魔法少女なんてガラじゃない! (行雲流水)
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第一話:非日常なんてガラじゃない!

なのはとフェイトとオリ主できゃきゃうふふをしたかっただけなんだ。本当に。
初投稿、処女作ということで稚拙な部分は多々あると思いますが、温かく見守っていただければと思います。ご意見、ご感想は遠慮なく頂けると助かります。

注意事項
 ・アニメの1~3期の知識しかありません。force、vividその他の知識はなし。
 ・自己満足、遅筆
 ・捏造設定多数あり

それでも良い方、読んでいただけると幸いです。

2016/10/18:第一話投稿・タイトル改訂 
2016/10/21:第二話投稿
2016/10/23:第三話投稿
2016/10/30:第四話投稿
2016/11/05:第五話投稿
2016/11/12:第六話投稿
2016/11/15:第七話投稿
2016/11/20:第八話投稿
2016/11/23:第九話投稿
2016/11/27:第十話投稿
2016/12/02:第十一話投稿
2016/12/07:第十二話投稿
2016/12/11:第十三話投稿
2016/12/18:第十四話投稿
2016/12/25:第十五話投稿
2016/12/29:第十六話投稿
2017/01/22:第十七話投稿
2017/03/02:第十八話投稿
2017/03/30:第十九話投稿
2017/04/10:第二十話投稿
2017/06/11:Epilogue投稿

取りあえず完結です。



桜の花も散り、夏の匂いが微かに香り始める六月下旬。

梅雨の季節の湿気に少しばかり嫌気がさしつつある今日この頃。

眠気の覚めない眼のまま、教室の窓側の一番後ろの自分の席から外を眺めていた。

 

「おはよう、上総ちゃん」

 

「おはよう。月村さん」

 

落ち着いた声色で私に声を掛けてきたのはクラスメートの月村すずか。

綺麗な黒髪ロング、整った顔立ち。そして良いとこのお嬢様ときたもんだ。

どうしてだか彼女との縁が出来たのは、数週間前に遡る。

 

「・・・・・・」

 

無言の威圧感。笑っているのに笑っていない月村さんの顔。

逆らえないと思ってしまうのは、お嬢様パワーと言うやつなのか。

思い出したように、私は言葉を絞りだした。

 

「・・・・・・おはよう。すずか」

 

「おはよう」

 

私の言葉に満足して、もう一度挨拶を交わす。

彼女の名前を呼び捨てにするようになったのは切っ掛けが有る。

その事が無ければきっとすずかは唯のクラスメートだっただろう。

唯の偶然だったけれども、その偶然には感謝している。

聖祥大付属に高校から編入した私に友人なんて勿論いないし、知り合すら居なかった。

入学早々、ぼっちになってしまう所だったのだから。

 

「この間助けた猫は元気になった?」

 

「うん。家で元気にしてる。あの時は本当に助かったよ。

濡れ鼠のままで帰ったら兄さんに心配かけるところだったし」

 

少し前に私が助けた猫の事だった。

川で溺れて流されていたのを、見かねて飛び込んで助けたまでは良かったのだけれど、

びしょ濡れのまま家に帰れば、珍しく仕事が休みだった兄に心配を掛けてしまう所だった。

兄は私の唯一の家族だ。幼い頃に両親が亡くなった為に歳の離れた兄が私の保護者であり両親の変わりだ。

少しばかり過保護な面がある兄には迷惑なんて掛けられない。

困っていた所にすずかが偶然通りかかって声を掛けられ、すずかの家に招待されたのだった。

それからだ。彼女と学校でこうやって会話をするようになったのは。

元々物静かなすずかと私の会話は専ら最近読んだ本の話になる。

作者の作風や文体、どこどこが好きだのそんな感じだ。

そうやって話してしばらくすれば、もう一人がやってくるのだから。

 

「おはよう、すずか。ついでに上総」

 

「アリサちゃん、おはよう」

 

「ついでって酷いな。おはよ。バニングスさんじゃない、アリサ」

 

タイミングを計ったように、教室のドアを開け真っ直ぐにこちらにやってきたアリサ。

両腕を組みフンと鼻を鳴らし、金色の髪を靡かせそっぽを向いた。

すずかからの紹介でこうやって話すようになった。

最初のこのつっけんどんな感じから、私は嫌われているんじゃないのかとも思っていたのだけれど、どうも違うと気が付いたのは極々最近だ。

彼女は世間でいう所のツンデレと言うやつである。言葉と態度が伴っていないのだから、可笑しなものだ。それが、彼女の魅力でもあるのだけれど。

 

「それで? すずかと楽しそうに何話してたのよ?」

 

少しばかり不機嫌にそうに聞いてきた。

 

「この間、上総ちゃんが助けた猫の話だよ。アリサちゃん」

 

「ああ、言ってたわね。で? 大丈夫なの、その猫」

 

「うん。家で元気にしてるよ。兄さんに飼ってもいいって許可も貰ったし」

 

「そう。良かったじゃない」

 

私達の会話を遮るように時間を告げるため鳴り始めた予鈴。

 

「また後で」

 

その合図をきっかけに私たちは自分の席に戻った。

正直助かったと思う。これ以上助けた猫の話題は避けておきたいところだったのだから。何故と問われれば、正直答えようがないと思う。

目の前の二人には言えない事だし、仮に言ったとしても信じてくれないだろう。

出会って話し始めて数週間。

知り合いではあるが、友人と呼んでいいのか悪いのかの境界線上だ。

彼女達には黙っていた方が心象は良いだろう。

 

――助けた猫が喋った、だなんて誰に言えるだろうか。

 

 

 

 

教室の片隅。窓側の一番後ろの席に座り、物憂げに外を眺めているアイツ。

唯のクラスメートであった彼女が、数週間前からちらほらとすずかと話している姿を見る様になった。

悪く言ってしまえば人との関わりを持とうとしないすずかが声を掛けたのだ。

気になった私はすずかに紹介を頼んだ。

佐藤上総。

第一印象は普通。ようするに何処にでもいるようなヤツだった。

成績の方は、高校から聖祥に編入したのだから、それなりなのだろう。

なのは、フェイト、はやてが魔法世界に行ってしまい、すずかも寂しかったのかもしれない。

それに友人が増えるのは悪い事じゃない。

すずかに害が有るのなら、私が全力で排除すれば良いだけだ。

 

――でもまぁ、悪い奴じゃないわよね。

 

それが、ここ暫くアイツと接した感想だ。

本当に何処にでもいる普通の女の子なのだ。

両親を幼い頃に亡くして、兄が親代わりだと聞いた。

その事を笑って話せるのはアイツの強さなんだと思う。

私なら、笑って話せる自信は無い。

放課後はアルバイトもしているらしい。進学校のウチでは珍しい事だ。

兄に迷惑を掛けたくないからと言っていたが、甘えられるのなら甘えればいいと思うのに。

それが保護者の義務であり責任でもある。それに受けた恩は返せばいいだけなのだから。

もう一度アイツの方を盗み見る。

 

――あぁもう!全く。授業聞いてないじゃない!後で叱らなきゃ。

 

遠く離れた危なっかしい友人達と姿を重ねて、私が確りアイツをみてあげなきゃ。

それと今度、私もアイツを家に招待しようと心に誓う私であった。

猫も良いけれどワンコの魅力もアイツに教えなきゃ!

 

 

 

何時もの帰路。何時もの風景。

何も変わらない日常が、とても大切な事だと気が付いたのは何時だっただろう。

高校生になって変わった事と言えば、なのはちゃんたちが魔法世界に行ってしまった事だ。

少しさみしい気もするが、本人たちが決めた事。

強く反対できる理由なんて無かった。

 

――ドポン

 

何かが水の中に落ちた音。

小さな石が落ちた音とは全然違う。何か大きい物、重い物が落ちた音だ。

何事だろうと、川縁から覗き込む。

そこには、聖祥大付属高校の制服を着た女の子が泳いで何かを追いかけていた。

そうして暫く泳いで、追い付いた先には小さな黒猫の姿。

優しく救い上げた女の子は、安心したように微笑んで川岸へと泳いで行った。

 

「あの人は、クラスの…」

 

確か佐藤上総ちゃん、だったか。

話した事はないが、クラスメートの顔くらいは覚えている。

そんなクラスメートの女の子と猫が気になって、気が付けば私は走っていた。

 

「参ったな。ずぶ濡れだ…」

 

川岸へとたどり着いた彼女は、投げ捨てた自分の鞄と荷物の元へと歩いていた。

川に飛び込んで泳いだのだから当然だろう。

濡れた髪をかき上げて、間抜けな言葉を聞きながら、私は彼女に声を掛けた。

 

「あの・・・・・・佐藤さん、だよね? よかったら家に来ないかな?

少し歩くけれど、濡れて帰るよりは良いだろうから…」

 

「? 確かクラスの月村さん、だっけ?」

 

「良かった。覚えててくれたんだ」

 

「一応ひと月以上経ったしね。名前と顔、一致させるの大変だけど、クラスメートの顔は覚えてるよ」

 

私の方に振り向いて、微笑んだ。

彼女と同じクラスになりある程度経っているが、彼女が誰かと一緒にいる事なんて無かった。

何時も窓際の席で退屈そうに無表情で外を眺めて話しがたい雰囲気を醸し出していたから。

 

――話しにくい人じゃなくて良かった。

 

 

「家に行こう?」

 

「迷惑じゃないかな?」

 

「平気だよ。さっき家にも連絡入れたから。それに猫の手当てもしてあげないと」

 

「ゴメン助かる。あ、ちょっと待って」

 

そう言って彼女は、足元に置いていた鞄からタオルをだして猫を包んで水気を取ってあげている。

自分もずぶ濡れで、気持ち悪いだろうに。

何か彼女を拭くものは無いかと探してみるが生憎とハンカチ位だった。

 

「月村さん、汚れるよ」

 

「すずか、でいいよ?」

 

「それじゃ私も上総でいい」

 

彼女の濡れた顔をハンカチで拭いているとそんな言葉が降りかかる。

あまり綺麗な川では無い。飛び込むには勇気がいる。

私には出来ないから、このくらいは何でもなかった。

だから私はその言葉を無視して名前で呼ぶことを彼女に願った。

 

「行こうか」

 

「うん」

 

そうして家に帰って、彼女にお風呂に入ってもらっている間に猫の手当てを済ませた。

衰弱しているだけで、怪我もなかった。

その事を彼女に報告すると、安心したように息を吐いて、自分の家で飼うと言った。

飼う気もないのに助けないと言い切った彼女。

逆に言ってしまえば、飼う気が無ければ助けなかったという事だ。

酷い、と言う人も居るかもしれない。けれども私はそれが彼女の強さなんだと思った。

 

その事がきっかけで、クラスで声を掛けるようになった。

彼女から声が係る事は滅多にないけれど、大好きな本の話が出来ると知ったのは嬉しかった。

アリサちゃんとも出来るのだけれど、少しジャンルが違ったりする。

私と彼女の本の趣味は一致するらしく、話が合うのだ。

そうして彼女と話している事を不思議に思ったアリサちゃんに紹介しろと言われ、今に至る。

まだ少しぎこちない距離だけれど、時間がきっと解決してくれる。

そして、なのはちゃんたちにも紹介しなければと、アリサちゃんと準備をしているところなのだから。

 

 

 

 

 

セキュリティのしっかりした玄関ロビーを抜け、エレベーターに乗る。

マンションの上層階。

部屋前の門扉を開けて、玄関のロックを開錠する。

兄は仕事が忙しく、月に二、三度帰ってくれば良い方だ。

ほとんど一人暮らしと言っていいくらいなのに、広い間取りで無駄にしている部分が多い。

勿体ないから引っ越そうと何度か兄に言ってはいるが、聞き入れてくれない。

女の子が一人暮らし状態なんだからセキュリティくらい確りしている所じゃないと駄目の一点張りだった。

お金に関しても、ちゃんと稼いでいるし両親の残してくれたものもあるから心配するなとの事。

本当に兄には感謝するしかない。

 

「ただいま」

 

「遅かったな。お帰り」

 

声を掛けると、私の部屋の奥から小さな黒猫がトコトコと軽快な足取りで私の足元に来る。

私を見上げる姿はとても愛らしいのだが、猫が喋っているのである。

 

――ありえない。

 

そう思いながら、目の前で起こっている現実なのだから受け入れなければならない。

テレビにでも投稿すれば話題になって一攫千金が出来るかもしれない。

そんな生な考えをかなぐり捨て、今まで兄以外の会話何てなかった家に声が響く。

 

「バイト行ってた。ちゃんと大人しくしてた?」

 

「していた。していたぞ。ものすごく暇だったがな」

 

小さな子猫の癖に、態度というか言動はとても大きい。

えへん、と言わんばかりに胸を張って私の足元をぐるりと回る。

行動は愛らしい。本当に。

 

「腹が減った。何か食いたい」

 

この調子だ。私の都合は無視されることが多々あるような気がする。

既に尻に敷かれているような気もしなくもないが、飼うと決めたのだ。

面倒はちゃんとみなければ…

 

「・・・はぁ。ご飯作るから少し待ってて」

 

「あぁ、待つぞ? 待つさ」

 

「ご飯あげないよ?」

 

「兵糧攻めとは、貴様やるな!」

 

猫が言う台詞じゃないよね・・・全く。

 

 

 

 

 

「頂きます」

 

何時もの様に手を合わせて声をだす。この瞬間は日本人だな、と思い知る。

たしか、海外は神様に祈る所が多いと聞いた。神様が居るのか?と聞かれれば、私は否だと言う。

居るのなら、私から両親を奪いはしなかっただろうし、普通の親のいる家庭というやつを築いている。

両親が健在ならば、兄もいい歳なのだから結婚もしていたのかもしれない。

 

「何を難しそうな顔をしている?」

 

床で私のご飯のおすそ分けを食べていた猫が声を掛けた。

艶やかな黒い毛並に良く映える蒼い瞳が私を射抜く。

 

「え? そんな顔してた?」

 

「していたぞ。無自覚か」

 

「ちょっと考え事」

 

「そうか」

 

それで会話は途切れた。私の横で食べている猫は私の事を深く聞かない。

それがこの猫の性格なのか、はたまた遠慮しているだけなのか。

 

――コイツに限ってそれはないか。

 

私も猫についての事は深く聞かない。

聞いた事と言えば何故喋れるのかという事だけだ。

その問いの答えは至極簡単なものだった。

 

『知らん。いつの間にか喋っていた』

 

・・・だそうだ。

何の解決にもなっていないような気もするけれど、それでもいいかと思う。

遠すぎず、近すぎず。それが数週間共に過ごした私とこの猫の距離だ。

けれども最近になって思う事が有る。

何時までも、お前では流石に不都合だ。

 

「ねぇ、そういえばお前の名前は?」

 

「ん? 私に名前なんて無いぞ。名前を呼びたければ貴様が好きに付けて呼べばいい」

 

「名無しか。どうしよう? 何て呼んでほしいか希望はある?」

 

「そんなものは無い。識別が出来れば番号でも何でも良いさ。私に名前なんて意味は無い」

 

そう、なのだろうか?

名前は、この世界に存在する証明だと思う。

名前が無いのならば、戸籍も存在しない。世界に存在しない、という事になる。

それに、親しい人達に名前を呼ばれることは嬉しい。

居なくなってしまった両親から私の名前を呼ばれることは無くなってしまった。

もう一度呼んでほしいと願っても、叶わない。

月日が経つにつれ、父と母の姿も声も霞んでいく。

それはとても哀しい事だと自覚しているのに、仕方の無い事だと諦めている自分が居る。

刹那、胃の奥からせり上がる、吐瀉物の様な感情を無理やりに抑えて蓋をした。

 

――どうしようもない事だ。

 

生憎、この猫にはそういう感情はないらしい。

猫だからなのか、それとも目の前の本人の性質なのか。淡白なものだ。

 

「黒猫だからクロは?」

 

「安直だな」

 

「名前なんて何でもいいんじゃなかったの?」

 

文句を垂れた猫に思わず苦笑いをする。

案外この猫も拘りというものが有るのかもしれない。

 

「そうだったな。好きに呼んでくれ」

 

「それじゃぁ、クロで」

 

ふい、と顔をそらして、クロは私の部屋へと戻って行った。

名前が気に入らなかったのか、それとも照れただけなのか、猫の表情からは窺えなかった。

もし不評なら、あの猫の事だ。文句の一つでもあるだろう。

浅い溜息を吐いて、食事の後片付けを始めた私だった。

 

 

 

 

それから数日、何の変化もない日常を送っていた。

クロが居る生活にも慣れ、クロが喋ることに関しても受け入れている自分が居た。

今まで殆ど一人で生活していた反動か、クロが居なくなる事に寂しさと恐怖を抱いている事も。

玄関の扉を開けて、クロが出迎えてくれる事を当たり前だと受け入れてしまっている。

 

「ただいま」

 

扉を閉めようと、玄関に振り返ろうとした瞬間だった。

金髪巨乳の素っ裸の女性が私の目の前に居た。

 

――家を間違えた。

 

きっとそうに違いない。

瞬時に三歩後ろへ後退。

近所への迷惑も考えずに、ドアを思いっきり閉める。

早鐘のように鳴る心臓。浅い息を繰り返す肺。

そうして、思考の回らない頭でどうにか考える。

何処の家にも在るであろう表札には『佐藤』と言う名の文字。

流石にマンションを間違えたという事は無い筈だ。

部屋番号を確かめ、意を決してもう一度玄関の扉を開ける。

 

「おかえり。何、珍妙な事をしている?」

 

聞き慣れた声だった。

きっと私は間抜けな顔をしていると思う。

 

「え? あ、え?? もしかしてクロ?」

 

「何を言っている。もしかしなくても貴様がいつも呼んでいるクロだが?」

 

クロが呆れた顔で、そう言った。

 

「え? え??? ええええええええええええええええええええええ!!!」

 

喉が引きちぎれそうになるほどに叫んだ。

何で、猫が、人の姿をしているのだろうか。

猫が、何で、女性になってるんだよ!

しかも今までに見た事が無いほどの、超が付く美人である。

 

「うるさいぞ。近所迷惑だろうが」

 

「クロに常識を問われるなんて…」

 

嬉しいやら悔しいやら、複雑である。

と言うか、服を着てほしい。動くたびに胸が揺れているし、見てはいけないところが目に入る。

いくら同性とはいえ、目のやり場に困るものなのだ。

クロは右手を顎に当てて、考え事をしていた。

私はこの状況に追い付けそうもない。だからクロの言葉を待つ。

 

「そうか。貴様の世界では魔法が存在しないのだから、ありえない事だったな」

 

「猫が人に成るなんて聞いたことないよ。有るとしたら化け猫とかそういう類だと思う。

ていうか、魔法って?」

 

「ふむ。面白いな」

 

ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、私の言葉を無視し、クロは思考の海へと行ってしまったようだ。

取り敢えず、目のやり場に困る状況をまずどうにかするべく動く。

 

「とにかく、服着よう。兄さんの借りてくる」

 

女性の姿をしたクロは背が高い。私の兄と背丈は変わらないかもしれない。

私の服では、丈が絶対的に足りない。

女性に男物の服を着てもらうのは少し忍びないが、仕方ない。

兄の部屋に入り、クローゼットを漁り適当なものを引っ張り出す。

 

「下着・・・どうしよう」

 

買いに行くしかないか。

折角稼いだバイト代がとも思わなくないが、自分の精神衛生上の為でもある。

諦めて、クロに服を渡して自分の部屋に入り財布を握る。

 

「クロ?」

 

服を渡して私の部屋に来ないクロを探す。

そうしてリビングのソファーに足を組んで座るクロに声を掛ける。

 

「その格好で外に出たら駄目だからね。私が帰ってくるまで大人しくしてて。

外に行きたいのなら、私が帰ってきたら案内するから、絶対だよ」

 

兄の黒色のワイシャツ一枚を羽織ったクロに忠告する。

そのままで外に出れば確実に公序良俗罪で警察の御厄介になる事が確実だ。

何せ、ワイシャツ一枚だけなのだ。ノーパンノーブラである。

見た目が成熟した女性の姿である。痴女でしかない。

その辺りをクロが理解しているのかと言えば、出来ていなだろう。

クロの身分証明をする物も無いのだから、公的機関に関わる事は絶対に避けたい。

 

「わかっているさ。此処で大人しくしている。

あと、腹が減った。何か食い物を所望する」

 

猫の姿とは打って変わって、今度は人の姿である。態度も言動も大きかった。

 

――大分慣れてきている自分もどうかと思う。

 

触れれば壊れそうな氷細工の様な美貌なのに、口が悪いのは如何なものか。

クロがその気になれば、男の人を籠絡するのは安易だろう。

まぁ、この口ぶりじゃぁ夢のまた夢なのかもしれないが。

 

「了解。大人しくしててね?」

 

「ああ」

 

クロは浅く鼻で笑ってリビングのテレビに目を向ける。

大人しくしていることを願って私は外へと歩を進めた。

 

 

 

 

時間も遅いので、衣料量販店はもう閉まっていた。

閉じているシャッターに溜息を吐いて夜の街をまた歩き出す。

 

「此処でいいか」

 

辿り着いたのは、家の近くのコンビニ。

こんな事なら最初から来ておけばよかった。

コンビニならば数は少ないが、下着が置いてある。

自分と兄以外の買い物なんて久しぶりだと頭の片隅にふとよぎる。

コンビニの店員に変に思われなければ良いけれどと思いながら、

下着と何かお腹に入れる物を手に取って、コンビニを後にした。

 

深夜、とは言わない時間帯ではあるものの夜の帳は深い。

肌に張り付く不快感。梅雨の時期特有の湿度の高さには慣れる事は無い。

早く帰って、冷房の効いた部屋に入ろうと心に決めた時、私の目の前を黒い何かが横切った。

 

「何、今の?」

 

何が横切ったのか判断が付かないほどの、一瞬の事だった。

 

「・・・気のせいか」

 

心に湧く恐怖心を誤魔化すようにそう呟いて私は家へと急いだ。

 

 

 




女オリ主ものって少ないですよね。
ほぼ読み漁ってしまったので、自分で書いて自給自足であります。
なのはとフェイトときゃきゃうふふしたかっただけ。
ちゃんとオリ主が背負っているものとかが書き切れればいいのですが、なにぶん素人なので上手い人や書き馴れている人との差が確実にあります。
少しでも上手くなれるように努力する次第です。
さて、頑張って完結にまで持っていければいいなぁ(遠い目




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第二話:魔法なんて興味ない!

やっと2話です。なかなか原作キャラが出せませんが、次話には必ず


 

「ただいま」

 

クロの下着と晩御飯を引っ提げて、何時もの様に玄関を開けて中に入る。

出迎えてくれるはずのクロが珍しく、玄関に来なかった。

 

「クロ?」

 

名前を呼ばれ、ひょっこりと私の部屋から顔を出したクロ。

何時もの猫の姿ではなく、人の姿ままだった。

見慣れない光景に、苦笑しながら買ってきたものを渡した。

 

「すまない、気付かなかった。おかえり」

 

今まで見下ろしていたはずのクロ。人の姿だと私より大分背が高いので、見上げる形になる。

 

「何だ? 私の顔を見つめて。何かついているか?」

 

「そうじゃなくて。本当にクロなのかなって。

今まで猫だったのに、いきなり人間になったら誰だってびっくりするよ」

 

「そういうものなのか?」

 

「そういうものだよ」

 

口角を釣り上げてクロは笑い、私の部屋へと引っ込む。

そうしてパソコンの前へと座り、インターネットブラウザを開く。

暇だといつも吠えるクロにパソコンを教えてインターネットを与えたのは間違っていたのかもしれない。ここの所ほぼ毎日、パソコンの前にいる。

 

「何してるの?」

 

「調べものだ。猫の姿では不自由だったのでな。魔力も大分回復してきたし、元の姿に戻った。このぱそこんとやらは素晴らしい。検索すれば魔法を使わないというのに、知りたいことが山ほど出てくる。もっと労力が必要かとも思ったが、この世界の文化レベルは高いようだな」

 

「ん? この世界って事は他の世界が有るってこと?」

 

「察しが良いな。それと先程の質問の答えを言おう。この地球には魔法の存在は有るにはあるが、大多数の人間に認知されていない。だが管理世界、と言っても解らんか。別世界には魔法が存在して、運用方法が確立されている。そんな世界を管理世界と人は呼ぶ」

 

ということは、クロが猫から人の姿へ変わったのも魔法を使ったのか。いや、逆か。人から猫の姿に変わっていたのだ。

 

「ふうん。じゃぁ地球にも魔法があるんだ?」

 

「ああ、さっきも言った通り一応存在はする。しかし、この星は魔法の存在を秘匿しているようだがな。どうしてなのかと問われれば解らないが、必要ないのだろうな。これだけの文明と質量兵器が発展しているのなら、魔法も魔導士も要らぬ存在だな」

 

パソコンのディスプレイには戦闘機や戦車の画像。

それらを興味深げにクロは眺めていた。

 

「興味が無いと言うよりも、あまりにも現実味が無いって感じかな。魔法なんてお伽噺の世界だし。その世界を見たって言うならまだ信じられるんだろうけれど」

 

「私から言わせればこの世界こそ異常なのだがな。魔法を確立せず、これだけ文化が発展している世界は珍しい。それよりも貴様は私の様な存在を信じるのか?」

 

「目の前で起きた事だから、それは信じるよ。クロがどんな存在だろうとね」

 

「ふむ。前向きな意見だな。常識に左右されず受け入れる柔軟な思考は好ましい事だ」

 

私の方に向き直り、真剣なまなざしでクロが私をみる。

 

「だが、この世界で魔法や他世界が存在している事は誰にも言うなよ?この地球は管理世界では無いからな。おおっぴらに吹聴すれば管理局の人間が飛んでくるぞ?」

 

「何それ?」

 

クロの話は少しばかり難しい。なにせ日本、いや地球の常識が通じないのだ。

目新しい言葉に私はついて行けず、質問で返してしまう。

 

「魔法文化が発展した世界を統治する機関とでも言えばいいか。

管理外世界に管理世界の事が露見することを極端に恐れている連中だからな」

 

クロが先ほど言った管理局。

連中って事はある程度の規模がある組織なのだろう。

でも何故、管理世界が露見することを恐れるのだろうか?

その世界の文化や技術が知れ渡る事は、地球にとって良い事だと思う。

そして、そのまた逆。管理世界に無い文化や技術が広まる事がどうして駄目なのだろうか?

 

「どうして? 世界が広がるのなら、それは好ましい事じゃないの?」

 

「そういう考えの人間ばかりなら楽なのだろうな。良く考えてみろ? 領地や国土を広げる為の手段は?」

 

「あ…」

 

「気が付いたか。そう、戦やら戦争だ。規模の大小があれど、人が居て集団になれば必ず起こる。話し合いで済めば良いのだろうが、どんな世界でも結局はそうなる事が必然だ。国土を得る為に、資源を得る為に、利を得る為に。それを愚かだとは言わんが、巻き込まれる側の気持ちなど指導者どもには解らんのだろうな」

 

一瞬目を細めて、クロは顔を逸らした。

目の前のクロの過去なんて知らないから、何を思っているのか解らない。

けれど、何かあった事だけは事実なんだろう。

 

「わかった。魔法の事やクロの事は言わない。

それにね、そんな事を言っても誰も信じてくれないよ」

 

肩をすくめて無理やりに笑った。

 

「そうか」

 

「だって日本、というか地球には魔法なんて無いのが常識なんだもの」

 

そうしてクロも肩をすくめて、パソコンへ向き直る。その瞬間、腹の虫の音。

そういえばいつもの晩御飯の時間は大分過ぎていた。

 

「お前か?」

 

「違うよ。クロでしょ。そろそろ切り上げてご飯食べよう。作る時間が無かったから

コンビニのお弁当だけど。というか、食べられるの?」

 

「人間の口に入るものなら、いけるぞ。味の好みはあるがな」

 

そう口にしたクロは何時ものクロだった。

 

「頂きます」

 

そうして一口だけ口にして、クロの箸が止まった。

眉間にしわを寄せ、何とも言えない顔をしていた。

 

「不味い。貴様の作った飯の方が美味い」

 

「…ありがと」

 

――褒められて、いるのだろうか?

 

 

 

 

文句を垂れつつクロはコンビニのお弁当を完食。

私も食べ物は残さない主義なので少しばかり食べ過ぎてしまった感はあるが、どうにか食べきった。

重くなったお腹を抱えて、食後の休憩にと暖かいお茶を淹れたのだった。

 

「はい、どうぞ。気になったんだけど、クロはどうして猫の姿に?」

 

ずず、と音を鳴らして、クロはお茶を飲んだ。

少し前まで猫だったので熱いものは平気なのか心配だったのだが、どうやら杞憂だったらしい。

飲んでくれたことに安心して、私も両手で湯呑を持ち上げて一口だけ含み嚥下する。

 

「ん? ああ、この星の魔法や文化に興味があったのでな。調べていたら、この世界の魔導書に返り討ちにあった」

 

「魔導書に返り討ちにされたって…なにしたのさ?」

 

魔導書だなんて聞くと、私の頭の中にはヤバイ物だと言うイメージしかない。

『えろいむえっさいむ』とか『いあいあはすたー』とか。

中身までは詳しく知らないが、この程度ならば誰でも知っているのではないだろうか。

でも、返り討ちって事は物理的に手を出したって事になるような気がするんだけれど。

本気で目の前のクロは普通の人なのだろうか?

いや、猫になってた時点で普通ではない気がするが、管理世界ではそれも当たり前なのか…良く解らない。

 

「いや、なに。その魔導書の秘術を少し頂こうと、な? そうしたら反対に私が頂かれるところだったよ。どうにかなったが、魔力が足りなくなってな。それであの姿だ」

 

「何、無茶してるの! まさか、まだそんな事するつもり?」

 

それって、すごく大変な事の様な気がする。けれど、クロ本人は悪びれた様子もない。

至って普通に、さも当たり前の様に言い放った。

 

「機会が有ればな。しかし、ああも強力では太刀打ちできんな。私にマスターが居れば可能かもしれんが…」

 

少し考えた様子で、そこで言葉が途切れた。

喫茶店のマスターくらいしか思いつかないが、先ほどの口ぶりからその可能性は全くないだろう。

 

「マスター?」

 

「ん? ああ言ってなかったか。私は人間ではないぞ。さっき言った魔導書の類だ。内容が余りにも多岐にわたり過ぎてな。私は、困り果てた何代目かのマスターに作られた存在だ。」

 

さらっと、すごく問題発言をした上にさらに予想の斜め上の言葉がクロから飛び出た。

そうしてクロはダイニングの椅子から立ち上がり、リビングへ。

立ち止まり何かを短く言葉にした瞬間、クロの前に一冊の古びた厚い本が現れた。

クロが手に取ることも無く、その本はただ空中に浮いている。

そうしてその一冊で終わるのかと思えば、クロの背後にまた本が現れる。

それも、数を数えるのが億劫になるほどに。

 

「私の目の前の一冊が本書。後ろの有象無象は、本書に収まらなくなったものだ。元は教義を複写したものだがな。原典すら消え、何故かこちらが残った。そうして長い年月を経て変質した。教義だけではなく、世界の理を貪るように欲し、求めた。その成れの果てが、これらだ」

 

後ろを向いて、無造作に浮いている本達に目を向けた。

そうして本書と呼ばれた、クロの目の前にある本を無造作に開いて捲る。

はたと何かに気付いたように、蒼い瞳で私を見つめた。

 

「物は試しだ。触れてみろ。害は無い」

 

こちらを見て、不敵にクロは笑う。

きっと馬鹿にされているのだろうけれど、クロよりも目の前にある物の方が怖い。

威圧感、とでも言えばいいのだろうか、並々ならぬものを放っている。

 

「貴様、先ほどから私の服の裾を握っているが、私もその魔導書の一部だぞ?」

 

「クロより、この本の方が怖い感じがするんだけど…」

 

余程可笑しかったのか、クロが手で口元を抑えて笑っていた。

まだ動かない私にしびれを切らしたのか、クロが私の腰に手を回して、本の前へと押し出した。

害は無いから大丈夫、と言い聞かせて恐る恐る洋書の様な本に触れる。

 

――熱い。

 

手に伝わる熱が熱い。

触れられない程に熱い筈なのに、触れていても平気という不思議な感覚。

これが魔法の力なのかどうかは私には解らない。

そうして意を決して、厚い表紙を開いて数ページ捲る。

そのページには私には理解できない文字が記号がびっしりと書き込まれており、

並々ならない雰囲気を醸し出していた。

 

「ほう、開けたか」

 

「え?」

 

「貴様には、どうやら資格が有るらしい」

 

「資格って?」

 

「私、いや『名も無き教典』のマスターになる資格がな」

 

腕を組んで黙って此方をみていたクロがそう言った。

 

「そうなの?」

 

「何だ、興味ないのか?」

 

「うん。いきなり資格が有るなんて言われても、さっぱり解らないし。

そのマスターってのに成ったとして、何をするのか、何が出来るのかさえ解らないし」

 

私が興味が無いと言った事に、少し驚いているクロを見て苦笑した。

さっきも言ったが魔法なんて地球には無いのだ。

それに今は、学業とアルバイトで精一杯だ。

魔法を覚えろなんてクロに言われた日には、多忙死してしまいそうだ。

 

「ふむ。過程を端折って結果だけ言うなら、どんな魔法でも使えるようになるぞ。コレに記されている物ならな」

 

そう言ってクロは『名も無き教典』を見る。

クロの後ろに浮かんでいた沢山の本はいつの間にか消えていた。

 

「マスターになるための条件が、『名も無き教典』に認められる事。リンカーコアが有る方が好ましいが、無くても構わん。契約した後に無理やりにでもねじ込むからな」

 

クロの口から不穏な発言がされたが、今は無視する。

 

「リンカーコア?」

 

「む? ああ、すまん。リンカーコアとは、魔力を持つ者が所持している器官だ。役割としては、大気中の魔力素を吸収し体内に魔力を取り込む為のモノだ」

 

「私にもそのリンカーコアって言うのが有るの?」

 

「少し待て」

 

そう言って、私の前に立ちクロの右の掌が、私の胸の真ん中へと触れる。

クロの指先が淡く光り、熱を帯びる。

今までにない感覚だ。胸の中央、心臓じゃない何かが熱い。

 

「…っ」

 

「どうやら貴様にもリンカーコアは有る様だ。だが今まで使用していなかったからな。幼い頃から訓練でもしていれば、良い魔導士になっただろうな」

 

少し残念な気持ちと、魔導士とやらに成った所で何の役に立つのかと言う気持ち。

妙な気持ちが混ぜこぜになって、頭が上手く回らない。

 

『まぁいいさ。これくらいなら貴様にも出来るだろうし。覚えておいても損はあるまい』

 

クロの言葉が直接頭の中に響く。

空気が振動して耳の鼓膜が拾った音では確実にない。

 

「何、これ…」

 

『念話だ。魔法の初歩の初歩と言うべきものか。リンカーコアを所持していれば、余程のセンスの無い者でもない限り出来る』

 

「どうすればいいの?」

 

『話したい相手に意識を集中して、心で話せばいい。後は慣れだ』

 

脳に直接流れ込むような声に違和感を覚えながら、とりあえずクロの言った事を試してみる。クロを見据えて、意識を集中する。

 

『クロ、聞こえる?』

 

『ああ、聞こえるぞ』

 

どうやら成功したらしい。

 

「そっか良かった」

 

『おい、気が抜けてるぞ』

 

「あ…」

 

どうやら、口から出てしまっていたようだ。普段の癖、というか習慣は中々に抜けるものでは無い。

だから、笑ってごまかした。

 

「まあ、いいさ。離れた場所からでも使える。気が向いたら使ってみると良い」

 

「使う相手がクロしか居ないよ…」

 

「だな」

 

けれどもこれが広がれば便利では無いだろうか?

リンカーコアを持っていないと無理だそうだが、携帯電話の様に端末を持つことも無い。

料金だって払わなくて済む。けれど地球にはリンカーコアを持っている人が希少だとの事だから、世間一般に広く普及するというのは無理か…。

魔法が便利と言っても一長一短なのだろう。

地球には本当に必要ないのかもしれない。

 

「今日は遅いから、もう寝ようか。クロ?」

 

「……」

 

つけっぱなしだったテレビから流れてきた、私たちが住む地域のローカルニュース。

最近、この辺り一帯で起きている事件の続報だった。また、昏睡した人が発見されたらしい。だんだんと、発生頻度も多くなり初期の頃よりも症状が重くなっているとの事。

 

「どうしたの?」

 

「いや、何でもないさ」

 

目を細めて真剣にニュースを眺めていたクロ。

ニュースの内容が切り替わると興味を失った様でテレビから視線を外していた。

 

「今日はもう遅いからもう寝るよ」

 

「わかった。おやすみ」

 

クロはまだ起きているつもりなのか、またパソコンの前を陣取った。

 

「おやすみなさい」

 

そうして怒涛の一日が終わりを告げた。

 

 

 

――ミ ツ ケ タ 

 

 

 

 




設定が不明瞭な所は独自設定にて補完しております。


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第三話:日常ほど大切なものはない!

文章を書くのは難しいですが、楽しいです。
どう書けば読んで下さる皆様にきちんと伝わるのかと四苦八苦しております。

やっとこさヒロインの一角に出番が。
まだまだ序盤で話が少ししか動いておりませんが気長にお付き合いください。

クロノの階級や口調がいまいち分らない・・・orz
なのは達が16歳の時ってもう提督業をしていたはず・・・


――時空管理局・巡航L級八番艦 アースラ・管制室

 

 

広い艦橋に鳴り響く計器類の機械音。

慣れ親しんだアースラに乗船し、私たちは第九十七管理外世界・地球を目指す。

 

「提督、現在アースラは予定の航路を順調に進んでいます。

何事も無ければ、数日後には第九十七管理外世界に到着出来ます」

 

艦長席に座るクロノにオペレーターから定時連絡が入る。

航路は順調。無事に地球に辿り着けそうで一安心だ。

 

「そうか。何事もなく、無事に着いて欲しいものだ」

 

「お兄ちゃん」

 

「んン」

 

軽く咳払いをするクロノ。そうだった、今は勤務中。

流石に『お兄ちゃん』はいけなかった。

 

「クロノ提督」

 

「何だい? フェイト執務官」

 

クロノはこの船の艦長だ。

艦長席に座るクロノを見上げ、不思議に思っている事を聞いてみた。

 

「そろそろ、私たちが呼ばれた理由を教えてくれてもいいんじゃないのかな?」

 

「…そうか、そうだな。分かった。事前ミーティングを兼ねて武装隊も参集させよう。

そこで今回の任務の目的を話す。必要最低限の人員を残してブリーフィングルームに集めてくれないか?」

 

「了解です」

 

私達の話を一緒に聞いていたオペレーターが頷いた。

そう、今回の航海は特別だった。私だけじゃなく、なのは、はやても召集されている。

明らかにオーバースペックだった。

本来なら執務官である私が居れば十分のはず。

そして本局から任務が発令され、クロノたちアースラ乗員と地球に降りる手筈になる。

けれど今回の任務。もう一度言うけれど、私となのは、はやて、高ランク魔導士が集まるのは異例中の異例。

実戦から離れているクロノも数に入れると四人だ。

そんな異常な状況に不安になる気持ちと、なのはやはやても居る心強さを感じながら、

私はブリーフィングルームへと向かった。

 

 

 

ブリーフィングルームの入り口前。

照明の落とされた、暗い部屋には武装局員とアースラスタッフ。

皆、緊張の面持ちで、この船の最高指揮官であるクロノを待っていた。

 

「みんな集まったかい?」

 

「うん。なのは、はやては後から合流になるから無理だけど、

武装隊メンバーと手の空いているアースラスタッフはもう来てるよ」

 

なのはとはやてはアースラに乗船していない。

仕事の都合もあり、アースラが地球に到着次第、すずかの家に設置されたポーターを利用して、

此方に合流する手筈になっている。

 

「そうか。じゃぁ今回の航海の目的を説明しよう。

本局からの情報開示許可も下りた。丁度いいタイミングだ」

 

そうして広いブリーフィングルームの一段上がった場所へとクロノが進む。

私も執務官で提督に次ぐ指揮権を持っている為、クロノの横に並ぶ。

未だにこの瞬間は慣れてない。眼前には私が守るべき仲間。

そして、今は此処に居ないなのはとはやて。

それに、今は顔も知らない私たちが救うべき人達も。

失うかもしれないと言う恐怖。

簡単には慣れないし、慣れたくは無いモノだ。

 

「今回の目的、第九十七管理外世界で起きている魔法事件の解決だ。

場所は日本の海鳴市」

 

「…っ」

 

一拍置いて、クロノが申し訳なさそうな目でこちらを見る。

なのはとはやての地元だった。

私だってその名前に思う所はある。

そしてアースラスタッフの古参メンバーも困惑した感情が露わだった。

 

――PT事件、闇の書事件。

 

私にとっても、なのはにとっても、はやてにとっても忘れる事の出来ない二つの事件。

そして、学生時代を過ごした大切な思い出の場所でもあるんだ。

 

「そこで今起きている、昏睡事件。

おそらく魔法によるものだ。現地の諜報員からの連絡で本局が魔法事件の可能性が高いと判断した」

 

諜報員と言えば聞こえが悪いと思うかもしれない。

けれど、時空管理局は次元世界全体を統括し、管理外世界に対する魔法の露見を由としていない。

そうして、管理局から管理外世界に人知れず派遣された人や現地の協力者たちの事を指す。

人の目につかないところで、日夜働いているのだ。

 

「そしてもう一つ。今回の事件はロストロギアによる可能性がほぼ確定しているそうだ」

 

一気にブリーフィングルーム内がざわついた。

それもそうだろう。ロストロギアは次元世界をも崩壊させる力を持っているのだから。

そして、先ほどまで抱いていた疑問は消失した。

私となのはとはやてを呼んだ理由はこれしかない。

大事にならなければ良いと願いながら、私は両手をぐっと握りしめた。

 

「…これが今回の事件の対象だ」

 

そういってモニターに映し出された画像。

一冊の古ぼけた分厚い本。

 

「『名も無き教典』それが今回の目的のモノだ。

どうにか僕たちで封印できれば良いが、契約者が存在すればやっかいな事になるかもしれない」

 

「どうして?」

 

単純な疑問をクロノに投げかける。

 

「ユーノに頼んで、無限書庫で調べてもらったんだ。

そして、最も可能性の高いロストロギアがこれだ」

 

モニターが切り替わり、『名も無き教典』の文字と出自が詳しく記された。

古い時代から存在し、宗教の教えを記した物から長い年月を経て、その性質が変わっていったようだ。

 

「ユーノ曰く、これまでの事件の過程からこれが該当するとの事だ。

類似する事件は多々あるが、特徴がある。被害者の命までは奪っていないんだ」

 

「それって、闇の書事件でも同じじゃない?」

 

「そうだね。闇の書の時は、リンカーコアの魔力しか奪わなかった。

けれど今回の事件はリンカーコアの魔力と『人の生命力』、とでもいえばいいか。

それさえも奪っているんだ。ようするに魔力を持っている人も、持っていない人も襲っている。

そして人以外は襲撃していない。魔力が必要なら、魔法生物でも構わないからね」

 

どうやら犯人は無節操に現地の人たちを襲っているようだった。

 

「それとさっき言った、契約者の事だけれど。

『名も無き教典』は主が居なくてもある程度の活動はできるんだ。

そのロストロギアの本質は自らの宗教の教義を広める事。

それが時代と共に変化して、世界の情報とでも言えばいいかな?

教義を広めると共に事が変わっていって、世界の知識をも求めたんだ。

無節操に何でもね。そうなってしまった理由は解らないが…」

 

古い物には曰くがあるのは仕方の無い事だろう。

何せ魔法世界の物だ。力のある人が欲し、改悪してしまった可能性もある

 

「そうして、適格者と呼ばれる人が居れば契約し、その契約者の影響を色濃く受けるんだ。

善い人ならばいいけれど、悪い人なら?」

 

疑問形にして、クロノがブリーフィングルームの皆を見渡した。

皆、引き締まった表情だった。

状況次第で、どうとでも転がる。

殉職者が出るかもしれない。みんな真剣だった。

 

「ハラオウン提督、対処法は?」

 

そんな重い空気を払拭するように、何処からともなく声が挙がった。

 

「うん。それなんだけれど、はっきり言ってしまえば無い。

今、無限書庫でユーノに調べてもらってるんだけれど、今の所良い情報は無いかな」

 

また室内がざわつく。

当たり前だ。

何も策がないのでは、手の出しようがない。

更に重くなる空気にクロノは仕方ないと言う様に息を吐き出した。

 

「けれど僕たちは怯む訳にはいかない!

僕達は次元世界の秩序を守る法の番人だ!

それを破るものは決して許さない!

その為の力が僕たちにはある!」

 

声を張り上げて、クロノが部屋の皆を鼓舞する。

 

「それと、ここに居るメンバー以外の参集もある。

決して、無茶な事ではない。諸君らの力を発揮すれば、必ず任務は遂行出来る!

諸君らの健闘を祈る!」

 

おお、と沸く声と今以上の戦力が望める事に困惑した声。

そうして、ぴしりと敬礼をするクロノ。

クロノの敬礼に全員が答礼して、クロノが部屋を後にした。

未だザワつく室内は、異様な緊張感が漂っている。

 

 

 

――どうか無事に事件が解決しますように。そう願うしかなかった…

 

 

 

 

 

 

 

 

窓から差し込む光に、目が覚めた。

酷く体が怠い。

昨日、夜遅くまで起きていたからなのか。

 

――魔法、か。

 

今まで、お伽噺や空想の世界のモノだと思っていた。

けれども実際、クロが猫の姿になっていた訳だし、昨日は念話という物を教えてもらった。

信じるしか無かった。

けれど、魔法が存在していると知ったところで、私の日常が変わる筈もない。

この世界―地球―だってそうだ。

私は学校に登校しなければと思い、ベットから抜け出し目の覚めない頭で着替えを済ませてキッチンへと向かう。

 

「おはよう」

 

「おはよう、クロ」

 

キッチンで朝食を作っていると、ひょっこりとクロが現れた。

時折、クロはどこかへ消えてしまうのだが、こうして戻ってくる。

何処で何をしているのか、不思議だ。

けれど、詮索するつもりはなかった。今の距離感でいい。

そして、知ってしまえばクロが居なくなるかもしれないという恐怖。

一人は慣れたつもりだったが、どうやらクロとの数週間の奇妙な共同生活ですっかり駄目になったらしい。

 

「眠そうな顔だな? 平気か?」

 

「そう言うクロは、大丈夫そうだね?」

 

「人の形を模しているから、ある程度は引っ張られてしまうが、人間ではないからな。

人間より多少の無茶は効くんだよ」

 

鼻を鳴らして笑うクロ。

ふと、何かを思い出したように真剣にこちらを見た。

 

「腹が減った」

 

そうして何時もの台詞である。

苦笑いをして、用意していた朝食をクロに差し出した。

シリアスなんて縁遠いものだ。

しかし、御飯を食べるクロの所作は綺麗なものだと思う。

触れれば壊れそうな氷細工の様な美貌にこのしぐさだ。

何処かの良い所のお嬢様の様だが、元は古本。

いや、違うか。

由緒ある教典でいいんだっけ?

その辺りの影響を受けているのかもしれない。

 

「…おい、今不謹慎な事を考えていないか?」

 

「そ、そんな事ないよ!」

 

鋭い目でこちらを見る。ぶんぶんと顔を振って否定する。

心を読んでいるんじゃないかとふと思う。

魔法が存在するんだからもしかすれば出来てしまうのかもしれない。

 

「む。そうか」

 

流石に心の中で考えている事は読めないらしい。

心や頭の中で考えている事だダダ漏れなら、すごく恥ずかしい思いをするところだった。

そうして何時もの様に朝食を済ませ、洗い物をすれば何時もの登校時間。

就寝が遅くても目が覚める体質はありがたいものだ。

 

「それじゃぁ、学校行ってくるから」

 

クロに声を掛けて、玄関へと行く。

私の後ろを何時もの様にクロが付いてきた。

 

「わかった。あまり遅くなるなよ?

妙な事件が頻発しているらしいからな」

 

クロが言っているのは最近この辺りで話題の昏睡事件の事だろう。

昨日の夜、真剣な目で見ていたがどうやら心配してくれたようだ。

 

「うん。でも今日もバイトがあるから何時もの時間だよ。

なるべく早く帰るけど、お腹すいたならおにぎり置いてあるからそれ食べてね」

 

我ながら甘いと思いつつ、クロにお昼ご飯と間食用におにぎりを朝食を用意している間に作っておいた。

 

「ああ、すまんな」

 

「クロも外に出るのは良いけど、ちゃんと服着てね」

 

「…私を何だと思っているんだ」

 

「ん? 猫のイメージの方が強いかな」

 

因みに今のクロの恰好は、兄のワイシャツ一枚である。

女性としては背の高いクロ。兄と身長が同じくらいなので兄の服で似合いそうなものを見繕ってそれを着ろと昨晩言ってある。

未だ、猫のイメージが抜けないのだからいらない心配だと言われても信じられないのである。

警察の御厄介にならない様にと祈りながら、学校指定の革靴をはいて家を出る。

 

「それじゃあ、いってきます」

 

「ああ、いってこい」

 

クロの声を背にマンションを出て、聖祥大付属高校へと向かう。

昨晩はクロに非現実を突き付けられ動揺したが、日常という物はとてもいいものだと思う。

同じことの繰り返し、という人も居るかもしれないけれど、それがどんなに大切なものかは、

両親を失った後に身に染みて実感している。

…誰が信号待ちに止まったトラックから、鉄パイプが無数に後ろに停車した自分たちの車に降り注ぐなんて思うのだろう。

 

「っ!」

 

一瞬。フラッシュバックした映像が頭によぎり激痛が走る。

後部座席に座っていた私を守ろうとした、父と母。

真っ赤になる視界。

そうして奇跡的に助かった私は父と母の葬儀に出ることも無く、失っていた意識を取り戻し、後悔だけが残っている。

唯一の救いは、歳の離れた兄の言葉だ。

 

――上総が助かって、本当に良かった。

 

泣き顔なんて見た事がなかった兄の言葉でどれだけ救われただろう。

塞ぎこんでいた私に生きる活力をくれたのは間違いなく兄だった。

何時もの日常が、簡単に失われるのはもう嫌なんだ。

だから私は願う、同じことの繰り返しでいい。

平和な日常が送れるように、と。

 

そうして、考え事をしながら歩を進めていると学校に着いていた。

無意識でも、学校に行ける事に笑いそうになるのを堪えて校門をくぐる。

何時もの教室。何時もの席から見る外の景色。

変わらなく、当たり前に過ぎていく時間。

 

「何、ニヤニヤ笑ってるの? 気持ち悪い」

 

朝の始業のチャイムが鳴る前。

アリサが声を掛けてきた。その隣にはすずかの姿も。

何時もこの二人は一緒で仲がいい。

 

「ん、私そんな顔してた?」

 

窓の外へと向けていた視線をアリサとすずかに向ける。

片手を腰に当て、呆れた顔でこちらを見るアリサ。

そしてその横で苦笑しているすずか。何時もの光景だ。

 

「ええ! 何かいいことでもあったのかしら?」

 

首を傾げるアリサの姿は可愛いものだ。

口調は強い物の、威圧感は無い。 

 

「うん。アリサとすずかがいつもどおりで安心してた」

 

「なによっ! それ! ばっかじゃないの!」

 

アリサは顔を真っ赤にして顔を逸らす。

可愛いものだ。怒るから本人には絶対に言わないけれど。

 

「まぁまぁ、アリサちゃん。話があるんじゃなかったの?」

 

苦笑しながらアリサを宥めているすずかも、何時ものすずかだ。

外からの人間にはアリサの金魚の糞と言われることがあるらしいが、

アリサのストッパーとして手綱を握っているのはすずかだ。

多分これは極一部の人しか気が付いていないと思う。

 

「そうだったわね、すずか。アンタ、今週の土日どっちか空いてる?」

 

はっとしたように、アリサが本題に入ったらしい。

 

「ん? 土日なら午前中はバイト。午後からでいいなら、二日とも大丈夫だよ」

 

「またバイトなの! まあそれは追い詰めるとして今はいいわ。

それじゃぁ、土曜日で良いかしら。

すずかの家でお茶会をするの。アンタも来なさい」

 

アリサから不穏な言葉が出るが、今は置いておくらしい。

後が恐ろしく怖いかも知れないが、アリサが後にすると言ったので、私も深くは突っ込まない。

すずかの家ならすずかから声が掛かるべきでは?と思うがそこは言わない。

多分口を出せばアリサが先程より顔を真っ赤にするだろう。

好きな子をからかう小学生じゃあるまいし、ここは大人の対応だ。

 

「いいの?」

 

「良いも悪いもアンタが主賓なんだから! つべこべ言わず来なさいな!」

 

「わかった」

 

「いい返事ね!」

 

「あ、上総ちゃん。クロを連れて来てくれると嬉しいな。

久しぶりに会いたいし」

 

私とアリサのやり取りを見守っていたすずか。

クロを連れてきてとの事だけれど、クロは来てくれるだろうか?

そもそも猫の姿に戻らなきゃいけないし。

 

「どうだろう? ケージに入ってくれれば連れて行けると思うけど。

もし駄目だったらゴメンね。すずか」

 

思いつきで言った割には我ながら機転の効いた言葉効かもしれない。

すずかの頼みを無下にはできないからクロに頼み込んで、猫になってもらうしかないと思いつつ。

 

「あ、うんうん。無理矢理じゃなくてもいいよ。流石に可哀そう」

 

そう言って笑ったすずか。その顔は天使そのものだ。癒される。

 

「もし連れて行けなきゃ、今度家に来てよ。

それなら会えると思う」

 

少し沸いた罪悪感に、代替案を提案した。

 

「ちょっと私は!?」

 

「もちろんアリサも。何のお構いも出来ないかもしれないけどね」

 

「よろしい」

 

その言葉に満足した様子のアリサ。

また笑うと怒られるのは確実なので我慢する。

 

「あ、上総ちゃん。土曜日は私達の幼馴染も紹介するね。

久しぶりに、こっちに帰ってくるみたいだから」

 

「え? あ、うん。でも私が居てもいいの? 

久しぶりなんでしょ?」

 

「もちろんだよ。皆には上総ちゃんの話もしてあるから。

楽しみにしてるって」

 

にっこりを笑みを深めるすずか。

これは断れそうにないかな。断れば、アリサより怖いモノが降臨しそうだ。

 

「皆って事は、何人かいるの?」

 

「その時までの秘密よ! 楽しみにしてなさい!」

 

両腕を組んで、誇らしげにアリサが答えた。

そうして始業のチャイムが鳴り、それぞれの席へと向かう。

友達が増えるのは悪い事じゃない、か。

 

 

――土曜日が楽しみだ。

 

 

 




誤字脱字があればご報告いただけると幸いです。
設定捏造、設定保管の為の改変多々ありますが、ご容赦を。


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第四話:記憶がない!

「おい、起きろ」

 

何時もの声色でクロが私を呼ぶ。

一度覚めた意識が日差しを感じ取り、次第に頭がクリアになっていく。

 

「…っ。あれ?」

 

そうしてハタと気づく。

今、何時だろう?

 

――午前八時四十五分

 

「…遅刻じゃん」

 

時間を見た瞬間、急ぐという選択肢は一瞬で霧散した。

確実に始業のチャイムには間に合わない。

これなら、遅れる旨の連絡を学校に入れてゆっくりと登校した方がマシだろう。

 

「クロっ! なんで起こしてくれなかったの!」

 

何時なら勝手に目が覚めるのだけれど今日は覚めなかった。

そしてそんな日に限って、保険で毎日掛けている目覚ましを忘れていたのだ。

完全に自業自得なんだけれど、目の前のクロに文句を言わずには居られない。

 

「起こせと言われていないしな。腹が減ったから貴様を起こしたまでだ」

 

悪びれた様子もなく、そしていつもの調子で言い放った。

 

「はぁ」

 

大きなため息を吐きながら、ベッドから立ち上がる。

その瞬間、私の視界が揺れる。

 

「大丈夫か?」

 

「うん」

 

立ちくらみを起こして、床に手を付いた。

一体なんだろう?

倒れる理由なんて無い筈だ。

一昨日夜更かしながらもなんとか起きて学校に行って。

アリサとすずかが土曜日にお茶会をしようと誘ってくれて。

何時もの授業を受けて、放課後を迎え、アルバイトに行った。

 

――その後は?

 

アルバイトが終わるまでの記憶はある。

そこから先。家に帰るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちている。

もう一度、昨日起きた出来事を順に思い出す。

学校、アルバイト、それこからは?

靄がかかったように、ひどく頭が重い。まるで思い出すことを拒否するかように。

そうして、私は記憶を思い出すことを諦めて朝食と学校に登校する準備を始めた。

 

朝食の用意が終わると、見計らったようにクロがキッチンに現れた。

けれども昨日まで人の姿だったのに、どうしてだか猫の姿に戻っていた。

 

「起きた時に何も思わなかった私も私だけど、クロはどうして猫に戻ってるの?」

 

「ああ、少し事情があってな。また魔力を消費してしまった」

 

「どうして?」

 

「まぁ、な」

 

問いをはぐらかし答えないクロに、これ以上無理強いしても答えないだろうと見切りをつけて、朝食を取る。

人から猫に戻ったクロは流石に人の食事の量は食べられないらしい。

クロの分にと作った朝食のほとんどが無駄になってしまった。

勿体ないので、夜にでも自分が食べればいいかとラップを掛けて冷蔵庫へ仕舞っておいた。

 

「もう、学び舎に行くのか?」

 

冷蔵庫の前。私の足元へと近づいたクロが声を掛けてきた。

 

「うん、遅刻だけどね。単位足りなくなって進級出来ないなんて笑えないから」

 

単位云々は冗談だ。

病気にでもならない限り、学校を休むつもりなんて毛頭ない。

兄に学費を出してもらっている手前、ズルして休むなんて事も考えていないのだから。

 

「そうか。ではこれを」

 

そう言って手渡されたのが、黒い麻糸で作られた捻じり編みのミサンガ。

 

「クロ、これは?」

 

「ん?」 

 

「どうしてコレを?」

 

「日頃の感謝の意味も込めてな。それと、お守りのようなものだ。

魔法を使って作ったものだ。それなりに効果はあるぞ」

 

ふふん、と自慢げに私を見上げる青い瞳。

猫になっているから表情は解らないが、きっとそうだ。

何時の間にそんな事をしていたのか。

そんなそぶりは全然解らなかったし、おそらく私が外に出ている間に編んだのだろうけど。

猫の姿で編んでるとすれば、かなりシュールな光景だと思う。

鶴の恩返し、ならぬ猫の恩返し…のつもりなのだろうか。

 

「それと、貴様に何かあればソレを引きちぎれ。

直ぐに駆けつけてやる」

 

何時もの大仰な口調。けれど何故かその時、クロの言葉は嘘じゃないと感じた。

 

「わかった。ありがとう」

 

「ああ、感謝しろ。折角作ってやったんだ」

 

クロの狭い眉間に人差し指で軽く押す。

どうやら、苦手だったようで怪訝な様子で私を見つめた。

 

「また偉そうな事言ってると、ご飯抜きになるよ?」

 

「それは勘弁してくれ」

 

そんな冗談を言い合いながら、私はクロから貰った黒色のミサンガを左手首に着けた。

身に着けた感触を確かめる。麻糸で出来ているから金属の様な重さも無い。

それに貴金属なら校則違反になるだろうけど、これなら大丈夫そうだ。

目立たない様に、少し上にずらしておけば教師の眼にもはいらないだろう。

そうして、学校へと歩を進める。

入学早々の大遅刻。おそらく、アリサあたりが突っ込んでくるのだろうと苦笑をしながら、

通学路を行く。言い訳をしようにも、唯の寝過ごしだ。

明日も遅刻すれば目も当てられない。

今日は少し早く寝るかと思った矢先、学校へとたどり着いた。

かなり遅くなってしまったが、今なら四限目に間に合う。

そうして、担任の教師に登校したことを報告する為に、職員室へと私は急いだ。

 

 

 

 

「アンタ、何で遅刻なんてしたの!?」

 

四限目前の休み時間。

教室に入るなり早々、アリサが私を見つけ少し強い口調で聞いてきた。

 

「おはよう、アリサ。寝過ごしただけだよ」

 

「おはよう。ずいぶんとゆっくりとしたものね。

もうすぐお昼じゃない!」

 

案の定、怒っているアリサ。

予想道理の行動に笑うしかない。

 

「一応、遅れる連絡は入れておいたんだけどね。

先生から聞いてない、か」

 

「まぁまぁアリサちゃん。上総ちゃんにも事情があるんだろうし、その辺で」

 

助け船を出してくれたすずかには感謝しかない。

アリサの怒りを鎮める手段を私は持っていなからだ。

 

「ありがと。すずか」

 

「アリサちゃんにも悪気は無いから…」

 

「知ってる。ソレが無いとアリサじゃないよ」

 

アリサに聞こえない声ですずかと話す。

アリサの性格を熟知しているすずかには敵わない。

 

「ねぇ、上総ちゃん?」

 

「うん?」

 

「顔色悪い気がするけど大丈夫?」

 

「あぁ、うん。寝不足かな。あんまり頭回ってないかも」

 

未だに、ハッキリとしない頭。

普段より体が重い。

けれど、学校を休むほどでもない。

いっそのこと動けない方が良かったのかもしれない。

 

「無理しないでね?」

 

「しないよ。それに、今日の時間割に体育とか無いから平気」

 

そう、今日は体を動かす授業は無い。

座っているだけなら、問題無い筈だ。それに最悪ではあるが授業中寝るという手段もある。

 

「そろそろ席に戻りましょ。授業が始まるわ」

 

教室の時計を見て、アリサがそう言った。

私達はそれぞれの席に戻って、次の授業の準備を始めた。

 

 

――さて、今日も頑張って授業を受けますか。

 

 

 

 

 

 

――みつけた。

 

彼女を最初に見た瞬間、そう直感が走った。

何故、と問われても解らない。ただこの人間だ、と私の造り物の心が歓喜した。

不覚を取ったのは、本当に久方ぶりだった。

ただの興味本位。まさか、管理外世界であんな魔導書が存在していたなど。

 

私という存在。

教義を記した一冊の本。

長き時間を経て変わり、やがて世界の理を求めた。

飽くなき欲求。尽きる事のない探究。それは、終わりの無い旅路。

そうして求めたものは煩雑になり、困り果てた何代目かの契約者―マスター―が私を造りあげた。

『名も無き教典』を総べる為に。

契約者が『名も無き教典』を十全に使いこなす為に。

時折、私の存在理由を逸脱して使用する契約者も居たが。

それに刃向う事など私に出来はしなかった。

それから数百年、『名も無き教典』に契約者が現れることは無かった。

 

私にとって契約者は居ても居なくても良い存在だった。

契約者が居なくとも、単独で動ける私に必要性は殆ど無いからだ。

私の本質、とでも言えばいいか。

世界の理を求める事は私だけで事足りるのだから。

 

だけれど、見つけてしまった。

私の契約者に相応しい人間を。

奇跡なのかもしれない。あまねく次元世界の中でたった一人。

 

魔力が尽き果て、動くこともままならなかった私を助けた彼女。

 

『よかった。生きてる』

 

そう言って私を優しく抱き上げた彼女の暖かな腕の中。

もう限界だと言わんばかりに私の意識はそこで落ちた。

次に目が覚めたのは、恐らく私を助けてくれた彼女の自宅であろう。

小さなバスケットに敷かれたクッションの上に私は寝かされていた。

 

「よかった気が付いた」

 

そういって私の頭を撫でる手。

それは、私が初めて味合う人間の手の温もり。

 

――心地いいな。

 

こんな事、一度も無かった。

歴代の契約者たちは私を道具としてでしか見ていなかった。

こんな事をしてくる契約者は一人としていなかった。

 

「少し待ってて。何か持ってくるから」

 

そう言って部屋を出て行った彼女。

私を見る瞳は慈愛に満ちていた。

 

「はい。どうぞ」

 

そう言って差し出したのは、小さな皿に白い液体を入れたものだった。

 

「本当はちゃんとした猫用の方がいいんだろうけど、

間に合わせでゴメン」

 

すんすんと匂いを嗅いでみる。

正直、生物として生きていない私は本来食事は必要ない。

私の中に存在する疑似リンカーコアに魔力が精製されていればそれで生きていける。

ただ、私に与えてくれたものとして飲まない訳にもいかなかった。

一口含んではみたが、口に合うものでは無かった。

 

「まずい」

 

そう口に出てしまった。

キョロキョロと部屋を見回す彼女。

 

「え…」

 

きょとんとした顔。信じられない目で私を見つめている。

 

「ね、猫が喋った…」

 

――嗚呼、失敗した。

 

この第九十七管理外世界には魔法が周知されていない。

その事を失念していた私は、魔力を失い猫の姿になっていたことも忘れ、つい言葉を発してしまったのだから。

あまり魔法の事を吹聴しては、面倒な連中が現れてしまう。

だが、バレてしまったのなら仕方ない。

 

「猫が喋って何が悪い」

 

「嘘、本当に喋ってる…」

 

「貴様の常識には、猫が喋る事は無いのか。

では、考えを改めろ。猫が喋る事もある」

 

「う。すごく不遜な態度だ」

 

怪訝な顔でこちらを見る。

不遜だと言われようとも、元からこうなのだから仕方がない。

そうして、彼女との奇妙な同居が始まった。

 

魔力を失った私は、回復に専念していた。

私の身体の中にある疑似リンカーコアも弱っていたので回復にはしばらく時間がかかる。

何もできない事で、時間を持て余し『暇だ』と始終呟いていた。

そうして困り顔の彼女が、外に出られない事を気にして『ぱそこん』なるものを教えてくれた。

とても興味深いものだった。

魔法世界にもあるにはあるが、魔法が周知されてない世界で、

これだけの機械文明とでも言えばいいか、発展しているのは稀有な例だ。

魔力炉からの魔力供給で動くあちらの世界の道具が、

此方の世界では『電気』なるもので動いている。

世界が違えば、こうも違ってしまう進化。

私はぱそこんを使い、この地球と言う星の歴史、文化、はては質量兵器まで調べ上げていた。

 

「ただいま」

 

「おかえり」

 

このやり取りを何度か経た翌日。

大分魔力の回復を得られた私は元の姿に戻ることを決めた。

けれどこの決断が、私の正体を彼女に告げる事になる。

また私は此処が管理外世界だという事を失念していた。

だが、知られた所で何が変わる訳でもないだろうが。

管理世界の人間ならば、喜んで私と契約しただろう。

世界の理と知識。素質と訓練を必要とするが、どんな魔法でも使えるようになるのだから。

しかし彼女は管理外世界の人間だ。

私の存在を聞いてもあまり理解していない様子で、興味も無いようだった。

 

――まぁ、それでいいさ。

 

私は契約者を必要としていない。

彼女がそれを望めば喜ばしい事だが、別段困ることも無いのだから。

だが、困った事と言えば、私が食事の味を覚えてしまった事だろう。

これまで必要としていなかったのだが、一度覚えてしまうとどうにも止まらなかった。

ある程度時間が経てば、腹が空き始める。

これまで感じた事も無かったものだ。

腹が鳴り、その音を聞いて笑いながら作る彼女の飯は上手い。

一度、こんびにべんとうとやらを食べたが如何せん妙な味がするのだ。

困ったものだ。

私にこんな事をしてくれる契約者などいなかった。

奇妙な感情に囚われながら、それも悪くないと感じている私がそこに居た。

 

そうして事が起きたのは、友人の家に遊びに行くから私も来いと言われた数日後の夜だった。

 

「遅いな」

 

何時もなら彼女が帰ってくる時間。

流石に腹も減り、そろそろ我慢の限界である。

彼女から行動制限は受けていないが、身分証明も持っていないのだから余り外をうろうろするなと言われている。

確かに一理ある。この世界の治安を守る部隊にでも見つかれば、面倒なことになるだろう。

だが、背に腹は代えられない。仕方がない、仕方がないのだ。

 

「まったく世話のかかる」

 

そう呟いて、彼女の兄の服を借り私は外へと繰り出した。

さて、どう彼女を探したものか。ここいら一体の地理は把握していない。

彼女の学び舎も、働き先も知らない。

そして契約もしていないのだから、私と彼女のリンカーコアはリンクしていない。

 

「手詰まりか?」

 

当てもなく道を歩き、はたと不快感。

見覚えのある感覚。

そう遠くない距離で結界魔法を誰かが使用した様だ。

管理外世界で無茶をするものだ。

誰が張ったかは知らないが、リンカーコアを持つ彼女が巻き込まれている可能性がある。

 

「面倒なことにならなければ良いが…」

 

呆れた声で飛行魔法を発動させ、その場所へと急いだ。

もちろん、他の人間に私の存在がばれてしまわない様に、別の魔法も掛けてある。

 

見つけた結界魔法を破るのは簡単だった。

この世界に魔法が周知されていない事を理解しているのだろう。

複雑な魔法式を使用したものではなかった。

そうして結界の中心で、目的の彼女を見つける。

 

「私の大事な飯の提供者に何をしてくれる?」

 

彼女の傍へと降りた私は、自分でも驚くほどの冷めた声をあげた。

数メートル先の魔導士であろう、知らない誰か。

認識阻害魔法を使用しているのか、姿が歪んで見える。

さて、これから魔法戦となれば酷な状況になる。

助けるべき彼女は気絶している。

その彼女を守りながらの戦闘は、魔力が完全回復していない私には酷な事だった。

 

――逃げる方が良いか。

 

そう決めた矢先。

 

「    」

 

短い魔法を詠唱して、目の前の人物は私達の前から消えた。

相手の魔導士が張った結界も消え元へと戻る。

張りつめた緊張感も消え、私の気も削がれた。

倒れた彼女を見つめ、やれやれと頭を掻く。

何が目的だったのか。何故彼女を襲ったのか。皆目見当もつかなかった。

考えても仕方がないと、頭を振りしゃがみ込む。

 

「さて、帰るか」

 

気絶した彼女を抱き上げ暫くした後、腕に違和感。

服越しにだんだんとハッキリとし始める感触。

 

「ん? 漏らしたか。仕方のない奴だ」

 

恐らく、味わった事の無い恐怖にでも襲われたのだろう。

そうして、更に魔法を使い漏らした痕跡とその時の記憶を消しておいた。

余り使用するべき魔法では無いが、漏らしたと知ればいい思いはしないだろうし、

恐怖を味わったのなら尚更だ。

家に戻り彼女を寝かせる。

ひと段落したところで、また主張し始める空腹。

 

「…飯は諦めるか」

 

起こしてしまうのは忍びなかった。

顔に掛かった後れ毛を直す。少し歪んだ顏に少しばかりの罪悪感を覚える。

このまま朝になってしまった方が彼女の為か。

そうして彼女の部屋を後にして、リビングへと進む。

 

「さて、面倒だがやるか」

 

一つ息を零して、作業に掛かる。

地味で単調ではあるが、明日彼女に渡すために気合をいれねばならない。

そうして取り掛かれば、あっと言う間だった。

黒色の麻糸で編んだミサンガ。

これには私の魔力を練り込んで置いた。

身に着けておけば、彼女のリンカーコアの存在を隠せる。

それともう一つ、緊急用の呼び鈴の様なものだ。

引き千切れば、私が感知できる様になっている。

これを彼女に渡さなければ。

 

登り始めた、日差しを感じ私は仮眠を取った。

腹が減っている私は、いくらも寝ていなかった。

大分、登った太陽を見ながら、彼女を起こすかと部屋に行く。

 

「おい、起きろ」

 

部屋に入ると、彼女はまだ眠っていた。

 

「…っ。あれ?」

 

そうして暫く、ベッドの中で寝返りを打っていた彼女がむくりと起きた。

枕元の時計に腕を伸ばして、ぎょっとする。

 

「…遅刻じゃん」

 

がくり、と項垂れて私に文句を言ってきた。

そんな事を言われても、私は人間ではない。

人間の理の中で生きていないのだから、そんな事を言われても困るのだ。

彼女が契約者で命令でもされていれば別の話だが。

 

そうして彼女が朝食を作り、食べ終わった後。

昨晩作っておいた、黒色の麻糸で編んだミサンガを彼女に渡した。

少し驚いた表情であったが、笑って受け取っていた。

そうして、学び舎へと行く彼女を見送る。

ここ最近の、決まった行動だった。

彼女が居なくなり、少し寂しさが漂い始めたこの家。

私は彼女の部屋へと入りぱそこんを起動させる。

 

 

――さて、今日もこの世界を求めよう。

 

 

 




少し遅くなりましたが四話です。
余り話が進んでない・・・次話でなのはさんたち三人登場です。
地力が無いのに、あの人数捌けるか不安・・・


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第五話:バレてないったらバレてない!

――土曜日

 

 

時間が経つのは早いもので、お茶会をしようと誘われた土曜日になった。

最初、迎えをよこすと言う話だったのだけれど、すずかの家の場所も解っていたし、

自転車で行ける距離だったので断った。

バイトも終わり、手ぶらですずかの家にお邪魔するわけにもいかない。

何か良い物が無いかと街中を移動用にと買ったマウンテンバイクでひた走る。

そうしてたまたま訪れたのが、海鳴商店街。

たしかこの商店街には有名な喫茶店があったはず。

そしてその喫茶店は、洋菓子類も売っていると聞いた。

 

――其処でいいか。

 

店を目指しようやく見つける。

自転車を邪魔にならない様に店前の片隅に止めて中に入った。

鳴り響くカウベルと店員さんのお決まりの台詞。

店を見渡すと、雰囲気の良い内装とBGM。珈琲の良い香りが店に漂っていた。

そうして私の眼に入った、ショーケースに陳列された沢山の洋菓子。

陳列にも拘りが有るようで、見栄え良く並べられたケーキやシュークリームたち。

余りこういう店には寄り付かないので、何を購入しようか迷ってしまう。

流石に人気店らしく、お客の出入りも多い。

私は邪魔にならない様に、隅へと移動して何を買おうかと思案していた。

 

「お悩みですか?」

 

そう声を掛けてきたのはパティシエの恰好をした柔和な若い女性だった。

声を掛けられて無視する訳にもいかないし、話のネタには丁度良いかと、

恥を忍んで聞いてみた。

 

「ええ。此処が美味しいと聞いて手土産にと思ったのですが、

どれも美味しそうで迷ってしまって…」

 

苦笑するしかない。私が迷っている間に何人ものお客さんが、

商品を選び会計を済ませ、店を後にしているのだから。

恐らく、それを見かねた目の前の女性がたまりかねて声を掛けてくれたのだと思う。

 

「自分で言うのも何ですが、どれも美味しいですよ」

 

くすくすと笑う、若い女性。

確かに彼女の言うとうり、どれも美味しそうなのだ。

更に頭を抱えてしまう、彼女の回答には困ってしまった。

 

「ふふ、シュークリームはいかかでしょうか?

ウチで一番の人気商品ですよ」

 

決めかねている私を見つめる瞳は優しい。

そうして一層笑みを深めた女性がシュークリームを進めてくれた。

 

「えと、じゃぁお願いします。十個ほど欲しいのですが、

まだ数は有りますか?」

 

そう言えば、今日来る人数を把握していなかった。

私とアリサ、すずかは確定。クロは猫の姿だから除外。

アリサとすずかの幼馴染が来ると聞いてはいるが、人数までは知らない。

流石に大勢来るという事は無いハズ。

適当に予想を付けて足りなくはないであろう無難な数と、

残っても月村家に迷惑が掛からないであろう数を言ったつもりだ。

 

「ええ、ありますよ。十個でよろしいですか?」

 

「あ、はい。お願いします」

 

少しお待ちくださいね、と女性が店のカウンターへと引っ込んで行った。

無事に選べた安心感が湧いた途端、店の喫茶店側に目が行った。

金髪の髪の長い女の子の姿が否が応うにも目に入ったのだ。

一瞬、クロが人の姿に戻ったのかと思ったが、クロは今私の家に居る筈。

目を凝らして、ちゃんと見ると全然違っていた。

けれど、クロの人の姿の時と負けず劣らずの美人だった。

そうして金髪の女の子一緒に座っている、亜麻色のサイドポニーテールに結わえている女の子も綺麗な子だった。

お互い楽しそうに笑っていた。

きっと女子トークに花を咲かせているのだろう。

海鳴市に越してきて数か月。

この街はやたらと、美男美女が多い気がする。

 

「お待たせしました。こちらになります」

 

先程のパティシエの女性が、箱を持ってこちらにやって来た。

受け取った箱の中身はもちろんシュークリーム。

十個ともなれば、それなりにずっしりと重い。

皆が喜んでくれればいいけれど。

 

「すみません、ありがとうございます」

 

「また来てくださいね」

 

会計とお礼を言い、店を出た。

そう言えば、さっきの店員さんとサイドポニーテールの女の子は顏が良く似ていた気がする。

 

――姉妹かな。

 

何の根拠も無いけれど。

翠屋で長く悩んでしまったので、少し急がないと時間が押している。

自転車のペダルを一生懸命に漕ぎ家へと急ぐ。

 

「ただいま」

 

「おかえり」

 

何時もの様に出迎えてくれたクロ。

最早このやり取りは習慣化している気がする。

 

「何だ、その箱は?」

 

玄関まで出迎えてくれたクロが、猫の姿で目敏く見つけた箱を見上げている。

 

「これ? すずかの家にお邪魔するから、お土産にね」

 

「甘い良い匂いがするぞ」

 

すんすんと、首を長くし鼻を鳴らすクロ。

猫は甘い物には興味が無い筈だが、クロは違うようだ。

リビングを目指し廊下を歩く私の足に踏まれない距離で、足元をうろついている。

 

「シュークリームだよ」

 

「何だそれは?」

 

「洋菓子の一種かなぁ。猫にお菓子あげるわけにはいかないから、クロは駄目」

 

「何故だ!」

 

最近、クロの食欲旺盛っぷりには目を見張るものが有る。

助けた頃のクロはあまり食べ物に興味を示さなかったのだけれど、

一緒に居る時間が長くなるにつれ、興味を引くものが多くなってきているのだ。

健啖な事に悪い事は無いけれど、猫に人間の食べ物を与えるのは気が引けた。

といってもクロは猫でもないし人でもないそうなのだが。

 

「猫の姿で食べきれるの?」

 

「…無理だ」

 

人の姿ならば、床に跪きそうな勢いのクロ。

クロ曰く、取っている形に引っ張られるそうなので、人の姿の時ほど食べられないそうだ。

しかし、こんなにも食い意地が張っていただろうかと、ふと思う。

思うのだけれど、食べきれないと判断した時は手を出してこない。

この辺りのクロの判断は好ましいと思う。

 

「また今度買ってくるから、今は我慢してね」

 

クロの頭を軽くなでて、持っていた箱をリビングのテーブルの上に置いた。

テーブルの箱が気になるのか、クロは箱の傍に居る。

 

「それじゃぁ、クロ。すずかの家に行こう。

ケージ用意しておいたから、中に入って」

 

「嫌だ」

 

…拒否された。

一応、クロも一緒に行くことは伝えているのだが、そういえばクロからの色よい返事は無かった。

此処に来て、完全に拒否の言葉が出てきたのだった。

 

「もしかして、お預けされたの怒ってる?」

 

「怒ってはいない。その狭い籠の中にはいるのは気に食わん」

 

さて、そろそろ時間が差し迫っているのでここで時間を取る訳にはいかない。

物事はスマートに解決するものである。物理的でも精神的にでもどちらでも構わない。

ただ物理的に行動に出た場合、今回はクロの爪という難敵が居るのだ。

では精神的にという事になるのだが、まぁ簡単である。

 

「クロ。ごねるとご飯抜きにするよ」

 

「…わかった」

 

クロ曰く、兵糧攻め。

食事事情には滅法弱いクロだった。

仕方がない、と無い肩を下げて大人しくケージに入るクロ。

すこし可哀そうなことをしたかと思うが、許してほしい。

恐らく連れて行かなければ、すずかが落ち込むのが間違いないのだ。

普通の家庭では、まず飼う事が無理なほどの猫を飼っていた。

そして予防接種や避妊・去勢もきちんと受けているようだった。

あれだけの数を、世話しているのだ。尋常じゃない程の手が掛かっているだろう。

 

「ゴメン。狭いと思うけど、しばらく我慢して」

 

ケージの扉を閉めて、しっかりと握る。

流石に落とすと、クロが大変なことになってしまう。

シュークリームも大事ではあるが、クロは今では立派な同居人なのだ。

粗末に扱う訳にはいかない。

そんな私の心配をよそにクロはどうにも拗ねているようで、

返事もせずケージの奥で丸まってふて寝をしているようだった。

そうして翠屋で買ったシュークリームとクロを抱えて玄関を出る。

 

「いってきます」

 

返事が返ってこない事に違和感を覚える。

数週間前まで当たり前だったことが、今は寂しく感じてしまうのはこの同居人のおかげだろう。

その事に寂しさよりも嬉しさがこみ上げる。

そうして家を後にして、私は月村家を目指した。

 

 

 

 

 

第九十七管理外世界―地球―

其処は私の故郷で、大切な場所。

唯一つの帰るべきところ。家族の笑顔、皆の笑顔。

何もかもが大切で、何もかもがかけがえのないものなんだ。

そんな場所で今起きている昏睡事件。

奇しくも、私の生まれ育った海鳴市だった。

 

「なのは、久しぶり」

 

「フェイトちゃん、久しぶりだね」

 

金色の長い髪を靡かせて、フェイトちゃんが私の元へと歩み寄る。

こうして会うのは久しぶりだった。

年々、フェイトちゃんは綺麗になっていく。

一緒だった背格好もいつの間にか追い越されて、今ではフェイトちゃんの方が背が高い。

あともう一つ。胸も大きい。

未だ成長中らしい彼女の胸。羨ましいかぎりだ。

けれどもこれは口には出せない。

何故なら以前、その事をフェイトちゃんの前で口走ってしまったら、

フェイトちゃんの思う私の良い所を全力で羅列され、かなり恥ずかしい思いをしてしまった。

その場に誰も居なかったので、まだ良かったのだけれど苦い思い出でもある。

 

「どうしたの? なのは」

 

「ううん。なんでもないの」

 

そんな思いを誤魔化し笑う私を見て、“行こうか”とフェイトちゃんが私の横に並び、道を進む。

目指すのは私の家族が営んでいる喫茶店『翠屋』だ。

地球に帰るのは久しぶりなのだから、家族に会って来いとクロノ君が時間をくれた。

翠屋に顔を出した後は、アリサちゃんとすずかちゃんにも会う約束もしている。

学校で新しくできたお友達を紹介してくれるそうだ。

新緑の季節も過ぎ去り、蒸し暑い日本独特の梅雨の時期。

今日は珍しく晴れていて、汗ばむ陽気だけれど気持ちの良い土曜日だった。

 

「ただいまー」

 

「「「なのは!」」」

 

「おねーちゃん、おかーさん、おとーさん。ただいま」

 

「「「おかえり」」」

 

「フェイトちゃんもいらっしゃい」

 

「お邪魔します」

 

笑顔で出迎えてくれる家族。

嗚呼、此処が私の帰る場所なんだ、と心に沁みわたる。

中学を卒業して、管理局へと入局した私。

魔法と出会って、フェイトちゃんと出会い、はやてちゃんとも出会った。

沢山の人、沢山の仲間。守るべきものは増えていく。

それは重荷でも何でもなく、私の力の源となるもの。

強くなるために、前に進む為に必要なもの。

私の世界を形どるもの。

 

――この世界は何時だって暖かい光に溢れている

 

何時もの光景。久しぶりに戻ったウチの家族はいつも通り。

お店に来たお客さんの接客をしている姿に安心した。

そうして、お店の一角を借りて席に座る。

 

「おかえり、なのは。フェイトちゃんも」

 

「ただいま。おとうさん」

 

「お久しぶりです」

 

席に座った幾分もせず此方に来たのはお父さんだった。

使い込んだシルバーアローの上には珈琲が二つ。

 

「どうぞ」

 

僕からのおごりだよ、とおとうさんがウインクして置いていった。

きっと、ゆっくりしていきなさいと言う事なのだろう。

飲むものがジュースから珈琲に変わった事にくすぐったさを感じながら、

フェイトちゃんと本題に入る。

 

――海鳴市昏睡事件

 

原因不明。不特定多数の昏睡者。

数か月前から、徐々に昏睡者が増えているそうだ。

流石にこの内容を、こちらの世界の人たちに聞かれるわけにはいかないので、

マルチタスクを使用してフェイトちゃんと会話をしている。

周りから見れば、私とフェイトちゃんが普通の会話をしている様にしか見えない。

 

「フェイトちゃん、私とはやてちゃんが呼ばれた理由って?」

 

基本、管理外世界で起きた魔法に関係する事件は本局、所謂海の管轄。

教導官である私に声が掛かる事はまず無いと言っていい。

 

「うん。この事件の犯人だけど、きっとロストロギアが絡んでる」

 

「…どうして解るの?」

 

真剣な表情で事件の内容を話すフェイトちゃん。

それもそうだ。世界を簡単に壊してしまう力があるロストロギア。

 

「ユーノにね、調べてもらったんだ。そうしたら酷似した事件が何件か該当したみたいで」

 

「その事件っていうのは…」

 

「うん。十数年前と数年前に管理世界で起きた事件なんだけど、特徴があるんだ。

リンカーコアから魔力を奪われるのは、魔法関連の事件でお決まりなんだけど、

今回は魔力と“生命力”って言えばいいかな。それも奪われてるんだ」

 

「え…それって大丈夫なの?」

 

「ううん、良くは無いかな。直ぐに影響が出るわけじゃないけれど、

多分その人が生きる筈だった時間を奪っているから…」

 

「そう、なんだ…。それじゃぁこの事件も?」

 

うんと無言でフェイトちゃんが頷いた。

ぎゅっと拳を握りしめる。この世界の人たちは魔法の存在を知らない。

何も知らないまま、理不尽に何かを奪われる。

そんな事は許せなかった。

私には誰かを助ける力がある。

 

――この事件を解決しなくちゃ。

 

そうして私はこの事件を解決する決意をした。

 

 

 

翠屋を後にして、すずかちゃんの家へと進む。

土曜だと言うのに、人通りが少ない気がする。

昏睡事件のせいなのか、少し汗ばむ陽気のせいなのかはわからない。

 

「ごめんね、なのは。巻き込んじゃって」

 

整った眉尻を下げて、フェイトちゃんが謝ってきた。

困った事が有るのなら協力することは当たり前。

それよりも目の前の友人が困っているのなら、全力で助けるのが私の主義だ。

 

「ううん、フェイトちゃんのせいじゃないよ!

それに頼ってもらって嬉しいし!」

 

フェイトちゃんより数歩先に進み、振り返り笑う。

ぽかんとした顔をするフェイトちゃんに、更に笑いかけた。

 

「絶対に解決しようね!」

 

「うん、なのは!」

 

やっと笑ってくれたフェイトちゃんに安心しながら、月村家へとたどり着く。

大きな門扉の前で呼び鈴を押して、返事を待つ。

約束の時間の少し前。丁度良い時間だった。

 

「ようこそいらっしゃいました。高町様、ハラオウン様」

 

そう言って出迎えてくれたのは、この家のお手伝いさんのファリンさんだ。

小さい頃からの知り合いで、顔を見せれば月村家に入れてくれる。

恐らく、すずかちゃんとアリサちゃんはもう居る筈。

久しぶりの友人との再会に胸が躍る。

 

 

ファリンさんに案内されたのは月村家の庭だった。

木陰にテーブルセットが用意されていて、暑さをしのげるように心配りをしていた。

 

「なのは! フェイト! 久しぶりね!」

 

「アリサちゃん!」

 

「アリサ。久しぶり」

 

そう言ったのはアリサちゃん。

何時もの調子だった。変わらない様子で何よりだ。

 

「なのはちゃん、フェイトちゃん。アリサちゃん程やないけど、久しぶりや」

 

「はやてちゃんも元気そうで何より」

 

「はやて」

 

そしてもう一人、中学を卒業して管理世界へと一緒に渡ったはやてちゃんが、

椅子に座って、紅茶を飲んでいた。

独特な関西なまりは相変わらず。

仕事は忙しいようだけれど、はやてちゃんが目指している目標には順調に進んでいるようだ。

 

「あれ、すずかは?」

 

今回のお茶会の主催者であろうすずかちゃんが居ないのに気が付いたのは、フェイトちゃんだった。

きょろきょろと周りを見回して、姿を探していた。

 

「ああ、すずかはアイツを迎えに行ってるわ」

 

「「アイツ?」」

 

声がフェイトちゃんとシンクロした。

アイツと言うのはきっと今日、紹介すると言っていた

どうやらアリサちゃんとはやてちゃんは理由を知っているようで、

アリサちゃんは怒りと呆れ、はやてちゃんは苦笑いをしていた。

 

「この辺りで迷ったらしいで?」

 

「迎え寄越すって言ったのに、最初からそうしないからよ!」

 

「この辺り、土地勘がないと迷いやすいから…私も中々慣れなかったし」

 

「フェイトちゃんも、そういえばこの辺り苦手だったっけ」

 

「うん。慣れるまで、ちょっと大変だったかな」

 

「ま、そのうち来るでしょ。すずかも上総も携帯持ってるんだし。

取り敢えず、先にお茶会やってましょ。時間がもったいないわ」

 

そう切り出したアリサちゃんは、この家の主の様だった。

それだけ、すずかちゃんとの付き合いが長いという事だろう。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさいませ。お嬢さま」

 

遠くからすずかちゃんの声。

どうやら無事帰ってきたようだ。

 

「久しぶりだね。なのはちゃん、フェイトちゃん」

 

「すずかちゃん!」

 

「すずか、久しぶり」

 

「さっきぶりやけど、おかえりや」

 

微笑みながらこちらにやって来たのは、本来のこの家の主、すずかちゃんだ。

アリサちゃんと同じで変わらず元気そうだった。

そして少し後ろに控えている女の子。

 

「えーと。初めましてでいいかな。佐藤上総です。

アリサとすずかから話は聞いてると思うけど、友達やらせてもらってます?」

 

「ぶっ!」

 

「っ…」

 

アリサちゃんが紅茶を吹き出し、すずかちゃんがお腹を抱えて笑うのを我慢した。

 

「ちょっ! 笑わなくてもいいじゃん! 緊張してるんだから!」

 

「何で、疑問形なのよ! 自信持って言いなさいなっ!」

 

「そうだよ、上総ちゃん」

 

「そんな事いわれても、“友達”だなんて面と向かって言わないでしょ!」

 

少し顔を紅潮させてアリサちゃんたちに抗議している彼女。

黒髪でミディアムのウルフカット。細身のジーンズにTシャツに薄手のパーカーを羽織っていた。

パッと見何処にでも良そうな子だった。

そして彼女の腕の中には、小さな黒猫が大事そうに抱えられていた。

そんなやり取りを見て、この子と仲良くできそうだと笑みがこみ上げて来た。

 

――余談だけれど彼女が持ってきたシュークリームがウチの両親が営んでいる店だと言いそびれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

三人寄れば女は姦しいだなんて言うけれど、

それ以上集まっている私達の会話が尽きる事は無かった。

アリサとすずか、そして初めて会う目の前の三人。

会話は弾み、時間は無情にもすぎていく。

 

「あれ、クロちゃんは?」

 

「あれ、本当だ居ない…何処行ったんだろ」

 

その事に最初に気が付いたのは、すずかだった。

私達の周りに、猫は沢山居るがクロの姿がない。

クロのことだから、そのうちひょっこりと戻ってくるだろう。

 

…多分。

 

「ごめん、ちょっと探してくる。すずか、ちょっと庭ウロウロさせてもらうね」

 

「うん。気を付けてね?」

 

「ん」

 

結局心配になり、すずかに断って庭の奥に広がる森へと入る。

すぐ見つかればいいけれど、この森はどこまで続くのだろうか…。

むやみに探しても見つからない気がする。

 

『クロ―、クロ?』

 

『なんだ?』

 

以前にクロに教えてもらった念話という物を使ってみた。

どうやらクロに届いたようで、魔法を使えてことに少し感動を覚える。

 

『何処に居るの?』

 

返事が返ってくる前に、草むらを分け入ってクロが現れた。

 

「あ、良かった。居た」

 

「私が迷子にでもなると思ったか?」

 

「ちょっと心配になったから探した」

 

「そうか」

 

しゃがんでクロを抱き上げる。

歩くのが面倒になったのか、クロはそのまま私の腕の中で大人しくなった。

来た道を帰ろうとしたその時だった。

 

『『『上総(ちゃん)…』』』

 

三人同時。

なのは、フェイト、はやての声だった。

周囲を見渡すけれど、彼女達の姿は見えない。

 

「え…?」

 

「…間抜け。全方位で念話を飛ばしたな」

 

呆れた声を出して、深い溜息を吐くクロ。

 

「うぇ…なんだかごめん。」

 

面倒なことになったと言いたそうに私を見つめるクロ。

そういえば、魔法がある事がばれてしまうのは駄目だったんだけか。

逃げ出すわけにもいかず、私は皆が居る場所へと戻るのだった。

 

――まいったな。どうしよう。

 

 

 

 




ちょっと、長々と書きすぎたかもしれません。
やっとなのはさん登場・・・

12/18追記 鳴海→海鳴に訂正orz 報告くれた方、感謝です。


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第六話:訳が分からない!

――拝啓、兄さん。

 

人生で初めて、私は針のむしろの上と言う状況を味わっています。

 

クロに飛ばした念話が、私のミスでクロ以外にも聞こえていたらしい。

クロが言うには、こちらの世界に魔力を持つ人は少ないと聞いている。

なら、三人から念話が私に届いたのはどうしてだろう。

只単に、偶々リンカーコアを持っていたのか。

それともクロから聞いた話に間違いがあったのか。

庭へと戻る間に、私の頭の中に沢山の疑問が浮かんでくる。

そうして歩みを進めていると、日差しが差し込み森が切れた。

どういう顔をすればいいか解らない私が、気まずく庭に戻ったその時だった。

 

「クロちゃん、居たんだね」

 

「よかったじゃない。見つかって」

 

「…うん」

 

笑顔で迎えてくれたアリサとすずか以外の顔は怖かった。

…特になのはが、なんて本人には一生言えない秘密だ。

そうして月村家のお茶会も終わり。

アリサは迎えが来るようで、車で帰るそうだ。

残った私となのは達。

 

「少し、お話しよっか?」

 

あまり土地勘のない私は、黙ってなのは達の跡を自転車を押しながら黙って着いて行く。

そうして向かった先は海岸に沿うように併設されている広い公園の一角。

暑さの為か人の姿は時間の割には、少なかった。

 

「上総ちゃん、どうして魔法が使えるの?」

 

とあるベンチの一つを陣取って、そんな事をなのはが聞いてきた。

私の右になのは。左にフェイト。

そうして立ちふさがる様に、私の前にはやてが立っている。

どう考えても、私が逃げられない様にしか見えない。

 

「どうしてと言われても、教えてもらったから」

 

「誰に?」

 

そう聞かれたら、私の膝の上に大人しく乗っかっているクロに勝手に視線が行った。

嘘を吐く気なんてなかった、と言うよりも今の状況に頭がついて行かず、

クロに助け船を求めたと言った方が正しいのかもしれない。

その瞬間、なのは達三人の視線がクロへと向く。

 

『はぁ、仕方がない…そうだ、コイツに魔法の存在を教えたのは私だよ』

 

「そうなんだ。クロちゃんは管理世界出身なのかな?」

 

『嗚呼、此処の世界の出身ではないよ』

 

クロが喋る事に何の違和感を抱いていない私以外の三人。

猫が喋るだなんて、かなりの常識破りな事態だと言うのに落ち着いている。

それと何故かクロは念話で話しているがよくよく考えれば、

猫が喋る訳がないのだから念話を使っているのかと納得する。

 

「じゃぁ、どこの世界から?」

 

『それを貴様らに話さなければいけない理由が私にあるのか? 管理局でもあるまい』

 

「えと、私達その管理局なんだけど…」

 

『やはりか』

 

「…どうして解ったの?」

 

『念話を使った時点で露見している。

仮にこちらの世界の出身だとして、普通の人間が魔法を使える事はまずない。

なら、魔法世界に関わった人間だと考える方が妥当だ。

それに貴様らの魔力量は尋常ではない。そんな人間を管理局が見過ごす訳がないだろう?』

 

「「「…」」」

 

三人が押し黙る。

沈黙は肯定だと、どこかで誰かが言っていた。

私は管理世界にも魔法にも精通していない。

すずかの家の森から庭へ戻る時に、クロが余計な事は言わなくていい、

念話が使える事だけ言っておけ、と前もって言われている。

 

――後は私がどうにかするさ、と。

 

管理世界や魔法の事なら、クロの方が詳しいのだろう。

クロが管理局を嫌がっている節があるけれど、それを知る理由を判断するには、

私に情報が無さすぎた。

目の前で繰り広げられている会話に私が入れない事に疎外感を覚える。

 

「それはええとして。クロは変身魔法使っとるんやろ?

元の姿には戻らへんのん?」

 

沈黙を破ったのははやてだった。

 

『戻りたいのは山々だが、流石にこの場ではな。

機会が有ればいずれ、な』

 

「わかった。けど、緊急の事態以外で地球出身の上総ちゃんに魔法の存在を教えた事と、

魔法を教えた事は、管理局法を犯してることになるんや。だから…」

 

はやては、私にも話が分かる様に説明してくれているようだった。

クロは管理世界の関係者で、管理局法も知っているのだろうから。

 

『知っているさ。だが、それは私には当てはまらん。

私は人間ではない。コイツの使い魔だ』

 

クロが私を見上げる。

そんなの事は初耳だし、『使い魔』だなんて恐ろしげなものを持った記憶は私に無い。

どうにかする、と言っていたのでクロの方便だろうけれど、アリサとすずかの友人に嘘を吐くのは、どうにも申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

「上総ちゃんと契約したんか?」

 

『ああ。以前の主人から契約を切られたのでな。

たまたまこの世界に飛ばされて、拾われた先の人間が魔力を持っていたから、再契約した』

 

「仕方ないとは言え、もう少しやりようはあったんと違う?」

 

『いや、あれ以上時間が経てば私が持たなかったのでな。

魔法を知らない人間を巻き込むのは心苦しいが、それしか方法が無かったのだ。』

 

クロの命が危なかったことは事実だ。実際、泳ぐ力も無く溺れていたのだから。

クロを私が助けた事も本当。けれど、根本的な所で嘘を吐いている。

本当にこれでいいのかな、と内心冷や汗を掻きながら、話に耳を傾けるしかない。

話の中心にいる筈なのに、クロにまかせっきりの状態にやるせなさが沸き起こる。

 

「はぁ。しゃーないけどなぁ…うーん」

 

なにかを考えあぐねているように、はやてが唸る。

短い時間ではあったけれど、きっとこの三人は悪い人達じゃないと思う。

それにアリサとすずかの友達だって言うなら、きっと良い人達の筈だ。

ずっとクロに向けていた視線を外して、はやてを見上げる。

 

「あのさ、私管理世界の事は良く解らないけど、はやて達が私の事で困ってるってのは解る。

だから、出来ない事も有るかもしれないけれど、出来る事なら協力するよ?」

 

ごくりと喉が鳴る。

クロが出しゃばるなと言っていた事を無視してしまった。

けれど、私にも関係のある事だしだんまりを決め込むの事は出来なかった。

 

「あーごめんな…上総ちゃんは管理外世界の人や。

だからよっぽどの事をしない限り管理局法に当てはめることは、出来ん。

此処で問題になるのは、クロの事なんやけど上総ちゃんの使い魔って事やから、

ちょっと特殊な事情過ぎて、現行法に当てることが出来ん。

クロが人だったら、管理局法で裁かれんといかんのんやけどね」

 

「どうしてクロが?」

 

「管理外世界の人に管理世界と魔法の存在を教えた事。

管理局は、魔法が存在しない世界に基本的に介入はしないんやけど、

こういう場合は別や。魔法が無い世界で魔法の存在が公になるのは不味いやろ?」

 

「えっと、悪用されない為って言う認識でいいの?」

 

「そやね。魔法を使う人たちが皆善い人ならええけど、悪い人なら?

もっと最悪の場合、力を持ち過ぎた人が悪い人なら不味い事になりかねんやろ」

 

「…うん」

 

「それを止める為に私達管理局が居るって訳やね」

 

「そっか。じゃぁクロはどうなるの?」

 

「さっき言った通り、クロは上総ちゃんの使い魔やから判断に困るってとこやね。

溺れてたクロを助けたんよね?」

 

「うん、見てられなくて…」

 

「上総ちゃんにもクロにも悪気が無いのは解った。

上総ちゃんとクロが管理世界の事と魔法世界の事を言わんちゅーなら、私達は見てなかったことにする」

 

片目を瞑って、はやてがウインクした。

嗚呼、アリサとすずかと一緒でこの人達もきっと“お人好し”だ。

そんな三人の気持ちを無下にするわけにもいかず、私はうん、と頷いた。

 

そうして三人と別れた私は家へと帰路に着いた。

 

 

 

 

――時空管理局・巡航L級八番艦 アースラ・管制室

 

 

アリサちゃん達と久しぶりの再会に喜んでいたのもつかの間。

私達が呼び出された理由以外の事案が、振って掛かってきた。

本当に人生は“こんな筈じゃない”事ばかりだ。

 

「問題が増えただけやったな。なんの偶然やろね。

魔法を使える子が、まだこの街に居るなんやなんて」

 

「そうだね」

 

フェイトちゃんが同意する。

事件の捜査で前に立って指揮するのは、フェイトちゃんだ。

私となのはちゃんはその補佐と言っていい。

前線に出るようなことにならなければいいけれど、と願いつつ今日初めて出会った彼女についてまとめる。

 

「けど、魔法については超が付くほどの初心者。基礎の基礎と言っていい念話を失敗してた時点で、昏睡事件には関係無いと思う。

逆にワザと失敗して私達の注目をひきたかったのなら相当の策士やなぁ。でも私達が管理局だってことをあの時点で知らん筈やし」

 

「そうだね。事件に無関係の筈だから、巻き込まれる可能性は高いよ」

 

「せやね。なんとか対策打っておかんと、何か起こってからじゃぁ遅いもんなぁ」

 

今まで彼女が昏睡事件の犯人に出会わなかった事は奇跡だったのかもしれない。

魔力を持つのだ、とうの昔に事件に巻き込まれてもおかしくは無い。

 

「ハラオウン執務官、八神捜査官。先程ご依頼を頂いた“佐藤上総”についての、現地情報が入手できました。どうなされますか?」

 

「ん、ありがとうな。モニターに出せる?」

 

オペレーターの男性が声を掛けてきた。

先程頼んでおいたものだ。アースラスタッフの仕事の早さに感心しながら中央モニターに目を向けた。

 

「了解」

 

本来の指揮官であるフェイトちゃんより、私が話の主導権を得ているような気がするが気にしない。

恐らくなのはちゃんとフェイトちゃんは、今日初めて出会った彼女に気を取られているのだろう。

優しい二人の事だ。アリサちゃんとすずかちゃんの事も含めて、上総ちゃんのこれからを考えているのだと思う。

 

中央モニターに映し出された彼女の経歴。

といっても、そんなに大したものでは無い。公的機関で得られる程度の情報のみだ。

出身地、生年月日と大まかな経歴が写真と共に表示されていた。

 

「九歳の時に、ご両親亡くしとるんか…」

 

「…」

 

「…」

 

なのはちゃんとフェイトちゃんが押し黙る。二人ともこういう話は苦手だ。

私も家族はいるが親は居ない。どこにでもある話なのだ。

ただ、大多数ではなく少ない方という事で目立ってしまうだけ。

 

「奇跡の生還、なぁ…」

 

当時の新聞も添えられていた。

トラックから鉄パイプが荷崩れし、偶々後ろに停車した車。

それが、上総ちゃんの所の車だった。上総ちゃんのご両親は上総ちゃんを庇って亡くなったと記事にある。

上総ちゃんも大怪我を負い、直ぐに意識が戻らなかった様だ。

そうして暫くして意識不明の重体から奇跡の回復。

なんともB級メディアが好みそうな内容の話だった。

 

「お兄さん居るんやな…」

 

それが唯一の救いだろうか。

 

「仕事が忙しくてほとんど家に居ないって言ってたね」

 

寂しくない筈なんて無いのだ。

一人の辛さはきっと、此処に居る三人とも知っている。

そして恐らく、クロの存在は彼女の中で大きくなっているはず。

大した罪を犯していないクロを彼女から奪う事など、出来る筈も無い。

 

「…」

 

沈黙が落ちる。

知らない方が良かったのかもしれない。

けれど知ってしまった以上、なのはちゃんとフェイトちゃんは肩入れするんだろう。

それは二人の役目だ。私はそんな二人が、悲しい思いをしないように立ち回るだけ。

未だモニターを見つめる二人を残して、私はクロノ君の元へと向かった。

 

 

 

 

 

「疲れた…」

 

そう言って、自分の部屋のベッドへと飛び込んだ。

クロがいそいそとベッドへ飛び乗って、私の枕元にちょこんと座る。

 

「災難だったな。まさか紹介された人間が管理局員だったとは誰も思いはしないさ」

 

「一体何なの? 管理局って」

 

「此方の世界に照らし合わせれば、警察・軍隊・救急・裁判その他諸々を纏めて運営している組織とでも言えばわかりやすいか?

管理世界を管理・統治する組織。質量兵器を禁止して魔法をクリーンなエネルギーとして運用している」

 

「それって、権力が一極に集中し過ぎじゃない? あと質量兵器って、こっちの世界でいう拳銃とか大砲とか?」

 

「確かに、過度に偏っているな。だが次元世界は広大だ。迅速に物事を解決する為に必然的にそうなってしまったのだろう。

質量兵器は貴様の解釈で間違っていない。実弾兵器とも言えるか。誰にでも扱えるという点で危険視され使用を不可にし、魔法を代替え品とした」

 

「それって、リンカーコアを持たない人、自衛する手段を持ってない人達はどうするの?」

 

「よく気が付いたな。奴らは、その為の管理局だ、と言い張っているぞ。管理局に所属する全ての者がそういう考えではないだろうが、な」

 

やれやれ、といった様子のクロ。

クロが管理局を嫌っている一端が少し見えた気がした。

 

「しかし、彼女達が過激な連中でなくて助かった」

 

「どういう事?」

 

「管理局は組織として大きい。必然的に派閥なんてものも生まれる。魔力至上主義な連中が、自分たちは選ばれた人間だと勘違いして、管理世界の法やルールを無視し過激になる連中も居るんだよ。

恐らく、彼女達は穏健派なのだろう。でなければ私たちはあの時点で、問答無用でしょっ引かれていたぞ」

 

なのは達が良い人で良かったと心底思う。

なのは達以外の人が此方に来ていたら、今頃手錠をはめられて取り調べの真っ最中だろうか。

テレビドラマの見過ぎなのかもしれないけれど。

 

「…そっか。でも、此処って管理外世界なんだよね? なんでその管理世界の管理局がこっちの世界に来るの?」

 

ふと不思議に思った事をクロに聞いてみる。

 

「確か前にも言ったが、管理局は魔法が管理外世界に露見することを良く思っていない。

恐らくそれの未然の防止か、はたまた魔法に関する何かが起こったか。だろうな」

 

「うーん。なんで魔法に関してる事が解るんだろう…管理されてない筈なのに」

 

「管理外世界と言っても、管理局の力が及んでいないだけで、管理局の人間は存在している。

恐らく、偵察・諜報とかの意味合いでな」

 

「それって、地球を侵略しようとしてない? なにそれ、怖い…」

 

あまり考えずクロに聞いたのだけれど、よくよく考えると恐ろしい事だ。

私達が住む日本は比較的平和で安全に暮らせる国だと言っていいと思う。

けれど世界に目を向ければ、紛争や内戦は沢山起こっている。

哀しい事だけれど、それは目を背けてはならない事実だ。

そんな地球に、管理局が乗り込んで来れば世界は滅茶苦茶になってしまう筈。

 

「いや、その可能性はほぼない。これだけ質量兵器が発展している世界だ。逆に管理世界にしてしまえば、管理世界が危険になる」

 

「どうして?」

 

クロが即座に否定して、内心安堵するけれどどうしてそう言い切れるのだろう。

 

「仮にこの世界を管理し始めた場合、リンカーコアを持たない人間、ようするに魔法が使えない人間に質量兵器を簡単に手にすることが出来るようになるだろう?」

 

「あ、そうなるのか…」

 

管理されるのだから、地球の技術は管理世界に広がるのだろう。

逆に言えば地球に、管理世界の技術が広がる事にもなるけれど。

 

「魔力至上主義の管理世界に不満を持つものも少なからず居るからな。この世界は管理局にとって劇薬なんだよ。

金と技術と道具さえあれば、質量兵器は造れてしまう。そうして起こるのは争いだ。魔法と質量兵器、どちらが優れているかはやってみなければ解らんが、泥沼化するのは目に見えている」

 

「難しいなぁ…」

 

「此処でこんな事を考えても仕方ないさ。大局的に見れば世界は存外、自分の知らない所で勝手に上手く回っている物だ」

 

鼻で笑ってクロがそう言った。

確かに管理局が此方の世界に手を出すのならとっくに出しているのかな、と思う。

もしくは私達一般市民が知らないだけで、政府とか雲の上の存在の人たちは管理局の存在を知っていて、只秘密にしているだけなのかもしれないし。

そんなオカルト的な事を考えて、そんな馬鹿なと私も鼻で笑う。

 

「…腹が減った」

 

「…ぶ」

 

いつものクロの調子に、日常に帰ってきたんだなと笑って安心する。

外はまだ明るいが、もうじき夕食の時間だ。

 

「笑うな」

 

「いいじゃん。ご飯作るから、もう少し待ってて」

 

そう言いながらベッドから立ち上がり、キッチンへと向かう。

 

「ああ、待つぞ。私は待つぞ」

 

そんな大仰なクロの態度に、私はまた笑い冷蔵庫を覗いて今日のご飯の献立を考え始めたのだった。

 

 

 




あんまり話が進まない・・・
けど、オリ主とクロとの会話が書いてて楽しいんですorz


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第七話:前触れもなく突然に【前】

すずかの家でのお茶会から数週間。

季節は七月に入り本格的に夏を迎える。もうすぐ期末試験、それが終われば夏休みになる。

楽しい筈の夏休みに補習を受けるのは全力で回避したい。

その為にアルバイトを減らし、その空いた時間をテスト勉強に当てている。

 

「おい、余り無理をするなよ」

 

そうして私が座っている机の横に立ったのはクロだ。

手には、氷が入った麦茶を持っていて私に差し出した。

 

「うん、ありがと。お風呂に入ったら寝るよ」

 

最近のクロは魔力が回復した様で、人の姿で過ごしている。

日本独特の暑さが苦手みたいで、部屋に籠りっきりなのは正直どうかと思うけれど、出不精の私が言う台詞でもないので、見て見ぬふりをしているのが現状だ。

 

「ああ、そうしろ。最近寝つきが悪いだろう?」

 

「良く解ったね…」

 

「夜中に魘されていることが多くなっている。

この暑さだ、仕方が無い事とはいえあまり無茶はするなよ?

私の飯を用意する奴が居なくなるのは困る」

 

そんな軽口を言いながら、笑うクロ。

クロとの生活も慣れて、クロが家に居る事が当たり前になってきた今日この頃。

家に何度か帰宅した兄に、クロの正体を話してない事は申し訳なく思うが、

魔法や管理世界の事を説明しなければならなくなるし、はやて達と約束した事も有るので、

兄が帰ってくるときには猫の姿になってもらっている。

 

「う~ん」

 

凝り固まった筋肉を伸ばすために、両手を組んで天井へと掲げた。

パキパキと鳴る骨と、ミシミシと唸る筋肉。大分固まっていたようで、痛みよりも気持ち良さが上回る。

 

「しかし、この世界の人間はこんなに勉強をする物なのか?」

 

「どうだろう、人それぞれじゃない? 得手不得手もあるし。

私は数学と科学は得意だけど、それ以外は苦手だし。その辺り重点的にやっとかないとマズイ事になるし…」

 

以前サボってしまった時の記憶が蘇る。本当不思議なくらいに、数学と科学は頭に入ってくる。

だけれどそれ以外、歴史・国語等は苦手である。人より倍の勉強をしてやっと平均以上取れるのだ。

気が抜けない、と言うのが本音である。

 

「私も教えられるものなら教えたいが、この世界の事は疎くてな。力になれなくてすまん」

 

最近のクロの大きな変化がこれだ。

慣れて来たのか、結構優しい一面が見られる様になった。

 

「仕方ないよ。クロは地球に来たばっかりなんでしょ? 知ってたら逆に怖いよ」

 

「そう言うものか?」

 

「そうだよ。さて、お風呂入ってくる」

 

知識を吸収するのが私なんだがなぁ、とぼやいているクロを残して、私は着替えと下着を手に取ってお風呂へと向かう。

今日の一日の疲れを吹き飛ばすように、湯船に入り身体を癒す。

 

クロが来てから私の生活は一変したとまではいかないが、充実しているように思う。

家に帰っても誰も居ない、寂しいと感じていた気持ちは消えてしまったのだから。

逆にクロが居なくなってしまう事を恐れているが、

今の所その気配は微塵も感じていないので、その心配はしていない。

仮に居なくなってしまったとしても、元に戻るだけだと自分に言い聞かせている。

 

「…契約者ねぇ」

 

以前話していたクロの言葉。『名も無き教典』の主になる資格が私にあると言っていた。

言葉どおりなら私とクロが主従契約を結ぶことになるのだろう。

ずっとクロが傍に居てくれるのは魅力的ではある。

クロの大仰な態度からしてどちらが主従か解らなくなるような気もするけど。

けれど、この地球には魔法文化は無い。

クロの言ったとおり、私が管理世界出身ならすぐさま何も迷わずクロと契約したのだろう。

 

――管理局か。

 

黙っているなら見過ごしてくれると言っていたのはどうやら本当の様だった。

あれから、なのは達との接触は無い。

クロが言うには、なのは達は魔導師として破格の力を持っているらしい。

彼女達が管理世界にどう関わったのかは知らないけれど、管理局員として働いているそうだ。

そんな彼女達が地球に戻ってきた理由。

クロ曰く、魔法に関連する何かが起こっているらしい。

昏睡事件が怪しいと言っていたけれど、最近はニュースに取り上げられていない。

続いているのなら、妙な事件だしメディアに取りざたされてもおかしくないのだ。

ある時期を境に、ぱったりとニュースからその話題は消えてしまった。

 

「どう、なってるんだろ…」

 

そうぼやいて、天井を見る。

クロから、私はリンカーコアを所持しているから狙われる可能性が有るから気をつけろと、

言われていたが結局昏睡事件はどうなったのか解らずじまい。

私が悩んでも仕方がないし、解決する力を持っているわけでもない。

ヤバイ人が居るなら警察が捕まえてしまうだろうし。

そんな事をおぼろげに考えながら、大分長湯をしてしまったようで、見上げた天井が揺れていた。

 

「出よう」

 

のぼせてしまう事を危惧して、お風呂から上がった。

身体を拭き、頭もタオルドライで水分を十分にふき取る。

鏡に映る、自分の裸体。

左腕の上腕にある、少し肉の削げた古傷。

夏場は良いが、冬場は寒さで痛む時が多々ある。

右手で傷を覆い、目を瞑る。

歳を重ねるごとに風化していく事故の時の記憶。

 

――忘れない、絶対に。

 

父と母が命を賭して助けてくれたのだ。

忘れてしまえば、向こうで再開した時に合わせる顔が無くなってしまう。

せめて父と母に恥じぬ生き方をしなければ。

たとえそれが、私の人生の重荷になるとしても。

 

深く陥ってしまった思考を振り払うために、ひとつ息を吐く。

時折こうなってしまうのは、仕方の無い事だと思う。

すこし湯冷めした肌を擦り着替え、私は部屋へと戻って眠りに就いた。

 

 

 

 

 

「何も起こらない、か」

 

「そうだね」

 

アースラ管制室で、クロノと私が深い溜息を吐く。

私達が地球に着いてから数週間、新たに昏睡事件は起こっていない。

鳴海市内に仕掛けたサーチャーにも引っ掛かる様子も無い。

事件に巻き込まれる人が居ない事は喜ばしい事だ。

けれど犯人を取り逃がしてしまっている以上、執務官としては情けない結果となってしまっている。

 

「犯人が僕たちの存在に気が付いたのか、それとも唯の偶然か…」

 

「どっちにしても、犯人が行動を起こしてくれないと私たちは何も出来ない…」

 

犯人の狡猾さに、歯噛みする。

管理局の性質上、後手に回ってしまう事が多々ある。

ミッドで起こる事件も違法研究所も然り。

 

「なのはとはやて達を本局に還したのは正解か」

 

「何もせずに三週間近く過ごすわけにはいかないからね」

 

といっても、こちらに動きが有れば駆けつけてくれる手筈にはなっている。

ロストロギアが関わる事件だ。今の規模で収まれば良いけれど、それ以上になる可能性は大いにある。

戦力は有るだけ有った方がいいだろう。

 

「ところで、佐藤上総だったか? 彼女はリンカーコアを持つと聞いているが…」

 

はやては上総に黙っていると言っていたが、海辺の公園で話し合った後、

アースラに戻って皆で協議した結果、密かにサーチャーで監視していた。

 

「うん。本当に偶然で、アリサとすずかの友達って事で紹介を受けたんだけど、

ひょんな事で念話を失敗して私達に見つかったって言えばいいかな?」

 

「念話を失敗するなんて珍しいな…魔法が無い世界だから仕方ないと言えば仕方ないのだろうが」

 

こればっかりは笑うしかない。

念話なんて本当に基礎中の基礎なのだから。

此処に居るアースラスタッフが聞けば、呆れて失笑するだろう。

そのくらい魔法を知っている人間からすれば笑える出来事なのだ。

 

クロノにも上総の事は話してある。

上総に監視の為サーチャーを付ける事を命令したのもクロノだ。

仕方の無い事とはいえ、アリサとすずかの友達なのだ。

黙ってそんな事をするのは、抵抗が有った。

私となのはは反対したけれど、結局クロノとはやてに押し切られた結果になっている。

 

「彼女の様子は?」

 

「普通に過ごしてるよ。学校に行ってアルバイトをして、家に帰って使い魔と一緒に暮らしてる」

 

楽しそうに学校生活とアルバイトをしている上総。

魔法を使えなければ私もきっとそうして暮らしていただろう。

 

「彼女が犯人と言う線は薄いか…しかし、何が起こるかわからない。監視は継続しよう」

 

「…うん」

 

「不満そうだな、フェイト」

 

「友達にそんな事をするのは気が引けるかな…」

 

本当に気が滅入る事だった。

何の罪も犯していない彼女を監視せざる負えなくなってしまった事は。

唯一の救い、と言うべきなのかどうかは判らないけれど、彼女の監視は犯罪者に向けているモノではない。要警戒対象者としての監視。出来る範囲は公の場と家の出入り位であった事だ。それ以上踏み込んでしまうと、管理局法違反になってしまうのだから。

サーチャーから送られてくる映像を見るたびに、彼女の行動を隠れてみていることに罪悪感が沸々と湧きあがる。

 

「仕方ないさ、それが僕たちの仕事だ」

 

「そう、だね」

 

割り切れない部分は確かにある。

でも何かあってからでは遅いのだ。

これも彼女の為であると、自身を納得させて私に宛がわれている執務室へと戻った。

 

 

 

 

 

 

「…」

 

カーテンの間から差し込む日差しを浴びて、目が覚める。

七月中旬の鳴海市は、もうすぐ夏真っ盛りだと告げる様に朝から太陽が照りつけていた。

 

「…だるい」

 

最近、と言っても夜の記憶がすっぽり抜け落ちた日から体が重いと言うべきか。

夢に魘されているとクロに言われたが、目が覚めると夢の内容を覚えていない。

そんな不思議な感覚を味わいながら、寝不足なのである。

それでも体に違和感を覚えるくらいで病院に行く程でもない。

ある意味たちの悪い物に悩まされているような気がするが、日常生活は問題なく送れているので、

目を瞑っている状態と言っていい。

 

「起きよう」

 

その言葉を合図に、ベッドから起き上がる。

私が寝ていたベッドには人間の姿のクロが未だに寝息を立てている。

時折、私のベッドに侵入してくるのはどうかと思う。

冬ならば、暖かいかも知れないが今は夏。

狭いし、暑いのだ…

そんなクロの行動に仕方がないか、と苦笑して制服に着替えた。

さて、腹が減ったとクロに言われる前に朝食を用意しよう。

 

「おはよう」

 

「やっと起きてきた。おはよう、クロ」

 

未だ寝ぼけた様子のクロは、足取りもおぼつかなままリビングのソファーに座り込んだ。

きっとまた、ネットに集中して夜更かしをしていたのだろう。

 

「はい、クロ。目が覚めるよ」

 

そう言って手渡したのは、氷水。

暑いこの時期だ。寝汗を掻いて体の中の失った水分補給の意味合いも含めてある。

 

「すまないな」

 

グラスを手に取り、余程喉が乾いていたのか一気に飲み干した。

 

「…眠れていないのか?」

 

真剣な表情でクロの青い瞳が私を射抜く。

 

「え?」

 

「顔色が酷いぞ」

 

顔をしかめたクロにそう言われて、脱衣所の洗面台に急いだ。

覗き込んだ鏡には、ずいぶんと酷い顔をした自分の姿が映り込む。

 

――この目の下のクマは隠しようが無いな…

 

こんな姿を見られたら、アリサとすずかが確実に心配して世話を焼いてくるはずだ。

仕方がないと、滅多に開けない机の引き出しの一つを開けて、目的の物を手に取る。

これで多少は誤魔化せるはず。

そう思いながら慣れない手つきで、ファンデーションを肌に付ける。

 

「嗅ぎ慣れない匂いがするな」

 

朝食を食べる為にキッチンのテーブルに就いたとたんにクロの言葉。

そんなに匂う物でもないと思うのだけれど、クロは鼻が利くようだ。

 

「あ、ごめん。化粧した匂いだと思う。ちょっと我慢してね」

 

「そうか」

 

軽い返事をして、クロは食事を再開。

相変わらず食事の所作は綺麗だ。

クロの人の姿が、綺麗すぎるって言うのもあるけれど。

そうして食事も終わり、洗い物をして、何時もの様に学校へと向かう準備をする。

 

「じゃぁ、いってきます」

 

「ああ、いってこい」

 

そうして今日も一日が始まった。

 

何時もの教室。何時もの風景。

何も変わらない日常は愛おしい、と思う。

 

「おはよう上総」

 

「おはよう上総ちゃん」

 

「アリサ、すずか、おはよう」

 

こうして既に習慣となりつつある教室での挨拶。

幾分かのやり取りを終えた末に、予鈴が鳴り暫くすれば担任である教師がHRの為にやってくるだろう。

 

「ねぇ、すずか…アイツの顔色悪くない?」

 

「そうだね。上総ちゃん、なのはちゃんみたいに隠さないけれど、

無茶をするみたいだから…」

 

そんな友人達の心配を余所に私は授業の準備を始めていた。

 

 

 

「全く! なんなのアイツは!!」

 

昼休み。穏やかな時間の始まりの筈なのに、今日はアリサちゃんの怒声から始まった。

私たち二人は、何時もの屋上でお弁当を食べていた。

当然、日差しが強いので物陰で。

 

「な~に~がぁ! ちょっと予定が有る、よ!!

 

握りしめているお箸が折れそうなほどに力がを入れているアリサちゃん。

何時もの事だけれど、もう少し落ち着いてくれれば良いのにとも思う。

それでも、このアリサちゃんの怒りは上総ちゃんを心から心配していての事だ。

 

「アリサちゃん、落ち着こうよ。上総ちゃんにも私達以外のお付き合いとかあるかもしれないんだし」

 

「何よ、すずか! アイツが私達意外の誰かと居る所なんて見た事ある!?」

 

実際、アリサちゃんの言うとおり、上総ちゃんが誰かと仲良くしているところは見た事が無い。

話すようになる前は窓際の席で、ぼんやりと外を眺めていることが多かった。

 

「全く!」

 

今にも頭から湯気が出そうな程に怒っている。

怒っていながらも、お弁当を口にかき込んでいる姿は、他の人には見せられない姿かもしれない。

 

「何で、なのはもフェイトも上総も何も言わないのかしら!

私達そんなに頼りない訳?」

 

はやてちゃんを言わなかったのは、彼女の性格を加味しての事だと思う。

言う必要が有るならはやてちゃんは私達に伝えだろうし。逆の場合もあるけれど。

 

「そうじゃないと思うよ。心配かけたくないだけだと思う。

アリサちゃんだって、逆の立場なら隠しちゃうんじゃない?」

 

「私が体調を崩す訳ないじゃない! 健康管理もお嬢のたしなみよ!!

それに体調壊したらきっちり休みを取るわ!」

 

言い切ってしまったアリサちゃんに私は苦笑するしかない。

 

「それが出来れば、なのはちゃんも上総ちゃんも苦労してないと思うけど…」

 

懐かしい記憶が蘇る。

小学校三年生の時だったか、確かなのはちゃんが魔法と出会った時の事だ。

なのはちゃんはこの鳴海市で起こっていた事件をユーノ君と一緒に解決しようと奔走していたっけ。

そうして私達には心配を掛けまいと黙っていた。

なのはちゃんが無理をしていたのは傍から見れば明らかで。

それに対して怒ったのがアリサちゃんだ。

 

「ふん!」

 

最後に鼻を鳴らして、それ以降アリサちゃんは何も言わなくなった。

恐らく言うだけ言って、少し気が晴れたのだと思う。

長年、友達をやってきたのだから、これくらいの事ならすぐ解る。

 

そうして屋上でのランチタイムを終えて、珍しく校内を散策してみようという事になった。

慣れてきたとは言え、知らない場所や行った事の無い場所がまだ残っている。

高校生になり、四か月。いつの間にか、もうすぐ初めての夏休み。

アリサちゃんが色々と楽しそうに遊びに行く計画を練っている。

私や上総ちゃんも巻き込まれるのだろうな、と笑みが自然と浮かんだ。

 

広い校内の森林区画に辿り着いた。

遊歩道が整備され所々にベンチが設置されてある。

こんな所があったんだ、とアリサちゃんと感心していた。

暑さの為か人気は余り無い。

二人で遊歩道を歩いていると、少し奥まった場所で人の足が見えた。

 

「アリサちゃん、あれ」

 

私が先に見つけて、指をさした。

 

「誰か倒れてる? 急ぎましょ、すずか!!」

 

「うん!」

 

こんな暑い日だ。熱中症の可能性もある。

急いでその人の元へと駆け寄った。

そうして、見つけたその人は私の良く知る人物だった。

 

「上総ちゃん、こんな所で寝てる…」

 

木陰になった場所の木に凭れて、上総ちゃんが寝ていた。

気持ちよさそうに寝息を立てている姿に、アリサちゃんと顔を見合わせて溜息を吐いた。

アリサちゃんが両膝に手をついて項垂れた。

 

「何よ、心配して損したじゃない!」

 

腕時計で時間を見たアリサちゃんは、もうすぐ午後の授業が始まる事を確認。

少し乱暴な手で上総ちゃんの肩を揺すり声を掛ける。

 

「ほら! 起きなさい、上総!」

 

「…う、うん?」

 

焦点の定まらない目で、私たちを見つめる。

 

「あ、れ? どうしてアリサ達が此処に居るの?」

 

「偶然見つけたのよ、こんな所で寝るなんて! 疲れてるのなら保健室で寝なさいな!」

 

「大丈夫だよ。保健室は体調の悪い人が行くところ。ただの寝不足で、私がベッド占領するわけにはいかないし」

 

へらりと笑って上総ちゃんが誤魔化した。

あ、不味い。

そう思った時には既に遅かった。

 

「あ、ん、た、ねぇぇええ!」

 

怒りが頂点に達したアリサちゃん。

上総ちゃんの右腕をむんずとつかみ、無理やり上総ちゃんを引き連れて歩き出した。

 

「アリサちゃん!?」

 

「すずか! 無理やりにでも保健室にコイツを連れて行くわよ!」

 

「うぇ? 大丈夫だって。てかアリサ、痛い」

 

「うるさい! 化粧して顔色隠して、大丈夫なワケないでしょうが!!」

 

言い返せない、と微妙な表情を上総ちゃんが浮かべる。

結局大した抵抗もせず、そのまま一緒に保健室へと向かった。

 

「失礼しますっ!」

 

「バニングスさん、保健室では静かにね」

 

そう諭しつつも、穏やかな顔を浮かべるている養護教諭。

こういう事態に慣れているのか、驚いた様子は無かった。

 

「すみません先生。佐藤さんが体調悪いみたいなので休ませてもらえませんか?」

 

先生に出鼻を挫かれたアリサちゃんに変わって私が言葉を紡いだ。

 

「あら本当。顔色が悪いわね。ベッドなら空いているから好きな方で休みなさい」

 

そう言って有無を言わさず、未だ入り口で動かない上総ちゃんの肩を抱いてベッドへと案内した。

納得していない様子の上総ちゃんは、ベッドの傍に立っているだけで布団の中には入ろうとしない。

 

「あなたたち、後は私に任せて教室に戻りなさいな。担任の先生には私から話しておくから」

 

健康な人間に用事はないと言わんばかりに、保健室から追い出された。

 

「大丈夫かな? 上総ちゃん」

 

「あの教諭なら、大丈夫でしょ」

 

確かに、あの仕切り振りなら頑なな上総ちゃんも説き伏せそうな気がする。

少しでも体調が良くなればいいと願いつつ、午後の授業を受けるべく私達は教室へと向かった。

 

 

 

 

「…ただいま」

 

少しバツが悪そうに上総が教室に戻ってきた。

先程怒ってしまった手前、彼女には声を掛けづらい。

 

「上総ちゃん、大丈夫?」

 

「うん、ありがと。大分楽になったから。先生からも授業を受けていいって言われたし」

 

どう彼女に声を掛けたものかと自分の席で思案している途中にすずかに先を越されてしまった。

と言っても立ち位置的に声を掛けるのはすずかの役目だ。

それは、何年たってもずっと変わらない私達の暗黙のルールの様なもの。

 

確かに、上総の顔色は昼休みの時よりも大分良いようになってきている。

あの様子なら、今日の最後の授業を聞くくらいなら平気だろう。

すずかと上総の方に行かない私を気にしてか、二人が視線を私に向けた。

すずかはきっと何時もの事で、私の心中なんてお見通しだろう。

問題は上総だ。

 

自分の性格は自分が一番熟知している。

私は私の信念に付き従い、それに相反するものならば例え自分一人になろうともそれは譲らない。

幼い頃は、その性格が災いして周りと対立することが多々あった。

そうして年齢を重ね、少しはマシになったとは言え、きっとこれは変わらないのだと思う。

私の性格に耐え切れずに離れて行った人は数知れず居る。

そんな性格の私と上総はつい最近知り合ったばかりだ。

上総もそのうちの一人になってしまうかもしれないと言う不安はある。

 

結局、上総には声を掛けられず授業開始のチャイムが無情にも鳴り響く。

帰り際にでも話せるといいけれどと思ったその時、上総と視線が合った。

 

『あ り が と う』

 

声が聞こえた訳じゃない。

けれど確かに彼女の口元が、笑ってそう言ったのだった。

 

――全く。

 

心配して、損したじゃない!

 

 

 

 

 

 

昼休みと保健室で仮眠を取った私の体調は大分戻っていた。

アリサとすずかにアルバイトが有るのなら休めと言われたが、流石に簡単に休む訳にもいかず、出勤したのだった。

 

「夜なのに暑いな…」

 

陽もとっくに陰り、涼しい風が吹いても良い時間帯のはずなのに、今日は特に蒸し暑い。

早く帰って、大分遅い夕ご飯を作らなければお腹を空かせたクロに急かされるのは目に見えていた。

額に浮かぶ汗を拭い、背中に張り付いたTシャツの不快感を無視し、人気の無い夜道を速足で歩き住宅街を進む。

 

「嗚呼、やぁっと見つけた」

 

「誰!?」

 

突然聞こえてきた声と、私が言葉を発したと同時。

何かが大きくずれるような感触と不快感。

 

――何かが違う…

 

何が違うのかと問われれば答えることは出来ないが、とにかく違和感が酷い。

何時もの光景の筈なのに、雰囲気が重いとでもいえばいいのか…

背中を伝う汗が止まらない。

嫌な予感がして、ごくりと喉が鳴る。

そして、声が聞こえた方に振り返ると、誰かが佇んでいた。

 

「Faint」

 

短く言葉を誰かが発した瞬間、私は意識を失った。

 

 

 

 

 

 



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第八話:前触れもなく突然に【後】

【注意】:残酷な描写がありますので苦手な方は、後書きの方に八話のざっくりとしたあらすじを書きました。大丈夫な方はそのまま本文へお進みください。



ブリッジに鳴り響くけたたましい警告音。

何事かとオペレーターに目を向けると、キーボードをせわしなく叩き切羽詰まった表情を浮かべていた。

 

「一体どうしたっ!?」

 

「申し訳ありません提督!! 監視対象者に付けていたサーチャーが、対象を見失いました!」

 

僕の方に振り向き、慌てた声で報告を受けた。

監視対象である佐藤上総の行方を見失った様だ。

リンカーコアを所持しているとはいえ、魔法については素人の彼女が僕達の監視に気付く可能性は低い。

ならば、第三者である何者かが彼女に何かしらした可能性の方が高いだろう。

 

「追跡はっ?」

 

「駄目です! 追い付きません!」

 

騒然となるブリッジ。

だが、これで終わる訳にはいかないのだ。

 

「フェイト執務官と武装隊に連絡を!」

 

「了解です!!」

 

忙しなく通信を繋ぎ、オフシフトであったフェイトをブリッジに呼ぶ。

武装隊には、待機命令を発動させた。

 

「呼び出してすまない、フェイト」

 

「ううん。クロノ、一体何が有ったの?」

 

息を切らしてやって来たフェイト。

呼び出しから数分も立っていない。

オフシフトだと言うのに、執務官服のままで仕事をしていたのだろう。

 

「佐藤上総を見失った」

 

「見失ったって…どうして!」

 

「解らない。だが、誰かが彼女を連れ去った。映像をくれ!」

 

了解、と声が響く。

すぐさま中央モニターに映像が映し出される。

 

「彼女を見失う前の映像だ。一瞬だけれど背後に誰かが映っている。はっきりと姿は解らないが、

彼女を連れ去った犯人は十中八九この人物だと思う」

 

「クロノ、彼女の使い魔は? 使い魔なら主人の危機を察知していてもおかしくない筈!」

 

その言葉を聞いたオペレーターが、こちらの指示を待たずに彼女の家を監視しているサーチャーの映像をモニターに映した。

黒色の毛並の猫と聞いていたが、人の姿だ。

佐藤上総は一人暮らしである。恐らく今映っている金髪碧眼の女性が使い魔なのだろう。

主人が危機的な状況に陥っているのならば、使い魔ならば気が付く可能性が。

だが部屋で過ごしている使い魔は、何も変わらぬ様子でパソコンのモニターを覗いている。

 

「…何も変わった様子はない、か」

 

「もしかすると、上総が危険な状態になってない可能性もあるよ」

 

「彼女と使い魔との契約内容次第だな。精神リンクをしていなければ、気付けない…」

 

「そんな…」

 

モニターの画面を悔しげに見つめるフェイト。

何かを決意したように、僕の方に振り返る。

 

「クロノ、上総が居なくなった現場に行ってくる! 何か痕跡があるかもしれない!」

 

「わかった。気をつけろ。何が有るかわからないからな」

 

「うん!」

 

言うや否やフェイトは転送魔法を使い、海鳴の街へ降り立った。

僕たちもフェイトを見ているだけでは終われない。

最善を尽くし、最良の結果を得なければいけないのだから。

更新されるモニターの情報を眺めながら、次の一手を考える僕だった。

 

 

 

 

 

 

 

「っ…」

 

目が覚めると同時、鈍い頭の痛みと眩暈。

真っ暗な視界に慣れていない目がようやくその機能を取り戻す。

見覚えの無い場所、錆びた鉄の匂い。静寂。

ドラマでよく見る、長い年月放置された廃工場の様な場所。

 

――私は、何でこんな所に…

 

アルバイトが終わって、クロがお腹を空かせているだろうと帰路を急いでいたはず。

ああ、そうだ。帰り道の途中、誰かに声を掛けられた。

誰だろうと振り返り、気を失ったのだ。

何をどう考えても、その誰かが私をこの場所に連れてきたとしか思えない。

けれども目的が解らない。

誰かに恨みを売った覚えも無い。

金銭目的なら、お金なんて持っていない、誘拐するだけ損である。

 

「目が覚めたかね?」

 

唐突に、広い廃工場に響く声。

革靴の音を鳴らしながら、私の方に近づいてくる。

 

「こんな所に、すまないね。私はこの星に詳しくないのでね。

このような場所で君をもてなさなければならない無礼を許したまえ」

 

白を基調にした高そうなスーツを見事に着こなし、私を見下ろす痩身の男性。古びた本を脇に持ち私の前に佇む。

そしてその横に静かに佇む、クロに瓜二つの銀髪蒼眼の女性。

 

「こうして会うのは二度目、かな。一度目は見ていただけだから君に覚えはないかも知れないがね。

私はヴァルト・アクスマン。この『名も無き偽典』の契約者―マスター―だ。隣に居る彼女はこの偽典の統率者―コマンダー―」

 

そう言って、大仰に両手を広げる。

ヴァルト・アクスマンと名乗ったこの男。

私と彼が会うのは、二回目だそうだが一度目の記憶は全くない。

見ていただけだから、と言っているので確かに私には彼の記憶は無いのは頷ける。

ただ、目の前の彼が持っている本、一度クロが見せてくれた『名も無き教典』の装丁にそっくりだった。

名前が似ているから、もしかするとクロと何か関係するのかもしれない。

 

「さて。まずは君をこんな場所に連れてきた理由を率直に言おう」

 

その言葉の後に彼は指を鳴らす。

彼が何を言っているが、聞き取れない。英語によく似た発音ではあるけれど、英語では無い。

そうして、足元に淡く光る模様が浮かび、ソファーとテーブルが目の前に現れた。

…これは、魔法なのだろうか?

 

「君にはこの『名も無き偽典』の力を真に開放する鍵になってもらうよ」

 

唐突に表れた一人用の高級そうなソファーに深々と腰を掛けて、彼がそう言った。

そして音も無く彼の少し後ろにクロにそっくりな女性が、控えている。

 

「鍵?」

 

「そうだ、鍵だ。私と一緒に世界を手に入れないか?」

 

私は地面、彼は椅子。

この場所での、私達の力関係を表していた。

いきなりの規模の話で頭が追い付かない。

世界を手に入れないか、と言われてもハッキリ言って興味は無い。

目の前の彼は世界を手に入れて、何をするのだろうか?

 

「私が貴方に協力したとして、貴方は世界を手に入れてどうする気なんですか?」

 

「何、私がやりたい事をやるだけだよ。君も君のしたい事をすればいい」

 

「…世界平和とか?」

 

「…ぶっ! ククッ!! あははははははははは!」

 

鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、いくらも立たず大声で笑いだした。

なにか可笑しいのだろうか?

世界を手に入れ、その世界を収めるのなら何にせよそう言う結論になると思うのだけれど。

独裁者が歴史上、長期に政権を取るなんてことは過去を見てもあり得ない事だ。

 

「君は面白いねぇ! だが私が求めるのはそんな陳腐なものでは無いよ?」

 

世界平和も陳腐なものでは無いのだと思うけれど、どうやら彼にとっては大した事ではないらしい。

本音を吐いてしまえば、彼の言う事に私は興味は無い。

変な人に絡まれてしまった、と言うのが今の正直な気持ちである。

 

「何を、する気ですか?」

 

聞いたところで、碌でもない回答が来るのは彼の先程までの言動から推測できる。

 

「良い質問だ。手始めに、この星を手に入れてみようか!この星は実に面白い。

一般人の多くが魔法の存在を知らないが、面白い物がたくさん存在するよ?」

 

「魔法…」

 

この人、クロと同じことを言っている。

だけれど、クロから嫌な感じは一切しなかったけれど、彼からは嫌な雰囲気がひしひしと感じ取れる。

そして彼の後ろに控えている女の人。微動だにしないまま、佇んでいるだけだ。

 

「嗚呼、そうか。この星に魔法が認知されていないからね。君が知らないのも致し方ない事だ。

この星以外にも、世界は存在する。管理世界と言う、魔法が人々に認知されている世界だ。

魔法は素晴らしいよ。極めれば命さえ永遠になるのだから。手に入れたいと、思わないかね?」

 

そんな事まで出来るのかと感心したけれど、永遠の命だなんて、そんな大層な物は私には必要ない。

命を持って生まれたものは、いつかは死ぬ。

そして世界なんて物も欲しくは無い。私に世界を動かす力なんて持っていないし、

その世界に住む人々を守り、国として運用していく能力など無いのだから。

 

「お断りします」

 

「交渉決裂、だねぇ」

 

慇懃な声で、そう告げられた。

 

「本当に残念だ。君が同意してくれていれば、手荒な真似はしなくて済んだのだが、仕方あるまい」

 

ニヤリと口をいびつに歪めて嗤う。

 

「やれ」

 

短く一言告げると、クロによく似た女性が私の方に歩み寄る。

私の前で立ち止まり、長い脚を少し浮かせその後は目に捉える事が出来なかった。

 

「っが!」

 

私の身体が吹っ飛び、壁にぶつかる。

何が起こったのか一瞬理解できなかったが、恐らく蹴られたのだろう。

人間一人を吹き飛ばした脚力の強さに感心する。

肺に溜まっていた空気が、強制的に吐き出され息がし辛いくなる。

咳き込むたびに、少しは楽になっていくが背中の痛みは中々引かない。

 

「そうだ。先程私が、この星は面白いと言ったねぇ。魔法文化の無いこの星が此処まで発展している事は珍しい。

この星に辿り着いて時間が余り経ってはいないが、興味深い物を手に入れてねぇ。やぶさかではあるが、君で試すのも一興だ」

 

男が本を開き、興味深げに眺めていた。

女性の手元に黒い光が手を覆い、何かが具現化する。

それは良く見た事のある、銀色の細い棒。

裁縫で使用する、針のようなものだった。

 

「さて。魔法文化が進んでいる世界にも『拷問』と言う手段はあるが、この星ほど多様化はしていない。

面白いねぇ。実に、面白い。魔法は体を傷つけず痛みのみを与える事が出来る。だがこの魔法の存在しない星で、

死に至らず、極限の痛みを与える方法が数多にあるとは」

 

私は女性にうつ伏せ状態で地面に押し付けられて、強制的に右手を引っ張られた。

 

「さて、君はどこまで耐えられるのかね?」

 

下卑た笑みを浮かべる男。

女性が持っている針で何をするのか、想像はしたくない。

どうせ碌なものじゃないと、私の心が警告音を鳴らす。

そして私の右手首と五指に黒い光が現れて、地面と離れない様に繋がれた。

女性が針を持ち直して、表情一つ変えないまま私の親指の爪と肉の間に針を突き刺した。

 

「あああああああああああああ!」

 

痛い。

どうにか耐えられるが、痛い。

男が楽しそうに、せせら嗤う。

男が指を鳴らすと、女性が私の親指に差した針を、押し上げた。

 

――っ~~~~!!!

 

声にならない悲鳴を上げる。

爪を一枚剥がされただけと言うのに、強烈な痛みに襲われる。

涙が出そうになるのを我慢して、痛みに耐える。

爪の剥がれた指が、次第に熱を持ち痛みに拍車を掛ける。

 

「ふむ、まだ余裕が有りそうだね。この本に書かれている通りなら、

爪剥ぎは尤も痛みを与えるが、与える痛みの割に身体を傷つけないらしいよ? 

あと残り九枚、いや足を分を数えれば十九枚。

君はどこまで耐えられるかねぇ?」

 

そう告げて、女性がおもむろに私の右人差し指に針を突き刺す。

能面の様に感情を表さず、また爪を一枚剥いだ。

同じ痛みが、再度私を襲う。

どうにか耐えるが、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっているだろう。

 

「耐えるねぇ。そうでなければ、やりがいが無い」

 

男の声と私の悲鳴が交じり合う。

そうして、私の右手の指の爪がすべて剥がされた。

 

「ふむ。痛みに耐えかねて、私に媚びへつらう姿を見たかったのだがねぇ」

 

つまらないと男が吐き捨てて、また嗤う。

男の手元にあった本が消えて、新たに別の本が男の元に現れた。

 

「どうやら君は肉体的な痛みには強いようだ。では、これでどうかな?」

 

「なにを…」

 

男が声を出した瞬間、本が光って私を包み込んだ。

その瞬間、真っ暗な視界に現れた私の両親。

 

『なんで、お前だけが生き残った?』

 

『どうして、貴方だけが生き残ったのかしら?』

 

血まみれの父と母が私を責める。

 

「あ…止めっ」

 

止まりかけていた涙が再び溢れ出した。

私も一緒にあの場所で両親と死んでいたら、どれだけ楽だっただろう。

意識不明の重体から目覚めた私に待っていたものは、過酷なリハビリと“奇跡の生還者”と言う世間からの好奇の眼差し。

それをやっとの思いで、兄や周りの力で克服できたというのに。

 

「肉体的な痛みに強い人間に、こういうモノは効果的だ。

だが私が見せたものでは無く、君の心の中にある真実だよ?

君の記憶の引き出しにしまってある物を、魔法で蘇らせているからねぇ」

 

喜々として男が私に伝える。

そんな事は自分が一番理解している。

この光景は私が必死に今まで蓋を閉めようとしていたものだ。

未だ両親からの罵声が止まらない。

 

「おや、君の左腕に付けているソレはなんだね? 見た所、魔法が使用されているようだが…」

 

今一番気が付かれたくない事に、男が気付いた。

男がパチンと指を鳴らして合図すると、女性が無理矢理クロがくれたミサンガを引きちぎった。

 

――気に入っていたのに。

 

せっかくクロから貰ったものを、こんな形で失ってしまうだなんて。

怒りで痛みを忘れ、男を睨み付ける。

 

「ほう、君にはリンカーコアが無いと思っていたが、そう言う事か。

誰が手引きをしたのか知らないが、そんなもので上手く隠したものだ。

しかし、これは好都合。君が魔力を所持しているのなら、私の宿願も大いに進むという事だ」

 

そうして一人掛けのソファーから立ち上がり、私の近くへと来る。

痛みで起き上がらない私の体を、無理やりに髪を引っ張り上げて、こう言った。

 

「最後通告だ。私に協力しなさい」

 

「いや、だ」

 

即答した。

 

「そうかね。私としては穏便に事を済ませたかったのだが、仕方ない。

君がいけないんだよ?」

 

目の前の男が深い溜息を吐いて、また本を開いて何かを呟く。

男の右手に炎が纏う。

 

「魔法を知らない君に説明しておこう。私の手に炎が帯びているがこれは魔法で作り上げたものだ。

術を行使している私が触れていても熱くは無い。だが私以外が触れるとどうなるか解るかね?

何、痛みだけで決して死にはしない。非殺傷にしてある」

 

そうして私の左腕の古傷に触れる。

爪を剥がされた時の痛みとは違う痛み。

熱を帯び、皮膚が爛れ焼ける臭いと激痛。

また声にならない声を上げて、地面をのた打ち回る。

 

「酷い事をすると思うかね? だが仕方ないのだよ。強制的に君を鍵として使用することも出来るが、それでは効力が半減してしまう。

だから君の同意が必要なのだよ。どういう過程であってもね」

 

「……」

 

男の声が遠くなる。

 

「やれやれ。やりすぎたようだ」

 

痛みで気絶した私に、呆れた男の声が浴びせられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

上総が居なくなった現場に辿り着いたのは、私がアースラから転移魔法を使用してから幾分も時間は経っていないと思う。

周りを見渡して、何か痕跡は無いかと目を凝らす。暗がりの中、薄っすらと浮かぶ何か。

近寄ると布で出来たトートバックが落ちていた。

拾い上げて、バックに付いていた汚れを払う。

少し中を見る事に抵抗を感じるが、今は緊急時だ。人の物を覗いてしまう罪悪感に囚われながら、中を見る。

 

「これは…」

 

生徒手帳だった。示されていた名前は“佐藤上総”。

何が起こったのか、皆目見当もつかないまま不安だけが増えていく。

他に何か、証拠になるようなものが無いかと振り返った瞬間だった。

 

『フェイト、聞こえるか?』

 

「うん、大丈夫だよ。何かあった?」

 

『嗚呼、動きが有った。佐藤上総の使い魔が、飛行魔法を使って何処かに向かっている』

 

「本当!?」

 

『今、進行方向から場所を割り出し中だ。リアルタイムで座標を送るから、フェイトも向かってくれるか?』

 

「わかった! 行くよ、バルディッシュ!!」」

 

『Yes sir』

 

愛機のデバイスが短く返答して、飛行魔法を発動させて空へと飛び立つ。

せわしげに移り変わるモニターを見つめ、焦る心を無理やりに押し込める。

彼女の身に何も無ければ良いけれど、何が起きているのかは推測の域でしかない。

 

――嫌な予感がする。

 

 

 

 

 

 

パソコンにも少し飽き、この家にあった本を手に取り読みながら家主の帰宅を何時もの様に待っていた。

時計を眺めて時間通りに帰ってくる筈の彼女が遅い事に違和感を抱いたのは、何時もの帰宅時間を三十分以上過ぎていた頃だ。

リンカーコアの所持者が極端に少ないこの世界だから、魔力を追えば簡単に見つかるが、

生憎自分が彼女に渡した、麻糸で編み上げた魔力隠しのお蔭で自分でも彼女の気配を追えない体たらくである。

 

「連絡手段は念話のみか。だが管理局もいることだ。私は良いがアイツが失敗する可能性が有るな」

 

呆れた声で、念話を失敗した彼女を思いだす。

基本中の基本であるモノを失敗するなど、珍しい事態だった。

まさか念話を失敗するなど思っていなかった為に、管理局に見つかってしまったが。

私の正体はバレていないので、まぁ良いのだが。

 

「さて、どうしたものか」

 

何時もなら、飯を食べている時間である。

さっさと帰宅をしてほしいものだが、彼女の都合もあるだろう。

 

――っ!

 

耳鳴りが私を襲う。

人間ではない私の身体は本来、健康障害や機能異常は引き起こさない。

それが襲ったという事は、彼女に渡したアレが何らかの理由で千切られたという事実のみ。

 

「鳴りを潜めていると思えば!!」

 

昏睡事件の犯人が、もう一度彼女を襲った可能性が一番高い。

ベランダに駆け出し、飛行魔法を発動させて夜の帳へと翔ける。

それと同時に、広域探査魔法を起こす。

彼女の魔力波長は、以前に把握している。

それを手掛かりにすれば、居場所を安易に突き止められる筈。

 

「居た!」

 

飛行魔法を加速させて、その場所へと向かった。

 

 

 




人生、碌な目にあってないオリ主。ドンマイ! 強く生きろ!


あらすじ。

上総、拉致される。
   ↓
サーチャーで監視していたアースラ組騒然。
   ↓
拉致した犯人現る。超嫌味なインテリ風味の野郎とクロの2Pカラーのそっくりさん。
   ↓
『名もなき偽典』の契約者と名乗り、私と一緒に世界を取らないか?
   ↓
上総、拒否
   ↓
じゃぁ、しゃーない拷問。
   ↓
フェイトとクロ、現場に駆けつける寸前。

はしょってざっくしとした内容です。こんな感じのハズ。


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第九話:痛みを抱えて【前】

 

 

静まり返った、閑静な住宅街の一角。

そんな場所に一つだけ、まるで取り残された様に廃工場が静かに佇んでいる。

けれども、明らかな違い。違和感。

そう、結界が張られているのだ。

上総の使い魔より先に現場に辿り着いた私は、この堅牢な結界に梃子摺っていた。

 

「ビクともしない…!」

 

発動された術者の許可が有れば簡単に入れるが、それは叶わないというものだ。

この結界は、中に居る者以外の侵入を固く拒んでいる。

攻撃魔法を発動させて打ち込んでみたが、傷一つ付かない。

頑丈な結界に、舌打ちしそうになるのを抑えて、次の一手を考える。

 

「クロノ! どうにかならないの?」

 

『済まないフェイト。こちらでも解呪を試みているが…時間が掛かる!!』

 

アースラでも忙しなく皆が頑張っている。

けれど無情にもすぎていく時間に、焦りが募る。

 

「お願い! 急いで!!」

 

『嗚呼、全力を挙げてソレを破ってみせる!』

 

「うん!」

 

そうして待つ事しか出来なくなった私は、忌々しい結界を見上げる。

この中に、きっと上総が居る。

 

――どうか、無事で。

 

「退け、金髪」

 

静かな声色で、声を掛けられた。

振り向いた先には、金髪碧眼の女性の姿。

黒一色の服が彼女の金色の髪を更に引き立てていた。

けれど、先ほどの言葉には腑に落ちない。

貴方も私と同じ金髪だろう、と言いたかったのだが心に留める。

 

「っ! この間より強固なモノにしているか…」

 

結界に触れた女性が怒りを露わにして吐き捨てた。

そうして、思案し始めた彼女に疑問を投げかける。

 

「あの、君はクロ?」

 

「嗚呼そうだ。…これも駄目か」

 

彼女を上総の使い魔だと勝手に推測したのは私達だし、確信が欲しかった。

そうして返ってきた答えは肯定だったし、嘘を吐いているとは思えなかった。

その間にもクロは、この頑丈な結界を破る為に何かを試している。

 

「おい、金髪」

 

「フェイトだよ。フェイト・T・ハラオウン」

 

さっきから金髪と言われているが、この場に私しかいないのだから私の事だろう。

非常時だから仕方ないとはいえ、私には名前が有る。

ちゃんと名前を読んでほしくて、クロに私の名を告げた。

 

「恐らく私の魔力は、この結界をこじ開ければほぼ枯渇する」

 

聞いてくれているのだろうか、と不安に囚われつつ彼女の言葉に耳を傾ける。

彼女の言葉に驚愕するが、この結界を破ってくれると言うのなら、私の力すべてを結界の中で使えるという事だ。

 

「わかった。私が前に立つよ」

 

「話が早くて助かる。済まないな、手を煩わせて」

 

「ううん。友達を助けるのは当然だよ!」

 

そうか、と短く呟いてクロが結界に触れる。

彼女の足元には、白に輝く魔力光。

聞き取れない言葉を呟いて、閉じていた目を開く。

 

「行くぞ、金髪」

 

人が一人通れる隙間を開けて、加速魔法で中へと向かうクロ。

その速さに、驚いた。

 

「ま、待ってください! それと私はフェイトです!!」

 

名前の呼び方を変えてくれないクロに抗議する。

それでも私たち二人は、最速で結界の中へと侵入する。

さほど進みもしないうちに、廃工場の中心へと辿り着いた。

暗闇の中に浮かぶ二人の影。

 

「動かないで下さい。時空管理局です!」

 

管理世界に住んでいる人なら、一瞬で理解する言葉を告げる。

上総の姿が見当たらないと、さらに注視した瞬間だった。

 

――どうして、こんな事に!

 

倒れ込んでいる上総を視認した瞬間、私は激昂した。

クロは上総の傍に駆け寄り、怪我の状態を把握している。

ならば、私のやる事は目の前の二人の対処だ。

 

攻撃魔法の発動準備を密やかに済ませ、二人に向かう。

 

「…彼女に何をした!」

 

「おやおや。こんな辺境の星にまでやって来たのかね?

いやはや、ご苦労。だが、君たち管理局に捕まる訳にはいかないのでね」

 

クロに瓜二つの女性が褐色の髪をオールバックにした痩身の男性を守る様に前に立つ。

能面の様に眉一つ動かさない女性に、何か薄ら寒い物を覚えるが、この際は無視する。

私の言葉を無視して、一方的に己の事のみ喋る男にいらだちを募らせる。

こういう手合いには何度か対面しているが、大抵碌な事にはならないのだから。

 

「では、また会おう! さらばだ!」

 

言うや否や、黒い霧に包まれて男と女性が消えた。

それと同時に結界も消えて、緊張感に包まれていた雰囲気も霧散する。

一つ息を吐いて、気持ちを落ち着ける。

 

何か大事な事を、忘れているような…

 

「っ、上総!」

 

「慌てるな。命に別状は無い」

 

傷ついた上総をクロが抱き上げて、そう言った。

近寄って上総の頬に触れようとした瞬間、クロに手を払われた。

 

「金髪。貴様を利用した事は謝罪しよう。だが私も、管理局に関わりたくはないのでな」

 

「でも、上総のその怪我はどうするつもりなんですか?」

 

上総の両腕の傷は酷い。

右手は爪が全て剥がれているし、左腕は目を背けたくなるほどの火傷を負っている。

上総を抱えたクロの服には、上総の血が滲み始めていた。

 

「傷は残るかもしれんが、どうにかするさ」

 

そう言って、二歩程下がりこの場を去ろうとする。

 

『済まないが、事情聴取を行いたい。大人しく来てくれるかい?』

 

「クロノ!」

 

突然割り込んできた通信。

まるで、犯人の様な扱をするクロノに抗議する。

通信で聞こえてきたクロノの声に少し戸惑う表情をクロが見せるが、すぐ平静を取り戻した。

悪い人じゃない、きっと。けれど心の何処かでこの事件の真意を握っていると確信している。

 

「断れば、どうなる?」

 

『外に控えさせている武装隊に、無理矢理にでも連れて来てもらうよ。

君にそっくりな逃げた犯人についても聞きたい事だしね』

 

どうやらクロノの方が上手だったようだ。

外にはもうアースラから派遣された武装隊が、この廃工場を取り囲んでいるのだろう。

 

「八方手づまり、か」

 

『そうだね。僕たちから逃げれば罪状が増えるだけだ。

管理世界出身ではない彼女には記憶を消して忘れてもらう事が出来るだろうが、

魔法を解く事ができる君には、そうはいかないからね』

 

深い溜息を吐いて、やれやれと首を大きく左右に振るクロ。

 

「クロ、次元航行船が待機してるから逃げても監視されてるよ。

アースラのスタッフは皆優秀だから…」

 

どうにか穏便に上総とクロをアースラへ迎えたい。

何よりも、上総の怪我を治療しないと。現地の病院に行けば事情を聴かれる事になるだろうし、

魔法について話す訳にはいかない。

そして何より、女の子に傷が有るなんて、あってはならない事だから。

 

「仕方ない、か。貴様らからすれば私も十分に怪しいのだろう。ただ、一つ条件だ。コイツの手当てを頼む」

 

『嗚呼、確約するよ。万全を尽くそう』

 

クロノが通信を切ったと同時、転送座標が送られてくる。

 

「行こう、クロ。きっと悪い事には成らないから」

 

「…」

 

黙ったままのクロ。

もしかすると、クロは管理局を良く思っていないのだろうか。

執務官と言う職業柄、敵意や悪意を向けられることは沢山ある。

だけれど、友人の使い魔から煙たがられるだなんて初めての事だ。

多分、上総とクロは精神的に繋がっている筈。

地球に住む人に、ある意味で異世界から来ている私達を疎ましく思うのは当然の事なのかもしれない。

けれど今は、上総の怪我の治療と事件の聴取だ。

かぶりを振り、懸念を無理矢理に振り落して私達はアースラへと転移した。

 

 

 

 

 

 

 

アースラ艦内が途端に騒がしくなったのは、武装隊に出撃命令が下ってから幾分も経たない頃だった。

私が、アースラに医務官として乗艦する事が決定したのは偶々であった。

それに今回の航海は、はやてちゃんも関わることになっていたから、都合が良かったと言えば良かった。

私たちは、はやてちゃんの守護騎士で主の傍に仕える事は至上命題なのだから。

烈火の将であるシグナムから“主の事を頼む”と言われているのである。

自分の命を賭しても護る。それが私たちの存在理由。

どうか何事も無く事件が解決するようにと、思っていた矢先。

この騒々しい原因に巻き込まれる事になったのはアースラ艦長からの通信が私の元へと、繋がった瞬間からだった。

 

『シャマル! 急で済まないが怪我人を寄越す。治療を頼みたい!!』

 

「わかりました。武装隊の誰かが怪我でも?」

 

この時の私は、まだ剣呑に構えていた。

 

『いや、現地の住人だ。犯人から暴行を受けた…』

 

語尾が弱くなっていくクロノ君の声に、珍しい事もあるものだと思った。

私の中での彼の評価は、真面目で実直。

ある意味で面白みに欠ける人物ではあるが、仕事に関しては手抜きは絶対に無い。

どんな場面に出会っても、無難に事を運ぶのが彼だと言うのに。

 

通信の切れたモニターを見つめて立ち上がる。

まずは患者である現地民の怪我の度合いの把握が先決だ。

私は少しでも早く患者に治療が施せる様に、フェイトちゃんと怪我人が転送される一室へと向かった。

 

部屋へと辿り着いて、数分もかからずミッドチルダ式の丸い魔力陣が浮かび上がる。

金色の魔力光に、これはフェイトちゃんが発動させた術式だとすぐ解った。

少し疲れた様子のフェイトちゃんと、髪の長い金髪の女性。そしてその女性の腕の中には怪我を負った女の子。

全く身動きを取らない女の子に駆け寄って、怪我の度合いを診る。

 

「呆っとしてないで、早く担架に乗せてっ!」

 

声を荒げた私に、はっと気が付いたように女性が担架へ女の子を乗せた。

腕の火傷も酷いが、肋骨も何本か折れていた。

一体何が有ったのか、何をされたのか。あまり想像はしたくない。

 

「どうしてこんな酷い事を…!」

 

眼を覆いたくなるような怪我に、声を出さずにはいられなかった。

クロノ君が落胆していた原因は、この子の怪我だろう。

アースラ艦内の長い廊下をこの時ばかりは疎ましく思いながら、速足で私の城である医務室へと向かう。

担架の後ろには、一緒に付いてくる心配そうな顔をしたフェイトちゃんと無表情の女性の姿も有る。

 

「貴方たちは此処まで。中には入らないでくださいね」

 

「けど、シャマル!」

 

「大丈夫です。このシャマルさんに任せてください!」

 

医務室前に辿り着いた私は、笑ってフェイトちゃん達に医務室への立ち入りを禁止した。

此処からは刹那の勝負だ。

いくら治療に長けた魔法が有るとはいえ、この医務室にミッドチルダの大病院ほど、良い設備は存在しない。

 

――それでも万全を尽くすのが私の仕事。

 

クラールヴィントをリンゲフォルムへと形態を変化させて治療を開始する。

きっと心配で仕方ないと言う顔をした医務室の外で待っているであろう、フェイトちゃんの姿を思い出して気合を入れた。

 

 

 

 

 

 

未だ開かれない医務室の扉。

中ではシャマルが必死に頑張っているのだろう。

治療魔法に詳しくない私は手伝う事すらできない。

上総のあの怪我は誰が見ても酷い物だった。ちゃんと治るのか。

治ったとしても、あの時のなのはの様に過酷なリハビリが待ち受けているのではないか。

不安は尽きない。

クロは相変わらず無表情のまま、腕を組んで壁にもたれかかって、何を考えているのか読み取れない。

上総の使い魔なのだから、もう少し心配していてもおかしくはないと思うのだけれど、彼女の性格上なのか、落ち着き払った様子で静かに佇んでいる。

 

床を踏みしめる音に気が付き、誰だろうとそちらを向く。

 

「クロノ?」

 

「済まない。待たせたね」

 

事後処理に追われていたのであろうクロノがやって来た。

 

「此処では落ち着いて話が出来ないからね。部屋を用意したから、そちらに行こう」

 

クロノが部屋への道を手で示す。

けれどクロが深い溜息を吐いて、首を振って否定した。

 

「私が出した条件はまだ満たされていない。事について喋るのはそれからだ。

黙秘権ぐらいはあるのだろう? それとも、先の連中の様に無理矢理に聴き出してみるか?」

 

「馬鹿な事を言わないでくれ。彼等と一緒にするな」

 

クロノが怒気をはらんだ声でクロの言葉を否定した。

長い沈黙。

どちらも譲らない、という空気が流れる。

そうして結局、折れたのはクロノだった。

 

「…わかった。佐藤上総の治療が終わり次第、話を聞かせてもらう。

ただ、それまで君の身柄を自由にするわけにはいかない。拘束、とまではいかないが監視をつけさせてもう」

 

「好きにすればいい。それと、もう一つ条件を加える。

話をするのは、アイツが目覚めてからだ。当事者が蚊帳の外、と言う訳にはいくまい」

 

腕を組みなおして、また壁にもたれかかったクロ。

この場から動く気は無いと、言っているようだった。

 

「…! 僕たちとしては一刻も早く情報を手に入れたいのだけれどね。

君の、いや、君たちの勝手で、被害が増えればどうするんだ?」

 

「それをどうにかするのが管理局なのだろう? 武装隊まで連れてきて、易々と奴に逃げられた事は棚の上か?」

 

「…っ!」

 

言い返せない、とクロノが言葉に詰まる。

確かに、あの場所に居合わせていたのに簡単に逃げられてしまった。

私は、上総が無事ならそれでいいと思っていた。

けれど、クロノは犯人を逃がしてしまった事は、手痛い失敗だったのだろう。

それに、クロは被害者である上総を救っている。

あの場所にあった結界を破ったのはクロだ。

私たちは、あの結界を破る事に手間取っていた。

あれ以上遅れていれば、上総の命は無かったのかもしれない。

此処でクロノが取り繕ってクロを説得しても無駄、なのだろう。

 

「…はぁ、わかった。君の言うとおりにしよう。

だが、彼女が目覚めたあかつきには洗いざらい、知っている事を話してもらうぞ!」

 

「わかった」

 

「フェイト。済まないが、後を頼む」

 

クロを監視をしろと、幾分か遠回しな言い方をして管制室へと帰っていった。

疲れているのか、先の舌戦からなのかその背中は煤けていた。

そうして、監視対象となったクロを見る。

先程から、変わらず腕を組み壁にもたれかかったままだ。

金色の長い髪と、深い青色の瞳。整った顔立ち。

私も身長は平均より高めなのだけれど、クロの背は高い。

一言でいえば、綺麗な人だと思う。

素体が猫なのだから、“人”と言ってしまうのはどうだろうと思うけれど。

 

「あの…クロ?」

 

「なんだ」

 

話しかけると、無視はせず答えてくれる。

けれどクロから話を振られる事はないだろう。

だから私は必死に話題を考える。

あまり話す事は得意じゃないけれど、きっと他愛の無い事でも、この重苦しい雰囲気は少しでもまぎれる筈なのだから。

 

「どうしてクロは、上総の使い魔になったの?」

 

「それは、前に話をしたはずだが?」

 

「そうだね。けど、きちんと話を聞いたわけじゃないよ。

あの時は、現地で魔法を使った人がいるってなっちゃったから」

 

「まさか念話を失敗するなど、誰が思う…全く」

 

髪をかき上げ、笑ってそう答えてくれた。

少しだけ感情が現れたクロの様子に安堵すると共に、複雑な気持ちが湧き出してくる。

彼女達にとってきっと、大切な記憶なのだ。だから笑って答えてくれたのに、それを奪ってしまった。

 

「そう、だね」

 

「…」

 

結局、私たち二人の会話はたいして続かず一瞬で終わってしまった。

また訪れた重苦しい空気。

けれど、それでも私はクロに言わなければならない事が有る。

 

「ごめんなさい!」

 

「なんだ、いきなり」

 

「上総を守れなかった事だよ…」

 

「はぁ。それについては貴様に言われる事じゃない」

 

盛大な溜息を吐いて、もたれかかっていた壁からはなれて私に向き直る。

 

「違うよ! 黙っていたけど、貴方たちをサーチャーで監視していた!

何かあればすぐ動ける筈だった。でも結局、上総があんな目にあった!!」

 

語気を荒げて、言葉にする。

溢れる気持ちは、後悔とやるせなさ。

誰かを護る為、救う為に執務官になったと言うのに。

 

「嘆いても仕方あるまい。起こってしまった事は変えられない。

誰のせいでもないさ。ただ強いて言うなら、襲った奴が悪い。それだけだ」

 

「けど、けれど! それでも私は、上総を助けられなかった事を後悔しています!」

 

上手くいかないな、と思う。

誰も哀しい世界なんて望んでいないのに、誰かの身勝手でこうして痛い思いや、悲しい思いをしなくちゃいけなくなる。

 

「そう思うのなら、この先で取り返せばいい。それに貴様には感謝している。

あの場で貴様が来なければ、私一人だったからな。魔力が枯渇した状態でアレらに対抗できるとは思えん」

 

「あ…え?」

 

責められることはあっても、お礼を言われる事など無いと思っていた私は、妙な声を上げてしまった。

クロの表情は相変わらず無表情のままだ。

 

「謝辞は素直に受け取っておくものだ。世の中、上手く立ち回らんとな」

 

「ありがとう?」

 

私の言葉に満足したのか、目を閉じて壁に寄りかかり直したクロ。

もう話す気は無いと言われている様だけれど、雰囲気は軽くなった気がする。

それは私の勝手なのかもしれないけれど。

 

――それでも私は、上総を助けられなかったことを悔やむのだろう。

 

ぎゅっと拳を握って、未だ開かれない医務室の扉を見つめた。

上総がどうか無事でありますように、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、小娘に説教をするとはな。

と言っても、悪いものでは無いと思う。

人間よりも長く生きている私は、沢山の物を見てきた。

汚れて、穢れて、汚濁していく奴。

埋もれ、溺れて、魅入られる奴。

そんな奴らは総じて、何処かで迷い、狂い、壊れていく。

 

私の目の前で、謝罪する彼女の様な真っ直ぐな人間には幸せであって欲しいと願ってしまうのは、致し方の無い事なのかもしれない。

 

――全く。

 

長く生きるモノでも無いのかもしれないな。

人間の様に命の期間が短ければと、思う事も有る。

生命の火が付き、燃えて、輝き、そうしてゆっくりと消えていく。

私の様な人外のモノには無理な生き方だ。

未だ私の使命は、成し遂げず。

次元世界を数多に渡り歩く。

 

何時の何処の誰が、何を目的として私を創ったのか。

私の生まれてきた意義は薄れ、ただ目的の為に生きる。

それでも良い。それが私の生きる意味だ。

 

けれど、出会ってしまった。

ずっと、ずっと求めていた。契約者となれば、きっと私を導いてくれる、そんな人間を。

皮肉な事にその本人は、契約の意思など欠片も無さそうだが。

数百年、契約者を得ず世界をただ彷徨っていたと言うのに。

笑い話にも、程が有る。

 

そんな呑気な契約者候補に溜息を吐いて、未だ開く様子の無い扉を、私は胡乱な意識で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何処だろう、此処。

一定間隔で鳴り響く電子音と鼻にツンとくる特有の臭い。

ぼやけた視界がだんだんとはっきりしていく。

そうして視界に入った、モノを見た私。

 

――知らない、天井だ

 

 

 

 




最後のは、ただ単にやってみたかったネタ。ただの蛇足。

あと、お気に入り登録が100を超えていたので、喜び勇んでキーボードを新調しました。
打ち心地がいい感じ(笑


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第十話:痛みを抱えて【後】

 

 

 

 

上総が医務室に運ばれてから、一時間が過ぎようとしている。

もっと長い時間が流れているように感じられたが、実際にはそんなものだった。

そうして、やっと医務室の扉が開き、シャマルが疲れた様子で出てきた。

 

「シャマル! 上総は大丈夫なの?」

 

「ええ、まだ目が覚めるには時間が掛かるでしょうけれど。

運ばれて来た時には、怪我の酷い場所の治療は終わっていましたから。

私がしたことは、残っていた怪我の治療だけで済みました。

それでも、運ばれてきた彼女が危険だったこと事に変わりありませんけど」

 

言い終わると、シャマルはクロの方へ近づく。

 

「彼女に施した治療魔法は貴方が?」

 

「嗚呼、そうだ」

 

「そうでしたか。的確な治療でした。ですが、ミッド式でもベルカ式でもありませんよね?」

 

「主流がその二つと言うだけだろう? それ以外の魔法があっても可笑しくはない」

 

ミッド式でもベルカ式でもない魔法。管理世界で大多数の魔導師が使用している魔法は、その二つに分けられる。

管理局はミッド式が主流である。そして、聖王教会が近代ベルカ式。

確かにそれ以外の魔法が存在はしているけれど、それを使用する魔導師は稀有だ。

 

「…」

 

まだ何か言いたそうなシャマルだったけれど、結局それ以上は喋らなかった。

後で、クロに聞かなければと頭に焼き付ける。

それよりも、今一番気になる事をシャマルに聞いた。

 

「シャマル。上総には会っちゃ駄目なの?」

 

「まだ目が覚めないので、会っても彼女と喋る事はできませんよ?」

 

「それでもいいよ。様子が知りたい」

 

わかりました、と言ってシャマルが医務室へと向かう。

何も言わないのは、きっと着いてこいという事なのだろう。

そうして医務室へと進もうとする中、当然の様にクロも着いてきた。

 

薬品の独特の臭いと、固い床。

もう一つ奥のベットが有る部屋へと向かう前の部屋には、上総が身に着けていたものが置かれていた。

大した量はない。上総が持っていた鞄は私が回収したのだから。

 

「これは…」

 

クロがそう言って手に取った物は、黒い麻糸で編まれたブレスレットの様な物。

何故か顔を歪め、厳しい瞳でソレを見つめている。

 

「左手の中に固く握られていました。余程、彼女にとって大切な物だったのでしょう…」

 

「そうか」

 

馬鹿な奴だ、と私達に聞こえない様に、か細い声でクロがそう言った。

今にも泣き出しそうな顔をしていたけれど、何処か嬉しそうでもあった。

 

「済まない。行こう」

 

「うん」

 

そう言ったクロはもう平然としていて、先ほどの空気は微塵も感じられない。

そうして私達三人は奥の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嗚呼、苦手だな。

この独特の臭いと白い壁、白い床。

挙句の果てには、此処で働く人たちの着ている服も白いときたものだ。

と言ってもこの場所で適切な色は何かと問われれば、白だと答えてしまうのだろう。

他の色に変えてしまえば、眼が痛くなりそうだ。

そう無理矢理に帰結して、どうして私はこんな所に居るのだろうと考える。

 

――嗚呼、そうか。

 

思い出した。パズルの様に断片的でツギハギではあるけれど。

左胸の痛みも両腕の痛みも、『名も無き偽典』の契約者―マスター―と統括者―コマンダー―と名乗った人達が原因だ。

けれど何故、私がこんな目に合わなければいけないのかは、さっぱり理解できない。

真の力を開放する“鍵”だ、と言っていたけれど。

彼等に協力するつもりは無いし、たとえ無理矢理にそう言う事になったとしても、黙って従うつもりは無い。

けれど、彼等に対抗する手段を私は持ち合わせていないのは、どうしたものかと思う。

もう一度襲われる可能性だって否定できない。

せめて自衛が出来る手段があれば、と思う。

けれども、魔法に対抗できる手段は何になるのだろうか?

ファンタジー小説なんかで出てくる話だと、刀や拳銃は防ぎそうだ。

 

他愛の無い事を考えていると、医者らしき人が誰かを連れてやって来た。

私を見た時、一瞬驚いた顔をしたが直ぐに平静を取り戻した。

 

「っ! 目が覚めたのね」

 

「……っ」

 

返事を返そうと声を出した瞬間、私の喉は声として機能しなかった。

その代償に、咳き込んだ。その衝撃で左胸が酷く痛む。

恐らく、叫び過ぎが原因だろう。

一生分を叫んだ気がする。

 

「大丈夫!? 落ち着いて。声は暫くすれば出るようになるから…」

 

私の元へと駆け寄った医者の先生は、触診と慌ただしく機械を眺めて溜息を吐いた。

 

「とにかく、無理をしないで。肋骨が折れているから、動くと痛いですよ。

怪我の状態を説明したいけれど、今は安静にしてる事が大事」

 

そうしてまた、いそいそと私に繋がれている点滴や、医療機器を確認した事に満足したのか、

それ以上、口出しをしてこなかった。

少し訪れた沈黙の後、ひょっこりと医者の影からフェイトとクロが姿を現した。

 

「上総。大丈夫?」

 

こくりと頷いて肯定した。けれど、はっきりとしたものでは無かったと思う。

動くとあちこちが痛いし、酸素マスクも邪魔だった。

クロはフェイトの横で、大人しくしている。

 

「ごめんね。上総が大変な目にあっているのに、直ぐに助けられなかった…」

 

今にも泣き出しそうな顔で、私に謝ってきた。

正直、何故フェイトが謝るのか理解できない。

 

『フェイトが何で私に謝るの? 悪いのはあの人で、フェイトじゃないよ』

 

今此処で、私が言葉にして伝えないとフェイトがずっと引きずってしまう。

だから、念話を使ってみた。

どうにかフェイトに伝わるといいけれど、自信は無い。

なにせ初めて使った時は、失敗してたし。

誰かに聞かれたらまた前回の様に問題になるかもしれないが、今はそんな事はどうでもよかった。

 

「上総…でもっ!」

 

どうにか、伝わったみたいだ。

 

「其処までにしておけ。さっきも言ったが、貴様が気にすることではない」

 

言葉を続けようとしたフェイトをクロが遮った。

正直、助かった。念話を使ったとたん胸のあたりが苦しくなったから。

 

「耳だけ傾けておけ。済まなかったな、あんな目にあわせてしまって」

 

結局、クロからもフェイトと同じ言葉が私に向けられた。

フェイトに気にするなと言っておきながら、クロも矛盾していると気づいていないのか。

けれど、どうして私に謝るのか。

 

『気にしてない。誰のせいでもないよ』

 

クロもフェイトも管理世界の人みたいだし、今回の事態を理解していないのは私だけなのかもしれない。

 

「わかった。念話も無理をして使っているのだろう? 今は休め」

 

クロの言葉に頷いて眼を閉じる。私の眼に掛かっていた髪を払ってくれるクロ。

私の体温より低い手が、心地良かった。

そうして私は、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「眠ったか」

 

「…」

 

眼を閉じて眠る上総の顔色は良くない。

静かに上下する胸は確かに息をしているけれど、酸素マスクが付いているし、

彼女の身体状態を把握するための機材も沢山繋がれている。

シャマルの話から推測すると、肋骨の骨も折れているようだ。

そして、なによりも酷いのが左腕。包帯がびっしりと巻かれている。

 

「私はコイツが目覚めるまで傍にいる。かまわんな?」

 

「大人しくしていてくれるのなら、構いませんよ」

 

シャマルがクロの言葉に同意した。

なら、クロの監視は少しシャマルに任せよう。

やらなければならない事は沢山ある。

 

「…わかった。少しクロノと話をしてくるよ。保護者の人にも連絡を取らないといけないし」

 

「ああ」

 

「わかりました」

 

二人を医務室に残して、私はクロノの元へと向かった。

管制室に居ると思っていたクロノは、艦長室に居るとオペレーターの人から聞いてそちらへと向かう。

先程まで騒がしかった広い艦内は、嘘のような静けさを保っている。

そうして歩くこと数分。艦長室へと辿り着いた。

ドアの横に設置されてある、呼び出し用の機械を操作してクロノに繋げる。

 

『どうした? フェイト』

 

「うん。話したい事が有って」

 

『わかった。入ってくれ』

 

その言葉と共に、扉の開錠音が聞こえた。

私は、部屋の扉を開けるボタンを押す。

空気が抜ける様な音と共に扉が開いた。私は中へと進む。

 

「どうした? フェイト」

 

「うん。上総の事で…。保護者の方に連絡はどうするのかなって。管理世界の人じゃないから、

アースラに居る事は言えないし。けれど連絡をしない訳にはいかないし…」

 

あれだけの大怪我だ。黙っていても露見してしまうだろうし、何より直ぐに治る筈はない。

怪我の理由を誤魔化そうにも、事故で話を通せるだろうか?

なら、正直に話しておいた方が良いのではないかと思う。

 

「そうだな。彼女の保護者の人には連絡を入れないと。けれど、どう説明したものか…

真実を全て話すには、この世界の人には荒唐無稽すぎる話だ」

 

魔法で怪我をしました、と言ったところで信じてくれるのだろうか。

 

「仕事で時々しか家に帰って来ないって言ってたから、このままギリギリまで言わないでいる事も出来るけれど…」

 

そんな事はしたくない。家族なら一番に連絡が欲しい筈だ。

私ならそうして欲しいと思う。たとえそれがどう言う状況でもだ。

 

「わかった。僕から連絡を入れておこう。最悪の場合、彼女達の記憶を消す事になるかもしれないが」

 

「うん」

 

どうなるかは未知数だけれど、何もしないで進まない事よりも、何かをして少しでも明るい未来を手繰り寄せるんだ。

 

「それと、なのはとはやてを呼んだ。何が起こるかわからないからね」

 

「そっか。なのはとはやても」

 

彼女達が来てくれるのなら頼もしい限りだ。

出来る事の幅が増える。

 

「ロストロギアが絡んでいるかもしれない事件だ。万全を期さないと」

 

「そういえば、クロから話を聞くのはどうするの?」

 

「佐藤上総が目覚めてからだな。シャマルの報告からだと一度目覚めたようだから、

夜が明ければまた目覚めるだろう、と。それにあの使い魔の意思は固そうだからな。

無理矢理聴き出そうとしても無駄だろう」

 

クロの意思は固いと思う。主人を思う気持ちは尊重したい。

 

「明日から頑張らないとね」

 

「ああ。明日の朝には、なのはもはやても、アースラに到着している筈だ。

どう転がるかは解らないが、万全を尽くす」

 

誰も不幸にしない。そんなクロノの決意を感じ取った。

きっとこの事件が大きく動くのは明日だ。

 

――誰も、悲しむ事が無い様に。

 

 

 

 

 





少し短いですが、キリが良いので此処で切ります。




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第十一話:Sister complex

 

 

次元航行艦の長い廊下を、闊歩する。

案内役の彼には悪いが、些か歩く速度が遅い。

 

「すまないが、急いでくれないか?」

 

「了解です」

 

そう答えた彼は、歩幅を広くとりそそくさと進む。

ミッドチルダ語で書かれた“医務室”の文字。

どうしてこんな事になったのか。それは数時間前に入った一本の電話が原因だった。

 

俺と妹を繋ぐ唯一の連絡手段である携帯電話。

用が無い限り、妹の上総は連絡を寄越さない。

それが鳴った。しかも電話である。

何時も遠慮をしてメールで済ます事が多い妹が、である。

携帯電話が指していた時刻は、午前一時。

こんな遅い時間に電話を寄越す事に違和感を覚えて、電話を取ると知らない男の声だった。

クロノ・ハラオウンと名乗った男に、どこかで聞いた事の有る名だと思いながら、彼から語られた事実に衝撃を受けた。

 

妹が怪我をした、と。

 

“病院は何処だ”と問い詰めた所、人を寄越すので付いて来てほしいとの事だった。

猜疑心を抱きつつ俺は急いで地球へと戻り、指定された場所へと向かい今に至る。

辿り着いたのは、次元航行船アースラ。海が抱える、大型装備の一つ。

陸とは大違いの設備に溜息が出る。

 

そんな、他愛も無い事を思いながら、最愛の妹の元へ向かう。

剣呑に歩く案内人である局員を急かして、やっと辿り着いたのが先ほどだ。

ごくりと息を飲む。俺の最大の汚点である、あの事故の記憶と重なる。

父と母が亡くなり、妹が大怪我をしたと連絡を受けた時と同じだ。

結局また俺は無力なまま終わってしまうのだろうか。

 

否、違う。

あの時とは違うのだ。

まだ若造で、未熟なあの時とは違うのだ。

後悔をしたからこそ、血反吐を吐くような努力をしたのだ。

 

――過去は変えられない。しかし、未来は自らの手で掴むものだ。

 

医務室にはいる事を躊躇している事を誤魔化して、やっと中へと進む。

足は鉛の様に重く、耳鳴りと眩暈が酷い。

けれど、今大変なのは俺ではなく妹だ。

医務室の中に居た金髪の女性。きっと医師なのだろう。

椅子から立ち上がり、会釈をした。

流石に無視をするわけにもいかず、俺も頭を下げる。

そうして案内人から医師の彼女へ交代して、案内人であった人は戻って行った。

 

「妹は?」

 

「奥の部屋に居ます。一度目が覚めましたが、今は眠っています」

 

おっとりとした印象を感じたが、医師の言葉は力強かった。

女というだけで、少し不安を感じたがそれは杞憂だったようだ。

 

「そうですか」

 

一度目が覚めたのなら、峠は越えている筈だ。

医療知識は乏しいものだが、少しだけ安堵した。

そうして、医師から示された扉を開けると、ベットに横たわる妹が確かに居た。

 

「どうして、こんな事に…」

 

ベットの傍へ行き、酸素マスクと医療機器に繋がれた妹の姿に無力感が襲う。

余り顔色は良くないし、何よりも左腕の包帯だった。

何の因果か。以前事故で怪我をして一番大きな傷を負った場所だった。

 

「ゴメンな。また俺は守れなかった…」

 

後悔が襲う。一緒に居てやれば良かった。

けれど俺は、その選択肢を選ばなかった。

両親はそれなりに稼いでいた。その恩恵は勿論、妹にもあった。

金の掛かる習い事を受けていたし、生活もそれなりだった。

 

妹が事故に会った当時、俺は管理局へ入局していた。

俺が管理世界に渡ったのは唯の偶然だ。

知らない世界で路頭に迷っているところを、恩師に拾われた。

リンカーコアを持ち魔力もそれなりに持っていた俺は、管理局へ入る事を誘われた。

魔法を覚える事は楽しかったし、何より誰かの為に役に立つことは、嬉しかった。

そうして管理局での足場を固めていた矢先に起こったのが、妹が巻き込まれた事故だった。

青天の霹靂だった。

幸せに暮らしていた家族をいきなり失い、妹は意識不明の重体。

そうしてやっと目が覚めた妹の為にと、仕事に精を出した。

 

妹に苦労はさせたくなかった。

良い子で居ろ、と諭す俺に向けられた瞳は不安に満ちていた。

けれど俺はソレを見ない振りをして、仕事に明け暮れた。

 

間抜けにもほどが有る。妹を親戚筋に預け、金だけを仕送りしていた。

妹が親戚の家でどんな扱いを受けているかも知らずに。

その事が露見したのは、一年程経った時だった。

妹の様子を時折見る為に地球へと戻っていた俺は、見てしまった。

預けた先で、不遇な扱いを受ける妹を。

俺は親戚筋に何も言わず妹を連れて、マンションを借りた。

妹は大人びていて、生活に必要な事は一通り出来ていた。

その事を見て安心した俺はまた妹を一人にして、管理世界へと戻ったのだ。

 

結局、俺は逃げていただけなのかもしれない。

両親の死を受け入れ、妹と共に居る事を選ばなかったのだから。

そうしてこのザマだ。情けない。

 

無様に泣き叫びたくなる感情を抑え込む。

今、痛みに耐えている妹が一番辛いのだ。俺に泣く資格など無い。

未だ眠る妹の頬に触れて、目を閉じる。

 

――あの時と、同じだな。

 

早く目が覚める様にと、祈るしかない俺は無力だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

“佐藤安芸”と携帯電話に浮かぶ文字。彼女の兄の名前だった。

どう説明したものか、と考える。管理外世界に住む人に管理世界の事を伝える事は難しい。

だが、家族を心配する気持ちは解る。

僕だって、家族の誰かが怪我をして入院したと言うのなら、いの一番に連絡を欲しいと思うから。

意を決して、通話ボタンを押す。

 

『どうした? こんな時間に』

 

柔らかな声。

家族に向けられた暖かな声だ。

 

「夜分遅くに失礼します。僕はクロノ・ハラオウン。率直に伝えます。貴方の妹である佐藤上総が怪我を負いました」

 

『…っ!』

 

息を飲む声。

電話越しでも伝わる怒気に、正直肝が冷えた。

 

『どういうことだ? 嘘を言うには冗談が過ぎているな』

 

「連絡が遅くなった事はお詫び申し上げる。ただ、嘘を吐いているつもりは全くありません。事実だけをお伝えしています」

 

こういう役目は、母の方が得意だ。

幾分かマシになったとは言え、僕は口が上手い方ではない。

 

『わかった。病院は何処だ? 直ぐに向かう』

 

「人を向かわせます。貴方は其方に向かって欲しい」

 

『はぁ。分かった』

 

あからさまな溜息。

だが、此方に向かう事に異論は無いようだ。

 

そうしてアースラから人を遣り、今頃は妹と対面しているのだろう。

この事態の説明をしなければと、重い腰を上げて医務室へと向かった。

 

医務室へと向かった僕は、結局肩透かしを食らった形になった。

シャマル曰く、妹と面会―と言っても妹は眠っているが―した後、そそくさと部屋を後にしたそうだ。

民間人どころか、管理世界の事を知らない彼をこの次元航行船内をウロつく事は余り良くない。

探しに行くしかないか、と医務室を後にした。

 

広いようで案外広くない次元航行船は、探し人を探すには苦労を要する事は無かった。

と言うよりも、勝手知ったるなんとやら、なのかも知れないが。

少し開けたロビーには飲み物の自動販売機とベンチ。

紙コップを握り閉めベンチに座る、黒い執務官の制服を着た男。

短髪の黒髪黒目。この辺りに住む土地の人間の特徴を如実に現わした顏。

背は、僕と同じくらいだ

アースラに所属している人間ではないと、襟の階級章で判断が付く。

外部から人を招いているのは、今二人しかいない。

怪我の治療の為に乗船した佐藤上総と、彼女の保護者である兄の佐藤安芸。

前者は医務室に居る。

なら、目の前の彼は後者でしかない。

 

「失礼だが、貴方が佐藤安芸なのか?」

 

「…その声は、さっきの電話の奴か。随分と若いんだな、海の提督殿は」

 

彼も僕と同じように階級を確認し、皮肉の利いた言葉を発した。

もしかすると彼は陸の所属なのかもしれない。

陸と海に出来た溝は、大きなものになりつつある。

 

「そんなつもりはないけれど、人より努力はしたさ」

 

「そうか」

 

そう短く言葉を返してベンチから立ち上がる彼。

僕の前に向かい、背筋を伸ばして敬礼をした。

 

「妹を助けて頂き、感謝します!」

 

「…いや、僕たちは無力だった。駆けつけた時には遅かった」

 

答礼をして、言葉を紡ぐ。

本来なら防げていた筈なのだ。彼女を監視して見守っていたと言うのに。

 

「だが、あの怪我は現地の医療技術では厳しい物だっただろう。でないと危なかった筈だ」

 

「確かに。けれど彼女の使い魔が、重い怪我の部分は治療を済ませていたからね。

アースラの医務官がした事は、残っていた傷と骨折の処置だ」

 

「使い魔? 何のことだ」

 

いぶかしげな顔を浮かべる彼。

 

「知らないのかい? 君の妹さんは使い魔と契約しているそうだ。

部下からの報告からだが、以前の主に契約を切られて、彼女と再契約したそうだ」

 

口元を手で覆って、厳しい目つきで何かを考え込んでいた。

ぶつぶつと小声で何かを呟いて、せわしなく視線を動かしている。

 

「まさか、あの猫か!」

 

おそらく僕たちの知らない間に、黒い猫とは出会っていたのだろう。

そうして使い魔だとは知らず、普通の猫として認識していたようだ。

 

「上総のベッドの傍に居た金髪巨乳の女! あいつか!!」

 

周りに響く声で叫んだ彼。

彼の言う金髪の女性は、この船に何人か居る。

とっさに思い浮かんだのが、フェイト、シャマル、そして佐藤上総の使い魔だ。

決して僕は大きな胸だ、などとは思っていない。

 

「…君の言う、金髪の女性が何人かこの船に居るから僕の口から言えないよ」

 

「最近、セクハラとかには五月蠅いからな。あんたも大変だな」

 

やれやれと軽く両手を上げた彼の態度に、僕は一瞬で言葉を返した。

 

「僕が言った訳じゃないだろう! 君が言ったんだ!!」

 

こういう冗談は余り好まない。周りの人間から固いと言われる原因ではあるけれど。

してやったりと言った顏の目の前の男には、腹に据えかねるモノが有る。

そんな僕の姿を、彼は笑い少し経ったのちに真剣な顔になる。

 

「すまないが、訓練室を借りるぞ。この船にも有る筈だよな?」

 

「…部外者の貴方に貸す事は出来ない。」

 

「なら、勝手に借りるさ。じゃぁな」

 

ひらひらと手を振り、僕に背を向けて歩き出す。

彼が向かう先は、訓練室への道筋だ。

同型の次元航行船にでも乗船経験があるのか、迷うことなく進む。

貸し出すこと自体に異論はない。

だが、自身の妹の容体があまり良くないと言うのに、彼は落ち着き払い、どういう経緯かは理解できないが、訓練を始めようと言うのである。

そんな彼の後ろ姿を追う僕は、同僚や部下達が見れば滑稽な事だろう。

 

訓練室に着いた彼は、そそくさと執務官服のジャケットを脱ぎ捨て、靴と靴下をも脱いだ。

彼のとる行動に興味が沸いた僕は、彼の行動を見守る事にした。

 

訓練室の隣に併設されている更衣室から部屋へと進む彼は一礼をして中へと向かった。

そうしておもむろに構えて、息を一つ吸込んだ。

其処からは、圧巻の一言だった。

 

僕はこの“地球”と言う星の知識は皆無と言っていい。

知っている事と言えば、魔法文化は無く、その代わりに科学的文明が進んでいるという事。

管理外世界であり、地域差はあるが比較的平和である。

母や妹のフェイトが一時期住んでいたとはいえ、執務官として働いていた僕は、この地球に関わる事はそんなに無かったからだ。

 

そして、今の彼の姿。

恐らく“カラテ”と言ったか。

この日本で何度か目にした事が有る。

魔法文化が広く浸透している管理世界では、中々見る事の無い代物だった。

“カタ”と呼ばれるその技法。

 

流れる様に、手足を自在に動かす。

軽やかに、しなやかに、流麗に。

そうかと思えば、荒々しく、壮絶に、猛然に。

その行動の一つ一つが意味を成し、無駄なものが一切ない彼の動きに、見惚れてしまった。

 

僕だって魔導師だ。

彼の動きが、どれほどのものか理解はできる。

だけれど、中距離攻撃や遠距離攻撃が存在する為、わざわざリスクの伴う近接攻撃を極める必要は無い。

あくまで、戦術の一つとしてだ。

彼が何故、あそこまで動けるのか。

ベルカの騎士という訳でもない。

 

そうして、ただただ時間だけが過ぎていく。

彼の額には玉のような汗。

カッターシャツは、雨に濡れたようにびっしりと肌に張り付いている。

最初こそ流麗で猛然だった動きは、その欠片も無くなっていた。

けれど彼はまだ、止めようとしない。

ただひたすらに、己の肉体に鞭を撃ち続ける様に、動き続けているのだ。

 

また少しの時間が経った時、最後の正拳突きが放たれた。

気絶するように、仰向けに床へと倒れ込む。

数度、深く呼吸をして、右腕を天井へと掲げ、思いっきり床に振り下ろした。

 

「糞っ!」

 

ただ一言。

けれど、その一言には、彼の思いの全てを乗せた一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が、熱い。息が苦しい。足が重い。

空手の形を、どれ程打ち込んだのかは覚えていない。

子供の頃、俺が両親に頼み込んで、空手を習いに行っていた。ようするに昔取った杵柄、だ。

ずっと空手を続けている連中からすれば、俺の形は歪なものだろう。

 

「大丈夫か?」

 

そう言って、クロノ・ハラオウンがタオルを投げ寄越してきた。

勝手にこの場所を使った事は、どうやら咎める気は無いらしい。

 

「ああ。ところで、見てたのか?」

 

「いや、さっき来たところだ」

 

頭を振って否定した。

見ていないと言うなら、それでいい。

あんなものは、俺の無様な姿を晒しているだけに過ぎない。

唯の八つ当たりだ。空手を習っていた師範に見られればきっと、激怒される事だろう。

“心が乱れている”と。

 

「それで、妹があんなふうになった原因は?」

 

むくりと立ち上がり、俺よりも大分若いハラオウンに視線を送る。

その眼に携える光は、確りと力強い物だった。

きっと、幾つもの修羅場を超えてきたのだろう。

 

「済まないが、部外者には言えない」

 

「…そうか」

 

ハラオウンの気持ちは理解できる。

俺だって、関係者以外には事件については喋らない。

例えそれが、同じ管理局員であってもだ。

何処に犯人が潜んでいるかわからない以上、簡単に他人に吹き込む様では信用は出来ない。

 

「ところで貴方は、執務官として管理局で働いているのかい?」

 

「ああ。大分昔に、どういう理由かは解らないが管理世界に迷い込んで、リンカーコアを持っていたから誘われた。

世界は広いもんだな。人間が住んでいる所なんて地球だけかと思っていたら、まさかの次元世界だ」

 

本当にあの時は、吃驚したものだ。

まだ幼かった俺が、突然地球の日本から、次元世界へと渡りあてもなく彷徨い続けていた。

そうしてどうにか、現地の人間と合流出来た。

助かった、と思ったさ。

けれど、出会った彼らの言葉を理解する事は出来なかった。

 

紆余曲折を経て、俺は管理局に引き渡された。

そこでやっと理解したんだ。

異世界に迷い込んだ事。

その世界には魔法が存在している事。

そして、彼らの言葉を突然理解できるようになったのも、魔法のおかげだという事。

 

管理局で出会った彼等には感謝せねばならない。

俺を元の世界に戻そうと、努力をしていてくれた。

そして、リンカーコアを持つ俺に、管理世界での道も開いてくれようとしてくれたのだから。

もしかするとそこには彼らなりの打算があったのかもしれないが。

そんな事を考えるようになったのは最近だ。

きっと俺が、大人になった証拠だろう。

 

「驚いても仕方ないさ。僕だって、次元世界や管理世界を知らなくて、貴方と同じ体験をすればきっと驚く」

 

「だな。しっかも、右も左も解らない餓鬼だったからな。恩師たちに迷惑を掛けたもんさ。

それでも嫌な顔一つせず、助けてくれたからな」

 

「けれど、もし貴方の言う恩師たちと同じ立場になれば、同じことをするんじゃないのかい?」

 

「そうかもな。歳は取りたくないもんだ」

 

両親を亡くして、只々、突っ走ってきた。

妹を守れなかった俺が、妹の幸せを願って。

俺が魔法世界に関わってしまった事は、妹には黙っていた。

妹も、リンカーコアを持っている可能性が有ったから。

俺の様に魔法に興味を持ち、管理局に入りたいと言えば、俺は妹に強くは出れない。

自立心の強い妹だ。管理局の就業年齢の低さを知れば、必ず興味を持つ筈だ。

 

管理局は実質、警察や治安維持軍の側面が強い。勿論、他にも大事な役割はあるとは言え、何よりも優先されるのがソレらだ。

危険な仕事には変わりない。俺だって、何度か命の危機を味わった事が有る。

大切な妹を、そんな目にあわす訳には行かない。

瀕死の母からの言葉が蘇る。

 

――上総を、お願いね。

 

両親は、妹に折り重なるように助け出された。

父は即死だったらしい。

連絡を受け、急いで管理世界から地球へ。そして病院へ駆けつけた俺が見た母は生きていた。

目も当てられない姿だったが、生きていたのだ。

俺の姿を見て、言葉を残し安心した様に笑い、息を引き取った。

 

母の言葉が、頭の中に降りかかる。

俺は、母の最後の言いつけを守れていない。

けれど、俺が妹に出来る事は幾らでもあるのだ。

 

「妹に、事情聴取をするつもりか?」

 

「…もちろんだ。事件の関係者だからね」

 

突然の話に、ハラオウンが目を見開いた。

だがそれも一瞬だった。直ぐに話を呑み込んで、ハラオウンは理解した。

 

「俺も、その場に立ち会わせろ」

 

「だめだ。貴方は事件に関係ないだろう」

 

「どうせ妹から聴き出すんだ。遅かれ早かれ、俺も知ることになる」

 

「それでも駄目だ、と言ったら?」

 

「なら、この事件。俺が奪い取る。何、少し時間は掛かるかもしれんが、方法は幾らでもあるぞ」

 

これはハッタリだ。

上手くいけば、それでいい程度。

だが目の前の男は、俺の経歴を詳しくは知らない筈だ。

だから、全ての可能性を考える。

良い方も悪い方も。

頭の良い奴なら、余計に嵌るのだ。こういう類のモノは。

もしくは、最悪を考慮しつつギリギリまで、待つ。

そうして其処でやっと手を打つのだ。

 

「…わかった。貴方も立ち会う事を認めよう。だが、手出しは無用だ。

捜査権は我々、アースラのものだ。邪魔はしないでくれ」

 

「上出来だ。それでかまわん」

 

それで十分だ。なにせ俺は、何も知らない。

妹を襲った奴の素性も、目的もだ。

 

「彼女の目が覚め次第、無理のない程度に行うつもりだ。

何時目が覚めるかわからないから、貴方はアースラに滞在するのか?」

 

「ああ。可能ならば、助かる」

 

「わかった、部屋を用意しよう。狭いが、下士官用の部屋が空いているからね」

 

仕方ない、と言った様子で部屋を用意してくれた。

好意はありがたく受け取っておこう。

 

「恩に着る。俺も協力出来る事が有るのなら、何でもしよう。

海の連中から見れば、魔導師ランクは低いが盾くらいにはなれるさ」

 

「命は無駄にしないでくれ。貴方が死ねば、貴方の妹が悲しむ。一人にさせる気なのか?」

 

「…」

 

俺の顔は、素っ頓狂な表情をしていたと思う。

まさか、海の連中からこんな言葉を言われるなど思っていなかったのだから。

 

「いいすぎたようだ。すまない」

 

「いや、事実だ。肝に銘じておく」

 

死ぬつもりなど、微塵も無い。

俺は、妹の為に生きなければならないのだ。

こんな情けない俺に、妹は笑いかけてくれるのだから。

それに、妹をあんな目にあわせた奴を許すことは出来ない。

せめて一発。殴らねば気が済まないのだから。

 

――だから俺は、全力を尽くす。

 

新たな決意を胸に俺は、訓練室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 



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第十二話:Brother complex

 

 

目が覚める。

何時もより、体が重い。

最近、寝不足で体調が思わしくなかったけれど、それよりも絶不調と言っていいくらいだ。

 

「…昨日の天井だ」

 

そんな、御馬鹿な事を言ってみる。

今、目に映る天井は私の家の天井ですらない。

ぼんやりと覚えている、昨日見た天井だ。

そして、それ以前の記憶も確りとある。

本当なら忘れてしまいたい。けれど、消し去れない程に鮮烈な記憶になってしまっている。

 

一度目が覚めた時に居た女性の医師は居ない。

流石に担当患者が私一人という訳でもないし、四六時中私を看ていると言うことも無いのだから当然ではある。

枕元のナースコールを探したけれど、どういう訳か見つけられなかった。

動いても良いのか確認を取りたかったけれど、仕方がない。

私一人にかまけていられる程、病院も暇じゃない筈。

だから今は体を起こして、学校に行くことだ。

時刻を見ると、余り悠長にしている時間は無い。

此処が何処の病院か解らないけれど海鳴市の筈。

 

顔に押し当てられている酸素マスクを、右手で無理やり取り払う。

左胸が痛いけれど、我慢できなくは無い。

右腕の力を頼りに体を起こした瞬間、息が詰まる。

 

「無理をするな、と言われただろう?」

 

「…クロ」

 

咳き込んで涙目になった私を、ベッドの傍にある壁にもたれ掛かってりながら、呆れた表情で私を見ていた。

そういえば、喉は昨日のうちに回復した様だった。声が出る。

 

「けど、学校行かなきゃ。寝てられないよ」

 

「阿呆。動けるわけがないだろう、その怪我で」

 

確かに酷い怪我だけれど、動けなくはない。

まだ起き上がろうとしている私を見て、クロはやれやれと言った様子だった。

 

「駄目ですよ、起き上がっちゃ」

 

扉の開く音と共に現れたのが、昨日の女性の医師だった。

呆れ声で私に声を掛けながら、ベッドの頭を起こしてくれた。

 

「運び込まれた時、貴方の状態はかなり危ない物でした。魔法で治療を施しましたが、必要最低限のモノにしてあります。

自然に治す方が、魔法で無理矢理に治すよりも身体に負担は掛かりませんから」

 

目の前の女性は、クロの様に魔法を使えるようだ。

けれど、魔法の存在をこうあっけらかんと言ってしまってもいいのだろうか。

管理局とやらがすっ飛んで来ると聞いているけれど、目の前の女性は平然としている。

魔法の存在を、この女性に聞いてい良いのか迷っている間に、部屋にもう一人訪れた。

 

「お邪魔するよ。シャマルから君が目が覚めた、と聞いたからね。

僕は、時空管理局次元航行隊提督クロノ・ハラオウン。君には少し難しい話かもしれないが、まぁそれなりの役職に就いていると思ってくれ」

 

苦笑いをして、ベッドの横に在ったパイプ椅子に男性が座った。

管理局は既にすっとんで来ていたようだった。

クロからの話では管理局自体に余り良い印象は無いようだけれど、目の前に居る男性からはそんな空気は感じられない。

柔らかい物腰で、私を見ている。

クロは相変わらず、壁に凭れ掛かって腕を組みこちらの様子を窺っているだけだ。

あまり口を出す気は無いらしい。

 

「さて、これから君には昨晩の事を話してもらおうと思う。

辛いかも知れないが、これも事件解決の為だ。済まないが」

 

「上総っ、目が覚めたのか!」

 

ハラオウンと名乗った男性の言葉に被さる様に、よく聞きなれた声。

その声が、私の兄も物だと理解するのに時間は掛からなかった。

 

「兄さん…」

 

急いで私の元に駆け寄って、心配そうな顔をして優しく頭に触れた。

黒いスーツを着ている兄。何処かでよく似た服を見た事が有る気がするのだけど、今はそれどころではない。

 

「その、ごめんなさい。兄さんに迷惑を掛けてしまいました」

 

「迷惑だなんて思っていないぞ。上総が悪い訳じゃないだろう?」

 

「でもっ!」

 

泣きそうになってしまう。兄には迷惑を掛けてばかりだ。

両親が居なくなった後、ずっと私の面倒を見ていてくれたというのに。

御飯や服に不自由な思いをした事もない。

学校も良い所に行けと、行かせてくれた。

そんな兄の期待を裏切ってはいけないのに。

 

「いいんだ。いいから…」

 

ベッドの淵に座って、頭を撫で続けてくれる兄。

兄の優しさと手の温かさに、少しだけ救われる。

 

「あ、学校行かなきゃ」

 

「馬鹿野郎。無理に決まってるだろう? 暫く休むと連絡を入れておいたから、心配するな」

 

私の頭を撫でていた手が、手刀になった。

兄は加減をしたつもりなのだろうけど、結構痛かった。

 

「済まないが…話を続けていいかい?」

 

「? ああ、済まん。アンタの存在を忘れていた」

 

何気に兄から酷い扱いを受けるハラオウンさん。

いいのかな、と思いつつ少しばかり状況に着いていけないので兄の存在は助かる。

 

「上総」

 

「「上総ちゃん」」

 

そうしてまた人が増えた。

フェイト、なのは、はやてだった。

フェイトは昨晩、会って何故か謝罪を受けた。

理由はイマイチ理解できなかったけれど。

それでも、私をあの場から助けようとしてくれたことだけは理解できた。

 

「フェイトには昨晩会ったけど、何でなのはとはやてが此処に居るの?」

 

正直に疑問に思っている事を聞いてみた。

 

「それは、えっと」

 

なのはが言い淀んで、そんななのはをはやてが見かねて言葉を続けた。

 

「この間、話したけどわたしら、管理局員やって言うたやろ? この船はその時空管理局が所持している船なんや。

今、海鳴市で起きている昏睡事件。その事件は魔法が関わっとる可能性が高いんや。それで私達が管理世界からこの地球にやって来たちゅう訳や」

 

「そっか」

 

船という事は、海鳴市に面した海にでも浮かんでいるのだろう。

この部屋は病院では無くて、医務室みたいな所なのだろう。

時空管理局がどれ程の規模かは解らないけれど、大型船を所持しているだなんて、すごい組織の様だ。

けれど流石にこの部屋に八人。少しばかり、否、大分窮屈ではある。

私が動けないから、仕方ないと言えば仕方ないけれど。

 

「それじゃぁ、身が覚めたばかりの君には悪いが、昨夜君に起こった事を話してもらうよ?」

 

話を終えた私達の様子を見てハラオウンさんが話を切り出した。

そう言われても何をどう話せば良いのか解らない。

 

「バイト帰りに知らない誰かに襲われました」

 

正直に言うのなら、こうなってしまう。

説明しようにも、この部屋に居る人たちに伝わるのか、と思ってしまう。

荒唐無稽な話だと思うし。信じてくれるのかも怪しいし。

 

「…」

 

無言が辛い。

残念な子を見るような目で見ないでほしい、と思う。

本当にこれ以上の説明のしようが無い。

襲われた最中の事なんて説明しても無駄だろうし。

肩身、狭いなぁ。

 

「はぁ…。何も事情を知らん奴に、事件の手掛かりを期待しても仕方あるまい。

まずは順を追って説明するくらいはしてやれ。貴様らだけの都合でコイツを振り回すな」

 

そう言ってクロが猫の姿に戻って、私の膝の上にちょこんと乗った。

さりげに怒っているのか、尻尾をぼふぼふと布団に叩きつけている。

ちなみに兄は“俺の役目が…”と小声で言っていた。

相変わらず、私に甘い兄だと思う。

 

「おい、此処が何処か理解しているのか?」

 

「海鳴の沖に浮いてる船の中じゃないの?」

 

クロに答えた。

 

「この船、大気圏外に停泊しているぞ」

 

「冗談を」

 

あはは、と笑って受け流す。

周りの皆は至って真面目な顔をしている。

笑ってる私だけが浮いている。

 

そうして、ハラオウンさんが“これを見てくれ”と言って、私の目の前にモニターを出した。

しかも、半透明で空中に浮いているのだ。ありえない。

そしてそのモニターに映し出されたのは、テンプレどおりの大きくて丸い青い地球が。

 

「嘘…本当に、宇宙に居るの…?」

 

「嗚呼、さっき言った通りだ。次元航行船だからな。地球で生まれ育った貴様には実感は無いかも知れないが。

次元世界を渡れるし、こうして惑星外にも停泊出来る」

 

次元を渡れる、大気圏外に停泊している…どれだけ技術が発展しているんだ。

というかこの船、地球に住む人たちに見つかったら大騒ぎなんじゃ…

 

「ちなみに、欺瞞魔法で見つからない様にして有る筈だ。だから、管理外世界の人間に見つかる事は、まず無いだろう。

管理世界に影響が無いようにな。また逆も同じだ。管理外世界に影響が無いように、そういう活動をしているのがコイツらだ」

 

“気に食わんが”と聞こえない様に小声でクロが呟いた。

私以外の人に、聞こえてなきゃいいけれど。

 

「それだと、地球に何か有ったって聞こえるんだけどなぁ」

 

単純な疑問を聞いてみる。

地球が管理外世界であると、クロから聞いている。

何か起こらなければ彼等、時空管理局は来ないという事なのだから。

 

「ん。さっきも其処に居る女が言っていた昏睡事件だろう。こんな辺境に、ご苦労な事だ」

 

ああそうだ、とハラオウンさんが肯定した。

 

「だが、その為に僕たちは此処に居る。そして、その事件を解決しなければならない。

だから、君は僕たちに協力して欲しい。犯人に繋がる怪しい人物に会ったのは君だけだ。情報が欲しい」

 

真剣に私に問いかけた。

私は、ハラオウンさん達に昨晩起こった事を話すのは、別にかまわない。

けれど、話してしまえばきっとクロに矛先が行きそうな気がする。

クロにそっくりだった、『名も無き偽典』の統括者―コマンダー―と名乗った女性。

私は『名も無き教典』、だと言っていたクロ。接点が無い訳が無いのだから。

クロの事情を知らない私が、勝手に喋って良い物なのか。

 

「それで。貴様等は何を知りたいのだ? 私の代わりに、コイツの治療を引き受けてくれたからな。都合が悪いこと以外は喋ってやるぞ」

 

嫌々答えてやるぞ、と言わんばかりの台詞だった。

というか、都合の悪い事は言わないと言うのである。性質が悪いよクロ。

私はクロのこの態度には慣れているけれど、他の人たちは面を喰らっている。

仕方ないと言えば仕方ないけれど、もう少し穏便に物事を運ぼうとは思わないのか。

…思ってないか。クロだし。

 

「出来れば、犯人に直結する情報だけれど、君は知っているのか?」

 

「知っている、と言えば?」

 

「っ!!」

 

凄い勢いでハラオウンさんが椅子から立ち上がる。

そんなに驚く事なのだろうか。私も一応、男の顔は覚えているし、もう一人に至ってはクロにそっくりだし。

 

「それに、其処の金髪が私と瓜二つの犯人の一人を見ているからな。言い逃れが出来ん」

 

フェイトだよ、と泣きそうな顔でフェイトが文句を言っていた。

名前をちゃんと言わないクロには後で言い聞かせておくから。御免フェイト、と心の中で謝っておく。

 

「それで? あの男と何を話した」

 

「うん。『名も無き偽典』の真の力を開放する鍵になってもらうって」

 

「…なるほどな」

 

両目を瞑ってクロが少し考え込んだ様子を見せた。

 

「待ってくれ! 『名も無き偽典』と言ったのか? 『名も無き教典』ではなく!」

 

「あ、はい。あの場所に居た男の人がそう言ってました」

 

ハラオウンさんが声を荒げて聞いてきた。

そもそも、『名も無き教典』と名乗ったのはクロで、『名も無き偽典』と言ったのは、アクスマンと名乗った男性だ。

恐らく、クロと何か関係しているのだろう、と言う事は何となくだけれど察することが出来る。

名前が酷似しているし。

 

「『偽典』は私の複写品―コピー―だよ」

 

「ええ!?」

 

「…貴様が驚いてどうする。聞いたのだろう、あの男から。私に瓜二つの統括者―コマンダー―を見て何も思わない訳があるまい」

 

呆れた顔で私を見ているクロ。

猫の姿ではあるけれど、そんな気がした。

改めて聞くと驚くのは仕方ないと思う。私の予想でしかなかったのだし。

 

「複写品とはどういうことだ!!」

 

「言葉のままだが?」

 

「なら! 君が!! 『名も無き教典』なのか!?」

 

「そうだ、と言ったらどうするんだ?」

 

「それに、君は彼女の使い魔ではなかったのか!?」

 

「違うな」

 

「なぜ嘘を吐いた! 虚偽報告だぞ!」

 

「あの時は、ああ言った方が都合がよかっただけだ。誰が進んで管理局なんぞに、自分の正体を露呈させねばならんのだ」

 

「っ!」

 

ハラオウンさんの怒気に気圧される。その対象になっている筈のクロは涼しい顔をしているけれど。

複製品、とはどういう事だろう。

もうここまでクロが自身の事や、魔法について私以外の人に話しているのだ。

魔法の事について喋るな、とクロが言っていた事は無効だろう。

 

「…一体どうなっているんだ」

 

片手で顔半分を抱えてハラオウンさんが、疲れた様子を見せている。

 

「複製品って事はクロが創ったの?」

 

「私と言うよりも、私と契約した契約者―マスター―だな。何時の頃だったかは余り覚えていないが、私を複写した契約者が居た」

 

素直に疑問を聞いてみる。

複製品と言うのなら、創った人が居る筈なのだ。

 

「クロと同じって言うのなら、なんで昏睡事件何て起こしたの?」

 

クロは世界の知識を求めるだけの存在だと聞いている。

 

「さぁな。契約者の資質が大部分を占めるだろうが、アレは創られた方法が不味かった。マトモな方法で創られなかったからな」

 

「その方法って?」

 

「ん? 聞きたいのか?」

 

ニヤリ、とクロが笑ったような気がした。

 

「嫌な予感しかしないから止めておく」

 

「賢明だな」

 

「待ってくれ、その方法とは何だ?」

 

ハラオウンさん、勇気あるな。

この手のモノは大抵碌なものじゃないと思うんだけど。

それに敢て足を突っ込もうとしているのだ。

私なら無理だな。例え仕事だろうと、聞きたい話ではない。

 

「契約者本人の血や処女の血やら聖獣と呼ばれるモノの血やらを使って書き写したんだよ。

素材になった紙も碌なものを使っていないぞ。要するに元から曰くつきというヤツさ」

 

この場に居る全員が微妙な顔をした。

そりゃそうだ。こんな話は誰だって聞きたくは無い。

 

「だから、という訳ではないが契約者にマトモな奴がなる事は皆無だ」

 

「…君は知っていて『偽典』を放置していたのかい?」

 

「他人から見ればそうなるのだろうな。今まで『偽典』と邂逅する事も無かったからな」

 

「君、そんなモノを放置していた責任はどうするんだ?」

 

「責任? そんなものは私にはない。それは、貴様等のルール。私には関係ないものだ」

 

「何を言っている、知っていながら見ていぬ振りをしていたのだろう!」

 

「知らぬよ。人間が勝手に『偽典』を利用していたのだろう? 本来、何の害も無いものだ。

だと言うのに、何か起こったのならば、それは『私たち』と契約したマスターの仕業だ」

 

周りの視線が一点に集まる。

もちろんそれは私だ。

 

「クロとは契約をしてませんよ」

 

多分。勝手に契約されていたと言うのなら、吃驚するけれど。

 

「ああ、コイツとは結んではおらんよ」

 

「何故だ?」

 

「何故、と言われても。本人が望んでいない。無理矢理に出来んことも無いが、それだと意味が無い」

 

なぁ?といいながら、私を仰ぎ見るクロ。

クロと契約の事なんて、久しく忘れていた気がする。

というか、無理矢理でも出来るのか。

そういえば『偽典』の契約者であるアクスマンも無理矢理でも出来る、と言っていたか。

 

「うん。魔法を使えるようになるって言われても、困るだけだし。あ、頭が良くなるとかだったら使いたいかも」

 

「有るには有るが、自分の身の為にならんぞ」

 

「なんで?」

 

「付け焼刃で覚えても身に付かんだろう?」

 

…確かに。

自分の力で覚えたほうが、身に付くのだろう。

 

「何を呑気に話し込んでいるんだ! 今は事件の話をしている!」

 

「御免なさい」

 

「…解ればいい。『偽典』の契約者は、何故君を襲ったんだ?」

 

「鍵になってもらう、と言っていたのでその為だと思います」

 

「鍵、か。しかし、何の為に…」

 

「コイツは適格者だ。『名も無き教典』とのな。襲われたのはその所為だろう。

アレは私の複写品。性質も似るからコイツを『偽典』にでも取り入れて力を増幅でもさせる気だろうよ。」

 

「…うへ」

 

つくづく、アクスマンのいう事を聞かなくてよかったと思う。

あの時、痛みに屈して頷いていれば、今の私は居なかったかもしれない。

 

「では、彼女をもう一度襲う可能性が有るな」

 

「だな」

 

「え? マジで?」

 

「大真剣だ。一度や二度で諦めるわけがなかろう。しつこいぞ。あの手の人間は」

 

あの人がマトモではないのは、昨夜襲われた事で理解している。

あれをもう一度やれと言われれば、全力で拒否したい。

というか、耐えられる自信はもう無い。

 

「なら決まりだ。君を我々管理局の保護下に置く」

 

「え? あの、困ります。学校とかバイトとかありますし」

 

「それについては俺が何とかする。黙って聞いていたが、只事じゃなさそうだしな。

魔法に関連した事件、と言うのなら管理局の方が良い。魔法の事は話せないし現地の機関を利用しようとしても、恐らくマトモに取り合ってはくれんだろう」

 

ずっと黙り込んでいた兄が、そう言ってきた。

 

「兄さん! でも!」

 

兄さんのお蔭で、生活には困らないでいる。

だから、私は無駄にしてはならない。キチンと生活をしなければ。

せめて、働いて自活が出来るようになるまでは。

 

「魔法に関わってしまったなら仕方ないさ。襲われる可能性が有るのなら、次元航行船―ココ―が一番安全だ」

 

「………」

 

兄にそう言われたら、従うほかには無い。

授業とかバイトとか気にしなければいけない事が沢山あると言うのに。

何時も、そうだ。

大事な事の筈なのに、私に決定権は無い。

周りの人たちは、それが優しさだと思っている。

そして私もそれが優しさなのだと理解している。

まるで真綿で締められる様に、だんだんと息苦しくなっていくのだ。

 

両親の葬儀に出れなかった事も。

親戚の家から、マンションを借りてほぼ、一人暮らしをする様になった時も。

聖祥大付属高校に通う事になった時も。

 

仕方の無い事も有る。

けれど、思う様に行かないのは不甲斐無さが心に溢れてしまうのだ。

 

「とりあえず、今は怪我を治さないとな」

 

学校やバイト先には兄から連絡を入れておくそうで、後の事は心配するな、との事。

起こしていた体を、兄が優しくベッドへと導く。

疲れている身体は、いくらも経たず私を眠りへと誘う。

結局、対して抗う事も出来ず私の意識は落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あまり話が進んでない・・・


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第十三話:それぞれの決意

今、海鳴市で起きている昏睡事件。

クロちゃんから聞いた、真実。

まさか、数週間前に出会った上総ちゃんが事件に関わっているだなんて。

事実は小説より奇なり、だなんて言うけれど。

 

九歳の頃、偶然にユーノ君に出会い魔法の存在を知ったあの時。

海鳴の街を守りたい事もあったけれど、フェイトちゃんと出会った事で、それ以上に大きな意味を持った。

必死だった、と思う。

魔法を覚えて、戦って。

家族の皆にも、心配を掛けた。

けれど、暖かく見守ってくれたんだ。

私の事を信じてくれて。

少し悲しい結末になったけれど事件は終わったんだ。

 

同じ年の冬。

はやてちゃんにも出会い、闇の書事件が起こった。

闇の書の主、いや、夜天の書の主を思う守護騎士の皆の気持ちが起こした。

この事件もまた、少し悲しい結末に終わった。

けれど皆、前に歩き出して、今一緒に管理局で働いている。

 

そうして、今回の事件。

何の因果だろう。私たちが生まれ育った街に、また魔法関連の事件が起こっている。

そうして出会った。ううん、出会ってしまった。

佐藤上総と言う女の子。

何処にでもいる普通の子だと思う。

 

けれど、時折彼女は影を落とすときが有る。

そう感じたのは、彼女が彼女のお兄さんと会話をしている時だ。

反論しようとして、お兄さんの言葉を受け入れた。

よくある光景、だと思う。

事故でご両親が亡くなって、お兄さんが保護者だと聞いた。

彼女とお兄さんの間に、何かあるのかは全然知らない。

でも、ほんの一瞬。

一瞬だけ下唇を噛んで少し悔しそうな顔をしたんだ。

 

そうしてもう一つ。彼女はお兄さんには敬語を使っている事だ。

私達には敬語を使わない。もちろん、同い年なのだし、友だちだと思っているのだから、敬語なんて使わないでほしいと思う。

クロノ君にも敬語を使っていたけれど、それは初対面だし年上の男の人という理由が有ると思う。

けれど、家族であるお兄さんに対して、敬語を使っている事は違和感を覚えた。

私だって、お父さんやお兄ちゃんには敬語を使わない。

フェイトちゃんもだ。クロノ君には敬語を使っていない。仕事の時になれば別だけれど。

 

そんな彼女はリンカーコアを所持している。と言っても、初歩の魔法である念話ですら失敗した子だ。

魔法を知らずに過ごしてきたのは明らかだった。

お兄さんは管理局員だったけれど、管理局の事については知らない様子だった。

魔法に精通しているという事は無い筈だ。

 

そうして、話を一通り終えた上総ちゃんは流石に疲れたのか、また眠りに就いた。

あの怪我の具合だ。今朝目覚めていた事でさえ不思議な状況だったのだから。

 

「フェイトちゃん?」

 

「…なのは」

 

展望ラウンジで考え事をしていた私の傍にやって来たのは、フェイトちゃんだった。

少し疲れた様子で、無理矢理に笑っている気がした。

聞いた話だと、フェイトちゃんが上総ちゃんの元に駆け付けた時には、既に怪我を負っていたそうだ。

フェイトちゃんの事だから、怪我をした上総ちゃんの事をものすごく気にしているのだと思う。

 

「大変な事になっちゃったね」

 

「うん。けれど、上総の為にも解決しなくちゃいけないと思う」

 

真剣な眼差しで、フェイトちゃんが言い切った。

 

「そうだね。上総ちゃんの為にも」

 

事件の犯人から『鍵』と言われた上総ちゃん。

あの怪我の状態から察するに、上総ちゃんは犯人の要求に折れることなく、己を貫いたのだろう。

そんな強い意志をもつ上総ちゃんだ。

また同じことが起これば、どうなるか解らない。

犯人の要求に、耐えればもっと酷い結果になるかもしれない。

犯人の要求に、折れればこの海鳴市、いやこの世界自体がどうなるのか解らない。

 

私とフェイトちゃん二人並んで、青い地球を見る。

この星に何十億の人たちが住んでいる。

そこにどんな人たちが暮らして、笑い合っているのか。

そこにどんな夢が生まれて、育まれているのか。

私には知る由も無い。

けれど、その人達の生きる権利を奪う理由なんて誰にも無いんだ。

 

そして、上総ちゃんが名も無き偽典の『鍵』になる理由も無い。

クロちゃんが言うには、『鍵』になったとしても良い事は無いそうだ。

偽典の契約者に良いように使われすり潰されるだけだ、と。

そんな事で、人一人の人生が哀しい結末になってしまうのは見過ごせなかった。

 

それに上総ちゃんは魔法を使用することを、まだ考えあぐねている。

地球に残って普通に暮らすのか、それとも管理局に入局して、管理世界で魔導師として生きるのか。

選択権は彼女自身にあるのだから。

その選択の道筋を守らなければ、と思う。

 

「絶対に悲しい結末なんかにしない」

 

「そうだね。なのは」

 

右の拳をフェイトちゃんに突き出した。

それを見て、フェイトちゃんも右拳を突き出す。

互いの、拳面を合わせて誓う。

 

まだ出会って日が浅い彼女だけれど。

どこか、危うさを持つ彼女を見ていられないから。

 

――必ず、護る。

 

ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上総が『名も無き偽典』の主人に襲われてから、早数日。

回復が早いのか、予定よりも早くベットから起き上がり、上総は早々にリハビリだと言い張って、アースラ艦内を物珍しそうにウロウロしている。

クロノから許可は取っているし、シャマルからの許可もあるのだから艦内を闊歩するのは良いけれど、体に差支えが無いのかどうかが心配だ。

あんなに酷い怪我を負っていたと言うのに。

それに、左腕はまともにその機能を果たしていない。

今日の朝、不便だろうと着替えを手伝おうとしたらやんわりと断られた。

遠慮なんてしなくていいのに、と思う。

困っている人が居るのなら、手を差し出すことは当たり前だ。

それが、知人や友達なのだと言うのならもっとだ。

 

「上総」

 

「フェイト。どうしたの?」

 

展望ラウンジで地球を見下ろしていた上総。

私達管理局員からすれば珍しいものではないけれど、宇宙へと民間人が簡単に行くことが出来ない地球では珍しいのかもしれない。

 

「上総がどうしてるのかな、って思って様子を見に来たんだ」

 

「心配し過ぎだよ。子供じゃないんだし」

 

そう言って笑う上総。

彼女の左腕は、腕つり用のアームリーダーで固定されている。

動かすと、腕に負担が掛かる事と火傷を負っているので皮膚の伸び縮みはよろしくないという事だ。

シャマルの話では、地球の医療技術ではまともに治療できるかどうかは解らないそうだ。

そして、管理世界でも魔法で治るかどうかは、五分五分という事らしい。

その話を聞いた上総は、仕方ないと切り捨て笑っていた。

そんな彼女を見るのは、辛い。

魔法に出会わなければ、そんな目に合う事は無かったんだ。

魔法が認知されていない世界で、魔法に出会ってしまったばっかりに。

 

「フェイト、フェイトは忙しくないの?」

 

「え?」

 

「兄さんと制服が一緒だから、ね。何となくだけど、そう思ったってだけ」

 

考え事をして黙り込んでいた私を見かねたのか、上総が質問をしてきた。

忙しい、と言えば忙しいけれど、今の仕事は『名も無き偽典』の事件解決の為に動いているのだから、これも仕事のうちでもある。

月に数度しか帰って来ないというお兄さんを思い出したのか、そんな事を聞いてきた。

 

「大丈夫だよ。緊急時以外は自分のペースで仕事が出来るから」

 

管理局内でも特殊な職である分、覚える事やすべき事は雑多にあるけれど。

それを苦労だと思った事は一度も無い。

 

「執務官ってどんな仕事してるの?」

 

「どうして?」

 

「兄さんは、仕事の事をあまり話してくれなかったから。多分、管理世界の事を言えなかったからだと思うけど…」

 

そう言って口籠る上総は、純粋にお兄さんの心配をしているのか、それとも唯の興味なのかは理解できなかった。

けれど、魔法に関わり管理世界の存在を知ったのだ。

地球以外の星である管理世界の事を話てみるのも良いかも知れない。

上総にリンカーコアが存在するのなら、向こうの世界で生きていく道もあるのだから。

 

「上総の世界でいうなら、刑事さんと弁護士さんを足した感じかな?」

 

「それって凄くない?」

 

「そうなのかな? 管理局だとそれが普通だから。大変だけど、やりがいはあるよ」

 

少し話が長くなりそうなので、手近にあったベンチへと誘った。

やっぱり左腕が動かないせいで、上総の動きは危なっかしい。

身体のバランスを取り辛そうにしている。見ている私は肝を冷やしながら、彼女を見守るしかない。

 

「よいしょ、と。刑事と弁護士なら、法律覚えなきゃいけないだろうし、やっぱり危ない目にも会ったりするの?」

 

「うん。違法研究所とか潜入捜査になれば、犯人とバッタリ出くわす事もあるよ。でも、その為に魔導師としての訓練も欠かしていないつもり。

誰かを助けたいのなら、自分が強くなきゃいけないと思うし、強くならなきゃいけない」

 

私は恵まれていると思う。幼い頃から魔導師としての指導を受けていたし、その為に必要なリンカーコアも所持していたし、魔力量も恵まれていたのだから。

誰かを守る力を持っている。この気持ちは、おごりなのかも知れないけれど。

それでもこの気持ちは、譲れない物だから。

 

「…凄いな。フェイトは」

 

「そんな事ないよ。上手くいかない事だって一杯あるし、もっと上手く立ち回れたんじゃないかなって思う時もあるから」

 

「私は、まだ学生の身分で社会に出た事がないから、偉そうなことは言えないとけれど。

どうにもならない事だってあるし、仕方ない事もあると思う。けど、フェイトは次に繋げてる。それって大事な事だと思う」

 

「…ありがとう。上総」

 

言葉の最後に笑ってくれた上総。その笑顔に私は同じ様に笑顔で返した。

数日前の夜、声の出ない上総が念話を使ってまで私に伝えた言葉。

結局、あの時の私の思いは、すべては伝えきれずクロに遮られた形になったけれど。

優しいんだな、と思った。

けれど、この時の私は、上総の言葉に隠されていた意味を知らずに居たのだと思う。

一見、普通の何処にでもいる女の子が、心に大きな傷を抱えてそれを隠したまま生きていた事を。

 

「だからという訳じゃないけれど、私は上総を守りたい。困った事が有るのなら、手を差し伸べるから。危ない目に合うのなら、其処から助けるよ。

せめて、この事件が終わるまでは上総の傍に居るつもりだから」

 

私の言葉を聞いた後の上総の顔は、これでもかというくらいに真っ赤だった。

口が半開きになっていたのはご愛嬌だと思う。

 

「えっと。あり、がと?」

 

どうにか言葉にした上総に私は満足した。

そうして当初の目的だった事を伝える。

 

「お昼食べに行こう? なのはとはやても居るんだ。一緒に食べよう」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロノ君」

 

「どうした? はやて」

 

アースラ管制室で提督として指揮を取っているクロノ君に声を掛けた。指揮と言っても今は緊急時という事でもない。

通常勤務体制だ。何時何が起こるかわからないから話せるときに話しておく。管理局員にとって、それが常道である。

話の内容は勿論、彼女の事だ。

 

「ちょっとした世間話ってところやな」

 

「?」

 

少し首を傾げて、私の話を待つクロノ君は出会ったころの面影は大分少ない。

男子三日会わざれば括目して見よだなんて言葉も有るけれど、六年以上の年月は大きい。

彼も少年から青年に成っているし、私だって小さな女の子から少女と言われる年に成っている。

 

「上総ちゃんの事なんやけど、どうするつもりなんや?」

 

「はやて。その言葉にはどういう意味があるんだい?」

 

「全て含んでる、かもしれへんな」

 

「そうか」

 

考えられることは全て、である。

ロストロギアが絡んでる以上、解決に至るまで困難な道であろう。

 

「しかし、参ったね。『名も無き教典』の仕業なのかと思えば、複写品だと言う『名も無き偽典』だとは。ロストロギア級の存在が二つ、か」

 

深い溜息を吐いて、椅子の背もたれに伸し掛かるクロノ君。

疲れているのだろうか。提督という責任の重い役職に着いている彼の気苦労は絶えない事だろう。

それを口にする彼ではないし、それを聞くほど野暮でもない。

 

「クロが嘘を付いている可能性はどう考えてるん?」

 

「低いんじゃないのかい? 嘘を吐く利点が無い。それに僕たちに情報が無い以上、彼女の話の裏を取れないからね。可能性として信じるしかない、と言った所かな」

 

妥当な所かな、と思う。クロの話を全て信じる訳には行かない。本当なら信じたい所ではあるけれど、その話を鵜呑みにするほど子供でもない。

大人になるって事はこういう事なのだろうな、と思う。子供の時の様に純真無垢では居られない。

清濁飲み合わせて、より良い選択をしなければならない。

誰かが犠牲になるかも知れない方法でも、多くの人が救われるのなら、その選択をしなければならない。

それを、なのはちゃんやフェイトちゃんに背負わせる訳には行かない。

汚れ役、と自分で言ってしまうのはどうかと思うけれど、そんな事を背負う人間は少ない方が良いに限る。

 

「今後はどうするんや? 何時までも上総ちゃんをアースラに乗艦させとく訳にもいかんやろし。犯人も何時出てくるか解らへんしなぁ」

 

「だね。けれど犯人が佐藤上総を狙っている事だけは事実だよ。今の今まで、魔力と生命力を奪うだけだった犯人が、態々怪我を負わせてリスクを犯した」

 

確かに。犯人が上総ちゃんに執着している事はうかがえる。

先の襲撃は、上総ちゃんと犯人が交渉のテーブルに就くためだったのだろう。

上総ちゃんの意思の強さで、失敗に終わっているけれど。

 

「気の短い犯人なら、再襲撃はすぐ…だろうね」

 

「クロノ君もそう考えとるん?」

 

「ああ。力を手に入れたいと考えているのなら、早く手に入れる事に越したことはない。そうして自分のやりたい事をやりたい様にする。自分勝手な我儘だな。

何も知らない彼女からすれば、迷惑極まりないな。突然、日常から追い出されてしまっているんだから」

 

「せや、な」

 

私の場合は、その突然が家族を手に入れた瞬間だった。

どんな方法でも良かった。寂しさに耐える事は限界に近かったから。

そうして魔法の力を手に入れて、管理局に入局した事は後悔していない。

早くひとり立ちをしたかった事もあるけれど。

誰かを守る力が有るのなら、それを腐らせるわけにはいかない。

 

上総ちゃんの場合は、どうなのだろうか。

クロは魔導書だ。

契約は彼女と取り交わしていないようだけれど。

彼女本人の意思が一番大切ではあるけれど、もしも、どうにもならなくなった時は彼女の意思を無視してでも契約をしてもらうか、クロを封印しなければならない。

そんな事にはならないでほしいけれど、どうにもならない時は覚悟しておかなければならない。

 

「もし、私達だけで対処できへんなら守護騎士たちも連れてくるけど…時間、かかるやろなぁ」

 

「だな。正式な手続きを踏めば、戦力過剰と言われて却下されるのが目に見えている」

 

「ああーそうなるんやろうなぁ。まぁ、もしも、の場合や」

 

「わかっているさ。打てる手は打つ。それが指揮官としての僕の役目だからね」

 

嫌な役だと、つくづく思う。けれど、その覚悟はとうの昔にクロノくんは背負っているのだろう。

私も彼の様にならなければ、と思う。未だ甘い部分は有ると思うけれど。

けれど、その部分は必要なんじゃないか、と思う。

もしかすれば、その甘さで自分が傷つくことになるかもしれないけれど。

それでもきっと、その甘さが誰かを救えるのだと私は信じているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂を目指して、長い金色の髪を靡かせながら歩くフェイトの後ろを付いて歩く。

怪我を負い、目が覚めてから数日。アースラ艦内をウロウロとしてはいるが、正直道筋を覚えていない。

昨日は、暇を持て余して船の構造を覚えようとしていたけれど、結局は頭に入っていない。

娯楽施設は無いし、立ち入り禁止区画もある。部外者だから当然だと思うし、匿ってもらっている身分なのだし贅沢は言えない。

楽しみと言えば、小さくはあるけれど図書室が有る。

管理世界の事に付いて書かれているのだから、良いのだろうかと思ったのだけれど、思ったよりも簡単にハラオウンさんから許可が出た。

何でも、君も関わることになるかもしれないのだから、少しでも知っておいても良いだろう、との事。

管理局の成り立ちや、歴史を記している書物を読んだけれど、成り立ちは結局のところ地球とそう変わらないと思う。

力のある人や組織が権力を握るのは何時の時代でも、どんな場所でも同じ、という事だ。

 

「上総? よそ見していると危ないよ」

 

考え事をしていたのがバレたのか、フェイトが此方を気にしてきた。

左腕が不自由な状態になっているから、歩きづらくはあるけれど、転倒したりはしないと思う。

というか、肋骨が数本折れているから、コケると余計に悪化してしまうという難儀な事態。

これでも結構気を使っている。フェイトに心配を掛けている時点で、周りにどう見えているのかは解らないけれど。

 

「あ、ごめん」

 

少しフェイトと距離があったから小走りで詰め寄った。

ちなみにクロは、私の影の中に居る。

影の中だと、私に何かあるとすぐ解るし、ついでに魔力の回復に努めるそうだ。

監視されて居るのは気に喰わない、とクロが小声で言っていたから、それが一番の理由かもしれないけれど。

影の中に溶け込んでいくクロの姿を見た時には、おしっこをちびってしまう所だった。

これは誰にも言えない秘密である。

 

「上総ちゃん」

 

「調子はどうや?」

 

そうして食堂で、なのはとはやてに合流した。

手にはトレイを持っているから、食事の注文は既に終わっているのだろう。

地球とほとんど変わらない食堂だから、慣れるのにさほど時間は掛からなかった。

管理局の食事事情はどうなっているのかと不安だったけれど、地球でいう所の洋食が中心で、失礼なのかもしれないけれど、ゲテモノ料理が出てくる事は無かったから心底安心した所だ。

出された料理を残すのは不本意だけれど、どうにも我慢ならない料理なら、涙目で家に帰ると言いだしていると思う。

 

「なのは、はやて。誘ってくれてありがとう。調子はまずまずって所かな」

 

「気にしないでいいよ。誰かと一緒に食べた方がご飯は美味しいから」

 

「せやせや。一人だと寂しいやろ」

 

そう言って笑ってくれる二人。

フェイトもそうだけれど、みんな優しいと思う。

 

「上総、どれがいい?」

 

そう言って券売機の前にフェイトが立っていた。

流石に、兄から管理局で使用するお金は預かっているからフェイトにお金を出してもらう訳にはいかない。

兄は、消化していない有給を全部つぎ込んでくると言って、いったん自分の所属している場所に戻っていた。

多分、暫くしないうちにこの船に戻ってくると思う。

 

「あ、自分でやるよ。いつも皆が居るわけじゃないし、慣れないとかないとね」

 

少し恰好は悪いけれど、ズボンのポケットに突っこんでおいた小銭を手に取った。

財布を持ちたいところだけれど、そうすると両手が必要になるから止む無しの手段だった。

 

「…上総」

 

私が断った事のがいけなかったのか、フェイトがしょぼくれた顔をしていた。

リハビリという訳でもないけれど、今の状態に慣れないといけないのだから、甘えては居られない。

そうして券売機の小銭投入口に必要分を放り入れて、目的のモノを押す。

 

「行こう、フェイト」

 

「…」

 

フェイトには申し訳ないけれど、少し強引に済ませた。

 

「上総ちゃんは、それだけの量で足りるん?」

 

トレイの上の食事を見てはやてがそう言った。

確かに、量は少ないと思う。

左手が不自由なので、汚い食べ方をするのは不本意だから食べやすいサンドイッチだし。

これでは昼食というよりも、軽めの朝食の様な内容だ。はやての心配も尤もだ。

 

「十分だよ。あんまり動いてないしね。太るのは避けたいし」

 

「乙女やなぁ」

 

「そう言う訳じゃないけど、気にはなるよね」

 

誤魔化したけれど、体重については本心だったりする。

誰だって、体重過多にはなりたくないし。

運動は禁止されているのだから、食事に気を使わなければいけないのは当たり前だ。

 

「けど、上総ちゃんは食べないと。怪我の治り遅くなるよ」

 

「そうだよ。上総は食べなきゃ。今でも十分細いんだから、少しくらい体重増えても平気だと思う」

 

「…フェイトちゃん。乙女にその言葉は禁句やで」

 

「だねぇ。フェイトは細いうえに胸大きいし。羨ましい限りだよ」

 

「え? そんな事は無いよ!」

 

突然の矢面にされたフェイトがおどおどしている。

多分、性格上強く出れないのだろう。

はやてが面白そうに笑っているのだから。

 

「否定しても、胸が大きい事実は変わらんでぇ」

 

「だね」

 

フェイトは自分自身で地雷を踏みぬいてしまったのだから、助ける術は無い。

多分、フェイトはアリサとはやての玩具なんだろうな。決して、悪い意味では無い。

 

「な、なのは。助けて」

 

「うーん。はやてちゃんに捕まったらそのネタで逃げるのは無理かなぁ」

 

「酷いよ。皆!」

 

皆で笑う。こんな時間がずっと続けば良いのにと、思う。

けれど、なのはもフェイトもはやても、ちゃんとした信念と覚悟を持っている人の眼をしている。

彼女達の過去に何が有ったかは知らないけれど、私と同じ年でありながら、そんな眼を持つ人はそうは居ない。

アリサもこれから先には上に立つ人だから、その鱗片を見せる時が有る。

そんな姿を見ていると、並大抵の事じゃないだろうけど、少し羨ましく思う。

誰にでも出来る事ではないから。もちろん私も出来ては居ないのだから。

 

「「「「ごちそうさまでした」」」」

 

皆でそろって声を上げる。

なのはとはやては日本出身だ。フェイトも一時期日本に住んでいたそうでこちらの文化を知っているようだ。

 

「それじゃ、戻ろうか」

 

その声で私達は食堂を後にした。

皆は仕事に戻るそうだ。

さて、私はまた暇を持て余すわけになるのだけれど、どうしたものか。

何も良い対案は浮かばす、結局無意識で闊歩していた先に辿り着いたのは、また展望ラウンジだった。

眼下に広がる地球を見下ろす。

最初こそ、すごいと思っていた光景が、もう見慣れたものになっているのだから慣れという物はすごい。

 

「ねぇ、クロ。私はクロと契約した方が良いの?」

 

ずっと思っていた疑問を無意識で口にする。

そうして私の影の中から、ぬっとクロが姿を現した。

静かに私の横に立ったクロと一緒になって地球を見下ろす。

 

「それは貴様自信が決める事だ。私が言っていい事じゃない。

だがこれは伝えておく。貴様と私が契約すれば、私にとって利点が多くある。しかし、契約者が居ても居なくても困る事は無い。

そして貴様。貴様が管理世界出身ならば、きっと迷わず私と契約したのだろうな。だが貴様は管理外世界の人間。魔法に関わらない人間だ。

私と契約したところで、管理世界の歴史を知り、魔法が使えるようになるくらいだ。地球で生きていくつもりなら必要ないものだろう。

それと、私と契約した場合。ほぼ確実に管理局の世話になるだろう。それは覚悟しておけ」

 

「…うん。もう少し考えさせて」

 

クロに出会ってから、クロは何故か私の傍にいるし、味方でもある。

きっとクロにも事情が有って私の傍に居てくれるのだろうけれど。

私の傍に居なければ、今回の事件に巻き込まれなかったと思う。

でも、クロが居たからこそ数日前に襲われた時助かったのだろう。

クロが居なければ、私は犯人の言う『鍵』になって、今頃はどうなっているか解らない。

死んでいたのかもしれないし、生きていても犯人の言いなりになっているのだろう。

 

未だ決断は出来ないままだけれど。

何時か、クロと契約を結ぶ時が来るのかもしれない。

その時は、あの三人の様な力強い意志を持っていたい、と思う。

 

 

 

 




他人の感情の機微には敏いなのはさん。(但し、恋愛関係と自分自身は除く)
優しさ全開のフェイトさん。そして天然タラシは健在。(過保護の極地)
裏でこそこそ。損な役回りをしているはやてさん。(腹を自ら黒くしていくスタイル)

そしてまだ決断できないこの話、主人公。(じれったい)

文章量ある程度固定したいのですが、難しいですね。
キリの良い所でと思っていると、調整しづらい・・・orz

追記:12/12の朝六時辺りから閲覧数とお気に入り数が急激に増えて、作者は一体何が起きたのだと、すんごくびびっております。ですが、感謝です!

追記:12/13 閲覧数等が伸びたのは日間ランキングに載っていたからだと推測しています。閲覧数、お気に入り、評価、コメントが増えて作者は大変ありがたく思っております┏○))ペコ
力量もなく、色々と問題点が有りますが、頑張って最後まで書き上げますので、どうぞ皆様宜しくお願いします。
誤字報告も感謝です!


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第十四話:嵐の前に

 

『ディバイーーン…バスター!』

 

その声と共に、なのはの持つデバイスと呼称されている杖の様なモノの先から桃色の光の塊が、すごい勢いで正面へ飛び出ていく。

そうして、その先に居る武装隊の最後の残り一人へと吸い込まれていった。

 

「容赦がないな」

 

「あはは…」

 

「…はは」

 

そんな感想を漏らしたのは、この光景を私の左隣で見ていたクロだ。

そうして、私の右隣にはもう二人。フェイトとはやてはクロの言葉を笑ってごまかしているように見えた。

この場所は、アースラ艦内にある訓練室に併設されているモニタールームだそうだ。

訓練室内をガラス越しに見渡すことも出来るし、設置されているカメラでいろんな角度からモニターで見られるようになっている。

 

なんでもなのはは教導部隊に所属していて、教導員として管理局の魔導師の人たちを文字どおり教導しているそうだ。そのついでらしいのだけれど、アースラに乗船している武装隊の人たちの教導をかって出たらしい。魔法を見る良い機会だから、となのはに言われて付いて来たのだけれど、武装隊となのはの戦力差が凄い。

いや、うん。どう表現すればいいのかわからないけれど、一瞬だった。

武装隊の十人となのは一人だというのに、一瞬で勝負が付いてしまったのだから。

 

『…まだまだぁぁああああ!!!』

 

「お。なのはちゃんの砲撃に耐えた人がおるんか。感心感心」

 

「はやて、その言い方は…」

 

勝負が付いたと思った矢先、集音マイクが拾い上げた気迫の怒号と共に、立ち込める煙の中から武装隊の何人かがなのはに詰め寄る。

その姿を見たなのはは、近接戦に移行していた。

そんな様子に気圧された私を察したのか、はやては軽い調子で喋り、フェイトが咎めていた。

 

「ちなみに模擬戦用の魔法やから、ダメージはちぃとばかし残るんやけど、回復は早いで」

 

そう言っているはやてだけれど、ほぼ実戦形式だそうだ。

魔法を使っている事には変わりはない、という事らしい。

魔導師ランクで魔導師の強さを分けているそうなのだけれど、圧倒的な戦力差に、なのはは凄いと言う感想しか抱けない。

そうしている間に、なのはと武装隊の人達の模擬戦が終了していた。

 

「今度は私の番だね」

 

そう言ってフェイトは訓練室の中へと入っていく。

その入れ替わりで、武装隊の人たちが此方にやって来た。

ちらちらと視線を感じるけれど、致し方ない。私は部外者だし、物珍しいものでも見るような視線だ。

無視を決め込んで、我慢すればいいことだ。

ぞろぞろと、不規則に並べられたパイプ椅子に座っていく。

どうやら武装隊の人達も、なのはとフェイトの模擬戦を観戦するようだった。

 

『なのは、なのは。スターライトブレーカーは撃たないでね?』

 

『にゃはは。流石に無理だよ。収束魔法だし』

 

こんな所で撃つ訳にもいかないし、となのはが言っていた。

 

「?」

 

なのはとフェイトの言葉に、首を傾げる事しか出来なかった私が、このやり取りの意味を理解するのはもう少し先の話だった。

 

「二人とも~準備はええか?」

 

マイク越しに伝わる、はやての声を聞いて、フェイトはバリアジャケットと呼ばれる戦闘服に変わる。

どういう仕組かは解らないけれど、一瞬で服が変わった。

これも、魔法だからとしか説明のしようがない。

 

『私はいつでも大丈夫』

 

『私も、用意は出来てるよ』

 

「それじゃぁ、いくで。――Ready Go!」

 

その声と同時、開始の合図早々、なのはとフェイトは距離を取る。

空中へと飛んで高度を取り、先手を打って出たのはなのはだった。

 

『Accel Shooter』

 

デバイスからの声と共に十数個の桃色に光る玉が現れる。

その光の玉は意思を持つように、不規則かつ変則的にフェイトを確実に目指している。

そしてその速度は、速い。

その様子を離れて見ていたフェイトは、軽く息を一つ吸込んで、突っ込んで行く。

まるで恐怖心は全くない、と言わんばかりに。

 

そうして、なのはの放った光の玉を、避けて、払うフェイト。

けれど、桃色の光もまるで意思を持っているかの様に、なのはに近づけさせまいと、縦横無尽にフェイトを追い込んでいる。

 

はっきり言って、武装隊の人達となのはとフェイトの模擬戦は言うまでも無く異次元のレベルで違っていた。

 

「先程とは役者が違うな」

 

にやり、とクロが笑う。

まるで良い物を見ていると言う様に。

それは良いんだけれど、武装隊の人たちに聞こえていなければいいけれど。

目の前の模擬戦より、武装隊の人たちに目をやると、此方を気にしている様子など全くなかった。

なのはとフェイトの模擬戦に食い入るように見ている。

それも、全員。

 

『…っ!』

 

『!』

 

暫くの攻防が続く中、一瞬の隙をついたフェイトが、空中で動かず停滞したままのなのはに下から肉薄する。

刹那、アッパースイングの様に振り上げたフェイトの斧状のデバイスを、円形の模様のシールドを展開させて、なのはが防いだ。

 

「「「「「おお!」」」」」

 

武装隊の人達がどよめき立つ。その声色は、感心と羨望。

 

「ほう」

 

「?」

 

何に感心しているのか全く分からなかった。

そんな私をみて、その様子がおかしかったのか、長身のクロが見下ろして笑う。

 

「恐らく白い方は砲撃型の魔導師。でだ、金髪は先程までを見るに撃ちあいでは敵わないから、どうにか肉薄して白いのに近接戦を挑もうとしている。

だが、白い方も簡単にやられる訳にはいかん。唯の砲撃ではかいくぐられるのは当然だ。誘導弾で対応している。

それも高度なレベルでだ。あの数の誘導弾を操れる者はそうは居まい。管理局で教導隊に所属している事だけは有る」

 

珍しくクロがべた褒めしている。と言うか誰かを褒めているところは初めて見たかもしれない。

 

「楽しそうだね、クロ」

 

「嗚呼、そうだな。何の忌憚のない魔導師戦を見たのは久しぶりだ。このレベルの魔導師は、そうは居ないぞ?」

 

「そっか」

 

「興味が無さそうだな?」

 

「興味が無いというか…何で、なのは達みたいな女の子がこんな事しているのかなって。

痛い思いをしなきゃならない時もあると思うんだ。なのに、どうしてこんなになってまで頑張れるんだろう…」

 

生身で空を飛ぶだなんて、恐怖しか沸かないし、重そうな鉄の棒で殴られるのだって嫌だ。

そして、どうやって作り出しているのか解らないけれど、光の玉だって当たれば相当痛そうだし。

 

「闘う理由は人それぞれだ。管理局ならば、魔導師ランクが高ければ高いほど、出世の道は早い。金、名誉、権力、そんなくだらない物が欲しい奴はごまんといる。

それに、理由が知りたいのなら直接本人に聞いた方が早いぞ?」

 

管理局は軍と警察、司法や他のものが一緒になって運営されていると聞いた。

だから、男性が多いのだろうと思っていたのだけれど、なのは達三人や武装隊の人たちの中にも女性がチラホラ居る。

個人的には、何故女の子が“こんな事を”と思ってしまう。怪我をして痛い思いをしたいとは誰も思わないだろうし。

 

けれど、フェイトが誰かを守る為に強くなければ、と言っていた事。きっとこれがフェイトの言っていた事の一端なんだろう。

魔法の技術を研鑽して、強くなる。そうして、誰かを助けられる可能性を高くしているんだ。

何処の誰とも知らない人でも、危険を冒して、死地に飛び込んで。

 

「うん、わかってる。今のは愚痴みたいなものだから」

 

「そうか。だが、考える事は無駄じゃない。答えが出せなくても、迷えばいい。それを見かねた誰かがきっと助けてくれる」

 

時折、クロは私にこうやって助言をくれる。困った時、迷っている時、悩んだ時。

決して、答えそのものをくれる訳じゃないけれど。前に向く為に、前に進む為に。

 

「…ありがとう。クロ」

 

「別にかまわん。唯の老婆心だからな」

 

私には、こんな事を言える人は居なかった気がする。

一番の話し相手になるであろう両親は既に居ないし、兄は仕事で忙しく、こんな愚痴や弱音とか相談なんて出来る筈が無かった。

仲の良い友達にも、なかなか私の心の内を打ち明ける事は出来なかった。暗い顔なんて出来ないし、笑って居なければと思っているから。

武装隊の人たちのざわめきの中で、私達二人はなのはとフェイトの模擬戦を見ながら、そんな話をしていた。

 

なのはとフェイトの模擬戦は膠着状態に陥っていた。どちらも一進一退。

決定打に欠けて、どちらも手を出しあぐねている。

しんと静まり返った、訓練室。そして、私達の居るモニタールームも同様だった。

 

「ふむ。次で決まる、だろうな」

 

「なんで、そう思うの?」

 

「この状態を続けていても仕方ない。状況を打破したいのなら、決めの一手しかあるまい」

 

そのクロの言葉の直後だった。フェイトのバリアジャケットの意匠が変わった。

軍服調のものから、肌の露出面積が多い物へ。かなり際どい服である。

私がアレを着ろと言われれば、少しばかり、否、大分拒否感のあるものだ。

男の人が見る分には喜ぶのかもしれない。フェイトはスタイルも良いし、顔立ちも整っているし。

 

「フェイトって脱ぎ癖でもあるのかな?」

 

「さぁな」

 

首を傾げた私の様子が可笑しかったのか、くくく、とクロが笑って居る。

 

「…上総ちゃん、クロ。その認識は、流石にフェイトちゃんが可哀そうやで。あれは、バリアジャケットに回している魔力を削って防御力より、攻撃に回す魔力を増やして攻撃力を上げようっちゅうヤツなんや」

 

私達の会話を黙って聞いている事に耐えられなくなったのか、はやてが会話を割ってきた。

と言うよりも、フェイトの名誉の為なんだろう。

 

「なるほど。脱げば強くなるのか」

 

「はぁ。それ、せめてフェイトちゃんの前では言わんといてな? お願いやから…」

 

意味が伝わらなかった私の様子にはやてが肩を落として頭を抱えていた。

そんな間抜けなやり取りをしている間に、訓練室の中では、只ならぬ空気が流れていた。

 

「いくよ、フェイトちゃん!」

 

「うん! なのは!!」

 

ビリビリと響き始める空気に、緊張が走る。

 

「やっば! なのはちゃんもフェイトちゃんも本気出し過ぎや! アースラ壊してまうつもりなんか!?」

 

ちょっとだけ、涙目になりながらはやてが訓練室に届くように叫んだ。

その言葉の通り、先ほどから感じる空気は異常だ。武装隊の人たちも固唾を飲んで二人を見ている。

モニタールームは大丈夫なのだろうか。此処にいる人達が避難とかしていないから、訓練室の壁は、魔法に耐えうる壁になっているのだろうと納得して、なのはとフェイトの様子を見守る事にした。

 

なのはの桃色の光と、フェイトの金色の光が訓練室内を覆わんとばかりに光力を増す。

魔法の事を知らない素人の私でも、二人の魔法が尋常ではないと感じることが出来る。

 

『エクセリオン・バスター!!』

 

『――Excellion Buster』

 

『サンダー・レイジっ!!』

 

『――Thunder Rage』

 

なのはとフェイト、そしてお互いのデバイスから声が響く。

その瞬間。なのはとフェイトが撃ち出した光の玉は、互いにぶつかり拮抗する。

手をかざして、目を覆う。その隙間から覗き込んだ光景。

どちらの力も拮抗した魔法は、結局どちらかを押し切る事は無く、細かな光となって霧散してる。

 

――嗚呼。なんて、綺麗なんだろう。

 

私が今まで見たどんな光景よりも、目に焼き付いた。

胸が締め付けられるほどのその光景は、熱く、綺麗で。

訓練室に広がる、桃色と金色の小さな光たちは、まるで降り注ぐ細かな雪の様に床へと落ち消えていく。

 

「そこまでや! なのはちゃんもフェイトちゃんも、もう十分やろ?」

 

『…はやてちゃん』

 

『はやて』

 

まだ決着はついていない、と息も絶え絶えでなのはとフェイトがはやての声に不満そうに反応していた。

 

「なのはちゃん達の気持ちも理解出来るんやけど、仕事に支障をきたすわけにいかんやろ? ここいらが落としどころやないの?」

 

そうして、無理と判断したのか、二人は構えていたデバイスを下して、結局は引き分けと言う形でこの模擬戦は終了した。

素人の私でも、なのはとフェイトの魔法を使った模擬戦は、見惚れるものがあった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「あれ? どうしてだろ。疲れてるのかな」

 

自身で気付かなかった。クロの指摘でやっと鼻血を出している事に気が付いた。

鼻を手で覆って、服が汚れるのを防ぐ。といっても、数滴の血が服に落ちているのだからもう遅いのだけれど。

 

「上総ちゃん、シャマルの所に行って診てもらうで。何かあったら大変やし」

 

「大げさだよ、はやて」

 

医務室とか保健室とか、苦手なのだ。病院の様な場所は。匂いとか雰囲気とかがどうしても昔を思い出すから。

それに高々鼻血であるし、診てもらう必要性も、シャマルさん―こう呼べと言われた―の手間を取らせる事も無いと思う。

 

「駄目や。行くで」

 

結局、はやてに強引に押し切られて医務室に行くことになった。

まるで首根っこを掴まれた猫の様に、右手首をはやてにむんずと握られて、無理矢理にモニタールームを後にする。

なのはとフェイトは武装隊の人たちの質問攻めにあっていて、此方の様子に気付くことは無かった。

 

英語に良く似た文字で書かれたプレートが示している場所は“医務室”。

何故私に管理局の言語が読めるのかと言えば、翻訳魔法なるものを掛けてくれているらしい。

管理局の人達が日本語を理解できているのは、この魔法のおかげだそうだ。

だから、なのは達以外のアースラ乗員の人と話そうと思えば話せるようになって居るらしい。その機会は訪れていないので、その効果を知る由は無いけれども。

 

「シャマル、上総ちゃんが鼻血出してしもうたから、念のために診てくれへん?」

 

「はやてちゃん? あらあら、大丈夫ですか?」

 

扉が開くと同時。はやてが何の遠慮も無しに医務室の中へと入っていく。

私を視認したとたんにシャマルさんが駆け寄って、はやてに代わって右手首を掴んで、診療机の脇にある丸椅子へと導かれる。

椅子に座る事を促されて、しぶしぶ私は席に着いた。

 

「平気ですよ。もう殆ど止まりかけていますし」

 

鼻を押さえていた手を放すと、血は殆ど出ていない。

どうやら、鼻の中に残っている血が固まり始めたのか、少し違和感を感じるくらいだ。

 

「駄目です。何が有るか解りませんし、ちゃんと診ておかないと」

 

そう言って、治療器具を出してテキパキと動き始めるシャマルさん。

そんなに大げさにすることも無いと思うのだけれど、医者としての使命なのだろうか。

 

「無理はしないで下さいね。まだ怪我も治りきっていないんですから」

 

「無理なんてしていません。そもそも動きたくても、動けませんし」

 

肋骨はまだ折れているままだし、左腕も余り動かせないのだから。

無理、無茶をしようとしても、現状のままならほぼ何もできない事に等しい。日常生活ですら困っているのだし。

それでもまぁ、何とか人より時間を掛けて動いて何とかしている感じだ。

 

「そう言う人が、一番無茶をするんです!」

 

「うぶっ! 痛いです!」

 

少し冗談めかして、ピンセットで詰め込んでいたガーゼを少し力を入れて、シャマルさんが突っ込んできた。

涙目になって居る私を、真剣に見つめている。

 

「…ごめんなさい」

 

こう言うしかなかった。

 

「解ってもらえれば、それでいいんです。本当に無茶をしないで下さいね?」

 

「…はい」

 

心から心配されている事は、伝わった。

シャマルさんにこれ以上苦労を掛けるわけにもいかないし、ここは素直に従っておこう。

けれど、何故私が無茶をするように思われるんだろう。そんな事は決してしていないのに。

 

「せや。上総ちゃん、これ」

 

そう言ってはやてが差し出してきたのはクロから貰ったミサンガだ。

どうにか直らない物かと四苦八苦しているところをはやてが見かねて、直そうかと声を掛けてくれた。

両手を使うことが出来ないので、ありがたい申し出だったから、素直に受けておいた。

 

「ありがとう、はやて」

 

「完全再現は無理やったけどな」

 

そう言って手渡されたミサンガは、ちぎれた部分に留め具が新たに付け加えられていた。

黒一色で飾り気のない物だったのが、少しだけお洒落になっていた。

 

「十分だよ。助かった。はやて、幾ら掛かったの?」

 

「ええよ、気にせんといてな。手持ちの物で補修しただけやし、手間もそんなにかかっとらんへんのや」

 

はやての器用さに、羨ましい思いを抱く。

私は、家事全般は出来るけれど、裁縫はどうにも苦手な類に入るから。

受け取ったミサンガを、どうにか左手首に着ける。

少しだけ、重さを感じる存在にほっとして、息を吐いた。

 

「「上総!(ちゃん!)」」

 

かなりの勢いで、医務室へと駆け込んできた、なのはとフェイト。

先程まで、熱戦を演じていたと言うのに元気なものだ。

 

「二人とも慌ててどうしたの?」

 

「どうしたも何も、上総ちゃんが医務室に行ったって聞いて、飛んできたんだよ!」

 

「そうだよ。急に居なくなるから心配したよ!」

 

「鼻血が出ただけだよ。念の為にって、はやてに言われて来ただけだし」

 

駆け寄ってきて、問い詰められる。皆、本当に心配性だと思う。

フェイトは先程からあわあわしているし、なのはは眉尻を下げて心配そうに私を見ているし。

はやては面白そうに、少し離れてこちらの様子を見ているし。

ここは少しばかり、反論しておこう。

 

「なのは達は、疲れて無いの? さっきの模擬戦、凄い迫力だったし」

 

「少し疲れたけれど、楽しかったって気持ちの方が大きいかな? フェイトちゃんとも久しぶりに模擬戦したし。ね? フェイトちゃん!」

 

「だね」

 

嬉しそうに、笑うなのは。その言葉に同意するフェイト。

二人とも仲が良さそうで何よりだと思う。信頼してないと、幾ら模擬戦だとは言え、あんな事はなかなか出来ないと思うし。

 

「けれど、なのはちゃんは無理をする傾向が有りますから、シャマルさんとしては心配です」

 

「にゃ! 無理なんてしてないよ!」

 

突然のシャマルの言葉になのはが反論する。

 

「そう言って誤魔化して、肝心な時に無茶をするのが貴方です!」

 

「そうだね。なのはは無茶をしすぎだよ!」

 

「せやな」

 

少し涙目になった、なのは。どうやらこの場に味方は居ない様子。

反論出来ないなのはは、真面目そうだからそういう傾向が有るのかもしれない。

 

「誰も味方が居ないよぅ。上総ちゃん、助けて!」

 

「あーうん。頑張れ、なのは」

 

無理をするな、と言われている身ではなのはに助け船を出した所で、なのは以外に論破される事だろう。それに巻き込まれるのは、遠慮願いたい。

 

「上総ちゃんに見捨てられた!!」

 

笑い声が木霊する医務室は、嵐の前の平穏な日々を謳歌していた。

 

 

 

 

 



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第十五話:敵襲

――さぁ、狂宴の時間を始めよう。

 

 

「何も起こらない、か」

 

昏睡事件の犯人は、上総を襲撃してから姿を現さなくなった。

その沈黙が何を意味をするのかは解らないけれど。

 

「どういうつもりなんだろう…」

 

「…諦めた、という訳は無いだろうな。只単に彼女の居場所を把握できていないのか、何か策を練っているのかもしれない」

 

「フェイト、君はどう思う?」

 

「犯人の目的は上総だよね。なら、確実に上総を手に入れる方法を考えていそうだけれど…動きが無いから、何とも言えないかな」

 

「だな。何もできる事は無い、ただ待つだけと言うのは、正直キツイ。それに彼女をアースラに乗艦させたままにはいかない。今は夏季休暇とはいえ、彼女にも生活が有るからね。何か対策を立てないと」

 

「私達が護衛に就く事は?」

 

「それも手ではあるけれど、得策ではないかな。四六時中彼女の傍にいる事は不可能だし、彼女自身の負担も大きいだろう。

それに、本局からの帰還命令が下れば、僕たちは戻らなければならない。その間に解決が出来る事を願うばかりだね」

 

二人で大きなため息を吐く。本当に動きが無いのはお手上げだ。

犯人の情報は無いに等しいし。犯人が動いてくれなければ手の出しようが無い。

結局、現状は変わらないままだ。

アースラに彼女を保護と言う形で、居てもらう事。それしか手が無い。

こうして、兄さんと同じ話をするのは何度目だろう。

けれど、私達は決して諦めない。

 

「クロノ、上総の様子を見てくるね」

 

「うん? 嗚呼、わかった」

 

そう伝えて、提督室を後にする。

問題は上総の居場所になるのだけれど、恐らくあの場所だろう。

アースラの図書室。

そんなに規模は大きくないけれど、管理局の成り立ちや、魔法について書かれている本が有る。

最近、暇を持て余している彼女が良くいる場所だった。

 

以前“魔法に興味が有るの”と聞いたら、使えたら便利そうと言っていた。けれど、攻撃魔法等には興味は無いらしい。

あくまで生活する上で便利な魔法が知りたいと言う感じだった。

上総らしい、と言えばいいのか。戦う事の無い日本にずっと住んでいる人らしい言葉だと思う。

そんな事を考えながら、図書室へと辿り着いた。

 

「上総、居る?」

 

「どうしたの?」

 

「何して居るのかなって思って」

 

「本読んでた。翻訳魔法って凄いね。読めない筈なのに読めるんだから」

 

手にしていた本を掲げて笑う上総。

表題を見てみると、料理の本だった。

 

「面白い?」

 

「うん。こっちの世界と作り方は殆ど一緒みたいだから。でも時々、吃驚する時が有るかな。素材とか全然違う物、使ってたりするし」

 

「上総は料理するの?」

 

「ほとんど一人暮らしみたいなものだからね。家事全般出来ないとまともに生活が送れないから。必然的に覚えたかなぁ。フェイトは?」

 

「仕事で忙しいから殆どする事は無いかな。でも時々母さんが、教えてくれるんだ」

 

そう言った後で、私が失言をした事に気が付いた。

上総にはお父さんもお母さんも居ないという事に。

 

「皆、仕事頑張り過ぎだよ…無理しないでね」

 

そう言って、上総は何もなかったように笑う。

気にしていない筈は無いのに、笑える事は凄いと思う。

私も、一度家族を失った身だから。今でも思い出すと、悲しい気持ちになるし、もっと違う結末もあったのかもしれないと思う時もある。

上総も私の様に、考える事もあるだろう。でも、その姿をおくびにも出さない事は、精神的に強い彼女の姿なのか。

 

「二人ともぉ。お腹すいたよーご飯食べに行こう」

 

「「なのは」」

 

図書室の扉を開けて、勢いよく此方へと来るなのは。今日は、武装隊の皆に座学の講義をすると言っていた。

午前の時間をほぼ使って、講義をしていただろうなのはは、疲れ果てた姿で私達の元に現れた。

座学の講義よりも模擬戦の方が気が楽と言っていたなのはには、苦笑するしかない。

 

「お疲れ様、なのは」

 

「なのは。大丈夫?」

 

「にゃはは。ありがとう、大丈夫だけど、疲れたかなぁ。動いている方が、楽しいよぅ」

 

今日のなのはの仕事内容を把握していた上総は、なのはに労いの言葉を掛ける。

流石に今のなのはの言葉は、武装隊の皆には聞かせられない。なのはの教官としての立場もあるから。

でも、座学の講義より模擬戦の方が楽しいと言っているなのはは、なのはらしいのだろう。

 

「じゃぁ、早くご飯食べに行かないとね。そろそろ混み合う時間だし」

 

そうして時計を見ると、昼の十二時を過ぎている。

あまり遅くなると、良いメニューは売り切れてしまうし、席の確保もある。

 

「そうだね。行こうか」

 

「うん!」

 

よっぽど疲れてたのか、御飯が食べられると、一番嬉しそうな顔をしたのはなのはだった。

 

アースラ艦内の廊下を三人で闊歩する。

ちなみに上総は未だに、道筋を覚えていないのか、私となのはの後ろを歩いてついてくる。

上総が言うには、艦内の景色が似たり寄ったりだから、中々に覚えられないそうだ。

 

『総員傾注! 第一種戦闘配置! 第一種戦闘配置!! これは訓練では無いっ!』

 

突然の警告音と艦内放送。

その声の主は、ブリッジに常勤しているオペレーターの男性だ。

緊急時に流れる定型文を読み上げているだけなのだけれど、瞬時にして艦内は緊張に包まれる。

 

「フェイトちゃん!!」

 

「なのは!」

 

なのはに名前を呼ばれて、確りと頷いた。何かが起きている。それも、とても大きな事が。

艦内放送された声は緊張に飲まれており、尋常ではない雰囲気を醸し出すには十分な効果が有った。

そうしてこの異常に包まれた空気は上総にも伝わったのだろう。

 

「なのは! フェイト! 何が有ったの?」

 

困惑の表情で私達に問いかける。

何が起こっているのか、なんて一目瞭然だった。

『名も無き偽典』の契約者―マスター―が何か行動を起こしたのだろう。

情報を仕入れる為に、ブリッジに急がないといけない。

 

「大丈夫。何も心配ないよ、上総。きっと、これで終わるから!」

 

「いってくるね! 上総ちゃん!!」

 

そうすれば、家にも、学校にも戻れるのだから。日常に、戻れるのだから。

だから、此処で待っていて。

そんな心配そうな顔をしないで。

きっと私達は帰ってくるから。笑っていられるようになるから。

 

――上総の明日を約束するよ。

 

そうして私となのはは、まだ納得のいかない表情で立ちすくむ上総を置いて、ブリッジへと急いだ。

 

 

 

 

 

 

段々と小さくなる二人の背中。

笑って私を置き去りにした二人は酷いと思う。

私にはブリッジに入れる権限は無いのだから。

 

「…なのはもフェイトも何で、笑えるんだろう」

 

手近にあった長椅子に力なく座り、右手で顔を覆う。

私は、ただ此処で待つだけしか出来ない。

怖くないのだろうか。何処の誰とも知らない人と戦うために、笑って出撃していく姿は、勇ましいけれど、危なくもある。

そんな二人の背中を、ただ眺めるだけで声も掛けられずにいる私は、きっと臆病者だと思う。

そうして、その背中さえ見えなくなってしまった。

まだ三人と出会って、幾ばくの時間も経っていない。

どうして私なんかの為に、あんなに笑っていられるのだろうか。

これから、どんな目に合うのかも解らないのに。

彼女達の様に強くありたいと思うけれど、そう簡単に強くなれる筈なんて無かった。

今だ鳴り響く警告音と、騒々しく慌てて廊下を行く局員の人達。

その姿を眺めるだけしか出来ない私は、まるであの時の様に、無力だった。

 

 

 

 

 

 

 

――数分前

 

「艦長っ! 大変です!!」

 

けたたましく響く警告音と、オペレーターの絶叫。

そのオペレーターの彼の顔は信じられない物を見ている表情で、私とクロノ君にに訴えかけてくる。

 

「どうした! 状況を報告しろ!」

 

その言葉を聞き、尋常ではないと判断したクロノ君は顔を引き締めて、オペレーターの人に問いかける。

 

「海鳴市のある一点から、高出力の魔力を検知! その場所を起点にして、海鳴の街ほぼ全域に結界を展開! その範囲は徐々に広がっています!」

 

「海鳴市をほぼ覆う結界!? そんな広域結界を張っていったい何をするつもりなんだ!」

 

正面モニターに海鳴市の地図が表示される。

国守山にある八束神社を起点にして、海鳴の街を呑み込んでいく結界。その結界の形は歪であるけれど、確実に海鳴市を取り込んでいく。

何処にこれ程の魔力を所持していたのか、見当もつかない。

 

「嘘やろ! 街の人達、そのまま取り残されとるやんか!」

 

「どういうつもりなんだ! 街の人間全員が人質だとでも言うつもりか!」

 

そして通常の結界と違い、リンカーコアを所持していない人達まで結界の中へと閉じ込められる。

何も変わらない風景ではあるけれど、味わった事の無い、違和感に恐怖し戸惑う人達。

 

「それとも、誘っている、かやな」

 

「犯人の手に乗る訳にはいかない…けれど、乗るしかないのか!」

 

くそ、と珍しくクロノ君が悪態をつく。

 

「八束神社にサーチャーを飛ばしてくれ! 映像が欲しいっ」

 

「了解です!」

 

高速でキーボードに入力して、サーチャーを起動させるオペレーターの彼の手腕は見事なものだった。

そうして、サーチャーを起動させ転送魔法を併用して、八束神社の映像を瞬時に中央モニターへと出力させた。

緑に囲まれた、静けさを湛えた神社の風景に悉く溶け込んでいない、全身に白色のスーツを纏い見事に着こなした痩身の男性と、クロにそっくりな銀髪碧眼の女性の姿が有った。

 

「あの二人が、『名も無き偽典』とその契約者―マスターーか!」

 

「…!」

 

彼らは何をするでもなく、海鳴に張られた結界の中に居る。

何が目的なのか、何をしようとしているのか、全く見当もつかない。

ただ、はっきりと解っている事は上総ちゃんが目的だという事。

けれど、上総ちゃんの居場所が判らず仕舞いだったのか、恐らく強行的な手段を取ったのだろう。

その結果が、悪手になるのか、最良の手になるのかは、私達にも彼等にも解らない。

 

「クロノくん!」

 

「クロノ! 状況は!?」

 

急いで、ブリッジに来たのだろうなのはちゃんとフェイトちゃん。

息を切らして、クロノ君に状況確認を請う。

 

「二人とも来たか! 『名も無き偽典』のマスターが現れた! だが、広域結界を張り街の人間を取り込んでいる!

何をするつもりなのかも解らないが、最悪は街の人間ごと巻き込んで何かを起こす腹積もりだろう」

 

「そんな! 関係の無い人たちまでっ」

 

なのはちゃんが叫び、フェイトちゃんは眉を眉間に寄せて、モニターを眺めている。

急速に広がっていた結界範囲は、一旦停止してそれ以上結界の範囲が拡大することは無かった。

そうして、“偽典”のマスターは八束神社に相変わらず佇んだまま、何も行動を起こそうとしていない。

 

「…っ! 現場に急行します!」

 

「フェイトちゃん! 私も行くよ!」

 

確りと目を見つめて、頷きあう二人。

息を合わせたように、駆け出した二人はブリッジを後にし、転送ポーターへと向かうのだろう。

クロノ君はそんな二人に何も言わず、モニターを注視している。

きっと、なのはちゃんとフェイトちゃんの事を信頼しているのだろう。

 

「クロノ君。私も後衛として出撃する! 犯人が何を仕出かすか解らへん以上、なのはちゃん達だけには任せとけられへんからな!

もしもの時は、広域魔法を使ってでも止めるさかい」

 

一対一の魔導師戦なら、私なんかよりなのはちゃんやフェイトちゃんの方が優れている。

けれども、広域で戦闘を行うのならば、私の魔法が役に立つ筈。

海鳴の街の人達を、盾に取られた以上、護り手が居なければ。

武装隊の人達も、そのうち出撃命令が下令されるだろう。

犯人はこんな広域結界を張れる魔力を所持しているのだ。戦力は多ければ多い方が良い。

 

「解った。全ての責任は僕にある。はやては何も気にせず暴れてこい」

 

「…頼りにしてるで、提督はん!」

 

「嗚呼。任せろ」

 

確りと頷いて返事を返したクロノ君は、最高指揮官としての責任を全うしようとしている。

なら、私もその思いに確りと答えなければいけない。

転送ポーター室へと急いで、ポーターを操作する係員に声を掛ける。

 

「いきなり、ゴメンな。いけるん?」

 

「八神捜査官! 勿論、準備は完了しています!」

 

「ありがとうな。お願いや!」

 

「お気をつけて! 御武運をっ」

 

私に激励の言葉を掛けて、敬礼をして見送ってくれる。

そうして転送された先は、八束神社の上空。

少し先に、なのはちゃんとフェイトちゃんが、飛行魔法で上空に停滞している。

その視線の先、八束神社の地面に立っている、“名も無き偽典”のマスター。

私達を見ても微動だにしない姿に、並々ならぬ魔導士としての自信を抱えているのが解る。

 

「時空管理局執務官。フェイト・T・ハラオウンです! 貴方を管理局法違反で現行犯逮捕します!」

 

「…この私を捕まえる、と。さて、君達に出来るのかね? それよりも私が何をしたと言うのだね?」

 

フェイトちゃんの言葉に動じる様子も無い。前回、管理局を名乗ったときは直ぐに逃げたと言う話だったけれど、どうやら今回は逃げるつもりは無いらしい。

 

「…管理外世界で魔法を使用した事! 現地の民間人に魔法を使用して怪我を負わせた事! 知らないとは言わせません!」

 

上総ちゃんが襲われて、傷だらけになっている姿を見たのはクロとフェイトちゃんだけだ。

左腕の火傷が、かなり酷い状態だったとフェイトちゃんから聞いている。

その事を思い出したのか、フェイトちゃんの声には怒気が含まれていた。

 

「それの何が悪いと言うのだね!? 抗う手段を持ちえない弱い人間が悪いのだよ。搾取されるしか能の無い有象無象の人間が、だ。

リンカーコアを所持していない、魔法も使えない人間に価値など有る筈は無かろう!」

 

「それは貴方の勝手な解釈だ! 生きている人の命を勝手に奪う権利なんて、誰にも有りません! 増して、貴方の様な人に奪われる事なんて断じて有ってはいけない!」

 

「そうだね、フェイトちゃん! 幸せに暮らしている人達が誰かの勝手で不幸になる必要なんて、有りません! だから私達は貴方を、逮捕します!」

 

「ははははっ!!! クヒヒ…!」

 

右手で顔を覆い、笑い続ける。狂っている、としか言えない。

弱い人を、価値は無いと蔑んだ事。

彼の価値観に、同意できる所等微塵も無い。

 

「大した正義だよ! 御嬢さん達。だが私は、管理局の正義とやらが大嫌いでね。君達の掲げる理想には反吐がでそうだ。

強い者が弱い者を守る。大いに結構。そんな守られるしか能の無い人間から、強い者が弱い者から搾取する事の何がいけないのかね? タダで安寧を享受出来ると思う間抜け振りは、見ていて虫唾が走る」

 

「それは貴方の勝手な理由に過ぎない!」

 

「勝手で結構。では君達の力を私に示したまえ! 抗いたまえ!! そして私に平伏したまえ!!!」

 

私達の言葉が彼に伝わることは一生無いのだろう。

相容れない人は存在する。

なのはちゃんとフェイトちゃんが愛機のデバイスを構えて、リンカーコアに有る魔力を練り始める。

その様子を察した、『名も無き偽典』のマスターは両手を広げ、まるで道化師の様に笑い、声を上げる。

 

「さぁ、狩りの時間を始めよう。吼えるがいい。人はソレを虚勢と言う。逃げるがいい。逃げられるのならば。君達は、私の掌の上で踊り狂えっ!!!」

 

にぃ、と口角を上げて笑い、右腕を前に差し出して、私達を挑発する“名も無き偽典”のマスター。

その顔は、人としての顔ではなく、人智を超えた人ならざる者の顔だった。

 

 

 

 

 

白のスーツを纏い佇む男性と、その後ろには『名も無き偽典』の統括官―コマンダー―と呼ばれるクロちゃんに瓜二つの銀髪碧眼の女性。

古びた本を片手に開いて、足元にはミッド式でもベルカ式でもない魔方陣を展開させている。

先程の犯人の口上に、同意できる言葉は一ミリも無かった。

彼の勝手な考え方だと思う。力を持った人間が、何かを間違えて、踏み外して、そんな考えに至り就いたのかどうかは解らないけれど。

今は、海鳴の街の人達を守る事が最優先事項だ。

勝ち負けなんて関係ない。

 

「…なのは、私が前に出るよ! 犯人がどう言う手段を取るのか判らないけれど、何もしてこない以上、切っ掛けを作らないと! はやては街の人達に、被害が及ばない様にお願い!」

 

「分かったよフェイトちゃん! 援護は任せて! どうにもならない時は私も前に出るよ!!」

 

「OKやで。街の人達は、このはやてちゃんにお任せや!」

 

フェイトちゃんの言葉の通り、犯人から動く気配は無い。

どんな手段を取り、どんな魔法を行使するのかは解らないのは手痛いけれど。

それなら、状況を打破する為に先手を取る。

危険かもしれないけれど、最速を誇るフェイトちゃんなら、犯人の元に一番早く辿り着ける。

それに、賭ける。

 

「いくよ、バルディッシュ!」

 

『――Yes, sir.― Sonic Move』

 

フェイトちゃんのバルディッシュが高速移動魔法を発動させて、犯人の元へと加速していく。その速さは尋常では無く速い。

それと同時、デバイスの機構を変えて斧の形態へと変化する。

 

「はぁぁああああああ!」

 

気合の入った一撃を放った瞬間だった。犯人の顔ギリギリに、防御魔法が展開した。

フェイトちゃんのバルディッシュの魔力刃は寸での所で犯人に届くことは無かった。

それを見届けた犯人が大仰に笑ったその時、彼の後ろに控えているだけだった、銀髪碧眼の女性がフェイトちゃんに襲いかかる。

どうやら彼女は近接戦闘が専門なのか、デバイスも使用せずに、拳でフェイトちゃんに殴り掛かった。

 

「…素晴らしい一撃だ。だが、詰めが甘い」

 

「…っ!」

 

女性の一撃を防御魔法を瞬時に展開させて防いで、バックステップで下がり、犯人と距離を取るフェイトちゃん。

バルディッシュを構え直して、犯人と相対する。

緊張した時間が流れる。

犯人の元に至るまでの時間は、たったの数秒。

その間に犯人は、防御魔法を展開してフェイトちゃんの渾身の一撃を防いだ。

 

――一筋縄じゃいかない、か。

 

フェイトちゃんの最速の一撃を防いだ事実に驚嘆した。

そうしてまた犯人は自ら攻撃するつもりは無いらしく、動かない。

犯人を守る様にして、立つ女性の姿は何人も通さないと、無言の表情で訴えている。

 

「レイジングハート、私達もいくよ!!」

 

『――All right my master!―Accel Shooter』

 

レイジングハートの声と共に、二十発の魔力弾を精製。

私が移動しながらの発射・制御は出来ないけれど、フェイトちゃんとはやてちゃんが居るのなら、その事は考えなくていい。

まずは、犯人とクロちゃんに瓜二つの女性の分断を念頭に、誘導弾を制御する。

そうしている間に、フェイトちゃんの第二波が始まっていた。

 

フェイトちゃんの邪魔にならない様に誘導弾を操作する。

フェイトちゃんの戦術は、長年の付き合いから把握しているし、フェイトちゃんも私の戦術を理解してくれているから、息は合っている。

問題は、犯人と女性の戦闘スタイルだ。全く私達と同じ戦術を取っている。

というよりも、模倣しているのだろうか?

 

先のフェイトちゃんの一撃から、先を取っているけれど、目に見えた効果の有る魔法が犯人に届いてはいない。

犯人が何を考えているのか、それとも唯単に手加減をしているのか。

奇妙な感覚にとらわれる。

 

「…」

 

『…埒が明かないね』

 

この戦端をどう開いたものかと、思案し始めた時だった。

 

『皆、聞こえるか?』

 

「「「クロノ(君)!」」」

 

『今から武装隊をそちらに向かわせる! 街の人達の護衛に入ってもらう。君達には済まないが、犯人に注力してくれ! それと、アースラから出来るサポートは万全を尽くす!』

 

「わかったよ!」

 

「うん、ありがとう! クロノ君!」

 

「よっしゃ! 全力で犯人に挑むでっ!!」

 

気合を入れ直して再び犯人へと向かう、私達三人だった。

 

 

 

 

 




やっと佳境に入ったかな?
あとは、やりたい亊を詰め込むだけだぁ!

そしてどんどん増えていく一話辺りの文字数。
読み手の人にダレない文字数と思って調整したいのですが、キリの良い所で終わりたいので難しいです。


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第十六話:強襲、そして

――私は無力だ。

 

ただ普通に、学校に通って、アルバイトをして、ご飯を食べて、お風呂に入って寝る。

そんな、普通の日常を過ごしたいだけだったのに、なんでこんな事態になったのだろう。

…運が無かったのだろうか。

よそ様から見れば、私には両親が居ないというハンデを背負っている。

けれど、それを不幸だとは思っていない。

兄が居て、生活基盤も十分なものだし、貧しいなんて事はないし。

そんな私の日常が変わり始めたのは、クロを拾ってからだろうか。

それでも、私はクロを拾った事を後悔はしない。

短い間だったけれど、誰かと一緒に過ごす事は楽しかったし、寂しい気持ちが紛れていた事は事実だったのだから。

 

「…こんな所に居たのか。おいっ、アンタはこっちに来い」

 

バタバタと足音を立てて、私を取り囲む人達。

何処か見覚えの有る顔ぶれだと考える。嗚呼そうだ、なのはと模擬戦をしていた武装隊の人達だった。

 

急ぎ足でアースラの廊下を進む。私に声を掛けた人の後ろを必死に追いかける。

私の後ろには、せっつく様に五人の武装隊の人達。

切迫した空気に只ならぬ事態になっている事は、私にも理解できた。

 

「一体何処に…」

 

「念の為だ。この船のシェルターにアンタを連れて行くよう、命じられた」

 

湿気た煙草を咥えたまま喋る中年男性は、苛立ちを隠さないまま私の問いに答えてくれた。

 

「どうしてですか?」

 

「“need-to-know”民間人のアンタに言っても仕方ないが、アンタは知らなくて良い事柄だ。シェルターで大人しくしていてくれればそれでいい」

 

「…」

 

「そんな顔をしてくれるなよ。俺だって、やりたくてやってる訳じゃねぇ。だが、何の力を持っていないアンタが勝手な行動を取って迷惑を被るのは俺達管理局なんだ」

 

「でもっ! これって私の所為で…あの三人が…」

 

「そうだな。だが、さっきも言った通り、アンタは大人しくシェルターに居るだけでいいんだ。あとは俺達管理局がどうにかする。

その為に、Sランク魔導士が三人も居るんだ。この船の提督だって、かなりの実力者だしな。安心しろ」

 

ニヤリと、皮肉を利かせた笑みで私を見る。

自信が有るのか、彼の顔に不安の色は存在しない。

Sランク魔導士というと、なのは達の事なのだろう。

 

「着いたぞ。アンタは一番奥に行け」

 

顎で場所を指して促される。仕方なしに、シェルターと呼ばれる部屋の奥へと向かう。

家具も何もない、コンクリートで覆われた空間。それが、シェルターと呼ばれるものだった。

 

「――報告。護衛対象者を指定位置へと移送完了。以後、どうしますか?」

 

『ご苦労。そのまま彼女の護衛にとの事だ。何が起こるかわからないから、十分に気を付けろ、と』

 

この部屋の唯一の入り口の傍にある、パネルを操作して、誰かと通信していた。

恐らく、この船の人とだろう。というか、この船の艦長だと言っていたハラオウンさんなんだろう。

 

「――了解」

 

短く返答をして通信を終えた男性は、此方へと振り返り声を上げる。

 

「お前ら、俺達は其処に居るお嬢ちゃんの護衛が仕事だ。前線に出張っていった連中が羨ましいだろうが、仕事は仕事だ。きっちり完遂しろよ!」

 

「「「「「ういーっす」」」」」」

 

“なんだよ、やる気ねぇなぁ”とボヤきながら、私の元へと来る男性。

壁に凭れている私の横に並んで、同じように壁に凭れた。

 

「ま、そう言う事だ。アンタは諦めて此処で大人しくしていろ。暴れるのは外に居る、高町教導官やハラオウン執務官、八神捜査官の役目だ。それに、武装隊の面子も居る。負ける要素が無いさ」

 

「…」

 

無言で仏頂面をしている私を見た彼は、大げさに溜息を吐いた。

 

「アンタ、あの三人と知り合いなんだろう? すげぇよな。まだ若いつーのに。あれだけ戦えるんだ。相当の修羅場を潜ったんだろう」

 

「…」

 

未だ沈黙を守る私に、大げさに両手を広げて、外国人特有のポーズを取った。

胸ポケットから小さな箱を取り出して、新しい煙草を口にくわえて火をつける。

幸せそうに目を細めて煙草を吸う彼の姿は、一生理解できないと思う。

煙草の臭いは苦手だ。

 

「…貴方は戦う事が怖くないのですか?」

 

「エヴァン・カーゴ。俺の名だ。正直言えば怖ぇよ。だがな嬢ちゃん、自分の命を賭けてでも戦わなきゃいけない時もある」

 

名を名乗って、私の事を“アンタ”から“嬢ちゃん”に変えた彼。

世間話のつもりなのだろうか。それとも、私に気を使っているのか。

彼の真意は解らないけれど、このまま無言で押し通すのは気が引けた。

それに、黙っていても状況が変わる訳でもない。

 

「…佐藤上総。私の名前です。そんなに管理世界は危険なんですか?」

 

「はぁ? んな訳ねぇだろ。つーか嬢ちゃんの世界でも命を張らなきゃいけない仕事は幾らでもあるんじゃねーのか?」

 

確かに、いくらでもあると思う。自衛隊、消防、警察。

物好きな人は、海外に飛び出て傭兵家業を営んでいる人もいると聞いたことが有る。

日本が比較的平和と言うだけで、世界は戦争や内戦をしている場所なんていくらでもあるし。

 

「名前で呼んでください…」

 

「ハッ! その仏頂面を止めて、俺の問いに答えたらな!」

 

ガハハ、と下品に笑う粗暴な彼には、苦笑いするしかない。

 

「なぁ、嬢ちゃん。別に守られる事は悪い事じゃねぇ。一番性質が悪いのはな、命賭けて守ったモンが無駄に命を散らしてくれる事だ。」

 

「カーゴさんは、そんな思いをしたことが有るんですか?」

 

「あ? よくよく考えてみりゃ、ねぇな。けどな俺が救った命を、事故だの自殺だので死んだと聞けば、何の為に助けたんだ、と思うだろう? 骨折り損ってヤツだ」

 

また下品に笑って、煙草を吹かす彼。

彼の言っている事は理解できる。

私を庇って死んでいった父と母も、彼と同じ事を思ってくれるのだろうか。

そう思ってくれていると信じたい。

だって、私が無駄に死ねば父と母の死も無駄になるのだから。

胸が締め付けられ、歯を食いしばる。心臓の有る部分に右手を当てて、服を握りしめた。

時折、父と母が夢に出てくる。

二人は私を責めたてる。何故、私だけが生き残ったのかと。

カーゴさんの言葉と、夢に出てくる父と母の言葉。

あの事故で生き残ったからこそ言える、いや、言わなければならない思いがある。

どんなに攻められようと、助けてくれた事に感謝しないと。

じゃないと、生きる資格さえ無くしてしまいそうだから。

 

「…」

 

無意識だったと思う。なんで涙が流れているんだろう。泣いた事なんて小さい頃以外無かったのに。

 

「お、おい? 何で泣いてるんだ? 俺は悪いことを言ったのか? 言ったつもりはまったくねーぞ!? 何で泣くんだ!」

 

ガッデム、と頭を抱えて慌てふためく彼の姿は滑稽だった。

でもだからこそ、私は笑えたのだと思う。

“おい、隊長が女の子を泣かせたぞ”“顏、怖いですからね”“しかも粗暴で粗野ですから”“仕方ないのか?”“仕方ありません”そんな外野の声を聴きながら、泣きながら笑う私。

 

「「「「「隊長、ギルティ」」」」」

 

「うるせーぞ、お前ら!」

 

武装隊の人達、仲が良いな。

 

「さて、お邪魔するよ」

 

シェルターの扉が開いて、白色のスーツを身に纏った痩身の男性が現れる。

右手には、古びた本を抱えて。シェルターの照明は非常用に切り替えられているために、廊下より暗い。

逆光で、声の主の顔ははっきりと見えないけれど、私を襲ったあの人だ。間違える筈がない。

 

「なんで扉が開くんだ! 施錠はしただろう!?」

 

「もちろんです!」

 

「糞。全員、戦闘態勢を取れ! 護衛対象者を守りきれよ!!!」

 

「「「「「イエス、サー!!」」」」」

 

切羽詰まった怒号と、緊張感を多分に含んだ武装隊の人達の大声。

どうやら状況は芳しくないようだ。

 

「…っ、う、ぁあ」

 

何故だろう。犯人の姿を見ただけで足が竦む。恐怖で歯が噛みあわない。さっきからガチガチと音を立てて、耳障りだ。

距離を取ろうと、後ろに下がろうとしたら、壁に当たって逃げ場は無い。

 

「君を迎えに来たよ。さぁ、私と一緒に来たまえ」

 

「…アンタ、何者だ? 何故、次元航行船に侵入した!?」

 

犯人と話している間に、武装隊の人達は立ち位置を少しずつ変えていく。

恐らく、前衛として犯人の前に二人。その少し後ろ、前衛の人達に一人ずつ後ろに付いている。

そして私を守る様に、カーゴさんともう一人。

 

「君は人の話を聞いていないのかね? 勿論、そこの彼女を迎えに来たのだよ」

 

今だ、一歩も動かずにシェルターの入り口で佇んだままの偽典のマスターは、不敵な笑みを抱えたまま。

そういえば、彼と一緒に居たクロに瓜二つの女性は何処に居るのだろうか。

 

「ふざけんじゃねぇぞ。この嬢ちゃんは、俺達の護衛対象者だ。どんな理由が有ろうが、はいそうですか、と引き渡す訳にゃぁいかねぇんだよ」

 

「そうかね。では努力したまえ。力を示し、その護衛対象者とやらを守りたまえ。だが、私に勝てるなどと簡単に思ってくれるなよ?」

 

右腕を掲げて、下げる仕草を取ったと同時、前に居た武装隊の四人を壁まで吹き飛ばして、気絶という戦闘不能に陥れた。

 

「おいおい、マジかよ…」

 

「不味いですね…」

 

残ったのは、カーゴさんともう一人の武装隊の人と私。

 

『嬢ちゃん、聞こえるか? 返事は要らねぇぞ。聞こえているならそのまま聞くだけにしておけよ』

 

カーゴさんの声が直接頭の中に響く。

ちらりと、カーゴさんが私を盗み見る。それに気付いた私は、少しだけ顔を下げた。

それを確認できたカーゴさんは不敵に笑う。

 

『ブリッジに連絡が付いた。嬢ちゃんを其処に転送する。其処に行けばハラオウン提督が居る。俺達より強いからな、安心しろ』

 

「手応えが、無いねぇ。先程の威勢はどうしたのかね?」

 

流石に痺れを切らしたのか、シェルターの中に一歩二歩と進み始める。

やはり私が目的なのか、彼の視線は明らかに私のみを捉えていた。

だんだんと大きくなる革靴の音。

あの時の恐怖が、ふつふつと蘇る。

 

「……っ!」

 

「さぁ、私と一緒に来たまえ。今、君が素直に従えば、あの時の様にはしないと約束しよう」

 

彼の言葉が本当か嘘か解らない。

だけれど、どちらにしても彼と一緒に行くと言う選択肢はあの時から、既に無い。

 

「嫌だ、と言えばどうなりますか?」

 

「ハハハ。面白い事を言うねぇ。拒否権など君には無いのだよ。大人しく私に付き従えば良い」

 

傲慢な言葉と、高慢な顔でそんな事を彼は言い放つ。

 

「ビビッてる癖に、虚勢なんて張るもんじゃねーぞ。嬢ちゃん」

 

「あなたも、私と同じじゃないですか」

 

そう言うカーゴさんだって、冷や汗を額から流しているのがバレバレなんだ。

彼も私と同じで、目の前の人物に、恐怖かそれに似た何かを感じている。

 

『無駄口叩けるなら、動けるな?』

 

「嗚呼、そうだ。ブリッジには行けないよ。逃げられない様にしてあるからね。無駄な努力は止めたまえ」

 

「チッ! こっちの行動を読んでいやがる…仕方ねぇ、ヤルか」

 

「了解、隊長。ヘマはしないで下さいよ!」

 

カーゴさんと、もう一人の人がデバイスを構え直す。

 

「あいよ。すまんな」

 

「まぁ、何時もの事ですからね。慣れてます」

 

カーゴさんと軽口を言い合い笑って、偽典のマスターへと高速で向かう武装隊の人。

カーゴさんは、足元に魔方陣を展開させて何かを詠唱している。

そうして私は、カーゴさんの魔方陣の色と同じ色に包まれる。

カーゴさんが、何をしようとしているのか、何となく理解出来てしまった。

 

「そんな顔するなよ。…じゃぁな、嬢ちゃん。また後で逢えたら逢おう。無茶すんじゃねーぞ」

 

「カーゴさん! 何をっ!!」

 

光の色が一層強くなり、右手を伸ばす。

 

「…転送魔法か。君は、私の言葉を理解していなかったのかね?」

 

「俺はな、指揮官としての能力とサポート系の魔法の能力を買われて、武装隊隊長やってんだよ!

アンタの小細工くらい、破れんでどうするよ? 俺たちを、管理局を無礼―なめ―るなよ!」

 

偽典のマスターへ向かった、武装隊員の人は奮闘空しく倒れ、残ったのはカーゴさんだけだった。

伸ばした右腕も届かず、後の展開も見届ける事無く、私はその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

八束神社の上空で、『名も無き偽典』のマスターとの戦いを繰り広げる中、感じる違和感。

それの正体が解らないまま、大分時間が経っていた。

 

『…なんか、変やな』

 

『どうしたの、はやてちゃん?』

 

『いやな? 犯人の目的は上総ちゃんの筈なんやけど、何で今更広域結界を張って態々海鳴の街の人達を人質にしたんや?

しかも、街の人に攻撃魔法が届かへんようにしてる。何か、変なんや…』

 

『はやて…でも、目の前に居る事は事実なんだから、犯人を捕まえるしかないよ』

 

『…せやな』

 

少し納得のいかない様子で、フェイトちゃんの言葉に返事を返したはやてちゃん。

確かに、目の前に犯人が居て、管理外世界で魔法を行使しているのは管理局法違反だ。

犯人が何を考えているのか、解らないけれど逮捕しないといけない事は決定事項なんだ。

…なら。

 

『フェイトちゃん! はやてちゃん! スターライトブレイカーを撃つよ!!』

 

『分かったよ、なのは!』

 

『了解やで、なのはちゃん!』

 

私の言葉の意味を理解してくれた二人は、快く返事をくれる。

スターライトブレイカーは収束魔法だ。

魔力の収集には時間が掛かるし、その為に行動も制限される。

要するに、邪魔が入らない様に、エアカバーが欲しかったのだ。

 

「いくよ。レイジングハート」

 

愛機のレイジングハートに問いかける。

 

『――All right my master! Load Cartridge』

 

レイジングハートの声と共に、カートリッジが三発装填され、空になった薬莢が排出される。

これまでの戦闘で、周囲に散らばっている魔力と私自身の魔力とカートリッジの分の魔力を合わせると、犯人を倒すために十二分な魔力量だろう。

 

『――Starlight Breaker!』

 

「そうはさせんよっ!」

 

やはり気付かれている。

彼女達二人を信頼しているからこそ、フェイトちゃんとはやてちゃんにお願いをしたのだ。

 

「させない!」

 

気合の入った声と共にフェイトちゃんが前に出て、犯人の攻撃と統括官―コマンダー―の攻撃を防いでくれる。

流れ弾が、掠ったけれど気にしない。

 

「収束砲撃だとっ!!」

 

初めて、犯人の表情から余裕が消えた。

攻撃魔法を控えてフェイトちゃんとはやてちゃんの攻撃を捌きながら、防御魔法を七層展開。

どれ程の堅牢さがあるのかは判らないけれど、全て破れば良いだけの事。

 

「っ! …スターライトォブレイカァーーー!!」

 

先程まで行われていた魔法戦で散らばった魔力を収束し圧縮させて放つ。

最後の奥の手。切り札。

スターライトブレイカーが、犯人が展開させた七層の防御魔法を一層一層、食い破っていく。

破られていく事に犯人の表情が切羽詰まったものになっていく。

そうして、三層目の防御魔法を破った時、魔力弾が接地していないのにも関わらず、その威力の余波で土埃や木々から振り落とされていった葉っぱが舞い上がっている。

結局、魔法と周囲の状況変化で犯人の様子が窺えなくなった。

 

スターライトブレイカーが犯人に被弾してから暫く、魔法の威力で舞い上がった、土埃の中から姿を現す。

 

「残念、だったね?」

 

少し汚れた犯人の顔。

忌々しそうに拭き取って、嗤う。

 

『うそ…』

 

『なのはちゃんの、スターライトブレーカーが防がれたや、と』

 

『…っ!』

 

「君達三人との魔導師戦は久方ぶりで楽しかったよ。心が踊る。だが、私の目的は果たされた。

少しばかり心残りではあるが、此処までだ。では、さらばだ! 御嬢さん達」

 

まるでイタリア紳士の様に、軽快に立ち去る犯人。

最後の一層の防御魔法で私の最大砲撃魔法は防がれた。

 

――嘘。

 

そうして、海鳴の街に張られていた結界は消失。

結局、犯人を取り逃がしてしまった。

 

 




戦闘描写での語呂の無さが目立ちます。申し訳ない。
力不足を痛感しましたorz

なのはさんの切り札が防がれた事で、なのはさんは次どう出るか・・・


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第十七話:取るべき道を進むという事【前】

三人揃って、犯人が消えた場所をただ、眺めている。

スターライトブレイカーが防がれた事実は、驚きを通り越して虚無感しかない。

幾度の死地をレイジングハートや皆と共に、乗り越えてきたと思う。

けれど、後一層。後一層の防御魔法に防がれた。

犯人の方が魔導士として優れていたのか。

それとも、カートリッジを残していた私の慢心なのか。

原因を探っても、答えを求めても意味は無い。

犯人の“目的は果たした”の言葉。

 

「…上総ちゃんは?」

 

「え?」

 

「あ…。まさか」

 

不意によぎる、彼女の姿。

大丈夫なのだろうか。犯人の一番の目的は上総ちゃんだろう。

犯人が姿を消して、幾ばくの時間も経っていないと思う。呆然としていた私達三人の元に通信が届いた。

 

『済まない、皆。…佐藤上総を見失った』

 

空中に浮かびだされた、通信ウインドウには悔しそうに眉を寄せて、私達に謝罪をするクロノ君の姿。

 

「なっ! クロノどうして!?」

 

「え? なんでや!?」

 

『多分だけれど、街に居た犯人が囮で、手薄になったアースラに侵入する事が本命だったんだ。

彼女の護衛に付けていた武装隊が危険を悟ってランダム転移させたが、現在どこに転移したかは不明。』

 

クロノくんを問い詰めるフェイトちゃんは焦っている様子で余裕が無い。

そう言う私も、上総ちゃんの事はとても心配だけれど。

切り札を防がれた事実が、頭の中をぐるぐると回る。

 

『一度戻って、対策を練ろう。それと、君達には休息も必要だ』

 

「わかった、クロノ。行こう、なのは、はやて」

 

「……」

 

「せやな」

 

そうして私たちは重い足取りで、アースラへと帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カーゴさんの魔法によって、何処かわからない場所へと飛ばされた私。

辺り一面、砂だらけだ。要するに砂漠である。

思ったほど暑くは無いけれど、それでもやはり砂漠だ。

うっすらと汗が浮かぶくらいには暑い。

最初の話だと、アースラのブリッジと聞いていたけれど、結局は違う場所へと送られたようだった。

 

「クロ…、クロっ! 居るんでしょう!?」

 

「何だ。騒がしい」

 

声を荒げてクロを呼ぶ。

ぬ、と私の影の中から出てくるクロは、何時もと変わらない表情で私を見下ろす。

 

「どうして、さっき助けてくれなかったの!?」

 

そうすれば、カーゴさんや武装隊の人達があんな目に合う事なんて無かった筈だ。

少なくとも今の状況なんかになっていない。

 

「仮にあの時、私が助力していたとしても、状況は変わらんさ。なら、最適な手段を取る」

 

「それが、あの時何もしないで、静観してたって言うの!?」

 

「嗚呼、そうだ」

 

「…っ」

 

クロと過ごした時間は余り多くなく、全てを知っている訳でもない。

普段余り感情の起伏を見せる事は少なく、クロは常にフラットな状態でいる事が多い。

仮に見せたとしても正の感情で、負の部分を見せる事は皆無だった。

珍しいと思う。今のクロの顔は、明らかに侮蔑した表情で私を見ているのだから。

 

「でもっ! クロは誰かを助ける力を持ってる! 私はそんな力なんて持っていないっ。見ている事しか出来ない!

なら、あの時助けてくれても良かったじゃない!」

 

「はぁ…。それなら貴様が力を持てば良かったんだよ。手段は在った。だが貴様はその選択を選ばなかった」

 

あからさまな溜息。

嗚呼、超えちゃいけない一線だったのかもしれない。

止めておけばいいのに、暴れ始めた私の感情は止められない。

 

「仕方ないでしょうっ! あんな事になるなんて思っていなかった! 知っていたなら、どうにかしていた!!」

 

「例えば?」

 

「っ!!」

 

私がその問いに答えられないと、確信したうえでクロは問うてきた。

感情的になっているのは、自分でも理解できている。

クロにこんな事を言っても仕方ないし、状況が変わる訳でも無い。

けれど、不満を口にする事を止める術は無かった。

 

「なら、あの時私は死ねばよかったの…」

 

「…誰もそんな事は言っていないだろう。何故そうなる」

 

そんな事は知っている。知っているんだ。

けれどもこれは、何度も自問し答えの出ない無限ループだ。

誰にも言えない。そして誰も答えてくれない、永遠の迷いなんだろう。

それでも、生きて行く為に答えを出せないまま、曖昧なままで棚の上に置き去りにさせた、私にとっての最重要命題。

あの時の事故も、今回の事も、何も出来ずに終わった事を後悔をしながら、生きる事になるのだろう。

私が弱いから。力が無いから。

 

「…ずっと後悔してた。父さんも母さんも私を助けてくれた。兄さんも、私の為に自分の事を犠牲にしてる。

今回だってそう。なのはもフェイトもはやても、武装隊の人達も私を守る為に一生懸命になってる」

 

クロやフェイトが私を助けてくれた事、なのはやはやては私を守ろうとしてくれている。

武装隊の人達だってそうだ。

名も無き偽典の契約者に立ち向かって、私を此処まで逃がしてくれた。

それに、私の知らない所見えていないところでも、私の為に動いてくれてる人たちが居る。

 

「なのに、私は見ている事しか出来ない」

 

見ているだけなんて懲り懲りなんだ。

そして、後悔を抱き続ける事も懲り懲りなんだ。

 

「もう、何も出来ないのは嫌だ。傍観者でいるのも嫌だ。けれど私に出来る事が無いのなら…」

 

それなら、力を得るだけだ。

 

「だから。私は誰かを守る力が…ううん。せめて自分を守る力を下さい!」

 

誰かを守る力なんていらない。せめて、自分を守れる様に。

 

「私と契約しても、先に見た模擬戦の様に簡単にああいう事が出来る訳ではないぞ。

並大抵の努力では足りん。それこそ血反吐を吐いて身を削り、やっとの事で辿り着く。それでも良いのか?」

 

「…」

 

真剣なまなざしで私に問いかけるクロ。

クロの言葉に嘘偽りは無いのだろう。

けれど、別になのは達の様になりたい訳じゃない。

ただ、このまま守られるだけじゃ駄目なんだ。

今のままなら、私はきっと前に進めない。

そして、今目の前にある最大の問題に立ち向かえない。

 

「そんな大きな力なんて要らないよ。私が望むのは自分と、せめて私の隣に立つ人くらいは守りたいだけ」

 

「成程な。最初はそれで良いか。欲の無い貴様らしい、と言えば貴様らしいのか」

 

「欲は、人並みに有るつもりだよ」

 

私には感情と言う物が存在しているのだから。

 

「そうか? まぁ良い。折角私と契約する気になったのだ。臍を曲げられても困るからな」

 

鼻で笑い、見た事の無い表情で私を見る。

その顔は、満足げな面持ちだと思う。

 

「?」

 

私の心臓の辺りに右手を当てるクロ。

眼を閉じ、聞き取れない言葉を呟やくと、私たち二人の足元に淡く白に輝く丸い円陣が現れた。

 

「お邪魔するよ」

 

「……っ!」

 

「…」

 

「全く。何処に飛ばしたのかと思えば、こんな辺鄙な場所だとは。やれやれ、やっと君に会えたと言うのに、こんな場所では落ち着いて話も出来ない」

 

やれやれと大げさに、両手を広げる偽典のマスター。

その姿は、初めて会った時と同じ、自信に溢れ余裕を見せている。

そして彼の後ろには、名も無き偽典の統括者―コマンダー―の姿が。

 

「…貴方と話す事なんてありません」

 

「君には無くとも、私には有るのだよ。そして君の横に控えている『名も無き教典』の統括者にもね」

 

私からクロへと視線を動かした。

クロと何を話すつもりなのか。何をするつもりなのか見当もつかない。

上手く彼が立ち回れば、クロは彼の味方になるだろうか。

一瞬、そんな考えがよぎり不安になる。

 

「ふぅ。私も貴様と話す事など、無いのだがな。しかし、私の契約者候補にあの様な事をしてくれた事には物申したい所だがな」

 

「なに、あれは唯のじゃれあいだ。其処の彼女が意地を張り通したのでね。少しばかり灸をすえただけの事」

 

私の前へと移動して、偽典のマスターと相対するクロ。

先程の不安は杞憂に終わった。

どうやらクロは、彼や名も無き偽典には思う所が有る様だ。

 

「随分と大仰な灸だな。貴様のお陰でアレの左腕の回復は見込めない。魔導師としてもそうだが、日常生活でさえ支障をきたす。その責任、どう取ってくれる?」

 

「はははは。面白い事を。命が有っただけでも良かっただろう。死んだわけでは無いのだ、今私の目の前に立ち、息をしている。それで十二分だ」

 

クロも偽典のマスターも、問題発言をした気がする。

シャマルさんから、左腕が直る確率は五分五分と聞いていたけれどクロの見立てでは、回復は無理な様子。

仕方ないと思う。動かないのなら諦めるしかない。

動かない事を嘆くより、動かない事をどうするかを考える方が建設的だから。

 

「それは、貴様の都合。アレの事を考えていないのか?」

 

「何故? 何故、私が彼女の都合を考えねばならんのだね? 彼女の価値は、私に付き従う事で生まれるのだよ。今の彼女は路傍の石に過ぎないのだから」

 

どうやら、偽典のマスターにとって今の私は価値の無い存在らしい。

だからあんな事が出来たのかと納得する。

 

「貴様とは一生意見が合いそうに無いな。相容れんよ」

 

かなり不機嫌な様子でクロがそんな言葉を吐いた。

良いのだろうか。

曲がりなりにも、目の前の名も無き偽典はクロの複写品だ。

私の解釈だけれど、兄弟姉妹の様な物ではないのだろうかと思う。

 

「それで結構。合わぬ、と言うのなら合うようにすれば良いだけの事。手段は幾らでも有るからねぇ、私の傀儡に成れば良いだけの事だよ」

 

「そうか。私の複写品も地に落ちたものだな。何故、こうも違ってしまったのか。契約者の資質が大半を占めるとはいえ、貴様のような者を主に選ぶとは」

 

「……」

 

名も無き偽典の統括者は、言葉を発する様子は無い。

唯の無口なのか、それとも喋れないのか。

どちらにしても、銀髪の女性の声を聴いた事は一度も無い。

 

「思考する事も、喋る事も出来んのか。哀れだな。私の複写品だぞ、何故進化せぬ。何故、停滞を選んだ」

 

「……」

 

問いかけるクロに答える様子はない。

 

「嘆かわしい」

 

左右に首を振り、目を閉じる。

クロが何を考えているかわからないけれど、名も無き偽典には思う所が有るようだった。

 

「ははははは! 魔導書に意思など必要無いのだよ! ただ主に付き従うのみで良い。道具である事。それが重要だ」

 

「…もういいさ。貴様等と話す事など無い。過去の負の遺産として、貴様らに引導を渡すのが私の役割なのだろうな」

 

それは決定的な言葉だった。

きっと決別の言葉だ。

その刹那。

空気が揺れて、震え始める。

それが、魔力の振動だと理解出来たのは暫く後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

リンカーコアによって生成された魔力が砂を巻き上げて、肌に当りちりちりとした痛みを生み出す。心地よい緊張感が生まれるが、何分部の悪い展開だという事は否めない。

 

「彼女も君も、私のモノになってもらうよ。そうして私は、いや、『名も無き偽典』は完全なるモノに進化する!!!」

 

「真っ平御免だ。貴様の思う様にはさせんよ」

 

困ったものだと思う。

折角、彼女が私との契約を決めたと言うのに邪魔が入った。

私の目の前に立ちふさがる男のタイミングが良いのか悪いのか。

結局は、契約は成されないままに至るのだから。

 

そうして更に問題な事は、今現在の魔力量は目の前の男に劣るという事だ。

技術で負けるつもりは全くないが、魔力で負けている事には多大な問題が有る。

威力も劣れば、継戦能力にも劣るのだ。

私の後ろには、守るべき人間も居る。

私との契約に同意した彼女の存在は、私の命よりも重いモノになったのだ。

いざとなれば、彼女だけを逃がす事も出来るが、目の前の男がそれを許すとは思えない。

先程、管理局の武装隊員の不意打ちを逃しているのだから、二度も同じ失敗をする事は無いだろう。

 

期待する事は、海鳴の街で魔力を消費してくれている事を願うばかりだ。

次元航行船にやって来たのは目の前の本人ではなく、魔法で編み出した虚像だったのだから。

高ランク魔導師三人と武装隊との戦闘で、流石の目の前の奴も疲弊しているはずだ。

 

「さて、始めようじゃないか! どちらが優れているのか! 今、此処で!!」

 

それはお前の勝手な都合だろう、と心の中でぼやく。

それに、そんなくだらない事をしても意味が無い。

それとも、私の複写品という事で、劣等感でも抱いているのか。

袂を分かち、進むべき道は違ったのだから比べても仕方ないと思うが、目の前の人間の思考は理解し難い。

 

「それに付き合わされるこっちの身にもなって欲しい物だ」

 

やれやれ、と大げさに溜息を吐いて男の行動を注視する。

初撃の出方次第で、戦闘方法は大いに変わる。

ついでに、統括者の出方もだ。

私の複製品だと言えど、全く同じ戦法を取るとは限らない。

長らく、袂を分かっていたのだから、吸収した知識、体得した魔法が同じという事は無い。

私の知らないところで、私の知らない事を、偽典が覚えている事は十分にあり得る。

 

偽典のページを開いて、右腕を前に出し掲げる男。

典型的な魔導師のスタイルだ。

恐らく、機動戦には向いていまい。

その代わりが、統括者なのだろう。

無手のまま、此方の出方を窺っている。

 

「私に刃向った事を後悔したまえ!」

 

律儀なものだ。態々宣言して魔法を発動させたのだから。

それは、男の余裕なのか。それでも、有り難い事には変わりない。

手の内は解らないが、その行動を予測する事は簡単だった。

 

「緊急事態だ。許せよっ」

 

「クロ? うわっ!?」

 

そう言って、彼女の襟首を掴んで身体ごと後ろへと放り投げた。

放り投げた先は、固いコンクリートでもなく砂地だった訳だが、不意打ちだった為に、受け身も取り損ねた様で喉を抑えて大分むせ込んでいるが、先ほど言った通り緊急時なのだ。

その辺りは、堪えてほしいと思う。

 

「危なかったな」

 

「…嘘」

 

彼女が、目をひん剥いて地面を見ている。

私達が居た場所は、砂が溶けて真っ赤になっている。

あの場に留まっていれば、今頃は火傷処ではなく、身体ごと融解していただろう。

そんな熱量を魔法で生み出す事は安易ではない。

単純ではあるが、強力なのだ。男の魔法は。

 

「さて、どうしたものか…」

 

「クロ、勝算はあるの?」

 

「無いな。契約者が居ない時点で、魔力量で負けている。技量で負けるつもりは更々無いが、どうにも分が悪い」

 

「そんな、あっさりと」

 

心配そうに、私に問いかける彼女にニッと笑が、私の腕の裾を握りしめて見た事の無い表情で私を見つめていた。

 

「…逃げよう」

 

「それも手では有る。だが、逃げても奴が追いかけてくるぞ? なら此処で潰しておく方が良い」

 

「潰すって…そんな酷い事」

 

自身の心配より、偽典のマスターの心配をする彼女には苦笑するしかない。

自分の命が狙われていると言うのに、呑気なものだ。

偽典のマスターの手によって死んでしまうと、思っていないのか。

その気持ちは、平和な世界で生きていた証拠なのだろう。

 

「なに。貴様は見ていれば良い。その内決着が付く」

 

私の体内に有る疑似リンカーコアを起動させる。

問題は無し。十全に機能している。

目の前の二人に劣ると言う事実は些か不満ではあるが、仕方ない。

 

「――Technique invocation. Trap, laying. Body strengthening. Simple defensive wall」

 

さて、これで何処まで凌げるか。

恐らく、男は攻め手に出ないだろう。

その証拠に、偽典の統括者は微動だにしていない。

遊び癖が有るのか、それとも余裕なのか。

どちらにしても、腹立たしい事である。

 

「っふ!」

 

ならば先手を取るのみと、小さく呼気の音を立てて、男へと疾風の如く向かう。

 

「…」

 

「…!」

 

あと数歩、と言う所で偽典の統括者が割って入り男を庇った。

やはり、と言うべきか。

男が攻めで、偽典の統括者が護りを担っている。

 

「契約者である、あの男を護るのは当然だが、筋が見え見えだぞ!」

 

要するに素直なのだ。手の内が取るように理解できる。

こんな正攻法で私を落とすのは無理だと言いたい所では有るが、流石に長い時を経てきた魔導書だけの事はある。

 

――手強いな。

 

結局は、偽典の統括者の護りを崩すことは出来ず、事態は膠着していた。

何か一手有ればと思うが、何分私単体だと手数に劣る。

彼女との契約が終わっていれば状況はまだマシだっただろうが、その願いは叶わない。

この状況を続けるわけにはいかないし、相手も続けるつもりは無いだろう。

さてどうしたものかと、私はマルチタスクを使用して思案し始めた。

 

 




最低週に一度のペースで投稿する事を心に秘めて投稿してまいりましたが、どうやら書けなくなったようで大分更新が遅くなりました。申し訳ありません┏○))ペコ



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第十八話:取るべき道を進むという事【後】

まるで何時かの。

なのはとフェイトの模擬戦を見ているかのような息つく暇も無い攻防戦を、何処か他人事のように眺めている私。

けれど、クロが押されているのは目に見えていた。

二対一。数で既に劣っている。

上手くトラップやフェイントを使って数的不利を補っているけれど、クロ一人でできる事は限られていた。

 

「ははは! 攻め手に欠ける様では、私は倒せんよ!」

 

「ちっ!」

 

盛大な舌打ちをして、クロが防御魔法を発動させる。

その刹那、複数の魔力刃がクロを襲った。

それと同時、偽典の統括者-コマンダー-が魔力刃の間を抜けてクロへと迫り、右脚で薙ぎ払おうとしたが、バックステップで交わしたクロにその右脚は空を切った。

 

「――Timed trap, invocation」

 

「ぐっ!」

 

恐らくクロが事前に仕掛けて置いた罠が発動。それは、十数本の魔力刃となり偽典の契約者-マスター―に向かって降り注ぐ。

その魔力刃は偽典の契約者が防御魔法を発動させたことで防がれる、筈だった。

防御陣にぶつかりあらぬ方向へと跳ね返った魔力刃は、まるで意思を持っているかの様にもう一度、契約者へと向かう。

防いだ油断で、防御陣を解いてしまった偽典の契約者へと迫る。

その光景を見ていた、偽典の統率者-コマンダー-が彼を庇おうとするが、全てを防ぐことは出来なかった。

 

「…私に傷を付けるなどと! 流石は『名も無き偽典』の原本だけの事はある!」

 

「光栄だ、と言いたい所では有るが…な!」

 

偽典の契約者の頬には一筋の傷。

致命傷にも至っていない傷だけれど、彼を怒らせるには十二分な要素だったらしい。

ニタリ、と笑い今まで以上に嫌な雰囲気を漂わせ、偽典の契約者は魔力を滾らせて魔法を詠唱し始めた。

 

「魔力量にモノを言わせて力押しで来たか!」

 

縦横無尽に地を蹴り空を跳ねるクロ。

未だ余裕のある顔で、彼等に立ち向かっている。

けれどよく見ていれば、私を偽典の契約者が発動させた魔法から庇うように立ち回っている事を理解してしまった。

 

――どうしてだろう?

 

誰かを守る事を厭わないのは。

力が有るから。

心が強いから。

私はそんなものはどちらも持ってなんていない。

精々、倒れている誰かに手を差し伸べるくらいの事しか出来ない。

力の無い弱い者が、出しゃばればそれはきっと、私の父と母の様になるだけだ。

けれど、それでも。

見ているだけ、なんて出来なかった。

 

『クロ、逃げて。クロを巻き込む訳にはいかないよ』

 

念話を飛ばして、クロに懇願する。

彼等の目的は私自身だ。

クロは彼等にとって邪魔な存在に過ぎない筈。

なら、クロがこの場から立ち去ってくれればクロに危険が及ぶことは無くなる。

 

『何を言っている。貴様を見捨てるわけにはいかん。きっちり契約をしてもらわないと私が困る』

 

『どうして? 契約者は必要ないんじゃなかったの?』

 

『居るに越したことはない。出来る事が増えるし、他にも利点が有る。』

 

落ち着いた声色でそう答えたクロの顔は、苦戦しているにもかかわらず微かにだけれど嬉しそうに笑っていた。

その顔を見て思う。

たった数週間だったけれどきっと絆は出来ていたんだ。

どんな形であれ、彼女と過ごした時間は真実だ。

『いってらっしゃい』と言ってくれた事。

『おかえり』と言ってくれた事。

私以外の音が響かなかった家に、新しく響いた音は暖かかったんだ。

そして、ずっと私が抱えていた『寂しい』と言う気持ちは紛れていたのだから。

 

――それなら。

 

「っ! クロ!!」

 

防戦一方で傷だらけになっていたクロをみて叫ぶ。

クロとの魔法戦に集中していた、偽典の契約者と統括者が一瞬で私を捉えた。

 

「貴様、何をする気だっ!」

 

珍しく切迫したクロの声に、少し嬉しく思う。

クロの名前を呼んだ瞬間に、覚悟は出来ていた。

死ぬ事に恐怖は無いのかと問われれば、怖い。

死後の世界の存在何て、不確かなものだし、有るかどうかさえも判らないのだから。

けれど、私の命を賭けても良いと思える人が目の前に居る。

 

私を守ろうとしてくれた事。

助けてくれた事。

傍に居てくれた事。

そして、クロの望みは私と契約を結ぶ事なのだろう。

せめて、自分を守る力をと決意したけれど、結局は彼に横槍を入れられてそれは叶わずにいる。

 

「ごめんね、クロ。それと有難う」

 

クロに笑ってそう言って、目の端に映るクロにそっくりな偽典の統率者の影を一瞬だけ捉えた。

その瞬間、腹部に強烈な痛みが走る。

殴られて、吹き飛んだと理解出来たのは数瞬後だった。

 

「いやはや。ただ黙って見ていればよかったものを…態々、生贄に成りにきた。

可笑しなものだねぇ。人間と言う生き物は。魔導書を人として見ているのだから。滑稽だよ」

 

蔑んだ目で私を見下ろす彼。

かなり遠くにいた筈の彼が一瞬で私の所まで来たのは、魔法を使用したのだろう。

クロは偽典の統率者との攻防で、此方に来る事を阻まれている。

 

「…貴方も、人間でしょう?」

 

気を失いそうな痛みに耐えながら、声を絞り出す。

吹き飛んだ衝撃だろう、口の中は鉄の味が充満している。

 

「嗚呼、そうだね。だが、魔法で力を手に入れて百年以上生きているよ?

もう一度問うが、素晴らしいだろう? 君も欲しくはないのかね?」

 

「そんなものは…要りません」

 

「君にはその資格が有ると言うのにかね?」

 

「人智を超えた力なんて、分不相応ですよ。それに地球で生きるのなら魔法なんて必要のない物ですし」

 

…嘘を吐いた。

クロから聞いた事は、契約をすれば管理局と関わりを持つ事を忠告されている。

それは問題は無いと思う。管理局には、兄やなのは達も居るのだから。

そしてもう一つ、彼の言う事に従った場合だ。

恐らく、管理局とは相容れない関係になる事は確実だと思う。

 

だから、ただ目の前の彼に屈しないと言う虚勢だ。

みっともなく無様で陳腐なモノだと思うけれど。

彼に従えば楽になれるのかもしれないけれど、それは出来ないから。

兄やなのは達と敵対する未来なんて望まない。

 

「そうかね。魔法を否定する、と。よかろう、では君を強制的に付き従わせることにするよ」

 

そう言って不敵に笑い、魔法を詠唱し始める彼。

私を一瞥して、深く息を吸い込んだ。

 

「統括者よっ! 『名も無き教典』の統括者に止めを刺すのだ!

『名も無き偽典』が原典-オリジナル-となる日がついに来た!!!」

 

辺りに響く大音声だった。

そして偽典の契約者の声を合図に、統率者の猛攻が始まる。

遮蔽物も何もない砂の大地は、クロにとっては不利な条件だった。

せめて、契約者が居れば。

あの時、邪魔が入らなければ。

こんな後悔を、今まで私は何度してきただろう。

 

「止めてください! 私はどうなってもいいんですっ! クロには手を出さないでっ!!」

 

「…ほぅ。君は『名も無き教典』の為にどうなってもいい、と?」

 

にたり、と何度も見た顏をする偽典の契約者。

その笑みは、心底底冷えのするもので、心臓を鷲掴みにされたような感覚を起こす。

それでも、私は。

 

「構いません。それでクロの…『名も無き教典』の統括者の命が助かるのならっ!」

 

自分の命など、二の次だった。

 

「よろしい。その願いを叶えよう」

 

すっ、と右腕を天高く掲げる。

 

「…その心臓、貰い受ける」

 

偽典の契約者の様子に気付いたクロが目を見開いた。

今までに見た事の無い顔で。

此方に来ようと必死に抗っているけれど、偽典の統括者に遮られている。

 

「やめぇえろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

クロの絶叫が木霊する。

嗚呼、もっと彼女と一緒に過ごしたかったなぁ。

まだまだ、知らない一面は沢山有るんだ。

くだらない事を話して、笑って。時には、悲しんで。

別れはいつか来るはず、と腹を括っていたのにこんな結果になるなんて思ってなかった。

 

死を直前にして、思う。

父さん、母さん。もうすぐそっちに行くよ。

兄さん、ごめんね。いつも私を優先して自分の事を蔑にしてたんだから、これから兄さんは自分の事を優先して下さい。

アリサ、すずか。

こんな私と友人になってくれて有難う。短い間だったけれど、感謝してるんだ。

そして、なのは、フェイト、はやて。管理局の人達も。

守ってくれたのに、こんな結果になって御免なさい。

 

「………」

 

偽典の契約者が魔力を右腕に集約させて、私へと向ける。

 

「なっにぃい!」

 

甲高い金属音が鳴り、照りつけていた太陽の光が絶つ。

それが人影だと、私が理解したのは数瞬後だった。

 

「我ら、夜天の主の下に集いし騎士。…主の命に従い、『名も無き偽典』を敵とみなすっ」

 

凛とした、腹底に響く声。

両刃の剣を構え直して、鉄の鎧を纏った髪の長い女性はそう宣言した。

 

「烈火の将、剣士シグナム。…参る!」

 

「『闇の書』か…この木偶風情がぁぁあああ!! 私の邪魔を、するなっ!!」

 

先程までの余裕が消え憤怒の表情で怒り狂う彼は、標的を私から突如現れた女性へと変えた。

その事を視認した偽典の統率者は、クロとの攻防を止め此方へと向かおうとしていた。

 

「紅の鉄騎、鉄槌の騎士ヴィータ。いくぜっ」

 

また新たな声。

突如上空から現れたゴスロリ調の赤い服を着た幼い少女が、そんな事を名乗りながら偽典の統率者を阻んだ。

 

「…夜天の魔導書、か。闇から解放されたのか」

 

ヴィータと名乗った少女がクロを庇うように偽典の統率者との攻防を繰り広げる中、そんな事をクロが口走ったのを微かに聞き取った。

そうしてもう一人の女性。確かシグナムと名乗った人も、偽典の契約者と熾烈な攻防を繰り広げている。

何故、という疑問符が浮かぶ。

彼女達に面識は無い。

それなのに、私達をどうして守るのか。

その疑問はすぐに解決される事となった。

 

「風の癒し手、湖の騎士シャマル。全く、無茶をしないで下さいと言ったのに、また無茶をして。駄目ですよ?」

 

やれやれと、呆れ声でシャマルさんが私の横に現れて、立つ。

 

「シャマルさん、どうして此処に?」

 

「直に理由は解りますよ。取り敢えず、動かないで下さいね。治療しますから」

 

白衣ではなく、緑色を基調とした服を纏っているシャマルさん。

医者と思っていたのだけれど、どうやら魔導師だったようだ。

 

「蒼き狼、盾の守護獣ザフィーラ。助太刀する」

 

「済まない。助かる」

 

怪我で立つ事がままならないクロの肩を抱えて、傍に来た褐色銀髪の男性。

無愛想さを感じられるが、優しくクロをシャマルさんの元へと招いた辺りは、彼の性格が窺えると思う。

そうしてクロは、よろよろと私に近寄り、どかっと地面へと座り込んだ。

 

「逃げれば助かったものを…。馬鹿な奴だよ貴様は」

 

「お互い様だよ。クロの方こそ私なんか放っておけばよかったんだ」

 

互いにボロボロの姿で、笑いあう。

そうして暫く、背後に人の気配が。

気になり後ろを向くと、いつの間にか見知った人が立っていた。

 

「はやて?」

 

「…はぁ。無茶したなぁ。上総ちゃんもクロも。シャマルが治療したトコ、また傷になっとるし」

 

呆れた様子で声を掛けてきた。

実際、呼吸がし辛い。

多分折れていた肋骨の傷が酷くなったのは言うまでもない。

 

「ごめん。でもどうして、この場所が?」

 

気になった事を聞いてみた。

偽典の契約者が、居場所を簡単に探れる場所に転移なんてする筈が無いと思う。

だからこそ、こんな砂漠の大地を選んだのだろうし。

 

「上総ちゃんのソレ。発信機つけてたんや。念の為にな。黙ってたことは御免な」

 

私の左腕に付いているミサンガを指さす。

はやてが手直ししてくれた、金属部分には確かに不要な機構が有った。

気付かなかった私も何だけれども、抜け目がないと思う。

けれども、そのおかげで助かったので文句は無い。

 

「あの、カーゴさん達はどうなったの?」

 

「怪我は有るけど軽傷や。アースラで待機任務に就いとる。安心しい」

 

はやてからその言葉を聞いて、大きなため息と共に安堵感が心の中に広がる。

良かった。

ただそれだけだけれど、何事も無く生きていてくれている事に感謝した。

 

「もう一つ良い?」

 

「かまへんよ」

 

「失礼かもしれないけれど、この人達は誰?」

 

はやてとシャマルさん以外の面識は無い。

 

「ん。皆、私の家族や」

 

満面の笑みでそう答えたはやて。

けれども、はやてと他の人達は似ても似つかない。

 

「魔導書の守護騎士を『家族』と呼ぶとは。奇特な奴だな」

 

「そうかもしれへん。けど、他の人になんと言われても、私にとって大事な家族なんや」

 

クロが軽口を叩く。

そんな軽口にも、はやては真剣に笑って答えた。

はやての家族構成は知らない。

知り合って日も浅いし、あまり踏み込めた事は聞けないから。

けれど、クロの言葉で少し理解できた。

きっとはやても魔導書の主なんだ、と。

そして、はやてが家族と言い切った。

 

きっと血の繋がりなんて関係なくて、絆の強さなんだ。

主従の繋がりも有るのかもしれない。

けれど、共に過ごした時間や出来事が強くしていく。

そんな関係が、羨ましいと思ってしまった。

 

「さて。上総ちゃんをこんな目にあわせた張本人にお灸をすえんとなー」

 

ニッコリと笑っているはやてだけれど、その笑顔が怖い。

小脇に抱えていた魔導書を手に取って、おもむろにページを開く。

 

「シグナム! ヴィータ!」

 

剣士の様な風貌のシグナムさんとゴスロリ調の服を着たヴィータさんは今だ偽典の契約者と統率者に対抗している。

張り詰めた空気に気圧されながらも、私の目の前で繰り広げられる魔導師戦には惹かれるものが有る。

はやての声に気が付いた二人は、保っていた均衡を破り、攻勢に出る。

 

「ちぃ、面倒なっ! 邪魔をするな、と言っただろうっ!!」

 

余裕の消えた偽典の契約者の声。

そして、はやてが発動させた魔法に苦戦している。

此処に来てようやく、偽典の契約者が苦渋の表情に満ちていた。

 

「…ベルカ式は苦手なようだな」

 

「え?」

 

私の隣に居るクロがぼそりとそんな言葉を零した。

 

「奴が使用している魔法は、独自魔法。おそらくだが、ベルカ式魔法には不得手もしくは相性が悪いと言った所か」

 

「確か、集めた魔法は何でも使えるんじゃなかったの?」

 

「使えるが、訓練が必要だと言っただろう。それを怠った証拠だな」

 

軽く鼻で笑って、そう答えたクロ。

私の近くに立っているはやてがにやり、と笑って右手を掲げた。

 

「これで終わるつもりはあらへんで? なのはちゃんっ! フェイトちゃんっ!」

 

『りょーかい! 行くよ、レイジングハート!!』

 

『――Divine Buster Extension』

 

『…撃ち抜け、雷神!』

 

『――Jet Zamber』

 

私達が居る場所からは、なのはとフェイトの姿は見えない。

何処からともなく聞こえた声は、念話を通じてのもの。

なのはとフェイトの声が頭の中に響き渡る。

今だ慣れていない私は、不思議な感覚は否めない。

声が聞こえる距離ではないのだから。

 

そうして繰り出された攻撃は、高高度からの砲撃と高速降下からの射撃だった。

爆炎と砂が立ち込めた所為で、偽典の契約者と統括者がどうなったのか解らない。

シグナムさんとヴィータさんが、前に立って警戒している。

 

「大丈夫っ? 上総ちゃん!」

 

「上総、大丈夫なの?」

 

空から降りてきて私に駆け寄って、二人からそんな言葉を貰う。

心配性は相変わらずで、私の様子を窺う姿は模擬戦やさっきの戦闘で見せる顏とは全く違い年相応だと思う。

 

「どうにか、ね?」

 

「ど、う、に、か。じゃぁありませんよ! 無茶をして!!」

 

シャマルさんが抗議を唱えて、私の腕に巻いていた包帯を強めに締める。

 

「~~~っ!」

 

声にならない悲鳴を上げた。

自業自得、と言えばそうなのかもしれないけれど、多少は手加減をしてほしいと思う。

クロやなのは達は、このやり取りを苦笑しながら見ているし。

 

「…まだだ、まだ終わらんよっ!」

 

そんな柔らかな空気は、怒気の孕んだ声で一瞬で一掃された。

 

「私は…。私の為に悲願を成就させるっ!」

 

魔力を開放したのか、空気が震え始める。

なのは、フェイト、はやて。

そして守護騎士達。

偽典の契約者と統率者は、無謀とも言えるこの状況でもまだ諦めていない様だった。

 

 

 




更新が遅いですが、必ず完結させる次第です。
それまで、お付き合い宜しくお願いします┏○))ペコ


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第十九話:望みの果てに

――力が、欲しかった。

 

魔力至上主義社会と言える世界で生まれた私は、リンカーコアを所持しながらもその機能は測定不能な程の弱々しいモノだった。

出身世界は、他の魔法世界と特異であった。

殆どの人間がリンカーコアを所持し、魔導師として成長していく。

そこから落ちた者は、競争社会に参加する事すら許されず、他者の後塵を浴び、嘆く事しか出来ぬ存在となる。

その一人が、私だった。

落伍者としての烙印を押されるのは必然であった。

そうして、嘆く事しか出来なかった私に、転機が訪れる。

 

「こ、れは…」

 

『名も無き偽典』を見つけたのは、本当に偶然だった。

古びた図書館の片隅。欺瞞魔法を掛けられ、唯の古書として扱われていたのだから。

しかしながら、それは魔導書として呼ぶには余りにも不完全だった。

歴代の所有者が魔法を記してはいるが、それだけだ。

統括者―コマンダー―の詳細もあったが、魔導書としての機能を停止していた。

それは、ただの飾りであった。

 

――ならば、あつらえれば良いだけの事。

 

例えそれが、人の道に外れようとも構わない。

ただ、力が欲しい。

私は何かに取り憑かれた様に、『名も無き偽典』の完成を急いだ。

リンカーコアを持ちながら、魔力を持たない者に何が出来ると笑われていたが、そんな事はどうでもよかった。

一心不乱に、魔導書の改良に取り組む様はさぞ滑稽だっただろう。

正道では成しえない。

邪道に染まっても良かった。

そしてそれが、神ではなく悪魔だったとしても全く問題はなかった。

結論は、直ぐに出た。完成したのだ。

私の魔導書が。

 

「これで…これでっ!」

 

手に入れた。

今まで、望み焦がれてやまなかったものが。

これで誰からも、卑下される事は無くなる。

私は私の道を歩む事が出来る。

そうして、わたしは魔導の道へ没頭した。

各地の魔法を蒐集し、更に高みへと昇華させる。

貪欲に。際限なく。

そうしてある時、ふとした事で知ってしまった。

 

――『名も無き偽典』が複写品―コピー―だったとは。

 

そして『名も無き教典』が存在している事を。

私にとって『名も無き偽典』は、唯一無二の存在だ。

同じものが存在する事など許せぬ事だった。

だから、『名も無き教典』を探した。

例えそれが、百年以上の月日を掛けたとしても。

 

しかしそう簡単に行くことは無かった。

流石はオリジナルと言うべきか。

存在の確認は出来たのだが、その場所へと辿り着くことは難儀したのだ。

そしてようやく。

 

見つけたのだ。

第九十七管理外世界。このような辺境に、存在していたとは。

しかしながらその事実は私には都合の良い物だった。

魔法が認知されていない世界。

無能な人間が、蔓延る世界だ。

其処で何をしようが、どんな事をしようが構わない。

管理外世界なのだ。そして、五月蠅い管理局は存在していない。

ゆっくり、じっくり、時間をかけて手に入れればいい。

私には、人智を超えた力が有るのだから。

 

『名も無き教典』の居場所を特定するには、少しばかりの時間を要した。

第九十七管理外世界に存在している事は確認できても、細かな場所までは特定出来ていなかったのだから。

しかしながら、見つけること自体は安易であった。

なにせ、リンカーコアを所持している人間の存在が稀有であった事。

しらみつぶしに、探索魔法を掛けてローラー作戦を行った。

如何せん地味ではあるが、確実な方法だった。

 

そうして、日本と呼ばれる国で存在を確認した。

私にとってその国は、面白可笑しい場所だった。

多くの人間が、平和に、平等に、幸せに暮らしていた。

私の生まれた世界とは、全く違っていた。

誰もが平等にチャンスがある事。

努力をすれば、報われる事。

簡単に幸せを手に入れられる事。

 

――理解が出来なかった。

 

魔法が存在しない世界の何処が良いのか。

私の生まれた世界は、他者を押し退け、強者が上に立つ。ようするに、弱肉強食。

それが当たり前であり、常識であり、普遍なのである。

この反吐を吐きそうな、甘い世界に鳥肌が収まらない。

 

嗚呼、この世界の人間が恐怖で怯える姿を見てみたい。

魔法を前にして、知らない存在を前にして、みっともない姿を晒す所を。

考えるだけで、興奮した。

私という脳が反応し、下半身が屹立する。

 

――見てみようじゃないか。

 

簡単な事だ。

このぬるま湯に浸かり果てた平和な国ならば、広域魔法を使えば一度で済む。

焼野原にしようか。

水に浸からせようか。

火山を噴火させようか。

凍る大地にしようか。

何にせよ、この国に住む人間は恐怖と絶望を味わい、慄くだろう。

 

だがしかし、その前にやらなければならない事が有る。

『名も無き教典』を得なければ。

契約者―マスター―が存在すれば、厄介なことになるが、幸いなことに下調べをした時に数百年間その存在は確認されていない。

私は『名も無き偽典』の統括者―コマンダー―を駆使して、『名も無き教典』の居場所を探した。

直ぐに見つけられるとは思っていなかった。

反応が弱いのだ。

恐らく、世界に干渉しないように、最小限の魔力で行動しているのだろう。

時間は有り余っている。

この世界も興味深いのだから。

だから、偶々辿り着いた『海鳴』と呼ばれる場所に腰を据えた。

 

――ミ ツ ケ タ

 

「はははっ! 何なのだこの奇跡はっ!」

 

それは唯の偶然だった。

私の統括者が偶然見つけたのだ。

私は初めてこの時、神と言う存在に感謝した。

 

さて、面白可笑しい事に成ったものだ。

『名も無き教典』の適格者、か。

しかもリンカーコアも存在しているかどうかすら判らない程だ。

持っていたとしても、微々たるものだろう。

過去の自分と重ね合わさる。

もしかすれば私も『名も無き教典』の契約者に成る資格が有ったのかもしれない。

しかしながら、彼女が存在するのだからその資格は失効しているだろうが。

 

そして、適格者が存在しているのならば、『名も無き教典』も近くに居る筈だ。

互いに共鳴し惹かれあうのだ。

出会いは偶然だとしても、必然になるのだ。

そして、必ず契約する。

魔導師ならば絶対に。

 

それを阻止せねば。

契約をすれば、面倒な事になる。

それに、両方を手に入れた方が、私の力は増幅される。

そうして『名も無き偽典』はオリジナルとなり、唯一の魔導書となるのだ。

 

――私の悪癖が出た。

 

よく言われていた事だった。

遊び癖が有ると、言われていた。

それでも良かった。全て力で捻じ伏せて来たのだから。

しかしながら、今回は少しばかりは、分の悪い展開へとなってしまった。

管理局が気が付いた。

まさかこの様な辺境の管理外世界にまで足を運んでこようとは。

 

折角、『名も無き教典』の適格者を手に入れる事が出来そうだった所に邪魔が入った。

しかし、簡単に諦める訳にはいかない。

欲しい物を手に入れた時の、赤い果実は堪らなく美味いものなのだから。

だから私は、手段を尽くす。

何としてでも手に入れるのだ。

だから。

だから。

 

「…まだだ、まだ終わらんよっ!」

 

状況は不利。

しかし、策はまだ有る。

そうして私は辺境の星、砂の大地で咆哮したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

シグナムさんやヴィータちゃん達の加勢で、状況は好転したと思う。

上総ちゃんの安否も気になっていたけれど、どうにか無事に保護できた。

『名も無き偽典』の契約者と統括者の圧力は、先ほど逃した時より疲弊していたのだから。

 

――これで決着を付ける!

 

「フェイトちゃん! はやてちゃん! 皆っ!!」

 

これが最後の攻勢だ、と言わんばかりに声を掛ける。

そうして息巻いて、偽典の契約者を見定めた時だった。

 

「――――!」

 

ミッドチルダ式でもベルカ式でも無い、理解出来ない魔法詠唱。

古い装丁の魔導書を片手に掲げて、歪に笑っている。

砂の大地を嵐で巻き上げ、偽典の契約者と統括者を包み隠す。

そうして暫く、私達にもその余波を受ける事になる。

 

「…視界がっ!」

 

不味い。

人間は目から情報を得ることを基本としている。

視覚は奪われてはいない。けれど、視界が無ければそれは、同義だ。

そして、それを奪われればどうなるかは明白だった。

 

「これはっ! バインドっ!! 皆っ!?」

 

砂嵐に隠れて、偽典の契約者はバインドを仕掛けたのだ。

それも、私たち全員に。

バインドの解呪を試みてみるけれど、慣れない魔法構築式に戸惑う。

これでは時間が掛かってしまう。

こんな事に、手をこまねいている訳にはいけないと言うのに。

 

「…上総ちゃん?」

 

不味い…。

私達より、抗う手段を持たない上総ちゃんが真っ先に思い浮かぶ。

何より、狙われているんだ。

何もない訳が無かった。

にやりと、笑って魔法弾を今まさに解き放とうとする、偽典の契約者の姿が、目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは一瞬だけ見せた油断だったのだと思う。

『名も無き偽典』の契約者―マスター―は追い込まれていたのだから。

偽典の契約者と統括者は二人。私達は八人―私は戦力に含んでいない―。

その油断が招いた結果を、誰も責める気にはなれない。

 

「この瞬間を待っていたのだよ! これで、終わりだっ!」

 

なのは達を、魔法で拘束した偽典の契約者が叫ぶ。

そう言って、偽典の契約者から放たれた魔力弾。

それは、とても目に捉えられない速さで私へと向かってくる。

そして、私の傍には誰も居ない。

彼にとって絶好の好機だった。

 

「上総ちゃん!」

 

「上総っ!」

 

「上総ちゃんっ!」

 

なのは、フェイト、はやての声が重なって私を呼ぶ。

 

「あの、馬鹿っ!」

 

クロに至っては、馬鹿呼ばわりだった。

仕方ないとは思うけれど、もう少し言葉は選ぼうよ。クロ。

そうして私へと届いた魔力弾は一瞬で迫る。

 

「ぐぅっ!」

 

――見よう見真似だったと思う。

 

少し前、なのは達の模擬戦を見た時。

不意に頭の中に浮かんだ、何か。

理解は出来ていなかったと思う。

けれど、薄らぼんやりと頭の中に勝手に浮かび上がる構築されている何かを、どうにか形にしたのだから。

 

「上総ちゃんっ! それ以上は駄目ぇえ!」

 

なのはの叫び声が聞こえる。

けれど今はその声を気にしている場合では無い。

気を抜けばきっと、目の前に展開している防御魔法は消えてしまう。

何分、魔法を知らない素人が構築したものだ。

おぼろげに感じられる、目の前の消えない魔力弾の精度に感心しながら、防ぎきる事だけを考えていた。

 

「―――っ!」

 

体中が熱い。

頭の天辺から、つま先までの血管が沸騰しそうだ。

何時の間にか、鼻からは血が流れている。

そして、心臓の辺りが痛い。

今まで味わった事の無いような痛みだ。

気を失ってしまいそうな痛みを、気合と根性で我慢する。

 

「…う、あぁぁっ!!」

 

食いしばった歯の隙間から、たまらず声を上げる。

打算で無理矢理に前に突き出した左手は、拙い防御魔法から洩れる偽典の契約者が放った魔力弾の余波に侵食され始めている。

なのは達は私を援護しようと足掻いているけれど、偽典の統括者から逃れる術が無い。

 

この状況を最初に打開したのは、クロだった。

偽典の契約者が使用する魔法に詳しいのか、拘束魔法から抜け出したクロは、最速で私に向かって飛翔する。

 

「チィ!」

 

その行動を黙って見逃してくれる程、偽典の契約者は甘くなかった。

新たに放たれた魔力弾に、クロは阻まれる。

けれど、私に向けられていた魔法は、霧散した。

 

どっと力が抜け、膝を付く。

気が付けば長い間呼吸を止めていた様で、肺に酸素が行き渡っていなかった。

荒い呼吸を繰り返して、どうにかクロを視界に捉える。

 

「行かせんよっ! 彼女を手に入れるのは私だっ!」

 

「アレは私の契約者に成るべき人間だ。貴様に渡す道理は無い」

 

相対する金と銀。

少し焦りの表情を見せるクロと、何の感慨も浮かべずクロを阻む偽典の統括者。

 

「戯言を。力を持たぬ者が、強者に平伏するのが道理であろう? ならば、喰われても仕方の無い事なのだよ。

それが出来ぬと言うのなら、惨めに足掻き、滑稽な姿を晒し、喰われておけば良い」

 

それが彼の口癖なのだろうか。

何度も聞いている偽典の契約者の言葉は、到底理解できないものだと思う。

誰かを踏み台にする事なんて、してはならない事だと思うし、考えたくも無い。

どうにか、彼を止める方法をと思うけれど、私には残念ながらその力は無いのだろう。

 

「これは…?」

 

ふいに現れた、褐色色の瓶に入った液体が偽典の契約者の左腕に掛かる。

中身の正体を知れないまま、怪訝な顔をした偽典の契約者。

そうして私の背後に、人の気配が感じられた。

 

「おいおい。アンタの持論なんざ、どうでも良いんだよ。それよりも、ウチの大事な妹を傷つけた代償をきっちり払って貰うぞ」

 

聞き慣れた声。

この声は、私の兄のものだ。

そんな事を言いながら、パチンと指を鳴らした兄。

その瞬間、偽典の契約者の左腕周囲に白い霧が発生した。

 

「兄さん? どうして此処に…?」

 

振り返り、兄を仰ぎ見る私。

その顔は、何時も家に帰って来た時の様な穏やかなものだ。

そして兄の登場により、偽典の統括者はクロの相手を止めて、契約者の元へと駆け寄った。

恐らく、クロよりも新たに現れた兄の存在を警戒しての事だろう。

 

「悪いな、遅くなって。上司の許可が中々に取れなかったのと、少し調べものをしていたんだ。

あとは、ハラオウン提督に頼み込んでこの場所に転送してもらった」

 

にやり、と悪戯小僧の様な笑いを浮かべる兄。

きっと兄の上司もハラオウンさんも、兄の我儘に付き合わされているのだろう。

 

「うぐぅぅうう!! …何だっ! 何をしたっ!」

 

苦悶の声を上げて、偽典の契約者は困惑していた。

彼がこんなに痛みに耐えている姿を見るのは、初めてだった。

 

「魔法世界に慣れ親しんだアンタにゃ理解しづらいかも知れんが。とある液体だ。魔法で作ってあるがな。化学式さえ理解していれば案外簡単に出来る。

それと、特性を知ってりゃ、それがどうやって危険なものに変化するのかも、な」

 

偽典の契約者の左腕は煙を上げて、衣服を溶け焦がし、その液体は肌へと浸透していた。

何かの本で読んだか、はたまた授業で受けたのかは記憶していないけれど、その特性は硫酸に似ているような気がした。

確か、硫酸の中に水を入れると、急激な突沸反応を見せて発熱する筈。

彼の腕が今どうなっているかは、その事を踏まえればどうなっているかは簡単だった。

 

「…兄さん」

 

要するに、兄なりの意趣返しなのだろう。

きっちりと代償を払ってもらうと、先程言っていたのはこの事か。

 

「本当はこの位でも足りないが、やり過ぎると色々と不味いからな。加減するのは難しいな…。

それよりも、大丈夫か? 大分無茶を、というか傷だらけじゃないか、全く」

 

「ああ、はい。我慢出来るので平気です」

 

「……はぁ。痛いときは痛いと言え。我慢するな。上総はもう少し、我儘を言ってもいいんじゃないか?」

 

「いえ、私の所為でこんな事になっているのだから言えませんよ」

 

この事態を招いたのは私だろう。

迷った結果、こうなってしまった。

クロと出会って、魔法の存在を知って、『名も無き教典』の契約者と成れる資質を持ちながら、結局不必要なものと判断してしまったんだ。

 

結局兄は私の言葉を苦虫をすり潰したような顔をして、深い溜息を吐いた。

 

「「「大丈夫?」」」

 

拘束魔法から逃れた、なのはたち三人が心配した顔で私の元に来た。

先程から、この台詞だけを言われているような気がする。

無茶をした覚えは無いし、ただ流れに任せていただけの様な気もする。

自分の意思で決定した事なんて、無いに等しい。

 

「平気だよ、平気」

 

自分に言い聞かせるように、呟いた。

なのは達と一緒に合流したシャマルさんが、私に急いで駆け寄り、魔法で治療を開始してくれた。

シャマルさんにはお世話になりっぱなしだな、と思う。

仕方が無いとはいえ、彼女に迷惑を掛けている事には変わりはないのだから。

 

「平気な訳が無いよっ! 上総ちゃんは魔法の使い方を知らないんだよ? あんな無茶な方法で魔法を使っちゃったら、上総ちゃんがどうなるか…」

 

「ごめん、なのは。必死だったから、見よう見真似ってヤツ。もう一回やってって言われても、多分できないと思う」

 

「っ!」

 

そう言って、言葉に詰まったなのはから少しだけ視線を外して、服の裾で垂れていた鼻血を拭って笑う。

本当に偶然だった。

アースラで他人事のように眺めていた模擬戦が、こんな所で役に立つなんて。

そう言っても、慣れない素人が無理矢理に使ったのだから、結果はお察しだけれども。

 

「無茶をしたものだな」

 

「クロ」

 

偽典の統括者から逃れたクロも此方に合流。

兄と同じように深い溜息を吐いて、私を見つめる。

その顔は、私を心配している訳でなく、まるで面白い物を見ているかのように。

 

「立てるか?」

 

「有難う」

 

そう言ってクロは私に手を差し伸べた。

その手を握り、立ち上がる。

 

「これで。こんな所で終わる訳には行かないのだよっ! 『名も無き偽典』は唯一無二なのだ!!!

『名も無き偽典』よ、我に勝利をっ!」

 

その偽典の契約者の言葉に警戒をして、シグナムさん達は身構える。

なのは達も、私を守る様にしてデバイスを構えた。

左腕を抑えて、二三歩たたらを踏んで後ろに後退した名も無き偽典の契約者は、何もすること無く私達の目の前から消えた。

 

「…き、えた?」

 

「どうして…」

 

「何の為や? 私達の前から消える必要あるんか?」

 

困惑の声が上がる。

何の為に?

撃ち滅ぼすと、宣言したはずだったのに。

何故、彼は私達の前から消えたのだろう。

その答えは、直ぐに出た。

 

『皆、大変な事になったっ! 『名も無き偽典』の契約者が海鳴市に突然に現れて、街を取り込んだっ!』

 

「な、なんやて!?」

 

唐突に、空中に現れた半透明のモニターの様な物に驚きながら、声の主を思い出す。

ハラオウンさんの声だった。

恐らく、アースラで何処かに待機していたのだろう。

大分焦った声で、私達に状況を伝えてくる。

 

『今はまだ動きは無いが、状況は良い方向には動かないだろう、な』

 

「クロノ君っ! 直ぐに転送をお願い!」

 

『分かったっ! 済まないが頼むっ!! 君達も一緒に来てくれ!』

 

言うや否や、空中に浮かんでいたモニターが消えて、大きな丸い魔方陣が現れた。

 

「全部、終わらせよう!」

 

力強くなのはの言葉に皆は頷いてアースラへと帰還する。

そうして、私と兄、クロの足元にも魔方陣が現れて光に包まれた。

ほのかに暖かい。

そう思った次の瞬間には、砂の大地から無機質な壁に覆われた部屋へと転送されていた。

 

 

 




展開が被っていますが、やりたいシーンが有ったので申し訳なく。
次回が最終話になるはずです。


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第二十話:決戦、海鳴市

アースラに転送されてから、目まぐるしく状況は変化していった。

管制室の中央モニターに映し出されている映像は、慣れ親しんだはず海鳴の街が、見るに堪えない姿へと変貌していた。

そして、偽典の契約者。

 

「なっ…クロノ君! 街の人達はっ!?」

 

モニターに映し出された状況を見て、息を飲んだなのはの声。

フェイトもはやても声には出さなかったけれど、心境はなのはと同じなのだろう。

 

「酷い有様見えるが、直前に結界を張って、どうにか無事だよ。ただ長時間このままの状態を維持することは出来ない…」

 

「どうしてこんな事を…」

 

「さあね。それを知る事は出来ないけれど、僕達がやる事は決まっているよ」

 

一拍置いて、最上段にある場所から、ブリッジを見渡している。

 

「偽典の契約者を止める! それだけだ!!」

 

ハラオウンさんの気合の入った声に、ブリッジに居る局員たちの表情が引き締まる。

 

「けど、どうするん? 偽典の契約者は何をしたんや?」

 

「そうだね。何をしたかすら判らない状況で手を出すのは危険だけれど…なるべく早くしないと」

 

はやて、フェイトが意見する。

 

「………」

 

質問に答える人は誰も居なかった。

訪れる沈黙。重い空気。

けれどもそれは直ぐに払拭される事になる。

 

「なぁ、アンタ。『名も無き偽典』のオリジナルなんだろう? それなら何か知ってるんじゃないのか?」

 

沈黙を破ったのは兄だった。

静かに佇んでいたクロに皆の視線が集まる。

 

「確かに私は奴の魔導書のオリジナルだ。だが、複写されてから年月が経っている。

本来の在り方から大分変質している様だから、私の弱点が奴の弱点という訳にはいくまい」

 

「それを言うと、君の弱点にも成りえるからかい?」

 

そのやり取りを見ていたハラオウンさんが、兄の言葉に続く。

 

「まさか。仮に教えたとしても、そんな間抜けを晒すつもりはない。それにアレは放っておけば自滅する。暴走させたようだからな」

 

“馬鹿な奴だ”と私以外に聞こえない様にクロが呟いた。

 

「「「なっ!」」」

 

困惑の声が重なる。

それよりも、街の人達はどうなってしまうのか。

何も知らないまま、巻き込まれて理不尽な目に合う。

それは、あまりに不条理で。街に住む人達は日常に生きるべきだと思う。

 

「街の人達はどうなるの?」

 

思っている疑問をクロに問いかける。

 

「さぁな? だが、力として取り込むのだろうよ。結界が消えれば、どうなるかは直ぐにわかるさ」

 

「『名も無き偽典』の契約者を止める手は無いのか…」

 

「いや、有るには有る。奴の暴走した魔力を上回る魔力で潰せば良いだけなんだが、簡単にはいかんだろうな」

 

再び、重い沈黙が訪れる。

戦力は限られているのだ。

どんな出方をするか判らない、偽典の契約者に全力を掛けられない。街の人達の事もある。

 

「出来るよ!」

 

「出来る、ね」

 

「出来るやん!!」

 

そんな重い空気を一瞬で破り去ったのは、なのは達だった。

三人の言葉にアースラ管制室で、忙しそうに働いていた人達の動きが一瞬停止した。

それでも、刹那の時間で再び自分の仕事に精を出し始めたのは、彼らが優秀だった事と、過去に起きた事件を知っている古参の人達が多く居たからだと後で判った。

 

「「……」」

 

驚愕の表情で、三人を見るハラオウンさんと兄。

ハラオウンさんに至っては、片手で顔を覆って“無茶苦茶だ”と小声で呟いていた。

 

「おいおい。冗談だろう」

 

珍しい。クロが顔を引き攣らせて声を上げた。

そんな様子を伺いながら、なのははフェイトとはやての顔を見て頷いた。

真っ直ぐに、何か強い意志を宿した綺麗な瞳で。

 

「私達が、『名も無き偽典』を止めるよ!」

 

力強く両手の拳を握りしめて、なのはが宣言した。

その言葉に、確りとフェイトとはやてが頷く。

 

「はぁ。どうやら、止めても無駄みたいだね。でも、どうするつもりなんだ?」

 

ハラオウンさんが、何かを諦めた―それでも表情は先ほどよりも明るい物になっている―顏で苦笑していた。

 

「さっきは防がれたけれど、もう一度スターライトブレイカーを撃ち込むよ。……今度は手加減無しの全力全開っ!」

 

「私も、加勢するよ」

 

「なら、私もやな。あの時の再現や。それにウチの子達もおるんやし」

 

三人の顔色に絶望という文字は浮かんでいない。

むしろ、この先にある希望に目を向けて笑っている。

前にも思ったけれど彼女達は強い、と思う。

 

突き出した拳を合わせて、頷き、なのはたちは海鳴の街へと転送魔法で向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

転送先は、八束神社だった。

奇しくも同じ場所。

偽典の契約者がこの場所を選んだ事には、理由が有る筈。

けれど、今はその事を考えている余裕は無い。

ただ、目の前の偽典の契約者を捕まえる事。その一点だけだった。

 

「さて、偽典の契約者は今の所ウチらに気付いてないし、どないしよか?」

 

「あの人が暴れてるお陰で、収束魔法に必要な魔力は十分だよ。カートリッジシステムも出し惜しみは無しっ! 本当に全力全開。この一撃に賭ける…」

 

「わかったよ。なのは」

 

「よっしゃ! じゃぁ、牽制はウチの子達に任せるとして、私達はあの時みたいに三人同時っ! なのはちゃんが言う様に全力全開やっ!」

 

三人揃って頷く。

闇の書事件の時と同じように、皆で力を合わせれば倒せない筈は無い。

無秩序に暴れている暴走した偽典の契約者を見据える。

 

「それじゃぁ、行くよっ! 皆、お願いしますっ!」

 

私のその言葉に、気合の入った返事をそれぞれにくれる。

真っ先に牽制攻撃の為に、空中から地上へと急降下を始めたのはヴィータちゃんだった。

その光景を見届けた私は、カートリッジシステムを展開。

そして、空気中に充満している魔力素を収束させて、私のリンカーコアへと流し込む。

 

「レイジングハート。準備は良い?」

 

『――All right my master!』

 

長年の愛機に声を掛けて、一度目を瞑る。

思い浮かぶのは、上総ちゃんの顔。

普通に生活を送っていた彼女が、突然魔法の存在をを知る事になった。

日常から非日常へと、放り込まれてしまった彼女はどう思うのだろう。

唐突に彼女の元に現れたロストロギア級の魔導書、『名も無き教典』。

そして、彼女がその魔導書の主に成る可能性が有る事。

『名も無き教典』の複写である『名も無き偽典』の契約者にも上総ちゃんの存在を知られた事。

急激に変化してしまった日々に、彼女は困惑しながらも、笑って居た。

 

彼女には、選ぶ権利が有る。

『名も無き教典』と契約を結び、魔導師になるのか。

それとも、契約をせず、今のまま普通の生活を送るのか。

それを決めるのは、彼女自身でなければならない。

そして、どの道でも、選べるように。

選択肢が多いようにと願うのは、この場に居る誰もが思っている事だから。

例え彼女が、迷っても手を差し伸べられるように。

立ち上がれるように。

それが、私の…私達の思いなのだから。

 

「……」

 

息を大きく吸って、目を開く。

眼下には、偽典の契約者。

今の上総ちゃんにとって、最大の敵だろう。

でも彼女には、彼に立ち向かう力は無い。

だから。

傲慢だとしても、自惚れだとしても、私は彼女の為に道を切り開くんだ。

 

生ぬるい風が頬を撫でる。

それは、先制で偽典の契約者へと向かったヴィータちゃんの放った魔法の余波だった。

私達の存在に気が付いた偽典の契約者は、顔を見上げて嗤う。

 

「…私を倒しに来たのかね?」

 

「そうです。貴方を止める為にっ!」

 

暴走した偽典の契約者の姿は変わり果てていた。

お伽噺でよく見る、悪者が最後に悪足掻きをしてひと暴れする様な、本当に笑えるくらいにありきたりな容姿をしていた。

 

「ははは。傲慢だねぇ! 今は次元航行船から結界を張っているようだが、それも長くは持つまい。君が、君達が私を止めると言うのなら、この場所がどうなっても知らないよ?」

 

「その為に私達が居るんですっ! 必ず貴方を止めてみせますっ!!」

 

それは、決意の咆哮。

海鳴の街を守る為、必ず、偽典の契約者を止める為に。

そして、彼女の明日を約束する為に。

 

「では私はこの街を破壊しよう! 絶望に沈む人間の様は、見ていて何より滑稽だ! そして『名も無き教典』と適格者を手に入れようっ!

魔法は自身の為に存在するっ! 誰かの為では決して無い。欲望でも野望でも何でも良い。それは飽く事の無い進化だっ!」

 

「……っ! 違います! 力は、魔法はっ!! 誰かの為に……誰かを守る為に有るんです!

誰かを虐げる為に、傷つける為なんかに有るんじゃないっ!!」

 

「それで何が手に入れられるのだねっ!? 何を手に入れられたっ!?」 

 

憤怒の顔で、私を見上げる偽典の契約者。

彼の過去に何が有ったのだろう。

それを知る術は無いけれど、今彼が行っている行為は決して褒められたものでは無い。

 

「沢山ありますっ! 友達も仲間も。守りたい人が、沢山居るんです!」

 

「守られるだけの人間に何の価値が有ると言うのか。この世は力を持つものが総べるべきなのだっ! 弱い者は這い足掻いているだけで良いのだよっ!!」

 

寂しい人だと思う。

魔法はそんな事の為に、在る訳じゃない。

力を手に入れる事が悪い、なんて言わない。

けれど、その力の使い道を間違える事は決してあってはならない事だと思うから。

 

「貴方には理解できないのかもしれない! けれど、それでも私達は、困っている人を……魔法で誰かを助けますっ!」

 

「……っ!」

 

一瞬、歪んだ表情。

彼が何を考えて、何を思うのかなんて知らない。

 

「それは管理局だからかっ! それとも君自身の為か!?」

 

「どちらも、ですっ!!」

 

「傲慢だよ! 私を止める事は誰にも出来んっ!!」

 

そうして更に、魔力を込めて暴走させる偽典の契約者。

私とフェイトちゃんはやてちゃんは、最大魔法を使用するために身動きは出来ない。

シグナムさんやヴィータちゃんは懸命に彼を阻止をしようと、挑んでいる。

 

「それでもっ! 必ず…貴方を止めてみせますっ!!」

 

失敗する訳には、行かない。

必ず、偽典の契約者を止める。

 

――この一撃に、全てを賭けよう。

 

 

 

 

 

 

 

変わり果てた姿の海鳴の街。

偽典の契約者によって、こうなってしまった。

捜査の初動で、何の成果も挙げられなかった事が悔やまれる。

何か『名も無き偽典』の情報を掴んでいれば、上総はこの事件に巻き込まれなかったかもしれない。

 

けれど今は、目の前の敵に集中する。

一時期だけれど住んでいた街を偽典の契約者の身勝手で、崩壊させる訳にはいかない。

魔法も知らない人達が沢山住んでいるこの街で、何も知らないまま、訳の解らないまま不条理に巻き込まれて、命を落とす事などあってはならない。

そして何よりも、上総を守らなければ。

 

初動捜査に手間取り上総に怪我を負わせてしまった事は、本当に悔やまれる。

もっと早く海鳴の街に着いていれば。

もっと早く上総の存在を知っていれば。

『もしも』なんて考えても仕方の無い事だと理解しているけれど、その思考を止める事は出来なかった。

 

――集中しなければ。

 

雑念があれば、魔法構築に綻びが出来てしまう。

 

今目の前で、醜悪な姿を見せている名も無き偽典の契約者。

クロが暴走させたと言っていた。

その言葉の通り、無暗矢鱈と街を破壊している。

クロノの機転で、結界を張らなければ今頃海鳴の街はどうなっていたか何て、余り考えたくもない。

 

けれども、確信している事が有る。

偽典の契約者の暴走を止める。

至ってシンプルだと思う。

難しく考えたって仕方ないんだ。

 

何時だって世界はこんなはずじゃない事ばかりだけれど。

悲しい事も沢山在ったけれど。

なのはやはやて、アリサにすずか。そして、皆に出会ったから。

笑っていられるようになったから。

上総にも笑って欲しいから。

 

彼女が選び取る行動が、どんな結果に成るとしても、どんな選択をするとしても。

彼女の為に成る様に。

 

空に浮かぶなのはとはやてを横目で見る。

最大魔法を撃ち込む為に、集中している。

私も、その為の準備を。

 

「行くよ。バルディッシュ」

 

『――Yes,Sir』

 

私の言葉に、長年の相棒は短く答えた。

何時ものやり取りだ。

何時もの様に、何事も無い様に魔法詠唱を始める。

 

――全てを、終わらせよう。

 

この先に広がる上総が歩んでいく筈の道に、光が照らされる事を願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰がこんな事になるだなんて想像できただろうか。

ロストロギアが関わっていると聞いていたけれど、目立った事件も事象もなく一度は本局に帰って業務に追われていたのに。

再び呼び戻されたと思えば、アリサちゃんとすずかちゃんの友人だと言う上総ちゃんが、巻き込まれて怪我を負っていた。

 

私が生まれた出身世界、第九十七管理外世界の日本と言う国は、平和である。

戦争をしている訳でもなく、大きな貧富の差も無い。

教育も社会基盤の一部として、行政が運営しその恩恵を国民が受けている。

飢える事も、野晒しにされる事も殆ど無い。

そんな普通に生きられる場所で、魔法が認知されていない世界で、唐突に不条理に晒された事は彼女にとって幸運だったのか不幸だったのかは、彼女にしか判らない。

 

私自身、突然『魔法』に関わってしまった人間である。

けれども、それ以上に大切な存在をその時に得てしまったから。

その事を不幸や迷惑だなんて思わなかった。

むしろ、感謝したんだ。

一人は寂しくて、辛いから。

どんなに心を偽っても、慣れる事なんてない。

だから、手に入れた温もりを手放したくなんてなかった。

我儘だとしても、一人で過ごしていた寂しさをもう一度味わうなんて無理だと知ってしまったから。

 

彼女も、そんな私と境遇が似ていた。

事故でご両親を失い、唯一の家族であるお兄さんは仕事で家に殆ど居ない。

中学生の頃から、ほぼ一人暮らし状態で過ごしていると聞いた。

学校や社会に出れば、人と触れ合う事は出来るけれど。

一番落ち着くはずの、家で誰も居ない。

『おかえり』や『おはよう』、『おやすみ』当たり前の言葉を掛けて貰えない。

いくら、親や保護者の庇護が必要無いからと言っても、やはり寂しいと思う。

一人で食べる御飯は美味しくないし、一人で見るテレビも面白くなんてない。

 

そんな彼女が、突然の同居人を得て何を思うのか。

想像すれば簡単な事だった。

嗚呼、私と同じだ。

手放せなくなる。

何時かは別れが来ると理解しながら、ひと時の温もりに心を委ねるのだろう。

 

彼女が『名も無き教典』と契約を結んでいないと知ったときは、意外だった。

理由を聞けば簡単な事だった。

日常が忙しくて、魔法を覚える暇が無い、と。

確かに、と思う。

学業とアルバイト。

その二つで手一杯だろう。

高校生にもなれば、勉学のレベルは必然的に上がってしまう。

ましてや、私立の聖祥大付属に編入したのだ。

並大抵の努力では無かっただろう。

 

そんな彼女がどんな選択を選び取るとしても、道は開けている方が良い。

そしてその先にある未来が、彼女にとって明るいものであるように祈るのは当然の事だから。

だから、私達は戦う。

 

――そして、皆で笑うんだ。

 

全てが終わった最後には、きっと。

 

 

 

 

 

 

なのは達が出撃していき、少しばかり寂しさの漂うアースラ管制室。

私が見知っている人と言えば、兄とハラオウンさんのみになってしまった。

残りの人達は、艦のオペレートで忙しそうにモニターと格闘している。

 

そうして中央のメインモニターに映し出されている海鳴の街は、日常から遠く離れてしまった光景になっている。

こんな事になるなんて。

どうしてこんな事になってしまったのだろう。

偽典の契約者の言う様に、私は彼の元へ下るべきだったのだろうか。

それとも、抵抗して潔く散ってしまった方が良かったのだろうか。

答えは出ない。

 

仮に今、クロと契約した所でなのは達の様に魔法が使えるわけでもない。

そして、偽典の契約者に立ち向かう事なんて出来る筈も無い。

見ている事しか出来ない自分に、情けなさと怒りを感じながら、拳を握る。

 

「……こっちへ来い」

 

モニターを歯噛みしながら見つめる私に気が付いたのか、クロが管制室から私を連れ出した。

歩みを止めたその場所は、展望ラウンジだった。

大きな窓から、見えるのは青く丸い地球。

 

「クロ、何でこんな所に……」

 

なのは達の状況を、知る事が出来なくなってしまった事に少し腹を立てながら抗議した。

此処にいると、戦況がどうなっているのか全く分からない。

 

「見ていられんし、まぁもう一度確認の為、か」

 

「?」

 

「一度は契約しようとしていたからな。邪魔が入ったから出来ず仕舞いになってしまったが」

 

「今はそれ所じゃないよ。なのは達が偽典の契約者と戦ってる。見届けないと…」

 

そう。何もできない自分が出来る事は、見ている事だけだ。

その事すら、逃げるのならそれは卑怯者とか臆病者になってしまう。

それだけは、嫌だった。

 

「まぁ、待て。見届けて何に成る? 貴様の為になるのか?」

 

「……ある、と思うよ。無力だけれど、何も出来ないけれど。けどさ、それしか出来ないなら、そうしなきゃいけないと思うんだ。

逃げちゃ駄目だと思う。逃げた所でその先に、居心地のいい場所なんて、無いんだから」

 

そうだ。目を逸らして逃げても何も解決なんてしない。

よしんば解決しても、後悔するだけだ。

何もせず、逃げた自分に。

 

「ならば、望め」

 

「どうして?」

 

背の高いクロが澄んだ青い瞳で私を、見下ろす。

とても真剣な眼差しで。

何かを決意したように。

 

「貴様の望みの為に」

 

「私の望み?」

 

「そうだ。それは貴様の為である」

 

「私の為?」

 

「ただ見ているだけでいいのか? だた黙って事態をやり過ごすだけでいいのか? 何もできない事を悔いてこの先を生き続けるのか?」

 

「それは…嫌だ」

 

嗚呼、そうだ。

抗えない理不尽に巻き込まれて、見ているだけの自分。何もできない自分。

どんな理由であれ、みっともなくて見苦しくても、悪足掻きすべきなのかもしれない。

ただ、平穏な日常を望む為に、立ち向かう力を。

 

「ならば、望め。貴様の為に。それは誰かの為でもある。力を望め。使い所を間違うな。決して見誤るな。道を違えるな。抗う手段を持て。力も知識を己の手で持て」

 

「でも、私に出来るのかな。彼の様に成ってしまうかもしれない」

 

今、起きている事の様に。

力に魅せられて囚われた、彼の様に。

もしかすれば、今の彼は未来の私の姿に成ってしまうかもしれない恐怖が私を襲う。

 

「なら、私が導こう。決して、間違わぬように。違わぬように。そして私を導いてくれ。共に在ろう。共に歩もう」

 

「クロ…」

 

軽く鼻を鳴らして、クロが笑う。

落ち着いた顔で、私を見つめる。

何故だろう、その顔を見て安堵してしまうのは。

彼女の言葉に耳を傾けてしまうのは。

 

「それにな、そういう意味では彼女達は良い手本なのかもしれんな」

 

展望ラウンジから覗く地球で、彼女達は偽典の契約者と剣を交えているのだろう。

嗚呼、そうだ。

知り合って短いけれど、彼女達の様な優しい人は良い手本なのかもしれない。

どうしようもなく御人好しで、優しいんだ。

彼女達の様に成れるのなら、魔導師になる事も本当に悪くないのかもしれない。

 

「私も、なのは達みたいに強くなれるのかな……」

 

「さぁな。それは貴様の努力次第だろう。資質も努力も必要だ。何分貴様は年齢的なハンデも背負っている。

魔導師と成るには、遅いからな。しかし、まぁ何とかなるだろう。私が居るからな。そこいらに転がっている魔導師よりは強くなる、はずだ」

 

少し疑問形なのはご愛嬌と言った所だろうか。

けれど、クロの言葉は信ずるに値するものだと思う。

突然身に降りかかった出来事だったけれど、悪い事だけじゃなかったと思う。

クロと出会えた事。

なのは、フェイト、はやて。もちろんこの三人を紹介してくれたアリサとすずかも。

彼女達には感謝しきれない。

友人と言ってくれた事も、今こうやって命を危険に晒して偽典の契約者と戦っている事も。

今は何も出来ないけれど、この先何が起こるか何て判らないから。

その為の、正しい力を望もう。

決意しよう。

 

「どうすれば、クロと契約出来るの?」

 

「先に貴様と契約しかけていたからな。簡易的に貴様のリンカーコアと私の疑似リンカーコアは接続されている。後は貴様が強く望めばそれで出来るが、形が必要と言うのなら…」

 

クロが少し屈んで、私の心臓に唇を一つ落とした。

 

――名も無き教典との契約を。

 

何かが、私の身体の中へと侵食している。

それは不快なものでは無く、どこか暖かで。

私に何が出来るのか。

何をすれば良いのかさえ分からないけれど。

けれど、これからは私の目の前に立つクロと一緒に歩んで行くのだろう。

 

「クロ、これからよろしく」

 

「嗚呼、よろしく。上総」

 

私の名前を初めて呼んだクロの顔は、澄んだ表情でこれ以上ないくらい綺麗に笑っていた。

 

 




前回、この話で最終話と言いましたが、長くなったので分割。
次こそ必ず最終話・・・・・・の筈、多分っ。



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最終話:魔法少女なんてガラじゃない!

そんなこんなで、クロもとい『名も無き教典』との契約を済ませた私。

彼女と契約した私だけれど、何かが劇的に変わる訳でもなく、出来る事は無い状況だった。

そうしてアースラ管制室に戻って、なのは達を見守る事にしたのだけれど、クロと契約した事は黙っている。今伝えても得策ではないし、事後報告で十分と思ったからだ。

 

「どうしたんだ?」

 

「ううん。何でもないよ」

 

トイレか何かと勘違いした兄が声を掛けてくる。

そうか、と言ってモニターに目線を映した。

私に甘い兄でも、今は目を離せる状況ではない様だ。

それでも、聞いておかなければならない事が有る。

邪魔になるだろうから黙って見ているだけでも良かったけれど、少しでも状況を把握したかった。

 

「えっと。これからなのは達はどうするつもりなの?」

 

「偽典の契約者―マスター―の魔力を上回る魔法を撃ち込むと言っていたが、それが出来る人間がそうそう居ると思えないけどな」

 

「それが、居るんだよ。世界は広い。彼女達ならそれが出来る……少し相手が気の毒だが」

 

兄の言葉をハラオウンさんが継ぐ。

そんなハラオウンさんの言葉は最後まで聞き取れなかった。

兄達の言い分を聞く限り、そんなになのは達は強いのかと思う。

なのはは教導官だと聞いている。

そしてその一環として模擬戦も見たけれど、確かに強かった。

数で上回っている武装隊の人達を、一瞬で負かしていたんだ。

 

けれど、彼女は普通なんだ。

何処にでも居る同年代の私達と。

なのはもフェイトもはやても。

少し違うのは、もう働いているという事だけだと思う。

管理世界が、どんな場所でどんな環境なのか良く解らないけれど、就業年齢は若いらしい。

それは、魔導師不足の為と聞いている。

才能が有るなら、此方の世界の飛び級システムの様に例外的に認められるそうだ。

小学生の頃から、管理世界で魔導師として働いていると聞いた。

 

「なのは達、大丈夫かな……」

 

それでも、心配は尽きない。

怪我もするだろうし、嫌な思いもする事もあるだろう。

見たくもない物も見る事もあるだろう。

 

「心配はいらないよ、彼女達は強い。僕達アースラのメンバーも全力でサポートに回る。君は此処で見ていると良い。『名も無き教典』との契約をするしないは君の自由だ。

魔法について何も知らないまま契約をして後悔をする様な事にならないように確りとね」

 

中央モニターを睨む様に見つめていた私に苦笑して、そんな事を言うハラオウンさん。

なのは達の心配をしなくて良いのだろうかとも思ったけれど、裏を返せばなのは達の事を信頼しているのかもしれない。

 

「……はい」

 

「まぁ、気楽にな。難しく考える必要なんて無いんだ。魔法なら俺も教えてやることが出来る。仮に『名も無き教典』と契約しても普通に暮らす事も出来るからな」

 

「ありがとう、兄さん。でも、私は管理局に行かなくて良いのですか?」

 

ずっとクロと契約すれば管理局もしくは管理世界に行くと思っていたのだけれど、兄の言葉に驚いた。

 

「無理強いは出来ないよ。君の意思が大切だ。けれど、管理外世界に残る場合『名も無き教典』は封印処置を施す事になるだろうね」

 

ハラオウンさんが、難しい顔をしてクロを横目で見る。

封印と言う言葉に、ピクリと私の身体が反応する。

 

「どうしてですか? 害は無いと聞いていますが……」

 

「今の時点で危険性は無くても、これから先どう変化するかわからないからね。『名も無き偽典』の例も有るからね……」

 

「と言うか、管理局の記録じゃぁここ最近起きていた昏睡類似事件は『名も無き教典』の仕業になっているんだがな」

 

「そうなのか? では、管理局の怠慢だな。私は、そんな事を起こしてはいない。全くの事実無根だ」

 

私の後ろに静かに佇んでいたクロが短く鼻を鳴らして、皮肉を言う。

兄とハラオウンさんは、苦笑いをしていた。

 

「ま、今目の前で暴れている奴が真犯人な訳だがな。全く、面倒な事をしてくれたもんだ。管理外世界で事件になるほどまで、魔法を使えば俺達に見つかるのは必然だろうに」

 

「だね。罪の無い人や、魔法を知らない人を襲うのは感心出来ない。だからこそ、僕達が居るんだ」

 

その眼には、意志が宿っていた。

何者にも負けないと言う、強い意志が。

 

「あの、偽典の契約者はどうなるんですか?」

 

「どうもこうも、彼を倒して捕まえて、僕たちの法の下で犯した罪を償ってもらうだけだよ」

 

どんなに酷い事をされたとしても、彼をどうこうしたいと言う気持ちは湧かない。

管理局の法の下で、適切に裁かれるのならそれで良いと思う。

 

「でも、魔法ってこっちの世界で言う銃とかに代わるものなんですよね? それって、偽典の契約者の人、死にませんか?」

 

「嗚呼、そうか。そうだね……魔法には二種類有るんだ。殺傷設定とその真逆の非殺傷設定」

 

「管理局員が使う魔法は非殺傷設定だ。それなりのダメージは残るが死にはしない。これは俺たち管理局絶対のルールだな。それを破れば、管理世界で法の番人を名乗れなくなる」

 

ハラオウンさんの言葉に補足で兄が言う。

そんな便利な物があるのかと思う。

でも、模擬戦でも模擬弾があると聞いていたから、直ぐ腑に落ちた。

 

「でもそれって犯罪を犯してしまう人たちは、殺傷設定を使う事も有るんですよね?」

 

「嗚呼、そうだね」

 

「それって危ないんじゃ……」

 

「危険は伴うよ。だから僕たちは訓練を怠らないし、その為に強くなろうとするんだ。自分の命を懸ける事に成るかもしれないけれど、それでも守りたいもの守るべきものがあるからね」

 

なのは達もハラオウンさんと同じなのだろうか。

けれど、危険に身を晒して戦っているのはなのは達だ。

半端な覚悟で出来る事じゃない。

そんな強さに、憧憬を抱いて見守る。

 

「そろそろ、決まるかな」

 

「みたいだな」

 

「……」

 

クロとの契約を果たしたからなのかどうかは判らないけれど、中央モニターに映し出される光景に淡く光る何かが見える。

今まで知覚できなかっただけで、もしかすれば見ようともしていなかったのかもしれない。

そしてそれは恐らく魔力素と呼ばれるものなのだろう。

その淡い光は、なのはの元へと集まり、デバイスの先で巨大な球体に変化していた。

 

なのはとフェイトとはやての足元に光る魔方陣も輝きを増し始めて、魔法詠唱を完了させようとしていた。

不思議なものだと思う。

たった一人の人間が、こんな巨大な力を放てるなんて。

 

『――スターライトォ……』

 

『――プラズマザンバー……』

 

『――ラグナロク……』

 

それぞれのトリガーワードを唱えて、呼吸を合わせる三人。

遠くから画面越しに眺めている光景の筈なのに。それは、彼女達の意思が私にまで届いているのか、それともこの光景に私が胸を熱くしているだけなのか。

真実は解らないけれど、胸に灯るこの思いは決して悪い物じゃないと思う。

 

『『『ブレイカーーー!!!』』』

 

強大な三つの魔力球が、偽典の契約者へと呑み込まれていく。

その影響で中央モニターは一面真っ白になり、その後にノイズが走りモニターとしての機能を中断させた。

 

「決まった、ね」

 

「だな……」

 

「……」

 

アースラ管制室に居る全員が固唾を飲んで、中央モニターに見入っていた。

 

――これで全てが終わる。

 

数秒の筈なのに、その数秒が妙に長く感じられた。

そうして、魔力波の影響を受けていた中央モニターは周囲の景色を段々と映し始める。

 

「う、わ……」

 

こんな光景は人生で初めてだった。

偽典の契約者を中心にして、地面が穿たれて出来た大きなクレータ。

倒れ込んでいる偽典の契約者は生きているのだろうか。

 

「終わった、かな」

 

「みたいだな」

 

ふう、と大きな息を吐いて笑顔を浮かべるハラオウンさん。

彼が笑った所を初めて見た気がする。

それだけ、今回の出来事は重大だったのかもしれないと思った。

 

「良し。偽典の契約者を拘束しよう。それと、『名も無き偽典』の封印処置を施す。武装隊に連絡を」

 

「了解っ!」

 

一瞬で表情を引き締めて、指揮官としての役目を果たしている。

明るく威勢の良いオペレーターの男性の返事を聞きながら、無事に終わった事を安堵した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なのは、フェイト、はやて!」

 

「上総ちゃんっ!」

 

「上総!」

 

「上総ちゃん!」

 

転送用の部屋へと赴いて、なのは達を迎える。

怪我も無く無事に戻ってきてくれた事に、感謝する。

 

「皆、おかえり。無事で良かった」

 

声が聞けた事。無事を確認できた事。

擦り傷や小さな怪我は有るみたいだけれど、特に酷い怪我は見当たらない。

私の為に戦ってくれたのに掛ける言葉が見つからなくて、不甲斐無さが溢れる。

 

「……上総ちゃん」

 

悔しくて、情けなくて、でもなのは達が無事に戻ってきてくれた事が嬉しくて、いつの間にか涙が溢れていた。

 

「見てる事しか出来なかったから、何も出来なくて、ごめんっ」

 

守られるだけ、安全な場所に居るだけだった自分。

そんな私を、目の前に立つ三人や武装隊の人達は、危険に身を晒して戦ってくれた。

 

「そんな事無いよ。上総ちゃんが居たから頑張れたんだ。だから泣かないで」

 

「そうだよ。上総は強いよ。『名も無き偽典』の契約者に折れなかったんだから」

 

「せや。上総ちゃんが頑張ったんやから、最悪の事態は避けられたんや。そんな思いつめたらアカンよ」

 

慰めの言葉を掛けてくれる三人には、少しばかり悪いけれど素直に受け止められない。

やっぱり、迷ってしまった事に後悔をしているし、違った結果も有ったのかもしれないと考えてしまう。

 

「ううん。選択肢は用意されてた。けど、私は選ばなかった」

 

そう。結局は逃げていたのかもしれない。

 

「うん」

 

私の言葉を聞いてくれる三人。なのはが左手の親指の腹で、涙を拭ってくれる。私の顔を真正面から見つめて、目を逸らさないで次に紡ぐ言葉を待ってくれている。

 

「誰かに任せて、流れに身を任せただけだった」

 

魔法なんて関係ない、と目を逸らしていたのかもしれない。

日常から非日常へと、飛び込んでしまう事を恐れて。

結局、巻き込まれてしまったけれど。

でも、懸命に海鳴の街の人達の為にと戦う彼女達は強く、輝いていた。

 

「うん」

 

フェイトが私の動かない左手を握る。伝わる温もりが暖かい。

 

「だから、なのは達に憧れたんだと思う。強くなりたいって、思ったんだ」

 

そう。心が強く在る様に、と。

その為に、クロと契約したんだ。

 

「そか」

 

はやてが私の強く握り込んでいた右手を解いて、指を絡める。大丈夫、と言ってくれているように。

 

――ありがとう。

 

三人の優しさと温かさにとめどなく溢れる涙を右腕で拭って、無理矢理に笑う。

 

「だから、助けてくれてありがとう」

 

握られた手を振りほどけずに、私は不恰好に頭を下げた。

 

「御歓談中失礼しますっ! ハラオウン執務官!、犯人の移送作業が完了しました。もう暫くで此方に転送されます」

 

伝令役だったのだろう。年若い武装隊員が敬礼をして部屋に現れた。

その彼の言葉を聞いてびくり、と体が反応する。

 

「了解です。ありがとう」

 

受け応えするフェイトの返事を聞いて、彼は部屋から出て行った。

私の変化に気が付いたのか、なのはが私に近寄って“大丈夫だよ”と声を掛けてくれた。

そうして伝令役の人の言うとおり、暫くすると転送ゲートが淡く光り始めて、何人かの人影が現れた。

 

「お疲れ様や。シグナム、ヴィータ」

 

その姿を確認したはやてが、二人の元に行く。

武装隊の数名は、偽典の契約者を取り囲んで逃げられない様に注視している。

 

「いえ。主はやても、お疲れ様でした」

 

「はやて。お疲れ様」

 

はやての前に立つ二人は知っている。

確か、砂漠で私を助けてくれた二人だ。

クロが夜天の魔導書の守護騎士だと言っていた。

 

「それでは、私達は偽典の契約者を移送してまいります。主はゆっくりしていて下さい」

 

「そうしたい所やけど、やらなアカン事が山ほどあるさかい。ゆっくり出来るのはもう少し先やなぁ。ま、フェイトちゃんが一番大変やろけどな」

 

「そうだね、事後処理が有るから。色々と書類揃えなきゃいけなくなる、かな」

 

いきなり話題を振られたフェイトが、少し驚いた顔をして答える。

その横で、話を聞いていたなのはが、“にゃはは”と苦笑いをしていた。

その様子を見ながら、ふと偽典の契約者へと目を向けた。

後ろ手に拘束具を付けられて、大分疲れた様子を見せていた。

綺麗に纏めてあった褐色の髪は乱れ、高級そうな白のスーツもくたびれている。

 

――こんな事で、諦める訳が無いだろう?

 

突然、私に届いた念話。聞き間違える筈は無い、偽典の契約者の声だった。

にやりと嗤い、疲れ切った偽典の契約者の眼に光が灯る。

何をする気だろう。此処で暴れても、結果は見えている。敗者が足掻いた所で結果は覆らない。

そんな事を考えていた刹那。

私の左腕に異変が起きた。

突然の痛みに、自分の左腕に目を向けた。

 

「……何、これ」

 

黒い瘴気、とでも言えばいいだろうか。

腕の回りに纏わりついて、だんだんとその範囲を広げていく。

 

「上総ちゃん?」

 

「上総?」

 

「っ! 何をしたんや!?」

 

私が上げた声に、三人が反応する。

そうして、偽典の契約者を取り囲んでいた武装隊員とシグナムさんとヴィータさんが即座に反応して、偽典の契約者を取り押さえた。

けれども、左腕の黒い瘴気は色を増して私を覆い尽くしていく。

 

「ちっ! しぶとい奴だ」

 

そんな声を唐突に上げたのはクロだった。私の影の中に居たクロは異変に気が付いたのか、いつの間にか私の隣に現れて聞き取れない言葉で魔法詠唱を始めている。

抵抗しようにも方法なんて見つからず、遠のいて行く意識を必死に繋ぎとめるのが精一杯だった。

私に駆け寄るなのは達を見届けて、意識は其処で途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が浮上する。

眼を開けた筈なのに、何も見えない。

一瞬失明でもしたのかと頭の隅で考えたけれど、只単に真っ暗な景色に目が慣れていないだけだった。

 

「ここは……」

 

「さあな。偽典の契約者が何かしら仕出かしたのだろうが……」

 

「っ! クロ、びっくりさせないでよ」

 

「む。文句が有るのなら偽典の契約者にでも言ってくれ」

 

憎まれ口を叩きながらも、クロは私を守る様に抱きかかえていてくれた様だった。

クロの体躯は私より大きいので、すっぽりと彼女の腕の中に納まっていた。

 

「さて、どうしたものか」

 

「どうするもこうするも、戻らなきゃね」

 

取り敢えず立ち上がってはみたものの、どうするべきか途方に迷う。

眼が慣れてうっすらと、知覚し始めた景色は遥か先まで何もない。

ただ果てなく空間が続き、所々に穴が開いている。その穴を覗いてみると禍々しいマーブル色をしていた。

 

「間違えて落ちてくれるなよ?」

 

「え?」

 

「虚数空間。重力の続く限り落ち続ける。そして、落ちると二度と戻れない」

 

その言葉を聞いて、即座に後ろに下がる。

その様子が可笑しかったのか、クロが笑う。

非常事態だと言うのに落ち着いたものだ。

 

「けど、どうしよう……出口なんて無さそうだし、地平線まで歩ける気なんてしないし」

 

「暫くすれば、奴が現れるだろうな。此処で待つのも手だ」

 

遥か彼方先は霞んで見える。其処まで本当に何もない。地面が続いているだけ。

無暗矢鱈に歩くのは、ただ体力を消耗するだけだ。

太陽も無い空間で、方角さえも解らない。

けれど、何もしない訳にもいかなくて。

気が付けば、勝手に歩きだしていた。

 

「本当に何も無いね」

 

「だな」

 

「こんな所で何をするつもりなんだろう」

 

「大方の予想は付くがな。まぁ上総にとって碌な事ではないだろうな」

 

「嫌な事言わないでよ……」

 

「守ってやるさ。今と以前では状況が違うしな」

 

状況が違うと言うのは、契約する前と後の事だろう。契約者が居なければ、力が制限されると聞いている。

その事が改善された今は、多少は違うのだろう。

無理なら無理だと言うクロだ。確信が有るからこそ、言葉にしたのだと思う。

 

「やぁ」

 

「……」

 

そんな会話をクロと交わした矢先、タイミングを見計らっていたかのように偽典の契約者が現れた。

彼の後ろに何時も控えていた、偽典の統括者の姿は無い。

クロの様に彼の影の中にでも隠れているのだろうか。

 

「そう警戒しないでくれたまえ」

 

「無理ですよ。貴方が仕出かした事を考えれば尚更です」

 

「ふ、まぁ良い。此処は次元の狭間と言った所か。助けは来ないよ。この空間に居る為には高度な魔法が必要だ。恐らく管理局では手に負えまい。其処に居る、名も無き教典ならば可能かもしれないがね」

 

彼の言葉にふと思う、中に入れる魔法が有るのなら、外に出る魔法も存在する筈。

 

「簡単に言ってくれるなよ。此処を出るには相当骨を折らなければならん。何の為に貴様はコイツを此処に呼んだ?」

 

偽典の契約者の言葉を裏付ける様に、クロは肯定した。

苦労はするようだけれど、出る方法は有るようで、少しばかり安心した。

 

「何、前から言っているだろう。彼女を手に入れる為だ。当初の計画より手間取ってしまったが、致し方あるまい。それに今は契約を果たしている。

彼女を乗っ取ってしまえば、君も手に入るのだ。これ程好都合な物は有るまい」

 

「はっ! やってみろ。貴様の様な男にコイツをやらせはせん。それに貴様、今までの戦闘で大分魔力を消失しているだろう。だからこの場所に呼んだ。違うか?」

 

「……」

 

「沈黙は肯定と言う言葉が、この世界にはあるらしいぞ?」

 

「馬鹿な事を。百年以上魔法を研鑽してきた私に、彼女が勝てる要素が有ると思うかね?」

 

「有るさ。私が居る。私が導く。そして、守る。貴様に負ける要素が何処に有るのだ?」

 

「質問を疑問で返すのは、良くないねぇ。まぁ良い。やる事は一つだ。我らは魔導師だ。此処は一つ魔法で決着を付けようではないかっ!」

 

高らかに宣言をして、彼の足元に魔方陣が現れる。

彼の左手には、名も無き偽典。

統括者の姿は未だに無い。

 

「拒否は出来そうに無いな。……上総」

 

呆れた声で、言葉を吐き捨て私を呼ぶ。

 

「何?」

 

「いけるか?」

 

「いけるも何もやるしかない、よね……」

 

私の言葉を聞いて満足げに笑うクロ。

 

「とは言っても、選べる選択肢は少ない訳だがな」

 

「仕方ないじゃない。魔法なんて知らないし」

 

「それはそうだ。意識を集中しろ、心臓を意識するんだ。補助は私がしてやる。今は意識を集中しろ」

 

私の後ろに立って、背中から心臓の部分にクロの手が置かれた。

きっと、その場所に意識を持って行けという事なのだろう。

 

「分かった」

 

クロに言われた通りに、意識を集中する。

胸に手を当てて、目を瞑る。

どくり、と鳴る心臓。

体中の血液が沸き立つ、感じ。

なんだろう、暖かい。

無理矢理に使った防御魔法の時とは違う、暖かい。

 

「きっちり防ぐぞ。目にモノ見せてやれ」

 

誇らしげな声で、そんな事を言うクロ。

眼を開いたその先には、攻撃魔法を準備している偽典の契約者。

要するに、防御魔法で防げ、という事なのだろう。

 

「何でも良い。防ぐイメージを強く持て。構築式は私がやろう。上総がする事はソレだけだ」

 

防ぐ、イメージ。

ふと、なのはの防御魔法が頭の中に沸いて出てきた。

フェイトとの模擬戦の時に、きっちり防いでいたなのはの防御魔法。

嗚呼、それならば出来そうだ。

あの鉄壁の盾の様な、なのはの魔法を。

 

「……」

 

「来るぞっ!」

 

その声と共に、黒く光る魔法刃が私に向かって飛翔する。

何本かは私とクロの横を通り過ぎて行った。

そして正面に飛んできた、魔力刃は私とクロが展開した防御魔法によって防がれる。

 

「なっ! 私の魔法を防いだ、だと……」

 

「慢心だな。私の契約者を侮った証拠だ」

 

ふふん、と鼻を鳴らしているクロ。顔は見えないけれど、きっと笑っているに違いない。

 

「決意をした人間は強いぞ。貴様の悪趣味に付き合わされても折れなかったヤツだからな。尚更だ」

 

クロは少し勘違いをしている。

痛みは、我慢すれば良いだけだ。耐えられないのは大切な人達や大切な物を失くす事だ。

嗚呼、そうだ。痛いだけなら耐えられる。何かを誰かを失う事の方が怖い。

その欠けてしまった穴を埋めるものは存在しないのだから。

なら、痛みに耐えて血反吐を吐いても守らなければ。

 

「ぐっ!」

 

言葉も発せず、次の魔法詠唱を始めている偽典の契約者。

彼は疲弊している。

何故だか解る。

……なら。

 

――私の事を強いと言ってくれた、クロや彼女達の想いを無駄にする訳にはいかない。

 

それならば。

自分自身の力で。

誰の助けも借りずに、自分の手で。

 

「ねぇ、クロ。クロの力を借りないで、彼に勝つ事は出来るかな?」

 

「上総がそう思うのなら私に聞かなくても良い、行け。自分の意思でこの幕の最後を閉じろ」

 

「うん。ありがと」

 

そう決意して、心臓の辺りに有ると言われるリンカーコアを意識する。

一度で良い。一瞬で良い。

彼に、一撃を。

 

「うぁあああああああ!!!」

 

そう思いを込めて、魔法を行使しようとしたものの知識も何もない私が、簡単に出来る筈が無かった。

それでも、何も出来ないけ自分だけれど。

彼との距離を詰める。

何か、有る筈なのだから。

 

「無力だねぇ。何も出来ないのは。だからこそ力を求める。たとえ闇に落ちようとも」

 

「落ちたくなんて有りませんよ。正しい使い方なんて判らないけれど、決して貴方の様には成りたくないです。見ず知らずの誰かを巻き込んで、何かをしようなんて思わない」

 

見えない何かが、彼の元へと行くことを阻む。

それでも、無理矢理に足を進ませる。

 

「……っ!」

 

届け、届け。

もう一歩、あと一歩。

 

「なっ! 何故っ!!」

 

此処まで辿り着けた、と言う言葉は彼の口からは出なかった。

 

「やっと、貴方に届きましたね」

 

もし誰かが私の顔を見ていたのなら、嫌な顔をしていたと思う。

にやり、と口角を上げて笑ったのだから。

彼のネクタイを渾身の力で握りしめる。

残念だけれど、私の左腕は動かない。

なら使える身体の一部は一か所しかなかった。

 

「……っぐ!!」

 

「っ!!!」

 

鈍く響く音。

彼の頭と私の頭がぶつかった音だった。

 

未熟な私がこの時使えた魔法は身体強化だった。

けれど、弱っていた彼には効果は抜群だったようで。

たたらを踏んで、二歩三歩と後退する。

 

「くそがぁぁあああああああ!!!」

 

額から流れ出る血を手で押さえて、偽典の契約者が雄叫びを上げる。

その叫びは、まるで腹の底からの声で。私の鼓膜が揺れ動く。

 

「私をぉ止めるなぁぁあああああああああ!!!」

 

更に低く唸る絶叫。

 

『もう止めにしましょう。マスター』

 

何処から彼女が、現れたのか。

偽典の契約者が発動した魔法は、唐突に現れた偽典の統括者の身体を貫いて霧散した。

 

「貴様、何を……」

 

『貴方は、人の智を超え長く生きました。人としての命の終わりを迎えましょう』

 

偽典の統括者を貫通した魔法は、彼女の内臓を傷つけてしまったのだろう。

念話を終えた後、彼女は大量の血を吐き出した。

 

「あぁ、ああああああ」

 

声にならない声で、頭を左右に振り乱して地面に両膝を付く彼。

この世の終わりの様な顔をして、偽典の統括者をぼうっと眺めている。

 

『もう、良いでは有りませんか。罪を犯し過ぎました。私も貴方も眠るべきなのです』

 

「何故、何故、何故ぇぇぇえええ!! 貴様が私に逆らえる筈が無かろう!!」

 

半狂乱になりながら、声を枯らしそうな程の音量で叫ぶ彼。

これが、魔法に狂ってしまった人間の末路なのか。

空しい、と思う。百年以上を生きた彼。

見てきたものも、得たものも沢山あるのだろう。

そんな彼が、私達以外誰にも知られず終わりを迎えようとしているのだから。

 

『いえ、出来ますよ。ただ、今まで逆らわなかっただけなのです。貴方の命に従う事が私の存在意義でしたから。けれど、彼女達を見て思いました。嗚呼、こんな生き方もあったのだ、と』

 

魔法で貫かれ、吐血をしたと言うのに穏やかな顔で偽典の契約者を諭す彼女。

 

「ふざけるなっ! 何故、今なのだっ! もう少し、後少しで手に入れられるのだぞっ! 不完全だった貴様を完全なモノに変えられるのだぞ! それを、何故っ今っ!」

 

『もう良いのです。永の眠りに就きましょう、マスター。それに魔力が枯渇しかけていますから、私は長くは有りません』

 

「……貴様、契約をっ」

 

絶望に染めた顏が、更に暗くなる。

そうして、偽典の統括者の言葉を聞いた偽典の契約者は、頭を項垂れて沈黙した。

 

『ご迷惑を掛けてしまいましたね。申し訳ありませんでした』

 

「なんで、貴方は……」

 

何故彼女は、偽典の契約者を裏切るような事をしたのだろうか。

クロと契約して理解した事だけれど、彼女と彼は主従関係で結ばれている。

そんな彼女が契約主である彼を裏切る事は、無いと言うのに。

 

『貴方たちを見ていると、羨ましくなったのです。本来私も『名も無き教典』と同じように何の害もないモノでした。ですが、時を経て主を得て段々と変質していきました。そうして、大きく私を変えたのが彼です』

 

「……っ!」

 

『そんな顔をしないで下さい。これで終わりを迎える事が出来ます。望まぬ事をしなくて済む様になるのですから』

 

「あのっ! 私と契約は出来ないのですか? 私は『名も無き教典』の契約者です! なら貴方とも出来る可能性がっ!!」

 

眼を閉じて、首を左右に振る偽典の統括者。

何故、消えてしまうと言うのに笑えるのだろう。

 

「上総。それが奴の望みだ。叶えてやれ。そして人ではない。唯の魔導書だ。奴がそう決めたのなら、朽ち果てて消えて往くだけだ」

 

「駄目だよっ! そんなの悲しすぎるっ! なんで彼女が消えなきゃならないのっ! 悪いのは彼女を変えた人達じゃないっ!」

 

「だな。だが、抗う事もせず流されるままだった奴にも責任が有る」

 

『ええ、ですから此処で終わらせるのです。原典である貴方に見送られるのもまた、一興なのでしょう』

 

「そうか」

 

同じ顔、同じ表情で笑うクロと偽典の統括者。

似た者同士、いや複写であるが故に繋がっている何かが有るのだろう。

私では、彼女が決めた意思を止める事は出来なかった。

 

「彼は、どうなるんですか?」

 

地面に項垂れたままの偽典の契約者は動こうともせず、糸が切れた人形の様だった。

 

『契約を切りました。ですので、後は人として生きてその命を終えるだけです』

 

そう長くは無いでしょうが、と目を細めて言葉を紡ぐ彼女は何を思うのだろう。

偽典の契約者と過ごした日々なのか。

それとも、私の知らない彼女の契約者達なのか。

 

「そう、ですか」

 

『貴方は彼の様に成らないで下さいね。道を違えないで、真っ直ぐに進んでください』

 

「出来るかどうかは解りません。けれど、間違った道を進む気は有りません。それにきっと、間違えた道を進もうとすれば止めてくれる人が居ます」

 

そう言ってクロを見る。

私の視線を確りとクロが見て頷いた。

 

『そろそろ、お別れの様ですね。最期に貴方たちに出会えて、本当に良かった』

 

段々と薄くなる姿。

彼女の周りに、魔力素が浮遊し始めた。

まるで、空気に溶けていくように静かに優しく消えていく彼女。

これで良かったのか、悪かったのか。

判断するには難しいけれど、彼女が望んだ事なのだから、と自分の心に言い聞かせる。

 

「何、これ?」

 

完全に彼女の姿が見えなくなった後、私の目の前に浮遊する、親指の先くらいの大きさの白い結晶。

その結晶は、まるで金剛石の様に輝きを放っている。

 

「魔力の塊だな。奴が存在した証だ、上総が持っておけ。奴もそれを望んでいるからこそ、態々上総の前に現れたのだろう」

 

「……わかった」

 

未だに浮遊する結晶を右手で触れる。

鉱石の筈なのに少し暖かいのは、クロが言ったように魔力を帯びているからなのだろうか。

 

「しかし、身体強化だけで立ち向かう奴があるか……しかも頭突きとは」

 

呆れ顔でクロが私に話しかけた。

クロなりの気遣いなのだろうか。

手に取った鉱石を、服のポケットに入れてクロを見上げる。

 

「そんな事言われても。魔法知らないし」

 

仕方の無い事だと思う。

攻撃魔法とか砲撃魔法の術式なんて解る筈も無いし。

 

「無茶苦茶だな」

 

「仕方ないよ」

 

「まぁいい。私が一から教え込んでやるさ」

 

「ん。これからよろしくね」

 

厳しい先生になりそうだ、と心の中で苦笑する。

 

「嗚呼。魔法少女、だな」

 

「何、それ?」

 

「なんだ知らんのか。上総の世界、日本のアニメで『魔法』を使う少女の事をそう呼んでいたが?」

 

「そんな事まで調べてたの?」

 

部屋に引き篭もってパソコンで何を何処まで調べていたのだろうか。

やはり、クロにパソコンを教えたのは間違いだったのかもしない。

余計な知識がついてしまったようだった。

 

「まぁな。興味本位と言うヤツだ」

 

――魔法少女なんてガラじゃない。

 

進むべき道を決めた。

のらりくらりと、歩みは頼りないかもしれないけれど。

それでも、その道を確り見定めて前に進もうと思うんだ。

 

「と、いうかクロ。これ私達どうやって戻るの?」

 

「さぁ?」

 

「え? 待って。戻る方法有るんだよね?」

 

「どうだろうな?」

 

「ちょっと、クロぉ!!」

 

「ははは! 冗談だ。だが時間が掛かるな。大がかりな術式が必要だ」

 

「何だ、安心した」

 

なのは達の様に立派な魔導師に私が成るのは、まだまだ先の話。

 

 

 




エピローグ書いて、本当に終了です。

【最後に】

此処まで読んでくれた方ありがとうございます!
2016年の10月末から投稿を始めてから半年少々。
やっとこさ、完結を迎えることが出来ました。

『なのは』の二次創作で女オリ主モノを書きたいと思い至り、書き始めた訳なのですが、構成が甘かったり、設定がちょこちょこと変わっていたりで、思いつきで書いていたのは、もう読者の皆様にはバレバレでしょう(苦笑
1話目の前書きでできゃっきゃうふふを書きたいと言いつつ、まったくそのような事が無く終わってしまったのは大失点でしたorz
まだまだ、文章を構成する力が足りないようです。

そして、この話を読んでくれた方、感想・お気に入り・誤字脱字報告くれた方本当に感謝しています。この話の続きを書く力を頂きました。
至らない所が多く、色々な感想を頂きこの事を踏まえて次の作品に反映していきたいと思います。

さて、次は何を書こうかしら。




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Epilogue:未来へ

 

 

何処にいるかもわからなかった筈の私達は、クロの魔法によってアースラへと帰還した。

それから、一悶着があったもののハラオウンさんやフェイト、兄の取り計らいでどうにか穏便に事を済ませた。

そして私は今、地球というか海鳴の街に戻り、携帯の着信履歴に鬼の様に残っていた二人に連絡を取り、現在月村邸に着いたところだ。

 

「何してたのよっ! アンタ!!」

 

「上総ちゃん」

 

「あーうん。久しぶり」

 

庭に置かれている、白いテーブルセットから勢いよく立ち上がり私の顔を見るなり詰め寄るアリサ。

その姿を、苦笑いをしながら見届けるすずか。

そんな二人を見て私は、笑うしかなかった。

嗚呼、変わらない。変わっていない、と。

 

そうして、アリサに今まで私に起こった事を根掘り葉掘り問質される。

勿論、この話をして良いかどうかは、兄とハラオウンさんに確認済みだ。

どうやら、アリサとすずかは管理世界の存在を知っている様子で、管理世界と月村邸を繋ぐテレポーターも設置されてると聞いたときは驚いた。

 

ちなみにクロは私の影の中に居る。

姿をわざわざ彼女達に見せる事も無いだろう、との事。

個人的には、アリサとすずかに紹介するべきだと思うけれど、魔法が関わってくることだから。

仕方なく諦めたのだった。

 

語るべきことは多く有る。クロと出会った事、『名も無き偽典』の契約者によって起こされた一連の事件。

話の山場でコロコロと表情を変えながら私の話を聞いてくれている。

他人の事でこうも真剣に怒れるアリサは、優しい人なのだと再度実感する。

そして、その横で静かに聴いているすずかもだ。言いたい事聞きたい事があるだろうに、アリサに全てを任せている。

 

「はぁ!? なによ、それ!!」

 

今日一番にアリサが声を荒げた瞬間だった。

私の左腕について、だ。

 

「仕方ない、かな。どうしようもないし。けど、動くようになる可能性は有るみたいだから色々と試すつもりだよ」

 

動く気配の無い、アームホルダーに固定されている左腕を掲げる。

地球の医療技術では、回復は見込めないと言われている。時期を見て、管理世界に赴き治療を受ける予定だ。

それでも、動くようになる確率は低いらしいのだけれど、ソレを今此処で言う必要は無いだろう。

 

「・・・・・・っ! ばっかじゃないっ! なんでアンタは笑ってるのっ! 悪いのは暴れた奴じゃないっ!」

 

「だね。けど、動かなくなった事に悲観しても何かが良くなる訳じゃないし。前を見た方が堅実的じゃない?」

 

「ああ、もう! 本当に馬鹿だわ、アンタ。恨み言の一つや二つ言ったんでしょうね?」

 

片手で頭を押さえて、立ち上がった椅子に戻りながら盛大な溜息を吐いたアリサ。

そうして、私を真剣な眼差しで見る。

 

「あーうん。うん。言った事になるのかな? アレって」

 

「それで、何があったの?」

 

怒りで腕を組んだままになっているアリサの横で首を傾げてすずかが、そう聞いてきた。言ってしまっても問題は無い筈だ。

ただ、アリサの機嫌が天元突破しそうではあるけれども。

 

「うん、まぁ、最後には頭突きを……入れた、けど……」

 

最後の光景を思い出して苦笑いを浮かべてしまう。

いくら、偽典の契約者への決め手が思い浮かばなかったからと言って、とっさの一撃が頭突きと言うのはどうかと思う。

自分で言ってしまうのも何だけれど、花の女子高生が頭突きである。

その光景を、外側から見ていればきっとドン引きしてしまう筈だ。

 

「……馬鹿だわ。アンタ」

 

「まぁ、ね」

 

アリサは大げさに両腕を広げて、外国の人の様にポーズを取り呆れきった顏をしていた。

まぁ、アリサはハーフだから、そのポーズはきっちりと様に成っているのだけれど。

アリサの怒りに更に火を注いでしまうかと考えていたけれど、怒りを通り越して呆れた様だった。

 

「上総ちゃんは、これからどうするの?」

 

すずかが私に問いかける。

タイミング的にはバッチリだったと思う。多分、今回のお茶会と称した核心部分。

 

「少し、迷ってて。高校を卒業してから、アッチに行くのか。それとも、今から行くべきなのか」

 

どうしたものか、と思う。

決断を急ぐ必要はないのだから、このまま日常生活を送れと言うのが兄の意見だった。

魔導師としてならば、私は周りの人達よりも出遅れているのだから、少しでも早く管理世界へと渡るべき。しかしながら、今更足掻いても仕方ない、とクロに言われている。

兄もクロも、私に強要はしてこない。あくまで決定権をもっているのは私だと言ってくれている。

その下した決定に、最大限の助力をするとも言ってくれている。

二人は私に甘いのではと思いつつ、未だに決められない。

 

「なるほど。ま。それを言ってくれるだけ、上総はマシなのかしら? なのはなんて、もう決めてたんだもの。はやてもはやてだし、フェイトも向こうの世界の人だったし、ね」

 

「アリサちゃん、それは、仕方ないよ。それに、なのはちゃんだもん。決めた事は決して揺らがない。はやてちゃんも飄々としてる様で、意思は強いから」

 

「そうね。フェイトもああ見えて、譲らない所があるし」

 

皆に出会う前の話に苦笑するしかなかった。

それは、二人の苦労がにじみ出ていた。

呆れているような、眩しいものでも見ているかのような二人の顔。

 

「それで? どうするつもりなのかしら。上総は」

 

問いに問いを返される形に成ってしまった。

アリサならば、私が間違えた答えをだそうものなら怒る筈だ。

それなのに、こう聞いてきたのならそれはきっと、アリサ的にはどっちを選んでも良いのだろう。

 

「行き成り、向こうの世界に行くってのは不安……かな。日本みたいな所なら直ぐ慣れるんだろうけど、文化とかも違うんだろうし。

このままこっちで学校を卒業してから向こうに行くのって、魔導師として働くなら遅い気もするし」

 

「上総、行くことは決定事項じゃない。遅いか早いかだけなんでしょ?」

 

「そうだね。管理局に入局する事に迷いはない、かな。ただ何時が良いのか決めかねてる……」

 

クロの事を考えると、管理世界の方が良いのだろうと思う。

私の決定に従うと言ってくれてはいるけれど、クロの本拠地とでも言えばいいか。

それは、向こうの世界なんだ。そして、世界の理を求める事がクロの存在意義。

そのことを『名も無き教典』の契約者として、否定はしたくない。

だから、クロには私に拘る必要も無い、と言ったんだけれど一蹴された。

契約者の傍にいる事が、統括者の役割なのだと。

 

「成程、ね。けどそれは上総が出すべき答えで、私達が答える事じゃないわね」

 

「そうだね。上総ちゃんが考えて出した答えを否定する事なんて出来ないよ」

 

そう言ってアリサはすずかの顔を見る。

そしてすずかもそんなアリサの顔を見て頷く。

皆、優しすぎるんだ。

結局、答え何て出せないまま私はまた頭を抱えて、思考の海に投げ出されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

――時空管理局・巡航L級八番艦 アースラ・執務官室

 

今回の事件。

一応、私は参考人として管理局で執り行われている裁判に出廷することになっている。

その為に、時折アースラに招かれる事がある。

そのついで、と言うか。

聞きたい事があったのでフェイトを訪ねてみたのだった。

 

「何時、管理局に入局するか悩んでる・・・・・・か」

 

「仕事の邪魔してゴメン。でも、管理世界を知ってるフェイトに聞いてみるのも良いのかなって思って……」

 

革張りの黒ソファーに対面して座るフェイト。

その表情は真剣そのものだった。

仕事で忙しい筈なのに、快く部屋に迎え入れてくれた事には感謝しかない。

 

「大事な話だね。上総、ちょっと待ってね」

 

そう言って立ち上がり、金糸の長い髪を靡かせて執務机に向かうフェイト。

空中に浮かぶディスプレイに目を向けて、キーボードを打つ。

そうして暫く、執務官室の扉が開く音がした。

 

「「上総ちゃん!!」」

 

「なのは、はやて!? 先に本局に行くって言ってなかった?」

 

私の姿を見るや否や、駆け寄って左隣に座るなのは。

なのはが一瞬、私の左腕に目をやり、眉をひそめた事は気付かないフリをする事にした。

その様子を笑いながら見て、対面のフェイトが座っていた隣に腰を下ろしたはやて。

 

「うん。でも上総ちゃんから大事な話があるって聞いて飛んできたよ!」

 

「せやで。フェイトちゃんが深刻な顔して通信してくるもんやから、これは大変やおもて飛んできたんや」

 

どうやら、転送ポートを使用して私の為に、言葉通り飛んできてくれたみたいだった。

そんなに大事にするつもりなんて無かった私は、頭を抱えるしかなかった。

けれども、忙しい三人が折角私の為に時間を割いてくれたのだから、素直に相談に乗ってもらうとしよう。

少しだけ世間話に花を咲かせた後、本題に入る事にした。

 

「管理局に行く時期を迷ってるんだ。魔導師としてなら今すぐにでも行くべきだと思う。

けれど、せっかく入った高校に中途半端な状態で辞めてしまうのも、どうかなって思ってて。

でも、ちゃんと卒業してからじゃ遅い、と思うし」

 

一番迷っている事を告げる。

アリサとすずかにも、同じことを話したけれど結局答えは出なかった。

どの道を選べば良いのか。

選択肢はいくつか存在する。そしてその選択権は私自身に有るけれど、どれを選べば正解なのかが解らない。

少しでも、その答えが見つかる様にと思ってこうして、皆に縋っている。

みっともない醜態を晒しているのかも知れないけれど、それしか出来る事が無かったから。

 

「成程。堂々巡りちゅう訳やな」

 

「みたいだね」

 

「だね」

 

そんな私の様子を見て、三人が苦笑する。

決して私の事を、馬鹿にしている訳じゃない。

 

「どうしよう……」

 

天井を仰ぎ見て、目を閉じる。

そんな私の姿に、三人は何とも言えない空気を醸し出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

今、上総ちゃんが頭を抱えて悩んでいる事を笑い飛ばすなんて出来なかった。

ちゃんと上総ちゃんが意思を持って決めないと後悔する事を知っているから。

少し傲慢な意見に聞こえるかもしれないけれど、依るべきものが定まっていない人には難しい問題なのかもしれない。

私には『魔法で誰かを助けたい』と言う気持ちがあったから、嘱託魔導師として管理局に関わり、そして中学校を卒業と同時に入局したのだから。

 

私が管理局に入局して働いている事を後悔はしていない。自分が望んで決めた事なのだから。

進むべき道は誤っていないと思っているし、変えるつもりも無い。

もしも、魔法と出会う時期が今だったのなら、上総ちゃんと同じように悩んだのだろうなと思う。

だって、生活の基盤は日本に出来ているだろうし、この年なら将来に向けての進路を考えている事だろう。不安になる気持ちも十分に理解出来るから。

 

ただ私はその将来の進路を、魔法と出会った時に決めてしまったという事だ。

幼い子供故の拙い想いだったと思うし、もしかすれば甘い考えだったのかもしれない。

けれども、家族やユーノくん、リンディさんたちも居た。

迷えば手を引いて導いてくれたんだ。

それはきっと私が幼く、大人の庇護下に置かれておくべき存在だったから。

 

今の上総ちゃんは、だれにも頼る事もせず子供と大人の境目で、途方に暮れているようにも見えた。だから私たちに相談と言う形で、こうして話をしたのだろうと思う。

私達に頼ってくれた彼女の気持ちを、無下にする訳にはいかない。

 

「上総ちゃんは、魔法の事をどう思っているの?」

 

決めるのは上総ちゃん本人だ。

彼女が話をする事で、心の整理が付くかもしれないし、何かヒントを見つけて貰えればいいと思って質問してみた。

 

「使えれば便利かなって。携帯とか無くても離れている人と連絡とれるって凄いよね。けど、怖い部分もあるかな。自分の力で、もしかすれば誰かを傷つけたり、それ以上の事も出来るから」

 

そう言って、動かない左腕に目線を落とす上総ちゃん。

何かを諦めたような、乾いた眼で笑った。

 

「っ!」

 

そんな上総ちゃんを見て、フェイトちゃんが肩を少し動かした。

上総ちゃんは私の方に顔を向けていて、その事には気が付いていない。

上総ちゃん本人は、左腕の事を仕方がないと笑い飛ばしている。

そして、そんな上総ちゃんを見る、フェイトちゃんの顔は見て居られないくらい悔しさを滲ませているから。

フェイトちゃんから直接聞いたわけじゃないけれど、きっと後悔しているんだと思う。

上総ちゃんがあんな目に合ってしまった事を。

 

そんな彼女が魔導師に成る為の一番の懸念材料が、やはり左腕だ。

私みたいに、砲撃型の魔導師ならまだどうにかなると思う。

けれど、近接系の魔法が主になった場合、危険すぎる。

片腕という事だけでも、十分なハンデだと思う。

魔法戦で途中から使えなくなった訳でもない、最初から背負っていなければならない。

使える手段が減る、と言う事は相手にとってはつけ入る隙でもある。

訓練や演習ならまだいいかも知れない。

けれど、悪意を持った相手なら必ず其処を狙うだろう。

 

近々に受ける手術で治る可能性もあるけれど、シャマルさんからは難しいと言われている。

治らなかった場合の事も考えておかないと、彼女の身を危険に晒す事になる。

戦闘行為を行わない、内勤勤務も考えられるけれど、魔力量もそれなりにある彼女が其処に収まる事が出来るのかどうかは上層部の人次第。

もし、そんな事になりそうな時は、リンディさんたちに頼る事に成ると思う。

これは、上総ちゃんが知らなくても良い事だけれど。

それに上総ちゃんのお兄さんも、執務官でそれなりの地位にいるのだから、危ない目には合わせないと思う。

お兄さんの様子を見る限り、上総ちゃんの事を溺愛しているようだから。

 

「そうだね。でも、その事を考えられるのなら上総ちゃんは良い魔導師に成れるんじゃないのかな? 魔法は戦う事が全てじゃないよ。

誰かを癒す事も出来るし、ユーノ君の所なら検索魔法で司書の仕事が出来る。広域探索を出来る魔導師さんも重宝されてるよ」

 

「だね。魔導師って言っちゃうと戦う事をイメージしちゃうけれど、シャマルみたいに治癒魔法を得意とする人も居るし、戦う事以外で何かの分野に特化した魔導師も居る」

 

「上総ちゃんは、戦いたいん?」

 

「それは……出来る事ならしたくないよ。けど、覚悟を決めなきゃいけない時もあるんじゃない?」

 

もうそれを理解しているとは思わなかった。

上総ちゃんの言うとうり、覚悟をしなきゃいけない時は必ず来ると思う。

命を賭けている仕事だから。綺麗な事ばかりじゃない。

私を含めて、フェイトちゃんもはやてちゃんもその通過儀礼はとっくに過ぎている。

 

「うん。そうだね」

 

「……上総」

 

「……」

 

嘘はつけなかった。ううん、ついちゃいけないんだ。

どうあっても、魔導師として管理局で働くのなら避けられない部分だから。

夢や希望も大事だけれど、事実もまた大事な事だから。

それは、私が落ちてしまった時に痛感した事だ。

 

「はっきり言ってしまえば、まだ焦る必要は無いんじゃないかな? 腕の事もあるし、その結果次第で答えが変わってくるだろうから。

私たちは上総ちゃんと同い年で、管理局で働いてる。でも、魔法に出会った時期が違うから、私たちと同じように進む事も無いんじゃないのかな」

 

少しきつい言い方になってしまったかもしれないけれど。

彼女が傷ついていなければ良いと願いながら言葉にする。

 

「私も、なのはと同じかな。焦って魔法を覚えても良い事が無いと思うし。それにね、海鳴で過ごす時間も大事だと思うんだ。私は管理世界出身で、少しの間だけ海鳴に居ただけだけれど。

その時間は大切なものだし、忘れられないものだから。だから、上総にもそんな時間が必要だと思う」

 

その心配は無用だったかもしれない。上総ちゃんは私達の言葉にちゃんと耳を傾けてくれている。

短い間だったけれど、彼女からの信頼はちゃんと得られていたようだった。

それがとても嬉しい事だと、感じて。

 

「そうやな。魔法を覚えたいんなら、管理局が主催してる初心者講習とかあるさかい。夏休みとか長期休暇を利用して受けてみたらええんやない? それで、得手不得手も解るやろうし。

焦る必要なんてない。私たちが、上総ちゃんより一歩だけ先に進んでるように見えるだけやと思うんや。直ぐに追いつける筈やから」

 

はやてちゃんの言葉を聞き終えて、確りと深く頷いた彼女は、何か決心をしたように力強い何かを目に宿していた。

 

「ありがとう、皆。忙しいのに仕事の邪魔をしてごめんね……でも、少し何か見えた気がするよ」

 

右手で頬をかいて、照れくさそうに笑ってそう言う上総ちゃんは先程までの緊張感は全く無くて。

私たちの言葉で決めたって事は無いと思うけれど、一助になった事は確かだと思う。

彼女にどういう気持ちの変化があったのかは、上総ちゃんにしか解らない事だけれど。

 

そうして、別の話題で四人で楽しく話した時間はあっという間に過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

――二年後。

 

高校卒業を機に、管理局へと入局した私。

本来なら訓練校へと通う筈だったのだけれど、どういう訳か短期カリキュラムを受けただけで部隊配属と相成った。

そうして、地図を片手に目的の場所へと急ぐ。

時間に余裕をもって、家を出た筈だったけれど少し迷ってしまって、約束の時間に迫っていた。

古代遺物管理部機動六課、これが私の目指す場所だ。

陸士部隊の制服に身を包み、春だと言うのに照りつける太陽の暑さに少しだけ参りながらなんとか辿り着く事が出来た。

そうして進む事暫く、やっとの事で建屋のエントランスに辿り着いた。

緊張して、口を真一文字に結んで扉を開く。

 

「ようこそ。機動六課へ!」

 

高らかに宣言するはやて。

その後ろには、苦笑いをしながら迎えてくれた、なのはとフェイト。それにヴォルケンリッターの面々。

懐かしい顔ぶれに安心しながら、今日から私の魔導師としての新生活が始まる。

 

 

 

 

 




筆が進まなくて、結構な間放置していました。申し訳ないです。
一旦はこれで完結とさせて頂きます。
Sts編へと移っても、本筋を変える気は起きませんし、大掛かりに話を変えるのもなぁという次第です。もし続編があるとしたらSts編が終わってからの空白期をまた利用した形になりそうですし。

何か妙案があれば、活動報告に書く所を用意しますので、コメントを残して頂ければと思います。

ではでは! またどこかで!


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