矜持(きょうじ)に反するんだが」

「内心嬉しいって気持ちが『目』から伝わってくるよ、『戦力』の大将」

「そんなもん読まなくたって分かるだろ?この野郎」

 

 ハクの『第三の目』から来る感情は“高揚感”。力を増強する事への果てしない欲。

 同時に協力関係にあるハクとレイに対する無視出来ない申し訳なさが伝わり、ノラの心境は非常に珍しいものへと染まっていた。

 

「…そういえば」

「ん?どうした?『目』の大将」

「…私の呼び名は『目』なのに、『頭脳』の大将のその三個目の『目』も同じ『目』って言ってる…」

「あ、これか…」

 

 周囲に部下が居る時は、本当の名前ではなく二つ名で呼び合うようにしているのだが、それでは少々ややこしい状況に陥る事が、たった今判明した。何故今の今まで話題に上がらなかったのか不思議でならないが、これはどうしようか。いや、どうするかなんて決まっているようなものだが…。

 

「…仕方ない、僕の『目』はこれから『第三の目』と呼ぼうか。長いから面倒なんだけどね」

「…ありがとう…」

 

 ハクの話を石の椅子に座って聞いていたレイ。下半身が蜘蛛なので、蜘蛛の部分の腹を椅子に乗せて脚を畳んでいるが、それらがキチキチと蠢いた。自分の個がはっきりして嬉しかったのだろう、『第三の目』からはそれが伝わってきた。

 

 

「────よし、話はこれで終わりだ。ここからは真剣に行こう」

 

 

 ハクの一言で真顔に戻った二人は、改めてハクに問いかけた。

 

「おい『頭脳』の大将よ。お前もちょっとは腕っ節を強くしとかなきゃいけねぇんじゃねぇか?」

「…『頭脳』、私もそう思う。今のままでは足りない。頭の良さだけじゃ限界がある…」

「僕は、第一報が届くまでここで待機する。一応使えなくはない配下達だからね。配置の組み方からしてもう反応があってもいい頃なんだ」

 

 ハクはこれにかなりの自信がある。地の利がある僕達なら、大体の道筋を予測は出来る。そこに直接部下を配置するのではなく、その道を探知出来る位置(・・・・・・・)で警戒をさせるのだ。殺しが目的でなく見つかりたくないならば、近くに敵がいたとしてもやり過ごして通り抜けようとするだろう。縄張りには殆ど野良の妖怪は居ない。そこで集団で当たらせれば、異変が起こった時の選択肢がほぼ一つに限られる、という寸法だ。

 単独でいる奴がいない時に気配を感じれば、誰だって同じ行動をとるだろう。褒美もチラつかせたからな。

 

「そうか、なら遠慮はしねぇぞ」

「…出来るだけ早く…ね」

「了解、敵を見つけても交戦しちゃ駄目だよ」

 

 これは厳命だ、と最後に一言添えて、二人を送り出した。

 

 二人に出した命令は、若干の賭け要素も混じった、危険なものだ。

 

 ノラには、縄張り内にあった深い洞窟を倉庫にして利用している“食料庫”に向かってもらい、そこにある第一~第三までの食糧を食べるように言った。ほんの少しづつだが、妖怪の死体を食べれば強くなれるのは知っている。第三までの食料庫の食糧を食べれば、ノラは今よりもずっと強くなるだろう。

 だが、それは僕達の定めた掟に反する行為である。

 僕達は仲間であり、復讐者であり、渇望者である。あの時握手を交わした時から僕達は運命共同体なのだ。目的を遂げるまで、同じ速さで強くなり、それぞれを助けながら力を合わせて復讐する、そう取り決めた。誰かが目的を達したとしても、三人の望んだ世界が実現出来ない限り、最後まで付き合うことになっている。

 そう、抜け駆けは御法度なのだ。

 

 だが忘れないで欲しい。僕達は目的の為にその掟を作ったのであって、それを死ぬまで遵守する訳では無い。死ぬかもしれない案件があれば、掟を破って(・・・・・)でも確実な方を選ぶ。それは三人共理解しているところだ。

 

 

 レイには、索敵を任せた。彼女の能力があれば、かなりの範囲の存在を認知することが出来、頼りない部下よりもずっと確実に探し出してくれる。

 僕がいるこの中央の拠点から北に向かい、そこを重点的に見て回る。そうすれば、情報が来た時にどちらか半分に土地が絞られ、そこに全ての配下を送り込むことが出来る。

 もしレイの探知に引っ掛かって敵が見つかった場合は、先に言ったように交戦はせずにそのままでいるように命令している。もしレイの方に来た場合には、探知ギリギリの距離を保ったままに逃げるようにも言ってある。

 彼女が一番危ないが簡単にやられる奴ではないと“信じている”ので、あまり心配はしていない。

 

 そして、報告に来た部下からの情報の真偽を考えた後に、広場で待機させている部下にそこから北の縄張りの範囲を捜索させる。レイはそこでノラのいる食料庫に向かわせ、第四~第六の食糧を腹に入れてもらう。僕も指示を出したと同時に食料庫に行き、第七~第八を空にする予定だ。何故か、どんなに食べても腹が満たされることが無い不思議な特性がここで活きるとは、思いもしなかった。

 

 

 懸念があるとすれば、まだ敵の目的がさっぱりなところか。それが分かれば対策の立てようがあるというのに、一向に判明する気配がしない。

 …あぁ、そういえば、食料庫はここから歩きで数日かかるほど遠かったな。縄張りの端ではないが、保管に適した洞窟がそこしかなかったので、普段は食糧の運搬専用の班があるくらいだ。ノラやレイなら、適当に配下の妖怪を殺して食べ繋ぐだろうし問題はないが、数日連絡が取れないのはやはり拙かったかもしれないな。

 

(まぁ何もしないよりはましか。兎に角今は報告が来るのを待とう)

 

 一日二日で何かあると思うが、はてさてどうなるか。

 二人を見送った後の石の玉座は、心做しか冷たかった。




 

 現在、一話のリメイクを計画中です。プロローグを書いていた頃の作者を殴り飛ばしたい勢いで変更中です。
 一応内容としては、大体の流れは変えずに、描写を変更したり台詞を変えたりする感じです。久々に一話を見返した作者は決心しました。
「…うん、これリメイクしようか」と。

 予告なしで差し替えられるかもしれませんが、シナリオは変更無いので実質無視して頂いて結構です。


 それではまた来週に。

 


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22話.岩窟に鎮座する彩玉と狩人の牙



 戦闘…戦闘…戦闘をさせてくれ…。
 こう…何というか…内政っぽい事や日常的な平坦な描写がやはり難しいです。具体的に言うと、場面が緩やかに変化していくのが堪えられませんw

 それはそうと、今回は……というか今回も目立ったバトルはありません(死にそう)。酒を取り上げられた時の萃香並みです。無茶苦茶にローテンションです。

 一話の編集と練習用の短編集は現在進行形で執筆中です。どうかお待ちを(果たして待っている人が居るのか…)。


 ではどうぞ。


 

 修司がイタチ共を殺してから五日ほど。まだ一週間には満ちてないが、その間飲まず食わずで修司は包囲網を掻い潜った潜入劇を紙一重で避け続けていた。それを昼夜問わず、灯りもなしにひたすら姿勢を低くして周囲に目を走らせることでなんとか継続出来ている。

 

 だが、食糧保管型鉄キューブから食べ物を取り出せるし、『地恵を得る程度の能力』ならば、水脈を操って水を手に入れることも可能だ。睡眠はどうにもならないが、それならばなんとかなる。そう思っていたが、予想以上に妖怪部隊の密度が濃く、とても食事の余裕なんてなかった。一番酷かった時なんて、一つクリアして顔を前に向けたらすぐそこにもう一隊ある…なんて状況だった。とても休憩なんて出来ない。

 流石の修司も、ここまで補給も無しに突き進むのはキツい。

 

 だが、それも今日を切り抜ければ終わりだ。

 

 

 

 

────眼前には、ポッカリと大地に穴を開けて獲物を待ち構えている立派な洞窟があった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 周囲には珍しく敵影はない。今は絶好の機会だろう。というか、今を逃せば次はいつ監視に穴が開くか分かったもんじゃない。

 早々にエントリーした方がいいと思った修司は、ボロボロの体で足音一つせずに中へと入った。いつでも新品の制服と使用者とのギャップのせいか、余計に彼の風貌は原始人のそれを想起させた。

 因みに、髪は一応伸びる。ただし、都市の住民の性質を手に入れてから、その速度は落ちた。行動の妨げになるかと思って、セミロングになったら小太刀で適当に切っている。数年に一回の頻度である。今は切りたてなので髪は問題ない。頬はやつれているが…。

 

(…やっと…ここまで辿り着いた…)

 

 希望なんかに(すが)る彼ではなかったが、この時ばかりは少しの喜色をその顔に浮かべた。

 戦闘に手を抜くつもりはないが、それでもゲンナリとした雰囲気を気にすることなく振り撒く修司の今を第三者が見れば、同情の一言しかないだろう。

 

(暗いな。中にいるのか分からないけど、灯りをつけるべきか?)

 

 ジャリ…ジャリ…と、壁伝いに歩を進める修司はそんな事を思いながら、意識を前方に向けて、中の様子を探る。落とし穴や床が薄くなっている所は避ける。能力は地形把握にも応用出来るのだ。これが結構便利で、これのお蔭で修司は効率良くここまで来れた。

 能力を使うと…あった。目標は、この先の一本道を真っ直ぐ降りて行った先の小部屋らしき空洞に露出して存在している。慎重に操作しないと駄目な物質も含まれているので、やはり最深部まで降りなければならない。

 

 地面のあれこれを知れて操れる蘭の能力だが、敵がどこにいるのかまでは分からない。だから目視と全身の感覚で判断するのだが、音に頼るしかないこの状況は、人間の認識媒体の約八割を占める視覚が封じられているので、かなり危険である。

 だが、

 

 

「……仕方ない、ここからはライトをつけるか」

 

 

 修司は灯りをつけて自分の存在を公に晒す。

 しかし修司はこの選択を後悔はしていなかった。

 調べたところ、この洞窟は地上から鉱石のある部屋まで一直線。枝分かれもなければ、別の場所に通じる穴も無かった。これならば、見つけた妖怪を片っ端から殺していけばいい。逃げるにしても、彼の真横を通り過ぎなければならない。よって、気にすることは無いという考えに至った。

 

「…やっぱり、ケミカルライトは安定してるよな。松明とかよりも全然不安要素がない」

 

 満足そうに呟く修司の手には、一本のガラスの筒が握られていた。

 灯りだが、枝に火をつけるような縄文人じみたことはしない。色んな種類の元素が必要だったが、化学反応する時に放出したエネルギーを光として放つ、ケミカルライトを採用した。資源が潤沢な修司は、煙くてバレやすい松明よりもこちらの方が安心出来ると、数百年前に開発した。知識としてはあったが、“入れ物”が無くて作成が出来なかったのだ。

 

 ポケットから取り出した試験管のような形をした容器。更にその中に入っている二本のアンプル内の液体を混ぜ合わせた混合溶液が、正しくケミカルライトなのだが、光を通すためには“ガラス”の作成が必須だった。

 因みに、これらを混ぜることで発光反応が始まる。確か名前は、シュウ酸ジフェニルと過酸化水素だった筈だ。

 

 炉を作り、鉄棒を作り、ケイ酸塩の準備と、その他アンプル用の薄ガラスの材料。これだけでもかなりの時間がかかったが、ガラスを作ったこともない修司にとってはここからが本番だった。

 ケイ酸ガラスで、外枠として厚めの壊れにくいガラスを作り、その中に割れやすい二本のアンプルを入れておく。そして振ると中のアンプルだけが壊れ、入れていた液体が流れ出し、化学反応を起こして光る、という設計なのだが、これが相当難しい。

 

(あの時は何千年かかるんだろうって本気で思ったなぁ)

 

 まず、適量な材料の配分を見つけ出すのに数年。鉄棒を炉に入れてクルクル回し、まともなガラスを作るのに数十年。その複雑な作りや薄さを実現するのに数百年かかった。

 あの時は初めて悪戦苦闘を実感した時だったかもしれない。いつも蘭の時以外では何も危険なんて無かったような人生だったから、自分の前に立ち塞がる壁の高さに驚いたものだ。

 同時に、まだ自分には高みが存在すると感じたので、更に修得意欲が湧いたのは言うまでもない。努力バカなのである。

 

 最近は『昇華する程度の能力』で何もかもの知識を手に入れ、脳のスペックのお蔭でどんな神業も初見で成し遂げてきた。しかし、今回は全く情報がない。やれるだけの体と頭があっても、元の知識が無ければ燃料のない車と同じなのだ。

 都市のガラス職人には一人も会っていない。故に修司はガラスについての知識が皆無だった。材料と大雑把な製作法は分かっても、それだけでは到底作れなかった。

 

 

 ここで疑問だが、何故彼は『地恵を得る程度の能力』でガラスを作成しなかったのだろうか。

 これは、以前にも露呈した問題だったのだが、修司のこの能力は大地の恵みを好き勝手出来るという代物だが、“焼く”という工程は出来ないのだ。

 鉄杭を使って戦闘をしていた時に分かったが、金属自体の強度は優れている。しかし、焼きの工程を入れて金属の錬度を増すことが出来ず、そのままの金属の硬さで闘うしかないという結果になった。

 今はただの鉄ではなく、複数の物質を混ぜ合わせた特殊合金を沢山保有しているので戦闘面では問題ないのだが、道具作成の時はどうしようもない。

 よって“焼き”の工程が必要な物は、全て一から修司の手作りで手間暇かけて作らなければならない。蘭の小太刀がそういった類いのものでなくて本当に助かったと彼は思った。

 

 閑話休題。

 

「ほいっと」シャカシャカパリン!

 

 音を立てないように制服の裾に包んで振り、小気味よい音が聞こえた時点で振るのを止める。

 それを裾から取り出すと、淡い色合いの綺麗なケミカルライトが出来上がっていた。周囲はその瞬間明るくなり、ある程度は中を見渡せるようになった。やはりケミカルライト様々である。

 

 

 

 

 大して危なそうなものもないようなので、修司はズンズンと奥に降りて行った。途中紐無しバンジーが出来そうな急な斜面や、どこに続いているかも分からない地下水脈なんかがあったりしたが、概ね順調に目標に近付いていった。

 ケミカルライトはこれでもガラス製なので、落としたり激しい衝撃を与えれば壊れてしまう。なので慎重に進もうとしたのだが、何せ何万年もかけて達成しようとした悲願がすぐそこに迫っているのだ。年甲斐(精神年齢は18歳)もなく興奮してしまうのも自明の理というものだろう。

 

 ただしここでミスっては全て水泡に帰すというのは重々承知だ。修司の頭は常にクールな状態を保っている。

 興奮しているのは勿論だが、それで注意力が散漫になる訳では無い。『信頼』が無い人間は如何なる時であろうと『疑う』手を緩めない。

 時々振り返って背部もチェックする。ケミカルライトを(かざ)し、キッと目を鋭く凝らしてみる。

 

(追っ手は…無いね。これなら安全に篭もれそうだ)

 

 油断なく意識を向けるが、そこには誰もいない。前方も然り。数日は動けなくなると予測していたので、これは嬉しいことだ。

 どれくらい降りてきただろうか。ケミカルライトも発光限界時間というものがある。まだ光が尽きていないところを見ると、予測一時間と少しは潜っているだろうか。

 

(もう一本出すのは勿体ない。一気に突っ走るか)

 

 ケミカルライトにも本数に限りがある。ここまで一体も妖怪に出会っていないことを鑑みると、ここには見張りの妖怪はいないらしい。そもそも、こんな奥深くに居を構える物好きなんてモグラくらいだろう。

 

「ふっ──!」

 

 久しぶりに走ったな。そんな感想を漏らしつつ、ケミカルライトで薄ら照らされる障害物を(ことごと)く避けていく。これが新手のゲームなら、難易度はきっと世界一だろう。修司の疾走はそれだけ速く、ケミカルライトの光はそれ程強くないのだ。

 短い気合いと共に暗黒の洞窟内を駆ける修司は、やがて急停止し、目の前の拓けた空間にゆっくりと足を踏み出す。

 

 そうして、修司は計数時間の後に、やっとの思いで最深部へと辿り着いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

「これは……!」

 

 修司が目にした部屋の光景。言葉を失って唖然とするのも無理はない。

 鮮やかに煌めく宝石類や、様々な状態で壁に埋まっている鉱石、あるいはトクトクと流れ出る液体状の物質。その全てが固有の色合いを示し、自らの存在をこれでもかと主張するかのように部屋全体がカラフルに彩られていた。

 こんなに多種類の元素が下手な化学反応を起こさずに状態を保っているのは、最早奇跡としか言いようがないだろう。修司は目の前の現実に呆気にとられていた。

 

「これは……今までに見たことがないな」

 

 双眸が部屋を彩る彩玉に釘付けになり、『地恵を得る程度の能力』でそれらを一つ一つじっくりと調べ上げてゆく。

 

「リン…水銀…黒鉛…ビスマス……お、タングステンまであるよ、すごいなぁ」

 

 修司は気付かなかったが、ここには致死量を軽く超える放射線が充満している。薬で絶対耐性を得ておかなかったら即死だっただろう。妖怪がこの洞窟にいなかったのはそういった理由もあるのだと推測される。

 ある程度見渡したところで、修司はいくつか体内に入れてはいけない種類の物質があるのを目にした。

 これはいけない。修司は『どんな薬でも創造する程度の能力』で、体に害を及ぼす物質に干渉されない耐性をつける薬を創り出した。これも放射能の薬と同じく、永久的に効果が続くものだ。

 今まで地中で作業していたので、この可能性を全く想定してなかった。事前に準備しておくべきだったと彼は俯いた。

 

 そして、ここで新たな問題が発生した。

 

 ある程度近ければ回収出来るのだが、修司はそのまま武器の製作に移るつもりだったのでここまで足を運んだ。だが、この放射線の中では作業が完遂するまでに修司自身が死んでしまうだろう。

 何故なら、取り出そうとした食糧が外気に触れた途端に腐ってしまうからだ。食糧保管型鉄キューブから食べ物を取り出せば、即刻放射線で激しく汚染され、とても食べれる物にはならないだろう。同様に水も駄目だ。

 

「…う〜ん、まさかここまで汚染が酷いとはなぁ…。途中まで戻ってから始めようかな?」

 

 顎に手を当てて考え込む修司。

 だが、と言って頭を振り、その選択肢を除外する。来た道には休めそうな場所は無く、どこも狭くて下り斜面ばかりだった。

 

「…いや、戻るのは却下だな。取り敢えず回収回収っと…」

 

 考えながらでもやれる事をやってしまおう。そう思った彼は、顎から手を離して隅の所から回収を始めることにした。

 壁や床に所狭しと敷き詰められたカラフルなタイルは、一つ、また一つと地中に吸い込まれ、一辺5mの鉄キューブの各部屋に貯蔵されていく。途中色んな反応が起こったりしないように細心の注意を払いながら噛み締めるように収めていき、抜き取った代わりに土で埋め立てたエリアに腰を下ろすと、能力を使用する手を緩めずに、大の字になって寝っ転がった。

 

「あぁ〜……疲れた…」

 

 久々の疲労。ここまで追い込まれたのは本当に久しぶりだ。気配の探知も怠っていないので、見かけほど休んではいないが、体を横にしただけで充分な休息だ。放射能の海の中だが。

 後は飲み食い出来れば完璧なのだが、そうは問屋が卸さない。ツイてないなと一人ごちる。

 

「さて、一体どうしようか」

 

 目を閉じたまま、地下の鉄キューブに鉱石を入れていく作業を続行する修司。この時間に打開策を考える。

 まず、戻るという選択肢は無しだ。そして、この場で数日間篭って武器を作製するというのは、修司が餓死しかねないのでアウト。

 蘭の能力で壁に横穴を作ってそれで汚染区域から離れるという案も考えたが、この洞窟は岩同士が重なり合って均衡が保たれている岩窟だ。よって適当な箇所に穴でも開けたら、彼はもれなく大地の仲間入りをする…という訳だ。

 

「お腹も空いたし…喉も渇いた。そこにあるのにお預け状態って、無い時よりも拷問だよ…」

 

 試しに保管型鉄キューブからリンゴっぽい赤色の果実を取り出してみる。

 

ジュワ…

「…やっぱりなのか…」

 

 地表に出したそれは、途端にシワだらけになり、色もどす黒く変色して縮んでしまった。腐るというよりも焼かれながら圧縮されているような感じだ。どれだけここが危険地帯かが窺える。

 このまま食べても問題はないのだが、人間でいたい修司は、人間らしい食事で腹を満たしたいと考えている。最低限の人間らしさは守り通したいのだ。

 

 

「うぅん、どうしたら………ら?」

 

 何か解決策はないかと周囲の地層を能力で探っていたら、一箇所だけ穴を開けても問題なさそうな箇所を見つけた。

 疲れている筈なのに、修司は目視で確認しようと起き上がり、四つん這いでその壁へと向かう。

 

「あれ?ここだけ固まった土で出来てる…」

 

 しめた。ここなら掘り進めても問題ないし、もし崩れるようなことがあったら特殊合金でガチガチに固めてしまえばいい。他は駄目だが、ここだけなら合金で支えられる。地中奥深くなので圧力が心配だが、そこは修司自慢の合金に賭けるしかないだろう。

 妖怪部隊を避けるのに使っていた『道』を作ってもいいが、あれでは数日過ごすのに些か狭過ぎる。今度は広く空間を開けよう。

 

「よし、ここは大丈夫みたいだね。頼むから、崩れないでくれよ…?」

 

 誰に言ってるのか分からないが、彼の祈りは絶対に神様に向けてのものではないだろう。修司はもう、神なんぞはそこらのゴキブリと同列だと思っているから。祈るとしたら、それはきっと自分自身の手腕だけだ。

 

グググ…

 

 その場で監督する必要はないのだが、これが唯一の手段であるだけに、修司は自らの両目で経過を観察し、細かく能力で土を削っていった。削ると言っても、『地恵を得る程度の能力』で土をどけているだけだ。

 

 

 

 

────体感にして一時間たっぷりかけただろうか。

 

 所々合金で補強した部分はあるが、これでこの場から安全に離れられる通路を確保した。

 先程まで色とりどりに飾られていたこの小部屋は、今では岩窟の隙間に土を圧縮して詰め込まれているだけの、ノッペリとした空間へと変貌を遂げてしまった。だが害物質の残滓は辺りに充満し、やはり避難が必要だ。

 人一人通れるくらいのこの通路はとても長く、最奥には六畳ほどの広さにくり抜いた部屋を用意してある。そこまで全力疾走で十分はかかるだろうか。

 兎も角、特にこれといった障害は無く、工事は恙無(つつがな)く終了した。

 

「早く作業を始めないと、いつここに来るか分からないな」

 

 例えここが即死必至のエリアだとしても、もしかしたらという可能性も捨てきれない。用心に越したことは無いだろう。

 

 

「…待ってろよ」

 

 

 それは妖怪の大将達に向けてか、はたまた天を廻っている月に向けてか。

 それとも…

 雰囲気を暗く落としながら、修司は通路を走り出した。

 

 

 一直線に延びるこの通路。本当に予想通り十分ほどで到着した修司は、何も無いこの空間を取り敢えず人の住める最低限の環境にしようと思い、合金を使って家具などを作り始めた。

 周辺の地層は加工しやすい塩梅だったので、心置きなく設備を整えていった。椅子、机、ベッド…本来の人間の一般的な生活を思い出しながらの作業は、砂粒ほどの感情だが彼の心に懐かしさを灯した。保管型鉄キューブから取り置いておいた草や綿のような植物を取り出し、ベッドに敷いたりと、それなりにこの部屋は現時点でかなりの出来だと思った。自然の中からこれらを作り出すのは難しいだろう。

 

「中々上手く出来たんじゃないかな。数万年ぶりの人間らしい部屋だ」

 

 これなら六畳でなくてもいいかと、修司は能力を使って部屋の拡張をしようともう一度周りを調べた。

 

「────お?これは…」

 

 すると、最奥の部屋の近くに別の空洞があることを発見した。

 気になって続いていく先を探っていくと、そこには八個ほどのかなりの大きさの空間が連なる場所があった。まだ空洞は先へと続いていたので非常に気になるところだが、それを調べるのはまた今度にしようと、能力を解除して今一度部屋の完成具合を確かめた。

 

「…うん、これでいいか」

 

 そうと決まれば善は急げだ。

 空気に触れさせてはいけない物質もあるので作業は全て地中で行う。水も要るので水脈を引っ張り上げてきておき(ついでに水源も確保)、必要な器具を合金などで作っておく。

 

 三十分ほどで全ての準備が終わり、保管型鉄キューブから食糧を出して、数日ぶりの飯にありついた。

 

「あ〜美味しい。生き返るな〜」

 

 これだけでもう救われた気分がする。殺風景な天井を見上げ、懐かしいやら落ち着かないやら、言い得もない感情を覚える。自然と閉じた瞼の裏には、戦争前の甘ったるいあの日々が蘇ってくるようだ。

 

 

「────始めようか」

 

 

 捨てたもの(理想)を一々夢見るのは止めよう。

 だってそこには何も無いんだから。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「おい」

「ようこそおいでくださいました大将様!本日はどういったご要件でしょうか!」

「中にいる奴ら全員表に出ろ。そしてこの入口の警護につけ」

「それは、つま…ぐぇっ!」

「ごちゃごちゃ言ってねぇで出て来いつってんだよ。誰も入ってくんな」

 

 門番の妖怪の胸ぐらを掴み上げ、妖力にものを言わせて有無を言わさずに言葉を投げつける。

 

「は、はい!只今!」

「俺達からまた命令があるまでここでじっとしてろ」

 

 掴んでいた手を離すと、脱兎の如く洞窟へと走り去っていく妖怪。ノラも中へと歩き出し、目的の食料庫に向かって行った。

 

 洞窟を降りていく。一歩一歩踏み出す度に温度が下がっているような感覚を受け、最深部に着くのに数時間必要なほどの長さを誇るこの洞窟のすごさを改めて感じた。

 まずは第一倉庫だと彼は思い、一番地上に近い横穴を目指していた。彼の命令通り、洞窟内で警護をしていた妖怪は次々と彼の横をお辞儀しながら通り過ぎていく。適当に散会させておくのは拙いのでこの大人数で入口の守護を任せたのだが、これは流石に多過ぎたか…?

 

「…ま、俺の知ったこっちゃねぇな」

 

 こーゆーのはハクの仕事だ、俺は雑魚なんてどーでもいい。

 

 変な雑念を振り払い、これから拝めるであろう食い物の山に想いを馳せ、顔がニヤける。ハクは彼の能力を分かっているから、こんな案を出してきたのだ。

 

 

 ノラの能力は、『喰らい尽くす程度の能力』。

 文字通り、喰らい尽くす能力だ。喰うことによって様々な効果を永続的に受けることが出来、それには際限がない。日々の必須な食事でさえこの能力は発動する。応用が皆無なれど、決して侮れない能力だ。

 食べた物によって恩恵は異なり、妖怪や獣を喰った場合はほんの僅かに力を蓄えることが出来る。それも通常の妖怪よりも、幾分か効率的に。ある妖怪が百匹の妖怪を喰ったとしたら、ノラが同じ妖怪を百匹喰った場合はその1.5倍の倍率で強くなれる。

 殆ど喰った事がないが、植物や木の幹、花や木の実を喰うと、自然との親和性が高まって自然に溶け込めるようになれる。荒々しいノラは、そんな事出来ないが。

 こんな能力があり、更に鬼という戦闘特化型の種族故、ノラは妖力も物理も向かう所敵無しの強さを誇っている。これからもっと強くなるというのだから、その危険性は充分に理解出来るだろう。

 

 

 この洞窟は、頑丈に出来ている上に地下へと続いていて、とてもヒンヤリとしている。殺した妖怪の保存や、その他食べ物の保管に最適だとして、縄張りを拡張していた時期にハクがここを保管庫だと定めた。

 一直線に斜め下へと降りていくこの洞窟は、枝分かれするように八つの横穴があり、それぞれには丁度いい空洞が拡がっている。手下にある程度掘らせたのもあるが、大体の原形は出来上がっていたというので驚きだ。こんないい物件があるものかとハクが珍しくビックリしていたのは古い記憶だ。

 

 地上に近い順に、その空間は第一~第八食料庫と呼ばれ、ノラは上から三つの第一~第三を平らげろとハクに言われた。

 三人の中では随一の攻撃力を持つノラは、ハクにはそう言われたが、正直自分の力があればどんな奴だろうと殴り飛ばせると信じていた。念には念を、というハクの言い分は分からなくもない。だが、それは仲間である自分達のことを信用していないのではないかという疑惑を浮上させた。

 

(ちっ…。考えんのは面倒なんだがな。こうもチラつくと考えずにはいられねぇ)

 

 脳裏に明滅するのは、三人がここらの妖怪の大将となった瞬間の光景。

 優越感に浸り、己の理論が正しかったと思えた、あの瞬間。

 仲間と一緒に勝ち取った地位だが、あの時の自分にはそういった分かち合う感情なんぞは湧いてこなかった。

 

 あったのは、ひたすらに優越感。

 

 平伏する配下を壇上から見下ろした時に感じたのは、果てしない確信感。

 自分がこれまで信じてきた『力』は、やはり正しかった。この力さえあれば、俺達は………いや、()は、何でも叶えられるんだ。

 

 ハクは言っていた。

 

「……────『僕達は珍しい妖怪だ』。確かにその通りだ。俺達は弱小妖怪だったくせに、ここまで這い上がってきた」

 

 『頭脳』を名乗るだけあって、やはり的を射た一句を言う。

 本来ならば、最初の頃で死んでいてもおかしくなかった。

 だが、死ななかった。

 三人は、“持っていないモノを持っていた”からだ。

 

 それは────

 

 

 

 

「力だ。力があったから、()はのし上がった」

 

 

 

 

 今も、そしてこれからも、それは変わらない。不変の事実。

 屈し、ひれ伏し、媚を売る木っ端妖怪から成り上がったのは、やはり『力』があったから。

 ノラは拳を握り、筋肉を躍動させる。

 

「俺はこれからも負けねぇ。邪魔な奴はぜんぶ殴り殺して、骨も残さずに喰い尽くしてやる」

 

 もう、自分の“ナニカ”を失いたくないから。

 もう、目の前から“ナニカ”が消えていくのは我慢ならないから。

 

 倒して喰って、俺は強くなる……

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 二人と別れたレイは、そのまま真北に向かい、能力を全開にして探索を開始した。

 レイの能力は本当にこういう時に役立つと、ハクはそう零していた。

 能力のみに集中するために、レイはその場で蜘蛛足の関節を折り、下半身の蜘蛛の胴体を地面につけて、意識を収束させた。

 

 誰かに求められるのは至高の喜びである。そして私はその者に求め返し、同様のそれを受け取るのだ。

 産まれた瞬間、ほんの一瞬、本当に刹那の時に感じたあの感情。

 

(…あの瞬間だけは、満たされていた)

 

 その後すぐに掻き消えてしまい、至高の寵愛は終わってしまった。

 また…また、“愛”が欲しい。無くなってポッカリと空いてしまったこの虚しい空間を、誰かに埋めてもらいたい。その一心でレイは、これまでノラの言った理論を信じて力をつけてきた。

 力があれば何でも手に入る。思い返せば、力があればあの時、両親を止めることが出来たかもしれない。その他の状況なんて何も分からないけど、あの二人には死んで欲しくなかった。もっともっともっと、溢れるくらいに“愛”が欲しかった。

 

(…それだけで良かったのに、何で要らないものばかり増えていくの…?)

 

 地位、羨望の視線、力、仲間からの信頼、日々の食糧。全部全部要らないのに、何故かそれらばかり増えていく。

 

(…誰か……私を見てよ…)

 

 物理的でも、ハクの『第三の目』のように間接的でもない。

 本物の心から、肌身を擦り合わせるように見て欲しい。“愛”というものが全く分からないけど、誰かこの気持ちを満たして欲しい。

 ハクやノラは仲間だけど、あれらは愛をくれる対象ではないから、正直どうでもいい。だけど、力で何でも叶えられて、それにはあの二人と協力する事が必要なら、大人しく従おう。だって、それならいつかは『愛のある世界』を創り出せる筈だから。

 

 

「…この辺りには…いないみたい…」

 

 

 レイの能力は、『気配を察知する程度の能力』。

 これまた文字通りの、単純な能力だ。

 温もりある存在を感じていたいがために発現した彼女の能力。

 これは、彼女を中心に円形状に範囲が広がり、その中全ての存在を認知する事が出来るという能力である。また、最近は一部に特化させて探知範囲を弄れるようになった。

 認知出来るものは体温のある生き物と動くものだけで、目立った動きのない植物や石ころ、またの体温ない(本当にそんな奴がいるのか怪しいが…)生物には反応出来ない。今回の敵は常に移動していると思うので探知出来ないという事態には陥らないだろう。

 

 これだけなら脅威になり得ない能力だと思うかもしれないが、問題はこれの探知範囲である。

 感覚にして、レイが直線的に歩いて丸三日はかかる程の半径があるのが、この能力の利点だ。これだけで縄張りの実に四分の一をカバー出来る。

 ただこの能力、範囲ギリギリに近ければ近いほど、感知が鈍くなるのが難点である。レイは能力のみに集中することで反応出来てるが、特に戦闘しながらでは、とても範囲限界まで意識を広げてられないだろう。

 

 

(……西側半分は大丈夫。東側は…)

 

 閉じていた目を開けてチラッと左側を見たレイは、また元の姿勢に戻って集中を再開した。

 広場から離れて一日ほど経っている今は、真北の縄張りの限界までを能力の範囲内に収め、本格的に監視を始めている。

 意識を全て探知範囲の西側に向けて調べていたレイは、問題がない西を無視し、自分を通る北南の縦線から右側…つまり、東側の範囲を探知にかけた。

 これまで自分の周囲を軽く探ってみたが、部下の六体部隊が結構密な間隔で配置されている。しかも、それは妖怪がいつも使う獣道から少し外れた場所だけで、獣道には誰もいない。ハクがやけに自信があったのは、この配置に理由があるのだろうが、学がないレイにはその真意を知ることが出来なかった。

 

「…敵、この包囲網の中で見つかっていないなんて、やっぱり相当な手練」

 

 朝にあった報告とハクの説明で察しはついていたが、本当にこれ程とは思いもしなかった。森が騒いでいないところをみると、妖怪を殺さずにいるらしい。死体があれば確実に血の匂いで周囲の妖怪部隊は気付くだろう。

 ハクは妖怪の大将の『頭脳』を担うだけあって、頭脳戦が非常に得意だ。そこはレイも認めている点であり、ハクの最大の強みとも言えるだろう。本格的な戦闘が始まる前が彼の戦いだと言っても過言ではない。勿論、彼の戦闘での指示とサポートは的確で、ノラはその時の彼を一番評価しているようだ。戦闘しか頭にないあの脳筋は、戦闘の事しか考えられないらしい。

 

「…ハク」

 

 彼は、私に接してくれた最初の妖怪だ。初めての感覚にあの時は胸が熱くなった。

 その後ノラとも知り合ったし、下心満載ではあるが、配下の妖怪とも会話する機会が増えた。一人ではない…かのように見える。

 

「……でも駄目。みんな、“愛”をくれない…」

 

 自分が何か理解していないものを他人が与えられるのか疑問だが、そんな疑問は彼女のあたまには、浮かばない。

 彼女にとっては“愛”が全てであり、“愛”こそがこの世の全てであるという確信に近い結論に至っている。

 逆に言えば、“愛”をくれない全てはレイにとって景色の一部であり、この世に蔓延(はびこ)る有象無象と遜色ないのだ。彼女の双眸は“愛”しか色を映さず、鬱蒼と生い茂る木々や、話しかけてくる木っ端妖怪やハクとノラでさえ、彼女にはモノクロの存在としか認知されていない。

 これが世界から“奪われた者”の運命(さだめ)なのか、それは知る由もないが、レイにはそれが現在における真実であり、渇望者としてあるべき姿なのである。

 

「…ノラは……いた」

 

 因みに、探知の範囲内にはノラが向かった食料庫がある。そこから遠くにもう一つ別の洞窟があるが、あそこは何かよく分からない有毒物質が中に蔓延しているというので、今では誰も近寄らない区域になっている。

 能力でスキャンをかけているレイは、食料庫に入ろうとしているノラの存在を見つけ、もっとよく見てみた。

 

「…ノラ、脳筋だからって門番に掴みかかってる。そんな時間無いのに…」

 

 流石脳筋族と言うべきか、ノラは案の定他人に対する当たりは激しい。部下なんてそんな対応でも問題ないのだが、今はそんな事をやっている時間が無いことをすっかり忘れてしまっている。

 おっと、ノラの現状を知りたいがために彼のみに集中してしまっていた。やるべき事はキチンとやらなければ。

 

 結局、東側も詳しく調べてみたが、個別で動いている誰かはどこにもいなかった。

 だが、これで終わりではない。ハクに言われたように、指示がまた来るまでここで自分の範囲を監視していなければならない。

 そして、監視の任を解かれたら今度は食料庫の食料を食べる作業……正直言って面倒くさい。

 

「…でも、これも私の為」

 

 そう、全ては『愛のある世界』を創り出すための過程。そうレイは割り切り、自分に与えられた仕事に集中した。

 

 

 

 

────自分の為に。

 

 

 




 

 今回の内容は、修司のハイディング終了のお知らせと、妖怪の大将の二人の能力と決意でした。化学的な内容も登場しましたね。まぁ鉱石とか元素とかいうものが話に入ってくれば、自然とそういう流れになりますよね。

 作者の化学知識は高校止まりの一般的なものと、ネットから得たにわか知識で構成されています。間違ったものが記載されていた場合はご報告下さい。

 次でまどろっこしいのは全て終了です。作者は歓喜です。


 ではまた来週に~。

 


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23話.呉越なる隣人と一触即発な準備期間

 

 苦手だけど、こういう戦闘が無いのも段々好きになってきました。
 とりあえず、自分の思い通りに文章が書ければ作者は満足です!(文才があるとは言っていない)
 最初はほんの小さな思い付き。自分も小説を一つ完結させたいという野心で始まったこのssですが、これからもどうぞよろしくお願いしますね!!


 ついに両者が出会います!どうぞ!
 


 

 

 

 仄かな秋の寒風の匂いに鼻を擽られる季節。

 枯れ草が地面に溶け込むこの季節は、冬の蓄えを増やし、これから襲い来るであろう厳しい寒波に備えて準備をする時期でもある。

 

クシャッ…クシャッ…クシャッ…

 

 歩く度に落ち葉を踏みしめ、それが五体の足から発せられた五重奏となって彼らの耳を刺激していく。

 肌寒い秋の訪れを感じる彼は、その足音を楽しむことなく、ただひたすらに欠伸を噛み殺していた。

 

「ふぁ〜ぁ〜〜っとぉいけねぇ」

 

 後頭部をガシガシ掻きながら滲んだ涙をもう片方の腕で乱雑に拭う。

 

「なぁお前ら、歩くの止めて休憩しねぇか?」

「バゥ!」

 

 そっか、喋れねぇんだっけか。

 何回も繰り返したやり取りだが、彼の頭にその結果が入ることは決してなかった。相変わらず「何言ってんだ?お前」的な顔をして鳴くコイツら(低級妖怪)に付き合うこと自体が馬鹿馬鹿しい。

 

 自慢の両耳を使い、自分達の音を除いた周囲の異常を逃さずに聴き取る。そこまでして警戒するなら軽口を叩くなと、いつも諌めてくれる腐れ縁のアイツは今はいない。何故なら、数日前に感じた僅かな予感を報告してもらうために、アイツの憎たらしいほどに速い脚を使って伝令に走ってもらっているからだ。

 

「…にしても…ふぁ〜〜〜」

 

 あの時の無駄にキリッとした顔と真面目な緊張感はどこへやら。そこには、ほぼ元通りに面倒くさがりな性格へと戻ってしまった情けない中級妖怪が一匹。

 あの時にアイツを伝令に出してから、暫くは立ち止まって周囲を警戒していた。

 だが、夜が更けて朝日が昇り始めた頃に近くにはいないと結論づけ、ならばアイツが戻るまでブラブラ歩くかという事で、あの地点を中心にそこらを探索しているのだ。

 戦闘が無ければそのまま哨戒を続けよ。これは大将様から言われた命令だ。しかし、そろそろ睡眠をとってもいいんじゃないかと思い始めている。それだけ眠い。本当に。

 

「あ〜眠てぇなぁ〜。そう思わねぇか?」

「ガルルルゥ…」

 

 今度は、「馬鹿なこと言ってないで仕事しろ」と言われた気がする。

 

(…つか、俺の方が強ぇのになんでコイツらはこんな生意気なんだよ。あれか、舐められてんのか?)

 

 しかし、彼は怒るのも面倒くさいと思うほど駄々草な性格である。流石に攻撃してくるくらいに舐められたら殺すが、琴線に触れない程度の温い言葉なら許容出来る。いや、許容というよりは放置に近いが…。

 

「あ〜はいはい、分かったから黙ってろ。俺の耳はうるさ過ぎたら聴こえねぇんだよ」

 

 そう言うと、腰辺りに頭がある狼みたいな妖怪が一声吠え、それっきり彼の周りの四体は落ち葉を踏む音すら気を付けて行動するようになった。大将様に相当気に入られたいらしく、その忠犬っぷりは元が動物の彼でも引くほどだった。

 

(素直な奴らだな────)

 

 感想を零そうと思った彼だったが、不意に耳が音を捉え、ピタッと足が止まった。

 

「「「「……?」」」」

 

 周りの四体が全員首を傾げ、彼からの説明を求める。

 

「…お前ら、何かがこっちに来る」

 

 駆ける足音からして二足歩行の妖怪。枯れ草を全く気にせずにこちらへと突っ走ってくるその音の主は隠れるつもりがなく、全速力で迫ってきた。

 物騒なジョークは彼は言わないタチだ。四体もその事はこの数日でよく分かっているので、彼らはすぐに行動に移した。

 

「グァウ!」

「バゥ!」

「ガルルル…」

「ギャウ!」

「こっちの方角だ。数は一。真っ直ぐ俺らの所へと向かってる」

 

 やれやれと彼は辟易し、音の方向を指し示すと、自分も戦闘態勢に入った。この広大な縄張りの中で数日の間に二回も何かと出会うなんて、俺らはツイてるな。そんな文句を心の中で吐きつつも、大将様から敵の強さは聞かされていたので、これまでにない緊張を味わっていた。

 今日、今ここが俺の死地かもしれない…。

 大将様からの命令は時間稼ぎ。強い敵以外は彼らに任せているのが日常なので、即ちそれは敵が強大であることを示唆していた。

 

(くそっ、こんな時にアイツがいれば…)

 

 己の野生の勘を信じて彼女を送り出してしまったがために、肝心な今を伝えることが出来ない。臍を噛むと同時に、自分が殺す予定だった彼女が誰かに殺されなくて良かったなんて阿呆な思いも存在している。妖怪にあるまじき感情に彼は笑みが漏れ、若干緊張が緩和された。

 

 見ると、足元の四体も震えている。死ぬ前提でこの任務に就かされたのだ、当然だろう。ただの肉壁だったのだと、今更ながらに理解したような震えだった。

 

「ふっ…お前ら、今更かよ」

 

 馬鹿らしい。俺らは妖怪。敵がどんなに強いと大将様が言ったって、俺が全部殺してやるよ。そして強くなって、いつかは大将の座を奪ってやる。

 

 

「来るぞ……3…2…1…────っ!!」

 

 音が近くなり、秒読みを始めた彼。だが最後のカウントを告げようとした時、彼はその口を慌てて閉じた。

 

「あっ────!!!」

 

 そして素っ頓狂な声を上げる。ガサっと茂みから飛び出してきたソイツは、彼を認めるや否やこう叫んだ。

 

 

 

 

「馬鹿者!!敵味方の区別くらいつけろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「報告ですっ!!!」

 

 広場に飛び込んできたその妖怪の第一声はそれだった。

 息を切らして必死に駆け込んできた彼女に、待機していた数多の妖怪は驚いた。しかし、彼女の言う報告の意味を察した彼らは、そろそろ自分達も暴れられるという考えに至り、ニヤリと笑って道を開けた。

 

「話せ」

「は、はい!」

 

 そのまま真っ直ぐに玉座がある所まで走り、片膝をついてそこに座っている大将様に頭を垂れた。

 勿論、そこにはハク一人しかいない。ハクは待ちわびた情報に期待し、早く話すように急かした。

 

 大将様と話すなんて滅多な機会早々ないので、彼女の声はちょっと上擦っていたが、伝えなければならないことは正確に伝えた。

 その間終始ハクは眉間に皺を寄せ、難しそうな顔をしていた。

 

「………」

「い…以上でございます…」

 

 険しい顔面を不機嫌と捉えたのか、それともハクが覚り妖怪で心を読めることに思うところがあるのか、彼女は気圧されたようにそう締めくくった。

 以前にも説明したが、ハクは相手の感情までしか読めないように『第三の目』を制御している。それは常時なのだが、レイとノラにしか教えていないので、部下はハクがいつも内面を見透かしていると錯覚している。

 

 彼女から感じる感情は恐れと服従。簡単に言えば畏怖の念だ。彼女はハクの実力を認め、服従することを決めている。こいつはいい部下だ、とハクは思った。

 

 さて、彼女が持ち帰った情報から作戦を立てよう。

 

 まず、彼女は抱いている感情から嘘をついてはいない。だからこの情報は真実だろう。

 彼女の部隊が探っていたのはここから東に数日行った場所だ。あそこは普段上級の妖怪が彷徨いていて滅多に野良の妖怪や動物は見かけない。そして、今は全員を招集してから集団にして放ってある。その時近くに他の隊がいない状況での物音。

 普通ならば、彼女達のように敵だと検討をつけるだろう。更に彼女が離脱しても何もせず、奇襲も無かった。これはハクが予想していた仮想敵の行動と合致している。

 

(しかし…)

 

 彼女が報告すると判断した情報の確実性が少々気になる。その物音を拾った彼女と同じ隊の妖怪は、確実に聴いたのではなく、本能と培った勘での反射的なものだったらしい。確かに、元が動物の妖怪は五感に秀でた者が多くいるし、野生の勘が働くのだろう。

 しかしだ。本当にそれは敵の出した音なのだろうか。もしかしたらそれはどこぞの小動物のものかもしれないし、そもそも仲間の妖怪の聞き間違いかもしれない。

 

「……それは間違いないのか?」

「っ……も、勿論でございます!」

 

 彼女には、嘘だと言った場合の未来が浮かんでいるのだろう。ここに馳せ参じた上に、これ程重要な情報を大将様に知らせたのだ。もし嘘だったなら、待っているのは無惨な死のみ。よって彼女には、「是」と言う他に道はないのだ。

 我ながら無駄な質問をしたと思いながら、別の道で彼女の本心を探ることにした。

 

「お前に罰は与えないから教えろ。その妖怪が聞き間違えたという事は無いか?もしそうならば、お前の罪は不問とし、引き続き任務に当たってもらう」

「………」

 

 妖怪というのは傲慢で浅ましい生き物だ。自分に咎が無いと分かったなら、すぐに手の平を返す。褒美欲しさに虚偽の報告をしようとしたなら、バレる前にその妖怪に擦り付ければいいと思わせればいい。

 

(さて、返答は……)

「どうだ?早く答えろ」

 

「わ…私は……」

 

 『第三の目』から視える感情は、葛藤と疑問。

 相当に迷っているようだ。大方、このまま嘘を突き通すか、その妖怪を差し出すか考えているのだろう。

 

(…にしても驚いたな。嘘だったなら即答ではいと答えると思ったんだけど。もしや、自信のある情報なのか?)

 

「私は………」

 

 目が左右に揺れて明らかな動揺を見せていた彼女は、不意に定まった双眼でハクを見上げ、答えを口にした。

 

 

「私は────この情報が真実であると確信しております」

 

 

「!……ほう」

 

 制御を解除して心の中を覗いてみたい衝動に駆られる。しかし他者の心を覗くことに抵抗のあるハクは何とかその衝動を抑え、感情のみを視てみると、そこには決意と不満があった。

 不満は分かる。その妖怪の勘を信じたばかりにこんな事態になっているのだ、不満の相手はそいつに向けてだろう。

 しかし、決意には疑問が残る。その妖怪を信じる決心をしたのか?いや、妖怪は別の妖怪をそう易々と信じたりはしない。利害の一致で協力することはあっても、こんな状況でそいつを信じる訳が無い。

 

「その言葉、嘘ではないな?」

「…はい」

「もしこの情報が虚偽であった場合…分かっているな?」

「……勿論でございます」

 

 返答に間はあれど、感情に迷いはない。

 不思議な妖怪だ、とハクはそう思った。同時に、面白いとも思った。

 

「……いいだろう、ご苦労だった。これが真実であることを信じよう」

「ありがたき幸せ」

 

 これに乗ってみるのは悪くない。ハクは彼女が持ってきた情報を信じ、取り敢えず下がらせた。

 

 

 

 

 やる事は決まった。これから自分も食料庫へと行こう。

 

「皆に命令だ!!」

 

 声を張り、普段は出さないような大声で指令を下す。

 

「これより皆は北東部以外を探索している全ての部下に以下の指令を伝えよ!!」

 

 玉座から立ち上がったハクは、一歩踏み出し、全体を見渡した。

 

「敵は北東部の何処(いずこ)にあり!!至急そこへ向かい、接敵次第周りに知らせながら即座に戦闘へと移れ!!尚、隊は解除せずに必ず集団で行動すること!!昼夜を問わず走り向かい、絶対に出遅れるな!!」

 

「「「「「御意!!!!」」」」」

 

 ハクの命令を聞き届けた広場の妖怪は、威勢のいい声で返事をすると、クルリと後ろ向いて走り去って行った。

 

 

「お前」

 

 報告に来た彼女も行こうとしていたが、ハクはそれを呼び止め、こちらに呼び寄せた。

 

「お前はお前のいた隊へと戻り、この令を伝えよ。そしてそいつらと北東部へ向かえ」

「御意!!」

 

 彼女は今一度大きな返事をすると、中級にしてはなかなかの速さで広場を駆け抜けて行った。成程、報告に来たのも頷ける。

 

「────さてと」

 

 命令は下した。後は部下共で時間稼ぎをさせている間に、準備をしておくだけだ。

 

「僕も行こうかな」

 

 踵を返し、北にいるレイを目指してハクも広場を発った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 周囲に部下がいるのを鬱陶しそうに顔を顰めながら、レイは能力での探知を継続していた。これだけ邪魔者がいると、本丸が居た時に見分けられないかもしれないからだ。

 数時間したら少しの休憩を入れなければならないレイの能力。頭にかかる負担はそれなりのもので、探知に引っかかる反応が多ければ多いほど比例して頭痛が酷くなる。

 

「…うぅ…頭痛い…」

 

 彼女は分かっている。実際にそこに人員を配置しておいた方が何かしらの反応を期待できるし、能力の休憩時間の隙間を埋めてくれるのも。

 

(…でも)

 

 難しいことを考えるのは難しい。レイはそう思うから、難しいことは全部ハクに任せてきた。長年そうしてきた筈なのに、何故か頭は考えることを拒否しない。寧ろ脳内になすり付けてくるような強制力を感じる。

 頭痛のせいかな。そう割り切って気配を読むことに集中する。

 

 レイは、産まれた時からずっと、“愛”の事を想って生き、“愛”とは何かを考えながら、“愛”というものを与えてくれる誰かを必死に探し続けている。それは満たされるまで永遠に途切れることのない不断の意志であり、彼女の心を支えている唯一にして最大の大黒柱なのである。

 

「…むぅ……それにしても、暇」

 

 頬を膨らませ、誰に向けるでもなく半目で悪態をつく。

 警備がそういった地味な役職であるのは百も承知だ。しかし、だからと言って暇が紛れる訳でもない。その内雑兵の動向を観察し始めそうだ。

 

「…何日経ったっけ…」

 

 日にちを数えることすらハクに任せていたのを、たった今思い出したレイ。こうして振り返ってみると、実際は何も考えていないのだと今更ながらに痛感する。

 

「…ノラも気配が消えちゃったし、何も変わりがない……つまんない」

 

 食料庫に入って行ったノラの気配もとっくに感じ取れなくなっているレイは、変わり映えの無い周囲にうんざりし、集中を切らさないようにしつつ手持ち無沙汰の両手を使って土遊びを始めた。

 蜘蛛の下半身を地面につけ、少女の上半身を前かがみにしたレイは、その色白の両腕を脈絡なく動かし、適当に砂を弄って絵を描き始めた。

 

(……う〜ん、手が汚れる。そうだ、枝で描こう)

 

 落ち葉を掻き分けたところで妙案とばかりに手をポンと叩いた彼女は、右手から粘着性のある糸を出して近くの枝を引っ張り、パシッとその手に収めた。

 

 

 もうすぐ寒い時期がやって来るのはレイも知っている。ちょっと前までは暖かい風のお蔭で心地良く過ごせていたのに、今では森の葉は茶色に近くなり、ハラハラと地面に落ちているものも少なくない。

 

「…めんどくさい」

 

 再び悪態をついた彼女は、特に脈絡のない摩訶不思議な図形を描き、それをかき消して、八本の蜘蛛の足でそこらの落ち葉を串刺しにした。意味の無い行為に体を動かし、頭に掛かったモヤモヤを振り飛ばそうと思った故の事なのだが、依然として、この悩ましい“頭痛”は途切れる兆しを見せてはくれない。

 

「…そろそろ能力解除しようかな」

 

 そうすれば、この頭痛はいずれ引いていくだろう。

 一種の願望に近い憶測に突き動かされるようにして、彼女は能力を切ろうとした。

 

 

(────いや、もう少し頑張ろう)

 

 

 だが、そうはしなかった。

 分かっていたから。この頭痛が能力によるものじゃないことに。能力を解除したところで、残るのは周囲に散布していた意識のみであると。

 

 一人。

 

 孤独と読むこの一句に、レイは酷く怯えていた。

 ハクやノラが居ることや、手下の妖怪がそこら中に居ることくらい、分かってる。

 

 しかし、“周り”には誰も居ない。

 

 だからレイは、能力を解除せずに、ギリギリまで感じていることにした。

 誰かの存在を。誰かの温もりを。誰かの生きている音を。この『目』で見ていたかった。

 だって、そうすれば彼女は一人ではなかったから。誰かの存在を感じている。これだけで取り敢えず彼女の理性は狂わずに済んでいた。

 一人じゃないと思いたいからこそ、孤独になりたくないからこそ、────“愛”に触れていたいからこそ、彼女の身に『気配を察知する程度の能力』が顕現したのだ。

 

 

 

 

「……………」ポロリ…

 

 いつの間にか泣いていたようだ。右眼から一筋、頬を伝う雫が顎先へと流れていった。

 枝を乱雑に投げ捨てたレイは、慌てて服で顔をゴシゴシ擦った。誰かに見られたくないからではない。ただ単に、“泣くなんて可笑しい”と思ったからだ。

 

(…私は、妖怪の大将の『目』。妖怪は、泣かない。妖怪は、そんなのじゃない……)

 

 全ては“愛”を手に入れる為。成したいものの為に全てを捨て、全てを賭す覚悟を決めた。泣いている余裕なんて…無い。

 

「………任務を続けなきゃ」

 

 吹っ切ったのか吹っ切ってないのか分からない顔をする妖怪の大将。

 そんな微妙な顔が不意に歪むのは、彼女が呟いてから幾分も経っていない時だった。

 

 

 

 

「………?」

 

 

 

 

 違和感。

 彼女のからだを駆け抜けたその(かす)かな感覚。まるでフワフワの羽毛の羽一枚で頬を撫でられたかのような、圧力を感じない反応。

 

(…何?)

 

 物理的ではなく、脳に直接くるような間接的なもの。十中八九これは能力が理由だろう。

 

(…何かあった……の…?)

 

 全ての作業を中断し、能力のみに集中する。

 目を閉じて意識を収束していくと、先程まで感じていた周囲の木っ端妖怪達の気配が濃厚になり、探知範囲のギリギリの淵にある動くモノがより鮮明に感じられた。

 

────何だろうか。

 

 葉っぱの揺らめきや、沢の流れが拡大されて聴こえてくる。注意深く辺りを調べ上げていく中で、レイはとある箇所に再び違和感を感じた。

 そこを重点的に探っていくと、動いては止まり、また動いては止まる物体を発見した。

 

(…これは……!)

 

 僅かな動揺。

 それから立ち直るのに数瞬の時を要した彼女であったが、すぐさま冷静になって“ソレ”の監視のみに能力を使うことにした。

 

 

(…見つけた)

 

 

 ハクからの命令には、“見つけた”場合にはそのまま監視を続けて待機とある。だからレイは報告には走らずに、能力を“奴”のいる方向に向けながら、じっとハクが来るのを待った。

 縄張りの北東部。ノラのいる食料庫から一時間足らずの場所にある、立ち入り禁止の洞窟付近。そこに、三人が探していた敵はいた。

 その辺りを巡回している六体ずつの妖怪を非常に優れた回避能力で(かわ)し、見事な手際でその洞窟へと向かっている。

 目的はその洞窟かと推測したが、それはハクに報告してハクが考えればいい事なので、その思考はかき消した。

 監視に移ったレイだが、その敵の風貌を興味深げに観察していた。

 

(…変な妖怪)

 

 大抵の妖怪が纏っているような衣ではなく、敵が着ているのは不思議な服だった。衣擦れから判断するしかないので細かい事は分からないが、他のどの妖怪とも違う風体であることは間違いないようだ。

 更に、その衣を着ている敵。彼は、ノラのように筋骨隆々で大柄な訳ではなく、レイやハクのように何か特別な身体的特徴があるようでもなかった。三人は実際に見たことないが、あれは人間のようだとこの時レイは思った。

 そして、武装は腰に掛かっている硬そうな棒一本のみ。手下がよく使っているような鉈や棍棒ではなく、細く脆弱そうなその棒は、彼の図体に似合ってこじんまりとそこに装備されていた。

 

 ハクが強いと予測していたからどんな奴かと思えば、これなら楽勝だろう。レイは相手の容姿を一目見るなりそう決めつけ、手下で充分殲滅出来ると高を括った。

 だが……

 

「…こいつ、誰にも気付かれてない…」

 

 位置情報が天から見下ろせるように把握出来ている彼女には、彼の隠密行動の凄さに驚嘆した。

 相手の意識を上手い具合に逸らし、隙間を縫うようにして茂みを移動している。怪しまれない程度の異変で注意を引くので、誰かが報告に行くこともない。

 正直、能力が無かったら気付けずに背後から一撃でやられていたかもしれない。ここからでは分からないが、妖力を隠す技術や物音を立てない身のこなしが類を見ないくらいに卓越している。実力は知れないが、成程、これなら潜入して来るのも頷ける。

 

(…でも、私達の敵じゃない)

 

 自分達は三人いる。一人では勝てなくとも、彼女達は仲間である。今まで遥か格上の相手とも互角以上の戦闘を繰り広げ、修羅場をくぐり抜けてきた。負けるわけがない。

 

(…ハクが来るまで監視しとこ)

 

 だが、だからと言って任務を放棄するわけにはいかない(ノラと違って)。

 湧き上がる興奮を抑え、彼女は蜘蛛の足を畳み直した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後に、敵は洞窟へと入って行った。あそこは以前、調査に向かった妖怪が原因不明の病に掛かって死亡したとして、立ち入り禁止になっている場所だ。

 そんな危険な場所になんの用があるのかはハクに考えさせるとして、レイはこちらに近付いて来ているハクの気配を察知してそれを待っていた。

 

 途中手下の妖怪にレイの居場所を訊いたりしていたが、どうやら元々予測はしていたようで、ほぼ直線的に彼女へと向かっていた。

 程なくして彼と出会う。紅葉が見える茂みを掻き分けて来たハクは、挨拶の一つも無しに本題に入った。

 

「レイ、首尾はどう?」

 

 開口一番言うことがそれか、と心の中で溜息をつく。

 

「…バッチリ。こっちに来たって事は、何かあったの?」

 

 中央広場に能力の範囲が被らないようにかなり離れていたので、レイはハクの状況を知らない。

 尋ねた彼女に、ハクは適当に狩って来た狸らしき動物を放ってから答えた。

 

「部下の一人から報告が挙がった。敵は縄張り北東部のどこかにいる筈だ。レイの周辺には来てないだろ?」

 

 取り敢えず食べながらにしよう。食事を碌に摂っていないのを知っての気遣いか、それとも感情を読んだから同情したのか。どちらにしろ空腹だった彼女には有難い食べ物だった。

 

「…範囲ギリギリの所に反応があった」

 

 モシャモシャと狸肉を生で貪りながらの重大な報告に、ハクは大きく目を見開いた。

 

「それは本当か!?」

「…うん、確認したから間違いない」

 

 彼女は、範囲ギリギリに捉えた敵の情報を事細かに伝えて言った。

 

「……あの洞窟に入って行ったのか」

「…食料庫から近いけど、どうするの?」

 

 暗にノラが危ないと言っている訳では無いが、それでもすぐ傍に潜伏されているというのは不安が残るだろう。ハクは『第三の目』から読み取れる感情から、レイの言いたい事を把握した。

 

「問題ない。奴がそこに用があるのなら、暫くは出て来ない筈だ。念のため全ての手下をその洞窟の周りに配置しておこう」

 

 食料庫までの道中で出会った妖怪に伝令を走らせることに決定した。

 

「もし洞窟内の情報を知らずに、敵が例の病に殺されれば最高なんだけどな」

「…きっとそれは無い。相手も分かってる筈だから、何か対策をしてると思う」

「同感だ。だが、あの時僕が調査に遣った妖怪の報告では、少なくとも他に出口は無かった。袋の鼠だ」

 

 ニヤリと笑うハクは、狸を食べ終わったレイが立ち上がるのを待って、周囲を見渡した。

 

「何はともあれ、これで相手の所在と情報は手に入れた。もう僕達の勝ちは確定だな」

「…三人居れば、何だって大丈夫」

「うん!それじゃあ、行こうか」

 

 歩き出したハクの後ろを付いて歩くレイ。

 血塗れの衣を全く気にせず、真っ赤に染まった指の血を舐めとる彼女は、妖怪特有のおぞましさと、外見に相応しい妖艶さを醸し出していた。

 一方のハクは、年月が過ぎ去ってもそう伸びなかった身長に似合う歩幅で歩く。片手に『第三の目』を乗せ、獲物を見つけた獣同然のギラついた眼光で先を見据えているその姿は、彼が捕食者の立場である事をまざまざと示していた。

 

「決戦まで、後少しだ……!」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 洞窟の最奥に更に部屋を造り、汚染のない部屋を用意した修司。これから揃った材料をふんだんに使って、その部屋で数日に渡り作業をする予定である。

 お目当ての武器の作り方は、蘭から貰ったこの小太刀を『昇華する程度の能力』で調べた時に判明している。なので製作工程に不備はない。問題は、全ての作業が完了するのに丸三日はかかりそうという事だ。

 

 なので、空気中でやってもいい工程は修司本人が手作業でやり、複雑で精密なところは『地恵を得る程度の能力』で担うという、分担作業をする事にした。

 単純計算で二倍の作業効率だ。なんとか手早く終わらせたいと思う反面、これから先己の半身となり得る物を造るのだから、最高の出来にしたいという謎の職人魂が燃えている。

 

「…いや、どうせ敵は攻めてこないんだ。僕の思うがまま、好きにやってもいいかもしれない」

 

 あの放射能に激しく汚染されている場所を通り抜けるのは不可能。入口で待ち伏せされているかもしれないが、そんなのは分かりきっている事なので気にしちゃいない。

 

 保管型鉄キューブに入れておいた獣脂を道中でへし折ってきた木材の先端に塗りつけ、火打石を使って火を付ける。そしてそれを壁に造った松明掛けに掛けて、煙の逃がすための通気口をその上に造った。通気口の出口はあの汚染部屋だ。あそこから出口に煙は行くので、こちらには来ない。ケミカルライトは勿体ないので今回は使わないでおこう。

 

「────造るか」

 

 作業台を能力で造って椅子に座った修司。

 取り出した鉱石を眺めながら、そっと袖を捲った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 出会った手下に命令を下したハク達は、足早に食料庫へと向かい、そこでノラと合流した。

 

「よう、遅かったじゃねぇか」

「…そんなことない」

「言ってみただけだって」

「無駄話してる間にも、敵は準備を進めている。早く終わらせよう」

「ちっ、ちったぁ気楽に行こうぜ」

 

 そう言うノラ。松明が煌々と彼の屈強な面影に影を差す。

 彼から滲み出る妖力が、増幅した彼の力の強大さを認識させる。前とは雲泥の差だ。いつもの紅い身体が、今は何倍にもでかく見える。心做しか少し背も伸びたかもしれない。

 

「すげぇよ、これ。力が漲ってくる。前の俺とは段違いだ」

「…三つも食料庫を空にしたんだから当たり前」

「違ぇねぇ」

 

 ガハハと豪快な笑いが洞窟内にこだまする。成程、これだけの実力になっているなら、外で待っていたあの妖怪達が青ざめた顔で待機していたのも頷ける。

 

「まぁそれはどうでもいいんだよ。早くお前らも残りを食え。闘いたくてウズウズしてんだよ」

 

 正しく野獣の如き迫力で拳を握りしめるノラは、まるでおやつをお預けされている狼のようだ。鎖を外せば弾丸のように突撃していくような暴走性を見せている。はっきり言って危ない。

 

「ノラはここで待っていてくれ。僕達もすぐに済ませるよ」

「…頑張る」

 

 グッと親指を挙げるレイにノラは「兎に角、さっさとしろよ」と言い、その場にドカッと腰を下ろした。

 

「じゃあまた」

「…バイバイ」

「おう」

 

 三人、片手を挙げてそれぞれの持ち場へと歩いて行った。

 

 獲物への激しい欲求を抑えて────。

 

 

 

 

 今ここに、呉越なる四体の化け物が揃った。

 

 少しの壁に隔たれて力を蓄える両者は、求め、譲れないモノを勝ち取る為に拳を突き合わせるのだろう。

 

 

 『笑い合える世界』を創る為。

 『愛のある世界』を創る為。

 『失わない世界』を創る為。

 

 三体の妖怪は今日(こんにち)まであらゆるモノを喰い、壊し、手に入れていった。

 それは幼少に経験した悲劇を味わいたくない為。

 もう、悲しい出来事は沢山だ。

 器には既に水が並々と注がれている。

 これ以上は、イヤだ。

 

 両親を失い、集落を追い出され、寵愛を貰えず、この世のどん底にも等しい絶望を味わった彼ら。

 白い世界から弾き出された黒い彼らは、血みどろになりながら、汚物に塗れながら、暴言暴力に埋もれながら、死人のように毎日を過ごした。

 

────反逆だ。

 

 世界が悪いのなら、世界を相手取ってやる。

 世の中が腐ってるなら、殴り殺してから食い散らかしてやる。

 紅い一本角の青年と、上が人で下が蜘蛛の女性、そして目を三つ持つ異端な青年は、あの時に覚悟している。

 互いに手を取り合ったあの時から、全てを敵に回し、全てを手に入れる事を。

 

 彼らが手に掴むのは望んだ世界か、それともドス黒い現実か。

 

 

 人間を貫き通す彼。

 幸か不幸か、彼の心は闇に包まれている。

 

 全てを利用し、全てを欺く。

 使えるものは人であろうと使い、使えないものや信用ならないものは全て切り離す。

 そうすることで己を守り、安全を確保するのだ。

 

『────もう、信じるのは辞めだ』

 

 前世の鎖に縛られている哀れな彼は、本能に近い“復讐心”と果てしない“猜疑心”に突き動かされるようにして、万の時を過ごし、万物に抗ってきた。

 

────絶対に、生き延びてやる。

 

 生きる為。

 単純明快で至極当然の欲求である。

 しかし、そこに含まれる意味のなんと醜いことか。

 

 成し遂げなければならない事があるから、必ず“その時”まで生きていなければならない。殺されてたまるものか。邪魔なモノは全て斬り裂いてでも進んでやる。

 

 

────例えそれが、なんであったとしても。




 

 まどろっこしいのは終了と言ったが、誰が戦うと言った?

 私的には残念で仕方ありませんが、大きな闘いは次にもありません。少しあるにはあるんですが、ちょびっとです。

 学生は新学期ですね。受験期間に突入する人は頑張って下さい。


 さよーなら。

 


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24話.予想外の遭遇と開戦の咆哮

 

 ちょっとリアルが多忙になってきました。現実の波は作者を忙殺するつもりですねw
 ストックを消化しきったら、リアルに集中しなきゃいけない時期に突入すると思います。それまで定期投稿は継続します。
 とりあえず、この章が完結するまでの貯めは出来上がっているので、今章が途中の状態でお休みに入るという心配は必要ありません。
 以上、報告でした。


 

 丸一日洞窟に篭って鉱石を探したことはあるし、火山のクレバスのような場所に足を滑らせて落ち、暗闇の中を脱出したこともあった。

 しかし、洞窟の再奥で松明数個の灯りを頼りに、三日も過ごすなんて事はしたこともなかった。

 

「時間的には……三日なのか…」

 

 昼も夜も無いこの閉鎖的な一室で、水銀を容器に入れてそこに色んな物質を放り込んでいる修司は、正確な体内時計からの推測に、そっと言葉を漏らした。机の端では、ゴポゴポとH型のガラス器具で水を電気分解している。電気は、電池と同じ原理の物を用意している。

 

 この部屋で作業を開始してから三日は経っている。当初はそれで終わると思っていた彼だったが、ちょっと施しておきたい装飾に対し異常なまでに拘ってしまい、結局、目標期日内に終われなかった。

 形自体は殆ど終わってるし、その為の鞘も作り終えている。

 しかし、彼はどうしても施しておきたい印を思いついてしまい、謎の職人魂で追加の作業をする事になったのだ。

 

「これ…これだけは…譲れない…!」

 

 燃えている。只今絶賛燃焼中である。部屋の隅に設置した炉の火くらい轟轟と燃えている。因みに、そこでは焼いておく予定の物質を放置している。

 更に余談だが、酸素は地下の水脈を引き上げて電気分解で補給している。

 閑話休題。

 

 兎に角、後残り数時間で遂に完成である。

 

 修司は、ここまでの約一万年の努力を振り返っていた。

 人間には許容出来ない程の記憶が溢れてくる。一万の時を過ごしていたのだから当然か。

 呆けたような普遍的な日常を送っていた訳ではないから、余計に頭に残っているものが多い。大半が材料集めの時の苦労なのだが、戦闘と修行でのトライ&エラーで少しづつ積んでいった研鑽の日々も次々と想起されていく。

 成し遂げるためには努力を惜しまない。例えどれ程の月日が流れ、どれだけの犠牲が生じようとも、目的を遂行するため、彼はその全てを喜んで捨てる覚悟がある。

 

 

轟っ────

 

 

 不意に耳に入った炉の音に意識を引き戻され、何か大事が無いか部屋の各装置を目視で確認していく。

 ここで一つでもミスをすれば、全てが台無しになってしまう。いくら念を重ねても足りることはない。

 

(後少し……後少しで完成だ……)

 

 集中力は最大限まで高まっている。

 予測、残り三時間。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

グチャ……グチャ……

 

ビチャ…グチュ……ボトッ……

 

 

 延々と続くのかと錯覚しそうになる程、長い時間このような咀嚼音が鳴り響いている。しかもここは洞窟だ。音が反響してこの二重奏が三重にも四重にも聴こえてくる。

 

「ふぁ〜〜〜ぁぁ…」

 

 そして、時折発せられるこの欠伸がこの音楽に装飾を添えている。

 

 欠伸の張本人────ノラは、適当な洞窟の通路に雑魚寝をして二人を待っていた。

 外に出ようにも、別段行く宛もないので意味がない。ハク達は敵の居場所を掴んでいるのだが、ノラに教えるとそこに単騎突入しそうなので、彼には教えていない。

 

 三人が揃ってから、三日程が経っている。

 

 二人はあれから口のみを動かすことに集中し、一分一秒を惜しむような必死さで食料庫の食糧を貪り食っていた。食糧と言っても、殺してから間もない妖怪を腐りにくいこの洞窟に貯めていただけなのだが、見上げる程の山が合計八つもあると流石に壮観である。

 己の力となる食い物はあまり腹に溜まらない。だからハク達三人は死体の山を二つ三つ一気に食べられるのだが、ただそれだけの作業を数日間続けるのは相当の我慢強さである。これは偏に、強さへの病的な執着のお蔭だろう。

 

 何はともあれ、二人はもうすぐ最後の一体を食い終えるところだった。ハクは食料庫二つ分だが質のいい妖怪を、レイとノラはハクが食べるものより数段劣るが、食料庫三つ分を食べ終える。これで力の増幅率は大体同じだ。ハクは二人よりも少しだけ地力に欠けるので、それを埋めるような差はあるが。

 

 

「────終わったよ」

「…同じく」

 

 

 カツカツと足音が聴こえると同時に、二人は道端で寝転がっているノラに声をかけた。

 

「……………」

「…ノラ?」

「……………」

 

 レイが再度声をかけるも、反応は返ってこない。

 これは…あれだ。ハクが見当をつけ、ノラに近付いた。

 

「起きろ、ノラ。暇過ぎだからって寝ないでくれ」

「ぐぉぉぉぉぉぉ……」

 

 返事は盛大なイビキで。即座にハクは頭を叩いた。

 

「ふんっ!」スパァン!

「ふがっ!?敵襲か!?」

「…ノラ、やっぱり馬鹿」

「だが俺は強いっ!!」

「どうどう」

 

 このやり取りはもう何千回と繰り返してきた。いい加減にノラの脳筋が治って欲しいところだ。戦闘以外では阿呆の極みである。

 シュバっと立ち上がって構えたノラは、視界にいるのが二人だと分かると、構えを解いて疑問を口にした。

 

「…む?ハクとレイ、終わったのか?」

「はぁ……。聞いてなかったのか…」

「…よくそれで夜襲とか察知出来るね。そこに関しては私よりも上だから癪」

 

 嘆息するハク、ムカついたと言って頬を膨らませるレイ。戦闘前だと言うのになんだこの緊張感のなさは。ノラはレイの台詞がよく分からないと言いたげな顔をしたが、頭の中で何か結論が出たのか、「それ程でもあるぜ!」と言って胸を張った。その後即座にレイがツッコミをしたのは言うまでもない。

 だが、ハクが「ここまでにしよう」と言うと、二人はすぐに静かになった。強者特有の気配の変化を視えた感情から感じ取ったハクは、二人の変わりようを頼もしく思いながら、話を進めた。

 

「ごほん。……さて、まずは情報共有から始めよう。まずは僕から」

 

 ハクは、探索部隊からの報告と今までの情報を言い、そこから推察される事を思っているだけ話した。

 

「…じゃあ、次は私」

 

 レイは、『気配を察知する程度の能力』を使って得た情報と、その時に判明した僅かながらの敵の容姿などを述べて言った。

 

「────あ?」

 

 ここまで非常に有力な情報が続き、敵の想像図が共有されてきた。

 しかし、ノラは素っ頓狂な声を上げると、悩むように腕を組んで俯いた。その場でドカッと腰を下ろし、胡座をかいて熟考する。ノラは脳筋なので、唐突に向けられた二人の視線に耐えられなかったから俯いたとは考えづらい。純粋に考えているのだと思う。

 

「うぅむ……」

「「…………」」

 

 沈黙を以てノラを待つ二人。結末は分かっているが、ここで何か言うと全て「だが俺は強い!」で返されて話が進まないので、甘んじてこの時間は我慢する。

 わざとやってるんじゃないかと疑いたくなる唸り声が洞窟に反響するが、ノラにそんな高等技術は期待出来ない。

 

「むぅ…────はっ!?」

「で、何かあった?」

「無いっ!!」

「「だろうね…」」

 

 溜息すら出ないとはまさにこの事か…。

 だが元より、ノラがこういう面での成果を出せるとは思っていなかった。ノラが唯一にして最高に活躍出来るのは、敵と遭遇してからの戦闘の時だけだ。ノラが前衛でその力を発揮してくれるからこそ、二人は安心して策を練れる。

 

「まぁ、ノラは別にいいや。取り敢えず、情報を整理しよう」

 

 ノラについては気にせずに、ハクは敵の情報をまとめた。

 

「敵は、単騎で僕達の縄張りに突入して、殆ど誰にも見つからずに居れる程の隠密性がある。加えて、僕達の事を知っても恐れず、鮮やかな手際で上級妖怪を二体静かに屠れるだけの実力も兼ね備えている」

「…そして、目的は立ち入り禁止の洞窟」

 

 頷くハク。しかし怪訝そうなノラ。

 

「どうしてだ?なんで奴はその洞窟に?」

「そこは分からない。だが、あそこは他の出口を確認していない洞窟だ。出口で張っていれば、必ず出会う」

「じゃあ早くそこに行きゃあいいじゃねぇか」

「その前の準備として、ここで情報共有してるんじゃないか。敵を知らずに闘うのは馬鹿のすることだ」

「(…ノラは馬鹿)」ボソッ

 

 レイがこっそり呟いた言葉は、ノラに聴こえないように細心の注意を払って発せられたものだった。故に、彼には届いていない。

 話を戻そう、とハクが言う。

 

「レイの能力は相手からは探知出来ないから大丈夫。手下の報告はどうか分からないが、恐らく奴は自分が気付かれているのに気付いていないと思う」

「あ?どうしてそう言い切れる」

 

 また雑魚寝に戻ったノラが問い詰める。また寝るのかと思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 

「報告だけは出来るように六体で編隊したけど、今回報告に来た妖怪の部隊は全く襲われなかったんだ」

「…それは聞いた」

 

 瞬殺を恐れて六体組ませたのだが、一体が異変に気付いてから暫く経っても、彼女らの隊には何も起きなかったらしい。

 

「見つかるのを恐れていた敵なのに、異変に気付かれて警戒されている部隊をそのままにしておくと思う?」

「六体同時は難しかったんじゃねぇか?」

「いや、中級二体と低級四体の構成だったから、敵なら楽勝だった筈だ」

「…成程、理解した」

「俺も理解してねぇけど理解した」

 

 ノラの言葉にツッコミは入らなかった。素で言ってるから意味がないと思ったのだ。

 

 そのまま話はどんどん煮詰まっていった。敵の知れる限りの全容を話し合った後は、接敵した後の作戦会議が始まり、部下の配置をどうするか等も決めていった。

 強い敵と闘う時はは毎回このように作戦会議をする。これは三人の恒例行事で、座ってじっくりと話し合い、勝利をより確実にしていくのだ。

 

 

 

 

「────で、食料庫の入口にいた妖怪は全て立ち入り禁止の洞窟に向かわせたし、僕達も行こうか」

 

 現在、手下の全勢力はあの洞窟の周りで待機している。全てを合わせて三千を超える軍勢だ、もし三人が到着する前に出て来たとしても時間稼ぎにはなるだろう。

 やれる事はやれるだけやった。

 三人はそれぞれ冗談にならないほどの妖力を手に入れ、身体的にも遥かに進化した。

 手下は全員配置し終えたし、敵の所在や姿形などの情報も得ている。はっきり言って最初の頃とは形勢が逆転している。これは三人共が確信していることだ。

 

 だが…なんだろう。

 

 この言い得もない不安は。

 腹の底が疼いて、胸が苦しくなるような、そんな不可視の恐怖。刃が首筋に添えられているというのに、そんな事は露知らずに威勢よく吠えているような子供の感覚。

 だが同時に、有り得ないほどの力の増幅によってかは知らないが、今までにない高揚感と戦闘欲が体を支配して離さない。

 今ならなんだって出来る。そう思わせて仕方ない絶対的な力。

 ノラはそれに任せていつになく好戦的になっているが、レイは『第三の目』で視たら愛への欲求で一杯だった。さっきまでどうやって会話していたのかが疑問である。

 

 そしてその不安は、正体を掴めずに有耶無耶なまま、時の流れに忘れ去られるのであった。

 

 

 

 

「────んぉ?」

 

 

 

 

 発端は、ノラの気の抜けた声だった。

 

 丁度、話すことも話し終え、例の洞窟に向かおうかと誰が言い出すか待っていた時だった。

 ハクとレイの意識が、顔と共に彼に注がれる。

 

「ノラ?」

「…どうしたの?」

「…………」

 

 無言で返され、また寝ているのかと思われた彼だが、今回だけは違った。

 

「…………」

「何かあったのか?」

 

 ハクがノラの異変に気付いたのか、少し目を細めて問いかけた。囲むようにして座っているので、ノラの顔は見えるし、『第三の目』での感情もハクは読み取れる。だが“それ”を理解するのには、少しの時間を要した。

 

「いや…」

 

 ノラにしては珍しい濁った声音。ハクが『第三の目』から得た感情は、困惑と確信。相反する感情が同時に存在している事態に、彼自身、答えを出せずにその場で固まってしまった。

 そこでレイがもう一度、今度は二人に向けて「…どうしたの?」と言ったが、ノラは勿論、この複雑な感情を理解しようとするのに精一杯で、ハクも返事が出来なかった。

 

「…………」ユラァ…

 

 …と、ここで唐突に、ノラが立ち上がった。

 どうした、とは誰も言わなかった。いや、言えなかったという表現が正しいか。

 

 何故なら、普段は何事にも関心が無いノラが、剣呑な表情で洞窟の壁を見つめていたから。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 完成まであと二時間を切った。

 

 後は地中での作業のみなので、修司は現在、することが無くて退屈にしていた。

 修行をしてもいいのだが、まとまった時間でやらなければ、中途半端な成果で終わってしまう。故に彼は暇だった。

 

「ケミカルライトは……炉からだから無理だな…」

 

 ガラスを作るための炉を作っていなかったので、ケミカルライトを作るとなっても一本くらいしか出来ないだろう。失敗の分も考えると、寝てた方がマシなくらいだ。

 他に何か無いだろうか。

 

「………あ」

 

 思い出した。

 確か、この部屋の近くには、もう一つ別の洞窟があった筈だ。もし外で妖怪が待ち構えていたとしたら、処理が面倒だ。

 そこで、別の洞窟に通路を延ばして、その洞窟から脱出するという名案を思いついた。これならば、もし見つかっていたとしてもバレずに出られるだろう。

 

「そうと決まれば…だね」

 

 『地恵を得る程度の能力』を使って、件の洞窟を調べ直す。…うん、ちゃんと外に繋がっているな。

 途中に八つの空洞があるが、空洞や形的にどうやら天然モノらしい。こんな有用な洞窟があるなんて珍しいな。

 この能力に索敵性はないので、実際に開通してから中を調べない限りは、中の様子が分からない。それだけが唯一の心配だが、居るとしても哨戒中の木っ端妖怪のみなので、倒してからさっさと縄張りを抜ければ問題ない。

 

 大丈夫そうなので、能力で土を掻き分けて行くことにした。この作業部屋から直通で真っ直ぐ通路を延ばし、出来た通路を進みながら、不安な箇所を合金で補強していく修司。

 

 

 

 

 これが…この選択が、彼の最大のミスとなってしまった。

 

 

 

 

 同時刻、不意に立ち上がったノラは、何かに突き動かされるようにして壁際まで移動していた。

 

「…………」

 

 その雰囲気に気圧された二人は、その様子を黙って見つめるのみ。立ち上がる素振りを見せるも、未だに浮いた腰は所在なさげなまま。

 

 

 

 

 順調に通路を作っていく修司。勿論、武器製作作業に一番意識を割いているが、こちらの作業も疎かにはしない。

 まだ余裕で一時間を超える時間があるのだが、それでも仕事は速いに越したことは無い。このままのペースで続けよう。

 

 

 

 

 じっと壁を見つめたまま、妖力を淀みなく纏わせるノラ。突然の奇行の意味をまだ理解出来ない二人は、その後ろ姿に滲む妖力の揺らぎの真意を測りかねる。

 

 

 

 

 距離的にはもう数十秒で開通するだろう。久しぶりの戦闘で体が鈍っていないかが心配だ。

 

 

 滑らかに体を滑る妖力が、右拳一点に集中する。明らかな攻撃動作に、二人は反射的に飛び退く。

 

 

 今回は、小太刀の鞘を作る為に、小太刀本体は置いてきている。型を取るためだが、武器の方よりもこの小太刀の鞘の方が先に終わる予定なので、出来次第地中から呼び寄せるつもりである。

 

 

 一言で言えば…勘…だろうか。彼を無意識に動かし、握りしめた拳を引くまでの彼の原動力は、彼の培ってきた今までの戦闘経験から来る予測に等しい不思議な直感────。

 

 

 

 

(繋がるな────)

(────来るっ!!)

 

 

 

 

 壁の厚さが1mを切った瞬間、修司は悪寒を感じた。

 そして刹那にバックジャンプでその場を退く。

 

 目の前の壁が木っ端微塵に吹き飛ばされたのは、その直後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズガアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァン!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

 岩片が飛び散り、修司は顔を守るために腕をクロスさせて防御した。

 

「────!」

 

 何か声のようなものが聴こえるが、壁の破壊音で耳がやられた彼は、その音を聞き取ることが出来ない。

 だが、耳はすぐに治り、周囲の音が聴こえるようになった。

 

 

 

 

「…よぉ、元気してるかぁ?」

 

 

 

 

 数日ぶりに聴いた自分以外の声。しかしそれには懐かしさを覚えず、驚愕しか感じなかった。

 

「なっ……!」

 

 全てを予想し、全てに完璧に対応してきた修司にとってこれは、一万年ぶりの感情の起伏だった。あまり驚かず、あまり嬉しさを出さない冷静さがあるからこそ、常に正確な選択を出来るのだ。

 穴の向こう側から感じる膨大な妖力。それも相まったのだろう、彼は瞬時に結論を出した。

 

ダッ!

「ちっ!おい待ちやがれ!」

 

 逃走。

 最善の選択ではないことぐらい、修司は分かっている。しかし、それは普段の修司に限り、現在の彼では、とても一番いい手を打つ余裕は無かった。

 修司は土煙が無くなる前に踵を返して走っており、敵の姿を見ていない。得た情報はあの声のみである。

 能力で人格を沢山取り込んでから、混沌のお蔭で全くと言っていいほど驚いたり叫ばなくなった修司。彼のこの愚行は、どうしようもないことだった。

 これまで受けてきた奇襲の全ては、予測出来るものであり、準備出来るものであった。

 

 全てを度外視したほぼ当てずっぽうと言えるような襲撃。彼がやられた事の無い────経験した事の無い攻撃に、彼は情けなくも無防備だったのだ。

 

 

「くそっ────!!!」

 臍を噛み、背後に気をつけながら最大速度で疾走する。

 

 

「「ノラっ!!」」

 後ろからの二人の制止の声により、ノラはすんでのところで奥に行くのを踏みとどまる。

 

 

 両者の邂逅(かいこう)は、このように呆気なく終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「……失敗した……な」

 

 声では激しく落胆しているような修司だが、ギリっと奥歯を噛み締めるその風貌は、落胆よりも後悔と言う方が似合った。

 『地恵を得る程度の能力』で、これまで掘り進めていた通路は全て埋め、補強に使っていた合金は足元に戻している。これで相手はこちらに来れない筈だ。

 

 抜かった。あの洞窟にいるのが本マルである可能性を考慮していなかった。

 万に一つ…いや、億に一つの可能性。そんな塵に等しい可能性を見過ごしてしまった。修司の頭の中ではこれまでに無いほどの後悔が渦巻いていた。

 

 もし…もしだ、敵がその場で踏み込んで来て攻撃して来ていたら。もし、その攻撃が彼の命を一撃で刈り取るような威力を秘めていたら。そしたら彼は、既に殺られているだろう。

 『疑心』は、全てを疑う心である。それは彼の中にある『絶対』という言葉を消し去る感情であり、物事の全てに対して無限の可能性を考える、決して油断しない心構えのようなものである。

 可能性としては頭に浮かんでいた。だがしかし、それに対応する準備を怠っていたのだ。

 何が命を奪うか分からないこの世界。全てに疑いを掛け、全てに目を光らせなければならない世の中で、彼はそれを疎かにした。

 

「運が良かったかのかな……」

 

 部屋に戻っていた彼は、椅子に座りながらさきの事を振り返る。失敗と反省は成長に欠かせない要素だが、今の時代では失敗は死に繋がる。故に彼は失敗をせずに今日まで生きてきた。

 しかし、彼は生きている。ならば失敗を最大限活かし、大きく成長すればいい。

 彼が立ち直るのはそれから直ぐだった。

 

(まずは、これからどうするかだ)

 

 見つかっている以上、もうここには居られない。あの攻撃をまだまだ打てるなら、最悪ここまで破壊してくるかもしれない。早急にここを退散した方がいいだろう。これは決定事項だ。

 

 考えながら、部屋を整える為に用意した家具を全て合金の塊へと戻し、足元に固める。武器の小太刀の鞘製作に必要なもののみ、ここに残しておく。今移動させるのは危ないからだ。

 

(さて……今から出口に行くわけだけど…)

 

 十中八九、敵の総力が結集していると見て間違いないだろう。それを無手で相手するとなると……ちょっと本気を出さざるを得ないかもしれない。最終手段として、霊力と妖力を用意しておくことを頭の隅に置いておこう。

 しかも、洞窟を出ると、武器の製作作業が遅くなってしまう。距離が離れると能力の操作が難しくなるからだ。現在は後一時間と少しだが、洞窟を出ると、これに一時間プラスされることが予想される。

 

(あの妖怪が回り道して正規ルートで来ないとも限らない。行くか)

 

 兎に角、この場だけは誰にも入らせない。そう決意した修司だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 驚いた。ノラの戦闘での勘は異常に鋭いとは思っていたが、まさか壁の向こうにいる敵をも見破るなんて。

 二人は壁を殴り壊し、その先に敵の気配を感じ取った驚きよりも、そこから逃げ出した敵を追いかけるノラをどうにかしようと声を張り上げた。

 

「「ノラっ!!」」

 

 気分が高揚しているノラだったが、ギリギリ理性で踏みとどまった彼。そして目の前で瞬時にして通路が土で塞がれたことにより、ノラは少し悪態をついた。

 

「くそっ…逃げられちまったか」

 

 ノラが踏み込んだ場所も土に埋もれようとしており、サッと後ろに引いて憎らしげに元通りの壁を睨んだ。そして後ろからこちらに駆けてくる音が二つ聴こえ、不満げな顔を隠さずに振り返った。

 

「おい、なんで止めた」

「ここで戦闘すれば、確実に洞窟が崩れるだろ!そうすれば僕達は皆生き埋めだ!」

「…それと、情報通りならあの先は立ち入り禁止の洞窟。例の不思議な病気になったらもう助からない」

「……確かに…すまねぇ」

 

 漸く自分がいかに危ないことをしようとしていたのか理解したノラ。

 彼を諭す時間も惜しいと言うように、ハクが続けて言った。

 

「ちょっと予想外だったけど、ここで両者が動いた。って言うことは、洞窟から出て来るかもしれない。僕達も急いで向かおう。早くしないと部下の時間稼ぎが無駄になってしまう」

 

 姿が見えずとも、気配を感じた三人。低級妖怪並の妖力しか感じなかった敵になんの恐れがあるというのかと思うが、ここまで自分達に見つからずに、しかも上級二体を屠る実力があるのだ。小さな可能性をも見逃してはならない。

 

「…なら、時間が無い」

「そうだね」

「戦闘になったら予定通りに行くぞ」

 

 ノラの言葉に二人が頷き、修司の疾走にも劣らない速さで洞窟を駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 一万年かけて、僕は目標を達成しようとしている。

 

 蘭が遺してくれた小太刀に相応しい鞘と、それに合う最高の武器を作る為。

 

 それが後数時間。たった数時間で出来上がるのだ。これ程喜ばしいことがあろうか。僕の唯一信頼出来る彼女の願いと、僕の醜い目的を果たす為、僕は一万年努力してきた。

 『信頼』の感情が消えたというのに、何故彼女のみは信頼出来るのか、全く分からない。分からないが、何故か信じれる。

 僕の心の支えは彼女だけだ。彼女が居たからこそ、今の自分の“ナニカ”が壊れずに済んだ。

 

 彼女と僕の悲願を達成する為、邪魔なものは全て排除する。

 

 だけども、僕は一つミスを犯してしまった。

 

 最後の最後の際で、こんなしょうもないミス。数分前の自分が目の前にいたら、心行くまで殴っていただろう。

 

 同時に、今の自分にも腹が立っている。何も失態はしていないが、無性に腹が立って仕方ない。

 考えてみる。

 この怒りの矛先は一体何処に向いているのか。

 

 自分自身?違う。思い返してみたがもう何も怒るところはない。

 外の妖怪とその大将達?それも違う。あいつらが僕を殺そうとするのは当然だ。

 では、月の連中か?これこそ絶対違う。今回の怒りは僕の持つ憎悪とは関係ない。

 

 もう少しで洞窟の出口に着くというところで、僕はハッとした。

 

 今回のターゲットである妖怪の大将()。壁を壊された時は混乱していて気付けなかったが、あの時気配は三つあった。

 そして聴こえた声。あの野太い声から、壁を壊した奴は随分と好戦的な奴である事が予想出来る。

 だが、奴は追撃してこなかった。幽かに聴こえた音では、何者かの制止の声が掛かったように聴こえた。

 

 

 ────仲間。

 

 

 この言葉の響き。暖かく、腑抜けてしまいそうになる言葉だ。

 

「………クソッタレ」

 

 これか。これが怒りの原因か。

 

 信頼関係から成り立つ、命を預け合う大切な存在。笑い合い、泣き合い、そうやって助け合っていく不朽の絆。

 

「…虫唾が走る」

 

 呟く声は洞窟に反響して、僕の頭の中へと戻っていく。そして反芻されたその憎悪は、僕の中に確信となって飲み込まれていった。

 イタチの妖怪から得た情報で知っていた筈なのに、今になってその事実が全身に拡がっていく。

 胃に入って、体全体に巡って行く感覚がする。心地好い。

 

(……決めた)

 

 ただ殺すだけにしようかと思ったが、予定変更だ。

 

 

 

 

 時間のかかったこの洞窟も、僕が本気で走ればものの十分で出口に着ける。

 最後の一歩で陽の光を浴びた僕は、目の前の光景に、目尻や口元や────心で、“(わら)い掛けた”。

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、そしてさようなら」

 

 

 

 

 

 

 

 返事は、獰猛な咆哮によって返された。

 




 

 休みをもらう前に、短編集と一話の改定の両方は完了する予定です。

 ちなみに休みの内容ですが、作者はまだ学生なので、一般的に言う『受験休み』というやつです。
 受験が終われば復活します。これは絶対なので先にここで宣言しておきます。
 長期休暇をもらうにあたって、その時定期投稿タグは一時的に解除し、あらすじ部分に通知を入れます。ついでにプロフィールのところにも書いておきます。

 毎週作者の更新を読んで下さっている皆様には申し訳ございませんが、お気に入り登録は解除しないでもらえると嬉しいです。
 先ほども言いましたが、受験が終わればまたここに舞い戻ってくるので、その時まで放置して頂けると幸いです。

 長々と書きましたが、まだストックはありますし、短編集と一話の改定はまだ達成してません。なので今すぐ、という訳ではないので、知っておくだけで十分です。

 長文失礼しました。ではまた来週。

 


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25話.消し飛ぶ命と歪曲した想い

 

 まとめるのが難しい…。矛盾が無いように気をつけますが、何か気付いた方はご連絡下さい。

 主人公の武器に異常なまでに執着してしまった馬鹿な作者の戯れにお付き合い頂きありがとうございます。今章で、作者の思い描いていた修司の完全形態の到達、主人公の使う武器の完成です。(ついでに新しいなか(ry)
 …あ、終わりみたいな雰囲気ですが、まだですw


 ではどぞー。


 

 

 

 太陽の傾きで言うと、今は秋の夕暮れの時間帯だ。しかも、もう暮れかけと来た。月が出るまでこの暗い中で戦闘をしなくちゃいけないなんて、なかなかの悪状況だな。

 

「「「「「グルァァァァァァァァ!!!」」」」」

「静かにしてくれ」

 

 修司が洞窟から飛び出してきた瞬間、出頭を待っていた複数の妖怪が一気に飛びかかってきた。ある者は牙で、ある者は爪で。珍しい者は、鉈や大きな棍棒を持って突撃してきた。

 だが、伊達に一万年も妖怪を駆逐していない修司。鉈を振るってきた妖怪の腕の骨を殴って折り、取り落とした鉈を掴んで目の前のソイツと他三体の妖怪の首を狩った。誰かが吼える前に、鉈を投げて後ろの一体を殺り、考え無しに突っ込んで来ている妖怪の顎をアッパーで粉々にして吹っ飛ばす。

 そうして、瞬く間にその十体程の妖怪の妖怪を絶命させた修司は、周りにいる妖怪の全容を把握する為に、妖力を練って球状の結界を創り出した。

 

「【薄結界(はくけっかい)】」

 

 これは、霊力や妖力で結界を創り、その密度を限りなく薄くしたものである。

 

 結界というものは、エネルギーを術式化、物質化して、特定の物を通さないようにする技術の総称である。一番手っ取り早くて簡単な結界は、結界自体を物質化して物理的な攻撃を防ぐタイプの結界で、修司が蘭の墓を荒らされないように張った結界は、これとは別で特殊な種類のものだ。

 【薄結界】は、結界の仕組みを少々弄り、まるでシャボン玉のように柔らかくした結界である。シャボン液を手に付けてシャボン玉を触ると突き抜けるように、この結界は何かにぶつかっても壊れずにそのまま通り抜ける。

 この技の特徴は、通り抜けたものを技の使用者は感知することが出来、その形状を知ることが出来ることだ。触れる全ての物やエネルギーを透過する能力もあるので、殴ったり弾幕を張ったしても壊れないし、他者から当てられた術式にも反応しない。

 

 生成や操作が凄く難しい代わりに、消費がとても少なくて済む便利な技だ。因みに、通常の結界や少し特殊な結界を作るのは可能だが、蘭の墓に張った結界や【薄結界】のようなレベルの結界を創るのは、修司にしか絶対出来ないような精密さが必要となる。

 

 

ブワッ!!

 

 

 手の中で生成した【薄結界】を押し広げ、衝撃波のように修司を始点として広がっていく。周囲にいる妖怪や動物、植物や小さな地形の起伏までが修司の頭に情報入ってきた。

 

(数は……3千と285体か…。あの時の戦争よりも千体ほど多いな)

 

 きっと上空から眺めたならば、森は蠢く妖怪達で波打っているだろう。気持ち悪さすら覚えるかもしれない。

 

(だが……)

 

 もう何にも動じない。三千を超える軍勢がどうした。そんなもの、武器が無くたってどうってことない。

 

「殺し尽くしてやる……」

 

 全方位からやって来る雄叫びを聴きながら、修司は瞳孔を(すぼ)めた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、憎いアイツが帰ってきてから大将の指示を受けて、立ち入り禁止になっていた洞窟の警護をしていた。いや、警護じゃねぇな。監視だ。

 

「ふあぁぁぁ〜〜」

「おい、欠伸をするな。馬鹿の責任は部隊の責任になるんだからな。私はお前なんぞの巻き添えを食らうつもりなど毛頭ない」

「ふぁいはい。うるせぇなぁお前はよ」

 

 くっそ憎たらしいコイツは、何かにつけて俺を罵倒してきやがる。いっちょ殺してやることも考えたが、コイツもうぜぇが俺と同じ大将の手下だ。手下を減らせば罰が与えられるのは分かってる。正当な勝負だったらいいんだがな。

 

「「「「「グァウ!」」」」」

「あ〜はいはいお前らは黙ってろ」

 

 最近知り合ったこの雑魚妖怪四匹。無理矢理コイツらと組まされた時は面倒だったが、コイツら、やる時はしっかりやるし、低級の雑魚にしては上手い闘い方をする。正直、俺とコイツらが闘えばいい勝負になるだろう。くそったれが。

 

「それより、お前、敵はどんな奴だと予想する?」

「あ?」

 

 急に俺に話を振られ、俺が適当に返すと彼女は激しく怒った。

 

「私達が今回捜索を任されたのは、縄張りに敵が侵入したからだろ!そんな大事なことすら頭から抜け落ちたのか!」

「あ〜今思い出したから忘れてねぇ」

「先程までは忘れていたという事ではないか阿呆!」

 

 ガミガミうるせぇなぁ。テメェは俺の親か何かかよ。

 後頭部をガシガシ掻いて面倒くささを最大限に示した後、俺はこれ以上耳を痛めたくないので話題を戻した。

 

「わぁったわぁった。そんで?敵がどんなのかって?」

「お前は……!はぁ…もういい。そうだ、今回の敵がどんな輩なのか、気にならないか?」

「敵ぃ?」

「そうだ」

 

 彼女は、今までとは全く違った新しい敵がどんな奴かを想像することで時間を潰しているらしかった。暇過ぎだろ、お前。

 

「ん〜、筋肉が山のようにある大牛かもな」

「何をとち狂ったことを…。敵は全く見つからずに我らが領内を歩き回っているのだぞ。そんな巨体なわけないだろうが」

「じゃあお前はどんなんだって予想すんだよ」

「私か?私は……そうだな…」

 

 分かってる。お前が答えが出なくて俺に聞いてきたってぇのを分かってるから、話題をそっくりそのまま返してやった。これで暫くは静かになるだろう。

 予想通り、コイツは悩みに悩んで唸ったまま俯いている。一生そのままでいろ。

 

(………ちっ、周りがうるせぇな…)

 

 だが、コイツを静かにさせたところで俺に安寧が訪れる訳ではなかったらしい。周りには夥しい程の妖怪共がいて、俺らと同じく洞窟の出入口を監視していた。俺らは洞窟の近くに行こうとしたが、既にウジャウジャといるもんだから、俺らは洞窟から少し離れた所に陣取っている。

 

(あ〜せめて何か起こら────)

 

 

 

 

グオオオオオオオオオオオオォォォォォォ………

 

 

 

 

「何だっ!?」

 

 耳がいい俺は喧騒の中でいち早くそれに気付いた。

 

「ん?誰かの雄叫びか…?」

 

 コイツも遅ればせながら気付いたようだ。

 妖怪の雄叫びには、それだけである程度の意味があったりするが、今回の奴の咆哮は開戦の高揚から来る興奮の意味が含まれていた。大体は雰囲気での判断に頼る他ないので確信は無いが、それでもほぼほぼ合っているだろう。

 方向は洞窟のある方面からだ。三千の軍勢を相手にする事になるとは夢にも思わなかっただろうな。

 

「洞窟の方からだ。俺らも行くぞ」

「無論だ。行くぞ!お前達!」

「「「「「グルアアァ!!」」」」」

 

 すっかり隊長になっている。ムカつく野郎だな、本当。やっぱお前は俺が絶対に殺してやるよ。

 

 周りの興奮に流されるようにして向かう俺ら。

 さて、俺の分の肉でも残ってるといいな。こんだけの数の妖怪が波のように押し寄せてくるんだ、どんなに相手が強かろうと一瞬だな。

 

 

 

 

 ────今思えば、逃げ出しても良かったかもしれない。憎いアイツも連れて、大将様の命令なんてほっぽり出しちまったって、誰もなんの文句も言わなかっただろうよ。

 頭の中は後悔で一杯だ。敵わないものは大将様だけだと思っていたのかもしれない。

 世間が狭かったと言えるだろう。大将様の下についてからは、縄張り内でしか行動していなかったからな。つくづく俺は馬鹿だった。

 

 仲間の命が、目の前で塵のように消し飛んで()く………。

 

 敵は、俺の目の前で仲間の大軍を押し退けて()く………。

 

 その、一対三千の戦争の只中、俺はただ茫然と突っ立っていた。

 だってよ…それしか出来ねぇじゃねぇか。今この現状で何をすりゃぁ正解だってんだよ。

 

(なぁ……お前は────)

 

 心の中で語りかけようとしたが、無情な現実という日の元に引きずり出され、あまりの眩しさに途中で口篭ってしまった。

 声になんて出せるわけないから内で呟こうとしたのに、心がそれすら拒否している。

 

コツン……

 

 足元に転がる彼女の頭が、俺の脳内に激しく警鐘を鳴らしてくる。そうだよ、お前が先に死んじまったから、俺はこんな情けない状態で棒立ちなんじゃねぇか。同じ隊のあの低級共もあっさり死ぬしよ…。

 

(ほんと…ほんとになんなんだよ…ありゃぁよぉ…)

 

 大将様が化け物の中の化け物だとしたら、コイツは何だ?俺らに死を与える死神なのか?死神と化け物の違いってなんなんだ…?

 

「ぁ………ぁぁ………」

 

 漏れ出た吐息に乗った幽かな声。奴の纏う雰囲気に圧倒され、俺は全身から湧き上がってくる悪寒で体を震わせた。歯がガチガチ言って鳴り止まない。視界は異常なまでに鮮明に眼前の光景を映しているというのに、不思議なほど涙が止まらない。

 奴の息遣い、地面を蹴る音、全てが俺の耳に入ってくる。耳がいい事は利点だと思っていたが、そんな事はねぇ。“聴こえてしまう”って、こんなにも辛いことなんだ……。

 

 

「────これだから妖怪は飽きない」

 

 

 聴こえた。だから、視線がそっちへと向いた。

 

「君みたいな妖怪がいるから、僕の価値観が変わっていないって確認出来る」

 

 目が…合った。

 戦っている者の目ではない。あれは……“処理”している者の双眼だ。

 

「僕がまだ……人だって思える」

 

 顔だけだったのが、いつの間にか全身が俺の方へと向いていた。そして、俺の目の前に一瞬で現れる。

 

「その点に関しては…まぁ、ありがとうと言っておくよ」

 

 無感情な顔から発せられたその言葉を最期に、俺のちっぽけな生涯は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 珍しく怯えていた妖怪が居たから、ついつい戦闘中だと言うのに話しかけてしまった。一方的な会話だったけど、元より返事なんて求めちゃいないから、どうってことない。

 一万年も妖怪のみを相手にしていると、倫理観や物の感じ方なんかも人間とはかけ離れていってしまう。

 だが、妖怪にはさっきの奴のように、少々特異な種類もいるのだ。あのような手合いは修司にとって貴重な確認材料だ。彼がまだ普通の人間と遜色ない考え方を持ち、あの時から変わらない決意を胸に秘めているのかを知ることが出来る。

 

(今殺ったので千と五体目だから…あと二千と280体か。順調だな)

 

 夕刻で辺りは暗い。戦いが勃発してから三十分は過ぎたが、修司はその短時間で実に三分の一の千体の妖怪を倒していた。因みに、全てしっかりと殺している。

 拳だけでは殺し方がワンパターンで単純過ぎるので、彼は両手を鋭くし、幅が1cm程しかない小さな刃を妖力で創り出し、両手に纏わせた。妖力の量的には低級でも創れるようなものだが、強度と斬れ味、それと製作難度は桁違いだ。

 

 両手を即席の両刃剣とした修司は、近づく者や距離をとる者関係無く手当り次第に蹂躙し、一撃どころか相手に武器を振るわせる隙すら与えずに首を刈り取っていった。

 

「【刺剛巌(しごうがん)】」

 

 修司の背後にいた五体の妖怪は、足元から突き出てきた金属の杭に股から頭までを貫かれて絶命した。

 

 これは、修司が以前鉄杭と言っていた合金での攻撃技である。

 

 相手の足元や近くの地面から合金を太い針にして突き出し、まるで百舌鳥の速贄のように串刺しにするというエグい技で、現在同時に出せる本数は、一番太い所が直径20cmの合金杭を三十本である。

 これのお蔭で、短時間での大量殺戮を実現した。

 本当は、合金を全て使用すれば一度に百本は出せるのだが、戦闘中でも操りやすいように今は少しだけしか持ってきていない。

 武器の製作器具に使用している分と、わざと残してきた分は、全てあの部屋に置いてきてある。能力で呼び出せる範囲にあるので、もし手っ取り早く殺したくなったら、ここら一帯を剣山のように針山状態にして一瞬で終わらせられる。

 

 だが、これも強くなるための修行の一環だ。妖怪の大将達が来る前に、全ての部下を片付ける。出来なかったら部下共々一度に相手すればいいだけの話だ。

 

「くそっ!なんだこれ!?」

 

 次いで背後に【刺剛巌】でバリケードを作った修司は、目の前にいる妖怪のみに集中して両腕を振るった。

 進路を阻まれた妖怪は、急に地中から現れた光沢のある針の壁にビックリし、そして破壊しようと妖力を込めて殴りつけた。

 

ガキィン!!

 

 しかし、様々な鉱物を混ぜ合わせて造られた修司特製の合金は、並の衝撃では破壊出来ない。

 

「痛てぇ…がっ!?」

 

 自身の拳に跳ね返った衝撃に妖怪は苦悶の声を上げ、そして背後から斜めに突き出された【刺剛巌】によって、後頭部から風穴を開けられた。

 

 他にも次々と妖怪が串刺しにされてゆき、穴の空いた骸がゴロゴロと転がっていった。修司は眼前の相手を瞬殺して行きながら、同時に背後のカバーを【刺剛巌】で補っていた。

 そして、逐一【薄結界】で現状を確認しながら、持ち前の脳の精密演算によって的確に妖怪を減らして廻っていた。

 

 ここまで凄まじい同時思考をしていながら、修司は【独軍】を使っていない。全て一人だけの人格で対応しているのだ。

 【独軍】の使用人数を増やす事は重要だが、一人だけの状態でもある程度思考力を高めていなくては、もしもの時に対処出来ない。だから修司は、蘭の人格での適合性を徹底的に鍛え上げて、一人でもこれ位の事は出来るようにした。

 

 まだこの場に妖怪の大将達がいる訳では無いが、手札は見せないに越したことは無い。効率的にもこのままで充分なペースだ。

 

「さぁ…次だ…!」

 

 横から殴り掛かって来た妖怪の上腕を【刺剛巌】で刺して固定し、痛みに悶絶しているところを斬首する。そして杭を地中に戻したら、全ての杭を戻し、左腕をバッと横に薙ぎ払った。

 

ズドドドドドドドドドド!!

 

 修司の周りにいた妖怪三十体の頭に、突如として杭が突き刺さり、そのままの勢いで突き上げられて吊るし上げられた。綺麗に飛び散る血飛沫が、攻撃が致死傷であることを物語っている。

 

(雑魚だけを狙うのも難しくなってきたな…)

 

 まずは数を減らそうと思い、上級以上の妖怪はスルーして雑魚妖怪を始末していたのだが、幾らか逃げ出した奴や、茂みからこちらを覗いてくるだけの奴など、戦闘に発展しなさそうな妖怪ばかりになってきた。【薄結界】で数を調べたら、修司に立ち向かう気のある奴は合計で1594体と少なくなっている。

 

 とここで、注意を引かれるほどの妖力を検知して、修司は振り向いた。

 

「「「「「喰らえっ!!!」」」」」

 

 見れば、複数の妖怪が妖力を解放して両の手の平に収束していた。止めようにも、ここからでは距離があって何体かは殺りきれない。【刺剛巌】を最大本数出して合金を使い尽くしたので、アイツらを倒す為に再び合金を動かすのには数瞬の時を要する。

 

 ならば、ここは防御しかないだろう。

 

「さて、どれ位の強度かな。【刺剛巌】」

 

 自分の周囲の地中にある杭は、敵を倒すのには間に合わないが、自分の目の前に壁として出すのには間に合う。

 

ズガガガガガガガガガ!!

 

 地面に戻った杭を全て、妖力の光線を放とうとしている妖怪との間に盾として乱立させた。これで即席の防壁の出来上がりだ。

 

「「「「「うおおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 修司が気付いてからここまで刹那の間。それまで打つ直前だった妖怪達は、一瞬で現れた壁に動揺しそうになったものの、実力者としての貫禄で貫き通し、前に突き出した両手に集中した妖力を全て光線として放った。

 

ドガアアアァァァァン!!!

 

 タイミングを合わせて同じように光線を放った妖怪は他に何体もいる。その誰もがこの中でも上位の妖怪であり、この光線に込められた妖力は辺りの大気を激しく震わせる程のものだった。

 爆物が爆発したような、そんな空気が爆ぜる音と共に、彼らの全力の一撃は修司の合金の盾に直撃した。

 現在出せる最大限の妖力を注ぎ込んだ一撃。彼らが密かに妖怪の大将達を殺す為に練習していた必殺の大技である。

 

────だが……

 

「お……おい…嘘だろ…?」

「そんな…俺達の渾身の一撃だってのに…」

 

 煙の晴れたそこには、傷一つ無い煌々とした光沢を放つ杭の群れが鎮座していた。勿論、そこまでの地面はプスプスと焼けて抉れている。それだけが唯一、彼らの技の凄まじさを示す証拠だろうか。

 

「…まぁ、こんなものか。実験にすらならないな」

 

 そう呟く修司。杭を引っ込め、その先で呆けた顔をしている彼らを一瞥する。

 

「攻撃の面積が広過ぎて威力が分散していたね。そんなのじゃあ僕の合金は折れないよ」

 

 威力自体は充分だった。しかし、壁全体に満遍なく攻撃を当ててしまったので、合金杭はそれを易易と耐えてしまったのである。これが一点突破の収束技だったなら、修司の元まで届いていただろう。

 単純に、技量と頭が足りてなかったのだ。

 

「…やっぱり、雑魚だとこの程度か」

 

 左手の人差し指の中指を同時にクイッと上に向ける。

 その瞬間、先程の杭が地面から姿を現し、勢いよく彼らの頭を貫いた。抵抗する気力すら奪われたのだろう、彼らは皆、最期まで焦点の合わない顔で修司を見つめていた。

 

 

(あと、約千五百体)

 

 

 圧倒的な力量差を前に総崩れとなった残り半数余りの軍勢は、その後一時間後に全滅となったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 幾つか技を考えていた修司は、今回の戦闘でそれを評価していた。

 

(【薄結界】は使える。【刺剛巌】は汎用性が高いな。これから色んな場面で使うだろう)

 

 『地恵を得る程度の能力』で地面を掘り返して、辺りに散乱している妖怪の死体を埋めながら、彼は洞窟方面に向かっていた。あそこは、森が拓けていて闘いやすい地形だからだ。大将達との戦闘は、そこでやる。能力で地面を陥没させ、そこにある死体が地表より下になったら土を被せる。簡単だが、これを三千もやるとなると辟易とした思いが彼の中に芽生える。

 

(…でも、時間も無いし、場を整えなくちゃ僕も満足に闘えないからな)

 

 妖怪の大将達がいた洞窟の出口は、ここから走って二時間程の距離だった。ギリギリ間に合って良かったのだが、それでも時間はあまり残されていない。

 若干の焦りを感じ、修司は静かに“もう一つの自分のミス”を反省していた。

 

 敵は、しっかりと修司が入って行った洞窟の正面に兵を配置していた。これは、即ちどこかの時点で敵に見つかって、彼がそれに気付けなかったという事だ。

 一体、いつどこで。

 自分の探知範囲外からの索敵に引っかかってしまったのか。はたまた自分が避けて来た手下の妖怪に、知らぬ間にバレていて、報告されてしまったのか。

 

 どちらにしろ、これは明らかに己の不注意が引き起こしたミスだ。もし見つかっていなかったなら、彼らの全勢力と対峙しなくても済んだ筈。

 実験として色々試せたから良しとしたものの、それは結果論でしかなく、自分への言い訳に過ぎない。

 

 全部理解しているからこそ、挽回の意も込めて、彼は大将達に“向き合う”ことにした。

 

(理解して…分からせて…その上で殺してやる…)

 

 奴らには、“仲間”がいる。仲間。口に出すのも嫌だ。

 

 

「そんなもの存在しないって…証明してあげるよ」

 

 

 さぁ、本当に時間が無い。

 

 ここに、着々と準備を進める復讐者が一人────。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

────来た。

 

 

 準備が終わって静かに洞窟の前で待っていた修司は、感じ取った三つの気配を確認しながら、立ち上がって目を開けた。正座して目を閉じて瞑想していた状態からの流れるような動作に、まるで動揺は感じなかった。

 

 先程、小太刀の鞘が作り終わった。なので早速ここ(地表)に呼び出し、腰に装備した。

 出来としては百点満点。全く申し分無い出来だ。これの姿を初めて見た時は、思わずガッツポーズしてしまった。ギリギリ冷静を保って無表情なままそんな事をやったから、絵面としてはかなりシュールだろう。

 それと、今回の目玉である新しい武器なのだが、こちらは思いの外装飾に熱が入ってしまい、まだ完成していない。

 本当に、本当に後少しなのだ。時間にして残り三十分。最悪、コイツらとの戦闘では使えないかもしれない。

 

 何せ、今回の彼は、本気を出す予定だから。

 

 

 

 

 今はすっかり夜だ。月明かりがこの場を妖しく照らし、新しく生まれ変わったような感覚を受けるこの小太刀が、その光を鈍く反射する。

 いや、確かに金属で出来てはいるが、光を反射はしていない。そういう物質で出来ているから。光って見えるのは小太刀とその鞘を美化して見ているからだろう。

 

 小太刀自体は何も変わっていない。変わったように見えるのは、鞘が変わったからだろう。

 

 

シュラァン……

 

 

 森から姿を現した三体を認め、腰からその小太刀をゆっくりと抜き放った。

 

 柄は炭塵(たんじん)を塗りたくったように真っ黒で、金属としての光沢は全く見受けられない。代わりに、その一尺(約30cm)程の刀身は、自ら光を放っているかのように眩い白銀色をしていた。

*全てが一繋ぎの金属で構成されており、(つば)は無く、全く装飾の無いそののっぺりとした風貌は、業物(わざもの)特有の寡黙さを滲ませていた。

 

 これは一万年変わらない姿だが、鞘と合わせると、また違った雰囲気を醸し出す。

 

 この小太刀の為にこさえた鞘。

 物質としては、小太刀の柄と変わらず、光を反射しない真っ黒な金属で出来ている。なので小太刀を納刀している状態だと、切れ目を見ない限りどこが鯉口なのか判別すらつかないだろう。

 そしてシンプルながら、この小太刀には僅かばかりの装飾が施されていた。

 

 それは、“花”だった。

 

 シンビジウムという名の花で、切っ先の部分から鯉口にかけて、数輪の花弁が描かれている。

 何故その花にしたのかというと、シンビジウムの花言葉が、小太刀にはピッタリだったからだ。

 シンビジウムの花言葉は、『飾らない心』。素直に、己の全てを以て他者と向き合える、実直な心。

 この小太刀の元の持ち主────蘭は、彼に裏表なく向き合い、全てを預けてくれた。だから、彼女の遺物であるこの小太刀は、『素直な彼女の心』を表した一振りとして、その象徴を描いたのだ。

 

 たったこれだけ。たったこれだけだと言うのに、小太刀とその鞘、二つが揃った時の雰囲気の変化は、これに命が宿っていると幻視してしまう程であった。

 以前は、剣呑とした気配で、触れるもの全てを斬り捨てるような鋭さがあったというのに、鞘を合わせた瞬間、まるで彼女()がそこにいるかのような朗らかな温かみを感じた。

 

────あぁ、これだ。

 

 この小太刀には何か足りないと思っていた。

 これなのだ。この素朴な漆黒こそが、これのあるべき姿なのだ。

 

 

(…改めてありがとう、蘭)

 

 

 心の中で彼女に感謝を述べ、彼は目の前の彼ら(障害)に意識をシフトした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「────やぁ、また会ったね」

「お互い見えてなかったから、あれは回数に入らないと思うけど」

 

 第一声は、大将側の中央、そこに立っている少年からだった。

 確か、こんな会話を『月移住計画』の戦争中に蘭と交わした事があったと、修司は思った。

 

 三人の姿形は、人間に似通っているが、確実に違う点がそれぞれに備わっていた。

 

「んなこたぁどうでもいいんだよ。お前、ここらにいた俺らの部下はどうした」

 

 そう言うのは少年の左隣にいる大柄な青年。

 肌の色は鮮血のように紅く、大きく盛り上がった屈強な筋肉は、どんなものでさえ破壊出来そうな危険さを感じさせる。加えて凶暴そうな顔ときたら、もう存在だけでその場を制しそうだ。

 そして、彼額には、立派な一本角が生えていた。あれは、見たことがある種族だ。

 それは、“鬼”。

 物理攻撃に特化した完全戦闘狂の種族で、完璧な実力主義。誰であろうと、実力があれば認めるのが彼らの特徴である。

 そして、彼らは正々堂々が大好きな種族で、それが信条とも言える。姑息で卑怯な事を嫌い、どんな時でも彼らは真正面から挑んでくる。ある意味厄介である。

 

「…そんなに強そうには見えない。一体何者…?」

 

 次に口を開いたのは、女の上半身を持った、下半身が蜘蛛の胴体で出来ている女性だった。

 一般女性の平均的な体型をしている上半身とは裏腹に、彼女の下半身は恐ろしい蜘蛛そのものだった。上半身の外見は大体20歳くらいで、一見すると大人の女性に見える。

 だが、その顔には、まだ青さが抜けない子供のような幼さが残っていた。童顔と言えばそれまでかもしれないが、彼女の幼さは、顔の形だけが理由とはどうしても思えない、そんな雰囲気も感じる。

 上半身が無ければただの蜘蛛の妖怪だったのだが、彼女は違う。

 彼女は、女郎蜘蛛という種族の妖怪だ。

 珍しく、巣を張らない種族の蜘蛛で、食事も糸でグルグル巻きにしないで直接食べる。

 だがその分、普通の蜘蛛妖怪よりは戦闘力は格段に高い。しかし数が非常に少ない、稀有な種族だ。

 

「………ほう、これはなかなか珍しい…」

 

 そして、先程話しかけてきた少年。

 歳は外見で言うと14歳くらいだろうか。まだ少年と呼べるような身長だが、顔には、それなりに時を過ごしてきた年月の色が浮かんでおり、彼が妖怪である事を示していた。

 そして、何よりも目を引くのは、彼の周囲をグルグルと漂っている(くだ)と、そこに付いている“三つ目”の眼球だった。

 都市の情報では、あんな妖怪はいなかった。未知の妖怪。気を引き締めていかなければ。見たところ、そんなに肉弾戦が得意そうでもないが、一体何を隠し持っているのだろうか。

 

 そして、さっきの意味深な発言。何に対して珍しいと言っているのか。もしや、こちらが人間である事がバレたのか…?

 

 

 

 

「……!あはは!人間を見るのは初めてだよ!」

 

 

 

 

 唐突に笑い出した少年。それと共に放たれた言葉に、修司はとても驚いた。

 

 




 

 新技の名前については、完全に適当です。ちょっとは意味も考えましたが、作者に名前のセンスは皆無なので、開き直りました。(ひそかに漢字の技名を使うという拘り)

 補足説明でもしておきましょうか。

 パチェやその他魔法使い、ゆかりんや霊夢が使うような結界にも、探知結界はあります。それらと【薄結界】の違いは、消費する力の量と展開に必要な技量、それと、なんであっても進行を妨害できない透過性です。
 探知のみに特化した弱弱しい結界ですが、それ故に紙よりも薄い薄さと、霧のような半物質化に成功。余程強い力の波動には耐えられませんが、一瞬で広がる展開速度と、取得出来る情報の正確さのお蔭でとても便利な技。

 【刺剛巌】は、メタ○ラのように地中にまとめてある合金の塊から、杭を生成して勢いよく突き出す技。『地恵を得る程度の能力』を使った技で、刺突する速度は弾丸並。硬さは折り紙つき。
 地面の中をスムーズに移動させるので、地表から音はほとんど聞こえない。しかし、現在修司が保有している合金を全て使って同時展開した場合、地震のような地鳴りが起こる。


 武器名はまだです。もう一つももうすぐできあがります。


 ではではまた次週に~。

 


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26話.四体の化け物と慢心による弛緩

 

 やっといつも通りな感じに戻ってきました。一章完結まで後数話です。

 余談ですが、刺剛巌は説明だけを聞くと一撃必殺のバグ技な感じがしますが、案外弱点はあります。だって、修司が相手にする敵が、地面からの杭にそう易々と殺られる訳が無いでしょ?…という事ですw

 …とまぁ、厨二感MAXでバカみたいに無敵な今小説、どうぞお読み下さい。

 ほいーっとな。

 


 

 修司は体を強ばらせた。

 何故自分の事を人間だと分かったのか。霊力は完全に抑え、妖力を低級程に出している今の状態で、どうやって人間と見当がついたのか。

 

「困惑…しているね」

「……!!」

 

 馬鹿な。顔には出していない筈だ。

 

 修司は、敵とまず話し合う為に、修司を担当している人格を交代している。

 いつもは戦闘に特化した蘭が繋がっているのだが、今は、都市にいた永琳の家の庭師さん──千代さんに代わっている。

 これは、腹の探り合いや、相手を鋭く見抜くことが上手い千代さんの影響を受けることで、相手の中身を調べようとしているからだ。

 だが、こちらが探ろうとする前に、あの少年は彼の事を言い当てている。その手品のカラクリが分からない以上、迂闊には動けない。

 

「ふむ……いい判断だね」

「………」

 

 落ち着け。何かがおかしい。

 まず、体の微動は制限出来ている。視線や強張りも普通のものだ。

 そして何より、“何も喋っていない”。

 

(…となると、能力で何かを調べられているのか)

「ふふふ…」

 

 不敵な笑みを零す少年。

 これを見て、修司は大体の予測を立てた。

 

(能力だとしたら、僕の中身を見透かすような系統の能力。違うなら、きっと奴の種族に関係するものだろう)

 

 その先を考えるのは辞めた。考えたところで、何も確定した要素は得られないからだ。

 

「────ふぅ」

 

 ならばやる事は決まっている。もう話をする必要も無い。

 修司は千代さんとの繋がりを切り、蘭と繋いだ。大した情報を得られなかったのは残念だが、あれだけ頭のある妖怪だ、得られないことも予想していた。

 

「……!」

(…ん?なんだ?)

 

 人格の接続を切り替えた瞬間、少年の顔が歪んだ。人格を変えたのを気付かれたのか?…なら、それもヒントの内だな。

 

「はぁ…あんまし強そうには見えねぇが、いっちょやってやるか」

 

 修司の雰囲気の変化を感じ取った鬼の青年は、溜息一つ吐くと、前に進み出て溢れんばかりの妖力を放出し始めた。

 

「…油断禁物」

 

 女郎蜘蛛の女性は、ただ一言そう言うと、そのまま横にズレて回り込むように陣取った。

 

「────とても興味深いが、死んでもらうよ」

 

 平静を取り戻した少年は、管で繋がっている三つ目の眼球をそっと撫でると、鬼の後衛に回るような位置に移動した。

 

 

「…全く、やはりそうなのか」

 

 

 修司はその様子を見て小太刀を一払いすると、刀身の峰に左指をなぞらせて言った。

 

「本当に、おめでたい連中だね」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 僕達三人は、洞窟を抜けてから全速力で奴の所へと向かっていた。

 レイの『気配を察知する程度の能力』は、今は使っていない。

 何十年か前に、レイの能力である敵を監視していた時、ソイツはレイの能力に気付いたのだ。今回の敵は、一回目は運良く気付かれなかったが、今回はこちらを認識している。どんな対策を立てているか分からないので、レイの能力は危険があると判断した。

 

 僕達が本気で走った場合、目的地に着くまで約二時間半はかかる。

 だが、僕の能力のお蔭で、僕達の走る速度は格段に上がっている。三十分は短縮できる筈だ。

 

(それにしても…)

 

 思い返す。

 ノラが破壊した壁の土煙のせいで姿は見えなかったが、気配と妖力からして低級妖怪。それも、物理攻撃が不得手そうな肢体をしていたから、隠密行動が得意な妖怪だろう。

 

 だが、どうしても解せないことがある。

 それ程しかない実力でどうやって、上級妖怪を二体も殺したのだろうか。奇襲ならまだ分からないが、あの二体は気配の察知もかなり上手い。動物型に近いから、野生の本能が特に優れていたのだ。

 

 矛盾した事柄が重複しているのが不思議でならない。しかしそれが逆に、かの者に興味を湧かせてくれる。

 

「……ハク、もうそろそろ着く」

「分かった。ノラも準備はいい?」

「ったりめぇだ。寧ろ今から殺らせろ」

 

 血の気が多いノラの発言は流し、気配を捉えた僕達は、静かに戦闘態勢を整えるのだった。

 

 

 

 

 そして今。

 

 僕は、敵である目の前の彼に出会った瞬間、サッと周囲と彼の状況を確認した。

 

 荒れに荒れている森の木々と不自然な程に平らに(なら)されている地面。木や葉に付着している夥しい量の血。

 まるで何事も無かったかのようにそこに佇んでいる敵。自然な呼吸と挙動からは全く戦闘の跡を感じさせない。

 そして、大幅に成長した僕達を見てもこれっぽっちも動揺しない瞳。

 

(面白い……!)

 

 元々あった興味が、更に深くなっていく。僕は、彼の中身を覗いてみたくなってしまい、『第三の目』の制御を外そうかと迷っていた。

 僕が最初に声をかけても、それを可笑しく返せるほどの胆力の持ち主。僕達を一瞬で観察し、心にもの珍しげな好奇の色を浮かべる彼。

 

(やはり、お前は特別だ。この『第三の目』には一体何が視えるのだろうか)

 

 他者の醜い心を視たくないが為に、封印に近い意識で『第三の目』を抑え込んでいたのだが、この時ばかりは、その恐怖心よりも興味が勝っていた。

 長年制御をかけたままにしていた『第三の目』を、今、解放する。

 

 

(────!!)

 

 

 瞬間、多くの声がどっと流れ込んできた。

 レイとノラと敵のみの声だというのに、たった三人分の心の声は、僕の頭の中を激しく叩いた。

 覚り妖怪というのは、普通は『第三の目』の制御などは出来ない種族である。なので強制的に心の声を聞かされ、嫌でも頭の中に響く声に対して耐性が付くのだが、僕の場合、制御の仕方を覚えてからはずっと制限を掛けっぱなしだったので、その耐性が足りなかった。

 部下を全てやっておいてくれて助かった。きっと数百残った状態でこれをしていたら、立っている事すら難しかっただろう。

 

(うっ……煩い…)

 

 顔に出すことは防げたが、慣れるのに少々時間がかかった。それを感じ取った二人が、一言づつ敵に声をかけて時間を稼いでくれた。流石、長年の仲間だ。

 たったそれだけの時間で充分慣れた僕は、彼からの心の声に耳を傾けた。

 

『何故……?』

 

「困惑…しているね」

「……!!」

 

 考えている事がバレたのがそんなに衝撃的なのか、敵は内心でとても驚いていた。

 どうやら、レイとノラの種族は知っているようだが、覚り妖怪については全く知識が無いらしい。これは非常に有利だ。僕の種族を知らないということは、心を読めるという利点を知らないということだ。

 この仕組みを事前情報で知られていないのは大きい。後はノラが前衛で頑張って、レイで絡めとるだけだ。

 

 おっと、久しぶりの読心についつい浮ついてしまった。心で読んだ内容にいちいち反応してしまい、敵に何かを勘繰られそうになった。『第三の目』を放置していると、思った事をすぐ口に出してしまうのはどうにかならないだろうか。

 

 

「……!」

 

 

 突然、彼の中から聴こえる声の雰囲気が変わった。最初、老婆のような思考の深い雰囲気だったのに、たった今、活発な人特有の“色”に変わったのだ。

 目の前にいる人間の風貌は青年のようなのに、見た目より歳を取っているような深さを感じたから、僕は興味深いと思った。だが、今は別の意味で興味深い。

 

 瞬時に人格を変化させられるような珍しい奴に出会ったのだ、期待しなくてどうする。

 

(あぁ、惜しい)

 

 兎も角、非常に面白そうな彼だったが、こちらに甚大な被害をもたらすほどの強力な人間だ。人間を初めて見たから、他の人間が全部こうなのかは知らないが、彼はどちらにしろ危険。殺し、喰らって僕達の力とするのが一番だろう。

 ただ、気になるとすれば、彼が人間だというのに妖力を持っている事か。それと、弱いと聞いている人間がこれだけの実力を得た理由も気になるな。

 

 

「────とても興味深いが、死んでもらうよ」

 

 

 些か疑問の残る彼だが、角も、目も、蜘蛛の下半身も持たない脆弱な種族。妖怪の中では勝てていたかもしれないが、妖怪の上に立っている僕達に、お前の力は通用しないという事を分からせてやろう。

 

(さぁ…僕達(・・)の糧となれ────!!)

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

(…見たところ、前衛が鬼で、後衛が三つ目の奴、そして遊撃があの蜘蛛妖怪か。バランスは良いな)

 

 無駄に息の合った連携を取られ、若干唸る修司。

 

 小太刀を右手で握り、下段に構えて相手の出方を見ようとバックステップで退ったが、開戦と同時にすぐさま駆け出してきた鬼に迫られ、取り敢えず応戦するしかなくなった。

 

「っらぁ!!」

 

 豪快に妖力を込めた右ストレートで顔面を殴りつけてくる。

 修司はそれを左に躱し、一歩踏み込んで小太刀で斬り上げを放った。

 

「うおっ!?」

 

 だが、拳が外れるや否や瞬時にバッとその場を退いた鬼。

 追撃しようとした修司だったが、そこに背後からシュッという音が聴こえる。

 

「っ………」

 

 咄嗟にまた後ろに飛び退いた修司の眼前を、白い束のような糸が通り抜ける。

 糸か、と思う間もなくそれは発射した張本人の手元へと戻って行き、そちらに気を取られている隙にまた鬼が肉薄して来ていた。

 

「もらったっ!!!」

 

 先程よりも格段に強大な妖力を感じ、修司は回避や『点』を使うよりも投げた方がいいと判断し、迫る拳を掻い潜って手首を左手で掴もうとした。

 

 だが……

 

 

「ノラ掴み!!!」

 

 

 最短の意味のみを含んだ言葉が戦場に響き、ノラと呼ばれた鬼は目がギラりと光った。

 

「っあぁ!!」

 

 気合い入れなのか、叫びながら彼は無理矢理体を捻り、振りぬこうとした右腕をそのままに、右脚を振り上げて蹴りを出してきた。

 回転の勢いを殺さずに放たれたその脚は、妖力を纏わずとも充分な威力を持っていた。

 

(くそっ…!)

 

 掴もうと踏み込んでいた修司は、その脚を避けきれずに、腕をクロスさせてバックジャンプでそれを受けた。

 

ドガン!!

 

 蹴りとは思えない音がして、修司がノラに蹴り飛ばされる。

 バックジャンプである程度ダメージは受け流したが、それでも妖怪の一撃は重い。吹っ飛ばされて体の上下が反転している空中で、修司は両手を地面に着けてバク転で着地した。

 

「……驚いたよ。まさか僕の指示に反応出来る奴がいるなんてね」

 

 ノラの追撃は無い。

 遊撃として周りのこの平地から出て周囲の森に隠れている遊撃の蜘蛛妖怪を調べるため、【簿結界】を準備し、少年の声に手をプラプラして答える。

 

「運が良かっただけだよ。本当だったらこうはいかない」

「けっ。人間だか何だか知んねぇけどよ、低級程度しかない妖力じゃあ、()には勝てないぜ」

 

 今更だが、彼らからは大妖怪を軽くあしらえる程の莫大な妖力を感じていた。だから、今回の相手が楽に行けないというのは戦闘前から理解している。

 しかし、それでいい(・・・・・)のだ。体術と地中の合金だけでいい勝負をする(・・・・・・・)ことが、今の修司の目的なのだから。

 

「そうかもね。でも、勝負を投げるつもりは毛頭ない」

「だろうね。本心からそう思っているようだし」

 

 相変わらず、少年は修司の言葉の真偽を判別している。そして、修司は今の会話と先の戦闘から、彼のカラクリの正体を絞っていた。

 

(……アイツは厄介だな…。手の内を読まれるのは、流石の僕でも辛い。…鬼を抜けてアイツを叩くか)

 

 そう思った修司は、修司とノラと一直線上に並んで後衛にいる少年に駆けた。当然、正面にはノラがいる。

 だが、奥の少年はフッと微笑を浮かべると、ノラに指示を出した。

 

「ノラ通すな!」

「ったりめぇだ!!」

 

 普段の口調を無視した素早い指示に彼が反応し、修司と正対して両腕を広げた。

 修司はそれを見て、速度を緩めること無く小太刀を両手に構えた。白銀の刀身が煌めく。

 

 

 

 

────かかったな。

 

 

 

 

 修司がニヤリと口角を吊り上げた時には、もう遅かった。

 

 彼は、一瞬にして思考を切り換える。少年がそれに気付いた時には、ノラと修司は接敵寸前であり、とても声をかける余裕なんて無かった。

 思惑に気付き、目を見開く少年。

 

(……残念だったね、もう、君のタネは分かってるんだよ)

 

 思考を少年を狙うという一点のみに集中し、鬼を前方にいる彼を通さないように指示させる。

 そして、得物を動かし、何か仕掛けてくると思わせておき、意識を彼自身に向けさせたのだ。

 

 

 故に今、鬼は背後からの奇襲に対応出来ない。

 

 

「貫け、【刺剛巌(しごうがん)】」

 

 この鬼が修司を押さえると思ったのか、森の中から糸の援護はない。完璧なタイミングと作戦。

 背後から突き出てきた三本の合金杭。それに対応出来る手段とすれば────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…させない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 そんな細い声が修司の耳に入ってきた時には、彼の視界の外から三本の糸が発射されていた。

 悪寒を感じるほどの妖力が纏われたその三本の糸は、鬼の背後の【刺剛巌】の先端部分に張り付き、その進行を止めさせた。

 

グググ……

 

 【刺剛巌】は、修司の『地恵を得る程度の能力』で射出しているので、威力は決して低くない。それを止めるだけの妖力と、その糸を引っ張ってている彼女の膂力(りょりょく)は、相当のものだろう。

 

 まさか止められるとは思っていなかった修司は、突然の横槍に驚くも、杭を地中に無理矢理戻し、左手の平に薄い妖力の結界を創り出した。

 

「【簿結界】」

 

 ブワッと拡がった結界に、三者は一様に妖力を纏って警戒するも、何も起こらずに素通りしていく結界に疑問符を浮かべた。

 

(何を────!!)

 

 奥の少年が修司の心を読んで気付いたが、それは結界に触れた後だった。修司は合金の幾らかを、位置を割り出した蜘蛛妖怪の真下に移動させ、もう一度【刺剛巌】を放つ。

 しかし────

 

 

 

 

「…それは無駄」

 

 

 

 

 またそんな声が聴こえたかと思うと、蜘蛛妖怪はその場を飛び退いて合金の杭を回避した。

 これを躱されたという事実に若干驚いた修司。しかしながら、彼は素早く思考を巡らせた。

 

(おかしい…。今のはほぼ無動作で放ったのに、何故か避けられた。あの種族はそんなに五感が優れているという訳でもない…。だとすれば……能力か)

 

 能力なんて摩訶不思議な力が存在するこの世界。説明つかないものは大体が能力に分類される。他にも様々な可能性を考慮した修司だが、結局は能力ではないかという結論に至った。

 

「今のは危なかったぜ!レイ!」

 

 修司が飛び退く中で、目の前の鬼はどこへ向けるもなく声を張り上げた。

 隙なく行動しているので攻撃を仕掛けづらい。また連携が卓越しており、反撃の余地が全くと言っていいほど無かった。

 

 

「おらおらおらおら!!どうした!」

「僕達の攻撃に対処出来ているのは素晴らしいが、それだと負けるよ?」

「…楽勝」

 

 

 その後も、ノラとレイとハクの三人による隙の無い連携攻撃により、修司はドンドンキツくなっていった。

 ノラは修司の正面で接近戦を仕掛け続け、レイは死角から妖力の込められた糸を射出し、ハクは彼の心を読んで指示を出しつつ、自分も妖力の光線や妖力弾でノラの援護をしていた。

 はっきり言ってこれ程までに阿吽が整ったチームは殆どいないだろう。ノラの拳を回避したと思ったら背後からの糸での奇襲。それを体を捻って躱せば、今度はジャンプしたノラの空いたスペースから妖力弾が無数発射される。それに気を取られていると、ジャンプしていたノラが上から右ストレートを振り下ろしてくる。

 

 と言った感じに、修司に息をつく間も与えずに、彼らは彼を攻撃し続けた。

 月明かりが煌々とその戦場を照らす。静寂が似合うその美しい夜の中、地面を破壊し、木々を薙ぎ倒し、妖力で空気が爆ぜる音が周囲に淡々と木霊する。

 たった四人が奏でるその爆音の四重奏に、辺りの静けさは掻き消され、膨大な妖力から放たれる轟音は射線に映る全ての物を蹂躙していった。

 

 それでも、修司は判明した情報に上手く適応しながら、その全てを軽傷で済む程度に受け流していた。

 時には『点』を使い、時には【簿結界】で位置把握をし、時には【刺剛巌】で盾を創ったり反撃したりなど、三対一とは思えないほど善戦していた。

 

 三体は、その一体一体が、修司の足元に及ぶ実力を備えていた。

 その力の源は何か。それは、恐らく生後間もない頃に経験した悲惨なあの出来事から来る、圧倒的な願望の強さだろう。これまでの全てをそれに捧げ、過ごした時間の全てを力を付ける事にのみ執着した、今までの研鑽があったからこそ、三人は現在の(・・・)修司と互角……いや、それ以上に戦えているのだ。

 

 平らにした地面は既に見る影もなくボコボコに割れ、周囲の木々はあらゆる部分が抉られたように欠損し、数多の本数が倒木していた。

 

 戦闘が始まってから僅か約三十分。その短い間で、まるで破壊神がそのハンマーを振るったと錯覚するほどの凄惨な現状を創り出していた。

 それだけ……それだけの規模で破壊を繰り返したというのに、修司の目の前にいる三体の疲れは微塵も感じられず、同時に妖力にもまだまだ余裕があった。

 対する修司は、目立った傷こそ無いものの、その紙一重の攻防を久しぶりに経験したからか、いつもより疲れが見えてきた。

 

(もうすぐ倒せるな)

(……終わったらまた修行だな)

 

 と、それでも勝利のビジョンが崩れない両者。

 しかし、この均衡は、破られてしまうことになる。

 

 

 

 

(これは……なかなかにやりづらい相手だ)

 

 大妖怪なんて枠には収まりきらない妖力と身体能力。息の合った連撃とバランスの良い役割。そして、(恐らくだが)それぞれが能力を保有している。条件が揃うとここまで厄介になるのかと、彼は内心舌を巻いていた。

 だが、まだ本気を出すタイミングではない。寧ろこれ程の苦戦でも全く構わない。上げれば上げるほど、落とした時の落差は大きいものだ。

 

 そして、先程から気配を探しているというのに、あの蜘蛛妖怪の位置が一向に掴めない。森と気配が同化して、探知が困難になっている。流石は妖怪、と言ったところか。

 

「お前、能力持ちか。地面を操れるってところか?」

 

 余裕そうに攻撃をして来ないノラは、彼にニヤリと話しかけた。彼が喋らないでいると、それを肯定と受け取ったノラが、グッと両拳を握り締めて構えをとる。

 

「その能力と体術、それとハクのあの『目』を騙せたのは褒めてやる。だがな……」

 

 刹那、大気を揺るがすような妖力がノラから放出され、修司は小太刀を両手で握って腰を落とした。

 

()がその程度で殺られると思ったら大間違いだぜ!!」

 

 溢れる妖力で体を強化し、先程より格段に速いスピードで突進してくるノラ。狂った猪のようなその突撃。しかしそこに隙は微塵も感じられず、振りかぶった右拳は瞬時に回避を選択させるような強打であった。

 だから修司はギリギリまで引き寄せてから横っ跳びで避けようと脚に力を込める。

 

グン!!

 

 しかし、そんな彼の考えとは裏腹に、彼の体は何かに引っ張られるようにしてノラの元へと吸い寄せられていった。

 

(何っ!?)

 

 ハクの余裕から、まだ何かあるだろうとは思っていた。それがこれだったとは思わず、修司はノラの右拳を腹にまともに食らってしまった。

 

 

ドゴオオオオオォォン!!!

 

 

「がっ────」

 

 死に至るようなダメージを避けるために、咄嗟に妖力で腹を防御したが、それでも吐血する程の大ダメージを受けてしまった。骨も少し逝ってしまっただろう。内臓も、きっと損傷しているに違いない。吐血したという事は、消化器官か肺がやられたな。

 なす術なく、体をくの字のままに吹っ飛ばされる修司。だが、これで終わりではなかった。

 

シュシュシュシュッ

 

 突如、飛ばされている修司を遮るようにして糸が張られ、平地を分断するように粘着性の糸の壁が出来上がった。

 その壁へと突っ込んでいく修司。そのまま、貼り付けられるようにして糸の壁に捕まってしまい、彼は大の字のまま空中に縫い付けられる事となった。

 ガクンと頭が下がって俯く彼。前髪が掛かって顔が良く見えないが、反応が無いところを見ると、もう終わりのようだ。

 

「よし。ノラ、レイ、捕獲完了だ」

「あ〜もう終わりかよ」

「…なんか拍子抜け」

 

 生半可な鋭さではレイの糸を斬り捨てることは出来ない。そして、粘着性も強力だ。

 案外手早く終わってしまった戦闘に呆気なさを感じつつも、三人はまた一つ重ねた勝利を噛み締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 手を抜いていた訳ではない。

 寧ろ、かなり本気を出して戦っていた。

 それでも、この体たらくはなんだ。

 

 この一万年間、様々な状況にも対処出来るように体を鍛え続け、努力を積み重ねてきた。

 それが、このザマか?

 

(………改善点が多すぎて、最悪な気分だな)

 

 小太刀は刀身が短いと言えど、列記とした刀である。しかし、刃とリーチの利点を活かさずに敵に好きなようにさせて、自分の方はそれをただただ受け止めているだけ。間合いの取り方がなってない。

 しかも、次手の読み合いにおいて、あちらにはあのハクと呼ばれる少年がいる。考えている事を覗ける敵に会うのは初めてだし、対応も慣れていないという理由付けは出来る。

 だが、それで自己を擁護しても、“次”はない。負ければ死ぬし、勝てれば生きれる。全てが一発勝負の世だからこそ、自分は今まで修行を続けてきた。

 

 アイツらの実力は、確かに自分に近いところまである。蘭程ではないが、それでもこの時代においてはトップクラスの強者だ。あれくらいのレベルになってくると、強みを出された時に一気に流れを持ってかれる可能性がある。

 それが三体。しかも連撃の練度は他と比較にならないものだ。これまでに戦ってきた中でも蘭に次ぐ実力だろう。

 

 

────だが、戦闘においてそんな戯れ言は通用しない。

 

 

『相手の“全て”を看破し、“全て”を打ち負かせば、必ず勝てる』

 

 

 これは、最終的に考え出した結論だ。全ての可能性を潰し、全ての要素に絶対を付けることが出来れば、理論的には負けない。

 過程は、途中にある落とし穴に落ちないために、重要なのだ。勝負で勝つのは、最後の一撃を入れれた者のみ。極論を言えば、勝敗を決する一撃を相手に撃ち込めれば、過程なんぞはどうでもいい。

 

 過程を重んじる者は、綱渡りをわざわざ綱を歩いて渡ろうとする。

 しかし、勝ちを取りに行く者は、綱を使わずに、横の橋を渡る。

 

 両者に違いはない。見栄えは前者の方が圧倒的だろう。しかし、確実性はどちらが上だろうか。

 勝つ為には手段を選ばない。己の利なるを追求し、最大限の益を自らにもたらすため、不要なものを全て度外視し、ただ純粋に勝利を求める。これのどこが悪いというのか。

 誰が綱を渡れと言った。誰が橋を渡るなと言った。どちらにしろ、落ちれば負けなのだ。

 

 もう一度言おう、

 

『相手の“全て”を看破し、“全て”を打ち負かせれば、必ず勝てる』

 

 では、その“全て”に対処出来るようになるにはどうすればいいのか。

 答えは簡単、『強くなればいい』。

 体も力も頭脳も、強くなれるものを全て鍛え、全ての事象に対して完璧な対応を実現すれば、絶対に負けることは無い。

 結局は暴力でしかものは解決出来ない世の中だ。力を欲するのは自明の理だろう。

 

 

 

 

 しかし、今回。

 

 

 

 

 今回は、蘭以外では初めてと言えるであろう実力の近い者との、実践に近い自分の理論の証明である。今回だけは、敢えて過程も大事にし、それでいて、確実な勝利を手に入れれる──つまりは、己の強さを証明しようとした一戦であり、加えて“仲間”というものを否定する為の戦いである。

 

 だが、まだ自分がこれ程までしか強くなかったとは。

 

 たった一万年では、こんなしょうもない妖怪三体に追い詰められるくらいの実力しかないのだ。体術と合金のみであの三体を圧倒してこそ、(ようや)く自分が強くなれたのだと実感出来る。

 自分の目的は、とある者への復讐である。それを達成する為には、絶対に生き残らなければならない。

 

 知らない内に、心が緩んでいたのかもしれない。時間が経てば経つほど、激情や決意というものは薄れ消えていくものだ。

 正直に言えば、()めてかかっていたのだろう。どうせ、自分に敵う者などいない、自分は自分の理論を達成出来ているのだと、高を括っていたのだ。

 

 あぁ『疑心』よ、君の感情は年月によって風化してしまうような軟弱なものなのか?

 絶対の“猜疑心”。不朽の“警戒心”。尽きる事無き“復讐心”。

 全てを疑い、目的の為なら全てを容赦しないその冷徹な感情は、こんな戦い方を許すのか?

 

 違うだろう。違うからこそ、『相手の“全て”を看破し、“全て”を打ち負かせれば、必ず勝てる』という理論が出来上がり、自分はそれを目指しているのだ。

 油断というものは『疑心』にとって絶対に有り得ない、有り得てはならない。

 もう、金輪際こういった失態は辞めてくれ。一歩間違えれば死んでしまうような、危ない失態は。

 

 

 その願いに呼応するように、地中から“ナニカ”が迫っていた。

 

 




 

 なんと、修司が敗北です。これは後が怖い……w

 はい、なんとなく書いていましたら、不思議と修司が負ける流れになってしまいました。全く予想していませんでした。
 勉強云々で忙しいですが、頑張って書き続けます。


 それではまた来週に。

 


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27話.対極を担う華と月光燦めく想い

 

 サブタイの『燦めく』は、きらめく、と読みます。あれ?同じようなこと、前にもやりませんでしたっけ?

 特に書くことは無いので、本文いきましょうか。


 ではどぞどぞ。

 


 

 『第三の目』を通しても、彼からは何の反応もない。あるとすれば、心が先程よりもくすんで見えるくらいか。

 だが、死に際の妖怪や、勝負に敗北した奴は、皆等しく心を暗くするものだというのを、ハクは経験から学んでいたので、さして気にしてはいなかった。

 

「二人共、集まってくれ」

 

 平地のど真ん中で糸に捕まっている彼に歩み寄りながら、ハクは二人を隣へと呼び戻した。ノラが首をコキコキ鳴らしながら合流し、続いて森の中で援護してくれていたレイが、ギチギチと八本の脚を動かして姿を現した。

 ノラとレイ、二人がハクの両隣で同じように歩幅を合わせて歩き、頭が下がっている彼について、各々の感想を想う。

 

『……ま、俺にかかればこんなもん朝飯前だな』

『…私の糸からは、絶対に逃れられない。これは勝ち確定』

 

 二人もこれで勝敗は決まったと思っているらしく、制御を解除した『第三の目』からはそんな言葉が聴こえてきた。

 

「なぁ、取り敢えずコイツ生きてるけどよ、さっさと殺して食っちまってもいいんじゃねぇか?」

 

 そうハクに問いかけるノラ。気怠そうに欠伸をする彼からは、相変わらず強くなりたいという欲求を激しく感じる。

 それは駄目だ、とハクは反対し、『第三の目』を撫でて言った。

 

「コイツは、とても珍しい精神構造をしている。調べてから殺さなきゃ、次もこんな敵に出会った時に満足に対処出来ない」

「…それに、面白い能力も持ってた。全体的に見ても、とても珍しい奴」

「更に言うと、コイツは人間らしい。人間なんて初めてだから、知れる事は全て知っておきたいんだ」

「あ〜わぁったよ。だが、最終的には食うんだろ?」

「「勿論」」

 

 人間、という単語に二人は興味を全く示さない。未知の出来事に無関心なのは、やはりそれぞれの目的しか考えていないからだろう。或いは、ハクが『頭脳』を担当しているから、自分は知らなくていいと思っているのかもしれない。

 

 まぁ兎も角だ。

 部下はほぼ全滅したけど、それは別段気にしていない。死体が無いのは気になるが、そこに関しては後でじっくりコイツを締め上げて調べればいいだけの話だ。

 

 勝利を噛み締めると同時に、あまりに過大評価し過ぎていた敵の呆気ない終わり方に安心して、油断していた三人。もうすっかり心は、コイツをどう拷問して調べてやろうかという事にシフトしている。又は、コイツがどんな味をしているのか、という事だろうか。

 

 だから、ハクが読み取った心の声に、彼自身、肩を揺らすほどの衝撃を受けた。

 

 

 

 

『────よし』

 

 

 

 

 その一声。

 ノラでも、レイでも、ましてや彼自身でもない、無機質な二文字。

 その一言にハクは肩をビクッと揺らし、思わず足を止めて目を見開いた。

 

「…ハク、どうしたの?」

「…んぁ?どうした?ハク」

 

 明らかな動揺を彼から見て取ったのだろう、二人も足を止めて彼に顔を向けた。

 ハクの視界には、振り返って心配する二人の顔と、その奥で拘束されている人間の十字姿しか映っていない。

 しかし、彼の『第三の目』は、確かに聴く()た。ある一人の決意の声を。

 

 そして、『第三の目』は感じ取った。奴の心が、どんどん黒く染まっていく様を────。

 

 

「っ!?」

 

 

 おかしい。

 普通、あそこまで心が黒く染まる事など有り得ない。三人の心も充分黒いが、彼のそれは常軌を逸した漆黒だった。

 硬直している間も、奴の心は黒さを増していく。本能的に危険を察知したハクは、声をかけるのも忘れてその場を飛び退いた。

 

「お?」

「…?」

 

 まだ理由が分からない二人。ハクのやる事だから何かあるのかと思い、特に何も考えずに後ずさる彼を追うために踵を返す。

 

 完全に意識が外れたその瞬間、これが、彼らの決定的な隙となった。

 

 

 

 

ヂリッ────

 

 

 

 

 こめかみにそんな違和感を感じたのはレイ。奴を捕まえてから能力を切っていたのだが、その“嫌な予感”に本能が反応し、無意識的に能力を使用する。

 すると、自分の足元──地中に、夥しい数の“動くモノ”を検知した。これは、先の戦闘でも散々敵が使用していた、金属の杭。

 

「っ────!!!」

 

 隣のノラも、類まれなる戦闘での勘によって何かを感じ取ったらしく、次の瞬間、ハクが叫んだのと三人がその“範囲外”から退避したのは、ほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

「逃げろおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 そうハクが言うが早いか、三人は全力で“ヤツ”から距離を取った。ある者(ハク)は能力を使い、ある者(レイ)は糸を木にくっ付けて体を引っ張り、ある者(ノラ)は妖力を脚に纏って地を蹴飛ばした。

 本能的な危険を察知したからこその本気の回避。そしてその判断は、今までのどんな判断よりも正しいと思えるほどの危機一髪さであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガン!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地響きと共にそんな爆連音が鼓膜を突き破り、夜中の静寂を引き裂いて轟いたその現象の“正体”。それをどうしても確かめたくて、三人は皆一様に顔を背後に向け、そして同じように戦慄した。

 

「な……」

「おいおい……」

「…嘘…」

 

 

 それは、巨大な剣山。

 

 

 奴が居るであろう場所を中心として、無数の金属の杭が、放射状に外側に向けて先端を突き出し、威嚇するように月明かりを反射して眩く輝いている。

 数にして四百…いや、五百はあるだろうか。そんな数の堅牢な杭が彼を守護するように展開し、見るもの全てを貫かんとするその鋭い面持ちで外側の“全て”を睨みつけていた。

 この杭が断ち切ったのであろう。いつの間にか彼を捕獲していた糸はハラリと切れ落ち、剣山の外の糸は地面に横たわっていた。

 

「こ…これは……」

 

 そのずっしりとした構えに気圧され、三人は更に平地の端と後ずさった。

 

「お、おいレイ、アイツが一気に使えたのって…」

「…うん、多くて三十本くらい。能力で地中を調べたから絶対…な筈」

 

 その荘厳な雰囲気は、三人を射殺さんばかりの威圧を見せ、彼らは鼓動が速まり、呼吸が激しくなっていった。

 目を背けたいというのに体は言う事を聞かず、その圧倒的な風格に心を圧迫されて、全身を恐怖が穿つ。

 

 何故だ、とハクは考える。

 それなりに時を過ごし、数え切れない修羅場と嫌になるほど生死の境を経験したというのに、今更こんな針山一つで恐怖してしまう理由が見つからない。

 見上げるくらいにデカく、近寄り難い程に尖っているが、妖力も何も感じない、ただの金属の塊だ。一体、何に怯える必要があるというのか。

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴゴ……

 

 

 

 

 目が釘付けになりながらも体勢を立て直して戦闘準備を整えた三人。次は何が起こるのかと緊張して構えていたら、剣山が出現した時とはまた違った地鳴りが聴こえてきた。

 

「レイ、今度は一体…?」

「…分からない。まだ範囲外」

「くそっ、ヤバそうだなこりゃ」

 

 全く予想出来ない不測の事態。しかも、謎に怯えてしまっていつも通りの冷静さが欠けている。戦局をいつも盤上から眺めているような感覚が消え、残ったのは月明かりに照らされた暗闇のみだった。所謂パニックというやつだが、ハクの場合はパニックと言うよりは、次にどうしたらいいか分からない困惑の方が大きいだろう。

 地中がどうなっているかを尋ねたが、レイからは優れない回答。まだ攻撃の予兆が無いので、ここで一旦心を鎮めようとハクは『第三の目』を両手で包んだ。

 

(落ち着け…。ここで焦っては駄目だ。一度足踏みしよう)

 

 心の足踏み。つまりは深呼吸であり、それが一番有名な方法でもある。これは案外効果があって、周囲に気を配れなくなるが、自己を見直すことによって、焦りというのはみるみる内に消えていくのだ。

 

 

(……よし)

 

 

 気合いの入れ直しに、こちらも内心で自身に言葉をかける。

 地中から何も来ないのなら、取り敢えず自分達が何かを被る訳ではない。今は兎に角、目の前の針山を破壊することから始めよう。

 

「二人共」

 

 ハクは、敵の拘束が解けたから、あの針山を壊してもう一度奴を捕まえようという旨を伝え、自分達が奴に負ける訳が無いんだから、何も恐れる必要はないという激励を送った。

 

「…ぉぅ…おう!そうだな!」

「…たかが杭が増えただけ。他は何も変わってない」

 

 士気は充分。これで持ち直した。

 敵に時間を与えてはいけないと思った三人は、互いに目で合図した後、同時に針山へと駆け出した。それぞれが膨大な妖力を纏い、一気に叩いて砕いてしまおうと考えての行動だった。

 …だが、そんな三人の特攻も、地鳴りの終わりと共に現れた“一筋の閃光”によって、足を止めてしまう。

 

 

 

 

ドシュッ────

 

 

 

 

 何かが発射された音。

 そして天高く昇っていく一閃の光の筋。

 それは、剣山の内側──中心部分から伸びていた。

 その筋は空に高く高く伸びてゆき、終いには月と被ってしまう程に高く昇っていった。

 

 そんな神々しい光景に視線が捕まり、自然の足を止めて魅入ってしまった三人。中途半端に出た片足をそのままに呆然と眺めるその姿は、さながら初めて流れ星を見た子供のようだった。

 

(…………綺麗だ)

 

 細く長く月へと繋がっているように見えるその様は、自らの目の前にある剣山とは対極で、とても見惚れるものだった。

 そして、その光の筋は収束していき、発射地点であろう剣山の中心へと戻っていった。

 

「「「……………」」」

 

 無意識に上げていた顔がそれに合わせて下がり、視線が遂に先程の剣山に戻される。光線によってか、心做しか辺りの光が吸い込まれたかのように若干暗くなり、少し時間が経つにつれて目が慣れていった。

 暗順応(あんじゅんのう)という目の網膜の現象なのだが、それは今の彼らには関係ない。

 

ズドン……

 

 今度は何かが着地した音。これから予想するに、あの光の筋は何かの“物”が引いた光の尾だったのだろう。そして、敵の元に着地した。

 

 ここまでの全てが、三人にとって初めての出来事だった。光源なんて太陽と月、それと炎くらいしか見た事が無く、ましてやこんな幻想的で摩訶不思議な光景は尚更だった。

 固まったまま動けない。次に一体何が起こるのか全く予想が出来ない。修司()が魅せる手品をただただ眺めるだけ。それだけで精一杯だった。

 

ズズズズズ………

 

 と、これで幕引きと言わんばかりに、推定五百本の杭の山が地中に帰って行く。グラグラと地面を揺らしながら山が消え、そこに残ったのは一人の人間のみとなった。

 先程の戦闘の傷が数多ある筈だというのに、奴の傷は全て消え去っており、貼り付いていた糸は全て切除されていた。

 

 ここで初めて、三人は剣山に感じた恐怖の意味を知る。

 

 戦闘前の彼と何ら変化のない前方の彼。彼を見た瞬間、彼が威圧の正体である事を理解した。

 

 

 ────“目”が違う。

 

 

 こちらをしかと見据えるごく普通の黒い双眸。

 その瞳孔の奥深く。

 かなりの距離があるにも関わらず、覗けてしまったその“黒”。

 全ての色を混ぜたようなその“黒”に、全身から悪寒が這い上がって来た。

 

 自然体で得物を二つ(・・)持ち、三人には見た事の無い青色の服を着ている彼の眼差しは、彼らの心に突き刺さって、その棘を以て痛々しく貫いていた。

 

 

「……………」

 

 

 妖力は出ていないというのに、彼からはユラユラと湯気のような“気配”が見え、存在の大きさが視覚で見えているということに驚く三人。

 

「────あぁ」

 

 何となく漏れ出たその吐息にも彼らは最大限の注意を払う。彼の一挙手一投足を見逃してはならないという本能に従って、これまでにない程妖力を放出して警戒する。

 だが、対する彼は平静そのもの。視線を彼らから外し、その少し上の部分を見ながら、僅かに眉を寄せる。

 

「……実に、愚かだった」

 

 小太刀を一払いし、鯉口に峰を当ててから切っ先を持って行き、チンッと納刀すると、新しく手に入れた得物を両手で持って、腹の辺りで横にした。

 それに目を落として、その美しい姿を眺める。

 

「やはり、造って正解だったな」

 

 かなり遠く。

 実際距離にして約100mはあるというのに、三人の目には、彼の持つ武器の風貌が見て取れた。

 

 

 それは、短槍(たんそう)と呼ばれる部類の槍である。

 

 柄の長さは実に160cm。鎌が無く真っ直ぐ鋭い穂は、刀身約10cmの穂型をしている。所謂、素槍(すやり)という槍で、長さは違うが、戦国時代などでは歩兵の一般的な武器として広く使われていた。

 だが、勿論修司が造った短槍がそこらの槍と同じな訳がなく、幾つかの点で普通の槍とは異なる形状をしていた。

 

 まず、素材は小太刀と同じ素材で出来ている。刃が煌めく刀身は白銀色で、柄と刃の反対側に付いている石突きは小太刀の柄と同じ黒い金属だ。一繋がりの金属で出来ているのも小太刀と同じ。基本的に小太刀をベースにしているから当然だ。

 そして、刃と柄の間には“けら首”(刃と柄の境目の部分のくびれ)が無く、柄の直径と刀身の幅は等しい。

 更に、刀身と繋がっている柄の部分には、血止めを目的に口金(くちがね)をあしらっている。

 石突きは、取り敢えず丸くなっているだけで、特別何かあるという訳では無い。

 全長170cm程のこの槍。人の身長とほぼ同じくらいだが、修司の身長は180cmと少しあるので、彼自身よりは長くない。

 

 口金があったりするが、それは武器の性能上最低限の措置なので、結局のところ、やはり目立った装飾は無いただの真っ黒な短槍である。

 しかし、この武器には小太刀同様、ある一点にのみ、非常に特徴的な装飾を施している。

 

 それは、またもや“花”であった。

 

 花蘇芳(はなずおう)という種類の花で、草ではなく木の花である。

 口金のすぐ下から石突きに向けて、約30cmの柄にその花は描かれており、口金を根本として手元に伸びるように施した。

 花蘇芳を選んだ理由も、やはり花言葉である。

 花蘇芳の花言葉は、『疑惑』『不信』『裏切り』で、これには“ユダの伝説”という話が関係している。“ユダの伝説”とは、イエス・キリストの十二人の使徒の一人であったユダが、花蘇芳の木で首を吊ったという伝説で、これから花蘇芳は別名“ユダの木”と呼ばれている。

 

 小太刀は蘭をイメージして鞘を造ったが、これは修司自身の『疑心』をイメージしている。

 血なまぐさい逸話が残り、裏切りや不信を花言葉とする花蘇芳は、己の半身として使っていくこの短槍にはピッタリの花だと思ったからだ。因みに、実際の花蘇芳自体はとても綺麗な花なので、悪い印象を持ってはいけない。

 さて、閑話休題。

 

 

 そんな短槍を右手で持ち直し、バトンのようにクルクルと回してから自身の横にトンと突いた修司。ふぅ、と吐息と共に目を閉じ、そして開く。

 

「先程の痴態。挽回させてもらおうか」

 

 言葉の一つ一つに充分過ぎる重みを携えて、石突きを地面から離した。

 

 対極を担う華は、白刃を月光に燦めかせて弧を描く。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 来る────と思った瞬間にはもう、三人の目の前まで移動していた。

 

「くっ!?」

 

 三人が気付いたのはほぼ同時。だから、その場から散会するのも同時だった。

 認知されない速さで動かれた事実に驚いて思考が停止しかけたが、ノラが一気に妖力を解放し、その衝撃波に打たれたことによって我に返った。そのままハクはバックステップで後退し、レイは糸を木にくっ付けてまた森の中へと消えていく。

 ノラは前衛として覚悟を決め、その場で妖力の衝撃波を放つことによって修司の進行を妨げ、その隙に二人を逃がす事に成功。

 

「うおおおおおおおお!!」

 

 その妖力を体に滞留させて腕に収束。頭上でクロスさせて両足を踏ん張ると、重ねた両腕に何かが重く打ち当たる音がした。

 

ガキィン!!

 

 腕と短槍とが当たった音とは思えない快音が響き渡り、穂先と妖力の壁が激しくぶつかるその音で辺りは震えた。楽勝で防げると思ったノラだったが、唐竹割りが炸裂した時に予想以上の膂力を見せつけられ、彼の踏ん張る地面が陥没した。

 相手の攻撃力が急に増幅した事に驚いたが、パワーで負ける訳にはいかない。前衛であるからには、全てを防ぎ、全てを砕く。

 

(くそやろっ……根性だせ根性!!!)

 

「っらぁ!!」

 

 気合いで押し返そうと踏み込むノラ。しかし、互いにせめぎ合っていた拮抗はあっさりと解け、短槍はすんなりと修司の方へ押し戻される。

 軽い…と思う間もなく、ノラは腹に衝撃を受け、後方へと吹っ飛んだ。

 

「がはっ……!?」

 

 飛ばされる間際、ノラは相手の姿を微かに捉える。そこには、左手の平をこちらに向け、低姿勢でそれを突き出している敵がいた。

 膨大な妖力を纏っているというのに、妖力で強化していないただの掌底に吹っ飛ばされた。その不可解な出来事に困惑するも、ノラは倒れることなく勢いをそのままにして立ち上がる。

 

「ぐぅ……」

 

 掌底とは、ただ押し出すだけの技だと彼は認識している。だから、内臓がこんなにも痛むことにとても動揺していた。

 そして、折角一撃を入れたというにも関わらず、敵は追撃をしてこない。ハクが心を読んで俺が逆襲するのが怖いのか、それとも居場所の知れないレイからの糸を警戒しているのか。

 どちらにしろ、ハクが作戦を考える時間が必要だ。敵の速さは先程とは比べ物にならないくらいに速くなっており、対処が困難を極める。

 だから、会話をして時間稼ぎをしようと口を開いた。

 

「お前────」

「流石は鬼か…」

「…!」

 

 挑発でもしてやろうかと思った彼だったが、言葉を被せるようにして修司が言い、彼は一瞬体に力を入れた。

 自然体に戻る彼を一層注視するが、余裕からか、何かを仕掛けてくる気配は無い。

 

(待て…相手から喋ってくれるんならそれでいい)

 

 相手が相手なだけに、いつもより動揺が激しい。実力が近しい者同士だからこそ、僅かな言動も命取りとなってしまう。だから、ノラが警戒するのは当然だった。

 だが、修司はそれをしない。それだけが唯一、ノラにとって腑に落ちない点だった。全てに鋭く、全てに余裕を持っているように見えるが、こちらは三体同時にかかっているのだ、厳しくない筈がない。

 ますます不可解な奴だ。兎も角、あちらから話しかけてくるならば、それに乗っておこう。

 

「鬼の腕力、張り合うのは少々酷だが、いなせないものではないな」

「はっ。俺の力に敵う奴なんざいねぇよ。お前もすぐに木っ端微塵に砕いてやる」

「ただの力押しという訳でも無いから尚更面倒だが……まぁいい」

 

 溜息一つ。

 穂先をノラに向けて持っていた修司は、両手で柄を握って半身になり、脚に妖力を込めた。

 

「君達の手札は全て見切った。もう、僕には通用しない」

「へっ、やれるもんならやってみろよ!」

 

 もう時間は稼げないな。

 ノラは脚を開いて腰を落とすと、また凄まじい妖力を全身に纏って両拳を固くした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

(やはり、妖力が他の妖怪とは比較にならない程のものだ。実力も蘭に次ぐものだろう)

 

 認識を改め、修司はその目を細くした。

 

(だが、もう手の内は分かった。絶対に油断はしない)

 

 鬼であるノラと少しの言葉を交わしている間に、彼は反則級の“切り札”を切っていた。

 それは、『昇華する程度の能力』。

 特に決めてはいなかったが、修司は、気に入った相手を殺す時、その寸前で人格を昇華して取り込んでいた。それは、相手の中身を知っているという絶対的アドバンテージを無しに、フェアプレーで相手を下してから支配下に置きたいという密かなポリシーがあったからである。

 しかし、今回は“本気”で相手をすると決めている。だから、まずは“一つ目”を切らせてもらった。

 

(…それにしてもコイツら、僕と“同じ者”だったとは…)

 

 初期に味わった辛い経験から、復讐に近い野望を抱いてそれを渇望する、憐れな“敗北者”。自分とは方向性や経緯、諸々違う点はあるが、大方同じような境遇である事が分かった。

 

 

────だからどうした。

 

 

 生きとし生ける者全てが何かしらの想いを抱くのは当然。それぞれが摩擦によって衝突し、どちらかが消えゆくのもまた自明の理。結局、『自分が許容出来るのは自分の想いのみ』なのだ。

 想いが…力が…決意が強い者が勝つ。

 だから、修司は本気を出す。そこには様々な理由が付随するものの、決して擁護することなく、ただただ冷徹に、“二枚目”の用意をするのであった。

 

 

 

 

 何回も説明した通り、修司の『昇華する程度の能力』は、対象の思想や知識、概念(能力)や人格などの“情報”を取り込むが、情報でないもの──例えば、今考えている事や、これから何をするなどと言った事柄については、知る事が出来ないのだ。

 だから、『昇華する程度の能力』を使ったところで、相手の手札や行動の全てを予見出来る訳がなく、彼が三人に言ったように“見切った”とは言い切れないのである。

 しかし、これを修司は、長年の経験と観察能力、そして都市で手に入れた情報の数々を駆使し、結果的に全てに対応する事を可能にした。

 

 

(検証はしてないけど、やってみるか…)

 

 

 技名を【完全解晰(かんぜんかいせき)】と言う。『昇華する程度の能力』、これまでの経験、都市で身につけた知識(心理学など)を使い、敵の“全て”に対して完璧に対処する、理想に限りなく近付く技だ。

 

 だが、これはまだ完全な技ではない。と言うか、この技に完成はないのだ。

 年月を生きれば生きるほど、人と会えば会うほど、数多の知識を得れば得るほどに、この技は成長して、進化する。

 

 技としては今日が初めての運用だが、この技は、ただいつもの予測に『昇華する程度の能力』をプラスしただけなので、実際は今までに何回も使用した事のある技術だ。

 能力を上乗せしたことによって、どれだけ効果が違うのかが楽しみである。

 

 

 

 

(それぞれが能力を持っていて、奥の三つ目の彼は『覚り妖怪』という種族なのか。)

 

 覚り妖怪。あの『第三の目』と彼が呼んでいる目によって、相手の心が読めるという種族らしい。やはり心を読まれていたか…。

 それと、彼らの能力。

 『喰らい尽くす程度の能力』、『気配を察知する程度の能力』、そして、彼に致命的な一撃を与えさせた、『引き寄せる程度の能力』。

 

 『引き寄せる程度の能力』。これは想像するに、かなり厄介な能力である。

 敵の知識からの予測だと、この能力は対象と対象とを引き寄せる事が出来る能力みたいだ。

 あの時は、ノラの拳と修司の体を引き寄せたのだと推測される。物体と物体同士の距離を縮めるのは、こうした接近戦を主としている修司にとっては脅威である。

 また、考える者によっては相当な汎用性がある事も、この能力の危険性の一つ。単純に攻撃を無理矢理当てるのに使うのもいいが、他にも随分と有用な使用法があるので、相手取る時にはとても注意が必要だな。

 

 

「君達の手札は全て見切った。もう、僕には通用しない」

「へっ、やれるもんならやってみろよ!」

 

 

 初撃と次打の後の僅かな会話が終わり、半身になって短槍を両手で構える。

 やっと製作が終わった力作。何故短槍かというと、蘭との初戦闘と最終決戦の時が短槍だったからという何気ない理由なのだが、実際全ての武器の中で短槍が自分に一番合っているというのを、彼は感じていた。

 

 ノラは妖力を纏ってこれに対抗する。奥でもハクが妖力弾の準備をし、場所は分からないがレイも糸の用意をしているのだろう。

 皆、大気を揺るがして風を巻き起こすほど密度の濃い妖力だ。よくこれだけの時間妖力を出していられるものだと感心させられる。

 だが、蘭はこれよりもずっとずっと、体が縛り付けられるような圧倒的な妖力を保持していた。あの途方もない圧力と比べれば、こんなものはそこらの犬が吠える程度のものでしかない。

 大妖怪と戦争を起こせそうな実力があろうと、所詮蘭以下。蘭以外に負けるつもりなど毛頭ない。

 

 地が割れ、自然が悲鳴を上げ、動植物が泡を吹いて気絶したって、僕はそれ以上の想いを以て抗おう。

 

 

「僕の想い、君達よりも上である事を証明しよう」

 

 

 復讐の為、生き残る為────蘭の想いを継ぐ為、僕は絶対に負ける訳にはいかない。

 

 声が届いたのか、彼らの顔は一様に覚悟を決めた顔になる。

 

(いい顔だ……でも)

 

 まだまだ想いが足りない。

 

 ────駆け出した地が爆ぜる音がした。

 

 




 

 キリスト関係の話は、作者が適当に調べ上げたので違っていたら報告お願いします。
 花蘇芳の花。綺麗でいい花ですよね。結構お気に入りだったりします。

 修司のもう一つの技、出ましたね。これは技のなかでも切り札に相当します。
 ただ能力に超予測が加わっただけの単純な仕組みですが、これがあればほぼ勝ち確なのではないでしょうか。イレギュラーさえなければ…あるいは…。

 そして、作者の待ちに待ったメインウェポン登場です!!
 主人公の最終的な装備は、短槍と小太刀の二刀流です!
 刀二本で二刀流や小太刀一本、槍単体で戦う人達は結構いますが、まさかの異色コンビですね。これはまた文章力の必要なものを…(←自業自得)。

 さて、やる事はこれでほとんど終わりました。後は諸々を書いていきましょうか。あ、適当には書きませんからね?


 ではでは、また来週に~。

 


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28話.財が瓦解する彼と心を手折る彼

 

 闘いは続くよどこまでも。さあさあ、どんどんいきましょうか。

 「そんな事できねぇだろw」と思うような戦術が数多く出現しますが、作者の頭が幼稚なだけですので、気にせず最強ぶりを謳歌する修司を楽しんで行って下さい。


 では、爆弾投下です。

 


 

 

 槍という武器は穂先で敵を突き刺したり、薙ぎ払って一気に敵を攻撃する事が出来るし、それが主な攻撃法だ。

 しかし短槍は違い、その二点に合わせて、細かく振るったり突いたりして、手数を多くして闘える武器である。また、刀などは敵に正対して振るう必要があるが、短槍はあらゆる方面に対して攻防が可能な得物なので、非常にアクロバティックに立ち回りながらの連撃も可能だ。

 これは修司の気性にマッチしており、だからこそ彼は、これを扱う時に他とは違った使いやすさを感じていたのだ。

 

 小太刀も捨て難い武器だが、如何せん間合いの取り方に癖がある。故に彼は、新しく武器を作ろうと思い立ったのだ。

 

「行くぜえええええ!!」

 

 前方、ノラも同じように駆け出してくる。これまでよりも更に速い速度で両者がぶつかろうとし、場の緊張感は増していく。

 

「うおらぁ!」

 

 右腕を振りかぶって殴りつけてくるノラ。修司はそれを認めると、左手の人差し指をクイッと上げた。

 

「【刺剛巌(しごうがん)】」

 

 走る勢いはそのままに、地面から数本の杭を突き出した。ノラの背後から二本、拳の前に三本、彼の顔の前に二本。

 

「────」

 

 だが、どこかから声が聞こえると、どこからともなく糸が二本発射され、ノラの背後から貫こうとした二本の杭が妨害されようとする。

 

ズガガガガン!!

 

 だが、その進行方向に新たな杭が出現し、糸はそれに受け止められた。

 

「…嘘……」

「ノラ後ろ!!」

 

 唖然とする声と、ノラの奥から叫ぶ声。このまま殴って目の前にある杭を破壊しようと考えていたノラは、これに素早く反応して横に飛び退いた。

 

(それも計算済みだよ)

 

 レイという蜘蛛妖怪もいそうな場所は把握しているし、ノラという鬼が指示には必ず従う事も【完全解晰(かんぜんかいせき)】で知っている。だから、これはまだ序の口だ。

 

「【簿結界】」

 

 杭を速攻で引っ込めた修司は、その開いた空間をそのまま突っ走り、左手に展開した【簿結界】をブワッと押し拡げてレイの位置を把握した。

 これで位置がバレることを知っている彼女は、その後森の中を進んで修司の背後に陣取ることも予測済み。だから彼は、自分の背中を守るように杭を数本展開し、射線を通しにくくしておいた。

 

 その間、修司はハクに向かって迫っている。心を読まれるという情報を得ているので、対策は完璧だ。

 

(さぁ覚り妖怪の君、君はこれをどう攻略する?)

「何っ!?」

(動揺が丸分かりだよ)

 

 心の中で思うだけで言葉が交わせるなら、こうして動揺を誘う事も出来る。

 妖力を高めて弾幕を張ろうとしていたハクはこれに驚き、明らかに油断した。

 この行動を全て、ノラのいたスペースを走っている一瞬の間に行い、連携を乱したこの隙に、修司は一気にハクへと迫った。

 

「くっ……ノラ!!」

 

 距離を取るために退ろうとしたハクは、修司の後を追いかけてきている鬼の名を口にすると、修司と目を合わせた。

 

(それも理解しているよ)

 

 『引き寄せる程度の能力』。これの発動条件は、引き寄せたい物を視界に収めていること。認識していても、見れていなければ発動しない。

 大方、追いかけるノラと修司とを引き寄せようとしているのだろうが、そんなもの、タネが分かっていれば【完全解晰】を使わずとも予測出来る。

 

「【刺剛巌】」ズガガガン!!

 

 ハクが能力を使う寸前、修司は【刺剛巌】でハクの目の前に杭を盾のように展開し、視界を塞いだ。

 

「っ!?」

 

 レイの支援はない。彼女の性格から、糸を放つために背後に乱立している杭を避け、もう一度横に移動してくる筈。

 そして、視界を遮られたハクは、律儀にこれを迂回して来るだろう。ノラがもうすぐ追いつくという事を見ているから、ノラに相手をさせる筈だ。

 

 修司はここまでの思考を、全てハクに悟られること無くこなしていた。

 それは、彼が短槍での戦闘を開始してから、【独軍(どくぐん)】を使って自分の心を様々な“声”で埋め尽くしているからだ。

 使用している人数は五十人。それぞれが勝手な想像をして心を掻き乱しているので、そうそうハクに読み取られることは無い。

 

 これは、修司が三人に対して使う切り札の二枚目。行動を読まれなければ、もう修司に死角はない。

 

 【刺剛巌】を、ノラとの間に展開して進路を妨害し、出て来たハクに対して短槍を振るった。

 

「抜かったね」

「ぐぁぁぁっ!!」

 

 だが、少し誤差が生じたのか、修司が短槍を逆袈裟(けさ)気味に放った斬り上げは、ハクの腕を斬り飛ばすだけに留まり、命を刈り取るには至らなかった。

 

(初実戦でそんなに上手くいく訳ないか。まだまだ修正が必要だな)

 

 咄嗟に脚を止めようとブレーキをかけた事によって事無きを得た彼。だが、妖怪にとっても、腕の一本は相当な痛手だった。亡くしたのは左腕だが、月光の元に晒された鮮血の量からして、意識を保つので精一杯だろう。

 嫐るなんて乙なことはしない。初撃から命を狙って正確に穂先を動かしていく。

 

 上手いこと躱されてしまい、【完全解晰】の更なる調整を決めた修司は、そのままもう一歩踏み込んで追撃を加えようと構えた。

 

ドゴオオオオオン!!

 

 しかし、突如として後ろから鳴り響いた破壊音で何が起こったのかを察し、構えていた短槍を背中に回した。

 

「うおらあぁぁ!!」

「ぐぁっ……」

 

 短槍の両端を持って背中に持っていったのだが、タイミング良く真ん中の柄に当ててくれたようだ。ノラが、【刺剛巌】の合金杭を破壊して殴りかかってきたのだ。

 背後で妖力の増大は検知していたし、合金の限界強度というものを調べていなかったので、このような事態への懸念はあった。しかし、本当に殴って破壊出来るとは……。つくづく鬼の膂力には驚嘆させられる。

 

 直撃は避けたものの、衝撃を殺しきることは出来ずに、修司はハクの横を通り過ぎて殴り飛ばされた。

 それでも素直に飛ばされる修司ではない。空中で短槍を地面に突き刺し、地面を深く抉りながら勢いを抑えた。小太刀と同じ素材で出来ている特別製だ、破損なんぞは有り得なかった。

 

「ハクっ!!」

 

 短槍が無かったら森の中まで果てしなく飛ばされていただろうが、それでも数10m程の距離を空けられ、少しの隙となってしまった。

 その間にノラは崩れ落ちそうになっているハクを抱え、修司とは反対方向、平地の中央に向けて投げ飛ばす。

 

「レイ!!」

 

 彼が叫ぶより前に、ハクを掻っ攫うようにして横から糸が現れ、着地地点にクッションとなる巣を張った。粘着性のないただの糸を戦闘跡のクレーターに張り、そこにハクが吸い込まれていった。

 

「頼んだ!!」

「…了解」

 

 ノラは短槍を抜いている修司に向き直り、レイは森から出て来て巣に転がっているハクの元へと急いだ。前衛として持ち堪えるから、その間にどうにかしろという意味だろうと解釈したレイは、視界外で爆発的に妖力が発散されている中、能力を解除してハクのみに集中し、治療を施すことにした。

 

(殺すまではいかなくとも、まぁこれはこれで結果オーライだな)

 

 三体の中で唯一、修司とほぼ同等の身体能力を保持している鬼のノラ。妖力の方も彼に迫る保有量である事から、修司は最初にこいつを倒さなくては陣形は崩せないと思い、こうして他の二体を無力化した。

 連携というものは、一人欠けると全てが瓦解してしまうのが難点である。突出して戦闘能力が高い(ノラ)が居たから、これまで何とかなっていたんだろう。

 

(ただし、先に彼を動けなくしてしまえば、君達の“手札”は無くなるんだよね)

 

 行く手を塞がれないように数多の“道筋”を用意しておくのは戦闘において基本中の基本である。戦闘狂のノラが居たから二人には分からなかっただろうが、彼自身への負担はとても大きかった筈だ。

 そして、これ(ノラ)がコイツらの最大の弱点であり、脆弱なガラスの心臓。一突きすれば、嘘みたいに呆気なく鼓動を止める。

 

(さぁ……終わらせようか)

 

 注意を向かせるように妖力を爆散させたノラに対して、修司は短槍の土を一払いで飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「やってくれたじゃねぇか…」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ」

 

 ノラは、非常に妖力の操作がお粗末である。本来ならば、可視化出来る程の濃密な妖力を膨大に精製し、それを使ってやすやすと大地を砕くことも可能な量を有しているのだが、彼は鍛錬をせずに、勘と気合いだけで修羅場をくぐり抜けてきた、生粋の野生児なのである。

 故に、彼は妖力を“使うと強くなる力”としか考えおらず、結界術は勿論、体に緩やかに留めて効率よく身体強化をするという技術なんかも会得していない。

 

「うおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 だが、そのシャレにならない妖力の奔流は、大嵐を連想させる暴風を以て体外に害悪を及ぼし、修司の気を引き締めた。

 一瞬でも気を抜いてしまえば、その圧力で意識を刈り取られそうになる。修司でそれ程なのだから、大妖怪レベル以下の生き物はたまったもんじゃない。通常の範疇に収まっている生物は失神確実だ。

 

(無駄に妖力があるから厄介だ…)

 

 “三枚目”の切り札は最後の瞬間のために取っておきたいが、最悪使う事も視野に入れておこう。

 

(【完全解晰】と『点』は使わないと切り抜けられないな。【独軍】の数人は、戦闘に使用しよう。)

 

 後は、平均的な妖力と技術のみで切り抜ける。

 彼は、地面に大きなクレーターを作って突進してきたノラへの対処に意識を切り替え、短槍を強く握った。

 

 

 

 

 猪も逃げ出すような猪突猛進を見せ、ノラはまた右拳で殴ってきた。

 

(はぁ……もう少し捻った攻撃はないのか)

 

 いい加減この攻撃は慣れた。力押しが激しかったので避けていたが、もう『点』が通用するところまで解析し終えている。

 この夥しい量の妖力がこもった災害級の一撃。修司はこれをいなす為に、当たる寸前、左手でノラの拳に掌底を放ち、『点』を使って拳の進行方向を横に流した。丁度拳の外側から掌底を打ったので、拳は修司の顔の真右を通るようにして通り過ぎていく。

 だが完全にいなすことは出来ず、僅かに頭を引かないと無傷では避けれなかった。

 

「ぐっ!?」

 

 まさか自分の腕の方向を変えられるとは思っていなかったノラは、右腕の勢いを殺せずに、姿勢を低くした彼に無様に腹を晒した。

 

(柔よく剛を制すと言うが、僕はまだまだだな)

 

 完全にいなせなかった事に少し自責するが、この隙を見逃す筈はない。

 体に回転の勢いがかかっている彼に攻撃を防ぐ方法はなく、修司はより正確に胸の肋骨を狙って石突きを突き上げた。

 

「がっ…!」ゴッ!

 

 左手はノラの妖力の反動で弾かれているので右手のみの突きだったが、先端に妖力を濃く纏わせた一撃なので、ノラの脚は簡単に宙に浮いた。

 ボキリと確かな快音を、柄を通して手の平に感じ取った。上手くいけば肺に届いているかもしれないが、この筋骨だ、恐らく望めないだろう。

 

 脚が浮いているので、ノラは反撃に出る事が出来ない。修司は落ちてくるノラの脇腹に回し蹴りを打ち込み、吹っ飛ばしながら地面に叩きつけた。

 

 肺が酸素を求めて喘いでいるのか、ノラは特に何かする訳でもなく、ゴロゴロと勢いままに転がった。

 それをただ修司が見ている訳なく、【刺剛巌】でノラの先に壁を作り、ついでにレイとハクがいるクレーターの周りにもビッシリと合金杭を展開した。これで破壊するか乗り越えない限り出て来れない。

 

(さぁ、串刺しだ)

 

 ドガっと豪快に杭の壁に体を打ち付けたノラは、必死に喘ぎながら四肢に力を込め、立ち上がろうと気合いを入れる。

 

「ああああああぁぁぁぁ!!」

 

 だが、やっとの思いで躍動させた両脚は、弾丸の如き速度で撃ち出された二本の【刺剛巌】によって太腿に穴を開けられ、呆気なく機能を失った。

 最大幅10cmのものを使い、骨を砕いておくだけにする。“ある事”をする為に、彼らは皆生かしておく必要があるからだ。

 

「脚を封じれば、君の妖力や剛腕なんて、ただの飾りだ」

 

 

 たった一度。

 たった一度得物をかち合わせただけで、ノラは無力化されるにまで追い詰められた。

 

 どれ程の持久力、どれ程の膂力、どれ程の力があろうとも、一瞬の隙を見せれば、それで命は終わる。

 こんな世界に一万年。

 まだまだ妖力も気力もあるのだろう。杭の壁を地中に収め、合金の檻に閉じ込めても、ノラの妖力は些かも衰えること無く、両肘をついて何とか立ち上がろうと努力していた。

 

「がああああああああああ!!」

 

 馬鹿の一つ覚えみたいに妖力を爆発させ、その衝撃で辺り一帯の大気を激しく震わせる。

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

 這って檻の柵まで移動し、腕に恐ろしいまでの妖力を溜め込んで拳を打ち付ける。しかし柵はビクともせず、振動を地面に逃がしてただ震えているだけ。正直言って崩壊する兆しも見えない。

 先程はハクを救うために杭を簡単に破壊したノラだったが、それを踏まえて構造を変えた合金の檻は、彼の暴力的な妖力も、聴く者全てを震撼させる雄叫びも、全てを赤子の駄々同然へと成り下げてしまった。

 

 

 

 

 命とは、何と軽いものか。

 

 

 

 

 どれだけ栄華を極めようとも、終わりは無様なものだ。

 

「さて、次は君達だ」

 

 檻には目もくれずに合金杭の囲いに向き直った修司。血の付いていない短槍の穂先は、妖しく輝いている。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 【刺剛巌】によって、高さが優に20mもある囲いを展開して監禁していた修司は、囲いの前に立つと、左の人差し指と中指をクイッと下げ、杭を戻した。

 

シュシュシュッ!

ドババババババ!!

 

 一気に全ての杭を地中に戻すと、彼の目の前には多数の妖力がこもった糸と、とても避けきれない量の弾幕が視界いっぱいに広がった。

 

(腕一本じゃあ流石に倒せないか。ここで応戦するってことは、蜘蛛妖怪の方は森に逃げないんだね)

 

 まだ【完全解晰】の効果を継続している修司は、起こった事象に対して冷静に分析し、次々に可能性を浮上させては精査していった。

 そして導き出した選択肢を全て警戒しながら、彼は糸と妖力弾の弾幕の対処に向けて短槍を振るった。

 

 横に避けても絶対に逃げれないほど範囲の広い弾幕だ。糸の方は一度に出せる数に限りがあるようで、体目掛けて正確に放ってくる。修司が近距離での戦闘が圧倒的に得意である事は周知の事実なので、それを考えての作戦なのだろう。

 

 だがそれは可能性の内である。

 

 体にかかっている射線の弾幕を全て効率よく『点』を使って真っ二つにしていき、糸は相変わらずの粘着性があるので躱す。そのどれもが高密度の妖力の塊で、ノラとは違って彼らの技術が垣間見える。今弾幕を斬れているのは『点』のお蔭だ。

 チラチラと見える二人は、流石の妖力の消費に苦悶の表情を浮かべている。ハクの左肩口にはレイの衣を割いて縛ったのであろう応急処置の跡がある。そのせいか、レイよりもハクの方が遥かに苦しそうだ。

 

「くっ……」

 

 何の脈絡もない、ただ妖力弾を彼に向かって飛ばしているだけの単純な弾幕。ノラが居ないだけで参謀はこうまで落ちぶれるのかと溜息を禁じ得ない。

 時々、『引き寄せる程度の能力』を使用されるが、その時は修司が自身の前に杭を展開して視界を塞いでいる。たまに【刺剛巌】を発動して二人を攻撃するが、それはレイの『気配を察知する程度の能力』によって感知され、躱されてしまう。

 結局、弾幕が尽きるまで永遠にこの拮抗は続き、修司は参謀(ハク)に策があるのかという一抹の期待を裏切られ、戦闘に支障のない程度に憤慨した。

 

 あっさり無傷のまま弾幕を切り抜けると、ハクとレイは遠距離戦を諦めたのか、修司に向かって肉薄してきた。

 

(腹を括ったか、短槍の実験台には丁度いいかな)

 

 だが、一つ不満点を挙げるとするなら、彼らは皆武器を携帯していない。全て無手か妖力での攻撃だ。よくそのバリエーションのみでここまで成り上がって来たものだと賞賛する。

 武器同士、得物の打ち合いも試してみたかったのだが仕方ない。妖力で防御する事は出来るようだし、ワンサイドプレーにはならないだろう。

 

「はああぁぁぁぁ!!」

「…………」

 

 戦闘では常に先手をとって闘えていたハクにとって、心を読めない相手とは非常にやりづらい。しかも、前衛として白兵戦を全任しているノラが戦闘不能に陥っている状況なんて初めてで、鍛えている筈の近接戦闘はどうもキレが無かった。

 そして、黙って攻撃に集中しているレイ。杭の囲いの中で、心が読めなくていつも通りにはいかないと聞かされ、ならば自分達でどうにかするしかないと覚悟し、ハクが何とか作戦を考えるまで耐えるしかないと思った。だからこうして遊撃を止め、珍しく直接戦闘をする事にしたのだ。

 

 二人共、普段とは違う事態においてもかなりのセンスがあった。ハクは、短槍との激しい攻防を交わす度に体が慣れていき、段々と動きが良くなっていった。レイは、八本の脚を器用に使って修司の周りを上手く立ち回り、糸と妖力で強化した鞭のような糸を二本使って多彩に攻めていた。

 

「やぁぁぁっ!!!」

 

 ハクが正面から回し蹴りを放つ。修司はそれを短槍の柄で受け止め、ハクの方に押し戻した。

 

ドシュッ

 

 得物が後ろに振られる前に、斜め後ろの死角からレイが糸を撃つ。しかし妖力の気配でそれを感じ取った修司は、指を上げて【刺剛巌】を発動、射線に杭を展開し、それを防いだ。

 

ザクッ!

 

 防げると思っていた修司だったが、レイは糸の先を細く尖らせて発射していたので、杭に少し突き刺さった。

 粘着性のある糸での攻撃しかしてこなかった彼女の変化に【完全解晰】が反応し、対応を修正。杭の形状を変え、刺突に耐えられるようにした。

 

(目立った近接攻撃が無いな…やはり物理は苦手なのか)

 

 修司は、さっきから糸と妖力の弾幕でしか攻撃してこないレイにそう予想付け、スタイルを変えることにした。

 

「次は君だ。【刺剛巌】」

 

「「っっ!!!?」」

 

 短槍を横薙ぎにしてハクを飛び退かせ、距離を空けた修司。その間に【刺剛巌】で杭を展開し、レイの放つ糸を避け、彼女と修司を囲うようにして杭を突き出した。

 ハクは完全に蚊帳の外。修司はレイとの一騎打ちをする為に、この状況を用意したのだ。

 高さは先程よりも高く、30m。全ての杭を統合して太さを充分にした杭が立ち並ぶ即席の闘技場は、彼らでは絶対に破壊出来ないであろう堅牢さを誇っていた。

 

「レイぃぃぃぃ!」

「…大丈夫」

「いや、その音量じゃあ聴こえないでしょ」

 

 出会ってから常々思っていたツッコミはスルーされたが、彼女は取り敢えずそれだけ言うと、二本の糸の鞭を地面に叩きつけ、八本の脚をギチギチ動かした。

 

「…ノラを見た」

「それが?」

 

 互いに隙を探り合いながら、レイは唐突に声をかけた。

 訝しげな視線を送るも、修司はそれに応える。

 

「…あなた、やっぱり強い」

 

 なんだ、そんな事か。

 殆ど顔が動かない彼女は、心に欲望の炎を灯し、内心で落胆した彼の言葉を待つ。

 

「時間稼ぎはしても問題無いけど、選択権がないことは承知だろう?」

 

 今更な事を告げたって、それは自身の魂胆を曝け出す阿呆の所業に違いない。つまり、ハクの救援を望むのがバレバレだということだ。

 短槍を両手で握り、腰を落とす。まだ短槍で碌な戦いをしていない。ただ敵の攻撃を短調に防ぎ、隙を見逃さず一突きしているだけで、修司本来の短槍技術が活かせていない。何とかしたいものだ。

 

「…その強さ」

 

 覚り妖怪である彼以外はやはり頭の使い方が悪いのだなとがっかりした修司だった。

 しかし、彼の全く意に介さない彼女は、まだ続ける。その様子を見た彼は、【完全解晰】で調べあげた情報からそれを予測し、そして納得した。

 

(あぁ…全く)

 

「強さが…何だ?」

 

 促すように、彼女の二の句を言わせる。

 “同じ者”ならば、せめて言わせてあげよう。そして、彼女達の望む回答を与えよう。

 

「…それだけの強さがあるなら……」

 

 一度付いた炎の煌めきは抑えきれない。彼女は引き寄せられる虫のように、一つの質問をぶつけた。

 

 

 

 

「…欲しい物…手に入る?」

 

 

 

 

(こんな時なのに、よくそれを聞けるな)

 

 いや、彼女…彼女達だからこそ…か。

 生涯の全てを“それ”に費やし、渇ききった喉を潤したいが為に強さを求めている三人。終わりのないマラソンのゴールを聞きたがるのは、寧ろ当たり前だろう。

 だから、彼女にはしっかりと教えてやる。

 

 

 

 

「……欲しい物が何であろうと、死ねばそれで終わりだ」

 

 

 

 

 ピクッと、彼女の頬が微動した。

 どれ程の強さを手に入れようと、死ねばそこで終わる。自分の手にはら何も残らない。

 故に、修司は求めるのだ。

 

 永遠に生きる事の出来る実力と、絶対に絶える事の無い激情を。

 

「…そう」

 

 その言った彼女の顔には、もう何の色も映っていなかった。ただ、目の前の敵を排除する。ただ、それだけ。

 

(いい顔だ)

 

 『疑心』が疼く。

 他者の闇を感じ、歓喜の叫び声を上げる。

 『愛のある世界』、『失わない世界』、そして『笑い合える世界』。

 どれも素晴らしい願いだと、修司は思う。

 しかし、どれも有り得ない(・・・・・)

 絆…友情…家族愛…信頼。

 

 そんなもの、『疑心』が許さない。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!クソクソクソクソ!!」

 

 拳に妖力を溜めて、目の前の忌まわしい壁を殴り続ける。

 右手だけになってしまったが、まだまだ戦える。みんな(・・・)で戦えば、きっと勝てる…。

 

「僕が判断を誤ったばっかりに…」

 

 奴の心は、よく分からない“声”で一杯過ぎて、何が何だか訳が分からない。『第三の目』からは沢山の声が聴こえてきて、どれが本物の“声”なのか見当もつかない。

 そもそも、何故一人の心からこんなに声が聴こえてくるんだ。僕の『第三の目』の事がバレたのは納得出来るとして、奴のあの変わりようが全く理解出来ない。

 

(僕の能力の事も知っているようだし、一体どんな手品だ…?)

 

 これまで得体の知れない奴らとは散々殺り合ってきたが、彼は輪にかけて“ヤバい”。僕達の手の内はあっさりバレるし、全てを看破されている。正に手も足も出ない状態だ。

 必死に突破口を考えるハクだったが、その思考は突如として耳に入った唸り声によって掻き消された。

 

 うぅ………

 

 手が血塗れになるまで杭を殴ったハクは、その声によってもう一人の大切な存在(・・・・・)を思い出し、バッと振り返った。

 

「ノラ!」

 

 地面にうつ伏せになって沈黙する彼の容態は、ここからじゃ分からない。檻が煌々と光り、中の彼を幻想的に見せている。

 

「待って!今から助けるから!」

 

 杭の壁からは小さく大地が爆ぜる音が聴こえる。時間をかけて本気の一撃を放てば破壊出来るかもしれないが、それをした場合、僕の妖力はスッカラカンになってしまう。そうすればもう終わりだ。

 なら、まだこっちの方がマシと考えるのが妥当だろう。

 

「もうちょっと耐えt────」

 

ブワッ!

 

 体を翻して駆け出した僕は、壁の中から放たれた奴の薄い結界に晒され、思わずたたらを踏んだ。

 

(これは……)

 

 実害はないが、位置を知られてしまうという結界だった筈だ。奴の心がまだ読めていた頃に判明している。

 という事は……

 

ズドドド!!

 

「やっぱりか!」

 

 僕がノラの檻に向かっている事がバレ、奴の持つ杭によって地中から攻撃された。レイは単独でも恐ろしい戦闘能力を有している筈なのに、よくこちらに攻撃する余裕があるものだ。

 

ブワッ!

ズドドド!!

 

「っちぃ!!」

 

 もう一度位置を知られた。結界を妖力で壊そうにも、結界自体が何故か全てを透過して、触るに触れない。結界とは壊れるものではなかったのかと驚きを隠せない。

 

 この杭がノラでさえ破壊の難しい物体である事は分かっている。

 だが、それ以外に方法が残されているだろうか。

 考えても考えても、行く手には鉄の壁。破壊する事は勿論、乗り越える事も到底出来るものではない。

 

 

「────!!」

 

 

 今までにない感覚。

 僕達(・・)は、例えどんな時だろうと策を見い出し、満身創痍になりながらも勝ち続けていた。

 

 だが、この男に対しては全く“そういうビジョン”が見えてこない。

 

 勝ち筋が見えなければ勝利など有り得ない。コイツに関しては、“何も見えてこない”。

 

 全てが看破された。僕達の“全て”は通用しなかった。

 

 

 

 

────ならもう、勝てない。

 

 

 

 

「っ!?」

 

 途端に重くなる身体。

 

(何故?)

 

 自分の体重が何倍にも重くなったかのような重圧が僕に襲いかかった。呼吸が荒くなり、周りの音が異様に耳に入る。心臓は痛い程鼓動し、目は閉じる事を良しとしない。

 

(これは……確か味わったことがある…)

 

 遠い昔。まだ産まれたばかりの頃。

 弱く、力の無かったあの頃、他の妖怪に向けて抱いていた感情。

 それは……

 

 

 

 

 恐怖。

 

 

 

 

「ノラっ!ノラあああああ!!」

 

 必死に走り回って杭を避け続ける。自分自身の耳をも劈いてしまいそうな程叫ぶが、檻の中からの反応は薄い。妖力を使い過ぎたのか、彼から感じる存在感はどんどん弱まっていく。

 形相は普段とはかけ離れ、切羽詰まった絶体絶命の弱者のようなものへと変化していく。

 

 後悔しかない。何故、もっと自分達(・・・)に力が無かったのかと自問せずにはいられない。

 

 力さえあれば、何でも手に入る。

 

 かつてそう言い、確固たる自信で熱弁を繰り広げた彼は、呆気なく無力化された。

 僕達の中で随一の戦闘力を誇る彼がこれでは、到底勝ち目なんてない。

 

 僕の策も、ノラの膂力も、レイの奇襲も。

 全て試した。

 全てを以て戦った。

 次は、何をしろと……?

 

「ぁ……ぁぁ……」

 

 自然と足が止まり、喉が枯れて何も出なくなる。

 己を高め、周囲を寄せ付けない強さを手に入れた今だからこそ分かる。

 

────あれ(修司)は、僕達を喰う者だと。

 

「ぅ……ぅぁ…ぐぅ…!」

 

 檻の中から、相変わらずノラの呻き声が聴こえる。それが僕の耳の全てを支配し、埋め尽くしていく。

 

ズズズズ……

 

 次いで、レイを閉じ込めていた杭の壁が地面へと吸い込まれていった。月光を反射する巨塔は一瞬で無くなり、中から一人の人間が姿を現す。

 

 その傍には、倒れ伏して動かない蜘蛛少女のレイ。彼女の纏う衣は真っ赤に染まり、脚が数本欠けている。

 

「────!!」

「近接は苦手なのかと思っていたけど、単騎でもなかなかの手強さだったよ。流石妖怪の大将の一人だね」

 

 服に付いた糸の残骸を小太刀で服ごと削ぎ落とし、そこらに放った。その瞬間、服は再生され、元通りになる。

 その原理は僕にとって理解不能な出来事だったが、そんな事に気付くことはなく、頭の中はただ一点。

 

「レイ…」

 

 やはり(・・・)……だ。やはり駄目だった。

 

(僕の……)

 

 大切な二人。

 

「僕の……」

 

 培った全て。

 

「僕の……」

 

 全てを奪った人。

 

 

 

 

「お前…………」

 

 

 

 

 不意に、体の震えが止まった。

 小刻みに振動していた両手が定まり、何重にも見えたていた視界が急にクリアになった。

 止まった震えの代わりに、僕の中から『黒いモノ』が湧き出してくる。

 

「……やっぱり、“そうなるのか”」

 

 奴が何か言っているが、僕の耳には入ってこない。相変わらず奴の心は混沌としているが、僕の心も、同じように“黒く”なっていった。

 

(────あぁ…)

 

 僕の心の奥深く。深淵の中からヌッと伸びてきた手は、瞬く間に僕の何もかもを黒く塗り潰していく。

 

「僕の……僕の大切な(・・・)……」

 

 支配されている?いいや、僕が支配している。疑ってしまう程頭がスッキリしている。

 目に見えるのは目の前の人間。

 僕から全てを奪った、許し難い罪人。

 

「これでほぼ完全に同類か…。珍しいを通り越して面白くなってきたよ」

「許すものか……絶対に許さない……」

 

 同類?いや、お前なんかは僕とは違う。お前と一緒でたまるか。

 半端に開いた両手は、次第に拳へと変化していく。大地を踏む双脚は、ゆっくりと奴の方へと進んでいく。

 僕は、怒っているんだ。復讐したいんだ。他でもないお前に。

 

 僕の大切な────

 

 

 

 

 

 

 

親友(・・)を殺りやがって……!!!」

 




 

 【完全解晰】のえげつなさは、正直書いて伝えるのが難しいです。ですので、技説明を理解して頂くしかないです、ごめんなさい。

 ノラのやられ方については、作者は結構迷いました。一瞬で終わらせるのか、それともしっかりと戦うのか。
 今回一瞬の方を選んだのは、この時代の命の散りやすさと、積み上げたものが一撃で崩れ去る儚さを表してみたかったんです。出来てないなんて言わないで下さい。作者自身が一番分かっていますのでw

 レイとの一騎打ちの後、修司の制服に糸が付いていたのは、三人がかりで挑んでも大した傷を負わせられなかった彼に、単騎でダメージを与える程善戦した証拠です。彼女は、最後の最後に、修司に一矢報いたのです。

 そして最後のハクの描写。黒く、黒く、染まっていきました。デジャヴを感じますねw


 長文失礼致しました。それではまた来週に!

 


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29話.孤独に苛む心と完全なる闇の侵食

 

 大詰めです。これの次を投稿しましたら、受験休みに突入します。ご了承下さい。

 その後から、生存報告も兼ねての短編集を別小説でちまちま投稿でもしましょうかね。(息抜きみたいですんませんm(_ _)m)
 プロローグのリメイクは、絶賛難産中です。どこまで情報開示したらいいものか、悩んでいる最中です。


 それでは、どうぞ。

 


 

 三体の事を【完全解晰(かんぜんかいせき)】で調べあげた時、一番可能性(・・・)があるのはハクという覚り妖怪だった。

 

(これは……都合がいい)

 

 同じ素質がある事が癪に障るが、分からせる(・・・・・)方法としてはこれ以上にないものだろう。

 

 ハクは、三体の中で一番“心が白かった”のだ。

 

 彼らは皆、幼少期に受けた非情な仕打ちを呪い、世界を変えることを決意した。

 それぞれは目的を達成するための“仲間”であり、家族でもなければ友人ですらない。互いに利害が一致しているだけの、“他人”とさえ呼べる関係である筈だった。

 

 だが、二人が初志を変えることなく過ごしていた中、ハクだけは違った。

 ノラは当初、鬼の集落で楽しく暮らしていた。

 レイはどちらかと言えば、家族愛だけが欠如していた。

 

 だがハクは、“他人の温もり”が欲しかったのだ。

 

 家族としての愛や、二度と失わない何かは要らない。

 彼はただ、“傍に他人が居て欲しかった”だけなのだ。

 

 孤独が身に染みて馴染んでしまった彼にとって、自分でない誰かが近くに居て、一緒に過ごしている事は何よりも嬉しい事だった。

 彼にとっては、『笑い合える世界』なんて要らなかった。ノラとレイ、この二人と一緒に過ごしていれば、それで満たされていたのだ。

 だからこそ、彼の心は時と共に少しづつ浄化され、白く、正常になっていった。

 

 

 

 

(…僕も、かつてはそうだった……)

 

 ゆっくりと歩んで来る彼を見て、修司は既視感に襲われる。記憶がないのに言葉だけ出せるのは何とも不思議なものだが、自分も以前は“白かった”事は何となく覚えていた。

 

(絵の具を全て混ぜ合わせたような……『黒』)

 

 ただの黒なんて、誰でもなれる。選ばれた者──純白であった者のみが、この境地に立てるのだ。

 

「親友を殺りやがって……!!!」

 

(呑み込まれた感情は怒りか…?いや、違うな)

 

 修司は『疑心』だが、ハクのそれは別の感情のようだ。復讐心から来る『怒心』かと思ったが、【完全解晰】で得た情報から推測するに、彼を支配しているのは恐らく────

 

「僕を独りにしやがって!!!」

 

────『孤独心』だ。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 彼には、修司のように決して崩れる事の無い理性の壁というものは持ち合わせていない。よって、孤独の“闇”に侵食されたハクは、その想いを隠すこと無く、真っ直ぐに修司へとぶつけていった。

 

「僕を独りにしたお前を、絶対に許さないっ!!」

(言葉と気迫だけはいいが、虚勢なのは丸わかりだ)

 

 獣のように飛びかかって来たハクの攻撃を避け続ける修司。先ほどとは桁違いの速度で肉薄され、先ほどとは段違いのキレのある連撃を打ち込まれる。

 

(……やっぱり、闇に呑まれるとさっきとは別人みたいに強くなるようだね。“心の力”ってやつなのかな)

 

 ノラのような素早さと、レイのような息をつく暇のない連撃。戦闘能力が低いとされている覚り妖怪にしては、異常な力だった。

 斯く言う修司も、『疑心』という意志の力が無ければ、ここまで強くなれなかっただろう。もし“闇”が修司を呑み込んでいなかったら、実力はせいぜい永琳の次くらいに留まった筈だ(それすらも過大評価かもしれないが)。

 

(これで本当に、『想いの戦い』となった訳か…)

 

 自分がわざと彼を陥れたと言えば他に何も言えないのだが、彼の心にこれだけの爆発力があったのは確かだ。後は、それを起爆するだけだった。

 

 

「死ねええええええ!!!」

 

 

「残念だけど、まだ死ねないんだよ」

 

 怒りで攻撃が単調になるかと思いきや、これまでの戦闘経験が活きているようで、なかなか隙が見当たらない。

 様子見をしようと防御的になったがために、修司は自分が攻撃するタイミングを失ってしまっていた。

 

「うおおおおおお!!」

 

 拳に無けなしの妖力を纏い、左腕を亡くしたと感じさせないほどの立ち回りを見せる。短槍の柄で攻撃を全て弾いているのだが、穂先をハクに向けれるくらいの間合いを取れず、修司は平地を後退し続けながら回避に徹するしかなかった。

 曲がりなりにも彼は妖怪。体自体がそれほど硬くない修司は、本来は一撃も貰ってはならないのだ。

 

「【薄結界(はくけっかい)】」

 

 妖力で作った【薄結界】で動揺を誘ってみるも結果は全く。ひたすらに修司の事を見据えて迫ってくるその表情には、微塵も他事の色が見られなかった。

 

 だが、いくら妖怪と言えども、それを凌駕出来るように鍛えたのが、他でもないこの男。

 

「色々と、実験台になってもらうよ」

 

 自分と同じ状態に陥った存在が、果たしてどのような変化を見せるのか、とても興味深い。出来るだけ情報を搾り取っておかねば、次このような輩に出会った時に対処が甘くなるだろう。

 

「よくも僕の大切な親友をおおおおお!!!」

「その想い、偽物である事を証明しよう」

 

 ハクが倒れるのは、今から一時間と経たない内だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「──よし、データは取れるだけ取れた。ご苦労様」

「はぁ……はぁ……」

 

 こちらは奴を倒さずとも、やるべき検証だけやって、後は攻撃を避け続ければいいだけの話。正直言って他の二人よりも簡単だった。

 

「一応、抵抗出来ないようにさせてもらうよ」

 

「っあああああ!!」

 

 目の前で這いつくばっている彼にさえ、修司は情けをかけない。

 ハクの背中に片足を乗せ、しっかりと固定して、残っていた右腕を短槍で斬り飛ばす。

 そして念には念を入れて、足の筋をバッサリと切り落としておく。

 

「死なれちゃ困るから、ちょっと治療して…と」

 

 『どんな薬でも創造する程度の能力』で、止血と最低限の処置だけを施して、修司は切断した両腕を拾おうと踵を返した。

 

「……っと」

 

 と、不意に体がよろめき、修司は短槍を支えにして何とか踏みとどまった。

 『どんな薬でも創造する程度の能力』は、どんな薬でも創れる代わりに、その分の体力を消耗する。辺りに代償となる物品は無かったので体力で支払ったのだが、どうやら自分の知らぬ内に限界が近付いていたらしい。

 

「……そう言えば、最近はトレーニングやってなかったからな…」

 

 トレーニングというのは、修司が失った記憶の頃から続けている、基礎体力をつけるための運動の事だ。都市に居た頃からこの一万年間もそれを継続していたのだが、最近は鉱石の目標量が近いという事で、昼夜を問わずに各所を駆けずり回っていたのだ。

 

 妖怪の性質を取り込み、フィジカルが圧倒的に成長した彼は、自分の限界というものを測り難くなってしまった。

 表情や言動ではそれほど疲れていないように見えるが、実際は一般人がフルマラソンを走りきった後のように疲労している。仮面の中に全てを隠すのは、外面に出したところで格好の獲物だからだ。

 

(…何度か、本気で力を使ってみないと。自分を把握しないで相手は測れないからね)

 

 三千の妖怪を屠り、局所で言えば己に匹敵している妖怪を三体相手にして、“よろめき一つ”。しかしこれ以上の敵と遭遇する可能性は無きにしも非ず。

 研鑽を積むに越したことは無いのだ。

 

「さて……新しく課題も見つかった事だし、終わらせるか」

 

 『地恵を得る程度の能力』を使い、彼は舞台を整えた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「──っぐぅ…」

「…ぅ…」

「ぐぁぁ…」

「起きたね」

 

 いや、人間なら狂い死ぬ激痛で気絶した彼らだ、妖怪と言えど痛みで叩き起されるだろう。

 合金で作った大きな檻の中に、三人は入れられていた。ハクの左右には、嘲笑うかのように両腕が置かれている。レイとノラは更にその隣だ。

 

「ハク…だったかな」

「フーーッ…フーーッ…」

 

 歯を食いしばり、修司を睨みつけるハク。彼と同じく覚り妖怪ではないので心は覗けないが、彼の中には『孤独心』で満ち満ちているだろう。

 

「君は勘違いをしている。僕は二人を奪ってない。君の両隣で、生きているよ」

「…!!!」

 

 修司がそう言うと、ハクは仰向けの状態で必死に首を動かし、遂にその姿を目に捉えた。

 

「ぁ……ぁぁ……」

 

 その目からは涙が溢れている。状況を全て忘れ去って、彼は今、『仲間』が生きている事に心から安堵していた。

 

 

 

 

────下らない。

 

 

 

 

 下らない。

 実に下らない。

 本当に下らない。

 吐き気がする程下らない。

 転げ回ってやってもいいくらい下らない。

 

 顔のパーツは微動だにしないが、彼の中は、『疑心』が巻き起こした『憤怒』によって怒りの感情が満ちていた。

 

 修司は、檻の中にいるレイとノラを呼び、こちらに注意を向けた。

 だが、その目は朦朧としていて、まだはっきり意識が覚醒していない事を示していた。

 

 その意識に滑り込ませるように、修司は自分の言葉を注いでいった。

 

「なぁ、レイとノラ。僕が憎いかい?」

「「…………」」

 

 判然としない頭で考え、その瞳に段々と憎悪が宿っていく。素直にこちらの言葉が頭に入っていく内にと、彼は更に言葉に重ねる。

 

「僕が憎いかい?理不尽なこの世界が憎いかい?…そして…」

「何……を…」

 

 ハクが何か言うが、誰も居ないかのように無視をする。二人の目は真っ直ぐ修司を射抜くように見据えられ、彼は内心ほくそ笑んだ。

 

 

「────力が無い自分自身が、憎いかい?」

「「っ…!!」」

 

 

 【完全解晰】で得た情報に嘘はない。彼らの現在の情報から推測した予測の的中率はほぼ100%。この反応を見て、修司は確信した。

 

「力があれば、何でも手に入る。力があれば、自分を害する全てを破壊出来る。力があれば…『愛』や『失わないモノ』を手に入れる事も出来る」

「お前……どうして…それを…」

 

 ハクが、何故その事をお前が知っていると言ってきた。

 

 感情、性格、傾向、振る舞い、周囲と自己の評価、心の黒さ。

 現在の個人を形成しているのは、紛れもなくそれまでその人が歩んできた過去によるものだ。産まれた瞬間から“何か”を持っている存在など有り得ない。

 

 修司の『昇華する程度の能力』は、再三言うが、記憶などは手に入れられない。だが、記憶によって形成された現時点のその人を調べれば、糸を手繰るようにして過去を探る事が出来るのだ。

 しかし、完璧に出来る訳ではない。いくつかの大きな事実を垣間見る事しか出来ないので、完全なるコピーではない。

 

 努めて、ハクの事は無視する。

 

「二人共、力があれば、何でも出来るんだよ」

 

 甘く囁く悪魔の声。その声はレイとノラの心に黒く染み込んで、彼らの心を更に黒く染めていった。

 

「ちか…ら…」

「…」

 

 微かな声が細く流れる。後一押しだと思った修司は、檻に顔を近付け、二人の虚ろな瞳に語りかけた。

 

「でも、君達はまだ力が足りなかった。どうすればいいと思う?」

 

 熱に浮かされている二人には、敵である彼の言葉に靡かないだけの理性が欠如していた。故に、彼らは問うた。どうすれば、力を得られるかと。

 簡単な事さ、と修司は指をさした。

 

 

────ハクに。

 

 

「ぇ……?」

 

 腕が飛ばされ、脚は半ば断ち切られた状態のハクは、その目に困惑を宿した。【独軍(どくぐん)】は継続中なので、まだ思惑は悟られていない。

 

 しかし修司は、ここで【独軍】を解いた。

 早速読まれるような視線に晒され、彼に修司の思考が流れ込んでくる。

 

 

 

 

「────ッッ!?!?」

 

 

 

 

(どうだい?素敵な案だろう?)

 

 心でハクに語りかけた修司は、今度は言葉にして、二人に囁いた。

 

「力を得る為には、妖怪を食べればいい。それも、とっても強い妖怪を」

 

 朧気に頷く二人。焦点の合わない目で修司を見つめ、「食べる」という言葉に反応して無意識に口を動かす。

 滑稽だ。

 

「だが、ここらに強い妖怪は居ない。…しかし」

 

 もう一度、大袈裟な手振りでそこの妖怪(ハク)を指す。

 

「この強い妖怪は、もうすぐ死ぬ。だから、食べていい」

「っ!!」

 

 鋭く率直に単語を並べ立て、伝えたい意図だけを二人の頭の中に刷り込ませていく。

 簡単な言葉だからか、二人はすぐに視線を指す方へと移すと、ゆっくり口を開けた。

 

 元仲間(・・・)であるハクに。

 

 

 

 

(嘘だ…嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!)

 

 『第三の目』によって奴の考えを読み取ったハクは、目の前の現実をひたすらに否定した。

 

(そんな事有り得る筈が無い!僕達三人はあの時からずっと仲間(・・)で、一緒に目的を遂げようと誓い合った仲だ!)

 

 気付いていない。それのなんと哀しい事か。

 

 ハクは、普段からレイやノラと同じような思考を持って過ごしていた。それは、自分の頭の中を偽の目的で埋め尽くし、己の真意から目を背けていたからである。

 

(僕達は同じ(・・)っ!仲間で、親友で、掛け替えのない存在だ!!)

 

 偽物と本物の区別がつかない。混濁した気持ちはハクを混沌の底へと落としてゆき、更なる困惑を生んだ。

 しかしながら、そうだろうと現実が変わる訳では無い。

 

僕達(・・)は…強くなるんだろ!?)

 

 激しく首を左右に向け、二人の虚空を湛えた瞳に訴えかける。

 だが、他人の心を盗み見、自身の心を偽った罪は重い。

 

 

────怖かったのだ。

 

 

 自分の想いを打ち明け、それが拒否かれた時の衝撃に耐えられそうになかった。

 もし、これで絶縁でもされたら…もし、これで敵同士になってしまったら…。そんな考えが己の勇気を挫き、遂に言えずじまいだった。

 

 だから、『第三の目』を制御出来るようになった時は喜んだ。これで、二人の心を覗かなくて済むと。…もう、現実を見ないで済むと。

 

 

「…よう……かい……」

「喰って…喰らって…強く…なる…」

 

 悲痛な心に届くのは無常なまでに本能に忠実な声音。ハクの必死な視線なんぞ、全く意に介さない。

 

 修司によって付けられた酷い傷さえも無視出来るほどの食欲。純粋で醜悪な力への欲求が、二人をつき動かしていた。

 四つん這いになってモゾモゾとハクの方へにじり寄っていくレイとノラ。盲目者似の彼女達のまさぐるような両手は、二人とハクの間にある──ハクの両腕に辿り着いた。

 

「そ…れは…」

 

 声が出ない彼をよそに、二人は手に掴んだモノ()を手繰り寄せる。目には最早、何も映していなかった。

 

 “見えてしまう”という事は、時に残酷である。

 ハクは現在、『第三の目』の制御を解除している。故に、二人の思考も、彼には視えてしまっていた。

 

 

僕達(・・)はっ!一緒に強くなるんだろ!?)

(…()は強くなる…)

()は強くなる…)

 

「ぁ…ぁぁぁ……!」

 ガブリ…と。既に感覚の無い腕が喰われた感触がした。

 

 

僕達(・・)はっ!三人で歩むって決めただろぉ!?)

(…()は、“愛”の為に進む)

()は、“失くさないモノ”の為に行く)

 

「ゃ……ゃめ………」

 指、掌、肘の辺りまで咀嚼され、半ば斬られた上腕が口に収まろうとしている。

 

 

僕達(・・)はっ!仲間じゃなかったのか!?)

(…()は、自分の為に協力してきた)

()は、もう死ぬ奴なんてどうでもいい)

 

「僕の……僕の腕………」

 食い違い。価値観の変化。

 倫理の歪曲。現実逃避の末。

 

 

 彼の心の中の、“ナニカ”が呆気なく瓦解していった音を聴く。

 一度壊れた彼を修復し、陰ながら支えていたモノが、行儀の悪い咀嚼音と共に崩れ去って逝く。

 

「そんな…そん…な……」

 

「「────ング」」

 

 両腕全て、二人に喰われた。

 

 月明かりに輝く檻の格子をバックに、二人の丸まった背中が見える。そして、その俯いた顔も。

 真っ赤に染まった両手を凝視し、全く動く気配が無い。

 しかし、彼女らの傷は目に見える速度で癒されている。ハクの腕を食べた分だけ、急速に回復しているようだ。

 

「いいぞ……だが、まだ残っているよ」

 

 視線を上に上げて檻の外の奴を見る。

 

(二人はもう、君の事を食べ物としか見ていない。やっぱり、君達の絆なんて、そんなものなのさ)

 

 こちらに気付いた奴が、表情の変わらない顔でそんな事を思う。視えているから、わざと心で話しかけているのだろう。

 

(…………)

 

 実際、少し期待していた。

 

 普段の二人の仕草は自然なものだったから。もしかしたら、という淡いものがあった。

 自身のように心情が変化し、関係を繋ぎ止めるために振舞っているのだと思いたかった。

 

 だが、幻想を夢見ていたのは自分だけだったようだ。

 

「まだ、まだだよ。まだそこに残っている」

「「…………」」

「ひっ…!」

 

 ギラりと光った二人の目。動こうともがくが、ダメージが酷くて碌に体が動かない。それに脚をやられているので、どうしようもない。

 

 

────喰われる。

 

 

 敵ではなく、自身の心を支えてくれていた偽の仲間に。

 全部自分が勝手に考えて、勝手に信じて、勝手に絶望した。

 でも、だとしても、

 

 

(こんな…こんな結果…あんまりじゃないか…)

 

 

 二人は何も悪くない。寧ろ、この選択は客観的に見て充分及第点な模範解答である。

 だが、自分の信じていたものに裏切られる哀しみは、想像を絶する絶望感をもたらした。

 

(ハク)

 

 唸り声を上げるのみとなった二人の隙間に、心から届いた声が一つ。

 それに顔を向けると、やはりというか、そこに彼は居た。

 

 自分達を返り討ちにし、このような酷すぎる拷問を与えた、白城修司という人間。今では、憎しみという感情を感じる余裕など無かった。

 

(君が心の中で抱いていた絆、仲間意識、『信頼』は、全てまやかしだ)

 

 無表情の顔面が微かに動いたような気がした。

 

(そんなものは有り得ない。ましてや、妖怪である君達に芽生える筈が無い)

 

 今度の洗脳相手は僕か、なんて事を思いつつ、抵抗する気も起きない無力感が思考を鈍化させる。警戒するとは言葉のみで、彼の理性に防衛の手段は無かった。

 

「は……ははは……」

 

 乾いた笑い声が半開きの口から溢れ出る。

 

(暖かいモノに手を伸ばしたくなるのも分かるが、それは心の隙間が創り出した偽物の温度。それを望む事が幸せの追求であり、愚かな絶望への一本道なんだよ)

 

 他の妖怪にはない、優しそうな面持ちで凍てつく言葉を吐く修司。

 今が好機と見た彼は、ハクが抱く絶望に刷り込むように、その長身を更に屈め、じっくりとその顔を眺めた。

 

「…に……く…」

「喰わせ…ろぉ……!」

 

「っ!!」

 

 双眼に捉えられたハクの顔は歪んだ。

 

────遂に、ハクの身体に、二人の手が届いたのだ。

 

「やめて……」

(いや、それは無理だね)

 

 さも当然のように修司が言う。いや、既に二人に言葉は届かないから、当然と言えば当然の現実か。

 

「おぉ……ぉぉおお」

「………」ニチャァ…

 

 粘性のある血糊が二人の口で音を立て、禍々しくパックリと割れた。

 

 その大きく拡がった口で、ハクの脚にかぶりつく。

 

「っあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」

 

 か細い喉がビクンと跳ね上がる。耳を引っ掻くような棘だらけの声は、この場の三人には全く届きもしなかった。

 

(こんな断末魔、飽きるほど聴いた)

 

 裏切られてから一体何体の敵を屠ってきたか。

 実験の為に、数え切れない数を残虐に殺してきた。

 

「んぉ…っふぁう……はぁぁ…」

「グヂュ…ガブ…ギチ…」

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!」

 

 面白いくらいに血が噴出する。檻の外から、気絶しない程度に意識を保たせる為に、『どんな薬でも創造する程度の能力』で薬を創ってハクに掛けている。そのせいで、彼はこの激痛を否応無しに受け続けていた。

 部位欠損を治す効力は無い薬なので、ハクは生命活動を維持されたまま、どんどん二人に喰われていく。

 

「はふぅ……」

「ぅぇ……っはぁ…」

 

 恍惚とした表情が檻の天井を仰ぐ。獲物に群がるハイエナのような野性を感じ、改めて彼らが申し訳程度の理性しかない害悪である事を再認識する。

 

 その姿を見て瞬く間に虚ろへと変わってゆく彼のガラス玉には、最早理性の堰は存在していなかった。

 

(……もう終わりか)

 

 精神的に脆弱な部分を突けば、こうもあっさりと砕けるものか。

 残念なほどに呆気ないな。

 

 

 

 

「君の“信じた”その感情は、全て偽物だ」

 

 

 

 

「ぁ────」

 

 最後の一刺し。

 こうして遂に、ハクの心は決壊した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「くっ……」

 

 修司はガクッと片膝を落とし、僅かに肩を震わせながら息をついた。

 拷問の為に薬を創り過ぎた。もう体力が殆ど残っていない。

 

(後少し…後少しだ…)

 

 もう“教育”は終わった。後は三体にトドメを刺すだけだ。

 

「……【刺剛巌(しごうがん)】」

 

 

ズガガガガシャァァン!

 

 

 檻の天井と地面の両側から、口を閉じるようにして【刺剛巌】を発動。ハクに夢中になっていた二人を、ミンチにして、ただの肉塊へと変貌させた。

 残るは、勝手に妄想し勝手に絶望した、どうしようもなく愚かな覚り妖怪のみ。半分近く喰われた彼の場所のみ残しておいたので、彼は【刺剛巌】の餌食になっていない。

 

 合金の檻を解除して地中に戻し、地面を操って二人分の挽き肉を地下深くに埋める。先程までの凄惨たる状況が嘘のように消えてなくなり、将棋でも差せそうな静けさが二人を包み込む。

 

「っぅ……ぇっぐ…」

 

 ただ一つ、脚を全て食べられた少年の体躯を持つ彼の嗚咽のみ。

 

(なんで……なんで…なんでなんでなんでなんでなんでなんで!!!)

 

 遥か昔、確か二人と出会う前も、こんな風に現実を呪っていた。巡り巡って舞い戻ってきた“黒い世界”に、ハクは激しく憎悪した。

 

 死ねない。

 どれだけの苦痛を味わい、どれだけの裏切りと孤独を身に受けても、結局死ねなかった。

 

(…もう、さっさと死にたい…)

 

 何故こうも現実は天邪鬼なのだろうか。右と言えば左。上と言えば下。死にたいと言えば死なせてくれない。

 他人の心は覗けば全て分かるのに、未来の事はどうやっても分からない。

 

 自分ではどうすることも出来なかった事が腹立たしく、彼の目からは止めどない透明な涙が溢れ出ていた。

 

 

「そんなに悔しいのかい?」

 

 

 目を開けなくても分かる。アイツ(修司)だ。

 

「これで分かっただろう?そもそも、君の望んだモノなんて存在しないんだよ」

 

 ハクの望んだモノ…それは、友達との絆ではなく、信頼出来る者でもなく、『笑い合える世界』でもなく──『友達と一緒に居れる世界』だった。

 【完全解晰】で殆どの事を調べた修司だからこそ、分かる。修司だからこそ、理解出来る。

 

────だからこそ、それを否定する。

 

「“信じられるモノ”なんてこの世に無い。自分自身すらも、欺かれる危険性がある。そんな世界で他人に刃を向けないのは、愚か者のする事だ」

「くそ……くそぉ…!」

 

 痛みを薬で消しているからか、ハクは存外元気に雑言を吐き出してくる。

 

ザッ…ザッ…

 

 ゆっくりと、しかし着実に、『死』が迫っている。

 

「いやだ……いやだよぉ……」

「……」

 

 暖かいから。明るく朗らかだから。

 街灯に魅せられた深夜の蛾のような。

 しかし、伸ばした腕に巻き付いたのは、心に突き刺さるような茨の(つる)

 ギチギチと言わせて彼の腕を絡めるその茎には、目を奪われるほどに麗しい薔薇の花が咲いている。

 

 

 

 

トサッ────

 

 

 

 

「っ」

 

 落とすように膝を折り、ハクの顔を反対から覗き込んだ修司。その瞬間の僅かな疲労を読み取る暇の無いハクは、彼のその、深淵のような双眸へと焦点を合わせた。

 

 黒い。

 

 この上なく黒く、自分達の闇が赤子のように感じられる。

 

 上には上がいるから。

 強き者には蹂躙されるから。

 手を伸ばしても斬り落とされる。

 黒き手に捕食される。

 

「さぁ……もう終わりだ」

 

 …もう、目を閉じようか。

 

 

 

 

 

 

 

────黙って殺られるか。

 

 

 

 

 

 

 

 突如、己の中に湧き上がってきた感情。意地にも似た閃光の瞬間的思考。

 その変化に自分自身で驚愕し、熱くなった躰に喘ぐ。

 

 頭に突き刺さった声は、果てしない“独り”への寂しさを彷彿とさせ、別人のようで同一人物のような既視感をハクに与えた。

 まるで、『孤独な心』が彼に語りかけているかのような。

 

 

────足掻け。

 

 

 手足の無い状態でどうしろと。

 

 

────君のその(能力)は飾りか?

 

 

 能力……

 

 

────ただで殺られる訳にはいかないだろう?

 

 

「なかなか強かったよ…だから」

 

 そう言って短槍を傍らに置き、鞘に入れられていた脇差に手をかける。

 

「トドメはきっちり刺してあげる」

 

 シュラァンと抜き放たれた白銀の刀身。

 

 だがハクの目にはそんな事は映っておらず、視界一杯にあるのはただ一つ、修司の眼孔だった。

 空を覆い尽くすようにハクの顔を覗く彼の黒い目。

 

 

 無意識の内に、ハクは(能力)を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 初めは、違和感だった。彼の雰囲気が変わったと思ったら、虚ろな目に鈍い光が灯ったのだ。

 

(何だ?再起不能なまでに心を折ったのに、まだ耐えるのか?)

 

 念のために【独軍】を先程から発動しているので、思考は読まれていない。しかし、ハクの変化は留まるところを知らず、ドンドン湧き上がっていた。

 

(面倒だな……早く殺るか)

 

 これ以上の予想外は要らない。

 抜刀した脇差を逆手に持ち、突き刺そうと振り上げる。

 

 

だが────

 

 

「……は」

「っ!?」

 

 嗤った…。

 

「っぐぅ!?」

 

 次の瞬間、何かが引き寄せられる(・・・・・・・)感覚に陥った。いや、実際に“何か”がハクによってせり上げられている。

 

グイッ

 

「なっ!」

 

 手は無い筈なのに、胸ぐらを掴まれて(・・・・)顔を引き出された。ハクと修司の顔が、鼻先が触れるほどに近くなる。

 

 目と目が間近5cmに迫り、僅かに見開かれた修司の瞳孔がハクの冷たい意志の炎を灯した黒目に吸い込まれる。

 

「ははは」

 

 静かで冷徹な狂気を修司とするなら、ハクのそれは、まるで音声機関が狂ってしまったピエロ人形のようだった。関節が脈絡も無く蠢き、木片の擦れる音がその狂人ぶりを助長している。

 

「ははははは」

 

 ハクの『引き寄せる程度の能力』によって体が引き寄せられ、それに抗う修司。体力が残っていた場合なら即座に脱出出来ただろうが、生憎、歩く事すら大儀に感じる程の疲労が彼を襲っていた。

 

「ぐっ…!」

 

 抜け出そうとするも、それは叶わず。ならばとさっさと小太刀でかっ捌こうとしたが、両手が地面に“引き寄せられ”、動かせなかった。

 

「ははははははは」

 

 狂気の声音が修司の耳を穿つ。吐息が掛かり合うこの一瞬に、修司はハクの『孤独心』からの置き土産を貰った。

 

 

 

 

「こっちへ出ておいでぇ!!(孤独)お友達(猜疑心)ぃぃぃ!!!」

 

 

 

 

「っああぁああああ"あ"あ"!!!」

 

 ハクの目にある鈍い光が、ギラリと並ぶ牙を見せたと思った刹那。

 ハクは再度『引き寄せる程度の能力』を使い、『あるモノ』を引き寄せた。ハクは、修司の目の奥にあるそれを感じ取り、消え逝く自分の最期の悪足掻きを決行したのだ。

 

 ボロボロで穴だらけの彼の魂から、全ての色を混ぜ合わせたかのような混沌の『黒』が滲み出る。他者を疑い、己を疑い、片手には常に刃を備える。

 そんな彼の感情────『疑心』は、修司の双眸から捉えられ、ハクによって無理矢理引き出されていた。

 

「やめろおおおおおおおお"お"お"ぉ!!」

「あははははははははははははは!!!」

 

 力を振り絞って抵抗するが虚しく。命を削る覚悟で能力を使用しているハクの拘束には到底抗えなかった。

 いつぞやのように絶叫する修司は、また喉が裂けるのも構わずに声の限りに喚き散らした。

 

 

 出て来るでてくるデテクルデテクル……

 

 黒いくろいクロイクロイ……

 

 気持ちいい?辛い?楽しい?怖い?嬉しい?哀しい?

 

 

 

 

「ははははハハハハアアァァ……────」

 

 

 

 

 ハクの絶命と共に、修司は白眼を剥いて倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

オオオオオオオオオオオオオォ……

 

「な、何だ!?何があった!?」

「一体どうしたの!?」

 

 修司の精神世界。実際には、修司の魂の中にある『感情の世界』とも呼べるこの果てしなく広い空間に、世界をふるいにかけたような振動が拡がった。

 その振動に、修司が取り込んだ人格達は動揺し、彼の親友の蔵木雄也と、かつて彼と同じ時を過ごした八意永琳は、状況の報告を求めた。

 

「分かんねぇ!」

「んな事俺らに訊くなよ!」

「皆目見当もつかないな」

 

 『疑心』の兵士と戦闘を繰り広げている『不死隊』の皆は目の前の敵に集中しているが、少なからずその動揺が伝染し、隊列にグラつきが生じた。

 

「雄也っ!どうなってるの!?」

「俺が訊きたいくらいだ!」

 

 兵士の一人が敵を斬りながら問いかけるが、怒号に返したのは同じく怒号。誰もこの異変の正体を掴めずにいた。

 

 

オオオオオオオオオオオオオ……

 

「っ…はぁ!?」

 

 戦列に指揮を送ることを忘れていた雄也は、更なる異変に呆けてしまった。

 

ゴゴゴゴゴ……

 

 音を出しているのは、雄也達が弾き出された『信頼の領域』。当初はそこに居り、『信頼』の化身であった修司と共に過ごしていた。しかし、侵食してきた『疑心』によって『信頼』の保有していたエリアは全て占領され、追い出されてしまった。

 目の前の巨大な黒い球体が正しくそれであり、そこから出て来る漆黒の兵士は奴が生み出した悪しき敵。

 

 この世界で自由に動ける彼らが目障りなのか、執拗なまでに兵士を送り込んでくる。

 

 だが、今はそんな事は問題ではなかった。

 

────黒い『信頼の領域』から、黒い“モノ”が滲み出てきたのだ。

 

 

 墨汁が真水に染み出すように、目の前の黒い球体から全体に向けて黒い液が出て来る。

 

「おぉ!?なんか黒いのが出て来たぞ!?」

「陣形を乱すな!後衛!援護射撃くれ!」

「雄也指示をっ!!」

 

 変わらず攻撃してくる黒い兵士を食い止めながら、隊員の一人が雄也に叫んだ。それで我に返った雄也は、頭を振って思考をかき消した。

 

「後退だ!退りながら攻撃しろ!その黒い何かに触れるな!」

 

「「「「「了解!!」」」」」

 

 重力という概念が無いこの世界では、夢の中のようにフワフワと浮いて行動する。だから『不死隊』の皆は後ろに飛びながら、迫り来る障害を(ことごと)く打ち払った。

 戦列はかなりの速度で後退しているというのに、球体から滲んだ黒い“何か”はそれ以上の速さでこれを追いかけてきた。

 

「くそっ!」

 

 隊員の一人が悪態をつき、レーザーライフルを一発、黒い液の方へと撃ち込む。

 

「おい!止まらないぞ!」

 

 しかしその閃光は虚しく吸い込まれ、何の成果も挙げずに黒に飲み込まれてしまった。

 

「逃げろ!兎に角逃げろ!」

「逃いいげるんだよおお!!」

「銃器を持っている人は迎撃に回って!」

「次弾装填中だ!」

 

 ライフルやマシンガンを持っている人はそれを使い、霊力を使える人はあらん限りで弾幕を張った。霊力も弾薬も体力も気力も、ここでは何もかもが減らない。故に彼らは、最大の限りを尽くして制圧攻撃を加えた。

 

 しかし、それでも『黒』の進撃は止まらない。

 

「っ!?全力で撤退だ!埒が明かなねぇ!」

 

 無限に湧いてくる敵兵と黒い何かに攻撃を続けるのは無駄だと判断した雄也はそう命令し、次いで背後にいる非戦闘員にも声をかけた。

 

「固まって逃げろ!黒い球とは真反対の方向だ!」

 

 この空間に終わりがあるのかは分からないが、このままここに居てはいずれ飲まれる。今は、ただ逃げるしかない。

 各々自由な返事をした隊員以外の人格達は、互いに脳内で情報を共有しながら逃げ始めた。

 前にも述べた通り、この世界にいる人格達の脳内は皆、繋がっている。共有したいものだけを開示する事が出来、したくないものは秘匿出来る、便利なものだ。

 

 脳内でも逃げろと叫びながら、口頭でもそう叫んだ雄也。思考のどこかは常時必ず皆と繋がっており、その安心感からか、彼はこの場においても素晴らしいリーダーシップを発揮している。

 

 だが、その安心は、唐突に瓦解してしまった。

 

 

 

 

フッ

 

 

 

 

「────!?」

 

 目の前に他の人格達、後ろに隊員達、間に自分と永琳という陣形でひたすらに飛んでいた雄也達だったが、急に、彼の眼前を飛行していた人格達が、跡形も無く消え去った(・・・・・)

 

「な、何が!?」

 

 突然沢山の人格達とのコネクトが断ち切られたショックで、隣にいる永琳が狼狽する。

 それは永琳だけでなく、雄也や背後の隊員達も例外ではなかった。こんな事態は初めてなので、対処法が思いつかない。

 

「八意様!落ち着いて下さい!」

「どうなって────」フッ

「八意様!?」

 

 都市の頭脳の明らかな動揺にも関わらず、雄也は修司に鍛えられた胆力を以てして耐えた。そして彼女を鎮めようと声をかけた矢先、彼女は彼ら同様に、一瞬で消え去った。

 

「おい雄也!どうなってんだ!」

「みんなはどこに行っちゃったのよ!」

「神隠しだ…」

「な、何を言ってんのか分からねぇと思うが、俺も何を──」

「「「「「お前は黙ってろ」」」」」

 

 ネタをやってる場合じゃねぇだろと叫びたい衝動に駆られるが、振り返った彼の目に飛び込んできた『黒』のお蔭で、無理矢理現実に引き戻された。

 

「っこなくそぉ!!」

 

 現実の自分がロケットに乗り込む時に投げ捨てた相棒の大剣。それを瞬時に抜き放ち、反転して『黒』に突貫した。

 部隊が混乱している今は、どうしても時間が欲しい。

 

「お前ら早く逃げろ!!!」

 

 苛立ちをそのまま声にして放出し、体から霊力を開放する。『不死隊』の隊列の隙間を縫って飛行し、視界一杯の『黒』を相手に気合いを出す。

 切羽詰まった雄也の声を聞いた『不死隊』は、一人で『黒』を止めに入った雄也を振り返り、次いで命令に反射行動を起こした。

 今この場で彼に反応し、踵を返そうものなら、彼の決死の覚悟を無駄にしてしまう。こんな状況を作り出してしまったのは自分達であると悟ったが、それよりも先に体が動いていた。

 

 ほんの少しの動揺のせいで、迎撃せざるを得なくしてしまった。最早逃走しきれる距離ではない。

 

(お前ら鍛え方が足りねぇぞ!)

 

 過去に、修司と個別で特訓をしていた雄也は、他の隊員とは一線を画すほどの胆力を身につけている。彼だけは、特別強いのだ。

 修司が居ない時の特隊が彼に任されるのは、そのリーダーシップ能力や修司の親友という立ち位置もあるが、一番の理由はその実力である。

 

(俺が…俺がみんなを守るんだ…!修司が救われるまで、俺が耐えてやる!)

 

 それがたとえ、得体の知れない黒い波動であったとしても。

 決して退かない。

 決して諦めない。

 彼に恩を返すまでは。

 

「はあああぁぁぁぁ!!」

 

 霊力の全てを大剣に注ぎ込み、淡い輝きを放つ。集まったそれを凝縮し、刃として生成する。

 とてつもなく濃縮された霊力は、高密度の固体となって透き通った光を纏った。

 

「食らえええええぇぇ!!」

 

 突貫した彼は、それを思いっきり唐竹に振るい、黒いそれを一刀両断しようと膂力(りょりょく)の限りを尽くした。

 大妖怪ですら一撃で屠る事が出来る程の威力。この世界にコピーされても怠らなかった鍛錬の賜物だった。

 

────だが…

 

 

「っ……ちくしょう!!!」

 

 まるでブラックホールのように。彼から飛ばされた斬撃は吸い込まれ、何事も無かったかのように吸収されてしまった。

 

ズズズズ………

 

 そして、侵食するその暗黒は、こちらの『白』を全て飲み干す勢いをそのままに雄也を取り込もうとする。

 

「っぐあぁ!?」

 

 退ろうと背を向けた彼の脚先が少し、『黒』に触れた。それだけで全身を突き抜けるような激痛が彼を襲い、意識が飛びそうになってしまう。

 痛み対する耐性は修司にみっちり鍛えてもらった筈だが、その努力を嘲笑うほどの衝撃。気絶しないようにするだけで精一杯だった。

 

「────」

 

 その瞬間を逃さずに、『黒』は彼の体を侵食しようと範囲を押し広げる。

 

(くそっ……くそっ)

 

 フェードアウトする意識の中。彼の視界に『不死隊』の姿は無かった。

 




 

 この終わらせ方はノラの戦闘の時よりも悩みました。これで、作者の思い描いていたインフレ完璧チーターの完成です。3分クッキングどころか、何ヶ月かかってんだって話ですよねw
 まぁ、ちゃっちゃと場を整えてしまう展開が嫌いな作者にとっては、これぐらいが丁度いいくらいです。

 では次回、一章最終話。
 お楽しみに。

 


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30話.激戦の戦果と救いの手

 なんと、投稿時間を間違えてしまうという痛恨のミスw
 約四時間前投稿になってしまいましたが、修正しても困惑するだけだと思うので、このままにしておきます。申し訳ありませんでした。
 本当にすいません。活動報告に懺悔しておいたので、よければご覧下さい。





 一章ラスト。

 誰に植え付けられたかも分からぬ不滅の呪い。
 『他人を信じることが出来ない』。
 なんとありふれて、それでいて難儀な気持ちだろうか。
 心の大樹に寄生した黒の粘菌は、自我と融合して新たなる人格へと『昇華』する。

 一体誰が、この哀しき欺瞞者を救えるというのか。



 それでは、どうぞ。

 


 

 夜明け。

 

 長かった夜は明け、先程までの激烈な戦いを全く感じさせない清々しい朝日がとある山々から顔を出した。

 

「…………」ムクリ

 

 それと同時に起き上がった彼。

 (かたわ)らには、四肢の欠損した覚り妖怪の骸が転がっている。

 

「………ぁぁ」

 

 得心したような、それでいて無意識を吐き出すような吐息と共に、彼の脳は覚醒した。

 

()は一体……む」

 

 現状の経緯を思い起こそうとして、言葉の変化に気付く。

 

(何故俺は俺と言っている?僕…ではなかったのか)

 

 だが、と彼は思う。

 

「特に弊害が無いのなら、このままでもいいか」

 

 以前の彼は、相手との敷居を少しでも下げようとして柔和な雰囲気を醸し出す努力をした。だからこその一人称、“僕”であり、だからこそのあの優しげな話し方だった。

 しかし、既に彼にそんな考えは無かった。

 

(他者に頼らなくてはいけないようでは、とても一人では生きていけないだろう。ならば、他者に頼る必要など皆無。無理矢理己を合わせる意味は無い)

 

 障害となるなら穿(うが)つまで。己の行く手を阻む無知な愚か者に容赦はしない。

 

(それはいいとして、一体何が……あぁ)

 

 心身の異常が無いか確認した彼は、次いで再び気絶の理由を探った。

 

(このハクの『引き寄せる程度の能力』のせいか)

 

 立ち上がった彼は、足元にある死体に目を落とす。

 

 奴の能力によって、瞳の奥から『疑心』を引き寄せられたのだろう。というか、それしか可能性がない。

 やられた、という感覚はあるが、憎悪が湧く訳ではなかった。

 何故なら、奴が自分の魂から引き寄せてくれたお蔭で、他者を疑うことに磨きがかかり、より騙されにくくなったからである。そういう点では、寧ろ感謝すらしている。

 

 より自分を覆う事となった『疑心』のせいで、彼は別人のように変わってしまった。

 

(短槍と小太刀は……あった)

 

 満足のいく出来に仕上げた二つの得物を拾い、『地恵を得る程度の能力』を使ってハクの死体を地中深くに埋める。

 【完全解晰(かんぜんかいせき)】によって、三体の人格は既に取り込んでいる。これで【独軍(どくぐん)】の戦術の幅が広がるだろう。

 同時に、三体の保有していた能力を昇華した。

 

 ハクの『引き寄せる程度の能力』は『極を付与する程度の能力』に。

 レイの『気配を察知する程度の能力』は『流れを感じる程度の能力』に。

 ノラの『喰らい尽くす程度の能力』は、何故かそのまま『喰らい尽くす程度の能力』の状態で会得した。

 

 恐らく、汎用性や進化性が無かったからだろうと推測される。昇華する時の特徴として、元の能力の概念を別視点から見たり、拡大解釈や局所的な起用をする事が多い。そしてそれを納得させるだけの無茶苦茶な理論を完成させるのが、『昇華する程度の能力』なのである。

 トンデモ理論を世間に通用させるのが、この能力の凄いところだ。

 

「色々と苦労はあったが、これで帳消しだな」

 

 手にある二つの得物を見下ろしながら、満足気に呟く。

 

 刀身一尺(約30cm)の小太刀と、自分の身長程もある短槍。

 

「…そう言えば、まだ名を決めていなかったな」

 

 ふとした思い付きだが、これはいい案だと修司は思った。

 いつまでも小太刀だ脇差だ短槍だと呼称するのは忍びない。これから自分の身を守ってくれる大切な二振りになるのだから、名前くらいはあげてやらないといけない。

 

「ふむ…どうしようか」

 

 蘭が創った物に名前を付けるのはどうかと思ったが、元々そう言った事に頓着が無かった彼女だから許してくれるだろうと思い直し、とっておきのやつを考えてやろうと熟考した。

 

「存外難しいものだな……お」

 

 いい名を考えた。

 閃いた彼は、まずは小太刀を左手で握り、眼前へと掲げた。

 

「よし。名を螢蘭(けいらん)としよう」

 

 次いで右手に有る短槍を同じ様に掲げ、宣言した。

 

「そしてこいつの名は、華鏡(かきょう)だ」

 

 名を付けると愛着が湧くというが、修司にそんな感情はイマイチ湧かなかった。

 名前の理由ももちろんある。

 螢蘭は、温もりのある明るさを持ちつつも、夜のような冷ややかさを兼ね備えた蘭を想って。

 華鏡は、数多の人格()が混ざり合い、それらが写し出されている修司をモチーフにした。

 

「これでよし」

 

 呼応するように刀身が(またた)いたそれらを仕舞う前に、一度刀身を眺めてから収めようとする修司。

 

(やはり綺麗だ)

 

 黒い鞘に隠すのが勿体なくなる程に美しい。今は朝だが、月光の下に晒すと更にその魅力が跳ね上がるだろう。

 

(本当に綺麗だ)

 

 柄にもなく魅入ってしまう修司。ガラスケースに入っているトランペットを毎日通い眺める少年のような印象を受ける。

 鞘と合わせて漆黒の無光沢な柄に、淡く輝いていると錯覚してしまうほど綺麗な刀身。

 

 

「………?」

 

 

 本当に光って────

 

 

「…!!」

 

 気付くが早いか、修司は二つの得物を手放し、即座にバックステップで退いた。

 

 おかしい。

 

 朝日は昇っているが、背の高い木々が周りにあるので、まだこの平地には日光が差し込まれていない。だというのに、この刃は本当の意味で光っている(・・・・・)

 自分で発光しているのだ。『昇華する程度の能力』で調べた時、そんな効果がある事は判明しなかった。

 

 つまり、これは確実なるイレギュラー。

 

(何だ…?)

 

 地中に控えさせていた合金から適当な槍を一本創り、自分に装備する。残りの合金は武器がある辺りと自分の辺りにスタンバイさせ、いつでも【刺剛巌(しごうがん)】を放てるように準備を整えた。

 

 その一瞬の間にも、得物の輝きは増していく。

 

カッ!

 

「うっ…」

 

 一層眩しくなり、彼は最大限の警戒をもって目を瞑った。

 

「…………」

 

 だが、武器が落ちている辺りには何も変化が無い。気配を探ってみたが、予想に反して捉えられるものはなかった。

 しかし心做しか、武器の存在感が増した気がする。

 

 奪われた視界が回復したのを見計らって、彼は目を開けた。

 

 

 

 

「────は?」

 

 

 

 

 恐らく今後一生見れないであろう修司の素っ頓狂な声と呆けた顔。

 

 拓けた視界に飛び込んで来たのは────

 

 

「御拝謁を賜り光栄にございます。私、華鏡にございます。創造主様、御命令を」

「おはようございますあたしのご主人!あたしの名前は螢蘭です!」

 

 

 二人の美女が正座をしている光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 片方は、背丈が中学生程しかなく、クリクリとした愛嬌のある目が特徴の黒髪ショートヘアの少女だった。表情から察するに、馬鹿みたいに明るそうだ。

 もう片方は、女性としては少し高身長でスラッとした体を有し、白銀色に染まったストレートロングの髪を持つ美人の女性だった。こちらは打って変わって、静かな水面のような雰囲気を出している。

 二人共普通の旅装束を着ており、中身と服とのギャップが目立った。

 

 どうすべきか迷っていると、女性が殺気を放ち始めた。

 

「貴女、創造主様に向かって無礼な口を。申し訳ございません創造主様、すぐにこの不届き者を始末致します」

「え!?あ、あたし!?ちょっと待って待って!」

「問答無用です」

「きゃぁあ!?」ガキィン!

 

 腹に手を突っ込んだ長身の女は、体の中(・・・)から短槍(・・)を取り出し、一方の短髪の女に向かって振り下ろした。

 正座している状態からなので力が入らなかったのか、彼女の短槍は不届き者と称された少女の小太刀(・・・)によって防がれ、拮抗した。

 少女の方も、咄嗟に体に手を突っ込んで小太刀を取り出していた。

 

 訳が分からない修司だったが、すぐに状況を理解、二人に声をかけた。

 

「止めろ」

「ですが…」

「止めろと言っている」

「…はい、申し訳ございません」

 

 渋々と言った表情で短槍を体の中に(・・・・)仕舞う女性。その様子にホッとした少女は、横目で女性を警戒しながら小太刀を脇腹に差し込んで収納(?)した。因みに、両方の武器はシンプルで一般的な物だった。

 槍を握る両手に力を込め、頭の中で能力の発動準備を整える。

 

「誰だ」

「はい、私の名は華鏡。親愛なる創造主様の──」

「はっ。万の時を過ごせば冗談も笑えなくなるか。重症だ」

「冗談ではありま──」

 

ズガン!

 

「……」

「この意味が分からない程弱くはないだろう?」

 

 正座している彼女の喉元に一本の合金杭が差し向けられ、その先端が朝日を反射する。

 

「説明願おうか。お前達がそこいる理由と、お前達の名前と私の武器の名前が同じな理由を」

 

 一緒に少女の方にも【刺剛巌】で杭を出しておき、誰かに向けるのは初めてとなる本気の妖力を解放する。

 

ゴウゥッ!!

 

 ハク達との戦闘が赤子の駄々に見えるほどの旋風が巻き起こり、純粋な力の波動が周囲を蹂躙していった。そして、ハクの時とは比べ物にならない殺気が二人を撫で、凍てついた顔で睨みつける。

 

「おぉぉ…」

「流石でございます」

 

 だが、矛先を向けられているというのにこの余裕。恐怖するどころか、逆に恍惚とした表情を浮かべて賛辞を述べている。

 

(俺の武器は…)

 

 素早く瞳を動かして自分の装備を確認すると、『地恵を得る程度の能力』で地面を操作して、螢蘭と華鏡を手元に呼び寄せた。即席の槍は地面に捨てて地中に回収。螢蘭を鞘に収めて腰に帯刀する。

 華鏡は、穂に被せる鞘を仕舞い、そのまま右手で握った。

 

「そのお姿、非常に似合っております」

「かっこいいですね!」

(持ち上げて逃げ仰せるつもりか?…いや、違うな)

 

 一目見ただけで彼女らは強いと分かった。だが、まだ己には届いていないと彼は見切った。戦力的には妖怪の大将達と同等くらいか。だから、目の前の不安要素にはただただ首を傾げるばかりであった。

 事実、一見すれば命乞いをしているようにも見える。しかし、彼の読心技術は否と答えていた。

 

(何なんだ?訳が分からない)

「世辞も命乞いも要らない。説明しろと言っている」

「ご、ごめんなさい」

 

 ズズっと少しだけ喉に近付けた杭と怒気を含んだ声によって、少女は素直に謝った。

 平伏し、忠義を誓っているような印象を受ける。自身の考察によって導き出された解答に、修司は更に()せない想いに囚われた。

 

「彼女では不安なので、ここは私がご説明致します」

「酷いっ!?」

 

 首筋に当てられた杭にも動じず、女性が言った。

 

「率直に申しますと、私共二人は、創造主様の持つその得物と同一の存在でございます。私共は、現在の(あるじ)である貴方様に仕え、奉仕し、“寄り添う”為に存在します」

「ふむ……」

 

 この女性の言葉を鵜呑みにすると、彼女達は修司の武器である螢蘭と華鏡から生み出された化身…のようなものか。

 

「私共はあくまで、そちらの二振りの“心”を表した実体のある幻影のようなもの。死んでも貴方様にはなんの実害もありません」

(『昇華する程度の能力』ですら解析が難しかった物だ。これくらいの想定外は茶番にすら満たないのだろう)

 

 全て信じるとしたら、二人が修司に絶対的な服従心を見せるのも分かる。

 

「そうか…」

「以上です」

「俺の命令は?」

「最優先事項でございます。たとえ自害であろうと、一国の破壊であろうと、八百万の神の殲滅であろうと…全てを完璧に遂行致します」

 

 成程。なら…

 

 

「ならば、そいつの片腕を斬り落とせ」

「はい」

 

 

 そう言った女性は、また腹から短槍を取り出し、躊躇いもなく隣の少女の肩口からバッサリと斬り落とした。血が女性に降りかかり、それを彼女は避けなかった。

 

「ぐっ…」

 

 意外なのは、少女が抵抗もせずに、片腕を差し出して激痛に叫ばなかった事だ。

 

「それなりの意志はあるようだな」

「勿論でございます。私共は──」

「──あなた様の為に在るのですから……っ」

 

 残った片手で肩口を押さえ、ギュッとした後に地面に落ちた片腕を拾う少女。

 

 修司は考えた。

 これは、使えるかもしれないと。

 いくら修司自身が強くなろうとも、一人が手足を伸ばせる範囲は決まっている。そうした場合、もしも人手が必要な事態に陥った時に対処が出来ない可能性がある。

 だが、この二人が居れば。それなりの強さもある『駒』があれば、作戦の難度が違ってくるだろう。忠誠心もあるみたいだ。

 

 無論、背中を預けるつもりは毛頭ない。他人の心というのはどうしても信じきれない。

 

(答えは…出たか)

 

 致し方ないだろう。ならば、最低限の躾だけはしておくか。

 本当に久々に全開放した妖力を仕舞い、片手に薬を出現させた。

 

「使え」

「え?…あ、あの…」

「使え」

 

 腕を取り敢えず抱えていた少女に、『どんな薬でも創造する程度の能力』を使って欠損部位を接合する薬品を創り出した。

 まだ数時間しか経っていないが、体力は少し回復したので可能だった。ついでに言うと、この時点で【刺剛巌】による杭は地中に収めてある。

 

「あ、ありがとうございます…」

 

 禍々しい液体の入った小瓶のコルクをつまんで抜き、斬られた腕を隣の斬った張本人に持ってもらいながら、チョンチョンと患部に注いだ。

 

「創造主様からの(まこと)に慈悲深い施しです。精一杯感謝の念を持って味わいなさい」

 

 自慢気に言う彼女には目もくれず、修司は少女の腕が完治した頃を見計らって咳払いをした。

 正座の状態に戻った二人を見下ろしながら、彼は言った。

 

「…お前達を認めよう」

「ありがとうございます」

「えっと、ありがとうございます!」

「だが…」

 

 華鏡の穂先を鞘に収めて背中に回した修司は、制服の汚れを手で払いながら座礼をしている二人を見た。

 

「俺はお前達を信用はしていない。その心持ちは今後の行動で示せ」

「「はい」」

「それと、螢蘭と華鏡という名はこの二振りの為にあるものだ。だから、お前達にその名はやらない。たとえ同一の存在だとしてもだ」

「「…はい」」

「そこで、これからは(ほたる)(きょう)と名乗れ」

「「…!!」」

 

 少女が小太刀ならば螢、女性が短槍ならば鏡。安直だが、適当な名前を考える事に意味を見出さなかった彼は、それぞれ文字を取って名とする事にした。

 

「そ、それは、名を付けて下さるという事ですか!?」

「そうだ」

 

 立っていたら飛び跳ねそうなくらいに螢が喜ぶ。鏡の方は何も言わなかったが、顔の奥には隠しきれない喜色が垣間見えた。

 まあ、別段それを見ても何も思わないが。一段落ついたので、二人に彼は自分の目的を話す事にした。

 

「では、俺の目的を話しておこうか」

 

 名を貰った喜びが治まりこちらに注意が向けられたところで、彼は説明し始めた。

 自分は、この腐った世界に抗う──単純に言えば生きる為、力をつけながら行動していると彼女達に言った。

 そして、行く行くはとある人物を見つけ出し、復讐する事も伝えた。

 

「恐れながら、創造主様」

「なんだ」

 

 正座の状態から動こうとしない鏡が、口を挟んできた。

 

「その…復讐の相手とは…?」

「それは…俺にも分からない」

「分からないとは…」

 

 顎をさすりながら修司は言った。

 

「俺がこの世界に現れた時から、俺の本能がとある人物に対して激しい憎悪を抱いていた。霧がかかったようにその人の容姿は思い出せないのだが、何故かそいつに復讐するという強迫観念だけは根強く残っている」

「これまでにそんな人物には…」

「会ったら直感で分かる。身に覚えの無い事案だが、俺のこの『疑心』だってそれと同じ様に心に癒着していた。逃れる事は出来ない」

「お(いたわ)しいです」

「不要な憐れみはよせ」

 

 話しても大事無いから話したのであって、同情を求めた訳では無い。自分でそう結論づけただけなのだ。

 

「俺自身、俺の事は分からない事が多い。なのに普通悟らないような──ふざけた運命のような感情だけは、魂に刻まれている。実に難儀で仕方ない」

 

 だが、と彼は続ける。

 

「この衝動に身を任せるのは、酷く心地好い。生にしがみつき、感情のままに行動する事に俺は悦を感じているのかもしれないな」

 

 醜いか、と問う。実に滑稽だろうと心外な事を吐いてみる。

 螢は、首を振った。

 

「いえっ!そんな事ないです!」

「その通りでございます」

 

 鏡もそれに賛成する。

 

「あたしは…あたしの創造主様である蘭様があたしを造った時から意識がありました。それはきっと、鏡も同じです」

「何…そうなのか?」

「はい…。私は生まれてからまだ数時間ですが、そちらの槍が無名であった時から、私という『心』は在りました」

 

 武器の方にも、そして彼女達にも『昇華する程度の能力』が通じなかった修司は、その事実を見抜けなかった。

 彼は、小太刀の鞘を抜き放って見る。

 その刀身は変わらず白銀色だったが、自ら輝くような淡い神々しさは失われていた。

 

(成程…時折見せていた輝きはこいつらの存在によるものだったのか)

 

 得心した修司は一つ頷くと、小太刀を納刀して続きを促した。螢が話を続ける。

 

「あたしは、ご主人が蘭様に初めて会った時から、独りになって目的の為に奔走していたご主人まで、それなりの時間を共に過ごしてきました。ご主人の事は、少しながら理解しているつもりです」

「戯言を。俺の何を知っていると言うんだ」

 

 本心をひた隠しにする『疑心』にとって、自身の事を知られるというのは有り得ない事だった。有り得てはならない事だった。

 地中の合金の塊を螢に集中させ、いつでも串刺しに出来るようにしておく。警戒は更に高まった。

 彼女は一瞬下に目をやった後、意志のこもった視線を彼に投げかけた。

 

「知っています」

 

 一息置いて、彼女は言った。

 

「人を疑う感情しか無かったご主人が、蘭様と闘っている内に蘭様に対して態度を軟化していった事。その強大な理性をもって、『疑心』による殺戮の衝動を抑えている事。実は、案外草食な食生活を好む事。他にも──」

 

 彼女はつらつらと、己が知っている限りの彼の情報を彼に話した。

 それは、重要なものからそうでないものまで多岐に(わた)り、彼女の意識が武器に宿っていたという言葉を信憑性のあるものへと変えていった。

 

「更に──」

「もういい」

 

 手を振って彼女の口を閉じさせ、登ってきた朝日を左手で遮る。

 

「お前が知っている事は、確かに外面から見た俺(・・・・・・・)の事を正確に捉えている。あながち嘘ではないのだろう」

 

 内にある心の混沌とした黒さは流石にバレていなかったが、こうまで自分の事が知られているのはいい気分になれない。

 だが、知られてしまったものは仕方がない。せめてこれ以上広まらないように、二人は手元に置いておこう。

 

「まだ知りたい事は山ほどあるが…。お前達の事はゆくゆく知っていくとしよう。一先(ひとま)ず、これから俺の手足として粉骨砕身尽くせ」

「「心得ました」」

 

 最低限知りたい事は知れた。後はこの長い年月の内に調べてゆけばいいだけの事。二人への言及よりも、今はこの場を離れる方が先決だと判断した。

 

「では、行こうか」

 

 二人を立たせ、朝日とは反対の方向へと歩き出す。その修司を、二人は追従するように背後から続いた。

 

「────あぁ、一つ言い忘れていた」

 

 不意に。

 

 ここから始まるという雰囲気たっぷりな状況での静止にも、二人は即座に反応して立ち止まった。若干、螢がつまづいたが…。

 肩越しに二人に視線をやった彼は、一段階低くなった声音でこう言った。

 

 

 

 

「俺の事を、お前達は何も分かってはいない。今も、そしてこれからもだ。理解しようなどとは考えないことだな」

 

 

 

 

 お前達が“寄り添う”というなら止めはしない。

 しかし、理解しようというのなら、こちらもそれ相応の対処をしよう。

 

 

────その喉には、『疑心の懐刀』が添えられていると思え。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「んぅ……ぅぁ?」

 

 身体中が軋む痛みに意識が浮上し、雄也は目を覚ました。この倦怠感は…と思考を巡らせ、そして納得する。

 

(そうか…なりふり構わず霊力を使い過ぎて、枯渇してんのか)

 

 大妖怪にですら怖じない雄也の渾身の一撃。全ての力を注いだその一撃のせいで、彼の霊力はすっからかんだった。

 いくら“無くならない”この世界だからと言っても、回復には時間を要する。彼の不調は、必然だった。

 

「つぅ……どこだ、ここ」

 

 ダルい体に鞭を打ち、なんとか半身を起こした雄也。片手に握りしめたままの大剣に目が行き、少しの努力と共に握力を解いた。

 改めて辺りを見回す。

 

(綺麗な場所だ……)

 

 雄也が寝ていた場所は、病院と言うには設備が整い過ぎている──そう、丁度館の客用の部屋のような内装の部屋だった。雄也はその部屋の中央に当たる床に寝ていたのだ。

 洋風のシングルベッド、本の無い棚、テーブルに椅子、モダンな照明etc…。

 お洒落なアパートのような印象を受ける。新生活を始めたばかりの新社会人のようだ。

 

 久しく見た事の無い朝日が窓からカーテン越しに注がれている。大剣を腰の鞘に入れて、窓にヨタヨタと近付いてみる。

 

「うっ…」

 

 眩しさに一瞬顔を顰めるが、特に頭痛も無くカーテンを開ける。

 

 そこには────

 

 

 

 

「「「「「せいっ…やぁ!!!」」」」」

 

 

 

 

「みんな…!」

 

 自身が身を呈して逃がした、『不死隊』の隊員達が足並み揃えて訓練に勤しんでいる光景だった。

 ここは建物の三階程の高さらしく、建物の目の前に広がるだだっ広い土地で、いつかの頃と変わらない雰囲気で訓練をしている彼らが目に入ってきた。

 

「はぁ………」

 

 安心からか、雄也の口から吐息が漏れる。

 ここに来てから目にしなかった、足の着く土の地面と青い空、そして太陽。この平凡に見える光景に、彼は緊張のネジが緩んでいくのを感じた。

 この不明な建物以外に、視界に写る限り建物は無い。草木一つない平坦な土の地面があるだけだ。

 だが、足場がない不安定な場所で一万年も防衛戦を繰り広げていた雄也にとっては、これだけでも充分過ぎる平穏の風景だった。

 

 窓枠に両手をつき、目尻が下がるのを無意識に感じる。

 

「はぁ………」

 

 もう一度吐息。素晴らしいこの状況は、実は夢なんじゃないかと疑う。それならいっその事、さっさと幻だと言って欲しいくらいだ。

 

 

「────おや、起きましたか」

 

 

「──っ!?」

 

 緩みきった頬が一瞬で引き締まり、大剣を手を掛けて振り返る。咄嗟に左腕を前に出し、防御の構えをとる。

 たとえ油断していたとしても彼は一介の兵士。その中のエリート中のエリートだ。熟練の兵士を軽く凌駕する反応速度だった。

 

「ふふっ…心配しなくても、私は味方ですよ」

 

 両腕を広げたその人は、慈愛を含んだ笑みを浮かべて彼を迎えた。

 

「お前は一体誰────何ぃ!?」

「ふふふ。表情が騒がしくて楽しい人ですね」

 

 左腕を降ろして大剣を抜いた雄也は、その人物の顔を見た。だが、その顔が意外過ぎて、思わず彼は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 彼──彼女は、修司にそっくりな顔立ちをしていたのだ。声音や物腰、そして見た目から彼女が女性であると推測出来るが、その顔は、元の修司の顔の女バージョンという表現がぴったり当てはまる程に彼に似ていた。

 

「な、なんで修司に…」

「似た顔を持っているのか…ですか?それも含めてこれから説明致しましょう」

 

 取り敢えずお掛け下さい、と勧められ、彼は渋々部屋備え付けの椅子に腰掛けた。

 敵意が無くても警戒はする筈の雄也。だが何故か、彼は大剣を仕舞って席についた。彼女から醸し出されている雰囲気のせいか、剣呑さを削がれてしまったのだ。

 

 反対側に座った彼女は、息を吸って説明を──

 

「お茶でも出しましょうか?」

「要らねぇよ。早く話してくれ」

 

 マイペースな人だ、と雄也は思った。

 つれない人ですね、と彼女はいい、急かされた事に溜息をついた。

 

「まぁいいです。少なくとも今は安全なので、ゆっくり話しましょう」

「今が安全だと…?」

 

 そう言えば、あの黒い何かはどこなんだ、と彼は窓の外を見る。しかしそこには清々しい青空が広がっているだけで、あの黒い何かは影も形も見つからなかった。

 

「はい。あの『疑心』の波動は、私の領域には手を出せませんから」

「お前の領域?」

「そこからですね。まず、私が誰で、ここがどこなのかを説明しましょう」

 

 修司にそっくりな女性は、居住まいを正して彼を見据えた。

 

 

「私は、白城修司の喜怒哀楽の一つ、喜びを司る感情の化身──そしてこの領域は、私の“感情の領域”です。私の事は適当に喜身(きしん)とでも呼んで下さい」

 

 

「修司の喜び…だと?」

「信頼の化身であった“彼”に会っているのだから、他の感情にも化身がある事は納得出来ますよね?」

 

 確かに。何も信頼と疑心だけが修司の心の中身じゃない筈だ。他の感情──喜怒哀楽にも、人の形を取った存在が居てもおかしくない。

 

「喜身……お前がそうだとしたら、ここは…」

「ご察しの通り、この空間は喜び()が支配しています。信頼の化身──頼身(らいしん)の事は、残念でした」

 

 頼身…。その言葉を反芻(はんすう)して、今は亡き彼の姿を思い浮かべる。

 

「そうか、しゅ…頼身。あいつの名前…」

「私達に名前はありませんが、区別するとしたら、そういう名でしょう」

 

 現実の修司と見分けがつかないくらいにそっくりな顔をした、心優しい青年。

 

「……くそ…」

 

 膝に置いた拳に力が入る。自分の無力さが苛立たしかった。

 悔しそうに唇を噛む彼を見て、喜身は淡々と続けた。

 

「ですが、私達は修司の感情に過ぎません。故に私達に『死』という概念はありません。あるのは、“呑む”か“呑まれる”か、です」

「呑む…?」

 

 疑問を感じた雄也。それに彼女は答える。

 

「一つの感情を、別の感情に“染める”という事です。呑み込まれた感情は消失し、その心から抹消されます。現実の彼が、より完全に他人を信用しなくなったのは、これが原因です」

 

 普通はそんな事起きないんですけれど、と彼女は言った。

 つまり、人を疑う疑心が、人を信頼する信頼という感情を呑み込んだ事によって、信頼は疑心に染まったという事なのか。

 

「修司の心の中の感情。これの八割九割を疑心と信頼が占めているのですが、それが疑心一色に染まってしまったので、修司の心は極端に偏ってしまいました」

 

 喜身は目を伏せる。

 

 彼女の話によると、人の感情というものの割合は、負の感情が少なく正の感情が多いと言う。これが普通の人間であり、悪人であっても少し負の感情が強い、という程度だ。

 

 だが、修司は違った。

 

 彼は最初から、『信頼』と『疑心』の感情が心の(ほとん)どを占め、喜怒哀楽から始まるそれ以外の感情は申し訳程度しか存在していなかった。あっても、少し『喜び』が大きかっただけだ。

 互いに対極の関係にある二者がその均衡を保っていたからこそ、白城修司という人間は暴走せずにこれまで狂人で留まっていた(・・・・・・・・・)

 既に、前提として壊れていた修司。それを周囲に悟られないようにと必死になって鍛え上げた理性。この刺繍糸で綱渡りをするような状況は、現実で出会ったハクという妖怪によって破られた。

 

 『疑心』の勢力は留まる所を知らず、修司の魂を徐々に侵食している。『信頼』が堕ちたことにより、修司の精神の殆どが(疑心)に染まってしまった。

 

 

 一通りこの世界の説明を受けた雄也は、「やっぱりお茶を入れますね」と言った喜身の後ろ姿を、何とも言えない表情で見つめていた。

 

「ですが──」

 

 茶葉を缶から出した喜身は、キッチンから振り返る事なく話を続ける。

 

「本来、こういった──感情が呑まれるという事態は起こりえません、絶対に」

 

 ポットに入れた水が沸騰するのを待つ彼女の背中には、その困惑がありありと浮かんでいた。

 

「両者の差が大きければ話は別ですが、『疑心』と『信頼』はほぼ同等の割合でした。ですから、このまま均衡が保たれる…そう思っていたのです」

 

 話は他の皆から聞いています、と彼に言う。

 

「『信頼』の化身である彼が、『疑心』が創り出した檻と鎖で拘束され、侵食されていったそうですね。それぞれの感情の領域というものは、互いに絶対的な不干渉地帯なのです。」

 

 唐突に、彼女は顔を窓に向けて空を仰いだ。

 

「現に今、貧弱な私──『喜び』の領域ですら、『疑心』は干渉出来ていません。あの青空は、ただの壁に色を付けただけで、アレの向こう側は『疑心』で真っ黒ですよ」

「そう…なのか…」

 

 実感が湧かない。いきなり平穏そのものを浴びせられたような感覚なので、ギャップに混乱しているのだ。

 

「余程の事がない限り、“アレ”は私の“家”には入って来ないでしょう。安心して下さい」

 

 電子音が聴こえたので視線を戻してみれば、湯が出来上がっていた。

 

「緑茶は嫌いですか?」

「いや、大丈夫だ」

「そうですか」

 

 コポコポと。

 先に急須に入れられた茶葉は、その熱さに不格好なダンスを踊っているところだろう。拘りが無い所を見ると、そういうのに頓着は無いらしい。

 

「皆さんは、現実の(修司)が集めた大切な“仲間”です。最大限のサポートを約束しましょう。取り敢えず、彼ら(不死隊)の要望で、広大な大地と空、全員が人間的な生活を送れる館を創りました。消耗品も、ここは“私が全て”なので何でも生み出せます」

 

 それで、こんなちぐはぐな空間が実現したのか。本当に最低限だな。

 

「…ん?お前がそれを出来るなら、しゅ…頼身も出来たんじゃないのか?」

「原因は分かりませんが、恐らく『疑心』の鎖に縛られて、その力を封印されたのでしょう。ですが、最期の最期で、あなた達を領域外に弾く事だけは出来たようですね」

「お人好しだな」

「感情の化身の性質として、その感情が大きく反映されます。頼身は『信頼』の感情なので、あなた達を“頼った”という事です」

 

 つまり自分達は、彼に“託された”というわけか…。

 

「弾き出されたあなた達を見て、最初は静観を決め込んでいました。私に出来る事なんてほぼありませんから」

 

 グラスを出すかと思ったが、彼女は存外にも、和風な湯呑みを出してきた。そこに注がれる緑色の液が、白い湯気を立ち昇らせる。

 

「しかし、あのハクという妖怪のせいで、そうもいかなくなってしまいました」

 

 あなた達を勝手ながら、私の領域に呼び込んでしまいました。

 そう言って、謝罪をしてきた。

 

「いや、あのままだったら俺達は『疑心』に取り込まれていただろうさ。こっちが感謝するべきだ」

 

 湯呑みを二つ持ってテーブルに戻って来た喜身に、座ったまま頭を下げる雄也。

 コト…と。どうか顔を上げて下さいと言いながら緑茶を差し出してくる喜身に、彼はゆっくりと視線を上げた。

 

「あなた方は精一杯善戦しました。他人事と言われても差し支えない私達の問題に、その身を賭して」

「俺達は、現実の修司に“頼られた”のさ。なら、応えない訳にはいかないだろ?」

 

 現実の修司がこれを聞いていたのなら、絶対「頼ってない」と言うだろう。

 だが、理性の隔壁が存在しないこの彼の(世界)に呼び出され、彼の本心に触れていたら嫌でも分かる。

 

────彼は、助けを求めている、と。

 

 彼の悲痛な叫びを聴いた。

 全てに絶望し、受けてきた痛みを吐き出すかのような。

 現実でどんな出会いをし、どんな関係にあったとしても、この声を聴いてしまったら、誰だって助けたいと思ってしまう。

 この世界に生まれる時にそれに触れるからこそ、敵味方関係無く、手を貸してしまう。

 

 雄也達はその時の記憶は無いので、「何故か皆仲間になっている」という印象を受けているのだ。これは前にも述べた事だが。

 

「まあ、存在意義…みたいなものじゃないかと、俺は思ってる」

「……」

 

 敵意は完全に失せた。彼は静かに頭を下げる彼女を見つめ、次いで置かれた緑茶を見た。

 

「説明はもう充分だ。みんながここに居るなら、後の細かい部分は頭同士を“繋げて”知ればいいからな」

「必要な物があれば、なんでも言って下さい。まだまだ物を追加していく予定なので」

 

 

ドタドタドタドタ────

 

 

「……ん?」

「あぁ…来ちゃいましたね」

「何がだ?」

 

 ドアの向こうから近付いて来る慌ただしい足音に、彼は首を傾げる。彼女は苦笑して、部屋の隅に退避した。

 

「お前、なんでそんな所に────」

 

バンッ!!

 

 

 

 

「「「「「雄也!!!」」」」」

 

 

 

 

 蝶番が弾け飛びそうなくらいに乱雑な扱いを受けたドア。人一人が通るために設計された筈のその隙間から、防衛軍の軍服を着た戦友達がなだれ込んできた。

 どこから聞きつけたのか知らないが、(ようや)く目覚めた雄也に会うために、こうして大挙して襲って来たようだ。

 

「怪我とかねぇか!?」

「体調は大丈夫なのか?“闇”に何かされたか?」

「やっと起きた…雄也ぁ!!」

「心配したぞ、蔵木」

 

 様々な顔が彼に迫り、口々に彼に言葉を浴びせていく。「緑茶が零れますよー」という喜身の注意は全くの無視。みんな彼の事に夢中だった。

 

(お前ら……)

 

 言い得もない喜びが彼の中に広がっていく。家族以上の絆で結ばれたみんなが、元気な顔をして自分の事を気にかけてくれているのだ、嬉しく無い筈がない。

 彼らは、情けなくも組織が混乱してしまった時に、即座に対応が出来なかった事を悔やんでいるのだろう。自分達が足を止めてしまったが為に、雄也が玉砕覚悟で時間を稼ぐという事態に陥ったのだ。

 

 だが、雄也にとっては当たり前の事だった。

 仲間のピンチを命を懸けて助けるのは、正義感の強い彼にとって当然の行動であり、それを感謝される(いわ)れなんてものは無いのだ。

 

「みんな落ち着けって…。俺はこの通り大丈夫だ。それより先に、報告だろ?」

 

 それを聞いた特隊の面々はハッと我に返り、一人が現状報告した。

 

「非戦闘員には、当領域にてはぐれない限りの自由行動を許可しています。現実の修司隊長を補佐している蘭さんは、この館の一室のベッドに寝かせてあります」

 

 怪我無く、守り通しました。そう彼は告げた。

 

「そうか…よくやったな。取り敢えずは一安心だ。まだ何かあるか?」

 

 問い掛けた彼に、青年は顔を強ばらせた。

 

「えっと……新しく新入りが来まして…」

「なんだ、歯切れの悪い。どうした」

 

 いえ、と濁す青年に注意が向く中、突如としてドアが破られた。

 

ドバコォン!

 

「っ!?」

 

 雄也に群がっていた『不死隊』の全員が武器に手を掛け、雄也は椅子を蹴飛ばした。隅っこにいた喜身が溜息をつく。

 まだ脳内の再接続が完了していない雄也は、その“新入り”を目視で確認した。

 

 そして、戦慄した。

 

 

「よぉ、やっと起きたのか」

「ノラ、ドアというものは正しく開けなきゃ」

「…脳筋に文明の利器は無理。諦めた方が賢明」

 

 

 ヌッと入室してきた三体の妖怪は、今回の騒動を引き起こした張本人達。【完全解晰】によって人格を取り込まれた、妖怪の大将達だった。

 彼らから放たれた殺気と妖力に、その場の皆が身を固くした。

 

「おっと、僕達は闘いたい訳じゃないよ」

「俺らの挨拶みてぇなもんだ、気にすんな」

 

 カッカッカッと笑うノラ。段々と治まっていく殺気から、どうやら本当らしい。

 

「…へぇ、これが、あの人間の鍛えた兵隊の実力。弱小種族をここまで育てるなんて…」

 

 レイは、雄也の顔をまじまじと見つめ、その八本の脚をギチギチと鳴らした。

 

(なんだよコイツら…。俺達なんて比にならねぇ…!)

 

 迸る気配から測っても、この三体の実力は雄也を軽く超えていた。現実の修司は、こんな怪物を相手に完封してみせたのか…。

 喜身は、我関せずといいたげに嘆息した。

 

「ここに来た時は、お前ら全員ぶっ殺してやろうかと思っていたんだがな…」

 

 顎を擦りながら、目をギラつかせる。真紅の皮膚が、彼の猛々しさを助長していた。

 

「…気に入らねぇ」

 

 吐き捨てるようにそう言った彼。

 

「気に入らねぇなぁ…。俺らを倒した人間の中身が、こんな貧弱なんてよぉ」

「それに関しては僕も同意見かな」

「…私も」

 

 ノラの妖力が再び爆発する。プレッシャーが全身に襲いかかり、彼らは脚を動かせずにいた。

 

「現実の僕の最期のように、この世界()も闇に染められ、面倒な感情が蝕んでいるようだね」

「…助けてくれる人が居なかった。だから、これは仕方ない────って、言いたい?」

 

 レイの言葉に唇を噛むみんな。これについては喜身も悔しそうな顔をしており、壁に預けていた背を起こした。

 

「いくら妖怪と言えど────」

「言葉を選べってか?」

「ぐうの音も出ないと自分で言っているようなものだね」

「…現実は受け止めなきゃ、駄目」

 

「……っ」

 

 再び、壁に寄りかかる喜身。

 仕方ない。これを理由に、無意識に自分自身を擁護していると自覚させられたのだ。特に情に厚い雄也は、剣を抜かないように抑えるのに必死で、腕が震えている。

 誰も何も言えないでいると、ノラはまた口を開いた。

 

 

「…だがよ、面白い、とも思った」

 

 

 怪訝そうな顔をする雄也達。彼は止まらない。

 

「折角こんな場所に呼び出されたんだ。現実と同じ事をしてもつまらねぇ」

 

 そういう結論に至ったんだ、と隣でハクが付け加えた。

 

 

 

 

「────付き合ってやろうじゃねぇか」

 

 

 

 

 この世界に召喚される時。無意識に聴こえた苦痛の嗚咽。野望の暗闇に囚われた彼らの心を動かしたのは、他の人の変わらぬ単純な理由。

 敵の正体も、解決策も、これからの方針も、自分達の事でさえよく分からないこの空間。

 

 でも、助けたいと思った。手を差し伸べたいと思った。

 

 彼の腕にまとわりつく茨を取り払い、目から消えた灯火を点け、「こちらにおいで」とはにかむ。

 

 妖怪とか人間とか、善とか悪とかなんて関係ない。

 理性ある生物の本質。その存在の根底にある、眩いばかりの『白』。

 

 鋭く尖った牙が並ぶ口。豪快な笑顔を作ったノラのそれは、彼がまだ集落で暮らしていた頃の、白くて純粋な輝きを放っていた。

 

「協力してやんよ。ややこしい事は分かんねぇけどよ、たまにはありだろ」

「そうだね。妖怪とは本来、酔狂で気まぐれなものだからね」

「…愛も大事。でも、手を貸してあげる」

 

 いつの間にか、殺気や妖力は消えていた。

 

「僕達を殺めた存在に足る心を持ってくれないと。現実の僕達が可哀想…って理由が主だけどね」

「…癪だから、助けるだけ。変に期待はしないで」

 

 ぎこちなく笑ったハクとレイ。ガハガハと雑な笑い声を上げながら、ノラは二人の肩をバシバシ叩く。

 

「おめぇらのそんな顔、俺ぁ初めて見たぜ!案外可愛い顔じゃねぇか!」

「「痛い痛い痛い!」」

 

 鬼の力で叩かれるのだ、下手したら骨折だろう。

 だが、二人の笑顔は更に深く、明るくなっていくのであった。

 

 

 

 

「…そのドア、直すのは私なんですよ?」

「おぅ!すまねぇ!」

「謝る気ゼロですか…」

 

 ガクリと落胆する喜身。和やかになった部屋の第一声によって、雄也達『不死隊』の面々の体は自由を取り戻した。

 武器に掛けていた手を下ろし、緊張を解いた隊員達。その顔は敵を見る警戒ではなく、仲間を見る安堵へと変わっていた。

 

「…信用、していいんだな」

 

 雄也だけは最後まで拭い切れない想いを残していたが、それも、ハク達の曇のない顔によって消し飛ばされた。

 

 

「少なくとも、今は」

「…私達の本質は妖怪。…あなた達の知っている──蘭という妖怪よりは妖怪に近い」

「思ったよりも単純っつー事だな!」

「「一番単純なのはノラだけどね」」

「だが俺は強い!!」

「「どうどう」」

 

 

ワイワイガヤガヤ────

 

 ガヤつき始めた室内。いつの間にか、不死隊の皆も談笑するに至っていた。

 

「なぁなぁ、お前の能力って物を引き寄せる事が出来るんだろ?ちょっとやってみてくれよ」

「あぁ、いいよ」ヒョイット

「「「「「おぉぉぉお!!」」」」」

 エスパーな能力に馬鹿共は沸き立つ。

「俺だってすげぇんだぜ?この拳一つで、何だってぶっ壊せるんだからな!見てろよぉ…」

「「「「「いけいけぇ!!」」」」」

 次は俺を見ろと、鬼はフローリングの床に狙いを定める。

「直すのは私なんですよ!?やめてください!!」

 

 順応の速い男性陣は、ハクとノラを取り囲んで盛り上がり。

 

「レイちゃん…でしたっけ?」

「…ちゃん…?…まぁ、そうだけど…」

 『不死隊』の中でも最年長の彼女は、女郎蜘蛛の綺麗な上半身を見て叫ぶ。

「全く…可愛い顔してなんて残念な身なりですか!ちょっとそこに座りなさい!!」

「っ!?」ビクッ

「押さえ付けて下さい!」

「「「「「了解っ!!」」」」」

「えっ?えっ?えっ!?」

 無理矢理床に座らされたレイ。先程とは立場が逆転している。

「さぁ!!喜身さんっ!この子に服をっ!!速く!!!」

「そ、それよりも今は彼を止めるので精一杯です〜!」

 着せ替え人形を手に入れたような興奮加減。クワッと目を見開く彼女に、喜身は疲労を訴える。

 

 

(────……なんかもう、いいか)

 

 

 この馬鹿馬鹿しい感じが、アットホームでフレンドリーな『不死隊』のいい所だ。戦闘中ですらネタに走ってしまうような、馬鹿げた連中。それでいて、しっかりした所はしっかりしていて、勝ちは拾ってくる。

 最後まで心配しているこっちの方が馬鹿みたいじゃないか。雄也の牙は毒気を完全に抜かれ、今度は、間抜けな友人を眺める呆れたような顔へと変化していく。

 

 

「あぁあ!雄也さん!助けて下さいぃ!!」

「さっきまでのマイペースキャラはどこいったんだよ、お前」

 

 

 半泣き状態で、喜身はノラを押さえながら空いている片手で服を創造している。顔の必死さから、相当参っているようだが、さてと。

 

「どうしたもんかなー」

「お願いしますから!」

 

 修司の事は、正直まだ対策が練れてない。あの黒い波動もよく分からないし、信頼の感情に何が起こっているのかも、皆目見当もつかない。

 現実の修司のこれからの事も気が気じゃないし、あの螢と鏡の事も不明だ。

 

 でも、なんだろうか。

 

「「「「「うおおぉあぁ!!」」」」」

「いいから俺に何か殴らせろって!」

「あぁ駄目です駄目です!この館を創るのにどれだけ苦労したと思っているんですか!?」

 

「さぁ!次はこの服ですよ!」

「下半身とのコントラストを楽しめないのが難点ですね、レイちゃん?」

「…あ…あの…もう…いい…」

「「「「「聴こえない聴こえない」」」」」

 

 

 楽しい……な。

 

 

 

 

 

 

 

────雄也は静かに、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 




 

 休みに入る前になんか新キャラを投入してしまった作者。変わった人格、染まった心、忠誠を誓う者、助け合う者。
 色んなものを残して、作者は受験へとペンを走らせます。


 …とまぁ、そんなこんなで一章、完結です。今後の活動について、この場にまとめておきますので、目を通して頂けると助かります。(ついでに活動報告などにも書いておきます)



・受験期間が終わるまで、当小説の更新は停止します。
・生存報告も兼ねて、ちょうちょい書いていた短編集をちまちま別小説として投稿します。
・0話のリメイクは難産過ぎるので、生存報告の一環として投稿します。
・絶対復帰を宣言致しますので、お気に入り登録は解除しないで頂けると嬉しいです。
・更新停止に伴い、タグの『定期投稿』は、一時的に削除させて頂きます。

 今まで読んで下さり本当にありがとうございます。
 これからも、何卒よろしくお願い致します。

 


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二章.その青年は幸福になるべき存在
31話.巡る星々と忌まわしき神


 

 読者の皆様、大変長らくお待たせいたしました。
 受験後の手続きや免許うんぬんで忙しく、またプロットを頭に呼び起こす作業に時間を掛けてしまいました。

 今日から定期投稿…と行きたいのですが、生憎書き貯めも何もない状態ですので、不定期投稿にシフトします。
 完結まで努力し、完走する覚悟ですので、どうかお付き合い下さい。

 今回から新章です。ついに本格的に原作との絡みを書けるので、モチベーションが上がってます。

 今日も一日頑張るZOY!

 


 

 相も変わらずに視界延々と続く森林。澄み切った青空。人の手が入っていないありのままの景色。

 

 仏教的に言うならば、諸行無常なこの世界。だが、その中でも変化というものは存在する。

 水が永遠と見間違う時を経て、岩石を削るように。命が消え、産まれ、魂の光が瞬くこの大地にも、変わる時は訪れるのだ。

 

 

 

 

「…食えないものばかりだ」

 

 

 

 

 最後の一匹の喉元に短槍を突き刺し、躊躇いなく抉り飛ばす。

 

「ゴァフ……」

 

 断末魔も弱々しく、狼を模した獰猛な妖怪はその体を横たえる。

 

「…………」

 

 最期の一撃の振り上げた鉤爪は、修司に届くことなく地面を引っ掻くのみとなった。それを不満気に眺め、興味を失ったかのように踵を返した。

 

「まあいい。備蓄ならまだある。時間の空いているものから食べよう」

 

 足元で地面が蠢き、艶々とした鉄キューブの一角が姿を見せる。グパァと開いたその穴に、彼は持っていた木の実をポトポトと落とし入れ、歩き出した。

 後ろで鉄の貯蔵庫が地面に潜った音を聴き、短槍の血を払い落とす。

 

「方角は……あっちか」

 

 経験で身につけた時間感覚と太陽の位置を計算し、彼は向かうべき方角へ足を向ける。

 彼が目的地に着いたのは、それから一時間後だった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ」

「おかえりなさいませ!」

「肉は手に入らなかった。備蓄で済ます」

「はい。鍋の用意を致します」

「じゃあ、お水を汲んで来ます!」

 

 ハク達────妖怪の大将達との戦闘の戦果として仲間になった(きょう)(ほたる)

 あれから各地を転々とした。一人ではなくなったので、ある程度の定住を繰り返しながら、宛のない旅を続けている。

 今は、この横穴を(しばら)くの住居とし、そこで数ヶ月の時を過ごしている。

 

「少々お待ちを」

「行ってきます!」

 

 彼女達の事について色々と実験をした結果、様々な利点や欠点を見つけた。

 

 まず、二人に空腹と言った概念は無く、食べる事は出来るが、必要とはしない事が分かった。

 次に、体の中から召喚する武器は、彼女達を(かたど)った模造品らしく、壊れてもすぐに次を出せるようだ。

 そして、彼女達と彼は繋がっているようで、念話のようなものが交わせる。離れすぎていると使えないが、話せない状況だと便利だろう。

 

 そして、これが一番の長所と言える。

 

 彼女達は、彼の持つ『華鏡(かきょう)』と『螢蘭(けいらん)』の中に戻る(・・)事が出来るのだ。

 武器を(かざ)してから十秒程かかるが、彼女達の体が霧のように霧散し、得物の中に収束していく。この間彼は動けないので、戦闘中には行えない。しかし、これはこれでかなり便利な能力だ。(ちな)みに、出現する時は一瞬である。

 

 死に関しては、試してないのでまだ分からない。だが、彼女達には魂が無いようだった。

 霊力を使って二人の中に力を送り込んでみたが、霊力は彼女達を通過し、消えた。これはつまり、受け入れる器──魂がないことを示している。

 霊力などのエネルギー系が使えない。これは、敵によってはかなりのハンデとなるだろう。

 

 だが、その分近接戦闘は彼に並ぶ強さである。霊力などを縛った手合わせでは、かなりいい勝負をしていた。

 実力では、彼の次に鏡、そして螢という順番だ。彼の隣に蘭が立つが。

 

「創造主様、用意が出来ました」

「分かった」

 

 鉄キューブから木の実や保管していた肉などを出し、海岸らしき場所から仕入れてきた岩塩も出す。今までの彼とは比べ物にならないほどの食事の変化だ。

 

「「…………」」

 

 必要以上の会話は極力しないのが、彼らの常識だった。

 だが、

 

「マッハで行ってきました!ご主人!」

「その口を閉じなさい螢。そのような無駄な報告は不要です」

「はいどうぞ!」

「話を聞き────」

 

 鏡の説教を横に流し、修司は水で満たされた桶を受け取った。二人の会話にはあまり口を挟まない。二人共彼に絶対服従なので、何か言えば絶対に似通ってしまうからだ。特に鏡は、それが顕著である。

 

「………よし」

 

 黙々と火打石を打ち付け、組んだ薪に火をつける。煌々と燃える火の粉が、彼の顔を熱した。

 

「あっ、申し訳ございません創造主様!螢がすぐに準備を」

「えっ!?そこあたし!?」

 

 鏡は修司自身に創ってもらったからか、蘭の被造物である螢を下に見ている節がある。彼女自身が奉仕するというよりは、螢を使って彼に仕えると言った感じだ。勿論、鏡も積極的に彼の世話をしている。

 

 彼の嫌そうな顔が目に浮かぶようだ。顔は動かないが。

 

「そうか。なら俺は奥で“服”を作るとしよう」

「準備が出来次第、お呼び致します」

 

 奥には、上へと続く縦穴が開いている。光や新鮮な空気が入り、奥も快適なのだ。

 青い制服をたなびかせ、旅装束の二人に後を任せる。

 奥には、作りかけの服が転がっていた。

 

「もうじき完成だ。割と時間がかかったな」

 

 これは断じて、編み物みたいな高尚な趣味ではない。

 これから“訪問”をするにあたって、修司の服は悪目立ちするのだ。せめて、鏡や螢のような質素な旅装束でないと、怪しまれる。

 

(今日採ってきた繊維を足せば、恐らく一式揃うだろう)

 

 作りかけの、修司用の旅装束一式を拾い上げ、鉄キューブから採取した繊維を取り出す。

 現在着ている青色の制服が要らなくなった訳では無い。破けても直る服を、彼は重宝だと思っている。

 

 

 

 

────何せ、都市が消滅してから二億年も経っているのだから。

 

 

 

 

 気の遠くなるなんて言葉では片付けられない。発狂したっておかしくない幾星霜の時間を、彼は過ごしてきたのだ。

 正直、鏡と螢が居なければ、言語機能が麻痺していたかもしれない。長い間独りでいると、自主的に喋り続けていたとしても必ず不自由が生じる。話し相手がいた事は、彼にとって僥倖(ぎょうこう)だった。

 

「…………」

 

 人格の変化が現れてから、無口に拍車がかかっている。それでも日本語を話せているのは、やはりあの二人のお蔭だろう。彼は認めたくないが。

 

(……切り替えろ)

 

 意識を引き戻し、繊維を加圧して使えるようにする作業を開始する。やっている事は原始人や縄文人並の事だが、修司はこの技術を一から開拓したのだ。その根気と努力は計り知れない。

 

 目標としては、今日中には服を完成させて、明日にはここを引き払いたい。

 そして、その日の内に決着をつける。

 

 

 

 

「創造主様、準備が整いました」

「丁度完成した所だ。今行く」

 

 陽の光も望めなくなった現在、出来上がったばかりの服に袖を通した修司は、薄闇の中から呼びかける従者に目を向ける。

 

「…そのお姿、とてもよろしいかと」

「お前達は何にでもそう言うんだな。ただのボロ服だというのに」

 

 それが私達ですので、という鏡は無視して、修司は洞窟の出口に向かって歩き出す。侍るようにして鏡も続き、間もなく鍋を掻き回す螢が見えてきた。

 

「あ、ご主人!」

「待たせたな」

「とんでもございません!」

 

 グツグツと。暖かな炎に包まれた夕食は、各地で手に入れた調味料と素材の質が引き立てあって一層美味しそうに見えた。

 鉄キューブの中からお椀と匙を人数分取り出し、二人に渡す。鏡は(へりくだ)り、螢は満開の笑顔を咲かせた。

 こんな日々を二億年。悪くないと思ったかもしれないが、料理のマンネリというのは怖い。

 

「食べながら、明日の事について話そう」

「了解です!」

「承知致しました」

 

 頂きますと手を合わせ、三人は焚き火を囲んで夕食を開始した。

 

「んぅ〜!美味し〜い!」

 

 体を左右に揺らしながら、螢は頬に手を当てて咀嚼する。創造主様の御前ですよと諌める鏡を見るのも、何億回目だろうか。

 

「食べながら、畏まらなくていい。明日からの計画を伝えようと思う」

「創造主様、遂にその服が完成なされたということは…」

「そうだ──明日、『村』に侵入する」

 

 

 数ヶ月前、この物件を見つける前。三人がこの辺りを旅していた頃、ガサガサと草をかき分ける音がした。

 その音の異常性に気付いた修司は、二人に隠れるように命じ、木の上で息を潜めた。

 

『…食う、モノ、採った』

 

 それは、ボロ布のような服を着た『人』だった。

 彼は少し目を見開いた。人間など、実に二億年ぶりに見たからだ。髪は伸び放題、体の手入れは見受けられない、原始人やその程度の存在。

 しかし、人間には違いなかった。

 

『カエル、村、帰る』

 

 単語を並べただけの簡単な言語だが、話している言葉は日本語に間違いなかった。しかし、それでも彼の音声は不明瞭で、聞き取りづらかった。

 身なりから文化レベルを察するに、言語があるだけでインフレや文化面はそれ程発達していなさそうだ。

 

『村…と言っていますね』

『ふむ……』

 

 彼の言葉を認識通りに解釈するなら、この近くに村があるようだ。

 

『……行ってみるか』

 

 

 …と、このような発見があり、修司は今日までその準備に勤しんでいたのだ。ついでに、その男を尾行して村の場所も把握している。

 

「隠密には行かない」

「何故ですか?」

 

 匙で掬いながら、彼は言う。

 

「お前達は感じなかったのか?あの気配を」

「申し訳ありません。私共が到らぬばかりに…」

「…神力を感じた。恐らくあの村には、“神”が居る」

 

 魂が無いがために、二人は霊力などの力を感じ取れない。修司程の強大なものならば流石に感じるが、微弱なものは不可能なのだ。

 

「紙?」

「神だ阿呆」

「全く…。話の腰を折るな、チビ」

「あぁ!チビって言った!チビって言ったぁ!」

「創造主様の御前ですよ、黙りなさい」

 

 チビと言ったのは、言わずもがな鏡である。

 

「はぁ…話を続けるぞ」

 

 プリプリ憤慨する螢は放っておいて、修司は汁を一口啜った。

 

「…あれは村から信仰を得ている類の神だ。だから、村の範囲内の事はすぐに気付く。見覚えのない輩が侵入してもな」

「創造主様の技術では…」

「無理だな。地面に足がつくだけで気付くのが神だ。霊力なんかを使っても駄目だ」

「ならば、神を殺してしまえば…」

「本末転倒だ。俺達の目的は今回、人間と思わしき生命体の調査と交信、そして情報を引き出す事だ。そこの親玉である神を殺したら、彼らとは敵対する事になる」

 

 信仰している神を殺せば、村人は黙っちゃいないだろう。そこらの木の棒でも持って襲いかかってくるに違いない。

 

「折角見つけた文化的生命体だ。この世界が俺の知る世界である確信がない以上、機会を易易とは手放せない」

 

 月に移住した都市民、日本語を話す原始人、狼や熊といった動物妖怪。彼の前世の世界に似ているようで違うような。

 彼は、確信が欲しかった。この世界は彼の知るものなのか、否か。

 知っているものならば、彼はかなりのアドバンテージを得ることになる。

 

「兎に角、俺達は旅人のフリをして村に侵入。村人と友好関係を結び、出来る限り情報を得る事を目標にしよう。殺傷武器の使用は極力避けろ」

「はい」

「あ、あの…」

「どうした」

 

 螢がおずおずと手を挙げる。

 

「その村の神様って、どうするんですか?」

「接触してくるなら相応の対処をするし、放置するならこっちも放置する。神にはいい思い出がないからな」

 

 ツクヨミの例がある。神が皆あのようだとは限らないが、自分から触れに行くのは愚か者のする事だ。これぞまさしく、『触らぬ神に祟りなし』というやつだろう。

 

「何か言いたいことはあるか?」

「創造主様の言う事に抜かりありません」

「ご主人の事は“信頼”していますから!」

 

ズガンッッ!!

 

 突如、螢の喉元に数本の杭が迫る。それはヌラヌラとした光沢を放ちながら、彼女の喉元数センチで止まった。

 

「……言葉には気を付けろ」

「は、はい…………ごめんなさい」

 

 【刺剛巌(しごうがん)】を収めた修司は、何事も無かったかのように食事に戻る。鏡はこれには口を出さず、無視してお椀をよそった。

 

「「「…………」」」

 

 無言の食事は終盤へ。最後になってやっと、彼が一言発した。

 

 

「明日の朝ここを出立する。準備をしておけ」

「はい」

「…はい」

 

 食事を終えた彼は、早々に就寝の用意を始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 その村は、見かけ平坦な地形をした森の中にポツンと存在していた。そこには一つだけ丘があり、神社のような形をした建造物が鳥居と一緒に鎮座している。

 平坦に見えるこの土地だが、なんならかの巨大なクレーター(・・・・・)のように窪地になっている。村を囲むようにして淵がせり上がっており、周りからは微妙に見えないようになっている。盆地とまではいかないが、これはいい場所に居を構えたものだ。

 

 霊力を通常まで抑え、短槍と小太刀に作っておいた布を巻き付ける。そして、鉄キューブから取り出した食糧を背嚢(はいのう)に入れて背負えば、普通の旅人の完成だ。

 

「行くぞ」

 

 腰と背中の得物を触り、眼下に有る村を目指して足を踏み出す。せり上がった部分にいた三人は、その一歩を、恐る恐る踏みしめた。

 

 

 

 

サワサワ……

 

 草木の擦れる音しか聞こえない。何か起こるかと思ったが、存外そんな事は無く、拍子抜けな二人(・・)だった。

 

「…大丈夫みたいですね」

「よかった、神様が登場するなんて事がなくて」

「…一度、お前達は鍛え直す必要がありそうだな」

 

 実力があるだけに、勿体ない。

 

「え?」

「どう致しました?創造主様」

「気配を捉えろと言ったんだ。鈍感にも程があるぞ」

 

 所詮は武器から出た贋物(がんぶつ)。野性的な本能は何一つとして持っていなかった。

 故に、敵の接近を許してしまう。

 

 

キシャアァア!!

 

 

「「っ!!」」

 

 突然、茂みから巨大な白蛇が現れた。森の隙間に隠れられるような丁度いい大きさの蛇は、迷うことなく三人へと肉薄し、その口を開けた。

 

「せいっ!」

 

 だが、咄嗟に小太刀を体から取り出した螢は、それを叩き落とす事に成功。地面に落とされた蛇の隙を逃さず、刀身を鞘から抜き放ち、一瞬で蛇を輪切りにした。

 

「お怪我は!?」

「問題ない。敵が出てからは動けるのだな」

 

 気付けなかった。鏡は修司の安否を心配しながらも、その事実に愕然とした。通常の動物や妖怪、殺気や大物の気配などは察知出来るのに、こういった姑息な手に対する反応は遅い。

 螢がその蛇を調べようと近付くと、蛇は朽ちて塵となり、霧散してしまった。

 その不思議な現象に、螢が呟く。

 

「何こいつ…」

「それは恐らく、あそこにいる神の仕業だろう。蛇は、神力で召喚したもののようだ」

 

 木々の間から見える丘上の神社を睨み、彼女に教える修司。

 神力に(かす)かな殺気が篭っていたが、それも注視しなければ気付けないものだ。二人が察知出来ないのも仕方が無いのだろう。

 

「小さな変化も察知しろ。その鈍感さは命取りになるぞ」

「申し訳ありません、創造主様」

「精進します!」

 

 よし進もうかと思ったのも束の間。

 

キシャァアァ!

 

「せいっ!」

 

 修司に飛びかかった白蛇を、鏡は召喚した短槍で串刺しにした。

 

「流石に二度目は無いぞと言うとしたのだが…言う必要もないか」

「ご期待に沿えるよう、村まで護衛致します」

「必要ない…と言いたいところだが、これも修行だ。一匹たりとも俺に近付けるな」

「「御意」」

 

 ゆっくりと歩を進める修司を挟むようにして、二人が得物を構える。走ることはせず、わざと遅く向かうことにした。

 

サワサワ…サワ……

 

 木の葉の擦れる音が、全て敵のものに聴こえる錯覚に囚われる。

 

「「…………」」

 

 最大限の警戒を以て、二人は彼の横を進んだ。

 

シャアァアァア!!!

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 村へある程度近付くと、蛇の散発的な襲撃はピタリと止んだ。

 

「…もう終わりか。お前達、もういいぞ」

「「はい」」

 

 労いの言葉はかけないし、感謝なんて以ての外。やって当然、成し遂げて当たり前なのだ。

 茂みに身を隠し、前方の様子を確認する。そこは、丁度森が拓けており、竪穴住居のような住居がポツポツと建っていた。

 見れば見るほど、縄文時代にそっくりな風貌だ。

 

「創造主様、どう致しましょうか」

 

 修司の横についた鏡が訊く。

 

「……変更はない。交信を図るぞ」

 

 スクっと立ち上がった彼に慌てて付いていく二人。彼はそのままズカズカと村へ入っていった。

 

 

「誰か」

 

 

 奴らと同じように単語で呼びかける。始めは気付いていなかった彼らも、徐々に三人の余所者を認識し始めた。

 

「誰」

 

 暫くすると、男の一人が三人に近寄り、全身をじっくり見回しながら問いかけてきた。

 

「旅人」

 

 背中の背嚢を背負い直す。言葉の意味は通じている。つまり、第一関門突破だ。

 

「交換」

「交換?」

 

 背嚢を短槍と一緒に地面に降ろすと、紐を弛めて口を開いた。

 この中には、普段から採集している木の実や食べられる野草、枝や石や木材などで作り上げた農耕具がある。手斧や石包丁があるが、数品だけ、不純な鉄で作った物も混じっている。

 

「物、ある。だから、交換」

「……みんな、話す、考える」

 

 やはり警戒しているだけあって、行動は慎重になっているようだ。そもそも、この村に部外者が訪れた事はあるのか。

 この村は、隠された土地にある。外の妖怪や獣に襲われる危険性を考えると、外に出て放浪するのは今の時代では困難を極める。よって、定住して農耕で食い扶持を繋いだ方が遥かに安全なのだ。

 

(見た所、目立った武器や戦闘意識は見えない…。これはもしかしなくても、そこらの犬もどきに食い殺されるくらいの弱小ぶりだぞ)

 

 ここに狼が数匹現れたら、この縄文人達は全滅してしまうだろう。闘いはやったことが無い、そんな雰囲気だった。

 

(…そうか。あの神がコイツらを護っているのか)

 

 防衛は恐らく、神が神力で召喚した白蛇で対応しているのだろう。込められた神力が微弱だった事から、木々を覆う程の大きさも召喚出来る筈だ。

 ならば、何故修司達にはそれをけしかけなかったのか。

 

(…森の保護、だろうな)

 

 森を破壊すれば、単純に彼らの食糧が減る。それを避けたかったのだろう。

 

(どうしてもコイツらを囲っていたいようだな)

 

 この人間に近い縄文人に、一体なんの価値があるのだろうか。信仰で神力を補充する類の神だとしても、過保護過ぎるように思えて仕方なかった。

 

(彼らに情でも────)

「交換、する」

 

 品物を金属物以外並べて、考え込んでいた修司。鏡と螢はその後ろに控えているが、二人は初めて見る修司以外の人間みたいな生物に興味津々で、修司を思考の海から救おうとはしなかった。

 

「分かった。これ、物」

 

 二人に折檻する計画を立てつつ、彼は並べた品物を示す。あちらは、十人程で寄ってきて、この辺りで採れる作物や畑と見受けられる土地からの産物を並べてきた。

 農耕の文化があるという事は、少なくとも弥生時代くらいの文化を持っている。その証拠に、あちらの品物の中に薄くて硬そうな弥生土器があった。

 

 この世界が彼の前世のものである可能性が増してきた。となると、彼は死んでから異世界へ転生したのではなく、死んで大昔へと飛ばされたという説が有力になる。

 

「これ、欲しい」

 

 彼らが内輪で相談して決めた一つ目の品は、石包丁などの石製の農耕具だった。食べ物には困っていない様子だったので、そちらには目もくれていない。

 

「なら、これと、交換」

 

 修司は彼らの提示した物の中からいくつかの農作物と弥生土器を選び、等価交換になる量を指定した。

 彼らはまた何か相談し、「分かった」と了承した。

 

 交換などを通して交流することで、彼らについて調べる事が今回の大きな目的。物品には実用性を求めていない。

 

「交換、成立」

 

 あちらが修司の並べた物を取ると、あちらの数人が修司の指定した物をこちらに寄越した。

 

(……これ以上の接触は危ないか)

 

 行商人を装うなら、日の高い今の内に別の場所に移る事を考える筈。食料は交換したので、ここに留まる理由はない。

 それに、部外者を神がそう許しておくとは思えない。神力で召喚した白蛇で軽く妨害してきた辺り、自分が囲っている人間にあまり干渉して欲しくないようだ。

 

「交換、終わり。俺達、行く」

 

 簡単な言葉の羅列で物々交換の終了を告げる。少し物を取り替えただけなように思えるが、このくらいの文化レベルではこれが普通だと彼は思っている。

 

「分かった」

 

 男の一人がそう言うと、彼らが出していた品物を各々仕舞い始めた。

 

「(創造主様、もう行かれるのですか?)」

 

 鏡がそう耳打ちする。

 

「(神に目を付けられたら厄介だ。これから少しづつ訪問を重ねればいい)」

 

 そう、修司達には有り余るほどの時間がある。一ヶ月に一回のペースで調査を進めたとしても、かなり進行するだろう。

 

 

「誰、誰」

 

 

 すると、村の建造物から、子供と見受けられる者達が数名、修司へと寄ってきた。大人の村人が説明をする。

 

「旅人。多分、安全」

「初めて、見る。顔、楽しい」

 

 よく分からないが、つまり面白い顔をしているという事か。まぁ、彼らの常識には“毛を剃る”という項目が存在していないので仕方ない。まだ散髪や髭を剃るという習慣も発達していないからだろう。

 彼らの全身は、毛という毛全てが手入れされておらず、伸び放題となっている。まさに原始人といった風貌だ。

 加えて、服装も獣の毛皮で大事な部分のみを隠しているという状況。草で編んだ旅装束ですら高度文明過ぎたかと、己の服を見る。

 

「何、これ」

「これ、食べ物。木の実」

「初めて、見る」

 

 この辺りには自生していない木の実だからか、子供達はとても気になるようだ。短槍などは触らせないが、背嚢くらいなら好きにさせている。

 

「物、沢山、入る。凄い」

「初めて、初めて。楽しい」

 

 外部からの訪問者という事もあって、子供達は念入りに修司と修司の荷物を見ていた。盗もうとした輩には石突きで小突いているが。

 

「謝る」

「気に、しない」

 

 大人の方が謝罪をしてきた。倫理観は現代の人間に近いので、やはり彼らは人間の祖先なのかもしれない。

 

 

 

 

 さて、そろそろ帰ろうかと思った時、子供が背嚢の中から荒鉄で出来た農耕具を見つけ出した。

 

「これ!これ!」

 

 子供が鉄製の包丁っぽい刃物を持ち、はしゃいでいる。また盗むのかと短槍を構えたら、突然大人が背後で叫んだ。

 

「鉄!御業!神様!」

 

 修司はその彼へと目を向ける。その男は修司を指差してそのように声を上げ、周囲の村人を呼びつけた。

 

「報せ!報せ!」

 

 村人の一人は神社の方角へと走って行き、子供は大人にその鉄具を渡した。

 

「それ、俺の、物。返せ」

 

 勝手に持ち出そうとしたので、修司はそれを諌める。だが存外にも、その男はそれを拒んだ。

 

「駄目。これ、献上。神様、見せる」

 

 強情な、と後ろの鏡と螢は思ったが、修司はなんとこれになんの反論もしなかった。子供を払い除けて背嚢を取ると、持って行かれた鉄具以外の物をそれに仕舞い込み、二人を呼ぶ。

 

「(ここであれを取り返せば、最悪暴力沙汰だ。そうなれば神が出張って来るだろう。それは避けたい)」

「(ですが、あれは創造主様が丹精を込めて造った有り難き品でございます!タダで奴らにくれてやる義理など…!)」

 

 彼らに聞こえないように小声で話しているが、鏡が拳を握り締めて震えている。余程許せないのだろう。

 

「(いい。鉄なら城が作れる程ある。今は、迅速にこの場を去れる方法を探せ)」

「(ご主人、黙って帰っちゃ駄目なんですか?)」

「(これからも交流をする予定だ。だから、出来るだけ問題は起こしたくない)」

 

 ある程度の自分勝手なら許す。村の掟のようなものもあるだろうし、人間らしい寛容さを持たないと、これから先問題ばかり起こるだろう。

 修司は振り返ると、村人に言った。

 

「時間、無い。もう、行く」

 

 荷物を全て背負い、次の場所に行きたいと言ってみる。

 しかし、

 

 

「駄目。お前、神様、決める」

 

 

 修司は内心毒づいた。三人を包囲した村人達は、それが当然で、三人を逃がさないのは当たり前だという顔をしていた。そこで武器を持ち出さない辺り、争うという概念はないらしい。

 

(ふざけた奴らだ……)

 

 穏便に済ます事が出来ればいいと思っていたが、信者にも程がある。

 日のある内に出立しなければ、普通は命に関わる問題だ。それを、“珍しい物”があったから程度で留め、神の判断が下されるまで待てと言う。しかも、物々交換が主なこの時代で、物を一つ盗んだ。修司は短槍に手を掛けそうになった。

 

(だが待て…。これもコイツらを調査する為だ。短気を起こしてもいい事はない)

 

 耐えろと自分に言い聞かせる。

 

(ただの鉄包丁だ。神も気にしないだろう)

 

 暫くすると、鉄具を持って行った村人が走って帰って来た。

 

「旅人、旅人!」

 

 彼は修司の服をむんずと掴むと、自分が来た方向へと無理矢理引っ張った。

 

「神様!会う!お前、会う!」

 

 後ろで二人が武器を展開しかけたが、修司はこれを視線で押さえた。

 

(やはり、こうなってしまうのか…)

 

 会いたくなかった。神なんて傲慢な存在、もう関わりたくもなかった。吐き気がする。

 

「創造主様!」

「ご主人!」

 

 二人が引き摺られる彼の元へと急ぐ。どこまでも自分勝手な村人は、これまた当然といった表情でグイグイ袖を引っ張った。

 

(くそっ。こうなったら、別の方法で調査だ)

 

 所謂プランB。

 短槍と小太刀を触り、その切っ先を鞘越しに撫でる。

 

「神様!神様!嬉しい、事!」

 

 丘上にある神社が、やけに光を帯びていた。

 




 

 読んで下さりありがとうございます。上達しているのかは微妙ですが、ブランクを取り戻すためということでここは一つ。

 ちなみに、志望校にはキッチリ合格してきました。望み薄って顔をしていた先生方に渾身のドヤ顔をかましてやりましたよ。

 これからの投稿は不定期ですので、出来上がり次第投稿します。土曜日以外にも出すと思いますので、お気をつけ下さい。

 


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