3007日間 (まなぶおじさん)
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1~5日間

 牛丼が食べたくなった。そんな気分だったから。

 ダージリンは、常に淑女であろうと今年九月まで生き抜いてきた。
 振る舞いは勿論、髪型も服装も言葉遣いも、淑女らしく徹底してきたつもりだ。その気になれば、明日にでも社交界へ進出しても構わない。ヘマはしない自信がある。
 今日も、由緒正しき聖グロリアーナ女学院の生徒として、戦車隊の隊長として、紅茶を片手に己が人生を輝かせていく。

 の、だが。

 ダージリンはあくまで日本人であり、半年に一回くらいは「腹が減る」。
 昼休みになると、いつもは聖グロリアーナの食堂で「英国風メニュー」をたしなむのだが、本能的に我慢出来なくなって和食店へお邪魔することがある。
 別に校則で禁止されているわけでもないし、見られたところで「あ、今日はここで食べてるんですか」とコメントされるだけだ。

 が、

 聖グロの淑女とは難しいもので、そう簡単に和食を味わってはいけないし、同級生に目撃されてもいけない――という、暗黙の了解がある。それはダージリンも了承しているのだが、やはりどうしても、日本人としての血が抑えきれないこともある。
 だから、評判の牛丼屋へ足を運んでも仕方がないよねと、頭の中で何度も言い訳しつつ、西洋風の街並みに交じった牛丼屋の戸を開けようとする。

 ダージリンは、聖グロ出身の完成された淑女だ――牛丼屋の戸に手が触れた瞬間、恥じらいとか葛藤が、泉のように沸いて出てきた。
 ――私は日本人だぞ。
 何度も何度も自分にそう言い聞かせながら、あくまで平然を装って戸を開けた。軽快な音とともに、なんでもない牛丼屋の世界が視界に飛び込んでくる。
 ちなみに、このプロセスを完了させるのに五分の覚悟が必要だった。

 昼食時だからか、中は順調に混みあっている。主な客は大人ばかりで、その中に聖グロの生徒は居ない。
 ほっとする。
 二席のみがギリギリ空いていたらしく、ダーリジンはスムーズに腰を下ろすことが出来た。久々の和食を前にして、ダージリンはルンルン気分でメニュー表を覗う。
 まず、牛丼の画像を見ただけで腹が鳴った。これからこれを食べるのかと思うと、いよいよもって胃がカラになっていく。
 何だか聖グロを出し抜いた感じもあって、気分も盛り上がってきた。ダージリンは淑女であるが、手段を選ばない事も好きだったりする。

 店員に「定食を一つ」と注文し、数分が経過すれば、夢にまで見た牛丼定食が「お待たせしました」の一言で到着する。
 待ってましたと、手と手を合わせて静かに喜びつつ、箸を1セットつまみ取る。これで武器は揃った。
 食べるべき相手は、出来立てホカホカの牛丼に、あつあつの味噌汁、漬物にたくあんだ。この無慈悲な和風っぷりに、ダージリンの、日本人としての血がめちゃくちゃに騒ぎだした。

「素晴らしい」

 誰の耳にも届かないように、ダージリンは静かに呟いた。
 店内は先ほども今も賑やかなままで、雑談や、仕事の話、休暇の予定、「混みあっていますので……」など、それぞれの世界がダージリンの耳へ入っていく。
 マナーの聖域である聖グロの食堂も好きだが、この、昼休み感もたまには良い。ダージリンは目をつぶり、

「いただきます」

 手を合わせ、昼食へ言葉を交わし、早速とばかりに牛丼へ箸を伸ばす。まずは湯気が立ったままの牛肉をつまみ、恐る恐る、しかし容赦なく口の中へ入れる。
 あっという間に、牛丼特有のタレが舌へ沁み込んでいく。牛肉ならではのパワフルな質量が、ダージリンの食欲を全部引きずり出していく。
 とにもかくにも、

「おいしー……」

 これに尽きる。
 聖グロの監視の目を潜り抜け、この私だけが、半年ぶりの牛丼を堪能している――最高だった。本能レベルで何もかも満たされた。あまりに幸せだったもので、周りのことなど知ったことではなかった。
 だから、

「……あ」

 ここは相席だ。だから、目の前にいつの間にか男が座っていたとして、何の問題も無い。今は混み合う時間帯なのだ。
 小さく咳をつき、何でもなかったかのように、ダージリンは食事を再開し、

「ダージリン、さん……?」

 びくりと箸の動きが止まった。かわりに、顔面の温度が急上昇していく。
 「え……え……?」と、声になっていない呻き声を上げながら、男の顔を凝視する。たぶん、自分はみっともない表情をしているのだろう。

「ダージリン……さんだ」
「しーっ!」

 男よりもデカい声で、バラすなと警告する。男も「あ、すいません」と萎縮した。
 ダージリンは、何事も無かったかのように食事を続行する。表面上は。

 やばい。自分のことを知っている人に、牛丼の虜となった自分の姿を見られた。
 脳ミソは絶賛回転中で、次にどうすればいいのか、次にどう行動すればいいのか、次にどう口止めすべきか――思考はしつつ、今日も牛丼がうまい。


 

 牛丼定食を食べ終え、手と手を合わせ、「ごちそうさま」と食事に交わす。

 ――内心、茶山は未だにめちゃくちゃ盛り上がっていた。

 何せ、「あの」ダージリンと出会ったのだ。聖グロリアーナ女学院の戦車長を務め、大洗学園艦を救い出した、あのダージリンと。

 

 年を食っていなかったら、たぶん店内でデカい声を出していたと思う――それだけは避けたい、自分はダージリンのファンなのだ。迷惑はかけられない。

 勘定を済ませ、牛丼屋の戸を開ける。また会えたらいいなあと願いつつ、次の食べ歩きの為に携帯を取り出し、

 

「そこのあなた」

 

 強い女性の声がした。あまりに聞き覚えがありすぎて、体全体でとっさに反応してしまう。

 

「あなたよ、そこのあなた」

 

 お嬢様的な金髪に、日本人離れした青い瞳、聖グロの青い制服。

 先ほどまでの高揚感が、再び瞬間沸騰する。願ってもない再会を果たし、逆に何もできなくなる。

 こんな平民の為に、聖グロリアーナのお嬢様が、ダージリンが、牛丼屋の出入り口付近でずっと待っていてくれていた。

 

「あなた……どうして私の事を知っているの?」

「え、あ……」

 

 あ、そうか。

 ばったり遭遇した際、自分はダージリンの名前を口にした記憶がある。別にやましい理由で知ったわけではないが、何となく気まずい気持ちになった。

 

「あ、えーっと、ですね……」

「答えなさい」

 

 ダージリンの二つの目が、茶山をその場に縛り付ける。年下の女の子であるが、ダージリンは間違いなく戦車長だった。

 

「……えと、この前、あなたは大洗学園艦を助けてくれましたよね?」

「え? ああ、この前の」

 

 先月、大洗学園艦が危うく廃艦になりかけた事件があった。そこの卒業生としては、「マジかよ」と吐き捨てたものだ。大洗学園艦には良い思い出も悪い過去もある。

 廃艦を免れる条件は、今度開催される戦車道の試合に勝利すること――相手は優秀な大学選抜チームで、大洗側は圧倒的戦力不足。自分は「無理だろこんなの」とため息をついたが、試合開始前に「転入生」が、戦車込みで続々と駆け付けてくれたのだ。

 テレビ中継を通じ、次々と転入生が紹介されていったのだが、その時の実況ときたら、やけにハイテンションだったのを覚えている。

 西住まほ(現:大洗女子学園所属)、ケイ(現:大洗女子学園所属)、カチューシャ(現:大洗女子学園所属)、西絹代(現:大洗女子学園所属)――戦車道とは個性的なんだなあと思いつつ、緑茶のペットボトルに手を伸ばし、

 

 ダージリン(現:大洗女子学園所属)。

 

 その姿を目にした瞬間、茶山はこうも簡単に心奪われた。単純明快に表現すると、めちゃくちゃ好みだった。

 茶山、大学一年生。生まれて初めて、異性に興味を抱いた瞬間だった。

 

「僕、大洗学園艦の卒業生なんです。だから、あの時の皆さんには感謝していて……それで、戦車道に興味を持ってですね、色々な学園の公式サイトを拝見させていただきました。聖グロには戦車道の特設サイトもあって、情報収集しやすかったですね」

「ああ、あのサイトのことですか。確か、私のプロフィールも記載されていましたわね」

 

 ダージリンが、初めて明るい表情を見せる。

 ――嘘はついていない。

 聖グロの公式サイトには、聖グロ戦車道特設サイトも存在する。もっと正確に言えば、聖グロ全体の公式サイトと、聖グロ戦車道サイトが連携している、と表現した方が良い。

 まず、情報量が凄く多い。聖グロの戦車道に関する歴史はもちろん、全試合の詳細な報告、所有戦車、基本戦術、メンバー紹介、メンバーの名前にちなんだ紅茶の紹介などなど、読み物としても興味を抱ける作りになっている。

 更には、どのページを見ても「この力が聖グロリアーナを華麗に支える」とか「この振る舞いが、聖グロリアーナの戦車道を美しく魅せている」と、自信満々なテキストがついて回るのだった。お嬢様学校ってすごい。

 ――このサイトのお陰で、ダージリンの基本情報は脳ミソに叩き込めた。ダージリンというお茶「だけ」も、知識の中に入っている。

 

「なんというのかな。戦車道にはいろいろあると思うんですが、聖グロの戦車道が一番気になりまして、ね」

「ありがとうございます」

 

 ダージリンが、礼儀正しく頭を下げる。

 ――嘘は、まだついていない。

 ダージリン繋がりで、聖グロの戦車道に興味を抱いているのは事実だ。だが、聖グロ以外の戦車道に関する知識は――先ほど言ったように、拝見しただけ。

 

「すみませんね、何だか迷惑をかけてしまって」

「い、いえ、こちらこそ早まった真似をしてしまいまして」

 

 たははと、茶山とダージリンが笑う。牛丼屋の戸が開いたので、そそくさと場所を移動しつつ、

 

「――ところで」

「あ、なんでしょう」

 

 ダージリンが、えほんと咳をしつつ、

 

「私が牛丼屋へ出向いたこと、だれにも言わないでください」

「あ、それはもちろんですよ、はい」

 

 ダージリンの不利になるような情報なんて、拷問されても吐くものか。

 だって、初めて「素敵」だと思った女性だぞ。

 

「聖グロリアーナ女学院は、良くも悪くも『うるさい』学園ですから。和食は、禁じられているわけではないのですが」

「いえ、なんとなくわかりますよ。お嬢様学校ですからね」

 

 ダージリンも口にするように、聖グロはマナーが積み重なった世界なのだろう。西洋風なのだから、和食は控えるようにとか、そんな事情があるに違いない。

 食事制限をされては、自分如きなど生き残れる自信がない。

 

「ご理解、感謝しますわ。――そういえば大洗学園艦の卒業生、と言っていましたわよね? 今は何をされて?」

「ああ、大学一年です、本土の。名前は茶山っていいます。今は夏休み中でして、一週間だけ旅行を――しばらくはここに滞在です」

 

 ダージリンが、「まあ」と嬉しそうに声を上げて、

 

「旅行、良い響きですわね」

「ええ、この為にバイト代を稼ぎました。八月は集中講義を受けてきたので、清々しく食べ歩きさせてもらってます」

「食べ歩き?」

 

 ダージリンが、自分の顎に手を当てる。

 

「ええ、僕は昔から食べることが好きでして。いつもは本土で食べ歩きをしているんですが、なんとなく、学園艦を巡って食べ歩きしてみたいなーとか考えてしまいまして」

「なるほど……」

 

 考えるポーズはそのまま、ダージリンの視線が斜め上に傾く。何か考え事をしているらしい、その姿がとてつもなく似合う。

 

「――聖グロ付近に、おいしい店はあったりしますか?」

「え? ああ、いくつか抑えてありますよ。そば屋とかピザ屋とか」

 

 勿論、この後も食う予定だ。後腐れがない旅行だからか、足も腹も順調に空いているのだった。

 

「……あなたの迷惑でなければ」

「あ、なんです?」

 

 ダージリンが、深呼吸する。これからプロポーズでもするのかという勢いで、二人の間に「タメ」が生じた。

 閉ざされていたダージリンの両目が、緩慢に開いていく。その青い瞳は紛れもなく茶山を射抜いていて、茶山の体温がみっともなく上がっていく。

 

「……よろしければ」

「は、はい」

 

 ダージリンのお願いなら、たぶん何でも聞いてしまうと思う。

 自分はダージリンのファンであり、魅了された平民なのだから。

 

「明日のお昼休み、あなたの食べ歩きに同行させていただけませんこと?」

 

 え。

 茶山の言動は、ダージリンの一言で制圧された。

 しかしダージリンも無傷では済んでいないようで、頬は真っ赤、目先は地面へ逃げている。

 

「その、あなたの話を聞いていたら、お腹が空いてきまして……」

「え、あ、ああ! なるほど、そういうことですか――分かります。食べ物の話をすると、あれ食べたいこれ食べたいってなりますよね」

 

 流暢に言葉を紡いでいるが、実際は崩れかけた橋の上を走る勢いで口にしている。

 同行させてほしい、という一言で、すっかり動揺してしまっていた。

 

「あ、でも、メモなら渡しておきますから、おひとりでもいかがです?」

 

 よくもまあ、心にも無いことを口に出来たと思う。

 願っても無いシチュエーションを手にしたくせに、茶山ときたら年上のマナーを最優先にした。すっかり背が伸びたらしい。

 

「……お気遣いは嬉しい、のですが……」

「あ、はい」

「――1人で、西洋風以外の店に入るのは、ちょっと恥ずかしくて……」

「え、そうなんですか?」

 

 ダージリンが、重く頷く。

 

「この牛丼屋に入るのに、その……数分かかってしまいましたの」

「……なるほど……」

 

 ダージリンが、制服に刺繍されている校章に手を当てる。

 ――別に、適当に同意したわけではない。なんとなく、分かってしまうのだ。

 聖グロリアーナ女学院という世界は、良くも悪くも高貴だ。公式サイトも凝っているし、そこからティータイム制度が設けられていることも知った。撮影された画像を眺めてみても、皆が皆容姿端麗で、それに釣り合う振る舞いを紅茶片手で表現しているものが多い。

 食事も、ミートパイにうなぎゼリー、フィッシュ&チップスなど、よく厳選されていることが覗える。ダージリンは、普段はこうした食事をとっているのだろう。

 ――こうした食事をとり続けることこそが、「高貴」に繋がるという伝統があるに違いない。

 

「けれど、別に良いと思いますけどね。ここは外国じゃなくて日本なんですし……だから、和食店も多い」

「それでも、私は聖グロの生徒なので、その……」

 

 申し訳なさそうに、ダージリンが目を細める。

 聖グロの生徒なので。それがダージリンの理性であり、本能でもあって、誇りなのだろう。

 

「……分かりました」

 

 ダージリンが、きょとんとする。

 

「僕でよければ、一緒に何か食べましょう。そばでもピザでもなんでも。それでダージリンさんの元気が保てるのなら、ファンとして光栄です」

 

 出来る限り、下心を隠した言い回しをしたつもりだ。

 

「明日の昼休み、ここで集合にしますか? 流石に校門前にいると、ダージリンさんが誤解されてしまう」

 

 了承されたことを解したのだろう。ダージリンが、誇らしく笑みを浮かばせた。

 

「ええ、そのプランで構いません。――ありがとうございます」

「いえいえ。お任せください」

 

 互いに頭を下げる。そろそろ授業が始まるのか、ダージリンは「先に失礼しますわ」と立ち去っていった。

 ――深呼吸する。

 財布の中身を確認するが、特に問題は無い。これだけの札束があれば、二人分の昼食費を支払ったところで痛くもかゆくもないだろう。明日は男気を見せなくては。

 財布をポケットにしまい、携帯を取り出す。次はそば屋かピザ屋以外の店へ寄るとしよう。

 

 

―――

 

 二日目――早朝からビジネスホテルを出ていき、晴れ空の下でうんと背筋を伸ばす。

 夏休みとはいえ、平日から遊ぶのは非常に気分が良い。ずる休みをした時のような、尾を引く罪悪感を抱くこともないからなおさらだ。

 周囲を見渡す。

 ここは本土ではなく、聖グロリアーナ女学院の学園艦だ。西洋風の街並みに仕立て上げられた光景は、日本人の目からすれば十分にファンタジーで、魔法の一発が飛んできても「そういう場所か」と受け入れてしまう気がする。

 だが、ここはあくまで日本だ。行き交う人々もほぼ日本人だから、日本語が普通に通る――つまりは、安全が保障されているということだ。

 だからこそ、安心して盛り上がれるのかもしれない。たとえ異国感が凄まじくとも、ここは「故郷」日本なのだから。

 

 息をつく。

 さて、朝は何を食おうか。携帯を取り出し、適当に検索してみれば――喫茶店がヒットする。

 よし。

 実は茶山は、紅茶をたしなんだことがない。どちらかといえばコーヒー派で、喉が渇けば無糖を味わうことが多い。キツい苦さが、人生の相棒だ。

 そういう生き方をしていたので、紅茶に対する関心は皆無だった。ダージリンに惚れていなければ、紅茶を一生飲むことはなかっただろう。

 

 飲んでみるか、ダージリンを。

 

―――

 

 喫茶店でダージリンを飲み終え、親しみやすい苦さに唸りつつも数時間が経過した。

 そろそろ良い時間になったので、茶山はお上りさんのように街並みを見物しつつ、牛丼屋へ足を運んでいく――到着すると同時に、どこか安心したようにほっとする。

 ここは日本だ、それは間違いない。けれど、牛丼屋という日本の象徴を目にすると、どことなく「帰ってきた」という感がするのだ。

 こうして故郷が懐かしくなるのも、旅行の醍醐味なのかもしれない。そんな風に大人ごっこをしていると、見覚えのある女性が牛丼屋へ近づいてきた。

 

「こんにちは、ダージリンさ、」

「こんにちは」

 

 ダージリンと会うのは、これで二度目だ。厳密にいえば三回目。

 だから、顔を合わせたぐらいで今更緊張したりはしない、しないのだが、

 

「変装のつもりで、買ってみました。い、いかがです?」

 

 ダージリンが、緑色のミリタリーベレー帽を被っていた。

 茶山が沈黙する、感想を見失う。すぐさま「とても似合ってるよ」とコメントしたかったが、残念ながら肝っ玉は普通の男の子クラスだった。

 

「あ、あの、いかがです?」

 

 ベレー帽に向けて、自信なさげに指をさす。口をヘの時に、眉をハの字にしながら、感想を促してくる。

 今、自分の目の前にいる女性がダージリンなのか。強豪、聖グロリアーナの戦車隊隊長なのか。こんな可愛い人が、ダージリンなのか。

 やはり、自分が魅了されたのは間違いではなかったらしい。

 

「……ダージリンさん」

「はい」

 

 ダージリンが、真面目な顔になる。公式サイトで見られるような、誇り高き微笑が見当たらない。

 

「凄く似合ってます、とても可愛いです」

 

 本音だった、めちゃくちゃなまでの本心だった。

 

「そう、ですか」

 

 ダージリンが小さくため息をついた。

 

「良かった……」

 

 祈りを捧げる乙女のように、ダージリンは安堵しながら両目をつむった。

 ――決めた。

 自分は食うことしか取り柄がないけれど、その取り柄でダージリンを喜ばせよう。頼られる限り、自分も男として応えてみよう。

 

「ああ、ごめんなさい。男性に、自分の格好を評価してもらったことがなくて、つい」

「そうなんですか。僕の目だから、信用できるかな……」

「ええ」

 

 はっきりと言われた。

 

「あなたは、私の名誉を守ってくれました」

 

 牛丼屋の件か。

 それは、

 

「約束ですから」

「そう――こんな格言を知ってる?」

 

 最初、茶山は「え」と声が漏れた――思い当る。プロフィールページによると、ダージリンは名言集を読むのが日課で、それを人に聞かせることも趣味なのだという。

 

「勇気ある人は、皆約束を守る人である」

 

 ――格言なんて、そう簡単に思いつけるものだろうか。場に合わせて、一句も間違えずにモノを言えるだろうか。

 ダージリンは、慣れたような表情で「どう?」と見つめてきた。それに対し、茶山は、

 

「……すげえ」

「え」

 

 ダージリンが、びくりと体を震わせる。

 

「凄いですね、ダージリンさんは……。適切な場面で、的確な言葉を引用出来るなんて。インテリっていうのかな、流石です」

 

 自分には無い学を見せつけられ、茶山はすげえすげえと称賛した。こんな風に頭を回転させられなければ、戦車長など勤まらないのだろう。

 ――現在のダージリンは、「え、あ……」と口をぱくぱく動かしていた。顔もどこか赤い。

 

「あ、ありがとう……今の言葉は、ピエール・コルネイユという劇作家が発した言葉なの」

「そうなんですか。なんでも知ってるなあ……」

 

 ダージリンが、困ったように目を逸らす。

 茶山が、内心「うわしまった」と思考して、

 

「す、すみません。その……なんというのか、その」

「い、いいの、気にしないで頂戴。……最近、こういうことで褒められなくて」

 

 か細い声だが、聞いて欲しいという意志がよく伝わってきた。

 格言について久々に褒められたから、ダージリンは不意を突かれた形で戸惑ってしまったのだろう。ましてや「すごい」だの「インテリ」だの「なんでも知ってる」だの、本心からの感想を連続で受けたのだ。ダージリンの表情が変化してしまうのも無理は無かった。

 

「僕は……もっと聞きたいです、格言」

「……こ、こんな格言を、」

 

 間。

 

「そ、それより、今日は何処へ連れて行ってくれるのかしら? はやくしないと、昼休みが終わってしまいますわ」

 

 さらっと話題が変化した。

 あ、そうだ。今日はそういう事情があった。

 

「じゃあ、今日はそば屋へ寄りましょう。この学園艦で、今評判なんですよ」

「ほう」

 

―――

 

 今評判のそば屋へ立ち寄り、出入り口でダージリンが深呼吸した。心の準備が整うまで茶山は待機したが、ダージリンはすぐさま「行きましょう」とだけ。

 戸がからからと音を立て、そば屋の世界が視界に広がる。そばを味わう多数の客に、そば屋の主役たるそば定食が茶山の腹を減らす。ちらりとダージリンの横顔を確認するが、早く食わせろと誇らしく笑みを浮かばせていた。

 早速相席を確保し、「これにします」「では私も」と、同じ注文をする。後は待つだけ――その間にダージリンが店内を一瞥したが、すぐに胸をなでおろす。聖グロの生徒がいないかどうか、確認したのだろう。

 けれど、居たらいたらで問題は無いと思う。もしかしたら、ダージリンの友達になれるかもしれない。

 

 さて、

 食事の準備が万端というところで、茶山とダージリンはお見合い状態になった。出会ってトータル数分程度の関係だから、やはりどうしても会話が生じない。

 自己紹介は済ませてしまったし、戦車道についても深くまでは。こうして見てもダージリンって美少女だなあと抜かしつつ、互いの視線がけん制しあい、

 

「そば定食、二人前をお持ちしました」

 

 出来立てほやほやのそば、温まった白米、安心感がするたくあん、パワフルな天ぷら――これらを前にすれば、余計な緊張感などは用無しだ。茶山は「おっ」と声が出て、ダージリンは「これは……」と、嬉しそうに漏らす。

 自然と、互いが手を合わせ、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 食事に秘められたパワーは凄い。手も動くし、口だって達者になる。

 そばをずるずる食べながら、自然とチームメイトの話をしたり、戦車道について語ったり。茶山が「聖グロってどんな感じなんです?」と質問したところ、ダージリンは特に躊躇うこともなく、

 

「良い場所ですわ。あそこ以外での学生生活など、考えられません」

「ほうほう」

 

 色々と皮肉も出るが、何だかんだいって母校なのだろう。ダージリンは、嬉しそうな顔をする。

 

「優雅さを保とうとするからこそ、自然と競争心も芽生える。だから戦車道『も』強いと思ってますの」

「簡単じゃないですもんね、美しさというものは」

 

 ダージリンが、「ええ」と頷き、

 

「どうして、聖グロには守るべき伝統が多いのか。それは、皆が皆、美しくあって欲しいと願ってのこと――先輩だって聖グロの生徒ですから、無意味な伝統を飾り付けたりはしません」

「ああ、だから僕は、聖グロの戦車道ファンになったのかな。男だって、美しいものは好きですし」

「何が美しいのか、それを決めるのはあなた次第。だからこそ、光栄に思います」

 

 ダージリンが、小さく頭を下げる。

 

「応援しますよ、ダージリンさん。といっても、おいしい店を紹介することぐらいしかできませんけど」

「――こんな格言を知ってる?」

 

 茶山が天ぷらをかじりながら、「お」とダージリンを注目する。強い視線を感じたのか、ダージリンは「えほん」と小さく咳をし、

 

「偉大な思想は、胃袋から生まれる」

 

 二度目の引用を耳にした茶山は、やっぱり「すげえ」と目を輝かせるのだった。褒められ慣れていないらしいダージリンは、そそくさと目だけを逃がしつつ、そばを箸でつまみとる。

 

「なんか格好良い格言ですね。誰が言ったんです?」

「え、えと、ヴォーヴナルグ、フランスの思想家ですわ」

 

 茶山が、「へえー」と声に出して感心する。思想も哲学も疎いものだから、ダージリンの知識量にはやっぱり頭が下がる。

 

「やっぱり凄いなあ、ダージリンさんは。僕、一個上なのに自信なくしちゃうなー」

 

 たははと苦笑する。正直なところ、ダージリンに先を越されたところで悔しくも何ともない。

 いわゆる惚れた弱みという奴だ。

 

「そう思うことはありませんわ。あなただって、食事を追求する為の行動力があります」

「え、それはダージリンさんも同じでしょう?」

 

 ダージリンが「え」と表情を停止させる。

 

「もとはと言えば、僕たちは牛丼屋で知り合ったわけですし。ダージリンさんは、食事に対する行動力――この場合は、決断力かな? それがあります」

 

 ダージリンが、顎に手を当てる。その間は食事に手をつけず、茶山の手も自然と止まる。

 そして結論に至ったのか、ダージリンがちらりと目を向けてきた。

 

「あれは、お腹が空いたから……いえ。結局は、決断力が無ければ牛丼を味わえませんでしたか」

「ええ」

 

 次の言葉が、すぐに出る。

 

「ダージリンさんが隊長でいられる理由、分かった気がします。あなたは、やりたいことは全部やってしまうんですね」

 

 そばを咀嚼し、たくあんに手を伸ばす。どうしても食欲は抗えないものだが、何を食って食欲を満たすのかは本人次第だ。

 ダージリンに食への決断力が無ければ、今頃は出会わずじまいで学園艦を立ち去っていたに違いない。それが、茶山にとっての大きすぎる根拠だった。

 

「……あなたは、聞き上手なのですね」

「え、そうですか?」

「ええ。チームメイトの話にしろ、戦車道の話にしろ、あなたはいつも肯定的に頷いてくれたではありませんか」

 

 チームメイトの話をされた時は、「ローズヒップはもうちょっとお淑やかに……素質はあるのに」というセリフに対し、茶山は「良い人ですね、ダージリンさんは。普通だったら諦めてしまいます」と頷いた。

 戦車道の話をされた時は、「新しい戦車を導入するのに、これほど面倒な学園もあるでしょうか」という愚痴に対し、茶山は「導入すればもっと強くなると思いますが、今の聖グロも十分に強いです。ダージリンさん、いつも自信満々じゃないですか」とかなんとか言った。正直、この意見は割と強気だったと思う。

 

 確かに、これらの言葉は本音であり本心だ。だがそれ以上に、ダージリンに気に入られたいという下心もあるにはある。

 だから、ダージリンの言葉に対し、肯定的な意見を発掘する。万が一否定するにしても、それは肯定への布石にしなくてはいけない。

 

「――聞き上手とは、ちょっと違います」

「そうなんですの?」

「ええ。ダージリンさんの人柄が良いから、つい頷いてしまうだけなんです。聞き上手ってわけではありません」

「そんな……人柄云々は、単に、敵を作らないように意識しているだけです」

 

 そう言うものの、ダージリンは陰りのある表情でそばをすする。世の中を生き抜く為に、聖グロの世界で輝く為に、己が損得勘定を口にしたつもりなのだろう。

 だが、

 

「なるほど。その考え方、よくわかります」

 

 ダージリンが、「え……」と声を漏らす。

 

「僕もそうですよ。敵を作るとロクなことがないし、メシもまずくなりますから。だから、ダージリンさんの生き方はわかるなあって」

 

 今のダージリンの言葉には、色々と意図があるのだろう。けれど本音なんてものは目に見えはしない、結局は目視出来る行動こそが評価の全てだ。

 利益になるからこそ、敵を作らない――その生き方に、茶山は心の底から同調した。

 

「……説得力がありますわね」

「そうですかね」

 

 えへへと笑いながら、そばを完食する。箸でたくあんをつまみ、ごりっとかじる。

 

「……こんな格言を知ってる?」

「おっ」

「そんな風に、興味深く表情を変えないでくださるっ」

「え、どうしたらいいんですか?」

 

 実に楽しそうに意見を乞う。ダージリンが、「むう」と声を漏らしつつ、

 

「……分からないので、このまま聞いて」

「はい」

 

 どんな格言が飛び出すのかな、何を知ることが出来るのかな。

 いつも思うが、ダージリンの知識量は本当に凄い。聖グロという世界で生き残る術を知っていて、強豪であり続けられる戦術眼も備わっている。更には、格言に対する興味も現在進行形で膨らんでいるに違いない。

 本当に敵わないなあ、と思う。最高の人だなあ、と思う。

 

「全ての人を称賛する者は、誰をも称賛しないのと同様だ」

 

 ダージリンが深呼吸する。

 

「これは、別に皮肉で言ったつもりではないの。ただ、気を付けて欲しいというだけ」

 

 茶山は、素直に頷いた。嫌な気持ちなど、これっぽっちも抱いてはいなかった。

 なぜなら、

 

「忠告ありがとうございます。ですが、心配しないでください――ここ最近は、ダージリンさんのことしか称賛していません」

 

 ダージリンが天ぷらを噛み、ぴったり停止した。

 

「僕だって普通の人間ですから、称賛したくない奴もいますし、したい人だっています。――ただ、称賛『したい』人って、あまり出会わないんですよね。友人や家族のことは好きなんですが……ああ、好きだからかな」

 

 ダージリンの青い瞳だけが、こちらを覗っている。茶山は、恥ずかしそうに、

 

「けど、ダージリンさんのことは、心から称賛してますし、尊敬してます。ファンとして、これは断言させてください」

「……あなたという人は……」

 

 やばい、大袈裟に言いすぎただろうか。

 ダージリンの人柄や言動、知識量は、茶山からすれば感嘆に値する。仮に下心を抜きにしても、「この人は凄い」と評しただろう。

 ――そば屋は今も盛況で、自分の席以外からおしゃべりが聞こえてくる。それはドラマの話だったり、オカルト関連の噂が聞こえてきたり。仕事に対する愚痴も、耳に入ってきた。

 ただ、この席だけが硬直している。

 一方は、身構えるように聖グロの生徒を見つめている。

 一方は、瞬きを繰り返しながら旅行者を凝視している。

 

「……ほんと、」

 

 ふう、と息をついた。

 

「聞き上手、ですわね……」

 

 少しの間。

 茶山は、横に首を振るう。

 

「いえ、ダージリンさんの人柄が良いから、ですよ」

「……決めたつもり?」

「ええ」

「さすが年上」

 

 くすりと、ダージリンが笑った。

 ――この表情を貰えただけで、この学園艦に来たかいがあったと思う。

 

「あ、そうだ」

「はい?」

 

 ダージリンが、てんぷらを食べ終える。

 

「さっきの格言、どこからの引用ですか?」

「……サミュエル・ジョンソン。イングランドの文学者ですわね」

 

 ほう、と、茶山が感心し、

 

「やっぱり、ダージリンさんは何でも知ってるなあ」

 

 ダージリンは、頬を赤く染めながら白米を食べた。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 この後、茶山は二人分の食費を支払おうとして――やめた。

 昼食の料金を支払う今のダージリンに、誇らしさはどこにもない。ただ、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 聖グロの昼休みは、そろそろ終わりを迎えるだろう。名残惜しいという気持ちもあったが、正直なところめちゃくちゃ満足していた。

 裏話も聞けたし、議論もした。格言だって聞けた。ダージリンの一ファンとしては、他のファンに殴られてもおかしくない経験をしたと思う。

 これが最後の出会いになったとして、悔いはないと思う。そりゃあ恋愛感情はあるものの、何も結ばれるだけがゴールではない。何かの役に立てるなら、それはそれで構わない――そういう奴だって、この世にはいるものだ。

 さて。

 

「じゃ、僕はそろそろこれで」

「そうですわね――ところで、明日は何を食べにいきますの?」

「そうですね、次は、」

 

 間。

 

「えっ、また昼休みに合流するんですか?」

 

 ダージリンは、何言ってるんだろうという顔で茶山を見つめる。

 

「ええ、そうですけれど……何か問題が?」

「え、いやその、三日目になるんですが……いいんですか? ただの食べ歩きですよ?」

「かまいませんわ」

 

 間違ったことなど言っていないとばかりに、ダージリンはにこりと笑う。

 

「色々なものを食べてみたいというのも、それはそれで本音です」

「ふむ」

「けれど、あなたともっとお話がしたいのです。あなたは聖グロの生徒でも、戦車道履修者でもない。だからこそ、話せることがたくさんある」

 

 この時、あずかり知らぬところで心臓が止まったと思う。

 茶山は、ダージリンの瞳を見る。ダージリンは表も裏も利用するような女の子で、自身もそれを自覚している。だからこそ、聖グロでひと際輝く存在として君臨しているのだろう。

 だからこそ、ダージリンとああだこうだと話せる相手なんて、そうはいないはずだ。聖グロなら尚更、大半の雑談ですら建前に建前を、おまけにシールドを張ったような言い回しが展開されているに違いない。

 ――自分は平民だから、聖グロの会話を再現することなんか出来ない。思い返してみると、何だかとんでもないことばっかり言ってきた気がする。男としての下心がバレてないだろうか、単に見逃されているだけなのではないだろうか。

 呼吸する。

 

「その……僕はただの食べ歩き好きですよ? タダの、大学生ですよ? 面白いことなんて言えるかなあ」

「それは分かりません。会話の流れなんて、日に日に変わるものですわ」

 

 きっぱりと言い切られた。

 

「けれど今日は、美味しいものを食べながら、普段はできない話を口に出来ました」

 

 人差し指を、ぴんと立てる。ダージリンは、こういうポーズがとても似合うと思う。

 

「あなたは最後まで、私の話を聞いてくれましたわ。そう応じられる人は、見ていて気分が良くなるものです」

「あ、ありがとうございます」

 

 思わず、教師を相手にするように頭を下げる。

 

「そんなかしこまらず。私とあなたは対等の立場なのですし」

「いえいえ、ダージリンさんは聖グロのエースじゃないですか」

「そう? けれど、あなたは私の弱みを握っているではありませんか」

 

 くすりと、「いつもの」悪そうな笑みを浮かばせる。茶山は「まいったなー」と苦笑しつつ、

 

「まあ、そのことは絶対にばらしませんよ。ファンですし」

「ありがとう――ああ、これは完全に私情なのですけれど」

「あ、はい」

 

 ダージリンが、今度は恥じらいを込めたように目を逸らしつつ、

 

「……格言を言う際に、関心を抱かれるというのは、なかなか爽快になれますわね」

 

 その言葉を聞いて、茶山は嬉しそうに含み笑いがこぼれてしまう。

 ダージリンも「女の子」なのだなあと、思わず気分が良くなってしまった。

 

「ちょっと、何がおかしいんですの? もう言ってあげませんわよっ」

「あ、すみません。ダージリンさんの格言、聞かせてくださいっ」

 

 手と手を合わせ、「この通りっ」と頭を下げる。ダージリンは呆れたように、「もう」とリアクションしつつ、

 

「まあ、格言を口にすることはライフサイクルですしー、我慢するくらいならコーヒーを飲みますしー」

「そう怒らないでくださいよダージリン様」

「はあ。――また明日も、色々な話を聞いてくださる?」

 

 茶山は、当然だとばかりに頷く。旅行の予定は、聖グロリアーナ女学院学園艦関連でぎっしり埋まることになりそうだ。

 

「当然です。僕も、おいしいところリサーチしてますね」

「ありがとう。傾向に関しましては、あなたのお好きなように」

「期待に応えてみせます」

 

 ダージリンが、満足したように薄く笑う。まだ三度目しか会っていないというのに、随分と長く経過した気がした。

 

「それでは」

「ええ、また」

 

 ベレー帽をかぶり、ダージリンは華麗な世界へ舞い戻っていく。自分なんぞ、一生手の届かないところへ。

 さて――旅行の予定を変更するか。

 

―――

 

 昼休みの時だけ、ダージリンが姿を消して三日目になる。

 同じクラスメートのアッサムも、「最近、昼休みになると外出するようになりましたね」とコメントするほどだ。聖グロの昼休みといえば、食堂で英国風のメニューをたしなみつつ、戦車道や将来について語り合うことが多いというのに。

 世の中、何事も三度目までなら許される。万が一四度目があったとしたら――たぶん、周囲の人間がこそこそと質問するのではないだろうか。

 特に、オレンジペコとアッサムは黙ってはいまい。姿を消すのは昼休みの時だけだが、それだけでも立派な非日常に等しい。

 ――だが、ダージリンは時間通りに聖グロへ帰ってくる。その後は全てが元通りとなり、有能な戦車隊隊長として、今日も聖グロを輝かせるのだ。

 

 けれど、とルクリリは思う。

 外出する時、どうして隊長はあんなに嬉しそうな顔をするんだろう。

 

―――

 

 

 今日も晴天に恵まれ、争いのない平和な世界の下で、茶山とダージリンはピザ屋でビスマルクピザを注文する。

 店内のテーマは「茶」と「レンガ造り」で構築されていて、控えめなフランクさが茶山とダージリンの好みに合致した。ダージリンは「いい雰囲気ですわね」と店を一瞥しつつ、聖グロの生徒がいないかどうかを確認する。

 よし。二人は同時に頷いた。

 平日の真昼間だからか、客数はそれほど多くはない。けれど、ジャズが流れる店の世界と合っているようで、不思議と寂しさなどは感じられないのだった。

 

 これで三度目だからか、早速とばかりに雑談が始まる。先に口を開けたのはダージリンだった。

 

「私が帰った後、何を味わいました?」

「ケバブを食ってました」

「まあ、パワフルですわね……ああ、お腹が空いてきましたわ」

「ダージリンさん、食事が好きなんですね。いいことです」

「ええ。気の合う人との食事は、何物にも勝りますわ」

 

 ダージリンが、何の恥ずかし気もなく「交友宣言」をする。茶山の気分は真昼間から最高になって、「えー」と呟くことで感情を排熱させる。

 

「僕はただのファンですよ」

「――こ、」

 

 瞬間、茶山の目がセンサーのように光った。ダージリンもそれを察し、セリフの動向が止まる。

 

「……こんな格言を、知ってる?」

「教えてください」

 

 ダージリンが、しらーっと目を細め、

 

「もう……どうして、そこまで興味がおありで?」

「もちろん、興味があるからですよ」

「む――いつも思うのですけれど、そう耳を傾けられては、調子が狂ってしまいますわ」

 

 そういうものなんだなあと思う、何となくわかるなあとも思う。

 こういう「決め台詞」というのは、サラッと口にするから決めに繋がるのだ。それに対して身構えられては、ハードルが上がったような感じがしてやりづらくなってしまうのだろう。

 失敗したなーと思う。けれど、今更退いたところで空気は払拭できまい。ファンとしては申し訳ないが、ダージリンにはやり通して貰うしかない。

 

「す、すいません……」

「い、いえ。その姿勢は、立派だと思ってますわ」

 

 茶山が、「どうも」と小さく頭を下げる。ダージリンは気を取り直し、

 

「人生とは出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない――ドイツの小説家、ハンス・カロッサの言葉です」

 

 茶山は、当然のように「ほー……」と顔全体で表現する。やはり慣れないのか、ダージリンはこそばゆい感じで目を逸らして、

 

「私とあなたがこうして出会ったのも、目には見えない……いえ、牛丼という共通点があったから。それだけで、交友関係は約束されていたと思います」

「牛丼か……何か、食べたのがだいぶ前な気がします」

「私も」

 

 おかしくなって、茶山とダージリンが声無く笑う。出会うたびに喋りたいことを喋るものだから、たった四十五分間の昼休みが長く感じられてしまう。

 

「……間違っていたら申し訳ないんですが」

「どうぞ」

 

 意味も無く自分の服を握りしめ、少し荒っぽく服を正す。

 思い付きの緊張に、茶山が唸り声を出す。そんな茶山を前にして、ダージリンは表情一つ変えずに茶山の言葉を待っていた。

 

「えーっと……僕、ダージリンさんのこと、友人だと思って、いいんですかね……?」

 

 苦し紛れの言葉だった。ファンご法度の宣言だった。

 しかし、ダージリンは何を躊躇うこともなく、「ええ」と頷いた。

 

「先日は、色々な話を聞いてくれたではありませんか。それも、食事を共にしながら」

「まあ、そうですが」

「あなたは聖グロの生徒ではない、戦車道履修者でもない。だからこそ、あそこまで話せる時点で、友人と証明しているようなものですわ」

 

 縋るものがないからこそ、話せるかどうかで交友関係が決まる――自分は、それに選ばれたらしい。

 喜びはする。けれど、どちらかといえばほっとした。ダージリンに受け入れられた安心感が勝ったから。

 

「じゃあ、僕で良ければ何なりとお話ください。勿論、秘密厳守にしますよ」

「ありがとう――けれど、今日は、あなたの話が聞きたいですわね」

「ぼ、僕の? 僕は、ロクな人生持ってませんよ」

「さあ、どうかしら……?」

 

 困ったなあと苦笑していると、店員が「お待たせしました」と、ピザの乗った皿を置く。自己主張の激しい湯気が昇るビスマルクピザは、建前の理性など吹っ飛ばし、食欲をふん捕まえて正座させる。

 ダージリンを見る。

 やはり、ピザを食べるのは久々なのだろう。「まあ」と、顔を電球のように明るくしていた。

 

「さあ、食べましょう」

「ええ」

 

 手と手と合わせ、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 

 あらかじめ分割されていたから、茶山の分、ダージリンの分と、目で確保することは容易だった。

 ピザを食って気を良くした茶山は、

 

「最近、ダージリンを飲んだんですよ」

 

 とか自己主張し、ダージリンは嬉しそうに「まあ、いかがでした?」と感想を聞いてくる。茶山は「そっすねー」と前置きし、

 

「親しみやすい苦さ、というのかな。僕はコーヒー派なんですが、ダージリンも好みの味でした」

 

 まるで自分の娘が褒められたかのように、ダージリンは自信満々に微笑する。

 

「そうでしょう。ダージリンは、初心者向けの味をしていると思ってますの」

「ええ。僕も紅茶の世界は知らなかったんですが、いいですね」

 

 うんうんと、二度頷きつつ、

 

「次は、アールグレイやアッサムティーを飲んでみようかなと」

「紅茶の素晴らしさ、どうぞご堪能くださいませ」

 

 ダージリンは、フォークでピザを味わっている。食べ物に、差なんてものはない。

 

「ああ、そういえば聞いてくださる? 先日、気を強くしてOGと交渉してみたのですけれど――」

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 ピザ屋を出れば、先ほどと変わらない青空が茶山とダージリンを迎えた。今日も色々と話し合ったからだろう、茶山は山頂気分で深呼吸した。

 

「今日もお付き合いしてくださって、感謝していますわ」

「いえいえ、ファンとして、」

 

 ダージリンが、人差し指で己が口に手を当てた。ウインク込みで。

 そうだ。そういえば、そうだった。

 

「失礼、友人でしたね」

「その通りです」

「確かに、友人じゃないとOGの悪口なんて、ねえ?」

「ええ、言えたものではないですわ。告げ口されるかもしれませんし」

 

 茶山とダージリンは、「ふふふふ」と含み笑いをこぼす。

 本日はOGが飯の種となったのだが、ダージリンからすれば「尊敬はするがやかましい相手」らしい。聖グロの伝統を守り抜き、また新たな伝統を積み重ねていく姿は、後輩からすれば立派な見本のようだ。

 

 だが、戦車道に関わると話が変わってくる。聖グロは伝統の要塞であり、戦車道の強豪校でもあるから、「あの戦車を導入することが正しい」「それよりもあの戦車が重要」「この戦車を導入しなかったら……お分かり?」と、積極的に口出ししてくるとかなんとか。金を出して貰っている都合上、ダージリンもおいそれと反論出来ないらしかった。

 もちろん、OGへの罵詈雑言なんて聖グロの生徒相手には吐き出せない。その他の戦車道履修者だって、それ繋がりでチクられる恐れもある。心配しすぎかもしれないが、ダージリンの戦術眼がそうはさせない。

 なので、赤の他人である茶山が、話し相手としてピッタリだったというわけだ。茶山は完全にダージリンの味方であるから、顔も知らぬOG相手に「頭かったいですねー」とか「有終の美を飾りゃいいのに」とか「うぜー」とか「力になりますよ」などと好き勝手に意見したものだ。

 

「ふう――やはり、あなたには何でも話せますわね」

「それほどでも」

「……ああ、もうこんな時間。こんなにも時を早く感じるなんて――良いものですわね」

「ええ」

 

 これ以上無い、「楽しかった」という感想だった。

 

「それでは、私はこれで。明日も、ご迷惑でなければ案内してくださる?」

「もちろん」

「ありがとう。では」

 

 ベレー帽をかぶり、ダージリンは走りもせずに立ち去っていく。

 改めて、深呼吸する。

 見慣れない車が、茶山の目の前を通過していく。街並みの中で揺れる看板が、茶山の記憶に少しだけ残る。轟音が鳴り響いたかと思えば、戦車が道路を通過していき、赤信号で停止した。

 ここも、随分と歩き慣れた。食べ歩きとは、食べ物や地理、出会いをくれるものなのだなあと実感する。

 

―――

 

 四日目――聖グロから外出しようとするダージリンに対し、アッサムが「待ってください」の一声でダージリンを捕まえる。

 淑女であるダージリンは、無意味に無視したりはしない。だからその場で立ち止まり、何でもなかったかのように振り向くのだ。

 

「アッサム、それにルクリリ」

「隊長。お急ぎのところでしたら、申し訳ありません」

 

 ベレー帽を手にしたダージリンが、構わないと首を小さく振るう。

 

「ありがとうございます。――この四日間、どこへお出かけに?」

「少し散歩を」

「昼食も食べずに?」

 

 沈黙。

 

「……外で、食事を」

「なるほど――食事内容は、聞かないでおきます」

 

 アッサムが、納得するように小さく頷く。

 ――今のところ、アッサムしか口を開けていない。だが、アッサムがここまで単刀直入にモノを申せるのも、ルクリリという「仲間」がいるからだ。

 ルクリリが食堂へ向かう最中、たまたまアッサムと出会い、「隊長を見なかった?」と質問された。遂にこの時が来たかと、アッサムとはアイコンタクトで「探そう」と意思疎通を図り、現状に至るわけである。

 一人よりも二人で、これは何事にも通じる戦術だ。

 

「……一日だけの気分転換はともかく、四日間も連続で外出するとは――この傾向は、初めて目にしますね」

「――もう少しで卒業でしょう? だからこそ、こういうこともしてみたくなるの」

 

 なるほどと、アッサムが頷く。

 

「そういえば、そんな時期でしたね。なるほど、わかります」

「そう、そういうこともあるのよ」

 

 もう九月だ。

 ルクリリもアッサムも同じ三年であるから、何処か遠い目でダージリンと語り合う。

 

「そのベレー帽も、気分転換の一環ですか?」

「ええ」

「……珍しいですね。隊長が、帽子をかぶるなんて」

「そうかしら」

 

 そういえば、ダージリンが帽子をかぶった姿を見たことはない。きっと、よく似合うのだろう。

 

「アッサムも、何か被ってみては? 良い気分転換になるわよ」

「考えておきます。――そうですか、外食でしたか」

 

 ダージリンが、こくりと頷く。アッサムは、納得したように頭を下げて、

 

「お時間をとらせていただき、ありがとうございました」

「いえ、いいのよ。四日間も外出とあれば、気になっても仕方がないわ」

 

 これ以上、根掘り葉掘り聞くことは、淑女としてマナーに反する。

 それをアッサムが感じ、ダージリンが察したのだろう。互いに、分かりあうように穏やかな笑みを見せていた。

 

「なるほど、外食を……」

 

 そんなダージリンとアッサムを見て、ルクリリも不思議と上機嫌になる。

 

「隊長、凄く嬉しそうに外出するから、私も気になっていたんですが――そういうことでしたか」

 

 ダージリンが苦笑する。アッサムは「そうだったんですか」と、今知ったようにコメントした。

 ――悪くない気分だ。だから、ルクリリは適当な感じで、

 

「私はてっきり、だれかと待ち合わせしているのかなーと」

 

 瞬間、ダージリンからの強い視線を真っ向から浴びた。アッサムは「えっ」と動揺し、ルクリリは「え、なんです?」とダージリンに問うた――が、聖グロ出身のルクリリの頭脳は、すぐさま危険信号を発した。

 

 先ほどまでの穏やかなダージリン様は、何処かへ旅立っていった。今ここにいるのは、ルクリリの事を初めてガン見するダージリン隊長である。

 聖グロの玄関で、ダージリンとルクリリは、対等の位置に突っ立っていた。武器を片手に持っていれば、決闘と見なされても全くおかしくはない。アッサムは「ああ……」と声を出し、事態を眺めることしかできないでいた。

 脳内でエレキギターの音色が響き渡る。生きて帰ることが出来るのだろうかと、他人事のように思考する。

 

「……し、失礼」

 

 が、流石は聖グロの戦車隊隊長だった。

 何事も無かったかのように、首を小さく振るうだけで表情が元通り。

 

「待ち合わせなんてとんでもない。ただ、外食を楽しんでいるだけですわ」

「そうでしたか……申し訳ありません。失言でした」

 

 ダージリンが、「いいのよ」と一言で許した。

 

「あ、気づけばもうこんな時間……ごめんなさい、そろそろ出かけるわ」

「は、はい。外食、楽しんできてくださいね」

 

 手を振るいながら、ダージリンがルクリリとアッサムの前から姿を消していく。

 ――校門を通り過ぎたところで、ようやくアッサムが長い溜息をついた。

 

「……ルクリリ~」

「ごめんっ、つい」

 

 手を合わせながら、アッサムに頭を下げる。先ほどのダージリンと同じように、アッサムも「いいわ」と許してくれた。

 

「――あんな顔、するのね……」

「ええ、あの眼光は凄かった。消し炭にされそうだった」

 

 アッサムは、否定はしなかった。

 

「……で、さ」

 

 今のルクリリは、正直なところ、あまりモノを考えてはいない。

 そんなルクリリに対し、アッサムは疲れ果てた様子で「何……?」と応答する。

 

「隊長、誰かと会うつもりなのかな」

「……そうでしょうね」

「知り合い……といっても、隊長に知り合いは多いからなー。特定できないや」

「そうね……」

 

 放課後になれば賑わう校門前も、昼休みともなれば寂しいものだ。

 お嬢様学校らしく、昼休みになっても喧騒は聞こえてはこない。大多数は食堂に集まり、お淑やかに雑談を交わしあっているのだろう。

 

「……これはさ、我ながらアレな推測なんだけどさ、言っていい?」

「どうぞ」

「――男性、かなあ?」

 

 アッサムが、ロングヘアーを撫でる。

 

「ああ、ありえるわね。あの様子なら」

 

―――

 

 失敗した。

 淑女らしさをかなぐり捨て、こうして走るハメになっているのも、全ては自分の責任だ。

 自分は聖グロの有名人だ。だから、一つ一つの行動が目に入るのも仕方がないことだ。

 自分は聖グロの戦車隊隊長だ。だから、不自然に姿を消そうものなら疑問に思われる。

 アッサムは何も悪くはない、ルクリリも当然の疑問を抱いただけだ――聖グロからすれば、まる四日間の不在なんて目立つに決まってる。そんなことに気づかないほど、あのひと時がとても楽しかった。また堪能したかった。

 

 また、チームメイトのことで語り合いたかった。また、戦車道について意見を貰いたかった。また、OGをけなしたかった――また、格言を言って褒めてもらいたかった。

 それほどまで、茶山は頷き方が上手かった。茶山は「自分よりダージリンの方が上」と言っていたが、そんなことはない。

 茶山がいなければ、こそこそと好きなものを食べて、好き勝手に談笑することなど出来るはずがなかった。そこに上下は関係ない、ダージリンと茶山がいるかどうかが大事なのだ。

 

 戦車道を歩む都合上、体力を鍛えてはいる。だから、最初から全速力なんて、効率が悪いことも分かってはいる。

 だが、茶山と会ってのんびりと昼食をとるには、多大な余裕が必要なのだ。しかも、茶山は明日にでも学園艦を去ってしまうかもしれない。旅行の期限は一週間と聞く。

 だから走る。ダージリンは、時間が有限であることもよく知っているから。

 

 そして、牛丼屋の前にたどり着く。途中でベレー帽を落としそうになったが、手で押さえつけて何とかした。このベレー帽だって、昼食における大切なパーツなのだ。

 

「あ……ダージリンさん? どうしたんですかっ」

「ご、ごめんなさい。ちょっと用事があって」

 

 ダージリンが両肩で息をする、空気の供給が遅れているのがよく分かる。もっと走って、肺を鍛えておけば良かった。

 

「そうですか……大丈夫ですか? その、めっちゃ走ってきたっぽいですけど」

「も、問題ありませんわ。う、苦しいかも」

 

 茶山が「すみません」と一言口にして、ダージリンの背中をさすった。

 呼吸が整っていく。背中が順序良く温まっていく。間違いなく、手厚く対処されている。

 ――思うと、こんな風に優しくされたのは久々かもしれない。頼られることはあれど、その逆はまるで覚えていない。

 

「どうですか? ダージリンさん」

「あ……うん、うん、楽になってきましたわ」

 

 徐々に、普通に呼吸出来るようになった。沸いて出た吐き気も、大分マシになった。

 体を鍛えているといっても、基礎はお嬢様か。「はあ」と大きく息をつく。

 

「ご心配をおかけしました。私はもう大丈夫です」

「よかった」

「その……ありがとうございます」

 

 茶山は、なんでもなかったように親指を立てる。

 

「ふふ……あ、時間は」

「あ、正直微妙ですね。牛丼屋の前にいるとはいえ、早めに食わなきゃ間に合わないかも」

「そうですか……」

 

 心底、力が抜けた。食べるものは正直何でもいい、問題は飲み食いしながら雑談出来るかどうかだ。

 ダージリンは、残念そうに視線を地面に落とした。誰も悪くはない、それ故に悔しい。

 

「――ダージリンさん、次の機会がありますよ。それとも、放課後にします?」

「……午後は戦車道の授業を行うことが多くて、その後にはティータイムが開催されますの」

 

 意図をすぐ理解したのか、茶山は「あー、なるほど」と納得した。

 

「それじゃあ、腹が満たされてしまいますね」

「ええ……」

 

 何も食べなくても、話ぐらいは出来る。茶山も、そこは了承してくれるはずだ。

 けれど、食べ物とは、人間の明るさを引き出す力があると思う。一緒に食事をするだけで場を共有できるし、連帯感が募って自然と話題も生じる。ティータイムの際は、ふと談笑がこぼれ落ちるし、茶山との食事はああだこうだと愚痴をこぼすことが出来る。

 だから、「食事をしながら」というのは、絶対に外すことの出来ないパーツの一つだった。茶山が食べ歩き好きならば、なおさらだ。

 

「うーん……あ、そだ」

 

 ダージリンが、「え」と力なく声を出す。名案を思い浮かんだらしい茶山に、陰りなど失せていた。

 

「えーっと、聖グロ的にはマナー違反かもしれませんが……」

 

 何を言い出すのだろう。

 自分の頭では、一生思いつかないことを口にするつもりなのだろうか。

 

「えっと、ダージリンさんは、コンビニで何か買ったりします?」

 

 ダージリンが、無言でまばたきをする。茶山が、気まずそうに「あー」と声に出す。

 

「あ、無いっぽいですね……何かコンビニで食い物を買って、聖グロまで歩きながら食う……とか」

 

 実に恥ずかしそうに、実に申し訳なさそうに、茶山が案を口にする。

 プランを聞いたダージリンは、表情に明るさを取り戻していく。

 

「正直、聖グロの生徒としては……けれど、いい案だと思いますわ。効率的で、それでいて学生っぽくて」

「学生ですけどね」

 

 茶山とダージリンが、くすりと笑う。

 

「じゃ、コンビニへ行きましょうか。場所は確保してあるので」

「はい。エスコート、よろしくお願いしますわね」

 

 茶山が、腰に手を当てる。

 

「お任せください。必ずや、お姫様の身を守り通します」

 

 ダージリンも茶山も、何言ってるんだかと含み笑いする。

 

 

 実は、ダージリンはコンビニというものに入ったことがない。

 学生寮からは朝食と夕食が提供されるので、腹の中が不足することはほとんど無いのだ。足りないと思えば、追加を頼めば良い。

 だから、必然的にコンビニへ通う必要性が薄くなる。別に苦手意識を持っているとか、そういうわけではない。

 

 故に、コンビニへ入った時は「何でも揃ってる……」と感嘆したものだ。雑誌はもちろん、簡単な筆記用具まで売ってある。食べ物の種類だって豊富だ。

 すっかり食への抵抗を失っていたダージリンは、あれが食べたいこれが食べたいと盛り上がってしまった。そんなダージリンに対し、茶山は「パンがおすすめですよ」とアドバイスしてくれたものだから、すぐさま意識をパンコーナーへコーナリングする。

 時間は有限だが、ここで焦ってはいけない――ダージリンは直感的に、クリームパンを選び抜くのだった。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 袋を開封し、クリームパンがダージリンの前に姿を現す。袋に透けて見えてはいたものの、「所有権」があるのとでは印象がまるで違う。

 早速とばかりに、思い切りクリームパンにかじりつく。

 

「おいしい……!」

 

 喜色満面の笑みを浮かばせながら、茶山とともに聖グロへ足を進めていく。茶山はホットドッグを口にしながら、「それは良かった」と安堵した。

 色々あったが、今となってはアッサムとルクリリに感謝している。二人に呼び止められなければ、一生、コンビニへ入ることは無かっただろうから。

 

「コンビニも良いものですよ。まあ、聖グロ的には……ね?」

「ええ。ですが、時間が無い時は有効活用させてもらいますわ」

 

 移動しながら昼食をとる。聖グロ的には褒められたものではないが、かけがえのない時間を失うよりはよっぽどマシだ。

 自分は、茶山に話したいことがたくさんあるのだから。

 

「あ、時間といえば」

「なんです?」

「確か、一週間の旅行と言ってましたわよね?」

 

 茶山が、「あー」と声を伸ばし、

 

「そうですね。予算的にも、これぐらいが丁度いいかなと」

「そうですか……今日で四日目になりますが、あなたはいつ、次の学園艦へ?」

 

 茶山は言った。「食べ歩きをする為に、学園艦を巡る」と。

 一言も、聖グロリアーナ女学院学園艦「のみ」とは口にしていない。

 

「次ですか? 次はー」

「ええ」

「無いです、最後までここに滞在します」

 

 クリームパンを味わっていた、ダージリンの口が止まる。

 

「僕、土曜の夕方までここにいますよ」

 

 間。

 

「え、どうして……あなたは、学園艦巡りをするつもりでは?」

「ああ、それなんですけどね、今年はやめました」

 

 あっさりと言った。

 

「ど、どうしてですか?」

「え、それはー」

 

 茶山は、間違いなく食べることが好きだ。値段問わず、食欲を満たすことが茶山の趣味だ。

 食べ歩くための旅行とは、実に大学生らしい夢の叶え方といえる。それを実現させる為に、茶山はバイトを行ったり、集中講義を受けたりしたのだ。

 本当なら明日にでも旅立って、アンツィオあたりで食べ歩きを決行していたに違いない――けれど、茶山は夢の叶え方を変えた。聖グロリアーナ女学院学園艦で、お腹を満たすことに決めたのだ。

 なぜ、茶山はそう判断したのだろう。この学園艦で、何かがあったのだろうか。

 ――そんなの、自分がよく知っているじゃないか。

 聖グロリアーナ女学院へ通うだけの頭脳があるくせに、気づかないなんて嘘だ。ズルだ。

 

 茶山は、ただただダージリンを真っ直ぐ見つめた。

 

「ダージリンさんと、もっと話がしたいから」

 

 ああ、そうか、やっぱりそうなのか。

 

「――そう」

「はい」

 

 茶山は、答えたいように応えた。

 これまで、男性と仲良くなったことなんてない。けれど、牛丼の一つを注文するだけで世界が変わってしまった――出会いなんて、そんなものだと思う。

 茶山のことは、話せる友人だと思っている。聖グロとは無関係で、戦車道とも無縁であるからこそ、ここまで進展出来たのだと思う。

 

「……こんな格言を知ってる?」

「え、何です?」

 

 また、目を星のようにきらきらと光らせる。

 そうやって、また自分を困らせてくれる。

 

「友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである」

 

 そう――

 ダージリンも茶山も、互いに顔を合わせて話がしたいと思っている。そうでなければ、ここまで進展することなどできなかった。

 

「そ、そんな、僕はダージリンさんのことをよく……いや、知っているのかな? 色々聞かされましたし」

「ええ」

 

 クリームが、口の中に染み渡る。甘くて、自然と笑みがこぼれる。

 

「それで――今の格言は、誰が?」

「エルバード・ハーバード、アメリカの作家ですわ」

「ほうほう……」

 

 何度言っても、茶山はやっぱり称賛しかしない。

 そのたびに恥ずかしくなったり、目を逸らしたりするのだが、嫌な気持ちになったことなど一度も無い――嬉しい。

 

「もうっ。少しは予習しなさいな」

「無理です、あえて調べてません」

「まあっ、呆れた」

 

 茶山は「えー」と、困ってもいないくせに困惑した。

 

「冗談ですよ。ダージリンさんのお陰で紅茶が好きになりましたし、格言って格好良いなーって思いましたから」

「いい傾向ね」

「ですね。僕、ここに来てよかったな」

 

 この学園艦は、家のようなものだ。だからこそ、こう評価されたことが純粋に嬉しい。

 

「ダージリンさんとも会えましたし、思い残すことはないって感じです。ありがとうございます、友人になってくれて」

「――私たちは友人。だからこそ、礼を言う必要はありません」

「……そうですか。そこまで言ってくれるんですね」

 

 ホットドッグは既に完食していて、手のひらで袋を弄んでいて――ふと、手の動きが止まる。

 

「……ダージリンさん」

「はい?」

 

 その時、茶山が恥ずかしそうににこりと笑った。前に押し出すような笑顔ではなくて、まるで謙遜しているような、目に入りやすい微笑だった。

 

「僕は、これからも友人として、ダージリンさんのことを応援し続けます。まあ、どうすれば力になれるかは分からないですけど……困った時は、おいしいものを食べてみるのが良いですよ。僕も、そうやって色々切り替えてきました」

 

 そう言う茶山は、とても自信なさげで。けれど、誠実さを持ってダージリンの目を見つめている。

 

「帰る時は、おすすめのスポットをメモに書いておきます。……ダージリンさん。OGなんかに負けないでくださいね」

 

 ダージリンは、当然だとばかりに頷いた。――茶山は、薄く微笑んだままで、

 

「これからもどうか、幸せに生きてください」

 

 ダージリンは、仲間から信頼されているという自覚がある。アッサムからは頼られ、オレンジペコからは敬われ、ローズヒップからは親しまれ、ルクリリからは教えを乞われる。

 満たされた人生だった。聖グロの戦車隊隊長として、上手くやっていけているのだと胸を張れた。

 これ以上の幸せなど、あるはずがない。

 そう思い込んでいたが、真正面から「幸せに生きて欲しい」と言われた瞬間、ダージリンの体の中が大空になった。

 

 茶山は、彼は、自分「だけ」に対し、確かにそう言った。

 必死に発想したであろう、応援の言葉を耳にして、ダージリンの中の感情が宙を舞った。なぜかまったくわからないけれど。

 

「……茶山、さん」

「あ、な、なんです」

 

 クリームパンをかじる、完食する。咀嚼し、ごくりと飲み込む。

 

「……ありがとう。私、あなたと会えて本当に良かった」

「え、え、そうですか? それは、良かった……」

 

 茶山からすれば、今の応援なんて、取るに足らないものだと思っているに違いない。

 けれど、それは、聖グロでは絶対に聞くことの出来ない祈りそのものだ。目が、体が、心が、想いが、憧れが熱くなった。

 

「……あ、そろそろ学園に到着しますわね」

「そっか。じゃあ、袋をください、一緒に捨てておきます」

 

 ダージリンが「ありがとう」と礼を言い、クリームパンが入っていた袋を茶山に手渡す。

 

「あ、そうだ」

「――ああ、そうでしたわね」

 

 静かに、手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 ――聖グロの付近まで到着する。ダージリンが携帯を取り出し、少しだけ時間があることを確認して、

 

「あの」

「あ、なんですか?」

 

 照れる時間はない。ダージリンは、手に持っている携帯を印籠のように突き出した。

 

「アドレスッ、交換してくださいなっ」

 

 間。

 

「……もちろん、構いませんよ! いやー、嬉しいなあ」

 

 気軽そうに、けれどハイスピードな手つきでアドレスを登録している。

 その様子を見て、ダージリンは心底ほっとする。この人は、本当に自分のことを友達だと思ってくれている。

 ――これでようやく、秘密を守ってくれる理解者と繋がることが出来た。出会いもあれば別れもある、なんて陳腐な法則に従うつもりはない。たぶん、茶山のような男性と知り合えるのは、この機会しかないだろうから。

 ダージリンは、そう信じていた。

 

「じゃあ、後で送信しておきますから。ついでに僕のも登録してください」

「ありがとう。メールに関しては、いつもの調子で送信しても構いませんわ」

「やった。格言メールも期待していいんですよね?」

「……もうっ」

 

 そして、茶山とは手を振って別れた。

 左右を見渡す、聖グロの生徒は見当たらない。

 さて――聖グロの世界へ戻ろう。時には伝統が不便だと思うこともあるけれど、やっぱり聖グロの空気は心地良い。女性として、これほど自信がついていく場所もそうはあるまい。

 校門を潜り抜け、ダージリンは勇み足で自分のクラスに歩んでいく。

 

 今、とても幸せな気分だ。

 

―――

 

 五日目、茶山とダージリンは何事も無く牛丼屋の前で合流し、今評判のカレー屋へ足を運んだ。前のように何も恐れることなく、ダージリンは自信満々の笑みでカレー屋に入店する。

 入ると同時に、実にインド的な音楽が茶山とダージリンを出迎えてくれる。店内を一目見て、抱いた印象といえば「宮殿みたいだ」だった。照明も暖色でまとめられていて、壁には何かの文明を司っているらしいタペストリーが飾られている。

 相席へ腰を降ろしつつ、ダージリンが店内を見渡す。前と比べて、実に緩慢な警戒動作だった。

 

 さて、

 

 カレーは聖グロの範疇には入っていないらしく、ダージリンが「久々ですわ……」と手を合わせて喜んでいる。その姿を見て、茶山の表情が崩れた。

 二人前の甘口カレーが届き、茶山とダージリンの眼光が獣のように輝く。今からスプーン片手に、定番の人気メニューをご堪能するわけだ。

 が、その前に、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 静かに手を合わせ、スプーンを手でつまむ。出来立てアツアツのカレーは、あくまでルーが主役のシンプルなタイプだ。それ故に食べやすく、味わいやすい。

 まずは沈黙状態のまま、カレールーを白米にかけて、黄金状態と化した白米を口へ運んでいく。

 

「うまいっ」

「おいしいですわ」

 

 同調するように、茶山とダージリンがにこりと笑う。昼から食うカレーは最高だし、夕暮れ時に食うカレーはどこか懐かしい気もする。やはりカレーは強い。

 

「そういえば、メール見ましたよ。怪しまれたんですってね、ご友人に」

「ええ。流石に四日間の不在は目立ってしまったようで」

「じゃあ、今日は食堂に居ても良かったのでは? 僕は、それでもかまいませんよ」

「嫌です」

 

 即座の否定だった。意外にも聞き慣れない言葉に、茶山のスプーンがストップする。

 

「このひと時は、私の日課ですもの」

「それは嬉しいですが、たまにはご友人と昼食をとってはいかがです?」

「――確かに、友人と共に味わう昼食は、安らぎのひと時といえます」

 

 自然と、スプーンが動き出す。理性による話し合いも重要だが、せかしてくる食欲には敵わない。カレーを口にし、「もっと食えそうだなあ」なんても思う。

 

「ですが、全てを話せるわけではありません。聖グロに居る以上、やはり聖グロらしい交流をしなければ」

 

 それもそうだと、茶山は黙って二度頷く。水の入ったコップを手に取り、口の中を仕切り直す。

 

「……それに」

「それに?」

 

 白米にカレーを垂らし、スプーンで米を掬う。

 

「その、茶山さんと、もっとお話がしたくて」

 

 ダージリンの友人で、ファンで、惚れた弱みを掴まされている茶山は、もう一度水を飲み込んだ。排熱作業だった。

 

「そ、それは嬉しいんですがね……大丈夫ですか? 今日で五日目ですよ?」

「あなたは、明日で帰ってしまうではありませんか」

 

 あくまで冷静に、しかし何処かふてくされたように、ダージリンがカレーを噛んでいる。

 旅行の期限はあとわずか――その事実を、茶山は忘却したわけではない。茶山は、神妙そうな顔つきで「ですけどね……」とだけ。

 無理をすれば、旅行の期間を延長することだって出来る。ただ計画性の無い食べ歩きをしている以上、もしかしたら派手な食事だってかましてしまうかもしれない。外食とは金がかかるものなのだ。

 どちらかといえば安定志向であるから、帰還後も生活できる程度の基盤が欲しかった。

 

「ですが、僕とはアドレス交換したじゃないですか。話し合いなら、これで」

「そう、そうですけれど、ですけどね」

 

 珍しく、ダージリンが言葉に行き詰る。茶山が、二度ほどまばたきする。

 ――何となく、ダージリンの気持ちを察した。

 恐れ多いが、自分はダージリンの新たな友人だ。それも、聖グロではご法度の話題をこぼせるような。

 これは紛れもない「親しさ」であり、決して悪い仲ではない。そんな人と、食事を共にしながらお喋りに興じるというのは、間違いなく最高に楽しい。自分がそうだ。

 これはダージリン相手でも、友人でも、家族でも変わらない。そうした人間関係が、ふらっと消えてしまうというのは、人生的に痛手だろう。

 

「……そうですね。お話するのって、楽しいですもんね」

「ええ」

 

 この時ばかりは、上品な手つきでカレーを食していたと思う。

 

「――それに」

「それに?」

 

 ダージリンがカレーを飲み込み、水に口をつける。コップをことりと置いて、

 

「私に対して、幸せを願ってくれる人と、このままお別れするのなんて正直嫌ですわ」

 

 一瞬、何のことだっけと視線を逸らす。底抜けの馬鹿ではない茶山は、多少の間を置いて「ああ」と声を出した。

 

「あ、あれはー、ただの応援ですよ。その、深い意味はありません」

「――こんな格言を知ってる?」

 

 既に、本能的にダージリンの目に注目していた。

 そんな茶山に対し、ダージリンはやっぱり恥ずかしそうに不機嫌顔となる。

 

「この世に生きる喜びの一つは、人間の純粋な心にふれることである」

 

 茶山の手が止まる。

 だって、ダージリンが、穏やかに笑っていたから。

 

「武者小路実篤、日本の小説家が言い残した格言よ。――私は、あなたのそんな心が好きになってしまったの」

 

 好きと言われて、心の底からどきりとした。

 冷静になったフリをする。ダージリンが好きになったのは、自分の心だ。自分自身ではない。

 待て、それもまた自分自身に繋がるのではないだろうか。となると、自分の「そういうところが」好きということか。

 よかった、安心した。

 

「そうですか、それは光栄です。初めてですね、そう言われたのは」

「私も、こんな風にストレートに守られたのは、初めてですわ」

「守ったって、僕はただ応援しただけです」

 

 ダージリンが、きっぱりと首を横に振った。

 

「守りとは、何も盾のあるなしで決まるものではありません。言葉も、祈りも、それは本人にとって心の支えに繋がるのよ」

「……そうですか」

「ええ。――それに」

 

 ここで、ダージリンの目がちらりと逸れた。

 

「男の人にあんなことを言われてしまったら、ね……」

 

 たぶん、この時を一生忘れない。

 自分に目も合わせられず、頬を赤く染めて、スプーンを片手にしながら、情熱的に言葉を発する今のダージリンの姿を、茶山は一生忘れない。

 

「……その、深く考えないでください。僕はただ、あなたに幸せになって欲しいから、ああ言っただけです」

「聖グロでは、絶対に聞けない言葉ですけれどね」

 

 たぶん、「そう言う必要が無い」からだろう。ダージリンは常に自身満々で、誇らしく、完成されているからこそ、改めて「幸せになって欲しい」なんて声をかける必要も無いのだろう。

 或いは、高みにいるダージリンに対し、そう応援することなど出来ないのかもしれない。

 ――平民生まれで良かったと思う。聖グロとは無縁だからこそ、何の遠慮も無く、出来る限りの応援をかけることが出来る。

 男として産んでくれて、親に感謝した。ダージリンのファンになれた自分に対し、称賛した。

 

「……本当に嬉しかったんですから」

 

 もう、謙遜する必要も無い。

 ダージリンの顔は、心の底から安らいでいた。

 

「ダージリンさん。僕は、これからもダージリンさんを応援しますから――あ、いい店もメールで紹介しますからね」

「ありがとう」

 

 再び、スプーンが動き出す。口にするたびに味が強烈に沁み込んできて、茶山もダージリンも順調にカレーの量を減らしていく。

 カレーの魔力にすっかり虜となったのか、沈黙したまま、けれど表情で語り合う。目が合って、ダージリンが小さく「うん」と頷いてくれた。

 先にカレーを完食し、茶山が水を飲み干す。満足げに呼吸して、ダージリンがカレーを食べ終えるのを待つことにした。

 

 そんな茶山を見て、ダージリンが「そういえば」と声を発した。茶山は「なんです?」と返事をする。

 

「茶山さんは今、大学生なんですよね」

「そですね」

「何か、目指しているものとかは?」

 

 茶山が「あー」と、頭に手を当て、

 

「漠然としていますね。普通に働いて、給料が貰えるなら、何でも」

「ふむ……」

「まあ、ほとんど食費に消えると思いますけどね。一生、このままでしょう」

 

 ダージリンが、くすりと笑う。

 

「あなたらしいですわね。趣味の為に生きる、良いことではありませんか」

「ですね。ダージリンさんは、将来の夢とかは?」

「やはり、戦車道のプロリーグ選手になることでしょうか。そういう家系でもありますので」

 

 やっぱり、お嬢様は未来も見据えているのだなあと感心する。

 だが、かといって自分のことを卑下にしたりはしない。文字通り、食う為に働くことの何が悪い。

 

「今のうちに、サイン貰わないと」

「欲しい?」

「欲しい」

「残念、筆記用具がありませんの」

 

 そっかーと、無念そうに反応する。

 ダージリンは相変わらずの微笑を、けれどカレーを口にしたと同時に沈黙する。

 

「うん? どうしました?」

「……将来、結婚とかは考えていて?」

 

 考えてる考えてる、目の前でカレーを食べてるダージリンと結婚したい。

 なんて言おうものなら、間違いなく拮抗した関係が大爆発を起こすだろう。恋とは難しいなあと、恋愛素人が実感した瞬間である。

 

「ああ、一応、そうですねえ」

「そう。で、どのような女性が?」

「えー、言うんですかソレー」

「減るものではないでしょう」

 

 未だ、ダージリンは誇らしげな様子でカレーを食べている。

 そんなダージリンを見て、もどかしい気持ちになる。自分が中学生か高校生だったら、後先考えずに「ダージリンさんのような人」とほざいているだろう。

 だが、今は大学生だ。世界のリアリティというものを覚えていく年頃であり、人の迷惑を優先的に考えるようになる。

 だから、お嬢様のダージリンに告白を、ましてや婚約なんて、ファンの頃から無理だと断言していた。だからこそダージリンの味方をして、ファンとして支えていって――もう十分だ。平民からすれば、御の字といえる。

 

「そうですね……あ、知的な人だったら良いかも」

「ふむ」

 

 ダージリンが、肯定的に頷いてくれた。

 

「後はー、そうですねえ。うーん、色々言うと贅沢ですし」

「まあまあ、言うだけならタダですわ」

「じゃあ、会話が楽しい人かな」

 

 音楽が切り替わる。店員が近寄ってきて、空のコップに水を注いでくれた。

 

「交流は人生を彩るもの、同意しますわ」

「ですね。あとはー……」

 

 水を口にし、思考を冷やす。

 

「僕のことを、好きになってくれる人かなぁ」

 

 その時、ダージリンの視線が横目に逸れた。

 今の言葉に、何か思うところがあったのだろうか。顔色が真剣そのものになる。

 

「……茶山さん」

「あ、はい」

 

 ダージリンの両目が、茶山の視線を掴んで離さない。

 まさか、ダージリンのことを指しているのがバレたのだろうか。正直ありえる、だってダージリンは聖グロの戦車隊隊長だぞ。判断力の塊みたいな存在じゃないか。

 

「あなたに相応しい理想の人だと思います。贅沢なんて、そんなことはありません」

「そうですか? う、嬉しいなあ」

 

 何だかダージリンに選ばれたようで、上機嫌が空回りした。

 遠回しに言ったが、嘘はついていないのだ。

 

「……もし」

「はい?」

 

 ダージリンが、カレーを完食した。

 

「もし、そんな人が大学にいたら、アプローチをかけます?」

 

 ああ。

 その質問に対して、言うべき答えなど一つしかない。

 

「いいえ」

 

 自分は、テレビ越しのダージリンを見ただけで一目惚れしてしまった。

 それだけならまだしも、この五日間のうちにダージリンと接して、ダージリンのことがもっと好きになった。大袈裟に言うと、世界一愛してる存在だった。

 だから、「いいえ」と答えた。大学に、ダージリン以上の人なんて居ないと思うから。このまま、一生独身でもいいかなと割かし考えているから。

 

「……あなたは、何処でその愛をぶつけるつもりですの?」

 

 ここだ。

 なんて、答えられたらいいのに。自分が、お坊ちゃん育ちだったら白状出来るのに。

 大人になったな、と思う。大人になってしまったな、と考える。

 

「――あ、そろそろ時間がまずいかも。行きませんか?」

「あ、ああ、そうですわね」

 

 手と手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 聖グロへ向かう最中、特に先ほどのことを蒸し返したりはしなかった。午後から始まる戦車道に対しての意気込み、次期隊長についての語り、正直いらない伝統の暴露と、いつものように話し合い、いつものようにリアクションをする――そんな時間が、茶山にとっての幸福だった。

 時には格言が出てきて、茶山は素で関心を抱く。やっぱりダージリンは「やめてほしい」とばかりに恥じらって、いつか次の格言が語られるのだろう。

 そして、いつの間にか聖グロの近くへ。楽しい時間なんてすぐ終わるものだ。

 

「――そういえば」

「何です?」

「明日は休日で……確か……」

「ああ、本土へ帰る日、ですね。夕方に出る連絡船へ乗って、帰宅します」

 

 見逃さなかった。ダージリンが、「そう」と静かに口にするのを。落ち込むように、うつむいたこの時を。

 

「ねえ」

「あ、はい」

「……やはり、延長は無理なんですの?」

「すみません。予算的に、これぐらいが危なくないかなって」

 

 腕を組む。この姿勢は、己が不安を隠す為に行うものだと、どこかで聞いたことがある。

 本当は、ダージリンと離れたくはない。このまま聖グロリアーナ女学院学園艦に住み着いて、ダージリンとこっそり出会って、好きなものを食って好きなように会話し続けたい。

 だが、そんなものは夢物語でしかない。明日になって本土へ帰ったところで、数日後には思い出として処理されるのだろう。

 叶わないからといって泣き叫ぶ子供の心など、もう失われてしまった。

 

「申し訳ありません。お金は大事、ですものね」

「はい……」

 

 心の底から残念だと思う。けれど、仕方がないと受け入れている自分もいる。アドレスを手に入れて、ここで満足している僕がいる。

 

「――明日、夕方までの予定は?」

「特には」

「そう」

 

 ダージリンが、ベレー帽の上に手のひらを乗せる。そしてそのまま、思考の中で泳ぎ始めた。

 何かを思案するダージリンの姿が、茶山は好きだった。キャラとしっくりきていて、まるで嫌味が感じられないのだ。

 

「では、一緒に街並みを歩きませんこと? もちろん、メインは食べ歩きで」

「あ、いいですよ」

 

 間。

 

「えっ、街並みを歩く?」

「ええ。なるべくなら早くに集合したいのですが」

「ちょっと待ってください……それ、」

 

 瞬間、ダージリンのポーカーフェイスが破顔した。言っていることの自覚はあるようで、頬は真っ赤、視線は真正面以外を捉えている。

 

「……デート、しませんこと?」

 

 表面上は平然と、内心は猿のように跳ねまくった。

 全国のファンに闇討ちされたところで、「まあ、しょうがないよね」と受け入れてしまいそうな自分がいる。それほどまで、舞い上がっていた。

 

「で、デぇトなんて! そんな、ダージリンさんにはもっと相応しい人が、」

「男友達は、あなたしかいないんですけれど」

「そ、そうですか……」

 

 となると、自分こそがダージリンにとっての男性像というわけか。何だかとんでもない日程を重ねてきた気がして、胸が少しばかり痛くなる。

 が、過ぎたものは受け入れるしかない。別に悪いことは教えていないし、嫌われてもいない。むしろ受け入れられているのだ。

 そう思うと、何だかやる気が出てきた。

 

「分かりました」

 

 ダージリンが、ぱっと明るい表情になる。

 ああ、嬉しいなあ。

 

「明日までに食べ歩きコースを検索しておきます。まあ、沢山食べるから軽いやつをちょいちょいと」

「ええ、それで構いませんわ」

「――本当に、自分でいいんですか?」

 

 ダージリンは、当然だとばかりに「ええ」と答え、

 

「あなたは、私に対して、幸せになって欲しいと言ってくれた殿方ではありませんか」

「……そうですか」

 

 そういうことならば、受け入れるしかないのだろう。

 茶山が、自分の胸をばしっと叩く。張り切り過ぎてダメージを食らった。

 

「っつつ。じゃあ、エスコートはお任せください」

「ええ、またよろしくお願いしますわ、ナイト様」

「じゃあ、いつもの場所で朝十時に」

 

 二人同時に、親指を立てる。これで明日の予定は決まった、止めたければ矢でも鉄砲でも持ってこい、戦車はやめてね。

 

「じゃあ、そろそろお別れですね」

「ええ」

 

 今日も、ダージリンは聖グロの世界へ帰還していく。今となっては、その後ろ姿すら格好良いと思うのだ。

 

「ああ、そうだ」

 

 ダージリンが前を向いたまま、ぴたりと足を止める。

 

「どうしました?」

「――カレー屋で、あなたは『アプローチはしない』と言ってましたわよね?」

「……ええ」

 

 緩やかな風が吹き、肌に心地よい温さを覚える。名も知らない鳥が、ダージリンの遥か頭上を通り過ぎていく。

 

「……とても、嬉しかったんだから」

 

 自分は今、呼吸をしている。そう意識した途端、少し息苦しくなった。

 

「――どうしてですか?」

「ふふ、よくわかりませんわ」

 

 今度こそ、ダージリンは風とともに消え去った。

 ――大きく息を吸う。

 

 さて、明日はダージリンとデートだ。悔いが残らないよう、遊ぶとしよう。 




これで、「前編」は終了です。
いわゆる「期間限定恋愛」である為、どうしても一日ずつ描写する必要がありました。
飛ばし飛ばしで過程を描写すると、恋愛への過程がどうしても薄くなってしまうので、今回はこの長さに。本当に申し訳ありません。
多分、次回からは思いきり短くなると思います。

最初は分割しようと考えたのですが、一気に掲載した方が読者のテンポが良くなるかなと思い、過程を描き終えました。

何度も推敲はしましたが、もしかしたら「あれっ?」な個所があるかもしれません。この長さなので、もしかしたら見落としがあるかも。
その時は、どうか遠慮なくご指摘ください。

ご感想、本当にお待ちしています。


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5~6日間

 五日目の夜が訪れた。
 自分の部屋のドアに鍵をかけ、呼吸をする感覚で紅茶を温める。テーブルの上に砂時計を置き、すぐさまひっくり返して時間調整開始。あとは三分待つだけで、おいしい紅茶がダージリンのものとなる予定だ。
 ダージリンは、夜中に電話をかけることはあまりしない。かける用事といえば何らかの計画を立てる為だとか、陰謀を成す為だとか、全体を見据えての動機であることが多い。先月も、そんな理由で真夜中に携帯を働かせたものだ。

 やりたいことがあれば、それをやる。それがダージリンの人生だったが――今回は、携帯に映っている「西住まほ」の文字を前にして、指が止まっている。
 電話番号自体は、GI6という、情報担当処理班からのツテで入手してきたというキナ臭い流れがある。最初に電話をかけた際は「なぜこの番号を?」と聞かれたものだが、さらっと「大洗を救う為に」と口にすれば、「それで?」と話が通った。
 それ以降、まほや他校のリーダーと、電話を通してお喋りに興じることもある。

 なので、別に「まほと初めて話をするから」緊張しているわけではない。
 単に、「自分の気持ちがよく分からない(と思う)、客観的に判断して欲しい」という乙女チックな理由により、次の行動が移せないだけだ。
 かけなければ後悔する、けれど恥ずかしい。そんなことを繰り返して何分経過したのだろう、気が付けば砂時計は役目を終えていて、少し慌てた感じでポットのカバーを外した。
 床に腰かけ、静かに、カップへ紅茶を淹れる。気を落ち着かせる為に、あくまで淑女らしく一口つけ――

 よし。

 ダージリンは、もうどうにでもなれと、全くもって淑女らしくない勢いに乗って、まほに電話をかけた。
 かかれば話すしかない、かからなければそれはそれで構わない。未だ及び腰だった。

『はい、西住です』

 かかったか。
 観念したように、ダージリンは一息つく。

「今晩は、ダージリンよ。ごめんなさい、こんなお時間に」
『いや、構わない。何かあったのか?』

 あった。物凄く個人的な理由だが、間違いなくあった。

「えっと、その……個人的な、理由なのですけれど」
『ほう、何か悩みでも? 私でよければ、力を貸せるかもしれない』

 なんて気前の良い人なんだろう、と思う。
 まほを相談相手に選んだのも、何事も真面目で、堅実で、好敵手だからだ。

「ありがとう。えっと、ね」
『珍しいな、お前が何かに躊躇うなんて』

 当たり前だ。いくらダージリンとて、初体験を前にすれば慎重にもなるし緊張だってする。それは勉強にしろ、スポーツにしろ、戦車道にしろ、同じことだ。
 ――今回は特に、そうだ。

「……そうね。気づいてはいるのだけれど、違うかもしれない、というか……」
『曖昧だな』
「――言うわ」

 まず、これまで五日間の出来事を、電話越しから西住まほに伝えた。
 最初は普通に飲み食いして、そこから友情を育んで、いつしか「幸せになって欲しい」と言われて、そこから彼への憧れが強くなって、別れたくなくなって。
 それで「大学で彼女を作る気は無い」と宣言された時、なぜかどうしようもなく嬉しくなって――

「ねえまほ、この気持ちは何なの。分かる気がするけど、怖いの」

『え、恋だろ』

 あっさり結論付けられた。

「は、早い……どうしてわかるの?」
『あのな、私はもう高校三年だぞ。男が関わって、それに伴ってもどかしい気持ちになる――そんなの、恋以外になんだっていうんだ』

 知ってて当たり前のように指摘された。「やっぱり」と認めはするものの、こうもあっさり答えられては、何だか否定してみたくもなる。

「五日間で、恋に落ちるものかしら」
『否定はできまい。何の為に、一目惚れって言葉があると思う』
「一目惚れ……はしませんでしたけれど」
『じゃあ五日惚れかな』

 なんだそれ。ダージリンは、渋そうな表情で紅茶を飲む。

『でもまあ、恋愛なんてキッカケありきだからな。嫌いじゃないんだろう? その、茶山さんって人のことが』
「ええ、まあ……」
『で、憧れの気持ちがあるんだろう? じゃあ、惚れている可能性は否定できまい』

 そういうものだろうか。
 そういうものなのかも。

「あ、あくまで、可能性の話でしょ? 友人として好きなのかも」
『少し意地悪なことを言うが、茶山さんに、他に彼女が出来たとし、』
「あの人はそれを否定しましたわ!」

 夜九時に、ダージリンは怒鳴り声を発した。マナーに人一倍気を遣うはずの、ダージリンが。
 一瞬にして冷静になって、一瞬にして「しまった」と思考する。

『そういうことだ。おめでとう、心から祝福しよう』
「くっ……あ、あなた、どうしてそうスマートに話を進められるの? 恋愛経験者だとでも?」

 まほは、なんでもない調子で「ああ」と言い、

『そうだが?』

 そうだが。

「え、ええっ」
『まあ、色々な縁があってな』

 軽く流されたが、まほも高校三年生を満喫しているらしかった。
 ダージリンの顔が真っ赤になる。経験者を前にして「この気持ちは何なの?」なんて、そんなのすぐに見破られるに決まってる。

『とにかく、それは紛れもない恋であり嫉妬だ。無かったことにするか、このまま歩むか、お前が決めろ』

 額に手を当てる。

『今生の別れ、というわけでもないだろう。今は携帯という便利なものもある、それさえあれば繋がっていられるはずだ』
「……まあ、そうなのですけれども」
『別に、好きでもなんでもありませんでしたと言ってもいいさ。ただ、後悔して泣きついてくれるなよ?』

 誰が泣くか。やりたいことを成すのがダージリン流だ。

「ふん……明日、吉報を届けに参りますわ」
『言ったな? やってみろ』
「ええやりますとも、恋に正直になりますとも。あなた以上の、情熱的な恋愛を成し遂げてみせますわ」
『流石、聖グロの生徒は言うことが違うな』
「ええ。あの人と、もっと食べ歩きをしたいもの――こう思える時点で、私はもう、恋を忘れられません」
『そうだな、恋とは残酷なものだ。が、一つ、お前に良い知らせがある』

 ダージリンが、「何」と不愛想に答える。

『茶山さんは、お前に対し、心の底から惚れているぞ』

 この時のまほの顔ときたら、とてつもなく上機嫌だったに違いない。
 ダージリンは硬直する、しかし否定の言葉が一つも出てこない。

『概要を説明されただけで、茶山さんの、お前に対しての好意が見てとれたよ。毎日食べ歩きに付き合ったり、格言を褒めたり、秘密はしっかりと守る。しかも大事な旅行の予定を変更して、その理由がお前ときた』

 たぶん、電話越しから憎たらしく笑っているに違いない。一方的だったが、なにぶん否定するだけの根拠がカケラほども存在しない。

『で? 理想の女性といえば賢くて話しやすくて自分のことを好きになってくれる人らしいが、そういう人は大学で探すつもりはないらしいな。――分かりやすくて、お前のことを応援したくなった』

 紅茶を雑に飲む。悪あがきの冷却を施したつもりだが、脳ミソは絶賛沸騰中だった。

「……根拠、になっているものでしょうか?」

 空になったカップに、紅茶を注ぎ足す。意味も無く、紅茶の表面をじいっと見つめている。

『それで、お前の事を何とも思っていなかったら心底驚きだな』

 しかし、まほは決して言葉を絶やさない。

『そういえば――明日は休日で、旅行の最終日だろう。予定は』
「え、えーっと、明日、一緒に街を見て回ろうかと」
『ほう。で、相手側の反応は?』
「……う、嬉しそうだった、かしら?」

 まほは、安堵するような声色で「なんだ」と呟き、

『デートをOKした時点で、脈ありじゃないか』

 ダージリンは、逃げるように紅茶を飲んだ。


 その後は、特に注目すべき話題などは無かった。まほが嬉しそうに「頑張れ」とか「土産話を頼む」とか「後悔するなよ」とか激励して、ダージリンも「わかってますわ」と覚悟を決めて。
 電話が切れる、通話時間が表示される。
 疲れた。
 紅茶を全て飲み、ため息をつく。

 そうか、これが恋か――知ってた。
 茶山は自分の言うこと成す事全てに付き合ってくれて、それを喜んでいるフシがあった。だから、「もしかしたら、この人は」と気持ちを察せたのだ。
 一緒にこそこそと食べ歩きをして、一緒に好き勝手なことを言い合って、称賛してくれて、尊敬されて、一週間ここに残ると宣言して、祝福という愛を与えてくれて、本土で理想を探し出すことを「否定」してくれて。
 そんなの、好かれていると気づくに決まっていた。そんなの、好きになるに決まっていた。

 五日間。一週間にも満たない時間だったが、自分はこれだけの熱を与えられた。そして、それらを受け止めることを選んだ。
 これからも、彼は私に情熱を抱くのだろう。
 これからは、私は彼に愛情を注ぐのだろう。

 茶山の嫌いなところなんて――あっただろうか。格言待ちの姿勢は正直恥ずかしいが、そんなもの嬉しさからくる照れ隠しに決まっていた。
 ……茶山の嫌な個所といえば、明日になったら姿を消してしまう事実、だけだった。
 こんな風に盲目になるなんて、それこそ恋以外なんだというのだ。
 
 ――明日は、早く会おう。何となく、驚かせてやろう。
 スリープモードに移行していた携帯に火をつけ、茶山へメールを送信する。『どこで泊まっていますか?』と。

 送信し終え、テーブルの上に携帯を置く。

 元はと言えば、牛丼からすべてが始まった。それもまた、やりたいことをやる、というダージリンの生き方にのっとったものだ。
 やはり、自分は嘘をつくことが出来ないらしい。


 ビジネスホテルに泊まってはや六日目、茶山は朝七時に目が覚めた。早起きの新記録達成である。

 目は完全に覚めてしまっているらしく、無理をしなければあくびも出ない。肉体も張りがついたように調子が良いし、脳ミソだって普通に回る。

 最終日だからかね――

 ぼんやりと起き上がり、寝巻きから普段着に着替える。歯磨きをし、顔を洗っている間――やっぱり、ダージリンの事を考えていた。

 

 別に、二度と会えないというわけではない。アドレスだって交換したから、交流自体は続けられる。

 ただ、ダージリンと顔を合わせて、昼食をする日々はしばらくお預けとなる――それぐらいだ。これまでの日常から抜かれるものは。

 たった、それだけだ。

 

 洗顔し、気分を整える。順調に腹も減ってきたところで、広くも狭くも無い部屋を一瞥した。

 こことも、お別れか。

 何だかんだいって、この部屋も家みたいなものだった。ここへ帰るたびに、一区切りがついたのだなあとか思ったりもした。

 もし、ここにずっと滞在出来たら。そうしたら、明日も明後日も一週間後もダージリンと一緒に――

 

 息をつく。

 夢物語を無造作に思考しながら、茶山はバックパックへ荷物をまとめる。メインは食べ歩きであるから、片づけるのにそれほど時間はかからなかった。

 布団も、出来る限り丁寧に畳み終える。後は何もないかなと、左右を見渡し、

 さて、出るか。

 部屋から出て、ドアを閉める。こうして思い出が積み重なっていく。

 

 

 朝八時にチェックアウトを済ませ、ビジネスホテルから外の世界へ視界を切り替える。

 今日は休日ということで、朝から出歩いている者が結構多い。それは生真面目なスーツ姿の男性だったり、ラフな格好をした兄ちゃん、若い私服姿の女性と、それらは決して茶山の視線と交わることはない。そこまでは普通だ。

 

 そう。民衆の目は、ある一人の女性へと注目を降り注がせていた。

 

 一介のビジネスホテル付近に、ウェーブがかった金色のロングヘアーを靡かせた女性が、腕を組みながら待ちぼうけを食らったように突っ立っている。正直、現実味が無い光景だった。

 白いシフォンブラウスと紺色のスカートを着こなし、遠慮なく素足を魅せるその出で立ちは、若い野郎どもの目をくぎ付けにしている。他の女性も同性として見逃せないのだろう、金髪の女性をチラチラと拝見していた。――正直、嘘くさい場面だった。

 

 確かに、金髪の女性はとても美しいと思う。この場における主役だと同意する。

 が、今の茶山にとっては、まるで関係の無い存在だった。茶山の心が躍る人物、それはダージリン以外に他ならない。

 何事も無かった、何も見なかったかのように、茶山が金髪の女性とすれ違う。何故ここにいるのか分からないけれど、幸せに生きてくれと思いを託す。

 

「そこのあなた」

 

 強い女性の声がした。聞き覚えがあるような気がしたが、まさかと思いながらすり抜けようとして、

 

「あなたよ、そこのあなた」

 

 改めて振り返る。お嬢様的な金髪に、日本人離れした青い瞳、白を強調した清楚な服装。

 最初は、自分なんぞが声をかけられているとは思わなかった。近くに、俳優のような男が通りがかったのだと思った。

 

「あなた……どうして私のことを素通りするの?」

「え、あ……」

 

 デジャブが生じる。

 何か、同じようなやりとりをこの前にやったような気がして――

 

「あ」

「……ふふ」

 

 笑われた。その誇らしい笑みを前にして、またしても「あ」という間抜けな声が漏れる。

 

「あ、あなたは……ダージリンさん……?」

 

 なるべく小声で聞く。周囲には未だにガン見している男性、女性、オヤジ、老人がいるので、下手に名前を出したら迷惑になる。

 

「はい」

 

 スカートの端をつまみ、足を曲げながら頭を下げる。挨拶も絵になるものだから、「この人と本当に知り合いなんだろうか」と夢みたく思う。

 

「そんな、どうしてこんな朝っぱらから」

「驚かせたくて」

 

 また、間抜けな「え」が口から漏れる。そんな茶山を見て満足したのか、くくくと笑われた。

 

「ひ、ひどいじゃないですかぁ、気づくはずないですよ」

「あなたなら、どんな私でもすぐに気づくと信じてましたのに」

 

 狐のように目を細め、含むように口元を曲げる。ダージリンのファンとしては、イメチェンしたダージリンを見抜けなかったのは少し痛い。

 

「無理ですよ、完全に別人ですもん」

「確かに、髪型を変えると印象は変わりますものね」

 

 そうそうと、茶山は納得するような、しないような調子で頷く。

 

「でも、私は私よ。この姿も、覚えておいてくださいませ」

 

 茶色い肩掛けバックに手をかけ、そこから取り出したのは、緑色のベレー帽だった。ここでようやく、現実に引き戻されたような感覚に陥る。

 

「……いつから待ってたんですか」

「七時ぐらいから」

「え、ええ~? なんでメールしてくれなかったんですかぁ」

「さっきも言ったでしょう、驚かせたくて」

 

 さも当然だとばかりに、そんなことを言う。

 茶山としては、正直なところ心が痛かった。一時間も女の子を、ダージリンを待たせたのかと。

 

「待たせた件については気にしないで。戦車道で、待機することは慣れていますので」

「でもなあ、俺が早起きしなかったら……」

「人の心を動かすのには、いつだって多大な苦労が強いられるものですわ」

 

 そういうものなのかなあと、これまた納得しかねる。ダージリンがベレー帽を被り、

 

「とりあえず、私のことは気にせずに。勝手に決めたことですから」

「分かりましたー」

 

 これ以上問うても仕方がないし、疑問に思っても進展はしないだろう。なので、

 

「じゃ、とりあえず――街並みでも歩きますか。空いている店も少ないですし」

「ええ」

 

 ダージリンが、茶山の真横に移動する。それだけの動作に、茶山の心臓ががくんと跳ねる。

 これまでもこんなシチュエーションは繰り返されてきたはずなのに、何故に今になって動揺するのだろう――デートという魔力に、当てられたせいかもしれない。私服姿の女性と一緒に、自由時間を満喫するなんてこと、男からすれば大金をはたいてでも買いたい場面であるはずだ。

 しかも、デート相手は聖グロの頂点であるダージリンだ。何だか凄くやばい気がする、本土へ帰還出来ないんじゃないかと思う。

 

「そ、それじゃあ、えっと」

 

 そして、茶山はまこと嘘くさい瞬間を目の当たりにした。

 ダージリンが、手を差し伸べてきたのだ。

 

「ほら」

 

 そう言われても。

 ダージリンも恥ずかしいのか、そっぽを向いたままで、手のひらを茶山に託したきりそのままだ。

 茶山だって決して馬鹿ではないから、「デート中に」「女性が横並びになって」「手を差し出す」という計算式の答えはすぐ解けた。つまり、

 

「……いいんですか?」

「あなただからいいの」

 

 ずるい、そんなことを言われたらもう逃げられないじゃないか。

 深呼吸する。

 お父さん、お母さん、自分をここまで育ててくれて、本当にありがとうございました。

 

「あっ」

 

 ダージリンの手を、きゅっと握る。握力のコントロールは出来たようで、ダージリンがどこか遠い目で茶山を見つめていた。

 

「い、行きましょうか、街へ」

「そ、そうね」

 

 行く当てなど、何も決まってはいない。飲食店が開くまでは、娯楽も腹も我慢の子だ。

 けれど、この瞬間が、なんでもない散歩が、とてつもなく愛おしい。ダージリンも決して手を離そうとはしないし、茶山だって絶対に手離さない。心の中で約束する。

 

 今日も、英国風の街並みは平和だった。朝早くから車が忙しなく走り、鳥が空高く何処かへ旅立つ。まだ、戦車の姿は見ていない。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院学園艦は、ひたすらに優雅さと華麗さを追求した世界である。

 そこに住まう人々も、常に美しくあれ、誇り高くあれ、をモットーにしており、決して調和を崩さぬように今日も生き抜いているらしい。

 街並みも外観を崩さぬよう、デザイン、色合い、雰囲気は徹底して英国風として統一され、お陰で観光スポットとしても上々の評価が与えられているらしい。実際、歩くだけでも心地良く時間を潰すことが出来た。

 華麗と聞くと、どちらかといえば静けさがイメージ的に合うだろう。この街並みにかかれば、静寂すらトッピングの一つになってしまうのだ――朝十時までは。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 クレープを片手に、茶山とダージリンは、バイオリンとドラムの組み合わせで、メタルチックな曲を演奏している二人組の女性の大道芸人を楽しげに眺めていた。

 ――これが、朝十時以降の姿である。群雄割拠とばかりに出店が続々と出現し、百貨店から料理店、アンティークショップからオカルトグッズ店まで、ありとあらゆる施設が一斉に息を吹き返す。こうなると無粋な沈黙は消え失せ、今日も大道芸人が広間を賑わせているのだった。

 

「いい曲だなあ」

 

 音楽については疎いが、勢いのある曲はいいなあと茶山は笑顔で思う。ダージリンも同じことを思っているらしく、クレープを口にしながら小さくヘッドバンキングを繰り返していた。

 

「意外と好きなんですか?」

「! み、見てましたの?」

「そりゃあ、近くにいますし」

 

 ダージリンが、心底恥ずかしそうに頬を赤く染める。そのまま、チョコがトッピングされたホイップクリームを味わいつつ、

 

「もう、人の顔ばっかり見て……」

「でも、デートですし」

「……デートってそういうものなんですの?」

「そういうものなんじゃないですかね」

 

 何だかおかしくなって、含み笑いがこぼれてしまう。聞き逃さなかったのか、ダージリンが手をぎゅっと握りしめた。

 

「あいたたっ、離してくださいっ」

「嫌よ」

「そこをなんとか」

「い、や」

 

 ダージリンの逆襲を食らい、ぐああいってえと茶山は唸る。そんな哀れな男の姿を見て、ダージリンは愉快そうに微笑む。

 

「いっつつ……ひどいなあ、淑女でしょう?」

「淑女だからこそ、やられっぱなしというわけにはいきませんもの」

 

 そう言われてみると、何だか反論出来なくなる。

 淑女も色々大変なのだろう。上へ登りつめなければ、優雅な姿なんて誰も見てはくれないのだから。

 

「……淑女というのも、やっぱり苦労します?」

「ええ」

 

 慣れた、と語っている横顔だった。

 この学園艦の中心地、聖グロリアーナ女学院は、それこそ華やかで、華麗で、優雅さが集う聖域なのだろう。公式サイトも、そこを強調している。

 だが、美しさの基準とは曖昧なものだ。家柄で決まるのか、外見で選ばれるのか、振る舞いで全てが何とかなってしまうのか――それが分からないからこそ、聖グロの生徒は今日も強く生き続けるのだろう。

 表面上は華麗に。しかし裏側では、常に競争心を燃やしているに違いない。だから聖グロは大きい、聖グロの戦車道は強い。

 

 だから、自分如きが語って良いような世界ではない。

 しかし、ダージリンが関わるのなら話は別だ。モノ知らずだろうが何だろうが、ダージリンの幸せを応援して何が悪い。

 

「ダージリンさん」

「はい?」

 

 きゅっと、ダージリンの手を握る。

 

「メール、いつでも待ってますから。困った時には、利用してください」

 

 ぎゅっと、茶山の手が握られた。

 

「はい」

 

 大道芸人の演奏が終了し、大きな拍手と歓声が上がった。二人組の大道芸人は、同じタイミングで己がスカートを摘み、頭を下げるのだった。

 

「――そういえば」

「はい?」

「あなたって、大学でも常に敬語を?」

「ああ、いえ、普通にタメ口ですよ。同級生相手なら」

 

 ダージリンが「そう」と前置きし、

 

「では私にも、普段の口調でお話をしてくださいな」

「はあ」

 

 クレープを一口噛み、ホイップクリームの味が口の中で膨らむ。

 

「は、はい? ええっ?」

 

 甲高い声が出たが、拍手の中だったので誰も気づいてはいない。ダージリンは、少し不満げに眉をしかめつつ、

 

「あなたは年上で、私は年下。何の問題もありませんわ」

「い、いやいや、なんというのかその、雰囲気的に……」

「私がお嬢様だから?」

「そ、そういうわけじゃ。なんというのか、ダージリンさんはカリスマがある人ですし」

 

 ダージリンが、「何言ってるんだこいつ」と言いたげな、白けた表情をする。

 

「……私とあなたは、友人関係でなくて?」

「う」

「あなたは戦車道履修者でもなければ、聖グロの生徒でもない。完全な部外者でしょう?」

 

 その通りだと、沈黙で同意する。

 

「なら、いつもの口調でも宜しいではありませんか」

「ダージリンさん」

「……それに」

 

 どこか寂しそうな目で、ダージリンが少しだけうつむく。

 

「――あなたと、もっとお近づきになりたい」

 

 ――これほどまでに、心から切望するダージリンの姿は初めて見た。

 青い瞳が海のように輝き、金色の髪が寂しげに揺れる。何かを期待するように口元が小さく曲がっていて、その姿は間違いなく、夢見る普通の女の子だった。

 

 クレープを完食し、一気に飲み込む。鼻と口で呼吸し、心の中で「やるか」と覚悟を決めた。

 訂正する、「やるしかない」だ。

 だって、自分に選択を求めている相手は、

 

「ダージリン」

「あっ」

 

 心の底から驚いたらしい。ダージリンが、両目を見開きながらこちらを見た。

 

「……次は、何を食おっか?」

 

 気の利いたセリフなんて思いつかない。けれど、いつものようにダージリンと共に生きることは出来る。

 

「――もう一度」

「……ダージリン」

 

 改めて、ダージリンが指を絡ませてくる。人の肌って、こんなにも温かかったっけ。

 まあいい。これから覚えていけば良いだけの話だ。

 

「……食べ歩きなのですから、目についたもので構いませんわ」

 

 笑顔で、ダージリンが提案してくれた。こんな素敵な顔は、もう二度と見られない気がする。

 見上げる。

 青い、空がとてつもなく遠い。雲が彩られている分、なおさらそう感じる。

 こんな晴れ空の下で、自分はダージリンとデートしていたのか。こんな素晴らしい世界の中で、ダージリンと通じ合えたのか。

 ――茶山の視界が、ダージリンの元へ戻る。何か食べたいなと、ダージリンが目で伝えてきた。

 

「分かった、じゃあ歩こう」

「はい」

「……ああ、その前に」

 

 茶山の手とダージリンの手が離れ離れになり、今度は己が手を一つにし、

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 食べ歩きは順調に行われた。焼きトウモロコシを手にして、思い切りかぶりついては「うめえ」と感想を漏らした。ダージリンも「ん~」と、目で喜びを表現する。

 とにかく、興味を持った食べ物なら手当たり次第だった。外で食えるものを中心に、ケバブを味わったり、ボルシチに感動したり、パンシチューを初めて食べてみたりと、本当に食ってばかりだった。

 そして、ダージリンはこれら全てを受け入れた。口にするたびに表情を明るく変え、食べ終えれば次の食事を手で言葉で顔で促す。

 

 牛丼を前に、数分も躊躇うようなダージリンは、もう何処にもいない。

 一度も警戒態勢に入ることなく、休日の街並みの賑やかさを、食事を、デートを、この聖グロリアーナ女学院学園艦で、その身を躍らせていた。

 ――ただ一つだけ、絶対的に守られた伝統といえば、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 料理人に、食事に、心から感謝して、それを食べる。そして、全てを味わった後は、

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 お喋りをして、食べて、歩きもすれば、自然と喉も乾く。丁度良い場所に自販機があったので、茶山は小銭を投入し、ボタンを押して無糖の缶コーヒーを手にした。

 後はプルタップを開け、勢いよく飲んでは「あー、たまらんっ」と、オヤジ臭く味わう。

 

「……あの」

「え、何?」

 

 ここで敬語が出そうになるが、ぐっと抑えることが出来た。間違って敬語で応えようものなら、ダージリンときたらぶすっとした表情を浮かばせるのだ。

 

「……コーヒーって、そんなにおいしいんですの?」

 

 飲んだことがないのかと思うと同時に、ダージリンならありえると思考する。これまでは英国風に拘ってきたのだろうから。

 

「おいしい、というか、味わい深いっていうのかな? ハッキリ言って苦いけど、それがいいっていうか」

 

 缶を傾け、今一度味を確かめる。

 

「あと、無糖を飲むと気合が入るんだよね。何だったかな、持久力が倍になるって聞いたことがある」

「へえ」

 

 ダージリンが、口元に手を当てて思考に没頭した。いつもなら沈黙せざるを得ない場面であるが、今回ばかりは予想出来る。だって食べ歩きの最中だから。

 

「コーヒー、飲む?」

 

 ダージリンが、勢い良く茶山を注目した。何で分かったんだ、と言いたげだった。

 

「いやあ、話の流れで、ね?」

 

 むう、とダージリンが唸る。

 

「ま、まあ――正直なところ、興味が出てきましたわ」

「いいんじゃないかな。あ、最初は微糖がオススメかな?」

 

 ダージリンは財布から小銭を取り出し、自販機に投入する。そして、「いつも飲んでいます」とばかりに、鮮やかな手つきで無糖の缶コーヒーを選択する。

 

「え」

「では、いただきましょう」

 

 ぐぐぐっとプルタップを開け、缶コーヒーの中身をじいっと見つめている。目前に戦車でもいるのかとばかりに、その顔は真剣そのものだ。

 

「え、えー、苦いよー?」

「私は甘いも苦いも知る高校三年生、無糖の缶コーヒーとだって分かり合えますわ」

 

 大丈夫かなあと不安げになりながら、茶山はダージリンの事を注意深く見守る。苦さのあまり、咳き込んでしまうかもしれない。

 

「では」

 

 両目をつぶり、紅茶を飲むような調子で缶コーヒーに一口つける。

 

「! ッッッ……!」

 

 缶コーヒーから顔を離し、激痛でも帯びたかのように目が細くなる。口は固く封印され、手は若干ながら震えていた。

 だよね、と思う。

 自分もそうだった、と思い出す。

 

「あ、大丈夫? 僕が、飲む?」

「いいえっ、こんな格言を知ってるッ?」

 

 まったく余裕がなさそうな振る舞いで、

 

「不可能だと思わない限り人間は決して敗北しない」

 

 こんな状況においても、この状況だからこそ、ダージリンは的確な言葉を発した。茶山は「流石だ」と同意するが、

 

「でも、いきなり無糖はね、ちょっとね。あ、今の格言は誰が?」

「デール・カーネギー、アメリカの作家ですわ――私は、これが飲みたいのっ」

 

 何で。不可解そうに、茶山は首をかしげる。

 

「それは……あなたと、同じものを好きになりたいから」

 

 今日も、ダージリンに対する好感度が上がってしまった。好意なんて一目惚れした瞬間から満点だったが、概念とは脆くも崩れ去るものらしい。

 

「そ、それは嬉しいけど、でもいきなり無糖は」

「大丈夫っ、苦いだけで問題はありませんでしたわっ」

 

 その苦さが問題なんだよなあと、茶山は頭の片隅でぼやく。しかし今のダージリンは不退転の一心で、缶コーヒーを凝視している。

 

「初めてなんてものは、大抵はうまくいかないものよ。マナーにしろ、戦車道にしろ」

「でも、しょっぱなから無糖は無謀じゃないかなぁ。僕だって、最初は微糖だったもん」

「で、今は微糖を飲んでいますの?」

「いや」

 

 瞬間、ダージリンが缶コーヒーを一気飲みした。その姿は死地に向かう兵士そのもので、ダージリンの必死な表情は茶山に感動すら覚えさせる。

 缶コーヒー相手に、ドラマを演じられる人がいるなんて。

 華麗で、優雅で、お嬢様のダージリンだが、その本質は、決して諦めを覚えない不屈の人、なのだと思う。

 だから、強豪校の戦車隊隊長に選ばれ、聖グロにおけるヒエラルキーの頂点として君臨し続けられているのだろう。それは、缶コーヒー相手でも変わりはしない。

 

「ぐううう……!」

 

 顔を真っ赤にし、目尻から涙が浮いて、体全身を震わせながらも、無糖の道を目指すダージリンは美しい。

 なので、茶山は先んじてアップルジュースを買っておいた。

 

 

 激闘の末にダージリンが勝ち抜き、アップルジュースを飲んで一休みする。茶山が「無茶は駄目だよ」となだめるも、ダージリンは「いつか、苦さをモノにしてみせますわ」と意気込んでいた。やっぱり戦車道履修者は凄い。

 後は軽く、いただきますとソフトクリームを食し、ごちそうさまでしたとスリーブ(紙)をゴミ箱に捨てて――ダージリンが、「買うものがありますの」と、百貨店まで足を運ぶことになった。そういえば食べ歩きコースに入っていなかったから、これが初めての来店となる。

 

 迷うことなく百貨店まで到着し、最初に否応なく目に焼き付いたのは、戦車――だった。

 百貨店の顔とも言える広間に、堂々と戦車が飾られている。撮影は自由らしく、観光客らしい家族連れが携帯で写真を撮っていた。

 周囲に目を逃がしてみても、暖色で統一された照明が、タイル状の白い床が、茶山の心と好奇心を手離さない。たまたま案内カウンターの女性と目が合い、「全力でもてなしてやる」とばかりに頭を下げられた。

 何だか恥ずかしくなって真上を見てみれば、最下層から最上階を貫く吹き抜けが、そこから照らされる日光が、茶山の目をしかと焼き付けていた。

 

「どうしました?」

 

 にこりと、楽しそうな笑みを浮かばせながら、ダージリンが茶山の顔色を覗っていた。

 茶山が取り繕うように「ああいや」と焦るものの、そんなものはお見通しだったらしく、

 

「私も、最初は驚きましたわ」

 

 だよねと、心の中で同意する。もう一度戦車を見つめるが、そんな茶山の視線を察して、

 

「去年、聖グロで最も優秀だった生徒が使っていた、本物の戦車なの」

 

 戦車の付近に、椅子とテーブルが展示されている。テーブルの上にはソーサーとカップが置かれていて、「アールグレイの使用していたティーセットです。さわらないでくださいね」の案内板つき。

 

「ここに飾られ、称えられることは、聖グロの戦車道履修者にとってたいへん名誉なことなの」

 

 へえ、としか答えられない。

 

「――次に選ばれるは、誰の戦車になるものやら」

 

 すかさず、茶山がダージリンの目を見る。異論など挟ませない。

 

「……そうかもしれませんわね」

 

 ダージリンは聖グロの戦車隊隊長を務め、黒森峰女学園と奮闘した記録がある。更には大洗を、母校を救ってくれたのだ。

 誰が何と言おうと、一等賞はダージリンに決まっていた。

 

「ですが、」

 

 ダージリンの目が、きらりと光っている。

 

「あなたにそう認められるなんて、嬉しいですわ」

 

 自分は何もしていない、ただ称えただけだ。

 しかし、ダージリンは手を握りしめてくれる。

 

「では、食器コーナーへ向かいましょう」

 

 そうして、エスカレーターが二人を案内していく。

 

―――

 

 楽しい時間なんて、あっという間に過ぎ去っていく。

 あれだけ青かった空も、段々と薄暗くなる。彼方が赤く染まる。そうなるほど、茶山とダージリンは学園艦を歩き回った、沢山のものを食べた、新品のティーセットを購入した。

 一区切りつき、後はどうしようかなと百貨店を歩き回っていれば――偶然にも、喫茶店を発見した。日ごろの行いが良かったのかもしれない。

 丁度いいかなと考え、ダージリンと目が合う。二人同時に頷き、そのまま喫茶店へ腰を下ろした。

 

「さて、何を食べようかな」

 

 とは言うものの、先ほどまでの調子とは違い、つい慎重にメニューを睨んでしまう。

 これが、聖グロリアーナ女学院学園艦での、最後の食事となるから。

 

「あの」

 

 ダージリンが、遠慮がちに、

 

「私、ミートパイが好きでして、その……」

「食べよう」

 

 即答する。しかも、少し奮発すれば紅茶とセットで出してくれるとか。

 すかさず、紅茶の欄に目をやり、

 

「うーん、何がいいかな……アッサムティーを飲んでみようかな」

「……そ、それを飲むんですの?」

 

 あれ、何かまずかったのかな。じゃあ、

 

「この、アールグレイを」

「そう……」

 

 どうしたんだろうと、メニューを逸らしてみる。

 茶山は、正直面食らった。だって、ダージリンがふてくさてたように眉を顰め、面白くなさそうに頬杖をついていたから。

 

「ど、どうしたの?」

「別に。ただ、最後に飲む紅茶がそれでいいのかと、確かめただけで」

 

 必死こいてメニューを見直す。アッサムティーとアールグレイは、間違いなくミートパイとセットになってついてくる紅茶だ。

 だから、マナー違反という線は消える。考えろ、ダージリンのサインを察しろ。ここで出てくる紅茶といえば――

 

 あ。

 

「じゃあ、せっかくだからダージリンを飲もうかな」

 

 瞬間、ダージリンが喜色満面の笑みに切り替わった。先ほどまでの表情など、綺麗さっぱり忘れたかのように。

 

「いい選択ですわ。ダージリンは飲みやすい紅茶ですものね、ええ」

「――かわいい人だなあ」

 

 とっさに言ってしまう、口元が笑ってしまう。ダージリンは、憎たらしそうに「むう」と声を出すものの、

 

「……特別に、許してあげますわ」

「やった」

 

 この旅行における、最後の食事だ。ダージリンで締めなくて、何の意味がある。

 今更その正しさに気づいて、自分もまだ甘いなあと思う。

 ――だから、伝えよう。今後の行動を。

 

「僕さ」

「ええ」

「本土へ帰ったら、コーヒーを飲む量が減るかもしれない」

 

 ダージリンが、無言で首をかしげる。

 

「ダージリン、好きになったから」

 

 多少の間を置いた後に、ダージリンの顔が真っ赤になっていく。普通の大学一年生である茶山は、今、バカを吐いたことに気づいた。

 

「あ、ああ、ああ、ダージリンっていうのは紅茶のことで別にそういう意味じゃ」

「そ、そうよね、知ってましたわ。ええ、知ってましたとも」

 

 しかし、茶山の視線は上の空のままだ。

 本当、馬鹿こいたと思う。下手すれば、ストレートな告白に繋がりかねないというのに。

 

 ――告白か。

 

 いつ、するべきなのだろう。告白しようがしまいが、自分はこの学園艦から立ち去らなければいけない。

 途端に、罪悪感が生じて、

 

「その……すみません」

 

 たまらず、謝ってしまう。

 

「……いえ」

 

 ダージリンをちらりと見る。ダージリンはうつむいたままで、赤くなったままで、

 

「その紅茶のことを、あなたが好きになってくださるなんて――嬉しい」

 

 途端に、茶山の熱さが引いていく。

 

「よかった、買っておいて」

 

 そして、ダージリンは胸に手を当てた。

 茶山がまばたきをする。考察しようとしたが、店員から「ご注文はお決まりですか?」と聞かれ、少し慌てた素振りで「ミートパイとダージリンティーのセットで」とお願いした。

 

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 ミートパイを食し、ダージリンティーを口にしながら、これまでの出来事を振り返る。気に入った食べ物は何だったとか、学園艦の空気はどうだったとか、コーヒーを飲みこなしてやると宣言されたりとか、OGをけなしたりとかで、話題は尽きない。

 長い六日間だった。ダージリンと食べ歩きをして、会話を交わして、デートまでした。本当、夏休みらしい日々を送ったと思う。

 ミートパイをかじりながら、互いに話の量を積み重ねていく。悔いを残さぬように話題を提供し続けても、意識が未練たらしく飢え続けているのが分かる。

 

 そりゃそうだ。好きな人と話せば話すほど、腹が空いていくのは当たり前じゃないか――

 

 それが、恋なのだと思う。恋愛に限って言えば、その不満足こそが正しい心境なのだと思う。

 この焦がれを、自分はずっと大切にしていきたい。

 

「あ……お茶も、パイも、なくなってしまいましたわね」

「そうだねえ」

 

 ダージリンに、陰りが生じる。しかし楽しい時間なんてものは、あっさりと過ぎ去っていくものだ。

 それが無くて、何が人生だ。

 

「では……」

「はい」

 

 手と手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 百貨店から出て、外の空気を吸う。気付けば、この学園艦のことが愛おしくなっていた。

 あとは、港まで歩いていくだけ。ここからなら、数分もかからずに到着出来るだろう――ダージリンは、実に楽しげな表情を浮かばせていた。茶色い包装紙にくるまれた、ティーセット入りの箱を大事そうに抱えて。

 そうして、手と手を繋ぎながら、軽くお喋りに興じる。あれを食べてみたい、これを食べてみたい、もう一度食べてみたいと、主に食べ歩きについて語り合う。

 

「――なるほど、スイーツ中心は良いかもしれませんわね」

「甘いものは飽きないからね」

「ええ。ああ、今からでも食べたくなってきましたわ」

「僕も僕も。甘いものって、なんでいつまでも食べられるんだろう。実際はそんなことないのに」

 

 未来の話をして、

 

「別腹、といいますわよね。あれはなんなのでしょう」

「確か科学的な根拠があったはずだよ、違ってたらごめん」

「私も調べてみましょう。ううん、後でコンビニにでも寄って、スイーツを探してみようかしら」

 

 これからの話をして、

 

「スイーツも充実してるから、良いんじゃないかな」

「なるほど、これは是が非でも行かなくては」

「いい顔するね」

「女の子は、甘いものが好きと相場で決まっていますのよ」

「そういえば、そうだ」

「――何なら、一緒にコンビニ行きます?」

「あ、いいの?」

「ええ」

 

 希望を話して、

 

「コンビニだけではありません。屋台でも、レストランでも、百貨店でも、どこにでも行きましょう、二人で」

「……いいのかい?」

「――こんな格言を知ってる?」

「何?」

「だから、わくわくしないで、恥ずかしい」

 

 いつも、を話して、

 

「――人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である」

 

 明日の話を、しない。

 

 港に着く、当たり前のように連絡船がそこにある。

 茶山の足が、ダージリンの一歩が、止まる。

 デートが終わる、旅行が無事に終了しようとしている。

 

「……その言葉は、誰が?」

「ヴィクトル・ユーゴー、フランスの小説家よ」

「なるほど。やっぱり、何でも知ってるね、ダージリンは」

「ありがとう」

 

 手が離れない、離してくれない、離れたくない。

 

「――どうして、今の格言を選んでくれたんだい?」

「……あなたは、人の気持ちを察することは苦手な方で?」

「いや……何となく、わかってるつもりだった」

「私も」

 

 あと数分で、船が出港する。それまでに乗らなければ、予算が間に合うかどうか怪しくなる。

 

「ねえ」

「うん」

 

 茶山の視界を覆う程の、大きなおおきな連絡船が、茶山を予定通りに飲み込もうとしている。

 

「やっぱり、延長はできませんの?」

「……食べ歩きを我慢すれば」

「そう――無理そうね」

 

 断言された。けれど、自分のことをよく知ってくれているからこその言葉だった。

 

「我慢を強いた上での出会いなんて、私は嫌ですわ。あなたとは、これからも沢山のものを食べて、喜びを分かち合いたい」

 

 それは、自分も同じだった。だからこそ、帰るしかない。

 

「……あの」

「何?」

 

 視線を感じる。顔を横に傾けてみれば、夕日に照らされた、ベレー帽をかぶったダージリンがそこにいる。泣きそうな瞳をしたダージリンが、茶山を見つめている。

 

「次は、次は、いつここに来れそうですの? ――いえ、冬休みになったら、必ずそちらへ向かいますわ」

「ありがとう。そう考えると、案外すぐ会える気がするね」

「そう、ですわね……」

 

 少し、考える時間を用いる。これからの稼ぎを考えて、次に行けそうな時期は、

 

「春休みになったら、僕の方からここへ来るよ。来年の二月くらいに」

 

 食べ歩きというものは、気まぐれに出費が重なるものだ。これは本土で何度も経験した。

 しかも、期間限定の旅行ともなれば、そのテンションもあいまって食欲が沸いて出てくる。食わなければ損という奴で、高いも安いも全て平らげてしまうのだ。

 

 それだけならまだいいが、人間、寝なければ生きてはいけない。世の中上手く出来ているもので、寝床を確保するにしても金がかかってしまう。一週間ともなればなおさらだ。

 それと、茶山だって食う寝るだけの人間ではない。もしかしたら現地で買い物をして、それで、予想以上にサイフが軽くなる可能性もある。

 ――だから、余裕は必要なのだ。常に予算を気にしては、旅行なんて腐る。

 

「分かりましたわ。――いつまでも待ちます、待っています。だからあなたも、私の事を待っていて」

 

 茶山が、力強く頷く。

 

「……改めて聞くけれど、こんな僕で、いいのかい?」

「ええ。だって、だって、私は」

 

 ダージリンが、首を左右に振るう。

 

「また会えた時に、全て話しますわ。今言ってしまうと、心が割れてしまいそう」

「――分かった。その時になったら、僕も全て告白するよ」

 

 いつ想いを告白しようか、まるできっかけが掴めなかった。ダージリンと離れ離れになる、という負い目が決心を鈍らせていたのだ。

 けれどダージリンは、そんな茶山のことを、いつまでも待つかのように「うん」と頷いてくれた。

 

「信じてます」

 

 呪文とともに、手と手を結ぶ魔法が解かれた。

 

「それで、その……」

 

 先ほどまで大事そうに抱えていた、ティーセット入りの箱を、茶山にそっと差し出す。

 茶山が「え」と言葉を漏らす。

 

「これ、私が普段使っているティーセットと、同じものが入っていますの」

 

 言葉が出ない。

 そんなの、当たり前だった。

 こんな、溢れんばかりの想いをぶつけられては、確かな愛情を確かめられては、深い情熱が伝わっては、絆を読み取っては、儚い夕日に照らされては、しばらく会えないという現実を思い知っては、また会いたいという気持ちを知っては、言葉なんて出るはずもない、出ようはずもない、ただただ浸りたかった。

 

 黙って、ティーセット入りの箱を受け取る。両腕で、ダージリンの想いを抱きしめる。

 

「茶山さん」

「……うん」

 

 風が吹き、黄金の髪が羽のように揺れる。ベレー帽が、夕日に淡く照らされる。

 華のように、ダージリンは笑い、

 

「どうか、幸せに生きてください」

 

 

 こうして、茶山の旅行が無事に終了した。夏休みは続くが、きっと、これ以上の思い出なんて、ない。

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
何かご指摘、ご感想があれば、ぜひ送信してくださると嬉しいです。

この話を書くにあたり、紅茶デビューしました。


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7~91日間

 ダージリンと出会って七日目、昼過ぎになって茶山は実家へ戻った。

 母からは普通に「おかえりなさい、楽しかったかい?」と挨拶され、茶山は「うん」と断言した。本を読んでいた父も、「うまいもの食えたか?」と聞いてくれた。

 美味いものは沢山食べられた、良い観光もこなせた。そして、かけがえのない出会いもあった。

 本当、色濃かった一週間だったと思う。人差し指ランクの思い出になったと思う。

 実家の安心感に打ちのめされ、茶山は疲れたような足取りで部屋に戻る。とりあえずバックパックを適当に床へ放置し、ティーセット入りの箱を丁寧に学習机の上に置く。

 

 ――そのまま、ベッドの上に身を投げた。

 疲れた。

 色々あったが、最初に抱いた感想がそれだった。食欲を満たしたからこそ、愛を見つけられたからこそ、幸せを願ったからこそ、心の底から疲労していた。

 このまま、少し眠るか。

 何となく、ポケットから携帯を取り出す。新着メールのお知らせが届いていて、その文字を指でスライドさせる。

 

『無事に本土まで到着しましたか? 私は、寮でのんびりとしています。

この一週間、とても楽しかったです。あなたのお陰で、食事への抵抗なんてなくなりました。

これからは、気分で好きなものを食べていこうと思います。茶山さんも、お腹を満たしてくださいね。』

 

 指を、上下にスライドさせる。

 

『次に会う時は、冬休みの期間中になるでしょう。必ず会いに行きますから、それまで待っていてください。

これからもメールを続けていきましょう。内容はなんでも構いません、今日食べたものとか紅茶の報告とか……本当、些細なことでも構いません。

今後も、親交を深めていきましょう。

あなたのダージリンより』

 

―――

 

 ダージリンを見つけて八日目。旅行帰りということもあって、茶山は自宅で大人しく体を休めていた。好きに食って、好きに寝て、時々ぼんやりと両親と会話する――普段通りの行いだった。

 学園艦へ旅行しに行ったのもそうだが、「あの」ダージリンと出会ったことが、あのダージリンと食べ歩きをしたことが、あのダージリンと触れ合えたことが、まるで嘘のように思える。モテない男の夢物語みたいだった。

 だが、携帯にはダージリン本人からのメッセージが届いている――今日は、素直に食堂で昼を過ごしたらしい。

 なるほど、と思う。かれこれ一週間近くも、昼休み中に姿を消していたのだ。だから、ここいらで軟着陸するのは正しい判断だろう。

 

 『もし暇なら、いつでもメールを送信してよ。今日は休んでるからさ』と返信する。ダージリンは、今日も元気に聖グロの世界を歩んでいるらしかった。

 ――ベッドから起き上がる。

 机の上には、包装紙も解かれていない、ティーセット入りの箱が鎮座している。ダージリンから手渡されて以来、未だにその時から動き出せずにいる。

 

 箱の包装紙を丁寧にめくっていき、そっと蓋を開ける。中には青い意匠が象られた白いティーカップと、ソーサーが入っていた。派手さはないものの、確かな存在感を目で覚える。

 これを、ダージリンが買った理由は、

 

 自分に、使って欲しいから。ダージリンと同じものを、使わせたいから。

 

 財布をポケットに突っ込み、家から出る準備をする。買うものは勿論、ポットと茶葉だ。

 

―――

 

 茶山とお喋りをして九日目。ダージリンは戦車道の授業を終え、ティータイムに心を預けていた。

 アッサムとオレンジペコが、今日の授業について語り合っている。ローズヒップも雰囲気に追従しようとするが、言葉遣いが割と怪しい。淑女に至るにはまだまだ。

 そんな中で、ルクリリが心配そうにダージリンを見つめていた。どうしたんだろうと目を合わせると、焦るようにルクリリが視線を逸らしてしまった。

 ――まあ、いいか。

 ダージリンは、ダージリンティーをすっと飲み込んだ。舌に苦さが伝わり、喉が熱さを覚える。印象に残る香りが、ため息をつかせた。

 

 今、茶山からメッセージが届いているのかな。

 思考の片隅には、いつも彼の姿が映っている。

 

―――

 

 ダージリンと遭って十日目、茶山は旅費の為にバイトをこなしていた。

 普通に労働を行って、時には指摘されて、自己嫌悪に陥ることもある……が、そんなものは食って寝てしまえば割と解消されるタイプだった。

 だが、ダージリンへの想いは、ダージリンと会いたいという気持ちは、決して消えることはなかった――当たり前だ。それを目的に、バイトをしているのだから。

 さて、この仕事が終わったら家で紅茶でも淹れよう。勿論、ダージリンティーをだ。

 

―――

 

 茶山と知り合って十一日目、休み時間になるとダージリンはすぐさま携帯を取り出し、新着メールが来ていないかどうかを確かめるようになった。

 メールの数そのものは多い。大抵は学友のものだったり、ダージリンとお近づきになろうとする赤の他人からだったり、時には他校生から届くこともある。

 それぞれのメールに対し、それぞれの距離感を保って返信する。手馴れたもので、タイピング速度は随分と早い。

 ――来てないか。

 息をつく。今頃は、バイトに努めているのだろう。

 大変だなあ、と思う。

 頑張ってと、心の中で励ます。

 

―――

 

 ダージリンと顔を合わせて十二日目、茶山はバイトの休憩時間にメールを送信していた。

 内容は、『最近、バイト帰りに団子を買って食ったよ。団子って味が重いから良いんだよね』といったものだ。

 特に注目すべきところはないメールだが、ダージリンは『それ、食べます』とか『茶山さんはグルメですね、私も見習いたいです』と、いつも同調してくれるのだ。

 そして時々、『バイトで何かありませんでしたか? 力になります』と激励してくれる。

 

 さて、休憩時間が終わったら頑張るか。それまでは何か食っていよう。

 

―――

 

 茶山と縁を結んで十四日目。ダージリンは部屋の中で横になりながら、ひたすらに携帯を見つめている。

 今日は休日ということで、茶山のバイトも休みらしい。それ故にメールの返信も速く、そのたびにダージリンは微笑を浮かばせるのだ。

 メールの内容といえば、今まで飲んだ紅茶について、食べたものの感想、バイトでの経験談、聖グロでの出来事――話したいことばかり、話していた。

 けれど、それで良いのだと思う。あんなに気持ちを通わせて、今更社交辞令も何もあったものではないから。

 

 紅茶でも作るかな。

 ベッドから起き上がり、茶葉を取り出したところで、携帯が震える。今度は何を話してくれるのかなと、画面に目を映す。

 

―――

 

 ダージリンが「気分転換」をこなしてから、十八日目。アッサムは、食堂でうなぎゼリーを堪能していた――表情は決まって、いつものすまし顔だが。

 そんなアッサムは、周囲から「いつも冷静だよね」と評されることがある。それは否定しないし、そうでなければデータを活かすなんてことは出来ない。分析し、答えを見い出すには、あくまで冷徹さが必要とされるのだ。

 ――が。

 それは、あくまでデータに対してだけ。だからアッサムは、少し離れた席にいるダージリンのことが、眠そうな顔で昼食をとるダージリンの事が、気になって仕方がない。

 あんな顔、初めて見た――周りの生徒も、ただ事ではないと察してダージリンには近寄らない。 

 

「や、アッサム」

 

 声を追ってみれば、手のひらで挨拶をするルクリリがいた。アッサムは小さく頷き、相席へ座るように視線で促す。

 ルクリリが、トレーをテーブルの上に置く。軽やかに腰を下ろす。

 

「――ああ、今日は食堂にいるんだね」

 

 アッサムが、こくりと頷く。

 

「ここ最近は、隊長も食堂で落ち着くようになったよね」

「ええ。前は毎日のように姿を消していたから」

 

 ルクリリが、フィッシュ&チップスを口に含む。

 

「あと、携帯もよく見るようになった。ほら、今も」

 

 ルクリリが、無言でダージリンの動向を覗う。ダージリンは、曇り空のような顔で携帯を操作していた。

 

「授業中はいつもの調子で受け答えするし、戦車隊隊長としての役目もしっかりと果たす。一見すると、いつもの隊長なのだけれど」

「――うん。休み時間になると、少し暗い感じで携帯を触るよね」

 

 ここのところ、ルクリリと会話する機会が増えた。ダージリンの「秘密」を共有するうちに、自然と共同戦線を張るようになったのだ。

 

「あ、見て」

 

 瞬く間に、ダージリンの表情が太陽のように明るくなる。こうなったダージリンは、何かを逃がすまいと指をてきぱき動かすのだ。

 

「あれはきっと、『秘密の人』からメールが届いたのね」

 

 ルクリリが、分かっているように「そうね」と同意し、

 

「先週までは、この学園艦に『秘密の人』がいたんだろうね。でも、今はもういないから外に出たり、出なかったりする。――会えないからこそ、メールを心待ちにしている」

 

 ルクリリの表情が、少しだけ暗くなる。

 

「未練、なのかな。『秘密の人』がいないにも関わらず、外に出て昼食をとるのは」

「隊長に多大な影響を与えた、というのは間違いないようね」

 

 そうだねと、ルクリリが同意し、

 

「外に出る時の隊長、なんだか寂しそうな顔をしてるんだよね。先週は、私にすら分かるくらい明るい表情してたのに」

 

 これまで、ルクリリとはあまり縁が無かった。チームメイトである以上、ルクリリの良い点、悪い点は把握していたつもりだが、あくまでデータ上でのお付き合いに過ぎない。

 ――だが、今となっては、ルクリリは立派な「仲間」だ。ルクリリもそれは察していて、アッサムとよく絡むようになった。

 

「……よく、人の顔を見ているものね。私にはわからなかったわ」

「そうかな。まあ、隊長と付き合い長そうだから、逆に気づきにくかったのかもね」

 

 アッサムが、首を横に振るい、

 

「ルクリリ。あなたは、情が深いのよ。だから、隊長の心境の変化に気づけた」

「え、そう? そんなことないわよ」

 

 けれど、ルクリリは苦笑しながら水を飲む。よく顔に出る人だ。

 ――アッサムがため息をつく。

 たぶん、自分だけだったら、ダージリンが隠すぎこちなさの正体に気づけなかったと思う。アッサムはあくまで分析的に、ルクリリはつい感覚的に、

 

 私はてっきり、だれかと待ち合わせしているのかなーと。

 

 こうして、ぎこちなさの正体を難なく暴いてしまった。

 自分は良くも悪くも冷静だから、聖グロにおける上下関係を常に意識している。だからこそ、「余計なお世話」を犯さないように生きてきたつもりだ。

 だが、今回ばかりはその配慮が仇になってしまったらしい。何だかルクリリに先を越された気もするが、 

 

「――アッサム」

「え、何」

「……ありがとう、褒めてくれて。人のこと、よく見てくれてるんだね」

 

 今となっては、それはそれで良いと思う。

 さて――隊長を見守ることにしよう。

 

―――

 

 茶山の事を意識し始めて、二十日が経過した。今日は授業なんてなくて、戦車道とも無縁で、ティータイムにも浸れない。

 休日だった。

 こういう日は――前は、ここぞとばかりに食べ歩きをした気がする。散歩をして、出店で食べ歩きをして、大道芸人を眺めて、百貨店へ寄って、戦車へ想いを寄せて、自分なりの情熱をプレゼントして、再会を誓い合って――

 今でも、あの日のことを鮮明に思い出せる。今だからこそ、あの日のことが恋しくなる。

 けだるそうに、ベッドから起き上がる。

 カレーでも、食べるかな。

 

―――

 

 ダージリンに愛おしさを感じて、二十一日が経った。今日はバイトも休み、外で軽く昼食をとることにした。

 ここのところ、食べ歩きらしいことはしていない。少しでも旅費を稼ぐために、節約というものをこなしている。

 ――別に、そのことで不満を抱いたりはしていない。食ってみると案外腹は膨れるものだし、実家暮らしという強みもある。少なくとも、飢えに苦しんだりはしないだろう。

 何より、今の自分には生きる目的が、生きるべき動機がある。この間も、「お前、頑張ってるな」とバイトで褒められたものだ。

 

 十二月まで、あと数日はかかる――年を食った大学生からすれば、数か月なんてあっという間だ。

 

―――

 

 茶山という男の人を知って、二十五日が過ぎ去った。今日も聖グロの戦車道を歩み終え、紅茶の園でティータイムに浸る。

 皆が皆、思い思いの紅茶に口をつける。お喋りに興じるチームメイト、授業を振り返る隊員、スイーツを味わう友人――こうした場面を、紅茶片手で眺めるのが、ダージリンの楽しみの一つだった。

 聖グロとて、決して優雅さだけで構成された世界ではない。守るべき伝統は多いし、努力しなければ美しさは保てないし、OGがうるさいし、強豪だからこそのプレッシャーはかかるし、みんな分かっていても建前は崩してはいけないし、OGは口うるさいしで、我慢大会めいた部分は多い。

 

 だが、ティータイムという聖域に、そんな堅苦しさは存在しない。ティータイムにもマナーはあるものの、微妙なセンなら見逃してくれる。

 戦車道という授業は、本当に疲れるのだ。だから、ガミガミ口を動かすよりは、紅茶を飲んで一休みしたいというのが聖グロ生徒の本音だった。

 

「――それにしても」

 

 ローズヒップが、ぼうっとした表情で顔を見上げている。ダージリンは、目だけでローズヒップを追う。

 

「また撃墜判定を受けてしまって、何が悪いものやらさっぱりですわ」

 

 全員が、「動きすぎなんだよね」と表情で語る。しかしローズヒップときたら、「座っているだけでは良い的ですわ」と言って、つい突っ走ってしまうのだ。

 

「ローズヒップ、いいこと? 時には待つことも大事――むしろ、待てなければ勝つことは難しい」

「そうなんですの?」

 

 心底驚いた、といった表情でダージリンを凝視する。いくら一年生といえども、この認識は危なっかしいと思う。

 だが、ローズヒップは勇敢なのだ。普通の生徒なら臆してしまうような状況でも、自らが囮となって買って出たり、我こそはと攻撃を仕掛けたりする。本人曰く「正しいと思ったからこそ、行動したまでですの」とのことだが――それを貫き通す事も、難しい。

 それ故に、ダージリンはローズヒップの素質を見出したのだ。今はまだ若いだろうが、多少年を食えば蛮勇から勇猛へと成り代わってくれるはずだ。きっと。

 

「そう。ここぞという時に駆け抜ければ、相手へのプレッシャーにも繋がるのよ」

「う~ん……」

 

 唸る。悩むがいい、それもまた戦車道だ。

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 ローズヒップが、「はい?」と首をかしげる。

 

「成熟するためには、遠回りをしなければならない」

 

 ローズヒップが、「はい?」と逆方向に首をかしげる。

 

「開高健、日本の小説家の言葉ですね」

 

 オレンジペコが、いつものように、さらっと指摘する。

 ――ダージリンは、がっくりと椅子に背を預ける。たぶん、口元はへの字に曲がっているだろう。

 

「ど、どうしました? ダージリン様」

「いえ……これが、普通でしたわね……」

 

 その時、アッサムがちらりとこちらを見た。ダージリンも力なく見つめ返すが、何事も無かったかのようにアッサムは紅茶を味わっていた。

 

―――

 

 茶山と分かり合って、三十日も歩んでいた。

 今のところ、ダージリンは実に不機嫌である。なぜならば、数日後にOGが「何の実りもない会話」をする為に、わざわざ遠いところからようこそおいでくださるのだから。

 教室の中で、「ふん」と毒づく。聞かれたところで問題は無い、理由を話せば「ああ、そういうことですか」と三年は納得してくれる。

 そんな風にして、ダージリンは休み時間を過ごしていた。携帯をちらりと見るが、特にこれといって変化は、

 

 新着メール:茶山

 

 脳ミソと活力が生き返る。すぐさま画面をスライドさせれば、『先日は、母がおしるこを作ってくれたんだ。こういう食べ物、やっぱり大好きだよ。――ダージリンは最近、何を食べたのかな?』の文面が両目に焼き付く。

 体内で蠢いていた不快さは消え、ダージリンの口元が緩む。文面を考えながら文章を打ちこんでいき、仕上がったのが、

 

『最近は、食堂で英国風メニューを味わっています。ティータイムが開催されない日は、放課後にうどんやカレーを食べていますね』

 

 送信する――したところで、若干後悔する。

 OGについて、書けば良かった。

 別に、援護射撃を求めるとか、そういうものではない。ただ、応援してくれればそれで良いのだ。

 単なる気休めにしかならないんじゃないかと、指摘したければするがいい。だが、恋に情熱的であればあるほど、そのパワーは馬鹿に出来るものではなくなるのだ。

 だから、今更ながら「失敗したかな」と思う。二度に渡ってメールを送信するのも、それはそれで失礼であるし、

 

 新着メール:茶山

 

 ダージリンの肉体に火が付いた。画面をハイスピードスライドさせてみれば、

 

『いい食べっぷりだね、元気そうで良かった。あ、ダージリンがくれたティーセットはちゃんと愛用してるからね、茶の淹れ方はぎこちないけど……』

 

 使っていて、くれてるんだ。

 ダージリンの心に、火柱が立つ。自分は、ここまでしてくれる人間に好かれているのか。自分は、なんて幸せ者なのだろうと改めて自覚する。

 ――そっか。

 再び、画面めがけフルオートで文字を打ち込む。

 

『いえ、そうして使ってくださることが、紅茶に興味を抱いてくれることが、とても嬉しいです。でも、飲みたいものもちゃんと飲んでくださいね? コーヒーとか。

あと、これはちょっとした報告なのですが、数日後にOGが来校してきます。戦車道の授業を見学した後、ティータイムに参加するついでに色々と注文をつけてくるのでしょう。

私は、ああはなりたくありませんね。そんなことだから、いつまで経っても聖グロは優勝できないというのに。

――長文になってしまいましたね、ごめんなさい。ただ、こうしてあなたに話すだけで、少しばかり緊張がほぐれる気がしたのです。

もし返答に困る場合は、無視してくださって構いません』

 

 打ち終えると同時に、授業開始のチャイムが鳴る。送信ボタンを押し、ダージリンは勉学へ挑むために武器を用意する。

 

―――

 

 同日、茶山はバイトの休憩中にメールを打ち込んでいた。ダージリンとのメールも日課になったものだが、今の茶山に明るさは無い。

 

 そんなことだから、いつまで経っても聖グロは優勝できないというのに。

 

 この一文を見て、茶山は声にならない声を漏らした。

 そう、そうなのだ。聖グロは、全国大会で優勝したことが無い。強豪校と呼ばれるのは、単に好成績を出しているからに過ぎないのだ。

 ――自分如きの言葉が、自分なんぞの指が、ダージリンの力になれるかどうかなんて分からない。

 けど、自分は聖グロのファンだぞ、ダージリンの友人だぞ、ダージリンのことを世界一愛しているんだぞ。

 無い脳みそを絞り出して、激励の言葉を捻り出す。長いような短いような休憩時間が、あと数秒で終わる気がしてならない。

 

『気を遣ってくれてありがとう。大丈夫、コーヒーもおいしく味わっているから。

OGの件、確かに読んだよ。確か、OGが口出しするせいで聖グロは中々強くなれないんだってね。そのせいで、掴めるはずの優勝も得られない。

不憫な話だよね、そう強く思う。

戦車道とはスポーツであって、決して勝ち負けが全てじゃないけれど、それでもやっぱり勝ちたいよね。その方が嬉しいに決まってる』

 

 タイピングし続ける。大分長くなったなと思いつつ、

 

『今度、OGと交渉する際は、僕は心の底からダージリンのことを応援する。歩ける距離に神社があるから、そこでお参りもする。

僕の母校は大洗学園だから、大洗の戦車道を支持すべきなんだろうけれど、今は聖グロ派だ。僕はあの世界が好きだし、何よりダージリンがいる。

ダージリン、僕は絶対に君の味方をする。それが僕の生き甲斐だから。

文章、長くなってごめんね。面倒だったら、流し読みでも構わないから。』

 

 打ち込み終え、携帯をポケットにしまい込む。あんな内容で、良かったんだろうかと思う。

 己が頬を叩く。何もしないよりはマシだし、自分は一生ダージリンの味方になると誓ったのだ。

 身分は違えど、距離が離れていても、自分なりの戦い方は出来るはずだ。そう考えると、何だか気合が入ってきた。

 休憩時間が間もなく終わる。さて、稼ぐか。

 

―――

 

 同日。休み時間に入り、ダージリンは茶山からのメールを読み終えた。

 手で、口を押える。呼吸が止まらない、感情が高ぶってくる、目頭が熱くなる。

 どれだけ、彼は自分のことを好きでいてくれるのだろう。なんで、顔も見えない相手にここまで想いを伝えてくれるのだろう。世界を敵に回しても、食えるものがあるなら「やあ」と味方してくれるに違いなかった。

 

 メールを返信する。一区切りつけて、深呼吸した。

 OGを何とかする為に、交渉に使えそうな武器を探す必要がある。これまで通りに一人で何とかしようとしても、お茶を濁すような結果で終わってしまうだろう――何となく茶山のメールを読み返し、「支持」という単語が目に留まる。

 伝統とは、支持があってこそ伝統と認められる。そうでなければ、自然と廃れていくだけだ。

 新しい伝統を作りたいのなら、新たな流れを生じさせたいのなら、沢山の支持を集めて、その現実をOGに見せびらかせばいい。伝統ありきで生きている聖グロ生徒なら、支持という力には過敏に反応せざるを得ないはずだ。

 

 OGと話し合い、やっぱりダメでしたなんて甘えは、これで終わりにする。今のダージリンは、聖グロの為に、同級生の為に、これからの後輩の為に、茶山の為に、何がなんでも交渉に打ち勝つつもりでいた。

 ここまで張り切れる原因の一つに、蓄積していったフラストレーションも含まれているのだろう。けれど根本は、やっぱり恋だ。

 ――携帯を操作し、アッサムのアドレスをタップする。

 

 負けるのは、私たちで最後だ。

 

―――

 

 ダージリンの後を追って、もう三十三日だ。バイト帰りの夕暮れ時に、茶山は神社へ立ち寄っていた。

 見よう見まねの礼儀作法をこなし、賽銭箱へ五百円玉を入れる。鈴を鳴らして神様を呼び、二礼二拍手一礼を行う。

 

 自分には、好きな人がいます。その人を、どうか幸せに導けるよう見守ってください。自分も、力を貸すつもりです。

 

 確かな願いを、間違いのない本音を神様に告白し終え、茶山はもう一度頭を下げる。そのまま神社を後にする前に、今一度神社へ振り返って礼をした。

 

―――

 

 茶山とコミュニケーションをとって、三十六日の月日が経過していた。

 昼休みに外出し、自販機で無糖の缶コーヒーを購入する。慣れない手つきでプルタップを開け、ダージリンは何の躊躇いも無く缶コーヒーを飲み干した。

 苦い。だが、筋肉に張りがついたような気がする。持久力が上がるという話は本当なのかもしれない。

 缶コーヒーをゴミ箱に捨てて、自分の頬をぱしんと叩く。

 よし、気合が入った。

 

『今日、OGが来校します。ですが、もう怖くはありません。この日の為に色々と練っておきましたし、茶山さんが私の為に祈ってくれているからこそ、いつもより強く進められる気がします。

茶山さんも、バイトを頑張ってくださいね。応援しています。

あなたのダージリンより』

 

 携帯をしまう。

 さて、大切な客人をもてなすとしよう。

 

 

 戦車道の授業を終了させ、紅茶の園で身も心もリラックス――というわけにはいかない。今日は、三名のOGが「またしても」来客してくれたのだから。

 別に、OGはそれほど顔を見せるわけではない。だから「またしても」という認識には語弊があるが、嫌な相手なんてものはいつだって「また来た」でまかり通るものだ。

 

 まずは、今の授業についてありがたい評価をいただいた。良くも悪くもOGであるから、良い点、悪い点はしっかりと把握している。指摘する個所も、素直に「なるほど」と頷けるものばかりだ。周囲の席に腰を下ろしているチームメイトも、うんうんと同調していた。

 ここまでは良い。言葉を受け入れながらも、優雅に、華麗な振る舞いをもって紅茶をたしなむ。

 

「そういえば――また、全国大会で優勝出来なかったようね」

 

 来た。ダージリンの目が細くなる。

 

「黒森峰女学園は、本当に強いものね。今年は大洗女子学園が優勝したみたいだけれど」

 

 正直なところ、大洗が優勝した件に関しては心底驚いた。人間、やれば出来るものだ――が、戦車は揃えておくに越したことは無い。一部のケースに縋りつく程、まだ悲観にくれてもいないのだ。

 

「聖グロも強い、確かに強い。けれど、何かが足りない」

 

 ポニーテールが、実にわざとらしく前置きをする。あまりにも聞き慣れた話題なものだから、心の中で「早くしろ」と悪態をついてしまった。

 

「そう、マチルダが足りない。この火力――主力としては、十分ではなくて?」

 

 ショートヘアが、目つきだけで「何言ってんだ」とメッセージを送りながら、

 

「けれど、遅くては敵の不意はつけない、チャンスだって逃すかも。ここはクルセイダーが一番よ」

 

 隣に座るアッサムが、心底うんざりするように紅茶を飲む。離れて見守っているチームメイト達も、聞くだけでそれ以上の反応はしない。

 

「けれど、負けてしまえば全てが終わりよ。それよりも、生存性が高く、外見も美しいチャーチルが一番よ」

 

 ロングヘアーが、勝ち誇った調子でチャーチルを推奨する。そんな意見に対し、ポニーテールとショートヘアは、顔だけは「なるほど」と言っておいて、腹の中では「何言ってんだこいつ」と反論しているに違いない。

 正直なところ、ダージリンとしてはチャーチルが好みだったりする。生き残りやすい戦車というのは、それだけで強いのだ。

 が、チャーチルを導入した場合、ロングヘアーへ肩入れしたという結果が残る。そうなると、ポニーテールとショートヘアからの資金援助がマズくなる恐れがある。

 

「どの意見も、一理ありますわ。先輩がた」

 

 紅茶を、ソーサーの上に置く。

 

「ですが、今の聖グロにとって必要な戦車とは、根本的な強さを秘めた戦車、だと思いますの」

 

 聞き慣れない意見だったからだろう。OGが「何?」と、ダージリンへ視線を殺到させる。

 ――きつい。

 OGとて、タダで生きてるわけがない。聖グロの世界から無事に生還して、聖グロよりも裏表の激しい社交界へ身を乗り出しているはずなのだ。

 苦も楽も知っている人生の先輩は、学生時代よりもひと際輝いているに違いない。ダージリンよりも優雅に、華麗に、そして強く、今日も生き残っている。

 だから、三人分の圧力を食らっただけで怯みそうになる。

 

 耐えろ。

 今の自分には、「武器」がある。無糖の力が、肉体を強くしている。確かな祈りが、今ここに届いている。

 かつて見た、大道芸人のことを思い起こす。時には大胆さを、心にメタルを。

 

「根本的な……? それは何? 言ってみなさい」

「大学選抜チームの隊長――島田愛里寿が使っていた、あの戦車」

 

 ポニーテールが、「は?」と声を漏らす。

 

「つまりは、センチュリオンを導入しようと考えているのです」

 

 瞬間、OGのストレスは爆発的に膨らんだはずである。何を言ってるんだと、伝統はどうしたのだと。

 

「センチュリオンは、根本的に『強い』。しかも、外見も優雅ではありませんか」

 

 さらっと口にする。

 

「確かに、それは認めざるを得ません――しかし、センチュリオンは『誰も乗ったことがない』」

 

 OGの後を追う為に、OGが愛用した戦車を導入する。それも聖グロの立派な伝統であり、優勝出来ない原因の一つでもあった。

 

「そう。だからこそ、センチュリオンしかないと私は考えました。どこかに肩入れしては反論が起きる、しかしこのままでは優勝は望めない。なら、新しい伝統を作るべきではないかと」

 

 ポニーテールが、紅茶を一口つけつつ、

 

「勝手な意見ですわね」

「いいえ。これは、『今の』聖グロの総意です」

 

 ショートヘアが、「は?」と狼狽する。

 

「――聖グロの全校生徒から、アンケートをとらさせていただきました」

 

 アッサムが「失礼します」と、タブレットを取り出し、画面を照らす。

 

「まず、生徒は全国大会の優勝を望んでいます。まあ、当たり前ですよね」

 

 アッサムが、あくまで淡々とデータを朗読する。指をスライドさせ、

 

「次に、センチュリオンを導入するにあたっての反応をいただきました。ほとんどが好意的で、『共感出来る戦車』と示しています」

 

 OGの抵抗が途絶える。

 

「『OGが推奨する戦車以外は、導入を控えるべきか?』 難しいアンケートでしたが、大半は『状況によっては、新しい戦車の導入も考えるべきだ』と返答していただきました」

 

 OGが沈黙する。

 当たり前だ、自分だってこの結果には正直驚いた。何だかんだいって、負けっぱなしはみんな嫌なのだ――特に、淑女というものは。

 

「――そして、戦車道履修者『のみ』に、ある質問を投げかけました」

 

 誰も、紅茶など飲んでいない。スイーツも食していない。オレンジペコも、ローズヒップも、ルクリリも、ダージリンの席を注視している。

 

「全国大会で負けて、悔しかったですか?」

 

 アッサムの目線は、タブレットからOGへ。

 ロングヘアーは、ポニーテールは、ショートヘアは、確かに口うるさい先輩だ。聖グロのことを想っておきながら、想っているからこそ、自分の伝統を継承させようとする。

 ロングヘアーは、ポニーテールは、ショートヘアは、確かにやかましい先輩だ。だが、三人とも、立派な戦車道履修者だ。

 優勝を逃して、心の底から悔しがった「仲間」なのだ。

 ――質問に対し、OGは何も返答しなかった。それが答えだった。

 

「先輩」

 

 ショートヘアが、声なくダージリンを見つめる。

 

「私たち後輩を導いてくださったこと、心から感謝しています」

 

 ロングヘアーが沈黙する。

 

「優雅であって欲しい、華麗に生きて欲しい、聖グロを輝かせて欲しい――そうした願いを込めて、伝統を作り上げたことも存じています」

 

 ポニーテールが、ただダージリンの言葉に耳を傾けている。

 

「ですが、たった一つだけ、無意味な伝統があります」

「それは……?」

 

 ロングヘアーが聞く。ダージリンは、ダージリンティーを一口つけ、

 

「――勝てない、という伝統(のろい)

 

 ロングヘアーが、ポニーテールが、ショートヘアがうつむく。

 

「私も、そろそろ卒業です。センチュリオンを迎え入れたところで、実質的には何の意味も持ちませんわ」

 

 ダージリンティーの表面を見つめる。夕日が溶けたような色を見つめるたびに、心がほっとする。

 

「ですが、もう、後輩を泣かせたくはありません。優勝という喜びを、勝利という光を、後輩たちに与えたいのです」

 

 そして、目をOGに合わせる。

 

「私は、新しい伝統を作りたい。優勝という、伝統(みらい)を」

 

 音もなく、深呼吸する。

 

「後輩の喜ぶ顔を見たら、先輩がたは、どんな気持ちを抱きます?」

 

 そんなもの、そんなこと、決まりきっていた――

 

 

『交渉は、『無事に』終了しました。たぶん、来年の全国大会は期待しても良いと思います。

私が強く出られたのも、聖グロの全校生徒が力を貸してくれたお陰です。私が勇気を振り絞れたのも、あなたが応援してくれたからです。

あなたには、いくらお礼を口にしても足りません。お返しになっているかどうかは分かりませんが、メールに自分の電話番号を書いておきます。お暇でしたら、どうか相手をしてやってください。

本当に、ありがとうございました。

あなたのダージリンより。』

 

―――

 

 同日の夜、自分の部屋のドアに鍵をかけ、大分手馴れた手つきで紅茶を温める。学習机の上に砂時計を置き、すぐさまひっくり返して時間調整開始。あとは三分待つだけで、おいしい紅茶が茶山のものとなる予定だ。

 茶山は、夜中に電話をかけることはあまりしない。かける用事といえば夜遅くまで食べ歩きを実行する時とか――大体こんな感じの動機であることが多い。

 既に、携帯の充電は完了している。このまま長話をしたところで、携帯が息切れすることも無いだろう。喋り過ぎて喉が渇けば、ダージリンティーを飲んで解決だ。

 

 画面には、ダージリンの文字とともに電話番号が表示されている。このままタップすれば、間違いなくダージリンの携帯を震わせるだろう。

 本当にいいのかな――

 今までは、文字でやりとりをこなしてきた。それはまだいい、文字ならいくらでも誤魔化しが利く。

 だが、声となると話は別だ。何かバカなことを抜かしそうな気がする。ただでさえ、交渉の件で上機嫌だというのに。

 

「よし――」

 

 砂時計の砂が、空になったのを確認する。ポットのカバーを取り外し、カップにダージリンティーを注ぐ。

 

「いただきます」

 

 あくまで優雅そうに、華麗っぽくダージリンティーを口にする。程よい苦さと染み付く熱さが、体全体を温めてくれた。

 ことりと、ソーサーの上にカップを置く。携帯を取り出し、勢いのままで送信ボタンをタップする。

 携帯に耳を当てる、コール音が鳴り響く。かからなかったらそれはそれで良い、かかったらどうしよう。

 

『はい、ダージリンです』

 

 うわあかかっちまった。かれこれ数日ぶりのダージリンの声を聞いて、「あ、えと」とか言ってしまった。

 

『……? あっ、茶山さん! かけてくれましたのね!』

「えっ、今の声で分かったの? 凄いね」

『一番聞き覚えのある、男性の声ですもの。当然ですわ』

 

 ダージリンが、実に楽しそうな声を発する。

 

「お、お父さんがかわいそう」

『……最近、会ってませんし……』

 

 だよなあ、と茶山は同意する。学園艦で生活する以上、親と離れ離れになるケースは頻繁に見受けられる。

 

「……あ、そうだ。ダージリン、おめでとう、やり遂げたんだね」

『――ええ』

 

 ダージリンは、誇らしげに微笑を浮かばせているのだろう。電話越しからもそれが伝わってくる。

 

「おめでとう、本当におめでとう。ああ、すごく嬉しいなあ、めっちゃ嬉しい」

『私もです。やっぱりみんな、優勝は諦めきれないようで』

 

 それはそうだ。本気でスポーツをやる以上、目指すは優勝と相場で決まっている。

 ダージリンティーを飲む。美味い。

 

「ああ、今日は宴だなー。何をするわけでもないけど」

『それでしたら、明日は、食べ歩きをしてみては?』

「あ、それは控えてるんだ。旅費を稼がなきゃいけないし」

 

 ダージリンが、「あ」と、曇った声を漏らす。

 

『そんな……遠慮なさらずに』

「いや、気にしなくていいよ。君と会うことが、僕の生きがいだから」

『茶山さん、そんな』

 

 けれど、ダージリンは嬉しそうに言うのだ。茶山は、何となくカップを軽く揺らす。

 

「君とこうして話が出来るだけで、僕はもう満たされてる」

 

 ここで、間が生じる。

 やばい、流石にクサいことを言ってしまっただろうか。そう自覚出来る時点で、そんなものなのだが。

 

『茶山さん――その、あの』

「あ、はい」

『……これからも、お暇でしたら、お電話をおかけに、なって?』

 

 間。

 

「あ、いいですよ。何だったら僕の番号も教えましょうか?」

『本当ですのっ?』

 

 とてつもなく喜ばれた。何だかこっ恥ずかしくなって、茶山はニヤケ面でダージリンティーを口にする。

 

「いいよいいよ。まあバイトの都合上、夜くらいがいいかな」

『はいっ、是非っ』

 

 そうして、今日のところは番号を教えて電話を切った。

 ――ダージリンティーを一口。

 落ち着かない気持ちで飲む紅茶は、最高に美味かった。

 

―――

 

 ダージリンの秘密を守って、三十七日目。バイトを終え、神社へお礼参りを行ってきた。その時、清々しい気分になったのを覚えている。

 ――夜中になると、早速とばかりにダージリンから電話がかかってきた。

 

「はい」

『あ、ダージリンです。今、大丈夫ですか?』

「もちろん」

 

 話題といえば、今日食べたものとか、コーヒーにチャレンジして苦戦した事、バイトの失敗談などなど。特別、盛り上がったりなどはしなかった。

 だが、茶山もダージリンも、決してお喋りを絶やすことはなかった。その時はダージリンティーを温めていなかったので、口が寂しかったのだけれど。

 

『――あ、もうこんな時間。早いですわね』

「そだねえ、そろそろ寝るかなあ」

 

 衝動的に欠伸が出る。ダージリンも、疲れたようにため息をつき、

 

『えっと、明日は……?』

「あ、大丈夫大丈夫。でもいいの? そんな毎回かけて」

『ご心配には及びません。こう見えて、話題には事欠かないの』

「ああいや、何というのか、その」

『――私、あなたと久々に話せて、とても嬉しいの。気にしないで、ね?』

 

 そうかあと、茶山は安堵する。万が一体調がキツかったら、メールで知らせればいいだけだ。

 

「分かった。じゃ、おやすみ」

『おやすみなさい』

 

―――

 

 ダージリンと相席になって、三十九日目。茶山とダージリンは紅茶を飲み合いながら、雑談を楽しんでいた。

 

『やっぱり、格言を言って感動してくれるのはあなただけですわー』

「オレンジペコさんは賢いなあ」

『確かに、あの子は優秀なのですけれど、それとこれとは話が別よ』

 

 今日は、オレンジペコというチームメイトについて語り合っていた。一年にして次期隊長の素質があるらしく、ダージリンの後継者候補なのだとか。

 言うことは聞くし、滅多に驚かないし、マナーもなっていて、実に優等生なのだとか。流石は聖グロ生徒、流石は後継者候補、なのだが、

 

『はーあ、やっぱり茶山さんがいないと格言が冴えませんわ』

「いやいや、伝えることが大事だよ、そういうのは」

『でも、あんなに淡々とされると、正直寂しいですわ』

 

 優等生であるオレンジペコは、格言の引用元をズバリと当ててしまうらしい。そのせいかあまり驚かれず、ダージリンも時にはめげそうになるのだとか。

 他のチームメイトにしても、「意味が分からない」という表情をされたり、「そうなんですか」と流されてしまうとか。戦車隊隊長も、決してラクではないらしかった。

 

「まあまあ、知らないよりは知ってる方がいいよ」

『まあ、そうなんですけれど』

 

 茶山が、ダージリンティーを口にする。

 

「僕で良かったら、格言大歓迎だよ。ささ、言って」

『急かさないで。何だか萎えてしまいます』

 

 えへへと、みっともなく苦笑する。今のダージリンときたら、ぶすっとした表情を浮かばせているに違いない。

 

『もう……あなたはいつだって、そうやって耳を傾けて』

「ダージリンと話がしたいからねえ」

『ええ、それは私も』

 

 間。

 

『あの』

「うん」

『次は、冬休みに――私から会う、という計画でしたわよね?』

「うん、そうそう」

 

 流石に、今の予算で食べ歩きツアーは懐に厳しい。食う寝るほど、いい加減に金が消耗されるものもない。

 

『その、あの、それ以前に、早く会えたりは、』

 

 言い切る前に、ダージリンが『あっ』と声を発する。

 

『ご、ごめんなさいっ。無茶を、言ってしまって』

「いやいや、気にしてないよ」

『本当にごめんなさい……』

「ううん。むしろ、そう言われて僕は嬉しい」

 

 ダージリンが、小さく息を漏らす。火照った体を落ち着かせる為に、茶山はダージリンティーを飲む。

 

『茶山さんは……いい人ですのね』

「いやいや、普通の男だよ。怒ったりするし、根にも持ったりするし」

『そんな茶山さん、見たことがありませんわ』

「ダージリンの前では、清く正しくいたいからね」

『……そう』

 

 一言だけだった。それも、嬉しそうな声で。

 

『あ、もうこんな時間――今日も、ありがとう』

「こちらこそ。おやすみ、ダージリン」

 

―――

 

 ダージリンのファンになって、四十三日目。ダージリンから電話がかかってきたのだが、話題を切り出す前に「あの」とか「えと」とか、どうもしどろもどろだった。

 

「どうしたんだい?」

『あ、えっと、その……聞きたい、ことが』

「うんうん」

 

 間。

 

『茶山さんには』

「うん」

『――好きな人は、いますか?』

 

 両肩で、深呼吸する。迷うことなく、

 

「いるよ」

 

 少しだけ、互いに沈黙した。

 

『その人は、本土にいますの?』

 

 学習机の上に置いてあった、無糖の缶コーヒーのプルタップを開ける。

 

「いないね」

 

 一口で、缶コーヒーの半分くらいを飲み干す。うんざりするくらい苦くて、逆にすっきりした。

 

『そう……やっぱり、そうですわよね』

 

 安堵するような、不安そうな声。

 ――自分から全てを言うべきか、ダージリンの意志を尊重すべきか。額に缶コーヒーを当てていると、

 

『ごめんなさい、変な質問をして。ささ、今日は何をお食べになったの?』

「あ、ああ、そうだね。今日はグラタンを――」

 

―――

 

 ダージリンと意思を疎通して四十四日目、ダージリンから届いたメールによると『今日は用事があって、電話が出来ません。本当にごめんなさい』とのことだ。

 察する。

 たぶん、ダージリンはきっかけを探しているのだと思う。本心を伝える為の、きっかけを。

 何やってるんだ、自分は。女の子に、負担を強いるなんて。

 

 ちらりと、何も入っていないティーカップに目をやる。

 決めた。メールを送り、電話の許可を得たら、自分からダージリンへ電話をかけることにする。そして、思い切って告白するんだ。

 知り合ってもう四十四日だ。愛して、愛されるには、十分すぎる程の月日が経過したと思う。俗にいう「遂にこの時が来たか」だ。

 

 早速とばかりに、『明日、電話をかけてもいいかな?』とメールを送り――数分後、返信が届いた。

 

『少しだけ、お時間をください。決して、あなたのことを嫌いになったわけではありません。むしろその反対です、大反対です』

 

―――

 

 茶山と交友関係を築いて、四十六日目。ダージリンは、食堂でぼうっと昼食をとっていた。

 英国風メニューを口にしているものの、味が薄かった気がする。溢れんばかりの感情について、頭がいっぱいだった。

 好意が、愛情が、情熱が、プラス的な想いが、ダージリンの中で日に日に膨らんでいっている。それらはダージリンの大切なパーツであって、決して捨てて良いものではない。

 嫌悪感なんて、これっぽっちも、ない。

 ただ、あと一歩踏み込めないだけ。会えてもいないのに、「ある言葉」を告白してしまうと、心が砕けてしまいそう。

 

 ごめんなさい、勝手な理由で会話を閉ざしてしまって。

 どうして、話せば話すほど、自分はあの人の事が好きになっていくのだろう。これも恋か。

 

―――

 

 ダージリンと戸を開けて、四十九日目が経過した。学習机の上に置いてある携帯が震え、茶山は電光石火の勢いで画面を確認する。友人からの新着メールだった。

 まあいいか。友人からのメールを確認し、返信内容を入力していく。

 ダージリンは、『あなたのことは嫌いじゃない。むしろ反対、その大反対だ』とメールで伝えてくれた――あれ以来、ダージリンからのメールが少なくなったものだ。

 分かる。だいぶ前に、友人に対して謝罪メールを送信したことがあるが――「送信」をタップするのに、めちゃくちゃ勇気を用いた。

 文面そのものは、何の感情も伝えはしない。だが、メールを送信するのは人間であって、そこには必ず感情が生じる。それに恋が加われば、メールの送信受信に動揺するのは仕方がないことだ。

 ダージリン、僕は不快になんて思ってないよ。むしろ嬉しい気持ちでいっぱいだ。

 

 いつまでも待とう。だって、自分はダージリンのファンなのだから。

 

―――

 

 茶山と隠し事をして、五十日目。ここのところ、昼休み中は大人しく食堂に居座っていることが多い。

 今までの外出は、単なる気分転換でした。これからは聖グロ生徒として、食堂で英国風メニューを楽しませていただきます――こうした基盤作りもあるが、今のダージリンにとって、外食とは食べ歩きと同義だった。

 食べ歩きを実行しようとすると、やはりあの人のことを思い出してしまう。相席に座り、話しに付き合ってくれて、格言を褒めてくれる、あの人のことを。

 ため息をつく。

 午後は、戦車道の授業が行われる。今はこんな気分だが、戦車に乗ると不思議と気分が整えられるのだ。

 どうも自分は、戦車乗りに向いているお嬢様らしい。母の血が色濃いのだろう。

 

―――

 

 茶山を思い出にして、五十三日目。今日も、ダージリンは食堂で英国風メニューを口にしている。

 ああ、やっぱり、私はあの人がいないとだめになっちゃったな。

 でも、交流をすればするほど、心がきつくなる。

 

―――

 

 ダージリンの為に生きて、五十四日目。バイトを終え、自室でダージリンティーの香りに浸る。

 彼女は、元気にしてるかな。旅費は、順調に稼いでるよ。

 

―――

 

 茶山と話題を提供しあって、五十七日目。今日も、ダージリンは一人で昼食をかじっている。

 聖グロの生徒は、皆淑女である。それ故に表も裏も読み取ろうとするし、誰それの表情を覗って「察する」ことも得意としている。この基本スキルが無ければ、余計なことをしでかして、己が品位(スコア)を下げる可能性があるからだ。

 だから、今のダージリンに近づこうとするような、勇気のある生徒は何処にもいない――別に、現状を嘆いているつもりはない。むしろ、好都合とさえ思える。

 ――どんな顔してるんだろ、自分。

 水を飲む。ここのところ、茶山とは最低限のメールしか返していない。理由は簡単、こっ恥ずかしいからだ。

 再会を果たし、告白してしまえば、またくどいくらいメールを送りあう日々が続いていくのだろうか。西住まほにも軽く相談したが、「落ち着くのを待て、しかし想いを忘れるな」とアドバイスされた。

 忘れるものか。それが、自分の生きがいだ。

 両肩を落とす。前々から恋愛に興味はあったが、これほどまで情熱的になるとは。恋は怪物だと、改めて思う。

 

「――隊長。同席しても、よろしいですか?」

 

 夢から覚めたように、はっと視線を向ける。トレーを持った、アッサムとルクリリの姿――秘密を目撃した、二人組だった。

 

「……ええ」

 

 ルクリリとアッサムが、ダージリンの真正面に腰を下ろす。良い顔をしていた。

 

「どう、したのかしら?」

 

 アッサムは何も言わない、ルクリリが、

 

「いえ。ここ最近、隊長の元気が薄いかな……と感じまして。それで、少しでも解消できればと思い、失礼ながら声をかけさせていただきました」

 

 声が出ない。

 周囲の生徒は、口にはしないものの「何をしてるんだ」という目つきをしていた。

 

「隊長、よければ話し相手になりますよ。雑談、相談、何でもどうぞ」

 

 ルクリリがはっきりと意思表示し、アッサムがぎこちなくにこりと笑う。

 ああ、そうか――心配を、かけさせてしまったらしい。

 

「ありがとう、アッサム、ルクリリ」

 

 久々に、食堂でにこりと笑えたと思う。

 アッサムが、ちらりとルクリリの方を見て、

 

「隊長、私は何もしていませんよ。ルクリリが、隊長を元気づけたいと提案してきたんです」

 

 ルクリリが、うわ余計なことを言うなと表情に出す。ダージリンが、「まあ」と声を出して、

 

「そう……優しいのね、あなた」

「いえ、そんな。隊長のことは尊敬していますから、何とかしたいと考えるのは自然というか」

 

 ダージリンが、「いいえ」と首を振るい、

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 ルクリリがまばたきし、アッサムが「またか」と苦笑する。

 

「勇気は人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるから――アリストテレスの言葉よ」

 

 水を、少しだけ飲む。

 

「あなたは、私を励まそうとしてくれた。それにだって勇気が、優しさが必要になるの。ルクリリ、もっと自分を誇って」

 

 ルクリリの頬が、少しだけ赤くなる。小さな声で、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 

「私からもお礼を言わせて。二人とも、本当にありがとう――楽になったわ」

「それは良かった」

 

 アッサムが、うなぎゼリーを口にする。自然と、ダージリンの手も動く。

 

「そういえば――ルクリリ、あなたとはあまり話したことがなかったわね」

「そう、ですね」

「よければ、あなたのことを話して欲しいわ。私、あなたに興味が沸いてきたの」

 

 ルクリリが「へ!?」と上ずった声を出す。感情的なタイプなのだろう、それ故に情が深い。

 

「あ、えーっと、私は普通のお嬢様……ですよ?」

「普通? 結構。良い出会いとは、身分のあるなしで決まるものではないわ」

 

 心の底から、主張した。

 

「そう、ですかね? あ、あはは……」

「ええ。ルクリリは、普段は何をしているのかしら? 私は格言集を読んだり、色々なものを食べたりしているのだけれど」

 

 アッサムが、「ほう」と目で反応を示す。

 

「隊長ってグルメだったんですね」

「最近になって、食の楽しさに目覚めたの」

 

 あえて言った。嘘でも何でもないし、思い出だから。

 

「今度、何かおいしいものを紹介してください」

「私も、興味がありますね」

「もちろんよ」

 

 この二人なら、この二人だからこそ、趣味を共有してもいいやとダージリンは思う。今度、オレンジペコも誘ってみよう。

 

「これで、私の事は話しました。どうぞ」

 

 ルクリリが、「うわやられた」という顔をする。それがおかしくて、含み笑いをする。

 

「えーっと、私は、そうですね。紅茶をたしなんでいます」

「目が逸れてますわよ」

「う。――そ、その」

 

 ダージリンが、「話して」と目で促す。

 

「あー、えーっと、ぷ、プロレス観戦を少々……」

 

 ダージリンが、「ほう」と表情で反応する。もっと話してくれと、笑って命じた。

 

―――

 

 ダージリンと気が合って、六十日目が経つ。ダージリンからメールが届き、何かなと画面を見た。

 

『最近、センチュリオンを複数導入しました。とても素晴らしい性能です、これなら優勝も夢ではないでしょう。センチュリオンの戦車長は、オレンジペコに任せようかと考えています』

 

 返信し、ベッドに横たわる。――良かった、本当によかった。聖グロが、一歩前進した。

 気分が良くなって、体も温まる。そろそろ寝ようかなとベッドに横になり、

 携帯が、震えた。獣のように起き上がり、充電器に差しっぱなしの携帯を引っこ抜く。

 

『近々、あなたに電話をかけるかもしれません。長い間お待たせして、本当に申し訳ありませんでした。

こんな私に対し、続けてメールを送ってくださったこと、心から感謝しています。もし、あなたに電話をかける時は――必ず、言うべきことを言います。言わせてください。

私と会うために、旅費を稼いでいるあなたのことを、片時も忘れたことはありません。本当にありがとう。

あなたのダージリンより』

 

 快く返信し、携帯を充電器に差す。茶山は、「だいぶ落ち着いてきたんだな」と安堵した。

 ダージリンは、高校三年生の少女だ。恋に情熱的な、普通の女の子なのだ。だから、意識した異性に対してぎこちなくなるのも、仕方がないことだ、

 茶山は、今の状況も悪くはないと考えている。だって、ダージリンから想われているから、

 

 携帯が震える。最初は誰かからのメールかと思ったが、バイブレーションのループが長い。

 電話を受信していることに気付き、茶山は格闘家のように勢い良く起き上がる。充電器から携帯をもぎ取り、画面を見てみれば、

 

 着信:ダージリン

 

 受信ボタンを押そうと考えていたら、とっくの昔に指が動いていた。

 すぐさま、携帯を耳に当てる。

 

「もしもし?」

『も、もしもし! あなたのダージリンです!』

 

 まずい、動揺してる。茶山は「とりあえず落ち着いて」とアドバイスし、ダージリンが深呼吸した。

 

『す、すみません、夜分遅くに』

「いや、大丈夫だよ。それより、何か用事が?」

『え、ええ、その……あなたに、伝えなければいけないことが、ありまして』

 

 間。

 ――駄目だ、待つな。言おう、言うべきだ。決めたじゃないか、「告白してやる」と。

 

「あのっ」

『あのっ』

 

 被った。強制的にクールダウンを強いられる。

 

「……えーっと」

『……え、ええ』

 

 わかる、分かってしまう。茶山とて二十近い年齢であるから、これからダージリンが何を言おうとしているのか、断言できる。

 

「だ、ダージリン」

『は、はい』

「じ、実は、僕も伝えたいことがあって。先に言ってもいい?」

『ま、待って! 私から先に言わせて! その方が、うまくいくというか……』

「そ、そう? じゃあ、どうぞ」

 

 沈黙。

 まずい、じり貧だ。このまま譲り合ったところで、何だかお茶を濁して終わりそうな気がする。

 ――自分は先輩だぞ、ダージリンよりも年上なんだぞ。なら、お手本を見せるべきだろうが。溢れんばかりの想いをぶっつけろ。

 

「ダージリン」

『茶山さん』

 

 被った、

 まあいい。

 

「僕は」

『私は』

 

 ――、

 

「ダージリンのことが、大好きです」

『茶山さんのことを、心から愛してます』

 

 言った。

 言われた。

 ――すっきりした。ベッドに、仰向けになって倒れる。ダージリンも、「はあっ」と大きく息を吐いた。

 

「……やっと、言えた」

『……私も』

 

 今頃、ダージリンはどんな顔をしているのだろう。今の茶山は、泣きも笑いもせずに、ただただ疲れ果てていた。

 

「ダージリン」

『はい』

「もっと、ダージリンのことを好きって言いたい。もっと、喜ばれたい」

『そんな、私は十分に満たされました』

「そうかー……」

 

 茶山の頭では、愛してる、大好きくらいしか、言葉が思いつかない。

 突き抜けた意見の一つとして、「結婚してくれ」があるが、流石に早すぎると思う。

 

『茶山さん』

「はい?」

『私は、あなたを待たせてしまいました。なので、ありったけを言わせていただきますわ』

「は、はい?」

 

 止めても無駄だぞとばかりに、ダージリンが大きく呼吸する。

 

『私は、茶山さん以外を愛さない。男性の事を、男性として見るのは、あなたが最初で最後』

「ま、待って」

 

 排熱しきった感情に、また火が入る。

 

『私の心を結ぶのは、ダンスでも演奏でも芸術品でも演技でもない。お腹を満たしながらの、交流だけ』

「うわ恥ずかしい、やめて」

 

 しかし、ダージリンは止まらない。聖グロ生徒の自己主張性は、いつだって強い。

 

『仲間と共に飲む紅茶は、格別の味がしますわ。――あなたと二人きりで食べるものは、全て美味しく頂けるのですが』

「やめてー」

 

 けれど、茶山は半笑いで制止する。ダージリンはおかまいなしだ。

 

『――茶山さん』

「あ、はい」

『どなたか、婚約者は?』

 

 うわー!

 

「い、いません」

『それは良かった』

「だ、ダージリン、落ち着いて。まだ若いのだし」

『あと数年もすれば、二十歳を越えますわ』

「まあ、ねえ」

『……それに、ここまで心を通わせておいて、別の女性の方と結婚――考えただけで、悲しくなりますわ』

 

 それは自分も同じだ。ダージリンが他の男と結婚なんて、妄想するだけで不快になる。

 だが、現実問題のことも考えなくてはいけない。茶山の両親はともかく、ダージリンの肉親は、良い血を引いているだろうから。

 

「ま、そうだけどね。でも、ダージリンの両親は……」

『そのことですが――父は、入り婿でして』

 

 ほう、と茶山が興味を抱く。

 

『母は代々伝わる地主で、父は普通のサラリーマン。いつ知り合ったのかというと、高校時代だったそうな』

「へえ……」

『母は戦車道をたしなんでいまして、公式サイトにも顔写真が掲載されていますの。――テレビから試合を見ていた父が、母の姿に一目惚れして、勢いでファンレターを送ったらしいですわ』

 

 根性あるなあと、茶山は思考する。

 

『それで、次第に両想いになっていきまして――母がとどめを刺されたのは、全国大会終了後の出来事だったそうな』

「何があったの?」

『……花束を持って、お疲れ様と、迎えに来たそうですわ』

 

 凄いなーと思う。ずるいなーと共感する。

 

『と、いう流れで、結婚まで行きついたそうな。なので、身分違いの恋に対しては寛容だと思いますわ』

「そうだと、いいね」

 

 ダージリンと結婚か。となると、自分も入り婿になるのか。

 苗字を捨てるのは寂しいが、ダージリンと一緒になるにはこれしかないのだろう。いつか、割り切れる日が来る。

 

『……この話を、八回くらい聞かされましたし』

 

 ああ。

 それは、期待出来そうな気がする。

 

―――

 

 茶山と確かめあって、六十四日が経過した。相変わらず顔を合わせられない日々が続くが、前のもどかしい気持ちはどこにもない。

 普通にメールをして、夜に電話をすることもあって、昼休みになったら外食したりしなかったり――元通りの生活になった、というわけだ。

 

「隊長、練習試合の申し込みが四件ほど来ています。どう対処しますか?」

 

 食堂で英国風メニューを味わっている最中、アッサムから声をかけられた。片手にトレー、今日もうなぎゼリー。

 

「確かめたいようね、新車の性能を」

「間違いなく」

 

 戦車道履修者とは、例外なく精力的なものだ。これまでに沢山の戦車道履修者と顔を合わせたが、誰もがその目をギラつかせていた。

 戦車道を歩む自分のことが好きで、戦車道を学ぶ自分に誇りを抱いていて、これからも戦車道を愛していこうと突き進んでいく――みんな、そんな顔をしていた。

 無論、自分も。

 

「相手は?」

「黒森峰女学園に、サンダース大学付属高校。プラウダ高校に大洗女子学園」

 

 らしいラインナップだった。大洗女子学園も優勝に驕らず、これからも戦車道を極めていくつもりらしい。

 ダージリンは、くすりと口元を曲げる。

 

「では、最初にサンダースを。次にプラウダ高校と試合をし、更に大洗、最後に黒森峰を」

「なるほど」

 

 黙って頷いた。

 

「では、そのように手配しましょう――同席させていただきます」

 

 アッサムが、静かに腰を下ろす。

 

―――

 

 ダージリンに想いを寄せて、もう七十一日目だ。先日はサンダースと練習試合を行ったらしく、その話題で持ち切りだった。

 

『やはり、強い装備は安定力を高めますわね。快勝だったと思います』

「流石聖グロだね」

 

 センチュリオンを複数導入して以来、聖グロは大いに注目を浴びているらしい。来週の休日は、強豪プラウダ高校と試合をするとか。

 自分だったら恐れおののきそうだが、戦車道履修者からすれば血沸き肉躍る一場面なのだろう。一生、到達出来ない境地だと思う。

 

『やはり、オレンジペコは戦車長の素質がありました。あの子に任せておけば、聖グロは安泰ですわね』

「後継者、か。良かったね、そういう人が見つかって」

 

 ダージリンが、誇らしく「ええ」と返事をする。

 オレンジペコはダージリンの元から離れ、今はセンチュリオンの戦車長を務めているのだという。

 

『あの子も、自立していくのね。寂しいような、嬉しいような』

「時の経過を感じるね」

『そうね。そうでなかったら、冬休みにあなたと会うことが出来ないもの』

 

 何だか恥ずかしくなって、ダージリンティーに逃げる。けれどダージリンは、これっぽっちも反動を受けずに、

 

『待ち遠しいわ、あなたとの再会が』

「僕もだよ」

 

―――

 

 茶山と会ったあの日から、もう七十四日目。今日「は」大人しく、食堂で昼食をとることにした。

 一人で英国風メニューを味わっていたが、すれ違う生徒から「こんにちは」といい笑顔で挨拶された。これで四度目になる。

 今の自分の顔は、とてもデキが良いらしい。優雅で、華麗で、聖グロそのものの表情を浮かばせているようだ。味もする。

 ふう。

 今週末はプラウダ高校と試合をする予定だが、きっと良い勝負が出来るはずだ。戦力もある、やる気もある、これからの予定もある――負ける気がしない。そう思うと、何だか笑えてくる。

 

「いい表情をしてますね、隊長」

 

 がばっと首を動かすと、くすりと笑うルクリリが近くに居た。ダージリンは、かあっと赤くなる。

 

「同席、しても構いませんか?」

「ええ」

 

 ルクリリが、ダージリンと向かい合うように腰を下ろす。

 あの日以来、ルクリリとは何度か話をした。人の表情をよく見ているらしく、もどかしい気持ちの際にはいつも声をかけてくれる。

 ――ルクリリには、幾度も助けられた。

 

「隊長を見ていると、私も元気が出てきます。いいこと、あったんですね」

「ええ。――あなたには、何度も助けられたわね。改めて、お礼を言わせてちょうだい」

「そんな。私はただ、隊長への恩返しがしたくて」

 

 ダージリンが、にこりと笑う。

 

「聖グロにふさわしい、美しい精神ですわ。ルクリリ、もっと自信を持って」

「ありがとうございます」

 

 ルクリリが、子供のように照れ笑いを浮かばせる。

 

「それに――私は、あなたのことを頼れる友人だと思っていますのよ」

「え、本当ですか?」

 

 ダージリンが、こくりと頷く。これを伝えるのに、正直少しばかり恥ずかしかった。

 ルクリリといえば、あわあわと口を変形させている。何とかして水を飲むが、顔は未だ赤いままだ。

 

「こ、光栄ですっ、嬉しいですっ」

「そうかしこまらないで。同級生でしょう?」

「そ、そうですけどぉ」

「――こんな格言を知ってる?」

 

 ルクリリが、「え?」と目を丸める。

 

「友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である」

 

 ルクリリが、静かに吐息する。

 

「アウグスト・フォン・コッツェブー、ドイツの劇作家の言葉ですわ」

 

 今、とても笑えていると思う。

 

「あなたとは、これからも交流を続けていきたいですわ」

 

 ルクリリが自信なさげに、少しだけうつむき――けれど、すぐにダージリンと目を合わせる。

 無言で、手を差し出してきた。

 

 ダージリンは、かたくその手を握りしめた。

 

―――

 

 ダージリンが茶山の声を覚えて七十七日目、プラウダ高校との試合が無事に終了した。結果は――勝利。

 生徒同士でお礼を交わし、撤収作業を終えて、聖グロの連絡船へ乗り込む。あとは、待ちに待ったティータイムだ。

 

「流石よ、オレンジペコ。あなたは、立派に戦車長を務めている」

 

 オレンジペコが、頭を下げる。連絡船だろうが、白いテーブルと、格調高い椅子と、赤いカーペットは完備されている。

 海を背景に味わう紅茶は、もしかすると紅茶の園以上のものかもしれない。

 

「ダージリン様と比べれば、まだまだ」

「大丈夫。あなたには素質が、冷静さが、責任感がある。実際、誰も異論は唱えなかったでしょう?」

 

 オレンジペコは一年生だ。だが、実力主義の聖グロにとっては、年齢などさして問題ではない。

 他校よりプライドの高い聖グロ生徒から、「次期隊長に相応しい」と評価されているのだ。一年にして紅茶の名前を戴いている点が、聖グロにとっては何よりの根拠だった。

 

「この調子だと、私を超えてしまいそうね」

「そんな……言い過ぎですよ」

 

 ダージリンが、紅茶を口にしながらくすりと笑う。ルクリリもアッサムも、オレンジペコににこりと。

 

「……頑張ります」

「ええ。来年は、聖グロを優勝に導いてね」

 

 オレンジペコが、「はい」と返事をする。はっきりとした声だった。

 ――周囲を一瞥する。

 文明に遮られていない夕暮れが、ダージリンの両目を、身を、心を迎え入れている。きっと何処までも届く海が、ダージリンの瞳を照らしていた。

 息をつく、ダージリンティーを見つめる。

 

 夕日に溶けた紅茶は、とても輝いている。いつか、あの人とこの紅茶を飲もう。

 

―――

 

 茶山がダージリンと向き合って、八十五日目。互いにダージリンティーを味わいながら、先日行われたらしい、大洗女子学園との練習試合について話の花を咲かせていた。

 

「そうか、大洗負けちゃったか」

『あ、その、あの』

「あっ、ごめん、そういう意味じゃないよ。今は聖グロ派だけれど、思い出の土地だからさ」

 

 ダージリンが「なるほど」と、安心するように同意する。言ったことに嘘偽りはないが、やはりOBとしてはどこか寂しい。

 

『茶山さんの気持ち、わかります』

「ありがとう。何だかんだいって、大洗学園艦では色々あったからさ」

 

 親元から離れ、慣れない気持ちが生じたこともあった。次第に友達が出来て、時にはケンカをして、授業中に眠りそうになって、体育祭で足を引っ張って、文化祭で店番をして、暇さえあれば食べ歩きをしていた気がする。

 だから、廃艦騒ぎになった時は「はあ?」と思ったものだ。またしても廃艦が決定された時は「はああ?」と思考したものだ。

 ――ダージリンティーを飲む。

 

「まあ、過去は過去ってことで。僕は、聖グロを全面支持するよ」

『ありがとうございます』

 

 自分の気持ちに、異論は無い。

 

「そうだ。最近の聖グロ、凄いみたいだね。公式ページも賑やかなことになってるよ」

『ええ。センチュリオンはもちろんのこと、皆が頑張ってくれた結果ですわ』

 

 いつも優雅に、華麗に魅せる聖グロ戦車道公式サイトだが、トップページに「連戦連勝中。センチュリオンという新たな伝統の幕開け」と書かれたテキストが、センチュリオンの画像とともにでかでかと表示されている。

 これを見た瞬間、茶山は大人げなく喜んだものだ。ダージリンが新たな伝統を築き上げ、聖グロに光を射しこませたのだから――その晩、いくつかのスイーツを買い、財布を軽くしたことは、ダージリンには黙っている。

 

「本当、良かった、本当に良かった……」

『茶山さん』

「あ、ごめんね。もうすごく嬉しくてさ、あーあ……」

 

 茶山が途方にくれる中、ダージリンが含み笑いをこぼした。たぶん、同じ感情を共有しているのだと思う。

 

『茶山さん。私は、これまで十八年間生きてきました。その分だけ、冬休みも体験しましたわ』

 

 学習机に肘をつきながら、茶山はぼんやりとした表情で耳を傾けている。

 

『けれど、今年になって――冬休みが、とても待ち遠しい』

 

 ダージリンが、優しく呟いた。

 

『必ず本土へ向かいます。お金のことなら心配なさらないで、お嬢様ですから』

 

 おどけるように、ダージリンが笑う。

 

『ですから、その……たくさん、食べ歩きをしましょう。相席に座って、色々なものを食べましょう』

「もちろん」

『――今なら、あなたへの想いを少し留められます。冬休みまであと少し、それまでは淑女らしく生き抜いてみせますわ』

「わかった」

『今週末は、宿敵、黒森峰女学園との練習試合が開催されます。これが最後の壁となるでしょう』

 

 黒森峰女学園は、問答無用の強豪校だ。それこそ、聖グロの優勝を何度も阻む程の。

 ――勝てたら、自分はみっともなく喜ぶに違いない。練習試合といえども、勝利は勝利なのだから。

 

「応援するよ」

『ありがとうございます』

「――お金があったら、現地で応援したいんだけれどね」

 

 ダージリンが「いえ」と、遠慮がちに、

 

『そんな、無理をなさらないで。そのお金は、後にとっておきましょう』

「うん、ごめんね」

『……それに、』

 

 ダージリンが、ぐっと堪える様に声を溜める。茶山が、促すように「うん?」と応えた。

 

『今、あなたと出会ってしまったら――心の準備も出来ていない私は、涙を流してしまうでしょう』

 

 ――。

 

「僕は、その、そんなに……」

『言ったでしょう? あなたは、私の……私だけの、王子様ですわ』

 

 そうか、王子様か。

 そうか。

 

「ありがとう、うん。――ああ、そろそろ時間だね、寝ようか」

『うん』

「おやすみ、ダージリン」

『おやすみなさい』

 

 電話が切れる。

 すぐさま、聖グロ戦車道公式サイトへアクセスする。お目当ては、ダージリンのプロフィールページだ。

 確か、そこには「好きな花」という項目があったはずだ。今までは「へえ」としか思っていなかったから、記憶は定かではないが――前言撤回、自分は記憶力が良いらしい。

 

 ダージリンの好きな花は、知識として確保した。

 次にやるべきことといえば――茶山は、駆け足で一階まで降りる。ソファに座りながら本を読んでいた父が、何事かと茶山を注視した。

 

「父さん、その、いきなりで悪いんだけれど――ごめんッ! お金、貸してくれないかなッ!? 事情は話すから!」

 

 今度は、自分が恋を抑えきれなくなってしまったようだ。

 

―――

 

 九十一日目、土曜日。黒森峰学園艦。

 

 選手宣誓を行い、黒森峰女学園との練習試合が開催される。黒森峰との付き合いも長くなるが、勝てた試しは――皆無だ。

 だから、チームメイトの表情は堅い。正直なところ、ダージリンも不安が拭え切れない。後輩達を、聖グロを導こうとしているのに。

 

 センチュリオンがあるのに、センチュリオンがあったところで――

 どうしても、黒森峰は強い。これだけを揃えておいて、黒森峰に勝てるのだろうか。

 ため息をつく、ダージリンティーを一口飲む。

 まあいい、やってみなければわからない。ダージリンが、チャーチルへ歩んでいき、

 

「……ダージリン様」

 

 馴染んだ声に呼び止められる。ゆっくりと振り向けば、そこにはやっぱりオレンジペコがいた。

 

「自信、無いみたいですね」

「……ええ」

 

 連戦連勝を重ねてきたからこそ、今回も勝てるかどうか、不安を抱く。

 負の伝統なんて、ここで終わりにしたいというのに。私たちは勝てるのだと、新たな伝統を築き上げたいというのに。

 

「ダージリン様」

「何?」

「――私は、今になって、ダージリン様の素晴らしさに気付けました」

「え」

 

 恐ろしいまでの晴天とともに、風が吹き、草むらが揺れる。遥か向こう側に、黒森峰学園艦の旧市街がおぼろげに見えた。

 あそこが、戦場だ。

 

「皆をまとめあげる優雅さ、決して弱音を見せない華麗さ、戦車道に対する力強さ。それら全てを、ダージリン様は備えていました」

 

 オレンジペコが、言葉を綴っていく。自分と違って、どこか余裕そうに微笑みながら。

 

「私は、私なりに、ダージリン様の姿を見届けてきたつもりです。次期隊長になれるよう、聖グロの戦車道を学んできたつもりです」

 

 ダージリンから、言葉が出ない。

 

「自信を持って、今、ここに誓います。私は、ダージリン様の後継者となりましょう」

 

 オレンジペコの瞳に、ダージリンが射抜かれた。

 

「ダージリン様の紅茶が温まらないのであれば、私がこの場を指示します。私は――黒森峰女学園に、絶対勝ちたい」

 

 ……。

 ……そっか。

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 オレンジペコが、戸惑うようにまばたきをする。

 ――しかし、

 

「生命のあるかぎり、希望はあるものだ」

 

 オレンジペコは、

 

「スペインの小説家、セルバンテスの言葉ですね」

 

 格言に対し、あっさりと引用元を答えてしまうのだ。笑いながら。

 

「――ありがとう、オレンジペコ。あなたこそ、私の後輩よ」

「はい」

 

 誇り高く笑う。この、黒森峰学園艦で。

 

「さあ、黒森峰と試合をしてきましょう。紅茶が冷めてしまいますわ」

 

 緑色のベレー帽を、被った。

 

―――

 

「ありがとうございましたッ!」

 

 聖グロリアーナ女学院の生徒と、黒森峰女学園の生徒が、共に頭を下げる。試合は、あっという間に終わったと思う。

 黒森峰の面々は、「信じられない」というような顔つきをしている。けれど、「次は勝つ」という眼光も伝わってきた。

 両肩で、深呼吸をする。

 ――勝ったんだ。

 

「ダージリン」

 

 まほが歩み寄る。今、自分はどんな顔をしているんだろう。

 

「おめでとう。今の聖グロは、とてつもないな」

 

 まほが、手を差し伸べてくる。

 

「ええ、鍛えましたもの」

 

 当たり前だとばかりに微笑み、まほと握手をする。後でティーセットを送らないと。

 

「……変わっていくんだな、聖グロも」

 

 ダージリンが、こくりと頷く。

 

「私の役目は、全て果たしました。後のことは、後輩に託すつもりです」

「そうか。――いい顔を、してるな」

「そう?」

 

 見せつけるように、笑ってやった。

 まほも、つられるように微笑する。

 

「今度は負けないからな。まあ、機会があればだが」

「ええ、こんな時期ですものね。寂しいものですわ」

 

 ふう、とため息をつく。

 だが、戦車道で培われた縁は、絆は、友情は、絶対に途絶えることは無い。

 

「ま、これも人生だな。……そうだ。茶山さんとはどうだ?」

「良好」

「そうか」

 

 そうして、まほが立ち去っていく。

 ――さて、お待ちかねのティータイムに参加しなくては。

 

 

 チームメイトの元へ戻り、ダージリンは感謝の言葉を述べた。建前は隊長らしく、格調高く。本音は、嬉しさを溢れさせて。

 そんなダージリンに対し、チームメイトが「後はお任せください」と、凛々しく返事をした――オレンジペコは泣きそうになって、ローズヒップは笑顔になって、アッサムはほっとして、ルクリリは胸に手を当てて。

 

「さあ、連絡船へ戻りましょう。ティータイムの始まりですわ」

 

 撤収作業が終了したのを確認し、ダージリンはいつもの足取りで連絡船へ、

 

「隊長」

 

 真正面に居たアッサムが、どこか嬉しそうな表情でダージリンに寄ってくる。その一声をきっかけに、聖グロの生徒が「ある個所」へ視線を殺到させていた。

 

「どうしましたの?」

「――あなたの知り合いが、祝いに来たみたいですよ」

「え?」

 

 アッサムが、ダージリンの背後を指さす。

 

「青いバラの花束を持った、男性の方です」

 

 ゆっくりと、恐る恐る、そんなはずがないと、そういえば父は、振り向く。

 

「……なるほど」

 

 ため息をつく。

 

「ファンの方、みたいですわね」

 

 アッサムが、「そうですね」と同意する。オレンジペコは、首をかしげている。

 

「隊長」

 

 ルクリリが、ダージリンに声をかける。全てを察しているかのように、全部分かっていたかのように、実に良い笑顔を浮かばせていた。

 

「いってらっしゃいませ」

 

 ――小さく頷く。

 

 ダージリンは淑女だ。だから、優雅な足取りで男に近づいていく。

 ダージリンは淑女だ。だから、華麗な顔つきで男に近づいていく。

 ダージリンは淑女だ。だから、誇らしい笑みで男に近づいていく。

 

 けれど、でも、私は女の子だから、あの人の元へ駆けつけていく。

 

「――茶山さん!」

 

 八十四日の歳月をかけて、ようやく、ようやく、たどり着きたい場所へ到達できた。

 茶山が、恥ずかしそうに顔を赤らめる。小さく頭を下げつつ、青いバラの花束をダージリンに手渡した。

 

「ああ、これって……」

「サイトで調べたんだ。好きなんだよね、この花」

「うん……!」

 

 花束を、愛おしそうに抱く。そっと、頬に当てる。

 

「……その、どうして」

「まあ、その、大事な瞬間を見届けたかった、というのもあるんだけど、」

 

 茶山が、頭の後ろに手を当てて苦笑する。

 

「――王子様らしいから、お姫様を迎えたくなって、ね」

「……もうッ!」

 

 でも、ダージリンの笑顔は止まらない。現実の、茶山の顔を見て、想いが留まらない。

 

「ばか……お金は、どうしたんですの?」

「ああ、親がスポンサーになってくれたんだ」

「え、親?」

 

 茶山が、「うん」と首を振るい、

 

「親にさ、その、『とある学園艦で彼女が出来たんだけれど、その人と会いたくなった。だからお金を貸してほしい、何でもする』って話したんだ」

 

 茶山が、苦笑した。

 

「そしたら父さんったら、『なんでそんな大切なことを、もっと早く言わなかった!』とか、怒りながら笑って言ってさ。母さんも『ついに春が来たのね!』とか喜んじゃって、快く旅費を貸してくれたんだ。条件付きで」

「条件……?」

 

 茶山が、面倒くさそうに「あー」と前置きし、

 

「……彼女の顔を、親に見せろって」

 

 間。

 目の前が、何だかぼやけてきた。

 

「そう、そうよね。ご両親に、ご挨拶をしなければいけませんものね」

「そういうことに、なるのかな?」

 

 ダージリンが、こくりと頷いた。

 

「ごめんね、その、先走ってしまって」

「ううん、いいの。私も、こうなることを願ってた」

「……年上なのに我慢できないなんて、ね」

「いいの、いいのよ」

 

 お陰で、茶山と早く再会することが出来た。奇跡の花を、抱くことが出来た。

 

「……茶山さん。この花束を」

 

 けれど、今だけは、花束を茶山に預けよう。ダージリンは、茶山の左手にそっと花束を返す。

 目をまばたきさせながら、茶山が花束を受け取る。そんな茶山に対し、ダージリンはくすりと微笑み、

 

 ――その場で、髪をといた。

 

「あ……」

 

 茶山の、声にならない声。

 この瞬間、ダージリンは「あの頃」へ戻った。茶山と街並みを歩き、出店で食べ歩きし、大道芸人を眺め、百貨店に寄って、一緒にダージリンティーを味わい、おそろいのティーセットをプレゼントした、あの頃のダージリンに――

 

「茶山さん」

 

 どうして、花束を茶山の左手だけに返したのか。

 だって、

 

「……大好きです! 愛してますわ!」

 

 ――私が、抱きしめられないじゃない!

 

 

 背後で、歓声が絶えず響き渡る。聖グロの生徒は、みんな恋に情熱的なのだ。

 ――こうして、秘密はあっさりと公になってしまった。質問攻めは確定だろう。まあいい、なるべく茶山のことを守るとしよう。

 それよりも、今は、

 

 私はずっとずっと、彼のことを抱きしめ続ける。愛の言葉を捧げていく。王子様に縋って、何が悪い。

 

 そして――彼も、私のことを強く抱きしめた。髪を撫でてくれた。目が、心が、肌が、血が、熱さに満たされていく。

 

「こんな格言を、知ってる?」

「なんだい?」

「友情と愛に恵まれれば、それ以上の幸せなんて考えなくてもいい」

「……誰の言葉なんです?」

 

 ダージリンは、いたずらっぽく笑い、

 

「今、考えましたわ」

 

―――

 

 茶山としては花束を渡せただけで十分だったが、聖グロの生徒達が「私たちの連絡船で、本土まで送りますよ」と提案してくれた。

 聖グロリアーナ女学院は女子高であるから、それはまずいと思って「自力で帰りますので……」と逃げようとしたところ、ダージリンが「もう、帰ってしまいますの? ここでお別れ?」と、泣きそうな顔を浮かばせた。

 それに共感したのだろう。聖グロの生徒一同は、

 

「隊長を泣かせるとは。聖グロを敵に回すおつもりで?」

 

 命が惜しかったので、大人しく聖グロの連絡船へ乗ることにした。その時、ダージリンが「てへ」と微笑を浮かばせていたことは、絶対に忘れない。

 

 

 聖グロリアーナ女学院は、女子高である。それ故に大半は女子生徒で構成されていて、そこに男の入る余地はない。

 しかも、聖グロは由緒正しきお嬢様学校である。自他ともに認める「華麗で優雅な世界」であり、それ故にただでは生き残れない。誇り高くなければ、それを自覚していなければ、皆からそう評価されなければ、あの世界ではひと際輝けないだろう。聖グロにも、確かにヒエラルキーは存在する。

 

 聖グロにおいて重要視されるは、言葉遣い、作法、プライド、存在感、行動力――恐らくは、これ以上に求められるものもあるのだろう。聞くだけで、茶山の腹が痛くなる。

 だから、茶山は「自力で帰ります」なんて逃げようとしたのだ。しかし一般庶民が、貴族から逃げられるはずもない――ティータイムに参加する権利を、与えられた。

 

「隊長、やっぱり彼氏を作ってたんですね」

 

 やるねえと、おさげの女性が笑う。髪型を整えたダージリンは、黙ってダージリンティーを飲んでいるものの――眉がぴくりと動いていたことは、見逃さない。

 今現在、茶山は白いラウンドテーブルの一席に腰を下ろしている。他に同席するは「上」の聖グロ生徒であり、勿論全員女性だ。まずこの時点で死にそうになる。

 テーブルの上には数々のスイーツが、ポットが、ティーカップが用意されている。邪魔にならないような位置に、青いバラが差し込まれた花瓶が置かれてあった。

 優雅過ぎて、とてつもなく恥ずかしい。

 

「別に、探っていたわけではありませんよ。『カン』です」

「アッサムらしくない発言ですこと」

 

 オレンジ色の髪をした女性が、申し訳なさそうに真っ赤になりながら、

 

「そ、その、恋愛って、どんな感じですか? 隊長……?」

「そうね。良くも悪くも、人を変えてしまうわ」

「なるほど……」

「オレンジペコも、恋愛に興味がおあり?」

「あ、はい。そうですね」

 

 ダージリンが、優しく微笑する。

 

「出会いに恵まれたら、絶対に手離さないこと。これが、鉄則よ」

「はい」

 

 どうやら、この女性がオレンジペコらしい。次期隊長候補とのことだが、おどおどと紅茶を飲んでいる。

 

「彼氏、彼氏さんですか。うーん」

「ローズヒップは、どういう人が好きなの?」

 

 おさげの女性が、ローズヒップという赤髪の女性に質問する。ローズヒップは「う~ん」と唸り、

 

「わかりませんわね。まあ、きっと、『そういう人』と会うと思いますわ」

「お、ロマンチック」

 

 おさげの女性が、感心するように口元を曲げる。ダージリンも同調したのか、「なるほど」とコメントした。

 

「……あの」

 

 オールバックの女性――アッサムというらしい。アッサムが、黙って茶をすする茶山に声をかけてきた。

 場違い的な緊張を抱いていた茶山は、「はい!」と大声を出してしまう。視線が集中する。

 

「その、どうか遠慮なさらずに。お話をしてもかまいませんよ」

「……いやあ、僕はその、一般庶民ですし」

 

 ダージリンが、首を振って否定する。

 

「いつものように、活発的に話しかけてくださいな。緊張してしまうお気持ちは分かりますが、あなたは受け入れられているのですし」

「そ、そう? だって部外者だしなあ……」

 

 おさげの女性が、「へえ」と声を漏らし、

 

「隊長とは、砕けた口調で話すんですね」

「え、まあ、色々ありまして……」

「い、いろいろっ? 何があったんですかっ」

 

 オレンジペコが、実に興味深く質問する。ダージリンも照れが入ったのか、顔を赤らめつつダージリンティーを口にした。

 

「まあ、食べ歩きをしてって、それで交流を深めていって、ね」

「あー」

 

 おさげの女性が、何かに納得したように「そうかそうか」と言葉を漏らす。ダージリンが、「うう」と唸る。

 

「時折、昼休みに姿を消す理由は――それでしたか」

 

 バレていたらしい。しかし、秘密なんてものは隠し通せないものだ。

 

「よ、良くない?」

「いいえ」

 

 アッサムが、にたりと笑う。あれは絶対、「やるじゃん」と言ってる目つきだ。

 

「姫君が、隠れて市民と会う……憧れちゃうなあ」

 

 おさげの女性が、いいなあいいなあと目を輝かせる。スコーンも食べる。

 

「……本当、出会いというものは、わかりませんわね」

「だよね」

 

 思い返すと、本当に変わった出会い方をしたと思う。食を通じての出会いは、もしかしたらありがちかもしれないが――聖グロというお嬢様学園艦で、よりにもよってダージリンと牛丼屋で遭遇したのだ。

 牛丼屋。これだけで、底知れぬ安定感を覚える。

 

「本当、あなたと出会えて、良かった」

「僕もだよ」

 

 強くそう思う。ありのままに返事をして、本能のままに笑って、

 アッサムに、オレンジペコに、ローズヒップに、おさげの女性に、にんまりと注目された。

 めちゃくちゃ恥ずかしくなって、ダージリンティーに逃げる。

 が、

 

「飲んでるの、ダージリンティーなんですね。へえ、そこまで……」

 

 逃げ場なんてなかった。おさげの女性が、感心するように笑っている。

 ダージリンが「あ?」と目を向けるが、おさげの女性は気にしていない様子で、

 

「愛されてますね、隊長」

「ッ……当然ですわっ」

 

 ダージリンも、ダージリンティーに逃げる。

 ――それにしても。

 周囲を見る。このテーブルを中心に、直立しながら紅茶を飲む聖グロの生徒もいるが――本当に、上下関係が厳しい学校なのだと痛感させられる。

 目が合う、生徒が小さく頭を下げる。

 この椅子に、野郎である自分が座っていいものかと。本当は、聖グロの生徒が腰を下ろすべきなのではないのかと、今更思う。

 ダージリンが沈黙する、茶山もダンマリを決めてしまう。

 

「……あ、えっと、お名前はなんていうんでしたっけ?」

 

 声をかけられ、動揺丸出しでおさげの女性を注視する。

 

「茶山、です。好きに呼んでください――あなたの名前は?」

「ルクリリです、これからもよろしくお願いしますね」

 

 ルクリリと茶山が、頭を下げて挨拶する。

 

「――まあ、ここは女性しかいませんからね、戸惑うのも仕方がないというか」

 

 ルクリリが、茶山に対して同情するように苦笑し、

 

「でも、あなたは立派な『ゲスト』です。それも、隊長直々の」

 

 あ、そうか。

 何も自分は、非合法的な手段を用いてここに居るわけではない。ダージリンという「頂点」の特権で、この席に腰を下ろせているのだ。

 

「そう考えると、少しだけ楽になりませんか? いいんですよ、自分の話をしても」

 

 そうなのかなあ、と考える。語れる話題といえば、

 

「茶山さんは、食事にとても詳しいのよ」

 

 ダージリンが、カップをソーサーの上に置く。それを聞いて一同が興味を抱いたのか、一斉に茶山へ注目し、話してくれと目を光らせている。

 

「そ、それほどでもないですけど」

「遠慮なさらず」

 

 アッサムが、小さく頭を下げる。

 ダージリンの助け船を無駄には出来ない。ここは覚悟を決めて、食べ歩きに関する経験談を話し始めた。

 

 

「カレーライス、いいですね……今度、食べてみましょう」

 

 オレンジペコが、嬉しそうな顔で今後の予定を立てる。ローズヒップも「いくら丼……いいですわね」と共感してくれたし、ルクリリに至っては「お腹空いた」とコメントしてくれた。

 

「ふむ、たまには色々なものも食べてみようかな。餃子か……」

 

 アッサムも、お気に召した食べ物を見い出せたらしい。茶山は、よかったよかったと安堵する。

 話題を提供出来たのもそうだが、食べ歩きに共感してくれることが本当に嬉しい。同調とは、それだけで人生を豊かにしてくれる。

 

「何でも知っているんですね、茶山さんは」

 

 オレンジペコが、デジャブを感じる言葉を呟く。茶山は「いやいや」と手を振るい、

 

「食べることが好きなだけだよ」

「いえ、興味深く拝聴させていただきました。本当に、食事を愛しているのですね」

 

 アッサムが、スコーンを口にする。

 

「これしか知らないけどね」

「――こんな格言を知ってる?」

 

 アッサムが「はあ」とため息をつき、オレンジペコが「あ」とダージリンに目を向け、ローズヒップが「うん?」と声を漏らし、ルクリリが目だけで応え、

 

「……そ、そんなに見つめないでくださる」

 

 茶山は、目で顔で姿勢で、ダージリンの格言を待ち望んでいた。

 ああ、帰ってきた。間違いなく自分は、ダージリンの元へ帰ってこられた。

 

「……なるほど」

 

 アッサムが、納得したように頷く。

 

「な、何が?」

「隊長が茶山さんに対し、夢中になるのも仕方がないな、と」

 

 ダージリンの顔色が瞬間沸騰する、茶山も目を泳がせる。この場にいる全員が、「なるほどねー」と、声に出さずに頷いていた。

 

「……とにかく」

 

 ダージリンが、ふん、と鼻息をつく。

 

「人間の真の性格は、彼の娯楽によって知られる」

 

 久々の格言を前にして、茶山は沈黙する。

 ダージリンは、ちらりとオレンジペコに視線を向け――特に、反応は無い。

 

「どんな食べ物に対しても、敬意を払い、楽しく味わうことが出来る。そんなあなたの人柄が、私は大好きなの」

 

 最初だけは、何も答えることが出来なかった。

 けれど、ダージリンから「大好き」と言われれば、感情だって熱くなるし口だって動く。

 

「ありがとう、ダージリン。その言葉は、誰が?」

「ジョシュア・レノルズ、イギリスの画家の言葉よ」

「……何でも知ってるね、ダージリンは」

 

 ダージリンが、嬉しそうに微笑む。

 格言を聞けた、今日は大満足だ。

 

「オレンジペコ」

「はい」

 

 ダージリンが、小さくウインクする。オレンジペコが、くすりと頭を下げた。

 ――ああ、そういえば。オレンジペコは、「優等生」だったっけ。

 

「ありがとうございます」

 

 オレンジペコに礼をする。オレンジペコは、「こちらこそ」と返してくれた。

 

 気付けば、紅茶もスイーツも全て無くなってしまった。食べ物の話をしたからだろう、みんな手が早かった。

 さて。

 茶山は、手を合わせる。ダージリンも、「ああ」と同じ格好をした。一同は「?」と疑問視していたが――心で察したのだろう。同じく、両手を一つにし、

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 楽しい時間というものは、いつだって速く通り過ぎていく。それは海の上でも変わらない。

 あと数分で、本土だ。

 悔いなんてない。心も腹も満たされた、ダージリンを抱きしめることも出来た。ルクリリから「何かの縁ということで」と言われ、アドレス交換もした――連鎖的に、アッサム、ローズヒップ、オレンジペコのアドレスも手に入れてしまった。丁重に扱わないといけない。

 

「――あ、到着したみたいですわね」

「早いな」

 

 ダージリンが、「ええ」と同意する。

 空が、哀しいほど赤い。寒くなってきたのか、空気を吸うたびに腹の中が冷たくなる。前までは暑苦しかったはずの本土が、今となっては寂しげに冷えていた。

 

「じゃあ、そろそろ降りるよ。ありがとう、送ってくれて」

「いえ。隊員たちも、みんなお腹を空かせたようですし」

 

 二人きりで、くっくと笑う。

 

「あ、そうだ……言い忘れてたよ」

「え?」

 

 穏やかに笑ってみせる。

 

「僕も、ダージリンのことを愛してる。ずっと、これからも」

 

 顔を合わせておいて、肝心なことを言えていなかった。

 馬鹿だなあと、軽く自虐する。

 

「……そう」

 

 ダージリンの目が、海のように輝いた。

 

「茶山さん」

「何だい?」

 

 ダージリンが、茶山に歩み寄っていく。顔と顔が近づき、茶山が「あ」と察した時にはもう――

 

 

 こうして、茶山の旅行が無事に終了した。これからも人生は続いていくが、きっと、幸せがなくなるなんてことは、ない。




ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

本当は前後に分ける予定だったのですが、「月日の流れ」を演出する都合上、スムーズに読めないと読者にストレスがかかってしまうのでは? と考えました。
なので、今回は少し長くなってしまいました。申し訳ありません。

書き終えて、正直なところ「これ大丈夫なのかな」と思いました。
ですが、やりたいことを、こうなって欲しいことを、全て書いたつもりです。

次は、たぶん軽い話になると思います。「3007日間」が過ぎるまで、見守ってくだされば嬉しいです。

何度か推敲はしましたが、失敗している個所があるかもしれません。その時は、遠慮なくご指摘ください。
感想、いつでもお待ちしています。


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112~118日間


『お疲れ様です。何事も無く、自宅へ戻ることが出来たでしょうか? 私たちも、学園艦へ帰還しました。
先ほどは、本当にありがとうございました。無理をしてでも会いに来てくれたこと、花束をくださったこと、誓い合ってくれたこと――思い出すだけでも、熱い気持ちになります。
こんな関係になるなんて、最初は思いもしませんでした。少し食べ歩きをして、そして縁が切れる――そういうものだと、考えていました。
ですが今となっては、あなた無しの人生なんて考えられません。私に、『幸せになって欲しい』と言ってくださる、あなたと離れ離れになるなんて嫌です。

良いことは重なるようで、聖グロのみんなが『応援します!』と言ってくださっています。とても嬉しいのですが、絶対遊んでますよね。
ですが、後ろ盾が出来たことにほっとしています。いつでも、聖グロに遊びに来てくださいね。……秘密の関係が消えてしまって、少し寂しいですけれど。

あと、突然で申し訳ありませんが、親に事情を話しても良いでしょうか? 将来のことを考えると、早く説明した方が良いと思いまして。
返事次第で、すぐにでも交渉してみます。

次に会う時は、冬休みの期間中になるでしょう。とてもとても楽しみです、本土でも食べ歩きに付き合わせてください。
特別な予定を組む必要はありません。あなたに会って、色々なものを食べられれば、私は幸せです』

 茶山は、『是非、話し合ってほしい』と返信する。誰かと誰かが交際をする以上、やはり親の存在は避けては通れない。
 好意的ならそれで良し、駄目なら良い男になるまでだ。ダージリンと両想いであるのに、何を迷う必要がある。
 不信感を抱かれることなく、ダージリンの両親に認められたい。快く祝福されたい――家族とは、未来永劫仲良くしていきたいと、昔から考えている。

 返信を終える。学習机の上に置いておいたダージリンティーを、一口飲む。
 熱い。
 カップをソーサーの上に置き、何となく息を吐く。ひと段落ついたからか、何だか心地よく疲れた。
 本当、色々なことがあった気がする。

 紅茶を飲み終え、台所でカップとポットを洗浄する。今となっては、これら食器も人生の仲間になったものだ。
 当初、親からは「紅茶なんて珍しい、何かあった?」と聞かれたものだが、何だかこっ恥ずかしくなって「思い付きでね」とだけ返答したものだ――今となっては、「察して」ニヤつかれることもある。昔から、親に隠し事を通せたことはない。
 食器を洗い終えると同時に、ポケットに入れておいた携帯が震える。1ループでバイブレーションが停止したから、メールだろう。
 携帯を引き抜き、画面に表示されている「新着メール:ダージリン」を指でスライドさせる。
 
『たった今、両親と話し終えてきました。まず、母は『いい人と会えて良かったわね』と喜んでくれました。……問題は父の方で、シンパシーを覚えたのでしょう。猛烈に会いたがっています。
どんな顔をしているのか、どんな雰囲気をまとっているのか、何が趣味なのか――是非、『仲間』と対面したいのだそうです。

私としても、家族としても、こちらへお邪魔することは全く問題ありません。歓迎します。
――よろしければ、冬休み中に訪問してみませんか? 確かに家は大きいかもしれませんが、緊張する必要は全くありません。こちら側でおもてなしさせていただきます。
予定に組み込んでいただける際は、そちら側でしばらく食べ歩きを。数日が経ったらこちら側で食べ歩きを――でしょうか。私としては、あなたがお傍にいていただけるのなら、どこでも構いません。
食べ歩きをしてみるか、みたいな感覚で決めてください。

あなたのダージリンより』

―――

 ダージリンと道を歩んで112日目。バイトに一区切りがついたかと思えば、街並みもニュースも空気も主食も、今となってはすっかりクリスマス一色だった。
 寒かった本土も、今となっては凍えそうなくらい冷たい。雪も淡々と降ってきて、最初は「おっ、降ってきたな」と珍しがるものの、僅か数歩でそれも日常となる。
 

 冬となれば、夕飯も温かいものが中心になる。テーブルを囲んで鍋をつつき、父や母と雑談をしながら、テレビ番組を何となしに眺める――こんな流れを、数年間繰り返してきた。
 今年もぼんやりと新年を迎えるつもりだったが、今回は家族全員の表情がまるで違う。茶山は常に携帯を装備しているし、母は「で、いつ?」と微笑みながら質問する。父ときたら、豚肉を食いながら「部屋片づけとけよ」とか、余計なことを口にするのだ。
 はいはいといい加減に返事をしながら、茶山は湯気だった豆腐を容器に入れる。タレで多少冷やしながら、豆腐を箸でつまんで口の中へ。
 熱い。
 この味を噛み締めるたびに、「鍋食ってるんだなあ」と実感する。この無遠慮な熱さが、茶山は好きだった。

『今はデート中ですか?』
『はい、そうなんですよぉ』

 テレビの向こう側から、全てを愛しているような笑顔がプレゼントされる。前までは「へえ」で流していたのだが、今はもう他人事ではない。
 父も母もインタビューに中てられたらしく、

「で、いつ来るの? 彼女さんは」
「だーから知らないって。今ごろは冬休みになったばっかりなんじゃないの?」
「となると、新年を過ぎた頃あたりか? 写真でもいいから見せろ」
「まあいいけどさ、そんなに顔が見たい?」
「見たい」
「見たい」

 そりゃそうかと、鍋から白菜を捕まえる。今はやる気のない面構えをしているが、内心は携帯に対して過剰な警戒心を抱いている。
 当たり前だ。だって、あと少しでダージリンと再会出来るんだぞ――
 しかし、求めてばかりではロクな目には遭わない。それを知っている大学一年生は、平常心を装って白菜を噛み砕いていく。ダシが口の中にはじけ飛ぶ。

 その時、チャイムが鳴った。父が「こんな時間に珍しいな」という顔をして、母は「はいはい」と素早く立ち上がり、受話器を手に取る。

「どちら様ですか? ……あなたのお友達みたいよ? 女性みたいだけど」
「……は?」

 本能そのものの声が、口から漏れた。母も心当たりがないらしく、首をかしげたが――次第に「ははーん」と口元を曲げる。

「……母さん」
「何」
「とりあえず、対応してくれない?」

 はいはいと、母が超嬉しそうに玄関へ向かう。いやまさか、そんな馬鹿な、いやしかし。
 メールを確認するものの、『今日飲んだ紅茶は――』で、話題がストップしている。この情報を信じるのなら、ダージリンは海の向こう側の学園艦で紅茶を淹れているはずだ。
 玄関の戸が開く、母が「どちらさまですか?」と声をかける。そして――

「今晩は、夜分遅くに申し訳ありません。私、茶山さんとお付き合いをさせていただいている、ダージリンという者です」

 父が、「マジか!?」と、玄関へ視線を向ける。母ときたら「あら、あなたが! どうぞどうぞ!」と、子供のように喜んだ。
 めちゃくちゃ恥ずかしくなって、玄関でお出迎えなど出来るはずも無かった。


 

「で」

 

 とっくの昔に、ダージリンは鍋の輪に加わっていて、

 

「どうしました? 茶山さん。手が止まっていますわよ」

 

 いつの間にか、ダージリンの分の食器が用意されていて、

 

「いや、なんで君がここにいるの」

「それはもちろん、あなたに会いたかったからですわ」

 

 当然のように、茶山の隣に座っている。

 一方の茶山は、逃避するようにうつむいていた。

 

「あらあらあら、いい感じじゃない」

「うるさいよもう」

「お母様に、そんなことを言ってはいけませんわ」

 

 父が、全くだと首を振るい、

 

「こんな上品な子と付き合っているなんて……お前、どう会った?」

 

 ニタニタと父が笑う、実に迷惑だ。スポンサーにしたのは間違いだったのかもしれない。

 

「茶山さんとは聖グロリアーナ女学院学園艦で知り合いまして、彼は食べ歩きの最中でしたわ」

 

 聖グロという単語を耳にし、父も母も「えっ」と声を出した。

 

「お前……聖グロといったらお嬢様学校じゃないか、ええ?」

「うん、まあ、そうだね」

「あんたみたいなのが、どうやってこの人と釣り合ったの?」

「え? まあ……偶然会ったのをきっかけに、色々食べたりおしゃべりしただけだよ」

 

 父が、未だ信じられんという顔を浮かばせながら、

 

「えーっと……ダージリンさん、でしたっけ?」

「はい」

「その、本当に息子と、付き合っているんですか?」

 

 失礼なおっさんだなと思ったが、よく考えなくともおかしな組み合わせだとは思う。

 茶山はスポーツマンでも、秀才でも、金持ちでもない。食うことが好きなだけの、普通の大学生だ――それに対し、ダージリンは正真正銘のお嬢様だ。それも、戦車隊隊長という輝かしい実績つき。

 誰が見ても、嘘くさいカップルだと思う。親の目だからこそ、かえって疑わしく思うのは仕方がないことだ。

 ――しかし。

 

「はい、茶山さんとは正式に交際させていただいています。将来は、結婚も想定していまして……」

 

 そこで、ダージリンが頬を赤らめる。乙女の顔を前にして、父が「おお……」と声を漏らした。

 

「あなた」

「すまん」

「……そう、そうですか。うちの息子のことを、そこまで」

 

 ダージリンが、迷うことなく「はい」と頷いた。

 

「茶山さんは、私に色々なものを教えてくれました。食事の楽しみ、愛される喜び、祈られる幸福さを」

 

 父が「へええ……」と、感嘆の声を漏らし、

 

「そうですか。それは、良かった」

 

 父が安堵する。ここでようやく、鍋の中を箸でつつき始めた。

 

「まあ、こんな息子ですが――どうか、仲良くしてやってください」

「はい」

 

 ダージリンが笑顔になる。母も嬉しそうに顔を明るくし、

 

「さあ、遠慮なく食べて、ダージリンさん」

「ありがとうございます。では、いただきます」

 

 父は豚肉をつまみ、母は白菜を回収する。ダージリンはしいたけを取り上げ――

 

「ダージリン」

「え、なんです?」

「えと……今日ここに来るっていう、メールは……」

 

 目的自体は達成出来たから、別にあらぬ感情を抱いたりはしていない。ただ、疑問を解消したかっただけだ。

 

「それは……この前の、仕返しですわ」

「仕返し?」

 

 ただならぬ単語を耳にし、父の目がダージリンに移る。

 

「黒森峰との練習試合の際、あなたときたら黙って会いに来たでしょう? しかも、花束持参で」

 

 母が「へー?」と、実に興味津々になる。

 

「あ、お父様、お母様、失礼しました。私、戦車道をたしなんでいますの」

 

 豚肉を食いながら、父は「ふむ」と頷く。

 

「それで――茶山さんったら、自分は王子様だから、お姫様に会いに行くのは当然だー、とか言って。心臓に悪いサプライズでしたわ」

 

 うわあ言われた。

 またしても茶山はうつむき、箸を持ったままの手で額を支える。

 

「お前……あ! もしかして、それを言うために金を借りたのか?」

「……さあね」

「だいたいは当たっていると思います」

 

 さらっと。

 

「……嬉しかったですわ。やはり、私には茶山さんしかいません」

 

 ダージリンが、手のひらで頬を抑える。その顔は、少しだけ赤い。

 一方、両親ときたら「もっと聞かせて」と目をきらきらさせている。茶山の心拍数もひと際輝いていた。

 

「その後、茶山さんは、黒森峰に勝った私の事を、抱きしめてくれました」

 

 きゃ―っ。

 母が黄色い声を出し、父が「マジか? お前そんなことやったのか? 本当か?」と、背中をバシバシ叩いてくる。茶山はあくまで沈黙したままだが、今の状況からすれば悪手以外に他ならない。

 

「その後は、色々あって、その、えっと……」

 

 危機感を覚え、茶山が獰猛に顔を上げる。隣で腰を下ろしているダージリンに対し、待ってくれと目で訴える。

 

「え、ダメ?」

「駄目、もう持たない」

 

 しょうがないなあとばかりに、ダージリンが口元をへの字に曲げる。

 

「え、ウチの息子が何かしたんですか?」

「いえ、悪いことは何もしていませんわ」

 

 きっぱりと、ダージリンが否定した。

 

「茶山さんは、私に対し肯定的な行動をとり続けてくれました。それこそ、大洗の戦車道ではなく、聖グロの戦車道を支持する程に」

「……そう。良かったわね、ダージリンさん」

 

 母が、滲み出るような声で喜んでいる。父も、豚肉を口にしたままで頷いた。

 母からの言葉に対し、ダージリンも嬉しそうに微笑む。しいたけを口にし、おいしいと一言。

 その一方、茶山は、水を飲んで頭を落ち着かせている。僅か数分のうちにしっちゃかめっちゃかがあったものの、今日も何とか生き残れそうだった。

 

 テレビを見て、父が肉を食べて、茶山とダージリンと母が思い思いの具を掴んで、父が肉を食べる。すっかりダージリンも馴染みきったようで、主に母と雑談を交わしあっていた。

 安堵する、呼吸をする。再び肉を確保しようとした父に対し、「おいコラ」と声をかけてやった。

 

 ――ひと時の安心が生じたからだろうか。ダージリンが、決意するように「すうっ」と呼吸した。それを茶山は聞き逃さない。

 

「あの」

 

 父と母の目が、ダージリンに独占される。

 

「お父様、お母様。その……えっと」

 

 父が、言ってみなさいと目で促す。

 

「……私は、大学を卒業した後に、茶山さんと結婚しようと考えています」

 

 父も母も茶山も、沈黙を貫く。

 テレビ番組の音が遠ざかっていく。

 

「それで、私の家は……その、ある土地の地主を務めていまして。どうしても、跡継ぎが必要なのです」

 

 父が、「ああ」と声を出す。言わなくてもいい、把握した、とばかりに。

 

「――1つ、聞くぞ」

 

 父の強い視線が、茶山に突き刺さる。これまでに幾度の隠し事、悪事を暴いてきた、父の必殺技だ。

 正直怯みそうになる。親はいつだって恐ろしい、これからもそうだろう。

 だが、今は、今だけは――隣にいるダージリンへ視線を向ける、不安げな目が合う。

 気を張る。無表情の勇気を、沸き立たせた。

 

「お前、ダージリンさんのことをどう思ってる?」

「世界一愛してる」

 

 あまりにも、決まりきった答えだった。

 父は「ふう」と、小さく息をつく。ゆっくり、ゆっくりと、ダージリンと目を合わせる。

 

「ダージリンさん」

「はい」

「――息子を、よろしくお願いします」

 

 望んでいるかのように、受け入れたかのように、父は深々と頭を下げた。

 母も、続けて「よろしくお願いします」と礼をした。

 

「お父様、お母様。顔を、あげてください」

 

 十九年間、茶山を育て上げてきた父と母が、ゆっくりと顔を上げた。

 ――父も母も見たはずである。ダージリンの顔を、ダージリンの濡れた瞳を、ダージリンの目からこぼれ落ちる雫を。

 

「ダージリンさん」

「はい」

 

 父が、箸で鍋を指す。

 

「……さあ、鍋を食べましょう。遠慮しないで、あなたは家族なのですから」

 

 ダージリンが、両肩で深呼吸した。それは不安によるものなのか、喜びに満ちたからなのか、緊張しているからか、一区切りつけたかったのか、或いはそれら全てか、それ以外か。

 鍋の茹でる音が、聞こえてきた。

 

「……はい!」

 

―――

 

 茶山とダージリンと父と母が鍋を味わって、数時間が経過した。「家族団欒」が成立した今となっては、父もダージリンに接し、母もダージリンを可愛がる。そのたびにダージリンは会話で接し、きゃあきゃあと表情を明るくするのだ。

 ここぞとばかりに茶山が傍観しようとするも、目が合えば「そういえば茶山さん」と声をかけてくる。この時ばかりは、父も母も空気を読んで無言になるのだ。ニヤけ面丸出しで。

 ――本当に、何でもない時間が過ぎ去っていく。

 茶山もよく食ったし、母も随分と鍋を堪能した。父は懲りずに肉ばっかり狙ったが、ダージリンに「お父様、野菜もとらないと」とたしなめられた時は、上司に怒られた時みたいに「す、すみません」とへこんだものだ。

 

「あー、食った」

 

 これまでのこともあってか、鍋を制覇して一種の達成感すら覚える。腹をさすってみると、少し太ったような錯覚すら覚えた。

 食った、本当に食った。

 ダージリンも父も母もすっかり力が抜けているが、あと一つ、やらなければいけないことがある。一同は、よっこいせと姿勢を正し、手を合わせ、

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 母が鍋を片付けようとした時、ダージリンが「手伝いますわ、お母様」と食器を回収していく。ならば自分もと立ち上がったが、ダージリンが「殿方はここで」と手で止められてしまった。

 すとん、と腰を下ろす。笑いがこぼれる。

 居間から台所へ、繰り返し繰り返しダージリンと母が行き来する。由緒正しきお嬢様の顔は、今、とてつもなく楽しげだった。

 

「なあ」

「何」

 

 テレビを見たままの父が、声をかけてくる。今は歌番組を放送しているらしく、女の子が軍歌を披露していた。

 

「いい嫁さんになるな、ダージリンさんは」

「あー」

 

 ダージリンが、最後の食器を手にとる。その時に茶山と目が合ったが、にこりと表情を変えてくれた。

 再び、ダージリンは台所へ戻っていく。何気なく、「実は、食器を洗ったことがあまりなくて……」の一言が聞こえた。

 

「だね、僕もそう思う」

 

 父が、茶山の背中に手を当てる。

 とても、大きかった。

 

 

 食器を洗い終えたことに達成感を覚えたのか、ダージリンは実に良い顔をしていた。たぶん、練習試合で勝利した時もあんな感じなのだろう。

 ダージリンが白いエプロンを外し、母に「ありがとうございました」とエプロンと返す。母も「こちらこそ」と、小さく頭を下げた。

 

「では、私はそろそろホテルへ戻りますわ」

 

 玄関には、ダージリンの所有物らしい赤いキャリーケースが直立している。たぶん、ティーセットもお持ち帰りしているのだろう。

 

「実家じゃなくて?」

「ええ。だって、明日『からは』あなたと食べ歩きをする予定ですもの」

 

 すっかり前提に組み込まれていたらしい。しかし、このまま新年を迎えるよりはよっぽどマシだ。

 茶山は「分かった」とだけ。

 

「で、ホテルって、どこの?」

「ああ、近くにあるビジネスホテルに。場所は確保してありますわ」

 

 そこで母が、顎に手を当てて思考に飛び込む。珍しいな、と茶山は思った。

 

「今日は本当にありがとうございました。次は、何かお土産でも持っていきますわ」

「いえいえ、また来てください」

 

 父が、静かな声で歓迎する。ダージリンも、堂々と「はい」と返事をする。

 

「……あ」

 

 その時、母から「!」という意味不明の音が聞こえたと思う。母の顔を覗ってみると、両目は見開かれ口は半開き、おまけに「今、物凄い良案を閃いた」とばかりに口元が釣り上がっていた。

 茶山十九歳は、母に対してろくでもない予感を抱いていた。こんな顔をした母は、初めて見たからだ。

 

「ねえ、ダージリンさん」

 

 ダージリンが、きょとんとした顔で「はい?」とだけ。

 

「ウチに、泊まっていかない?」

 

 ほらな。

 

「……え、え、えッ!?」

 

 まず、「え」で首をかしげ、「え、え」で表情が崩れ、「え、え、えッ!?」のところで顔が真っ赤になる。母の中では予定が出来上がったつもりなのか、「これは夕飯が楽しみね」とか、好き勝手なことを言っている。

 

「そ、そんな……ご迷惑になってしまいますわ」

「何を言ってるの。ダージリンさんはもう、家族同然よ」

 

 家族と言われ、ダージリンの抵抗が軟化する。「いずれはそうなる」のだから、仕方がない展開だろう。

 

「そ、その、本当にいいんですの?」

「もちろんよ。いつ来てもいいし、いつ帰っても構わないわ」

「うむ」

 

 父も、その通りだとばかりに同意する。

 

「そ、そうですか。そういうことでしたら、その、」

 

 三者の視線が、瞬く間に茶山へ殺到する。ほぼ決まりかけではあるものの、決定権は茶山に握られているらしい。

 父の目を見てみよう。「男ならドカンと決めろ」

 母の目を見てみよう。「信じてるわよ、ねっ?」

 ダージリンの目を見てみよう。「茶山さん……」

 

「ウチでよければ」

 

 大勝利した瞬間である。

 

「そうですか……よかった」

 

 ダージリンが、ほっと胸をなでおろす。父も母も、よく言ったとばかりに笑顔となった。

 

「……で、ここからが肝心なんだけれど」

 

 ダージリンと父と母が、「はい?」と言いたげな顔をする。

 

「ダージリンさんは、何処で眠るんですかね?」

 

 まず、父と母は、何でもないような動作で茶山と目を合わせた。次にダージリンだが、「うーん……」と考え込んでいる。戦車道の顔そのものだった。

 

「……いやいやいやまずいでしょそれは」

 

 茶山のセリフを耳にし、ダージリンが思考の海から戻ってくる。何のこと? と言いたげに。

 ――そして、すぐに空気を把握する。聖グロの頭脳はとても優秀で、想像力にも長けていた。

 

「え、ええッ!? そ、そんな……!」

 

 あっという間にダージリンの顔が赤くなり、両手で口を抑える。父と母からの反論はない、どちらかといえば「そういうものでしょ」と言いたげに苦笑している。

 

「ああ、もう、いくらなんでも……」

「といっても、ねえ? あなた、何処で寝るの?」

「居間でいいよ居間で」

「ダージリンさんを一人にするの?」

 

 茶山の足掻きは、母の一言で蹴り飛ばされた。

 いやいやしかし、だからといって、

 

「そ、そうですわね……茶山さんがここにいるのに、どうして一人で眠らなければ……あ! いえいえっ、無理にとは言いませんわっ」

 

 ダージリンもすっかり飲まれているらしい。当たり前だ、こんな場面なんて初めてだろうから。

 

「……じゃあ、僕は自室の床で眠るよ。布団ってあったっけ?」

 

 父が、「はあ?」と目を歪ませる。

 

「無いな」

「無いっけ?」

「無いと思うし、そもそもあれだ。ダージリンさんを寂しがらせるつもりか?」

「あ? ……は? いやいやいや、まずいでしょ一緒に眠るのは」

 

 父の思考を読み取り、全力で首を振るう。

 

「ダージリンも何とか言って」

 

 一人では何ともならないので、ダージリンにバトンを手渡す。しかしダージリンは、瞳を輝かせながら何かを思案していて、

 

「……茶山さん」

「あ、はい」

「……私たち、いつかその、結婚する、予定ですのよね?」

 

 頷き、肯定する。

 

「……なら……」

 

 本当にもう恥ずかしいのだろう、ダージリンの目線が茶山と一致しない。――ちらちらと、茶山を覗ってはいたが。

 

「……わかった」

 

 茶山の返答に対し、ダージリンが、黙ってこくりと頷く。

 

「じゃあ、部屋片づけてくるよ」

「私も手伝いますわ」

「いやいやいいから、汚いし」

「そう言わず」

 

 茶山が「まあまあ」と言っても、ダージリンが「まあまあ」と受け流す。父と母は笑うだけで、干渉もへったくれもなかった。

 

「……本当にいいの? 幻滅しない?」

「汚れを気にしては、戦車道は務まりませんわ」

 

 納得しそうになるが、やはりめちゃくちゃ恥ずかしい。自分の部屋というものは、本人の写し鏡以外に他ならないからだ。

 勢いで二階まで上がり、あっという間に自分の部屋の前まで来てしまった。ドアノブに手をかけるが、いつものように捻ることが出来ない――後ろに、両手で拳を作っているダージリンがいるからだ。

 

「あー、先に僕だけが入るっていうのは、」

「汚れがあれば、綺麗にすれば良いだけ」

「いやでも」

「あなたの部屋でしょう? なら、問題なんてありませんわ」

 

 断言された。

 ダージリンが何故、聖グロの世界で頂点を掴めているのか、何となく分かった気がする。この人は、言葉がうまい。

 

「……開けるよ」

 

 何でもないように、ダージリンが頷いた。

 ドアノブが捻られる、馴染みきった世界が視界に入る。

 天井、壁は暖色系でまとめられていて、学習机に本棚、テレビ、名物ラーメンカレンダー、床に放置された食べ歩きガイドブックに充電器、一床のみのベッドと――いたって普通の自室だ。広さも、床に寝転がれる程度はある。

 振り向く。ダージリンはどんな顔をしているのだろう、もしかしたら「汚い」とか思ってはいないだろうか。こんなことなら、掃除を趣味にしておけば良かったとつくづく思う。

 

「ここが、茶山さんの部屋」

「は、はい」

 

 思わず敬語口調になる。一生分見たはずの世界なのに、何だか現実味がまるでない。

 まさか、ここに女の子を連れてくるなんて思いもしなかった。それもお嬢様を、ダージリンを。

 

「お邪魔しても?」

「どうぞ」

 

 たぶん、拒否したところで聖グロ流交渉を食らうだけだろう。もうどうにでもなれと、茶山はその身をどかした。

 

「失礼します――まあ」

 

 ダージリンが、するりと自室へ入ると同時に、床に落ちていた雑誌を拾い上げる。表紙には学園艦の写真とともに、『学園艦限定(だけ)』というタイトルが印刷されていた。

 

「良いかしら?」

 

 手で、どうぞと促す。ダージリンはぱらぱらとページをめくっていき、

 

「まあ、ここは……」

 

 ダージリンの後ろからページを拝見してみると、そこには「あの」牛丼屋がでかでかと特集されていた。

 値段は普通、ボリュームばっちり、客入りも悪くない。味は、最高の部類に入るだろう――あの、ダージリンも訪問した店なのだから。

 

「なんだか、懐かしい気がしますわ」

 

 ダージリンが、顔だけを茶山に向ける。何だか嬉しくなって、何だか遠い過去のように思えて、何だかアルバムを見たような気がして、茶山にも笑みが生じた。

 

「本当、偶然だったなあ」

「ええ」

 

 ダージリンは、そのページをめくろうとはしない。牛丼の写真を、人差し指で撫でている。

 

「いつか、また食べに行きたいですわね」

「そうだね」

「……本当に、ここに来て良かった」

 

 茶山も、黙って頷く。

 ダージリンが、ぱたんと雑誌を閉じた。

 

「――あ」

 

 ダージリンの関心が、学習机に移る。学習机の上には、

 

「これっ」

 

 早歩きし、とっさにティーセットを掬い上げた。ダージリンとおそろいの、青い意匠が刻まれたティーセットを。

 

「使って、くださって」

「うん。下には、ダージリンティーの茶葉もあるよ」

「……そう……」

 

 嬉しそうに口元を緩め、海のように瞳を照らす。まるで我が子のように、カップを撫でていた。

 

「時間がある時は、それを使ってティータイムを開いているんだ。まあ、一人でだけど」

 

 高ぶった感情をごまかす為に、茶山は乱暴に苦笑する。ダージリンは、「そう……」と呟き、

 

「――今度、私と一緒にティータイムをしません? なるべくなら、二人きりが良いかな、と」

「やろう」

 

 そんなの、ハナから即答に決まっていた。ダージリンは、ぱあっと表情を明るくする。

 

「よろしくお願いしますわ」

「うん。まあ、マナーはてんで素人だけど」

「そう言わず、一緒に紅茶を飲むだけでも嬉しいのに」

「そっか。じゃあ何を飲もうかな、新しい紅茶がいいかも」

 

 ダージリンの表情をチラ見する。「むう」と、ダージリンがふてくされた顔になる。

 

「ダージリティーを飲もうかな」

「当然ですわね」

 

 いつもの、誇らしい微笑に早変わりした。

 やっぱり可愛いなあ、この人。

 

「――しかし、あれだ。汚くてごめんね」

「そんな、綺麗ではありませんか」

「いやでも、床に雑誌はちょっと」

「生活感があって、逆に安心しましたわ。それも、食べ歩きの雑誌でしたし」

 

 そういうものかなあと、茶山は思う。汚いのは嫌だが、積極的に片づけるタイプでもない。

 

「まあ、ダージリンがそう言ってくれるのなら」

「ええ。そう気を遣わず、いつもの調子でくつろいでくださいな」

 

 女の子、ましてやダージリンを部屋に入れている時点で、そうもいかなくなる。これからは、ホコリ一つすら見逃さない目ざとい男になるだろう。

 けれど、悪くはない。

 部屋が受け入れられた瞬間から、本当の意味でダージリンとは通じ合った気がする。

 

 その後は、一緒に雑誌を読み合ってあれ食べたいとかこれ食べたいとか、明日になったら名物を攻略したいとかで結構盛り上がった――夕方になったら、ティータイムをしようと約束して。

 ここまでは本当に平和だったと思う。何せ、いつもの会話しかしていなかったのだから。

 

 ――問題は、夜十二時くらいを回った後だ。

 夜遅くになれば眠くなるし、明日の予定だってある。夜更かしをする趣味も無いから、必然的にベッドへ潜り込むわけだ。ダージリンと一緒に。

 

「……なんで、こんなことになっちゃったんだろうね」

「……こんな格言を知ってる?」

「何だい?」

 

 あまりにもこっ恥ずかしいので、ダージリンとは背中合わせで横になっている。しかし、どうしても体温は伝わってくるから、否応にも「実感」を抱かざるを得ない。

 

「運命とは、最もふさわしい場所へと貴方の魂を運ぶのだ」

 

 茶山が、まばたきをする。

 

「イングランドの劇作家、ウィリアム・シェイクスピアの言葉よ」

 

 ああ、そうか。

 ここが、この場所が、この場面が、自分とダージリンにとっての居場所なのか。

 

「信じるよ、その格言を」

「私も、信じてますわ」

 

 この時、茶山の心に火が付いた。

 たぶん、ダージリンが「愛の言葉」を口にしてくれたからだと思う。魂という単語に、心惹かれてしまったからだと思う。

 茶山が寝返りを打った瞬間、ダージリンの金のロングヘアーが、茶山の視界を瞬く間に支配する。暗がりだからこそ綺麗に映る、心地よく魅了されていく。

 ――ダージリンがこちらを向く前に、そっと抱きしめた。

 ダージリンがびくりと震えるが、少しずつ体の力を抜かしていく。割れ物を扱うように、慎重にダージリンの腕を撫でる。

 ダージリンは何も言わない、何も応えない。ただ、茶山の腕をぎゅっと握りしめるだけ。

 

 戦車隊隊長の体は、あくまでも乙女そのものだ。

 自分はダージリンよりも弱い人間だけれど、ダージリンのお腹を満たすことは出来る。これからも、ダージリンの元気を守り抜こう。

 

 今日は眠れるかなと思ったが、その心配は無用だったらしい。明日への食欲が、茶山とダージリンを夢へ誘った。

 

―――

 

 ダージリンと接して113日目、朝を迎えて「何でダージリンがここにいるんだっけ」とか口にしそうになり、同じくして起床したダージリンが「あ、おはようございます」と顔を赤くして挨拶をしてくれた。

 その際に「狭かったでしょ? 眠れた?」と質問してみたが、ダージリンは「はい、とても温かかったですわ」とだけ。

 カーテンを開け、日光を浴びる。脳細胞が活性化した気になる。

 

 

 母から「おはよう」とニヤつかれつつも、あえて受け流して軽く朝食をとる。白米に味噌汁、卵焼きにたくあん――ダージリンは、「素晴らしい朝食ですわ」と感想を漏らした。

 

「ありがとう、ダージリンさん」

「いえ。――あの、お母様」

「はい?

 

 ダージリンが、まるで照れを隠しきれていない表情で、

 

「……いつか、その、夕飯の時間になりましたら、お手伝いさせていただけません? その、料理を覚えたくて」

 

 年下の意図を察したのか、母は「もちろん」と笑顔で応えた。

 

 

 次の食べ歩きコースに選ばれたのは、ハンバーグ専門店だ。評判は聞いていたのだが、ついつい後回しにしてしまっていた。

 なので、せっかくだからと入店した。瞬く間に香ばしい匂いが鼻孔へ吸い込まれ、茶山とダージリンは容赦なく椅子へ腰を下ろした。

 ――数分後、

 

「ほんとにさー、ウチの父さん母さんってばはしゃぎすぎて……」

「まあまあ。恋人が出来たのですし」

 

 恋人というワードを、何の躊躇いも無く口にしながら、ダージリンはハンバーグをナイフで切り裂く。茶山もそれに続き、ハンバーグをフォークで刺しては口の中に放り込む。

 熱が肌に襲い掛かり、ソースが体の一部へと溶け込んでいく。何重もの肉をかみ砕き、飲み込めば、腹はもっと飢えていくのだ。

 

「うまいねえ」

「ええ、とても」

 

 さらに美味く感じるのは、今日が冬休みという点に尽きる。ましてや朝っぱらからという健康的な時間に、それもダージリンと一緒にハンバーグを食しているのだ。どう考えてもポジティブな状況でしかないから、飯は進むし舌が活性化する、おまけに腹は減る。

 

「何だか、すっかりダージリンも馴染んだよね。こういう店に」

「そうですわね。――あなたがいなくなった後でも、私は色々な店を訪問したものです」

「ほうほう」

「和食店、洋食店、ピザ屋、ジャンクフードも食べてみましたわ」

「いい食べっぷりだ」

 

 どうも、ダージリンは満たされた生活を歩めているらしい。茶山は、満足そうに笑った。

 

「けれど」

「けれど?」

 

 ダージリンが、茶山と目を合わせる。

 

「……やっぱり、あなたと食べ歩きをしたいですわ。これからも」

 

 ああ。

 それに関しては、同意するように頷く。

 

「僕もだよ、ダージリン」

 

 にこりと、ダージリンが笑顔になる。

 

「……あ、そうですわ」

 

 何かを閃いたらしい。ダージリンが、ナイフでハンバーグを小さく切り取り、

 

「あーん」

 

 それを、フォークで刺しては茶山に差し向ける。

 

「――は?」

「恋人同士の基本でしょう? はい、あーん」

「えっ、やだよ恥ずかしい」

 

 その時、ダージリンの目に光が籠る。親に捨てられた子供のような、希望が感じられない瞳だった。

 

「……私たちは、恋人では、ない……?」

「え!? いやいやいや」

「あーん、してくれないんですの……?」

「す、するよわかったよもう」

 

 瞬間、ダージリンが喜色満面の笑みを浮かばせる。

 

「はい、あーん」

 

 ちくしょうやられた。何となく予感はしていた。

 だが、ダージリンの落ち込む顔など見たくもないわけで、何とかしてやりたいわけで。

 

「あー……ん」

 

 めちゃくちゃ恥ずかしかった。周囲を見渡すものの、特に関心は抱かれては――いる。

 

 髪を整えた状態のダージリンは「優雅」であり、他人からすれば「触れてはいけない美しい象徴」だ。

 だが、今現在のダージリンの髪型はロングヘアーだ。それは普遍的であり、故に親しみやすく共感もされやすい。ストレートな魅力がある。

 ここまでなら問題は無いのだが、ダージリンはどうしても美しい。ただでさえ目を惹く存在が、ロングヘアーという「普通さ」を主張しているのだ。俺が僕が私がと、格好の注目の的になってしまうのは仕方がない。

 もしかしたら彼女に出来るかも、あのモデルさんは誰だ、女優さんか何かだろうか――きっと、そんなことを考えているのではないだろうか。

 ナンパの一つにも遭遇しなかったのは、茶山というお邪魔虫のお陰だろう。

 

「いいですわね」

 

 シチュエーション的には良いが、心境的にはあまり良くない。男どもからは「は?」という目をされているし、女性からは「ええ……?」と疑問視されている。

 確かに、我ながら夢みたいな現状だとは思う。けれど、

 

「じゃあ、はい、あーん」

 

 ハンバーグの一部分をフォークで刺し、ダージリンに向ける。

 

「……えっ!?」

「恋人同士なんだから、あーん」

「そ、そんなっ、えとっ」

「……そっか」

 

 茶山が、わざとらしく落ち込む。ダージリンと比べれば、なんという演技力のなさか。

 しかし、ダージリンはあたふたと表情を変え、

 

「わ、わかりましたっ、食べます食べますわっ。あー……んっ」

 

 躊躇いはしたものの、ハンバーグを口にしてしまえば笑みがこぼれる。しっかりと、充実しているように噛み締めている。

 

「うまいよね」

「ええ、とても」

 

 これから、ダージリンと釣り合う男になればいい。

 両想いなら遠慮することはない。見せつけてやろう。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと人生を満喫して、114日目。「家族」一同で夕飯をとっている際に、

 

「ねえ、ダージリンさん」

「はい、なんでしょう」

 

 ダージリンがほっけの骨を、ぺりぺりと剥がしていく。茶山は、実家の味噌汁の味を堪能していた。

 

「ダージリンさんって、外国人? それともハーフ?」

「えっ!?」

 

 ダージリンの目が、まん丸に見開かれる。茶山は「あー」と、仕方なさそうに声を出し、

 

「いや、ダージリンは日本人だよ」

「あらそうなの? じゃあ、ダージリンという名前は……」

 

 母が大真面目な顔をして、顎に手を当てている。真正面から考察されることがなかったのだろう、ダージリンは申し訳なさそうにうつむいていた。

 

「ああ、何というのかな。聖グロでは、紅茶の名前で呼び合う伝統があるんだ」

「あら、そうなの? へえー」

 

 実に感心したように、母がうんうんと頷いている。ダージリンは、弱弱しい声で「は、はい、そうなんです」と返事していた。

 

「まあ、いいんじゃないかな。ダージリンという名前が、とても似合っているし」

 

 父から助け船が入った。実際のところ、本名よりも、ダージリンという呼び方がしっくりきてしまっている。

 

「ありがとう、ございます……」

「いえいえ。ごめんなさいね、変な質問をしてしまって」

 

 ダージリンが、滅相も無いとばかりに首を横に振った。

 

―――

 

 ダージリンの格言を聞いて、115日目。一通りの食べ歩きを終えた後は、居間で二人きりのティータイムを開いていた。

 

「ここは、良い家ですわね」

「うん、そう思う」

 

 ダージリンが、「ええ」と同意し、

 

「私も、良い両親に恵まれましたわ。――その、私の父と母とは、すぐに仲良くなれると思います」

「だといいねえ」

 

 話によると、自分はダージリンの父とダブっているところがあるらしい。それ故に父からは仲間認定され、母も出会いを武勇伝にするくらいには、一般庶民への理解があるらしかった。

 

「……いつ行くの?」

「新年早々に」

「……でかいよね?」

「おそらく」

 

 金持ちの家とは、一体どんな生態をしているのだろう。

 茶山の貧困な発想力では、「宮殿」だの「金色の意匠だらけ」だの「自家用ヘリ完備」だのと、それぐらいしか思いつかない。

 ダージリンティーを片手に、ちらりとダージリンの目を見る。

 茶山の目の前にいるのは、文字通りのセレブだ。茶山という縁が無かったら、普通の居間で腰を下ろすこともなかっただろう。

 ため息も漏れる。ダージリンを手離すつもりはないが、かといって金持ちの中心部へ踏み込む度胸もない。聖グロの連絡船でさえ、かなりのビビりが入ったというのに。

 

「かといって、緊張する必要はありませんわ」

 

 茶山の心境を読み取ったらしく、ダージリンは何でもない表情でダージリンティーを一口つけ、

 

「何度も言いますが、あなたは部外者ではなく、私の大切な人です。ですから、私の家にお邪魔しても誰も文句は言いません」

 

 そこで、何かを思い出したかのように「あ」と声を出し、

 

「妹は……どうでしょうね。両親は納得しているのですけれど」

「妹さんがいるんだ」

「ええ。いつまでも甘えん坊さんで」

「いいじゃない」

 

 茶山がポットを手に持ち、ダージリンティーを注いでいく。

 

「だから不安なんですの。あなたに対しての、反応が」

「あー、なるほどねー」

 

 体験したことはないが、よくある話だとは理解している。姉の優先順位が曲げられそうなのだ、それはもう面白くない話だろう。

 

「ですがご安心を。必ず説得してみせますわ」

「ありがとう。まあ、僕も頑張ってみるから」

 

 間。

 

「で、本当に行かなきゃダメ?」

「――私との結婚を、破棄するおつもりで?」

 

 ダージリンの両目が、狐のように細くなる。タダの一般人である茶山は、「滅相もありません」とひれ伏すしかなかった。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと寄り添って、116日目。ポニーテールのダージリンが、母の指導のもと、夕飯にカレーライスを作り上げてくれた。

 茶山と父、母にダージリンの分と、それぞれの皿がテーブルの上に置かれる。出来立ての湯気は、胃の中を容赦なくすっからかんにしていった。

 

「これは……」

「リンちゃん、料理の才能があるわー。ささ、食べて食べて」

 

 白いエプロンを着たダージリンが、もどかしそうな顔をしながら、指と指を合わせている。

 事の始まりは、「私も何か、夕飯を作らせてくださいませんか?」という、ダージリンの主張だった。

 最初、母は「あらあらまあ」と戸惑いながらも、母はこれを快諾した――茶山に、親指を立てて。

 

「そんな、ほとんど手伝っていただいて……」

「何を言っているの。包丁さばき、見事だったじゃない」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ダージリンが作ったカレーという時点で、味は決まりきっているようなものだ。腹は減っていき、食欲が促され、変な高揚感すら生じる。

 

「頑張ったのよー、リンちゃん。さあ、最初にあなたが食べなさい」

 

 そんなの当たり前だった。

 茶山は、カレーに手を合わせ、

 

「いただきます」

「め、めしあがれ」

 

 可愛い一言と共に、茶山はスプーンを装備する。それでカレールーをいくらか掬い上げ、白米にかけた。

 よし。

 人生初とは、出会いよりもかけがえの無い瞬間だ。生まれて初めてダージリンは料理をこなして、その完成品を茶山が味わう――この時間を、一生忘れないようにしよう。この場面に、ずっと感謝し続けよう。

 心に強く刻み込みながら、ダージリンカレーを口に運ぶ。

 

「うまいっ」

 

 茶山の心が明るくなる。ダージリンの顔が、輝く。

 

「まあっ……やったっ」

「うまいよこれ、凄い美味い。ほら、父さんも食べて」

 

 父が「ああ」と頷き、手を合わせる。

 

「いただきます――これは、うまい、うまいよ、ダージリンさん」

「ありがとうございます」

 

 ダージリンが、泣きそうな笑顔を浮かばせる。

 茶山は、心の中で「良かった」と喜ぶ。手は止まらない。

 

「調理中ね、凄く良い顔をしてたわ、リンちゃん。戦う女性の顔っていうの? あんな感じ」

「戦車道してるからなあ、ダージリンは」

 

 困ったように、ダージリンが「いえいえそんな」と謙遜する。

 正直な話、容易に想像はついた。

 

「料理に熱心で、愛情も抜群。ああ、結婚相手が羨ましいわねえ」

「やめなよ」

 

 茶山が厄介そうに吐き捨てるものの、ダージリンは「ふふ」とだけ。一方、父は食ってばっかりだった。

 

「さて、水も持ってこなくちゃ。リンちゃんは先に食べてていいわよ」

「はい、お母様」

 

 当たり前のように、茶山の隣に腰かける。もう、誰も注目などしない。

 

「茶山さん」

「何?」

 

 カレールーつきカツを、もぐもぐと咀嚼する。カツ特有のパワーが、油が、ルーの甘みが、ダージリン補正が、茶山の身も心も満たしていく。

 

「これからは、レパートリーを増やしていきますわね」

 

 思う。

 ダージリンは、本当に情熱的な女の子だ。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと手を取り合って、117日目。茶山は「くそうくそう」と悪態をつき、ダージリンは「せっせっ」と声を出していた。

 

「なんで真昼間に大雪降るかねー」

「冬ですもの」

 

 除雪スコップで雪だまりを突き刺し、それを掬っては、体全体を使って指定個所へ放り投げる。

 降雪が止み、夜の七時に除雪を開始したわけだが――まったくもって終わりのめどが立たない。

 まあ、いつものことだ。

 この時期になると、一度や二度は大雪が降り注ぐ。そのたびに茶山や父、ご近所の方々が家から出撃して、除雪スコップを武器に雪だまりと戦いを繰り広げるのである。

 一瞥する。

 環境問題とは無縁そうな、真っ白い雪原が家の前を手広く支配している。子供の頃は足跡をつけて遊びまくったものだが、大学生からすれば「はいはいまたかよ」としかコメント出来ない。純白の雪も、大人にかかれば単なる厄介者だ。

 

「父さーん、もうやめない?」

「続けろ」

 

 だよねーと、やる気なく除雪を再開する。そんな中で、ダージリンは文句のひとつも言わずに雪を放り込んでいた。

 

「ダージリンさん、いいんだよ? ここは俺達に任せて」

「いえ、ここも私の家ですからっ」

 

 ダージリンの赤い除雪スコップが、また空を舞う。最初は茶山も止めたのだが、「私も家族の一員ですので」と押し切られてしまった。

 正真正銘のお嬢様が、肉体労働に励む――そのことに異論はないが、何だか物凄く申し訳ない気分になる。

 

「疲れたら、いつでも休んでね。僕が何とかするから」

「分かりましたわ」

 

 しかし、ダージリンの表情は硬い。家の前を何とかしようと、家族を助けようと、必死になって除雪作業を続けている。

 ――自分の頬を叩く。ダージリンを守り抜くと決めたのは、自分だ。

 

「よし、気合入った。やるぞ」

「よく言った、やれ」

 

 焦らず、急がず、力なく放り投げる。それが除雪のコツであり、基本だ。

 小さい頃は嫌々やっていたものだが、今となっては雪も軽い。単に、終わりが見えないからやる気が出にくいだけだ。

 だが、今はダージリンがいる。少しでも、ダージリンの負担を軽くしたい――そう考えてみると、何だか体が温まってきた。

 

「よっと」

 

 雪を引きずり出し、雪山と化した指定個所へほいっと投げる。ダージリンから「いい投げっぷりですわ」と褒められた。

 

「これが終わりましたら、一緒に紅茶でも飲みましょう」

「いいね」

 

 親指を立てる、ダージリンもピースしてくれた。

 そんな若者に対し、父は「いいなー」と笑うのだった。

 

 ダージリンが、掛け声とともに雪を放り投げる。最初こそぎこちなかったものの、徐々に飛距離が増していった。

 その表情は実に楽しげで、上手く投げられたと思ったら「どう?」と目を合わせてくる。

 やっぱり自分は、この人が好きだ。

 

―――

 

 ダージリンを愛して118日目。何だかんだで大晦日を迎え、「せっかくだしお参りに行こう」というノリで、徒歩で神社までやって来た。

 夜も更けているというのに、更けているからこそ、神社の前には人が殺到している。この日ばかりは神社も明るく照らされ、参拝客の笑顔も絶えない。

 普段の静寂は何処へいったのやら、今となっては喧騒が場を塗り替えている。まるでお祭りの会場だ。

 

「結構、並んでますわね」

「そうだねえ。いやあ、二年参りなんて初めてやるよ」

 

 緑色のベレー帽を被ったダージリンが、実に嬉しそうに口元を緩ませる。

 周囲を見てみると、多数のカップル連れが、友人グループが、老人が、大人の男性が、若い女性が、この神社の中を楽しげに歩んでいる。

 みんな、今日という日まで生き残ってきた。そして、来年も強く生き抜くつもりなのだろう。

 感慨深く、ため息をつく。

 

「みんな……何をお願いするんでしょうね」

「なんだろうね――そうそう、ここの神様は凄く頼りになるよ」

「そうなんですの?」

 

 茶山が小さく頷き、

 

「前にさ、OGと交渉したことがあったじゃない? ――その時にさ、ここでお参りしたんだよ。交渉がうまくいきますようにって」

 

 最初は何のことか分からなかったダージリンも、次第に表情を明るくしていく。

 

「あの時の……それは、期待できますわね」

 

 不意に、腕に抱き着かれた。それも両腕で。

 茶山が情けない声を上げるが、ダージリンは全く意に介さない。たぶん、何を言っても離そうとはしないだろう。

 

 そのままの姿勢で、賽銭箱まで到着した。

 長かった、実に長かった。恥ずかしすぎて、途中で蒸発しそうになったと思う。

 自分も、精神力というものが成長したらしい。或いは、今の関係を受け入れられているのか――たぶん、両方だ。

 

「じゃあ、お金を入れよう」

 

 互いに五百円を取り出し、同時に賽銭箱へ入れる。鈴を鳴らして二礼二拍手一礼を行い、沈黙をもってして願い事を繰り返し伝えた。

 一区切りつける。

 茶山とダージリンが礼を行い、賽銭箱を後にする。次に控えた参拝客は、カップル連れだった。

 

「……茶山さん」

「何?」

「なにを、お願いしました?」

「えー」

 

 照れを隠しもせず、ダージリンから目を逸らす。こうなったダージリンからは、逃げられないというのに。

 

「じゃあ……同時に言ってみる?」

「構いませんわ」

 

 「ふう」とひと呼吸する。

 未だ、喧騒は絶えない。参拝客がそれぞれの望みを、願いを、期待を胸に秘め、賽銭箱にお金を入れる。鈴を鳴らして神様を呼ぶ。

 その光景が、なんだか愛おしく感じる。きっと、ダージリンと出会ったからだろう。

 ダージリンは、自分の世界を変えてくれた。だから、ダージリンのことを――

 

「あなたが、幸せに生きられますように」

「あなたが、幸せに生きられますように」

 

 

 神社で、これからの新年を迎える。参拝客が、あけましておめでとうと高らかに挨拶をした。

 さて――あともう一か所ほど、挨拶しに行こう。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

本当は短くなる予定だったのですが、思った以上に長くなってしまいました。
次はたぶん、短くなると思います。

これからの展開ですが、ダージリンの家訪問→春休み編→大学編→エピローグと、サクサクと進んでいくと思います。
3007日間があっという間に過ぎ去ると思いますが、最後まで読んでいただければ、本当に嬉しいです。

ご指摘、ご感想、いつでもお待ちしています。


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119~134日間

 「地主の家」の末妹として生まれて、はや十五年になる。
 地主である母は元聖グロ出身で、今は日本戦車道連盟の一員としてその影響力を振りまいている。父はといえば普通のサラリーマンなのだが、実に情熱的で、常に母を支えている。たぶん、父がいなければ今の母もいないだろう。

 ――そして、自分には姉がいる。
 自分が戦車道を歩み始めたのも、全ては姉がきっかけだった。姉は常に優雅で、華麗で、時には本質を突くような言葉を投げかける。戦車道を歩もうとも、美しさを保つために、絶対に紅茶をこぼしたりはしない。
 そんな姉が、とても格好良かった。心の底から尊敬していた。妹でいられて、とても幸せだった。

 ――姉は強いだけじゃない。
 仕事柄、両親はよく不在になる。家族から愛され、育ってきたからこそ、寂しさや孤独感を覚えてしまうこともよくあった。
 そんな自分のことを、姉は決して見逃しはしない。

「今日もお疲れ様。一緒に、ティータイムを開きましょう」

 そう言って、姉は優しく微笑みながら温かい紅茶を作ってくれる。この紅茶が、ダージリンティーが、自分は大好きだった。

 ずっと、この関係が続けば良いのに。

 気付けば、姉ももう高校三年生だった。青春真っ盛りで恋愛全盛期、それでも自分は「いやいやまさかね」と楽観視していたのだが、

 ……お姉様に、彼氏が、出来て「いた」らしい。


「なるほど、君が茶山君か。会えて嬉しいよ!」

 

 もう夕方なのに、どうしたのかと歩み寄ってみれば――父と母と、姉と男が、だだっ広い応接間のソファに腰かけ、ご対面していた。

 ああ、遂に来たのか。本当に、彼氏が出来たんだ。

 

 自分は「いい?」と母に聞き、そのまま母の隣にそっと座る。

 茶山の顔を拝見してみたが、のんびりとしていて、逆に頼りなさげな印象を抱く。真っ先に、「何故惚れた?」と、妹ながらに考えてしまった。

 しかしドッキリでも何でもないらしく、姉は常に茶山から離れようとはしない。たかが応接間へ案内されたぐらいで、ガチガチになっている茶山から。

 

「そうかそうか、君が……いやあ、僕と同じ気配がするね」

「どうも、どうも」

 

 茶山が、にへらと愛想笑いを浮かばせる。それを見て安堵しているのだろう、姉がくすりと微笑んでいるのだった。

 

「話は、娘から聞かせていただいています。心の底から、幸せにしてくださったようで」

「そんな……話盛ってない? ダージリン」

 

 姉が、首を横に振るう。きっぱりと。

 

「茶山さんは、私の心身を満たしてくれました。言葉で、食べ物で」

 

 母と父が、興味深く「ほうほうそれで」と頷く。

 

「聖グロには、あまり和食を食べてはならない、という暗黙のルールがあるのはご存知でしょう?」

 

 父と母が、こくりと同意する。

 

「ある日、私はどうしても和食が食べたくなって……その時に茶山さんと出会い、色々と手助けしてくださいました」

「ほう」

「それから、食べ歩きに付き添っていって――」

 

 そして、惚気長話が当然のように開始された。父も母も色恋沙汰に興味があるから、姉の一挙一動に注目しきっている。

 一方、自分は――仕方なく耳だけを貸していた。敬愛する姉の話でなかったら、「失礼します」とか言って途中退場していただろう。

 

「――ということがありました」

「……ふむ」

「私にとっての男性とは茶山さんであり、茶山さん以外と添い遂げるつもりはありません」

 

 父と母ときたら、実に良い表情できゃあきゃあと反応している。そこから「私の若い頃は」だの「あの頃を思い出すなあ」だの「花束で結ばれるんだねえ」だのと、両親にも火がついてしまったようだ。

 ため息をつく。

 

「どうしたんだい?」

 

 見られてしまっていたらしい。茶山と目が合い、淑女らしくにこりと微笑む。

 

「いえ、何でもありませんよ」

「そうかい? 何だかその、気分が良くないのかな、と」

 

 のんびりとしてはいるが、鈍感ではないらしい。ふうんと、心の中で頷く。

 

「ああ、紹介しますわ。私の妹で、中学三年生。戦車道履修者ですわ」

「へえ……ダージリンと似てて、とても可愛い妹だね」

 

 正直、ダージリンという名前にはあまり馴染みが無い。お姉様はあくまでお姉様だった。

 

「ありがとうございます。私もいつか、お姉様のような立派な戦車乗りになろうと考えています」

「へえ、いいねいいね。応援するよ」

 

 たぶん、本心から口にしているのだと思う。素で、明るい表情を浮かばせているのだと思う。

 けれど何処か気にくわないのは――やっぱり、不毛な嫉妬のせいなのだろう。姉の一番の理解者は、自分であったはずなのに。

 

「……あの」

「何かしら?」

 

 姉に声をかける。

 

「本当に、この人が婚約者なんですか?」

「そうよ」

 

 何の躊躇もなく、何の迷いもなく、姉は即答した。

 ――自分よりも大切な存在が、今、目の前にいる。

 

「もちろん、自分の意志で決めたわ。この人に、どこまでもついていくって」

「そう、ですか」

 

 嘆息。

 姉は女性だ、立派な淑女だ。容姿端麗で、気品に溢れている。

 だからこそ、恋の一つもするだろう。一途に想い続けるだろう――こんなことぐらい、中学三年の脳ミソでも理解しているのに。

 

「――あの」

 

 茶山の声。自分は、あえて緩慢な動きで茶山と目を合わせる。

 

「どこか、気分でも悪いのかな?」

 

 茶山が、心底心配そうに自分を見つめてくる。何だか嘘をついているような気持ちになって、目を逸らしてしまった。

 姉が、「ああ」と声を漏らし、

 

「いえ、そうではありません。少し、ね」

 

 ちらりと、それでいて強い視線を浴びる。姉には、自分の思惑などバレてしまっているらしい。

 

「そうなの? でもなあ……」

 

 父も母も、「大丈夫か?」と声をかけてくる。自分は、問題ないとばかりに首を振るう。

 

「少し、緊張してしまっただけです。ごめんなさい」

「そうかい? 気分が悪くなったら、無理しないで休んでね」

 

 気を遣われてしまった、にこりと笑われた。

 たぶん、姉は「正しい人」の事を好きになったのだろう。茶山なら、姉を幸せにしてくれるはずだ。

 それでもまだ受け入れられないのは、自分が姉のことを尊敬しているからだ。姉は強くて、美しくて、麗しくて、導けて、「頑張って私を追い越してね」と、頭を撫でてくれて――ただの、ふてくされだった。

 

「さて。そろそろ時間ですし、夕飯を作りますわ」

 

 父と母が、「何!?」と驚愕する。自分も「はい?」と素っ頓狂な声を上げた。

 

「花嫁修業の一環、と思ってくださいませ」

 

 父が「いやいやしかし」とうろたえ、母が「まあまあまあ」と喜ぶ。自分は、何とも言えない。

 

「今日はオムライスでも」

「あ、じゃあ僕も手伝うよ」

 

 茶山が、ソファから起立しようとして、

 

「殿方は、ここでお待ちを」

 

 姉から、手で抑えられる。実に良い笑顔だった。

 

「といっても、一人ではまだまだ……家政婦に、少し手伝ってもらいましょう」

 

 姉が、駆け足でキッチンまで向かっていく。

 父と茶山と自分があっけにとられる中、母だけは「変わったわねえ、あの子」と微笑ましくコメントする。

 

 

 その後は、見事なオムライスが四皿分用意された。姉曰く「まだまだ初心者」とのことだが、それを鵜呑みにするならば、姉は料理の才能があるらしかった。

 ――才能が開花されたきっかけなんて、とっくの昔から分かっている。目の前で、「はい、あーん」をされている男のせいだろう。

 口では「やめて欲しい」と言っているくせに、その顔ときたら実に明るい。そこは姉も分かっているらしく、「まあまあ」と受け流していた。

 

「いいねえ」

「いいわねえ」

 

 父と母が、我が子を見守るように微笑んでいる。自分は――納得はしつつも、まだ受け入れ難かった。

 どうしても、時間が必要らしい。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 その後、茶山が「空いてる部屋は何処ですか? そこで眠ります」と提案し、姉が「えっ?」と悲しげな表情を浮かばせた。

 ――そうか、そこまで進展してたのか。

 父も母も「遠慮せずに」と押し切り、後はそのまま、茶山は姉に連行されていってしまった。

 

 ため息をつく。

 姉はお嬢様であり、茶山は普通の大学生だ。だのに、順調なカップルっぷりを見せつけてくれている。正直疲れた。

 自分が通う女子校では、頻繁に「恋したいなぁ」という声が聞こえてくる。そのたびに「いつか、出来ますよ」とか適当なことを言うのだが――多分、恋愛というものは、突如として襲い掛かってくるのだと思う。

 だって、これまでの姉は、一言も恋愛なんて口にしていなかったはずだから。

 

―――

 

 姉の話によると、彼と出会って120日目が経過するらしい。なるほど、ラブコメするには順調な日数だ。

 

 そうして朝っぱらから、姉と茶山は何処かへ行ってしまった――と思いきや、午後三時には帰宅してきた。何をしに行ったのかと聞いてみれば、

 

「食べ歩きをしに行ったのよ」

 

 そのまま、姉と茶山が隣同士でソファに腰かける。

 ああ。そういえば、それがきっかけで付き合ったとかどうとか。

 食べ歩きで、どうやってロマンスまで運んだのやら――適当に推測してみたが、これっぽっちも掴めなかった。

 応接間のソファに居座りながら、姉と茶山をちらりと眺める。話題はやっぱり食べ物中心で、今日食べたもの、今日最高だったもの、今日甘かったもの、明日は何を食べようかなどなど、本当に食ってばっかりだったらしい。

 一人でティータイムを過ごしたにも関わらず、何だか腹が減ってきた。思うと、地元の料理店って何があったっけ。

 

「あら」

 

 姉は、人の視線をつかみ取るのが上手い。バレないように様子見しても、決まって声をかけられる。

 

「どうしたの? 何か、用事?」

「え、いや、その」

 

 茶山が、遠慮しないで、と言いたげに微笑む。

 ――本当、嫌なところが見当たらない男だ。

 

「……地元の名物って、なんでしたっけ」

 

 茶山が「ああ」と嬉しそうに声を上げ、

 

「中華が多いかな。もしかして興味がある?」

 

 何だか恥ずかしくなって、適当に視線を逸らす。そんな自分に対し、姉が「へえ」と前置きし、

 

「食べてみたくなった?」

「そ、そうとは言ってませんけど」

「あらそう? 残念ねえ」

 

 自分の返答をきっかけに、姉と茶山はまたしても食べ歩き談議へ戻る。

 別に誘っているわけでもなくて、本当に食べ歩きが好きなのだろう。茶山は終始笑顔だし、姉に至っては雑誌まで取り出している。次はここへ行こう、ここが評判らしいですわ、スイーツもいいね――

 腹をさする。先ほどまでは皆無だった食欲が、急に唸り声を出し始めた。そういえば、中華料理なんて最近口にしていないな――

 

「ねえ」

 

 再び、姉から声をかけられる。体全体がびくりと動いた。

 

「な、なんですか?」

「一つ、提案があるのだけれど」

 

 嫌な予感がする。一応、身構えておく。

 

「明日、三人で食べ歩きしない?」

 

 ほらね。

 自分は、ざーとらしくため息をついた。

 

「デートのお邪魔になるのでは」

「まあまあ、たまにはこういうのも良いじゃない」

 

 茶山も、肯定的に頷く。

 

「いいんですか? お姉様とは、恋人同士なんでしょう?」

「まあ、そうだけどね」

 

 茶山が、頭の後ろに手を当て、

 

「でも、僕は、ダージリンの家族とも仲良くしていきたい」

 

 自分の思考が、少し止まった。

 

「ダージリンのことは愛してる。それで、ダージリンの家族も、君の事も、好きになっていきたいんだ。仲良くしていきたい」

 

 たぶん、素で言っているのだと思う。

 姉は、笑顔で「ありがとう」と礼を言っている。茶山は、「当たり前のことを口にしただけだよ」と謙遜している。

 ――何が当たり前だ。自分は、茶山に嫉妬していたんだぞ。

 

「……そうですか。あなたは、本当に、お姉様のことが好きなんですね」

「え? ああ、うん」

 

 そして、当たり前のように頷くのだ。

 愛しきっているからこそ、恥など覚えない。身分違いなんて、愛というパワーがあれば何とかなると思い込んでいる。

 そんな風に、茶山は笑っていた。

 ――呼吸する。

 何となく、茶山のことをもっと知りたくなった。これも、一種の安心感によるものなのかもしれない。

 

「……茶山さん」

「はい?」

「――よろしければ、明日、食べ歩きについていっても構いませんか」

「え、いいよいいよ」

 

 即答だった。

 

「良かったわね」

 

 姉が、全部お見通しだとばかりに微笑んでいる。

 思う。

 この二人、釣り合ってるんだなあと。

 

―――

 

 姉が茶山と出会い、今日で121日目になるらしい。そんな二人は、食べ歩きを行う為に、昼に外出した――今日は、自分も同行している。

 

 地元とはかれこれ十五年の付き合いになるが、実は、地元に対する知識はあまり無かったりもする。

 育ちの良さのせいか、遠出することもしないし、派手に遊んだりもしない。なので、少しでも離れようものなら確実に道に迷うだろう。

 当然、どんな店が潜んでいるのかとか、どこがグルメスポットなのか、そんな知識はもぬけの空だ。料理店へ訪問する機会なんて、せいぜい家族サービスの時ぐらいだった。

 それは、姉も同じだったはずである。姉は、グルメ趣味なんてなかったはずなのに。

 

「この店の麻婆豆腐は、地元民から愛されているらしいですわ」

「ほうほう、麻婆豆腐……」

 

 緑色のベレー帽をかぶった姉が、実に嬉しそうに店を指さす。茶山も興味津々なのか、早速とばかりに入店した。

 本当、変わったんだ。

 寂しいようで、けれど納得しなければいけない。だって姉は、楽しそうなんだぞ。

 

 自分の腕を抱く。

 朝だろうと昼だろうと、空全体が白に覆われている。道路は雪に濡れて黒くなっていて、そこかしこに雪だまりの残骸が残っている。赤タイルの歩道も、何処か暗くて冴えない。ニュースによると、地元のどこかで車がスリップ事故を起こしたんだっけ。

 空気もすっかり冷たくなった。吸えば体が強張り、吐けば白く尾を引く。今年は風邪をひいてしまうのだろうか、去年は無病のまま乗り切ったのだが。

 ――さて、店に入ろう。姉が、手招きしている。

 

 

 難なく席に着き、店員からメニュー表を受け取る。様々なメニューが写真とともに掲載されているが、とりあえずは「普通の麻婆豆腐でいいか」と判断した。

 店内のイメージカラーは赤であるらしく、床も赤、壁も赤、天井も赤、照明は暖色と、実にストレートな中華料理店だった。中華料理店の知識はほとんどないのだけれど。

 壁には龍の絵画が飾られていて、こちらをぎらりと睨みつけている。何だか対抗心が芽生えたので、ガン見してやることにした。

 

「中々、いい雰囲気だね」

「そうですわね。麻婆豆腐……楽しみですわ」

 

 聖グロでは、中華料理も推奨されてはいないのだろうか。今でこそ「まあいいか」と思っているが、後になって腹が空くかもしれない。

 

「妹さんも、気に入ってくれるといいのだけれど」

「いえ、そうお気遣いなく」

 

 知っている。姉と茶山が、「ここが合うかな?」だの「いえ、妹の好みは……」だのと、雑誌を片手に、綿密に計画を立てていたのを。

 たぶん、二人きりなら適当に店を選んでいたのだろう。話を聞く感じでは、きっとそうだ。

 呼吸を漏らす。

 茶山は、本気で家族と向き合おうとしている。自分に好かれようと、手を尽くしてくれている。そんな茶山に対し、姉も協力を惜しまない。

 両想いってこういうことなんだなあと、何となく実感する。背が少し伸びた。

 

「茶山さんの、料理に対する観察眼は本物よ」

 

 姉が、自画自賛するかのように誇らしく微笑んでいる。茶山が喜べば姉も喜ぶ、姉が楽しければ茶山も楽しい、そういう人生を歩んできたのだろう。

 

「期待します、麻婆豆腐に」

「よかった」

 

 茶山が、にこりと微笑む。やっぱりどこか頼りないが、少なくとも血の気は感じられない。

 

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 

 店員が近寄ってくる。ふう、と息を吐き、

 

「『この店おすすめの麻婆豆腐』、お願いします」

「私も、それで」

「僕も」

 

 店員が、「かしこまりました」と受け答えし、そのまま厨房へ進軍していく。

 久しぶりの中華料理だ。しっかりと評価してやろう。

 

 

「お待たせいたしました、当店おすすめの麻婆豆腐です」

 

 自分と姉、茶山の分の三皿が、「ごとり」と置かれた。

 まず、皿のサイズが実にボリューミーである。いわゆるミート皿という奴で、直径25cmくらいはあるだろう。姉も茶山も「でかい……」と口にし、自分は沈黙することしか出来なかった。

 しかもこの皿、平べったくないのである。いわゆるボウル、ボウル状なのだ――ここまでくると、何が何でも満足させてやろうという執念すら感じられる。

 次に中身だが、サイズと比例して豆腐の数が、肉の量が多く、スープがこれでもかってくらい紅い。出来立てということで、まるで火口のように湯気が立ち上っている。

 今は真昼間だが、これを食べたら夕飯はいらないんじゃないだろうか。

 しかし、自分の口元は完全に緩みきっている。姉も、茶山も、目が獰猛に輝いていた。

 

「では」

 

 姉が手を合わせる、茶山もそれに続く。自分は「ああ」と気づき、同じくして両手を一つにし、

 

「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」

 

 最初は、あえてそっと箸を動かす。食事に緊張なんか似合わないはずなのに、つい圧力を感じてしまう。

 火そのものの匂いが、鼻孔を刺激する。視界を阻害する湯気が、かえって食欲を誘う。箸で豆腐をひとつまみし、慎重に口まで運んでいき――食べた。

 

「うまっ……」

 

 瞬間、何だか恥ずかしくなって、姉と茶山の顔を覗う。

 姉も「ん~~」と味わっていて、茶山に至っては何度も何度も箸を動かしていた。

 

「……ふう」

 

 何だかほっとする。自分は決して浮いてはいないのだと、同じ感情を共有しているのだと、心の底から安堵してしまった。

 

「どう?」

 

 姉が、微笑みながら感想を聞いてくる。最初から、答えを知っているくせに。

 

「……おいしい、です」

「それは、良かった」

 

 安心したのは、自分だけではないらしい。茶山もまた、自分のことのように喜んでいた。

 

「この店、いいですね。リピーターになろうかな」

「良い判断ね」

 

 姉が豆腐を頬張り、熱そうに目を閉じる。何て楽しそうに食事をするのだろう。

 

「あ、食べきれなくなったらいつでも言ってね」

「はい」

 

 ここまでデカいとは思わなかったのだろう、茶山が苦笑する。しかし小食というわけでもない、何とか頑張るつもりだ。

 

「それにしても……」

 

 豆腐を頬張り、かみ砕く。

 

「おいしい」

 

 姉が、まったくその通りだとばかりに頷く。

 

「これが食べ歩きの楽しさよ。計画を立てたり、時にはあてもなく歩いたりして、気が向いた時に何かを食べる。これぞ自由、という気がするわね」

「確かに」

 

 同意する。これを親しい者同士で行おうものなら、更にご飯が美味しく感じられるはずだ。

 食べ歩きには、ほぼマナーが存在しない。決められた食べ物も与えられない。自分の意志で、「これだ」と思って食べてみれば、自由と達成感と充実感と味がもれなくついてくる――なるほど、姉もハマるわけだ。

 今回はガイドつきだったから、次からはフリーで動いてみようか。その方が、疑似的な旅も感じられるだろう。

 

「……楽しかったですか? 茶山さんとの食べ歩きは」

「ええ」

 

 姉が、何の躊躇もなく返事する。

 

「最初は話し相手として、次第に友達として、恋人として――楽しいに決まってるじゃない」

「そうですか」

 

 今度、友達も誘ってみようか。最初は「何言ってるの」とか言われそうだが、美味いものには敵うまい。

 

「――しかし、本当に良かったよ」

 

 茶山の箸が止まる。

 

「はい?」

 

 茶山と目が合う。

 

「……いい顔で、ご飯を食べてくれて」

「え」

 

 そんなに顔を崩していただろうか。誤魔化す為に、水を飲む。

 

「ほら、妹さん、最初は無表情気味だったから。――何ていうのかな。いきなり現れた僕に対して、不安を抱いているのかなって……だから、何とかしたくってさ」

 

 麻婆豆腐に、視線を落とす。

 流石は年上だ。そういう予感も出来て、何とかしようと考えられる。そういうところも含め、姉は茶山のことが好きになったのだろう。

 

「まあ、最初は正直、そう思っていました」

 

 麻婆豆腐で体が熱くなったせいだろう、少しばかり気が強くなっていた。

 

「お姉様に理想の人なんて、見つかって欲しいような、そうでなかったような……フクザツだったんです」

 

 麻婆豆腐を食う、血液が熱くなる。

 

「で、あなたを見た時、正直に言いますと頼りなさそうというか、ナイトっぽくないというのか」

 

 言え言え、どんどん言え。クルセイダーの如く突っ込め。

 

「……でも、お姉様はあなたを信頼しきっている。『あの』お姉様がですよ?」

 

 姉は、特に異論を挟まない。妹だからこそ、そういうところも見てきたのだ。

 

「そしてあなたは――私なんかと仲良くしたいって、何とかしたいって、本気でそう言ってくれている」

 

 茶山は否定しない、恥ずかしそうに笑うだけだ。

 

「……姉のことを、愛していますか?」

「うん」

 

 やっぱり、即答だった。

 ――そうか。出会うべくして出会ったとは、こういうことを言うのか。

 

「少しだけですが、あなたの事を認めます。ただし、お姉様を困らせないように」

「気を付けるよ」

 

 年下にああだこうだと言われても、茶山は自分と目を合わせたままで返事をする。

 大学生である以上、こうした事態も予想していたのだろう。そして、受け入れもするのだろう――頑張れば何とかなると、そう信じて。

 ――少しだけ、罪悪感めいた感情を覚える。だから、

 

「その……今日は、ありがとうございました。麻婆豆腐、凄く美味しいです」

「そうか。良かった、良かった」

 

 姉も、笑顔で応えてくれた。

 ――姉は、自分の気持ちを尊重してくれたのだと思う。頭ごなしに「認めろ」と命じるのではなく、自分の意志で交際を認めて欲しいと、茶山のことを好きになって欲しいと、そう願ったのだと思う。

 「仲良く」というのは、つまりはそういうことだ。

 

 その時、姉が水を飲み、

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 はっと、視線が姉に向けられる。来た、姉の格言が来た。

 はっと、他の視線が感じられる。来た、茶山も注目した。

 

「え……えと」

 

 二つの視線が突き刺さり、姉の顔が真っ赤になる。だが、ここで目を逸らす奴は何処にもいない。

 だって、自分も茶山も、姉のファンなのだから。

 

「……弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ」

 

 たぶん、茶山も目から熱光線を発したと思う。姉は「うう……」と弱りながらも、

 

「インドの指導者、マハトマ・ガンジーの言葉よ」

 

 それきり、姉は麻婆豆腐を食べることに逃げてしまった。

 ふと、茶山と目が合う。

 互いに、苦笑した。

 

 

 あれほどあったはずの麻婆豆腐も、話が乗ればあっという間になくなってしまうものらしい。これもまた、食べ歩きの魅力なのだろう。

 姉は満足そうにお腹をさすり、茶山は「ふぃー」と安堵している。自分は、空になった食器を見て何故か笑っていた。

 なるほど――これは、楽しい。

 

「皆さん、食べ終えました?」

 

 茶山と自分は、縦に首を振るう。

 

「そう。では、」

 

 まずは姉が、次に茶山が手を合わせる。少し遅れて、自分も両手を一つにした。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 姉と茶山が付き添って、今日で122日目になる。どうも深夜に雪が降ったらしく、庭は数センチクラスの雪だまりに占領されていた。

 朝早くから家政婦が家を飛び出し、除雪スコップを武器に雪だまりを排除していく。大雪が降るたびに「私たちもロードヒーティングを設けようかしら」と検討するのだが、電気代を拝見し、見なかったことにするのも毎年恒例だ。

 だだっ広い応接間から、だだっ広い庭を眺め、自分はため息をつく。この前、家政婦達が除雪したばかりだというのに――

 そこで、姉と茶山が「おはようございます」と挨拶をする。父と母が「おはよう」と返し、茶山がそのまま外を眺め、

 

「ダージリン」

 

 姉がこくりと頷き、ばたばたと家の中を走る。一体何事かと思えば、二人はコートを羽織り、

 

「お父様、お母様」

 

 父と母が、「あ、はい」と返事するしかなかった。

 

「ちょっと戦ってきますね」

 

 姉がにこりと笑い、茶山が小さく頭を下げる。何を――最初に予想したのは、自分だった。

 

「もしかして」

 

 窓越しから、散々な庭を視界に入れる。

 海のような雪原に対し、必死になって抗う家政婦達の姿が目に映る。それぞれが悪戦苦闘を強いられている最中、玄関のドアが開かれ、姉と茶山が転がり込むように加勢する。

 家政婦達の動きが止まり、その一人が姉に近づく。恐らくは、「お戻りください」と告げているのだろう。

 だが、姉は「まあまあ」と笑顔で受け流し、茶山も握りこぶしを作っている――こうなった姉は、テコでも動かない。観念した家政婦は、二人分の除雪スコップをすぐに用意してくれた。

 まるで得意武器を手にしたかのように、姉と茶山は除雪スコップを両手で握りしめる。互いに目を合わせ、にこりと笑顔を交わした。

 

 何処で経験値を積んだのか、姉は慣れた動きで雪を放り投げる。指定個所である雪山に、雪の残骸がゴールインした。

 茶山の方も、実に楽しそうな表情をしながら、雪をシュートする。家政婦が頭を下げるものの、茶山は手で「まあまあ」と応える。

 

 父も、母も、自分も、ただただ固まっていた。だって姉が、家政婦に混ざって肉体労働を。

 

 茶山と姉は、ここでも決して離れようとはしなかった。なるべく近い距離で除雪作業を行い、軽やかな動きでスコップを宙に舞わせる。家政婦が拍手をするも、姉は「まあまあ」と笑顔で流すだけ。茶山も苦笑していた。

 ――姉と茶山が、仕切り直しとばかりに、互いの除雪スコップをこつんとぶつけあう。

 

 姉が、体全体を使って雪を放り投げる。その顔は、戦車道のものと何ら変わらない。

 茶山が、慣れた動作で雪をぶん投げる。その顔は、姉の表情と決して変わりがない。

 

 その時、姉と茶山の視線が重なった。

 姉が前髪を手で拭い――茶山に対して、「私に向けてくれた」笑顔を浮かばせていた。この瞬間が、この場面が、とても楽しくて嬉しいかのように。

 茶山も、喜色満面の笑みで姉とコンタクトをとっている。ついでに、姉の肩にかかっていた雪を手で払っていた。

 二人からしてみれば、除雪作業ですら、かけがえの無い時間なのだろう。それは誠意をもって語り合う為に、家を守り抜く為に、家族の為に、殿方を引き立たせる為に、男気を見せる為に――全て、二人なりの愛の表現だった。

 

「……そっか」

 

 姉は、背が伸び切ってしまったらしい。二人だけの空間、というものを手に入れてしまったらしい。

 苦労すらも、愛に替えてしまうその姿は――もう、認めるしかないじゃないか。認めたくも、なるじゃないか。

 

「よかったね、お姉様」

 

 うん、と頷く。その場で、腕をぶんぶんと回す。

 

「お父様、お母様」

 

 振り向き、真っ直ぐに両親を見つめる。

 

「ちょっと、私も手伝ってきます」

 

 父と母が、再びあっけにとられるものの――にこりと、表情が変わった。

 

「そうか。じゃあ、僕もリーマン根性を見せなくちゃなあ」

「なら、私も手伝うわ」

「ええ、母さん大丈夫?」

 

 母が、不敵そうに微笑み、

 

「私は日本戦車道連盟の一員よ? 体力には自信があるわ」

 

 関係あるのだろうか。まあいいや。

 自分も、にやりと笑い、

 

「なら私は、クルセイダー魂を見せてさしあげます」

 

 握り拳を作る。後はそのまま、自分の部屋までダッシュで向かい、上着を回収するだけ。

 

 お姉様とお義兄様を支えるのも、妹の役目だ。

 

―――

 

 朝っぱらから除雪作業に励んでいたはずなのに、気づけばもう真昼間だ。

 だだっ広い庭を何とかするのは、決して簡単なことではない。だが、庭が広ければ広いほど、家も比例してデカくなる。そして、デカい分だけ金を持っているものだ。

 たくさんの家政婦達が、加勢した姉と茶山が、父と母が、そして自分が、人海戦術をもってして雪だまりを徹底的に追い込んでやった。冬の帝国は、今となっては衰退の一途を辿っている。

 むなしいものだ。

 

 激闘を繰り広げた後は、ティータイムと相場で決まっている。一同は応接間のソファに座り、「はー」と安堵した。

 いくつかのスイーツを口にし、温かい紅茶を飲む。それで生き返ったのだろう、父が茶山に笑いかける。

 

「ありがとう、茶山君。君の男気、見せてもらったよ」

「いえ、家を守るのは当然のことです」

 

 そして、茶山は当たり前のように返すのだ。本当、姉のことしか見えていないのだと思う。

 

「あなたこそ、娘に相応しい人です。――改めてお願いを申し上げます。どうか娘と婚約を、この家を継いではいただけないでしょうか?」

「はい。両親にも、話は通しておきました」

 

 そして、茶山が頭を深々と下げる。

 

「こんな自分ではありますが。どうか、よろしくお願い致します」

 

 姉も、小さく頭を下げる。父と母は、嬉しそうに笑ったままだ。

 自分は――どんな顔をしているのだろう。

 

「――あなたも、茶山さんのことを、幸せにしてあげるように」

「はい、お母様」

 

 姉が、茶山の背中に手を回す。心の底から、乙女のように微笑んでいた。

 

「お姉様」

「なに?」

「……幸せに、なれたんだね」

 

 姉が、笑顔で「ええ」と返事をする。

 

「あなたも、私達のことを祝福してくれて、ありがとう」

「えっ」

「今、とてもいい笑顔をしているじゃない」

 

 そうか。そんな顔、してたんだ。

 この空気に、この瞬間に、この空間に、とてつもない幸福感を覚えていたんだ。

 

「茶山さん」

「何だい?」

 

 茶山は、決して猛々しくはない。けれど姉の幸せの為なら、それに連なる何かを守る為なら、この男は何だってする、してしまう。

 

「お姉様のことを、よろしくお願いします」

 

 そんな人、認めるしかないじゃない。

 

「はい。任せてください」

 

 やっぱり即答だった。

 ちくしょー。

 

―――

 

 夜中になって、なんとなく姉と話がしたくなった。認めはしたものの、どうしても寂しさは拭えなかったから。

 姉を自分の部屋へ連れ出す際、あらかじめ茶山に断りを入れておいたのだが、

 

「いいよいいよ、ゆっくり話しておいで」

 

 これだもの。

 ありがとうございますと、頭を下げた。

 

「――お姉様」

「うん」

 

 話題があるわけでもなく、話を促されることも無い。自分はベッドの上へ腰かけ、姉も椅子に座る。

 本当、色々あったと思う。姉の彼氏が訪問してきて、流れで食べ歩きをして、初めて除雪作業を行った――正直なところ、夢中になってみると結構楽しかった。

 見上げる。真っ白い天井が視界に入る。

 姉が帰省して以来、初めて二人きりになる。前までは当然の場面であったはずなのに、今となっては、それは茶山のものになってしまった。

 こういう変化もひっくるめて、これが恋なのかと痛感する。やがては、自分も同じ道を辿るのかもしれない。

 

「……お姉様」

「うん」

「お姉様は、茶山さんのことが好き?」

「ええ、愛してるわ」

 

 前までは嫉妬の対象だったそれも、今となっては安堵すら覚える。

 愛する姉に、居場所が出来たのだと。愛する姉に、心の支えが出来たんだって。

 

「今ならわかります。どうしてお姉様が、茶山さんの事を好きになったのか」

「そう。それは、良かった」

 

 優しい声だった。

 すっと、姉と目を合わせる。

 

「お姉様」

「うん」

「その……私よりも、茶山さんのことが好きですか?」

 

 姉がそっと、首を左右に振るう。

 

「私は、あなたの事が一番好き」

 

 まばたきをする。

 

「茶山さんの事は……誰よりも愛してる」

 

 ああ――

 そうか。やっぱり姉は、私の姉でいてくれるらしい。

 

「お姉様……その、ごめんなさい。茶山さんに、あんな態度をとってしまって」

 

 姉が、再び首を横に振った。

 

「いえ、予想はしてたわ。しょうがないわよね、恋愛ってそういうものよ」

 

 にこりと笑われる。

 

「だからこそ嬉しいの。あなたが、茶山さんを認めてくれたことが」

「……あそこまでされては、そうするしかありませんし」

 

 照れくさくなって、視線をぷいと逸らしてしまう。

 姉は、含み笑いをこぼし、

 

「そう。――また今度、三人で食べ歩きをしましょう」

「……はい」

 

 あの麻婆豆腐の味は、きっと忘れはしないだろう。姉と茶山が、自分の為に考えてくれた、あの味を。

 ――姉を見る。

 姉の目は、とても輝いている。これから先も、愛と希望を期待しているような、そんな瞳をしていた。

 

「……綺麗になりましたね、お姉様」

「そう?」

 

 くすりと、姉が微笑む。

 

「茶山さん、いい人ですよね。私が認めるくらいですし、きっとモテるんじゃあ、」

「ありえませんわ」

 

 きっぱりと言い切られた。

 

「そんなこと、断じて、ありえませんわ」

「え、それってモテないってこと?」

「そっ! そんなことは、ありませんけれどっ」

 

 ぷっと笑ってしまう。焦る姉なんて、大分見ていなかったから。

 

「と、とにかく! 茶山さんは私だけの男性です。おわかり? わかった?」

「はあい」

 

 からかうように返事をする、姉は「もうっ」とふてくされた。

 ――こんなに可愛い人だったっけ、自分の姉は。

 

「……お姉様」

「なによぉ」

 

 まだ頬を膨らませている。こんな姉、初めて見た。

 ……そう。初めて見た。

 

「さっきはごめんなさい。……えっと、こっちに、来てくれますか?」

 

 姉が、「うん?」と呟きつつ、自分の隣に腰かける。今年に入って、姉と最も近づいた瞬間だった。

 しばらく見ないうちに、姉の背が高くなった気がする。いつの間にか、前よりも肌が綺麗になった気がする。やっぱり、瞳が輝いて見えるような気がする。

 幼かった自分の事を、見守ってくれた姉は、もうここにはいない。恋をして、女性になった「ダージリン」が、私の隣に座っている。

 姉は、自分のことを「一番好き」だと言ってくれた。同時に、茶山のことを「誰よりも愛してる」と告げた。

 受け入れるように、静かに笑う。

 寂しいなあ、でも幸せになって欲しいなあ――だから、

 

「あっ」

 

 縋るように、姉を抱きしめた。

 「旅立つ」前に、少しだけ甘えさせて欲しい。

 

「……うん」

 

 姉は、私の背中を抱いてくれた。姉は、私の頭を撫でてくれた。

 

 

 思い出す。私が、戦車道を歩み始めた頃を。

 あの時は操縦がへったくそで、すぐに被弾しては白旗を上げていた。一度だけじゃない、二度も三度も四度も。

 周囲は「初心者なのだから」とか、「次頑張ればいい」とか、そんな風に私を励ました。けれど偉大な姉と比べてしまい、姉の前でつい「私は戦車道に向いていません。ごめんなさい、ばかな妹で」と、ヤケクソになってしまった。

 

 ああ、怒られるのかな。優雅でないと、美しくないと、指摘されるのかな。

 私はうつむいたままで、姉の顔を見ることが出来なかった――姉が近づいてきて、ぐっと身構えて、

 

 抱きしめられた。

 

「大丈夫、そんなことはないわ」

 

 とても優しい声だった。

 

「私も、最初は失敗ばっかり。あなたと同じ道を歩んできたのよ」

 

 私を落ち着かせるために、私の背中をさすってくれた。

 

「でもね、失敗すればするほど、人は成長するの。紅茶をこぼす量だって、減っていったわ」

 

 雑談をしているかのように、姉は明るく話す。

 

「大丈夫。投げ出さない限り、あなたはいつか、立派な戦車乗りになれるわ」

 

 たぶん、姉は笑っている。

 

「だって、私の、自慢の妹だもの」

 

 姉は、こんな私のことを信じてくれている。

 

「知ってるわよ。あなたは、決して怯まず、速度を恐れない戦い方をしているって」

 

 姉が――私の頭を撫でた。温かくて、暖かすぎて、涙が出た。

 

「その強みを昇華させれば、あなたは疾風になれる、なれるわ。――頑張って、私を追い越してね」

 

 

 その日、自分は姉と二人きりで眠った。

 

―――

 

 ダージリンと食べ歩きを計画して、もう134日目。冬休みなんてあっという間に過ぎ去って、ダージリンも学園艦へ戻っていった。

 本当、濃厚な冬休みだったと思う。ダージリンが実家に訪問してきて、ダージリンの両親から婚約を認められ、ダージリンの妹という食べ歩き仲間が出来て――しばらくは、冬休みはいらなかった。

 さて、今日も大学だ。しっかり生きよう。

 

 その時、ポケットに入れておいた携帯が震える。すぐさま引っこ抜いてみれば、「新着メール:ダージリン」の文字が。

 画面をスライドさせた。

 

『おはようございます。本土はまだ寒いようですね、風邪には気を付けてください。

冬休み、とてもとても楽しかったです。妹も、メールで『今度はピザが食べたいです』とか計画して……機会があれば、三人で寄ってみましょう。

――再び離れ離れになってしまいましたが、私は幸せに生きています。それも、婚約が認められたからでしょう。

あと少しで、私も聖グロを卒業します。その後は、戦車道に強いとされる女子大へ通うつもりです――私は必ず、プロになってみせます』

 

 指を、上下にスライドさせる。

 

『たぶん、くじけたり落ち込んだりすることもあるでしょう。なるべく頑張りますが、ダメそうになった時は……一緒に、食べ歩きをしていただけませんか?

私はそれだけで、幸せな気持ちになれます。ですから茶山さんも、くじけそうになった時は、いつでも私を呼んでください。お役に立てるのであれば、光栄です。

それでは、春休み中の出会いに期待します。あまり、心臓に悪いことはしないでくださいね。

 

あなただけの、ダージリンより』

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

これで、ダージリンの自宅編は完結です。次は春休み編ですが、こちらも短く終わると思います。
大学編ですが、もはや「壁」が無い以上、パパッと進行するかもしれません。すぐにエピローグへ突入し、3007日間が経過するでしょう。

ご指摘、ご感想、いつでもお待ちしています。


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161~166日間


 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。
 だから生徒達は真面目だし、悪さをして退学になることも少ない。もしも事件を起こそうものなら、学園艦新聞の一面にデビューすることとなり、「参考資料」とされてしまうだろう。
 それくらい、聖グロは平和だった。安泰していた――裏側では派閥だの、品位比べだの、何だのがあったりするが、手が飛ばない限りは何の事件性もない。よって、平和である。

「今日もお疲れ様です、ダージリン様」

 玄関から下校しようという時に、隊員から頭を下げられた。ダージリンは「お疲れ様」と応え、優雅な足取りをもってして外に出る。
 空は少しだけ暗い。けれど晴天と呼べるレベルであり、どことなく清々しい気持ちになる。
 ふう、と微笑む。
 それだけで、周囲にいる生徒もにこりと笑う。ダージリンは「ごきげんよう」と挨拶して、後は校門まで歩んでいくだけ。
 自分が支持されていることも、尊敬されていることも、目の敵にされていることも、自覚はしている。聖グロではよくある事柄だ――それも、あと数か月だけの話なのだが。

「ダージリン様、ごきげんよう」

 あまり接したことのない同級生が、こくりと頭を下げる。ダージリンも、「ごきげんよう」と返した。
 結局、今の人とはあまり会話しなかったな。
 学校とは限定的な世界だが、縁が無ければこういう人間関係も生じる。そうした人間にも、かけがえの無い友情や思い出を抱いているのだろう。
 ――本当、聖グロでは色々あった気がする。色々、変わってしまった気がする。
 この学園艦から、空を眺められるのもあと何回までだろう。きっと数十回も無いんじゃないのか。

 寂しい、とてもいい気分だ。さて帰ろう。
 華麗に、優雅に歩き、校門を渡ろうとして、校門の陰から「スッ」と茶山が現れる。ダージリンは「ごきげんよう」と挨拶をし、
 獰猛な早歩きを披露し、茶山の腕を引きずり込んでいった。


 

「ばかっ、ばかっ、ばかっ! 心臓に悪いですわッ!」

「ごめんごめん」

 

 何やかんやで、いつの間にか牛丼屋の前まで連行された。茶山は気まずそうに苦笑して、ダージリンはこっ恥ずかしそうに歯を食いしばっている。

 

「いやあ、本当にごめん。驚かせたくて」

「もう……知りませんわッ」

 

 茶山が、何とも言えない苦笑とともに謝罪する。ダージリンはぷりぷりと怒っておきながらも、茶山から離れようとはしないのだった。

 

「もう……突然すぎますわ、本当」

「言ったじゃない、春休みになったらここに来るって」

「それはそうですけれど、いくらなんでも唐突ですわ」

 

 茶山が「えー」と漏らし、

 

「ダージリンも、いきなり訪問してきたじゃない。僕の家に」

「あ、あれは、ちゃんとワンクッションを置いているじゃない」

 

 確かに。だが、心臓に悪かったのも事実といえば事実だ。

 

「いやでも、女の子が実家訪問だよ? 事前連絡なしだよ? ワンクッションなんて関係無かった気がするなあ」

「そ、そうかしら……? そうですわね、きっと」

 

 どうやら、妥協してくれたらしい。ほっと胸をなでおろしていると、

 

「そういうことなら――次のサプライズ、期待なさって?」

 

 まずい。

 

「……はい。で、そのー……」

「はい?」

「これから食べ歩きをするつもりなんだけれど、ダージリンはどうする? ティータイムは開催されたんでしょ?」

 

 ダージリンが「えっ」と真顔になり、

 

「どうして知って?」

「訓練場でずっと見てたから」

 

 ダージリンの顔が、かーっと真っ赤になる。

 

「ど、どうして見てたのっ!?」

「え、ダメ? もちろん、進入禁止ゾーンには入らなかったけれど」

「そ、そういうわけではありませんが……」

 

 戦車道とは、文字通り戦車を用いて礼を表現する武芸である。戦車とは大きいだけでなく、美しさの象徴でもあるのだ、

 が、

 だからこそ練習は必須になるし、戦車が動けるデカい練習場も必要になってくる。前々から「強豪校の区別の仕方=学園艦の大きさ」なんて言われてきたものだが、実際それは当たっていると思う。

 とにかく、聖グロの練習場は巨大だ。自然的な立地はもちろんのこと、わざわざ用意された市街地エリアまで存在する。今回はお上りさんのように見学していたのだが、「はー、すっごいねー」としか言いようがなかった。

 あそこまで広ければ、練習なんて「見えてしまう」ものだ。実際、何人かの主婦も眺めていたし。

 

「で、戦車道を歩み終えた後は、ティータイムが開かれるんだよね?」

「ええ、まあ……」

「じゃあ、もう満腹のはずだよ。今日はここまでにしたほうが、」

「やります」

 

 意志力が感じられる一声だった。茶山のヘラヘラした言動など、停止する他ない。

 

「食べ歩き、やりますわ」

「え……ダージリンって、食べる方?」

 

 その時、ダージリンが不敵そうに口元を曲げる。お腹をさすりながら、

 

「これまで、数々の食べ歩きを経験してきました――胃も、それだけ大きくなっているのでは?」

「え、そうなの? そういうものだっけ?」

「そういうものよ」

 

 ふふんと、自信満々そうに背筋を伸ばす。大丈夫かなあと思考しつつ、

 

「じゃあ、今日は……軽いもので済まそう。明日の昼休みから、本格的にってことで」

「構いませんわ」

 

 返事をしたダージリンの目は、とても輝いていた。

 これから先の事が楽しみで、何を食べられるのかが気になって、どんな不意が待っているのかを期待して――デートが出来ると、喜んでいて。

 そっと、ダージリンを抱きしめた。

 会えなかった期間なんて、せいぜい数週間程度だ。だが寂しくなって何が悪い、会えて嬉しくなって何が悪い。恋人同士とは、そういうものだろう。

 だから、ダージリンも抱き返してくれた。胸に、顔を埋めてくれた。

 

「……好きだ。愛してるよ、ダージリン」

「はい、私もです。――だって私は、あなただけのダージリンですもの」

 

 ダージリンを愛するようになって、161日目。もう二月だった。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。それ故に統率がとれていて、授業中に騒ぐ者など存在しない。

 むしろ、授業時間はチャンスの一つなのだ。知力は勿論のこと、姿勢、品格、振る舞い――それをフイにするような者は、このお嬢様学校には存在しない。

 そう、授業「中」は。

 

 授業が終了して、待ちに待った昼休みが訪れる。早速とばかりに雰囲気が緩和され、皆が皆、思い思いの行動に移っていく。

 勿論、ダージリンとて例外ではない。教科書とノートを閉じ、シャープペンと消しゴムを筆入れの中にしまう。それらを机の中に収納した後――少し勢い良く、立ち上がった。

 瞬間、数人のクラスメートがダージリンを注目した。

 それらは決して赤の他人ではない。戦友――つまりは戦車道履修者であり、「花束の共有者」でもあった。

 まず、ポニーテールと目が合う。

 

『隊長、彼氏と会うんですか? 行ってらっしゃいませ』

 

 ニヤつかれた。あくまで憶測でしかないが、絶対にこんなメッセージを送っている。

 次に、ツインテールに目を向けてみるとしよう。

 

『いいなー羨ましいなー。よし、私も外食するか』

 

 これまた良い笑顔を向けられた、しかも立ち上がった。空気を読んで別行動に走るだろうが、何だか恥ずかしくなる。

 そう――

 近頃、聖グロ戦車道履修者の間では、「昼休みに外食」が流行っている。発信源はもちろんダージリンで、その目的は「運命の出会い」を果たす事だ。

 別に隠す事でもないのだが、聖グロは恋愛に貪欲だったりする。だから出会いを重要視していて、理想の人を見つけようものなら、その腕を絶対に離そうとはしない。だから、聖グロにおける破局率はゼロに近かったりもする。これは、「清楚であれ」という伝統もあるからだろう。

 

 今度は、ショートヘアが起立した。これまた明るい表情をして――懐から青いバラを取り出した。

 ダージリンは、あくまでにこりと応える。内心は、「なんでバラ配っちゃったかな……」とか思考していた。

 「花束事件」の後、ダージリンは「幸運の証」として、青いバラを隊員達に配布したのだ。ただで枯れさせるよりはその方が良い、茶山の想いを無駄にしたくはない、その一心で――そのダージリンの気遣いのお陰で、いよいよもって外食ブームが燃え上がったというわけだ。

 これも、新たな伝統の一つといえよう。

 

 教室を見渡す。戦車道履修者は「お気をつけてー」と手を振るい、それ以外は特に気にも留めない。

 人差し指で額を支え、心の中で唸る。

 支持されることは嬉しい、嬉しいのだが、やっぱり恥ずかしい。交際とは難しいのだなあと、高校三年になって知った。

 

『隊長、報告お願いしますね』

 

 ロングヘアーが、ウインクを決めた。ダージリンは、微笑んだ。

 

『隊長、今度彼氏紹介してください』

 

 ベリーショートが、両手を合わせる。知るか。

 

『隊長! お幸せに!』

 

 黒髪が小さく敬礼した。なるよなってるよ。

 ――その時、同じクラスメートであるルクリリが、トコトコと堂々と近づいてきた。まずい、ルクリリは結構アクティブだ。

 ルクリリとダージリンが、机を一つ挟んで対面する。例に漏れずルクリリも微笑していて、ダージリンもアイアンスマイルを決めていた。

 

『b』

 

 親指を立てられた。

 ダージリンは優雅に、華麗に退散した。

 

 茶山を意識して、162日目の出来事である。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。今日この日までお嬢様学校と高く評価されているのは、聖グロは決して騒いだりはしないからだ。

 教室でも、廊下でも、戦車道でも、無駄に声を張り上げたりはしない。叫ぶ瞬間とは、それこそ身の危険を感じた時だけだ。

 もちろん、この食堂でもそうだ。ルクリリとアッサム、オレンジペコとローズヒップが一堂に会しても、声の届く範囲は一同のみに、決して笑い声などは上げたりはしない。

 今日も、食堂は平和だった。会話内容といえば、

 

「彼氏欲しい」

 

 ルクリリが、フィッシュ&チップスをフォークで刺す。食事はあくまで清楚に、発言はストレートに。

 

「それを……私たちに言うの?」

「だから言うのよ」

 

 アッサムが呆れ果て、オレンジペコが「うーん」と唸る。ローズヒップは、のんきな表情でサンドイッチを頬張っていた。

 

「しかし、出会いとは……どうにでもなるものではありませんし」

「だよね、そうだよね。だから隊長は、恋に夢中になっているのだと思うし」

 

 咀嚼する。ここ最近におけるルクリリの食事サイクルはといえば、食堂→外食→食堂→外食→食堂だった。

 

「ですが。ダージリン様って、何となく『出会いそうな感』を出していません? その、ヒロインめいたものがあるというのか」

 

 ルクリリが「あ、わかるわかる」と同意する。データ主義のアッサムも、反論はしなかった。

 

「流石戦車隊隊長というか、正統派美人って感じだもんね。あれはねー、出そうと思っても出せないよ」

 

 実際、ドラマっぽい人だと思う。言動にしろ性格にしろ容姿にしろ、メインヒロインになるべくしてなった女性、という印象が強い。

 だからこそ、「平民とお嬢様の恋」がよく似合っていると感じる。あれだけの人物に、普通の恋愛は割に合わない。

 

「そうですよね……はあ、私にも現れて欲しいな、そういう人」

「大丈夫大丈夫。オレンジペコは真面目で可愛いから、出会えるって」

 

 オレンジペコが「そうでしょうか」と苦笑する。アッサムも、「ええ」と同意した。

 

「オレンジペコは、どういう人が好きなの?」

「えっ!? そ、それは……そうですね、その」

 

 オレンジペコの頬が赤くなり、視線が斜め上に泳ぐ。それでも黙秘しないあたり、オレンジペコも恋に恋する女の子なのだろう。

 

「年上、年上がいいですね。読書家だったら、なおさら良いかもしれません」

「なるほど」

「いいわね、そういうの」

 

 年上との恋愛――それも、良いかもしれない。

 しょっぱなから「彼氏欲しい」と言っておいて、どんな人が好みなのかは全く分かっていないのだ。

 

「そういう人に出会えたら、一生をもって尽くします」

「くう……オレンジペコって強い子だね」

 

 いい子に育って良かった。そんなことを勝手に思いながら、ルクリリは水を飲む。

 

「で……アッサムは?」

「は、は? 私、私ですか?」

 

 ルクリリが、「当然じゃん」とばかりに頷く。オレンジペコも、目を輝かせて聞きたい聞きたいオーラを放っていた。

 ローズヒップは、トマトスープをスプーンで掬っていた。

 

「……言わなきゃ、だめですか?」

「ということは、いるんだ。好きなタイプが」

 

 アッサムが嫌そうに舌打ちする。露骨に睨まれた。

 

「……私は、その、ナイトのような人が、いいかな、って」

 

 ルクリリとオレンジペコが、「ほほーっ」と感心を向ける。ローズヒップは「へえー」と頷いた。

 

「私が考え、導いて……殿方には、そんな私を守って欲しいというか」

「わかる」

 

 たぶん、次に運命の出会いを果たすのは、アッサムなのではないだろうか。こんなお姫様に、孤独は合わない。

 対して自分はどうだろう。イケメンであればそれで良いのか、性格で選ぶのか――たぶん、それが分からないから「出会い」なのだと思う。

 

「期待してるわ、アッサム」

「あ、ありがとうございます」

 

 オレンジペコも、小さく拳を作った。願わくば、オレンジペコにも幸せになって欲しいものだ。

 ――ところで。

 

「ローズヒップ」

 

 今現在、表情が一貫しているのはローズヒップだ。頷いたり同意したりはするものの、「反応」は示さない。

 

「えーっと、その、恋愛に興味とかは、ない?」

「ありますわ」

 

 ローズヒップが、トマトスープをごくりと飲む。

 

「今度の春休み、殿方と一緒にドラッグタンクレースを見に行く予定ですし」

 

 ふうんと、三人が昼食をとり、

 

「え?」

 

 いの一番に反応したのは、オレンジペコだった。ローズヒップは「だから」と前置きし、

 

「春休みになったら、サンダースでドラッグタンクレースを見に行く予定ですの。殿方と」

 

 ああ、そう、そうなんだ。

 ルクリリとアッサムとオレンジペコは、同時に水を飲み、同時にコップを置いた。

 ひと呼吸する、ローズヒップに注目する。

 

「ま、マジで?」

「まじですのよ」

 

 いい天気ですね、みたいな感じで返事された。冷静沈着なアッサムが、ペースを守るオレンジペコが、ローズヒップをガン見している。

 

「な、なんで教えてくれなかったのっ。運命の出会いでしょ、それ」

「え、そうなんですの? その人とは友達として付き合っているのに?」

「……うーん……」

「彼氏でもないのに、運命と言うのには早すぎますわ」

 

 ローズヒップの言い分も、分からなくはない。

 彼氏ならまだしも、友達は正直微妙だと思う。「まだ」出会いではない。

 

「じゃあ……その人とは、何処で知り合ったの?」

「サンダースのレース会場ですわ」

 

 うわそれっぽい。ルクリリは即座にそう思った。

 

「詳しく」

 

 アッサムが問う、ローズヒップはあっさりと頷き、

 

「私、レースをするのも見るのも好きでして。長期休みの際は、いつもレース会場へ足を運んでいますの」

「ふむ……それで」

「今年……いえ、去年? まあいいですわ。冬休み中にレース観戦していまして……風圧で帽子が飛ばされてしまいましたの」

 

 オレンジペコが「風……圧……?」と首をかしげる。

 

「ドラッグタンクレースは、とにかく直線的な速さが求められる競技なんですの。なので、アフターバーナーを積んだ戦車が多いんですのよ」

 

 ルクリリが「かっこいい……」と漏らし、アッサムがタブレット片手に「そんなの本当にあるんですかあった」と驚愕している。オレンジペコは、頭を抱えた。

 

「――で、帽子は勢いよく吹っ飛んでいきまして、諦めようかと思った時……殿方がキャッチしてくれたんですの。私はすぐさま駆け付け、その人にお礼を言いましたわ」

 

 ルクリリは思った。それ運命の出会いじゃん、と。

 

「殿方は『いいよいいよ別に』と笑ってくれました。……それがきっかけだったのでしょうね、レースについて語り合いましたわ」

「アクティブね……」

 

 アッサムが感嘆の声を上げる。だがローズヒップならわかる、分かってしまう。

 

「同い年ということも判明して、話の流れでアドレス交換も致しましたわ。――聖グロにはレース好きがいないものですから、がっついてしまいまして」

 

 だから「友達」なのか。

 

「それから、その人とはメールを送信したり、受信したり。それを繰り返しているうちに……その人は、夢を語ってくれましたわ」

 

 アッサムが、興味深そうにローズヒップを見つめる。

 

「その人も、レーサーになるという夢を抱いていましたの。私はひどく共感して、感動して……いつの間にか、好きになってしまいましたの」

「そ、そうなんですか?」

 

 オレンジペコの問いに対し、ローズヒップはこくりと頷く。

 

「だって、一途で熱いじゃありませんか。速いのは、私も好きですし」

 

 そうか。

 ローズヒップ、それは運命の出会いっていうんだよ。たぶん、未来のレーサーもあなたが好きだと思う。

 

「今度会った時、告白してみますわ。OKを貰ったのなら報告を、ダメだったら……まあ、報告ですわね」

 

 そう言うローズヒップの表情は、実に明るい。不安とか、そういったものはないのだろうか。

 

「あの」

「なんですの」

「その……ローズヒップには、不安とかはないんですか? すごく明るいというか」

 

 ローズヒップは、やっぱり何でもないような調子で、

 

「怖がっても、照れても、進展はしませんもの。ですから、想いをどんとぶつけるだけですわ」

 

 軽快な笑顔だった。

 自信満々で、後悔なんか二の次の表情だった。

 

「……すごいね、ローズヒップは。恋に、躊躇しないなんて」

「まだ友達ですので」

 

 ローズヒップが、落ち着いた素振りで水を飲む。

 

「……恋人になったら、私はどうなってしまうのでしょうね」

 

 初めて、ローズヒップが赤くなった。

 ――ルクリリは納得する。

 ローズヒップは、モテる女の子だと。

 

 ダージリンが新しい伝統を見つけて、163日目の出来事である。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。その生徒と交流を持とうものなら、間違いなく男どもから羨まれ、嫉妬され、表彰され、色々と可愛がられるだろう。

 ――ましてや。

 

「はい! どうぞッ!」

 

 牛丼屋で待ち合わせをして、何やらダージリンが足を交差させていて、顔は完全に真っ赤で、何かを後ろ手で隠していて――茶山が「どうしたの?」と声をかけてみれば、ダージリンは勢いのまま、赤い包装紙に包まれた箱を差し出してくれた。

 え、なんだっけこれ。誕生日じゃないし、何か祝い事、

 あ。

 

「これ……チョコ?」

「そ、そうっ、そうかもしれませんわねっ。――はやく受け取りなさいっ」

 

 内心ビビったので、引っこ抜くようにチョコを受け取った。

 ――失念していた。

 今までバレンタインとは無縁の人生を送っていたから、つい流してしまっていた。今年から、「変化」が生じたというのに。

 

「あ、ありがとう……」

「――はあ、やっと、渡せた」

 

 バレンタインは、渡す方も受け取る方も大変な祝い事であるらしい。何だかダージリンも疲れ切っていたし、茶山に至っては心臓が強烈に痛かった。

 今更実感したのだ。本命チョコを作ってくれるほど、手渡してくれる程、ダージリンとは親密な仲だったということに。

 

「あ、開けていい?」

「ど、どうぞ」

 

 割れ物を扱うような手つきで、包装紙を解いていく。どんなチョコなのだろう、どういう表現がされているのだろう。包装紙がめくれていくたびに、茶山の感情が高ぶっていく。

 

「あっ……これ……」

 

 ケースの中には、弾丸状のチョコが横並びに整列されていた。思わず、

 

「すげえ……」

「そ、そう?」

 

 ダージリンが、「感想を聞かせて欲しい」とばかりに寄ってくる。どう見ても弾丸で、恐らくは完全再現が成されているのだろう。

 

「い、一個食べてもいい?」

 

 ダージリンが、手で「どうぞ」と促す。ここで全てを食べはしない、今は食べ歩きという大事な用事があるからだ。

 後で撮影もしなければ。

 

「では、いただきます」

 

 透明のフタを開け、弾丸チョコの一発を手でつまむ。それぞれの角度から弾丸チョコを眺めてみたが、形も色も匂いも弾丸チョコだった。

 名残惜しいが、食べ物は口にするのが礼儀だ。一口で、弾丸チョコを口の中に放り込む。

 

「……ど、どうです?」

 

 このことを大学の連中に報告したら、間違いなく粉微塵にされると思う。

 

「甘い……!」

 

 ――ましてや、聖グロ出身の「ダージリン」から、こんなにも甘いミルクチョコレートをプレゼントされたんだぞ。

 この事を報告するのに、あと数年は待たなければいけないだろう。

 

「……よかった」

 

 心の底から安堵したのだろう、ダージリンをまとっていた緊張感が消えていく。それを見て、茶山も安心感を覚えた。

 

「ありがとう。これは後で、じっくりと味わうよ」

「はい、茶山さん」

 

 とりあえずは、弾丸チョコ箱を包装紙に包め直す。多少雑だが、晒すよりはマシだ。

 そうして、互いに目が合う。こくりと小さく頷きあい、手を繋いで、未知なる飲食店へと歩んでいく。

 

 ダージリンとのひと時を過ごして、164日目になった。

 

―――

 

 春休みを利用しての食べ歩き旅行も、今日が最終日となる。ダージリンの足跡を追って、166日目が経過していた。

 朝っぱらからビジネスホテルをチェックアウトし、「これで二度目か」と外出してみれば――髪をとき、緑色のベレー帽をかぶったダージリンが、「やあ」と真正面から待ち受けていた。

 少し怯んでしまったのが、何だか悔しい。確かに、デートの約束は取り付けてはいたのだが。

 

「だから、九時でいいって……今、八時半だよ?」

「まあまあ」

 

 笑顔で流されてしまった。こうなってしまえば、もはや勝ち目はない。

 当たり前のように隣に立たれて、当然の権利であるかのように手を繋がれる。何度も経験したはずなのに、未だに心臓が飛びそうになる――それはダージリンも同じらしく、頬を赤く染めていた。

 

「行こうか」

「はい」

 

 今日で、ダージリンと学園艦で過ごす日々が終わる。聖グロを卒業した後は、本土にある女子大へ通うつもりらしかった。

 そのことを、ダージリンはとても喜んでいた。これからは、自分と会いやすくなるだろうと。

 

 

 通うコースは、前とそれほど変わりはない。朝十時になるまで街並みを散歩しつつ、「あったかいねえ」「そうですね」と、夫婦みたいなことを口にした。

 朝の聖グロリアーナ女学院学園艦は、とても静かだった。お陰で欠伸が漏れて、ダージリンも小さく「ふぁーあ」と声を漏らした。

 

 ――朝十時に到達した瞬間、まず「CLOSED」のサインボードがガタタタッ! と取り外される。間もなくして店の灯がつき、「ここで食うのが一番」とばかりに主張し始める。

 軽い食事がいいなあと思えば、何処からともなく出店が並び始める。パラソルつきラウンドテーブルと椅子が持ち場につき、ここぞとばかりに店主がメインディッシュを見せびらかし始める。

 休日特有のテンションもあってか、茶山の腹が一瞬にして減る。ダージリンの目も、きらりと光った。

 広間には、既に大道芸人がスタンバっていて、観客も今か今かと待ち受けている。片手に食べ物を持っている者も多く、大道芸人と屋台は共同戦線を張っているらしかった。

 

「よし」

「はい」

 

 突撃だ。

 

 

 茶山とダージリンは、間違いなく「食べ歩き」をこなしていった。

 まずはケバブを平らげ、次にミネストローネを味わう。焼きトウモロコシを食べたあたりで「まだいける?」「はい」と意思確認をしてから、フランクフルトをいただき、イングリッシュパイを頬張った。

 色々な文化を咀嚼しながらも、まずは食事に対し、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 そして、命に感謝をする為に、

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 これだけは、決して忘れない。茶山とダージリンにとっての、誓いの言葉だった。

 

 

 胃も丁度良くキツくなってきたところで、ダージリンは「聖グロ戦車道博物館へ寄ってみたい」とリクエストした。

 茶山は当然のように快諾し、現在進行形で博物館内を歩んでいる。初めて寄る場所だからか、視界がぐるんぐるんと回っていた。

 

「長いんだね、聖グロの戦車道は」

「ええ」

 

 まず、右を見ても左を見ても戦車が並んでいる。何だか主砲が向けられているようで、些細な粗相すらも許さない圧力を覚えたものだ。

 それもそのはずで、解説パネルには「歴代戦車隊隊長の愛車達」と刻まれていた。今もなお、聖グロの誇りを守り通しているに違いない。

 

「ここにいつか、ダージリンの戦車も並ぶのかな」

「そうだといいですわね」

 

 知識はないが、なるべく聖グロの戦車だけは覚えておきたいと思った。ダージリンの戦いの記憶を、思い出を、継いでいきたいからだ。

 

「僕は並ぶと思うよ。ダージリンは、聖グロの為に精一杯頑張った」

「ありがとう。あなたにそう言われて、報われましたわ」

 

 茶山は、黙って頷いた。

 そうして、レンガで構成された博物館を歩んでいき――今度は、「ティーセットコーナー」なる場所へ到着した。

 数々のディスプレイケースがあるが、その全てにティーセットが保管されている。隊長の個性が満遍なく発揮されているようで、薔薇の意匠、青いライン、赤迷彩、無地、「聖」の文字入りと、結構見ごたえがある。客入りも良い。

 ちらりと、ダージリンを見つめた。

 

「……寂しくはなりますが、ここに寄贈しますわ」

 

 茶山は、何も言わずに頷いた。

 

「それが、聖グロに対する恩返しですもの」

 

 もう一度、ティーセットコーナーに目を移す。きっと何回も、何十回も、ダージリンのようなやりとりが繰り返されたに違いない。

 そして、誰もがここに遺したのだろう。思い出を、誇りを。

 

「――卒業、するんだね」

 

 何となく、口にする。

 

「ええ」

 

 ダージリンが、茶山の隣に近づく。

 

「いい学校だった?」

 

 視線を感じる。きっと、ダージリンが自分の横顔を見つめているのだろう。

 

「ええ。とても、とても……」

 

 ディスプレイケースの中には、数々のティーセットが並べられている――その端に、意図的な空白があった。

 

「大好きでしたわ」

 

 ダージリンに視線を向ける。

 その瞳は揺れていて、赤くなっていて、嬉しそうで、優雅で、華麗で、愛おしくて。

 だから、ダージリンの背中に手を回した。

 

 茶山とダージリンは、同じ場所で、同じティーカップを、しばらくじいっと見つめていた。

 

 

 楽しい時間というものは、あっという間に過ぎ去っていく。

 博物館から出てみれば、聖グロの世界は夕暮れに染まっていた。

 見上げる。

 空が、これまで以上に遠い。二度と朝日なんて見られないような、そんな錯覚すら感じる。この空は、間違いなくこの学園艦だけのものだ。

 

 ダージリンと目が合い、何も言わずに頷いてくれた。

 手を繋ぎ、街へ戻って、出店を通り過ぎて、大道芸人を眺めて、交差点で止まって、横切っていく戦車を目に焼き付けて、帰路について――連絡船まで、たどり着いた。

 

 ダージリンとは、少しばかり別れるだけだ。あと数週間もすれば、ダージリンは聖グロを卒業し、本土で暮らすことになる。

 待ち遠しいはずなのに、何だか寂しいのは――ダージリンのことが、この学園艦のことが、好きだからだ。大好きだからだ。

 

「ダージリン」

 

 にこりと、ダージリンが応える。

 

「またね」

 

 ダージリンが、ゆっくりと歩み寄る。茶山は何もしないまま――ダージリンに、そっと口づけされた。

 

「……こんな格言を知ってる?」

 

 茶山が微笑する。

 

「人生とは面白いものです。何かひとつを手放したら、それよりずっといいことがやってくるものです。――サマセット・モーム、イギリスの小説家の言葉ですわ」

 

 ああ――その通りだ。

 

―――

 

 連絡船が、海の遠く、遠くまで消えていく。もう茶山の顔が見えない、声も届かない。

 けれど、寂しくはない。すぐにまた会えるから、一緒にいられるから。

 

 寮へ戻る途中、ダージリンは自販機を横切ろうとして――足を止めた。

 財布から小銭を取り出し、自販機へ投入する。迷うことなく無糖の缶コーヒーを選択し、それを取り出し口から回収した。

 プルタップを、慣れた手つきで開ける。独特の重い匂いを嗅いだ後、ダージリンはごくりとコーヒーを飲んだ。

 

「……おいしい」

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。

 時には伝統に悩まされたり、マナーが面倒だと思うこともあるけれど――大好きで大好きで、仕方がない母校だ。

 

 

 こうして私は、聖グロリアーナ女学院を卒業した。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

これで、春休み編は終了です。
次は大学編ですが、サッと終わると思います。3007日目まで、あっという間です。

何度か推敲はしてみましたが、もしかしたらミスをしてしまっているかもしれません。
その時は、ご指摘してくださると嬉しいです。

ご感想、いつでもお待ちしています。


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334~1709日間

 戦車道全国大会がまき散らす緊迫感とは、何も選手だけが抱くものではない。
 日本戦車道連盟の方々も、観客も、おっさんも、おばさんも、そしてOGも、否応なく全国大会の空気に飲まれていく。これは、去年も今年も来年も変わらない。

 予選の時点で叫ぶ観客もいれば、冷静になって見守る者もいる。最初期は割と「まあまあ」な空気なのだが、決勝が近づくにつれて、観客の口数は段々と減っていく。
 何せ、戦車道とは展開が早い。無駄に感情を張り上げてしまっては、おいしい場面を見逃してしまうかもしれない。
 ――決勝戦まで進めば、後は見守るだけ。それが力になると、応援になると、支えになると、勝機へ繋がると、観客の皆は信じている。

 そして、センチュリオンの主砲から火が噴いた。弾丸は「まだ」直撃しない――当たったか外したかなんて、ほんの一瞬で決まるはずだ。なのに何故分からない、どうして解らないフリをする。
 現実を受け入れろ、

 オレンジペコのセンチュリオンが、黒森峰女学園のフラッグ車を撃ち抜いたことに。白旗が「シュポンッ」と上がったことに。

 茶山は呆然となって、現実を視認していって、聖グロリアーナ女学院の優勝という実感を得ていって、間、観客が怒り狂うように歓声を上げて――
 茶山は、ため息をついた。目頭が、熱くなっていく。
 そうか、本当に勝ったんだ。宿敵、黒森峰女学園に勝利したんだ。聖グロリアーナ女学院が、初めて優勝したんだ。
 僕の目の前で、ダージリンの眼前で、全てをやり遂げたんだ。

 特設モニターが、生徒同士の一礼を映している。叫びたいだろうに、泣きたいだろうに、互いを称える為に「ありがとうございました」と交わしあっていた。
 ダージリンに、目を向ける。
 ダージリンも茶山を見つめていて、にこりと微笑んだ。

 茶山とダージリンは、重く腰を持ち上げた。そのまま自販機まで歩んでいき、無糖の缶コーヒーを二つ分購入した。
 同時にプルタップを開け、何の躊躇いも無く飲み干す。

 苦かった。

 ダージリンと運命の出会いを果たしてから、320日目。ダージリンも、気づけばもう大学生だ。


 ダージリンと善き友になって、334日目。

 茶山が、ダージリンが、アッサムが、ルクリリが、オレンジペコが、ローズヒップが、ローズヒップの友人が、聖グロの戦車道履修者達が、まずは好きにグループを作る――既に固定化されているようなものだから、それほど時間はかからなかった。

 各々椅子に座り、テーブルを挟んで互いに向き合う。ここまでは、いたって真面目な空気といえるだろう――テーブルの上に、和食洋食野菜デザート等が乗っかっていなければ。

 さて、

 この場にいる全員が、ジュースの入ったコップを手にとる。それを大げさに掲げて――

 

「聖グロ優勝、おめでとうございますッ! 乾杯ッ!」

 

 茶山が音頭を取り、その他全員も「乾杯ッ!」とコップをぶつけあう。バイキング店で、弾き合う音が鳴り響いた。

 宴の発端は、何を隠そうダージリンである。聖グロ優勝があまりにも嬉しくて嬉しくて仕方が無かったものだから、急きょ「夏休み、みんなでバイキングに行きましょう」と計画を立てたのだ。最初は「どうしようかな」という声が多かったのだが、ダージリンが「お代は全部払う」と宣言した瞬間、全ての聖グロ戦車道履修者は「了解!」と即答した。

 そんなわけで、現在のバイキング店は、ほぼ聖グロ生徒で埋まっている。

 

「今日の主役は、間違いなくオレンジペコよ」

「そんな、皆が頑張ってくれたおかげです」

 

 そう言いながらも、オレンジペコは喜色満面の笑みを浮かばせている。ダージリンは、そんなオレンジペコの頭を撫でた。

 

「オレンジペコは素晴らしい隊長ですわ。一生、ついていく予定ですのよ」

 

 ローズヒップがザンギをかっ食らう。見事な食べっぷりに影響されたのか、ローズヒップの友人もザンギを手にとった。

 

「聖グロの未来をあなたに託して、正解だったわ」

「うん。私もそう思う、思うよ」

「アッサム様、ルクリリ様」

 

 堪えきれなくなったのだろう、オレンジペコが静かに涙を流した。

 だが、誰も止めようとはしない。今日ばかりは笑えと、泣けと、声を出せと、皆が心の中で承認している。

 

「あっ、あなたも何泣いてるんですのっ、もう」

 

 ローズヒップの友人――もとい彼氏も、「うう」と咽び始めた。これも青春だと、茶山はオヤジ臭く思考する。

 

「いいなー、彼氏。この、いい男捕まえてきて」

 

 ルクリリが、隣に座っているローズヒップに肘突く。ローズヒップは「えへへ……」と、顔がすっかり真っ赤だ。

 彼氏も、「たはは」と照れまくっている。

 

「羨ましいっ」

 

 冷徹に、しかし楽しそうに苦笑しながら、アッサムがフォークでパスタを引き込む。後はそのまま、「ごゆっくり」とばかりにパスタを頬張った。

 

「うう……涙が、止まりませんね……」

「――こんな格言は知ってる?」

 

 全員のメシの手が止まる。

 

「涙で目が洗えるほどたくさん泣いた女は、視野が広くなるの」

「……ドロシー・ディックス。アメリカのジャーナリストの格言ですね」

 

 涙目のままで、オレンジペコが返す。アッサムは「はあ」と両肩をすくめ、ルクリリは「へえー」と頷き、ローズヒップは「ふーむ」とサラダを食べ始め、ローズヒップの彼氏が「知らなかった……」と感心した。

 

「君」

 

 ローズヒップの彼氏が、茶山に視線を向ける。

 

「君とは、仲良くなれそうだ」

 

 たぶん、実に気持ちの良い笑顔を浮かばせていたと思う。ローズヒップの彼氏も何かを察したのか、手を差し出し――硬く握手した。

 

 

 その後は、好きに食って好きに飲んで好きに話し合った。こういう場は、己が土産話を自然と披露したくなるものである。

 例えば、オレンジペコは戦車隊隊長ならではの苦労話を暴露してくれた。ダージリンは、そりゃあもうひどく共感したものだ。

 次にアッサムだが、何と演歌にハマり出したらしい。相性が良いらしく、茶山は「いいね」と同意した。

 更にルクリリだが、趣味のプロレス観戦に影響されて、バックドロップをマスターしてしまったらしい。一同は恐れ、ルクリリとはケンカしないように誓い合った。

 ローズヒップとその彼氏だが、将来はレーサー夫婦として生きていきたいらしい。オレンジペコが「もうそこまで考えているんですね」とコメントし、ローズヒップと彼氏は真っ赤になって沈黙した。

 

 ――肝心のダージリンはといえば、

 

「まったく、どうしてまほが同じ大学に来たものやら。忌々しい」

「まほもお嬢様ですし、プロを目指しているでしょうからね」

「どうしてプロなんか目指すのかしら」

「西住流の後継者ですし」

 

 これである。

 ダージリンがふてくされながらミートパイをかじり、アッサムはあくまで冷静に返答し続ける。一方ルクリリは、「これうまいですね」と、茶山と一緒におしるこを味わっていた。

 

「ちょっと、茶山さんっ、聞いてますのっ?」

「聞いてる聞いてる」

「支えてくれるんじゃなかったんですのっ」

「仲良さそうじゃない」

 

 ダージリンが通う女子大は、とにかくお嬢様が多く、とにかく戦車道に強い。試しにサイトを見て回ったが、どのページにも「戦車道」という単語がついて回ってくる徹底ぶりだ。ここ最近は、プロリーガー育成にも力を入れているらしい。

 最初は「大丈夫かなあ」と思ったが、ダージリン曰く「敵はまほだけ」らしい。なので仲良く主砲を撃ちあったり、負けを認めなかったり、食堂でにらみ合ったりと、健全な関係を築き上げているそうだ。

 なので、まほ関連の話題は話半分で流すことにしている。ライバルと争うこともまた、青春であるから。

 ――問題は。

 

「まあ、まほに関しては、いつかは私が勝ち越すから良いとして」

 

 ここで初めて、ダージリンがため息をつく。

 アッサムとルクリリと茶山が、ダージリンを横目に見る。

 

「どうしたんですか?」

「ああ、いえ。ちょっと、鬱陶しい問題を抱えていまして」

「本当ですか? 聞かせてください、力になります」

 

 オレンジペコが身を乗り出す。ローズヒップも、彼氏も、何事かと真剣な顔つきになる。

 

「ありがとう。――まずは自慢話になってしまうのだけれど、大学に『ダージリン派』たるチームが出来ましたの」

 

 オレンジペコが、「すごい」と目を丸くする。

 

「まあ、『まほ軍』なんてのも出来たんですけれど」

 

 実に嫌そうに舌打ちする。オレンジペコが「ひっ」と怯える。

 

 ――そう。

 恐るべきことに、ダージリンは一年にして頭角を現したのだ。ダージリンが通う女子大は、良くも悪くも実力主義的な面があるにも関わらず、だ。

 だが、納得もする。ダージリンは隊長としての素質があるし、何より口が上手い。すぐさま大学での人気者となり、今では一年の象徴として崇められているとか。

 ちなみに、「口が上手い」を「ストイックだ」に変換させただけで、西住まほの現状を語ることも出来る。

 

「隊長、オレンジペコを怖がらせちゃ駄目ですよ。――あ、私もダージリン派の一人でね、なんと隊長の戦車に乗ることになったんだ。通信手として」

「私は変わらず砲手を」

 

 オレンジペコが「すごい、無敵じゃないですか」と、称賛する。

 戦車道の縁とは強いものであるらしく、アッサムもルクリリも、数人の聖グロ生徒も、ダージリンと同じ大学へ入学した。目的は勿論、プロになる為だ。

 

「まあ、『いつもの』聖グロといった感じですわね。だからこそ、良い成績を残せるのかもしれません」

 

 といえども、ダージリン曰く「まだまだ」だそうだ。やはり、高校と大学は違うらしい。

 

「……結果、目立ち過ぎたのでしょう。ある先輩が、私に対してありがたい忠告をしてくれましたわ。『調子に乗るな』って」

 

 ローズヒップが「はあ?」と言い放ち、彼氏が「はああ?」と呆れる。

 

「元々目立ちやすい生まれですし、こういう場所ではよくある話ですわ」

 

 ふん、と鼻息を漏らす。

 

「ただ、いちいち失敗を指摘してくださったり、まほに負けるたびに良い笑顔を浮かばせたりと……ああ、充実した戦車道を歩んでいますわ」

 

 後はそのまま、ミートパイを咀嚼し始める。茶山はもちろん、ルクリリもアッサムも、このことは把握している。

 ルクリリからは『隊長を励ましてください』とメールが届くし、アッサムに至っては事の詳細を報告してくれる。そのたびに、茶山はダージリンへメールを送信したり、週末になれば食べ歩きへ招待したりもしている。

 今となってはダージリンも実家暮らしだ。それがありがたい。

 

「……ひどい輩もいたものですわね。許せませんわ」

「はい。戦車道履修者の風上にも置けない人です」

 

 ローズヒップの彼氏も、まったくだと頷く。

 

「――ああ、ごめんなさい。空気を汚してしまって、つい」

 

 ダージリン以外が、首を横に振るう。

 

「こうした場所ですし、言いたい事言っちゃいましょうよ、ね?」

 

 ルクリリが、フォークに刺した肉じゃがをダージリンへ差し出す。

 ダージリンは――含み笑いをこぼし、肉じゃがを頬張った。

 

 

「ねえ、ローズヒップ」

「何ですか? ルクリリ様」

「ドラッグタンクレースっていつやるの? 興味あるんだけど」

「まじですの!?」

 

 

 好きに食べ、身も心も満たされたところで、ダージリンが両手を合わせる。

 茶山も続いて同じ姿勢をとり、皆が「ああ」と手を重ね、

 

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンの顔を覚えて338日目。携帯が揺れたので、ポケットから引っこ抜いてみると、

 

 着信メール:オレンジペコ

 

 ほう。

 興味深く拝見する。

 

『こんにちは、この前は本当に楽しかったです。今度は、私からダージリン様に何かおごりますね。

それにしても、例の件……本当にあれですね、ひどい話です。ダージリン様は、実力で活躍しているだけなのに。

私も何とかしてサポートしますが、一番の支えは茶山さん、あなたです。

お願いします。ダージリン様に負担が感じられた時は、出来る限りのフォローをしてあげてください。

 

突然のメールで申し訳ありませんが……よろしくお願いします』

 

 茶山は、オレンジペコに対してすぐさまメールを打ち出した。

 タイトルは、もちろんこうだ。

 

『任せてください』

 

―――

 

 ダージリンと意思疎通して、344日が経った。

 今現在は、週末ということでダージリンとクレープを食べている。まるでいつもの光景であり、平和そのものだった。

 

「どうだい? 調子は」

「――やっぱりレベルが違いますわね、大学の世界は。まほは勿論、他の同級生まで」

 

 それでも、あくまで意識する相手はまほだけらしい。

 凄いなあと、茶山は思う。聖グロの戦車隊隊長だなあと、実感する。

 

「ですが、大分コツは掴めてきましたわ。このままいけば、程々の戦歴は得られるでしょう」

 

 町の中にあるベンチに腰掛けながら、ダージリンはクレープをかじっていく。

 ホイップクリームが口の中に吸い込まれたのだろう、ダージリンの目が笑った。

 

「応援するよ」

「ありがとう。あなたのその言葉で、何度救われたことか」

「これぐらいしか出来ないけどね。でも、自信はある」

「誇ってくださいな」

 

 少しだけ、世界が静かになる。

 ダージリンは大学生になったが、その気高さは決して消えはしていない。むしろ、輝きを増したとすら思う。

 空は今日も晴れていて、暖かい。車が横切っていくたびに、なぜだか「ああ、今日は休日か」と実感する。平日は、あまりものを見ないからかもしれない。

 

「……そういえばさ、あの先、」

 

 本題を口にしようとした瞬間、ダージリンの手が茶山の太ももの上に重なった。

 

「大丈夫。あの後、みんなから励ましのメールが届きましたので」

 

 見上げる。

 ダージリンは、今日も幸せに生きているらしい。それがひどく嬉しくて、たまらない。

 そんなダージリンが見られて、今日まで生きてこられて、本当に良かったと思う。

 

「茶山さん」

 

 声をかけられる。なんとなく、視線は上の空のままだ。

 

「心配なさらないで。私は、あなたが生きているだけで、明日も頑張れます」

 

 呼吸する。まだ、ダージリンの顔を見ることができない。

 だって、恥ずかしい顔をしているだろうから。

 

―――

 

 ダージリンと世界を歩んで、348日が経つ。季節は秋、少しだけ肌寒い。

 茶山はベッドに転がりながら、ルクリリからのメールを眺めている。

 

『こんにちは、元気ですか? 私はこの前、プロレス観戦をして上機嫌です。今度、新しい技を取得してみようかな、と思ったり』

 

 クソ恐ろしいことを伝えられた。なるだけ対人はやめてねと返信しておこう。

 指をスライドさせる。

 

『そういえば、もう少しで隊長の誕生日です。忘れていませんか? 忘れていませんよね? 私たちは、大学で直接手渡すつもりです。

なのでトリは……あなたにお任せします』

 

 当然、覚えている。自分が生まれた日付よりも。

 プレゼントはもう購入した。後はその日が来るのを待つだけだ。

 

 

―――

 

 そうして、ダージリンの誕生日が訪れる。

 ダージリンに惚れて367日目、あっという間に一年が過ぎてしまった。これからも、特別な事を抜きにして付き合っていきたいものだ。

 

 そんなわけで、校門近くでダージリンを待ち受けては、「ばかっ、驚きましたわっ!」と怒られた。その際に、ダージリンが持つ手提げ袋が翻る。

 袋の中には、沢山のプレゼント箱が――なるほど、やはり人望は篤いらしい。

 

 で、その後が中々上手くいかない。不意を突いて渡そうにも、今のダージリンは「今日は誕生日」と意識しているだろうし、プレゼントも渡されたばかりだろう。どう足掻いたところで、意識の不意を突くことは困難だ。

 それに、校門前で驚かせたのも悪手だった。根に持ったダージリンは「ほれ渡してみなさいよ、渡せ」と意地悪く笑い続ける。こうして防衛態勢をとられては、いよいよもって観念するしかない。

 大人しく、赤い包装紙に包まれた箱を手渡す。

 

「あら、何かしら。今日は何か、特別な日でしたっけ? うん?」

 

 実に冷徹で冷酷で冷却された声色だった。やはり、口の上手い人を怒らせてはいけないのだろう。

 ――しかし、

 

「これ……スカーフ? 赤い」

「うん、緑色のベレー帽に似合うかなって。あと、ダージリンは赤ってイメージだから」

 

 ダージリンが、優しい手つきでスカーフを巻き付ける。未だに信じられないような表情で――けれども、温まったように微笑した。

 

「そんな。こんな、高いものを」

「ダージリンを驚かせたり、喜ばせる為なら、僕はなんでも」

 

 ダージリンが、スカーフを抱きしめる。顔を赤くしながら、両目をつむりながら、何度も「ありがとう」と口にして。

 

 ――やっぱり、ダージリンを驚かせることだけは、やめられない。

 

―――

 

 ダージリンに憧れて、370日目だ。愛はまだ満たされない、それでいい。

 自室でダージリンティーを口にしていると、充電器に挿しておいた携帯が震えた。カップを置き、床に放置しなっぱなしの携帯を引っこ抜く。

 

 新着メール:アッサム

 

 指をスライドさせる。

 

『こんにちは、元気でしたか? こちらは元気です、隊長はルンルンです。

あのスカーフ、あなたがプレゼントしましたね? もう毎日毎日見せびらかしてきて、こちらのやる気を削いでくれます。

最初は祝いましたが、隊長ときたら、チラッとスカーフを見せつけたり、戦車に乗る時も必ず身につけて……あなたは悪くありません。ただ、その……疲れます。

 

ですが、楽しそうな隊長が見られて何よりです。やっぱり疲れますけど。

私も早く、惚気話がしたいものです』

 

 ため息をつく。アッサムに『ゴメンナサイ』と返信する。

 携帯を充電器に差し込み、再び椅子へ腰掛け、ダージリンティーを味わうことにした。

 

―――

 

 聖グロ派になって、375日目。ポケットに入れておいた携帯が震える、何だろうと手に取る。

 メールの送信者は――ダージリンだった。何かあったのかなと画面をスライドさせ、

 

『妹に撮影してもらいました。見てください』

 

 まず、この一文で茶山の心臓が止まりそうになった。更に「添付ファイル付」というテキストを目の当たりにし、体温が沸騰した。

 画像ファイルの総数は、全部で五枚。どれもがダージリンを被写体にしていて、一枚ごとに私服、ポージングが変化していた。中には、ダージリンティーを口にしているものまで。

 そこまでは良かった。実に平和的で、微笑ましくて、魅力的なメールといえる――全ての画像に、赤いスカーフを強調させていなければ。

 めちゃくちゃ恥ずかしくなった。

 しかも、この画像は「撮ってもらったもの」だ。撮影者はたぶん、「まだ撮るのー? お姉様ー」とウンザリしたに違いあるまい。

 あのダージリンのことだ。納得出来るまで、何度も何度も何度もリトライしたことだろう。今度、妹には何か奢ってあげなければ。

 

 ため息をつく、画像を保存する。

 さて、正直な感想を送信しよう。人差し指で、携帯の画面に触れて、

 

 新着メール:オレンジペコ

 

 あ、丁度良いタイミングで。

 

 新着メール:ルクリリ

 

 は、

 

 新着メール:アッサム

 

 ――、

 

 新着メール:ローズヒップ

 

 どうも、プレゼントは大成功だったらしい。

 ダージリン以外の人にも、プレゼントを渡したことはある。大抵は普通に喜ばれ、大切にされたものだ――大爆発を起こすなんて、誰が予想出来ただろう。

 これもサプライズなのだろうか、そういうことなのか。

 茶山は、死地に赴くような表情をしたまま、オレンジペコのメールを開いた。

 

 それぞれのメールの内容を、乱暴に総括すると、『隊長が自撮りするなんて! 綺麗! 可愛い! やったね茶山さん!』だった。

 

―――

 

 ダージリンの幸せを願って、はや492日目。冬休み中、ダージリンが不意打ち気味に実家訪問してきた。

 これで二度目だし、メールをよこさなかったので、何となく予想はしていたが――やはり、ビビってしまう。

 しかし、だからこそやめられないのだろう。礼儀にうるさいダージリンだからこそ、サプライズの爽快感をよく理解しているはずだ。

 そして、自分も懲りるつもりはない。ダージリンを驚かせることは最高に楽しいし、内心、どんな反撃が来るのかなと心待ちにしていたりもする。

 そんな人間関係が、今日もこれからも続いていく。正月を過ぎて、次の年に入ったとしても。

 

「で、いつ結婚するの?」

「早いよ母さん。まずは大学を卒業しないと」

 

 正月の朝というものは、実に穏やかで、全くもって気だるい。茶山もダージリンも、気の抜けた表情でおしるこを口にしている。口の動きもどこか緩慢だ。

 だが、残すつもりはさらさら無い。このおしるこは、母とダージリンの共同作品なのだから。

 

「ええ、まずはプロになって……即、結婚する予定ですわ」

「え、そうだっけ?」

「ええ」

 

 しれっと、今後の予定を決められてしまった。まあいいやと思いながら、

 

「プロかぁ……やっぱり、勝率高く無いとダメかな?」

「それもありますが、やはり振る舞いも大事ですわね」

「振る舞いというと」

「ファンサービスとか、インタビューとか、写真撮影」

 

 なるほどなあと、頭の中でぼやく。

 戦車道とは「武芸」であるから、気品さも必然的に求められることになる。勝利する事も大事だが、勝つだけではダメ、ということなのだろう。

 母は、分かったようなそうでないような感じで、「大変ねえ」と一言。

 

「でも、ダージリンは完成されてるし、大丈夫じゃない?」

「そうかしら」

 

 くすりと、ダージリンが微笑む。

 茶山は、うん、と頷く。

 

「容姿端麗だし、雰囲気も最高だし、僕のような平民にも相手してくれるし」

 

 ふと、ダージリンが首を横に振るう。

 

「それは違いますわ」

「違うの?」

 

 ダージリンが、微笑ととも頷き、

 

「私が、あなたを求めているの」

 

 母が、「あらあ」と顔を赤くする。

 たぶん、自分も似たようなツラを浮かばせているだろう。だから何も言えない、なんとも言えない。これだけでも死にそうなのに、

 

「――私だけの茶山さん、ですから」

 

 とどめを刺された。

 

 なんとか生き返って、ただただおしるこを食べて、餅を飲み込んで、小豆を噛み砕いて、

 

「ご、ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 

 片付けるために、お椀を手に取ろうとして、

 

「殿方はここでゆっくり」

 

 鮮やかにお椀が回収され、茶山は居間にぽつんと取り残されてしまった。

 そこで、母がニタニタと笑いながら、

 

「で、いつ結婚するの?」

 

 ダージリンがプロになってからだよ、もう。

 

―――

 

 ダージリンの世界に入って、613日が経過した。気づけばダージリンも大学二年生で、大分板について来たように思える。入学当時の、どこか新鮮な雰囲気はもう感じられない。

 相変わらずまほとは、色々な手段を用いて争いあっているらしい。それは戦車道だったり、歌だったり、ダンスだったり(これは劣勢らしい)、料理だったり(これは優勢)、正座我慢大会だったりと、順調に交流を深めていっている。

 ――問題は、例の先輩だ。

 アッサムやルクリリからのメールによると、先輩とやらは、ダージリンの些細なミスも見逃さず、ご丁寧にご指摘してくださるらしい。

 しかもありがたいことに、趣味に対してまであれこれと口にしてくださったようだ。紅茶を飲んでいる暇があったら戦車に乗れ、食べている暇があったら改善しろ、これはあなたの為に言っているのよ――

 

 大学生としての建前を捨て、先輩のことを正直に評価するならば、クソそのものだった。

 

 舌打ちが、自室の中で木霊する。

 ダージリン曰く、『気にしてない』とのことだが、ルクリリからは『ストレスを感じていますね』と報告を受けることがある。やはり、全てを隠し通せるわけではないらしい。

 当たり前だ。

 ダージリンは女の子なのだ。笑う時は笑うし、怒る時はしっかり怒る。時には、苦痛だって帯びる。

 ――人一倍我慢強いだけの、乙女なのだ。

 

 充電器から携帯を引っこ抜き、衝動的にダージリンへ電話をかける。

 助けたい、何とかしたい、腹が立つ、愛してる、支えたい、守りたい、ぶちのめしたい――それら感情をイコールさせた結果、この行動しか思い浮かばなかった。

 

『もしもし、ダージリンです』

「あっ、ダージリン」

『まあ、こんな夜中に……どうなされました?』

「あ、いや、その……少し、話がしたくなって」

 

 ダージリンが、『そう』と返事した。嬉しそうに。

 どうしてこの人が、馬鹿な理由で嫉妬されなければならないのだ。

 

「最近、大学はどう? もう二年になるでしょ」

『ええ。最近はダージリン派も大きくなっていって……まあ、まほ軍も何故か、比例して巨大化していますけど』

 

 世にも恐ろしい声を出すが、まほのことを「嫌い」と評価したことはない。良くも悪くも拮抗していて、堂々と真正面から争い合う為だろう。

 これを、仲が良いという。

 

「あ、そうそう、最近はサークルも作りましたわ。『紅茶と戦車』という、ティータイムを主に行うサークルを」

「おっ、聖グロらしいね。いいね」

『加入者も多く、賑やかなものです』

 

 出来たばかりのサークルだが、たぶん、女子大の「伝統」になると思う。ティータイムが嫌いな戦車道履修者なんて、きっといない。

 

『……ほぼ同じタイミングで、『カレー愛好会』なる忌々しいサークルも出来ましたが』

 

 口ぶりから察するに、まほが主催しているのだろう。そしてたぶん、「紅茶と戦車」と、ほぼ同じくらいの規模に違いなかった。

 

『まあ、いずれは私たちのサークルが凌駕するでしょう』

「がんばってね」

 

 昼飯を賭けても良い、きっとその日は来ないと。

 ――沈黙。

 

「あ、えっと、その……」

『は、はい』

 

 不意に緊張感が訪れる。かけるべき言葉がある癖に、中々口に出せない。

 自室を見渡すが、特に代わり映えなどしていない。壁には名物ラーメンカレンダーがかけられていて、床には携帯の充電器が放置されている。以前のように、雑誌が散らばったりなどはしていない。

 学習机を見る。置きっぱなしの教科書に、ノートに、ペンに消しゴム――ティーセット。

 聖グロを卒業する前に、ダージリンは、愛用していたティーセットを博物館へ寄贈した。その事に全く後悔はなく、むしろ光栄だとすら思ったらしい。

 ――そしてダージリンは、前と同じティーセットを購入した。理由は、

 

 あなたと、ずっと繋がっていたいから。

 

 ――勇気が沸いて出てきた。

 お姫様を救うことは、王子の使命だ。

 

「ダージリン」

『はい』

 

 ダージリンの声に、真剣さが孕む。

 

「その……」

 

 言え、ありったけ言え。

 カップの取っ手を握りしめる、これだけでもう十分だ。

 

「ダージリン。僕は、ずっと、絶対にダージリンの味方をする、応援もする。だから、絶対に負けないで、屈しないで」

 

 いきなり何のことかと思っただろう。――だが、ダージリンは戸惑いもせず、質問もせず、ただただ茶山の言葉を待っていた。

 

「正直に言う、その先輩はクソだ。僕が前に出て、言葉でぶちのめしたいってくらい大嫌いだ。僕のダージリンを傷つけやがって」

 

 一人で熱くなる、深呼吸する。

 

「ダージリン、君は決して独りじゃない。困ったことがあったら僕に相談して欲しい。……僕だけじゃない、みんなも君を支持してる。疲れたら、ティータイムで一休みしよう」

 

 カップを、人差し指で撫でる。

 

「愛してる」

 

 言いたかったこと全てを、脳ミソから吐き出した。

 ――冷静になろうとしても、体温が高ぶっていく。こんなにも手前勝手にモノを言ったのは、何年ぶりだろうか。

 再び、沈黙が訪れる。

 まだ、沈黙が居座る。

 今も、沈黙が、

 

『茶山さん』

 

 破られた。

 

『……私は大丈夫、本当に大丈夫です。ダージリン派の皆が助けてくれますから』

 

 茶山の呼吸が、止まる。

 

『それにいつか、戦車道で圧勝する予定もありましたから。ふふ、ふふふ』

 

 ダージリンが悪そうに、しかし楽しげに笑う。

 こういうところが、本当に恐ろしいと思う。ダージリンの劣勢なんて、反撃される前フリでしかないのだから。

 

『――けれど』

「けれど?」

 

 ダージリンが、「ふう」と息を吐く。

 

『……茶山さんの言葉を、激励を、応援を、もっと聞きたい。これからもずっと、あなたの情熱を独り占めにしたい』

 

 鼻で呼吸する。

 

『茶山さん。――あなたのくれたスカーフは、あなたの魂そのもの。大学でも、戦車の中でも、あなたは私を守ってくれていますわ』

「そう……なんだ」

 

 か細い声しか出せない。

 あまりの喜びに、感情が追い付いていないから。

 

『……このスカーフ、もっと早く手に入れたかったですわ』

 

 え、

 

『そうすれば、私は全国大会で優勝出来たでしょうから』

 

 重力に従うように、茶山はうなだれていく。

 嬉しい、喜ばしい、愛おしい――これら以上の言葉を、探し出すことが出来ない。それがひどくもどかしくて、とてもたまらない。

 

―――

 

 ダージリンのことを尊敬し始めて、もう619日が経つ。これからもきっと、続いていくだろう。

 

 今現在、茶山は大学の食堂でうどんを啜っている。真正面に座っている男友達が「あー暇だなー」と背筋を伸ばし、茶山は「そうだなー」と同調する。

 それでいい、と思う。それがいい、と実感する。刺激なんてものは、大抵はロクでもないものなのだ。

 無事平穏が一番、平和が最高。友人のぼやきすらも、どこか癒しにすら聞こえる。

 

 携帯が震え、ポケットから引きずり出す。画面には、「新着メール:ルクリリ」の文字が。

 

「どしたの」

「友人からメール」

 

 内容はなんだろう、プロレス関連かな。ヘラヘラした気持ちのまま、メールを開封する。

 

「え」

「どした」

「あ、いや、なんでもない、うん」

 

『茶山さん、大変です。隊長と先輩が、戦車で『ケリをつける』ことになりました。この後、私も参戦します。

これまでは膠着状態だったのですが……先輩が、馬鹿なことを言ってしまったのです』

 

 指をスライドさせる。

 

『そのスカーフ、何? キザったらしいわね。と』

 

 平和じゃなくなった。

 ルクリリに『頑張って』と返信し、携帯をポケットにしまう。

 ――椅子の背もたれに身を預け、途方に暮れたまま見上げる。視界に映るは、争いも汚れも知らなさそうな、白い天井だけ。

 

 挑発を受けた時、ダージリンは喜色満面の笑みを浮かべたに違いあるまい。そしてすぐさま、実に丁寧な言葉遣いで「表に出ろ」と指示したはずだ。

 心の中で祈る。

 戦車に乗れる体のまま、生きて帰って欲しいものだ。先輩が。

 

 

 数時間後、ダージリンとアッサムとルクリリからメールが届いた。まずはルクリリのメールを読んでみよう。

 

『勝ってきました、ひどかったです。

まず、先輩の戦車以外を片付けました。その後はじわじわと包囲していき、士気をくじいた後で一斉発射――可哀想でした。

まあ、正直に言いますと、ざまあみろおとといきやがれって感じです。

スカッとしました。これでしばらくは、先輩も懲りる事でしょう。やっぱり恋って強いですね』

 

 次に、アッサムのメールを開く。

 

『今日もお疲れ様です。

先ほど、隊長と先輩が『練習試合』を行いました。半ば決闘みたいなものでしたが。

結果は圧勝でした。隊長の手腕によるものか、先輩が大したことなかったのか、或いは両方かもしれません。

で、隊長ときたら、試合が終わった後で『ありがとうございました』と頭を下げました。すっごくいい笑顔でした。

やっぱり、この人を敵に回してはいけませんね。

――これからもどうか、隊長をよろしくお願いします』

 

 最期に、ダージリンのメールを展開する。

 ――1文字もテキストが打たれておらず、茶山が首をかしげる。画像が一枚添付されていたので、読み込んでみると、

 

 先輩のものであろう、ボロクソにやられた戦車を背景に、ダージリンが世にも恐ろしい笑顔でピースサインをしていた。

 

―――

 

 ダージリンの事を守ると誓って、657日が経過した。日光というか、夏が蒸し暑い。

 

 もう、戦車道全国大会の決勝戦だった。もう、そんな時期だった。

 ダージリンと共に、特設モニターを注視する。試合内容は聖グロリアーナ女学院 対 黒森峰女学園――オレンジペコとローズヒップにとって、最後の全国大会となる。

 聖グロも黒森峰も、絶対に妥協せず絶対に違えず絶対に屈しない。あとは、目に見えない実力差のみが全てを決め、

 

『フラッグ車、大破! 優勝は、黒森峰女学園ッ!』

 

 ほんの少しの間を置いて――観客が、大爆発を起こした。

 中には笑っている者が、中には泣いている者が、中には叫ぶ者が、中にはうなだれる者が、中には二人で踊る者が、中には、

 ダージリンは、小さく拍手していた。

 だから、茶山も手を叩く。

 

 聖グロは、全力をもって黒森峰と戦った。戦車道を以って、武を表現しきった。

 オレンジペコ率いる聖グロ戦車隊は、間違いなく華麗で優雅だった。

 

―――

 

 愛するべき人を知って、もう692日目だ。

 今日は河川敷で花火大会が開催されるらしく、家の前の人通りが随分賑やかだったりする。フリーだった頃は、窓から花火を眺めては「へー綺麗なもんだ」とか感想を漏らしていた。

 ――勿論、今年は花火大会へ出撃する予定だ。

 そうなった原因はといえば、勿論ダージリンである。朝早くから『今日、花火大会へ行く?』とメールを送信したのだが、ダージリン曰く『行けたら行きますわ』とのことだ。

 これは一種の前振りで、「待ち合わせ時間は教えないが、必ず迎えに行く」という意味がある。なので、茶山は現在進行形で身構えていた。

 

 既に午後六時、あと少しで花火が打ち上げられる。

 自室の窓から外を覗き見てみると、やはり人の流れは止まってなどいない。今頃、河川敷は観客で埋まっていることだろう。

 空を見る。

 何度も見た満天の星空が、今となっては心を高ぶらせてくれる。あの星々に混ざって、花火が咲き誇るのかと思うと――

 

 チャイムが鳴った。

 瞬間、携帯とサイフをポケットに突っ込み、ドラッグカーの如く駆け抜け、自室のドアを雑に開ける。そのまま階段を乱暴に下っていっては、遠く感じられた玄関へ到着し、

 

「はい……ああ、リンちゃん! 今、息子が丁度降りてきたところよ」

 

 だと思った。

 タキシードを着こむかのように、服を整える。母が「入っていいわよー」と、電話越しで許可を下した。

 玄関のドアが開く、やっぱりダージリンが来てくれた――赤い浴衣姿で、髪は整えたまま。

 

「え、あ……」

「今晩は、茶山さん」

 

 ダブルサプライズを食らい、茶山の意識が、体が凍った。

 女性の浴衣姿なんて、何度も流し見したはずなのに――当たり前だ。相手はダージリンなんだぞ。

 

「あらー、かわいい!」

 

 居間にいた父も駆け付け、「おお、これは……」と感嘆の声を漏らす。ダージリンが一礼した。

 一方茶山は、目も脳ミソも心の中も、「最高だ」としか発想できなかった。

 

「花火大会へ行こうと思いまして。茶山さんを、連れていっても構いませんか?」

 

 父と母は、「どうぞどうぞ」と笑顔で快諾した。一方茶山は、「本当にこの人が僕の彼女……?」と、世迷い事を思考している。

 

「ありがとうございます。さあ、行きましょう」

 

 手を伸ばしてきた。

 

「う、うん」

 

 靴をはき、ダージリンの白い手をぎゅっと握る。

 

「頑張れよ」

「何をだよ」

「何だろうな」

 

 父の適当な言葉を背に、茶山とダージリンは河川敷へ歩んでいく。

 

 

 河川敷へ通ずる道すら混み気味だったのに、肝心の河川敷といったら――戦場だった。

 普段は人気の少ないスポットなのだが、今となっては右を向いても左を見ても人だらけで、老若男女問わずの激熱ロケーションと化していた。

 河川敷の世界へ、少しだけ入り込む。

 提灯がぎらぎらと河川敷を照らし、喧騒がやんややんやと飛び交い、屋台のオヤジが美味い美味いと主張し、名物「花火高射砲」がどかんどかんと並んでいる。そんな祭りっぷりをよそに、河は無関心そうに流れゆく。

 

「人、多いですわね」

 

 ダージリンの表情は、実に明るかった。

 色とりどりの着物が視界に映り、学生グループらしき連中が「あっちいこーぜー」と、何処かへ指さす。子供が屋台のオヤジ相手に「これちょーだい」と注文し、オヤジが「毎度!」と元気よく返事した。

 数多いカップルの一組が、「高射砲ってかっこいいですねぇ、好きになりましたぁ」と評価する。デカいものは、男女問わず好かれるものであるらしい。

 

「さて……食べ歩きしよう」

「はい!」

 

 微笑を浮かばせていたダージリンが、ぱあっと笑顔になる。手を繋いだまま、焦らない足取りで、屋台のド真ん中を突っ切っていく。

 何でもありの飯の匂いが、食欲を誘う。

 

 

 筒から火薬が発射され、夜空に火が花開く。観客の絶叫とともにメインイベントが迎え入れられる中、茶山とダージリンはわたあめを、スルメイカを、りんご飴を、フランクフルトを――まだ食う、ダージリンだって食う。祭りの勢いに背中を押されるまま、屋台という屋台を攻略していく。

 

「綺麗ですわね」

 

 茶山が頷きながら、かき氷をかっ食らう。そのままごくりと飲み込み、次の言葉をするりと思いついた。

 ――このセリフに対し、男である茶山は、

 

「君の方が綺麗だよ」

 

 あえてダージリンの方は見ない、こっ恥ずかしいに決まっているからだ。――強烈な視線を感じようとも。

 

「茶山さん……あ、あなた、大真面目にそんなことを」

「ダメ?」

「……ダメ、じゃないですけれど」

 

 だよね。

 爆発的な緊張感が解けて、含み笑いがこぼれてしまう。それが気に入らないのか、ダージリンは「まあ」と口にした。

 

「そうやって、人の感情をもてあそんでっ」

「ダージリンに対しては、嘘はつかないよ。嫌われたくないもの」

「……そう」

 

 感情が読み取れない、静かな声。ダージリンの方へちらりと視線を向けると、どこか嬉しそうな表情で花火を見つめていた。

 安堵して、小さくため息をつく。

 これでもかとばかりに花火が連射され、星空が虹色に彩られていく。闇の恐ろしさなどどこにもない、今日ばかりは情熱だけが活きている。

 

 数分後、アナウンスとともに花火高射砲がリズム良くぶっ放された。

 数メートル離れているはずなのに、衝撃がダイレクトに伝わってくる。ダージリンが「きゃー」と黄色い声を上げた。

 数秒の間を置いて、戦車を象った花火が空中に炸裂する。観客が大歓声を上げ、あまりの興奮に拳を振り上げる者もいた。茶山は「聖グロの戦車じゃなかったな」と悠長にコメントする。

 

「あら……よく知っているのね」

「聖グロだけはね」

「どうして、そこまで聖グロに熱心なのかしら?」

 

 分かっているくせに、ダージリンはにやにやと質問をする。茶山が「それはだねー」と前置きし、

 

「――ダージリンがいるからだよ、もう」

 

 再び、ダージリンの手をぎゅっと握ってやる。ダージリンがびくりと震えたが、すぐに応えてくれた。

 

「良い理由ですわ」

 

 不純である気もしなくはない。

 だけど、動機なんて大抵はそんなものだと思う。

 

「この数年、僕はダージリンに色々な事を教えられた」

 

 再び、花火高射砲がぶっ放される。しんみりとした空気が消え失せ、内心「いいねえー」と躍る。

 花火高射砲は、地元では古くから伝わる伝統の一つだ。元々は倉庫に眠っていた高射砲に対し、「解体しようかな――あ、花火大会あるじゃん」みたいなノリで使い始めたのが、事の発端らしい。

 元が軍用ということもあって、頑丈で逞しく、発射音が心地良くうるさい。この単純な派手さが地元住民に気に入られ、瞬く間に人気コンテンツと化した。今となっては、「打ち上げ花火専用高射砲」たるモノも存在するとか。

 今度は、戦闘機型の花火が空を舞った。

 

「……そう?」

「うん。聖グロのこととか、戦車道についてとか、紅茶に関してとか、本当に色々。ダージリンからは、たくさんの影響を受けたよ」

 

 花火高射砲が火を噴く。整頓された発射音の連鎖は、かえって聞き心地が良い。

 花火高射砲は、発射音と爆発音の調和が最重要視される。観客はもちろん、全国の花火ファンからの評価も高い。最も評価の高い花火職人には、高射砲型トロフィーが献上される。

 

「……それは、良かったですわ」

「うん。――絶対に守りたい人も、見つかったからね」

 

 ダージリンが、「それは?」と聞く。期待するように、とても嬉しそうに。

 

「……君だよ」

 

 ――頬に、暖かい感触が伝わった。あまりにも恥ずかしかったので、確認なんて出来やしなかった。

 

 この空に、チャーチルの形をした花火が輝いた。

 

―――

 

 ダージリンについていくと決めて、700日目。これからも、こうした日々は続く。

 食堂でカレーを注文し、友人と映画について語り合う。友人は昔から映画が好きで、ジャンルは何でも良いのだという。とにかく、映画館で映画を見られれば良いのだとか。

 最近は「戦車で恋愛」の続編が上映されているらしく、ダンスシーンが見ものだとか。今度、ダージリンも誘ってみようかな。

 そんな時、携帯が震えた。

 茶山が「ごめん」と一言断り、ポケットから携帯を抜く。アッサムからのメールが届いていた。

 

『こんにちは、お元気でしたか? 私たちは相変わらずです。

相変わらず隊長はスカーフを見せびらかしてきますが、そのことを指摘出来る者はいません。正直、何とかしてください。

それはまあ良いとして、ここからはヨタ話として聞いて欲しいのですが――例の先輩が、何か妙な動きを見せ始めました。

戦車道で大敗して以来、直接ちょっかいを出してはこなくなったのですが、何か怪しい本を読んでいるのだそうです』

 

 指をスライドさせる。

 

『その……こんなことを書くのは気が引けるのですが、オカルト関係の本を漁っているみたいです。

もしかしてあれでしょうか、そういうことでしょうか? 一応、警戒した方が良いかもしれませんね、どうしようもありませんが。

 

一応、報告しておきます。最近は寒くなってきましたから、風邪などには気を付けてください』

 

―――

 

 茶山と向き合って、729日目。これからも、この人生は続いていくのだろう。

 今日は何となくカレーが食べたくなって、食堂で注文をする。数分後にはカレーが提供され、その出来立てっぷりにいよいよ腹が鳴った。

 トレーを両手に、少し駆け足で席に座る。さあ食うぞと、スプーンを手にとり、

 真正面の相席には、よりにもよって西住まほが居座っていた。

 まず、ダージリンは「やあ」とスマイルを決める。まほもお嬢様だからか、「元気か?」と微笑を浮かばせた。

 ――多分、ほぼ同時に腰を下ろしたのだろう。そうでなければ、こんなミスが起こりうるはずがない。

 小さくせき込む。

 さっさとカレーを食べて、せっせと食堂から出ていってしまおう。それがいい。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 被った。

 だが、不快感は抱かない。むしろ、「流石」と称賛した、してしまった。

 

「ふむ……おいしい」

 

 少しだけ、ダージリンの表情が明るくなる。流石はお嬢様大学だからか、ご飯の味はしっかりと保障されていた。

 ちなみに人気メニューは、天丼定食だ。今度注文してみようかな、と考えている。

 

「ほう」

 

 実に上機嫌そうに、まほが声を漏らす。

 

「お前も、カレーの魅力に気づいたようだな」

「……まあ、カレーは人気食品ですし」

 

 そうだろうなと、まほが頷き、

 

「どうだ? カレー愛好会に入ってみないか?」

 

 まほが、挑発的な笑みを見せびらかす。ぜんぜん歓迎なんてしていないくせに、よくもまあ言えるものだ。

 

「いえ、私は『戦車と紅茶』でのお付き合いがありますので」

「そうか、残念だな」

 

 全くもって、心のこもっていない「残念」だった。

 カレーは好きだが、まほの目の前でカレーを食べたのは実に失敗だった。これでは、サークルの質で負けたような気がしてならない。

 

「まあいい、カレーが好きならいつでも来い。――私は、心が広いからな」

「ありがとう。では、機会があればいずれ」

 

 本心など、あっけなく霧散していた。周囲の生徒達が「怖い……」と怯む中で、ダージリンとまほは互いに一歩も退かない。

 

「そういえば、この前は見事だったな」

「この前? ――ああ、試合」

 

 まほが、スプーンでカレールーを白米にかける。

 

「フラッグ戦だというのに、殲滅戦へ持っていくとはな。本当、嫌っていたとみえる」

 

 だが、まほは咎めることなく、

 

「正直、私も先輩のことは好きじゃなかったからな。ああいうのは嫌いだ」

「好きになる人なんて、いるのかしらね」

 

 同時に、コップに入った水を飲む。

 

「ま、いるにはいるんだろう。グループも出来ていたようだし――だから正直、お前の勝ちっぷりには爽快感を覚えた」

「あら、ありがとう」

 

 ふふん、と微笑する。

 

「これで、私の方が戦車道は上、と」

「それは違うだろう」

 

 即答された。

 

「私とお前、勝敗結果は五分五分。私が勝てばお前が勝ち、お前が勝てば私が勝つ……なんなんだろうな、これは」

 

 全くもって面白くなさそうに、まほが眉をハの字に曲げる。

 

「――互角、とでも?」

「互角? お前とか? ありえないな」

「それはこちらのセリフです。たまたまですわ、た、ま、た、ま」

「ああそうだな、たまたまだな。まあ、壁は高ければ高いほどいい、乗り越えがいがある」

 

 あからさまに、「お前はこれ以上上達しない、首を洗って待て」と宣告された。

 ダージリンは、あくまでからっと微笑し、

 

「壁? 壁ね……それは、あなたの方では?」

「ほう?」

 

 ダージリンが、カレーを頬張る。何度かかみ砕き、飲み込んで、

 

「あなたはお堅い気質持ちでしょう? なら、あなたこそ壁に相応しい。私はそれを乗り越える騎兵といったところですわね」

「ふむ、その意見にも一理あるな」

 

 まほがカレーを咀嚼する。周囲の生徒は、ごくりと口ゲンカを見守っていた。

 

「なら私は、壁を高く積み上げるとしよう。突破の出来ない騎兵を見るのは、まこと忍びないが」

 

 沈黙する。

 あくまで優雅に、華麗にカレーを味わうが、目に込められた殺意だけは手放さない。

 

「……ところで」

「何か?」

「そのスカーフ、最近になって見かけるようになったな。――噂によると、そのスカーフのことを馬鹿にされて、練習試合に持ち込んだらしいが」

 

 ダージリンが「ええ」と、嬉しそうに声を明るくし、

 

「これは、茶山さんからいただいたものなの」

「ほう」

 

 ダージリンが、スカーフを愛おしそうに撫でる。

 

「このスカーフは、私にとっての誇りなの。それを傷つける者は、誰であろうと許さない」

「そうか。……いいな、いいよな、そういうの」

 

 ダージリンが、同調するように微笑んだ。

 

「私は、世界一の幸せ者よ」

 

 そこで、まほが「いや」と首を振るい、

 

「私の方が幸せ者だ。くじけそうになった時、孤独を感じた時、いつも支えてくれる人がいるからな」

「ああ、そういえば彼氏持ちでしたっけ」

「そうだ」

 

 ダージリンが、「ふむ」と口にし、

 

「それは良いことですわ。……私は、幸せを祈られるほどの幸福者ですけれど」

「ほほう、良いな。――私は、沢山の遊び方を教えて貰ったぞ。だからこそ、サークルを作れたと思う」

「善き人を見つけたようですわね。でも流石に、私ほど満たされてはいないでしょうけれど」

「何を言う。私は、この世界の事がもっと好きになったぞ。これからも、躍るような人生を送りたい」

「なるほど……結論を言わせていただきますと、私の方が幸せみたいね」

「いや、それは違うな」

 

 ダージリンとまほに、太陽のような笑顔が生じた。

 

「ん?」

「ん?」

 

 食堂が沈黙する。

 

「この後、『授業』がありましたわよね?」

「ああ、『授業』があったな」

 

 一方は、淑女らしくカレーを味わう。一方は、愛好家らしくカレーを堪能する。

 ほぼ同時に食べ終え、ほぼ同時に水を飲み干し、ほぼ同時に手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 間。

 

「こんな格言を知ってる?」

「聞こう」

「両虎人を争って闘えば、小なる者は必ず死し、大なる者は必ず傷つく。戦国策に書かれてある文章ですわ」

 

 まほが「ほう」と、同意する。決して否定はしなかった。

 

「勝ってやる」

「負かしてあげますわ」

 

 同時に席から立ち上がり、トレーを片付けに行く。現在は引き分け状態だ、絶対に勝ち越してやる。

 戦車道も、サークルの規模も、幸せも、全部まほに勝ってやる。

 

 まほの、金属板で出来たネックレスが不敵に光った。

 

―――

 

 ダージリンのことをよく知ろうとして、763日が経った。

 自室で、無意味に床へ寝転がりながら、ダージリンのメールを開く。

 

『今晩は、もう冬になりましたね。年を取ったせいでしょうか、時間の流れが早く感じられます。

風邪などはひいていませんか? 悩みを抱えていませんか? 困ったことがあったら、すぐに私に伝えてください。私は、あなたの味方です。

私の方は、特に問題ありません。例の先輩も鳴りを潜めましたし、あとはまほを乗り越えるだけです』

 

 画面を、上下に操作させる。

 

『ただ気になるのは……例の先輩が、あやしげな本を読み漁っている、という点でしょうか。

アッサムによると、呪いめいた言葉が書かれた本だとか、どうとか。もしかして、私は呪われてしまうのでしょうか。

――まあ、気にすればするほど効果が高まりそうなので、無視することにします。それよりも、あなたから与えられる幸福に身を委ねたいものです。

スカーフは、今でも大切に身に着けています。もちろん、ベレー帽とセットで。

 

これからもどうか、元気でいてください。繰り返しになりますが、困ったことがあったらいつでも頼ってください。

あなただけの、ダージリンより』

 

―――

 

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

 ――今、暇ですわよね? 実は一つ、ストックしておいた怪談がありまして。是非、茶山さんと愛する妹に聞いて欲しいかなと。

 ささ、紅茶でも飲みながら、私の話を聞いてくださいな。

 

 

 大学の教室でね、突如として凄い眠気に襲われたのよ。こんなことってあるんだなあって思いながら、流されるように寝てしまった。

 ……で、目を覚ましたのだけど、もう夕方だったわ。教室には人がいないし、「何やってるんだろ」とか呟きながら、私は教室から出て行った。

 もう遅い時間だったのかしらね、廊下で人とすれ違うことはなかったわ。物音も聞こえてこない、虫一匹も見当たらない――大学には、私だけが取り残されていた。

 

 何だか怖くなっちゃってね、駆け足で大学から出ていったわ。もちろん、それまで人と会うことは無かった。

 それでキャンパスまで到着したのだけれど――そこに、一両の戦車が放置されていたの。

 私は首を傾げたわ。この戦車、何処かで見たような……って。

 まあ、後回しにしたわ。一刻も早く、自宅へ帰りたかったから。

 

 大学から少し歩けば、街並みが出迎えてくれたわ。でも、もう遅い時間だからか、人影らしいものは見当たらなかった。

 何となく見上げてみるとね、もうすっごい真っ赤なの、空が。このまま落ちてくるんじゃないかってくらい、圧迫感があったわ。

 私は、なるだけ早歩きで街並みの中を進んでいったわ。看板とか、建造物の窓は光っているのに、道路には車一台も通らない。通行人も存在しない。

 この時の私は、「遅い時間だからかな」としか思えなかった。

 とにかく、自分の家に帰りたかった。

 

 それで、街並みを歩いているとね――建物と建物の隙間から、何かが覗いていたの。

 びくりと、気配を察したわ。これは何、何が私を見ているのって。

 自分の両足は、びくともしなかった。不安と恐怖と好奇心を抱いたままで、隙間を覗いてみたの。

 

 戦車の主砲が、こっちを「狙っていた」。

 

 足が動くようになって、私は全力で走った。真っ赤な空の下で、誰ともすれ違わないまま、私は曲がり角を曲がった。

 ――足が止まった。その先には、あの戦車が待ち構えていたから。

 声も出なかったと思う。私は迂回して、何とか帰宅しようとしたのだけれど――行く先々に、あの戦車が待ち受けていたの。

 久々に「逃げた」わ。もう他人が欲しくて欲しくてたまらなくなって、コンビニへ駆け込もうとした。

 

 ……自動ドアが開かなかった。窓越しからコンビニの中を眺めてみても、店員さんは何処にもいなかった。

 次は交番、次は警察署、次はゲームセンター、次はカラオケ店と、とにかく人がいそうなところへ飛び込んでみた。

 けれど、何処も開かない。人気すら感じられない。私はカラオケ店の前で、「なんで?」と恨めしそうに口にしたわ。

 そうだ携帯――駄目だった、電源を切らしてしまっていたわ。ああもうと、苛立っていると、

 

 後ろから、肩を叩かれた。

 

 心臓が跳ねて、急に体温が奪われていって、けれども首が勝手に動いてしまって、

 あの戦車が、私の背後に佇んでいた。

 逃げた、気づけば逃げていた、そうすることしか頭に無かった。

 

 何とか住宅街まで駆け込んで、自宅へ通ずる道へと右折して――戦車が、待ち構えていた。

 今まで楽観視していたのか、それとも現実逃避していただけだったのか。今更になって、私は命の危険を感じたわ。

 絶対に死にたくない、何としてでも家に帰る。それだけを考えて、私はありとあらゆるルートを走り回った。

 曲がった先には、戦車がぼうっとしていることもあった。時には、何もないこともあった。

 時々、知らない家の呼び鈴を鳴らしてみたのだけれど、まったく反応が無かった。家の中を覗き見しても、お母さんもお父さんも子供もペットも、命らしいものはまるで存在しなかった。

 

 試合を行う以上に、私は頭を使ったわ。たぶん、血管の一本や二本は焼き切れていたと思う。

 それぐらい思考した。全ては生き残る為に、家に帰る為に、家族に会いたいが為に。

 遠回りして、迂回して、時には知らない道を通ったりもした。息なんてとっくに切れていたけれど、鞭打って何とかしてみせたわ。

 

 そして、ようやく自宅が見えてきた。この時ばかりは、家の大きさに感謝したわ。

 私は生還したんだって、あの戦車に勝ったんだって、ようやく家族に会えるんだって、父に抱きしめてもらうんだって、母に慰めてもらうんだって、妹とティータイムをするんだって――正門まで、ふらふらと歩いていったらね、

 

 家の前に、戦車が立ちふさがっていたの。

 

 私は、氷漬けになってしまった。

 もう、どうすることもできなかった。

 生気がまるで感じられない戦車は、最初こそ黙りこくっていたのだけれど――主砲がね、うぃーんって動いたの。

 後はそのまま、作業的に、私の顔面へ照準を定めた。あれが地獄へ通じる穴なんだなって、なんとなく思った。

 

 悠長に考えたわ。痛いのかなって、そうでもないのかなって、この後どうなるのかなって、何でこんなことになったんだろうって。

 受け入れられないがまま、私はため息をついたわ。

 

 その時、私の手を誰かが掴んだ。

 

 体に力が入っていなかった私は、後は流されるがままに連れ去られていった。

 ――その後、だったかしら。聞き慣れた発射音が鳴り響いたのは。

 あの場に居たら、私は成仏していたでしょう。だから私は、手を掴んでいる人へお礼を言おうとしたわ。

 

 でも、口は動かなかった。発音することが出来なかった。

 なんでだろうと疑問に思いながらも、私はただただ引っ張られていった。廃墟みたいな街の中を、駆け抜けていった。

 けれど、ぜんぜん怖くなかった。この人なら大丈夫、この人なら正しく導いてくれる――そんな確信が、あった。

 

 走って何分が経過したのかな。私は、ある一軒家の前に突っ立っていたの。

 表札にはこう書かれていたわ、

 

 「茶山」って。

 

 

 そこで、私は目を覚ましたの。場所は大学の教室で、もう夕暮れ時だった。それでも何人かの生徒が残っていて、サークルメンバーが「あ、おはようございます」と挨拶してくれたわ。

 携帯を取り出してみると、電源はしっかり入っていた。何気なく外を眺めてみると、寂しい黄色の夕焼けが両目に沁み込んだわ。

 この時、何となく思ったの。

 

 ああ、帰ってこられたんだなって。

 

 よく考えてみたら、誰もいない大学なんてありえないのよね。街だって、夜遅くだからこそ賑やかになるものですし。なんで受け入れていたのかな。

 まあ、夢だからとしか言いようがないわよね。夢の中に入ると、価値観とか、認識とかがガラッと塗り替えられることもありますし。

 何はともあれ、現実じゃなくて良かったと思いましたわ。

 

 ――でもね、手には温かさが残っていたのよ。

 身に着けているスカーフと、同じような温かさが。

 

 これで、私の怪談はおしまい。

 

 

「何ですかそれ」

 

 妹が、不満タラタラそうな表情を浮かばせていた。ダージリンの実家の、だだっ広い応接間での出来事である。

 まあ、分からないでもない。正月早々の怪談なんて、あまり良いものではない気もする。

 

「金持ちの家で怪談を聞く……珍しいのかな? いや、屋敷にホラーはありがちというか」

「ちょっと、やめてくださいっ」

 

 怖がりの妹が、何としてでも茶山の思考を遮ろうとする。茶山は「あ、ごめん」と小さく頭を下げた。

 

「どう? 茶山さん。この話……面白かったかしら?」

「え? うーん、そうだね。興味深いというか、奥深いというか」

 

 茶山が、顎に手を当てる。

 

「何となく、ですけれど。ただの夢とは思えなかったの」

「……まあ、なんとなくわかりますけどね。でも夢、夢ですよね、お姉様、ねっ?」

 

 ダージリンは頷かなかった。唸り声を上げながら、「夢だったのかしら」と考察する。

 

「ちょっと、やめてください! ああもうっ、新年早々何してるんですかっ」

「……何してるんだろうね」

 

 たははと、茶山が苦笑する。ダージリンは、未だに思考の海の中へ潜ったままだ。

 

「お姉様聞いてます? お姉様っ」

「……ううん、わからないわね」

「分からないのはこっちのセリフですっ。ああもう、めでたいんですから、食べ歩きでもしにいきましょうっ」

 

 食べ歩きという単語を耳にした瞬間、ダージリンの脳ミソに火がついた。

 それだ、と思った。良い案だと、同調した。

 

「いいわね、そうしましょう」

「行こう行こう」

 

 ダージリンと茶山の賛同を得られ、妹が、ほっと胸をなでおろす。

 

「それでは、出かける準備をしておきます」

 

 後はそのまま、妹が上着を取りに駆けていく。

 ――応接間で二人きりとなり、ダージリンが小さくため息をついた。

 

「災難だったね、夢の中とはいえ」

「ええ、おかしな夢でしたわ」

 

 ダージリンが、口に手を当てる。

 

「……私のことを、執拗に追っていた戦車」

「え」

 

 茶山が、まばたきをする。

 

「夢の中では思い出せませんでしたけれど、目を覚ました時――」

「……わかったのかい?」

 

 ダージリンが、重く頷く。

 

「あの戦車、」

 

 頭の中で、戦車がすうっと姿を現す。人に向けるべきではない主砲は、ダージリンの瞳へ照準を合わせていた。

 

「先輩の、ものでしたわ」

 

 ダージリンにとってのヒーローと出会って、820日目の出来事である。

 

―――

 

 ダージリンに共感を抱いて、829日が経過する。

 唐突な自宅訪問を食らい、ダージリンの実家へお邪魔して、怪談を聞いては食べ歩きを行なって――全くもってやりたい放題な冬休みを過ごしていった。

 去年もこんな感じだった気がする。

 まあいいや。

 そんなわけで、なんとも無いまま大学が始まった。学友と再会して、授業を受けて、食堂で天丼を食べて、そこで友人とお喋りをして、アッサムからメールが届いて、

 携帯を操作する。

 

『こんにちは、元気にしていましたか? 私は相変わらずです。

もう少しで、可愛い後輩たちが入学してきます。こう書くと、なんだかあっという間だったなって気がしますね。

早く後輩たちに会って、隊長のお惚気を共有したいものです』

 

 苦笑しながら、画面をスライドさせる。

 

『本題に入りますが――例の先輩、退学したそうです。原因は『事故』に巻き込まれ、怪我を負ったからだとか。

命に別条は無いそうですが、後遺症が残ってしまい、戦車道を続けることは不可能になってしまったそうです。

……正直、複雑ですね。好きではない相手とはいえ。

茶山さんも、どうか事故などには気をつけてください』

 

 アッサムに対し、本心から『アッサムさんも気をつけてください』と返信する。

 鼻息。

 こんな結末を辿ることになるとは。正直なところ、微妙な気持ちになる。

 個人的な恨みも抱えているし、やっぱり好きになれないが――これ以上、憎む気にもなれない。とりあえずは、人並みの人生を送れるように、心の中で祈っておいた。

 

「どした茶山、なんだか深刻そうな顔して」

 

 ハンバーグを頬張りながら、友人が声をかけてくる。

 対して茶山は、なんでもなかったように苦笑し、

 

「いや、大したことじゃないよ」

 

―――

 

 ダージリンと寄り添って、887日が経過した。もう春になる。

 ダージリンからの誘いで、週末になって食べ歩きを絶賛堪能中だ。今回は入店コースを辿るらしく、うどんやそば、いくら丼と、いつも以上にパワフルで、いつも以上に軍事費がかかっている――のだが、なんとダージリンが、「今日は奢りますわ」と笑顔で宣言したのだ。

 もちろん却下しようとしたのだが、凄く上機嫌そうに「まあまあ」と言われ、後は流されるがままラーメン店で醤油ラーメンを味わっている。ダージリンはとんこつ派らしい。

 

「今日は……その、アグレッシブだね」

「そう思う? そう見えるかしら」

 

 奢る宣言といい、表情といい、食事内容といい、今日のダージリンは実に押しが強い。何か良いことがあったのだろうが、全く見当もつかなかった。

 

「うーん、誕生日……は過ぎたか」

「ええ」

「じゃあなんだろう、進級、じゃないよね」

「ええ」

「戦車道?」

 

 ダージリンが、黙って頷いた。

 並みの頭脳をフル回転させる。戦車道における良い事とは何だろう、誰かに勝ったとか。

 真っ先に思い浮かんだのは――

 

「……西住さん相手に、勝ち越した?」

「残念ながら、未だ引き分けですわ」

 

 広過ぎず、狭過ぎずの店内で、謎は見事に迷宮入りした。

 ダージリンにとっての、問答無用の幸福とは、それしか思いつかなかった。

 

「降参、白旗」

「ふふ……実はね」

 

 よほど嬉しいことがあったに違いない。ダージリンは、次に言うべき言葉を溜めて貯めてタメ込んで、そして、

 

「大学選抜チームの一員に、選ばれましたわ」

「へ、へえー」

 

 まず、本能のままに声が漏れた。

 次に、言葉の意味について理性が解読し始める。

 ダージリンは、戦車道ありきの女子大へ通っている。入学者のほとんどがプロを目指していて、生徒の数だけ対抗心や向上心、そして意志力が溢れている。

 下手な男顔負けの精鋭集団の中で、「お前こそ戦車道を歩むにふさわしい」と認められるのは、それこそ入学試験で受かることよりも困難を極まるだろう。自分なんぞ、一生かかってもたどり着けない極地だ。

 ダージリンは、戦車道の世界の中で、戦車道の未来を託された。大学選抜チームの一員として、しっかりキメてこいと背中を押された。

 ダージリンの、優雅で華麗な姿が、この日本で輝こうとしている。このまま順調に歩めば、いずれは――

 

「マジ……かよ」

「はい」

「マジかよッ!」

 

 ダージリンが、満天の笑顔を浮かばせる。

 

「マジか! ああ……」

 

 感極まって泣きそうになる。涙を流したのは、かれこれ何年前だったか。

 ――そんなことはどうでも良かった。

 とにかく今は、ダージリンが全てだ。

 

「よかった、ほんとうによかった」

「ありがとう。これも、みんなのお陰よ」

 

 茶山が、うんうんと頷く。

 感情が高ぶっているのだろう、店内の濃い匂いがよくよく鼻に伝わってきた。

 

「よし、今日は僕がおごるよ」

「いいえ、今日は私が奢ると決めているので」

「そんなこと言わずに」

「まあまあ」

「そう言わず」

「まあまあ」

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンティーが好きになって、985日目。茶山は大学四年生へ進級し、ダージリンも気づけば三年生だ。本当、年を食うと時の流れが早い。

 そんな風に人生をほっつき歩いていると、ダージリンが通う女子大で文化祭が開催されていた。勿論、強い関心を抱く。

 

『今日は、私の大学で文化祭が開催されます。ですが茶山さんは、私にとらわれることなく自由でいてください。

無理して文化祭へ来る必要はありません。ここは女子大ですし、男の方が来客するのは恥ずかしいでしょう。

茶山さんの恥は、私の傷でもあります。ですから、茶山さんは部屋にいるなり、食べ歩きをするなり、好きにしていてください。

 

あなただけの、ダージリンより』

 

 というメールを、文化祭のど真ん中で見直していた。

 ダージリンが「来るな」と言った理由は、とっくの昔から知っている。「戦車と紅茶」が、メイド喫茶を開店するからだ。

 当然、ダージリンの晴れ姿は見届けなければならない。そうした下心もあるにはあるのだが、真面目な目的もあったりはする。

 

 今現在、「戦車と紅茶」と「カレー愛好会」の間で、売り上げバトルが開催されているのだ。原因は「目が合った」かららしい。

 ダージリンもまほも、大学選抜チームの一員だからかよく目立つのだろう。この争いは文化祭公式サイトでも取り上げられていて、リアルタイムで売上金がカウントされている。

 お互い勝負事は嫌いじゃないらしく、サイトのコメントによると、

 

「紅茶、クッキー、そして優雅で華麗な雰囲気……これこそ、人が求める空気でしょう」

「カレーは、老若男女問わず好かれる食べ物です。疲れたり、お腹が空いたら、是非ここへ」

 

 と、書かれてある。ウェイトレス服を着たまほと、メイド服姿のダージリンが、笑顔で睨み合っている画像つきで。

 別に罰ゲームとか、そういったものはないのだが、この場合における敗北は実に屈辱だろう、キツかろう。

 なので、自分は「義務」で文化祭に参上した、というわけだ。ダージリンの店に貢献しなければならない。

 

 周囲を見渡す。

 女子大の文化祭だからか、当然ながら女性が多い。お嬢様大学だからか、美人揃いだと思う。

 だからといって、出し物まで堅苦しいとか、そんなことはない。屋台は乱立しているし、射的まで用意されている。中には自作アクセサリー売り場もあったりして、好きなように開店しまくっている感じだ。

 ただ、飯ごうで炊いた米が提供されたり、主砲を象ったネックレスが人気商品だったりと、流石は戦車道の大学だった。空に、パンツァーファウスト状の風船が舞う。

 

 客入りもかなりのもので、家族連れが意外にも多い。きっとこの後は、「何で来たのよ、もー」とか怒られるに違いない。

 他にも、雰囲気を楽しんでいるカップルが居たり、老夫婦が食べ歩きをしていたりもする。そして、出会いを求めて歩きさまよう男もいた。

 頑張れ。

 心の中で応援しつつ、まずはダージリンの居るクラスへ足を運ばなければならない。食べ歩きは、その後だ。

 

「いらっしゃいませ、ご主人様」

 

 メイド喫茶「Tank&Tea」は、大変とても繁盛しているらしい。店内からは沢山の男の声が聞こえてきて、それに応えるように女性も話に混ざっている。この時点で、売上金は悪くないと察した。

 しかし――いざとなると、何だか恥ずかしくなってきた。

 首を振るう。

 売り上げに貢献する為に、カレーに勝って欲しい為に、少しでも力になる為に――ダージリンのメイド姿を見る為に。

 茶山は、力強い足取りで入店した。

 

「いらっしゃいませ、ご、」

 

 勇気は出してみるものらしい。茶山を出迎えてくれたのは、リーダーメイドであるダージリンその人だった。

 

「……こっちへ」

「はい」

 

 否応無く手を握られ、廊下にまで連行される。その時、メイド姿のルクリリが「いってらっしゃいませー」と手を振ってくれた。

 

 

「なんで……なんでここに来たのッ?」

 

 怒気の孕んだ声とともに、ダージリンに強く睨まれた。

 しかし、まったくもって怖くはない。これぞ古風といった感じの、ロングタイプのメイド服がダージリンを魅せているからだ。

 もはや怒り顔すら、可愛く見えてしまう。

 

「いやあ、売り上げに貢献しようと思って」

「十分ですっ、あなたがいなくても問題ありませんわっ」

「そんなこと言わないで」

 

 「ふんっ」と、ダージリンにそっぽ向かれてしまった。

 

「それにほら……ダージリンの晴れ姿、見たかったし」

「……予感はしてましたわ……」

 

 心底後悔するように、ダージリンが頭を抱える。彼女の晴れ舞台を見届けない彼氏なんて、地球上に存在するはずがない。

 ましてや、茶山とダージリンは、サプライズに対してサプライズで返し、更にサプライズで反撃してはサプライズで借りを返す関係なのだ。ダージリンも、半ば無駄な抵抗と知ってメールを送信したに違いない。

 

「……迷惑は、かけないようにっ」

「もちろん」

 

 そんな返事をよそに、茶山は実に良い笑顔を浮かばせていた。

 Tank&Teaとは、一体どんな世界が広がっているのか。メイドに変身したダージリンは、一体どんな動きを見せてくれるのか。それが楽しみで楽しみで仕方がない。

 

「あ、ダージリン」

「何ですのぉ」

「写真、撮ってもいい?」

「……どうぞ」

 

 

 Tank&Teaは、まずまずの広さの一室を借りて、今日も絶賛営業中だ。

 しかし、大学の日常が垣間見えるのはそれだけで、まず、赤いカーペットが敷かれている点が凄い。これだけで、客からは「しっかりしてる」と刷り込ませられる。

 お次に机と椅子だが、全て「白」で統一されている。大学の備品なのか、或いは私物なのか――たぶん前者だろうが、「無造作ではない=拘っている」という熱意が伝わってくる。これもまた凄い。

 次に壁だが、戦車の肖像画が飾られている。油絵らしく、質量と「メイドらしさ」が感じられる。この計算っぷりも凄い。

 明らかに私物であろう、暗い黄色混じりのカーテンからは「ここでも妥協しないからな」という主張が聞こえてくる。ここまでやるか感が凄い。

 次にメイド達だが、流石はお嬢様大学、言うことはない。容姿端麗で雰囲気も良し、しかも客と雑談に付き合いつつ、一歩引いていたりと、安全面も確保してある。真面目に凄い。

 出されてあるメニューも、見るからに形が整っている。市販のものか、手作りか――たぶん、両方だろう。腹が減ってきた、凄い。

 この非現実っぷりに、知能指数が若干危うくなったものの、最後にダージリンを見てみることにする。

 

「もう、私を見ていないで、はやく席にお座りを」

 

 凄い。

 

 

 客入りが半端なく、既に窓側付近の一席しか空いていなかった。

 ダージリンに案内されるがまま、椅子に腰掛け、メニューを手渡される。

 

「ご注文は、ご主人様」

「じゃあ、このTank&teaおすすめクッキーセットと」

 

 紅茶は何にしようか。

 近くの席から「俺、隣の県から来たんだ」と主張する声が聞こえてくる。対してメイドは、「まあ、お疲れ様です。ここで体を癒してくださいね」と笑顔で接客をこなしていた。

 ――オレンジペコだった。

 目が合い、にこりと表情で挨拶される。茶山も、小さく頭を下げた。

 

「あ、失礼。じゃあ、紅茶は……このアールグレイで」

 

 その時、ダージリンが深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありません、ご主人様。アールグレイは人気商品のため、品を切らしていまして」

「あ、そうなの」

 

 凄いなあ、と思う。当たり前といえば当たり前なのだが、紅茶も品切れを起こすんだなあ、と思う。

 そして、大して離れてもいない席から聞こえてくる、「アールグレイですね、かしこまりました」の一声。

 

「……アールグレイ」

「申し訳ありません」

「……アッサムティー」

「それも現在、切らしておりまして」

 

 呼吸。

 

「ダ、」

「ダージリンティーですね、かしこまりました」

 

 最高の笑顔だった、変更などさせてもらえなかった。ダージリンが、部屋の奥へと姿を消していく。

 椅子の背もたれに身を預けながら、窓の外を眺める。

 

 空は、他人事のように晴れ渡っている。最近はよく暖かくなった。

 大地では、変わらずに祭りが踊っている。普段は関係者以外立ち入り禁止だが、今だけは、この瞬間は、全ての人間を受け入れている。

 年を食ったせいか、「それがいい」と思うようになった。子供の頃から巣立ちした今だからこそ、賑やかさが愛おしい。

 ダージリンも、今は喧騒を楽しんでいるのだろう。それで良いと思う。

 お嬢様だって、時にはお転婆さが必要となる。

 

「愛されてますね、ご主人様」

 

 茶山を現実世界へ引き戻したのは、まだ入学したばかりのオレンジペコだった。

 顔つきが、体型が、メイド服としっかり似合っている。可愛かった。

 

「そ、そうなのかな?」

「ええ。ダージリン様、嬉しそうでしたから」

「だといいなぁ」

 

 苦笑する。確かに、メイド服姿を見られるのは、とんでもなく恥ずかしいことだろう。

 だが、見たいものは仕方がない、しょうがないのだ。愛する者相手なら、尚更のことだ。

 そんな言い訳をぽつぽつ考えながら、茶山はメイド服姿のローズヒップを、ぼうっと眺めていた。

 ローズヒップは話し上手らしく、引く手あまただった。

 

―――

 

 恥ずかしかった、疲れた。

 茶山へメニューを届けた後、店の主導権をアッサムに預け、ダージリンは階段の踊り場まで退避していた。

 見られた。やっぱり見に来た――違う。見にきてくれた、か。

 だからこそ、心底疲れた。働くだけならまだしも、茶山に見られながらなんて、とてもでないが耐えられない。後で借りを返さなくては。

 ため息をつく、壁に寄りかかる。

 恋って、本当に恥ずかしい。

 

「あーあ……」

「あーあ……」

 

 意味もなく、声を上げる。

 人とすれ違っていくが、着ぐるみ姿の客引きだったり、パンツァージャケットを装備していたり、中には男装をした生徒がいたりと、メイド服だろうが何を今更だった。

 

 思うと、何でメイド服を着ているんだっけ。

 思い起こす、すぐに思い出す。

 まず、サークルらしいことをやってみたいと、自分が提案した。次に、「それなら喫茶店が良いのでは?」とオレンジペコが提案した。更には「何か変化をつけたいですわね」と、ローズヒップが意見した。

 そこで「メイド喫茶、これどうです?」という、ルクリリからの決定打が飛んできた。ダージリン含むサークルメンバー一同が「いいね!」とノッて、後はそのまま部屋を借り受けては、出来る限り本格的に仕立てようとした。

 こればかりは「他の店に負けてたまるか」と、サークルメンバーが自発的に燃え上がった。センスを総動員させ、予算を何度も計算し、いざとなれば私物を引っこ抜いてきた。やっとこさメイド喫茶を完成させたところで、「ズレてる!」とか「色合いがちょっとキツくない?」とか、好き勝手に文句を言い合ったものだ。

 で、メイド服を調達して、身につけてみれば――これがまた大いに盛り上がった。変身願望というものもあったのだろう、これで接客も悪くはないと考えた。

 

 が、ダージリンだからこそのうっかりミスに気づいてしまった。茶山が来たらどうしよう、と。

 なので、茶山には「なるべく」来るなとメールで伝えておいた。結果は予想通り。

 まあ、いいけどね。知ってたからね、ドンピシャだったからね――そうして、ダージリンは強がった。

 

「来るなんてね……」

「来るなんてな……」

 

 どうも、お隣も同じ境遇らしい。心の底から同情する。

 ちらりと視線を向け、まほと目が合い、確認した後に真正面へ視界を戻す。

 一瞬にして、視線を元通りにした。ダージリンと同じく二度見したらしく、まほのショートヘアが揺れていた。

 

「なんであなたがここに」

「なんでおまえがここに」

 

 ハモった。周囲からはよく「仲が良いですね」と評されるが、そんなことはない。断じてない。

 ぼんやりしていたダージリンの表情が、一瞬にして戦車道のものへと変貌する。

 

「……休憩してましたわ」

「そうか、休憩か」

 

 まほが、首をこきりと回す。疲れが溜まっているのだろう、目が細い。

 

「そちらの店は?」

「今はエリカに任せてある。心配するな、必ず私たちが勝つから」

 

 ダージリンが、「ああそう」とばかりに息を吐く。

 

「お前も、随分とお疲れのようだな。何かあったか?」

「ええ、ちょっとどころじゃないトラブルが」

 

 まほが、力なく「ほー」と漏らす。いつもなら「ほほう」と食いついてくるくせに。

 

「ちょっとどころじゃない、か。それは、普通の大学暮らしではありえないことか?」

「ええ、ありえませんわね」

「なるほどな。実は私も、そんなことがあってな」

 

 まほが尻尾を出してきた。たぶん、ダージリンに対して何らかの共感を察したのだろう。

 

「同時に言ってみます? 疲れの原因を」

「ああ、そうだな。そうしよう」

 

 ロクにタイミングも合わせず、

 

「彼が来てしまいました」

「彼が来てしまったんだ」

 

 だろうと思った。

 だが、今回ばかりは「まあいいか」と思った。疲れていたし、上機嫌気味だったから。

 

「本当、男の人って……メイド服とか好きなのかしらね」

「さあな、私はウェイトレス姿だが」

 

 今のまほは、白と黒でまとまったウェイトレス服を着用している。半ば執事のようなスタイルなのだが――悔しいことに、めちゃくちゃ似合っている。自分には合うだろうか。

 

「まったく、来るなとメールに書いたのに」

「ちゃんと、『絶対に来るな』って書きました?」

「……いいや」

 

 だろうと思った。

 ダージリンは、ふん、と鼻息をつく。

 

「恋する者は、恋した者の姿なら何にでも興味を持つものですわ」

 

 まほが「ほう」と頷く。

 

「……そして、恋した者の姿にしか、興味を抱かない」

 

 まほが沈黙する、たぶん赤くなっているのだろう。そうでなければ自分の立つ瀬がない。

 

「……だからなのかしらね、わざとスキを作ってしまったのは」

「かもな、そうだろうな」

 

 お互い、順調に恋しているらしい。良いことだ。

 

「あえて聞きますが」

「何だ」

「『彼』のことは、好きですか?」

「ああ」

 

 まほの横顔を見つめる、まほがこちらに振り向いた。

 

「大好きだ」

「そう」

 

 たぶん、本気で安堵したのだと思う。ダージリンは、安らぐように口元を緩めた。

 

「お前は、『彼』のことは好きか?」

「ええ」

 

 まほが、にこりと笑う。答えなんて知っているくせに。

 

「愛してますわ」

「そうか」

 

 まほが、銀板のネックレスを指でいじる。きっと、プレゼントされたものなのだろう。

 対抗してスカーフに触ろうとしたが――メイド服を着る都合上、外していたことに気付く。

 

「しかし、知らなかったな」

「何がです?」

「愛してくれる人とは、女子大だろうが何だろうが、何処までもついてきてくれるんだな」

 

 まったくもって、迷惑じゃなさそうに言う。

 

「ええ、それはもう何処までも追いかけてきますわ。海の向こう側であろうとも」

「ほう、今度聞かせて欲しい」

「いつかまた今度」

 

 ダージリンがにこりと微笑み、壁から背を離す。そうしてスカートを摘み、一礼した。

 

「そろそろ行きますわ」

「分かった。私もそろそろ行くか」

 

 まほが、うんと背筋を伸ばす。

 さて――勝ちに行こう。今日と明日は、みんなのメイドさんとして生きると決めたのだから。

 

 携帯を取り出す、茶山へメールを送信する。ただ一文だけ、『来てくれてありがとう』と。

 

 

 売り上げバトルの結果はといえば、結局は引き分けに終わってしまった。何となく予想はしていたが。

 お互い「なんで勝ても負けもしないのよ」とぶつくさ言いつつ、ライバル店で食事をとるサークルメンバーも数人いた。もちろん、カレー愛好会からの侵略も受けた。

 あとは流れで記念撮影して、後夜祭のダンスパーティーに茶山を巻き込んで、まほも彼氏とダンスして、はいおしまい。

 

―――

 

 ダージリンと言葉を交わして、1058日の時が流れていた。

 高校戦車道全国大会も終了し、茶山は自室でティータイムに浸っている。

 今はアールグレイを味わっているのだが、ダージリンにバレたら不機嫌になりそうなので、秘密厳守だ。自分は世界一、自由に紅茶を味わえない男だった。

 

 アールグレイは――なるほど、これも飲みやすい紅茶だ。匂いにも存在感があって、「喫茶店感」がある。

 飲み物に関しては、苦い方が好みになって来た気がする。

 

 ――机の上に置いておいた携帯が、やかましく震える。バイブレーションの短さから、メールだろう。

 電源を入れる、画面が点灯する。「新着メール:ダージリン」の文字。

 指を画面に押し当て、スライドさせる。

 

『今晩は、元気ですか? 私も元気です。

今は夏休み中ですが、練習へ参加する日々が続いています。大学選抜チームも楽ではありませんね、紅茶は手放しませんが』

 

メール画面を、上下に流す。

 

『それにしても、この前の大会は番狂わせでしたね。まさか知波単学園が優勝するとは……やはり、『沈黙しつつ、突撃』を覚えたからでしょうか。練度は高いんですよね、あそこは。

――なんとなく、戦車道も変化しているのだと、実感します。変わらないものは、ありませんからね。

ですが、あなたと関係だけは、永遠にこのままであって欲しいものです。

 

私は今度こそ、全国大会で優勝を果たしてみせます。このスカーフと、ベレー帽とともに』

 

―――

 

 ダージリンが一番になって、1067日目を迎える。

 ――あっさりと、大学戦車道全国大会の火蓋が切って落とされた。茶山は、ダージリンを見守るだけだ。

 それでいいと、茶山は断言する。

 

 戦車は女性のものだ。男はそれを見届けるだけでいい。

 だが、ダージリンは言うのだ。スカーフが、茶山の魂が、戦車の中でも守ってくれていると。

 

 光栄だった。

 あとは、ダージリンを信じるのみ。

 

―――

 

 ダージリンに夢中になって1100日が経つ。

 自室で、やや季節外れのアイスをかじっていると――ポケットに入れておいた携帯が振動した。

 取り出し、メールを確認する。アッサムからだった。

 

『今晩は、最近は寒くなってきましたね。この季節の練習試合は、なかなかどうしてこたえるものです。

――なんだかんだいって、あと三勝すれば優勝です。自分たちの腕が通用しているようで、安心しました。

ですが、相手は『敵』ではなく、同じ戦車道履修者です。私たちと同じく信念があり、友情を抱き、愛を知っているでしょう。

だからこそ妥協しません、絶対に勝ちます。その為に、ここまで道を歩んで来たのですから。

 

ですが、週末は隊長のケアを引き続き、お願い致します。

あなたがいるからこそ、隊長はここまでやってこられました。そう思います』

 

―――

 

 ダージリンの言葉を耳にして、1107日が経過した。

 大学戦車道全国大会関連のサイトを見て回っているが、なるほど、ダージリンとまほは高い評価を得ているらしい。既に、「豪のまほ、圧のダージリン」と呼ばれるくらいには。

 まず、まほが動き回って敵陣を引っ掻き回す。ついでに何両か潰して、自分だけは生きて帰る。

 ダージリンは、とにかく狙撃スタイルで援護する。しかし動かないというわけでもなく、徐々に進軍し、敵の空間を圧縮していく――この戦術が、今の大学選抜チームにとっての基礎だった。

 

 三年なのに、上級生からも認められている。

 すごいな、と思う。真似できないな、と感心してしまう。

 ダージリンとまほは、間違いなくプロ候補だろう。実際、それを推奨する声もいくつか上がっている。二人とも仲良く争い合いながら、高みへ、さらに高みへと登っている。

 空のティーカップを、ゆらゆらと揺らす。ダージリンが遠い人に思えてきた。

 そんなことはないのに、先ほどまで一緒に食べ歩きしてたのに。

 

 苦笑する。

 たぶん、夢みたいな状況に盛り上がっているのだろう。

 ダージリンの前進とは、自分の進行でもある。

 

―――

 

 そして、あっという間に決勝戦だ。冬も近い。

 ダージリンの大学選抜チームも、相手選抜チームも、当然ながらプロレベルの腕前を持ち、そして礼儀正しい。

 これぞ宿敵、まさに戦車道だった。

 

 茶山は今、両親とともに特設モニター前で座っている。両親は何も語らない、茶山も口を閉じている。この場全体が、殺気めいた沈黙に飲み込まれていた。

 主砲が唸る、それも一瞬ですぐ静かとなる。

 戦車が走る。観客にとっては、足音のようなものだ。

 また一両から、白旗が上がる。感嘆か、絶望か、どこかからか唸り声が響いた。

 

 ――殲滅戦は、冷徹に進行していく。最後の生き残りはダージリンで、敵との距離はだいぶかけ離れている。

近づく暇はない、先に当てたもの勝ちだ。

 先に――

 

 着弾、白旗。

 

 視認したくなかったが、したくもなかったが、目ん玉は目の前のモノをよく映していた。

 

 ダージリンの戦車が、黒煙を上げていた。車体に、白旗が直立していた。

 

 つまるところが、負けた。ダージリンが、敗北した。

 

 ため息をつく。

 携帯を取り出し、ダージリンにメールを送信する。内容はこうだ。

 

『お疲れ様でした。とっても格好良かったよ。今度、何か食べに行こう』

 

 一つの青春が、過ぎ去っていく。ダージリンに心惹かれて、1133日目だった。

 

―――

 

 大学戦車道全国大会の熱風も、冬の訪れで冷めてきて――冬休みのしょっぱなから、ダージリンの実家訪問を食らった。

 この行動の早さには流石におったまげて、「早すぎない?」と指摘したが、ダージリンは「あなたの傍が一番ですもの」と言い切り、茶山の一切合切を制圧した。

 ダージリンと交わしあって、1182日目の出来事である。

 

「別にいいんだよー、大掃除の手伝いしなくても」

「いえいえ、私も家族の一員ですし」

 

 居間で、ダージリンは窓を拭き、茶山はゴミの分別を行なっている。うわくっせえなと思考しつつ、

 

「家族、か。いや本当、どうしてこんなことになったんだろうね?」

「分からないものですわ、運命というものは」

 

 同意する。時折、ダージリンと交際しているという事実が嘘くさく思うこともある。

 だが、学習机の上に置いてあるティーセットが、そんな世迷いごとなど否定するのだった。

 

「この本、いらないか?」

 

 父が物置部屋から顔を出し、本を掲げてみせる。だいぶ古くなったグルメ雑誌だ。

 

「うん、捨てて」

 

 何も言わずに、父が物置部屋へ引っ込んでいく。父はかなりの読書家で、この時期になると「少しは整理してちょうだい」と母からどやされるのだ。

 その都度、かったるそうに返事をするのだが、物置部屋が改善されたことはない。今年もきっとそうだろう。

 

「窓拭き、完了しましたわ」

 

 ダージリンが敬礼する、茶山も同じくポーズをとった。

 

「じゃあ、ダージリンは休んでて、」

「お父様の手伝いをしてきますわね」

 

 待ってという前に、ダージリンは駆け足で物置部屋まで突撃していった。

 本当、行動派なんだなあと思う。

 

「いい嫁さんをもらったわねえ」

「うるさいよ」

 

 風呂掃除帰りの母が、茶山の後ろから早速からかってきた。

 ダージリンという恋人が出来てから、両親ときたら子供のように茶化すことが多くなった。そんなに大きな変化なのだろうか――なのだろう。

 

「で、」

「プロになってからね」

 

 何度も聞いた。

 ゴミの分別もあらかた終了したので、ゴミ袋を縛り、手を洗う。

 さて、ダージリンは何をしているのやら。

 

「ダージリーン」

 

 物置部屋に顔を出す。母の掃除グセのおかげで、爆発的に埃が舞ったりはしない。

 窓がない密閉空間なので、暖色の電球がぎらりと光っている。その光は、身を屈しているダージリンと父を映し出していて――

 

「え、何してるの」

「茶山さんのアルバムを、拝見させていただいてますの」

「へー、アルバムかあ」

 

 間。

 

「ああっ!? 何アルバムッ!?」

 

 思わず大きい声が出る。ダージリンの視線が、幼稚園児の頃の茶山から、現在の茶山へと移り変わる。

 

「はい、幼いころの茶山さんを拝見させていただいています。可愛いですわ」

 

 男の茶山からしてみれば、そんなもの過去の恥でしかない。猿のように飛び掛かり、床に広げっぱなしのアルバムを奪取した。

 

「え……茶山さん」

「駄目! 見ないで!」

 

 珍しく声が荒む。よりにもよってダージリンに見られるとは、末代の恥だ。

 ダージリンが、目で「見せて」と訴える。父も「いいじゃないか」と口にするが、これだけは絶対に死守しなければならない。

 何故ならば、「何が映っているか忘れた」からだ。それは子供の頃の笑顔かもしれないし、泣き顔かもしれない。もしかしたら、大学生の身分では想像もつかないような醜態を晒しているかも。

 何にせよ、アルバムは厳重に管理しなければならない。彼女が出来たのであれば、なおさらだ。

 

「茶山さん、そんな……思い出は善きものではありませんか」

「じゃ、じゃあ、ダージリンは、アルバムを見せてくれるのかい?」

 

 ダージリンが「うーん」と唸る。

 

「ええ、構いませんわ。今まで生きてきた証ですもの」

 

 電球よりもまぶしいことを言われて、茶山の心がもだえ苦しむ。これが人柄なのかと、これがカリスマなのかと、これが隊長格なのかと。

 

「く……だ、だめだめ。こればかりは克服できない」

 

 クソ情けないことを、堂々と言う。だが本心だった。

 

「……そうですか」

 

 途端に、ダージリンの表情が暗転する。この世の理不尽さを受け入れたかのように、ダージリンは黙ってうつむいた。

 瞬間的に、世論がダージリンへ傾く。父は「お前最低だな」と顔全体で主張しているし、母は「見せてあげなさいよー」と、まるで他人事だ。

 

「う、ううっ」

「……私、帰ります」

 

 え。茶山と父の視線が、ダージリンへ集中する。

 

「帰ります、私。茶山さんに拒絶されてしまっては、ここにいる意味がありませんわ」

 

 まるで生きていないかのように、ダージリンがふらりと立ち上がる。茶山は、圧倒されて何も言えない。

 

「この寒い中で、独りでさみしく、帰りますわ……交通手段も使わず」

 

 じゃあ何分かかるんだよと、心の中で突っ込む。ましてやダージリンは女の子だ、一人で帰らせるなんて、

 

「わ、わ……分かった、分かったよもう。見ていいよ、もうっ」

「ほんとうに?」

「ああもういいよいいよ、好きにしてもうっ」

 

 そうして、ダージリンの表情が花火のように明るくなった。

 知ってた。たぶん、父もこうなることは予想していただろう。

 

「やっぱり茶山さんは優しい人でしたのね……流石、未来の旦那様」

「褒めても何も出ないからね」

「出ないからこそ、嬉しいこともあるのよ」

「そうですかそうですか」

 

 ほれ、とアルバムを手渡す。格好良い写真だろうが、何でもない写真だろうが、恥ずかしい写真だろうが、もうどうにでもなれ。

 写真とは思い出であり、過去だ。それらは決して消せるものではないが、今の為に全てを変えることは出来る――そうやって、自分を慰めることにした。

 

「何かを食べている写真が、多いですわね」

「ええ、昔っからこいつは食いしん坊で」

「あらあら、変わっていないのですね。そういうの、いいなあ……」

 

 どうやら、喜んでくれているらしい。茶山からすれば恥で爆発しそうだが、それでもアルバムを捨てる気にはならない。

 何だかんだいって、過去ありきの自分だろうから。食いしん坊のままだったからこそ、ダージリンと出会えたのだから。

 

「あ、泣いてる。可哀想……けど、可愛い」

「あっ、見るなッ!」

 

 この後は幾度となく、ダージリンの悲しい顔、明るい表情を見ることになった。これも良い思い出である。

 

―――

 

 ダージリンと共に歩むと決めて、1200日目。まだ足りない、始まったばかりだ。

 

 自室でダージリンティーを味わいながら、茶山は食べ歩きガイドブックに目を通していた。

 どうも、近所にケーキ屋がオープンしたらしい。ケーキとは意外にもすばしっこいもので、積極的に求めないと食えなかったりする――今度、立ち寄ってみようか。

 頭の中で適当なプランを練っているところ、充電器に刺さった携帯が震えた。誰かなあと、緩慢な動きで携帯を引っこ抜く。

 メールの送信者は――ダージリンだった。

 

『今晩は、元気でしたでしょうか。最近は大学内で風邪が流行っていて、何人かのサークルメンバーが欠席しました。

選抜メンバーの一部も感染してしまいましたが……それでも、練習は続きます。今は連携を中心に、強化しているところです。

今年は必ず、全国大会で優勝してみせます。その為なら、嫌で嫌で仕方がないですが、まほとも手を組みます。ええ、本当に残念ながら。

 

プロになるという明確な夢は、時には重荷になることもあります。本当になれるのだろうか、とさえ考えます。

全国大会で負けた時は、ひどく自己嫌悪したものです――ですが、すぐにあなたが助けてくれましたね』

 

 指をスライドさせる。

 

『本当に、救われた気持ちになれました。こうして練習を続けていられるのも、友人がいるから、家族がいるから、茶山さんがいてこそ。

……あなたは何度か、『これしか出来ないから』と、食べ歩きに誘ってくれることがありますよね。

それは違います。あなたとの食べ歩きがあってこそ、私は身も心も満たされるのです。そうして、『また頑張ろう』という気になれるのです。

 

本当にありがとうございます。私も精一杯、あなたを愛します。ですから、私を手離さないでください。

あなただけの、ダージリンより』

 

 すぐに返信する。ダージリンの全てを、これからを、未来を支えていく為に、茶山は真剣にメールを打ち込む。

 これが力になるのなら、男としてこれ以上幸せなことはない。

 

―――

 

 ダージリンのナイトになると決めて、1232日が経つ。今日はバレンタインだ。

 

 授業終わり、腹の調子も良し、程よく疲れた。さあ帰宅して夕飯だ――席から立ち上がろうとした時、携帯が震えた。

 何だ何だと見てみると、友人からのメールだった。さっと開封してみると、

 

『キャンパスのベンチに、すげえ美人が座ってるぜ。誰なんだろうな。モデルか? アイドルか? 見たことねえ』

 

 ふーん。

 自分にとってのアイドルとは、理想像とは、ダージリンしかいない――嫌な予感がしたので、メールを打ち込む。

 

『どんな容姿だ』

 

 興奮気味なのだろう、すぐにメールが返ってきた。

 

『金色のロングヘアーが美しい、同年代っぽい女性だぜ。ベレー帽が似合ってる、いいスカーフを身に着けてるな』

 

 お礼のメールを送信し、すぐさま教室から出ていく。いつもより駆け足気味で、まさかまさかと頭の中で考え込む。

 今日は何かあったか、あってしまった。そのものズバリ、ロマンスの日じゃないか。

 けれど、いやしかし、最近は練習とかで忙しいはず――だめだ、そんなリアリティは捨てろ。だって、相手は――

 

 キャンパスへ到着した時、間違いのない存在感が伝わった。

 キャンパスにはいくつかのベンチが設けられているが、その一つに「モデルさんっぽい綺麗な人」が、ベンチへ腰かけている。若い男は勿論、教師、女子生徒までもが、ひそひそと注目していた。

 当然、茶山もモデルさんっぽい人に注目していた。普通なら「綺麗な人だなあ」で通り過ぎるのだが、今回は「綺麗なだけじゃない」ので、放置するわけにもいかない。

 だって、あの人は――

 

「君だれ? 綺麗な人だね」

 

 果敢にもナンパする生徒が現れ、モデルさんっぽい人が「ちょっと用事がありまして」と対応する。ナンパ慣れしているらしく、あの手この手で心を鷲掴みにしようとするが――結局、「また会えたらよろしくね」と追い返されてしまった。

 周囲は、「凄い人だな」と評価する。茶山は、「知ってる」と小さく呟く。

 その時、茶山と目が合った。

 すっと、モデルさんっぽい人がベンチから立ち上がる。茶山ときたら、人気の無い場所まで誘導を開始した。

 

 

 結局、大学の外にまで出ていってしまった。観念したように立ち止まり、あえて後ろへは振り向かない。

 

「そこのあなた」

 

 強い女性の声がした。聞き覚えがあったが、あえて視線を合わせない。

 

「あなたよ、そこのあなた」

 

 強い口調に気圧され、ぐきりと体を向けた。お嬢様的な金髪に、日本人離れした青い瞳、白を強調した清楚な服装に、情熱的な赤いスカーフを身に着けている。

 

「あなた……どうして私のことを素通りするの?」

「……当たり前じゃない」

 

 デジャブが生じる。

 同じようなやりとりを、この前にやったような気がした。

 

「あそこで、僕の彼女だって言えないよ。男たちに敵対されちゃうよ」

「ふむ……」

 

 ダージリンも、思うところがあるのだろう。顎に手を当て、「それもそうですわね」と納得した。

 

「申し訳ありません、急にお邪魔して」

「いや、いいよ。今回はそっちの勝ちだね」

 

 ダージリンが、「やった」とばかりに微笑む。やっぱり怖い人だなあと、茶山は苦笑した。

 

「……練習は?」

「明日、二倍働くと宣言してきました」

 

 無茶だ、とは思わなかった。代わりに、「やるんだろうなー」とさえ考えた。

 

「さて、どうして私はここにいるでしょう?」

「くれるんでしょ? 甘いもの」

 

 ダージリンが得意げに頷き、鞄からチョコを取り出した。今回は袋詰めスタイルらしい。

 

「ふむ、これは……パンツァーファウスト型チョコレート? す、すごい」

 

 見るも手作り感溢れる、精巧な出来のチョコレートだった。それが何本も、袋の中に詰め込まれているのだ。

 腹が減る――というよりは、早く味わいたかった。あっという間に、甘いものが食べたいという気分に支配されていく。

 

「どうぞ、召し上がって」

「い、いただきます」

 

 袋の封を開け、慎重な手つきでチョコの一本を掴む。

 正直、食べるのが物凄く勿体なかった。ここまで来ると、可愛いというよりも格好良さを感じる。本物同様、爆発しそうな説得力すら感じられた。

 

「さあ、食べて」

 

 しかし、促されるがままに食べてしまうのだ。

 ――甘い。

 

「うまい」

「やった」

 

 ダージリンが、ぎゅっと拳を作る。かわいい。

 

「これ、本当に、僕の為に?」

「ええ」

 

 ダージリンの頬が赤く染まり、視線は斜め下へ。何でもない歩道の横を、車が通り過ぎていった。

 

「……あなた以外のチョコなんて……」

 

 本当に、ダージリンは情熱的な女性だと思う。自分だったら、そんな言葉は言えやしない。

 けれど、それで良いのだと思う。何となく、その方が釣り合っている気がしてならない。

 

「ダージリン」

「は、はい」

 

 ダージリンの瞳が、茶山へ移る。

 

「必ず、お返しするね」

「そ、そんな、無理なんてしなくてもいいですわ」

「するからね」

 

 強く言った。ダージリンはしおしおとうなだれていき、か細い声で「はい……」と返事した。

 

「……ダージリン」

「はい……」

「愛してる」

 

 そんな姿がとても可愛くて、お礼が言いたくて、応えたくて、茶山は感謝の言葉を述べた。

 

 少しだけの間を置いて、ダージリンは小さく口づけをしてくれた。

 

―――

 

 茶山に心奪われ、1260日目。

 今日も今日とて、大学選抜メニューという名の特訓を受けてきた。毎回疲れるし、時には喉も痛くなる。指摘を食らいまくって、「わかりましたわ」と、何度も口にすることもしょっちゅう。ここまで来るとお約束めいた言葉になってきて、逆に安心する。

 

 疲れた。今日は散々指摘された気がする――いつものことか。

 帰路につきながらも、頭の中で弱点を整理する。

 目立った弱点はといえば、やはり連携関係だろうか。特にまほとの。

 豪のまほ、圧のダージリンと呼ばれているらしいが、あれは半ば「結果的にそうなっている」だけで、意図した面は少なかったりする。まあ、いきなり聖グロと黒森峰が力を合わせるというのも、結構な無茶振りなわけで――

 

 首を鳴らす。あの敗北以来、ダージリンとまほは、黙って手を組むようになった。戦車道以外では相変わらずケンカしてばっかりだが、戦車道が関わると、自然と「しょうがないなあ」と、気持ちが切り替わる。

 なるほど、自分も少しは背が伸びたらしい。

 まだまだ連携にはアラがある。だが諦めるつもりはないし、好きで練習を受けているのだ。自分は、戦車道の女なのだから。

 

 家に着く、今日も疲れた。少しだけ横になろうか。

 体から力が抜けていき、小さくあくびを漏らす。よくもまあ、毎回毎回練習に耐えられるものだ。

 

「ただいま戻りましたわ」

 

 見慣れた玄関まで足を運ぶと、父がぱたぱたと近づいてきた。ダージリンが「はて」と、まばたきする。

 

「お前に、宅配物が届いているぞ」

 

 へえ。

 時折だが、ダージリンはこうしたプレゼントを貰い受けることがある。それは茶葉だったり、スプーンだったり、ファンレターだったり――今回は何が届いたのやら。

 

 宅配物が入っているらしい小包は、応接間のテーブルの上に置かれてある。

 子供みたいだが、やはり、プレゼントとは心躍るものだ。家族から「お前宛に郵便だぞ」と言われるたびに、何かこう、勝った気持ちになる。

 ――ましてや、

 

「ああっ……」

 

 声が漏れる。当たり前だ、当然だ、こうなるのは必然だ。

 贈り主が、茶山だなんて。

 はっと、父に首を向ける。父は穏やかに笑うだけで、特に口も開かない。

 ――いつの間に、茶山と共同戦線を張るようになったんだ。男だからか。

 まあいいと、視線を小包に切り替える。

 はやる気持ちを抑え、あくまで丁寧に、少しずつ封を開けていく。何だ今度は何を送ってきた、何を贈ってくれた。

 

透明の、小さな袋が姿を現した。

クッキーが、戦車の形をしたクッキーが入っていた。

 

「これっ」

 

 思わず声が出る。今日はホワイトデーで、前にチョコをプレゼントした記憶も残っている。

 感嘆の吐息が漏れる。

 今日という一日に相応しい、男性ならではの贈り物だった。

 

 クッキーのことをよく見てみると、その全てが聖グロ仕様だった。茶山のことだ、何度も見直したに違いあるまい。

 本当、私のことしか見てないんだなあ。

 そろそろ夕飯だ。その後で、紅茶とともにクッキーを味わおう。甘いものは別腹、という格言もあるのだし。

 記念撮影も忘れないでおこう。後で送信しなければ。

 

 夕飯を食べ終えた後、ダージリンは二度目の「いただきます」を告げた。

 もちろん最後に食べるのは、チャーチル型のクッキーだ。

 

 

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと手を繋ぎあい、気づけば1271日が過ぎた。

 記念日という奴になるのだろうか。本日をもって、大学を無事卒業した。

 

 もう、あそこの食堂で飯を食うこともあるまい。授業を受ける機会も、文化祭に急かされる日々も、学友からの愚痴を聞かされるかったるさも、今日この日をもって、全て失われた。

 心地よい寂しさを抱く。何だかんだいって、大学も思い出の地になった。

 そんな余韻に浸りながら、茶山は大学から出ていく。ただ廊下を歩いているだけで、沢山の笑顔が、幾多もの泣き顔が、告白をする男が、告白される女性が、「頑張れよ」と応援してくれる教師が、壁に寄りかかっている誰かが、何もかもを見た。

 友人に関しては、彼女が出来たからといって、真っ先に映画館デートへ突っ走ってしまった。薄情者め。

 まあ、いいか。そうして、茶山はエントランスを抜け、

 

 春の世界が、茶山を出迎えた。

 緑の木々が、青空が、うっすらとした春の匂いが、たくさんの卒業生の姿が、視界に入り込む。

 

 振り返る。

 卒業生を送り出したところで、大学は何も変わらない。輝きもしなければ消えもしない。

 だからこそ寂しい。悪くない。

 

「先輩」

 

 真正面を見る。

 

「卒業、おめでとうございます」

 

 いつの間にか、居て欲しい人がいた。

 

 

 記念として、やっぱり街中で食べ歩きをすることにした。

 ベンチであつあつのたい焼きを頬張りながら、ダージリンがにこりと、

 

「就職も、決まったそうですわね」

「よくやったよ」

 

 感情にもリセットがかかったのか、その声は実にふぬけている。全部やり終えた後なんて、案外こんなものだ。

 

「これで、簡単には出会えなくなってしまうのでしょうか」

「どうかなあ」

「……あ」

 

 珍しいことに、ダージリンが指を鳴らした。思わず、ダージリンの横顔を注目する。

 

「私の家に住めば、必ず会えるじゃないですか」

「……それってさ、つまり」

 

 ダージリンが「ええ」と、実に嬉しそうに声を出し、

 

「結婚すれば、この問題は解消されますわね」

 

 本当、この人はすごいと思う。

 自分なんかには、絶対に口にできない。

 

「……ダージリンはさ」

 

 ダージリンが、「はい?」とまばたきする。

 

「やっぱり情熱的だよね。僕なんかには、真似できないよ」

「いえ、私も茶山さんにしか、こんなこと言えません」

「それでもだよ。ああ、僕は幸福者だなあ……」

「ええ。――私もあなたに出会えなかったら、きっと恋なんかしなかった」

 

 茶山が、「大袈裟だよ」と返す。内心はバカみたくはしゃいでいるくせに。

 

「……こんな格言を知ってる?」

 

茶山の動きが止まる。ダージリンの口元が曲がる。

 

「お腹がすいている時に、キスをしたい女なんていないわ――アメリカの新聞記者、ドロシー・ディックスの格言なの」

「……ほう」

 

 ダージリンが、ベレー帽を正す。

 

「あなたに満たされなければ、恋なんてできなかった」

 

 本当、この人は凄いと思った。

 

―――

 

 ダージリンが好きなものを食べるようになって、1282日が過ぎた。もう、そんなに経っていた。

 

 早速仕事疲れで死にそうになりつつ、茶山はメールを拝見していた。

 送信者はルクリリ、長い付き合いになったなあと思う。

 

『今晩は、元気でしたか? 私は相変わらず元気です。

最近、隊長があなたのことばかり話すんですよ。大人になると会えなくなるとか、それがいいとか、そーんなことばっかり。

でも、そういう話を聞くのも好きになってきました。私も早く、彼氏が欲しいものです。

 

そういえばここ最近、また隊長の腕前が上がってきました。まほ軍の扱いが上手くなったというのかな。

まあ、相手も同じことを考えているでしょう。それが連携なんですけれどね。

なんというか……今年は優勝しそうです』

 

 苦笑しつつ、ルクリリに『彼氏、見つかるといいね、応援する』と送信する。

 

―――

 

 ダージリンが人生の目標となって、1310日が経過する。それはこれからも変わらないし、変化するつもりもない。

 会社帰りにも何となく慣れてきた。ミスしたり成功したりしつつ、今日も元気に暮らしている。

 

 そういうわけで、ダージリンティーを味わいながら、オレンジペコのメールを開く。

 

『今晩は、社会生活はいかがですか? 話を聞く感じ、大変そうですね――心から、応援します。

ダージリン様ですが、あなたへの愛情は変わっていません。常にベレー帽、常にスカーフと、体全体で惚気ています。羨ましいです。

最近は西住さんとも仲が良く、今日も腕相撲で勝負しては負けました。その後、紅茶当てで勝敗がトータルになりました。

 

戦車道の方も順調で、まほ軍もダージリン様の指示に従うようになりました。やはり、戦車道の縁とは堅いものなのですね。

心配することは、何一つありません。安心してください。

――ですが、なるべくなら、週末はダージリン様のお相手をしてあげてください。時々見てしまうんですよね、ダージリン様の遠い顔を。

 

お疲れのところ、察します。なるべくで構いません』

 

 我ながら凄まじい速度で、『僕がダージリンを支える』と、テキストをぶっ込んでいく。

 茶山からしてみれば、「なるべく」ではなく、「させて欲しい」のだ。それでダージリンの夢を手助け出来るのなら、ダージリンが栄光を掴めるというのなら、自分は喜んで力を貸す。

 

 自分の腹を、ぽんと叩く。

 茶山という男は、何か食えば気分が一新されるタイプだ。

 

―――

 

 ダージリンへ恩義を覚え、1331日が経過した。

 大洗学園艦は、今日も元気に海を旅しているらしい。卒業生として、よかったよかったと思う――今となっては、聖グロの支持者だったりするが。

 

 本日も会社勤めを果たし、そのまま自室へ寝転がる。

 ――父は、こんな生活を何十年もこなしているのか。

 心の底から尊敬する。今度、何か本を買ってあげよう。父は活字も漫画も資料も読み漁るタイプだ。

 

 ポケットに入れておいた携帯が震える。何かなと引っこ抜けば、ローズヒップからのメールだった。

 

『今晩は、お元気でしたか? 私は元気です。

先週は、隊長と食べ歩きをしたみたいですね。お陰で良い笑顔で、ルンルンでした。

西住さんもデートをしたらしく、とても上機嫌でした――まあ、目が合った瞬間に勝負事が発生したのですが。

まずはタップダンス勝負で、西住さんが勝利しました。隊長は涼しげな顔をしていましたが、絶対にやせ我慢してましたね。

次にジャグリング勝負が始まったのですが、隊長の圧勝でした。あのバランス感覚は天才級だと思います。

 

とまあ、大学では普段通り仲良しこよしです。それは戦車道でも変わらず、隊長曰く『今だけ』息ピッタリだそうです。

そういうことにしておきましょう。

 

茶山さん、あなたは精一杯のことが出来ています。これからもどうか、隊長と遊んでくださいね』

 

 茶山は、「すごいなー二人とも」と苦笑しつつ、ローズヒップに対し『ありがとう』と返信する。

 ローズヒップといえば、彼氏とはしょっちゅうレース観戦を行っているらしい。それはF1だったり、バイクだったり、ドラッグカーだったり――そうした報告を耳にするたびに、茶山も何だか幸せな気分に浸れるのだ。

 年を食ったから、というのもあるだろう。若い恋はいいなあ、と考えているからだろう。

 けれどやっぱり、根本は「自分が幸せ」だからだ。自分のことを好きになれないで、他者を祈れるはずがない。

 

 ダージリンは、茶山の人生すらも彩らせてくれた。

 その恩を返すために、来週末もダージリンと遊ぼう。

 

―――

 

 聖グロを支持し始めて、1354日が経過した。

 今日は春らしく、実に暖かい。いつの間にか樹木が緑色に生き返っていて、その枝の上に鳥が二羽、止まっていた。世界は愛で出来ているらしかった。

 

 そんなことを思いながら、茶山は高熱を出して死んでいた。

 

 まさか、今年中に発病するなんて。

 どこで感染したのかなあと思考したが、頭を使うだけ気持ち悪くなってきた。何も考えないというのも、これまた難しい。

 自室の布団で寝転がる、吐き気は今の所ない。「さっきはあった」が。

 茶山の免疫力は、結構ムラっけがあるタイプだ。数年は全く発病しないくせに、いざ風邪となると決まって高熱を叩き出す。そうなれば吐き気、悪寒、頭痛、咳などなど、ありったけの症状が体内で姿を現わすのだ。生まれてこのかた、微熱というものを知らない。

 

 なんてこったい。

 就職して二ヶ月くらいだというのに――もしかしたら、緊張し過ぎたのかもしれない。

 まあいい、考えるだけ無駄だ。むしろ害にすらなる。さっさと眠って、とっとと完治しよう。

 両目をつぶる。前に発病したのはいつだったか、確か中学時代だったっけ。

 

 

 夕暮れにまで差し掛かった頃、チャイムが鳴った。

 下で、母が応答する気配を感じる。やっぱり実家暮らしは最高だなあと考え――

 

「茶山さんっ、大丈夫ですか?」

 

 なんともいえない無表情のまま、茶山は天井を見つめていた。

 十分に考えられる場面であったはずなのに、どうして自分は『風邪にかかっちゃった。ダージリンは気をつけてね』なんてメールを送信したのか。

 相手はあのダージリンだぞ、茶山の恋人だぞ。そんなの、看病確定じゃないか。

 

「ああ、来てくれたんだ」

「はい。あなたを支える事が、私の使命ですから」

「いいよいいよ、大丈夫。時間が経って、治まってきたし」

 

 ダージリンが、「ふう」と安堵する。

 

「ですが、まだ苦しんでおられる様子……私が、あなたを守ります」

「いやいや、母さんもいるし」

「一人より二人」

「いやいや」

 

 ダージリンが、布団をかけ直してくれた。

 

「まあ、まあ」

 

 にこりと笑われた。

 こういう時のダージリンに対しては――どうしようもないので、受け入れるしかない。

 

 

 その後も、ダージリンは何度か氷を変えてくれたし、お粥まで食べさせてくれた。ダージリンは終始穏やかで、何度も「辛いことがあったら、いつでも呼んでください」と、声をかけてくれた。

 看病だって大変だろうに。

 茶山も、数回ほど「いつでも帰っていいからね、大丈夫だからさ」と口にした。けれどダージリンは「お気になさらず」と、茶山のことを見守り続けた。

 空気を吐く。

 将来は、良いお嫁さんになるに違いない。結婚相手が羨ましい。

 

「茶山さん」

「……うん?」

 

 緩慢な返事だった。

 

「本当に、大丈夫ですか? 本当に」

 

 茶山が、「うん」とだけ。

 

「……良かった」

 

 心の底から安堵しているのだろう。ダージリンの表情が、そう訴えている。

 

「……嬉しいですわ」

「何がだい?」

 

 ダージリンが、布団の上に手を置く。

 

「あなたの命に、恩返しが出来ていることが」

 

 心の中で、感嘆のため息が漏れた。

 

「――何かしたっけ」

「しましたとも」

「何だっけ」

「数えきれませんわ」

 

 ダージリンが、横になっている茶山の頭を撫でた。

 母の手のように暖かい。この世でもっとも大切な温もりが、体全体に響いた。

 

―――

 

 ダージリンに認められて、1381日が経過する。

 ここ最近は、大学戦車道全国大会関連のメールが、よく届くようになった。年を食うと、年月の流れが早くなる。

 

 そのメールの送信者はダージリンだったり、アッサムからだったり、時にはルクリリからだったり、オレンジペコからも届く。ローズヒップは、今日もダージリンとまほの争いを見届けているらしかった。

 ダージリンティーに口つける。ここ最近は、コーヒーよりも味わう機会が多くなった気がする。

 熱い、そして落ち着く。

 携帯が震える、送信者はアッサムだ。

 

『今晩は、元気でしょうか。 この前は大変だったようですね、心中察します。

私たちですが、これまで通り戦車道を歩み続けています。優雅に、華麗に、そして相手に圧力を。

これからも、このやり方は変わらないでしょう。あとは、他者の力を信じるだけです。

 

あと数週間で、全国大会です。やるべきことも、すべきことも、やらなければいけないことも、全て行いました。

当日になりましたら、是非見にきてください』

 

 メールを打ち込む。そんな大切なことは、会社に頭を下げてでも見届けるつもりだった。

 

 ダージリンの青春が、終わりを迎えようとしている。

 

―――

 

 ダージリンは、戦車道を歩み続けていく。茶山は、これからも大人として生き抜いていく。

 そうして茶山と想いを交わしあって、1499日が経過した。

 

 戦車道とは、決して平坦なものではない。時には坂道にぶち当るし、下り坂で絶好調をかますこともある。壁と遭遇した時は、迂回して別ルートを辿ったりしたものだ。

 そんな風に旅していたら、大学戦車道全国大会が始まっていた――あっという間に、決勝戦まで到達していた。気づけば、そうなっていた。

 

 選手宣誓を交わし合い、選抜チームが各々の戦車へ乗り込んでいく。もはや、仲間の表情に迷いなどはなかった。

 何となく、景色に目を泳がせる。

 空が、忌々しいくらい青い。戦車で存分に暴れてくださいとばかりに広がる草原が、何だか余計なお世話に感じる。遠くに山が見えるが、何だか登りたくなってきた気がする。

 

 ――大きく息を吸い、大きく息を吐く。

 緊張はしている、だが勝利を信じている。それなのに決意が固まらないのは、たぶん、責任感のせいだ。

 

 自分は、ダージリン派の一番偉い人だ。だからこそ皆を支え、皆を導き、「ついてきて良かった」と実感させなければならない。

 出来るのだろうか、皆の夢を叶えることが――

 

「おい」

 

 声に引っ張られるがまま、ダージリンは振り向く。嫌な予感がしていたが、やっぱり西住まほからだった。

 

「どうした、緊張しているのか?」

「まさか」

「強がるな」

「強がってなんか」

「私はしてるぞ」

 

 うわ白状した。何だかこっちが子供みたいで、恥ずかしくなる。

 

「……私もしてますわ」

「だろうな。大変だよな、隊長格というのも」

 

 一年の頃は単なるチームリーダーだったというのに、今となっては大学選抜チームのリーダー格だ。プロになることを夢見ているものの、この事態は予想していなかった。

 しかし住めば都というもので、隊長の椅子というのも悪くはなかった。リーダー格だからこそ、スカウトからの評価も高まっているし。

 

「本当、命令を考えるというのも、難しいものですわ」

「ああ。失敗したら自己嫌悪に陥るよな」

 

 ダージリンが、「ええ」と頷く。

 

「――だが」

「何」

 

 

「『隊長のお陰で勝てました』って言われると、嬉しくないか」

 

 まほが、素直に笑っていた。

 ――大学生活を通じて、まほについて分かったことがある。

 

「……ええ。残念ながら、同意しますわ」

「ああ。だから、隊長はやめられないよな」

 

 まほは、戦車道が大好きなんだってこと。

 

「――ダージリン」

「何」

 

 まほが、パンツァージャケットを正す。

 

「信じてるからな」

 

 まほの両目が、ダージリンを射抜く。

 

「任せて」

 

 ダージリンの瞳が、まほを捉える。

 

「相手チームは、去年と同じ。それ故に強い」

「ええ。今年こそ、借りを返さなくては」

 

 まほが、ちらりと戦車群を眺める。

 

「ルール上では、三十両対三十両の殲滅戦だが、」

 

 まほが、見せつけるように金属板の首飾りを掲げる。日光を浴びて、ぎらりと主張した。

 

「これで三十一両だ」

「へえ」

 

 返すように、スカーフをきゅっと握る。緑の中で、紅はよく似合う。

 

「これで三十二両」

 

 間を置いて、含み笑いがこぼれ落ちる。やがて、こんな場だからこそ陽気に笑い合う。

 

―――

 

 ダージリンが、ようやく戦車の中へ入ってきてくれた。たぶん、心の整理とかで大変だったに違いない。

 

 ルクリリは、改めて「隊長」について思う。隊長というのは誰よりも偉くて、尊敬されて、輝いていて、強くなくてはいけない。

 大学選抜チームとはいえ、弱音を吐く隊員もいる。去年の大会終了後なんてひどいもので、「私、向いていないのかなぁ」と、愚痴をこぼす隊員が続出した。

 そんな時、ダージリンは優雅に、華麗に激励し続けた。隊員一人一人の弱点、利点を知り尽くしていて、どちらかといえば利点を磨くよう指摘したものだ――ちゃんと隊員の顔を見て、目を合わせて。

 

 だから、ダージリンが偉いことに誰も異論を唱えない。隊員の皆が、ダージリンにはもっと輝いて欲しいと願っている。

 だからこそ、ルクリリ含む皆に、もう迷いはなかった。全ては隊長の為に、名誉の為に、誇りの為に、私の為に、戦車道を歩み続ける。

 

 ――隊長はいつ、弱音を吐いても良いのだろう。

 聖グロ時代の頃は、正直分からなかった。「必要ない」とすら思った。だって、ダージリンはいつだって毅然としていたから。

 けれど、背が伸びて分かったことがある。

 試合に負ければ、ダージリンだって悔しいのだ。むしろ隊長だからこそ、人一倍気負うかもしれない――そんな顔を、ダージリンはずっと隠してきた。少なくとも、聖グロ時代では。

 

 大学生になったダージリンは、時々だが「表情」を見せるようになった。年齢を重ねたからこそ、限度というものが知れたのだろう。

 それに――今の隊長には心の支えが、相談相手がいる。自分のあずかり知らぬところで、感情をぶっつけているに違いない。

 だから、隊長は前よりも強くなったのだと思う。隊長としての風格が、磨き上げられていったのだと思う。

 一生、この人についていこう。

 

「おかえりなさい。準備は?」

「ええ、万全よ」

 

 ダージリンに対し、アッサムが「どうぞ」と紅茶を手渡す。ダージリンは、まず匂いから味わうタイプだ。

 

「ふむ」

「……ここまで、来ましたね」

 

 感慨深そうに、どこか安らいだ調子で、アッサムが呟く。

 

「ええ、あっという間でしたわ。戦車道も、大学も」

「恋愛も?」

 

 ルクリリが、わざとそんなことを言う。アッサムが嫌そうに睨みつけてくる。

 

「ええ――これからもきっと、楽しくなるのでしょうね」

「そうですよ、きっと」

 

 少しだけ、沈黙。

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 アッサムが「やれやれ」と苦笑し、ルクリリが観念するように首をかしげる。他のメンバーも、「またかー」とか思っているに違いあるまい。

 

「運命は我らを幸福にも不幸にもしない。ただその種子を我らに提供するだけである。フランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュの言葉よ」

 

 つまり、どうとでもなるということか。

 了解、隊長。

 

「さて――」

 

 ダージリンが、紅茶を一口飲む。

 獰猛に笑ったりはしない。華麗に、優雅に、

 

「All tanks advance!」

 

 すまし顔で、戦うだけだ。

 

―――

 

 決勝戦に至るまでが長かったはずなのに、試合はもう終盤に差し掛かっていた。

 ダージリン側が二両、ダージリンとまほしか残っていない。対する相手側は一両、隊長格のようだ。

 腕前は互角で、たぶん頭の回転速度も同じくらいだろう。ダージリンと相手戦車は、互いに物陰で息をひそめている――まほはといえば、「頑張り過ぎた」結果、弾が底を尽いた。

 

 観客は、沈黙を貫いたままだ。そこには殺気も、歓喜も、不安も、悲観も無い。信じるべき者を信じているだけ。

 茶山は信じた、願った、そして幸せを祈った。その想いを捧げるは、勿論――

 

 その時、相手側の戦車が動いた。速い、いや遅い。遅い分だけ照準は安定していて、

 ダージリンも、決着をつけるべく物陰から姿を現した――まずい、緊張感と焦れと「あと一歩」に誘われた。相手戦車は既に停車していて、主砲がダージリンを睨みつけている。

 ダージリンが察した時にはもう遅い。計算通りの狙撃が、完璧な弾道をもってしてダージリンに食いつこうとする。

 

 しかし、相手も「人間関係」までは勘定に入れられなかったらしい。まほの駆る戦車が、ダージリンと相手戦車の間をぶっちぎっていったのだ。

 まほの戦車が被弾し、「慣性を保ったまま」吹っ飛んでいく。もはや遮るものなど何もない。相手側にとっても、ダージリンにとっても。

 お互い姿をさらけ出したままだ。腕前を考えれば、「先に撃った者が勝つ」。そう、先に撃てさえすれば優勝出来る。

 

 今、相手戦車は何をした。ダージリンは、何かしたっけ(・・・・・・)

 ――人間は、極度の緊張感と、興奮を抱くと、思わず笑ってしまうものらしい。

 感情をありったけ移入し、何もかもを確信して、茶山は、「指示を下した」。

 

「「撃て」」

 

 轟音。

 

 ――聞き覚えのある、女性の声が心に届いた。

 

―――

 

 優勝を確認し、ダージリンとまほのヒーローインタビューを見届け――茶山は、両親とともに会場を後にした。

 その際に、母から「いいのかい?」と聞かれたが、茶山は「ああ」とだけ。父は、黙って車を走らせた。

 

 帰宅し、車のドアを閉める。空は既に夕暮れ時で、数時間前は何してたんだっけ、とか思う。

 父と母は、穏やかに笑ったままだ。「家族」が活躍して、心の底から喜んでいるに違いない――自宅のドアに、鍵を刺し込む。日常が戻ってくる。

 

 

 自室で、茶山はダージリンティーを揺らしていた。

 見慣れた紅茶が、どんなものよりも綺麗に見える。ゆっくりと口元を曲げ、「今頃は何をしてるのかな」とぼんやり思う。

 

 ダージリンへありったけのおめでとうメールを送信したが、見るヒマがあるのだろうか。戦車道の星となった、ダージリンに。

 今頃は、沢山の人に囲まれているだろう。そして、色々な話を振られているはずである。そこにはきっと、茶山が介入する余地はないのだろう。

 けれど、今はそれで良い。ダージリンは報われるべき人だ。

 すっかり遠い存在になってしまったが、何だかそれが心地良い。寂しさすらも、「まあいいか」で受け入れられる――これが、恍惚というものなのかもしれない。

 

 ダージリンティーを口にする。この味が、この熱さが、この香りが、確かな繋がりを感じさせる。

 ダージリンティー以外を飲もうとしたら、妬かれてしまって。それが可愛くて、つい――含み笑いがこぼれる。

 

 その時、チャイムが鳴り響いた。

 ティータイムを中断する気はないので、対応は親に任せることにした。今は、余韻に浸ることで忙しいのだ。

 

「あなたに宅配便ですって、降りてきなさーい」

 

 こんな夜遅くに宅配かよ。

 ダージリンティーを全て飲み、心底かったるそうに席から立つ。人気者は辛いものだ。

 

 階段を早歩きで下り、母から「早く開けてあげて」と急かされる。なんだ開けてないのかよと、鍵を開けるまでは不自然さに気づけなかった。

 

「はい、何ですかいった、」

 

 とても綺麗な配達人だった。

 金色のロングヘアーが、茶山の心を捕らえて離さない。透き通った青い瞳が、茶山の顔だけを映し込んでいる。白に近い肌が、言いようのない緊迫感すらも抱かせる。

 その容姿を彩るように、緑色のミリタリーベレー帽がアクセントを生み出す。――赤いスカーフが、茶山に恥と高揚感を与えてくれた。

 

 とても見覚えのある、配達人だった。

 

「……ええっと、配達物は?」

 

 配達人がにこりと笑いながら、自分の顔を指さす。

 茶山は「えー」と、わざとらしく反応し、

 

「母さん。この配達人、住所を間違えてるみたい」

「間違ってなんかいないでしょ、ここ以外どこだっていうの」

 

 まあねえ。

 茶山は呆れたような、笑うしかないような、そんな顔をする。

 

「……今、忙しいんじゃなかったっけ?」

「ええ」

 

 あっさり言った。茶山は頭を掻く。

 

「抜け出して、きたの?」

「いいえ。インタビューはきっちり受けて、打ち上げの途中で帰っただけですわ」

 

 それも大事なんじゃないかなあと思う。まあ、後の祭りだ。

 

「――いいの?」

「はい」

「僕よりも、仲間たちのことを考えなきゃ」

 

 ダージリンが、首を左右に振るう。

 

「チームメイトも、笑って承諾してくれましたわ。むしろ、早くいけいけって急かされましたし」

 

 ありがとう、今度ケーキでもプレゼントしてみよう。

 

「まほも同じだったようで、どーんと背中を押されてましたし」

「いいねえ」

 

 顔も知らない彼氏に対し、「頑張れよ」と応援する。

 

「……まあ、でも。ダメって言われても、私はここに来たでしょう」

 

 ダージリンの頬が、赤くなる。目線が、壁に逃げている。

 恥ずかしそうに、指と指を合わせていた。

 

「……いいのかい? そんな」

「ええ」

 

 ダージリンと目が合う。青い瞳が、海のように輝いていた。

 ――茶山の心なんて、あっという間に鷲掴みにされる。

 

「だって、」

「だって?」

 

「あなたのお傍こそが、私の帰るべき場所ですから」

 

 見上げる。

 何の変哲もない天井が、何だかぼやけている。目頭がむやみやたらに熱い。声がロクに出てこない。呼吸が荒んでいる。

 思い出そうとする。

 最後に涙を流したのは、いつ頃だったっけ――

 

 締め付けられるような情熱が、体全体から伝わってきた。ダージリンが、茶山の胸に顔を預けている。

 良かった――

 こんなにも愛してくれる人を、愛することができて。

 

「ダージリン」

「はい」

「……おかえり」

 

 情熱を届ける為に、茶山も抱きしめ返す。

 ダージリンは何もしない、離れようともしない、離してもくれない。

 

「ただいま」

 

 

 後は、何の言葉も無く抱擁を解いた。全て伝えきったからか、名残惜しさなんてまるでない。

 ――母にずうっと見られていたが、何を今更だ。親だし。

 

「……リンちゃん」

「はい、お母様」

 

 母が、本当に嬉しそうに笑顔を浮かばせる。

 

「夕飯、食べにいかない?」

 

 ダージリンが、子供のように目を見開かせる。口元が、とてもとても釣り上がっていく。

 

「はい! ……お母様、お手伝いいたします!」

「あ、じゃあ、」

 

 手で制されて、

 

「殿方は、居間でお待ちを」

 

 ウインクされた。やっぱり、台所には触れてもらえないらしい。

 

 

 玄関で靴を脱ぎ、ダージリンは家族の仲間入りを果たした。今日は何が出るのだろう、何でもいい。

 茶山は居間で腰かけ、「さて」と携帯をいじる。

 

 そろそろ、あれを買うか。ダージリンも、卒業が近い。

 

―――

 

 偶然にも茶山と出会って、もう1501日が経過していた。

 

『優勝、本当におめでとう。自分のことのようで、嬉しい気持ちでいっぱいだよ。

スカウトもかかったそうで、夢に一歩近づいたね。流石ダージリンだ。もっともっと尊敬したい。

 

本当に、完璧な人になったね。優雅で、華麗で、そして強い――君を少しでも手助けできたこと、光栄に思うよ。これからも応援する。

もしも辛くなったり、不機嫌になったりしたら、いつでも僕を呼んでほしい。君を支えることが、僕の生き甲斐だから。

 

最近は寒くなったから、風邪などには気をつけてね。

君が、幸せに生きられますように』

 

 ダージリンは、このメールを何度も何度も見返している。そのたびに笑みがこぼれ、胸が熱く締め付けられ、出会えて良かったと実感するのだ。

 ああ、私は生きている――

 そんな当たり前が、今更が、とてつもなく愛おしい。

 

「ほんと、良かった」

 

 消えそうな声で、世界にささやく。

 ――ベッドの上で、寝転がる。

 とっくの昔に、返信は行った。だからこそ、このメールを名残惜しそうに眺めているのだ。

 

 茶山からのメールが待ち遠しい。

 完全に恋する乙女だった、知ってた。この出会いがなければ、今なんてあっただろうか。

 静かに、息を吐く。

 無い、そう思う。茶山なしの世界なんて、想像したくもないから。

 

 携帯が震えた瞬間、ダージリンの神経が逆立った。画面に「新着メール:茶山」の文字が表示される前に、ダージリンは「きた」と脳で呟いていた。

 獣のような速度で、身を起こす。一体どんな文章を書いてくれたのだろう、どんな想いをぶつけてくれるのだろう。

 

 ああ、やっぱり大好きだなあ。

 

―――

 

 ダージリンと出会って、1548日目。

 

 空気も街並みも商品も、今となってはすっかりホワイトクリスマス日和だ。盛大に雪が降り、明日は除雪だなと愚痴りつつ、茶山はダージリンとともに街の中を歩んでいた。

 やっぱりカップル連れが多く、中には腕を組んでいたり、ショッピングを楽しんでいたり、明るく雑談を交わし合っていたり、キスまでしていたりと、実にメリークリスマスだった。

 

 一方、茶山とダージリンはといえば、やっぱり食べ歩きを実行していた。

 あんまんからスタートし、立ち食いそばで「新鮮ですわね」と評価をいただいては、あえてソフトクリームを味わって上機嫌になる。甘いものは、いつだって強い。

 そうして、しばらくはウィンドウショッピングを楽しみ――喫茶店で、クリスマスを締めることにした。提案したのは茶山だ。

 

「結局、やることは変わりませんでしたわね」

 

 ぜんぜん悔いていない顔で、ダージリンは紅茶を口にしている。互いが飲んでいるのは、勿論ダージリンティーだ。

 

「これしか知らないからなぁ」

 

 茶山の方も、全く反省していない苦笑を浮かばせる。食べ歩きこそ、互いにとっての最善だと知っているからだ。

 ダージリンも、同意するように頷き、

 

「それでいいのです、それで」

 

 茶山が「そっか」と口にしようとした時、ダージリンが「はい」と箱を差し出した。

 唐突だったもので、思考が追いついていない――追いついた。箱は手づかみできる程度の大きさで、赤い包装紙に包まれている。

 ダージリンが笑顔になる、茶山は観念したように苦笑する。

 先に、やられてしまったか。

 まあいいやと、包装紙を解いていく。ゆっくり、少しずつ、丁寧に、

 

「これ」

「えっと……どう、です?」

 

 銀色の腕時計、だった。ギラギラしすぎておらず、嫌味の無い主張性が瞬く間に目に焼き付く。本人のスマートさを強調してくれるような、正統派な高級感が伝わってくる。

 一目見て、「絶対に高い」と思った。

 けれど、そんなことは口にしない。ただ一言、

 

「……ありがとう、ダージリン」

 

 腕時計をそっと掴み上げ、慎重に腕に巻いていく。

 この瞬間、茶山の身が引き締まった気がした。腕時計の力が、ダージリンの想いが、茶山と一つになったからだ。

 

「絶対に、大切にする」

 

 左手で、腕時計を撫でる。ダージリンも、笑顔のままで目を濡らしていた。

 ――深呼吸をする。

 次は、自分の番だ。

 

「……ん?」

 

 右手に拳を作ったまま、茶山が窓の外に視線を移す。ダージリンも反応したのか、茶山と同じように外を注視した。

 

「あの人、誰だったかな……有名人、だったような?」

「え、誰のことです? うん?」

 

 我ながら、流暢に動き切ったと思う。

 ガンマンのような手さばきで、ポケットから素早く箱を取り出しては、それをしれっとテーブルの上に置く。おまけに、ダージリンの側へ箱をすっと押した。

 

「茶山さん、一体どんな人を、」

 

 ダージリンが、疑問顔で茶山へ注目して、茶山の微笑に首をかしげて、テーブルの上にある小さな箱を見つけて、何かを察して、声が漏れて、おそるおそる箱を開けて、

 

 銀色の、内堀の指輪が、ダージリンへ捧げられた。

 

「――あ」

 

 こうして、ダージリンの動きが止まった。

 ここは喫茶店だ。様々な人がいるし、色々な物が置いてある。ジャズだって流れている――けれど、今の茶山にとって、そんなものは見えもしないし聞こえもしない。

 

「今まで、ダージリンの事をずっと愛してたよ」

 

 今の茶山は、結婚指輪しか見えていない。

 

「今も、ダージリンの事を愛してるよ」

 

 今の茶山は、ダージリンしか見えていない。

 

「これからも、ダージリンのことをずっと愛し続けるよ」

 

 今の茶山は、ダージリンと寄り添う未来しか視えていない。

 

「ダージリン」

「はい」

 

「僕と、結婚してください」

 

 ダージリンの瞳が揺れる。

 茶山の決心は揺るがない。

 

 必然的な沈黙だった。数分かかっても、何年かかってでも、地獄に落ちようとも、茶山はダージリンの言葉を待つだけだ。

 やるべきことはやった、するべきこともした、やりたいことも決めた。だから、茶山はここにいられる。ダージリンの事を、信じられる。

 

 ――だから、ダージリンが涙を流した理由も、すぐに分かった。

 

「茶山さん」

「はい」

 

 店内で、定番のクリスマスソングが流れる。

 ダージリンが、穏やかに笑った。

 

「あなただけのダージリンに、なります」

 

―――

 

 新着メール:ルクリリ

 

『今晩は。明日は結婚式ですね……何だか、あっという間だった気がします。

プロになってまだ数か月ですが、試合そのものはあまり変わっていませんね。むしろ撮影、インタビュー、ファンサービス……これらの方が、新鮮な気がします。

けれど、そういったことがとても楽しいです。聖グロの精神は持っているつもりですが、やっぱり派手好きですね、私。

 

けれど、そんな私を受け入れてくれた隊長のことが、大好きです。これからも、隊長の声として励みます。

この先もずっと、茶山さんと幸せに生きていってくださいね。また一緒に、プロレス観戦しましょう』

 

 

 新着メール:アッサム

 

『今晩は。お元気でしたでしょうか? 私は今日も元気です。

明日は結婚式ですね。本当に、本当におめでとうございます。ここまで来るのに長かったような、短かったような……データ上では、1000日を超えていますけどね。

聖グロ時代からお付き合いをして、大学生になっても想いはそのまま……本当、素敵な恋をしましたね。羨ましいです。

私も、気が向いた時には食べ歩きをしてみます。おすすめの店、紹介してください。

 

隊長、どうかお幸せに。困ったことがあったら、いつでもご相談ください』

 

 

 新着メール:ローズヒップ

 

『今晩は。明日は結婚式ですね、心から祝福します。

まるで自分のことのようで、まったく眠れません。彼も同じらしく、ずっとレース番組を見続けています。

前までは、恋愛なんて知りませんでした。結婚の大切さが、よく分かりませんでした。

ですが、今ならわかります。説明は……できませんが、分かります。だからこそ、隊長にはずっと幸せでいて欲しいです。

 

プロとは、決して楽ではないでしょう。色々大変だと聞きます。

でも、隊長のインタビュー姿とか、写真とか、見ていると盛り上がってくるんです。全部保存してありますよ。

――私は、隊長のファンです。だから、困ったことがあったら、いつでも駆け付けます。

たまにはレースを見て、すかっとしましょう。

 

それでは、お幸せに!』

 

 

新着メール:オレンジペコ

 

『今晩は。ご結婚、本当におめでとうございます。明日は、必ず駆け付けますね。

……ダージリン様が恋に落ちたと知った時は、それはもうびっくりました。出会いって、分からないものなんだなあと。

そして、ダージリン様を見て学びました。恋は、人を素敵にするということに

 

私は、ますますダージリン様のことが好きになりました。必ずプロになって、追いついてみせます。

――本当、この縁が続いて良かったです。ダージリン様の幸せを見届けられるなんて、私は光栄です。

これからもどうか、私と末永くお付き合いしてください……あ、茶山さんを優先に、最優先にですよ?

 

色々とお疲れ様でした。これからは、幸せに生きてくださいね』

 

 

新着メール:西住まほ

 

『今晩は。明日は結婚式だが、体調は万全か? なるべく、睡眠時間を確保するように。

たまたま時間がとれたので、明日はお前の幸せを見届けてやろう。嫌だと言っても行くからな。

 

お互いプロになって、同じチームになっても、やっぱり対抗心は消えないな。――まあ、分かっていることだったが。そうだろう?

ここだけの話だから、絶対に言わないで欲しいんだが……お前とはこれからも、こんな仲を続けていきたい。

だからこそ、お前の幸せを心の底から祝ってやる。だからお前も、私の結婚式に参加するように。

 

まあ、あれだ。達者でな』

 

 

「お姉様」

「何?」

「――お幸せに!」

 

「うん」

 

―――

 

「――ダージリン様は、優雅に、華麗に、そして乙女らしく、茶山さんと共に歩んでいきますか?」

「はい」

「ダージリン様は、これからの戦車道を、人生を、茶山さんと共に歩んでいきますか?」

「はい」

 

 教会の中で、ダージリンは赤色のウェディングドレスを、茶山は白のタキシードを着こんでいた。

 まさか、自分がここで立つことになるなんて。それも、憧れの人であったダージリンと――今なら受け入れられる。人生とは、分からないものなのだと。

 

「茶山さんのことを、愛していますか?」

「――はい」

 

 牧師役のオレンジペコが、にこりと笑う。実は先ほど、「牧師役、誰かやる?」とルクリリが質問し、オレンジペコがハイスピードで「はい!」と立候補したのだ。

 何故、オレンジペコが手を上げたのか――理由なんて多すぎて、逆に分からなかった。

 それで良いのだと思う。ダージリンとオレンジペコの仲とは、ある意味茶山よりも深い。

 

「茶山さんを、これからも支えていくことを、誓いますか?」

「誓います」

 

 オレンジペコが、こくりと頷く。次に、茶山へ視線が向けられた。

 

「茶山さんは、これからもダージリン様を癒し、満たし、支えていきますか?」

「はい」

「茶山さんは、ダージリン様の手をとり続けますか?」

「はい」

 

 全部即答したかったが、それはそれでマナー違反な気もするので、少しだけ間を置いている。

 

「……茶山さんは、」

 

 オレンジペコが、笑顔になる。

 

「ダージリン様のことが、大好きですか?」

 

 呼吸する。

 

「大好きです」

 

 オレンジペコが、「だよね」と頷き、

 

「これからも、ダージリン様を愛し続けることを誓いますか?」

「――誓います」

 

 ダージリンから、指輪を手渡される。内側には、誓いの言葉が刻まれていた。

 ダージリンが、顔を真っ赤にして指輪を嵌める。茶山もまた、ダージリンと同じ顔で、ダージリンと同じ動きで、指輪を嵌めた。

 

 ――沢山の戦車道履修者達が、父が、母が、ダージリンの両親が、妹が、オレンジペコが、アッサムが、ルクリリが、ローズヒップが、未来のレーサーが、友人が、戦車と紅茶メンバーが、カレー愛好会のみんなが、まほが、嵐のような拍手で誓いを祝福してくれた。

 これだけの人数を見て、改めて、ダージリンの顔の広さを思い知る。本当、人から愛される人柄をしているのだろう。

 

 そうして、茶山とダージリンが、教会から外に出る。空は清々しいほど晴れていて、6月の透き通った匂いがする。

 どうやら、天候も機嫌が良いらしい。幸先が良いとはこのことだ。

 

「では……はいッ!」

 

 ダージリンが、笑顔でブーケトスを行う。青いバラの花束が宙を舞い、まほは「おーいいぞ」と腕を組んでいた。

 誰もが、我先にと手を伸ばし、

 

「キャッチッ!」

 

 誰よりも高く飛翔し、力強く花束を確保したのは、

 

「ルクリリ、がめついわよ」

「そお?」

 

 アッサムが苦笑し、ルクリリが「たはは」と笑う。ルクリリのパワーを前にして、流れに納得したのだろう、ルクリリもまた盛大な拍手で迎えられた。

 

「じゃあ、乗りましょう。操縦はお任せを」

「ありがとう」

 

 ダージリンと茶山は、教会前で用意しておいたブライダルタンクへ乗り込む。聖グロ生徒ということで、今回はホワイトカラーのセンチュリオンが選ばれた。後ろには、八つの薬莢がワイヤーで結ばれている。

 ブライダルタンクとは、全国で広まっている伝統のようなもので、戦車道履修者が結婚をする場合によく執り行われる。戦車そのものには「戦車道を歩んで良かった」という意味合いが込められており、付属される薬莢には「不幸を願う悪魔がいるなら出てこい、ぶっ飛ばしてやる」という願掛けがなされている。

 ブライダルタンクの操縦者は、勿論花嫁だ。このまま新婚旅行を行うもよし、空港へ向かうもよし、やりたいことを成すのもよし。

 

「さて――何処に行こうか」

「そうですわね」

 

 ダージリンが、途方もなさそうに見上げる。そこで茶山と目が合い、口元が曲がった。

 

「今、思いつきましたわ」

「お、奇遇だね。僕もだよ」

「同時に言います?」

「言おっか」

 

 分かっているくせに、もったいぶる。このクセは、これからも続いていくことだろう。

 偶然をサプライズに変えられる限り、茶山とダージリンは、ずっとこのままでいられる。

 

「食べ歩きをしましょうッ!」

「食べ歩きをしていこうッ!」

 

 

 ダージリンと運命の出会いを果たして、1709日目。

 今日をもって、自分はダージリンと結ばれた。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

これで、大学編は終了です。次の話で、全てが終わります。
本当に、ここまで進んだんだなあと実感してます。

何度か推敲しましたが、もしかしたらミスがあるかもしれません。
その時はどうか、ご指摘してくださると嬉しいです。

どのような感想でも構いません。お気軽に、書き込んでくださると嬉しいです。


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3007日間~

 プロという身分になって、だいぶ慣れてきた気はする。

 プロとしてやるべきことはといえば、紅茶を片手に試合をやっつけたり、時には地元住民へファンサービスを行うことだ。この案件に関しては、自ら進んでアクションを起こしている。
 元々人と話すことは好きだし、地元そのものだって愛している。主な理由は、食べ物が美味しいからだ――数年前は、食べ物の良し悪しなんて分からなかったのに。

 ここ最近は、写真撮影も多くなった。女性主体の武芸ということで、選手そのものにスポットを浴びせることも多い。時には、特集を組まれることもある。
 そうすることで、女性には共感を、男性には魅力を与え、戦車道を繁栄させていくつもりらしい。ダージリンも、「なるほど」と頷いているつもりだ――ダージリンは特に注目されているらしく、あっち行って撮ったり、こっち行って撮ったりと、結構忙しかったりする。今となっては、試合よりも撮影時間の方が長いかもしれない。

 この件に関しては、間違いなく西住まほに勝った、勝ったのだが――まほは、プロ戦車道の評論家として、世間から注目を浴びていたりする。
 戦車関連の知識は豊富だし、何より偏りというものが存在しない。どのチームに対しても、平等に厳しい指摘を食らわせ、平等に利点を称賛する――このスタイルは大いに支持されていて、お偉いさんがたのウケも良いらしかった。
 まほもまた、戦車道の繁栄を願っている。


 プロになってまだ数年、割と活躍はしているが――いつでも順調、とはいかない。時には試合に負けるし、時にはチームメイト同士で口論になることもある。試合結果によっては、評価が上がったり下がったりするのも結構痛い。
 ダージリンは、こうしたところはしっかりと目を向けるタイプだ。それ故に、腹が痛くなることもある。紅茶はいつだって手離せない。
 まったく、プロというのも大変だ。評価によっては、仕事を失うかもしれないし。
 
 けれど、それでも、ダージリンは今日という日まで生き残ってきた。
 たぶん、一人だけだったらとっくの昔に潰れていただろう。めげそうになった時には、くじけそうになった時には、いつだって仲間が手を差し伸べてくれたものだ。
 ある仲間は、プロレス観戦でストレスを発散させてくれた。ある仲間は、カラオケですっきりさせてくれた。ある友人は、ドラッグタンクレースでスカッとさせてくれた。こうした息抜きが出来ているからこそ、ダージリンは明日もプロを続けていられる。


 そして何より、ダージリンには「帰るべき場所」がある。練習の繰り返しで疲労し、幾多もの撮影でヘトヘトになろうとも、「帰るべき場所」がダージリンの飢えを満たしてくれるのだ。

「ただいま」

 帰宅する。同時に、ダージリンの帰りを喜んでいるかのような足音が響く。
 それを耳にするたびに、「帰ってきたんだ」と思う。実感するたびに、「やっぱり、この人が好きなんだな」と想う。

「おかえり、ダージリン。今日もお疲れのようだね」

 あの頃から、茶山は何一つとして変わっていない。顔つきも、言葉遣いも、声も、性格も、これっぽっちも変化していない。
 だから、婿入りした茶山のことを、ずっと「茶山」と呼び続けている。この青春だけは、いつまで経っても手放さないつもりだ。

「茶山さんもお疲れのようで」
「いやいや」

 そうして、茶山に軽く抱きしめられた。
 ――どうやら、今日は顔に疲れが出ていたらしい。茶山はいつだって、ダージリンの命を見逃さない。

「……茶山さん」
「うん」
「ありがとう」
「うん」

 甘えるように、ダージリンは茶山を抱きしめた。

「休みになったら、一緒に何か食べにいこう」
「はいっ」

 こうした生活を繰り返していって、数日が、数週間が、数か月が、数年が過ぎ去っていく。これからもきっと、それは変わらないだろう。
 とても、愛おしい――


 ダージリンは、常にプロであろうと今年九月まで生き抜いてきた。

 振る舞いは勿論、髪型も服装も言葉遣いも、プロらしく徹底してきたつもりだ。何だったら、試合と写真撮影とインタビューが同時に襲い掛かってきても良い。

 

 が、

 

 ダージリンはあくまで人間であり、食べ歩きが好きな女性だったりする。だから、たまには旅行へ出かけたくなっても仕方がないのだ。

 ここ数年はしっかり働いた気がするし、期待にだって応えられた気もする。相変わらずまほとは五分五分だが、いつかはのんびりと勝ち越してやろう――それよりも、今は、

 

「懐かしいわね」

 

 聖グロリアーナ女学院学園艦に降り立ち、ダージリンが思い切り空気を吸い込む。意外にも味は覚えているようで、「ああ、これこれ」とか思考した。

 前々から「里帰り」したかったのだが、何だかんだいって後回しにしてしまっていたのだ。やはり、海の向こう側は遠い。

 ……一気に、記憶が逆行する。

 在校中に、いつか優勝してやると意気込んだあの頃を。聖グロ戦車道博物館を見て回って、「いつかは自分も」と願ったあの時を。試合中に一滴も紅茶をこぼさず、内心はしゃぎまくったあの日を、

 

「本当、懐かしいなあ」

 

 茶山と出会った、あの瞬間を。

 

「何年ぶりかしら」

「四年くらいかなあ」

 

 ダージリンに手を繋がれている、ベレー帽を被った女の子が「へえー」と返事をする。

 

「……どこ、見て回ろうか」

「そう、ね」

 

 スカーフが、風に揺られる。

 

 ダージリンが、空へ視線を逃がす。聖グロへお邪魔するのはもちろん、英国風の街並みで散歩がしたいし、大道芸人もチェックしておきたい。聖グロ戦車道博物館にも興味があるし、百貨店で買い物もしておきたい――オレンジペコの話によると、ダージリンのチャーチルが、百貨店のエントランスに飾られていたらしい。

 そうか、よかったよかった。

 

 気が抜ける。同時に、腹が鳴った。

 

 今は真昼間だ、何かを食べるには丁度良い。茶山も、「何か食べようか」と笑いかけてくれた。

 聖グロリアーナ女学院学園艦へ到着して、最初に口にするもの。それは――

 

 茶山の顔を見る。すぐに、発想した。

 

―――

 

 牛丼が食べたくなった。それしかなかったから。

 

 かつての「待ち合わせ場所」だった牛丼屋の戸を、一秒もかけずに開ける。昔はここに入るのに、右往左往してたっけ。

 数年ぶりの牛丼屋は、あの頃と何も変わっていない。昼だからとおじさんおばさんが多くて、あちこちから雑談が聞こえてくる。

 少し足を踏み入れた途端、肉の匂いが鼻をくすぐった。それに伴って、いよいよもって腹も空く。

 

「あ」

 

 ダージリンが、空席に指をさす。そこは偶然にも、茶山と鉢合わせをした場所だった。

 茶山も覚えていたのだろう、「うわー」と嬉しそうに声を出す――本当、全部ここから始まったのだ。

 

 ダージリンが席に着き、その真正面に茶山も腰かける。これまでは前と変わらない、違うのは――

 

「さ、お母さんの隣に座ってね」

「うんっ」

 

 ベレー帽をかぶった女の子――自分の娘も、牛丼屋の空気に馴染んだのだろう。テーブルの上に刺し込んであるメニュー表を引っこ抜き、ほうほうと眺めている。

 親の血を色濃く継いだらしく、昔からよく食べる子として育っている。ちょっとやそっとの丼なら、すぐに平らげてしまうのだ。

 間違いなく、まちがいなく、ダージリンと茶山の子だった。

 

 

 注文して数分後、「お待たせしました」の一声とともに、牛丼定食が家族全員分運ばれてきた。

 これは美味そうだと、茶山が目を輝かせる。ダージリンは、「懐かしいわねえ」と声を漏らす。娘は「おおーっ」と興奮していた。

 

「そうそう、この牛丼をきっかけにね」

「何回も聞いたから」

 

 呆れ顔をされてしまった。ダージリンは「はいはい」と苦笑して――娘が、箸を1セットつまみ取る。我慢出来なくなったのだろう、箸で肉を取ろうとして、

 

「待って」

 

 箸の動きが、ぴくりと止まる。

 

「何かを食べる時は、まずはこの格言を言ってから……ね?」

 

 ダージリンと茶山が、祈るように両手を合わせる。

 全ての命へ感謝する為に、料理人へ敬意を表する為に――茶山とめぐり合わせてくれて、本当にありがとう。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 娘も、すぐにやるべきことを把握した。

 静かに手を合わせて、はやく食べたいと口元が緩んでいて、まるでダージリンと茶山のようで――

 

 これからも、私は友と生きよう。

 これからもずっと、私はこの人を愛し続けよう。

 これからもここからも、私は娘を守り続けていこう。

 

 それが私の、戦車道なのだから。

 

「いただきます!」




これで、「3007日間」は完結です。
「お嬢様と一般市民の恋愛」という、メタルな恋愛を書き終えることが出来ました。

これを書くのに、喫茶店&紅茶デビューを果たし、リアル食べ歩きを行い、色々なことを調べてきました。あとメタルも買いました。

本当、完結させられて感動しています。
沢山の評価を、感想をいただき、まことに感謝しています。ここまで書くことが出来たのも、読者様の応援のお陰です。


ここまで読んでくださり、本当に本当にありがとうございました。
ご指摘、ご感想がありましたら、お気軽に書いてください。

少しだけ、お休みをいただきます。次はアンチョビか、大野あやかもしれません。

それでは、最後に、

ガルパンはいいぞ。
ダージリンは、情熱的だぞ。


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