真剣で私に恋しなさいZ ~ 絶望より来た戦士 (コエンマ)
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第0話 運命のはじまり
駄文小説家見習いコエンマです。
現在、私はこのハーメルン様に二作品ほど投稿させていただいておりますが、様々な理由で筆が止まっている状態にあります。
このお話が以前にお知らせしたクロス小説で、メッセージによる要望があれから多数届きましたので、こちらに掲載していただくことにいたしました。
そこでも書いたことではありますが、この作品は他の二作品の問題を片付けているあいだ小説を書く腕が落ちないようにするためと、自分が苦手とする戦闘描写、その他あらゆる描写の練習をするというコンセプトで書かれています。
なので、更新はとにかく不安定で、二作品の問題が解決したあとも細々と続けていくつもりではありますが、場合によっては打ち切りもあり得ます。
そのことに対してクレームを書かれても、一切応じることはできません。
それを念頭におき、なおかつ許容できる方のみご覧ください。
それでは不思議な物語のはじまりはじまり~。
光の滝。それが頭の片隅に浮かんだ言葉だった。
倒れ伏すオレを包み込むように、天空から落ちてくる光の壁は次の瞬間には違う色へと変わり、あたりの景色を染め上げていく。その中心にオレはいた。
雨あられのように降り注ぎ、次々と地面に叩きつけられる光。だが、それらは温かみとは程遠い冷たい痛みを帯びていた。
「あ……ぁ…ああ………ッ……!」
遠くなる意識。必死に引き寄せようとするも、それは既に叶わぬことだった。その間にも降り注ぐ光の凶弾が次々に身体を貫き、俺の全てを焼いた。
―――消えていく。
身体を焼きつくすような熱の感覚が。
全てをかけて守ろうとした世界が。
仲間たちの死と引き換えに長らえた……その命さえも。
――――消えてしまう。
自分が急速に遠のいていく。頭の中を塗りつぶされるような感覚の中、浮かんできたのは最愛の弟子の顔だった。
(もう足手まといにはなりません!)
誇り高き王の血を引いた少年。彼なら、彼ならばきっと、自分を超える戦士になれる。自分にできなかったことを成し遂げてくれる。
この世界に残った最期の希望。その姿を思い描いたオレは、死に際であるにもかかわらず笑っていた。
「……頼んだ……ぞ………ト……クス…………」
真っ白に染まった世界に目を閉じる。そして瞼を焼き焦がす光が極大に達したとき、オレは意識を手放した。
-Side Kazuko Kawakami-
「ふぇえ~、すっかり遅くなっちゃったよ~!」
川神市、午後六時半。情けない声を上げながら、私、川神一子は帰りの道を急いでいた。夕暮れはとうの昔に過ぎてしまっており、あたりには完全に夜の帳が下りている。
「まさか梅先生がやってなかったトコをピンポイントで当ててくるなんて……迂闊だったわ」
顔に縦筋を浮かべながら、先ほどまでのことを思い返す。正直思い出したくない内容だったが、きちんと復習しなければならないから仕方がない。次にまた同じ失敗をするなど考えたくもなかった。
「はぁ……」
ため息がこぼれる。さっきまでの独り言でどんな状況か大体わかると思うが、本日私はちょっとした失敗をしてしまっていた。その内容は担任の小梅先生の授業でちょっとしたポカポをやらかしてしまったこと。原因は授業で当てられた際に解答できなかったことに起因する。
もちろん予習はした。しかし時間が足らず、僅かに手をつけられなかった部分があったのだ。それを運悪く、本当に運悪く当てられてしまい、まったく答えられなかった私は彼女の教育的指導を受けた後、さらに放課後の補習まで言い渡されたのが運のつきと言える。その補習に際しても、恐ろしくしっかりやるのだから参ってしまった。さらに勉強を進めるうちに理解できていなかった部分が次々と出てきて、それらの補足内容を受けているうちに否応なしに時間が延び、その結果今に至る。
この時間では部活帰りでも歩いている生徒などおらず、すれ違う人も皆無だった。完全に一人きりの状態だ。
しかも先ほどから雨まで降ってくる始末である。土砂降りとまではいかないが、予想以上に強い。朝の天気予報を見て折り畳み傘を持ってきていたからよかったものの、この降りではそれもあまり用を成していなかった。
まぁ、それは自分が急いでいるせいもある。
今日は金曜日。週に一度、私の所属する、という言い方もおかしいが、風間ファミリーと呼ばれるグループの集まりがあるのだ。金曜というのはあるときからはじまったのが、今では習慣になっている。別に強制ではないのだけれど、みなその日は予定を入れないようにして集まるから出来るだけ顔を出したい。
それに何より、
「もうみんな集まってるわよね? あ~ん、また大和にいじられる~。先生が補習びっちりやりすぎなのがいけないんだわ~」
本音が泣き言になってこぼれる。まぁ率直に言えば、罰補習なんて理由で欠席してしまった日には、我ら風間ファミリーが誇る軍師や遠距離戦担当に何を言われるのかわかったものではないのだった。
だから急ぐ。傘を前方に傾けて、雨に対するシールドにする。気休め程度だがないよりマシだ。そうして商店街を横切り、水溜りを飛び越え、なるべく雨に当たらないようにしながら誰もいない多馬橋へ至る。
そして、広い歩道に敷き詰められたタイルに足を踏み入れたときだった。いつもはない違和感を感じ、私は立ち止まった。
「……あれ?」
橋を照らす街路灯に見下ろされるようにしてある『それ』。光に照らされた雨がその激しさを物語るなか、その飛沫を受けて何かが浮かび上がっている。場所は今自分がいる陸橋の端部分からすると、ちょうど中心部であろうか。
「道の真ん中に…………何かしら?」
飛ばされてきたゴミにしては大きすぎるし、柵か何かが倒れているにしても、その大きさからして微妙である。
誰かが忘れていったものかもという考えに行き当たり、しかし即座に打ち消した。これだけ遠くから見えるのだ、あれだけのものを忘れていく人は早々いないであろう。
「とにかく、行ってみよ」
動悸が少し早くなる。私は何かに急き立てられるようにその場へと向かった。だんだんと早くなっていく足取り。気づけば私はかなりの速度で駆けていた。
ほどなく橋の中央部にたどり着く。果たして、そこにあったのはは想像もしていなかったようなものだった。
「な…………!?」
目の前に広がる光景に私は息を呑んだ。そこにあったのはモノなどでは断じてない。
それは人だった。力なくうつ伏せになった人間が、なんの遮りもなく雨に打たれていたのだ。
「こ、これって……!」
私は言葉を失いつつも、目の前に倒れ伏す人に近づき、恐る恐る覗きこむ。
青年。私よりも少し年上、姉と同じくらいに見える男子だ。
彼は道着のようなものを着ていた。濃い山吹色の道着の下に青いアンダーシャツという二枚着、背中には大きく『飯』と染め抜きが入っていた。その彼の周りにもさまざまなものが転がっている。それらは種類も大きさも一見バラバラのようだが、なんだか統一感のようなものも感じられた。状況から察するにこの青年の持ち物だろうか。
ともかく、頭を冷静に整理する。推測するに彼は武道家だろう。姉の挑戦者でこんな様相の人は見たことがないし、少し派手で見慣れないが風体と体格からしておそらく間違いない。
だが、問題はそんなことではなかった。
「酷い怪我…………!」
私は思わず口元を覆った。倒れた彼の体には、その全身を埋め尽くすように傷跡が走っていたのだ。彼の着ている道着も泥や煤によって汚れており、傷だらけでボロボロの状態だった。もはや服というより布を纏っているといったほうが正しい。
傷も大小さまざまだが、全体を見れば決して楽観していいようなものではないことは確かだった。無傷な場所を探す方が難しいくらい、彼の体につけられた傷は夥しい数だった。
生きているのか疑問に思うほどに痛々しい、凄まじい量の傷跡。ボロボロになった彼の胴着。雨の中、なぜ一人でこんな場所に倒れていたという疑問。頭に浮かぶものを挙げていけばキリがないだろう。
だが、そんなことはこの際どうでもいい。そんなことは後でいくらでも確かめられる。彼が生きてさえいれば。
川神院でその手の知識を少しばかりかじっているとはいえ、私の目は素人とさして変わりはしないだろう。だがそんな私から見ても、一刻も早く治療しなければ手遅れになることは容易に理解できた。それほどに彼は危険な状態だったのだ。
頭を振り、自分がいま何をすべきなのかを私は強く心に刻んだ。
「何やってるの、やることはひとつしかないじゃない。しっかりするのよ私!!」
止まっていた足が動き出す。そして今度こそしっかりと彼を見た。
一瞬後、愕然とする。よく見ると倒れた彼には、人間の両側に必ずあるはずのものがなかった。不自然に窪んだ肩口。左の袖口、そのすべてが完全に地面についたアンダーシャツ。本来そこから出ているはずの肌色のものがどこを探しても見当たらない。
そう。彼からは―――――左腕が失われていた。
「…………っ」
思わず目を背けたくなるような光景。思わず自分の左肩を意味もなく抱きしめてしまう。
だが、私はほんの僅かの逡巡を抑え込み、意を決して彼のそばにしゃがみこんだ。うつ伏せになっている彼の横顔に私の塗れた髪が掛かる。
「だ、大丈夫!? ねぇ、しっかりして!」
強く、しかし乱暴にならない程度に肩を揺する。
反応はない。私は唇を引き結ぶと彼の手をとり、祈るような気持ちでその手首に自分の手を当てた。
「! 生きてる……!」
弱弱しいが、確かに脈があった。
彼は生きている。生きようとしている!
そう思ったとき、私の中に強い決意が宿った。
考えて達したものではない。ただ、人として生きている自分の心が奥底から叫びを上げていただけだ。
彼を死なせるわけにはいかない、と。
「と、とにかく早く運ばなきゃ!!」
急いで携帯を取り出し、番号を呼び出す。
メンバーに頼むことも考えたが、私はまずおじいちゃんに連絡することにした。ここからなら川神院のほうが近いし、こういった状況なら川神院の師範である彼のほうが適任だろうと思ったからだ。修行僧も大勢いるから、人手がいる作業ならきっと助けになってくれる。
私はおじいちゃんに連絡を入れ、教えてもらった応急処置を施した後、大和にも簡単に状況の連絡を入れた。連絡を受けた大和は驚いていたけれど、すぐ冷静にこちらの状況を尋ねるとすぐに動くと言ってくれた。
とにかく体を冷やしてはいけないようなので、つなぎっぱなしになっている大和の電話の指示の元、彼の上に傘を被せて雨が当たらないようにする。
その間にも電話越しにこちらを気遣ってくれる辺り抜け目がない。さすがは風間ファミリーの軍師と言われるだけあると苦笑してしまった。
大和の声を聞きながら、青年へと視線を戻す。冷たくなりかけている彼の手を取って握り締めた。
「頑張って。もうすぐ助けがくるから!」
そうしてみんなが到着するまで、私は精一杯の励ましをかけ続けた。
どうか助かって、と祈りを込めながら。
-Side out-
さて、どうでしたでしょうか。
久々の完全新作の文章でしたので、腕が落ちていなければいいのですが……。
ご意見がある方は感想欄からどんどん下さい!
後々、銭湯描写が入ってくると思いますが、
「こうすると、臨場感が出るよ」
「もっとここをこうした方が、キャラに感情移入しやすいかも」
などありましたら、遠慮なくお願いいたします。
出来れば具体例(短い文章など)で書いていただけると、自分のスキルアップ&今後の励みにもなりますので、よろしくお願い致します。
それでは、また皆様とご縁があらんことを。
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第1話 漂流のZ戦士
今回は悟飯の目覚めと武士娘との邂逅編になります。
誰と出会うかは、まぁなんとなく想像が付きますよね?
それではどうぞ~。
夢を見ていた。
とても楽しくて、とても嬉しくて、そんな幸福な夢。
いつも見る自分の家。そしてテーブルの上にはいつもよりもたくさんの、そしてとても豪華なご馳走が所狭しと並べられている。ボクは手をかけた扉を押して、ゆっくりと開いた。
すぐにお母さんが肩を怒らせてやってくる。
『こら悟飯、どこ行ってただ! まったく、悟空さと一緒になってまた遊びほうけて! 勉強はしっかりやるって言ったでねぇだか!』
『チ、チチ、悟飯はまだちっこいんだ。そんな厳しくせんでも……』
少し怒りんぼのお母さんがいて、優しいおじいちゃんがいて。
『まぁまぁチチさん。悟飯だって遊びたいと思うときぐらいありますって』
『そうそう! それに悟飯はすごい優秀だから、ちょっとくらい大丈夫ですよ』
『ふ。お前なら、武と勉学両方を極められるやもしれんな』
『応援するぞー!』
クリリンさん、ヤムチャさん、天津飯さん、餃子さん、みんながいて。
『お前の人生だ。好きに生きるといい』
大好きなピッコロさんがいて。
そして、
『なんだ悟飯。たくさん遊んでもっと食わなきゃだめだぞ。おめぇは育ち盛りだかんな!』
とっても優しくて頼もしいお父さんがいる。
ただ、大切な人たちと過ごす何気ない日々。しかし、それはどんな宝物にも代えがたい輝きを放っていた。
ひとしきり笑いあった後、お父さんがゆっくりと立ち上がる。
『っと、悪ぃな。オラ、もういかなくちゃ』
「? お父さん、何処へ行くの?」
不思議に思ってボクは顔を上げる。だがお父さんは答えず、ただ笑うばかり。そして背を向け、一人歩き出した。
「待って。待ってよ、お父さん!」
歩いていくお父さんを追いかける。遠くなっていく背中に必死になって叫ぶ。
いつの間にか、周りにいたはずのみんなも消えている。ボクはあらん限りの大声で叫んだ。
だが悟空は振り返らない。どれだけ走っても、どんなに速度を上げても、その距離はどんどん開いていった。
「待ってお父さん! 行かないで!」
走りながら手を伸ばす。ボクの声が届いたのかお父さんはゆっくりとこちらに振り向き、いつも元気な顔をすまなそうに崩した。
『――――またな。母さんを頼んだぞ、悟飯』
「お父さぁあああああん!!!!」
声はもう届かなかった。
‐Side change‐
「はっ…………!?」
オレの目に風景が映った。暗く何も見えなかったところから白い光が満ちた世界へ引っ張り出されたためか、目が霞んでチカチカする。
見慣れない白い天井。意識はぼんやりとしたままだった。いま自分がいったい何を見ているのか、それさえうまく頭に入ってこない。だが、徐々に意識がはっきりするにつれて景色が色彩を帯びていく。
そのころには覚醒する前と後の世界の境界ぐらいは認識できるようになっていた。
「ゆ、夢…………?」
呆然とした声が口から零れる。顔中にはじっとりとしたいやな感触のする汗が溢れていた。それらが荒げた息に触発され、額から一筋、また一筋と頬を流れ落ちていく。
「オレは……一体――うっ!? ぐっ!?」
何の気なしに身を起こそうとした瞬間、凄まじい激痛が全身を襲った。息が止まるような痛みに、起こしかけた体を再び横たえる。
そこでオレは、初めて自分がベッドに寝ていたことを知った。少し離れた窓からは少し傾いた日が差し込み、風がカーテンを
「こ、ここは……病院、か?」
僅かに動かしただけでも痛む体を気遣いつつ、目だけで周囲を確認する。自分は相当な怪我をしているらしく、いろいろな計器や大げさに見えるほどの処置が施されているのが、感触から伝わってきていた。
頭がだんだんとクリアになってくる。皮肉なことに、時折体に走る激痛が自分がまだ生きていること、そして今いる現状を認識させるの手伝いをしていた。
「そ、そうだ……オレは西の都を襲った人造人間と戦って……本気を出した奴らに追い詰められて……」
■んだはずだ。
そこまで考えて、強く歯を食いしばった。いまさらに死の恐怖が寒気となって全身を震わせる。そして同じくしてこの状況に疑問を感じた。
(だが、どうしてだ?)
あの状況から、自分はどうやって生き延びたのだ?
西の都にはもうほとんど人は残っていない。当然開いている病院などないし、あったとしても人造人間が気づかないはずがない。
自分が記憶しているのは人造人間達に追い詰められたところまでだが、覚えている限りでもあれだけの攻撃をまともに受けていたのだ。ほかの街に運ばれたとしてもおそらく手遅れになっているはず。
助かるはずがない。己の冷静な部分が告げていた。しかし、
「考えたところで分かるはずもない、か…………とにかく、今がどういう状況かぐらい把握しておかなきゃ……」
痛む体をおして起き上がろうとする。だが、思うようにはいかなかった。
元より左腕がないためバランスがとりにくく、そうでなくとも満身創痍の状態だったのだ。いくら普通の人間を大きく超えた肉体を持つサイヤ人とはいえ無理からぬことだろう。
「くっ……く、く……くぅううう…………!!」
それでも体に力を入れる。
まだ、まだ生きているなら、やることはオレのやるべきことはひとつだけだ。オレはこんなことをしている場合じゃない。こんなところにいる場合じゃない。
オレはまだ生きているんだ。まだ、戦うことができるんだから…………!
全力で体に力を入れる。必死すぎて、息をするのも忘れてしまいそうだ。
だから、気づかなかった。
「え……?」
「あ……」
控えめに聞こえたノック音に。
-Side change Kazuko Kawakami-
「起立、礼。先生さようなら~」
「はい。また明日」
なんとも子供らしい号令に返す凛々しい返答の後に、声の主が退室する。それに呼応して、教室の空気が一気に弛緩したのがわかった。
遅い帰り支度を始める者。この後の予定を話し合う者。まだ友達と話そうと机の上に行儀悪く座る者。おおよそのクラスメイトは各々に動き出している。
それは私も一緒だ。ただし、放課後を満喫しようとするみんなとは少し違った目的があるためだが。
「犬。今日も行くのか?」
立ち上がった私にクリが声をかけてくる。
クリスティアーネ・フリードリヒ。ドイツから日本に来た留学生で、最近風間ファミリー入りしたメンバーだ。反りが合わないからかケンカも多いけど、こういうタイプは近くにいなかったから新鮮でいいと思ってもいる。
「まだ行くの? 責任とか感じる必要はないと思うよ? 最初に見つけたのがワン子だったってだけで、それ以上のモノは何もないんだし」
「ボクも京と同意見。でも世話焼きとはいえ、ワン子がそんなに入れ込むなんて珍しいね」
その後ろから付き合いの長い椎名京、師岡卓也も声を掛けてくる。私は心配げな二人に頭を掻いた。
「入れ込むっていうか……まぁ、いちおう第一発見者だしね。ちゃんと目が覚めるトコまでは見届けたいのよ」
「ワン子ちゃん、もう帰るんですか。最近早いですねぇ」
甘粕真与。2‐Fの良心とも言われる優しい委員長だ。気を遣ってくれた彼女に軽く返すと、横にいたクラスメイトの二人、小笠原千花と羽黒黒子が反応する。
「まあね。ちょっと寄るところがあるから」
「あの修行一直線のワン子が寄り道……まさか、オトコでも出来たー?」
「何ィ!? あたしらを差し置いて、抜け駆けとか信じられねー! いったいどんなイケメンを釣ったんだよ!?」
桃色な方向に捉えた二人が顔を近づけてくる。私はその異様な迫力に気おされてしまい、「ち、違うわよ」と少々どもりながら返した。と、我が風間ファミリーの軍師こと直江大和が近づいてくる。
「今日も行くみたいだな。もし、あの人が目を覚ましたら知らせてくれ。身元不明ってことだから一応会ってもおきたいし、お見舞いには行くつもりだったからな」
「相変わらずまめよね大和は。でもありがと。目を覚ましたら必ず知らせるわ。じゃあねみんな、また明日」
気遣い上手な仲間に笑顔を返し、私はクラスメイト達に別れを告げて歩き出した。
目指すは葵紋病院。彼が入院している病院であり、この川神市において最も規模の大きな医療施設でもある。
天気は快晴。季節はずれの嵐が過ぎ去ってから、早いものでもう五日になる。その間、私は毎日あの人の病室を訪れていた。もう病室すら覚えてしまっているほどだ。
彼はいまだ眠ったままだが、それは体が修復能力をフル稼働させているかららしい。眠っているだけで目立った問題はないし、体も回復に向かっているから十分な機能が戻れば遠からず目を覚ますだろうとのことである。
あの日、雨のなかに倒れていた青年は救急隊によって搬送された。すぐに治療が開始され、私は祈るような気持ちで彼が手術室に消えていくのを見送った。そして後から駆けつけてきたお姉さまたちと一緒に、帰ったほうがいいというお医者さんの言葉を押し切って病院のソファで一夜を明かしたのだった。
手術は数時間に及んだ。一分一秒が本当に長く感じたのを覚えている。そしてまもなく夜明けになろうというとき、やっと手術室のランプが消え、先生たちが出てきた。すぐさま駆け寄った私たちに対し、先生は複雑そうに、でもうれしそうに微笑んだ。
「あと少しでも発見が遅ければ、もう駄目でした。いえ、常人ならばとうに手遅れなほどの怪我なのですが……彼の身体が常軌を逸して頑強なのか、それとも単純に運が良かったのか……いずれにしろ、私もこれほどまでの奇跡に立ち会ったのは初めてですよ」
いろいろと思うところもあるのだろうが、やはり患者を救えたのが単純に嬉しかったのだろう。そう口にして、先生は去っていった。それを皮切りにメンバーにも笑みが灯る。
『よかったぁ』
全員が口々に息を吐き出しながらそう言った。私は安堵のあまり腰から力が抜けて座り込んでしまい、ガクトや京たちに散々からかわれてしまったが。
「――――っと、これでよし」
五日前のことを思い出しながら受付で名前を書き、病室へと向かう。階段を二段飛ばしで上り、あっという間に五階にたどり着く。そこから少し歩いて、私は目当ての病室へとたどり着いた。番号は512号室である。
そこにネームプレートはない。理由は単純、彼がいったい何処の誰なのかわからなかったからだ。
まだ目覚めていない彼には聞きようもないし、その所持品にも身分などを証明するものは見受けられなかった。それどころか、お金なども一切持っていないとのことで、正直お手上げだったのだ。
つまるところ、そう遠くない時に目覚めるであろう彼に直接聞くしか方法がない。
(近いうちに聞けるかな?)
何しろ何一つわかっていることがないのだ。
なぜあんなところで倒れていたのか。
どんな人なのか。
名前は何なのか。
医者の話では全治七ヶ月という大怪我だそうだが、彼の回復力は常軌を逸しているらしく、このペースでは本来の半分、いやそれよりももっと短い期間で完治してしまう可能性もあるという。本当に何者なのだろう。
浮かんでくる疑問は至極単純なものばかりだが、それゆえに尽きることがない。
それにその経緯も気になった。医者だって驚くほど頑強な体を持つ彼があれほどの傷を負っていたのだ、よほどのことがあったのだろうというのは鈍い私にだってわかる。
だが、だからこそ迷ってしまうのだ。彼にとってとても大変なことだったのではないだろうか。それは私が聞いてもよいことなのだろうか……触れないほうが、いいのではないだろうか。
そんなことを考えつつ何回目かになる扉に手をかける。そして軽くノックをしたあとゆっくりと開き、
「えっ……?」
「あっ………」
今の今まで考えていた彼と目が合った。あまりに突然なことに私も反応ができず、硬直してしまっている。驚いているのはあちらもなのか、こちらを視界に納めたまままま微動だにしない。と、起き上がり途中の不自然な体勢であったためか、青年の体がぐらりと傾いた。
「い゛つっ!?」
「あっ、危ない!」
バランスを崩してベッドから落ちる直前、滑り込んだ私は彼の体を抱きとめるようにして支え上げた。痛みが同時に走ったのだろう、苦悶の表情を浮かべる青年。私は抱きとめていた肩から手を離し、
「まだ動いちゃだめよ! あなたひどい、怪我……」
彼を叱り付けようとして、
「なんだ……から…………」
至近距離から目が合った。
「「あ…………」」
再び視線が交わる。彼の黒い瞳に私が映っていた。
距離が、近い。お互いが映っているだろう瞳も、細やかな息づかいも、その気になれば心音すらも感じられる。それほどの至近距離だった。
起きたら何て言おうかな?
何が好きなのかな?
優しい人だといいけど。
今まで浮かんでいた考えが、いくつもいくつも浮かんでは消えていく。彼と言葉を交わすことを楽しみにして、ずっとずっと、いくつもいくつも考え続けていた。
そんな、私がこの数日間考えていたことのすべては。
(なんて――――なんて綺麗な目をしているのかしら)
彼の目を見た瞬間にすべて消えていた。
日本人によく見る黒一色の虹彩。だが、彼のそれは漆黒の闇を落とし込んだように深く、それでいて不思議で静かな光に満ちている。澄んだ黒曜石のような瞳。そこへ吸い込まれそうな錯覚すら覚えていた。
だが、この瞳を見ていると心がざわつくのは何故だろうか。どこか懐かしい気持ちがするのは何故だろうか。何故彼の瞳はこんなにも――――、
「あ、あの……?」
「…………はっ!?」
訝しげな声で我に返る。いつの間にかずいぶんと見入ってしまっていたらしい。かなりの至近距離で見詰め合っているということを私はすっかり忘れていた。
仲間内でもこんな距離で男性を捉えた事など早々ない。よく考えれば、仲間以外で男性と接する機会など幼馴染の忠勝を除いてなかったような気がする。そう意識した瞬間、恥ずかしさで顔が沸騰した。
「あ、あわわっ! ご、ごめんなさい!」
飛びのくようにしてあわてて体を離す。一瞬彼がまたバランスを崩すかもと心配になったが、体勢を崩しているのは私だけだった。なんだかちょっと恥ずかしい。
「え、えっと、そ、そうだ! あたし、川神一子って言うの! あなたは?」
恥ずかしさを誤魔化すために無理やり話の流れを変える。ちょっと苦しい感じではあったが、青年のほうはあまり気に留めなかったらしい。彼は素直にこちらを見据えて、
「オ、オレは悟飯。孫悟飯だ」
その名を名乗った。
一人の青年と、一人の少女の刹那の出会い。
だが、のちに私に。
私たちに。
そしてこの世界にも大きな変化を齎すことになる、運命に導かれし存在。
そのはじまりであることを。
私はまだ知る由もなかった。
-Side out-
記念すべき第一話でした。
さてさて、今回はあまりお話は進まない上に、バトルもなしでしたがいかがでしたでしょうか。
マジ恋キャラと悟飯の性格をきちんと表現できているか心配ですが、キャラは壊れていなかったでしょうか?
その点だけは私も十分注意して書いていきたいと思っておりますので、よろしくお願い致します。
それではまた次回にてお会いしましょう。
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第2話 武士娘と不思議な青年
さて、早くするつもりがお待たせする結果となってしまいました。
まだまだ内容的に未熟な部分もあるやも知れませんが、その辺りはみなさまの寛大なお心でどうかご了承のほどをお願いいたします。
それでは、第二話です。
「孫、悟飯……孫くんね! よろしく!」
互いの自己紹介が終わると、彼女……川神一子は人懐っこく笑った。こちらのことを信用しているのか、それとも人を疑うことをしないのか。いずれにしろ、彼女の笑顔には含みのようなモノは一切見受けられなかった。
いきなりのことに若干警戒していたオレも飾り気のないその笑みに毒気を抜かれてしまい、彼女に言われるままベッドに背中を預けなおす。
「でもよかったぁ。あなたもう五日間も眠り続けてたのよ? お医者さんは命に別状はないって言ってたけど、そのときは本当に危ない状態だったんだから」
「五日間も…………もしかして、君が助けてくれたのか?」
問いかけるオレに少し顔を赤くして、まあねと答える川神さん。恥ずかしいのかモジモジしている。
オレが改めて感謝の意を述べると、「別にいいわよ、お互い様だもん」と朗らかに笑った。つられてオレの顔にも笑みが浮かぶ。
だが、突然その笑顔が曇った。
「でも……えっと、その……」
こちらをチラチラと見ながら、彼女は言いにくそうに視線を彷徨わせる。脈絡のないその態度を不思議に思ってその視線を探ると、ある場所に集中しているのがわかった。
――――左腕。正確には遮るものがなくて風に揺れている、オレが着た病院服の左部分だ。
ああ、そういうことかと納得する。優しい子だなと思いながら、心配させないように微笑んだ。
「気にしなくて大丈夫。コレは元から……ええっと、事故によるものだから」
オレが軽く手を振って答えると、川神さんは微妙な表情をしながらも一応納得したらしい。少し心配そうにこちらを見つめる彼女に笑いかける。
そうだ。別に真実を告げることでもない。人が悲しい顔をするのはもうたくさんだ。
たとえ彼女にウソをつくことになろうと、自分を助けてくれた恩人にそんな顔はさせたくない。黙っていれば、これはオレ一人の問題で済むのだから。
もしかしたら、彼女だって何かされているかもしれないんだ。まだ知り合って間もないのに、あの人造人間なんかの話題を出されたくは――――、
「ッ!? そ、そうだ、人造人間ッ!!」
ハッとして、オレはベッドから反射的に身を起こした。同時に脳裏を稲妻のように記憶が駆け巡っていく。
何故、いまの今までこんな大事なことを忘れていたんだ!? 彼女との出会いですっかり頭から飛んでいたが、もしかしたら今このときも危険が迫っているかもしれないのに!!
「川神さん、ここはどこだ!?」
オレは痛みも忘れて傍の椅子に腰掛けていた川神さんの肩をつかんだ。いきなりのことによほど驚いているのか、川神さんは目を見開いたまま口をパクパクさせている。
「え、え……? あの、孫くん、ちょ――」
「西の都なのか!? それとも違う街か!? ここにはどれぐらいの人がいるんだ!? あいつらは、人造人間はいったいどこに行ったんだ!? まさかとは思うが、まだ近くにいるとしたら急いで逃げ――」
「ちょっと待ってってば! 孫君、あなた一体何を言ってるの!? じんぞー人間とか、一体何のこと!? そんなの聞いたこともないよ!?」
「そんなこ――…………え?」
オレは反射的に動きを止めた。耳を疑う言葉を彼女から聞いた気がしたのだ。
ようやく動きを止めたオレにため息を吐いた彼女は、オレの内心に気づかない様子で続ける。
「はぁはぁ……いきなりどうしたの? じんぞー人間って何? 何をそんなに取り乱したのか知らないし、さっきも言ったけど、そんな名前の人聞いたこともないわ。それに、ここは川神市にある葵紋病院。日本語が通じるから孫くんは日本人みたいだけど、西の都なんて名前の街、たぶん日本にはないと思うわよ? 少なくとも私は知らないし」
今度こそ、時が止まる。オレは早まっていく動悸を抑えながら独り呟いた。
「そ、そんなバカな……西の都が、ない……それどころか、人造人間も知らないだって……!?」
あり得ない。どんな田舎だって、東西南北にある四つの都の存在は子供でも知っているものだ。パオズ山という辺境で生まれ育ったオレでも子供のころから知っている。
それにこの時代において、人造人間を知らぬ者などいないはずだ。物心つかないような子供ならまだしも、彼女はおそらくトランクスよりも年上。そんな年齢になる人間が、あの悪魔の存在を知らないはずがなかった。
極度の混乱で視界がグラグラと揺れる。オレはなんとか状況を分析しようと、必死に頭を巡らした。
「か、川神さん。この世界、いやこの国の歴史の教科書と地図を見せてくれないかな? できれば世界地図とかあるといいんだけれど」
「え、ええ。ちょっと待って」
川神さんは訝しげな表情をしながらも、横においてあった鞄を取る。今まで気づかなかったが、よく見ると服装からして学生であるらしい。目当てのものはすぐに見つかったようで、彼女は二冊の本を中から取り出した。オレはそれを半ばひったくるようにして受け取るとすぐに目を走らせる。
違いは歴然としていた。字の文体や使い方などはオレの知っているものと似通っているが、表現の仕方や見慣れない文字もある等、細部が異なっている。
それに、歴史もオレが知っているものとはまったく違っていた。この国、日本がたどってきた道筋もそうだ。年号や元号もそうだが、歴史上でもそんな名前になった国など記憶にない。
そして一番の違いは世界地図だった。小さな島国である日本のほかに大小様々な、百を超える国々が点在している。そしてその地理も六つの大きな大陸に分かれた陸地と、広大な海によって成されていた。オレが知っている地球の地理では大陸もひとつだけ、そして国もキングキャッスルの国王が治めるものしかなかったはずだ。
もしかしたら別の星に来てしまったのか、という疑問はない。なぜならその世界地図の隅には、大きく目立つようにこう書かれていたからだ。
【地球:The Earth】
体から力が抜け、ベッドに寄りかかる。そしてもう一度、ベッドの脇に立った川神さんを見た。
オレの様子が気がかりなのだろう、心配そうにこちらを見つめている。とてもじゃないが、からかっているとは思えない。オレは天を仰いだ。
ここは、本当に地球だというのか。だとしたら、自分の知っている何もかもと食い違っているこの状況はいったいどういうことなのだろうか。
聞いたことのない国、日本。そして他国の存在。
歴史や地理の大きな差異。
そして、人造人間が存在しない事実。
わからない。どうしてこんなことになってしまったのか。どうしてこんなところに来てしまったのか。何もかも、目覚めたばかりのオレにわかるはずもなかった。
「だ、大丈夫? なんだか深刻そうな表情をしてるけど……」
その声を聞いてハッとする。見ると、川神さんが慮るような視線でこっちを見つめていた。
(話すべきか?)
オレは一瞬迷った。ここが自分の知る地球とはまったく違うものだとするのなら、オレを知っている者はこの世界に誰もいない。元の世界に戻れる手段があるかもわからないのだ。ならば一人くらい、事情を知っている人間を作るべきじゃないのか。
もう一度彼女を見つめた。こちらを心配している気持ちが強く伝わってくる。
オレは雨の中に傷だらけで倒れていたと聞いた。身分証など持っていなかったから、その扱いは身元不明の不審者と似たようなものだったはずだ。それでも彼女は助けてくれた。きっと助けた後も気遣ってくれていたのだろう。そんな優しい少女を、オレは自分の世界の事情に巻き込みたくはなかった。
訳の分からない重荷を背負わせたくはない。そう考え抜いたオレは、
「…………あ、あは、あはははは!」
彼女に隠し通すにした。オレが経験してきた世界のすべてを。
「ゴメン、川神さん! け、怪我のせいか、いつか見たテレビの中のことと一緒になって勘違いしてたみたいだ! さっき言った事は気にしないで! は、ははははは……」
我ながら苦しい言い方だ。あれだけ取り乱していた相手に気にするなと言われても、はいそうですかと納得するわけがないとは思ったが、自分にはほかに手が思いつかない。
だが幸いなことに川神さんはただ心配なだけであったようで、オレの言葉にため息を吐くだけだった。
「そ、そう…………まあ、あれだけの怪我ならそういうこともあるかも。それにしても孫くんって面白い人ね。いくら頭がスッキリしてないからって、テレビの内容とごっちゃになるなんて。それもあんな必死になって……ぷっ、あはははは!」
「あ、あははは……ま、まぁそうなの、かもね……」
力なく返答する。優しくしてくれた彼女に対し、心苦しいものはあった。できることなら、誠意を持って彼女に打ち明けたいと今でも思っている。
だが、巻き込むことはできない。これはオレだけの、オレの世界の問題だ。
知っているということはそれだけ事実に近い場所にいることになる。当然、それに付随するあらゆる要素、危険も付きまとう。しかも、オレの世界のそれは常軌を逸していた。
もし万が一にも彼女にまでそんなものが降りかかってしまったら、そのときオレは自分を許せなくなる。
(……すまない)
オレは心の中で彼女に詫びた。川神さんはオレの葛藤には気づかない様子で部屋の隅に歩いていった。
視線でその先を追っていく。と、見慣れない部屋の片隅、その机の上に唯一見慣れたものがあった。
「オレの道着……取っておいてくれてたのか」
「当たり前じゃない。武道家にとって道着や武具は自分そのものよ。粗末に扱ったら罰が当たるわ」
当たり前のように言う川神さん。迷いなく言えることが、彼女の根のまっすぐさを物語っていた。
「そうでなくても、誰かのものをぞんざいに扱うなんてできないわよ。私にとってはなんでもないものでも、その人にとっては大切なものかも知れないんだから……っと、はいこれ。あなたが身に着けていたものよ。倒れてた周りにいくつかあって大きいものとかは他の場所に置いてあるけど」
そのような経験でもあるのか、どこか含みのあるように言いながら川神さんが道着を差し出してきた。ついで質問を飛ばしてくる。
「その道着を見たときもしかしたらって思ってたけど、孫くんって武術の心得があるの?」
「ああ、うん。四歳の頃からね。ほとんどは父さんとピッコロさんから習ったものだけど。あ、ピッコロさんっていうのはオレの師匠に当たる人で――――!?」
「? 孫くん?」
そこまで言ったオレは目を見開いて硬直する。オレは川神さんを見て完全に言葉を失っていた。正確には、川神さんが持ってきた道着といっしょにあったものを見て。
「か、川神さ、それ……ぐっ!?」
「あっ!? まだ動いちゃダメよ! さっきも言ったけど、助かったのが不思議なくらいの怪我だったのよ!? なんかさっき動いてたような気もするけど、本当なら指一本だって動かせないような状態なんだから!」
川神さんがオレの体を支えながら言う。
確かに少し無茶をしすぎたかもしれない。いくら自分が地球人より遥かに頑強な種族だとしても、死ぬ一歩手前からたった今目覚めたばかりなのだ。おかげで先ほどまで比較的大丈夫だった右腕にも激痛が走り、痛覚以外の感覚がほとんどなくなっている。
それでもオレは痛みに顔をしかめながら口を開いた。
「か、川神さん……き、君が持っている道着と一緒になっている、小さな袋……その中に、何か入っていないか……?」
「ふ、袋? で、でも今はそれどころじゃ……」
狼狽する川神さんは何故そんなことを今言うのかと胡乱な表情を見せた。しかし、いいからと目で諭すと、彼女は渋々ながら中を調べる。すると、その中には果たしてオレが思ったとおりのものが入っていた。
それを取り出した彼女の顔は晴れない。こんなものどうするのかと言いたげな表情だ。
もしオレが事情を知らなかったら同じことを思っただろう。指示した自分自身も、それが今ここに存在することを信じられないのだから。けれど、もし本当に予想通りのものならば――――。
オレはそれを受け取ろうと手を伸ばした。だが先ほどまでの無理がたたったのか、体が思うように動いてくれない。仕方なく、オレはまたも川神さんに視線を向けた。
「ぐっ……か、川神さん、それを一粒だけで、いいから……オレの口の中に、放り込んでくれ……」
「わ、わかったわ」
言われるまま、川神さんがそれを食べさせてくれる。口の中に無機質な、だがどこか懐かしい味が満ちていく。噛むたびに体中に走る凄まじい痛みに耐えながら、オレはそれを懸命に咀嚼し、
「…………んぐっ」
飲み込んだ。そして川神さんが固唾を呑んで見守る中、
「…………ふぅううう、危なかった……よっと!」
「へっ!?」
ベッドから飛び起きた。激変したオレの様子に、川神さんは飛び出そうなくらい目を真ん丸にする。
まあ、さっきまで面会謝絶一歩手前だった大怪我人が一瞬で飛び起きたのだから、その驚きも相当なものだろうが。
「な……な……なな……ななななな!?」
「やっぱり仙豆だ……もう無くなってしまったはずなのに、それがどうしてここに……」
固まったままの彼女の手に乗った仙豆の袋を受け取る。こいつには長く世話になっていたが、人造人間との戦いで消費してしまい、トランクスに使ったものを最後にして尽きたはず。それも入っている数が軽く30粒以上見受けられる。元から持っていたよりもずっと多い。
「どうなってるんだ……」
この世界で目覚めてから疑問ばかりが募る。だが言ってしまえば、それは自分がいまここにいること自体がそうなのだ。何一つわかっていない状態では、考えるだけ寧ろどつぼに嵌ってしまうだろう。
だからオレはとりあえず頭からそれらを除外する。問題を先送りにしているようなものだが、いまはこれしか取り得る手段も持っていないのは事実だった。考えたって仕方のないモノは、どうしたって変わらないのだから。
(こういう時、父さんなら『まぁいっか』で済ましてしまうんだろうけど)
そのいつでも大らかだった笑顔を思い出し、オレは含み笑いをする。そこで先ほどまでフリーズしていた川神さんがようやく再起動を果たした。
「そ、そそそ、孫くん!? え!? な、なんで!? どうして!? お医者さんは、ぜ、全治七ヶ月だって…………ええええ!?」
「あー……それはこいつのおかげだよ」
話そうかどうか少しだけ迷い、だが手に携えた袋を彼女に向かって掲げた。本当に仙豆なのか確かめる意味も込めて食べたのだが、結果は紛れも無く本物であった。それはいいことではあったが、こうして治ってしまった人間が目の前にいる以上、下手な誤魔化しは逆効果だ。
ならばいっそのこと、仙豆については正直に話してしまったほうが余計な拗れを生まずに済む。それに視線が移るのを見届けてからオレは話を続けた。
「これは仙豆って言って……ええと、何て言ったらいいかな…………そう! オレの家に伝わる秘蔵のアイテム、ってところかな? 食べればどんな怪我も一瞬で治せて失った体力も全快するし、一粒食べれば十日はお腹が持つっていうありがたい豆なんだ。もっとも全部が全部再生するわけじゃない。この腕みたいに、完全に無くなってから時間が立ってしまったものは治せないみたいだけど」
「こ、この豆が……ほ、本当に治ってる……けど、全部じゃないのね……顔の傷はそのままだわ……」
確かめるように体に手を当ててくる川神さん。目の前で起きたことがよほど衝撃的だったのか、その手つきにはあまり遠慮がない。ペタペタと触ってくる感覚がくすぐったかった。
「本当に治っちゃった……信じられないけど、川神にも川神水とかあるから無いとは言い切れないわね……それに、いま触って分かったことだけど、孫くんの体、すごい引き締まってる。そういえばさっき言いかけてたわね、武道家なんだって」
「あ、ああ、うん。そうだけど。というか、川神さんもそうだよね」
彼女の問いに対して、答えと共にこちらからも問いを投げかける。川神さんは驚いたようにこちらを見た。
「分かるの?」
「うん、まぁ。歩き方とかからね。なんとなくだけど」
本当である。彼女がただの少女でないことはすぐに分かった。部屋に入ってきたときはそんなことを確認する余裕はなかったが、その立ち振る舞い、仕草、何より彼女に支えられたときに感じとった、年不相応な力強さを感じさせるあの感覚は、間違い無く武芸者のそれだ。
それともうひとつ、彼女の力を見抜いた理由がある。それは彼女が纏っている『気』の強さだった。
(川神さんの気は、どう見ても一般人の大きさじゃない。武天老師様の半分、いやそれよりちょっと下ぐらいのパワーだけれど、それでもこの年でコレなら相当な修行を積んでるはずだ。気のコントロールはまだできてないみたい、というか知らないのかもしれないな)
彼女の実力に大体のあたりをつける。体を覆っている気の感じからして、この子なら修行しだいでまだまだ伸びることは間違いないだろう。もしかしたら修行の内容しだいでは化ける可能性も――、
「そっか。ホントならいけないことなんだろうけど、怪我も完全に治ってるみたいだし、いいよね」
「ん?」
一人考えていたオレの耳に川神さんの独り言が届く。なんだかこちらを見て何かを考えているようだ。少し嬉しそうな、どこか期待をした表情がそれを物語っている。
どうやら彼女は考えていることが顔に出やすい人物のようだ。たぶん性格的にウソはつけない人でもあるのだろう。
その川神さんはひとしきり考えるような仕草をした後、こちらをにんまりと見据えた。悪戯を思いついた子供のような笑顔。それに対して聞き返そうとするより先に、川神さんが口を開いた。
「――――ねぇ、孫くん。あたしと勝負してくれない?」
‐Side change‐
「勝負、勝負。ひっさびびさの、しょ、う、ぶ~!」
満面の笑み。そう表現するのが最も的確な様子を見せる川神さん。嬉しそうに鼻歌まで歌っている。
対するオレはというと。
「ど、どうしてこんなことに……」
病院服から彼女が持ってきた作務衣に着替え、病院の屋上にて嘆いている。そのすみっこでうずくまりつつ、完全に頭を抱えていた。彼女を見ているとなんだか懐かしい気持ちになるが、今はそれどころではない。
事の発端は数分前、川神さんによる提案からだった。
『あなたと手合わせしたいの。武道家としてね』
そういった彼女の目は真剣そのものだった。きっと戦うこと自体、いや己を磨くことが純粋に好きなのだろう。同じ武道家として、非常に好感を持てる志と言える。
だが、状況が悪かった。
オレははじめ病み上がりを理由にして断ろうとしたが、彼女はそれを一刀両断した。
『怪我は仙豆でバッチリ治ったんでしょ? 問題はないじゃない』
取り付く島もないとはこのことだった。こちらが説明してしまったことだが、それがまさか裏目に出るとは。そういうこともあり、オレは彼女と戦うことを了承するしかなかったのである。
聞けば、彼女は実家の道場にて修業中の身だという。日々、鍛錬を欠かさずにこなしてきたが、最近少しばかり自分の周りに強敵が出てきて、よりいっそう精進することを決意したらしい。
そうして毎日こなしてきた日課だけでなく様々な方面に力を入れてきたが、いくら修行してもただの練習では限度がある。実家でも住み込みの修行僧を相手に組み手はするが、ほとんどが約束組み手のようなものであり、試合をすることはあまりなかったらしいのだ。これには事情があるらしいのだが、要は戦うことに飢えていたということらしい。
そこにタイミングよくオレが現れた。しかも武道をたしなむ者で、なおかつ自分の所属する川神流とは違う流れを汲んだ武芸者。そこまでくれば、もう彼女の答えはたった一つしかなかった、というわけである。
「わくわくするわ~! あの道着を見たときから、孫くんが武道家だったらいいなって思ってたの。それで、もしそうだったら、一体どんな戦い方をするんだろうってずっと考えてたんだもの!」
「お、お手柔らかに…………」
オレはぴょんぴょん跳ね回る彼女に引きつった笑みを零す。正直なところ、オレは乗り気かと問われれば微妙なところだった。彼女とは歳も数年ぐらいしか離れていないようだが、オレとの間に圧倒的な力の差があるのはわかっていたからだ。
彼女が特殊な能力を持っているというのであれば状況は違ってくるが、力を隠しているという様子は見られず、話を聞く限りでも彼女はただの武道家だ。戦い方もそれに準じたものになるだろうし、戦いとなればまず勝敗は動かないだろう。
彼女が負けたことをグジグジ言ったり、挫折するような人間であるとは思っていない。
だが、ここはおそらく自分の知っている世界とはまったく別の世界。むかし量子力学の本で読んだパラレルワールドと呼ばれる存在なのかもしれない。そしてオレはその世界の出身、この世界にしてみれば完全なるイレギュラーだ。
もちろん、オレだって元の世界へ戻る方法がそう簡単に見つかるとは考えていない。むしろ、そんなものは端から存在すらしないと考えた方が自然だ。そうなればどうしたってこの世界に足をつけねばならないし、場合が場合である以上、戻る方法を探るには事情を知る協力者だって必要になる。
だが、できれば深入りするのは避けたかった。彼女が今のオレの世界と関わっても、良いことなどないのだから。
「――――っと。体操終わりっ! さあ、私は準備オッケーよ!」
そうこうしている内に川神さんの準備が整ってしまったようだ。戦いたくてうずうずしているのだろう、小刻みにステップを踏んでいる。本当に楽しそうだった。
彼女に尻尾があったなら、嬉しさでぶんぶん振っていたに違いない。時折、そんなものが犬耳と一緒に見えたような気がするが、きっと幻覚だ。まぁ初対面でかつ不審者同然のオレにここまでフレンドリーに接するあたり、犬っぽく人懐っこい性格ではあるだろうが。
(はぁ……やるしかないか……)
こうなってしまってはもうどうしようもない。オレは覚悟を決めると、作務衣の帯を締めた。
「オレも大丈夫だ」
「オッケー。じゃ、ルールの説明に移るわね。勝負は一本、相手の体に有効打を打ち込んだほうが勝ちよ。あたしは普段武器を使ってるけど、そこまで本格的なものじゃないから、今回はお互い武器はなし。急所攻撃も禁止ね。あ、孫くんは片手だから、ハンデとかどうしよう……?」
「その必要はないよ。昨日今日失ったものじゃないんだ。この程度、普通の人と変わらないさ」
気遣いをやんわりと拒否する。彼女は一瞬何か考えるような表情をしたが、それを否定するようなことはしなかった。これ以上の気遣いは逆に失礼だと思ったからであろう、すぐに不敵な笑みでこちらを見据えてくる。
「……そう。でも、手加減はしないからね」
「望むところだ」
五メートルほどの距離を開けて対峙する。川神さんは一度大きく深呼吸をした後、静かに腰を落した。
「――――スゥ……」
(……気配が変わった。無駄が無い洗練されたいい構えだ。まだ多少荒削りのようだけど、一朝一夕でできるものじゃない)
まっすぐにこちらを見据えてくる瞳。その体に静かに満ちていく闘気。先ほどまで優しげだった眼差しは、相手を鋭く射抜くものに変わっていた。
「―――――――ハッ!!」
気合一閃。一足飛びで川神さんが駆けてきた。速い。どうやら彼女はパワーよりスピード重視の戦い方をするようだ。五メートルの距離を一息で詰め、勢いをそのままにしてオレに飛び掛かかる。
「はぁあああッ!!」
「――――ふッ!!」
正中線を狙った右正拳。
威力も申し分なさそうだ。日々の修行の賜物だろう。
迷いのない一撃に少し驚きつつ、腕で右側に威力を殺しながら捌く。と、受け流された威力をそのままに、左足の後ろ回し蹴りが飛んできた。かわされるのは計算の内だったのだろう。
「せぇいっ!!」
風を切る一撃を上体を状態をそらして回避する。すると踊るように姿勢を低くした彼女から続けざまに右足でもう一撃、今度は下段を狙った足払いが繰りだされた。見事な流れ技だ。
しかし、それを半歩だけ下がって避ける。さすがにコレを避けられたのは予想外だったのか、一瞬だけ彼女の動きが鈍くなる。オレはすかさず無防備だった彼女の左腕を掴むと、キックによる回転の勢いに重ねるようにして自分の後方に向かって放り投げた。
「っととと!?」
驚きの声を上げる川神さん。だが、頭はいたって冷静だったようで、空中で三回転半ほど錐揉みしつつもタイルの上に着地した。
まるで猫のような軽い身のこなしだ。いや、彼女はどちらかといえば犬っぽくはあるが。
「っく! やるわね! でも、こっちもまだまだ行くわよっ!」
川神さんが再び地を蹴る。数秒前に投げ飛ばされたことなど気にもしていないのか、実に積極性が感じられる攻め方だ。
拳の右。左。半回転しつつ右のエルボー。
三連撃のフィニッシュを同じく右で受け止めると、今度はオーバーヘッドキックのごとし蹴りが飛んできた。こちらの右腕を封じつつ攻撃するつもりだったようだ。
右半身をずらして回避し、続けざまに来る右裏拳をガード。さらに上半身を狙った左のワンツーを左右に捌く。
だが、彼女は捌いた左手をすばやく下げると、腰溜めに構えていた右拳を打ち放った。
「――――川神流、蠍打ち!」
ずっと顎や肩など、上半身の上部を狙っていた彼女が目標を下げる。ここまでの攻撃は、どうやらこの時のための伏線だったようだ。
ボディを狙った一撃。どうやら内臓にダメージを与える系統の技のようである。
普通の人間がまともに食らえば、昏倒するのは免れまい。オレはすばやく思考を巡らせると、迫り来る彼女の拳を見据えてからその右手首を絡め取るようにして掴み、
「はぁあッ!」
「へ!?」
上に向かって投げ飛ばした。その高さ、およそ五メートル。
「う、わぁああっ――――……あぅっ!?」
落下した彼女がべちんという音を立てる。ちゃんと受身は取ったようだ。こちらも投げる際にかなり気を遣ったのだが、それでも五メートルの高さからの落下は殺しきれなかったようで、川神さんは若干涙目になっていた。
川神さんが怪我をしていないことを確認してすばやく距離を取る。倒れていた彼女も、ほぼ同じタイミングで体勢を立て直しながら後ろに飛びさすり、構えを取った。こちらを油断無く見据えながら、荒いだ息を落ち着けている。
「いたたた…………す、すごいわ……今の、かなり自信があったんだけど……まさか、全部止められた上に放り投げられるなんて……」
こちらに若干恨みがましい目を向ける川神さん。オレは視線だけを向けたまま、構えを説いて笑みを見せた。
「いや、すごくいい動きだったさ。これでも本当に驚いているんだ。川神さん、かなり修行を積んでるみたいだね」
「まあ、それなりには……ね。でも、孫くんに言われるとなんだか嫌味に聞こえるわよ? あなた、戦いが始まってからほとんど動いてないでしょ。しかもそっちからは一度も攻撃していないわ。あたしがそれに気づいてないとでも思ってたのかしら。本命だった蠍打ちは完璧に捌かれちゃったし、あれだけの連続技を防いでるあなたは息ひとつ乱してない……まるでルー先生、ううん、お姉さまやおじいちゃんを相手にしてるみたいだわ」
(バレてたか……それにしても驚いたな。川神さんの言葉から推測すると、話にでた二人はおそらく彼女の姉と祖父……この街に強い気が集まっていることは分かっていたけど、ならさっきから感じる二つの凄まじい気は、まさかその二人なのか? クリリンさん達には遠く及ばない程度だが、地球人としてはかなりの使い手だ)
柵の外に見える街に目を向ける。穏やかな町並みがそこに広がっていた。
もう見ることはできないかもしれないと諦めていた光景。そこに大きな安らぎと平和を感じる。まさかそれを異世界で拝むことになるとは思わなかったが。
(それに、その二人以外でもいくつも強い気を感じる……川神さんにも……だが、なんだ? 彼女、パワーもスピードも気の大きさも、外にいる二人やほかの気に比べれば大した事は無い。けど、何かが他とは違う……戦っていて感じる、この妙な違和感はいったい……)
考えがまとまらないまま視線を戻す。すると、しばらく放って置かれたことに拗ねているのか、川神さんがぶぅと頬を膨らませ、こちらを睨んでいた。だが、余所見をしていた時に不意打ちをしないあたり、彼女にも武道家としてのプライドがあるのだろう。
「孫くん、街を眺めるのもいいけど、今は勝負の最中よ。ちゃんと集中して。それに孫くんからも攻撃してもらわなきゃ困るわ。防いでばかりじゃ試合にならないじゃない」
「あ、ああ。すまない」
だがこのままでは平行線だ。恩人である彼女に攻撃するのは気が引けているのは事実。それならばと彼女のスタミナ切れを待とうと考えたのだが、どうやらそうもいかなくなってしまった。
できれば直接攻撃はしたくない。だが気による攻撃などできるはずもない。と、しばらく考えていたオレの頭に電球が灯った。
彼女を見据えて少し挑発するような口調で言う。
「じゃあ、今からオレが一撃だけ攻撃を仕掛ける。それに対応することができたら、君の勝ちでいい」
「ふぅん? なんだか見下されてるみたいで癪だけど、いまのあなたの方があたしより強いのは確かだし……分かった、それでいいわよ」
こちらの提案を受諾し、川神さんが構える。そこには恐れも不安も見受けられない。一撃程度ならなんとかなると考えているのだろうか。
(……いや、違う)
頭に浮かんだ考えをその表情を見て否定する。
こちらを見据える川神さん。その口元には不敵な笑み。そしてその瞳は歓喜に満ちていた。
彼女は純粋に喜んでいるんだ。オレがやっと自分と向き合ってくれたことに。
「行くぞ――!」
「――来い!!」
鋭く光る両者の気迫。言葉にできぬ緊張感が辺りを包み込んだ。
屋上から、周囲から、音が消える。オレは一瞬だけ気を高めると、
「――――フッ!!」
相互の距離を一瞬で詰め、彼女に正拳を放った。その鼻先一センチほどの距離まで。
「――――ッ!?」
彼女は目を見開いたまま、寸前で止まった拳を見つめている。予想もしなかった展開に言葉も無いようだ。
絶句している彼女をよそに、オレはゆっくりと拳をおさめた。途端に緊張感が解かれ、音が戻ってくる。
そうして時間が再び流れ始めた、その刹那。
「―――――――へぶっ!?」
妙な悲鳴を発しながら、川神さんがふっとんだ。いや、比喩ではなく三メートルほど後ろに。
「いい―――っ!?」
予想外の出来事にオレは慌てに慌てた。彼女に拳は届いていない。だが、どうやら寸止めしたときに発生した衝撃波までは完全に殺しきれなかったらしい。それが時間差で命中したのだろう。
相当に加減したから威力はごく低レベルのものだとは思う。とはいえ、女の子の顔面に拳圧をお見舞いしてしまったことに変わりは無い。彼女もまったく対応できていなかったからか、衝撃をモロに受けてしまったようだ。
「し、しまった! 久しぶりだったから、つい加減が…………だ、大丈夫、川神さん!?」
ひっくり返った彼女にオレはすぐさま駆け寄った。
川神さんはしばらくのあいだ唸っていたが、ようやく痛みが引いてきたのか、鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がった。その顔を恐る恐る見る。
「あ、あの……川神さん、へ、平気?」
「…………ぐすっ、べ、べいき……」
涙目。半分ベソをかいていた。
(お、女の子を泣かせてしまった……)
生まれてから同年代の女の子と関わってこなかったツケが、ここに来て仇になった。初めての経験にどうしてよいか分からない。当然ながら泣き止ます方法もわからなかった。
数分前の自分の行動をひどく後悔する。いまだ鼻をさすっている川神さんをオレは黙って見守るしかなかった。母さんに怒られてばかりだった父さんってこんな気持ちだったのかなぁ、などと考えながら。
そうこうしている内に彼女が落ち着きを取り戻してきた。そしてずびびびっと音を立てて鼻をすすると、こちらを鋭く視線を向けた。
「決めたわ……!」
「な、何を…………?」
なんだかいやな予感を感じながらも、得体の知れない気迫に包まれた彼女に尋ねる。川神さんは、まだ赤みが残る鼻をすすりながら、
「孫くん……いえ、孫先生! あたしに戦い方を……修行をつけてください!!」
その顔を最初に見せた満面の笑みに変える。そして、オレを力いっぱい指差した。
なんだか話が余計にややこしくなってしまったようだ。近年まれに見なかったドジを踏んでしまったと言える。
これも偉大なる父の血が成せる業か。
オレはこのとき、生まれて初めて少しだけ父さんを恨んだ。
第2話でした。
今回は一子と悟飯の顔見せ回になります。
同時に今作初となる戦闘シーンを書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?
スピード感が感じられないという方は申し訳ないです。がんばってはいるのですが・・・やはり一筋縄ではいかないものですね。
感想など、いつでもお待ちしております。よろしければ、評価の方もしていただけると今後の励みになりますのでよろしくどうぞ。
それでは、また次回でお会いいたしましょう。
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第3話 武力と暴力
第三話です。
いろいろとツッコミどころ満載ですが、そこはご都合主義と作者の力量不足ということでご了承ください。
それではどうぞ~。
「うん、どこにも異常はないね。これなら何の問題もないだろう。おめでとう、君は今日で退院だよ」
「ええ、お世話になりました」
聴診器に意識を傾けていたお医者さんが目を開けてにっこり微笑んだ。オレもつられて笑顔になる。早いもので、オレが目覚めてから四日が経った。思えばあっという間の出来事だった数日間を振り返った。
あの後、屋上で自分を鍛えてくれとせがむ一子をいなしていたオレは、最中に見回りに来た看護婦に見つかってしまった。そのときの反応は筆舌を尽くして余りある。
まさか病院で一、二を争う大怪我人が屋上でピンピンしていればそりゃあ驚きもするだろう。結果、看護婦の絶叫が響き渡り、病院は上へ下への大騒ぎとなってしまった。
結果だけ言えば、仙豆によって完全に回復したオレの体はまったく問題がなかった。神秘のアイテムであるから、オレからしたら当然といえる。だが、それがそもそも一番の問題だった。
全治七ヶ月の怪我人がちょっと目を話した隙に全快しているとか、フツーに医療をなめているといか言えない事態である。その常軌を逸した事態を医者には流石に誤魔化せず、結局オレは自分の持ち込んだ秘蔵のアイテムによって治ったとだけ告げ、なおも訝しむ医療スタッフ一同に対して苦笑いを続けるしかなかった。
そのために仙豆を一粒差し出すことになってしまったが問題は無いだろう。あれはカリン塔のような神秘の力が強く宿った聖域でしか育たない豆である。オレも塔の麓の土以外に適合する場所を見つけたことはないから、培養や悪用はできないはずだ。
ともあれ、そんな未曾有の経緯を経て退院を迎えるオレに、担当のお医者さんは苦笑しながらも嬉しげに言った。
「やれやれ、君に会ってから奇跡を経験しっぱなしだよ。でも、これからは気をつけるようにね」
「はい。先生、本当にありがとうございました」
にっこりと笑った先生に返事をして席を立つ。病室にあった荷物をまとめ、『新しい制服』に袖を通すと、オレは数日間世話になった部屋をあとにした。
自動ドアを潜り、建物から出る。そして、近代的なデザインで形作られたその外観を見た。思えば、この世界に来て初めて外へ出ることになるのか。見上げるようにしてしばらく佇んだ後、オレは背を向けた。
「孫くーん!!」
響いた声に視線を上げる。病院の駐車場の方から、すごい速度で駆けて来る姿があった。
その元気いっぱいな様子に、つられるようにして顔が綻ぶ。トレードマークのポニーテールを揺らしながら、自分の目の前で急停止した彼女に声を掛けた。
「川神さん、早いね」
「当たり前よ。今日は孫くんにとって大切な日なんだから、アタシがきっちりエスコートしなくちゃ! それより呼び方は孫先生のほうがいい? それとも師匠?」
「い、いや、普通でいいよ……」
苦笑紛れの返答に人懐っこく笑うと、同じく女子の制服に身を包んだ川神さんはくるりと回って歩き出した。オレも一つ息を吐いてから彼女に続いて歩き出す。オレたち二人は本日同じ場所を目指して歩いていた。
川神学院。
それが今日からオレが編入することになった学校の名前だ。
日本国の関東地方、川神市に居を構える川神学院は、武道の中心地のひとつとして知られる川神院にちなんで作られた学び舎だ。その教育方針も決闘システムや体罰の容認など、他とは一線を画しているものが多く存在する。オレも入学の際の書類手続きにおいて、その手の誓約書も書かされたぐらいである。
そして、生徒の中には強い人間が多くいるのも特徴だ。武術の総本山の一つであるこの川神に強者が集まってくることに起因しているためか、武術を第一とする生徒も珍しくないらしい。もちろん普通の生徒も多くいるらしいのだが、他と比べてもその違いは顕著なのだろう。
「それにしても、あっという間に決まったなぁ」
「あはは。おじいちゃんって普段はそうでもないけど、こういうことになるとすごい張り切る性格だから」
朗らかに笑う川神さん。
そう。オレがこの川神学院に編入になることが決まったのは一昨日のことだったのだ。
さらに言おう。この話を聞いたのも一昨日だ。
オレが目を覚ましたことを川神さんから聞いた彼女の祖父、川神鉄心さんが見舞いにきたことがすべてのはじまり。
その席で鉄心さんはオレを見るなり、
『孫悟飯と言ったな。お主、川神学院に入れ! 無論、生徒としてじゃ!』
開口一番に言い放ったのである。しばらくの間、開いた口がふさがらなかったのは仕方がないことと言えるだろう。
ちなみだが、オレは今年で23歳になる。人造人間の出現で学校など行く機会もなかったが、学生という歳はとっくに越えているのは明白だ。どうやら川神さんとは3年以上の開きがあったこともこのときに知った。
そんな歳の男が学校などに通えるのか。若い少年少女たちの集う場所に行っては迷惑にならないか。そもそも授業料を払えないなど、問題点はいくつもあった。だがそのことを告げると、鉄心さんはカッカッカと笑うばかりだった。
『若造が細かいことを気にせんでもよい。歳が多くとも、川神学院で学んでいる輩などいくらでもおる。一子から聞いて少し調べてさせてもらったが、どうやらこの国の人間でもないみたいじゃしの。今まではどう生きてきたか知らんが、この日本で自分を証明する手段もないとなってはこれから困るぞい。外へ行こうにもパスポートさえ作れんからの。それに特に行くところもないんじゃろう? だったらここにおれ。戸籍も住む場所もワシが用意してやる。一子もお主に懐いておるようだから、ちょうどいいじゃろ。なによりお主、めちゃ面白そうだし?』
最後の一言がえらく気になったが、そのままオレは彼に諭されて編入を決めた。
編入試験は昨日すでに受け終わっている。最後に鉛筆を握っていたのが十年以上前であったため、頭の錆付いた部分を必死に動かしながらの試験であったが、歴史をはじめとするこの世界固有の事柄以外は何とかやり遂げることができ、無事に通ったらしい。
この試験の間も川神さんが付き合ってくれ、選別と言って握り飯まで用意してくれたのは嬉しかった。本当に彼女には何から何まで世話になってしまっている。もはや川神さんに頭が上がらない状態だった。
(鉄心さんはオレを一目見て気に入っていたと言っていた。武術の才能があるとも。それは事実ではあるけど、たぶん一番の理由は川神さんが頼んでくれたからだろうな。けど、それだけでもないような気がする。あの人からは武天老師さまと同じような印象を受けた。おちゃらけているように見えても、きっと何か考えがある。あの人の目は、そういう目だった)
悟飯は一度しか会っていない鉄心、次にかつて父の師であった老人のことを思い浮かべた。不思議なぐらいその印象は似通っている。一見ふざけている様に見えても、いつも先を見通していそうなところも。実はすごい力を秘めていそうなところも。
(鉄心さんも武天老師さまみたいにスケベだったりして…………ま、それはないか)
二人を比べて亀仙人と呼ばれた彼の唯一のウィークポイントも思い浮かべ、すぐ苦笑しながら否定した。先を行く川神さんに遅れないように歩みを速める。
事実、この予想は鉄心の思惑の半分であった。悟飯の力が恐ろしく凄まじいこと、彼がどこか普通の人間と違うことを鉄心がおぼろげにでも感じていたことは確かである。
しかし、残りの半分が一子に涙目で迫られ、話を聞いたもう一人の娘である百代に半分脅されていたこと。そして、彼がかの老師と同じくらいにスケベであることを、悟飯はまだ知らない。
「さて、今日は孫くんをみんなに紹介しなきゃね! たぶんこの先で待ってると思うわ」
「みんな……ああ、川神さんがいつも言ってたグループの。確か、風間ファミリー……だったっけ?」
オレの言葉に「そーよー! カッコいいでしょー!」と、満面の笑みで嬉しそうに返す彼女。その表情はいつにも増して輝いていた。
その修練を見るようになって二日になるが、彼女は本当に武道が好きなようだ。性格からか、基礎力が特に凄まじい。まだごく基本的なことしか教えていないが、だからこそそれがよく分かる。おそらく、彼女の姉などが指導したのだろう。これならば、近いうちに気の修行にも入れそうだ。彼女を見る限り、肉体的な能力よりもそちらの素養の方がありそうだし。
そういえば、彼女が仲間の話をするときは本当に楽しそうにしていた。まるで自分のことのように話す彼女に、オレは久しく忘れていた安らぎを感じたのを覚えている。
「仲間、か…………」
今は遠い昔となってしまった彼らを思い出す。戦いを通じて集うようになっていたあの頃。とても辛い戦いも多かったけれど、それ以上に楽しくて、何よりも希望に満ち溢れた日々だった。
「――――ん……孫――!」
クリリンさん、ピッコロさん、べジータさん、ヤムチャさん、天津飯さん、餃子さん。どんな絶望が目の前に現れても、力を合わせて切り抜けてきたかけがえのない仲間達。
「――ん! ――く―! 孫――!」
もう十年以上昔の話。だが今でも忘れない。忘れるわけがない、大切な時間。
それはきっと、あの人がいたから――――。
「――くん! 孫くんってば!」
「……え? う、うわっ!? な、何!?」
ふと気がつくと、オレの目の前に川神さんの顔があった。距離にしておよそ鼻先数センチ。驚いた自分の顔が彼女の澄んだ瞳に映っている。オレはドキッとして、反射的に身を離した。
川神さんはその反応を見て取ると、腰に手を当てて鼻息荒く口を引き結んだ。
「もう! さっきからずっと呼んでるのに、孫くんってば上の空なんだもの! どうせあたしの話も聞いてなかったんでしょ!」
どうやらずいぶんとおかんむりになってしまったようだ。ぷんすかと唸る彼女にオレは慌てて謝る。
「ゴ、ゴメン川神さん……ちょっとボーっとしてて……」
「そんなの見れば分かるわよ。はぁ、孫くん。今日は大事な編入初日なのよ? そんなことじゃ失敗して――ん?」
再びお説教が始まるというとき、川神さんが言葉を切った。その目はオレではなく、その後ろ側へと注がれている。彼女の視線を追って、背後を振り返った。
「――――あれは……」
視線を少し下げてその先を見つめる。今自分達が渡ろうとしていた橋の横、土手の始まりから水面までの間にある広い場所に人だかりができていた。
目を凝らすと、その人だかりは二重に形成されていた。二重丸の円のように距離をおいて二つの人だかりができており、その中心に一人誰かがいる。顔までは分からないが、体つきを見る限り女であるようだ。
外側の円は女子や男子をはじめとして川神学院の制服を着ているが、内側は見覚えがなく見える限り男子しかいない。黒一色の制服を着ているところを見ると他校の生徒のが妥当だろう。
だが、黒い制服を着た男達の雰囲気はお世辞にも友好的とは言いがたいものだった。みな物々しい気配を宿している。持っているものが鉄パイプやら釘バットやらであるので、もっと簡単に分かるが。
「あーあー、今日も来たのね。お姉様ってば大人気だわ」
「お姉様? じゃあ、あの中心にいるのが君のお姉さんなのか?」
「ええ。私のお姉様で川神学院三年、川神百代よ。ついでに言うと、周りを取り囲んでるのはお姉様を倒すために来た人たち。お姉様は凄腕の武道家だから、時々ああやって挑戦者とか名を上げたいと思ってる人が来るのよ。見覚えがあるから、きっとお姉様にやられたその仕返しに来たのね」
「なるほど……」
どうりで男たちが殺気立っているわけである。その中で平然としている彼女と、下卑た笑みを浮かべながら周りを取り囲む彼らを見比べた。普通ならば彼女に勝ち目はないが、自分の中に訴えかけてくる感覚がそれを真っ向から否定する。
「……無理だ。彼らじゃ束になってもあの人には勝てない」
「当然よ! お姉様は川神の武神って呼ばれるほどすごい人なんだから!」
川神さんの声を聞きながら、オレは彼女、川神百代を見つめていた。彼ら全員と比べても、いや、比べるまでもない。それほどに彼女の『気』は桁違いの強さだった。
例えるのなら、嵐の中に突っ込んで行く蟻の大群。いくら数をそろえても、決して勝て得ぬは道理だった。
ナメック星へ行った後の仲間達なら問題にもならないレベルではある。しかしおおよその見当をつければ、べジータさんが初めて地球に来たころのヤムチャさんと同程度の力なのだ。この世界の地球ではそれほどの強さが必要な事件はなかったようだから、地球人として破格の強さであるのは頷ける事実だった。
そして確信する。この街で感じた最も強い気のうちの一つが、他ならぬ彼女であったことを。
その推測を裏付けるように男が一人、一瞬で宙を舞った。それを皮切りにして、彼女を囲んでいた男達がまるで木の葉のように吹き飛んでいく。
「……速いな」
「え? ま、まさか孫くん、お姉さまの動きが見えてるの!?」
「ああ。パワーもスピードも凄まじいな。川神さんが言っていた理由がわかったよ」
オレの返答に驚きを露にする川神さん。常人には消えているように。修練を積んだ彼女ですら、何かがすごい速度で動いているぐらいにしか見えないのだろうから当然ではある。
(だが、それでも今の彼女からすれば、一割にも届かないぐらいだろうが)
オレは、いまだ不良を蹴散らし続ける百代さんを眺めた。彼女は戦闘力をそのままに威力だけ落として手加減をするという、微妙に難しいことをやっている。オレたちからすれば戦闘力だけを落せばすむ話なので、お粗末といえばそれまでだが、だからこそその方法は戦闘力をコントロールする術を知らない彼女ができる唯一のことだと言えた。
そして開戦からまもなく、早くも決着が付こうとしていた。
時間にして二分弱。人数は五十人ほどだったから、結構もったほうだと思う。しかし相手が悪すぎたのだろう、彼女の圧倒的な力と気迫に逃亡するものも出始めていた。
悔しいだろうが、判断としては懸命だ。どうあったって敵わない相手だと理解したのだろう、後ろに控えていた男達から一人、また一人と逃げ出している。褒められたものではないが、人の行動として間違ってはいない。
このままのペースならあと三十秒もしないうちに終わる。そしてノックアウトされた者以外は撤退して終了するだろう。
そう、思っていた。
『ぎゃあああああああっ!?』
彼女が逃げていく相手を捕まえて、その間接を外す場面を見るまでは。
「な……!?」
オレはあまりの光景に絶句した。その行為自体にではない。彼女が不良に制裁を下す瞬間に見せた、愉悦を滲ませたその表情にだった。
「あっはっはっは! 私は今日機嫌が悪い。捕まったら大変だぞ~? そぉら、逃げろ逃げろ~!」
「うわあああああ!?」
「た、助けてくれぇえええ!」
そして、それは一度では終わらない。彼女は倒れ伏す男達を飛び越えると、必死の形相で逃げる者たちを追いかけ、吹き飛ばし、捻じ伏せていく。
まるで貪欲に獲物を狩る肉食獣だ。オレは背筋に走った寒気を受け、慌てて川神さんに詰め寄った。
「な、なんで誰も彼女を止めないんだ!? 彼らにはもう戦う力も意志もないんだぞ!? あれじゃただの暴力じゃないか!」
あまりのことにオレは思わず傍にいた川神さんに詰め寄った。川神さんは言い寄るオレの剣幕に若干怯んだ様子を見せたが、ばつの悪そうな顔をした後、すまなそうに視線をそらす。それが答えだった。
「う、うん。孫くんの言いたいことはわかるんだけど…………今回はあの人たちが悪いし、放っておいたらまた次がくるし……しょうがないよ。それに、ああなったお姉様を止めるなんて誰もできないから……」
「だからって……くっ……!」
視線を戻す。彼女はいまだ暴れ続けていた。その拳が相手の顔面を捉え、その脚が男たちの身を吹き飛ばすたび、ギャラリーからは歓声が溢れる。
ギリ、と口元から鈍い音が響いた。声が遠く聞こえるなか、彼女、川神百代へ視線を向ける。
顔を喜色に満ち溢れさせ、その口元が悦びに歪められる彼女。
それを目にした瞬間、
「ゴメン、川神さん――――」
「え? あ、ちょっと! 孫くん――!?」
オレは大地を蹴り、駆け出していた。
川神さんの声が一瞬で遠くなる。高ぶった精神に呼応して体の外へ噴出しようとする気を抑え付け、加速する。そして、いまだ歓声の止まぬギャラリーを一息で大きく飛び越えて彼女に接近し、
「――――やめろ!」
「ッ!?」
今まさに男の顔面へ突き刺さろうとしていた拳を、右手で掴んで受け止めた。オレが一瞬で間に入ったことにか、それとも自分の攻撃が受け止められたことにかは分からないが、彼女は驚いて反射的に距離を取る。ギャラリーも突然に闖入者に声を止めていた。
辺りを沈黙が包み込む。だがそれを破ったのは他ならぬ騒ぎの発端、川神百代だった。
「……誰だお前は。加減してたとはいえ、私の攻撃を止めるとは……素人じゃないな。名乗れ」
「…………オレは孫悟飯。君らの戦いは始まる前から見ていた。だから止めに入ったんだ。こいつらは既に虫の息、この戦いは君の勝ちだろう? もうそれくらいにしてやってもいいんじゃないのか?」
「孫悟飯…………ほう、お前がワン子の言っていた『不思議な武道家』か」
じろりと睨んでいた百代さんがオレの言葉に反応する。ワン子というのはおそらく川神さん、いや一子さんのことだろう。そちらに気を取られたのか、彼女の闘気がしだいに霧散していった。
『なぁに、アイツ?』
『川神学院の制服着てるけど、見たことないツラだな。新入りか?』
『百代お姉さまに向かってなんて口を利くのかしら!?』
背中からギャラリーが騒ぐ気配がするが無視した。と、ズボンの裾を引かれた気配がして振り向く。
「ひ、は、ふっ!? ア、アンタ、助けてくれたのかっ……!?」
後ろで尻餅をついた男が震える声で尋ねてきた。その手はがしっと、とオレのズボンを掴んでいる。溺れる者は藁をも掴むというが、今の状況がまさにそれだ。
オレは横目だけで彼を見据え、目を細めながら口を開いた。
「……違う。オレだってお前達がやっていたことを肯定しているわけじゃない。助ける義理だってなかった。けど、人間が一方的に甚振られるのを黙って見ていることも出来なかった……それだけだ。わかったら、早く仲間と一緒にここから消えろ。そして、もう二度と現れるな」
「あ、あんた、一体……?」
困惑した気配が背中から漂ってくる。オレは僅かに振り向き、彼らを横目で睨み据えた。
「オレの言葉が聞こえなかったのか……? さっさといなくなれ!」
「ひぃっ!? は、はぃいいいいいいい!」
「すいませんっしたぁああああ!!」
蜘蛛の巣を散らしたかのごとく全員が逃げていく。我先にと逃げ出したリーダー格の男に続いて、気絶した仲間たちを運びながら一目散に退散していく不良たち。
戦っていたときは力量不足の一言に尽きたが、撤退する手際は大したものだ。逃げ足だけはなんとやらというヤツだろう。と、そんな考察をしている間に、あれだけいた不良たちは一人残らず消えていた。
残ったのは呆然としたギャラリーに乱闘に割って入ったオレ、そして腕を組んでこちらを睨む百代さんである。彼女は不良が去っていった方向を睨んでいたが、すぐこちらに向き直り、若干眉を寄せながら歩み寄ってきた。
「おい、お前が邪魔をしてくれたせいでみんな逃げてしまったじゃないか。おかげで私はかなり欲求不満気味だぞ。この落とし前、どうつけてくれるつもりなんだ? ええ?」
阿鼻叫喚の地獄は去ったが、代わりに冷たい気配を宿した殺気が浴びせられる。口元を僅かに吊り上げた彼女に対し、オレは先ほどの言葉を繰り返した。
「そんなことはどうだっていい。その前にオレの質問に答えろ」
多少威圧的になってしまったが、仕方ないと妥協する。ギャラリーから息を呑む気配が伝わってくるが、無視して彼女へさらに言葉を連ねた。
「何故まだ彼らを攻撃しようとした? もう彼らに戦意はなかったはずだ」
「――――何かと思えば、そんなくだらないことか。ヤツらから戦気が失われたから? だからどうしたというんだ。一度相手に戦いを挑んだ以上、それは決着がつくまで続く。相手が強かったからなんて言い訳など通用しないし、一方的にぶちのめされても文句は言えん。それを邪魔したお前は無粋の極みだがな」
「質問に答えてくれ」
軽い調子で返す百代さんから目を離さないで再び問う。彼女は心底気だるげに答えた。
「答えろと言われてもな…………強いて言うなら、あいつ等が私をムカつかせた。そしてそれを解消するためにちょうどよかったからだ。それ以上の理由はない。ケンカなんてそんなものだろ」
「…………だとしても、君のは度を越えている。わざわざ追い討ちをかけなくてもあいつらは追い払えたし、君との力の差も十分に理解していた。それに自分の実力が確かなのは、君自身が一番よくわかっているはずだ。君は強い。ちゃんとした考えも持っている。なのに、なぜなんだ……!?」
「五月蝿いヤツだな……そんなことをいちいち考えていられるか。あいつらは私に挑んできて、そして私はそれを受けた。ならばその戦いでどう戦おうと、負けたアイツらに何をしようと、そんなもの勝者である私の勝手だろうが! なんで私があんなヤツらに気を遣わなきゃならない? どうなろうと知ったことか!」
「っ!?」
オレの言葉に焦れたのか、百代さんが叫ぶように言う。その表情には一切の迷いも見受けられなかった。もはや彼らを虐げようとしたことなど興味もないというふうに。
叩きつけられた言葉に内心絶句する。気がつくと、オレは強く口元を噛み締めていた。
(――――それが……それが仮にも『武道家』の言うことか……!!)
知らず、拳を握る力が増していく。体から湧き上がってくるこの感情は紛れもない怒り。
普通の人間に対して抱いたことが遠い昔になる感情であった。
「理解できたか? だったら今すぐ私に詫びろ。そしてその後、代わりにお前に相手をしてもらう。それで今回の乱入の件は手打ちにしてやるよ」
首の骨を鳴らしながら彼女がニヤリと笑う。オレは静かに満ちていく激情を鎮め、深く息を吐き出した。
「――――ああ、理解したさ」
「そうか。だったらさっきの行動の理由を述べて私に謝――「今の――」?」
言葉を遮られた彼女が訝しげにこちらを見やる。だが、もうオレも止まる気はなかった。
「――今の君は、武道家なんかじゃないってことがな」
「――――何だと?」
空気が変わる。ギャラリーから短い悲鳴があがった。
百代さんが声を低くして此方を睨み据えてくる。気分を害したのか、その雰囲気はさきほどとは明らかに違っていた。彼女の視線は敵意を超え、殺気にすら匹敵しそうだ。
だがオレは目をそらさずに続けた。
「さっきまでは、確かに正当な試合だったのかもしれない。けど、今君がやっていたのは勝負なんかじゃない。ただ自分が好きなように、自分の楽しみのために、自分のいいようにするために力を振るっているだけだ。いくら相手が悪人でも、戦う気をなくした相手に……恐怖に駆られた人間になお力を振るうなんて、そんなものはもう武道家じゃない……今の君は――――」
敵意を滲ませた瞳を真っ向から受け止めて、
「――――ただの乱暴者だ」
オレは彼女を否定した。
時が止まる。ざわりと空気が揺れる。辺りを包み込む世界が急に冷え込んだような錯覚に陥った。
「――――言ってくれるじゃないか……オマエ、覚悟は出来てるんだろうな……」
ゆらり、と百代さんがオレの前に立った。前髪が大きく顔に掛かり、その表情を窺い知ることは出来ない。だが、その間から覗いた赤い瞳からは、凄まじい殺気が零れてきていた。
闘気が物理的な形となり、戦意が彼女の周囲で渦を巻く。
「ちょ、ちょっとちょっと、すとぉ―――っぷ!?」
そこに至って、オレ達二人の下にかけてくる影があった。ギャラリーを掻き分け、こちらに向かって全力で走って来たのは、オレの恩人にして百代さんの妹、川神一子さんだった。自身の家族にあたる人物の登場に、さしもの彼女も動きを止める。
オレ達の前で急停止した彼女は、傍目で分かるほどに息を荒げていた。心中穏やかであるとはとてもではないが言えた顔ではない。
それほどに、いまの彼女の表情は焦燥感に溢れているのが見て取れた。只ならぬ雰囲気に危機感を感じたのだろう。
「待ってお姉様! 孫くんだって悪気があって言ってるわけじゃないの! 彼はここに来てまだ日が浅いから、まだよくこの街のことを知らなくてっ……だから、それでっ……」
荒いだ呼吸を落ち着けながらオレを庇うように言う川神さん。百代さんはそんな彼女の様子を見て少し驚いたようだったが、すぐにこちらを睨みすえて首を振った。
「悪いが黙っていろワン子。コイツがお前にとってどんな存在かは知らないが、そんなことは今はどうでもいいんだよ。こいつは私を侮辱し……挙句に私の武道さえ否定した……それだけは絶対に許さん……ヤツらの代わりに少し遊んでやるつもりだったが、気が変わった。お前がなんと言おうと、私はコイツをぶちのめす……!」
「そ、そんな……お姉さま、孫くんは――!」
再び言い寄ろうとする川神さん。オレはそれをそっと遮った。
「いいんだ、川神さん。これは初めからオレと彼女の問題だった。君が巻き込まれることはないさ。危ないから下がっていてくれ」
「孫くん……」
此方を見上げる川神さんは不安げな表情だった。しかしこれ以上オレを庇えば、百代さんの怒りが彼女にまで飛び火しかねない。オレは川神さんを押しとどめ、迷惑が掛からない位置まで下がらせた。
ようやく場が整ったことに不満が少し和らいだのか、百代さんが悠然と歩み出てくる。いまだ険しい表情を崩さぬまま、彼女は腕を組んで言った。
「戦う前にせめてもの情けだ。何か要望があれば聞いてやる」
「……見物人を下がらせてくれ。この勝負は見世物にはしたくない」
「いいだろう。どうせ私もそのつもりだったしな…………大和、キャップ、仕事だ!」
百代さんが叫ぶと、周りにいた何人かがすぐさま動き出した。彼らがおそらく一子さんが言っていた彼女の仲間なのだろう。こういった事態も手馴れたものなのかもしれない。その手際は見事の一言に尽きる。
初めはおあずけを食らってぶーたれていたギャラリーの連中も、彼らによってすべて散らされていった。一子さんから聞いていたことによると、百代さんが正式な試合をする時は毎回人払いをしているのだとか。いずれにしても、却下されずに済んだことを喜ぶべきだろう。
と、考えている間にすべての見物人が消えていた。人がいなくなったことで、土手が一気に広がったように感じる。
残っているのは先ほど動いていた数人と、彼らに混じって人払いをしていた川神さんだけだ。オレが百代さんに視線を向けると、彼女はニヤリと口元を吊り上げた。
「アイツらは私の仲間だ。何も構う必要はない。それに、勝ち負けを決める審判くらいは必要だろう?」
出来れば彼らにも見ていて欲しくないのだが、これ以上の要望は彼女を刺激してしまう。オレは仕方なく首を縦に振って了承の意を伝えた。
川神さんの笑みがさらに濃くなる。それは少女がするような温かいものではなく、
「さあ…………始めようじゃないか―――――〝戦い〟をな」
獲物を狙う肉食獣にも似た凄惨さを覗かせるものだった。
第3話でした。
いきなりの急展開だと、自分でも思います。
ですが、これ以外にいい案が思い浮かばなかったもので(汗)・・・お許しください。
悟飯らしさが出ているでしょうか・・・なんだか違和感覚えたという人が出そうで怖いですが。
それではまた次回にて!
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第4話 崩れ去る武の神話
二週間ぶりとなる更新ですが、どうやらお待たせしてしまったようで申し訳ないです。
その代わり内容はバッチリです。なんたって、字数はいつもよりも多い!
内容が伴っているかは別として!(オイ)
それでは第4話スタートです!
‐Side Yamato Naoe‐
(まさかこんなことになるなんてな)
オレは人気のなくなった川原を見ながらそうひとりごちていた。周りにいるのは、いつもの風間ファミリーのメンバー。そして離れたところに立つ姐さんと、話に聞いていた青年だけだ。
ワン子から彼、孫悟飯が目が覚めたことを聞かされたのは昨日のことだった。実際はその数日前にすでに意識が戻っていたそうなのだが、そのことが伝えられたのは昨日の、あろうことか夜だったのだ。
すぐに連絡しろと言っていたのにこの体たらくはいただけない。そのことを問いただすとワン子は苦笑いしながら、
『い、いろいろあって連絡するのが遅れちゃった……てへ♪』
問答無用で折檻した。油断すると鎌首をもたげてくるSサイドの俺を黙らせつつ、ワン子を弄るのは快か――もとい、心苦しいものがあったが致し方ない。何事もアメとムチが必要であるからして。
その後の話をしよう。
一通りのお仕置きが済んだ後、涙目のワン子から彼に関する話を聞いたオレはさらなる驚きを隠せなかった。医者の話だと全治七ヶ月の大怪我を負っていたはずだった青年が、なんと既に全快しているというのである。
詳しく聞くと、なんでも彼が持っていた仙豆とかいう豆を食べたら、一瞬で怪我が完治してしまったというのだ。
そんな夢物語のような展開が起こったなど到底信じられる話ではなかったが、ワン子はその瞬間を目の当たりにしており、俺も彼の容態については把握していたから、ウソだとするには肯定的な情報が揃いすぎてしまっていた。しかも学院長がその様子を見に行き、川神院の入学手続きまで取っていたというのだから流石に確定とせざるを得ない。
そんな不思議な経緯で復活を果たした青年との初対面となる今朝。ほとんど前情報なしに会うことになるとは思わなかったため、どんなヤツなのかと年甲斐もなくワクワクしていたことは否定しない。
まさかその当の本人と自分の姉貴分とが、遭遇から数分で戦うことになるなんて流石に予想できなかったが。今は姐さんに言われたとおりに人払いをした後、仲間と共に距離を取っている。二人は離れた場所で数メートルの距離をおいて向き合っていた。
「うっわー……アイツ、ここに来たばっかなんだろ? モモ先輩の恐ろしさをわかってねぇんだな……ま、人死にが出ないことだけは祈っといてやるか。主にモモ先輩と俺たちのために」
ガクトが胸の前で十字を切って胸の前で手を組む。その意見には概ね同意だが、肉々しい上に暑苦しいからやめて欲しい。だいいち、お前はキリスト教徒じゃないだろうが。
とはいえ、近年稀に見る状況であることは確かだ。横にいたキャップからも声が上がる。
「なぁ、これって相当ヤバイ展開なんじゃねぇのか? あれがワン子が今日紹介したい言ってた知り合いみたいだが、いきなりバトルになるなんてさすがに予想外だったぜ。モモ先輩も見たことないぐらいキレてるしよ」
「別にいいんじゃない? 身の程知らずがやられるなんていつものことでしょ。それに先輩をあそこまで挑発したんだから。ワン子には気の毒だけど、自業自得だよ」
「僕も京に賛成。思い上がりって、一度コテンパンにやられなきゃ治らないしね。逆に自分のレベルを知る機会が出来てよかったんじゃないの?」
モロと京が同調するように言う。かなり冷たい意見だが、メンバーの中でも排他的なこいつらからすれば仕方のないことなのかもしれない。先ほどの彼の言い分が気に入らなかったのもあったのだろう。
「ででで、でもダイジョウブでしょうか!? モモ先輩の力は存じていますし、気だって私よりもずっと小さい。ですが、どこか今までの方とは違うような……初めて感じる気です……」
「オラもそう思うぜまゆっち~。けどま~、勝負は時の運、人生だってなるようにしかならねー。心配なら健闘を祈ってやるんだ~!」
相変わらず心配性な新入会員その1と、よくしゃべる九十九神の会話は賑やかだ。正直会話と言えるのかのは怪しいし、キャラが迷走している気がしないでもないが、本人がいいならと放っておく。と、後ろから新入会員その2が声を掛けてきた。
「モモ先輩にあそこまでの啖呵を切るとは…………大和、こういう輩は多いのか?」
「まあ、最近では珍しいかも。それにしても、あれがワン子の臨時講師か……さっきのを見た限りそれなりにはやるみたいだけど、いくらなんでも姐さんが相手じゃ分が悪すぎる。ワン子、川神院に連絡入れといたほうがいいんじゃないか? 姐さんは見たところ相当キてる…………はっきり言って半殺しどころの話じゃ済まないことになる。退院して早々、しかも編入初日に病院に逆戻りなんて学院長が黙ってないぞ」
「あわわわわ! ど、どどどどうしよう!?」
予想通り、いや予想以上にテンパるワン子。紹介しようとしていた青年がいきなりバトルに巻き込まれてしまったからとか、その相手が自分の敬愛する姉であるからとか、場が殺伐としすぎているからとか、理由はいろいろある。
だが、おそらくはアイツのことが純粋に心配なのだろう。俺も一見しかしていないが、姐さんとの会話を聞いている限り悪い奴には見えなかった。やりすぎだと思ったから止めに入ったっていうのがまるわかりだったし。
よく言えば、正義の味方のような善人気質。
悪く言えば、バカ正直な世渡り下手。
前情報もなしに自分の感情だけで止めに入るなんて無謀もいいところだ。それがあの姐さんなら尚更である。
今回もいつものように姐さんが数秒で決めるだろう。俺たちはその後処理と姐さんを学院長から守る文面を考えなくては。姐さんを庇うようにしつつ、あの青年の立場も最低限擁護するように。
(この機会に恩も売れれば最高だな。仙豆とかいう豆の情報も手に入れときたいし)
このときの俺は、何一つ疑うことなくそう考えていた。もはや予定調和のようになってしまっていた『姐の勝利』を確定要素とし、勝手に結末を思い描いてしまっていた。
そして、俺はほどなく思い知ることになる。
この世に絶対はない。
どんな状況でも、根拠もなしに決め付けることは軍師として最もしてはならない失策であったということを。
‐Side out‐
「そういえばお前は片腕だったな。ハンデをつけた方がいいか?」
「必要ない。それよりも早く始めるぞ。時間が惜しい」
若干の皮肉が混じった彼女の進言をばっさりと切って捨てる。病院を出た頃は早いぐらいだと思ったが、さきほどのドタバタでかなり時間を浪費してしまっていた。まだ余裕はあるが、あと十五分もすればそれもなくなる時刻となるだろう。
(転入初日から遅刻はまずいな。川神さんにも学院にも迷惑がかかる。あまり時間をかけてはいられないか……)
離れたところから此方を見ている川神さんを一瞥し、視線を戻す。目の前にいる百代さんは指先をパキリと鳴らしながら、こちらを見てにやりと笑った。
「くくく……さて、どう料理してやろうか……ここまでコケにされたのは久しぶりだからな、お前に選ばせてやってもいいぞ。まぁどれを選択しても、覚悟を決めてもらうことにはなるだろうがな」
「……なら、意気込んでいるところに水を差すようだが、こちらからも一つ忠告しておく」
百代さんの瞳から目をそらさずに見定めた後、オレは静かに口を開いた。
「今の君じゃ――――オレには絶対に勝てない。それこそ戦わなくてもわかる。だから悪いことは言わない、いますぐその拳を収めてくれないか?」
今度ばかりは百代さんも虚を突かれたようだ。きょとんといった風に目を丸くしている。だが、オレが言い放った台詞の内容を理解するとその顔を心底不快そうに歪め、若干失望したように肩をすくめた。
「フン……何を言い出すかと思えば、この期に及んで言う台詞か。相当に自信があるのか、それとも大法螺を吹きすぎて焦ってきたのか……まぁいい。どうであろうと、その言葉が本当かどうかは私が決めることだからな。達者なのは口ばかりで、腕の方は自信がないのか? お前も武道家だというのなら、拳で語ってみたらどうだ?」
「…………忠告はしたぞ」
彼女が臨戦態勢に移るのを感じて、オレも腰を落とす。体から力を抜き、精神を研ぎ澄ませていく。
もう何を言っても無駄だろう。彼女のようなタイプは実際に体験しないと決して納得しない。かつて父さんと戦ったべジータさんがそうだったように。
一帯から音が消える。低く構える彼女から放出された気が、その高ぶりを表すように空気を巻き込み、いくつもの渦を巻いた。
「――――最初から全力で来ることを勧める。オレはさっきのヤツらのように甘くは無い」
「ハッ…………だったらそう思わせてみろ。私が今まで倒して来た連中も、お前と同じようなことしか言わなかったからなぁ!!」
言葉が終わるのと同時、彼女の姿がブレた。それが高速で突っ込んできたことによる残像だと周囲が理解する前に、オレと彼女は交差していた。
ズゥン――――……!!!
オレの右腕と彼女の右拳が一点で重なる。
刹那の一撃によって生まれた衝撃が、鈍い音となって大地を震わせた。
行われたのは単なる一撃とその防御のみ。だが至近距離で見つめあうように対峙した彼女は、歓喜を隠せないというふうに表情を変えていった。より壮絶なものへと。
「せぇいッ!」
「ハァッ!」
お互いを弾き飛ばすようにして距離を取る。
だが、両者が離れたのは一瞬。次の瞬間には、衝撃波を伴って二人は再び激突した。
「でやぁあたたたたたたたぁッ!!」
「だだだだだだだだだだだだッ!!」
拳。脚。拳。裏拳。正拳。
追撃に応撃。迫撃に迎撃。
前方、後方。右方、左方。
上、中、下段。
あらゆる場所から、相手を狙った必殺の一撃が嵐のように繰り出される。お互いに正面から打ち合い、それらを弾き返し、周囲に轟音を轟かせてゆく。
「そぉら、どんどん行くぞ!!」
言葉と共に震える世界。もはやそれは日常などとは遠くかけ離れた様相を呈していた。
踏み込み、押し込み、撃ち放つ。
避け切り、捌き抜き、受け止める。
途切れることのない攻防の乱舞。荒々しけれど、その美しき舞は見た者の心を捕らえて離さない。ぶつかりあった場所のすべてから波紋のように空気が揺れ、四方八方に迸っていく。
見ると、八人に減ったギャラリーは皆唖然とした表情だった。その中には一子さんの姿もある。予想していなかったハイレベルな試合に驚いているようだ。
しかし、その中心となる二人は依然としてスピードを緩めない。もはや常人には何をしているのかも判別できぬ速度だというのに、それでも二人が止まる事はなかった。それどころか一撃ごとに加速していっているようですらある。
拳と拳、脚と脚、体と体がぶつかり合い、まるで一つの曲を奏でているかのごとく大気を震わせる。百代から逃れるようにして空へと身を躍らせた悟飯に追いすがるように、彼女も続いて空高く跳んだ。
両者は地から離れて、なおぶつかる。
「でやぁ!」
「ふぅっ!」
迷いのない正拳。首を傾けて顔面横を掠める拳をやり過ごし、畳み掛ける足技を防御する悟飯。しかし、彼女も連打に次ぐ連打で追い討ちをかけていく。
瞬脚三連に後ろ回し蹴り。再び踊りかかる彼女の拳を、同じく拳をぶつけて軌道をずらしていく。
フェイントはすべて無視。本命の釣りとなる多くの攻撃には体を僅かにずらし、最小限の体捌きで以ってその狙いを牽制する。それはあたかも風に揺れる柳の葉のような自然な動きだった。
攻め切れないことに業を煮やしたのか、百代が空中で組み付いてきた。伸びてきた彼女の拳を手のひらで絡め取り、もう片方の拳によるパンチを肘でブロックする。思うように攻撃できなかったことに舌打ちしつつも、彼女の笑みはより一層濃くなった。
「っ、これも防ぐか! やるなぁ!」
「君こそ」
至近距離でにらみ合う両者の時間は一瞬。百代は瞬時に体を離し、その反動を利用して前方に一回転を繰り出した。
「川神流、【天の槌】!」
「ぐっ!」
猛烈な勢いで繰り出された踵落としを右腕で受け止める。だが、舞空術を使わない状態でその威力を殺せるわけもなく、悟飯は凄まじい速度で地上へ吹き飛ばされた。
「はぁっ!」
空中で体勢を立て直す。二本足を曲げて片膝を立て、勢いを殺しながら受身を取った。
地上へと叩きつけられた衝撃は凄まじく、落下地点には皹が走っている。
だがオレはすぐさま後ろに飛びさすった。入れ違いに空中から舞い戻った百代さんの拳が地面を穿つ。皹がクレーターにバージョンアップした。
そのまま後ろに連続でバク転をして、彼女の追撃をかわす。そして、距離が離れた瞬間を見計らい、オレは再び地を蹴って彼女に突撃した。
「でやぁっ!!」
「せぇいっ!!」
拳と拳が真正面からぶつかり、衝撃が波紋のように飛び散った。同時に放たれた一撃で両者は吹き飛び、互いに大きく距離が離れる。百代さんはその瞳に狂喜を滲ませたような光を宿し、オレを射抜いてきた。
「正直驚いた……戦う前はどんな法螺吹きかと思ったが、相当な腕だな。かなり手加減しているとはいえ、私を相手にここまで持った奴はルー師範代以来だぞ」
それはそうだ。鉄心さんが彼女とほぼ同レベルの使い手だということは予想していたが、これだけの戦闘についてこれる人間があちこちにいたら大変なことになってしまう。川神院の存在によりここは武道家が集まりやすい土地だが、やはり彼女や鉄心さんは別格なのだろう。
「それはオレの台詞だ。川神……一子さんから話で聞いていたが、実際に戦ってみて実感した。その歳でここまでの強さ……すごい才能を持ってる」
「それは光栄だな。だが、防御しているばかりでは私には勝てんぞ。今のお前を見る限り防ぐのは上手いが、ほとんど攻撃できていないじゃないか。対する私はまだ三割程度しか力を出していない。この意味が分かるか?」
彼女の気がさらに強くその存在を主張する。どうやら、手加減で戦うのはもうおしまいのようだ。オレは黙ったまま彼女を見つめていた。
「お前は致命的に実力を見誤ったんだよ。今までは持ち前の反射神経と防御のセンスで切り抜けてきたようだが、その程度の気では力を出した私の攻撃は防ぎきれない。その強さは確かに相当なものだが、さっきの見立ては言い過ぎだったな。次は本気で攻撃する。これで終わりだ」
「…………」
腕を組んでこちらを見る百代さんに対して、オレは一度目を瞑って大きく深呼吸をする。そしてゆっくりと瞼を上げると、口元を吊り上げた。
「それはどうかな」
「なんだと?」
訝しげに睨む百代さんを無視して腰を落とす。頬を薙ぐ風はいつの間にか止んでいた。
「君のことは少し分かった。戦うことがとても好きだということも……強い相手を求めるその貪欲な姿勢も」
そう言ってから、オレは彼女に対して『初めて』構えを取った。
流れる気を落ち着け、静かに息を吐き出す。いつもそうしていたように。そう教えられていたように。
「だから、オレも武道家として……少しだけ本気を出させてもらう。今度は君も、本気で来い」
「少し、だと……? 今までは遊んでいた、と? 私をナメるのも……大概にしろよっ、お前ッ!!」
一瞬にして憤怒の表情へと変わった百代さんが真正面から突っ込んでくる。流石、言っただけあって先ほどとは比較にならないほどのスピードである。そうして一瞬にも満たない時間でオレに詰め寄った百代さんは、さらに軌道を変えてオレの背後へと回り込んだ。
動かない背中に視線が集中しているのがわかる。そうして彼女はほとんど本気の力を拳に込めて、オレへ討ちかかった。
(取った――!)
首筋から背中にかけてを狙った手刀。遠慮無用の本気攻撃だった。
おそらく、これをどうかすることは誰にもできない。受け止めることも、避けることも、捌くことも、知覚することすらもできない一撃。どんなに強くとも、防御不能の攻撃だったに違いない。
それが、『ただの人間』相手であったなら。
そして、
「っ!!?」
手刀が首筋に命中する瞬間、悟飯がいなくならなければ。
「な、消え――!?」
全力の手刀が空を切る。予想もしなかった事態に取り乱した瞬間、その声は聞こえた。
「――――遅い」
自分の背後から。
「ぐぁあっ!?」
刹那、百代の背中を稲妻が駆け抜けた。同時にその視界は大きくぶれ、天と地がさかさまになる。
空中に躍り出たときと同じような感覚。一種の浮遊感が体を包んだ。
しかし断続的に体中に走る衝撃が、これが自分の意志によるものではないということを百代に突きつけてくる。ほどなくしてそれらは止み、眩暈のような感覚が消えていった。混乱した頭で自分に今起きた事態を認識に掛かる。
それが自分がしようとしていたのと同じ手刀による一撃であり、しかもモロに受けたのだと理解したのは、視界一面に広がる緑と茶色のコントラスト、そして頬に接した大地のざらついた感触を受けたからだった。
同時に、今まで比較的に落ち着いた様子だったギャラリーから動揺が走る。
「な、何だぁ!? いきなりモモ先輩が吹っ飛んだぞ!?」
「え、え? いま何が起こったの!?」
背の高い男と低い男から声が上がる。二人は目の前で起きた現象がなんだかわからない様子だったが、彼らより近くにいた二人の少年と少女たちは呆然とした様子で見つめていた。
「は、速い……っ!」
「まさか……モモ先輩の方が攻撃を仕掛けていたはずなのに……!」
「み、京……今の、見えたか……?」
「…………全然」
「オ、オレもだ。残像すら見えなかったぞ……?」
「孫くん……お姉さま……」
まるで現実ではないかのような光景に、全員に動揺が伝染していく。
全勝無敗。最強無敵。瞬殺必至。
そんな肩書きが最もふさわしい存在に起きたこの事態に、状況を把握し切れていないのだろう。ギャラリーの彼らはもちろんのこと、その当事者さえもが。
事実、百代は現在混乱の極地にいた。悟飯を見据えながら、油断なく拳を構える。そこにいつも余裕を忘れない勝気な彼女はいなかった。
(な、何だ、今のは……この私がまったく捉えられなかっただと……!?)
焦りが頬を伝い、首筋へと流れていく。体を震わせるのは、断じて武者震いなどではない。それは自身の理解できぬ場所にいる相手に抱く感情……おそらくは彼女が生まれて初めて感じたであろう、未知の存在に対する本能的な恐怖だった。
「見えなかったか? ちょっと本気になると言ったろ。今の君には少し速すぎたようだがな」
「くっ……調子に乗るな!!」
気を抜くと下がろうとする脚を叱咤し、百代は地を蹴って駆け出す。先ほどと同じように、いやそれ以上の速度と威力で悟飯に殴りかかった。風のように移動する彼に追いすがり、地上と空中を縦横無尽に疾駆する。
遠慮無用、手加減抜きの拳の連打。普通の人間ならばその軌跡すら見ることの出来ないそれらを、悟飯は体を左右にずらし、捻り、傾けて、最小限の動きでそれをかわしていく。フェイントはすべて見切られ、本命はすべて撃ち落される。
まるで二人の間に見えない壁があるかのように、その距離が縮まることはなかった。それどころか、攻めているにもかかわらず、後退していっているのは百代の方だ。今度こそ、ギャラリーの不安が確信に変わった。
「モ、モモ先輩が……押されてる……!?」
信じられないモノを見るようにつぶやくキャップ。モロが慌てた様子で反論した。
「そ、そそ、そんなはずないよ! 先輩には、きっとさっきみたいに何か策があるんだよ! ホ、ホラ、あっけなく勝っちゃうと味気ないからさっ!」
「だ、だけどよ……あんな顔のモモ先輩、初めて見るぜ……?」
「あ、ああ……」
ガクトの言葉に、クリスも呆然と首を振って同意する。京は悟飯に押される姉貴分の姿に、視線に険を宿して唇を噛む。大和と由紀江、そして一子は、見たこともないこの戦いを食い入るように見つめていた。
その中を二人は風を切り裂いて戦いを続ける。百代は攻めあぐねいている焦りを必死に隠しつつ、悟飯に向かって強烈な攻撃を繰り返す。だがどれもが、紙一重で彼を捉えるには至らない。
(なぜだ!? なぜ私の攻撃が届かない!? スタイルは何も変わっていない。それに奴は片腕、気に至ってはワン子よりも小さいんだぞ!? この男の何処にこんな力が……!)
ギリ、と強く食いしばられた歯が鈍い音を立てる。悟飯は顔面や鳩尾を狙ってくる拳や脚撃をかわしながら呟いた。
「百代さん。君は気の大きさがそのまま持ち主の強さになると思っているみたいだが、それは大きな間違いだ。気を扱うことと気をコントロールすることは、似ているようでまったく違う」
「偉そうにッ!」
怒声を上げながら、渾身の力を込めた回し蹴りを放つ。しかし、凄まじい威力であろうその攻撃を悟飯はなんと腕一本で受け止めてしまった。百代が目に見えて顔を引きつらせる。
「だからオレを一目見ただけでその強さを決め付けた。弱いから相手にならないと思い込んだ。それが過信に繋がったんだ」
「う、五月蝿いっ!」
憎憎しげに悟飯を睨んだ後、再び攻撃を開始する百代。あらゆる部位が風を切る音を聞きながら、ギャラリーはその様子を固唾を呑んで見守る。
「うーん……」
「? ワン子、どうかしたのか?」
「あ、大和。えっとね、上手くいえないんだけど……なんかね、孫くんが一瞬だけ大きく見えたような、すごい近くに来たような気がしたの。ほら……あ、今また。でも、実際に大きく見えてるわけじゃなくって……うー、言葉に出来ないわ……」
一子は悟飯と百代の戦いを一瞥して言う。横で聞いていたモロが首をかしげた。
「そうなの? というか、動きがまったく見えないんだけど」
「アタシだってそうよ――――って、アレ? じゃあ、なんで大きく見えたとか思ったんだろ……?」
「可哀想に……じぶんのが小さいからって、ついに男のを……」
「何処の話してんのよ、バカガクト! 妹キック!」
「ふげしっ!?」
余計な合いの手を入れて予定調和のように地に沈むガクト。一子は怒りを気持ちよく発散すると、再び考え始めるがやはり答えは出ない。だが、それは意外なところからもたらされた。
「一子さんが言ったことは間違いなんかじゃありません。正確には『見えた』んじゃなく、『感じた』んだと思います。あれはただの格闘戦じゃない……恐ろしく高度な技による攻撃です……!」
「ど、どういうことだまゆっち?」
大和が由紀江の方を向く。自分の姉を翻弄するトリックがわかろうとしていることに、彼らしくなく興奮した様子だった。周りのみんなも興味津々なのは同じなのか、彼女の言葉に耳をそばだてる。
由紀江は、気を抜くと見失いそうになる二人を懸命に目で追いながら口を開いた。
「これはあくまでも私の推測でしかありませんが…………あの人――――孫悟飯さんはおそらく、通常一定であるはずの気を自分の意志で自由にコントロールすることができるんです。それも私達のような多少の増減ではなく、およそ一般人レベルから自身の最大パワーまでを自在に……」
刀の柄が震える。彼女の言葉には誰も口を挟まない。
「だから、強い人間に必ずあるはずの強大な気があの人からは感じ取れなかった。それが気の小ささによるものではなく、気を小さく見せていただけだとすれば……今の状況にも説明が付きます。自分の中に秘めた力を移動や攻撃の瞬間だけ爆発的に高め、モモ先輩と戦っているのではないかと……」
「そ、そんなことが可能なのか!?」
「……それはおかしい。その推測が本当なら、私達があいつの気の動きを感じ取れていてもおかしくないはず」
驚くクリスをよそに京がすぐさま反論した。
それはそうだ。戦っている最中に気が発するパワーが多少上下することは実際にあるし、そうなれば纏う気の力強さだって変わってくる。同じ気の使い手である自分達がそれに気づかないはずがない。
しかし、由紀江は京の言葉に対して首を横に振った。
「いいえ。あの人が気を高めている時間はほんの一瞬……それも、私達が感じ取れないほどの短い時間で、かつ部位を限定して行っているんです。一子さんが一瞬だけ大きく見えたと言ったのは、瞬間的に膨れ上がった彼の気を無意識下で感じ取っていたからだと思います。何度か一緒に稽古もしていたそうですから、その違和感にも気づきやすかったんでしょう」
全員があっけに取られた。つまり二人は、戦い方からして違っていたのだ。
百代が巨大なハンマーを持ち前のパワーを使い高速で振るっているのだとすれば、悟飯はインパクトの瞬間だけその部位を爆弾のごとく爆発させるような戦い方をしている。規模自体は大きくないが、一点に凝縮されたエネルギーが瞬間的に引き出されれば、見た目からは想像も付かないような凄まじいパワーを発揮するだろう。
片や巨大な気を用いて規模で相手を圧倒する、片や消費する気を最小限にとどめ、かつ技の効果を最大限に引き出している。どちらが技術的に上かなど、火を見るより明らかであった。
由紀江は唇を噛んで二人の戦いを見つめる。
(この目で見ても信じられない……あれは黛の剣にとっての到達点。奥義を超えた境地であるはず……それをこんな……こんな造作もなく使える人がいるなんて……!)
刀を握る力が強くなる。由紀江は自分がとてつもなくちっぽけであったことを痛感していた。
そして、それは戦っている本人も感じていた。力の差という、考えたこともなかったような言葉を必死に打ち消す百代。焦りが目に見えて浮かぶようになり、緊張感と疲労からか動きも精彩を欠いてきている。
荒くなっていく息を百代は必死に落ち着けていた。
(く……これでは奴の思う壺だ! とにかく一旦間合いを計って、仕切りなおしを――……!)
距離を離そうと後ろに飛ぶ百代。だが、視線を戻した彼女は息を呑んだ。
先ほどまで、いやほんの一瞬前まで自分の前にいた悟飯が忽然と消えていたのである。着地した彼女は慌てて辺りを見渡した。
「い、いない!? い、いったい何処へ―――――」
トン。後ずさった彼女の背中に何かに当たった。強くしなやかな感触が背中を伝ってくる。それが何なのか百代が確かめる前に声が響いた。
「――――どうした? 武神とまで呼ばれる君の力はこんなものなのか?」
「ッ!!?」
今度こそ息が止まった。背後から聞こえた声に体が硬直し、呼吸が定まらずそのリズムをさらに上げていく。
感じたことの無い寒気が百代の背中を駆け抜け、頬を冷や汗が伝っていった。
「くっ…………でやぁあああ!」
振り向きざまの回し蹴り。だが、またもや悟飯は消えて空を切る。同時に背後から一撃をもらい、百代は大きく吹き飛んだ。ギリギリでガードはしたようだが、その威力の大きさにピンポン玉のごとく地面を転がる。
泥だらけになりながら体勢を立て直すと、離れた場所に悟飯が自然体で立っていた。
「もうやめろ。君の身体は傷だらけだろう。今の一撃を防御したのは見事だけど、その腕だって無傷じゃない。大怪我をしないうちに降参するんだ」
「この私が、降参だと……!? 冗談じゃない……この程度のダメージを負わせたぐらいでいい気になるな! 見ていろ……ハァアアッ!」
気合一閃、百代が全身に気を入れた。すると、悟飯に受けたダメージや傷がみるみるうちに塞がり、元に戻っていくではないか。まるでビデオを逆再生しているような現象に、流石の悟飯も目を見張った。
「! 傷が……!」
「はははははは! どうだ! これが私の奥義、【瞬間回復】だ! 傷や怪我を負っても私は一瞬で治癒し、戦闘の疲労すらも回復する! どれだけ攻撃を加えても、私にダメージを与えることは絶対にできない!」
先ほどの焦りを掻き消すように、百代は不敵に笑う。悟飯も彼女の身体に起きた事態に驚きを隠せなかったようで、眉間に皺が寄っていた。ただし、先ほどまではなかった厳しさを宿しながら。
「こんどは此方から行くぞ!」
叫ぶや否や、百代は悟飯に向かって一直線に駆け出す。一方の悟飯は、彼女の発した言葉をかみ締めながら先ほどまでの戦いを思い出していた。そのスタイル、能力の仕様、そして技発動時の気の流れ、すべての要素を並べて頭を巡らせる。そして数秒間ほど考え込んでから言った。
「瞬間回復か……なるほどな。それなら防御をほとんど重視しない戦い方だったのも納得だ。けれど――」
「――――ガッ……!?」
拳に力を溜めた状態のまま百代が止まる。彼女が走りこむより早く、一瞬で肉薄した悟飯の一撃が無防備な腹部を打ち抜いていた。あまりの威力に百代は立っていることができず、腹を押さえながら膝を付いてしまう。
「絶対というのは間違いだ。確かに厄介な能力だが、使い手が今の君じゃ欠点の方が多い」
「か……ふ…………な、なんだ、と……!?」
困惑と闘争心がない交ぜとなった視線がこちらを捉える。悟飯は彼女のダメージに気をつけながら話し始めた。
「第一の欠点。その技は受けた物理ダメージが回復するというだけで、ダメージ自体を無力化できるわけじゃない。それに完全な再生能力というわけでもなさそうだ。格下や同格の相手ならいいだろうが、一撃で自身の許容量を超えるダメージを受けてしまえば、いくら回復する力があっても何の役にも立たないぞ。今のように技の効果を満足に発揮できないまま、無駄に気を浪費していくだけだ」
近くによっても百代は動かない。おそらく先ほどの攻撃による痛みで満足に動けないのだろう。
彼女を見下ろしながら、悟飯は続けた。
「第二の欠点。その技は多量の気によって体の組織に働きかけるといったものみたいだが、治っているのは見かけだけだ。いくら疲労が回復してもダメージ自体は内部へ確実に蓄積しているし、身体への負担も気の消費量も激しすぎる。何よりそんな無理矢理な方法で治癒能力を引き出し続ければ、いずれ肉体と気のバランスが崩れてしまう恐れもある。ただでさえ大きなエネルギーを消費しているんだ。その技を使えば使うほど気は減り、君は不利になっていく。息が切れて思うように呼吸ができないのはそのためだ。オレからのダメージが大きすぎるのもあるが」
「ハァ……ハァ……(こいつ、一度見ただけで私の技を……!?)……お、おのれ……ふぅぅうううううっ!!」
百代の周囲に気が渦を巻く。そして、それが収まる前に彼女が飛び掛ってきた。また瞬間回復でダメージを治癒させたのだろう。
悟飯は眉を寄せながら彼女の攻撃を捌いた。
「第三の欠点。これが君の体に備わった能力じゃなく、君の意識と体によって成されている『技』であることだ。たとえ君を圧倒できるだけの強さがなくとも、技を封じるのは不可能なことじゃない。現に君は一度に大きなダメージを受けすぎて許容限界を超え、回復が追いついていないだろう? それに何より、精神や気の流れが不安定になれば発動することすらできない。原理が分かれば素人ですら対策が立てられる」
「黙れ……だまれだまれだまれだまれ!!」
凄まじい速度で繰り出される拳。だがその一つとして、悟飯を捉える事はできない。
焦りと怒りで業を煮やした百代は大きく距離を取り、腰溜めに構えた。
「それなら、これを受けてみろ! か~、わ~、か~、み~……!」
(!!? あの構えは……!)
自分もよく知る技と似た構えに、悟飯は驚きを露にする。瞬間、その両手が全力で突き出された。
「波ぁああああ!!!」
彼女が叫びを上げると同時、
凄まじい速度で自身に向けて肉薄してくる光。だが彼は一歩たりとも逃げなかった。
迫りくる極光を見据えると、大きく大きく息を吸い込む。そしてまさにそれが直撃しようとした刹那、
『はぁあああああああ――――――ッ!!!!!』
百代の放った光に向けて、ありったけの声量を叩き付けた。ビリビリと空気が震動し、大地が軋みを上げるがごとく僅かに沈み込む。そのあまりの大声に、試合を観戦していた大和たちはたまらず耳を塞いだ。
その尋常ではない声の直撃を受けたものはひとたまりもない。それを示すがごとく、渾身の力を込めたかわかみ波は跡形もなく消えうせていた。
その光景に息つくことも忘れ、百代は覚束ない足取りで後ずさる。
「ば、馬鹿な…………」
今しがた起こった事態に身を慄かせながら呆然と零す百代。戦いを見守る風間ファミリーのメンバーたちは、その光景に開いた口が塞がらなかった。
「な、何が起こったんだ、今……」
「そんな……あれほどのエネルギー波を、気合だけで消し飛ばした……!?」
「き、気合ぃ!? あ、アホか! そんなのでどうにかなるようなもんじゃなかったろ!?」
「なんて戦いだ……もはや我々の理解を遥かに超えている……!」
ギャラリーがこの世のものとは思えない光景に揺れている。それは当事者である百代も同じことだろう。僅かも態度を変えず、悟飯は彼女を見据えた。
「無駄だ。今の君の力では俺には勝てない。もう一度言う……降参するんだ」
「く、くそぉっ……ならばこれならどうだっ!」
言葉を発しながら百代が駆け出し、拳を顔面に向けて突き出した。精彩を欠いてもなおこの威力とは本当に頭が下がる。だが、オレがそれを首を逸らしてかわすと、彼女はその腕を引かずにそのまま組み付いてきた。
がっちりと組み付いた状態で二人の目が合う。一瞬にして気が集まった感覚を察知した瞬間、
「川神流……特大ッ、【人間爆弾】ッ!!」
ドッゴォォオオオオオオオオ――――ン!!
けたたましい爆発音と共に、周囲に飛び散った爆煙が二人の姿を包み込む。だが、技をかけた百代はすぐに煙のドームから飛び出してきた。
その様相は、頭のてっぺんから足の先まで煤まみれのうえ服もボロボロという満身創痍の出で立ちであるが、身体からは傷がすべて消えている。爆発した瞬間に同じく治癒をかけ、ダメージを回避したのであろう。
肩で息をしながら、口元を吊り上げる。
「どうだ、最大パワーでのゼロ距離爆破の威力は!? 私もおいそれとは使えない技だが、威力は折り紙つきだぞ! これなら、貴様と言えど流石に――」
得意げに語っていた言葉が止まる。それとは逆に、渦を巻いていた煙は風に流されその姿を散らしていく。
そして完全に晴れた煙の中心に見えたのは――――
「無駄だと言ったろう」
ダメージどころか煤汚れの一つなく、クレーターの中央に立つ悟飯の姿だった。
「そ、そんな馬鹿な……手ごたえはあった……間違いなく直撃だったはずだ!」
「ああ、直撃だったさ。だが、自分すら吹き飛ばし切れないような技がオレに効くもんか」
戦慄する百代に悟飯が言い放つ。そして、動かない彼女に向けて右手を掲げた。
「気は……こうやって使うんだ!」
「!? ぐッ、ぁああっ!?」
掌から迸った気合砲の直撃を受け、大きく吹き飛ばされる百代。そのまま地面を削りながら何度も転がり、数十メートルの距離を経てようやく止まった。意識はあるが立ち上がることができないようで、倒れたまま苦悶の声を上げてもがいている。
どんな時でも頼れる姉貴の信じられない姿に、風間ファミリーのメンバーはみな言葉を失っていた。
「……ウソだろ……?」
キャップこと、風間ファミリーのリーダーである翔一が呆然とそう零す。
「そんな……姐さんが、手も足も出ないなんて……」
「お、俺たち、夢でも見てんのか……?」
普段は冷静沈着な大和やいつもその制裁を受けていたガクトも、震えながらその場を動くことができなかった。彼女の実力を深く理解しているクリスや由紀江、そして誰よりも百代を尊敬する一子の三人は驚きのあまり言葉もない。
妹である一子は元より、新参ではあるが武に関して学園の上位者たる二人も、彼女の桁外れな強さは経験と知識で認識している。自分達が束になっても敵わない猛者であることも。
だからこそわかってしまった。いま百代と戦っている孫悟飯が、もはや次元の違う強さの持ち主だということを。
だが、それを認められない者たちもいた。
「…………」
ファミリーの中で最も非力なサイバー人員、師岡卓也。
「許さない……許さない許さない許さない許さない許さないっ!!」
そして、ファミリーの中で最も仲間意識が強い椎名京である。
二人にとってみれば、絶対不可侵のはずだった領域を侵されたことに等しかった。そして、その怒りが先に限界に達したのは京だった。
「殺すっ!!!」
手近に落ちていた石を拾い、全力で気を込めようとする。その身体は危険な雰囲気を宿していた。すぐにでも弾丸のごとく飛び出していってしまいそうである。
大和が慌てて押さえようとするが僅かに遅かった。
「ま、待てっ、みや――!」
『動くなッ!!』
「っ!?」
だが突然響き渡った凄まじい制止の声に、京は反射的に動きを止める。大和の声を遮ったその主は、いま戦っている悟飯からのもの。僅かに此方を向いたその視線は、スタートを切ろうとしていた京を捉えていた。
「手を出すな。彼女の戦いを汚したくなければな」
「ぐっ……!」
此方を凄まじい形相で睨む。だが手を出してこないところを見ると、悟飯が言った事が間違っていないところを理解し、かつ仲間である百代を傷つけまいとする優しさも感じられる。とはいえ、彼女がいつまでも大人しくはしていないだろうこともその視線から理解していた。
だから終わらせる。全員が納得のいくように、きっちりと勝敗をつける。
それが今の自分にできる、唯一にして最大の礼儀だろうから。
そう思い、悟飯はようやく立ち上がった百代に向き直る。そして、彼女と戦ってから初めて、自身の気をわずかにだが解放した。
ゴォオオオオッッ!!
空気を揺るがすような音と共に、悟飯から白いオーラが立ち上った。神秘的な揺らめきを身体に纏いながら、百代を見つめる。控えていたファミリーのメンバーからも、今までとは気質の違う声が上がった。
「お、おおお!? オ、オレ様もなんか感じとれたぞ!?」
「ア、アイツから何か出てるのが見える……もしかして、あれが気なの……!?」
「す、すっげえっ! 俺、気なんて川神流の技以外で初めて見たぜ!」
男三人は目の前で起きている不思議現象に興奮したように騒ぐ。対する大和と女性陣は方向性は違えど、驚きはさらにひとしおだった。
「モロにも……キャップにも見えてるのか!? ど、どうなってるんだ……オレ達には、女子みたいな力はないはず……それに、姐さんが使うような技でもないのに何で……!?」
「それは、あの人の気が常軌を逸して巨大である証拠です! 気を解放しただけで、一般人である大和さんたちにも認識できてしまうほどの力の流れだということ……!」
「くぅううううっ…………!」
「わぁあああっ、京っ、落ち着きなさいって!」
「な、なんという力だ。これだけ離れているのに、まるで目の前にいるようにすら感じるとは……完全にモモ先輩を上回っている……!!」
周囲から感じる、驚愕、戦慄、畏怖。それは気を解放した悟飯へ向けられている。相対していた百代も、今度ばかりは言葉を失っていた。
「な、なんだ、このとてつもない気は……こ、こんなもの、私は知らない……これが、これがお前の力だというのか!?」
感じたことのないレベルの波動に狼狽の声が上がった。悟飯の気は周囲に風を呼び、多馬川の河川敷を中心に突風を吹き荒れさせる。水面がその余波を受け、大きく波打った。
「言ったはずだ。今の君じゃ無理だと」
威圧的な風に守られるようにしていた悟飯がそう口にする。勝負が始まったときはそれをデタラメや虚言だと言い切れていた百代だったが、この状況になってまでそれを続けるほど分からず屋ではなかった。
いや、もうとっくに理解していたのだ。その力の差がどれほど途方もないものなのかを。
「く、くそっ…………こ、こんな――」
「『こんなはずじゃなかった』、か?」
「く…………っ!」
悔しさを顔中に滲ませて睨んでくる。そんな彼女から目を逸らさずに語りかけた。
ここでうやむやにしてしまうのは簡単だ。けれど悟飯はそうはしない。
それは武道家として彼女と向き合い、そして最後まで貫き通したかった信念と礼儀ゆえだった。
「百代さん、君は本当に強い。今まで誰も勝てなかったというのも、その武神という肩書きも頷ける………けれど………」
構えを取る。そして、
「――――上には、上がいるんだ」
一呼吸置いた後にはっきりと告げた。びくりと、百代が震える。
「わ、私は…………」
前髪で隠れた顔からは何の表情も読み取れない。
怯え。畏怖。絶望。渇望。いや、言葉などでは表せない感情が彼女の内側で渦巻いている。
「私は……私は……っ!」
顔を上げる。迷いは晴れていない。だがそれでも、彼女が後ろに下がることはなかった。
たとえどんな相手が現れようと、どれほどの力の差があろうと、決して逃げることなく立ち向かう。それが、彼女の答えだったのだ。
決して瞳を背けようとはせず。
震える身体を必死に押さえつけて。
しかしなおも懸命に立つ少女がそこにいた。
「私は、川神百代! 川神の頂点! 私は、負けるわけにはいかないんだぁああああああ!!!!」
声とともに駆け出す。ただがむしゃらに突っ込んでいく。
そして、技術も何もなく全力で打ち出された拳から、
バキィッ!!
悟飯も逃げることはしなかった。
百代は自らの拳を打ち抜いたまま、悟飯は顔面を捉えられたまま、両者の動きが止まる。
一瞬にも永遠にも感じられる時間は、
バシッ―――――!!
乾いた音を立てて、終わりを告げた。
「ぅ、く―――――」
手刀一閃。糸が切れたように崩れ落ちる百代。
それを右手で器用に抱きかかえながら、悟飯は口を開いた。
「――――すまない。だが、見事だった」
武道家にとって最高の労いを向ける。先ほどまでの戦いぶりが嘘のように、百代はくーくーと寝息を立てていた。その顔は満足げに微笑んでいる。
オレは百代さんをうまく抱きかかえると歩き出した。同時に剣呑な視線がいくつも突き刺さるがすべて流す。そうしてオレは一人の少女の前に立った。
「川神さん」
「は、はぃいっ!」
まるで叱られた子供のように背筋をピンと張る川神さん。その様子だけで彼女の内心が手に取るようにわかった。オレは僅かな寂しさを苦笑に混ぜて、抱えていた百代さんを手渡した。
「彼女のことなら心配ない。ダメージと疲労で眠っているだけだ。しばらくすれば目を覚ますから安心してくれ」
「え……あ、そ、その……ありが、とう?」
混乱しているのか受け答えが曖昧だ。しっかりと百代さんを抱えさせ、身体を離す。
最後まで面倒を見るべきなんだろうが、いつまでもこうしてはいられない。周りの視線がさらに厳しくなってきている。このままでは川神さんにまで責が降りかかってしまうだろう。
オレは非常用に持っていた一粒の仙豆を取り出し、困惑げな表情の彼女に渡した。
「目を覚ましたら、これを百代さんに飲ませてやってくれ。本当ならオレが運んで手当てしたいところなんだが、『君たち』に任せたほうがよさそうだからな」
「……え……いや、それは……」
「それと、すまない……どんな理由であれ、オレは君の姉を傷つけた。謝って許される事じゃないが、それでも……すまなかった」
「あ……そ、孫く……」
彼女にだけ見えるよう、僅かに頭を下げる。オレの意図に気づいたのか何か言おうとするが、言葉になっていなかった。
頭の中がまとめきれていない様子がありありと見て取れる。これ以上彼女に迷惑はかけられない。
そうして、オレは彼女に背を向けた。
「先に行くよ。余計な人間がいると話が拗れそうだから」
静かに歩き出す。
遮るものがなくゆらゆらと揺れる左袖。彼女の視線を背中に感じても、決して振り返ることはない。
どんどん離れていく。そうして、もはや声すらも聞こえないほどの距離になったとき、
「孫くん…………」
寂しげな呟きがオレの背中に届いた気がした。
‐Side out‐
「やれやれ、無事に終わったか」
川神学院から徒歩しばらく。多馬川を一望できる、川にかけられた鉄橋の頂にその姿はあった。
身を打つ強風に僅かにも揺らぐことは無く、ただそこに佇んで事の成り行きを見守っていた。ようやく事態が収束し、去っていく悟飯の姿を目に留める。
川神学院学院長、川神鉄心。並びに川神院師範代にして、ルー先生ことルー・リー。
川の土手の上を悟飯が歩いていくのを二人は静かに見つめる。一度だけ鉄橋の上に目をやり、だがすぐに視線を戻して歩き始めた彼に鉄心は苦笑した。
「ほう、こちらの存在にも気づいておったか。なんとも末恐ろしい青年じゃのお、ふぉっふぉっふぉっ!」
「笑いゴトでハありまセン! モモヨを本気にさせルなんテ、私ハ寿命ガ縮まる思イでしたヨ……」
笑う老人を諭す影。彼、ルー・リーは先ほどの戦いをハラハラしながら見つめていた。あれだけの大規模でド派手な戦闘を防御結界なしにするなどキチガイ沙汰である。
あの青年がすべて上手く捌いたからよかったものの、一歩間違えば大惨事になっていたのだから。
「大丈夫じゃ。あ奴には分かっていたんじゃろ。モモの実力が手に取るようにの」
何かを確信しているかのように断言する鉄心。ルーはその様子を見ながら言葉の続きを黙って待った。
「あの青年の力は、ワシにすらほとんど読めん。その正体が一体なんなのかはわからんが、とてつもない何かをその身に秘めていることは間違いないがの。ワシのカンが正しければ、彼の秘めたる力はあんなもんじゃないわい。今の戦いなんぞ、彼にとっては小石を蹴っ飛ばす程度じゃったじゃろうな。たぶん」
「何ト!? でハ実際彼と百代の間には、いったイどれホドの力の差ガあるト言うのですカ?」
驚くルー。鉄心はそれも当然じゃな、と感じながら続けた。
「どちらも力の限界を感じさせんほどの実力者というのは同じじゃ。しかしわかりやすく言えば…………モモは底が見えない深い井戸。そしてあの青年、孫悟飯は……海じゃ。とてつもなく巨大なことは分かっても、それがいったいどれほどのものなのか実感できない……モモと同じように何やら狂気らしいものを秘めているのも感じたが、どうやら孫とは違って制御できているようじゃし、特に問題はないかの」
再び眼下に目を凝らす。もはや青年は自分らの下を通り過ぎて学院へと向かっている。
「孫悟飯……本気のモモをあっさりと倒してしまうとは、只者ではないどころの話じゃなかったの。しかもモモと同じで、伸び代を相当に残しておると見た。ふぉっふぉっふぉっ! この歳でこれほどの発見があるとは、長生きはしてみるもんじゃわい!」
およそ能天気とも捉えられる鉄心の台詞にルーは苦笑する。老人の愉快な笑い声がしばらくの間響いていた。
第4話、百代と悟飯のガチバトルでした。
感想欄でいろいろなご意見を伺い、戦闘力を思い浮かべながら書きましたが、いかがでしたでしょうか。
まだまだ荒削りな面が多いのは、ホントすいません。
戦闘シーンもカッコよく書けていたかどうか……あー、不安しかないなぁ……
ともあれ、このような結果に終わった今回。
次回はどうなってしまうのか。ご期待下さるのは少しにして下さいと念を押しつつ、後書きの締めとさせていただきます。
それではまた次回にてお会いしましょう!
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第5話 仲間
今回も少し文章量多めとなっております。
ただ戦闘シーンはありませんのでありからず。
それでは第五話どうぞ~。
「それでは本日はここまでとする。号令」
「きりーつ、礼。先生さようなら」
「はい。また来週!」
とある平日金曜の午後。まだ夕日というのは早い日差しの中に生徒達の声が響き渡った。
どこか間延びしたほんわかボイスに応えるのは、いつも通りビシッと透き通った担任の声だ。女性にしてはいささか鋭すぎるような気もするが、それは彼女――小島梅子のアイデンティティのようなものだろう。
と、その彼女がこちらに近づいてきた。
「孫。今日で転入して一週間になるが、少しはクラスに慣れたか?」
「ええ。それなりには」
気を遣ってくれた梅先生に会釈して返す。オレの言葉にウソがないと理解すると、彼女は満足げに笑った。
「うむ、それならばよし。お前は身体的に嫌でも目立つ要素を持っているし、自分だけで抱え込みそうな性格をしているようだからな。何かあればクラスの連中に言うがいい。私の力が必要ならば遠慮なく言ってくれてかまわん」
「わ、わかりました。ありがとうございます先生」
オレの返答にもう一度頷くと、梅先生は今度こそ教室を後にしていった。入学するにあたってオレ個人の人間力測定の監督をしてくれたのも彼女だ。オレも戦闘力を抑えに抑えていたが、かなり驚いていたのを覚えている。
そのときも思ったが、凛々しいという単語が最も似合う人だ。普段の態度もそうだが、歩き方一つにしたって堂々としている。なんというか、男らしい先生だなと思った。本人には口が裂けても言えないが。
先生がいなくなると同時に空気が弛緩し、教室に喧騒が満ちはじめた。Fクラスではある意味スイッチにも似た存在となっているらしい。はじめは少し戸惑っていたこのパターンも、一週間もすれば慣れたものだ。
そう、もう一週間になる。
今からちょうど七日前、オレは鉄心さんの心遣いによってこの川神学院の2‐F組に転入していた。元の世界では学校と言うものに通ったことはなかったので、年甲斐もなく緊張していたのを記憶している。
時期はずれの転入。しかも顔に傷跡、片腕は消失しているという奇異な存在が認められるのか不安だったが、オレの心配とは裏腹にクラスの大半は快く受け入れてくれた。むしろワイルドでカッコいいとか、性格とのギャップがいいなどという意見もあった。理由はよく分からないが、とりあえず良い方向にまとまったことには感謝である。
倒れていた理由としては、自分が旅人であるという理由でなんとか通した。そして、旅の途中で船から海に放り出されて遭難してしまい、嵐に次ぐ嵐や食料もほとんど尽きてしまったことによって衰弱、なんとかあそこまで辿り着いたが、そこで力尽き気絶してしまったということにしてある。武道も旅をする中で覚えたと言うことでおさまった。
苦しい言い分だが、オレが話さない限り真実は絶対出てこない。噂が飛び交う可能性はあれど、根拠も証拠も無いものである話はすぐに立ち消えするだろう。よって、コレに対する心配はさほどしていなかった。
一方ネックだったのは、一子さんをはじめとするあのグループのほとんどがこのクラスに集まっていたことだ。オレがクラスに入ってから感じた敵意や疑惑、そして困惑を含んだ視線のほぼすべては彼らである。
まぁそれは当然だろう。彼らの仲間の一人、川神百代さんをコテンパンにしてしまったはつい先ほどの出来事だったのだから。特にショートヘアの少女からの眼力は凄まじく、今にも爆発しそうな危険な光を宿していたのを覚えている。
おまけにあの戦いが原因でルー先生というに人にオレもこってりと絞られ、金輪際あんなド派手な戦闘は起こすなと口をすっぱくして言われていた。そのせいで一時間目は結局出られずに担任の梅島先生にも注意され、その時ちょっとした一悶着もあったのだがここでは割愛させてもらう。
学院長にも何か言われるかと思っていたが、彼は戦いの勝敗だけを問いただし、オレが勝った事を伝えるとそれきり黙ってしまった。先ほど鉄橋の上から見てわかっていたはずだから自分の孫がやられて怒り心頭なのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。なんだか何処となく嬉しそうにすら感じたのは気のせいだろうか。
話を戻そう。とまあ、そんな感じでクラスのみんなとは仲良くしつつ、彼らのグループからは距離を置かれるという奇妙な状態に置かれている。川神さんはその中でもアプローチしようとしていたが、先の少女に加えてあの場にいた三人の少年にいつも止められていた。他の面子も少女ほどではないにしろ、オレを監視しているような様子である。
ちなみに、完全に人払いをしていたためにオレと川神百代さんの戦いに関する情報は流れていないようだ。加えてあのとき周囲を覆っていたドーム状の空間も影響していると考えている。あの場の状況からみて鉄心さんたちが何かしたと考えるのが自然だ。
仙豆も渡していたから怪我の方は大丈夫だろう。彼女の気は、あの後学校にちゃんと来ていたし。
あの時見ていたギャラリーも、オレが無事であることから百代さんが見逃したと認識をしたようだった。話を聞いた皆ははじめ青い顔をしたが、事の顛末を重要な部分を除いて説明するとそれもなくなり、無謀だとか幸運だったねとか散々言われただけであった。
そしてその後は周囲に気を遣いながら生活をしている。なのでどの方面からも特段目をつけられることもなく、編入生にはよくあるという歓迎等の催し物以外は、いたって平和かつ普通な日常が続いていた。たまに女子生徒が廊下にたむろしていることもあるが、それも転入生という奇異な存在なためだろう。
以上がここ最近の日常である。オレは教科書などを手際よく仕舞い込み、背中側に手下げ鞄を担いだ。
「おい、孫」
後ろから声が掛かる。振り返ると、背の高いクラスメイトが立っていた。
ついこの間覚えたばかりの名前を思い出しながら口を開く。
「えっと、確か源忠勝くんだったっけ? 何か用?」
「そのナリでくんとか付けんな、気色悪ィ。変に畏まんじゃねぇ。苗字か名前の呼び捨てでいい」
不機嫌そうに彼は言った。そうして、薄い黒塗りの冊子を手渡してきた。
「梅先生からだ。次はお前が日直だとよ。あの先生のは洒落になんねぇからな、くれぐれも忘れねぇようにしとけ。不安ならどっかにメモっとくんだな」
「そうなのか。わざわざありがとう、助かった」
「チッ、勘違いすんじゃねぇ。お前がすっぽかしたら、伝言頼まれたこっちにまで責任がくるだろうが。オレまでとやかく言われたくねぇだけだ」
不機嫌そうに背を向けて去っていく忠勝に苦笑する。彼は何度かこうやって世話を焼いてくれていた。見た目と対応は少し怖さがあるが、根は善人なのだろう。
「あ、孫くん、バイバーイ!」
「孫さん、さよならですー」
「ごはんきゅぅん、またねぇええ!」
帰ろうとするオレにかけられるクラスメイトの声。確か小笠原千花さんに甘粕真与さん、それに羽黒黒子さん、だったかな。彼女だけ少々テンションが高すぎる気がしないでもないが、精一杯の笑顔を浮かべて手を振った。
「あ、あはは。また来週……」
見送られて教室を出ようと歩き出す。クラスメイトから離れたオレは、一人考えに耽っていた。
(……目を覚まして十日ぐらいか。あれからいろいろと情報を集めたけれど、オレの世界との関わりを持つものは見つけられなかった……)
病院で目を覚ましてからというもの、オレは元の世界の情報を得ようとしていた。今は川神院の飛び地にある家に間借りしている状態であるが、そうなる前から時間の許す限り行動を起こしている。
入院中は語学書を片手に病院のネットを利用したし(オレの世界のものと似通っていて驚いたが)、退院してからも一般解放されている図書館の本のうち、関連する本を片っ端から読み漁ったりもした。
だがいまだ有益な情報どころか、その片鱗すらも見当たらない始末だ。平行世界やパラレルワールドといったことに関する本もあるが、それらも仮説の域を出ておらず、役に立つとは言いがたい。
世界を超える術。そんなものなど端からないと考えたほうが普通だ。
(いや……オレがここにいるのなら、戻る方法も知られていないだけできっとあるはずだ。だが、これ以上一人で調べても何も出てこない可能性の方が高い。もっと他の情報源を探さないと……やっぱり協力者を作るべきか……?)
物思いに耽りながら教室を出る。これから夜までは修行をしなくては。時間は無駄にしたくない。
と、胸に小さな衝撃が走った。どうやら誰かとぶつかったらしい。
「っと、すまない、前をよく――」
「うわわ、ご、ごめんなさ……」
小柄な身体。反射的に顔を上げた少女と目が合った。
まだあどけなさが残る相貌。さらりと背中へ流れたポニーテール。そして、大きくて澄んだその瞳。
オレの命の恩人、川神一子がそこにいた。
「「あ……」」
お互いに動きが止まる。なんだか既視感のようなものも感じた。
そういえば、あれ以来彼女とこんなに近くで接したこともなかったな。まぁ、話そうにも周りをブロックされていたし、オレも彼女を少し遠ざけるようにしていたから当然かもしれない。
「え、えっと……」
川神さんがそわそわとしながら口を開く。オレは彼女から意識の何割かを周囲に分散させる。
そうして周りを確認すると、教室の中に一つ、後ろの柱の影に二つ、そして廊下の向こう側に二つ、そして自分の真上、天井から一つ――――覚えのある気が点在しているのが感じられた。こちらを意識している感覚もある。オレの様子を探っているのか、それとも川神さんを護っているのか、その両方か、はたまた違う理由か。
いずれにせよ、友好的とは言いがたい気配だ。妙な素振りを見せればすぐに攻撃してきそうな気配すらある。
そうとわかったら、オレの決断は早かった。彼女から身を離し、距離をおくべく行動を開始する。
いつもの日課のごとく修行をするだけだが、今はそれで十分だ。
「川神さん、すまない。オレは少し用事があるから、今日も一人で「孫くんっ!!」っ!?」
オレの言葉を川神さんが遮った。驚いて立ち去るタイミングを逸してしまう。そして、動きの止まったオレに畳み掛けるように彼女はさらに大きな声を出して言った。
「ちょ、ちょっとだけ付き合ってちょうだい! 一緒に来て欲しいところがあるのっ!」
- Several days ago -
一子が行動を起こすより数日前。川神のとある場所に立つ廃ビルの一角に一子はいた。
ここは風間ファミリーが(無断で)使用している基地で、メンバーのたまり場ともなっている場所だ。各自持ち込んだものが多く点在していて、生活感がバリバリと感じられていた。
金曜日は集会のようなものがあり、なるべく予定をいれずに集まるのが暗黙のルールとなっている。本日も全員が一室に介していた。それぞれ所定の位置に座り、黙ったまま待っている。
しかし、今日はいつもの集まりとは少し趣が違った。まず今日は週の半ばだ。金曜日ではない。金曜以外で全員が集まることはなかなかないのだ。それだけでも珍しいと言える。
加えて、いつも思い思いに好き勝手なことをしているのが常である風間ファミリーの全員が、顔をつきあわせて黙ったままでいるのだ。もし過去のメンバーがこの光景を見たら、恐ろしく異様であることに間違いはないだろう。
「よし、みんな揃ってんな」
少し重い調子の声が響く。その声はバンダナを巻いたファミリーのリーダー、風間翔一のものだった。立ち上がったキャップは見渡すように全員の確認をさらっとすませ、少しだけ目じりに真面目さを滲ませて口を開いた。
「ここに風間ファミリーの緊急特別集会の開催を宣言する!」
堂々と言い切る翔一。その顔を見つめるメンバーは真剣そのものだ。あるものは黙って、あるものは固唾を呑んで見守っている。そして当の翔一はふうと息を吐くと、ドカッと勢いよく定置のソファに腰掛けた。
「つっても、いつもとほとんど同じだけどな。じゃ、あと大和頼むわ」
「いきなり投げすぎだぞ、キャップ」
部屋の中の空気が一気に軽くなる。大和はまぁまぁ、と相槌を打つリーダーにため息をつくと部屋に集う全員を見渡した。キャップの作ってくれたこの雰囲気を損なわないようにしながら本題に移る。
「じゃ、今日の議題だ。みんなも分かってると思うけど――「反対」京、ちょっと黙っててくれ。コホン、今日の議題は――」
一度姐さんと視線を交わし、
「先週転入してきた孫悟飯を風間ファミリーに迎えるか否か。決議をとりたいと思う」
今もっとも懸念すべき案件を提言した。
その場がしんと静まり返る…………などということは微塵もなく、すぐに京が声を上げた。
「私は反対」
強い声。断固として譲らない意志が見えた。
「これ以上メンバーはいらない。それにモモ先輩をあれだけ痛めつけたんだ、絶対に嫌」
「僕も同じだね。謝ったって許すつもりはないし」
京の言葉にモロが意見を同じくして言った。そこには興味や思慮などは一切なく、怒りとも憎しみともとれる暗い感情が表れている。
だが、それも仕方のないことであった。京と卓也は元々が閉鎖的な人間であり、なおかつ他人との関わりを嫌う人間である。幼い頃から一緒にいた彼ら以外に親しい人間は少なく、少し前のクリス、由紀江の加入ですら反対したぐらいなのだ。それが自分の仲間を傷つけた相手となれば、尚更賛成する理由はない。
事実、この二人の悟飯の嫌いようは相当なものであった。大和やクリスなどは悟飯の人となりを見極めようと距離を置いていただけだったが、二人、特に京の態度は気を抜けば殴りかかりそうになるぐらい刺々しいものだったのだ。
もはや交渉の余地はないということだろう。そして、二人に便乗するようにファミリーの筋肉担当も続いた。
「今回は俺様もマジで反対するぜ。新入会員は女子だけで十分だっつの。それに、俺様だってモモ先輩のことを許しちゃいねーんだ」
覇気を滲ませ、はき捨てるように言った。そこには仲間思いの彼らしさが溢れていた。京たちが微笑む中、教室での悟飯の姿を思い出し、ガクトは眉に険を寄せる。
「(おまけに奴はイケメンだしな。クラスの女子たちじゃ飽き足らず、他クラスや違う学年の女子にまでチヤホヤされやがって……くそっ、アイツは男の敵だ!)」
ギリギリと歯軋りをするガクト。背後には凄まじい嫉妬の炎が見えた。
事実、悟飯は気づいていないが、彼は学園の女子達にかなり注目されている。勉学は世界が違えど元々の性格と素養である程度はカバー、体育では抑えていても鍛え上げられた肉体で運動神経抜群の働き、さらに性格は優しく穏やかである上に顔も悪くないとくれば、年頃の少女達が興味を持つのも当然だった。
今は彼が片腕であることと、顔に傷があるなどの理由から遠巻きに眺めて騒ぐ程度だが、悟飯の認識が完全に決まればそれも時間の問題だろう。
すでに一部生徒からはファンクラブ設立の提言が上がっているぐらいなのだ。ガクトに限った話ではなく、一般の男子生徒からしても面白くない話である。とはいえ、その人当たりの良さから男子も理由なく恨む人間は少ないが。
そんな一部男子の嫉妬を体現した彼を、メンバーは半眼になって見つめていた。心だけにとどめておけばカッコよさも保てただろうが、自分で本音を漏らしていることに気づかなければこうなるのも当たり前である。
やはりどんな時でも彼はガクトだった。
「――――自分は賛成だ」
初めての賛成派。反対意見が俄然優勢になった状況で声を上げたのはクリスだった。
「先ほどからみな彼のことを悪し様に言っているが、自分は孫悟飯は悪でないと思う」
断言するクリス。そこには気丈な彼女らしい性格が表れていた。モロと京が睨みつけるが、彼女はそれを気にしながらも言葉を止めない。
「圧倒的な武、勉学に対する真摯な姿勢、クラスの連中とのやり取り……この数日間、あいつを見ていて少しわかった。うまくは言えないが、こう、アイツが何かを企んでいるとか、モモ先輩を挑発して戦うように仕向けた策士だとか、そういった感じはなかったように思う。あの朝のこともまったく話題に上げていないし、逆にそうなることを避けてすらいるように感じるんだ。そう――――ただ
最後のほうは曖昧だったが、とにかく賛成に一票が入る。すると、矢継ぎ早に次が来た。
「わ、私も賛成ですっ。孫さんがどういう人なのか、まだ碌に話もしたことの無い私にはわかりません。でも、武道に対してとても真摯な志を持っていることだけは感じ取れました」
彼女に遅れまいとして口を開いたのは、メンバーの中で最も引っ込み思案な少女、黛由紀江ことまゆっちだった。最近になってようやく自分の意見を出せるようになってきたのは良い傾向である。彼女は両手を落ち着きなく握り直すのを繰り返しながら続けた。
「あの時だって孫さんはモモ先輩を倒しはしましたが、力にかこつけて見下したり
思ったことを述べること、その難しさを誰よりも知る少女の言葉はメンバーに確かに伝わっていた。誰一人口を挟むことなく話は続く。
「(……それに、あんな純粋で綺麗な技を見せる人が悪人だなんて、私にはとても思えません……)」
そうして、あの勝負の時を思い出す。あれに至るまで、いったいどんな過去を経てきたのだろう、と。
「オレも賛成だ! なんたって提案者だからな!」
待ってましたとばかりにキャップが手を上げた。その顔は先ほどの重苦しいものから一転、いつもの爽やかで元気いっぱいなものに戻っていた。さっきの態度も、おそらく雰囲気を出したかったとかそういうノリだったのだろう。
「大和が今はあんまり近づくなっていうから遠巻きにしてたけどよぉ、アイツが悪い奴には見えねえんだよ。仲間に入れても問題ないとオレは思うぜ? それに旅人なんて、冒険家と並ぶ男のロマンじゃねぇか!」
率直な感想&主観的意見である。言葉からも分かると思うが、この案件を最初に持ち出した他ならぬ人物だ。理由は悟飯がいたらもっと面白くなりそうだとの単純なものだったが、とはいえ勢いだけで言っているようで人を見る目はあるから、反対派の二人も無碍にはしまい。
「それに顔に傷跡、モモ先輩を一瞬で治しちまった不思議なアイテム、おまけに片腕の戦士なんてすげえミステリアスで面白そうじゃねえか! アイツ、その気になったら空とか飛べんじゃね?」
「いや、それはムリだろ……」
ガクトが呆れながらテンション高いリーダーにツッコむ。いくらなんでもという顔だ。他のメンバーも流石に苦笑気味であった。
しかし、キャップの勘が本当に凄まじいということをメンバー知るのはもう少し後になる。
「……私は、孫悟飯を引き入れたい」
今まで黙っていた百代が口を開いた。見ると、いつもの場所で胡坐を掻きながら、百代は床の一点を見つめていた。だが、その目はきっと違うモノを捉えているように揺れている。独白するように彼女は続けた。
「追いかける存在ができた。それも途方も無く遠くに……こんな感覚は初めてなんだ。アイツの底が知りたい。あそこまでの強さを持っていて名前すら聞いた事がないというのはおかしいが、だからこそ興味がある。あれだけ手を抜いても私を圧倒できるほどの強さを持つに至った、その経緯もな」
「ぶっ!? て、手を抜いて……? モモ先輩と戦ってたとき、アイツは手加減してたっていうの!?」
モロが口元を抱えてむせる。百代は続けた。
「そうだ。私の感覚が間違っていなければ、アイツはこれっぽちも力を出しちゃいない。最後にヤツが見せたパワーさえ、全力には程遠いものだったはずだ。アイツの強さは状況に応じて変化するから今までの勘は当てにはならんし、そもそも力の規模が大きすぎてほとんど計れん。底が見えないんだよ……まったくな。全力の半分でも引き出せていたんなら上等だが、あの感じでは三割だって出していたか怪しいな」
今度こそ全員が度肝を抜かれた。あれほどの戦いを繰り広げておきながらまだ七割、いやもしかしたらそれ以上の力を隠していたというのか。
「本当にヤツが私を倒すことを目的として戦いを挑んで来たんなら、あんな説教を交えてもったいぶらずとも、最初の一撃で簡単に勝負はついていた。そうしなかったのは、私やお前たちに力の差を認識させ、納得できるようにするためだ……これ以上の争いを避けるためにな。そのためだけにアイツはわざと戦いを引き延ばした。もしも一撃だけだったなら、マグレと誤認した私が再戦を挑む可能性もあっただろうからな」
流石の京も、目を見開いて言葉を失っている。天を仰ぎ見ながら、百代は全員に言い聞かせるようにして言った。
「川神の名を落とすのが目的ならばギャラリーを下がらせる理由はないし、そうであればもっと上手いやり方なんていくらでも思いつく。元より私が全力で放ったかわかみ波を気合で掻き消すようなヤツだぞ? その気になれば一瞬で私を粉々にすることもできたろうに、ケンカを吹っかけてきた相手にあんな不思議な豆まで残していったばかりか、戦っている最中から負けた後の相手のことを一番に考えている始末だ。お人好しにもほどがある」
自嘲気味に零す百代。由紀江以外のメンバーは、冗談を言っているとは思えないその言葉に絶句する。
と、彼女が唐突に遠い目になって言った。
「世界は広い。悔しいが、武道家としての志からしてヤツの方が上だったということさ。無論、私だってそのまま独走させる気はないけどな」
「姐さん…………」
笑みの質が変わる。それは悦びだった。
大和にはそれが良くわかる。持って生まれた才能と力が大きすぎたために、彼女は孤独を感じていた。どんなに相手を倒してもそれは晴れず、最近では彼女と対等に戦える人間はほぼ無いに等しかったからだ。
それが一瞬にして覆った。てっぺんから見下ろすだけだった彼女の前に現れた遥か高みにいる人物――――孫悟飯。
自信も、誇りも、強さも。自分の武の何もかもを圧倒的な差で打ち破ったこの男に、百代は自分の救いを感じていたのかもしれない。
(ホントは俺がなんとかしたかったけどな)
大和はそんな姐の姿に少しばかり寂しさを覚える。だが、彼女が良い方向に向かっていることは間違いない。一つ片の荷が下りた気分だった。
そして、その感謝の意を汲んで言葉にする。
「オレも賛成かな」
「大和ッ!?」
京が信じられない、というふうに叫ぶ。立ち上がった幼馴染に、落ち着くよう手を振って諫めた。
「慌てるな京。もちろん条件付でだ。俺は姐さんの舎弟だぞ? 姉貴分があれだけやられたんだ、当然いい気分はしない」
いったん言葉を切って、部屋を見渡す。反対派の三人をしっかりと見据えた。
今言ったことはすべて本音だ。仮にも子分を名乗っている以上、親分の敗北が喜ぶべきことであろうはずがない。本当なら、どうやって孫悟飯に対抗するかその対策を練っていてもいいぐらいだ。
だが、今回はいつもと状況が違った。どんな場合でも覆らなかった切り札が退けられてしまった。ならば、ここから先は今までと同じようにやっていてはダメなのだ。
「けど……あれだけの力を見せ付けられたら、軍師としては全くのノータッチってわけにもいかないんだ。姐さんを凌ぐ力なんて正直危険すぎる。下手に遠ざけて、何をしてるか分からなくなったらそれこそ厄介だ。なら、見えるところに置いて監視しといたほうが安全だろ? そういう意味では賛成というよりも中立意見に近いけどな」
もしも悟飯の本当の力が周囲に広まってしまえば、それは無用な混乱を呼び込む可能性がある。それに、あれだけの力を持つ相手と無理に敵対しても得られる利は無い。孫悟飯が敵対姿勢を見せないのなら、此方に引き込むまでだ。
「そういうことだから、俺としては次の金曜集会の時までにアイツを引き入れるに値する存在なのか見極めたいのさ。ま、とりあえずは様子見ってことだ」
いつでも戦略を練ることを忘れない彼らしい意見だった。策略を練るものに必要なモノは智謀と度胸、そして柔軟性だ。これを失った軍師は、ただの凡俗へ成り下がる。
どんなときでも風間ファミリーを支えていこうと思っていたからこそ表れた言葉だった。
「さて。最後だぞ、ワン子」
後押しするように視線を飛ばす。最後まで黙っていたファミリーのマスコットがようやく口を開いた。
「わ、私は……」
水を向けられた彼女は握った手を胸に添えたままじっと考える。
彼の顔。彼の声。彼の優しさ。
浮かんでくる悟飯に関することを、自分の中にある思いと絡めて形にしていく。そうして、ゆっくりと顔を上げて言った。
「――――賛成よ。孫くんは無闇に他人を傷つける人じゃない。私が保証するわ。大切なはずの仙豆だってくれたし、あのとき孫くんはお姉さまと私たちに言ってたもの。すまなかった、って。私は孫くんを信じるわ」
迷いの無い瞳で一子は言い放った。そして、すっきりとした笑顔でソファに座る。頭の後ろで手を組んでいたキャップが満足げに頷き、指定位置からぴょんと立ち上がった。
「賛成6、反対3。まぁ大和のは様子見っぽいから中立1としてもいいが……どっちにしても決まりだな!」
嬉しそうに笑うリーダーキャップ。京とモロは明らかに不満そうな様子だったが、小さくため息をついて首を振った。
「…………わかった、みんなの意見だから従うよ。けど、私は簡単には認めないから」
「仕方ない。ならボクも近くから見させてもらうよ、孫悟飯っていう人間をね」
席を立つ二人。そのまま誰とも目を合わせず、部屋から出て行く。まゆっちが後を追おうとするが、ガクトがそれを押しとどめた。
「追うなまゆっち。オレ様だって似たような心境なんだ、そっとしといてやれ」
「は、はい……」
うなだれる由紀江にガクトが仕方ないというふうに構っている。こういうところが年下に好かれる所以なのだろうと大和は思った。下心なしでそれを他の女性にできれば少しは人気が出るかもしれないのに、不憫である。
「よし! そんじゃ決行は次の金曜集会ん時で! 作戦内容は……ワン子、お前に一任する! 頑張れよ!」
「え…………ええええええっ!?」
あまりの驚きに目が飛び出そうなほど驚く一子。だが、キャップはもうすでにそこにはおらず、離れた場所で菓子を頬張っている。横にいた大和はやれやれと肩を竦めながら、ニヤニヤと笑いかけてきた。
思わず涙目になる可愛そうな少女犬。
これがおよそ一週間前の出来事であった。
‐Side out‐
「それで、ここが……」
「そ。あたし達の秘密基地――――まぁ、風間ファミリーの根城ね」
川神さんに連れられて、オレは川神学院からいつも歩かない道のりを経てある場所に来ていた。
見上げるようにして上を向く。そこには比較的大きなビルがどん、と聳え立っていた。建設途中で放り出されたのだろう、所々作業が終わっていない箇所も多々見られる。
「さ、入って」
「あ、ああ……」
恐る恐る入り口へ踏み入る。ここへ来るまでに大体のあらましは川神さんから聞き及んでいたが、いきなり招待すると聞いたときには驚いてしまった。
何しろ成り行き上仕方なかったとはいえ、自分が危害を加えた相手である。向こうの友好的とはとても言えない雰囲気から完全に関係が決まったと思っていたのだが、川神さんはそれは誤解だといった。
それは嘘ではないだろう。だが、すべてが本当というわけではないのは川神さんの雰囲気から分かった。
彼女は虚言を口にするのが驚くほど下手なのだ。それこそ、まだ知り合って間もない自分にさえわかるほどに。
(今まで何もしてこなかったのは、おそらく離れた場所からオレの様子を探っていたんだろう。彼女たちの気が隠れたところから此方を意識してたのも、それで説明がつく。そして方針が決まったから今日になって接触してきた、ってところか。川神さんの雰囲気からして争うつもりはないみたいだが、これ以上は当人たちに聞いてみないとわからないな……)
前を行く川神さんを追いながら一人考えをまとめる。そうこうしているうちに目的の場所に着いたらしい。川神さんが足を止めて此方を振り返った。
「さ、着いたわよ。一名様ご入場ー!」
遠慮も無く部屋へと入っていく川神さん。心の準備に要する時間などさっくり無視されたらしい。ため息をつきながら後に続いた。
「お、おじゃまします……」
「ん? おお、来たか孫悟飯! 待っていたぞ!」
部屋に入ってすぐ反応したのは、金色の髪をした少女だった。見覚えがある、というか確かクラスメイトだったはずだ。名前は確か、クリスティアーネさんといったような気がする。
「お、お帰りなさいませご主人様!」
「へっ?」
と、すぐ横からも声がした。ちょっと聞いたことのない文句に、オレは呆けたように彼女を見る。さらりとした黒髪を首の後ろで二つに分けて流した、こちらも可愛らしい少女だった。
この子もあの朝に河原にいたうちの一人だったはずだ。ずいぶんと強い気を持っていたから印象に残っている。
『まゆっち、それは店が違うぜ。見ろよ~、相手が困惑してるじゃんよ~』
掌に乗っけた馬(?)のマスコットがコトコト動いている……ように見えた。
なんとも不思議な光景だ。意味はちょっと図りかねるが。
「はわわ、そうでした! えっとえっと…………お帰り下さいご主人様!」
『ご主人様から離れようぜぇ。というか追い返してどうするんだよう、テンパりすぎだまゆっち~』
「うぅ、すいません松風……」
思った以上にテンションが高い子だ……というか、あれはなんだろう。気を感じないから、生きているわけではなさそうだ。彼女の口元が僅かながら動いていることから察するに、彼(?)の台詞も彼女が喋っているようだ。なんとも器用な少女である。
ひょっとすると、これが腹話術というやつだろうか。確か、病院のテレビでお笑い芸人なる人たちがやっていたような気がする。いや、完成度からすると比較にならないほど高いが。
一人オタオタしている彼女を見つめているのも忍びないので、オレは周りに目をやった。
『見えるのは』全部で五人だ。さっきの二人と向かい合うソファに座った背の高い少年と違うソファに座るもう一人の少年、そしてここに連れてきた川神さん。
オレは目を数秒閉じてから周りを見渡して口を開いた。
「――――やっぱり君らのメンバーは『九人』か。あの河原にいたので全員だったんだな」
「え? やっぱりって……まだ全員と会ってもいないのに、なんでわかったの?」
首をかしげる川神さんにオレは説明した。
「このビルには、オレ以外に気が九つあるからだよ。部屋で見えている五人、両側の柱の影にそれぞれ一人、扉の外に二人だ。右側の柱にいる一番強い気が百代さんだな」
「すごいわ、そんなことまで分かるのね!」
素直に驚きのリアクションをとる川神さん。他のメンバーはオレを観察するような目をしている。その様子からするとやはり百代さんもある程度は使えるようだ。
オレの言葉に反応したのか、柱の影に隠れていた二人がゆっくりと出てくる。外の二人も同様だ。
二人がつまらなそうに口を尖らせる。
「くそぅ、俺がババーンと登場して驚かせてやろうと思ってたのに!」
「よもやこれほど簡単にバレるとはな……キャップはともかく、私は本気で気配を消していたつもりだったが」
二人の登場に苦笑する。外にいた二人もいつの間にかソファに座っていた。
「気配だけ消しても同じだ。気を隠さなきゃな――――こんなふうに」
『――――っ!?』
今度こそ女性たちが目を見開いて硬直した。少年たちは何が起こっているのかわからずにきょとんとしているが、武道に精通しているためか彼女たちの驚きようは予想以上だった。
「驚いたな……気をコントロールすることができるとは思っていたが、完全に絶つことすらできるとは……」
「い、一瞬で気が消えた。見えているのにいないような……不思議な感覚だぞ」
「まるで存在自体が薄まったみたいです……!」
「すごい! すごいわっ、孫くんっ!」
「………」
驚き、羨望、疑念。様々な色の視線が集まる。
疑念の視線は背後にいる彼女のものだろう。クラスでもここでも性質は変わっていない。いや、余計にとげとげしさが増しているような気がする。近くにいる少年のも然りだ。
あまり前置きを長くするのはよくない。切り出すのはこのへんだろう。
「…………それで?」
「うん?」
いま論ずべきは世間話ではない。この二人とは距離を考えて接していかなきゃと思う傍ら、オレは正面に座る少年、直江大和に疑問を提示した。
「単刀直入で悪いが一つ聞かせてくれ。何で――」
「――何で自分をここへ連れてきたのか、ってことだろ?」
答えは違うところから返ってくる。それは先ほど百代さんと共に柱に隠れていた、バンダナを巻いた威勢のいい少年からであった。
たしか彼は風間翔一。名前からも分かるが、この風間ファミリーのリーダーだと言っていた。
学院の生徒たちから、特に女子からの人気が高いらしく、小笠原さん辺りからはエレガンテ・クアットロの一人だとか言われていた。いわく、とてもカッコよくて人気のある四人の男の子の一人だとか。
実際に会ってみるとなるほどと頷ける好青年である。女子だけでなく 男子にも彼を好くものが多いのにも納得だ。
だが、実は自分自身もそれに準ずるぐらいに注目されていることを悟飯は知らない。
「前置きとかは苦手だから率直に言うぜ。孫、お前、風間ファミリーに入れ!」
「………………へ?」
思わず目が点になった。予想の遥か上を行く事態に、思わずフリーズする。
翔一が眉を寄せながら首をかしげた。
「ん? なんだよ、ぼうっとしちまって! 聞こえなかったなら、もう一度言うからな。お前を風間ファミリーに……俺たちの仲間に迎えたいんだ。あ、だからって特別なことは何もないぜ? 規則とか金が必要とかはないしな。ただ、金曜日には出来るだけここに集まって欲しいってだけで―――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
慌てて遮る。オレはかなり混乱していた。
風間ファミリーに入れ?
オレが?
状況が飲み込めない。あまりにも唐突過ぎる話にオレはたまらず声を上げた。
「何でそんな急に……それにどうしてオレなんかを仲間に入れたがる? それにオレは君らの仲間を……川神百代さんを一方的に傷つけたんだぞ? そんな相手を仲間に入れる理由は――」
「それは違うぞ、孫。あれはただの試合だ。飛び入り的なものだったとはいえ、内容は誰もが認める正式なものだった。ぶちのめされたのは私が未熟だっただけだ。お前に非は無いさ」
百代さんが庇うように言った。倒した相手にフォローされたことにも驚いたが、だからと言ってはいそうですかと引ける話でもない。オレは周囲へと視線を彷徨わせた。
「だ、だからって……」
「それ以上はなしだ。お前は私を壊さないように手加減し、武道家の在り方を説き、最後には対戦相手の身体を気遣ってあの不思議な豆までくれた。他がどうあろうと、私はそれに感謝している。それにここまで借りを作りっぱなしなんだ、これから返していく相手がいてくれんと私が困る」
「う……」
有無を言わさない百代さんの言葉にオレは頬を掻いた。見渡しながら何とか言葉を続ける。
「だ、だけど、納得してない人だっているだろう? その人たちの意見も聞かないと……」
「むぅ、そう来たか…………だったらテストすっか?」
「キャップ?」
鸚鵡返しに大和が口を開く。自慢のバンダナに手を置きながら翔一はニカッと笑った。
「俺が今から一つだけ質問をする。それに対していい回答が出来たら合格、孫を仲間にしよう! 当たり前だが、手心は一切加えないから気合入れて掛かれよ! くーっ、なんだか入団試験っぽくて燃えるぜ!」
「はぁ…………ま、それぐらいならいいか」
大和がため息を零すが、試しておこうということには賛成のようだ。翔一はどうしよっかな~などと言いながら、悩んでいる。そうしてしばらく腕組をしながら唸った後、少しだけ真剣な目をして悟飯を見た。
「じゃあ問うぜ。孫、お前ここを……この場所をどう思う? 自分が感じた率直な感想でいい、言ってみてくれ」
言われてオレは周りを見る。視線が此方に集中しているのがわかった。
無視を決め込んでいた二人も、意識だけは向いているのがわかる。オレはは静かに目を閉じて、十秒間ほど思考の海に自分を沈めた。そして目をあけるのと同じくして、ゆっくりと口を開く。
「オレはまだここに来たばかりだ。君らがここで何を経験したのかは分かるはずもないし、その経緯だって知らない。けれど、ひとつだけ挙げるなら――」
もう一度部屋を見渡し、思うままに言った。
「――――君達にとっての大切な場所……拠り所なんじゃないか?」
「「!」」
「ほう……?」
百代さんが面白い、というふうに口元を吊り上げる。オレに対して剣呑な視線を向け続けていた二人にも驚愕の念が混じっていた。
「何でそう思うんだ? ここがただの集まりの場で、場所はどこでもいいのかもしれないぜ? いくつか場所があって、今日はたまたまここにいるだけかもしれないじゃんか」
「いや、それはない」
翔一が別の可能性を提言するが、悟飯はその言葉をきっぱりと否定する。そこには推測を超えた確信が宿っていた。
「見ていればわかる。外での君たちとここでの君たち…………二つを比べればすぐに気付くさ。君らがこの場所に安心を……安らぎを感じているってことが。それに、ここの空気はあたたかい。温度的なことじゃなくて、本当に温かいんだ。それぐらい、この場所には大切な思いが込められている……オレはそう思う。それに――」
言葉を切って川神さん……一子さんを見る。答えは分かっていた。彼女がオレをここに連れてきた理由……それはオレが今感じているものと、きっと同じなのだろうと信じて。
「――――君達のここでの雰囲気……それと同じものを知ってるからな。オレの場合は場所じゃなくて、人を中心にしたものだったけれど」
言って、オレは口を閉じた。言いたいことはこれですべてだ。後は彼らに任せるしかない。
一瞬の沈黙。しかし、次の瞬間には大きく手を打つ音が聞こえた。
「合格だ! 文句なしの満点解答だぜ!」
キャップが満面の笑顔を見せながら言った。一子と由紀江も嬉しそうな顔をしており、百代は相変わらず不敵そうに笑う。クリスも満足そうに頷いたが、大和に何かを耳打ちされて真っ赤になって怒っていた。
「あんな顔で言われちゃあね……一応、仕方なくではあるけど、認めざるを得ないか」
「しょーもない……」
モロと京、残されていた二人がゆっくりとため息を吐いた。そこに今までのような険は薄れている。信頼と呼べるにはまだ遥か遠いものの、どうやら敵対意識だけは取り除くことが出来たようだ。
そこで百代さんがオレに近づいてきて言った。
「ところで孫。さっきの口ぶりからするにお前にも仲間がいるようだが、そいつらはどこにいるんだ? お前ほどの実力者の仲間なら、きっと凄まじい使い手だと推測する。武道家としても風間ファミリーのメンバーとしても、ぜひ会ってみたい」
「アタシもアタシも!」
「あ、ずるいぞぅ! 俺も会う!」
「確かに、興味はあるな」
「ふむ、自分も会ってみたいぞ」
「ど、どこにいらっしゃるんですか?」
「その中にいい女がいるなら、オレ様に紹介しろ!」
「ガクトはいつもそれだよね」
「ホント、しょーもない」
百代を皮切りにして詰め寄ってくるみんな。オレは飛びついてくる川神さんと翔一をいなしながら考えていた。
オレの仲間……ピッコロさん、べジータさん、クリリンさん、天津飯さん、ヤムチャさん、餃子さん……みんなかけがえのない仲間だった。
どんな絶望が訪れても、どれだけ希望が失われかけても、みんなでそれを乗り越えてきた。『あの人』と一緒に。
それはいつまでも消えることのない、オレの大切な思い出。彼らが大切な仲間であることも決して変わることは無い。
たとえ、みんなとは
「…………すまない。オレはずっと前に家を出たから、それ以来仲間とは別れたままなんだ。今どこにいるとかはオレにも……」
上手く隠せているかはわからなかったが、自分なりに精一杯普通を装って言った。この世界に意味もなくあの記憶を持ち込むことは絶対にダメだ。知ったところでどうしようもないし、彼らにまで要らぬものを背負わせてしまう。あんな地獄を知るのは、オレ一人で十分すぎるのだから。
「そうか、残念だな……」
苦笑しながら言うオレに百代さんは肩を竦める。すると、その横にいた一子さんがひょいと顔を出した。
「……でも、また会えるといいわね! 昔の仲間に! 大丈夫よ。こんなに強い孫くんの仲間なら、きっと今でも元気でいるわ!」
「ああ…………ありがとう、川神さん」
いつくしみの心がストレートに伝わってくる。オレの体はそれに応えるように自然と手が伸び、その頭をゆっくり撫でていた。
「ふぇっ!? そ、そそそ孫くん!?」
川神さんが驚いたような声を上げるが、気にせず撫で続ける。
本当に優しい子だ。やはり彼女にはこのままでいて欲しいと願う。
だからこそ、真実を告げるわけにはいかない。それが、彼女の願いとは違うことだとしても。
「ふにゃぁあ……」
「おおっ、ワン子が完全にとろけている……」
「かなりの撫でテクだな」
「…………は!? ご、ごめん川神さんっ、つい……」
慌てて手を離す。昔仲の良かったハイヤードラゴンを撫でる要領でやってしまった。流れでしてしまうとは、本当に彼女の動物属性には恐れ入る。前世が犬系と言われれば失礼だが納得してしまいそうだった。
「き、気にしないでっ! いつもみんなにやられてることだし!」
川神さんは一瞬だけ寂しそうな表情をした気がするも、すぐに慌てたようにいつもの顔に戻った。恥ずかしかったのだろうか、僅かに頬を赤く染めている。島津などにそれをネタにされたのか、お互いにド突きあっていた。
オレは少し離れて、じゃれあう彼らを眺める。
「……仲間、か…………」
オレはかつての仲間たちに思いを馳せた。最後に言葉を交わしたのは、もう十年以上前の出来事だ。
だが、今でも鮮明に思い出せる。希望に満ち溢れていたあの頃のことを。
楽しかった日々。
厳しくも優しかった生涯の師匠。
いつも温かく見守ってくれたクリリンさんたち。
誰よりも強く、誰よりも遠い目標だったあの人の背中。
どれだけ時が経とうとも、どれほどの絶望にまみれようとも、一つとして色褪せることはない。
今となっては数少なくなった、オレの幸福な記憶。これだけは、『ヤツら』にも壊せないモノだから。
「……――――」
「孫……?」
隣にいた直江大和の瞳が不意に此方をとらえる。そして彼が口を開きかけた時、それをさえぎるようにしてキャップこと風間翔一がオレの前に立った。
「とにかく仲間に入れ! これからいっしょにやろうぜ、悟飯!!」
満面の笑みを以って伸ばされる掌。こちらを見据える瞳を見返し、俺は改めて考えた。
自分が彼らの仲間に入る資格なんてない。この身が抱え込んでいるのものは平和なこの世界とはかけ離れた、途方も無く危ういものである。それにオレ自身が異質であるのだ。生まれ、力、存在、すべてにおいて。
それは彼らには関係のないこと。ならば、ここで彼らを突き放すことがオレの取るべき道ではないのだろうか。
簡単なことだ。嫌だ、無理だ、入れない、そのつもりはない。
そう一言口にすればこの話は終わる。そして同時に彼らとの関係もこれっきりになるだろう。
それでいい。元より自分の世界には関わらせないと決めたはずだ。たとえ危険がないとしても、あんな悲惨な記憶など知らないほうがいいのだ。
これでいいはず。これ以外に選択肢は無い。そのはずなのに、オレはその言葉を紡げなかった。
(まさか、求めているのか……オレが……?)
困惑した視線をずらして川神さんを見る。不安げな表情だった。だが、僅かな期待が入り混じってもいる。目を閉じても、その顔は瞼から離れようとしない。
一言、一言拒否を告げるだけだぞ。簡単なことだ。彼女は悲しむかもしれないが、巻き込むよりはいい。
だが、言葉が出てこない。オレは唇を噛み締めた。
(父さん……あなたなら……)
いつでも自分の憧れだったその姿を思い出す。
誰よりも強く、誰よりも優しく、そして誰よりも偉大だった父。父さんなら、あるいはどうするだろうか。
『父ちゃんが絶対助けてやるからな!』
『後はオラにまかせろ』
『頑張ったな、悟飯』
いつだって遠かった背中。強くて、明るくて、少しドジで。
どんな時だって、いつもみんなを助けてくれたあの人なら。
『あんま考えすぎんじゃねぇ悟飯。おめぇのやりてぇようにやってみろ。それに何かあっても、おめぇがちゃんと助けてやりゃあいいじゃねぇか。大丈夫さ、おめぇならできる。なんたってオラの息子なんだからな!』
ふと、そんな声が聞こえた気がした。
きっとこれはオレのわがままだ。自分にとって都合のいい妄想でしかないのかもしれない。だがそれでも、
(……そう言っただろうな)
ふぅと息を吐いて、身体から緊張を解き放つ。いつの間にか、重苦しい気持ちは薄くなっていた。
護りたいなのなら強くなればいい。絶対に負けないように修行すればいい。
あの人はいつもそう言い、そして言葉の通りに生きていた。素直に、正直に、誠実に。オレもそんなふうに生きれたら、どんなに幸せだろうか。
だが、そう考えたくても、オレはすでに多くを背負いすぎてしまっていた。その気持ちと同じぐらい譲れないものだってある。
それはどんな絶望でもオレを支えてきた信念だ。簡単に曲げることなどできない。
ならばどうすればいい。どうしたらいい。
いまだ掲げられた手を見つめた。何の屈託もない笑顔で向けられるその手。
どれぐらい考えただろうか。ゆっくりと目を見開いて全員を見つめる。
その中でオレは、
「――――すまない」
自分への救いを否定した。翔一はぽかんとした表情をしていたが、すぐさま顔を膨れさせて抗議する。
「ええ~!? 何でだよ!? 何であの雰囲気で断るんだ! 絶対OKの流れだったじゃんか! まだ何かあるのかよぅ!?」
地団駄を踏む翔一。それを取り囲むみんなからは様々な感情の流れが見て取れる。
オレは川神さんの方を見ないようにして理由を話し始めた。
「さっきも言ったようにオレはまだここに来て日が浅い。当然君達のこともわからない。だから、いきなり仲間になれと言われても正直戸惑ってしまっているんだ」
「なんだ、そんなことか。それなら、ここにいてわかるようになればいいだろう? そりゃ、最初は戸惑うだろうが、初めから仲のいい人間なんているか?」
「そ、そうですよ! 私やクリスさんだってそうやって仲良くなったんですし!」
百代さんが眉を寄せながら、黛さんが慌てたように反論してくる。オレはその心中を推し量りながら言葉を続けた。
「そうかもしれない。だが、オレがいまの君達との距離感を掴みかねているように、いまの君達もオレをどう見たらいいのかわからないでいるだろう? それに君らがオレを誘っているというのも、そのままに受け止めているわけじゃない。いろいろと考えはあるだろうが、今は強いということ、あるいはオレの強さがもたらす利点が大きいことが一番の理由を占めているように思う。違うか?」
「う……まぁ、それは確かに、ある……よなぁ……」
島津がばつが悪そうに頭を掻く。女性陣から殺気が飛んできたのを、師岡の後ろに隠れてやり過ごしていた。
「それに仲間っていうのはそういうものじゃないだろう? 確かにはじめから仲のいい人間なんていないが、だからって仲間になりましょうっていうものでもないはずだ。この風間ファミリーは違うのか?」
「かなり当たっているだけに反論しづらいよね……」
師岡が苦笑しながらつぶやく。そこには険の色はなく、ただ単に事実を事実だと受け止めているだけだった。オレは席を立って、入り口に寄りみんなに背を向ける。
「決して君達を嫌っているというわけじゃない。けど君達に独自の考え方があるように、オレにもオレの……事情がある。だから、今回は無理だ」
「そ、そんな……」
川神さんが泣きそうな表情になる。いや、もう半分泣いていた。
心が痛みに痛む。思えばずいぶんと懐かれたものだ。
はじめはただの怪我人と恩人だった。それが勝負を経て半ば強引に教えを受ける側と授ける側に変わり、そして今に至る。たった十日程度でよくここまで変化したものだ。
悲しい顔をさせたいはずなどない。背を向けたまま、強く唇を噛み締める。
「……孫、一つだけ聞くぞ」
扉に手を掛けようとした時、背中から直江の声がかかる。いつになく真剣な声だった。動きを止めてそのまま佇んでいると、彼はオレの背中に向かって口を開いた。
「『今回は』ってことは、これからは未定なんだな?」
どこか確信を得ているような声色。口元を吊り上げている様子が目に浮かぶような、強い自信に溢れた言葉だった。
その言葉に誰かがはっと息を呑む音が聞こえる。オレは軽く息を吐いてから、答えとなる言葉を紡ぎ始めた。
「……今後オレと君達との関わりが続くなら、お互いを知る機会はきっとある。そうなれば、その中で互いのいいところ、悪いところ、それらが今よりはっきりと見えてくるだろう。ある時には助け、またある時には助けられ、そしてまたある時には、意見が違ってぶつかることもあるかもしれない」
そうだ。『オレ達』はいつもそうやってきた。
はじめは恐怖しかなかったピッコロさんも、出会った時は地球にとって恐ろしい敵だったべジータさんも、父の親友だったクリリンさんや仲間であるヤムチャさん、天津飯さん達でさえ、はじめは父のことを嫌っていたり敵だったりしたことをいつか語っていた。
だが、一心不乱に打ち込んだ修行の日々、力と力をぶつけ合った死闘、絶体絶命の戦いにおいていつしか団結するようになった。はじめは利害の一致でしかなかった関係が、背中を預けられるような間柄にまでなっていたのだから。
それは世界が違うといっても変わらないはずだ。
「けどそれでいい。偽りない気持ちで本音を語ったり、お互い本気でぶつかることができる人がいるってのはすごく幸せなことだ。それは簡単にできるものじゃないし、簡単にできちゃいけないものだと思う。少なくともオレはそうだったし、それは君たちも同じはずだ」
問い返す声はない。みな真剣に此方に耳を傾けている気配がありありと分かった。それだけで答えは出たようなものだったが、これ以上は踏み込めなかった。
「だから、いまは距離を置く。けれど、それは永遠のものってわけじゃない。いま見えている側面だけで選択したくは無いし、君達にもそうやって決めて欲しいから」
これはただの先延ばしだ。信念を曲げまいとする自分と未練がましい自分が相容れず、だがそれでもどちらを否定することもなく出した答え。
現状維持。手放せず、断ち切れない気持ちがない交ぜとなった逃げだ。
どちらか一方と認めてしまうのはまだ早い。どちらもオレであり、どちらが欠けてもオレではなくなる。だから、オレが何をなすべきなのか、何をなしたいのかを考えたい。
そのための時間が欲しかった。
「君達とオレが互いを知り、その時、二つの気持ちがまだ変わらずにいたのなら――――」
振り向いて部屋を見渡す。全員の視線が此方を捉えていた。あのショートの少女すらも、此方を見据えている。
オレはふっと力を抜いた。その時は少しだけ笑っていたかもしれない。
「――――その時は、改めて誘う必要はないさ」
ドアノブを捻って扉を開く。そうしてオレは今度こそ部屋から出て行った。
風間ファミリー。
仲間を失ったオレにはとても魅力的な集団に見えた。正直、手を取りたくなかったと言えば嘘になる。
だが、まだできない。オレはまだ自らの果たすべきことを成していないのだから。
万が一にも彼らに危害を及ばせたくはないし、オレの世界のことはオレ自身の手でカタをつけたい。
そのためにも――――、
「強く、ならなきゃな……まずは修行のし直しだ」
拳を握り締めて決意を新たにする。
そのまま階段を下っていった。
ほんの僅かの名残惜しさを胸に秘めて。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ハァ、勧誘失敗か……やっぱり一筋縄じゃいかなかったな」
大和の声が沈黙の満ちた部屋の中に響き渡る。言葉だけを見れば残念そうではあるが、その表情に憂いは無い。むしろ、彼の『言質をとれた』ことが大きな収穫だったようだ。それを裏付けるように、百代が頷く。
「奴の胸の内を察するに、『仲間にはなりたいが今はまだその時じゃなく、仲間になるのはこれから先の私たちとアイツ次第。それは仲間っていうのは作るものじゃなく、自然になるものと思っているから』ってとこだろう。まったく、頑固な上に無駄に回りくどい言い方をして、どこかの弟分のような奴だ」
「まぁ、孫はかなり頭が回るみたいだからね。そのぶん自分の考えもしっかりしてるみたいだし、揺るがない感じが武道家らしいよ。気遣いもかなりのもんだし、何事にも真面目で気移りしない辺りは姐さんとは違うかも――――ぐぇぇ!?」
「ほ~う? 誰が知能指数も低くて、女漁りの色情魔だって~?」
「そ、そこまで言ってな――ぎゃああ!? ギブギブ!!」
こめかみに青筋を浮かべた姉とヘッドロックをかまされる弟分。いつものごとき光景に戻ったことで、メンバーは苦笑しながらも身体の力を抜いた。
とはいえ、先ほどの空気が完全に流れたわけでもない。クリスは難しい顔をしながら腕を組んでいた。
「むぅ……まさか拒否するとは。入りたいのならそうすればいいと自分は思うが、アイツの中ではそこまで簡単な話ではなかったのだな」
「孫さんは私達よりも多くの経験をしてきていそうですから。仲間に対しても何か強い思い入れがあるんでしょうね、きっと」
『おー、オラも一緒にやれたら楽しそうだと思ったんだけどな~。ま、今後はまだわかんねぇから、それに期待しつつ精進だぜまゆっち! でもまずはファミリー以外で友達作ろうな~』
「はい松風!! でも、道のりは遠いですねうぅ」
ガッツポーズを決めながら気合を入れなおし、なおかつ涙目で落ち込むという器用な真似をする由紀江。この一人と一匹(?)には、悟飯の言葉に何か感じ入るものでもあったのだろう。また、翔一に至っては先ほどよりも笑みを強くしていた。
「へへ、悟飯の奴、上手く切り抜けたつもりだろうが、さっきのでますます気に入っちまった! オレは諦めないぜ! 絶対仲間に入れてやるからな~!! そうと決まったら早速勧誘だ! 風のごとく、ってな!」
「だからこれから先なら入るかもって……それに勧誘はさっき断られたばっか……って、早っ!! もう行っちゃったよ……」
脱兎のごとしスピードで消えた翔一に乾いた笑いを零すモロ。京もため息をつく。
「あーあ、キャップの好奇心とか諸々に火をつけちゃったみたいだね。南無南無」
「しばらくしたら戻ってくるだろ。ついでにメシ頼んどこうぜ」
いつものごとくマイペースな二人。だが、そこに悟飯への嫌悪感はなかった。ある程度の警戒は続けるだろうが、敵意を持つまでではなくなっている。
悟飯と接して少しだけ変わったメンバーを見ながら、一子は彼の去っていった扉の方を向いた。
【オレにもオレの……事情がある】
そう言った彼の横顔を思い出す。今日一日でも彼のいろいろな表情や感情を垣間見ることができた。
だが、そのなかで一瞬だけ彼が見せた一つの顔が私の心に引っかかっていた。
自分の事情。
彼がその言葉を発したあの時、その瞳には彼と初めて会った時と同じ表情が見えていた。まるで置いていかれた子供のような……何かを堪えるような、そんな憂いを帯びていたようなそんな気がしたのだ。
それに、私はなぜか懐かしい気持ちになる。少しだけ懐かしくて、どこか切ないその気持ち。
それが何に起因するのかはわからない。胸に少しだけちくんとした痛みが走った理由もわからない。だが、私はコレを知っているような気がした。
今はまだ、それは形を成さずに不定のまま心の隅に漂っているだけ。だが、それが明確な形を取るのはそう遠くない、それは私の中である種の確信になっている。私と孫くん。程度は違うだろうが、両方の心に等しくあるもの。
だが、私はそれを言葉にはしない。それは彼の一部ではあるが、彼のすべてではないからだ。
すべてをひっくるめて彼、孫悟飯はそこにいる。
私がいま『川神一子』であるように。
「(いつか、話してくれるよね…………孫くん……)」
語らない彼の背中を思い描きながら、私は静かに願う。
他ならぬ孫悟飯が持つ、まだ見ぬ側面を知るときが来るようにと。
彼が自分に対し、本当の意味で心を開いてくれるときを。
今はただ、それだけを願う。そうしたまま、私はしばらくその場に佇んでいた。
第五話でした。
以前に感想欄で
「いきなり風間ファミリーに入るのはありきたりですよね」
とコメントを貰っていながらこういうストーリーとなってしまいました。
本当に申し訳ないです。これしか流れ的にいい感じにならなかったので・・・・
悟飯は仲間を求めているんじゃないかな~と推察してこうなりました。
自分が仲間と呼んでいた彼らはもう13年前には全員殺されてしまいましたし、トランクスは仲間ではありますが、それ以上に弟子でしたので。
さて、ここからは業務連絡です。
第五話を投稿致しましたが、ここから先二週間ほど、正確に言えば23日まで私は行事が立て込んでおりまして、小説の執筆が出来そうにありません。なので、少し六話は遅れることになりそうです。
明日なんて三時起きせねばなりませんし(泣)。
なので、これからその準備をしていきます。そのようなことですので、感想を返すのも遅れるかもしれませんがご了承下さい。遅れても返信は致しますので。
長くなってしまいましたが、今回はこれで以上になります。
それではまた次回にてお会いできることを。
‐追伸‐
修正完了いたしました。
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【マジ恋Z 戦闘力表】 <第5話時点>
今回はお話ではなく、みなさん待ち望んでいらっしゃった戦闘力の目安になります。
あくまでも、これは私の小説のみの設定ですので、そのあたりを誤解されませんようお願いいたします。
また、「こんなん違うやい!」という方もいらっしゃるかと思いますが、それは各々の尺度ですので、自分の尺度をイメージ化して頭に入れたうえで読んで下さればいいかと思います。
なので、「これおかしいでしょ」等の批判のみのコメントや、「私は戦闘力はこうだと思うから、このように変えてくれない?」などの感想をいただきましても、返答は致しかねますのでご了承下さい。
【孫悟飯】[ 戦闘力:500万 → 超サイヤ人:2億5000万 ]
物語の主人公。人造人間によって破壊し尽くされてしまった未来から飛ばされてきた超戦士。一度ほぼ完全に死に掛けた影響で、本来ならば超化前にしか働かないはずの回復パワーアップの恩恵を受けて戦闘力が高まっている(元は360万:超サイヤ人で1億8000万)。だが、それでも未来の人造人間17号(4億)と18号(3億)には及ばない。
【川神百代】[ 戦闘力:670 → 気の集中:1340 ]
川神で最強の名を背負う若き武神。この世界では群を抜いて凄まじい力の持ち主だが、それゆえに孤独を感じており、自分を遥かに凌ぐ実力を持つ悟飯との出会いは彼女にとって人生最大の衝撃であった。技の発動時には気が集中するため戦闘力(スカウター数値)が高まる。しかし元から高かった天性のスペックのために自分自身のパワーをもてあましており、瞬間回復による弊害で細かい技能が粗雑であることや性格から力押しする傾向があること、また当初は戦闘力を完全にコントロールできないなど、気の扱いや純粋な格闘力はZ戦士らのそれと比べれば未熟と言わざるを得ない。
【川神一子】[ 戦闘力:67 ]
川神院に引き取られた少女で百代の義妹。旧姓は岡本一子。武器は薙刀。
武術の素養がそれほどでなかったために原作では不遇の扱いを受けることが多かったが、今作では悟飯に師事する。その結果のほどは……?
【椎名京】[ 戦闘力:72 ]
風間ファミリーの狙撃手にして自称大和の嫁。弓の使い手であり、矢に気を込めることで飛距離や威力を強化できる。その威力は最大パワーにおいて数発で鋼鉄の盾すら貫くほど。肉弾での戦闘力もかなり高い。とはいえ気弾を生成するにはまだまだ修行不足。
【クリスティアーネ・フリードリヒ】[ 戦闘力:75 ]
ドイツからの留学生で愛称はクリス。意地っ張りで負けず嫌い、空気を読めないなどの点により、大和からからかわれることも多い。現時点での純粋な戦闘力は風間ファミリー2年の中では最強。搦め手には弱い。
【黛由紀江】[ 戦闘力:240 → 気を最大集中:???(一撃だけ・一時間の全開強化) ]
風間ファミリー唯一の一年生。武器は日本刀で、百代を除けば随一の実力を持っている。しかし、争いを好まない性格からかそのことを知る者は僅かで、本人も全力で戦うことは稀である。
【風間翔一】[ 戦闘力:35 → 65(スピードのみ)]
【島津岳人】[ 戦闘力:37 → 110(パワー・耐久力のみ) ]
【師岡卓也】[ 戦闘力:4 ]
【直江大和】[ 戦闘力:5 → 回避:50(パワーは変わらず) ]
【源忠勝】[ 戦闘力:38 ]
【小島梅子】[ 戦闘力:80 (気のみであり、実際の強さは異なる)]
【川神鉄心】[ 戦闘力:400 → 古の神々顕現:1150]
【ルー師範代】[ 戦闘力:250 → 酔拳:300(技能↑↑)
さて、あとがきです。
今回はあとがきではなくて連絡なのですが、第五話において、悟飯が風間ファミリーを果たした際に「はやすぎる」等のコメントを多数いただきました。
詳細は活動報告のほうに書きましたが、そんな理由で第五話の後半を修正してあります。
これは皆様から言われたことも多少はありますが、私自身がこれらの感想を読む前に「早すぎたかなぁ」と何度も考えていたためにこうなりました。
なので、例外として第五話のオチを改変するということになってしまいましたが、コレ以降はなるべくしないように心がけていくつもりです。
なので今回は例外中の例外でしたが、今後「こうしてくれ」「ああしてくれ」という要望には答えられませんのでご了承下さい。
それではまた第六話にて!
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第6話 Sクラスと孫悟飯
前置きはなしでどうぞー!
「和平交渉をしにいくのです!」
唐突に我がクラスの委員長、甘粕真与が声を上げた。歳の割には小さいその身体を目一杯に張り、大きく見せている……つもりらしい。
「わ、和平?」
目の前でポーズを決めていた委員長に恐る恐る声をかける。もう一度言うが、本当に唐突な話だった。なので状況どころか意味すらも分からない。
オレの
「あ、そっか。孫さんは転入したてだから、分からないんですよね。私としたことがうっかりしてました。じゃあ、クラスの頼れるおねーさんたる私がバッチリ説明してあげちゃいます」
得意そうに胸を張るその姿に、クラスの温かい視線が集まる。オレも自然に表情を綻ばせていた。妹ができたらこんな感じなんだろうな、とか思いつつ。
そんな空気には気づかない様子で、彼女は得意げにむふーっと息を吐くと事のあらましを説明してくれた。
曰く、Sクラスは各学年の中で学業の成績優秀者だけが入ることを許される特別なクラスである。
曰く、成績が落ちればすぐに入れ替えが起こる。競争意識は非常に高い。
曰く、スポーツなどの実技も優秀な文武両道クラス。
曰く、エリート意識の強さからFクラスとの関係は最悪――などなど、おおまかな概要と関係を話してくれた。委員長の言葉を補助するように、他のクラスメイトも口々に言う。その大半がFクラスに対する不満だった。
(なるほど。要するに、エリートを鼻にかけて自分達の優秀さを誇り、逆にFクラスとかを見下すから仲が悪いってことだな。話を聞くに、地球に来た時のべジータさんみたいな人たちで構成された集団……って感じか)
なんとなくイメージはできた。そこで横にいた大和が顔を寄せてくる。
「(そいつらと和平……まぁ、無益な争いはやめましょうって言いに行くんだよ。今回も今までと変わらず上辺と形だけだろうが、やらないよりいいって委員長がな。だから孫、お前も一緒に来てくれ。転入の顔見せとオレや委員長のボディガードを兼ねてな。それぐらいならいいだろ?)」
「(わかった)」
大和の言葉に首肯して席を立つ。風間ファミリーの勧誘を蹴ってから数日経つが、彼らはことあるごとにオレに接してこようとしてきていた。リーダーの翔一など毎日突撃してくるから、ちょっと困りものだ。
大和もこうやって積極的に関わりを持とうとしてくる。彼もお互いの橋渡しとなるように努力しているのだろう。オレも聞かれたとき答えられることは答えているから、お互いに話すことも多くなっていた。
彼はファミリーの頭脳的なポジションであるらしい。リーダーである翔一やバトル担当の百代さんも彼の意見には一目置いているようだし、ファミリーがある種の団体である以上、彼の存在は不可欠なのだろう。
話を戻そう。ここまでの話からわかったが、両クラスの中の悪さは相当なものであるようだ。エリート意識の強い者とそうでない者との溝は、どこの世界でも根深いものであるらしい。委員長が尽力しているようではあるが、ここまでの
それでも諦めないのは、やはり彼女の優しい心ゆえだと思う。その結果がどうあろうと、その頑張りだけは応援したいと思った。
そんなことをしているうちにSクラスの扉の前に来た。隣のクラスだから当然の早さだが、距離が近くて仲も悪いのでは居心地が悪い。仲良くできればそれにこしたことはないのであるが。
「じゃ、行くぞ」
声と同時に大和がSクラスへ踏み込む。同時に複数の視線がオレ達へと向けられた。
少しだけ意識を強くし、視線に宿った感情をそれとなく読み取ってみる。だがそんなことをしなくとも、クラスに満ちた空気ですぐにわかってしまった。
侮蔑。嘲笑。驕り。侮り。
見受けられた感情に友好的なものはほとんどない。ただクラスに入っただけでこの有様だ。今まで仲良くできなかったという理由にも頷ける。
と、視線の多くが自分に向けられていることに気づいた。小さいながら聞こえてくる声に耳を澄ませる。
「(おい、アイツが例の……)」
「(ええ。下等のFクラスに入ったっていう……)」
「(あら、けっこうなイケメンじゃない)」
「(顔の傷もワイルドでいいかも。目つきが少し鋭すぎるけど)」
「(うっわ、ホントに片腕だぜ……気味悪ぃな)」
「(かわいそ。下民とはいえ一生あのままなんて……同情するよ、くっくっく)」
どうやら自分に関するヒソヒソ話だった。とはいえ、あからさまに聞こえる声で喋っている人もいる。
と、その中からひときわ大きな声が近づいてきた。
「ほほほ、山猿どもがまたノコノコとやってきおった」
声のするほうを振り向く。
そこには、見慣れない服を身に纏った少女が一人佇んでいた。確か、あれは着物、とかいう服だったはずだ。この日本で古来より伝わる伝統的な衣装だと読んだ本に書いてあった気がする。
そんな伝統を重んじる服装をした少女は、口元を長い裾で隠したまま、クスクスとこちらに冷笑を飛ばしていた。
そのまま着物の裾を大げさに振り、扇子で再び口元を隠す。
「おお臭い臭い。相変わらず下賎な臭いのする奴らじゃ。貴様らのような下々の人間なぞ本来ならば出入りすら許されんのじゃが、今回は特別に許可をしてやらなくもない。さあ、額を地に擦り付けて此方に請うてみよ」
芝居がかった仕草でこちらを見据える少女。一方的過ぎて反応に困る。オレはどう対応したものかと頬を掻いて、大和たちに向き直った。
しかし大和たちはすでに慣れたもので、
「(無視無視)ああ、いた。井上、話し合いはどこでやるんだ?」
「(幼女以外はいらん)おう、こっちだ。ま、適当に座ってくれ。あ、委員長はこちらの席で!!」
「(気づかずスルー)えっ? で、でも私だけこんな立派な椅子に座るわけには……」
「何を言うんですか! あなた以外にここにふさわしい人間などいません! ささ、遠慮なく!」
「あ、ありがとうございます、井上ちゃん。ほら、孫さんも座って下さい」
「あ、ああ……(いいのか直江? 彼女、固まったまま震えてるが……)」
「(ほっとけ。いつものことだ)」
「こらぁーっ!! 此方を無視するとは何事じゃ――――っ!!」
先ほどの優雅さはどこへやら、少女がいきなり爆発した。整っていた顔を憤怒に歪め、目じりには大粒の涙も浮かんでいる。
本当になんなんだこの子?
「なんだよ不死川。意見があるなら挙手してからにしてくれ」
「黙るのじゃハゲ! 此方をないがしろにしおってからに、こやつら無礼がすぎるぞ!」
「自分からケンカ売っといて無礼も何もねぇだろ。っていうか、ハゲって言うな」
「あははははは! ハゲー!」
「こらこら、人を指差しちゃいけません。っていうかユキ、俺をこうしたのはお前だろうが」
井上がとなりでぴょんぴょん撥ねる少女に半眼を作る。ユキといわれた少女は、そんなことなどお構いなしに笑い続けていた。大和によれば、白い髪と赤い目が特徴的な少女が榊原小雪、地団駄を踏む彼女は不死川心というらしい。
不死川はなんでも日本でも有数の名家の出だそうだ。このクラスのメンバーとしては典型的な家柄を重視する少女だとも。そういえば、この国の経済誌を読んでいた時に名前が出ていた気がする。
だが、オレが驚いたのはそんなことではない。二人の気の強さだ。
結構強い。脚運びとか立ち振る舞い、重心の置き方などが洗練されている。大和に尋ねると、やはりそれはあたりだったらしく、不死川は柔術、近接での投げや寝技を主体とした戦闘スタイル、榊原は戦い方こそ不明だが、身体スペックはかなり上とのことだった。やはりここには強い人が多いな、と今更ながらに感心する。
とはいえ、このままでは話が進まない。どうにか話を戻そうとした時、さらにわめき続ける彼女の傍に誰かが寄ってなだめていた。彼女も少し落ち着きを取り戻したようで、不満そうな顔をしながらもこちらに干渉してくることは無くなった。
(くすっ……)
(ん……?)
その人と目が合う。オレよりも背が高く180センチはありそうな背丈に、少し癖のある髪型が特徴的な美青年だった。女性に人気があるのだろう。こちらを見て微笑むその姿に、クラスの女子の何人かが恍惚とした表情を作っている。穏やかな性格であることも彼の眼差しから十分に理解できた。
だが、オレは彼の表情に何か引っかかりを感じていた。いや、正確には彼の雰囲気からだ。穏やかにしか見えないその様子に、どことなく感じた違和感。
だが、それも一瞬だけ。すぐにこちらから視線を外し、隣にいた少女たちと会話を始めていた。
先ほどまでの後ろ暗い気配など微塵も感じられなくなっている。
(気のせいか?)
視線が外れた後も、オレは注意深く彼を観察する。だが、その考えをまとめるより先に大和が口を開いた。
「さ、時間もないし、話し合いをはじめるか」
「そうだな。周りの視線も痛ぇし。転入生もいることだし、とりあえず自己紹介からやるぜ。俺は井上準。Sクラスでは――」
言って席に着く二人。もう自己紹介をはじめている。オレと委員長もそれに続こうとして、
『――――待てぃ!!』
唐突に割って入ってきた声に動きを止めた。そしてまたもや唐突なことに、楽器による高い音と廊下から赤い毛氈がすーっと此方に転がってきて道を作る。
今度は何だろう?
本日何度目になるかわからない疑問を浮かべていると、敷かれた赤毛氈の上を誰かが歩いてきた。
「ハゲに直江大和! そのような場には、我の存在が必要不可欠であろう! 我の許可なしに勝手に始めるな!」
「はいはーい。すぐ道を開けてくださいねー! 開けないと物理的に真っ二つにしちゃいますよー♪」
威厳のある声の後、可愛い声色でずいぶんと物騒な台詞を聞いた気がする。だが、そんなのは瑣末なことだった。
目の前に現れた青年と後ろに傅く女性。教師ではなさそうなので消去法で生徒であるようだ。Fクラスであればどう見ても生徒には見えないが、このSクラスでは自然に溶け込んでしまっているから不思議である。
思わず大和と顔を見合わせると彼は苦笑した。
(お前もわかってきたみたいだな。このクラスがどういうところか)
(まぁ、こうも続けばな)
アイコンタクトで意思疎通する。そんな中、目の前にいた井上が目を半眼にしながら疲れたように零した。
「だからハゲと言うなと……って、九鬼じゃねぇか。今日は会議があるから早退するって言ってなかったか?」
「うむ。我もそのつもりだったのだがな。先方が急に予定が立たなくなってしまったらしく、こうして戻ってきたというわけだ。我とて学生の身、学ぶことは無数にある。その本分は勉学であるからな」
「さすがです! 英雄さまぁあああああ!!」
高速の拍手が木霊する。なんというか、独特な人が多いな。
「止めなくていいのか?」
「言って止まるようなヤツらなら俺も苦労しないさ。そんな無駄なことをしている暇があったら、俺は純粋無垢な2-F委員長を眺めて心を洗うことに専念する」
……この人も含めて。
とりあえず、そのことは横においておこう。追求するとキリがなさそうだし、何よりドツボに嵌りそうな気がする。オレは話題転換の意味も兼ねて先ほどから気になっていた彼の方を向いた。
「君は?」
「ん? なんだ貴様、我を知らんのか? そういえば初めて見る顔だが」
視線を向けられた彼が此方へと振り向く。
整った顔立ちと額に走ったバッテン状の十字傷が特徴的な少年だ。髪は短く切りそろえられ、自信の満ち溢れた表情はただ立っているだけだというのに威風堂々とした気迫を放っていた。
着ているのは、もはや制服とは呼べないような独特な意匠の施された金色のスーツだ。普通ならば派手の一言なのだが、彼が来ていると何故か自然に見えてきてしまう。
かなりの風格を持つ少年だった。オレを目の前にして首を傾げる彼に横にいたお付の人らしき女性が耳打ちする。
「英雄さま。どうやら、彼が最近話にあった転入生かと」
「ほう。一子どののクラスに隻腕の男子生徒が編入したとは聞いていたが、貴様だったのだな。ならば我の事を知らないのも詮無き事。致し方ない、この場で我自ら説明してやろう! あずみっ、トランペットを吹け!」
【 パパラパッパラ~~~~!! 】
突然トランペットが鳴り響いた。というか、お付の人が全力で吹いていた。
さらに片手では金色の紙吹雪を教室中に舞い散らせている。なんとも器用なものだ。
その中で彼は腕を組み、改めてオレの目の前に立つ。そして、自信以外感じられない大声で言い放った。
「フハハハハハ! 我降臨せり!」
「ハァ……もう好きにやってくれ」
井上が頭を抱えながら肩を落としている。呆れているのだろうが、その反応から察するにこれはそう珍しいことでもないようだ。半分諦めた雰囲気を出している辺りいい証拠である。
そんな中で一人立つ彼が、此方を見下ろしながら口を開いた。
「我が名は九鬼英雄!! 民を統べる王となるべくして生まれた男だ! この名とこの背に走る昇り龍、よくその身に刻み込むがいい!! フハハハハハハハハハ!!!」
高らかに笑い声を上げながら背中に描かれた龍の刺繍をこれでもかと見せ付ける少年、もとい九鬼英雄。井上の出している空気をすっぱり無視、というか気づいてすらいないようだ。いろいろと苦労しているんだなぁと視線を送ると、同志を見つけたような眼差しでサインを送って来た。
それに軽く返しつつ、オレは一つだけ気になった単語を訊ねにかかる。
「九鬼……もしかして、あの九鬼財閥の?」
オレは聞き覚えのある苗字を思い出しながら言葉を返した。
九鬼。ここに来て間もないオレでも、新聞や経済誌などで知っている名前だ。
オレはこの世界の生まれではない。戸籍は鉄心さんに用意してもらった半ば偽造モノであるし、今に至る経緯などは一切説明できない。明らかに不審、というか正体不明の人間である。
無論、出自や経歴はオレが黙っていればバレることはないだろう。だがこの世界の知識に関してあまりにも無知では、不自然を通り越して異常になるのは明白だった。そこで、この世界における基本的な常識や政治・経済体系もある程度は理解しておかねばと、オレは深夜まで続く修行の合間や授業の休み時間に暇を見つけては、その手の情報も積極的に収集していた。
自分の目的である元の世界への帰還にも役立つことがあるかもしれない。元より勉学は嫌いではなかったし、新しいことを知るのは楽しかったから、今ではそれなりの常識を身につけたつもりである。
そしてそれらで知識を増やしている際、必ず出てくるのがこの九鬼という名前だったのである。政界、経済界、株式市場……ありとあらゆる場所で睨みを利かせるビッグネームだ。元の世界であれば、ブルマさんのカプセルコーポレーションに匹敵するほどの。
少し齧っただけのオレでさえこうなのだ。周囲の人間の彼に対する印象は推して知るべしだろう。
と、従者のように構えていた女性が前に出てくる。そして、にこやかに此方を一瞥してから口を開いた。
「その通りです♪ あなた達とは世界が違うお方なので、気安く接しないでくださいね♪」
「は、はぁ……」
内容はちっともにこやかではなかったが。やはりこのクラスの人は少しばかり変わっているなぁと思いつつ、目の前に立つ女性を観察する。体捌きや移動の仕方、気の強さを見てオレは目を細めた。
「(この人、かなりできるな……いつでも動けるように身体を若干低く構えているし、余裕のある服には武器なんかも隠してそうだ)」
「(……なんだコイツ。パッと見隙だらけにしか見えねぇのに、仕掛けろと言われたら躊躇しそうになる雰囲気を纏ってやがる……前に見たときは気配も出で立ちも普通だったからあまり注意してなかったが……いったい何モンだ?)」
少しばかり訝しげな色を表情に乗せ始めた彼女に苦笑しながら視線を移す。自然と彼女の主、九鬼英雄に目がいった。クラスの中心で胸を張る彼はやはりこのS組のリーダーなのだろう。人をまとめ上げる才能も豊かであるようだ。
だが、それだけではない。このクラスの中では女子が強そうなので目立たないが、男性の中ではかなり強い部類に入る気を持っている。だが、彼を見ていると、ふと微かな違和感に捉われた。
(かなり鍛えてある……けど、彼の気の流れは何かおかしい……澱んでいる、のか……?)
長年気の使い続けてきた自分が気づいた違和感。それは彼の中にあるその流れの不自然さだった。
彼の気にはおかしい点がいくつもあるが、突出しているのは肩の付け根辺り。そしてそこから腕の半ば過ぎに及ぶぐらいまでの部位だ。何箇所かを起点にして、まるで何かに堰きとめられているかのように気力の流れが不自然になっている。普通の人間にこんなものが自然発生するはずが無い。
大きい澱みは肩だ。そこを中心として腕全体にその影響が出てしまっている。あれでは、何もしていなくとも身体全体に大きな負担が掛かってしまうだろう。
オレはこれに似たものを見たことがある。というか、体験したことがある。
そう、今はなきオレの左腕。それを失ったときだ。
あの時、オレはなんとか一命を取り留めた。だがそのあと腕がなくなったことが原因で、身体の気にも大きな偏りができたことがあった。パワーを上手く引き出せず、コントロールも若干変化していたことを覚えている。
修行による調整でそれは改善されたが、その時の気の流れが今の彼の腕と非常によく似ているのだ。そこまで考え、オレは一つの結論に達した。
(怪我……それも慢性的なもの……か?)
あれは古傷というより、常時怪我をしているようなものだ。今でもなお修復しようと身体は働いているはずだが、怪我の仕方があまりに複雑すぎたのか回復できていないように見える。
(だが、俺の腕のように完全に固着したものじゃない。それなら……アレが使えるかもしれないな)
あごに手を当てながら、オレは自分の持ち物の仕様用途について考えていた。
と、そこに一人の学生が近づいてくる。体つきは並。メガネをかけ、その奥から自信に満ちた光を放つ瞳がこちらを見据えていた。
「君が転入生?」
聞こえた名前はまぎれもなくオレの物。名前を呼ばれて彼の顔をまじまじと見た。
口元が不自然に吊り上がっている。オレがあまり好きではない類の笑みだった。
「ようこそ川神学院へ。それにしても、この時期に転入とは些か興味を引かれるね。もしかして、その腕や顔の傷と関係あるのかい?」
「へ? いや、まったく関係ないが……」
「ふぅん、そうなんだ? ボクはてっきり他で大きな問題を起こしてそこにいられなくなったから、こっちに逃げて来たのかと思っていたよ。まぁ素行も頭もいいらしいし、庶民にしては合格かな。腕がないのは同情するけど、一体どんなことをしたらそんなになるんだか。ククク……今度、じっくりと聞いてみたいね」
口元に手を当てて忍び笑いを零す男子生徒。見ると、それに同意するように遠巻きに笑っている人が何人かいた。
オレはどうしたものかと頬を掻く。だが、その時凄まじい一喝が辺りの空気を切り裂いた。
「貴様、無礼であろう! 初対面で相手の身体的特徴、それもどうしようもないことを
「!? く、九鬼くん……ボ、ボクはそんな……」
「言い訳無用だ、さっさと非礼を詫びろ! Sクラスの品格を貶めたいのか!」
「くっ……わ、わかったよ……」
渋々というのがもっともふさわしい態度で謝罪を述べる生徒。心からのものではないことは考えなくても分かる。オレが苦笑しながらそれを了承すると、彼は面白くなさそうな表情で去っていった。
周りで見ていた者たちの目が少しきつくなり、こちらをさらに意識しているのが感じられる。刺々しくなってしまった雰囲気に井上がため息を吐いた。
「空気が悪くなっちまったな……自己紹介はとりあえず済ませたし、そろそろ締めるか」
「そ、そうですね……あまり押し付けるようにしても意味はありませんから、今日はここでお開きにしましょう」
「! は、はいっ! 2-F委員長!(お、俺の意見を聞いてくれた……感無量だぜ!!)」
慈愛に満ちた表情で光輝く井上。大和がそれを半眼で見つめながらオレに目配せしてきた。
ここらが潮時。引き際が肝心。彼の目はそう言っている。
オレも別段残る理由はないし、彼のアイコンタクトに対してすぐに頷いた。
唯一つ、この場で見つけた『気がかり』を解消させてもらってからだが。
「九鬼」
「ん?」
声に反応して九鬼英雄がこちらを向く。俺はそれを確認すると、携帯していた小袋から非常用の仙豆を一粒取り出し、彼に向かって放り投げた。控えていた従者の彼女が一瞬迎撃の姿勢を見せたが、オレに殺気や邪気がないことを瞬時に汲み取ったのだろう、警戒態勢のままその身を押し留めている。
そして仙豆は軽やかな弧を描き、彼の手に収まった。
「? なんだこの豆は?」
「……もしもオレ達の言葉など信用できない、オレ達とは分かり合えないと言うのなら、それをすぐに捨てろ。だが少しでも信じれると思うのなら、それを食べてみてくれないか」
掴み取った仙豆を訝しげに見る九鬼英雄。クラスの連中が見守るなか、オレは続けた。
「安心してくれ、身体に害のあるものは一切入っていない」
「馬鹿かてめ……コホン、あなた馬鹿ですか♪ 下等なFクラス出身が何を言ってるんでしょうね?」
思わず出そうになったのであろう暴言を押し留めつつ、従者忍足あずみが前に出てくる。クラスの連中も似たような疑心に満ちた眼差しでこちらを見つめていた。
彼女の顔には笑みが浮かんでいたが、まるで貼り付けたような不自然なものだ。その瞳からは修羅のような怒りと抑えきれなかった僅かな殺気が洩れている。
普通の人間なら腰を抜かしそうな凶悪すぎる笑み。だが、オレはそれを真っ直ぐに見返す。そのことにほんの少し目を見開きつつも、彼女は油断無く構えながら言った。
「こんな脈絡も突拍子も無いことを罠で無いとを疑わないバカがどこにいるんですか? こんな雰囲気の中では小学生だって信用しませんよ? そうでなくても、英雄様はこのクラスの頂点に立つ御方。そんな怪しげなもんを食べさせられるわけねぇだろうが」
途中からやや本性が見え隠れしているあずみが吠える。だが悟飯はそれにかまわず英雄を見つめた。
先ほどまでの笑みを消し、鋭い目つきで此方を射抜くように見てくる。その態度は尊大だが、感じる覇気は本物だ。さすが自らを王と称するだけはある。まさに自他共に認めるカリスマの持ち主だと言えた。
「……確か孫悟飯と言ったな。何の目的があって我にこれを渡した?」
「多くは言えない。だが、君に必要なものだと思ったから渡した」
「我に必要なものだと? 王であり、すべてが手の届くところにある我に今更何が必要だというのだ?」
「――――右肩」
「「っ!?」」
変化は劇的。主従二人そろって息を呑んだのがはっきりと分かった。忍足あずみなどは、当の本人よりも驚愕が隠しきれない様子だ。
おそらくは彼らにとって相当の秘密だったのだろう。決して揺るがなかった瞳からも動揺が感じられる。
オレは場がややこしくなる前に言葉を紡いだ。
「もちろん、100%と元に戻るとは断言できない。だが可能性があるとしたら、オレが持っているものではそれだけだ」
彼の腕。気の澱みやそれをとりまく流れは相当複雑なことが分かる。それなりに動かせるようになっているのは治療の成果ではあるだろうが、やはり今の医学では完治させられない類の怪我なのだろう。
英雄が一歩前に出る。そして、此方の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「……その言葉、嘘偽りはないと誓えるか?」
「オレの……戦士の誇りにかけて」
王。その肩書きと彼にどことなく既視感を感じていたオレだったが、その理由が今はっきりとわかった。
彼は似ているのだ。強く、厳しく、そして誰よりも誇り高かった、あのサイヤ人の王子に。
性格とかそういうことではない。自分の生き方に誇りを持ち、振り返ることなく進んでいく心の在り方。それを彼も持っていて、同じように生きようとしていたというだけ。
不意に懐かしさがこみ上げてくるが、今は少しややこしい状況だ。後ろに控えている大和と委員長のこともある。早々に切り上げた方がいいと判断した。休み時間ももう終わるし、そろそろ頃合だろう。
「時間か……今日は帰る。だが今日の結果を踏まえてもう一度会合を開きたい時は、Fクラスに言いに来てくれ。行こう、二人とも」
「お、おい、待てよ孫!」
「あ、はいっ! それではみなさん、失礼致しましたっ!」
踵を返したオレに続いて、大和と委員長があわてて駆けてくる。勝手に終わらせてしまったが、あれ以上は話し合いにはならなかっただろうから別にいいだろう。一旦仕切りなおして日を改めたほうが建設的な話ができると思うし。
オレはわずかだけ振り返り、Sクラスの方に視線を向ける。
(あとは、彼次第……だな)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
悟飯が去ってから数秒後。いまだ混乱が満ちたSクラスはかつてないほど荒れていた。
「英雄さま、騙されてはなりません!」
その中心となっていたのは、英雄の従者である忍足あずみであった。いつもの彼女からは中々見られないほどに平常心を失っている。彼女はなおも言い募った。
「これはきっとFクラスの罠です! 私達の要である英雄さまから攻め落とし、Sクラスを瓦解させる作戦に違いありません!!」
「ふむ。それがなんなのかはわからんが、此方たちSクラスへの仕返しである可能性は非常に高いの。頭の足りない山猿のしそうなことじゃ。ホッホッホ」
嫌味ったらしく笑う不死川心の言葉に頷くSクラスの面々。いつも周囲を見下してきた彼らにとって、その最たる存在であるFクラスなど、自分達に復讐をしに来る相手でしかないのだ。それ以外何が考えられると言うのか。
英雄は手に持った豆をじっと見つめている。何かを考えるような、だがまだ踏み込みきれないような、僅かなためらいがそこに見て取れる。
そのまま膠着状態になろうかというとき、一人の人物が英雄に近づいて言った。
「食べてみてはどうですか、英雄?」
優しげな微笑を零して彼は言う。それは先ほど悟飯に笑いかけた少年、英雄が唯一親友だと明言する存在、葵冬馬だった。Sクラスの中心的人物である彼の意外な発言に、場に大きな動揺が走る。
あずみも驚いていたが、次の瞬間には唾を飛ばさんばかりに食って掛かった。
「あ、葵冬馬!?(てめぇっ、何のつもりだ!?)」
「これが私の知っているものと同じであれば、彼が英雄に渡した理由にも説明がつきますからね」
「……冬馬、お前はこれが何か知っているのか?」
「ええ、少しばかりですが。彼はここに来る以前、『重傷』を負って葵紋病院に『数日間』入院してましてね、その際にとあるものを残していったのです。見覚えがありますからおそらく同じものでしょう。それにそうであれば、彼が『今ここに来れた』証拠としては確実なものになります」
意味深に笑みを深める葵冬馬。言葉の意味はわからない部分も多いが、Sクラスの参謀である彼がクラスのリーダーで親友でもある英雄に不義理を働くとは考えにくかった。それが英雄にとってデリケートな問題が絡んでいるとなれば尚更だ。病院の名前を出したからには彼なりに推測とある種の確信を持って行動しているのだろう、と。
「まぁ、食べてみればはっきりしますよ。心配はありません、罠を仕掛けるにはタイミングが露骨すぎますし、彼の持ち物を検査した際には間違っても毒物はなかったですから。使い方の分からないものはありましたが。とはいえ、私も実際に見たわけではありませんし、最後は英雄の意志次第ですけどね」
「ふざけないでください! そんな不確かな推測で英雄さまにもしものことがあったらどうする気ですか! 大体あなたは「黙っていろあずみ!!」!? ひ、英雄さま……!?」
自らの激昂を一喝されたあずみが目を見開いて主へと視線を向ける。英雄は悟飯から受け取った仙豆を掌に乗せてじっと見つめ、そしてそれを握りこんでから顔を上げた。
「我もこれまで伊達に九鬼の名を背負って生きてきたわけではない。その立場上、様々な人間を見てきた。言葉を交わしたぐらいでは分からぬことも多いが、その者の性分ぐらいある程度は掴めよう。奴は我と相対してからから最後まで、一度たりとも目を逸らさなかった。どれほど睨みつけようと、真っ直ぐに此方を見据えていた。何かを企む人間の目ではない」
「で、ですが、英雄さまに万が一のことがあったら……!」
「そこまでだ、あずみ。いくら我の身を案じてのことであろうとそれ以上は許さん。奴は自らの誇りを持ち出してまで我にコレを渡してきたのだ。我が同じ重みの誇りで応えぬのは、王である以前に人間として無礼であろう。それに、あれほど純粋で曇りの無い瞳は初めて見た。奴が嘘をついているようには見えんのだ。なればこそ、民の誠意に対して我には応える義務がある。たとえ児戯に等しき結果に終わろうともな。それが王の責務というものだ」
「ひ、英雄さま……」
固い決意と王としての役目を果たさんとする主の姿に、あずみは何も言えなくなってしまった。英雄は自分の従者が黙ったのを確認すると、再び仙豆へ目を落とす。そしてそのまましばらく見つめたあと、意を決したように口へと運んだ。
豆を噛む鈍い音が辺りに響く。周囲が固唾を飲んでそれを見守っている。そして、それを咀嚼して飲み込んだ瞬間、
「っ!!? こ、これは……!?」
英雄は目を見開いた。身体の中で何かが脈動した感覚。身体の中に何か強い力が生まれ、静かに満ちていく。
両手を交互に見ながら、英雄は言葉を失っていた。
「ひ、英雄さまっ!? やはり何か毒が!? おのれぇ! Fクラス!!」
彼の様子に目を剥いて怒りを露にするあずみ。今にもFクラスに向かってスタートを切りそうな彼女を、不死川心たちSクラスのメンバーが震え上がりながら見つめる。だが、英雄はわずかに目を瞑った後、いつになく真剣な瞳になって顔を上げた。
「――――構えろ、ロリコン」
「ロ……いつものこととはいえ、いきなりご挨拶だな。一体なんだ「我が構えろと言ったのだ! 早くせんか!」な、なんだっつうんだよ……よいせっと……」
余裕の無い英雄の声に気圧されつつも、準は構えを取る。その瞬間、英雄は動いていた。
「ほわちゃぁあ―――――っ!!!」
一瞬で肉薄した英雄が右拳を繰り出す。それはガードの上から準の体を軽々と吹き飛ばした。数メートル吹き飛ばされた準が、痺れる腕をさすりながら怒りの声を上げる。
「いっつ――――っ!? いきなり何しやがるっ……って、おいおい九鬼! お前、『そっちの腕』で何やってんだ!?」
「ひ、英雄さまっ!? なんということを……そんな全力で打ち込んだら、今度こそ腕が――!」
我に返った準とあずみが狼狽したように彼に詰め寄った。準は病院絡みで聞いていた話から大いに慌て、彼のことを誰よりもよく知るあずみは過去の忌々しいトラウマから顔を青くする。
だがそんなことなど全く聞こえていないかのように、英雄は自らの手を見つめていた。自分に起きたことを信じることができない、そんな感情が彼から溢れている。そして呆然とした様子で、独り言のようにつぶやき始めた。
「……ない」
「え?」
「……痛みが、ないのだ……どんな時でも我を苦しませていた鈍痛がまるでなくなっている……どう動かしても痺れはおろか、違和感すら感じない……それどころか、感覚も完全に元に戻っているぞ……!!」
「ほ、本当でございますかっ、英雄さまっ!?」
先ほどとは違った声色で驚くあずみ。準も彼の言葉に目を見開いた。
「な……マジなのか!? お前の腕は、どんな医者も匙を投げたもんだったはずじゃあ……!?」
「ああ、そのはずだ。それがまさか……信じられん……」
自分の腕や肩を擦りながら、英雄はそう零す。その時、彼の脳裏にはかつての苦い経験が思い出されていた。
まだ英雄が幼かった頃、彼は一つの夢を持っていた。
それは、プロ野球選手になるという夢。その投手となり、マウンドに立つという夢。
子供の頃に誰もが一度思い描き、そして諦めていく夢だ。だが、英雄はそれを夢にするつもりはなかった。そのために厳しい練習にも耐え、彼はめざましい速度で成長していった。
幸い彼には選手たちの誰もが羨む強い肩と才能を持っていた。だから彼は頑張った分だけ成長し、周りはそんな彼を持て囃した。
だがある時、富裕層を狙って起きたテロに英雄は巻き込まれた。死者が何百人にも上る、テロの中では最悪クラスの被害を齎した大惨事。死んでいった人間の方が多かった状況で、しかし彼は生き残った。
その生命力の強さ、生きたいという信念、そして類稀なる強運。それらすべて、誰もが舌を巻くほどのものだったことは間違いない。
しかし、その代償として彼の右腕には後遺症が残ってしまった。もちろん腕や指を失ったわけではないし、日常生活にはほとんど支障もない。だがその怪我は、彼の命であった投手への夢を断ち切るには充分すぎるものであった。
当時、野球への夢を命と同じぐらい大事にしていた彼にとって、それはとても辛いことだった。彼の夢は、文字通り殺されてしまったのだから。自分の人生で最大の挫折と苦痛を味わったに違いない。
しかし、それが僅か一瞬。たった一粒の豆でひっくり返される時が来るなど、いったい誰が考えただろう。
英雄たちの動揺が伝染し、困惑するSクラス。その中で葵冬馬が変わらない微笑を称えたまま肩を竦めた。
「やはり予想通りでしたか。悟飯くんから聞いたところによると、英雄が食べたのは仙豆と言って彼の家秘伝のアイテムだそうですよ。その効力も聞いていた通りだ。現代の最新医学ですらどうしようもなかった英雄の腕を一瞬で治すとは、本当に興味が尽きないですよ」
様々な感情を瞳に宿らせ笑う冬馬。そんな彼を準が半眼で見つめていた。
「それには同意するがよ……若、俺その話聞いてないんだが?」
「おや、ユキから聞いていませんか?」
「初耳だ」
「お~、そういえば冬馬この前そんなこと言ってたっけ。伝えておいてって言われたけど、準だからまあいいかって思っちゃったよ~、アハハハハ!!」
「どうしてそうやって意味もなく反抗的になるんだ! そんな子に育てた覚えはありません!」
キャピキャピと笑う小雪を準は疲れたように諭す。冬馬はそんな二人を見て微笑すると、英雄へと歩み寄った。
「病院も一粒研究用に譲り受けてはいるんですが、いくら解析しても成分は普通の豆と変わりませんでした。それでいて培養がまったくできなかったもので、正直お手上げだったのですよ。おそらく何か他に秘密があるんでしょうが……これ以上は無粋ですかね。とりあえず、今は悟飯くんに感謝しましょうか」
「孫、悟飯……」
ゆっくりと顔を上げる英雄。その顔はわだかまりが消えたようにすっきりとし、晴れやかなものとなっている。彼の去っていった扉の方を向くと、突然走り出した。
慌てた足取りで走り、半ばぶつかるように扉を開ける。そして従者のあずみの静止の声も聞かずに彼は外に出て行った。慌てて追っていった彼女を視界に治めながら、冬馬はふぅとため息をつく。
(……英雄を救ってくれたこと、感謝致しますよ悟飯くん。太陽のような存在感で人を引き付け、月のように静かに誰かを照らしてくれる……本当に不思議な人だ……私には、少し眩しすぎますけどね)
今だ困惑が満ちたSクラスに苦笑した。そしてもう一度、扉へと視線を向ける。
今はただ、親友の幸福を祈って。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なぁ孫、さっきのいったいどういうことだ?」
「おねーさんにも説明して下さいです~!」
Sクラスから帰る途中、オレは二人の質問攻めにあっていた。
まぁ仕方のないことだろう。あの場面での会話を理解できていたのは、オレ以外ではあの九鬼英雄の関係者だけだ。どうやら秘密にしていたことだったようだから、ここで言うのは憚られた。
「うーん……すまないが、俺の口からはちょっとな。ま、あんまり気にしないでくれ。別に二人にとって不利益になることはないから」
なので当たり障りの無い返答をするにとどめる。実のところ、オレも彼の気の流れから推測したにすぎないため、その概要については知らないに等しい。なので詳しく説明しろと言われても困ってしまうのだ。
だが二人は聞き分けがよい部類の人間だったようで、オレの言葉からなんとなく事情を察したようだ。
「孫さんがそう言うなら……」
「了解。気にはなるけど、なんかプライバシーに触れてるっぽいからやめとくよ。それ以前に、意外と頑固な孫が簡単に口を割るとは思えないしな」
「助かる」
それ以上踏み込むことなく、二人はすぐに引き下がった。委員長は持ち前の優しさと思慮深さから、大和はある程度の推測の上に自分の利害とオレの性格を計算に入れたゆえの結論だろう。理解が早いというのは強みであるが、両者の性質の違いにオレは苦笑を零した。
そのままFクラスの扉に手を掛ける。あの声が聞こえたのは、まさにそんな時だった。
「孫悟飯殿!!」
廊下の隅まで響き渡るような声に反射的に振り向く。果たしてそこには、つい数十秒前に見た少年、九鬼英雄が荒い息を零しながら立っていた。周りの生徒は何事かと足を止めて此方に向き直り、委員長たちも驚いた様子で彼を見つめている。
オレは正面から彼を見据えた。肩を上下させながら、手を開いては閉じ、開いては閉じる。それを繰り返している。おそらく、精神的なものから息が上がっているのと似たような状態になっているのだろう。
瞳には様々な感情が入り混じっているのが見て取れた。真っ直ぐに此方を見据えつつも、ゆらゆらと揺れているその眼差しは彼を知るものなら目を丸くして驚いたに違いない。
口元も引き結ばれたり開かれたり、かと思えば何か言いかけようとしたりと、せわしなく動いていた。どうやら感情が高ぶりすぎて、上手く言葉が出てこないようだ。
彼の右肩から手足、そして全身を見やり、その変化を確認していく。先ほどまで彼の身体を覆っていた不自然さが消えていた。どうやら、彼に仙豆はちゃんと役目を果たしてくれたらしい。
そのことに安堵の息を零して、オレは今だ感情の整理がつかない英雄に笑いかけた。
「よかった。ちゃんと治ったみたいだな」
「っ!?」
その目が大きく見開かれる。様々な色を宿していた瞳が驚きの一色に染まった。
見たことのない英雄の表情に、誰もが困惑する。だが、本当の驚きはここからだった。
「く、九鬼……!?」
「九鬼さん……」
後ろの二人が言葉を失ったように英雄を見つめる。彼らの視線の先、此方に相対する英雄の両頬に一筋ずつ涙が流れていたのだ。人前で泣くなど考えられない人物のまさか所業に誰も言葉を挟めない。
気づいているだろう。だが彼は拭おうともせず、たた佇んでいた。静かにゆっくりと流れ落ちていく心の雫。それは誇り高き王が自らの奥底に封じ込めていた叫びだったに違いない。
英雄は涙を溢れさせたまま、誰もが驚く中悟飯に向かって深く頭を下げた。
「……至高の施し、かたじけないっ…………我はこの恩を決して忘れん……! 九鬼の名に賭けて必ず……必ずそなたに返そう!!」
あっけにとられ、どよめきすら上げられない一同。だが、そのなかで悟飯だけはしっかりとその言葉を受け止めていた。
「……ああ。これからよろしくな、九鬼」
「……うむ! こちらこそよろしく頼む、悟飯殿!!」
どちらからともなく、出された手が交わった。
固く、固く結ばれた両者の手。オレは彼の復活を喜ぶように、彼は自らの幸福を噛み締めるように、その力が緩むことは無い。どちらともなく笑みが零れ、その時には彼の涙はもう影も形もなくなっていた。
まもなく4月の終わりに差し迫ろうとしていた、春もうららな日。王を目指す少年と、英雄の血を引く戦士の青年は邂逅を果たす。
それは、彼らが互いに新たな友を見つけた瞬間であった。
第6話でした。
このところ忙しくて……というのは言い訳ですが、本当に忙しい日々ってあるんですねぇ……
この土日は休み返上で働き、明日休みだったはずなのに……なんと仕事が入ってしまったんですねぇこれが!(怒)
なんであの人は自分の仕事やってこないんだよぉおおおお! 穴埋めは誰がするんだぁああああ! 私なんだぞぉおおおお!
出来ないならはじめから出来るとか言うなぁああああああ!
はぁはぁ……と、魂の叫びでした。事情の詳しい内容は想像して下さい。
気力を使い果たしたので、今回はこれにて。
それではまた次回にて!
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幕間1 秘めたる力
ずいぶんとお待たせしてしまい、申し訳ないです。ここのところずっと時間がとれず、疲れているのも手伝っていつも執筆作業に当てる時間(深夜)をフツーに寝て過ごしておりました。
なのでほぼ一ヶ月ぶりの投稿となります。
また、今回は本作でのオリジナル設定が出ます。内容は本編にて。
それではどうぞー。
孫悟飯の朝は早い。毎朝4時には目覚ましで起床し、彼の一日はスタートする。顔を洗って動きやすい服装に身なりを整えると、すぐに家を出た。
そうして、いつもの場所までランニングする。4月の朝は風が冷たいことが多いが、オレはいつも半袖の道着を着ていた。とはいえ、この世界に来たときにボロボロになってしまっていたので所々繕ったものだが。
『やぁあああ!』
「お、やってるな」
目的の場所には先客がいた。風を切る音と共に、早朝には不似合いな凛とした雰囲気があたりに漂っている。オレはそんな姿を見止めながら、いつものように原っぱへと踏み込んだ。
「おはよう、川神さん」
「あ、おはよう孫くん!」
声を掛けると、川神さんが動きを中断してこちらに駆けて来た。とてとてと走ってくるあたりがまた妙に動物っぽい。それほど顔が上気していないことを見ると、彼女もついさっき来たようだ。
「孫くんが来る前に身体は温めといたわ。いつでもいけるわよ!」
「よし。じゃ、いつものを一通りやるか」
「はいっ!」
元気の良い声に思わず表情を崩す。だが、これからやることはまぎれもなく真剣だ。始まれば、甘さなどは一切を切り捨てる。そうしなければ何にもならないし、川神さんにも失礼だ。
そうして、今日の修練がスタートする。私情を排し、彼女の昇華に全力を注いだ。
「踏み込みが甘い! もっと重心を意識して身体がぶれないように動くんだ!」
「は、はいっ!」
攻撃部分に意識が行きがちな面を修正したり、
「攻撃を受けるな! 君の戦いはスピードが要なんだ、受けとめる以外どうしようもないような状況に持っていかれないよう気を配れ! 回避の時も避けるんじゃなく、自分の攻撃を合わせられないか相手を常に観察するんだ!」
「はいっ!」
攻撃と防御ではなく、攻防一体の動きを身体に教え込んだり、
「身体は熱くても意識は冷たく冷静に! 客観的に自分と相手を見ることを心がける!」
「はいっっ!!」
直感だけに頼らず、戦う上での頭の働かせ方など。
戦闘に関するあらゆる要素を学ばせていた。
そうやって、いつもいつもみっちりと『基礎』をこなしていく。当初は終わるとバテバテだった川神さんも、驚くほどの速度で順応してきていた。さすが武道をやっているだけある。
そうして、彼女との修行をはじめて早くも一週間以上が経過していた。川神さんはいつも同じような時間に起きて川神院で修練をしていたそうなのだが、現在はその時間をオレとの修行に当てている。
無論、これは鉄心さんや百代さんも了承済みである。はじめは他流派のオレが関わっては不味いかもと考えていたのだが、わけを話すと鉄心さんは快く了承してくれた。門下生ではないので川神流の技は教えられないがと注意はされたが、最初からそんなつもりはないので問題はない。
それらを留意してくれれば、むしろ他流の武術を学べる貴重な機会。積極的に教えて欲しいとまで言われたぐらいだ。亀仙流の技は門外不出ではないし、たとえ川神さんがそれを会得して流出したとしても、危険な技は百代さんや鉄心さんレベルの腕がなければ使えないものがほとんどなので大丈夫だろう。
百代さんも来たがっていたのだが、彼女が来ると組み手よりもバトルになってしまうとのことで鉄心さんからストップが掛かっていた。いずれ時間を作って戦える場所を用意してやるとのことで納得したようだが、本当に彼女の戦闘好きには恐れ入る。
サイヤ人のハーフであり、戦闘が純粋な欲求としてあるオレよりもその衝動は強いのかもしれない。それも父さんのように健全なものじゃなく、べジータさんよりももっと禍々しいものを感じる。彼女も苦労しているようだ。
とにかく、オレは川神さんと約束した通り、彼女に修行をつけているわけだ。今までは基本的なことを中心にして川神さんの方向性を見定めていた、といったところである。
そんなことをやっているうちに気づけば一時間半が過ぎていた。オレは息を落ち着かせている川神さんを近くに呼ぶ。彼女はすぐに走ってきて、自分の前で急停止した。
「なぁに、孫くん?」
くりんとした瞳を此方に向けて首をかしげる川神さん。風間ファミリーのマスコットの名は伊達ではなかったようだ。その小動物チックな仕草にまた頭を撫でたくなったのを落ち着けて、彼女に向き直った。
「んんっ……今日の組み手はこれで終わりだ」
「? なんかいつもより早くない?」
腕につけた時計を何度か見て確認する川神さん。
現在時計は午前6時30分。いつもなら7時ぐらいまではやっているので、かなり早めの終了に疑問を持ったようだ。どことなく不完全燃焼な気配も感じる。
これにはもちろん理由がある。それも、彼女の今までからガラリと変化する要素を持った理由が。
不完全燃焼などさせはしない。寧ろ、数日は燃え尽きるぐらい疲れることをやってもらうのだから。
「基礎はこれからもやっていく。君が続けてきた理由であるように、基礎を疎かにするとそれ以上のことは上手くいかないからな。けれど、今日からはそれに加えて新しい修行に入る。だから早めに切り上げたんだ」
「新しい……修行っ!?」
オレの口にしたワードに川神さんは嬉々として飛びついた。いつになく嬉しそうだ。ぴょこんと立った犬耳とぶんぶんと振るわれる尻尾の幻影が見える。
オレは苦笑しながら彼女を見据えた。少しだけ視線に真剣さを混ぜる。
「そうだ。今日からやっていくのは――」
見上げてくる彼女に向けて、
「――――気の修練。つまりは気を自由に操る方法を修行する。これを覚えれば、川神さんの戦い方の幅は飛躍的に広がっていくはずだ」
その方針を告げた。
遥か遠い過去。自分が師匠から習ったように。そして、それを今度は彼女に伝えるために。
「気って、身体の中の内気功とかじゃなくてお姉さまの技みたいなことよね……わ、私にも使えるの……?」
「もちろんだ。初めてのことばかりだろうから戸惑うかもしれないけど、川神さんならきっとすごい使い手になれるはずさ」
お世辞では無い。彼女にはみたところ格闘術の才能はそこまでないが、その内に満ちた気を探った限りではその方面の才能は低く無いと判断した。断言はできないが、修行しだいで化ける可能性は大いにある。
オレの言葉に川神さんは照れたように俯き、髪をくるくる指に巻いた。
「そ、そうかな……? 気を使った技はほとんど上位奥義か集団技、それか師範代が自分で考えた固有の技ばっかりだから、川神院でもそれの修行はしたことないけど……孫くんが言うなら間違いないわね。ワクワクしてきたわ、何をすればいいの?」
力強く見返してくる瞳。早くも乗り気になったようだ。
「最初は気の存在を認識できるようにすること……っと、これはある程度はOKだから、あとは広域に渡って正確にできるようにすればいいんだけどそれは追々、これらの修行と平行してやっていこう」
簡単な説明をしてその概要を説明する。そしてその場に座るように川神さんに指示し、向かい合うようにして自分も原っぱに座り込んだ。
「まずは自分自身のこと――――戦闘時みたいに技を使ったり、感情を高ぶらせなくても自由に気を発動できるようにするんだ。川神さんは身体の中の気は少し分かるみたいだけど、今回は身体の外で気を発現させる。心を落ち着けつつ両手を胸の前に出して。そして、そこにある空間を包み込むようにしながら、静かに意識を集中させる―――」
「…………あっ!?」
驚きを示す彼女の声。同じくして、包み込んでいた右手の中に淡い光を帯びた何かが現れ始める。
それは球体の形を取るとオレの掌の中で揺れ動き、その光を力強いものへと変化させていく。
「光が……!」
「これが気だよ。身体の内と外じゃ、コントロールの仕方もけっこう違うから気をつけてくれ。オレは片手でやったけど、川神さんは普通に両手でね。さ、やってみて」
「わ、わかったわ……」
しばらくそれを続けた後、力を抜いて気を霧散させる。川神さんは一度深呼吸をすると、言われたとおりに心を落ち着けていった。
彼女は一瞬で意識を切り替えたのか、身にまとう空気が違っている。いつも思うが、彼女の集中力の高さは相当のものだ。思わず笑みがこぼれた。
この修行は気を扱う上で基本中の基本となるものである。川神さんは長年武道をやってきているし、覚えも普通の人よりずっと早いはずだ。気の存在もなんとなくは感知できるようだから、一日二日かければなんとかものに―――、
「あ、光った!」
「え!? もうっ!?」
驚きのあまりその手元を覗き込んだ。一瞬身体を硬くした川神さんだったが、恐る恐る自分の手を掲げると、その中心には確かに光の球が浮かんでいた。それも不安定なそれではなくほぼ完成状態だ。かなりの力強さを感じさせているのが何よりの証拠である。
オレはといえば、目を瞬かせてその光景を見つめていた。
「ほ、ホントだ……これならすぐに次に移れる……すごいじゃないか、川神さん! ほとんど一発で成功させるなんて!」
「あはは……武術でこんなにあっさり成功したことなってなかったから……な、なんだかくすぐったいわ」
彼女は照れたように笑う。その顔は本当に嬉しそうだった。オレは考えていたプランを彼女に合わせて頭の中で変更していく。一連の基礎修行はしばらく続けていくが、この分ならもっと先に進んでもよさそうだと判断した。
「んー……この分なら、すぐに舞空術に入れそうだな」
「ふぇ? ぶくーじゅつ?」
またしても小首をかしげる川神さん。オレは少しだけ得意げな顔をしながら告げた。
「舞空術っていうのは、気を全身でコントロールして身体を空間内で制御する技……まぁ、簡単に言えば、気の力で空を飛ぶ技だよ」
「そ、空を……飛ぶ!? 気で空が飛べるの!?」
「うん。こんな感じでね」
――――ふわり。
そんな擬音をつけるようにオレの身体が浮き上がる。彼女の目がまたもやまんまるに見開かれた。
舞空術。文字通り気を操って空を飛ぶ術であり、もともとは鶴仙流が誇る独自の飛行技である。
本来ならば、空中に身を躍らせることは武道において絶対にやってはならない悪手だ。
一度宙に跳んでしまえば方向転換はできず自由もほとんど利かないうえ、遮るものもないために相手に対して完全に無防備をさらしてしまうからである。
だが、その前提を根底から覆すのがこの技だ。自分の意志で自由自在に飛行可能な舞空術は、術者の戦いの幅を限りなく広げることができる。またかなりの使い手になれば空中を地上と同じ、いやそれ以上のスピードで以って縦横無尽に移動できるほどの速度を誇るまでになるのだ。
防御、攻撃、回避、奇襲。あらゆる状況において有利に働く、まさに万能技とも呼ぶべきもの。彼女がこれを使いこなせるようになれば、地上戦を主とする他の武道家に対して大きなアドバンテージとなる。
川神さんは数メートル浮かび上がったオレを見て、手をブンブン振りながら興奮気味に叫んだ。
「す、すごい…………すごい、すごぉいっ! まさか空を飛べるなんて! こんなとこでもキャップの勘は当たってたってわけね!」
「? ま、とにかく舞空術はこんな感じだよ」
飛んだ時と同じく、ゆっくりとした動きで地面につく。時計を確認すると、もうすぐ七時半になろうかといったところだった。区切るにはいい頃合である。
「そろそろ時間だな……じゃあ、朝はここまでにしようか。放課後はこの修行の続きをやっていくから、さっきオレがやった時のことを忘れずにね」
「了解! 私、頑張っちゃうわよ……!」
ぐっと拳を握る川神さん。しかし同時にお腹の音も一緒に鳴ってしまい、彼女は引き締めた顔を今度は赤に染めた。
「ははは、じゃあ早く朝食を食べに行こうか」
「うぅ……ビシッと決めたかったのにぃ……」
がっくりと肩を落とした川神さんと一緒に川神院への道のりを歩き出す。彼女を指導している代わりに、川神院で朝ごはんをご馳走になっていた。川神院の食事はなかなかにおいしいので、オレも毎回楽しみにしている。
(それにしても……)
オレはスキップを踏みながら歩く彼女を見つめた。まさか、あれほど早く気を発現させてしまうなんて、本当に驚いた。
内気功は知っていたようだから、気を発動できるのもすぐだろうと考えていたことはある。だが、まさかたったの一度で成功してしまうとは。
この様子ならば、舞空術も大した時間を掛けずに習得できるだろう。
だが、このオレの予想はまたもや外れることとなった。それも、さらにとんでもない方向で。
それはその日の午後に訪れた。
結論から言おう。
彼女は飛べた。しかも、またもやほとんど一度で。
「す、すごい……確かに基本は教えたけれど、もう浮けるようになるなんて……」
絶句しそうになるのを搾り出した声で抑える。確かにまだたどたどしい様子ではあるが、大事なのは飛べたというその事実だ。幼い頃ではあるが、オレですら浮けるようになるまで二日は要したというのに。
川神さんはたくさんの嬉しさと僅かな困惑が入り混じった、なんとも言えないような表情で笑った。
「え、えへへ……実は私も驚いてるの。授業中とか、ずっと孫くんが飛んだイメージをあたしに置き換えて思い浮かべてたんだ。で、それを試したら意外とうまくいっちゃった。マグレだと思うけど嬉しいわ。あたしバカだから、感覚的な事は逆に飲み込みが早かったのかしら」
「い、いや……そんなに単純なことじゃないんだけど……まぁ、いいか。成功はしてるし」
授業そっちのけでやっていたことを注意することも忘れ、やったーやったーとはしゃぐ彼女を見ながら言う。だがすぐに気を引き締めて考察に入った。
(だが何故だ? 何故、こんなに容易く舞空術を……)
驚きのあまり戸惑う自分に対し、彼女は空中でくるりと一回転する。普通は浮けるだけでも仰天ものだ。それが、まだぎこちなさは残るものの、かなり操れるようになっている。驚きもひとしおというものだ。
原理を教えたとはいえ言葉でのみ、実演は朝に一度見せただけである。それで半日後にはもうここまで使えるようになるなんて、いくらなんでも早すぎた。もはやマグレや幸運どころか、筋がいいという領域すら遥かに超えている。
川神さんの肉体の素養は高い。だがそれは普通の人と比べた場合であって、極限値だけをとれば風間ファミリーの女子の中ではおそらく最下位になる。実際の勝負には事前の準備や情報戦が大いに関わってくるが、それらの不確定要素を排除した状態では、肉体のみの真っ向勝負で総合的な勝率が高いとはいえないだろう。
それは決して彼女に才能がないのではなく、他の面子の才能レベルが高すぎるためなのだが――――どちらにしても直接的な肉弾戦の資質はそこまで高くはない。
本来なら戦闘には向かないと判断するしかないのだが、こうまで容易く気を発動できたとあれば話は別だ。
気は生命の根幹を司るエネルギー。もちろん強い肉体に宿りやすいのは自明の理だが、完全なイコールになるわけではない。何事にも例外は付き物だからだ。
巨大なパワーも十分に扱えなければ宝の持ち腐れ。どんなに優秀な武器があろうと兵隊がポンコツなら力を充分に発揮できないのと同じだ。そこで関わってくるのは、気を自由自在に扱う力になる。
彼女の気の力は確かに肉体のそれに比べるべくも無く高い。だが、それでもズバ抜けているわけではない。これからの伸び代は不明だが、現時点の力では女子達の中でも下から数えた方が早いだろう。
ならば彼女の真価はどこにあったのか。
それは気の量ではない。気を扱うセンス――――気を自由自在に操る才能だ。肉体的なものや気の総量などとは異なり、形としては非常に現れにくい素養でもある。
例えるなら、川神さんと同じ気力を持つだけの人間は乗用車。そして一方の彼女はといえば、同じだけの燃料を詰めて燃費も同じ戦闘機だ。燃料と燃費が同等なら、あとはそれを扱う容器の性能がモノを言う。川神さんはそれが桁違いに優れているのだ。
しかし疑問が残る。それほどの逸材ならば、なぜ今までまったく頭角を現さなかったのか。いくら気を使わない方針で育てられたからといって、これは少し引っかかる。
オレは川神さんに関する情報を整理して考えてみる。そして一つの考えに行き当たった。
(――――そうか! 彼女は肉体の強さにこだわっていた……姉である百代さんの体力や筋力、瞬発力や反射神経、それから齎される格闘の技術……それらはすべて桁外れだ。いつもその様子を間近で見ていた彼女が、強くなる理想点を身体の性能だと決めつけて、自己に投影してしまっていたとしても不思議じゃない。肉弾戦が弱いのが原因……それが強くなれば、格闘も気もすべて上手くいくと思い込んだ……)
思い出してみれば、いつも川神さんが使っている技は気がなくてもできるようなものだけだった。川神院では、強い肉体や技術がないと気は教えてもらえないと聞いている。だから武術の才能があまりなかった川神さんは、気の才能も同程度かそれ以下だと思われて、気を使用しない汎用型の技を中心に教えられたのだろう。
(確かに、気を使用しない技なら川神さんのような人でも充分使える。だが逆を返せば、技の性能を上げるために身体のポテンシャルに頼る割合が多いということだ。それで肉体に固執して、固執するあまり無意識下で気力のほぼすべてをセーブしてしまった……だから本来持つ気の素養がほとんど発揮されず、逆に身体の内と外の波長も崩れて、全体のポテンシャルまで下げてしまっていたんだ)
一度気づいてしまえば、それは至極当然のことであると言えた。強さの伸びが遅いのも当たり前だ。彼女は自分のもつポテンシャルを無視して、それとは間逆の分野で戦っていたのだから。
言うなれば、戦車でカーレースに挑むようなものだ。いくら戦いでは無敵でも、純粋な早さを競うようなレースでは、戦車もその力をほとんど発揮できないだろう。元々の用途ではないもので強引に行おうとしていれば、無理がくるのは当然だ。
(だが、気を意識の中心に据えたことでそれらが一気に解消され、今まで身体の奥底に封じ込められていた力が引き出され始めた……オレだって今そうなってやっと気づいたぐらいだ、百代さんたちが気づかなかったのも無理は無い……初めて彼女と手合わせしたときに感じた違和感……あれは何かで強引に蓋をされた気が、押さえつけようとする力を振り切って肉体から噴出しようとしていたものだったんだ……!)
はじめは、彼女が気の扱い方が下手だからだと思っていた。だがそうではなくて、自分の求める戦い方に合っていなかったがために無意識下で封じていた結果だったとしたら、その力を意図的に発動させたとき、齎される力の凄まじさがどれほどになるのか予想がつかないのだ。
(確かに強い肉体は気の操作に必要不可欠。けど、気の修行と肉体の修行は方向性がまったく違う。お互いを補い合うようにしてこの二つを行って、初めて武術の修行になる。気の修行を行うことで肉体のパワーも同じように引き出されやすくなっていくから、まだ相当の伸び代が彼女にはあるってことだ。それにこの方法なら、身体の劣った部分も十二分にカバーできる……!)
気による強化と肉体による気の制御。これらを自分に合った方法でバランスよく扱うことがその者の
話を聞く限り、彼女は今まで姉貴分である百代さんに追いつこうと必死になっていたはずだ。それこそ血の滲むような努力をして。依然としてまったく届かない姉のことを心より尊敬し、その裏で僅かな焦りを抱えていることも言葉の端々から読み取れた。
だが、それは川神さんが百代さんと『同じ方法』で強くなろうとしていたからだ。さっきもいったように、オレから見て彼女の武術に関する才能は風間ファミリーの女性達の中で最低である。勝負は時の運とはいうものの、小細工なしの正面から、それも純粋な武術のみでぶつかれば、どうしたって川神さんに勝ち目は薄い。
しかしだからこそ、気による術や技の要素が彼女にとっての切り札となりえる可能性が高いのだ。『強さ』とはなにも近接の戦闘力だけではないのだから。
(確かに彼女の身体ポテンシャルは高くない。だが気の強さは相当なものだし、何よりその操作や術を構築する素養はおそらく彼女たちの中でも飛びぬけて優れている。それこそ百代さんよりも遥かに……クリリンさんと同じでパワーよりも気の扱いに秀でたタイプ……いや、武道家というより術師の才能だ。それも、緻密な気のコントロールを必要とする舞空術を、こんな僅かな時間で自力成功させてしまうほど破格の力……いいぞ……もしかすると、川神さんはオレが思っていた以上にとんでもない才を秘めているのかもしれない……!)
肉体の力だけに頼らない、気を使った戦い方。それは彼女に差し込む光明だ。その強さの限界を途方もなく押し上げてくれるに違いない。純粋な体術とはいかないので最初は少し歯痒いかもしれないが、ここは我慢してもらおう。
それに術や技だけではない。気を完全にコントロールできるようになれば、力を解放して肉体のポテンシャルを爆発的に高めることもできるのだ。それが彼女の武術と合わされば、今までを遥かに超える武の力を発揮することも夢ではない。
オレは頭の中で彼女の修行予定を大幅に改定していく。武術の修練をこなしつつ、気を最大限に扱うことができるようになる修行内容へと。
「あ、私が飛べることはまだ内緒にしておいてね。完璧に使いこなせるようになってから、お姉さまたちを驚かせたいの。むふふ、今から楽しみだわー!」
舞空術を随分と気に入ったのだろう。今だ宙に浮かびながら、川神さんは唇に人差し指を当てて微笑む。その様子にオレまで嬉しくなった。
――――ただ強くなりたい。
その昔、自分も追い求めていた純粋な気持ち。それを持ち続ける少女に少しばかりの羨望を抱きながら。
「……よしっ! じゃあ次だ。舞空術は要練習にしておいて、今度は気のコントロールを――」
大きく気合を入れたある日の午後。
それは後に一子の武道家としての転機となった日であった。
今作品初となる幕間ストーリーはいかがでしたでしょうか。
こういう流れなので各々で意見があるとは思いますが、今作品でのコンセプトはこのままいこうと思いますのでよろしくお願いいたします。
オリジナル設定ではありますが、原作にて言及していなかった部分を上手く拾いましたので矛盾は無いはずです(本編で語られなかった部分を付け加えたぐらいに思ってくれれば)。
それではまた次回にてお会いできることを!
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第7話 いざ箱根
いやはや、すぐ投稿するなどと申しておりまして、気がつけばすでに一年が経ってしまいました……
いろいろなことが重なった結果と私自身が小説執筆より離れていたことも手伝って、ハーメルン様より遠のいていた結果こんなことになってしまいました。
本当に申し訳なく思います。
これだけ待たせてしまっては取り繕うのもみっともないので正直に申し上げますと、今後も短いスパンでの投稿は難しく、どうしても間が開いてしまうことになるでしょう。
他の作者さまたちのように定期的にというわけにはいきませんが、細々と更新していきます。どうぞご了承をお願いします。
それでは久々の投稿にしては非常に短いですが、よろしくです。
「旅行?」
「うん、キャップが商店街の福引で当てたの! 団体様だから風間ファミリーみんなで、って!」
読んでいた本から顔を上げる。教室にいたオレの元に届けられたのは、風間ファミリーにおける新たなイベントに関する報告だった。
「それでどうかな? 孫くんは来てくれるよね? あ、仲間じゃないからとかそういうのは無しよ。確かにファミリーには入ってないけど、私達が誘いたくて誘ってるんだから」
一応の念を押してくる川神さん。正式に仲間にはなっていないので少し気がかりなのだろう。断った俺の立場からすると何ともいえないが、それでも変わらずにいてくれる彼女に感謝だ。本当に気のつく優しい子である。
オレはそれに苦笑すると、机の中のメモ帳を手に取った。
「うーん、予定も特に無いし、英雄に呼ばれる予定は少し先だし……うん大丈夫だ。行くよ」
真新しいそれを開き、確認してから頷く。
こういう予定などはみんな携帯に書き込むことが多いそうなのだが、オレはあまりそういったものは得意ではないので、マイナーでも使いやすい方法を選択している。おかげで鉄心さん名義で作ってもらった携帯の操作がまだほとんどできず、いつも誰かにやってもらっているのだが。
「じゃ、その日は空けておいてね。あっと、行き先は箱根よ。けど、みんなで旅行なんて久しぶり!」
テンションが上がってきたのか、ブンブンと腕を振る川神さん。
旅行か。そういえば物心ついたころには戦いが始まってしまっていたから、そういうことをした記憶はないな。初めての旅行が異世界でなんて、少し笑ってしまうけれど。
「あ~、今から楽しみになってきたわ!」
嬉しそうに笑う彼女につられてオレも顔が綻ぶ。スケジュール欄の日にち部分を指でなぞり、該当する部分へボールペンで予定を書き込んでいく。
心なしか、いつもより字が弾んでいた。オレも年甲斐もなくワクワクしているようだ。
窓から空を見上げる。
それはまもなく4月が終わろうかという時期のことだった。
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特急踊り
川神から箱根方面へと延びる特急列車だ。箱根までの時間は約一時間半ほどで、その間をまったりと過ごすにはいい路線だ。これぞ旅の醍醐味というヤツである。
「晴れてよかったよね。せっかくこっちに乗ってるんだから、余すところなく楽しみたいし」
モロが窓の外を見上げながら言う。
今日、悟飯と風間ファミリー一同は普通の踊り漢ではなく、スーパービュー踊り漢と呼ばれる方に乗っていた。名前からも分かるとおり特急踊り漢のランクアップバージョンで、新幹線で言うところのグリーン車に当たる。
値段も当然に高めになるのだが、そこはキャップの引き当てた福引のサービス性に感謝だ。この列車の料金も内訳に入っているため、全員財布を痛めることなくこの豪華な列車に乗ることができている。
列車の内装もいいが、何よりの見所は見える景色が素晴らしさだ。時折見える海などは、本日の天候も相まって気分の高揚を後押ししてくるようである。
「本当だぜ。これも俺様の日々の行いの良さを労っているに違いないな」
「ガクトにしては気が利いた冗談だね」
「くぉらあモロ、誰が冗談だ!」
「ククク、8点」
「てめぇもしっかり点数つけてんじゃねぇ京!」
本日旅行初日。風間ファミリーのメンバーと悟飯による二泊三日の箱根への旅だ。
絶好の旅行日和。メンバーのテンションが高いのも頷ける話だった。ガクトたちだけでなく、まゆっちも昼用にお弁当を作ってくるなど気合が入っている。
「おいしいな、このおにぎり。さすがまゆっちだ」
「い、いえいえいえいえいえ! 私なんかまだまだで……」
「そこにスペシャルスパイス」
「すかさずブロック」
もはや劇薬クラスの唐辛子パウダーをかけようとした京を大和が止めに掛かる。その判断は賢明だ。
「うー、大和がいじめるー……付き合って」
「一日は長いんだ、ここで脱落するのは困る。こんなときぐらい自重してくれ。それとお友達で」
『さりげなく応酬してるあたりさすが二人だぜ。まぁアレは調味料の領域を超えてるからなー。京の姉御は相変わらず過激だー』
「ククク、過激さこそ強さ」
「貞淑さも重要だと思うけどね」
「ZZZ…………」
「一番はしゃいでた奴は寝てるしな……キャップらしいが」
みな、各々に旅行を楽しんでいるということだろう。四人がけボックス席のにぎわいは止むことがない。周りにそれほど客がいないこともあり、風間ファミリーから発せられる音量は結構なものとなっていた。
「んで、さっきから気になってんだが……ワン子と孫のやつは目を瞑ったまま何してんだ?」
ガクトが隣のボックス席を指差しながら言った。その言葉に反応して、全員の視線が二人に向けられる。
「「…………」」
メンバー達が各々旅の醍醐味を堪能している横で、二人は一言も言葉を発さずにいた。四人がけのボックス席に向かい合うようにして座り、水を向けられても身じろぎ一つせず静かに座り続けている。
乗ってからしばらくしてこの状態になってもう三十分あまりになるので、さすがの彼らも気になっていたのだ。
「ほう。こんなところまで修行とは熱心だな。もっとも、真面目二人が合わさればこうなるだろうとは思ってたが」
「あ、モモ先輩、早かったね」
「大学生のねーちゃんたちがさっきの駅で降りてっちゃったんだよ。暇になって戻ってきた」
京が姉御の帰還にペットボトルを手渡す。百代はそれを豪快に一気飲みすると、モロ達と同じボックス席に座った。仕草からして男らしいが、そこは突っ込まない方向なのか全員苦笑にとどめるのみである。
クリスが再び悟飯たちへ目を向けながら訊ねた。
「それで、犬と孫悟飯はいったい何の修行をしているんだ?」
「これはイメージ修行だな。頭の中で架空の相手との戦いを思い描いて自分の戦術を見直したり、その力量を確認したりしているんだろう。二人でやっているから仮想空間での架空組み手といったところか。実際に戦うことも大切だが、こういう精神下での修行も案外馬鹿に出来ないぞ」
「へぇ~、そんなこともできるんだ」
「ワン子が修行をつけてもらってるってのはホントだったんだね」
「ああ。本当なら私も一緒にしたかったんだが―――」
『ならん! お前がいたらすぐにバトルになるじゃろうが! 前もそれで暴走したんじゃからな、許可が出るまで孫と戦うのは禁止じゃ! 同じ理由で修行を見るのもダメじゃぞ、可愛いワン子に悪影響が出るわい!』
「――――って、じじいとルー師範代から止められてな。ったく、自分の孫は可愛くないのか……まぁそういうわけで、今は悟飯とワン子だけで修行している。いつも一体どんな修行をしているのかだけでも知りたいが、ワン子も秘密だから見ないでねの一点張りでな……あーっ! きーにーなーるー!!」
手足をジタバタさせながら不満を露にする百代。その子供のような姿からは武神の貫禄などかけらも感じられない。呆れたような、いや諦めたような生暖かい視線が彼女に注がれる。
と、そこで今まで目を瞑っていた一子がビクッと身体を揺らした。まもなくして、その目がゆっくりと開かれる。その瞳には若干の悔しさと共にしっかりとした充実感が満ちていた。
「ふぅ…………あーあ、負けちゃった。やっぱり孫くんは強いわねぇ」
「簡単には負けてやれないかな。けど川神さんもすごいよ。もうそんなに出来るようになったんだな」
同時に抜けたトンネルの切れ目から差し込む光に目を細めつつ、一子が苦笑する。
イメージ内でどんな戦いを繰り広げていたのかは他の面子には分からないが、一子が着実に力を上げているのは本当であるようだ。百代だけでなくクリス達も気になるのだろう、その内容にひそかに聞き耳を立てている。
実際のところ、悟飯と修行を始めてからの一子は今までとは明らかに違う伸びを見せていた。彼女の進むべき方向を悟飯が的確に指し示しているからである。実力者である百代や由紀江は、一子がそれなりの進歩を見せていることは感じ取っていた。
が、その変化の本当の大きさに気づいている者は悟飯以外にはいない。先の二人を含めても、だ。
その理由として一子の修行内容と彼女から出た希望、そして悟飯が彼女に課したいくつかの誓約が関係しているのだが、ここでは割愛する。閑話休題。
ともあれ、二人は修行を終えて一息をついていた。一子は握りこぶしを作りながら意気込んで見せる。
「これなら動いてない時も修行できるもの! 川神院でもやってたけど、孫くんの教えてくれたやつの方が私に合ってるみたい。授業中とかでもバッチリよ!」
「い、いや、前にも言ったけど授業中は勉強しなきゃダメだよ、川神さん……」
その顔に満面の笑みを浮かべて話す一子に悟飯は冷や汗を流す。彼女の修行好きは認めるが、それで成績が下がってしまっては元も子もないからだ。
何よりも自分を信じて任せてくれた鉄心さんに申し訳が立たなくなってしまう。亀仙流でも教えているように、可能であれば武道と学問を両立できてこそ真の武道家なのだから。
そしてその考えはここでも共通認識だったらしい。常日頃から彼女の教育係となっている大和と京がにゅっと顔を出すと、ジトッとした視線を一子に向けた。
「孫の言うとおりだぞワン子。というか、あんだけ俺が起こしてやってんのにその台詞は聞き捨てならん」
「この先成績が下がったら、その都度『指導』のレベルを上げてくから覚悟しといてね」
「うわぁぁぁん、あれ以上のお仕置きなんていやぁぁぁぁ」
一子の自信に満ちた顔が一瞬で崩落する。既に半泣きの彼女に、二人ともそこはかとない笑顔を向けているあたりが割りと本気で怖かった。
皆で会話を弾ませながら規則的に揺られること数十分。オレと風間ファミリーの面々は列車を降り、今日の目的地、箱根湯本にある旅館を目指す。
旅館は山の上にあるので、足に困らないよう駅からバスが出ていた。しかし、オレはその横を素通りする。先ほど道のりを確認したところ、そこまで複雑ではないので丁度いいと思ったのだ。
「うーん、やっぱり森が近いこともあって空気がおいしいわー!」
振り返ると、川神さんが足を曲げたり背筋を伸ばしたりして身体をほぐしているところだった。それを見て思わず笑みが零れる。別に示し合わせていたわけではないのだが、彼女ならこっちへ来るだろうと予想していたからだ。
「よいしょ、っと。アタシは孫くんと一緒に走っていくわ!」
「今日のノルマは十分にこなしただろう私達は」
ブーたれる姉貴分を尻目に、一子はぶんぶんと腕を振った。
「電車でずっと動けなかったから身体がうずうずしちゃってるの。なんだか力が有り余ってるみたいで。あ、クリも走らない?」
「山道か……いいだろう。自分もノルマはこなしたが、そこまで鍛錬に精を出すというなら付き合ってやる。どちらが旅館まで先に着けるか勝負と行こうじゃないか」
「ふふん、望むとこ……あ」
クリスの挑発に不敵な笑みを返そうとした一子の動きが止まる。何かを思い出したようなバツの悪そうな表情。当然のごとく挑発返しをしてくるだろうと構えていたクリスも、彼女のその様子に眉を寄せる。
だが、それは一瞬。僅かな逡巡も見せず、一子は申し訳なさそうに首を振った。
「あー、悪いけど……しばらくそーいうのはなしよ、クリ」
「……何?」
クリスが目を見開いた。この反応には他の面子も驚いたようで、みな成り行きを見つめている。
そんな外野を一瞥したあと、一子はクリスを正面に捉えて再度口を開いた。
「アンタと勝負はしないわ。純粋に身体を鍛えるだけ。アタシ達と同じ目的で走るだけならいいけど、勝負をしたいのならアタシ以外でお願い」
「な……自分との勝負ならしないだと……!? それは一体どういうことだ!」
一子の言葉に食って掛かるクリス。自分が軽く見られたと勘違いしたようだ。かなり頭にきたのだろう、その額に青筋が浮かんでいる。
それに対し、同じ調子で一子は付け加えた。
「どういうことも何も、これからしばらくのあいだ誰が相手でも勝負は控えることにしたのよ。別にアンタとの勝負だからしないわけじゃない。こっちもちゃんと理由があんの」
「理由だと……? ははぁ、わかったぞ。貴様、負けるのが怖いんだろう? 負け癖はしつこいというからな、それが今回も、しかもまた同じ相手である私に負けたとあってはなぁ……」
「ぐっ……だからアンタが相手だからとかは関係ないって言ったじゃない! とにかく、しないったらしないの!」
わかりやすいクリスの挑発に半分キレながらも拒絶の意を示す一子。彼女の性格からすれば、今の状況はとても歯痒いものであろう。何せ、一番勝負したいと思っているのは他ならぬ彼女なのだから。
似た者同士と言うことだろうか。どちらにしても、あれだけいつもぶつかっていれば本質が似ていることは確かだ。そのことに僅かに苦笑する。
オレは言い争う二人を仲裁するようにしてその間に入った。
「まぁまぁ、川神さん抑えて。フリードリヒさんもその辺にしてやってくれ。今言ったように川神さんにはちょっとした理由があるんだよ。彼女も別に君と勝負したくないわけじゃないから」
「孫悟飯? ふむ、まあいい。師匠であるお前がそう言うなら、今のが逃げ口上でないことは確かか。わかった、今回は引いておこう。それに犬がどうであろうと、自分は自分のことをこなせばいいだけだからな」
少しだけ得意げに笑うクリス。挑発ではないようだが、どうやら彼女は意識しない状態でも相手を煽ったり雰囲気を無視しても自分の意見を主張したがる性質があるようだ。父親は軍に身をおいているらしく、彼女自身も訓練などに大いに関わってきたと聞いているから、それも影響しているだろう。
「(がるるるるる……)」
クリスの余裕の笑みを見てさらにボルテージが上がったのか、一子は怒りを押し殺すように唸っている。オレは苦笑しながら彼女に耳打ちした。
「(ふぅ。気持ちは分かるけど、今はまだ堪えてくれ。そもそもこれは川神さんが希望したことじゃないか。いや、オレもできればそのつもりではあったけれど)」
「(わ、わかってるわよぉ……でもやっぱり悔しいぃぃ……えぐえぐ)」
今度は目に涙を溜めて泣き出した。感情表現が豊富なのは彼女の長所だが、こういう時にまで発揮されるのは困りものだ。もちろんこういう性格だからこそ皆に好かれるのだろうが。
会話が途切れたのを頃合としたのだろう、すかさず大和が口を挟んでくる。
「さ、徒歩組は行った行った。バスで旅館まで30分かかるんだ、徒歩じゃどうやったってその数倍、山道じゃさらにかかるぜ? 早めに出発したほうがいいと思うけどな」
「そうだな。じゃ、さっそく行こうか川神さん」
「わかったわ……と、その前に一つだけいいかしら?」
走り出そうとした背中から再び声がかかる。振り返ると、川神さんは腕を組んで考え込むようにして言った。
「最近ずっと思ってたんだけど、その川神さんっていうのちょっと他人行儀じゃない? 仮にも師弟関係なんだから、もっと気安い呼び方でいいと思うのよ。だからもし孫くんがよければだけど……これからアタシのことは名前で呼んで欲しいの。ファミリーの皆もそうしてるし」
「名前で?」
鸚鵡返しに聞くと、彼女は再び首を縦に振った。そのままじっと此方を見つめてくる。
いきなりの提案ではあるが、別段反対する理由はないし、これからのことを考えれば好都合かもしれない。
それに、あまりゆっくりはしていられない。早く先に行ったクリスを追いかけなければ、みんなをさらに待たせてしまうかもしれないからだ。
オレはすぐに頷いた。
「ふむ……うん、わかった。なら、これからはそう呼ばせてもらうよ。それとオレのことも悟飯でいいから。よろしく、一子」
「へっ!?」
なんだか妙な声が聞こえた気がする。オレは山道の方へ向けようとしていた視線を再び戻した。
「ど、どうした? やっぱり何かまずかったか?」
問い返す声に彼女は答えない。視線はオレから外すようにしているが、チラチラとこちらを窺っていた。目が合うと慌てて顔を逸らしてしまう理由はわからないが、少なくとも怒っていたり悲しんでいるわけではないようだ。
そうこうしているうちに川神さん――、一子もすぐに元の調子に戻っていた。
「う、ううん、何でも!? ちょっと驚いただけだから……じゃあ改めてよろしくね孫く……じゃなかった。ご、悟飯くん!」
「ああ、こちらこそ」
オレの答えに一子は少し慌てたように後ろを向いた。理由が分からず首を傾げるが、なんでもないというからにはたいした理由ではないのだろう。
そう考えて、オレは再び山へと視線を向けた。もうクリスが出発してから数分は経つ。思った以上に時間を食ってしまった手前、少し急がなくては。
「じゃ、行くぞ」
「ええ。今日こそちゃんと最後までついて行くわよ」
言葉と同時に二人は地を蹴る。空気が揺れる音を聞きながら、二人は同じ方向へと飛び出した。
一瞬後の駐車場。二人の姿は影も形もなくなっていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「(び、びっくりしたぁ。いきなり呼び捨てにするんだもん)」
足場が悪く獣道が続く山道。以前の私ならば走るだけで一苦労だった道のり。木漏れ日が差し込むその中を
胸に軽く手を当てる。心音が早い。走っているから動悸は早くなるのは当然だが、先ほど感じたのはどこかそれとは違うものだった。
修行中の苦しさなどからくるものではないと思う。もっとこう、ほんわかするというか、それでいて梅先生に指された時みたいにビクッとするような、でも嫌じゃない感じ。
(……そういえばファミリー以外の男の人に呼び捨てで、しかもちゃんとした名前を呼ばれたことあんまりなかったからかも)
思えば自分を呼び捨てにする男性といえばルー師範代やじーちゃん、釈迦堂師範代あたりしかいない。修行僧のみんなはさんづけだし、川神学院のみんなは幼馴染のかっちゃん、源忠勝を除けば彼らと同じか苗字や愛称ばかり。九鬼くんとかは……あんまり考えないようにしよ。なんか、思い出すだけで苦笑いしちゃうし。
ともあれ、仲の良い男友達も意外と少ないからびっくりした。かっちゃんは物心ついた頃には既にそうだったから全然気にしていなかったが、今のようにいきなり変わると意外とビックリするものだ。
修行漬けの日々だったことも手伝ってしまっているのかもしれない。我ながら色気が無い青春だ。
呼ばれたとき動揺したのもそのためだろう。自分でいっておいて今更だが、この提案は私にとって願っても無いことだ。師弟関係ならば絆が強くなるのは当然だし、目指す人に対してずっとよそよそしかったら逆に失礼だ。
(何より、悟飯くんは武術の師匠で大切な友達だもん。いきなりだったから驚いたけど、そう呼ばれるのは悪くないわね。うーん、疑問も解消して気分いい! もちょっとペースを速めよっと!)
すっきりした気持ちが後押しして、軽くなった身体で山を駆ける。
かなり前を行く悟飯くんの背中を見つめながら、私もいつか彼の元まで追いつきたいと思うのだった。
第七話でした。
どうでしたでしょうか。久々の更新というかハーメルンを覗いてみて、戦闘シーンの練習のためにはじめた真剣Zの反響が思いのほか大きかったことに驚きました。
ドラゴンボールとマジ恋のファンの方が非常に多いことの表れですが、そんな作品の二次創作を欠かせていただくことを光栄に思います。
相変わらず今後も更新は安定しないと思いますが、それでもよろしい方、どうぞよろしくです。
並びに毎回の誤字、脱字等ありましたら報告よろしくです。
私がいなかった間、感想を書き続けてくれた皆様、いろいろなコメントを書き込んでくれた方、本当にありがとうございました。
この場をお借りいたしまして感謝と謝罪をいたします。
それでは、また次回にて。
…………次はもう少し早くお会いできることを。
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第8話 紅の猟犬(前編)
そうでない方は本当にお久しぶりです。
前回の執筆より気づけば半年以上が経過してしまいましたが、ようやく執筆が完了いたしましたので投稿いたします。
それではどうぞ、ごゆっくり。
「ふぅ、いい湯だね。温泉はやっぱりこうでなくちゃ」
「ああ、たまにはこういうのもいい」
少し熱めの湯に浸かりながら、モロと大和はふぅと短く息を吐いた。周囲を山に囲まれているためか、室内においてもなおその空気は澄んでいた。立ち上る湯気などと共に、温泉の効能を身体に染み入らせるように深く吸い込んでいく。
都市化が進んだ川神とは質が違うだろう。主にマイナスイオンとかそこらへんの関係で。
悟飯も腕を伸ばしてストレッチしながらこの空間を満喫していた。
「温泉っていうのは初めて入ったけど、結構気持ちいいものなんだな。風呂もすごく大きいし」
「お、なんだ悟飯。今どき温泉初体験なんて珍しいな」
洗い場で体を流した翔一が、湯船に足を入れながら悟飯のそばに腰掛ける。肩から背中へとタオルを流すさまは、江戸っ子のような佇まいを見せていた。川神市生まれの川神市育ちではあるけれども。
悟飯は隣に来た翔一に笑みを零し、右手で湯を掬った。
「オレの家は山奥にあっていつもドラム缶で作った風呂に入ってたから、こんなに大きな風呂自体が初めてなんだ」
「おっ、ゴエモン風呂ってやつだな! 俺も好きだぜ、あれ。星空を見上げながら入る時なんか最高だよな!」
「ああ。オレも小さい頃に父さんと――――」
共通の話題から話を弾ませる二人。その様子は長く時間を共にしてきた友人のようだ。モロが珍しいものを見たような、だがどこか納得というふうな表情で頷いた。
「驚くほどキャップと話が合ってるよね。まったく予想しなかったわけじゃないけどさ」
「元々が旅人らしいからな、冒険家とは毛色が似てるんだろ。ま、それを差っ引いてもクラスメイトとの会話を聞いてる限りじゃ、孫の性格や周囲への反応は珍しい部類に入るだろうが。うちのリーダーには遠く及ばないが、女子たちへの興味も普通の男子と比べたらかなり薄いみたいだし。孫自身、親切ではあるけどな」
大和と共に二人を見ながら苦笑する。百代との決闘以来悟飯を注意深く観察してきた大和はもちろんのこと、卓也も悟飯の人となりをそれなりに見極めはじめていた。
それはこの旅行に誘う前のことだ。不満げに膨れる京とそれを見守っていた他メンバー全員に向かって、大和はこれまでのことを報告していた。
まだ分からないことも多いが、その本質に関して「少なくともこれだけは言える」と前置きをして。
(孫は……色々と不器用なだけだ、たぶんな。表裏がなさすぎて、色々と策考えてた自分が少し恥ずかしくなった)
一子や翔一は勿論の事、クリスや由紀江、そして驚くことにガクトもこれに賛同し、モロもコメントこそ出さないが肯定の意思が表れていた。
そして自らが想い慕う彼にこれだけ確信と自信を持って告げられては、京も不承不承ながらも折れるしかなかったのは事実ではある。だが一応でも了承したのは、大和の言ったことを彼女も薄々感じ取っていたからだ。
確かに戦っている時に見せた悟飯の気迫は本当に凄まじい。川神の武神である百代を圧倒したその実力は本物だし、争うとなればまず勝ち目は無い。敵に回ればこの上なく危険な相手であることも理解できている。
だが、日常の中にいる時の悟飯は大和たちにその危機感を薄れさせるような人間だった。
普段の彼はと言えば、本当にあの時と同一人物なのかと思うほどに穏やかで優しい。男女の誰に対しても分け隔てなく接し、クラスメイトの誰かが困っていれば損得勘定など何も考えずに力になろうとする。
また、その強さの割に人間性や価値観は普通の人間と変わりなかった。多少ズレているところもあるが、真面目なのと同時に恥ずかしがり屋で、自分に話しかけてくる女子生徒たちを上手くあしらう事が出来ずに右往左往することも多い。
勝負をせがむ百代が抱きついただけで顔を赤くする姿は、彼が天下無双の武道家ということを忘れさせてしまうほど微笑ましかった。
孫悟飯は自分達の敵ではない。
ただ真っ直ぐなだけで、あの時はただそれがぶつかっただけなのだと。そう大和たちに思わせる何かが彼にはあった。
キャップと歓談を続ける悟飯は本当に楽しそうだ。
戦っている時とは真逆の、自分達のリーダーの似た、少年のような笑顔。彼の周りに人が集まってくるのも納得できた。
一方、それを横目にしていたガクトは勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「ふ、まだまだガキってことだろ。俺様のようなダンディさと大人の余裕は持ってないってことさ」
決めポーズよろしくカッコつけるガクト。だが残念ながらカッコがつかない、というか正直カッコ悪い。あまりにも絵にならなすぎて、昼食に食べた蕎麦が逆流してきそうだ。
「ガクトのはダーティーの間違いじゃないのか?」
「それに余裕がある人ほどがっつかないもんだよ?」
「うるせえぞてめぇら! 大人の俺様にはお子様談義は受け付けねーんだよ。それよか見ろ、この麗しい筋肉美!!」
「うわぁっ、少しは隠してよ! ガクトのはグロイんだよ!」
「放送コードに引っかかる前に自重しろ。それに、本当の筋肉美ってのはああいうのを言うんだ」
ため息をつきながら親指を後ろに向ける。その先を目で追うと、果たして困り顔の悟飯がいた。対して、傍にいるキャップの目はキラキラと輝いている。
「おー、すげぇな悟飯! 武道家ってことだから予想はしてたけど、相当身体引き締まってるじゃねぇか。マッチョだけど暑苦しさはねぇし、身体の色が薄いからすげー映えてるぜ!」
「そ、そうか? それなりに鍛えてあることは自覚してるけど、改めて言われるとなんだか照れるな……」
無遠慮にペタペタと体に触れる翔一に悟飯は対応しかねているのか、頭を掻きながら苦笑いしている。大和はキャップが絶賛したその体をまじまじと観察して頷いた。
「孫のは戦うって目的のために鍛え抜いた正真正銘武道家の肉体だ。より実戦的で無駄が無いぶん綺麗に見えるんだろう。あの修行馬鹿のワン子が並じゃないって言うぐらいの修練らしいし、ガクトのなんかとは比較にならないのは当然だ。傷が多いのがアレだが、嫌な感じはないからな」
「な、なんかちょっと憧れるよね。女子たちが騒ぐのも分かる気がするよ」
「ぐぉおおおおっ、何故だ! 同じ筋肉担当なのに、なぜ俺様とはこうまで扱いが違うんだ!?」
「完全に普段の行いのせいだろう。そこにルックスと性格も加えれば、理由は考えるまでもない」
「だね」
頭を抱えるガクトに冷静かつ的確に突っ込む二人。悲しいかな、それがモテる男とモテたい男との違いである。
悲しみと苦悩に満ちたガクトの咆哮はモロの被った息子について話が変えられるまで続く。そして明日は隣の旅館を覗きに行くという話題でガクトは息を吹き返し、欲望まみれの話題で盛り上がる場に悟飯は苦笑いを零すのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「あ~、生き返るな」
間延びした声が、エコー気味に木霊する。
所変わってここは女湯。
ある者は昼間の修行でかいた汗を。ある者は久々の遠出による旅疲れを。
各々、その経緯は違えど自分の肩の重みをほぐすように湯をかけ、疲労と汚れを洗い流していく。
泉質は天然であることを証明するかのように僅かに黄色がかり透明度も高い。浴槽の隅から勢いよく溢れるお湯は少し熱めで、掌で掬い上げると、独特の手触りに加え温泉特有の硫黄臭をあたりを満たした。
「結局ワン子の勝ちだったんだね。結構早かったから普通に驚いたよ」
浴槽の淵に腰掛けた京が後ろを振り向きながら声を放る。相手は頭をガシガシと洗っていた一子だ。
汗を掻いた肌にはやはり気持ち良いのだろう。目を細めて身体を伸ばしつつ、ん~、ま~ね~、といった気のない返事を、シャワーから迸る湯に混ぜていた。
「犬! 貴様ズルをしただろう! 私は追い抜かされてはいなかったんだ! それなりに通ることができた山道は一本しかないのに、あとを走っていたお前たちが先に着くなんておかしいじゃないか!」
その隣で身体を洗っていたクリスが、ざばーっと湯を浴びつつ吠えた。肩を怒らせながら立ち上がって仁王立ちするその姿は中々に凛々しい。
が、口元を戦慄かせて歯軋りしていてはまったく意味がなかった。
「ク、クリスさん。その、ま、前は隠した方が……」
前面をまるで隠していないところもエセ江戸っ子らしさに満ちている。恥じらいも何もあったものじゃなく、当事者でないまゆっちの方が照れている始末だった。
一方由紀江はというと、注意した本人であることもあり、五人の中では肌の露出面積は少ない。タオルで巧みにガードしている辺り、その育ちのよさも窺える。
だが、その陶磁器のように透き通った肌と見事なボディラインは、タオルの上や隙間からでもはっきりと窺えるほど顕著だ。
隠そうとして隠せないでいることに頬を染めるその様子は、正直男性でなくともぐっとくる。そのことにときめいて毎度のごとくセクハラをかます某武神などがいい例だ。
特に、百代に匹敵するほどの二つの主砲の存在は如何ともしがたく、異性からは舐めるような視線を、同姓から嫉妬と羨望の眼差しを向けられることも少なくない。
とはいえ、内気な性格から来る強い羞恥心と元来よりの慎み深さを持つ彼女が、それをおおっぴらに晒すなどする理由も出来る訳もない。本人も考えてのことではなく、ただの恥ずかしさからそれを隠しているだけであろう。
まったく、大和撫子はかくあるべきである。ただ、欲を言うならもう少し落ち着きを持てば友達も多いのにという苦言は、本人が一番わかっているだろうから敢えて言わないでおく。
と、ここで頭を洗っていた一子が、後ろで吠え続ける金髪少女に水を向けた。
「先に、って言っても十分くらいでしょ。それにさっきの質問には、悪いけどいま答える気はないわ。言っておくけど、アタシはズルなんてしてないし、ちゃんとアンタの姿も確認した。悟飯くんに聞いてみればわかるわ。あと、勝負じゃないって何度も言ったじゃない。いつまで拘ってるのよ」
今までの彼女からは考えられない台詞であるが、暑くなった相手には有効な一言である。それを表すように、言い争いのとっかかりを失ったクリスが悔しそうにワン子を睨んだ。
子供のケンカの場合、片方が少し大人になるだけで大抵は解決してしまうといういい例である。もっとも一子が大人になったわけではなく、悟飯からの言いつけをきちんと守っているからに過ぎないのであるが。
忠犬ワン子の本領発揮とも言える。
「ぐっ、ぐぬぬぬぬ…………っ!」
「落ち着けクリス。ワン子が勝負事に関して卑怯な真似をするような人間でないのは、お前も十分にわかっているだろう。それに今回は勝負でないとはいえ
百代が盛大な欠伸を零しながらクリスをたしなめた。言い方は優しいが、有無を言わせない雰囲気が混じっている。風間ファミリーの姉貴分を勤めてきたその貫禄は伊達ではない。
しばらく面白くなさそうに唸っていたクリスも、自分の言葉が言いがかりに近いものであることはわかっていたのだろう。悪かったなと一言だけ呟くと静かに湯船に浸かった。
もっとも不満に溢れた心情は隠せず、口元が蛸のようになっていることに気づいていないようだったが。
気持ちは大いに分かるがな、と口元を吊り上げてから百代もゆっくりと湯に浸る。そして京と戯れる義妹を横目で見やった。
(悟飯と一緒に修行を始めてもう二週間か。多少重心が変化した以外は見た目も気も全く変化がないが……)
一瞬、その眼差しが鋭く細められ、家族を見るものから武芸者のそれになる。瞳には歓喜と悲哀がない交ぜとなった複雑な光が差していた。
(悟飯も一緒だったとはいえ、まさか山道を走るクリスを追い抜くとはな。それなりに腕を上げているのは確かだろう。こんなに早く結果が伴ってくるなんて正直思わなかったし、既に伸び代のほとんどを使い果たしたと思っていたワン子が、クリスと同等クラスにまで伸びてくれたのは嬉しい誤算でもある。しかし、この先はもう……)
少し熱めの湯を肩に受けながら、百代は一人目を閉じる。
遠くとも、大切な輝きに満ちていたあの日々は今でも鮮明に思い出せる。
いつか自分に並ぶと。
必ず自分の好敵手となると。
そう宣言してくれた
生きる目的を見失っていたあの子が見つけたたった一つの宝石。縋り付くようにして打ち込むようになった、生涯をかけても叶えたいと願った夢。
自分にとっての光をただ追いかけようとしているだけの、清流のように純粋で、どこまでも危ういその姿。
それが脳裏をよぎるたび百代の心には微かな痛みが生まれ、蓄積し、それは消えることなく、月日と共に大きくなっていった。
わかっていた。そう、あの時から既に分かっていたのだ。
その願いは、決してたやすいものではないと。
辿り着かねばならない場所は遥かに遠く、乗り越えなければならない壁は高く険しく聳えていたことを。
近い将来、自分が突きつけなければならない事実。だがそれを目の前にして尚、百代は希望に縋りたかった。
(…………いや、結論は今出すべきじゃない。今は……出したくない。それに今、ワン子には
百代にとって唐突かつ運命的な出会いの相手となった謎の武道家。
自分の常識の悉くをいとも簡単に打ち砕いて見せた、百代が知る限り世界で一番の
彼ならば。
彼が力になってくれれば、自分が半ば諦めていた願いをまた救い上げてくれるかもしれない。
目標に向かって直走る義妹を見ていることしかできなかった
そんな手前勝手な願望が百代の中には浮かび始めていた。
わがままに過ぎるその願い。だが、どうしても否定したくなかったその想い。
夢は夢で終わってしまうのかもしれない。現実の厳しさもわかっていた。
だが、この願いだけはどうしても、最後の最後まで、せめてそれが潰える時までは願い続けよう。そしてそれを否とするなら、自分がその役目を負おうと。百代はずっと昔に、そう心に決めていた。
それこそ『彼女』が正式に自分の家族となるそれ以前から。
彼女を理解する人間として。彼女に一番近い存在として。彼女を愛する存在として、願っていたかったのだ。
たとえ、それがどんなに小さな可能性でも、どれだけの困難が付き纏うことになろうとも、悲しみを振り切るように何かを求めたあの子を止めることなど、誰もできはしなかっただろうから。
(……どちらにしろ、今年が勝負になる。私が裁定を下すその時までワン子を頼んだぞ、悟飯…………)
呟きにも足りない声は、温泉に満ちる水音と歓声の中へと消えていく。湯気で曇るガラス越しに空と木々を見上げながら、百代は近い将来に来る時が予想と違ったものになってくれることを願うのだった。
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さて特段何も起こらないまま迎えた翌日。風間ファミリー+1御一行は、旅館から程近い川べりにて釣りを楽しんでいた。
天気は快晴。
風もそれほどなく、温かい陽気は釣りには絶好のコンディションである。
「ほっ、やっ、せやっ!」
「さすがキャップ。冒険家の肩書きは伊達じゃないね」
「ふん、釣り上げるのが魚でしかない時点で俺様の勝ちだ」
「魚以外に何を釣るんだ? でも翔一はホントによく釣るなあ」
「悟飯もなかなかだろ? おっ、ホレ、引いてるぜ」
男子たちは野生児であるキャップを筆頭にして、和やかに楽しんでいる。
翔一はいわずもがな、悟飯も久々となる釣りに気分が高揚していた。一方、女子はと言えば、
「なんで一緒に鍛錬しないんだよワン子ー。私のことが嫌いになったのかー!?」
「ち、違うわよお姉さま。ちょっと修行の方針でいろいろあるって言ったじゃない。だ、だからそんな泣きそうな顔しないでってば……ね?」
「早くしないと時間がなくなるよ? あとワン子、腰につけたそれは何?」
「えへへ、な~いしょっ」
風間ファミリーの古参組は魚釣りより先に組み手をはじめとして、各々の修行をしているようだ。少しいつもより精神年齢が低い百代と姉離れしはじめているように見える妹を前にしても京のクールドライは相変わらずである。
「孫悟飯の修行か、興味はあるが……っと、まゆっち餌を頼む」
「わ、わかりました! こ、今度は見事付けて見せます!」
『餌をつけるのにそんな一世一代の決意はいらないぜ、まゆっちー』
新入り組みは男子と同じく、修行よりイベントを取ったようだ。ただし、餌をつけられなかったり仕掛けの何たる化を知らないクリスは、釣るという事以外は完全に由紀江任せにしていた。
俗に言う大名釣りである。が、自身も慣れていなかったのか、餌をつけるのに悪戦苦闘している。
そんな彼女に苦笑すると、悟飯はその針を取り、片手で器用に餌を付けた。
「そんなに震えてたら危ないよ。ほらこうやって……っと、はいできた」
「あ、あああありがとうございます! 孫さん! お上手ですね!」
「はは、まあこれぐらいはね」
由紀江から竿を受け取ったクリスが見事なコントロールでポイントに投げ込むのを見ながら、悟飯は空を仰いだ。
青い。川辺を吹き上がってきた風が髪を撫でていく。
どこまでも澄み渡った蒼天。見上げた空はとても穏やかで、優しく降り注ぐ太陽の光と流れる雲の調和はいつもよりもゆっくりと時間を切り出しているようだった。
悟飯は釣り針に掛かった小ぶりのヤマメをリリースすると、流れの緩い場所に向かって浮きを投げ込む。立てた竿を岩で挟んで固定し、倒れないことを確認してから大地に背中を預けた。
「…………釣りなんていつぶりだろうな」
一人つぶやきながら目を閉じる。高くに舞う鳶の甲高い声が響き、とたんに眠気が押し寄せてきた。
こんな安らいだ気持ちで空を見たのは、そしてこんな穏やかな時間を過ごしたのは、果たしてどのくらい前のことだっただろうか。
一瞬だけ瞼が白く光り、ゆっくりと目を開ける。そこには先ほどと何も変わらない、穏やかな景色が広がっていた。
「……っ……」
ズキリ。
重い響きを宿した音に胸が痛んだ。十三年前のあの日から、身体の奥に刺さった悲しき記憶の欠片。
手に入れたかった優しい日々は目の前にある。だが、共に喜びを分かち合いたかった仲間たちはもう、いない。
「……」
穏やかな笑みを消し、険しい顔をしながら目を細める。
こうしている間にも人造人間たちの恐怖は続いているのだ。本当ならば、こんなところで油を売っている暇など、呑気に過ごして良い時間など微塵もない。
残された【彼】やみんなは今も戦い続けている。それが変わらない以上、是が非でもオレは戻らなければならない。
その手段がない、あるいは見つかっていないのも事実ではある。世界を超える術など仲間の誰も持ち合わせていなかったし、たとえドラゴンボールの化身であった神龍の力を以ってしても可能であったかどうかわからないものだ。
だが、いくら嘆いたり焦ったりしても現状が変わらないとはいえ、オレだけがこの幸福を得てしまっていいのだろうか。
いや、いいわけがない。
確かにこの世界に来てからも己の鍛錬を怠ったことはなかった。だが修行をしているといっても、それは力を隠しての小規模なもの。正直伸びているとは言いがたい。
幸福な時間は確かに得難いものだ。楽しかったあの頃を思い出させ、それは悟飯の心に安らぎを与えると共に密かに囁くのだ。お前はその上に胡坐を掻いて問題を先送りにしているだけであろう、と。
閉じた瞼の裏側で自らに課せられた使命と満ちた幸福、そして罪悪感が凌ぎを削る。
そうして、空高くを流れる雲に視線を移したときだった。
「……!」
不穏な気配を感じ取り、悟飯はスッと身を起こす。
気を感じる。それもかなりの大きさだ。百代さんと黛さんを除けばこの場にいる誰よりも強い気配が、上流にある森から発せられている。
いや、それだけではない。
その気を軸にするようにして、大小さまざまな気が森の中に入り乱れている。中心にいる気には到底及ばないものの、間違っても一般人のそれではなかった。
姉弟でじゃれあっていた百代さんもこちらにやってくる。引き返してきた大和との空気を見ると、追いかけっこをしていた最中に彼が気づいて戻ってきたのだろう。
オレはもう一度周囲の気配を探ると、大和と二言三言話して別れた彼女に近づいた。
「――――百代さん」
「やはりお前も気づいていたか。なら説明は省くが、私はこれから森の中でちょっと遊んでくるつもりだ。鬼ごっことか隠れんぼの類をな。お前はどうする、一緒にやるか?」
凄惨な笑みを口元に浮かべ、猛禽類のような瞳で舌なめずりする百代さん。今この場に居るのが彼女と自分の二人だけだったならばそうしたろうが、今回は状況が違う。オレは山の一角の方に視線を飛ばすと首を横に振った。
「いや、オレは一子たちのほうに行くよ。一応、みんなの安全を確かめておきたいからね」
「過保護だな~。いや、それだけ大切に思ってくれているということか。なら、ワン子たちのことはお前に任せるぞ」
ニッと笑みを見せながら言う。ずいぶんと信頼されたものだ。拳を交えれば相手のことが大体分かるというのはお互い様らしい。顔を引き締めると、今にもスタートをきりそうな彼女の背中に声を掛けた。
「ああ。君も気をつけて」
「フ、誰にものを言っているんだ。私に黒星をつけた人間なら、相手と私の力量差も手に取るようにわかるだろうに。まあいい、気遣いと受け取っておくさ。いずれたっぷりと熨斗をつけて返させてもらうがな」
自信に満ちた笑みと言葉を最後に百代さんが加速する。そして一瞬のうちに常人ならば目で追えないほどの速度に達し、山の方にかっとんでいった。川神最強の肩書きは伊達ではない……というか、オレに負けてからさらに磨きが掛かっているようだ。
「……ちゃんと手加減して相手してあげてくれってことだったんだけどな」
オレは頬を掻きながら苦笑を零す。だが、のんびりもしていられない。軽く身体をほぐしたあと、自分が行くべき方向に向けて構えを取った。
「孫、ワン子たちを頼む。あと、お前にはいらんことだろうが、一応ケガには気をつけろよ」
背後から聞こえる声は大和のものだ。振り返らずに片手だけ挙げて答える。
そして一呼吸で気持ちを切り替えると、一子たちの気を感じる方向へと走り出した。
第8話でした。
本日は平日でありますが、久々に(約一ヶ月半ぶりほどでしょうか)一日何もない日でなおかつ溜まっていた仕事も先日一段落したため、なんとか筆を執る時間を作ることが出来ました(あと残った時間は部屋の清掃とかで消費されるでしょう……汗)。
このあと最低一ヶ月以上は前よりもずっと忙しい日々が続くため、タイミング的に今しかないと思い、集中的に書き上げました。
ただその過程上、文章を寝かせて推敲するという作業はできませんでした。
やりたいことではありますが、やるとどんどん投稿が延びていつになるかわからなくなりそうだったので……とにかく投稿をする、という形にしました。
さて2015年もはや三ヶ月目に突入いたしましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
現在は冬から春という季節の変わり目でもありますので、風邪やインフルが各地で流行っているようです。
体調などに気をつけて日々を過ごされますよう。
それではまた次回にて。
すぐにはできないかもですが、必ず投稿しますので。どうか気を長くしてお待ち下さい。
それでは
【追伸】
皆様からの感想につきましては、時間がある時に古い書き込みの方から少しずつ返していくつもりです。すぐの返信はできないと思われますのでご了承下さい。返信されていたら『あ、なんか書かれてる』ぐらいに思ってくだされば。
加えて、過去、にじファンに掲載していた話などについても、時々更新していく予定ですのでよろしくです。
ではでは。
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