相模南の奉仕活動日誌 (ぶーちゃん☆)
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vol.1 相模南は平和な朝を迎える

 

 

 

「……ん……んんっ」

 

 

 うう……さむっ……ちょっと冷房の温度下げ過ぎちゃったかも……

 夏真っ盛りな七月だというのに寒気によって目を覚ましたうちは、もぞもぞと布団に包まりながら時計を見る。

 

「……あと、五分寝れる……」

 

 そうぽしょりと独りごち、うちは今一度布団と共に夢の中へ……

 

「……ってアホか!」

 

 そのたった五分で、女の子はどれだけ自分を磨けると思ってんのよ。

 朝の五分は、たったの五分、されど五分なのだ。

 しかも今日からは、昨日までとはまた違う気合いを入れなきゃいけない日々が始まるわけですよ。朝の五分を無駄にするなんて勿体ないっての!

 

「……しょっ」

 

 うちとの別れを名残惜しむ布団をえいやっ! と蹴り上げ、うちは自分磨きの準備を始める。

 

 まずは顔を洗いに行かなきゃねっと自室のドアを開けた瞬間に、尋常ではない真夏の熱気が全身にまとわりついてきて、思わず「うわぁ……」と顔をしかめる。

 改めて自室の温度の下げっぷりに驚愕しちゃうよね。

 

 洗面所で洗顔を済ませると、また自室へと戻って今日も可愛い自分作り。

 キャミとショートパンツを脱ぎ捨てて戦闘服へと袖を通す。

 

 やっぱウチの学校の制服は冬服の方が断然可愛いんだよなぁ。まだ冬服着てた頃はあいつとの仲がすこぶる悪かったから、早く冬服姿を見せ付けてやりたいかも。

 

 お次はメイク。たまにはバッチリメイクで女子力アップしたいんだけど、あいつ化粧濃いのってあんま好きそうじゃないもんなぁ。てか薄い方が絶対好みだね。

 だからここは我慢我慢のナチュラルメイクに決めた! 決めたもなにもいつもの事だけど。

 

 

 

 よし、メイクまで完了した事だし、ではでは……んん! ん!

 今朝のメインイベント! ハート型のガーリーで可愛いジュエリーボックスから、本日のうちを飾るピアスを選びましょう。

 

 どーれーにーしーよーかーなー……なーんて、ひとつひとつ指差しながら選ぶフリだけはしてみたけど、もちろん今日もうちを飾りつけてくれるピアスなんてコレに決まってんじゃん。

 

 

 

 ──コレよりも高くて素敵なピアスだってたくさん持ってる。

 その中でも特にコレ。ショッピングに行った時に一目惚れして、お年玉の残りとお小遣いをかき集めてようやくゲットした、超可愛くて超オシャレで、超自慢のお気に入りなピアス。

 でもさ? 女心と秋の空って言葉が示す通り、女の心は移り変わりが激しいのよ。あれだけ気に入ってたピアスだって、残念ながら今のうちの視界を独占する事なんか出来ないんだよね。

 だって、今のうちの視界を独占してるのはこっちのピアスだから。

 だからゴメンよ? お気に入りで自慢の子だったピアスちゃん。今はあんたの事は全然目に入んないのよね。

 

 

 そしてうちは、ジュエリーボックスの中でも超VIPの小物のみが入る事を許された特別ルームから、とある一組のピアスを取り出した。

 それは、まぁ安物なんだろうし別段オシャレな見た目ってわけでも無い、ちょっと可愛いくらいのなんの変哲もないピアス。

 

 うちは今日も小さな花モチーフがあしらわれたそのピアスをそっと手に取ると、壊れ物でも扱うかのように大事に大事に耳に着ける。

 

「ひひっ」

 

 両耳への装着を済ませた自分を鏡に映すと、いつもの如く自然と零れる緩んだ笑顔。

 ぶっちゃけ自分でもどうかと思ってる。毎朝毎朝鏡に映った自分を見てニヤついちゃってるこの日々を。

 うん。間違いなくキモい。マジで人には見せらんないような不気味な姿。

 

 でもま、そんな自分が嫌じゃないってのが、また癪なんだよなぁ……

 くっそ、あいつめ。うちをこんな風にしやがって。いつか絶対責任取らせて…………やれるほどの資格がうちにはこれっぽっちも無いのが泣いちゃいそうな程に残念ではあるけども、それでもたまにうちの発言や態度に、嫌そうにしかめっ面したり恥ずかしそうに悶えたりするのを見られるだけでも気持ちがスッとするから、まぁ仕方ないから許してやろう。

 

 

 

 さてと、今日もバッチリ戦闘準備も整ったことだし、そろそろ行きますか!

 

 

 

 うち 相模南は、耳元でキラリと光るピアスで飾られた自分をもう一度だけ鏡に映して気合いを入れると、ドアのノブにゆっくりと手を掛けるのだった。

 

 

× × ×

 

 

 自室を出てトントンと階段を下りてると、ダイニングの方から美味しい朝の香りが漂ってきて、否応なしにお腹がド派手な演奏を始める。

 

 とりあえず嗅覚だけでも満足させてやろうと朝ごはんの匂いをスゥッと吸いこむと、ああ……そういえばほんのひと月ちょっと前までは、この魅惑の香りを嗅ぐ事もなかったんだっけなぁ……なんて、ちょっぴりセンチメンタルな事を考えてしまう。

 

 

 

 ──うちは、ほんのひと月ちょっと前まで、いわゆる引きこもりだった。

 

 原因は言うまでもなく自業自得。調子に乗ってたうちが痛い目を見て、学校に行けなくなったっていう、どこにでもあるありふれたお話。

 

 自業自得でほんのちょっと痛い目を見ただけのクセして、まるで世界中の不幸をひとりで背負った悲劇のヒロインになったみたいな心境だったなぁ、当時は。

 今にして思うとホントに下らない。だって、うちは本当は幸せ者だったんだから。

 

 そんな悲劇のヒロイン役に酔い痴れて塞ぎ込んでいたうちを救い出してくれたのは、よりにもよってうちの自業自得の被害者だったヤツ。

 うちからの被害を大々的に被むって辛い目に遭ったはずなのに、あいつは何の迷いもなくうちの汚れた手を掴んで引き上げてくれた。ホントむかつく。

 

 

『自分でやりたいからやっただけだ。だからお前がその件で罪を感じる必要は無いし罰を受ける必要もない』

 

 

 うちのせいで、うちなんかよりもずっと酷い目に遭ったくせに、あいつはそう言って手を差し伸べてくれた。

 

 

『お前には少なくとも二人、お前の為に一緒に傷付いてくれる奴が居る。それで自分は最低辺だなんて、惨めだなんて、マジで贅沢すぎんだろ。だからお前は最低辺なんかじゃねぇよ。やり直しだっていくらでも出来きる。人生なんて周りと自分次第でいくらでも変わんだろ』

 

 

 ホントはうちの事なんてどうでも良かったくせに、あいつはそう言って情けないうちの背中を優しく……そして厳しく押してくれた。

 

 ……ったくさぁ、あんなキモいくせして格好良すぎでしょあいつ。ホントむかつく。

 

 

 だからうちは、あんなふざけたこと言ってうちの心をザワつかせてくれたあいつを見返してやる為に……うちを認めさせてやる為に、……そしてうち自身がうちを認められるように……立ち上がる決意をしたんだ。

 

 

 

 そしてついに今日この日がやってきた。

 うちを認めさせたくて、うちが自分を認めたくて入部した奉仕部での初仕事。

 しかもその仕事の依頼者は、まるで自業自得でやらかして孤独になった頃のうち自身かのような女の子。

 

 入ったばっかの役立たずなうちに何が出来るかは分からない。大体あそこの部活仲間には明らかに超優秀な人がひとりと、むかつく事に意外にも優秀なヤツがひとり。そう、うちと違って優秀な人間がふたりも居るのだ。

 だからそもそもうちが役に立つとは思ってないし、役立てるなんて自惚れてもいない。

 

 もうひとり? う、うん。ま、まぁあの子は癒し担当のマスコットキャラだし……! ちなみに生徒会長は数には含まれておりません。

 

 

 それでも……今のうちに出来る事をやってみようと思う。

 まずは自分を認められるようになるまで。そしたら次はあいつに認めてもらえるように、ちょっとずつでも一生懸命に、ね。

 

 ……それに、この相模部員初依頼が無事に完了すれば……!

 ってダメでしょうが……! 今は邪な私情は忘れて、とにもかくにもあの子を救ってあげるぞっ。

 

 

 階段を下りて廊下を歩きつつ、決意と邪念の狭間で人知れず戦い続けているうちは、ようやくリビングへと辿り着いた。

 

 

× × ×

 

 

「南おはよー」

 

「ん、おはよ」

 

 リビングを抜けてダイニングに行くと、そこにはすでに美味しそうな朝ごはんが二人分用意されている。

 ……ん? 二人分?

 

「あれ? お父さんは?」

 

「あー、なんか今日は早朝から会議があるらしくって、朝一で出ていっちゃったわよ?」

 

「へー」

 

 自分から聞いといて、心底興味が無さそうな返事をしちゃったけども、ホントはちゃんと感謝してるよお父さま。

 すぐ調子に乗るわ他人を貶めるわ登校拒否になるわの、こんなどうしようもない不出来な娘を養う為に、朝も早よから御苦労様でございます。

 

 うちはそう心の中だけで深い感謝の念を述べると、そそくさとテーブルについてペコリと手を合わせた。

 

「いただきまーす」

 

「はーい、召し上がれ〜」

 

 本日のブレックファーストはベーコンエッグとサラダ。こんがりトロッなチーズトーストとゆうべの余りのコンソメスープ。

 まずは汁物からと、カップに注がれたコンソメスープに口を付けると、うちの到着を待って同時に食べ始めたお母さんが、サラダをしゃくしゃく言わせながらなにやら訊ねてきた。

 

「うふふっ、今朝はお父さん居ないから、毎朝気になってたこと聞いちゃおうかしら」

 

「……な、なに?」

 

 ……なによ、お父さんが居ないから聞いてくる内容って……

 なんか最近のお母さんがこういう表情で話し掛けてくる時って、嫌な予感しかしないのよね……

 

「南さー」

 

「……」

 

「最近……学校行く時は絶対にそのピアスよね」

 

「ぶぅっ!?」

 

 な!? なに、いきなり!

 危うくコンソメスープ噴き出しちゃうとこだったじゃん!

 

「そのくせ、休みの日はソレ着けないで、大事そうに一日中机の上のピアススタンドに飾ってるわよね〜」

 

「ゴホッ……! な、なんでうちの部屋の休日事情知ってんのよ!」

 

「だってこないだの日曜、南の洗濯物置きにいったら普通に飾ってあったじゃない。だいたい南の部屋にピアススタンドなんて今まで無かったのに」

 

 ……し、しまったぁ……! つい眺めてニヤニヤしてる内に、お母さんに見られるって危険性を失念してたぁ……!

 てか毎朝どんなピアスしてるのかを見られてるなんて、全然気にしてなかった……

 

「そもそもそのピアスした自分見て毎朝ニヤニヤしてるし」

 

 見られてた!

 もうやだ……! 部屋に籠もってベッドで悶えたい……

 

「ふふっ、よっぽど大切なのかしらね〜。時期的に考えて、大切な人からの誕生日プレゼントかしらー?」

 

 ……ぐっ、そこまでお見通しなのか……やっぱり子供は母親には勝てないものなのかなぁ……

 お父さんには負ける気しないのに。

 

「……そ、そこまで大切ってわけでもないけど……ま、まぁ友達から貰った、復帰祝いを兼ねての誕生日プレゼント……かな」

 

「そっかそっか〜」

 

 知らず知らず耳元のピアスに手を添えながらそう言ううちに、お母さんは嬉しそうに頷く。

 ほんのひと月ちょっと前まで不登校だった娘が、最近友達から貰ったプレゼントを大事にしてるって話を聞いて嬉しかったんだろう。

 

「ふふ、良かったね〜南。大切にしなさいよ〜? ま、どの子に貰ったのかまで聞いちゃうのはデリカシーに欠けちゃうから聞かないでおいてあげましょう」

 

 なに……? そのニンマリ顔でその妙に含みのある言い方……

 そう思ってんなら、わざわざそんなこと言わなきゃよくない……?

 

 

「あ、それはそうと」

 

 と、ここで我が母はようやく話題を転換してくれるようだ。

 あの嫌なニンマリ顔だったから、まだなにかしつこく言ってくるものかと思ってたから一安心。

 

「……なに」

 

「比企谷君に家に来て欲しいって言っといてくれたー?」

 

「ぶぅっ!?」

 

 なんだよ! 全部分かってんじゃん! なにがデリカシーに欠けちゃうから聞かないでおいてあげましょうだよ! もうホントやだ……! この母親……

 

 うちはそっぽを向いて、耳まで真っ赤に染まってるであろう顔を少しでもお母さんから見えないように無駄な努力をすると、不機嫌そうに声を低くしてぼそぼそと答える。

 

「……い、一応、昨日の帰り道で、言っといた……。でも部活でちょっと厄介な依頼が入って……、だ、だからそれが片付いたら来るって事になった、から……」

 

 しどろもどろになりながらもなんとかそう答えると、お母さんは予想外の切り返しで、弱り切ったうちにトドメを刺してきた。

 ちょっと娘に容赦なさすぎじゃない? この母親……

 

 

「そっかー、もう一緒に下校出来る仲になったのねー。うふふ、青春っていいわよね〜」

 

 そっち!? ……誰か、救けて……

 

 

× × ×

 

 

 その後も朝ごはんのあいだ中、普段は聞かれないような事を根掘り葉掘り聞かれ続けたうちは、すでに朝からノックアウト寸前。初めて父の有り難みを心の底から感じたのだった。

 てかお父さんさぁ……もう早朝出勤とかマジでやめてくんない……?

 

 ホントあの日以来、お母さんの比企谷お気に入りっぷりが半端ない。

 早く初めての依頼を片付けて、あいつを家に……うちの部屋に招きたいという邪な気持ちはあるんだけど、同時に今のお母さんにあいつを会わせたくないという不安がせめぎあってたりもする。

 ……はぁ……マジであいつになに言うか分かったもんじゃないよぉ……会わせたくないなぁ……

 まぁ常に七・三くらいの割合で招きたい気持ちの方が強いんだけども。

 

 

 

 朝ごはんを速攻で済ませてお母さんから解放されたうちは、洗面所でしゃこしゃこと歯を磨きながら、今日これからの事を考える。

 今日これから……というよりは、放課後のあの部室での依頼の事。一年生の女の子、千佐早智さんの依頼について。

 

『あたし……中学の頃、わりと派手なグループの中心に居て、それが自信というか、ステータスっていうか……。だから高校に入ってからも自分はそんなポジションに居れるんだろうな……って勘違いしちゃって……入学早々調子に乗った振る舞いしちゃって……クラスの子たちからウザがられて距離置かれて……ハブられてっ……、居場所もなんにも無くて……誰もあたしを見てくれなくて……もうあたしどうしたらいいのかっ……』

 

 あの子の依頼は、本当に数ヶ月前の自分と映し鏡のようだった。

 調子に乗って空回りして痛い目を見て、自分の世界を守る為にさらに空回りして独りぼっちになったうちと。

 

 だから千佐さんには申し訳ないけど、やり直そうと、やり直して自分自身を救ってあげようと奉仕部に入部したちょうどその時に入ったこの依頼に、うちは少なからず運命を感じた。

 この子の居場所を作ってあげられたら……笑顔を取り戻させてあげたら、その時こそうち自身も救ってあげられるんじゃないかって。

 

 だから頑張ろう。うちなんかになにが出来るか分かんないけど、早く比企谷を家に招きたいという欲望とは本気で一切関係なく、うちに出来る事を頑張ろう!

 

 入部してから受験勉強ばっかりだった奉仕部員相模南の初めての奉仕活動。

 うちの本当の再スタートは、今日から始まるんだ!

 

 歯磨きを終えて口をゆすいだ水を吐き出したうちは、タオルで口を拭いつつ、耳元でキラリと光るピアスにそう深く誓ってひひっと微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

「ハッ!?」

 

 

 

 

 バッカ! うちのバッカ! だから毎朝毎朝こうやって鏡の前でニヤけちゃうからお母さんに全部バレんじゃんよ!

 

 

 一瞬前のちょっとカッコ良かった自分はどこへやら、うちはカッコ悪く挙動不審になりながら、ビクビクと辺りを見渡すのだった……

 

 

 

 

続く

 







というわけで、まさかのアレの続編となります!
今さら!?


罪と罰の後日談として投稿する事も考えたのですが、前作の暗くて真面目な雰囲気と違って、たぶん軽いカンジのまったり日常ストーリーとして進む作品だと思うので(千佐早智「!?」)、敢えて新連載という形にしてみました(^^)

罪と罰自体は完全に完結させた作品なので、あれ以上続けたくはありませんでしたしね♪
(続編とか、絶対ダメな空気が満載じゃねーか、と思う方もたくさんいらっしゃると思いますし)



……まぁぶっちゃけごく一部の読者さまが期待してくださっていた『相模家訪問』を書きたかった為だけに始めたので、この作品の最終目的は相模家へのお呼ばれまでです(笑)

なので奉仕活動日誌とは名ばかりに、特に捻りもなくちゃちゃっと依頼を片付けて(千佐早智「!?」)、サクッと相模家にお呼ばれして終わらせたいと思ってますノシ




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vol.2 相模南は今日も屈辱の学校生活を送る



あんなに前に終わった嫌われ者さがみんSSですが、意外にも続編を待っていてくださった読者さまが結構いらっしゃった事に、嬉しい驚きであります!

それでは活動日誌2冊目です。どぞ!





 

 

 

 真夏の通学は拷問に似ている。

 灼熱のアスファルトの上を、靴底を溶かしながらよろよろ歩き、駅に到着して涼しい車内に逃げ込めたかと思えば、そこは通勤通学中の戦士達の待合室。

 押し合いへし合い、サラリーマンのおじさま達のベットリ汗を剥き出しのか細い腕や素足に擦り付けられ、やっと電車が目的地に到着したかと思えば、そこからはまた灼熱の旅路である。

 拷問に似ているってよりは、まんま拷問よね……

 

 

 なにが言いたいのかというと、やっぱり朝は家に居るべきよね。専業主婦最高!

 将来は比企……誰か素敵な旦那さまに養ってもらおう。

 

「ぷっ」

 

 ああ……ダメだ……暑さにやられて思考回路がどっかの腐ったヤツみたいになっちゃったよ。

 しかもそれに気付いて、ぼっち通学中にひとりで噴き出してニヤニヤしてるとか、益々あいつみたいでヤバいっての!

 ……ちょっぴり、似てきちゃったかなぁ?

 

 

 相も変わらず勝手にニヤつく口角を周りの総武生に見られちゃわないように、口元を手で隠して、少し俯き加減でとぼとぼ歩くうちの姿は、端から見たら熱中症で弱ってる儚い女子高生にしか見えないだろう。コレがあいつだったら、下手したら職質ものだっていうのに。

 

 ちょっとあいつに似てきちゃったと言っても、ここら辺が可愛い女子高生の特権よね。比企谷ざまぁ。

 

 

 うだる暑さとニヤける口角との戦いになんとか打ち勝ったうちは、ようやく教室の扉の前まで到着した。この扉を力強くガラッと開ければ、そこは涼しさに満ちた安寧の世界。

 汗に濡れたシャツでブラが透けちゃってないかを念入りにチェックすると、そっと引き戸に手を掛ける。

 

 ガラッ……どころかカラリと遠慮がちな音を立てて開いた扉の中からは、想像通りの涼しい空気がうちの全身を包んだ。

 それは、冷房がガンガンに効いた教室から漏れ出てくる冷気と、……クラスメイト達からの視線。

 うちが教室の扉を開けると、一瞬だけ寒々しい数多の視線に晒され、そしてその視線はすぐさま逸らされるのだ。

 ま、毎日の日課のようなものだけど。

 

 ほんの数ヶ月前まではこの視線が本当にキツかった。道を歩いている時、足元で風に舞った菓子パンの包装紙を邪魔そうに一瞥するかのような、そんな視線。

 

 うちはそんな視線にふた月と堪えきれず、すぐさま逃げ出した。

 いま考えるとホントにヘタレ過ぎて笑えてくる。

 

 

「おっはよー、南ちゃん」

 

「おはよっ、由紀ちゃんっ」

 

「おお、南ちゃん今日は水色かー」

 

「ギャー! ちょ、ちょっとやめてよ早織ちゃん!」

 

 ぐぅ……チェックしたはずなのにやっぱ透けてんじゃん……!

 

 

 

 

 ──ふふっ、でも今はもう違う。うちにはこの二人が……うちの大切な友達、由紀ちゃんと早織ちゃんが居てくれるから、あんな視線はもうなんてことない。

 うちはあの絶望の中で、この二人を……大切な宝物を見つけられたから。

 

 まぁそもそも数ヶ月前までの視線と今の視線は、一見おなじように見えてまるで別物だしね。

 数ヶ月前のうちに向けられてた視線は侮蔑と嘲笑だったけど、今はただビビってるだけ。邪魔な存在ではあるけど、ビビって目を逸らしてるだけ。うちの後ろに控える獄炎の虎のオーラに。

 あはは、今のこのシーンが漫画とかアニメのワンシーンだったら、うちの背後ではめらめらと揺らめく炎に包まれた優美子ちゃんがガオーとか言ってそう!

 こんな情けない連中から泣きながら逃げ出してたなんて、ホント当時のうちを笑ってやりたいくらいだよ。まぁそんな優美子ちゃんの怒りのオーラを真正面からぶつけられたら、うちならビビるどころか意識を放棄しちゃうけどっ。

 

 あと……おいこら男子共。さっきまではうちには目もくれなかったクセに、今チラチラとこっち見たろ。

 知ってんだかんね? ホントは元々クラスで中心を張れるくらいに見た目が良いうちの事は気になってたけど、うち狙いとバレて女子の標的になるのが恐かったから、空気に逆らわずにうちを見捨ててたって事。

 

 言っとくけど、そんなヘタレなお前らが気安く見てもいいような安物じゃないから、うちのセクシーショットは。ヘタレ代表みたいなうちが言うんだから間違いない。

 マジでキモいからこっち見ないでくんない……?

 

 ……うん、やっぱこの後トイレでインナー着てこよっと。

 

 

× × ×

 

 

「南ー、それちょっと寄越せし」

 

「ちょ……! 優美子ちゃんそれうちのなけなしのハンバーグなのに……!」

 

「んー、やっぱ南の親って料理超上手くない? ウチの親と交換しろし」

 

 そう言って優美子ちゃんはハンバーグを強奪した代わりに、「ほいっ」と購買の焼きそばパンをうちに手渡す。

 いや……さすがにミニハンバーグ一個の代わりにそれは申し訳ないですってば……

 まぁ「は? あーしの焼きそばパンは食べらんないってわけ?」って凄まれるのがオチだから有り難く頂きますけども。

 

 

 

 午前中の授業をつつがなく終えたうちは、学校生活における楽しみのひとつでもあり、また、うちの学校生活においては非常に神経をすり減らすイベントのひとつでもあるランチタイムを、ワイワイと過ごしている。

 今日は葉山くん達は用事があるらしく、本日は女子会でのランチタイムを、相も変わらず閑散とした教室内で楽しんでいるのだ。

 

「あ、そーいえば今日の放課後さぁ、海老名と折澤結城の四人で水着とか見に行かない? って話になってんけどぉ、南はどするー?」

 

 え……み、水着って……

 もしかしてこの人たち、夏休み遊び惚けるつもりなのかな……? い、一応うちら受験生なんだけど……、などと女王陛下にモノ申せるはずもなく、うちは先ほど入手(強制)したばかりの焼きそばパンをおかずに米を口に運びながら、丁寧にお断りの意思表示をする。

 

「ごめん、優美子ちゃん。今日から部活忙しくなりそうなんだ」

 

 んー、ぶっちゃけるとホントは結構行ってみたいってのが本音なんだよね。

 優美子ちゃんがうちの虐め解決の手助けをしてくれてから、まだ学校の外では一度も遊べてないし。

 早織ちゃんと由紀ちゃんは何度かお供をさせてもらってるみたいだから、ホントはうちも優美子ちゃん達と寄り道とかしてみたい。

 

 ついちょっと前までは人生に絶望してたくせに、比企谷の件といい優美子ちゃんの件といい、こんなに早くあれもこれも求めて望んじゃうだなんて、うちってなんて欲深いんだろ。

 ここら辺がすぐ調子に乗って失敗しちゃう所以なのかなー……。少し自重せねば……

 

「マジでー? ちょー残念なんだけどぉ」

 

 おお……! うちが行けない事を、あの優美子ちゃんが残念がってくれるなんて……どうしよう、ちょっと嬉しいかも!

 

「ご、ごめんね」

 

「優美子、あさ結衣がそんなこと言ってたじゃーん。だからさがみんは無理なんじゃない? って言ったのにー」

 

 なんだ、ゆいちゃんから聞いてんじゃん。

 姫菜ちゃんのその言葉に、優美子ちゃんはつまらなそうに口を尖らせてボヤく。

 

「……あ、そだっけ? んー、たまには南と買い物行きたいとか思ってたんだけどぉ」

 

 そんな嬉しい事を言って、優美子ちゃんはスッとうちの耳を指差した。

 

「最近さー、南そのピアスよく……つか毎日? 着けてくんじゃん? んでー、あーしそれちょっと可愛いかもとか思ったじゃん? だからそーゆーのどこで買ってんのかとか、教えてもらおうかと思ってたし」

 

「にゃ……!?」

 

 ……な、なんなの!? 朝に続いてまたコレの話が振られんの!? うちってそんなに露骨……?

 

「どしたん? なんか顔赤いし」

 

「な、なんでもないよ!?」

 

「そ? ま、いーけど。……でさ、南ってそーゆーのドコで買ってんの?」

 

 うぐっ……それいま聞いちゃいます……?

 

「え、えと……うちのお気に入りのショップとかブランドとか教えるのは構わないんだけど……コ、コレは貰い物だから……ちょ〜っとどこで買ったかは分かんない……かなぁ〜……なんて……? え、えへ?」

 

 ……ダメだ、なんか超恥ずかしくて、つい卑屈な笑みが出てしまう……。お母さんに続き毎日着けて来てる事までバレてるこの状況で、優美子ちゃん達に比企谷から貰ったとか言える気がしない……

 

 って、ちょ!? なんで早織ちゃんと由紀ちゃんそんなにニヤニヤしてんの!? うち、このピアス誰から貰ったとか教えてないよね!?

 

「そーなん? じゃあまぁ仕方ないかー」

 

 と、ラッキーにもどうやら優美子ちゃんはそのままこの話を流してくれるみたい。

 

「つかさ、貰い物って誰から貰ったん!? まさか男とか!? なにあんた不登校だったくせに男とか居んの!?」

 

 やだぁぁ! 流すどころか超食い付いてきたぁぁ!

 

「ちちち違うから! そういうんじゃないってば! た、ただ友達に復帰祝いで貰ったってだけの、ホント大したことないつまらないモノだから……!」

 

「……へー、超嘘臭いんだけどー」

 

 やだもう……逃げられる気がしないんだけど……

 

「ちょっと優美子、あんま詮索すんのやめといてあげなよー。だってさ? そんなのあれに決まってるでしょ? さがみんだってさすがに言いづらいってば」

 

「……あ、そっか、あれじゃしゃーないし」

 

 えぇ……なんで優美子ちゃんまでそんなにニヤニヤし始めちゃったのぉ……?

 てか“あれ”ってなに……!?

 

「でもね? さがみん……これだけは言わせてもらうね?」

 

 ワケ知り顔でウンウン頷いてる優美子ちゃんに軽く愕然としていると、不意に姫菜ちゃんがとても真剣な表情で語り掛けてきた。

 

「できれば、彼を取らないであげてね……? だって……彼を取っちゃったら……悲しむ人がいるから……」

 

 か、彼を取らないでって……も、もしかしてホントにバレてる……?

 

 そして……もしも本当にバレてるのだとしたら、その悲しむ人というのは……言うまでもなく優美子ちゃんと姫菜ちゃんの親友の……

 

「……彼は、ね……? …………ぐ腐腐っ、隼人くんのものだからぁ! あ、彼のモノが隼人くんのでもノープロブレムッ! ブッハァー!」

 

「……」

 

「海老名擬態しろし!」

 

 

 姫菜ちゃんの頭をすぱーんとはたきながらも、甲斐甲斐しくティッシュを差し出すお母さんな優美子ちゃんを、引きつった顔で見つめながらうちは思う……

 

 

 

 ──うそ……マジでバレてるっぽいんだけどぉ……!

 

 な、なんで……? うち自身がその事を嫌々ながらも自覚……というか認めたの昨日なんですけど……! ってかさ? 由紀ちゃんにも早織ちゃんにもバレてんの!? なんで!?

 

 

 どうしよう……もう帰りたい。早く帰ってベッドで悶々と悶えて過ごしたい……

 

 

× × ×

 

 

 ……つ、疲れたっ……

 

 帰りのHRも終わって、やっと待ちに待った放課後だというのに、メインイベントを前にすでにグロッキーなうちは、力なく机に突っ伏している。

 

「お疲れ南ちゃーん。今日はまた激しかったねー、色々と」

 

「あははー」

 

 語尾に(笑)が付いてそうな物言いでうちの周りに集まってきた由紀ちゃんと早織ちゃん。

 ……うぅ……二人とも大切な宝物だと思ってたのに、まんまと裏切られたよ……

 

 あのあと、さすがの優美子ちゃんもうちがあいつに惚れ……気になってるって状況は色々とマズいと理解はしているらしく、名前こそ口にしなかったのだが、それでも名前を伏せた状態で散々からかわれた。四人がかりで。

 マジで鬼かあんたらは……!

 

 

 そんな憎き裏切り者どもを恨みがましく睨めあげてやると、二人はすでに本日のお買い物話に花咲かせてやんの。

 

 はぁ〜……と呆れた溜め息を吐きつつ、うちは待望の放課後だというのに部室にはすぐに向かわない。

 ある程度二人と駄弁ってから部室へと向かうのが、最近のうちのスタイルなのだ。

 

「やー、三浦さん達とのショッピングすっごい楽しみなんだけどー」

 

「ねー。まぁショップのチョイスがちょっとギャルっぽ過ぎではあるけど、たまにすっごい可愛くて乙女チックなお店に連れてってくれるんだよねー」

 

 へー。まぁ優美子ちゃんって隠れ乙女度ナンバーワンな女の子だもんね。

 

「いいなぁ、今度うちも行きたいなぁ」

 

「だね、南ちゃんも来ればいいのにー。まぁ? 比、企、谷との部活が忙しいんなら仕方ないけどねー」

 

 くっ……やぶ蛇突ついちゃったよ……もうホント嫌! 由紀ちゃん達のこのニンマリ顔。

 

「じゃあ夏休みみんなで遊ぼうよー。三浦さんが海とか行こうって誘ってくれてるんだぁ」

 

「ねー!」

 

「ちょ……! ホントに夏休み遊ぶつもりなの!? うちら受験生だよ!?」

 

 と、仕返しとばかりにさっきは優美子ちゃんが居たから言えなかった事をばっさりと言ってやったんだけど、それはあっさりと不発に終わる。

 

「息抜き息抜き!」

 

 

「一日二日だけだってば」

 

 ん、んー……ま、まぁ受験勉強にも、たまには息抜きくらい必要よね……!

 よくよく考えたら夏休みって、運動部の連中なんてまだ活動してるとこもあるんだし!

 相変わらずコンニャクだな……うちの意志って……

 

「……じ、じゃあ……うちも、行こっかな」

 

 

 

 

 

 

 などと、今日もなかなか部活にも行かずガールズトークに精を出すうち。

 でもトークを楽しみながらも、うちは会話だけに集中しているわけでは無い。この時間帯は、とある一点にチラチラと視線を向けながら会話を楽しむのが最近のうちのスタイルなのだから。

 

 

「……あ」

 

 

 その時、教室の扉のガラス窓越しに、ぼさぼさの髪が面倒くさそうに揺れているのが見えた。

 

「ごめん! うちそろそろ部活行くね」

 

 ホントにごめんね、由紀ちゃん早織ちゃん。いつもの急用が出来ちゃった!

 まだ思いっきり話の途中だったというのに、すぐさまバッグを引っ掴んで走りだすうちに、突然話を打ち切られた格好の二人から、怒りの声どころかこんな愉しげな声がかけられた。

 

「あ、もうそんな時間かぁ! 行ってらっしゃーい♪」

 

「ほらほらぁ、早く行かないとー♪」

 

 

 ……え、なんでだろ、なんか絶対ニヤニヤしながら言ってんだけどこの二人……

 

「じゃーね、また明日!」

 

 なんか恐いから振り返りません。

 あれ……? もしかしたら、うちのこの最近のスタイルの目的もバレてんの……?

 

「うん、また明日ー」「また明日ねー!」

 

 

「〜♪」

 

 

 うちの目的がバレてるかどうかはまた別のお話として、ちょっと恥ずかしいんだけど、そんな何気ないように発っせられた二人からの「また明日」に、うちは思わずルンっと跳ねてしまう。

 学校に復帰してから三週間くらい経つってのに、未だに友達との「また明日」って別れの挨拶には心が躍ってしまうのだ。

 ……だってあの頃は、そんな“明日”が無かったんだから。

 

 

 

「……へへ、よっし」

 

 今日も優しい挨拶を一身に受け取って上機嫌なまま教室を飛び出すと、うちは少し先を行くあの背中を真っすぐに追い掛ける。

 二つ隣の教室からあの部室へと向かう、あの丸まった背中を。

 

 

 ばっしーん! と、いつもとほぼ同じ場所で追い付いた背中を思いっきり叩いたうちは、にひひと笑ってこう言うのだ。

 もう夕方間際だというのに、朝一番に相手に贈るはずのこの言葉を。

 

 

 

「おっはよー、比企谷!」

 

 

 

続く

 





ありがとうございました!
奉仕活動日誌なのに、未だ一切奉仕をしないSSの第二話でした!

タイトル詐欺にならないように、次あたりからLet’ご奉仕!>さがみん




この作品を書いてて思ったのですが、『千佐さんの為!』『自分を認めたい為!』とか格好良いこと言ってるくせに、舌の根も乾かない内に次の瞬間にはすぐ我欲まみれになって調子に乗っちゃうこのダメ女っぷり、私嫌いじゃないですw

ではではまた次回です☆






と、ここで前のなんか読み返してられるかよ!という読者さまへ向けて、一応今作のオリキャラ紹介です。
まぁたぶん千佐以外もう出てきませんがw



結城由紀

さがみんの取り巻きのひとり。
原作やアニメで、さがみんと一緒に花火大会に来ていた女子って設定の女の子です。

前作では、進級数日でさがみんを見捨て、それを悔やんで「さがみんを救けて欲しい」と奉仕部へ依頼しにいった二人組の内のひとり。


折澤早織

結城と同じくさがみんの取り巻きのひとり。

原作で八幡の悪口を言い触らしてる時に、戸部に話し掛けられて顔を赤くしていた女の子。
つまりまさかのとべっちファン(笑)


千佐早智

前作で、クラスでハブられている身の内を明かし、奉仕部へ依頼してきた一年生女子。

中学の時から派手なグループの中心として立ち回り、高校入学と共にそんな態度がウザがられてハブられたという、若干さがみんのような小物臭漂う女の子。




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vol.3 比企谷八幡は意外とこの時間を楽しんでいる

 

 

 

 ようやく追い付いた背中に力一杯張り手を食らわせたうちに返ってきたのは、心底嫌そうな、心底面倒くさそうないつものムカつく顔。

 

 ったく……これでもうちって可愛い部類の女子高生なんですけど。

 普通可愛い女子の方から挨拶されたら、男子なんて喜んじゃうもんじゃないの?

 

「……ってぇな……だから毎日毎日いてぇっつってんだろ……いい加減背中に後遺症が出ちゃいそうだからやめてくんない?」

 

「ぷっ、こんなか弱い女の子に軽く叩かれたくらいで後遺症って、あんたどんだけ貧弱なのよ」

 

「軽くねぇから……。まぁか弱いっちゃか弱いがな、ハートが」

 

「……ムっカつく」

 

「がっ……!?」

 

 ホントムカつくから、じとぉっと睨んでもう一発背中を叩いてやりました。

 ちょっとこいつさー、そのチキンハートで登校拒否ってた女子に対して、デリカシーとかないわけ?

 

「てかさ? 挨拶返ってきてないんですけど」

 

 そんなデリカシーの欠片も無いダメ男に、うちは冷たく睨んでそう言い放ってやった。

 挨拶されたら挨拶を返す。それ、社会の基本だから。いくら専業主夫志望とはいえ、ご近所付き合いとかママ友とか、主婦だって色々と大変らしいわよ? 人間関係。

 だから優しくて親切なうちが、ちゃんと教育してあげなきゃね。

 

「……チッ、うっせぇな……、うす」

 

 

 

 

 と、ここら辺までがここ最近の日課だったりする。

 まぁ詰まる所、このやり取りをする為に教室でジィッと廊下を覗いて待ってたりするわけだ。

 

 昨日こいつへの気持ちを嫌々認めたばっかのわりには、この一週間ほどこのやり取りをしたいが為に、教室から廊下をチラチラ覗きつつ胸躍らせてたなんて、なんだかんだいってうちって、実は結構前からこいつに惹かれてたんじゃない?

 あ〜あ、超腹立つんですけど。

 

「いてっ!」

 

 だからうちは、怠そうに隣を歩く比企谷のふくらはぎをげしげしっと蹴ってやったのだ。

 あくまでも軽くね?

 

「挨拶雑すぎ。やり直し」

 

「あ? はぁぁ……なんなんですかねこの人……。言っとくが今どき理不尽暴力系ヒロインとか流行らねぇからな……? なんならこの業界で嫌われてるまである」

 

「ごめんどうせ比企谷の大好きなアニメとか漫画の話なんだろうけど業界とか言われてもなに言ってんのか全然分かんないしキモいんだけど」

 

 

 一息でそう言ってやったうちに、比企谷は頬をひくつかせて絶句する。

 だってしゃーないじゃん、ホントに意味分かんないしキモいんだもん。

 

 でも確かに意味は分かんないけど、今こいつヒロインっつったよね?

 ひひ、てことはうちって、こんなんでも比企谷の中では一応ヒロイン枠に入ってるってこと?

 まったく比企谷め、だったら始めっから素直にそう言やいーのにっ!

 

 

 

 

 ──こうして今日もうちの奉仕部員としての一日は、捻くれ男の怠そうな溜め息と、そこそこ美少女の楽しくて仕方がない笑顔で始まるのだっ。

 

 

× × ×

 

 

 うちの教室から奉仕部部室までは結構遠い。

 部室は三階。三年の教室も三階。だったらすぐじゃんって感じなんだけど、生憎この校舎は、部室のある特別棟には二階の渡り廊下か四階の空中廊下を渡らなければ行けない造りになっている。

 まぁこの真夏にわざわざ屋外に出て、お肌の大敵である紫外線が降り注ぐ空中廊下を選ぶような物好きな女子なんて居るわけないから、必然的に二階の渡り廊下一択なんだけど。

 

 そんなわけで、同じ階だというのに階段を下りて上ぼるという一工程を加えなければならず、結構わずらわしいのよね。“ひとり”だったら。

 そう! ひとりだったら多少わずらわしいこの距離も、ふたりだと悪くないのだ! てか、なんならもっと遠くたっていいんじゃない? って感じ?

 

 だからうちは、この長いようで短い部室までの道のりがとても好きだったりする。だって、隣でみっともなく背中を丸めた猫背の男と、唯一ふたりっきりで居られる時間だから。

 昨日は強引に一緒に下校したけど、早々そんなチャンスは巡ってこないのよ? 少女漫画じゃあるまいし。

 

 だからうちはこの何気なくも掛け替えのない時間を大切にしたくて、だらしなく弛みかけてる顔を必死で誤魔化しながら歩いてるっつーのに、このデリカシーゼロ男はそんなうちの孤独な戦いも知らず、心底面倒くさそうな顔で、ポカポカしてるうちの心を逆撫でしてきやがった。

 

「……つーか、なんでお前毎日毎日タイミング良く遭遇してくんだよ……。なんなの? ストーカーなの?」

 

「は、はぁ!? なに言ってんのキモっ……! ちょっと自意識過剰すぎなんじゃないの……!?」

 

 軽い冗談だってことは分かってるんだけど、うちの日課の密かな楽しみに対しての、あまりにも不意打ちな的を射た発言だったから、ついつい慌ててしまったうちは自身の身体を抱くように両腕で抱えて、顔を真っ赤にして怒りだす。

 つーか、うち自分がストーカー行為してるとか認めちゃってるし……って、いやいやストーカーとかじゃないから!

 

 ……あ、すごい必死でキモいとか言っちゃったから、ちょっとこいつシュンとしちゃったんだけど……なんかごめんね?

 口ではこう言ってるけど、ホントは結構あんたのこと好……すっ、好き……だよ……?

 

 ……うっわぁ、うちキモっ……! てか口に出して言ってるわけでもないのにこの照れ臭さ……一生言える気がしない……

 

「……マ、マジでバカじゃないの……? ただ放課後に早織ちゃん達と喋ってたら……いつもちょうどこの時間になっちゃうだけだっての……」

 

 勝手にひとりで照れ臭くなっちゃったアホな事態はさておき、少しだけ……ほんっの少しだけ悪いことしたなぁって反省したうちは、赤くなっているであろう顔をぷいっと逸らしつつ、ちょっとだけ優しい口調でそうフォローしてあげた。

 でもせっかく優しく? フォロー? してあげたってのに、こいつは全っ然信じてないような様子でこう言うのだ。

 

「……さいですか」

 

 マジムカつく。

 

「……なにそれ、全然うちの言葉を信用してるように見えないんですけど」

 

「まぁ……信じてねーし」

 

「は?」

 

 こっちは照れ臭さを堪えてまで言ってやってんのに、普通面と向かってそういうこと言いますかねぇ……と、軽くキレ気味になったうちに、比企谷は容赦のない攻撃を加えてきた!

 

「……言っとくが、お前の魂胆なんぞバレバレだからな」

 

「〜!?」

 

 比企谷の言葉に、うちの心臓はドクンとどこまでも高く跳ね上がる。

 “心臓は体内になくてはならない物”という枷が無かったら、屋上くらいは余裕で飛び越えちゃいそうなくらい跳ね上がってそう。

 

 

 ……え……も、もしかしてうちの気持ち……バレてる……?

 

 

 よくよく考えたら、こいつにバレてたってなんら不思議ではない。

 そりゃ奉仕部内ではあの人達に対してちょっと挑発的なくらい、わざと比企谷と仲良くしてるとこを見せ付けてるから、まぁあの三人にはバレてるとは思う。零下の温度でちょくちょく睨まれるし。

 

 でも……まさか優美子ちゃん達にまでバレてるとは夢にも思わなかったもん……

 だったら……本人にバレてたってなんらおかしくなくない……?

 

「……は、はぁ? なによ魂胆って……い、意味分かんないんだけど……」

 

 や、ヤバいヤバいヤバい……! なんでうちはわざわざ比企谷の真意を聞き出そうとしてんのよ……! そこは上手く誤魔化して流しちゃえよ、うち。

 これ絶対に悪手じゃん。これでこいつの、どっかの洋画吹き替え声優みたいなイケボで『……知ってんだよ、お前、俺に惚れてんだろ』なんて、壁ドンされて言われた日にはパニックになって、もう絶対誤魔化せない自信があんだけど。

 

 ……いやいや比企谷が壁ドンは無いから。せいぜい『お、俺のこと好きだりょ……』とかって格好悪く噛み噛みになって、キモく悶えるのが精一杯。

 うちどんだけ少女漫画脳なのよ。

 

 と、とにかくっ……! 壁ドンだろうと噛み噛みだろうと、今の浮かれたお花畑なうちが比企谷にそんなこと言われたら、頭に血が上っちゃって絶対誤魔化せなくなるのなんて分かりきってんのに、なぜかうちは比企谷に魂胆の真意を訊ねてしまった。

 

 ……どうせうちの口からは気持ちなんて伝えらんないから、ホントは気付いていて欲しいっていう真相心理の表れ……なのかな。

 

 

 だからうちはゴクリと咽喉を鳴らすと、もじもじとウルウル上目遣いで比企谷の返答を待つ。

 ま、まぁ……? うちにはまだこいつに気持ちを伝える資格なんてないけど……? バ、バレちゃってんなら……しょーがないじゃん……?

 

 

 

 ──そして……

 

 

 

「……どうせアレだろ? ひとりで先に部室行って、雪ノ下とふたりっきりの空間になるのがまだ恐えーんだろ。いくら受け入れられたとはいえ、もともとお前雪ノ下にすげぇ嫌われてたし、今でもたまにすげー睨まれてビクビクしてるもんな」

 

 ……は?

 

「だから一緒に行って、俺を生け贄にする魂胆だろ……お前わかりやすすぎだぞ」

 

「……」

 

 

 ……そっち!? なにが分かりやすすぎよ……全っ然わかってないじゃん! ちょっと期待しちゃってたうちがバカみたいじゃん!

 だいったいさぁ、すげぇ嫌われてたしとか超余計だから! それにうちが雪ノ下さん達に睨まれてんのって、あんたと楽しげに喋ってる時だっつの! 気付けよ!

 

 ……うち、期待しちゃってたんじゃん……ダサっ……

 

 

「あ、バレてた?」

 

 比企谷のあまりの朴念仁っぷりに不機嫌さを隠すのに些か苦労しながらも、当初はうちの密かな想いが比企谷にバレるのを阻止したかったはずなのを思い出し、不機嫌さなど微塵も感じさせないよう、あくまでも冷静に返す大人な対応のうち。

 

「……やっぱな。てかなんで怒ってんだよ……」

 

 ぐっ……どうやら大人な対応は出来てなかったようだ。……あ、そーいやいま口尖ってるわ、うち。

 

「……は? 別に怒ってないんですけど」

 

「……さいですか」

 

 またもやうちの言葉を一切信用してない比企谷マジムカつく。

 ふん、べっつにいーけどねー。

 

 

「……てかさぁ、うちの魂胆分かってんなら、別にわざわざ聞いてこなくたっていいじゃん。分かってんのにわざわざ言うとか、やっぱちょー性格悪っ」

 

「そりゃ言うだろ……。ほら、あれだ。……毎日毎日女子と一緒に部室に向かう所を見られちゃってたら、友達に変な噂たてられちゃって恥ずかしいし」

 

 ……なにそのドヤ顔、あんた友達居ないじゃんってツッコミ待ちなわけ?

 こいつっ……、あんだけ凄い人ばっかに囲まれてるくせに、いつまでぼっちキャラで居るつもりなのよ……

 

「……あんたさぁ」

 

 

 

 と、色々とツッコんでやろうとした時、うちの頭にふとあの光景が過ってしまった。うちがおはようって挨拶する時の、こいつの心からの面倒くさそうな顔を。

 普段そういう事を言わない比企谷が、わざわざあんなこと言ってくるって事は、うちとのこの時間に、なにかしら思うところがあるってことだよね……?

 

 

 

 ──あ、あれ? もしかしてうちって、マジで迷惑がられてない……?

 いやいや、そもそも迷惑がられて無いと思ってる方がどうかしてんじゃん。だって比企谷にとってのうちって、ただの性格悪くてヘタレなクソ女だもん。

 そんな女と毎日強制同伴させられて、楽しいと思うわけないじゃん……ホント今更すぎる。

 

 ……あ、ヤバい……ちょっと落ちてきた……

 勝手に調子に乗って勝手に落ちていく、いつもの悪い病気が始まっちゃったよ。

 

「……そりゃ比企谷だって、うちと歩いてるとこ人に見られるとか嫌だよね」

 

 だからうちは思わずネガティブな言葉を発してしまう。

 あんた友達居ないじゃん、ってツッコミを今か今かと待ち構えていた比企谷がビックリするほど暗くてジメっとした声で。

 

「……は? なに言ってんだお前」

 

「……だってさ、いくら最近は優美子ちゃんの威を借りて表立って悪口言われてないっていっても、うちって学年の有名人じゃん? 文化祭と体育祭でやらかした、只のヘタレ勘違い女って。そんなのと一緒に歩いてるとこ見られたくないから、わざわざあんなこと言ってきたんじゃないの?」

 

 ……好きなヤツにこんなことを恨みがましくネチネチ言うとか、なんか自分で言ってて胸が苦しくなってきた。

 うっわ……我ながらめんどくさっ。あの事件で少しは成長出来たかと思ってたけど、やっぱ長年培ってきた卑屈さってのは、そんなにすぐ直せるもんでもないみたい。

 

 これじゃ余計に迷惑がられちゃうんだろうなっていうネガティブ思考に振り切れるうちは、さらに余計な一言をつけ加えてしまう。

 

「まぁ……? あんたがそんなに嫌だってんなら、明日からは別々に行くし……」

 

 面倒くささここに極まれり。我ながら惚れ惚れしちゃうほどの卑屈っぷり。

 ……あ〜あ、楽しかった同伴生活も今日でお終いかぁ……全面的に自分のせいだけども!

 後悔しながらも、後悔ってのは先には立たないものなわけで、はぁぁ……マジで面倒くせぇ女だなぁ……って顔してんだろうな、と、軽く泣きそうな顔でチラッと比企谷を覗き込んでみると……

 

「……くく……ふひっ」

 

 予想に反して笑いを噛み殺してました。……なに? ふひっとか超キモいんですけど。

 

「は、はぁ? ……なにニヤニヤしてんのよ」

 

「……お、おう、すまん。……なんつうか、最近の相模って明るく前向き過ぎてて調子狂ってたんだが、……くくっ……やっぱ相模は相模だと思ってな」

 

「……は? うちの事バカにしてんの?」

 

「バカになんてしてねぇよ。むしろ安心したまである」

 

「それをバカにしてるって言ってんでしょ!」

 

 マジムカつく! 前向きよりもジメジメしてる方がうちらしいって事じゃん!

 じとっと細目で睨めつけてやると、こいつは呆れた顔でこう言ってきた。

 

「アホか、それ言うなら逆だろ。俺なんか誰かさんのおかげで学校一の嫌われものだ。まぁ今じゃ存在自体忘れ去られてるがな」

 

 うぐっ……“誰かさんのおかげ”は痛すぎるっ……!

 

「忘れ去られたとはいえ俺がヒエラルキー最下層である事は間違いないわけだし、腐ってもカースト上位で見た目が目立つ女子が俺と一緒に歩いてんの見られる方が、よっぽどダメージでかいっての」

 

 まるで最初から用意されていた台詞のように、比企谷はそう言ってどよんと目を腐らせる。

 あ、れ……? もしかして比企谷がわざわざあんなこと言ってきたのって、自分と毎日一緒に部室まで歩いてるうちを心配してたってこと……なの……?

 し、しかもさらっと見た目が目立つ女子とか言ってるし……! この天然スケコマシめ……!

 

「……それにあれだ。俺はこう見えて損得勘定が得意な人間でな。お前と遭遇するのが嫌なら、初めっから違う道順で部室に向かってるっつの……。知ってるか? ウチの教室出て反対方向に向かえば、相模のクラスの前を通らんでももうひとつ階段があるんだぞ? ちょっと遠回りになってめんどくさいけど」

 

「っ!」

 

 それを聞いたうちの頭はすっごい高速回転で内容を噛み砕いて咀嚼して、こいつの言いたい事を徐々に理解していくと、次第に心がピョンピョンと跳ね回り始める。

 だってそれって……こいつもうちと部室まで一緒に行くのを、結構楽しんでるって言ってるようなもんじゃん……!

 

「……だからまぁ、お前が俺と歩いているマイナスイメージを気にしないっつうんなら、俺は別に気にしねーぞ。……いや、雪ノ下に生け贄として差し出されるのは納得いかんけども」

 

 

 

 ──うん、うちお得意のネガティブ思考で勝手にグダグダになってたってだけのお話で、どうやらこいつの捻デレが今日も通常営業だっただけのようだ。

 

 うちは、そっぽを向いて頭をがしがし掻いている比企谷の真っ赤な耳を弛みきった顔でチラチラと眺めながら、こう一言だけ返してあげるのだった。

 

 

「ふ、ふーん……、あっそ……」

 

 

 

 ──へへー、しゃあないなー。じゃあ、明日からも一緒に行ってやろうかなぁ?

 

 

× × ×

 

 

 お互いに照れくさくなってしまったうちと比企谷は、そこからは無言で部室までの道のりを歩いていく。

 ……無言でも、二人の間に嫌な空気感は全然ないし、ま、たまにはこういうのもいいんじゃない……?

 

 

 そしてうちはようやく仕事場に到着した。

 

 

 朝の食卓で、お昼のランチタイムで、午後の同伴の旅路で……、浮かれすぎてすっかり忘れてたけど、うちの今日の目的はこれからなのだ。すっかり我欲まみれになってたけど、うちが我欲に身を委ねてもいいのは、この初めての仕事が完了した時なのだ。

 

 

 ──おっし、頑張るぞ!

 

 

「こんにちはー」

 

「こんにちは相模さん」

 

「うっす」

 

「こんにちは」

 

 

 ガラリと部室の扉を開け、いつも通りの挨拶を済ませる。

 字面だけだと穏やかなやりとりに見えるけど、実際は雪ノ下さんからの絶対零度の視線が寒い寒い。絶対心の中で「あら、また二人で来たのね、この泥棒猫が……」って言ってるでしょ……恐いよぉ……!

 雪ノ下さんはにゃんこ大好きっ子だから、猫に対して偏見に満ちた泥棒猫って単語は死んでも使わなそうだけど。

 

 と、ここまではいつも通りなやりとりなんだけど、うちの視界にひとつだけいつもとは違う景色が飛び込んでくる。

 

 

「こ、こんにちは……! きょ、今日はよろしくお願いします……っ」

 

 

 いつもなら雪ノ下さんしか居ないこの時間帯だけど、今日はすでにお客さんが来ていたのだ。

 うちと比企谷が部室に入るや否や、そのお客さん──千佐早智さんが、依頼人席から慌てて立ち上がると、うち達に向かって深々と頭を下げたのだった。

 

 

 

続く

 

 

 






ただ捻くれ者同士がイチャコラ(捻コラ)してるだけじゃねーか(・ω・)

という第三話でしたがありがとうございました!

第三話にして、やっとさがみんらしさ(イジイジじめじめ)が出せましたw
やっぱさがみんと言ったらジメらないとね☆

しかしこの相模南という女、資格ないとかなんとか言いながら、ヤル気満々である。



そしてようやく部室に到着して奉仕活動が始まりそうではありますが、まぁそこはサラッと流す所存でございます笑


ではではまた次回ノシ
(しかし最近マジでさがみんしか書いてねぇな……)




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vol.4 千佐早智は思っていたよりもずっと小物である



どうも。ゲーム・俺ガイル続で折本がBAD END扱いと聞いて

「おいおいそこはさがみんだろ。BADEND扱いなんてそんな美味しい役回り、普通に考えたらさがみん一択だろアホか」

と猛り狂ったどうも錯者です。



今回からはこの作品中最もどうでもいいストーリー、奉仕活動に入ります。
(タイトルェ……)

前回まではただたださがみんが浮かれてるだけのお話だった為、このままだと奉仕活動中も八幡をポ〜っと眺めてウヘヘするだけで終わってしまいそうだったので、今回はちょっと趣向を変えてみました(・ω・)





 

 

 

 あたしは今日もこの教室に存在しない、憐れで惨めな女の子。

 登校してから帰りのHRが終わったこの瞬間まで、誰ひとりとしてあたし 千佐早智に視線を向けてきたクラスメイトなんて居ない。

 

 

 ……こんなはずじゃ無かった。あたしはルックスだっていいし勉強だって出来る。

 ノリがよくて明るくて、優しく親切なクラスの人気者だったはずなのに……人気者で居られるはずだったのに……

 

 

 ──なんで? なんでこんなんなっちゃったの……?──

 

 

 昨日までのあたしはそう嘆く事しか出来なかった。そこで思考を停止させてしまってた。

 ……でも今日からは少しだけ違う。あたしは昨日、ほんの少し縋れそうな希望を手に入れたから。

 

 だからあたしはHR終了と共に立ち上がる。

 ううん? 今までだって毎日HRの終わりと共に立ち上がっていた。クラスでひとり弾かれている自分が……放課後になっても誰一人として目も止めてくれない自分が、惨めで仕方なかったから。

 

 でも今日立ち上がったのは、この教室から早く逃げ出したいからじゃない。もうここから逃げ出さずに済む為に、あの教室に……特別棟にひっそりと存在するあの教室に向かう為。

 

 あの人たちならなんとかしてくれる。あんな凄い人たちならあたしを救けてくれる。

 ……そう願いを込めて。

 

 

 

 

 ──ほんの二十分ほど前まで抱いていたそんな幻想は、あっさりと、無残にも崩れさった。

 あたしの目の前に座る美女の口から放たれたこの言葉によって……

 

 

「千佐早智さん。貴女は些か勘違いしているようなのだけれど、ここは貴女の求めているような便利屋ではないの。ここは奉仕部。悩める生徒の自主性を促し、自らの足で歩きだせるように少しだけ手を貸す部活。なんとかして欲しいと願うだけなら、神様にでもお祈りしていなさい」

 

 

× × ×

 

 

 あたしは早く救けて欲しくて……早くなんとかして欲しくて、HR終了と共にこの教室へと走った。平塚先生に紹介してもらった奉仕部の部室へ。

 

 

 あたしがこの部室に到着してから十分ほど、ようやく部員さん達が集まり、昨日はこの部活を訪れたのが遅かった為に時間的になんの説明も出来なかった依頼内容を皆さんに話したのだ。

 

「……あ、あの……改めてまして……い、一年A組の、千佐……さ、早智と……も、申します」

 

 正直はじめはビビってた。なぜならこの教室内に居る人たちは異質すぎるから。

 

「い、依頼内容は……その……あたしがクラスでハブられてるのを……なんとかして欲しくって」

 

 まず何よりも異質な人物、雪ノ下雪乃先輩。総武高校一の有名人。

 

 眉目秀麗学業優秀なこの才女はあたしたち一年の間でも当然の如く有名で、美しさと優秀さ、そしてその有名さとは相反する謎多き美女。

 あまりにも有名なのに高嶺の花すぎて近寄りがたく、会話どころか声さえも聞いた事が無いという生徒が殆んどと言われているミステリアス性が、余計にその神秘的を増しているという評判だ。

 ……まさかあの雪ノ下雪乃先輩が部長を務める部活だったなんて……

 

 

 そしてその隣にぴったりとくっついている可愛らしい女子生徒、確か由比ヶ浜結衣先輩。

 

 そんな謎多き雪ノ下先輩の唯一の親友でもあり、また、雪ノ下先輩に並ぶ程の美人で有名人の三浦先輩の親友でもある彼女。

 その可愛いさと人当たりの良さで、三浦先輩とこれまた有名人の葉山先輩と共に、総武高校トップグループを形成するメンバーのひとりでもある由比ヶ浜先輩は、あたしたち一年の間でも当然有名だ。

 

 

 さらにその二人とは長机の反対側に座る美少女、言わずと知れた我が校の生徒会長、一色いろは先輩。

 

 どうやら総武高創設以来、初となる一年生生徒会長だったらしい一色先輩は、その可愛らしさと愛らしさからは考えられないくらい豪碗な方らしく、生徒会長就任からこの八ヶ月ほど、その小悪魔的な可愛らしさと豪碗さで、この学校をもり立ててきたとかこないとか。なんかその裏には陰の生徒会長が居て、一色先輩はその陰の生徒会長に頼りまくってるなんて話も聞こえてきてるけど。

 ちなみにあたしたちの新入生歓迎会での生徒会長からの挨拶で、男子たちから歓びの声が上がりまくって、調子に乗った生徒数名と生徒会長が生徒指導室送りになったという事件も記憶に新しい。

 ……なんでその生徒会長がこの部活に居るのかは不明。

 

 

 そしてもうひとりの女子生徒。

 他の三人と違ってこの人だけは知らないから、そんなに有名な人ではないんだろう。だから何年生かも先輩なのか同学年なのかも分からない。

 

 でも、明るいショートカットにピアス姿の垢抜けた感じのこの女子も、知らないながらもやっぱり有名人さん達に負けず劣らず綺麗な人……いや、さすがに超有名人な三人には劣るけど。

 

 

 もうひとり……一色先輩とショートカットの女子に挟まれる格好で座っている人は…………うん、この人はオマケかなんかなのかな。顔こそ結構整ってるけど、髪はボサボサだし猫背だし地味そうだし、何よりも目がどよんとしてて、とてもじゃないけどこの異質な空間に相応しい人物とは思えない。

 まぁこの美女ぞろいの部活に男子がひとりだけ居るってとこが、一番異質といえば異質ではあるけど。

 

 

 

 そのオマケの男子はともかくとして、あたしはこんな美女ぞろいのこの教室に気圧されている。昨日なんてあと一歩で逃げ出すとこだったし。

 

 それでもなんとか逃げ出さずに踏ん張ったのは、この凄いメンツなら、なんとかしてくれるんじゃないかって思ったから。

 

 

「……あ、あたしがクラスでハブられてるのは、確かに最初調子に乗ってしまったのが悪いとは思うんですけど……でも……それよりも多分、クラスで一番モテてたあたしへの嫉妬とかもあるんじゃないかと……」

 

 だからあたしは話した。昨日依頼した時には言えなかったけど、今までずっとあいつらに吐き捨ててやりたかった本音を……恨み言を……

 

「……だって、そうじゃないですか……ちょっと調子に乗ったくらいで女子から総スカンにされて……次第に男子もあたしには寄り付かない方が得策とか思うようになったみたいで避け始めて……」

 

 ずっと溜めてたから……ずっと誰かに言いたくても誰にも話せなかったから……、あたしは最初の緊張も忘れて、思うままに話した。

 

「……その中でも、特にあのグループが原因です。間違いないです……あたしを落とした事で自分たちがクラスの中心になったあいつら……」

 

 だから気が付かなかった……夢中になりすぎて気付かなかった。

 

「あたしはそこまで悪くないと思うんです……! だからお願いします……! 先輩方のお力で、あのグループの子たちをなんとかしてください! ……あたし、また中学の頃みたいに……クラスの中心で居たい……です……!」

 

 あたしが話せば話すほど……奉仕部の皆さんの目が……特に雪ノ下先輩の視線が、とても冷たくなっていった事に……

 

 

 ──そしてあのセリフを浴びせられる事となったのだ。あたしの希望を打ち砕く……雪ノ下先輩のあのセリフを……

 

 

× × ×

 

 

「ゆ、ゆきのん……! さすがにそれはちょっと厳しいって……!」

 

 味方になってくれるものだとばかり思っていた学校一の有名人に、冷たい言葉を投げ付けられて呆然とするあたしに、由比ヶ浜先輩が助け船を出してくれた。

 でも……

 

「あら、そうかしら。“そうなってしまった原因”を理解はしていながらも、それでもなお他者にのみ責任を求め、尚且つそれを第三者になんとかしてもらって、自身はなにもせず考えも改めず、また人気者になりたいと泣き付いてくるだけの人間には、これでもまだ足りないと思うのだけれど」

 

「……うん、それはそうなんだけどー……」

 

 フォローしてくれたのはあくまでも物言いがキツ過ぎた事に対してで、どうやらあたしの依頼に関しては由比ヶ浜先輩も同意見のようだ。

 

 

 ──なんで……? あたし、そんなに変なこと言った……?

 ハブられてる……ううん? 虐められてる人間として、当然の主張をしただけじゃないの……?

 

「……まぁなんにせよ…………申し訳ないのだけれど、貴女の望むような結果を得るのは不可能だという事だけは覚悟しておきなさい。……少なくとも、中学の頃のようにクラスの中心になりたいという依頼であるならば、奉仕部としては受けかねるわ」

 

「……そん、な……依頼、受けてくれるって言ったじゃないですか……」

 

「そうね、私とした事が早計だったと反省しているわ。きちんと依頼内容の説明も受けないままに……千佐さんの口からきちんと聞かないままに……一時の感情だけで依頼受諾を決めてしまったのだから。……つい最近、同じような案件で頑張って自らの足で歩きだした依頼者の姿を、貴女に重ねてしまったのかもしれないわね……」

 

 そう冷たく言い放つ雪ノ下先輩を眺めつつ思う。

 

 ……最近、同じような依頼を受けたんだ、この部活……だったらなんであたしのはダメなの……?

 なんかショートカットの女子がもじもじと悶えてるのが視界に入ってくるんだけど、今はそれどころじゃない……目の前が真っ暗になってるから。

 

「まぁ待て、雪ノ下。気持ちは分からんでもないが、一旦落ち着け」

 

「……ええ、ごめんなさい」

 

 滲んだ視界のままうなだれていると、先ほどオマケかと思っていた一人の男子が口を挟んできた。

 雪ノ下先輩を呼び捨てにしているという事は、この人も三年生なのだろう。

 

「……あー、千佐。俺たちは、何も知らないくせに訳知り顔で意見するどこぞのコメンテーターのように『虐められる側にも問題がある』だの、どこぞの教育評論家のように『虐められる子にはなんの責任もない。虐めた側の子だって初めはみんないい子だった。責任があるのはそのような事態を招いてしまった大人にこそある』なんて綺麗事を宣うつもりもない」

 

「……」

 

「……言うつもりは無いが……だがそれは時と場合による。今回の場合に関しては、原因はお前のその性格にあんのかもな。もちろんクラス一丸となってハブってる連中は、総じてクソで間違いないが」

 

「……はあ」

 

 ……なに言ってんのこの人……? あいつらが一方的に悪いに決まってんでしょ。

 そんなの、されたこと無い人間に、あたしの辛さなんて分かるわけないじゃん。オマケのクセして偉そうに口出ししてこないでよ……

 

「まぁ……不満なのは分かる。大方お前なんかになにが分かんだよって感じだろ? だがな、幸なんだか不幸なんだか、ここはそういうのの経験者に溢れててな、だからみんな、お前の気持ちも分かれば、お前にどう問題があるのかも分かっちまうんだよ」

 

 ……は? なに? そういうのの経験者に溢れてるって。どう見てもここでそんな経験してんのあんただけじゃん。

 

「……はあ」

 

 

 先ほどまでは学校一の有名人に呆れたような物言いをされて落ち込んでたあたしだけど、このどう見てもオマケにしか見えない三年に偉そうに言われてイラッとしたあたしは、連続で不満たらたらの気のない返事をしてしまった。

 

「……チッ」

 

 しかしそれがいけなかったらしい。そんなあたしの態度に……というかオマケの三年生を軽く見てたから……? ついに堪忍袋の緒が切れてしまったようだ。

 

「……ねぇねぇ、ちゃんと先輩の話聞いてんの……? 千佐ちゃんってさ、考え甘すぎだよねー」

 

 ……生徒会長の……

 

「……え」

 

 あたしはその怒った顔にこの上なくビビる。なにせ相手は有名生徒会長一色先輩。オマケの男子とは違うのだ。

 雪ノ下先輩に続いて一色先輩にまで敵意を向けられてしまっては、それこそあたしはこの学校で生きていけないから。

 

「生徒会長のわたしがこんなこと言うのもアレだけど、調子に乗るなら調子に乗るで、それなりの覚悟がなきゃダメでしょ。だって千佐さんは自分が調子に乗ったからハブられたってゆー自覚はあるんでしょ?」

 

「……は、い」

 

「別に調子に乗るのはいいと思うよ? それだけ自分に自信があるんだろーし。……でも調子に乗るならさー、始めっから同性に嫌われたりハブられたりするくらいの覚悟しなきゃでしょ。調子には乗ります! でも嫌われたくないです! って、さすがに都合よすぎじゃない? ……女子の世界ってそんな甘くないでしょ。……それに、地味で冴えない人の話は舐めて聞いてるのに、雪ノ下先輩とかわたしの話はそんなに畏まるとか、そこら辺からしてちょっと甘くない……?」

 

「……」

 

 

 ……どうしよう……恐いよ……

 あたしはただ救けてもらいたかったからここに来たのに、なんでこんな有名人達にこんなに責められなくちゃなんないの……?

 

 クラスでは無視……学校を代表する人たちには目に見えた敵意を向けられる。

 もうあたし……ホントに学校来られなくなるかもしれない……

 

 

 でも、それは雪ノ下先輩と一色先輩からの冷たい視線に堪えられなくなったあたしが、黙って俯いていた時だった。

 

 

 

「……地味で冴えない人で悪かったな。……にしてもさすが同性嫌われ度No.1の一色が言うと違うわ。すげぇ説得力だな」

 

 またもやあのオマケ男子が割り込んできた。……いや、割り込んできて……くれた……の?

 

 

 

 すると……

 

「……むー、誰の為に怒ってると思ってんですかねー、この先輩は……。大体〜、そんなの学校一の嫌われ者、がっこういちのきらわれものー、にだけは言われたくないんですけど」

 

「うぐっ……! ちょ、一色さんさぁ……それ絶対こいつをディスる風に見せかけて、またうちをネチネチと責めてきてんでしょ……!」

 

「あっれー? 相模先輩居たんですかぁ? 存在感なさすぎて全然気付かなかったですー。ちょっと意識過剰すぎじゃないですかねー」

 

「あー……! ほんっとマジムカつく! こんの腹黒生徒会長! だいたい一色さん奉仕部じゃないんだから早く生徒会室いけ!」

 

「ふふんっ、言っときますけどここじゃわたしの方が先輩ですしー」

 

「だから部員じゃないでしょうが!」

 

 

 ……その瞬間から、一気に場の空気が変わった。

 ショートカットの女子──どうやら相模先輩というらしい──と一色先輩は犬猿の仲のらしく二人してぎゃあぎゃあやり合い始め、

 

「た、たはは……」

 

「……はぁ、まったく……」

 

 由比ヶ浜先輩は苦笑いを浮かべて二人を眺め、雪ノ下先輩はこめかみを押さえてやれやれと呆れ顔。

 

 

 ……なんていうか……あたしが作っちゃった淀んだ空気が、オマケ男子の一言でいつも通りの柔らかな空気に戻された……みたいな?

 

 

「おいお前ら依頼人を放置すんな。……つかあれだな。千佐って、小物っぷりが去年までの相模を見てるみたいで和むよな」

 

「うっさい!」

 

「ぐはっ……だ、だから暴力系ヒロインは需要ないとあれほど……」

 

 

 そしてあたし置いてきぼりのこの騒ぎは、相模先輩が放ったオマケ男子の横っ腹へのパンチで幕を閉じたのだ。

 

 

 

「……あの、雪ノ下さん」

 

 すると、その相模先輩がおずおずと遠慮がちに手を上げた。

 

「なにかしら、相模さん」

 

「……あの、さ……ちょっと千佐さん借りてもいいかな? ……うち、千佐さんと二人で話してみようかと思うんだ。……たぶん千佐さんの、この依頼の為には、それが一番いいような気がするんだよね」

 

 ……え?

 

「…………そう。……ええそうね、確かにあなたが話をするのが一番いいかもしれないわね。……少し辛い思いをさせてしまうかもしれないけれど、お願いしてしまっても構わないかしら」

 

「ん。うちから言い出したんだから」

 

 ……どういう事……?

 

「千佐さん、ちょっと部室出よっか」

 

「……え、あ……は、はい」

 

 

 

 どういう事なのかはさっぱり分からない。この相模先輩という人がどういう人なのかも全然分からない。

 

 分からないけれど……どうやらあたしはこの見知らぬ先輩と、二人っきりでお話をしなくちゃならないようです……

 

 

 

 

続く





誰得オリキャラ視点(しかも思ってたよりもダメ人間)なお話でしたがありがとうございました!
こんなのは誰も求めてないかも知れませんが、第三者から現在の奉仕部+オマケ一名を眺めてみるというのもたまにはいいかな?と思いましたし、前書きでも書いた通り、さがみん視点だと浮かれすぎてるってのもありまして笑

(にしても多人数のやりとりになると、やっぱどうしてもガハマさんが空気になってしまう……汗)


次のさがみんとオリキャラの会話回は、さがみん視点でやるかオリキャラ視点でやるかはまだ迷い中ではありますが、次回もよろしくお願いいたしますノシ





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vol.5 千佐早智は彼女の声に耳を傾ける

 

 

 

 まだ陽が落ちるまでにはいくばくかの刻を要するこの時間帯、あたしは校舎から伸びる日陰に隠れた中庭のベンチでひとり座っている。

 わけが分からないままあの先輩に部室から連れ出され、ちょっと中庭のベンチで待っててもらえるかなと、あたしだけが先にこの場所へと寄越されたのだ。

 

 やっと惨めな学校生活とサヨナラ出来ると意気込んでいた、ほんの数十分前のあたしからしたら、現在の事態と絶望感は本当に想定外だ。

 なんであたしは救けを求めて赴いた場所であんなに責められて、そしてこんな所でひとりで座ってるんだろう……もう意味分かんないよ……

 

 

 ──やっぱり……ダメなのかな──

 

 

 いくら日陰とはいえ、やっぱり真夏の戸外はどうしようもなく暑い。

 そんなうだるような暑さの中、ようやく掴めた蜘蛛の糸を残酷にも目の前で切られてしまったかのような絶望感に打ち拉がれていると、不意に背筋までゾクッとするほどにとても冷たい何かが頬に触れ、あたしはつい変な声を出してしまう。

 

「ひあっ!?」

 

「あはは、お待たせ。これ飲んで」

 

 ……それは、あたしをこんな所に招いた先輩が右手に持つ一本の缶ジュースだった。

 どうやら、相模……? 先輩は、ジュースを買うためにあたしを先に行かせたみたい。

 

「……あ……その」

 

「ありゃ、レモンティーだめだった?」

 

「い、いえ……! 好きです……あ、ありがとうございます」

 

 ぺこぺこと頭を下げて、恐る恐る缶ジュースを受け取る。

 ……なんか、久し振りだなぁ。やっぱなんかいいな……こういうのって。

 

 友達どころか面識無しの先輩だけど、それでもあたしは、今の状況に全くそぐわないそんな感想を抱いてしまった。

 

 そっか良かったー、と笑ってあたしの隣に座った相模先輩は、自分用に買ってきたジュースの缶をプシュっと開けてごくごくと飲み始める。でもすぐさま顔を歪めると、この人は信じられない悪態を吐いた。

 

「……うっわ! ホント何度飲んでも無理だわコレ……マジで甘過ぎだっつーのよ、バカじゃないの……?」

 

 いえいえ先輩! じゃあなんでそんなの買ってきたんですか!? 間違えて押しちゃったのかな……?

 

「……あ、あの」

 

 よっぽどそうツッコもうかと思ったんだけど、最上級生でもあり、クラスのトップグループの中心でもありそうなこの先輩にそんなツッコみが出来るわけもなく、あたしはそれ以外のいま一番聞きたい事のみを訊ねることにした。

 

「えっと……なんであたしを呼び出したん……です……かね……」

 

「んっと、あ……ごめんね? いきなり呼び出されるとか意味分かんないよね? ……改めまして、うちは三のCの相模南です、よろしくね」

 

「あ! はい……よ、よろしくお願いします……」

 

 にっこりと微笑んだ相模先輩に、あたしはついドキッとしてしまった。

 ……誰かに微笑みを向けられたのなんて、一体いつぶりだろ……そんな他愛のない事でこんなにも嬉しくなっちゃうなんて、あたしはよっぽど“誰か”との触れ合いに飢えてたんだなって……今更ながらに思ってしまう。

 

「んとね、なんで千佐さんを呼んだのかというとね? それはうちが千佐さんに聞いて欲しい事があるから。……でもそれはあんま人が多いとこで好き好んで話したいような内容でもないから、こうして千佐さんひとりに来てもらったってわけ」

 

「……そう、ですか」

 

 ……あたしに聞いて欲しい事? でも、あんまり人には聞かれたくない事?

 

 なんの話なんだろうと先輩からの次の言葉を待っていると、相模先輩はおもむろにポケットからスマホを取り出し、なにやら操作を始めた。

 

「……んー、……やっぱ、あんま見せたいもんじゃないなぁ……。でもま、しゃーないかー…………」

 

 そうボソボソと呟きながら次から次へと画面をフリックしていく相模先輩。

 なにをそんなに見せたくないと言うのだろう……? そしてそんなにも見せたくもないモノを、なんであたしに見せようとするんだろう……?

 

「……あった。……はい、これ」

 

 幾度かのフリックのあと、相模先輩はあたしにスマホを差し出してきた。そのスマホの画面には一枚の写真が写し出されている。

 それは人物写真でも風景写真でもない、ただ、一つの机が写っているだけの写真……

 

「……っ」

 

「……さっきさ、雪ノ下さんが言ってたでしょ、最近似たような案件があったばかりだって。……あれって、うちの事なの」

 

 あたしはスマホに写し出された痛々しい写真に視線を向けつつ、思わずゴクリと咽喉を鳴らしてしまった。

 

『きんもっ』『ヘタレ』『卑怯者』『よく学校これんね、あんた』

 

 見ているだけで胸が苦しくなるような……目を背けたくなるような文字の刃の数々が、その机にはこれでもかというくらいに刻まれていた。

 

 目を逸らしたい、でもどうしても目を逸らせないという相反する思いがぶつかり合う中、こっそりと相模先輩の表情を盗み見ると、とても辛そうな顔で……、でもそれなのにその写真からは目を背けず、じっと見つめていた。

 

「うちね、ほんのひと月前くらいまで不登校だったんだよね。クラス替え当日には早くも嘲笑の的になってハブられて、そして……こんな感じで軽い虐めにも発展しちゃってさ」

 

 ……信じられない。この人が虐めに……?

 ちょっと強気そうな切れ長の目と明るいショートカットのこの垢抜けた先輩は、およそ虐め被害者なんかには見えない。

 

 いや……かなり自分に自信があるあたしだって被害者なわけだし、一概にはそんなこと言えないか。

 

「まぁ……ハブられたのも虐められたのも自業自得だから、別にこれ書いた人たちを恨んだりとかはしてないんだけどね。……だって、たぶん立場が違えば、昔のうちならこれ書いてた側だと思うし」

 

「……自業、自得?」

 

 なによ自業自得って……あのオマケもそんなこと言ってたけど、虐めなんて虐めをしてる方が一方的に悪いに決まってるじゃん……!

 

「……そ。うちね、去年の文化祭と体育祭の実行委員長やったんだけど……まぁ一年の千佐さんは知らないだろうけど、二年生以上だとうちってこう見えて結構有名人なんだよね。……悪い意味で」

 

 悪い意味で有名人……? この人が……?

 

「……うちさぁ、一年のトキはクラスで一番派手なグループで中心だったんだー。ゆいちゃん……ああ、由比ヶ浜結衣ちゃんね。そのゆいちゃんと二人で中心張ってたの。……それがめっちゃ気持ち良くてめっちゃステータスで、二年に上がってからも同じように優越感の中に居られるとって、そう思ってた」

 

 ……え? なんかそれって、最近どこかで聞いたばっかりなんだけど……

 

「でもね、そうはならなかった。なにせ二年になったらクラスメイトには優美子ちゃん……三浦さんが居たから。雪ノ下とかゆいちゃんの事も知ってたみたいだし、うちの事は知らなくても、さすがに三浦さんは知ってるでしょ?」

 

「……はい、有名ですから」

 

「だよねー。……んで、その優美子ちゃんはうちじゃなくてゆいちゃんを選んでね、気が付いたらうちはクラスで二番目のグループ。あー、ぶっちゃけ超くやしかったー!」

 

「……」

 

「ずっと悔しくて嫉ましくて……だからうちは失ったステータスを回復する為に、自分の器には見合わないブランドに手を出したの」

 

「……それが、実行委員長……なんですか?」

 

「そっ」

 

 

 ……どうしよう、相模先輩の気持ちが凄く分かる。

 ……あ、だからか。だからさっきオマケの人が言ってたんだ、去年の相模先輩に似てるとかなんとか……

 

「でぇ、結果は散々! なーんにも出来なくて大失敗して大ダメージ受けて……うち、責任放り出して逃げ出しちゃった。……で、うちはそのとき救けだしてくれた人に罪を被せたの。そいつを悪者にしちゃえば、うちは責任を追及されないから。ホント……超最低……!」

 

 あははー、と笑いながら話す相模先輩だけど……その笑顔は後悔に満ちている。

 

「体育祭でもボロボロでね? でもそのあともクラスでは普通に過ごせてたから、お花畑なうちは知らなかったんだけど、その頃からうちは学年で『勘違いのヘタレ女』ってバカにされて陰口たたかれてたみたい。……で、クラスが替わった途端にこの有様」

 

 そう言ってスマホに写る机を指差す先輩の表情を見る事が出来ない。

 ……なによそれ……まるであたしの未来を見てるみたいじゃん……

 

「ヘタレな勘違い女はメンタルが超弱いから、たったのひと月でそこからまた逃げ出して、それからはなにが楽しくて生きてんのかも分かんない引きこもりの毎日が、ほんのひと月前まで続いてたってわけ。ホンっト情けないけど、すごい自業自得でしょ?」

 

 

 

 ……なんにも言えない。言葉が出ない。

 

『“そうなってしまった原因”を理解はしていながらも、それでもなお他者にのみ責任を求め、尚且つそれを第三者になんとかしてもらって、自身はなにもせず考えも改めず、また人気者になりたいと泣き付いてくるだけの人間』

 

 調子に乗ってウザがられてハブられたくせして、全てを他人のせいにしてたあたしの胸に、今の相模先輩の言葉と、さっきの雪ノ下先輩の言葉が突き刺さるから。

 ……でも、聞かなくちゃ。この先輩の過去があたしの未来なら、なんでこの人は今こんなに笑顔で居られるのかを。

 

「……じゃあ……なんでですか……? そんな目に合ったのに、なんで相模先輩は、今こうして学校に来られてるんですか……?」

 

「うん、それはね、手を差し伸べてもらえたから。色んな人に。うちを裏切ったと思ってた人たちに。うちが勝手に嫉んで勝手に避けてた人たちに。……そして、あいつに……」

 

「……あいつ?」

 

「ん。あいつ。……さっき話したでしょ? 文化祭でうちを救けてくれたのに、そいつに罪を被せたって。……そいつは、うちのせいで一時期は学校一の嫌われ者になっちゃってね? あとあと聞いたら、そんときは結構キツかったんだって。だからうちの事なんて大嫌いなはずなのに……それなのにあいつは、仕事だからって言ってまたうちを救けてくれたのよ。マジでバカだよね」

 

 ……そんな事があったんだ……

 あれ? でもなんかついさっき聞かなかったっけ? その学校一の嫌われ者ってワード……

 

 

『学校一の嫌われ者、がっこういちのきらわれものー、にだけは言われたくないんですけど』

 

『それ絶対こいつをディスる風に見せかけて、またうちをネチネチと責めてきてんでしょ……!』

 

 

「……あ」

 

 

 ……え、嘘……マジで……?

 

「……も、もしかしてその人って……」

 

 そう訊ねたあたしに、相模先輩は『よくぞ聞いてくれました!』とばかりに頬を弛ます。

 

「そ。奉仕部のあいつ。さっき千佐さんが軽く見てた、あの腐った目の超暗そうな奴」

 

 

 

 そう言って、ほんのり頬を染めてにひっと笑う相模先輩は、とてもとても綺麗だった。

 

 

 

続く

 







今回もありがとうございました!結局オリキャラ視点にしちゃいましたー(・ω・)


そして次回、さがみんが惚気てさっちーが落ちます笑



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vol.6 相模南は彼女に想いを語る


今回、予告通りオリキャラが見事なまでに落ちますw





 

 

 

 今うちがこの子に向けてる顔は、一体どんな表情なんだろう。

 ハブられて虐められて引きこもってたなんてみっともなくて格好悪いカミングアウトを、よりにもよって年下の女の子にするだなんて、年頃の女子からしたらとてもじゃないけど容認出来ないような情けない行為だというのに、それなのに今うちは口元が弛んでいるという自覚がある。

 ……ぷっ、マジで変なの、うち。

 

 よし、自分が変な女だと自覚出来たところで、もう少し話を進めてしまおう。

 目の前の女の子が、驚いて目を丸くしている間に。

 

「ふふ、びっくりした? だよねー。だってあいつ、全然そういう事するようなヤツには見えないもんね」

 

「……あ、いえ……そんな」

 

「いーのいーの。だってうちも心の底からそう思ってたもん。あのドヨッとした目とか、なんなら人を貶す事に生き甲斐感じてそうまである」

 

「……で、ですよねー」

 

「そこはちょっと否定しようよ!?」

 

「す、すみません!」

 

 あわあわと頭をペコペコ下げる千佐さんを見て、うちはつい安心して微笑んでしまう。

 部室での態度とかを目の当たりにして少し不安になってたこの依頼だけど…………うん、なんとかなるかもっ。性根は叩き直さなきゃかもしんないけど、こうしてみたらなんてことない普通の子だもんね。

 あはは、ホント、クラスメイトに性根をぼっこぼこにされる前のうちみたい。

 

「……あいつってさ、確かに見た目はあんなんだし性格だって超悪いけど、でも、千佐さんが軽く見てるようなただのオマケじゃないんだよ?」

 

「!? ……オ、オマケだなんて……」

 

 スイッと目を逸らしやがったな? やっぱ絶対オマケだと思ってたでしょ、この子。

 

 だったら話してやらねばならないよね、比企谷の凄いトコ。

 そもそもあいつを軽く見たままじゃあの子たち……特に一色さんがこの子を認めないだろうし。認めないもなにも部員じゃないけど。

 

 

 だからうちは千佐さんに話す。うちと比企谷の間にあった全ての事を。

 いかにうちが最低であったのか、そして比企谷はそんな最低なうちに、どう手を差し伸べてくれたのか。

 

 あの日、本当の意味で比企谷と初めて向かい合ったうちの部屋での出来事は、うちの中だけの宝物にしときたかったけど──お母さんには盗み聞きされてたけど……──この子の為にも比企谷の為にも……なにより少しでも多くの人にあいつを良く見てもらいたいと願ってるうち自身の為にも、全部話してあげるのだ。

 

 

 

 

「……信じらんない……だって、親押し退けて無理やり押し入ろうなんてしたら、下手したら通報されちゃうじゃないですか……」

 

 文化祭、体育祭、それからクラス替えをしてうちの身に起きた事から、比企谷が家に押し掛けてきてまで、うちの手を掴んでくれた事までを話すと、ずっと黙って聞いていた千佐さんが呟くようにそう声を漏らした。

 

「ね、バカでしょあいつ。なにせお母さんに啖呵切ったんだから。通報するならしてくれって。そしてうちには、警察来ちゃう前にちょっと話してくれよって」

 

 ホント、いま思い出しても胸が熱くなる。そんなバカ、どこにも居ないっての……!

 

「でね? そんなバカなあいつに自分を認めさせてやりたいと一念発起して、うちはやっと登校拒否から抜け出せた。復帰したら復帰したで、まーたあいつの策略で色んな酷い目に合わされたんだけどさ、その度にあいつのムカつくニヤケ面を思い浮かべて「なにくそー!」って頑張れたんだ」

 

 ああいう辛くて挫けそうになる時って、ホントあいつのムカつく顔がうちの特効薬になんのよねー。

 

「でさでさ! ようやく事態が一段落した頃にあいつを例の屋上に呼び付けてやったの! そんでそこで突然お礼言ってやってあいつをびっくりさせてやったんだー。ちなみにその日がうちの誕生日でね? せっかくだから復帰祝いと誕生日祝いでなんかくれ! って言ってやったら、後日あいつがこのピアスくれたの。あはは、あいつあんなんのクセしてこんな可愛いピアスプレゼントしてくれたんだよ? 超笑える! しかもこのピアスの花のモチーフには花言葉があってさっ、なんだと思う!? 『絶望を乗り越えて生きる』だってさ! 超キザじゃない? 似合わな〜! って感じだよねー。でもうちがコレ着けて部室行くとあいつがそれ見て絶対悶えるから超面白くってさー、だからもうあいつをからかう為に毎日だよ毎日! 毎日着けてきてんだから! ざっまー! って感じじゃない!? んでねー? …………ってアレ? どうかした?」

 

 ん? どうかしたのだろうか……? なぜか千佐さんがゲンナリとしてる。

 

「……あ、いえ……その、良く分かりました……い、色々と」

 

「……そ? あ、でねー?」

 

 

 それからしばらくのあいだ比企谷のバカさを語ってあげてたんだけど、なぜか千佐さんからストップが掛かりました。

 おっかしいなー、これじゃまだ奉仕部に入部してからの毎日のやり取りとかまでは細かく話せてないんだけど。ちゃんとあいつの良さ分かったのかなぁ。

 

 

× × ×

 

 

 まだまだ話し足りないような気はするけど、本人がもう大丈夫ですって懇願するんだから仕方ないよね。

 それでも、どうやらうちは知らず知らず結構喋ってたみたいで、ひとたび喋るのをやめるとノドが渇きを憶えていることに気が付いた。

 渇いたノドを潤す為に缶コーヒーをくぴくぴ流し込むと、口内もノドも、なんとも甘ったるい液体に満たされる。

 

「……うへぇ、やっぱ甘過ぎだっての……余計ノド渇いちゃうじゃん」

 

 マジでこんなのを好き好んで飲んでるヤツの気が知れないよねー、とブツブツ文句言ってると、同じくレモンティーでノドを潤していた千佐さんが話し掛けてきた。

 

「……えっと、聞いてもいいですか?」

 

「ん? いいよー、次はあいつのなにが聞きたいの?」

 

「違いますから! 相模先輩があの人のことが大好きなのはもう嫌というほど分かりましたから! だからあの先輩の話は一旦置いといてください!」

 

「そ?」

 

 

 

 

 

 …………ん?

 

「いやいやちょっと待って!? うちそんなこと一言も言ってないよね!?」

 

「……え? 今あえて惚気てたんじゃないんですか……?」

 

「ちちち違うから! そ、そういうんじゃないから!」

 

 ……え、なに? うち惚気てたの……? マジ……?

 ヤバイ〜、顔とか超熱くなってきたぁ……!

 

「……え、えと……うち、そんなに分かりやすかった……?」

 

「いやだから……分かりやすいもなにも、普通に惚気てるのかと思いましたし……まぁ、言ってしまえば超バレバレです」

 

「ぁぅ……」

 

 マ、マジかぁ……! うちってそんなに分かりやすいのかぁ……!

 そーいや葉山くんが好き……いや、あれは好きというよりはミーハー心かもしんないけど……とにかくその時も超態度に出てたっけ……

 

 初めて会った子にあっさりバレるくらいじゃ、そりゃ由紀ちゃんたちどころか優美子ちゃんたちにもバレバレにもなるわ。

 ……は、恥ずかしい……

 

「あ、いや……まぁ、相模先輩のお話聞いたり、あたしのあの人への態度に不穏な空気になった先輩方……特に一色先輩を見れば、あの人に凄い魅力があるんだろうなってことは理解してますので、気持ちがバレたからってそんなに気にしないでください……別に話す相手もいないんで、誰にも話しませんし……」

 

 あまりにも恥ずかしくて両手で顔を覆い隠しているうちに、千佐さんは優しくそう声を掛けてくれた。

 

「……ぅぅ……た、助かります……」

 

 ぐぅ……これじゃせっかくの素敵なお姉さん像も台無しだっつの……アホかうちは。

 

 

 

 って、今はうちの羞恥に時間食ってる場合じゃなかった!

 そう、そんなのは今夜のベッドに回しとけばいい。いま大事なのは千佐さんの問題なんだから。

 だからうちは耳まで熱くなってる顔をなんとか持ち上げ、またも素敵なお姉さん風を吹かせて笑顔を向けるのだった。

 

 

「ま、まぁそれはそれとして、じゃあ千佐しゃんがうちに聞きたい事ってにゃにかにゃっ?」

 

 

 ……誰かお願いだからシャベルかスコップ持ってきてください。

 

 

× × ×

 

 

 うちの失態で若干おかしな空気になってしまったものの、うちの酷い噛みっぷりも黙って聞き流してくれた千佐さんは、またとても真剣な眼差しを向けてくる。

 

 やだ、千佐さんって意外と大人じゃない! ……とかも一瞬思ったんだけど、こんな真剣な眼差しを向けてくる千佐さん相手にいつまでもそんなんじゃ失礼すぎると感じたうちは、すぐさま気持ちを切り替えて千佐さんの質問に耳を傾ける事にした。

 

 

「……あの、それで相模先輩は、どうやってまたクラスに馴染めたんですか……? そんな酷い目にあったのにそんなに笑顔で居られるって事は、やっぱり元通りの地位に戻れたって事ですよね」

 

「……元通り?」

 

 

 ああ、そういう事か。この子はうちの話を聞いて、そんな勘違いをしてるのか。

 

 そうだよね、千佐さんにとっては、そこがなによりも一番聞きたいポイントだもんね。

 そして一瞬変な空気になっちゃって忘れてたけど、それこそがうちが千佐さんに一番話したかった事でもあるのだ。

 

 

 ……これから話す内容は、千佐さんにとって少し残酷かもしれない。

 でもこれを受け止めなければ、この子はこの先学校生活を送っていけないと思うから、うちはこの子にちゃんと伝えなければならない。

 

「千佐さん、それ、勘違いだから。うちのクラスでの地位は何一つ元通りになんてなってないよ。さっきの机みたいな虐めはもう無くなったけど、うちはクラスでは親友の二人以外からは今も腫れ物扱いのまま。……今も、毎日非難の目に晒されたまんまだよ」

 

「……え」

 

 うちが伝えた真実に、千佐さんは期待に満ちていた瞳に陰りを落とす。

 この子は、うちの過去に己の未来を見いだそうとしてたはずだ。だからうちがこうして笑って復帰出来ているという事実に、だったら自分だって! という希望を持ったんだよね?

 そんな微かな希望を、他でもないうちの口からあっさりと打ち砕かれてしまったのだから、それが残酷じゃないはずがない。

 

「そん、な……あたしてっきり、相模先輩は奉仕部に……あの人に救ってもらえて、元の立場になれたから笑えてるんだって思ったのに……! じゃあなんで相模先輩はそんな平気な顔をしてられるんですか!? だって、クラスメイト達からハブられ続けたまま学校生活送り続けるなんて……そんなの……そんなの惨めじゃん……っ」

 

 そう言って千佐さんは悔しそうに俯き、震える両手でスカートをギュッと握る。

 

 ……惨め……か。

 

「確かに惨め、かもね。……でもね? 千佐さんは今の状況を雪ノ下さん達に改善してもらえたとして……もしいま千佐さんをハブってるクラスメイト達が突然ちやほやしてきたとして……その人たちの言葉を信じられる? ……少なくともうちにはそうは思えなかった。もし今あの人たちが笑顔で話し掛けて来ても、うちには信じられない。……千佐さんはそんなんで幸せ? 毎日が楽しくなる?」

 

「……」

 

「さっき雪ノ下さん言ってたじゃん? 前のように中心で居たいというのが依頼なら受けられないって。……あれってね、別に雪ノ下さんは意地悪で言ってたんじゃなくて、そういう事なのよ。もしかしたら物理的には中心になれるかもしれない。……でも、本当の意味ではもう無理なんだよ」

 

 苦しみながらも千佐さんはそれを理解してくれたようで、俯いたままこくんと頷いた。

 

「……じゃあ……やっぱもう無理なんだ。あたしはずっと、惨めなままなんだ……だったらもう、学校なんて……」

 

「……うん、だよね、惨めだから学校なんて来たくなくなるよね。……うちもそんな惨めな自分が嫌だったからずっと逃げてた。……うちはヘタレだし、人一倍周囲の目を気にする人間だったから、毎日がホント惨めで惨めで……。だから前みたいにまたクラスで中心になれないような学校生活なら、もうそんなもの要らないって思ってた」

 

 

 ……でもね、と言葉を紡ぎ、うちは千佐さんの震える両手にそっと手を添える。

 

「……誰かさんが言ってたよ。惨めかどうかなんて本人の気持ち次第なんだってさ。……それは今のうちもホントそう思う。たとえ前の煌びやかだった頃の自分と比べてショボくたってみっともなくたって、そんなのはただの偽物。……自分にとって何が大事なのかを見つけられれば、惨めさなんかすぐにどっかに吹っ飛んじゃうって」

 

「……大事な、物? ……それがあれば、ひとりぼっちでも……惨めな気持ちが吹っ飛んじゃうん……ですか……?」

 

 千佐さんは呟くように、弱々しく不安そうにそう訊ねてくる。

 だからうちは千佐さんの震える手に添えた手に、ギュウっと力を込めた。

 

「うん。それはうちが胸を張って保証してあげるよ。あはは、うちなんかに保証されたってなんの価値もないかもしんないけどね」

 

 ゆいちゃんくらい価値ある胸を張られたら保証も万全だろうけど、ってうるさいわ。

 

「あ、でもひとりぼっちでもってのはちょっと語弊があるかもね。それはその人その人の大事なモノ次第かな。例えばあいつだったら、ぼっちだって自分の中の大事な信念だけで惨めなんか吹き飛ばしちゃってたし、」

 

 あ、それと小町ちゃんと戸塚くんも追加で。

 

「雪ノ下さんは自分自身に絶対の自信を身に付けて、ひとりで居る事の惨めさなんて吹き飛ばすどころか凍り漬けにしちゃってたし、一色さんは努力して自分の魅力に磨きをかけて、同性に超嫌われる惨めさよりも男子人気を取ったわけだし」

 

 あれ? なんか今ちょっと一色さんにだけ悪意こもっちゃった? ま、いーけどー。どうせ一色さんだし。

 

「誰よりも友達との繋がりが無くなるのを恐れるゆいちゃんだって……一時期は親友の“あの”優美子ちゃんに逆らってまで自分を貫こうとしたんだよ?」

 

 優美子ちゃんと仲良くなれた今なら分かるけど、たぶんあれが優美子ちゃんじゃなかったら、ゆいちゃんはあのときクラスでひとりぼっちになってたと思う。

 

「……そしてうちは、昔みたいにちやほやしてくれる大勢の友達じゃなくて、たった数人だけど、本当に大事な友達の存在に気付けたから、前みたいにクラスの中心じゃなくたって、今こうして惨めさなんか吹っ飛んじゃってるんだよ。……うちは、クラスでハブられてる今が、今までの人生の中で一番幸せだって感じてる」

 

 それは本当にうちの宝物。

 由紀ちゃんが、早織ちゃんが、優美子ちゃんが、姫菜ちゃんが、雪ノ下さんが、ゆいちゃんが、……あー、あとホンっトにオマケの一色さんが居てくれるから、うちはもうこれっぽっちも惨めなんかじゃない。

 ……そしてそれをうちに気付かせてくれたあのバカも、ふふっ、特別にうちの宝物に入れといてやろう!

 

 でもまぁこうしてよくよく考えると凄いメンバーだよね、うちの宝物。惨めになれる要素がひとつも無いっていうね。

 

 

「……カッコいい……」

 

 ん? いまなんか言った? この子。

 あまりにも声が小さすぎてなに言ってんのか聞き取れなかったうちは、俯いたままの千佐さんの次の動きを待つ。

 

 すると、千佐さんはゆっくりとゆっくりと顔を上げてうちをジッと見つめてきたんだけど、…………なんか目がキラキラしてる。

 ん?

 

 

「……カッコいいです……! 相模先輩カッコ良すぎます! ……そりゃ学校では雪ノ下先輩たちの方が有名人ですけど、あたしは断然相模先輩派です!」

 

 え、なに言ってんのこの子。そんな派閥ないから。

 

「ちょ、ちょっと待って……? 別にうちなんてカッコ良くもなんともないから! 偉そうなこと言ってるけど、大体あいつの請け売りだったりするし……」

 

「そんなこと無いです! 超カッコいいです! だって、あんな惨めな目にあって登校拒否ったら、普通恥ずかしくてもう学校なんかに来れないですよ! あたしだったらみっともなくて絶対無理!」

 

 いやいやちょっと待って? なんか微妙にバカにされてる気がするんだけど……

 

「それなのに先輩は頑張って学校に来て、そんな強い気持ちを持てるだなんて……あたし超尊敬しちゃいました! 超素敵です!」

 

「え、そ、そう? えへ」

 

 なんだ結構いい子じゃないこの子。

 ……うちチョロっ!

 

「……正直、やっぱまだ恐いです……これからも毎日あんな誰も居ないみたいな扱い受けなきゃなんないのかな……って。……たぶんまた、中学の時の栄光に縋りたくなっちゃうかもしれません……」

 

 でも……と、千佐さんはうちの手をギュッと握り返し、真っ直ぐにうちの目を見る。

 

「……あたし、尊敬する相模先輩みたいになりたい……! だから頑張ります! ……あたしが頑張れるように、力を貸してもらえませんか……?」

 

「……うん、その為の奉仕部だから。……今から部室帰って、雪ノ下さん達にそうやって報告しよ?」

 

「はいっ!」

 

 

 

 

 ──こうして、当初の思惑とは若干違う気がしないでもないけれど、うちはなぜか懐かれてしまった千佐さんと共に奉仕部へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

「あ、あの! 相模先輩!」

 

「ど、どうかした?」

 

「そ、その……南先輩って呼んでいいですか!?」

 

「え、あ、うん……いいけど」

 

「やった! じゃああたし…………ウチ、今日から南先輩って呼ばせてもらいますね!」

 

「ストーップ! そのウチって言うのはやめようね!? 突然ウチとか言いだしたら、クラスの目とかアレだから……!」

 

「……は、はーい……分かりましたぁ……」

 

 

 いやいやあんた絶対分かってないでしょ! なんでそんなに不満そうなのよ!

 マジで勘弁してよ……あの状態で連れ出した千佐さんが突然ウチ呼びで帰ってきたら、また比企谷のヤツになに言われるか分かったもんじゃないからぁ……!

 

 

 

「あの、南先輩!」

 

「こ、今度はなに……?」

 

「ライバルとか超強力で勝ち目ないかもしれませんけど、ウ……あたし、南先輩の恋、全力で応援しちゃいますね!」

 

「……」

 

 

× × ×

 

 

 色々と妙な不安を抱えつつやっと戻ってきた特別棟三階。ちょっと千佐さん、制服の裾から手を離しなさい。

 

 多少歩きづらくはあるものの、あと少しで部室という所でうちは普段あまり見ない光景を目撃した。

 

「あれ?」

 

 誰だかは確認出来なかったのだが、今まさにちょうど奉仕部に誰かが入っていく影が見えたのだ。

 

 

「た、ただいま戻りましたー……」

 

 

 ──またお客さんかな。珍しい事もあるもんだ。

 そう思いながら、その新たなお客さんを追うように部室の扉を開けたうちの目に飛び込んできた光景、それは……

 

 

「あ、南さんやっはろーです!」

 

「ん? あ、小町ちゃんやっはろー。……なんだ、小町ちゃんかー」

 

 

 新たなお客さんかと思われた人物、それは小町ちゃんだった。

 奉仕部の部室に小町ちゃん。それは、特になんの変哲もない光景に過ぎないのだけど、なぜだかちょっと違和感。

 

 

 ……あ、そっか。普段なら雪ノ下さんか一色さんの隣に席を構えるはずの小町ちゃんが、なぜか依頼人席に座ってるから変なのか。

 

 どうしたんだろう? と疑問を感じつつ扉をくぐった時だった。うちの背後から心底驚いたような声がしたのは……

 

 

 

「……え、ひ、比企谷さん……?」

 

 

「およ? ……んー、えっとぉ、確かA組のー…………千佐さん、だよね? あれ、どしたの? こんなトコに」

 

 

 

 

続く

 





というわけで、さがみんにも可愛い?後輩が出来ました\(^O^)/
やはり小物は花開いた小物に憧れます笑
これが小物なりの更正への第一歩ですね☆


……一体いつから八幡に落ちると錯覚していた?
残念!さがみんにでしたー!
……別にここから百合百合な世界の幕が開くわけではありませんのであしからず。




そしてこの小町の登場で、物語は一気に加速します。
加速というか、ぶっちゃけ(たぶん)次回で奉仕活動は終了しますw

あ、奉仕活動自体が解決するという意味で、別にSS自体が終わるわけではありませんよ?
奉仕活動日誌というタイトルなのに、その奉仕活動が正味4話程度で終わってしまうという不思議。


ここのところ久しぶりになかなかの連続投稿をしましたが、次はたぶんこんなに早くないですっ!ではまた次回ノシ



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vol.7 比企谷八幡の策略により彼女の時間はいとも容易く廻り始める

 

 

 突然の来訪者の存在により、部室内は緊張の空気に包まれる。

 まぁ正確には、小町ちゃんじゃなくてうちと千佐さんの突然の帰還という形ではあるし、緊張してるのは千佐さんだけだけど。

 

「なんだ小町知り合いなのか」「あれ? 千佐さん、小町ちゃんと知り合い?」

 

 固まってしまった千佐さんを再起動させようと声を掛けたら、偶然にも小町ちゃんに声を掛けた比企谷と被ってしまった。なんか比企谷とシンクロしちゃってちょっともにょる。

 

「あ、知り合いってわけじゃないんだけど」「あ……知り合いというわけではないんですけど……」

 

 すると次は比企谷の妹とうちの妹分? もシンクロしちゃうという奇跡。

 なにこれやっぱうちと比企谷ってどっかで繋がってんのかも、ふっふっふ。

 

「おい、埒が明かないから、質問すんのも答えんのもどっちかでいいわ」

 

 ……むっ、せっかく繋がり感じて喜んでやってたのに、なんであいつはそうやってロマンってのがないのかなぁ……マジつまんないやつだよねー。

 

「……え、なんで俺相模に睨まれてんの? 俺なんかした?」

 

「は? 別に睨んでないから。自意識過剰なんじゃないの」

 

 自意識過剰で睨まれてると感じるってどんなマゾだよ……とかなんとかぶつぶつ言いながら、比企谷は小町ちゃんと千佐さんに説明を求めた。

 

「クラス違うから知り合いってわけじゃないんだけど、ホラ、千佐さんて見た目が目立つから、たまに男子とかが話してるんだよねー」

 

 なるほど。中身はちょっとアレだけど、見た目は可愛いもんね、千佐さんて。

 小町ちゃんの説明聞いて、なんか口角が超ひくひくしてるし。

 

「えと……ウ、あたしもクラス違うし話した事はないんですけど……比企谷さん一年の間ではすごい有名人なんで知ってました……」

 

 へぇ、小町ちゃんって有名人なんだ。さすが兄とは真逆の人生を歩む可愛い妹。

 あとマジで一人称には気を付けるよーに。

 

 小町ちゃんが有名人なのだと聞いて、唯一難色を示す人物──もちろん男子人気を心配するシスコンな比企谷──以外からは「へぇ!」だの「ほー」だのと感心の声が上がる中、当の小町ちゃんはというと……

 

「え、こま……わたしってそんなに有名人なの? なんかしたっけ?」

 

 と、どうやら初耳のよう。

 

 まぁ小町ちゃんは交友関係はかなり広いみたいだけど、どっかの誰か──ひと昔前の自分ですが……──みたいにブランドやステータスの為にわざわざ交友関係を広めてるってタイプではないから、有名人かどうかは知らないんだろうね。

 

「……だ、だって、もともと人気者なのに、入学してちょっとしたら生徒会とかに出入りして、一色先輩とも仲良しみたいな噂が流れてるくらいだし」

 

 あー、なるほど。確か小町ちゃんて秋にある生徒会役員選挙に出るみたいだし、その為に今の内からちょくちょく生徒会に出入りして仕事手伝ってるって話だよね。

 一色さんも今や有名生徒会長だし、別に生徒会でもない新一年生がそんなことしてればそりゃ目立つな。

 

 するとその話を聞いた小町ちゃんは目をキラキラさせて、むふんっと胸を張る。

 

「ちょっとお兄ちゃん聞いた聞いた? ふっふっふ、小町ってば人気者な有名人なんだってよ? だから言ったじゃん? ダメ過ぎるごみぃちゃん持ちのハンデごとき、人気者の小町には痛くも痒くもないから心配しなくていーよ? って」

 

「……はいはいすげぇすげぇ」

 

 嬉しそうにそう言う小町ちゃんと、呆れながらも少しだけ安堵の表情を浮かべる比企谷を見て、うちはさっきの奉仕部までの道のりを思い出してしまう。

 

 

『忘れ去られたとはいえ俺がヒエラルキー最下層である事は間違いないわけだし、腐ってもカースト上位で見た目が目立つ女子が俺と一緒に歩いてんの見られる方が、よっぽどダメージでかいっての』

 

 

 ……そっか。比企谷は可愛い妹の人間関係もそうやって心配してたんだ。

 そういえばうちも、こいつを初めて認識したあの日、一緒にいたゆいちゃんをバカにして優越感に浸ってたっけ……マジであの日はうちの黒歴史だ。

 

 ……比企谷がこういう考え方になった責任の一端はうちにもあるから偉そうな事は言えないけど……いつかは、こいつがそんな無用な心配しなくても、どこでも誰とでも一緒に居られる毎日を送れる日がくるといいな……

 

 

 そんな感慨に浸っていた時だった。なんだかシャツの袖がくいくいと引っ張られているのを感じたのは。

 なんだろうと引っ張られてる方を見てみると、目を丸くしてあんぐりと口を開けた千佐さんの視線が、比企谷と小町ちゃんの間を行ったり来たりしてる。

 

「ど、どしたの……?」

 

「……南先輩、お、お兄ちゃんって……?」

 

「ん?」

 

 どしたのかな、と少し首をかしげて考える。

 

 ……あ。

 

「そ、そっか、そういえばあいつとかこいつとかしか言ってなかったっけ……?」

 

 今日千佐さんと会ってからの事を思い出してみたら、そーいや誰も“比企谷”って名前出してないや。

 ただでさえ全っ然似てない兄妹なんだから、普通知らなきゃ気付かないわよね。比企谷なんて珍しすぎる名字を先に聞いてたら気付けてたかもしれないけど。

 

「えと、ね……こいつ、比企谷八幡っていうの。小町ちゃんのお兄さん」

 

「…………え、えぇぇえぇぇ!?」

 

 

× × ×

 

 

「さ、先程は生意気なこと言ってしまってすみませんでした……あの……南先輩とお話させていただいた結果……依頼内容を変更させていただく事にしました……!」

 

「じゃあさっきのクラスの中心とかなんとかってのはキャンセルでいいのか?」

 

「は、はいっ……! よろしくお願いいたします!」

 

 南先輩……? と、首を捻りつつの比企谷からの質問に、神妙な顔つきで敬意を持って挨拶する千佐さん。

 

 ……うん。これはあれかな、うちと話して反省したとかうちの想い人だからとかじゃなくて、同じ学年の有名人のお兄さんと聞いて萎縮しちゃった感じ……だよね……

 さすが長いものには巻かれろタイプ。悲しいかな、うちを見ているようだ。な、なんだかなぁ……

 

 

 

 千佐さんの驚きの声のあと、うち達は再び依頼人席に着いた千佐さんの話を聞く事になった。ちなみに小町ちゃんも千佐さんの隣に座らされている。

 

「……相模、お前なにを話したらさっきのアレをこんな短時間でこんなにも素直に変えられるんだよ」

 

「……まぁ、色々とね」

 

 てかこんなに比企谷に対して素直なのは、うちじゃなくて小町ちゃんの影響だっての。

 

「こっちはこっちの話としてさ、なんで小町ちゃんが居て、なんで依頼人席に座ってんの?」

 

 千佐さんの驚きの声とその後の再依頼の流れですっかり忘れてたけど、せっかく比企谷から質問されてタイミングも良かったから、部室の扉を開けた瞬間に頭に浮かんだ疑問を訊ねてみる。

 するとそれに答えたのは兄じゃなくて妹の方だった。

 

「あー、それが、教室で友達と話してたら、結衣さんから「ちょっと聞きたいことがある」って連絡を貰いましてですねー。で、今さっき到着したばかりなので、小町もなぜ呼ばれたのかはよく分かってないんですよ」

 

「あ、そうなんだ?」

 

 そう言いつつゆいちゃんの方にチラリと視線を向けると、

 

「うん。さがみん達が出ていってから、じゃああたし達はどうしよっか? って話になってね? でもあたし達じゃ一年生事情なんてなんも知んないから、だったら一年生の小町ちゃんに聞いてみよう! ってなったんだ」

 

「あー、成る程ね」

 

「正直あまりにも身近な存在すぎて、俺には“一年生の小町”に聞いてみるって発想が無くてな、由比ヶ浜が思いつくまで全然気が付かなかった。でかしたぞ由比ヶ浜。まさに灯台もと暗しってやつだ。今回の依頼で、お前の最大最後の出番だったぞ」

 

「あたしの出番もう終わりなんだ!?」

 

 がーん! ……と頭を抱えるゆいちゃんを無視して、雪ノ下さんが千佐さんに問い掛ける。

 

「千佐さんごめんなさいね、こちらの判断で勝手に小町さんを呼んでしまって。もちろん貴女の事情を話すのは貴女の承諾を得てからにするつもりだったのだけれど、先程の話を小町さんに話してしまっても大丈夫かしら」

 

「……えっと……」

 

 雪ノ下さんからの問い掛けに、少しだけ困惑の表情を浮かべる千佐さん。

 それはそうだよね。あくまでも依頼として、完全無関係の上級生に相談するのならまだしも、同学年……そのうえ学年の有名人にこういう事情を知られるなんて、惨めで格好悪いもんね。

 

 でも依頼解決の為には、小町ちゃんから一年生事情を聞くというのはかなり有効……というか、なんならそれが唯一の解決への道かも知れない。

 さっき千佐さんと話してみて、うちは絶対に千佐さんを救けてあげたいって思った。その為にも小町ちゃんという有効なアドバイザーの意見はどうしても聞きたい。

 

 だからうちは千佐さんに優しく語り掛ける。大丈夫だよって、心配しなくてもいいよって。

 

「千佐さん、小町ちゃんは半分奉仕部員みたいなもんだから大丈夫。それを聞いたからって、誰かに言ったり見下したりするような子じゃないし。うち達と一緒に、ちゃんと真剣に考えてくれる子だから」

 

 すると、弱々しい眼差しでうちの目をじっと見つめていた千佐さんがゆっくりと頷く。

 

「……はい、よろしくお願いします」

 

 

 こうして一年A組の現状と千佐さんの事情を、小町ちゃんに説明するのだった。

 

 

× × ×

 

 

「なるほどー。そういう事ですか」

 

 あらかた説明を終えると、小町ちゃんは訳知り顔でふむふむと頷き、自身の惨めな現状を知られた千佐さんは、そんな小町ちゃんに横目で視線をちらちらと送っている。

 だから大丈夫だって。小町ちゃんは周りの評判で人を判断するような子じゃないから。何年比企谷の妹やってると思ってんのよ。

 

「どしたの小町ちゃん? もしかしてなんか知ってる感じ? いいアドバイスとかありそうだったりする?」

 

 うちの目からはよく分からなかったんだけど、付き合いが長いからなのか他者の空気を読むのが得意だからなのか、ゆいちゃんが小町ちゃんのちょっとした機微に気付いたみたい。

 

「やー、なんといいますかですねぇ、そのー……なるほどといいますか、納得といいますか…………千佐さんがそういう目に合ってるってのが、とっても理解できるといいますか……」

 

 隣に座っている女の子を気にしつつ、小町ちゃんはとても言いづらそうに意見を述べた。

 

 ……え……そ、それって……

 

「それは小町さんの目から見ても、千佐さんはクラスメイトから迫害を受けるタイプの同級生に見える……もしくは迫害を受けても仕方がない等の噂を耳にした事がある……という事かしら」

 

 ちょ……! 雪ノ下さん!? 小町ちゃんの話聞いて、みんなそうなのかもしれないって思っても、千佐さんに気を遣って口にしなかったんだよ!? ちょっとだけオブラートに包んであげてよぉ……! 千佐さんがふるふる震えて泣き出しそうじゃん!

 

「あ! 違います違います! ごめんなさい小町の言い方が悪かったですね。……その……千佐さんじゃなくて……A組の問題といいますか……」

 

「A組の問題……?」「どゆこと?」「なんだそりゃ」「なんですかねー」

 

 と、奉仕部員+オマケが疑問を口にする。

 うちも口にこそしなかったけど、頭の中は疑問符でいっぱいだ。なんで千佐さんの問題を話してたのに、小町ちゃんの口からはクラスの話が出てくるんだろう? 当の千佐さんも首をかしげてるし。

 

 そんなうち達の疑問に答えるべく、小町ちゃんは口を開き説明を始める。この依頼の根底を覆す大問題を。

 

 

× × ×

 

 

「……成る程……つまり千佐さんが言っていたことは、単なる世迷い言ではなく、それなりに的を射ていたという事ね」

 

「どうやらそうらしいな。まぁクラスで一番モテてたかどうかは知らんし、アレは世迷い言で構わんと思うぞ。むしろそのセリフがあったから千佐の話が胡散臭くなったまである」

 

 小町ちゃんの説明を受けて、うち達は顔を見合わせた。

 どうやらうち達は、あの時の千佐さんの余計な一文により、大きな勘違いをしていたらしい。

 

「そ、そうなの……? あたしそんなこと知らなかったよ……」

 

 当の千佐さんも、呆気に取られた顔して隣の小町ちゃんに話し掛けている。

 

「そうだよ。まぁクラスの一員じゃ知らなくても仕方ないよね」

 

「……一員からはハブかれてるけど、あたし……」

 

「あ、あはは……」

 

 

 これはもしかしたら、思っていたよりも大事なのかもしれない。解決とか出来んの……?

 

 

 

 

 

 ──小町ちゃんの説明はこうだ。

 

『……実はA組……特に女子って、小町達の学年では結構……ていうかかなり? 評判悪いんですよ。なんていうか、ひとりの女王様を囲むグループが居て、その女王様とグループを中心にクラス全体が……まぁ、“調子に乗ってる”って状態みたいで。……ほら、体育とか選択とかで合同で授業したりするじゃないですか。他のクラスの子に聞いたんですけど、そういうときとか必ずと言っていいくらい、A組の女子が我が物顔で仕切ろうとするみたいなんですよねー。『○○ちゃんがそう言ってんだけどー』みたいに。……で、その女王様というのが、親がお金持ちだったり性格がキツくて我が儘だったりとホントきかない子らしくて、……なんといいますか……たぶん悪い意味で一致団結しちゃってるA組以外の子たちからは、超嫌われてますね』

 

 

 ……これにはうち達も言葉を失う。

 つまり千佐さんが最初に言ってた『特にあのグループが原因です。あたしを落とした事で自分たちがクラスの中心になったあいつら』という話は、あながち間違いでは無かったという事か。

 

 要は最初の依頼の時、千佐さんがあんな言い方さえしなければ……ちゃんと要点をしっかり押さえて、『あたし調子に乗ってます』的な言い方さえしなければ、依頼開始の時点で雪ノ下さんもちゃんと話を聞いてくれてたってわけね。

 口は災いの元。よく覚えとこう……! いや、うちの場合は今更だけど。

 

「これで千佐を取り巻く環境が見えたな」

 

「そうね。解り易過ぎる構図ね」

 

「えっと……どういう事?」

 

 相変わらず比企谷と雪ノ下さんは二人だけで先に行ってしまう。

 

 べ、別にその事にジェラシーとか感じちゃったわけじゃないんだけど! うちは比企谷に説明を求めた。

 

「つまりあれだ。その女王様を性格の超悪い三浦に例えてだな、今の千佐の現状は、三浦がどんなヤツか知らない相模が、三浦相手に初日から普段通り調子に乗った振る舞いをしちまったみたいなもんだ」

 

「なにそれこわっ!」

 

 やだ! 想像しただけで胃潰瘍になるくらい恐いんだけど……!

 

 うちが優美子ちゃんと同じクラスになったのは二年。優美子ちゃんはその時点で超有名人だったからうちは初日から超ビビっちゃって、とてもとても調子になんか乗れなかったけど、同じクラスになったのがもしも一年の時だったら……確かにヤバかったかも……

 

 それを、千佐さんはやっちゃったわけだ。性格が超悪い優美子ちゃん相手に……これはもう似た者同士として御愁傷様としか言えない。

 

「……じゃあ、さ、コレ……どうすんの……? 余計事態が悪化してない……? 女王が相手な上にクラス全体でそんなんじゃ、千佐さんの惨めさって解消出来んの……? ……その……ちょっと言いづらいんだけど……このままだと下手したら千佐さんに対する行為だって……悪化しちゃうんじゃない……?」

 

 思い起こされるのはあの苦い日々。嘲笑と陰口と机。

 でもうちはまだ良かった。たった二人だけでもクラス内に救いがあったから。でも……

 

「……これじゃうちの時みたいに、クラスでたった数人でも味方になってくれる子を見つけるなんて事も出来ないし……相手が女王様じゃ、小町ちゃんが優美子ちゃんみたいな真似したら、小町ちゃんにも害が及んじゃうかも知れないし……」

 

 ……そう。うちが助かったのは、圧倒的なカリスマ性を持つ女王様がうちの側に付いてくれたから。

 でも相手が女王様じゃ、もうどうする事も出来ないじゃん……

 

 うちのセリフで室内が……とりわけ千佐さんが力なく肩を落とす中、比企谷だけは全く違う未来が見えているらしい。

 

「いや違う。これはむしろ好都合だな」

 

「……え、なんで?」

 

「その女王が三浦じゃないからだ」

 

「……は?」

 

 いや意味分かんないし……

 

「三浦は傲慢で我が儘な女王様だ。それは学年どころか学校中で知られている。それなのになぜ三浦はそれほど嫌われていない? あいつは恐がられてはいるものの、決して嫌われてはいないだろ。まぁ一部の妬み嫉み連中からは陰で色々言われてただろうが、」

 

 比企谷はそう言ってチラリとうちを見る。

 

 

『うち、クラス運なくてさ』

 

『あー。F組って三浦さんとかいるクラスだよねー』

 

『そー』

 

 

 今となっては黒歴史な、いつぞやのゆっこと遥との会話。

 ……うわ……アレ聞かれてたのかぁ……

 

「だが表立ってのヘイトがあるわけでもないし、クラスが変わっても当然のようにトップにもなれた。それはなぜか」

 

「なんで……?」

 

「それは、三浦が実はいいヤツだと知ってるからだ。ソースは二年になった時の由比ヶ浜。いくら流されやすかった当時の由比ヶ浜とはいえ、学年中で嫌われてると評判のある三浦のグループにわざわざ入ったりしねーだろ?」

 

「う、うん。……確かに優美子って恐い子って有名だったけど、だからと言って嫌われてるとかって噂は聞いたこと無かったな〜」

 

 そうなんだよね。優美子ちゃんの噂で聞くのは恐くて圧倒的存在感って評判だけで、千佐さんのクラス女王みたいな悪い噂は聞かなかったっけ。

 

「あとは有無を言わせぬカリスマ性もな」

 

 うん。それはもう納得!

 

「三浦の存在はぼっちの俺でも知ってたくらいだし、三浦って一年の時から上級生にも知られてた存在なんじゃねーの? だが千佐のクラスの女王(笑)は、俺達の中で誰も知らなかった。顔の広い由比ヶ浜や生徒会長の一色でさえもだ。つまりはその程度の存在。見た目の華やかさもカリスマ性も大したことの無い、劣化三浦って事だ」

 

 

 すると、比企谷は不意に千佐さんに問い掛ける。

 

「なぁ千佐」

 

「は、はい……っ」

 

「改めて確認しておきたいが、お前はもうA組での馴れ合いは諦めたんだよな」

 

 A組での、を妙に強調した質問に、千佐さんは不安げに首を縦に下ろす。

 

「だったら答えは単純だ。クラスでの馴れ合いを諦めたんなら、他で馴れ合えばいいだけの話だろ。そっちで仲間なりなんなり作れば、クラスでの惨めさなんて無くなんじゃねぇの? クラスでも他でも馴れ合った事のない俺は知らんけど」

 

「いやいやお兄ちゃん、だからそれは難しいってば。A組の子は評判悪いって言ってんじゃん」

 

「だから千佐はその“A組の子”じゃねぇだろ?」

 

 ……え、どういう事?

 

「千佐の現状はクラス内ではぼっち、圧倒的なマイノリティだ。だが学年で見たらどうだ? 実は孤立しているA組と学年全体。どっちがマジョリティなのかは由比ヶ浜にだって分かる」

 

「な!? ヒ、ヒッキー超失礼だし! そんくらいあたりまえじゃん! …………ま、魔女……のりピー……魔女……のりピー……」

 

 ゆいちゃん……

 

「だから千佐はクラスじゃなくて学年を味方につけりゃ問題解決だ。学年の嫌われ女王様からのけ者にされてる時点で、それはある意味周りは味方だらけだとも言える。圧倒的多数派になるだろ?」

 

 ま、まさかこの件がそんな壮大な話になるなんて思わなかったよ……でもそれはさすがに……

 

「理屈は分かるのだけれど、学年を味方に付けるなんてこと出来るわけないでしょう。そんなことが簡単に出来るくらいなら、比企谷くんのような可哀想な人はこの世に存在しなくて済むもの」

 

 そう。そんな事が簡単に出来るなら、そもそもこんな問題は起きないのだ。

 

「うるせぇよ、だからいい笑顔でそういうこと言わないでくんない? ……どうせ分かってんだろ?」

 

「ふふっ」

 

 ……え、もうこの二人の間では答えが出てんの?

 

「そうね。味方と言っても、別に学年全員でみんな仲良くお友達になれと言っているわけではないのだものね」

 

 ……味方だけど、友達になるわけじゃない……? …………あ。

 

 

「敵の敵は味方ってこと……? 敵に対して、同調するだけでも構わないってこと……?」

 

 これはアレだ……スローガンの時の比企谷だ……まぁ比企谷の場合は敢えて自ら敵になって文実を纏めたけど、それが今は一年A組の役目って事なんだ。

 

「正解だ。しかしまさか相模から正解が出るとは思わなかったな」

 

 はぁぁ……そりゃ分かるっての。あの時の事、うちが何万回考えて何万回後悔したと思ってんのよ……

 

「つまり……別に千佐が他のクラスの連中全員とお友達になって、そいつらに守ってもらう必要は無い。ただ、千佐が嫌われ者の敵であると学年中に知らしめりゃいいだけの話だ。その下地だけ作れば、あとは勝手に味方だらけになって、その中で千佐が所属出来るグループだってできんだろ。……本当の勝負は…………クラス替えの時だからな」

 

 

 

「クラス替えぇ!?」

 

 

 

 その時、奉仕部部室は、比企谷と雪ノ下さん以外の驚愕の声に包まれた。

 

 

× × ×

 

 

 ちょっと待って!? 今はまだ夏休み前だよ!?

 この時点でクラス替えのこと考えなくちゃなんないの!?

 

「ちょ、ちょっと待ってよ比企谷……! じ、じゃあ千佐さんはあと八ヶ月を捨てろってこと!?」

 

「あ? 捨てるわけねぇだろ。むしろこの八ヶ月が一番大事まである。言っただろうが、まず下地を作らなきゃならんと」

 

「し、下地……?」

 

 いや、そりゃ分かるけど……

 

「そもそも千佐が“A組の子”じゃないと……自分たちの味方であると広めた上に、これから起こりうる女王様達からの虐めに対しても予防線を張っとかなきゃなんねぇんだ。そうでなきゃ、千佐みたいな小物はすぐさま逃げ出すだろ? 安全な殻の中に」

 

 安全な殻の中……つまりは不登校。

 うん。というよりは千佐さんの性格考えたら、むしろよくここまで耐えてたな……っていう思いが強い。うちなんて一ヶ月しか持たなかったんだから。

 だから、今よりも厳しい環境になっちゃったら、たぶんもう……

 

 そうなっちゃわない為には、今はもう比企谷のこれから話す言葉に縋るしかない。

 ごめん比企谷。結局はあんた頼りになっちゃうけど、千佐さんを救ってあげて……!

 

 

 

 そして……比企谷は満を持して口を開く。

 

「じゃあその二つをどうこなすかだが…………幸運にもここには上手い具合にいいカードが一枚ある」

 

 ……いいカード? この場に居る誰もが口々にそう呟く。

 

「……千佐」

 

「……はいっ」

 

「これは別に強制でもなんでもない。お前が好きに選べ。…………お前さ、生徒会に入んねぇ?」

 

「…………へっ?」

 

 

 うち達の頭の中で、千佐さんの間の抜けた声にエコーが掛かる。

 

 こいつなに言ってんの……? と、比企谷の言葉の意味が理解出来ずにしばらく固まり続ける部室内だけど……

 

「は、はぁぁぁ!? ちょ、なに言ってるんですか先輩! わたしそんな話聞いてないですけどー!」

 

 その中でいち早く反応したこの人物が大声で喚いてくれたおかげで、ようやく戻って来られました。

 

「そりゃいま初めて言ったし」

 

 

「いやいやそーゆー事じゃなくってですねー、先輩の言い草だと、千佐ちゃんを生徒会に押し付けるって事ですよねー? 勝手にわたしを先輩のカードにしないでもらえます? ……ハッ!? もしかしていま口説いてますか!? お前は常に俺の懐の中にある大切なカードだ、お前を生かせるのはこの世で俺だけだぜって言ってますか確かにわたしが生き生きするのは先輩の前だけだしいつでも先輩の懐に入る覚悟も出来てますけど出来ればわたしの事は使わないでずっと大切にしといてもらいたいですごめんなさい」

 

 

 ……一色さん、あんたなに言ってんのよ……ハァハァ息切らせて、どさくさ紛れにとんでもないこと言わないでくんない?

 比企谷以外はみんなしっかり内容聞いちゃってるからね?

 ……ちょっと? ちゃんと雪ノ下さんが下げちゃった温度を上げときなさいよ……?

 

「……ん! んん! ま、まぁそれはともかくとして、わたし奉仕部員じゃないんですから、先に代表者のわたしにお伺いを立てておくのが、社会人としての常識なんじゃないですかねー」

 

「いや、社会人じゃねぇし。そもそもお前いつも部員面してるじゃねーか」

 

「そうだよ一色さん。あんたさっきうちに「ここではわたしの方が先輩ですし?」とかドヤ顔で言ってたじゃん」

 

「ぐぬぬっ」

 

 一色さんの言動がツッコみどころ多過ぎて思わず比企谷に加勢しちゃったけど、ホントはうちだって比企谷にツッコみたい気持ちでいっぱいだったりする。

 ……だってまさか、いきなり生徒会とか出て来るとか思わなかったし……

 

「あ、あのさ、なんでいきなり生徒会なわけ……?」

 

「おう、そりゃアレだ。生徒会は目立ちたがり屋な生徒会長のおかげで、今や学校での知名度が抜群だからな。秋になったら小町も生徒会に入るし、一年生の間では生徒会イコール有名人の巣窟だろ? そこに見た目が目立つ千佐が入ってみろ。瞬く間にこいつも有名人の仲間入りだ」

 

「……うん」

 

「そして一年の間ではA組は女王グループのクラスなわけだが、そんなクラスから突然生徒会に出入りする女子が現れたら周りはどう思う? まず間違いなく“あの子は女王の犬じゃない”と思うだろう。なにせ生徒会には有名人の一色も小町も居るんだ。一番目立ちたい女王が、犬にそんな真似を許すはずがないからな」

 

 成る程……それで千佐さんは学年中に“A組の子じゃない”と知らしめられるわけだ。

 

「そして何より『今や学校で雪ノ下先輩や三浦先輩、葉山先輩と並ぶ程の有名人になった一色先輩に可愛がられるわたし♪』という立場と、『学年の人気者の小町ちゃんと仲良しなわたし♪』という立場を得られれば、三浦クラスの女王様ならまだしも、劣化三浦でしかないそいつには手が出せない。一色はまだ二年。在学期間もまだまだ長いしな。これでクラスでハブられてるなんていう小っちゃい惨めさとはおさらばだろ」

 

 

 ……最初はあまりにも突拍子が無さ過ぎて意味が分かんなかった生徒会入りも、こうして聞くと非常に理に適ってる。てか、もうこれ以外無い気さえしてきた。

 ……でもこれじゃ……

 

「……あたしが、生徒会に……!」

 

 始めは茫然としていた千佐さんも、比企谷の説明を聞いて俄然色めきたつ。

 どうやら有名人の一色さんと小町ちゃんというブランド力に惹かれまくってるみたい。

 

 ……やっぱそうか。これじゃ、奉仕部の理念に反するんじゃないの……?

 ただ安全な場所と安全な地位を与えてあげただけ。このままじゃ、文化祭で奉仕部に依頼したうちとおんなじように、ただ増長して調子に乗って、そして自滅していっちゃうんじゃないの……?

 

 

「だーかーらー、勝手に話を進めないでもらえませんかねー。言っときますけど、わたし今のところ千佐ちゃんにいい印象がないんですよねー。なのでわたしを通さないで勝手に押し付けられても困るんですけど」

 

 

 そんな中、やはり生徒会長は未だ納得がいかない様子でゴネている。

 まぁ? そりゃ確かに一色さんに取っては好ましく思えない後輩を押し付けられることになるわけだから、気持ちは分かんなくもないけど…………でも、一色さんて、好き嫌いで困ってる後輩を簡単に見捨てちゃうような、こんな薄情な子だったっけ……

 色めき立ってた千佐さんも、一色さんの言葉に畏縮してしまった。

 

「まぁ待て一色、まだ話はこれで終わりじゃない。……なぁ千佐、勘違いされちゃ困るんだが、別にお前が生徒会に入ったって、無条件で一色や小町を味方に付けられるわけじゃない。味方に出来るかどうかはお前次第だ」

 

「……え……?」

 

「見ての通り、一色はお前にあまりいい感情を抱いてないし、このままじゃ一色に懐いている小町だってお前の味方にはならないだろう。そもそも小町はこう見えてリスクリターンに定評のある俺の妹だしな。今のお前を見て、わざわざ身を削ってまで仲良くしてやろうだなんて考えないだろうしな。ちなみに俺はお前に生徒会に入ったらどうだ? とは提案はしたが、一色と小町に千佐と仲良くなってやれと無理強いするつもりはさらさらない」

 

 ここにきての突然のちゃぶ台返しっぷりに、千佐さんは愕然とする。

 期待させといて叩き落とすとか、こいつどんだけSなのよ。

 

 そしてこいつはさらに冷ややかな表情で千佐さんを谷底に突き落とす。

 

「このままで行けば、生徒会に出入りはしても、お前は生徒会でもつま弾き者だ。そして生徒会でつま弾きという事は、お前はクラスで余計立場が悪くなる。なにせ女王の存在を無視して生徒会に入ったのに、なんの後ろ楯も得られないんだ、当然だよな。有名人の一色と小町に嫌われてるって事で、下手したらクラスどころか学年中、学校中でもハブられっかもな」

 

「そん……な」

 

 比企谷のあまりにも非情な言葉に、千佐さんは今にも崩れ落ちそうなほど狼狽えている。

 ……比企谷、いくらなんでもこれは酷すぎじゃない……?

 

「……だがな」

 

 そんなうなだれる千佐さんを見やり、比企谷はさらに言葉を紡ぐ。その表情は、先ほどまでとは打って変わってどこか優しげに。

 

「身内としての贔屓目なしに、一色と小町は信頼に足る奴らだぞ。一生懸命頑張る奴には等しく平等だ。たとえ今のままの千佐に好感情は無くても、お前が頑張って、お前が努力してる姿を目一杯見せ付けてやれば、こいつらは確実にお前の味方になってくれる」

 

 「……えへへ、身内……っ」なんてぽしょっと呟き、頬を染めてニマニマする一色さんを羨ましいな〜……なんて気持ちで眺めつつ思う。

 

 ──そっか、比企谷はこれが狙いだったんだ。

 飢えた人に魚を与えるんじゃなくて、魚の捕り方を教える奉仕部。

 雪ノ下さんに一喝された時のお前のままじゃ救われないけど、お前が自分で魚を捕る努力をすれば、いくらでも救われるんだぞって……

 

「とまぁこういうわけだが、どうだ一色。準奉仕部員として、協力してくれるか?」

 

「ハッ!? ……ん、んん! はぁぁ……まったくー。ホント相変わらずズルいですよね、この人は……。しょーがないですねー、ここは先輩のデレに免じて、また乗せられてあげます♪ ……でも、協力してあげる代わりに、それなりの埋め合わせをしてもらいますからね!」

 

「……デレてねーよ。ま、お手柔らかにな……」

 

 

 ……もしかして、一色さんが妙にゴネてたのって、これが狙いだったのかな。

 こうして千佐さんに成り行きに甘えさせない流れを作る為に、わざと悪役をやってたの……?

 

 ……そっか、やっぱり一色さんって……うちが思ってるよりもずっと素敵な子…………あ。

 

 

 前言撤回。この女、今ペロッと舌だしやがった。

 ……こいつっ……ゴネ得で比企谷の“埋め合わせ”狙いかぁ!

 絶対「埋め合わせするって約束しましたよね? 言質は取れてますけどー」とか言って比企谷をデートに連れ出す気でしょ!? やっぱマジでムカつくわーこいつ……!

 

 

「さて、生徒会長の許可は得られたわけだが……どうする、要はお前次第だ。リスクはでかいが、得られる物はそれ以上にでかい」

 

 

 と、うちが腹立つあざとい後輩の計算高さにイライラしている間に、話し合いはついに佳境を迎える。

 どうやら千佐さんは、比企谷が提示した有益とリスクの間で、心が揺れ動いているよう。

 

 普通に考えたらもう生徒会に入る一択しかないはずなんだけど、やはり大きすぎるリスクに足が竦んでいるみたい。

 

「……あ、あたし……あたしはっ……」

 

 

 ──そりゃそうだよね。今までそうやって生きてきた自分を変えるのって、相当の覚悟と自信がなきゃ、一歩足を踏み出せないよ……

 その踏み出しを失敗したら大きすぎるリスクが待ってるんだから尚更だ。簡単に答えなんて出せないよね。

 

 

 ……とても不安そうな目でうちを見つめてくる千佐さん。

 よし……! ここはうちが千佐さんの背中を押してあげなきゃ! 大丈夫だよって。 うちでさえ変われたんだから、千佐さんだってちゃんと変われるよって。

 うちも協力するから、一緒に頑張ろうよ! って。

 

「千佐さ……」

 

「さっき言ったが本当の勝負はクラス替えだぞ? どうだ? 有名人を味方に付けて上手くお前がマジョリティの中心になれたのなら、今ならクラス替え時に、お前をハブってた連中を逆にハブり返して仕返しができるアフターサービス付きだ」

 

「あたし生徒会に入りますっ!!」

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 比企谷と千佐さんの小悪党なニヤリ顔を見つめ、奉仕部部室は若干の不安と溜め息と苦笑いに包まれる。

 ……あ、あはは、これはやっぱ更正が必要かもしんない。たぶんまた雪ノ下さんからの“お話”があると思うから、覚悟しときなさいよ?

 

 

 

 

 こうして、あれだけ厄介な依頼かと思われていたうちの初めての奉仕活動は、なんとなんと、たったの一日で解決? してしまったのだった!

 

 うち、なにもしてないんだけど……

 

 

 

 

 

 

 

続く

 





今回もありがとうございました!スミマセン、思いのほか更新が開いてしまいました(--;)



というわけで相模南の奉仕活動、これにて一件落着となります!
次回、この依頼の総括としてこの日の下校を挟み、ついにこのSSの本編(お宅訪問)に入ります。
ようやくさがみんの奉仕活動☆(意味深)の始まりです(>ω・)



ではではまた次回ですーノシ




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vol.8 相模南は初仕事完了の帰路で大切なモノを手に入れる 上




上……?





 

 

 

 本日の部活も無事終了し、うちはひとり、人気もまばらな昇降口で上履きからローファーへと履き替える。

 

 

 ──うちは普段も部活が終わると大体ひとりで帰路に着く。由紀ちゃん達も優美子ちゃん達も帰宅部だしね。

 

 まぁ? ぶっちゃけ奉仕部のみんなと一緒に帰りたいという気持ちが無くはないのよ。ほんのちょびっとだけね?

 でもさすがに雪ノ下さんとゆいちゃんの、なんかイチャイチャしたアレな空間にはまだまだ入っていけないし、かといって一色さんと二人で駅まで歩くとかは……んー、無い無い。まず間違いなく喧嘩になっちゃうでしょ。そもそもあの子は部活が終了する頃に生徒会室に顔だしに行っちゃうし。

 なんか聞くところによると、生徒会室を施錠して職員室に鍵を返す役目“だけ”は部下には譲らないみたいなのよね。……うん、確実に「わたしちゃんといつも生徒会室に居ますよ? 生徒会活動に取り組んでますよ?」っていうポーズだな。

 まぁいかんせん鍵を受け取るのが独身女教師だからバレバレなんだろうけど。

 おっと、背筋がゾワリと……

 

 

 

 というわけで、うちはいつも、鍵を返しに行く雪ノ下さん達に廊下の途中で別れを告げて、ひとり寂しく帰宅するのである。そしてそれは今日この日も、うちの奉仕部員としての初仕事を終えた特別な日であっても変わらない。自分からひとりで帰ってんのに、ひとり寂しくもなにも無いけども。

 

 ……やっぱ一緒に帰りたいんじゃん、うち。

 ふむ、もうちょっと頑張って、今度はあのイチャイチャ空間にも足を踏み入れてみようかなぁ?

 

 

 ……つっても、その前向きな挑戦はまた次の機会にしよう。なにせ今日に関してはコレでいいのだ。うちには目的があるのだから。

 

 靴を履き替えたうちは、昇降口を出て目的地に到着すると、とある自転車に勝手に寄りかかりながら、あれからの事に思いを巡らせた。

 

 

 あのあと、比企谷の策略で大まかに決まった作戦の細かな打ち合わせに入った。

 千佐さんの生徒会入りは決まったものの、秋にある役員選挙までこのままの状態で過ごせるわけ無いよねって事で、小町ちゃん同様、選挙までの期間はボランティアで生徒会運営の手伝いをしようという形になった。

 

 とはいえあと一週間もすれば夏休みに突入してしまうので、明日から生徒会室に出入りするか、夏休み明けから出入りするかが問題点として挙がり、各々が意見を出し合う事となる。

 

 

『千佐さんの矯正も兼ねているのだし、明日から早速しごくべきではないかしら。それに、学生の自殺率が一番高い日がいつか知っている? 手遅れになる前に迅速に行動すべきね』

 

 これが誰の意見だったのかは敢えて言わないけど、みんなドン引きしてたからね……? 雪ノ下さん……

 

『んー、あたしは夏休み明けの方がいい気がするなぁ。なんかなんの前触れもなく夏休み一週間前からいきなり生徒会に出入りするとか、ちょっと不自然かなー? って。そーゆー不自然さって、敏感に感じ取っちゃう子って結構いるし』

 

 これはホントゆいちゃんらしい考え方だったなー。

 突飛で不自然過ぎる行動って、虐める側からしたらターゲットにしやすいもんね。そういう空気を敏感に感じるゆいちゃんならではだ。

 

『わたし的にはー、まぁどうせ押しつけられる側だし早い方がいいんじゃないかなー、と。夏休み明けとか文化祭準備で忙しそうですし、忙しい中でお仕事教える時間割いちゃったら、ここに遊び……癒されにくる時間とかなくなっちゃいそうじゃないですかー?』

 

 ……まぁ、あんたには期待してなかったよ……

 

『んー、難しい問題ですけど、小町は夏休み明けの方がいいかも……。ほら、小町にだって敵……というか、小町の事を良く思ってない子たちもやっぱり居るんですよ。んで、小町も生徒会に出入りし始めた頃なんかは、それを理由に嫌〜な目で見られた事もありましてですね』

 

 経験者は語る、だよね。

 小町ちゃんみたいに男女問わず人気のある子は、僻む側の人間も少なからず居る。

 そんな小町ちゃんだからこそ、最初は嫌な空気をひしひし感じたんだろう。

 

『俺は別に明日からでもいいと思うぞ。なにせ今回は変な目で見られようと怪しく思われようと知ったこっちゃない。加害者にどちらが多数派でどちらが少数派か、どちらが強者でどちらが弱者かを早めに分からせるのが目的なんだからな』

 

 比企谷の意見はちょっと意外だった。

 面倒ごとの先送りが大好きな比企谷は、てっきり夏休み明けでいんじゃね? とかってめんどくさそうに言うものかと思ってたから。

 

 

 その後もみんなで色々話し合ったんだけど、最終的にはうちのこの意見が採用となった。

 

『うちは……出来れば早い方がいいと思う。うちら学生ってさ、世間から見たらちっちゃい括りでしかないはずなのに、“学校”とか“クラス”が自分の中では“全て”に……“世界”になりがちじゃん? だからさ、どんなに辛くて嫌な世界でも、その世界の中にちょっとでも自分の居場所があるんだって感じられるだけで、すっごい気持ちが楽になるんだよね』

 

 

 ……我ながらホントクサい台詞だったって思う。こうして思い出すだけでも、うちクサっ! うち恥ずっ! とか思っちゃう。

 でも経験者としてそれだけはどうしても言いたかった。うちの世界に居場所を与えてくれたあの人たちと、今まさに居場所を必死で探してるあの子に。

 

 もしかしたら比企谷も“世界の中でひとりぼっち”の経験者だからこそ、早めの方がいいって言ったのかもね。

 

 

 

 ──結局そのクサくて恥ずかしい台詞で態勢が決し、千佐さんは明日から生徒会に出入りする事となった。

 うちも経験済みのトイレランチ(通称便所メシってやつ?)だったらしいから、明日から昼休みは生徒会室を使わせてもらえるみたい。

 

 こうやってクラスから少しずつ独立していって、千佐さんは千佐さんの新しい世界を創っていくのだろう。

 千佐さんの態度や頑張り次第で、一色さんと小町ちゃんも一緒にお昼を生徒会室で採るなんてこともしてくれるみたいだし、状況を見て小町ちゃんが友達を連れてくるみたい。

 そうやって繋いだ手をさらに重ねていき、そこから確実に世界は広がっていくんだろう。

 もちろんうちも千佐さんからの懇願の眼差しを受けまくって、たまに生徒会室で一緒に食べる事になったしね。

 

 

 こうしてこの依頼は、「解決した」というには余りにも長期スパンでの見通しが必要な解消……解決現在進行中というカタチでの終幕を迎えたのだった。

 

 

 

 

 

「……おい、それ俺のチャリだから……」

 

 つい先ほどまでの記憶に思いを巡らせていると、ようやくうちの前に待ち人きたる。

 この待ち人はうちの顔を見た瞬間に、お得意の心底嫌っそうな顔をプレゼントしてくれた。

 

「おす」

 

「オスじゃねーよ、ついさっきまで一緒に居ただろうが……なんでさっき別れたばっかなのにまた居んだよ」

 

「……べっつにー? フツーに帰ろうとしてたんだけど、帰ってる途中であんたに話があったこと思い出しちゃってさー」

 

 まぁ一直線にここに来ましたけどね。

 

「……なんだよ話って」

 

「別に帰りながらでよくない? ほら、早く」

 

 そう言って勝手に自転車のスタンドを外すと、早く鍵を開けろと視線だけで伝えた。

 

「……」

 

 

 うちと比企谷の二日連続での一緒の下校が、ここに決定した瞬間である。

 

 

× × ×

 

 

「良かったね、千佐さん。一色さんと小町ちゃんに生徒会室に連行されてく時も、なんだかんだいってちょっと嬉しそうだったし」

 

「なんかお前にも来て欲しそうな、縋るような目してたけどな」

 

「あはは」

 

 日が落ちたとはいってもまだまだ暑い夏の帰り道。うちと比企谷はあれからのことに花を咲かせながら、蝉時雨の大演奏会のなか肩を並べてとてとて歩く。

 

 話し合いが一段落付いたあと、生徒会メンバーにもこの話を通して紹介しなきゃという事で、千佐さんはドナドナのように生徒会室へと引きずられて行ったんだよね。

 ふふっ。あの子、助けてー! みたいな顔してうちを見てたけど、その表情は昨日とは見違えるくらい、すごく柔らかくなってたな。

 

「……お前、さっきも言ったが、よくアレをこんなに早くなんとかできたよな……」

 

「まーねー。なぜか懐かれちゃったけど」

 

「やはり類友か」

 

「……うっさい」

 

 ぼさぼさ頭にぺしっとチョップを食らわせてやると、こいつは痛くもないくせに大袈裟に痛がるフリをする。

 へへ〜、なーんかいいな、こういうのって。はたから見たらただのイチャイチャカップルっぽい。ナチュラルにスキンシップもしちゃえるし。

 

 でもそんなこと考えてると、ついついニヤけてしまうポーカーフェイスが出来ない最近のうちは、比企谷にニヤけ面を指摘される前にわざとらしく大きな溜め息を吐いてみせる。

 

「あーあ」

 

「……んだよ」

 

「……うちさー、こう見えて結構気合い入れてたんだ。初めての奉仕活動だし頑張るぞーって。なのに、まさか一日で片付いちゃうとはね。ま、千佐さんからしたら不謹慎もいいとこだけども」

 

 いやいやホント不謹慎だよね。早く片付くに越した事ないっての。

 

「……早く片付いた事に関しては、本当に良かったって思ってんのよ。千佐さんのあんな顔が見られただけで、奉仕部入って良かったぁ! って叫びたくなっちゃうくらいにはね。……ただ」

 

「ただ?」

 

「……うち、なんにもしてないじゃん……て。結局うちはただ見てただけ。全部比企谷たちがなんとかしてくれちゃった。気合いが空回りしすぎて、うちハムスターかよって感じ」

 

 この気持ちこそホントに不謹慎極まりないけど、……うちはこの初めての依頼を通して、自分が少しでも成長できたらなって思ってた。

 

 どうせうちなんかには何にも出来ないだろう、なんて……自分自身に偽りの予防線を張っておきながら、心のどこかでは期待してた。

 この依頼を通してうちは成長して、千佐さんを救けて、うち自身を救けて、うち自身を認められるようになって…………そして、誰かさんに認めてもらえるはずだって。

 そんな邪なことばっか考えてた。

 

 でもやっぱ、神様はうちのそんな邪な考えはお見通しだったのかな。蓋を開けてみたら、うちはほぼ座ってただけだった。

 

「………くくく……ふひ」

 と、ひとり勝手にたそがれていると、うちのそんな気持ちなんて露知らず、あろうことか隣のムカつくヤツがぷるぷると笑いをこらえてやがった。

 ……まじムカつく。

 

 

「……なに笑ってんのよ」

 

「お、おうすまん。回し車でひーひー言ってる相模を想像したら、なんか似合ってんなぁと思っちまってな」

 

「はぁ? ……チッ、まじムカつく。きもっ……」

 

 こいつどんだけデリカシー無いのよ……このタイミングでそれ!? ホント腹たつ……人の気持ちも知らないでさ……

 

 

 あ〜あ……さっきまであんなに楽しかったのに、なんか……結構マジで落ちてきちゃったかも……と、うちが本気で落ち込みかけていると、しこたまうちを小馬鹿にしていた比企谷が、不意に呆れたような溜め息を吐いた。

 

「……お前さ、なんにもしてないとか本気で思ってんの? ……アホか、なんにもしてないどころか、相模が居なきゃこの依頼は解決どころか始まってさえいねぇだろ」

 

「……え」

 

 それは、思いもよらない言葉だった。

 ……だってそれは、今日の解決はうちが居なければ成り立たなかったって、うちが居たから解決出来たって、他でもない比企谷が言ってくれてるって事だから。

 

 

「なんで、どういう意味……?」

 

「どういう意味もなにもそのまんまの意味だろ。相模があのアホな一年の心を動かせなかったら、この依頼はまずキャンセルになっていた。……そりゃそうだろ。千佐があのままだったとしたら、たぶん俺達がどんな策を講じてもあいつは一切聞く耳なんか持たなかった。なにせ千佐は“誰かに自分を中心にしてもらう”事しか考えてなかったんだからな。雪ノ下にたしなめられてイジケて腐って、新たな登校拒否生徒がひとり誕生しただけだ」

 

「……うん」

 

「だが相模はあのアホを一時間やそこらで聞く耳を持てるアホに変えた。……どうせアレだろ。他人になんか話したくもない、自分の惨めだった話でも聞かせたとかなんじゃねーの?」

 

「ま、まぁ……そんなトコ」

 

 やっぱ、うちが千佐さんと何を話したのかなんてバレバレだよね。

 うっわ……超はずい……

 

「……それって、結構すげー事なんじゃねぇの? プライドばっか無駄に高かったあの相模がだぞ? 話したくもないだろう惨めな姿を他人に晒すんだからな。しかも後輩……一年にだ」

 

「……う、うっさい! あのは余計だっての」

 

 

 

 ──うちは、ただあんたが泣いてたうちにしてくれた優しさを、他の泣いてる誰かにそのまま渡してあげただけ。あんなの、あん時のあんたと比べたら、凄いことでもなんでもない。

 あん時の比企谷はめちゃくちゃ格好良かったけど、さっきのうちは、ただただみっともなかったんだよ……?

 ホントたまたま。たまたま似た者同士の千佐さんの琴線に触れたってだけ。

 

 ……だから……

 

「……ああいう奴には誰が何を言っても響かない。千佐の無駄なプライドをとっぱらえたのは、たぶん同じ境遇で痛い目を見て、ちゃんと立ち直れた相模だからだろ。その相模がみっともない姿を年下の自分に晒してまで諭してくれたからこそ、千佐にも多少なりとも気持ちに変化が生じたって事だ。つまりお前が居なきゃ、この依頼は失敗してた」

 

 ……だから、まさかこんな風に思ってもらえてるなんて、こんな風に言ってもらえるなんて……マジで計算外だよ。

 

「だから、お前が自分はなにもしてないとかバカなこと言ってても、少なくともあいつらは……部長様たちは、お前の働きっぷり認めてるぞ」

 

 ああ、これはちょっとヤバいな。マジでヤバい……ちょっとでも気を緩めたら、目からなんか出てきちゃいそうじゃん……

 

 これ以上はホントヤバいのに……それはめっちゃ分かってんのに……、それでもうちは聞いてしまう。捻くれたこいつがまだ言ってくれていない言葉を聞きたくて。

 

「……そんじゃ、さ……あんたも……? うちの働き、認めて、くれたの……?」

 

「あ? ……ま、まぁ俺が認めようが認めまいがどうでもいいだろうが……そう、だな。……あの相模にしては良くやった方なんじゃねぇの? ……知らんけど……って痛って!」

 

 ぼすっと。比企谷の背中にうちのバッグの一撃が炸裂する。

 

「ホントマジムカつく……あのは余計だっつってんじゃん」

 

「……ってぇなぁ、だから理不尽暴力系……」

 

「うっさい、こっち見んな……! ばぁぁか!」

 

「あ? お前なぁ、どんだけ…………っ!? …………へいへい、了解しましたよ」

 

 

 

 さっきまでは肩を並べて歩いてた。

 でも今は歩調を遅らせて、ちょっとだけ比企谷の斜め後ろを歩くうち。

 ……だって、またみっともない顔をこいつに見られてしまうから。

 

 

 

 これはホントにヤバいよ。

 こんなになの? こんなにもむずむずしてもにょもにょしてポカポカして嬉しくて仕方なくなるもんなの? 好きな人に自分を認めてもらえるのって。

 

 ……こんなのはまだまだ違う。うち自身が自分を認められるほど頑張ったっていう実感が全然ないから、いくら比企谷がうちを認めてくれたとしても、それはまだうちが求めてたモノには程遠い。

 

 それなのに……こんなにも嬉しいだなんて。こんなの……マジで麻薬じゃん……

 

 くっそ……

 

「痛って……なんなんだよ……意味分からん」

 

 うちのご希望通り、一切うちには目を向けずに照れくさそうに頭をがしがし掻いて、うちの歩調に合わせてゆっくり歩いてくれてる比企谷の背中に、今度はぽふっと優しく攻撃してやった。

 

「……うっさい、こっち見んな」

 

「……はぁぁ、見てねぇから」

 

 

 ったく、なんだってまだこんなに明るいの? もうこんな時間なんだから、早く落ちろよ、この鬱陶しい夏の太陽め!

 早く暗くなってくんなきゃ、目から零れるナニカをこいつから隠せないじゃんか。

 それならそれで、この暑さで早く乾かしてくれればいいのに、全然乾きゃしないよ。なんて役立たずなんだか、鬱陶しい夏の太陽め!

 

 

 夏の太陽への八つ当たりに、口を尖らせくしくしと目を擦りながら、バッグでぽふぽふと連続攻撃を加えるうちに「……はいはい」とか「……おーおー、痛てぇ痛てぇ」とかって適当な返しをするムカつく比企谷の滲んだ背中を見て思う。

 

 大したことなんて何一つ出来てないのに、このとんでもなく恐ろしい麻薬は、うちにここまで幸せな気分を与えてくれる。

 ……だったらうちはもっともっと頑張ろう。もっともっと頑張って、自分で満足出来るくらいに頑張った末に比企谷に認めてもらえたなら、その時うちはどうなってしまうのだろう。

 今でさえこんなになっちゃってんだもん。想像するのも恐いくらい、どこまでも飛んでっちゃいそう。

 

 

 

 こんなクラクラするような昂揚感をまた味わえるんなら、うちはいくらだって頑張れる。

 そんなことに改めて気付かせてくれた、奉仕部初仕事を終えた暑い暑い夏の日のなんてことない帰り道。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 





今回も最後までありがとうございました!
最近ちょっとおふざけ回が続いたので、今回はちょっと真面目なイチャイチャ回でした☆(真面目なイチャイチャ回ってなんだよ)
それにしてもまさかの上……! 帰り道回が1話で終わらないとは……!
すいませんね、次回からついに本編、ついに相模家突入だったはずなのにっ(汗)



それではまた下でお会いいたしましょうノシノシ




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vol.9 相模南は初仕事完了の帰路で大切なモノを手に入れる 下

 

 

 

 なんとなーく気恥ずかしくて、憎っくき背中をいつまでもぽふぽふしていると、いつの間にか辺りは駅前の喧騒の景色にすっかり変わっていた。

 

 だから昨日の帰りに引き続き、学校から駅まで近すぎるんだっての……!

 ……あれ? 今朝の登校時は、この長い道のりが地獄だの拷問だの文句ばっか言ってなかったっけ、うち。ま、いっか。

 

 

 

 比企谷と奉仕部のみんながうちを認めてくれたから、嬉しすぎてついつい泣いちゃったけど、何も話せぬままあと少しで駅に到着してしまうという事態にここまで来てようやく気が付いたうちは、思わず頭を抱えたくなった。

 

 

 ──うわぁ……! うちなにやってんのよ! せっかく一緒に帰る為に、降り注ぐ紫外線に目を瞑って駐輪場でわざわざ待ってたってのに、褒められて嬉しくなっちゃって、照れ隠しにぽふぽふしてたら帰り道終わっちゃったよ!

 まだ目的果たせてないじゃんよ!

 

「……ん! んん!」

 

 失態に気付いたうちは、わざとらしく咳払いをしてヤツの注意を引き付ける。

 やっと頬を伝ってた水滴も乾いてくれたしね。

 

「……な、なんすかね」

 

 わざとらしい咳払いで『なんか呼ばれてる』と理解した比企谷は、キョドりつつそう声をかけてきてくれる。うちの顔を見ちゃわないように、あくまでも前を向いたまんまで。

 

 そういうトコはなかなか気が利くヤツだとは思うんだけど、いつまでも泣いてないっての! てかそもそも別に泣いてないし!

 そう主張するかのように、うちは無言で歩調を早めて比企谷と肩を並べた。

 

「……なによ」

 

 いきなり隣に並びかけてきたうちの顔を、遠慮がちに横目でチラチラ見てくる比企谷。

 

「いや、別に……」

 

「……あっそ」

 

 ……うぅ、こいつの前で泣いたのってこれで何度目だっけ……? ホント最近涙腺がゆるゆるで困る……

 

 おっと、羞恥でまた忘れちゃうトコだった。なぜ今日比企谷との帰宅を望んだのかを。いや、なぜもなにも帰れるんなら毎日一緒に帰りたいけどさ。

 

「ね、ねぇ、比企谷」

 

「おう」

 

「うちさ、あんたに話があるんだった」

 

「……は? 話ってもう終わったんじゃねぇの?」

 

 あのねぇ……「うち何にも出来なかった」って泣き言を言いたかったが為に、わざわざ待ってたわけじゃないっての……

 

「……違うから、まだこっからだから」

 

 よっし、とりあえず要件を告げる準備は整ったな。このまま言えずじまいでお別れになっちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしたから、ひとまずは安心安心。

 

「あの、さー……」

 

 ……それにしても、んー……まさかコレを今日言うことになっちゃうとは思わなかったなぁ。今更ながらにバクバクしてきちゃった。マズいマズい、また顔が熱くなってきた。

 ファイトだ南! 別に昨日話した話をするだけなんだから、そんなに緊張することないぞー! おー!

 

 散々ご迷惑をお掛けしちゃった城廻先輩の応援を背に、うちはこくりと咽喉を鳴らせて口を開くのだ。

 

「……比企谷さ、いつウチに来んの……?」

 

 こんな、まるで誘ってる女みたいなふしだらなセリフを吐く為に……

 

 

× × ×

 

 

「は?」

 

 うちの渾身の質問に、さも当たり前のように意味が分からないという顔で立ち止まる比企谷。

 ま……そうくると思ってたけども。

 

「は? じゃないから。昨日約束したばっかじゃん。国語学年三位とか威張ってるあんたの記憶力はそんなもんなの?」

 

 若干イラッとしたから、おかげさまでバクバクしてたうちのノミの心臓が落ち着きました。緊張と羞恥が解けて逆に助かります。

 やっぱこいつのムカつき具合って、うちの発奮材料とか活力源なんじゃないかしら。つまり比企谷はうちのこの先の人生において必要不可欠な存在と言えるまである。

 ヤバい、うち思考が完全に比企谷ってるよ。比企谷に侵食されちゃってるよ。

 あー、いやだいやだ。ふひ。

 

「忘れたわけじゃねーよ……た、ただアレだ、それって……まだ先の話じゃなかったっけ……?」

 

「なんでよ」

 

「いや、だって昨日…………あ」

 

 こいつめ、ようやく理解したか。

 

「……依頼、今日終わったんだけどー」

 

 そう。うちが比企谷の口から引き出させた約束は『千佐さんの依頼が済んだら』。

 比企谷の中でも、あの依頼がこんなにも早く片付いてしまうという考えが無かったのだろう。

 つまり比企谷の中では、

 

 依頼完了はしばらく先→相模の家に行かなきゃいけないのはさらにそのあと→つまりソレはずっと先のお話

 

 って固定観念になっちゃってたんだろうね。

 フッ、バカめ。

 

「だからさっき依頼が終了した時点で、早くうちの家に来なきゃなんないっていうミッションが発動しちゃってるワケよ、あんたは」

 

「ぐっ……! マジか……」

 

「そ、マジマジ。だからいつ来るか早く決めてくんない? ……まさかとは思うけど、約束を反古にしたりしないよ、ね……?」

 

 ニヤァっといやらしく歪むうちの可憐で瑞々しい唇。

 とてもじゃないけど、お年頃の乙女が人に……それどころか好きな男に見せていいような顔では無いだろう。けどさ? しょーがないじゃん、比企谷に対してはポーカーフェイスが出来ないんだから。

 

「な、なにもそんなに急がなくても良くな…」

 

「言っとくけど、今朝お母さんに比企谷が来るって了承したこと、もう話しちゃったから」

 

「ちょ……報告早くないですかね……?」

 

「で、お母さんちょー楽しみにしてっから。これでもし約束を反古するような事になったら…………さーて、どうなっちゃうのかなぁ? 美少女中学生のお話とかが、部室で思わず飛び出しちゃうかもー」

 

 そう言ってニヤニヤと比企谷の顔を覗きこむ。

 ふふふ、さっき泣かされた仕返しっ。

 

「……お前マジ最悪な」

 

「は? 昨日約束したくせに、先のばしにした挙げ句に無かった事にしようとしてる方がよっぽど最悪じゃんよ。どーなのよ、ん? ん?」

 

 やっばい超楽しい。比企谷のぐぬぬ顔見てるとゾクッとくる。

 ……うちって、ちょっとSっ気があったりするんだろうか……?

 

「んで? いつにする? なんなら今から行っちゃう?」

 

「勘弁してくれ……」

 

「ひひ」

 

 ま、今から来られてもうちが困っちゃうんですけどねー。せっかくだから色々と準備してお持て成ししたいし、どうせなら比企谷との一緒の時間を、思いっきり大切に過ごしたい。

 

 ……と、その時、うちの頭の中に“あの日がいい……”と強く強く浮かんできた日があった。

 こんなに早く比企谷をお招き出来るとは思わなかったから考えから排除してたんだけど……うん、今なら……

 

「んん……! ったく、しゃーないなぁ。……じゃあ、ちょっとだけ心の準備が出来る時間をやろうかな……?」

 

「……あん?」

 

「……あと一週間もすれば夏休みじゃん? ……だからさ、夏休みまで待ってあげる。その代わり日時はうちが指定するから。うん、決めた。異論反論一切認めないので」

 

「……なぁ、しゃーないって割に、それ別に俺にメリットなくねーか……?」

 

「……あっそ。じゃあ今から行こっか」

 

「相模さんのお好きな日時をお選びください」

 

「よし」

 

 ぷっ、超笑える! もううち、比企谷なんかに負ける気しない。

 愕然とした表情で敗北を認める男子高校生と、それを満足そうに見つめ、偉そうに腕を組んでうんうん頷く女子高生の不思議な構図は、駅前でさぞや目立っている事だろう。ヤバいまた顔がニヤケる。

 

「んじゃ決定ね。帰ってお母さんに報告したら日時を連絡するから」

 

 そしてうちは、ここ数週間ずっと狙っていた、ある大切なモノを手に入れるチャンスにこの瞬間気付く。

 すっごい自然な流れじゃん!

 

「……んじゃあ、さぁ……そ、その」

 

 すっごい自然な流れだから、なんてことない顔して、なんでもないような感じで普通に聞けば問題ないはずなのに、なぜか途端に緊張が始まるヘタレなうち。

 お、おかしいな……こういうのって、いつもどうやって聞いてたっけ……?

 えーい、女は度胸! どうとでもなれっ!

 

「ひ、比企谷の……れ、連絡先、教えといてよ……」

 

 ……ひ〜! 言っちゃった、言っちゃったよ……!

 男子の連絡先聞くのって、こんなに緊張したっけ!? な、なんかこう、もっとノリと流れで普通に聞けるもんじゃなかった……?

 

「……なんでだよ」

 

 ……む、なにこいつマジでムカつく。人の気も知らないで、なんなの? マジで。

 

「は? そんなの、連絡先聞いといた方がなにかと便利だからに決まってんですけど。何月何日何時何分ウチに来いって連絡するからに決まってんじゃん。ちょっと考えれば分かるでしょフツー」

 

 ホンっト、うちがどんだけ頑張ってこんな恥ずかしいセリフを口にしたと思ってんのよ。そんな嫌っそうな顔しちゃってさぁ……

 なんなの? うちに連絡先教えんのがそんなに嫌なワケ? 普通に凹むからやめてくんない?

 

「いや、だってお前、俺のメールアドレス知ってんだろ。結城とかに勝手に聞いて勝手にメールしてきたじゃねぇか」

 

 ……あ、成る程そういう事か。確かにうち、こいつに一回メール送ったわ。

 良かったぁ……そんなに嫌なのかと心配しちゃったじゃない。

 

「……あ、あれはまた違うじゃん……ひ、人から聞いたヤツじゃなくて、ちゃんとお互いで納得した上で交換しなきゃ、意味ないじゃん」

 

「? よく分からんが、そういうもんなのか?」

 

「そーゆーもんだから。だ、大体さぁ……あん時のアドレスなんて速攻で削除しちゃったし、で、電話番号までは…………し、知らないし」

 

 終わりに向かうにつれて、だんだんと尻すぼみになっていくうちのセリフ。

 

 もう! この鈍感バカ! うちはあんたの電話番号が聞きたいの! いつでもあんたの声が聞ける資格が欲しいっつってんのよ! いい加減気付けよバカ!

 

 ……ちなみにあの時のアドレスはもちろん消してないし、それどころか送ったメールは保存してあったりする。

 

「ま、まぁ? うちに教えたくないっていうんなら別にいーんだけど……?」

 

 ふんっ、て感じでそっぽを向いて、超低音でぽしょりと二の句を続ける。

 

「……明日部室で日にち指定してやる」

 

「お前悪魔かよ……」

 

 あんたが悪い。羞恥に耐えて連絡先を聞こうと頑張ってる乙女に対しての態度が悪すぎるあんたが全部悪い。

 

「ほれ」

 

 だいったいさぁ! なんでうちから連絡先なんか聞かなきゃなんないワケ!? こういうのは、男子からお願いします教えて下さいって頭さげてくるもんなんじゃ……って、

 

「へ?」

 

 なんか比企谷からスマホ渡されたんですけど。

 

「な、なにこれ」

 

「あぁ、それはスマートフォンっていう暇潰し機能付きの目覚まし時計でな」

 

「誰もスマホの説明求めてないから」

 

 そもそもスマホの説明おかしすぎだから。

 

「……そうじゃなくって、な、なんで携帯をうちに渡すの……?」

 

「連絡先を交換する機会があんまないから、使い方がよく分からん。勝手に登録なりなんなりしてくれ」

 

「い、いやいやいや、普通、携帯って他人に気軽に渡せるもんじゃないでしょ……」

 

「別に見られて困るようなもんは無いから問題ない」

 

 マジですかこの人。

 これはうちが信用されてるって喜んでいいのか、誰に対してもこうなのかと悲しんでいいのか分かんないな。どうせ後者だろうけど。

 

 それでも…………どうしよう、ちょっとホッとしちゃってるうちが居る。

 だって見られて困るようなものが無いって事は、うん、そういう事じゃん。

 

 たぶん無いだろうなとは思ってたけど、もしかしたら……もしかしたら……雪ノ下さんかゆいちゃん、あと一色さんのどれかとこっそり付き合ってんのかも……とか思ってたから。

 

「おい、なんでニヤニヤしてんだよ……なんか人の携帯で良からぬこと考えてんじゃねぇだろな……」

 

「べっ、別にニヤニヤなんてしてないし!?」

 

 

 あっぶな! 超顔に出ちゃってんじゃん……。うちどんだけ顔に出やすいのよ。

 

「……んん! さ、さてと……んじゃあ、パパッと済ませちゃいますかっ……!」

 

 そしてうちは震える指先で比企谷のスマホをタップする。

 まさか、うちが比企谷のスマホを操作する事になるなんて……。どうしよう、めっちゃ緊張する。好きなヤツのスマホを弄るとか、浮気を疑ってる彼女とか奥さんくらいにしか与えられてない権利かと思ってたよ。いや、彼女にも奥さんにもそんな権利は与えられてないけども。

 

 そして嬉し恥ずかしワクワクで先へと進んで行くと……

 

「うわぁ……」

 

 思わず声も漏れ出ちゃうってもんですよ。

 

「悪かったな、登録数が少なくて」

 

「え、あ、うん……」

 

 うちの微妙な返事に顔をヒクつかせる比企谷だけど、違うから。あんた、なんでうちが思わず声を漏らしたか勘違いしてるから。

 

 

 

 

 ──女ばっか……

 

 

 登録数が尋常じゃなく少ないってのに、数少ない登録者が女ばっか。しかも綺麗どころばっか。

 

 小町ちゃんは当然として、雪ノ下さんと平塚先生は分かる。うちの復学の依頼で交換したみたいから、由紀ちゃんと早織ちゃん、優美子ちゃんも分かる。

 でもこの留美とかおりって誰よ……こいつ、まだうちの知らない女とか囲ってんの……? ま、まぁ見られて困るもんは無いらしいから、まだまだ大丈夫、だよね……?

 

 ……それにしてもこれは……

 

「なによ、この『☆★ゆい★☆』と『愛しの後輩いろはちゃん』って……」

 

「知らねぇよ……あいつらが勝手に登録しただけだ」

 

 ……いやまぁ分かってたけどさ、あんたがこうやって相手に登録させてる時点で。

 だからってこれは……さすがに直せよお前。

 

 

 しゃあないなぁ、んーっと……スイッ、スイッ、スイーっ。

 ん……性、悪、小、悪、魔……で、登録完了っと。

 まぁゆいちゃんは友達だし、可哀想だから武士の情けでそのままにしといてあげよっかな。

 

 

 ふぅー、無事ひと仕事終えたうちは、ついにメインイベントに突入する。ついにうちの情報が比企谷のスマホの中に入るのだ。現在色んな意味で遅れをとっているうちは、こんなトコでも少しでも目立たなきゃね。

 ☆★ゆい★☆とか愛しの後輩いろはちゃんにも負けないように!

 

「んふふ」

 

 よっし、登録完了っと! これ見た時のこいつのうんざり顔が目に浮かんで超笑える。

 

「……なぁ、マジでお前なんか悪巧みしてたろ。さっきからずっと悪そうな笑みをたたえてんだが」

 

「は? 別に笑ってもなければ悪巧みもしてないけど?」

 

 そんなすぐバレる嘘を吐いて、「ほいっ」と比企谷にスマホを返す。

 んー、今日は最高の日だなぁ。早く帰って日記つけよ。

 

 

「比企谷」

 

 これで今日もこいつとお別れ。

 やっぱ名残惜しくて仕方がないけど、でもうちは、また比企谷との素敵な明日を迎えられる、とても大切なものを手に入れられた。

 

「おう」

 

 それは、こいつに認めてもらえる事の喜びの気持ち。

 これさえあれば、うちはこの先もどこまでだって頑張れる。

 

「えと、えへへ、今日はホントお疲れ!」

 

 そして夢にまで見た比企谷の連絡先!

 これさえあれば、いつだって比企谷の声が聞けるんだ。……どうせうちの事だから、ビビって電話なんてなかなかかけらんないだろうけど。

 でも、いつでもこいつに電話出来るという資格が手の内にあるという事実が、うちをどこまでも舞い上がらせてくれる。

 

「……お、おう。お疲れさん」

 

 そんな隠しきれない歓びが顔に出ちゃったんだろうね。比企谷はうちの顔を一瞬だけ見ると、照れくさそうに視線をすっと逸らした。

 ん? そんなにうちの笑顔が可愛かったのかい? ふふふ、だって仕方ないじゃない? ポーカーフェイスが出来ないんだから。

 

「んじゃね〜! たぶん今夜電話するから。出なかったら〜……」

 

「わぁったよ。出ます出ます。……じゃあな」

 

 

 ぶんぶんと手を振って改札へと走っていくうちに、相も変わらぬ比企谷のめんどくさそうなお返事が追い付いてきた。

 やっばい、これで今日はお別れかと思いきや、今夜また話せるんだ!

 

 

 改札を抜けて振り向くと、比企谷はまだ立ち去らずにうちを見ててくれてた。

 女の子の姿が見えなくなるまで立ち去らないなんて、南ポイント結構高いんじゃない?

 

 

 うちはそんななかなかにジェントルマンな比企谷にもう一度小さく手を振ると、抑え切れない頬の弛みを隠すように勢いよく階段を駆け上がる。

 

 そして、駆け上がりつつ思いっきりニヤけるのだ。うちのスマホに登録した八幡っていう変な名前と、比企谷のスマホに登録したうちの変な名前を思い浮かべながら。

 

 

 

 

 み☆な☆み☆ん

 

 

 

 

続く

 

 

 






今回もありがとうございました!
大切なモノ→八幡の連絡先でした☆

そしてこれでようやく一段落!前作の終わりから長いことお待たせしてしまいましたが、次回からついにお宅訪問編へと突入します!


が、しかしっ!

申し訳ないです><
もしかしたら次回の更新が結構遅くなるかもです(汗)
ホントすみませんが気長にお待ちくださいませm(__;)m


ではではっノシ



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vol.10 相模緑は何気ない幸せを噛み締める


ま、まさかひと月も開けてしまうとは……!

スミマセン(汗)クリスマスモノ書いてたら忙しくて更新遅れちゃいました><



前作が完結してから幾年月……ついに、ついに!ようやく今回から相模家ご訪問編に突入します!

どなたさまも、微笑ましくも生暖かい目で見てやってくださいましm(__)m





 

 

 

「ちょっと南いつまで寝てるの! もう十時過ぎよ!? 比企谷くん、お昼過ぎには来ちゃうんじゃないの〜?」

 

「……ふぇ? ……んん〜………………んん? ……げっ!」

 

 洋服がそこら中に散乱する部屋の、タオルケットもシーツも乱れに乱れたベッドの上、寝呆け眼をこすりながら枕元の携帯で時間を確認し、寝癖で爆発した頭を抱える女の子。

 普段のこの部屋の様子を知らずにこの一場面だけを目撃したのならば、さぞや女子力欠如のだらしない女の子に見えることでしょう。

 

 でも普段のこの部屋の様子を知っている私からすれば、この乱れた部屋もこの乱れた女の子も、これからやってくる出来事が楽しみすぎて、昨夜遅くまで……それどころか明け方くらいまで寝付けなかったのではないだろうか? という微笑ましい光景が容易に想像出来てしまい、呆れながらもついつい頬が弛んでしまうのを感じる。

 

「まったくもう。お母さん、先にごはん作る準備始めちゃうわよ? 早く顔洗って下りてきなさーい」

 

「ちょ! 待ってよお母さん! うちもすぐ準備するから、ごはん作り始めんの待っててぇ!」

 

「ふふっ、はいはい」

 

 いま目が醒めたばかりとは思えない速度でベッドから飛び起きて、ドタバタと激しい音を立てながら部屋中を駆け回る。

 

「あ゙ぁぁぁ! どーしよぉぉ! うちまだなに着るかも決めてないのにぃ! あーもううちのバカぁ!」

 

 そう嘆きつつも、お気に入りなのであろう何着かはあらかじめ見繕っていたみたいで、その洋服の組み合わせをあれこれ悩みながら、姿見の前で自分に合わせて四苦八苦している我が愛娘にこう声を掛ける私。

 

「ホントに大丈夫なの? それじゃまだ作らないで待っとくわよー。ほらほら、洋服ばかりじゃなくて、早くその頭もなんとかしなさいね」

 

「え……? やぁぁぁ!? なにこれぇ!?」

 

 着る物にしか目が行ってなかった南は、自分の現在のヘアスタイルにようやく気付き叫び声を上げる。

 そりゃ叫びたくもなるわよね。それだけ酷いとセットするにも一苦労でしょうからね〜。服の前に、まずはシャワー浴びなきゃなんじゃないかしら?

 

「それにあれでしょ? 南のお部屋にも比企谷くん上げるつもりなら、この酷い有様もちゃんとお片付けしとかないと呆れられちゃうからね〜」

 

 とどめとばかりに、優しい笑顔でそう言い捨てて部屋をあとにする。うら若き恋する乙女としてはメイクだって念入りにしたいでしょうし、これは全て片付けてくるのに一時間以上は掛かっちゃいそうね〜。やっぱり先にごはんの準備始めとこうかしら?

 やぁぁ! 無理無理ぃ! との叫びを背中に受け、にまにまと呆れ笑いを浮かべつつ階段を下りていく私は思います。

 

 

 

 ──ああ、今日も我が家は平和だなぁ、と!

 

 

× × ×

 

 

 私 相模緑は、相模家の留守を預かる主婦であり、そして相模南の母親である。

 

 南は、ほんの二ヶ月前まで不登校だった。

 原因は、進級してからのクラスに馴染めず……というのは、不登校が始まった時の担任からの体の良い説明に過ぎず、本当は……軽い虐めに合っていたそうだ。

 一生懸命頑張って不登校から脱却してくれて、しばらくしてから南本人が真相を打ち明けてくれたのだ。

 ……もっとも、愛する我が子のあの様子を見れば、ただ馴染めなかっただけではないだろうとは察していたけれど……

 

 

 本来であれば南が打ち明けてくれた時点で、保護者として学校側に一言物申すべきだったのかもしれない。何せ、虐めに合っていたという事実を隠蔽しようとしていたのだから。

 でもそれは南と夫、私の三人できちんと話し合った結果、やめておくことにした。

 

 そもそもの原因は自分にあるからと。自分が招いた事態に親を出したくないという、南からの切実なお願いがあったから。

 だから自分でなんとかするからと。こんな自分の周りに居てくれる大切な人達が支えてくれるから、これ以上大事にはしないで欲しい、と。

 

 あとは復帰後すぐに訪ねてきて玄関でひたすら頭を下げてくれた生徒指導の女性教師の、あまりにも真摯な謝罪を受けたから……という理由もある。

 あの女性教師……平塚先生は、全ての責任は自分と学校側にある。もしこの件を表に出すつもりがあるのなら、微力ながら自分も全力でサポートしますと言ってくれた。

 虐めを隠したい側の教師が、自ら学校側を相手取って保護者側をサポートするだなんて……

 それは、言うまでもなく首を切られる覚悟の行為。

 

 

 どうするべきか悩んだけれど、あれだけ悩んで苦しんで引きこもってしまった娘に何もしてやれなかった情けない母親として、せめてそんな娘の熱意を無にしてはいけないと、……そしてあんな先生が見守っていて下さるのであれば大丈夫だろうと、私と夫は、この問題を荒立てない事に決めたのだ。

 

 なによりも……南を支えてくれる『大切な人達』の中に、あの“彼”が居るという理由も、私を大いに安心させてくれていたしね……!

 

 

 そして今日、そんな彼が……我が家に幸せと平和を届けてくれた比企谷くんが相模家にやってくる。

 やってくるというよりは、私が南の背中を無理矢理ひっぱたいて、来てもらえるようにお願いさせたのだけれど。

 

 本当は比企谷くんに無理してもらってまで、わざわざ家に出向いてもらう必要はないのだけど……、まったくあの子は……たぶんこうでもしないと比企谷くんを誘うなんて出来ないんでしょうね。ホントにもう、世話の焼ける子なんだから。

 

 あの子はいつまでも意地を張って「あんなヤツ」とか「そんなんじゃないから」なんて言っているけれど、あんなのは母親じゃなくたって、誰がどう見ても比企谷くんに恋してるようにしか見えないっていうのにねぇ。

 

 私の若い頃なんか、好きだと思った男の子にはがんがんアプローチしてたし、そうやって積極的に攻めまくって旦那だって捕まえたっていうのに……ホント、誰に似たのかしら?

 まぁそういった意味では、やっぱり旦那に似たのかしらね。あの人も若い頃はホント意地っ張りで、好きとか愛してるとか全然言ってくれなくて、私も散々やきもきしたものよねっ……!

 

 って、あらいけない! ふふっ、こんな四十過ぎのおばさんの恋愛事情なんて、誰も興味ないわよね♪

 

 

 とまぁあくまでも、意地っ張りな可愛い娘の為にと比企谷くんを呼ぶ事にしたのだけど、……でも、それも自分の中での建前みたいなところがあるかもしれない。本当は、ちょっと比企谷くんとお話してみたいって、そう思っているの。

 私は南の母親として、どうしても彼に直接お礼と謝罪をしなくてはいけないのだから。

 

 ふふ、単純に私も比企谷くんの事が気に入っちゃったというのもあるのだけど。

 あの子は比企谷家の長男なのかしら? もし次男であれば、相模家にお婿さんに来てくれないかしらね〜。

 

 

「お母さんお待たせ! ヤバいあと一時間くらいしか無いじゃん! 早く始めよっ!」

 

 おっと! もしも南に聞かれたら顔を真っ赤にして怒っちゃうような事を密かに考えていたら、そのご当人がようやく準備を整えて来たみたい。

 あらあら、可愛らしいお出掛け用の私服の上からエプロンなんて着けちゃって〜! そして耳にはいつもの花モチーフのピアスがキラリ。

 もうこの子ったら、このエプロン姿も彼に見てほしいんじゃないかしら?

 

「このこの〜! 南も隅に置けないわね〜」

 

「え、なにいってんの……? 意味わかんないんだけど。もうお母さん若くないんだから、ホントそういうのヤメてよね」

 

 娘のあまりの可愛さに、パチリとウインクして肘で脇をつついてあげたら、とっても痛々しい目で見られてしまいました。

 ちょ、あなたお母さんに厳しくないかしら……!?

 

「ほらお母さん! ワケ分かんないこと言ってないで早く始めようよ」

 

「……あんたが寝坊したから時間押しちゃってんでしょうが」

 

「……うっ……それはホント申し訳ないです」

 

 

 こうして、いけずな娘を軽く折檻しつつ、相模母娘のクッキングが幕を開けるのです。

 

 

× × ×

 

 

「ヤバいよ〜……! 今からヴィシソワーズ作っても、冷えきんなくてただの生ぬるいポタージュになっちゃうかなぁ……!?」

 

「じゃああっちのおっきいボウルに氷水入れときなさい? 出来上がったスープを小さいボウルに移してその氷水に当てながら掻き混ぜてれば、すぐに冷えてくれるわよ」

 

「おお、なるほど!」

 

「あ、南南、フライドチキンの鶏肉は、この骨と骨のあいだの部分にこうやって切れ目入れとくのよ? そしたら火通りが良くなって生焼けの心配なくなるし、サッと揚がるからジューシーに仕上がるからねー」

 

「ほーい」

 

 

 

「あ、南、アボカドカットしたら、種もカットした身と一緒にお皿に盛っておいてね」

 

「え、なんで?」

 

「アボカドは切ったらだんだん黒く変色してっちゃうんだけどね? 種を一緒に置いておくと変色が防げるのよ?」

 

「マジで!?」

 

 

 

 

 本日のお昼ご飯は、フルーツトマトとバジルの冷製カッペリーニとフライドチキン、ヴィシソワーズとアボカドサラダ。

 

 ふふっ、最初メニューを決める時にちょっと冗談めかして「真夏だし食欲も無いかもしれないから、そうめんとかでもいいんじゃない?」って言ってみたら、南ったら慌てて「せっかく比企谷来んのに、そんなのしか出せないなんて恥ずかしいじゃん!」って必死に抵抗して、一人でうんうん唸ってこのメニューに決めたのよねー。

 

 真夏でも美味しく食べられる上に、少しでも手が込んでるように見えて、少しでもお洒落に見えるようなメニューを必死で考えたんでしょうね。

 うん! それは男の子も喜ぶと思うし、とってもいいんじゃないかしら? って言ってあげたら、南ってば顔を真っ赤にして嬉しそうにはにかんでいたものね。

 やっぱり若いっていいわね〜。そんな、いじらしかったり見栄を張りたくなっちゃうところも、本当に可愛い。

 

 

 それにしても、南とこうして一緒にお料理出来る日がくるなんて、本当に本当に感慨深い。

 娘を持つ母親にとって、娘と一緒に料理をするのはひとつの夢。この子が引きこもってしまった時には、もうそんな日はこないんじゃないか、なんて……少し弱気になってしまった日もあったっけ……

 でも、今はこうして愛娘と肩を並べてお料理していられる。娘は隣で鼻歌を口ずさみつつ、とっても幸せそうに包丁をトントンしてる。

 そんな何気ない幸せを、本当に有り難いと思う。

 

 

 そもそもこの子って、以前は料理なんて一切しなかったものね。

 それなのに、学校に通えるようになってから……確か一週間くらい……? そう、ちょうど南の十八回目の誕生日前後くらいに、あの子が突然キッチンにやってきて、すっごくモジモジしながら『お母さん……その、りょ、料理……教えて欲しいんだけど……』なんて言ってきたから、ホントにびっくりしたのを覚えてる。

 

 まぁ? 私もあなたの母親を十八年もやってますから?

 それがなにを意味していたのかなんて、す〜ぐ分かっちゃったけどねっ。

 

 そういった意味でも、どこかの誰かさんには感謝の言葉しかない。ホント、お婿に来てくれないかしら?

 

「ふふっ、南ってば楽しそうねぇ。まぁ? この日の為に料理の勉強始めたんだもんねー? そりゃ楽しくて仕方ないわよねー?」

 

「は、はぁ!? べっ、別にこの日の為に料理はじめたワケじゃないし……っ! た、たまたま料理はじめてからアイツがウチに来るってだけだし……っ!」

 

「はいはい♪」

 

 今にもぼしゅって音がしちゃいそうな程に顔を真っ赤に染め上げてツンツンする南は、本当に可愛いったらない。こういうのって、若い子たちの間ではツンデレって言うのかしら?

 

 

 

 そんなこんなで母娘クッキングを進めていくこと一時間ほど。

 ようやくあらかたご馳走が出来上がった頃に、そういえば、と……南に言っておく事があるのを思い出した。

 

「あ、南っ」

 

「どしたの?」

 

「ふふふ、例のアレ、準備出来てるからね〜! 比企谷くんをびっくりさせちゃおうね!」

 

「……っ! う、うん」

 

 そう小さく頷いて、これでもかってくらいに口元も全身もモジモジする南。

 ……ああもう可愛いわね! これで比企谷くんの事を未だに「なんでもない」とか言ってるんだもの。

 さすがにちょっと無理がありすぎよ?

 

 

 と、ちょうどその時だった。家中にインターホンの音が響き渡ったのは。

 

 インターホンの音と同時に南の肩がびくぅっと跳ね上がり、途端に呼吸が激しくなる。

 

 そして南は、にやにやが止まらないんだか不安で胸が押し潰されそうなんだか分からない、何とも言えない複雑な顔で一言。

 

 

「う、うち出てくるっ!」

 

 

 そう言って、予想通りエプロン姿のままスリッパをぱたぱた鳴らせて玄関へと走って行く娘の背中を微笑ましく思いながらも、私は苦笑を浮かべてぽしょりとこう呟くのだった。

 

 

「……お、おーい、包丁は置いていきなさ〜い……?」

 

 

 

 

続く

 





どうしよう。自分で書いててほっこりしちゃうんですけど。


てなわけで、一年半ものあいだ溜めに溜めた相模家ご訪問が、まさかのママみん視点でのスタートと相成りましたw
斜めすぎんだろ

そして次回もこのままママみん視点でお贈りしちゃうよっ?



ちなみにママみんの名前 相模緑なんですが、南は神奈川県相模原市南区から取ったと思われるので、同じく相模原市の区である緑区から取らせていただきましたm(__)m
あともうひとつ中央区ってのがあったんで、パパみんは相模中(あたる)にしようかな?パパの出番は1ミリも無いけどwww



というわけでホントにお待たせしてしまいましたが、これにてこの『相模南の奉仕部日誌』は、今年最後の更新となります(・ω・)

みなさま、本年も大変お世話になりました。一年以上ぶりのまさかの続編にも関わらず、ここまで読んでいただき誠にありがとうございました☆


それではよいお年をっ(*´∀`*)ノシノシノシノシノシ





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vol.11 相模緑は娘の想いを思いやる



明けましておめでとうございます☆
(短編集とその返信でさんざん新年をお祝いしたんで、もういいって感じですよね〜白目)



さて!これが2017年のスタートでございますε=┏( ・_・)┛
よろしくどぞ!




 

 

 

 玄関を開けようとした右手が包丁を握っている事に気付き、気まずそうにキッチンまで包丁を置きにきた南が、もう一度いそいそと玄関へと走って行った背中を苦笑混じりに見送った私は、そんな南に気付かれないようその背中のあとを追う。

 

 やはり母親として、将来相模家の留守を守る南の為にも、娘が来客にどう対応するのかをきちんとチェックしておく必要があると感じたのです。

 『南たちの対面を覗いちゃお♪』だなんて、決してそんなやましい気持ちがあったわけでは無いのです。

 

 どうやら南は玄関を出て門扉までお出迎えに行ったらしく、私はこっそりと玄関を開けて、隙間からちょっとだけ覗いてみる事にした。

 

「……おす、なによ遅かったじゃん」

 

「いや、指定された時間ぴったりなんだけど」

 

「は? バカじゃん……? 普通指定された時間よりちょっと早く来るのが基本でしょ」

 

「……それはすいやせんね」

 

 あらあら南ったら、来客への対応としては零点、というよりも大きくマイナスだわ。酷いものねぇ。

 

 でも後ろで手を組んで、恥ずかしそうにもじもじと左右に体を揺すりながら、頬を染めてチラチラと比企谷くんに視線を送る姿は、恋する乙女を男にアピールするという点で言えば満点よ! 比企谷くんも南に悪態吐かれながらも、どことなく照れくさそうにそっぽを向いて頭を掻いてるし。

 お母さん、親指を立てて「グッ!」て言っちゃったじゃない。

 

「つーか、なんか作業中とかだったのか……?」

 

「……な、なにが?」

 

 ふふっ、南ったら。なにが? なんて言いつつ、ちょっとだけエプロンの着崩れを正して、エプロン姿を強調してるわね。

 

「あ、いや、エプロンしてるし。なんか立て込んでんなら申し訳ないから帰るけど」

 

「なんでよ!? あんたが来るからお昼作ってたんでしょうが!」

 

 あらまぁ、ちょっと南? 被せ気味なくらいの激しい突っ込みと物凄い詰め寄りっぷりで、比企谷くんちょっと引いちゃってるわよ?

 んー、でもまぁ今のはどう考えても比企谷くんが悪いわねー。さすがに今のは南じゃなくたって突っ込みたくもなるもの。

 

「……へ? えと、飯の準備とかしてもらってんの……? わ、わざわざ?」

 

「あ、当たり前じゃん、こんな時間にこっちから呼んだんだから」

 

「マジか」

 

 ふむふむ。どうやら比企谷くんは相模家にお呼ばれするにあたって、自分がお客様という自覚がないようね。

 南ったら、比企谷くんをどう言って誘ったのかしら……?

 どうせ「お母さんが話があるらしいからウチに来て」なんて、ぶっきらぼうに誘ったんでしょうねぇ……ホントにもう、あの子ったら……!

 

「え、つか……じゃあなに? お前が作ってんの?」

 

「はぁ? 見ればわかんじゃん」

 

「……へー、相模って料理とか出来んだな。……なんつーか、ちょっと意外だわ」

 

「な、なんでよ、うちが料理すんのが……そんなに変なワケ……?」

 

「いや、そうじゃなくてだな……。お前ってどっちかっつーと外で友達と遊んでばっかで、家の手伝いとかしなそうな最近の女子高生っぽいから、料理なんて出来ないかと思ってたわ。……ま、なんつーか……いいんじゃねぇの……?」

 

「っ……! なっ、え、偉そうに「いいんじゃねぇの?」とかマジムカつく。何様? りょ、料理くらいするっての……っ」

 

 

 ふふっ、あの子ってば、悪態吐いてるくせに比企谷くんに見えないようにちっちゃくガッツポーズなんてしちゃってるし、「いいんじゃねぇの」って言われたのが、よっぽど嬉しかったのねっ。

 料理始めといて良かったねー、南!

 

「……ったく、あーイラつく……! イラついて熱くなってきちゃったっての……! てか比企谷、早くウチに入ってくんない? こんな真夏の日射しの中にいつまでも女子を外に出しとくとか、ホント気が利かないよね」

 

「……だったら外まで出て来てくんなくても良かったんだが……そもそも話してたのお前だし」

 

「うっさい……っ」

 

 あらいけない! 照れ隠しで急にお話が終わって、真っ赤な顔をぷいっとさせた南が玄関の方に歩いて来ちゃったわ!

 ここで覗いてたのがバレたら、あの日みたいにまた南に怒られちゃう!

 

 

 そんなわけで、私はそっと扉を閉めて急いでサンダルからスリッパに履き替え、玄関が開くと同時に「今キッチンからゆっくり歩いて来ましたけど」という体で、ニコニコとお客様をお出迎えするのでした。

 

 

「あら、比企谷くんいらっしゃい! わざわざお越しいただいてありがとうねっ」

 

 

× × ×

 

 

 比企谷くんを我が家のダイニングへとご招待して、南と二人でご馳走の仕上げ作業と盛り付けを進める。

 ほどなくして、テーブルの上には色とりどりの料理が所狭しと並びはじめた。

 

 うん! トマトの赤とスープの白、メインディッシュのフライドチキンの茶色にサラダの緑が映えて、見た目からしてとても美味しそう。

 これなら比企谷くんも喜んでくれるんじゃないかしら?

 

「な、なんかホントにすいません……」

 

 と、どうやら比企谷くんは自分だけがテーブルに着いている中、南とその母親がごはんの準備をしているのを見て、そわそわと落ち着かないご様子。

 あまりお呼ばれとかした経験が無いのかしら?

 

「いいのよ、比企谷くんはお客さまなんだから。もうすぐ準備終わるから、大人しく待ってなさいねっ?」

 

 私がそう言ってウインクすると、

 

「……は、はい」

 

比企谷くんは恥ずかしそうにポッと頬を染める。

 こーら、ダメよ比企谷くん? こんな四十過ぎのおばさんじゃなくて、照れるなら南にしといてあげてね。まぁこんな若い男の子に照れられちゃったら、おばさんもちょっとだけ嬉しくなっちゃうけどね!

 

「……すげ」

 

 照れ臭くなっちゃったのか、比企谷くんはふいっとテーブルの上に視線を落とし、彩り豊かなご馳走を見てそう口にした。

 やったね南! これはポイント高そうよ〜?

 

 手作りドレッシングをホイッパーとボウルでかしゃかしゃ混ぜているキッチンの南に向けて、エプロンを外しながらそう念を送り、「よいしょっ」とテーブルに着いた私はふとある事に気付いてしまった。

 比企谷くんがある一点を見た一瞬だけ、ほんの少し顔を歪めたのだ。

 それは、フルーツトマトとバジルの冷製パスタが盛られたお皿を見た瞬間の出来事。

 

 

 ──あ……もしかして比企谷くん……トマト、苦手だったのかしら……!

 

 

 ……ああ、なんということだろうか。真夏でもさっぱり頂けて、その上お洒落で手が込んでいるように見えるものと、南が試行錯誤して考えたメニューの中でも、一番お気に入りだった冷製パスタが苦手だなんて……

 

 これは確かに南のリサーチ不足の感は否めない。

 そうなんだけど……確かに南のリサーチ不足ではあるんだけど……さすがにちょっと可哀想……

 

 もしかして比企谷くんて、トマト駄目だったかしら……? 南に聞こえないように、こっそりとそう訊ねようとしたのだけれど、タイミング悪くすべての準備を整えた南が、いそいそとダイニングに到着してしまっていた。

 

「……比企谷お待たせ」

 

「いや、全然待ってねぇし、むしろ……その、サンキューな」

 

「う、うん」

 

 と、こんな甘酸っぱいやりとりをしている若い二人なのですが、お母さんは気が気じゃありません!

 

 もしも比企谷くんが「俺トマト駄目なんだわ」とでも口にしてしまえば、その瞬間南がどれだけ落ち込んでしまうのか……

 でも……それよりも辛いのが、優しい比企谷くんがトマトを苦手と言わずに我慢して食べて、口にした瞬間の隠しきれない「うわぁ……」という表情を南が目撃してしまう事。

 

 

 ──これは、母親としてどちらを選ぶべきかしら……

 今この時点で「苦手なものとか無いの?」と聞いて、パスタからトマトだけを弾くか、もしくは……比企谷くんには申し訳ないけれど、比企谷くんの優しさに賭けてみるのがいいのか。

 

 前者なら南がちょっぴりショックを受けちゃうかもしれないけど、トマト以外の部分を美味しいって喜んでくれたら、傷は浅くて済むかもしれない。

 後者なら、うまくいけば南はショックを受けずに済むけれど、やっぱり駄目だった場合は南のショックが計り知れない。

 それに今後、友人関係……うまくすれば恋人関係となって付き合っていく上で、いずれトマトが駄目って事も知っちゃうだろうし、知っちゃったらこの日の出来事も思い出してしまう。

 

 ……うん、駄目って知るなら、早い方がいいわよね……? これは、南には可哀想だけど、長いスパンで考えたら後者を選ぶべきね。

 

 こうして私は南を千尋の谷に突き落とす覚悟を決め、比企谷くんに質問を……

 

「じゃ、じゃあいただきまーす……っ」

 

「……い、頂きます」

 

 

 ……刻というのは無情なもので、私があれこれ悩んでいる間に、いつの間にか食事が始まってしまったようです。

 南……いくら早く比企谷くんに食べてもらいたいからって、少しはお母さんにも声をかけなさい……!?

 

「ちょ、お母さんなにあわあわしてんの……? ほら、早く食べよ」

 

「へっ? ……あ、う、うん、頂きましょっか!」

 

 ……はぁ……私がまごまごしている間に、強制的に後者になっちゃった。

 南もわざわざ私にそんな声を掛けながらも、心ここに在らずというかお母さんには心が向けられていないというか、ずっと隣の比企谷くんをチラチラチラチラ見てるし。

 

 ……ていうかあなた……、いつも食卓ではお母さんの隣の席に座ってるのに、今日はさも自然に比企谷くんの隣に陣取ってるのね……

 普段はいま比企谷くんが座ってる席──旦那の席──の隣になんて絶対座らないでしょっ!

 

「……あ、あのな、そんなにチラチラ見られてると、さすがに食いづらいんだが」

 

「は、はぁ? 全っ然見てないし……! 自意識過剰なんじゃないの……!?」

 

 娘を溺愛する旦那の事を思って密かに涙していると、食事の席はつつがなく進行しているようで……。どうやら比企谷くんは、やはりトマトが苦手だと告白せずに食べてくれるみたい。

 ありがとね。やっぱり比企谷くんは優しい子なのね。あとは願わくば、トマトを口にする時も顔に出さないでくれると有難いのだけど。

 

 ……あとね? 南。

 全然見てないとか、さすがにそれは無理があるからね? むしろ見すぎなくらい見てるから。

 ま、好きな男の子に初めて自分の料理を振る舞う女の子の心境は、女の子にしか分からないものね♪

 

 

 そして相模母娘が固唾を飲んで見守る中、ついに比企谷くんはフォークに巻き上げた冷製パスタを口に運ぶ。

 ホントごめんなさいね比企谷くん。こんな緊張感溢れる食事いやよね。

 

 

 

 私の見る限り、比企谷くんは少なくともパスタを口に運ぶまでの間は、眉根の一つも動かさないで、南にトマト嫌いだとバレないようにしていてくれた。うん、男の子!

 でも問題はここから。フォークに巻き上げられたパスタには、しっかりとフルーツトマトもたくさん絡まっていたのだから。

 

 ゆっくりゆっくりと咀嚼した比企谷くんは、ごくりとパスタを飲み込む。その瞬間、比企谷くんの隣の席と向かいの席からもごくりという音が響いた。……ほ、本当にごめんなさい。

 

 

 ──そして、

 

 

「……うめぇ」

 

 

 比企谷くんは、なんのお世辞も嘘も感じさせない自然な声音で、一言こう言ったのだ。

 

 

 その瞬間、口元をだらしなく弛ませた南は、分かりやすいくらいにテーブルの下でグッと拳を握ると、ぎゅっと目を瞑って小さく「よしっ!」と呟く。

 

「……あ、当たり前だっつの、うちが作ったんだから。……そんな当たり前のこと言ってないで、黙ってさっさと食べたら……?」

 

 もちろんツンデレ? も忘れず添えて。

 

 

 ……あなたホントにそこはブレないわねぇ。

 でもね? ニヤニヤも真っ赤な顔もガッツポーズも「よしっ!」も、全部比企谷くんにバレバレっぽいわよ?

 だって比企谷くん、南とは逆の方向むいて耳を赤く染め上げてるもの。

 

 

 

 ──良かった。ホントに良かったね、南!

 

 

 

 これは多分だけど、南が格好付けようとお洒落ぶって、フルーツトマトをチョイスしたのが功を奏したのかもしれない。

 

 トマト嫌いの子は、大抵トマトのドロッとした青臭いゼリー部分が苦手。

 でも、糖度が高くて青臭さが抑えられているフルーツトマトで、トマト嫌いを克服出来る子供が多く居るというのは有名なお話。

 パスタに絡まりやすいように等分にカットしたから、実から出てしまったゼリー部分がソースと一体になっていたのも、この結果に一役買っていたのだろう。

 

 なんにしても……、ふふ、これは南の愛の勝利かしらね。

 ただ格好付けたかった南の、単なる偶然かもしれないけれど、でも……好きな男の子に美味しく食べてもらいたい──っていう真っ直ぐな気持ちが、この結果を呼び寄せたのよね。

 

「あら、ホントに美味しっ」

 

 思いがけない素敵な結末に、私も一口パスタを頬張って口角が弛む。

 

 

 

『ねぇ南〜、もうちょっと甘さを抑えて塩気を強めにしてもいいんじゃない?』

 

『んー、でもあいつ甘党だから、これでいってみようと思うんだ〜』

 

『そっかぁ』

 

 

 料理の練習は、思いのほか順調に進んだ。

 南はもともと手先が器用な子だし、何よりも私の娘なのだから、ちゃんと料理を始めれば上手くならないわけがないのよね。

 それなりに料理のいろはが分かってきてから、比企谷くんが訪問する日のメニューを考え始め、来る日に備えて何度か予習をした、とある日のとある一幕。

 

 確かに好き嫌いのリサーチは不足していたけれど、でもちゃんと相手の好みを考え、料理年長者のお母さんの意見に反抗してまで自分で味付けを決めた南の真っ直ぐな愛情が、相手に届かないわけがない。

 料理は愛情! って、むかし神田川先生もおっしゃっていたしね! あら? 結城貢(ゆうきすすむ)先生だったかしら?

 ま、それはこの際どっちだっていっか! とーにーかーく……

 

 うん! 今日の出来は、今までで一番の出来だぞ!

 

 

 

 苦手なトマトを我慢する気まんまんで、半ば諦めて口にしたトマトパスタが予想外に美味しくて、気を良くした比企谷くんは次から次へと各料理を美味しそうに口へと運び続ける。

 そんな比企谷くんの様子を、にまにまと悶えながらも幸せそうにチラ見する愛する我が子。

 

 うふふ、ごちそうさまです♪

 

 

 

 

 

「ちょと比企谷、あんた勢いよく食べ過ぎだから。……あーホラぁ、口んとこ、ソース付いてるって」

 

「ん? おう……ここら辺か」

 

「違う、逆だから」

 

「あん? こっちか」

 

「だから違うってば! あぁ〜、もうじれったいなぁ、ちょっとこっち向いてっ」

 

「お、おい……! ちょっと……?」

 

「……あ……。 ……〜〜っ」

 

 

 

 ちょっと南……? いくらなんでもお母さんの前でイチャイチャし過ぎじゃない……?

 

 比企谷くんの口の横に付いたソースを、たぶん素で自分のハンカチで拭きとってあげてしまい、うっかりそんなラブラブカップルのようなやりとりになってしまった事に赤面してもじもじする若い二人を見て、なんとなーく居場所が無いなぁなんて感じている四十過ぎのおばさんは思うのです。

 

 

 

 お母さん、まだちょっとしか食べてないのに、もうお腹いっぱいになっちゃったわよ……

 

 

 

 

続く

 

 





なんだこれ?



きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ? こいつら別に付き合ってないんだぜ? これで。



……というわけで、新年一発目からなんだこれ?


実は今回で緑さん視点は終了する予定だったんですよ。
でも予想外にイチャイチャするわ緑さんがハッスルするわで、まさかの食事だけで終わったしまったよ……

てなわけですいません、次回も緑さん視点でお贈りします。
次回は八幡と緑さんのサシの会話回なので、ちょっと真面目なお話になると思いますm(__)m

実はそのサシの会話の為に緑さん視点を用意したんですけど(内容的に以前短編集で書いたルミルミ家訪問と丸被りなんで八幡視点にはしたくなかったし、そもそも今作はヒロイン視点(八幡)を書くつもり自体が無かったんで)、これじゃ単なるイチャイチャ実況中継だよ!



ではではまた次回ですノシ



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vol.12 相模緑は捻くれ少年と相まみえる

 

 

 

 なんとも幸せな食卓の時間は過ぎていき、ついにはダイニングにそんな時間の終わりを告げる三つの声が響く。

 

「えと……ごちそうさまでした。すげー美味かったっす……」

 

「……お、おそまちゅさま」

 

「あら、お粗末さまでした! お母さんももうお腹いっぱ〜い、ごちそうさまでしたっ」

 

 ホントにもうお腹いっぱいごちそうさまよ、お母さん。

 比企谷くんがあんまり構えちゃわないようにって、今日は旦那に席を外させたけれど──そもそも今日の事は旦那に内緒だし──、これは違う意味で旦那を外しといてよかったわ。

 旦那も比企谷くんにはすごく感謝してるしとても認めているけど、さすがにこんな南の姿を見ちゃったら泣いちゃいかねないしね。

 

 

 さて、食事の時間も終わった事だし、ここからが私の時間。

 私的には、ある意味この時間の為にお招きしたフシさえあるのだし。

 本来なら比企谷くんに来てもらうのではなく、自らが彼の下に赴くのが筋なのだろうけれど、それは逆にご迷惑かもしれないから、申し訳ないけどこうしてわざわざ来てもらったのだ。

 

「さってと、」

 

 ぽんっと手を合わせて視線を南と比企谷くんに向ける。

 

「じゃあお片付けねっ、南。比企谷くんはリビングで休んでて貰えるかしら?」

 

「うん」

 

「……あ、なんかすんません」

 

 そして三人は片付け組と食休み組へと分かれる。

 もちろん私は……

 

「……え? お母さん……? どこ行くの……?」

 

「もちろん決まってるでしょ? お母さんも比企谷くんと一緒にリビングで食休み♪」

 

「いや、だって片付けは!?」

 

「そんなの南に任せるに決まってるじゃなーい」

 

 あらやだ、この子はなにを言ってるのかしら〜! とばかりに手をちょいちょいさせて、私は颯爽とリビングへ……

 

「ちょちょちょ!? ま、待ってよ! い、一緒に片付けしちゃえばいーじゃん!」

 

 とはなかなか行けないご様子。南が珍しく抵抗してくるから。

 ふふふ、お母さんそんなの余裕で想定済みだけどね!

 

「それくらいひとりで出来るでしょ?」

 

「でっ、でもいつもは一緒に片付けてんじゃん……! なんか今日は洗い物が妙に多いし!」

 

 ふふっ、それはそうよ。

 お母さん、いつもだったらお料理の最中とか盛り付けの最中に、効率よく洗えるものはパッパと洗っていっちゃうけど、今日は料理道具一式ぜーんぜん手を付けてないんだから!

 

「だ、だったらうちも、後で片付け…」

 

「南? お母さん料理を教えてあげる代わりに、ちゃんと料理の心得も教えたわよね?」

 

「……ゔっ」

 

「料理はきちんとお片付けする“まで!”が料理よ? たまーに休みの日にお父さんがキッチンをとっ散らかせっぱなしで作るカレーは、料理とは呼べないの!」

 

 そうなのよあなた?

 いつも言わないでおいてあげてるけど、あれ意外と迷惑なんだからね?

 ……ホントなんで男の人って、あんなにキッチン汚して、さらにそのあと片付けもせず汚しっぱなしで満足しちゃうのかしら!

 

「そんな風にお片付けは後回しとか言ってたら、もう料理教えてあげないわよ〜?」

 

「なっ!? う、う〜……でもぉ……!」

 

 ま、南がなんでこんなに警戒して、こんなにも私を片付けに引き止めようとしてるかは良く分かる。

 こういうシチュエーションでは、子供はどうしても親のお節介に対して警戒しちゃうものだもんね。

 でもね……?

 

「大丈夫よ南。お母さん、南が心配してるような事はお話しないから。だってお母さんが勝手に先走ってお節介で変なこと言っちゃったら、比企谷くんが警戒しちゃって、上手くいくものも上手くいかなくなっちゃうかもしれないもんねぇ?」

 

 そ。こういう時お節介な母親キャラって余計な気を回しちゃうものなのよね〜。

 彼女居ないんならウチの娘どう? とか、ウチの子、結構キミのこと気に入ってると思うんだけどなぁ? とかね。

 でもこの二人の現状ではまだ逆効果になりかねないし、今はまだそっとしておいてあげるのがいい母親よね。

 

「ななな!? な、なに言ってんの!? なによ上手くいくとか上手くいかないとか!? べ、別にうちは比企谷と付き合いたいとかそういうんじゃ全然ないし!」

 

 ほんっと語るに落ちるとはこの事ねぇ。

 頭からぼふっと湯気を出してそんなこと言われても、お母さん困っちゃうわよぉ?

 

「あら〜? お母さんそんなこと一言も言ってませ〜ん」

 

「うぐっ」

 

「……それにホラ、そんな大声出してるから、比企谷くんこっちを不思議そうに見てるわよ? あんまり騒ぐと比企谷くんになに言ってるか聞こえちゃうぞ〜?」

 

「ひっ……!」

 

 よし、これで南は陥落っと。

 ではでは突撃しちゃいましょう!

 

「というわけで南? きちんと後片付けしとくのよ? お客様用のお皿に水垢付いちゃうの嫌だから、洗い終わったらちゃーんと水気を切って、乾いた布巾でしっかり拭いておくこと! じゃあお母さん、休憩してくるからねー」

 

「ちょ、お母さ〜ん……!?」

 

 泣き付く娘を無慈悲に振り切って、私は一路我が家のリビングへ。

 南が騒いでた事で、未だ私たち相模母娘の様子を不思議そうに窺っていた彼の下へたたっと近寄る。

 

「比っ企谷くん! 南がお片付けしてくれてるから、その間ちょっとだけおばさんと二人でお話ししない?」

 

「へ!?」

 

 同級生の母親の来襲という突然の事態に目を白黒させている比企谷くん。でも私はそんなのお構い無しに、二人掛けのソファーに所在なさげに座る比企谷くんの隣にぽすっと腰を下ろした。

 

「え、いや、あの」

 

「あら、おばさんが隣に座るなんて嫌?」

 

「しょ、そんなことないです……」

 

 んー、まぁ友達のお母さんと「二人でお話しましょ」なんて言われちゃったら、男女問わず年頃の子なら誰だって戸惑っちゃうわよね。

 

 まだちょっとビクビクと緊張している比企谷くんではあるけれど、時間もそんなに無いことだし、私はそんな比企谷くんの目を真っ直ぐに見つめる。

 

「ではでは改めまして。相模南の母の相模緑です。今日はわざわざお呼び立てしちゃってごめんなさい。そして来てくれてありがとう。……今日はね、どうしても比企谷くんとお話したいって思っていたの」

 

 

 ──こうして、私と比企谷くんのちょっぴり真面目なお話が幕を開けるのだった。

 

 

× × ×

 

 

 最初は戸惑って目を泳がせていた比企谷くんも、私が真剣な目を向けた途端にきちんとこちらへ向き直り、挨拶を返してくれる。

 

「えと、こちらこさ改めまして。相模の……あ、いや、み、南さんの同級生の比企谷です」

 

 ふふっ、まだ南を下の名前で呼ぶのは恥ずかしかったのかしら。

 比企谷くんは、ほんのりと赤く染まった頬をカリカリと掻き、……そして、不意に頭を下げた。

 

「その……謝罪が遅れてしまってすみません。先日は大変失礼しました」

 

「え? 謝罪……?」

 

「あ、その……お母さ……さ、相模さんの制止を押し退けて勝手に家に侵入しちゃいましたし……「警察呼ぶならどうぞ」とかって、すげぇ失礼な物言いもしちゃいましたし……それに、玄関で大事な娘さんに暴言吐いちゃいましたし」

 

「……」

 

 ……驚いた。この子はあんな事を……あんな事までして南も我が家も救ってくれたと言うのに、それを誇るどころか罪だと感じているだなんて。

 

 そういえば自分がお客さんという自覚も一切無かったし、もしかしたら私が呼び立てたのは、その時の謝罪に来いとか、そういう理由で呼び出されたと思っていたのかしら……

 

「……違うの。違うのよ……? そんなの、どうだっていいの」

 

 ……私は、本当に浅はかだった。

 南に呼び出してもらえば、南が比企谷くんを誘う事も出来るし、比企谷くんに謝罪もお礼も出来ると思って、軽い気持ちで一方的に呼び出してしまったけれど、やはりきちんとこちらから出向くべきだったのだ。

 比企谷くんは、相手の親に呼び出されたという事態をそう受け取ってしまう子かもしれないって、ちゃんと考えておくべきだった……

 

「……ごめんなさいね。私、ちゃんと比企谷くんの事を考えて無かったね。今日わざわざ来て貰ったのは、そんな事を言わせたかったわけでは無いの」

 

 むしろそんな事を言わせてしまった私は、大人として失格ね……

 

「今日来て貰ったのはね? 私が相模南の親として、比企谷くんにどうしても謝罪とお礼を言いたかったから」

 

 そう言うと、比企谷くんは呆気に取られた顔で私を見る。

 

「いや……相模さんが俺に謝罪とお礼……? 別に俺は相模さんにそんな事をされる覚えなんて無いんすけど……」

 

 この子は、本気でこれを言ってるんだろうなぁ……

 

 なんて悲しい思考なのだろう。……でもそれは、南と比企谷くんのあの話を立ち聞きしてしまった時点で……比企谷くんの考え方を知った時点で、ちゃんと想定しておくべき事だったんでしょうね。

 

 私は比企谷くんの手を両手で挟むようにぎゅっと握り、なるべくこの子が言葉の裏を読んでしまわなくても済むよう、私に出来うる限りの優しい笑顔を浮かべて語り掛ける。

 

「……そんな事ないのよ? 私には……んーん? 私たち夫婦には、比企谷くんに対して謝罪とお礼の気持ちしか無いんだから。……比企谷くん。あの子ね、学校に復学できるようになってから全部話してくれたの。去年あの子とあなたの間になにがあったのか。それであなたがどんなに傷付いたのか。謝って済む話なんかじゃないけれど、本当に……ごめんなさい……」

 

 私は彼に深々と頭を下げる。

 自分の娘が無責任に仕事を放棄し、さらには人を貶めるような事をしていただなんて、全く気付きもしなかった。

 これは、そんな風に育ててしまった親の責任。

 

 もしもその事を、大粒の涙を流しながら告白する南の口からではなく周りから聞かされていたとしたら、私は……娘に手をあげてしまったかもしれない。……それほどに酷い罪。

 

 ……それなのに……

 

「……それなのに、恨んでたっておかしくもないウチのバカ娘の為に、あんな無茶までして娘を救ってくれて、本当に……本当にありがとう……」

 

 比企谷くんは南の罪を、なんでもない事のように受け入れて、さらに手を差し伸べてくれた。

 

「あ、い、いや……」

 

「……比企谷くんは本当に凄い子よね。普通他人の為にあんなこと出来ないわよ。警察呼ばれたっていいとか……自分の辛い過去の話を言い聞かせるとか。……それも友達や恋人どころか、自分に酷い事をした相手の為にだなんて」

 

「……別に凄いとか、そんなのは全然無いっすよ。ただ、仕事だったんで」

 

「仕事って、奉仕部のお仕事よね? でもね、たかだか高校の部活動の依頼っていうだけで、普通そこまで出来ないわよ。……そんなの、誰にだって出来ることじゃない。……だから謝ったりしないでね。君はもっと、胸を張って誇ったっていいのよ……?」

 

 

 私も最初は本当にびっくりした。

 とても高校生とは思えないような、仕事続きで疲れ切った時の旦那くらいの目をした男の子が突然やってきて、私を押し退けて無理やり家に入ったんだもの。

 

 それでも、比企谷くんを前にした南を見たらもっと驚いた。

 最初は戸惑い、怒り、泣き叫んでいた南だけれど、でも、あんな生き生きとした南を見たのは本当に久しぶりだった。

 

 そして、二人で話すなんて言うから、心配になって南の部屋の前まで見に行ってみたら、比企谷くんは『その程度で悩んでるなんてバカじゃねーの?』とでも言いたげに、私でも聞いているだけで胸が張り裂けそうになるような自身の辛い思い出を、悲観する南の為に言い聞かせてくれていた。あんな辛い思い出、わざわざ他人になんて話したくなんかないだろうに。

 

 あの時は、そんな比企谷くんの不器用な優しさを感じて、そしてその不器用な優しさを、ひとりぼっちで泣いていた娘に向けてくれて、有り難さと嬉しさで私も思いっきり泣いちゃったっけ。

 

 だから比企谷くんは本当に凄い子なのよ? 本当に優しい子なの。

 だから、もっと堂々としてたっていいのよ。

 

「……比企谷くんは仕事だからとかなんてことないとか言うかも知れない。でも私たち家族にとっては、比企谷くんがしてくれた事は、なんてことないどころかとんでもない事なのよ。あなたが居なかったら、南もウチも、どうなってたか分からないんだから。……だからもう一度言わせてね。ウチの娘がご迷惑をお掛けしてしまい、本当にごめんなさい。……そして、そんなウチの娘に手を差し伸べてくれて、本っ当にありがとう……!」

 

 

 もう一度深々と頭を下げる私に対して、今度は否定の言葉は降りてこなかった。

 たぶんだけど、私の真剣な言葉と思いを否定するのは無粋だと思ったのかもしれない。

 つくづくしっかりし過ぎた子だなぁ……と、呆れ半分で感心しながらも、気持ちをちゃんと受け取ってくれた事を有り難いとも思う。

 

 

「……でーも!」

 

 でもごめんね? 恩人のあなたにこんなこと言うのはとても気が引けるけど、でも、大人としてこれだけは言っとかないとね!

 

「あれはさすがにやりすぎよ……!? まだ私だから良かったけど、人によっては本当に警察に通報されて本当に連れていかれてたっておかしくないんだから……!」

 

 そう言って、私は比企谷くんのおでこにグーでこつんこしてやりました。

 

「……親御さんの為とか、比企谷くんの事を心配してくれるお友達の為とか色々あるけど、……なによりも、まずはもっと自分を大事にしなきゃ、ね」

 

「……うす」

 

 気まずそうに、気恥ずかしそうに……赤くなった顔で目を泳がせながら、素直にそう一言だけを口にした比企谷くんを見て、私は少しだけ安心した。

 根拠なんて全然ないけれど、この子の目を見たら、なんとなくもうあんな無茶はしないように思えたから。……ふふっ、もしかしたら比企谷くんを心から心配するお友達の誰かにでも、しこたま叱られたのかもね〜。

 

 どんなに達観してたって、この子はまだ高校生で、まだほんの子供。

 南とおんなじ。どれだけ失敗したってどれだけ傷付いたって、こうやって少しずつ成長して、少しずつ大人になっていくんだろう。

 ……願わくば比企谷くんのそんな成長を、南の成長の隣でずっと見ていけたらなぁ……なんて、おばさん思っちゃうよ。

 

 

「……あはは、ごめんね。比企谷くんには感謝と謝罪の気持ちしか無いなんて言っときながら、偉そうについお説教なんてしちゃったね。バカ娘をあんな風に育てちゃった私が、なーに言ってんだかねー」

 

「……いえ、そんな事は無いっす……むしろ、なんつーか、……ありがとうございます」

 

「いえいえ、こちらこそっ。…………ハイッ、真面目なお話はここまで! せっかくお客様に来てもらったのに、こんなにしんみりばかりしてたってしょうがないものね! ……それじゃ南が来ちゃうまで、あとは楽しいお話でもしてましょっか?」

 

「……い、いや、俺に楽しい話とかは……」

 

「いいからいいから〜」

 

 

 

 

 

 

 ──と、ここまでで、私 相模緑と、捻くれ者で素敵な少年との物語は一旦お仕舞いです。

 

 もしまたこの物語を紡ぐ日が来るのなら、その時は純白のウェディングドレスを身に纏った愛する娘を横に見ながら、ハンカチで目尻を拭いつつゆっくりと語りたいなぁ……

 

 ふふっ、期待してるよ? 相模八幡くん♪

 

 

 

 

続く

 





どうやら緑さんは娘を嫁がせる気は無いようです。
残念ながら八幡は長男ですし、これは家同士で一悶着ありそうですね☆


比企谷家大黒柱「え?八幡を婿に寄越せだと?

どうぞどうぞ」

八幡「……」
悶着ないのかよ(白目)




というわけでありがとうございました!今回でようやくママみん視点終了です(^皿^)

お宅訪問編のスタートはママみん視点で……と始めから決めてはいましたが、ま、まさか三話になっちまうとは……汗
八幡の周りにはあまり八幡を理解してくれる良い大人が居ないので(両親以外だと平塚先生くらいなもん)、たまには八幡をちゃんと“子供”と見てくれる大人も必要ですよね(^^)


そして次回からはさがみん視点に戻してのラストスパートです♪
残すところあと二〜三話ってトコですかねぇ(^ω^)



それではまた次回です!ノシノシ



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vol.13 相模南は今日という日の真の目的に向けて動き始める

 

 

 

「や、やっと終わった……」

 

 今日に限ってのこの洗い物の多さ……

 そりゃ? たかが比企谷とはいえ? 一応お客さんをお迎えしたわけだから、いつもよりも洗い物が多くたって頷けるけどさ?

 

 にしたっていくらなんでもこの量は無い。

 これ絶対お母さんわざとだよ……あの人、比企谷と二人でなんか話がしたくて、絶対わざと洗い物溜めといたよ……

 

 うっわぁ……マジでなに話してんだろ。

 

『お母さん、南が心配してるような事はお話しないから』

 

 とは言ってたけど、とてもじゃないけど気が気じゃない。

 

 家のキッチンはシンクで洗い物してると少し移動しないとリビングが見えない造りになってるから、洗い物に集中したままだとリビングを覗き見る事が出来ない。

 まぁ、洗い物が済むまではあっちに行けないから、どうせ覗いたところでただ目に毒ってだけにしかならないし、たまに……たまーにチラッチラ覗きながらも、とりあえずは片付けを早く終わらせる事に集中したのだ。

 

 ちなみにちょっと覗く度に、お母さんは比企谷の手を握っていたりおでこにコツンとしてたりして、うちは何度ダッシュで駆け出したくなった事か……

 その時のお母さんの表情がメッチャ真剣だったから、…………うん。まぁ多分うちの事に関しての謝罪とかお礼とか、そういうヤツなんだろうと思ってなんとか堪えたけども。

 ……ごめんね。んで、ありがと、お母さん。

 

 

「ん、これでよしっと!」

 

 片付けを終えたうちは速攻でお茶の準備を済ませ、三人分のコップを乗せたトレイを持ち上げると、タタッとリビングへと急ぐ。

 いくらお母さんが変な事を話さないと約束したとはいえ、そこはやっぱり思春期お年頃な乙女ですよ。密かに好きなヤツと自分の母親が二人きりで話してるなんて、罰ゲーム以外の何物でもないのだ。

 

 

 っておい……

 

 ダッシュでリビングに突入したうちは、危うくトレイごとコップと飲み物を床にぶちまけちゃうかと思ったよ。

 いや、むしろトレイごとひっくり返しちゃわなかった自分を全力で褒めてあげたいまである。……そりゃさ、この光景を目撃したら……ねぇ……?

 

「んー! 比企谷くんはやっぱり男の子ねー!」

 

「いや……ちょっ……!」

 

「あ〜あ、おばさん比企谷くんみたいに頼りになる息子も欲しかったなぁ。どこかの素敵な男の子が、ウチにお婿さんに来てくれないかしらねー」

 

「いや、だからちょっ……」

 

 

 うちがソファーの近くまでやってくると、ウチの母親が比企谷の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でて、こんなふざけた事をおっしゃってました。

 

 ねぇねぇお母さんさぁ……? あんたさっき変な事は言わないっつったよね……?

 それ、変な事の極致じゃん……。なんなの? それ完全に娘を殺しにきてるよね?

 

「……ねぇ、なにしてんのよ……」

 

 どうしよう。怒りと羞恥に手が震えて、トレイがカチャカチャカチャカチャ凄っごく五月蝿いんだけど。

 

「あ、南お疲れさまー。……ん? どうかした? そんな変な顔してプルプルしちゃって」

 

「……変な顔で悪かったわね……。ねぇお母さん、あんたなに話してんの……?」

 

「え? なにって比企谷くんとただの世間ばな…………あ」

 

 あ、じゃないからね……?

 これ完全に話が楽しくなっちゃって、約束とか忘れて思ってること全部垂れ流しちゃったやつだよ。

 

「ご、ごめんねー!? お母さん、そんなつもり無かったのよ〜……あ、あはっ?」

 

「年甲斐もなくあはっじゃないから! もぉぉ、マジ最悪! う、うちの居ないとこで勝手にキモいこと言わないでくんない!?」

 

 やらかしといてヘラヘラしてるお母さんにぴしゃりとそう言ってやったら、「むー、そりゃお母さん確かにうっかり変なこと言っちゃったけどさぁ……」と、ぷくっと頬を膨らませて不満げなんですよ、これが。

 いやいや、なんで不満げ!? てか我が母親ながら、なんか可愛くてムカつく。

 

「ホント信っじらんない! もう……これだから親と友達だけにしとくのって嫌なのよ!」

 

 ……って、あ……

 ついうっかり友達とか言っちゃったよ……なんか比企谷も驚いた顔してるし。

 

 う、うあぁぁ……顔あっつ! 

 こ、これはいかんぞ……? 親が変なこと口走ってた羞恥に加えてのコレは、羞恥の相乗効果である。

 ……ちょっとあんた、え、俺とこいつって友達だったっけみたいな腹立つ顔すんのやめなさいよ。うちは一応友達のつもりなんだからね……! い、いまんトコは!

 

 

 ガチャン! と。

 うちは己の失態を誤魔化すように、トレイに乗せたコップをひとつだけテーブルの上に乱暴に置いた。

 

「……お、お母さんの分のお茶はここ置いとくからね! ……ね、ねぇ、あんたいつまでそこに座ってんのよ。早く立てば?」

 

 うちは泳ぎまくる目でなんとかそれだけを告げると、クルリと回れ右をして一人ずんずんと歩きだす。

 

「……へ? ど、どこ行くんだよ……あ、帰っていいの?」

 

「は? なんでよ!? どう見てもあんたの分のお茶もトレイに乗ってんでしょうが!」

 

 アホかこいつ! 帰すわけないじゃん! まだ本日のメインイベントはこれからだっつの!

 

 ちょっとイラッときたけども、うちは振り向きもせずにずんずん進む。

 なぜなら、こうすれば帰りたいなどと抵抗する間もなく、うちに付いてこざるを得ないからだ。

 

 ……あ、あとは今ちょっと顔見せらんないです……。顔あっつ……

 

「……早くしないと氷溶けちゃうじゃん! ほ、ほら、うちの部屋行くから……!」

 

「……」

 

 ふふん、思った通り、納得いかないって顔で首傾げながらも黙って付いてきてやんの。

 こいつって意外とチョロいんじゃないの? うちも相当チョロいけど。

 

「南ー、お茶いただきまーす。あ、あと例のアレ、あとで呼ぶからね〜」

 

 ……ちょっと黙っててくんない!? 例のアレとか超余計だっつの。最後までお母さんのアホ!

 

 

 

 やりたい放題なお母さんの暴走はともかく、これってよくよく考えたら、意外とラッキーな流れだったのかも。

 普通に部屋に誘ったら、たぶんこいつ「なんで?」って言うだろうし、そしたらうちはその質問に答えなきゃなんないわけじゃん? ……うん。無理。うちの部屋で比企谷と二人になりたいから、なんて言えるわけない。

 

 でもこれだったら比企谷に有無を言わせる隙も与えないから、結果的にはスムーズに事が運べたってわけだ。その代わり失うものも大きかったけど。主にうちのライフ。

 

 

 

 ──何はともあれ、まぁこんな感じでうちは比企谷を自室へと誘う事に成功したのだった。

 

 ……ん? なんかちょっといやらしい感じになっちゃってない……? うち別に、自室で比企谷に奉仕活動とかしないから!

 

 

× × ×

 

 

「と、とりあえず適当にそこら辺座れば……?」

 

 自室に男を招くのはこれで二度目。まぁ一度目もこいつだけども。

 

 うちは比企谷を部屋に招き入れるとクーラーのスイッチをピッと入れて、いそいそと比企谷が座る為のクッションをテーブル横にぽふっと置いてあげた。

 適当にそこら辺座れば? とかつっけんどんに言いつつも、この甲斐甲斐しさはなかなかポイント高いかも。

 

「……お、おう、サンキューな……」

 

 と、なんかちょっと居心地悪そうに、キョドりながらクッションに腰掛ける比企谷をもじもじと眺めつつ、うちも短めのスカートを押さえて向かいへと座る。

 てか今更だけど、なにちょっと気合い入れてミニとか履いちゃってんの? 上だってキャミだけだし。うちキモ。

 

 

 ……それにしても、……うわ、なんかすっごい変な感じ! どしよ、比企谷がうちの部屋でうちのお気に入りのクッションの上に座ってんよ……。意識したら……うん。めっちゃ緊張してきちゃったんですけど……

 

 そ、それもこれもこいつが全部悪い。

 あんただってうちの部屋に入ったの二度目なんだから、そんなに緊張する必要なくない!? そのキョドったキモい緊張感がこっちにも伝染してくるっての……!

 

 ……つーか、

 

「……ね、ねぇ、なに人の部屋勝手にじろじろ見てんの……? マジやめてくんない……? キモいんだけど」

 

 そう。なんかこいつ、部屋に入ってから妙にチラチラとあちこち盗み見てんのよね……

 寝起きで超頑張って片付けだけど、なんか変なもんでも落ちてないかヒヤヒヤして余計緊張しちゃうからマジやめて欲しい。

 これで、片付け中にパンツとかそこら辺に落としっぱなしだったとしたら余裕で死ねます。

 

「……キモいんなら俺を部屋に入れんなよ……。まぁ、なんだ。なんか前に来た時とずいぶん印象変わったなぁと……」

 

 あ……前に来た時、かぁ。

 そっか、そういえばそりゃ気になるよね。

 

「ま、ね。……ほら、あん時は結構病んでて部屋に籠もってたから、あんま明るい感じとか避けてたんだよね。……だからまぁ、心機一転色々と買い揃えたってゆーか」

 

 あの時のうちの部屋は、カーテンから小物からなんかどよんとしたオーラ放っててめっちゃ暗かったけど、今のうちの部屋は『THE! 女の子の私室!』って感じだもんね。

 ちなみに比企谷に貰ったピアスを飾る為だけに買ったピアススタンドは隠してる。ピアス飾ってもないのに──今まさに耳に装着してるから──ピアススタンドだけあったら、察しのいいこいつならスタンドにいつもなにを飾ってるか気付いちゃいそうだから。

 そもそもこいつがピアススタンドなんてモノを知ってるかどうか疑問だけど。

 

「……そうか。じゃ、まぁあれだな。この部屋が今の相模の心理状態を表してるっつーんなら、今はそれなりに毎日に満足してるって事だよな。……ま、結構いい感じの部屋なんじゃねぇの? 女子の部屋なんてあんまり経験ないから知らんけど」

 

 そう言う比企谷の表情は、なんていうか……とてもあったかい。

 何だかんだ言っても、こいつなりにうちの今の毎日の生活を気にしてくれてたんだろうなって、凄く良く分かる。

 

 

 ──だからさぁ、急にそういう優しさを見せつけてくるこいつってマジで卑怯。こっちだって油断してるから、つい頬がだらしなく弛んじゃいそうになるっての。相変わらず一般の人には分かりづらすぎの不器用さだし。

 

 でも、そんな分かりづらい不器用な優しさに気付けちゃう今の自分は……うん、結構好きかも。

 

 ……ん? て、てかなによあんまり経験ないって。それって、逆説的に多少の経験があるって事だけども……?

 ぐっ……、結衣ちゃん? 雪ノ下さん? 一色さん?

 と、こんな風にちょっとした事で軽くジェラっちゃう今の自分は……うん、ちょっと厄介だったりするかも。

 

 

 ……まぁあれよね? 小町ちゃん小町ちゃん。小町ちゃんの部屋に決まってっけどね! と自分に折り合いを付けて心を落ち着けてっと。

 

「ん。まぁねー。うちも今の部屋、結構気に入ってる」

 

 

 比企谷の『女子の部屋はあまり経験がない』発言は一旦横に置いといて、とりあえずはこいつの不器用な優しさに対して、うちもこいつに負けないようにあったかい笑顔でそう答えてあげた。

 

 

 ……あ、このいい感じの雰囲気なら、いつもだったら言いたくても絶対に照れ臭くて言えないような事も、今なら言えちゃいそう。

 

 だからうちはちょっとだけ頑張ってみる。

 お母さんの暴走とか、自室で好きなヤツとの二人っきりという状況とかで未だに顔は赤いかもしんないけど、うちは頑張って比企谷の目を真っ直ぐに見つめてみた。

 

「……今さ、毎日がめっちゃ楽しい。相変わらずクラスではハブられてるけど、でも由紀ちゃんと早織ちゃんと笑い合っていられるし、優美子ちゃんと姫菜ちゃんもホント良くしてくれるし。あはは、優美子ちゃんはやっぱまだちょっと恐いけどね。……放課後だって、結衣ちゃんと雪ノ下さんと、あとはついでに一色さんとも一緒にわいわいやれてる部活もめっちゃ楽しいの。……ほんのひと月前まで登校拒否してたなんてすっかり忘れてバカみたいに笑っちゃえてるくらい、毎日が楽しくて仕方ないんだ」

 

「……そうか」

 

 比企谷も照れくさそうではあるけども、うちから目を逸らさずに、ぶっきらぼうにそう返事をしてくれた。

 

 よし! まだちょっと恥ずいけど、なんとか言えそうだ。頑張れうち!

 

 うちは比企谷から視線を外し、俯いてはぁぁぁっと深く息を吐く。

 

「うん、そう。毎日楽しいの。なんつーか、すっごい幸せ……。それもこれも、さ」

 

 そしてすっと顔を上げて、もう一度比企谷の腐った目を真っ直ぐに見つめ直す。ぐぅ……照れるッ!

 でも、不思議だよね。確かに腐ってるし、前はこの……うちの醜い心の中までも見透かしたかのような目で見られる事を心から嫌悪してたってのに、今はあんたのその腐った目が、可愛くて愛おしくて仕方ないや。

 

「……全部比企谷のおかげ。あの日比企谷がここに来てくれたから、今があんの。…………あー、いや、ぜ、全部は言い過ぎたわ……えと、五割、くらい……? いや、二、三割……? んー……ご、五パー……?」

 

 アホかうちは。最初にせっかく全部比企谷のおかげって言えたのに、照れ臭さからくる自己保身で、最終的には比企谷の手柄が五パーセントになっちゃったよ。

 だ、だって仕方なくない? 二人っきりで比企谷と見つめ合って素直に感謝できる程には、うちにはまだまだ度胸が足りない。比企谷同様に捻くれてるわヘタレだわのうちからしたら、五パーセントの感謝でもひとまずは上出来かも。

 

「……ま、まぁ何割でも何パーでもいっか……! と、とにかくあの日比企谷がここに来てくんなかったら、たぶんこの部屋はあの日のまんま。暗〜いジメッとした雰囲気のまんま。で、暗〜いうちが毎日引きこもったまんまで居たと思う」

 

「……」

 

「だから、……んん! うち、け、結構あんたには感謝してるから。……比企谷にこの部屋見てもらって、いい感じだって言って貰えて、ちょっと嬉しかった……かも。だからまぁ、……色々とその、あ、あんがとね」

 

 …………ぐふぅ! なんだこれ超恥ずかしい!

 比企谷とか、超ぽかーんってしちゃってるし!

 

 

『うちを見つけてくれてありがとう』

 

 

 いま考えると、あの日の屋上で、よくもまぁあんな恥ずかしいセリフ吐けたもんだわ、めっちゃいい笑顔で。

 自分で自分を尊敬しちゃう。尊敬と同じくらいの割合で自分を殴りたいけど。

 

「……な、なんてねー! ふ、普段あんまこういう話とか出来ないから、せっかくの機会だし、ちょっと言ってみた……っ」

 

 と、結局これですよ。

 恥ずかし過ぎてすーぐ自己保身に走っちゃうヘタレなうちは、今日も今日とて通常営業のようです。

 ……案外、うちって捻デレだったりすんの?

 

「っあー! 超あっつい……! ホント夏ってキッツいよねー、やっぱ部屋に来る前に、先にクーラー付けとけば良かった」

 

「……おう、だ、だなっ」

 

 さっき付けたばっかのクーラーがうぉんうぉんと頑張ってくれている中、向かい合って二人して自分の顔を手でぱたぱたしてる姿は、とてもじゃないけどお母さんには見せらんないや。

 マジなに言われるか分かったもんじゃないっての。

 

「……ね、ねぇ、せっかくコーヒー入れてあげたんだから早く飲めば……? 氷溶けて薄まっちゃうんだけど」

 

 恥ずかしい話はここまでだ! とばかりに、うちはお茶の話でお茶を濁す。なんつって。……落ち着け、うち。

 

 よし、暑くて熱くてしゃーないし、ここはまず自らお茶を飲もう。

 んくんくと琥珀色の液体をノドに流し込む。コップと氷がカランカランと小気味よい音を立て、良く冷えたアイスティーが食道を通過していくと、火照った体と心を冷やしてくれた。

 

 味は……ちょっと分からないですね。

 

「……お、おう、じゃあ頂きます」

 

 そんなうちを見習ったのか、もしくはんくんくと鳴るノドの音を聴いて羨ましくなったのか、比企谷も氷の冷気と高い室温でいい感じに汗を掻いた魅惑的なコップへと手を伸ばす。

 

 んくんくと比企谷のノドも心地よい音を立てるのだが、うちはその光景から目が離せない。なぜなら……

 

「おお……うめぇ。マッ缶……? いや、ちげぇな。……でも家で作るマッ缶モドキよりずっと美味い」

 

 この、目を丸くさせるであろう比企谷の表情を見逃したくなかったから。

 ふふふ、どうやらあの凶悪な甘さのコーヒー再現率は、なかなかに高かったようだ。

 

「でしょ。前に来た時は大量の砂糖しか入れらんなかったのに、あんた美味しいって言ってたじゃん? だから今回は、ちゃんと練乳も用意しといてみた」

 

 こいつって、ホントあの甘ったるいコーヒーが大好きだからなぁ。

 でもアレをそのままコップに注ぐだけじゃ味気ないしサプライズも無いから、少しでもこいつを驚かせたいが為に、試行錯誤で味を近付けてみたのだ。

 

「その味を出すのに、一体どんだけの糖分を投入したと思ってんのよ……マジで恐怖を覚える量だったっての。……ほどほどにしといた方がいいって、マジで」

 

「ばっかお前、俺クラスになると、マッ缶を控えなきゃなんないくらいなら早死にを選ぶわ」

 

「……あっそ」

 

 さすがにそれは引く。あんたは医者に酒を止められてる年寄りか。

 

「……まぁ、なんだ、さすがに本物にまでは達してないが、それでもかなり美味いわ。なんつーか……その、サンキューな」

 

「………………あっそ」

 

 ヤバい。うち的にはなんの気なしにただ驚かせたいだけで準備しといただけなのに、頭をがしがし掻いて照れた感じでそんな言い方されちゃったら、まるでうちが比企谷を喜ばせたい一心で張り切っちゃってたみたいじゃん……!

 そ、そんなんじゃ無いんだからね! こいつマジで今日は何回うちの事を辱めれば気が済むのよ……

 しかもわざわざ本物に比べたらまだまだだみたいなこと言ってムカつくし。

 

 だからうちは、ちょっとだけやり返してやる事にした。ふふん、悶えろ悶えろ。

 

「……あ、ちなみにその味が出てるか確認する為に、うち何度かそのコップのまま味見したから」

 

「っ……!」

 

「うわ、だっさ! 高三にもなって、か、間接ちっす……き、キスとかで動揺しちゃってやんのー……! カッコわるー」

 

 ……カッコ悪いのはうちでした。なんだよ間接ちっすって。噛み方が恥ずかしすぎるわ。これ、完全に自爆ってやつだよね。

 

 でもまぁ? 狙い通り比企谷も耳まで赤くして悶えてるし、またも犠牲は大きかったけどプラマイで考えたら結果オーライかな。

 

 真っ赤な顔してコップの飲み口とにらめっこしてる比企谷をニヤニヤと眺めつつ、うちはさらに火照ってしまった体を冷却すべく、再度アイスティーをノドへと流し込むのだった。

 うん、雪ノ下さんの淹れてくれた紅茶に負けず劣らず美味いっ!

 

 

× × ×

 

 

 それからは、お菓子を摘みながら下らない話をしたり、音楽かけながらちょっと勉強したりと、ゆったりとした贅沢な時間が流れていき、気が付けば時計の針はもう夕方の頃合いを指してした。

 最初はあれだけ早く帰りたがってた比企谷も、いつの間にやら帰ろうともせずうちとのこの時間をまったりと共有しているあたり、捻デレた比企谷風に言うと『悪くない』状態なんだろうなって、またもやちょっとニヤついちゃったり。

 

 そんな『悪くない』時間が永遠に続けばいいのに……なんて血迷った事を思い始めていた時のこと。

 

「南ー、例のアレの準備、とっくに出来てるわよー? そろそろじゃないのぉ?」

 

 と、階下からうちを呼ぶお母さんの声が聞こえた。

 ……ハッ!? あっぶない! あまりにも幸せ……んん! 悪くなさすぎて、本日のメインイベントの事をすっかり失念してた!

 確かに比企谷に初めての手料理を振る舞うのも大事なイベントのひとつではあったものの、今日最も大事なイベントはまだこれからなのだ。

 

「……なぁ、そういやさっきもお袋さん言ってたけど、例のアレってなんだよ」

 

「なっ、なんでもないから……!」

 

 どう考えてもなんでもないワケがないよね、これ。

 でもこれは今日この日の最大イベントでもあり最大サプライズでもあるのよ。まぁ十中八九比企谷は嫌そうな顔すんだろうけど。

 だから、

 

「う、うち、ちょっと下で用事できちゃったから……ちょっと待ってて……」

 

 うちが戻るまで、ちょっとだけ内緒。

 

「……は? また一人でお前の部屋に居ろと……? 用事があんなら、俺そろそろ帰…」

 

「待ってて」

 

「……はい」

 

 ちょっと? こんな可愛い女の子に凄まれたくらいで、なにをそんなにビビってんのかな?

 

 そしてうちはビクビクと小動物のように縮こまるキモい比企谷を部屋に残し、一階のお母さんの所へと足早に下りて行った。

 

 

 

 

 

 

「ん! これでよしっと! ど? 南っ」

 

「……ん、まぁ……思ったよりは、いいんじゃん……?」

 

「ね! すっごくいい! 比企谷くんにはまだ今日のこと言ってないんでしょ? これ見て喜んでくれるといいねぇ」

 

「べ、別に喜びはしないでしょ……。ただ……まぁ驚きはすんじゃない? ……しんないけど」

 

「ふふっ」

 

 

 とても優しい笑顔でうちの背中を押してくれたお母さんを一階に残し、うちはゆっくりとゆっくりと階段を上る。

 

 うっわ……歩きづらっ……! ここでコケちゃったら最悪だし、慎重に上らなきゃ!

 

 

 なんとか無事に階段を上りきったうちは、早鐘のように激しく脈打つ心音と熱にクラクラしつつ、めっちゃ震えてる手をドアノブにかけた。

 

 

 ──比企谷のヤツ、これ見たらなんて言うだろ?

 あんぐりとアホみたいに口を開けっ放しにすんだろうなぁ……

 ヤバいヤバい! 緊張でドア開けらんないよ! うわぁぁ……は、恥ずかしぃぃ!

 

 

 でも……少しでも早く比企谷にコレを見て貰いたくて仕方のないうちは、胸に手を当てて深く深呼吸すると、覚悟を決めてゆっくりとドアを開く。

 

「……お、お待たしぇ」

 

「いやお前マジでおせぇ…………は?」

 

 

 予想的中。ヤツはホントにバカみたいにあんぐりと口を開けてうちを見る。

 うちはその視線に羞恥で固まりかけたが、なんとか踏張って、いつもの見せ掛けの強気な態度で比企谷にこう言うのだった。

 

 

「……なにそんな間抜け面してんの? もう出発するから、早くウチ出る準備してよ。……花火大会、間に合わなくなったらどうしてくれんのよ」

 

 

 

 

 ──そう。今日は千葉ポートタワーの花火大会の日。

 比企谷を家に呼ぶのがいつでもいいんなら、じゃあ絶対にこの日がいいって、自然と頭に浮かんだ日。

 

 ちょうど一年前、うちが初めて“比企谷八幡”という人物を認識した日であり、そして未だ胸に燻り続けている最低最悪の日の中の一日。

 

 特別棟の屋上とか奉仕部部室とか、最低最悪黒歴史な一ページ達の思い出は素敵な思い出に変えられたから、うちは最後のあの黒歴史を……素敵な思い出へと変えるんだ。

 

 

 

 

 小さな花がちりばめられた濃紺の浴衣にマリーゴールド結びの黄色い帯を合わせた、最っ高に可愛い浴衣姿の、最っ高に輝いている相模南で、他でもないこいつと……大切な比企谷と一緒に。

 

 

 

続く

 

 





八幡誕生日かと思った?
残念!さがみんは八幡の誕生日なんて知りませんでした!
まぁ7話で『花火大会での黒歴史』を悔やんでるとか匂わせてたんで、この日が『誕生日』ではなく『花火大会』だと予想してた読者さんも多いかも?


──善くも悪くも八幡とさがみんの物語が始まったのは、あの日の花火大会での何気ない出会いから。
ならば物語が終幕を迎えるのも、やはりあの花火大会で……



てなわけで!
前作が終了してからさんざん引っ張り続けた相模家お宅訪問もついに終わりました!(ほぼほぼママみん視点でしたがw)

そして次回の最終回……か、もしくはラスト2話は、あの花火大会の会場へとシーンを移しまして、しっとりとしめやかに完結させたいと思います(^^)
ではでは次回、よろしくお願いしますノシ



あ、ちなみにマリーゴールド結びとは、なんかこう、お洒落な帯の結び方らしいです(雑すぎる説明乙)。もちろんあのアフリカンマリーゴールドなピアスに合わせる為ですねー。
あと先に言っちゃいますが、花火大会らしくはるのんと遭遇したり、もしくは他のヒロインズと遭遇したりとのドタバタコメディはやりませーん\(^o^)/
あくまでもこの作品らしく、しっとりとしめやかに……☆



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vol.14 相模南は勢いに身を委ねる


スミマセン!大変お待たせしてしまいました!
あと2話ほどで完結しますだなんて声高に叫んでからまさかの1ヶ月以上の放置プレイ( ̄□ ̄;)

ま、まぁその間ほかのさがみん書いてたし、大丈夫だよね……?






 

 

 

 やばいやばいやばい……! あっつ! 顔あっつ!

 

「……あー、な、なんかスマンな」

 

「は、はぁ? べ、別にうちなんも気にしてないんですけど!? て、てかなに勝手にひとりで意識しちゃってんの? 超笑えんだけど……っ」

 

「……ああそう」

 

 うわぁぁ……マ、マジでヤバかったよぅ……!

 ちょ、ちょっと? せっかくうちが少し速度落として歩いてんのに、なんでこいつまで一緒になって速度落としてうちを待ってんのよ。顔、見られちゃうじゃん……!

 

「……な、なによ」

 

「あ? 別になんでもねーよ。ただ履き慣れない下駄なんか履いてっから、歩きづらいのかと思っただけだ」

 

「〜っ……! あ、あっそ」

 

 こいつ……っ、こういうとこマジであざといっつの。なに「俺ってこういうとこ気が付くんだぜ? 心配だからお前に歩調合わせてやるよ」みたいにナチュラルにアピっちゃってんだっての……!

 くっそぉ……ああもう優しいなぁ! 余計に顔赤くなるからやめて欲しいんだけど……っ。

 

 

 

 

 現在、時刻は十八時半を少し過ぎた頃。十九時半開始予定の花火大会まで、まだ随分の猶予を持って会場の最寄り駅に到着できたってのは、浴衣合わせに手間取っていた時間と浴衣披露に悶えていた時間を考慮すれば、なかなか上出来な気がする。

 ひひ、うちが浴衣姿で登場した時の比企谷の顔ったら無かったなぁ……こいつ超驚いてやんの! 真っ赤になっちゃってさー。

 そ、そりゃまぁうちだって同じくらい真っ赤になってたとは思うけども。

 

 

 とまぁそれはさておき、そんな上出来な現場到着ではあるものの、うちは今現在もまたもやひとり悶えている。

 一体なにがうちをここまで悶えさせているのかと言えば、他でもない、花火見学に向かう客たちでごった返していた電車内での出来事に決まってる。

 まぁ端的に言えば…………比企谷に壁ドンされちゃったわけよ、うん。

 

 混み合う車内で乗客と扉に押し潰されそうになっていたか弱いうちを、比企谷が身を挺して守ってくれたってわけ。で、まぁ、守ってくれたのはいいんだけど、それからも最寄り駅に到着するまでは、反対側の扉からどしどし人が流れ込んでくるわけで。

 そしたら必然的に比企谷も流れ込んでくる人達に押されてくるわけだから? そりゃもう近いのなんの。最終的には、ちょっとだけお互いの頬っぺが触れちゃったからね。うちがちょっと顔を横にスライドさせたら、普通にあいつの頬っぺにうちの純潔な唇が触れてたからね、あれ。

 

 比企谷、マジで感謝しろよ? あんたの頬っぺの熱にちょっとクラクラしちゃってたうちが少しでも変な気を起こしてたら、たぶん今ごろこんな風に普通の関係ではいられなかったんだかんね? あそこで耐え切った自分を褒めてやりたいし、あんたはそんなうちを全身全霊で褒め讃えるべき。……うん。自分がおかしなこと言ってるのは重々自覚してるから。

 

「どうかしたか? 会場行かねーの? 帰るんなら喜んで帰るけど」

 

「なんで帰んのよ!? 帰るわけないじゃん! ほんっとマジムカつく! ……てかなにいつまでもぬぼっとつっ立ってんのよ。ほら早くしてくんない?」

 

 比企谷がうちの遅い速度に合わせちゃうんじゃ、逆にうちが速度を上げて比企谷の前を歩くしかないじゃんか……というわけで、うちは下駄をカランコロンと小気味よく鳴らしながら、「理不尽すぎんだろ……」とゲンナリしている比企谷の横をそそくさと通り抜けるのだった。

 

 

× × ×

 

 

 人のごった返す駅構内を抜けて改札を出ると、そこはさらに人で溢れかえっていた。

 ここから少し歩くと、すぐに花火大会会場である公園があるわけだけど、駅前からその公園にかけて、驚くくらいに人が溢れかえっていた。それはもう、千葉ってこんなに人いんの!? ってくらい。

 

 これはあれだ。道々に連なっている出店がいけない。だっていやが上にもワクワクしちゃうもん、この出店ってヤツは。

 薄暗くなった闇に連なる、ノスタルジック溢れる屋台独特の雰囲気と灯り。そして芳ばしく香る醤油やソースの匂いに誘われて、そりゃ行き交う花火客達も、まるで花におびき寄せられる蜜蜂の如く、ずらずらと列に並んで道を塞いじゃうのも仕方ないよね。

 

「うお……すげぇ人だな」

 

 そしてどうやらうちの連れは、この喧騒に面食らって早くも嫌気が差しているご様子。

 あー、確かにこいつって、雑然とした人ごみとか超苦手そう。

 

「マジすごいね。ポートタワーから下見たらスゴそう」

 

 うちは眼前にそびえ立っているポートタワーを指差し、比企谷の意見に一応の同意を示す。

 ここであんまり比企谷の意見をバカにしたり否定したりすると──例えば「は? そんなの当たり前じゃん。バカじゃん?」とか「こんなんまだまだだっつの。花火終わって帰る時の方が遥かにヤバいって」とか言うと、こいつってばすーぐ帰宅提案してきそうなんだもん。

 

 まぁ? ぐちぐち文句言いつつも? 変なとこで優しいあんたが、花火を楽しみにしているうちを置いて、先に帰っちゃうわけがない事くらい、うちはちゃーんと知ってますけど?

 ホントめんどくさいヤツー! あー、めんどくさいめんどくさい。……いかんいかん。顔が弛む。

 

「おう、確かに凄そうだ。見ろ、人がゴミのようだっつってな。」

 

「は?」

 

「いや、なんでもないです」

 

「じゃあバルスでも唱えてれば?」

 

「……知ってんじゃねーか」

 

「ひひ」

 

 そんな下らない雑談を交わしつつ、そろそろ諦めて人波の中に足を踏み出したら? と視線で促す頃には、火照った頬も心臓も、ようやく落ち着きを取り戻してきたみたい。

 比企谷に浴衣姿を晒してバカみたいに照れ臭くなっちゃってから、初めてちゃんと比企谷の顔を見て自然に笑えた気がするな。

 

「やれやれ、ほんじゃ行きますかね」

 

 誰しもが無秩序に闊歩する人波に辟易とした表情を浮かべながらも、比企谷はようやく覚悟を決めて歩き始める。そんな比企谷に遅れまいと、うちも慌ててその背中を追い掛けた。

 

 

 ……とは言うものの……比企谷はっや!

 いや、実際は大したこと無い速度なんだと思う。歩くスピードだけで言えば、さっきうちが照れ臭くてわざとゆっくり歩いてた時の歩調くらいかな。

 でもなんでこいつは、こんな人ごみの中をそんなにスルスルと歩いて行けんの……? まるで自身の存在を消すかの如く人波の僅かな隙間を縫うように進む比企谷には、とてもじゃないけど追い付けそうもない。これじゃそのうち絶対にはぐれちゃう……

 

 でもせっかくの貴重なデートなのに、こいつとはぐれるなんて絶対に嫌! だからなんとか比企谷に食らい付いてみようって必死で追い掛けたんだけど、進んでも進んでも、うちが進もうとする先にはすぐに人の壁が出来てしまい、どんっ、どんっ、どんっ、て。うちは何度も人にぶつかってしまう。

 その度に「スミマセン」「ゴメンなさい」と頭を下げながら、待ってよ比企谷ぁ……! って涙目になりかけたうちの目に写ったのは、少し先の方でなんとも申し訳なさそうにうちを待つ比企谷の姿だった。

 

「……わりぃ、これくらいなら付いて来られてると思ってたわ……」

 

 良かったぁ……気付いてくれたんだぁ……

 そうやってホッと一息を吐いた心中とは裏腹に、うちはついつい口を尖らせて悪態を吐いてしまう。

 

「……はぁ? なによこれくらいならって。マジ信じらんない。普通にはぐれちゃうかと思ったんですけど」

 

 と、どうやらうちは自分で思ってたよりも、なかなかにお怒りのようだ。

 だって一瞬前まではあんなに楽しく笑ってたのに、いきなり置いてきぼりにされかけたんだもん……! そりゃ怒ったってしゃーない。うん。

 

「いやマジですまん。なんかこう、人波の中をペース落とさず歩くのが得意でな。存在感の無さを生かした特技っつーか」

 

「……なにそれキモ、意味分かんない」

 

「だからスマンって……これでもそれなりにペースは落としてたんだが、それでも一般人にはキツかったかもな。もうちょいゆっくり歩けば良かった」

 

「……言い訳とかダッサ。何だかんだと理由を付けたって、結局のトコうちの事をちゃんと見てなかったってだけの話じゃん。ついさっきは慣れない下駄履きだからとかいって、それなりに気遣ってくれたくせに」

 

 そりゃ、さ? こんだけの人混みじゃちゃんと前向いて歩かないと危ないから、うしろなんか見てらんないってのは分かるわよ。

 でもあんたの事だからちゃんと前を向きながらも、たぶん付いて来られるであろうくらいのペースに落として、少し人波から外れられたらうちの様子を見ようって思ってたんでしょ? 残念ながら普段ぼっちのあんたには、“女の子が人混みで付いて行けるペース”が分かんなかったってだけの話で。

 ……分かってるけど、分かってはいるんだけど、それでもなんとなく納得がいかず、うちは駄々っ子のように頬を膨らます。

 

 

 

 ──これはあれだ。今後もこのような事態が起こらないよう、戒めとしてお仕置きってヤツが必要でしょ。

 そう。あくまでも戒めの為のお仕置き、罪には罰であって、そこに他意など無いのである。

 

「……はい」

 

 うちは、その罪に対する罰を与えるべく、比企谷に向けて右手を伸ばす。

 

「は?」

 

「だから、はい」

 

「え、なにが?」

 

 うちの行動に、心底不思議そうな顔をする比企谷。

 でもうちはギロリと比企谷を睨めつけたまま、構わずその姿勢を保ち続ける。

 

「……あー、っと……な、仲直りの握手、とか……?」

 

「なんで仲直りしなきゃいけないのよ。まだ、女の子を置いてきぼりにしかけた罪に対する誠意を見せてもらってないでしょうが」

 

「誠意って……。じゃあその手はなんだよ。あ、賠償? 金銭の要求?」

 

「バカ?」

 

 なんでいきなり金銭を要求すんのよ。どんな思考回路してんだこいつ。

 ……しょーがないなー。

 

「問い。とても混雑した道で女の子は迷子になりかけました。そこで女の子はもう迷子にならないよう、連れに手を差し出しています。この状況を踏まえた上で、登場人物達が次に起こす行動を述べよ」

 

「……はい? 意味分からん。なんでいきなり問題形式?」

 

「妙なとこで鈍い比企谷でも、国語のテストで出題者の意図を汲むのが得意なあんただったら、こういうので分かるんじゃないの? ……ったく、じゃあヒント。こんな人混みの中で可愛い小町ちゃんと歩いてたら、お兄ちゃんならどうしますか?」

 

「どうって……そりゃお前、小町をこんな場所で見失うわけにいかねーからちゃんと手を…………って、……は?」

 

 ようやくうちの意図に気付いた比企谷は、これでもかってくらい驚愕の表情を浮かべる。

 

「いやいや、ちょっと待てお前……。なに? 俺に、て、手を引けと……?」

 

「だってしょうがないじゃん。あんたは人混みでスムーズに歩けるかもしんないけど、うちはこの格好もあって上手く歩けないんだから。そしたらいつまた置いてきぼりにされるか分かんないし、うちはこんなトコでこんな格好で迷子になんのやだし。そしたら……つ、繋ぐしか……ない、じゃん」

 

 と、最初こそ勢いで強気になってたけれど、自分で言ってて段々と恥ずかしくなってきてしまった。

 てかさ、え、うちってばなにこんなとんでもないこと要求しちゃってんの!? なんか置いてきぼりにされ掛けた不安とか不満で頭に血が昇ってたから、怒りに任せて勢いで言ってみたけど、冷静に考えたらアホかうちは!

 いきなり手を繋ぐのを要求するとか、無茶苦茶にもほどがありすぎる……!

 

「い、いや、しかしだな……」

 

「ちょっとさぁ、比企谷に拒否権あるとか思ってるわけ……? あ、あんたがスタスタ行っちゃったせいで、うち人に超ぶつかりまくったんだけど? 不安でちょっと涙目になっちゃったんだけど?」

 

 超恥ずかしいって事も超無茶苦茶だって事も、カーッと血が昇っていた頭が一度この状況を冷静に理解してしまった今ならよく分かってる。それなのに勝手にペラペラと回るうちの口は、そんな無茶苦茶な要求を訂正する事を許してはくれないらしい。

 

 

 ……うちはヘタレだから。普段は強気そうな態度を取ってるくせに、ホントはどうしようない根性無しだから。

 だから恥ずかしいけど、無茶だと分かってるけど、たぶん勢いに任せて口走ってしまったこのビッグウェーブにでも乗らなきゃ、手を繋いでくれだなんて一生言えないだろうなって、頭ではなくて心が理解しちゃってるんだろうね。

 だからうちは燃え上がる顔なんて気にもせず、今すぐにでも逃げ出したそうなこの両足だって無理矢理押さえつけて、この無茶な要求を力ずくで押し通そうと踏張っているのだろう。

 

「だ、だから比企谷にはうちをエスコートする義務があると思うけど? ど、どうよ、うち、間違ったこと言ってる?」

 

 いやいや間違いだらけでしょ……むしろ間違いしかないまである。

 でもこんな無茶苦茶な理屈も、今の比企谷には少なからず効果があったようだ。置き去りになりかけて涙目だったうちを見て、それなりに罪悪感ってやつを抱いてるんだろう。

 だったら比企谷にはちょっと申し訳ないけども、この機を逃しちゃダメだ。

 

「よ、よし、じゃあもうこの人混み抜けるまでは、絶対に相模から目を離さないっつー事でどうだ……?」

 

「だめ」

 

 いやまぁそれはそれでとても魅力的な提案なんだけどね。

 だってあの比企谷が「お前から目を離さない!」って超イケボで言ってくれてるんだよ? やばいかなり妄想入っちゃってるけど顔がニヤける。

 

「ぐっ……じ、じゃああれだ……裾、そう裾! 俺のTシャツの裾でも摘んどけばいいだろ」

 

「だめ」

 

 ホントはそれもマジ魅力的。男の袖とか裾をちょこんと摘んで歩いてる女って、なんかあざといけど男心はめっちゃくすぐりそうだよね。

 うちが比企谷の男心をくすぐれるのかと思うとちょっと惹かれちゃうけれど、でもやっぱ駄目だ。ここまで来たら、絶対に逃がしてやんない。ヘタレなうちが恥も外聞も捨ててここまで頑張ってんだもん。逃げられると思うなよ?

 

 ……はい。もうぶっちゃけます。うちは今、比企谷とめちゃめちゃ手を繋ぎたいです。

 

「……あーもう、じれったいなぁ。ったく、めんどくさ……っ」

 

 深く溜め息を吐きながら──本当は溜め息なんかじゃなく、心を落ち着かせる為に、はぁぁぁって深く深く息を吐き出したんだけど──、うちは未だまごついている比企谷の左手を、心の中で「えいっ!」と叫びつつ、力一杯握り締めてやった。

 

「ちょ、おま……!」

 

「うっさい。あんたに合わせてたらいつまで経っても会場に着かないでしょうが。……ほら、もう行くかんね」

 

 そう言って、比企谷の左手をむぎゅっと掴んでずんずん進む。つい先ほどまでは心細くて全然進んで行けなかった、人で溢れかえる波の中を。

 

 うん。やっぱうちにとっての比企谷って、一種の反発材なのかもね。

 良く言えば比企谷が居てくれるから頑張れる。悪く言えば比企谷がムカつくからなにくそ! って意地になれる。

 

 体育祭の時も引きこもりからの復活の時もそう。こいつに負けてなるものか! って、うちはいつも柄にもない不思議パワーを発揮しちゃうのだ。

 うん。駄目人間のうちには、やっぱり比企谷って存在が必要不可欠なのかもね。

 

 

 まだまだ暑さが納まらない八月の夜の高い気温と初めて手を繋ぐ緊張で、少し手汗をかいちゃってるかもしれないうちの右手。

 汗でベットリ滲んだ手を好きな男に知られてしまうのは、酷くみっともなくてやんなっちゃう。

 

 でもまぁいーよね。だってこいつの手だって超ベッチョリしてるもん。

 だからうちは、お互いの手汗が混じり合ってちょっぴり気持ちが悪いこの手を、さらにぎゅっと強く握るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──うあぁぁあぁぁ! 手、手ぇ繋いじゃったよぉぉおぉぉっ!

 

 

続く

 

 





というわけで、お久しぶりのツンが強めなさがみんでしたがありがとうございました!
1ヶ月以上放置した末にようやく更新した最新話が駅から出ただけという恐ろしい結末に……汗



そして前作『あいつの罪とうちの罰』から長らく続いてまいりましたこのさがみんSSも、ついについに次回を持ちまして最終回となります!たぶん。
どうせ次回は「花火大会編の中編なんだろ」って?
ええ、まぁ否定はしませんがね('・ω・`)



それでは次は1ヶ月以上も開かないように頑張りまっするノシ



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vol.15 比企谷八幡は語り掛ける



【悲報】結局ひと月近く開いた挙げ句にやっぱりまだ終わらないってよ







 

 

 自分のものとは違う熱を右手に感じつつ、相も変わらず賑わう駅前を、人ごみにもまれながらカランコロンとゆっくり進む。

 ほんのついさっきまでは、あまりの人波みと置いてきぼりにされそうな不安感に心も体も波に流されそうになっていたけれど、今のうちの右手には、多少頼りないヒョロさでもしっかりと錨が下ろされているから、どこにも流される心配なんかしなくたっていい。安心してこいつの隣に停泊してられる。お互いの緊張でびっちゃびちゃだけどね。

 

「……」

 

「……」

 

 どこまでも続く無言の時間。

 もみくちゃにされながらなんとか前へと進んでいる最中だから、お互い黙ってるのも当然っちゃ当然なんだけど、隣の男の横顔をチラリと盗み見てやれば、夏の熱気の影響か人いきれの影響か、はたまたうちの熱気の影響なのか、耳まで真っ赤になっててすこぶる笑える。

 まぁうちもたまにねちっこい視線をひしひし感じたりするから、同じようにすこぶる笑われてるのかもしんないけどね。

 ちなみに視線を感じてる時はわざとそっぽを向いたりしてる。だって気になってつい視線を向けちゃって、つい目と目がバッチリ合っちゃったりとかした日には、なんかもうパニくってそのまま告っちゃいそうなくらい頭がカッカしてんだもん。

 

 

 あれー? おっかしいなぁ。花火見に来たはずなのに、うちなんか今すっごい幸せなんだけど。

 比企谷と一緒にポートタワーの花火を見て、うちの黒歴史の原点ともいえる、顔から火が出ちゃいそうなあの日の苦い思い出を楽しい想い出で塗り潰したかったからこいつをここに連れて来たはずなのに、目的達成どころか、その目的地に向かってる最中でご満悦になりかけちゃってるとか、うちってどんだけ安上がりな女なんだか。

 

 でも、……それでも。

 それでもやっぱり今うちは超幸せ。

 会話なんてないけれど、比企谷と一緒に花火大会に来て(強制)、比企谷に右手を握られて(強制)、人並みでもみくちゃになりながら肩寄せあっているこの一時だけで、うちの都合のいい頭の中はあの日の苦い苦い出来事を容易に消去していってくれる。

 

 まだ花火も見てないけれど、それどころか会場にさえ辿り着いてないけれど、今のこの時間が、ずっと続けばいいのになぁ……

 

「……お、ようやくちょっと人混みが落ち着いたっぽいな」

 

 うちの幸せお花畑脳がそんなアホな思考に囚われていた時だった。

 もう周りの音も景色もなんにも頭に入ってこないくらいポ〜っとしていたそんな時、比企谷の気だるそうな、てかやれやれって感じのホッと一息吐いたような声が、油断しきっていたうちの鼓膜を不意に揺らす。

 

 

 ──やっば! うちちょっとぼ〜っとし過ぎでしょ……! どんだけ雰囲気に酔っちゃってんのよ……!

 

 比企谷の声に我を取り戻したうちの頭を最初にかすめたのは、自身を叱責するこんな思い。でも次の瞬間には、これまたなんとも幸せ満載思考な思いが頭の中をいっぱいにした。

 

 

 ──あ、人ごみから抜けられたら、手、離されちゃうかも……

 

 

 でもね、そんなバカみたいな幸せ思考はいつまでも続く事はなかった。比企谷からの不意の声で、ポ〜っとしてたうちの頭に次第に数々の情報が入り始めたから。

 

 

 

 ようやく抜けられた雑踏。それに伴い視界に広がる数々の光景。

 夜の闇に浮かぶたくさんの屋台の色、耳にざわつくたくさんの声、夏の終わりを感じさせる夜の潮風の匂い。そしてそんな色と声と匂いがすっと溶け込むこの風景。

 それは、うちの脳裏に未だ色濃く焼き付いている、ちょうど一年前のあの日あの時のあの景色と完全に一致した。

 

 

『あ、ゆいちゃんだー』

 

『お、さがみーん』

 

 

 そう。今うちが立っているこの場所は、ちょうど一年前に偶然ゆいちゃんを見掛けたのとまったく同じ場所。

 ……うちが、初めて比企谷と出会った場所だった……

 

 

× × ×

 

 

『あ、うん。そうそう同じクラスの比企谷くん。こちら、同じクラスの相模南ちゃん』

 

 

 四ヶ月近くも同じクラスだったはずなのに、まったく記憶の片隅にも残ってなかった、暗くてダッサいクラスカースト最低辺の低レベル男子。それがうちが初めて認識した比企谷のイメージだった。

 

『あ、そうなんだー! 一緒に来てるんだねー。うちなんて女だらけの花火大会だよー。いいなー、青春したいなー』

 

 あのゆいちゃんが──一年の時は同じランクとして連るんでたのに、二年に上がった途端にうちとは違う世界の住人になってしまったあのゆいちゃんが、そんな低レベル男子を花火大会のお供として連れて来ていた現実を垣間見て、なにがそうさせたのか、当時のうちはバカみたいに舞い上がった。

 

『……。あはは! なにその水着大会みたいな言い方! こっちだって全然そういうんじゃないよ〜』

 

 あの時、ゆいちゃんは一瞬言葉に詰まったっけ。比企谷と一緒に居るところを同級生に見られたという焦りで。

 それでもなんとか取り繕うように無理して作った笑顔を見て、うちはどうしようもなく可笑しかった。可笑しくて可笑しくて仕方なかった。

 たまたま優美子ちゃんに選ばれたってだけで、うちよりも上の……最上位のランクになってしまったゆいちゃん。

 そんなゆいちゃんが、花火大会という社交場にこんな低ランクの男を連れて来てるなんてって、うちはなんかもうわけがわからない優越感に浸ったんだ。

 

『えー、いいじゃんいいじゃん。やっぱ夏だしそういうのいいよねー』

 

 そんな優越感に浸って、うちはここぞとばかりに攻めまくった。

 あの日、ゆいちゃんが連れていたのが葉山くんなら……優美子ちゃん達なら、多分うちはゆいちゃんに気が付いても声を掛けなかったと思う。

 ……だって、惨めになってしまうから。

 

 だからこそざまぁって思った。よりにもよってこんな奴!? って。

 連れてる男のランクがイコール女のステータスみたいに思ってたうちは、いつの間にか差を付けられてしまったという醜い嫉妬心を、この好機を絶対に逃がしちゃダメだとばかりに、無理して笑顔を張りつけていたゆいちゃんに思いっきりぶつけたのだ。

 

『焼きそば、並んでるみたいだから先行くわ』

 

 うちが醸し出す嫌な空気に気まずさを感じたのか恥ずかしくなったのか、比企谷は逃げるようにこそこそとその場を立ち去った。

 そんな比企谷の背中を不安そうに見つめながらも、それでもうちらと無理して笑い続けているゆいちゃんを見て、うちは心底愉しかった。この後ゆいちゃんと別れてからやってくるであろう、友達との大爆笑の時間を夢見ながら。

 

 

 

 

 ──ああヤバい、なんかもう吐きそう。

 

 比企谷との出会いの日。正確には比企谷八幡という存在を初めて認識した日。

 ゆいちゃんに紹介された時、うちは確かに比企谷と目があった。そしてうちは笑ったのだ。比企谷の目を見てはっきりと。

 それは初めましての挨拶で相手に向ける繕った余所行きの笑顔なんかじゃなくって…………ただの嘲笑。ただただ見下してバカにして愉しむためだけの嗤い。

 

 あのとき比企谷はうちのそんな笑顔を見て、明らかに嫌悪の眼差しを向けた。うちを侮蔑した。

 でもあの時のうちは、そんな嫌悪感たっぷりの侮蔑の眼差しさえも愉快だったのだ。

 

 

 なんにも知らなかった。うちはあの時なんにも知らなかったんだ。

 ゆいちゃんの事も比企谷の事も、二人の間の絆みたいなものもなにもかも。そして……うち自身の笑顔の醜さも。

 

 今なら分かる。

 

 ゆいちゃんが比企谷と一緒に居るところを同級生に見られたから焦ったって?

 アホかうちは。ゆいちゃんはあの時のうちの醜い笑顔を見て、比企谷の事を思いやったから焦ったのだ。比企谷が嫌な思いをしちゃうって。

 

 比企谷がうちの醸し出す嫌な空気から逃げ出したって?

 バカだうちは。比企谷は逃げたんじゃない。自分と居るところを見られてゆいちゃんが嗤われるのが可哀想だと思いやったから、少しでもゆいちゃんの被害を減らそうと立ち去ったのだ。

 

 そんな二人の様子を見てうちは愉快だったって?

 本当にアホでバカで最悪だ。……だって今のうちは知っている。あの時の自分の笑顔の醜さを。

 ハブられている時、虐められている時、クラスメイトから嘲笑られていた時、毎日向けられていた笑顔とおんなじ笑顔だろうから。

 

 ……比企谷はあの日のこと覚えてるのかな。

 比企谷にとってのあの頃のうちなんてそこら辺の路傍の石ころみたいなもんだっただろうから、たぶん忘れちゃってるだろう。てか忘れてくれてるといいな……うちの醜いあの笑顔。

 

 

 

 ──ああ、やっぱダメだぁ……

 クラスで虐められ始めてから、何度夢に見たかも覚えてないほどのこの惨めな黒歴史を塗り潰したくてここに来たのに、いざこの場所に立ったら……いざあの景色の中に包まれてしまったら、どうしたってあの日がフラッシュバックしてしまう。

 ついさっきまでポカポカになってた心に、直接冷水をぶっかけられたかのような最悪な気分。

 

 そして改めて思う。うちは比企谷とこうして手を繋いでここに居られる資格なんてあるの? って。

 あの日の後悔をもう見たくないからって比企谷を強引にここに連れ出してきて、目を背けたい記憶に素敵な記憶を覆い被せて無理矢理塗り潰しちゃおうだなんて、……やっぱ都合が良すぎるんじゃん……? やっぱ違うんじゃん……? って。

 それなのに、うちはさらに『あの時の自分の笑顔を忘れてくれてればいいのに』なんて都合よく思ってしまってるんだよなぁ。ホンっトどうしようもない女。

 

 どうしよう。なんかもう逃げ出したい。あまりの情けなさと恥ずかしさで、比企谷と一緒にここに居たくない。

 

「……相模、どうかしたか?」

 

 

 ──でもね、そんな時だった。

 せっかくこいつの隣に居るのに、せっかく右手にこいつの熱を感じてるってのに、心だけがひとりぼっちでどこまでも深い海の底に沈められてしまったかのような、そんなとんでもない不安感と不快感に押し潰されそうになっていた、そんな時に掛けられたこのあったかい声。そしてそんな声から始まった長い言葉と心の交わし合いが、いともあっさりとうちの冷えきった心を深い海の底から引き揚げてくれるのだった。

 

 

× × ×

 

 

 またも不意に声を掛けられて我に返るうち。なんかもうさっきからボーっとし過ぎでしょ……

 

 

「……え、っと、な、なに……?」

 

 我ながら「なに?」じゃねーよとか思いつつ、うちはなんでもないかのように比企谷に作り笑いを向けた。

 あ〜あ、たぶん今のうちの笑顔、超ブッサイクな卑屈さなんだろうな。

 

「なに? じゃねーよ……」

 

 ……あ、やっぱツッコまれた。

 

「……な、なによ。別にうちなんともないんだけど」

 

 そうは言ってみたものの、正直自分がどれくらい固まっていたのかも分からないくらい頭ん中ぐるんぐるんしてるからね。はっきり言って上手く誤魔化せる気がしない。

 でも、一年前の後悔に襲われてて、あんたと一緒に居てもいいのか分からなくなっちゃっててさ! なんて言えるわけないし、ま、たかだか数秒固まってたってだけだろうから、このまま無理にでも押し通す気満々ですけどね。

 

「なんともないわけねぇだろ……さっきから痛てぇっつの」

 

「……は? 痛い……?」

 

「……ほれ」

 

 そう言って比企谷はなんとも照れくさそうに繋がれた手と手を指差した。

 

「うげ……っ」

 

 やっばい……うち、無意識に超強く握っちゃってたみたい……

 なんなら、我ながら綺麗に仕上げられた自慢の爪が比企谷の柔肌に食い込んでるまである。

 

「……ご、ごめん」

 

「……お、おう」

 

 

 そうしてうちは比企谷の手をそっと離…………そうとは試みたんだけど、なんかちょっと、てかだいぶ? 名残惜しくて離すのはやめてみた。ただ握る力を弱めただけ。

 さっきまであんだけ散々『こいつと一緒に居る資格』について悩んでたくせに、その挙げ句にただ手を離すのさえも躊躇ってしまうというこの情けなさ。

 ホントうちってさぁ……

 

 力を弱めた手をチラリと見て、「離してはくんねーのかよ……」と嫌そうに呟く比企谷の左手にもう一度爪を食い込ませてやろうかという衝動に駆られながらも、なんとかそれを抑えこんで言い訳をひとつ。

 

「や、やー、ごめんね、痛かった? あはは、ちょ、ちょっと人込みにやられてクラッときちゃったのかも……」

 

 まぁクラッときちゃったから無意識に強く握ってしまったことに違いはないわけだし? これでとりあえず誤魔化せるかな? なんて思っていたのだけど──

 

「……そう、か」

 

 うちの安い言い訳なんかでは、目ざとい比企谷には全然通じなかった模様。なんとも納得のしてなさそうな態度で遠くを見る。

 

「な、なによ、なんか言いたげじゃん……」

 

 そんな態度をとられてしまったら、ちょっとイラッときて聞かなきゃいいものもついつい聞いてしまう。

 このまま流してくれたほうがずっと楽ちんなはずなのにね。

 

「いや、その……な」

 

「……なに」

 

 もごもごと、とても言いづらそうな比企谷を半ばやけくそで睨めつけてやると、こいつはしゃーねぇなぁと溜め息ひとつ吐いてようやく観念したらしい。

 

「……これは俺の単なる想像でしかないから、違ってたら忘れてくれ」

 

「……ん」

 

「お前、さ」

 

「な、なに……?」

 

 

 

 ついに比企谷は重々しい口を開く。

 

 まさかとは思ってた。まさか比企谷の方から“それ”に触れてくるだなんて夢にも思わなかった。

 忘れてるもんかと思ってたのに、忘れてくれてたらいいな、なんて思ってたのに。

 

 ……そして、その口から出てきた言葉は一発でうちの心臓をぎゅうっと鷲掴みにしたのだった。

 

 

「……もしかしてだが、気にしてたりすんのか……? ……一年前の今日、ここで俺と会ったこと」

 

 

 

 

続く

 





またもやこんなに開いちゃったのに、まさか?の完結できーずでスミマセン><



そして次回、長かった相模南の物語が、ついについに幕を閉じます……っ!
(別に死んじゃうわけではない)


ではではまたひと月後(さすがに今度はそんなには開かねーよ?タ、タブン……)の最終回でお会いしましょうノシ




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vol.16 そして相模南は想い出を書き足していく



ハッピーバースデーいろはすー☆(関係無かった)


そんないろはすの生誕祭にお贈りしますのは、ついに最終回を迎える『相模南の奉仕活動日誌』であります!

なぜに今日?なぜにこの時間?と言いますと、なんと二年前の今日のこの時間は、前作『あいつの罪とうちの罰』を初めて投稿した記念すべき日時なのです。知ってる人しか知らないと思いますが。

なので初投稿からちょうど丸二年の今日この時間に、こちらの作品を締めさせていただきたいと思っております!


ではでは最終回です!どぞ!





 

 

 

 ──もしかしてだが、気にしてたりすんのか……? ……一年前の今日、ここで俺と会ったこと。

 

 

 

 喧騒の中でもはっきりと聞こえたその声。

 そんな比企谷からの思いがけない言葉に、うちはまじまじとこいつの顔を見つめてしまう。だから──

 

「……え、なに言ってんの?」

 

 平静を装って吐き出したその言葉にも、何一つ説得力なんてありはしない。

 目は口ほどに物を言う……だっけ? 昔の人はよく言ったもんよね。

 

「いや、だってここって一年前とぴったり同じ場所じゃねぇか──」

 

「……」

 

「……いや、別になんでもねーわ」

 

 でも比企谷はそれ以上は追及してこなかった。うちが言いたくない事を無理に聞こうなんてしないんだろう。

 

 ……うん。確かにあんま自分から好き好んで言いたいような話じゃないよね、こんな話。

 

「…………じゃん」

 

「あ? なんか言ったか?」

 

「……気にしてないわけ、ないじゃん……」

 

 でもうちは口を開いてしまう。言ってしまう……

 今日はホントの目的を話すつもりなんか無かったけど、結局はうちの失態でこいつに言い当てられてしまったから。

 言い当てられてこんなにも動揺しちゃってるのに……失態に失態を重ねちゃってるのに、それなのにまだ意地を張って本心を言えなかったら、それこそこのまま終わっちゃいそうなんだもん。こいつとうちの関係。

 

「だってちょうど一年前にあんたとここで会った時、うちはあんたを蔑んだ目でバカにしたんだよ……? 正直比企谷の事なんてあの日まで存在さえ認識してなかったのに、なんにも知らなかったのに。……それなのに、知りもしないくせに、うちは比企谷を見下して嗤った。比企谷と一緒に居たゆいちゃんをざまぁって嗤った。……そんなの、気にしてないわけ、ないじゃない……」

 

 そんなの、今のうちには気にするなっていう方が無理あるよ。よく知りもしない相手のことを下に見てバカにする事の愚かさを知っちゃった今は。

 実はそれは単なる身勝手な思い込みでした! 実際はバカにしてた相手の方が上でした! ……なんて残酷なリアルを知ってしまった時の惨めさと恥ずかしさって半端ないもん。

 

「……だからうちは、あの苦い思い出を……比企谷のいうところの黒歴史をいい想い出で……楽しい想い出で塗り潰したくて、今日あんたをここに連れてきたの」

 

 

 ──ああ、言っちゃったなぁ、かっこ悪過ぎる本音。なんてめんどくさい女なんだろ。比企谷にはなんにも言わず、ただ楽しく今日という日を過ごして、思い出を書き換えたかったのになぁ……

 かっこ悪いって思われちゃったかな。呆れられちゃったかな。もうめんどくさくて花火どころじゃなくなっちゃうかな。

 

「……はぁ〜」

 

 隣から聞こえた深い深いため息。ああ、やっぱめんどくさくなっちゃったよね、こんなめんどくさい女。

 

「やっぱホントめんどくせぇ奴だな、お前って」

 

「……う」

 

 めんどくさいって……そう思われただろう事は覚悟はしてたけれど、いざ面と向かって言われるとやっぱクる……

 

「悪かったわね……どうせめんどくさい女ですようちは」

 

「うっわ、そういうところがマジめんどくさい」

 

「っさい……!」

 

 あぁもう! やっぱマジムカつく! 自覚してんだからそこまで追い込んでこなくたってよくない!?

 

 だからうちはどこまでも無神経なこいつを恨みがましくギロッと睨めつけてやったんだけど、うちが見た比企谷の顔は、思ってたような顔──バカにするような顔でもうんざりしているような顔でもなくって、ただただ呆れはてているような顔だった。やれやれと、手間の掛かる妹でもあやすかのような、優しいお兄ちゃんみたいな顔。

 ……もっとも現実は、いつも出来のいい小町ちゃんに呆れられてる手間の掛かるお兄ちゃんなんだけどね。

 

「……ったく。おかしいとは思ったんだよ。いきなり日にち指定してくるわいきなり花火大会に連れて来られるわ。……まさかあんな下らないこと未だに気にしてるとはな」

 

「く、下らないってなによ。うちにとっては一大事なんだけど!?」

 

「下らねぇよ。気にしすぎだっつの。……俺の事なにも知らないクセに見下して嗤った? そんなの当たり前じゃね? 人間なんて見たことない相手だったら、誰だって第一印象から入るに決まってんだろ」

 

 そりゃ確かにそうかもしんないけど、でも……

 

「言っとくがあれだぞ。俺だってあの日お前のムカつく嗤い顔みた瞬間に、うわ、こいつ一発殴りたいわーとか思ったぞ」

 

 な、殴っ……!?

 

「それに文化祭の時なんか、嬉しそうに葉山に話し掛けてるお前のセリフでこっそり字幕ゲームとか楽しんでたしな。『三浦さん、いつもと違って超元気だよねー、頼りになるっていうか』を『三浦のヤツ普段よりうっせーし、しゃしゃり出てきてうざいわー』とか『でも、うちのいいとこってそんなないしー』を『ほら、今自虐的! 褒めて、葉山くんが褒めて!』とか変換して」

 

「酷くない!?」

 

 さすがのうちでもそこまでは思ってなかったから!

 い、いやいや、でもそれだって……

 

「だってそれはあれじゃん……! うちが比企谷見て見下したのを感じとったからじゃん。……それってやっぱ、うちが悪いんじゃん……!」

 

「それにあれだ。俺由比ヶ浜と初めて対面した時、見た目と普段の教室での態度だけでこいつビッチだってレッテル付けしたからな。なんなら初対面で直接「このビッチが」って言っちゃったまである」

 

「初対面の女子にビッチはさすがになくない!?」

 

 うっわぁ……いくらなんでもそれは酷いよ比企谷……。セクハラで訴えられてもおかしくないって……

 

「おう、酷いだろ」

 

 そう言って比企谷はなぜかえへんと胸を張る。なにそのキモくて悪そうなドヤ顔、腹立つなぁ。

 

「で、キモいとか死ねとか言われてな。酷くね? 人様の命に関わる言葉を軽々しく口にしやがって。だから俺は言ってやったんだ。ぶっ殺すぞ、と」

 

 おい。

 

「ちなみに初対面の時の俺に対する雪ノ下はもっと凄まじかったぞ。まず平塚先生に紹介された時の第一声が「で、このぬぼーっとした人はなんですか?」みたいなセリフだったからな。生ゴミでも見るかのようなすげー蔑んだ目で」

 

 うわぁ……

 

「それからはあれだ。「殴るなり蹴るなりして躾ければいい」とか、ブレザーの襟を掻き合わせるようにして「そこの男の下心に満ちた下卑た目を見ていると身の危険を感じる」とか散々言われた」

 

「もういいよ!? なんか聞いてて辛くなってきた!」

 

「ちなみにそのとき俺は内心で「お前の慎ましすぎる胸なんて見てねぇから」と嘲笑ったりしてたな。さすがにそれを口にしたら殺されると思ったから恐くて言えなかったが」

 

 あんたも大概だよね……

 

「それに一色だってそうだ。初めて会った時は特大の地雷扱いしたもんだ。男に媚び売りまくって同性にすげぇ嫌われてそうだなこいつ、絶対に近寄りたくないタイプだわってな。いや、それはまぁそんなに間違ってはいなかったんだが」

 

 うん、それは確かに……

 

「だが蓋を開けてみたら、あいつ意外と根は真面目だし結構いい奴だし、今ではすっかり奉仕部にも馴染んじゃったしな。……正直あいつが初めて部室を訪ねてきた時は、そんなの想像すらしてなかったわ」

 

「……」

 

 ……そっかぁ。今でこそあんな優しい空気に満ち溢れているあの部室でも、最初はそんな感じだったんだ。

 でも、なんか意外だなぁ。今では思わず嫉妬しちゃうくらいにあんなにも仲良しなのに、それでも出会い方はみんな最悪レベルの印象だっただなんて。

 ……って、あ、あれ……?

 

「……理解したか? つまりはそういう事だ。人間、どんなにいい人を装おうがどんなに達観したつもりになっていようが、所詮第一印象は身勝手な価値観の押し付けから始まっちまうもんだ。相手の事なんてなにも知らないくせに「この人いい人そう」だの「こいつランク低そう」だのと一方的に決め付けてな。他人から価値観を押し付けられて理解したつもりになられるのが何よりも嫌いな俺でさえ、自分が嫌がる事を他人にはしてんだよ」

 

「そっ……か」

 

「おう。だから別にあの時のお前が特別だったってわけじゃない。大なり小なり、人は誰だって他人にレッテル付けするもんだろ。……で、いざ付き合ってく内に最初に張りつけたレッテルと実物の違いに戸惑ったり悶えたりするもんなんじゃねーの? 人付き合い経験があんま無いから知らんけど」

 

「……うん」

 

 そっか。そんなに特別な事じゃないのか。初めは誰だって第一印象を押し付けちゃうのか。

 

「まぁ初見で相手を見下したのがバレバレになる相模の小物っぷりと底意地の悪さはさすがだがな。普通もっと上手く隠すだろ」

 

「……う"」

 

 も、申し開きもございません……普段なら悪態吐いて脛あたりに軽く蹴りでも入れたいとこだけど、こればっかりはなんも言い返せない……。まぁそれはあんただけには言われたくないけど。

 

 くっそ、比企谷め。そこまで上げといて、また落とさなくたっていいじゃんか。あ〜! やっぱこいつムカつくぅ!

 

「……でもま、それがあってこその今と考えりゃ、そう悪い事でもないんじゃねぇの?」

 

「……え?」

 

「だってお前、アレがなきゃお前たぶん文実にはならなかっただろ。アレがあったからこその文実決めの時の由比ヶ浜への嫌がらせだろ? それが無かったら、葉山が文実としてお前を推したと思うか? いや、実際に名前を出したのは戸部だが」

 

「あ」

 

 そういえばそうだ! 確か文実決めのとき比企谷が文実に決まったのを見て、これは花火大会に引き続いて嘲笑えると思ったから、うちはゆいちゃんを推薦したんだ。

 それに見兼ねた葉山くんがうちを推したからこそ文実やろうって決めたんだっけ。

 

 あの時のうち、憧れの葉山くんに持ち上げられた事で有頂天になっちゃったからなぁ……今考えれば、あれってどう考えても場を落ち着ける為に葉山くんに乗せられただけの見事なピエロっぷりなんだけど。

 なにそれ今更ながらの新たな黒歴史発見。死にたい。

 

「……で、文実になったからこその委員長。委員長になったからこそのあの大惨事。あの大惨事があったからこその今だろ? 逆説的に去年の花火大会が無かったら、お前今ごろゆっこと遥と一緒になって、誰かに蔑んだ冷笑を向けてたかもしんないんだぞ? それでも良かったか?」

 

「それは絶対にやだ!」

 

 それだけは絶対に無理だ。もううちはあんな目で人を……比企谷を見たくない……

 

「だろ? だったら、別に無理に過去の自分を否定とかしなくたっていいんじゃねーの? 無理に思い出とやらを違う思い出で塗り潰さなくたっていいんじゃねーの?」

 

 

「否定……?」

 

 なんで……? ダメダメだった頃の自分なんて否定して当然じゃん。なにがダメなの……?

 

 すると、比企谷は少し照れ臭そうにこんな持論を語りだす。

 

「あー、なんつーか……俺は昔っからこう考えてんだわ。昔最低だった自分を、今どん底の自分を認められないで、一体いつ誰を認める事が出来るんだ。今までの自分を否定して、これからの自分を肯定する事なんて出来るのか。否定して上書きするくらいで変われるなんて思うなよ……ってな」

 

 『あの日の苦い思い出を楽しい想い出で塗り潰したかった』

 うちの今日の本当の目的を根本から揺るがすような比企谷の言葉。

 

「……あ」

 

 そんな比企谷の言葉に、ふといつかの光景が頭を過った。

 

「……前に話した通り、俺の人生はとんでもない程の痛い黒歴史だらけだ。……でもな、俺は別にその黒歴史を否定もしなければ後悔もしていない。だってその痛い経験がなかったら、少なくとも今の俺は存在できてないわけだろ」

 

「今の、比企谷……?」

 

「……おう。そもそも俺は中学時代に大量の黒歴史を背負ってきたからこそ、とんでもなくアホな作文書いて平塚先生に目を付けられた。それがあるからこその奉仕部強制入部であり、今の俺だ」

 

「……うん」

 

「で……まぁ、なんだ。相模と同じように、何だかんだ言って俺も今の毎日が結構悪くないとか思ってるわけだ。……いや…………気に入ってる」

 

 そう言って真っ赤になった比企谷は、ぷいっと斜め上に視線を向ける。

 こいつも自分から素直に“気に入ってる”とかって認められるんだね。

 あはは、なんか超レアな現場に立ち合っちゃった。うちの為に恥ずかしい思いをしてまで言ってくれてるんだろうけど。

 

「……気に入ってるもんを手に入れられたのは、それもこれも過去の最低だった自分が色々とやらかしてくれたおかげだろ。だったら過去の自分を今の俺が否定しちゃったら過去の自分に悪くね? だってそいつが居なかったら、今俺はその気に入ってるもんを手に入れられてないわけだしな」

 

 ああ、そうか。うちはまた同じ勘違いを繰り返すところだったのか。

 

 さっきうちの頭にふと過った光景。それは学校復帰初日、沙織ちゃん達に連れられてトイレに行った時に起きた出来事。

 

 トイレから戻ったうちの目に映ったのは、真新しい机に新たに書き込まれた落書きと、それを見て強ばった表情を浮かべるうちを嘲笑う遥とゆっこの笑顔。

 その時うちは思ったではないか。

 

 

 ──ああ……。うちは道を踏み誤って良かったな。ハブられて痛い目にあって本当に良かった……

 

 

 って。

 つまりは比企谷の言う通り。どんなに恥ずべき黒歴史があったとしても、“それ”があるからこそ“今”がある。

 ハブられて痛い目にあってる最中はホントに辛くて死にたくもなったけど、いま思えばそれがあったからこそのNEW相模南なわけで、最低だった過去の自分が居なければ……痛い目をみて泣いてる自分が居なければ、今のうちはどこにも存在してないんだ。

 だったら過去の自分は否定しちゃいけない。あん時のあんたは最低最悪だったけど、でもあんたのおかげで今のうちが出来てる。だから良くやったねって認めてあげなきゃ、有り難うって言ってあげなきゃなんだよね。

 

 あの時そう思えたはずなのに……奉仕部に入部申請に行った時もそれに気付けてたはずなのに、なんかここんとこ色々ありすぎたから……うっかり幸せな気持ちになっちゃってたから……、またうちは同じ勘違いを繰り返すとこだった。

 ホント最近のうちって、不幸だったり幸せだったりが次々と襲ってきたからか、ちょっと情緒不安定すぎない? ま、文化祭ほっぽりだして逃げ出した時点で、前々から十分不安定な情緒ですけども。

 

「だよ、ね」

 

 やっばい。ちょー胸軽くなっちゃった。軽くなったって言っても雪ノ下さんよりはずっと重いですけど!

 何はともあれ……なんかこう、すーっと、悪い憑き物がようやく落ちたみたい。

 

 

 だから告げなくちゃ。うちにもう一度この事を思い出させてくれた比企谷にこの思いを。

 ……上手く、伝えられたらいいな。

 

「どんなカッコ悪い思い出だとしても、過去の思い出は塗り潰しちゃダメなんだよね。……塗り潰すんじゃなくって、……んー、なんつーの?」

 

 ふむ。やっぱりそう上手くは伝えられないか。いい言葉が思い浮かばない。すぐそこまで出かかってるんだけどなー。

 

「んー」

 

 …………あ、そうだ。あれだ!

 

「書き足して苦い思い出を笑い話にしちゃう?」「書き足して黒歴史を笑い話にするとかか?」

 

「……あ」

 

「……あ」

 

 つい重なってしまったセリフと思考。しばし見つめ合う二人。

 なんとも照れ臭くて仕方がないけれど、でも次第に沸き上がってくる違う感情。

 

「ぷっ」

 

「くくっ」

 

 照れ臭いというシンプルな感情に勝った、笑える! というこれまた単純でストレートな感情に、なにがそこまで可笑しいのやら、うちと比企谷は顔を見合せてたまらず笑い合う。

 苦しげにヒィーヒィー言いながらも、でも心は苦しいどころかとても晴れ晴れしているわけで。

 

 男女二人が手を繋いで向かい合って爆笑している姿は、混み合うオーディエンスからしたらさぞや滑稽だろうけど、でもうちはそんな視線なんか一切気にせず笑いまくるのだ。

 

 

 ──思い出という日誌を塗り潰すんじゃなくて、思い出という日誌に新しい活動を書き足して、苦い思い出を笑い話にしちゃう、かぁ。

 うんうん。なかなか素敵な響きだ。

 

 だったらついでにアレにも新しい活動を書き足してやろうじゃんか。うちの最大級の黒歴史を最高にハッピーにしてくれる、最っ高で特大(とっくだい)の想い出を!

 

 

× × ×

 

 

「おー、キレー!」

 

「おぉ……!」

 

 どーん! ぱーん! と、うちの浅い語彙力では上手く表現しきれない程の凄い光と音が、真っ暗な夜空に大輪の花を次々咲かす。それはもう見事な満開っぷり。

 

「すっごいね」

 

「おう。だな」

 

 去年も見たはずなのに、今年は去年とはまったく違って見える満開の花々。気持ちの違いだけでここまで違うものなのかと、我ながら驚きを隠せない。

 ごめんね沙織ちゃん由紀ちゃん。いや、去年二人と見た花火も十分綺麗だったのよ? ただ今年は特別中の特別だからさ。だって右手には未だに誰かさんの温もりが握られてるんだもん。

 

 

 

 ひとしきり笑って笑って笑いまくって、いい加減に満足したうち達は、周りからの奇異の眼差しから逃げるようにそそくさと場所取りへと向かった。

 さすがに会場の公園内は人でごった返していて、座れるような観覧スペースはもう残ってないんじゃないかと思われるほどだったけれど、若干狭いながらも運良く二人分の隙間を見つけ、そこに事前に用意しておいたシートを拡げた。

 

 シートを拡げる際には繋いだ手を離そうとする比企谷と、繋ぎっぱなしのままでいようとするうちとの間にひとバトルが勃発したものの、勿論うちが負けるわけはなく「拡げづれーよ……」とぶつぶつ文句を言う比企谷にぺしぺし攻撃を与えつつ、うちもあいてる左手でシートを拡げるのを協力してあげたのだ。つまりは初めての協同作業をしちゃったってわけ。ひひっ。

 うちってヘタレのくせして、こういう時だけはなんか知んないけど妙に強気なのよね。もしかしたらこの調子に乗りやすい厄介な性格が、こういう時だけ上手い具合に作用してんのかも。

 

 あ、そういえば観覧スペースを探してる最中、うちが間違って有料席の方に行きそうになった時、比企谷のヤツ必死の形相でうちを止めてたけど、あれってなんだったんだろ。大魔王がどうとかエンカウントがどうとか意味分かんないこと言ってたけど。ま、こいつが意味分かんないのは今に始まった事じゃないからいいんだけどね。

 

 

 とまぁそんなわけで、現在は待望の花火をまったりと観覧中なのである。

 空を見上げれば大輪の花々。ちらりと横を見やれば好きな男。そして自分に目を向ければ最高に可愛い浴衣姿のうち。うん、やばいくらい幸せ。

 

「ねぇ比企谷ー」

 

 でもうちはさらに先に待っているであろうもっと大きな幸せの為に……新たな活動を思い出という名の日誌に書き加える為に、今この瞬間の小さな幸せをほっぽりだして、こいつと大切なお話をしたいと思う。

 

「んだよ」

 

 夜空に大きく広がったスターマインにご満悦だった比企谷は、うちからの不意の問いかけに不機嫌そうな声を漏らす。

 なんか花火に集中しちゃってるとこゴメンね? でもちょっとだけ話を聞いて欲しいんだ。

 

「……チッ、なにその態度ムカつくー」

 

 全然ゴメンとか思ってなかった。

 

「あのさー」

 

 そしてうちはこいつにとある事を発表するのだ。前々から少しだけ考えてたんだけど、ついさっき完全に決定したばかりのこの先のうちの活動報告を。

 

「もうちょいで夏休み終わるじゃない? そしたらすぐ文化祭の準備とか始まるじゃん?」

 

「……あ? そりゃ確かに始まるんだろうが、今それ話さなくちゃなんねーの?」

 

「だからさー」

 

「おい、人の話を聞けよ」

 

 半ば呆れ気味な比企谷はまるっと無視してうちは発表します! 相模南の今後の活動について!

 

「うちさ、文実やろっかなって思ってる」

 

「は? ……マジ、か……?」

 

「うん。マジマジ」

 

 うちの発表になんとも驚愕の表情を浮かべる比企谷。

 そりゃそうよね。普通に考えたらこんなの公開処刑だもん。

 

「……お前ってドMかなんかか? どっちかっつーとSっ気たっぷりかと思ってたんだが」

 

「うっさい、可愛い女子にMとかSとか言うな。セクハラで通報するかんね」

 

 左手でぼさぼさの頭にぺしっとチョップしてやったら、比企谷は目を腐らせて「やっぱSじゃねーか……」とかぼそぼそ言ってる。ま、もちろん無視の方向で。

 

「そりゃ、ね。去年のあの伝説の実行委員長がまた文実やりに来た姿なんか見たら、うちの委員っぷりを知ってる現二年と三年からしたらそれはもう完全に笑い者だとは思うよ? なんなら失笑?」

 

「……分かってんじゃねーか」

 

「うん。分かってる。それ以前にクラスで爆笑の渦に巻き込まれるかもねー。だってさ、あの相模南がだよ? 文実に立候補すんだよ? ヤバいマジで笑えるんだけど!」

 

 いくらうちの背中に優美子ちゃんのご加護があるとは言ったって、我がクラスのHRには優美子ちゃんは居ないのだ。

 そんな中うちが立候補しようものなら、クラス中で爆笑ないし失笑が起きるだろう。

 

 

「……それが分かってんのにやんのかよ。やっぱお前真性のドMだな」

 

「だからうっさい。……んー、でもま、あはは、そーかもね。こんなのよっぽどのMじゃなきゃ出来ないよねー」

 

 まぁこんな超打たれ弱いMが居るわけないんだけど。Mなのに豆腐メンタルとか、なんか一瞬で昇天しちゃいそう。

 

 それでもうちは決めたのよ。どんなに笑われようがどんなに蔑まれようが、もう一度文化祭実行委員を。

 

「ま、三年だから委員長にはなれないんだけど、……それでも、やってみようって思ってるんだよね。まだうちの中で塗り潰したい……じゃなくって──」

 

 そしてうちは比企谷の目を真っ直ぐに見つめて、イタズラっぽくひひっと笑ってみせる。

 

 

「──書き足して、楽しい想い出にしちゃいたい黒歴史の代表格の中のひとつだからねっ、あの文実ってヤツは」

 

 そう言って不敵な笑みをプレゼントしてやると、こいつもニヤリと超キモい顔をうちにお裾分け。

 

「そうか。まぁ適当に頑張ればいいんじゃねーの? せいぜいまた逃げ出さないようにしとけ」

 

「は?」

 

 うちを小馬鹿にするようなムカつく言い回しで一応は応援してくれた比企谷だけど、残念ながらこいつは大きな思い違いをしている。

 ばっかじゃないの? 頑張んのはうちだけじゃないからね?

 

「なに言ってんの? 比企谷も一緒に文実やんだからね?」

 

「え、なに言ってんの?」

 

「え、なに言ってんの? 比企谷も文実やるに決まってんじゃん」

 

「いや待て落ち着け待て。どこにも決まっている要素がなくてむしろ俺が落ち着かないまである」

 

 あんたが落ち着かないのかよ。

 

「言っとくけどうちは超落ち着いてるから。落ち着きすぎてて今ヨガ中なのかと錯覚しちゃってるまである」

 

「リラックスしすぎだろ……。いや、お前がインドの神秘に身を委ねようがそんなことはどうでもいいからとりあえず一旦置いておけ。なんで俺が文実やらなくちゃなんねーんだよ。今年受験生の俺にはそんな事してる暇ねぇから」

 

「うちだって受験生でしょうが」

 

「それはお前が自主的にやりたい以上なんの問題もないだろ。俺は自主的にやりたくない。つまり受験生だからという言い訳は成り立つ」

 

 やっぱ言い訳なんじゃん。

 

 でもどうせ比企谷が文実やる事になるなんて決まってんのよね。だってアレが居るんだから。

 

「いいじゃん文実。どうせあんた文実から逃げらんないって。だって今年は一色さんが文化祭の音頭を取るんだもん。比企谷なんて簡単に巻き込まれるに決まってんでしょ?」

 

 そう今年はアレが居るのだ。

 例年なら三年生であるはずの生徒会長は、あくまで文実の……実行委員長のサポートをする役割に徹する。

 でも今年の生徒会長は二年生。しかもアレ。絶対に自分の手で派手で目立つ文化祭にしたいはずだ。

 ならばヤツは間違いなく比企谷を頼る。むしろそれを口実にして比企谷に頼る可愛い後輩を演じるだろう。

 

「ぐっ……! 考えないようにしてたのに……。なんで夏休みがまだ数日も残ってんのに、今から辛い二学期のこと考えなきゃなんねーんだ……」

 

 悔しそうにぐぬぬ顔をしている比企谷には悪いけれど、うちに取ってはまぁ好都合なんだよね。そりゃあのあざとウザい後輩の存在は邪魔ではあるけども。

 

「へへー、観念したぁ? だから比企谷〜、一緒に文化祭盛り上げようぜー」

 

 とはいえ一色さんは一色さんで生徒会長兼実行委員長で忙しいだろうし、うちが比企谷を離さないでおけば問題はない、はず……?

 ……うん、無理かもしんない。あの子絶対比企谷から離れなさそう。ずっと隣に配置しといて仕事振りまくりそう。

 

 

 

 でも……それでもうちはもう一度こいつと文実がやりたい。

 

「……去年は散々だったから──って言っても自業自得だけど……でも、今年はちゃんとやって達成感を得たいんだよね。それが比企谷と一緒なら尚よし! だって面白そうじゃない? 去年の文実をメチャクチャにした二人が、翌年の文化祭を超盛り上げちゃうなんて」

 

 もっともメチャクチャにしたのはうち一人で、比企谷はメチャクチャにならないように悪者になっただけだけど。でも、表向きにはうちと比企谷がメチャクチャにしたと思われてるだろうからね。

 

 そしてそれはもしかしたら、文化祭には苦い思い出しかなさそうな比企谷の日誌にも、楽しい活動記録が書き足せるかもしれない。

 だからうちは比企谷と一緒に文化祭を盛り上げたいって、わりと真剣に思ってる。

 

「……だから、比企谷と文実やりたいとかマジで思ってんの。そんな笑える活動を想い出に書き足せたら、去年のしょーもない自分を笑い話に出来そうで。……ダメ、かな……?」

 

 すると比企谷は頭をがしがし掻いて深い深い溜め息をひとつ。

 

 

 ──こいつはいつもこうだ。こっちがおちゃらけた態度で話してると、こいつも冗談めかした適当な態度を取る。

 でもこっちが真剣な空気をまとって真っ直ぐに向き合うと、こいつもすぐに真っ直ぐな真剣さを返してくれる。

 

「……ったく、しゃあねぇなぁ。……じゃあまぁ、かなり後ろ向きではあるが、それなりに善処する事を検討することを考えとくわ」

 

「それ善処する可能性を全然期待出来ないから」

 

 ふふっ、でもその超後ろ向きなセリフとは裏腹に、あんたのその照れくさそうな表情が全部語ってんのよね。

 ……しゃーねぇから一緒にやってやるかぁ、って。

 

「だいたい善処もなにも、比企谷には二年連続で文実やるっていう選択肢しかないから」

 

 今のうちにはそんな事くらいもうお見通しだけど、それでもうちはやっぱりこうしてお馴染みの悪態を吐く。

 やっぱうちとあんたの関係って、こういう方が“らしい”もんね。

 

「……ひでぇ。てかそれ選択肢がないんだけど……」

 

 そして比企谷も、うちが知ってて言ってるであろうなんて分かってるクセに、こうして“らしく”返してくれる。

 

 ったくー、なんかもう長年連れ添った熟年夫婦みたいじゃない? くっそ、あまりのツーカーっぷりに、うちの口元はゆるゆるに弛みまくるしかないじゃんか。このタラシめ。

 

 

 

 

 ──あーあ〜、やっぱ好きだなぁ、こいつ。

 

 こういうバカみたいに捻くれてるとこもバカみたいに意地っ張りなとこもバカみたいに照れ屋でキモいとこもバカみたいに不器用で優しいとこも、バカみたいに好き。

 こんなバカの塊みたいなヤツには、こんなバカの塊みたいなしょーもない女の方が絶対似合うと思うのよね〜。完璧超人とかトップカーストとか計算高くて可愛い妹分とかよりも。

 

 

 今日は一緒に花火を見に来たはずなのに、何時の間にやら花火とか超そっちのけでやんの。

 ごめんね? せっかくそんなに綺麗に咲き誇ってくれてるのに。

 でも、さ、せっかく好きな男と花火見に来たんだもん。この花火を利用しない手はないよね。

 

 

 うちは今日、ここまでにしとくつもりだった。

 比企谷と一緒に花火見て嫌な思い出を塗り潰……書き足して、比企谷に文化祭のお誘いをする。

 それで今日のところは大満足! そう。満足するはずだったのに、でもなんか今はそれだけじゃ物足りなくなっちゃった。

 この先は文化祭が終わった後の屋上で言うつもりだったのに、なんかもう今すぐ声に出したくてしょうがない。

 

 だからもう言ってしまおう。今すぐ声に出してしまおう。……この花火を、上手い具合に利用して。

 

 

 ぴゅるるるる〜、と、本日最大級クラスっぽい尺玉が夜空へと駆け上がっていく。このぴゅるるって音、花火玉に笛を仕込んで打ち上げた際にわざわざ音が鳴るようにしてるんだってね。さっき比企谷がドヤ顔で自慢気に語ってた。すっごいウザかったけど。

 そしてうちはその笛の音を合図に、そっと口を開く。

 

「ねぇ、比企谷……」

 

 さっきまでの会話からしたらあまりにも突然すぎるけれど……なんの脈絡も無いけれど……うちはここんとこず〜っと、表面張力もかくやってほど唇から零れ掛けていたこんな言葉を、ゆっくりと溢れさせるのだった。

 

 

 

「うちさ、あんたのこと、好きだから」

 

 

 

 

 ……その瞬間、辺りにはどーんっ! って衝撃が響き渡った。

 おっきな花火が夜空いっぱいに咲き誇り、大気さえ震える程のおっきな音が耳も脳も心も一瞬真っ白にさせる。

 

 

 ──ああもう、ホンっトに最悪だぁ! うち一世一代の告白だったのに、花火の音に飲み込まれちゃったじゃない……!

 

 

 

 ……なーんてね。

 

 そんなの初めから分かってたに決まってんじゃん。てかおっきい花火が打ち上がるタイミングに合わせて口を開いた時点で超確信犯だから。

 あ、でも確信犯とかって言葉を使うと国語に五月蝿い比企谷が「おい、その使い方誤用だから」「本来確信犯ってのはな──」なんて、ドヤ顔で自慢気にあーだこーだとうんちくたれそう。想像しただけでウザいなあいつ。

 

 でもうちは本来使われる意味とは違う誤用での確信犯って言葉を使って、胸を張ってこう述べちゃう。

 告白が花火の音に掻き消されちゃったのは、当然わざとだよって。確信犯だよって。

 だってまだまだ早すぎるもんね。ほんのひと月ちょい前には比企谷に告る資格なんてないとか思ってたのに、うちの決心軟らか過ぎでしょ。メンタルだけじゃなくて決心まで豆腐かうちは。

 

 でもどうしても言いたくなっちゃったから、どうしても声に出したくなっちゃったから、だからうちは大音量の花火にこっそり紛れさせて、その言葉を口から溢れさせてみた。

 うん。どうせ聞こえないって分かってて言ったわりには、思いの外スッキリ。

 

 だから今はまだこれでいい。たとえ聞こえていなくとも、比企谷の横で……比企谷と繋がりながら好きって言えた。

 どうしようもないヘタレのうちには、今はそれだけで十分。

 

 

 ──でも今に見てなさいよね。次はきっちり言ってやるから。

 文化祭を一緒に盛り上げて、文化祭の思い出に素敵な想い出を一緒に書き足せたその日には、あの屋上で思いっきり言ってやるんだからね。比企谷が好きだよって!

 

 

 ……なーんて、どうせヘタレのうちは、その時にもこうして下手な理由を付けて告白を先延ばしにしちゃうんだろうなぁ……

 でもだからなに? 別にそれでもいいじゃん。だってまだ告んの恐いんだから仕方なくない? 先延ばし万歳!

 

 それでもヘタレなうちにしては結構頑張ってる方だと思うよ。こうしてゆっくりでも一歩ずつ進んでは、その進んだ分よりも一歩二歩後退しちゃうのがうちだけど、でもそれもまた、情けなくともカッコ悪くとも相模南の人生なのだ。

 少なくとも告る資格なんてないとか思ってた時よりは、少しだけ前進してるでしょ?

 

 そうやって少しずつ少しずつ書き足して行けば、いつかはばっちり告白出来る日だってきっと来る! ……よね?

 

 

 

 だからあえてもう一度言おう!

 

 

 俺達の戦いはこれからだっ!

 

 あーんど、うちの戦いはまだまだ続くよこれからも!

 

 なんちゃって☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、相模」

 

「ん、なに?」

 

「さ、さっきの件だが……」

 

「? うん」

 

 さっきの件? 文実の件かな?

 

「……ま、まぁ……あれだ……その内、ちゃんと考えて、答え、出すわ」

 

「は? だから言ってんじゃん。考えるもなにも、それすでに決定事項だから」

 

「……お、おう。それとは違うんだが……ま、まぁいいか……」

 

「なによ、ったく。マジでハッキリしないわね、ホントあんたって──」

 

 

 

 そう言って本日最後の光の花が夜空に咲いた瞬間に呆れ眼を向けた比企谷の横顔は、赤い花火の影響なのか、耳までめっちゃ真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 ……ん? え?

 

 

 

 ま、まさか、さっきの告白、き、聞こえてた……とか……!?

 

 い、いやいやいや! え!? うそ!? 有り得なくない!? だって口に出した自分でもギリギリ聞こえたくらいのちっちゃい声だったんですけども!?

 こいつどんだけ地獄耳なの……? あ、こいつの趣味って確か人間観察とかいうキモい趣味で、常に聞き耳立ててるようなヤバいやつだったっけ。

 ……ぐぬぬ、さ、最悪だ……

 

 で、でもホントに聞こえちゃったのかはまだ分からないですし……? 考えて答え出すとか言ってる以上は、こちらとしてもなにかしら答えてやらんわけにもいきませんし……?

 

 だからうちはこう答えてやりましたとも。

 

 

「……よ、よろしくお願いしましゅ」

 

 

 

 

 

 ──こうして、うちの日誌には新たな黒歴史が書き足されたのでした。

 どうしよう。戦いはこれからだとか戦いはまだまだ続くよこれからもとか言っちゃったけど、うちの戦い、意外と早く終わっちゃうかもしんない……です。

 

 

 

おしまい






ぼーなすとらっくとか言いつつ、気が付けばなぜか本編よりも文字数が多いという謎。
そんな『相模南の奉仕活動日誌』ではありましたが、最後まで本当にありがとうございました☆

続編モノはなかなか厳しい世の中の風潮ではありますが(やんなきゃ良かったのに…とか、前作が汚れた…とかね!)、そんな中でもこちらの作品は前作から引き続き、およそ6割強の読者様に読んでいただけたみたいで(お気に入り数的に見て)、まっこと有難い事でございます(*> U <*)
こうしてまたきちんと完結を迎えられたのは、ひとえに読者様方に支えていただいたからに他なりません!

それでは最後になりますが、毎回読んで下さった方、一度でも読んで下さった方、感想を下さった方、お気に入りに入れて下さった方、評価して下さった方、誤字脱字報告をして下さった方、皆々様にスペシャルサンクスです!


ではまたどこかでお会いいたしましょうっノシノシノシ





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