東方讃歌譚 〜Tha joestar's〜 (ランタンポップス)
しおりを挟む

Get Your Wings 1

 その場所は、彼岸花が咲き乱れる川岸。白き玉が朝ぼらけのように浮かぶ、幻想的で淡い光の場所である。

 対照的に川は底が見えぬ程に暗く、白と黒の境界がはっきりと分岐していた。こんこんと流れる川面の波は、下流へ下流へと旅を続けるのだろう。ただ上流も下流も対岸も、靄がかかって全く見えない、霧の中の世界だ。

 

 

「はぁ、どうしたもんか、どうしたもんか」

 

 彼岸花を掻き分け、川を見つめる一人の人物がいる。その髪は紅く、乱れ咲く彼岸花と同等かそれ以上の鮮やかさで何処と無く吹くそよ風に靡いていた。

 彼岸花の川岸にて胡座をかき、困り顔のまま目を細め、溜め息を吐く。その様だけでも絵になる光景だろうが、彼女が持っている大きな鎌だけが、場違いに禍々しさを醸し出している。

 膝に肘を置き、顎を手の平に乗せて頬杖つく。表情は非常に面倒臭げだ。

 

「ここまで見えないのはちと、異常だね」

 

 彼女の見つめる先には、濃霧が発生していた。最も、この場所自体が霧に覆われた場所ではあるのだが、川の真ん中の部分がより隔絶されているかのように霧が濃くなっている。寧ろ霧の中だからこそ、その部分の濃さが際立っており、とても目立っていた。

 

「はぁ。こんな霧じゃ、舟は出せないか。今日は臨時休業だね、こんな霧見てたらこっちの気が鬱いじゃうよ」

 

 ぼやきながら、彼女は鎌の柄を杖代わりに立ち上がり、鬱々しいだのなんの言っている割には嬉しそうな表情で踵を返した。

 

 

「そんな訳ないじゃないの」

「ヒィィ!?」

 

 振り返った目の前には……いつの間に立っていたのか、笏を両手で持って胸の前で掲げた、如何にも真面目臭そうな、青と緑色を基盤とする制服に身を包んだ少女が立っている。紅髪の女性よりはだいぶ年下に見えるのだが、少女の方が位は高そうだ。そう思える程に少女の出す雰囲気と言うのが厳粛たるものであった。

 証拠として紅髪は、冷や汗をかいて見るからに動揺している。

 

「なかなか顔を見ないと思ったら、こんな所で油を売っていたのですか。また職務怠慢で?『小町』」

 

『職務怠慢』の四文字を突き付けられた小町、と呼ばれる紅髪の女性は苦笑いとそっぽ向きで応答した。

 

「図星、のようですね」

「……いやぁ、今日は霧が濃いもんでしてね。舟を出すにはちょっと、危ないかと〜……」

「濃霧が出ているのはあそこだけです。迂回したなら、問題無く運べるじゃない」

「……ごもっとも」

 

 小町は首をガクンと落とし、降参したと示すように鎌を握っていない左手を上げた。

 そんな彼女の様子を見て頭痛でも起こしたか、少女はこめかみを押さえながら、口角をぴっちり結びつつ語り出す。

 

「貴方はいつも、私が言った事に対抗しようとする。自分でも分かっているハズでしょ、詰めが甘いと言う事は。と言うより、霧が濃いなんかの理由で休業されては、ここは死者で溢れかえってしまうでしょうに」

「ぐ、ぐうの音も出ないですね」

「第一に、そんなすぐに休みの理由を用意出来る所が、貴方のやる気の無さを……」

「あああ、あの!『四季様』!!」

 

 説教に入ろうとする四季と呼ばれる少女を押し留めるように、小町は名を呼んだ。

 目を瞑って説教していた彼女は片目をギロリと開け、「なんですか?」と聞く。小町はふぅと息を吹き、質問する。

 

 

「濃霧なんですけど、流石にあそこだけアレってのは……おかしいと思いませんかねぇ?」

 

 小町の質問に四季は少し考え込む仕草をした後、口を開く。

 

「それは同感です……昨日まではありませんでしたもの」

「あの濃霧、深過ぎるんですよコレが。霊魂さえも覆い隠す程なもんでね」

「ふむ……一度、調査する必要がありますね」

 

 濃霧は立ち昇る入道雲のようだ。嵐の前触れか、何かを隠しているのか。どちらにせよ、ここからでは判別も出来ないだろうに。四季はそこで、濃霧を眺めながら難しい顔をする。

 

 

 

 

「……しかし、それはそれ。今すぐ仕事に戻りなさい」

 

 だが彼女は物事を分割して考えられる人であったようだ。すぐに視線を小町へ戻し、ピシャリと言い放つ。

 

「あ、やっぱり?」

「……『やっぱり』? 貴方とうとう、私にはぐらかしまで」

「いえいえいえいえッ!! しょ、職務に戻らせて頂きますッ!!」

 

 小町は川岸に留めていた木舟に乗り込むと、逃げるように川へと漕ぎ出した。彼女は船頭のようだ。

 仕事に戻った彼女に対し、四季は付け加えるように声を出す。

 

「終わったら私の部屋に来るように!! 逃げたら、承知しませんよッ!!」

「は、はぁい!……とほほ」

 

 つまり、仕事終わりは彼女の説教時間である。困ったように頭をかきながら小町は舟を大きく漕ぎ出し、あっという間に霞に消えた。その後ろ姿を眺めていた四季は「やれやれ」と呆れたように首を振る。

 

 

 

 

「さて」

 

 視線は再び、濃霧の方。彼女はその濃霧に、外見以外の何か、妙な気配を感じ取っていた。

 

「『怨念』、ですか。霧に隠したつもりでしょうが、私の目は誤魔化せませんよ。しかしこれは……どうしたものでしょう」

 

 ぶつぶつと呟きながら彼女もまた、踵を返して霞の奥へ身を消したのだった。

 川に浮かんだ不可解な濃霧は何事もなく漂い、鎮座する。ゆっくりゆっくりと、不定形に歪みながらも晴れず広がらず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体から重力が抜け落ちた。空気を切る音と、それが自身の身体を裂くような感覚があった。意識は朦朧とし、痛みも何もが麻痺している中で、精一杯感じ取った風景だ。

 

 

 彼がいるのは、遥か上空。どう言う原理が作動したのだろうか、浮き上がった岩盤の上で、手首より先のない左腕から血を流して倒れ込んでいる。全身は傷だらけ、精神も限界、まさに満身創痍だ。

 

(……シュトロハイム……スモーキー…………スピードワゴンの爺さん……)

 

 一瞬の浮遊感、内臓の浮いた。

 成層圏近くまで飛び上がった、彼を乗せた岩盤が勢いを喪失させたのだ。一点に到達、そこから見た光景は青い地球の光と永遠の暗黒宇宙との狭間。彼にとって、最後の光景であり、生と死の狭間。

 

 

(リサリサ先生…………終わったぜ…………)

 

 呼吸が出来なくなった、もう死期が近いのだろう。

 言えど、腕からはまだ流血は続き、息も吸い込まない程に身体は衰弱していた。それにここは遥か上空、パラシュートはない。どうやっても自分は助からないだろう。

 

 

 

 

 薄れる意識の中、ぼやける視界の先がふと、青と黒が混ざり合ってから見た事もない程に美しい白光に変化した様を捉えた。真珠にダイヤモンド、この世のどんな宝石でも形容の出来ないような、それ程に美しい光だった。

 

(……お、こんな俺にも、お迎えは来るもんなんだな……へへ…………)

 

 今にも吹き消されそうな意識の灯火の先、ぷつぷつと明滅する意識の最中で、彼は思う。

 

 

(『天国』かぁ?…………シーザー、そっち行くぜ…………)

 

 最後に、身体が引っ張られたような感覚が起こるものの、その感覚と共に彼の意識は暗夜に消えた。

 何処か遠くへ行くのか、それとも案外、脆く消失するか。死後の世界など、神のみぞ知るのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竹林に囲まれた、とある屋敷。趣きのある門構えと、人を寄せ付けない雰囲気が、林を抜ける細々とした太陽の光の為であるのか強く演出されている。青い竹は光で濃く輝き、小鳥の囀りだけの静寂の中で一際目立っていた。伸びる竹は空を覆い、まるで竹林に世界を尽くされたような錯覚に陥る。

 

 

「えぇと」

 

 そんな鬱蒼とした森を歩く、一人の少女の姿。

 和風な雰囲気のこの場にはかなりそぐわない、現代風のブレザーとスカートに紫色の髪、極め付けとして側頭部上から伸びる兎の耳が異色を放っている。しかし元からここに住まう人物のようで、ゴツゴツとした悪路をひょいひょいと歩いていた。

 

「人参に大根、里芋に、おまけに貰ったネギ。今日の夕飯は何にしようかなっと」

 

 手提げに詰めた食材を運び、自宅だろうか、竹林の屋敷へと家路を急ぐ。

 時期は夏過ぎ、秋の手前。蝉の鳴き声がなくなり、残暑も失せ行く寂しげな季節へと移ろいで行く頃だ。葉はまだ色を付けてはいないものの、ひらりはらりと青葉を落とし始めた。色付く前の、最後の夏の風景であろうか。

 

「甘栗も貰ったし、今日は果てし無くツイているわ! いやぁ、いただきまぁす」

 

 栗が旬の季節、今日も里の方では栗を炊く人が沢山いたなと振り返る。今度は栗を買って、栗ご飯も捨てがたいなと、頭の中で今後の献立を考えていた。本当にこの時期は食材が何でも美味い。

 包み紙にある甘栗を撫でながら、彼女は屋敷の門前へと歩を進める。今日はまだまだ吉相あり。

 

 

 

 

「ああ! 良いトコで会った、『鈴仙』!!」

 

 すると、彼女を……鈴仙と呼ばれるその少女を引き止める声が背後より。

 鈴仙も聞き覚えのあるようだが、かなり警戒したような鋭い目でバッと振り返る。振り返るにしてはキレのある動きに、声の主は変な声を出した。

 

「なはぁ!? そんな鮫見たような振り向き方はなんだい!? びっくりした!」

「何を言ってんのよ……どうせまた、落とし穴とかに落とそうと」

「しないっての! まだ!」

「掘るつもりはあるのね……」

 

 鈴仙を呼んだ少女は、同じく兎の耳を伸ばした、薄紅のふわりとした服に身を包んでいる。

 二人は知り合いで、言い合える程の仲とは分かるのだが、少女の方は悪名高いのか、前述の通り警戒されていた。

 

「そんな事よりちょいとちょいと」

「何なのよ、私はこれから____」

 

 

 だが鈴仙はすぐに警戒を解く事となる。それは、少女の背後に目が行ったからだ。

 

 

 

 

「____え?」

 

 少女の背後五メートル程の場所に、人が倒れていた。

 

「ちょ、ちょっと!?『てゐ』、あれは!?」

「竹林のど真ん中で倒れて____」

「まさかあんた、とうとう……」

「私じゃないやい!! 竹林のど真ん中で大怪我して倒れていたっての!!」

 

 大怪我と聞き、鈴仙は少女……てゐを横切ってその人物の側へ駆ける。

 

「すいません、大丈夫ですか!?」

 

 駆け寄ってみれば、その図体の大きさにまず驚いた。

 

 

 性別はまず男。身長は二メートルに迫る程だろうか。身長だけではない、肩幅も広く、着衣しているとは言え逞しく膨れた筋肉は常人のものとは思えない。顔はうつ伏せに倒れている為に確認出来ないが____シャツのみの動きやすい服装だが____ここらでは珍しい洋服を纏っている。服には何故か、焦げた跡やら血の跡が腕部や背中に目立っており、所々が破れている。

 

 

 鈴仙は男への呼びかけと共に、怪我の有無を確認する。それについては、てゐが補足した。

 

「怪我は腕だね。見てみ、すぐに分かるよ」

「これは……!!」

 

 倒れた男の左腕には、布が巻かれている。その左腕には、手首から上がないのだ。誰かに斬られたように、バッサリと欠落している。

 

 

「勝手にだけど、その人間の服破って包帯代わりにしたよ。まぁ、呼吸は止まっているけど」

「大丈夫じゃないじゃない!? し、心臓は!?」

 

 そう言って鈴仙は、男の脈拍をとる。微かに動いている、怪我を負ってまだそれなりの時間しか経っていないようだ。だが、脈をとった時に触った彼の手は既に冷たく、あと数分もしない内に死んでしまう事は火を見るよりも明らか。

 

「ほら、そっち持って!! 師匠の所に運べたらまだ助かるかも!!」

「はいはい、分かってますって」

「いや、ちょっと待って、師匠呼んで来た方が早いかも!」

 

 彼女の言う師匠とは、医者なのであろう。

 確かにこんな巨漢を運ぶのは骨が折れる、その内に死んでしまったらどうしようもないだろう。なら、医者を連れて来たのならそれなりの手当てはしてくれるだろうし、屋敷に運び込むまで何分かくらいの延命はさせてくれるハズ。

 

 

 そう判断した鈴仙だけ屋敷に戻り、てゐは待たされる事となった。

 

 

「はぁ……面倒ごとになったなぁ……しかし、どうしてこんな所でねぇ……」

 

 チラリと、男の背中を見る。

 背中だけではどのような人物かは分からない。ただ、後ろ髪から覗く左首筋辺りの『星型の痣』が異様に目立っていた。




ジョジョ×東方です。ひがしかた、じゃあない。とうほうです。
コーヒー飲んで体調崩した時に思い付きました、宜しくどうも。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Get Your Wings 2

 暗い道が延々と続く。

 道、だと分かるのは、奥から漏れる灯台の明かりが場を照らし、一筋の道を映し出していたからだ。くるりくるりと、灯台は回り、十秒間隔で自分へ光が分けられる。

 

 

 綺麗な光だ、まさに迷い人の為の誘導灯。自分は二歩と三歩と、示された道を歩き始めた。ここにいる理由は分からないし、目的地も分からない。ただあの、灯台の下へ行けたのなら何かあるのだろうと、妙な自信と期待だけが自分を突き動かしている。

 四歩、五歩と足が進む。とても軽やかだ、一気に走り出せる程。とっとと、灯台の下へ行かんとして自分は膝を曲げ、足に力を込めようとする。

 

 

 

 

「まだ行くんじゃあない」

 

 そこで、呼び止める声がかかった。声からして男だろう、それも若い。

 声は前からかかっている。灯台の光が来た時に、目の前に人物が逆光を浴びて現れた。いつの間に立っていたのだろうか。

 

「何だぁ、お前? 突然人様の前に立って、通行妨害か?」

 

 突然現れた事への動揺を隠すように、敢えて軽い口調で目の前の人物を挑発する。すると前の人物は呆れたように溜め息を吐いた。

 

「俺はこう言いたいんだ、『こっちに来るのは早過ぎる』。戻んな」

「…………」

 

 男の妙な忠告に、何が面白かったのか「プッ」と吹き出す。所謂、失笑と言うものだ。

 

「ほぉぉ〜、藪から棒に俺に指図すんのねぇ〜。生憎、俺は人に指図されると、その逆の事をやりたくなっちゃうのよねぇン!」

 

 そう言うと、陸上選手のようにクラウチングスタートの体勢を取ろうと腰を曲げ始める。目の前の人物が男だろうが女だろうが、一気に突っ切れる自信が自分にはあった。全速力で突っ走り、男を力付くで跳ね除け、一家に灯台へ向かおう。そんな理想像が確立していた。

 

 

 次の灯台の光が来た時、男は片手を前に出して「止めろ」と静かに言う。

 

「だから早過ぎる。まだこっちに来ては駄目だ」

「と、言う事は、この先には何か見られてはいけない何かがあるって事だな?」

「そうじゃあない、全く……いずれはこっちに来るだろうが、まだ早い」

 

 次の灯台の光が来た時、男は首を俯けて面倒臭がるように首を振っていた。髪がふるふると揺れる様が確認出来る。

 

「まだ、やるべき事が残って……いや、やるべき事が出来たんだ」

 

 男は一旦呼吸を吸い込むと、付け足した。

 

 

 

 

「『JOJO(ジョジョ)』」

「……ッ!?」

 

 そこで男の話にやっと耳を傾ける気になれた。クラウチングスタートをしようとして曲げた腰を上げ、暗い中でも男が立っていた地点を凝視する。

 

「……その渾名は誰から聞いた? おめー……と俺、どっかで会ったっけか?」

 

 男が自分の名前を、それも愛称の方で呼んだと言う事は、パッと出会った顔見知り程度の関係では無いと言う事だ。記憶の中で思い出せるだけの人間の顔を思い出すが、如何せん、男の声に聞き覚えがないのだ。

 いや、聞き覚えはあるような気がする。懐かしいような、そんな懐古的な感情も湧いて来る。

 

 

 男は話を聞いてくれる気になったと知り、安心したように息をふぅと吐いた。

 

「関係上から言えば、俺は知っている」

「おめーが知っていても、俺が知らなきゃ信用出来ねぇっての! そこは名乗るのが道理ってもんだろがッ!」

 

 とは言ったが、さっきの通り『自分はこの男に感傷を抱いている』のだ。自分は何処かでこの男と出会ったハズだろうが、思い出せど思い出せど正体から離れて行くようだ。

 

 

 灯台の明かりがまた戻って来る。男はまた、面倒臭がるように首を振る。

 

「……まさかここまで面倒な性格だったとは……性格はある程度知っていたつもりだったが」

「そいつぁ、残念だったな。俺の思考は読み辛い事で有名なのよ!」

「……はぁ」

 

 男が溜め息をついた時、自分は彼へ人差し指を向け、『決め台詞』をバシッと言い放つ。

 

 

「次にお前は、『兎に角、この先は行くべきではない』と言う!」

「戻れ。やるべき事をしなければならない」

「…………」

 

 絶句する。自分の得意技が、さらりと受け流されたからだ。勘でも鈍ったか、いやいや俺はまだ十八だ、相手の表情が見えないからな、と考えを巡らす。

 だが目の前の男が、顔はまるで見えないが、もしかしたらしてやったりとほくそ笑んでいやしないかと、短気になる。

 

「……あのぉ、さっきから名乗らないし、しかもちょっと上から目線じゃない、あんた?」

「今は名乗れない」

「て、てんめぇ〜!」

 

 左手で拳を作り、ふるふると震える。

 怒りで爆発寸前の自分であったが、目の前の男は心底どうでも良いそうだ。灯台の明かりが当たった時、物思いに耽るかのように顔を背けていた。

 

「……気付かないのか?」

「あぁん? 何がだよ?」

「左手だ」

「左手ぇ!? 左手がなん…………」

 

 

 その時頭の中で、何か一筋の光が線となった。

 思わず自分は押し黙り、カラカラと乾いて行く喉の感覚と見開かれた眼球がドライアイとなる様をまじまじと実感していた。そしてその身体は、微かに震えている。

 

 

 

 

 灯台の明かりが身体を灯した。

 拳を握っていたと思われる左手が、無かったのだ。

 

「…………お、お……」

「……察したか」

 

 記憶が海馬から突き上げるように、顔を出した。

 赤石、火山噴火、究極生物……そして、切断された左手が究極生物の喉元に刺さる様。

 

 

 次に発した言葉は、先程とは表裏全く変わった、弱々しい声である。

 

「……俺は……死んだのか? と、言う事はここが……死後の世界って事か……?」

 

 死に対しての恐怖はない、自分はやるべき事を達成したのだから、悔いはないハズ。ただ、死の世界と言うものに気が動転していただけだ。

 

 

「…………さっきから言っている」

 

 男の淡々とした言葉が聞こえる。呼吸を深く吸い込む音。

 幽霊も呼吸するのだなと、場違いながら思っていた。

 

「まだだ」

 

 

 

 

 男の声の反響が止んだと同時に、灯台の明かりが回転をやめた。

 光は真っ直ぐ、目の前の男の背後から差している。自分は思わず、腕を顔の前に出して眩しさから逃れようとする。

 

 

「ここはまだ際目……生と死の境界だ。JOJO……いいや、『ジョセフ・ジョースター』。運命はまだ、死なせようとしないようだ」

「なんだと!?」

「運が良かったな……『(うつつ)からのお迎え』だ」

 

 男の背後の、灯台の明かりがどんどんと強まる。暗い世界は、一つの道を中心に段々と白くなって行く。自分の身体は愚か、男の姿は強過ぎる光に呑まれて形を失って行く。

 

「お、おい! 光が……!」

「ジョセフ・ジョースター、これだけ言っておきたい。実に凄い男だ、敬意を表するよ」

「待て! なにお別れのムードになってんだぁ!? 名前を、あんたの名前を!!」

 

 光が強くなり、逆に意識が弱くなる。何故立てているのかと不思議な程に、脳内は何も考えられていやしない。

 必死に叫び、男の名前を聞こうとする。薄れ行く意識の中で、男の声ただ一つだけが響いた。

 

 

 

 

「娘を頼んだ。『ジジイ』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上すると、暗い世界に再び舞い戻る。だがこの暗い世界は、自分の瞼が閉じている事で起こっているのだなと、次に分かった。

 少し瞼は開かれる。白い、穏やかな光が一筋の線となって横に引かれる。耳へ葉の擦れるような音と、誰かの小さな話し声が入り込んでいた。

 

「____。________」

 

 男性か女性かすらも分からないものの、ボソボソと聞こえて来る。近くではなくて、少し遠い所にいるのだろうか。

 彼は寝過ぎた後のようなぼんやりした頭のまま、ゆっくりと瞼を開いて行く。

 突然雪崩れ込んで来た光を受け止めたせいで、眩しさから「うっ」と呻き声を上げてしまったものの、それもすぐに慣れた。

 

「うぅ……ここ……は?」

 

 ホワイトアウトの世界は薄れ、網膜はやっと正常通りに作動を始めた。

 

 

 ゆるいカーブの木目が眼前に広がる。視界に入ったのは、木造建築の天井であった。

 少し視線を下げてみれば、連子窓から燦々と柔い太陽光が、ザワザワと揺れる竹の葉の擦れる音と共に入り込んでいた。薄いブラウンの、上質そうな木々に心に安心を与えるような香り。

 

 

 シンプルながらも佇まいを見せる、質素な美を表したような木造の部屋にて、彼はベッドの上で寝ていた。

 

「お、おぉ? なんだぁここは?……まるで中国か日本みてぇな場所だなぁ……」

 

 そう言いながら、上半身を起こしてみる。長い時間眠っていて鈍ったか、倦怠感がズシリとのしかかる。

 何とか上半身を起こそうと、両手で身体を支えるようとするが____

 

 

「おおっとぉ!?」

 

 ____左側に大きく倒れてしまう。

 

「どべ!?」

 

 そしてそのまま、鈍った身体でバランスを取る事も出来ずに、ベッドから落っこちてしまう。

 助かったのは、床がコンクリートでは無かった事。木製の床は幾分か柔らかく思え、必要以上の痛みを伴わなかった。

 

「いっでぇぇ!!」

 

 言えど、木製とて衝撃を完全に受け止める訳がない。クッションではないからだ。

 それなりに堅い床の上で痛がり、軽く悶絶する。

 

「こんな所誰かに見られたらチョー恥ずかしいぜ……ベッドから落ちるたぁ、間抜け過ぎる……」

 

 また上半身を起こそうと、腕を立てようとした時、左手に違和感を覚えた。

 感覚が全く無い。指を動かそうとするものの、力の行く所が手首に入る前に遮断されているのだ。

 

 

「……うお?」

 

 彼は左手に視線を向けた。

 左手には厳重に包帯が巻かれていたのだが、手首から上が喪失している。

 

「…………」

 

 そのまま自分の身体を見る。上半身だけ裸になっており、衣服の代わりに包帯で覆われていた。

 右手はキチンとあるし、足も二本。左手以外の欠如はない。

 

 

 

 

「……そうか……確か俺は……」

 

 ここで彼は、自分に何があったのかを思い出す。

 今思えばとんでも無い話だが、俺は生物最強の存在を、地球の力を利用して宇宙へ押し上げたのだった。左手はその時の、名誉の負傷。

 

 

 ……そんな文体を想像して、まるでファンタジーだなと苦笑いをこぼす。

 しかし、あの状況で良く生きていられたなぁと、自分で自分の生存が信じられない。自分はその生物と共に遥か上空へ飛ばされ、カーマン・ラインとは行かずとも成層圏まで到達した後落下したハズだ。そんな場所から落ちて生きていられた人間は歴史上、自分だけだろうに。

 

「へ、へっへ! 俺って実は、スーパーラッキーボーイってか? カーズの奴、すっげぇ悔しがってんだろうなぁ!!」

 

 残念なのは自分の生存を、久遠の宇宙へと追放された究極生物……『カーズ』に知らせられないと言う事か。知ったらもっと悔しがるだろうなと彼は一人で笑っていた。

 

 

「しかし、ここは何処だ? まさか俺、イタリアからアジアまで飛んだのか!?」

 

 世界地図を頭の中で作ってみれど、最短でもアメリカ大陸超えした後に太平洋を超えなきゃいけないだろう。

 分かっている。まず、あり得ない。

 

「ありえねぇー! と、言う事は……ここはどっかのオリエンタリストな医者の診療所か? しっかし、イタリアに竹なんざ、あるもんかぁ?」

 

 連子窓の外を眺めてそう呟く。外は竹の密集地で、ここまでの竹林なんざ本の写真でしか見た事がない。もっと言えば、その竹林は中国安吉(あんきつ)県の大竹海のものであった為、尚更西洋の光景とは思えない。

 

「いや。竹は成長が早いと言うからなぁ……何本か輸入して植えりゃ、建物の周り程度なら竹林を作れるかもしれん。だとしたらスゲェアジア好きな奴なんかもなぁ」

 

 関心しながら、右手と左腕を使用して何とかベッドの上へよじ登ろうとする彼だが、その時にまた耳に誰かのボソボソとした声が聞こえて来た事に気が付いた。

 

「__で……____え?」

 

 部屋には幾つかのベッドが並べられ、さしずめここは病室だろう。入口はやはりアジア調の粋な障子口だったが、声はその向こうからこちらに漏れているようだ。

 看護師だろうか、ともあれここの関係者の可能性があるので、彼は大声で呼び付けた。

 

「おーい! そこに誰かいるのかー? ちょっと来てくれぇー!」

 

 すると彼の声に反応したのか、外からドタドタと廊下を踏み鳴らす音が響いて来る。フローリングの為か、音がかなり大きく聞こえて来るので、相手が何処まで来ているのかが音の大きさで瞭然である。

 

「なんだなんだぁ? 結構良い感じの内装のクセに、行儀がなってねぇじゃあねぇかよオイ!」

 

 音の間隔からして走っているのだろう。ここが病院として、向かって来ているのが関係者としても、廊下を走るのは如何なものかと彼は思った。

 騒がしい足音は近付き、入口前で止まる。「やっと来たか」と思ったと同時に、ガラガラと障子が開かれた。

 

 

「目が覚めましたか!!」

 

 入って来た人物の姿を見て、彼は三秒程呆気に取られた。

 良い所の学校制服のようなブレザーまでは分かる。だが、顔の方へ視線を向けると、奇抜な色の髪に兎の耳がみょーんと伸びている様子が見えたではないか。

 

「…………」

「……? どうされました?」

「……ぷっ」

 

 

 一回失笑し、そのまま口元をひくひく震わせ、その震えが最大まで達した時に大口開けて大笑いをかました。

 

「ギャハハハハハハハ!!!!」

 

 抱腹し笑い転げる彼を前に、今度はやって来た少女の方が呆気に取られている。大笑いする彼にどう反応すればいいのかを判断しかねているようで、棒立ちで入口で傍観しているだけ。

 

「え、えぇと、私の顔になにか?」

「か、顔ぉ!? ワハハハハハ!! も、もしかして、えぇ? その頭の奴、普通と思っていて? へへ、へへへ」

「え?」

「その兎の耳だよ兎の耳ぃ! ギャーッハッハッハッ! 嬢ちゃん、なかなかファンキーだなぁハッハッハッハッハ!! ば、ば、バニーガールフフフフフハハハハハ!!」

 

 彼が笑うのは無理はないだろう。明らか、場にそぐわない兎耳を付けて、それについて笑っている事に彼女は気付いていなかったのだ。涙を目に溜め、過呼吸を起こす彼の前で少女がやっと口を開く。

 

「……あのぉ、まさか笑っているのは……」

「だからその兎の耳だよ! ハハハ!! は、腹いてぇーッ」

「…………」

 

 

 苦笑いする少女の耳がへなりと、萎れた。それを見た彼は笑いから驚きの声へと変わる。

 

「おぉお!? う、動い……!」

「あー、そうでしたね。やはり『外来人』の方でしたか……初めてですよね恐らく」

「が、外来人ん〜?」

 

 彼は『外来人』と言うニュアンスに違和感を覚えた。国外人物に対しては『外国人』と言うが『外来人』とは言わないだろう。どちらかと言えば、外来人は何処か辺境の村の村民が異邦者に対して言うものだ。勿論、個人差は存在するとは思われるが、外国の人間には外国人と言うが早いので、外来人とはやや遠回しな言い方、あまり使わないなと彼は考える。

 

 

 と、なるとここは、イタリアだろうか。イタリア人女性は皆、頭に兎の耳でも付いているのだろうか(そんな訳はない)。

 

「ちょっと嬢ちゃん! 一つ聞きてぇ。ここは何処で、その耳はなんだ?」

「二つじゃないですか……質問に答える前に、経緯(いきさつ)を説明……」

 

 少女は一旦言葉を止めて、怪訝な表情で話を変えた。

 

「……えぇと、左手の事ですけど、混乱は無いですか?」

 

 彼女は、左手が欠如した状態でもあっけらかんとしている彼に驚いているのだ。彼が運び込まれた状況を思い出す、切られた左手からは流血しており、明らかに襲われた直前であっただろう。なのに彼はまるで、前からそうだったと言わんばかりの態度であるので、聞いたのだ。

 何だそんな事かと、彼は笑う。

 

「左手の件なら問題ねぇぜ! きっちり認知してるし、理由も知っている! まっ、理由に関しては完結したし、何の問題はないぜ!」

「……幻肢と言う訳はないですからね。抑える薬を点滴しましたし」

「そんな薬あるのか……あっ、もしかして!」

 

 彼は右手の人差し指を彼女に向けて、確信したように言った。

 

「ここはドイツだなぁ!? 聞いた事あるぜ、ドイツの医学薬学は自称世界一ってなぁ!」

「ドイツではないです」

「……そりゃそうだわな。『シュトロハイム』以外のドイツ人が俺を助ける義理はないし……」

 

 そこでふと、彼はシュトロハイムと言う人物について思い出した。火山の噴火の時、火口付近にいた事は気付いていたが、それからどうなったかは分からない。もしや、死んでしまったのではと心配になる。

 いいや、あの不死身人間は早々死なんわな。そう考え直す。

 

 

「しゅとろ……? まぁ……左手の事を認識していらっしゃるのでしたら話は早そうですね。貴方の質問を交えて説明します」

 

 少し気分が落ちた所で、少女が話を本題に戻そうとしたので切り替える。少女は言葉を組み立てているようで、「えぇと」と呟く。

 

 

「貴方は竹林で左手欠損状態で発見されまして、ここで緊急治療を行わせて頂きました」

「そうかそうか……んん!? ちょっと待て! 海の上とかじゃあねぇのか!?」

 

 あんな高い場所からの落下で生きていられるなんて、可能性としたら岩盤を盾にし、海へ着水する事ぐらいしか可能性を思い付かない。しかし自分が倒れていたのは内陸部、しかも竹林の中。何があってそうなってこうなったかが、ちんぷんかんぷんだ。

 

「海の上って……一体、どう言う状況下にあったのですか……一先ず、私に話を続けさせてください」

「あぁ! さっさとここが何処か言えってばよぉ〜!」

「単刀直入に言えば、ここは貴方の知っている場所では無いと言う事ですよ」

「へ?」

 

 唖然とする彼に対し、少女は淡々と言い渡した。

 

 

 

 

「建物の名前は『永遠亭』で、貴方がいるこの界隈は『幻想郷』と呼ばれる場所であります」

 

 永遠亭、幻想郷……彼の記憶に間違いなければ、聞き覚えのない単語。

 

「えいえんて〜? げんそ〜きょ〜? 場所じゃねぇ、国で言ってくれ!」

「注文の多い人ですねぇ……国で言うなら」

 

 ワガママな患者に苛ついているのか、また耳が萎れる。その様子を観察していた彼き対して彼女は一呼吸入れて、国名を言う。

 

「『日本』です」

「日本だぁぁぁぁ!? オー、ノーッ!!」

 

 右手と左腕で両頬を挟み、見るからに愕然のリアクションをかましながら、彼は叫んだ。

 当たり前だ、ずっとイタリア近辺かと思っていたのだ。いやそれだけでは無い、イタリアから遥か東方の地に吹き飛ばされている事が理解の範疇を超越していた。それは、岩盤が落下した箇所を計算に入れたとしても、絶対にあり得ない。

 

「待て待て待て待て!! 俺がいたのはイタリアだぞ!? イタリアからどうやって日本に来れんだ!? 口からデマカセは俺に通じねぇかんな!」

「嘘ではないですよ! そしてここ『幻想郷』はただの日本地域じゃないんですから!」

「なにぃ!?」

「はい! 二つの目の質問の答えです!」

 

 喧しい彼に対し、説明やら何やらが面倒になって来たのか、自棄になったような口調となっている。彼女は自らの耳を指差しながら、捲したてるように言い放つ。

 

 

 

 

「ここは現実と隔絶された場所であり! 非現実的な人々の暮らす世界なのです! そしてこの耳は本物です! はいッ!! 以上ッ!!」

 

 彼女の話を聞き、流石の彼も黙って口をぽかんを開けていた。頭の処理が追い付いていないようで、眉間に指を当てて整理しているようだった。

 十秒程静止した後、絞り出すような声があがる。

 

「……嘘、じゃあねぇよなぁ?」

「……まぁ、信じられる話ではないと、思いますが」

 

 少女は顔を真っ赤にしていた。先程の自棄になった自分を思い出し、恥じているようだ。

 対して彼は少女の表情を観察している。彼は「俺にデマカセは通じない」と言っただけに、相手の嘘を読み解く事を得意としている。結果、彼女の表情は真面目そのもの、嘘の気配は微塵に感じない。

 

「するってぇとぉ……あ、あんた、うっうっ、うっ、兎人間!?」

「その言い方は何か抵抗ありますが……まぁ、そうですね」

「いやいや待て待て。ワムウやカーズの事もあるし、あり得ない事もないのか?……いや、それで納得しちまうのも悔しいなぁクソゥ……」

「なにをブツブツと……取り敢えず、そう認識して貰えますと有り難いです」

 

 まだ分からない事があるのか、彼はまた質問する。言えど、人外生物に対して話をしているばかりにやや慎重気味だが。

 

「えーっと、ですねぇ、兎さん……もう一個聞きたい事があるんですよぉ〜……」

「兎さんって……あぁ、申し遅れました、私は『鈴仙・優曇華院・イナバ』と言います」

 

 彼女は自身の名を名乗るものの、名前の感じが掴めなかったのか、彼は怪訝な表情になる。

 

「れ、れいせ?」

「鈴仙でいいですよ」

「鈴仙……ならこっちも名乗っておこっかなぁ〜」

 

 彼は屈折させていた上半身を立て、乱れた髪型を気障に整える仕草を取りつつ、せめて自己紹介の時はと笑顔を見せた。

 

 

 

 

「俺は『ジョセフ・ジョースター』」

 

 右手の親指を自身に向け、続ける。

 

「『ジョジョ』って、呼んでくれ」




Get Your Wings。
エアロスミスのアルバム名より。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Get Your Wings 3

 鳥が鳴き、風はまた吹き始める。

 街に漂う疫病のような沈黙は終わりを迎え、まるで眠りから覚めたかのように人々が路上から立ち上がる。奇妙な事だが、街の人々は眠っていたのだ。

 

 

 コロッセオ前の石橋上、二人の男女の歓喜が喧騒を取り戻しつつある街で一際目立って聞こえている。

 

「あたしたちなのねっ! 勝ったのはっ! ついにっ!」

「おい! 急ごうぜ! コロッセオに戻るんだ!」

 

 長き戦いより勝利を勝ち取ったかのような喜びを迎えつ、二人は川の前で厳粛な、されど戦士を讃えるワルキューレのような歓迎をもって佇むコロッセオの方へと走り出した。

 

「行くぞジョルノッ! ホレ、コロッセオに行くんだよ!!『ブチャラティ』を治療して故郷に帰ろーぜ!!」

 

 男はまだ川を見下ろす少年に対し、催促をする。

 全てが元通り、全てがまた凪へと戻り行く街の中、少年の表情には翳りが見えている。喜ぶ二人とは相対的に、悲しみと悔しさを滲ませた表情だ、それを押し殺さんと身体は震え、唇を噛む。

 

 

 流れ流れて川は地中海へと、止まる事なく帰って行く。何年も何千年も何万年前からも。その様はさしずめ、諸行無常なる魂の顛末。

 少年は、コロッセオで待つと言う『ブチャラティ』と呼ばれる人物の現在を知っていた。コロッセオで彼らを待っていやしない、彼は既に、遠い遠い場所へと旅立ったのだから。

 

「…………」

 

 少年は押し殺す。彼にはまだ使命が残っている。ブチャラティとの約束が残っている。それを成し遂げなければならないのだ、打ち拉がれる余裕など、あってはならない。

 

「……あぁ……行こう……」

 

 震える身体を何とか駆動させ、二人の方へ前を向いた。

 

「今……行くよ…………」

 

 街には止まる事のない風が吹く。雲は風の僕として終わり無き旅を続けるのだ。

 少年は空を見上げ、息を吸う。死に行った仲間たちが雲に移っているように見えた。時間は戻せない、失ったものは多い、だがこれで良かったのだ。苦難の先にあったこの勝利を掴めた事が、何よりの勝利なのだから。

 

 

「ん?」

 

 足元でカランと、何かが落ちる音がする。見下ろしてみれば、一つの『矢』が落ちていた……自身の身体から分離したのか。

 少年はそれを拾おうと、身体を屈めた。

 

 

 

 

「うっ!?」

 

 その時、尋常ではない程の目眩が彼を襲った。頭の中を掻き回されているような錯乱と、全身が汚濁にて浸されているかのような嫌悪感が突然現れたのだ。

 原因が分からない、ただ、意識が吸い取られて行くかのように消失して行く。究明の為に首を動かす事も愚か、目玉を動かす気力もない。

 

 

「おい急げよッ! おめーが先に行かねーで、誰がブチャラティの負傷を治すって言うんだ!」

 

 男の苛立った声が聞こえたが、意味がない。

 少年は対抗する事が出来ず、意識が消え行くままに身体を倒す。目眩で歪む視界の先には、白い光が見えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ!?」

 

 少年は目を覚ました。目眩は収まり、気分も良くなっている上、まるで悪夢からの目覚めのような唐突さを伴って彼はその場にいた。

 倒れていたと思っていた身体は、しゃがみ込み屈んだ状態のまま。相違点として、目の前の光景が変わった事だろうか。

 彼が立っているのは石畳みの上、矢が消失した。

 

「す、『スタンド攻撃』かッ!?」

 

 少年は咄嗟に身体を動かし、辺りを見回す。

 

 

 

 

 真っ先に視界に入るは、紅の館。直角と曲線美が入り混じる、デカダンスが好みそうなゴシックじみた造形で、アシンメトリーではあるものの逆に、それが館の雰囲気を醸し出しているかのようで邪魔になってはいない。そして館の最上の塔には、大時計が設置されており、現時刻は十四時十一分(太陽が出ているので午後だろう)である事が知れた。

 

 

「な、なんだ……ここは……!」

 

 いや、時間なんてどうでも良い。少年はイタリアのコロッセオ前から突然ここへ飛ばされた事に、動揺を隠せなかった。

 館の周辺に目を向けると、グルリと壁が建てられ、私有地である事を誇示しているかのようだ。そして丁度正面部には、立派な門がある。趣味の悪い変わり者貴族の豪邸と言った、そんな印象だ。

 

「何があったんだ……全く、理解出来なかった……!」

 

 少年は理由が分からず、あぐねている。彼は合理的な人間だ、その合理に似合わない事象に当惑しているのだった。

 

「そ、そうだ……!『ミスタ』!『トリッシュ』ッ!! 何処だ!!」

 

 先を催促させていた男と、同伴である少女の名を呼ぶ。

 返事はない上に、気配もなかった。まるでこの屋敷が眠りについているかのような、不気味な静けさだけが場を支配していた。

 

「まさか『ディアボロ』の……いや、奴は確かに僕のスタンドが……それに、『キング・クリムゾン』にこのような事象を引き起こす能力はない……」

 

 冷静に少年は、可能性である事柄を一つ一つと当て嵌めて行く。

 

 

 まず、認知しなかった『親衛隊』による攻撃かと疑うが、どうにも考えられない。あの時、『チャリオッツ・レクイエム』の騒動が元通りになった瞬間のハズ、とてもすぐに攻撃を開始出来る精神状態を持っていた敵がいたとは考えにくい。

 次に、この出来事は夢なのではとの疑いだが、吹きそよぐ風の感触と草の匂いは夢と決め付けるには愚昧な程、リアルであったのだ。夢だとは考えられない。

 

 

「……『矢』は……何処へ……」

 

 少年は拾おうとした矢を探しに、自身の周囲を見渡す。見渡したとて、綺麗に手入れされた中庭風景のみで、何も無い。

 

 

 

 

 いや、見つけた。言えど見つけたものとは、無機物ではなく有機体であるのだが。

 

「……む……」

 

 少年の前方の草むらに半身を突っ込み仰向けに倒れる、黒い服を着た人間を見つけた。

 もしや敵ではと彼は警戒したのだが、見えるその人物の下半身部は重傷だらけで、血が流れている事に気が付く。

 

「……! あの、そこの人!」

 

 少年の呼び掛けに対し、応答なし。この場にて唯一発見した生物と言う事で、近付く事を彼は決めた。

 

「…………」

 

 恐る恐る近付き、間近でその存在を確認する。

 倒れていて分かるが、かなり大柄な人物だと認識出来る。そして図体の良さから男性であると判別された。頭部から右半身にかけてが草むらにかかっており、どんな人物かは分からないものの、身体はまるで爆撃を受けたかのような無残な怪我をしている。少年さえも、何が理由なのかが分からなかった。

 

「一体、どんな事が起きて……こんな……」

 

 

 不意に、彼の幼少時の記憶がフラッシュバックする。それは、自身が助けた人物でもあり、自身の人生を希望あるものと変えてくれた恩人の記憶。その恩人もまた、負傷して草むらに倒れ伏していた。

 黒い服、無残な怪我、草むら……少年は理性的な人物でロマンとは程遠い性格であったのだが、どうしても今の状況が、その時の状況と被って見えて仕方なかったのだ。

 

 

 兎にも角にも、この大怪我は異常だ。流血も進んでおり、放っておけば数分の命だろうに。

 

「貴方、大丈夫ですか? 意識は、ありますか?」

 

 倒れる彼に近付き、怪我を刺激しない程度に身体を揺する。だが、反応は無し。予想通りだが、気絶しているようだ。

 すると、男に触る少年の手が黄金の光を一瞬散らせたように見えた。

 

「……生命はまだある。辛うじてだが、まだ生きている……なんて生命力だ!」

 

 少年が何をしたかは別として、倒れる負傷者はまだ生きている事が分かった。

 この場所が何処か分からないが、目の前の怪我人は助けなければならない。もしかするとこの男もまた巻き込まれた者であり、事情を知っている可能性もあろう。どんな人物かは分からないが、少年には何故かこの男が敵とは思えない確信があったのだ。

 

「……何だか分からない……が、僕はこの人を知っているような気がする。まるで兄弟のように、ずっと一緒にいたかのような……奇妙な感覚だ」

 

 草むらに身体が隠れた状態で『治療』は出来ない。少年は男を手当てする為、彼を草むらから引き摺り出した。

 

 

 

 

 出て来た頭部に、少年は思わず二度見してしまう。

 軍艦と言うかバルコニーと言うか、そんな形容が入る程の髪型をしていたからだ。後ろ髪を全て前へ前へと結集させたかのような髪型で、完全に鼻先より先に突き出ていた。

 

「…………」

 

 少年は頭を見るのをやめ、顔を見る。知っている人物かと(言えど髪型のインパクトに覚えがない為、知らぬ人物とは思うが)確認したかったのだ。

 

 

 男の顔は整った顔立ちだ。だが何処か幼さの残る顔からして、年齢は自分とそんな変わらないのではと推理する。存外、若い青年であった。

 次に服装を見る。何だか、自分の着ているような、胸元の襟をはだけさせたようなセンスの似た服を着ていた。少年は男の着る服が学校制服であると思い、それもイタリアでは無く、彼の古い記憶にある『日本学生』の制服ではないかと気付く。

 

「……と、すると……日本人か?……しかし、日本人にしては顔が濃いか……ハーフだろうか」

 

 彼は何だか、自分と似ている。そう少年は彼に、ある種のシンパシーを感じ取っていた。

 

 

 ある程度、彼の特徴を見た少年は観察を取り止めて治療をする。『材料』を集めに、地面を見下ろした。煉瓦を並べた道だが、凸凹は少なく自身の知る街と負けず劣らずな程に見事な石畳みである。

 

「これだけあれば……後は『パーツ』を作るだけだ……」

 

 少年は足元の煉瓦を触り、再びそれを持つ手に黄金の光を____

 

 

 

 

「動かないで」

 

 ____放つ前に、女性の鋭い声が背後から聞こえた。

 

「なにッ!?」

 

 少年は振り向こうとするが、首に冷たい気配を感じる。

 銀に輝く鋭利なナイフが、喉元に突きつけられていたのだ。

 

「いっ……!?」

「お嬢様が突然、見回りを命じたから侵入者かと思えば……案の定ね。ここに、鼠が入り込んでいた訳よ」

 

 少年は全く理解出来なかった。

 男の治療に夢中になっていた訳ではない、ずっと警戒心は辺りに向けていた。不意打ちを意識しての事だ。だが背後に立つこの謎の女性、まるで突然現れたかのように少年の後ろを取っていたのだ。気配を察知する前に、それを、切り抜けて突然に。

 

(馬鹿な……! 足音も、呼吸も物音もしなかったのに……!)

 

 動揺する少年に、女性は鋭い刃のような声で質問をする。

 

「しかし、今日は珍しく起きていた門番の目を掻い潜って……どうやって侵入したの?」

「一体、何が……!」

「質問を質問で返さない。質問者は私で、回答者は貴方。もう一度言うわよ」

「……いや、言わなくてもいい、です……待ってください、説明をします……」

 

 少年はこの女性に対抗する事は危険だと、判断する。何が起こったのか分からないのに抵抗行動をすれば、悲惨な結末になる事を誰よりも理解している。

 それに、女性は敵意を示しているものの、「侵入者」として少年を見ている事も理由の一つ。明確な殺意があるのならさっさと殺すハズだが、侵入者と決めてかかっている事はまだ話し合いの余地がある事。向こうは自分を『知らない』からだ。

 質問をしている事は自分を知りたがっている証拠。圧倒的不利な状況下とは言え、余地があるのなら戦闘をする必要もない。

 

 

「しかしまず、この人の治療をしなければなりません。経緯は必ず話します、まずは……」

 

 丁寧な口調で、男の治療を申し出る。例え正直に「いきなりここへ飛ばされました」と言えど、信じてくれるハズがない。ならばまず、目の前の現実を提示する必要があった。

 彼の意図を察した女性は、少年から倒れている男と方へ視線を向ける。

 

「酷い怪我ね……生きているの?」

「辛うじて、ですが」

「でも尚更、貴方たちが分からないわ。動けない重傷者を連れて、どうやって浸入出来たのやら……」

 

 彼女は『浸入』に拘りを置いている口調だ、それにかなり悠長。このような怪我を前に、まるで日常茶飯事とも言わんばかりな言い方。

 

(……言い訳を考えなくてはならないか……)

 

 追求した軽蔑の言葉でも来るかと踏んだが、女性は考え込んだように少し黙り、また口を開く。

 

 

「貴方、ここが何処か分かる?」

「え?……いいえ、全く……初めて見ました、このような屋敷は」

「ここは『紅魔館』と言う所よ」

「コウマ……?」

「……どうやら、本当に知らないようね」

 

 女性はチラリと、倒れている男性へ再び目を向けた。

 

「……所でこの男は、貴方の知り合いかしら?」

「……いえ、初対面です」

「あら、そうなの。てっきり兄弟かと思ったわ」

 

 冗談混じりな口調で、彼女はそう言う。

 少年本人も「兄弟みたいだ」とは思っていたものの、喉元にナイフを突き付けられている身として、突っ込まない。反応がないので、女性はつまらなさげに次の質問をする。

 

 

「どうしてこんな怪我を? 妖怪にやられた?」

「……? 妖、怪?」

「妖怪よ。まさか貴方、知らないの?」

「……何を、仰っているのか……」

 

 また彼女の冗談かと思われた。確かに不可解な怪我とは言え、ファンタジーを持ち出すこの女性に怪訝な気持ちが現れる。

 少年の様子を察したのか、女性は質問を変えた。

 

「貴方はここへ来る前は何処にいたの?」

「え?」

 

 いきなり趣旨の変わった質問になったので、少年から拍子抜けした声が漏れる。何を言っているんださっきからと思った時に、女性は彼へ返答を急かす。

 

「良いから答えなさい」

「……イタリアの、ローマ」

 

 質問の本位が掴めないものの、少年が飛ばされる前の所在地について言った時、彼女から納得したような声がかかる。

 

 

「イタリア、ローマ……あぁ、貴方たちやっぱり『外来人』ね。成る程、理解したわ」

 

 すると、首元に立てられたナイフが突然消え上に、背後の女性の気配も消えた。

 突然霧のように消えた気配に驚き、思い切って振り返ってみたのだが誰もいない。

 

 

「拘束は解いてあげるわ。浸入はともあれ、敵意は無いようだし」

「えっ!?」

「それでこの青年……手当てでどうにかなる傷じゃないわよ。どうやって治療するつもりでいたのかしら、貴方医者じゃないでしょ?」

 

 再び前を向けば、倒れた男性のしゃがみ込んで状態を見ている女性の姿があった。

 銀髪の女性で、服装はメイド用のもの。この屋敷のメイドなのだろうか。そして妙なオーラを纏った、只者ではない雰囲気を醸し出している。知的で瀟洒で、それなのに絶対的な威圧のあるオーラ。

 

(スタンドの気配が無かった……こ、これは一体……! 瞬間移動とか、そう言うチャチなものじゃあないぞ……!)

 

 彼女の移動に、予兆が無かった。何の前触れもなく突然消えて、次にずっとそこにいたかのように別の場所で姿を現しているのだ。とても自然で、変な表現だが違和感のない瞬間移動だ。

 呆然とする少年を前にして、メイドは言う。

 

「まるで弾幕を複数受けたような怪我ね……『外の世界』に、弾幕を使える存在でもいたのかしら?」

「外の……世界……?」

「説明なら後よ。そうね……外の世界から来たのなら、お嬢様に気に入られるかも……ね」

「…………?」

 

 彼女の言葉に……特に『外の世界』と言うワードが引っかかる。まるでここは、自分たちが知る世界では無いようなと、そう思わせる曖昧な表現に感じた。

 一体ここは何処で、自分に何があったのか。一先ず、分からない事は今は置いておこう。手掛かり無しでそんな事を考えるだけ、無駄なのだ。

 

 

「待っていなさい。お嬢様に許可を聞いて来るわ……すぐに」

 

 

 

 

 

「その必要はないわよ、『咲夜』」

 

 その時、少年の頭上にて幼い声が聞こえて来た。

 ばっと上を向けば、屋敷のテラスより日傘をさしてこちらを見る人影が確認出来る。

 

「お嬢様!」

 

 メイド……咲夜と呼ばれる女性は彼女の存在に気が付くと立ち上がった。どうやらテラスからこっちを見る彼女が、この屋敷の重要人物なのだろう。その顔は、日傘による影で良く見えないのだが、声と背丈からしてかなり幼い事だけが分かる。屋敷主人の娘だろうかと、まずは予想した。

 

 

「へぇ……面白そうな珍客の来訪ね。『外来人』なんて滅多に見ないわ」

「ッ!?」

 

 ならば、これは何だろうか、この幼き少女から溢れる成熟したような妖しい色気は、腕を首筋に絡めてくるようなこの色気は。それ程の形容されるまでに言葉の一つ一つに魅力が込められているような、引き寄せられる口調をしていたのだ。とても自分より年少の人間とは思えない。

 

 

 少年は無意識に、その少女に対して恐れを抱いている。彼女には他者を屈服させる何かを持っている事に気付いた。

 

(なんだ、この……魅力……は…………これは! これが、『カリスマ』なのか……!)

 

 少年は出会った事のない圧倒的カリスマの前で、危うく平伏しそうになっていた。それ程までに、彼女の存在感またはオーラと、言葉で尽くせない魅力を持っているのだ。

 何とか気を整えて、少年はその得体の知れない『お嬢様』に対して声をかける。完全に屈服しなかったのは、彼の高尚な自我によるものだろうか。

 

「この屋敷の主人ですか?」

「えぇ、如何にも。私がこの紅魔館の主よ」

 

 年齢的に有り得ないが、それを有り得させるに十分な素質が滲み出ている。彼女のカリスマは、幼少の娘が屋敷の主人であると言う現実味のない話に現実味を帯びさせていたのだ。

 動揺や常識的観念を、少年は全て抑圧し、尚平然として謝罪をする。

 

「勝手に入った非礼をお詫びします。この屋敷の敷地内にいる間は貴方の言葉に従います」

「あら、なかなか立場を弁えた人間じゃない。媚び諂う様子も無いし、そこの所は好感が持てるわね」

「……感謝します」

 

 こちらを見下ろす主人を真っ直ぐに見る。日傘の影の下の主人は、表情こそ見えないものの楽しんでいるような風に思えた。身体を揺らし、少年の様子を観察して楽しんでいるようだ。

 重傷者を前にしてこの慌てなさ。強大なカリスマとこの咲夜と呼ばれるメイドからして堅気の者では……いや、堅気かどうかの物差しなど意味を持たないのではと思わせるような、人外じみた雰囲気がある。

 

 

「そうね……少し気に入ったわ。咲夜、屋敷の一室を貸してあげなさい」

「よろしいのですね? お嬢様」

「私が言っているのよ、咲夜。客人として持て成しなさい」

 

 息が抜けたような妖艶な口調で、主人は寛大にも屋敷を少年らに使わせて貰える許可を得た。テラスの手摺に寄り掛かり、日傘をくるくる回して、こちらから目を離さない。メイドも主人に「畏まりました」と一礼し、方針に異議なく従うようだ。

 

 

 何だか分からないが、あっさりと御目通りが下りる。だが寧ろそれが少年に警戒心を与える。メイドの咲夜もこの主人も、只者では無いとは既に気付いていたので、何かの思惑を感じずにいられないだろう。特に降り注ぐ主人の舐めるような目が、少年にとって悍ましいと言う言葉で表現しきれない負の感情を抱かせている。果たしてこの感情を悟られているか否か。

 

(……しかし、一先ずこれで良いか……僕の『切り札』は隠しておきたい……気掛かりなのは、ここが何処かと言う事のみ)

 

 頻りに頭の中で繰り返す、『外の世界』の違和感。ここは何処か、果たして彼女らは何者なのか、自分に何が起こったのか……常識で捉えられない疑問だらけだ。

 それに、彼女らの腹の中は分からないものの、一応は良い選択だったのかもしれない。分からない以上は、事情を知る者の懐にいた方が良い。

 

 

「室内に運ぶ前に、まずは止血だけでもしておきましょう」

「…………」

 

 いつの間にか咲夜の手の中には、止血パッドや包帯やらが抱えられていた。やはり何も兆候がない、ずっと前から持っていたかのような自然な不自然。彼女もまた、『切り札』を持っているようだ。

 しかし彼女の口調が丁寧になっている、今の少年らは『客人』だからだろう。有能で律儀、一体この女性を心酔させる『お嬢様』とは何者なのだろうか。

 

「……分かりました。応急処置を手伝います」

「いえ、包帯の事は大丈夫です。運搬をお願いしたいのですが」

「あ……!」

 

 今度は少年が見ている前で、男の身体中に包帯が巻かれ終わっていた。

 信じられない光景だった、まるでビデオのコマ送りのように、応急処置は次の瞬間に完遂されていたのだ。やはり、何の兆候すら確認出来なかった。

 何が何だか分からない。しかし、ともあれ男の流血はここで防がれる。

 

「わ、分かりました……」

「そこの担架に乗せてください」

「…………」

 

 先程まで無かったハズの担架が、ご丁寧にもう男の隣に置かれていた。奇妙な感覚と謎の嫌悪感だが、少年はそれらを押し殺して男の運搬を行おうと近付く。

 行動は慎重にする予定だ、この咲夜の謎が解けるまで。この屋敷にいる以上、彼女の管轄下だと肝に免じる。彼がつい先程まで死闘を繰り広げていたディアボロと言う男とは、ベクトルの違う脅威を感じ取っていた。

 

(目的に到達するハズだったのに……ブチャラティ、貴方との約束は遅れてしまいそうです)

 

 心の中で親愛なる人、ブチャラティに謝罪をし、担架に乗せようと大柄で重量級の男の上半身を起こした。

 

 

 

 

 少年が男を担架に乗せようとした時、上から彼らの様子を日和見していた主人が何故か身体を震わせている。

 

「……くふふ! ちょっと、ちょっと待って……」

「お嬢様?」

「あぁ、やっぱり堪えられない! あはははは!」

 

 震えながら主人は突然笑い出した。高々しい、耳に残る笑い声。

 少年は内心で、気でも触れたかと思ったが、そうでは無いらしい。面白いコメディアンに向けるような、本心からの笑いをかましている。先程までの威厳と色気が、どっか行ってしまった。

 

「…………どうかなさいましたか、お嬢様? 客人の前で突然大笑いとは、淑女としてかなりどうかと」

「煩いわね咲……いひひっ! あははははは!! ほ、本当に珍客ね! 金髪の方もだけど、どうやったらそんな頭にしようと考えるのかしら!!」

「……頭?」

 

 笑って笑って、肩を上下させながら主人は担架に乗せられた男を指差し言った。

 

 

「だって、その人間の髪型! 壁から出っ張った、まるで燕の巣じゃあないの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今、なんつった?」

 

 少年でもない、咲夜でもない、第三者のドスの効いた声が聞こえた。暗い海底より、眠れる猛獣が目を覚ましたかのような、凍てつく程に殺意の込められた一言である。

 声は少年の真横より現れた為、誰が発言者かはすぐに判明する。「まさか」と顔を向けた少年の視線の先で____

 

 

「あ、貴方、目を覚まし……!?」

「……上のあの女はよぉぉ……」

「は……?」

 

 ____燃え盛る程に爛々とした目を見開いた、修羅なまでに激怒を表した男の表情があった。とてつもない怒りのオーラだ、地が震えている感覚に陥る。一度、極度に怒れる男を見た事はあるのだが、それさえ凌ぐ巨大な怒りが煮立っているようだ。

 

「ふふふ……あ、起きたの。凄いわね、人間にしては頑丈な____」

「そこの、おめぇ、今よぉぉぉ……」

「____え?」

 

 男は理性の消えた、煉獄の炎を宿す獅子の瞳を主人へとぶつけた。

 そしてそのまま、自らの髪に指を差し、遠く山々まで轟かせるような怒りの絶叫を放出する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今オレのこの頭の事、なんつったぁぁぁぁ!?!?」

 

 

『Get Your Wings』END

 To Be Continued…………




次回は再び、ジョセフパートに入ります。投稿頻度がここまで高いのは、序盤部分を書き切ろうと言う帳尻合わせ精神からです(ゲス顔)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Underclass Hero 1

 深夜、まさに草木も眠る丑三つ時たる頃の里。

 長屋の裏路地を何度も何度も折り曲がり、鬼気迫る表情で逃げる男が一人。

 口はパクパクと、酸素を求める為だけに開いては閉じて、拭く暇も無い程に必死なのか、涎が口角より顎へと伝う。

 

 

 逃げなくては、あいつは異常だ、逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ……目は飛び出さん限りに見開かれ、泥酔状態のように腰砕けな足取りでよたよたと壁をなぞるように逃げて行く。

 思考は空っぽ、兎に角逃げる事と身を隠し、安心を得たいと言う本能面が彼の筋肉を動かしていた。肺を膨らまし、欠乏した酸素を取り込んで逃げる気力にする。狂気の手前である脳はただ、男に逃走を促すだけの命令ばかり脊髄から身体へ染み込ませている。

 

 

 

 

「ハッハッハッハッハッハッ!!」

 

 高々とした男臭い笑い声が響く。

 それを聞いた瞬間、逃げる男の全身が飛び上がった。走りながら首を回し、背後にいるのかと確認した。男は、笑い声の主から逃げているのた。

 

「逃げろ逃げろ悪党め! 貴様はこの私が、キッチリ成敗してくれるのだから!」

 

 相手はかなり、余裕な雰囲気で男を追いやる。そして男はその声を恐れて逃げる、まるで____

 

「まるで羊飼いに追い立てられる羊のようだ! いいぞ、悪党には相応しい情け無さなりッ!」

 

 男の形容に、逃げる男はピンと来ていない……いや、聞く余裕はないだろう、そんな表情だ。男が反応しているのは声であって、内容はどうでも良い。声は後ろから聞こえ、どんどんと近付いているのではと感じられた。

 豪胆な笑い声____男の物か____は鳴り止まない。道中あった木箱を倒して後方へ妨害し、こけたとしても四つん這いで体勢を整え、兎に角逃げる事に全てを費やした。

 

 

 男は逃げる逃げる。眼前には表通りに通じる道がある。表通りに行けば、深夜とて誰かいるかもしれない。

 疲労を受けて震える足を無理矢理稼働させ、走り抜けた。表通りには誰か立っている、あと少しだ。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁて迷える羊よ、ご機嫌はどうだ?」

 

 腕を組み、表通り前の道に立つは、男を追い回していた相手であった。

 

「あぁ……あ、ああああ……!!」

「悪党め、茶番はお終いだ。今すぐ貴様は仲間と同じく、成敗してやるッ!」

「なんで、前に……ぁあ……!?」

 

 絶望し、気力尽きたか男は壁に凭れて脱力しきっていた。

 そんな男に指差し、「ハハハハハ!」と高らかに笑う目の前の男は、妙な身体をしている。

 

 

 

 

 淡色の青の装甲のような物を纏い、筋肉と骨が逆転しているかのような前衛的な風貌。そして機械的な目は黄色く光り、仮面の装飾かと思われていた歯が剥き出しの口が開いては笑い声が漏れている。仮装でもしているのではと思われる程に無機物的だが、それだけの者なら人間一人を、ここまで怯えさせる事は不可能だろう。また、仮装とは思えない程頭から爪先まで一貫として繋がっており、一つの継ぎ目もなかった。

 

 

 青色装甲の男は腕組みを解き、指差しをしながら絶望する男の方へと一歩二歩と、妙に演技がかった振る舞いで近付いて行く。

 無機物ながらも滑らかなフォルム、動きも滑るようで少しの齟齬も見えない。この無機物で生物とは思えない不審者は、信じたくはないが一つの生命体だったのだ。

 男は近付く不審者を見て、脱力していた身体を、いきなり蒸したかのように力を入れた。恐怖がサインとなって脳から身体へ、「逃げろ」の三文字で警告文を放ったのだ。再び男は凭れた壁から身体を離し、路地裏へと逃げ帰ろうとする。

 

 

 

 

「……は?」

 

 だが、男の身体は壁から離れない。まるでくっ付いた……いや、壁と身体が一体化したかのような程に離れなくなっていたのだ。服を引き剥がして逃げようとするものの、壁から服へ、そして身体全てが石の中にでもいるかのように微動だにしない。動くのは壁から離していた左腕のみ。

 焦る気持ちだけが沸騰するも、足も手も何もかもが動かない。気付くと、男が離れられない壁に手を突く、不審者の姿。

 

「羊や羊、黒羊よ。ご機嫌はどうだ? 気分はどうだ? 汗かきならば、その羊毛を刈ってやろうか?」

「はあ……!? ああぁあ!?」

「羊や羊、鳴けや鳴けや、ぶらんくすうぷ。貴様は狼から群れの仲間を見殺しにした、罪深き黒羊なのだ。不適合者め、悪党め」

「ああ!? 何でだ!? 動けよ!?」

「お前の罪状を連ねてやるぞ? 心して聞けよ黒羊。神父に平伏す懺悔者が如く心して聞けよ」

 

 台本形式の雄弁な言葉を話しながら、男へどんどん近付いて行く。男は生存本能から、動く左腕を振り回し殴り付け、抵抗しようとするものの、その左腕は不審者の太く強固で彫刻像のような右手により磔にさせられる。

 もう抵抗の術はない、涎と涙で顔を汚し、恐怖で潰れた声帯が獣のような呻き声を上げさせるだけが男に許されたもの。

 

 

 不審者は、壁から右手を離して、その手で鯉の口のようにパクパク開く男の前歯を摘んだ。黄色く光る目が爛々と照らし、歯が剥き出しされた口がパカリと開く。

 

「一つ、貴様は団子屋から食い逃げをする。対価を支払わない『傲慢』な奴め」

 

 不審者はまず、右手だけで男の左腕を二の腕からボキリとへし折った。何と驚異的なパワーだろうか、腕で一番太い部分を片手だけで折ったのだ。

 男は耐え切れず叫び声をあげようとするが、左腕から離された不審者の右手が次に男の首を掴む。気道が狭まれ、狂った悲鳴の代わりに乾いた呼吸が飛び出した。

 

 

「二つ、貴様は茶店の看板娘さんを騙し、陵辱する。猿が如き淫欲に身を任せて少女を辱めた、腐った『色欲』の持ち主」

 

 次に不審者は、歯を摘む指の力を強め、引っこ抜いた。

 脳が壊れそうな程の痛みが間欠泉が如くせり上がる。男は目から大量の涙を流し、悲鳴の出せない口を大きく歪めた。血がドロドロと唇から顎を涎の代わりに染める。

 

 

 

 

「三つ」

 

 

 男は理性の消えゆく中でも目を疑った。

 不審者が引っこ抜いた自分の歯が、目の前で止まっている。止まっている、と言うのは不審者の指が離されたのに、そこに『固定』されているのだ。

 その固定された自身の歯を、不審者は指先でトントンと叩き始めた。

 

 

 男には全く理解の出来ない領域だ。こいつは化け物だ、鬼だと恐怖する。しかし身体はその震えさえも、出来ない。

 浮かされた自分の歯を指先で、まるで苛立った人間が机を指先で貧乏揺すりのように叩くかのようにして、何をするつもりか。検討が付かない、いや付ける訳がない。目の前のこいつは『妖怪』とは違った存在なのだ。

 

 

 

 

 呻き声を上げ、助けを呼ぼうと頑張る彼に対して、不審者は静かに言い渡した。

 

「貴様は働かず、他者を騙して金を巻き上げる『怠惰』で『強欲』な毎日。結果、貴様はこの私の正義によって…………」

 

 歯をゆっくりゆっくり指先で叩き、百まで叩いたかと思った所で止める。

 

 

「『死刑』だ」

 

 固定された歯が、前に動き______

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【Underclass Hero】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝を迎えた永遠亭、ベッドの上で胡座をかき、ジョセフはここに来て初めての朝食にありつけていた。

 

「おいレーセン! これ味付けしてんのかぁ!? まぁーッたく味がしねぇぞぅ!」

 

 ジョセフは残った右手を使い、上半身を起こして自分で飲み食い出来ていた。箸が使えないと言うので匙とフォークを用意し、比較的栄養満点な惣菜物で朝食を組んだ。

 白米にほうれん草のおひたし、お豆腐の味噌汁を用意して南瓜の煮付け。その他も野菜を主流にした、精進料理とも言う胃に優しいもの。だがイギリス生まれのアメリカン、ジョセフの口には些か合わなかったようだ。

 

「それに量も少ねぇしよーッ!」

「文句ばっかり……もうやだこの人」

「日本料理は味が薄いって聞いた事があるが、もうちっと濃い口にしたっていいじゃんかよー!」

「これでも濃くした方だってば……昨夜も同じ文句。それに、塩分糖分の摂り過ぎは身体に悪いんですよ」

「俺はもう平気だっつの! ほら、ほら!」

 

 ジョセフは両手をぶんぶん振り回し、元気だとアピールする。それを鈴仙を押さえ込んで止めようとした。

 

「安静にしなさいって! 左前腕欠損は重傷でしょ!?」

「自分の身体の事は自分で分かんだよ! 大丈夫かオレぇ? 大丈夫だオレぇ! 両手だって、肩まで上がるよん!」

「はぁ……本当に人間か疑わしくなって来たわ……」

 

 鈴仙は溜め息吐き、奔放でワガママな彼に手を焼いていた。ただでさえ人付き合いは得意と言う訳では無いのでストレス感じ放題だ。

 それ以上に、治療して三日ばかりなのに旺盛な食欲と活発な運動等、全快に近い状態まで回復している強靭さを凄く思うと共に呆れ返っている。

 

 

 

 

 昨日、ジョセフから受けた質問とは「自分を治療した人も人外なのか、打ち込んだ薬は絶対安全か」と言ったもの。鈴仙はその質問に対してばつの悪そうな表情になり、「悪い人じゃない」とだけではぐらかす。ただ薬の事だけは確信を持って「安全」と断言した。

 言えど、彼女が『人』と言った所、人間の可能性が高いだろう。その後に本人がやって来たのだが…………

 

 

 

 

「ご機嫌はいかが?」

 

 障子を開け、朝食中のジョセフの元に昨日と同じく、その『人』が入って来た。

 長い銀髪の美女だ。変わった所と言えば、上半身の右半身に赤で左半身に青と二分割に染色された服。腹部から下はそれが逆になっており、最初は面白がった。

 

 

 しかし、とてもお淑やかで良い人ではある。名前を『八意 永琳(やごころ えいりん)』と言う。

 

「ゲッ!? せ、先生……!」

「昨日同様、開口一番に酷いわね。別に鬼じゃないのに……所で今し方、現在唯一の入院患者のいるこの部屋で朝食が何だの〜と騒ぎが……」

「うンまぁあ〜いッ! 日本料理ってのは油ギトギトじゃねぇから幾らでもイケるもんねぇーッ!」

「患者さんのお口に合うようで良かったわね、鈴仙」

 

 鈴仙は苦笑いで返す。

 突如として、この永琳が登場した瞬間にジョセフの態度が軟化した。これも昨日に理由がある。

 

 

初対面時に彼女の服について笑うわ、無理矢理立とうとして花瓶を割ってしまうわ、晩食にケチをつけるわと、やりたい放題なジョセフ。最初は優しく接していた彼女も堪忍袋の緒が切れたようで、彼女は怒ると笑うタイプか、笑顔のまま「必ず新薬の実験体にする」と脅して来た時は狂気を感じたとの事。

 

 

 これは永琳なりの優しさだろう。騒げば傷に障るし、ならば相手に恐怖を植え付けておけば行動を抑制出来ると言う打算からだ。言えど、昨夜はプッツン行きかけたとこ事だが。

 

「怪我は左前腕欠損だけじゃなくて、裂傷に打撲と脚部の骨折等、重体水準の大怪我って事は昨日説明したわよね?」

「お、お、お、大人しくするからさぁ、先生……」

「あら、聞き分けの良い患者さんで助かるわ」

「い、いやぁ! 先生に救って貰えてもう、ハッピーうれピー! つって……」

「そう言って貰えたら、薬師冥利に尽きるわね……痛み止めを作って来たわ、食後に飲む事」

 

 永琳は小さな袋をジョセフのベッドの上にて置かれた、食事用の小さな机に乗せる。ジョセフの身体の怪我はまだ治癒しておらず、痛み止めの薬を処方されていたのだが、この白い袋を見るたびに彼は露骨に嫌な顔をする。

 

「うっ……あ、あのさぁ、先生……この薬って、もうちっと甘く出来ねぇもんかなぁ?」

「『良薬は口に苦し』って言葉の直喩よ」

「なんつーか……ブラックのコーヒー後にバニラエッセンスをそのまま飲んだ味っつーか……苦いってレベルの苦さじゃあ……」

「別にいいわよ、飲まなくて。その代わりこっちも、痛い痛いって喚いても知らない振りするわ。自己責任だもの」

「ひでぇ……」

 

 鈴仙は内心で思う。師匠程の薬師が薬の味を変えるなんて造作も無いだろうに。だが敢えて苦く(ジョセフ曰く飛び切り苦い)している所は、絶対にわざとしているとしか、永琳を知る鈴仙は思えなかった。あぁ相当いじめたいのだなジョジョを、その笑顔のままでと、鈴仙は少し身震いした。

 

 

 ジョジョは身内では無いから良いが、これが身内の自分に対してなら滅茶苦茶されていただろうに。因みに鈴仙は彼を『ジョジョ』と呼ぶ。彼がそうしろと言ったので、そう呼ぶだけだ。またご丁寧に『ジョジョさん』と敬語で呼んでいる……患者として接している以上は。

 

 

「所でジョースター」

「先生……その呼び方慣れないんだよなぁ〜……ジョジョって呼んでくれよぉ」

「嫌ね。ジョジョって濁音の上に拗音が連続するもの。私個人からしたらジョースターの方が言い易いわ」

「何だよ先生ぇ〜! フレンドリーになろうぜぇ〜!」

「いつ私が貴方の友人になったのよ。貴方は早く怪我を治して、『博麗神社』に向かう事ね」

 

 

 

 

 ジョセフは、この場所の事を昨日に聞いている。ここは『幻想郷』で、名の通り常識ではあり得ない『幻想』が集まる最後の楽園との事。幻想とは、ジョセフに対して説明するならモンスターやゴースト、更には絶版された過去の本等の人に忘れ去られた或いは、「いる訳がない」とお伽話扱いされている生物や物体がやって来る世界である。

 

 

 現実世界とは『結界』で断絶させられているらしいが、その点の説明を理解していない者は案外、郷内の人にもいるようで、素人のジョセフに言っても仕方ないとして省略された。だが、永琳の言った『博麗神社』がその結界を操作出来るらしく、そこの巫女に頼めば出して貰えるかもしれないと聞かされたのだ。

 

 

「貴方って、変な人ね。普通、いきなりこんな場所に飛ばされれば動揺して帰りたがるものなのに」

「帰れる方法があるなら、現状を楽しまなきゃ損だ! それに美人の先生に治療して貰えるなんて、俺ってラッキーッ!」

「……変な人」

 

 隣でボソッと鈴仙が言う。本当によく分からず、変な人間。ジョセフは遠く知らない世界と言えど、我を貫けていた。その我の強さこそが、彼の強靭な精神力を作り出しているのかもしれないが。

 

 

 だがその心中はずっと彼の祖母や先生に友人、また死に行った最大の友の事を忘れやしない。一刻も早く治し、皆の前に全快した姿を見せて驚かせてやりたいと、思っている。そして、友への勝利報告も。

 

 

「それでその怪我はどうしたって、言っていたかしら?」

「この怪我は、俺が化け物を退治した時の怪我だ! 火山噴火で成層圏まで飛んでそいつを____」

「あり得ないですって」

 

 横で鈴仙が即刻否定し、ジョセフは「にゃにぃー!?」と食い付く。

 

「まず噴火でどうやって飛べたんですか。貴方、岩人間ですか?」

「ちげぇ! 溶岩の岩盤だよ! その下で噴火して、飛び上がったんだ! それに噴火だって、俺が起こしたんだぜ?」

「だからあり得ないですってそれが。昨日も聞きましたけど、撃ってもマグマに落としても死なない完全無欠の究極生物……の時点で呆れましたよ。三流小説じゃあないですか」

「なんだとてめぇー! と言うかおめぇ、だいぶ俺に対しての態度が悪くなってねぇか!?」

 

 鈴仙も最初こそは一応、患者なので丁寧に接していたのだが、それでも謙虚さと礼節が微塵も無いジョセフに対して、腰を低くしている自分が馬鹿らしくなったのだ。一日でここまで評価を下げるとは寧ろ、流石であろう。患者でさえなかったら、ぞんざいに扱っていただろうに。

 

 

 啀み合う二人に永琳は穏やかに手で制し、黙らせる。双方とも、彼女に弱い。

 

「そこでお終い。鈴仙も言うじゃない、『事実は小説よりも奇なり』。あり得なくはないわよ?」

「まさかお師匠様、ジョジョさんの話を信じるんですかぁ〜!?」

「いいえ全く。そんな生物がいるなんて初耳よ」

「だから実話だっつーのッ! と言うか、この世界の方がだいぶファンタジーじゃあねぇか!?」

 

 ジョセフが机を右手で叩きながら抗議する。それをまた鈴仙は、呆れた表情で制止させるのだ。言っても聞かないと溜め息吐きたくなるが。

 

 

「それじゃ、私は仕事があるから」

 

 永琳は手を振りつつ踵を返し、部屋から出ようとした。気付いた鈴仙が彼女に聞く。

 

「薬剤の調合ですか? なら、私もお手伝いしますよ」

「んー……薬、ではないのよ鈴仙。ちょっとした野暮用かしら」

「はぁ、そうですか」

「里の人に売る分の薬は用意してあるし、お昼になったらいつも通りお願いね」

「分かりました」

 

 そう言って彼女は障子を開けて出て行った後、もう一度二人に軽く手を振ってから障子を閉めた。瞬間、ジョセフの口から溜め込んでいたかのような溜め息が漏れる。

 

「……はぁぁぁ。あの先生、何だかリサリサに似た雰囲気があんだよ……もう、チョー苦手なタイプ!」

「リサリサって誰なんですか……」

「ババアだババア! 良い人だけど厳しくてイヤぁな奴!」

「思っても言わないでくださいよそれは……本当に人体実験にされますよ?」

 

 下唇を突き出し、不貞腐れた様子を見せながらジョセフはフォークを手に取り、南瓜の煮付けを口へ放り込んだ。南瓜の煮付けだけは彼の口に合うようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 障子の向こう、永琳は立ったまま。勿論、障子からジョセフの言葉はダダ漏れである。

 

「……次はうんと苦くしてあげようかしら」

 

 ポツンと怖い事を呟き、彼女は二人に存在を悟られぬようにゆったりした足取りでその場を去る。

 

 

 そのまま廊下を行き、暫くした所にある研究室の扉を開けた。ジョセフたちのいた部屋から、もっと言えば診察室からも遠い永遠亭の奥座敷である。

 研究室の部分だけは嫌に近代的な、鍵付きの扉。永琳は鍵を開け、中へ入る。

 

 

 

 

 家具などがない殺風景な部屋。部屋の奥の壁上層にある小さな横長の格子窓から、太陽光が寂しげに入り込んでいる。蝋燭を立てる台は無く、夜間が来れば部屋は使えなくなるだろう。

 部屋の中央には大きめの台があり、その上には何かが寝かせて乗せられ、全貌に布をかけられている。隣には鉄製の机が置かれ、上には銀のトレーとピンセットやメスがある。

 また台の側には椅子も置かれており、誰かが俯きながら座っていた。

 

「待たせたわね。十二分かしら?」

 

 永琳がそう言うと、相手は顔をあげた。

 

「惜しいね、十五分」

「悪かったわ、重傷されどワガママ患者の相手が忙しくて」

「……ここにいるのも、死体の側にいるのも気が悪いわ」

 

 椅子に座る人物は、気の悪そうに話す。座っているのは、白髪の少女。赤いモンペ風の着物が特徴的な、凛とした人物である。落ち着かないのか何度も足を組み直し、腕を組んだ右手の人差し指が絶えずトントンと動いている。

 

「それにしても貴女が亭内まで入ろうとするなんて、珍しい事もあったかと思えば、まさかねぇ……」

 

 永琳は訝しげに、台の上に寝かせてある物へ目配せする。

 

「姫様を呼ぼうかしら?」

「……あいつに会わせないように、わざわざ貴女、裏口から通したのでしょ」

「と言っても今はご就寝中よ。昨夜は遅かったみたいだし……貴女は寝ている?」

「寝られなかったわ。後になって慧音の家に行ったら……殺人事件よ」

「それは災難ね」

 

 そう言いながら彼女はバサリと、布を取っ払った。

 

 

 

 

 布の下には、白髪の少女が言った通りに、凄惨な外傷を負った死体が寝かされている。

 死体としての青白い肌に、瞳孔が開き切った光無き右目、変な方向へ折れ曲がった左腕……一見して分かる程、普通ではない死に方をした男の死体が目に入る。永琳は少し顔を顰めた、それ程に痛ましいのだ。

 

 

 致命傷は一目瞭然だ、左眼球が潰れている。どうやら何かが左目に突っ込み、その際の出血ショックで死んだのだろう。穴は深く、恐らく脳まで到達しているだろうと予測する。かなりの速度で突かれたのだろう。

 

「良くここまで運べたわねぇ」

「私一人じゃないわ、兎らにも手伝わせたよ。貴女の名前だしたらすぐよ」

「あらそう。言ってくれたら、私からそっちに言ったのに」

「野次馬が凄かったし、場所もないし。慧音の家とかは子供たちも来るし……」

「ふーん……それにしても……」

 

 永琳は、死体の左手の骨折に注目した。

 

「……酷いわねこれは……複雑骨折じゃない」

「……やっぱり、妖怪の仕業?」

「腕に打撲痕無し……押し潰されたって表現がいいわよね。後は首にも痕があるわ、強い力で声帯を潰していたって事ね。かなりの怪力」

「…………」

「ハッキリ言って、人間の所業とは考え難いわ」

 

 少女は口角を閉めて目を細め、考え込む仕草を取った。長らく無かったもので信じられないのだ、里で人が妖怪に殺される事が。

 しかし彼女にも思う所があるようで、質問する。

 

「……でも、妙でしょ? 妖怪なら、食べるハズ」

「噛み付いた痕とか無いし、取っ組み合いで抵抗した痕跡も無し。殺しただけのようね……確かに変」

「それに……貴女よりかは医学知識疎いけど……腕を折って喉を潰して最後は目って……まるでいたぶっているようじゃない?」

「どの傷が新しいかは調べなきゃいけないわ。でも貴女の『いたぶるように』って意見は支持するわよ」

 

 

 何故かと、身体を起こした彼女に永琳は、死体の男の口元を指差した。

 口は少し開かれた状態で硬直している。その口の中、黄ばんだ歯の列の中で、前歯だけ喪失している。

 

「歯がない?」

「えぇ。それに見たら分かるけど、顎まで血の痕があるでしょ? 引っこ抜かれたのよ。わざわざ歯を抜くなんて、ただ殺すだけなら必要ないわよね?」

 

 確かにそうだ。それに歯を一本だけ折るなんて所業は、動機は怨恨にしろ何にしろ、意味が無いだろう。とことん痛め付けてやりたいのなら分かるが、犯人は男の腕を折ると言う大きな事をしている。腕を折るで足りないので歯を一本だけ抜くとは、かなり陰気だろう。

 

 

 

 

「……いや。歯を抜かれた意味は、あったようね」

 

 熟考していた少女は気が付くと、永琳が机に置いてあった長いピンセットを死体の左目の傷穴に入れて行った頃であった。湿った血肉を突き進む汚濁の音が、静かな部屋に響く。ピンセットが太陽光をテラテラと反射させ、光源となっていた。

 

 

 ズルズルと入れられたピンセットが途中で止まり、指に力を入れられ何かが摘まれる。そしてまた元来た道を引き返すようにピンセットを全て引き摺り出した。

 摘まれた先には何かがある。血で赤く変色した、小石のような何か。

 それをジィッと見つめていた少女であるが(こう言う事には慣れているのか、抵抗がない)、小石の正体に気が付き「あっ!」と声をあげる。

 

 

 

 

「犯人が妖怪としても、正気じゃないわ。『被害者の前歯を、被害者の目に埋め込んで殺す』なんて」

 

 銀のトレーの上に落とされたそれは確かに、人間の前歯であった。恐らく、この死んだ男の抜かれた前歯であろう。

 少女も永琳も、あまりに常軌を逸した殺害方法を知り、表情を歪ませるのである。




Underclass Hero。
SUM41の楽曲より。超大好きな曲です、聴こう(直球)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Underclass Hero 2

 ピンセットに摘んだ歯をトレーに落とす。軽快な音が鳴り、歯は付着した血を流しながら静止する。少女は本当に歯なのかと今一度観察するが、形状はどう見ても歯であるし、人間の前歯だとも分かった。

 

 

「歯を、打ち込んだって訳なの……!?」

 

 

 永琳はピンセットを置き、顎に手を当てて死体と歯を交互に見やりながら熟考している。

 難しい問題を解く学生のように「うーん」と唸って、絞り出した見解を述べた。

 

 

「そうね、打ち込んだは半分正解で、正確には撃ったね」

 

「撃った?」

 

「左目の傷穴、まるで銃で撃ち抜いたように直線的な形状なの。押し込んだ、とも違うわ。なら必然的にねじ込む事になるから傷穴が食い込み抉れるハズだもの……その上で脳に達する程だなんて、かなりの速度で撃ったとしか思えないわ」

 

 

 ならもっと訳が分からなくなる。犯人は被害者の前歯を抜いて、それを弾丸のように撃ったと言うのか。そんな芸当、可能なのか。

 

 

「この前歯は本人の物で間違いないわ。目視だけど、大きさが一致している。確定したいなら、歯の成分を照合してみる?」

 

「いや……信じるよ。こう言う事に関しては、幻想郷一だと知っているわ」

 

「まぁ、恐縮ね。それで聞きそびれていたけど、里はどうなっているの?」

 

 

 少女は頰をかいて、言いにくそうな仕草を取ったものの、話してくれた。

 

 

「朝から大騒ぎ」

 

「で、しょうね」

 

 

 当たり前かと、永琳は自嘲気味に笑う。

 

 

 

 

「妖怪の仕業って言いふらす人が多くてね、印象が悪くなるんじゃあないかなと慧音は危惧していたよ」

 

「早とちりはやめて欲しいけど……まぁ、人間には無理よね、歯を撃つなんて」

 

「だからて聞いた事ないわよ、そんな妖怪の話は」

 

 

 犯人像が掴めない、知識の中から見つけ損ねてしまったのだ。少女は首を傾げて、難しい顔を見せながら押し黙る。

 

 

「取り敢えず、『犯人は誰か』は流石に分からないけど、どんな犯人かは分かるわね」

 

 

 あぐねる少女を見かねた永琳が、一つの見解を提示する。

 

 

「……? それは?」

 

「簡単な話よ。殺されたのなら理由があるハズじゃないの」

 

「無差別って、事はないのかな」

 

「あるかもだけどね。そうだとしても、考えなくちゃならない事はあるわよ」

 

 

 苦悶の表情で死す男の身体を指差し、彼女は少女へヒントを与えた。

 

 

 

 

「いたぶるような殺し方でしょ? 残虐で非道徳的で惨憺たる有り様」

 

「…………相手は『殺し慣れている』訳ね」

 

 

 彼女の答えに対し、永琳は満足そうに微笑んだ。

 

 

 

 

 男の殺され方は常軌を逸したもの。腕を砕き、歯を撃つと言う奇妙な芸当。殺しの中で、己の加虐嗜好を満たすかのような、拷問性を含んだものだった。

 

「こんな殺し方、初めての者には無理よ。明らかにこの男の前に数人は殺しているわね、人を傷付ける事に手慣れているわ」

 

「傷付ける事に手慣れている……」

 

「その点なら妖怪よね。でも里で人間を襲うなんて、妖精でもしない事をするものかしら?」

 

 

 人の里内で人を襲う事は禁じられている。禁じられてと言う事は、お目付役の存在があると言う事だ、その存在を認識していない妖怪は恐らくいないだろう。認識している、と言う事は発覚を恐れてもいると言う事で、仮に里の中で人間を襲うならさっさと殺害して立ち去るだろう。時刻は深夜帯であったが寧ろ、夜中は妖怪の活動時間だ、尚更焦る。

 

 犯人が妖怪だとしたら、かなり悠長だ。

 

 

「更に、殺した人間を一口も食べていないわ。殺しただけのようね。意味あるの?」

 

 

 妖怪が人間を襲う時は、大抵食べる為である場合が多い。だが今回はそれすらも無く、永琳の言う通りただ殺しただけ。動機が全く掴めないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、貴女の予想が聞きたいのだけど」

 

 

 なかなか結論を言わず、焦らすような彼女に少し反抗心でも湧いたのか、少女はムッとして永琳を急かす。

 

 

「そうね。私なら……」

 

 

 永琳はそんな彼女の意図を斟酌した上で、少し考える仕草をしてから口を開いた。

 

 

 

 

「犯人は『酔っている』と予想するわ」

 

「……へ?」

 

 

 予想を求めたが、その予想が自分の予想と掠りもしなかった為に、少女からは呆気に取られたような声が出された。

 

 

「……お酒の匂いでもしたの?」

 

「違う違う、酩酊って事じゃあなくてね……『自己陶酔』って意味よ」

 

 

 自身の予想の真意を理解させてから、彼女は続ける。

 

 

「目に歯を撃つ……まず犯人は私たちみたいに特殊な能力を使える存在ね。だけど腕を折れる程の力と距離まで接近していたなら、さっさと自分の腕力で始末すればいいじゃない。喉を潰して声を出させないように出来たなら、首の骨を折れる事も出来るでしょうに。下手に能力を使用したなら、特定されてしまうわ。例えば火の気の無い所で焼死体があった場合、疑われるのはあなたよね」

 

「例えが嫌らしいわね……あっ……」

 

「察してくれたようね」

 

 

 少女もまた頭の回る人物であったようだ。察した彼女に、永琳は学校の先生のように答えの発言を譲り、返答を待った。永琳の沈黙をそう解釈した少女は、答えを述べる。

 

 

 

 

「犯人は試しているって事ね、『自分の能力』を。つまり……犯人は後天的に得た能力を行使したいが故に、辻斬り同然に殺害した?」

 

 

 少女の答えに「お見事」と言って、永琳は小さく拍手をした。少女としたら死体の前で少し不謹慎だろうかと、気にしてはいたのだが。

 

 

「補足すると、能力はつい最近に得たようね……理由は分からないけど、呪物でも手に入れた辺りかしら。一ヶ月か二ヶ月? 私が知らない訳よ。どんな能力かは分からないけど」

 

「いや……もしかしたら、幻想郷の新参者って事は……」

 

「それなら結界とかに形跡があるハズでしょう。あの『紫』が気付かない訳がないし、いきなり幻想郷にやって来たとしても即適応出来る訳がないし、まず新参者の噂は聞いていないわ。犯人は間違いなく、幻想郷の者よ」

 

「んん……ますます、犯人の特定が難しくなるわ」

 

「それならば、調査の軸を変えてみるのよ」

 

「調査の軸?」

 

 

 検死が済み、セットを片付けながら永琳は提案する。

 複雑に動く彼女の手の動きを目で追いながら、少女は深く耳を傾けた。

 

 

 

 

「さっき言ったでしょ? 犯人は『殺し慣れている』のよ。ならばあるでしょうね、『別の被害者』が」

 

 

 悪夢が如き彼女の推測に、少女は眉間に険しいシワを寄せて嫌悪感を示す。その嫌悪感の中には愕然と言った、撃たれたような感情も混じっているだろう。

 

 

「当分は、里の行方不明者を洗い出したらいいわ。そこから分かる事もあるハズよ」

 

「わ、分かった……しかし、まさか私たちに隠れて殺人なんて……」

 

「憶測よ、過度に捉えないで。調べる場合は、行方不明者の家や素行、性別に消えた日付も纏めておく事ね。例え無差別だとしても、時間とか時期とか場所なりのパターンも把握出来ると思うし」

 

「何から何まで有り難う、参考になったわ。何か分かったら、また伺いたいのだけど」

 

「……私は薬師であって、探偵じゃあないのだけど。まぁ、安楽椅子探偵になら構わないわよね」

 

 

 永琳は冗談めかしたようにそう言うと、足元に置いてあった桶にセットを入れて、部屋から出ようとする。

 

 

 

 

「所で、この仏様はどうするの?」

 

「仏様って……身元不詳でね、誰の子か分からない状態なの。自警団の人らは、この人は荒くれ者で有名だって言っていたから、親が見つかっても引き取るかどうか……」

 

「絶縁されている可能性もありね。なら早々に埋葬した方が良いんじゃない? 後腐れないだろうし、荒くれ者とて一生を終えられた者……弔ってあげないと後味悪いわ」

 

 

 最後に「裏口は閉めて行ってね」と残して、永琳は部屋の扉に手をかけた。

 すると、思い出したかのように少女が尋ねて来る。

 

 

「そう言えば患者がいるって行っていたわね。ここ最近、誰も永遠亭には案内していないハズだけど……里の人?」

 

「里の人ではないわ。外来人よ」

 

「外来人? それはまた珍しい……」

 

「あ、言うけどその患者ならシロよ。大怪我しているし、昨夜は私が説教していたし」

 

「誰もその人を疑っているなんて言ってないわよ……」

 

「無神経だけど、面白い人間よ。見て行く?」

 

 

 少女は呆れたように首を振った。

 

 

「遊びに来たんじゃあないわ。貴女に聞いた事を慧音とかに相談しないと」

 

「そう。まぁ、近い内に里へ行くと思うし、その時は宜しくしてあげて?」

 

「暇があったらね……当分、暇はないかな」

 

 

 真剣な眼差しを受け、永琳は意味深長に微笑むと部屋から出て行った。中には少女がまだいるが、死体も一緒にある為に扉は閉められる。

 血の付いたピンセットを見られないように、桶の上に持っていた布を被せて隠し、彼女は水場へ向かう。お湯を沸かして、セットの消毒をしなければならないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永琳が水場でピンセットの煮沸消毒をしている時、ジョセフを食事を終えて、処方された痛み止めの薬を飲んだ後であった。

 

 

「〜〜〜〜ッ!! に、にげぇ!! 昨日よりもぜってぇぇ苦いッ!!」

 

 

 口の中に広がる、良く分からないがとても苦い味覚に悶絶しながら、奥歯を噛み締めるような表情で鈴仙に訴える。勿論、鈴仙は、薬の苦味は師匠がわざとそうしていると言う事を理解しているので、心の中で大笑いしていた。

 

 

「まぁ苦いでしょうね、師匠の薬は良く効きますから」

 

「いいや、ぜってぇこれは味覚を操作しているぜ! 俺には分かるッ!!」

 

「味は兎も角、効果は絶大でしょ? お陰様でジョジョさん、幻肢痛に悩まされず済んでいるんですから」

 

「だとしても俺は認めねぇぞぉ! 薬ってのは、飲み易くするもんだろーがよぉ! 異議あるかぁ!?」

 

「じゃあ、飲まなけりゃいいんですよ。一回痛い思いしたなら、師匠のお薬の有り難みが分かるってもんです」

 

 

 キッパリと言い切り、鈴仙はジョセフの食器を下げる。言い切られたジョセフは「くぅぅ!」と子供のように悔しがり、結局は拗ねたようにふて寝に入った。何から何まで、子供っぽい性格だなと、鈴仙は失笑する。

 

 

「所でレーセン、そう言えば人間の住む里に薬売りに行くって言っていたじゃあねぇか」

 

「ええ、それが?」

 

「人間の里ってよぉ、何があんだ? 昨日は幻想郷の何やかんやしか聞かなかったし」

 

「普通の里ですよ……まぁ、ジョジョさんにとったらまるで新鮮かと思いますが、人間文化で言ったらあまり特出するような物はないですよ。平和ですし」

 

 

 それを聞きジョセフは、顎に手を当てて何か考える仕草を取り、次にはニヤニヤと笑い出した。

 

 

「なぁるほどなぁ〜、それは楽しそうだ……」

 

「駄目です」

 

「まだ何も言ってねぇじゃねぇか!?」

 

「どうせ里に連れてけなんて、言うつもりだったでしょ?」

 

 

 キッパリと彼女は先回りして断った。

 当たり前であろう、ジョセフは現在、重傷患者である。左手は喪失し、骨折も多々あり、正直危篤状態ではない現状が異常であって普通なら一ヶ月以上は絶対安静の怪我だ。当分は出る事は叶わないだろう。

 

 

「けっ! 言っとくが、今は足が包帯ぐるぐる巻きなもんで動かしづれーが、本当はピンピンなんだぜレーセン?」

 

「言っときますが、血も多量に失っていますし、怪我も尋常じゃあない数なんです。本人が知らない所で、身体には負担がかかっているハズです。いざ立ったら、容態が急変するなんて事もありますよ?」

 

「だから大丈夫だっつってるだろー! 僕ちゃん、寝たきりは暇で暇で仕方ないのよぉ〜ん、身体がウズウズしてんだ。これは健康な証拠だろ!」

 

「精神状態は良好ですね。でも身体への影響に限界はあります。どれだけ健気な人でも、心臓が破裂寸前では動かないでしょ」

 

 

 鈴仙は面倒になったのか、会話を途中で切り上げてさっさと部屋から出て行く。呼び止めるジョセフだが、引き戸は閉められて、廊下から水場へ小走りで去る足音が聞こえて消えた。

 

 今日も出られないかと、彼はぐったりとする。

 

 

 

 

 静かな部屋の中、奇妙な音が鳴り響いた。鉄琴を響かせた音のような、拡散する妙な音。部屋は木造で、金属製の物がない為に非常に場違い的な音であろうと分かる。

 そしてその音は、ジョセフを中心に流れていた。

 

 

「コォォォォォ……」

 

 

 口から酸素が漏れるような音を鳴らす。ジョセフの呼吸音だ。その呼吸音に合わせ、金属音が空気の波に沿って振動する。

 

 

 

 

 目の錯覚ではない、その妙な呼吸をするジョセフの身体には、金色の光が宿っていた。

 

 

「……レーセンの言う通り、身体にはダメージはあるようだが、『波紋』の力はだいぶ強くなって来たぜ」

 

 

 彼はそう言いながら、右手を開いたり閉じたりを繰り返している。この不思議な現象『波紋』を発生させた事で、身体の痛みが緩和させているのだ。

 

 

(まぁ、まだ血が足りねぇようだし、レーセンの言う通り今日は安静にしといてやるかぁ)

 

 

 心の中で呟いた瞬間に、身体に纏っていた光は段々と静まり、消え去った。消え去ったと同時にジョセフは再び物思いに耽る、彼は表面上の性格に反して、思慮深い人だ。

 

 

 

 

 それにしてもと、ふとジョセフはここに来る前の出来事を想起していた。幻想入りする、寸前までの記憶。

 確か自分は、完全体となった『カーズ』との激戦を終えた後だった。成層圏近くまで岩石と共に吹っ飛ばされ、降下を初めて自分は…………

 

 

 

 

 ここからの記憶は無い。恐らく、海に落ちた時のショックか何かで気絶したのだろうか。言えどそんな状況下でこの地に飛び、生き長らえているのは流石自分の悪運と言うべきものか。

 永琳曰く、何かの拍子で次元の歪みのような物が出来て、そこから幻想郷までトリップするような事があるらしい。所謂『神隠し』と言う消失現象として認知されるものの、原因だとか。

 

 

 ただ、遠方の地から遥々日本の幻想郷に飛ばされる事象はあまり見られないそうな。

 

 

 

 

「……『死者としてなら別……だが』……か」

 

 

 幻想郷は『あの世』に一番近い地、らしい。死者の魂が自然の原理として流れ着き、稀に何らかの力を得る場合があるそうだ。その場合、霊体は肉体を持てるようになるとか。

 

 考えたく無いが、自分は死んだのだろうかと、一種の不安が彼を巡った。そうならば、もう自分は先生や友人たちに、会えないのだろうか。

 

 

 

 

「……ケッ!! なにしみったれてくれてんの!! オレはジョセフ・ジョースター! 真面目に暗くなるのはキャラじゃねぇぜ!」

 

 

 暗くなりそうな自分を、何とか鼓舞してやる。

 確かに自分はここにいる、自分の身体は自分の身体だ。何としてでもイタリアに戻り、先生に出会って、アメリカに帰って……『エリナおばあちゃん』と再会するのだと、ジョセフは固く誓う。

 

 

 そして、『亡き友』の墓を作ってやらねば。彼の故郷に作ってやろう。ジョセフは得意顔になって、自身の髪の毛を弄り始めた。

 

 

 

 

「あ、いたいた」

 

「ん?」

 

 

 決意を固めた時に、彼の元へ来訪者がやって来る。

 

 

 小さな女の子だ、桃色のふわりとしたワンピースを纏い、唸ったショートカットの黒髪。

 しかしそれらよりも一番目に付くのは、鈴仙同様に頭から突き出た兎の耳であろう。ジョセフは彼女と面識があった。

 

 

「おめぇ、『てゐ』じゃねぇか」

 

「ただの人間が妖怪にオメーってねぇ……私だから良いけど、他にゃ頭低くしていた方がいいよ」

 

「うるせーな! てめぇにゃ、昨晩の恨みがあるってんだ!!」

 

 

 ジョセフと談話する少女____名を、『因幡てゐ』と呼ぶ____は、ジョセフの言う通り、昨夜彼へ悪戯を施したのだ。

 

 

「何を言うか。遠い異国の来訪者さんに、日本の食の良さを実感させてあげたのだよ」

 

「あんなもん食いモンでも何でもねぇよ!!」

 

「ほーほー、あんたは『ワサビ』を愚弄するんだね」

 

 

 昨日の晩食での事、彼女はジョセフの食事にワサビをうんと絡ませた、お茶漬けを振る舞ったのだ。

 ワサビの存在を知らない彼は何の疑いも無くそれを口にし、悲惨な目に遭った訳である。

 

 

 それが原因で大騒ぎし、永琳に咎められる一因となったのだが。

 

 

「愚弄以前にてめぇ、俺のだけ多量に混ぜただろ!!」

 

「それが日本なのさ」

 

「俺はぜってぇー許さねぇぞ! エーリンに怒られるしよぉ!!」

 

「いや、それはお茶漬けの他に、漬物とかにも難癖付けていたからじゃ?」

 

「兎も角、食べ物の恨みはコエーって事だ! 怪我が治ったらいじめてやるからな!」

 

 

 恨みタラタラのジョセフに失笑しつつ、てゐは彼の近くへ行く。表情から察知出来るが、悪い笑みと言うものを浮かべている。

 

 

「妖怪が人間をねぇ〜。ま、せいぜい知恵を振り絞りたまえ」

 

「偉そうに……兎人間ってのは、レーセンもそうだが意地汚ねぇ奴しかいねぇのか?」

 

「年季故の余裕だよん」

 

 

 何が年季だこの小娘が、とジョセフはてゐを睨んだ。

 そうは考えていたものの、仕切り直しのように彼から質問をする。

 

 

「んで、何しに来たんだ? お見舞いか?」

 

「残念ながらお土産はないよ」

 

「言ってろー」

 

「単なる暇潰しだってば、暇潰しぃ。鈴仙も人里行っちゃうし、弄る相手がいなくなったんさね」

 

「帰れ帰れ!」

 

 

 堂々とジョセフを弄る姿勢でやって来たようだ。鬱陶しがるように右手でしっしっと、てゐを帰らせる。

 てゐは依然として変わらない、余裕ぶった態度を崩す事なく、意地悪そうな笑みで彼を眺めた。

 

 

「それにしても凄い筋肉だ。人間の大工でもそんな逞しくないよ」

 

「へっ! どうにも俺の家系の男ってのは、みんな体格が良いそうなんだよなぁ。なんだ、惚れたか?」

 

「まぁ、本人がボロボロじゃ無用の長物だけどね」

 

「嫌味言いに来たのかてめぇは!?」

 

 

 身体を起こして殴りかかるポーズを取れば、てゐは笑顔のままスタコラサッサと距離を取る。ジョセフが歩けない事を見越し、離れた所から「にしし」と笑って挑発。

 

 

「所で、えぇと、ジョセフだっけ」

 

「ジョジョで構わんよ」

 

「じゃあジョジョ。ちと、面白い話があるんだけど」

 

「ん? どした?」

 

「はい、これ」

 

 

 そう言っててゐは、懐から四角く折り畳められた紙を取り出し、ヒラヒラと見せ付けた。

 形状は、ジョセフの飲む痛み止めの粉薬を入れる、薬包紙と似ている……いや、それであろう。何かしらの薬を彼女はジョセフに提示しているようだ。

 

 

「んだそれ? 薬か? 薬ならさっき飲んだばっかだ……飛び切り苦いのをな!」

 

「それは痛み止めだろう? これは、永琳の部屋からくすねて来た物でね」

 

「お、おめぇ!? ドロボーッ!?」

 

「永琳から『いつでも良いから持って行って』と頼まれたから、ドロボーじゃあないのよん」

 

 

 ジョセフは顔を歪める。

 

 

「…………頼まれたぁ?」

 

「うん」

 

 

 彼女は薬包紙を揺らしながら、またあの悪い笑みを浮かべる。

 何やら自分に都合の良いとも思わせるような、悪戯っ子の笑み。ジョセフは怪訝に思いながらも、彼女の説明を待つ。

 

 

 

 

「効能は、『自己治癒能力の促進』。まだ出来たばかりで試験段階だから保証出来ないけど、永琳からは誰かに試薬投与してってさ」




中の人的にジョセフが幻肢痛だと、カズを思い出してしまうメタギア脳。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。