私、二回目の人生にてアイドルになるとのこと (モコロシ)
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第0章 私アイドルになるってよ
第1話 女子寮の隣人たちはアホ毛可愛い


突然だが私は俗に言う、転生者というものである。

 

とはいえテンプレ乙なファンタジーとはなんぞやといった感じで、前世も今世も極々普通の人生を過ごしているのだが。前世では工業高校に入りそのまま電機関係の職に就き、適度に趣味に没頭しながら平穏な日常を過ごしていた。再び生を授かったこの世界は前世と世界観が全く変わらず、生まれた場所も同じで地域の名前も相違は無い。ただ生まれた年代は少し違っており幾分か未来にタイムスリップしているようだ。

 

そんな経緯もあり、私は前世と同じく工業高校に入学して仕事で培った技術知識をこれでもかと使ってやろうとしたのだが、二度目の人生どうせならと体験した事のない大学というものへと通おうと進学校へと入学した。そんな事を考えたのが昨年の事で、狙っていた進学校へ入学してもう数ヶ月で一年が経過する。他に変わった点といえば前世が男だったのが、今世では女になったことだろうか。だが、それに関する問題らしき点はほぼ解決している。伊達に十数年間この身体で過ごしているわけではない。女のあれこれはもはやチョチョイのプーである。生涯側にあり続けた我が“グレート・サン(偉大なる息子)”との今生(こんじょう)の別れを涙ながらに済ましたのも最早良い思い出である。

 

そういう訳で、小中学、そして現在高校でも同級生とは精神年齢が違う分付き合いが出来る人物が強制的に制限されていた。そもそも子供の中に大人が混じれる訳が無かったのだ。価値観も合わず趣味も合わず、私は多少相槌を打つ程度に会話に参加していた。とは言っても、その辺は仕方のない事だと最初から諦観していたので、私としてはあまり問題ではなかったりするのだが。それに制限されるといっても友達が全くいないという訳ではないので気にする事もなかった。

 

私の見た目を簡単に表すと、肌は白く、髪は薄水色、髪型はショートのウェービーヘアー。そして自称ルベライト色の流れるようなクールな瞳。スタイルはそこそこな方だと自負している。そして驚く事なかれ、髪と瞳に関しては染めたわけでもカラコンをしている訳でも美容院に行っている訳でもなく、全て天然なのだ。ある意味天然パーマなのであまりセットをする必要性が無く、毎朝楽させてもらってます。朝の時間はゆっくりしたい人なので私としては非常にありがたい髪型である。一応母がハーフ、父が純日本人という事で私はクォーター扱いにはなるのだが、多分この髪にクォーターである事はほぼ関係は無いと思う。父も母も黒髪だし。一体どうしてこんな髪が生えてしまったのだろうか。生まれる前に遺伝子組み換えが行われていたのかとバカみたいなことも考えた事もあるが、両親のDNAをしっかり受け継いでいるからしてそんな事実はあり得るはずがなかった。結局謎は深まる一方である。

 

……という自問自答もこの十数年間で既に飽きが来ており、正直生きる上で何ら支障はない事だと気付いたのは小学校高学年に上がる頃だ。散々悩んだ挙句の結論が“どうでもいい”っていうのは正直どうかと思わないでもないが、本当に考えたところで無駄だし。なんなら最近ではこの髪で無いと落ち着かないくらいまである。

 

そしてそんな平穏な日常のある日、私はなんとなく外に出たい気分に陥っていた。

 

いつもの私であれば休日は大体家で音楽聴きながら本読んだり漫画読んだりゴロゴロしているのだが、たまにあまり好きではない都会を一人で歩き回りたくなる時がある。それが今日だった。

 

休日だったら友人なんかと遊ばないのかと言われれば、もちろん遊ぶと答える。しかし、別に休日だからといっていつも遊ぶわけでは無いだろう。私は基本面倒くさがりなので家を出ない。でも、誘われて気分が乗れば遊ぶし、遊びたいと思えば誘う。つまりは気分屋だった。

 

一人で外に出る時はイヤホンを常備している。別に景色を楽しんでいる訳ではない私は一人で歩いていると暇になるのでいつも好きな邦楽を聴きながら歩いているのだ。逆にイヤホンがないと散歩が長続きしないので実は重要なアイテム。

 

そして私はどうやら曲の趣味も合わないらしい。そもそも精神的に生まれた年代が違うので好む曲が違うのも当たり前といえば当たり前であった。偶に友達とカラオケなどに行っても大体浮いてる。あちらが歌ってる曲は知らないし、私が歌ってる曲もあちらは知らない。正にルーズルーズの関係である。私は歌いたい曲を歌えて満足なのだけれども。

 

聴くジャンルなんかはバラバラで、主にヘヴィメタル、ロック、バラードなどだったりする。最もこれはジャンルが好きというよりは、好きなグループが偶々そのジャンルを歌っていると言った方が正しいかな? まあ、そんな感じだ。

 

因みに今はヘヴィメタルの曲をギリギリ音が漏れない程度まで音量を上げて聴いている状態だ。お陰で私は思わず口遊むくらいテンションは内心アゲアゲ状態だった。こういった曲を聴いていると、決まって歌いたくなってくるものだ。どうしよう、これから一人カラオケでも行こうかな。悩みどころだね。金銭的な問題もあるし。

 

「〜〜♪」

 

そんな事を考えていると、私の顔にヌッと影が差した。その人は目の前には遠くからでも一瞬で発見できるであろう程背が高く、ガタイの良いスーツ姿の男性だった。その足は地面に縫い付けられていると錯覚する程動かない。どうやらその場所から動く気は無いようだ。

 

「……はぁ」

 

せっかくのいい気分に水を差され、迷惑に思いながらも避けて通ろうとすると、その男性は何故か私の歩みを遮った。不審者かと思いながら顔を見るべく見上げると、私は思わずギョッとしてしまった。ものすごい強面だったのだ。鋭い目つきに三白眼、しかし何処と無く真面目で誠実な様子が見受けられる人物だった。よく見ると口が動いている。何か私に話しかけているようにも見える。

 

こんな街中で不審者なんて流石に出るわけないかと考えた私は話を聞くべく音楽を止めイヤホンを外した。

 

 

──転機。立ち止まった次の瞬間、私は人生のターニングポイントとも言える邂逅を果たしたのだった。

 

 

「……アイドルに、興味はありませんか?」

「はぇ?」

 

思わず変な声が出たけど、多分私は悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、ようやくダンボールが無くなった」

 

出来上がった部屋はなんともシンプルで私好みの部屋だった。

 

白い本棚には漫画と資料本が沢山並び、ガラス板の黒い机の下にはPC本体、机の上にはデスクトップ、そして誕生日に親から貰ったBOSEのスピーカーだった。この女子寮は常にWi-Fiが飛んでいるので何時でもインターネットし放題なのだ。素晴らしいとしか言いようがない。べね。

 

初めは寮というからもっと小汚い所を想像していたのだが、本当に素晴らしいところだった。部屋は広いし綺麗なキッチンも付いてるし、リビングと呼ばれる広い共用スペースもあるし大浴場も空調設備も完備されており、朝夜は寮の食堂でほかほかご飯。そして極め付けは何と言っても──

 

「防音対策ばっちり、つまりスピーカーで音楽聴きたい放題……!」

 

それに限る。それの有無によっては今後のアイドル生活に支障をきたす可能性が出てくる。それ程の代物なのだ。

 

しれっと流してしまったが……そう、どうやら私はアイドルになるらしい。

 

私に話しかけてきた男性は346プロダクションのアイドル部門シンデレラプロジェクト担当の武内駿輔さんというプロデューサーだったらしい。机に置かれている名刺には、今私が言ったことと全く同じことが書かれている。

 

346プロダクションという会社は俳優や歌手が多数所属する老舗の芸能プロダクションで、TVや映画などの映像コンテンツ制作企画も手がけている凄い会社らしい。あの時武内さんから話を聞き終えた後、親に聞いたらそう答えてくれた。

 

ネットと貰ったパンフレットで詳しく調べてみると、346プロのアイドル部門は発足して歴史が浅く、未だ発展途上な部分も多々存在するらしい。しかし様々なジャンルのアイドル達の頑張りによって一定以上の成果は出ている為、瞬く間にアイドル業界のトップへの仲間入りを果たしているとの事だ。その為、同部門が立ち上げた「シンデレラプロジェクト」は、老舗が手がけるとあってか、業界内では期待の新企画として非常に注目が集まっているらしい。そして現在はオーディション、スカウトによってメンバーを集めており、私はそのスカウトの目にとどまったという訳だ。

 

ぶっちゃけた話、容姿には大分自信がある。自分で言うのもあれだが、中々……いや、結構な美少女だ。街中歩いてる時だって振り向いて二度見する人も結構いる。この体になってそういう視線に敏感になったので嘘は言ってない。飽くまで客観的な視線からの感想なので別にナルシスト気取ってる訳ではないんだけど、本当にそう思っているので否定は出来ない。しかし、容姿(・・)だけだ。正直中身おっさんで見た目くらいしかアイドル要素皆無な私がアイドルなんてやっていけるものなのかと思うのは無理のない事であった。なっても売れ残りそうだと言ってみると、「貴女の頑張り次第でもありますが、此方も全力でサポートさせて頂きます」という言葉が返ってきた。変に取り繕わない真面目な言葉に私は好感が持てた。

 

その後別れた後、私はアイドルになる事を決意した。家へと着くと私は早速親に学業を疎かにしない事と、嫌になったら帰ってくると約束をして、なんとか了承を得る事が出来た。無論いきなりの事だったので色々と叱咤や心配もされてしまったが、武内さんにも説得を手伝って貰ったので事無きを得た。その後荷物をまとめると彼に予約して貰った飛行機の便でそのまま東京へと向かって現在に至るという訳だ。後二週間ほどで冬休みということで時間もあり、キリも良かった。仲の良い友達には暫しの別れを告げ、テレビで会おうと言ってきた。ポカンとした顔が今でも笑える。

 

しかし羽田空港へ着いた瞬間、私は早速後悔した。人がわんさかいるのだ。ごちゃごちゃして歩き辛いったらありゃしない。福岡が誇る大都会、天神ですら人が多くてげんなりする程なので、それ以上に人がいる空港では歩く気力すら奪われるのは必然であった。そして何よりも中央線やら武蔵野線やら山手線やら路線が多過ぎる。新宿で降りた時は冗談抜きで地獄だった。こんなに複雑で迷うような乗換えは初めてであり、また電車の中も混雑という言葉では足りないくらい混雑していたので大分辛かった。その時の私は福岡へのデスルーラも覚悟した程である。まあ、そんなの出来ないし、なんとか寮には辿り着けたんだけどね。

 

ちなみに武内さんは仕事で福岡に来ていたらしい。ついでにスカウトされた際に彼がプロデュースしているアイドルの名前を聞いてみたのだが……誰も知らなかった。いや、所属しているアイドル自体に知っている人は勿論いた。その人は私も大のファンだったし、寧ろ346所属だった事に驚きを禁じ得なかった。

 

しかし、彼がプロデュースしているアイドルを知らないと言った事で心なしか物悲しげにしている様子に少しだけ罪悪感が生まれた。いや、本当にごめんなさい。私が知っているアイドルといえば精々三、四人くらいだ。恐らくその中には346以外のアイドルも含まれている。今後は私の先輩になるわけだからきちんと勉強しておこうと思う。

 

此処までに至った経緯を思いながら、私はふかふかの椅子に座る。そしてチラリと福岡を出る前に買ったものを横目に見やる。

 

「やっぱり隣人とか挨拶したほうがいいのかな」

 

一応福岡のお土産代表(自分の中で)である『通りもん』の小さいサイズを5箱買って来たのだ。当たり前だがその内三つは私のものだ。美味しいからね、仕方ないね。

 

何が当たり前で仕方ないのかはさて置き、荷物整理に一区切り着いたところで隣人に挨拶しに行こうと思う。これだけは絶対に後回しには出来ないからね。

 

「いい人だといいんだけどなぁ」

 

私は少しの不安に駆られながらもお土産を手に取り、外へと足を運ぶ。

 

扉を開け、廊下の奥のガラス窓から見えるのはビル群。私の住む女子寮は四階建てで私の部屋は最上階である四階だ。ビル群から視線をそらせば桜の蕾が増え始めているのがよく分かる。そのことを示すのがどういうことなのかというと

 

「さむっ」

 

そういうことだ。寮内の廊下と言えども未だ寒気から抜け出せない季節。思わず顔が強張る。肌を刺すような寒さから一刻も早く抜け出すべく早めに終わらせなければならない。まずは右隣の人へとアタックをかけてみよう。

 

扉の前のチャイムを鳴らすと、ピンポーンと小気味良い音が響く。その後あまり間を置かずにチャイムのスピーカーより返事が返ってくる。

 

『はーい。どなたでしょうか?』

「本日付けでこの寮に住まう事になりました、小暮深雪(こぐれみゆき)と申します」

『あ、こ、これはご丁寧に、あ、あ有難うございます!』

 

暫くすると扉が開く。開いた先に見えた人物は綺麗な正円を描くような丸顔、ぴょこんと跳ねたアホ毛がチャームポイントの、とても可愛らしい子だった。

 

「こんにちは」

「こ、こここんにちは〜」

 

私が挨拶するとピクッと肩を震わせ不安げに挨拶を返してきた。どうやら緊張しているようである。それでもきちんと目を合わせてくれるあたり、健気な様子が伺える。

 

「あっ、わ、私、小日向美穂って言います。よろしくね、えっと、み、深雪ちゃんって呼んでもいいかな?」

 

にっこりと笑みを浮かべながら小日向美穂さんは私の名前を呼んだ。可愛い。私も美穂ちゃんって呼んでもいいかな? あ、でもやっぱり先輩アイドルにそれは図々しいだろうか。この子とは仲良くしたいなー。うーん、でも入寮初日からそんなことで隣人に引かれたくないし、苗字で呼んでおこう。

 

「はい、よろしくお願いします。小日向さん」

 

んんー、なんだか武内さんっぽくなってしまった。真顔で言ってるから尚更だと思う。印象悪いのは分かってはいるが真顔になるのは仕方のないことだと私は思う。寒すぎた。表情筋が動かないのだ。

 

「え、えーっと、そんなに他人行儀にならなくてもいいよ? 年も近そうだし、私の事も美穂って呼んでね。あ、あと敬語もいらないから」

 

少し困ったようにエヘヘと笑う美穂ちゃん。とってもキュートだった。熊がプリントされたその服も非常にプリティ。

 

「分かった。じゃあ美穂ちゃん、これお近付きの印に」

「わあっ、『通りもん』だ! 深雪ちゃん福岡出身なんだね!」

「あ、知ってるの?」

「結構有名だよね。それに私の出身熊本だから」

「じゃあ九州仲間だね」

「そうだねっ、あ、外じゃ寒いよね。うちに入る?」

「いや、まだ挨拶終えてないところもあるから遠慮しとくよ。ごめんね?」

「いいよいいよ! じゃあ、またね。美味しくいただくから」

 

美穂ちゃんは手をヒラヒラさせると扉の奥へと戻っていった。

 

……ふぅ、取り敢えず一人目終了か。やれやれ、先は長いぜ。さてと、次は左隣の隣人のところへと挨拶に行こう。

 

先ほどと同じようにチャイムを鳴らすと、物凄い物音が聞こえた。擬音で表すとドンガラガシャーンと言ったところだろうか。何処のらんまでしょうか。

 

暫くそのままの状態でいると、ようやく返事が返ってきた。

 

『……は、はい……星です。……フヒ、な、何か、御用でしょうか……?』

 

玄関のチャイムから、か細い声が辛うじて私の耳に入ってきた。

 

「本日付けでこの寮に住まう事になりました、小暮深雪と申します」

『そ、そうですか……』

「はい、それでお近付きの印に、つまらないものですが、地元の名産品を持ってきました」

『そ、そうですか……ありがとう、ございます』

「いえ」

『……』

「……」

 

か、会話が続かない……。私もあまりお喋りな方ではないから、こういう相手だとこっちも困ってしまう。

 

少し待つと、ガチャリと扉が開かれるがチェーンが付いており、全開にまでは至らなかった。

 

「……あ、ご、ごめんなさい」

 

扉の奥からちらりと見えたその小さな少女は、恥ずかしかったのか頬を赤く染めていた。

 

チェーンの鍵が解かれ再び扉が開かれると灰色の長髪に、またまたアホ毛が特徴的な可愛らしい少女が見えた。その手にはキノコが添えられており、料理中だったのだろうかと私は勘繰る。

 

「料理中でしたか?」

「……い、いや、料理なんかし、してない……です。……音楽聴いてト、トモダチと、遊んでた……だけ。ほら、このシイタケくん……ふひ」

 

そう言うとその少女が手に持っていたキノコ──シイタケが私の目の前に出される。どうやらトモダチとはこのシイタケくんの事らしい。キノコが友達とは如何なものか。

 

どう反応すれば良いのやら。思わず私は呆気に取られてしまったが、何も反応を返さないのは失礼だと思ったので取り敢えずシイタケくんを褒めることにした。

 

「艶もあり、形も良い。いいシイタケくんです」

 

いや、きのこの良し悪しも分からないのに何言ってんだ私。 少し適当なこと言い過ぎたか。

 

「……フ、フヒヒ……私のキノコくんをほ、褒めてくれたのは四人目……あ、ありがとう」

 

おおう、私の前に三人いるんだ……。少し気になるけど、取り敢えずこの品を渡しておこう。

 

「これ、福岡名産の『通りもん』と言います。宜しければいただいてください」

「……あ、はい、いただきます。大事に食べます。フヒヒ」

 

星さんはいそいそとシイタケくんを玄関に置くと私からの土産を腫れ物を扱うように優しく受け取る。受け取ると嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「……可愛い」

 

これがアイドルなのか。先ほどの美穂ちゃんもそうだが、星さんもとても可愛らしい。どちらも守ってあげたくなるというか、保護欲をそそるというか、そんな感じ。

 

「きゅ、急に何を言うんだ。……あっ、キノコの事か。そ、そうだよな。私がか、可愛いなんて……」

 

しまった、声に出ていたか。しかし可愛いのは事実だった。少し照れてる様子もまた可愛い。星さんは見た目中学生くらいだが、中学生ってまだ撫でても怒らない年代だっただろうか。撫でてもいいかな、いいよね。というか可愛いキノコって何を定義に可愛いって言うんだろう。

 

「星さんの事ですよ」

 

そう言いながら私は星さんの灰色の髪へと手を伸ばす。触れた髪は所々跳ねているが、髪自体は柔らかく、体温が直接手のひらに伝わり非常に気持ちよかった。思わず頬が緩みそうになるが、キリッと表情筋に力を入れる。

 

「あぅ……や、やめてくれ。ぼっちの私の髪なんて触ったってな、何もいい事なんて起きないぞ……! あぅ……」

 

そう言いながらも満更でもなさそうな星さんを横目においていると、扉の奥から音楽が流れていた。そういえば先ほど音楽を聴いていたと言っていたな。いったいなんの曲だろう。聴いた事があるような気もするし……。もしかして、この曲──。

 

「given up……?」

 

given upというのはLinlin Parkというアメリカのバンドの曲だ。残念ながら私は邦楽専門なので殆ど洋楽はきかないのだが、そんな私でもこの曲だけは知っていた。というかスクリームの練習でよく参考にさせてもらっていた。

 

「し、知ってるのか……!」

 

視線を下に向けると星さんは目を輝かせていた。それはまるで何かを訴えかけるように。

 

その瞬間、私は悟った。恐らくだがこの子も私と同じで趣味を理解されない(・・・・・・・・・)タイプの人種なのだ。趣味を理解されないというのは存外つらいものである。特にみんなが共通の話題で盛り上がっている時に自分だけ話についていけない時とか。前世ではそんなことなかったんだけどなぁ……。

 

私の友達の中には趣味に関する理解者は誰一人としていなかった。遂には誰も理解しきれないのでいつも私は勝手に喋って勝手に満足していたくらいだ。所謂ソリティアというやつである。

 

嗚呼、星さん。君の気持ちは痛いほど分かる。ましてや君は自称ぼっち。話す相手すらいなかったのだろう。私が相手をしてやりたい。だが申し訳ないが洋楽は専門外で、聞いているのもロックメタル系では大体聖飢魔IIや永ちゃんばっかりなのだ。洋楽に関しては私はテニスコートの壁になるくらいしか出来ない。

 

「わ、私はLinlin Parkも好きなんだけど、最近は聖飢魔IIなんかにも、は、ハマってるんだ……!」

「私も聖飢魔IIは大好き。少し話さない? 星さん」

「し、輝子って呼んでくれ。わ、私も……み、深雪さんって呼ぶから、さ。……き、汚いところだけど、入ってくれ。フヒヒ」

 

この後めちゃくちゃ話した。

 

 

 

 



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第2話 転校というものは意外と面倒が多い

高校の転校とはそう簡単なものではなく、意外と面倒臭い。転校したい高校で欠員募集が行われていないと転校出来ないのだ。欠員募集というものは学期の始まる前の計三回行われている。それを知らなかった私は急いで武内さんに聞いたんだけど、曰くその辺りはスカウトする時から考慮されていたらしい。そういうものは初めに教えてほしいものだ。両親には言ったらしいが、肝心の本人に伝えないとはどういう了見なのだろうか。

 

私が転校する高校はごく普通の高校だ。何か尖ったものがある訳でもなく、文武両道がテーマの少し偏差値が高いだけの平凡な高校だ。初めは普通に通っていくらしいが、もし私が本格的にアイドルデビューして人気が出始めたら公欠扱いで休みが増えることもあるらしい。正直、学校というものは休むとその分のノート写したり補習だったり等が面倒なのだが、仕方あるまい。そもそも人気が出るかすら怪しい所である。

 

そして通う高校を決めた後に行われる事は、もちろん試験だった。試験内容としては国語、数学、英語、そしてオマケに面接だ。面接は簡単、とは言わないが難しく考える必要はないだろう。ガチガチに緊張するような精神年齢はしていないし、なんなら教員より年上まである。

 

三教科に関しても私の参考書や武内さんから頂いた過去問を何度も解き直したので問題はないだろう。本当に武内さんにはお世話になっている。まあ、武内さんから誘われた手前、此処までのお膳立てくらいは当たり前ではあるのだが。「え? アイドルになってくれる? じゃあ引越しとか転校関係も全部頑張ってね〜」なんて言われた日には私は速攻で世迷言を言ったとアイドルになる事を取り消すだろう。今日までの武内さんのお膳立てを当たり前と称するのは簡単だ。武内さんも当たり前のことだと言うだろう。しかし、その当たり前を実行出来る人間というのは意外と少なく、口だけが達者な輩の方が断然多い。故に、私は武内さんのサポートに感謝をするし、当たり前の事を当たり前に出来る武内さんを尊敬する。

 

しかし、とりあえずは高校受験だ。適度に気を抜く事は良い事ではあるが、抜き過ぎると痛い目に会う事もある。ある程度の緊張感を持って、油断せずに行こう。某超次元テニスの部長もそう言ってる。

 

それはそうと私と同じ高校を受験する人が『シンデレラプロジェクト』のメンバーに一人だけいるらしい。どうせだから仲良くなるついでに一緒に登校して欲しいと武内さんに言われたので現在集合場所に向かっているところだ。そこから考えると、どうやらその人物は女子寮に住んでいる訳ではないようだ。

 

集合場所のコンビニに到着した。集合時間までは少し時間があるので携帯でも弄っていよう。あ、輝子からMINEが来てる。

 

 

干しきのこ【今から小梅ちゃんと幸子ちゃんとホラー映画見るぞ】

 

 

その文の後にはこの前紹介されたシイタケくんの写真が添えられていた。楽しそうで何よりだ。この小梅ちゃんと幸子ちゃんというのは輝子とユニットを組んでいる仲間らしく、普段から一緒にホラー映画を見ているらしい。どんなホラー映画でも怖がる幸子ちゃんが可愛いと言っていた。いつか会ってみたいものだ。

 

「ねえねえ、もしかして小暮深雪さん?」

 

そう考えていると、何処からか私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。もしかして先程言っていた『シンデレラプロジェクト』のメンバーだろうか。少し気怠げで愛嬌のある声だった。

 

きょろきょろと辺りを見渡すが聞こえたのは声だけで影も形も存在しなかった。一体何処から声をかけているのだろうか。

 

「いや、ここだよ、ここ」

 

再びその声が私の耳に入り込む。声の位置からして私のすぐ近くにいることは間違いない……のだが、何処にいるのかは見当も付かなかった。

 

「……見下〜げて〜ごらん」

「おおっ」

「いや、おおっ、じゃないよ。最初から気付いてただろ。ていうか目あったよね」

 

下を見ると北欧の妖精のような色素の薄い髪、天使のようにあどけない顔、まさに可愛いを具現化したような外見の少女がいた。武内さんから聞いた通りの子だ。見た目十歳くらいにしか見えないのだが私の名前を知っているあたり、信じられないが同年代ということらしい。

 

この子が私と同じく、346プロアイドル部門『シンデレラプロジェクト』メンバー十五人の内の一人──双葉杏ちゃん。私とこれから苦労を共にしていく仲間となる人物だ。

 

ジト目で見られている私は取り敢えず自己紹介をすることにした。

 

「初めまして、双葉杏さん。小暮深雪です」

「ああ、うん、初めまして。杏でいいし敬語もいらない。堅っ苦しいのは嫌いだしね」

 

杏ちゃんはぶっきらぼうに返事をしながら手をひらひらさせた。初対面で先程の対応は失礼だったか、もしかすると怒らせてしまったのかもしれない。ちょっとしたお茶目だったつもりなのだが、少し失敗してしまった。

 

「あ……ごめんなさい」

「いや、別にいいけどさ。って、そんなに落ち込まないでよ」

 

ぶっきらぼうなのはデフォルトだったのだろうか。なんで杏がフォローに回らないといけないんだ、と杏ちゃんはぼやきながら大きな欠伸をする。その言葉を聞いてまた少しだけ申し訳ない気持ちになる。きっと昨日輝子と音楽について色々話したことで年甲斐もなくはしゃいでしまったのが原因だろう。もしかすると背が低いのがコンプレックスだった可能性もあるわけだし、無意識の内にひどい事をしてしまったかもしれない。反省しなくては。

 

幸いな事に杏ちゃんは気にしなくていいと言ってくれているのでその言葉に甘えるとしよう。このまま私が低いテンションのままだと杏ちゃんも気まずい空気のまま登校することになる。気分の切り替えは大事だ。

 

「じゃあ杏ちゃん、行こうか」

「そうだねー」

 

私がそう言うと杏ちゃんは後ろを向き、てこてこと歩き始める。やはり見た目通り歩くスピードはあまり早くはないようだ。私の歩く速さは気分によって変わるが、普段通りであらば結構早い部類だと思う。無論だからと言って、てこてこ歩く杏ちゃんをすたこらさっさと置いて行く程私は人間出来ていない訳ではない。ゆっくりと歩く杏ちゃんのスピードに合わせる。

 

「杏ちゃんは北海道出身だったよね。やっぱり雪って凄いの?」

「そりゃあもう神様に感謝してしまうくらい凄いよー」

「雪降ってくれたら嬉しいの?」

「勿論。だってそれを理由で学校サボれるしねー」

 

杏ちゃんは悪びれもなく無邪気に笑いながら言う。

 

「成る程、こっちは雪とはほぼ無縁だからね。少し気になったんだ」

「あー、出身福岡だっけ? 杏、暑いの苦手だから行く事はなさそうだなー」

「私は暑いのも寒いのも苦手だけど」

「……それってどうなの?」

 

どうなんだろうね。私も思う。まあ、苦手というよりは暑がり寒がりと言った方が正しいんだけど、どっちでもいいか。

 

自販機を発見した。少し寒いと感じていたところだったので温かいココアでも飲もう。

 

「何か飲みたいものはある?」

「え? うーん、じゃあ同じので」

「分かった」

 

なんでも良さそうに杏ちゃんは言う。

 

自販機に辿り着くと私は120円の温かいココアを選択する。まとめて同じ物をもう一度押してココアを手に取ると、近くで待つ杏ちゃんに片方を渡す。

 

受け取った杏ちゃんは温いーと言いながら温かいスチール缶をほっぺたへと当てる。その様子があまりにも可愛かったので私は思わず携帯で写真を撮った。隠し撮りをしたつもりはないが、杏ちゃんは気づいていないようだ。

 

「ありがと、何円だった?」

「お金はいい。私の奢り」

「そう? ありがとね」

 

杏ちゃんは此方に笑みを浮かべた。杏ちゃんってなんだか世渡りが上手い気がするんだが、多分気のせいではない。きっとこの笑顔に何人もの人々が堕とされていったのだろう。杏ちゃんってば罪な女。

 

かしゅりという音が聞こえるとゴクリと喉越しの良い音が聞こえる。いい飲みっぷりだ。うまそうに飲みやがって。奢りがいがあるというものだ。

 

「深雪は飲まないの?」

 

私が未だココアの蓋を開けていないことに気づいたのか、杏ちゃんは疑問を問いかける。

 

「私、猫舌だから……」

「成る程ねー、でもあんまり熱くはなかったよ?」

 

それでも油断ならないのが私の舌だ。特にヤバいのはラーメンと、チンした直後の冷凍ご飯だ。好きなのに食べれない飲めないっていうのは本当につらいものだ。それに私は熱いものを飲み食いすると、何故熱いと分かってるのに食べてしまったんだと自分にイライラするタイプなのであまり人の前で晒したくはない。

 

しかしそろそろ飲み終えないと高校に辿り着いてしまう。

 

『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり』

 

実際その通りである。意を決した私はココアの蓋を開けて口を付けると、少しだけ口の中へ流し込む。

 

「……ッ!!!」

 

あっつぁ!? し、舌がひりひりする! 予想通りだったけどやっぱダメだった! 本当にこの体質どうにかならないかな。大分辛いんだよね、これ。この体質を治してくれたら2000円、あ、いや1000円までなら払ってもいいよ! 学生は常にお金が枯渇しているのだ!

 

熱いものはどう足掻こうが、ぬるくなるまで待たないと飲みきれない。しかし学校はほぼ目の前。缶を捨てるならば学校近くに見えるマンションの缶ペットボトル専用ゴミ箱に捨てるしかない。そんな私がここで取る行動は──。

 

「杏ちゃん、飲んでくれない?」

 

情けないが、杏ちゃんに頼むことだった。このまま捨てるのも忍びないしね。はあ、こんなに学校が近いとは思わなかったよ。ああイラってくるなー。未だに舌がひりひりする。今の私は涙が出る寸前のところで止めている状態だ。一応バレないように平然を装ってはいるし、そんなくだらない事で涙を流したとあれば恥ずかしいにもほどがある。

 

「ええー、ココアって飲み過ぎると喉乾くんだけど……って、わ、分かったから、そんな目で見ないでよ」

 

杏ちゃんは少しだけ困った様にそう口にした。どんな目だろうか。あ、涙目でしたね。この状態だと私が杏ちゃんに涙流しながら必死に懇願しているように見えてしまうのではないだろうか。というか杏ちゃんは既にそう感じてしまったのだろう。頼んでいる事は確かではあるが、涙目なのは不可抗力だ。私はぐしぐしと目を擦る。

 

あーあ、カイロ持ってきていればココアなんて買わずに済んだのに……。私は家を出た時から既に失敗していたのか。……よし! 切り替えていこうかね。まあ、一口だけしか飲めなくても体は温まったからよしとしておこう。

 

「ごくごく……ぷはぁ。じゃ、飲んだから捨ててくるよ」

「うん、ありがとう」

 

本当に。一気に飲ませちゃって悪いね。後で受験前にトイレに行っておくように言っておこう。

 

さて、これから二度目、いや、前世合わせて三度目の高校受験開始だ。前日もぐっすり眠ったし体調も快調だ。気合い入れて頑張ろう!

 

そんな私の気合いを伝えるべく、戻ってきた杏ちゃんに語りかける。

 

「杏ちゃん、受験頑張ろうね」

「えー、杏、別に頑張りたくはないなー」

 

杏ちゃんは肩を落としながら心底面倒くさそうにそう言った。なんだか私も面倒臭くなってきたのはきっと気のせいではない。

 

受験前に早速出鼻を挫かれた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

多分合格した。筆記の方も分からない問題は殆ど無かったし、面接も当たり障りのない事を言って質問ものらりくらりと躱していった。正に余裕のよっちゃんいかである。

 

スケジュール的には筆記の後に面接という形で、杏ちゃんの後に私の面接が行われた。杏ちゃんは先に帰ってしまったのだろうか。受験後にどうするかは話してなかったからもしかすると既に帰ってしまっているかもしれない。

 

そんな事を考えながら私は校門へと歩みを進めていくと、校門の前に小さな影が映えていた。少し目を凝らして見てみると、その正体が杏ちゃんだという事がすぐに判明した。私を待っていてくれたのだろう。優しい子だ。

 

「杏ちゃん」

「おっ、深雪。おつー、はいこれ」

 

私が声を掛けると彼女はすぐに気が付いた。すると此方の方を向かって歩き始め、その小さな手に持っていた物を私に手渡す。

 

「……ココア?」

 

それは先程私が買ったものと同じ、ココアであった。

 

杏ちゃんはココアを受け取った私が呆気にとられている様子をしたり顔で見ていた。

 

「ふふん、杏の奢りだ! 有難く受け取りたまえ!」

 

ドヤッ、という擬音を入れたくなるような見事なドヤ顔に私は思わず感嘆してしまう。

 

そこで気が付いたのだが、ココアの容器が受験前に買ったものよりもぬるかった。自惚れでなければ恐らく杏ちゃんは私の為に早めに買っておいてココアを冷ましてくれていたのだろう。

 

「……ふふっ、杏ちゃん、ありがとね」

「……お、おう」

 

ん? なんだか急にしおらしくなったな。もしかして私の笑顔に見惚れてしまったのかな? 先程杏ちゃんの事を罪な女と言ったが、私も中々捨てたものではないようだ。

 

バカなことを考えながら私はココアの蓋を開け、そっと口へ運ぶ……ぬるい。しかしこれが丁度良いのだ。私でも普通に飲めるくらいにはぬるくなっていて良かった。それに頭を使った後だから甘いものを摂取したかったというのもあり、本当にありがたい。

 

そうだ、杏ちゃんの連絡先も聞いておいた方が良いだろう。どうせこれからは嫌でも顔をあわせることになるのだし。いや、別に杏ちゃんと会うのが嫌だというわけではないが。言葉の綾である。

 

「杏ちゃん、MINE教えてよ」

「んー、杏、MINEってやったことないんだよねー。教えてよ」

 

そう言う杏ちゃんに私はMINEの起動の仕方を教える。

 

「深雪のってこれでいいの?」

「うん、それ」

「へー、私とトップ画一緒なんだ」

 

私のMINEのIDを打たせると、当たり前だが私の連絡先が出てきた。現在の私のトップ画はプラウニーという熊が映っており、これはトップ画を何も設定していない証拠であった。

 

「これはただ単に設定してないだけ。自分の写真フォルダから好きな写真を選んでトップ画に出来るんだよ」

「ふーん、面倒だから後でいいや」

 

そう言いながらも杏ちゃんはきっと後でもやらないタイプだと私は思う。

 

それは口には出さず私は自分のスマフォを取り出し、杏ちゃんに何かスタンプでも送ろうかと思っていると、受験中に輝子からMINEが来ていた。

 

 

干しきのこ【既読無視はつらいぞ……】

 

 

……ごめん。そういえば返事返して無かったね。

 

また忘れる前に言い訳をしておこう。

 

 

みゆき【ごめん忘れてた】

みゆき【でも心の中では返信したつもり】

 

 

私は何を言っているんだろう。でも嘘は言っていない。微笑ましいとは思ったし、楽しそうで何よりだとも思った。

 

 

干しきのこ【しつこくて嫌われたかと思ったじゃないか。良かった】

 

 

こんな事で嫌うわけがないだろう。私なんて気まぐれでスタンプ連打するような厄介なタイプなんだぞ。勿論相手は選んで行っているのだが。

 

さて、話を戻して、杏ちゃんに私のとっておきのスタンプを送ってやるとしようか。

 

「……あ、なんか来た。……って何これ。微妙にうざいな」

「めんトリっていうスタンプ。返信とか大体このスタンプシリーズだけで済んで楽なんだけど、相手に少しずつ不快感を与えるのが難点」

 

だが、それがいい。

 

「毒ダメみたいなスタンプか、でも楽そうだし杏も欲しいな」

「でも、お金がかかるよ」

「じゃあいいや」

 

だろうね。スタンプをお金掛けてまで買う人なんてそこまでいないだろう。

 

「ご飯でも食べに行く?」

 

受験は十三時開始で五十分間のテストに十分の休憩、それが三回。面接が一人約二十分、二人なので約四十分経過した計算になる。それらを考慮すると現在の時間は十七時過ぎ。時計を見ると大体合ってた。夕御飯を食べる時間としては早過ぎず遅過ぎずといった具合の良い時間帯である。

 

「ここら辺何か良いとこあるの?」

「高校の近くだし、何かはあると思うけど」

 

前世では部活帰りによくラーメンを食べに行っていたなぁ。安い店だったので替え玉を何回もしていたのも覚えている。まあ、例によって猫舌の私が一番食べるの遅かったのだけれど。私が一杯目食べ終わる頃には三杯目にはいっている奴もいたし、なんなんだろうね。

 

「ま、探せば何かあるよね。歩くの面倒だから半径25m以内で! 杏の体力は限界なのだ」

「あ、うどん屋さんが300m先にあるって」

「えー? じゃあ、杏お家に帰りま〜す」

 

そう言って駅の方へと向かおうとする杏ちゃんを捕まえて、私たちはうどん屋さんへ向かっていった。



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第3話 形だけはアイドルになりました

「はい、それでは。ありがとうございました千川さん」

「いえいえ! 深雪ちゃんも、これから頑張ってくださいね!」

 

千川ちひろさんはにっこりと笑顔を浮かべると私を激励する。私は再び頭を下げると扉を開けてその部屋を後にした。

 

私が今いる建物は346プロの事務所である。ここ346プロの事務所は少々、いや、かなり奇抜な形をしており、それはまるで城のような外見になっている。私も初めて来た時は呆気にとられたものだ。その時の私の案内で一緒にいた千川さんのイタズラが成功した、といったような表情が今でも脳裏に焼き付いている。可愛かった。

 

先程まで千川さんと話していたのは転入試験の結果とアイドルになる為の本契約についてだ。そもそも受からないとアイドルになるならない以前の問題だからね。あ、勿論無事に受かりました。杏ちゃんからも受かったという連絡を既に貰っている。本来ならこの場に杏ちゃんがいてもおかしく無いのだが、契約は個人情報なんかも沢山出てくるので他人がいるのはあまりよろしく無いとのこと。

 

ちなみに私が福岡で武内さんと交わしたのは仮の契約。仮の段階であればまだ取り消す事が出来るらしいのだが、本契約まで進んでしまえばもう後には引けない。といっても地方から集まった人達は仮の段階で本契約を終えたも同然であり、今回の本契約というのは本人同意の確認的な割合の方が大きいらしい。逆に比較的近場に住み、実家や現在住んでいる場所から通う人達は、本契約を済ませるまでは契約を帳消しに出来るという寸法である。つまり、契約を終えた私には大人しくアイドルとしてデビューするしか道は残されていないのだ。

 

なんだかアイドルになりたくない様な言い方になってしまったが決してそういう意味で言ったわけでは無い。寧ろ興味津々意気揚々としている。まあ、取り敢えず私が言いたかった事は、今日から晴れて歴としたアイドルになったということだけである。最も、プロジェクト自体が未だに始動していないので仕事なんて何一つとして存在しないのだが。

 

そんなこんなで本契約を終わらせた今、私は自由の身となった。言い換えればこの後何もやる事がない。レッスン的な事をやるのかと思い一応運動用の服なんかもバッグに詰め込んでいたのだが、バッグを圧迫するだけに終わってしまった。つまり正真正銘の暇人である。

 

現在の時刻は十二時半を少し過ぎた頃、丁度昼ごはんの時間帯だ。この後どうするかはまず腹ごしらえをしてから考えよう。

 

「何かあるかなーっと」

 

そう言いながら私は近くにある食べ物屋さんをアプリで探す。今の私はがっつりしたものを食べたい気分なので、そんな感じで探してみる。

 

おっ、結構良さげなお店発見! 行ってみようかな!

 

暫く歩くと目当ての店を発見した。店に入ると、扉を開けた拍子に鈴がカランコロンと可愛らしい音を奏でた。

 

「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」

「一人で」

「畏まりました、それでは二人席へ案内します」

 

案内された席へと移動する。場所は出口から二番目に近い二人用のテーブル席だった。私は壁側のソファ型の椅子へと座り、店員が持ってきた水をゴクリと一気に飲みきる。よく冷えているので非常に美味しく感じる。

 

「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」

 

そう言って店員は奥の方へと戻って行った。

 

私が選んだ店はハンバーグが美味しいと評判の人気の定食屋さんだった。入ってみたらよく分かるが他のお客さんもハンバーグステーキ定食を食べている人たちが多い。この店の人気の秘密はハンバーグが美味しいのはもちろん、ご飯、A定食についてくる野菜スープ、B定食についてくる味噌汁、そのどれもがお代わり自由な点だ。確かに魅力的である。特に食い盛りの十代二十代の男性からすれば嬉しいの一言に尽きるだろう。私も成長期でご飯が尚更美味しく感じる時期なので正直とても嬉しい。

 

メニュー表を開いてみると、偏にハンバーグ類はハンバーグステーキ定食のみというわけではないらしい。定番のデミグラスソースやミートソース、チーズハンバーグもあれば和風ハンバーグもあり種類も豊富だ。自慢のハンバーグらしく其処彼処(そこかしこ)から良い匂いがこちらまで漂ってくる。私の心は完全にハンバーグに奪われてしまった。

 

……うむ、決めた。私はチーズハンバーグのA定食にしよう。チーズハンバーグ大好きな私としては選ばざるを得ない。育ち盛りなのでご飯は大盛りだ!

 

「一名様でしょうか?」

「はい」

 

食べたい物を決定したので店員を呼ぶベルを押そうとすると、一人の客が入店してきた。しかし残念。二人席は全て使われているし、ファミリー席にも待っている客が多い。少し待たされるハメになるだろう。

 

「申し訳ありません。只今混み合っておりまして十分程お時間を頂戴しますが、よろしいでしょうか?」

「……分かりました」

 

こっそり聞いてみるとやはりそうだった。今現在の時刻は約十三時。この時間帯に来るという事は恐らくだが相当仕事に追われていたか、サボりすぎて予想以上に仕事が長引いたかのどちらかだろう。ただ疲れた顔の様子としっかり着こなしているスーツ姿を見る限り前者だろうと思われる。勿論これは私の勝手な予想なので本当かどうかは定かではない。

 

そんな事を思っていると、ふと、その人がどこか見覚えのあるような気がした。よく確認してみると、キッチリとしたスーツ姿に無愛想な顔に三白眼。そして響き渡るどっしりとした素晴らしい低音ボイス……って武内さんやないか!

 

「武内さーん」

「……小暮さん」

 

私が呼ぶと、少し驚いたように私の名前を口にする。その後私は手前の席をチョンチョンと指差し、その意図に気付いたであろう武内さんは首に手を当てながら申し訳なさそうに此方へ近付き私の正面の席へと着座した。

 

「すみません、水をもう一杯お願いします」

 

私は武内さんの分の水を用意するように店員に頼む。武内さんは更に申し訳なさそうに眉を八の字にする。

 

「申し訳ありません、助かりました」

「それは言わない約束ですよ」

「……はぁ」

 

しまった。私としたことが、気落ちしている武内さんの気を紛らわすつもりだったのに困惑させてしまった。

 

気を取り直して私が武内さんにメニュー表を渡そうとすると必要ありません、と断られてしまった。一体何故と問おうとすると、その前に武内さんはこう答えた。

 

「来る時には既に決めてありました」

「……貴方、常連ですね?」

「……確かに、ここは良く通っていますね。事務所から近いですし、値段も手頃なので」

「そしてご飯お代わり自由……ですね?」

「ええ」

 

武内さんは心なし力強く頷いた。やはり武内さんぐらいの年代だとご飯お代わり自由は甘美なる響きに等しいのだろう。気持ちは良く分かる。

 

頼むものは決まっているということなので私は早速ベルを鳴らした。店員の返事が聞こえ、少し待つと伝票を持ってテーブルの前に現れた。

 

「私はチーズハンバーグA定食ご飯大盛りで、そして……」

 

私はちらりと武内さんへ視線を寄越す。

 

「……私はミートソースandデミグラスソースのダブルハンバーグB定食、ご飯大盛りで」

「はい、畏まりました。しばらくお待ちください」

 

そうして再び店員は奥の方へと戻って行った。

 

「武内さんは味噌汁なんですね」

「……そう、ですね。考えてみればA定食を選んだ事はないかもしれません」

「味噌汁、美味しいんですか?」

「ええ。ここは曜日によって味噌汁の具が変わるので、いつも食感や味の変化に楽しませてもらっています」

「ほう」

 

確かに壁にそういうことが書かれた紙が貼ってある。ちなみに今日は大根オンリーの日だそうだ。味噌汁も好きではあるが、私は味噌汁より野菜スープ、野菜スープよりコーンポタージュ派だな。これを最後まで続けていくと最終的に豚汁に落ち着く。

 

「……小暮さんは、この店は初めてでしょうか?」

「はい、じ○らんで見つけて初めて来ました」

「じゃ○ん……ですか」

 

武内さんは困ったように手を首に置く。この反応は恐らく○ゃらんが何なのか理解出来ていないのかもしれない。

 

「簡単に言えば美味しい店を教えてくれるものです」

「成る程……勉強になります」

 

なんのだろうか、まあいい。きっと武内さんも闇雲に店を探すよりある程度の情報があったほうが嬉しいのだろう。

 

「武内さんはどのくらいここに通われてるのでしょうか?」

「……私が入社してから通い始めたので、約二年間程だと思います」

「ハンバーグがお好きで?」

「……ええ、食には関心があります」

 

やはり子供っぽいでしょうか、と少し恥ずかしそうに言う武内さん。いやいや、そんなことはないよ? ハンバーグ好きな大人なんてこの世に星の数程いるのだ。何ら恥じることは無い。それにそんなこと言われたら私もう二度とシュークリーム食べれないよ。中身はいい年したおっさんなんだし。

 

「そんなことありませんよ。ハンバーグ美味しいじゃないですか。私も大好きです」

 

私は武内さんを見ながら真剣に言う。

 

好きだけど知られると恥ずかしいからやめる。私にはその考え方は受け入れられない。好きなものは好き。これの一体何がダメというのか。言い方に少々語弊があるが、私はヘヴィメタやロックンロールだって大好きだし、他にも他人にはあまり理解が及ばない趣味だって多々ある。

 

「……ありがとうございます。とても、為になりました」

「そうですか、なら良かったです」

「──お待たせいたしました」

 

テーブルに店員が持ってきたハンバーグステーキ定食が置かれる。ごゆっくりどうぞ、と一礼をするとそのまま去って行った。

 

さて、ようやく真打の登場だ。キラキラ光沢を放つ白米に、ジュージューと熱い鉄板で焼かれるハンバーグ。出来たてほやほやの香りで更に食欲をそそられる。

 

「それでは」

「ええ」

「「いただきます」」

 

そして私と武内さんは思い思いにハンバーグ定食を食べ始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

「うう、ひははいはひ(舌が痛い)……」

「あらあら。はい、冷たいお水ですよ!」

「ありあと、ららひゃん(菜々ちゃん)

「いえいえ〜! ゆっくりしてくださいね!」

 

私は顔をテーブルに伏す。何故私がこんなに舌ったらずになっているのかというと、単純に舌を火傷したからだ。原因はあのハンバーグの野郎だ。あいつはアッツアッツだったよ。熱過ぎて数分間口を動かさなかったくらいだ。私が猫舌だったという事をすっかり忘れていた。これぞ深雪うっかり。今は口に入れた時すぐに水を飲まなかったことを後悔している。いや、ハンバーグはとても美味しかったよ? 最高だった。めちゃくちゃ熱いという点を除けば。ハンバーグが熱々の状態で出てくるのは当たり前なのだが、謎のモヤモヤが収まらない。結局既に食べ終えていた武内さんを十分以上も待たせてしまったし……。サラリと奢ってくれたのもあり、なんだか少し申し訳ない。

 

私は現在346カフェというところに来ていた。先ほど私が口にした菜々ちゃん──安部菜々ちゃんが働いているカフェだ。346と名の付くように、346プロの敷地内に存在しているカフェである。346プロはカフェの他にも別館にエステルームや浴場、サウナも完備されてあり、中庭だったり噴水広場も存在している。流石天下の346プロと言ったところだろう。福利厚生もしっかりしている。

 

前々から346カフェの存在は知っていたんだけど、来るのは初めて。カフェだからご飯の類は置いていないと思い込んで今まで来る気が起きなかったのだ。今日は偶々気紛れで入ったんだけど、メニューを見てみると朝食昼食夕食それぞれのセットが置いてあったらしい。騙された。ランチも昼はサンドウィッチとかのパン系が売られているらしいから火傷する心配もなかっただろう。それなら初めからここに来ればよかったのかもしれないが、奢ってくれた武内さんに失礼になるのでそんな事は言わない。

 

「……はあ、ようやく治まってきた」

「あはは……あ、そういえば深雪ちゃんって福岡出身でしたよね? 東京には慣れてきましたか?」

「慣れる気がしないよ……」

「そ、そうですか……。それはまたどうして?」

「私、結構インドア派だからね」

「ああ、確かにここら辺は特に人が多いですからね〜。近頃菜々も外歩く時は最近の若い子のファッションセンスに気圧されちゃって……」

「最近の若い子?」

 

その言い方だと菜々ちゃんが若くないように聞こえる。無論、決してそういう訳ではない。菜々ちゃんは十七歳だ。自己紹介された時に丁寧に年まで教えてくれて、尚且つ先輩アイドルという壁を自ら取っ払ってくれたとても優しい人だ。お陰で私は気負うことなく菜々ちゃんと話すことが出来ている。菜々ちゃんの自己紹介は自身の情報が的確に、簡潔に説明されており、菜々ちゃんがどういったアイドルを目指しているのか、はっきりと伝わってきた。よく考えられた素晴らしい自己紹介であった。こういう一生懸命な子を見ていると応援したくなるのは人のサガというものだろう。

 

「ああーっ!? いや、ちっ、違うんですよ!? 菜々も現役JKですからね! 言葉の綾って奴ですよ! はい!」

「うん、分かってる。菜々ちゃんは十七歳だよね」

「うっ……なんだか罪悪感が……」

 

そう言って菜々ちゃんは胸を抑えるようにうずくまる。もしかして体調を崩してしまったのだろうか。

 

「菜々ちゃん、大丈夫?」

「あっ、だ、大丈夫ですよ! ウサミンパワー満タン☆ これで元気一杯です!」

 

菜々ちゃんは私を心配させない為なのか得意のウサミンを繰り出し、ピースした手を目元へとやりキャピーン☆ と態々口にした。なんだか見ていて癒される……というか温かい気持ちになるのは私だけだろうか。

 

「それは良かった……あ、MINE」

 

私の携帯からMINEの通知を知らせる音が聞こえる。差出人は輝子、内容は……

 

「『ちょっと大事な話があるから出来れば寮に戻ってきてほしい』……か」

 

これは戻った方がいいのか。MINEでは駄目なのかと思わなくもないが、態々そう言うからには恐らく重要な事なのかもしれない。もう少し菜々ちゃんと話したかったのだが、仕方があるまい。また今度話そう。

 

私は菜々ちゃんにお勘定を頼もうとするが、何も頼んでいない事に気が付いた。流石に何も頼まずに出て行くのはどうかと思った私はコーヒーレギュラーのブラックを頼む事にした。

 

「菜々ちゃん、中くらいのブラックのホット……いや、アイスを持ち帰りで」

「はい、かしこまりました!」

 

菜々ちゃんは笑顔でそう言うと三十秒くらいで用意してくれた。アイスにした理由は分かると思うけど火傷をしたくないから。

 

「120円になります」

「はい……ごめんね? 今度来た時はちゃんとしたの頼むから」

「気にしなくていいですよ〜! それでは、またのご来店お待ちしております☆」

「またね」

 

そして私はカフェを出ると、そのまま徒歩で寮へと向かって行った。

 

果たして輝子の大事な話とは一体何のことだろうか。そう考えながらちょこちょことコーヒーを飲み、私は一人帰途についた。

 

 

 

 

 

 



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第4話 仕事というのは突然入ってくるもの

 

 

 

菜々ちゃんの店で買ったコーヒーを飲み終えると、丁度寮の私の部屋に着いた。空になったカップをゴミ箱へ捨て、ついでに持っていた荷物を椅子へポイッと投げ捨てる。

 

そして外用の服をスルスルと脱いで家用のラフな格好へと変身してそのまま私はベッドに横になり目を瞑った。

 

「夕飯まで寝てよう」

 

寮の夕飯は六時半から始まる。朝食、夕飯の申請は一階の食堂の入り口付近に置いてある表へその意を書かなければならない。書き忘れた日は朝食夕飯無しだ。この前杏ちゃんとうどん屋に行った時は最初から外で食べてくる予定だったので丁度申請していなかった。もし申請していれば、寮に連絡を取れば夕飯はキャンセル扱いになり、幾分かのお金が返ってくる。当たり前だが朝食も夕飯もタダではない。ましてや仕送りで生きている私はこういう事には殊更気をつけなければならないのだ。

 

今日は結構歩いたので少々疲れていた。特に契約云々の難しい話も聞いて頭も疲れていたので余計眠気が襲ってくる。うつらうつらとしてきた頭の中に、ふと一つの情報が入り込む。

 

(あれ、そういえば何が理由で帰ってきたんだっけ……ッ!?)

 

──瞬間眠気は尻尾を巻いて逃げ去り、ぼやけていた私の頭も活性化を始める。ガバリと勢い良く起き上がるとドクンドクンと激しい鼓動を響かせる心臓を押さえ込みながら私は寮に帰ってきた目的を口に出す。

 

「……しょ、輝子に会うんだった」

 

あ、あぶなー。私が気付いたのは夢の中へ行くギリギリの手前であった。このまま寝ていたとしたら輝子に申し訳が立たない。本当に気づいてよかった。私ってば本当にお茶目さん☆ ……取り敢えず輝子の部屋に行こう。もしかしたらずっと待っているのかもしれない。

 

鍵を閉めた事をしっかり確認した後に無くさないようにポケットの中へ入れる。そして隣の輝子の部屋へと赴き、チャイムを鳴らした。

 

「輝k──」

『み、深雪さんだな……? 鍵は開いてるから勝手に入ってくれ』

 

間髪入れずに返事が返ってきたので思わずビックリしてしまった。

 

「う、うん……」

 

未だに動揺していた私は少し口籠りながらも返事を返し、輝子の部屋の扉を開ける。ドアノブを回すとガチャリという音が聞こえ、ギギィという音と共に扉を開いていく。輝子が言っていたように、鍵は開いていた。しかし、開いても部屋の光は見えてこず、暗い空間が続いている。

 

「お邪魔しまーす……」

 

恐る恐る足を踏み入れ、玄関の明かりのスイッチを探す。部屋の作りは恐らく私の部屋と同じだと思うのでその辺りを確認すると、案の定スイッチが存在していた。明るくなった事を確認すると、私は靴を脱ぎ奥の部屋へと足を運ぶ。

 

扉の近くにあるスイッチを押して玄関の明かりを消した後、ガチャリと扉を開けると其処には再び暗い空間が広がっていた。

 

「……輝子?」

 

一体何故暗くしているのかとは思いながらも私は輝子の名前を呼ぶ。その瞬間、何ともおぞましいイントロが流れ始め、無風である筈のこの部屋から風がなびくような音も聞こえる。何も見えないという恐怖と相まって、そのイントロは更に得体の知れないものに思えた。

 

……嘘です。というかこの曲を私は知ってる。恐らく伝説とも言われている、かのバンドで最も高い知名度を誇るあの曲だろうと思われる。何を隠そうこの曲の名はハードメタルバンド “デーモン一族” の『蝋人形の館』である。この曲は1986年に小教典(シングル)として発売されたものであり、『お前も蝋人形にしてやろうか!』という台詞はあまりにも有名である。

 

私はその曲の台詞を口にするべく、口を開け空気を吸い込む。

 

──輝子よ……これを、期待していたんだろ? だったらその期待に……全力で答えてやるぜ!!

 

「「悪魔の森の奥深く……あっ」」

 

被った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

「な、なあ、深雪さんって音感はある方か?」

 

突然輝子が疑問を投げかけてくる。私はどうしたのかとは聞かずに取り敢えず返事を返す。

 

「……それなりにはあると思うけど……」

「じゃ、じゃあ、この音の三度上の音をとってくれ」

 

輝子はジャーンとギターを弾き、D(デー)の音(レ)を出す。その音を聞いて私はその三度上のF(エフ)の音(ファ)の音を口遊む。それによってギターと私の鼻歌によってハモりが生まれ、心地良いハーモニーが奏でられる。

 

「次は五度下を」

 

再び輝子はギターを弾き、A(アー)の音(ラ)を出す。その音を聞いて私はその五度下のD(デー)の音(レ)を音を口遊む。ううむ、やはりいいハモりだ。そう言えばこのDの音といえば、かの組曲の始まりの音だ。それを理解した私は思わず続きを奏でてしまった。

 

「〜〜♩〜〜♬」

「さ、流石……正確に五度下を取った上に序章にまで繋げるとは……」

 

それほどでもある。

 

ちなみに今私たちが話している組曲だの序章だのというのはどちらとも【悪魔組曲作品666番ニ短調】という曲名のことだ。この曲は “デーモン一族” の大教典(アルバム)かつ地球デビュー盤、『デーモン一族〜悪魔来たりてヘヴィメタる』に収録されているもので1985年に発布された。売上枚数はデビュー盤にして日本のヘヴィメタル史上初めて十万枚を超えている。最初に発布されたのはCDではなくレコードであり、彼らの歴史の深さが垣間見える。

 

【悪魔組曲】はその名から分かる通り、様々な曲が含まれている。

 

【序章】 悪魔の叫び

【第一楽章】 STORMY NIGHT

【第二楽章】 悪魔の穴

【第三楽章】 KILL THE KING GHIDRAH

【第四楽章】 DEAD SYMPHONY

【終曲】 BATTLER

 

合計で約13分以上もあり、内容は正に悪魔の名にふさわしい出来上がりとなっている。あまり深く掘り下げるつもりは無いが、ノリが良く、私の昔からのお気に入りだ。特に第四楽章への移り変わりは鳥肌モノである。組曲にするという発想には脱帽せざるを得ないだろう。

 

「悪魔組曲!」

「い、いや、そこまではいいぞ……」

 

序章の台詞を言おうとすると、輝子が抑えるように言う。

 

「ここからが盛り上がるのに……」

「何処からでも盛り上がれる、だろ。……あ、ま、まずい! い、今のを聞いたらのの脳内再生されて、き、気分が……気分が、高揚してきたぜェェェ!!! ヒャッハァァァアアアアアアアアアア!!!!!」

「!?」

 

突然、輝子の目からハイライトが消失した。一瞬びっくりしたけど……これで謎が解けた。輝子のCDを聞いた時、その凄まじいシャウトに私は本当に輝子が歌っているのかと勘繰ってしまったことがあるのだ。因みについ昨日のことである。思わずCDの表紙を見直してしまうくらいには驚いた。

 

『メタルを聞くとテンションが上がってしまう病』には私も患ってはいるが、ここまでの重病人は初めて見た。こいつは近年稀に見るメタラーだ。こりゃあ、私も負けてられないぜ……!

 

「悪魔組曲! 作品666番……ニ短調」

 

私と輝子はギターを手に取り、思い思いにヘヴィメタった。尚、音漏れしていたらしく、この後隣人にしこたま怒られる事をこの時の私たちはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

「フヒヒ、し、仕切り直して、実は今度結構大きなライブがあって私も出る事になってるんだ」

 

約十分程怒られた私たちはしっかりと反省し、スパッと切り替えTAKE3。ようやく話を進める事が出来た。

 

「本当はハモりを頼みたかったんだが、深雪さんの腕を見込んでベースを頼みたい」

 

どうかな、といった風に輝子は上目遣いで此方をチラチラと見る。少しおどおどしているのが尚更私の保護欲を掻き立たせる。

 

「うぁ……ま、前もそうだったが、な、なんで撫でるんだ……?」

 

気付けば私の手は輝子のサラサラな髪の毛へと伸びていた。アホ毛を撫でつけてみるが、やはりピョコンと跳ねてしまう。

 

ベッドで隣に座っている輝子をおもむろに膝の間に座らせる。その後私は片方の手を輝子の細い腰に腕を絡ませ、もう片方で再び頭を撫でる。私の身長は165程あるので、142cmしかない輝子の頭を撫でる事くらいは造作もないことであった。

 

「……お、おい……深雪さん……?」

 

輝子は疑問を投げかけてくるが私は意に返さずそのまま撫で続ける。

 

しかし、私がライブのステージに立つなんて全く想像出来ない。そしてあまり自信もない。私のギターの技量は精々趣味レベルだ。先程の組曲でも輝子との技量の差は先程のミニライブで顕著に表れていた。特に最近練習していなかった分尚更だ。

 

「私、あんまり自信ないよ?」

「……深雪さんレベルだったら、練習次第でどうにかなるさ、ふひひ」

 

そ、そうかな? いやぁ、実は私もそう思っていたところなのだよ。

 

冗談はさて置き、正直非常に悩みどころだ。誘い自体はとても嬉しい。だが、このライブに参加するという事は私のこれからのアイドルとしての構想(・・)と反する事になってしまう。これは非常に重要な事態だ。しかし、だからと言って輝子の誘いを無碍にも出来ない。というか勝手に話を進めてはいるが多分その件については私の一存だけでは決めれないと思う。

 

そう考えた私が輝子に考える時間を要求しようとすると、携帯から電話の通知がくる。相手は武内さんからであった。

 

「ちょっと待ってて……。はい、小暮です。お疲れ様です」

 

私は輝子に声をかけ、その場を離れる。

 

『小暮さん、お疲れ様です。武内です。今、お時間よろしいでしょうか?』

「はい、大丈夫ですよ」

『ありがとうございます。では、早速ですが小暮さん。同じ事務所のアイドルからではありますが、貴女に仕事の依頼がありました』

「……それって星さんの件でしょうか?」

『……既に本人から聞いていましたか。その通りです。その件についてこれからお話しさせていただきます。それでは──』

 

それから私は輝子から聞いていない今度のライブについての詳しい説明を受けた。私の役割がどういったものなのかを知った上で私に決めて貰いたいという訳らしい。ちなみに武内さんは私がどういう風に売り出していきたいかというのは既にご存知だ。

 

少々語弊があれど、私はメタル、ロック好きである。しかしだからと言って決して他のジャンルが嫌いという訳ではない。バラードなんかも同じくらい好きだ。メタルはテンションが上がるからよく聞いているが、気が向いた時にはよくバラード系を聞いている。

 

私の今後のアイドル構想は、激しい系は表に出さず、まずはバラードや他のジャンルで勝負していきたいと考えている。流石にメタルとバラード二つを歌っていくのというのは二つのギャップが激しすぎるし、最初からそんな感じだとこれからファンになってくれるかもしれない観衆達が私のアイドル像を掴みにくくなる。それにイメージの仕方の違いもあるかもしれないが、ロックやメタルのガンガン行こうぜ系って私の外見とは全く噛み合ってないし、自分でも思わず失笑してしまうくらい似合わない。私って擬音で表すと「ファサァッ」「スッ」「フッ」って感じだからね。(自分でも何言ってるか分からない)

 

取り敢えず、そういう事でメタル系は一先ず封印しておこうとした矢先にこんな仕事が迷い込んでしまい、少し戸惑っている。けれど武内さんは

 

『プロジェクト自体は、未だ始動していません。しかし、貴女が誘いを受けたライブは非常に規模が大きく、貴重な経験となるでしょう。貴女のアイドル構想は理解しているつもりではありますが、星さんとのライブは小暮さんにとって、確実に大きな一歩となります』

 

月並みな言葉ではあるがその言葉で私はライブに出る事を決意した。しかしだからといって先程の構想をあまり崩したくはない。なので武内さんと考えた結果、ライブでは名前を明かさず、声を出さず、顔をメイクで隠しながら演奏する、という事で決定した。

 

「ありがとうございました。それでは、失礼します」

『……いえ、これから大変だとは思いますが、プロデューサーとして、しっかりサポートさせてもらいますので、頑張ってください』

「はい。……待たせてごめん、輝子」

 

武内さんとの通話を終えると私は輝子の元へと戻る。すると其処には輝子と同じくらいの背丈で、補って余りある程の袖の長さを誇る服を着ている金髪の少女が増えていた。輝子ちゃんの楽しそうな様子からきっと仲の良いアイドルなのだろう。

 

「……あ、深雪さん。電話、終わったんだね」

「うん。それでその子は?」

 

そう私が問うと、その子は少し慌てたようにあわあわしながらこちらを向き、言葉を紡いでいく。この子も輝子と同じで人と話すことはあまり得意な方ではないようだ。

 

「あの、わ、私は輝子ちゃんの、お友達の……白坂……小梅……です」

 

白坂小梅ちゃんを私は知っている。以前輝子からのMINEで書かれていた名前だ。寮にいるならばアイドルだろうということで少し調べてみると曲の欄でお試し曲というものを発見した。気になったものを聞いてみるとどれも儚げな声でホラーな曲を歌っているというなんともギャップを感じさせる曲ばかりであった。しかし何処か癖になる曲で私はついそのアルバムをダウンロードした記臆がある。

 

私の見た目が近づけ難いオーラを発している事くらいとっくの昔に理解している。一人の時は無表情に近いし、意図して出している時もあるのだが、それは置いておく。ここで私がそれを意図させるような事を言ってしまえば、この子と仲良くなる機会は失われてしまうかもしれない。それにこの子に怖がられると、なんだか罪悪感が生まれそうだから私としてもそれは避けたい。なんだか無性に構いたくなってしまう子だ。

 

私はなるべく威圧感を与えないような言葉を選りすぐりながら話し始める。まずは相手を褒めてみよう。褒められて嫌な人なんていないだろう。

 

「貴女が白坂さん? 私は小暮深雪です。新作の『Bloody Festa』格好良かったよ」

「あ、ありがとうございます……えへへ」

 

恥ずかしそうにそのダボダボな袖で赤くなった顔を隠す。しかし完全には隠し切れておらず、チラチラとその隙間から私を一瞥する視線を感じる。すごく可愛らしい。どうやら私の試みは成功したようだ。

 

「こ、小梅ちゃんはホラー映画が大好きなんだ」

「み、深雪さんも、今度一緒に……見よ?」

「何時でも誘って」

 

あまりホラー映画は得意でないにも関わらず思わず即答してしまう私。

 

可愛らしく小首を傾げながら言う小梅ちゃんマジで天使であった。いや、小梅ちゃんの趣味から考えると小悪魔の方が相応しいのか。どっちだろうか。

 

「と、ところで深雪さん……ギターの件はどうする?」

 

輝子が少し遠慮がちに聞いてくる。そんな輝子を安心させるように私は事の顛末を伝えた。

 

「うん、さっきの電話でプロデューサーと話したんだけど、声と名前と顔を隠す事を許可してくれるならギターやっていいよ」

「ほ、本当か……! し、親友に聞いてみる!」

「輝子ちゃん嬉しそうだね……♪」

 

小梅ちゃんがその様子を見て嬉しそうに呟く。私は二人が嬉しそうにしている様子が嬉しい。これが幸せ空間というものなのだろうか。ところで何故そこでプロデューサーではなく親友が出てくるのだろうか。

 

「親友が、それでも大丈夫だって……!」

「そう、これから頑張るね」

 

輝子は少し興奮した様子で嬉しそうに言う。なんとなく子犬っぽかったのでわしゃわしゃと撫でてみる。あまり気にしていない様だ。

 

それにしても私のギターの腕、だいぶ鈍っているからね。相当気合を入れて叩き直さないといけないだろう。というか親友というのはプロデューサーの事だったのか。輝子に親友と言わせるプロデューサーってどんな人なのだろう。

 

「ところで小梅ちゃん……白坂さんはどうして輝子ちゃんの部屋に?」

「こ、小梅で……いいよ?」

「ありがとう。じゃあ、小梅ちゃんはどうして輝子ちゃんの部屋に?」

「……え、っとね、輝子ちゃんをおゆはんの誘いに、来たんだぁ。えへへ」

 

そうして再び小梅たんは嬉しそうに花が咲いたような笑顔を浮かべる。

 

あざとい……あざとすぎるぞこの娘。しかし可愛い。まさかこの私を数分足らずで攻略してしまうとは……。凄まじい程の攻城レベルだ。私の籠城レベルも中々のものだと自負していたのだが……恐ろしすぎる。

 

「私も一緒にいい?」

「うん、いいよぉ♪」

「フヒヒ、じゃあ行こう、か」

 

輝子がそういうと小梅ちゃんはギュッと私の左手を掴みながらにっこりと笑う。布越しからでも分かる彼女の手の暖かさが、私の手に染みる。

 

うわー! うわー! 私この子のお姉ちゃんになりたくなってきた! でも、なんで初対面でこんなに好意的なんだろう……?

 

内心悶えているのを隠しながら、私は小梅ちゃんに聞いてみた。

 

「ねぇ、どうしてこんなに好意的なの?」

 

すると小梅ちゃんの可愛らしい口から、なんとも意味深な言葉が出てきた。

 

「えっとね、『あの子』が……深雪さんは良い人だから大丈夫……って」

「……『あの子』って?」

「……えへへ、私の友達」

 

彼女の言う『あの子』が輝子の事だと思った私は、これ以上追及はしなかった。ただ、気のせいだろうか。小梅ちゃんが『私の友達』と言った瞬間、身体の中を何かが通り抜けた(・・・・・)ような錯覚を覚えたのは。

 

「あっ、今通り抜けた子(・・・・・・)は悪い事はしない子だから大丈夫だよ」

 

小梅ちゃんは邪気のない顔で悪びれもなく言う。彼女には今私の中を通り抜けた物が見えるのか。そうかそうか、なら『あの子』というのは、恐らく輝子ではなく幽霊なのだろう。それに対して小梅ちゃんはなんとも思っていない様子だ。……嘘でしょ? 幽霊って実在したの? 後になって輝子にも聞いてみたが、決して嘘ではないらしい。小梅ちゃんは、マジに幽霊というものが見えるらしいのだ。

 

私は顔を青くしながら人知れず戦慄した。

 



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第5話 スタジオでの密会

「転校生って疲れる」

 

転校生はよく質問攻めに合うとか言われているのは本当だった……。しかも転校初日だから尚更。何処から来ただの髪は染めてるのかだのカラコンなのかだの何処の美容院に行ってるのかだの。先制で生まれと容姿について公言しておけば良かったと今更ながら後悔している。福岡生まれでこの容姿は天然です!

 

他にも放課後に配られた引越しとかで遅れていた分の授業のプリントも寮でやらなければならない。面倒臭い事この上なかった。せめてもの救いが前の学校より授業が遅れていた事だ。それでも面倒な物は面倒なのだが。

 

「……スタジオ行こ」

 

本当ならば授業のプリントなんて破り捨ててそのままゴロゴロしたいところではあるが、今日の私はそうは言ってられない。先日、輝子から仕事を請け負い、クリスマス付近に行われる346プロ主催のウィンターライブでエキストラとして出る事となったのだ。私の役目は私と輝子を合わせ、合計四人のグループによるロックでメタルな曲を披露する事だ。どんな曲かは明日教えてくれるらしい。その前に今日は四人の顔合わせを終わらせて、ついでにセッションしようぜとのことだ。

 

待ち合わせのスタジオに着くと、私はカウンターで部屋を借りている人の名前を確認する。まだ誰も来たという連絡は貰っていないため、恐らく私が最初に来たのだろうが念の為だ。改めて確認すると案の定聞いた名前が一つも存在していなかったので、私は取り敢えず三時間で部屋を借りる。

 

折角だから少し練習しておこうと考えた私は寮から持ってきたマイギターを置いて携帯を取り出すと、お気に入りの音楽が入っているアプリを開く。

 

「曲は……『get up』でいいか」

 

まだライブで演奏する譜面は所持していない為、調子を上げる為に好きな曲を演奏する事にした。『get up』という曲はYAZAWAというミュージシャンが歌っている曲であり、同時に作曲も手掛けている。またYAZAWAはこの曲に限らずほぼ全曲にわたる作曲、及び数曲における作詞を手掛けている。

 

YAZAWAのイメージをたった一言で表すならば【ロック】、この一言しか存在しない。私の中でYAZAWAは【ロック】の象徴であり、【ロック】のカリスマと言うべき人物である。

 

1972年から今日(こんにち)にかけてソロミュージシャンとして活動しており、同時に多くのアルバムをセルフ・プロデュースし、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切っているのだ。それはYAZAWAがミュージシャンとしてだけでなく、その方面に向けての高い腕前を所持している事に他ならない。

 

厳密に言うならばミュージシャンとして歩み始めたのは1972年ではなく1968年からであり、彼は1968年の高校卒業と同時に故郷の広島から最終の夜行列車で上京している。その際の荷物がトランクとギターとアルバイトで貯めた僅か五万円という凄まじくロックなチャレンジを当時の彼は試みていた。

 

しかし本来東京駅へ向かうはずだった彼だが、途中の横浜駅で降りる事となった。何故ならば横浜駅は港町であり、己が『ロックスター』を目指すキッカケとなった『ザ・スタッグズ』の出身であるリヴァプールも同じく港町であったからだ。憧れの人物と同じ事をしたいという気持ちは私も分からないでもない。その後、チャイナタウンなどで働きながら“ミュージシャン”YAZAWAの活動が始動された。

 

……また、横浜駅で降りた他の理由で長時間の移動で尻が痛くなったという話もあるんだけど、それは置いといて……。

 

1960年代から活動してきたロック・アーティストで、今日まで第一線で活躍してきたアーティストはYAZAWA以外誰一人として存在しない。そして、YAZAWAの偉大さはその奇想天外な人生に負けず挫けず「成りあがった」ことより、その後もずっとビッグであり続けていることにある。前世も合わせると私と彼の付き合いはかれこれ三十年以上にも及ぶだろう。

 

前世でもYAZAWAが存在し、今世でも同じ曲もリリースされている事実から、前世と今世では本当に同じ世界と言ってもいいくらい似ているのだ。ただ、アイドルになって少しずつ芸能界に関心を持ち始めた私が最近気付いたこと、それはやたらとアイドルの人気が凄まじいという事だ。時代を築いているといってもいいレベルである。前世でも四十八人もいる大型アイドルグループがいくつも存在していたが、それとは全く比にならないくらいの絶大な人気だ。

 

勿論それはちゃんとした理由が裏付けされており、そのアイドル時代の幕を切った人物がいる。

 

 

──日高舞

 

 

史上最強、伝説の元スーパーアイドル。過去に存在していたというアイドル・アルティメイトというアイドルNo.1をズバリ決める大会の優勝者でもある。今をときめく765プロのメンバー達でさえ現役の彼女には勝てなかったという。十三歳でデビューした彼女の活動期間はわずか三年程だったらしいが、ファーストCDから五連続ミリオンを飛ばしたことを始め数え切れないヒット曲を残している。その中でも、『ALIVE』という曲はアイドル史上最大のヒット曲。今でも様々な著名人がカバーしており、今でも他のアイドルの追随を許さない。アイドルに微塵も興味を持っていなかった当時の私でさえ『ALIVE』という曲は一番まで歌えた。

 

また、アイドル史だけでなく日本史にも残る正真正銘のスーパースターであり、中学の歴史の教科書には『手塚治』について書かれているページの、その次のページに彼女について記載されている。

 

『get up』を演奏したかっただけなのについぐだぐだと二人の人物を語ってしまったが、要するに私が言いたかった事はえいきっちゃん最高だという事とアイドル頑張ろうって事だけだ。いい加減考えが横道に逸れてしまう癖は直した方がいい気がする。

 

私は自前のエレキギターをアンプへと配線し、スタジオのスピーカーに私の携帯を繋げるとベース演奏のみの音源を流す。そしてタイミングを見計らいながら私はおもむろに演奏を開始した。

 

「……鉛のように──」

 

昔から練習していた曲だからか、考えながら演奏しているというより身体にそのコード自体が染み付いているような感覚を覚える。最終的にはある程度の満足感を得ながら演奏することが出来ていた。

 

「へぇ、良い音出してんじゃんか」

 

もう一曲くらい演奏しようと携帯を手に取ろうとすると、私以外にいなかった筈のこの部屋に一人の乱入者が現れた。どうやら演奏に夢中で人が入ってきたことに気付かなかったようだ。

 

そんな彼女は私が何を考えているのか分かったようで断りを入れ始めた。

 

「ああ、邪魔しちゃ悪いと思ってな。静かにしてたんだよ」

「……貴女は?」

「木村夏樹だ。夏樹って呼んでくれ、深雪」

 

私の彼女への第一印象は馴れ馴れしい……というより人当たりの良い姉御肌のようなイメージが湧き上がってきた。女性ではあまり見かけないリーゼントが特徴的だが、違和感は感じず、寧ろぴったり私の中の彼女のイメージ像と同期していた。

 

彼女──木村夏樹の事は輝子からある程度の情報を得ていた。そして今度のクリスマス付近に開催されるウィンターライブで、私とグループを組むメンバーの内の一人である。ギターandボーカル担当だ。ちなみに輝子も夏樹と同じくギターandボーカルだ。

 

「……よろしく、夏樹」

「おう、これからよろしくな! ところで、さっきの曲について教えてくれよ! スゲェロックな曲だったな!」

 

好きな曲が褒められて嬉しくない人はいないだろう。私は少し上機嫌になりながら曲について話す。これを機に彼女も私と同じ趣味に引きずり込むようにしてみよう。

 

「YAZAWAの曲だからね。『get up』っていう曲でもう25年くらい前の曲かな」

「YAZAWAか……アタシはQUEEENとかBOM・JOVIとかばっかりだから、邦楽は新鮮だぜ」

「それは勿体無い。YAZAWAは──」

 

洋楽ロックが好きだという夏樹に、私は邦楽ロック、というよりYAZAWAの曲の素晴らしさを話し続けた。ついでにデーモン一族も布教した。

 

「なるほどな、アタシも今度CD買って聞いてみる事にするよ。……野暮な質問だけど、深雪はどうしてこういった曲を聴くようになったんだ?」

「……親の影響……かな。私が最初にYAZAWAを知ったキッカケは小二の時、車でさっき演奏してた『get up』が流されていた事だね。デーモン一族もその時」

「へぇ……そんな前から深雪はロックだったって訳か」

 

別にロックが好きというわけではないが……まあいいや。

 

「いや、実はそう言うわけじゃなくて、本格的にのめり込んだのは中学校の頃。久し振りにあの曲を聴きたいと思って調べて、そこから他の曲も聞くようになったんだよね」

「あの曲っていうとやっぱり……」

「うん、『get up』。ただ、最初はどれだけ検索しても全くその曲は出てこなかったんだ」

「そりゃなんでさ?」

「小二の頃の私が『get up』なんて歌詞を聞き取れる訳も無く、当時ずっと『get up! get up!』って歌詞を『ゲラゲラ』って歌ってたからそれで調べててね……」

「あははっ、確かにそう聞こえるな! そりゃあ検索しても出てくる訳ないぜ! 深雪ってホントにロックだな!」

 

何がロックなのかは定かではないが、夏樹が面白そうにしているので話している私としても満足だ。

 

思えば私が此処まで饒舌になるのは久し振りかもしれない。これまでの私は共通の趣味を持つ友人がいなかったし、他の事でも感性が違う部分があった為話がかみ合わない事もよくある事だ。なので私から話を吹っかける事は少なかった。しかし、此方に上京してからは話が合う友人も出来たし、輝子も夏樹も私の話を適当に流さずしっかり聞いて内容を理解してくれている。正直とても嬉しい。

 

心が温かくなるとはこういうことを言うのだろう。自分の知らないことでもしっかり聞いてくれる夏樹。大体の人は自分の知らない話題には無関心だ。現に私の地元の友達は面白い奴は多いが、趣味の話をすると反応に困った様子だったりどうでもいいわ、とツッコミを入れられる事も多々ある。

 

僅か数分程の関わりではあるが、私は確実に夏樹の人の良さに惹かれつつあった。

 

「まぁ、なんだ。取り敢えず二人来るまで適当に鳴らしとこうぜ? 時間も限られてるしな」

 

夏樹はニヤリと笑うと自前のエレキギターを取り出して構える。私もギターを手に取り、声には出さずとも上等だと答えを返す。

 

「よし! それじゃあまずはアタシからだな! “アイドル”木村夏樹のロックを聞いてくれよな!」

 

自己紹介も兼ねてなのか、彼女は持ち歌である『Rockin' Emotion』がギターのリフから始まる。その軽快なリズムとノリが夏樹の言う“ロック"というものを感じさせる。

 

勤勉な私は勿論この曲を知っている。クラップ(手拍子)の相槌も打てるし、コールも練習済みである。日本人に多い表拍でのクラップなんてダサい事はしない。裏拍でしっかりとビートを刻み込んでやろう。リズム感は割とある方だと自負しているので演奏の邪魔にはならないと思う。それに演奏中ずっと塩対応というのも悲しいし、私としても夏樹としてもつまらないだろう。

 

やがて歌詞が出てくるようになると、私はコールの場所を思い出しながらタイミングを計る。……よし、今だ。

 

「「Let' Go!」」

 

夏樹にタイミングを合わせながら私は歌詞を被せる。

 

私がこの曲を知っていた事に気付いて驚いたのか、夏樹は少し目を見開くがすぐに嬉しそうな表情になった。そして曲自体もサビに入り、盛り上がりも最高潮となる。

 

やがて曲が終了すると夏樹は満面の笑みを此方へ向けてグッと親指を立てる。同じように返すと夏樹は椅子に腰を掛けながら顔を向ける。

 

「はははっ、コールありがとな! どうだったよ、アタシの“ロック"は」

 

そう問いかけてくるので私は正直に思ったことを口にした。

 

「うん、すごく──“ロック"だった」

 

そうとしか言いようが無かった。しかも本人の生演奏なのでCDとは迫力も違うし、生で聞いて見ている分、更に臨場感というものが付随されている。緊張も見られなかったし、夏樹は相当な場数をこなしているのだろう。

 

終わってから気付いたが、この演奏は言うなれば私の為だけのライブと言ってもいい。夏樹ファンにとってはヨダレが出るほど羨ましいものであろう。ははは、羨むがいい。

 

「だろ? アタシもこの曲は気に入ってるんだ」

「歌も上手かったけど、やっぱりギターのテクニックが凄いね」

「元々ロックシンガー目指してライブハウスでライブばっかやってたんでね。好きこそ物の上手なれってやつさ。ま、これでもまだまだ満足出来ないレベルでしかないんだけどな」

 

そういうものなのか。私のは所詮趣味の範囲内の話でしかないので、ある程度出来ればいいみたいな感覚でしかない。

 

「そうだったんだ。……どうしてロックシンガーにならなかったの?」

 

夏樹は少し考える素振りを見せながらゆっくりと口を開いた。

 

「……そうだな、ライブハウスでのライブ後にスカウトされてアイドルを意識し始めたのがきっかけかな。考えるうちにロックなアイドルってのも悪くないと思ってね。それでスカウトに乗っかったんだ」

 

趣味の私と違い、夏樹は真面目にロックシンガーに向けての活動に取り組み、そしてその技術力とビジュアルを買われてアイドルとしてスカウトされたのだろう。夏樹にとってそのスカウトはまさに鶴の一声に等しいものであったのかもしれない。私の面白そうという適当な理由とは程遠い、自分の考えをしっかりと持った芯のある答えを夏樹は出している。

 

ともあれ、理由は人それぞれだ。私のような考えを持っている人が他にいない訳ではないだろう。夏樹の理由を偉そうだなんて言うつもりもないし、私のアイドルになった理由をバカにされる謂れもない。しかし、いつか私もアイドルを“続けている"理由というものは見つけてみたいものである。……まだデビューすらしてないけども。

 

「当初の考えからは逸れちまったけど、今はアイドルになって良かったって心から思ってるぜ? プロデューサーはアタシの意志を尊重してくれるがハッキリと物申すタイプだからやりやすいし。ダンスレッスンも嫌いじゃないしな」

「……やっぱりアイドルってダンスレッスンするものだよね」

「ははっ、当たり前だろ! 何言ってんだよ!」

 

そんな風に談笑していると、防音室の厚い扉がガチャリと開かれる。その奥から二つの人影が現れる。

 

 

──その瞬間、部屋の空気がスイッチを押したようにカチッと切り替わった事を理解した。何者も追随させる事を許さない、孤高、冷酷な雰囲気。一人は私もよく知っている星輝子。しかしこの北極に一人取り残されたかのような冷たい雰囲気は輝子のものではないだろう。つまり、その独特の雰囲気は輝子の後に入って来た女性の物──

 

「夏樹、待たせてしまったわね。そして、貴女が──小暮深雪ね?」

 

クールで冷ややかな目付き。まるで私の考えている事を全て読み明かされているような錯覚さえ覚える。私は冷や汗を流しながら彼女へと返事を返す。

 

「初めまして──高峯のあさん」

 

彼女の名は高峯のあ。腰辺りまで伸ばしている絹のように艶やかな銀髪。寡黙で表情にも乏しいその人は、ファンの間ではその神秘的な雰囲気と電脳的な服装からミスティックサイバーと呼ばれる事もあるらしい。確かに特徴的な格好をしている。「ボーカロイドによく似ている」とも言われているらしいが、確かに同意せざるを得ない。しかし、それらを補って余りあるほどのミステリアスな雰囲気が彼女の存在感を表していた。

 

「深雪、と呼ばせてもらうわ。貴女も、のあと呼ぶ事を許してあげる。……貴女は貴女、私は私、役割は違うけれど、共に歩む事に変わりはない。為すべきを成す、それだけ」

「……は、はい」

 

私は思わず彼女の雰囲気に飲まれ気遅れしてしまいながらも、なんとか返事を返す事が出来た。このように何かに圧倒されるような経験は生まれて初めてだった。目には見えないがこの人から確実にオーラが垂れ流されているのが分かる。

 

「二人共ようやく来たか。遅かったな」

「ふひひ、ご、ごめんなさい。帰りのSHR(ショートホームルーム)がな、長引いたんだ」

 

輝子は申し訳なさそうに言いながら、その後事務所へ寄っていたと続けた。時計を見ると、私がこの部屋に入ってから既に一時間以上経過していた。夏樹との会話に夢中で全く時間を気にしていなかったので気付かなかったのだ。

 

「気にしてないよ」

「アタシもそんくらいで目くじら立てねーよ」

 

夏樹はポンポンと輝子の頭に手を置く。

 

「ところで、輝子の理由は分かったんだが、のあさんはなんでこんなに遅れたんだ? レッスン?」

「各々の想像に委ねるわ」

 

誤魔化し方もなんだかスタイリッシュで格好良いな。そう思っていると輝子は夏樹に対して不足している部分を補い始める。

 

「の、のあさん、今日の事忘れてて、仁奈ちゃんと戯れてたんだ……。私が気付かなかったら、多分まだいなかった」

「……彼女は、天より参った者。私が屈してしまうのは、必然」

 

仁奈ちゃんは天使ってか。激しく同意だ。

 

この前事務所でチラッと見かけたが確かに可愛かった。私が見たときは同年代の子達と着ぐるみ着てはしゃいでいた。それを見て内心悶えていたのは秘密だ。危うくロリコンと化してしまうところであった。

 

私の他にもその様子を影から見守っているアイドルらしき人物がいたのだが、あれは多分ただのロリコンだった。上気した顔で胸押さえており、動悸が激しそうだった。凄まじいくらいにTOKIMEKIがエスカレートしている様子であったが、それでも目を離さずハアハア言いながらジッと見つめていた彼女は相当だろう。その様子に震えが止まらなくなった私は思わず警察に通報しそうになったが、それに気付いた彼女に血相を変えながら全力で止められてしまった。

 

そんなこんなで、自己紹介を終えた私たちは自分が演奏できる曲を出し合いながら共通の曲を演奏し、時間を潰していった。曲を決めている最中にのあさんがどんな曲でも演奏出来ると言っていたので色々な曲を演奏してみると本当にどの曲もそつなくこなしていたのにとても驚いた。あの人はいったい何者なんだろうか。最初の印象はクールな大人だったのだが、どんな人物なのかよく分からなくなってきた。この調子だとギターとかピアノも余裕で演奏出来そうな勢いだ。ちなみにのあさんはドラム担当である。

 

 



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第6話 ロリコン星人とウサミン星人

土曜日、私はレッスンルームへと足を運んでいた。朝九時から始まる、ウィンターライブに向けてのギターレッスンを行う為である。元々殆どのコードは弾けるのであまりレッスンに苦労はしなかったので、現在行っていることは細かい部分の修正だったり、微妙な音の高さの調整といったものばかりだ。そしてそれは夏樹や輝子も同じことが言える。ドラム担当ののあさんに関しては初見からほぼ完璧だったらしいので今はギター組につきあって貰っている状態だ。やはりのあさんは色々と超越していたらしい。

 

しばらく廊下を歩いていると、一人の人物と遭遇した。淡いピンク色の髪をサイドアップにあしらった髪型。その姿は制服ながらも年頃らしくオシャレに気を遣っている。その遭遇した人物こそ、先日着ぐるみを着てはしゃいでいた幼い女の子達を柱の陰からはぁはぁふひひと興奮しながら覗いていた人物であった。

 

「「あっ」」

 

突然の鉢合わせに私と彼女はしばし無言の状態が続いた。心なしか彼女は少し気まず気である。

 

「……」

「……」

 

その無言状態の均衡を先に崩したのは私だった。私はスッと目を逸らしポケットに入っている携帯を取り出すと、とある番号を打ち始める。

 

「……110っと」

「ちょちょちょっと! 待って待って待って! 私まだ何もしてないでしょ!?」

まだ(・・)……ですよね? こっちを進んだらL.M.B.G(リトルマーチングバンドガールズ)の撮影スタンド」

「……いやいや! 私も雑誌の撮影なんだって!」

「今言い淀んでたような」

「よ、淀んでない!」

「……日下部(くさかべ)若葉さん」

「合法ロリ最高かよ……はっ」

「通報」

「待って」

 

L.M.B.Gとはその名の通り、小さなアイドルで構成されるマーチングバンドのユニットである。恐らく346プロアイドル部門で最大人数を誇るグループだ。確か現在の人数は16名だった気がする。

 

先程私が口にした日下部若葉さんという人物もそのメンバーで唯一の成人枠だ。二十歳だがとてもそうは見えない幼児体型の持ち主で、彼女の言う通り俗に言う合法ロリと呼ばれるものだ。趣味はジグソーパズル、よく中学生と間違われ、小柄なのを少し気にしている可愛らしい女の子だ。会った事ないので全てネットの情報だが。

 

「『美しいものを美しいと思えるあなたの心が美しい』ってみつをも言ってるじゃん!」

「それとはまた別の問題ではないでしょうか?」

「じゃあどうすればいいのよ!」

「……本当にストーカーしませんか?」

「さ、流石にストーカーはないでしょ!?」

「客観的に」

「……ス、スス、ストーカーちゃうわ!!」

「分かりやすい動揺」

 

冷や汗をかきながら擬音にミカミカミカとでも付きそうなほど動揺している彼女。

 

「……ところで貴女、城ヶ崎美嘉さんですよね? 『NUDIE★』良かったです」

 

城ヶ崎美嘉。アイドル界ではカリスマギャルとして名を知られているトップアイドルの一人だ。詰まる所スーパーオシャンティさんという訳だ。その派手な外見に対して曲は素直な声色で歌う為、私的には好印象であった。この前見かけた時は名前すら知らなかったが、外見的特徴をネットで打つとすぐ出てきたので名前は即座に調べがついた。

 

「あ、ありがとう……えへへ。あ、そっちこそ名前はなんて言うの?」

「小暮深雪です」

「えっと、うちのアイドルだよね? 聞いた事ないけど……あっ、もしかして来年度から始動されるっていうシンデレラプロジェクトの?」

「ご存知でしたか」

「もちろん! でも、新人さんかー。アイドルになったら色々きついことや辛い事もあると思うけど、無理せず溜め込まないようにね! そんな時はじゃんじゃん相談に乗るからさ! 頑張って★」

「ありがとうございます」

「タメでいいよ★ それじゃ、撮影始まっちゃうから!」

 

ありきたりな言葉ではあるが、私は少し彼女の格好良さに感動した。ロリコンではあるが、姉御肌で気の良い人なのだろう。ロリコンではあるが。

 

「あ、はい……いや、ありがとう。……でも次見かけたら通報するからね」

「もう! 大丈夫ってば! ……見に行く暇なんてないだろうしね」

 

顔に影を浮かばせながら吐き捨てるように言うと彼女は今度こそ撮影場所へと向かって行った。彼女が現在所属しているグループ名は『LiPPS』である。もしかすると雑誌の撮影というのもそのグループで行うものなのかもしれない。普段明るそうな彼女が影を落とす程のグループとは如何なものなのか。ロリコンに慈悲はないが取り敢えず御愁傷様とでも心の中で思っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

朝九時から始まった346プロが雇ったギタリストによるギターレッスンが終了した時間は午後三時を回っていた。

 

夏樹、輝子、のあさんの三名はソロ曲のレッスンも受けなければならない為、私だけ先に帰宅という訳だ。なんだか少し申し訳ないような気がするがゆっくり休ませてもらうとしよう。私はソロ曲なんてないし、そもそもエクストラでの参加だからね。

 

「……菜々ちゃん居るかな」

 

私は現在346カフェへと向かっていた。メイド服の菜々ちゃんを見たいというのもあるが本命はそうではなく、新しく買った本を読みに来たのだ。もうそろそろ私の押しキャラが出てきてもいい頃だ。非常に楽しみである。

 

ただ本を読むだけであれば別に寮で読んでもいいのだが、カフェであれば何時でも暖かいコーヒーが飲める。寒い日のコーヒーはまた格別なのだ。

 

自動ドアが開くと暖かい風が身体全体に降り注ぐ。私はマフラーと手袋を外し、カバンの中へと仕舞い込む。本館とカフェは近い距離にあるのだが、だからといってもマフラー手袋は寒がりの私にとって必要不可欠である。

 

「いらっしゃいませー! あっ、深雪ちゃんまた来てくれたんですね!」

「菜々ちゃんに会いに来た」

「またまた〜、席に案内しますねー!」

 

菜々ちゃんは人当たりの良い笑みを浮かべ、窓際の陽の当たる席へと案内する。

 

「ホットコーヒーとモンブランで」

「はいっ、かしこまりました! コーヒーはブラックでよろしいでしょうか?」

「うん、ブラックで」

 

タタタと菜々ちゃんが去っていくと、私はイヤホンを取り出して携帯で音楽をイヤホンに流す。その後、更に最新刊を取り出してページをめくる。完璧なるパーフェクトスタイルである。意味が被っているのは気にしない。私は今気分が良いのだ。

 

「お待たせしましたー!」

 

何分か時間が経つとテーブルに先ほど頼んだモンブランとコーヒーが置かれる。私は持ってきてくれた菜々ちゃんに礼を言うべくイヤホンを外した。

 

「ありがと」

「……何かいいことでもありました?」

 

私の嬉しそうな様子に気付いたのか菜々ちゃんは疑問を口にした。

 

「昼休みに買って来た最新刊、『君は僕のドルチェ』ってやつ」

 

この小説は一昔前に流行した恋愛漫画の小説だ。大雑把に言うと主人公が悪役令嬢に嫌がらせを受けながらも最終的に意中の人と恋に落ちて行くという王道な設定の恋愛コメディ漫画である。いい年した奴が何読んでいるんだと思うかもしれないが、侮る事なかれ、意外と面白いのだ。

 

「あっ、知ってますよそれ! 昔流行った漫画の小説版ですよね! ナナも当時、月刊コミックスがいつも楽しみだったんですよね〜」

「当時? これの漫画二十年くらい前のものだと思うんだけど……」

 

あれ、違った? まだ十年くらいしか経ってなかっただろうか。

 

「えっ!? もうそんなに……ッ! あっ、いえ、違うんですよ!? 幼い頃文庫版を月に一冊ずつ集めてたので楽しみだったなーって!!」

「なるほど……私つい菜々ちゃんが実は17歳じゃないとか思ったよ」

「ぎくぎくぎっくぅ!?」

 

菜々ちゃんには失礼な事をしてしまった。一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。

 

「菜々ちゃん、ごめんなさい」

「い、いいいいえ〜、きき気にしないで下さい〜。ほ、ほら! コーヒー冷めちゃいますよー!」

「コーヒーは少しぬるいくらいでいいの」

 

私が少しムッとしながら言うと、菜々ちゃんはそう言えばと言って納得した。分かれば良いのだよ。全く菜々ちゃんったら。忘れん坊なんだから! ぷんぷん!

 

……ダメだ、考えただけでも吐き気がする。ううむ、やはり私にぶりっ子は似合わないな。そもそも何故やってみようと考えたのか。似合ったとしてもやる気はこれっぽっちもないのだが。

 

菜々ちゃんも奥へと戻って行った事なので再び読書へと勤しむ事にしよう。

 

テーブルに放置されていたイヤホンを両耳につけると丁度サビに入っており、可愛らしい声が私の鼓膜を震わせた。私が現在聞いている曲は彼女、安部菜々ちゃんが歌っている『メルヘンデビュー!』という曲だ。この曲は所謂電波ソングと呼ばれるものだが、ジャンルは私にとって然程重要な事ではなかった。重要なのは彼女の声が聞けるという事だ。深い意味はなく、素直にそのまま受け取ってもらっても構わない。彼女の声を聞いていると何故だか私のギザギザハートが丸みを帯び、穢れた心を浄化していくのだ。子守唄的な効果の期待大である。

 

他にも元気いっぱいの菜々ちゃんの歌声を聞いてるとこちらも元気になるし、セリフ部分の演技力にも目を見張るものがある。流石歌って踊れる声優アイドル。感服せざるをえないだろう。

 

ただこの曲の難点は、来年はもう歌えないという事だ。『キャハッ!ラブリー17歳♪』という歌詞があるように、来年18歳になる彼女はもう17歳という歌詞では歌えないのだ。……と思っていたのだが、そのあとの歌詞で彼女が『ナナは永遠の17歳』という歌詞が出てくるので万事解決であった。流石菜々ちゃんだ。アイドルは歳をとらない。それは正しくファンが頭の中に描いているアイドルそのままである。菜々ちゃんはアイドル然とした、アイドルの中のアイドルであると私は確信した。こういう所は今後私がアイドル活動を行う上で参考となるので非常にありがたい。菜々ちゃんさまさまである。

 

……でも、この曲は昨年にはリリースされていた筈なんだよなぁ。昨年も17歳、今年も17歳、そして来年も17歳……菜々ちゃんって本当は何歳なんだろう。もしかして私より相当年上だったりして……。

 

…………いや、疑うのは良くない! それに彼女はどこからどう見たってうら若き少女だ。あんな純粋で素直で少しあどけなさが残る朗らかな笑顔を見せる彼女が若作りとか言われたら私は化粧している女性を誰も信用出来なくなる。それに彼女は私より約20cmも背が低いのだ。いや、背丈で決めるのは早計というのは分かっているが、それでも私と並ばせると恐らく全員が外見は私の方が年上だと言うだろう。というか誰も私を高校一年生と認識出来ないと思う。割と本気で。今私が食べようとしているモンブランくらいなら賭けてもいい。

 

まあ、少し荒れてしまったが、取り敢えず菜々ちゃんについては考えても無駄だと言う事だ。そもそも年なんてよく考えればどうでも良い事であった。私も実際精神的には年齢詐称にも程があるわけだし。彼女が私より年上だと言う事だけ認識していればよかろう。それにいい加減ゲシュタルト崩壊しそうなので考えたくない。

 

「……深雪ちゃん、なんだか複雑な顔してますが……大丈夫ですか?」

 

他の客を接客していた筈の菜々ちゃんがいつの間にか私を心配そうに伺っていた。接客で忙しい筈だが、やはり菜々ちゃんはいい子である。

 

私はイヤホンを外し答えた。

 

「何でもない……メルヘンデビュー聞いてただけだから」

「うぇあえっ!? えっ、なっ、ナナの曲……じゃ、ないです、よね〜?」

「菜々ちゃんの曲だけど」

 

と言うか菜々ちゃん以外のメルヘンデビューなんて曲は存在しないと思う。

 

「ミンミンミン、ミンミンミン」

「ウーサミンッ♪ ってやらせないでください!」

「いち、にー」

「ななー♪」

「ここ一番好き」

「ありがとうございますっ♪ ……ってもう!」

 

怒りますよー! と可愛らしく憤慨する様子に私はほっこりする。菜々ちゃん本当癒し。

 

そんな事を思っていたその瞬間私は今世紀最大級のアイディアを閃いた。

 

「菜々ちゃん、バイト何時終わる?」

「え? 今日は六時までですねー」

「六時か……じゃあ明日三時くらいから空いてる?」

 

六時からだと流石に遅すぎるからなぁ。アイドルという仕事の都合上寮の門限は存在しないのだが、夕飯の時間帯が比較的早めに終わってしまうので却下だ。そして明日も今日と同じ時間帯にレッスンが入るので3時からしか時間が空かない。

 

「えーと、そうですね、レッスンもそのくらいに終わるので空いてますよ」

「じゃあさ、カラオケ行かない?」

「カ、カラオケ……ですかぁ」

 

菜々ちゃんをカラオケに誘ったのは菜々ちゃんの生歌を聞いてみたかったのと、もっと仲良くなりたいという私的な欲求からだ。私も久し振りにカラオケに行きたかったというのもあるのだが。

 

期待を込めて菜々ちゃんに言ったが、菜々ちゃんの反応はあまり芳しくはなかった。カラオケはあまり好きではなかっただろうか。それともまだ知り合って日も浅いからとかそういう事だろうか。出直すべきかと思い私は悩む菜々ちゃんに無理しないように言う。

 

「……ごめん、嫌ならいい。レッスン後だし、疲れてるよね」

 

少し……いや、かなり残念ではあるがレッスン後ということもあるので仕方あるまい。もう少し仲良くなってまた日を改めよう。

 

すると菜々ちゃんは慌てた様子でこう口にした。

 

「ああいえ! そういう訳ではなくてですねー! 行くのは構わないんですけど、ただ、ちょっと、そのー、えっと……ナナの歌う曲はちょーっとだけ古いかもしれないので、深雪ちゃんには合わないんじゃないかなーって思いまして……」

 

なんだ、そんな事で言い淀んでいたのか。

 

嫌がられている訳ではないと安堵した私は溜息をついた。それに、古いと言っても私にとって菜々ちゃんの古いは其処まで古くないと思われるので無問題(もうまんたい)である。仮に古くとも私は全く気にしない。

 

「……笑止千万。私が歌う曲も相当古い」

「笑止千万っていう割には無表情ですけどね」

「一緒に行ってくれる?」

「まあ、深雪ちゃんが大丈夫なら……」

「なら行こう。……ところで菜々ちゃん、仕事」

「あ''っ……ご、ごゆっくり〜」

 

菜々ちゃんは冷や汗を流しながら接客へと戻って行った。菜々ちゃん、引き止めてごめんよ。

 

そして私はモンブランと程よくぬるくなったコーヒーを時折口にしながら最新刊を読み始めたのであった。

 

──私たちの様子を観察している人物がいたとも知らずに。

 

 

 

 







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第7話 魔王 “邂逅”

かぽーん

 

寮の大浴場は本当に素晴らしいところである。浴槽は泳げるくらいには広く、シャワーも沢山付いている。そしておまけにサウナルーム。私はここで汗を流すことが好きだ。そして現在は遅い時間帯に入った為、嬉しいことに貸切状態であった。身も心も浄化される思いだ。風呂は心の洗濯とはよく言ったものである。

 

「あ゛〜。極楽じゃあ〜」

 

気が緩んである私はおよそ女子が出してはいけない声を出しながら気持ち良さをあらわにする。足を動かすとぱちゃぱちゃとお湯が小さな水飛沫をたてる。人が全くいないので足を限界まで伸ばすことができるのが嬉しい。気分の良いので歌なんかも歌っちゃうぞ。

 

「ばんばんばんばばんばばんばんばんばんばんばん♪」

 

ふふふ、楽しいな。何だかノッてきたぞ。アカペラだとカラオケと違って自由に歌いたい箇所を歌えるし、気に入らなければ何度もやり直すことが出来る。防音室である寮の部屋では歌おうという気にはならないのに、風呂だと歌いたい気分になるのは何故だろうか。

 

「Searchin' only you. But she had gone♪」

 

いつの間にか3番まで全て歌いきってしまっていた。この曲を歌うと肌を真っ黒に焼いてサングラス掛けてスーツ着たくなってくる。多分この肌で焼くと痛いんだろうなぁ。私の肌あんまり強くないし。

 

……誰か入って来る気配もしないし、もう一曲くらい歌ってもいいかな? いいともー!

 

そして私の脳内にピアノのイントロが流れ始めた。

 

「愛はかげろう〜」

 

この曲は小節が沢山あるから楽しいんだよね。この曲も先程の曲と同じで明るい曲ではないが、サビに近づくにつれて盛り上がっていく曲なので、カラオケではよく序盤に歌っている。

 

最近アイドルになった所為か外を歩く事が多くなり、人との関わりも増えてきたが、やはり一人でいる時の方が落ち着く。まあ、人との関わりが増えたおかげで標準語にも慣れてきたからそこは嬉しいのだが。地元では殆ど気にした事なんか無かったが、私の容姿で博多弁なんか使ったら違和感ハンパ無いだろうな。正直なところ標準語よりも博多弁で話した方が楽だが、通じない言葉とかもあるだろうし、博多弁禁止令を出しておこう。

 

気持ちよく歌っている最中、ふと入り口付近を見ていると、扉に一人の影が映っていた。よく見ると扉は少しだけ開いており、開いた隙間からはその影の正体である一人の少女の頭が見えていた。

 

煌めく銀髪に白い肌、赤い瞳というかなり日本人離れした、フランス人形のような可愛らしい外見の少女。その表情には怯えが見えていた。足もプルプル震えている。

 

何に対する怯えか、それは恐らく私に対してであろう。自慢ではないが私の目つきは少々キツいものがある。とはいっても其処までキツくはないとは思うし、普通にクールだと思うのだが、それでも他の人から見れば他人を寄せ付けない空気を醸し出しているように見えるのかもしれない。

 

恐らく私が考えているような事を考えているに違いないと考えた私は彼女に内心謝りながら助け舟を出した。私はちょいちょいとこちらへ来るように手で合図をだしながら怯えなくてもいいよと柔和な笑みを浮かべた。すると彼女は恐怖のどん底に落ちたかのように、その端正な顔を歪めながら涙目で恐る恐るこちらへ近付いてきた。彼女には私の柔和な笑みが悪魔の嘲笑にでも見えたのであろうか。解せぬ。私の心へのダメージは8000。ジャストキルであった。

 

私という悪魔に招かれた哀れな子羊は、生まれたての子鹿の様に足を震わせていた。子羊なのか子鹿なのか、どちらかにしてほしい。

 

そんな2種類の動物の特性を持つ彼女はザバーンと掛け湯をするとチラチラと此方を一瞥しながらゆっくり、ゆっくりと湯船へと体を沈めていく。申し訳ないが怯えた表情がなんとも保護欲をそそる。

 

「……」

「……」

 

かぽーん

 

浴場には蛇口からお湯が流れる音が響き渡る。

 

「……あの」

「ぴぃっ!?」

 

何となく居心地が悪くなった私は未だに怯える彼女に話しかけるが、彼女は後退りした。

 

「……そんなに怯えられると流石に傷付くのですが」

「ひぅっ、えっ、あ、その……ご、ごめんなさいぃ……」

「いえ、怒っているわけではなくてですね……」

 

困ったな。彼女本気で私に怯えている。別に悪い事をしたわけでも無いのに申し訳ない気持ちになって来る。私ってばいつの間に覇王色の覇気を扱えるようになったのだろうか。海賊王でも目指そうかな。

 

……現実逃避はやめよう。惨めな気持ちになるだけだ。

 

というか彼女、多分私の歌っているところ見てたよね。いや、絶対に見ていた。がっつり見ていたよね? 凄く恥ずかしいんだけど。いつから見ていたんだろう。私今絶対に顔赤くなってると思う。

 

……もしかして私が歌っていたから浴場に入り辛かっただけだろうか。きっとそうだろうそうに違いない。私はほんの一つまみにも満たない希望を持って、プルプル震えている彼女へと疑問を投げかける。

 

「……私が歌っているところ、見てました?」

 

恥ずかしさで心なし声が低くなってしまったのはご愛嬌である。

 

「ひっ、い、言いません! 誰にも言いませんから許してくださいぃっ!」

 

違ったぞ畜生★ というかやはり見ていたんだね! とても恥ずかしい! それよりどうにかして彼女の何らかの誤解を解きたい。私は怒ってもないし怖い人でもないんだよ〜?

 

悲壮な顔つき視線で訴えていると、その意図が伝わったのか、彼女の口から希望の言葉が紡ぎ出される。

 

「……あ、あのも、もしかして……怒って、ないんですか?」

 

YES I AM!

 

どうして私が怒っていると思ったのか疑問だが、今はそんなことは気にしない。ようやく気付いてくれたかという安堵の気持ちの方が大きいのだ。

 

「別に怒ってないですよ。私、小暮深雪って言います」

 

せめて名前も知らない人からランクアップさせようと思い、私は軽く自己紹介をした。

 

すると彼女は少し目を見開くと、コホンと可愛らしく咳き込んだ。

 

「そ、其方(そなた)が天の御使(みつか)いであったか。脳に刻み込まれし記憶、我が友が申した通りの容姿であるな。うぅ、なんで気付かなかったんだろ私……」

 

天の御使いとはなんぞや。……えっ、私? 私の事なの? もしかして天って私の髪の色の事を言っているの? 確かに空の色に見えなくもないけどそこはかとなく感じる無理矢理感……。

 

というか急に話し方が急変してびっくりした。でもなんだろう。さっきの小動物っぽいのも可愛かったが、何故かこっちの方が違和感を感じない。銀髪赤目という幻想的な容姿がそう感じさせているのだろうか。

 

「……はっ! わ、我が名は神崎蘭子! ()現世(うつしよ)を支配せんとする大魔王である! 以後、我に進むべき道を示すが良い!」

 

何言ってるかさっぱりだけど、多分これからよろしくって事だろう。神崎蘭子さん、何歳なんだろうか。見た所背丈は私より少し低いように見える。私が確か四月の段階で160半ばをいくかいかないくらいのところを彷徨っていたので、恐らく年下なような気がする。しかし、背丈で考えると菜々ちゃんの例があるのでもしかすると年上だという可能性も捨てきれない。

 

すると神崎さんは私に意味が伝わってない事が分かったのか、先ほどの言葉を日本語訳(?)し始めた。

 

「……あ、あの、私、今日入寮したばっかりなので、わからない事があったら教えてください。それと、さっきは……勘違いしてごめんなさい!」

「許す」

「あ、ありがとうございます」

 

うむ、素直なのは良い事だ。正直に謝られたならば許すしかあるまい。どうやらただのちょっとした人見知りだっただけのようなので少し安心した。

 

今日入寮したばかりと言っていたが、その事から私と同じく新人アイドルになるという可能性が発生する。この時期の新人アイドルと言えば──。

 

「……もしかしてシンデレラプロジェクトのメンバー?」

「……!! 如何にも! 我も灰被りの一員よ!」

 

神崎さんは先程の表情とは打って変わり、嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

「今年で何歳になるんですか?」

「10万と13の年月を渡り歩いておる!」

「閣下ですか。……と言うことはまだ中一ですか。大人っぽいってよく言われません?」

「是なり。相違ない言霊が幾多にも及んで我が内を蠢いておる」

「文章題とか得意そうですね」

「怠惰は好まぬ故」

 

この独特な言い回しには日々の勉強というしっかりとした裏付けがされていたらしい。

 

人からの好感度を高めるコツは相手に沢山話をさせる事にある。いっぱい質問をして答えさせる事で「この人は自分に興味を持ってくれているのだな」と思わせる事が大事なのだ。

 

そう思っていると神崎さんが少し迷いながらもスススとこちらへ近寄って来た。今の中一はこんなに懐っこいのか。私が餓鬼の頃はもっと小生意気だったような気がするが。

 

「ところで其方こそ、どれ程の年月を歩み続けたか」

 

これはきっと年を聞いているのだろう。

 

「年は15です。あっ、別に喋り方とか気にしなくて良いですよ」

「そ、そうであるか。其方も楽にするが良い」

「そう? じゃあそうするよ」

 

一瞬どうしようって顔をしていた彼女であったが、私が先手を取らせてもらった。この子表情豊かだなー。コロコロ変化する表情は見ていて飽きがこない。

 

さて、少し仲を縮めたところで少しだけ深い話をしよう。

 

「さっき、扉の前で隠れてたよね」

「し、然り」

「どうして隠れてたの?」

「あぅ、そ、其方の邪眼の覇気に気圧されて……」

 

じゃ、邪眼かぁ……。ストレートに言われると心にグサってくる。自覚はしてたけど、やっぱり私ってキツい女なんだなー。もうそう思われる事には慣れてきたと思ったんだけど……年下にまで言われる事になるとは。いや、年下だと尚更なのか。はぁ……萎える。

 

「……ほんの僅かな観察眼さえ習得さすれば、其方の眼はどの宝玉にも勝る艶美なる瞳よ。それに先のは我が眼が汚濁に染まっていただけの事」

「……フォローはいいよ」

「我は嘘はつかぬ!」

「……ふふ、ありがとう」

 

自分の娘くらいの年代の子に励まされる私って一体……。でもお陰で鬱屈した気持ちが少し回復した。

 

気を取り直したところでもう一つだけ質問をした。

 

「……私の歌……何処から聞いてた?」

 

先程から気になって気になって仕方がなかったので恥ずかしい思いを押し殺して聞いてみた。すると神崎さんは私の気持ちを理解しているのか言いづらそうに

 

「……え、えっと、ホールミーター? ってところからだったよ?」

「hold me tight ……最初から聞いてたんだね……」

「わわっ、あの、その……か、甘美なる響きであった……ぞ?」

 

神崎さんは窺うように上目遣いで此方を見ていた。

 

「……ありがとね。少し恥ずかしかっただけだから」

「で、あるか……」

「……」

「……本当に綺麗な歌声だったよ?」

「うん……あ、ありがと……」

 

なんだか急に身体中が暑く感じ始めた。特に顔付近に集中して。もしかしたらお湯に長く浸かり過ぎたのかもしれない。

 

「……私身体洗うよ」

「わ、我も!」

 

神崎さんは威勢良く手を挙げる。断る理由もない私はそれを了承して洗い場へと向かう。適当な場所を選ぶと、隣に神崎さんが腰掛ける。さて、さっさと洗うとしようかね。

 

「待たれよ!」

 

早速持参したシャンプーを手に取り、髪を洗おうとすると、何故か神崎さんからストップをかけられた。

 

「どうしたの?」

「互いの頭を授けあおうぞ!」

「……?」

「……か、髪の洗いっこしませんか? 私、一人っ子だから姉妹とかに前から憧れてて……」

 

神崎さんは少し恥ずかしそうに頬を染めながら小さく呟いた。私も髪の洗いっこなんて一度も経験した事ないんだけど……。

 

しかし、これも可愛い後輩、そしてこれから長い付き合いになる同期の為だ。その程度のことであれば一肌脱ぐくらい吝かではない。まあ、一肌どころか全裸なんですけどね。……今のは笑いどころ。

 

「いいけど、私の洗い方少し荒いかもしれないよ?」

「構わぬ!」

「……じゃあ、神崎さんから洗ってくれない?」

「承知!」

 

私はシャンプーを手渡す。神崎さんは適量を中から取り出し、手に馴染ませるとそのまま私の髪の中へと手を侵入させる。髪を洗われるってこんな感触なのか。なんだか介護されている感覚に陥るが、それ以上に気持ちが良かった。神崎さんが優しく洗ってくれるお陰で尚更心地が良い。

 

「……わぁ、サラサラだ」

 

神崎さんは思わずと言ったように呟く。細く長い指により、私の髪を(ほぐ)されていく。時々耳に当たる指がくすぐったく感じる。

 

「い、いかほどか?」

「うん、気持ちいいよ」

「であるか!」

 

しばらくその状態が続くと声をかけられ、程よく温かいシャワーでシャンプーを落とされていく。気持ちが良過ぎてどれ程時間が経過したか分からなかった。

 

シャンプーを落とされるとそのままコンディショナーへと移り変わって行く。そして再び始まった至極の時間が終了すれば、次は私が彼女の髪を洗う番だ。

 

しかし、私の髪と違い彼女の髪は長く伸ばしてあるのでその勝手が私には分からなかった。

 

「……洗うのは地肌だけで、毛先はやさしくそっと触れるように」

 

内心オロオロしている私を見兼ねたのか、神崎さんは長髪の洗い方を教えてくれた。なるほど、基本的な洗い方は変わらないのか。

 

取り敢えずやるべしと意気込んだ私はまず、体温程に調整してあるシャワーでお湯を含ませるように髪を濡らし始めた。

 

「終わったらシャンプーの前に少なめのトリートメントを肩より下の毛先に優しく」

「はい」

 

教えられる立場の私は思わず敬語で返事をした。

 

軽く揉み込むようにしてトリートメントの栄養分を染み込ませていく。それが終われば次はシャンプーだ。普段通りやればいいということはわかっている。しかし、自分がやるのと他人にすることは訳が違うので少し緊張してしまうのは仕方のないことであった。ましてや他人の頭を洗うこと自体が初体験。更に付け加えるならば力加減にも気をつけなければなるまい。元男である私の髪の洗い方は少々がさつだ。そんな洗い方を他人、しかも女の子にするわけにはいかない。

 

「ふんふんふふーん♪」

 

神崎さんは上機嫌に鼻歌を交じえている。余程髪の洗いっこが出来た事が嬉しいのだろう。そんな彼女の純粋な期待を裏切れるだろうか。答えは否である。

 

腹を括った私はシャンプーを手に馴染ませ、水滴によって更に輝きを増した銀髪へと手を伸ばす。髪を洗う際は髪を洗うという意識ではなく、頭皮をマッサージするように洗う事がコツだとこの前テレビで言っていた。その時は右から左に抜けるように聞いていたが、そんな知識でも役に立つ時が来たようだ。

 

「……痛くない?」

「んーん、至極の気分であるぞ!」

「そう」

 

どうやら彼女は私の洗い方をお気に召した様子だ。

 

その後も私がやられた時と同じように、シャンプーをマッサージするようにすすいでいき、リンスへと移行する。

 

それさえも終えると、彼女は背中洗いっこなるものもやりたいと言い始めた。流石に気が引けたので辞退したが。しかし余程背中洗いっこをしたかったのか目に見えるくらい落ち込んでいたので、私はつい「また今度」と逃げられない約束をしてしまう。未だに私は精神的に完全に女とは言い切れないので、仕方のない処置である。

 

それに、なんというか、娘の友人の身体を洗おうとしているお父さん、といえば今の私のいたたまれない気持ちは伝わるだろうか。中にはそれがご褒美とか言う輩もいるかもしれないが、私の場合元々男という事も相まって少々の罪悪感に駆られるのだ。ただ、勘違いされない為言っておくと、別に他人の身体を洗う事に少し忌避感を感じているだけで、女風呂くらいは今となってはどうという事もない。

 

無論それは “今となっては” の話であり、まだ私が自分が女だという意識が薄かった時は女湯ぐへへと感じていたのは認める。ああ、認めますとも。これでも男だったのだ。男たる者一度くらいなら女湯を覗く、もしくは入りたいと考えるものだ。それらは自然の摂理であり、人類普遍の原理である。勿論否定する気は毛頭無いし、寧ろ推進する。人はそうして成長していくのだから。

 

しかし意識は男だったので家族で温泉旅行に行った時や小学校の修学旅行では自然に男湯へ足が向かっていたのを思い出す。その後思い直してちゃんと女湯へと向かったのだが。しかし中学に入ってからは自分が女だという意識が芽生えてきた為、修学旅行では真っ直ぐ女湯に向かうことが出来た。多分その時の私はドヤ顔決め込んでいたと思う。どうして芽生えたかと問われるとアレ(・・)としか言いようがない為、アレ(・・)とだけ言っておこう。あまり深くは追求しないでほしい。

 

取り敢えず、正直なところ今の私の精神は女なのか男なのか、自分でも区別がつかない状態なのだ。男でもあり女でもある。しかしそれは完全ではなく、男の感情が出てくる場面もあるし、女の感情が出てくる場面もある。要するに私は中途半端な女なのだ。恐らく男寄りだというのが私の私見であるが、どうせならはっきりとして欲しかった。

 

そんなこんなで身体を洗い終えた私は浴槽へは行かず、サウナへと直行した。サウナ、得意ではないはずなのにあれば思わず入ってしまうのが小暮深雪である。

 

「ね、熱帯地獄であるか……」

「別に来る必要はないよ?」

「……否! 我が道は其方と共に!」

 

そういう事で私と神崎さんはサウナルームへと入室した。その瞬間、専用機器によって作り出された乾燥した熱が身体全体を襲う。私は入る瞬間と出る瞬間の空気の切り替わりが好きだ。

 

タオルが敷かれた席へと座り、湿温度計を見ながらジッと時間が経過するのを待つ。この空白の時間こそがサウナの醍醐味である。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……無理しないでね」

「うむ……や、やはり我の性には合わぬようだ」

「のぼせる前に上がった方がいいよ。私はまだいるけど」

「其方の助言に従おう……」

 

そう言って神崎さんは立ち上がり、出口へと足を運ぶ。

 

すると思い出したようにパッと振り向きその口を開いた。

 

「パンドラの箱の在り処を教授せよ!」

「……」

 

一体なんのことだろうか。本日一番の難解である神崎さんの言葉の意味を理解しようと試みる。

 

……駄目、ギブアップ。パンドラの箱とはなんぞや。そこさえわかれば後は解読可能なところまでは行き着くことはできるだろうが、肝心なところで理解に及ばなかった。

 

「パンドラの箱ってなに?」

「其方が封じ込められし箱である」

「……あっ、部屋の番号?」

「如何にも!」

 

神崎さんは自分の言いたいことが伝わって嬉しそうにしていた。私もパンドラの箱の正体を知れて満足だ。

 

「406だよ」

「心得た! 後ほど赴く故、心して待つがよい! さらば!」

「あ、うん」

 

神崎さん、部屋に来るのか。私の部屋なんて特に面白いものは無いんだけど。というより何故私の部屋に行こうと思ったのだろうか。

 

「……掃除しないと」

 

そう考えながら私は再び空白の時間を満喫した。

 



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第8話 魔王 “邂逅” その二

サウナで別れた後、私はサウナ、シャワー、サウナ、シャワーと、三回ほど繰り返して浴室を後にした。私にもよく理由は分からないのだが、これが健康的なサウナの利用の仕方というものらしい。

 

風呂から上がると体を拭いて髪を乾かして服を着て、そのまましばらくその場でのんびりしていた。ああ、マッサージ機が欲しい。それさえあればもうこの浴場施設は完璧なんだけど。いつか付けてくれないかなー。

 

「ま、流石にないだろうけど」

 

自分の言葉に自分でツッコミを入れながら私は冷たい風を送ってくる扇風機に当たっていた。いやほんと、風呂上がりのだらけ時間は必須だよね。

 

しかし、ここでずっとダラけているといずれ部屋に戻るのも億劫になり、この場から抜け出せなくなってしまうのでそろそろ戻ることにする。分かるだろうか。この最早何も行動したくなくなるような感覚。例えるなら家の風呂上がりに自分の部屋でゆっくりすればいいものを風呂から一番近いリビングでいつまでもダラっとしているような……そんな感じ。

 

大浴場を出て階段までの道の途中には憩いの場的なリビング的なものが配置されている。ソファにテーブルに大きなテレビ、まさにリビング的な存在である。ちなみにこの部屋には共用の冷蔵庫も置いてあり、私もほぼ毎日活用している。特に風呂上がり。そう、何を隠そう風呂上がりの牛乳を一杯やる為である。4階から此処まで取りに来るのは正直面倒なのでいずれは冷蔵庫も買いたいと考えている。

 

未だ寮の中で知り合いの少ない私はリビングに人がいない事を祈り、ドキドキしながら扉に手をかける。

 

ガチャリ。扉が開いた音に反応したのか、リビングにいた人たちはちらりとこちらを一瞥する。そしてその後、それぞれの顔に疑問符が浮かび上がる。恐らくこいつは誰だとでも考えているのだろう。私は軽く会釈をすると冷蔵庫から牛乳を取り出してから一刻も早くこの視線から逃れるべく一気飲みをした。ああ、居心地悪い悪い。

 

飲み終えた後、未だに視線が集まっている事を察した私は何事もなかったかのようにそそくさと部屋を退出した。私には必要もないのに初対面と仲良く話す技量なんて持ち合わせていないのだ。ほら、道端ですれ違う人にいちいち挨拶しないでしょ? そんな感じだ。必要な時に挨拶すれば良いだけの話である。態々絡みに行く必要もない。

 

スタスタと静かな廊下を歩き、そして階段を登って行く。今の体であれば二段越しですら楽に出来てしまうので若いって凄い。

 

やがて4階まで辿り着き、そのまま廊下を歩いていると、部屋の扉の前で神崎さんが涙目で佇んでいた。鍵をなくしたのだろうかと少し考えを張り巡らせると、サウナでの会話を思い出した。どうやら私は少しのんびりし過ぎていたようだ。

 

というか神崎さん、本当に来たんだね。可愛らしいパジャマに安眠枕まで装備している。よく見ると歯ブラシもその手に存在していた。……もしかして泊まる気なのか?

 

「盟友よ! 我らの契りは何処(いずこ)へ!?」

 

扉の前で寒そうに佇む彼女は私の姿を目に入れると、むー! むー! と頬を膨らませながらその怒りを露わにした。悪いとは思ったが非常に可愛らしかった。

 

「ごめん、のんびりしてた」

「……偽りなき言霊、それは我が『憤怒』の大罪を慈悲の心へと導かん」

「……うん、寒いし中に入ろうか。……あっ、ちょっと中片付けてくるから玄関で待ってて」

「承知!」

 

神崎さんを玄関に入れ、私は部屋の暖房をつけた。その後積み重ねられている本と漫画をパパッと本棚へと戻すと、神崎さんを招き入れる。

 

「いいよ」

「いざ! パンドラの箱は開かれん!」

 

そういえばパンドラの箱と言えば、ギリシャ神話ではゼウスが悪と災いを封じ込めたものらしく、それを好奇心で開けたパンドラによって人類が不幸に見舞われるようになり、希望だけが箱の奥底に残った……という逸話があるらしい。そう考えると私の部屋は悪と災いの塊と言われているようなものだが、神崎さんがそこまで深く考えているのかは定かではない。寧ろそこまで考えて言っているのであれば、君は私の何を知っているのだねと質問したい。

 

「こ、これが……天の御使いが住みしパンドラ……否、El Dorado(エルドラド)……!」

 

私の部屋がパンドラの箱からEl Doradoに変化した。黄金じゃないけどな! そして分かった。きっとこの子は深く考えてはいないのだろう。

 

「新生されし我が禁忌と相違無し……!」

 

何か言っているが意味はよく分からないけど多分反応しなくてもいいやつだと確信する。

 

私は彼女をベッドに座らせ、その隣に座った。

 

「寒くない? 暖かい飲み物淹れてくるけど」

「……羽ばたく為の翼は既に毟り取られている」

「……どういう事?」

「……高濃度の魔力にて我が(かいな)は武者震いしておる」

 

神崎さんはそう言うとふわふわパジャマに通していた腕を捲り始める。そして差し出された腕を見ると見事な鳥肌が立っていた。

 

「わひゃんっ」

 

好奇心でスッとくすぐるように触れてみると非常に可愛らしい反応を返してくれる。それと同時に彼女の腕はとても冷えているということが分かった。恐らく私がいつ戻ってくるか分からなかった為、長い間寒い廊下で待っていたのだろう。申し訳ない事をした。

 

私は心の中で反省し、そのまま神崎さんのパジャマの袖を元に戻すと、更に冷たいであろう両の手を私の手で優しく握る。

 

「暖かい?」

「あっ、うん……」

 

やはりと言ったところだろうか。彼女の手は非常に冷たかった。反対に私の手は温かいのでひんやりして非常に気持ちが良かった。

 

彼女のシミひとつないハリのある真っ白な手はほっそりとしているが、女の子特有の柔らかさを兼ね備えており、非常に良い感触であった。私はニギニギと彼女の手を弄る。

 

「ひゃわっ!?」

 

彼女の手を掴んだまま、手の平を私の頬へと当てる。あー、これは気持ちいい。柔らかいのと冷たいのが同時に来て……なんというか病みつきになりそう。そのまま私はさすりさすりと頬へと撫で付けた。彼女の手は例えるならば夏場の保冷剤のようなものであった。

 

しばらく続けて満足した私は本来の目的を思い出し、さっと手を離した。

 

「あっ、暖かいお茶淹れてくるね」

「……て、天の温もり」

 

返事をしながら彼女は頬を赤く染めながら握られていた手をまじまじと見ていた。流石に頬に手をやるのは少し恥ずかしかったのだろうか。しかし、あれは結構病みつきになる心地よさであった。機会があればもう一度くらいは……。

 

私はポットで茶碗にお湯を注ぎ、我が家秘伝の熱い梅昆布茶(業務用)をさらさらと小さじ一杯程入れる。態々namazunで取り寄せた物だ。namazunで購入したと言ってる時点で秘伝もひったくれもないのだが気にしてはいけない。

 

その後物入れから折りたたみ式の小さなテーブルを取り出し、私たちが座っているベッドの前へと設置すると、先程淹れた梅昆布茶(業務用)をテーブルの上へと置く。

 

「どうぞ」

 

彼女は感謝の言葉を呟きながら私の淹れた梅昆布茶(業務用)をズズズと飲みながら舌鼓をうつ。ほう……と息を吐くと和やかに顔を緩ませた。美味しそうで何よりである。私はもちろんまだ口をつける気は無い。当たり前だ。それに神も言っている、ここで死ぬ定めではないと。

 

「美味なり!」

「それは良かった」

 

神崎さんはコトリと茶碗を置くとキョロキョロと興味深そうに私のSimple is the best roomを眺める。これといって特出したものはない私の部屋ではあるがそれがいいのだ。言い換えれば無駄なものがないと言える。

 

神崎さんは鼻を鳴らすと満面のドヤ顔でバァンと言い放つ。

 

「陰陽の旋律が我が魂を昂らせる!」

 

更に片目を瞑りながらカッコつけるように口元を歪める。それで絵になっているところが凄いと思う。流石アイドルの卵なだけはある。しかし、残念ながらこの神崎蘭子語は難解すぎて私では翻訳する事は叶わなかった。語録が少なくて申し訳ない。

 

「もうちょっと優しく」

「光と闇の果てしないSchlacht(シュラハト)……それは我が最も好むもの!」

 

果たしてシュラハトとは一体なんぞや。最早何語かすらも分からないのだが。それにその部分をバトルに変えたらただのブラックサンと危機の関係でしかないし。太陽は愛に勇気なんて与えたりしないのだ。

 

色々と考えた結果、私は正直に分からないことを白状した。

 

「分かんない」

「……えぇと……純白、漆黒は我が心を魅せる!」

「理解しました」

 

少し悩むそぶりを見せながら難易度低めの神崎語をその口から放つ。私が理解したことを確認すると安堵したかのように少し目尻が下がった。

 

神崎さん優しいな。理解出来ない私のために二回も違う言葉で言い直してくれた。私であれば恐らく二回目で分からなければもういいと突っぱねてしまうだろう。そう考えるともしかすると私は少し短気なのかもしれない。そういう点では彼女を見習わなくてならないだろう。……まあ、極論言えば普通に話してくれたらすぐ分かるんですけどね!

 

確かに私の部屋は神崎さんの言う通り白黒ばかりである。カーテンと本棚は純白だし、パソコンとラックと絨毯は漆黒。特に揃えようという気持ちは無かったが私の趣味が高じてこんな部屋になった。あまり派手な色は好みではないのだ。まあ、少し徹底しすぎているのかもしれないが。

 

私は普段あまり使わないテレビを起動させる。無論、私の部屋にテレビなど存在しないのでパソコンに外付けしてあるチューナーと、接続しているテレビ線を利用して見るという魂胆だ。

 

リモコンで適当にピッピとチャンネルを変えていくとアイドルらしき人たちがたくさん映っている歌番組が映る。ただこの業界に疎い私がパッと見ても誰が誰だか全く理解出来ないのだが。──ただ一人を除いて。

 

トロンとした垂れ目が特徴的な、赤いリボンがふんだんにあしらわれたフリルのついたドレスを身に纏う彼女。テレビ越しでも伝わる彼女の醸し出す雰囲気はやはりと言ったところか他に出演しているアイドル達とは一線を画していた。

 

やがて彼女の歌う番が来たのか、彼女にスポットライトが眩く照らし出される。そしてやがてイントロが流れ始め、私はこの曲が彼女を代表する曲だと理解した。慈愛の女神のような笑みを浮かべながらフレーズを紡ぎ始める。その透き通るような、はたまた柔らかく蕩けるような声で作り出されるフレーバーは私の心を魅せてやまない。

 

「はぁぁ……」

 

思わず私はため息を吐いた。

 

彼女の歌は切なく、甘く、そして何処までも一途なのだ。思い人の為に……そんな彼女の気持ちは私の頭からつま先まで感動させて止まない。それ程まで彼女の歌は真に迫っているのだ。

 

歌が終了すると私は感極まりそうになるのを直前で抑え、パソコンのモニターを消す。これ以上彼女を見ていると流れる涙を抑えきれそうにもない。今の私は紅葉もびっくりなほど頬を赤らめていることであろう。手も震えているように見える。

 

深呼吸をしながら高ぶる感情を落ち着かせ、気持ちを切り替えると隣の神崎さんへお目をやった。すると何故かワクワクしながら本棚を眺めている様子が伺えた。

 

だがいやしかし、彼女はなかなかにお目が高かった。私の本棚は自慢の本棚である。しかも全ての漫画を文庫版ではなく敢えてコミックス版で集めるというところも個人的にポイントが高い。

 

神崎さんは私が見ている事に気が付いたのか、本棚の様子を一言で表した。

 

「古の猛者(もさ)の魂が燻っておる!」

「読む?」

「読む!」

 

彼女とは意外にも気が合いそうだ。正直私の部屋に来てこのジャンルに興味を持つ人なんていないと思っていた。そもそも部屋に来る人なんていないとすら思っていたほどだ。

 

神崎さんは本棚の一列を丸ごと埋める60巻の大作──三国志の一冊を手に取った。ぱらぱらと捲ると、とあるページで手を止め、嘆きを露わにした。

 

「燕人が寝首を掻かれおった!」

 

燕人とは桃園三兄弟で有名な張飛、字を翼徳の事である。張飛の最期が悪酔いで暴力を振るった部下に寝てる時にこっそり殺された、という話は有名である。ちなみに桃園の誓いとは実際にあったことではなく、ただの演義での作り話とのこと。

 

「なんと! 神を封じし語りに呑んだくれと脳筋の戦まで!」

「……項羽と劉邦嫌い?」

「大元帥と亜父が哀れでならぬ!」

「確かに」

 

神崎さんの言っている内容は二つとも古代中国を舞台にした漫画である。

 

『神を封じし語り』とは、封神演義。つまり『殷周伝説』というタイトルの漫画であり、伝説の軍師とも言われる“太公望"が活躍する、史実を奇想天外に纏めた名作である。

 

そして私が言った『項羽と劉邦』。これもまた古代中国で実際に起こった漢の劉邦と楚の項羽との戦争、楚漢戦争を題材にされた漫画である。

 

彼女の言う「呑んだくれ」と「脳筋」というのはまさしく劉邦と項羽の事である。更に彼女の言うことはもっともであり、漢の “大元帥” 韓信と “西楚の覇王” 項羽の右腕、范増の最期は本当に可哀想なものなのだ。特に韓信についてのエピソードは項羽の死が物語の終末を飾ったことにより、その後の出来事が描かれていない為、漫画では分からないのだが、漢の初代皇帝──高祖となった劉邦の最大出力の猜疑心によって酷いものとなっている。

 

作者である横山光輝さんも、あまりに酷すぎるので区切りの良い項羽の死、つまり楚の滅亡で物語を終わらせたと最終巻にかいてあった。

 

そして私は神崎さんが存外詳しいことに結構驚いていた。

 

「詳しいね」

「中原を狙いし三原色は書物の保管庫にて。他二つは我が魔力により掻き集めた! 現在は真なる城にて封印されている!」

「そう」

 

ちなみに私は『蒼天航路』から派生した口である。王欣太(きんぐごんた)さんの蒼天航路、横山光輝さんの三国志。同じ『三国志』という物語を基にしているという点では同じではあるが、画風も作風も全く違い、それぞれの解釈も異なってくるので、どちらもおすすめである。

 

「横山光輝……かの御仁は神……否、大いなる魔神!」

 

神から魔神に変更したのは彼女が自称魔王だからだろうか。

 

私はぬるくなった梅昆布茶(業務用)が入った茶碗を手に取りスプーンでかき混ぜ、ズズ、と一口だけ口にする。美味しい。やはり冬には梅昆布茶が一番である。

 

「何が理由で興味を持ち始めたの?」

「我が好敵手の名をAkashic Records(アカシックレコード)にて検閲していた時なり! 関雲長……真恐ろしき奴よ」

「ふぅん」

 

神崎さんは真剣な顔をしながらそう言った。

 

魔王の好敵手、そこで関羽が出て来たということは神様の事か。まあ、有名だよね。

 

「……」

「……」

 

さて、彼女が来て早々ではあるが話題が尽きた。元々私も話が得意という訳でもないのだ。

 

これからどうしようか。正直私の部屋には娯楽という娯楽が殆どない。漫画とパソコンくらいしか存在せずゲーム機なんかも携帯ゲーム機くらいしかない。別に気を使う訳ではないが流石に一人でゲームするなんてゴミみたいな事はしようとは思わない。神崎さんにゲーム貸して私は携帯をピロピロやっておく、という手も存在するがとは言え、それはなんか違う気がする。何か二人で楽しめるものはないだろうか。

 

……あ、そうだ! こういう時に丁度いいものを借りていた。

 

「神崎さん、映画見る? シックス・センスってやつだけど」

 

私はパソコンラックの隣の小物入れからヒョイッと取り出し、そのパッケージを神崎さんに見せる。この映画は輝子が面白いから見てみて、と渡して来たものだ。その時、少しばつが悪そうな顔をしていたのが気になったが、まあいい。正直私もどんな映画なのかは分からない。パッケージを見ても正直なんのこっちゃ、と言ったようなものなので全く見当も付かない。ただ、私の勘はなんとなく面白そうだと言っている。

 

第六感(シックス・センス)……! 血湧き肉踊る……我と共にするに相応しき名である!」

 

よし、そうと決まればまずは雰囲気作りだ。カーテンは既に締め切っている。後はパソコンのモニターを見やすい場所へ移動させて部屋の電気を消すだけだ。

 

「おお、闇夜に浮かびし文明の証!」

「再生するよ」

 

今から見ると11時は確実に過ぎるが……まあ、大丈夫だろう。多少の夜更かしくらいであれば明日には響かない。なんと言ったって、私は皆が羨む現役JKですから! いやー、若いって素晴らしいね。歳はとりたくないものだよ。

 

……後になって思えば、恐らくあの映画は輝子に授けられた小梅い(孔明)の罠だったのだろう。

 

そして映画本編が再生された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日から夜中にトイレへ行けなくなった。

 

 

 



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第9話 フフ、 知ってるかい?カラオケという言葉は実は日本語なんだ

日曜日の昼過ぎ。

 

私は今日も今日とてギターレッスンを行っていた。そして現在は昼休み。携帯を弄っていると練習後にカラオケに行く約束をしていた菜々ちゃんから連絡が来ていた。

 

 

ウサミン(ナナ)【今日のカラオケ、一人行きたいって言う子がいるんですけど……大丈夫ですか?】

 

 

トップ画のうさぎがめちゃくちゃ可愛い。私のうえきちゃんの写真とは段違いである。いや、あれはあれでなんとなく謎の威圧感があって可愛い(?)のだが。

 

ともあれ、とりあえず菜々ちゃんへの返信をするとしよう。

 

 

みゆき【大丈夫じゃない】

 

 

うん、まあ、そりゃあ当たり前だ。大丈夫なわけが無いだろう。許可するとでも思った? いくら私が聖母の如く温厚な性格と言えども、どうして初対面の人とカラオケなんて行かなきゃいけないんだ。間が持たないだろう。私はそこまで神経図太く無いのだ。

 

菜々ちゃんという仲介人がいるとしても別に進んで仲良くなりたいと言うわけでもないし、そもそも望んでいない。私は菜々ちゃんとカラオケに行きたいのだ。

 

 

ウサミン(ナナ)【ですよねー】

 

 

そう送ってくるとしばらく反応がなかったのでレッスンルームの端に座っている前夜の実行犯こと、星輝子の元へと足を運ぶ。あろうことか此奴はわたしがホラー苦手という事実を知りながらあのシックス・センスだのセブンセンシズだのという映画を持ち寄ってきたのだ。そして案の定白坂氏経由であった。

 

先ほど白坂氏と廊下ですれ違ったのだが、PVか雑誌の撮影だったのかライブの衣装を見事に着こなしていた。おどろおどろしい服装、しかし可愛らしいという矛盾を兼ね備えた彼女は私を見つけると嬉しそうにトテトテとこちらへ寄ってくる。そして小首を傾げながら貸した映画を見たのかを問いかけてきた。

 

近付いてくる時、心なしかなんだか彼女の周りだけ雰囲気、というか空気が違うように感じた。なんというか、実態がないというかふわふわしているというか、そんな感じだ。そして私は思い出した。彼女が霊能力者だったという事を。

 

さっ、と血の気が一気に引いた私はその時の心情的に一刻も早くその場から立ち去りたかった。しかし、何も言わずに去ると何の罪もない彼女が悲しむ可能性がある。

 

キラキラとつぶらな瞳を一直線にこちらに向けながら純粋な疑問をぶつけてくる彼女。私は見た、と簡単に返事を返し、頭を一頻り撫でるのであった。すると満足そうにえへへと笑うとその場から離れていった。それと同時に地に足がつかないようなふわふわした感覚も無くなった。脅威は去ったのだ。いつか必ず陰陽師雇ってやる。

 

それはそれとしてシックス・センスなる映画。本編自体は相当面白い物だったのだが、グロい傷口で何故かリングを思い出してしまったのが運の尽きであった。恐らく見終わった後、息を引き取るように眠りへと(いざな)われたのだろう。だって気付いたら朝だったし、起きた理由だって神崎さんと抱きしめあってて寝苦しかったというあまり体験しないようなものだったからだ。

 

その後目覚ましをかけてなかった事に気付き、くっついてくる神崎さんをぺりっとひっぺがえしながら時間を確認すると7時になる前くらいだったので安堵によって一気に疲れが身体を襲った。習慣とはありがたいものである。だが、そう考えると別に寝苦しくて起きたのではなく普通にいつも通りに起きたという事になるのだろうか。

 

ちなみに私はいつも7時15分に起きる事にしており、7時、7時10分、7時15分、の順番で目覚ましが部屋に鳴り渡るよう設定してある。ひとまず7時に起きて10分間の二度寝、そして更に5分間の三度寝という、二度美味しいお得感満載な方法で眠気を殺している。このアイディアに関しては我ながら天才だと常々思う。

 

「輝子の」

「フヒ?」

 

話を戻して、隅に座っている輝子は現在、自前のエリンギ君(13世)に霧を吹きながらフヒフヒ言っている。はたから見ればただの変人だが、私から見ても相当な変人である。彼女だけに目をやれば普通に可愛らしい物体なのだが、いかんせん扱っているものがものだ。あまりにシュールである。私の感想は妥当なものだと正直に思う。

 

いや、しかし……

 

「エリンギ美味しそう」

「フヒッ!?」

 

見よ、あの見事にそそり立つふつくしいエリンギを。見るからに美味しそうである。

 

何を隠そう、私もキノコ類は好きな部類に入るのだ。特にエノキとかシイタケとか、もちろんエリンギも。寧ろエリンギが一番好きかもしれない。あのしゃきしゃきとした食感が堪らない。私は未だ見ぬエリンギのバターソテーに内心ヨダレを垂らした。

 

エリンギについてはお触り探偵の派生アプリでもチャームポイントに歯ごたえと記載されている程である。果たして歯ごたえがチャームポイントに入るのだろうか。そもそもなめこ育てていてエリンギが生えてくるのかというところが疑問ではあるがゲームに突っ込んでもきりがない。

 

ちなみに一緒にレッスンしているのあさんと夏樹がこの部屋にいない理由だが、単純に昼ご飯を食べに行っているからである。私と輝子は寮の食堂で買える弁当を事前に買って来て食べたので外に出る必要がなかったのだ。正直出るのも面倒だし。

 

「嘘、呼んだだけ」

「な、なんだか怪しいが……まあいい」

 

ぽりぽりと頬を掻くと再びエリンギ君(13世)を眺める作業へと戻ってしまった。

 

その隣に腰をかけようとしたその瞬間、私の携帯に一本の電話が掛かってきた。相手は菜々ちゃんだ。

 

「もしもし、小暮です」

『おはようございます、深雪ちゃん! 安部菜々です♪』

 

携帯のスピーカーからはいつも変わらぬ元気な菜々ちゃんの可愛らしい声が聞こえる。

 

「なに?」

『えっとですねー、先ほどの件なんですが……本人、相当行きたかったらしくて、今目に見えて落ち込んでいるんですよ』

「……それで?」

 

というかまず何処でその情報を仕入れてきたのだろうか。菜々ちゃんが言ったのかな?

 

『見ていてなんだかナナが悪い事しちゃったみたいに思えてくるので……連れて行ってもいいですか? あ、本当に嫌なら仕方ないんですけど』

「……えー」

 

少し駄々をこねてみたが、正直なところ菜々ちゃんがそこまで言うなら連れて行くのも(やぶさ)かではない。恐らく菜々ちゃんの事だから私と気が合わなそうな人を連れて行きたいとは言わないだろう。短い付き合いではあるが、菜々ちゃんの性格はある程度把握している。彼女の性格は基本的に中立的なのだ。

 

『あぅ……やっぱり嫌ですか?』

「んー……私たちと同年代?」

 

そこは結構重要だ。離れた年下だと面倒みるのが面倒だし、逆に年上だとでしゃばって仕切る人もいるから遠慮したい。

 

『…………同年、代……?』

「……菜々ちゃん?」

 

菜々ちゃんはまるで魂が抜けたかのような声でぼそりと呟いた。

 

『……はっ! あっ、いえ、なんでもないですよ〜! ナナ()より少し(・・)年下ですね! はい!』

「う、うん」

 

菜々ちゃんの言葉は異様に力が入っていた為、思わず私は言い淀む。

 

「少しっていうと中二くらいかな」

『そうですね……確か来年中学二年生に進級です』

 

そう言うと携帯から離れたのか、少し遠い声で連れて行きたい人物らしき人へと確認を取っていた。

 

『はい、来年中学二年生になるそうです』

「んー、まあ、それはそれで構わないんだけど……曲の趣味が合わないと思う」

 

それも確実に。

 

『あー……深雪ちゃんの趣味、ちょっと(・・・・)古いですからね〜。ナナは大体分かりますけど。……あっ、いやっ、別にナナが──』

 

菜々ちゃんは何故かよく分からない弁解を始めた。というかちょっとじゃ済まないくらい懐かしい曲だと思うんだけど。だって今の私の親ですら「ばり古いの聞いとるね〜」と言うくらいだ。『ばり』というのは『とても、非常に』という意味を持つ方言だ。少なくとも30年は時代を逆行している。

 

そして驚くことに菜々ちゃんは私の聞くフォークソングの全盛期、J-POP黄金時代の曲を相当存じ上げている。まあ、その頃はアイドル歌謡全盛期でもあった訳だし、アイドルが大好きな菜々ちゃんはそこから派生していったのだろう。

 

慌てている菜々ちゃんを落ち着かせる為に、私はほんの少しだけ歌を披露した。

 

「so silent night〜」

『ドア〜抜けてく ……ってやらせないでください!』

「ああ〜」

『私の恋は〜 ……ってもう! というかこのやりとり昨日もやりましたよね!?』

 

分かっててもノッてくれる菜々ちゃんが好きです。しかしまあ、よく分かるものである。前者は兎も角、後者の奴なんてああーしか言ってないのに。

 

「菜々ちゃん、相当だね」

『うぐっ! ……だって好きですし』

「後でいっぱい歌おうね」

 

それにしても菜々ちゃんの歌声、テンポの速い『メルヘンデビュー!』ではあまり伝わらないのだが、ロングトーンもビブラートも相当上手い。これまでアイドルとして、声優としてたくさん練習を積み重ねてきたのだろう。私もこれからは頑張らなくてはいけない。

 

「取り敢えず……えっと、名前知らないけど、その人連れてきてもいいよ」

『はい、分かりました! ちなみに、その子の名前なんですけど──』

 

連れてくる子の名前を聞いた私はその後、いつの間にか昼ご飯から戻ってきていた夏樹に呼ばれ、練習を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

私はギターレッスンが終了すると、一度施設のシャワーを軽く浴びた後、集合場所のコンビニへと足を運んでいた。

 

今日のカラオケは三人という少ない人数だが、実は私はあまり多い人数のカラオケは好きではない。何故なら人数が増えればそれに比例して自らが歌える時間が減っていくからである。わいわいするのも楽しいとは思うが私は沢山歌いたいのだ。勿論、その場の空気を読むくらいの能力は持ち合わせているが。

 

さて、これから何歌おうかねー。色々歌いたいけれど、今日はビリビリ・バンバン、アンドレ・クンドレ、危険地帯で攻めていこう! ビリビリ・バンバンをばんばん歌う……フフ……。

 

少し歩いて目的地が近付くと、そこには既に到着していた菜々ちゃんと、茶髪に黄色のエクステを付けたかっこいい服装の女の子が話していた。私に気付いた菜々ちゃんはこっちですよー、と愛嬌たっぷりの笑顔で手を振る。可愛いなー。

 

「待たせた?」

「いえいえー、ナナもさっき終わったばかりですよ!」

「そう、良かった」

 

菜々ちゃんは人を安心させる暖かく朗らかな笑みを浮かべながら言う。それによって寒い外を歩いてきた私の心はほんわかポカポカであった。

 

そして私は菜々ちゃんの隣に立っている少女へ自己紹介を行うことにした。

 

「……初めまして、小暮深雪です」

 

取り敢えずどんな人物か分からなかった私は無難な挨拶を選択する。

 

昼に電話で話題になった彼女──二宮飛鳥さんは私に向き直ると少し緊張した様子を見せながらおもむろに口に開いた。

 

「……ボクは飛鳥、二宮飛鳥だ。深雪さん、よろしく頼むよ」

 

彼女の自己紹介が終わるとさっ、と目を逸らされた。恥ずかしがり屋さんなのだろうか。それともあれか。よろしくと言いながらも仲良くなる気はありませんとかそういう感じか、こんにゃろ。まあ、流石に冗談だが。

 

そう疑問に思っていると、菜々ちゃんはなんとも慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべていた。

 

「ふふふ、実はですねー、飛鳥ちゃんってば──」

「駄目! ……ふっ、菜々さん、やめてくれないか? それよりほら、さっさと入館するとしよう。ボクら人間が所持している時間は決して百載無窮(ひゃくさいむきゅう)という訳ではないんだ。こうしている時間も惜しい」

「ふふっ、そうですね♪」

 

二宮さんは余裕を装いながらも必死な剣幕で菜々ちゃんの言葉を遮っていた。

 

しかし、彼女の言うことにも一理ある。時間の経過とは実に儚いものである。子供の頃は毎日学校の授業ばかり。その一日一日が長く退屈なものであったと思っていた。だがやはり大人になって思い返すと、此処までの人生あっという間であった。前世の学校での友人とのやりとりなんて昨日のように思い出せる。非常に感慨深いものである。

 

「寒いし、二宮さんの言う通り早く行こう。寒いし」

 

少し早口で捲し立てる。大事なことなので二回言いました。

 

私はマフラーを巻き直すと二人と一緒に歩き始める。そして私は早速気になっていたことを二宮さんに聞いてみた。

 

「どうして私達がカラオケに行くって知ってたの?」

 

あかん、なんだか尋問しているようになってしまった。こういうキツい言い方をしてしまうから色々と誤解を生んでしまうんだよなあ。なるべく気を使ってはいるんだけど。

 

そして聞かれた本人はあまり気にした様子もなく、何処となく気取った様子で私の疑問に答えた。

 

「その疑問は尤もな事だ。二人で行く約束をしていた筈の君達に、ボクという第三者が如何にして介入したか。……ふっ、安心してくれ。結末は複雑に絡まりあった糸のようなものではない。ああ、知っていた理由かい? ただボクが君達の席の近くにたまたま座っていた、それだけの事さ」

 

最後の文だけで良かったような。

 

「しかしそれでは今ボクが此処にいる証明には成り得ない。先程のは飽くまでボクが “知っていた” 理由だからね。 “此処に存在する” 理由はまた別の事象へと移り変わっていく」

 

おう。

 

「かといってこの理由が複雑なものと言えばそうではない。それはそれは単純明快な解答さ。ボクが君に──興味を抱いた、という些細な確率事象改変が発生したに過ぎないんだ」

「……それはどういう意味?」

「変な意味はないよ。言葉通りに受け取ってもらっても構わない。深雪さん、ボクは何時もカフェで本を読みながらクールに佇む君と話してみたい、そう思っただけに過ぎない」

 

まさか君からカラオケという言葉を聞くとは思わなかったけどね、と彼女は付け足した。よく喋るものである。

 

そして私は思った。無駄に長くする話し方といい、勿体振るような答え方といい。この子は──コミュニケーション能力(・・)不足だと。

 

コミュニケーション能力というのはただ会話をする事だけに留まらず、如何に自分の考えを的確且つ簡単に伝えることが出来るかで決まっていく。更にその中で最も重要となってくるものがある。それは “全体像” と “要素” というものである。

 

だがまずその前に “コミュニケーション” における前提を確認してみよう。コミュニケーションとは『互いの認識のズレを修正しあう行為』の事であり、その目的は『意図した行動に到達すること』である。

 

具体的な例をあげよう。身近なもので例えるとするならば『絵描き歌』なんてどうだろうか。

 

『丸を描いて、その中に三角形。そしてその下に横棒、上に黒い点が二つ』

 

この絵描き歌の内容を全く聞いたことがないという人が集まれば出来上がったものは十人十色になる可能性もあれば、同じ様な絵が出来上がるかもしれない。そこで先程の『互いの認識のズレを修正しあう行為』という物が必要になる。

 

まずこの絵描き歌の悪い点は “要素” から先に言ってしまっていることだ。コミュニケーションの基本事項として、まず絵描き歌を歌う者がはじめに聞く者に理解させなければならないことは “全体像” である。

 

“要素” といのは簡単に言えばバラバラにされた漢字のようなものだ。漢字をバラバラに渡されたとしても、いずれ完成出来るかもしれないが非常に時間がかかるだろう。非常に非合理的である。そこで “全体像” だ。 “要素” を渡す前に “全体像” を渡しさえすれば、渡された “要素” がどういったものなのかはじめから理解出来るし、散らばっている “要素” を容易に要約出来る。漢字の例で言えば『車 戈 十』の字をいきなり渡されて分からなくても、まず『載』の字を渡されたらどう組み立てていけば良いかわかる筈だ。先程の絵描き歌でも同じことが言える。

 

『丸を描いて、その中に三角形。そしてその下に横棒、上に黒い点が二つ』

 

という歌の前に『人の顔みたいな形』という言葉を付け加えることにより頭の中で描く絵のイメージが明確になることだろう。全体像が冒頭にあることが、分かりやすさ、伝わりやすさへの基本事項なのだ。

 

他にも帰納法やら演繹法なんて物も存在するが、これ以上は長くなる為言うつもりはないし、そろそろ面倒になってきた。

 

さて、ここまでの事は理解してくれただろうか。つまり彼女、二宮さんはそこのところが全く出来ていないのだ。中学生に言うのも酷だとは思うが、彼女はアイドル、言い方を変えれば既に社会人なのだ。社会人たる者、コミュニケーション程度出来て当たり前の世界である。

 

勿論日常の中で常に気をつける必要性は無いし、堅苦しい事この上ないし、しかも鬱陶しい。だか彼女のそれはあまりに度が過ぎていた。まるでわざと(・・・)そうしているように。よって私の老婆心に火がつく。

 

「二宮さん、あのね──」

 

そしてカラオケに着くまで私のコミュニケーション講座が開かれた。その間の二宮さんは冬のナマズのようにおとなしかったが、妙に目が輝いていたのが印象に残った。

 

尚、受付の時菜々ちゃんが学生証を忘れていたので店員さんの説得に少し時間が掛かった。今後はしっかり持ってきてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

冬真っ盛りな季節という事もあり、カラオケ施設を出た7時にもなればとうの昔に陽は暮れていた。しかし、日は暮れども人の姿は一向に消えず、寧ろ活発化して来ているようにも見える。何故なら後一週間もすればクリスマス。一年の中でも最大級のイベントである。とはいえ、私はもうそんな事で喜ぶような年はしていないのでどうでもいいのだが。

 

夜の街並みを楽しみながら私達三人は歩いていた。菜々ちゃんは駅へ、私と二宮さんは寮へと向かう為に。

 

「楽しかった」

「そうですねー! ナナもあんなにはっちゃけたのは何年振りでしょうか!」

 

まず年単位の出来事な事に内心驚きを隠せない私。

 

「そうかい、それは良かった。ボクは君たちが歌う曲は何も理解出来なかったけどね」

 

でしょうね。逆に理解出来ていたのいうならば私は尊敬する。良い趣味持ってるね、と。

 

そう思っていると二宮さんは少し慌てた様子を見せながら弁解を始めた。

 

「おっと、文句を言ってるつもりはないよ。ボクも其れなりに楽しめたからね」

「気にしないでいい」

 

ちなみにだが私と菜々ちゃんが歌う曲は本当に時代が違うのだと二宮さんの曲を聞いて実感した。

 

 

『菜々ちゃん、これハモろ』

『いいですねー! ではナナはハルコやるので深雪ちゃんはタカコのパートお願いしますね!』

『……(次に歌う曲聞いてる)』

 

 

『宇宙規模の〜』

 

『菜々ちゃん知ってる?(ぼそり)』

『いえ……でも歌詞凄いですよね(ぼそり)』

『でも二宮さんカッコいいからピッタリな気がする(ぼそり)』

『かっこいい……確かにそうですね(ぼそり)』

 

 

『菜々ちゃん、ハモろ』

『いいですねー! ではナナはアンドレ・クンドレやるので深雪ちゃんはコージのパートお願いしますね!』

『……(携帯ピロピロ)』

 

 

大体こんな感じであった。本当の意味で二人の空間が出来上がっており、二宮さんが少し不憫だった。本当に楽しめていたのだろうか。まあ、知らない曲聞いても面白くないだろうし、眠くなるからね。仕方がない。

 

ただ私が『つぐない』を歌った時に菜々ちゃんが泣いたのは少しびっくりしてしまった。なんでも当時を思い出したとか。その後必死に弁解していたが、当時ってあんた、未成年が何を言っているのだ。

 

そんなことを考えながら三人でゆっくりと歩いている最中、二宮さんが誰に言うでもなくボソリと呟いた。

 

「菜々さんは兎も角、まさか深雪さんもあんなに古い歌を歌うだなんてね」

「……兎も角、ってどういう意味?」

 

それを目敏く聞きつけた私は疑問を投げかけた。兎も角、というのは問題外という意味もあり、この場合であれば菜々ちゃんが古い曲を歌うのは想定内ということである。菜々ちゃんも古い曲が好きだということが知られていたのだろうか。

 

「え? ああ、だって菜々さんの歳──」

「わーっ! わーっ!」

 

菜々ちゃんは必死に食い下がる。必死な様子もまた可愛い。

 

しかし、どうしてそこで歳という言葉が出てくるのであろうか。確かに菜々ちゃんは17歳ではなく18歳かそこらではあるだろうが、其処はあまり関係ないだろう。

 

そんなやりとりをしているうちに駅へと到着した。菜々ちゃんはウサミン星住みらしいのでここでお別れだ。

 

「それでは二人とも、お先に失礼しますね!」

「うん、またね」

「ああ、また明日」

 

菜々ちゃんに小さく手を振り見送る。やがて駅の中へと入っていくと、私達も寮へと足を運び始めた。

 

「……」

「……」

 

……さて、遂にきた。私がここに来るまで最も危惧していた状況が。

 

まずは私と二宮さんの関係についておさらいしてみよう。

 

彼女と私は初めて知り合った同士だ。もっとも、彼女の方は違うらしいが。そして歳で言えば彼女は中一で、私は高一、いや実質大人である。つまり今時の中学生がどんな事を話すのかなんて私には見当もつかないのだ。まあ、私が話についていけないのなんて今更だし、出来てたらもっと友人は多いはずなのである。いいんだけどね。

 

しかもだ。カラオケに入る前、私は彼女に偉そうにコミュニケーション云々なんてものを語ってしまっている。自分が出来ているとも言えない状況で、ましてや初対面にだ。いや、知っているのと知らないのではかなり違うのだが、正直あれは私が仮に第三者の目線であれば何様のつもりだと突っ込みを入れていたかもしれない。そして彼女の話し方がわざとだった、という可能性も捨てきれないのだ。

 

「──ボクは……あんな事を言われたのは初めての経験だった」

 

私がそんな危惧を予感していると突然、彼女が口を開いた。

 

「ボクが俗に言う中二病、つまりはイタイ奴だと言う事は自覚している。君だって分かっているだろう? このエクステだって社会に対する些細な反抗さ」

 

少し欠けた夜月を見上げながらエクステを持ち上げ、さらさらと指から落とす。その様子は容姿も相まって映画のワンシーンのようであった。

 

「そんなボクだ。初対面から怪訝な目で見られる事も多々あり、頭ごなしに注意してくる大人も多くいた。本人は親切で言ってるのかもしれないが、ボクはそんな事望んじゃあいない」

 

けど、そう言うと彼女は少しタメを作ると、真剣な表情を崩し、柔和な笑みを浮かべた。

 

「深雪さん、君は違った。君はボクのアイデンティティを否定せず、これからのボクを懸念し、そして教鞭をとってくれた。あの時真剣な顔の君に言えなかったけど、この勿体つけるような話し方、実は……わざとなんだ」

 

少しだけ気まずげな様子を見せながらも彼女は話すのをやめなかった。

 

「カフェで見る限りいつでもクールな人と思っていたんだが、ボクの目は節穴だったようだね。何故なら君の内はあんなにも熱く、そして静かに燃えているのだから」

 

いつの間にやら寮へと辿り着き、靴を靴箱へと片付けると、再び彼女の唇は言葉を紡ぎはじめた。その表情には少し照れが見える。

 

「つまりは、その、ボクは君に感謝しているんだ。表層ばかりに気を取られず、ボクの本心……ありのままのボクを認識した上での君の言葉……胸に響いたよ。ああ、これだけははっきりと真実を伝えたかったんだ」

 

中履へと履き替えた私達は廊下を歩き、階段を目指す。

 

「それに今日のカラオケ……非常に興味深かったよ。初対面で何を言ってるんだ、と思うかもしれないけど、君の新しい一面、というものを垣間見た気がする。理解を深めるために、君達が歌っていた曲を寝る前にでも、もう一度聞いてみることにするよ。ふふ、実は君達が歌っている間に曲名をチェックしていたのさ。それじゃあ、ボクの部屋はこっちだから。今日はボクの我儘を聞いてくれて──ありがとう」

 

そう言って僅かに笑みを浮かべながら彼女は二階で私の前から姿を消した。ふと窓を見ればしんしんと雪が降っていた。

 

私はその場に留まっている足を動かし、階段を上りながら先ほどの言葉について考える。

 

私が考えていた通り、彼女の話し方はやはりわざとであった。しかし彼女は私の余計なお世話と言ってもいい言動を邪険に扱わず、真摯に受け止めてくれた。多くは語らないという雰囲気の風貌に反して彼女は非常に饒舌であった。

 

そしてなんだかよく分からないがその事が彼女の琴線に触れたらしい。中二病、というものはよく分からないが、かっこいい事もよく言っていたし、褒められていたような気もする。それに私達の会話を理解するために曲を覚えてきてくれるなんて……彼女はなんていい人なのだろうか。今まで私の周りでそんな人物は一人もいなかった。なんだか感動さえ覚える。しかし、しかし一つだけ私は物申したい。

 

彼女が口にしていた言葉を思い出しながら私は思った事を率直に素直に吐き出した。

 

「……私は壁か」

 

今日の夕飯はハンバーグだった。美味しかった。

 

 

 

 



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第10話 前日

12月22日 月曜日

 

先週と同じように学校が終われば即座に帰途につき、事務所にて四人でレッスンを行っていた。空調が効いているとはいえ現在の季節は冬。室内では先程まで少し肌寒い思いをしていた。しかし、演奏を重ねるにつれて体が暖まり、現在ではしっとりと汗をかいている感覚さえ覚える。やはりタオルは春夏秋冬いつ何時(なんどき)如何なる場合でも常備するものだと改めて我がソウルフレンドであるタオル(赤)君に感謝した。

 

しかし、そんな私はまだマシな方なのだ。エキストラ出演である私は普通にやっていれば問題はないのだが、夏樹、輝子の二人はギターパフォーマンスというものもやらなければならないのだ。私の見せ場もあるといえばあるのだがスポットライトに当たる時間は二人に比べれば無いに等しい。それに二人には掛け合いというのも存在するので更に難易度が高い。その為、休憩時間には二人とも汗ダラダラなのだ。

 

え、のあさん? のあさんは何時でも冷静に大胆に、そして正確にビート刻んでいるよ。ドラマーであるのあさんも相当疲れるはずなのに汗一つ掻いていないのは、やはり人間を超越しているからだろうか。魂を奪われたアンドロイドと言われる由来がわかったような気がする。

 

私は部屋の隅に置かれているタオルとスタミナドリンクを疲れた3人に手渡す。

 

「感謝するわ」

「おっ、サンキューな!」

「あ、ありがとう」

 

ふふふ、ええんやで。

 

ごくごくと勢いよくスタドリを飲み干した夏樹は流した汗を拭うとそれにしても、と前置きを入れ話し始めた。

 

「最初に比べたら成長したよな、アタシら」

「そうね、初めは個々が目立ち過ぎていた。けれど練習を積み重ねた今、ばらばらだった周波数がほぼ完全に同期しているのを感じるわ」

 

夏樹の言葉にのあさんが同意を示すと、その後に輝子が続いた。

 

「ふひ、特に深雪さんの成長は著しい」

「私?」

 

私は口につけようとしていたスタドリを置き、輝子の方へと向き直った。

 

「あっ、それはアタシも思ったぜ。日に日にクォリティが上がるんだよな」

「そうね、深雪の成長は眼を見張るものがあるわ」

 

お、おう。なんだなんだみんなして急に私をべた褒めして……。なんだか照れるな。

 

「まあ、私の場合は初心者というより、長い事離れていたってだけだから。……ベースは初めてだけど」

 

そんな内心はおくびにも出さず私は冷静に答える。

 

「それに本番までの期間も短かったから、早めに細かい調整に入れるよう気合入れた」

「おお、深雪さんからそんな熱い言葉を聞くとは、な」

「……初めてのステージだし。これでも人並みには緊張している」

 

私は首にかけたタオルをギュッと握り締める。当たり前だ、緊張しないはずが無いのだ。今度行われるウィンターライブのような大舞台に立った経験なんて前世今世合わせても皆無なのだ。

 

期日は既に一週間どころか二日を切っている。明日は簡単な立ち位置確認とリハーサルがあり、二日分が一日掛けて行われる。そして明後日のクリスマスイブが本番だ。今回のウィンターライブは二日に渡って開催され、私たちはその初日が出番なのである。

 

この前衣装合わせなんてものもやったのだが、グループのメンバーがメンバーなだけに非常にロックな仕上がりであった。少し露出が多いのが気になったが、どうせ顔出しNGなので関係ないかと開き直ったのは記憶に新しい。

 

……本番、どんな感じになるんだろう。ちゃんと演奏出来るかな。

 

「おいおい、気持ちは分かるけどよ、今から緊張しても仕方ないぜ?」

 

夏樹は私の右手を指差し、苦笑しながらそう言う。それによって初めて右手が震えていることに気が付いた。私は誤魔化すように気丈に振る舞った。

 

「これはただの武者震い」

「おっ、言うじゃねーか!」

 

私の肩をポンポン、と叩くと夏樹は悪戯っこのような笑みを浮かべながら私のタオルを奪い取りそのまま顔へと近付けた。

 

「わぷっ」

「ははっ、ほらほら!」

 

くしゃくしゃと少し乱暴な手付きで私の顔がタオルによって蹂躙される。メイクが崩れるのでやめて欲しい、そう思ったがよく考えると崩れるほどのメイクを施していなかったので、あまり関係なかった。それにどうせレッスンを終えればシャワーを浴びる事になるので尚更である。私はされるがままの状態で放置した。やがて満足したのか夏樹はタオルを私の首にかけ直した。全く、いきなりなんだというのだ。私は恨めしい顔を夏樹に向けながら乱れた髪を手櫛で元に戻す。

 

「ま、今はそうやって肩の力抜いとけよ?」

 

そこで私は察した。夏樹は私の緊張を和らげてくれたのだ。

 

「……ありがと」

「何のことだか」

 

夏樹は知らん顔をしながら激しい練習によって崩れていたリーゼントを元に戻し始めた。我ながらいい友人を持ったものだ。

 

出来上がったのか夏樹は鏡で頭を確認し、良し! と満足気な声を上げ、笑みを浮かべた。

 

そんな様子を見ながら私はスタドリの消費に勤しんでいた。この例えようのない味を醸し出すスタドリは練習している時に事務員の千川ちひろさんがいつも柔和な笑みを浮かべながら配布してくれるのだ。ありがたい事である。

 

ちなみにスタドリ自体はなんとも度し難い味ではあるがそこそこ美味しいし、心なしか体力も回復しているような錯覚さえ覚える。あれ、もしかしてドーピング作用あるのこれ。えっ、ヤバくないですか?

 

と、どうでもいい事を考えているうちにスタドリを飲み干してしまったので、後で捨てようと部屋の隅に置いた。忘れない様にしなければ。

 

その後しばらく無言の時間が続き、各々が身体を休めていた。5分くらい経過すると座り込んでいた夏樹が立ち上がり私達へと声を掛ける。

 

「さて、と。そろそろ再開するとしようぜ」

 

その声によって私達は各々の持ち場へと立ち直り、楽器を手に取る。

 

その瞬間、四人の雰囲気が変化した。真剣な表情を浮かべながらも自分がアイドルだと言う事を自覚し、それぞれ自分のキャラに合った()を出していた。今回は本番前最後の練習という事でボーカル担当である輝子による演奏前の台詞……所謂、決まり文句から演奏へと移り変わる。こういったモノもきちんと事前に考えておくものなのである。ちなみに輝子は立ち位置に着いた瞬間から既にヒャッハー状態なので、吃る事はない。それに防音室で行なっているため外に漏れる心配もない。

 

「ヒャッハアアアアアアアアアアア!!! お前らァ、今日は──」

 

ただこの喧しい声にはいつまで経っても慣れる気がしない。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

12月23日火曜日

 

次の日、私と輝子は揃ってパシフィコ横浜の国立大ホールという場所へと赴いていた。理由は簡単で、ここでこれからリハーサル、そして明日は本番が行われるからである。

 

「こ、こんな広いとこでのライブ、私初めてだ」

 

隣に座っている輝子は思わず呆然としていた。その気持ちはよく分かる。

 

現在の時刻は10時。リハは機材の関係で11時半予定の為、少し時間が空いていた。なので私達四人はどうせ暇だからと観客席に座り、他の出演者達のリハーサルを眺めていた。現場慣れしているのか作業員の方々もアイドル達も手際が良く感じる。

 

「ちゃ、ちゃんと声届くかな?」

「音響しっかりしてるし、他の人のリハを見る限りは大丈夫だと思う」

 

来る前にも簡単にホール内の写真を調べてきたのだが、やはり非常に音響が良さそうな造りをしている。それに相当広い。少なくとも席数は2300席近くある福岡サンパレスの2倍以上はあるだろうと予測される。そう思いながら会場のパンフレットを見てみると、なんと5000席も存在するらしい。本当に2倍以上であった。私は思わず目を見開いたが、今をときめく346アイドル達にはうってつけのライブ会場だろう。聞いたところチケットは二日分とも即日完売だったそうだ。改めて346アイドルって凄いと感じた。

 

私達の座っている席はステージからまあまあ近い位置の真ん中。しっかり顔が見えるくらいの位置である。ちなみに同僚にもなるべく明日の事をバラしたくなかった私はニット帽とサングラスというささやかな抵抗を試みていた。髪は一つ結びにしてニット帽に収納して、見えないようにしている。もちろん既に3人には口止め済みである。私のことは“CB/DS”と紹介するように言っている。cool beauty / deep snow である。どうせ私の出番は今回限りだと思うのではっちゃけてみた。ネーミングセンスについて突っ込むのは野暮という奴だ。本番のメイクについてもあの方々(・・・・)みたいに、と要望して通っているので少し楽しみである。髪についてはカツラか被り物のどちらかと言われたので被り物にさせてもらった。1日だけ染めるという手もあるらしいが、髪が痛むのでオススメはしないとの事である。私としても後処理が面倒なのでやりたくはない。

 

現在私はマスクもしているのだが、これは変装とかそういう意味はなく、風邪の予防と喉の乾燥を防いでいるだけに過ぎない。特に会場は人が多いので何処から菌が飛んで来るか分かったものではないのだ。寧ろ普通に考えて菌が飛んでいないわけがない。本番、しかも初ライブの日に風邪を拗らせるなんてバカ丸出しな事は絶対にしなくない。もちろん輝子にもきちんとマスクの重要性を説いて着用させてある。

 

クラシックの歌手なんかは特に細心に気を配っており、本番一週間前くらいからは酒とタバコを禁止し、常にのど飴を舐めたり、本当に凄い人は自分が歩く場所をシュッシュスプレーで濡らして乾燥を防いでいたりする。ホテルで寝る際も加湿器が無ければバスタブにお湯を張って寝るという事も珍しいことではない。しかし、この徹底振りは凄い事ではなく当たり前のことなのだ。テニスプレイヤーの商売道具がラケットであるようにクラシック歌手の商売道具は喉。無くてはならないものなのである。しかも喉はラケットと違い、換えという物が効かない一品物。痛めて声が出なくなればそこで試合は終了、どころか開始すら出来ないのだ。そして「次頑張ればいいや」で終わるほどこの世界は甘っちょろい物では無いのだ。

 

歌の上手い下手いは場数と練習をこなせばどうともなる事かもしれないが、今回の場合は視点が違う。風邪、喉の痛みなどの理由で本番に失敗すればまず関係者からの信用を失う。信用を失えばどうなるか。関係者から関係者へと伝わり、最終的には「あの人は肝心な時に風邪を引くから次もそうなるかもしれない。あの人に仕事を頼むのはやめておこう」となるのだ。仕事を頼まれないという事はお金も入ってこない。お金が入ってこないという事は生活が出来ない……というルートへとなってしまうわけだ。これはどんな仕事でも共通する事ではあるが、ここまで言えばあの徹底ぶりも納得出来るはずだ。こういったものは全部自己責任。風邪を引いたから仕方ないでは済まされないのだ。

 

近年、喉痛い筈なのにライブ頑張ってて凄いカッコいい、などというファンのコメントをSNSでよく見かけるが、私には唯の甘えにしか聞こえない。どんな理由があろうとも悪いのは全て歌う本人であり、そこに褒められる要素なんてものは何一つとして存在しない。ツアーで喉を酷使するから仕方ない? 甘えるな。ちゃんと喉のケアをしろ。自分の力量を弁えろ。そして喉を酷使するような歌い方をするな。それに今喉が痛いけどライブ頑張るなんて虫酸が走るような事を平気で美談みたいに語る本人にもムカッ腹が立つ。意識が足りないというかなんというか……見ている人に申し訳ないという気持ちは湧き上がってこないのだろうか。それが不思議でならない。そんな事を言う輩というのは “見せてやっている” ではなく “見に来てくれている” という事を綺麗さっぱり忘れているのだろう。ファンがいなければ所詮生きていけない世界だというのに。

 

これからリハーサルだというのに、思い出しただけでも腹立たしい。なまじ似たような事に関わったことがある所為か余計にそう思えて来る。

 

「み、深雪さん……?」

「……」

 

いけない。少し情緒不安定になっていた。忌まわしきあの日が近付いてきたからだろうか。あの日が近付くとこういう事が偶におきるのだが、まだ日数的には余裕があるはずなのである。つまり先程のは私が明日行われる本番に対して緊張を抱いている、という事に他ならない。今はまだステージにすら立っていないので自覚はそこまで無いのだが、いざとなっても地に足を付けることが出来るのかという不安は既に感じていた。恐らくこの微妙な心の変化が先程のような不安定さを表に出してしまったのだろう。普段の私であればあそこまでは行かないと思う。私は少し短気なところがあるので断定は出来ないが恐らくそうだ。

 

私は心を落ち着けるために深呼吸を行い、お茶で喉を潤す。ふぅ、もう大丈夫だろう。

 

「……大丈夫」

「……本当?」

 

落ち着いたと思っていたのだが輝子は未だ心配そうに形の良い眉を八の字にして丸い瞳を此方に向けていた。今の私はニット帽にサングラス、おまけのマスク装備で完全なる不審者のような格好だが、輝子は私の変化が分かるようだ。

 

……ダメだな私。いくら輝子がアイドルとして先輩とはいえ、こんなに幼い子に心配されるとは。情けない。前世ではもっと上手く立ち回れていたような気がするが……心が体と同じく年相応になってきているのか? だとしたらこの事についても納得出来る。現在の私の年齢から考えると思春期真っ盛り。まだ心が安定しきれず些細な事でも大きく揺れてしまう心理的に不安定な時期である。本当にそれが関係しているのかどうかは定かではないが可能性としてはなくもない。こういう時は自分を客観的に見る事が大切だと母さんが口酸っぱく言っていた。自分を客観的に見れば感情が抑制されて冷静になれる、との事だ。母さんは私の短気な部分を知っていたのだろう。ありがたい事である。会話がない時の私は脳内で無駄に思考を張り巡らせているのでそういう考察は得意だ。

 

「うん、本当にもう大丈夫」

「そ、そうか」

 

とはいえ、流石に視野を広げすぎた感が否めないので思春期云々についてはひとまず置いておこう。それに武内さんから激励の言葉を貰えば多少は良くなるかもしれない。いやー、あのどこまでも響き渡る低音バリトンボイスは男が聞いても惚れると思う。私はあの声大好きだ。

 

「深雪さん……暑くないのか?」

「……少し」

 

気を取り直して、輝子の言う通りこのホール内、非常に暖房が効いているのだ。その為殆どの人が来るときまで着ていた上着をその手に持つか、座席にかけていた。私も上着は脱いでいるのだが、やはり帽子を被っている所為もあり、頭が暑く感じる。それに他に帽子を被っている人がいないので身バレしないように被っているのが逆に目立ってしまうのだ。とはいえ帽子を取っても結局は目立ってしまうのでどっこいどっこいなのである。

 

「輝子、あの人は誰?」

「あの人は……片桐早苗さんだね。ほら、『Can't stop!!』歌ってる人だよ」

「ああ、コール楽しい奴だよね」

「うん」

 

しばらくリハーサルに出て来るアイドル達の話をしていると夏樹が到着した。現在の時刻は11時15分。リハーサルというものは大体の人が時間いっぱいやる物なので丁度いいといえば丁度いい時間である。

 

「よう、二人共早いんだな」

「……うん、早めに来てのんびりしようと思って、ね?」

 

そう輝子に確認を取ると頷きの肯定が返ってきた。

 

「そうか、アタシはバイクで来たんだけど、失敗だったな。道の混み具合が凄くてギリギリになっちまったよ」

「多分明日明後日のライブの為に地方から来た人なんかじゃない? 場所確認とか観光とか」

「ははっ、それは文句は言えねーな。二人は電車だろ?」

「うん、他に交通手段ないしね」

「まあ寮だからな」

 

当たり前か、と夏樹は周りに配慮して小さく笑う。

 

「……そういえば、のあさん知らない?」

「ふひ……確かにもう集まってもいい頃」

「のあさんだったら外に出たとこのベンチで隣に座ってた猫を見つめてたぜ。まっ、流石に遅刻はしないだろうよ」

 

……あの人自由だなぁ。まあ、これで全員揃っていることが判明した訳だ。遅刻の心配はないだろう。

 

夏樹は私の右側の席へと腰をかけると、その手に持っていた飲み物を地面へと置いた。その様子を見て急に喉が渇いた私はカバンの中に入れていたお茶をおもむろに取り出し、一口、二口と喉を鳴らしていく。戻したところで私はマスクをしていない夏樹へとマスクを取り出す。お節介かもしれないが、そう思われても別に構わない。

 

「はい、夏樹」

「ん? ……ああ、確かに人多いしな。サンキュー。……ところで今日の深雪って変装してるみたいだよな」

 

笑う、というよりニヤリといった表現が正しいであろう表情を此方へと向けた。いや、まあ、みたい、ではなく本当に変装してるんだけどね。

 

「おっ、よく見たらそれR○y-Bunのティアドロップ型アビエイターじゃん! 洒落やがってこのー」

「ふふ、誕生日に買ってもらったんだ」

「アタシも欲しいんだけど、別に詳しい訳じゃねーんだよな。今度教えてくれよ」

「いいよ」

「わ、私も、変装用に……!」

 

その後も話を続けていると突然ステージの上座からのあさんが堂々と登場した。……ん?

 

「おい、あれってのあさんじゃないか?」

「う、うん……」

 

関係者がざわざわし始めた。対するのあさんは表情では分かりにくいが立ち惚けているように見える。

 

現在リハーサルをしているアイドルのプロデューサーらしき人がのあさんへと駆け寄る。ここからでは聞こえないが何やらのあさんに事情を説明しているように見える。するとのあさんは神妙な顔付きになると関係者の方々へとごめんなさいをして逃げるようにステージから降りた。

 

その後すぐ私達の存在に気付いたのか何故か少し怯えを見せながら此方へと近付いてくる。それを見ている私達は登場が少し予想外で言葉もなかった。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

私達の前へと足を止めるとしばらく無言の時間が続いた。此方としても彼女の反応を伺っている状態なので先手に出る事は出来ない。

 

「……」

「……」

「……」

「…………マ、待たせたわね」

 

そしてリハーサルの時間がやってきた。

 

 

 

 



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第11話 ライブ前

いよいよ、本番当日。ライブ自体が開始される時間は17時、そして集合時間は15時。14時くらいには現場入りして精神を落ち着けたいところである。恥ずかしい話私は前日の夜、興奮と緊張の所為で少々寝不足気味であった。

 

その為、朝の9時。起きてまず最初に行った事は二度寝である。仕方ないでしょ、眠かったんだもん。それに寝不足気味でライブを行うより、しっかり睡眠をとった上でステージに立つ方が良いに決まっている。そういう訳で、二度寝した結果現在の時刻は11時半。準備するにはそろそろいい頃合いである。

 

私はベッドから起き上がり軽くシャワーを浴び、歯磨きをしていい感じの服を見繕うと、薄くメイクを施す。例によって首から上は完全装備である。

 

全てをパパッと簡単に終わらせた為、40分しか時間は経過していない。内心ドヤ顔を決めながら部屋のカードキーを手に取り、室内用の上履きを履くと私はそのまま部屋を後にした。昼食の時間である。尚、本日はドが付くほどの平日であるので寮の昼食は存在しない。学校に関しても公欠扱いである。ちなみに明日から冬休みに入るので冬休みの宿題は全て一昨日に貰っている。

 

ガチャリと扉を開けると、同じ様な音が隣から聞こえる。その方向へと顔を向けると鼠色の長髪と、クリンクリンとしたアホ毛が私の視界に映った。

 

「おはよう」

「おはよう、深雪さん。丁度行こうと思ってたんだ」

 

最近毎日会っていると言っても過言ではない輝子。カジュアルな服装を身に纏う彼女は見るからに余所行きといった様子である。いつも所持しているキノコのトモダチもその手には無かった。流石に今日は構う暇が無いという事でお留守番なのだろう。

 

私が短く挨拶をすると丁度良かったと言う。私も彼女の元へと行こうとしていたので同じ意見である。

 

「どうする? こっちで食べるかあっちに行って食べるか」

 

あっちとは勿論パシフィコ横浜の事である。本日の決戦の地とも言える場所だ。

 

「あっちで食べよう。その方が長くリラックス出来る」

「じゃあ、行こうか」

 

私がそう声をかけると、輝子とは反対側の部屋の扉が開かれた。

 

ガチャリ、その音と共に現れた人物は艶のある黒髪にぴょこんと存在感のあるアホ毛を兼ね揃えた火の国のアイドル。

 

「輝子ちゃんに深雪ちゃん? 何してるの?」

 

久し振りに会った様な感覚に陥るが、彼女──小日向美穂ちゃんは頭に疑問符を浮かべながら私達に素朴な疑問を投げかける。それに対して私は特に何も考えずに本当の事を言葉にしてしまった。

 

「これからライブだから」

「えっ? 深雪ちゃん出るの?」

「あっ」

 

出演するアイドルは全員覚えてた筈なんだけどなぁ……と更に口にした。そこで私は顔が顰めるのを自覚した。

 

──しまった、私はアホか!

 

私はなるべく今回のライブ出演については秘密にしておきたかった。何故ならば今回演奏する曲は私の描くアイドル像とはかけ離れており、メタルを表面に出すつもりは毛頭無いからである。そして何より他のアイドル達や、これから同期になるであろうシンデレラプロジェクトのメンバーにも色眼鏡をかけて見られたくないからである。なので今回のライブはアイドルとしてではなく輝子に雇われた、謂わばバイトのようなものである。無論、だからと言って適当にやってるつもりは一切ないし嫌々やっている訳でもない。

 

私の頭に数瞬前の自分を蹴り倒したい衝動が駆け抜けるが、まだ勘違いだと思わせる事が出来るチャンスは存在する。これからライブだとは言ったがライブに“出る"とはまだ一言も言っていない。私は先ほどの失言を帳消しにすべく口を開こうとするが、その前に輝子が決定的な言葉をポロリと零してしまった。

 

「うん、深雪さんは私の新曲でエキストラで出演するんだ」

「輝子」

「えっ? ……あっ」

 

どうやら輝子も思い出したようだ。二人してなんとも間抜けなものである。しかしまあ、バレたのが彼女で良かったのかもしれない。ヘタにバラすような人物ではなさそうだ。

 

輝子は申し訳なさそうに此方に視線を向けるが私は顔を横に振り気にしなくていいと伝えた。私も安易に答えてしまったのだ。彼女を責める事は出来ない。諦めるしかないだろう。

 

そんな私たちの様子に気が付いていないのか、美穂ちゃんは更に言葉を紡ぐ。

 

「へ〜、そうだったんだね! 実は私も今日のライブサプライズで出る予定なんだ」

「……明日も出るのに大丈夫なの?」

「うん、今日は中盤に一曲歌うだけだから」

「やっぱり『Naked Romance』?」

「そうだよ。あの曲は私がアイドルになって初めての曲だし、それに思い入れも深いから」

 

そう言うと彼女は感慨深そうな表情を浮かべるが、それは何処か嬉しそうにも見えた。

 

……チュチュチュチュワの部分をジュッジュッジュッジュワアァとかくだらない事言って一人で遊んでたなんて絶対に言えないな。

 

「ところでなんで私だって分かったの?」

 

これは結構気になっていた。正直私の変装には自信がある。何故なら身体と輪郭以外で私だと分かる要素は皆無なのだから。

 

「え? だって深雪ちゃんの部屋の前に立ってるし、それに開ける時に深雪ちゃんの名前も聞こえたから、そうかなーって。後、声も」

 

なるほど、最初からバレていた、と。私の見立てが悪かったと言う訳だ。ふむふむ、それならば仕方あるまい。今度から声にも気を付けよう。

 

内心唸っていると美穂ちゃんからも疑問が飛んできた。

 

「深雪ちゃん達はこれからパシフィコに行くの?」

「うん」

「じゃ、じゃあ、私も一緒に行っても良いかな?」

「いいよ」

「じゃあ、行くか」

 

そして私達三人は駅へと歩み始め、一時間程でパシフィコ近辺の駅まで辿り着いた。三人共ぺちゃくちゃ喋るタイプでは無かったからか、道中気まずいとまではいかないにせよ、会話は少なかった。そもそも私は話のレパートリーが非常に少ないのだ。精々私が本当に気が乗った時にしか話さない思ひ出話がある程度のものである。

 

現在の時刻は13時半を回らないくらい。昼ご飯の時間としては少々遅めではあるが、ライブが夜に行われるので丁度良い時間帯かもしれない。さて、何処に食べ行こうか。私は変装道具を装備しながら二人に問う。

 

「何処行く?」

「何処でもいいぞ」

「わ、私も」

「……私も何処でもいいけど」

「……」

「……」

「……」

 

自分を棚に上げて言うけれど、二人共受動的だなあ。そんな事ではこの激動の時代生きていけないぞ! 知らんけど。

 

そういえばパシフィコの近くの橋を渡ったところに大きい建物があったような。ヤホーマップで調べて見るとなんか色々な食べ物屋さんがその建物の中には存在しているらしい。歩くのは少々面倒ではあるが、パシフィコから比較的近いのでそこで済ます事にしよう。

 

食べ物屋さんを調べ、ここで良いかなと思った店を二人へと尋ねる。

 

「……マックでいい?」

「マ、マック? 体に悪いんじゃないかな……」

 

……ゑ? 嘘だろ、何処でもいいんじゃないの!? というか、最近の子供はそんなこと考えながらご飯食べてるのか。いやまあ、確かに見るからに体に悪そうなものばっかりではあるが、若いうちからそんな事考えなくてもいいだろう。私はマックは結構好きな方に入る。昼食で見たことない定食屋とマックを選ぶとするなら少し考えて定食屋に行くくらいにはマックは好きである。少し考える所が重要。あのチープな味が堪らないのだ。

 

「なら、ステーキ屋さんもあるよ」

「い、胃もたれしちゃうよぉ」

「……我儘だね。じゃあ、ドリアでいい?」

「う、うん……ごめんね?」

「いや、ステーキは冗談半分だから」

「……半分は本気なんだね」

 

美穂ちゃんは苦笑した。

 

行きたいという気持ちを誤魔化す事は出来なかったんだ。

 

「ふひひ、キノコドリア」

「あったらいいね」

 

私達は再び歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

「2回目だけど、や、やっぱり大きいな、ここ」

「そうだね」

 

それどころか寧ろ昨日より更に巨大に見えてくる。威圧感というか圧迫感というかなんというか。得体の知れない凄まじいオーラというものをこの建物から感じる。うん、嘘だけど。

 

しかし緊張感が高まるという意味であれば先程の言葉は的を得ているかもしれない。胸の鼓動が止まらず(当たり前)、ドキがムネムネしているのが現在の私である。ちなみにキノコドリアはあった。

 

現在私達三人の目の前に佇む建物の名はパシフィコ横浜。これまでの数々の練習という名の冒険を繰り返してきた私達が挑むボス。しかも私からすれば一番初めの何も分からない状態にいきなり出てくるラスボスみたいな感覚である。ゼ○ダで言う所の初っ端「封印されしもの」最終段階が出て来るようなものである。

 

だが、正直ここまで来たら最早腹をくくるしかあるまい。本番中の多少の失敗ならばともかく、緊張して手元が狂ったりしたら元も子もないし、今までの練習も水泡と帰してしまう。三人にも申し訳が立たない。まあ、本番が始まればそっちに集中するだろうから恐らく問題ないだろう。

 

ちなみにだが、今回のライブに参加するアイドルは私と美穂ちゃんを除くと15名程が出演する。ぶっちゃけると半分も知らない。今回出演する知り合いの菜々ちゃんと二宮さんを除けば知っているのは木場真奈美さんと宮本フレデリカさんこと、うえきちゃんくらいである。木場真奈美さんは事務所で見かけてカッコいいなーと感想を抱いてから知った。うえきちゃんは言わずもがな私のありとあらゆるSNSのトップ画に使われている彼女だ。何処が気に入ったのか私でもよく分からないのだが、恐らく何か私の琴線にでも触れたのだろう。

 

ふと輝子へと視線を向けると、丁度輝子も私を見ていたらしく、びっくりしたようにピクッと肩を揺らした。そのままじーっと見ていると何故かタジタジし始めたので、その様子が面白かった私はそのまま視線を彼女へと向けたまま話しかけた。

 

「どうしたの?」

「い、いや、深雪さん、大丈夫かな……って思ってさ」

 

輝子は視線を逸らしながらそう言う。緊張している私の事を心配してくれているようだ。

 

「多分大丈夫と思う」

「そ、そうか……」

 

そう言って要領を得てなさそうな顔をした輝子の頭をふわりと撫でると、隣に立つ美穂ちゃんは私へと声を掛ける。

 

「……深雪ちゃんって今日が初ライブなの?」

「……そうだよ。昨日から緊張しっぱなし」

「そうなんだ……」

 

彼女は口を閉じるとうーんと唸り、次に紡ぐ言葉の思案を巡らせる。頭が動くと同時にアホ毛がピコンと揺れるので、私は思わず視線をそちらに向けてしまった。

 

「……私もね、初めてのステージは本番までの一週間ずっとドキドキしてたんだ。1日が過ぎる度に本番が近づいて来るのが怖くって。練習中に失敗した時もこれが本番だったら、って思うとまた心がギュッてなってまた失敗の悪循環」

 

今も治らないんだけどね、と言いながら彼女は苦笑する。その顔は何処か憂いを帯びており、真剣な話だと理解した私は彼女へと向き直った。

 

「そして初ステージの日も出番が来るまでは『頑張ろう!』って思っててもやっぱり自分の気持ちは誤魔化せなくって足が震えて……でもね、ライブが始まる直前にね、プロデューサーさんが言ってくれたんだ。『練習は嘘を付きません。必ず成功します。今まで貴女を見てきた私を信じて下さい』……って。そのお陰でリラックス出来て、練習通りステージを終わらせることが出来たんだ」

 

美穂ちゃんはパッと私の方へ振り返ると小さくガッツポーズを取りながら声援を投げかける。振り返った際に揺れるアホ毛を、私は見逃さない。それと同時に歩く振動によりぴょこんぴょこんと跳ねるアホ毛へと熱視線を送る。

 

「私が言うのもなんだけど、緊張してるって事はそれだけ今日の為に頑張ってきた証拠だから、深雪ちゃんなら大丈夫だよ!」

 

美穂ちゃんは真剣な目でそう語ってくれた。私は先程の彼女の身振り手振りを思い出し、ほっこりしながらも、ここまで私の事を思ってくれる隣人がいる事に私は喜びを感じていた。心配してくれるのが嬉しいわけではなく、心配してくれるその気遣いが私は嬉しいのだ。似たような事なのかもしれないが、私からすると全くの別物である。

 

「……ありがとう」

「えへへっ、そんな大した事は言ってないよっ」

 

温かい気持ちになった私は根拠も無く本番は成功するだろうと確信していた。それと同時に美穂ちゃんへの好感度がぐんぐん上がっていくのを感じる。

 

「美穂ちゃんも今、緊張してるの?」

「うん……それに今日はいつもと違ってサプライズで出演だからね。受け入れられるかがちょっと不安なんだ」

 

そう言う美穂ちゃんの顔にはほんの少し影ができていた。しかしここで輝子が会話に入ってくる。

 

「だ、大丈夫だと思う。トモダチはみんな、優しいしな」

 

美穂ちゃんを見上げながら輝子はそう言った。輝子の言う「トモダチ」というのはこの場合キノコではなく、恐らく信奉者の事だろう。その意味を理解していたのか、美穂ちゃんの顔は本来の明るさを取り戻す。

 

「……ふふっ、そうだね、輝子ちゃん!」

 

朗らかな笑みを浮かべる美穂ちゃん。元気になってくれて良かった。余りにもその笑顔が可愛かったので私は携帯を取り出し、パシャリと一枚美穂ちゃんと輝子のツーショットを撮る。すると二人共気付き、小さくピースを作ってくれた。後で待ち受けにしよう。

 

緊張が解けた私たち三人は関係者入り口からパシフィコへと入館した。そのまま時間を潰すために中を散策しようとすると、何やら美穂ちゃんはやる事があるらしい。きっとライブについてだろう。私が入館する際にあげたのど飴をコロコロさせながら別れを告げると、彼女は去って行った。

 

その後やる事が無かった私と輝子は館内をぶらぶらした。結果、分かったのはスタッフの方々が忙しそうにしている事と、特にめぼしいものは無かったという事だ。施設とは関係ないが、強いて言うならば、アイドル達のグッズがずらっと並んでいるエリアが存在していたぐらいであろう。あれが物販というやつであろうか。ちょっと欲しいのがあったが、信奉者が沢山いたし、お金も正直カツカツで節約しないといけないので諦めた。後輝子が人口密度高過ぎて死にそうだったというのもある。

 

それはさておき、関係者しか立ち入れないエリアの廊下を歩いている際に思ったが、やはり346アイドル達の人気は凄まじかった。そう思った理由は“花”の数だ。企業だったり、信奉者達だったり、様々な人達から大きな花を贈呈されているのだ。基準がよく分からないので比べようがないが、恐らく多い部類だと思う。

 

「花だらけだね」

「ふひ、これ見ると凄く嬉しい気持ちになる。ぼっちの私でも応援してくれる人がいるんだな、って」

 

その表情は本当に思わず出たというような優しい笑み。それを見た私は失敗するわけにはいかない、と改めて心に刻み込んだ。

 

「……成功させようね」

「うん」

 

ずらっと並んでいる花を見ながら歩いていると前方から大きな人影がこちらに向かってくるのが見える。知ってる人かなと思っていると、やがて輪郭がはっきりし、誰が近付いて来ているのかを理解した。

 

「……小暮さん、星さん、おはようございます」

「おはようございます」

「お、おはようございます」

 

武内さんだ。彼は私たちの前で足を止め、少し頭を下げながら挨拶をした。私たちもゆっくり進めていた足を止めて礼儀正しく挨拶を行う。親しき仲にも礼儀あり、という奴である。武内さんがどう思っているかは分からないが、私としては仲良しなつもりだ。一緒に昼ご飯食べる仲だからね。実はあれからも偶に遭遇する時があるのだ。と言っても2、3回ほどではあるが。

 

チラリと首にかけている物を見てみると、そこには「会場スタッフ」の文字が書かれており、裏方で何か色々とやっているのだろうと私は勘繰った。裏で色々と、って言葉だけで裏工作とか孔明の罠とかそこらへんの如何わしい言葉が脳裏に浮かびあがってくるが、そんな事は一切関係ない。漫画の読み過ぎである。

 

「お疲れ様です。スタッフのお仕事大変ですか?」

「……いえ、やる事は沢山ありますが、苦ではありません。私が望んでやっている事なので」

 

彼の言葉はほんの少しの柔らかさが含まれていたが、顔はひたすら威圧感を感じさせた。やはり公私は分ける……というより仕事はきっちりやるタイプらしい。

 

「……小暮さんは、大丈夫でしょうか?」

「はい? ……ああ、多分大丈夫ですよ」

 

少ないワードを組み立てながら口にする武内さん。言いたい事は、十中八九ライブについてだろう。分かりにくいがその顔にはこちらを心配している様子が伺えた。彼は忙しいであろう時期にも関わらず、短い時間ではあるにせよ態々時間を割いてまで私の練習を見に来てくれていた。それでもその言葉を投げかけるという事は、やはり彼は私が思った通りに誠実な人物なのだ。

 

「……先日も言いましたが、このライブは今後小暮さんにとって大きなアドバンテージとなるでしょう。しかし、まずは「頑張る」より「楽しむ」に専念してください」

「……それはやはり」

「ええ──笑顔です。恐らく小暮さんは初めての、しかも大型ライブという事もあり、緊張しているかと思います。緊張感を持つという事は大事ですが、リラックスも重要です」

 

武内さん本当に笑顔好きだよね。私をスカウトした理由も笑顔だし。もしかしたら他のシンデレラプロジェクトのメンバーも笑顔で決めてたりして。今度杏ちゃんと神崎さんに聞いてみよう。

 

「……なるべく緊張しないように楽しみます」

「ええ、星さんも、二人とも頑張ってください──ッ、すいません。差し出がましい事を」

「いえ、全然そんな事思ってないですよ? ありがとうございます」

「……そうですか、では」

 

そう言って彼は私たちが来た方向へと歩みを進める。もしかすると武内さんは私にアドバイスをしに来てくれたのではないだろうか。しかし、最後の苦しそうな表情が少し気になる。

 

「行こっか」

「うん」

 

反対に私たちは武内さんが来た方向へと進み、忙しなく動き回るスタッフさんの仕事風景を目に焼き付ける。果たしてこのライブにはどれくらいの人が携わってるのだろうか。

 

大変そうだなー、と邪魔にならないよう部屋の端で見学した私達はその場を後にして楽屋へと足を運んでいた。現在の時刻は丁度14時半。15時まで未だ時間は残っているが、ギリギリに戻ってくるより余裕を持ってのんびりしていた方が断然いい。幸いな事に輝子達の楽屋とエキストラ用の楽屋は近い位置に存在する。輝子の楽屋でのんびりして戻れば良いだろう。

 

楽屋の電気を付け、入室すると奥の机がガタリ! と音を立てた。思わずピクッとすると、私はゆっくり部屋の電気を消して即座に退室した。

 

「……警備の人呼ばないと」

「ど、どうしたんだ?」

 

私が神妙な顔つきでそう言うと輝子は頭に疑問符を浮かべながら小声でそう言う。それに対して私も小声で反応する。

 

「……不審者が机の下にいる。ガタって音がした」

「えっ!?」

 

輝子は目に見えて驚いていた。実際のところ私も結構驚いている。何故なら現在のこの施設は警備が非常に強化されており、特に関係者エリアは今現在でも警邏が頻繁に行われている。理由は決まりきっている。何故なら日本に名だたるアイドルが一箇所に集まるからだ。当然の処置である。

 

しかし、そんな警備を掻い潜ってきた不審者。恐らく相当のやり手だろう。何故あんな分かりやすい、アホみたいなところに隠れていたのか、何故電気を付けただけで動揺したのか。はたまた、何が目的であの部屋にいたのか。所々疑問は残るが、今はそんな事を考えている場合ではないし、そもそも不審者の考えが分からない今の時点では何も言えない。問題なのは完全に私たちがこの部屋に来たという事実がバレてしまったということだ。

 

「輝子、私が見張ってるから、誰か大人に事情を説明してきて」

「……机の下……?」

 

輝子が呟くとドアノブからガチャリ、と音がする。それに気付いた私は咄嗟に扉を抑え、輝子へ人を呼んでくるように促す。もしも相手が男だった場合力で勝てる筈がないので、同時にポケットに入っている携帯を手に取り、いつでも角でブン殴れるようにもしていた。幸いな事に角が鋭利な作りになっているので中々に殺傷力は高い。充分な武器になるだろう。

 

「はやく!」

 

私は小声で捲し立てるが、輝子は何故か動こうとはしない。

 

「何をしてるの!」

「ま、待ってくれ。……声が」

 

苛立ちを隠せずつい怒鳴ってしまった私は一旦深呼吸をして精神の沈静化を計った。……ふぅ、こんなに怒鳴ったのはいつ振りだろうか。身体光ってないよね。なんてこの場にそぐわない事を考えていると、輝子の言う通り扉の奥からか細い声が聞こえてきた。

 

「ふ、不審者じゃないんですけど〜! 誤解ですぅ〜! 机の下で眠ってただけなんです〜!」

 

ガチャガチャ……濁音を付ける事すら烏滸がましいといえるくらい弱々しい力でドアノブを回す音が聞こえる。そしてその声も思わず拍子抜けするような可愛らしい声であった。

 

「やっぱり、ぼののちゃん」

「……知ってるの?」

「う、うん。大事なトモダチだ」

「……そう。フルネームは?」

「森久保乃々」

 

今日の出演者の名前に書いてあったような気がするが、忘れた。

 

輝子はそう言うが、念のため私は確認する事にした。扉はまだ抑えたままだ。

 

「自己紹介してください」

「あぅ……森久保乃々13歳です。心底不本意ながらアイドルやってます」

「うん、絶対にぼののちゃんだ」

 

その言葉からも伝わるように本気で不本意そうである。輝子が断言したということはこの子は普段からそういう子なのだろう。

 

森久保乃々。名前しか知らないが確か輝子とマイナンバーワンアイドルとでユニットを組んでいる子の筈だ。ユニット名は、アンダーザデスク……だったっけ? 直訳すると机の下。言ってはなんだが変な名前である。

 

私が扉から手を放したその後、そーっと出てきた彼女へと質問をする。口が瓢箪を横に倒したような形だった。

 

「なんで机の下にいたの?」

「机があるからですけど……」

 

なにそのそこに山があるからみたいな返答。そのくらいの常識なの?

 

「わ、分かるぞ」

 

君もか。

 

「……取り敢えず紛らわしいから電気くらいは付けてほしい」

「付けてたんですけど、誰かに消されました……」

「……そう」

 

何故か目を合わせてくれない彼女。まあ、確かによく考えれば不審者がこんなところまで侵入できるわけがないよね。ずっと警邏の人が居るんだし私の早とちりという事か。……でも早とちりで済んで良かった。本当に不審者とかだったら最悪ライブ自体が中止になっていた可能性もなきにしもあらずなのだから。

 

しかし、人がいるなら私はもうこの部屋にいる事は出来ないな。そもそもの話、菜々ちゃんも二宮さんもこの付近の部屋に来るのだ。いたら多分バレるので最初から無理な話だったのだ。大人しく自分の楽屋に籠るとしよう。

 

「私あっちに戻るね」

「あ、うん。そうだな、そっちの方がバレないしな。ぼののちゃんには私が言っとくよ」

「お願いね……早とちりしてごめんなさい」

「い、いえ、もりくぼも勘違いされる事しちゃったので……ごめんなさい」

 

輝子と小声でそうやり取りをして森久保さんと和解すると、私はエキストラの楽屋へと戻っていった。



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第12話 初ライブの落とし穴

コンコン

 

廊下にプラスチックを叩く音が響くと、私は返事を待たずに部屋へと入室した。

 

ノックからの即座に入室、この一連の流れを、私は密かにコンコンガチャと命名している。

 

「おっ、出番か…………って、誰だ?」

 

私が控え室へ入室した事に反応した彼女──木村夏樹へは返事を返さず素早く廊下の扉を閉じ、履きにくい&脱ぎにくい靴を脱ぐ。

 

「夏樹、時間を考えれば誰が入ってきたかは一目瞭然よ」

「……あぁ」

「ふひひ、深雪さんだな」

「……」

 

私はコクリと頷き、空いている席へと腰をかける。一番奥に座席するのあさんは檸檬の蜂蜜漬けを両手で摘んで小動物のようにモキュモキュ食べていた。

 

「へぇ、それが悪魔メイクって奴か。全く面影ないな」

 

ライブ用メイクを施している輝子と見比べながら感心する夏樹。輝子のライブ用メイクは私の聖飢魔II風悪魔メイクと比べると可愛らしいものである。輝子のメイクはまだ本人だと分かる程度に対して私は夏樹の言う通り面影すら感じさせない程のAKUMAっぷりなのだ。身バレ防止の為のメイクなので当たり前なのだが。その悪魔っぷりの所為で廊下ですれ違うスタッフとかアイドルにギョッとされた。スタコラサッサとこの部屋に逃げ込んだのもそのせいだ。

 

後ちょっと露出が多い服装だったから寒かったのと恥ずかしかったのも理由の一つである。ヘソ出しはちょっと……いや、だいぶ堪える。お腹寒いし足も寒いし、なんだよこの格好、冬にする格好じゃないよ。前の衣装合わせでも思ったけどさ。まあ、その時文句言うの面倒だったという理由で何も言わなかった私が悪いのだけれど。了承もしちゃったし。なので私は我慢する。それに夏になればもしかするとベタに水着撮影なんてのもあるかもしれない。露出が多い格好も慣れておかないと後々面倒な事になる可能性もある。いや、しかし、ううん、きついなあ、精神的に。そもそも私海とか肌ベタベタするから嫌いなんだよね。出来るならプールとかの方がいいなー。水着も出来れば肌隠す部分が多い奴がいいけど……なんて、今から考えても仕方ないか。

 

気分を切り替えた私は、興味津々で顔を覗く夏樹に返事でサムズアップをする。

 

「輝子のも初めて見たときはロックだと思ったけど、深雪の方がインパクトすげーな。……あーっと、別に輝子のメイクがどうって言ってる訳じゃないぜ?」

「わ、分かってる。それに深雪さんは顔隠す為のメイクで、私のは演出のアクセント。明確な違いがあるから仕方ない」

「……やっぱりマズイかな?」

「いや、マズかったら初めからプロデューサーさんが言うだろ。そんなに不安ならアタシらのライブでメイクなんて気にさせなくすればいいだけだぜ」

 

まあ、確かに目立ちはするだろうがそれは始めだけだろうし、それにライブ中の私は喋らないし。うん、大した問題では無いな!

 

「深雪さんのそれ、中々ゴツイけど、重くないのか?」

「意外と軽いよ」

 

輝子が被り物をしている私の頭を指差す。首を横に傾げると、ほんの僅かにその方向へ身体が傾く程度の重さである。被った事ないから分からないけど恐らく自転車のヘルメットくらいの重さだと思う。外したら髪が乱れるので輝子に試させる事は出来ない。その為私が頭を左右に振る事で軽さをアピールし、輝子を納得させた。

 

「……そういえば深雪の、えっと、芸名? のさ、CB/DSってAC/DC意識してんの?」

「ッ!?………………なんの事?」

「分かり易すぎだろ」

 

『AC/DC』

 

言わずと知れたオーストラリアの有名音楽グループであり、「ローリング・ストーン誌選定の歴史上最も偉大な100組」に於いて第72位の座に輝いているロックバンドの事だ。1973年12月にシドニーで結成されて以来、メンバーは変われど今日まで活動を続けている歴史のあるバンドでもある。

 

AC/DCのACとDC、どちらも電気用語で意味は

 

AC……Alternating current(交流電流)

DC……Direct current (直流電流)

 

という意味である。対して私のCB/DSは

 

CB……cool beauty(和訳ってなんだろう)

DS……deep snow(深い雪で深雪)

 

うぅむ、改めて思うと我ながら中々ぶっ飛んでる名前だなと感じる今日この頃ではあるが最早どうでも良い。どうせ意味など誰も知りやしないのだし、これからも知ることはないのだから。なんなら名前を知る機会さえも存在しないだろう。

 

だが、そんな名前ではあるが何を隠そうCB/DS……実はこの名前には先程のアホみたいなやつとは違う、別の正しい意味が潜んでいたりするのだ。AC/DCが電気用語ならば、CB/DSも電気用語であるのが筋というもの。

 

CBは cool beauty 改めcircuit(サーキット) breaker(ブレーカー)

 

DSは deep snow 改めDisconnection(ディスコネクション) switch(スイッチ)

 

circuit(サーキット) breaker(ブレーカー)Disconnection(ディスコネクション) switch(スイッチ)……和訳すると前者から遮断器、断路器。どちらも受電設備などで使用される電気機器である。前世の仕事柄から考えると私にとっては非常に馴染み深い存在である。尚、覚える必要性は皆無である。

 

ぶっちゃけるとこの電気用語関係は只の偶然で、私も先程気がついたばかりだ。楽屋が暇過ぎて色々考えてたらこの事実に至り、思わず部屋でおおっ! って驚いてしまった。その際、他のエキストラの方々に振り向かれてしまった事がちょっと恥ずかしかった。

 

「深雪ってAC/DCも聞くのか?」

「悪いけど名前だけしか知らない」

「あー……そういえば邦楽以外聴かないって言ってたな」

 

うん。申し訳ないがその通りです。そもそも英語とか発音早すぎて何言ってるか分からない。歌うとしても私は外国の曲は日本語訳をしっかり理解して歌いたい系女子であるからして、本当に興味がある曲しか歌わないし歌えない。精々歌えるのは音楽の授業で習ったシューベルトの魔王(ドイツ語版)くらいである。尤も歌う機会なんてないが。

 

そんな事を考えていると、ライブを映すモニターからなんともノリの良さそうな音楽が流れ始めた。少しの間そのイントロと掛け声を聴いていると、彼女──片桐早苗さんは歌い始めた。名前は今日のライブ情報が載っている公式サイトで知った。見る限り菜々ちゃんや二宮さんもライブに出るらしい。片桐早苗さん、残念ながら色々と疎い私は曲も名前も聞いた事はないのだが、果たしてどんな曲なのだろう。

 

『嘘付いたら無期懲役♪』

 

物騒。

 

「おっ、早苗さんの出番か。これが終わったらアタシらも移動だな」

「もうそんな時間なのね」

 

そう反応を返したのあさんに視線を向けると、口にしていた筈の檸檬の蜂蜜漬けはいつの間にか仕舞われていた。

 

曲が終盤に迫り、『逮捕しちゃうぞ(はーと)』と言い終えた次の瞬間、扉をノックする音が聞こえてきた。本当に逮捕しにきたのかと内心戦々恐々の思い(アホな事を考え)ながらも入ってきたスタッフの話を聞くと、私達の出番が近付いてきた為、準備してほしいとのことだ。それを聞いた私達四人は立ち上がって舞台裏の上手(かみて)へと歩き始めた。

 

やがて舞台裏へと近付いていくと、私が最近よく聞いている曲がステージで流れていた。──そう、菜々ちゃんの代表曲といっても過言ではないあの曲、「メルヘンデビュー!」だ。

 

「菜々ちゃんの歌だ……!」

「おっ、深雪。菜々は知ってるのか?」

 

夏樹がこの様な言い方をしたのは、恐らく私が未だ346アイドルを把握していない事を知っている為なのだろう。現に私の残念な頭は半数以上は区別がついていない。

 

舞台裏への扉を開くと、小音量でラジオを聴いているような音は瞬く間に明瞭な音質へと変化し、先程まで聞こえなかった歓声も大きく耳へと侵入し始めた。やがてステージへの入り口付近まで辿り着くとその姿は見えた。かわいい。本当に私より年上なのだろうか。

 

しかし、菜々ちゃんの服、露出少なくていいなー。しかもめちゃくちゃ可愛い。確実に私には合わないが、キュートでラヴリーな菜々ちゃんには非常にマッチしている。その姿は是非私のスマホに納めたい代物ではあったのだが、生憎と会場は携帯禁止、そして仮に使えたとしても撮る際に出る音をマイクが少しでも拾ったらと思うとどうも……。私の軽率な行動一つで菜々ちゃんは勿論の事会場スタッフ、そして346プロにも迷惑をかけることとなるのは避けたい。

 

だがしかし、それでも私は菜々ちゃんの勇姿といと美しき御身を我がスマホに残したい。けれど迷惑は掛けたくない。背反するこの葛藤……私はどうすれば良いのか……!

 

 

 

まあ、携帯楽屋に置いてきたからどうもこうもないんですけどね!

 

「友達」

「み、深雪さんの部屋最近菜々さんのばかり流れてるからな、ふひ」

「なんなら輝子の部屋でも流してるよ」

「相当だな……」

 

夏樹は肩を態とらしく落として苦笑いを浮かべる。のあさんはそれを我関せずとばかりに指の運動をしながら菜々ちゃんのライブに釘付けであった。輝子はいつの間にかこちらに背を向けながら何やらぶつぶつ言っている。リア充だのクリスマスだのなんだの言っているあたり負の感情なるものをその身に溜め込んでいるようだ。

 

負の感情とは“恨み”“辛み”“嫌み”“嫉み”“妬み”“僻み”の全部で六つからなる感情のことであり、それらが全て揃うことで例のひゃっはーぱわーを長時間持続させることが出来るらしい。別パターンとして好きな曲を聴いた時などに感情が高ぶった場合に起こりうる事もある。ちなみにケロロ軍曹で好きなキャラはドロロ兵長との事。

 

それは置いておき、私は皆へ一言断ってからお手洗いへと赴き始めた。というのも現在私は少々気が高ぶっており、じっとしておられず、それを収めるためにも取り敢えず歩きたかったからだ。舞台裏で歩き回るのは邪魔にもなるだろうし、足音も鳴るので避けたい。

 

無論、お手洗いに行きたいというのは只の建前である。それに出番までは少々猶予が残っているので問題はない。

 

足音が鳴らないようにゆっくりと歩き、静かに扉を開ける。

 

「あっ、寒い……」

 

サササと外へ出ると再び静かに扉を閉める。

 

何故気が高ぶっているのかと言われると、もうすぐ私達の出番という事でライブが楽しみだという高揚感と、ぶり返した緊張感が相見えたからだ。鼓動という演奏は、【accelerrando(アッチェルランド)】、そしてやり過ぎなくらいの【staccato(スタッカート)】をしつこく披露していた。

 

スタスタと歩きながら片手でギュッと胸を抑えるが、尚更心臓の音が直に手を通じて伝わり、鼓動の音が大きくなる。ドッドッドッ、という音は、(さなが)らキングエンジンならぬミユキエンジンとでも言うべきであろうか。

 

……あ、ちょっと治った。

 

そんな風に緊張をほぐしながら階段を降りていると、前から非常に大柄なスーツの男性が現れた。

 

「……ッ……もしかして、小暮さん……でしょうか?」

「はい、小暮ですよ」

 

武内さんだ。どうやら私の悪魔フェイスに驚いているご様子。当たり前だろう。私だって武内さんの立場であれば確実に驚く、というかビビる。そして間違っても声はかけない。

 

「凄いですよね、このメイク」

「……ええ、恥ずかしながら、目に入った時、誰なのか分かりませんでした」

「まあ、それが目的ですからね」

 

私は内心はははと笑い(恐らく武内さんも無表情ながら内心笑っている)、再び武内さんに話しかける。

 

「舞台裏に何か御用ですか?」

「ええ、ですが小暮さんに会いに来ただけなので」

「ほう、大胆ですね」

 

私は冗談めかして言うと、武内さんは心底不思議そうな声を上げる。

 

「はい? ……どういう意味でしょうか?」

「……イエ、ナンデモナイデス」

「は、はぁ……」

 

は、恥ずかしいぃ。なんで気付いてくれないのさ。あの手の冗談はある程度耐性がないと言う側にもダメージを負う、危険極まりない冗談だと言うのに……。

 

私は顔が赤面するのを自覚しつつ、今後はもっと分かりやすい冗談にしておこうと固く心に誓った。

 

「ところで、私に御用とは?」

「いえ、特に用という程の物ではありません」

 

話を聞くに、どうやら私の様子を見に来ただけらしい。いや、だけって言うと少し失礼かもしれない。見に来て“くれた”らしい。……なんだか皮肉ったらしくなってしまったな。ちくしょー、喜びを表現したいだけなのに……。

 

「ソデで見て行きませんか?」

「ええ、元よりそのつもりです」

「では行きましょう」

 

そう言って私は階段を下ろうとしていた足の踵を返した。

 

「……小暮さんは、やる事があって階段を降りていたのではないのですか?」

「いえ、ちょっと緊張していたので歩いていただけですよ」

 

成る程、と武内さんは頷くと私の後について来る。と言っても私がただ前にいたからそういう状態になっているだけなのだが。

 

「……その格好、寒くはないのでしょうか?」

「何を当たり前の事を……寒いに決まってるじゃないですか」

「す、すいません……」

「怒ってないです」

 

会話を続けているうちに、いつの間にか緊張は解けていた。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

『ヒャッハァァァァァァァ!!! 最高だったぜェェェェェ!!!』

『みんなーッ! サンキューなー!!』

 

会場は今にも熱湯が水蒸気と化すくらいの熱気に包まれていた。そんなファン達に応えるべく、輝子と夏樹は上がりに上がったテンションの勢いのままそう締めくくった。

 

始まってしまえばあっという間であった。瞬く間に曲はBメロ、サビ、そして終盤へと移り変わり、特に曲の終わりの盛り上がり方は凄まじかった。元々盛り上がっていく曲だったと言う事を考慮しても、所詮は現場を知らない素人の考え。決して彼女らの人気を侮ったつもりは無いが、まさか此処までの盛り上がりを見せるとは思ってもいなかった。

 

勝手に手が動くとは今回のような事を言うのだろう、と私は大歓声の中ぼうっと考える。何度も何度も繰り返し練習したこの曲は、次は何かと考えるまでもなく私の指が完璧に把握していた。それに、私も会場の熱気に当てられたのか、ガラにもないパフォーマンスを披露するという愚行をしでかしてしまった。予定外作業が何よりもイケない行動なんだゾ。

 

演奏が終わった現在でも輝子のカラーである紅色のサイリウムが会場全体を照らしている。勿論輝子だけでなく、夏樹やのあさんのサイリウムも見える事には見えるが、やはり今回のメインである輝子のサイリウムの方が断然数は多かった。私のカラーは一体何色になるのだろうか。個人的には赤色が好きなんだけど、きっと青系統の色になるんだろうなぁ……。そんな未来が眼に浮かぶよ。

 

私は私で演奏中は盛り上がっていたが、この未だ絶える事のない熱気により現在は逆に冷静になっていた。この後の段取りとしては彼女らが締めて退出するだけだ。その間に私の出番は当たり前だが無い。しかし、出番がないのはいいが、どう立ち振る舞えば良いのかが分からない。

 

取り敢えず脇役っぽく目立たないように振舞っておこう。そう考えをまとめていると耳を疑うような声が聞こえた。

 

 

『──彼女が今回のライブを手伝ってくれたエキストラだァァァ! 取り敢えず一言感想よろしく頼むぜェェェ! …………アッ』

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は気付いた。輝子の目にハイライトが戻っていく様子に。

 

私は気付いた。現在輝子が掻いている汗が冷や汗だという事に。

 

私は気付いた。輝子が涙目で歪な笑みを浮かべて此方を伺っている事に。

 

 

 

 

 

私は察した。これが──私にとって今年最大の危機的状況だと。

 

 

 

 

 

会場は盛り上がっていた。それは演奏が終了した現在も変わらない。例え会場全体が静寂に包まれていたとしても隠しきれない熱気が此方まで伝わって来るのだ。

 

だからこそ理解した。

 

理解してしまった。

 

アイドルを見に来た彼らにも関わらず、只のエキストラである私の一言に期待しているという事を。この静寂は、私の一言を待っているのだ。

 

期待、というよりも彼らはただ感情のあるがままに声を出したいのだ。私の一言はそれを発散させる為に存在しているようなものである。

 

胸が高鳴る。心臓の爆音が止まらない。別に高揚とか興奮とかそんなのではない。ただの緊張だ。恐らく今の出来事のせいで寿命が少し縮んだ。

 

やられた。まさか演奏以外に罠が仕掛けられていただなんて。

 

夏樹が心配そうに此方を見ている。しかし、その瞳は何処か私を応援しているようにも見えた。そうする以外にやる事は無いといった具合に。そう、彼女にもこの状況を誤魔化すことは出来ないのだ。輝子ははっきりと言ってしまった。一言よろしく、と。最早言い逃れは出来ない状態である。

 

のあさんは感情が籠らない瞳で私を捉えていた。そう思っていたら小さく手を此方にひらひらさせた。どういう事だろう。やはり彼女は何処かズレてる。

 

私には選択権が残されていなかった。そもそも私が喋らず、悪魔メイクまで施している理由は、今後私のアイドル生活を送る上でのキャラ付けを守る為である。キャラ付け、というか設定は結構大事だ。始めから設定がごちゃごちゃしてるストーリーという物はあまり見る気がおきないだろう。後から足していく分には問題はないと思うが最初から設定てんこ盛りだと面倒になってしまう。私がそれ。

 

少しずつ設定を晒していって理解を及ばせる。これは中々重要な事だと思うよ、私は。やれやれ、キャラが濃すぎるのも問題だよね。

 

……はい、現実逃避終了。本当にどうしよう。声変えてみるか? いや、そんな事して失敗したら目も当てられない。くそ、これも予定外作業じゃん。私の一番嫌いなやつなのに。私こういうの始めにしっかり文章考えてやらないと混乱するんだけど。てかそもそも声出したくないよぉ! 今回ライブに出てる菜々ちゃんとか二宮さんにバレたらどうするのさ!? いぢめか!? いぢめなのか!?

 

思わず泣きそうになりながら輝子を睨んでしまうと、ファンの御前という事で隠してはいるが非常に申し訳無さそうな顔を此方に向けていた。今回ばかりは絶対に許さんぞ。

 

うぅ、そうこうしてるうちにマイクの前に着いてしまった……。こうなったらもう自棄になるしかないな。……そうだ、声量を上げて私の声だと分からないようにすればいいんだ! 後気持ち高音でやれば完璧! 私ってば天才!?

 

賽は投げられた。最早腹を括るしかあるまい。私は腹式呼吸により息を吸い込む。後は私の度胸しだい。絶対に無難に終わらせてやる。

 

私はそう意気込み、大きく口を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アたっ、たぇっ……アッ……ささ最高だぜぇええええええええええええええ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『う……うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

私の内心はこれでもかという程荒れに荒れた。どれ程荒れているかと言うと、近年の中国人観光客ですら引くレベルで大暴れ出来そうな程である。

 

だから言ったじゃん、言ったよね!? マイクパフォーマンスなんか出来ないって!! 毎日一回は言ってたし今日なんて三回は言った! それだけ言う程私アドリブ弱いんだよ! 本番に滅法弱い子なんだよ! 察してよ! 振りじゃないんだよ! ガチなやつなんだよぉ! 輝子のやつ勢いに任せて言いやがって! 私は勢いに任せて言える程語録豊富じゃないんだから! いや、確かに考えとけよって言われたらそれで終わりだよ!? けど今は結果論なんざどうでもいいんだよ! ゴミ箱にダンク決めとけそんなの! ホントふざけんじゃねーよ畜生! ……畜生、なんでこんな目に合わないといけないんだ……。不幸なんて言葉じゃ言い表せないよこんなの……鬱だ、死にたい。

 

「……うぅ……えっぐ……すん、」

 

私は泣いた。人前を向こう見ずガチ泣きした。緊張と行き場のない羞恥、そしてこの状況を作り上げた張本人である輝子に対しての怒りがごちゃ混ぜになった結果、涙が止まらなくなったのだ。

 

ただ、辛かったのだ。大勢の前でアドリブで噛み、あまつさえその事に対して気を遣われたことに。雄叫び直前の空白は、十中八九観客の戸惑いの間であった。遣る瀬無い気持ちだけが募っていく。辛うじて声までは出さずに我慢しているが、鼻をすする音や嗚咽する声は確実にマイクに入っているだろう。その事で更に羞恥が増していく。

 

 

──私、メンタルこんなに弱かったんだ……。

 

 

果たして、今の私は観客にはどう見えているのだろうか。希望的観測で、ライブの盛り上がりに感動して嬉し涙を流す少女か。はたまた現実を見て、哀れにもマイクパフォーマンスに失敗して無様に咽び泣く少女の姿か。

 

 

──前者だったらいいなぁ……。

 

 

そんな事を考えながら私は、確実に分かりきった答えを胸に抱き、元凶である輝子に連れられステージを降りたのだった。止まらぬ涙を拭いきれず、泣き顔を晒しながら。

 

微妙に微妙な空気が残った現場は、進行役の言葉により掻き消されて再び熱い空気が蔓延し、そのままライブは進行し続けた。まるで先程の一件なんて無かったかのように。

 

もしかしたら先程のそれは、一件とまで言う程のものではなかったのかもしれない。しかし私にとってそれは、確実に犯人の手によって行われた事件であり、誰も喜ぶことのない、悲しく、哀しい事故でもあったのだ。

 

 

 

 

こうして私の初ライブは散々な結果となり、幕を閉じたのであった。

 

 



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第13話 たかみねのあにじゅうにさい

「あー、疲れたー」

 

ライブが終わり、現在の時刻は凡そ21時過ぎ。アイドル達は既に解散しており、一緒にパシフィコまで来た輝子もとっくの昔に駅で別れ、帰宅している。打ち上げなんてものも存在しているらしいが、私はエキストラという部外者だし、元より参加する意思は微塵も無かった。顔を売った方が良いというのは理解しているが、やはりどうにも気が乗らない。

 

ちなみにあれから私は皆に慰められ、逆に惨めになりながらもなんとか落ち着きを取り戻した。一番心にグサッときたのは武内さんの言葉。あの人は気遣い方が非常に下手だ。更に泣きそうになったもん。いや、泣いた。もうその時には人前で泣く事の恥じらいなんて今更すぎて覚えなかったからそれも拍車がかかったんだと思う。二度とする気は無いけど。

 

落ち着いた後はもちろん輝子へのお仕置きタイムだった。お仕置きは地味に痛いグリグリ攻撃をお見舞いし、取り敢えず先程の事は水に流した。輝子だけが悪いと言えば嘘になるし、それに反省もしている様子も見えた。寧ろグリグリの後は反省しすぎて自分を責めてるきらいがあったので慰めざるを得なかったというのもある。流石に私もそれ以上は望むところではない。しかしその時の輝子の涙目があまりにも保護欲を誘ったので加虐趣味に目覚めてしまいそうになった事をここに表記する。

 

さて、本日はクリスマスイブ。正直クリスマス当日より当日感がある今日(こんにち)という事もあり、街中はなんとなく賑わっているような気がする。

 

そんな中、私は夜のご飯処を探すべく寮の近くの街中をぶらぶらと歩き回る。というのも本日、私は寮の夕飯を予約していなかったのだ。理由は単純で、特に食べたいと思える御菜が存在しなかった為である。しかし、そうは言ったものの現在の時刻は21時を回っている。開いている店と言えば昼に行きそこなったマックなどのファストフード店、牛丼屋さん、後は今の私には縁のない居酒屋くらいなものだろう。他にもあるかもしれないが調べるのが面倒だ。牛丼を食べるか、マックとかそこら辺の店で食べるか。この二択で決定である。元より料理するつもりなど更々ない。私にとっては無駄に1Kな部屋なのだ。いや、必要なのは確かではあるのだが。そういえば私が新人研修中に住んでいた寮はお手洗いと洗面所が共用だったのでその度部屋から出なければならなかった。カップ麺作る時なんかもいちいち部屋から出てポットに水足さないといけなかったので、今は正直言うと凄い楽。キッチンさいこー! ごめん、無駄に1Kなんて言って。

 

それはそれとして、今は夕飯の問題だ。ぶっちゃけ私の中では最早牛丼一択に絞られていた。しかし、ここからが問題なのだ。

 

私の中で、牛丼屋は4種類存在する。

 

 

 

──すき家。

 

──吉野家。

 

──松屋。

 

──なか卯。

 

 

 

確固たる順位付けはされているもののこの4店舗が日本の牛丼界を占める強者。所謂──四天王。

 

……いや、やはりすき家と吉野家の双璧と言った方が良いだろうか。松屋となか卯では逆立ちどころかトリプルアクセルしても双璧には敵わないだろう。別に人気が無いとか美味しくないとか批判をしているわけではない。ただひたすらに、店舗数が違うのだ。(松屋は兎も角、なか卯とか見た事)ないです。

 

牛丼とカレーの2本柱で勝負のすき家。牛丼以外の丼ものも様々存在し、メニューが豊富なところも利点だ。カレーは食べた事ないけど。丼は並盛、大盛などのほか、「ミニ」から「メガ」まで、サイズ展開が幅広いのも特徴的である。私は食べた事は無いが、友人の話を聞く限り「メガ」は相当ヤバイらしい。恐らく私では半分も食べる事は敵わないだろう。ちなみに私の好きな牛丼はねぎ玉牛丼とチーズ牛丼。中盛と大盛の値段が一緒の為ついつい大盛を頼んでしまうのが悩みだ。

 

私の中ではやはり牛丼と言えば吉野家、というイメージが根付いている。チェーン店も国内では1000店以上、海外にも約500店を展開しており、店舗数でも最大手の牛丼屋だ。

 

中でも有名なのはかのゆでたまご先生の大作、『キン肉マン』との関係性であろう。キン肉マンがアニメ化される際、吉野家から東映への依頼により、アニメに出てくる牛丼屋が吉野家となり大盛況した、という話はあまりに有名だ。

 

ゆでたまご先生は、過去に吉野家から『持参すれば永久に牛丼が無料で食べられる丼』という物を贈呈されている。まあ、当たり前といえば当たり前の対応である。アニメ『キン肉マン』はそれ以上に吉野家へと貢献して来たのだ。アニメ『キン肉マン』を見て吉野家に憧れた子供は少なからず存在するだろう。現に、リアルタイムで見ていた当時の私も吉野家に対して憧憬の念すら抱いていた。

 

 

 

──それだけに私は、吉野家を許せない。吉野家の愚行を。ゆでたまご先生への不義理を。

 

 

 

『持参すれば永久に牛丼が無料で食べられる丼』、実はゆでたまご先生はこれを持参してもお金を払わないと食べられなかったらしい。この情報は某テレビ番組で放送されており、放送後には『吉野家』に対して「タダで牛丼を食べさせなかった件」で苦情が殺到した。

 

その後すぐさま『吉野家』の社員がゆでたまご先生のもとを訪れ、菓子折りと牛丼のタダ券を謝罪として渡したのだが、ここからさらなる問題に発展した。その時の社員の言葉はこうだ。

 

 

「いやぁ~キン肉マンって牛丼にすごい影響を与えてるんですね?」

 

 

はぁ?

 

空いた口が塞がらないとはこの事だろう。この耳を疑う発言により、ゆでたまご先生と、ついでに私の怒りを買う結果になってしまったのだ。

 

厚顔無恥にも程があるというものである。どれだけ『キン肉マン』が牛丼業界に影響を与えたのか、この社員はまったく理解できていないのである。無知は罪なり、よくいったものである。

 

ここから更に言い訳で、その社員は放映当時を覚えていない社員が多い為、その辺りが分からなかったと発言。流石のゆでたまご先生も怒り心頭に菓子折りと牛丼のタダ券を叩き返したのだという。

 

これで終われば私は今も、そしてこれからも『吉野家』へ足を運ぶ事はなかった。しかし、ゆでたまご先生はその後のコメントで「揉めたからといって自分の好きな店の物を食べなくなるのはおかしい。どうか自分好みの味の牛丼を食べてほしい。牛丼を嫌いにならないで」という、なんとも慈悲深いメッセージをファン達へ送り、この騒動に幕を下ろした。

 

許したわけではない。許せることでもないが、この言葉のお陰で私は未だに吉野家へ通うことが出来ている。それに元々私も吉野家に憧れた者。この出来事で好きな吉野家へ通えなくなるのは辛いものがあった。吉野家は私の純粋で無垢な子供心を引き裂いた。しかし、牛丼に罪はないのだ。原作者の言葉というものは偉大である。

 

そういう事なので今日の夕飯は吉野家で済ませることにしよう。私は早速マップで調べて近くの吉野家へ辿り着くと、手動ドアを開け、空いてる席があるか見渡す。其処で一番に目に入ったのは、只々煌めき続ける白銀の世界だった。

 

「……あれは」

 

の、のあさん! 変装しているつもりかもしれないが、あの艶やかな銀髪とサイバネティックな服装は確かにのあさんだ。私の目は誤魔化せない。私みたいな似非とは違う本物のクールビューティだけど大分天然が入ってる彼女がどうして吉野家に……!

 

……いや、考えなくとも分かることだ。彼女も私と同じでこの店で夕餉を済ませる気なのだ。カウンター席に空きは存在しない。空いている席といえばのあさんが座っている二人席のところだけだ。

 

「……待つか」

 

のあさんの一人の時間を邪魔しちゃ悪いしね。私も一人の時間を邪魔されるのは嫌いだし。そう思いながら待機席へと座ろうとすると、何を思ったのか、のあさんが此方へと目を向け、そして視線が重なった。

 

「〜〜〜〜♪ ……?…………ッ!!?」

 

見てないふりをしたかったのか、彼女は分かりやすいほどに肩をビクッと揺らしながら目を泳がせる。しかしそれは違ったようで、ただ席をキョロキョロと見渡していただけのようだ。そしておずおずと手の平を下に向け、此方へ来るようにジェスチャー。私は申し訳ないと思いながらものあさんの善意に甘え、そちらの席へ赴くこととした。

 

「のあさん、ありがとうございます」

「うん……ア……、ミ、深雪……? モ、もしかして後をつけてた、トカ」

 

のあさんは何処か挙動不審な様子で私へ問いかける。後をつけるってのあさん……私をストーカーか何かと勘違いしてるんじゃなかろうか。

 

「いえ、偶々今日は吉野家にしようかなと」

「……アッ、熱ィ………………そ、そう。……深雪が牛丼なんて、よく来るのかしら?」

 

のあさんは熱そうにしながら牛丼をフゥフゥと冷まし、口へと含む。

 

「偶に来ますね。ふとした時なんかに」

「……! ……モ、もしかして、深雪も吉野家派──」

「いえ、すき家派です」

「アッハイ」

 

私はメニュー表を見て注文し、牛丼を食べるのあさんをこっそり見続けた。

 

「……ング……私が言うのもちょっとアレだけど……意外ね」

「ふふ、よく言われるんですよね。でも私、皆が思ってる以上に俗っぽいんですよ? こんなナリしてるから遠目に見られますけど」

「……へぇ、興味深いわね」

 

一仕事終えた所為か、私は普段だったら言わないような事を口にしていた。のあさんは表情では分かりにくいが雰囲気で非常に興味深そうに耳を傾けているのが分かり、お酒も飲んでいないのに口が軽くなった私は更に続けた。

 

「こう見えて家では結構自堕落で、部屋も結構散らかってますしね」

 

これを言うと結構な頻度で驚かれるか、信じてくれないかの二択になる。よく優雅な生活をしてそうと言われていたのを思い出す。別に一人暮らしだからとかは関係ないと思う。家でもしょっちゅう親に部屋を片付けろと言われていたし。それに私自身、別に猫を被っているつもりは毛頭ない。ただ皆、この外見を見ただけである程度の性格を勝手に決めつけてしまう為、何かと敬遠されがちになってしまうというルートが出来上がっているのだ。その為私と関わりのない人たちはこれからもずっと私の事を勘違いしたままだろう。

 

クールというより皆より精神的に大人な分落ち着いているだけだし、ミステリアスというよりただペチャクチャと話すのが面倒なだけ。おまけに同年代とは趣味は合わずに今時の話題にもついていけないし、友達作りに積極的な訳ではない。しかし私に関しては話せば大体分かってくれる事が多い。仲良くしたい人とだけ話して仲良くする。これが私クォリティである。

 

「……!! ……ド、同類……!」

 

ガシャン! ビチャー

 

私が話を終えると、のあさんは何故か興奮した様子で立ち上がり、その反動で右肘がピッチャーへ突き刺さる。そしてピッチャーは床へと衝突し、中から水が溢れ出てしまった。ピッチャーの中にはまだ沢山の水や氷が残っていたので、床への広がり方は尋常では無く、今も床全体に水が行き渡ろうとしていた。

 

「ヒッ! あっ、ああ……ゴ、ごめんなさぃ、……ふ、拭かなきゃ……!」

「あっ、ちょっ、そんなにいら──」

 

のあさんは非常に慌てた様子で、テーブルに常備されているティッシュを丸ごと全て取り出したかと思えばベチャリと床へ置き、水を染み込ませていく。私が出来ることといえば荷物と足が濡れないようにすることと、濡れた床に這い蹲ろうとしているのあさんを止める事くらいである。

 

「の、のあさん、大丈夫ですよ! 店員さんがやってくれますから!」

「お、お客様よろしいですよ。此方で対処致しますので」

「本当にすいません……」

「ゴ……ごめんなさぃ……」

 

私は申し訳無さそうに、のあさんはシュンとしながら店員へと謝罪をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

「今日ののあさん、なんだか変だったな。可愛かったけど」

 

あれから事が済むと、私も注文して二人で食べてそのまま解散した。サラッと奢ってくれたのがカッコよかった。

 

実は食べ終わった後に飲みに誘われたのだが、残念に思いながらも断って今帰途に着いているところだ。行きたい気持ちは勿論あったのだが、未成年な為酒が飲めないという事と、補導されると面倒だという理由から諦めた。後お腹いっぱいになった事で少し眠気が襲ってきたというのもある。ちなみにのあさんは私がとっくに成人しているものと思っていたようでだいぶ驚いていた。

 

『こんなにしっかりした子が私より7つも年下……!? タ、立つ瀬がなぃ……』

 

消え去りたいと小さく呟くのあさんに流石の私も困ったがどうにか慰めて、現在に至るというわけだ。

 

のあさんは三月生まれの22歳。私は1月生まれの現在15歳。三月生まれは高校在学中に車の免許が取りにくい。しかものあさんは3月後半、の更に後半の25日生まれな為実質在学中に取ることは不可能。この件に関して何か言い分はあるかという問いを投げかけると「誠に遺憾である」という有り難いコメントをいただいた。嘘です。

 

とはいえ残念なものは残念だったらしく、今でも免許は取得出来ていないらしい。私は誕生日の1ヶ月前に自動車学校(私の地域では車校と言う)に入学してさっさと取得する予定だ。しかしその前にやるべきことは沢山ある。高校生活とは部活動に入らなければ非常に楽なものだ。正直就職する前と後での勉強量は圧倒的に後の方が多い。なので資格を取得するにはもってこいの期間という訳だ。

 

私は前世取得していた資格を高校生活の間に全て……とはいかないまでも主要の物は取り戻したいと考えている。前世頑張ったことを無駄にしない為、小学校の頃からコツコツ忘れないように復習して来たので自信は結構ある。子供だからか非常に頭が柔らかくなった為、知り得なかった知識もするすると覚えることが出来て正直とても気持ちが良い。勉強が楽しいと勉強が捗る為、本当に嬉しい。それに現場で働いていたので、モノ(・・)を知っているというのも利点だ。ぶっちゃけ私が今狙っている『第二種電気主任技術者』という資格は、取得さえしておけば食いっぱぐれる事はほぼないと言える。聞いた話では競艇場や競馬場などのギャンブル系のところであれば、そこにいるだけ(・・・・)で収入を得ることが出来るらしい。

 

ギャンブル系の施設は絶対に停電してはいけない。少しでも通電が途切れてしまうと、途中経過のデータやレースの現状を写すモニタも全て消えてしまうからだ。すぐに客からクレームの嵐、批判殺到が目に見える。ではそうならない為にはどうすれば良いか。そこで出てくるのが『電気主任技術者』だ。少しでも施設に不具合が起きた場合にその系統の知識を持っている『電気主任技術者』がいれば即座に対応、そして原因を探り、早期解決を試みる事ができるという訳だ。その役割は非常に重要なものだ。その為、『電気主任技術者』という職に就けば最悪何もせずとも年収1000万を超えることもあるということだ。つまりその資格さえ取得しておけばアイドル業務で失敗しても何ら問題はないという事である。

 

それにしても、本当に今日ののあさんはどうしてしまったんだろう。ライブの時は至って普通ののあさんだったのに、吉野家ののあさんは別人と言ってもいいくらいギャップが凄まじかった。あれって牛丼食べてるのバレたくなったから挙動不審だったのかな? 牛丼くらい誰だって食べるだろうに。恥ずかしがり屋さんだったのだろうか。だとしたら本気であの人が可愛く感じる。

 

ライブ前にのあさんが檸檬の蜂蜜漬けを食べている時も今と同じような気持ちに陥っていたことを思い出す。両手でリスのように食べている様子が非常に微笑ましかった。あれが所謂ギャップ萌えというものなのだろう。成る程、色々と勉強になる。

 

ところで、のあさんは私が住んでいる寮や346プロの城もとい事務所が存在するこの場所とは少し離れたところのマンションに住んでいるらしい。先程まで此方にいた理由は単純に事務所に忘れ物があったからで、電車に乗る前に夕飯を食べておこうといった意図があったようだ。のあさんとしては恥ずかしいところを見られて災難だっただろうが、私からしたらのあさんの新しい一面も観れたので来てよかったと思う。これもキン肉マンが引き寄せた出会いである。ラッキー、クッキー、もんじゃ焼きってか。懐かしすぎてなんだか笑いが出てくる。正直ラッ○ーマンと奇○組の登場人物のネーミングセンスは神がかっているよね。追手内洋一はついてないよーだし、一堂零に至っては一同礼だ。

 

そう考えているうちに、やがて寮へと辿り着いた。部屋へと入ると、私はすぐさまその身をベッドへと沈めさせる。その瞬間、身体にドッと疲れが現れ、一瞬のうちに眠気が全身を襲い始める。どうやら私が思っている以上にこの身体は疲れを感じているらしい。初ライブの緊張やこれまでの練習の疲れも一気に出ているのだろう。このまま寝てしまいたいといった欲求が次第に強くなっていくのが分かるが、これから風呂に入らなければならないので泣く泣くその身を起こし、準備をした。

 

ふらふらと幽鬼のように重い足取りで浴室まで赴くと、服を籠へとポンポン脱ぎ捨ててガラリと扉を開ける。その瞬間、風呂特有の湿気た空気が顔を襲い、心地良い温かさによって更に眠気を誘った。寝落ちしない為にもせかせかと髪、身体、顔の順で洗い終えると、出していたお湯のシャワーの温度を冷水と言えるまでの温度に一気に下げる。勿論放出していたお湯も即座に水へと変わり、洗顔を落としている最中であった私の顔へと襲撃した。

 

「うひゃう!」

 

自分でやっておきながら声を出してしまう辺り、相当寝惚けていたのだろう。お陰で寝落ちだけは免れそうだが、それでも頭はあまり働きそうになかった。

 

「あははっ、君面白いねー」

 

笑い声と話しかける声がタイルの壁を反射して浴室内に響き渡った。無論、私の声ではない。そして反応する声が無いことから考えると、この声は私に対して発したものなのだろう。しかも妙に馴れ馴れしいときた。

 

私は笑われた事はすっかり忘れ、失礼なやつだとなくならない眠気も相まって多少不機嫌になりながら声の方へと振り返る。

 

「……誰ですか」

「や、そんな怒んないでよ。私は塩見周子さんだよん」

「はぁ……」

「………………えっ? そこは自己紹介返すところじゃ無いの?」

 

目が覚めたとはいえ疲れが抜けていない私は思考能力が低下しており、自己紹介されても「はいそうですか」といった感想しか持てなかった。

 

話すのも億劫だった私は最低限の挨拶を残してこの場を去る選択をした。

 

「…………あ、私は小暮深雪です。……あの、すいません。私疲れてるので」

「……あ、うん。……なんか、ごめんね?」

「いえ……また今度」

 

私は湯船にも浸からずその場を後にした。

 

 

 

 



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第14話 みっくみくにしてやんよ!

──クリスマス当日

 

 

 

 

 

今日は何もない素晴らしい一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ふわぁ……ねむい」

 

どれくらい寝ただろうか。昨日は惰眠を貪ってただけだから夜に眠れなくてだいぶ夜更かしした。お陰でこの前買った最新刊は読み終える事が出来て満足だ。

 

私は起き上がりカーテンも締め切っている所為か真っ暗闇な部屋に明かりを灯す。急に明るくなった事で光に慣れていない目に皺が寄るのを自覚しながら携帯電話を取り出すと、現在の時刻は11時50分を回っていた。正直寝過ぎた。

 

「……今日の予定なんやったっけ……」

 

ポロリと出てしまった博多弁には気付かないまま私は呟いた言葉について考える。

 

確か今日は武内さんによれば『シンデレラプロジェクト』メンバーが揃ったという事で顔合わせが行われる日だったような気がする。杏ちゃんと神崎さんは知っているが、その他のメンバーに関しては私は何も情報を持っていない。

 

「集合時間は……」

 

思い出せない。武内さんはなんと言っていただろうか。確か昼休みが終わったらって言っていたな。346社員の昼休憩時間は12時から1時までの60分間だ。……あれ? 私今何時って言ったっけ?

 

光に慣れた事で頭は活性化し、私の灰色の脳細胞は10000rpmを容易に超越する程に回転を始めた。そして出た答えはただ一つ。

 

「寝坊ですね分かります」

 

そもそも12時近くに起きた時点で寝坊というレベルで測れるものでは無い。

 

 

──寝坊、それは誰もが経験したことのあるであろう、この世で最も抗い難い力の一角に連なる存在。その概念の破壊力と強制力は計り知れず、人間程度の力では幾ら足掻きたくとも足掻くことすらままならない程の力を所持している。流石は三大欲求が一つ、睡眠欲といったところだろう。宛ら寝坊は睡眠欲と同種のもの以下略。

 

そんなくだらない事を考えている暇はない。しかしここで慌てふためくのは素人。その行動は何事においても下策中の下策だ。冷静な私はとりあえず顔洗って歯を磨くと適当に着替える。これからメンバーとの初顔合わせなので、いつもは適当な服装選びに今回は少し気を配った。その結果、行くまでに掛かる時間より10分程余裕があるくらいしか猶予は残されていなかった。私には出来るのはここまで。つまり──

 

「この寝癖は直せない……と」

 

メイクは正直どうでもいい。ナチュラルメイク? ってやつだろうか。一応練習で偶にしてるのはしてるが、薄過ぎて何が変わったのか自分ですら理解出来ないのだ。だからといって濃くする気もあまりない。何故なら顔の右と左で濃さを合わせるのが面倒だからだ。私は血液型的に変なところで几帳面なのでこういう無駄なところでよく時間がかかってしまうのだ。自分でもさっさと終わらせたいって思うんだけどね。A型が恨めしいよ。ならば最初からそんな面倒なことしなければいいという結論に至ったと言うわけである。まあ、正直まだこんな幼い時期にメイクなんて必要ないと思うんだよね。高校生くらいまでは自然が一番可愛いのだ。多分。

 

それはさておき、私は鏡に映る正しく鳥の巣のような髪を目に入れる。何時もであればここで朝シャン(死語)して寝癖直すついでにさっぱりするのだが、非常に残念ではあるがそんな時間はない。自業自得なのだけれども。

 

少し面倒臭がりな自覚はあるが、流石にこんな寝癖は人に見せたくない。鳥の巣すぎてもしかしたら寝癖だと認知されない可能性もなきにしもあらずではあるが、それはそれでクるものがある。果たしてどうすれば良いのだろうか。

 

「ニット帽被っとけばいいか」

 

と、いう事でニット帽を被って荷物を手に取ると、我が家のチャイムが軽快な音を鳴らした。

 

「はーい」

『天の御使いよッ! 我が来たッ!!』

「はーい」

 

朝っぱらから喧しい神崎さんに返事を返し、私は玄関を出る。そういえば一緒に行こうって言われていたのをすっかり忘れていた。しかし、丁度良いタイミングで来てくれたものだ。

 

「煩わしい太陽ね!」

「曇ってるけど」

「いざ行かん! 未だ見ぬ同胞の(かんばせ)を拝めに!」

 

そして神崎さんは私の手を取り歩き始めた。なんだか引導されてるみたいで少しアレだ。

 

嬉しそうにふんふん歌っている彼女に取り敢えず気になった事を聞いてみる。

 

「自己紹介の内容考えた?」

「ふっ、有りの侭を魅せるだけよ!」

「ふーん、私もちょっと茶目っ気だして考えてきたんだよね」

 

練習もしてきたし、容姿も相まって多分ウケると思うんだけど。思えば学校の自己紹介なんかでこれをやっておけばもっと皆もフレンドリーになってくれたのかもしれない。今となっては後の祭りというやつではあるが。まぁ、別に気にしないんだけどね。

 

「ほほう? それは?」

 

神崎さんは興味深そうに目をキラキラさせながら私に問うが、今ここで答えては面白くないだろう。私の日本人離れした容姿だからこそ出来る技だ。きっと神崎さんも、杏ちゃんも少しは驚いてくれるに違いない。

 

「後のお楽しみね」

「むぅ……まぁ、良かろう」

「ところで今日の服、凄い気合入ってるね」

 

そう、彼女の服はなんというか、すごかった。アニメとか漫画で出てきそうな黒いお嬢様の服装といえば少しは伝わるだろうか。周りに蝙蝠が飛んでても違和感がないくらいにはその黒いドレス風の服装は彼女に似合っていた。あまり服には詳しくないので精々スカートがフリフリしているくらいしか言えないが、普段着るようなものではないのは確かだ。中々いい値段するに違いない。

 

「是なり! 魔王たる者、些事であれ催事であれ、敵に侮られる事は許されぬ」

「(敵って誰だろう……)」

 

そんな風に、通じてるのか分からないような会話を続けながら、辿り着いた346プロ本社へと入館した。

 

「あっ、深雪ちゃん、蘭子ちゃん。おはようございます♪」

 

入ると同時に笑顔で私たちに挨拶をしてきた彼女の名は千川ちひろさんだ。シンデレラプロジェクト、並びに武内さんのサポート、アシスタントを担当する人物である。笑顔が素敵な人当たりも良く、気遣いにも長けた人物だ。きっと引く手数多だろう。私だったら絶対放っておかないな、うん。……って私女やないかい! 無論、これは今後の為のノリツッコミの勉強である。そういった役割になるならないは別にして。

 

「千川さん、おはようございます」

「おお、新緑なる《二重の影(ドッペルゲンガー)》! 煩わしい太陽ね!」

「はい♪ 二人共今日はメンバーとの初顔合わせで来たんですよね?」

 

神崎さんのドッペルゲンガー発言にどういった意味があるのか疑問を覚えた私だが、千川さんは気にする様子もない。きっと前からそう呼ばれていたのだろうと勘繰り、私は気にせず彼女へ返事を返した。

 

「はい」

「では私も丁度行くところだったので一緒に行きましょう!」

 

そして千川さん先導の元、ゆっくり目的の場所へと向かい始めた。それから少し経過すると、神崎さんが急に落ち着かない様子でそわそわし始めた。お手洗いにでも行きたいのだろうか。そう思っていると、神崎さんは少し興奮しながら小さく話しかけてきた。

 

「て、天の御使いよ」

「どうしたの?」

「……か、かの者はもしや○○○○ではないか?」

 

彼女がチラリと視線を動かしたその先を見てみると、そこには渋いカッコいいおじさんがいた。どうやら有名人らしい。俳優さんか何かだろうか。

 

「……んー、分からない」

「では、彼処で語らい合う二人は……」

「知らないなー」

「……今通り過ぎた人は?」

「存じません」

「……」

「……」

「……なんか、ごめんね?」

「天の御使い、お前の全てを許そう」

 

イケメンな人や美人な人、色々な人について聞かれたが、私はどの人に対しても答えを返すことが出来なかった。私、ドラマとか全然見ないからなー。精々見たことあるものと言えば『妖怪○間ベム』『怪○くん』『一ポンドの○音』くらいのものだ。べっ、別に懐かしいとか思ってないんだからねっ! 勘違いしないでよねっ! ……おろろろろ。

 

「お二人はここの施設には慣れてきましたか?」

「ふっ、最早此が地は我が庭も同然!」

 

ふと思い立ったかのように千川さんは私達へと質問を投げかけてきた。それに対し神崎さんは自信たっぷりに言い放つ。どうやら私と違ってよく此処の施設を利用しているらしい。

 

「それはいい事です。どんどん利用してくださいね♪ ……そういえば蘭子ちゃんはよく噴水広場にいるのを見かけますけど……あそこで何をしてるんですか?」

「世界の可能性を創造しておるのだ!」

 

この寒い時期に更に寒く感じるであろう噴水広場。私には考えられない。というか、また何やら凄い言葉が出てきたね。世界の可能性を創造、そこはかとなくロマンチックさすら感じさせられるような気さえする。飽くまで気がするだけである。

 

「私はまだカフェしか利用してないですね。最近は時間が無かったので」

「あら、そうなんですか! エステとか浴場は無料なので是非利用してくださいね♪」

 

そんな事を話しながら私達は本館から別館へと移り、エレベーターにより目的の部屋が存在する30階へと上がる。やはり大きな施設なだけに速度は早い。素晴らしいな。

 

「おお……!」

「ふふっ♪」

 

やがて30階へと到着しエレベーターを降りると、神崎さんは目の前の壁に注目した。千川さんはその様子を見て楽しそうに小さく笑う。私も気になって壁に目を向けると、『Cinderella project room』の文字が取り付けてあるのが見える。元から取り付けてあった様にしか見えないその壁掛けに「お金掛けてるなー」と思いながらも扉へと近付く。

 

「神崎さん、私から行く? それとも先に行く?」

「うぇぁ!? う、うむ、では……」

 

神崎さんは先に入る選択をした。なので私は後からひっそりと入室するとしよう。私から入ろうが神崎さんから入ろうが、注目されるのは目立つ彼女なので脇役に徹したのだ。ふははは、魔王らしく存分に注目されるがいい! 我関せずで見守ってやろうじゃないか!

 

そんなことを思いながらドキドキしている彼女へと視線を固定させる。やがて覚悟を決めたようで、彼女はキリッとした表情でドアノブへと手を動かし始めた。果たして扉の向こうには、どのような子達がいるのか。神崎さんや杏ちゃんの容姿を考慮するとすれば粒揃いなのは間違いないだろう。主観ではあるが彼女たちはジャンルは違えど美しさ、可愛らしさで言えばトップに近い。きっと近くにいるだけで目の保養になるに違いない。取り敢えず杏ちゃんは私の抱き枕決定だ、と冗談半分な想像に思いを馳せる。しかし、その期待は裏切られた。扉が開いた先にまず目に入ったのは、重厚感溢れる漆黒の壁であった。いや、それは壁ではなく──

 

「うひぁあっ!? ……わ、我が下僕よ〜」

 

その正体は私が予測した通り、我らがプロデューサー、武内さんだ。もしかして待ち構えていたのかな? 意外とお茶目なところもあるんだね。

 

「す、すいません。丁度出ようとしたところでしたので……」

 

違ったようだ。武内さんは少し申し訳なさそうに手を首へと添えた。

 

「にゃにゃ! 次は誰が来たのにゃ!」

 

その女性だと思われる声の主は武内さんの後ろ、つまり部屋の中から聞こえた。これが意味する事は彼女が私達の関係者──シンデレラプロジェクトのメンバーに他ならない。無論、事務員さんや他の先輩アイドルという可能性も捨てきれないが、その線は低いだろう。何故なら今日の集まりの目的は全員新人のシンデレラプロジェクトメンバー(・・・・)の顔合わせなのだから。

 

ぴょん、という擬音が似合いそうな程軽快に武内さんの背中から顔を出した彼女の視線は、私達に注がれていた。

 

 

 

──目と目が逢う瞬間、私はいつの間にか鞄から手を離していた。

 

 

 

 

ポロリと束縛から解放された鞄は重力に従って自由落下し、そしてポスンと音がした。神崎さんがまたなんかよく訳の分からない事を言っているのが聞こえるが、だいぶどうでもよかった。

 

にゃにゃって……か、可愛いぃぃぃぃ!!

 

なんて愛らしい子なの! やばい! 可愛過ぎる! あのクリッとしたお目目! ほんのり上気した頬にチラチラと見え隠れする八重歯! そして極め付けは猫耳! 最早あの猫耳はこの子の可愛さを際立たせる為に存在していると言っても過言ではない! ダークな茶髪に純白の猫耳が映えてて素晴らしい! くっ、ぐぅぅう! 私犬派の筈なのにぃぃ!! ひ、引き摺り込まれる……! まん丸ぱっちりお目目に引き摺り込まれるぅ!! ……はっ! こ、これはもしかして……陰に潜む猫派の陰謀!? だとしたら効果は覿面だ! 寧ろ効果抜群、一撃必殺だと言ってもいい! 地割れ? 絶対零度? 角ドリル? 違う、あれは……メ、メロメロだぁああああああ!!! あれはダメだ! 反則だ! 菜々ちゃんと並ばせたら死ぬ! 可愛い成分致死量で死ぬ! て、天使……!!

 

そう内心悶えながら、私は猫の彼女から視線を外し、武内さんへと目をやった。その表情は相変わらずの無愛想な強面である。

 

…………ふぅ。わ、我を見失っていた。封印されしビーストモードが解禁されてしまったようだ。あの二人が並ぶ姿を想像するだけで頭が幸せになる気がする。絶対に彼女とはお近付きになりたい、なる! 絶対に猫可愛がりしてやる! ……いや待て。落ち着け、落ち着くのだ、深雪よ。先程も自分で言ったではないか。焦るのはダメだ。急いては事を仕損じる。何事も落ち着いて石橋を叩いて結局渡らないくらいには慎重になるべきだ。……いや、それは最早意味が分からないな。

 

そういえば、彼女の名前はなんていうのだろう。さぞかし素敵な名前に違いない!

 

「我が名を知るがいい……我こそは神崎蘭子!」

 

いつの間にか神崎さんは自己紹介に入っていたらしく、翻すものなんてない癖に後ろを向いて振り向きざまにバッと左手を前へ突き出した。そのドヤ顔は私が見た中では一番のドヤ顔であった。可愛い猫の子も思わず狼狽えていた。私は無視した。

 

「す、凄まじいほどのキャラの濃さにゃ……。けど、みくだって……! みくは前川みくにゃ! 色々負けないにゃ!」

 

みくちゃん! 彼女の名前は前川みくちゃんと言うのか! しかも一人称がみくって……可愛すぎうわぁぁあああ!!! しかもこれは……流れ的に私の番! この状況を見逃すわけにはいかない!

 

私は目の前にいるみくちゃんの手を両手で握り締め、自己紹介した。その手はやわっこく、とても暖かだった。

 

「たった今犬派から猫派へと改宗しました、小暮深雪です。何卒……何卒よろしくお願い致します……!」

「な、なんにゃこの好感度MAXな反応……。ふ、ふふん! もしかしてみくの猫チャンパワーに見惚れちゃったのかにゃ?」

「うん」

 

彼女は冗談めかして言うが、正しくその通りだったので私は真面目に答えた。

 

「にゃ!? ……まあ、これからよろしくね! 蘭子チャン、ユキにゃん!」

 

……っ!? ユキ……にゃん……? わ、私がそんな可愛いあだ名で呼ばれてもいいのだろうか。私にそこまで猫要素はない気がするのだが……。だ、だったら私だって……!

 

「私も、みくにゃんって呼んでもいい?」

「勿論にゃ! 寧ろドンと来いにゃ!」

 

ふぁああ! ドヤ顔も可愛いぃぃぃぃ!! む、胸の高鳴りが止まらない! こ、これがあれか! よく色々なところで聞く胸キュンってやつなのか! あ〜、心がキュンキュンするんじゃ〜。もう私この子と知り合えただけでアイドルになって良かったとさえ感じるよ! 武内さんスカウトしてくれてありがとうございます!

 

「あのー……」

 

背後から私達へと話しかけるのは、困ったような笑顔を浮かべた千川さんだった。それによって少し冷静になった私はどうしたのかと彼女へ耳を傾けた。

 

「取り敢えず、中に入りませんか?」

 

そう言われて私は、このやり取りが扉の前で行われている事に気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第15話 顔合わせ

あれから私達は武内さんと入れ替わりで部屋の中へと入室し、柔らかい漆黒のソファへと腰をかけていた。千川さんが座らずに入り口付近で立っていたため、私もそうしようとしたのだが、気にしないでいいという事なので少し遠慮しながらもソファを使用している。

 

この部屋の中には現在、私を抜いて十二人いる。一人は言わずもがな千川さんだが、他の十一人は恐らく全員シンデレラプロジェクトメンバーだろう。十人十色のジャンルに別れてはいるが、やはり可愛い子、美人な子が多い。

 

ハグすると柔らかそうな子とツインテールの子達からはふわふわした雰囲気が流れてて微笑ましいし、天真爛漫を具現化させたような、既視感溢れる金髪の子や黒髪のちっちゃい子達とそれに混ざる大きいにょわにょわ言ってる子は見ていて和むし、隣に座ってるみくにゃんにはドキドキするし、膝の上に座っている杏ちゃんは抱き枕だし、音楽聴いてる子はよく分からないし、神崎さんは神崎さんだし、なんだここ。天使でも寄せ集めてきたのだろうか。あ、シンデレラか。

 

しかしその中でも、目の前のソファに座る銀髪の白人らしき子と少し垂れ目の長髪の子。彼女らは私と同じくクール枠に座する者達だと一目見た瞬間確信した。何故分かったかって? 私の目はその人の本質を見抜く事が出来るのだ! 強いて言うならば『深雪の真紅眼(ミユキズ・レッドアイズ)』と言ったところだろうか。『血塗れの真紅眼(ブラッディ・レッドアイズ)』でもいいな。ううむ、我ながら惚れ惚れするネーミングセンスである。

 

というか、先程からその白人らしき子に何故かじーっと見つめられているのがすごい気になる。こうまで見られると流石の私も居心地が悪い。まさに穴が開くほどってやつ。……もしかして自己紹介を促しているのかな? 分からない。それか白人のクォーターである私に何かシンパシーを感じているとか。残念だったね。私の中身は生粋の日本人だ。

 

そしてその隣に座る少し垂れ目の長髪の子。恐らく少し歳上くらいだと思うけど……なんだろう、この御結婚されて何年目でしょうかと問いたくなるくらい妖艶な雰囲気漂う人妻感。厚着だから色気なんて無いはずなのにそこにいるだけで淫靡に感じる。一言で言うとズバリエロい。

 

「Разрешите представиться. ……アー、はじめまして、アナスタシアです。アーニャと呼んでくだサイ。これからよろしく、です!」

 

私の目の前に座る白人らしき子──アーニャちゃんは嬉しそうに破顔させ、私達へと挨拶をしてくれた。顔立ちからして日本人離れしているとは思っていたが、やはりそうらしい。日本語も所々で辿々しいので日本に住んでいたという訳でもなさそうだ。

 

そしてここで残念なお知らせがあります。アーニャちゃんの自己紹介により、私の自己紹介計画は破綻してしまいました。というのも私が計画していた自己紹介というのは『私日本人じゃないと思わせて実は日本人だよ大作戦』というもので、端的に言えば母親の両親の生まれの言語で自己紹介して驚かせてからの日本語ペラペラだよー、というやつである。練習してきただけに少し残念な気持ちが残る。別にやっても構わないのだが、アーニャちゃんの後でやると確実にインパクトが希薄になるだろう。詳しく言うと「へぇ!」が「……はっ(嘲笑)」くらいになると思う。それならばやらない方がマシというものである。……いや、そもそもみくにゃんと普通に会話してた時点で恐らく計画は破綻していた。どっちにしろダメだったということか。

 

それにしてもよく見たらアーニャちゃんは青眼なのか……。さっきの『深雪の真紅眼(ミユキズ・レッドアイズ)』の話に戻るけど、青眼(ブルーアイズ)真紅眼(レッドアイズ)って、組み合わせるとなんだか最強な気がしてこないだろうか。オッドアイ的な感じで。フュージョンとかしたらどうなるんだろう。背丈も近そうだし、戦闘力も似たり寄ったりだろうから、恐らくフュージョンする上では問題はないと思う。名前は、そうだね……『アナスタシア』と『深雪』を合わせて『アナ雪』なんてどうだろう。ははっ、なんだか著作権で訴えられそうな名前だね。

 

「新田美波です。よろしくお願いします。メンバーではちょっとだけお姉さんになるのかな?」

 

茶髪で長髪の子──新田さんはお淑やかに微笑みを混じえながらそう言った。気が効く事に定評のある私だから気付いた事だが、今の彼女の言葉の裏には「困ったら頼ってね」という隠語が隠されていた。直接は言わない奥ゆかしさ、しかしいじらしくありながらもアピールする時はアピールし、決して引き過ぎている訳でもない。もしかしたら大和撫子というのは彼女のような人の事を言うのかもしれない。考えれば考えるほど彼女への評価はうなぎ登り。くっ、私は私の邪な心が恥ずかしい……!

 

「……新田さん、ごめんなさい」

「よろし──えっ? ……ど、どういう──」

「あー! みりあもじこしょーかいするー! みりあはね、赤城みりあって言うの!」

「あっ、みりあちゃんずるーい! アタシは城ヶ崎莉嘉だよ☆ 仲良くしようね!」

 

些か以上に失礼な事を考えてしまった事を反省していると、彼女たち──赤城みりあちゃんと城ヶ崎莉嘉ちゃんに続け様に自己紹介をされた。両名とも元気一杯なので何故だか此方も元気がもらえる。そして城ヶ崎という苗字で確信したが、彼女はロリコンという名の淑女、城ヶ崎美嘉さんの妹だろう。その顔付きには何処か城ヶ崎さんの面影が見える。もしかしたら彼女も……いや、やめておこう。姉がああだからといって下の子もかと言われたらそうではない。邪推は己に対する嫌悪感を生むだけなのだ。

 

「にゃっほーい! 諸星きらりだよ☆ 二人ともよろしくにぃ!」

 

おお、この子聞いてた通り(・・・・・・)大きいなぁ。やはり毎朝コーンフレークでも食べているのだろうか。

 

実はこの子──諸星きらりさんの事は少し知っている。杏ちゃんにMINEの通話で誰かメンバーの中で知り合いとかいるのかと聞いたところ、彼女の事を言っていたからだ。

 

二人が何処で知り合ったのか気になったので聞いてみると、オーディションで知り合ったと言っていた。武内さんの熱心な勧誘で入社? した身としてはまずそこでオーディションなんてものが存在したのかと驚いたが、よく考えなくとも当たり前の事であった。

 

「ぐぬぬ、やっぱりきらりチャンは強いにゃ……」

 

何と張り合っているかは知らないが応援しておこう。がんばれ。

 

「あっ、あのっ、緒方智絵里ですっ。よ、よろしくお願いします!」

「私は三村かな子です。二人共これからよろしくお願いします。あっ、このお菓子手作りなんです。良かったらどうぞ!」

 

ツインテールの少し気弱そうな子と、お菓子を持った明るめの茶髪の子。二人は緒方さん、三村さんと言うらしい。緒方さんはなんとなく兎さんを連想させられる可愛らしい容姿だ。

 

三村さんがテーブルに手作りしたというお菓子を置くと、神崎さんが目を輝かせた。確かに、彼女のお菓子──クッキーは装飾鮮やかで中々に凝った作りになっている。焼きたての良い匂いも漂い、見るからに美味しそうだ。今日まだ何もお腹に入れていないので余計そう感じる。

 

「おお、それは遥かな地獄の炎により抱かれし不定形の粘液(ショゴス)!」

 

多分クッキーの事なんだろうなぁ、知らんけど。そもそもショゴスってなんだろう。

 

「……んあ、双葉杏ー、よろー」

 

杏ちゃんはダラけた態度のまま神崎さんへ挨拶する。自分のことではないにせよ、そのあまりな態度に少しムッと思いながら私は杏ちゃんへ注意した。

 

「流石に初対面でそれは失礼だと思うけど」

「……池乃めだか」

「……」

 

ジト目で見られ、私はそっと目を逸らした。別に初対面で杏ちゃんに新喜劇のネタをやらせたからとか、そんな理由では断じてない。断じてない。

 

「めだか、さん?」

「……」

 

神崎さんは可愛らしく小首を傾げながら問うが、答える気は無い。

 

続いて、ヘッドホンを首に掛けた少女へと視線を向ける。

 

「多田李衣菜。ロックなアイドル目指してます」

 

おぉ、なんだかカッコいいな。夏樹みたいな感じの子だろうか。服にもなんか『rock of mind』って書いてあるし、相当ロック好きなんだろうなー。どんな曲聴くのかな? 聖飢魔IIとか安全地帯とか知ってるかな? 話が合うなら夏樹とか輝子も一緒に話してみたい。

 

さて、それはそれとして、残り三人の自己紹介も聞いたので、これで全員の自己紹介を聞いたことになる筈だ。自己紹介 されたら返す 当たり前。よし、後は私達の番だ。まずは先手! 神崎さん、狙いを定め、熱い鼓動を解き放て! ゴーシュート!

 

私の想いが届いたのか、神崎さんは優雅に含め笑いを始めた。彼女の自己紹介が始まるのだ。

 

「ふふふ……我が名は神崎蘭子。同胞達よ、我等は今一つにならん。快い、喜びに満ちた調べに、共に声を合わせようぞ!」

「(だ、第四楽章……!)」

 

驚いた。まさか彼女からそれ(・・)を聞く事になるだなんて。まるで歌っている(・・・・・)かのように自己紹介をする彼女。ように、と口にはしたが、私のその表現は的を射ていた。何故なら彼女が口にしたその言葉──否、歌詞の正体はベートーヴェンの交響曲第9番 ニ短調作品125、通称『第九』の第四楽章 “An die Freude” なのだから。ドイツ語に惹かれたのか、はたまた今が第九の時期だからなのか分からないが、彼女の知識の幅の広さには身の引き締まる思いである。

 

彼女の自己紹介に対する皆の反応はだいぶ揃っており、目を点にするというものであった。私も初めての時は戸惑ったし、彼女らの反応は見ていて面白かったが、今は自己紹介を終えることが先決だ。私はぽかんとしてる彼女らへ追加攻撃を仕掛けた。

 

「小暮深雪です。四分の三だけ日本人の血が流れています。好きなものは古代中国。好きな食べ物は寿司とシュークリーム、相容れない物はパセリと生のゴーヤです。それ以外は大体食べます。よろしくお願いします」

 

これが私が即興で考えつく最大限の茶目っ気をねじ込んだ自己紹介だ。言ったでしょ? 私アドリブ苦手だって。前々からしっかり考えて暗記しておかないと私はただのポンコツなんだよ!

 

しかし、ここで皆に親しみを持たせないと後で困るのは私だ。中学や高校とは違い此処にいる全員が長い密接な付き合いになるかもしれないのだ。こんな所で壁なんか作っていられない。しかし、私にはもっとマシな趣味はないのだろうか。一体こんな趣味晒して誰が「ええっ!? 古代中国好きなの!? 私も!」と反応するのだろうか。周知されたのは食べ物に関してだけというね。

 

「に゛ゃ!? す、寿司……」

「わお! スシ、ですね♪」

 

良かった、どうやら意外と掴みは上々のようだ。計画が破綻したので神崎さん程のインパクトは出せず普通の自己紹介で終わってしまったが、まあいいだろう。正直私の自己紹介より寿司に反応してた感はあるが気にしない。そう、例え神崎さんが不思議そうな目で此方を見ていたとしても関係ないのだ。

 

しかし、アーニャちゃんとみくにゃんの反応の差が著しい。みくにゃんは嫌そうな反応をしているので、もしかしたら魚介類がお嫌いにあらせられるのかもしれない。対照的にアーニャちゃんは何故か少し嬉しそうだ。

 

「お待たせしました。皆さん、お揃いでしょうか」

 

と、全員が自己紹介を終えたいいところで武内さんが戻ってきた。その手には様々な資料らしきものが存在していたので、これから色々と話があるのだろう。私こういうの苦手だから眠らないように気を付けないと。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

時刻は午後四時。

 

あれから保険や株、会社概要、そして福利厚生などの話を粗方聴き終えて暫くすると、武内さんと千川さんは退散した。本来であれば午前中に健康診断、歓迎会も兼ねての昼食、そして施設の案内があったらしいが、武内さんの様々な都合と人員不足により来週の月曜に持ち越しとなったのだそうだ。恐らく『CP(シンデレラプロジェクト)』自体が発足して日も浅い為、その様な状況に陥っているのだろうと私は感じた。とはいえ、流石に『CP(シンデレラプロジェクト)』に携わる人員くらいは紹介して欲しいものだ。先程改めて武内さんと千川さんから自己紹介を受けたが、思い返せば私はその二人としか話した事がない。もしかすると『CP(シンデレラプロジェクト)』を回している人員って武内さんと千川さんしかいないのだろうか。まあ、流石にないとは思うが、もしそうだとしたら二人の負担は半端なものではない筈だ。それに例え他に人員がいようがいるまいが、二人の忙しそうな様子を見る限り決して楽なものではないだろう。私も出来る限りフォローしよう。

 

そう考えながら帰る準備をしていると、新田さんがふと思い付いたとばかりにその言葉を口にした。

 

「皆で親睦会でもしない?」

 

新田さんは更に「勿論皆の都合が良い日に」と続けた。確かに私たちは知り合ってまだ間もない。互いを知るにはいい機会だし、親睦会を設ける事によりきっと皆の仲は深まる事だろう。これから帰ることしか頭になかった私に対して、新田さんはこれからの私達のコミュニケーションを円滑に進める為に頭を働かせていたのだ。そんな彼女の行動は、年上然とした非常に素晴らしいものだと私は思う。無論、私としては親睦会は大賛成であった。

 

「絢爛豪華、玲瓏たる宴への(いざな)い……血湧き肉踊るとはこの事よ!」

「皆のキャラを知るいい機会……みくも賛成にゃ!」

「みりあも行きたーい!」

「アタシもー!」

「きらりも行っくにぃ☆」

 

他の面々の反応も好意的で満場一致で可決であった。話し合った結果、親睦会は明後日の朝、つまり日曜日の十時にROUND10へ集合との事だ。

 

「らうんどてん、って何処にあるの?」

「みりあちゃんはぁ、きらりが迎えに行くにぃ!」

「きらりちゃんありがとー!」

「あー! アタシも一緒に行きたーい!」

「じゃあ、莉嘉ちゃんは何処住んでるにぃ?」

「アタシは埼玉の……ここ!」

「んー、なら莉嘉ちゃんもぉ、この駅集合!」

「いえーい☆」

 

みりあちゃんと莉嘉ちゃんは太陽すら目ではない程に輝かしい笑みをにぱっと諸星さんへ向けた。良い、笑顔です。

 

ついでに私もみりあちゃん家の場所と電話番号を聞いておく。携帯番号は既に全員から聞いているが、もしも何かあった時の為だ。もちろん、ないに越したことはないのだが。寮から行くついでに丁度拾える場所に住んでいるようなので、諸星さんが無理になっても私が迎えに行ける。

 

「ミユキとランコはドコに住んでますか?」

「私は近くの寮だよ」

「我も!」

「хорошо! ワタシも一緒です!」

 

アーニャちゃんが少し舌を巻きながら神崎さんの名前を呼ぶ。まあ、ロシア語の『r(p)』は巻くやつだからね。仕方ないよね。でも私思うんだけど、『r(p)』じゃなくて『l(л)』を意識したら日本語みたいに巻かずに言えるのではないだろうか。いやまあ、どっちでもいいって言われたら確かにその通りなんだけどね。私もどっちでもいいし。ちなみに彼女がロシア人のハーフだと言うことは先程知った。

 

というかアーニャちゃん寮住みだったんだ。私が出歩かないから気が付かなかっただけかもしれないけど、知らなかったな。

 

「みくも寮住みだから一緒に行くにゃ!」

「──ッ……!」

 

危なかった。思わず「喜んで!」と即答しそうになった。いや、行くけどね? というか、え? みくにゃんも寮住みだったの!? 全く気が付かなかったんだけど。くそっ、寮住みって知ってたらどうにかして知り合いになって部屋に遊びにいってたのに……!

 

「杏ちゃんもぉ、きらりと一緒に行くにぃ?」

「え? もしかして杏も行く事になってるの?」

「あれれぇ、杏ちゃんは行きたくない?」

「いや、まあ、別にいいけど」

 

「李衣菜ちゃんは何処に住んでるの?」

「私は○○の△△辺りだよ」

「わあ、うちと結構近所なんだね! 智絵里ちゃんは?」

「わ、私はその近くの駅の二個前……」

「じゃあ一緒に行きましょう」

 

杏ちゃんは諸星さんと、新田さんは三村さん、緒方さん、そして多田さんと一緒に行く事になったので、奇しくも丁度良く四対四対四に分かれての集合となった。

 

聞くところによると、どうやら諸星さん、三村さん、多田さんは都内出身らしく、諸星さんは杏ちゃんが住んでるマンションの近くに実家があるらしい。新田さんは都内の大学生だったようで、個人的に借りた部屋に住んでいるとのこと。私と同じく地方から来た緒方さんにも何処に住んでいるのかと聞いてみると、親戚の家にお世話になっているという答えが返って来た。実家とか親戚の家から通う人っていいよね。お金貯まりまくりだろうなぁ……。

 

それにしても、此処までの様子から分かってはいたが、皆良い人そうで本当に良かった。いや、もしかしたらまだ本性を隠しているだけの人もいるかもしれないが……あんまり考えたくないな。

 

ま、取り敢えず行動予定は決まった事だし、これからどうしようかな。直帰してもいいんだけど、四時ってだいぶ微妙な時間帯なんだよねー。寮についてもご飯の時間はまだだし……うーん、カフェでも行こうかな。いや、今日は菜々ちゃんアイドルの仕事があるからいないんだっけ? それだと全く行く意味がないしなぁ。カフェに行く理由の九割九分が菜々ちゃん目的だと言っても過言じゃないし。とは言っても今日は勉強もやる気が起きない。どうしたものか。

 

「……そういえば、杏ちゃん冬休みの課題終わった?」

 

手持ち無沙汰だった私は取り敢えず隣でぐだってる杏ちゃんへと話しかける事にした。先程まで私の抱き枕状態だったが「暑い」の一言で腕から離れてしまったのだ。誠に遺憾である。

 

「よゆーよゆー。冬休み初日に終わらせちゃったよ」

「そうなの? ちょっと意外だな。杏ちゃんって課題とか面倒って言いながら結局最後までやらない人かと思ってた」

「いや、杏だってそうしたいのは山々なんだけどねー。それやっちゃうと後々面倒じゃん? 杏は常により楽な道を選んでいるのだ!」

「我が計画に狂いは生じぬ」

 

成る程ね、確かに道理に適ってる。私は気分にもよるけどこういうのは後に回しちゃうタイプだから少し羨ましい。隣に座っている神崎さんは恐らく計画立てて毎日コツコツやっていると言ってるのだと思う。多分。あまり自信はない。

 

「そういえばさ、プロデューサーの話の時は兎も角、なんでずっとニット帽被ってんの?」

「我もそれは気になるところ」

 

ぐっ、この二人急に鋭いツッコミぶっ込んで来やがった……! 疑問持たれないように周囲を確認しながらさりげなーくこっそり被っていた筈なのにどうして気付かれたんだ!

 

寝癖だとバレたら恥ずかしいので私は気にしてない風を装いながら彼女へと返事を返す。

 

「オ、オシャレだけど……?」

「ふーん……まあいいけど。それより今日の深雪の髪っていつもよりウネウネだよね?」

「……ッ」

「その姿、かの(いにしえ)のメデューサ姉妹……!」

「……セットしてきたから」

 

夢の中でな! ウソは言ってない。

 

「そうなの? 別にいつものでも良い感じだと思うけど」

「……まあ、今日だけだから」

 

そう言って私は少し強引に話を切った。これ以上何か言われるとボロが出そうで怖い。

 

 



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閑話 親睦会 〜午前の部〜

「あはははー! すごーい! たーのしー!」

 

赤城さんがロデオマシーンに揺られはしゃぐ様子が目に入る。純真無垢なその姿は、とても心が和む。

 

チラリとロデオマシーンの入り口に立っている神崎さんへと横目をやると、うずうずと目を輝かせながら自分の番を心待ちにしていた。彼女が一昨日から今日という日を楽しみだとルンルン気分で待ち侘びていた事を知っているので、非常に微笑ましく感じる。例えるなら保護者が子供を引率しているような気分だ。

 

神崎さんも赤城さんも、そして隣に座る多田さんも運動する気満々の格好ではあるものの、やはりアイドルの卵。その服装の中にも拘ったおしゃれ具合が見え隠れしていた。偉そうに言う私はワイドパンツに上に適当に繕った格好だ。店員さんが言っていたコーディネートなので恐らくダサくはない。

 

現在、私を含めた『CP(シンデレラプロジェクト)』メンバー十二人は、親睦会も兼ねてROUND10へと赴いていた。しかし、流石に十二人で行動するのは人口密度が凄い事になりそうなので、じゃんけんのグーチョキパーで四人一組の三チームに別れることにしたのだ。

 

グーチームは

 アナスタシア

 緒方智絵里

 城ヶ崎莉嘉

 前川みく

 

チョキチームは

 新田美波

 諸星きらり

 双葉杏

 三村かな子

 

パーチームは

 赤城みりあ

 多田李衣菜

 神崎蘭子

 

そして最後に私こと小暮深雪、といった具合に分かれていた。神崎さんはともかく赤城さんと多田さんはまだ自己紹介程度でしか話した事がないので、これを機に仲良くなれたらいいなと思っている。無論、それはこの二人に限らずCPメンバー全員に言えることではあるが、別に焦る必要はないのでゆっくりと仲を深めて行こう。

 

と、言うことで早速、親睦会の名の下に親睦を深めてみるとしよう! まずは軽いジャブ!

 

「ねぇねぇ、多田さん」

「ん? どうしたの?」

「多田さんってロックが好きって言ってたけど、どんなの聞いてるの?」

「うぇあっ!?」

 

多田さんが素っ頓狂な声を上げる。特に可笑しな事は聞いていない筈だが。

 

不安になった私は多田さんに聞き返す。

 

「ど、どうしたの?」

「い、いやぁ……ロック……ね。い、色んなの齧ってるよ……?」

 

何故か歯切れが悪いが私が何かしたという訳ではなさそうだ。続けて質問を行なう。

 

「やっぱり洋楽が多いの?」

「まぁ、ね。え……エアロ、スミスとか、ク……クイーンとか!」

 

クイーンの部分で自信ありげに胸を張る彼女。なんだか子供が背伸びをしているみたいで大変可愛らしい。それにしても、やはりこの二つのグループは根強い人気を持っているようだ。

 

「有名どころだね。最近のグループのやつだと、何かオススメってある?」

 

実は私も最近夏樹の影響でほんのちょっぴり洋楽にも手を出し始めたのだ。グループはバラバラだが自分的に好みな曲を選りすぐって聞いている。

 

「ええっ?! え、え〜っと……」

 

彼女の視線が縦横無尽に泳ぐ。流れで聞いたつもりだったけど、何か不味かったかな? 少し質問し過ぎたか。

 

「あっ、あ〜っと……い、今はサ、サーカス・グランパ? ってグループが熱いかな〜、なんて」

「…………もしかしてルーカス・グラハムの事?」

「えっ!? ……そ、そうそうそれそれ! いや〜、言い間違えちゃったよ〜、あっははー」

 

言い間違えるというレベルには思えないのだが。というかサーカスとおじいちゃんって、もはや意味が分からないんだけど。サーカス団に所属しているおじいちゃんなのか、サーカスを見に行くおじいちゃんなのか。はたまた、おじいちゃん=サーカスという概念的な話になってくるのか。

 

内心首を捻っていると、ロデオマシーンを乗り終えた赤城さんが此方へと戻ってきた。

 

「楽しかったー!」

「良かったね」

 

可愛かったので髪型が崩れない程度に頭を撫でた。にっこり笑顔。大変可愛らしいです。

 

「うん! 深雪ちゃんと李衣菜ちゃんは乗らないの?」

「私はやめとくよ。ああいうの酔っちゃうから」

 

そう、私ってばああいうアトラクションで酔っちゃうタイプなのだ。特にジェットコースターの下りはしんどい。楽しいけど。好きだけど。下りは死にそうになる。なんというかね、意識がふわぁってなるの。叫ぶ余裕くらいはあるけど。

 

「じゃ、じゃあ、蘭子ちゃんの後に行こうかな〜……」

 

多田さんは行くようだ。心なしか視線をそらされてる気がする。そう思い始めるとなんだか足取りも逃げるような風に見え始めたが、きっとどちらも被害妄想だろう。

 

「我、顕現!」

 

そんな事を考えているうちに、目の前にはだいぶテンション高めの神崎さんがロデオマシーンへと豪快に跨ろうとしている姿があった。意気揚々としたその様子は、正に歴戦の魔王たる風格を感じさせられる姿であった。

 

「ぷぎゃっ!」

 

全然そんな事はなかった。勢いよく跨ったのは良かったが、その勢いで反対側へと転落してしまった彼女。私は心の底からアホだと感じた。

 

下に柔らかいマットが敷かれているので大丈夫だとは思うが、もしかしたらもありえる。私たち三人は地面に四つん這いで這い蹲りながらプルプルと震えている彼女の元へと駆け寄る。

 

「神崎さん大丈夫?」

 

声を掛けるも神崎さんは心配無用だと手をバッと翻す。チラリと見えたその瞳はウルウルと潤んでいた。

 

「わ、我、顕現せしむれば生きとし生けるもの全てが平伏すだろう……。しかし、時は満ち足りぬ」

「……な、なんだって……?」

「……ちょっと、分からない」

 

私と多田さんは小声でやり取りをする。私も簡単なものであれば理解出来るものもあるが、今回の彼女の言葉は難しすぎた。神崎語四級の私には一級二級レベルはまだ早過ぎる。

 

そう思っている矢先であった。

 

「そっかー……次は気を付けてね?」

「うむ……」

 

……んー? なんか会話が成立していたように聞こえたが、気のせいか?

 

神崎さんの言葉に赤城さんは何の迷いもなく返事を返した。今のはまるで彼女の言葉の内容をしっかり理解しているかのような返事の仕方である。

 

まさかとは思いながらも、私は小声で赤城さんに聞いてみる。

 

「今、神崎さんはなんて言ったの?」

「え? 次は成功させるって言ってたよ! あ、でも今はやめとくって!」

「是也」

「……ぇ」

 

向日葵の様な笑顔を浮かべながら彼女はそう言った。

 

私は戦慄した。まさか……まさか本当に神崎さんの言葉を理解していただなんて……。私は赤城さんの凄まじい語彙力に畏怖の念を禁じ得なかった。私がその領域に達するにはどれ程の時間がかかるのだろうか。私が未だ四級で神崎さんが師範、とすると赤城さんは一級レベル……?

 

「彼女は“瞳”の所持者なり」

 

分からねーよ! 神崎語はいいから日本語話してくれ!

 

そんなこんなで、多田さんがロデオマシーンでわたわたしている様子を眺めた後、私たちは続いて向かう施設を探す。

 

「ねーねー! 次はここがいいなぁ!」

「む、庭球か。是非も無し!」

「じゃあ行こっか」

 

階段を上がり目的の場所へと向かう私たち。けれどテニスは人気なようでだいぶ並ぶこととなった。二ペア程並んでいるっぽいので四十分以上はかかりそうだ。とはいえ、四人待つ必要もなし。私が待てばいいか。

 

「三人は遊んでていいよ。時間になりそうだったら伝えるから」

「みりあ達も一緒に待つよ?」

「気にしないで。四人で待つと時間勿体無いし、それに邪魔になるからね」

「じゃあ、交代で並ぶ? 二十分くらい経ったら私が交代するよ」

「おっ、ありがと。じゃあいってらっしゃい」

「再び合間見えようぞ!」

 

そうして三人は去って行く……と、その前に伝えておかないと。

 

「あっ、多田さんちょっと待って」

「ん? なに?」

 

私は小声で多田さんに告げる。

 

「……引率お願いね」

「おっけーおっけー、任せて!」

 

多田さんはにっかりと笑みを浮かべながらこちらへサムズアップした。これで大丈夫だろう。

 

残された私は待つ人用のベンチへと腰を掛けると、キャメル色のワンショルダーバッグから『達人伝』の最新刊を取り出した。ふふふっ、こんな事もあろうかと準備しておいたのだッ! 嘘。ただ昨日買ったのを取り出し忘れただけです。

 

さて、それでは読み進めるとしようかね。

 

そして心ウキウキワクワクといった具合に読み進めていくと、私より前に隣に座っていた男性から声を掛けられた。

 

「あっ、あの、お一人ですか?」

 

……はい? もしかして、私に言っているのだろうか。ちらっと隣を見てみると、その視線は私に注がれていたので、どうやら私に言っているようだ。

 

しかし、よく考えてみて欲しい。一人でテニスなんて、出来るわけないでしょうが! 打ったらすぐさま反対側行って打てってか。馬鹿なの? 死ぬの? あーもうめちゃくちゃだよ。折角のドキドキシーンだったのに、緊張感が薄れてしまったじゃん。

 

イヤホンを装備しておくべきだったかと内心後悔しながら少し不機嫌に返事を返す。

 

「……連れが三人いますが」

「そ、そうですか……。あっ、僕○○○○って言います。ところで──」

 

それから名前も知らぬ彼(忘れた)はぺちゃくちゃとどうでもいい話を繰り出す。心底どうでもいい話ばかりなのでもう勘弁してほしい。私の面倒臭がってる雰囲気が分からないのか。相手の心の動きが読み取れない時点で彼に営業は向いていないということが分かる。

 

そしてもしやとは思ったが、これはあれか。いわゆるナンパってやつなのか。実はナンパって何度かされた事あるんだけど、私ってそんな軽そうな女に見えるかな? それとも取り敢えずアタックしてみるかってやつだろうか。気持ちは分からなくはないけど、十五歳をナンパって中々に事案物だと思うんだよね。見た所大学生っぽいけど、ロリコンなの? 十五歳まではロリコン扱いだって知ってた? まぁ、物怖じせず話しかけられるのは良いことだとは思う。対象が私でなければの話だけど。

 

そもそも初対面の人と付き合うっていうのが考えられない。一夜だけの関係とか言われたら女性の立場的にムカつきはするが男性の立場的にはまぁ成る程とはなる。気持ちは辛うじて分からんでもないのだ。……あれ? これいったい何の目線なんだろ? ……とにかく、彼には悪いがここはキッパリと断っておこう。

 

「あーすいません。そういうの、間に合ってるので」

「そ、そうですか……はぁ」

 

残念だと言いたげに溜息を吐くと、彼は気まずげに口を閉じた。どうやら一発で諦めてくれたようだ。この手はしつこい輩が結構多いからね。言い方とかも相手の神経を逆撫でしないように気を付けないと。それを鑑みると、今の言い方は少し危なかった。続きが読みたいあまりについ杜撰な言い方になってしまった。

 

ふーっ、ともあれ、これでようやく続きが読めるぜ! 悪いが今の私は本当にそういう事は全く興味がないんだよね! ぶっちゃけあんまり好みでもないし。確かにかっこいい部類なのかもしれないけど、私はもっとこう、男らしい安心感のある人がいい……って何言ってんだ私。

 

静かになったので私は再び読み耽る。少しすると、隣の彼が席を立つと同時に多田さんが此方へ近づいて来ているのが分かった。どうやら交代のようだ。二十分なんてあっという間である。その内五分程無為に過ごした訳だが。

 

「深雪ちゃん、交代だよ!」

「はーい。二人は?」

「今ゴルフしてるよ」

「分かった。順番待ちよろしくね」

「おけー」

 

私は彼女に言われた通り、ゴルフ施設の方向へと向かった。

 

「えーい! ……あっ、深雪ちゃん!」

 

気の抜ける掛け声の後に私を呼ぶ彼女は赤城さん。多田さんの言う通りゴルフの施設にいた。私が見かけたのは丁度赤城さんがクラブを振り切る場面であった。

 

「天翔ける白龍……我ですら制御が敵わぬとは……!」

 

神崎さんは悔しがりながらゴルフクラブを握りしめる。今の言葉は分かったぞ! 今のはゴルフを比喩しているんだ! 『天翔ける』は打った時の状態、『白龍』はゴルフボールを意味しているのだ! ふふふ、私もそろそろ神崎語三級くらいまでは進級したかな?

 

「今こそ魂の鎮魂歌(レクイエム)を奏でる時……ッ!」

 

………………うん、分からん!! 四級から潔く出直してきます!!

 

「深雪ちゃんも、はい!」

 

赤城さんが私へとゴルフクラブを手渡す。いいのかい? 私に渡しても。自慢ではないが私は『プロゴルファー猿』のアニメを何話か見た事ある程の実力者だ。旗つつみ程度訳ではないぞよ? それでもいいというならば、二人に本物の旗つつみ、そして本物のプロと言うものを見せてやるとしようか。

 

私の頭には天高く舞い上がる白銀の龍が、ホールポストという名のお布団目掛けて一直線に駆け抜ける姿がよぎった。

 

──ワイは深雪や! プロゴルファー深雪や!

 

そう心で叫び、両手でクラブをしっかりと握り締める。緊張感を身に漂わせ、ゆっくりと腕を引く。やがてクラブが窓辺から差し込む輝かしい陽光と重なり合い、ピタリと身体をその場に留める。

 

腕、腰、足と順番に筋肉を高ぶらせ、私は勢いよく振りかぶった。そして──

 

「そりゃ!」

 

振り抜いた! 結果はスカ! 分かりきった結果である。ゴルフなんて片手で数える程しかプレイした事ないし得意というわけでもない。ましてや旗つつみなんて高等技術が出来るわけがなかった。

 

「そもそも映像というね」

「む、如何なる言霊か?」

 

なんでもねっす。あー恥ずかしい恥ずかしい。さて、彼女らも十分楽しんだだろうし、次はアーチェリーにでも行ってみるとしよう。ゴルフはもうやらない。

 

「あーちぇりー、ってなぁに?」

「弓矢の事だよ」

「弓矢やるー!」

「わ、我はやり残したことがある故に」

 

おや? 神崎さんは来ないようだ。ま、結構しっかりしてる子だし、一人でも大丈夫……いや、先のロデオマシーン転落事故もあったな。それに今日の神崎さんはいつにも増して楽しげというかテンション高め。意外と不安要素が残るな。

 

「一人にすると怖いし、一緒に来ない?」

「む、よもや我を侮っているわけではあるまいな?」

「侮ってるっていうか、さっきの転落もあるし……それに可愛い子一人にすると色々と危ないから」

「かわっ……!」

 

もしかすると先程の私みたいな事が起こるかもしれないのだ。その場合に神崎さんがしっかりとナンパを断る事が出来るのであれば何も問題はない。彼女は中学一年生と、幼くはあるが身体は既に第二次性徴期を迎えている。そして何より可愛い。ナンパされる可能性は十分にあるだろうと思われる。そう考えると順番待ちをしている多田さんは大丈夫だろうか。少し不安になってきた。……隣の人もいなくなったし、反対隣は女の子だったから大丈夫か。

 

中一をナンパする輩がいない事を祈るか、念を入れて私たちが待つか。アーチェリーの施設は此処から近い所に存在しているが、それでも目を離す時間帯は必ず出てくる。大袈裟かもしれないがその“多分”や“きっと”という油断が一番怖いのだ。

 

私は彼女らを引率する立場でもある。新田さんにもよろしくってお願いされてるし。それによく考えると、先程多田さんに言った手前私が約束を反故にするわけにはいかない。やはり彼女が満足するまで待つとしよう。

 

「神崎さん待ってようか」

「そうだね」

 

赤城さんから了承を得、神崎さんにも伝えようとすると、何故か少し顔を赤らめている様子の彼女がそこにあった。私がうんうん考えている間に何かあったのか。まあ、嬉しそうにも見えるので特に聞く必要もないだろう。

 

「ゆっくりしていいよ」

「う、うむ」

 

という事で一頻り彼女の素晴らしい()振りを見学した私達は、アーチェリーの施設へと足を運んだ。中に入ると弓と矢が立て掛けられており、的は明かりがない為非常に見えづらい。目を凝らしてようやく目視出来る程度だ。

 

「赤城さん、やる?」

「やるー! ……むむむーん、えいっ!」

 

彼女の放った矢は小さな放物線を描き、やがて墜落した。なんというか落るべくして落ちた、みたいな落ち方であった。音で表すとみょいーんぽてっ、といった感じだろうか。

 

「あー」

「残念。次はもうちょっと近づいてみる?」

「うん。じゃあ、はい!」

 

私は赤城さんから弓と矢を受け取り、黙想した。

 

──遂に来たか。

 

弓に矢をつがえ、キリリと引くと、耳元から軋むような音が聞こえる。やがて限界まで達し、蓄積された弾力を解き放たんとしたところで、私は小さく呟く。

 

「……狙撃」

 

かっこイケボかっことじ、と後ろにつけても良い程のイケボ具合を披露した私。

 

撃ち放った矢は風切り音を立てながら一直線に的へと向かう。まるで的に引力でも存在しているかのように矢は吸い込まれていく──

 

 

──などということは当然なく、矢は始めから緩やかな放物線を描き、的に当たるまでもなく手前で地面に接触した。音で表すとピョーントスッ、といった具合だろう。うん、まぁ、こんなものだ。アーチェリーに関しては今日生まれて初めて行なった訳だし。

 

しかし、私は満足している。何故なら、ROUND10での三番目の目的が達成されたからだ。その目的っていうのはアーチェリーで打つ瞬間に『狙撃』って呟くことだけ。特に意味はないが一度だけやってみたかったのだ。一番は勿論皆との交流で、二番は純粋に楽しむ事。今の所は多分順調だ。後は彼女らの奮闘を眺めながらテニスの時間を待つとしよう。

 

そう思い神崎さんに弓を渡そうとすると、いやいやと断られた。アーチェリーは嫌いだったか。

 

「わ、我が手に宿りし悪霊が蠢いておる……」

「この子はなんだって?」

「手が痛いって」

 

さっきまでずっと素振り(意訳)してたからね。仕方ないね。私もゴルフの練習場でグローブもせずひたすら素手で適当に打ちまくった結果肉刺ができて悶絶したものだ。一緒に行った友達はできていなかったというのがまた恨めしい。ペンも持ちづらいし、お風呂入る事すらままならないからね。あれは辛いよ。それに比べたらまだマシだ。

 

という事で赤城さんと二人でピョインピョイーンと矢を飛ばしては回収しての繰り返しを行なった。私も今の神崎さんみたいに見る側が良かったが、赤城さん一人だけ遊ばせるのも忍びなかったので、私が偶に入る形で繰り返し矢を放つ。的にこそ当たりはしなかったが彼女の笑顔が絶えることはなかったので良しとしよう。

 

さて、次は……おっと、MINEだ。きっと多田さんからだろう。

 

『もうすぐ時間だよ( ˊ̱˂˃ˋ̱ )』

 

予想通り多田さんだったが、なんだこの絵文字。どっからどう見てもおさ○り探偵のな○こじゃん。輝子が気に入りそうだな。送っとこ。

 

『( ˊ̱˂˃ˋ̱ )』

 

あ、間違えた。多田さんに送り返しちゃった。

 

『( ˊ̱˂˃ˋ̱ )』

 

よし。次はしっかり送った。それじゃあテニスしに行くとしよう。

 

「二人とも時間だよ」

「テニス! 楽しみだなー」

「我が美技に酔い痴れるが良い!」

 

それテニスちゃう。テニヌや。

 

三人でテニスコートへと向かうと、そこには既に柔軟を行なっている多田さんの姿が見えた。

 

「お待たせ」

「おっ、来たね! もう準備は万端だよ!」

 

私達もそれに倣い、荷物や上着を見える位置に置くと準備運動を開始した。御丁寧にラジオ体操を一緒に行う神崎さんと赤城さん。なんとなく優しい気持ちになりながら私は適当に身体を解していくと同時に手や足の骨も鳴らしていく。

 

「狂乱なる宴の始まり……。それ即ち我が世が来たると同意……!」

「得意なの?」

「世に散らばりし財の起源は我に遡る。故にその総量は、とうに我の認識を越えておるのだ」

「なんだって?」

「やった事ないんだって!」

 

ただのカッコつけか。無駄にキリッとしやがって。めちゃくちゃシュールだぞ。というかそろそろ赤城さんが翻訳係に定着しつつある。

 

「グーパーで分かれよう!」

 

それが一番簡単だと多田さんの提案に乗っかる。私達はグーとパーを繰り出した。

 

「「グーパージャス!」」

「「グーとパーで分かれましょ」」

「「「「ん?」」」」

「東京ではグーパージャスって言うんだね」

「大体の人がそうだと思うよ? でもそっちの方が分かりやすくていいね! こっちのは意味分からないし。みりあちゃん知ってる?」

「みりあ分かんない」

「分からないんだ……」

 

意外なところで地域の特色が表れたか。しかしこんなところでたった二十分の貴重な所要時間を無駄にはできない。丁度さっきのバラバラの掛け声で九州と関東に分かれたからそれでいいだろう。

 

三人から了承を得ると多田さんが聞いてきた。

 

「ラリーにする? それともゲーム?」

「赤城さんはルール知ってる?」

「知らないよー?」

 

ならラリーだけで充分だろう。神崎さんも知らないらしいし。私は二学期末に体育でやってたから少しは分かる。

 

半分に分かれると、私は手に持つボールを上に放り投げ、ポーンと柔らかく多田さんの方へ打ち込む。

 

「多田さーん」

「よーし、蘭子ちゃん行くよ! それっ!」

「う、うむ!」

 

多田さんは私と同様に、柔らかいボールを神崎さんへとボール(放る)。……ふふ。

 

「え、え〜と……波ァ!」

 

何やら凄まじい掛け声が聞こえて来たが、結果は高く浅いロブ。それは順序良く赤城さんの方向へと向かっていた。

 

「赤城さんがんばってー」

「うんっ! え〜い!」

 

パコンッ、とラケットに当たる。中々良さそうな当たりではあったが、残念ながらネットに防がれてしまった。

 

「失敗しちゃったー……」

「大丈夫大丈夫! 次出来ればOKだって! ほら、ネット前のボールを取って、上げるようにあっち側へ打ってみて。あっ、強過ぎるとコートから出ちゃうから少し強めくらいがいいかな」

「う、うん! 分かった! いくよ〜……そりゃ!」

 

多田さんのアドバイスに従い、赤城さんが打つ。アウトになるほど深い位置ではあったが、なんとか打てそうだ。飛んで来たロブを私は同じように返す。

 

「赤城さん、その調子だよ」

「えへへっ、ありがとー!」

 

赤城さんは朗らかな笑みを浮かべた。癒し。

 

「うりゃ!」

「おっ、蘭子ちゃんナイスボール!」

「ふっ、造作もない!」

 

神崎さんも慣れて来たようで、ほんの少しだけだが良い位置に打てるようになってきた。私の始めた頃はもっと酷いものであった。ネットに引っかかるわ道路に飛び出るわで散々だ。極端に苦手というわけではないのだが、慣れるまでは中々苦労した。それに比べれば彼女らは相当上手い。

 

それからも私達のラリーは続いた。趣向を変えてコートを縦に半分に分けて一対一でラリーをしたり、クロスの一対一なども行なったりした。しかし二十分という時間はとても短い。そうこうしているうちに、時間経過のアラームが扉付近から聞こえてきた。それに気付いた三人も少し不満気な様子が伺える。

 

「もう終わりー? みりあまだやりたーい!」

「二十分だからね。そんなもんだよ」

 

赤城さんの言葉に多田さんが返す。確かに短かったなぁ。あんまりやったって感じがしない。これなら何処かの公園でコート借りてやった方が楽しいや。

 

ともあれ、終わったものは仕方ない。お昼までまだ時間は残っているし、次は何処へ行こうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第16話 いぬときどきかろりー

ある日の朝。それはそれは天気の良い日であった。空を見上げれば雲一つ存在しない晴天。肌を刺すような冷たい風が吹いている事を除けば、正に絶好のお散歩日和であった。

 

そんな中、私は二つの目的を抱えて『スーパー・オトク』という店まで出歩いている。一つはカップ麺の在庫が底をつきそうな為。毎日が毎日カップ麺を食べているわけではないが、ふとした時に食べたくなるので在庫はあるに越した事はない。非常食的な意味も兼ねて。

 

そしてもう一つの目的。それは千葉の名物である飲料商品……

 

 

──マキシマムコーヒーだ。

 

 

マキシマムコーヒーというのは一言で言うと超超甘いコーヒーの事である。超が二回も付いてることからその甘さ具合が伺える。地元(福岡)には全く売っていない為、密かに飲んでみたいと思っていた幻の代物である。千葉にしか売っていないと思っていたのだが、どうやら東京にも売ってるらしい。聞いた話だとどうやらマキシマムコーヒーには練乳も混入しているらしく、本気(マジ)で甘いらしい。まあ、その分カロリーも飲料商品にしては半端なく高いらしいが。amazunで買おうと思えば買えたんだけど、流石に箱買いする勇気は私にはなかったよ……。そう言うわけで今日はカップ麺と未だ見ぬマキシマムコーヒーを迎えに来たというわけだ。

 

……う〜ん、ここだけ聞くと私めちゃくちゃ不摂生だな。休みの日は寮の健康的なご飯食べてるから大丈夫だけど、学校では購買か食堂ばっかりだからどうなのだろうか。いや考えるまでもなくダメだ。健康云々とかではなくて単純にお金がかかって仕方がない。食堂はともかく購買とかは絶対に売れないことがないからってふっかけすぎなんだよね。値段高すぎるんだよ! コンビニで買った方が断然安いわ! いや、確かに商売上手だとは思うけどさぁ。お金ないから節約したいって言ってるのに、これじゃあ本末転倒だよ……。やっぱ弁当とか作った方が良いかなぁ。あ、でも調理器具何もないや。電子レンジも冷蔵庫もないし、詰みじゃん! 私にそんな物を買う財力なんて存在しないし。でもあったら便利だよなぁ……。

 

しかし、そう考えるとカップ麺もマキシマムコーヒーもお金が勿体無い気がしてきたな。やめとくか? けどマキシマムコーヒーは一度飲んでおきたい。どうしようかな……。

 

……今日だけ買っちゃおうかな? 買っちゃえ〜♪

 

「〜〜♪」

 

上機嫌に鼻歌を歌いながら歩く。やがて店へと辿り着くと、私はイヤホンを外して店へと入るべく足を動かす。

 

「────ッ」

 

 

──刹那、気が付けば私の目の前には巨大な壁が立ちはだかっていた。

 

壁、というには幾分か──否、あまりにもそれは小さかった。しかし、私にとってのそれは、立往生する以外の選択肢が残されない程の心の割合を占め、また、避けて通る事を許されないと錯覚させる程の圧を感じさせる存在であった。

 

例えるならば六ヶ国による合従軍を塞き止める秦の函谷関(かんこくかん)長坂(ちょうはん)の戦いにて曹操軍から劉備を逃すべく殿(しんがり)を務める張飛。最早それは壁と言うよりは盾の方が近しいのかもしれない。扉の前に立ちはだかるその姿は、正にその“燕人”張飛を想起させるものであった。私を足止めするに相応しい、壁足り得る存在である。

 

その正体とは──

 

「ワンッ」

 

犬だ。紛う事なきわんだ。今現在、わんは舌出してハッハッハって言ってる。その姿は堪らなく可愛らしい。なんだお前は。私を萌え死させるつもりなのかそうなのか?

 

ブラウンとブラックが入り混じった毛並みに黒い円ら瞳を兼ね備えた小型犬。そこから考えるとこのわんは恐らく、ヨークシャテリアとミニチュアダックスのミックス犬だろう。この前テレビで見た。

 

わんは私の視線に気が付いたのかそうでないのか、軽やかな足取りで繋げられているベンチへと戻り腰を下ろして此方を一瞥した。

 

 

──ほら、俺の魅力的で芸術的な身体を撫でたいんだろう? いいよこいよ。

 

なんて生意気な畜生なことか。しかし、甘い。まるで腐りかけのメロンの様に甘い。私がそんな円らな瞳に見つめられたくらいで靡くとでも思っていたのだろうか。無論、そこで靡くのが私クォリティである。

 

私は入店しようとした足をベンチへと向き直し、わんのすぐ隣へと座る。そして肌を刺すような風を我慢して手袋を外し、ふわふわな体へと手を伸ばす。しかし、その手はわんに触れる前に止まった。人の家の犬という事もあり、勝手に触るのは少し憚れたからだ。私は撫でるか撫でないかの葛藤に苛まれる。

 

「クゥ〜ン……」

「はぅっ!」

 

しかし、そんな考えは一瞬で消し飛んでしまった。こんな悲しげな鳴き声を出されてしまっては撫でるしかあるまい。もし飼い主が現れて不快にさせてしまったら謝るとしよう。

 

「はぁ〜……」

 

さすさすわしゃわしゃと耳の根元だったり顎だったり背中だったりを撫でる。わんは気持ち良さそうに目を閉じ、されるがままとなっていた。膝に乗せようとも思ったが、流石に外を歩いて足が汚れているだろうと思ったのでやめておいた。

 

「……そういえば」

 

名前はなんだろうと腹を撫でながら少し考えると、一つの答えが浮かび上がった。私はぽつりと呟く。

 

「惣一郎さん」

「ワンッ」

 

目の前に居座るわんは私の言葉に反応したかのように嬉しそうに声をあげた。適当に言ったのだが、本当に惣一郎という名前なのだろうか? のび太みたいな目はしていないが可能性は無きにしもあらずである。もしかしたら飼い主の名前も響子さんだったりするかもしれないな。

 

「ハッハッ」

「よしよし」

 

そして私は確信した。やはり私は犬派だったのだと。部屋にはドラえもん&ドラミちゃんと、シルベスターのぬいぐるみがパソコンの上に置かれてるけど、やはりわんだ。私にはわんしかいない。この前の猫派発言は撤回だ。でもみくにゃんは可愛いので犬派(前川も可)としておこう。

 

実は我が家では猫を飼っているのだが、そもそもあいつは名前を呼んでも反応しない、撫でても反応しない、抱っこしても反応しないの三拍子である。生きながらも死んでいると言ってもいい程めちゃくちゃ大人しい。まさに生きた化石。その癖私が台所に立つとにゃんにゃんと鳴きながら美味い飯を要求して来るのだ。カリカリを食え! まあ、結局あげちゃうから集ってくるんだろうけど。

 

「クゥ~ン」

 

暫しの間、私は至福のひと時を堪能していた。このままのんびりとした時を過ごしたかったが、生憎と惣一郎さんはうちの子ではない。いつ飼い主が戻って来るかも分からないので、非常に名残惜しいがそろそろ撫でるのはやめるとしよう。

 

私は撫でる手を止め、見つめるだけに留める。

 

じーっと見つめると、惣一郎さんのまん丸な黒い瞳が私を貫く。その瞳に吸い込まれるかの様に止めた筈の手が思わず伸びてしまったので、もう片方の手で伸びる手を防ぐ。しかし、伸びる手は私の意思に反して進行は止まらなかった。

 

くそっ、手が……っ、手が勝手にっ、惣一郎さんの頭に向かって行く……ッ! 誰か……ッ! 誰か止めてくれーッ!

 

「……あ、あの」

 

……はっ! 危ない危ない。危うく過ちを繰り返してしまうところだった。例え可愛くとも他所様の犬なのだ。ここは耐え忍ぶところである。欲に負けてはならない。私って結構自分に素直だから特に気を付けないといけない。というか触る事を欲と言ってしまうあたり、やはり犬というのは魔性の生物である。

 

声の方へと顔を向けると、そこには艶のある黒髪をストレートに伸ばしたクールな風貌の女の子がいた。その手には大きな買い物袋が存在していたので、恐らく惣一郎さんの飼い主は彼女で、買い物ついでの散歩かその逆だろうと推測出来る。無表情なのでどう思っているのか全く分からないのが怖い。

 

正直ストレートヘアって意外と憧れる。確かに私の髪型も楽で気に入ってるけど、癖っ毛だからストレートにはあまり縁がないのだ。そんなに言うなら美容院に行けって話だけど、別に髪痛めてまでもしたいという訳ではないんだよね。でも自分の髪をさらさらしてみたいって気持ちも本当。

 

「飼い主の方ですか……?」

「……そう、だけど」

「すいません。可愛かったからつい」

「それはいいけど……犬、好きなの?」

 

良かった……。どうやら怒っているわけではなさそうだ。それによく見れば彼女の顔は無表情という程無表情ではなく、寧ろ少し柔らかい様子が伺えた。もしかしたら先程も私が気付かなかっただけで優しい表情だったのだろうか。まあ、些細な事なので気にしないことにしよう。

 

私は彼女の言葉にどう答えようかと少し考え、シンプルに返した。

 

「好きですよ」

 

そう言って惣一郎さんへと向き直し、尻尾をパタパタさせる姿を目に入れる。その様子に思わず頬が緩んでしまうのを自覚した。

 

「ふぅん……もっと触る?」

「え、いいんですか?」

 

いえーい。ここ最近はわんと触れ合える機会なんて皆無だったから本当に嬉しい。実はまだモフモフ成分が不足していたんだよね。ほんと、圧倒的感謝です。

 

「ふふっ、やっぱり触ってたんだ」

「……あ、ご、ごめんなさい」

「怒ってないよ。かまかけてみただけだから」

「……むぅ」

 

……なんだろう、この嵌められた感。全面的に私が悪いんだけどなんとなく腑に落ちない。

 

そんな表情が顔に出ていたのか、彼女は少し悪びれた様子で言葉を紡ぐ。

 

「ごめんごめん、反応が面白かったから」

「……まあ、いいですけど。では惣一郎さんをお借りします」

「うん……うん? 惣一郎さん……?」

 

軽く自己紹介を終えると、私はしっかりとお言葉に甘えて惣一郎さんと甘いひとときを過ごした。

 

頭をわしゃわしゃすると嬉しそうに鳴き声をあげる。それを見て和んだ私は思わず白い溜息を吐く。そのまま只管撫で回していると優しく手に甘噛みをされたので、堪らなくなった私は惣一郎さんを抱き締めた。あー、癒されるー。

 

「そういえば、名前はなんて言うんですか?」

「……ハナコ、女の子だよ」

「……か、可愛らしい名前ですね」

 

メスだったんだ……。そこまでは気が回らなかった。……というか、思えば惣一郎さんと被る要素なんて何一つとして無かったな。体毛の色も大きさも異なれば性別も違う。多分性格も全然違うんだろうなぁ。果たして私は何をもってしてハナコちゃんを惣一郎さんと呼んだのか。自分でも謎である。

 

その後もハナコちゃんをわしゃわしゃしまくった。しかし、楽しい時というものは時間の経過が著しく早く感じるものだ。気付いた頃にはもう十五分も経過していた。もう少し戯れたい気持ちはあったが、私と彼女は初対面で見知らぬ人。これ以上待たせては申し訳ない。名残り惜しく思いながらも彼女へと惣一郎さんを渡す。

 

「ありがとうございました」

「ん? もういいの?」

「はい、もう充分堪能したので」

 

確かに彼女の言う通り、物足りなさを感じているのは事実だ。しかし、私はともかく彼女をこの寒い中ずっと座らせたままというのはいただけない。

 

感情を理性で押し殺していると、ハナコちゃんの飼い主がベンチから立ち上がった。

 

「そう? じゃあ、私行くから」

 

そうして彼女はハナコちゃんを連れて去って行った。私も「じゃあね」と手を振るとハナコちゃんが吠えて返事を返してくれた。可愛かった。自己紹介くらい交わしておくべきだったか。とはいえ、最早過ぎたことだ。またいつか会える日が来るかもしれない。その時を楽しみにしておこう。

 

やがて彼女らが見えなくなると、私は先程の余韻に浸りながら(かじか)んだ指先で手袋を取り付ける。いくらハナコちゃんが暖かかったとはいえ、寒い中外気に触れていた手は非常に冷たくなっていた。取り付けた後はハナコちゃんと戯れていた事で少し乱れたマフラーを巻き直す。そしてそのままスーパーの中へと入った。

 

カゴを手に取ると取り敢えず店の中をぐるっと回ってみようと歩く。今後贔屓にする店かどうかを決める為、どんな品物があるのかは把握しておきたい。

 

「ケーキか……」

 

少し歩くとデザートのコーナーに入った。クリスマスの時期は少し過ぎてはいるが、ケーキの数と種類が多い。値引きもされている為、恐らく売れ残ったのだろう。チーズケーキが無かったのでここはスルー。

 

「肉……もスルーで」

 

買ったところでどうしようもない。買うとすれば精々生ハムくらいのものだろう。食べ過ぎて一回太りかけた、というか太ったから買わないけど。

 

いや……ね? 生ハム、美味しいじゃん? ついついハマって食べ過ぎるのも仕方ない事だと思うんだ、うん。私、ハマったら飽きるまで一途だから我慢が効かなくって……。今は飽きたから大丈夫なんだけど。

 

やがて私は飲料コーナーへと辿り着いた。スーパーなだけあって品数も中々に豊富だ。やはりコンビニとは比べ物にならない。うむ、これは期待出来そうだ。色々と見るのもいいが、一先ずは目当ての物を探すとしよう。

 

私は素早く目線だけを動かし、あれでもないこれでもないと探した結果、ついにそれを見つけた。

 

「おぉ……これが……!」

 

マキシマムコーヒー……! 黄色い! 黒い! なんだか感動すら覚える。某千葉のラブコメ小説読んでから常々飲んでみたいと思っていたのだ。思わず顔がにやけてしまうがキュッと表情筋を引き締める。

 

黄色と黒という某ネズミを思い出させる配色のそれはどこからどう見ても私が探し求めていたものである。この時点で我が任務は遂行されたのと同然だ。一刻も早く購入して飲んでみたい気持ちに駆られるが、まだあわてるような時間じゃない。

 

私はまじまじとピ○チュウ色の物体を見つめカロリーの表記と原材料を探す。

 

そして見つけたカロリーは、確かに高かった。100mlで50kcalと表記されているので500mlのペットボトルでは250kcalとなる計算だ。4本飲んだら1000kcal……恐ろしすぎる。調べてみるとコラ・コーラよりも少しだけ高いことになる。具体的には100mlで5kcalの差である。そこだけ聞くと別にあまり高くないように聞こえるかもしれないが、コラ・コーラ自体が中々に高カロリーの飲料商品だ。糖分をそのまま摂取していると言っても過言ではない。しかし、マキシマムコーヒーはそんな飲料商品よりも高カロリーなのだ。そう考えるとゼロの偉大さというものがよく分かる。これを機にゼロへと移転してみるのも悪くない。

 

そして原材料の欄も見てみるとミルクでなく加糖練乳ときた。これはもう確定だろう。この商品は紛う事なく糖尿病推進飲料商品だ。ミルクから加糖練乳にグレードアップしているので疑う余地もない。どれ程違うのかと言うと普通のミルクが100gで約70kcalに対して加糖練乳は約330kcal。生活習慣病になりたいという方には是非ともオススメしたい商品である。

 

「……まあ、飲むんですけど」

 

それでも飲みたい私は手に持つマキシマムコーヒーをスタイリッシュにカゴへ投入する。ついでにお茶も追加して、その場を後にした。

 

再び歩き始めた私は、お菓子コーナーだったり野菜コーナーなども見て回った。ぶっちゃけた話相場を知らない為、何が高いか安いかなんて全く分からない。

 

いや、それにしても、やっぱり調理器具は必要だな。野菜コーナーのトマトを見て切実に感じた。実は私、トマトがそこそこ好物なのだ。キンキンに冷えた塩トマトとか堪らない。モッツァレラチーズと一緒に食べても美味しいし、齧り付いてもOK。トメィトとは“()かい”“()るい”“()おきい”“()まい”の四拍子が兼ね揃えられた素晴らしい野菜だ。そこそこ、とは言ったが、もしかしたら結構好きなのかもしれない。

 

まるで福岡産のイチゴを彷彿とさせるそれに思わず手が伸びるも思いとどまり、手を引っ込める。流石に一人暮らしだからといって調子に乗ってはいけない。お菓子も合わせて漆黒の意思で自重しなければ。

 

欲望から目を逸らしながら歩き続けていると、角の方に一つの茶色の看板が見えてきた。どうやらパン屋さんのようだ。朝だからだろうか、焼きたてのパンの良い匂いが少し離れた此処まで漂ってくる。食欲を掻き立てる芳しい香りを楽しんでいると、お腹が控えめな悲鳴を上げた。そういえば今日はまだ朝ごはんを食べてなかったな……。

 

買うっきゃねーぜ! と考えながら私は食べたいパンを探す。そして早速我が欲望を刺激する素晴らしい品物を発見した。

 

──むむっ! こ、これは……! 私の好きな明太フランス! 塩パンに米粉パンまで! これは買いだ!

 

いや、流石に三つは多いだろうか。三つのうち二つだけに絞るとしよう。今日の気分的には、そうだなぁ……塩パンと明太フランスの二つ! 米粉パンちょっと高いからなぁ。あっ! よく見たら明太フランス、後一つしかないじゃん! 早めに取っとかないと……!

 

そう思い、私は店の前に置いてあるトングとトレイを手に取る。そしていざ参らんとしたその瞬間、私と同じ年代くらいの女の子がひょいっと明太フランスを軽快にトングで掴んだ。

 

「あっ」

 

思わずトングをカチカチと鳴らすが、別に彼女が悪いわけではないのですぐ止める。まあ、それにしても……やられたな。私の明太フランスが持っていかれてしまった。食べる気満々だっただけにショックはかなり大きい。待てば新しいのが来るのかもしれないがいつ出来るか分からないものを待つ気にはなれない。非常に名残惜しい気持ちは残るが、諦めるしかあるまい。

 

くっ……今日は大人しくチーズパンで手を引いてやる。……だが次は違う! 次こそは私が明太フランスを手に入れてやる……! そこのロールパン(もしくはクロワッサン)みたいな髪型した女の子! 首を洗って待ってやがれ!

 

私は大人気なく名も知らぬ女の子へと宣戦布告すると、パンを購入した後にスーパーの出口を通った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後マキシマムコーヒーをレジに通しにすぐさま店へと戻った。

 

 



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第17話 テレビデビュー!

「よし、皆お疲れ様! 今日は上がっていいぞ!」

 

『お疲れ様でした!』

 

「すぅ、はぁ……ふぅ……疲れた」

 

ここは346プロの本拠地である自社ビルのレッスンルーム。現在我らCP(シンデレラプロジェクト)メンバーは本社に勤めるトレーナーさんからレッスンを受けていた。レッスンはまず今行なっている基礎的な体力作りや柔軟性の強化、そこから346プロ所属アイドルなら誰でも歌って踊れる代表曲と言える“お願い!シンデレラ”、通称“おねシン”の名で親しまれるこの曲の練習へと移り変わっていくらしい。一つ言う事があるとすれば、最近二人組を作るときふんす! と鼻を鳴らしながらドヤ顔で「我が運命は其方と共に」とか言って来る神崎さんを無視して多田さんと組むのが超楽しい。

 

「皆、お疲れ様」

「はぁ、ミナミも、お、お疲れ様です」

 

新田さんは流石に大学でラクロスやってるだけあって、息は切れているが体力にはまだ余裕がありそうだ。首元から滴る汗が実に悩ましく感じる。

 

アーニャちゃんは膝を両手で抑えながら辛うじて立っているといった様子だ。

 

「疲れたけど、楽しかったねー!」

「そうだねっ、みりあちゃん。でも、私も少し疲れちゃった。……あっ、ほら、悩殺セクシーショット☆」

「わー、莉嘉ちゃんおとなー! みりあもやるー!」

「こらー! 二人共はしたないにゃ!」

「ちぇー」

「はーい」

 

みくにゃんが赤城さんと莉嘉さんを叱る。セクシーショットというには二人共色々と成長が足りないが、見ていて微笑ましかった。

 

「杏……生まれ変わったら石油王になるんだ……ガクッ」

「にょわーっ! 杏ちゃん大丈夫にぃ? 頑張ったごほーびに、飴あげゆ☆」

「飴!?」

 

コントかな? というか飴に対して過剰に反応し過ぎではなかろうか。しかも今のはびっくりしたというか、喜びの反応だったような。

 

「はぁ、はぁ……いやー、レッスンってこんなにきつい物なんだね。い、いや、まだ余裕はあるけどね!」

「李衣菜ちゃん、凄いね。はぁ、はぁ、私は、こんなに動いたのは、久し振りだな」

「冬の持久走より疲れたよぉ」

 

多田さん、緒方さん、三村さんの三人も慣れないレッスンに疲れを隠しきれていない。

 

「くっ、人の体というものは不便な物よ……」

「そうだねー」

 

何言ってんだこの人。取り敢えず同意しておいたが、神崎さんの疲れた時の言い訳が凄まじい。こんなに体力なかったっけとかなら分かるが、人類の進化を否定するとは……やはり魔王。

 

しかし、汗で服が地肌に張り付いていて気持ちが悪いったらありゃしない。さっさと更衣室に行って涼しい涼しいコールドスプレーで汗を引かせなければ。

 

『輝く太陽背に受──』

 

携帯から勇ましい男声合唱の歌声が聞こえる。この着信音ということは武内さんか。ジャイアントな武内さんにはぴったりな選曲だろう。心なしか顔も似てる気がするし。

 

「……はい、小暮です」

『……小暮さん、お疲れ様です。話したい事がありますので、今から第三会議室へと来ていただけませんか?」

「え? い、今からですか……?」

『? ええ』

 

今からかぁ……。こんな汗臭い状態で目上の人に会いたくはない。せめてシャワー浴びてからかシーブリーズでも塗りたくった後じゃないとね。

 

「あの……今レッスン終わったばかりなので、サッとでいいのでシャワーを浴びてからでも大丈夫ですか?」

『えぇ、構いません。……申し訳ありません。配慮が足りなかったようで』

「あ、いえ、気にしないでください。それでは、失礼します」

 

ピッと電話を切る。あっ、しまった。なんの用事が聞いておけば良かった。武内さんから、という事はきっとアイドル関連の事だと思うのだが、生憎と私はまだデビュー前のひよっこどころか有精卵アイドルである。そんな誰にも知られていないただのパンピーの私に仕事依頼なんて回って来る筈もないから、他の事だと思うんだけど……一体どんな用事があるのだというのだろうか。

 

「天の御使いよ、いざ偶像世界への帰還を」

「用事出来たから今日は一緒に帰れないんだ。ごめんね?」

「む、そ、そうか……」

 

神崎さんが少し寂しげに呟く。その様子に少しだけ罪悪感が湧いてくるが、呼ばれたからには仕方がない。アーニャちゃんやみくにゃんと一緒に帰っておいて欲しい。

 

「……ならば闇に飲まれるがいい」

「……もしかして怒ってる?」

「ひぇっ! ちっ、違うの! ……ごほん、天の御使よ! 闇に飲まれよ!」

 

何故言い直したし。まあ、雰囲気からして悪い言葉ではなさそうだし、気にすることもないだろう。

 

「お疲れ様でした」

 

一言部屋にいる面々へと声をかけ、お疲れと帰ってくる声を聞きながら私はレッスンルームを後にし、着替えとタオルを持ってシャワー室へと向かった。

 

すると前から淡いピンク色の髪が目立つ少女がこちらに向かって歩いているのに気が付いた。

 

「お疲れ様です」

「ん? お疲れ様……って深雪じゃん。なんで敬語なの?」

 

城ヶ崎美嘉さんだった。

 

「いえ、アイドル的にも学年的にも一応先輩なので……後ぴちぴちぎゃる怖い」

「ねぇ、本当に敬ってる?」

 

ジト目で此方を睨んでくるぴちぴちぎゃるの美嘉さん。おお、怖い怖い。

 

彼女の気安さも相まり、たった二回の邂逅で美嘉さんを弄る事に味を占めた私であった。

 

「ていうかあんただって髪染めてるし、人の事言えないでしょ」

「地毛です」

「えっ?」

「地毛です」

「嘘でしょ!?」

 

美嘉さんが驚きながら私の髪をさわさわしてくる。驚く気持ちは分かるが触って何か分かるのだろうか。しかし、女の子特有の柔らかい手の感触が直に頭に伝わってくるのが、まるで撫でられているように感じて少し気恥ずかしい。

 

「……やめてください」

「あっ、ごめんごめん。いや、でも本当に地毛なの?」

 

どうやら疑っているようだ。確かに普通に考えて私のような空色の髪なんて考えられない。いるとしてもアーニャちゃんのような青みがかった白くらいのものだろう。私はあれだ、人類の神秘。

 

「ほら、眉毛も空色です」

「あっ、そういえば!」

「転校してきた時も事情を知らない先生や生徒に色々追求されました。仕方ないんですけどね」

 

一回や二回ならまだしも次から次へと知らない人から聞かれるから本当に対応がうざい。

 

私が溜息を吐きながら呟くと美嘉さんは苦笑しながら答える。

 

「あはは……疑ってごめんね? ところで深雪ってこっち住みじゃなかったんだ?」

「福岡出身ですよ」

「へぇー、いいじゃん! ロケやライブで何度か行った事あるけど、あそこは食べ物が美味しいね! 特に魚!」

 

良い目の付けどころだ。福岡といえば明太子やラーメンが有名過ぎて埋もれがちだが、魚も中々に美味しい。福岡の店で出される海鮮物でマズイ魚なんて殆どないしね。ちなみに私のオススメは鯛のあら炊き。全体に煮汁の染み渡った、溶けるように柔らかい身が非常に絶品である。久し振りに食べたいな。

 

「それに博多弁も可愛いよね……ふひひ★」

 

おっと、今の言葉は危ないな。含みがあるようにも聞こえたが、素直に方言を褒めてる可能性もある。どうしたものか。

 

悩ましい選択の末、弄った方が面白いと判断した私は取り敢えず携帯を取り出した。

 

「もしもし警察ですか?」

「ちょちょちょ!!」

 

アワアワしながら携帯を取り上げようとする彼女。一々良い反応を見せてくれる。

 

「今のはセーフでしょ!」

「自分でもグレーの自覚がある時点でアウトです。そもそもこの程度の事で警察が動くわけないじゃないですか」

「私が何をしたって言うの……!」

 

満足した私は取り出した携帯を片付ける。

 

そういえばうちの部署には明らかにこの人の攻略対象になり得る赤城さんがいるが、このままでは赤城さんは美嘉さんの格好の餌食。美嘉さんの食指が動く前に私が赤城さんを魔の手から守らなければなるまい。そう私は決心した。

 

「それじゃあ、私用事があるので。お疲れ様でした、お先に失礼します」

「あ、うん、お疲れ……」

 

何故か出会う前より疲れた様子の美嘉さんに挨拶をしてその場から離れた。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

やがて指定された部屋へと辿り着き、ノックを合計四回行う。

 

『どうぞ』

 

返事が来る。このいつ聞いても飽きない低音バリトンヴォイスは武内さんだ。

 

「失礼致します。シンデレラプロジェクトの小暮深雪です」

 

誰がこの部屋に入室しているか分からなかったので、取り敢えず粗相がない程度に礼儀正しく入室した。

 

「よっ、深雪」

「深雪……おはよう」

「ふひひ……お疲れ」

 

上から順に夏樹、のあさん、輝子。

 

この三人が揃ってる時点でどんな話が来てるのか理解した。多分ライブ関係の話なんだろうな。少なくとも演奏は確実だろう。

 

「おはようございます」

「小暮さん、おはようございます。こちらへお掛けになってください」

「はい、失礼します。……ところで、一体なんの集まりですか?」

 

取り敢えず確認の為に聞いてみると、私の疑問に夏樹が答える。

 

「ああ、実はこの前あったウィンターライブでの演奏が内外で中々好評だったらしくてな。アタシ達三人で正式にユニットを組む事になったんだ」

「おー、おめでとう」

 

それは凄い。ということはCDとかもいずれ販売していく事になるのだろうか。三枚買ってサイン貰わないと。

 

「ユニット名は“Unknown Invaders(アンノウン インベーダーズ)”。直訳すると“未知の侵略者”だ。アタシらからしてもこの三人の組み合わせってなかなか見ないからな。どうなるか分からないが、やるからにはキメて行こうぜ! って意味が込められている」

「なるほど」

「そして、ここからが本題だ」

 

夏樹はニヒルに笑いながらそう告げ、彼女の言う本題という物を話し始めた。

 

「今度、二月末に行われる生放送にアタシらが出ることになったんだ!」

「おぉー! 凄いじゃん!」

「そこで深雪に依頼だ」

「おお?」

 

詳しく聞いてみると、どうやら『ミュージック・アイドル』という人気音楽番組の生放送で演奏を行うらしく、私にエキストラとして手伝いをして欲しいとのことだ。成る程、確かに私はウィンターライブでベースギターとして彼女らのサポートをさせてもらった。しかし所詮私はただのエキストラ。私ではなく正規のメンバーになるようなアイドルを見つけた方が良い気がしなくもないが、まあいいや。

 

ただ、一つだけ絶対条件がある。これは前のライブでも言っていた事だ。

 

「私に声を出させないでね? 本気で」

「ま、前の事はその……ほんとにごめんなさい」

 

輝子がシュンと落ち込んだ。同時にアホ毛も項垂れる。可愛い。

 

……じゃなくて、あの件に関しては今はもう怒ってはいない。輝子もしっかり反省してるようだし、私もあまり引きずらないタイプなのだ。過ぎた事を一々気にしたところで仕方がない。それにどうせあれはある意味で“私”であって“私”で無いのだから。

 

何故私が声を出してはいけないのかと言うと、演奏中の悪魔メイク姿で“シンデレラプロジェクトの小暮深雪”だと身バレしたくないからだ。今はまだプロジェクト自体が始動してないので自意識過剰乙って感じだが、今後になると「あっ、あの人もしかして……」っていうのがあるかもしれないから念には念を入れて。転ばぬ先の杖という奴である。

 

と言うのも、クールで格好良いアイドル像を目標とする私に、ロックやメタルなどの要素は現段階では重しにしかならないと考えているからだ。アイドル界で“ロックといえば木村夏樹”と言われているように、私もいずれは“バラードと言えば小暮深雪”と言われる程にまで大成してみせる所存だ。バラード路線が相当に厳しい事は分かっている。765プロの歌姫“如月千早”、身内にも“高垣楓”といった強敵がいるのだから。やるからには目標は高めの方がいいし。

 

話が逸れたが、要は私に会話を振らなければ良いだけの話なのでそこまで重く捉える必要はない。それに私はエキストラ。演奏が終われば即退散なので振られる事はきっとないだろう。

 

「つまり一緒に演奏したくない訳じゃないんだな?」

「そりゃあ……みんなとの演奏楽しいしね」

「なら決まりね」

 

のあさんが出るよね? って目をしながら私を見てくる。そもそも私は最初から大歓迎です。先ほども言った通り一緒に演奏するのは楽しいし、後小遣い程度ではあるがお金も入るし(ここ重要)。

 

「深雪……じゃなくて“CB/DS”の出番という訳だな」

「えっ? …………あ、ああ、そうなるね!」

「ははっ、おいおい、自分の名前だろ?」

「……すっかり忘れてた」

 

この名前って意味が謎過ぎて印象に残り辛いんだよなぁ……。遮断機と断路器なんて電気用語誰が分かるんだよって話だし、本来の意味なんてただ自画自賛してるだけの理由にもならないような意味だし。ああああ! 思い出したら恥ずかしくなってきた! 自画自賛の方の理由は無限の彼方へと放り投げとこう!

 

すーはーと深呼吸をして心を落ち着かせる。

 

「けどよ、深雪。流石にスタッフさんや監督、出演者への挨拶は怠っちゃだめだぜ?」

「うん、ありがとう。挨拶とかはしっかりするから安心して」

 

その辺りは私もしっかり把握している。挨拶は大事。古事記にもそう書いてあるから。それに前のライブの時もその事については武内さんに何度か言われていたからね。

 

ですよね? って感じで武内さんの方を向くと、目が合って一つ軽く頷いていた。

 

「兎も角、次もよろしくね」

「う、うん、やっぱり慣れた人と演奏した方がやりやすいしな」

「いいっていいって、こっちもお金もらってる訳だし」

「おっと、バイト感覚でやってもらっちゃ困るぜ?」

「ふふっ、分かってるよ」

 

私は夏樹の冗談に小さく笑いながら返事を返した。

 

「では、私の方から資料を用意しておきます。後日、改めて詳しい内容の把握を。それでは私は失礼します」

「あ、はい、お願いします。お疲れ様でした」

 

そうして隣で沈黙していた武内さんは、私の言葉に一つ頷くと部屋から出て行った。とっくに定時は過ぎている筈なのに、まだこの仕事に慣れない私の為に一緒に話を聞いてくれた彼には感謝が尽きない。

 

「私達も帰ろっか」

「そ、そうだな」

 

そして解散した私たちは各々帰途に就いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛〜。つっかれったなーっとー」

 

次の日、レッスンを終えて夕飯や風呂も済ませた後、普段あまり使う事のないパソコンの、また更に使う事のないテレビ機能を起動した。昨日、会議のようなもので私が再び輝子達の生放送のテレビライブのエキストラとして依頼を受けて思い立った。テレビの概要を全く知らないままで出演するのは流石に失礼なのではないかと。

 

なので私は先日の会議から帰った後に今度出演する“ミュージック・アイドル”の番組がどのようなものか理解するために録画の予約をしたのだ。丁度次の日、つまり今日が放送日だったのでなんとも良いタイミングだった。

 

ピッとリモコンで再生ボタンを押すと番組のオープニングが流れ始めてMCの人が軽いトークを始めた。MCは私でも知ってる有名人だったので調べる手間は省けた。

 

『本日は、現在ノリに乗ってる可愛いゲスト! それではどうぞ!』

 

その言葉と共に音楽が流れ始め、呼ばれたゲストが現れた。オレンジ色に近い、明るい茶髪のフワフワとしたツインテールがぴょこんぴょこんとまるで踊るように跳ねる。彼女の躍動感ある動きと元気一杯な笑顔が、レッスンで疲れた私の心と身体を癒してくれているように感じた。

 

この子、名前なんて言うんだろう。うち(346プロ)所属の子かな? もしそうだったら是非ともお近付きになりたいんだけどなぁ。なんというか輝子とは違った愛くるしさを感じる。

 

いつの間にか曲は終盤。その間私はひと時も目を離さず彼女のダンスと歌を見つめていた。

 

『フレーフレー頑張れ! 最高♪』

高槻(たかつき)やよいさんで、“キラメキラリ”でした』

 

高槻やよいちゃん! キラメキラリ! よし、覚えたぞ! 早速調べてみよう!

 

私は我が愛機を手に取り、慣れた手つきで『高槻やよい』と検索する。そして出てきた情報を読み上げる。

 

ふむふむ、高槻やよい十四歳、誕生日が三月二十五日で牡羊座。O型で、そして……765プロ……。Oh……765プロかぁ。ダメじゃん。めちゃくちゃライバルじゃん、じゃん。

 

個人的な見解では765プロは346プロにとって天敵だと思っている。346プロがケロン星人だとすれば、765プロはヴァイパー……いや、ニョロモ辺りが妥当だろう。つまり346プロにとって765プロは相当の強敵なのだ。

 

……しかし、この高槻やよいちゃんって子、可愛いなぁ。……いやいや! 私は346でこの子は765、私たちにとって競争相手、相容れる事のない蹴落とすべき存在。今の私は例えるならばトヨタに勤めているのにスバル車が好きになってしまった社員のようなものだ。トヨタ社員がスバル車を買わないように、私の考えも本来であれば唾棄すべきものなのかもしれない。

 

つまり、何が言いたいのかというと──

 

 

 

 

 

『うっうー! ありがとうございましたー!』

 

 

 

 

 

 

 

──全然好きになっていいという事だ。

 

 

確かに先程の言葉通りであれば、トヨタ社員が上司にスバル車を買いたいというとボコボコに言われた挙句に『氏ね』くらいのお言葉は頂戴するかもしれない。当たり前だ。それは暗に自分の会社の車より他メーカーの車の方が優れていると言っているようなものなのだから。

 

──しかし、思うだけならば何も言われない。口にしなければ良いだけだ。個人の思想にケチをつけることが出来る法律などこの日本には存在しないのだから。ライブに行ったりグッズを買ったりというのはイマイチ判断がしにくいが、好きになるくらいは許される筈だ。それに私は346プロが765プロに劣ってるとは思ってない。そういう事でやよいちゃんは可愛い。

 

そんな二律背反を抱えてしまう程の可愛さを所持するやよいちゃんの出番は終わり、今度はうちの事務所のアイドルが出てきた。

 

『どうぞよろしゅう』

 

彼女は何処か着物のようにも感じる桜色の不思議なアイドル衣装をヒラリハラリと靡かせて踊る。

 

この少女の名は小早川紗枝さん。実は知り合いで、私は小早川さんと呼んでる。彼女と初めて出会ったのは、寮の浴場でだ。この前いつものように誰もいなさそうな時間帯にお風呂に入ったら先客で彼女がいて、そこから自己紹介してのんびり過ごしたという経緯がある。

 

ちなみに彼女から話し掛けてくれた。私が声を掛けようか掛けまいかで悩んでいるときにスススと近付いてきて、気さくに話し掛けてくれたのだ。本当であれば後輩である私から話しかけるべきなのだが、見知らぬ少女に話しかけるのは少し億劫に感じるのだ。

 

それに見目麗しい少女の裸に未だにドキドキする私は多分悪くないと思う。というかこの寮って可愛い子や美人しかいないから廊下歩いてる時もご飯食べてる時と全然気が休まらないんだよ! 風呂とか尚更だ。私一人の時に誰か入ってきた時とかは本当にドキッとして心臓に悪い。ちょっと前まで女風呂とかどうってことないとか思ってたけど、最近は違う意味でそうでもなくなった。

 

知ってる? セクハラって同性同士でも訴えられるんだよ? あぁ、怖い怖い。いくら今の私が女だからって男の意識が完全に消えた訳ではないから、疚しい意図が無いにせよ視線がついそっちに向いてしまうのは仕方のない事なのだ。そっち……って、言わずとも分かるよね? それに女ってそういう事に敏感だから、ちょっとした事で訴えられる事も世の中多々存在するのだ。中には冤罪で訴えられる事もあったり。かく言う私も訴えられた事こそないが前世では電車通勤中に何度か睨まれた事があった。床に置いてた荷物取りたかっただけなのに……。ジョシコウセイコワイ。

 

今は私も華のJK(?)だから大丈夫かもしれないけど、隠し切れないおっさん臭漂う場面というのもある筈なのだ。それにこの言葉遣いも標準語に慣れる意味が大きいけど、その次におっさんっぽい口の悪い博多弁では芸能界はやっていけないと思ったからというのもある。博多弁のこと皆可愛い可愛いって言うけど正直別にそうでもない。普通に会話してるだけなのによく口喧嘩してると勘違いされるし、他地方の人たちと話しててもすぐ怒るって言われるし。別に怒ってないのに。あんまり良い事ないよ。うん。

 

『若かっただけで〜♪』

 

……ていうか、え? よく聞くとこの曲もしかして……ビリー・バンバンの“また君に恋してる”じゃん! 私この曲めちゃくちゃ好きなんだけど! うわぁ〜、小早川さんカバーしてたんだー。いいなー。私もこんくらい良い曲カバーしたいなぁ。まあ、デビューすらまだなんですけども。

 

自分で自分にツッコミをいれながら私は彼女の歌声を堪能した。一度出会っただけの関係ではあるが、確かにこの曲は彼女にあっているのかもしれない。この曲から感じられる日本の静けさと、叙情的な雰囲気がなんとも彼女の歌声と上手く調和されている……ような気がする。専門家ではないので素人が気取ったような言葉しか出ないが、本当にマッチしている。

 

『小早川紗枝さんより、“また君に恋してる”でした。いやぁ、素晴らしい歌声でしたね』

『うっうー! とっても綺麗でしたー!』

『あらあら、高槻はんも森田はんも、おおきに〜』

 

その後も他事務所のアイドルが二、三人出てきて歌と踊りを披露し、トークが繰り広げられると、やがて番組は終了した。ふむふむ、この立ち振る舞い方は参考にさせてもらうとしよう。

 

「こんな感じの番組なんだ……ふわぁ、そろそろ寝よっかな」

 

気付けば現在夜の十一時半。良い子はもう眠っている時間帯だ。冬休みとはいえ、明日もレッスンがある。それに夜更かしは肌の天敵ってよく言うし、そろそろ寝るとしようかな。

 

そして私は部屋の電気を消すと、夢の中へと旅立った。

 



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第18話 深雪、服を買うの巻

東京に来てまで部屋でダラダラするのは少し勿体無い気がしない事もない。そう思った私は鉛蓄電池の様に重たい腰を上げ、七年くらい愛用しているショルダーバッグへとお出かけ道具を放り込む。

 

まず欠かせないのが何といってもお金。これが無いと何処にも行けないし何も買えない。以前、私が遠出した時、ICカードにお金が入ってたのをいいことに財布を忘れるという愚行を仕出かしている。なまじICカードで電車に乗れてしまうから中々気付きにくいのだ。ようやく気付いたのは目的地に到着して自販機で飲み物を買おうとした瞬間であった。あの時の絶望感は半端では無く、今でも脳髄に刻み込まれている。幸いにも友人との待ち合わせだったので事なきを得たのだが、友人がいなかったと思ったらゾッとする。因みにその帰りにICカードの残金を確認したところ、帰りの電車分は残っていなかった。

 

次に必要な物は簡易充電器。これも必需品だ。渋谷とか新宿で携帯の充電が切れてしまえば樹海に一人取り残されたのと相違ない。いざとなれば人に聞けばいい話なのだが、携帯があるのとないのでは安心感が違う。特に私の携帯はかれこれ2年以上使っているので充電の減りが不規則なのだ。まだ30%あると思っていたらいつの間にか電源が落ちていたなんてのもザラだ。いい加減買い換えるべきか。

 

その次に汗拭きタオルだ。私は暑がり寒がりなので暑いと思っていたら寒くなった、寒いと思っていたら暑くなった、なんてこともよくあるのだ。最早今手元にあるこの黒、緑、赤、青の4種類のタオル達は私の相棒と言っても過言ではないだろう。特に黒、緑に関しては中学生頃からの愛用なので愛着が湧いている。赤青は高校からの新参者だ。私がなくさない限りは最期まで役目を全うして欲しいと思う。

 

続いて女の子のやつ。説明不要。

 

あと薬類。頭痛薬とか酔い止めとか諸々。

 

そしてトドメはイヤホン。これ無しで都会を一人で歩くだなんてまず考えられない。フライドポテトに砂糖かけて食べるくらい有り得ない。

 

さて、準備は終了した。服装は先ほどパパッと取ってきたジーンズ、上は適当に取った暖かそうな服でいいだろう。……うん、十分映えてる映えてる。

 

「show timeだ!」

 

いざ行かん、魔界の地へ!

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

帰ろっかなー。

 

取り敢えずJRの中央特快で新宿まで来た。羽田空港から乗り換えてきた時もそうだったが例によって例の如く人が多い。人の多さに酔うなんて事はないと思うが、げんなりしてしまうのは仕方のない事だろう。一瞬帰りたい気持ちが生まれたが、行き帰りのお金が勿体ないし、ここまで来たら観光するしかあるまい。

 

新宿は私から見ればまるで迷路の様な駅だ。出口に辿り着くだけでも苦労を感じさせる。恐るべき東京。何年住んでも全く慣れそうにない。

 

途中、お土産屋に足を運びながらもなんとか出口にまで辿り着いた私だが……実はここからが問題だ。

 

「何処に行けばいいの……」

 

そう、何処に行くかという事だ。というのも今回私が外に出てきた理由、目的は存在しない。完璧なる気まぐれだ。電化製品でも見て回ろうとも思ったが、今日はなんだか気分が乗らない。

 

「服でも買おうかな」

 

お金は少し余裕がある。両親から頂いたものだ。あまり無駄遣いは出来ないが使わないままだと貰った意味がないので使う時には使おうと決めている。寮費も両親に払ってもらっているので、仕事で売れてお金が入り始めたら少しずつ返して行こう。

 

さて、服を買うと決めたなら行く場所は服屋さんだ。丁度この時期だと年末セールとかそんな感じのでもやっているだろう。しかし、私は服のセンスに些か自信がない。私がこれまで買ってきた服は大概が店員にお勧めされたものなので、自ら選んで購入したものはほぼ存在しない。ぶっちゃけ選ぶの面倒なので店員さんがコーディネートしてくれるのはだいぶ助かっていた。店員さんがやってくれるのであれば確実だろうし。

 

……はぁ、そんなのだから私はいつまで経っても成長しないんだろうなぁ。オシャンティーになりたいとは言わないが、最低限自分で選んで「これでよし」ってなるくらいには選択眼を身に付けたい。そういえば私も一応アイドルの端くれ。……そう、アイアムアイドル! マイネームイズアイドル! アイドルといえば可愛い洋服! 綺麗な衣装! オシャンティーじゃないアイドルなんて多分いない! これからはアイドルらしくオシャンティーに生きていこうと思います!

 

目の前に何語かよく分からない名前の服屋さんがあるし、丁度良い。

 

自動ドアが開くと同時にいらっしゃいませー、と恒例の挨拶が聞こえる。私は早速すぐ前に設置されている棚を眺め、気になった明るめの黄色が着色されたシャツを手に取り、値札を確認した。

 

「さん、なな、はち、まる、まる。……37800円……だと?」

 

……あれれ〜おかしいぞ〜? 桁が一つ多いんじゃないかな〜? 真面目な話、このロングシャツ3780円の間違いじゃないの? これ。それともこれくらいが普通……普通じゃない? ……いやいや、私の服はもうちょっとお手頃価格だった筈。うん、これはだいぶ高いやつだ。そもそも私の手持ちじゃ手が届かないというね。いやぁ、東京の物価舐めてたわ。この分だと他の服もどんなものか分かったものじゃないな。……いやいや、まだ手頃なのが他にもあるはずだ。諦めず探してみよう。……あっちのシャツはセール中って書いてあるな。どれどれ……

 

「7560円」

 

わぁ、とってもお買い得♪ ……って十分高いわアホ! 7500円あったら他のシャツ3枚は買えるわ! 先程のと比べてだいぶ安かった所為で感覚が麻痺してしまった。

 

ダメだ、選ぶ店を間違えた! 値段強気過ぎてここは学生には厳しすぎる。ということで次の店にレッツラゴー!

 

 

という事でそれからも二店目、三店目と次々足を運び続けたが、入る店が悪いのか選んだ店の(ことごと)くが高いものしか置いてない高級店ばかりであった。値段強気過ぎて笑えない。これはきっとゴルゴムの仕業(適当)。

 

再び次の店へと歩みを進めようとするも、先程の決意新たな意気込みとは打って変わり、鬱蒼とした気持ちが湧き上がってくる。流石にここまでヒットしないと気が滅入るというものである。

 

趣向を変えよう。単品の店に行くのではなく、集合体の店を攻めてみるというのはどうだろうか。

 

気持ちを一新するという意味も込めて曲を変え、適当なデパートへと足を運んだ。案内地図でファッションエリアを見つけだし、早速エスカレーターで上がってみると、幾つもの服を売っている店が点在している。ぱっと見の値段も、先程の店と比べても良心的。先程までの店が高過ぎたのだ。

 

取り敢えずは店に入らず、全体的に見て私の好みに合うような服が多そうな店をピックアップしてから買うものを選んで行こう。

 

「ミユキー」

「……ん?」

 

後ろから呼ばれたので振り向くと、銀糸のような髪を柔らかく揺らしながら此方へ駆け寄る少女の姿がそこにあった。

 

「アーニャちゃん」

 

その少女の名はアナスタシア。愛称はアーニャ。最近知り合った同じ部署の子だ。いかにも服が入ってそうな手提げ袋を手にしているので、恐らく彼女も服を買いに来たのだろう。

 

私が名前を呼ぶと、少し嬉しそうに微笑んだ。

 

「ダー、アーニャです。やっぱりミユキでしたね。ミユキも服を買いに来ましたか?」

「うん。今色々回ってるとこ」

「ワタシも同じです。良かったら一緒に回りませんか?」

 

アーニャちゃんからの誘い。断る理由もないので一緒に回る事にした。これも仲良くなる良い機会だ。ついでに私も、自ら服を選ぶ事によってファッションに対するセンスを磨いていきたい。そこからアーニャちゃんにアドバイスをもらう事によって、更なるスキルアップを試みることができるという魂胆だ。

 

「いいよ、一緒に回ろっか」

「ラート! 嬉しいです! ……あ、ミナミもいますが、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。何処にいるの?」

「ミナミは花をつ、掴み? に行きました」

「花を摘むね」

「それです!」

 

合点がいったと顔を綻ばせるアーニャちゃん。

 

成る程、新田さんもいるのか。彼女は現役JDだからさぞやお洒落な格好をしているに違いない(偏見)。

 

「アーニャちゃんはもう何か買ったの?」

「デニムのスキニーパンツを買いました」

「えっ?」

 

やばいよやばいよ、スキニーデニムはあかーん! なんでもスキニーデニムは長時間しゃがんでいると、筋肉や神経に障害が起きて歩行困難になるらしい。後遺症が残る場合もあり、事の大きさによっては手術も必要となってくる恐ろしい服なのだ。

 

「ウージャス! 恐ろしいですね……」

 

アーニャちゃんは私の話を聞いて身震いした。その気持ちはよく分かる。特に私はスキニーパンツ履いてる時にこの記事を見つけたから尚更だ。実家でダラッてしている時だったので速攻で脱ぎ捨てたのは記憶に新しい。

 

「でも、自分の体型にあったものだったら大丈夫だって」

 

つまり、脚を細く見せようと無理をすると私が言ったような事がおきるという訳だ。対策としてはウェストに少し余裕があるものの方がいいと記事には書いてある。因みに私が脱ぎ捨てたやつは指二本くらい余裕があったのでそのまま履き直した。ったく人騒がせな奴だぜ。

 

「ミユキは、物知りですね!」

「偶々知ってただけだよ。ところで、何処から回る?」

「では、あちらは見たので、今度はこちらを回ってみたいです」

「じゃあ新田さんが来たら行こうか」

「そうですね」

 

……と、話していたらキョロキョロと周りを見渡す新田さんの姿が見えた。水色と白を基調とした新田さんによく似合うコーディネートだった。やはり私の目に狂いはなかった。

 

「アーニャちゃん、新田さん来たよ」

「え? ……あっ、ミナミー」

「あっ、アーニャちゃん、そこにいたのね。……あれ? 深雪ちゃん?」

「……お疲れ様です」

 

うーむ、ちゃん付けは未だに慣れないんだよなぁ。まあいいけど。

 

「ミナミ! ミユキも一緒に服メグリしてもいいですよね?」

「もちろん! だったら……こっちから回ってもいい?」

「いいですよ。初めからそのつもりでしたし」

「なら行きましょうか」

「ダー」

 

と言う事で私達は三人で色々な店を見て回り始めた。やはり年末という事もありセール品が多く店頭に並んでいる。これでようやくまともな服選びが出来るというものである。

 

「これなんてどうかな?」

「ハラショー! とても可愛らしいです! ミナミにぴったりです!」

「ふふっ、そうかな? あ、これなんてアーニャちゃんにいいんじゃない?」

 

二人がわいわいと服を見ている中、私は一人でそこらへんを物色していた。中々良さげなものは見つからない。

 

……おっ、このジーンズは安いし、中々良いかもしれない。持っとこ。あっ、あのカーディガンも中々手頃。ちょっと試着してみよう。

 

カーディガンを上から羽織り鏡で自分の姿を見つめる。……んー、分からん。正直可愛い子や美人が着る服とか全部センスの塊にしか見えないから、一般的にはダサく見えても私には理解出来ません。

 

しれっと自画自賛っぽい事を言いつつ私は二人の元へ歩み寄り、羽織ったカーディガンをヒラヒラさせながら問う。

 

「これ、どうかな?」

「そのカーディガン? ん〜……どうだろう。深雪ちゃんには子供っぽく感じるかな」

「ミユキには似合いません」

 

ぐっ……正直に言うじゃねーか。しかし、そうかぁ。いい感じだと思ったんだけどなー……。服選びはむつかしい。

 

それからも色々と服を見つけては二人に聞いてみたりしたのだが、中々良い反応は貰えない。

 

一瞬諦めて選んでもらおうとも思ったし、選ぼうかとも言われたが、しかしそう言われると選ばせたくなくなるのが人の(さが)。意地でも自分で選んで買ってやろうと心に誓った。

 

二人には正直な感想を述べるように言ってあるし、素直に聞けば恥ずかしい物を買う心配はない! と言うことで、イクゾ-!

 

 

 

 

──そして二時間が経過した。

 

 

 

 

ここまで私が選んだ服は悉く却下されてしまった。

 

「やだ、私ってばファッションセンス皆無……?」

 

知られざる事実の発覚。店員にお任せの障害がこんな所で出てくるなんて……儘ならない世の中である。

 

とは言え服を選ぶだけで二時間が経ってしまったのは痛い。二人は其々気に入った物を買ってるのに対して私は手ぶら。厳密には手持ちのショルダーバッグがあるがそこはどうでもいい。今の私は俗に言う「なんの成果も!! 得られませんでした!!」という奴だ。

 

でも私としては、よくぞここまで集中力を保ったと自分を褒めてやりたい気分である。大体こういうのは三十分と経たずに飽きるから本当に続いた方だと思う。今もまだやる気と根気と元気は残っているし。素晴らしい持続力だ。

 

「……先に、帰ってもいいよ?」

 

しかしこれ以上付き合わせるのも忍びなかったので、彼女ら二人に帰る事を提案した。この分だとまだ時間が掛かる可能性があるし。

 

「……え? だ、大丈夫だから気にしないで! 最後まで付き合うよ」

「ダー。ミナミの言う通りです」

 

二人は笑顔で私の提案を突っぱねる。

 

な、なんて良い子達なんだ……! これが私だったら喜んで帰ってるのに!

 

彼女らの人の良さに私は思わず少し涙ぐんだ。

 

「そういえばもうお昼だね。……あっ、あそこのうどん屋さんに行かない?」

「オー、うどん、ですか」

 

新田さんの提案にアーニャちゃんが感慨深そうに頷く。見た目何の変哲も無いうどん屋さんだが、何かあるのだろうか。

 

「どうしたの?」

「いえ、うどん、日本に戻ってきて食べてないです。何がありましたか?」

「えっと、ごぼう天うどんが美味しいよ」

 

あれは本当に美味しい。出汁の効いたスープが染み込んだ衣にシャキシャキのごぼう。あの組み合わせは最強だと思う。他にも海老天とかかき揚げとか、チーズ肉うどんなんてものも好きだがやはり私はごぼう天うどんが好きだなー。空腹時の時に食べるとつい宇治田の様になってしまう。但しワカメと刻み油揚げ、テメーらはダメだ。

 

「ごぼうの、天ぷら? どんな物か気になります」

「このお店は行った事ないけど多分美味しいよ」

 

お店の見た目は美味しそうな雰囲気出してるし。うん、多分美味しいよ。まあ、私は天丼食べるんですけどね!

 

そんなこんなで、私達はお店の中へと入った。ジャストタイミングで四人席が空いたのでそこへ座り、各々メニュー表を手に取る。天丼は……お、あるある。値段もまあまあ良心的だ。決まり! メニュー表は閉じ! これ以上見てると目移りしちゃうからね。

 

どうやら二人も決まったようなので、店員を呼ぶとしよう。

 

「すいませーん!!」

 

厨房の方から「はーい!」と返事が聞こえる。すると新田さんが戸惑ったようにある物を指差す。

 

「あ、あの、深雪ちゃん……? 呼び出しボタンあるのよ……?」

「えっ? あっ、本当だ。まぁ、聞こえたんならいいですよ」

「ミユキは声が大きいですね!」

「私の声は響くからね」

「今の褒めてるのかな……?」

「ところで、二人はもう服は買わないんですか?」

「アーニャはもう大丈夫です」

「私ももう大丈夫かな? あ、でも気にせず選んでいいからね?」

 

新田さんはそう言うが、流石に気にするよ。こっちは待たせてる身だからね。やっぱり意地張らずに選んでもらったほうがよかったのかな? ……もうちょっとだけ選んでダメだったら頼むとしよう。

 

やがて頼んだものが届くと、三人で頂きますをして食べ始めた。うめうめ。

 

アーニャちゃんは私が勧めたごぼう天うどん。長いスティック状のごぼうだった。美味しそうだなーと見ていたら一本くれたので私もお返しに海老をくれてやった。明らかに差異があるが無邪気に喜ぶアーニャちゃんが可愛かったので良し。

 

ちなみに新田さんは鴨南蛮そばを食べていた。うどん屋さんなんだからうどんを食べなさい!(ブーメラン)

 

食べ終わり、再び徘徊を始めようとすると、新田さんから新たな提案が出た。

 

「建物を変えない?」

「ふむ」

 

要するに違うデパートで探してみないかという事だろう。確かにこのデパートの服屋さんは粗方回ったので後は同じ箇所を回るだけ。そこまで歩くのは面倒ではあるが、いいんじゃなかろうか。

 

「近くにあるんですか?」

「さっき少し調べたけれど、300mぐらい歩くと同じ規模のデパートがあるみたいね」

「じゃあそこに行きますか」

 

私達はデパートを出て新田さんの言うデパートへと向かった。

 

やがて辿り着き、入り口付近に設置されてある案内の地図を覗く。

 

「ファッションは……六階からみたいね」

「ですね」

「み、ミナミ! ミユキ! あ、あれは何ですか!」

 

突然アーニャちゃんが大声を出すので何事かと振り向けば、彼女はとある物を指差していた。おっ、あれは……

 

「たこせんだね」

「タコセン?」

「えっと、海老味醂(みりん)にたこ焼きを挟んだものだったっけ?」

 

新田さんに言われてしまったが、ほとんどその通りだ。厳密に言うならばそこから更にソースやマヨネーズがかけられている。中々に美味である。私は結構好きだ。

 

「結構美味しいですよ」

「あれ食べてみたいです!」

「昼食食べたばかりだよアーニャちゃん……。三時ぐらいになったらもう一度来よう?」

「……ダー」

 

え? 三時まで待たないといけないの? 私も食べたかったんだけど……。

 

内心がっかりしながらも私は目的を思い出して、六階へとエスカレーターで登る。見た所どうやら六階はレディースの物しか置いていないらしく、今の私にはうってつけのフロアだった。

 

「ちょっと、花を……か、刈りに行ってきますね 」

「摘む、な」

 

早速目の前のお店で自分なりに良さげなのを見繕う。アーニャちゃんが花刈りに行ったので新田さんに見せてみるも

 

「これはどうですか?」

「……ごめんなさい。好みの問題かも知れないけど私はあんまり好きじゃないかな」

「はい」

 

そう言われる。どうやら彼女自身もそこまでオシャレに詳しいわけでは無いらしいので、アドバイスというより本当の意味で感想をもらっているような感じだ。アーニャちゃんはアーニャちゃんで感想をくれたりするのだが、格好いいだの可愛いだのと言葉が抽象的すぎて参考にならない。いや、嬉しいんだけどね? あざ! って感じで。結局全部しっくりこなくて買わなかったんだけども。

 

「次こそは……!」

 

と、意気込み新たに次の店へと足を運ぼうとした私。しかし、次の瞬間脳内に一つの疑問が生じた。

 

 

 

 

 

──アイドルらしさを求める私、それが本当に私という“アイドル”なのか……?

 

 

 

 

 

カッコよく決めてみたが、結局のところ言いたい事は、所詮私がどう工夫しようとも、それは只の付け焼き刃でしかなく、根本的な解決にはならないという事だ。

 

それは違う! そう言う人もいるかもしれないが、私のことは私が一番よく分かっている。私は興味のない事には全く興味を示さない人間だ。この際だから言おう。私は──

 

──私は、オシャレに一切興味を持ってません! 化粧も渋々やってます! そんな人間がどうしたらシャレオツになれるでしょうか?

 

 

 

結論 : なれません♡

 

 

 

そういう事だ。

 

幾ら経験を積もうが興味がなければ全く意味はない。というか寧ろ興味が無いどころか女子の服装自体あまり好きではないのだ。さっきまで選んでいたのもぶっちゃけなんとなくだし、見るだけならともかく自分が着るとなると相当面倒臭いと思うんだ。特にスカート! 未だにあれには抵抗がある。ロングならまだしも裾が短いのだと階段上がる時に視線を感じるし……いや、気持ちは分かるんだけどね。見えそうなら見たいよね。すっごい分かる。……でもね! 自分がやられるのは嫌なの! 大分自己中な事言ってるのは分かってる! でもね! この気持ち! 分かれ!!

 

それに裾が短いスカートは股下がスースーして気になってしょうがない。夏は汗で張り付いて気持ち悪いし、冬とか股引……あー、ヒートテック? レギンス? ……の常備必須。なんなん、あれ。動きにくいわスースーするわ蒸れるわ寒いわで、最悪じゃん。お陰で制服以外でスカートを履いたことは殆どない。部屋にもスカートは存在しない。本音を言えばジーパンにスカジャンかまして街を歩きたい。楽だし格好良いし、最強かよ。

 

「────ッ!!」

 

「? どうしたの?」

 

そうだ! スカジャン! これだったら近くに用がある時にも手軽に着れるし、オシャレとしても十分活用出来る筈! 今ちょっと調べてみたけど、ファッション雑誌とかにも載ってて意外と流行ってるっぽいし。スカジャンはお洒落! んっん〜、良い響きだ。この雑誌は着眼点が違うな。今度から愛読しよう。

 

これで軽く用事がある時とかにどんな服装で外に出ればいいかっていつも悩んでたのも解決出来る。よそ行きの服装は準備が面倒だし、かといってジャージはジャージでちょっと……ってなってたからね。まあ、結局その場合はジャージで外に出てたんだけども!

 

それより、今はスカジャンですよ! スカジャン! 買うなら絶対に桜吹雪と般若のやつだね! あれ以上に最高の組み合わせなんて存在するだろうか。いや、ない(反語)。

 

早速私は地図を確認すべくエスカレーターのある場所へと戻る。

 

「み、深雪ちゃん……?」

 

ふむふむ、地図によればこのデパートにスカジャン売ってそうなお店は……一軒だけあるっぽいね。……売り切れたら嫌だし、さっさと行ってさっさと済ませよう!

 

「ちょっと行ってくるんで、アーニャちゃんを待っててください」

「えっ、あっ、み、深雪ちゃん!? 何処に行くのー!? 深雪ちゃーん!?」

 

そして私は新田さんを置き去りに目的の場所へと向かった。結果としては欲しい物は買えたので大満足だ。アドバイスや感想をくれた二人には感謝の念が尽きない。お陰でこんなに素晴らしいものが買えたのだから。

 

買った後で二人にどんな服を買ったのか聞かれたが、どうせなら着て見せたかったので次の練習の日まで秘密と答えておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、どうしても誰かに見せたかったので、買ったスカジャンとお気に入りのサングラスを決め込んで事務所で夏樹に見せびらかしてたんだけど、普段では考えられないような必死な形相の武内さんに呼び止められてしまった。何故かすぐ脱力していたんだけど。きっと私のファンキーかつグルービーな魅力溢れるファッションに度肝を抜かれたのだろう。

 

……え? 事務所にスカジャン着て来るの禁止? 解せぬ。

 

 

因みにその後、事の経緯を武内さんから聞いた新田さんが私の観察を行い始めたらしいのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

 

P.S たこせんおいしかったです。

 

 

 

 

 

 

 



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第19話 142'sと大晦日 前半

「んぅ、ふわぁ……ねむいぞー」

 

本日は十二月三十一日、つまり大晦日。二月に歌番組の生放送が控えているとは言え、流石に年末年始に練習はないらしい。なので今日一日は最近あまり出来ていなかった資格勉強に勤しむ日にしてガッツリ頑張った為、久々に使った頭が休息を求めているという訳だ。……まあ、正直に言うと起きたのはほぼ真昼だし、始めたのも十四時くらいだから実質行った時間は四時間くらいなんだけどね。それでも十分か。

 

ちなみにその日、輝子から折角の大晦日だから二十二時頃から映画を見ようと誘いを受けていた。大晦日と言えば紅白やガキの使いだと思うのだが、映画が見たいのであればやぶさかでは無い。紅白はそれ程好きなわけではないし、ガキ使は録画して後で見る派だし、問題はない。

 

ただ、いじめっこ主犯の小梅ィ氏も来るとの事でどうにも嫌な予感しかしないのだ。しかし、紹介したい人がいるらしく是非来て欲しいと言われたので行くしかあるまい。

 

因みに小梅氏がいじめっ子というのは私に会う度に意味深な事を言ってきたり、急に背後から脅かしてきたり、面白い映画と称してホラー映画を渡そうとして来たりとか色々ちょっかいかけてくるからそう言っている。彼女には幾度となく煮え湯を飲まされた。しかも的確に私の急所を突いてくるのが末恐ろしい。そんなに私を脅かして楽しいのかあのアマ。……楽しいんだろうなぁ。はぁ、私が麻倉家だったら即☆成☆仏してたんだけどなぁ。

 

十八時にご飯を食べて、珍しく早めにお風呂に入って、現在の時刻は十九時半。お風呂には美穂ちゃんとユッコちゃんがいたのでしばらく談笑していた。私は聞く側なんだけど。

 

実はユッコちゃん、自称エスパーらしく超能力が使えるそうなのだ。だいぶ怪しい話だったが、冗談を言っているような感じでもなかった為、有るか無いか分からない程度のほんの僅かな期待を持って何かやってくれと無茶振りしたところ、なんと二つ返事で快諾してくれた。すると何処に隠していたのかスプーンを取り出し左手で持つと、ムムムーン! と可愛らしく唸り、沈黙した。

 

「……きょ、今日は調子が悪いみたいですね。またの機会に!」

「そ、そうですか……」

「あ、あはは……」

 

案の定だったので特に思うことはなかった。

 

 

 

 

──しかし、次の瞬間

 

 

 

 

ガシャアアアアアアアン!!!

ホ、ホタルチャ-ン!?

 

 

 

 

「あ……」

「ほ、ほたるちゃん……!」

 

 

 

 

ヤ、ヤットフッテキタ…

ナンデアンシンシテルノ!?

キョウハマダフッテナカッタノデ…

チョットナニイッテルカワカンナイ…

 

 

 

 

「ホッ……」

「ほ、ほたるちゃん……」

 

 

 

 

どうやら二人の知り合いのようだ。なにやら凄いことを言っていたように聞こえたが、問題なさそうで安心した。

 

そんな経緯を経て一段落ついて風呂から上がり部屋でまったりしているのが現在の状況だ。

 

まだ二十二時まで余裕もあるし、本でも読んでいようかな。今日は……“めぞん一刻”の気分! 本棚から適当な巻を抜き出してベッドに横になりながらペラリと一コマずつ目を通していく。

 

うおー、三鷹きたー! いつ見ても歯がキラキラしてるなー。しかし五代、自分を信じなさい……信じなさい。それにしても本当に“めぞん一刻”は名作だよね。前世合わせて何度読み直したことか。だいぶ前に古本屋で見かけた時は速攻で全巻買ったよ。その時の心情が「あ、買わなきゃ」って感じだったのを思い出す。あの時は“買いたい”という欲求じゃなくて、“買わねばならない”という使命感が私を突き動かしたね。まあ、私の悲しい記憶力では実物を見るまで存在なんて忘れていたんだけども。しかし、今は手元にあるので良しとしようではないか。

 

ペラリとページをめくる。ふむふむ、あー、そうそう。こんな台詞あったなぁ……。

 

……あ、やばい……眠気が、急に。

 

…………ううん! 起きとかなきゃ! ……でも、四谷さん……って、ほんとに……良いキャラしてる……よ、ね。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

「きのこっのーこっのこぼっちのこー……ふひひ」

 

輝子は今回のきのこ(マイタケ君34号)の出来栄えを吟味しながら全体を眺める。

 

「色……艶……傘……今回は、いい……! 実に良い……! この出来栄えは歴代でも三位には入るかもしれない……!」

 

どういった基準で評価しているのかは彼女以外知る由もないが、非常にご満悦な様子だ。そこで本日の手入れはこれで終了したようで、手にしていたきのこを所定の位置へと戻し始めた。

 

輝子は現在、部屋で友人達が来るのを待っていた。大晦日の本日、これから皆で映画観賞を行う為だ。計画したのは小梅で、輝子もそれに賛同し、結果輝子の部屋で行われることとなったのだ。

 

「お邪魔しますよ」

「お、お邪魔しまーす……」

 

噂をすれば何とやら。輝子の友人が部屋へと到着したようだ。輝子は出迎えるべく玄関へと足を運んだ。

 

「お、おお、いらっしゃい」

「ふむ、少し時間に遅れたようですねぇ」

「ご、ごめんね……?」

 

友人二人──白坂小梅と輿水幸子は遅れた事を謝罪するも、輝子は特に気にしておらず、中へと招き入れた。

 

「誘っておいてなんだけど、さ、幸子ちゃん明日仕事じゃないのか……?」

「ボクは昼過ぎに現場入りなので最悪十二時くらいには眠れれば大丈夫ですよ! 確かに貴重な休み時間ではありますが、仕方がないので付き合ってあげましょう」

 

ふふんと鼻を鳴らしながら口にする幸子に、小梅はその様子に思わずといったように小さく笑い声をあげた。

 

「な、なんですか……?」

「じ、実はお昼に幸子ちゃんが、友紀さんに今日の事楽しそうに話してるの……聞いちゃったんだぁ」

「なぁ!? い、いたんですか!?」

「扉から聞こえたから……つい。あ、で、でも聞いたのはそれだけ、だよ……?」

「う、動かざる事きのこの如し……ふひ」

「ちょっと意味分からないです」

 

幸子は少し気まずそうに二人から視線を逸らすと、拗ねたような口調でポツリと呟き始めた。

 

「……小梅さんは四月からの新ドラマ『ゾンビガール』、輝子さんは新ユニット『アンノウンインベーダーズ』。ボクはボクでライブや……少し不服ではありますがバラエティのお仕事も頂き始めて多忙ですから。中々揃う機会なんて、最近ないじゃないですか……」

「幸子ちゃん……ふひひ」

「えへへ……えいっ」

「あっ、ちょっ、わぷっ……!」

 

言い終えると同時に小梅と輝子の両名が拗ねる幸子へと抱きついた。

 

「幸子ちゃん、可愛い……♪」

「ど、同感……」

「ふ、二人して何ですか! ボクがカワイイなんて当たり前の事ですっ!」

「照れてるの……?」

「照れてません!」

「て、照れてるな」

「照れてません!!」

 

捲し立てるも輝子と小梅はにこにこと微笑みかけるだけであった。その様子に何を言っても無駄だと悟った幸子は話題を変えて誤魔化すこととした。

 

「というかなんで映画鑑賞なんですか? 大晦日なんですから『笑ったらあかん』とか『紅白歌合戦』とか定番のがあるでしょう」

「ど、どっちももう途中だし……そ、それにお、お笑い見るならゾンビ見てた方がいいかなぁ……」

「わ、私もきのこの方がいいな」

「選択肢おかしくないですか?」

 

幸子は呆れたように肩を落とすが、当の二人は何のことかと首を傾げる。そんな様子に溜息をつきたくなる幸子であったが、今に始まった事ではないと思い返し話を続ける。

 

「そういえば、今日はもう一人新部署の新人さんが来るんじゃありませんでしたっけ?」

「確かに、深雪さんが来てないな」

「ね、寝てるのかな……?」

「い、意外と気まぐれだからな……」

「ボク達と同じで寮生なんですよね? 何処ですか?」

「す、すぐ隣だ。ちなみに、引越しの挨拶の時に仲良くなったんだ」

「そうなんですか。どんな方なんですか?」

「えぇと、ぼ、ぼっちの私でも、可愛がってくれるし……あ、後、私のトモダチを褒めてくれるんだ」

「へぇ……輝子さんのきのこを褒めるだなんて、中々のやり手ですねぇ。小梅さんも知り合いなんですか?」

「う、うん、遊ぶと面白い人だよ……♪」

 

本人がいればどういう意味かと問い詰めた所だろうが、生憎と今は部屋で睡眠中だ。深雪と遊ぶのが面白いのか、それとも深雪()遊ぶのが面白いのか、それは本人のみぞ知る事実であった。

 

「け、携帯で呼んでみる…………繋がらない……マナーモード、かな?」

「近いですし、直接呼びに行きますか? カワイイボクと会えるというのに、その方はなんとも勿体無い事をしていますねぇ」

「……そうだな」

 

幸子の言葉に頷いた二人は、三人で隣の深雪の部屋へと向かい、チャイムを鳴らした。

 

「み、深雪さーん……返事がない」

「た、ただの屍に、な、なっちゃったの、かな……?」

「縁起でもない事を言うのはやめてください! ……おや、鍵が開いてます。不用心ですねぇ」

「……は、入ってみるか?」

「そ、それはマズいんじゃないですか……? 不法侵入ですし」

「じゃ、じゃあ、“この子”に確認してもらう……?」

 

小梅は誰もいない筈の空間へと視線を向け、二人へと問う。その瞬間、何もなかった筈のその空間が歪む。それは小梅の言葉がデマではない事を顕著に表している現状であった。事実、小梅の隣には彼女以外には見ることの叶わない、非現実、非ィ科学的な存在──俗に言う幽霊が存在していた。

 

「ヒィッ!」

「な、なるほど……」

 

一体何が成る程なのか。幸子が小さく悲鳴をあげると、輝子が慣れた様子で肯定する相槌を打つ。小梅はその言葉に頷くと「お願い」と一言告げ、幽霊を見送る。

 

戻って来た幽霊に状況を聞いてみた所、小梅の言う通り、深雪は夢の中を旅していた様子だという。ただ、部屋の電気は点灯していたとの事で、恐らく寝落ちしたか、軽く眠っていただけだと予測出来る。

 

「は、入ろっか……」

「だ、大丈夫なんですか……? ボク知り合いですらないんですけど」

「ど、どうせ後で会う事になるんだし、いいんじゃないか? そ、それに、寝てる深雪さんにも責任がある」

「し、しかし……」

 

先程の超常現象に怯えを隠しきれず、少し挙動不審な幸子へ輝子が答える。

 

「こ、小梅ちゃんも、そう思うだろ?」

「寝起きドッキリ……一回、やってみたかったんだぁ……♪」

「あっ……(察し)」

 

嬉しそうな小梅の様子に、輝子はこれから何が起こるかを理解した。輝子は深雪が小梅のオカルトな部分を邪険に扱う事はなかれど、少々苦手に思っている事を知っている。そして小梅の人を脅かす方法は一般人とは正しく次元が違う。彼女が本気を出して人を脅かせば、その場は確実に阿鼻叫喚の巷と化すことだろう。

 

輝子は流石に止めようかとも考えたが、元々は深雪が遅れたのが悪いと思い直し、心の中で合掌するだけに留めた。小梅が度を越すような事をしないと分かっているが故の判断だ。

 

「お邪魔しまーす……」

「お、お邪魔します……ほ、ほら、幸子ちゃんも」

「あっ、ちょ、ちょっと! ……し、仕方がありません。お、お邪魔します……」

 

一人は渋々とではるが、三人は部屋へと足を運ぶ。部屋は“あの子”なる者の言う通り電気がついており、また、ベッドからは穏やかな寝息が聞こえた。正体は言わずもがな深雪である。小梅は顔を覗き込んだ。

 

「ふふふ……し、しっかり寝てる、ね」

 

小梅はやる気に満ち溢れていた。これからどう脅かしてやろうかと、その無邪気な笑みが見るからにそう物語っていた。普段はおとなしい小梅ではあるが、未だ小学六年生。遊びたい盛りなのだ。しかも本日は年に一度の夜更かししても怒られない特別な日、大晦日である。図らずとも気分が高まってしまうのも無理はなかった。

 

「寝顔を覗くのは少々失礼ではありますが……最早今更ですね。……へぇ、この人が小暮深雪さんですか。ボク程ではありませんが、中々可愛らしい人ではありませんか!」

「お、起きてる時はもっと、キリッとして……格好良いんだけど、な。……で、でも確かに寝てると、クールというより、きゅ、キュートに近いな」

「……先程も聞きましたが、性格はどんな感じの方なんですか?」

「そ、そうだな……趣味以外で口を開く事はあんまりないけど、やる事なく一緒にいても、苦ではない」

「成る程、そういう関係は憧れますね。……あ、ちなみに趣味ってきのこ関連の事ですか?」

「ち、違う……けど、言えない。わ、私と深雪さんのヒ、ヒミツだ。フヒ。……あ、後関係ないけど、は、反応が分かりやすいな。ど、どうでもいい話題の時は返事が雑で「ふーん」しか返してくれない」

「す、素直な方なんですね……」

 

二人がやりとりをしている間に、小梅はこれからどうするかを考えていた。

 

「……ちゃん」

 

 

 

 

 

 

──お願い。

 

 

 

 

 

瞬間、部屋の電気が突然消灯した。

 

「な、何を……ヒィッ!!」

「おぉ……く、暗くなったな……」

「く、暗くないと……雰囲気、で、出ないから……ね」

「や、やるなら事前に言ってください……!!」

「だ、大丈夫か……?」

「……なんで輝子さんはそんなに慣れてるんですか……?」

「…………深雪さん、よくやられてるんだ」

「……」

「えへへ……何、しよっかなぁ……♪」

 

小梅はいつの間にか手にしていた懐中電灯で部屋を照らす。その後、何か思い付いたのか懐中電灯で自らの顔を下から照らして幸子の方へと勢い良く振り向く。

 

「……バァ」

「……流石にそんなのじゃ驚きませんよ」

「えへへぇ……」

「(……可愛いじゃないですか)」

「そ、それで何をする気なんだ……?」

「えー、と……あっ、そ、そうだ……! 輝子ちゃんは、う、後ろ髪を全部、ぶわーって前にやって……深雪さんを、見つめてて」

「普通に恐怖ですね……」

 

幸子はまるで貞子を模しているかのようなその光景を想像して呟く。

 

「そして幸子ちゃんは……あっ、ま、待って……!」

 

突然小梅が深雪の方へと手を伸ばし、空を切る。

 

「こ、小梅ちゃん、どうしたんだ……?」

「“あ……あの子”が深雪さんの……顔に纏わり憑いて」

「な、なんですって……?」

 

幽霊の事が分からない上に見えない幸子からすれば、現在の状況は何がどうなっているのか分かり得る範囲ではなかった。しかし“幽霊に取り憑かれた”という、字面だけで見れば冗談にならない言葉と、見る見るうちに顔色を悪くする深雪を見て事態の深刻さを自覚した。

 

「う、うぅん……」

「めちゃくちゃ夢見悪そうな顔になってるじゃないですか! 早くどうにかしてあげてください!」

「で、でも……あの子、嬉しそう……」

「その反面この人の顔色どんどん悪くなってるんですが!?」

「だ、大丈夫……還る事はないから」

「土に!?」

 

小梅と幸子がコントのようなやり取りをしている中、輝子はじっと深雪を見つめていた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。深雪さんが何か言いそう」

 

小梅と幸子のやりとりに輝子は待ったをかける。その言葉に二人は悪夢でも見ているかのように顔を顰める深雪の顔へと視線を向ける。

 

「ん、ぅ〜ん……」

「……」

「……」

「……」

「──は……」

 

「「「は?」」」

 

 

 

 

 

 

「────は、歯磨き粉……マズい……」

 

 

 

 

 

 

 

「意外としょうもなかった!!」

 

 

 

 

 

 

幸子は深雪の予想外の言葉に思わずツッコミを禁じ得ない。

 

「いや、しょうもなかった事を喜ぶべきなのでしょうか……?」

「で、でも深雪さんの気持ち……よく、分かる」

「うん……名状し難い味だよね」

「なんでそんなに落ち着いてるんですか。元の原因は小梅さんでしょうに」

「……?」

「不思議そうな顔しないで下さい!」

「ブナシメジ?」

「不! 思! 議! です! カスってすらないんですけど!?」

 

叫んでいるように見える幸子ではあるが、無論深雪が就寝している事を考慮して、相応に声量は落としている。

 

「というかまだ離れないんですか!」

「さ、幸子ちゃん……だ、大丈夫だよ。“あの子”……深雪さんにじゃれてるだけで……の、呪いとか、祟りとかは……ないから」

「そ、そういう問題なんですか? というか、幽霊がじゃれるって……」

「わ、私も見えないけど、い、意外と日常的だぞ……」

「……」

 

幸子はいつもこのような事をされているらしい深雪に対して同情を禁じ得なかった。同時に小梅がこのような人物だっただろうかと疑問に思うが、懐いているのだろうと納得し、それ以上考える事をやめた。

 

「よ、呼んでみるね。……も、戻ってきてー」

「生ハムにメロンとか正気の沙汰じゃな……あれ、美味い……」

 

小梅の言葉により“あの子”は深雪(の顔)からようやく離れ、心なしか顔色も良くなったように見える。

 

「お、おかえりぃ」

「……あの、この人本当に寝てるんですか?」

「う、うん……い、息遣いや筋肉の動き、脈拍から考慮すると、ちゃんと寝てる」

「判断の仕方が本格的すぎやしませんか? というか、暗くて目が悪くなりそうなので電気付けますよ?」

「あっ……」

 

幸子は探り探りで部屋の電気のスイッチを探し、点灯させる。

 

「電気も付いちゃったし、そ、そろそろ起こさないか?」

「おや、ドッキリはもう良いんですか?」

「こ、これ以上は深雪さんに……怒られるかもしれない。後、ドッキリしたいのは小梅ちゃんだけだぞ」

「わ、私も……面白いもの見せてくれたから、満足」

「そ、そうですか……」

 

幸子はマイペースな二人だと改めて実感した。

 

「……あ、そ、そうだ」

「ど、どうしたの……?」

 

突然輝子が良いことを思いついたと言わんばかりに手をポンと鳴らした。

 

その後小梅の質問には答えず、輝子は深雪が眠るベッドへと手を掛け始めた。

 

「な、何をしてるんですか……?」

「……ふひひ、あったかい」

 

輝子が一体何をしたかったのか。ただ添い寝をしたかっただけだ。

 

「起こしに来たんじゃなかったんですかねぇ……」

「わ、私も〜……」

「って小梅さんもですか!」

 

羨ましかったのか小梅は輝子の反対側に寝転がる。これで川の字で深雪を囲む形となった。普通であれば一人用のベッドに三人は非常に狭く感じるはずだが、皆細身なのでなんとか仰向けでも寝ることが出来ていた。

 

「あ、あったかい……えへへ」

「だ、だろ?」

「……あの」

 

一人ポツンと残された幸子は途方に暮れた。

 

「……あ、さ、幸子ちゃんも入るか?」

「そんな隙間あるようには見えませんが……」

「……ふわぁ、な、なんだか眠くなってきちゃった」

「……た、確かに」

「え、あの、ちょっと……」

「……スヤァ」

「……グ-スカピ-」

「いや眠るの早過ぎないですか!?」

 

ツッコミを入れるもそれに反応する者は誰一人と存在せず、空虚に響くだけであった。

 

数瞬後、自らの置かれた状況を理解した幸子は次第にピクリと唇を震わせ始めた。

 

「……流石のカワイイボクでも少々苛立ちを隠し切れませんね」

 

三人を見下ろす幸子。幸せそうな寝顔で寝ているのが更に苛立たしさを掻き立たせる。

 

「……それならボクにだって考えがあります」

 

そう言うと幸子はある物(・・・)を取りに、部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 



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第19話 142'sと大晦日 後半

 

 

なんか起きたら輝子と小梅ィ氏がいた件。

 

何故? と思う前に気が付いたが現在の時刻は二十二時二十三分。そして今日の集合時間は二十二時。確実にこの子らが私を起こしに部屋まで来たという事が分かる状況だ。確かに申し訳ないとは思う。しかし、なんで隣で寝てるのだろうか。ていうか不法進入ではなかろうか。ていうか狭い! 起き上がれん! 輝子の髪鬱陶しい!

 

私は余りにもうざったい髪を所持する輝子を壁に押し付けながらどうにか起き上がり、枕を壁に立て掛けてそのまま寄っかかった。途中小さな呻き声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。

 

そしてもう一人。穏やかな表情で眠る小梅ィ氏。ぶっちゃけこいつは寝たふりをしてるんじゃなかろうかと疑ってる。きっと私が油断しきってる所で脅かす魂胆なのだろう。ヴァカめ、そんな見え透いた策でこの小暮深雪が騙されると思うなよ。

 

私はプルプルと震える手を恐る恐る小梅ィ氏の顔に持って行き、いつも右目を隠している長い前髪を退かした。

 

「……普通だな」

 

普通だった。まあ、当たり前か。

 

私は彼女の前髪を元の場所へと戻した。どうやら本気で寝ている様子だ。

 

「……というかこの状況なに?」

 

二人のやわっこい頬の感触を楽しみながらどうしたものかとぼんやり考えていると……ガチャリ、と、玄関の扉が開く音がした。

 

 

 

 

 

──心臓がドクンと大きく高鳴る。

 

 

 

 

 

思わず息を飲み込んだ。

 

ギシギシと小さな音が扉越しのこの部屋まで聞こえる。

 

一体誰だ。息を殺し、忍ぶ足音。確実に盗犯を企む輩の歩き方だ。

 

しかし、何故? 私の部屋は寝落ちしたせいで電気が付いているので泥棒するには向いていない。なんらかの手段を用いて確認したのか。

 

カメラでも設置されたのかと部屋を見渡すがそれらしきものは見当たらない。クソ、部屋の鍵くらい掛けておくべきだったか。どうやらここが女子寮という事で無意識の内に防犯に対する意識が薄れていたようだ。

 

しかし、今更後悔したところで後の祭り。取り敢えずこの場を乗り越えなければ。私はベッドから下り、普段から鞄の奥底に仕舞い込んでる変質者撃退用の強力スタンガンを手に取る。幸か不幸か購入してから一度も使用したことのないものなので、動作不良等を起こさないか気になる所だが、トリガーを引いてみるにどうやら杞憂だったようだ。

 

泥棒はいつの間にか扉の前まで来ていた。モザイクの掛かったガラス越しに見えるその姿は思っていた以上に小さなものだった。

 

 

──輝子と同じくらいか……?

 

 

輝子の身長が142cmだと言っていた。そして私は165cmあるかないか。体格差的には有利ではあるが、油断は出来ない。

 

暫く扉の前の彼方からは見えない位置にスタンバイしていたのだが、どうしてか中々部屋に入ってこない。此方はスタンガンを突き付ける準備は出来ている。さっさと終わらせたい。

 

冷や汗を流しながらバクバクと激しく高鳴る心臓の音を抑える様に片手を胸へと置いた。

 

少しして心に余裕が生まれたところで、コソ泥と思われる人物が何やらブツブツと呟いていることに気がついた。

 

耳を澄まして聞いてみる。すると……

 

「──全く、折角このボクと映画鑑賞が出来るというのに……ブツブツ……輝子さんと小梅さんは寝るし……ブツブツ……小暮さんという方は約束すっぽかして眠ってるし……ブツブツ」

 

ご、ごめんなさい……。儂、眠かってん。三大欲求には逆らえへんのや。

 

心当たりがありすぎてつい謝ってしまったが、私は扉の前に佇むこの人物の正体が分かったような気がした。

 

──輿水幸子、名前だけは輝子から聞いた事があった。本日一緒に映画鑑賞する予定の人物であり、小梅ィ氏と輝子の友人。希薄なパープルの髪に特徴的なボクっ娘。髪の色も一人称も合致していた。そもそも今日行うはずだった映画鑑賞の事を知っているのもこの四人だけの筈なので疑いようがない。一先ず、コソ泥とかその類では無かった事に安心し、良かった良かったと長い息を吐き出して脱力した。

 

 

 

 

 

 

──でも初対面で不法侵入された事には変わりないので取り敢えず少し脅かしてみる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──動かないでください」

 

勢い良く扉を開け、後ろに回り込みつつスタンガンを突き付ける。なるべく冷たい声になる様に意識もしてみた。気分はどっかの刑事ドラマ。

 

「……えっ?」

 

どうやら何をされているのか理解していない様だ。

 

「貴女、不法進入ですよ。何をしているんですか」

「あ、あのっ……その……」

 

見るからに焦っている事がよく分かる。なんとなくもう一度スタンガンを突き付けてみた。

 

「ヒィッ! なっ、なんなんですか、それ……?」

「スタンガンです。今から警察に通報するので大人しくしていてください」

「……ぇっ、す、スタン、ガン……? け、警察……? あ、あのぅ……」

 

急に不安げな声になる彼女。これ以上やるとなんだか泣きそうなのでここら辺で勘弁しといてやろう。

 

「嘘嘘。冗談だよ」

「──! ふ、ふふーん! じょ、冗談だって知ってたんですからね!」

 

振り向いた彼女の目は少し潤んでいた。それによく見ると足が震えている。ちょっと可哀想な事をしたか。

 

「……知ってるかもしれないけど、私は小暮深雪」

「ぼ……ボクは、輿水幸子……カワイイ幸子です!」

 

彼女は気丈に振る舞いながら口にした。もしやこの子はパンスト太郎の親戚だろうか。

 

「……ところでそれって、おもちゃ……ですよね?」

「いや、本物だよ」

「な、なんでそんなもの持ってるんですか……?」

「世の中何があるか分からないからって親がくれた」

「そ、そうなんですか……」

 

所持して良いのかは微妙なところなのだが、早々バレることはないだろう。バレへんバレへん。

 

「それより……あの、勝手に入ってすいませんでした」

「……まあ、鬱憤は今晴らしたし、許すよ」

 

本当に反省している様子なので許す事にした。話を聞いてみると、どうやら今私のベッドでグースカ寝てやがる二人に連れられて来たのだそうだ。目的は予想通り私を起こしに来て、色々あった結果今の状態に落ち着いたらしい。その色々の部分を知りたかったのだが、彼女が悲愴感漂う目で此方を見ていたので、察しの良い私は聞く事をやめた。確実に碌でもない事だ。

 

それにしても電話してくれれば良かったのに……と一瞬思ったが、よく見ると着信履歴が残っていた。マナーモードにしていたので気付かなかった。テヘペロ。

 

そもそも、このガキどもは私の部屋を己の部屋だと勘違いしているのではないだろうか。確かにいつも小梅ィ氏のイタズラはなんとか笑って済ませてはいる私ではあるが、流石に人の部屋に勝手に入るのは到底許せるものではない。今回ばかりはゆ゛る゛さ゛ん゛!

 

この子もつい先程この二人のマイペースの被害を被ったらしく、これから私を含めて制裁を施す予定だったらしい。私は素直に遅刻した事を謝った。

 

そう、元はと言えば私が原因なのだ。その点は勿論悪いと思っているので素直に謝る所存ではあるが、不法進入の件はそれとこれとは別だ。

 

「ギャフンと言わせてやりましょう──深雪さん!」

「合点承知の助──幸子!」

 

私達はガシリと腕を組んだ。そして必ず、かの邪智暴虐の二人を懲らしめねばならぬと決意した。

 

とはいえやり過ぎは良くない。何事も程々が大切だ。

 

彼女らの今後に支障を出さず、且つ確実に精神的なダメージを与える方法、それは……

 

 

 

──ホメ殺しだ。

 

 

 

作戦としてはまず、輝子の代表曲である『毒茸伝説』を大音量(美穂ちゃんに聞こえない程度)で流しての寝起きドッキリ、そして新曲である『PANDEMIC ALONE』を続けて流してひたすら褒めまくる。只々褒めまくる。そしてこれ以上ない程赤面させたら我等の勝利という訳だ。尚、小梅ィ氏も同様である。

 

幸子が一度部屋を出たのはBluetoothのスピーカーを持ってくる為だったそうだ。フリップなんたらというらしい。デザインもなんか筒っぽくて前衛的で中々私好みだ。

 

因みに、もっと直接的なドッキリを仕掛けようという案もあったのだが、小梅ィ氏の幽波紋である“あの子”に何をされるか分かったものではないという事でやめておいた。

 

スピーカーの設置と音量の設定は完璧だ。枕元の棚に置いているので確実にびっくりしながら起きる筈だ。なんといったって流す曲が曲だからね。多分活魚の如く飛び起きるよ。

 

「……幸子」

「ええ……いきますよ」

 

そして幸子は遂に再生ボタンを押した。

 

瞬間、激しいドラムの演奏と共に輝子のシャウトが響き渡る。

 

「あひゃあっ!!」

「うぉあゃっ!!」

 

案の定、我等の目論見通り二人は飛び上がるように跳ね起きた。因みにCDverではなくライブverだったりする。

 

「こ、これって……」

「わ、私の……曲……?」

 

ククク……! びっくりしてやがるぜ……! だが、次からが本番だ……! 褒めちぎってやるゼ!

 

私は幸子に視線を向け合図を送り、彼女もまたそれに頷く。作戦開始だ。

 

やがて幸子はその形の良い唇を大きく開いた。

 

「──いやぁ、それにしても、輝子さんの曲はいつ聴いても素晴らしいですねぇ」

「フヒッ!?」

 

輝子のアホ毛がピンと跳ねた。

 

「普段の輝子さんは可愛らしいのですが…………いや、ボクの方がカワイイんですけど…………歌ってる時の輝子さんはまるで別人です。カッコ良くて、芯の入った声が魅力的ですね」

「思わず聞き惚れちゃうね」

「な、な……二人ともぉ……」

 

フフフ、輝子の顔が見るからに赤くなっている。この調子だ!

 

「そして何と言っても歌唱力が素晴らしいですね! ハードな曲は歌唱力のある方でないと厳しいと言われていますが、寧ろ輝子さんの歌には余裕すら感じさせられます。輝子さん風に言うならまだまだいけるぜー、と言った具合に」

「ほんと、凄いよね。『紅』をカバーした時のCD収録の時とか一発合格だったって? なにそれ惚れる」

「新曲の方はなんというか、狡いですよ。普段のカワイイ輝子さんの歌かと思いきや、後半でカッコ良くなるんですから」

「歌詞はお前何言ってんだって感じけど、それを吹き飛ばす格好良さ」

「……それは言っちゃダメです」

「あ、はい」

「あわわぁ……」

「うふふ♪」

 

輝子が小さな手で顔を隠して首を横に振っている様子を、小梅ィ氏が微笑ましそうに眺めていた。可愛いのでカメラをパシャリ。後小梅ィ氏、お前も後でそうなるんだからな?

 

「普段との落差が激しすぎると色々と面倒な事を言われる事も多いですが、輝子さんには全くそれが有りませんからね。どちら“が”星輝子ではなく、どちら“も”星輝子という認識がファンの方々に愛されている証拠ですね」

「輝子だけに……ね」

 

今上手い事言った!!

 

「……もしかして楓さんと同じタイプですか……?」

「はい?」

「……いえ、なんでもありません」

 

ボソリと何か呟いたのは聞こえたが内容は分からなかった。まあいいや。

 

いつの間にか輝子は枕を抱えて壁の方を向いていた。耳がこれ以上ない程まっかっかなので、作戦は成功だ。

 

そしてそれと同時に新曲の方も終わり、続いて小梅ィ氏の代表曲、『小さな恋の密室事件』が流れ始めた。

 

「……あ、わ、私のだ……も、もしかして」

 

どうやら察したようだ。

 

そうだ……私達は今からお前を(ホメ)殺す!

 

私と幸子は再び目を合わせ、頷きあう。次は私からのターンだ。

 

「この曲もいい曲だよね。曲自体はまあまあホラーなんだけど小梅ちゃんが歌う事でキュート感が増してて。二番で曲調が変わるのもまたいい」

「ですね。一番だけ聞くと小梅さんらしいで終わってしまうのですが、フルで聴くとまた違った趣を感じると言いますか」

「小梅ちゃんの歌声だからこそこの曲も輝くし、鬼に金棒って言うのかな?」

「例えが可愛くありませんが、間違ってはいませんね。小梅さんのミステリアスな雰囲気あってのこの曲と言っても過言ではありません。こう言ったものをダークメルヘンとでも言うんでしょうかね?」

「は、はわわぁ……」

 

小梅ィ氏が輝子と同じく顔を赤くしながらいやんいやんと余った袖を振る。

 

しかしまだ赤面度が低いようだ。もっと煽てろー!

 

「新曲の『Bloody Festa』はこれまでリリースしてきた曲とは違ってハードでロックな感じだよね」

「確実に輝子さんに影響されてますね……。小梅さんの人を和ませるような声とは雰囲気が合わずミスマッチ……と思いきや、ハードな曲調に流されず小梅さん自身の色もしっかりと表現出来ています。生ハムとメロンの様な感じですかね」

「生ハムとメロン……うっ、頭が……」

 

幸子の言葉で頭がズキズキした。すぐに治ったから良かったものの……もしかして風邪だろうか?

 

「この曲もまた、輝子さんとは違った、格好良いけど可愛いというジャンルですね」

「これって四月から始まる『ゾンビガール』のOPにも使われている曲なんだよね?」

「ええ。先行での宣伝も兼ねての発表でしょうね。この前DXで宣伝してましたし」

「へぇ〜。DXで宣伝って中々気合い入れてる制作陣だね。……ん? 制作陣なのかな? まあいいや。私普段からあんまりドラマって見ないんだけど、これは少し楽しみだな。ドラマだから怖さも控えめだろうし」

「えへへぇ……いっぱい褒めてくれて、嬉しい……♪」

 

小梅ィ氏は素直に喜びを露わにした。

 

どうやら私達の口撃は効いていないらしい。これは一体どうしたことか。攻めが足りなかったか。

 

「な、何故恥ずかしがらないんですか……?」

「た、確かに恥ずかしかったけど……そ、それ以上に、嬉しい思いでいっぱい。あ、ありがと、幸子ちゃんと深雪さん。……輝子ちゃんも、喜んでる」

「……あ、あの、いきなりでよく分からないけど……ありがとう。あ、後、勝手に入ってごめんなさい」

「わ、私も、ごめんなさい」

 

小梅ィ氏の言葉に頷く輝子は、まるで見合いをする娘のように初心らしく桃色に上気していた。今にも泣きそうな程ウルウルと潤む目を見ていると、何故かイケナイ事をしているかの様に思えてしまった。

 

そこで私は気が付いた。これは別にお仕置きになっていないのではないかと。

 

それもそのはず。一体何処の世界で褒める事がお仕置きになるというのか。褒められて嬉しくない奴なんてほぼいない。

 

幸子もその事に今気が付いたのか「それもそうやな」と言った具合の表情をしていた。多分私もそうなっている。なんというか、初めからその答えに至らない私達は相当なマヌケだろう。

 

しかし、良い。これで良かったのだ。私達二人も彼女ら二人を傷付ける気など一切無かった。作戦は失敗に終わってしまったが、小梅ィ氏と輝子の(まこと)愛らしい笑顔を見る事が出来たので私はもう満足だ。勝手に入った事もちゃんと謝ってくれた。ならば私から言うことはもう無い。

 

「……映画見ようか」

「……ですね」

 

折角なので私の部屋で見ようと話をまとめ、小梅ィ氏が持ってきたDVDの映画をパソコンへと挿入した。ふむ、なになに……『THE SHINING』という映画か。アメリカの映画なので日本語字幕のモードにしておこう。その方が雰囲気出るだろうしね。小梅ィ氏をチラッと見て思い出したが、題名や表紙を見る限りどうやらホラー映画ではなさそうなので良かった。流石にこういう時くらいは普通の映画を持ってきたか。事前情報が全く無い状態での鑑賞だが、一体どのような物語が私を待ち構えているのか。非常に楽しみで仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小梅絶対許さん。

 



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第20話 生放送、そして決心

今回いつもより地の文多めですが、許してちょ(はーと)


遂に生放送の日がやって来た。

 

ここまでの約二ヶ月は練習とイベントのミニライブが主で、後は宣伝活動として雑誌の撮影やアイドル雑誌のインタビューなんかで知名度を上げて来た。エキストラである私も喋りはせずとも全て参加させて頂いていたので“もう一人のボク(CB/DS)”の知名度もちょいちょい上がったのではなかろうか。電車や街の広告でも偶に見かける様になったので少し有名人になった気分だ。こういうのなんて言うんだっけ? 他人の飯を食うって言うんだっけ? 本当、言葉通りなんだか寄生してる感じでなんとも言えない。運が良かったラッキーって終わらせていいと思うんだけどね。

 

「……あーにゅーすでー」

 

メイクも完璧ぱーぺきだ。恐らく敬愛するデーモン一族の方々の間に入っても違和感ないレベルの仕上がりだろうと思われる。今回担当のメイクアップアーティストさんが前のライブと同じ人だったからやり易かったというのもあるかもしれない。

 

今日の生放送、当たり前だが出演者は私達だけではない。VIPなゲストの方々が沢山出演するのだ。無論出演者やスタッフには挨拶は済ませてある。

 

「ぃーいあーあーあーにゅうーすでーいー」

 

中でも私的にビッグネームは今回二組あるが、そのうちの一つは我が社のライバルである765プロの如月千早と萩原雪歩。二人は現在上映中の『無尽合体キサラギ』の劇場版のOPと劇中歌を歌うようだ。確か“arcadia”と“inferno”という名前だった筈だ。『無尽合体キサラギ』は私も最近ハマって一話から見ているので今回生で聞けるのはちょっと嬉しい。

 

それは置いといて、これからの演奏についてだ。今回は生放送用の観客という事もあり、当たり前だがウィンターライブの時と規模は比べるべくもないが。

 

しかし、だからと言って緊張しない訳ではない。

 

初回のステージは二日の両日共に約五千席がほぼ全て埋まり、満員御礼。ライブに関してあまり詳しくない私ではあるが、この状態が凄まじい事だという事は理解出来る。

 

緊張もずっと止まらなかった。とはいえ緊張したからこそ演奏の最後まで集中は解けなかったし、練習してきた中で最高の出来と言えないまでも上位に入る調子の良さだった。それまでの過程においても、慣れないことを一ヶ月やり通してそれなりの達成感は得る事が出来たのは事実だ。

 

「くぃーーいーいーとーおーりすぺーかーたーむぉーんでぃー」

 

しかし、前回のライブが満員状態で、更に大成功に終わる事が出来たのは、これまで実績を積み上げてきた346アイドル達が勝ち得た結果によるものであり、そこに私は一切関与していない。あのライブは私が居ようが居まいが大成功に事を終えていただろうし、私はほんの少しそれを後押ししたに過ぎない。

 

対して今回の生放送までの期間は私自身も始め(・・)から関与しているし、精力的に取り組んだつもりだ。エキストラではあるものの、役割ややっている事は正規のメンバーと何ら変わりはない。自惚れでなければメンバー三人も、私をメンバーとして扱ってくれているように思う。日に日に好感度が増すばかりである。

 

「どーーおーなーーあーあーどーおーおーなあーえーいす」

 

例えるなら前回のライブは『他人の担当する仕事』であり、今回の生放送は『自身の担当する仕事』と言ったところだろうか。そしてそれまでの雑誌の取材やアー写は事前準備。決して前回のライブがやる気がないとか言うつもりは毛頭ないが、意識の差というものは無意識の内に出てくるものである。言うならば意気込みは変わらないが、気持ちの持ちようが違うというだけの話である。

 

エキストラだから〜と練習に(かま)ける事なく宣伝活動もトゥイッターで行ったりもした。少し狡いかもしれないが三人の知名度も利用させてもらったおかげで私の『CB/DS』のアカウントのフォロワーは約千人を越した。勿論了承済みだ。一つ呟く度に千人もの人達に私達『Unknown Invaders』の存在をアピール出来るのだと考えるとなんだか凄いことのように思えてくる。

 

「どーおーおーおーおーおーなーあーええええーいすれーくいえーむ……」

 

……ふぅ、ようやく緊張が解けてきた。やっぱり名曲をこれ以上ない程適当に歌うと気が紛れるね。

 

ガチャリ

 

「!」

 

急に扉が開く音が聞こえてびっくりした私は思わず足をピンと跳ねさせた。さ、さっきの、聞こえてないよね……?

 

誰だろうと思って扉を見つめると、目に入ったのはヒョイっと出てきた長髪の銀髪。人は彼女を高峯のあと呼ぶ。

 

のあさんは部屋を一瞥し、目線が私を向いたところで少しビクッとした後、私だと思い出したのか何事もなかったかのように私の隣の席に腰を下ろした。

 

「……」

「……」

 

構わず台本を眺めていると、のあさんはおもむろに自分の鞄の中をあさって透明なタッパーを取り出すと、パカリと蓋を開いた。

 

少し気になったので私は身を寄せて中身を確認してみると、案の定はちみつレモンだった。よく練習に持ってきてるからね。

 

のあさんは覗き込む私を見兼ねたのか、一切れ手に取ると私の顔の前まで持ってきた。これは……食べても良いということだな!

 

私は目の前に差し出されたはちみつレモンを食す。ふむ、甘酸っぱくて非常に美味である。

 

「……これってのあさんがいつも作ってるんですか?」

「……いえ、泰葉よ」

 

岡崎泰葉……確か子役上がりのアイドルだったっけ? 芸歴が十年以上あるらしいので私からすると大大大先輩だ。仲良いのかな?

 

出されたのでパクリと食べる。そして飲み込んだタイミングで再び口の前へと持ってきた。のあさんの様な美女からのあーんは心躍るものを感じるが、流石に少し気恥ずかしい。

 

「……あの、自分で食べれますよ?」

「……ア、ごめんなさい。美味しそうに食べるものだから」

 

確かに私はよく美味そうに食べると言われるが、そんなに顔に出るものなのだろうか。それはないと思うんだけど。だって私、顔に出るタイプじゃないし。

 

そんなやり取りをしていると、二度目、扉が開く音が聞こえた。

 

「あら、のあさんにカクちゃん」

「二人ともお疲れ様……あら、そんなに引っ付いて。仲良しなのね」

 

振り向いて見えたのは二人の女性。

 

一人はボブカット風の髪型に、青と緑のヘテロクロミアの眼が特徴的な346の歌姫、高垣楓さんだ。まだ少ししか話した事ないけど、とてもユニークな人でコロコロと鈴の音が鳴るように笑う。観察してる限りではなんとなくお嬢様っぽい感じがするのだが、何処か無邪気さを感じさせる。恐らく童顔で比較的長身というのが矛盾感を出しているのだろう。若干一方的にライバル視してたけど、話してみてとても良い人だったので良い関係を作っていきたい。のあさん曰く、北の界王様と親戚らしい。

 

彼女の言うカクちゃんというのは私の事だ。“CB/DS”の最初と最後を取ってCactus(カクタス)。カクタスだと長いからってカクちゃんに略された。私が賈詡なんて……恐ろしいです(言ってない)。

 

カクタスの意味はサボテン。何故このチョイスかっていうと単純にサ○ネアが大好きだから。アニメのお別れシーンは涙を流さずにはいられない素晴らしいものだったよ……。初めは何処ぞの怪焔王みたいな風なの考えてたんだけど、語呂が悪かったから変えた。

 

それは置いといてもう一人は“THE大人のオンナ”って感じの知的でクールな女性、川島瑞樹さん。初対面だったのでこの前のリハの時に挨拶したら何歳くらいと思う? って聞かれたので二十三歳って答えたらなんか凄い気に入られた。女性に年齢問われたら取り敢えず二十三歳って答えるようにしていたのが功を成したか。その時の会話で、専門用語が交錯してよく分からなかったが、どうやら彼女は“アンチうんたら”を非常に好んでいるらしい。アンチに続く言葉はテーゼくらいのものだろうから……川島さんは何かのアンチ勢ってこと? 全くそんな人には見えないし思えないのだが、本人が言うのならそうなのだろう。

 

二人も私たちと同じく曲を披露するべく生放送に出演する。“nocturne”という曲を歌っているのだが、これがなんとも格好良い曲なのだ。二人の歌唱力もさながら歌詞も編曲も素晴らしい。正に駆け抜けるような仕上がりとなっていて少しハマりそう。

 

因みに挨拶の時も顔バレしない程度にデーモン一族のメイクだけはしてました。声色も微妙に変えてるから普通に会った時にバレる心配は無いだろう。ウィンターライブ後からひっそり部屋で練習しといて良かった。アドバイスくれた菜々ちゃんには感謝感激雨あられだね。ただ心配なのは素の状態で初対面という設定を忘れて知り合いの様に振舞ってしまう事。これだけはしっかりと覚えとかないと。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ様。ところでそのタッパは何かしら?」

「……はちみつレモンを食べていたわ」

「どれどれ……あら、美味しそうね。私も頂いて良いかしら?」

「なら私も(はち)三つ(みっつ)れもん(レモン)。うふふ♪」

「んふっ」

 

突然そう口にすると高垣さんが可愛らしく微笑む。思わず何言ってるんだこの人と思ったが、隣の川島さんも苦笑していたのでどうやらいつもの事らしい。のあさんの言う界王様と親戚の意味を理解した。なんて寒い親父ギャグなんだ。65点。

 

……さて、そんな事をしているうちにそろそろ本番直前の、最後の練習が始まる時間帯が近付いて来た。輝子と夏樹は大丈夫だろうか。二人共どうしても外せない仕事の打ち合わせがあったらしく、まだ此処には来ていない。とはいえスタジオは運良く私たちが今いるこのスタジオとの事なので遅刻の心配はなさそうではあるが……。

 

「おっ、間に合ったみたいだな」

「ふひ……お、お疲れ様……」

 

三度目、扉が開く音が聞こえた。この声は夏樹と輝子以外にありえない。

 

「お疲れ様。もうすぐ練習が始まるからゆっくり休んで」

「……ん? って深y……カクか」

 

おっとぉ! い、今のは中々危なかった……。言い切ってたらちょっと怒ってたかもしれないけど、まあ呼び慣れてないから仕方ないよね。でも事情知らない人が二人もいるのだから次からは気をつけて欲しい。

 

「……そういえばカクちゃんって芸名なのよね。……本名って何かしら?」

 

高垣さんが口を開く。

 

ちっ、ここに来てついにこの質問か。いちいち言い訳するのが面倒なので最後まで聞かれたく無かったが、仕方あるまい。

 

即座に私は輝子に余計なことを言うなと視線で訴える。あの子は危ない。何を言い出すか分かったもんじゃないからね。コクコクと頷いていたので恐らく理解したはずだ。

 

「本名もだけど、年齢も顔も分からないわよね」

「背丈は見た所フレデリカちゃんと同じくらいだからそうね……大学生!」

「あら、その理論でいくと夏樹ちゃんと身長が同じ私は高校三年生ってところね!」

「ははっ、それはちょっと無理があるんじゃないですか?」

「き、九歳差、だな……」

 

川島さんは二十七歳で夏樹は十八歳。

 

「うぐっ……そ、それでも年よりも若く見えてるんだからいいもーん! ねっ、カクちゃん!」

「アッハイ」

 

取り敢えず同意しておく。彼女が若く見えるのは本当の事だし、というか二十七歳も十分若いように思えるんだけど、どうなんだろうか。

 

「実はちょっとした事情で顔と名前は明かせないんです」

「あら、そうなの」

 

暗に詮索するなと伝える。大人である彼女ら二人であればきっと察してくれるはずだ。

 

そうしてなんとか誤魔化していると、いつの間にか練習が始まる十分前となっていた。私達は練習部屋へと向かう。はじめは柔軟体操、特に指の運動が主で身体を温める。輝子の場合はボーカル担当なので発声練習も行う。後半で今回演奏する曲──『Who Kills Alien? 〜誰が侵略者を亡き者にするか〜』の最終確認を行う。

 

未だ寒気に覆われる日本。現場に来る前に事務所のレッスンルームで練習を行っていた私たちだが、身体はすっかり冷え込んでいた。その為、短い時間ながらも念入りに柔軟を行い身体を温める。

 

やがて柔軟、発声を終えて曲を一度通す。通す前に残っていた芯の様なものも、テンポが早く激しい私たちの曲の前では萎びるしか無かった。心身共に温まった私達は先生からアドバイスを貰い再び演奏を行う。

 

「ふぅ……暑い。被り物で尚更……」

 

この前は重量がどうのとか言ってたけど、そういう問題じゃなかった。普通に邪魔だし蒸れる。

 

「確かに温まってきたな……ていうか深雪」

「なに?」

「被り物、外せばいいだろ?」

「あ」

 

それもそうだ。此処には事情を知る人間しかいない。

 

私は被り物を脱ぎ捨て汗を拭う。ゴシゴシ拭くとメイクが剥がれてしまうのが、軽くであれば滲まないのだ。私って汗かきだから思いっきり拭けないのは微妙に辛いんだけど、滲むよかマシ。

 

「輝子、喉大丈夫?」

「絶好調だぜェェェェェエエ!! ……あ、だ、大丈夫です、はい」

 

大丈夫そうだ。冬は乾燥してるから喉のケアはしっかり行わないと後で痛い目を見ることになるからね。

 

「のあさん、頑張りましょう」

「えぇ。頑張る事は素晴らしい事……しかし、過剰に頑張る必要などないわ。これまでやって来たことを、同じ様に行えば良いだけの話。頑張ろうが頑張るまいが結果は変わらない。今まで必死に努力したのであれば、自ずと結果は付いてくる。また逆も然り。私達は──前者よ」

 

あんたは名言開発機か! あまりにも自信満々で言うもんだからちょっと感動しちゃったよ!

 

そう、私達は今まで頑張って来たんだ。ここで成功しない道理はない!

 

……あ、美穂ちゃんからMINEが入ってる。一体なんだろう。

 

 

みほ【出番もうすぐだね! リビングのテレビで皆で見てるよ〜!(๑>◡<๑)】

 

 

その皆が誰を指すのかは分からないが、応援してくれるのは有難いことである。

 

 

みゆき【ありがとう。期待しててね( ˊ̱˂˃ˋ̱ )】

 

 

ふっ、私に彼女の様な可愛い絵文字を使う勇気はない。精々なめこ程度が限界だ。

 

「移動お願いしまーす!」

 

携帯を片付けているタイミングでノックが四回聞こえたと思ったら顔だけ覗かせたスタッフさんがそう言う。このタイミングで呼ばれたということは後約十五分後には演奏が始まっているのか……。はー、ドキドキしてきたー! おっと、王冠被っとかないと。

 

そして舞台袖。ここでは次の演奏の準備、つまり私達の出番の準備が行われていた。のあさんが担当するドラムは私のベースや夏樹のギターと違い持ち運びが容易では無い為少し時間がかかるのだ。

 

現在は別の事務所のアイドルがすぐ其処にあるステージで歌を披露している。普通に会話する分であれば聞こえる事はないが、大声を出すとあちらまで聞こえてしまうので気を付けないと。

 

「緊張してきた……」

「だ、大丈夫か……?」

「う、うん、流石に初めてじゃないし、少しは慣れたよ」

 

これは本当。さっきも言ったけど今日までイベントでのライブだったり人前に出てやる仕事も色々やってきたから、ウィンターライブよりかは緊張はしていない。寧ろ程よい高揚感さえ感じる。

 

「ははっ、深雪ももう立派なアイドルだな!」

「……アイドルっていうか、これただのバンドじゃない?」

「た、確かにアイドル活動とは、い、言い難い」

「あー、言われてみればそうだな」

「私達はアイドルじゃなかった……?」

「ま、まぁ、楽しいからいいだろ?」

 

否定はしないんだ……。出来ればして欲しかったんだけど。

 

「……小暮さん」

「え? ……あ、お疲れ様です」

 

素晴らしいバリトンボイスに声を掛けられたと思ったら武内さんだった。あれ、なんでこんなところにいるんだろ。今日出るとき挨拶に行った時は事務処理で忙しそうにしていたように見えたが……。それにいつもより少し顔が硬いような気がするが、気のせいだろうか。

 

「お疲れ様です。調子はいかがでしょうか?」

「はい、良い感じだと思います。ところで武内さんはどうして此処に? もしかして私の激励で?」

「……ええ、ちょうど時間が空きましたので」

「わー、ありがとうございます」

 

嬉しい。さっきの美穂ちゃんのMINEもそうだけど、応援してくれる人がいるってこんなに嬉しいもんなんだね。三人も其々のプロデューサーさんと話してるし。なんだか応援されると尚更頑張ろうって気になってくるから不思議なもんだよね。

 

「では、そろそろ始まるんで行ってきます」

「……ええ」

 

そしてメンバー四人で集まり

 

「よし! 行こうぜ三人共!」

「そう、だな……! ぼ、ボーカル、頑張るよ……!」

「私を……魅せてあげる」

 

私達はその足をステージへと繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

私達の演奏はつつがなく無事に終了した。やはり経験がモノを言う。ウィンターライブでは前日から緊張の連続だったが、今回は緊張より楽しさの方が優っていた。雰囲気に慣れてきたと言うのもあるかもしれない。お陰で周りを見る余裕も生まれてきたし、自然と輝子達と視線も重なるようになってきた。

 

達成感はウィンターライブの時より感じているかもしれない。単純に考えて練習時間も初回より長いし、何より私たちの頑張りでこの生放送に採用されたのだ。達成感を感じないわけがなかった。

 

演奏が終わり鳴り止まぬ拍手の中、私はささっと舞台裏へと退散し、三人は席へと歩いていく。私はエキストラなのでここでお別れ。後はこの舞台裏で現場を見学して、終わった後は打ち上げして解散という流れである。のあさんの奢りで焼肉との事だ。のあさん愛してるずら。

 

私は自身のエレキベースを傍らに置き、次の出演者へと目を向けた。普通のアイドルユニットというものを生でじっくり見る機会が今までなかったので是非とも今後の糧にさせて貰うとしよう。

 

やがて曲が終わり拍手に包まれると、次の出演者が登場した。次こそ私が現在目標としているうちの1人である高垣楓さんと、川島瑞樹さんの出番だ。アップテンポで心地の良い歌声が鼓膜を響かせる。CDではない、眼で見て耳で聞いて思った感想は、凄いの一言だ。

 

何が凄いかというとやはり、踊りと歌の両方を同時にしっかりこなせている事だろう。踊りもしくは歌、どちらか片方だけであれば比較的難易度は低いだろうが、両方をやるとなると極端に難易度は跳ね上がってしまう。

 

比較的激しい動きに連動してしまい歌がスタッカート気味になったり、着座状態や歩きながらでの歌は体勢が安定せず、意外と歌い辛いのだ。アイドルという物はそのキツイ辛いといった感情を決して顔に出さず、ポーカーフェイスを浮かべていなければならない。

 

二人の場合、ポーカーフェイスかは定かではないが、とても楽しそうに歌い踊っているように見える。少し離れたここからでも分かるが、二人の表情は非常に輝いている。恐らくあの笑みはポーカーフェイスなんかではなく、本心から出ている笑みなのだろう。彼女らのアイドルとしてのレベルの高さが伺える。いつかソロ曲も生で聞いて見たいものである。

 

曲が終わり、惜しみなく拍手を贈られる彼女ら。私は舞台裏にいるので音を出せない為、心の中で拍手をした。出来る事なら私も観客に交じって光る棒を振りたい。

 

MCからの質問により二人は一言コメントを添えて、そして席へと向かった。やはり生での見学は色々と勉強になる。特に川島さんの立ち振る舞いは私の理想かもしれない。中々に有名なMCの人の質問にも物怖じせず分かりやすい受け答えを行い、高垣さんがユニークな物言いで笑いをとるとツッコミを入れる。後半はどうやら一連の流れが出来ているらしいが私も思わずクスリと笑ってしまった。

 

そしてその次こそが二つ目の本命。765プロの如月千早による“arcadia”。萩原雪歩は“inferno”を歌う際に登場する。二曲ともなんどかアワーチューブの試曲で聞いたが、どちらも非常に盛り上がる曲なので聞いていて気持ちが高ぶってくる。

 

 

 

──突如、会場が沸いた。

 

 

 

席の方へと目を向けていた私はパッと上座の方へと視線をやる。その先に見えたのは当然765プロの歌姫──如月千早だ。

 

悠然と登場した彼女は、上座から一歩一歩踏みしめる様にステージ中央へと歩みを進める。やがて辿り着くと軽く一礼を行う。この時既に会場は時が止まったかの様に静寂な雰囲気に包まれていた。

 

やがて曲が始まるだろう。今から歌われる曲、“arcadia”にはイントロは存在せず、歌い出しは彼女の裁量に任せられる。一番重要であると言えよう歌い出しの音程の情報は、事前に何一つとして与えられる事はない。合唱や吹奏楽であればピッチパイプ(調子笛)等の楽器で出だしの音を再確認する事も出来るが、恐らくそんなものは存在しないだろう。完全に己の音感、実力、そして本番前の発声練習に左右される。イントロで初めの音を連想する事も出来ず、かといって歌い出しと曲が同時に始まる訳でもない。つまり、失敗してしまうと全くのごまかしが通用しないのだ。況してや会場、そしてテレビの視聴者全てが彼女に注目している状態。そのプレッシャーは当人でない私でも相当なものであろうと容易に想像出来る。カラオケやバーで歌うのとは訳が違う。しかし彼女は──

 

 

 

 

「──風は天を……」

 

 

 

 

そんなプレッシャーを物ともせず、詠うように歌う。いや、実際は緊張しているのかもしれない。それを判断する術を私は持ち合わせていないのでなんとも言えないのだが、素人目から見れば事もなげに歌い出したようにしか思えない。あまりにも自然すぎて、まるでその行為が容易な事なのだと錯覚してしまうが、それは彼女がやるからそう思えるだけだ。私も歌に関しては自信があるが彼女と同じ事をやれと言われれば、恐らく無理だ。会場全体が彼女一人に注目している状況下。物音一つせず、何処か厳かな雰囲気さえ感じさせられる空気に耐えれる気がしない。

 

額から一筋の汗が流れ落ちる。何故彼女はああも容易く歌うことが出来るのだろうか。無論場数が違うと言われれば終わりだが、それだけでは無いはずだ。場数に裏付けされた自信? ただ単に喉の調子が良いとか? 練習の成果? どれも理由として当てはまりはするが、決定的な何か足りない気がする。少し考えてみるが納得出来る理由が見当たらない。一体何なのだろうか。……釈然としないが、今は彼女の歌に集中するとしよう。考える事はいつでも出来る。しかし彼女の生歌はこれ以降いつ聴けるか分からないのだ。

 

やがて曲が終わり、続いて萩原雪歩とのデュエット曲である“inferno”が始まる。ふむ、やっぱりCDなんかで聞くより生で聞いた方が迫力があるし臨場感も味わえるね。

 

「……小暮さん」

「……あ、武内さん」

 

曲が終わったタイミングで武内さんが後ろから声を掛けてきた。

 

「お疲れ様でした。演奏は、如何でしたか?」

「良い感じだったと思います。……あ、これ演奏前も言いましたね。えぇと……」

「……では、十二月に行われたウィンターライブや其処に至るまでの感想をお聞かせください」

 

言う内容を考えていると、武内さんは話題を変えてきた。今更ウィンターライブの感想について聞く? とはいえ、ウィンターライブかぁ……もう二ヶ月も前になるんだね。思えばなんだかあっという間だったなぁ……。

 

「……あ、はい……んーと、ウィンターライブ自体は演奏に夢中で何も覚えてないんですけど、四人でやる練習はとても楽しかったのを覚えてます。一曲通して反省会したり、練習後は皆でご飯食べたりして……まあ、それは今も同じなんですけど。ギター自体は以前からやっていましたが、ベースは初めてだったので少し新鮮だったり……CP(シンデレラプロジェクト)の方ではダンスや歌のレッスンなんて全く馴染みのない事やったり……。福岡にいた時より凄く大変なんですけど、日に日に上達してるのを自覚すると意外と嬉しいという事が分かったり、なんというか、充実してた気がします……はい」

 

これまでを振り返りながら思い出すように口に出した。充実……と言えるかは分からないが、少なくとも活動自体は暇ではなかった。

 

「……そうですか。では、その後については」

「はい、その後にあったラジオ出演や雑誌の取材……は喋ってないですけど……イベントライブやミニライブなんてものにもエキストラの身で出演させて頂いた事は感謝していますし、この経験は今後CPでの活動で絶対に役に立つだろうと思います。あ、勿論楽しくやらせて頂きましたが……デビュー前にこんなアイドルみたいな体験出来る私って、凄く恵まれてますよね?」

 

アイドルについてはまだまだ素人な私だが、今の私が恵まれている部類であるのは確実だろう。学びたかった事をデビュー前にピンポイントで実践させてくれているのだから。

 

「……ええ、小暮さんの言う通りです。……そこで一つ重要な連絡なのですが……その」

「……? どうかしましたか?」

 

言い淀む武内さん。演奏前から少し様子がおかしかったが、一体何があったのだろうか。

 

「……実は、第四芸能課──つまり、星さんら三人が所属する部署から正式にうちの部署にきてデビューしないか、という話を頂きまして……」

「……はい?」

 

輝子達って第四芸能課だったのか……って違う! え? なに? もしかして部署移動? まだ正式に働いてない段階で?

 

「そんな軽く決めてもいい事なんですか?」

「そうなった場合四月一日(いっぴ)までには準備を整えるとの事です。こちら(CP)の準備は……もう少し時間がかかるでしょう」

 

彼は心なしか少し悔しそうな表情を見せながら私に告げる。そこで私は彼が何を危惧してるのか察した。この人、ハンバーグの件といい、意外と可愛いところがあるよね。

 

「そうなんですか……事務処理手伝いましょうか? ExcelやWordくらいなら使いこなせますよ? コピーだって場所教えてくださればやりますし」

「そ、それは有難くはありますが……い、いえ、そうではなくて──」

「……ふふ、安心してください。武内さん、私はCPの小暮深雪です。まだデビューすらしてないのに部署移動なんて考えられないですよ。これからも宜しくお願い致します」

 

私はぺこりと頭を下げた。すると武内さんは安心したように少し顔を緩ませながら

 

「……ええ、此方こそ、宜しくお願い致します」

 

と、頭を下げた。

 

確かに今の提案は魅力的な話だった。彼女らとは馬が合うし今以上に仕事でのコミュニケーションも取りやすくなるだろう。

 

しかし、飽くまで私はCPの正式(・・)な一員であり、『unknown invaders』にはエキストラ(・・・・・)として参加している。これは『unknown invaders』になる以前から決まっていた事であり、例外はないと私は考えている。其処を履き違えてはならないし、向こうも了承済みだった筈だが……。恐らく軽い気持ちでの発言だったのだろうが、武内さんにとっては聞き逃せない事だったのかもしれない。

 

ともあれ、CPが始動するまでやる事は変わらない。CPでのレッスン然り、ユニットの新曲レッスン然り、資格勉強然り。やる事は多いが前世での仕事の事務処理や現場作業と比べればそう大差ないのでやる気を出せばなんでもない。今まで通り、しっかり頑張って行く所存である。

 

 

 

……あ、学校もしっかり、ね?

 

 



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第1章 遂に始動! シンデレラプロジェクト!
第21話 新年度!


新年度なので初投稿です。

記念すべきアニメ1話ですがコメディ色多めです……多分(自信無し)。


 

 

春はあけぼの以下略。

 

四月となった。厳しい冬を乗り越え、ようやく暖かい季節へと移り変わり、私も御満悦。通学路であるこの辺りは桜の名所としても有名らしく、通る度に感嘆の声をあげてしまう。歩いていると、ひとひらの桜の花びらが肩へと乗った。

 

「……桜って食べれるんだっけ?」

 

そう呟くと、何処からともなく風が吹き始め、肩に乗っていた桜の花びらを連れて行ってしまった。まるで私から逃げ去るかのように。

 

「……天ぷら食べたいなー」

 

有って無いような春休みを満喫し、何とか二年生へと進級してJKライフを謳歌している今日この頃。私は元気です。

 

あの生放送の後も相変わらず仕事量が増え続け、近いうちに単独ライブも開催される程楽曲も増えた。正に飛ぶ鳥を落とす勢いというやつ。尚、最近ようやく私ではない正式メンバー(ベース)が追加され、肩の荷が下りたところである。めでてぇ。

 

とはいえ辞めた訳ではなく今は元のギターとして“Unknown Invaders”のエキストラとして働いてはいる。曰くギターは三人いた方が楽なので出来る限りは参加してほしいとの事である。確かに役割分担する事により一人一人の負担が軽くなるので良いアイディアだと思う。

 

私に余裕がある時は三人ギター、CPの活動で忙しければ夏樹と輝子の二人ギター。私がこれからもベースを続ける事になっていたら抜けるに抜けない状態になるところだったので、正直助かった。これまでベースは私一人しかいなかったからね。

 

ともあれこれで私も“Unknown Invaders”だけではなく、CPの活動もしっかりこなせる様になった訳である。まあ、私自身辞めたい訳ではないので、お邪魔でなければこれからもやらせて頂く所存だ。……お金入りますし(ボソリ)。

 

因みにこれまでちょこちょこ学校を早退したり休んだりしてたのが杏ちゃんに知られていた様で、この前遂に理由を聞かれてしまった。話そうかどうか少し悩んだが、口固そうだし彼女から言いふらすこともないだろうと思ったので素直に何をしているのか言ったら「ふーん、よくやるねー」で会話は終了した。全くもって予想通りの反応である。

 

やがて事務所へと辿り着いた。用事があった訳ではないのだが、学校の帰り道にあるのでなんとなく寄ってしまう。まあ、事務所とは言ったものの私が行くのは大抵346カフェなので中まで入ることはない。そういえば最近菜々ちゃんはカフェのバイトを辞め、頻度は高いが臨時で来るだけになった。バイトを辞めたのは少し寂しいが、それ程仕事があるという事なので喜ばしい事である。

 

中へ入るとカランと音がする。見渡してみるも菜々ちゃんの存在は確認できない。どうやら今日はいないようだ。

 

「中くらいのブラックのホットと……ミルクレープください」

 

とはいえ、ここ346カフェの取り柄は菜々ちゃんだけではない。コーヒーもケーキも中々に良質な物を取り揃えている。特に今頼んだミルクレープや、他にもモンブランなどは絶品だ。しかも安価。他のケーキも美味しいのは多いが私はこの二種類を好んで食べる。ケーキ自体頼むのは稀だが。

 

私は頼んだものを受け取ると外部に設置されたテーブルへと荷物を置いて腰を下ろした。

 

「ふぅー……」

 

落ち着く……。思えばカフェに来るのも随分と久し振りかもしれない。最近はユニットの活動が多くて寄る暇もなかったからね。それ以外でもレッスンや勉強なんかで忙しかったし、本当、半ニートだった昨年度の上半期とは大違いだよ。あ゛ー、首の骨がよく鳴る。エステでも行ってみようかな?

 

「天の御使いよッ!」

 

さてと、落ち着いたところでさっき買ってきた漫画でも読むとしようかね。私はずっとお前の新巻を待ってたのさ!

 

「煩わしい太陽ね!」

「闇に飲まれろ」

 

くそ、面倒なのが来てしまった……。

 

あからさまに無視してイヤホンを取り付けようとするも遮られてしまう。

 

「ま、待つが良い! 我が言の葉を封じ込めんとするは我にしか与えられぬ権能! 契約を唾棄するつもりか!?」

「知らんし」

「くっ……!」

 

私は溜息をつきながらイヤホンを鞄へと戻し、私が所属シンデレラプロジェクト、その一員である──神崎蘭子さんを対面へと座らせた。この時点で私の一人満喫タイムは終了したも同然だ。始まってすらないのに。

 

「……どうしたの?」

「ふっ、時の流れを持て余した大魔王の戯れよ」

 

暇だから絡んでみた、ね。はいはい。

 

気取った顔をしながら口にする彼女に内心呆れていると、私はいつもの彼女と違う点に気が付いた。

 

「あれ、その傘新しく買ったの?」

「……! ……くくっ、どうやら見破られたようだ……! そう、これこそ我が新たなる宝具……!」

「ふーん……」

「……そ、それだけか?」

「格好良いんじゃない? 似合ってるよ」

「う、うむ……」

 

私が少し褒めると、彼女は照れたように顔を赤く染める。褒めた本人が言うのもなんだけど……ちょっとチョロすぎない? 将来悪い男に騙されそうで不安になってきた。いや、私のは本心なんだけど。

 

「ぬふふ……」

 

……まあ、まだ中学二年生だし、これから学んで行くだろう。

 

「ところで、今日はレッスンないのに、なんで事務所まできたの?」

「ふ、心の赴くままに行動したまでよ……」

「……本当に暇だったんだね。とはいえ私といても暇なだけだよ?」

「そんなことは! ……す、すまぬ」

「い、いや、いいけど」

 

急に大声出されてちょっとびっくりした。でも本当に暇だと思うんだけどね。私も暇だからここにいるんだし。

 

「その書物は……」

「あ、えっと、『達人伝』っていうやつで『キングダム』……は分からないか……『項羽と劉邦』より前の時代を舞台にした漫画だよ」

「ほほう、呑んだくれの。……面白い?」

「面白いねー。たまーにえっちなシーンあるけど」

「あぅ……! ごほん……な、成る程……」

 

萎縮してしまった。そういえばこの子結構初心なんだった。とはいえ言葉だけでそんな反応するかな? 漫画を鞄の中に片付けながらそう思った。

 

「……そういえば神崎さんはこのカフェのミルクレープ食べたことある?」

「い、否……未だ味わう事叶わず……」

「ここのミルクレープ中々美味しいよ。食べてみる?」

「で、では……はむ……んぐ……ふむ、きめ細かく甘過ぎない生クリームとホイップにもちっとした食感の生地。バニラエッセンスの仄かな香りも良い塩梅……美味である」

「……随分とテレビ向けなコメントだね。もしかして適当言ってる?」

「ぬふふ……我が友の慧眼には恐れ入るわ……」

「……あ、うん」

 

私がそう言うと神崎さんは手に持っていたノートのような物をこそこそと開くと何かを書き始めた。何かインスピレーションでも働いたのだろうか。

 

その後もしばらく適当にあしらいつつ談笑を続けていると、頃良い時間となっていた。意外と時間が潰れるものだと思いながら出たゴミをゴミ箱へと廃棄すると、神崎さんが問い掛けた。

 

「偶像世界への帰還か?」

「うん、もう帰るけど……あ、ちょっと近くのスーパーに寄って行こうかな。神崎さんも来る?」

「ならば我も付き添おう」

「じゃあ行こうか」

「うむ」

 

そうしてしばらく歩いていると、普段から世話になっている『スーパーオトク』が見えてきた。何故、今日此処『スーパーオトク』へと帰りに寄ったのか、その理由は二つあった。

 

一つは飲み物の補給。リビングの冷蔵庫に入れてある牛乳が昨日で底をついた。風呂上がりはこれを飲まないとサッパリしないので確実に手に入れる必要がある。

 

 

そしてもう一つ──

 

 

「……チョコガーリックロールパン」

「え?」

 

ボソリと呟き、その姿を想像した。頭に浮かぶは見た目普通のロールパン。しかし、普通なのは見た目だけである。その中身には名前の通りたっぷりの“チョコレート”に、たっぷりの“ガーリックチップ”がふんだんに使われている。そしてそれはスーパーオトクのパンコーナーの名物でもあった。

 

一見美味しくなさそうな名前に反して実際は意外と食べれなくもないと一部から評判のそのパン。

 

サクサクガーリックととろーりチョコの食感と香りが微妙に癖になると一部から評判のそのパン。

 

ガーリックの味がチョコに負けてないのが地味にすごいと一部から評判のそのパン。

 

私の足は自然とパンコーナーの方へと向かっていく。神崎さんは不思議そうな様子でついて来ている。

 

「パンを買いたい」

「……封印されし火之迦具土神の焔に抱かれた穀物の末路を希望か?」

「うん、食後のティータイム的なアレ」

 

チョコガーリックロールパンは何故か今くらいの時間、つまり夕方からしか店頭に置かれない。しかも火、木曜日限定商品。店舗的にも此処だけしか販売していないらしいので意外とレア度は高めである。そしてそれを私は未だ一度も食したことがなかった。

 

故に、私はそれが食べたい。

 

 

──しかし……

 

 

「ふぐぅっ……!」

 

私の目の前で丁度、最後の一個が無くなってしまった。なんという運命の悪戯か。もしくは私が閣下の真似事をしているからというゼウスの妨害か。

 

下手人は一体誰か! 私はそう思いながらその人物へと目を向けた。するとその視線の先には美味しそうなクロワッサン……否、ロールパンを頭にぶら下げる少女の姿があった。……この流れ、何か覚えがあるぞ……。

 

というかこいつ、何処か既視感あると思ったらこの前私の明太フランスを目の前で掻っ攫っていったアマじゃねーか! 明太フランスのみならずチョコガーリックまで奪うつもりか! 畜生め!

 

……ぐっ、しかし、あのアマは何も悪くない。悪いのは来るタイミングの遅い私なのだ。この遣る瀬無い怒りと無念、どうすれば良いのか。発散しようにもトングも持っていないし、口に出すと神崎さんに当たりそうで怖い。

 

「これもサイヤ人の運命(さだめ)か……」

「……りゅうのたま?」

「……」

「……?」

 

ふざける事で心の安定を図る。そして私の言動で神崎さんが困惑しているのが分かる。当たり前か。彼女からすればなんのこっちゃといった話だろう。とはいえ最早パンを買う気も起こらない。牛乳、お茶に……芋けんぴとしるこサンドでも買って帰ろう。

 

「……飲み物買いに行くけど、神崎さんはパン買う?」

「もうパンはいらぬのか……?」

「うん、欲しいの無かったしね」

「……我もよい。大魔王といえども魔力には限りがある。使い時を誤れば最悪、我が野望は潰えるだろう……」

「何か欲しいのあるの?」

「淑女の嗜み……洋服──」

 

けっ! どうせ私は淑女じゃありませんよーだ!

 

という冗談は置いといて、神崎さんが買う洋服かぁ……まあ、確実に高いよね。生地も凄く良さそうなの使ってるし、何より完成度が高い、多分。今彼女が着ているものでどれくらいの値段するんだろ──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──の生地!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………え? もしかしてそれ、自作なの?」

「左様!」

 

危ない。一瞬何言ってるか分からなかった。というか俄かに信じ難いんだけど。私の見解が正しければあのフリフリしたところやコルセットのようなお腹の部分も全て手作りだという事でしょ?

 

え、どう作るの? 無理でしょ。

 

私がやったら服の形にすらならないかもしれない。

 

「もう一回聞くけどそれ、自作?」

「くくく、まこと良き反応である。其方の申すように、これらは全て我自らの手によって創造されし魔装よ」

しゅげー(手芸)……」

「そうであろうそうであろう! もっと褒め称えるが良いわ! ぬぁーっはっはっは!」

「ちょ、ここ公共の場だから、自重してくれません?」

「す、すまぬ……」

 

しかも無駄に響いてるし。あーほら、周りの客が冷たい目でこっちを見てるよ。大声に駆け付けて店員さんまで来てしまった。もう、面倒臭いなぁ。

 

私は事情を説明して謝り、なんとか事なきを得た。

 

「神崎さんってもしかして阿呆なの?」

 

ジト目で睨む。見ると頬を赤く染めていたので、恐らく客の注目を集めて恥ずかしかったのだろう。

 

「えへへ……は、反応が嬉しくて、つい……」

「……まあいいよ。次から気を付けてね」

「無論!」

 

元気な返事だ。本当に分かっているのだろうか。

 

「ところでその服が自作って話だけど、生地を自分で切って作ってるの?」

「是也」

「……じゃあ、デザインは?」

「くくく、全ては我が脳内と魔道書の中に」

 

神崎さんはこれ見よがしに先程のノートを見せびらかしてくる。いや、本当に完成度高い。店頭に出されててもおかしくないどころか相応しいレベル。確かにこれは自慢したくなる気持ちは分かる。

 

「いや、本当に凄いよこれ。独学なの?」

「否、我を創造せし者の創造主により知識技能を授けられた」

「へぇ〜、祖母?」

「うむ。独自に学んだ技術も無くはないが、我を創造せし者の創造主により育まれたアダムの林檎は格別よ」

 

神崎さんのお婆ちゃんって何者……? そういう仕事やってたのかな? まあ今は取り敢えず褒めて欲しそうな顔をしている神崎さんを持ち上げておくとしよう。

 

「神崎さん凄い!」

「さもありなん!」

 

そんなこんなで買い物は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

「か、神崎さんが、あの店寄りたいっていうから……!」

「そ、其方の方こそ、菓子選びにどれだけ……はぁっ……時間をかけるというのだ……!」

「そ、そっちだって……ふぅっ……結局買うって、時間使ってた……!」

「わ、我が魔力の補充に……はっ……必要不可欠であった……!」

「魔力の翻訳はお金でしょ!」

「翻訳って言うなぁ〜!」

 

私達は走っていた。現在の時刻は十九時五十分。そして寮の夕飯締め切りの時刻は二十時。御察しの通りである。

 

何故こうなったのかは先程口にしたように、私のお菓子選びに時間がかかった事と、神崎さんが帰り掛けに見かけた店に寄りたいと言ったからだ。

 

とはいえ私も少し乗り気だったし神崎さんも結局お菓子買ってたし、それに普通に寮のご飯の時間を忘れていたので悪いのはお互い様である。

 

そういう訳で今は只々夕飯に間にあわせるべくひたすら走っていた。走ればなんとか間に合いそうな距離なのが一番むかつく。過ぎてたら過ぎてたで諦めがつくしそこら辺で適当に済ませることが出来る。しかし無駄に間に合いそうな時間帯の所為でこんな汗水垂らして走る羽目になってしまったのだ。というか二十時終了って早過ぎない!? 二十二時くらいまではあっていいと思うんだけど!

 

「あっ! み、深雪ちゃん!」

「え? ──きゃっ!」

「うわわっ!」

 

しまった! 考え事しててしっかり前を見てなかった。

 

私は何とか持ち堪えたが私と衝突した制服姿の女性は反動で臀部(でんぶ)から躓いた。手に大事そうに持っていた、恐らく花と思われる物もその手から離れ、アスファルトの地面へと落下した。

 

無機物がぶつかる鈍い音が私の耳に響き渡る。

 

「て、天の御使いよ……無事か……?」

「わ、私は平気だけど……って! す、すいません! 大丈夫ですか!?」

 

本当に申し訳ない。完全に私の不注意だ。

 

「あたたた……い、いえ、私もしっかり前を見てなかったので……」

「怪我とかありませんか……?」

「えぇと……はい! 大丈夫みたいです!」

「良かった……。それとその、この荷物は……」

 

思わず言い淀んでしまうが問題は後伸ばしにしてはいけない。私は割れた土器が擦れ合う音を鳴らす包み物を優しく持ち上げた。

 

「え? ……あ、ああ〜!!」

 

彼女はそれを受け取ると包みを解いていく。中から出てきたのは見事に破損した植木鉢と、それに植えられていたであろう美しく咲き誇る花であった。

 

「う、植木鉢が……で、でも花が無事で良かったです」

 

その言葉に私は思わず安堵の溜息をつく。どうやら植木鉢は其処まで重要ではないらしい。これが特注品の植木鉢などであれば流石にお手上げであった。特注品の植木鉢なんてあるか知らんけど。

 

植木鉢程度であればどうにでもなる。ひとっ走りして買ってこよう……と、その前に神崎さんには帰ってもらおう。道連れで彼女まで夕飯が食べれない事になるのは申し訳ない。私はもうほぼ諦めた。

 

「神崎さんは帰ってていいよ。これは私の問題だし」

「し、しかし……」

「今ならまだ間に合うから、神崎さんだけでも夕飯を食べて……!」

「……承知!」

 

神崎さんは走って行った。私の分までどうか夕飯を謳歌(?)して欲しい。

 

「お待たせしてすいません。花を購入された店の名前と場所を教えて頂けますか?」

「え? えっと……この通り沿いにある“フラワーショップSHIBUYA”ってお店ですけど……」

「分かりました。それでは代替品を買ってきますので」

「ええー!? い、いいですいいです! 気にしないでください! 植木鉢なら家にも置いてありますから!」

「でも持ち帰り辛くなりましたよね?」

「はっ! た、確かに……」

 

持ち帰るだけ(・・)を考えるならば包んでいた袋を使えば良いだけの話なのだが、“花を傷付けないように”を付け加えるとなると、土と植木鉢の荒い破片も中に入っているせいで恐らく厳しいだろう。となると一番手っ取り早いのは新しい植木鉢を購入して破片を引き取ってもらう事である。

 

「じゃあちょっと破片回収しますね。このビニール袋に入れてもらえますか?」

「あ、はい……」

 

やがて全ての破片を集め終え、ガシャガシャと音を立てるそれを持ち上げる。

 

「では行ってきますが、一緒に行きますか? 別に逃げたりはしませんがお店の人に植えてもらった方が良いかと」

「そ、そうですね、そうします! ……でも、本当にいいんですか?」

「いいって……弁償ですか? 全面的に私が悪いんですし、気にしないでください」

「んー……わ、分かりました。じゃあお願いします」

 

彼女はぺこりと頭を下げた。私もそれに頷いた。

 

その後、彼女と共に通りの道を進んでいくと確かに“フラワーショップSHIBUYA”の文字が見えてきた。そして丁度店員さんがシャッターを閉めようとしているのも。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「……え?」

 

店員さんは閉じかけていたシャッターを開いてシャッター棒を壁へと立て掛け、不思議そうな顔で此方へと視線を向けた。

 

ん? この艶のある黒い長髪、何処かで……。

 

先程のパンの件同様に何故か既視感を覚えたが、彼女に関してはどうにも思い出せない。記憶違いかな? まあ、それは置いといて。

 

「……あ。あんた、もしかして……じゃなくて、何か御用ですか? ……って、さっきのお客さんも」

「えへへ、戻って来ちゃいました」

「あ、すいません。実は──」

 

店員さんに事情を説明した。すると彼女は合点がいったように頷くと奥の方へと向かい、代替品となる植木鉢を持ってきた。

 

「これでどうでしょう。先程のと同じやつですが……」

「どうですか?」

 

店員さんが持ってきたのは、回収した破片がくっつけばそうなりそうな新品の植木鉢であった。私が訊ねると制服の彼女はコクリと頷いた。

 

「あ、はい! 大丈夫です!」

「では、それでお願いします」

「はい、かしこまりました。498円になります」

 

い、意外と高いんだ……。でもまあ、私が悪いんだし、仕方ないか。必要経費必要経費。さらばワンコイン!

 

「500円からで」

「500円ですね。2円のお釣りです」

「はい……それと花の植え直しもやってもらえますか?」

「かしこまりました」

 

店員さんは手馴れた様子で植木鉢へと花を植え直す。やがて植え直した花を袋で包むと、私の隣にいる彼女へと手渡した。

 

「はい、どうぞ。次はぶつからないように気をつけてくださいね」

「えへへ、ごめんなさい。ありがとうございます!」

 

苦笑する店員さんにはにかむ制服の彼女。私はその中間で店員さんにお礼を言った。

 

「私からも、ギリギリで駆け込んでしまいすいません。ありがとうございました」

「い、いえ、気にしないでください。あれは少し早めに閉めようと思ってただけなんで」

 

店員さんが胸の前で両手を振りながら言う。見た所若い……というか高校生くらいの年のように見えるが、もしかするとこの花屋さんは家族で経営しているのだろうか。だとしてこんな時間まで手伝いとは、出来たお子さんである。

 

「では改めて、今回はすいませんでした」

 

私は制服の彼女へと向き直り、頭を下げる。

 

「あ、頭を上げてください! 此方こそすいません! 私、少しぼーっとしてて……」

「それでも私からぶつかったのは事実なので……これからは気を付けます」

「な、なら今回は二人共悪かったって事で終わりましょう! 私、全く気にしてませんから!」

 

そう言うと彼女は満面の笑みを私へと向けてきた。その笑顔はとても魅力的で、まるで向日葵でも咲いたかの様な素晴らしい笑顔だった。笑顔コンテストなんて物があれば優勝間違いなしだろう。

 

そんな笑顔に私も思わず微笑み、そして別れの言葉を告げた。

 

「……はい。ではまた、いつの日か」

「はい! いつかまた会いましょう! 植木鉢ありがとうございました!」

 

そして彼女は元来た道を戻っていった。とても気持ちの良い子だったな。私ああいう子すごく好き。同じ地域に住んでるんだし、いつかまた会えるよね。名前くらい聞いておくべきだったかな? と言ってももう別れた後だし、考えてもしょうがないか。

 

あっ、そうだ。私も何か適当に見繕ってもらおうかな。さっきは植木鉢で少し渋ったけど、ぶっちゃけエキストラの仕事でお金は少し余裕があるからね、ヘーキヘーキ。それに部屋に花って、なんだかオシャレな気がしない? まあ、花を置く程度で私の部屋の彩りが改善されるとは思わないけど。

 

「私も花を購入したいんですが」

「はい、どのようなものがいいですか?」

「えっと……あ、これ綺麗ですね。なんて花ですか?」

 

ぱっと見渡して気になった赤い花について訊ねた。

 

「えっと、それはアザレアですね。花言葉は節制」

 

節制……。先程スーパーでお菓子を買い溜めし、今もまた必要でもない花を購入しようとしている私にはなんともぴったりな花である。お金があるとバブル期の頃の如く財布の紐が緩みまくる、それが私です。今後の戒めとしてこの花は購入するしかあるまい。

 

「じゃあこれください」

「かしこまりました。……あの、一つ質問なんですが、いいですか?」

「はい?」

 

店員さんが私には質問なんて一体なんだろう? ……ハッ! もしかして、私の正体がバレちゃったとか!? いや〜、まあ仕方ないかな〜。最近の“Unknown Invaders”はメディアに引っ張り凧だしね〜。幾ら喋らなくて悪魔メイクな(CB/DS)と言えどもあれだけテレビに出たらそりゃあバレるのも時間の問題だよね〜。いや〜有名人は辛いわ〜。

 

「この前スーパーで会った人じゃないですか?」

 

うん、知ってた。通常状態の私と悪魔状態の私とじゃ似ても似つかないからね。バレる訳がなかった。心配するだけ無駄無駄無駄。あの顔から私を特定できる人なんていないでしょ。誤魔化せないのも体型と骨格くらいのものだし。それにしても有名人ごっこは楽しい。

 

「スーパーっていうと、“スーパーオトク”ですか?」

「はい」

 

うーん、と言われてもなぁ。スーパーオトクなんて何度行ったことか。学校帰りとかも結構寄るから最早通ってるレベルだよ。寄るだけだけど。

 

「いつの話ですか?」

「確か四ヶ月くらい前だったような……」

 

四ヶ月っていうと、十二月くらいか。東京に来てすぐの頃に彼女と会ったようだが……全く思い出せない。

 

「……う〜ん」

「あの……ほら、ハナコ」

 

トイレの花子さん……? ……ダメだ、さっぱり見当がつかない。

 

「だったら……えっと、その……そ、惣一郎……?」

 

あ、あ〜! 思い出した! 惣一郎さん(メス)の飼い主か! そういえばそんな名前だったね。さっきの既視感はそれだったのか。惣一郎さんとしか覚えてなかったよ。

 

「……どうやら思い出したみたいだね」

「はい、ご無沙汰です」

「うん、久し振り。あの時ぶりだね。……あ、すいません。口調が……」

「ああいや、そのままで大丈夫ですよ」

「……ならそっちも、普通に喋ってよ」

「……じゃあそうさせてもらうね。えっと……渋谷さん?」

「……渋谷凛。凛って呼んで」

「私は小暮深雪。よろしく、凛ちゃん」

 

私と渋谷さん──凛ちゃんは改めて挨拶を交わした。まさかあの時出会った少女とこんなタイミングで再開するとは思わなかった。犬の散歩ついでにスーパーに寄るくらいだから近所に住んでるんだろうってのは目星をつけてたけど。

 

「ふぅん。でも、少し意外だったな」

「何が?」

 

彼女は私を見ながら呟く。

 

「深雪って高校生だったんだね。てっきり大学生くらいだと思ってたけど」

「まあ、大人びてるとはよく言われるね。コスプレに見える?」

「いや、そこまでは言ってないけど……。あ、ハナコ連れてこようか?」

「いいの? じゃあお願い……い、いや、今日はもう遅いし、やめとくよ」

 

あ、危ない……また欲望に流されるところだった……。彼女のプライベートな時間とかもあるだろうし、今日は自重しとかないと。閉店時間の二十時を過ぎてるからこれ以上お邪魔するわけにはいかない。

 

「そう? だったら、連絡先教えてよ。深雪とは、もう少し喋ってみたい」

「い、いいけど……」

 

不思議な言い方をするなこの子。普通に仲良くなりたいでいいんじゃないかな? 面と向かって言われると恥ずかしいけど。

 

MINEのQRを見せる為に携帯を開くと、先に帰った神崎さんから連絡が来ていた。後で見よう。

 

「はい、これ」

「ん……登録したよ。後で連絡するから」

「分かった」

 

連絡先を交換し終えると、彼女はいつの間にか袋に包まれた花を私へと手渡した。落とさないようにしっかり持っとかないと……。

 

「又のご来店お待ちしております」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

凛ちゃんは店員さんらしい決まり文句を口にし、私も別れの挨拶を述べる。そして店を出て少し歩いたところで足を止めて時間を確認した。空はすっかり暗くなり、辺りも人通りが少なくなっている気がする。

 

今の時刻は二十時十五分。話がトントン拍子に進んだとはいえ流石に寮の夕ご飯はもう締め切られている時間帯である。私が悪いとはいえ流石に萎えるなぁ。今日は特に楽しみにしていたおかずだったのに……。なんで忘れちゃってたんだ私! 出来る事なら一時間前の私を殴り倒したい。……はぁスーパーに戻って弁当でも買おうかな。

 

あ、そういえば神崎さんからMINE来てたんだった。一体なんだろう。夕飯自慢してきたら怒る。

 

 

大魔王オクナール【何も買わずに帰ってくるがいい。其方の夕餉は我が戯れにより用意してある】

 

 

その言葉の後には二人分の夕飯がテーブルに置かれた写真が添えられていた。

 

……ふっ、あの子って子は。そういう事ならさっさと帰るとしようかね。なんだかんだで良い子の神崎さんの事だから私の事待ってるだろうし。それに今日の夕飯は──

 

 

 

──ハンバーグだ!

 

 




凛か凛ちゃんで十分くらい悩みました。
蘭子って適当に扱うと更に可愛さが増す気がするんですよね(持論)




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第22話 新しい知人

最近気付いたんですけど淫夢語録使ってると元々ない語彙力が更に低下しますね……。
今後は控えます(使わないとは言ってない)。

(あと別に本編で淫夢語録は多用して)ないです。
(する気も)ないです。


「返信するの忘れてたの巻」

 

いや、今回のは忘れてたっていうよりは気付かなかったって言った方が正しいんだけど。まあ、どっちでも変わらないか。

 

今の一言で全てを察した人もいるかもしれないけど、纏めるとそれはつい昨日のこと。

 

帰る途中に前を歩いていた高校生の植木鉢を壊してしまった私。

それを弁償する為に花屋へと赴く高校生と私。

弁償した後、実は知り合いだった花屋の凛ちゃんとMINEを交換する私。

後で連絡すると言う花屋の凛ちゃんに、それを了承する私。

帰って神崎さんとご飯食べて風呂に入る私。

部屋で軽く勉強をした後漫画を読む私。

 

そして寝る私。

 

てーれーれーれーてってってーん。

 

結局彼女からのMINEに気付いたのは次の日の学校もレッスンも終わり、ささやかながら行ったCPの寮組による神崎さんの誕生日会を終えた後だった。ほぼ夜中だ。どうやら勉強をする際に欲望を断つ為に携帯の電源を切っていたのが仇になったらしい。因みに神崎さんは今年度で一四歳となり、名実共に中二病となった訳である。

 

それより花屋の凛ちゃん、絶対ブロックされたと思ってるよね。電源付けても少しの間は電波が入らないから尚更気付かなかった。見たら未読四件くらいあるし。やばいよやばいよ……。

 

「既読をつけるのが恐ロシア……」

 

……ダメだ。ゴミのようなつまらんギャグでも誤魔化せない。これこそ正に使い古された、手垢だらけのフレーズってやつか……。ていうか心臓ばくばく言ってるんだけど。花屋の凛ちゃん、怒るとなんだか凄く怖そうなんだよな……。無表情でとことん詰め寄られそう。もしかしたら外面の取っ付きにくさは私とどっこいどっこいかもしれない。……いや、私の方が高いか。多田さんなんて出会って四ヶ月も経過してるのに未だに話しづらそうにしてるし。個人的に仲良くしたいなーって思ってるから結構話しかけるんだけど、そんな態度されるから地味に傷付くんだよね。

 

……まあいいや。いや、良くないけど。兎も角既に賽は投げられた。取り敢えず既読だけでも付けるとしよう。私は溜まった四件の未読を開いた。

 

 

4月7日(火)

 

渋谷凛【こんばんわ。渋谷凛だけど】21:14

渋谷凛【みゆきって、深雪……で合ってるよね漢字】21:14

渋谷凛【あれ、もしかして気付いてない?】21:28

渋谷凛【おーい】21:50

 

 

なんで『おーい』だけで諦めたんだ……! もうちょっと粘ってくれれば気付いてたかもしれないのに!

 

八つ当たり紛いの事を思いながらどういった返信をしようか悩む。今既読を付けるのは早計だったか。内容を考えてから既読すればよかった。

 

取り敢えず気付かなかったという旨を伝えないと……。

 

 

4月8日(水)

 

渋谷凛【既読付いてるけど、なんで返信してくれないの?】21:05

 

 

「ひィっ!」

 

文字を打とうとしたら突然連絡がきた。びっくりした私は思わず携帯を取り零してしまう。

 

こ、怖い! 文字だけで怒りが伝わってくる気がするよ!

 

これ以上ない程の最悪なタイミングじゃなかろうか。私が既読した直後という、天から見放されたとしか思えない狙ったかの様なタイミングである。最早弁解の余地がない。

 

……あれ、いや待って。もしかしたらこれって実は……最高のタイミング……? 送信した直後に既読が付いたんだから、初めて見たっていうのが伝わるよね? そうだよね?

 

 

渋谷凛【あ、もしかして今気付いたの?】21:06

 

 

おしゃ! 狙い通り。天は私を見放してなんかいない。私ってば神崎さんに“天の御使い”なんて言われるだけあるな。

 

ばくばく鳴っている心臓を抑えながら大きく安堵の溜息をつき、返信を返した。

 

 

21:07【凛ちゃんだよね? ごめん、今気付いた】

 

渋谷凛【気付いてくれたならいいよ】21:07

渋谷凛【こっちこそ責めるような言い方でごめん】21:08

 

21:10【私も悪いし、気にしないで】

 

 

さて、これでなんとか上手く厄介ごとは免れた。それにしても彼女は私と何を話そうというのだろうか。自慢ではないが私はどちらかといえば割と口下手な方だ。そしてそれはMINEでのやりとりであっても例外ではない。

 

 

渋谷凛【ありがと。ところで深雪って○○高校だよね?】21:12

 

21:13【あれ、なんで知ってるの?】

 

渋谷凛【私は××高校なんだけど、制服に見覚えがあって】21:14

渋谷凛【それに○○も入学先の候補に入ってたからね】21:14

 

21:17【まあ××も○○もあそこから楽にいけるしね】

21:17【何年生なの?】

 

渋谷凛【一年】21:18

渋谷凛【この前入学したばかり】21:18

 

21:21【そうなんだ】

21:21【部活って何か入ったの?】

 

渋谷凛【特には決まってないかな?】21:22

渋谷凛【友達には吹奏楽部に誘われたけど】21:22

 

21:25【吹奏楽は分からないけど、楽器は楽しいよ】

21:25【何か扱えるの?】

 

渋谷凛【いや、特に何も】21:27

渋谷凛【強いて言うならリコーダーかな】21:27

 

21:28【それ多分小学校で習っただけでしょ笑】

 

渋谷凛【あ、分かる?笑】21:29

 

 

なんか良い感じに解れてきた気がする。意外とユニークな人なのかな?

 

 

渋谷凛【そういえば深雪は何年生なの? 同い年には見えないけど】21:29

 

21:30【私は二年生】

 

渋谷凛【一個上なんだ。三年生くらいかと思ってた】21:30

 

21:33【私も最初は凛ちゃんの事年上かと思ってた】

21:33【凛ちゃん大人っぽいから】

 

渋谷凛【お世辞はいいよ笑】21:35

渋谷凛【深雪だって、スーパーで会った時は大学の留学生か何かかと思ってたし】21:35

 

21:36【それって白人みたいってこと?】

 

渋谷凛【あ、気を悪くしたならごめん】21:37

 

21:38【いや、そんなことないから大丈夫】

21:38【ていうかもう慣れた笑】

 

渋谷凛【確かによく言われてそう笑】21:40

 

21:42【っていうのもよく言われる】

21:42【ここまでが一連の流れ笑】

 

渋谷凛【成る程ね笑】21:43

 

 

本当に、容姿に関しては話すネタに全く困らない。最早特徴しかないレベルだよこれ。なんなら自分からネタにするまである。

 

「あれ? 深雪ちゃんがリビングにいるなんて珍しいね」

「あらあら、ほんまどすな〜」

 

テーブルに置いていた牛乳を飲もうと手にしたら後ろから声を掛けられた。お隣さんの美穂ちゃんと、ビリビリ・バンバンのカバーで一躍有名(私の中で)な小早川さんだ。個人的にはダディダディダドゥダも歌ってみてほしいと思いました。いや、うーん、合わないか。

 

よく見ると風呂上がりなのか少し髪が湿気を帯びており、艶のある髪が更にツヤツヤになっている。普段から見目麗しい二人の美少女が更に美少女に見えて真に眼福である。美穂ちゃんとかホント冬に抱き枕にして寝たい。美少女といえば神崎さんとも意図してなかったとはいえ一度だけ一緒に寝たことがあるが、彼女は髪が長いので嫌だ。

 

「美穂ちゃんに小早川さん……お疲れ様です」

 

彼女らの言う通り、私は現在寮のリビング的な部屋で(くつろ)いでいた。誕生日会が始まる前は軽くシャワーを浴びただけだったから、先程本格的に風呂に入ったという訳だ。私の部屋かと思った? 残念! リビング的な部屋でした〜! 風呂上がりに牛乳飲む為に寄ったら珍しく誰もいなかったのでそのままふかふかソファーを堪能していたのだ。

 

「お疲れ様ですっ」

「おくたぶれさんどした♪」

「……?」

「……あっ、今のはお疲れ様って意味、だよね?」

「そうどすえ〜」

 

そうどすか〜。京言葉を扱う小早川さんの言葉は馴染みのない私には少々難しい。

 

「10時から見たい番組があるんだけど、いいかな?」

「どうぞどうぞ」

 

テレビの前の席から退いて隅の方へと座る。

 

「あっ、えっと、そ、そんなに端に行かなくてもいいんじゃないかな……?」

「私テレビ見ないし……邪魔したら悪いかなって」

「そっ、そんなことないよ!」

「美穂はんの言う通りどすえ。ほらほら、もうちょい近う寄りなはって」

「あ、うん……」

 

うーん……飲み終わったら上に上がる予定だったんだけど……まあ偶にはいっか。私も彼女らのテレビ観賞にお付き合いするとしましょう。何見るか知らないけど。

 

私は美穂ちゃんの隣に座り直し、軽く話しながらテレビへと視線を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

次の日の学校の昼休み、私は杏ちゃんと食堂にて昼食を食べていた。

 

「このオムライスマジたまらぬ」

 

初めて食べたけどこのオムライスは四捨五入すれば一世紀にも及ぶ私の長い人生の中でもランク5位に入るかもしれない。シンプル加減が素晴らしい。飯、鶏、卵の三種類という、実に私好みのオムライスだ。因みに2、3、4位は北海道で食べた物で1位は実家の近所にある定食屋。

 

いつも野菜炒め定食ばかり頼んでたけど偶には違うのも良いね! 来週も食べるとしよう。多分気が変わってるだろうけど。

 

「あー分かる」

「だよね。後カレーも美味しい」

「うん、分かる分かる」

「おせちもいいけどカレーもねって言葉もあるしね」

「うんうん、分か……って、そんな言葉ないから」

「は?」

「え?」

「…………でもラーメンは残念だよね」

「うん、残念だね」

 

あ、そういえば杏ちゃんとは同じクラスになれなかったんだけど同じ346プロアイドルのは、は、は……忘れた。後で確認しよう。取り敢えずは何とかさんと同じクラスになった。

 

まだ話したこともないからあんまり知らないけど、見た目はとてもクールで、身体中から妖艶なオーラを漂わせている人だ。ぶっちゃけた話、ちょっとキャラ被ってない? 早速私というキャラクターの存在価値が危ぶまれてる気がするんだけど。因みに第一印象は胸元セクハラ。私服ならまだしも学校の制服であそこまで胸元を露出させるのはどうなのだろうか。最近の若い子の感性が分からない。というか346プロって特徴的な人しかいないよね。皆キャラ立ちすぎて私の立つ瀬がないよ……。

 

 

4月9日(木)

 

渋谷凛【346プロって知ってる?】12:17

 

 

「わわわっ!」

 

思わず水をこぼす私。突然でびっくりしたわ。というか前回のMINEから脈絡がなさ過ぎない? まるで私の思考を読み取ったかのようにピンポイントな言葉。びっくりしない訳がない。

 

「うわっ、何やってんのさ。あー、もうべちゃべちゃだよ」

「……台拭き取って」

「もー、はい」

「ありがと」

 

周りが空席ばかりだったので被害が杏ちゃんにしかなかったのが幸いだ。と言っても濡れたのはテーブルだけで、制服に被害は及ばなかったので実質被害はゼロ。私は慌てて台拭きでこぼした水を拭き取る。

 

「驚いたような声出してたけど、何かあったの?」

「……いや、ちょっと」

「ふーん、まぁいいけど」

 

拭き終えた後、花屋の凛ちゃんからのMINEに返信した。

 

 

12:23【知ってるよ】

12:23【結構大きな会社だし】

 

渋谷凛【ふーん】12:24

渋谷凛【あそこってアイドルもいるの?】12:24

 

12:24【結構いるよ】

12:25【有名どころだと佐久間まゆちゃんだったり元モデルの高垣楓だったり】

12:25【それに城ヶ崎美嘉とか元子役の岡崎泰葉とか】

12:25【後最近は“Unknown Invaders”ってユニットが人気出てきてるよ!】

 

 

サラッと宣伝する事は忘れない。仕送りがあるとはいえ今の私の飯の種だからね。これを機に彼女も“Unknown Invaders”に興味を持って貰えないかな? なんならCD送るよ。

 

文面から見てみるとどうやら彼女は私の思考を読み取った訳ではなさそうだ。まあ当たり前だけど。

 

 

渋谷凛【意外と詳しいんだ】12:26

渋谷凛【分かった。ありがとう^ ^】12:26

 

 

……あ、終わり? 誰か気になる人でもいたのだろうか。もしも佐久間まゆちゃんとかだったら、多分私は花屋の凛ちゃんとは良い友達になれる気がする。

 

ほんの僅かな期待に胸を弾ませていると、いつの間にか食べ終えていた杏ちゃんがジト目で私を見つめた。

 

「……なんでもいいけどさ、早く食べないと昼休み終わるよ?」

「いや、杏ちゃんの方が食べるの遅いし」

「キレそ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

346プロの事務所のとあるレッスンルーム。私達シンデレラプロジェクトのメンバー十二人はその部屋に集合していた。

 

「そろそろレッスンを始めるぞ」

 

時計を見ながら声をあげるトレーナーさんに対してCPの面々は各々返事を返した。

 

「今日は何をするのかにゃ?」

「な、なんだろうね」

「本日は発声に重きを置いた練習を行う」

 

猫派代表のみくにゃんが緒方さんへと話しかけると、トレーナーさんからそんな答えが返ってきた。みくにゃんは少し不服そうな表情を浮かべた。

 

「にゃあ〜〜……また発声練習? みくはダンスがしたいにゃー!」

「文句を言うな前川。重きを置くとしか言ってないだろう。ダンスレッスンも無論行う。それに発声練習もダンスレッスンと同等に非常に重要だ。何度も説明した筈だが?」

「うぐ……ご、ごめんなさいにゃ」

「分かればいい」

 

トレーナーさんは「さて」と、話は終わったと言わんばかりに場を仕切り直して、再び私達の方へ顔を向けた。

 

「柔軟は終わっているな? では発声練習を行う。まずはこの音とメトロノームに合わせて母音のアで“ロングトーン”だ」

 

ロングトーンとは単純に長く歌声を響かせることを言う。サビの後の間奏部分で上手く扱えると相当格好良い。これ以上ない程分かり易い例をあげるとするならば“新造人間キャシャーン”のOPだろう。三番終盤のロングトーンは当時、幼心ながらに(と言っても成人済み)憧れを抱いたものである。ささきい○おさんは偉大。

 

トレーナーさんは言い終えると手元に設置してある電子ピアノでF(エフ)の音(ファ)を響かせた。

 

「1、2、3、はい!」

 

「「「あー」」」

 

トレーナーさんはメトロノームの4拍子に合わせて指揮を行い、私達はその指揮に従う。何度か言葉と音を変えながら続ける。低い音だったり高い音だったりと様々な音を声帯を震わせて口から放出させる。私の声は少し高めではあるが、低い声も出せるので中々に高スペックな声帯だ。まあ低いといっても男声並の重厚感ある声は流石に出せないけど。武内さんみたいな感じの。

 

「こら多田! 集中しろ!」

「!」

「す、すいません!」

 

わ、私のことかと思った……。危ない危ない。余計な事は後で考えよう。今は集中。

 

「次は音階だ。イ長調を二拍毎で上げて下げて、言葉はニ、毎回言い直し。これもいつも言っているが、言葉の言い直しはブツ切りにせずレガートを意識しろ。半音の動きにもだ。他に気をつける点はなんだ諸星」

 

イ長調とは、通常よく聞くドレミファソラシドがハ長調というC(ツェー)(ド)を基調とした物に対してA(アー)(ラ)を基調とした音階の事だ。

 

これを行うに当たって特に気をつけるべきポイントはトレーナーさんが言った通り、C(ツェー)(ド)→D(デー)(レ)、G(ゲー)(ソ)→A(アー)(ラ)への移行する音が“半音”であるという事。

 

他の音は全て全音で上がっていくのだが、半音の部分を同じ要領でやっているとピッチが高くなり過ぎてしまい音がズレる。逆に高くならないように意識しすぎると今度は低くなってしまうという、意外と難易度が高いモノなのだ。私も未だに失敗する時もある。

 

「えっとぉ、いっちばん音がたっかーいところでぇ、声が浅くならないようにする事!」

「よし、その通りだ。イの母音は高くなると幼い声になりがちだ。ではそうならないようにはどうすればいい、赤城」

「はい! えっとねー、お口を横じゃなくて縦に開きます!」

「そうだ、よく覚えていたな。二人共偉いぞ」

「でっへへー♪」

「えへへー♪」

「ただ、やりすぎると不自然になる。自然と、違和感の無いように気をつけるんだ。仏頂面で歌ってると更に酷くなるぞ。これは表情筋を鍛える事にも繋がる。自信の無い者は其処の鏡を見てやれ」

 

私は些か自信がないのでチューナーを置いて鏡の自分と対面した。因みにチューナーというのはボイス用チューナーの事であり、音程の可視化により正しい音程が理解出来るという非常に優れた電子器具である。

 

用途は今言った通りではあるがもしかすると「そんなものいらない」「俺の音程は完璧だ」という人もいるかもしれない。そんな人に聞きたい。カラオケの採点機能で出てくる音程で『合っている筈なのに低い、もしくは高い』といったモヤモヤ感を味わった事はあるだろうか。ある筈だ。ない訳がない。そう、あれは機械が悪いのではなく、ただ単純に音程が悪いだけだ。

 

人の耳というものは長い事音楽に(たずさ)わればその分養われ、細かい音の違いにも気付くことが出来る。しかし素人だとその細かい音の違いが分からず、自らが間違っている事に気付く事がないのだ。チューナーとはそんな人の為に存在する。チューナーを持つ事により己の実力の低さが露見され、フィルター越しに見えていた偽りの実力からようやく本来の実力を把握する事が出来るという訳だ。因みに私の事である。

 

「よし、次は“半音階”だ。四拍ずつ上がれ。言葉はマ行であればなんでもいい」

 

半音階とは先程の様なドレミファソラシドの事ではなく、それ以上に細かく分別した音階の事だ。簡単に言うとC(ツェー)(ド)→D(デー)(レ)でなく、C(ツェー)→C♯(D♭)になるという訳だ。そしてその後D(デー)(レ)へと移行していく。半音階とは全てこういった要領で進行される。そしてこれも結構難しい。

 

「三村、ピッチが少し低いぞ。チューナー見てるか? その音ピッタリではなく少し高めを意識してみろ」

「は、はい!」

「双葉は姿勢が悪い! 背中が曲がって首も前に出ている。それだと出る音も出らんぞ。少し胸を張って顎を引け」

「は〜い」

「緒方ァ! 聞こえないぞ! 声出してるのか!?」

「ひ、ひゃい!?」

「よーしその調子だ!」

 

それからもトレーナーさんは私達にダメ出しを繰り返す。四ヶ月もの間行ってきたことなので多少は前より発声の仕方が上手くなった自信はあるが、まだまだ素人の域だ。

 

「さーて、発声はこの程度で良いだろう。十分間休憩を取った後はもう少し踏み込んだ発声練習を行う! 今のうちに水分塩分も補給しておけ」

 

言い終えるとトレーナーさんは部屋から退出する。出ていくのを見届けると私は壁際まで歩くとペタリとゆっくり座り込む。

 

はぁ〜、疲れた。練習はずっと立ちっぱなしでやるからね。カラオケみたいに適当な姿勢で歌うわけにはいかないのだ。

 

ぐっ、と背伸びをした後に自販機で購入したお茶を口へと傾けた。

 

「ぬふふ、天の御使いよ! これを見るがいい!」

「む、神崎さん……なにこれ」

 

ペットボトルの蓋を閉めると同時に神崎さんから声を掛けられた。相変わらず少し喧しい。

 

上から本屋の保護カバーが施された本を渡される。大きさや側面を見る限り少年少女漫画ではないし、小説の類でもない。漫画というのは分かるけど……一体なんだろう。

 

「って、達人伝の一巻じゃん。買ったの?」

「我が魔力と引き換えに」

「……言えば貸したのに」

「…………い、否! 借り物の力など所詮は虚空へと消え失せる運命(さだめ)。己が力のみで手にする事にこそ、意味があるというものよ……」

「それでも少し読んでみてからでも遅くなかったんじゃ……あ、読んだの?」

「……まだ読んでない……」

「……あ、そう……」

 

神崎さんはその手があったかと呆然としていた。いや、読まずに買って好みじゃなかった時とかさ、買ったお金がもったいないでしょ。私も一回そんな経験があるからさ。なんとなく中古の本屋さんに寄って「あ! これ面白そう!」って漫画を読まずに全巻買って後悔したんだよね……。流石にアホだったわ……。最近流行りの異世界転移物で、話すアイテムと共に敵を倒していくって感じの、割と好きな設定だったんだけど、展開とストーリーがあんまり好みじゃなくてね。

 

私は達人伝を神崎さんへと返すと携帯を手にした。……あ、花屋の凛ちゃんから通知がある。

 

 

渋谷凛【さっき言ってたアンノウンインベーダーズってやつ】17:12

渋谷凛【アワーチューブに載ってたから少しだけPV見たよ】17:13

 

 

おおっ、どうやら昼の宣伝が功を成したようだ。どのPVだろうか。“Primal Satisfaction”かな? それとも“氷結の世界”かな? はたまたつい先日に発表したばかりの“エイリアン快進撃!!”かな? どれにしても感想が楽しみだ。批判されるのがちょっと怖いけど……どれも良い出来だし、多分大丈夫! ……およそアイドルのPVとは思えない出来ではあるけども。

 

 

18:30【どうだった?】

18:30【格好良いでしょ?】

18:30【何のPV見たの?】

 

渋谷凛【落ち着いて笑】18:32

渋谷凛【本当にファンなんだね笑】18:32

 

 

おっと、少し急かし過ぎたか。まあファンっていうか当事者なんだけども! 言えないけど!

 

 

18:32【ごめんごめん】

18:32【で、どうだったの?】

 

渋谷凛【カッコ良かったと思う】18:34

渋谷凛【これがアイドルってやつなんだね】18:35

 

 

いや、それはどうだろうか。あれをアイドルユニットと呼んでいいのか当の私でさえ疑問に思っているところだ。一応“ロックアイドルユニット”っていう名目の元、活動してはいるけど……まあどうでもいいか。

 

ところで「これがアイドル」って事は、あんまり興味は無かったのかな? 確かに今時の女子だったら“Jupiter(ジュピター)”とかの方が興味は持ちそうだけど……言い方からしてそんな雰囲気でもなさそう。

 

 

18:36【格好良いでしょ?】

18:36【何のPV?】

 

渋谷凛【侵略の軌跡ってやつと氷結の世界】18:37

 

 

お、どっちも私がまだベースを担当している時の曲だね。二曲ともカテゴリはJ-POPに類される曲だけど、どちらかと言えばJ-ROCKと言ったほうが正しいかもしれない。その辺りの境界線が未だによく分からないんだけど。

 

 

18:37【いいね】

18:37【どっちもオススメ】

18:38【最近はもう一人追加されて五人で活動してるんだよ】

 

渋谷凛【そうなんだ】18:39

 

18:39【そうそう】

18:39【今度CD貸そうか?】

18:39【私全部持ってるよ】

 

 

全部といっても数枚程度だし、自分で買ったわけでもないけどね!

 

 

渋谷凛【凄いね笑】18:40

渋谷凛【じゃあ借りさせてもらおうかな】18:40

 

 

よし、では今度持って行くとしようか。ハマってくれると嬉しいなぁ。……おっと、トレーナーさんが戻って来た。もうそろそろ休憩が終わりそうだから準備をしないと。

 

私は携帯を片付けて立ち上がり、練習を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

「トゥートゥトゥートゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥートゥトゥトゥットゥー」

 

やはり風呂は素晴らしい。まるで口がヘリウムガスの様だ。

 

「俺の名は〜俺の名は〜♪」

 

今日も今日とて誰もいない時間帯に風呂へと赴いていた私は、一人専用スタジオで気持ち良く歌を歌っていた。本日のセットリストは特撮祭りである。

 

「五つの力を〜♪」

 

この歌もよく歌ってるんだけど歌詞が微妙に無理矢理なんだよね。いくら五色に合わせる為とはいえこじつけ過ぎじゃないかな? いや好きだけど。

 

いやー、それにしてもゴレンジャーか……懐かしいなー。何年前になるんだろう。懐かし過ぎて内容なんて全く覚えてない。

 

そういえばこの曲歌ってる人も“ささきい○お”さんだよね? いいよね、ささきい○おさん。歌う曲のどれもがカッコよくて痺れる。“宇宙戦艦ヤマト”や“銀河鉄道999”とかの名作の主題歌も歌ってるし。どっちもリアルタイムで見てたなぁ……偶にだけど。もうその時には仕事してたからね。見る暇がなかったんだよ。

 

作者繋がりで言えば“宇宙海賊キャプテンハーロック”なんかも好き。作者が北九州生まれということで小倉にはハーロックの像なんかも建ってるし。小倉住みじゃないから実際には見た事ないけど。

 

キャプテンハーロックといえばのOPは“水○一郎”で、この人もまた様々なアニソンや特撮の曲を歌っている。分かりやすく言えば「ゼーット!!!」で有名なあの人だ。先程の“ハカイダーのうた”だってこの人が歌っている。この曲も中々クセになる曲で偶に何度も再生して聞いたりしてるんだよね。カラオケの定番曲だからよく歌うんだけど、流石の菜々ちゃんでも知らないらしく、分からないって言われてしまった。少し残念。

 

“人造人間キカイダー”は特撮版は子供向けって感じで楽しく観賞出来るんだけど、漫画版が結構ストーリーが重くて当時は読み切れなかったのを思い出す。今読んだら面白いかもしれない。

 

ところで“マジンガーZ”といえば“デビルマン”と……いや、やめとこ。これ以上脱線すると収拾がつかなくなる気がする。そろそろ上がるとしよう。

 

私がバスユニットから立ち上がると、肌に張り付いていたお湯がポタポタと身体中から滴り落ちる。タイル張りの床で足を滑らせない様にしっかりと踏み締めながら私は出口へと足を運んだ。

 

「……なんかMINE来とる」

 

身体を拭き終えて扇風機に当たっていると何通かMINEが来ていることに気が付いた。一日に何度も通知が来るのは少し珍しいので新鮮だ。

 

「……後で読も」

 

そう思い、着替え終えて部屋に戻り、誰から来たのか確認する。予想はしていたが、相手は案の定花屋の凛ちゃんだった。

 

 

渋谷凛【もしかしてさ】21:42

渋谷凛【今放送してる「ブレインキャッスル」っていうクイズ番組も346プロがやってるの?】21:43

 

 

……ブレインキャッスル、確か十時愛梨さんと川島さんがMCを勤めてる番組だったか。よく“カワイイボクと野球どすえ”という謎めいた名前のユニットがよくゲスト出演している筈だ。ほぼ毎週出てる事からゲストなのにレギュラー扱いされているって輝子から聞いた。メンバーは同盟相手の幸子と小早川さんと、後は姫川友紀という人物を合わせた三人で形成されている。

 

 

22:14【そうそう】

22:14【川島瑞樹と十時愛梨が司会の番組】

 

渋谷凛【あ、やっぱりそうなんだ】22:17

渋谷凛【じゃあ「生っすか!?レボリューション」ってやつは?】22:18

 

22:19【あれは765プロの番組だね】

22:20【見てはないけど】

 

渋谷凛【ふーん】22:20

 

 

そういえば彼女、昼からアイドルの事ばかり聞いてきてるような気がする。聞いてくる割には興味津々って訳ではなさそうだけど。昼に話した“Unknown Invaders”には興味を示してくれているような気がするけど、どうにも真意が見えてこない。名前が分からない好きな女性芸能人でも探しているのだろうか。

 

 

22:22【誰か好きなアイドルでも探してるの?】

22:23【ちなみにJupiterは別の事務所だよ】

 

渋谷凛【いや、Jupiterは興味ないかな笑】22:25

渋谷凛【別に誰か探してるって訳じゃないけど、少しだけアイドルってやつが気になったから】22:26

 

22:29【気になった?】

22:29【興味があるって事?】

 

 

いまいち意図を掴みきれない。普通に考えればアイドルに興味を持ち始めたって捉えるのが正解なんだろうけど、何か違和感を感じる。

 

 

渋谷凛【気になったというか興味があるというかなんというか……】22:33

 

 

やはり要領を得ない回答である。どういう事なのかさっぱり──いや、これは……あー、成る程なるほど。つまりそういう事か! やっぱり、彼女と私は良く似ている(・・・・)なぁ。

 

ようやく合点がいった。そうと分かれば彼女の今までの態度にも納得がいくというものだ。いやぁ、今の凛ちゃんみたいな事は私も昔からよくあるんだよねぇ。外見の雰囲気も似てて更に中身も似てるって、私たち良い友達になれるよ。確証はないけど。

 

花屋の凛ちゃんの心象を掻い摘んで言うとこうなる筈だ。

 

 

──興味はあるけど先入観が邪魔してハマりたいと思えないという二律背反が存在している。

 

 

……といったところだろう。どんな先入観かは知らないけど中々良い線いってるんじゃなかろうか。世紀の名推理じゃないかなこれ。

 

つまり私で言うところの『読めば面白いのかもしれないけどマイナー過ぎて読む気がおきない』というやつである。“達人伝”にハマる前なんかは正しくこれであった。この考え方は非常に勿体無い。しかし、ある意味でこの現象はいわゆるツンデレというやつに似ているかもしれない。好きになりそうだけど何故か素直になれない的な。……あ、違う?

 

兎に角、ここは私が一肌脱ぐべき場面であろう。今ここに、私たちのファンになってくれそうな人がいるのだ。その当事者である私が手を差し伸べないでどうする。PVを見て興味を示してくれたのだ。つまりハマるまであと一歩手前のところまで差し掛かっていると言えよう。もしもここで彼女が“Unknown Invaders”にハマってさえくれれば彼女は毎日が楽しくなるし私は収入源……もとい、身近なファンが増えてくれて嬉しい。正にWin-Winな関係である。という事で説得開始。

 

 

22:40【先入観に囚われたらダメだよ】

22:41【これは面白くないとかハマらないとか】

22:41【最初から決め付けると後から意外と後悔するんだよね】

22:42【私もそういうのよくあるから言えるけど】

22:42【大事なのは試しに一歩だけ、っていう気持ちだよ】

22:42【進んでみて、やっぱり嫌だったらすぐやめればいいだけの話だし】

 

 

よし、言いたい事は全て言った。少し畳み掛け過ぎた気がしなくもないけど気にしたら負け。それにここから先は花屋の凛ちゃんの気持ちの変わりよう次第だから何も言えない。ハマるハマらないは彼女の意思を尊重するよ。でも、少しでも進みたいと思うキッカケにさえなってくれれば私は嬉しい。

 

 

渋谷凛【深雪、あんたもしかして】22:47

渋谷凛【ごめんなんでもない。さっきのは取り消し】22:50

渋谷凛【ありがとう。少しだけ考えてみるよ】22:51

 

 

いや、こういうのは考えるより勢いの方が大事なんだけど……まあいっか。

 

 

22:55【それがいいよ】

22:55【じゃあ、もう寝るから】

22:56【おやすみ】

 

渋谷凛【うん、おやすみ】23:00

 

 

そして会話が終わり、私は最後に既読をつけるとMINEを閉じてベッドへと横になった。いつもであればまだ起きている時間帯なのだが、今日はもう寝る。そんな気分なのだ。

 

「あ、いつ渡せばいいか聞いてなかった……」

 

まあ、聞くのは明日でも構わないか。

 

部屋の電気を消して目を閉じる。うつらうつらとしてくる意識の中、私は次の仕事の事について考えていた。

 

(土曜日はCB/DSとして仕事……。夕方から雑誌の撮影だったっけ。表紙を飾るらしいからメイク気合を入れないとね。メイクするのはスタイリストさんだけど……)

 

オチがついたところで、私の意識は段々と消え去っていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実験がてらLINE形式はこんな感じにしてみました。不評であればやめます。



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第23話 土曜日は休日か、それとも平日か

雪歩が可愛過ぎて夜しか眠れない。


 

ひゃっほーい、明日は休みだー!

 

金曜の二十一時頃、明日が土曜日だという事実に浮かれて内心はしゃいでいた。ベッドでゴロゴロしながらいい加減バッテリーの寿命がやばい携帯を手に取り、トゥイッターで広告用の“CB/DS”のアカウントを開いた。実は最近フォロワーが遂に二万人を超えてしまった。ついこの間まで千人超えてやべーってなってたのにいつの間にか五桁に突入していた。一つ呟くたびに二万人に見られていると思うと少しだけ指先が震える。

 

「『明日は仕事』……っと」

 

明日の写真撮影の仕事について少しだけ触れる内容を考えながら指先でフリックする。最近メンバーの写真をあげる度に私の素顔はどんなのか云々というリプライが多くて困る。あれが素顔なんだよ。プロフィールにも書いてあるでしょうが。まあ、普段から悪魔メイクやってる訳じゃないから上げようにも上げれないだけなんだけどね。

 

……あっ、花屋の凛ちゃんからMINE。そういえば最近なんかの部活に入ったらしくて楽しみみたいな事MINEで言ってたな。一体何部に入ったんだろう。後で返事を返すとしよう。

 

そんな感じでふんふんと気分良く鼻歌を歌いながら先の文に肉付けしていると、私はふと悟った。

 

「明日休みじゃないじゃん……」

 

確かに明日は土曜日で世間一般的には休日とされている。それに写真撮影自体はそれ程時間がかかる事はないだろう。しかし、寮を出てから帰ってくるまでの合計時間を考えるとどうだろうか。

 

明日の写真撮影の開始時間は十八時。メイクとか衣装の飾り付けを考慮するとそれの一時間前以上は先に事務所に着いておかなければならない。メイクの予約を十七時に入れているので余裕を持ってその十五分前には到着しておこう。寮から事務所までは十五分程掛かる。……そういえばライブの練習が終わったら少し余裕があるけど、その間どうしよう?

 

撮影時間は順調に進行すれば三十分で済むが、遅いと一時間くらいは掛かる。そこから駄弁って寮に帰って一時間弱程掛かるとして撮影に費やすのは合計三時間ってところか。つまり一日の八分の一だ。そう考えると意外と長いよね。そして朝は学校の宿題と試験勉強でしょ? 土曜日なのに自由時間が夜しかないとはこれいかに。

 

…………いやまあ、だからどうしたって話だけども。気は乗らないけど仕事だからやるしかない。実働時間三十分だとしても仕事は仕事。カメラの前で腕組んで仁王立ちするだけの簡単なお仕事さ。休日出勤? いいや、違うね。土曜日は平日なんだよ!

 

朝グダッとして夜に宿題等の書き物をやってもいいんだけど、練習と仕事の後だから夜くらいはゆったりさせてほしい……。

 

おっと、思考が少しネガティブになってしまったな。こういう時こそノリノリでアゲアゲな曲を聴いてスーパーハイテンションにならねばなるまい。いつもであればここで“世界のYAZAWA”や“デーモン一族”を選択する私だが、今日はなんか気分ではない。携帯で曲を探し、少し悩んだ挙句エスパーユッコの“ミラクルテレパシー”を選択した。

 

「……やっぱりこっちにしよ」

 

しかしやはりなんか違うと思い直し、私は曲を高森藍子ちゃんの“青空リレーション”に変更した。この曲聴いてるとテンションが上がる……っていうか楽しくなってくるんだよね。正に心ウキウキルンルン気分。藍子ちゃんと相葉夕美ちゃんの曲って思わず笑みがこぼれる程温かくて可愛い曲ばっかりで好き。ホント好き。

 

「……ん? 武内さんからメールだ」

 

トゥイッターの呟きの肉付けを再開していると画面の上にテロップが出る。このメールアドレスから送っているということは恐らく事務所のパソコンから送信しているのだろう。いや、持ち出し用のモバイルパソコンの方だろうか。どちらにせよ遅くまでお務めご苦労様である。

 

 

差出人 : 武内さん

件名 : 4/11(土) アー写の件

 

CP各位

 

お疲れ様です。武内です。

 

夜分遅くに申し訳有りません。明日の日程をメールにて記載致します。

 

突然ではありますが4/11(土)はレッスン(15:00〜18:00)を中止し、アーティスト写真の撮影を行います。

 

集合時間は16時45分、場所は1Fの第4スタジオとなります。事務所までの服装については特に指定はありません。撮影時のメイクは此方で対応致しますので、自分らしい姿で通勤願います。

 

直前での決定ではありますが、撮影時は私も立ち会いますので、その際に詳細の内容を話します。

 

以上、確認の程、宜しくお願い致します。

 

 

……は? いやいや、工程被っちゃってるんですけど。え、なに。CPの方でもアー写の予定があったの? でも突然ですがって書いてあるし、昨日今日決まった事なのかな? 私参加出来なくない? 武内さん、私の工程把握してる筈なんだけど……。

 

先程も言ったように私の方も“Unknown Invaders”としての写真撮影が十八時に控えているのだ。そしてその為のメイクの予約は十七時。……うーん、どう足掻いても被るんだよなぁ……。唯一被ってない十五分があるけど、流石に十五分ぽっちじゃ私も終わる気がしない。どうしたものか。

 

いや、そんな事を考える前に武内さんに電話した方が良いか。そう考えていると唐突に目の前の携帯から着信音が流れ始めた。少し驚きながらも確認すると、相手は丁度今からかけようと思っていた武内さんであった。

 

「はい、小暮です」

『お疲れ様です。武内です。夜遅くに申し訳有りません』

「いえいえ、お疲れ様です。先のメールの件ですよね?」

『ええ。既に目を通していましたか』

 

電話越しでも伝わる彼の響きのある素晴らしいバリトンボイス。一度でいいから彼の歌声を聴いてみたい。絶対に上手い筈。

 

「はい。あの、私の工程と被ってるのも承知の上での決定なんですよね……?」

『ええ、勿論です。伝達が遅れてしまいましたが其方も既に対応済みです。メイクアップアーティストの方への予約は十七時から十七時三十分まで融通が効くように、そして“Unknown Invaders”の撮影はメイクアップが終了次第参加して頂く流れとなります。其方のレッスンは予定通り十六時に切り上げて準備が出来次第スタジオまでお越しください』

「成る程、了解しました」

『ではよろしくお願いします』

「此方こそ。ではお疲れ様でした」

『はい、お疲れ様でした』

 

ピッと通話を切る。よし、これで後顧の憂いは無くなった。予定の前日であろうと事前に情報さえ頭に入っていれば困りはしない。

 

そういえばどうして急にCPのアー写が決まったんだろう。あ、もしかして遂にCPが始動するとか? 確か前に四月には恐らく始動出来るとか言ってたような気もするし、言ってなかったような気もする。今の電話で聞いておけばよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

土曜日、今日は輝子達と新曲の練習を行っていた。新曲といっても既にPVは発表されている為、現在は近くにある初の単独ライブに向けての調整といったところだ。今まではイベントでの野外ライブだったり番組での演奏ばかりであったが、今回はなんと単独ライブ。しかもそこそこ大きなホールを貸し切ってである。宣伝は十分だし彼女らの元々の知名度も合わさっているので盛り上がりに欠ける人数という事態はないと思われる。

 

反省会を行い最後に一度だけ曲を通して練習を終了した。ギターを壁へと立て掛けると前髪を掻き上げて汗を相棒(タオル)で拭う。

 

「なぁ深雪。さっきのサビ前のところなんだけど──」

 

アクアリウスを飲もうとすると声を掛けられた。茶色の長髪をストレートにほんのり焼けた肌が特徴の彼女。名前を“松永涼”という。勿体振らずに言うと彼女こそ私達、“Unknown Invaders”の新たなメンバーなのである。

 

「あー、そこは……ちょっと貸して」

「おう」

 

ギター経験はあると言う彼女ではあるが、ベース経験は流石にないらしいので度々私に質問を投げかけてくる。私もベース歴数ヶ月程度と経験は浅いので教授できる事は少ないが、それでもライブ経験は何度かあるので軽いアドバイス自体は可能だ。

 

「──みたいな感じだと思う」

「成る程……やっぱ経験者は違うな。アタシも練習はしてるんだけどよ……」

「PVの時には出来たんだから慣れの問題だよ。回数こなして自信付ければ大丈夫……な筈」

「筈って……まぁ、そうだよな」

 

今回のライブはまず前提として松永さんは登場しない事になっている。しない事になっている、なので登場はする。とはいえ終盤の方になるのだが、まあそれも仕方がない。既存曲を練習する暇が彼女には無かったのだ。

 

流れ的には彼女を除いた四人でこれまでミニライブなどで演奏してきた既存曲や、彼女らのソロ曲でひたすら会場を盛り上げる。会場のボルテージが最高潮となり、そろそろライブ終わりますよー的な雰囲気を醸し出した所で満を持して松永さんが登場、からのソロ曲(Live ver)と新曲を披露という流れとなる。盛り上がらない訳がないと346プロ専属の演出の方も太鼓判を押していたらしいので間違いないだろう。

 

「緊張もあると思う。新曲の前に松永さんのソロ曲が入るから、そこでリラックス出来るよ」

「しかもライブ仕様で前奏長めだからな。サイコーにカッコ良くキメてやるからしっかり聞いとけよ?」

「深雪……夏樹……」

 

初の試みという事で緊張と不安を露わにする松永さんに夏樹がフォローを入れる。因みに松永さんには私がエキストラだと言う事は既に公言している。

 

「て、テンションリラックス〜……♪」

「……何だよそれ?」

「ふひ、わ、分からない。この前何かのアニメでやってた」

「──プリ○ラね」

「え?」

「なんだい、それ?」

「……この前仁奈と観賞したわ」

「あぁ……仁奈、のあさんに懐いてるからな」

 

そうなの? いいなーのあさん。私も仁奈ちゃんとテレビ見たい。冬とかモコモコ着ぐるみ着てそうだから股の間に座らせてもふもふしたい。仁奈ちゃん見てるとめちゃくちゃ子供が欲しくなってくるから困るんだよね〜。

 

……おっと、そろそろ退散せねばならない。

 

「それじゃあ、私行くから」

「おう!」

「また後でな」

「……後で」

「ま、またな。正確には二時間後くらい」

「ふ、まぁそうなるね」

 

そうしてレッスンルームから退室した私はシャワー室へと直行した。流石に汗べたべたのままアー写なんか取りたくないし。社会人たるもの身嗜みにはしっかりと気を配らねばなるまい。

 

シャワー室に入ると左に化粧台、右側にいくつかの仕切りと扉が見える。その扉の先で服を脱いで、そのまた一つ先にある浴室でシャワーを浴びるというシステムだ。適当な場所を選び、脱いだ衣類をすぽーんとカゴに投げ捨てて浴室へと入ると、シャワーの蛇口をひねる。

 

「うひぃ、冷たっ! ……ちっ」

 

畜生め! なんでノズルこっち向いてんだよ! ……あ、気持ち良い。

 

「情熱の赤い薔薇〜」

 

某マイホームな歌を歌いながらフローラルな香りが広がる石鹸で身体を洗っていく。身体を洗う度に自分の若い肌に感動してしまう。冗談抜きで絹のような触り心地なのだ。ふくらはぎとか頬の感触ホントヤバいから。ビバ★柔肌、と言ったところか。

 

ザーッとシャワーで石鹸を洗い流してタオルで体を拭き、替えで持ってきていた下着を着用しながら少し気合の入ったオシャレ服を取り出す。例によって例の如く店員さんコーディネートの物である。この前買ったスカジャンもどうかなとほんの少し考えたけど、クールとはなんか違うしそもそも武内さんにそれで事務所に来るなと珍しく語勢強めで言われたのを思い出したのでやめた。

 

「……よし。着替えOK」

 

後は化粧台に設置されているドライヤーで髪を乾かして身嗜みを整えるだけだ。そういえば何処かで聞いた話だけど、髪って自然乾燥させると禿げやすいんだって。情報源がはっきりしてないから眉唾なんだけど……それでも怖いよね。うぅ、ハゲは嫌だ……。前世では禿げたら潔く五厘刈りって決めてたけど、今世ではちょっとアレだからなぁ……。髪はある意味では最高の味方であり協力者ではあるものの、いつの日か最大の敵にもなりうる可能性を秘めた危うい存在。裏切られないように気をつけないと……。

 

さて、そうと決まれば早速禿げないように髪を乾かすとしよう。

 

ガチャリと扉を開くと、右の方からも同時に扉を開く音が聞こえた。どうやら私と同じタイミングでシャワーを浴びていたらしい。

 

見たことあるような、無いような……と思いながらも口にはせずに互いに軽く会釈をして化粧台へとおもむろに座りロールブラシを取り出しドライヤーを手に取る。先っぽがつぶつぶしてて凄く気持ちが良い。ホットな風を吹かせながらブラシで髪を梳かしていく。見慣れたテンパとはいえストレートにも多少の憧れを感じる為、少しでもストレートになるようロールブラシを使用しているのだが、どうにも治る気配がない。やり方が適当過ぎたか。

 

そんな風に半ば諦め状態で髪を梳かしていると再び浴室の方からガチャリと扉を開く音が聞こえた。

 

「ふぅ〜……あら、美優ちゃんもう上がってたのね」

「早苗さん。ええ、軽く汗を流した程度ですから」

 

“早苗”という名前には聞き覚えがあった。確かウィンターライブの時にも出演してたし、エスパーユッコとあと一人めっちゃおっぱいデカい子とユニットを組んでいた筈だ。“美優”と呼ばれる長髪の彼女も、顔には見覚えがあるのだが残念ながらハッキリとは思い出せない。

 

早苗と呼ばれた女性は髪を拭きながら知り合いであろう美優と呼ばれる女性の隣へと腰をかけた。どちらも別に知り合いという訳ではないので私は我関せずで髪を乾かし続けた。

 

「いや〜、今日のレッスンは汗が止まらなかったわ〜」

「確かに、今日は比較的暖かい陽気でしたね」

「こんな日はビールがほんっとうに美味しいのよね!」

「もう、早苗さんいつもそれですよね。それで、今日の予約は何処に?」

 

なんだこの二人、飲みにでも行くのだろうか。私も連れてって頂戴な。いやさ、出歩く時になんとなく良さげな店とか偶に見つけるんだけど一人じゃ行けないから悶々としてた所なんだよね。あー、酒飲みたい焼酎飲みたい! 私、二十歳になったら初めに飲む酒は“魔王”って決めてるんだ……。本場鹿児島で買っても鬼の様に高い焼酎だけど、其れ相応に美味しいから特別なイベント事にはもってこいの逸品だ。神崎さんも興味持ちそうだからその時は飲ませてあげよう。まだ付き合いがあったらの話だけど。

 

「ほら、この前楓ちゃんが言ってたとこあるじゃない? あそこよあそこ」

「あら、いいですね。私も少し気になってたんです」

「でしょ〜? 実は私も気になってたのよ。まあ、真奈美ちゃんが言い出した事なんだけど」

 

真奈美、それはひょっとして木場真奈美さんの事だろうか。あの人本当に格好良いよね。言動も格好良いし、滲み出るイケメンオーラというかなんというか。いつか話してみたい。

 

「ところで、今日はどなたがいらっしゃるんですか?」

「そうね……瑞樹ちゃんは勿論として……」

「勿論なんですね……」

「後は発端の真奈美ちゃんとあいちゃんかしらね。……あっ、(しん)ちゃんと菜々ちゃんも来るって言ってたわ!」

「!?」

 

な、菜々ちゃん!? う、嘘だ!! 菜々ちゃんが居酒屋なんて行く訳ない! ……い、いや、居酒屋自体は別に問題ないのか。ダメなのはアルコールの摂取。未成年で、しかもアイドルが公共の場での酒盛りはあかんぞ! 飲むなら身内の集まりか宅飲みの時のみに抑えといた方が無難! まあ、菜々ちゃんが居酒屋ってあんまり想像出来ないから多分人違いだと思うんだけど……。

 

「あら、心さんは兎も角……菜々ちゃんもですか?」

 

美優さんとやらが疑問を抱いている。その理由が彼女の言う菜々ちゃんが“未成年だから”であれば私の知っている菜々ちゃんにグッと近付いてしまう。というかよく考えると“菜々”って名前のアイドルは346プロに一人しかいないから……あれ、もしかして人違いじゃない……? 女優の線も考えられるけど、どうなんだろう。まだ確定はできないな。

 

「え? …………あ、ああ! も、勿論お酒は飲ませないわよ!?」

「あ、いえ、勿論それは当たり前ですけど……未成年の菜々ちゃんが来るのは少し意外だったので。その、親御さんに連絡は……」

「それは大丈夫よ。菜々ちゃん一人暮らしだし、遅くなったらお姉さんが責任持って家まで送り届けるわ!」

「早苗さんなら安心ですね。菜々ちゃんのカフェのバイトが終わったら合流ですか?」

 

さっきの空白の時間といい今の言葉といい、これはもう菜々ちゃん確定ですわ。カフェでバイトとかもう菜々ちゃん以外にありえないよね。菜々ちゃんって大人アイドルと仲が良いのかな? 今度聞いてみよ。

 

ていうか、菜々ちゃんって一人暮らしだったんだ。寮住み……ではないよね。見た事ないしそもそもカラオケの後はいつも駅で別れるし、いったい何処に住んでるんだろう。

 

「そうなるわね。真奈美ちゃんとあいちゃんと瑞樹ちゃんは現場から直接行くそうよ。心ちゃんは……何だったかしら?」

「心さんは確か……ドラマの撮影だったような」

「ああそうそう。で、もう終わって戻って来てるそうだから後で合流して四人で店まで行くわよ」

「分かりました。では行きましょうか」

 

そう言って話を切ると彼女らはドライヤーを元の位置へと戻し、仲良く話しながら部屋を退出した。

 

……はぁ、居酒屋ウラヤマシイ。なんで私は未成年なんだろう。精神年齢でいうと余裕で還暦過ぎてるんだけど、どうにかならんもんかねぇ。

 

「……そろそろいいかな」

 

ようやく髪が乾いてきた。テンパの具合も丁寧なブラッシングのおかげでいつもより癖が弱めで良い感じ。更に風呂上がり特有の美人率1.5倍のスキルも発動している筈なので今であれば最高の写真が撮れる……様な気がする! 服装もめっちゃ清楚(当社比)で可憐(当社比)だし、歯も寮出る前にしっかり磨いたし。

 

目の前の鏡へ不敵に微笑むとキラリと光る真っ白な歯が映り込む。三鷹も吃驚仰天の素晴らしいエナメル質だ。

 

「……行くか」

 

現在の時刻は十六時二十分。私は鞄を手に取り撮影ルームへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……なに? 話が進んでない?
いやこれ日常コメディだから(震え声)
次回は進むからお兄さん許して(懇願)


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第24話 写真撮影と新メンバー?

fate小説のタイトルで太陽の子とか光の戦士なんて言葉が付いているのを見るとRXしか思い浮かばないのは私です。RXの小説増えて……(懇願)

ところで、多分今回使われているネタ、全部分かる人いるのだろうか。
分かる方はすごくすごいです(小並感)




 

「あ、武内さん。お疲れ様です」

「……小暮さん、お疲れ様です」

 

撮影ルームへと辿り着くと、武内さんが扉の前で腕時計とにらめっこしていた。きっと私を待ってくれていたのだろう。

 

「武内さん……どうでしょう?」

「……どう、とは?」

 

私の頑張りによっていつもよりストレート気味な髪とオシャンティな服を揺らしながらあからさまに見せつけるも武内さんは気付いてくれない。流石にここまですれば誰でも気付く筈なのだが……。

 

「ほら、髪とかいつもはぐにゃぐにゃですけど、今は軽くウェーブかかったような感じじゃないですか」

「……自分には測りかねます」

「えぇー……」

 

嘘でしょ……。私にとってはトゥ○ーティーとジェ○ーが入れ替わったくらい大きな変化なのだが、彼にとってはシルベ○ターと○ムが入れ替わった程度の驚きなのか。所詮猫は猫ってかこんにゃろう……。

 

我ながら全くもって意味不明な例えを閃いたところで、あまり時間がない事を思い出した私は彼に説明を促した。まあ、説明と言っても昨日のメールの内容と殆ど変わらないとは思うが。

 

「えぇ、その通りです。まずはメイクの方をお願いします」

 

そう言われてメイクリストさんからメイクを施してもらう。詳しいことは全く分からないが、今回は素材、つまり私本来の味を生かしたナチュラルメイクなのだそう。心なしか頬が赤く染まってるような……ような……。うぅむ、メイクリストさんには失礼だが鏡見ても何が変わったのかいまいちパッとこない。しかしなんとなく先程より何処か美人になった気がしなくもない。

 

……いや、なってるな。うん、なってるなってる。いつも面と向かって見る鏡の私より1.15倍くらい美人になってる気がす、る……やっぱり分かんねーや。言われたら気付くかもしれないけど言われなかったら多分一生気付かないわこれ。うーん、でも分かる人には分かるんだろうなぁ……。多分さっきの武内さんも今の私のような気持ちだった筈だから、私ももう彼に何も言うことは出来ないね。でももう一回聞いてみよ。

 

「メイクどうでしょう?」

「わ、私には──」

「なんとなくでいいですから、取り敢えず感想をくださいな」

「………………良いと、思います」

「……本当に思ってます?」

「……ええ」

 

私は少しの猜疑心を抱きながら武内さんに目線を合わせる。

 

良いって言われるのは嬉しいけど、もうちょっと具体的な感想が欲しいよね。というかこの人、さっきとの違い本当に分かってるの? ……いや、これ多分分かってないな。少し間が空いたし歯切れも悪かった。いつもはもっとこう、どっしりしっかりとした印象が目立つのに今回は何処か不安げな様子だったのが何よりの証拠だ。

 

「もっとこう、観察眼って奴を養わないと彼女とかに嫌われますよ。女ってこういう事にうるさいらしいですから」

「は、はぁ……」

 

彼に彼女がいるかは知らないが、まあいい。これ以上言うと面倒な女と思われかねない。確かに私はコッテリ派かアッサリ派かと言われたらコッテリ派ではあるが、それはラーメンに限った話。性格的には食べやすいアッサリ系を自負しているつもりである。というかそもそも初めからあんまり気にしてなかったから別にいいんだけど。

 

……いや、やっぱり解せないな。服とメイクはまぁ、仕方ないとして髪だけは出来れば気付いて欲しかった。見た目からしていつもと全然違うでしょ! シャワー浴びる前と比べたら月とスッポン……までは行かなくても目に見えて分かる程の違いがある。どんぐりの背比べとか言ったらグーで殴るからな。

 

ふと私は撮影準備が行われているセットへと目を向ける。真っ白な背景といくつかの高価そうなカメラが視界へと映り込む。これから撮影……おおぅ、なんか緊張してきた。なんでだろう、“Unknown Invaders”で少なからず経験は積んだ筈なのに……と思ったが、よく考えれば私一人での撮影は今日が初めてだった。誰かいるのといないのとでは大分変わってくる。緊張する筈だ。シンプルで何もないセットというのが逆に緊張感を掻き立たせる。

 

「うひー……」

「? どうなさいましたか?」

「あ、いえ……あの、私こういうの初めてで……どうすればいいか分からなくて……」

「…………ッ!」

 

伏せ目になっているのを自覚しながら答える。いつもあちらでは五人で撮ってるので私一人だけで撮る事がないのだ。正確に言うと撮った事はあるのだが、その時の写真も集合写真と同じように不遜な態度で仁王立ちしてるだけだから何の参考にもなりやしない。

 

更に言うならば私は自慢ではないがあまり写真写りは良い方ではない。というのも高校の集合写真や小学校中学校の卒業アルバムに写ってる私の写真の二分の……いや、三分の一が半開きなのだ。何がって? 目に決まってんだろ。言わせんな、恥ずかしい。丁度瞬きするタイミングで撮ってくるから防ぎようがないのだ。あっちではそういう場合でもメイクで誤魔化せていたが今回はそうにもいかない。

 

あとこれは関係ないかもしれないけど他にも不意に撮られたせいで無愛想な表情だったり……あれ、それはいつもか。まあでもいつも楽しい事がある訳でもないし、普通だよね? 仏頂面っていうか無表情っていうか。正直学校の楽しみとか読書の時間にこっそり漫画(おれは鉄平)を読む事とお昼ご飯くらいしかないし……ってまた話がズレてる。

 

そんな事を考えていると武内さんが何故か目元を抑えながら少し唸っていた。もしかしたら目が痛いのだろうか。事務仕事多そうだし、日頃の疲れが溜まっているのかもしれない。

 

「大丈夫ですか? 気分悪いならそこに椅子ありますけど」

「……あの」

「はい?」

 

軽く顔を上に向けながら武内さんの顔へと視線を向ける。そういえば武内さんって身長どのくらいなんだろう? とりあえず180cmは余裕であるとして、もしかしたら190cmくらいは超えてるんじゃなかろうか。体格もいいし、学生時代はバスケでもやってたのかな? 彼の年齢的にもろスラムダンク世代だろうし、案外的外れじゃないかもしれない。ディフェンスめっちゃ強そう。

 

「…………いえ、なんでもありません」

「? ならいいですけど……あっ、目が疲れてるならこの目薬使います? ……えっと、ぜ、ゼット……びっくり? ……ってやつなんですけど」

 

私が鞄から取り出しながら言うと武内さんが長い溜息を吐く。これはもしかして目薬の名前も覚えきれない私に呆れているのだろうか。いやいや、目薬の名前とか普通覚えてないでしょ。

 

「……ロートZの事でしょうか?」

「分からないですけど、多分それです」

「……いえ、結構です」

「そうですか……」

 

この目薬の破壊力は私程度では計り知れない程凄まじい。まず初めての人は目を開けることすらままならなず、パチパチさせる事さえ億劫になるだろう。それ程の超爽快な清涼感を味わう事の出来る商品だ。ただ慣れてくると爽快感は全く持続しなくなるので使い過ぎには注意が必要。私は眠くなる授業で毎回使っているので最早唯の目薬と化している。

 

「で、結局どんなポーズとればいいんですかね?」

「……いつもはどういったポーズで?」

「えぇと、ユニットのコンセプトに合わせてドヤ顔か、冷たく見下すような感じで仁王立ちですね。メイクしてるので伝わってるかどうかは分かりませんが」

「……それならばポーズ云々は特に意識せずとも良いと思います」

「というと?」

「ありのまま、つまり自然体で臨む……という事です」

「成る程」

 

成る程とは言ったもののぶっちゃけよく分かっていない。つまりフィーリングでやれって認識でOK? それが分からないから聞いたんだけども、そこのところ彼は分かっているのだろうか。あ、もしかして自分で考えろって事? 何その入社したての何も分からない新人に取り敢えず仕事を任せてみるという一昔前の風潮みたいなやつ。私許さんぞ、そんな半分イジメのような風潮。

 

とまあ冗談は置いといて、本当にどんなポーズで撮ろうかな。前提として“Unknown Invaders”でやってたポーズはアテにならない。ドヤ顔はやり過ぎるとエスパーユッコになるし、見下す感じでやると財前時子さんになってしまう。どちらも私としては不本意なキャラ付けなので出来る限りは避けたい。いや、否定している訳ではないからね? でもやっぱりアイドルやるなら佐久間まゆちゃんのようなアイドルを目標にやっていきたい。

 

いや、目標っていうか参考にしたいかな。佐久間まゆちゃんは超絶怒涛のいとうつくしゅうアイドルだけど、私の目指すところとは少し違う。彼女は王道を往く純粋キュートなアイドルであり、私が目指しているのは、今手に持っているロー、ト……ず、ずぃぃ……の如くクールなアイドル。

 

しかし、路線は違えど見習うべき点はいくつもある。その中でも一番だと思うのは“歌い方”だ。彼女の歌は心に訴えかけるような、非常に感情豊かな歌い方が特徴だ。代表曲にポップな曲が多いだけに、ポップしか歌っていないのかと誤解を受けやすいが決してそうではない。実はバラード調の曲も少なからずリリースしており、よくヒットを出している。聞いているとその歌詞の情景が鮮明に浮かび上がってくる程に彼女の歌は完成度が高い。これが感情の起伏もない平坦な歌声であればそうはならないし、私もファンにはならなかっただろう。彼女は可愛いだけのアイドルではないのだ。

 

ここで勘違いして欲しくないのは“バラード=哀しい歌”という方程式は成り立たないという事だ。確かにバラード曲に哀しい歌が多いのは事実ではある。しかし、現在でこそあやふやとなってしまってはいるがバラードとは本来、“物語性のある音楽”と定義されており、高揚、感動、感傷、哀愁、切なさといった感情を表現する曲を総称している。

 

二人の愛の感動もバラード、別れの哀しみもバラード、人々を奮い立たせる高揚もバラード。もっと言えば雷や嵐などが比喩されるような爆発的な感情もバラードなのだ。つまり“哀しい歌=バラード”は的外れではないが“バラード=哀しい歌”というのは当てはまらないのだ。

 

そして歌の上手さの基準は正確な音程やリズムだけではなく、直接心に語り掛けているかのような感情を込める事も重要だと、私は最近アイドルになってから考え始めた。歌詞やメロディがどれ程素晴らしくともそれを生かすも殺すも歌い手次第。歌を生業とする者が何も考えず、ただ歌うだけ、それは最早思考放棄と言っても良いだろう。歌というのは勢いだけで賄える程安っぽくはない。

 

とはいえ考えるといってもピンとこない人もいると思うので佐久間まゆちゃんの“エブリデイドリーム”を例に挙げるとしよう。

 

曲名であり歌詞にも存在する“エブリデイドリーム”という言葉。直訳すると『毎日が夢』だが、この言葉にはどういった意味が込められているのか。ちなみにここで言う夢とは『将来の夢』ではなく『寝る時に見る夢』の事だと私は解釈している。

 

夢とはそれ即ち泡沫、いつかの目覚めによって儚く消え去る物。後の『毎日が夢のよう』という言葉も、一見“嬉しい”“楽しい”といった“喜”の感情、正に夢のように素晴らしい情景に溢れているようにも思えるが、先の言葉を考慮すると「もしかすると今の素晴らしい時間は勘違い、嘘なのかも」という僅かな不安要素も見え隠れしている……のかもしれないという解釈が出来る。最後の歌詞にもこの解釈が当てはまる筈だ。

 

まだまだ沢山あるのだがキリがないので一つだけに留めておくが、つまり何が言いたかったのかと言うと、自らが解釈した歌詞の意味を頭の中で連想して歌うのと、何も考えずに勢い任せに歌うのとでは歌の内容、雰囲気に雲泥の差が生まれるという事だ。だが佐久間まゆちゃんには其処に表現力が加算され、更に素晴らしい曲へと昇華している。そして今尚成長し続けているという事実が末恐ろしい。初めて“エブリデイドリーム”を聞いた時に彼女の深い愛情と健気さ、そして伝わってくる幸福感に思わず涙してしまったのを思い出す。

 

理解を深めれば深める程、今まで表皮からしか読み取れていなかった“歌の想い”が伝達される。しかしその伝達された“歌の想い”が確実に正解なのかと言うとそういう訳ではないし、だからといって間違いでもない。解釈の仕方は人それぞれで、曲に対する解釈に間違いなどは存在しないからだ。人の意見が千差万別であるならば曲の受け取り方に相違点が出るのは必然。オーケストラの管弦楽団や歌手によって同じ曲の雰囲気に変化が生じるのはそういう理由もある。佐久間まゆちゃんがカバーする曲なんかにもその解釈の違いが顕著に表れている。

 

最後。色々言っておいて何だが、結局のところこの世に解釈のない歌い方なんてものは殆ど存在しない。程度の差はあれど皆歌う時には無意識の内に何かしらの解釈は為されているのだ。「この曲はこんな雰囲気」「サビで盛り上がるから前半は控え目」等といった、今思い付いたような物でも解釈としては成り立つ。ただ歌で食っている人がそんなんじゃ甘いよって事で理解を深めて感情豊かに歌おうぜって話。逆に遊びの時なんかは適当なくらいが丁度良い。カラオケとかスナックでは適当に歌って楽しければそれで良いのだ。

 

という事で小暮深雪の独断と偏見と、個人的な好みが合わさった考察でした。いや、ホントにね、解釈って大事な事だと思う。表現するには感情を込める事が必要で、感情を込めるには其れ相応の解釈が必要。それを怠けずにやってのける佐久間まゆちゃんは本当に凄い。彼女、自分で作詞もやってるらしいからね。尊敬するよ。

 

……で、何の話だったっけ? …………あ、あー……あっ、ポーズの話か! ま、彼の言う通りフィーリングでどうにかなるよね(適当)

 

「そういえば武内さん、最近何かありました?」

「……何故でしょう?」

「いや、唯の世間話ですが……」

 

偶に話題振るとこう返ってくるんだよね。私とは仕事以外で絡みたくないってか。鳴くぞ。泣くんじゃなくて鳴くぞ。そう、狼の遠吠えの如く。

 

「……そうですね、欠員だった三名の枠が補充された事でしょうか」

「あ、そうなんですか。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

そういえばうちの部署は欠員がいたんだっけか。ということは今回のアー写は揃ったから早速始めようぜ! っていう感じなのかな? 何はともあれ人数が揃ったのというのはめでたい事である。

 

「三人……因みにどんな人達なんですか?」

 

なんというか、新入社員が入ってくるみたいな感覚で少しそわそわする。数ヶ月程度の違いしかないけども!

 

どんな子が来るんだろう。キュートな子かな? クールな子かな? それともパッションな子かな? でも陽キャラ過ぎても私ノリについていけそうにないからちょっと困る。見てる分にはいいんだけど絡むとなると返答に困るんだよねー、ムードメーカーってやつは。輪から外れてる私を入れてくれようと偶に話しかけて来る良い人がいるけど、申し訳ないけど余計なお世話なんだよね。私が参加しても気の利いた事なんて話せないから。ゆっくり本を読ませてくれ。もしくは寝かせて。

 

「……小暮さん」

「はい」

「そろそろ撮影を始めて頂きたいのですが」

「あっはい」

 

よく見ると撮影準備はとっくに終えていた。結局時間を無駄にしてしまった。あまり時間がないという言葉はなんだったのか。私はセットの方へと小走りで駆け寄る。

 

「はい、よーいスタート!」

 

早速撮影が始まった。カメラを向けられた事で反射的に仁王立ちのポーズを取ったが、違う、そうじゃないと思い直して、取り敢えず気を付けの体勢をとった。

 

「んー、一回深呼吸してみよう」

 

やはり気を付けはダメらしい。というか緊張してるように思われてしまった。いや、確かにしてるけど気を付けは(わざ)とだから。まあ仕方がないか。

 

しかし困った。どんなポーズを取れば良いか全く分からない。武内さんには考えるな感じろみたいな事言われちゃったし。よく考えたらフィーリングとか私が一番嫌いな事だし。こういうのはしっかりリスクアセスメントして計画立ててやらないとテンパっちゃうから本当にダメ。

 

とはいえ始まった物は仕方ない。こうなったら世界で一番格好良いと私の中で評判ののあさんのソロ曲披露の登場シーンのポーズを……と思ったが真似っこは嫌だ。ここで一つ私自身をドーンとアピールしなきゃ! 取り敢えずピースでもしておこうか。

 

「……?」

 

やっぱダメっぽい。ポーズ取ってるとすらも思われてない。カメラマンさんも武内さんもなんか「え?」みたいな顔してるし。てかおい武内、あんたがそうしろって言ったんだぞ! 惚けてんじゃねー! え? アー写難しくない? 時間内に終わる気がしないんだけど。それはまずい。あの悪魔メイク微妙に時間がかかるから遅れたら最悪四人を待たせる事になってしまう。

 

しかし……分からない! 写真映えするポーズが分からない! 畜生! こんなことになるんだったら昨日の内にしっかり考えておくべきだった! 昨日の私、のんきにトゥイッターなんてやってるんじゃないよ!

 

「(いかん、集中せんと……あ、非常口)」

 

パシャ

 

あっ、少し余所見したらシャッターを切られてしまった。集中しないとって思ったばかりなのに私はアホか!

 

「おっ! いいね〜! その調子!」

 

え、マジ? なんか好評? 非常口見ただけなんだけど。あんなのでいいんだったら……髪搔き上げは?

 

「おー! さっきまでのが冗談みたいだ!」

 

やったぜぃ! なら、くるっと回って一回転は?

 

「良い良い! 最高だよ!」

 

おっしゃ! よーし、次はだっちゅーの!

 

「し、素人とは思えないッ! これは十年……いや、百年に一度の逸材だッ!」

 

マジで!? そんな褒められたら調子乗っちゃうけどいいの? いいんだよね!? 恐れ戦け! これを“天地魔闘の構え”と言う……!!

 

「次」

「あっはい」

 

そんな感じで私の撮影は意外とつつがなく進行し、そして無事に終了した。

 

「はいOKでーす! お疲れ様!」

「ありがとうございました」

「お疲れ様です」

「あ、はい。ありがとうございます。意外といけました」

「ええ、まさか皆さんが集合する前に終わるとは思ってもいませんでした」

「なんかよく分かんないですけど、良い感じだったみたいですね」

「良い、ポージングでした」

「そうですか? 次は出来そうにないですけど」

 

そう言うと私は腕時計で現在の時刻を確認した。十六時四十分。撮影を始めたのが三十分頃だったから十分で終わった事になる。早い……いや、意外とこんな物なのかな? よく考えたら十五人もいるのに一人の宣材写真に二十分、三十分もかけられる訳がないよね。始める時間も時間だし。

 

「まだ五時まで時間があるんでもう少しここにいていいですか?」

「ええ、勿論です。新メンバーの紹介もありますので」

「あ、そういえばそうでしたね。結局どんな人達なんですか?」

 

先程聞き損ねた事について再度質問をする。

 

「……五十分頃に私から皆さんに紹介しますので、それまでお待ちください」

「……分かりました」

 

それもそうか。二度手間程嫌なものなんてない。FC……冒険の書……うっ、頭が……。少し考えが足りなかったようだ。気を付けねば。

 

 

 

 

「──失礼します。あ、ユキにゃんもう来てたんだ」

 

 

 

 

その声に私はバッと振り向く。私のことをユキにゃんと呼ぶ人物はこの世でただ一人……。

 

「──みくにゃん!!」

 

そう、大天使みくにゃんこと前川みくちゃんである。私は極めて友好的な態度で彼女を迎えた。

 

「お、おう……確かにみくは前川みくにゃ」

「まだ集合時間前なのに、来るの早いね」

「(戻った……)アイドルたる者五分前行動は当たり前にゃ! ていうかみくより早く来てるユキにゃんに言われたくないにゃ」

「十分前の十分前行動という事で」

「十分前の十分前って……二十分前? それ早すぎないかにゃ?」

「昔担任だった先生は就活の時は三十分前の三十分前行動とか言ってたよ」

「それ逆に迷惑なんじゃ……」

 

私もそう思う。

 

「まあ、早く来たのは他に用事あるから早く終わらせる為なんだけどね」

「ん? という事はもう終わったのかにゃ?」

「うん、たった今」

「早っ。じゃあもう帰っちゃうの?」

「五時前まではいるよ。新しく入る子を紹介するらしいし」

「にゃるほど。ユキにゃんはPチャンから何か聞いてる?」

「さっき聞いたけど後で紹介するからって言われちゃった」

 

みくにゃんは納得の表情を浮かべながら言葉を続けた。

 

「あー、それもそうにゃあ。それにしても今日のユキにゃんはいつにも増してメイクも服もオシャレさんにゃ!」

「宣材写真だしね。メイクはメイクリストさんにしてもらったよ」

「そ、そんな人がいるの? じゃあその軽くウェーブがかかった髪も?」

「いや、これは自分で」

 

そんな風に話していると、後ろからさちょいちょいと私の服が引っ張られる感覚を覚えた。

 

「……天の御使いよ、我もいるぞ」

「ワタシも、です」

 

私の事を“天の御使い”という訳の分からない呼び方をする人物など一人しかいない。言わずもがな神崎さんだ。もう一人の片言な日本語を操る人物はアーニャちゃんだろう。いつの間に。全く気が付かなかったが、もしや私が撮影している時にでも到着したのだろうか。いや、それだったら視線の先だし、流石の私も気が付く筈だ。これは一体どういう事なのか。謎が深まる一方だ。

 

「……二人共いつの間に」

「いや、普通にみくと一緒にきたけど」

「はは、ジョーダンはよしこちゃん」

「は? さむ」

「む! 猫の化身の申す通り、我らは時を同じくして此が地へと降誕した!」

「ダー、ミクの言う通りです」

 

ここでまた驚くべき事実が発覚。どうやら私の目が節穴だっただけらしい。ついみくにゃんに目線を奪われてしまったようだ。これは申し訳ない事をした。後今みくにゃんに何か言われた気がしたけど、気のせいだよね! そういう事にしておこう!

 

「あー、ごめんね。全く気が付かなかった」

「正直だけどそれはそれで酷いにゃ」

「…………まあ良い。天の御使いよ、お前の全てを許そう」

「アーニャ、少し寂しかったです!」

 

神崎さんはやれやれといった具合に、アーニャちゃんは擬音にプンプンとでも付きそうな様子でそう口にする。普段であればイラっときそうな神崎さんの仕草も、今回は私が全面的に悪いので申し訳なさが先立つ。わざとじゃないとはいえ彼女ら二人を無視した形になってしまったのだ。面目次第もない。しかし可愛すぎるみくにゃんにも少しは責任がある筈だ。訴訟。

 

それから少しすると他の面々も揃い、四十五分を少し過ぎる頃にはCPメンバー十二人全員が勢揃いした。そして武内さんから皆に改めてこれからのスケジュールを発表される。

 

「──ポーズに関しては自由で構いません。他に何か質問はありますか? ……なければ私は少し出ますので、その間準備をお願いします」

 

言葉通り武内さんが部屋から退出すると、先程私にメイクを施したメイクリストさんがメンバーへと順繰りにメイクを施していく。その様子をメンバーの会話をBGMにぼーっと眺めているといつの間にか十七時を迎えようとしていた。武内さん戻って来ないな。何かあったのだろうか。

 

とはいえ、何かあったとしても私は私でやるべき事があるのでそろそろ出なければならない。隣に座っている神崎さんに伝言を頼んで退出するとしよう。

 

「我が大呼吸にて此の世に大穴を開け……」

「あ、神崎さん。私もう行くから、武内さん来たら伝えといて」

「む、そうか。では天の御使いよ、さらばだ」

「サラダバー?」

「さらばだー!」

 

最後に神崎さんを少し弄りつつ、私も部屋を退出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

「お疲れ様です」

 

ガチャリとCP(シンデレラプロジェクト)の部屋の扉を開くと武内さんの部屋の扉に群がってる娘達がいた。

 

“Unknown Invaders”の撮影は滞りなく終了。仁王立ち、腕組み、見下す様な表情、の三連コンボを成し遂げた私は、見事一発合格を果たしたのである。

 

その後、本日三度目のシャワー(一回目は起床後)を浴びていると時刻は既に十九時を回っていた。本来ならば速攻で帰りたくなる時間帯ではあるが、新メンバーへの挨拶くらいはしておこうという事で赴いた次第だ。見当たらないので恐らく武内さんの部屋にいるのだろう。安易に想像ができる。それにしてもみくにゃんは可愛い。

 

扉の先の光景に興味津々な娘達から程々に挨拶を返された私はコクリと一つ頷き、ソファへとどっしりと座り込んだ。今日は少し気を張ったから疲れた。

 

「天の御使いよ、魅惑の黄昏時であるな。ところで其方、偶像世界への帰還を果たしたのでは?」

「え? ……ああ、いや、エキストラの仕事で抜けてただけだよ」

「そうか……む、闇の侵食が随分と顕著に現れておるようだが」

「あー? ああ、うん、疲れたねー」

 

神崎さんがぽすんと隣に座ると、私は窓の目の前で座り込んでいる二人へと声をかけた。

 

「お疲れ様」

「あっ、深雪ちゃんお疲れ様」

「お、お疲れ様ですっ」

「ソファに座ったらどう?」

「ひゃっ、う、うん……」

「そ、そうだね」

「……」

 

私がそう言うと、三村さんと緒方さんは少しびっくりしながら向かいのソファへと座った。緒方さんに至っては小さな悲鳴をあげていた。哀しい……この世は哀しい……。どうやらまた少しキツイ言い方になってしまったようだ。ただ疑問を言っただけなのに……。どうにか言う前に気付けないものか。

 

「あの群がりは新メンバーの?」

「あ、知ってたんだ。ライブに出る出ないで話してるらしいよ」

「ライブ? もう自分の曲持ってるんだ」

 

そいつは凄い。期待の新人といったところか。いや、それだと私たちが期待されてないみたいに聞こえるな。

 

「え、えっと、そうじゃなくて……城ヶ崎美嘉さんのダンサーだよ」

 

へー、美嘉さんと踊るんだ。これはまた最初から中々難易度の高いスタートだな。美嘉さんってあんなだけどテレビではカリスマギャルとして扱われ、アイドルとしての人気も実力も高いんだよね。のあさんが言ってた。どういった理由で抜擢されたのか気になる。ギターの私とは違ってダンサーとしてステージに立つんだから何のトレーニングもしていないトーシローには相当きついと思う。主に体力的な意味で。

 

「もしかしてそれって今度あるライブの?」

「是也。新たな同胞らは近き日の宴に、()の者による“荒ぶる鼓動”の乱舞へと(いざな)われているわ」

「アラブ……?」

「え、えっと……」

 

ふーん、“NUDIE★”じゃなくて“TOKIMEKIエスカレート”を踊るんだ。まあ個人的にはトキメキの方が見てて楽しいから好きだけど。

 

「三人?」

「うむ。これで我等灰被りは総勢十五名となった」

「奇数かぁ、一人余るね」

「三人体制であれば余らぬ」

「まあそうだけど、大体二人組でしょ?」

「然れど、我等には“血を分けし四柱の導き手”がおるであろう」

 

確かにトレーナーさんを入れると偶数になるけど……まあいいや。

 

「あ、あの感想はどうなんだろう……?」

「そもそも感想になってるのかな……?」

 

目の前の二人が何やらコソコソ話しているが、普通に丸聞こえである。可愛らしいとは思うが、もう少し声を潜めなさい。

 

あ、そういえば花屋の凛ちゃんからのMINE、昨日から返信してなかった。面倒だけどこれ以上間を空けると気分的な問題で更に返信が面倒になるから取り敢えず返信しておこう。

 

 

昨日

 

渋谷凛【明日からいよいよ活動が始まるよ】

渋谷凛【写真撮影があるらしいんだけど、制服のままでいいかな?】

 

 

今日

 

みゆき【前言ってた奴の?】

みゆき【それでいいんならいいんじゃない?】

みゆき【って、もう遅いか笑】

 

 

忘れてたって言うのもあれだし、今気付いたって感じで誤魔化しとこ!

 

シレッと返信を返し携帯をしまうと、私は目を閉じながら明日の休みに想いを馳せる。明日は今日とは違い一日中フリーの日だ。度が過ぎなければ何をしようとも誰にも咎められない。最近はユニット活動が忙しくて丸々休みの日というのは多くはないので明日の休みは結構貴重。休み……あゝ、なんと素晴らしき響きか。出掛けるも良し、寮でダラけるも良し……最高かよ。

 

「アタシもやるー!」

 

内心喜びの声をあげていると、扉の前で待機していた莉嘉ちゃんが突如部屋の中へと吶喊(とっかん)を開始した。新メンバーのライブの事だろうかと少し勘繰るがそれより明日の事だと思い直し再び思考に耽る。しかし目を瞑っていた弊害か恐ろしい程の眠気が一気に襲ってきた為即座に中止。

 

「ふふ、本日の其方は“眠り姫”か?」

「百年経つ前に餓死するわ。いや眠いけど」

 

いけない、身体が既に睡眠モードに突入している。睫毛に鉛でも絡まれているかの如く重い瞼を持ち上げ、舟を漕ぐ身体を抑えようとするも中々思い通りにいかない。常備しているスーパー目薬をさすも状況は変わらなかった。シャワー浴びたばかりでサッパリしているはずなのに何故眠くなるのか。

 

このソファーがもう少し柔らかくて肘置きが低ければ全然寝れたんだけどなぁ。枕もないし、どうしようもない。仮眠室に行くか……? いや、普通にそこまで行くの面倒だし目覚めたら昼になっている可能性が高い。別にそれでいいっちゃいいんだけど、それから寮に帰るのが面倒。仕方がない、顔洗ってこよう。

 

「ちょっとトイレ」

 

ゆっくりと立ち上がり、なんとなく神崎さんの頭を撫でる。立ち上がった事で少し眠気が(おさま)った。

 

先程と変わらず扉の前に群がっている娘達を横目に出入り口の扉へ向かっていると部屋の中から四人の人物が出て来た。三人は知った顔だったが、一人は見た事ない顔だった。恐らく新メンバーだろう。

 

「いやー、まさかまさかの大抜擢! 流石は未央ちゃん! さっきお釣りでギザ十貰っただけあるよ〜!」

「いや、それ関係ないでしょ★」

「に゛ゃ〜! ミクもステージ立ちたいにゃ〜!」

「ねーねーおねーちゃん! アタシもでーたーいー!」

「みりあもー!」

「莉嘉もみりあちゃんもまた今度ね★ 今度のライブはこの三人に任せ……げっ」

 

じーっとCP部屋の出入り口の前で様子を見ていたら美嘉さんが私に気が付いた。げっ、とは失礼な。

 

「お疲れ様です、美嘉さん」

「あ、うん、お疲れ……」

 

一気に疲れた様子を見せる彼女。また私がおちょくるとでも思っているのだろうか。流石の私でも先輩を皆の前で弄る気はないし、私も疲れているからそんな元気はない。私が注目しているのは彼女の挙動だ。彼女のアカギさんに対する視線は他に対してあからさまに違う時がある。今は完璧に偽装されているが私の目は誤魔化せない。

 

「だ、大丈夫だって! アタシだって時と場所くらいは考えるってば!」

 

そんな私の思いが伝わったのか、彼女は必死に弁解する。本当だろうか。俄かに信じがたい。彼女の隠蔽技術は日に日に上達しているが、ロリータコンプレックスの度合いにも拍車がかかっているのだ。

 

「ん? 美嘉()ぇ誰と話してるの……ってもしかしてCPの最後の一人!? 私は本田未央! これからよっろしくぅ!」

「……あ、小暮深雪です」

 

成る程、彼女は本田未央と言うのか。本田さんだな。それにしても元気だなぁ。恐らく彼女は私が危惧していた通りのムードメーカーという奴だろう。ムードメーカーの壁を作らない……っていうか遠慮のない接し方が苦手なんだよなぁ。嫌いじゃないんだけどね。

 

……おっと、これは偏見か。美嘉さんも見た目はギャルの中のギャルって感じだけど中身はぶっちゃけそうでもないし。人は見かけによらないのだ。これから彼女を知っていくとしよう。

 

「んもぅ、テンション低いぞ〜! もっと元気出してこー! ところで、何の話だったの?」

 

本田さんが聞いてくる。素直に伝えようと悪戯心に思ったが美嘉さんがダメダメと必死に顔を横に振っていたので取り敢えず誤魔化す事にした。

 

「……いや、何でもない。それより後の二人はその部屋?」

「あ、うん、そうだよ。おーい、二人共ー」

 

本田さんが後の二人を呼ぶ。部屋の中にいるんだったら態々呼ばなくても私が入ればいいだけなんだけど、まあいいか。

 

「未央ちゃんどうかしましたか?」

 

そう言いながら顔を出したのは、先日私と衝突した素晴らしい笑顔の子に──

 

 

「どうしたの? ……って、なんで深雪がここに……?」

 

 

──花屋の凛ちゃんだった。

 

 

…………んん!?

 

 

 

 

 

 



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第25話 花屋の凛ちゃん、アイドルになるの巻

どうも皆さん。お疲れ様です。ほぼ二ヶ月投稿してませんでしたが、私は元気です。

というのも仕事が多忙(建前)なのと、最近fgoにハマった事(本音)と、それにより今まで読めなかったfgo小説を読み漁っていたこと(本音)が原因です。面白いの多いからね、しょうがないね。




 

な、何故花屋の凛ちゃんがこんなところに……?

 

ピシリと固まりながら理由を考えてみる。

 

遊びに来た? そもそも私がここに通ってる事自体知らないだろうし、簡単に入館できる場所でもない。

 

バイト? この会社は高校一年生を雇う程の人材不足なのか? 確かに武内さんの仕事量を見てると人材不足感は否めないけど、それは多分ないだろう。

 

誰かの迎え? あり得るけど苗字からして血縁者は多分この中にはいない。

 

という事はもしかして……

 

「あっ、あの時の! この間はありがとうございました」

 

こちらもまた何故かいる、笑顔が素晴らしい女性がこれまた素晴らしい笑顔をこちらに向けながら話しかけてくる。

 

「いえ、ぶつかったのは私ですから気にしないでください。花は元気ですか?」

「はい! お部屋に飾ってます!」

 

それは良かった。ないとは思うけどあれが原因ですぐ枯れたとか言われたら居た堪れないし。

 

「なになに、もしかして二人って知り合いなの?」

「いや、顔見知り程度」

「へーそうなんだ! 実は遠い親戚とか?」

「……まあ、ちょっとあってね」

 

なんとなく説明するのを憚られた私は本田さんの追求を適当にはぐらかした。

 

「それにしても凄い偶然ですよね! あの時の女の子が、まさかアイドルで、そして一緒にアイドルをやる事になるなんて」

「……という事はやはり三人がCPの新しいメンバーなんですか?」

「はい!」

 

彼女の肯定の言葉に、私は驚愕と納得の思いが心の中で渦巻いていた。

 

彼女の言う通り、まさかあの時衝突した女の子が私と同僚になるなんて露程にも思わなかったというのもある。とはいえ、私なんかよりもっとずっと非常に素敵な笑顔を振りまく彼女なのだ。スカウトの基準が笑顔な武内さんに見出される筈だ。

 

「はいはーい、ご名答ー! 改めてよろしくね! くれみー!」

 

本田さんが元気に手を上げながら後ろから肩を掴んでくる。なんか初対面にしては馴れ馴れしいなぁ。嫌ではないけど。

 

というか、くれみー? もしかして私の事? そんな渾名を付けられたのは生まれて初めて……いや、そもそも渾名で呼ばれる事がこの十数年間なかったから実質渾名を付けられる事自体が初めての経験かもしれない。……べっ、別に悲しい訳じゃないんだからね! そもそもキャラじゃないからね、しょうがないよね。……ちょっと嬉しいと思ったのは内緒。

 

「……あっ! 自己紹介がまだでしたね。島村卯月です! えっと、小暮深雪ちゃん……ですよね?」

「はい、小暮深雪です」

「なら、深雪ちゃんですね! これからよろしくお願いします!」

 

まさかの再会に多少は吹き飛んだものの眠気で若干テンション低めの私に、二人は対照的に非常に元気良く口を開く。元気な若者というのはそれだけで元気が貰えるから私にとっては非常に好ましい。

 

……さて、内心で好感度を高めながら挨拶も程々に、続いて本題だ。私は先程からチラチラの此方を見ている彼女を一瞥して声をあげる。

 

「あ、あー、この部屋を退出して微妙に長い廊下を歩いて曲がり角を右に曲がって更にその隣にある十字路を左に曲がったその右側にあるトイレに行きたいなー」

「えらく具体的すぎない?」

「……! わ、私も……」

 

花屋の凛ちゃんはハッと気が付いたような表情を浮かべ、私の言葉に便乗した。よし、気が付いたか。目が合った私達はコクリと頷きあう。

 

「……」

「……」

 

彼女を連れて廊下へと出る。少し歩いて部屋から離れたところで私から切り出した。

 

「それで、花屋の凛ちゃん……だよね? 今日は部活初日じゃなかったの?」

「……えっと、まだ言ってなかったんだけど、実はアイドルになったんだ」

「聞いてないんけど」

「だから言ってないんだってば」

 

あの状況からして薄々そうとは思っていたが、まさか本当に花屋の凛ちゃんもアイドルになったとは……。先日ぶつかった女子高生もアイドルで植木鉢を購入した店の店員さんもアイドル。そしてオマケに私もアイドル。つまりどういう事だってばよ。

 

「ていうか深雪帰ったんじゃなかったの?」

「帰ったっていうか仕事で抜けてただけで、ってその事知ってるって事は……」

「うん、深雪が来る前に皆から聞いたよ。深雪、アイドルだったんだね。なんで教えてくれなかったの?」

 

ジト目で此方を見つめる花屋の凛ちゃん。成る程、事前に情報を得ていたのか。だからさっき目があった時私と違って反応が薄かったんだな。

 

「いや、別に隠してたつもりはないけど……デビューしてる訳でもないから言う程の物かなと。言われたところで「で?」って感じだし、しかもそれお互い様でしょ?」

「……確かに」

 

寧ろ私だったら自慢かよって苛つくと思う。余計な事言いな人は嫌われるからね。そういうの結構気遣ってるんだよ。

 

「オーディション?」

「いや、この前プロデューサーにスカウトされた」

「……よくあんな強面の人の話を初対面で聞いたね」

「全く興味なかったからずっと相手にしてなかったんだけどね。でも、卯月の夢を聞いて、プロデューサーに可能性を感じて、そして深雪の後押しがあったからアイドルってやつをやろうって決心したんだ」

 

花屋の凛ちゃんが真剣な表情を浮かべながら私に説明する。

 

……おっ? 何の話だこれ? 私の後押しって何の事なの? 全く記憶にないんだけど。

 

「そういう深雪は? オーディション?」

「いや、私もあの人からスカウトされたよ。同じくその時まで興味なかったし」

「そうなんだ……って深雪も人の事言えないじゃん」

「……確かに」

 

そう考えたら私って少し話聞いただけでよくアイドルになろうって決心したよな。……あれ、もしかして私って意外とチョロい? いやいや、私程ガードが固い人なんてそうそういないだろう。なんてったっていつもスタンガン常備だからね! 今も鞄の中にひっそりと息を潜めてるし。

 

「……ねぇ」

「なに?」

「深雪がよく私に勧めてた“Unknown Invaders”ってさ……もしかして深雪の知り合いなの?」

「えっ!? き、急にどうしたの……?」

 

いきなりの核心をつくような問いに、私は驚きを誤魔化せなかった。というのも彼女の聞き方は疑問というより確認の度合いが高かったように見受けられたからだ。

 

「……その反応だとやっぱそうなんだ」

「う、うん、実は当人……じゃなくて知り合いなんだ」

「へー……ん? 当人?」

「い、いや、桃仁だよ桃仁! 桃の種子の核を乾燥させた漢方の事だよ!?」

「ふ、ふぅん……?」

 

あ、あぶねー!! 危うく真実を伝える所だった! 眠気と動揺のせいで口が少し滑ってしまった。というかもう少しマシな言い訳は無かったのか。なんだよ桃仁って。自分でも知ってた事のが不思議なくらいだわ!

 

「……でも今思い出して見るとあのユニットのメイクが凄い人、深雪に似てる気がする」

「気のせいじゃないかな!」

「いやでも、体型とか空色の髪とか意外と共通点あるし」

「えっ、嘘!? 髪見えてた!?」

「えっ?」

「へ? ……ぁっ」

 

ぬ、ぬおおおお!! どうしてこんなに素直な反応をしてしまうんだ私はああああ!! 口の滑り具合がやばい! 眠いから!? 眠いからなの!? こんちくしょーー!!! 憎い! この滑りまくる口が憎い! 何よりも未だに眠くてあんまり回ってない頭が心底ムカつく!! だああああああああ!!! くぉああああああああ!!! ほぁああああああああ!!!

 

「み、深雪、大丈夫……?」

「ふーっ、ふーっ!」

「落ち着いて」

「……はぁ、ふぅ」

 

い、いかん、自分の滑りまくる口にムカついて興奮しすぎた。これが俗にいう身体は正直だなってやつか……できれば知りたくなかった。

 

私は両手で目を押さえながら天を仰ぎ、溜息とも区別が付かないような深呼吸を何度か繰り返した。

 

「……ごめん、取り乱した」

「ほんとにね。もしかして聞いたらダメな事だった?」

 

少し不安げな表情で此方を伺う彼女。確かに追求されたくはなかったけど、そもそもの原因は私が彼女に自分のユニットを勧めた事だからね。気になるのも仕方ない、人間だもの。ゆきを。

 

……よし、冗談言える程度には復活した。こうなったら訳を話すしかあるまい。杏ちゃんに聞かれた時はなあなあに誤魔化したけど、彼女一人くらいになら説明しても問題ないだろう。というかもう誤魔化しは効かない段階だし、寧ろ他に波及しないようにしっかり説明せねば。

 

「出来ればね。他の人がいる前では聞かないで」

「……本当にあのメイクの人って深雪だったんだ。冗談のつもりだったんだけど」

「……え? 嘘?」

「あ、うん。体型はともかく髪は嘘だよ。……ごめん、そんなに取り乱すとは思わなかったんだ」

「……いや、もういい。寧ろ嘘だと分かって安心してる」

「……皆には秘密にしてるの?」

「うん、実は──」

 

私は彼女の中々にタチの悪い冗談に安堵した所で皆に隠している理由、つまり目指しているアイドル像を話した。

 

「そういう事だったんだ……分かった。さっきの事は誰にも言わないよ。……で、それは分かったんだけど」

「けど、どうしたの?」

「深雪があのユニットを勧めてきたのはなんで? ただ単に自己宣伝?」

「……まあそうだけど、でも好きなのには変わりないから」

「自分の曲なのに?」

「自分の曲だからこそじゃない?」

「そういうものなんだ……」

 

そういうものです。好きじゃない曲を心を込めて演奏するなんて出来っこない。好きこそ物の上手なれってやつ? ていうか今普通にぶっちゃけちゃったけど、大丈夫だったかな? まあ、怒ってなさそうだし大丈夫か。あわよくばCDも買ってもらおうとも思っていたが、流石にそれ言ったら怒られそう。

 

「説明したついでにだけど、花屋の凛ちゃんは何かなりたいアイドル像ってあるの?」

「……まだ実感も湧かないし、分かんないよ」

「そっか……まぁ、やってたら見つかると思うよ、多分」

「多分って……」

「だって当人じゃないし」

「……それもそうか」

 

私の言葉で花屋の凛ちゃんは少し考えるように視線を下へ向ける。とはいえ、時計で確認したところ部屋を出て十分が経過しようとしているので、そろそろ戻った方が良いだろう。

 

「取り敢えず聞きたい事は聞いたし、戻ろうか」

「そうだね。……深雪」

「なに?」

 

踵を返し歩こうとすると呼び止められたので一体何かと再び顔を向けるが、何故か彼女は少し言いにくそうに間を空ける。どうしたのかと疑問に思いながら待っていると、ようやく小さなその唇から言葉が紡がれた。

 

「これから、その……よろしくね」

「……うん、よろしく」

 

改めて言うのが恥ずかしかったのか、少し照れながら微笑むその表情は、正にアイドルのような、とても綺麗な笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

メンバーの仕事の都合で早めに終わった“CB/DS”としての練習。と言ってもライブまでもう日が無い為、学校を早退して早めに練習を始めたので実質プラマイゼロである。後日のノート写しが面倒ではあるが仕方のないことだ。杏ちゃんのを写させてもらおう。

 

早く終わったということでCP(シンデレラプロジェクト)の練習へと赴く私。今の時間帯であれば僅かではあるが練習に参加できる筈だ。本日のレッスンルームへと辿り着き、中へ入ると当たり前だが既に練習が始まっていた。

 

見ると部屋の中で2グループに分かれており、一つはトレーナーさんから指導されている組。私は此方側だ。もう一つは最近入った本田さん、島村さん、花屋の凛ちゃんのグループ。指導はトレーナーさんではなく美嘉さんが直接行なっている。恐らく本番が近いので連携を取る意味合いもあるのだろう。

 

「……ふむ」

 

四人のダンスを眺めながら、どの場面だろうかと考える。音源がないので踊りで判断するしかない。既に『TOKIMEKIエスカレート』は予習済みなのでよく考えれば分かる筈だ。考えろ、私! ……むむむ、閃いた! 二番のBメロだ! 間違いない!

 

「小暮! 突っ立ってないでさっさと此方へ来い!」

 

怒られてしまった。答えを確認するまで見ていたかったのだが、仕方あるまい。私は素直にトレーナーさんの方へと足を運んだ。

 

「お疲れ様です」

「ああ、お疲れ。今日は来る日だったか? まぁいい。神崎も今来たところだから二人でしっかり柔軟しておけ」

 

トレーナーさんはそう言うと、ダンスの指導に戻った。因みに現在指導を受けている子は三村さん、緒方さんで、新田さんとアーニャちゃんが丁度休憩をとっている。よく見ると新田さんがじーっと、まるで探る様な目でこちらを見つめているが……何かあったのか。

 

「ミユキ、お疲れ様です」

「アーニャちゃんお疲れ様。新田さんもお疲れ様です」

「えっ? あっ、お、お疲れ様っ」

 

少し難しい顔をしていた新田さん。私が声を掛けると今気付いたかのような反応を見せたので恐らくぼーっとしていたのだろう。もしかして疲れが溜まっているのだろうか。

 

「新田さん、体調悪いんですか? 心ここに在らずって感じですけど……」

「ミナミ、病気ですか!?」

「だ、大丈夫よ! 元気だから、ありがとう」

 

ならいいのだが。さて、そろそろ柔軟を始めないとまた怒られそうだ。早速始めるとしよう。

 

「神崎さんやろうか」

「うむ、よくぞ参った。さぁ、我が背中を押せ。晩鐘が汝の名を示す前に」

「請け負った」

 

いつもより物々しく低い声で口にする神崎さん。この台詞の元は最近始めたゲームの彼女のお気に入りのキャラらしい。一番最初に当たった最上級レアという事で愛着が湧いたとのこと。詳しくは知らない。

 

「このくらい? もうちょっと?」

「うむ、もっと押しても良い……」

 

そのまましばらく順繰りで柔軟を続けていると三村さん達の指導が終わり、続いて私達の番となる。一昨日に練習したばかりなのできっと大丈夫な筈。……と思っていたが

 

「小暮! 手の動きが甘いぞ! 指の先まで意識しろ!」

「小暮! 足が伸びきってない! 意識が足りんと言っているだろう!」

「小暮! そんな動き教えてないぞ! 創作ダンスなら家でやれ!」

 

ヒィッ! 全然そんな事なかったよ! 凄まじいほどの集中砲火! しかし、それも仕方のない事だった。何故なら私は彼女らに比べて練度が足りていないからだ。こっちの練習抜けてあっちの練習してるからね、しゃーなし。

 

隣の神崎さんも何度か指摘を受けていたが、とはいえ私とは経験の差があるので細かい指摘が多かった。ここ数ヶ月で慣れはしたが中身がおっさんを通り越してジジィオブザジジィの私には運動という言葉自体が辞書に載っていなかったのだ。それ相応に運動は苦手である。そりゃあ授業で動かす事はくらいはあるけど大体手抜きだし。冬の授業で恒例のマラソンなんかも学年全体で比べても下から数えた方が早い。嫌いじゃないけど別に好きでもないという。汗を流すのは気持ちいいから好きだけどね。

 

「……よし、時間も時間なので今日は終わりだ。お疲れ様」

 

お、終わった〜。今日は泥の様に眠るのは確定だよ。もう課題なんてしらない! 明日杏ちゃんに写させてもらうとしよう。

 

「はぁ、はぁ……ふぁ〜」

 

私はペタリと座り込み壁に寄りかかる。バッグから取り出した相棒(タオル)で滴り落ちる汗を拭うが中々おさまらない。今は四月の中旬、まだまだ肌寒い季節の筈だが、少し厚着しすぎたか。

 

上着を脱ぎ捨て肌触りの良いシャツに張り付く汗を拭き取ると、シャツをパタパタさせて素肌に風を送る。汗がまだ乾ききってないので少々肌寒くはあるが、これくらいが丁度良いのだ。

 

「……ふぅ、はぁ、疲れた。神崎さんもお疲れ」

「はぁ……わ、我に疲労という、概念は存在せぬ。……この程度、ふぅ……造作も無き事よ」

 

という事は明らかに疲れているように見えるのは私の気のせいということか。流石大魔王。

 

「そ、それにしても……はぁ、人の身体という物は余りにも非合理が過ぎる」

 

うるせーわ。結局それ疲れてるって事じゃん。ていうかそれ前も言ってなかった?

 

そんな事より飲み物飲み物……あ、アクアリウス買ってくるの忘れた。あれ運動した後飲むとめちゃくちゃ美味しいんだよね。

 

「飲み物買ってくるけど、なんかいる?」

「我には深淵の霊草を煎りし黄金水を所持している。故に不要である」

 

そう言ってジャスミン茶で喉を潤す大魔王。

 

「そう? じゃあ買ってくる」

「うむ」

「ま、待って! わ、私も行くわ」

 

立ち上がり部屋を出ようとすると、運動後の柔軟をしていた新田さんが同行すると言い始めた。うむ、勿論構わないとも。早くアクアリウスを買いに行こう。

 

二人で自販機のある場所へと歩みを進める。四ヶ月も一緒にいれば自然と雑談くらいは出来る仲となっていたので、気軽に会話を進めながら二人で飲み物を買う。途中よく分からないことを聞かれたのだが……一体なんだったんだろう?

 

「1、2、3、4──」

 

部屋に戻ると神崎さんが壁側を向いて柔軟していたので、こっそり近付いて買ったばかりの冷たいアルミ缶を彼女の頬へと当てる。

 

「ふひゃ! ……天の御使いよ、何の真似だ?」

「別に」

「そ、素っ気ない……」

 

返事を返してアクアリウスを一気に飲み干すと、そのままなんとなしに花屋の凛ちゃん達の練習風景を眺める。

 

慣れないであろうダンスを流れる汗を煌めかせて踊る彼女らは、楽しそうというよりかはどちらかと言うと必死で余裕が無さそうに見える。それもそのはず、アイドル養成所に通っていたという島村さんはともかく本田さんと花屋の凛ちゃんはダンスのダの字も知らないトーシロー。しかも本番が既に目前まで迫っているのだ。余計な思考に割く時間はないのだろうし、内心焦りが生じているのだろう。プレッシャーも相当大きい筈だ。私だって初めてのライブは緊張いっぱいで胸焼けしてたのだから。そしてそれは島村さんだって同じ筈。何か彼女らの助けになる事を同僚としてしてあげたいが、何かないだろうか。

 

少し考えを巡らす。……そうだ! 飲みに……は彼女ら未成年だし、無理か。いやそもそも私も未成年だったし、よく考えたらただの私の願望だったわ。畜生め。黄金の麦茶(偽)とか水のお湯割り(偽)とかは家ではこっそり飲んでたけど、やっぱり店で飲む方が好き。何故なら店には最強のお供達が勢揃いしているからだ! 焼き鳥とか鉄板物とか揚げ物とか! 昔食べたあの店の分厚いタンステーキとか美味かったなぁ。くーっ、たまんねーぜ! でも流石に未成年のみじゃ居酒屋とか無理だろうからなー。お酒買うくらいなら日本人離れした顔付きだからいける可能性は五分五分くらいだと思うけど……やめておこう。バレたら人生棒に振る事になる。

 

……ごほん、話がずれたな。飲みが駄目なら精をつける為に焼肉なんてのはどうだろうか。でも、うーん、今時の女子高生って焼肉って言われて喜ぶのかな? 勝手なイメージだとなんとなく本田さんなら喜びそうだけど他二人はあんまり乗り気にならなさそう。さり気なく聞いてみよう。

 

「──5、6、7、8! ふーっ、今の感じ忘れないでね! て事で今日は終わり! お疲れ様★」

 

どうやら彼女らの練習も終わったようだ。今の話はまた改めて何かしら考えておくとしよう。

 

「はぁ、はぁ……あ、ありがとう、ございました……」

「お、お疲れ様でした……はぁ、ふぅ」

「……はぁ、はぁ」

 

疲れを隠し切れない三人。特に花屋の凛ちゃんの疲労が大きい。それに比べて美嘉さんはまだ幾らか余裕がありそうだ。これも年季の差というものか。

 

「しっかり柔軟しときなよ? それじゃ、またね★」

 

座り込む三人にそう言い残すと、美嘉さんは荷物を持って部屋から出て行った。……あっ、挨拶しそびれたけど、まあいっか。

 

「三人共お疲れ様です」

「ふぅ……あっ、くれみー来てたんだ。お疲れ様!」

「お、お疲れ様ですっ」

 

私は神崎さんにも言ったように三人を労う。声に張りが戻っているので落ち着いてきたのだろう。

 

「花屋の凛ちゃんも、お疲れ様」

「お疲れ……アイドルって、大変なんだね」

「仕事だしね。どんな職種だって最初は何かしら苦労するものだよ」

「……そんなもんか」

「やっていけそう?」

「まだ、分からない……でも、ライブをやりきったら、何か掴めそうな気がするんだ」

 

真剣な目をこちらに向ける花屋の凛ちゃん。どうやらヤル気は十分のようだ。

 

「頑張り過ぎても仕方ないからあんまり気張らないようにね。じゃ」

「あ、うん」

 

激励も終わったのでさっさと帰るとしよう。前も言ったかもしれないが寮生は実家勢とは違い夕飯に制限時間があるのだ。しかも今日のお菜は私の好物のチキン南蛮。絶対に遅れるわけにはいかない! 絶対にだ!

 

「神崎さん! アーニャちゃん! 帰るよ!」

「承知」

「ダー」

 

皆への挨拶を済ませると、私達は着替えて帰途に就くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回でライブは終わらせたいなと漠然とは思っていますが、どうなるかは分かりません。そもそも次回投稿もいつになるのやら……。気長にお待ちくださいますようお願い申し上げます。






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閑話 歓迎会

そこ、いつも閑話だろとか突っ込んではいけない。


 

 

渋谷凛『焼肉? まぁ人並みには好きだよ』

 

 

うづき『お肉ですか? 私は壺漬けカルビが好きです!』

 

 

未☆央『お肉? おっにくぅ〜〜⤴︎⤴︎』

 

 

 

 

 

……はい! という事でね、やって来ました。焼肉屋へ!

 

いや、ね? 結局かよって感じだよね? 勿論あの後色々と女子っぽいオシャンティなお店を探してみたんだよ? でもしっくりこなくてなんやかんやでこうなりました(と言ってもスイーツの食べ放題くらいしかそれっぽいの思い付かなかったんだけども)。ケーキとかいつまでも食ってられるかっての。

 

あ、主役達には上記の通りMINEで聞いて好反応を頂いた上での決定だから問題なし! 本番前に美味い肉を食べて精をつけて、英気を養ってから本番に臨んでほしいという私の心の表れである。一応歓迎会の意図も含めている。今日の今日までずっとレッスン詰めの日々だったから誘う機会がなかったのだ。良いタイミングだ。因みに今日は金曜日。本番が日曜日なので土曜日はやめとこうという事でこの日になった。

 

そして勿論だが他のメンバーも誘っている。家が遠い関係で残念ながらアカギさんと莉嘉ちゃんが不参加だ。親御さんを心配させてはいけない。主役の本田さんもそこそこ時間がかかるらしいが「遅くなったらしぶりんの家に泊まらせてもらうから大丈夫!」と言っていたので大丈夫だろう。

 

ただ皆を誘った時に三村さんが百面相を浮かべて自分のお腹を愛でるように、それでいて恨めしそうに撫でながら「さらば……ダイエットの日々よ」と哀愁を感じさせる雰囲気で呟いていたのが気になる。別に太ってるわけじゃないのにダイエットなんておかしい。彼女は十分標準体型の筈だ。仮にあれが太ってるのだとしても正直私は好き(聞いてない)。抱き締めると優しく包んでくれそうだし、彼女のおおらかな性格も相まって絶対に癒される。

 

それはさておき焼肉なのだが、店は特に拘らず、島村さんの好物という壺漬けカルビが置いてある店をピックアップして決めた。初めの方は漠然と焼肉ウ○ストでいいやろみたいに思っていたのだが、調べていくうちに驚愕の事実が発覚したのだ。なんとウエ○トは福岡近辺にしか存在しないチェーン店だったらしい。これには西(日本)に小暮ありと謳われたこの小暮深雪と言えども驚きを禁じ得なかった。これも福岡から殆ど出ない弊害という事か。

 

因みにウエス○とは今言ったように福岡近辺に存在するチェーン店の事だ。一概に○エストとは言ったものの、その様態は“うどん”と“焼肉”の二種類に店が分かれている。

 

うどんの方は福岡特有の柔らかい麺が汁と絶妙に絡み合って美味しいのだ。因みにコシが全くない事から別名“腰抜けうどん”とも呼ばれている。そしてうどんだけでなく蕎麦や丼物も中々美味しい。この店のせいでうどん屋では大体天丼を食べるようになった私が言うのだから間違いない。福岡近辺でも有名なチェーン店だ。

 

焼肉の方は肉の種類も豊富で上質な物を揃えているのだが、なんと言ってもタレが美味い! 家に持ち帰って自家用で使いたいレベルの美味しさだ。まあ私は塩胡椒派なんだけども。

 

そういう訳で福岡ではポピュラーなチェーン店なのだが、残念ながら東京には存在しないという事なので色々調べた結果今いる店になったという訳だ。拘りは無いと言ったが一応部位の品揃えを確認しながら選んだのはご愛嬌。

 

席に着くとまずは飲み物を頼み、それを終えると私と新田さんで肉を適当に選んでいく。

 

「皆ご飯はいる?」

 

「はいはーい、私、大で!」

「わ、私は中で」

「私はビビンバ」

「あっ、私も!」

 

皆が各々食べたい物を口にする。その一つ一つを漏らさずチェックしていく新田さん。

 

「深雪ちゃんは?」

「私サンチュで」

 

私はいつもご飯でお腹がいっぱいになってしまうので肉はサンチュで食べるようにしているのだ。飲み物とかも炭酸飲むと胃が膨れるからお茶を飲むようにしている。

 

「……天の御使いよ、サンチュとは如何なるものか」

「えっと、野菜で確かレタスの一種だったような」

「ほほう、それは美味なるものなのか?」

「いや、別に。ただの野菜だし」

「そ、そうか」

 

少し経つと、頼んでいたドリンクが私達のテーブルへと運ばれていく。

 

「えー、僭越ながらここは(わたくし)、本田未央が一言。ごほん、まずは私達のためにこの様な会を開いて頂きありがとうございます」

「硬過ぎにゃ! 社会人の飲み会か!」

 

あからさまに態度を硬くする本田さんにみくにゃんがツッコミを入れる。いつもの事ながらキレッキレである。

 

一応主催者として言葉は考えていたのだが、学生同士の飲み会(じゃなくて食事)でそんな堅苦しい物は必要なかったか。

 

「って事でくれみー、今日はありがとね! 明後日はスッゴイの期待しておきたまえ!」

 

うむ、勿論だとも。私もその日は現地入りする予定だ。席もチケットを見る限り中々良さげな場所なので、光る棒振りながらしっかり応援させてもらおう。

 

「三人共、練習頑張ってました」

「ええ、応援しに行くからね」

「しっかり見極めてやるにゃ!」

「にゃっほーい☆ きらり、いーっぱいキラキラ棒振ゆね!」

「ま、程々にねー」

「が、頑張ってください!」

「あまーいお菓子、差し入れで持って行くね」

「汝らに祝福を授けん……」

「ロックなの期待してるから」

 

「ありがと! それじゃ、かんぱーい!」

 

リアルゴールド片手に音頭をとる彼女に続いて皆も思い思いにジュースを口にする。

 

……ん? ちょっと待って。なんだかさっきの皆の反応に違和感を感じたんだが。まるで全員ライブを見に行くみたいな言い方だったけど……皆もチケット当たったのかな? ……いやいやないない! 全員が全員チケット当たるとか、どんな確率だよそれ! 自力で鉛筆からダイヤモンドを作り出すレベルの話じゃないのそれ。幸運値が臨界突破してやがる……!

 

「チケット当たったの?」

「いや、Pチャンがくれたけど?」

「……あっ、ふーん。三村さんも?」

「私もだよ」

「諸星さんは?」

「きらりもだにぃ☆」

「……え、もしかして全員分?」

 

ナンテコッタイ。まさか全員分のチケットを用意していたとは。いや、全員分と言っても私は貰ってないし、耳にもしてないのだが。耳にもしてないのだが(大事なことなのでry)

 

……あ、そういえばこの前武内さんに呼び止められた時に

 

『小暮さん、今度あるライブの件ですが……』

『? ライブって花屋の凛ちゃん達のやつですか? チケット当たったんで観に行きますけど』

『……成る程、了解しました』

『は、はぁ……?』

 

……ってやりとりがあったんだけど、もしかしてこの事だったのかな? 聞くだけ聞いて、というより私が勝手に答えて向こうが納得したから話は終わってしまったけど、もう少し聞いておけば伝わっていたのかもしれない。てか聞くのが本番一週間前とか、ちょっと遅過ぎじゃない? 他の予定入ってたらどうする気だったのだろうか。

 

ふんっ、まあいい。なんてったって私には自前のチケットがあるんだからね! それに皆と見るより一人で見た方が色々とやりやすい。皆の前だと恥ずかしくてサイリウム思いっきり振れないし。せっかく買ったのにそんな勿体無い事は出来ないでしょ? あと絶対って言っていい程佐久間まゆちゃんの曲では泣くだろうからそんな見苦しいところを皆に見せるわけにはいかない。というか見せたくない。恥ずか死ぬ。

 

「あら、深雪ちゃんは来ないの?」

「行きますけど、私はチケット当たったんで一人で見るってだけです」

「ミユキ、運が良いです」

「まぁまぁまぁ」

「満更でもなさそうにゃ」

 

そう話している内に注文していた肉とご飯その他がどんどんテーブルへと運び込まれてくる。

 

ひゃっほい! 肉! 肉! 肉!

 

や、別に肉に飢えてる訳ではないけど、私って自他共に認める肉大好き女(野郎?)だし。是非もないよネ。

 

トングで肉を適当に鉄板へと放り込む。肉は好きだが焼き方に特に拘りはない。届く。焼く。食す。完璧な流れである。

 

肉が焼ける間にサンチュを一枚口へと運ぶ。単体だと美味しくはないが不味くもないという、なんとも言えない食感なのだが、一緒に付いてくる辛味噌を付けて食べることによりそこそこ食べれるようになる。サンチュに付けて、と……うん、美味しい! これだからサンチュはやめられない。シャキシャキというよりかはフワフワ食感なサンチュは、キャベツやきゅうりとはまた違った味わいになり、箸休めに最適なのだ。

 

「我も頂こう……んぇ」

 

そう言って私のサンチュを食む神崎さん。何も付けずに食べた為、微妙そうな顔をしている。

 

「我こういうの嫌い……」

 

焼肉という事でいつもよりは比較的ラフな格好で来ている彼女は、手元にあるメロンミルクで口直しをする。そこまで不味くはないと思うが、好みは人それぞれである。

 

「はい、深雪ちゃん」

「ありがとうございます」

 

新田さんが良い感じに焼けた肉を私の皿へと入れる。私は肉をタレに付けてサンチュで巻き、そのまま口へと放り込んアッツゥイ!?

 

しまった。肉でテンション上がってまた自分が猫舌だという事を忘れてた。しかし今回は不幸中の幸いと言ったところか。いつもであれば舌を火傷なりなんなりしている筈だが、今回はサンチュというかの騎士王の“全て遠き理想郷(アヴァロン)”にも匹敵する守りがあった為、被害はそうでもない。サンチュは私の鞘だった……?

 

……そろそろ噛んでも大丈夫な頃合いかな? もぐもぐ、はい美味い。正に白米が欲しくなる味である。米と食べたら絶対に美味しいんだろうなぁ。我慢するけど。

 

「ところで深雪ちゃん。この前買った上着ってまだ着てるの?」

「勿論使ってますよ」

「え!?」

 

新田さんが驚きを露わにする。

 

なんで驚いてるんだろう。そりゃ買ったんだから着るでしょ。

 

「プロデューサーに禁止にされたんじゃ……」

 

いやいや、確かに武内さんには禁止にされたけど、あれで仕事に行かなければ良いだけの話だし。そもそも私生活の服装にまでやんのやんの言われる謂れはない。

 

「まぁ、着るって言ってもちょっとそこらにって時ぐらいにしか使わないですけど」

「そ、そう……」

 

安心したって感じで溜め息ついてる……。そんなにダメかなあのスカジャン。ファッション誌にもお洒落な云々って書いてあったし、めちゃくちゃイカしてると思うんだけどなぁ。だって、私のオキニのサングラスと合わせたら最強でしょ?

 

「で、でも、他に着るものはないの……?」

「もしかして馬鹿にしてます? 服くらいありますよ」

「ご、ごめんなさい。そういう意図で言ってる訳じゃないの。ほら、アイドルが着るようなものじゃないかなって」

「でも向井拓実とか木村夏樹はよく革ジャンきてますよね?」

「それは二人のキャラクターが合ってるからでしょ? 深雪ちゃんの目指してるクール路線とは違うんじゃない? ほ、ほら、私がゴスロリ系を着ても似合わないでしょ?」

「別にいいんじゃないですか? 私は否定する気はありませんよ。ねー神崎さん」

「んむ? う、うむ」

 

少しムッとしながら言葉を返すと暗に私には似合っていないと言われた。その言葉に少なからずショックを受ける。しかしスカジャンが私の目指す路線の服装に適しているとは言えないのも事実。とはいえ先程も言った通り仕事に着て行くことが問題なのであるからして、私生活において着用する分には何ら問題はないはずなのだ。というか、そもそもそんなに使ってないし。今後気温が上がるのに比例して使う機会も減るだろうから彼女の心配は杞憂だ。……あれ、そういえばなんで新田さん私がクール路線目指してるの知ってるの? 武内さん以外に言った覚えはないけど……いや、見た目で分かるか。こんなナリでキュートパッションなんて有り得ないし。そういうことだろう。

 

「まぁ大丈夫ですって。そんな事より肉を食べましょう肉を。神崎さんもほらほらほらほら」

「う、うむ……もぐもぐ」

 

あまり箸が進んでいない神崎さんの皿へ焼けた肉をどんどん放り込む。 食べ盛りなのだからしっかり食べて大きくなってほしい。

 

「あ゛ー! それミクが狙ってた奴にゃー!」

「ぬはは。早い者勝ちだよ」

「ぐぬぬ、ならば……もっと焼くにゃ!」

「みくちゃんうるさい……。もっとお行儀良く食べなよ」

「な!? 何良い子チャンぶってるにゃ! 焼いてもらってる分際で偉そうに!」

「事実でしょ! それにこっち側にはお肉無いから焼けないんですぅ〜!」

「じゃあ渡すからさっさと焼くにゃ!」

「いいよ! ロックに焼いてあげる!」

「な〜にがロックにゃ! ミク知ってるんだからね! 李衣菜チャンが俄──」

「あー! あー! 聞こえない!」

 

なんか急に多田さんとミクにゃんのコントが始まったな。これは仲が良いのか悪いのか分からんな。でもこんなに大きな声を出す多田さん初めて見たし、嫌な雰囲気って訳でもなさそうだから悪くはないのだろう。

 

「この二人っていつもこんな感じなの?」

「うむ、顔を合わせればこの有様よ。宛ら世界的な知名度を誇る猫と鼠のような関係性であろうな」

「ふーん」

 

神崎さんの皿から肉を拝借して食べる。もぐもぐうまー!

 

肉を食べながら思う。私も多田さんと話したい。確実に趣味は合う筈なのだ。普段聞くのは邦楽だが、洋楽ロックにも詳しくなったのだ。だから会話は弾む筈なんだけど……どうにも避けられてる気がしてならない。

 

ジーッと多田さんを見つめてると向こうもこっちに気付いたのか少し目を合わせるとサッと気まずそうに視線を逸らされた。なんでや!

 

もういい! 肉を食おう肉を!

 

「いただく」

「む、むぅ……」

 

神崎さんの皿から肉を拝借する。美味しい、が、このまま肉ばかり食べていると胃がもたれる事必至なので何か別の味も取っておいた方が良いかもしれない。

 

「ちょっと野菜とってくる」

 

席から立ち上がり、野菜を取りに行く。野菜はバイキング形式となっており店の中央部分に纏めて展開されてあるのだ。

 

ひょいひょいと好みの野菜を皿に盛り付ける。

 

「あ、鶏皮……とっとこ」

 

鶏皮は美味しい上に低カロリーなので最近無駄に過食がちな私には中々嬉しい代物だ。その分運動しているので問題はないとは思うが。……いや、というか、そもそもこんなところまで来て何故カロリー云々を考慮しなければならないのか。私は肉を食しに来たのだ。今更そんなこと考えたところで意味なんてない。カロリー塩分なんざ二の次である。

 

「明太スパは……やめとこう」

 

炭水化物は物持ちが良いからすぐに腹が膨れるのでダメだ。明太スパはトマトソース、ミートソースに次ぐ程の美味しさではあるが、今日くらいは鉄の意志と鋼の強さを持って我慢するとしよう。

 

「あっ、ポテトサラダ大好き」

 

実は私、ポテトサラダは非常にしゅきしゅきであるからして。それ故にいっぱい皿に盛っておこうと思うのであった。……なに? じゃがいも? マカロニ? 炭水化物? 君は何を言っているのだね。じゃがいもは紛れもなく野菜だ。従姉妹もそう言ってたんだから間違いない。マカロニも野菜だよ(錯乱)

 

「深雪ちゃ〜ん」

「三村さん」

 

三村さんが皿を持ってこちらへと近付いてくる。彼女も野菜を取りに来たのか。

 

「わ、わぁ、ポテトサラダいっぱいだね……」

 

三村さんが驚くのも仕方ない。何故かというと私の皿は傍から見ればポテトサラダしか(・・)見えないからだ。他にも鶏皮やトメィトなども盛り付けていたのがポテトサラダで埋め尽くされている状況である。我ながら阿呆だと思う。しかも鶏皮についてはタレとポテトサラダが絡み合って微妙に惨事となっている。正にカラミティエンドってね!!! 今は盛り付け過ぎたと若干後悔している。

 

「何にしようかなー……あっ♪」

 

上機嫌に軽く鼻歌を歌いながら野菜を選ぶ三村さんを横目に私も次に盛り付ける野菜を決めていく。すると隣からキラリと光沢を放つトングが野菜を取る様子が目に映った。

 

「あ、それ美味しいよね。私も好きなんだ」

「ん? もしかして俺に言ってるのかい? エンジェルちゃん」

「え?」

 

三村さんだと思ってその方向へ話しかけると、どう足掻いても女声ではない反応が返ってきた。

 

ゆっくりと隣へと視線を向けると、そこには短い金髪の比較的高身長な男性の姿があった。私程度のオシャンティレベルからは言い表せないくらいオシャレな服装で身を包んでおり、その顔には私も見覚えのあるサングラスをしていた。

 

「いいサングラスですね」

「分かるのかい?」

「ray-banのオンラインストア限定の奴ですよね」

 

人違いでしたと一言謝れば良いだけの話なのに会話を続けてしまった。しかし彼の掛けていたサングラスは、現在私が所持しているのとどちらを購入するかで最後まで悩んだ代物。中々に思い入れは強かった為、つい言葉にしてしまったのだ。

 

「そうだよ。……嗚呼、俺は今この場に限ってはサングラスを掛けていることを幸運に思うよ」

「はい?」

「勿論、君がサングラス越しでも眩いばかりの美しいエンジェルちゃんだからね! ……いや、もしかしたら嘆く事だったのかもしれない。こんな公の場じゃサングラスを外して君の顔を直接見る事すら出来ないからね」

「は?」

 

意味不明すぎてつい地が出てしまったが、もしかして今褒められてる? ま、まぁ私は十人中十五人が三度以上振り向くくらいのスーパー美人だし? このくらいの賛辞は当たり前なんじゃないかなーって。

 

「君の顔を直接見る事が叶うのは、どれだけ幸運な事なのだろうか。出来るならば今すぐ外して君の美しい顔を見つめていたい。……そうだ! 今度一緒にお茶でもどうだい? その時は俺もサングラスを外して君とのデートを必ず楽しいものにすると誓うよ。どうだい? 美しいエンジェルちゃん」

「絶対に行きません」

 

しかしそれとこれとは話は別。しっかりと断言する。私はNO! と言える日本人なのだ。

 

てか二人称がエンジェル(天使)ちゃんってなんやねん! もはや褒めてるのかどうかも怪しいわ。この前読んだ小説によると、天使っていうのは九階位あるうちの一番下っ端で、下から順に天使、大天使、権天使、能天使、力天使、主天使、座天使、智天使、熾天使の順番で偉くなっていくらしい。今までみくにゃんの事を天使天使って言ってたけど、そう考えると褒め言葉として成立しているのかすらなんだか怪しくなってきたな……。これからはみくにゃんマジ熾天使と言うべき……?

 

「ははっ、手厳しいね。気が向いたらこれに連絡を頼むよ。おっと、勿論プライベート用だから安心していいよ?」

 

そう言ってポケットからメモ帳を取り出し何やら書き始めると、徐ろにそのページをメモ帳から破った。その紙を丁寧に折ると両手で私の手を優しく包み、手を開かされ、その紙を握らされる。

 

突然の事にぴくっと肩を跳ねさせると、驚かせちゃったかい? ごめんね。と囁くray-banのサングラスの男性。

 

「それじゃあね、美しいエンジェルちゃん。チャオ☆」

 

最後にギュッと握り手を離すと、彼はその場を後にした。去っていくその姿を呆然と見届けながら私はハッと我に帰る。

 

……うぅむ、あれは正に生粋のプレイボーイだな。手口が美しい。きっとあれで何人もの女が堕とされたんだろうなぁ……。見た目から丸わかりのチャラさではあったが、まさか焼肉屋でナンパされる事になるとは……美しいって罪だね(自画自賛)。

 

まぁ、私の好み(というより憧れ)は実用的なマッチョメーンなので細身の彼は全然範囲からは外れている。残念だったな。あの程度じゃ私は堕とされんぞ!

 

……ていうか今、知らない男に手を握られた!? うわぁ、思い出したら鳥肌が……! そりゃあ外見は紛うことなく女だし、口調とかも今は標準語で取り繕ってるからそれっぽいけど中身は男なんだからな! 握手じゃねーんだから男が男に手を握られて喜ぶ訳ねーだろ! ギュッてされたし! 乙女の柔肌を誰の許可得て触れてやがんだオラァン!

 

「……チッ、気安く触りやがって」

 

だんだん苛立ってきた。正直さっきまで当事者ながら他人事だったけど、今更になって当事者の自覚がでてきた。結構イケメンだったからさっきので堕ちるだろうって余裕ぶっこいてたんだろうけど、そうはいかん。

 

ゴミ箱ないかな。今すぐさっきの紙を捨てたいんだけど……ないな。……はぁ、持って帰るしかないか。

 

「深雪ちゃ〜ん」

 

今度こそ三村さんが戻ってきた。他のところで野菜を取ってきたのかと思って皿を見てみると、なんと信じられない事にデザートやスイーツが皿一面に埋め尽くされていた。彼女はここをスイーツパラダイスと勘違いしているのではなかろうか。しかし心から嬉しそうな様子の彼女を見ていると凄く微笑ましく感じる。先程の出来事も既に頭から消え去っていた。

 

「うっ、運動してるから平気だもん……だもん……」

 

私の皿への視線に気が付いたのか彼女は消え入るような声で呟き視線を逸らす。自信がないなら言わなきゃいいのに……。そもそも体型云々は何も言ってない。貴女は標準体型だよ。

 

それから席へと戻ると私の席に本田さんが座っていた。楽しそうに談笑を続ける彼女を見て少し安心する。今の若い子というのはグループを作るとその中でしか行動せずに新たな輪を広げようとする子が少ないと聞く。なので新しく入った三人が気後れしたらどうしようかと思っていたが、杞憂に終わって良かった。島村さんと花屋の凛ちゃんも隣の子と話しているみたいだし。

 

本田さんはそのまま私の席に居座る様子なので、そういう事ならと私は本田さんが抜けたことで空いた席へと座り込んだ。

 

「どっこいしょっと」

「それ女子高生が使う様な言葉じゃないような」

「む、失敬な。私は誰がなんと言おうとも世間一般的には女子高校生なんだけど」

「いや、そこは疑ってないけど。寧ろ疑って欲しいの?」

 

花屋の凛ちゃんの言葉にツッコミを入れながら、取ってもらったお茶をゴクリと飲む。すると花屋の凛ちゃんは私の皿を見て「うわぁ……」と引いたような目で見ていた。実際引いていたのだろう。

 

「一部分だけ色が変なんだけど、下にも何かあるの?」

「鶏皮」

「なんで被せたの? 馬鹿なの?」

「私も少し後悔してる」

 

もうその事はいいから! そんな事よりさ、ほら肉、肉を食べようぜ。ほら、あそこのなんて良い焼け具合だろ? 君が食べないなら私が戴こう!

 

トングで取り、タレにつけ、サンチュで巻く。この工程を流れるような手付きで踏破し、そして食べる。うめぇ。

 

「美味しそうに食べるね」

「うん? んーまあ食べるのは好きだからね」

 

今の凛ちゃんの言葉は意外とよく言われる。私としては全然表情を変えてる意識はないのだが、自然とそういった表情に変化しているのだろう。

 

「私でそう思うんだったら、三村さんなんてもっと気持ちいいよ」

「……凄く、幸せそう……」

 

花屋の凛ちゃんの視線の先には美味しそうにスイーツを頬張る三村さんの姿があった。彼女はきっとクッキーが好きケーキが好き、ではなくスイーツそのもの(・・・・・・・・)が好きなのだろう。見ていてこちらも気持ちが良い。

 

「ほら、凛ちゃんも食べな」

「私は自分のタイミングで取るからいいよ」

「……そうだよね。無理矢理食べさせるのもパワハラだもんね」

「パワハラって……」

「ああ気にしないで。私が勝手に反省してるだけだから」

 

「あれ、深雪ちゃんいつの間に……?」

 

焼けた壺漬けカルビを口に入れようとした島村さんが私の存在に気が付いた。

 

「お疲れ様。いっぱい食べてる?」

「あっはい、お疲れ様です! 壺漬けカルビ美味しいです! 今日はありがとうございます!」

「礼を言うほどじゃないよ。全員自腹だし」

 

出来れば三人の分は奢りたかったんだけど、最近高い買い物をしてお金がなくてな。今度別の機会に奢るよ。

 

「いいえ、こうやって激励会を計画してくれただけでも嬉しいです! ありがとうございます!」

 

にっこり笑顔でえへへとはにかむ島村さん。

 

なんというか、控えめに言って良い子過ぎる……!

 

彼女の笑顔を見ていると私の良くないナニカが浄化されていくのがよく分かる。

 

思わず少し照れてしまった私は視線を正面へと向ける。

 

「ミユキー」

 

目が合ったアーニャちゃんが私の名前を呼ぶ。どうでも良いが彼女が私を呼ぶ時の声がすごく可愛い。撫で回したくなる。

 

「アーニャちゃん食べてる?」

「ダー、勿論です。レモンダレ、気に入りました!」

 

アーニャちゃんは焼けたハラミや豚バラを取るとそのまま直接レモンダレの皿へと入れる。成る程、この子は“何でもレモンダレ派”の人間か……。

 

かくいう私もレモンダレは好きだ。基本的には塩胡椒があれば事足りるけど、レモンダレがあれば尚良し。普通のタレも嫌いじゃないけど、あれは米食べたくなる成分が多量に含まれているからすぐにお腹いっぱいになってダメ。

 

「それにもレモンダレなの……?」

 

アーニャちゃんの隣に座る多田さんが困惑を露わにする。多田さんの気持ちは分かる。が、アーニャちゃんの気持ちも分からなくはない。美味しい調味料は何にでも合う気がするのだ。例えば明太マヨとか。

 

「美味しいです! リイナもどうですか?」

「いや、いいよ……」

「じゃあ塩胡椒はどう? 美味しいよ?」

「た、タレがあるから……」

 

素気無く断られる私。

 

哀しい……私は哀しい。どうして多田さんは私に対してこんなに冷たいの? 私が一体何をしたというのか。何か悪いところがあるなら善処するから。教えてハニー。

 

私は意気消沈しながら鉄板の上の肉に塩胡椒をふりかける。焼ける前にかけたほうが良いのか、それとも焼けた後が良いのか、そんな事は些事だ。

 

「アーニャちゃんはレモンダレが好きなんですね」

「? いいえ、別に好きという訳ではありません。ただ、ここのお店のは美味しいな、と」

「そ、そうなんですね……」

 

島村さんが困惑している。アーニャちゃんも意外と天然だからなー。

 

と思っていたら島村さんは切り替えるように違う話題を出してきた。

 

「あっ、そういえばこの前の『アイドルは居酒屋にいる』は見ましたか?」

「あっ、それ見たよ! 面白かったね〜!」

「意外と戦闘物なんだね」

「高垣楓さんの『酒の一滴は血の一滴……ですよ♪』って台詞とってもカッコよかったです!」

 

くっ……テレビの話か。テレビの話は付いていけない。最近見たのなんて佐久間まゆちゃんヒロインのドラマくらいだし、バラエテイもそこまで見ている訳でもない。今からは周りの会話はBGMと思うしかないな。

 

私は適当に相槌を打ち箸を進めていく。うん、偶には皆で集まって食べるのも良いね。今後はもう少し機会を増やしてみようかな?




ぶっちゃけ焼肉の話はちょろっと描写してライブまで終わらせるつもりだったのですが、意外と筆が乗ってしまってこの有様です。次の話はある程度書き終えてるのでもしかしたら早いかも?



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第26話 スプリングライブ!

前回のあらすじ

深雪「皆で肉喰おうズェ……」
皆「いいズェ……」


早めに投稿出来そうとか嘘付いてすいません。一月以上掛かりました。
どれもこれも全部聖飢魔IIがカッコイイのとfgoが面白い所為なんです。

ではどうぞ。



 

時は過ぎ、遂に日曜日を迎えた。心ウキウキワクワクな私は出発の一時間前に起床し準備を行う。今日は記念すべき花屋の凛ちゃんら三人の初ライブ。それと同時に仲良しの美穂ちゃんに、私が敬愛してやまない佐久間まゆちゃん……そう、佐久間まゆちゃんのライブでもあるのだッ! 素晴らしい一日になることはもう火を見るよりも明らかである。それを更に昇華させる為に、事前準備として揃えていた物を現在私は確認していた。

 

まずはサイリウム。今回は多色に変化する物と美嘉さん、美穂ちゃん、まゆちゃんの三人のイメージカラーサイリウムを揃えている。振りまくるぜ!

 

次にタオル。ライブ中は汗をかく事必至なので必要不可欠だ。只でさえ汗かきなのでこれが無いとライブに集中できない。拭きまくるぜ!

 

そして飲み物。アクアリウスを事前に二本入手している。直前で買っても良かったが事務所の自販機が安いのでそこで仕入れてきた。水分と塩分を同時に摂取出来る優れ物だ。飲みまくるぜ!

 

最後にお金。これ、一番重要ネ。こいつが無いと物販で痛い目に遭う。今回の物販ではままゆTシャツが二種類出るとの事なので最低でもTシャツ二枚二セットは確保しておきたい。後はままゆタオルとか美穂ちゃん人形とか。しかし買い始めたらキリがないので一万円以内を目標に買うものを選ぼうと思う。ほぼほぼ建前のようなものだが。

 

後は諸々の雑材。薬とか簡易充電器とかそこらへん。そして準備が出来たところで寮を出る。昨日神崎さんに「我が翼は其方に共鳴している(意訳:一緒に行こう)」と言われたが物販に用があると言ったらと「じゃあやめる(意訳:じゃあやめる)」と言われたので一人で行く事にしたのだ。

 

「む、みくにゃん」

「あ、おはよー」

 

……と思っていたのだが、玄関で今から出ようとしているみくにゃんと遭遇したので一緒に会場へと向かう事となった。寝起きの眠そうなみくにゃん可愛い。

 

現場に着くと激励の為に花屋の凛ちゃん達のいる楽屋へと向かう。近付くに連れてみくにゃんの愛らしい顔が不満気な様子へと移り変わる。みくにゃん曰く、練習を積み重ねてきた自分より先に新人三人が先にステージに立つ事が気に入らないのだそう。

 

「プロジェクト自体が始動したばっかりなんだし。チャンスはいくらでもあるよ」

「ミクは今のチャンスを逃したくないの!」

「まあまあ、今回は素直に三人を応援しようよ」

「ぐぬぬ」

 

そんな風にみくにゃんを宥めながら控え室へと入ると、武内さんと花屋の凛ちゃんら三人の姿が見える。挨拶も程々に激励の言葉を送る。因みにみくにゃんは激励ではなく視察に来ただけとの事。

 

「二人共気楽にね」

「激励とは」

「おうともさ! あの日のお肉に誓って……!」

「島村卯月、頑張ります!」

「き、今日のところは見逃すケド、その代わりしっかり見定めてやるにゃ!」

「一瞬たりとも見逃しちゃダメだよ〜?」

「しっかり見ててください!」

 

本田さんと島村さんが意気揚々と答える。果たしてその余裕はいつまで持つのか。

 

「凛ちゃんも気楽にね」

「ありがとう。でもそこは「頑張って」とかじゃないの?」

「うーん、そうかもしれないけど、もう既に頑張ってるでしょ? それなのに「もっと頑張れ」って言うのもなんか」

「そんなものかな……?」

「私はそう思う。じゃ、会場でしっかり見てるから、頑張ってね」

「結局言うんだ……」

 

一頻り笑い合い、その後武内さんに三人が連れて行かれたところで私は物販に行く為にみくにゃんに別れを告げる。

 

「え、ミクも行くけど」

 

との事らしい。まだ始業時間を少し過ぎた頃なので時間帯的にはそれ程並んでいない筈だ。絶対に手に入れてやるぜ!

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

そろそろライブが始まる。

 

物販で用事を終えた私とみくにゃんは適当な所で昼食を取り、その後解散した。解散した後私は早速トイレで着替えを済ませるとそのまま会場へ入場。会場限定シャツかままゆシャツで結構悩んだのだが結局ままゆシャツにした。佐久間まゆちゃんに、もしかしたら……いや、ワンチャン……微レ存レベルでも、気付いて貰える……いや、目に留まる可能性があるならばそのチャンスに縋りたい……ッ!

 

そんなこんなで内心色々とドキドキしていたのでケータイアプリにも集中できずに今までじっとしていると、開演の時間となってしまったのだ。

 

ステージのスクリーンが消え、会場が暗くなる。非常口のライトも演出の都合上により消灯されているのでより一層暗く感じる。

 

暗い光が顔に染み込む。ステージの巨大スクリーンはいつの間にか大きな時計を映し出しており、そしてついにイントロが流れ始めた。イントロに合わせて時計の針はチクタクと進む。

 

私の席は顔の細部が見えるくらい前の方に位置しているので、後ろを向けばある程度全体を見渡すことが出来る。隣の男性を見て察してはいたが、観客は既にサイリウムを構えイントロに合わせてゆっくりと振っていた。色は主に橙色だったが、主にというだけで特に決まり事は無さそうなので私はままゆカラーのピンク色のサイリウムを手に取る。

 

やがてスクリーンに映る時計の長針が十二時を指し──

 

 

『お願いシンデレラ♪』

 

 

暗くなっていたステージの全貌が明らかとなる。そこには先程まで居なかったはずの346アイドル達の姿があった。イントロで今か今かと焦らされた手前、私は思わず感嘆の声を上げてしまう。

 

ステージを見渡す。そこには美嘉さん、美穂ちゃん、そして敬愛して止まない佐久間まゆちゃんの姿が確かに存在していた。普段はあまり実感が湧かないが、やはり美嘉さんもアイドルだったらしい。そのキラキラとした存在感は、正にカリスマというべきオーラを惜しみなく放っていた。

 

美穂ちゃんもそうだ。彼女とは比較的よく会話をする間柄(当社比)だから分かるが、普段は本当に大人しく、趣味が子供っぽいだけの何処にでもいるような子でしかない。しかしステージへ上がった彼女は途端にアイドルへと変身していた。それこそ正に曲名の如く、シンデレラが魔法でドレスやカボチャの馬車を与えられて美しくなったように。

 

そして、嗚呼! 佐久間まゆちゃん! 佐久間まゆちゃん!! 最早二次元の存在なのかとさえ思われていた佐久間まゆちゃんがすぐそこに! 写真やテレビで見るより何倍、いや何十倍も可愛い! 髪とか……えっと、顔とか表情とか、い、色々可愛い(語彙力燃焼)! ぐぅぅ……! 直視出来ない……! 存在が眩しすぎて直視出来ないィ! ……はいそこでサングラス! 黒いレイバーン、装着! この為に持ってきてたんですよ! いやぁ、危ない危ない。いきなり涙腺崩壊しそうになったよ。こんな序盤で壊れたらこの先持たないからね。持ってきといて良かった……。

 

さて、そろそろステージに集中しよう。流石と言うべきか、ステージの上で煌めくアイドルは私たち新人と比べるべくもなく高い完成度を誇っていた。素人に近い私の目から見ても指の先、足の向きまで意識が行き渡っており、ユニゾンする動作にも乱れはない。伊達に“トップランク”に近いアイドル達ではなかった。

 

私は練習の休憩の合間に短期間で詰め込んだ記憶を思い起こし、サイリウムを振る。彼女らが私達のために一生懸命歌って踊るのと同じように、私たち観客も彼女らを楽しい気持ちで進行出来るように一生懸命振る。“お願い!シンデレラ”は、動画を見ていて感じたのがそれ程難しくはないという事だ。勿論ダンスの事ではなくコールの事だ。一番は初めてというのもあり拙いコールではあったが、二番にはもうそこそこの完成度で、なんとか周りに合わせる事が出来た。このまま出来ればコールの間違いだけはしたくない。特にコールをしなくていい箇所を一人だけ間違ってコールしたりとか。あれはきっと相当恥ずかしい。周りはそう思わないだろうが、やってしまった人は平然を装いながらも内心悶えてしまうだろう。コールをする為にライブに来ているわけではないがそれとこれとは別だ。

 

曲が終わる。なんとか大したミスは起こさなかったと安堵した私は席へと座り水分を補給した。

 

MCが始まりアイドル達がステージ中央に集まっていく。進行役は川島瑞樹さん。この前一緒のテレビに出たのを覚えている。

 

まずは自己紹介から行われるようだ。私はサングラスを外して本日のメンバーを改めて確認する。……ふぅん、あの子日野茜ちゃんっていうんだ。声大きいな。元気な子は好き……ん? あれ、この声って、もしかしてボンバーウォメン? 346カフェで優雅なひと時を満喫していると偶に外から「ボンバー!」って叫ぶ声が聞こえるからそう呼んでるんだけど……。声似てるし、張り上げ方も似てるから多分そうかも。

 

そして次は佐久ああああああああ!!! 声可愛いィィ!! 容姿もさることながらその声も私を魅了して止まない。やっぱりCDやテレビで聞くより現場の方がリアリティあって楽しいな! 脳がパンケーキに塗ったバターの如く蕩けそう……ッ!? いっ、今っ、佐久間まゆちゃんがっ、わ、私の方見てなかった!? いや見てた絶対に見てただって目が合ったし! おいっ、サングラスを寄越せーッ! 只でさえテレビでも姿見ただけでウルっとくるのに、不意の目が逢う瞬間をされたらガチ泣きしてしまう。

 

自己紹介も終わりアイドル達がステージ奥へと戻り、その頃には私も落ち着きを取り戻していた。そして正真正銘、次の曲からライブ本番が開始される。先程の“お願い!シンデレラ”は言うなれば前哨戦の様なものだ。本番前に身体を温め、同時にテンションも上げる意味合いも込められている(と思ってる)。さて、最初の曲は誰からだろうか。

 

その瞬間、スピーカーからリズミカルで小粋なイントロが流れる。おっ、これは早速の美穂ちゃんソロか。物販で並んでる時に電話で激励した時は緊張しながらも気合は十分だったのできっと素晴らしいステージを見せてくれる事だろう。

 

「恋してる♪」

 

『FuFu Fuu!』

 

ソロ曲は寮でもばっちり予習済みな私は周りとタイミングを合わせてコールを行う。曲が終わると美穂ちゃんは下手側へとステージから去っていく。うむ、美穂ちゃんの歌はとても愛らしくて良い。ステキダイテ-。寧ろ抱き枕にして寝たい。後で感想送ろっと。さて、次は確か川島瑞樹さんだった筈。

 

それから何曲か人員も入れ替わりながら曲が続いて行き、遂に美嘉さんの出番となった。美嘉さんの出番、それはつまり三人の出番という事。うぅ、何だかこっちが緊張してきた。

 

ステージの照明が消えて再び照らされると、そこには何故か美嘉さんだけが佇んでいた。……あれ? 三人はどこ? 途中で参加する演出みたいな感じ? でもダンスは最初から最後まで練習してたし、直前で何か変わったのかな……?

 

イントロが流れ始める。これ以上遅いと流石に初動には間に合わないだろう。これが狙ってのものだったらいいんだけど、もしもトラブルか何かで出てこれないのであればぞっとしない。私はサイリウムを両手に取りながらハラハラと待つ。

 

──本当に出てこないのか……?

 

そう思った瞬間、ステージの後ろから三つの物体が床から勢い良く生えた。いや、あれは……

 

「凛ちゃん達だ!」

 

粋な演出に会場が沸く。成る程、ステージの下でスタンバってたって訳か! ったく、心配させやがって! へへっ、あいつらって奴は……!

 

曲が始まる。緊張しているかと思ったが、随分とリラックスしているようで何よりだ。私はそのまま美嘉さんのサイリウムを振りながら三人の晴れ舞台を見届ける。

 

「……すんっ……」

 

や、やばい、涙が出てきた。嗚咽だけは止めないと、他の観客に迷惑になってしまう。

 

今まで彼女らの努力を間近で見てきた所為か、中々に込み上げてくる物がある。私自身は彼女らにそこまで干渉していた訳ではないが、それでもやはり同じ部署であり同期である。情が涌かない訳がない。心情的には「公園で遊ぶ子供をベンチで見守る近所のおじいちゃん」のようなものではあるが。

 

勿論同年代という意識も有りはするが、やはり精神的な年の差というものが存在するので先程言ったおじいちゃん感は拭えない。……いや、ジジイでもちゃんと友達はいるよ? ちょこっとだけだけど。

 

涙でステージを見る事もままならず、私はサイリウムを振る手を止めて彼女の声に全神経を集中させる。その間に袖部でぐしぐしと目元を擦り、再び目を向けてサイリウムを振る。

 

『最高ーーーーッ!!!!』

 

再び目を潤ませながら応援していると曲が終了した。奇しくも彼女らの最後の言葉は、私が“CB/DS”として、そして“Unknown Invaders”としてのファーストライブの最後を飾った記念(忌避)すべき言葉と同じであった。“終わりよければすべてよし”という素晴らしい言葉を真っ向から殴り掛かるようなあの出来事は、私のそこそこ長い人生の中でも早々ない。……嫌な事を思い出してしまった。

 

兎も角、彼女らが私と違ってしっかりと締める事が出来た事はとても喜ばしい。ライブが終わったら顔を出すとしよう。

 

そう考えていくうちに涙はとっくに引っ込んでいた。

 

 

「えっと、次は誰だ……さ、佐久間まゆちゃん────!!!!」

 

 

この後めちゃくちゃ号泣した。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブが終了し、会場内に残っている人々も疎らになってきた頃、私はポツンと席へと腰をかけて一人余韻に浸っていた。会場は先程までの熱狂が嘘かと思えるほどに静寂に包まれ、ポツポツとスタッフの会話が辛うじて聞き取れる程の声だけが耳に入り込む。

 

未だ心身ともに熱を逃しきれていない私は夢現の境にいる状態のまま、ライブが終了した事を自覚出来ずにいた。正に夢の様なひと時だったのだ。

 

しかしこのまま無為に過ごすのも忍びない。少し感想を述べるとしよう。振り返る事でもう少しだけライブの余韻に浸っていたい。……うむ、よし。さて、私の厳格かつ辛口な批評を知らしめるとしようか。

 

まずは美穂ちゃん。ずばり申し上げるとしたら……

 

私は脚を組み、先程までのいと素晴らしき時間に思いを馳せる。そして現在の私の心象に最も適した言葉を選りすぐり、天を仰ぎながら呟いた。

 

 

「──とても、良かった……」

 

 

色々と言いたい事はあったのだが、敢えて一言に濃縮するとこうなってしまった。

 

いやもう本当に可愛かった。曲も歌詞も可愛いし、何より美穂ちゃん自体が美少女だから可愛いの三乗というね。しかも最後のキメ顔可愛すぎた……。美穂ちゃんのCDとかは聞きながらよくジュッジュッジュッジュワァとか言いながら遊んでたけど、ライブとなるともう、ね、そんな事言えねぇよ。言う余裕もないし言おうとも思わなかった。というか忘れてた。それ程夢中になってたという訳だ。

 

次に美嘉さんと凛ちゃん達三人。これもずばり申し上げるとしたら……

 

私は脚を組み直し、先程までのいと素晴らしき時間に思いを馳せる。そして現在の私の心象に最も適した言葉を選りすぐり、天を仰ぎながら呟いた。

 

 

──すごく、良かった……。

 

 

これも色々と褒め称えたい事はあったのだが、長くなりそうなので一言に集約したらこうなってしまった。

 

というか美嘉ちゃん。やっぱりアイドルだったんだな。これさっきも言ったけど仕方ないと思うんだ。だって第一印象ただのロリコンギャルだし。良い人だし姉御肌なのは分かってるんだけども。でもうへへへとヨダレ垂らしながら“L.M.B.G”の子たちを見てるあの様子からさっきのライブは想像出来ないわ。ギャップが凄まじい。そういえば曲終盤の演出も自分で考えて浸透させたらしいし。ちょっと見直したかも。

 

そして凛ちゃんら三人! いやぁ良かった! 素人目からだけどダンスのミスも無さそうだったし、何より良い笑顔。特に凛ちゃんの笑顔とかもう胸キュンキュンが止まらなかった。普段クールな彼女の無邪気な笑み。これがギャップ萌えという奴か……。彼女らも頑張ったのだから、私も来週のライブ頑張らないと!

 

最後に佐久間まゆちゃん。これもまたずばり申し上げるとしたら……

 

 

 

 

 

 

良き!!

 

 

 

 

 

 

これ以上考えたら目が水攻め吶喊してしまうので終了。これ以上はもう何も言えねぇ。……え? 悪いとこ? ないよ、んなもん。驚異の顧客満足度100%というものだ。

 

とはいえ良さしか無かったのも事実。私の感想は的しか射ていない。何事も簡潔なのが一番である。

 

佐久間まゆちゃんに関しては本当に感無量だ。コールが一切出来なかったし。涙流しながらも嗚咽だけは漏らすまいと必死に我慢しながらずっと見てた。これは三人の時のようなジジイ目線じゃなくて、(なま)で御尊顔を拝する事が出来たのと、マイク越しとはいえ生声を直接この耳で拝聴させていただいた事による感動である。テレビやCDですら涙目になる私なので覚悟はしていたのだが、それでも想像以上に涙は止まらなかった。お陰でサイリウムを振る事は一切叶わなかったので、そこが少し心残りだ。機会があれば次こそは必ずコールで応援したい。

 

そういえばライブ中にも一回だけガッツリ目が合ったんだよね。綺麗やなとか呑気な事考えてたけどよくよく思い返せば号泣してるとこシッカリ見られたんだよな。ぐおおお、恥ずかしい……!

 

「お、お客様、そろそろ御退出の方を……」

「す、すいません、すぐ出ます……!」

 

言われる前に出て行こうと思っていたのだが、少し遅かったか。

 

気を取り直した私は荷物を手に取り会場の外へと出る。未だ熱が冷め切ってない人々が会話をしている様子がチラホラと見える。私も今のこの心象を誰かと共有したい気持ちでいっぱいだったが、残念ながらそんな人はいないのでトゥイッターのリアルアカウントにぶちまけるとしよう。

 

「控え室は何処やったっけ……?」

 

ライブ前に一度行ったのにもう忘れてしまった。

 

「あっ、その前に着替えんと!」

 

ままゆTシャツで我が身を覆っていた事をすっかり忘れていた。このままもし控え室に行ってたら佐久間まゆちゃんのファンだというのが露見してしまう。別にバレた所で問題は無いが気分の問題だ。

 

「なんか独り言やとつい方言が出るなー……」

 

って、言ってるそばから。こっちに来た頃は気を張っていたので寮でも一人の時でも方言が出る事はなかった。最近は慣れてきて気が緩んだのか偶に口調が戻ってしまうのだ。これは良くない傾向だ。意識せずとも標準語で話せないといつかボロが出るのは分かりきった事なので改めて気張るとしよう。二番煎じの博多弁アイドルになる気は毛頭ないし。いや、それを言ったらクール路線はどうなのって話だけど、あれはもう二番煎じどころの話じゃない。そもそも比べる対象が違う。

 

ガサゴソとリュックから上着を取り出して着る。ふぅ、あったかい……。先程まではライブで身体が温まっていたのだが、流石に時間が経つとこの時期でもTシャツ一枚は少し肌寒い。ついでに携帯も取り出して電源を入れる。……ああー、神崎さんとみくにゃんからMINEが来てる。先に控え室へ向かってるとの事だ。恐らくもう既に着いているのだろう。

 

「確かこっちだった筈……」

 

リュックを背負い直して左の方へ足を向ける。地下への階段を発見してそこを下りると見覚えのある通路へと出た。ここまで来ればもう私でもチョチョイのプー太郎だ。

 

全開の扉を発見し、付近に346プロダクション云々とプリントされた紙が貼り付けてあるのを視認する。聞き慣れた声も多数聞き取れるのでここで間違いないだろう。中を覗いてみると案の定、CPの面々がいた。丁度目の前に神崎さんがいたのでちょっかいをだす。耳ふー。

 

「あふん……な、何奴──」

「私だ」

「そ、其方だったのか」

「今どういう感じ?」

「偶像なりし者達は解竜の儀を行なっている」

「成功しそう?」

「うむ……第二の女拳闘士が出る様子もない」

 

それは良かった……ん? 待って、何かさっきまでずっと私を泣かしてた声まで混じってる気がする。言わずもがな佐久間まゆちゃんの声の事。

 

「ねぇねぇ、もしかしてここってさ、346アイドル全員いる感じなの?」

「うむ、仕切りを隔てた向こう側に」

「うおおお……!!」

「天の御使い?」

 

あ、あああ、ああああああああ! やばいやばいやばい! なにがやばいって仕切り一枚の先に生の佐久間まゆちゃんがいるって事実がやばい。マイクじゃない本当の生声ってだけでももう涙目なのに近くで顔まで見てしまったらどうなる事やら。最近彼女はドラマのヒロインとしても活躍していてその主題歌まで歌っている。そのドラマが甘酸っぱい学園ものの純愛でまた泣けるのだ。普段テレビを全く見ない私でさえどハマりしている。離れず引っ付かず、降りかかる様々な障害を乗り越え、最終的に主人公は上京して離れ離れになってしまうも、そこでまた二人のやりとりで感動の涙がドバドバ。昨日の話だ。なのでタダでさえやばい涙腺が更にやばくなっているので彼女の顔を見たらとても人様に見せられる顔ではなくなってしまう。

 

既にライブ中に使ったタオルは中々に湿っているので予備を取り出し顔に巻き付けると神崎さんへ顔を押しつけるように抱き着いた。化粧なんて最早今更だ。ライブ後にスースーするウェットティッシュで拭いたし。

 

「うぇえ!? て、天の御使い!?」

「ちょ、ちょっとごめん……! 今情緒不安定だから……!」

 

保存用に物販で購入したままゆタオルで顔を覆うと何故だかどんどん心が和らいでいく……。新品なので非常にふわふわである。しかもこのタオルそこはかとなくフローラルな香りも……あ、これ神崎さんの匂いだ。

 

最近の私の癒四天王(いやしてんのう)の一角たる神崎さんは本当に私の癒し。私の細やかなイタズラに反応してくれるし朝とか起こしてくれるし表情豊かで愛らしいし意外とお金の管理はしっかりしてるし気遣いも出来る子だし。前まで思ってなかったけど最近は抱き枕にしたいとすら思えている自分がいる。冬限定でだけど。そういえば小さい頃は部屋に飾ってあるシルベスターを全身で抱きしめながら寝てたな。冬になると重宝するんだよな。

 

「……ごめん、シワになるよね。ありがとう、落ち着いた」

「そ、それは僥倖である……」

「……」

「……なんで目瞑ってるの?」

「後光で目がやられるから……」

「悟りし者と神の子が!?」

「その二人は立川在住だから。……あ、そういえばサングラスがあったな」

 

持って来ていたサングラスをかける。これで生で見たとしても多少はマシになるだろう。

 

「あっ、深雪! どうだった私たちのステージ?」

 

仕切りの奥から花屋の凛ちゃんと本田さん島村さんが出てくる。凛ちゃんは初ライブを無事に成功させたからか少し興奮気味に私へ感想を求めて来た。三人の嬉しそうな顔を見て思わず私の表情も少し綻ぶ。

 

「すごく、良かった……」

 

私の言葉に凛ちゃんは微笑みを浮かべる。

 

「緊張しなかったの? 出てきた時からだいぶリラックスしてる様子だったけど」

 

聞きながら自分の初ライブがどうだったかを思い出す。確か武内さんと話してたら緊張が解れたんだっけ? 輝子や夏樹も気を遣ってくれたけど、最後の最後は成人男性ということもあり私にとって気安く話せる彼との会話だったんだよね。なんだかんだで話しやすいんだよなー。ライブ後のフォローはアレだったけど。

 

「緊張は勿論したよ。でも先輩からのフォローでね」

「成る程……」

「我が同胞たるに相応しき喜悦に満ちた宴であった!」

「あ、ありがとう……? か、神崎さん」

「蘭子で良い。蘭子で……良いぞ?」

 

? なんでこっち見ながら二回言ったんだろう。

 

「皆、ありがとうございます!」

「皆見に来てくれてありがとう! 次はもっと凄いステージにしてみせるから!」

 

二人も他のCPの面々からも手放しに称賛され、達成感に満ち溢れた満面の笑みだ。見れば武内さんや部長も満足げな笑みを露わにしていた。

 

 

 

 

……さて、そろそろかね。

 

 

 

 

すまんな佐久間まゆちゃんの信奉者達よ。私はこれより──タブーを犯す……! そう、関係者特権というタブーを……! これから私は佐久間まゆちゃんのご尊顔を拝する! 握手会などでしか間近で見る事が叶わない信奉者の諸君らにとっては固唾を呑むほど羨ましいに違いないだろう。そういう星の下に生まれてきたのだと諦めるが良い。ふふっ、もしかしたら私は、この為にアイドルになったのかもしれないな。

 

とはいえ流石に話すのは恐れ多いので仕切りで身体を隠してコッソリ見るだけだ。

 

「あっ、深雪ちゃん。見にきてくれてたんだねっ」

 

顔を覗かせると丁度向こうにいた美穂ちゃんと目が合う。

 

あっ、見つか……っていいのか。美穂ちゃんにも感想言わなきゃだし。

 

「久々の『Naked Romance』だったんだけど、どうだった?」

「とても、良かった……」

「本当!? 良かったぁ……」

「美穂ちゃん凄くラブリーでキューティだったよ」

「そ、そうかな……えへへっ」

 

さて、私のイケメンパゥワーで美穂ちゃんを照れさせたところで……ちらっと、ちらっとだけ……。

 

仕切りに隠れたままの体勢で向こうを覗く。ここだけ見たらただの不審者だが、一回やったらもうする気は無いので勘弁してほしい。

 

耳に鼓動音が鳴り響く。この緊張感は大昔にまだ売れてなかった時期のYAZAWAのライブでステージ越しに会話を行なった時(向こうが私の言葉に反応しただけ)の感覚に似ている。

 

意を決して佐久間まゆちゃんを探す。見つけた! トロンとしたお目々がかわいいヤッター!

 

顔をサッと隠す。ふぅ〜、もう満足! これ以上はバチが当たるかもしれないからヤメ!

 

「あ、もしかしてまゆちゃんと話したいの? まゆちゃーん」

「……ッ……!!」

 

止めようとしたが声が出なかった。って無理無理無理ィ! 心の準備が全く出来てないのォ! 美穂ちゃんありがたいけど……嬉しいけど……! 何事も事前準備が必要なんだよぉ!

 

とはいえ(CP)の前で失態を晒すわけにはいかない。もしそうなってしまえば私のキャラ崩壊は必至だ。クールキャラというのは作るものではなく普段からそういった態度を取らなければ成り立たない。耐えろ私ィ! 忍びとはッ、刃に心と書いて忍びと書くのだッ!!

 

「なんでしょうか?」

 

数ある甘味の何よりも甘い声が全身に響き渡る。癖になる柔らかい声は先程ライブで耳にした彼女の声そのもの。モノホンである。いきなり対面なんてすれば恐らく死んでしまうので軽く目を瞑り、仕切りを支えに子鹿の如き足の震えを抑える。

 

「あっ、えっと、美嘉ちゃんのバックダンサーしてた三人と同じ部署の子なんだけど、まゆちゃんとお話したそうだったから」

「そうですか。……あら、うふふ。もしかして目が合った方ですか?」

「……!」

 

うわー! うわー! やっぱり私と目が合ってたんだ! 自意識過剰じゃなくて良かった!

 

「珍しい髪色だったので印象に残ってたんです。えっと、日本語で大丈夫ですか?」

「ハッ、ハイ! ダイジョブデス!」

「み、深雪ちゃん! カタコトになってるよ!?」

 

あわ、あわわわ! 改めて考えるとこの状況って本当にやばいやばい! だ、だってさ? あ、あの佐久間まゆちゃんが私を認識してるんだよ!? 距離も1メートルもないし。ち、近過ぎィ!

 

「うふふ♪ はぁい、深呼吸深呼吸♪」

「はぁ……ふぅ……」

 

佐久間まゆちゃんは手慣れたように私に深呼吸を促す。多分私みたいに本人を前に緊張するファンは今まで多く見てきたんだろう。

 

深呼吸をする事で頭が冷える。そして冷静になったところで先程のライブを思い出して涙がツーと流れた。

 

「みみみ深雪ちゃん!?」

「ごめん、ちょっと泣きそう」

「もう泣いてるけど!?」

 

私は溢れる涙をなんとか耐えて佐久間まゆちゃんと対面する。彼女は変わらず微笑みを浮かべたままだ。

 

もう一度深呼吸を行う。よ、ようし……! まずは自己紹介からだ! イクゾ-!

 

「CPの小暮深雪と申しますまゆちゃんの歌最高でした前前前世から好きでした結婚を前提に結婚してください」

「え?」

「間違えた。サインください」

 

やってしまった……! い、いや、軌道修正は出来た! 何の問題もない!

 

「いいですよ」

「ありがとうございます」

「でも、SNSには投稿しちゃ駄目ですよぉ?」

「勿論です」

 

私だけこんなに贅沢させて貰って、あまつさえそれをトゥイッターのままゆファンに自慢するなんて私には……私には……んふふ出来ない。……は、反応が楽しそうだけど……うん、まゆちゃんの迷惑になるからね。流石にしないよ。

 

「Tシャツにお願いします」

 

私は観賞用で買っておいたもう一枚のTシャツを広げてサインをして貰う。

 

「あっ、深雪ちゃんへってのもお願いします」

「うふふ、はぁい」

 

キュキュキュと慣れた手つきでままゆTシャツへとサインをするまゆちゃん。『深雪ちゃんへ』の後にハートも入れてくれた。これもう額縁買うしかねぇな?

 

ここまでやって貰ったのならあれもして貰うしかないよね? いいよね? ね?

 

「あ、あのっ、写真も一緒に、撮ってもらってもいいですか……?」

「いいですよぉ」

 

やったぜ! まゆちゃんとツーショットとかもう一生待ち受け変えないわ! しかもまゆちゃんまだ着替えてないからライブ衣装なんだよね。ふおおお! ドキがムネムネしてきた!! 今の私だったら一晩で法隆寺建てられる自信がある! 急いで作るから柱とか結構ゆるゆるかもしれないけど。

 

「美穂ちゃんお願い」

「う、うん。でも深雪ちゃんサングラスしたままでいいの?」

「駄目ですね」

 

そうだ。サングラスをしてたんだ。あわわ、今考えたらやっぱりちょっと失礼だったかな? 悪印象持ってなければいいけど……。

 

目の前にまゆちゃんがいるのでサングラスを外すと自然と目に入る。サングラスの黒いレンズ越しではない生の佐久間まゆちゃん。トロンとした目と視線が合わさった。そして私の涙腺は再び崩壊──

 

 

 

──しそうになった瞬間天を仰いで緊急回避を行う。もうこれ以上流したら脱水症状を引き起こしかねない。

 

「どんなポーズが良いですか?」

 

なんと。ポーズまで決めさせてくれるのか。でも咄嗟に思い付かないので

 

「佇んでるだけで大丈夫です」

「そうですか……」

 

微笑んでくれるだけで満足だ。私はサインの書かれたTシャツをスマホのカメラに映るように広げる。

 

「私の携帯でいいんだよね?」

「うん、私の古いから美穂ちゃんのでお願い」

「分かった。じゃあ撮るからね。はい、チーズ」

「えいっ♪」

 

美穂ちゃんがシャッターを切る瞬間、ポフッと私の右腕が何かに包まれた。

 

「うふふっ♪ 立ってるだけじゃつまらないので少しサービスです♪ 女の子同士ですし、構いませんよね?」

 

そうにっこり微笑むまゆちゃん。自然と顔も近付き、改めて見る彼女はやはり端整な顔付きで、ハイライトの薄い蠱惑的な瞳に目が離せない。何時間と経過したかのような長い数秒間そうしていると自然と私の顔も上気し、瞳が潤む。まるで恋人同士のようなあり得る筈のない状況に頭の処理が追いつかない。極め付けには私の腕にまゆちゃんの柔らかい豊かなま、ま、マシュマロが……ッ!!

 

「み、深雪ちゃん!?」

「ど、どうしたんですかぁ!?」

 

ガクッと座り込む。顔が熱く、息が苦しい。ついでに抑えた手のひらもヌメッと熱い。

 

不意に頭の中に今までのまゆちゃんに関連するテレビ、ラジオなどといった映像や音声、写真が走馬灯のように流れる。どれもこれも私が彼女の歌や声に感動して泣いたり泣いたり、泣いたりした場面ばかりだ。

 

──ああ、うん、これはあれだ。恋人同士だなんて恐れ多い事を少しでも考えてしまった罰なのだろう……。

 

てっふくらはい(ティッシュください)……」

 

一つ弁解するとするなら、この鼻血ブーが決して性的な興奮から来たものではないという事。私は純粋に佐久間まゆちゃんのファンです。これだけははっきりと真実を伝えたかった。

 

 

 

 

 

 

 



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第27話 ボクという存在はこの世界の中でいうとちっぽけな存在だ。だが、それはボクだけでなく地球上に住む生きとし生けるもの全てに……ちょ、こら、やめ「にゃははー志k

今回は一月以内に投稿してやったぜ……!(中身すっからかん)




突然だが皆さんは、“絶体絶命でんじゃらすじーさん”という少年漫画を知っているだろうか。アニメやゲームにもなっている少年誌で連載されている子供に大人気の漫画だ。概要は主人公の“じーさん”が“孫”に世の中の様々な危険から生き抜く方法を教えるといった内容なのだが、何故かもっと危険になってしまうという不条理ギャグ漫画だ。最も現在では長期の連載で形骸化してキャラクター達が日常で織りなす下ネタやブラックジョーク、ダジャレが主体となってはいるが。全てウィキペディアから仕入れた情報である。

 

何故そんな漫画の話をしたのか、理由は単純だ。最近買ったんだよね。一巻だけだけど。しかも“絶体絶命でんじゃらすじーさん邪”っていう第二部的な物の。なんとなくギャグ漫画を読みたくなって昼前に中古本屋さんに行ったらパッと目に入ったから買ってみた。“男子高校生の日常”とか“日常”といったもっと確実に楽しめる存在も知ってはいたが、私は自分の直感を信じた。

 

カバーもきちんと貰ったので、購入して落ち着ける場所について読み始めたのだが、早速一話目で躓いてしまった。

 

 

──行ってらっシャイニングビーム

 

 

“行ってらっシャイニングビーム”とは、小学生である孫が学校へ行くのでじーさんに“行ってきます”と言ったところ、じーさんが突如孫へと繰り出した技だ。言ってる意味が分からないと思うが不条理ギャグ漫画なので仕方がない。

 

攻撃力840の属性は雷。雷属性なので水属性には効果は抜群。しかしこの漫画は水属性なんて無ければバトル物でもないので先の説明は特に必要はないし意味もない。

 

決して面白いとは言い難いのだが、どうにも私の琴線に触れたらしい。何処か考えさせる物がある。なんとも言えない不思議な魅力がそこにあった。

 

いかにして作者の思考は“行ってらっしゃい”からの“シャイニングビーム”へと至ったのか。じーさんと孫の本名はなんなのか。ゲベとは本当に猫なのか。そして最強さんは最強なのか。気になって気になって朝しか起きれない。

 

そんな事を真剣かつ適当に考えながら、私は346カフェでまったりと午後の昼下がりを過ごしていた。

 

漫画をテーブルの上に置いてコーヒーをズズズと抹茶ラテを飲む。お〜うマイルド〜。

 

「お待たせしました。サンドイッチです」

「ん、ありがと。菜々ちゃん」

「いえいえ〜、深雪ちゃんもごゆっくり」

 

菜々ちゃんのにっこりほわほわ笑顔を堪能したところで読むのを再開しよう。

 

「──やぁ、深雪さん」

 

「……………………」

 

反応する事すら憚れた私は彼女(・・)を一瞥だけして先程まで読んでいたページを開く。

 

「奇遇だね」

「そうですね」

「嗚呼、今日は憎たらしい程良い天気だ」

「そうですね」

「こういう日はカフェといった落ち着ける場所で長閑に非生産的な時間の過程を味わいたいと思わないかい?」

「今してるだろうが」

「え?」

「そうですね」

 

「……」

「……」

 

暫しの沈黙の後、彼女──二宮さんは何事も無かったかのように私の対面の席に着席した。ちっ、精一杯帰ってくれアピールしたんだけどな。伝わらなかったらしい。

 

私達の様子に苦笑を禁じ得ない菜々ちゃん。そんな菜々ちゃんにコーヒーを注文する彼女。

 

「実を言うとボクとしては別に此処に来た理由も無ければ故意に此方へ足を運んだ訳でもないんだ」

「じゃあ帰れば? 私は本を読む為に此処にいるんだから」

「いつになく辛辣だな君。……いや、ボクが悪かった。確かにボクも読書に興じたい時、トワイライトに身を委ねたい時は静かな空間で過ごしたいと考えている」

 

今そうしてたのを邪魔されたんだよ、と視線で訴えかけると彼女はニヒルに笑いながら言葉を続けた。

 

「…………フッ、ボクは神で無ければさとり妖怪でもない。況してやこの世で最も複雑怪奇であろう人の心なんて分かるよしもないさ。理解したとしても飽くまでそれは理解した気になっているだけ。思い上がり、つまり傲慢になっているんだ。ボクは人間の能力の限界値を過信していなすまない。全てボクが悪かった。だからイヤホンを付けるのはやめてくれ」

 

二宮さんが懇願してくるのでイヤホンは付けずにテーブルの上に置いた。これはいつでも耳をふさぐ事が出来るぞというアピールだ。

 

「しかもそれノイズキャンセリング機能付きのイヤホンじゃないか! ボクの声がノイズだとでも言うつもりかい!?」

「否定はしない」

「否定したまえ!」

 

声を荒げる彼女。そこでようやく周りの煩わしそうな視線に気が付いたのか態とらしく咳き込み、落ち着けるために届いたコーヒーを口に含んだ。しかし途端に分かりやすく顔を顰めていた。その様子に私は思わずクスッと笑ってしまった。

 

「…………」

「……ん? どうしたの?」

「…………あ、い、いや、何でもないさ。気にせず本を読みたまえ。……ぅ」

 

急に顔を赤くしたと思ったらコーヒーを飲んでまた顔を顰め始めた。一体なんだというのか。

 

「……ごほん、ところで深雪さんは今日は休みなのかい? そうだろう」

「う、うん、だから菜々ちゃんを見に来たついでに本を読んでた」

「そちらがついでなのか……」

 

とはいえ最早読む気も失せてしまったが。そもそもギャグ漫画は公共の場で読むものではなかった。寮でゆっくりと読むとしよう。

 

「……どうしたの?」

「……ん? 何がだい?」

「いや、私の所に来た理由だけど」

「ふ、先も言っただろう? 特に理由も目的も──ない」

「帰る」

「すまない全てボクが悪かった。いや、そうだな、強いて言うならば……君と話したかった、じゃダメかい?」

 

うーん、なんだろうな今の言葉。多分輝子とかが言うと可愛く感じるんだろうけど、二宮さんがやると……申し訳ないが口説かれてるようにしか思えないわ。二宮さんってどっちかというとカッコいい系だし言い方が一々気障ったらしいので余計そう感じるのかもしれない。

 

「何か話したい事でもあるの?」

「そういう訳ではないよ。雑談……そう、雑談さ。たわいない言葉を酌み交わし、長閑な時間の経過を謳歌する。ボクは、君とならきっとその道程に愉悦を感じる事が出来ると思ったのさ」

 

チラチラとこちらに目を向けながら語る彼女。一体何を期待しているというのか。

 

「……別に私は話す事なんてないけど」

「構わないさ。無理に会話を続けたり続けられたりしたところでこれっぽっちも喜楽を感じる事は出来ない。寧ろ苦痛でしか無いだろうさ。君もその容姿だと身に覚えがあるんじゃないかい?」

 

……まぁ、あるかないかと聞かれたら、あるんだよなぁ。

 

容姿云々はともかくとして、学校でのグループ決めとかだと私って基本ソロだから余りのグループとか空いたグループに隙間を埋めるように入れられるんだよね。それがまたもう気不味いのなんの。私は全くもって沈黙状態でも問題ないんだけど、向こうがそれに耐えられないから気を利かせて話を振ってくれるのよ。テレビとかドラマの話を。しかし普段からテレビを見ない人種である私は話を振られたところで分からないので逆にこっちが気を使って当たり障りの無い言葉を返すという悪循環が発生するのだ。あれは苦痛だった。

 

そもそも私は女子と話す(・・)事は出来るが同性同士の会話(・・)というものができない。話題についていく事も出来ないし、高速テンポの会話にも耳が追いつかない。かと行って男子のグループに入っても中途半端に女子がいるせいで微妙に会話が弾まなくなるし。意外と難儀な体なのだ。

 

「……でも二宮さんおしゃべりだから黙らないでしょ?」

「フッ、確かに君の言う通り、ボクの口数が他人より多少は多い事は自覚している。比較という言葉や行動は嫌いだが、紛れもない事実だ。……ところで、動物と人間の違いがなんだか分かるかい? それは我慢を出来るか否かだ。動物という物は本能で生きているが、ボクら人間の本能は理性という防衛障壁により守られている。とどのつまり口を閉じる事くらいは容易だという事さ」

 

得意げに話す二宮さん。もう今の時点で彼女の口が5000rpm/minを超過している事は言及しないでおいてやろう。そんな事より少し気になった事が。

 

「……犬も“待て”とか出来るけど、それは理性じゃないの?」

「それは人間に躾けられたからであって──」

「ライオンがご飯食べてる時なんかは他の肉食動物は遠目で見るだけで近付きはしないって聞いたし、人間だけが理性を持ち合わせてるっていうのは少し傲慢に過ぎるというか」

「……」

「あ、別に私がそう思っただけで二宮さんの言葉を否定してる訳じゃないから。気にしないで」

「……ふむ、成る程。そういった考えもあるのか。おっと、気に病まないでくれ。ボクも勉強になったからね」

 

別に気になど病んでいないのだが。

 

「いや、今の議題はその事ではない。人間と動物の違い……心惹かれるものを感じているのは否めないが、とはいえ今はボクが沈黙を継続出来るか否かという点だ。早速開始しよう。…………ところで深雪さんはシュタインズ・ゲートって知ってるかい?」

「お前黙る気ないだろ」

 

参考書を開こうとした途端話しかけてくる彼女にいい加減イラっときた私は少し語尾を強めて会話を遮る。

 

「待ってくれ深雪さん。開始早々話しかけたのは意地が悪かった。けれどボクは先程こうも言った筈だ。“雑談”“無理に会話を続けない”……そう、ボクは別に無理はしていない。無理に会話を続けようとしていないんだ。……いや、ボクもそろそろ素直になろう。ボクは君と会話をしたい。もっと君の事を知りたいんだ」

 

いつになく真剣な様子に私は困惑を隠しきれない。中性的な顔付きなので捉え方によっては美人ともイケメンとも言える彼女は私のそんな様子に気付いてないのかじっと見つめてきた。

 

私の事を知りたいって言われてもなぁ……。なんか前にも言われたような気がするし。

 

「前もそんな事を聞いたって顔をしているね。確かに似たようなニュアンスの言葉は口にしたが、前回は“好奇心”で、今回は“探究心”だ」

「……私べつにそんな大した人じゃないんだけど」

「本人はそう思っていたとしても他人の見解はまた違ったものになると言う事さ」

「そもそも話す事なんか無いし」

「君が話す必要はない。ボクが君の邪魔にならない程度に会話を続けるよ」

「さっき出来なかったでしょ」

「人間は常に成長し続ける生き物さ。それはボクも例外では無い。次こそは有言実行してみせよう」

「今あんまり口を開きたくない気分なんだけど」

「でも菜々さんに会いにきたんだろう?」

「菜々ちゃんと話すのは吝かでない」

「ああ言えばこう言う」

「おまいう」

 

ええぃ! このまま問答を続けても拉致があかない!

 

「分かった! 私もはっきり言うよ。二宮さんの話し方すごくうざいし長ったらしいと思ってるけど、別に二宮さん自体は嫌いではない。でも今日は一人で、ひ・と・り・で! のんびりしたいから日を改めて」

「……本当にはっきり言ってくれるね。ダメージは少なからず受けたが直す気は毛頭無い。さて、君の言い分はよく理解した。だから次で最後にしよう。ボクも学業や職業が忙しくてね。十分な時間の取得が困難なのさ。休みの日に必ずしも君がここにいるとは限らないし、今日はベストタイミングなんだ。……そして素直になる、これがまた言うは易く行うは難しと言うやつでね、柄にもなく羞恥心が芽生えたよ。そんなボクの健気な勇気に免じて、今この時だけ君の時間を……ボクにくれないか?」

「えー」

「渋るなぁ君」

 

譲れないものというのは誰にでも存在する。故に人は完全に分かり合える事など出来ないのだ。しかしそんな頑なな思想のままでは人間社会で生き抜く事は困難だ。ならば互いに納得出来るところまで折り合いを付け、その妥協に妥協を重ねた不完全な状態のまま満足するしかない。

 

「じゃあ折衷案。私は本読みながら適当に相槌打ってるから、好きなだけ話してていいよ」

「……いや、それは……ちょっと……」

 

一瞬それでもいいかもって顔をしたと思えば思案顔になり、その後真顔で言い放った。

 

「深雪さん、それは会話とは言えない」

「お前も壁に話しかけてるようなもんだろうが」

 

ソリティアやってろと声を大にして言いたい。というかいい加減本気で出て行くか黙って欲しいのだが。

 

 

「──くんくん、飛鳥ちゃんの匂いがするー」

 

 

近くで声が聞こえたと思えば何者かが二宮さんに覆いかぶさった。名前で呼んでいたのできっと彼女の知り合いだろう。

 

「ぐぬ……ボクが過剰なボディタッチは好んでいないのは知っているだろう。そこを退いてくれないか」

「はすはす」

 

二宮さんは苦い顔を浮かべながらくっついたままの誰かに苦言を呈する。

 

「今は君に構っていられる暇はない。ボクは今重要な事を話しているんだ」

「とか何とか言いながらそんな本気の匂いはー……ありゃ、これは相当本気だねー。緊張と落胆、それから憧憬?」

「……君の嗅覚はどうなっているんだ」

「もしかして前の子?」

「指を指すんじゃない」

 

知り合い同士のやり取りだったので我関せずでいると話題が私になった。抹茶ラテを飲んでる最中だったがそのまま前を向くとその人物と目が合った。二宮さんの知り合い(?)とはいえ知らない人なので軽く会釈して視線を携帯へと戻す。……あ、のあさんから通知だ。

 

「ん〜? もしかして無視された?」

「今の会釈が見えなかったのか。今の彼女はただでさえ虫の居所が悪い。あまり刺激を与えないでくれ」

 

いったい誰のせいだと思ってるんだ! 黙ってれば怒らねーのにぺちゃくちゃ口を開くからだろ! 神崎さんでももっと静かに出来るぞ! 私だって昨日の“Unknown Invaders”のライブで疲れているんだ。その結果、菜々ちゃんに癒されたいと思うのは必然。それを邪魔するのは到底許されることではない。

 

「アタシは一ノ瀬志希だよ〜。君は小暮深雪ちゃんでしょ?」

「……なぜ私の名前を?」

「にゃははー。美嘉ちゃんと周子ちゃんと奏ちゃんが君の事を話していたのをこっそり聞いていたのだ」

「……美嘉さん?」

 

……あ、ああー。一ノ瀬志希ってLiPPSの人かー。確かに美嘉さんは私の事知ってるし、速水奏さんもクラスでチョロっとだけ見たことある。話しかけた事はないし、向こうが此方を認知してるかどうかは知らないけど。というか私も彼女の席が私より後ろだからいつも存在忘れるんだよなー。挨拶しないとなー。しかし、塩見周子さんは全く話した事もないし会った事もないんだけど……一体私の何を話していたのだろうか。

 

「はすはす」

「うわっ、ちょっと……」

「うーん、なんか不思議な匂い。外観は新本だけどよく見ると中身は年季の入った古本。完結したと思わせて実は二部に続いてるみたいな……もしかしてさぁ、一回死んでる?」

「ファッ!?」

 

急に回り込まれて匂いを嗅がれたと思いきやとんでもない事を言われてしまった。いや確かにそうだけども。一度は天寿を全うしてますけども。な、何故分かった……?

 

特に悪い訳でもないが墓まで持っていくつもりだった秘め事を容易く当てられて動揺した私は──流石に冗談だろうけど──何も無かったかのように平静を装い抹茶ラテを一口飲んだ。

 

「私、ヨミヨミの実の能力者じゃないので」

「ジャパニーズアニメ? 志希ちゃん帰国子女だからよく分からなーい」

「ワンピースはアメリカでも有名な筈だが……そもそも、死者が蘇るなんて非科学的な事がある筈ないだろう」

「にゃはは……それはどうかなー?」

 

一ノ瀬さんは意味深に笑みを浮かべながら此方へと視線を向けたままだ。冷や汗が流れるのを感じる。

 

……いやいや! 仮に彼女が本気で言っていたのだとしてもそれを科学的に証明する事は絶対出来ないし、バレて言いふらされても誰もそんな与太話を信じる筈がない!

 

私は努めて素知らぬ振りをするも探るような目付きは変わらない。そのまま少し経つと彼女の猫のような目付きが柔らかくなった。……どうやら釈放されたみたいだ。

 

「まぁ、流石に冗談だけどね〜♪ それはそれとして非常に興味深い匂いだからサンプル採取してもいい?」

「深雪さん、確実に、やめておいた方がいい」

 

いけない。二宮さんの目が据わってる。一ノ瀬さんが何を言ってるのかはさっぱりだが、どうやらマジでダメな奴らしい。

 

「じゃあダメです」

「ん〜、でもちょっと気に入っちゃったし。じゃあ自分で作るからもう少し嗅がせて〜」

「ち、近くないですか……?」

 

先程よりも近い距離で髪とか首とか手の匂いを嗅がれる私。首に至っては息までかかるから非常に擽ったく感じる。いくら化粧とか香水に無頓着な私でも、流石にこれはは、恥ずかしい……。

 

と、というかさ、さっきから匂いって何!? 匂いを作るとかサンプル採取とかよく分かんないけど、私ってもしかして臭いの!? 古本の匂いとか、絶対に良い匂いじゃないよね。

 

「に、二宮さん、私って臭い……?」

「い、いや、そんな事はない。彼女のはそういった意味の言葉ではない筈だ。そこは安心して欲しい」

 

それは良かった……。しかし、先程の言葉がとても気になる。一回死んだ云々は冗談だと切り捨てたものの、彼女の言葉は二宮さんの状態を的確に表していた。そして私のもだ。見た目は子供、頭脳はGGIな私なので古本は“精神”で新本は“身体”だと当てはめれば正にその通り。一部二部も前世が終わって完結、と思わせておいてなんか二回目スタートしたから合ってる。……あれ、じゃあもしかしてさっきの本気で言ってたの……?

 

未だに匂いを嗅いでいる一ノ瀬さんへと視線を向ける。そしたら彼女もこちらを向いていたようで不意に視線が合う。猫のような、だが決して鋭くはない目付きに、口元は諸星さんに似ているだろうか。控えめに言って美人さんである。

 

「あの、そろそろ止めていただけないでしょうか……?」

「はすはすはすはす……んひゃえ〜」

 

な、なんか目が血走ってる。こ、怖い……!

 

「し、志希、止めないか! 深雪さんが怯えている」

「無理無理〜、匂ってる内にクセになっちゃった!」

 

麻薬ってこんな感じなのかにゃ〜と危ないことを言いながら匂いを嗅ぐ行為を止めない一ノ瀬さん。もしかしてこの人、相当ヤベー奴なのではないだろうか。そもそも人の匂いを自然かつ無許可で嗅いでる時点で最早常人ではない。彼女に慣れていると思われる二宮さんも顔が引き気味だ。

 

取り敢えず店を出るとしよう。ここまま居座ってるとうるさくて店の迷惑になってしまう。

 

 

 



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第28話 地獄の狂科学者は二度死ぬ

どや、早いやろ。
次は多分遅いで〜。

給料日なので投稿。
因みにタイトルは聖飢魔IIのパロです。


「……私は今、疲れている」

 

過去形ではなく現在進行形というのがポイントだ。

 

店から出た私はあわよくば二人を撒こうと寮に帰ろうとしたが、出た瞬間一ノ瀬さんに飛び付かれたので仕方なく中庭のベンチに避難した。おっぱい柔らかかった。

 

「ああ、ボクもだ。まさかこんな事態になるとはね……」

「元はと言えば二宮さんが一ノ瀬さんを誘い込んだようなものでしょ」

「流石に理不尽すぎやしないかい?」

 

というか肩が重い! いつまで引っ付いてるんだこの人は!

 

私は肩に体重を乗せる一ノ瀬さんを無理くり引っ剥がそうとするが、予想外に力が強く剥がしきれなかった。どうすればいいんだろう。役得とでも思えば良いのか。

 

「ハスハスハスハス」

 

視線を彼女に向けるも匂いを嗅ぐのに夢中で全く気付いてくれない。完全に目がイッてらっしゃる。

 

「味も見ちゃえ。ぺろぺろ」

「んひゃあ!」

 

急に首筋を舐められて変な声を上げてしまった。どうやら頭もイッてしまわれたらしい。匂いを嗅がれるのはギリギリ許容出来たが流石に舐められるのは身の危険を感じる。そしてようやく確証を得た。この人ヤバイ奴だ! どうにかして引き剝がさないと……!

 

「ちょ、ちょっと、二宮さんも手伝ってよ……ひゃわっ」

「あ、ああ、すまない」

「ハスハスペロペロ」

 

くっ、なんだこの人……! 二人掛かりでも離れない……! てかこの体勢だと全く力が入らない……! はな、離れ……うおおおおおおお!!!

 

「はぁ、はぁ……」

「だ、駄目だ……。全く離れない……」

 

「み、深雪ちゃん……?」

「ど、どうしたんですか……?」

「ふ、二人共良いところに……! この人引き剥がすの手伝って!」

 

丁度よく三村さんと緒方さんが通り掛かった! 四人もいれば流石に引き剥がせるだろう。

 

「なんだかよく分からないけど、困ってるのは分かったよ!」

「て、手伝いますっ」

「三人の力を集約させるんだ!」

 

「「「せーのっ!」」」

 

三村さんが右腕、緒方さんが左腕、二宮さんが胴体を持ち、声を掛け合いカブを引き抜くが如く一ノ瀬さんを引っ張る。私と言えば一ノ瀬さんを引っ張る三人の力に負けないようにベンチにしがみ付くので必死だ。

 

「くぬぬぅ……!」

「ふむむー……!」

「……ッ……!」

 

「ハスハスヤメラレナイトマラナイ」

 

ちなみに掛け声の“せーの”はイタリア語で“おっぱい”という意味なのでイタリア人が今の光景を見ると「おっぱい!」と声を掛け合ってるようにしか見えないのだそう。ぷぷっ!

 

「あっ……!」

 

どんがらがしゃーん!

 

一瞬の気の緩みによりベンチから手を滑らせた私は四人を巻き込みながら地面へと倒れた。我ながら少しアホだったと反省。しかし私は幸いな事に元凶である一ノ瀬さんが下敷きとなったので事なきを得た。

 

「さ、三人とも大丈夫……?」

 

「あいたた……な、なんとか」

「大丈夫です……」

「ああ、怪我はないよ……」

 

良かった。見る限り三人にも大事はなかったみたいだ。一ノ瀬さんは……

 

「ふにゅう……」

 

完全に伸びている。下敷きにして少し悪いとは思ったが悪いのは彼女だ。因果応報である。今の状態であれば容易に剥がせるし逃げることも出来るだろう。とはいえ、別嬪さんをここに一人放置していては346プロの敷地内とはいえ何が起こるか分かったものではない。ましてや彼女はアイドル。特に狙われる可能性は大きい。世の中とは意外と物騒なのだ。攫われたりでもしたら悔やんでも悔やみきれない。

 

「どうしようか……」

 

「あれっ、深雪じゃん。何してんの?」

 

処理に悩んでいると丁度良いタイミングで美嘉さんが登場。話を聞く限り“LiPPS”のリーダー的存在は彼女っぽいので美嘉さんに熨斗(のし)付けて返品──買った覚えはないけど──しておけば問題なかろう。

 

「美嘉さん、お疲れ様です。そういう事なのでこの人、ベンチに置いときますね。じゃ」

「え? あっ、ちょっ……」

 

私は三村さんと緒方さん(ついでに二宮さんも)を連れてスタコラサッサとその場を去る。

 

「み、深雪ちゃん、美嘉さんに任せて大丈夫だったの?」

「任せるというより、半ば押し付けてたけど……」

「大丈夫。何もかも二宮さんのせいだから」

「なんでだ!」

 

二宮さんが声を荒げているが実際そうだろう。先程も言ったが二宮さんが来たからハッピーセット理論で一ノ瀬さんも付いて来た。そして何故か私が目を付けられて先程に至るのだ。つまり二宮さんがカフェに来なければ良かったのだ。もしくは無臭になれ。

 

「それはIFの話だろう? “もしも”の話ほど無駄なものは存在しない。過去はどう取り繕おうとも過去でしかなく、決して変化することはない。見るべきは現在、そして未来だ。結果的には君は魔の手から逃れる事が出来た。それで十分じゃないか。あと無臭は無理だ。彼女の鼻は利きすぎる」

「うるさい。長い」

「二言で切られた……だと……!?」

「あ、あの……深雪ちゃん」

「なに? ……ああ、この人は二宮飛鳥さん。中二病」

「いや、そうなんだが……そうなんだが……もっとこう、何かないのか? アイドルだーとか、第二芸能課所属だーとか」

「え、そうなの?」

「そうだよ!」

「蘭子ちゃんと同じタイプなのかな……?」

 

彼女のせいで酷い目にあったので仕返しにイジってると、緒方さんが呟く。

 

確かに、中二病と言えば神崎さんも中二病だ。中二病のタイプは多分違うが、引き合わせたら意外とウマが合うかもしれない。

 

「あっ、そうだ! これから智絵里ちゃんと中庭でお茶するんだけど、深雪ちゃんと二宮さんもどうかな?」

「く、クッキーもありますっ」

 

……これはもしかして、女子会という奴だろうか!? 三村さんと緒方さんとの女子会とか、絶対に癒される事間違いなし。しかし、話の引き出しが前世の仕事関係しかないので実質ほぼゼロな私が、こんなに愛らしい彼女らのお茶会に参加しても良いのだろうか。

 

「私といても楽しくはないと思うけど、誘ってくれるんだったら喜んで」

「君、今日は一人がいいんじゃなかったのかい?」

「ぐぬっ」

 

こら! 余計な事を言うんじゃない! パーで連続平手打ちするぞ!

 

「さっきあんな事が起きたし、今日はもういいやと思って」

「成る程ね。……あぁ、ボクは遠慮しておくよ。同部署の友人と過ごすが良いさ」

 

しかし、と二宮さんは続けて

 

「君との対談を諦めたわけではない」

「……あっ、うん。また日を改めて貰えば別に」

「…………あ、そう」

 

というか、なんやかんやちゃんと話してたような気もするが……。

 

少し呆然とした様子で頷いた彼女は“本当に日が悪かっただけなのか”、“次の休みは……”等とぶつぶつ呟くと、別れの言葉を述べた。

 

「じゃあ、また今度」

「ん、またね」

 

私は手をひらひらと振り彼女を見送る。彼女が見えなくなると、待ってましたとばかりに三村さんが少し目を輝かせながら話しかけてきた。

 

「ねぇねぇ深雪ちゃん。二宮飛鳥って、あの二宮飛鳥ちゃんだよね? 知り合いなんだ!」

「……知り合い、かな? なんか懐かれちゃって」

 

私からアプローチをかけた覚えは一切ない。彼女が勝手に私に興味を持って懐いただけだ。初めて会った時からペラペラペラペラ喧しい子ではあるが、悪い子ではない。話を聞くのは面倒だが、だが!

 

「後今気付いたけど、さっき深雪ちゃんに抱きついてた女の子ってLiPPSの一ノ瀬志希ちゃんだよね!」

「らしいね。私もさっき知り合ったばかり」

「あ、知り合いじゃなかったんだ。どうしてあんな状況になったの? 一ノ瀬志希ちゃん、およそファンには見せられないくらいスゴい顔してたけど」

「それは私の方が聞きたい」

「えぇ……?」

 

いや、本当に分からない。私の匂いを嗅いでたら──この時点で意味が分からないが──急に目が血走ってビーストモードに突入したのだ。結構怖かったので出来れば今後はあまり関わりたくはない。

 

中庭に到着すると三村さんがシートを敷き、手に持っていた彼女お手製のクッキーやティーセットをシートに揃えていく。座り方を胡座(あぐら)か正座で悩んだが、クールでビューティなイメージが崩れるという事で痺れを厭わず正座にした。余りに痺れるのであれば恥ずかしいが女の子座りで過ごすしかない。女子トイレや女子更衣室が普通でこれが恥ずかしいのも変な話だが、慣れないものは仕方ない。

 

暫くのんびりとクッキーと紅茶に舌鼓を打っていると緒方さんが話を切り出した。

 

「深雪ちゃんは、アイドルの知り合い多いよね」

「確かに、美嘉さんとも知り合いだったよね」

「いや、寮に住んでるから同年代の知り合いは少しはいるけど、そんなに多くはないよ」

 

会う機会も言う程多くはないしね。ご飯の時と風呂の時くらいか。輝子の部屋にはよく吶喊(とっかん)してるけど、その時に偶に悪代官白坂小梅と幸子がいるくらいだな。

 

「でもこの前は高峯のあさんと並んで歩いてたよね?」

「…………それは、まぁ、色々あって」

 

うまい言い訳を思い付かなかったのでお茶を濁した。それ絶対になか卯に行った日だ。私が一度もなか卯に行った事がないという事で他の面々に内緒で連れて行ってくれたのだ。ちなみにのあさんはなか卯そこまで好きではないらしい。結構美味しかったけどな。親子丼とうどん。あっ、返信してなかった。

 

「おっ、いたいた〜」

 

何処からか四月からよく聞くようになった新しい声が聞こえて来た。振り向くと予想通り本田さんと島村さん、そして花屋の凛ちゃんの姿がそこにあった。そして本田さんの左手には何故かビデオカメラが添えられていた。

 

「はい、どうぞ!」

「三村かな子です。智絵里ちゃんと深雪ちゃんとお茶してまーす」

 

「!?」

 

な、何が始まったの……? 急に来たと思ったら撮影が始まって、でも三村さんは事前に分かっていたかのように状況に適応してるし、隣の緒方さんもメモ帳らしきものを取り出してる。狼狽えてるのは何故か私だけだった。まさかと思いメール一覧を見てみると、武内さんから今日の事について普通に届いていた。私が確認してなかっただけのようだ。

 

メールによるとどうやら花屋の凛ちゃんら三人はCP全員のPR動画の撮影を頼まれているらしい。それは勿論私も含まれる訳で、何かを言う必要があるという事だ。

 

なんという事でしょう。私は常日頃からアドリブに弱いと自負しているし、紛れも無い真実だ。しかし、だからと言ってPR動画で何も言わない訳にはいかないだろう。口頭でも言ってくれれば良かったのにと思わなくもないが、メールの確認を怠っていた私が悪い。

 

……こうなったら仕方ない。私の好きな言葉の一つに“賽は投げられた”という言葉がある。そして、今こそその状況。日本男児……いや、大和撫子(笑)のあどりぶりょくを見せるとしますか!

 

「じゃあ、次はくれみーね!」

「小暮深雪、16歳。誕生日は1月23日。好物は色々、嫌いな物は必要でもないのに辛く料理されてる食べ物。座右の銘は“明日は我が身”。入社一年目の若輩者ではありますが、立派なアイドルを目指して同僚達と切磋琢磨しながら一所懸命に精進いたしますので、暖かく見守っていただければ幸いです。これから宜しくお願い致します」

 

新人らしく表情明るくハキハキとフレッシュに。普段そうではなくてもアピールの時だけでも態度作っておけば問題はない。これはもう完璧だろう。

 

そう思いながら周りを見ると、どうにも反応が芳しくない。これは一体どうしたことか。

 

「どうしたの?」

「いやいや、固い……固いよ! 普段のくれみーからは想像出来ないフレッシュ感は出てたけど、なんか違う! あんたは期待の新入社員か!」

「新入社員だけど?」

「確かにそうだけども!」

 

本田さんにダメ出しされてしまった。一体何がいけなかったのか。内容も不自然さは無いはずだし、新入社員というアピールポイントも強調出来た。確かに内容は固いが、これからファンになってくれるかもしれない人達に見せるものなので茶目っ気を入れて好物とかも言ってみたのだが……。

 

「かな子と智絵里の自己PR聞いてた?」

「内容考えるのに必死で全く」

 

やっぱり……と呟くと花屋の凛ちゃんは苦笑した。

 

「今考えたって事は、深雪ちゃんは今日の事は知らなかったの?」

「ついさっきメール見た……」

「ごっ、ごめんなさいっ。私が今日のこと言わなかったから……」

「いや、緒方さんのせいじゃないよ。私がメール見てなかっただけだし」

 

何故か緒方さんが申し訳なさそうにしていたのでフォローする。流石の私もこんな事で八つ当たりなんてしない。

 

「くっ……! こんな事なら先にくれみー撮っとくんだった……ッ!」

「どうしてですか?」

「そりゃあやっぱり動画を撮るんだったら面白いものにしたいじゃん? 普段のクールな佇まいから一変してあわあわするくれみー! 良いネタ……もとい、ファンの心も鷲掴みだよ!」

「ギャップ萌えってやつですね!」

「そもそも見る人は普段の深雪を知らないんじゃ……」

「まあまあ、細かいことは気にしない♪」

「細かいかな……?」

 

何やら本田さんが勝手な事を言っているが、意図せず彼女の目論見は阻止できていたようなので気にしない。後そろそろ足が限界に近づいてきている。女の子座りに移行せねば。

 

「深雪のやつは自己PRというよりはスピーチに近いかも。別に偉い人の前で言う事でもないんだから、簡単に“これから頑張ります”くらいでいいんじゃない?」

「……成る程」

 

花屋の凛ちゃんから指摘を受ける。確かに言われてみると私の考えた言葉は仕事の上司や先輩なんかに送るような物ばかりと思われる。つまりもっとフランクな物言いでも良いという事か。

 

「小暮深雪16歳。将来の夢は三国遺址探訪。よろしく」

「カット!」

 

なんでよ。めっちゃ友達感覚でフランクじゃん。これはもう「オッス、オラ深雪!」くらい言わないとOK貰えないんじゃなかろうか。

 

「てかそこはトップアイドルじゃないの?」

「深雪ちゃんは三国志が好きなんですね!」

「そういえば12月に初めて会った時に言ってたね」

「そこ今どうでもよくない?」

「トップアイドルがどうでもいいって!?」

 

そっちじゃねーよ。

 

「何がいけないの?」

「素っ気ないよ! 見た人雁首揃えて「お、おう……」って思っちゃうよ!」

「そう? うーん……どうすればいいと思う?」

「私に聞かれても……」

 

花屋の凛ちゃんに聞いてみるも色よい返事は戻ってこない。二人してむむむと作戦を練っていると、緒方さんが遠慮がちに声をかけてきた。

 

「あ、あの……もう少し日常を映してみるといいんじゃないかな?」

「日常?」

「う、うん。例えばかな子ちゃんみたいに自分で作ったクッキーを紹介したり、今だと三人でお茶してます……だったり」

「あはは、全部私が言ったやつだね」

 

成る程、素晴らしいアイディアだ。そういう事であれば私も……。

 

私は鞄に入っている本を紹介しようと取り出すが、直前でこれが紹介してはいけない物だという事に気が付き、元の場所に戻した。自己PRででんじゃらすじーさんを紹介するアイドルなんていてたまるか!

 

とはいえそれ以外にめぼしいものは見当たらない。あるのは参考書とイヤホン、後はタオルくらいのものだ。

 

さてどうしようか。そう考えた次の瞬間──

 

 

「深雪逃げて超逃げて!!」

 

 

何処からか聞こえる美嘉さんの叫びに私は反射的にその方向へと顔を向ける。そこには必死にそれを食い止める美嘉さんと、先程堕ちた筈の一ノ瀬志希の姿があった。

 

「あれ? 美嘉姉ぇ……って何あれ!?」

 

「これはまずい。逃げるに限る」

 

私は即座に危険を察知し、一目散に逃走を図る。今日に限って動きにくいチャッカ・ブーツなのだが、捕まったら何をされるか分かったものではないので全力疾走だ。

 

「深雪!?」

 

今の私に凛ちゃんの言葉に反応する余裕はない。美嘉さんの必死の食い止めもあり、一ノ瀬志希の歩みは鈍い。しかしその表情はまるで絶賛発情期の凶暴化した動物のようであり、発せられる声も最早言語にすらなっていない。先程よりヤバイ状況だという事を改めて理解した。恐らく彼女は人間としての理性を失ってしまったのだろう。あーもう! どうして私がこんな訳の分からない目にあっているんだ! それもこれも全部二宮さんのせいだ! 絶対ゆるさねぇ!

 

「ぐぐっ……ああっ!」

 

「&#×%$¥□〒々○!!」

 

「ひぃっ……!!」

 

ついに耐えきれず美嘉さんの手から一ノ瀬志希が離れてしまった。鎖から放たれた一ノ瀬志希は勢い良く地面を蹴り、私目掛けて突進する。これがまた意外と速い。その猟奇的な光景に思わず悲鳴が漏れる。

 

こ、怖い!! さっきとは比にならない恐ろしさだ。ゾンビ的な恐ろしさを感じる。私は彼女から逃れる為にがむしゃらに走った。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

「&#×%$¥□〒々○!!」

 

施設から出てスカイツリーを眺め、両国国技館を目の当たりにしていると河川敷まで辿り着いてしまった。周りから怪訝な目で睨まれようとも必死に逃げた。途中で撒こうとわざと複雑な道を走ったり隠れたりもしたが、彼女の超人的な嗅覚により全て水泡に帰してしまい、未だこの状態だ。本当に人間なのだろうか。

 

結構な距離を走ったが彼女の勢いが衰える事は無い。堕ちてもアイドル。相応の体力は持ち合わせているという事か。対する私は適宜休憩は挟んでいたものの、体力も足も騙し騙しで走っている為そろそろ限界だ。このままだと本当に捕まってしまう! どうにかしないと……。

 

「おや、貴女もランニングですか!! いいですねぇ、ランニングは健康にも良いし、肺活量も鍛えられます!!! 最高です!!!! どなたかは存じませんが一緒に走りましょう!!!!!」

「若人の身でありながら感心ですなぁ! しかしその走り方ではすぐ疲れてしまいますぞ! 不肖、大和亜季が効率的な身体の動かし方を伝授致しましょう!」

「あっ!!!!!! 申し遅れました!!!!!!! 私は日野茜です!!!!!!!!」

 

必死に走っていると二人の女子が並走してきた。二人の名前は聞いた事がある。大和亜季はミリタリーマニアのアイドルで、ファンからは軍曹と呼ばれているらしい。日野茜に関しては前にライブで見かけたしカフェでよく声を聞く。

 

「ボンバー!!!!!!!!!!」

 

そうそうこれこれ……ってそんな場合じゃないんだよ!

 

「346プロCP所属の新人アイドルの小暮深雪です! ところで後ろから追いかけてくる一ノ瀬志希をどうにか出来ませんか!?」

 

私は先輩方に助けを求める事にした。息絶え絶えの身体に鞭を打ち、一息で言いたい事全て詰め込んで後ろを指差す。

 

「なんと! 後輩でしたか! ……ふむ、確かに正気を失っているご様子。この手のものは何度か対処した事がある故、この大和亜季にお任せあれ!」

「大和さん……!」

 

大和さんは漢らしくニッと笑うと、駆け足を止めてクルリと一ノ瀬志希の方へと向き直す。その後足を開いて腰を落とすと、レスリングを連想させるような構えを取った。

 

「亜季さんに任せれば大丈夫です!! さぁ、一緒に逃げましょう!!!」

「はい……!」

 

日野さんの言葉に頷きつつも心配になり後ろの方を確認する。しかし、その心配は杞憂に終わるだろう。小林まこと作品を読んできた私には分かる。あの構えは素人のものではない。必ずやかの一ノ瀬志希を抑えてくれる事だろう。

 

「そぉい!」

「&#×%$¥□〒々○!!」

「な、なに……ぐはぁ!?」

 

そ、そんな!? 西上馬之助ばりの抑えを物ともしてない!?

 

跳ね除けられた大和さんは河川敷の下へと力なく転がって行く。一ノ瀬志希の勢いは依然変わりない。

 

「なんと!? 亜季さんがあっけなく!? こうなったら私が引き止めます!!! 貴女は逃げてください!!!」

「日野さん……」

 

日野さんは漢らしくニッと笑うと、駆け足を止めてクルリと一ノ瀬志希の方へと向き直す。その後ラグビープレイヤーを連想させるような構えを取り、バネが跳ねるかの如く駆け出した。

 

「そりゃあ!」

「&#×%$¥□〒々○!!」

「な、なに……ぐはぁ!?」

 

そ、そんな!? 東三四郎ばりのタックルを物ともしてない!?

 

跳ね除けられた日野さんは河川敷の下へと力なく転がって行く。一ノ瀬志希の勢いは依然変わりない。

 

本格的にまずい事になってきた。被害が私だけなら兎も角、二人も負傷者が出てしまった。これ以上大ごとになったら収拾がつかなくなってしまう。一体どうすれば……。そう思った瞬間だった。

 

「よぉ深雪」

「な、夏樹!」

 

希望の華、我らが木村夏樹が現れた。しかも都合の良い事に愛用のバイクに乗って。

 

「野暮な事は聞かない。追われてんだろ? 乗りな」

「夏樹……!」

 

か、かっこいい……! 本気で惚れそうなんだけど。私いま顔赤くなってない!?

 

「ありがたい! けど乗る時間がない!」

 

夏樹のバイクに乗るにはまず止まってもらわなければならない。そしてヘルメットを着用する必要もあるので見積もっても最低10秒はその場に留まる必要がある。仮にそれで追い付かれなかったとしても恐らく加速に時間が掛かるだろうから20秒としよう。確実に追い付かれる。だからと言って乗るのを待ってくれるほど今の一ノ瀬志希に理性はない。

 

「ま、まだで、あります……!」

「早く、準備を……!!!」

「&#×%$¥□〒々○!?」

 

二人とも!? 無事で良かった……!

 

二人は一ノ瀬志希の両足をガッチリと掴み、歩みを阻む。しかしそれでも一ノ瀬志希は二人を引きずりながら此方へと向かってくる。あいつの脚力はどうなっているんだ!?

 

「くそっ、このままじゃ……」

「まぁ、大丈夫だからそのまま走ってな」

「?」

 

「──夏樹テメー! 置いて行くなよ!」

 

夏樹の言葉に疑問符を浮かべていると、後ろの方から凄まじい爆音と共に夏樹を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「おっ、来たな」

「来たな、じゃねーよ! てかあの三人何やってんだ? 只事じゃないみてーだけどよ」

「あー、アタシも知らねーけど、ダチが困ってるんだ。拓海、志希を抑えといてくれ」

「ダチぃ? そいつの事か?」

「小暮深雪です!!」

「お、おう……」

 

拓海──恐らく向井拓海の事だろう──と呼ばれた人物が私へと顔を向けてきたので自己紹介をする。バテ気味で丁度良い声が出せず声を張り上げてしまった。

 

「よく分からねぇが、夏樹のダチってんなら協力しない訳には──いかねぇよなぁ!?」

 

オラァ! と威勢良く一ノ瀬志希へと特攻を掛ける向井さん。

 

一人が駄目なら二人で。それでも駄目なら三人で。一本の矢は折れても三本に束ねれば折れないともいう。私はこの時、“協力”という言葉の美しさを知った。

 

二人に両足、一人に胴体を抑えられて遂に一ノ瀬志希は身動きを取ることが出来なくなった。

 

「深雪! 今の内だ!」

「はぁ、はぁ……う、うん」

 

いそいそとヘルメットを被ると夏樹の後ろへと跨り、落ちないようにしっかりと抱き着いた。バイクに乗る事自体が今世初なので少し緊張している。

 

「掴まったな? いくぜ!」

「お願い! お、おおおおおお──!?」

「はっはは! なんだよその反応は」

 

文明の利器、侮る事なかれ。私は今、獣に追い回されるという原初の恐怖を、文明の利器を用いて解決したのだ。見よ、みるみるうちに遠のいて行く一ノ瀬志希のいと憐れな姿を。

 

かの松下幸之助は言った。

──成功は自分の努力ではなく、運のおかげである──と。

 

実際、本当にその通りだ。今回だって逃げ続けているだけではいつか捕まっていた。運が良かったからこそ、大和さんや日野さんそして向井さんが一ノ瀬志希を阻止してくれたし、夏樹がバイクに乗って現れた。努力をするのは当たり前だ。しかし、努力をしたからといってそれが必ず報われる訳ではない。努力をしても試験に落ちる時は落ちるし、チケットも当たらない時は当たらない。そこには必ず“運”というものが絡んでくる。そして私は──運すらも制したのだ。運命の女神が私に微笑みを向けたのだ。

 

とはいえ運も実力のうちとも言う。実質今回の件も私が実力で勝ち取ったと言っても過言ではあるまい。つまりは三人が一ノ瀬志希を止めたのも私の実力だし、いま私が乗ってるGSXも私の実力(?)と言えるだろう。

 

「……深雪、なんか変な事考えてないか?」

「べ、別に……?」

 

後日、この件がネットニュースのランキング1位を飾り、私は“一ノ瀬志希に追いかけられる女”として一躍有名となった。見かけた一般人は「何かの企画かと思った」「テレビの撮影かと思った」とし、通報はしなかったという。百年の恋も冷める顔で追いかけ回していた一ノ瀬志希はというと「つい我を見失ってしまった」「癖になる匂いだった」と訳の分からないコメントを残し、更に世間を困惑させた。これが後に言う“一ノ瀬暴走列車事件”である。

 

そして私はそのニュースを見ながら一人ベッドで筋肉痛で死んでいた。




一二の三四郎は皆見るべき。




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第29話 職場の雰囲気は大事 前編

お ま た せ

遅くなるとは言ったけどまさかここまで遅くなるとは……!
前回のあらすじ書こうと思ったけど話の繋がり無いし、いいよね?




 

「「CDデビュー?」」

 

「はい。お二人と三人にはユニットとしてCDデビューしていただきます」

 

そう唐突に告げられたのは、とある休日の昼下がりであった。

 

午前中にレッスンを行なっていたCPのメンバー達は、昼休憩後にCPR(シンデレラプロジェクトルーム)にて雑談を交わしていた。この日は珍しく全員が揃っていた。それは“Unknown Invaders”の練習で度々レッスンを抜けている深雪も例外ではない。

 

アナスタシア、新田美波、渋谷凛、島村卯月の四人は突然の事に頭が追い付いておらず困惑し、本田未央は対照的に、喜びを露わにしている。そんな彼女らに周りは素直に賞賛と驚きの声を上げた。

 

「二人共! CDデビューだよ!」

 

未央の言葉でようやく頭が追いついたのか、卯月は歓喜の声を響かせ、未央と凛の両名に思わず抱き着いた。

 

「おめでとう!」

「おぉ……」

「すごーい!」

 

深雪も周りと同様に彼女らのCDデビュー決定に驚きの声を漏らしたが、その驚きは少し意味が違った。深雪は自分の部署のプロジェクトがようやく始動したという事実に驚いたのだ。とはいえ前より4月過ぎに始動するとプロデューサーである武内より公言されていたので驚きは小さい。寧ろ既に5月に入っているので少し遅いと感じていたくらいだ。

 

「うぇ、もうそんな時期? 杏、ずっとぐーたらしてたかったなー」

「もう杏ちゃん、そんな事言わないのっ」

 

凡そアイドルの卵とは思えない杏の小さな野次に、きらりは優しく苦言を呈する。そういった具合に和やかな空気が部屋を包み込むが──

 

「ずるい! 莉嘉もCDデビューしたい!」

 

その一言により当人達はおろか祝福していたメンバーすらも冷や水を打たれたかのように静まった。

 

そう、今回CDデビューが出来るのは全員ではなく五人のみ。残るメンバーは未だデビューを果たす事は出来ないのだ。しかも彼女らは今後デビューが確約されている訳でもない。下手をすれば、最悪の場合デビューすら出来ない可能性すら浮かび上がってくるのだ。それがたとえ部屋で携帯を無くして見つからないといった小さな可能性であろうとも、思春期の少女である彼女らの不安な気持ちは膨らむばかりだろう。

 

焦りか嫉妬か、もしくは単なる好奇心か。莉嘉の言葉はデビュー宣言をされていないアイドル達の、無意識の内に思っていた事を代弁していた。

 

「そ、そうにゃ! ミク達はどうなるにゃ!?」

 

莉嘉の言葉を皮切りに、人一倍アイドルに対する熱意の強いみくが疑問を投げかける。先より新入り三人が己より先にステージに上がる事に不満を持っていた彼女だ。そこに再び自分を差し置いてCDデビューをする三人に対する不満と、新入り三人を選んだ武内に対する不信感は更に高まった事だろう。実際にはCPのメンバー全員のデビュー予定はある程度目処は立っていたのだが、それには伝えられない理由があった。

 

武内は誠実かつ実直な性格で、アイドル達の事を真摯に想い気遣える男ではあるが、それ以上に不器用で口下手な男だった。その上、彼にはトラウマがある。かつて彼のプロデュース方針に息苦しさを感じた数名のアイドルが彼の元を去ってしまったのだ。彼はその少女らの人生を狂わせてしまったと悔やんでおり、今でも心の中を蝕み続けていた。

 

その為、これまでの行動を鑑みて分かる通り、彼は“過去の挫折”を教訓に、アイドルとの接触や会話は最低限に済ませ、裏方に徹する事にしていたのだ。元々の口数の少なさもその思想に更に拍車をかけていた。しかも彼は良くも悪くも正直者で、不透明な言葉で相手をぬか喜びをさせるような事は決してない。つまり未だ確定していない段階の計画を伝える訳にはいかなかったのだ。とはいえ気遣おうにも口下手で言葉が纏めきれず、その上“過去の挫折”により彼は一歩前に踏み込む勇気を失っていた。彼の思想と性格そしてトラウマが、今回は完全に裏目に出てしまったのだ。

 

その結果、彼はみくの言葉にこう回答した。

 

「……現在、企画検討中です」

 

その答えに深雪は、甚く微妙そうな顔をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

今日は声のレッスンだ。トレーナーさんは相変わらず指摘が鋭い。音程を正確に取るのは相当に集中しなければ難しい。正確に音を取るという事は、正確な音を聞き分けなければならないからだ。ある程度は練習してきた私ではあるが、それでも中々難しい。

 

「新入りの匂いがするにゃ! 二人共準備はいいかにゃ!?」

 

「「おー!」」

 

休憩に入ると突然みくにゃんが莉嘉ちゃんとアカギさんを連れて部屋を退出した。

 

理由は分かりきっている。花屋の凛ちゃんら三人にデビューを賭けて勝負(のようなもの)をする為だ。美嘉さんのライブを終えると一時期は鎮静化したものの、この前の武内さんの言葉で再発してしまったのだ。

 

彼女の考えは前回より変わっていない。アーニャちゃんや新田さんはともかくとして新入り三人に先を越される事に納得がいってないのだ。確かに、このままでは今までレッスンを頑張ってきたみくにゃんが報われない。しかし、武内さんの考えも分からなくもないのだ。

 

恐らく彼はライブに出た事で多少知名度を上げた今が丁度良いタイミングだと考えたのだろう。例えると彼女らは今度発売する新作のゲームで、事前にCMで宣伝されている状態だ。しかもそれが人気アイドルである美嘉さんのお墨付きとあれば尚更期待値は高いはずだ。営業も並行して行なっている武内さんがこのチャンスを逃すはずがない。

 

「あぁ……みくちゃんまた始めたんだ」

「そ、そうみたいだね」

 

懲りないなぁ、と呆れ気味に呟く多田さんに苦笑を禁じ得ない三村さん。二人の反応は既に見慣れたと言わんばかりのものだった。

 

「大体あんな勝負で何かが変わる訳でもないのに」

「みくちゃん、今日は黒ひげみたいなの持ってたよね」

「そうだっけ? よくもまぁあれだけやってレパートリーも底をつかないものだよね」

「案外遊びたいだけかも……」

「いや、みくちゃんに限ってそれはないでしょ。みりあちゃんと莉嘉ちゃんは別として」

 

確かに二人の表情は遊びに行く子供のそれであった。本気でCDデビューの座を狙っている訳ではなさそうだ。

 

「……ふわぁ」

 

私はこくりと舟を漕いだ。……はっ、危ない! もう少しで寝るところだった! 昨日の夜更かしが祟ったか。本を読んでいたら止め時が分からずに結局全部読んでしまったのだ。

 

起きなければと思いながらもうつらうつらと顔が左右前後に不規則に動く。そんな正直な身体に活を入れるべく“ろーとずぃー”を目に注入した。くぅ〜! ……き、効かない……? どうやら使い過ぎてこの程度の刺激じゃ満足出来ない身体になってしまったらしい。また初めてやった時のようなものすんごい刺激を味わいたい。あの時は女子にあるまじき呻き声をあげる程しんどかった。隣の席の男子に注目されてたのが辛い。

 

時間はまだ残ってはいるが、寝るのは論外。というのも声のレッスンは途中で一度寝てしまうと、喉や発声で使う筋肉とかが通常状態に戻るので、今の状態に戻すには一から発声をし直さなければならないからだ。

 

「深雪ちゃんどこか行くの?」

「私は元気」

「……?」

 

歩くの大好きなのでどんどん散歩をしよう。そうでもしないと目が覚めない。

 

部屋を出ると黒ひげ危機一発で遊んでいる六人の姿があった。そしてそれを首に手をやりながら眺める武内さん。ワイワイガヤガヤと遊んでいる彼女らはとても楽しそうに見えた。

 

「ぬぉりゃ!」

「ぐぬっ、中々やるにゃ! そこにゃ!」

 

黒ひげ危機一発をやってるとは思えない程の白熱ぶりだが、通路の真ん中でやっているので少し邪魔だ。

 

「……廊下の真ん中だと邪魔になるよ」

「あ、ごめんにゃ」

「ご、ごめん」

 

素直に広いスペースへと移動する六人。立って待ってる武内さんも武内さんだ。交代出来ないのならみくにゃんにはっきりと言えばいいのに。言葉足らずなのは理解しているが、それにしても放置しすぎである。今の私達(CP)の微妙な雰囲気を感じ取れないのだろうか。今はまだ年少組や表面上は明るいみくにゃんのお陰で明るくはあるが、どうしたものか。

 

気分転換の筈なのに少々気鬱な気分になりながらも散歩を再開する。武内さんと挨拶を交わすとエレベーターで適当な階数へと降りる。折角なので降りたことのない階にしてみた。

 

どうやらこの階は346プロに所属する俳優さん達の事務所のようだ。今日は休みの日の筈だが、事務員さん達は忙しそうに働いている。私は邪魔にならないように歩きながらその様子を横目で見ていた。

 

「──はい、お疲れ様でした」

 

するととある一室から何度か一緒に仕事をした事もある高垣楓さんが出てきた。アイドルである筈の高垣さんが何故この階にいるのかと疑問に思ったが、恐らくドラマか何かでいるのだろう。多分だけど。

 

「高垣さんお疲れ様です」

「? お疲れ様です」

 

言い終えてから気付いたが、そういえば私は高垣さんとは知り合いではなかった。正確に言うと“CB/DS”としては知り合いだが、素では面識がないのだ。今後もボロを出さないようにしないと……。

 

「あっ、ちょっといいかしら」

「はい?」

 

散歩を再開しようとしたら呼び止められてしまった。知り合いでもない私に一体何の用だろうか。

 

「貴女、もしかしてCPの?」

「はい、CPメンバーの小暮深雪と言います」

「やっぱり! じゃああの人のところね」

「……もしかして武内さんの事ですか? 知り合いですか?」

「ええ、まあ部署は近いしね」

「じゃあ後でよろしく伝えておきますよ」

「別に会わない訳じゃないから構わないわ。そんな事より……」

 

高垣さんが少し真面目な顔つきでスススと近付いてくる。

 

「貴女が言われて嫌だと思った事や、他にも些細な事で良いから、何か気付いた事があればすぐに報告して欲しいの」

「……高垣さんにですか?」

「いえ、武内Pに」

 

私たち新人を気に掛けてくれる有難い言葉……と思ったらなんか微妙に違った。でも、突然どうして?

 

「深雪ちゃんがどう思っているかは分からないけど、彼、口下手な上に余り話さないから少し誤解されやすいの。特に中高生にはね」

「良い人なんですけどね」

「そう、だから少しでも彼に耳を傾けてくれるように……って思ってたのだけれど、分かってたのね。余計なお世話だったかしら?」

「いえ、ありがとうございます。高垣さんが言いたい事は分かってるつもりです。いざという時はフォローが必要だと言うことも」

 

ウィンターライブの時から分かっていたが、武内さんは口下手で一言足りないし一言多い。普段から常に吟味して言葉を発している様子は伺えるが、吟味したからといってその言葉が正しいわけではない。その証拠がみくにゃんだ。でなければ事あるごとに花屋の凛ちゃん達に勝負を仕掛けたりするわけがない。彼も人間なので完全に第三者視点で物事を考えるという事は難しいのだ。どうしても主観が入ってしまう。

 

「あ、えっと、フォローを頼んだ訳じゃないの。プロデューサーも自分の性格は理解しているだろうし、どの言葉がダメだったかくらいは後々気付いてくれる筈よ」

 

そうかもしれないが後々では遅い。気付かなかったからこそ今の状況へと至ってしまっているのだ。私としては彼の方針に異論はない。きっと余計な事、つまりは決まっていない事不確定な事は言うまいというスタンスなのだろう。が、それだけでは足りないのだ。武内さんはそのスタンスに於いて一番といって良いほどの事に気が付いていない。もしくは忘れているか。

 

「そうですね。武内さんに関してはそういうスタンスなんだろうというのはうっすら理解してます。なので私からとやかく言う気はありません」

 

そう、フォローを入れるのは本当に見ていられなくなった時だ。……と言ったものの、今の段階で既に見てられない状況だし、もうみくにゃんの強がる表情は見たくない。口ではああ言ったが、正直次にそんな場面に出くわしてしまったら私は口を開いてしまうかもしれない。

 

「そうね、それがいいわ。次はきっと……」

「……何かあったんですか?」

「……いえ、なんでもないわ」

 

明らかに何か含みのある言葉だったが、一応初対面である私が無理やり聞くのも良くない。

 

「……やっぱり今の状況は危ないですか?」

「さぁ、どうかしら?」

「どうかしらって……」

「ごめんなさい。武内Pさんの事はああ言ったけど、私も話すのは得意じゃなくて」

 

何か知ってそうな口振りだったので聞いてみたが、どうやらそういう訳ではないらしい。

 

「そもそも貴方達を殆ど知らないから何とも……あっ、でも貴女は不思議と何処かで会った事ある気がするのよね〜」

「き、気のせいじゃないですかね……」

 

き、急にブッ込んできたな……。少しびっくりしたけど、尻尾を出すようなことはしない。今の私は“CB/DS”でもカクでもなく、小暮深雪なのだ。

 

「ところで、深雪ちゃんはどうして役者さんのエリアに? 何か仕事の話?」

「いえ、ただの散歩です」

「あら、奇遇ね。私もちょっと暇が出来たから散歩中なの」

「あれ、でも先程誰かと話してませんでしたか?」

「ああ、あれは今度のドラマでお世話になる人に挨拶してたの」

「挨拶は大事ですね」

「大事よ。もし怠ったら“大事な大事件”が起きちゃうわ♪」

「意味が被ってる。10点」

「10点中?」

「100点中です。自信満々か」

「私も今のは言っててどうかと思ったわ」

 

それからも少し談笑していると不意に高垣さんが時計を見ながら「あっ」と声をあげた。その様子を見て私も悟った。

 

「深雪ちゃん、話しやすいからつい弾んじゃったわ」

「そ、そうですか……?」

 

確かに私があまり話さないように相手から口を開くように会話は心掛けているつもりだが、面と向かって言われたのは初めてだ。やっぱり気付かれる時は気付かれるものなんだな。

 

「そうだ! 良ければ今度飲みに誘ってもいいかしら? 皆に紹介したいわ!」

「………………………………すいません。私、未成年なので」

 

今の沈黙は行くか行くまいかというよりは言うか言うまいかで悩みに悩んだ沈黙だ。こっちに来て飲む機会なんて全くないから偶には焼き鳥片手に飲みたいのよ。……あ、酒じゃないよ? 欲望に素直な私なので反射的に「行きます!」って言いそうになったが直前で考え直して結局やめた。会社に迷惑かけちゃうからね、仕方ないのよ。……酒じゃないからね?

 

「え!? そ、そうなの? 勝手にハタチ過ぎくらいだと思って話してたわ。ごめんなさい……」

「いえ、気にしてませんよ。よく言われますし。因みに見た目こんなですが中身は純日本人です」

「やっぱりそうよね! 日本語上手だと思ったの!」

 

日本人なのに日本語上手って褒められるのは何だか違和感を感じるな。嬉しいけど。

 

「あっ、いけない。そろそろ私は行くわ。話聞いてくれてありがとう。心の片隅にでも置いておいてちょうだい」

「はい、お疲れ様でした」

 

高垣さんが去って行く。彼女は気遣う必要はないと言っていたが、やはり何かが起きそうだったらフォローくらいはいれるとしよう。私と彼は謂わば一蓮托生の仲。そのくらいしても罰は当たらないだろう。

 

何も起きないのが一番いいんだけど、と思いながら腕時計へと視線を向けた私は来た方向へと足を向けレッスンルームへと戻った。駆け足に限りなく近い早歩きで。

 

 

 



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第29話 職場の雰囲気は大事 後編

前編もあります。


あれから結局休憩中までに間に合わなかった私はしっかり怒られながらもレッスンに励んだ。そしてレッスンが終わり、失った水分を補給していると休憩中に話していた三人が近付いてきた。

 

「深雪ちゃんなんでさっき遅れたの?」

「ちゃんと受けないとトレーナーさんに失礼だよ」

「な、何かあったんですか?」

 

多田さんのご尤もな意見に再び申し訳ない気持ちが込み上げてくる。社会人を一周経験しておきながらそれでも尚遅刻する私はどうしようもありません。とはいえ人間は失敗しながら生きていく生き物。切り替えていこう!

 

「ごめん。廊下で高垣さんと会って話してたら遅れた」

「え!? 高垣って……高垣楓さん!?」

「凄い、人気アイドルじゃん。知り合いだったの?」

 

三村さんと多田さんが食いついてきた。同じ事務所なのによくもまぁそこまで反応出来るものだ……と思ったけど私も似た様なものだった。

 

「ついさっき自己紹介したばっかりだよ。……ところで、三村さんって割とミーハーだよね」

「え? そ、そうかな? 普通気にならない?」

「興味ある人だったらなるかも」

「わ、私もそうかも」

 

それもそうか。確かに私も佐久間まゆちゃんの事だったら三村さんみたいになるかもしれない。……そうだ。この事言ったらどうなるかな?

 

「……このまえ焼肉屋に行ったよね」

「行ったね」

「その時に伊集院北斗に会ったって言ったら驚く?」

「えええええ!? 深雪ちゃんそれホント!?」

 

三村さんにガチリと肩を掴まれる。ファンなのか物凄い剣幕だ。その時は誰なのか知らなかったんだけど、貰った連絡先の紙を見て容姿を調べてみると実はJupiterの伊集院北斗でびっくりした。だから何だという話だけど。

 

「ホントホント。三村さんと野菜選んでて声かけたらそれがそいつだった」

「そうだったんだ! あれ、じゃあ私も見掛けてたかもしれないって事?」

「どうだろう。三村さん、急にデザートコーナー行ったから分からない」

「あ、あはは……」

「あ、あのさ、伊集院北斗って誰?」

「えぇ!? 李衣菜ちゃん伊集院北斗知らないの!?」

「う、うん……」

「李衣菜ちゃん、Jupiterって言ったら分かる?」

「……あ、ああっ! じゅ、ジュピターね! うん、し、知ってる知ってる! すごくロックだよね! うん!」

「ロックかなぁ?」

「ろ、ロックだと思えばそれがロックなの!」

 

Jupiterは確かに攻撃的なロックも歌っているが、それが全てではなくJ-POPやバラードも歌っている。きっと多田さんはそれを踏まえてロックだと言ったのだ。そして今のも「グループと曲は知っていたが、メンバーまでは知らなかった」という心の表れであり、本当に知らなかったわけではないだろう。

 

彼女の考えは、理解は出来るが言葉にするのは難しい。というのもロックというものは“定義できないからこそロック”なのだ。

 

数ある音楽ジャンルの中でロックほど難しいジャンルはないだろう。なにしろ境界線が曖昧なのだ。ほぼ無いと言っても過言ではない。私が先程言ったのもそうだが、ロックとは反逆の叫びだという主張もあれば、ずばりロックとは○○といった主張も存在する。また、それら全てを引っくるめてロックだと言う人もいる。答えなんて存在しないのだ。

 

私は密かに多田さんの言葉に感動した。“ロックだと思えばそれがロック”。一見聞き苦しい言い訳にしか聞こえないその言葉は、彼女の“ロック”に対する思いを的確に表現していた。ロックに定義はなく、模範的な回答が存在しない。しかし、だからこそ数いるロックンローラー達は十人十色な名言、名曲をロック史に残した。そしてロックンローラーは己の考えを主張はすれども否定はしない。それは偏にロックンローラー達が皆、彼女の言葉を共通認識として理解していたからだ。

 

俺の考えるロックはこうだが、お前の考えもまたロック。つまりロックだと思えばそれがロックであり、誰がなんと言おうともJupiterはロックなのだ!

 

「多田さん! 私は感動した!」

「あわわ!」

「きゃっ!」

「おわっ、な、なに!?」

「多田さんは生粋のロックンローラーだったんだね……!」

「……ま、まぁね!! そうでもあるかも!」

「今度夏樹に紹介しとくよ。うちの部署に凄いロックンローラーがいるって」

 

多田さんであれば夏樹も気にいるはずだ。きっと気が合う事だろう。……あれ、もしかしたら私って将来の偉大なロックンローラーの第一歩を目の当たりにしているんじゃない? 日本を代表するロックンローラー、多田李衣菜の一歩目はアイドルから始まった的な。いずれは世界のYAZAWAならぬ世界のTADAに……なんて言っちゃったりなんかしたりして!

 

「にゃ〜、基礎練ばっかりにゃ……」

「ねー、もっかい勝負しに行こうよー」

「次はトランプしようよ!」

 

勝手に盛り上がっているとみくにゃん達の声が聞こえてきた。最年少二人の声も聞こえる。そういえば先程の勝負(?)はどうなったのだろうか。

 

「これは遊びじゃないにゃ。アイドル生命を賭けた真剣勝負なんだから」

「アイドル生命? アイドルっぽい事まだなにもしてないじゃん」

 

多田さんがみくにゃんの言葉に突っかかる。言い合いになると察した私は話を逸らす。

 

「みくにゃん、勝負どうなったの?」

「ミク達が勝ったにゃん♪」

「でも負けたんだ?」

「だから負けてないにゃ!」

 

試合に勝って勝負に負けたと言ったところか。なんにせよ再びみくにゃんの野望は潰えたらしい。

 

「そうにゃ! いい事思いついた!」

「どうせまた勝負の事でしょ? 勝ったところで交代する筈もないのにまだやるの?」

「そう言ってられるのも今の内にゃ。今回のミクは一味違うにゃ」

「ねーねー楽しい事?」

「そそ、楽しーぃ事にゃ!」

 

ニヤリと笑みを浮かべたみくにゃんが説明する。曰く、花屋の凛ちゃんが三人なのだからアーニャちゃん達も自分を入れて三人に出来るのではないかという事だ。

 

「いいねいいねそれ!」

「えー! みくちゃんだけー!?」

「そう思うんだったら自分で交渉するといいにゃ。ミクは自分の分を勝ち取るにゃ!」

 

そう言うとみくにゃんは隣の部屋へと駆け出し、アカギさんと莉嘉ちゃんもそれに続いた。

 

「な、何をするつもりなのかな……?」

「ねぇ、私達も行ってみようよ」

「そうだね。私もみくちゃんが何するつもりなのか気になるし」

 

どうやら三人も行くらしい。という事であれば私も流れに沿って行くしかあるまい。

 

「たのもー、にゃ!」

 

みくちゃん達の後に続いて隣の部屋へと入ると、花屋の凛ちゃんら三人に加えてアーニャちゃんと新田さんもその場にいた。その際に何故か本田さんがこっちは五人云々と慌てていたが、みくちゃんの説明で落ち着きを取り戻す。

 

「じゃあ、ハイこれ」

「ネコミミ、ですか?」

「わ、私達も付けるの……?」

「モチのロンにゃ!」

 

どこからか取り出したのか、みくちゃんが猫耳をアーニャちゃんと新田さんに手渡すと、明らかに新田さんが動揺していた。気持ちは痛い程分かる。大学生になってまで猫耳を付けるなんて恥ずかしくて出来ないよね。私だったら多分死にたくなるよ。……とはいえそれは私が彼女の立場だったらの話だ。つまり今の私には関係ない。それに第三者から見ると中々に愉しいものである。私のカメラマン魂がシャッターチャンスを逃すなと震えている。

 

「うわぁ……深雪のそんな表情初めてみた」

 

多田さんに引かれた。しまった、顔に出てしまっていたか。どんな顔だったのだろうか。

 

とかなんとか思いつつ私は既に携帯電話へと手を掛ける。

 

「ほ、本当に付けるの……?」

「何を戸惑ってるにゃ。美波チャンなら似合うって」

「ダー。ミナミのネコミミ、見てみたいです!」

「う、う〜ん、わ、分かったわ……」

 

そう言うと新田さんは渋々と恥ずかしそうにネコミミを頭に取り付け始めた。今です!(孔明感)

 

装着する瞬間という目にも留まらぬシャッターチャンス、私でなきゃ見逃しちゃうね。シャッターボタンを押し、ちゃんと撮れてるか確認する。残念ながら私のスマフォはまあまあ古いので画質は多少雑魚だが、仕方ない。

 

「アーニャちゃん」

「んー? ピース」

 

カメラを向けると、気が付いたアーニャちゃんが両手でピースをして此方に向き直った。だが状況をあまり把握出来ていないらしく表情は未だにキョトンとしている。

 

「み、深雪ちゃん、私は入れないで欲しいのだけれど……」

「分かりました」

 

ただし撮ってないとは言ってない。今更言ったところでもう遅いのだ。先の写真はずっと私の写真フォルダに眠る事となるのだ……。

 

「アーニャちゃんもっと猫っぽく」

「こう、ですか?」

 

手の平を軽く握り手首を曲げながら両手をふりふりと動かす。うーん、マンダム。実に愛らしい。普段からも天然が入っていて可愛いアーニャちゃんではあるが、猫耳を付けることによって更に切れ味が鋭くなっている。みくにゃんと並ばせて撮りたい。……なんとなくだが、新田さんがのあさんだったら何かが完璧のような気がする。本当になんとなくだが。

 

「よし、準備は整ったにゃ! 扉の前で待機にゃ」

「ほ、本当に! 本当にやるの!?」

「何回聞くんだにゃ? やると言ったらやるにゃぁ!」

「……ニクキュウ……」

 

未だに渋る新田さんを軽く流しながらみくにゃんは言葉通り扉の前で待機する。アーニャちゃんは片言な言葉と一緒に猫の動作を練習していた。

 

「失礼します。……こ、これは……?」

 

そして武内さんが来ると、早速みくにゃんは己のアイディアを披露した。その後も多田さんはロックバンド、莉嘉ちゃんはシール(?)ユニットとして武内さんへと提案する。しかし

 

「新田さん、アナスタシアさんはこのまま二人ユニットでいきます。申し訳有りませんが、既に準備を進めておりますので」

 

皆から落胆の声が聞こえる。頑な、というよりは色々と考慮した上での判断なのだろう。実際はどうなのか知らないが彼が考えもなしになんとなくでユニットを決めそうには思えない。きっと何かしら理由があるのだろう。その辺りの考えも一緒に言ってくれれば皆もあんなに悲しそうな顔をしないだろうに。

 

……さて、どうするか。このままこの場は流して武内さんに任せるか、さもなくば私が口を出してこの場を収めるか。これは実に難しい二択だ。

 

はっきり言うと私はともかく他のアイドル達と武内さんはコミュニケーションが足りていないと思う。そもそも彼と言葉を交わす機会が意外と少ないのだ。仕事の合間に私達の様子を見に来てはくれるがすぐに戻ってしまうし、私達もレッスン中なので会話をする事なく一日を終える日も少なくない。

 

ただの仕事仲間というドライな関係もなくはないだろうが、ここ346プロのアイドルに限ってはそうはいかないだろう。何故ならば今のような状況になってしまうからだ。これが大人同士であればこうはならなかったかもしれないが、相手は思春期真っ盛りの女の子。精神的にも不安定になりがちな時期の女の子達にドライな関係を求めるのは無理がある。友好的な関係を作りコミュニケーションを図りやすくすれば今後の為にもなるだろう。

 

しかし、ここで私が口を出さない事によりいずれ彼女達の感情が爆発してしまう可能性も考えられるのだ。下手をすればデビュー前に辞めてしまう恐れも……。先ほども言ったが武内さんと彼女達はコミュニケーションが足りていない。少し嫌な言い方にはなるが、そういった意味では今の状況は相互理解を深める良い機会と言えるだろう。これを機に武内さんがどのような考えでプロジェクトを進行しようとしているのか、またアイドル達がそれに対してどう感じているのか。それさえ理解できていれば私達は良い関係を築ける筈なのだ。

 

悩む。久々に人間関係で悩んでいる気がする。実際のところ、これは私が考えるべき事ではないのかもしれない。ただ、互いの考えている事が理解出来るので勝手に責任を感じているだけだ。だが当事者である以上は無視できる案件ではない。

 

どちらが正しいのか。考えながら皆へと視線を向ける。きっと通る筈だと期待していた案を却下された故の残念そうな様子は拭えず、凛ちゃんら五人もどうすれば良いか分からないようで狼狽えている。特にみくにゃんは先程までの期待に満ちた表情との変化が著しく、見ていて痛ましい。しかし、悔しそうな表情から目を伏せると、次の瞬間にはいつものみくにゃんへと戻っていた。気丈に振る舞っているのは火を見るよりも明らかであった。その様子に私は、漸く己の自己中心的な考えを自覚し、ズキリと心が痛んだ。

 

「……っ」

 

……くそ、一体私は何を考えていたんだ! なんだよ心を鬼にしてって! 今後のコミュニケーションの為って! 確かに大事かもしれないけど、それは彼女らの心を傷つけてまで優先しないといけない事なのか? いや、それは違うはずだ。いくら武内さんの気持ちが分かるとはいえ、私が味方をすべきは幼い彼女達の方だ。未だ20歳も超えていない幼い少女らを悲しませるような事があって良い訳がない。私は生涯に渡り子を授かった事はないが、子供はまず第一に身も心も健やかに育てば良いという考えを持っている。それ故に成長を願って口を出さないつもりでいた。高垣さんが言っていたというのもあるが、世間の過半数が思っているようにコミュニケーションを円滑に進めるには会話が一番手っ取り早い。

 

──しかし、コミュニケーションなんぞ未だ問題とはいえない問題が解決したらいくらでも取れば良いのだ。機会なんて幾らでもあるはずだ。そう考えると、私の意思は自然と固まった。

 

「どうしてこの二人なんですか?」

「……と言いますと」

「いえ、何故この組み合わせなのかと思いまして」

「……普段の皆さんの様子から鑑みて、この組み合わせが最適だと思ったからです」

「という事は私達の組み合わせも決定しているという事でしょうか?」

「それは……」

「……決まってないんですか? その場その場で決めてるとしたらもしかして最後のユニットって……」

「……! い、いえ! そんな事はありません! お二人と三人のユニットデビューを発表する以前より、ユニットの構成は決めています!」

 

言葉を続けようとすると察したのか武内さんが必死の形相で言葉を紡いだ。少し意地悪な言葉選びだっただろうか。しかし、このくらいは言わないと武内さんの事だから何も言ってくれなさそうだ。

 

「つ、つまりそれはミク達もユニットデビュー出来るって事かにゃ?」

 

みくにゃんが思わずと言ったように問いを投げかける。

 

「そ、それは企画検討中で……」

「それでも、今のところの予定くらいは教えてくれてもいいんじゃないですか? 確かに予定は変わるものですが、何も伝えられないよりはマシです」

「しかし……」

「ダメ、ですか?」

「……分かりました」

 

私の言葉に武内さんはあまり納得していない様子ではあるものの、説得の甲斐もあり一応の予定だけは伝えてくれることとなった。

 

皆が静かに私たちの様子を見守る中、武内さんは改めて皆へと視線を向け、説明を始めた。

 

「……本当に大まかなことしか説明出来ませんが、プロジェクトの進行計画としては新田さん達、渋谷さん達のユニットが第一段。その後、二段三段とユニット毎にデビューしていく予定となっています」

 

「ほ、本当にゃ!? 」

「やったー! それならそうと早く言ってくれればいいのにー!」

「わーいわーい! 楽しい事いーっぱい出来るかな?」

「私達もデビュー出来るんだ……」

「やったね智絵里ちゃん! デビューが出来るよ」

「う、うん。きらりちゃんや杏ちゃんにも伝えないとね」

 

「い、いえ、そこまで申し上げては……」

 

盛り上がる彼女らに水を刺そうとする武内さんに私がストップをかける。

 

「おっと、それ以上は野暮ですよ。また彼女らから笑顔を失わせる気ですか?」

「……! ……私は、笑顔を与える筈のアイドル達から、笑顔を奪っていたという事ですか……?」

「不確かな情報を与えたくないという気持ちは分かりますが、時には伝えた方が良い場合もあるんです」

「……しかし、やはりぬか喜びさせるような事態は……」

「……そう思うのなら、それを実行する前に彼女らを納得させてください」

 

某漫画での台詞でもあるように『納得』は全てに優先する。納得しているのとしていないのとではその先が大きく変わって行くのだ。例えば自分の進路の先に理不尽な事が待ち受けていたとしたらどうなる? 納得さえしていれば『自分の選んだ道』だと耐える事が出来るだろう。しかし、納得していなければ耐える事が出来ないかもしれない。私の言葉はその『耐え切れなかった場合』を考慮しての事である。

 

「厳しい事を言いますが、口下手だからは言い訳になりません。彼女らを納得させる事は担当Pである貴方の義務です。特に私達は多感な時期の中高生が多数を占めます。不満を飲み込み続ける事なんて出来ないでしょう」

「……そう、ですね」

「最近だと事務所では常に“アイドル”を意識して明るく過ごしている前川さんも、物憂げな表情が目立ってきていました。もちろん前川さんだけではなく皆もそうです。こういった対応は武内さんがするべきだとは思いましたが、私が耐えきれなかったので口を出してしまいました。すいません」

「い、いえ」

 

武内さんが困惑している。それもそうだろう。普段からそこまで自分から口を開く事の無い私が饒舌に話しているのだ。しかし、私だって話さなければならない事くらいはしっかりと話す。高垣さんはああ言っていたが、やはり口出ししてしまった。

 

「立場は違いますが武内さんの考えは理解しているつもりです。しかし、彼女らがそれを察するには未だ経験が足りません。なのでまずは説明して、しっかり納得させてあげてください」

 

彼女達に悲しい顔は似合わない。挫折を知った人間は強いとは言うが彼女達にそんな経験は出来ればして欲しくない。笑顔で過ごせるのならばそれが一番だ。未だ喜びを抑えきれない皆の様子を見ながら尚更そう思った。

 

私の言葉に武内さんの仏頂面が歪み、思案に暮れる。

 

「……難しいかもしれません。自分は、今までこのスタンスを続けてきていましたので」

「ですが──」

「ですが、私としても彼女達の笑顔を奪うのは本意ではありません。なので、なるべく努力は致します」

 

武内さんの真剣な様子に私は微笑みを返す。どうやら発破をかけて正解だったようだ。

 

「今後の大まかな予定は、改めて後日皆さんが集合している時にお話します。ですが、予定は飽くまで予定であり確定事項ではありませんので、その辺りは周知願います」

 

「「「はい!」」」

 

かくして、本来であればみく主導の小さな、しかして重要なストライキが起きる予定だった今回の出来事は、深雪の武内への説得により終息を迎える事となった。

 




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第30話 風呂でのひととき

2年振なので初投稿です。
完全にエタッてました。スマヌ…スマヌ…
この2年の間に日本の北から南まで出張行ったり鹿児島転勤になったりしましたが、忙しかった訳じゃないので本当にサボってただけです。
相変わらずストーリーは進みませんし、なんかステマっぽい表現ばかりです。
そんなのでよければ、どうぞ。


放課後、レッスンが終わり部屋のベッドでゴロゴロしていた私はヤフ○クとメ○カリのアプリケーションを交互に開きながら、とあるものに腐心していた。

 

「……はぁ、やっぱ高いなぁ」

 

溜息を吐きながら画面を閉じる。そしてすぐさま画面を開いてそのページを見ると再び溜息を吐く。

 

私を苦悩させるそれは、敬愛する聖飢魔IIのメンバーであるギタリストが、聖飢魔IIとは別のface to aceという二人ユニットで活躍しているCDとDVDであった。定価はそれ程高くはないのだが、メジャーではない故に販売数が圧倒的に少なくプレミアがついているのだ。中古だと10000円を超えるものも出てくる。学生である私には少し手を出し辛い代物であった。

 

「くそー、私が売れっ子アイドルだったら速攻でポチってるのになぁー」

 

尚、未だデビューもしていないのはご愛嬌。

 

そんな折、突然携帯が震えだす。何故か勝手に(・・・)手から滑り落ちた携帯の画面を見て誰からの着信かを確認し、そのまま床に置いたまま電話をとった。

 

「もしもし? 小暮ですけど?」

『なんで語尾上擦ってるの? ……渋谷だけど』

 

電話をかけてきたのは両親が花屋を営んでいる渋谷の凛ちゃんであった。

 

用件を聞いたところ、どうやら彼女の記念すべき初ライブの日程が決まったらしい。アーニャちゃん達も同じ場所で同じ時間帯に初ライブを行うとの事。うむ、手間が省けて実に良い。私は早速メモ帳を取り出しスケジュールの確認を行う。

 

日程は一週間後の都内の私も行ったことのある某デパートで、人通りが最も多くなる昼頃の時間帯。運良く何も予定がなかったようなので小さく「よしっ」とガッツポーズをとると空白部分へと書き記した。

 

「絶対行くから」

『ありがとう。きっといいライブにして見せるよ』

「楽しみ。じゃ、おやすみ」

『うん、おやすみ』

 

私は凛ちゃんからの電話を切るとすっくと立ち上がり風呂に入る準備を始めた。

 

「小さく前倣え〜」

 

なんとなくで覚えた凛ちゃん達の新曲を上機嫌に歌いながら風呂セットを手に取り扉へと手をかける。

 

ガチャリ

 

「「「あ」」」

 

深雪が扉を開けた瞬間、両隣からも奇跡的に同じタイミングで扉が開かれる。一体誰なのかなんて考えるまでもなく理解している。両隣へと視線を向けると灰色と濡れ羽色のアホ毛がぴょこんと顔を覗かせていた。それを見た私は

 

──うむ、今日も二人は元気に過ごしていたようだ。

 

と内心頷く。私は自分でも知らぬうちにアホ毛所持者のアホ毛を観察する事で心理的状況を把握出来るようになっていたのだ(大嘘)

 

「お疲れ。二人とも偶然だね」

「ほんとだね。二人も今からお風呂?」

「あ、ああ、日陰者には湿気が必要だからな」

 

何言ってんだこいつとは思うがやはり輝子は可愛いので頭を撫でる。突然の事に輝子は困惑するがすぐに「お、おぉ〜……」と気持ち良さげな声へと変わった。出会った頃であればやんわり拒否していたのだろうが、数ヶ月も付き合いのある今となってはとっくに受け入れていた。

 

「一緒に入ろっか♪」

「そだね」

 

風呂場に着くと早速風呂に入る準備を行う。うぅむ、やっぱり一緒の更衣室に入るのは未だにイケナイ事をしてるみたいでドキドキする。なんだか興奮してきたな(dtmko)

 

慣れてきたとはいえやはり中身は元は健全な男なのだ。見目麗しい少女達のアラレもない姿は実に、実に眼福である。

 

なんて事を考えつつも湯浴みを始める頃にはそのような思考は綺麗さっぱり消え去っていた。結局のところ、友人と入る風呂は気持ちが良いという事だ。

 

「はい閣下一丁」

「な、長過ぎるな……」

 

シャンプーの泡を立たせまくって輝子の髪をトンガリ閣下ヘアーにしてやった。輝子の言う通り髪が長いので先っぽの方がフニャってして少し苦労したが先端部分を捻る事により問題は解決した。誰もいない時は私も偶にやっている。ちなみに美穂ちゃんはサウナへと消え去った。最近グルメ系のロケが増えて体重が気になるらしい。

 

「輝子私にもやって」

「いいぞ。閣下か?」

「うん」

 

輝子の小さな手が私の髪を優しく揉みほぐす。そういえば神崎さんにも髪を洗ってもらったな。人に髪を洗われるというのはなんとも気持ちが良いものである。美容院でやってもらうのとはまた違う心地良さだ。私は自然を顔を綻ばせながら完成を待った。

 

「出来たぞ」

「おぉ……」

 

意外と上手いじゃないか。私、結構癖っ毛だから難しいかなと思ったんだけど。

 

「ふふ、た、偶にライブで髪型変えたりするからな。自分でやってる訳じゃないが、み、見てたら何となく分かるようになったんだ」

 

なるほどな。私は滅多に、というか全く髪型を変える事なんて無いし、覚える必要もないと思ってたから全然分からない。私の母親は伸ばして欲しかったみたいだが、こんな癖っ毛を綺麗に維持なんて出来っこないと分かっていたから断固として拒否してやった。

 

「……ていうか、本当に上手いね。ワックスとか使ってないよね?」

「ふひ、しょ、正真正銘シャンプーだけだぞ。閣下の髪に関しては一家言あるんだ。……そ、そろそろ流すぞ」

「待って、写真撮りたい」

「しゃ、写真……? 流石に公共の場だし、写真はマズいんじゃないのか?」

「輝子知ってる? バレない反則は高等技術なんだよ」

「何を言ってるんだ?」

 

渋々お湯に流されているとサウナからハットを被った美穂ちゃんがお尻に敷くタオルを携えて戻ってきた。あの本格的な装備はロケの際に買ってきたらしい。フィンランドとか、羨まし過ぎるぞ。

 

「ふぅ〜、いい汗かいた〜♪ あれ、なんだか楽しそうな事してるね。何の髪型?」

「これは閣下の髪型だよ」

「ふひ、み、ミサ限定の髪型だ」

「閣下? ……あ、もしかしてデーモンさん? 化粧してる悪魔の人の事でしょ?」

「あれは化粧じゃない」

「え?」

「し、しかも人でもないぞ」

「え? え?」

「ごめんね、憶測で言われると訂正したくなるから、余り突っ込まないでね」

「う、うん、分かった」

 

美穂ちゃんには申し訳ないが、間違った認識はキチッと訂正しておくのがファン……いや、信者の使命なのだ。悪魔教*1信者*2である私と輝子の布教活動に余念はない。閣下だってそーする。なあなあではダメなのだ。

 

「あ、でも確かに閣下本人もそんな風にずっと訂正してたかも!」

「人じゃないけどね……って、閣下の事知ってるの?」

「うん、何度か一緒に出演した事があるよ」

 

はあああああああああああああ!?!?

 

「ちち、ちょっと待って! それってつまり、閣下の御尊顔を拝した……って事?」

「う、うん……」

「まったくもって閣下に興味の“き”の字どころか子音の“k”すらもなさそうな美穂ちゃんが!?」

「ひ、否定はしないけど、言い方に悪意を感じるよ……」

「も、もしかしてそれって先月!? 歌番組!? ……ま、まさか他に四悪魔の構成員が居たりしなかった……?」

「もうそれ言わなくても分かってるよね? ……うん、他に同じような人が四人いたよ」

「──」

「あっ、深雪ちゃん!?」

「お、おい、深雪さん、しっかりしろ!

 

もはや私に「悪魔だから人という単位は間違っている」というツッコミを入れる事は叶わず、輝子の腕の中で静かに目を閉じるしか出来ることはなかった。

 

ショックだったのだ。私が生前から憧れている閣下と共演したにも関わらず、あまつさえ全く興味を持ってないときた。

 

羨ましい、というより非常に悲しかった。確かに聖飢魔IIは解散して久しい。読んで字の如く世紀末に世界征服を終え、解散したバンドだ。

 

しかし、解散したからと言って聖飢魔IIという存在がなくなるわけではない。むしろ近年では解散時より信者が増えているまである。そして今年は聖飢魔II結成から30年が経過している。

 

──つまり、期間限定再集結の時期だ。

 

聖飢魔IIは解散後5年毎に“世を忍ぶ仮の姿”*3で地球に潜伏している構成員*4を呼び戻し、大黒ミサ*5の発動を宣言する。世に言う“魔政復古の大号令”の再発である。

 

号令が告げられた後、実に1年の期間を調査および布教活動に専念する。

 

先程も言ったように、聖飢魔IIは世紀末に地球征服を完了し、解散した。それはつまり、彼らがわざわざ動く事考える事なく、世の中を彼らの意のままに動くような仕組みを作り上げ、布教活動に専念する必要が無くなったという事。

 

しかし、機械にメンテナンスが必要なように、悪魔も地球に対して同じ様な考えを持っている。

 

『我々が征服した地球は、きちんと我々の為に機能しているのか』

 

その為、5年という長い周期の果てに、地獄の副大魔王であるデーモン閣下が、お茶の間に大人気なバラエティに富んだ普段の姿をかなぐり捨てて、悪魔としての真の姿をあらわにする。

 

それが今年度なのだッッッ!!!

 

彼らは年老いた古い人間とは違い、発想も柔らかい。人がいないからといってミサを中止する事もないし、己の知名度に慢心することも無い。

 

そもそも彼らが集客の宣伝を怠る事はない。先週にはニコ生にて何時間も放送していたし、美穂ちゃんの言うように音楽番組にも出演してアピールを行う。昔人気だったからといって今も人気だとは、彼らは一切思っていない。

 

故に未だに信者は増え続けるのだ。それ程までにアピールをされれば嫌でも興味が湧くと言うもの。それを美穂ちゃんときたら……。

 

「美穂ちゃん」

「な、なにかな……?」

「もうそれ以上、聖飢魔IIについて話さないで。美穂ちゃんの事を嫌いになりたくない」

「そ、そんなに!? ご、ごめんね、深雪ちゃん!」

「もう、いいから。美穂ちゃんは多分悪くない。元々聖飢魔IIは生活を犠牲にする程好きだったけど、興味ないって言われただけでこんなにショックを受けるとは思わなかった。しばらく立ち直れそうにない」

「深雪さん……」

 

私は輝子に抱き付き、さめざめと泣いた。

 

今の私の心境は、昔から好きだった人から実は自分の友達の事を好きだと告白され、想いを隠して応援していたらあっさりフラれ、それを私は友達から何事もなかったかの様に聞かされる……そんな感じだ。知らんけど。

 

いや、ほんと、なんか辛い。今まで色々な人に興味ないって言われたけど、別になんとも思わなかったのに。お腹は空いてた筈だが今は全く食欲がわかない。輝子がよしよしと慰めてくれるので、しばらくはこのままでいるとしよう。

 

……それにしても輝子の肌、すごいスベスベだぁ。小さいけどおっぱいも柔らかいし、ボディーソープでぬるぬるしててとても心地が良い。くぅ〜、やっぱおんなのやわはだはたまんねぇなオイ!

 

「……さて、そろそろ上がろうかな。今日の夕ご飯なんだっけ?」

「ええ!?」

「意外と早かったな、立ち直り……」

 

それは輝子の真摯な心が私の髪の毛一本も残さずに沁み渡ったからだ。

 

「ほ、本当にごめんね……?」

「美穂ちゃんは悪くないよ。私が勝手に落ち込んだだけだから。気にしないで」

 

美穂ちゃんは申し訳なさそうに言うが本当に彼女は悪くない。私だって興味無いものを興味持てって言われても絶対無理だし。むしろ私の方が酷い反応をしそうだ。

 

 

 

「──ぬあーっはっはっは! 天の御使いよ!」

 

 

 

やかましいのが来たとちょっとゲンナリしながら入り口に目を向けると、予想通りの人物がドッバァァン! とポーズを決めながら突っ立っていた。素っ裸なのであんまりカッコよくない。

 

 

 

「今宵は紅く染まりし混沌の神獣──宴であるぞ!」

 

 

 

「今日はハンバーグか」

「今ので分かるんだ……」

 

しかもトマトソースだ。それならば彼女──神崎蘭子さんがはしゃぐのも無理はない。なんと言っても、ハンバーグは彼女の大好物だからだ。中でもチーズinハンバーグonトマトソースを特に好んでいる彼女だが、トマトソースのみであってもランキング2番目に来るほどトマトソースハンバーグを愛している。現に目がギラギラと血走っている。

 

「ギンギラギンにさりげなくぅ」

「ど、どうした?」

「なんでもない」

 

神崎さんがワナワナと震えながら言う。

 

「我の魔力は枯渇寸前! 日(いず)る時も混沌の神獣を手に掛けたが、まさか我の実力が最大限に発揮できる紅い満月──つまり今宵に二度も対面出来るとは……!」

 

この子、昼もハンバーグ食べに行ってたのか。いき○りステーキにでも行ったのかな?

 

「ハンバーグと聞いてお腹が減ってきた。先に上がって食べておくね」

「な、何を言っているのだ!? 其方と我は天国と地獄、光と闇! 交わる事はなかれど常に表裏一体! つまり、魔力補給であれど共にするべきなのだ!」

「でも神崎さん今入ったばかりでしょ? 私もう上がるんだけど」

「ふ、どうせ其方はこの後パンドラの箱にて怠惰に過ごすに決まっておる。そも、いつも呼んでいるのは我であろう!」

 

そうとも言えるし、そうでないとも言える。というか私は別に好きでダラダラしている訳ではない。神崎さんが呼びにくるからそれに合わせているだけだ。

 

「……まぁいいや。早く上がって来てね。……輝子、行くよ」

「わ、私も上がるのか……」

 

私は輝子を連れて風呂から上がり、リビング的な部屋で二人で涼む。ちなみに美穂ちゃんは水を飲んだらまたサウナへと戻っていった。

 

「ふぅ、暑いね……」

「そ、そうか……? あぁ、そういえば美雪さんは暑がりだったな」

「寒がりでもあるよ」

「世の中住み辛そうだな」

 

私は冷凍庫からアイスクリームを取り出して食べる。これから夕飯な訳だが、こんな物を食べたところで腹の足しにもなりはしないので構わないだろう。

 

「そ、それにしても最近、蘭子ちゃん元気じゃないか? い、いや、前から元気はあったけど、なんだか覇気が溢れてるというか……」

 

輝子が言う。それは確かに私も感じていた。きっかけはおそらく、ついこの前の出来事だろう。私が武内さんに少しだけ意地悪した時の話だ。あの後、武内さんは正式に今後の予定を皆の前で発表した。飽くまで予定だと念押ししていたが。

 

みくにゃんやアカギさん達は言わずもがな、皆はしゃぎまくっていた。杏ちゃんだけは我関せずって感じだったけど、諸星さんに振り回されてた。その姿はまるでドレスを纏った淑女のように見えたという(オーガ感)

 

そしてそれは神崎さんも例外ではない。声にこそ出してはいなかったが、その表情はやる気に満ち溢れていた。普段の姿からはあまり想像できないが、彼女は結構真面目だし色々と考えている。彼女もスカウト組らしいが、決して流されてアイドルをやっている訳ではないだろう。やりたくてやっているのだ。

 

私は輝子にシンデレラプロジェクトメンバーのデビューに目処が立った事を伝えた。

 

「お、おぉ……! 遂にか。と、という事は美雪さんも……?」

「うん、私も。どんな風にデビューするかは分からないけどね」

「正確にはもうメジャーデビューしてるけどな」

「あ、あれは私じゃないし。“CB/DS”だし」

「ま、まだ言ってるのかそれ。全く浸透してないぞ?」

 

なんと言われようが“Unknown Invaders”の時の私は“CB/DS”だ。確かにグループ名っぽい名前だけど、れっきとした個人名だから。分かる人には分かるパロディな名前だから!

 

「……まぁ、そういう訳だからUIとしての活動は少し控えさせてもらうかも。や、もちろんどっちも頑張るつもりではあるけど」

 

とは言ったものの、ぶっちゃけ前までは速攻で辞めるつもりだった。なんなら居なくてもいいようにベースからギターへと転向もしたけど……まぁ、半年も一緒にやってると愛着も湧くよね。というかギターめっちゃ楽しい! ダンスや発声でうまくいかない時とか、いい感じにストレス発散になるんだよね(本音)、お金も入るし(本音)。

 

「そ、そうか……! ふひひ、あ、安心した。もし辞めるとか言われたらギターが一人になるところだったからな」

「あれ、輝子と夏樹で二人じゃないの?」

「ぎ、ギターとボーカルの両立って、やってると色々と考えるから大変なんだ。パフォーマンス向上の為にもボーカルに専念しようかって今プロデューサーと話してて……」

 

なるほど、確かに一理ある。しかしそうなるとドラムがのあさん、ベースが松永さんでギターが夏樹と私、そしてボーカルは輝子……この構成、聖飢魔IIじゃね?

 

いやいかんいかん。何でもかんでもそっちに繋げちゃダメだ。いい加減ステマだと思われても仕方ないぞ。どれだけ聖飢魔IIが好きなんだ私は。

 

その後も輝子と駄弁り続けていると、思ったより早く上がってきた神崎さんが部屋へと入ってきた。

 

「やはり怠惰に過ごしておるではないか!」

「神崎さんを待ってたんだよ。じゃあご飯食べに行こうか」

「うむ! 疾く魔力の補充へ!」

「き、きのこは入ってるかな……」

「デミグラスじゃないから多分入ってないよ」

「そ、そうか……」

 

そして皆でご飯を食べた。

 

 

*1
聖飢魔IIとは飽くまで悪魔教という宗教団体である。ダジャレではないし、設定でもない

*2
ファンの意

*3
真の姿は悪魔だが、人間界で生きていくのにそのままの姿では都合が悪いので、普段は人間の姿に擬態している。ちなみに人間に変身する時は3分程で終わるのに対して、悪魔の姿に戻るのには数時間にも及ぶ儀式が必要となる

*4
バンドメンバーの意

*5
聖飢魔IIではライブの事を黒ミサ・大黒ミサと呼んでいる




皆も聖飢魔IIをすこれ!

最初は名前隠してたんですけどねー、後から段々面倒になってしまって普通に名前出してます。
作中ではまだ30周年ですが、実際のところ今年は結成35周年。期間限定再集結でミサ期待してたんですが、コロナとかいうアホのせいでトークショーに変わってしまいました。まぁ行きますけど。


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