最弱無敗のフロストドラゴン。 (肝油)
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最弱無敗のフロストドラゴン。

読むべきか死ぬべきか。
知識欲の虜。引き篭もりのビブリオマニア。白き竜、ヘジンマールの埃高き人生哲学!


―――戦わなければ勝つことも負けることも無い。

 

 

この世界において、戦闘は即ちデッドオアアライブに直結する。勝者には生を、敗者には死を。

だからこそ勝者は強者であり、多くの者からの賞賛と、富と名声、そして栄誉を得るのだ。

力こそが正義であり、力無き者はただ頭を垂れるのみ。

だが、ちょっと待って欲しい。

 

確かに、絶対的な強さを持っていれば、全てを我がままに出来るのは道理だ。

その一方で、この世の中に"絶対"はない。

この世界における最上位種といわれるドラゴンであっても、それは例外ではない。

 

ここアゼルリシア山脈だけでもフロストジャイアントという、並び立つ天敵が存在する。

同種であるドラゴン同士の争いだって珍しいことではない。決して無敵の存在ではないのだ。

だからこそ父だって、単独行動を好む性質のドラゴンには珍しく、こうして部族――家族を形成し、戦力を貯えているのが何よりの証左ではないか。

 

それに、基本的に下位種とされる人間種や亜人種なども決して侮っていい相手ではない。

自分達を屠り得る手段などいくらでもあるし、事実そうして狩られた、いわゆる「竜殺し」の逸話は数多く残っている。そればかりか、稀少なマジックアイテムや武器防具の材料として、爪から皮から余すことなく利用し尽くされるという・・・

生きたまま皮を剥がれ、爪を毟られる自分を想像すると、思わず下半身がひゅんと竦む。

 

つまり、強さにも"絶対"はないということ。

 

経験、知識、戦術。工夫次第で、いくらでも覆し得る程度のもの。

力、強さとは総合的且つ相対的なものであり、決して肉体的な優劣のみで決まるものではない。にもかかわらず、それ以外を歯牙にもかけない父達の考えが、ヘジンマールには全く理解できなかった。

 

それに、父達のいう強さだって、所詮は年を重ねればそれに併せて肉体能力も向上するドラゴンの種族的特性に依存したもの。

実戦闘における経験等は別にして、それは何かしらの修練、あるいは努力によって得た後付けの強さではない。極端な話ドラゴンであれば誰だって、こんな自分であってもいつかは、父と同じくらい年を経れば同様の力を得ることだって、まぁ多分可能なのだ。

 

ならば、強くなる為に考えるべきは長生きをすること。つまり死なないこと。

即ち負けないことであり、それは必ずしも戦闘における勝利を意味するものではない。

逃げる・・・戦略的撤退もまた立派な戦術であり、その達成は勝利と同義と言えるのではないか。

 

目先の勝利に拘るのではなく、生き残る方法の模索にあらゆる手段を尽くす方が、遥かに合理的。

「とりあえず殴ってから考えよう」などと、それで殺されてしまったら目も当てられない。

「戦闘は始まる前に終わっている」。一度戦闘が始まってしまえば勝利を目指さざるを得ない。それでは遅過ぎるのだ。

戦闘行為は最後の手段でなければならない。

最も優先すべきは生き残る事。究極的には戦わない事。

 

戦闘が始まる前にあらゆる手段を講じてこれを回避する。つまり交渉こそが第一に取るべき選択であり最善手。

相手だって徒な浪費は避けたいはず。互いのメリットを提示し、そこからの折衝。殴り合うだけが戦闘ではない。最悪戦闘は免れないとしても、少しでも遅らせることができるなら善し。

時間は何より貴重なものだ。それだけ生きる為の準備に当てる猶予が得られるのだから。

 

事前に情報を分析し、準備と対策を万全に整えることこそ肝要で、戦闘に至る可能性を少しでも減らせる為の努力を怠るべきではない。

 

その為に様々な文献にあたり知見を得ることに、何ら非難されるいわれはな―――

 

 

 

 

―――と、いうようなことを、

当たり障りなくオブラートに、二重三重、十重二十重に厳重に、グルグル巻きに包み込んで下の方から物申してみた結果がコレだ。

文字通りに尻尾で一蹴・・・いや、この場合は一振?された、ぷっくりと真っ赤に腫れあがった左頬を擦りつつ、溜息をつく。

 

やはり、あの人とは――あの人達とは分かり合えないなぁ。

とはいえ、自分でも本当は分かってはいるのだ。上で垂れた戯言が、単なる方便だということに。

 

(だって、外は恐いもの)

 

どんなにか恐ろしい存在が跋扈しているか分からない外の世界に、何故好き好んで出て行かなければならないのか。僅かでも痛い思いをするかもしれない場所にわざわざこちらから出向く必要があるのか。

 

例えば空腹を満たす為。あるいは安住の地を得る為。降りかかる火の粉を掃う為。

それなりのメリットがあるなら、また不運な遭遇戦であれば、多少のリスクを負うのは仕方ない。

 

しかし現状はというと、広々とした安全な塒があてがわれ、食事だって、自分の肥え太った身体が全てを物語っている。――これらに関しては独力で得たものではないので、その点、父達には感謝しても仕切れない部分があるので複雑だが。

 

ともあれ、自分としては、徒に藪を突つく趣味もなければ意義も見出せない。

父達は、ここアゼルリシア山脈全土を支配下に置くという、将来を見据えての勢力拡大を目論んでいるようだが、当面の脅威がない今だからこそ、肉体的な強さばかりではなく、それ以外の部分も鍛えるべき良い機会だと思うのだ。

例えばこうして書物を読み、知見を得るとか。

 

ヘジンマールの部屋には、今現在はフロストドラゴン達の塒になっているドワーフ達のかつての王城、そこに残されていた大量の書物が所狭しと置かれていた。王城内にある図書館の蔵書であり、その数は膨大。

この部屋に持ち込んだ物は極一部に過ぎない。未だ読み切れないだけの大量の本が、図書館の本棚に並んでいる。

 

自分以外のドラゴン達は、財宝以外には一切興味を示さなかった為、書物に関してはヘジンマールが独占できたからだ。

 

 

 

初めて一冊の書物に触れ、ページを開いた時の感動は忘れられない。

 

 

 

それは小さな子供向けの絵本。

ドワーフ達が作った本なので、身体の大きなドラゴンである自分が読むにはかなり小さく、初めの内はページを捲るにも工夫が必要だったが、そんなことはどうでも良かった。

 

それは夢のような一時だった。

 

楽しかった。

夢中になった。

 

やがて字を覚えると、そこから加速度的にのめりこんで行った。

 

御伽噺に始まり、歴史書や技術書、果ては学問書といった専門的な内容のものまで。

多岐に渡る書物は、ヘジンマールの知識欲と学習意欲をこれでもかと刺激し、満たしてくれた。

父達のいう、ドラゴンのあるべき在り方にどうしても馴染めず、兄弟達から蔑ろにされ、孤立を感じていた彼を、家族内で居場所を見出せなかった彼を、初めて受け入れてくれた世界。

鬱屈していた全てが解放された瞬間だった。

 

毎日寝る間も惜しんで、身じろぎもせず書物の世界に没頭し、そして全ての書物を読み終えると図書館に行く。

自室と図書館を往復するだけの、傍から見れば単調でつまらない、ともすれば奇異な生活。

しかし彼にとって、それは世界を巡る冒険の旅そのものだったのだ。

 

書物に没頭している時だけが、彼が生き甲斐を感じる瞬間だった。

父からは呆れられ、兄弟達からはせせら笑われた。

もっとドラゴンらしい振る舞いがあるだろうと、苦言を呈された事も百では利かない。

 

ドラゴンらしくといわれても、何も自分から選んでドラゴンに生まれたわけではない。

ドラゴンとして生まれたというだけで、ドラゴンとしての矜持まで背負わされる謂われはない。

ただドラゴンとしての種族的特性の上に胡坐をかいてるだけの父達とは、自分は違うのだ。

 

 

―――と、

 

そんな風に思っていた時期が俺にもありました。

何事もバランスかなって、最近は少し思うんです。

父にはああ言って嘯きましたけど・・・殴られましたけど、父の言う事にも一理あるのは事実なわけで。

 

父・オラサーダルクの考え方は、ある面では真理だ。正論ともいえる。

自分のいう交渉事にしても、その主導権は軍事力等を背景にした力関係に左右される。

 

所詮は弱肉強食こそが自然の理であり、強くなくては生きられない。

即ち、生とは強くあろうとすることであり、それをしないのは生を否定することと同義だと。

部屋に閉じこもり、書物と睨めっこをしているだけでそれが得られるのかと問われれば、先ほどはああ言ったものの、そもそも自分は強くなる為に書物を読んでいるわけではない。単に知識欲からしていることに過ぎない。

有り体に言えば、楽しいから読んでいるだけだ。

 

そこで得た知識が、例えば実戦の場に於いて役に立たないとは思わないけれど、それを証明する為には結局は外に出てみる必要がある。

いや、その前にもう少し知識を得てから、明日から、三日後百倍・・・などと、先送りにし続けたところで、"その時"は必ずやってくる。

 

何しろ世の中に絶対はないのだから。

 

それに今の今までこんな生活を満喫できたのも、父達のおかげでもあり、ドラゴンとしての生を受けたが故の恩恵なのは明らかで、そういう意味で、他の誰よりもドラゴンの種族的特性に依存し寄生しているのは、何を隠そうこの自分という・・・・・・

さっきからブーメランが飛び交い、ザクザクと刻まれる音がする・・・・・・

 

そんないつも通りの自己嫌悪に苛まれ、

いつも通りに当面の課題と先送りにし、

いつも通りに書物に逃避しようと、自室の一角を占拠した宝の山に手を伸ばしかけた時だった。

 

突如ドカドカと荒々しく扉がノックされる。

まるで感情のままに力いっぱい殴り付けているようなそれをノックというのなら。

 

この部屋に引き篭もって幾星霜、食事を運んできてくれる弟妹達を除けば、訪ねてくる者はほとんどいない。それだって中にまでは入ってこない。扉の前に食べ物だけ置き、一言告げて戻っていく。その程度だ。最近は声をかけてくれることさえ稀になりつつあったが、一体誰が・・・

予想はつくけれど、予想通りであればそれは最悪の事態。

 

 

 

「私だ。ここを開けろ」

「ひぇ」

 

 

 

(やっぱり!!)

扉の向こうからは、予想通りというべきか、蟠る怒りを押し殺したような父の声。

腫れあがった頬に手をやる。さっきの今で、これ以上相手の機嫌を損ねるのはまずい。事と次第によっては今度こそ殺されるかもしれない。

 

弛緩しかけた下半身をぐっと引き締め、猛然と扉に手をかけ開け放つと、そのまま無駄のない流れるような動作で最大級の服従のポーズ!別に練習したわけでもないのだが、悲しいかな我ながら自賛したくなる程スムーズな動きだ。

 

ほんの一瞬、卑屈過ぎても、かえって父の気分を逆撫でしてしまうかもしれないという考えが頭を過ぎったが、先ほど無礼な態度を取ったばかりなのだから、反省をしているというポーズは作っておく方が無難だろう。

あとは向こうの出方を伺いつつ、父の機嫌が上向きになるような、彼の自尊心をくすぐるような、そんな方向に持っていこうと思索を巡らせているところに降ってきたのは、「クスクス・・・」という、意に反して静かな笑い声。

 

恐る恐る見上げると、そこにいたのは父ではなく

 

「は・・・母上?」

 

(どうして母上がここに?)

そこにいたのはキーリストラン・デンシュシュアン。

父、オラサーダルク・ヘイリリアルの三人の后の一人にして、彼・ヘジンマールの実母である。

 

戸惑い、混乱するヘジンマールを無視し、その横を擦り抜け部屋に入ってくる。

そのまま部屋の一角――積み上げられた書物の山に近付いていくと、山の中から無造作に一冊摘み上げ、パラパラと器用にページを捲る。読んでいるというよりは単に弄んでいるという風だが、あるいはこの母親であれば実際に読んでもいるのかもしれない。

 

彼女、キーリストランは、ドラゴンにしては珍しく、信仰系の魔法を行使する魔法詠唱者のクラスを持つ。

通常、ドラゴンが身に付ける魔法は魔力系。それも"竜王"を称する父レベルですら第三位階どまり。そしてそれは成長と共に自然に身に付く天性の能力であり、後天的に習得した類のものではない。ドラゴンの種族的特性、つまりはドラゴンであれば誰でもその内使えるようになる例のアレだ。

 

しかし信仰系魔法はその範疇にない。

つまり、何らかの方法で別に習得しなければ身に付かない後付けの能力であり、これはヘジンマールの知る限り、非常にレアなケースだ。

いや、ドラゴンという種全体で見てもかなり特殊かもしれない。

 

先にも述べたように、大雑把に言って努力という概念がドラゴンには無い。

長寿であり、そして年を経るごとに当たり前に強大な力が身に付いていく。

強さとは追い求めるものではなく、生まれながらに持ち合わせているもの。

そして比肩できる強者がほとんどいないという環境ゆえに、より強くあるべく功を積むという発想自体に到り難いのだ。

 

そして皮肉な事だが、これらドラゴンの持つ力――下位種族の者からすれば誰もが欲して止まない、決して到達出来ない超常の力――は、彼らからすれば畏敬と崇拝の対象であり、そのことがドラゴンの気位の高さを助長してもいるのかもしれない。

つまり、期せずして"その気に"させてしまってもいる為、ますます気位の高さに拍車がかかり、下位種を侮り、自分たちが特別な存在だと思い込むようになったのではないか。

 

いと高き所に在る自分たちが、下賎な輩と同じように振舞うなど恥であるという、ヘジンマールに言わせれば滑稽で危うい思考回路が出来上がるわけだ。

 

そんな中にあって、この母は異端といっていい。

事実、父をはじめ血を分けた弟妹達ですら冷たい眼差ししか向けてこない彼の読書趣味に対しても、口煩く罵りもせず、ケチをつけるでもなかったのは、唯一、母・キーリストランだけだった。

かといって、推奨されているわけでもないので、単に無関心なだけかとも思っていたけれど――

 

キーリストランは、本を山の上に戻すとヘジンマールに向き直る。

じっと見つめる視線の先は、多分きっと、先ほど父に強か殴られた痕だろうか。

 

「どうしたのかと思って」

「はへ・・・?」

 

主語も無い、前後文脈をすっ飛ばして投じられた質問の真意が掴めず、素っ頓狂な反応をしてしまう。

 

「あの人に珍しく食って掛かってたから。アナタでもああいう目ができるのね。少し感心したわ」

「目・・・ですか?」

「そうよ、睨みつけてたでしょ?こんな風に・・・・・・」

 

そう言って僅かに目を細め、じぃっとこちらを見据えるキーリストラン。

辱められているような、叱責されているような、我が母ながら強烈な視線。

 

当然だ。ヘジンマールを上回る体格は、相応に単純な強さであれば父にも比肩し得る存在。

そんな圧倒的強者から睨まれては、反射的に身を竦めてしまうのも無理はない。

というか、そんな目で父を睨んだ記憶はない。

 

脳筋な父親の傲慢な考え方に反感を抱いたのは事実だが、表情にはおくびにも出していない。

・・・つもりだったのだけど。

 

「ムンウィニアが随分と荒ぶってたわ。アレは、そういうのには無駄に敏感だから気を付けないと」

 

父に次ぐ、もう一人の脳筋の名が挙がる。

同じく后の一人、ムンウィニア・イリススリム。

かつては父・オラサーダルクと熾烈な縄張り争いを繰り広げたらしい、剛の者――ハッキリ言って嫌・・・苦手なタイプだ。

 

「いや、ですから睨んだつもりなんてないんですけど」

「そうなの?じゃあ何かゴミでも付いてたのが気になったとか?」

 

ますます分からん。

いずれにせよ、仮に母の言うように自分の目付きが気に入らなくて殴られたのであれば、極めて理不尽な話ではあるが、それはそれとして今後は注意しなければならない。

 

(表情作りの練習くらいはしておいた方がいいかもしれない。その気もないのに害意を持たれるなんて最悪だ)

 

どこかに余った鏡でもあったかなぁ。でも持ち出すには父の許可がいるかしら?などと考え込んでいると、いまだこちらの様子を伺う母の視線に我に返る。

睨むのではなく、今度は観察するような視線。

・・・これはこれで気恥ずかしいというか、イヤなプレッシャーがある。

両の腕を突き出た腹肉の前で交差させつつ、

 

「えっと・・・何か?」

「本当、変わってるわね、アナタ・・・」

「何がでしょう?」

 

他のドラゴン達に比べてという意味であれば、その辺りは自認する所でもあるのだが。

それをいったら母上も相当の変わり者ですよ?とは言わないでおく。

 

「この本、全部読んだの?」

「えぇ・・・まぁ、ハイ」

「何だか細々とした字が並んでて、2・3行読むだけで目が痛くなる・・・」

「書いたのはドワーフですから。慣れてしまえば、どうって事はないですよ」

 

ドラゴンサイズの本があったらなぁというのは、これまで何度も夢想したことの一つだ。

ドラゴンが書を残すという話も聞いたことはない。これまた上で挙げた理由から、記録を遺すという発想が無いのだろうか。

そもそもドラゴンサイズとなると、紙からして特注品。ドラゴンがせっせと作るとは思えないから、他の種族に作らせるにしても、書物で読んだ覚えがある程度で具体的な製作過程などはよく知らないけども、大きいというだけでもそれなりに手間だろう。とてもではないが、量産など夢のまた夢。

 

(とはいえ、評議国の国家運営なんかはどうしてるんだろう?全てを口頭で済ますわけにもいかないだろうし。でも竜王達であれば、俺なんかが及びもつかない特殊な手段を持っていてもおかしくない・・・うーん。ドラゴンが書いた本とまではいかなくても、書面くらいは、俺が知らないだけで在る所には在るのかも知れないな・・・)

 

それが一体どんなものなのか、実在するのであれば読んでみたくはある。

 

(あるいは自分で書いてみるのも面白いかも)

 

「アナタ、ひょっとして」

「はい?」

 

"ひょっとして"?何だろう?

そんな疑問を抱きつつ、続く言葉を待つヘジンマール。

しかしキーリストランはしばし考え込んだ素振りの後、「待ってなさい」とだけ言い残し、部屋を出て行ってしまった。

 

「え?・・・えっ?!」

 

(一体、何なんだ?)

 

"待ってなさい"ってことは、またここに来るって意味だろうか?

というか、そもそも母上は何しに来たんだろう?

まさか心配で見に来たわけじゃないよな?

父上に叱責されるなんて一度や二度じゃないし、殴られたのは初めてだけど・・・・・・でも・・・・・・

 

などと、あれこれ考えている内に、再び母が戻ってきた。

その手には、何やら光る物が握られている。

 

(何だアレ?)

 

小さくてよく見えない。

 

「動かないで」

「え?ちょっ・・・」

 

ヘジンマールの顔を挟むように、キーリストランの両手が迫る。

 

(ひぇ)

よもや殴られるのではと、ぎゅっと目を閉じる息子の姿に苦笑しつつ、キーリストランはそれをヘジンマールの鼻先にそっと掛けた。

 

それは眼鏡だった。

 

書物で読んだことがある。人間種などが使う、視力を矯正したりするアイテムだ。

更に魔化したマジックアイテムになると、様々な機能を載せることができるようだが、これは、そういった特別な力までは付与されていないようだ。

 

「今度から本を読むときはこれを使いなさい。いくらか読み易くなるはずだわ」

「え?」

 

それだけ言うと、用は済んだとばかりに引き返して行く母。

母が姿を消した後も、しばしその場に呆然と佇むヘジンマール。

 

頭の上にいくつもの「?」を浮かべたまま部屋へ戻ると、ヘジンマールは先ほど取り上げかけた書物に手を伸ばす。

そして本を開いた瞬間、全ての「?」が一つの巨大な「!」に収束した。

 

字が見えるのだ!

くっきりと明瞭に!

 

それは、ヘジンマールにとって読書をする上で一番の懸念材料だった。

そもそもがドワーフが書いた書物。ドラゴンである彼が読むには、字にしても本自体にしてもサイズが小さ過ぎたのだ。そしてそのギャップは、彼の身体が成長するに連れてますます乖離していく。

加えて、これが専門書ともなると字の方も細かくなっていく。

 

少しどころでなく不便さは感じていたが、それでも書物を読むのは止められず、結果、最近では書物に顔をへばり付けるようにしながらでないと、とてもじゃないが読める状態ではなくなっていたのだ。

読んだ後は、鼻息やら何やらで紙がフニャフニャに湿ってしまっていた程だ。

加えて積年の無理な姿勢が祟ったのだろう、若干視力が落ちていたことに、実はヘジンマール自身は気が付いていなかった。

 

書物を読む分には問題なかったし、読んでる間も、書物に夢中でそれ以外は眼中に無い状態。

読み終わった後、物の見え方が気持ち掠れたりもしていなくもないような気がしなくもなかったが、そこは読後の多幸感とか、単に眼を離した直後でピントが慣れないからだろうくらいに深刻には考えていなかったのだ。書物以外に然して関心を抱かず、加えて、読むか食っちゃ寝の毎日で碌に外出もしないでは、周りの景色が見えようが見えまいが、彼の中では大きな問題ではなくなっていたのだ。

 

なるほど・・・先ほど言われた「父を睨んだ云々」は、つまりそういう事だったのか。

知らず知らずに眼を顰めてしまっていたのだろう。

それが、父にはガンを付けていると誤解された・・・と。

 

父が従えているクアゴアという種族は、太陽光下では完全に盲目になる性質を持っているが、

自分も地表に出てみたら目が利かなくなっていたりして・・・・・・

 

(気を付けないとなぁ)

 

改めて書物に目を落とす。

 

―――素晴らしい。

この眼鏡を通して見ると、小さかった字を丁度良いサイズに拡大してくれる。

これまであんなに近付かないとまともに読めなかったそれが、お陰さまで姿勢もバッチリ!

 

どんな仕組みか分からないけれど、魔法的な力を用いずにこんなことが出来るものなのか。

恐らくはドワーフ達が使っていた物だろうが、改めてその技術の高さに感心しつつ、同時に、よくもこんな物を見つけて来てくれたものだと、母の気遣いには感謝しかない。

 

何故、母は眼鏡なんて持っていたのか。

何故、ヘジンマールの視力が落ちていることを見抜いたのか。

 

浮かんでくる様々な疑問は、やがて目の前の文字の海の中に泡沫の如く消えていった。

 

ヘジンマールは、その日久し振りに心行くまで読書を楽しんだ。

先ほどまで頭を悩ませていた父から受けた叱責などまるで無かったかのように。

 

そして、左頬の腫れが知らぬ間に癒えていたことにも気付かないほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――何を探しているんだ?」

 

戻って来たと思ったら、突然財宝の山を掘り返し始めたキーリストランを怪訝に思ったオラサーダルクが問いかける。

返事はない。ただカチャカチャと金属同士がぶつかり合う音だけが玉座の間に響く。

そこは、オラサーダルクがこれまで収拾した財宝の内、価値無しと判断したガラクタが分けられた山。

何を持ち出そうととやかく言うつもりはないが、一体全体何の目的があっての行動なのか?

 

元々変わった性格ではあるが、その長子にして、極北であるヘジンマールを思い浮かべつつ、

(この親にしてこの子ありというヤツか)と一人ごちるオラサーダルク。

カエルの子はカエルなどと、半分は自分の血が入ってるのだが、そこは華麗にスルーだ。

 

「ねぇ、もうちょっと静かにやってくれない?耳障りなんだけど?」

 

しかし、返答はなし。

ムッとした表情のムンウィニアが立ち上がりかけたと同時に、目的の物を見つけたらしいキーリストランが身体を起こす。

機先を外され、「ッチ」と舌打ちだけして、不貞腐れたように元に戻るムンウィニア。

 

キーリストランはというと、取り出した物をしげしげと見つめる。

引っくり返してみたり、明かりにかざしてみたり、歪みや傷が無いか入念にチェックでもするように。

 

満足気に頷くと、再び部屋を後にしようとするキーリストランに、ミアナタロンが声をかける。

 

「なぁに、それ?そんなに上等そうな物には見えないけど?」

 

それは、貧相な作りの金属性のフレームに、ガラスがはめられた物。

装飾用の貴金属類というよりは、何かの生活道具のように思える。使用されている金属も稀少なものではないし、魔法的な力も感じられない。遠目にも価値が高いものには思えない。だからこそガラクタとして放られていたのだろうから。

 

そんな、この場にいた全員が抱いたであろう疑問に、キーリストランは短く答えた。

 

「私達にとってはね」

 

それだけ言うと、そのまま一顧だにせず扉の向こうに消えていく。

取り残された3人は互いに顔を見合わせ、訳が分からんとばかりに肩を竦める。

皆の心情を代表するようにミアナタロンが呟いた。

 

「変なの」

 

 

 

 

ヘジンマールの部屋へ続く階段を登りつつ、キーリストランは自嘲気味に笑う。

 

「私もよっぽど変わってるわ」

 




祝!『オーバーロード』最新第11巻発売記念、二次創作SS第6弾!!
ということで、皆様、お久し振りです初めましてこんにちは。肝油と申します。
久方振りの投稿となりましたが、お楽しみ頂けましたでしょうか?


今巻も色々と見所の多い、特にエピローグなどは本編全部吹っ飛んじゃうくらいの衝撃的な内容でしたが、
それはさて置き、やはり今回のメインといえば、"アインズ様御一行ドワーフ国探訪記"に尽きるでしょう。

アウラ+シャルティアの姉妹漫才に始まり、
「しかし――」三連発に「ふふふ・・・」などなど、笑い所盛りだくさんで実に面白かった。

個人的にはシャルティアの「出来ない子と思われていんす。」という台詞が絶妙にツボで、
ずっと気にしてたんだなぁと思うと、それでも黙々と運送業務をこなしていたのかと思うと、
今回の名誉挽回の大活躍は、シャルティアファンならずとも涙なくしては読めませんでしたね。

閑職に回されて腐れ気味だったところに、
あれだけ主人が自分のことを考えてくれていたと知って、きっと今頃モチベーションMAX。
ぺたん血鬼航空はシャルティア発案だったら素敵だなぁと思います。

あとはゼンベルの成長振りなんかも見てみたかったですが、あの面子の中にあっては、どう逆立ちしても戦力外。
空気化も已む無しでしょうか。記憶操作とか結構な目に遭ってましたけども。アレも伏線めいてて恐いですね。

意外だったのが、リザードマン達は必ずしも一枚岩ではないというか、表向きはともかくとして、
服従はしてても、カルネ村のような信仰対象レベルで全幅の信頼を置いているわけでもないようで。
片や侵略・占領されている側、片や助けられ援助を受けている側ですから、当然の心情ともいえるかもしれません。

ただ、そんなカルネ村の方は管理担当がアレという意味でプラマイゼロっぽいのが何とも。
ルプーの「やらないわ」は、どうしてもやまじゅん的な絵がちらついてダメだった。


さて、そんなわけで今回SSのネタに選んだのはドラゴン達。
そうです。とうとうこの世界の最強種、ドラゴンが登場したんですよ(白目)

いや、プラチナムだったりロリ王女だったり、これまで幕間等でチラ見せはされてましたが、
本格的な絡みは今回が初でしたし、何といっても竜王ですし、時間対策くらいはしているに違いない!
・・・・・・なんて考えていた自分は、まだまだこの小説のノリを理解していないようです。

そんなガッカリドラゴンズの中でも、
メタボにメガネに引き篭もりと三拍子揃いの飛び抜けてガッカリな(立ち回りは優秀でしたが)
デブゴンこと頻尿竜ヘジンマールを主人公に書いてみたわけなんですが、色々と共感要素の多いキャラであった。無論ダメな意味で。
努力と研鑽の塊であるクライム辺りと比較すると、こいつのダメっぷりは際立ちますね。

ゴンドに対して、どういう態度で出るのが正解か悩んだ挙句、
短めに切り上げる方を選択するところとかすごい好き。

あとキーリストラン、良かったですね。
脳筋一家らしからぬ聡明さだったり、危機察知能力(この辺は親子でしたね)しかり、
節々に優秀さを感じさせる描写があって出来る女感が実によろしいなと。
CV妄想なんてアレですが、少佐声で「私です!」とか言って欲しい。

そんなキーリストランとヘジンマール母子のお話。
作中のヘジンマールの台詞からは、ドラゴンは、親子の情愛みたいのは希薄のように伺えますが、
子どもを慈しむ親というよりは、何か珍しい物でも愛でる感じでちょっかい出してみたくらいの、
そんな感じのアレくらいに解釈頂ければ。

ナザリック入り後の、特に彼女の処遇については気になるところではあります。
ぺたん航空所属なのか。空輸オンリーは勿体無いキャラと思いますし、
ナザリック内では珍しい信仰系魔法を習得しているという希少性に気付いてもらえればワンチャンあるかも?
ヘジンマールはきっと多分こんな感じ↓


『時間ですよー』


ここ最近すっかり耳馴染みになった福音の声が響く。

「はい、分かりました。ぶくぶく茶釜様!」

それを合図に、それまでスパルタな鬼教官然としていた主人の態度が少女らしい笑顔に変わり、花が咲き誇ったような底抜けに明るい調子で、本日の訓練の終了が告げられる。

(ありがとうございます!ぶくぶく茶釜様!!)
見知らぬ福音の主に、今日もまた無事に、生きて一日を終えられた感謝を述べるヘジンマール。

「では各自、休息に入るように!その間どのように過ごそうと自由だが、当然ながら明日の訓練に差し支える行為は許可しない!睡眠と食事はしっかり摂る事!夜更かしなどは厳禁だ!以上、解散!!」
「サー!イエス、サー!」

・・・各自というが、実態はマンツーマンの個人指導。魔獣達を除けば、この場にいるのは彼女と自分の二人だけ。
このエセ軍隊じみた遣り取りは、その方が雰囲気が出るからと取り入れられたものだが、存外お気に召したらしく、訓練時にはこの口調を強制される。

新たな主人、アウラ・ベラ・フィオーラ様にお仕えするようになって最初に、彼、ヘジンマールに下された命令。
それは"ダイエット"だった。

長い引き篭もり生活が祟り、すっかりだらしなくなった体型は、余りにもドラゴンとして、引いては栄光あるナザリックに属するシモベとして不適格。
先ずはその駄肉を落とすよう厳命され、そして課されたのが、この連日続く地獄のブートキャンプだ。

基本的には、ナザリック地下大墳墓第六階層の広大な敷地内を、ひたすら走らされるだけのそれ。

とはいえ、起伏の無いなだらかな敷地も森林内はあちこち木の根が盛り上がり、苔が生え、茂る下草に足を取られることもしばし。
そんな、ただ移動するだけでも地味に体力を消耗する中で少しでも速度を緩めようものなら、主人や、周囲で眼を光らせる魔獣達から「貴様それでもドラゴンか!」「ならば死ね!死はナザリックにおいて最大の慈悲である!」「ズル剥けぇぇぇぇ!!!等々、これでもかと罵詈雑言と叱咤が、時に物理的な質量を伴って浴びせられる素敵空間。

更には第四階層での遠泳、第五階層での雪中行軍(これはまぁ)、第七階層でのヘルウォーク(素で死にかけました)等々、思いつく限りの訓練っぽい何かを、とりあえず片っ端からやらせてみよう的な地獄の日替わりメニュー。
ノリノリの教官殿を横目に、(これって単に遊んでるだけなのでは?)などと口が裂けても言えるはずもなく・・・
とにかく命じられるままされるがままに玩具にさr・・・しごきに耐えていた。

オーバーワークによって悲鳴を上げる心臓の必死の訴えも、ここで価値無しと判断されれば明日はない。
黙らっしゃいと意志の力で無理矢理ねじ伏せ、休息を欲する身体に鞭を打つ。
疲労困憊で死ぬのではないか?それがどうした!
心臓が自然に終了するのか、強制的に止められるのかの違いでしかないならば、僅かなりとも生き延びられる方を選択するのに、何ら疑問を挟む余地などないではないか!

けれど、追い詰められた生き物というのは時に想定以上の底力を発揮するものらしい。
理不尽極まる訓練メニューに明け暮れている内に、生存本能が刺激されたか、知らず知らず体力が向上したように思える。

その証拠に以前であれば訓練終了後は死んだように眠りに付き、そして翌日、鬼教官に文字通りに叩き起こされ覚醒するのが常だったのが、最近は、辛うじてではあるが、こうして訓練後に一日を反芻する程度の余裕さえ出来た。
そして余裕が出てくると、それまで鳴りを潜めていた欲望が不意に頭をもたげるもので。

「本が読みたいなぁ・・・・・・」

寝起きするのに宛がわれた敷地に向かう道すがら、そんな欲求が無意識に口から零れ落ちる。
そうなのだ。あれだけ毎日のように貪り読んでいた書物を、ここに来てからは一度も読めていない。
別に禁じられているわけではない。ただ、許可を求めたところで通るとは思えなかったし、そんな立場でもない。
何よりこれまでは、そんな体力的・精神的余裕は全く無かったからだ。

(お願いすれば読ませてくれるかなぁ・・・いやでも交換条件で今以上のメニューを課されたら本末転倒・・・いや絶対するな。嬉々として無茶振りをするな、うん)
などと、ブツブツと考え事をしながら歩いている傍らから、不意に声がかけられた。


「あ、あの・・・」


(!!!)
即座に現実に引き戻され、弾かれたように服従の姿勢を取る。
疲労に加え、余計なことを考えていたのが不味かったのだろう。
すぐ近くに主人と似た気配が佇んでいたことに全く気が付かなかった。何たる失態!

そこにいたのは、偉大なる主人アウラ・ベラ・フィオーラ様の双子の弟君にして、同じくここ第六階層の階層守護者であられるマーレ・ベロ・フィオーレ様。
おどおどとした仕草で、こちらを見上げている。

一見して怯えているように見えなくもない、遥かに体躯に優るドラゴンに相対する者の反応としては極めて妥当なそれは、もちろんあくまでもポーズでしかないことは皆さんも既にご存知の通りです☆

というか闇妖精という種族的な習性によるものなのか、単なる癖なのか、この方々は概して気配が薄過ぎて、ドラゴンの知覚力を持ってしても、ともすれば見逃してしまい兼ねない程なのだ。
故に普段でさえも一切気が抜けない。いつ、どんな行動を見咎められるか分からないから。
とはいえ、そんなことが言い訳になるはずもなく。

「これは!偉大なる主人の弟君であらせられるマーレ様に対して、気が付かなかったとはいえ、非礼をお許し下さい!!」
「えっ?あ、いえ、あのっ・・・す、すみません」
「いえっ!こちらこそ申し訳ありませんでした!!折檻であればいくらでも受けます!!ですから、どうか命だけはっ!!」
「え・・・えぇ?えっと、あのっ・・・その・・・ごめんなさい」
「いえこちらこs・・・・・・
「いえいえ・・・・・・
「いえいえいえ・・・・・・
「こたえはどこへ・・・・・・
「いえいえいえ・・・・・・

(中略)

「―――え、えっと、ヘジンマールさん。こ、こんばんは」
「ははぁ!偉大なる主人の弟君であらせられるマーレ様におかれましては、まことご機嫌麗しく本日はお日柄も良く!」
「あ、はい。えっと、あっ、き、今日の訓練は、その、終わったんですか?」
「はい!先程、アウラ様からお許しを頂き、塒へ戻るところでありました!!」
「そうですか、えっと、ご苦労様です」
「滅相もございません!ナザリックに仕えるに相応しいシモベに一日でも早くなれるよう、今後も誠心誠意、全身全霊をもって勤めて参る所存であります!」
「あ、はい。頑張って下さい」
「ははぁ!」

("頑張って下さい"、か・・・・・・)

いやな記憶が蘇る。
一度だけ、主人(アウラ)に代わって彼が指導役に付いたことがあったのだが、あの時は散々だった。

いつも以上にしごかれたというわけではない。やってる内容はいつもと変わらない鬼メニュー。
しかしながら、主人はというと、殺しに来ているとしか思えない訓練内容も、それなりにこちらの体調を考慮してくれている節があり、その時々で適度に休憩は挟んでくれるし、稀に労わりの言葉をかけてくれることさえある。
こちらの気分を乗せる手管が巧みというか、飴と鞭の使い分けが絶妙なのだ。

対してマーレ様の場合はどうか。
徹底して機械的というか、恐らく主人から言われたことを言われたまま、つまり書かれた内容をとにかく厳密に時間通りに正確に消化することのみに傾注し、こちらの状態などおかまいなしのライン作業。
いっそ付き合ってくれる魔獣達の方が心配気な声をかけてくれる有様で、インターバルの最中に、何度か目で訴えかけるも伝わりゃしない。

さすがに辛そうなのは見て取れたのだろう、応援はして下さったのだけど、初めてでしたよ。「頑張って下さい!」があれだけ空しく残酷な言葉に感じられたのは。
最初の印象が天使そのものだったギャップもあってか、そんなこんなで正直この方は苦手だったりして。
見た目や普段の態度との落差がそうさせるのか、ある種独特の、形容し難い恐さを感じるのだ。
言わないけども。

とはいえ、それはさて置いても、僅かなりとも評価が下げられる可能性は低くする必要がある。
ここはしっかりと忠誠の態度を印象付け失墜した信用を回復せねばと、ヘジンマールが難行に挑もうとした刹那、ちらりと視界の端に捉えた、マーレが抱えている物。
それは・・・


「((本っ!?))」



「?・・・あっ、はい。本です。今から図書館にですね、えっと、返しに行こうとしていたところで」
「し、失礼しました!!」(しまった、つい声に出してしまった!)
「本・・・好きなんですか?」
「はっ・・・、ひぇ、そのぉ~・・・」

(ここは何て答えるのが正解だろうか?)
素直に大好きだと答えるべきか、いやでも現状、新参者が個人的な感情を口にするのは・・・・・・
とはいえ偽るのも不敬だろうし・・・・・・それにしても図書館まであるのかここには。何でもあるな。
でもドワーフの王城にあった本も軒並み回収してたみたいだし当然か。一体どんな・・・・・・

(これだけ広大な空間を、どういう仕組みか屋内に維持できるような方々が管理する図書館だ。一日、いや一生かかっても読み切れないくらい本が並んでいるのだろうなぁ。見てみたいなぁ。そういえば途中だった本、あれらも全部そこに収められているのかしら?」

「この前入って来たドワーフの本ですか?はい、ありましたよ?」

(また声に出てたっ?!)

「そ、そうなんでありますか?」
「はい、えっと、まだ全部の翻訳が終わったわけではないんですけど、この前ですね、あの、ちょっとだけ読ませてもらったんですけど、その、すごく面白かったです!タイトルは、えぇっとたしか・・・・・・」
「知ってます!お、私も読んだ事がございます!!」

そのまま、まさかの書物の話題で盛り上がる。
思ってもいなかった展開。堰を切ったように色々なことを喋ったように思う。
興奮の余り早口で一方的にまくし立て、言葉遣いも随分と雑になっていたように思う。
冷静に考えれば不敬も甚だしい行為。しかしながら、誰が止められようか!


これまでずっと、書物に埋もれ、書物に始まり書物に終わる、そんな生活を送ってきた。


点だった知識が、不意に線になる。
点と点の間にあった、永遠とも刹那とも思える距離が瞬時に縮まり、世界が広がっていく感覚。
そんな快感を一度覚えてしまえば、部屋で一人きりだろうが、そんなことは気にもならなかった。
寂しさを覚えた事は一度としてないと断言できる満たされた日々の中で、でもたった一つだけ、願えども適わないと諦めていたもの。

それは書物について共に語り合える存在。
この雄大な旅路を、共に手を携えて歩んで行ける者がいたらどんなにか素敵なことだろうかと。
そんな小さな願いが叶ったのだ。少しばかり我を忘れたとて無理はなかった。

そんなヘジンマールの話を、マーレは静かに聞いていた。

「そうなんですか。」「すごいんですね。」と適当に相槌を打ちつつ、ドラゴンでも本を読むんだとか、僕のドラゴンも読むかなぁとか、あんな大きな手でどうやってページをめくるんだろうとか、それにこれだけ本のことを熱っぽく語るということは、きっと本を読みたいんじゃないかなぁ。だったら少しくらいなら。
でもこのドラゴンは姉の所有物だし自分の一存で勝手なことをするのは少々憚られるような。

(そうだ。ご褒美ってことなら許して貰えるかな?)

末席とはいえナザリックのシモベに連なる者であれば、至高の存在であるアインズ・ウール・ゴウンの為に、全てを捧げ尽くすのが当たり前で、見返りなどを期待するなどもっての外。
とはいえ褒美という形でもって忠義に対し報いることは、自らの主人もやっていること。
であるならば、自分の配下の物に対して、同様に振舞っても構わないのではないか?

厳密に言えばこのドラゴンはアウラの配下であって、マーレの部下というわけではないのだが、そこは同じ第六階層の階層守護者という括りで、無理矢理こじつけられないこともない。多分。
以前一度だけ、姉に代わってトレーニングの監督をした時のことを思い出す。
実際、汗から涙から垂れ流しながら必死でメニューをこなすヘジンマールの頑張りには感心したものだ。そこには確かな忠義の心が感じられた。ならば、それに報いてやるのが主人としての務めだと思う。

自らの指にはめられた"特別"な指輪を撫でつつ、未だ淀みなく本のことを語っているヘジンマールに向き直る。
(よ、よーし。言うぞー)タイミングを見計らい、呼吸を整え、両拳をぐっと握り締めて気合を込める。

「あ、あのですね!」
「はひゃ!?」

突然大きな声をかけられ、一気に冷静さが戻って来る。
(し、しまったー!!つい我を忘れてしまっていた!!)

――これは死んだかもしれない。
一瞬で絶命寸前まで追い込まれた、あの時。主人から放たれたあの殺気にも似た、圧倒的なプレッシャーを放つマーレの姿が、そこにはあった。
握り締めた拳が全てを物語る。うん、これアカンやつ。そりゃ怒るわ。俺みたいな三下が調子に乗ってベラベラと喋ってたら不興を買うわ。
己の命運を悟り、目を瞑る。母上、先立つ不幸をお許し下さい。食事、美味しゅうございました。本、楽しゅうございました。父上、遅ればせながら御許に・・・・・・、などと最後のお別れを脳内の遺書にしたため始めたヘジンマールに向けて突き出されたのは、しかし拳ではなくその手に抱えた一冊の本だった。

「・・・・・・え?」

「あ、あのですね。僕、ちょっとしなくちゃいけない事を思い出して」
(?、!?)
「ですから、えっと、ちょっとだけこの本、その、預かっててもらえますか?」

「は!?はぁ・・・・・・」
差し出された書物を言われるまま受け取るも、理解が追いつかない。

「あ、あとですね。ひょっとしたら、本にゴミが挟まってるかもしれないんです。キレイにして返さなきゃいけないので、あの、全部のページを確認しておいてもらえますか?」

お願いします。
それだけ告げると、マーレは元来たであろう道を小走りで駆けて行った。
無理矢理という表現を遥かに超えたお願い――命令だったが、意味する所は恐らく一つだろう。

――でも、本当に?

本当にいいの?


受け取った書物を両手で抱える。
久し振りの感触。懐かしさの余りに眦に熱いものが溢れて止まらない。

「ありがとうございます!ありがとうございます!!ありがとうございます!!!」

去り行く天使の後姿に向かって、何度も何度も頭を下げ続けた。

そしてヘジンマールは大好きだった書物のページを開いた。
懐かしい――それほど時間は経っていないはずなのだが気分の問題だろう――世界が目の前いっぱいに広がった。
内容は正直よく覚えていない。そもそもそこに記されていたのは、彼の見知った字ではなかったから。

ただそれよりも書物を読めるという、それ自体が嬉しかった。
知らず知らずに笑顔が零れた。ページをめくる指先の、その感触にさえヘジンマールは浸った。

しかし体力的に限界ギリギリだった疲労は、そんなヘジンマールの幸せの時間を容赦なく奪い去る。
そのまま数ページも進まない内に寝落ちしてしまったのだが、その寝顔には、これまで見たこともないような満面の笑みが浮かんでいた。


マーレが戻ると、既にヘジンマールはスヤスヤと寝息を立てているところだった。
やはり疲れていたのだろう。最後まで読ませてあげられなかったのは残念だけど、でも嬉しそうな顔をしてるし、きっと喜んでくれたに違いない。

マーレは満足げに頷くと、開いたままの本を拾い上げ、
(えっと、何か掛けてあげた方がいいのかな?フロストドラゴンって風邪引くのかな?)
しばし思案した末、大きなヘジンマールの身体を覆い隠せるくらいの巨大な緑の布を編み上げると、それを優しく彼に掛け、その場を後にした。

「おやすみなさい」

―――翌朝、これまで見たこともないような満面の笑みを浮かべた鬼教官に"優しく"起こされることになるのだが、それはまた別の機会に語るとしよう・・・・・・




なんつって。

それにしても、11巻本編の話に戻りますが、
天井知らずにうなぎ登りのアインズ様に対する評価が、いつかフィリップよろしく叩き落される時が来るのかと思うと、あるいは全てのフラグを弐式さんばりの神回避とやまいこさん並のラックでスルーしてしまうのか。
今後もアインズ様のハラハラドキドキ綱渡りロードに目が離せませんね!

それでは、ここまでお読み頂きありがとうごさいました。
肝油でした。


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