剣と魔法の世界に転生するはずがB級パニック世界に来てしまった件 (雫。)
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主な登場人物
○ライアン・ブラウン
主人公。平凡なオタク日本人から平凡なナードアメリカ人に転生したファンタジー願望のある少年。基本的には常識人でツッコミ役だが、知らず知らずのうちにこの世界の理に毒されつつある。ファンタジックな世界に行きたいと思ったこともあるが、今は基本的に平穏に暮らしたいのに、某少年探偵の如く旅先で色々と巻き込まれる受難の人。前世の記憶で日本語はできることと、ナチス残党との交渉を理由に外国語の授業はドイツ語を選択。得意な格闘技はネックハンギング。主人公なので木の棒とガスボンベの扱いにも長けている。銃器の扱いもできる方。
○キャサリン・シェパード
ライアンのクラスメイトである金髪ショートの女子高生。サーファーであり、身体能力に優れた健康的な身体つきが魅力。ありとあらゆる災害に対して備えは万全であることを信条としている。性格は強気ながらもさっぱりとしているタイプで、友達想い。サーファーなので人外に迫る超人的な戦闘能力を誇り、バトル時にはチェーンソーの申し子としての能力を発揮する。
○ダニー・アンダーソン
ライアンの悪友にして相棒である黒人(混血なので100%のアフリカ系ではない)の少年。メカやデジタルが得意なギークとしては、かなり陽気でハイテンションな方。車の運転や初歩的な整備も得意。とはいえ、自分で高度なプログラムを作るようなタイプではなく、広く浅く色々な機械に詳しい程度。ノリは良いのだがモテないため色々と拗らせている。二次オタでもあり、日本の漫画を理解するために外国語の授業では日本語を選択している。
○レベッカ・クルーズ
キャサリンの幼なじみで親友の少女。カリフォルニアに住んでいたが、学者である父親の都合でライアンたちの街に引っ越してくる。気弱で大人しい性格で身体能力もさほど高くなく、キャサリンとは一見対局なタイプだが、頭は良い上に以外と冷静さを保てるため、頭脳面、情報面で仲間をサポートできる。
○クレア・アームストロング
ライアンの年上の幼なじみであった女性州兵。軍人らしく冷静ながらも強気で気高い性格。ライアンのことは私人として大切に思っている。兵士としては優秀で若いながらも相応以上の階級を持っているが、しかしどこか抜けているところもある。
○ジョックの皆さん
餌枠である。青春を謳歌する代わりに、サメやゾンビに狙われやすくなるという代償を負っている。特に金髪の女子と腕に謎の日本語タトゥーを入れてる男子はさらに要注意だ。
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プロローグ
理不尽から始まるB級ライフ
あれが何年前の出来事なのかはわからない。だが一つ言えること、それはあの時俺は、トラックにはねられて、一度この世におさらばしたということだ。
死後どこに行くのか、そう問われたら俺はいつも迷わず、天国でも地獄でもなく、転生して次の人生を始めるんだと言っていた。だって、その方が現実的にありそうじゃないか。
だから俺は死を悟った時、来世に想いを馳せた。
別に、それまでの人生に特別不満があった訳じゃない。ただ、平凡過ぎただけだ。だから生まれ変われるのなら、もっと刺激があって、それでかつ自分の存在を決して無駄にしない、そういう人生が欲しかった。
まあ、一番わかりやすく言えば、剣と魔法のファンタスティック世界なんかに転生するのが理想だ。そこで剣や魔法の修練を積んで、ゴブリンの野盗に襲われている姫騎士を助けるとかして人脈を築き、世界を救うパーティの一員になるのだ。
前世で怠けた分、来世ではきっと努力する。だからそういう世界に自分を送ってくれ神様。死ぬ間際、走馬燈に混じってそんなことを俺は思った。
――だが、神様だか世界の摂理だかは、俺をそう甘やかしてはくれなかったらしい。
俺が今の生を受けた場所、そこは月が二つあるような世界でもなく、地球だった。そしてアメリカだった。
まあ、前世の記憶をある程度保持しているだけでも恵まれているのかもしれないが、とにかく俺は、前世同様平凡な家庭に平凡な能力を持った男児として生まれ、平凡な人生を再び歩み始めた。前世と違うのは、日本人かアメリカ人か、あと妹がいるかいないかくらいだ。
仕方ない、さらに次の来世に期待して頑張ろう、てっきり前世と同じ世界に生まれ落ちたと思っていた俺は、そう思いつつ、前世の自分をそのままアメリカ社会にスライドさせたような生活をしていた。
……が、何かがおかしい、俺がそう気づいたのは、中学生の時だった。
前世と同じ平凡な世界に平凡な人として生まれたなんてとんでもなかった。
そして真実に気づいてしまった俺はハイスクールに入ってすぐ、「怪物に襲われている人を助ける」という、前世で夢に描いたシチュエーションを初めて実体験することとなった。
ただし助けた相手は姫騎士ではない。魔法少女でもエルフでもない。
やかましいジョックだった。
斃した怪物は、ゴブリンでもオークでも触手モンスターでもない。
サメだった。
そして一度その修羅場に足を踏み入れた者は、どうやらもう戻れないらしい。
俺はそれ以来、神様が色々と手を抜いたようなモンスターパニック事件に、友達と冗長な会話をしながら、幾度となく巻き込まれていくことになってしまった。
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シャーグレネード 凶暴過ぎる砲弾アメリカで炸裂!
1
ハイスクール二年の秋。俺は、一昨年にサメからジョックを助けたこと、そして礼の一つ言われなかったことを、未だに色々と気にしつつも、とりあえずは平凡にナードとしての学生生活を送っていた。
既にこの世界のおかしさには気付いている。日々のニュースでわかったことがある。どうも最近のアメリカというのは、スズメバチや野犬に襲われての死者より、サメかピラニアかワニかアナコンダに襲われて死亡することの方が多く、そしてジョックはより犠牲になりやすいらしい。マフィアの抗争に巻き込まれて負傷するより、ナチスの残党に捕らえられて改造されることの方が多いらしい。単なる精神異常者より、感染ゾンビが起こす事件の方が多いらしい。
でもまあ、だからといって、俺がそんな事件に何度も出くわすことは流石に無いだろう、最初はそう思っていた。だって、幾ら変な事件が多いとは言え、アメリカの人口は三億人だ、その中で俺がピンポイントで何度も当たる訳はないだろうと。
「おい、ライアン、起きろよ、ライアン・ブラウン。もう着くぜ」
と、そんなことを考えていたところに、聞きなれた自分の今世での名を呼ぶ声が響いた。
「ああ、別に寝てた訳じゃないよ、ダニー」
俺が目を開けると、そこにいたのは、やや長めの髪をオールバックにした、中肉中背の黒人の少年。ダニー・アンダーソン。入学以来の悪友だ。
「マジかよ、てっきり爆睡してんのかと思ったぜ。何か、まーた前世に想いを馳せてたってか?」
「ま、そんなところだ」
ダニーは敬虔なプロテスタントだから前世云々の話を別に本気にしている訳ではない。ただ、知り合って間もない頃、前世の記憶があることをうっかり漏らしそうになったことがあって、それ以来俺をからかうネタにしているのだ。
俺とダニーがいるのは学校のマイクロバスの座席。隣り合って座っている。この日俺たちは、進級してから初めての、泊りがけのフィールドワークに赴いていたのだ。
「ああ、ライアン、起きたのね」
「いや、別に寝てた訳じゃないって……」
眠っていた訳ではないが、眠いのは事実。俺が目を擦っていると、前の座席から、ブロンドのショートヘアが魅力的な少女が身体を捻って声をかけてきた。
「今先輩からメールで聞いた話だと、今回のフィールドワークを皮切りに、二年では何回も不定期にやるらしいわね。面倒」
「ま、そんなモンだろ、キャサリン」
彼女の名はキャサリン・シェパード。ダニーと同様ハイスクールの同級生で、一年生の頃からの付き合いだ。
「そう言えばこれから行く、グリーンリバー市って、どんなとこだっけ、ライアン?」
「えーと、人口は一万に満たないな。主要部は三千人ってところだ。かなり寂れててた街だが、最近は自然を活用した観光で町おこししてる」
「ハハハ、下調べなんて、相変わらずマジメだなぁ、ライアンは」
事前に検索したことを説明していると、ダニーが茶化してくる。
「だまれ、ダニーが不真面目過ぎるだけだ。でまあ、最近は町おこししてる。キャッチコピーは、『森の妖精とダンス』」
「へぇ、じゃああたしたちの自然学習には、うってつけな場所ってことね」
「そういうこと。でもまあ、穏やかな話だけじゃないみたいだ。最近、不審な集団が森の中で見られるらしくて、市民や観光客の行方不明者もいるってさ」
「あら、それは怖いわね」
「おいおい、冗談きついぜキャサリン。お前がこの程度で怖い訳ねぇじゃんか!」
ダニーが肩をすくめる。
「失礼ね、あたしだって女子よ」
「でもありとあらゆる災害に常日頃から備えている。地震に火事、津波から火山の噴火まで」
「あと、巨大隕石の衝突とゾンビの大量発生ね」
キャサリンという少女は、良く言えば用心深く、悪く言えば妙な方向に突き抜けた心配性なのだ。
「おーい、目的地に着いたぞ。みんな下車の準備をするんだ」
バスが停車し、担当教師が号令をかける。
すると後方の座席に固まって道中やかましくしていたジョックたちが、より一層けたたましい声を上げて、ずかずかと我が物顔で車を降りる。
「ひゃはは、しけたところだなァ」
「ねぇ、ここってダンスホールかクラブはあるのかしら?」
「おい、後で上流のキャンプ場に行ってみようぜ!」
「おっと、そろそろプロテインの時間だ」
「ウェーイ!」
ジョック連中が全員降りてから、荷物を膝の上で抱えて待っていた俺たちナードは動き始めるのである。
そこは、河川の上流と中流の狭間とでも言うべきか、川幅もそれなりに広く、深さもあるのだが、水は透き通っていて、辺りに広がる石粒もまだ角を残している、そんな河川敷だった。
「ふーん。まあ確かに綺麗なところね」
到着早々テンションMAXのジョック集団からわざとらしく目を逸らしながらキャサリンが呟く。
しかしそれは単なる皮肉だけの言葉ではないだろう。実際、綺麗な場所だとは俺自身も思う。このまま環境映像に使えそう、いや、まるで実際に資料映像を見ているかのようにさえ思えるほどに完成された自然の美というものがある。
「今晩はこの河原でキャンプを張る。各自、まずは振り分け通りに準備をするんだ。私は一旦街の方に行ってくるから、ちゃんとやっておくんだぞ」
先生がそう言い残してその場を離れたところで、ジョックたちが素直に従う訳がない。
先生がある程度離れたのを確認するとジョックたちは持ち込んだラジカセから大音量で音楽を流し、一足早くダンスパーティを始めた。部外者としては耳障りでしかない。
「あーん、なんだかアツくなってきちゃったわ」
少し躍るとすぐに、ジョックの女子の一人がおもむろに服を脱ぎ始めた。下には律儀にビキニの水着を着ている。
「チョット、あんた水着着てきたの?」
「あら、だってそこに水辺があるのよ。男たちにこのボディを見せつけるチャンスじゃない」
「……実は、わたしも! ウフフ」
「そうこなくっちゃ!」
一人脱ぐと、誘爆するように他のジョック女たちも水着になっていく。最近の女子高生というのは、常に水着を下着代わりにしているのがデフォルトなのか。
「こっちこっち!」
「キャー、冷たい」
「もう十月近いもの」
「でも、その分ダンスで熱くなれば良いわ。夜はもっと、ね」
そして当然の如く水着の集団は川に入って水の掛け合いっ子に興じ、男ジョックたちも便乗するのである。微笑ましくも何ともない。
「……あいつらはお気楽で良いよな。オレらも適当にサボるか、テント作り」
ジョックの生態を観察していたダニーがそう言って草むらに寝そべって、日本のマンガを読み始める。
「そうだな。正直、すぐにはやる気起きないよ。あの先生なら別に多少遅れたくらいじゃ怒らないしな。とりあえず今日のニュースでも……っておい、ここ圏外だ」
「うーん、あたしも何だか熱くなってきたわ」
俺がダニーに同意しつつスマホがその存在意義を失っていることに愕然していると、キャサリンまでもが脱ぎ始めた。脱いだのは上のTシャツだけだが、やはり水着を装備している。上はビキニで下はホットパンツという出で立ちだ。
「おいおい、まさかあいつらに混じろうってんじゃないよな?」
「別に? ただ、何となく暑いなって思っただけよ。それとも、何? あたしと泳ぎで競争でもする?」
「いや、別に」
いじらしい笑みを浮かべるキャサリン。
その後俺たち三人に続いて、他のナードたちも怠け始めたので、これは流石にあの先生でも怒るだろうなと思い始め、ぼちぼち作業を始めようと、俺が資材の山に向かった時であった。
背後から「バシャァアン!」と、水が弾ける、いや、爆発すると言っても良いかも知れない音がした。とても人間の水遊びで立つような音ではない。
「何だ、今のは」
俺は振り返り、ジョックたちが水遊びをしている川に視線を向ける。数人の女子生徒たちが固まっているところから二十メートルほど上流に、大きな波紋が見えた。やはり、人が幾ら運動してもあれほどの波紋を作れるとは思えない。
「どうしたライアン」
何やら不吉を感じ、その波紋を凝視していた俺に気付いたダニーが、寝転がってマンガを手にしたまま声をかけてくる。
「今、何か大きい水の音がした。普通にあいつらが遊んでて出る音とは思えない」
「どっか高いとっからの飛び込み競争でもしてんじゃねぇの?」
「いや、その様子は無い。それに……ほら、あそこにまだ波紋が立ってるだろ? うちの生徒から離れた位置だ、あそこには誰もいない」
「デカいブラックバスでも跳ねたんじゃねぇのか?」
ダニーはそう言って再びマンガの世界に戻る。しかし、俺にはとてもこれがただごとだとは思えない。あの波紋の大きさも、単なる大きな魚では説明がつかないし、それに何と言うか、本能がそう言っている気がするのだ。
俺はこみ上げる不安から、しばらく先ほど波紋が立っていたところとジョック集団の間の水域を観察していた。しかし、俺はこの段階ですぐに気づき、声を上げていれば良かった、水中に何やら大きな影が一瞬見えたことを。だが俺はこの時、自分の目の方も疑ってしまったのだ。
不安はすぐに現実のものとなった。
川で遊んでいた少女のうちの一人、ブロンドの波毛が魅力的として知られていたジェシカが突如硬直、口から血を吐き出した。
「ジェシカ⁉ ねえどうしたの、大丈夫?」
他の女子が声をかけるが、ジェシカは最早返事もできない。苦痛とも絶望ともとれるものに目を見開いているだけであった。
そしてジェシカは次の瞬間、吸い込まれるように勢い良く水中に没した。ジェシカのいた場所の水が、赤く染まる。
「キャー! ジェシカ! ジェシカがッ! ……キャァァァアアアッ⁉」
ジェシカの異変を前にし困惑していた少女もまた、ジェシカの後を追うかのように、何者かによって水中に誘われてしまった。川の水が更なる赤みを帯びる。
「おい、何だ? 悲鳴が聞こえたぞ?」
「ねぇ、あれ血じゃない?」
「ジェシカたちはどこに行ったの?」
ジョックたちの中にも混乱が広がり始める。しかし彼らはまだ、その状況を理解していない。
だが、遠方から観察していた俺にははっきりと見えたものがあった。
二人の少女の血で赤く染まった水面から突出する、黒く尖ったもの。嫌でも俺の脳裏に焼き付いて離れようとしない忌々しい生物の一部。
そう、あれはホオジロザメの背びれだ。
「おーい! みんな早く岸に上がれ! サメだ、川にサメがいるぞッ!」
俺はジョックたちに向かって叫んだ。早めに陸にさえ上がってしまえば、安全なはずだ。
「おいおい、何言ってるんだ、あのオタクは?」
「馬鹿ねぇ。川にサメがいる訳ないじゃない」
しかしジョックたちは俺の言葉に真剣に耳を傾けない。
「本当だ、信じてくれ! 現に、ジェシカたちの血が流れてるだろッ!」
「うるさいわねぇ、あのオタク……ん? 誰か今、あたしの脚に触った? ジョン?」
「いや、おれじゃな……グワワァァアアッ⁉」
「キャーッ! ジョン! ジョン! ぐふっ⁉ あ、あ、あああああ!」
俺が説得を続けるも、またもや次の犠牲者が出てしまった。水面がさらに赤く染まるその瞬間が、ジョックたちの目に飛び込む。
「おいヤバいんじゃないの⁉」
「ほ、本当にサメがいるのか⁉」
「キャァァァアアアッ!」
既に数人の犠牲者を出してからようやく状況を理解し、岸へと向かうジョックたち。しかし時既に遅し。サメと彼らとの距離はかなり詰められていた。
「キャァアッ! みんな待ってよ!」
状況を把握してからアクションを起こすのが遅れてしまった女子生徒が、先を行く友人たちの背中を追う。だが他の生徒たちも今は自分のことで必死だ、誰も振り返らない。
そんな彼女のすぐ背後に、血塗られた牙の影は迫る!
「キャァアッ! キャァァァアアアッ!」
殺気を感じた女子生徒は自身に迫る危機の象徴の方に振り向き、そしてわざわざ立ち止まって、腹の底からの悲鳴を轟かせた!
「キャァァァアアアッ! キャァァァアアアッ! キャァアアアアアーーーーッ‼」
自分の前で立ち止まっている獲物を見逃すサメではない、サメは虎のように咆哮しながら水面から飛び出し、その恐ろしい全容を俺たちに晒しつつ、何度もしつこく絶叫している女子生徒の頭部に喰らいつき、そのまま押し倒すようにして水底へと誘ってしまった。
……何でわざわざ立ち止まってまで見せつけるように絶叫したんだか、それさえ無ければ少しは助かる希望があったかもしれないものを。
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2
何とか岸に上がった残りのジョックたちは、偏差値の低い頭で何とか状況を整理しようと、あーでもないこーでもないと意味の無い口論をしている。
「……マジかよ。五人もやられちまったのか」
俺が退避を呼びかける中、本を手に持った姿勢のままで茫然とことの推移を見ていたダニーが、開いたままの口を動かした。
「ねぇ、それにしても何で急にサメが川に出たのかしら? サメがこんな上流にいるなんて普通じゃないわ」
キャサリンは護身用のナイフを手に取りながら訝しんだ。
「ああ、それなんだが……サメが出る前に、何か大きいものが水に落ちる音を聞いたんだ」
「……どうやらあんたはあたしと同じ意見を持っているみたいね。あたしは、何か大きなものが風を切って飛ぶ音を聞いたわ」
流石はあらゆる災害に備えていると豪語するキャサリン。俺よりも早く異常な何かを察知し、俺と同じ結論を得ているようだった。
すなわちそれは
「「あのサメは空から降ってきた」」
俺とキャサリンの声が重なる.
「おいおい、この状況でそのジョークはあんまり笑えねぇぞ?」
ダニーは俺とキャサリンの目を交互に見てから小さく笑い、かぶりを振った。だが、すぐに俺とキャサリンの目つきが変わらぬことに気がつく。
「……マジで言ってるのか?」
「ああ、マジだ」
「状況からしてそう考えるのが妥当よね」
「おいおい、ハリウッドの映画じゃねぇんだぜ⁉」
いや、ハリウッドならこんなおかしなものは作らない。
「しかしキャサリン。サメが降ってきたという仮定が正しいとして、その原因は何だろうな?」
「問題はそこよね。竜巻でサメが巻き上げられることはたまにあるみたいだけど、そういう気象情報は聞いてないわ。第一、ここは海から離れすぎている」
「となると、他に考えられる原因は……」
俺たちがそうこう言っていると、川の中から退避したジョックたちの塊の中から、罵声が聞こえてきた。
「ケントてめぇ、今何つった⁉ もう一回言ってみろ!」
「ああ、何度でも言ってやるよジャン! これは一大事だから市警に連絡した方が良いし、先生も呼び戻してフィールドワークの中止を勧めるべきだってな!」
「てめ、そんな悠長なことしてられるかよ⁉」
どうやら、この事件を受けて学生の身でどうするかで揉めているらしい。
「どうも、あのサメが降ってきたものだって理解している奴はあっちにはいないようね。気付いたあたしたちも意見を言う必要があるわ」
「そうだな、行ってみよう。ケントはあの中じゃかなり話のわかる奴だしな。――おーい、ケント、一体どうしたってんだ?」
ケントはジョック連中との付き合いが多い割には理知的な部類の人間で、それに俺とは何やかんやでエレメンタリースクール時代からの顔見知りだ、ジョックの多いクラス全体を相手に交渉をするなら、彼を通すのが最善策だろう。
「ああ、ライアン。聞いてくれ、ジャンが自力で帰るって言って聞かないんだ。俺としてはとにかく街まで行って状況を知らせることが先決だと思うんだが。街まで行けば、安全な場所もある」
聞く限り、ケントの主張はもっともだ。川にはまだサメが泳いでいるし、また振ってくるかも、そしてどこから襲ってくるかもわからない。ならばできるだけ集団行動しつつ、やはり市警などの力に頼った方が良いだろう。
「お前マジで言ってるのかケント⁉ そういう時間使ってる間に、また襲われるかもしれねぇだろうが! ならさっさと、とにかく早めに先公置いて行ってでもトンズラするんだよ!」
しかし、ジョックの中でも横暴な性格で知られるジャンは、一度自分が思ったら絶対に曲げようとしない。唾を飛ばして食ってかかる。
「オイ、お前らもそう思うよな!」
ジャンは他のジョックたちに同意を求める視線をご丁寧にも音声ガイド付きで向ける。しかし、それに肯定の視線を返した者はごくわずかだった、ほとんどは、互いの顔を見合わせて戸惑っている。
「ジャン、本気かよ。だいたい、こんなところからホームタウンまで、一体どうやって帰るつもりだ? バスの待機場所は先生に聞かないとわからないぞ。それに、運転手は今頃ランチの時間だ」
「ハァン! ならヒッチハイクだ! オレはヒッチハイクには慣れてんだ! こう見えても、一昨年の夏にはヒッチハイクで州を横断して、道中で三人の女を抱いた!」
「おいおい、何もそこまですることは無いだろう。そもそもだな……」
「うるせぇ! とにかくオレはこんなところにいるのはうんざりなんだ! オレは先に帰らせてもらうぜ! 行くぞ、お前ら!」
ジャンは最早議論も思考も放棄した。自分に肯定的だった三人のジョックを半ば強引に引き連れ、国道に向かってずかずかと大股で歩いていく。
「ん? この音は……みんな、静かにして!」
が、そこでキャサリンが異変を感じたようだ。キャサリンの真剣かつ凄みを帯びた表情と声に圧倒された皆が黙り込むと、やはりキャサリンは都合良過ぎるレベルで聴力が高いらしい、遅れて俺にも何ものかが空気を切り裂く音が聞こえた。
「あ、あああ! あれは何だ⁉」
生徒の一人が空を指差して叫ぶ。その先には、天を舞う数匹のサメが!
サメたちは空中で身体をくねらせて獲物を探し、そして自分たちの飛んでいく方向にサメの大好物であるジョックを見つけるや、その凶悪な口を開けて突撃する。
「ジャン! 上から来るぞ、気を付けろ!」
俺は叫んだが、頭の固いジャンはサメがまさか頭上から襲撃してくるなどとは考えなかったらしい。俺を嘲笑うように一瞥した後、その表情のまま空を見上げ、そして硬直した。しかし、彼の笑い顔が絶望のそれに完全に変わるほどの猶予は無かった。
獲物を定めた巨大な顎ジョーズは既にジャンに向かって一直線に接近しており、信じられない光景を前に固まっているジャンの顔面に喰らいつくと、勢いのままに彼の首から上だけを掠め取るように食い千切って、そのままジャンの後方にあった池に着水した。
状況を理解できぬまま思考を司る部分を持って行かれて絶命したジャンが、驚いた姿勢のまま地面に倒れ込み、砂利道を赤く染める。
「……キィィィャヤァァァァアアアア‼」
「あ、あああ……あああああああッ‼」
ジャンについて行こうとしていた三人のジョックたちは、目の前で友人が無残な姿に変えられたことに恐怖し、ある者は膝を着いて地面に崩れ、ある者はとにかく逃げようとするも思うように足に力が入らずに立ち往生していた。
しかし、そんな三人も程なく、ジャンを殺したサメの後を追うように飛来してきたサメたちの牙によって、強制的にジャンの後を追わされることとなってしまった。一人は両腕を食い千切られて絶命し、一人はサメとの激突による衝撃で命を落とし、一人は躓いて倒れているところを、着地して地面を器用に這うサメによって下半身から喰われて他界した。
「ああ、何てこった、これじゃあどこに行っても安全とは言えないぞ! 街まで行けるかもわからない!」
ケントは頭を抱え、天を仰いだ。
「ねぇ、あれを見て!」
しかし、事態はその間にも着々と悪化の一途をたどっているようだ。キャサリンの指差す先を皆が見る。
数キロは離れた上空を、サメが編隊飛行していた! それも一つではない、今俺たちの目に見える空のあちらこちらで、数匹ずつのグループのサメが、放物線を描いて飛んでいた。あの飛び方は絶対に竜巻によるものではない。そして空を舞うサメの数は、時間と共に増してゆく。
俺はここでふと、どういう訳か、今空に見えている全てのサメがどれも、上流の山の方角から放射状に飛んでいることに気がついた。あの山に、何か秘密があるのだろうか。
「おいおい、こりゃマズいぜ。今何匹か、街の方にも行ったんじゃねぇの? サメも賑やかなのがお好きか?」
ダニーの指摘した通り、何匹かのサメは街の飛んで行っている。
「ああ、どうしよう。オレはてっきりサメがここにしかいないのかと思って……。これじゃあどこにも逃げ場は無いじゃないか!」
自分の勧めていた対処法が、あまり意味の無いものであったことを思い知り、そしてそれ以上に手段を考案するだけの冷静さを失ったケントは、顔を手で覆い、地面に膝を着いた。
俺はケントのもとに歩み寄る。
「ケント、君は悪くない。こんな事態、予測できる方がおかしい」
「ライアン、じゃあどうすりゃ良いんだ!」
「予定通り、街を目指そう。俺は今でもそれが良いと思う、君は間違っていない。確かに街にもサメが降っているようだが、どの道ここにいても危険なんだ。なら人がたくさんいる分、既に対策が取られてるかもしれない街に行った方が良い。どの道、先生とも合流しないと」
「そうよ。街なら隠れる場所も多ければ、市警もいる。それに、身を護るための道具も確保できるわ」
「う、うむ。確かにそうだな。本当に申し訳ない」
俺とキャサリンの説得を受けて、ケントは腰を上げた。
「みんな、聞いてくれ! さっきジャンたちが喰われたのを見て、迂闊に動きたくないと思ってる奴も多いと思う。だが、ここにいるだけでも事態は好転しない。だから俺たちは、可能性がある道を選ぼうと思う。無理にとは言わない、でも、俺たちと一緒に街を目指す人はついて来てくれ!」
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3
ケントの呼びかけに応えて共に街を目指す道を選んだのは、クラスメイトたちのうちのおよそ半数だった。残りは、キャンプ地で救助が来るまで立て籠もるつもりのようで、流石に今は亡きジャンのように強行帰宅しようと思う奴はあまりいないらしい。
十数人にもなる俺たち一行は円陣を組んで、どこからサメが飛んできても良いように警戒しながら行動し、実際アメリカの片田舎にありがちな広く交通量も少ない車道では、早期にサメを見つけさえすれば回避は難しいことではなかった。
だが、それはあくまでも、左右を麦畑に囲まれた広い車道に限った話だ。街までの道のりの三分の一を無事に踏破した俺たちは、一本の小さな橋に差し掛かっていた。
「さて、ここを渡るとかなりのショートカットになる訳だけど……どうする?」
橋の幅は自動車が一台だけ通れるほどで、長さは三十メートルといったところか。回避運動自体ができない訳ではないが、一度に何匹ものサメが同時に降ってきたら、全員が全てを躱すだけのスペースはありそうにない。
しかし、地図を見る限りはここを通れば、少なくとも二十分は街に早く到着できるのだ。
「行こう。今のところ、上空にこっちに向かって来ているサメはいない。今のうちにさっさと渡ってしまえば大丈夫なはずだ」
ケントは決断し、一同が賛成、俺たちは橋を渡ることにした。
実際、俺やケントの見立て通り、今はこちらにサメが飛んでくる気配は無く、すぐに渡りきってしまえば上空からの脅威に関しては心配する必要は無用であるように思えた。
そう、上空からの脅威は。
橋の真ん中まで渡ったところで、先頭を行く一人であった俺の耳に、背後から重々しいサメの咆哮が飛び込んできたのだ。
馬鹿な、頭上にサメはいないはず。俺はとっさに振り向いた。
だが、それもそのはずだった。そのサメは、頭上ではない、俺たちの足の下から来たものだったのだ。そう、この橋が架かった小川は既に、着水したサメたちによって占拠されていたのだ!
「キャァァアアアッ! ヤメテー!」
吠えながら川からジャンプしたサメが一匹、女子生徒に喰いつく。
「あああっ! この、ジェシーから離れろッ!」
喰いつかれた女子生徒の彼氏がサメを蹴るが、全く離れようとしない。そして彼はその後すぐに、勢い良くジャンプしてきた他のサメによって、橋の反対側に突き抜ける形で川に落とされてしまった。その段階で、女子生徒は既に息をしていなかった。
「ま、まずい! これは囲まれているぞ!」
橋の下を覗き込んで俺は叫んだ。
既に橋の下の川は、ますで産卵期のサケが遡上する時のように水面に背びれを露出した魚影で溢れ返っており、そのほとんどが時々その凶悪な牙を備えた顎を上方にいる俺たちに向けては殺気に満ちた咆哮を轟かせている。
「ど、どうする⁉ ライアン!」
自分の選択がまたしても皆を危険な道に誘ったのではと責任を感じているのだろう、ケントが普段の彼からは想像できないほど自信の無い視線を俺に向けてくる。
「ひ、引き返しても意味は無いぞこりゃ! このまま進むしか無い!」
銃も持っていない俺たちには、サメが進む先を塞ぐ前にがむしゃらに走り抜ける以外の選択肢は無かった。
「う、うおっ⁉ 来やがった!」
しかし前進を決めて早々、先頭を行くダニーが声を上げその歩みを止めた。
ジャンプして橋に乗り上げた一匹のサメが、俺たちの道を塞いだのだ。そしてサメは胸びれで器用に這いながら、俺たちとの距離を詰めてくる。
「う、後ろにも!」
そして俺たちの隊列の後方にもとうとうサメ部隊が展開した。既に後ろの方では三人もやられている。
「おいおい、前門の虎後門の狼って奴かよ!」
「四面楚歌とも言うな!」
ダニーが顔を手で覆い、マンガで覚えた諺をやけくそに叫ぶ。
だが、ここで一人だけ、敢えて前進、立ちはだかるサメに向かう者がいた。
「……逃げ道を奪われたけど逃げなきゃいけない。なら、自分で逃げ道を切り拓くだけよ!」
「キャ、キャサリン!」
それはキャサリンだった。彼女はナイフを片手に、迫り来るサメに向かってつかつかと歩み寄る。
「つまりそれはそう、戦うしか無いってことよ!」
キャサリンは、喰らいつこうとしてくるサメの牙を身を翻して躱すと、その動きのままサメの脳天にナイフを突き立て、体重をかけてねじ込む。そしてサメの動きが鈍ると同時にナイフを引き抜きながら回し蹴りを見舞って、橋の下に落とした。
「ガイドブックによればこの先に鉄砲店が併設されたホームセンターがあるわ。まずはそこを目指して、武器を調達するわよ!」
キャサリンは勇ましくナイフを掲げる。しかし、彼女のような強い心をいざという時に持てない一般人の生徒たちのほとんどは、互いに不安そうな顔を見合わせることでしか応えられなかった。
しかし、当然サメは彼らに決断の猶予など与えてくれない。すぐに新たなサメが橋に乗り上げてきて牙を剥く。
「ひっ……!」
「ハッ!」
キャサリンは今まさに一人の男子生徒に喰らいつこうとしていたサメの弱点である鼻づらに向かってナイフを投げつけ、その動きを止めた。
「迷っている暇は無いわ! とにかく今は走るのよ!」
橋の下ではまだ、数えきれないほどのサメがひしめいている。
しかしキャサリンが声を上げても、既に何人もの仲間を失った生徒たちは、どうしてもアクティブに動く勇気を燃やすことができない。
「……そうだ。キャサリンの言う通りだ。どうせここで立ち止まってたって、喰われるのに違いは無い! でも、行動を起こせば可能性は広がる!
だが、人というのは周りに流される生き物だ。みんながキャサリンの後に続かないのは、そこにキャサリン一人しかいないからだろう。だから俺は、率先してキャサリンへの同意をはっきりと声にした。
「ああ、何もしないでくたばるなんて御免被りたいぜ。無駄死にするくらいなら、せいぜい走って脂肪燃焼させてサメにマズイと言わしめてやりたいもんだ」
「……みんな行こう。何もしなきゃ、どんな道も拓けない」
ダニーとケントも俺に呼応する。
すると流石に、互いに顔を見合わせている生徒たちも、その表情に肯定的な応えを浮かべるようになってきた。
「決まりだな」
「よし、みんな走れ!」
だんだんと前向きな勇気を解凍しつつある生徒たちに向かって、ケントが絶妙なタイミングで号令をかける。すると彼らは、すぐに反応し、我先にと駆けだした。
ジョックというのは単純だからこういう時には助かる。
しかし、それを黙って見過ごすサメではない。頭上の獲物たちの動きが活発化したことを悟ったサメたちは、より一層狂ったようにその牙を剥いて、橋の上の獲物に向かってその想い身体を跳ね上げる。
「キャッ!」
俺たちの半数以上が対岸辿り着いた時、大型のサメの体当たりで橋が振動、最後尾の女子が倒れてしまった。サメは手負いの獲物を狙う!
「ライアン、後を頼む」
ケントは俺にそう言うと、来た道を戻ろうとした。
「こうなったのは、俺の責任でもある。だから俺は彼女を責任を持って助ける」
ケントは倒れた女子のもとへ駆け寄り、手を差し伸べて引き起こす。
だが、そこに丁度サメが降ってきた。
「ケント! サメだッ!」
「危ない!」
ケントは立たせた女子生徒を突き飛ばすようにしてその背中を押し、サメの牙の餌食となることから回避させた。
だが、ケント本人は――
「ケント!」
女子生徒の身代わりとなったケントは、サメによって左腕を肩から根こそぎ食い千切られてていた。全てが流れ出すまで止まらないであろう鮮血が、橋を赤く染める。
「……がはっ、ライアン……残念だが俺はもう無理のようだ。……みんなを、頼むぞ……!」
「ケントォォオオオッ!」
ケントは俺に後のことを託し、よろけながら橋から落下してしまった。大量のサメがケントの落下地点に群がる。
俺は昔なじみのあまりにも唐突であっさりした最期に、どうもすぐには現実味を感じることができなかった。
「おい! 何突っ立ってんだよ、お前も早く来い!」
つい数秒前までケントが立って息をしていた虚空を茫然と眺めていた俺の腕をダニーが掴み、足の力が入らない俺を力づくで退避させる。
思えばこの世界に転生してから、少なくとも親しいと言える間柄の人間を目の前で亡くしたのは、これが初めてだ。
二年前に初めてサメ事件に遭遇して、そして今回の事件でも人が喰い殺される局面は何度も見た。資料映像のような空間の中で、様式美の如くジョックから先に命を落としてゆくのを何度も見た。神が手を抜いて作ったようなシュールな事件を何度も見た。
そして今までの俺はその都度、心の内外で第三者視点を気取って、事件の奇妙さにツッコミを入れていた。
だが、親しい者を、例えサメが降ってくるなんておかしなこと極まりない事件であっても目の前で失うと、こうも今までの冷静さ――いや、冷淡さを失うとは。俺は改めて、この世界が今の自分にとっての紛れも無い現実なんだと再認識する。
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4
「はぁはぁ、ここまで来れば大丈夫だろう。周りに水辺も無いし、今は降ってくる気配も無い。……ライアン、お前大丈夫か?」
ダニーに手を引かれるままに疾走した間の記憶は曖昧だった。いつの間にか、俺たちは国道沿いの広場まで来ていた。
「おい、ライアン!」
「あ、ああ……」
ダニーの声で、俺の目に景色が戻る。
「ライアン……ケントを亡くして辛いのはわかる。オレだってそうだ。でも今は生き残るために全力出さなきゃ、あいつに申し訳無いぜ」
俺はもしかしたら、親しい人間を馬鹿げた亡くし方を実際にしてみて、今初めて自覚したのかもしれない。この世界が、紛れも無く今の自分にとっては現実なのだと。
今まで俺がやたらと冷静、客観的に事件を見つめられていたのは、何も俺が特別に達観していたからではなかったのだ。望まずしてやって来たこの世界から、自分がどこか切り離された存在だと感じていたからなのだ。
だが、それは違った。ケントを失い初めて実感した。俺はもう、ここの住民なのだと。このB級映画じみた世界は、紛れも無く俺の今生きる世界なのだと。
「ライアン! しっかりしなさい!」
俺が自分とこの世界との関係に気付き、その苦悩に頭と胸の内側を支配されていると、甲高くも凛々しい声が俺の精神的な障壁を破って耳に飛び込み、次いで痛くも情を感じさせる平手が俺の顔面に飛んできた。
キャサリンだ。
「あんたらしくもない……ケントが死んでショックなのはわかるわよ。でも、ケントはあんたに全てを託して逝った。これがどういうことかわかる?」
「いや……」
「あんたはいつだって、何事をも冷静に客観視してるじゃない! ジョックの喧嘩にしても、今回の事件にしても! だからケントは、今こそあんたを信用してたのよ、そういう視点に立てる人なら、自分よりも上手く、この異常事態に対処できるはずだって! それがわからないの⁉」
確かに言われてみればそうかもしれない。
俺の視点はある意味、他の当事者には見えないものを見ることができる。
「ライアン、残念ながら今ここにいるメンバーの中に、ケント以上のリーダーシップを発揮できる人はいないの。既に何人も犠牲になった上、半分はキャンプ地に残ったんだから無理もないわよね。今みんなを街まで導けるかもしれないのは、あらゆる災害に備えてるあたしと、やたら客観的な視点を持ってるライアンだけよ」
「……そうかもしれない。でも……」
「ライアン。あんたが何でそんな視点を持ってるのかは知らないけど、それが薄情なものだと思って悩んでいるならそれは無駄よ。その視点は使い方次第では、ここにいる多くの命を守れる。もしケントを失って、自分の持ってる視点を悔やんでるんだとしたら、まずはその視点で一人でも多くを生かして贖罪しなさい。後悔するのはそれからよ」
そうだ。
ケントが死んだからってここで黙っていても、それは逃げでしかない。
もしケントが俺が何かを為すことを望んでいたのなら、例え失敗してでも、それに当たってみねば彼は浮かばれない。
「ライアン、ケントを失って悲しいのはオレも一緒だ。でも、何もしなきゃ、もっと悲しまなきゃならなくなっちまうんだぜ」
ダニーもまた、下手ながら俺を奮い立たせようとしてくれる。
「……だな。手間かけさせて悪かった。俺にどこまでできるかわからないけど、今はやれることをやるよ。……その上でケントを弔う」
まだ俺の内心に迷いが無い訳ではない。
でも、友人の言葉が多少なりとも俺の本来の気質に根差す活力を後押ししてくれたこと、それは確かなことだ。
こんなおかしな世界に転生してしまって、そこで俺が俺としてやっていくための道筋というのは、こういうところにあるのかもしれない、キャサリンの言葉を聞いていると、そうとすら思えてくる。
「キャサリン、ダニー。ありがとう。別に吹っ切れたって訳じゃないけど、君たちのおかげで今はとにかく動く、その決心はついた。特にキャサリン。君には、ある意味で救われた気がしたよ」
だから俺は立ち上がった。
とりあえずの行動を起こす、その勇気のために。
「べ、別に特別に礼を言われることはないわよ。幼馴染みとしては割かし当然のことじゃん!」
キャサリンは俺の言葉を受けて何故か少しばかり赤面しながら謙遜していたが、その後すぐに、災害対策万全系女子の表情に戻った。
「……ホームセンターはもう目と鼻の先よ。そこで武器を調達したら、そのまま街まで強行突破しましょう」
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5
俺たちが無事にホームセンターに着いた時には、既にそこには全く生きた人間は残っていなかった。多くがサメの餌食になり、それ以外は逃げたのだろう。
そして同様に、物資もさほど多くは残っていない。きっと、俺たちと同じような考えの人たちが持ち去ったのだろう。しかし、この人数に行き渡らせるには充分だ。
「おいおい、店員避難済みじゃあオレたち万引き犯じゃん」
「聞こえ悪いこと言わないで、ダニー。これはツケってやつよ。レジに適当なメモでもおいておけば良いでしょう、緊急時なんだし」
ダニーとキャサリンの会話に、物は言いようだということを改めて実感させられる俺。
俺たちはその後、各々で武器を調達した。
状況がどう変化するかわからない中で長くここに留まる訳にはいかないから、みんな特に長期的な戦略とかは考えずにほとんど直感で良さげな武器を選んでいる。そういう俺も、何やかんやで安定性が高いというか、まあ、クセは無いだろうという理由で、鉄砲店に置いてあった適当な自動拳銃を手に取った訳だが。
「おう、ライアンはピストルか。じゃあ弾幕は任せるぜ、オレは重い一撃とかやってやるから」
「ふーん、まあ、妥当よね」
「……そういう君らは、やたらとごついの持って来たな」
キャサリンとダニーも既に自分の武器を手にしていたが、二人共何と言うか、それらしいといえばそれらしいのだろうが、この状況で実際に使ってみて、本当に使い勝手が良いのかといえばよくわからなさそうな代物を選択していた。
ダニーはショットガン。この州じゃあその辺で手に入るものではあるが、空から降ってくる大量のサメ相手だと、連射の利かない銃はどうかなーという気もする。まあ、それでもショットガンを肩に担いでドヤ顔でこっちを見ているダニーは、何気に絵になっていたりするのだが、それがかえって腹立たしい。
キャサリンの方が携えているのは、チェーンソーだった。なるほど、常日頃からあらゆる災害に備えていると豪語している女の子の選択だと思うと、そんな胡散臭い装備も何だか説得力を帯びて……こないな。
「おーい! サメが来たぞーッ! ……ぎゃーっ!」
しかし、武器を速攻で選んだのは正解だったようで、早くもサメがここにも来襲してきたようだ。第一声を上げた人はまだ装備選びが終わっておらずそれが祟ってしまったのだろうか、悲鳴の後には何も言わなくなってしまった。
「ライアン、ダニー。ショッピングはここまで、行くわよ! 戦いながら走れば、ここから街まですぐだから!」
「わ、わかった!」
俺たち三人は早速ホームセンターの外に向けて走り出す。その途中で、他の生徒たちを拾い上げ、警告の叫びを響かせながら。
「うお、結構来てるぞ!」
建物の外に出てみると、空には結構な数のサメが! これはおそらく、数キロと離れていない市街地の方にも影響があるだろう。
しかし、どうもサメの降り方にやっぱり違和感を感じる。毎回同じ方向から飛んでくるというのもそうだが、それだけでなく、何故か、一度に沢山のサメが宙を舞うと、その後しばらく経ってから再び同じくらいの数のサメが舞い上がる。そのサイクルを定期的に繰り返しているように思えるのだ。――そう、まるで人為的に操作されているように。
しかし、現段階では他のみんながそれに気づいている様子は無い。当然だろう、みんな今は自分の身をかばうことで精一杯な状況なのだから。
だから、そこで俺は気づいた。そうか、これがケントも期待していたという、客観的に見れる力というやつなのかと。
「よーし、一気に駆け抜けるわよ! みんなあたしに続けェ!」
俺たち以外の生徒がある程度出てくると、キャサリンは手にしたチェーンソーのエンジンを始動させながら、一番に賭け出した。
「キャサリン、危ない!」
そんなキャサリンに向かって一直線に飛来するサメが! しかしキャサリンは臆しない。
「やぁぁぁあああああッ‼」
キャサリンは飛んできたサメに正面から挑んでいき、高速回転する鉄の牙を、餓えた生の牙を閃かせる生物の鼻先にめり込ませる!
「てぇやぁぁぁぁあああああッ‼」
キャサリンはほとんど動かない。しかし刃を突き立てられたサメは慣性の法則にしたがってそのまま直進し、鼻先から尾びれにかけて、きれいに真っ二つに裂かれてしまった。
「やぁ‼」
二枚に下ろされたサメが自分の後ろに通過すると共に、俺たちの方を振り向いて気合いに満ちた声を張り上げるキャサリン。
それを見た生徒たちの多くは、自分たちでもサメに勝てるのだ、そんな希望が目に見える形となって現れたことに心を震わせた。俺とて例外ではない。
そして各々がその手に持った多彩な武器を強く握り締め、必勝の叫びと共にホームセンターの外に向かって一斉に駆けだした。
市街地は、すぐそばだ。
無数のサメが空から躍りかかる。
俺は両手に持った拳銃を天に向かって突き出し、本能のままのとでも言うやつだろうか、接近してきたサメに対して、直感的に自らの身を護るべく、敢えて何も考えずに引き金を引く。それを繰り返しながら疾走する。
するとどうだろう、対空目標であるにもかかわらず、結構意外な確率でサメを撃墜することができた。普段の射撃スコアを考えると、かなり腕が上がっているようにも思える。
これが生存本能の力というものなのだろうか。
他のメンバーも同様に奮闘している。
ダニーは持ち前の度胸で複数の敵を存分に引き付けた上で、散弾で一網打尽にしたり、俺のように火力が足りない仲間が大型のサメと対峙した時に駆け付けて、ショットガンの重い一撃を見舞ってくれたりしている。
キャサリンはというと、当然のように重々しいチェーンソーを的確に振り回し、群がるサメを手当たり次第に両断している。しかし、あれほどの速度で飛んできた重量級のサメを何度も瞬間的に切断しているようでは、チェーンソー自体もそう長くは持ちそうにない気がするのだが、何だかキャサリンの戦う姿を見ていると、そういう細かいことはどうでもいいように感じられてくる。
そして、俺たち三人の後に続く生徒たちも、それぞれがそれぞれの得物を手に戦っていた。
一番多いのは、やはり金属棒を使う者だろう。鉄パイプやバッドは、少なくとも飛び道具を持たない野獣相手には安定した武器なのかもしれない。その次に拳銃やアーチェリー用の弓といった遠距離武器を使う者が多く、他にはピッチングマシーンでボールを投擲する、灯油を使った手製火炎放射器で焼き払うなどといった変わり種も見られた。
しかし、やはり最初の優勢は勢いによるものが大きかったのだろう、市街地が目と鼻の先というところまで来たところで、俺たちは次第にサメの軍団に押され始めた。
「畜生、あとちょっとなのに……! ダニー、キャサリン、生きてるかァ⁉」
「ああ、何とかなァ……」
「あたしは大丈夫、でも、みんながピンチ気味よ! サメの勢いは止まらない!」
俺たち三人こそ、自らの身を守る分には支障を抱えるに至っていなかったが、他の生徒たちはそうもいかない。ナードは体力と気力の消耗で敵に隙を見せ、ジョックはいつものように優先的に餓えた牙のターゲットにされてしまう。
「キャー! 助けてー!」
「うわわ、こっち来るなサメ野郎!」
「ぐわぁぁああ! 腕が! 俺の腕がぁぁああ!」
ここに来て既に他のメンバーの半数近くが犠牲となっているが、俺たちに彼らを庇うほどの余裕も無い。あるのは先陣を切って彼らの残り少ない闘志を引っ張り出す勇気くらいだ。
「くそ、こう言っちゃ何だが、大人数は思いのほか不利だ!」
なまじ大勢で動いているだけあって俺たちは目立ってしまっているようで、サメに襲われるリスクも高まっているようだ。
俺たち以外の大勢のクラスメイトを囮にして俺たちだけ街に駆け込めば確実に助かりそうなものではあるが、そうもいかない。だが、それにしても限界は刻々と近づいているように思えた。
「もう、こんな時に限って天気が! あの予報士嘘ついたわね、ハイキング日和とは何のことやら!」
群がる三匹のサメをチェーンソーの一閃で瞬時に薙ぎ払いながらキャサリンが漏らす。
そう、さっきまでは風も穏やかな快晴ピクニック日和だったのに、つい十数分前から急に雲行きが怪しくなり、風が強まり始めたのだ。
ただでさえ降ってくるサメの量は増えているというのに、風が吹いてきたせいで宙に舞うサメはどういう訳かその風を上手く利用して、空中をトリッキーに機動しながら襲撃してくるようになったのだ。
今までは単純な放物線で躍りかかってきたサメたちが風に乗って一工夫された襲い方をしてくる、これはこういうイレギュラーな事態に弱い者にとってはこの上無く致命的だった。
「沿岸部ではサメが竜巻に乗ってくるって言うけど、こんな感じなのかしらねっ⁉」
「てか、この分じゃ街も危なくねぇか⁉」
「ええ、もしかしたら壊滅してるかもっ!」
街まで数キロの地点でこの有様となると、たとえ辿り着けたとしても行政区画としてちゃんと機能しているのか、俺たちが助かるための足がかりが残っているのか怪しい。
「お前たち、伏せろッ!」
しかしそんな時、やたらとわかりやすく頼もしい感じな男の声が俺たちの耳に響いた。
俺は反射的に地面に伏せ、仲間にもそうするよう叫んだ。
そして次の瞬間、拳銃やショットガン、ライフルなどの様々な火器による弾幕が俺たちの頭上に展開され、その時群がっていたサメのほとんどを地上の骸に変えた。
弾丸が飛んできた方向に目を向けると、保安官らしき体格の良い壮年の男性に率いられた警察官たちが銃を構えていた。彼らの背後には二台のパトカーと一台のマイクロバスも控えている。
「来い! 早くバスに乗れェ!」
保安官らしき偉丈夫が手招きする。
助けを断る道理は無い、俺はすぐに仲間たちに号令をかけ、次のサメが来る前に現時点で生き残っているメンバー全員をバスに乗せた。この時点で既に俺たちは半分もの仲間を喪失してしまっていた。
俺たちが乗り込むと、警察官たちもすぐにパトカーとバスに分乗し、市街地に向かって車を転がした。
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6
「郊外にも生存者がいることは聞き及んでいたが、市街地の方も大変でな、救助が遅れてしまって申し訳ない。自分は残存した市警の指揮官を暫定的に任されている、ジェフ保安官だ」
俺たちを救助してくれたリーダーらしき保安官は俺たちの乗ったバスを運転しながら自己紹介してくれた。
暫定的に指揮を執っているということは、市警も壊滅的な打撃を受けているのか。
「どうも、助けていただいて……。あの、今どういう状況になってるのか教えてもらえますか? 俺たちもいきなりのことで何が何だかなんで……」
しかし、保安官の方から出向いて来てくれたのは好都合だ。一時は街に着いても混乱していて情報収集もできないのではないかと心配したりもしたが、これなら何の気兼ねも無く話を聞ける。
「ああ、最初に街にサメが降ってきたのは五時間前だが、情けないことに我々市警は初動が遅れてしまってな、最初の第一波、第二波の時に多くの犠牲を出してしまった。幹部も何人か犠牲になって指揮系統も一度はめちゃくちゃになった。それ以降は何とか立て直すことができたから犠牲はうんと減ったのだが……二十分前くらいから風が強まってきたからな、サメが予想できない動きをするようになって、また苦戦を強いられることになったんだ」
「どうして初動が遅れてしまったんです?」
「ああ、それはな……。来ればわかると思うよ」
ジェフ保安官は、何やら思わせぶりなことを言いつつも車を走らせる。
その後はサメの襲撃も無く、無事に街の門を潜ることができたが、やはりサメはある程度の数が固まって、ある時間に纏めて飛ばされていることが改めてわかった。このことは、ジェフ保安官たちも気付いてはいたようだ。
ジェフ率いる警官隊の車列は市庁舎の前に停車した。どうやらここが、災害対策の暫定的な本部になっているらしい。
「ジェフ君! また外部の者を拾ってきてしまったのかね⁉」
バスから降りると、いかにも神経質そうな初老の男がヒステリックな声を響かせながら、つかつかとわざとらしく歩幅の小さい小走りでジェフ保安官に詰め寄ってきた。
「これはこれは市長どの。今日も晴天下のウォーキングですかな。最近は留守の家屋にサメが墜落してくるようだが、戸締りは万全ですか?」
どうやらこの挙動不審な男がこのグリーンリバー市の市長のようだ。
彼が行政官として色々と残念であろうことは、俺にも見てすぐにわかってしまった。すでに小物臭が一種の才能と化してるんじゃないかってレベルだ。
「黙れ、余計なことを言うんじゃない。良いかジェフ君、私はあれほど、外部の者を拾ってくるなと言ったではないか! 可能な限りこの災害のことを外に知られずに、うちの市だけで片付けるためだ!」
「それはあんたが勝手に決めたことだろう。今は亡き市議の連中だって、そんなことは望んでないはずだ。自分たちは保安官として、最良と思われる選択をしたまでだ」
「それは君のエゴだろうジェフ君⁉ 良いか、君も知っているだろう? 我がグリーンリバー市は数年に渡る町おこしの末にようやく、観光地としての地位を手に入れつつあるんだぞ。これが、空からサメが降るなんてわけのわからない災害がある土地だと噂になってみろ、そんなところに観光に行きたいと思う奴がおるか? 我がグリーンリバーに必要なのは森の妖精だ、サメではない! 今までの努力が全てパーになってしまうぞ!」
「悪いが、自分としては人命最優先なんでね。すでに勝手に州軍に応援を要請するよう部下に言っておいた」
「何だと⁉ それでは今回の事件が、州議会に知れてしまうではないか! ……フム、ジェフ君、君はどうやら、都会の大学に行っていたせいで地方の経済事情というものをわかっていないようだな。さんざん観光地化に投資しておいて、今更空飛ぶサメなんてハリウッドの映画のようなもののせいで客足が途絶えたら、どれだけの損失になるのかわからんのかね? 森の妖精とて、その損失分まで金を出してはくれない」
ジェフ保安官と市長の口論は、俺たちのいるところまではっきりと聞こえてくる。
なるほど、ジェフ保安官が言っていた、来てみればわかるという初動が遅れた理由とはこれのことらしい。見ての通り、市の世間体を第一に案ずる俗物市長が足を引っ張ったということだったのだろう。
あとハリウッドはこんなの作らない。
「……すまんな、みっともないところを見せて」
市長がぷいっとジェフ保安官に背を向けて相変わらずの小走りで立ち去ると、ジェフ保安官は俺たちの方に向き直った。
「いえ、保安官さんも大変ですね」
「まあ、せいぜい手当にでも期待しておくとする。君たちはとりあえず、この市庁舎の中で待機すると良い。我々は、すぐに次の任務があるのでな――」
「ねえ保安官さん、その前に色々と聞きたいことがあるのだけど、少し良いかしら?」
ジェフ保安官が話を切ろうとした時、キャサリンが割って入った。
「うむ? 悪いがコーヒータイムは確保できんぞ」
「何、少しだけ教えて欲しいことがあるだけよ。そうね、二つほどね」
「答えられる範囲内でなら良いだろう」
「まずは一つ……この街に、うちの先生が来ているはずなんだけど、よそ者の教師を見なかったかしら?」
キャサリンが投げた一つ目の質問は、道中の必死さ故忘れかけていたがキャンプ地に残らず街この街に向かった俺たちのグループの当初の目的に関することであった。
「……ふむ。それに関しては気の毒だと言っておこう。それらしき教師はだいぶ前に君たちと同じようにして救助しようとしたのだが、手遅れだった。すまない」
どうやら、俺たちが学生としての身分で大人の判断を仰ぐことはもう無理なようだ。
「……そう。悲しいけど悲観している余裕は無いからもう一つの質問を聞くわよ。――
この異常な事件は、一体何なの? 市警では何か情報を把握しているの?」
キャサリンの二つ目の質問は、この騒動の根源そのものだった。
そうだ、今や生き残るのに必死になって考える余裕も無かったが、本来こんなことは自然現象ではありえないのだ。俺としても、例えばサメが毎回同じ方角から、定期的に固まって飛んでくるという特に違和感を感じる要素に気がついている以上、その真実から目を逸らす気は毛頭無い。
「……すまないが、現段階では我々はまだ何も掴めていない。街の防衛と生存者の救助で手一杯でな」
しかしジェフ保安官の口からもたらされたのは、仕方ないとわかってはいながらも、どうしてもやはり期待外れと形容せざるを得ない答えだった。
「そうですか……」
「ああ、だが既に州軍には連絡を入れたから、彼らが来れば調査も進むだろう」
「今のところは全く情報が無いの?」
「一応、聞き込みはしたのだが……まあ、当然ながら何か知ってる人はほとんどいなかった。強いて言うなら、まあ、妄想の類いだろうが、山の中に潜む者がサメを操っていると特に根拠も挙げずに証言する老人が一人いたくらいか」
「そう……引き止めて悪かったわ」
ジェフ保安官が去ると、キャサリンとダニーはさも何の収穫が無かったかのように嘆息した。
「なあ、キャサリン、ダニー。その唯一の証言者だって言う老人に話を聞きに行ってみないか?」
しかし、俺は決して無駄にはならない情報を得ることができたと思った。
……こういう局面でやたらと思わせぶりな話が出てきたら、それはだいたい何かあるものだ。「そこには行かない方が良い」とか「行っても無駄」とか言われた場合は、なおさらそうだ。
別に統計がある訳ではない。でも、本能というか何と言うか、俺の深層心理の理性が、何かパターン化された世界の理のようなものの存在を叫んでいる気がするのだ。
「ん? 別に良いが、ライアンどうした? 老人の与太話に興味があるのか? きっと、宇宙人が円盤からサメ降らせてるとか、延々と聞かされるぜ」
「……何か、気がかりでもあるの? まあ、あんたのことだから、単なる好奇心ってことは無いと思うけど」
「まあ、そんなところさ。保安官は軽視しているみたいだが、情報はあるに越したことはない。もし重要そうなヒントが隠されていれば、保安官にも伝えるべきだしな」
二人は少しばかり不思議がりながらも、俺と一緒に件の老人のもとへ向かうことを承諾してくれた。
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7
俺たちは他のクラスメイトたちを市庁舎の中に役人の誘導の下避難させると、その目を盗んで市庁舎の敷地を出た。学生の身である以上、独自行動は良い顔はされないだろうからだ。
その老人はこの街の中ではそこそこ有名なようで、サメの空襲で散らかってしまった街の後片付けに勤しんでいる市民に話を聞いて行くと、すぐに居場所を割り出すことができた。街はずれの小さなあばら家だ。
老人の家の前に到着すると、キャサリンとダニーが、言い出しっぺのお前がノックしろよ、と視線を以てして無言で威圧してくる。
「ごめんくださーい」
「帰れ! これ以上お前らに話すことなど無い!」
しかし戸を叩いてみると、いきなり拒絶の声が。
「ワシはお前ら警察がもう信用ならん! ワシが見聞きした話を妄言扱いするくせに、何度もしつこくどうでもいいことを尋問しおって! ハン、どうせ、そうやって何度も尋問することで出世のためのポイント稼ぎをしておるつもりなんじゃろ?」
どうもこの老人は、俺たちのことを警察だと思っているらしい。
「い、いや……俺ら警察じゃないです」
「ハン⁉ じゃあ何者じゃ?」
「学生です。郊外でサメに襲われて逃げ延びてきて……事情を知ってるかもしれない人がいるって聞いて訪ねてきたんだ」
「ふむ……?」
老朽化した木造住宅が絞り出すような悲鳴を上げ、ドアが内側からゆっくりと開けられる。
年季の入ったミリタリージャケットを羽織った、無精髭の老人が顔を出した。仮にも客人である俺たちにも笑顔は一切見せず、なるほど、いかにも偏屈そうな老人だ。
「フン、長居させるつもりは無いぞ。ワシはペンションは八年前に廃業したんだ」
老人はそう言って、俺たちを家の中に招き入れた。こう見えてペンションをやっていたというのだから人は見かけによらない。
老人は長らく一人で暮らしているようで、家でまともに使用されている形跡があるのは必要最低限ののものだけで、それ以外はいかにもガラクタとしか言えないようなものが散乱している。
老人は、「まあ座れ」と俺たちに言うが、当然客人用の椅子など用意されていない。俺たちは、適当な木箱に腰を掛けた。
「で、お前さんたちはこのレイモンド・フォードに何を尋ねにきたというのじゃ?」
レイモンドと名乗る老人は、相変わらず眉間に皺を寄せたまま俺たちに向き合う。
「この災害は絶対普通じゃない。だから常識に捕らわれていては真実は見えてこない。だから警察が軽視していようとも、あなたが森の中で目撃したというもの、それが気になるんです」
「あたしからもお願いするわ。市長があの通り情報隠蔽しようとしてるし、情報は持てるだけ持ってた方が良いと思う。いずれは政府の介入もあるでしょうし、その時の事後処理のためには必要よ」
「ふむ……」
レイモンド老人はしばし沈黙したのち、口を開いた。
「年寄りの思い出話に過ぎんから期待はするなよ、市警が無視するような話だ。……ワシは、二十年前までは軍にいたのだが、退役して以来、向こうの山で狩りをして生活しておった。じゃが、五年前に山の中で奴らに遭遇した!」
「……奴ら?」
「そうじゃ、奴らじゃ! 奴らは山の中に馬鹿でかい施設を拵えて、その水槽でサメを養殖しておったのじゃ! あのサメをどうするつもりだったのかは知らん……じゃが、今回のサメもあの山の方角から飛んできている以上、ワシは決して無関係だとは思わん!」
これは完全にクロだろう。あの山にサメがいて、それを管理している集団もいる――俺が今までに何度か感じていた、人為的なものが決して神経質故のものではなかったことがここに証明されたのだ。
「身近な存在であった山に見慣れぬ、しかし間違いなく恐ろしいと言えるものを見つけたワシは奴らの警備の者に見つかりそうになって、慌てて逃げた。幸いなことに、捕まらずに逃げ切ることはできたが……。それでも、あのおぞましい集団がそこにるというだけで、もうあの山は決して、ワシが狩場として慣れ親しんだものではないのじゃ。だからワシはあれ以来、あの山で狩りをしなくなった。……フン、山を奪われた気分が悔しくないといえば嘘になるがの」
ここ数年行っていないのなら、どうやら「奴ら」の動向に関する最新情報の類いは持っていなさそうだ。
とはいえ、あの山に何者かが確かに潜んでいるのだとしたら、まずはそれが何者なのかを確認せねばばるまい。案外、相手の正体だけでもわかれば、目的やら何やらを推測できたりするかもしれないのだ。
「レイモンドさん。あなたが自分の庭を奪われたのはわかったわ、同情する。でも更に聞きたいんだけど良いかしら? ……あなたが見た、『奴ら』の正体は一体何? 何か帰属を示すようなものとかは目に入らなかったの?」
キャサリンがストレートに問いかける。
レイモンド老人も深いトラウマを植え付けられているのだろう、『奴ら』の正体について聞かれるとすぐに、蘇ろうとする当時の記憶を封印するように眉間を押さえて、頭痛と戦い始めた。
「あー、レイモンドさん、別に無理はしないで……ゆっくりで良いので……」
「……いや、いつまでも甘えてはおれん。誰もワシの話を本気にせず、故に『奴ら』の正体についても語る機会が無く、じゃが同時にワシは、その状況に甘えてきたのだ。真実に向き合う機会だ、お前たちに教えてやろう。連中の正体は――」
レイモンド老人が決心をつけて重い口を開こうとした、その時であった。
突如としてあばら家の天井が何者かに突き破られ、そしてそれは粗雑に組まれた木材を粉砕した勢いのまま、真下に弾丸のように直進した。
サメだ。またサメが空を舞う時間がやってきたのだ。
「奴らの正体は、ナ――」
天井を突き破ったサメは、丁度真下で長年封印してきた答えを今まさに解き放とうとしているレイモンド老人の頭部に落下の勢いのままに喰らいつき、彼がその答えを言い切る前に、上半身に鋭い牙を突き立てた。
「うわわわぁぁあああッ⁉ ま、またサメだァ!」
「屋内にいたら余計に危ない、いったん出るよ!」
レイモンド老人はもう助からない、そう判断するや、俺たちはすぐにあばら家から脱出した。
ちょっと前なら、いくら手遅れとは言え、人を見捨てて逃げることには背徳感を感じたはずだが、即座にこういう判断をできるようになっている辺り、俺たちは着実に異常災害に慣れ初めてしまっている感がある。
全く嬉しくない。
「ウオッ! 今までで一番降ってるぞ⁉」
外に出てみると、これまでに無いほどの量、そして勢いでサメが街に降り注いでいた。しかもよく見てみると、今まではイタチザメやアオザメ、そしてホオジロザメなどがメインだったが、今回からはシュモクザメなどの姿も見え、多様化まで果たしている。
「キャーッ、タスケテー!」
「ウワー、逃げろー!」
「州軍はまだなのかー!」
逃げ惑う人々。しかし彼らのうちの運の悪い者たちはサメの進路上に入ってしまい、無慈悲に凶牙の餌食となってしまう。サメという生き物はジョックを優先的に狙う習性があるとされているため、如何にもアメリカンフットボールとかやってそうな体格の男や、チアリーダーっぽい派手な女から順に犠牲となってゆくのだ。
「撃てーッ! 州軍が来るまで、持ちこたえるんだ!」
ジェフ保安官の指揮する警官隊が、手持ちの拳銃やショットガンで本来不向きな対空射撃を行い、応戦する。しかし、すでに幾度の戦いで消耗しきっているのだろう、警官たちの動きからはキレが失われており、回避運動を誤った者や前に出過ぎた者から順に犠牲となっていく。これでは、総崩れもそう遠くはなさそうだ。
「あちゃー、こいつは思ってた以上に、この街に長居できそうにねぇな。美味いフカヒレ料理の店があるって聞いたのによ、残念だぜ」
「んなこと言ってる場合かダニー、もうフカヒレなんて食べる気にはなれないよ。これは、見るからに人のいるところを狙った攻撃って感じだ、街から出た方が良い。その手を考えよう」
「ねぇライアン。なら、あの車はどうかしら?」
キャサリンが、あばら家のすぐ横に駐車している古びたジープを指差す。
軍用車両のハンヴィーを民生化した、ハマーというやつだ。きっとレイモンド老人が、除隊後も染みついた軍用ジープへの愛着と運転のクセから使用し続けていたものだろう。
確かに、あれなら荒地も走行できるし、普通の乗用車より頑丈だろう、このサメの嵐の中を強行突破するにはもってこいだ。
「ダニー、お前運転できたよな?」
「い、一応はそうだが……。まさかオレにあれを運転しろと? おいおい、オレは地獄のトラック野郎でもなきゃ、戦場のタクシー運転手でもないぜ。免許は今年取ったばかりだ、あんなデカブツ、まともに操れる自信は無いね」
「ああそうかい。なら、俺やキャサリンが無免許でサメの胃袋に正面衝突ダイブしても、文句は言わずに、地獄ツアーを前向きに満喫してくれるんだな?」
「そいつは勘弁願いたいね」
「なら、少しでもマシな方を選ぶべきだろう。なに、ダニーはいざって時に特技を存分に発揮するタイプじゃないか。いけるいける」
「そうか? まあ、他に選択肢もねぇし、どうしてもオレを頼りたいんなら、断りはしないぜ、サメ地獄生還ツアーにご招待だ!」
ダニーはちょろかった。
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8
レイモンド老人のハマーはルーフが開閉する仕様だったため、全周を効率的に警戒しやすい上、頭上からの襲撃にも備えやすく、この局面を切り抜けるにはやはりというべきか、最適そうだった。だから俺はこれを選んだのは正解だったなと思いながら、サメの襲撃に備えていた――罪悪感も傍らに添えて。
「なあライアン。やっぱりやべぇんじゃねぇの? オレたち、車を窃盗(オートをグランドセフト)しちゃったことにならねぇかな?」
「……言うなよ、ダニー」
ダニーは運転しているうちに不安になってきたらしく、俺が今は忘れようと思っていたことをおずおずと声にした。
「ま、大丈夫じゃない? 一応うちの州の法律は、緊急回避の条項広くて緩いし、レイモンドさんも今はいないわ。多分、正当な緊急回避って認められるわよ」
「そう言ってくれると安心するぜキャサリン……」
キャサリンは人を慰めるためにわざわざ嘘を言うようなタイプではないので、この州法の話は信じても良いだろう。これでとりあえずは変な後ろめたさに自身の内から妨害されながら戦うハメになることだけは避けられそうだ。
「ところでダニー、馴れない車の運転はどうだい? ハマーは気に入ったか?」
「最高だライアン。加速の時、ブレーキの時、カーブの時、その全てで手ごたえを感じるぜ。どうやらこいつは、そう簡単にオレの言うことを聞きたくはないってことのようだな」
「うん、つまりダニーには難しいってことだな」
「お、女の子と一緒さ。気難しいやつに気に入られてこそってモンだろ」
「ああ。でもこの場合は、ダニーがフラれたら俺たちもあの世行きだけどな」
慣れないハマーを運転するダニーは少なくとも余裕というものはなさそうではあるが、どうも一応はこの車を気に入り始めているらしい。
「――来たわよ!」
俺たちが軽口を叩いていると、ルーフから身を乗り出して上空を警戒していたキャサリンがそう言ってチェーンソーのエンジンを点火した。俺は、――これもレイモンド老人の懐古の品だろう――車の中にもとから置いてあったM16小銃を手に取り、キャサリンの隣に並んで構える。
すでに風は嵐と形容して問題の無いレベルで吹き荒れている、サメがわかりやすい放物線を描いて襲ってきてくれる方が珍しかった。
「ライアン、後ろは任せるわ! 正面からぶつかってくる根性あるサメはあたしが相手になる!」
「わかった!」
変則的に風向を変える気流が複雑に吹き荒れる中、サメは四方八方から躍りかかってくる。俺は、追い風の時にケツを狙って喰らいついてくるオカマザメに、ライフルの弾幕を見舞った。俺たちの車も高速移動しているので、同じ方向に向かって飛ぶサメとはあまり相対速度が無くて、思いのほか撃墜しやすい。
予備弾倉も車内に用意されていたため、気兼ねなく弾幕を張り、サメの接近を阻むことができる。そしてそれを掻い潜ってきたサメは、相対速度の小さい状況下での射撃を至近で浴びることになるという訳だ。
「やあっ‼」
一方キャサリンは、これまで以上に抜かりが無い。右手にチェーンソーを携えておく一方で、左には拳銃を構え、接近するサメの数を減らしつつ、それでも実際に接触しようとするサメがあれば、瞬時に両手をチェーンソーに委ね、叩き切るという高度な技を見せていた。なるほど、これならばチェーンソーの刃が届かない、例えばかなり低い位置から突っ込んできたサメが車を傷つけるリスクも減らせることだろう。
「おっと避けながら曲がるぜッ!」
正面から数匹の中型ザメを伴った重量級のネズミザメが突っ込んでくる。ダニーは手荒にハンドルを切り、車輪から火花を散らせながら皮一枚でこれを回避、そのまま十字路を右折した。
「振り落とす気か、ダニー!」
「サービスと言ってくれ、川下りの気分だろ?」
「残念ながら、川にサメはいないもんだ」
ダニーもそれなりに馴れてきたのか、急カーブを成功決めた上で軽口を叩いている余裕もあるようだ。
その後俺たちの車は、サメの少ない道、もしくはサメに襲撃されても対処しやすい道を選んで走ったため、街の中心部を突っ切って、山方面の出口に向かうこととなった。
「クラスのみんなは大丈夫かな」
街中どこを見渡しても、サメだらけだ。風に乗ったサメが、縦横無尽に飛び交って破壊の限りを尽くしている。州軍の応援を待つ市警も、もはや壊滅状態だ。
車道に横たわっていた死体の中には、あの傲慢な市長の姿もあった。最早市警が街のリーダーを守る力も道義も失ってしまったのか、それともこの街が危険であるはずがないという自らの妄想とも言うべき信念を貫いた果ての姿なのか。
「たぶん大丈夫よ。道に死体がそれほど無い辺り、民間人はきっと地下にでも避難済みだわ。市庁舎にいたみんなは、優先的に避難さえてもらえたはず」
「なら立ち寄る必要もないか……よし、ダニー飛ばしてくれ」
「オーケー、どこまでだ?」
「……山までだ」
「おいおい、マジかよ! オレたちは夏の虫として敢えて火に飛び込もうってか⁉」
大げさに目を見開いてかぶりを振ってみるダニー。確かに驚くのも無理はない。
「ライアン、本気なの?」
「……ああ。あそこの山に、何かがいる。その事実を知っていて、そしてなおかつまともに動けるのは、今や俺たちだけだ。州軍ももうすぐ来るだろうが、その前に俺たちだけでも、偵察くらいはできるんじゃないか?」
これがまあ、独りよがりというか、エゴ的なところもある意見だってことは一応はわかってはいる。でも、この状況下でそれができるのが俺たちだけである以上、何の行動もしないのはやっぱり後味が悪いと思ったのだ。
「嫌なら、近くまで行ってくれるだけでもいい。今ならサメの攻撃が街に集中してるから、ふもとに行くくらいなら安全なはずだ。そしたらその後は俺が一人で……」
「おいおい、いつからそんな水臭いこというキャラになっちまったんだ、ライアン? 俺は乗るぜ、その話」
「え、マジでか……?」
しかしダニーが返してくれたのは、意外にも前向きで、そしてリスクのある応えだった。あくまでも、明るい顔を崩してはいないが、冗談を言っている訳ではないのは目でわかる。
「乗りかかった舟って奴だし、州軍ももう動いてんだろ? なら、州軍に対する捜査協力、それくらいのことはできるはずさ」
「それにまあ、お前にだけ、良い格好つけさせる訳にはいかねぇだろ?」
「あたしもいくわ。日々の災害対策、これほど存分に試せそうなステージは無いもの。それに、あんたが一人で暴走して死なれても困るわ、監視するのも幼馴染みの仕事」
キャサリンも爽やかに手を挙げた。そういえば彼女は幼馴染みを放っておけるような性分ではなかったな。
「それなりには危なくなると思うけど、本当に良いのかい?」
「何言ってるの? 別れるほうが危険よ、今は」
「ああ、またどこにサメが出るかもわからねぇしな。こういう時に、下手に一人になるようなのは、ハリウッド映画じゃたいてい死ぬ」
この二人は義理堅く、その面において頑固だ。自ら決めた以上、断っても俺を一人では赴かせはしないだろう。
「……よし、わかった。みんなで行こう。でも、無茶はしないって約束してくれ」
「ライアン、それあんたが一番気をつけるべきよ」
「え、そうか?」
俺は俯瞰の視点があるから、無茶とかは心配されないものと思ったが。
「ライアン、理性的にものは見れるけど、当事者になると熱くなるところあるからね。まあ、そこが良いところで、ケントも買っていたんでしょうけど」
あまり自分の性格は客観的に見れていないものなのだろうか。自分的にはそんなに情熱的なつもりは無いのだが。
「……とにかく、まずはサメの降る量が少ないルートを縫って、山に接近してみよう。それだけでも何かわかることはあるはずだ」
こうして俺たち三人は、この時は思いもしなかった魔性の待ち受ける呪われた山への強硬偵察を敢行することとなった。
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9
やはり「敵」は、明確に人の多いところを攻撃しようという意思のもとにサメを飛ばしているようだった。俺たちの車が山の麓まで来ると、頭のすぐ上を舞うサメはいなくなったのだ。
代わりに山の中腹辺りからサメが飛び出し、遥か高高度で放物線を描いて、街に向かって空を泳いでゆくのが確認できる。
「……やっぱり、この山はクロみたいだな」
「ねえ、見て、この看板」
降車して空を切り裂いて飛びゆくサメの群れを見上げていると、キャサリンが朽ち果てて地面に落ちた看板を拾ってきた。
「立ち入り禁止の看板か。何々、原因不明の失踪事件多発につき、当登山道及び狩猟場の封鎖を実施する。……なるほど、観光客の行方不明もこの山に原因があるって訳か。都市伝説の類いじゃあなかったらしい」
「ひゅう。クロもクロ、真っ黒ってレベルじゃねぇな!」
ダニーは口笛を吹いた。彼の気持ちが良くも悪くも高ぶってきた時の癖だ。
「でもその正体がわかるものはまだ何も無い。もう少し、山道を進んでみるか――」
「……しっ、二人共伏せて! 誰か近づいてくるわ!」
更なる情報を集めるべく俺が歩みを進めようとすると、何かを感じ取ったキャサリンが俺の頭を押さえて自信と共に地面に伏せさせた。ダニーも戸惑いながらも俺たちに倣って姿勢を低くする。
「いきなりどうしたキャサリン。ここはベッドでもジュードー・ジムでもないぞ」
「気配を感じたわ。手練れの気迫よ」
どうして仮にも一介の高校生であるはずのキャサリンにそんなことがわかるのかとツッコみたいところだが、聞いたら面倒なことになると本能が警告してくるので、そういうものなんだと受け入れる他ない俺。
しかしキャサリンに言われるままに伏せていると、なるほど、確かに人の気配はあった。ある程度近づいてくれば、俺のような凡人にも感じ取れる。
気配だけではない。腐葉土を踏みしめる足音、それも数人分のものが、やがてはっきりと聞こえるようになってきた。
「お待たせしました~。州軍のデリバリーっすよ~!」
しかし姿を現した気配の主を見て、拍子抜けした。
別にこの山に巣食う怪しい集団ではなく、調査のために派遣されてきた州兵の分隊であった。それも、やはり空からサメが降り注ぐなど与太話の類いだとでも思っているのだろうか、言葉の端々にはほとんど士気というか、真剣味を感じられない。
「何だ、州兵か。驚かせるなよキャサリン」
相手が敵でないとわかると、ダニーが真っ先に彼らの前に出ていく。じっとして様子を伺うとかはあまり好きではないダニーだった。
「誰だ。ここで何をしている?」
隊列の先頭を歩いていた女性兵士が、ダニーに小銃を向ける。
「おっと。まずはその物騒なものを下ろしてもらおうか。悪いけど女の子に棒で突かれる趣味は無いんだ、むしろ突っつきたいもんだ。……なあ、君たちもこの山を調べに来たんだろ?」
「黙れ。先にこっちの質問に答えろ」
「あー……初対面なんだからもっと優しくだな……」
しかし俺はその女性兵士の声に、聞き覚えがあった。
「クレア……クレアか?」
「お前は……ライアンじゃないか。どうしてここに?」
聞き覚えのある声の主の前に意を決して出てみると、やっぱりそうだ。
州兵としての軍装に身を包んだ短髪で長身の彼女の、凛とした顔を忘れている訳が無い。
「誰? その州兵と知り合いなの?」
「ああ。クレア・アームストロング。彼女とは実家が隣だった、幼馴染みって奴だ。三つ年上だけど。州兵になったって話は聞いたけど、まさかこんなところで会うとは」
こういう事態で再開しても、普通に喜べないのが残念なところではあるが。
「まあライアンがいるならちょうどいい。この話にならないお調子者に代わって、状況をおれに説明してもらおうか」
クレアは背後の州兵たちを制すると、そう言って俺に詰め寄ってきた。
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10
「なるほど、やはり元凶はこの山にいるってことか」
「まあ、素人目の推測だけどな」
俺たちとの情報交換を終えたクレアは、顎に指を当て、思考した。
州軍の方はと言うと、派遣された部隊は市街地の救出活動に当たる部隊と、広域に展開して原因の初動調査を行う部隊に分かれたようで、この山には二分隊が別々の山道から手分けして進入したとのことだ。そして、そのうちの片方の分隊の指揮を任されているのが、今や軍曹となったクレアなのだ。
「ライアン、お前たちは確かに重要な水先案内人だ、敵の詳細な位置などの目星がある程度つくまでは同行してもらおう。だが、お前たちは何よりも民間人でもある。敵の目星がついたらそこから先はおれたちの役目だ、下山して州軍の仮設拠点で待っていてもらうぞ」
クレアはそう言って、俺たちの同行を認可してくれた。何故か本隊との無線通信が通じなくなっているらしく、彼女による現場の判断というやつだ。ここで多少なりともことの顛末を見届けられるというのなら、後ろめたさを感じない意味ではありがたいものだ。
そして俺たちはその後、かつての登山道から山に入り、まずは中腹を目標に行軍を開始した。
「湧き水が多いな」
「ここは水源を有する山だけど、地性の影響でかなり上流の方にも伏流があると聞いた。おれたちの足の下にも、まさに見えない川が通っているのだろう」
見えないところに大量の水がある。クレアの言うことは、理屈では当然のように納得できるのだが、何だろう、その説明を聞いたとたんに、もはや諦めというか悟りにも近い嫌な予感を感じたのは。何と言うか、キーワードの組み合わせそのものが魂を持って俺に皮肉を囁いているようだ。
その予感は、予定調和されたように次の瞬間には現実のものとなった。
「おい、足元で何か動いて……う、うわぁぁあああ⁉」
一人の州兵が突如として地面に倒れ込んだ! 足は土の中に埋もれている! そして彼は足から地中に、吸い込まれていった!
「あ、あ、あああ! 助けてくれー!」
そう、伏流にサメが潜んでいるのだ!
「全員走れ! すぐにこのエリアから脱出するぞ!」
クレアが流石というべき素早い判断で号令し、俺たちも駆ける。
しかし伏流の中のサメたちは完全に俺たちを標的に定めたようで、あちらこちらでまるでもぐら叩きのゲームのように地中から顔を出し、その獰猛なる牙を閃かせる。
「う、うわぁぁあああ! 死ね! 死ねサメ野郎!」
しかし恐怖に駆られた州兵の一人が、振り返って地面に向かって銃を乱射する。
すると被弾した一匹のサメが血を吐きながら唸り声を上げて地面から飛び出してきて、そのまま地上に半身を出した状態で痙攣して息絶えた。
「は、はははは! どうだ、見たか! 俺が殺ったんだ! 俺が! 俺が! ひゃっはー!」
州兵は自分が斃したサメの骸を前にさらに狂乱し、笑いながら既に死んでいるサメの身体に銃弾を叩き込む。
「ジャック、もう良い! その辺にしておけ、行くぞ!」
「止めないで下さいアームストロング軍曹! こいつは仲間を殺したんですよ⁉ だから俺が仇を……って、ぐわぁぁああ⁉ 足が、足がぁぁあああ!」
しかしその兵士も次の瞬時には、足元に現れた無慈悲な顎の一撃を受けて倒れ込み、そして地中に引きずりこまれてしまった。
伏流のサメがあれだけなはずは無い。サメを一匹見たら三十匹はいると思え、である。
「まずい、この辺りは実はサメの肉のびっくり市だ! 一刻も早くこの伏流地帯を抜けるぞ!」
俺たちは走る。俺たちが懸命に走る間にも、サメたちは地中から何度も飛び出し、俺たちの様子を伺う。
だが、既に失ってしまった州兵二人の尊い犠牲もあって、伏流ザメは流石に静止した相手でないとそうそう喰らいつけないことがわかったのもあって、俺たちは伏流地帯を抜けることができた。
しかし伏流ザメをやり過ごしたと思ったら、それも甘かった。山の中腹にある貯水池から伸びた排水管、斜面に開いたその排水口からサメが飛び出してきて、一息ついていた州兵の首に喰らいつく。
「ぎゃぁぁああああ!」
仲間が不意討ちで血塗られた牙の餌食となるのを目の当たりにした州兵は恐怖に後ずさりし、背中を背後に鎮座していた古い枯れた大木にぶつける。すると、その大木の腐敗し脆くなった幹がパカリと内側から割れ、彼は中から顔を出したサメによって引きずりこまれてしまった! 腐食によって空洞化した幹の中に潜んでいたのだ!
「どこに行ってもサメばかりね!」
「これは……もしかして、人為的に俺たちを排除するために何者かがサメを送り込んできているんじゃないのか、クレア?」
「ああ、おれもそれを考えていた。この山に今回の事件の黒幕がいるなら、何ら不自然ではないことだ」
既に幾人もの仲間を失って、俺たちが状況の異常性に更なる作為を感じていた、その時である。
山道の脇にそびえていたコンクリート・ブロックの壁が突如として決壊し、鉄砲水が噴出した。当然の如く、サメを含んでいる。
「うわっ⁉ キャサリン、ダニー、そっちは大丈夫か⁉」
「ええ、何とか! ライアンたちは⁉」
「何とか無事だ。仲間とはぐれて心細さで死にそうなこと以外はな」
その鉄砲水は俺たちを、先頭を歩いていた俺とクレアのペアと、後ろを歩いていたキャサリンとダニー、そして生き残った州兵二人のグループに二分してしまった。鉄砲水は未だ止まる気配を見せない。サメもどんどん吐き出しているこの中に飛び込むのは、無謀というほか無いだろう。
「仕方ない、ここは二手に別れよう! 分散した方が敵を攪乱できるし機動的に動けるかもしれない」
「そうね、後で落ち合いましょう!」
かくて俺たちは、不安の中、別行動を取ることを余儀なくされることとなってしまった。
そして、俺がクレアと二人になるのは、数えてはいないがもう何年ぶりかでもあった。
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11
俺とクレアはその後、懸命に走ってサメの支配地域を何とか脱し、たまたま目についた資材置き場の小屋に入り、ひとまずの休息と作戦の立て直しをすることにした。
クレアは一見、いつも通りの勝気で勇敢な態度を崩していないように見えるが、俺とのやり取りに不自然な間を作ってしまったりする辺り、部下の兵士を全員失ってしまったことが内心では相当堪えているように見えた。
「クレア……その、大丈夫か?」
「ああ……州兵になってある程度の覚悟はできていたが、まさかこんな死に方を部下にされるとは考えてもみなかったからな……。とりあえず、今は落ち着くことを心がけよう。生きて帰らないと、あいつらの弔いもできねぇからな」
「そうか。クレアは相変わらず強いな」
「大層なもんじゃないよ。……しかし、こうして二人で話すのは久しぶりだな。おれがハイスクール卒業して街を発って以来か」
「ああ。君が州兵になるつもりだったのは知ってたけど、連絡くらい寄こしてくれればよかったのに」
「それは悪かった。でも、そうもいかなかったんだよ。軍以外のボーイフレンドと連絡してるところ見られると厄介だったからな」
「あ、州軍で彼氏でもできたとか?」
「いいや、彼女だ。ほら、おれってこんなんだから、昔から同性に好かれるだろ? 州軍にも、熱いアプローチをしてくる女がいてね。断るのも何だったわけで一応、な。でも、こないだ別れた」
「そうか……」
「おれ自身はこうでも、別にレズの要素は持ってなかったようでな、相手の女の子の気持ちには応えられなかった。……それに、何年間も離れてて久しぶりに会ってみてわかったんだが、おれ実は……」
「……クレア、何か聞こえないか? 人の話し声が」
クレアが何かを言おうとしていた時、何か嫌な予感を伴った人の声を耳にした俺は、悪いと思いつつも、後で聞くと誓って話を遮った。この山に居座ると言う得体の知れない敵に見つかるのは勘弁だ。
「お、おう。確かに聞こえるな。……息を殺して様子を伺おう」
クレアは一瞬悲しげな表情を見せるも、そこはプロの州兵。すぐに身を隠して気配を消し、そして自身の五感を研ぎ澄ます。
話し声と共に、足音が近づいてくる。それに伴い声も鮮明に聞こえるようになってくる。
「……英語じゃないな。それに何か苛立っているみたいだ」
「詳しくは聞こえないけど……ドイツ語っぽく聞こえないか?」
「ドイツ語……この段階ですっごい嫌な予感がするのは俺だけか?」
「おい、正面に来たぞ!」
俺たち隠れている資材置き場の小屋の正面に来た者たちの姿が、俺たちが身を隠している資材の隙間から見える。
それは、二人の兵士だった。
オリーブドラブの軍装に身を包み、銃を携えた、紛れも無い兵士だった。
「州兵のお仲間?」
「いや、ここに来るはずはない。それに、見てみろ、装備がやたらと古い」
その兵士たちの身に纏う軍服は迷彩も施されていない単色のもので、ヘルメットは金属むき出しのものであった。持っている銃も、半世紀以上前のものに見える。
これだけならば、貧弱な前時代の兵装をした貧乏テロリストで、州軍の敵ではないようにも思える。
「あ、あ、あ、あれは……!」
しかし俺は見てしまった。兵士たちの身に着けた腕章を。そして、そこに描かれたおぞましい紋章を。
赤地の腕章に穴が開くように存在する白い円。その中には、たった二本の黒い線が、しかし折れ曲がりながら重なり合うことで、実際よりも複雑に自身を見せる、あの紋章。
〈ハーケンクロイツ〉。間違いない。
「ク、クレア……あれ」
「ああ、見えた。間違いない、奴らはナチスの残党だ。この山に潜む不審な集団とは、ナチスのことだったんだ」
「ナチの残党が事件を起こすって話は聞いたことあるけど……まさかこんなアメリカの片田舎にまで出るとはなぁ」
この世界でこの状況でドイツと来た段階で、何となく予感はしていたが、こんなことを予測できても嬉しくはない。
「奴らはどこにでもいる。南米、南極、月面、地球の中心……アメリカの田舎にいつのまにか入り込んでいてもおかしくはない。そして、奴らは何でもやらかすんだ。UFOを作ったり改造人間になってみたり、ゾンビを発生させてみたり、な……」
最早どの辺がナチズムと関係あるのかすらよくわからないのが、この世界のナチス残党である。「不可思議なものを見たらナチかソ連かニンジャのせいにすればいい」という諺を、ラジオか何かで聞いたような気もする。
ちなみに何で七十年も彼らが存続しているのかというと、世代交代しながら活動していたり不死の改造を受けていたり吸血鬼になっていたりゾンビになっていたり特に説明はなかったりと、各地のナチ残党によって理由は様々だ。とりあえず、何十年も飽きずにやっているのだけは凄いと思う。
「ということは、今回の騒動の黒幕……サメを飛ばしてるのも、奴らの可能性が高いってことだな」
「ああ……まずいことになってしまったぞ。とうとう遂に奴らが、ナチがサメを手に入れてしまったということだ! 世界存亡の危機だ……」
軟骨魚類が戦略兵器級だったとは知らなかった。
「ライアン、これはすぐにでも奴らの目論見を暴かないと大変なことになるぞ。どの道救援が来るまで時間がかかるし、おれはこのまま連中の中枢に接近してみようと思う」
「さ、流石にそれは無茶では……仕方ない、クレア。俺も同行しよう」
「何を言っているんだライアン。お前は仮にも民間人だ、これ以上の危険には晒せない」
「水臭いことは言わないでくれよクレア。乗りかかった舟だし、幼馴染みとして君を放っておく訳にはいかないだろう。それに、救援が来ないなら、君と一緒の方が心強いってもんだ」
「……仕方ない。当初通りの、偵察のお手伝いだけだぞ」
俺たちは例え相手がサメを手中に収めてしまったナチスであっても、とりあえずは挫けないことを選んだ。
「ありがとう、感謝するよ。でも、だったら武器が必要だな。俺の持ってきたライフルは……もう弾が無い。君も予備があった方がいいんじゃ……」
「そうだな。よし、あのナチ兵二人から奪おう。他には近くにいないようだし、軍服を奪えば変装もできる」
「え、あいつらに襲いかかるのか⁉ 俺の銃なんてもう使えないのに」
「大丈夫だ、言うとおりにすればうまくいく」
クレアは小銃の代わりとなる新たな武器として、その辺に落ちていた丈夫そうな木の棒を俺に手渡してきた。
「何も無いよりはマシだ。おれに合わせて奴らを殴って、武器を奪え」
せめてサブウエポンのナイフやピストルを貸して欲しいものである。
「よし、連中は向こうを向いている。三つ数えたら突撃するぞ……三、二、一、ゴ―!」
俺とクレアは同時に資材の陰から飛び出し、ナチ兵に躍りかかる。
ナチ兵は振り向くが、こちらが先手だ、遅い。
まずクレアが手前にいたナチ兵を銃床の一撃で地面にひれ伏せさせ、軍靴で踏みつけて動けなくする。そしてもう一人のナチ兵に威嚇射撃。威嚇を受けたナチ兵は回避運動でMP40を構えるのが一瞬遅れてしまい、すでに木の棒を手に踊っていた俺の方が速かった。二人目のナチ兵も、後頭部に木の棒の一撃を受け、昏倒する。
「木の棒って効くもんなんだなぁ」
「よし、軍服を剥ぎ取るぞ。そして変装して奴らの本拠地を偵察してやろう。あ、ライアン。お前はその木の棒持って行った方がいいぞ。いざという時役に立つ」
「ええ……」
木の棒がそんなに役立つとは思えないが、何かクレアが念を押してくるので、木の棒を引き続き装備する俺。ナチ兵のコスプレをした男子高校生が木の棒を三蔵法師の杖のように携えて歩くという、微妙にシュールな光景がそこにあった。
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12
「あれだな」
「うん、いかにもあれだな」
その後俺たちは十数分ほどとりあえずは中腹を目指して歩いてみたのだが、いかにも怪しい施設が、とても俺たちの都合の良いように現れてくれた。
いわゆるバンカーと呼ばれる地下要塞なのだろう、その入り口が山の斜面に口を開けているのだが、何と言うか、その入り口のデザインが、わざとらしいゴシック意匠にでかでかとハーケンクロイツを刻んだ必要以上に大きくて重々しい城門という、どうして今まで誰も気づかなかったのか不思議になるほどにわかりやすいものだった。
「さっき伏流の中にいたサメも連中が放ったものなら、伏流に連結した地下水道があるはずだ。正面から行く訳にはいかないから、そういうところを探して侵入しよう」
「そうだな」
そして意外と簡単に潜入できた地下水道。それでいいのかナチス残党よ。
「見ろ、サメが泳いでいるぞ」
地下水道は両脇にキャットウォークがあり、中央を水流が通っているスタイルであったが、その水の中には当たり前のようにサメがいる。
「どうもやはりこの水道は伏流に繋げてあるようだ。こうやって定期的にサメを送り込んで、侵入者を阻む警備システムにしてたんだな」
どう考えてももっと合理的なのがあると思う。
「クレア、光と風が入ってきてるから、あっちの梯子から施設内に入れそうだ」
「よし、腹をくくるとしよう」
まずはクレアから梯子を上り、上のハッチを少しだけ開けて安全を確認してから、ハンドサインで俺を呼ぶ。そして俺もクレアの後に続き施設内に侵入した。
内部はというと、照明は薄暗く、壁や床は冷たいコンクリートが剥き出しになった不気味な印象だが、ところどころによくわからない電子機器類が赤い光を放っているのが気になる。あと、これ見よがしにハーケンクロイツの旗やら総統閣下の肖像画やらがわざとらしくあちらこちらに飾ってある。アピールし続けてないと死んじゃう病気か。
「とりあえず奥に進んでみよう」
俺とクレアは顔で怪しまれにくくするために、ナチスの特徴的なヘルメットを目深に被り、入り口の反対方向に当ても無く足を進める。
「……こいつらの目、節穴だなぁ」
奪い取った制服に身を包み、連中の自己陶酔の強そうな歩き方を真似て、後は目を合わせないように気を付けさえすれば、廊下ですれ違うナチ兵は全然俺たちに気付かない。たまに二度見してくる奴もいるが、大抵は気のせいか、とそのまま過ぎ去ってしまう。
……明らかに木の棒持ってるのに。
「んん? 見ない顔だな、お前たち。新兵か?」
しかし流石に将校クラスになると誤魔化しにも限界があるらしい。立派な軍服に身を包んだ如何にも偉そうなナチス軍人が、二度見の後、引き返してきた。なるほど、流石に全員が全員無能の擬人化という訳ではないらしい。
「お前たち、所属は? 名前は?」
「え、ええと、自分の名前はエレンと言いまして……」
「ふーむ、何だかアメリカ訛りに聞こえるドイツ語だなぁ」
まずい、クレアが怪しまれている。何で俺の木の棒にツッコまないのかは知らないが、とにかく侮れない軍人の前にピンチだ。
何とかせねば。打開の鍵になるものはないかと周囲に視線を走らせた俺の視界に、あるものが入る。
総統閣下の肖像画だ。
最早今はこれで誤魔化すしかない、俺は決心し、将校に見えるように右手を高く掲げた。
「ハイル・ヒットラー‼」
「ハイル・ヒットラー‼」
そして決まり文句を威勢良く叫ぶと、将校も脊髄反射のように呼応して、姿勢を正して忠誠の雄たけびを上げた。
当然、この時将校の身体は硬直して隙ができる。テンションも高ぶるから心にも隙ができる。
「第四帝国に、栄光を!」
そして俺たちはそのチャンスを逃さず、将校の横を走り抜けていった。
訂正しよう、あの将校もちょろかった。
そして更に進んでいくと、どうやら工場や研究所のエリアのようだ。廊下の両脇に口を開けた丸い窓から、広い作業場や、複雑な機械の置かれた実験室が見える。
「おい……どうやら連中、ここでサメを養殖していたみたいだ」
その窓のいくつかからは、大量のサメが仲良く元気いっぱいに泳ぎ回っているいくつもの愉快な水槽の姿も見える。
「うん……確かにこの事件の核心だな。でもなぁ、隣にあんなのあったらなぁ……」
しかしすぐそばの窓からは、何か空飛ぶ円盤を作っている工場も見えるので、何かもう、サメなどのことを気にしているのが馬鹿らしく感じられてくる。わざとらしく円盤の前で整列してハイル・ヒットラー三唱してる連中もいるものだから、なおさらだ。
とは言え、俺たちはこんなところで立ち止まっている訳にもいかない。更に奥まで進んでいく。すると巨大な鉄の扉が目の前に現れた。厳重にロックされていて、如何にもここに入ってみろという感じだ。
「どうやら、この扉を開けないと先には進めないようだな」
「よし、あの程度の旧型のロックならおれでも解除できるかもしれない。ライアンはちょっと待っていてくれ」
クレアはバックパックから小道具を取り出しつつ、ロック装置の前にかがむ。
そしてクレアが作業に取り掛かった直後であった。ブザー音が鳴り響いてサイレンの光が辺りを赤く染めた。どうやらようやく侵入者に気付いたらしい。これでよく半世紀以上組織を存続させてきたものだ。
「くそ、いい加減感づかれたか! ここにいたら袋の鼠だ、解錠を急がないと!」
クレアは作業の手を早め、俺は鹵獲したMP5を構えて後方を警戒する。すると、急に俺たちの後方の天井がパカリと開き、そして上から何やら巨大で禍々しいものが、クレーンで降ろされてきた。
そいつは、まさしく大型のサメであった――下半身が歩行メカに挿げ替えられていることを除けば。
「サメボーグ⁉ 馬鹿な、既に完成していたのか!」
クレアがサメボーグとか唐突に呼んでるそのサメは、まるで鳥のような逆関節で、しかし太く頑健な金属に覆われた脚をゆっくりと動かしながらこちらへと迫ってくる。威嚇するように、ガオーと咆哮しながら、俺たちに狙いを定めている。
「ライアン、解錠はもう少しで終わるから、何とか時間を稼いでくれッ!」
「いやいや、そんな無茶な!」
しかしそう言っている間にもサメボーグは迫ってくるので、俺はとにかくMP40の銃口を向け、そして放つ。
「あっ――!」
しかし拳銃弾数発喰らったくらいでは逆に怒りを増すだけのサメボーグはその巨大な顎を力強く閉じながら、俺に向かって踏み込んできた。
俺はすんでのところでバックステップで噛みつきを回避することができたが、しかし突き出した手に握っていた銃は凶悪なる牙に砕かれてしまった。
「畜生、こうなりゃやけくそだ!」
何も無いよりはマシだ、俺はクレアに言われて持ってきた木の棒を構え、そしてサメボーグを突く。繰り返し突く。するとどういう訳か、サメボーグは木の棒の痛くもなさそうな一撃を喰らうたびに怯み、十分に牽制として通用した。
「クレア! 解錠はまだか⁉」
「もう少し、もう少し持ちこたえてくれ!」
だが木の棒は牽制にはなっても致命傷を与えることは叶わない。そして牽制をしていても、そこはサメボーグ、ローペースながらじりじりと迫ってくる。
「くそ、何か武器は無いのか⁉」
MP40も効かないのだ、今の俺たちにそう簡単倒せるはずがない。一応、木の棒以外のサメに効きそうなアイテムが手元に無い訳でもないが、できるだけ温存したい。そう思いつつも藁にも縋る思いで周囲を見渡すと、あるものが目に入った。
これだ。サメボーグを倒すには、これしかない。
「クレア! 合図したら振り返って銃を乱射するんだ!」
「え、どうして⁉」
「いいから撃ってくれ!」
俺はサメボーグに、より一層強烈な連続突きを見舞って怯ませ、まずは大きな隙を作った。
そしてサメボーグが怯み、一歩後退したタイミングを狙って俺はさっき目についたもの――廊下の隅に備え付けられたガスボンベを手に取った。
サメボーグは、再び俺に向かって、その巨大な口を開きながら大きな一歩を踏み込んでくる。
だが遅い。俺はサメボーグの口の中に力任せにボンベをねじ込み、その反作用で倒れ込むようにして床に伏せた。
「今だクレア! ぶっ放してやれッ!」
「くたばれ化け物!」
クレアが振り向き様にばら撒いた弾丸が、俺の頭上を掠める。
そしてそのうちの何発かはサメボーグへと吸い込まれていき、そして口の中のガスボンベに穴を穿ち、誘爆を誘った。
口内から壮大な爆発を受けたサメボーグの頭部は木っ端微塵となった。魚臭い肉片が辺りに散乱する。
内部爆発故にボンベの破片の飛散などは最小限だったから、伏せて頭を庇っていた俺もある程度距離を保っていたクレアも無傷だ。
「おお……良くやったライアン。ボンベで内側から爆破とは、良く考えたな」
「ん、まぁ、お決まりだからな。様式美ってやつだ。それより、解錠は終わった?」
「ああ、丁度終わったところだった。じきに追手も来る、とっとと入ろう」
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13
狂気を感じさせる守護者を倒した俺たちは鋼鉄の扉を開け、中に進む。
すると中は、どうやら実験室のようだ。何やら薄緑に光る液体に満たされたいくつものチューブ状の培養槽の中でサメやら人間やらよくわからない他の生物の皆さんやらが蠢いている様子など、ここが実験室ですよという嘘くさい誇大広告のようなものだ。
「ナチスめ……何とおぞましい研究をしているんだ」
クレアは顔をしかめるが、俺にはおぞましさより先に胡散臭さが感じられる。
「お、おーい! そこにいるのはライアンか⁉ た、助けてくれ!」
と、終始胡散臭い実験室を探索していると、聞きなれた声が俺の耳に響いてきた。
「ダニー? ダニーか⁉ 無事だったか、どこにいるんだ⁉」
「こっちよライアン! あたしも一緒!」
どうやらキャサリンもいるらしい。
クレアと頷き合い、声のする方に向かってみる。
するとそこでは、金属製のいかにも寝心地の悪そうなベッドの上でキャサリンとダニーが手足を金具で拘束された状態で横たわっていた。二人に同行していた州兵はいない。脱落してしまったのだろうか。
「一体どうしたんだ二人共⁉」
「博士よ! 頭のいかれたナチの博士が、あたしたちを実験材料にしようとしたんだわ」
ナチスが人間を実験材料にするというのはよく聞く話だ。武器と人間をくっつけちゃったり。
「ほっほっほ、どうやらネズミが入り込んできていたようだな。だが、ネズミならば実験用のモルモットに使えるはず……」
噂をすれば影。奇抜な髪型と片眼鏡、そして血塗れの白衣という、ドイツのマッドサイエンティストのイメージをそのまんま書き起こしたような風貌の初老の男が二人の兵士を伴って入ってきた。こいつが件の博士であろうことは、理屈抜きで想像がつく。
「貴様、二人に何をしようとしていた」
キャサリンとダニーの拘束を解きながらストレートに質問する。
博士を警護していたナチ兵は警戒してこちらに銃を向けてくるが、博士はそれを制した。そして大きく息を吸い、まるで神に祈るような荘厳で、しかし穏やかな光を目に湛えながら、改めて口を開いた。
「サメというのは……この世界で最も崇高な生き物だ。君たちはそう思わんかね?」
「……は?」
博士の言葉に俺たちは全員、唖然とする。
とてもそんなしんみりと言うような台詞でもないような気もするし、というかそもそも意味がわからない。
「洗練された体つき、機能美に溢れた口、そしてあまりに素晴らしくて見ているだけで絶頂さえ覚えそうな鼻づらと目の間隔……魚類にしては高い知性と、その蛮勇さ。それに気がついた時私は、サメこそが、人類が神に近づくための一番のカギになると確信したのだ……!」
本当に何を言っているんだ、このジジイは。
「だから私はかねてより、人間がより崇高な存在となるためにサメ人間を作る研究をしていた訳だが、遂にこの度その手法が確立したのだ。その栄誉ある被験者一号にその二方を選ぼうと思っていたのだが……とんだ邪魔が入ったという訳だ」
「サメ人間ってあんた……」
博士の異常な愛情とはよく言ったものだ。核でなくサメというのが何の深みも感じさせないが。
しかしどうもこの博士の異常なサメ愛からするに、彼こそが、この山に潜むナチ残党にサメを扱わせた張本人のようだ。
「……サメを街の上に降らせたのも貴様なのか」
「ああ、そうだ。ここの司令官は無能だったからな。私の計画を理解しなかったが、奴が死んでからは、兵たちも皆私について来てくれるようになった。シャーグレネード――サメ砲弾。我々が世界を征服するための究極の手段だ。……ちなみに、私はサメの次にムカデとセイウチにも魅力を覚えていたりもして……」
こんな博士についていくとは、ここの兵士たちはさぞかし上司に恵まれていなかったようで。
「さて、ここまで知られたからにはお前たちをこのまま帰す訳にはいかない」
ほとんど博士が勝手にペラペラ喋り出しただけだと思うが。
「お前たち四人、全員サメ人間にして差し上げるから光栄に思うがいい……兵士たちよ、彼らを捕らえろ!」
博士に指図されたナチ兵たちが俺たちを捕まえようと銃を構えてこちらに詰め寄ってくる。転職先探せばいいのに。
しかし俺としてもサメ人間にされるのは嫌なことだ。何とかしてこの場を切り抜けなければ。だが銃を持った哀れな兵士たちはじりじりと距離を詰めてくる。一気に押さえかかられるのも時間の問題だがどうするべきか。
しかし次の瞬間、乾いた心地の良い噴射音と共に俺の全面の視界が白く染まった。兵士の姿はかき消され、おそらく向こうからも俺たちのことは見えなくなっただろう。
「今だ、全員走れ!」
クレアが叫ぶ。どうやらクレアが、張り巡らされていた得体の知れないパイプのバルブを暴発させて、そのガスで雲隠れを図ろうとしようとしたようだ。そのガスの組成が身体に大丈夫なのかは今は考えても無駄なのかもしれない。
「よし、退散だ!」
俺たちは敵が目を封じられているうちに、実験室を反対側の出入り口に向かって突っ切って、脱出した。
どうもこの基地は規模に比して人手が足りていないらしい。俺たちが改めて脱走し、施設内に警戒令が出されても、監視カメラとかの抜け穴さえ見極めて進めば、意外と追手と遭遇することは少ない。合流したキャサリンたちが目撃したところによると、兵士たちはサメ養殖作業とかにも狩り出されているようで、まるで予算すら足りていないかのようだ。
「ここの連中は無能だな。おれら程度を見つけられないとは」
「低予算のツケにも見えるわね……サメに費やす予算を他に回すべきよ、これは」
「それは違うぞキャサリン。本当に予算が足りないと、サメすら削減されてしまうものだ」
しかし俺としては、色々とツッコミたい反面、低予算の中でこの基地を回し、サメの出番もしっかり作っているここの兵士たちには何か微妙に同情を覚えないこともないのであった。
「で、どうする? いくらまだ捕捉されてないとは言え、脱出経路も見えていないし、ここをこのまま放っておく訳にはいかないだろう」
「ふむ、それは早く決めねばな。おれたちが早いうちに何とかしないと、うちの州軍のことだ。ここを空爆するよう要請するかもしれない」
核攻撃でないだけマシだと安心するべきか。
「あー、それなんだが、オレたちがこの中探ってる間に、何とかできそうなところを見つけたぜ」
とダニー。
「本当か、聞かせてくれ」
「兵士たちの話を盗み聞きしたところ、どうやらサメは電磁カタパルトで射出されているみたいなんだ。で、同様に緊急脱出ポッドもリニアで発射するってよ」
「電磁カタパルトか……となると、相当な電力を消費するよな」
「そう、それで気になって調べてみたんだけど、どうやらこの基地の電力は、この山の地下にある結構な量のメタンハイドレードを直接使ってるみたいなのよ」
わざわざそうまでしてサメを飛ばす必要があるのか。
「しかし、そうなればだいたいの方針は見えてくるな。まずはメタンハイドレードをがっぽり抱えた発電室に時限爆弾を仕掛けて、ガスの誘爆を狙う。それならば、ナチ残党だけでなくサメ共も一網打尽にできるはずだ。そしておれたちは、起爆するより前に脱出ポッドを確保する……」
クレアが唸る。
確かに成功できるというならその作戦が一番効率的ではあるのだろうが、いささか無理もありそうな気もする。
「おお、やってやろうぜ! あの時代遅れなナチ野郎共に、泡を吹かせてやろう! サメも丸焼きだ! こんなこともあろうかと、さっき武器庫を通った時に、時限爆弾もくすねてあるぜ!」
「ここであたしたちが失敗したら世界は滅ぶ……やるしかないわね、最後の戦いよ!」
しかし他の三人はやる気満々。
他に良いアイデアも無いことだし、とにかく冷静に変な展開を回避する努力をするまでだということなのだろう、俺は。
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14
まず俺たちは発電室に向かう。脱出ポッドがちゃんとカタパルトの傍ら備えられているかは不確実だが、じっとしていてもサメ人間にされるだけだ。目の前のやれることをやるしかない。
「いたぞ、侵入者だ!」
「とっ捕まえろ」
警備兵たちが躍りかかってくるが、やはり人数が足りていない。先頭を征くクレアがMP40の弾丸をばら撒き、制圧する。
「うらぁぁあああ!」
クレアやキャサリンが正面の敵と応対している隙に、廊下の角に隠れていた兵士が、intが足りていないのか何故か素手で俺やダニーに向かってくる。
しかしネックハンギングで一気にダメージを与えてやれば、二人がかりとは言えすぐに制圧できた。兵士の訓練にすら予算が足りていないのか。
「あの扉が発電室だ、でもロックが厳重そうだ!」
「よし、みんなあたしを援護して!」
止める間も無くキャサリンは、基地内で拾ったというチェーンソーを構え、鋼鉄の門へ吶喊。
キャサリンに襲いかかる兵士には、俺たち三人で銃弾を見舞ってやる。
しかし兵士を食い止めたと思いきや、次は四体のサメボーグが天井と床から出現、キャサリンに凶牙を向ける! あんなの何体も作る予算あるなら兵士増やして戦車でも置いておけ。
「やぁぁあああっ!」
しかしキャサリンの心とチェーンソーは折れない。一体はその機械化された脚部の脆弱な関節部を粉砕され行動不能にさせられ、一体は首を斬り落とされ、一体は喉の奥に高速の刃をねじ込まれて内側から絶命した。
「欠陥品は大人しく工場に帰りなさい!」
そして最後の一体はキャサリンのハイキックを受けて何故か壮大によろけ、近くにあったエレベーターの奈落に転落していった。下が本当に工場なのかなどもうどうでもいい。
「なるほど、サメボーグってあんなに簡単に倒せるものだったのか。わざわざガスボンベ使うまでも無かったか?」
「いや、あいつは特別だから誤解しないでよクレア軍曹?」
木の棒で戦う男に余計な期待を持たれても困るのだ。俺はサーファーじゃないから人間離れした戦いなんて無理なのだ。
「さあ、チェックメイトよ。連中のメタンに火をつけて、屁、プ、バーンといってやるわ」
キャサリンはチェーンソーで鋼鉄の錠前を両断して扉を蹴り開けた。これだけ酷使して折れないチェーンソーの歯はミスリルか何かか。
ともあれ、発電室の扉は解き放たれた。中に入ってみると予想通り、大量のパイプとタンクが立ち並んだ、いかにもエネルギーの中枢って感じだ。相も変わらず鉤十字の旗は自己主張が激しいが。
「さて、この時限爆弾を仕掛けるとしよう……ん? マジかよこれは参った」
「どうした、クレア?」
「お前さんたちが持ってきてくれたこのプレゼントの素敵な目覚まし、タイマーが壊れてるぞ。十二分にしかセットできない」
まるで俺たちが緊迫した状況下でギリギリの戦いを繰り広げるために作られたようなピンポイントの壊れ方だ。
「どうする、ライアン。このまま予定通りに爆破するか?」
「急がないとオレらもサメと一緒にローストってことだぜ、ライアン?」
「それでもこの機を逃す訳にはいかないと思うわよ、ライアン?」
三人の視線は俺に集中。
「……何で皆俺に聞くの?」
「お前は、善悪の判断ができる人間だ。決断を託したい。いいか?」
託すとは押し付けるの同音異義語であると俺はよく理解している。
「えー、はい。するしか無いんでしょ? じゃあ決めよう、今ここでやってしまおう。もう他にチャンスがあるとも思えないし、十二分あれば上の射出場には辿り着ける。ポッドが用意されてることを信じるしかない」
「流石ねライアン、決断が早い。日本の首相なら、『今ここで決めるのか⁉』とか言って渋るわよ」
そしてアメリカ大統領ならノリノリで核を撃つのだろう。俺知ってる。
「とにかくやってしまおう。爆弾のセットは、クレアに任せる。セットが終わったら、さっきショートカットできそうな階段が視界に入ったから、そこから上の射出場まで駆け抜けよう」
「どうせ時間設定は選択肢一つしかないから、セットはすぐに終わる。場所はこのタンクで多分良いだろう。はい、今セットしたぞ」
「クレアさん、少しくらい覚悟決める時間とか最終決戦前に回想とかする時間くれてもいいんじゃないですかねぇ⁉ まあいい、みんな走れ!」
そして俺たちは、火のついた鞭で尻を打たれるようにして、発電室を後にしたのであった。
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15
「ここだ、射出場は!」
混乱するナチ兵を時にはやり過ごし時には蹴散らしつつ緊急用らしき階段によるショートカットで射出場の前に辿り着いた俺たち。そこに広がっていたのは、いろんな意味で恐ろしい光景だった。
窓越しに見える射出場の作業風景。
生きたサメが拘束された状態でもがきながらベルトコンベヤーに乗せられて次々と射出場に搬入されてくる。運ばれてきたサメたちは、望む景色からして丁度山の中腹なのだろう、整備され偽装も施された崖に沿って居並ぶ、巨大な白銀色のフォークを砲台に据え付けたようなユニットに台座ごとセットされていき、そのまま仰角が調整される。
「全機仰角七十二度にセット完了!」
「全機、メタンハイドレードドライヴから電力伝導完了しました!」
「よし、サメ砲弾シャーグレネード、全弾発射!」
号令と共に砲台フォークから眩い青白の光と同じく蒼白に輝く火花が撒き散らされ、室内から見ている俺たちも目を開けているのが辛いほどだ。
そして閃光と共にサメを乗せた台座は加速、投げ出されたサメはそのまま滑るようにして空中に駆けだし、風を切り裂きながら放物線を描いて、街の方へ飛翔していった。
「これが……この事件の真相か」
「レールガンの原理ね。電力を使う訳だわ」
毒ガスでも仕込んだ砲弾撃った方が効率良さそうだ。
「よし、まずはあそこの管制室を制圧しよう。ほとんどの人員は離れたところから遠隔で作業してるみたいだ。管制室の五人を倒せば、しばらくは占拠できる」
「で、その間にポッドを用意しておくって訳だな」
「ああ、ダニーはメカとか得意だし、ダニーとクレアにポッドの確保を頼みたい。俺とキャサリンで、管制室を占拠する」
「合点承知の助だぜ」
「了解、最後に暴れてやるわよ」
「わかった。発射台でまた会おう」
俺たちは二手に別れ、それぞれの戦場へ向かう。
俺とキャサリンはまず、管制室の扉前の死角に身を隠す。
「敵は五人か……よしキャサリン、俺が合図したら、銃を乱射しながらチェーンソーで手前の敵三人に斬りかかれ。その隙に俺は向こう側に突っ込んで奥の二人を倒す」
「わかったわ」
「よし、それじゃあ行くぞ……三、二、一、ゴ―!」
号令と共にキャサリンは右手にチェーンソー、左手にサブマシンガンを構え、扉を蹴り開けて突入する。
「大人しくしてろナチ公!」
管制室内の兵士たちも気付いて武器に手を伸ばすがもう遅い。キャサリンはサブマシンガンの弾丸をばら撒いて敵兵を牽制しながらエンジンを全力全開にしたチェーンソーを振りかざして、距離を詰める。
ナチ兵たちは狭い室内での弾幕の中自らの武器で反撃の機会を得ることもままならず、キャサリンの接近を許してしまい、その凶悪なる刃に怯えて隊列を崩す。
それでもキャサリンとある程度の距離を保った、奥の方にいる兵士は何とか機会を窺って武器を構えようとするが、そうは問屋が卸さない。
俺は低い姿勢のまま床を蹴って弾幕の下に潜り込む形で奥の敵兵に肉薄し、まずは片方の敵兵の側頭部を木の棒で叩いて昏倒させた上で股間につま先をめり込ませて無力化し、掴みかかってこようとするもう一方には、まずみぞおちに木の棒の突きを見舞う。飛びかかろうとしていた自身の運動エネルギーもあって、急所のダメージが大きく一歩後退したそいつには更にネックハンギングで動きを封じながらヘルメットを引っぺがして壁に頭を打ち付けさせ、その意識を奪った。
「そこで寝てサメに喰われる夢でも見てろ!」
そしてそのまま、キャサリンと相対している敵兵三人に背後から襲いかかり、混乱を誘いながらキャサリンと一緒に無力化していく。
「なかなかやるじゃないライアン。ジョック連中にも勝てるんじゃないの?」
「単にこいつらが無能で予算削減されてるだけだと思うが……。まあ、ジョック連中に喧嘩を売るのは色々と面倒が付き纏うからな。その点ここでは敵か味方かしかいない、やり放題だ」
ともあれ制圧は成功した。俺はクレアに渡されていた無線機を取り出し、ダニーたちを呼び出す。
「あー、こちらライアン。今、管制室を制圧した。そっちはどうだい?」
『ダニーだ。こっちも三番格納庫のポッドは見つけたぜ。だがこいつはオレの腕力にはちと重すぎる』
「コンベヤーにはもう載せてあるな? こっちの制御盤でやってみよう」
制御盤の表示はドイツ語だが、何となくわからないこともない。とりあえず三番格納庫のボタンを選択し、その上でコンベヤー起動のスイッチを入れる。すると、対応する番号の書かれた山肌に口を開くシャッターが展開し、中から出てきた大型のサメより一回りほど大きいダチョウの卵に短い脚を生やしたような形のポッドがコンベヤーを伝ってカタパルトに向かうのが窓越しに見えた。
「よし、向かおうキャサリン」
「ええ、これで終わったのね……」
ダニーとクレアはポッドがセットされ次第、すぐに乗り込んでいた。後は俺たちが乗るのを待つばかりだ。俺たちは管制室を出て、カタパルトに向かった。
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16
「待てい、モルモット共よ! 私が君たちをこのまま返すほど甘い男だと思ったか⁉ キスすら甘いと言われたことの無い男だ!」
しかしこのままポッドに大人しく乗せて素直に返してくれるほどこの世界は甘くない。やたらとエコーが強くかかった声が木霊する。
「ふっふっふ、私はいつも一枚上手だ」
「お前……さっきの博士か⁉」
振り向くと、そこにいたのは、これがあの博士が言っていたサメ人間というやつなのだろうか。胴体のシルエットは完璧に人間のそれで四肢もちゃんとあるのだが、足にはスキューバで使うようなヒレが備わり、腕は脇の下に水かきのような皮膜を持っているが、それとはまた別に尻からも尾びれが伸びている。そして何より、サメの顔のパーツを無理矢理平面状に押し込めて人間の頭蓋骨に貼り付けたような、おぞましい顔面が目を引く、そんな全身青みがかった灰色の生物だった。
「いかにも……私はサメの力をついに手に入れたのだ……。やはり実験などせずとも、我が理論は間違ってはいなかったという訳だ。この力を以てして、今一度この堕落しきった世界に恐怖と断罪の鉄槌を下すとしよう」
わざとらしいエコーのかかった声で答える博士の手には、一本の巨大な注射器が握られていた。あれでサメ人間になったとすると、予想以上にお手軽な施術なのだろうか。
「だがその前に、私は貴様らを殺す。お前たちなど、所詮はサメの餌になる程度の存在でしかないと思い知らせてやろう」
嫌だ、俺はジョックではない。
「ライアン、早く!」
サメ博士と相対している俺に向かって、キャサリンが叫ぶ。
「キャサリンは先に乗ってて!」
「何で⁉ どうして⁉」
「もう時間が無い! 二人以上で戦って、それから改めて乗るのは時間がかかるし、少しでも生還できる可能性は残したい!」
「でも、それじゃあライアンが!」
「大丈夫だ、勝算はある! キャサリン、チェーンソーはエンジンかけたままそこに置いておいてくれ!」
「……わかったわ!」
キャサリンはチェーンソーをその場に置くと、ポッドに走っていった。残り時間は三分も無い中、俺はサブマシンガンと木の棒を構えながらサメ博士に改めて向き直る。
「さあ一騎打ちだ、珍品フカヒレ」
「ふん、ぬかせ! 貴様は殺さずに捕らえてサメ人間にしてくれるわ! 光栄に思え、二号の貴様はシュモクザメを素体にしてやるッ!」
相変わらず訳のわからないこと言いながら、サメ人間はその白く輝く牙を剥いて向かってくる。
俺はまず銃弾を放ち牽制してやるが、そこは流石のサメ肌、効果は今一つのようだ。
後退で不利になるくらいなら飛び込んだ方が戦いやすい。俺は木の棒を振りかざしながら、サメ人間の懐目指して突進、打撃を見舞ってやる。
「ふ、ふん! こんなものでどうしようというのだ!」
サメ人間は余裕を装っているが、やはり木の棒による打撃や突きの効果は抜群だ。傷こそほとんどつかないものの、喰らう度にのけぞって、思うように動けなくなっている。邪神にはフォーク、サメには木の棒だ。
そしてサメ人間は何より、木の棒の自分に向けられている先端とは反対側の端っこには、全く気を配ってはいない。これならば、いける。身体を横にした状態で木の棒を脇の下に入れる形で構え、棒のこっち側の先端を見えにくくした甲斐があった。
「しゃらくさい! いつまでこんなお遊びをするのだ!」
木の棒で何度も突かれていたサメ人間は業を煮やし、獰猛な口を大きく開けて咆哮する。
今だ! 俺は木の棒を棒術のようにくるりと素早く一回転させ、そして身体で隠していた方の先端部分を、サメ人間の口に突っ込んでやった!
「ぬ、何だ⁉」
「ボンベだ! 苦手だろう?」
木の棒の先端にガムテープで括りつけていたのはそう、今夜のバーベキューで使う予定だった、携帯用の小型ガスボンベだ。サメには有効だと思って、実は一つだけポーチに入れてきたのだ。サメボーグが出た時は温存のために現地調達のボンベを使ったが、このボンベはこのラストバトルでこそ使う!
「笑え畜生!」
俺はバック転でサメ人間との距離を一気に取るとすぐさま、奴の顔面めがけて銃を放った。
ボンベは小規模ながらも爆発、サメ人間の頭部は炎に包まれる!
「やったか⁉」
「ぐ、ぐがぁぁああ! 貴様ァ……もう許さんぞ……どこまでも追い詰めて喰らってやる! 良くは見えないが、サメは嗅覚も優秀なのだ、逃がさんぞ!」
しかしサメ人間は死んではいない! 口の中が焼けただれ、飛び火で目をやられてかなりの重傷だが、信念で迫ってくる。だがその速度は遅い、充分想定内だ。
俺はサメ人間に背を向け、ポッドに向けて走る。そしてその途中にあった、キャサリンが残したチェーンソーを手に取り、床のパイプを切断した。ビンゴだ、どうやら俺たちが乗るのとは別なカタパルトに電力を供給するためのコードが入っていたようだ、まるで暴れる生き物のように火花を飛び散らせる。
「おい、こっちだサメ野郎!」
その上で俺はポッドに向けて足を進めながら、サメ人間を挑発してやる。
「ぐ、ぐわぁぁぁああああ! き、貴様ぁぁぁあああ! サメ……私の理想がァァアアアッ!」
するとサメ人間はまんまと挑発に乗り、断線して火花を散らすコードのところに丁度来てくれた。感電したサメ人間は体中を焦がしながら、その場で悶え苦しむ。
「……あの世でサメに喰われた連中に詫びろ」
「ライアン、早く!」
足が麻痺したのかこれ以上は追ってこれないまま苦しみ続けているサメ人間に冷たい視線を向けていると、キャサリンの急かす声が耳に飛び込んできた。そうだ、もう時間が無いのだ。
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17
「カタはついた、行こう!」
俺はポッドに駈け寄り、乗り込んだ。
「おいおいダニー、お前で大丈夫か? ここまで来て着陸先があの世ってのはご勘弁だぜ?」
ポッドの操縦席に座っていたのはダニーだった。
「大丈夫だ、説明は書いてあった。お前だけに良い顔はさせられねぇよ」
俺たちの背後から轟音が響いてくる。基地の爆発が始まったのだ。最後に乗り込んだ俺はポッドのハッチを閉める。
「早くして、ダニー!」
「あいよあいよ! これをこうして……!」
コンソールを操作するダニーとクレア。
「早くしろ! もう誘爆が連鎖してるぞ!」
「出来た! Gに気を付けろ! ……いぃやぁぁぁああああッ‼」
ダニーは叫びながらレバーを力いっぱいに引き倒す。
カタパルトから発せられた閃光に俺たちがポッドごと包まれるのと、射出場が基地内部からの爆炎に包み込まれるのは、ほとんど同時だった。
さながら、爆風に押し上げられるようにして俺たちのポッドは空中に舞い上がる。
俺たちを振動が襲う。爆風の振動なのか、射出の振動なのかもわからない。
俺たちは全員、目を閉じてただただ待つしかなかった。次に訪れる衝撃を。待ち受けているであろう痛みを。
だが、それは一向に来ない。その時、俺たちは目を開ける。
俺たちは、青い空の上にいた。
ポッドは尾部を爆炎に焦がしつつもしっかりと滑空していた。
「助かった……助かったぞ!」
窓から状況を確認したクレアが最初に声を上げる。
「いやったぁぁぁあああ! やったぜ、ライアン! どうだい俺の技術は!」
「助かった……それに、これでもう、この街にサメが降ることも無いのね……!」
「ああ、これで全て終わりだ! みんな、よく頑張った!」
クレアが沈黙を破るのに呼応して、俺たちは歓喜の声を上げる。
ダニーの操縦により、空中で主翼を展開してグライダーの要領で滑空していたポッドは無事に近くの草原に着地することができた。ちなみに、ここも観光地だったらしい。
ポッドから這い出た俺たちは、ついさっきまで戦っていたことが今となっては信じられないような気持ちで、基地が燃える煙を吐く山を見つめる。あれではサメも全滅だし、ナチ残党も生き残った者は投降せざるを得ないだろう。
基地のあった辺りから煙に紛れて一機の円盤が飛び立っていくのが見えたような気もするが、それも最早何だかどうでもいい。
「終わったのね……全て」
「ああ、終わった……でも、全てじゃない。サメもナチスもゾンビも、この世界にはまだたくさんいる。……本当の戦いは、これからだ。そんな予感がする……」
しかし、キャサリンの言う通り今回の戦いが終わったことは紛れも無い事実だ。
「州兵やこの街の住民……多くの犠牲が出た。でも、俺はこの四人が全員無事に生きて帰れた、そして奴らとの決着をつけられたことを、今は素直に喜びたい」
その後俺たちはダニーの提案により、打ち上げのパーティーを行い、互いに喜びを分かち合い、そして犠牲者への哀悼を捧げた。
だが改めて冷静に思いもした。
何だこれ。
この事件は予感していた通り、このわけのわからないパラレルワールドに転生した俺を待ち受ける受難の序曲に過ぎなかった。
この後俺は幾度となく、奇妙な世界の因果に絡めとられていくこととなるのであった。
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クラブダイルvsロボコンダ
1
「さあ、来たぜカリフォルニア! いやあ、太平洋の潮風ってのは良いもんだな」
「カリフォルニア、何か落ち着くわね」
ナチス残党によるシャーグレネード事件から二週間後、俺とダニーとキャサリンは、あの色んな意味で忌々しい事件から生還したことを祝う意味も込めて、連休を利用しカリフォルニア旅行に来ていた。何だか唐突な気がする。
「まったく、こないだの事件には参ったモンだ。この連休は、しっかりと羽を伸ばしたいところだな」
「そうね。流石にあれはあたしでも身の至らなさを実感させられたわ。すこしリラックスしてから鍛え直さなきゃ」
「オレたちが泊まる辺りって何があるんだっけ?」
「ガイドブックによると、水族館とか爬虫類園とか野球場が敷地内にある遊園地とか。あとは、今の時期でも泳げるビーチとかね」
俺たちはダニーの運転する現地で借りたレンタカーに乗って、空港からホテル周辺に向かっていた。車窓から覗く景色は、まさに西海岸だ。九月であることを忘れさせる青く明るい空の下で、ジョックたちが海水浴やビーチバレー、ダンスに興じている。よくある資料映像を見ている気分になるほどわかりやすい光景だ。
「なるほど、保養地としては妥当な感じだな。何か珍しいものとかは無いのか?」
ここで俺がわざわざキャサリンにそう質問したのは決して新しい刺激を求めてとかではなく、早くも先日の事件の時に感じた呪いを想起させる嫌な予感が脳裏をよぎっているからであった。せっかく保養地に来たというのに、この本能的な直感を恨まざるを得ない。
「うーん、見て回れそうなのは少ないけど、何か軍の生化学研究所とか、アルファ・コーポレーションの工場とかはあるみたいね」
「関わらない方が良さそうだな、そういうのは。……そう言えば、キャサリンの幼馴染みとはホテルで合流だっけ?」
「そうよ。レベッカは父親の仕事の都合でまたうちの州に戻ってくるの。もう両親は引っ越し済みなんだけど、あたしたちの旅行のタイミングが良かったから、一緒に遊んで、そのまま一緒にうちの州に来るらしいわ」
「へぇ、どんな娘なんだい?」
女の子の話になるや喰いつくダニー。
「ん、お調子者の軟派黒人とかは敬遠しちゃいそうな娘」
「そうきついこと言わないでくれよキャサリン。あ、ひょっとしてオレとその娘が仲良くなったら嫉妬か?」
「冗談抜きで軽いノリは不得意な娘なのよ、レベッカは」
そんなこんな言いつつもたどり着いたホテルは、学生の短期旅行の宿泊地としてはなかなか立派なものであった。ロビーも広々として宮廷風の意匠もあしらわれているし、部屋の方も単純に二人ずつ寝泊まりするにはややゆったりし過ぎているくらいだ、夜は全員で集まってモノポリーでもやったら盛り上がるだろう。
チェックインを済ませ荷解きを終えると、レベッカとの待ち合わせに丁度いい時間であった。
「ハーイ、ベッキー! 久しぶり! 小学校以来ね、でもこれからはまた同級生よ!」
「キャサリン! 久しぶりに合えてうれしいです! 相変わらずお元気そうですね」
ホテルのラウンジにて再開した幼馴染み同士の二人が無垢な笑顔を満面に浮かべてハグを交し合う。仲睦まじい姿だ。
「紹介するわ。彼女が幼馴染みのレベッカ・クルーズよ。レベッカ、この二人は今の同級生のライアンとダニー」
「レ、レベッカです。この旅行で一緒させてもらって光栄です……。あ、向こうに行ってからは同級生にもなるんですよね、よ、よろしくお願いします」
キャサリンの幼馴染みレベッカ・クルーズは毛先のカールした栗色のセミロングと年の割にやや幼さの残った可愛い系の顔立ちが印象的な、キャサリンとは対照的に大人しげな少女だった。やや人見知りのようでもある。
「ライアン・ブラウン、よろしく。そんな堅くならなくても良いよ。気楽に楽しも」
「オレはダニー。ツイッター上じゃあ、サメ殺しのダニーの名で知られてるんだぜ」
謎のヒーローアピールで掴みを狙うダニーだったが、レベッカは苦笑いをするだけだった。
「さて、荷解きも終わって無事集合もできたことだし、遊びに繰り出すわよ! 最初はどこに行く?」
キャサリンはさっそくバケーション気分だ。
「そうだな。もう午後だし、今日は屋外系を先に行って時間が余ったら水族館にでも行ったらいいんじゃないか?」
「そうね。じゃ、最初に爬虫類園かビーチに行くことにしましょうか。ふふふ、ビーチに行くなら久しぶりにサーフィンといきたいわね」
とりあえず俺たちは車に乗り込み、海岸線の道路に向かった。
「さて、まずはどこまで運転すればいいんだ?」
「そうね。まずは爬虫類園なんかどうかしら。すぐそこ、あのマーケットの裏手よ」
キャサリンの指差す先を一同が見ると、一つ向こうの交差点を挟んだところに巨大な複合マーケットと、その裏手に爬虫類園があることを示す看板が目に入った。
この時、俺も最初は爬虫類園に行こうと思っていた。ジョック連中みたいに無駄に発散せねばならないほどあり余ったスタミナは無い。初めに海に行ってしまうと、疲れ果てて爬虫類園を楽しむ気になれないかもしれない。
しかしそんな考えはすぐに変わった。天から何か機械的に輝く一つの小さな物体が、ちょうど爬虫類園のある辺りに落ちる様子が目に入った時、これは絶対にひと騒動ある予兆であると、何か本能的にわかったからだ。
しかし他の三人はそれに気づいている様子は無い。キャサリンなら察知していそうな気もするが、あからさまに何かを目撃したという素振りは今のところ見せていない。これは俺が主導してコースを変えねば。これで夕方まで何も無ければ爬虫類園に行っても問題ないだろう。
「……なあ、やっぱり海に先に行かないか? ほら、日が沈んでから泳ぐのは危険だし」
「うん? まあ、あたしはかまわないわ。やっぱり日が暮れてからのサーフィンも何だしね。ベッキーは? 今日の主賓はある意味あんたよ、遠慮なく意見言いなさい」
「うーん……わたしは……海が良いかな? やっぱり日が暮れたら怖いですし」
「じゃあ決まりね。まずはビーチに行きましょ」
「おいおい、オレの意見はいらないのかい?」
こうして俺たちは嘘くさい涙目のダニーをスル―しつつ、海へと向かうこととなった。
だがこの選択が正解だったとは思わない。何故なら、おそらくは爬虫類園に行った場合と同等の受難が待ち受けていたのだから。そして爬虫類園とビーチの因果が、この後結びつくこととなるのだから。
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2
十月だが、今日は天気がすこぶる良いことも手伝って、西海岸南部はまだ一応泳げるようだ。白い砂浜と波の音とそしてジョックたちが織り成す資料映像のような光景が一面に広がっている。
「おっ、あっちでダンスやってるみたいだぜ、ライアン」
俺とダニーは水着に着替え、キャサリンとレベッカは相変わらず都合よく下に着ていた水着を残してキャストオフして早速熱気に溢れるビーチに繰り出すと、さっそくジョック御用達のイベントが目に入った。
「何だ? 行きたいのか、ダニー?」
「いや、それほどでも。お前が一緒に来るならやぶさかでもねぇけどな」
「そうか。ならば無しってことだな」
「おいおい、つれないこと言うなよライアン」
そんなことを言いつつも、ダニーはパラソルを設置し、その下でマイペースにくつろぎ始める。あと何気にグラサンが似合うのが何だか腹立つ。
「あたしはサーフィンしてくるわ。久しぶりだから鈍ってるかも。あ、レベッカもやる? 教えるわよ?」
「い、いえ。わたしは遠慮するよ。バランス取れないのとか怖いし……」
「そう。残念。ま、海の楽しみ方は人それぞれ、無理強いはしないわ。気が変わったらいつでも言ってね!」
この中で一番活動的であろうキャサリンは趣味のサーフィンに生き生きと繰り出し、ダニーはグラサンとアロハシャツのやたらかっこいいスタイルでパソコンいじり。残ったのは俺とレベッカだ。これは何か話した方が良さそうだ。
「レベッカはキャサリンの幼馴染みなんだよな」
「あ、はい。そうです」
「俺は高校入ってからの付き合いなんだけど、あいつ昔はどんな子だったの?」
「わたしといた時のキャサリンですか……。うーん、何と言うか、そんなには変わってませんよ。サーフィンが好きで元気で勝気で、他人に厳しいけど優しくもあって……。逆に今のキャサリンは高校でどんな感じなんですか?」
「そのまんまさ。俺たちじゃ、勝ち目無い感じ」
この幼馴染みとキャサリンの人物像を共有していることにちょっとホッとする俺。あの災害対策万全チェーンソー娘が幼女時代は可愛げ溢れる純粋無垢な女の子だったなんて話聞かされたら怖い気がする。レベッカがその当時の印象を引きずっているなんてことになれば尚更だろう。
「そう言えば、レベッカは父親の仕事の都合でうちの州に来るんだっけ? お父さん、何してるの?」
「生物学者です。しばらくの間、州の大学でお世話になる予定で」
「なるほどね」
レベッカとそんな話をしながら海を眺めてみる。
キャサリンは相も変わらず見事なサーフィンの腕前だ。あれならばサメからも難なく逃げられそうである。
その周囲には水着姿でヒステリックさを感じさせるほどに甲高い声ではしゃぐ金髪の若い女たちと、それを口説こうと躍起になる何割かの確率でタトゥーを入れている体格の良い男たち。少し歩いたところでは、何故ビーチでやる必要があるのかわからないダンスイベントの会場。これを見て明るく楽しい光景と思うのか典型的な惨劇の予兆と感じるのかは、前世の記憶があるか否かで別れるのだろうか。
「キャーッ! サメよ! ブリトニー、早く逃げて! 岸に上がってー!」
とりあえず前世持ちの直感が頼りになることは確かだった。さっそくサメが出没したようで、ダンス会場の近くがざわついている。
「さ、サメ⁉ あっちにいる人たちは大丈夫なんでしょうか? 最近のサメは陸にも上がるというし、怖いです……!」
「待ってろ、今確認する」
怯えるレベッカを安心させねばと思い、とりあえずは状況確認。持って来た双眼鏡で騒ぎのあった辺りを観察してみる。するとなるほど、水面に突出したサメの特徴的な背びれが、逃げる金髪の水着のチア的な女性の後について移動しているのがわかった。
「……でも、何だかおかしいぞ、あの背びれ」
「え? どうしたんですか、ライアンさん?」
「不自然に蛇行してるし、速度も異様に遅いんだ。普通の元気なサメなら、あの距離にいるパツキンを逃すはずはないんだが」
その不自然さを裏付けるように、丁度追われていた女性は岸にたどり着いてしまった。サメはジョックやパツキンには異様に興奮し積極的に襲う。こんなところで見逃すはずがない、そう訝しんだ時だった。
波に煽られたサメが裏返る。すると、背びれを水面上に突き出していたサメに既に命は無く、背びれから後ろの部分をざっくりと切り落とされるように消失していた。サメの変死体が波に揺られて海岸に向かって来ていただけだったのだ。断面を見せつけたサメの骸は、そのまま水没してゆく。
「何だ、あのサメの死体は。まるで何か刃物で切断されたみたいじゃないか」
俺が謎過ぎるサメの死因を疑問に思った、その時だった。
突如として巨大なハサミが海中より出現し、岸で一息ついていたパツキンを素早く掴み上げ、水中へと引きずり込んでしまった。なるほど、あのハサミの持ち主がサメを両断したということか。しかし、こうも容易くサメを屠れるハサミを持った生き物とは一体何だ?
「おいおい、何だあのでっけぇのは。まるでエビのハサミじゃねぇか」
サングラスを外しながら言うダニー。あんな立派なハサミ持ってたら、エビというよりザリガニとかロブスターのような気がするのだが。
「ひっ……」
予想外の恐怖に思わずちじこまってしまうレベッカ。無理もない、俺も最初にサメと遭遇した時はそうだった気がする。慣れと言うのは怖いものだ。
「あっ! キャサリン危ないですっ!」
波に乗っていたキャサリンは既に、突然出てきたハサミの方へと進路を取ってしまっていた。あの距離とスピードと波の感じではUターンで回避することなどできない。それを察知したハサミの持ち主は当然、一度ダンス会場への進行を中断してキャサリンにその獰猛なる刃を向ける。
しかしキャサリンに単純な攻撃は効かない。
キャサリンは波を利用したジャンプで閉じる一対の刃の狭間を飛び抜け、そのまま直進、水中に潜んでいるであろうハサミの持ち主の身体の上にサーフボードを乗り上げさせ、その凹凸上を滑走しながら跳躍することで空中で方向転換。怪物の真横に抜けてそのまま再び波の勢いを得て、岸に素早く乗り上げる。
「良かった……キャサリン、どこか怪我とか大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。あの程度ののろまな動き、ちょっとした岩場に乗り上げたようなものよ」
親友を案じて駈け寄るレベッカに、サーフボードを抱えて海を背に歩くキャサリンは笑顔で応え、レベッカの手を取る。
「それにしてもさっきのは一体……大きなカニでしょうか?」
「いや、そうとも言えないわね。ボードで乗り上げた時の感触からして、普通のカニの甲羅の形とは考えにくかったわ。形状が違うだけでなく、部分によっては質感も違ってそう」
とうとういよいよサーフィンとも災害対策とも関係無さそうな超感覚まで身につけ始めたか、我が級友キャサリンよ。
「おいおい、あいつは一体何だ⁉」
前に出て様子を見ていたダニーが叫ぶ。俺やキャサリンもその方向に目を向ける。その先に広がっていたのは、信じられない光景だった。
キャサリンの捕食に失敗した怪物は予定通りジョックたちを狙うことにしたのか、まずは水辺にいたジョックをハサミで引きずり込みつつ、ダンス会場に向かって上陸。ダンスにかまけていたジョックたちが無言で水しぶきと共に迫り来る物体に視線を奪われ、耳障りな音楽だけが虚しく響き続ける。
そして怪物が完全に姿を現した時、ジョックたちは絶叫しながら我先に逃げ……なかった。あまりにも異様な怪物の姿に、今自分が危機の渦中にいるという現実をとっさに感じることができなくなっているのだ。
その怪物は身体の前方に、甲殻類らしい巨大なハサミを携えた二本の腕を携える。だがその腕の間から顔を覗かせるのは、表面を鱗で覆われ、細長いはなづらとそれに連動した、鋭利な歯を生やした巨大な口。まさしくそう、ワニの頭部であった。
胴体は赤い甲羅に覆われたひし形だ。四対の脚とハサミを装備したまさに巨大なカニのものだ。しかし、本来カニの目や口があるべき部分にそれは無く、代わりにそこから巨大なワニの頭部を生やしているのだ。後部からも、ワニ特有の筋骨逞しい尻尾を遊ばせている。
まさに、カニとワニが合体したような生物、それ以上には形容のしようが無かった。
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3
「……キャァァァァァァァァァアアアアアアアッ‼」
ダンスのポーズのまま固まっていたチア系っぽいパツキン女性の一人が思い出したように怪鳥の如き金切り声を上げ、待ってましたと言わんばかりな発声の終了と共に怪物の牙の餌食になるのを見て、ようやく他のジョックたちも悲鳴を上げた。
「キャーッ! タスケテー!」
「うわぁぁああ! 死にたくねぇ!」
「おい! お前らだけで勝手に逃げてんなよォ!」
ジョックは逃げ惑うが、この怪物は単なるサメなどとは訳が違う。八本の脚で砂浜を穿ちながら器用に迫り、その巨大なハサミを備えた長い腕を伸ばして、少しくらい距離と取っていたとしても射程内にいるジョックは難なく摘み上げて巨大な口の中に運んでしまうのだ。
かくしてジョックの陽気なダンスホールであったリゾートビーチは今や、血塗られた死の舞踊トーテンタンツの舞台と化した。
「まずいわね……チェーンソーは持ってきてないわ」
「ああ、木の棒も無い。素直に一旦車に引き返して逃げた方が良い」
わざわざこの手の事件に積極的に首を突っ込んでいく趣味など持ち合わせていない。俺たちはそう、本来は市井の人に過ぎないのだから、ここで背を向け走り去っても天罰は無いはずだろう。
「は、早く車に戻りましょう! 市警に言って、みんなを助けてもらわないとです! ……信じてもらえるかわからないけど」
「そんなこともあろうかと、オレがスマホで撮影しておいたぜ。とっととずらかろうや」
ダニーとレベッカも同意したところで、俺たちは乗ってきたレンタカーの方に走る。
すると一台のバンが荒い運転で急行してきて、道路沿いに停めてあった俺たちのセダンに思いっきりぶつけながら、そのすぐ後方に停車した。
「おいおい、弁償代払ってくれんのかぁ?」
しかし追突してきたバンの扉を開いて出てきた者たちに、弁償とか謝罪の意は明らかに無さそうであった。
出てきたのは男性四人、女性二人の何か屈強で厳つい人の集団。それぞれ筋肉質な腕に小銃を抱えているが、統一された軍服ではなく、下半身こそ迷彩ズボンだが、上は各々自前のTシャツの上にタクティカル・ベストを身につけている、いかにも傭兵とか民兵とかそんな感じの武装集団である。
「な、何でしょうかあの人たちは……」
「正式な軍隊や警察って感じじゃないわね……」
武装集団はジョックの死体が転がる血塗られたビーチに進入し、怪物に銃を向ける。
「主任、本当に良いんだな? ……わかった、やれるだけはやってみるが……」
武装集団のリーダー格とおぼしき逞しい角刈りの男が無線で何やら誰かに指示を仰ぐ。そして、許可が下りたのだろうか、通信を切るや男は無言で射撃開始の合図を出し、怪物に対する集中射撃が始まった。
「撃ち続けろ! 距離を一定に保つんだ!」
しかし対人用の小銃弾はワニの鱗とカニの甲羅に致命傷を与えることが能わない。
「グワーッ!」
逆に激昂してしまった怪物はカニの脚をミシン縫いのように砂浜に突き立てながら素早く移動し、至近にいた兵士をハサミで両断してしまった。
「くそ、アンディーがやられた!」
「畜生、何なんだよこいつは!」
仲間を失った兵士たちは更に銃弾を撃ち込むが傷をつけるのが精一杯なだけでなく、かの怪物は予想以上に俊敏で機動力に富んでいた。カニの脚を思いっきり折り曲げて丸まり、そしてそれをバネのように一気に伸ばすことで巨体からは考えられないほど高く垂直に跳び上がったのである。
「う、上だー!」
「キャァァァアアッ!」
そして着地地点にいた二人の兵士が踏み潰されてしまう。
「畜生、仇討ちだ!」
「待て、早まるな!」
そして残された三人のうち二人が、やけくそに手榴弾を構えながら怪物に向かって日本軍の如く突撃。リーダーらしき角刈りも止めようとするが、言っても聞かないことがわかると彼は、怪物が部下に気を取られている隙にその背後に回り込んだ。
「砕け散ってしまえ!」
二人の兵士は小銃を乱射しながら手榴弾のピンを抜くが、怪物は彼らをそのリーチの長い腕で大きく薙ぎ払い、二人纏めて海の中に叩き込んでしまう。水中で虚しく敵を見失った手榴弾が爆裂し、海水が二人分の血に染まる。
「リンダ! トニー! くそっ、良くも部下を……ぐわっ⁉」
そして怪物の背後を取っていたリーダーも、長く強靭な尻尾による打撃を受け、戦線から強制離脱、空中で気を失いながら俺たちの目の前まで飛んできた。
怪物、俺たちの方に目を向ける。
目が合う。
「おいおい、オレらも狙われる流れじゃねぇかこれ?」
「え……に、に、逃げないで死んだふりとかしたり鈴鳴らしたりした方が良いんでしょうか……?」
怪物、案の定咆哮しながらこちらに向けてその鋭利な甲殻類の脚で砂地を蹴って迫ってくる。しかも意外と速い、逃げようにも車のエンジンかけている間にやられそうだ。
「くそ、何か武器は無いのか⁉」
「こ、こいつはどうだい⁉」
飛ばされてきた兵士の拳銃を取り上げるダニー。
「いや、そんなものでは足止めにもならないだろう。せめて木の棒があれば良いんだが……ん? そうだ、こいつだ!」
もしかしたら実は棒は木製でなくとも良いのかもしれない。俺は目についたビーチパラソルを引っこ抜き、傘を閉じた状態で槍のように構える。
「俺が奴を足止めする! ダニー、銃で援護してくれ! レベッカは後ろに下がってその兵士の介抱を、キャサリンはあの連中が乗ってきた車から武器を探すんだ!」
「お、おう!」
「こ、怖いしできるか不安だけど頑張ります!」
「手短に済ませるわ、それまで耐えて!」
俺はダニーの援護射撃を受けながら迫り来る怪物に相対し、ビーチパラソルを振りかざす。
すると怪物は、ビーチパラソルの先端で突かれる度に大きく怯んで後退し、なかなか俺たちの方に寄り付きにくくなった。軟骨魚類のサメならともかく、甲羅と鱗で身体を固めたワニガニにまで棒が効くとはどういうことだ。
当然、ダニーの銃撃よりも嫌がっている。
と、順調に怪物を牽制していると、背後から苦しそうに咳を吐く音が聞こえてきた。
「……ん、ん? 俺は一体……?」
「あ、あ! 大丈夫ですか⁉」
「俺の部下たちは……」
「レベッカ、そのまま介抱を頼む!」
どうやらレベッカに任せていた兵士が目を覚ましたようだ。奴には聞きたいことが山ほどある、そのためにもまずは一旦怪物を退けなければ。
「くそ、やっぱり棒じゃ致命傷にはならない! どっかにボンベかドラム缶は無いのか!」
「待たせたわね、ライアン!」
俺がやけくそになりながらもひたすらにビーチパラソルを振るい続けていると、やたらと頼もしいキャサリンの声が耳に届いた。
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4
声の方向に目を向けてみると、キャサリンが海の家的なバーの屋根に仁王立ちしていた。その手には、小型のチェーンソーが!
「小ぶりだけどチェーンソーはチェーンソー。これを車に用意しておくとは、この武装集団が何者なのか知らないけど、武器選びのセンスは称賛に価するわね」
いや、銃よりチェーンソーの方が戦えるのなんて君くらいだと思うよキャサリン。きっとそれは障害物除去用とかでは。
「やぁぁぁあああああッ‼」
しかし自分の手に合った武器を手に入れてご満悦のキャサリンは、豪快に屋根からジャンプすると、そのまま空中から振り下ろしたチェーンソーを思いっきり怪物の胴体に切り込ませた。
怪物、初めて目に見えて出血する。
しかしそれが致命傷になるようならばこんなには苦労しない。初めて傷つけられた苦しみと怒りに駆られた怪物はハサミを狂ったように振り回し、キャサリンも流石にその状態で冷静に敵の急所を見つけて突くようなことは困難だと判断したようで、怪物の甲羅を蹴ってバック転しながら距離を離し、俺たちの方に戻ってきた。
怪物は苦しみながら海の方へと引き返していく。
「ちっ、仕留め損なったわね。やっぱりこのチェーンソーじゃ力不足か。でも今なら背後からもう一回――」
不敵な表情で舌なめずりしながら体勢を立て直したキャサリンが再びチェーンソーを構えて怪物の背中に向けて突撃しようとした、その時だった。
何かの咆哮――いや、これは本当に生物の声なのだろうか。まるで金属が擦り合う嫌な摩擦音を合成して鳴き声として無理矢理成立させたような、無機質で、しかし単なる「音」として片付ける訳にもいかないような聞きなれない轟音がビーチに響き渡った。
「な、何なんだ、この音は⁉」
脳を揺さぶるような轟音のする方へ顔を向ける。そこにあったのは繁みであった。繁みの中で何かが蠢いている。
「お、おいおい! あいつはぁ一体何なんだ⁉」
繁みから姿を現したのは一匹の巨大な大蛇――といって良いのだろうか。
その長大で四肢の痕跡も無い体躯はまさに大蛇のそれなのだが、その身体を彩る光沢は、生々しい鱗のそれとはまるで違った。白銀なのだ、白銀に輝いているのである。そして白銀に輝くその身体の節々には生物では考えられない「つなぎ目」のようなものが見受けられ、ところどころには赤い光を放つランプのようなものまでついている。
顔もまた異質で、目は白目も黒目も無くただ全体が赤く発光し、顎も何やらパーツの組み合わせによる仕掛けのようなもので開閉するようになっており、おおよそ自然界から生まれたものの姿とは思えない。
まるで全身を鋼で覆った機械仕掛けだ。
鋼鉄の大蛇、たまたま近くの繁みに隠れていたジョックを丸飲みにするや、カニとワニの合成怪物の存在に気付くと、再び金属音の咆哮を轟かせながら、彼の怪物に向かって巨体に似合わぬ速度で蛇行して接近する。
海に入る直前で背後からの殺気に気がついた怪物はカニのハサミを閃かせて鋼鉄の大蛇を攻撃するが、たたでさえしなやかな蛇の体躯が摩擦の少ない金属のそれに変わっているのだ、ハサミは上手く食い込まずに滑ってしまう。
すると次は反撃だと言わんばかりに鋼鉄の大蛇が怪物の首筋に嚙みついた。怪物はハサミを大蛇に何度も叩き付けて力づくで引き離そうとする。
「く、くそ……クラブダイルの捕獲に失敗したばかりか、X-20の介入まで許してしまったとは……!」
レベッカに介抱されていた兵士が、まだ痛むであろう身体に鞭打って上半身を起こしながら二匹の怪物の異様な格闘に無念そうな視線を向ける。
「クラブダイル? なるほど、それが奴の名前か。……兵士さん、残念だがあなたの部下は皆あいつにやられてしまった、今から奴らを止めるのは困難です。これ以上の犠牲を出さないためにも奴らについて、知っていることを教えて欲しいのですが」
「か……は……! 君たちは?」
「通りすがりの学生ですが、サメとかとの戦いの経験はあります。とりあえず、安全なところに一緒に行きましょう」
クラブダイルというらしい怪物と鋼鉄の大蛇の一進一退の戦いを背に、俺たちは兵士に肩を貸して車を目指す。
「俺たちのセダンではあなたを介抱しながら移動するには狭いし、バン借りますよ」
幸いにしてエンジンがかかったままだった武装集団が乗ってきたバンの後部座席に兵士を寝かせ、発進させる。
丁度俺たちが海岸とは逆方向にハンドルを切って市街地に離脱しようとした時、怪物の戦いも一区切りがついたようで、身体の数か所に致命傷でこそないものの少なくとも銃撃によるそれよりはよっぽど深刻な傷を負ったクラブダイルが、文字通り尻尾を巻いて海に逃げ帰っていた。
大蛇は勝利の雄たけびのつもりか三度例の金属音の咆哮を響かせると、再びその巨体を地面に横たわらせ、そしていずこかへと蛇行していった。
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5
「さて、多少は楽になりましたか?」
「あ、ああ。礼を言おう」
医療の知識も高度な道具も無いので、患部に消毒と止血を施して包帯を巻き、骨にひびが入っていると思しきところは適当に固定して、あとは市販の痛み止めを飲ませるくらいの処置しかできなかったが、やはり鍛えられているようだ、兵士はすぐに最低限身体を動かせるようになり、落ち着いた。
「どういたしまして。でも礼も良いけど、この事件に関する情報を教えてくれると嬉しいですね。俺はライアン・ブラウン。彼女たちはキャサリンとレベッカ。まずは自己紹介といきましょうか」
「おいおい、オレ様を忘れちゃ困るぜ親友。そういう新手のプレイかい?」
ダニーの分まで俺が紹介する義務は無い。
「お、俺は……」
兵士はしばし沈黙した。
やはり、あんな怪物を追っていたのだ、そう簡単に明かせる身元ではないのかもしれない。
「……いや、もう迷うまい。……俺はケヴィン。ケヴィン・トールマン、本名だ。元海兵隊員で今はフリーの用心棒だ」
しかし彼は意外にも、わざわざ自己申告しながら本名を明かしてくれた。
「へぇ、てっきりクールなコードネームでも名乗ってくれるのかと思ったわ」
「……前々から疑念を抱いてはきたが、ようやく迷いが解けたんだ。あいつらに肩入れするのは、もうやめようと……」
「ど、どういうことですか?」
「そうだな、奴らとの縁を切る決意表明だ。礼としては何だが、教えられることは教えよう」
ケヴィンは嫌な熱気に満たされた呼気を腹の底から吐き出しながら未だ鈍い痛みが燻る重い身体を引き起こす。
「俺は二年前から、アルファ・コーポレーション……名前くらいは聞いたこともあるだろう、あの大手バイオテクノロジー会社の研究室に私兵として拾われていたんだ。給料は悪くなかった。軍からの依頼で研究をするほどの会社だからな」
あ、大体展開が読めてきたぞ。
「俺を雇っていたのは主任職にあるギルバート博士というどうにもいけ好かない男だったんだが、彼は最近、海軍から独自に研究開発の依頼を受けたんだ。……水陸両用の大型動物兵器を作って欲しいという」
「それが……あの怪物ということですか……」
「ああ、そうだ。アルファ・コーポレーションの遺伝子操作技術で、ワニの機動性にカニの地形突破性、ワニの打撃力とカニの多彩な攻撃力、それらをすべて併せ持った究極の戦闘生物を作ってしまったんだ。開発コードD-707、通称クラブダイル……。コントロール装置を付けての動作確認テストをしていたんだが、装置の不具合であんなことに」
米軍がそんな管理能力の無い会社に依頼するとは、この国の未来が心配になるものである。
「で、あんたがそいつと戦っていたのは……当然、民間人保護なんかじゃなくて、証拠隠滅のためよね」
「恥ずかしながらそうだ。だが……俺は金のためとはいえ、こんなイカれた独善的なプロジェクトに加担するのはこりごりだ、今まで押し殺してきた気持ちだが、今日ようやく自覚できたよ……俺は証拠隠滅じゃなくて、個人の落とし前としてあの怪物を仕留めねば……」
ケヴィンはそう言いながら、越に着けたナイフのグリップを強く握りしめる。
「そう言えば、もう一匹怪物がいたけど……あいつは何だったの? 機械の蛇みたいだったけど」
「ああ、それは――」
ケヴィンがキャサリンの問いに答えようとしたその時、カーラジオから臨時ニュースの声が流れてきた。
『番組の途中ですが臨時ニュースをお伝えします。今日昼過ぎ、海岸線沿いで二匹の怪物が目撃され、既に数名が犠牲になったとの情報も入っています。いずれも逃走中で捕獲・駆除には至っていない模様です。そのうち一匹は、まるでロボットの蛇のような姿であったとの報告があるため、本局では今後この怪物を便宜上、ロボコンダと呼称することに致します』
何とも安直なネーミングだとは思うが、名前はあってこそ便利なものだ。ありがたく使わせてもらおう。
「このロボコンダって奴も、アルファ・コーポレーションの商品?」
「いや、これは違う。……恐らく、アルファ・コーポレーションに対抗した軍内部の研究機関が考案したプロジェクト、X-20が原因で生まれた怪物だと思う」
「何ですか、それは」
「詳しいことは俺も知らないんだが、X-20は、ナノマシン技術とバイオ技術の複合だと聞く。特殊なナノマシンを封じたカプセルを投与することで生物を機械の身体に作り変えてしまうとか何とか……。直接触れたりするのは危険だから空中投下で使う計画だったらしいが、本当は既に破棄されたプロジェクトのはずだ」
ああ、わかったぞ。さっき爬虫類園に向かって落ちてたのがそのカプセルとやらなんだろう。そしてそれを偶然園内にいたアナコンダが飲み込んだのだ。こんなことをすぐに理解できてしまう自分が最高に嫌になる。
「しかしだとすると、何故、過去のものとなった計画の怪物まで出てきたのかってのも焦点だな……」
「ああ、そのことも後で調べる必要もあるかもしれん。だが今は、あの怪物共をどうにかするのが先決だ。戦闘兵器として生み出された生き物だからな、とにかく積極的に人を襲うだろう。何とか奴の居場所を突き止めたい……」
「そうだな……ダニー、とりあえず人の多い大通りに向かってくれ。奴が人を積極的に喰おうとするなら、人口密集地に先回りして待ち伏せしよう」
「合点承知の助だ」
かなり行き当たりばったりな方針だとは思うが、そもそもこの世界の理が行き当たりばったりみたいなものなんだから何とかなるだろう。
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6
既に怪物出現のニュースは流れているはずだが、大通りに混乱は見られなかった。資料映像に見るようないつも通りの日常風景がそこにあった。日本人並みに平和ボケしているからなのか怪物出現なんざ慣れ親しんだことだから落ち着き払っているからなのかは知らないが、まだ日も明るいうちからダンスホールでパーティーしていたジョックたちが調子に乗って路上まで飛び出してきて半裸で騒いでいるような光景があちこちで見られる辺り、単にintが足りないだけなのかもしれない。
「これ、避難とか呼びかけたほうが良いのでしょうか……」
「いやベッキー、それは敵がどこから来るかもまだわからない段階でだと、逆に混乱を招くわ。それに、ニュースまだ見てない人は言っても信じないでしょう」
俺たちはとりあえずバンを道路沿いに停めて待機する。というかそれしかできない。発信機の類いを件の怪物に付けた訳でもなければ奴らの行動を正確に予測できる専門家を同行させている訳でもないので、人通りの多いところに出現するだろうという予測を立てた後は、変にややこしくならないよう、じっとしている他無いのである。
「おいおいライアン。来たは良いが、本当に出てくるのかね、クラブダイルは。何だか日常風景的なものしか目に映らないんだが」
「今のところ奴の居場所も目指すところもわからない以上、ここに張り込む以外無いだろダニー。それにここは街の中心で交通の便も良いしな、奴が出現したら逃げるにせよ立ち向かうにせよ、すぐにひとっ走りできる」
「まあ、そん時は任せろと言いたいところだが……このまま何時間も待ち続けたりしたら、その前に眠気が来て華麗な運転テクニックが鈍っちまうぜ。何か面白いことしてくれよライアン」
「どっちかというとそういうのはお前の領域だろ……」
と、そんな気の抜ける会話をしながら資料映像めいた光景に囲まれて過ごす時間を潰していた時であった。突如、俺たちの車を謎の振動が襲ったのは。
「おい、何だ揺れてるそ。ダニー、エンジン空吹かしでもしたか?」
「いやぁ、指一本触れちゃいないぜ」
「じゃあ地震かな。カリフォルニアは地震もあるようだし」
「いや、これは地震じゃないわね。揺れ方が全く違うわ。地震にこんな断続性も無いし、間違いなく震源の深さが十メートルも無いわよ、これは」
流石は防災系女子だけあって地震説を論理的に否定してくれるキャサリンであるが、なんだろう。震源の深さまでわかるとか、彼女のこういうことを感じ取る感覚がどんどん俺たちのそれから離れていっている気がするのだが。シックスセンスにでも目覚めているんじゃなかろうか。
「しかし……だとすれば何なんだ、この揺れは?」
「キャサリン、ライアンさん! あ、あそこです!」
レベッカが指を差したその先でマンホールが上に乗っていたジョックごといきなり弾け飛んだ! 間欠泉の如き水流がジョックの身体をマンホール蓋と共に空中へと叩き上げる。
そして、その水流の中に輝く禍々しいまでの赤い光が!
「あ、あれは……!」
水流から出現した赤い光はその輝きを一層増すと、上空に打ち上げられたジョックに向かって急上昇し、そしてジョックはマンホールから水と共に流れ出す銀色の奔流に飲み込まれて消滅した。
そう、赤い光は、マンホールから出現したロボコンダの目の輝きだったのだ。ロボコンダは地下水道を通って再び目撃されることなくこの市街地まで至ったのである。
「ロ、ロボコンダだ! クラブダイルの方ではないけどどうします、ケヴィンさん⁉」
「何もしない訳にはいかんだろう。とりあえず攻撃するぞ!」
マンホールから完全に這い出たロボコンダは群がっていた野次馬を適当に捕食すると、路上を這いまわりながら周囲の通行人(特にジョック)を追い回し、資料映像じみた日常風景は一瞬にしてエキストラを大量動員したような阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまった。
「よし、まずは銃火器で先制攻撃するぞ!」
俺とキャサリンとケヴィンは車に載せてあったM4カービンを手に取り、車窓からロボコンダの背中めがけて発砲を開始、しかしその強靭なる鋼の皮膚は小口径のライフル弾ではかすり傷をつけるのが精一杯だった。
「畜生、これでも喰らえ!」
ケヴィンがランチャーを取り出し、グレネード弾を撃ち込む。
グレネードはロボコンダのすぐそばに着弾して炸裂し、怪物の恐ろしい姿は一瞬にして爆炎に包まれてしまった。
「よし、やったか⁉」
やってなかった。
ロボコンダは体の一部から火花を散らしながらも依然健在で、むしろ俺たちに対して怒り心頭になったらしく、金属音の咆哮を街中に響かせながらこちらに向かって結構な勢いで蛇行して迫ってくる。
「くそ、俺たちに標的を定めたようだ! ダニー、車を出せ! 逃げながら戦うぞ!」
「よしきた! サメの嵐を四輪で駆け抜けた男に任せろ!」
俺たちのバンはUターンして迫り来るロボコンダに背を向け、法定速度を超えんばかりの速さで疾走する。ロボコンダは身体をくねらせる速度を何倍にも上げることでそれに応えた。
「ちょっと、いくら何でも蛇行であの速さは無いんじゃないの⁉ もう七十キロ近く出てるわよ⁉」
「ロボだから仕方ない! 肉体の強度も機能も飛躍的に向上しているんだ!」
ロボだから仕方ないそうである。
俺たちは車窓から身を乗り出して銃撃を続けるが、ロボコンダは一向にその勢いを弱める気配を見せない。
「くそ、この状況からじゃ木の棒での接近戦にも移行しにくいし……ケヴィンさん、対戦車ミサイルとかは無いんですか⁉」
「あいにく取り揃えてなくてね! まさかロボコンダまで出るとは想定外だったからな!」
「やばいわよ! あたしのチェーンソーでもあの装甲を斬れるかは怪しいわ!」
刻々と距離を詰めてくるロボコンダに為す術も無く、絶望しかかっていた、その時である!
ロボコンダが突然その進行を止めたのである。まるで何かに気がついたように――
「何だ、何が起こっているんだ?」
停止したロボコンダはその場で首を振って辺りをきょろきょろと見回すと、やがて目的の何かを見つけたようで、進路を九十度変えて道路脇の建物に喜々とした様子で突っ込んでいった。
その建物はパソコンや携帯電話を扱うショップであった。
「おいおい、蛇さんも流行に乗ってスマホでも持とうってのか?」
冗談めかして訝しむダニー。しかし真面目な話、本当に携帯ショップを襲った理由がわからない。仮に店内に上質なジョックがいたのだとしても、俺たち相手に激情している状態でわざわざそちらを選ぶものなのだろうか。
俺たちは少しでも近そうな答えを他人に任せるべく互いの顔を見合わせるが、全員がわからない、とその目で示し、結局議論を提起する起点すら掴めずじまいという状況のまま、とりあえずは車だけを変わらずに転がし続けた。
「あれ、ちょ、ちょっと……これ……何なんでしょう……?」
俺たちが口をぱくぱくさせながら唸っている中で突然、レベッカが恐る恐ると声を上げる。その手にはスマートフォンが握られていた。
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7
「どうしたのベッキー。何か気付いたことでも?」
「こ……これです」
レベッカが震える手でスマートフォンを操作して、その画面を俺たちの方に向ける。
「ロ、ロボコンダがわたしをフォローしてます……」
そこに映っていたのは、SNSの通知画面だ。そしてこう書かれていた。「ロボコンダさんがあなたをフォローしています」と。
「え……ちょ、待った待った! 何これ? ロボコンダってあのロボコンダ? 誰かの悪戯じゃないの?」
流石のキャサリンでもこれには混乱しているようだ。そりゃそうだろう、如何にあらゆる災害を想定して備えているとは言え、機械の蛇がSNSで親友をフォローするなんて、文字通りに想定外だろう。俺でもこれは正直、自分の頭の方を疑う。
「そうか、わかったぞ! 奴が突然携帯ショップに突入した理由が!」
しかしケヴィンは目を大きく見開き手を打って一人合点していた。
もし彼が研究所の護衛やっていた経験でこんなことに対する理解力を会得したのだとしたら、俺は一生そんな業界には行きたくないと思う。
「え、今ので何がわかったんです?」
「自己進化だ……ロボコンダは生物を急に機械に作り変えたものだから多分不完全なんだ色々と。だからそれを自己進化によって補おうとしているんだ!」
「自己進化……なるほど、そのために他の精密機械を取り込もうとしている訳ね」
「恐らくそうだ。今や機械の身体となった奴は、人間の捕食よりも精密機器の摂取を優先するだろう。そして、携帯電話かパソコンを自らの一部としてしまったことでネットに接続できるようになったのだとしたら、そのアカウントも本物の可能性が高い」
「ロボコンダという名前を自分でも名乗ってるのも、名前が無いところに丁度ネットニュースの情報が入ったからだと思えば合点がいくわね」
もっと根本的なところが合点いかない気もするのだが、これも起こってしまった以上は仕方が無いのだろうか。
「それでベッキー、ロボコンダは一体何を呟いてるの? もしかしたらそこに何か鍵があるかも」
「え、は、はい! TLを見てみます……あ、これです! これが最初の呟きです!」
レベッカが慌てながら液晶画面をスワイプして、ロボコンダの履歴から探し出した書き込みを示す。
そこにはこう書かれていた。
『あー、オレェ、ロボットになっちゃったよー』
散々暴れておきながら、出来の悪い脚本を演技経験の無い人が読んだような気の抜ける台詞で被害者面である。ナメとんのか。
「なるほど、やはりネットに書き込みができる程度には自己進化を成し遂げていたのか。ならば交渉もできるかもしれない……レベッカさん、そのスマホを貸してくれるか?」
「は、はい」
ケヴィンはレベッカからスマホを受け取ると早速、ロボコンダに対してリプライを送った。内容はこうである。
『違うよ。大蛇の心を持つ、ロボコンダだよ』
心が大蛇なら人が喰われることには変わりは無い気しかしないのだが。
するとロボコンダはすぐさま喰いついてリプライを返してくれる。
『ロボコンダ?』
自分で名乗っとったやろ。
『身体はロボットだけど、心は大蛇だ。ハッピーバースデー、ロボコンダ!』
以後、ロボコンダからの返信無し。
「……何でこんな文面で説得しようと思ったんですかケヴィンさん……」
「い、いや、本来の自然界の動物としての心を思い出せば大人しくなるかと思ったのだが……」
「何言ってるんですか、普通の大蛇でも人襲う時は襲うでしょうが! 悪魔の力身につけた正義のヒーローとは訳が違うんですよ!」
元海兵隊だか何だか知らないが、ちょっと心配になってきたぞ、この人。
そしてケヴィンがこの調子だと、こないだの事件みたいにまた俺が首突っ込んで色々しないとまともに収束させられる気もしない。俺とて別に怪事件の専門家でも何でもないのだが、少なくともあんな文面でロボコンダを説得できるとは思わない。
適当にケヴィンを支援したら抜けようと思ってたのに、何だか話の流れ的にもそうはいかなさそうな気がしてきてしまった。
「う、うーん、とりあえず、ロボコンダは自己進化のための電子機器取り込みを中断する気は今のところ無いようだ」
ロボコンダの新しい呟きを見てみると、電子機器を取り込む意気込みやらが書かれていた。
だが、これは案外希望が持てるかもしれない。
「……ロボコンダが今後も電子機器を食べ続けるなら、ここに勝利の鍵があるかもしれないな」
俺はスマートフォンの画面を睨みつけながら倒すべき敵の持つ普通にモンスターとは違った特徴、その可能性に思考を巡らせ、やがて奴に対抗し得るかもしれない作戦を思いついた。
だがこれにはタイミングもあるし、人手や下準備も必要で、確実という訳でもない。ここぞという時に使う切り札だ、そう思った俺はこのアイデアを今はしばし、沈黙することとした。
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8
その後俺たちのバンは大通りを抜けて港湾部の近くまで来たが、ロボコンダの追ってくる気配は今のところ無かった。どうやら精密機器漁りに熱中しているようで、本人(?)のアカウントも、自己進化を今日も頑張るぞいというようなことしか呟いていない。
「さて、ロボコンダの方はSNSで行方を追えるとして、クラブダイルの方はどう探す? 奴を早めにこの手で退治しないと、アルファ・コーポレーションの傭兵団が先に証拠隠滅に来てしまうかもしれない」
「あ、ケヴィンさん。それも、SNSで追跡できるかと思います……」
慌てるケヴィンに対して、レベッカが恐る恐る挙手する。
「何? それは本当か?」
「はい……もう怪物の話題はだいぶ広まってしまっているみたいで、市内で目撃した人がそれに関する呟きを大量にしています。一応、この市内で情報力ありそうな人は何人かフォローしておいたんですが……。その呟きで出現の状況を確認できると思います」
「でかしたわレベッカ。流石はあたしの親友ね。で、あいつは今どこにいるのかしら」
「待ってて下さい、今最新の呟きを……出た、一番新しい目撃情報は、公園の近くです! 公園に向かっているようです!」
「公園か……」
俺は地図を広げて、運転席のダニーに示す。
「公園はこの裏道を使えば五分で行けそうだな。ダニー、頼めるか?」
「断る」
「えっ」
「三分で到着してやるぜ」
必要以上の頼もしさが、滑る前フリでないことを祈るばかりである。
しかしそんな心配も杞憂に終わったようで、俺たちは無事に公園に到着することができた。
公園にはまだいくらかの人々が残っていた。全員携帯を見ている様子が無い辺り、情報が遅れている者が身に迫る危機に気付けずに取り残されているのだろう。
「おーい、皆ここから逃げろ! 怪物だ、怪物がやって来るぞ!」
ケヴィンがバンから駆け下りて周囲に呼びかける。
しかし公園の人々は、ケヴィンの言葉を信じていないようで、ジョークか乱心かと思って彼を指差して笑っている。ニュースくらい見ろよ。
「そうかい、じゃあ、こいつでどうだい?」
するとケヴィンは手持ちの小銃を天に向けて発砲した。
響き渡る銃声の中、公園の人々が悲鳴を上げて散り散りに逃げる。
色々と大丈夫なのか、コレ。とりあえず一般人を逃がすことができたのは良いかもしれないが、後々俺たちまで市民を脅迫したことの片棒担がされたりしないだろうか。
「よし、人払いは済んだ。あとはここで待ち伏せして、クラブダイルを仕留めるぞ」
待ち伏せは良いのだが、あいつ普通の銃効かないのでは? 特に新兵器の類いを用意している様子も無いケヴィンを見ていると不安しか感じない。
しかしもうすぐここに来るという以上、戦う準備をしない訳にはいかない。俺やダニー、そしてケヴィンは銃を構え、キャサリンはチェーンソーを担ぐ。
「さっき仕留め損なったから次こそは止めを刺すわ。この小型チェーンソーじゃああの甲羅は貫けなかったけど、ワニの部分ならいけるかもしれない」
「もしそれでもダメなら」
「もっと大きいチェーンソーが必要ね」
そこはボンベで爆破に限ると思う。
そうこう言いつつもとりあえず車を倉庫の陰に隠して待機していると、遂にクラブダイルがやって――来なかった。代わりに一台のバンが公園内に進入してきた。
「どういうことだ? レベッカ、クラブダイルはまだ来ないのか?」
「は、はい。どうやら、途中でジョックの溜まり場を見つけたみたいで、そこで進行を止めてるみたいです」
「ならば多少遅れてもここに来るということか……となれば、あの車は一体何者だろう? まさか今更民間人が来るとも思えないけど」
俺たちが訝しんでいると、件のバンの扉が開き、中から軽武装の傭兵めいた集団と、そして彼らに守られているように見える白衣の男が降りてきた。
「ギルバート主任……まさか自ら来やがったのか⁉」
ケヴィンが白衣の男を怒りに満ちた剣幕で睨みつける。
「ギルバート主任? すると、あいつが――」
「ああ、この騒動の黒幕だ。奴のことは俺が締め上げてやらねば」
ケヴィンが倉庫の陰から飛び出し、ギルバートのもとにつかつかと威圧的な歩き方で接近していく。
「おい主任! どういうことだ⁉ ここで一体何をしているんだ⁉」
「おやおや第一警備隊長……いや、元隊長のケヴィンじゃないか。私の命令に背いて任務放棄をしておいて、今更この天才たる私に何の用かね?」
ギルバートは如何にも相手を見下した、見る者を不快にさせる笑顔でケヴィンに応える。
「自己保身ばっかりのあんたがわざわざ現場に出向いて来て、一体何をしようと言うんだ? 武装した用心棒たちまで連れて来て」
「それが人にものを聞く態度かケヴィン君?」
「質問に答えろ!」
ケヴィンはギルバートに向けて銃を突きつける。
「ふん、わかったわかった特別に教えてやろう。まったく、これだから軍人上がりは直情的で品が無くて嫌いなのだ」
ギルバートは懐から一本の注射器のようなものを取り出した。
「これは私が開発したナノマシンだ。爬虫類としての神経系と甲殻類としての神経系との電気信号を、同時に制御することができる。これを弾頭としてクラブダイルに撃ち込めば、前回の外付けの制御装置とは違って、奴を常に内側から制御できる」
ギルバートは得意げに注射器を掲げて見せびらかす。
「主任、もうあの怪物を操ろうなんて馬鹿な考えはやめろ。あれは危険だ、もう殺処分するしかない。あんたは神に背く研究をしてしまったんだ」
「何を言うんだ。あれはこの私の天才頭脳が生んだ大傑作だぞ。最低限データも取らずに捨て置くことなどできるはずもないだろう。そんなこともわからんのか、軍人上がりの脳筋め」
「やめておけ。どうせこの失態を上手く処理できなければ、あんたは本社に切り捨てられるまでだ。大人しくクラブダイルを殺して被害を最小限に抑えるんだ、そうすれば……」
「ふん、誰が今の会社に仕え続けると言ったかね? あいにく私にそんな愛社精神は無いものでね。このクラブダイルのデータを持って亡命させてもらうつもりだ。私ほどの頭脳の持ち主がその頭脳を以てして作り上げた最高傑作のデータを携えてやって来るのだ、どこの国にでも需要がある」
「何て野郎だ……」
「さあ、お前たち。給料分は働いてもらうぞ!」
ギルバートの指示に従って、傭兵たちが銃を構える。するとほどなくして、クラブダイルが口にジョックを咥えた状態で公園前の建物の壁を突き破って出現した。
「よし、作戦開始だ!」
傭兵たちはクラブダイルが公園内に入るや、小銃弾を浴びせてその動きを封じる。逃亡を防ぐために背後にも回り込んで四方から弾幕を見舞うという念の入れようだ。流石のクラブダイルも動きが鈍る。
「どうだケヴィン? 私の作戦の方がよっぽど有効そうだろう?」
「……」
「よし今だ! ナノマシン弾頭を撃ち込め!」
ギルバートの号令を受けて傭兵の内数人が麻酔銃を改造したナノマシン投与銃をクラブダイルに向けて撃ち込む。
「やったか⁉」
数発のナノマシン弾を受けたクラブダイルは急速にその動きを鈍らせ、そして痙攣しながら地面に倒れ伏せた。
「おいおい、倒しちゃったよあのおっさん」
戦いの推移を陰から見守りながら感嘆するダニー。
「ああ、でもダニー。本当にあれで良いのかな? このままじゃあの科学者も亡命して、また他の国でトンデモ生物兵器を作ってしまうぞ」
「しっ、確認が始まるわよ」
キャサリンに応えて再び現場を注視してみると、なるほど、効果を確認すべく数人の傭兵たちが地に伏せたクラブダイルに接近し、何やら機材をかざしてデータを取っているようだ。
「これだけ大量に投与したんだ、効果が無いはずがない。このままトレーラーに載せて研究所まで輸送しよう……」
その時である。
「な、何だ⁉ しゅ、主任! ク、クラブダイルの神経活動が、一度は鎮静化したのに、また急激に増大しています!」
「何だと?」
「あっ、今、完全覚醒状態の域に達しました! これは一体……ぎゃぁぁぁぁぁああああっ‼」
突如として覚醒したクラブダイルが測定活動中だった傭兵を食い殺し、そのまま咆哮しながら起き上がる。
傭兵たちはクラブダイルの動きを何とか封じようと銃撃を再開するが、当然効果は無い。無残にも全員食い殺されるか、ハサミで両断されるか、あるいは踏み潰されてしまった。
「くそ、とりあえずこっちに来い!」
ケヴィンがギルバートの腕を掴んで強引に引きずりながら、俺たちの方へ帰還する。
ケヴィンとギルバートがもともとある程度の距離を取っていたからか、クラブダイルは彼らを深追いすることは無く、進路を反転して公園を後にした。
「ケヴィンさん、連れてきちゃったんですか、その人⁉」
「ああ、この男には聞かねばならないことがある」
ケヴィンはギルバートを地面に座らせ、眉間に銃口を突きつける。
「言え、どうしてナノマシンが効かなかったんだ? 完璧に制御できるんじゃなかったのか?」
「想定外だ。私にもわからん」
「電力会社みたいな言い訳に需要は無い。推測で良いから何とか言ったらどうだ」
「む、むう……可能性があるとしたら、何らかの外的要因でナノマシンの機能に異変が生じたってことだが……。そう言えば、クラブダイルは先ほどX-20と接触したな?」
「ああ、海辺で激闘を繰り広げた」
「ならばそれが原因だ。X-20の本体は生物を機械に変化させるナノマシンだ。対象となる生物の質量に応じて一定以上の量が投与されねば肉体の機械化という本来の目的こそ為せないが、多少なりとも体内に残留すれば、何らかの影響を与えることは十分考えられる」
「つまりどういうことだ?」
「クラブダイルは先のX-20との戦いで、体内に少量のナノマシンを取り込んでしまったのだ、感染するようにね。そして、体内に残留したナノマシンが、後から投与された制御用ナノマシンに総合的な影響を及ぼすとすれば……無効化されてしまったことも、頷ける話だ」
何か科学者が如何にももっともらしそうな口調で色々語ってるが、もっとこう、根本的なところがまったく納得いかない。
「あんた、やたらとX-20にも詳しいようだな。まさかとは思うが、今回の事件に関与しているのか⁉」
「そ、そうだ! 何が悪い! 軍の研究機関が破棄した研究のデータがたまたま横流しされてきたから、私のこの頭脳を以てして世の中の役に立てようとしたのだ、何か問題でもあるのか⁉」
問題しか無い。
「クラブダイルとX-20、二つの検体の有用性を比較するために、わざわざ同じ日に解き放ったのだ。流石にコントロールが効かなくなるのは想定外だったが、兵器としての威力は十二分に実証できた! この程度の街の犠牲など、科学の発展を思えば何てことはないだろう⁉」
何て奴だ。
「み、皆さん、大変です!」
ギルバートの余りにも酷い独善性に俺たちが呆れていると、レベッカがスマホの画面を俺たちに示してきた。
「こ、これを見て下さい」
画面に表示されているのはどうやらこの近辺の地図のようだ。しかし、何やら上から赤い線が不自然かつ不規則的に引かれている。
「これ、ネット上の有志が作ってたロボコンダの移動ルートです。今、街の郊外まで出たみたいなんですが、精密機器を探し回ってウロウロしてるみたいです……」
「なるほど、それならある程度奴の行動のパターンも予測できそうね」
「それと、もう一つ情報が……。遂に、警察が動き出したみたいです」
遅い。遅いよ警察。
「ほら、警察がロボコンダと戦うニュース映像も……」
画面の中で、武装警官たちが小銃を握りしめてロボコンダに果敢に挑むも、悉くが返り討ちにされている。
警察でも奴を倒せないとなると、このまま行けばこの街が核攻撃を受けることになってしまうだろう。
もしロボコンダとクラブダイルが一堂に会することがあれば、そのリスクはさらに高まる。
となれば、二匹のモンスターが離れている今のうちに、「あの作戦」に賭けてみるしか無い。
「なあレベッカ。警察の指揮所がどこにあるかはニュースで報じられてるか?」
「あ、はい。遊園地の隣の美術館にSWATの仮設本部が置かれてるみたいです」
「遊園地の隣……ビンゴだな。よし、皆今からそこに行くぞ」
一同、ポカーンとした様子で俺を見る。
しかし、カードを切るのは今しか無いのだ。
「ロボコンダを確実に仕留められるかもしれない作戦を思いついたんだ。だがそれには人手が必要だし、場所の制約もあるんだ。警察の部隊が遊園地近くにいる今しか無い、皆、力を貸してくれ!」
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9
俺たちはその後遊園地に向かって車を飛ばした。
可能な限り早めに到着して下準備をしなければならない、これは時間との闘いなのだ。
「レベッカ、ロボコンダと警察は?」
「ロボコンダはまだ郊外です。あ、SWATとロボコンダの戦いがニュースで流れてます」
スマホに移されたニュース映像はどうやら空撮映像のようだ。遥か下で大地を這いまわる白銀の大蛇と黒き鎧に身を固めた一団が互いに火花を散らし合っている。報道ヘリより少し高いところには警察のヘリが飛んでいて、地上部隊を火力と情報の両方で支援している。
流石に頭上からの攻撃はロボコンダにも分が悪いようで、やや戸惑った様子で右往左往しながら暴れ回っている。だが、動き回っていたロボコンダは突如として停止した。何かと思うと、その次には獲物を丸飲みにする時のように口を自分の胴回りよりも大きく開けながら、天を仰ぎ始めた。
そして次の瞬間、天に向かって赤紫色の細く鋭い光条を吐き出した! ロボコンダの光条は空間を切り裂くようにして薙ぎ払い、上空を飛行していた警察のヘリコプターを両断してしまった。
『キャァァァアアアアアアッ!』
そして体制を崩し失速した警察ヘリは報道ヘリを直撃してしまったらしく、燃え盛る警察ヘリのドアップ映像とキャスターの断末魔を最後に映像は途切れた。
「どうやら警察の普通のやり方ではロボコンダには歯が立たないようだな。やっぱり、俺が考えた作戦に賭けさせてもらおう。レベッカ、情報を色々とありがとな」
「い、いえ……わたしなんて、皆さんみたいに戦うことはできないので、これくらいしかできないけど、少しでも役に立てたらと……」
単なる高校生なのに戦えてる方がおかしいけどな。
「でもベッキー、本当にあたしたちは助かってるわ。流石はあたしの親友ね。でも久しぶりに会ったレベッカが、こんなネットの扱い上手くなってるとは思わなかったわ」
キャサリンもまたレベッカを称賛しながらハグをする。
「べ、別にネットに馴れてる訳では全然ないですが……みんなが頑張ってる時に、自分だけただ守られているのは申し訳なくて……」
「大丈夫よ、ベッキー。あたしたちもかなり助かったわ。この状況下で冷静に情報集めなんて、そう簡単にできることじゃないわよ。持つべきは静かな勇気のある友達、ベッキーと友達で良かったと思うわ、ほんとに」
「キャサリン……」
仲睦まじい親友同士の女の子の図がそこにあるが、よく考えてみなくとも、今は色々とキテレツな怪物との熱烈バトルに挑む最中である。
「フ、フン! 調子に乗りおって、何が青春だ! 何が友情だ! 頭の悪い若者の精神論などで、私の最高傑作は止められんぞ!」
手足を縛られた状態で同行させられていたギルバートが如何にも悔しそうな声を上げる。きっと学生時代には、ナードの中でも特に友達がいなかったのだろう、このマッドサイエンティストは。
しかし、ここで事件解決前の段階で変に友情物語みたいなのに突入することを阻止してくれたのはある意味功績か。
「お前さんたち、遊園地に着いたぜ」
車を停車させながらダニーが報告する。
車窓から遊園地をざっと見てみると、なるほど、それなりの規模があるようで、この作戦に必要なものもしっかりそろっていそうだ。
しかしそこには普段の愉快な活気は無かった。既に遊園地は立ち入り禁止になっており、隣の美術館には大勢の警官たちが出入りしている。
「さて、警察に手伝いを頼むつもりなんだよな、ライアン? どうやって説得するんだ? 色仕掛けか?」
色仕掛けは無いし後でダニーにデコピンしなきゃいけない案件だが、彼の心配ももっともだ。ただの高校生がプロの集団の作戦に口を挟ませてもらうなど、容易なことではない。
だが、それに関しても俺には切り札があった。
「そこまでちゃんと考えてるよ、俺は」
俺は仲間たちに合図して降車し、詰所と化した美術館に堂々と歩いて行く。
「止まって下さい、ここは立ち入り禁止です」
案の定、出入り口に立っていた黒人の警官に止められてしまう。
「ここの指揮官の人に会わせて欲しいんですが」
「悪いが、うちの隊長は握手会は開かない主義でね」
「ロボコンダを確実に仕留められる作戦を提言したいんだ、頼みますよ」
「駄目だ。君は見たところ学生か? 後ろには大人もいるようだが、これは遊びじゃないんだ。さっさと避難所に行って、モノポリーにでも興じてなさい」
「……そうですか、残念です。でも、隊長さんにライアン・ブラウンが来たってことだけは伝えてもらえないでしょうか?」
「……何? ライアン・ブラウンだと?」
警官の表情が一変する。予想通りだ。
「ちょ、ちょっと失礼。隊長を呼んでくる」
警官は戸惑いながらも詰所の奥に入っていった。
「ど、どういうことですか、ライアンさん?」
「まあ、今にわかるさ」
ほどなくして、SWATの隊長が飛び出してきた。
「おお、君がライアン君なのかね。私は市警のSWATの隊長をしているハットン警部と言う者だ」
「初めまして、警部。ロボコンダに確実に止めを刺す方法を見つけたので、報告しに来ました」
「それはありがたいことではあるが、我々にも機密などがあるのでね。確実な本人確認が取れるまでは、司令部に入れる訳にはいかんのだよ。悪いが、身分証の提示と、それと君の州の州兵の電話確認を頼む。電話は既に州兵基地に繋いである」
「わかりました」
俺は学生証をハットン隊長に渡し、代わりに受け取った携帯電話を耳に当てる。
通話の相手は、州軍の事務員であった。
「こんにちは、ライアン・ブラウンです。本人確認が必要って聞いたんだけどできますか?」
「申し訳ありません、私ではわかりかねますので、ライアン・ブラウンさんと面識のある方に替わります」
しばしの間を置いて受話器の向こうから次に俺の耳に入ってきたのは、聞きなれた、しかしどこか未だ一種の懐かしさを帯びた声であった。
『ライアン? ライアンか⁉』
「クレアか! まさか君が本人確認を担当してくれるとは、嬉しいよ。てっきり賞与式の時にいた将校辺りかと思ったんだが」
『コナー中佐か、彼も今は忙しいからな。おれは丁度今手が空いてたから、こうして対応できたって訳だ』
「そうか、ありがたい」
『ふふ、変わりないようでなによりだ、ライアン』
この後、俺はクレアの簡単な質問にいくつか答えたのち、受話器をハットン隊長に返却、身分証の照合を終えた隊長はクレアから本人確認のポジティブな結果を聞くと、俺たちに詰所に入るように促した。
「えと……これはどういうことなんですか、隊長さん?」
俺たちを先導して歩くハットンに、恐る恐る質問するレベッカ。
「ああ、彼はグリーンリバー市をナチス残党とサメから救った英雄なんだ。表向きは報道されてはいないが、州軍を通じて、軍や警察の間ではある程度知れ渡っている。末端の警官などは知らないだろうが、SWATの幹部クラスならば知っている者も多いだろう」
「そ、そうだったんですか……凄いです、ライアンさん」
実際には陰でのみ囁かれる存在なので、英雄なんて大層なものになった自覚は微塵も無いのだが、何だかそういうことになっていたらしいのである。
「そこの少女も我々の間では有名だよ。チェーンソー・マスターのキャサリンとしてね」
「えっ、キャサリンもなんですか⁉」
「一応そういうことになってるみたいね」
「な、なあ。オレはどれくらい有名になってるんだ⁉」
ダニーが自分を指差しながら期待に満ち満ちた視線をハットンに向ける。
「うん? 誰だね君は」
「オレはダニー・アンダーソン。英雄ライアンと共に烈火の戦場で無双の活躍をした勇士だぜ!」
「ああ、そう言えばライアンに同行してた運転手がそんな名前だった気もしたな」
活躍が地味過ぎて知名度が決定的なライアンであった。実は地元州兵にもけっこう忘れられている。
「さて、ここが司令部だ」
案内されたところは、もとは美術館の学芸員たちが集う会議室だった場所のようだ。しかし今は芸術性を犠牲に実用性に特化した通信機器と、同じく無骨な装備品に身を固めた一団に占拠されている。
「さて、ライアン君。ロボコンダを確実に倒せる方法があると言ったね」
「はい、これが駄目なら核攻撃ということになってしまうと思います」
「悪いが、私は五年前にベガスで大損した経験があってね、勝てないギャンブルはしたくないのだよ。そんな私にも、できるのかね?」
「確かにあなたはギャンブル運が悪いのかもしれない。だが、俺ならこの賭けに勝てる。信じて下さい」
この時俺はこう言ったが、真に俺の心を支配していたのは運に対する自信ではない。使命感に他ならなかった。
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10
俺は作戦の全貌を、まずはなるべく簡潔にハットンに伝えた。これは時間との戦いなのだ、細かい調整は進行しながらしなければならない。
ハットンが俺の提案を呑んでくれた段階でネットの情報を確認すると、既にロボコンダはこちらに向かって来ているようであった。市街に到達するまであと一時間程度だ。
「よし、今だ。レベッカ、言った通りに情報を流してくれ」
「は、はい! えと……遊園地に沢山コンピュータが……」
作戦の準備開始後すぐに、俺はレベッカを通じてロボコンダにメッセージを送った。遊園地に餌があるから来てみろと。これで一時間後に最初に奴が襲撃するのはここだと確定した。あとはそれまでに作戦を即座に実施できる体制を整えられるかどうかだ。
「ライアン君、爆薬の調達だが、どうにも無理そうだ。SWATは爆弾なんて持ってないから近所で調達しようと思ったが、ビル解体現場は近くに無い。中国人の爆竹屋ならいるが」
「ならばボンベとドラム缶だ。ありったけのガスと油で代用できます。それと、第二段階で使用する固体ロケットに関しては火薬ロケットで充分だから爆竹の素材で代用できるでしょう」
無いものはあるもので補う。木の棒で生き抜いた俺にはそれが如何に重要であるかがよくわかるのである。
「しかし、よくもまあ、こんな奇想天外な作戦を思いついたものだな、ライアン君」
「ええ、ああいう奴らを倒すには内部爆破が一番だと思うんですが、ロボコンダは知恵をつけているから爆発物を体内に入れるには考える隙を与えさせない、こういうやり方しかないと思いまして」
「なるほど。で、作戦名は考えてあるのか?」
「作戦名、ですか」
そう言えば考えていなかった。俺は改めて自分のプランの全貌を思い返してみる。
この作戦は対象を一方的に受け身の立場にならざるを得ない状況に追い込み、そしてそれから脱することができないようにさらなる攻めをかけることが主眼に置かれている。
つまり「攻め」と「受け」、それがキーワードと言えるかもしれない。
俺はそこから想起した単語を組み込んだ作戦名をハットンに告げた。
遊園地中を武装警官たちが資材を担いで走り回っている。皆が俺の作戦に命を賭けているのだ、失敗する訳にはいかない。
「ショットガンの設置完了しました!」
「よし、では遠隔制御システムに繋いで下さい。専門家がいないなら、ダニーを頼って。あいつ、ラジコンくらいなら自分で作れる奴だから」
「了解しました!」
コンピュータやメカに強いダニーは電気系統の手伝いに出ている。ダニーだけではない、ケヴィンも元軍人としてのスキルをあちらこちらで存分に振るい、レベッカだって発令所でロボコンダの情報をマークする補佐をしている。ここにいる全員がそれぞれ戦っているのだ、椅子に縛り付けられたギルバートを除いては。
「ねぇ、ライアン。一つ提案があるんだけど」
キャサリンの役目は、遊園地の中央に指揮官たるハットンと共に鎮座して指示を飛ばす俺の代理として各地に出向いて様子を見たり細かい指示をすること。そんな彼女が、作戦第一段階の要からの帰りがけに俺に向かって得意げな笑みを見せつけてきた。
「どうしたキャサリン」
「向こうでこんな大きいチェーンソーが二つも手に入ったの。でもあたしでも流石に二刀流はキツイわ。そこで提案。ショットガンだけでなく、チェーンソーも一丁、『アレ』に付けてみたら?」
「……名案だ。確かにその方が内部破壊の効率は上がるな。よし、ショットガンよりも前、最先端に取りつけるように言ってくれ」
「了解よ」
こうして少しづつ新たな工夫を盛り込みつつも、作業は進行する。
必ず間に合うとは決して言えない速度かもしれない。だが、これはもとよりギリギリの作戦なのだ。総員が託す願いは、ロボコンダに一矢報いるならば少しでも太い矢を見舞ってやろうということなのである。
「隊長、ライアンさん! 駄目です、どうしてもあと十五分はかかってしまいます!」
しかし、最後の最後で時間配分にやはり無理があったことが判明。覚悟してはいたが、ある程度順調に行っていただけに悔しさも身に染みる。
「何と言うことだ、あと五分で完了せねばならない予定だぞ!」
「申し訳ありません! しかし、資材の落下による負傷者が出てしまい作業効率が低下しまして!」
もしこのまま迎撃体制を敷けないまま時間通りにロボコンダが来襲してしまったら、大勢の勇敢な警官たちが集結し、そして大量の危険物資も集積されている地が奴の狩場となるということだ。何としてでもそれは避けたい、何か手段は無いのか、そう苦悩していたその時である。
『ライアンさん、ロボコンダの襲来時刻を二十分延長しました!』
発令所から、今までに無いほどに頼もし声で叫ぶレベッカからの通信が入った!
「襲来時刻を延長⁉ どういうことだ⁉」
『発令所のみんなで協力して、ネット上に偽情報を流布したんです。ロボコンダの予想進路上にあったゴミ集積場の周囲に大量の精密機器があるって! やっぱり予想通り、ロボコンダはネット上の情報でも精密機器の在処を探してたみたいです! 偽の書き込みを大量にしたら信じてくれました』
ナイスアシストだレベッカと発令所の皆! でもネットのデマ流布は本来良くないことだから、皆もイカれたモンスターと戦う時以外は控えるんだぜ!
「二十分……それだけあればやれます、いや、やってみせます!」
伝令の警官も通信を聞いてその頼もしさが伝染したように白い歯を見せ、漲る活力と共に持ち場へと戻っていった。
そして時間きっかり二十分後、この場にいる者全て(ギルバートを除く)の想いを乗せた運命の作戦が、幕を開けた。
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11
「ロボコンダ、予定通り正門から園内に進入、第一誘導ライン向けて進行中!」
作戦本番。
俺たち一行はハットン隊長や作戦司令部の面々と共に、園内のビルの屋上からことの推移を見守っていた。
ロボコンダはほとんど予想時刻に遊園地に到達した。
俺は無線機に向かって作戦名を叫ぶ。
「これより、〈ヤオイ作戦〉を発動する!」
戦いの火蓋が切って落とされた。
「〈ヤオイ作戦〉フェイズ1、誘導開始!」
まず展開されたのはSWATの分隊。装備は打撃力の高いショットガンと、機械の身体を持つロボコンダには一定の効果があると推測される電磁ネット投射器だ。
建物の陰から飛び出して入園したロボコンダを急襲した彼らの任務は、ロボコンダを指定ポイント1……ジェットコースター前まで誘導することだ。
『目標が進路を変更! 指定ポイントに向かっていきます!』
「よし、引き続き誘導を続けて下さい。フェイズ2担当者は直ちに最終点検を切り上げて投入体勢に入って下さい! もうすぐそっちに行きます!」
俺が無線越しに指示を飛ばしている間にも、事態は刻々と動いている。
『目標をジェットコースター付近まで誘導成功! 目標、餌に釣られたようです! コースターのレールの上によじ登っていく!』
「了解、分隊は直ちに退避して下さい!」
ジェットコースターのレールの上に括りつけられたのは、大量のパソコンやスマートフォン。ロボコンダにとってはご馳走の山だ。それがロボコンダが誘導された地点からジェットコースターの発着場の方向にかけて、レール上に並べられているのである。当然、ロボコンダは発着場に顔を向けた状態で大口を開けながら、一つ一つ餌を飲み込んで、じわじわと発着場方面に近づいて行く。
そしてロボコンダが遂にレールの傾斜角の大きな坂の下に差し掛かった。今がこの作戦の要たる瞬間である!
「今がチャンスだ! 〈無人コースター爆弾〉、投入開始!」
俺の号令に合わせてレール上を疾走し始めたのは、ジェットコースターである。
だが、ただのジェットコースターではない。先端部分には遠隔操作装置に接続されたチェーンソーと三丁のショットガンが備え付けられ、全客席にはガスボンベなどに起爆装置を取り付けた大量の即席爆弾が、そして車体のあちらこちらには大量のスマートフォンやタブレット端末、ノートパソコンが貼り付けられている!
ロボコンダ、迫り来る凶器に向けて大口を開ける。コースターに取り付けられた精密機器の電磁波に反応したからだ。だがロボコンダには一定の知性が既にある。接近するそれが単なる自己進化のための糧ではない、自身にとっての脅威であることを悟るや、急いで口を閉じようとする。
だが最高出力で発進させられたコースターの下り坂での速度はロボコンダの顎よりも速かった! 無人コースター爆弾はロボコンダの大口の中にその豪速のまま突っ込み、顎の機能を破壊しながら喉の奥へと突き進んでいく!
無人コースター爆弾の勢い、それでも衰えない! 先頭車両をロボコンダにめり込ませたままロボコンダを押す形でレール上を共に疾走していく! そしてチェーンソーを携えた先頭車両はロボコンダの喉の組織をさらに破壊していく!
「遠隔射撃開始!」
ロボコンダの口内で三丁のショットガンが次々と火を噴き、その頭部を内側から破壊する。だがそれでもロボコンダの尻尾は未だうねうねと動き回り続ける。
やがて未だ車体も経験したことの無い最高速度で全てのルートを疾走させられたコースターは、先端にロボコンダを被せたままレールの終点から飛び出して宙に投げ出され、そのまま球場へ飛んで行った。そしてスコアボードに見事命中した!
「無人コースター爆弾、起爆!」
スコアボード上でロボコンダは内部爆破の憂き目に会う!
頭部から腹部にかけてを内側からズタズタに引き裂かれたロボコンダは爆風で場外まで飛び出し、球場のエントランス前に墜落した。
「無人コースター爆弾、効果あり!」
しかしロボコンダはまだ果ててはいない! 顎を完全に破壊されて花びらのような形に頭部がめくれ上がってしまい、腹部からも炎と電流が漏洩しているが、それでももがき苦しんで地を這おうとしている!
「奴はまだ死んでない。作戦を第二段階に移行する! フェイズ3、封じ込め開始!」
球場前でのたうち回るロボコンダをSWATが包囲、電磁ネットで動きを封じた後、大型チェーンソーを携えたキャサリンが突撃、無傷の尾部を切断してさらに移動を困難なものたらしめてやる! ロボコンダは完全に釘付けになった!
「やったか⁉」
「いや、まだ生きています! 奴は精密機器を取り込んで自己進化するような超機械生物だ、完璧に粉砕せねば再生するかもしれない!」
「となると、〈ヤオイ作戦〉最終段階まで行くのか?」
「当然です!」
俺はロボコンダの動きが無くなったことを確認するや、大きく息を吸って無線機に向かって腹の底から叫んだ。
「こいつで止めだ! 〈無人観覧車爆弾〉発射‼」
この遊園地のシンボルの一つである観覧車。その巨体が号令に応えて支柱から切り離され、大車輪と化して地を転がり始めた。
支柱から解放された観覧車はその外輪部の四か所から炎の噴流を吐き出しながら回転速度を上昇させ、球場前のロボコンダめがけて大地を揺るがしながら転がって突進してゆく!
そう、無人観覧車爆弾とは第二次大戦中の英国の試作兵器〈パンジャンドラム〉に着想を得た即席大型破壊兵器なのだ! 外輪の四か所のゴンドラには本体を回転させるための火薬ロケットを含む固体ロケットモーターが取り付けられ、それ以外のゴンドラ及び中心部には、火薬、ガソリン、ガスなど、手に入ったあらゆる爆薬が仕込まれているのである!
これこそが〈ヤオイ作戦〉の最後の要である。
無人観覧車爆弾はロボコンダに見事命中、その巨体で既に満身創痍な鋼鉄のクリーチャーを踏み潰す!
そしてロボコンダを直接圧壊させる接地面のゴンドラが爆発! ロボコンダ、火に包まれる!
次に上の方に来ていた客席も続々と地上に落下しながら連鎖的に爆発! 広範囲の地面が業火に焼かれる!
最後に中央部の大型爆弾が炸裂! 観覧車の破片が周囲に飛散し、爆轟の火球が球場前のロボコンダを空間ごと焼き払う!
「今度こそやったか⁉」
「ああ、部隊に確認させてみよう」
燃え盛る炎がある程度弱まったところで、重装備のSWATが爆心地まで進軍、その未だ空間が轟いているようにさえ感じられる空間を調査する。
そこには、手のひらに乗るサイズの白銀色で、しかし表面が焼け焦げた金属片が無数に転がっているだけであった。つい数分前までロボコンダだったものだ。動くものは燻り続ける炎以外、何一つとして存在しない。
『ロボコンダ、完全に沈黙! 〈ヤオイ作戦〉、成功しました!』
あれほどまでに粉微塵になってしまえば最早ロボコンダと言えど流石に再起不能だろう。俺たちの作戦の勝利である。
「いいいやったァァァアアアア‼」
「FOOOOOOOO‼」
「アメリカに祝福を‼」
勝利の凱歌が遊園地中に響き渡る。
「……〈ヤオイ作戦〉、終了」
「いやぁ、まさか本当に成功してしまうとは。流石はグリーンリバーの英雄だ! ライアン君、ありがとう!」
自分の握手会は開かない主義のハットンが俺に握手を求めてくる。この時ばかりは俺も気分が良かった、自然に笑顔でその手を握り返してやることができた。
「フォー! まさかここまで上手くいくとは思わなかったぜ! ライアン、お前凄ぇな!」
「自然災害に対する備えを万全にしてるあたしでも、流石にこれは思いつかなかったわ! 特に最後の観覧車! ライアン、見直したわよ! 惚れちゃいそうなくらい!」
「ライアンさん、尊敬します! ライアンさんはわたしにとってもヒーローですっ!」
ダニー、キャサリン、そしてレベッカも俺の方に、使命を成し遂げたことを純粋に祝福する笑顔で駈け寄ってきて、俺もまた、彼らをこの上なく素直にハグしてやった。
「ライアン、よくやったな」
湧きたつ集団の中を独り歩きぬけて最後に静かにやって来たのは、ケヴィンであった。
「ケヴィンさん……」
「軍隊の型に嵌った作戦思想の俺などでは思いつかないやり方だった、見事だぞ。……だがこれで終わりではない」
「ああ、クラブダイルがまだ残っていますね。さて、どうしたものか……」
俺とケヴィンがこの後の対応に思考を巡らそうとしていた、その時である!
「た、大変だ! ク、クラブダイルが来たぞ!」
沸き立つ歓声を怒号が切り裂き、俺たちの耳に否応無く届いた。
「クソ、やはり来てしまったか!」
「あっちの方だ、行ってみよう!」
俺たちは指揮所の建物から駆け下り、残されたもう一つの災厄の方へと走っていった。
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12
クラブダイルはどうやら下水管か何かわからないが、地下からやって来たらしい。地面に穿たれた大穴から這い出してきて、近くにいた警官たちを捕食している。
「おいおい、ロボコンダを共に討伐した勇士たちも大混乱じゃねぇか!」
ダニーが嘆く通り、SWATは総崩れの状態に陥っていた。何せ、いきなり自分たちの陣地の内側から敵が出現したのだから当然だろう。おまけに対ロボコンダ作戦時の布陣のままだったので、迎撃態勢に移行するのも困難なのだ。
「……おい! ギルバートがいないぞ!」
ギルバートを座らせていたはずの中央部の椅子が無人になっているのを見てケヴィンが叫ぶ。
「混乱に乗じて逃げたということか。しかし、一体どこに……」
「ここさ」
ケヴィンが訝しんでいると、いやらしい声と共に彼の後頭部に拳銃が突きつけられた。
物陰に身を隠していたギルバートが、ケヴィンの隙を突いたのだ!
「ケヴィン、君には散々な目に会わされたよ。君は自分が縄で縛った相手が、稀代の天才であるということを自覚した方が良い。だが、ここからは私の主導権だ」
ケヴィンは銃を地面に落として手を上げる。プロの軍人だけあって、変に意地は張らずに引きどころはわきまえて行動するのだ。
俺たちもこれでは手を出せない。武器を地面に置き、掌をギルバートに見せながら一歩下がる。
「貴様、何が狙いだ」
「今まで通りだよ。クラブダイルのデータを採取して亡命するのだ。だがケヴィン、君だけはただではおかない。君はクラブダイルの行動をさらに分析するために餌となってもらう」
「……お断りだッ!」
しかしケヴィンは実は降参してはいなかった! ギルバートが見せた一瞬の隙を突いて彼の拳銃を払い落しながら組み伏せた!
「ケヴィンさん!」
「お前たち、先に行け! 体制を立て直さねばクラブダイルには勝てない! あそこに民間ヘリが残されてるだろ、あれに乗ってエンジンをかけていてくれ!」
「ケヴィンさんは⁉」
「こいつを再び縛り上げたらすぐに行くさ、お前たちだけではヘリを飛ばせないだろう? 次はもう逃げられないために、手足を折ってから縛り上げるか」
俺たちはケヴィンの言う通りにヘリコプターに向かってひた走る。
既に周囲の警官たちは体制を立て直すべく撤退しているようだ、ヘリコプターの周りにもほとんどおらず、警察のパイロットに操縦してもらうこともできそうにない。
「ダニー、お前がエンジンをかけろ!」
「おうよ!」
「手伝うわ!」
ダニーとキャサリンが操縦席に飛び乗り、手探りで何とかヘリコプターのエンジンを駆動し、すぐにでも飛べるよう安定した状態にしてみようと試行錯誤する。
その時辺りに銃声が鳴り響いた。
クラブダイルに対するものではない。小口径のピストルを、たった一発だけ撃ち放った音だ。
「ふっふっふ、切り札は最後まで取っておくのがサクセスの仕方なのだよケヴィン君。ああ、そう言えば君は前からカードゲームが下手だったね。だから軍隊で出世し損ねたのだよ」
振り返ってみると、ケヴィンが左脚から血を流して地に片膝を着き、苦虫を噛み潰したような表情で正面を睨みつけていた。その視線の先にいるのは、デリンジャーという護身用小型ピストルを構えたギルバートだ。
彼はああ見えて結構抜け目が無く、実はもう一丁拳銃をどこかに隠し持っていたのだ。
「クソ、ギルバート、待て……」
「待てと言われて待つ者はいないのだよケヴィン君。おっと、どうやらもうクラブダイルがこっちに向かって来ているね。私は君が捕食される感動的なシーンを、安全な場所から撮影するとしよう。案ずるな、君の存在は研究データとして生き続けることになるのだ」
ギルバートはそう言い残すと、ケヴィンに颯爽と背を向け、満足げな表情を隠すこともせずに堂々と歩き去ろうとする。
「ギルバートォォォオオオ! 貴様だけは逃がさん!」
だがここで自らの死と宿敵の生存を同時に諦めるケヴィンではない!
腹の底からまさに絞り出すような雄叫びと共に肉体の全余力を無事だった右脚に集積してギルバートの背中に飛びかかり、彼を地面に寝技の要領で組み伏せた!
「貴様も道連れだ!」
「は、放せ! 私は天才なのだぞ! 科学の進歩のために有益な人物なのだぞ!」
しかしまるで獲物に喰らいつくコヨーテのように血走った目でギルバートを完全に抑え込んだケヴィンは俺たちの方に顔を向けて叫んだ。
「行け! お前たちだけでも逃げるんだ!」
「そんな、ケヴィンさんはどうなるんですか⁉」
「この足ではもうクラブダイルより先にヘリにたどり着けん! 俺のことは良い! さあ、行くんだ!」
ケヴィンの言うことはもっともだ。これだけ距離が離れていれば、ヘリに辿り着く頃にはクラブダイルに追いつかれてしまうだろう。
俺は宿敵ギルバートと共にハサミで両断されてワニの口に運ばれるケヴィンから、目を逸らす以外のことができなかった。
もう手遅れだ。ならばケヴィンの死に報いるには、彼の言った通り俺たちがまず生き残るしかない。
「ダニー、キャサリン! エンジンはかかったか⁉」
「ああ、何とかな! だがどうするんだ! 運転してくれる人がいなくなっちまったぞ!」
「お前が運転するんだよ!」
「ハァ⁉」
我ながら今回ばかりは無茶振りだとは思うが、すぐ近くにはクラブダイルを内部爆破できそうなボンベなども見当たらず、他に生き残る道が無いのだから仕方ない。
「おいおい、冗談はよせよライアン。そりゃあ、オレは一応オートジャイロの講習くらいなら受けたこともあるが、こんな本格的な飛行機、計器の見方からしてちんぷんかんぷんだぜ?」
「ググれカス!」
「無茶言うなァ‼」
「仕方が無い。キャサリン、レベッカ。ダニーをアシストしてやってくれ。数人がかりなら操作できるかもしれない」
それでも無茶だという自覚はあるが、ダニー一人に全部やらせるよりは上手く分担した方が成功率は上がるだろう。いや、ヘリの操縦とか詳しくは知らないけど。
「わ、わかりました! でも、ライアンさんは⁉」
「俺は何とかして時間を稼ぐ! だからその間に最低限飛び上がるだけのことをググっておいてくれ! それ以上のことは空で調べよう!」
俺はそう言って迫り来るクラブダイルに相対するが困ったものだ。手元に武器など無い。時間を稼ぐには、鬼ごっこに興じる他ないだろうか。
俺がクラブダイルを陽動すべく脚に力を込めんとした、その時である。
「ライアン! これを受け取って!」
キャサリンの相も変わらず頼もしい声と共に、一本の物体が飛んでくるのが視界に入った。
キャサリンが投げてよこしたそれは、モンスターを相手にした戦いの土壇場で撃退するに当たって勝利を約束されていると囁かれている聖剣。
「木の棒よ、これで戦って!」
木の棒だ!
これで勝てる!
「礼を言うぜキャサリン! こいつは中々良い木の棒だ!」
ビーチパラソルよりも木の棒の方が強いことは明白だ。かつて木の棒でナチス最終兵器と渡り合ったこの俺の木の棒さばきを改めて披露する時が来たようだ。
「さあ来い、出来損ないが! 木の棒を手にした俺を簡単に喰えると思うなよ‼」
俺はクラブダイルに向かって突撃し、その甲羅を、そのワニ肌をひたすら木の棒で叩き、突き、薙ぎ払った。
案の定、クラブダイルは木の棒に身体を打たれる度に大きく怯み、一歩、また一歩と後退する。無論、怒りを露にして反撃しようともするが、木の棒を振りかざしてやれば再び怯むのである。
怪物に対して木の棒が、効果は抜群だ! になる科学的な理由をいい加減知りたい気もするが、どうせきっと科学的な理屈を超越した理の上に成り立っているのだろう、予算の無い創造主の都合とか。クトゥルフの邪神にフォークが効くのと同じようなものだ。
しかし木の棒が敵に止めを刺す必殺の最終兵器になり得ないというのは実に残念な話だと今ほど思ったことは無い。爆発物さえあれば木の棒で牽制しながら隙を突いて口の中にねじ込んでやりたいところだが、それが叶わぬ今、このまま持久戦になりかねないのだ。
「待たせたわねライアン! もう飛べるわよ!」
だがスタミナが切れてきたところで丁度、頼れる仲間たちが為すべきことを果たしてくれたようだ。時間稼ぎをした甲斐があったというものだ。
「でかした! すぐに乗り込むからもう浮かせておけ!」
俺はクラブダイルに最後の強烈な一撃(だが木の棒だ)を見舞って大きな隙を作るや、残りのスタミナを振り絞ってヘリコプターに向かって走った。
俺が到着した時既にヘリは離陸済みで俺の顔の高さにスキッドがあったが、キャサリンが迅速に引き上げてくれたため、スキッドに捕まったまま宙ぶらりんで飛行するハメにはならずに済んだ。
「ふう、これでとりあえずは安心だ。ホバリングしなが改めて操縦法を調べて、共同作業でどこかに着陸しよう」
だが、ここで易々と俺たちを返してくれるクラブダイルではなかった。
一気に上昇して現場からの離脱を図る俺たちのヘリが、何者かによって大きく揺さぶられ、危うく失速して墜ちそうになった。
「何だ⁉ 何が一体⁉」
共同操縦で何とか体勢を立て直してから窓の外を見てみると、何とクラブダイルがスキッドにカニ脚を引っ掛ける形でヘリの下部にしがみつき、一緒に上がって来ていたのだ!
空まで追ってくる執念は見上げたものだが、俺たちがここまで執拗に狙われる心当たりが無いので理不尽としか言いようがない。
「畜生、どうすれば⁉」
クラブダイルはまるで親の仇でも前にしたかのように、その剛腕を機内の俺たちに向けてきた。
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13
「キャァァアアアアアアアアッ!」
クラブダイルが機体を大きく揺らしながら着実に這いあがり、そしてその巨大なハサミをサイドドアから機内に突っ込んできた。
木の棒でハサミを殴打してみるが、何故かあまり効き目は無い。向こうも土壇場で根性を見せてるとか、そんな感じなのか。
「く! みんな下がってて!」
キャサリンが俺とレベッカを下がらせ、大型チェーンソーを構えて前に出る。
「キャサリン、大丈夫か⁉」
「大丈夫じゃなくても大丈夫なようにやってやるッ! イィィィィイイヤァァアアアアアッ!」
キャサリンは豪快にチェーンソーをカニの腕に叩き付け、それで傷がつかないとわかると何度も同じところに叩き付けることで無理矢理外殻を打ち砕き、その傷口に無情なる機械の牙をねじ込んだ!
「てぇりゃぁぁあああああああッ‼ ハァッ‼」
そして全体重をかけながら最高出力で回転させたチェーンソーをクラブダイルの腕にめり込ませていき、遂に腕の一本を切り落としてしまった!
「フォーッ‼ 流石災害対策万全系女子だぜキャサリン!」
「いえ、まだよ! まだ腕は一本残ってるし、こいつ、全然怯んでないわ!」
木の棒で突かれると怯むのにチェーンソーで腕を落とされても怯まない生命の神秘。
「そ、そうだ! 振り落としてやる!」
ダニーが慣れない操縦であるにも関わらず操縦桿をやたらめったらに動かして機体を揺さぶる。するとクラブダイルが少しばかりふらついた。
「よし、行けるぞ! このまま落としてやる! キャサリン、もっと脚を切り落としてやれッ!」
「いや、まだだ! まだ落とすなダニー!」
だが俺はそれに異を唱えた。
「おいおい、今更クラブダイルに情でも移ったのかいライアン?」
「馬鹿言うな。今ここで落としても解決にはならんということだ。何せあの生命力だ、もしかしたらこの程度の高さからなら落ちても生き残って、また人を襲い続けるかもしれない」
「おいおい、じゃあどうしろと? まさかこのまま宇宙まで飛んでって、地球外に怪物を追放しろとでも?」
「そうは言ってない、ちゃんと落とすさ。ただし、あそこでだ」
「おいおいマジかよ。そりゃあ、確かにあそこに落とせば倒せる可能性もあるだろうけどさ……でも、悪くはないアイデアかも」
俺が指差した先を見て、ダニーは唸った。キャサリンとレベッカもこの賭けに乗るようだ。
「……だが、本当に上手くいくのか?」
「大丈夫だ。この手の怪物はボンベの次くらいに、こういう攻撃に弱い。それに、どうやらあそこはもう避難済みのようだからなおさら持ってこいだ」
「そういうもんなのか?」
「細かいことは気にするな! とにかくあそこの上空に向かって全速で飛ぶぞ! 俺らも手伝うから!」
俺たちの乗ったヘリは共同操縦によって何とかバランスを取りながら、その状況下で出せる限界の速力を以てして俺の見据える先に向かって疾走する。
「今だ! 急減速しながら右回頭‼」
俺の号令と同時に、ヘリコプターは機体を九十度右方に旋回しながら空中で急減速! 空中でドリフトするような激しい機動だ!
その勢いのまま空中で何回転もしながら静止!
「よし! 振り落としたぞ!」
この急激な機動にクラブダイルは耐えられなかった! クラブダイルの脚は急激な慣性によって引き剥がされ、重力に引っ張られて落下する!
そしてクラブダイルが落下したところから、辺り一面を蒼白く染めんばかりの激烈なスパークが発生した!
そう、俺たちがクラブダイルを落としてやったところは、変電所なのだ! 変電所の電線を断ち切り、鉄塔を倒し、配電盤を押し潰しながら落下したクラブダイルが、莫大な電気の奔流にその身を焼かれているのである!
「やった! 死んでるぞ! クラブダイルを殺したぞ! イェア‼」
「ハッハァ! ワニとカニのダブルバーベキューだ!」
しかし地上に横たわる焼け焦げたロボコンダを視認した直後、俺たちは強烈な遠心力に身を揺さぶられた。
無理な機動と不馴れな操縦が祟って、失速してしまったのだ。
身体が重力を感じなくなる。落下が始まったのだ。
ああ、俺はここで死ぬのか。ならば次こそは、色んな意味でまともな世界に生まれたい……でもこの世界でも、もう少し平凡な高校生なりに色々と楽しんでみたかったな……。
そう死を覚悟したところで、俺の視界は暗転した。
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14
「……イアン……きろ……」
「ん……?」
暗闇の中で、どこか安心感のある聞き覚えのある声が木霊する。
だが暗闇は暗闇だ。俺はどこにいるのだろうか。
「ライアン! 起きなさいって!」
だが、そんな生と死の狭間の世界で感傷に浸る余裕は与えてもらえなかった。
鼻が文字通りにもげるような刺激に襲われ、嗅覚にリードされる形で俺の視界は光を取り戻した。
「ぐはっ、な、何なんだよ今の匂いは!」
「あ、起きた。良かったわ、後遺症も無さそうで」
光を取り戻した世界で俺の目に飛び込んできたのは、一緒に戦ってきた仲間たちであるキャサリンとダニー、そしてレベッカだ。
キャサリンは顔面にガーゼが貼られ、手足の数か所に包帯を巻き、ダニーは頭に包帯を巻き、松葉杖をついている。レベッカにはそのような措置の跡は見られなかった。
そして、俺は救急車内のベッドの上に横たわっているようだ。
どうやらこの鼻腔内の痛みが意味することは、気絶していた俺はアンモニアで強制覚醒という、小鳥のさえずりとは真逆をいく方法で目を開いたということのようである。
「あー、痛てて……。これはどういう状況で? 俺は何時間眠ってたの?」
「あんたが気を失ってたのは四十五分きっかり、脳震盪と左腕の脱臼と右足の骨折、あとは擦り傷多数よ。まあ、しばらくは入院だし痛そうだけど死ぬことはまず無いでしょ」
「……何があった?」
「近くの広場に硬着陸したのよ、空中でスピンしながらね。オートローテーションが働いたこともあって何とか助かったけど、ヘリはローターを地面にぶつけて壊れたわ」
「何故、俺だけ妙に重傷なんだ……?」
「ああ、それはね」
キャサリンが無傷のレベッカを俺の前に突き出す。
「ほら、ベッキー」
「あ、えと……ありがとうございます、墜落の時に庇ってくれて……」
聞くところによるとどうやら俺は墜落の寸前に、レベッカを庇って負傷したというのだ。
全く覚えていない。その時に無意識本能的にアクションを起こしたのか、それとも負傷で記憶が飛んでいるのか、今となっては確かめる術は無い。ただ受け入れるべきことは、俺がレベッカを救ったらしいという事実だけだ。
「覚えてない? 全く、天然で女の子救うとかお前はどこまでヒーローになるつもりだよ。羨ましいなクソ、オレもヒーローになってちやほやされてみたいぜ」
「別にちやほやされた覚えは無いがな」
まあ、前回の事件で冷遇されてたダニーが妬くのもわからなくはない。
「まあ、今回はあたしからも感謝するわ。あたしはあの時、ヘリを何とか地上に降ろすためのアシストで精一杯だった。親友を守るだけの余裕を保てなかった。ライアンはあたしの代わりにベッキーを守ってくれた。あたしにできなかったことをしてくれたの」
「そうか、まあ、記憶には無いんだが……そう感謝されるのも、悪い気分じゃないな」
無意識なだけに余計に照れくさくて皆から少し目を逸らしていたら、レベッカが顔を近づけて来た。
「?」
「あ、あの。別にこれでお礼を終わりにするってつもりじゃありませんから! また後で、改めてお礼しますから!」
レベッカは俺の頬に、軽くキスをした。
正直、どう返せば良いのかわからない。
俺は色んなことに対する気恥ずかしさから目を逸らしながら、病室に運ばれていった。
病室に入る前に見た仲間たちは皆、互いに交わす言葉の中で俺のことを茶化しているようにも見え、同時に爽やかでまっさらな敬意を俺に向けているようにも見えた。
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エアボーン・オブ・ザ・デッド
1
訳の分からぬ珍事件を成り行きで二度も解決に導いてしまった俺に与えられたのは、ただ煩わしいだけのヒーローの称号と、そして数週間もの時を病床で浪費する権限だけであった。
まだマスメディアなどで盛り立てられるほどには知名度は無いものの、病床でSNSを眺めていてたびたび目にする、異常なまでに脚色された「グリーンリバーとカリフォルニアを救った無敵のアイアン・ヒーロー」なる記述を見るたびに、やるせない気分になるのは道理である。昔は一時期ファンタジックな世界での活躍に憧れたこともあるが、この平行世界に来て十七年目になる今としては、比較的平凡な生活に甘んじていた方が気楽であるということを再認識して固定させることは自然な流れだったと思う。
そんな訳で療養という言葉に甘んじて時間を浪費していたら、いつの間にか秋から冬へと移行する期間に時空は突入していた。
十一月に入ると流石にジョック連中も水着ではしゃいでサメの胃袋にダイブするようなレジャーを楽しむことは無くなる。代わりに山荘まで殺人鬼やグリズリーの餌食となるためのツアーに繰り出すようになる、それがこの世界の理だ。もっとも、中には温泉があるのを良いことに冬山ですら水着になっていたら氷原を泳ぐサメに襲われたという事例も無い訳ではないが。
だが今年の俺は、そんな季節の移り変わりを肌で感じながら過ごすことはできなかった。十月の後半はクラブダイルとの戦いでの骨折を癒やすため、ずっと病床にいたからだ。まあ、ジョックの死に様で季節を感じたところで、エロ・グロ・ナンセンスを五七五の凝縮したような俳句しか詠めなさそうだし、感じたくもないのだが。
そんな俺が退院して学校に復帰すると、知らぬ間にキャサリンやダニーたちがキャンプの企画を立てていたのだ。無論、新しいクラスメイトのレベッカと俺もメンバーだ。クラブダイルとロボコンダからカリフォルニアを救い、またしても裏の世界で英雄伝説を生んでしまった俺への労いの意味も込めた企画だという。
それが、俺が今季節の変化を久しぶりに感じている場所が、ダニーの運転する車の座席である所以だった。
「おいおい、浮かない顔すんなよライアン。今回は、お前さんのために立てたようなもんなんだぜ、この企画は。エンジョイしなくてどうするってんだよ」
車で片道五時間以上かかる目的地に向かう中、カーラジオから流れるロックンロールに乗って身体を揺らしながらハンドルを握るダニーは、何故二度も俺と同じ事件に巻き込まれていながらこんなに呑気でいられるのだろうか。キャサリンの場合は怖いもの知らずなだけにも思えるが。
んなこと言われても、キャンプなんてワニや殺人鬼に襲われるリスクがあまりにも高い遊びではないか。中東でテロに巻き込まれる確率よりキャンプ場で仮面着けた殺人鬼やら巨大昆虫やらワニやらに出くわす可能性の方が高い。
「大丈夫だって、キャンプ場の安全性は。ほら、さっき見せたサイトにも書いてあったろ? うちの州じゃあ三番目に治安が良くて環境破壊も無いキャンプ場なんだ、そうそうモンスターも殺人鬼も出ねぇよ」
そう言われたところで、胸騒ぎが治まる訳ではない。
しかしこの時俺の胸の内を支配していたざわつき、その正体に気付けていなかったのは俺自身だった。
俺たちを待ち受ける受難はキャンプ場ではなく、その道中にある町で刃を研いでいたのだ。
ニュースタング市。俺たちが道中休憩を取るべくドライブスルーに立ち寄った街で、事件は起きたのである。
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2
『HEY! みんな乗ってるかァ~? 今日も午後一時きっかり、DJゴールデンジャクソンのレンゴクラジオの時間だぜ! え? 今更ながらレンゴクって何なのかって? んっん~、良い質問だぜぇ! 本当のことを言うとな……俺にもわからん! いやさ、これ日本語らしいんだが、ホラ、レンゴクって、言ってみると何か、ミヤビな響きがしないかい⁉ こいつぁ、俺様のお洒落でファンタスティックなラジオにピッタリ、そう思って採用したんだぜ!』
反知性主義を政府の枷から離れて自ら体現してしまっているようなDJのラジオ番組が俺たちの車内に響き渡る中、俺たちはドライブスルーで休息をとることとした。それにしても「煉獄」なんて日本語どこで聞いたんだ。まあ、マンガか何かか。
ニュースタング。ちょうど中間地点より少し向こうに来たくらいのところだ。
『そう言えばみんな知ってるかい? サンタクラム空軍基地で、軍が極秘の実験をやらかしてるってウワサだぜ! んで、その実験で作られたブツを空輸するための輸送機隊がさっき飛び立ったんだってよ! 何でも、モノを運ぶだけなのに精鋭の空挺部隊を同伴させてるって言うから怪しいったらありゃしねぇぜ!』
本来なら良くある陰謀論だと鼻で笑いたいところだ。でもこの世界ならその手の陰謀もあってもおかしくはない。
「さて、着いたぜみんな。キャサリンたちも起きろ」
「ん? もうキャンプ場?」
「いや、中間地点のドライブスルーだ。ここで昼飯昼寝、不足品の買い足し」
後部座席で肩を寄せ合って男同士でやるのは憚られる体勢で仮眠を取っていたキャサリンとレベッカを起こしつつ車を降りる。レベッカが思った以上に低血圧なのかキャサリンの肩に張り付いたまま寝言を繰り返していたのは少々意外にも感じられたが、ともあれ何時間も車に揺られてから吸う開放的な空間の空気が美味いのは、この世界でも相変わらずだ。
「ここはホットドッグが美味いらしい。田舎のドライブスルーにしては結構並んでる」
昼飯を充実させたい気分も山々だが、生憎並んでまで何かにがっつきたい気分でもない。
「んだよ、美味いホットドッグ屋があるんなら事前に調べとけば良かった。今朝食って来ちまったよ。流石に二連続も何だしな」
「ふーん、二人は並ばないの。あたしベッキーは買って食べるわよ。だって並ぶって言ったって十分かそこらみたいだし」
結局、俺とダニーは女性陣二人を適当なものだけ買って食べて待つこととなった。
「なあ、ライアン。最近日本のマンガ読んでて思ったんだけどさ」
サンドイッチを頬張りながら唐突に言うダニー。
「どうしてエルフと女騎士はオークに狙われやすいんだろうな」
どんどんクールジャパンの深部に足を突っ込んでいっているナードがここにいた。
「女騎士やエルフとオークもそうだが、魔法少女と触手も考えてみればメタいが、何でああも狙われるのか」
いちいちそこまで考えて鑑賞していたとは意外だ。
「なあ、何でだと思う、ライアン?」
「サメがジョックを狙うのに理由なんて必要か? それと同じことだ」
「なるほど。つまりサメとジョックの組み合わせってのはある意味属性的な意味合いも持ってるかも知れねぇってことだな」
「ネタ以外に需要なさそうなカップリングだ」
「あ、そういやジョックと言えば、オレ最近、日本人の真似してWEB小説書こうかなって思ってるんだ。タイトルは『転生したらジョックだった件』。どうだろう?」
ジョックに転生とか一歩間違えば俺がそうなってた可能性もあるので全く笑えない。もしそうだったら今頃サメの胃袋かナチスの研究所だ。
そんなどうでもいい話をしながら女性陣を待っていた時だった。
ドライブスルーの建物の裏手から、女性の悲鳴とガラスか何かが割れる音が聞こえてきたのは。
「何だ、強盗か?」
「それにしては唐突だな。銃声も聞こえなければ、脅迫や要求の言葉も無いぞ」
俺たちが疑問に思っていると、丁度ホットドッグを買い終えたキャサリンとレベッカが戻って来た。彼女たちも事態の不自然さには気付いているようだった。
「い、今のは何でしょうか……。何か事件でもあったのかも……」
「ライアン、嫌な予感がするわ。警戒した方が良いわよ」
「そうだな。様子を見に行こう」
俺たちはいざという時にすぐに動けるように身構えながら、店の裏手を目指す。
数人の野次馬が既にいる。彼らをかき分けた先に待受けていたのは凄惨な光景だった。
壁と床に飛散した血肉。
その爆心地にいるのは、浮浪者然とした一人の男。酷く顔色が悪く、白目を剥いて鼻血を垂らしている。
彼は何をしているのか? ゴミ出しに出てきていた店の従業員を押し倒し、その首筋に喰らいついて肉を貪ろうとしていたのである。
「キャァァアアアアアアアアッ!」
レベッカが悲鳴を上げる。無理もない。
しかし男にはその悲鳴も聞こえていないのか、一心不乱に女性従業員の肉を嚙み続ける。
すると突如、動脈を噛みちぎられて息絶えたはずの女性従業員の手先がピクリと動き出した。
「な、何だァ⁉ この傷で生きてるのか?」
従業員が本格的に活動を再開するや、浮浪者風の男は彼女から離れ、おぼつかない足取りで後退した。
「キャーッ! ジェニー、大丈夫⁉ 酷い傷よ、病院に行かなきゃ! ああ、でも死ななくて本当に良かった!」
血塗れになった女性従業員がふらふらと立ち上がると、彼女の友人らしき他の従業員がが涙目で彼女の下に駈け寄り、抱きしめる。
「ヴァ、ヴァー……」
「ジェニー? どうしたの、キャァッ⁉ ジェニー! やめて! 痛い、痛い!」
しかしジェシーと呼ばれた従業員は、虚ろな目をしたまま唸り声を上げて、自分を心配してくれていた友人に突如噛みついた。
「キャーッ! ジェシー! 痛い! やめてよ! キャァァアアアアアアアアッ!」
ジェシーは友人の従業員をそのまま押し倒し、血を吐いて苦しむ友に対して一片の慈悲も見せずに喰らいつき続ける。
そして浮浪者風の男も、ふらふらとした足取りで野次馬の一人に組み付き、その首筋に歯を突き立てた。
「キャァァアアアアアアアアッ!」
「何てこった! うちの店でこんなことが!」
「け、警察!」
群衆たちが巣を突いた蜘蛛の子の如く逃げ惑う! どう考えても危機を自覚するのが遅い!
「ひっ……キャサリン、これって……」
レベッカは反射的にキャサリンの背に隠れた。何か俺たちは落ち着き払っている気もするが、レベッカみたいなのが本来の常識的なリアクションなのだろう。
「ええ、これはいわゆるゾンビよ……噂には聞いてたけど、見たのは初めてだわ。でも安心して! あたしの災害対策には、ゾンビの大量発生ってのも入ってるから! ベッキーはあたしが守るわ!」
相変わらず頼もしいキャサリン。毎度のことながら、前の二回の戦いで、何で最後に決着つけるのが彼女でなく俺になってたのか不思議でしょうがない。
「おいおい、やべぇぞ。早くこっから離れないと!」
「そ、そうだな。今はまだゾンビは三体しかいない。すぐに車に乗れば普通に逃げられるな」
俺たちはとりあえず乗ってきた車に飛び乗って、ドライブスルーの敷地を後にしようとした。
だが、出入り口にはすでに何体ものゾンビが!
「クソ、何でもうここまで広がって来てるんだよ!」
「ダニー、東口がある。そっちから出るぞ」
「おう!」
東口の方はまだゾンビが周囲に二体しかおらず、しかもその二体はどういう訳か、車を破壊することに熱中していたため、難なく道路に出ることができた。
頭上からの轟音に応えて空を仰いでみると、空軍の大型輸送機が低空飛行していた。もう救援が来ているとは流石我らが米軍、迅速だ。あからさまに怪しい企業に生物兵器発注しちゃうようなおっちょこちょい軍隊だけど流石だ。
「よし、この道路を真っ直ぐに行けば市街地を出られる。このまま脱出してしまおう!」
「いや、待って! 止まって!」
ダニーが一気に大通りを突っ切ろうとしてアクセルペダルに足を乗せた時、キャサリンが前方を指差しながら叫んだ。
「おいおい、どうした? まさかここで車内泊でもしようってんじゃねぇよな?」
「あれを見て。二百五十メートル先よ」
キャサリンが指差す直線道路の先を見てみると、何やら沢山の人影がわらわらしているように見える。だが、遠すぎてそれ以上の詳細はわからない。
「あそこにいるのは全部ゾンビよ、生きてる人は一人もいないわ。この道はもう塞がれてるわ。まだあたしたちには気付いてないようだけど」
この距離でそこまで正確にわかるとは、この災害対策女子の視力はどうなっているのか。
「おいおい、マジかよ。何でこんないきなり広がってるんだ⁉ 俺たちがこの街に入って来た段階では何も無かった、平和な日常風景だった。さっきのドライブスルーの周辺からつい今しがたパンデミックが始まったんじゃねぇのかよ⁉」
いくらゾンビという存在が知れ渡っている世界にしても想定外な感染爆発の仕方を目の当たりにして、ダニーが唸り声を上げながらハンドルを叩く。
俺も同じ気持ちだ。常識的なゾンビ感染の広がり方では、こんな先回りしたような増殖の仕方はそうそう無いはずなのだ。
と、そこでカーラジオが陽気な音楽の演奏を中断し、厳粛で、しかし切羽詰まった中年男の声を代わりに奏で始めた。
『ば、番組の途中ですが臨時ニュースです。今日午後、このニュースタング市にて、突如として凶暴化した市民によって他の人間が襲撃される事件が発生し、病原体によるゾンビ化の可能性も指摘されています。同時多発的に市内各所で目撃情報が寄せられており、情報が大変錯綜しているのですが、確認が取れた発生現場は……』
「ま、待ってください! 今確認してみます」
キャスターが現在のゾンビの出現地点を読み上げると、後部座席のレベッカがすかさず地図アプリを起動し、何やら操作を始めた。
「よしよし、ちゃんと実践できてるわねベッキー。生き残るためには常に地形を気にしなさいってのを」
キャサリンはいつの間にか彼女流のサバイバル技術をこの大人しい少女に教え込んでいるようだった。
強くなるのは構わないが、キャサリン波に人外の域に足を踏み入れるまでいかれるとこっちが怖いから控えめにして欲しい。
「あ、終わりました。見て下さい、この地図!」
レベッカのスマホの画面上には、今彼女が手書きこんだらしき赤い線で描かれた丸があちらこちらに点在する地図が表示されていた。
「雑ですが今のニュースで言ってた場所に印をつけてみたんです。この街のあちこちで同時にゾンビが出てるみたいで……」
「ふーむ、これは妙だな……」
普通、ゾンビというのは最初の発生源から同心円状に広がっていくもののはずだ。このように初期段階で一定の範囲内にまばらに発生するという状況は考えにくい。
「でも、これだと脱出するタイミングを見計らうのも難しそうね。どこでどんな風に広がるか見当もつかないわ。気がついたら囲まれててジ・エンドなんてのもあり得るわよ」
「助けは来るんでしょうか……?」
「それだ」
ダニーが突然車を発進させる。
「どうしたんだダニー。まさか強行突破しようってんじゃないよな?」
「まさか、このオレがそんな特攻野郎に見えるか? 玉砕覚悟の根性は童貞捨てる時のために温存しとくよ。そうじゃなくて、この場合は救援を待ったら良いんじゃねぇかと思ったんだ。上を見ろ、もう既にあんなに飛行機が飛んでる。三日も四日も籠城することにはならねぇだろ。立て籠もれそうな場所を探す」
なるほど、ダニーにしては合理的な考えだ。
「それあたしも賛成よ。相手の動きが読めない中で下手に動くより、よっぽど安定的だわ。ベッキー、この辺に立て籠もれそうなところはある?」
「今探します……。あ、すぐ先の十字路を曲がって少し行ったところに大きめのホームセンターがあるようです」
ホームセンターか。確かにそこならば一日や二日立て籠もることになっても食糧や物資は足りるだろうし、武器やバリケードも手に入るだろう。木の棒とガスボンベだってあるはずだ。
「俺もその話乗った。他にも避難してきてる人もいるだろうし、この田舎町じゃあ目立つ施設だ。優先的に救助してもらえる」
こうして俺たちは籠城と武器調達のご定番である現代の城に向かうこととなった。
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3
そのホームセンターにも、ゾンビの一団が迫りつつあった。
距離は三百メートルほど。俺たちが奴らよりも先にその出入り口に到達して中に入るのは容易とまではいかなくとも、難しいことでもなかったが、問題は内部で騒ぎが起きている様子が無いことだ。おそらく、ホームセンター内の人々は接近に気付いていないのだろう。
「あと五分もしないうちに到達するぜこりゃあ」
「ええ、新参者が仕切るみたいなのは嫌われそうだけど、入ったらすぐにバリケード設置を勧めましょう」
車を駆け下りてエントランスに入ってみると、どうやら車の音で中の人たちは来客には気付いていたようで、進入してきた客人をぐるりと囲むようにこのコロニーのメンバーたちが並んでいた。
その面々は、実に個性的な風に見えた。というのも、全部で二十数人はいるこのホームセンターを根城にしようとしている市民たち、大半はごくごく普通に見えるのだが、一目で何か異様な素質があるとわかるような風貌の連中の存在感が結構なものなのだ。
まず、黒人と白人の妙にかみ合ってなさそうな警備員コンビ。これはまだ良い方だ。他にやたらと体格の良いチンピラ風の男が数人固まっているが、これもまだ良い。
特に異彩を放っているのは、何やら司祭服を改造したと思しき衣類を纏い、頭には身長の三分の一はありそうな帽子を被り、謎漢字のタスキを肩にかけている初老の男と、異様なまでに口紅を濃く塗って平安貴族ばりに顔を白く染め上げ、サイズばかりで輝きの足りない偽物っぽいパールのネックレスと目が痛くなるような花柄のワンピースを身につけた中年女性、そして、保護者や友人らしき人が近くに見えないにも関わらずやたらと落ち着き払い、儚げな瞳でこちらを見てくる、十二、三歳と思しき金髪ポニーテールの少女、この三人だ。
「あー、ニュースタングモールにようこそ。生憎、従業員もいなけりゃ店長もいない。最後に残った俺たち警備員二人にゃおもてなしの準備も無い。そんなところでよければ、まあ、上がって」
警備員はそう言いながら俺たちを歓迎するような身振りを見せるが、大多数の避難民たちは複雑そうな表情をしていた。そりゃそうだ。先の見通しが立たぬところに人ばかり増えても、それが頼もしい戦力増強を意味するのか、それとも限られた物資を浪費する穀潰しが来たということを意味するのか、そんなことはすぐにはわからないのだから。
「受け入れてくれるのなら感謝します。俺はライアン・ブラウン。こいつらはそれぞれダニーとキャサリンとレベッカ。この中の状況は?」
「食べ物と医薬品は店の規模にしてみればだいぶ少ない。さっき逃げていった人たちが持って行ってしまったからね。そんな訳で悪いが、新歓の宴はお預けだ。まあ、結成の宴もまだだがな」
「そうですか……でもこの人数なら上手くすれば数日は持ちそうですね。それはともかく、今すぐこの出入り口を塞いで、あちこちにバリケードを作ることを提案する。今俺たちが見て来たんだが、すぐ三百メートルそばまでゾンビの集団が迫ってる。今はゆっくりじわじわ接近してるけど、気づかれて一気に来られるのも時間の問題だ」
「それは本当か? よし、それならばすぐにでも……」
警備員が快諾してくれようとした、その時である。
「まぁ~、何よ! このアタクシへの賠償サーヴィスもそこそこに、そんなどこの馬の骨とも知れない子供の意見でま~た汚い泥仕事を手伝わせるつもりかぁしら? ホッ! もう、嫌んなっちゃいますわ!」
厚化粧で花柄ワンピースの中年女性が、ガラスが割れそうなほどに甲高い金切り声を上げて怒り始めた。大袈裟過ぎるほどに手を振って舞台俳優のように天を仰ぐ様は狂気を感じさせ、レベッカもナチュラルに怖がっているように見えた。
「フリクソンさん、仕方が無いでしょう、我々も身を守らないといけないんですから」
「うるさいわねッ! このアタクシに乱暴な仕事をまた手伝わせて良い理由にはならないでしょう! だいたいアナタたちは何なんですの? すーぐバリケードだの武器だのと言い出して……よっぽど野蛮で暴力的なものがお好きみたいねェ」
「人命第一です! だいたい、こういう手段を使わずしてどうこの事態を切り抜けろというんですか。あなたが、ゾンビ連中と交渉してくれるとでも?」
「んまッ! お客様であるアタクシに何を言うのかしら? アタクシは今だってこのホームセンターの客ですのよ、この店の者であるアナタはアタクシに全面的にサーヴィスする義務があるのではなくって?」
「自分は警備会社から派遣されてる警備員だ、店員じゃない。安全を守ることだけが仕事で他のサーヴィスなど知りません!」
警備員が花柄厚化粧を説得にかかるが、彼女はヒステリックな声を増すだけであった。
「まあまあフリクソンさんも警備員諸君も、一度落ち着きなされ」
そこに割って入ったのは、改造司祭服の男だ。
「確かに争いで全てが解決する訳ではないのも確かなことじゃ」
「あらまぁ、ヤンテクトさん。珍しく意見が合いますこと」
「左様。我らに今必要なのは、正当な祈りじゃ。この事態は本当の神の意志に反する既存の歪んだキリスト教が原因で起きた裁きである。だからここに生き残った皆は、我が東アメリカ・ブレムメン教に今より入信し、正当な本当の祈りを以てして救いを得るべきである。それができぬ者は皆死ぬ。さあ、悔い改めよ! 神の意志を受け止めよ! 悔い改めよ!」
どうやらヤンテクトというらしい改造司祭服の男は、異端キリスト系のカルト教団関係者のようだった。
「んまッ! 違いますわよ! ここで必要なのは友愛の精神ではなくて? あの襲ってくる人たちにも、友愛を見せつければ絶対に何とかなるのですのよ。それなのに、それを理解しないおバカで田舎者で右翼なこの警備員共は、このアタクシに汚い仕事を手伝わせようとするのですわ!」
「友愛が重要なのは左様なこと。しかしこの事態が神の怒りによって引き起こされた以上、まずは悔い改め、神に対して本当の信仰を示して許しを請うところから始めねばならない。だから我がブレムメン教に是非入信を」
「違いますわ! この事態は政府を裏で操る闇の資本連合が糸を引いてますのよ? あらぁ? 司祭様ともあろうお方がその程度のこともわからないのかしらァ?」
あまりに独善的で不毛な言い争いを始めた二人に見切りをつけた警備員は、彼らを放置してバリケード設置を始める意思を示した。
「奴らはどの方向から来てるんだ?」
「あたしたちが見た一団は東からよ。他の方角は知らないけど」
「ふむ、ならば正面玄関から塞ぎたいが、裏口に既に迫ってないとも言えないな。おいカルロス!」
白人の警備員が黒人の警備員に呼びかける。
「何だいハリス」
「裏手を見て来い。ゾンビが迫ってるようなら適当に塞いでから俺たちを呼べ」
「あいよ。あんたも嫁さんにまた会えるよう、頑張りなよ」
「言うようになったなカルロス」
カルロスと呼ばれた警備員が裏手に向かって走っていくと、早速正面玄関の閉鎖が開始された。フリクソンとヤンテクトを除いた全員で家具や陳列棚を玄関前に積み上げ、そして瞬間接着剤やセメントで固めていく。
しかし、この作業の中で一つ気になったことがある。例の一人ぼっちの少女がやたらと腕力が強いように見えたことだ。家具を運ぶ時に、目に見えて汗をかいたり疲弊したりはせず、何食わぬ顔で大人の作業に追従していたように見えたのである。
ともあれ、人手はそれなりに足りていたため、正面玄関の封鎖はゾンビの到達前に完了させることができた。
これでとりあえずは安心できる、そう皆が思った時、全員の耳に一発の銃声が鳴り響いた。
「裏手から……カルロスだ! 何かあったのかも!」
ハリスは自身の銃をホルスターから抜き裏手に向かう。
しかし警備員は彼ら二人だけだ、何かあった時のバックアップも必要だろう。
「ハリスさん、俺も行きます。人手は多いに越したことは無い」
こういう事態である以上、平穏に暮らしたいとか贅沢言う訳にもいかないだろう。俺はサメやナチスや合成生物との戦いを既に経験してしまっているのだ、生き残るためには即戦力として貢献するしかない。
「あたしも行くわ。こう見えても災害対策には心得ある方なの」
「オレもまあ、こういう事態には慣れてきちゃってるからなァ」
「わ、わたしもキャサリンの役に立てるなら」
他の三人も同様のことを考えたらしかった。
「本当か、正直助かる!」
そして俺たちとハリスは裏手の調査に向かった。
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4
「どうしたんだカルロス。そいつは一体何なんだ?」
俺たちが駆け付けてみると、そこには拳銃を構えて一体のゾンビと対峙しているカルロスの姿があった。裏口の扉が開いているから、そこから入ってこようとしていたのだろう。
しかしそのゾンビは既に動いておらず、どうやらカルロスの弾を受けて倒れたようだった。死体が動いているのがゾンビなら、これを「ゾンビの死体」と呼称して良いのかは甚だ疑問でもあるが。
「カルロスさん、そのゾンビは一体……?」
「はぐれゾンビってところかな。裏手方面を双眼鏡で見回してみたが、ゾンビの大きな群れはだいぶ離れたところにしかいない。だがこいつは、群れに関係なく、急に現れやがった。だから撃ったんだが、間違ってたかい?」
また普通のゾンビの法則を無視した存在だ。この死体を見る限り、この個体が特別な存在であるようにはとても思えない。だが、街中に散在する群れと言い、同心円状に拡大感染するという通常のゾンビの性質を無視した現象があるのは確かなことだった。
「ハリスさん、何かおかしいと思いませんか?」
「ああ、君も思ったか……。そうだ、今回のゾンビは同心円状に広がるだけにとどまっていない」
「ゾンビの発生原因にカギがあるのか、それともゾンビが誘導されてるのか……。誘導と言えば、こいつらは何で人を感知してるんでしょう? 匂い? 音?」
いくつか可能性が考えられない訳ではないが、それにしても謎の多いゾンビ事件である。俺、ゾンビ相手は初めてだというのに。
と、俺たちが不思議がっていると、レベッカが恐る恐る口を開いた。
「……とりあえず、人間を感知する方法は熱じゃないかと思います……」
「熱? 蛇みたいに赤外線を感知してるってことか?」
「はい、そうだと思います……。餓えているならどうしてゾンビたち同士で共食いをしないのか……それは彼らにはわたしたちと決定的に違う点があって、その点を彼らが感知してるからではないかなと思いまして……。ゾンビの顔色を見れば、彼らの体温が低いことはわかりかすし、多分それじゃないかなと。それにライアンさん、道でゾンビが何故か車を壊してたの覚えてますか? あれもエンジン熱に反応したのかも」
「なるほど、確かに匂いや姿で判断してるのなら説明のつかないことも、それなら合点がいくな」
「で、でもよ? こいつらだって元は人間だぜ? オレたちにゃ蛇みたいなセンサーは無いし、ゾンビにそんなものができてる様子も無いぜ?」
ダニーがしゃがみ込んでゾンビの死体を棒で突きながら言う。
「ええ、そこがわからないところなんです。どうやって感知しているのか……」
レベッカが顔を伏せて考え込んでいると、自分が射殺したゾンビをまじまじと見つめていたカルロスが口を開いた。
「しっかし、こいつら嬉しくないカラフルな血の色してんだなァ」
「ん? 今何と言ったカルロス⁉」
「いや、ほら見てごらんよ。こいつらの血、赤いことには違いはないが、ところどころによってどす黒かったり鮮やかな赤だったりするんだ。床にぶちまけたの見てると、まるでストロベリーソースのマーブルだ」
改めて見てみると、確かにゾンビの流している血液には人の血としては異様にどす黒い部分と淡い色になっている部分とがあり、ラテアートのように模様を描いていた。
「そうか……それですよ! 血中のウイルス濃度です!」
「何だって?」
「熱を本当に感知してるのはゾンビ本体ではなくて、血中のウイルスなんです。多分、色が濃くなってるところがウイルスの集合してるところです。きっと外界の熱を感じ取ったウイルスが、感染者の身体の中で熱のある方向に集まる、すると感染者は、自分の中のウイルスに引っ張られるようにして、その指向性に操られるというメカニズムじゃないでしょうか。そして対象に接触したら、あとは脳を侵された本能で反射的に喰らいつく……」
なるほど、確かにそれならば矛盾は生じない。となれば、残る謎は不規則的に発生することくらいか。
「とりあえず、この裏口も塞いでおこう。いざという時に脱出口として使うために、正面玄関とかよりは軽めに塞ぐんだ」
カルロスの撃ち殺したゾンビの死体を倉庫にぶち込んだ後、ハリスの言う通り、俺たちは裏口を軽く塞いだ。
「とりあえず、当分は入って来られないとは思うけど、それも時間の問題ね。ハリスさん、ここにいる人たちはゾンビと戦ったの?」
災害対策の申し子であるキャサリンが、簡易なバリケードを見ながらハリスに聞く。
「いや、ほとんどは戦わずに逃げて来たらしい。まあ、あのチンピラ風の集団と保護者のいない幼女に関しては事情がわからないのだが……」
「なら警備員さんたちは皆に武器を取るように言わせて。あのヒステリックおばさんとエセ司祭は言っても聞かないかもだけど、他の人たちには備えを」
「わかった」
「ちなみにこのホームセンターに銃は?」
「本格的な鉄砲店は無いから最低限の拳銃と単発ライフル、狩猟用のショットガンしかない。足りない分の武器は何かで代用するしかないな」
「なら皆にもその辺のアドバイスを。チェーンソーなんかおすすめよ。あたしたちはあたしたちで武器と、他に何か使えそうなものを探してくるわ」
俺たちは伊達にサメやナチスや大蛇との戦いを経験してないということもあり、自分たちの感覚を頼りに武装することとなった。
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5
「さてライアン、ダニー、ベッキー。今回の敵はゾンビってことなんだけど、サメや蛇、ワニとは勝手が違うわ。もちろん、ナチスともね。だから武器選びも少し考えを変えてみてやった方が良いわ。さて、何がどう違うのかわかるかしら?」
武器の多そうな工具エリアに来た俺たちの前に、腕を組んで堂々と立ってやたらと威厳を感じさせる聞き方をしてくるキャサリン。
「そうだな。俊敏さとか機動力か?」
最初に答えたのはダニーだった。
「それもあるわ。でも、ゾンビの動きが緩慢なことはそこまで大きい違いじゃないの」
「……サイズと形状が人間と同じなことでしょうか? 的が小さい上に体格差も無い……」
とレベッカ。
「そう、正解よベッキー。奴らを倒すのに、威力と引き換えに手数の制限された武器を使うのは、不利になることも多いわ。連中の身体に何か仕込むような戦い方も無理がある。でも、代わりに近接格闘ができるわ」
つまりボンベを口にねじ込んで内部爆破するのはナシということだ。少し寂しい。
「それで、まだあるわよ。じゃあ最期はライアンに答えてもらおうかしら」
キャサリンが俺をビシッとやたらとスタイリッシュに指差す。
「……弱点が明確かつ絶対的なところと、集団で群がって襲ってくるところか?」
「ご名答。そう、ゾンビ連中ってのは基本的に頭を破壊するか首を切断するのが一番効果的な攻撃法よ。胴体を撃って倒せないことはないけど、奴らは痛みを感じないし、大量出血が死因になることないから、頭か首を狙って一撃で沈めるのが一番なの」
首狙い推奨というのは、ナチ兵との戦いでネックハングの有用性と自分への適合性を見い出した俺には嬉しい話である。
「そして、奴らは多数で一気にかかってくることがある。そう考えると、急所狙いで一体一体を素早く確実に倒して次の敵にすぐにかかれるような武器を使うか、あるいは爆発とかで一掃するか、そのどっちかになってくるの、ゾンビとの有効な戦い方は」
つまりやっぱりボンベで爆破もアリかもしれないということである。やったぜ。
「じゃあ、わかったら解散! 十五分以内に全員武器を揃えてここに集合!」
キャサリンが手を叩き、俺たちは各々で武器を探し始めた。
「そうだな、木の棒も良いがゾンビの頭を一撃で潰すには向かないな……ここはパイプ椅子にするか。あ、でも木の棒なら刺突にも使えるしなぁ……まあ、現地調達できるか」
俺はまず近接武器にパイプ椅子を選んだ。打撃力とゲームで言うところの当たり判定の広さが魅力だ。木の棒ならその辺で拾える。
次なるは遠距離武器。まずは鉄砲店エリアで自動拳銃を手に入れたが、いかんせん相手は大量のゾンビだ。すぐに弾切れになりそうだから、他にも何か投擲武器とかが欲しいところだ。
「まあ、ボンベは何にせよ確保するとして、何か手軽な投擲武器は……これだ」
ここで俺が見つけたのは、丸ノコの付け替え刃だった。こいつは使える。持てるだけ持っておこう。
「よう、ライアンはもうショッピングはお会計段階かい?」
ショットガンと金属バット、そしてボウリングの玉を携えたダニーがやって来た。彼の方はもう支度を済ませているようだった。
「一応な。まあ、後から良さげなものが見つかればその時は改めて拾い上げるだろうがな」
「終わってるなら、ちとこっちに来てくれやしないか。何か不穏なことがある」
「何だ、ゾンビの侵入? 黒幕科学者の出現?」
「いや、例の避難民に混じってたチンピラ風の大男の集団。あいつらが何か、さっきゾンビの死体をぶち込んだ倉庫に入って行ったんだ。またヒステリーババァとカルト野郎がさえずり出したみたいで警備員たちは忙しそうだ、オレたちで様子を見に行こう」
あの集団はここに来た時から気にはなっていたが、まさか本当に何かを企んでいるとは。だとしたら俺たちを含めた避難民たちに何等かの危険が及ぶ可能性も否定できないだろう。警備員の協力が遅れることがあっても、最低限の対処を俺たちがすることを拒絶する理由など無い。
「わかった、すぐに行こう」
俺とダニーは身構えながら倉庫の扉を静かにそっと開けた。
すると中で件の男たちの四人がゾンビの死体の前に座り込み、何やら注射器などの器具を使って作業をしていた。
「動くな! 何やってるんだ!」
俺たちは銃を構えながら倉庫内に突入する。
が、気付いて振り向いたチンピラたちの表情は余裕の色を残していた。
「備えが無いとでも思ったか? 残念だったな、俺たちの方が一枚上手だ! こっちはお前らより一人多いし、戦いのプロだ! 不利を悟ったか?」
チンピラたちの内三人はは懐から拳銃を、一人はUZIサブマシンガンを取り出して俺たちに向けた。
なるほど、確かにこっちの方が不利ではある、現状は。だが連中とて、ここでいきなり発砲すればこの建物内が大騒ぎになって自分たちの仕事に支障が出かねないことや、警備員二人も相手にしなければならなくなることくらいわかっているだろう。ならば絶対に反撃の機会は訪れるはず、俺とダニーは奴らに従うふりをすることをアイコンタクトで示し合った。
「銃をこっちに投げて部屋の隅に座れ」
俺たちは言われた通りにセルフサービスで武装解除し、両手を頭の後ろに回して正座。
「さて、お前たち。一体どこから聞いていた? 俺たちのことを最初から調べていたのか? まさか、『あいつ』の仲間か?」
チンピラの一人が俺に銃を突きつけ、尋問を始める。
「別に? 何も知りませんよ。俺たちはただ、何か物音と声がするから見に来ただけさ。青姦してるカップルでもいるんじゃないかってね。こういう極限状態に陥った男女は、互いを普段以上に求めやすくなるって言うからね」
「……ナメやがって!」
チンピラが腕を振りかざし、手の甲で俺の頬を薙ぎ払うようにして打った。
鍛えられているように見えるから本当の本気ではないのだろうが、それでも痛い。歯は折れていないようだが、口の中が切れてしまった。口内炎になるだろう、嫌だなぁ。
「さて、今一度聞くぞ。何をしに来た、誰の差し金だ?」
チンピラが改めて俺の脳天に冷たい鉄の筒を突き立てる。
さて、次はどうはぐらかして時間を稼ごうか、それを考え始めた時である。
「……そこまでです、残念でしたね!」
落ち着いた、しかしわずかながら覇気を伴った少女のものと思しき澄んだ声が倉庫内に木霊するとともに、扉を開けて一体の小柄な人影が堂々と入って来た。まるでこの瞬間を待ち構えていたかのように。
しかしその乱入者の姿は、声から想起される普通の少女のそれとは違っていた。
全身のカラーリングは赤紫が基調。
頭部はシルエットだけ見れば髑髏にも近い、目がランプとして輝いているヘルメットに覆われ、その左右側頭部からは、角のようにも束ねた髪を模したものにも見えるヘッドギアのアンテナ様のパーツが生えている。
胴体は、赤紫の装甲で覆われている。だが全てを密閉して固める全身甲冑という感じでもなく、厚い金属板が覆うのは胸部を中心とした、非関節部のみで、関節部や腹部、そして太ももなどは黒い特殊繊維製であろうタイツを露出させており、スレンダーな体躯のラインがかろうじて認識できた。また腰にはミニスカート様の防具も装着されているが、その下もまた黒いタイツで、やはり素肌を露出させている箇所は一片も無い。
中身はおそらくは少女。顔が完全に隠れていることを除けば、ニッポンのカートゥーンに出てくる「メカ少女」というやつが一番イメージ的には近そうだった。
「クソ……とうとう現れたのか、〈スチールガール〉!」
チンピラたちは鋼に身を固めた少女に向かって畏怖とも待望ともとれる眼光を向け、対峙した。
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6
「スチール……ガール?」
乱入してきた鋼鉄の少女を前に、俺とダニーは絶句する。
一体これから何が始まるというのか。
チンピラたちは銃を構えたまま何故か撃たずに、じりじりとスチールガールなる存在へとにじり寄る。
「うりゃぁぁぁああああッ!」
チンピラの一人が、何故か銃を撃たずにスチールガールに殴りかかった! やはりintが足りていないというのか!
「ふんッ! はいッ!」
当然の如く、スチールガールの徒手格闘によって退けられることとなった。
一対一では勝ち目が薄いとわかるや、次にチンピラたちは全員で一斉にかかることを選択した。無論、銃は飾りのままだが。
スチールガールは臆することなく、四人のチンピラたちにその鋼鉄に覆われた拳を振るう。だが流石に四対一で、しかも鎧の中身はおそらくは年端かもいかぬ少女であるためか、やや苦戦しているようだ。
しかし、俺が行動を起こすための隙としては十分過ぎるほどであった。
俺は一番近くにいたチンピラに向かって奇襲する形で躍りかかった。
奴はintが足りないためかやはり銃を撃てないようだが、それでも体格差は歴然だ、まともにタイマンを張っても勝ち目がない。
だから俺はまず、奴が振り向いた瞬間からその首に手を伸ばし、不意を突いて一気にネックハンギングに持ち込み、その上で大外刈りをかけてバランスを崩し、壁に押し付ける!
壁に貼り付けられ首を絞められたチンピラが抵抗を試みる。腕力差からして反撃されたら俺には勝ち目は無いだろう。だがこの段階で俺は既に、先手を取っているのだ!
俺は首をより一層強く締めながら奴の股間に、脚の付け根がもげんばかりの勢いで膝をめり込ませた!
チンピラ、わざとらしく白目を剥いて気絶。
スチールガールの方に目を向けてみると、彼女も既に二人を片付け終え、最後の一人をボディブローで体勢を崩した上でネックハンギングをかけているところだった。やがて最後のチンピラも気を失う。
「なかなか良いネックハンギングだ」
「……そちらこそ」
俺はスチールガールと向き合い、ダニーも俺の隣に並ぶ。
「……初対面でいきなり申し訳ないが、君は一体何者なんだ? まだ若いようだけど……。それにこのチンピラたちは一体」
「そうですね、お話ししましょう。その前に……カモフラージュ!」
俺たちの前で少女が叫ぶと、途端に彼女の身体が眩い光に包まれた。
温かみのある色の光の中でスチールガールは一瞬裸になったように見えた。
だが、すぐさま少女の華奢な身体はより温かい光に覆い隠され、そしてやがて身体に纏わり着いた光は服の形を取った。
まるでニッポンのカートゥーンに見る魔法少女というやつだ。隣のダニーがそれを想起したのか興奮しているように見えて気持ち悪い。
光が治まるころ、スチールガールはただの少女になっていた。
先ほど店内で見かけた、儚げなポニーテールの少女だ。あの身体のラインを妙に大事にした鎧はどこへ行ったのか、今の彼女が纏っているのはグレーのパーカーとジーンズ・パンツだ。
「……私はケイシー・デュナンと言います。彼ら某軍事企業の手先を追ってここまで来ました」
少女が名乗る。やはり歳の割に落ち着いているというか、何か悟って達観しているような物腰だ。
恐らくは十二歳かそこらだとは思うが、年齢の割にはやや低めな声でもあった。
ニッポンにいるという「さとり世代」とかいうやつなのだろうか。
「あ、ああ……俺はライアン・ブラウンでこいつはダニー。なぁ、さっきまで着てた鎧はどこにいったんだ?」
「まだ着ています」
「え?」
「というか一生脱げません」
聞き間違いだと信じたい言葉。
「身体の一部と化しているのでこのヘルメットもスーツも脱ぐことはできません。今は光学迷彩で装具だけ消している状態です」
何だそのあまりに過酷で残酷な運命は。
「……え、博士、どうしましたか? はい、そのくらいわかってますよ。はい、はい。今繋ぎます」
ケイシーと名乗った脱げない運命の少女が耳の辺りを抑えながら何やら俺たちには見えない存在と会話する。
「えと、誰かと話してるのか?」
「私にこのヘルメットを押し付……託した博士の存在を再現した人工知能です。よくわかりませんが、このヘルメットの中にインプットされてて、私に色々と口出……助言をしてくれるんです」
ところどころで本音が漏れかけているのが彼女の悲壮感を際立たせる。
「今スピーカーモードにします。状況説明のためにも、皆さんも博士と話せた方が良いと思うので」
ケイシーが首筋をいじると、程なくしてノイズ音が聞こえて来て、それに続いて少しばかりしわがれた壮年の男のものと思しき声が響いた。
『やあライアンにダニー。私は、このケイシーにこのヘルメットを与えたアダム・クラッシュ博士の存在を再現した人工知能だ。彼女は今、地球上で最も進化して人間となっている』
「どういうことです?」
何もかもが唐突で訳がわからないよ。
『このヘルメットは、装着したものに強大な力を与える。しかし、それを軍事利用しようとする企業も当然出てくる訳だ。だから私は善悪の判断を常に正しく下し、正義の心を貫けるケイシーにこのヘルメットを授けたのだ。彼女は両親が巻き込まれて死んでも挫けなかった。そして共に件の軍事企業の社長を打ち倒したのだが、彼らの後継となる関連企業の者が此度のこのゾンビ騒動に目を付け、データを採取しに来たのだ。だから、私たちはそれを阻止しに来た』
ていうかこのチンピラ連中、軍事企業の手先だったのか。そんな会社ならもっとまともな傭兵とか使えそうな気もするのだが。
『とりあえず、これで奴らの犯行の現場は押さえられたし、奴らが採取しようとしていた検体も確保できた。あとは、チップを一つ回収して、遭遇した敵を倒しながら脱出するだけなのだ』
要は、この閉鎖された空間にてまず目指すことは俺たちと同じということなのだろう。
「……はぁ、はぁ……」
ケイシーが胸を抑え、その呼吸を荒くし始めた。顔色も悪い。まさか感染でもしたというのか、全身を鎧で固めているというのに。
「だ、大丈夫か⁉ どうしたんだ⁉」
「……はぁ、はぁ。ええ、大丈夫。ただのエネルギー切れです」
「エネルギー切れ?」
「……今、補充します」
ケイシーはどこからか一本の小さな瓶を取り出した。中身は何やらドロッとした白濁の液体だ。
ケイシーは一旦カモフラージュを解いてスチールガールの姿に、相変わらず一瞬裸になりながら戻ると、首の辺りに瓶から伸びるストローを差し込み、流し込んだ。
「……はぅッ⁉ ん! ん! ん! ごぼっ、ごふっ! ……く、くはぁ……! ……はぁ、はぁ、はへぇ……」
実に苦しそうな呻き声を上げながら謎の白い液体を首から流し込む甲冑姿の幼女という光景は、もはや背徳的な領域に達している。
「こいつは一体何なんだ?」
ダニーがクラッシュ博士に質問する。
『これが彼女の食糧だ。彼女の身体とヘルメットの機能を維持するには莫大なエネルギーを要するからな。私が調合した特殊な薬液を配合した練乳を飲んでもらっている。薬液のせいでだいぶ苦くなってしまっているが、何、この状況に馴れれば彼女も楽になれるから問題ない』
明らかに現状は楽になっていないように見える。
「……はぁ、はぁ。先生、補給終わりまひた……」
『ケイシー。そんなに辛いならば、前に教えたろう? 偏食という言葉を頭の中に思い浮かべてゆっくり唱えるんだ、存在しないと。そうすれば、ナノマシンが君の脳内を改良して、楽にしてくれるはずだが。以前、スーツへの恐怖心もそれで克服しただろう?』
幼女に脳改造とは何てことしてくれてんだ、このジジイは。
「……それはよしておきます、先生。これ以上むやみに感情の削除をしていったら、本当に人間に戻れなくなる気がしちゃいます。これは私がまだ生きてる証の痛みです」
今までに見た中で一番に健気な少女がそこにいた。
『そうか。だが私のことは信じて欲しい。私は君のことを信頼しているんだ。だから、この仕事を君に託した』
「……私の意思は確認してくれなかったですけどね」
『とてもすまないことをしたと思っている』
絶対反省してないぞ、この科学者。やってることはナチス残党と大差ないというのに。
ともあれ、このパワードヘルメットの少女は貴重な戦力になるだろう、あくまでこの街からの脱出を目指すのならば、共闘するに越したことは無い。
俺はとりあえず、彼女を俺たちの仲間に引き合わせることにした。
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7
「……そんな訳で、彼女と一緒に脱出しようと思うんだが、どうかな」
俺がキャサリンとレベッカにカモフラージュ状態のケイシーのことを紹介すると、やはり二人とも意外そうな顔をしていた。
当然だろう、こんな小さい少女が鋼鉄の超人だと言われてもピンと来るはずも無い。
「ほ、ほんとにこの娘がそんなに強い超人なんですか? ……あ、すみません、別に疑ってる訳じゃ……」
「……無理もありません。そういうことならお見せします」
戸惑うレベッカに応えてケイシーが変身してみせる。
二人は一応はこれで納得したようだ。話が早くて助かる。
「で、ライアン。脱出すると言ったけど、助けを待つってのはどうするの?」
とキャサリン。確かに、当初は上空に飛行機をいるし、すぐに助けが来るだろうという期待のもとにここに来たのだ。
だが、実際には一向に助けが来る気配は無い。
「……何かがおかしいと思わないか、キャサリン。これだけ軍用機が飛び交っているのに、救出が始まったとかの気配は全然無いんだ」
「まあ、確かに……」
「武器も準備したんだ、このまま助けが来なかったら自力で生き残るということも想定しなきゃならない」
「同感ね。あたしたちも武装は完了したわ」
キャサリンたちも伊達に俺たちと同じ死線を潜っていない、既に調達した武器を身につけていた。
キャサリンは背中に十八番であるチェーンソーを背負い、飛び道具としてはライフルを一丁、そして二本のバールを持っていた。一体バールとどう使うのだろうか。
レベッカは自分が肉弾戦などできないことをしっかり自覚した上で、拳銃と競技用のクロスボウを持っている。
「全員完璧だな。よし、ならばここに閉じこもっていても事態が好転するとは限らないことを、警備員さんたちに伝えに行こう」
俺たち五人は避難民たちの集まっているホールに戻る。すると、何やら俺たちが来た時と同じくらいに騒がしく、多くの一般避難民たちが怯えていた。騒いでいるのは当然、あの二人だ。
「ほら見なさいよ! だからこんな粗暴な連中のことなんか信用しちゃいけないって言ったのよ! 今こそ平和的に解決するべきなのよ! キィィィィィイイイイッ‼」
「悔い改めよ! 神の怒りはすぐそこまで来ているぞ! 我が宗派に今すぐ改宗せねば、天罰が下るぞ!」
最早彼らと議論しようとしている者はいなかった。
俺はヒステリックな二人を遠巻きに監視しているハリスのもとへと走った。
「ハリスさん、何があったんですか?」
「ああ、君たちか。実はな、屋上で何やら不審な物音がしたという報告があったからカルロスを見に行かせてるんだが……。それが知れた途端、あの二人がエキサイトし始めてしまったんだ」
まだ事態がどう動くかもわからぬ時点で発狂するとは、本当に迷惑な奴らである。
「しかし、屋上で物音がしたというのは気になる話ですね」
「まあ、ホームレスが住み着いていたとかだとは思うんだが……」
その時、ハリスの無線機が電子のさえずりを奏でた!
『ハ、ハリス! 緊急事態だ、早く来てくれ! まずい、まずいぞこいつは!』
屋上を偵察しに行ったカルロスの声だ。軽いノリの彼だが、この声には全くの洒落っ気も無く、純粋に緊迫していた。
「一体何があった⁉ 今行くぞ!」
「俺たちも一緒に行きます!」
俺たち五人はハリスと共に屋上に向かった。
最上階から伸びる階段を登った先に待っていたのは、血塗れで屋上に出る扉にもたれかかったカルロスだった。
「カルロス! 一体どうしたんだ⁉」
ハリスが相棒に駈け寄る。
「ハ、ハリス……俺はもう駄目みてぇだ……」
「何も言うなカルロス」
「そ、そう言えば、カジノでお前に作っちまった三百ドルの借り、まだ返してなかったな……。この時計でチャラにしてくれないか。二百六十ドルだ……ちと足りないが、俺たちの仲だろ……」
カルロスはゆっくりと腕時計を外してハリスに突きつける。
「今はそれどころじゃ!」
「良いんだよハリス。嫁さんによろしくな……」
カルロスはそう言って笑顔を最後に見せると、自らの拳銃で頭を撃ち抜いて自害してしまった。
彼の流した血もマーブル。感染していたのだ。
「おいおい、どういうことだ? 状況から察するに、カルロスは屋上で噛まれたってことか? 最近のゾンビ共は、ロッククライミングのセンスでもあるってのか?」
かぶりをふるダニー。しかし実際不思議なことである。このホームセンターの屋上は外側から登れる構造ではなかったはずだ。
「とりあえず屋上に出て様子を伺ってみるわよ」
キャサリンが率先して扉を開け、俺たちもその後に続いた。
「これは……」
屋上にあったのは、一体の死体だった。顔色は悪い、血はマーブル、口許に血、頭部に銃創。なるほど、どうやらこいつがカルロスと刺し違えたゾンビのようである。
「にしても、こいつは一体どこから来たってんだ……?」
「それなんだが……」
ここで俺には気になったことがあった。このゾンビの服装だ。
俺がそのことを指摘しようとした時である。
「……! センサーが上空に人影を感知しました。上から来ます!」
何かを感知したケイシーが叫んだ! あといつの間にか変身済みだ!
「何だと⁉」
全員、頭上を仰ぐ。
すると俺たちの目に飛び込んできたのは、空に咲く数輪の花弁だった。
中心から外に向かって無数の筋を走らせている淡い色の円。
それは秒を経るごとに俺たちの視界の中で膨張していく。
「ぎゃぁぁぁあああッ! た、助けてくれ! こいつをどかしてくれ!」
そして天の花がダニーに覆いかぶさった!
「待ってろ、今取ってやる!」
俺はダニーにのしかかったものを天の花びら越しにパイプ椅子で殴りつけた。
手ごたえを感じると共に、その花弁の中でもぞもぞと蠢いていたものは停止し、ダニーが青ざめた顔で這い出て来た。
「こ、こいつは一体何なんだ⁉」
と自分に乗っていたものを指差すダニー。
そいつはゾンビだった、紛れも無く。
だが、同様に紛れも無く、身体は鍛え上げられ、戦闘服を纏っていた。
紛れも無く軍人だ。
そして、そいつが背中から咲かせていた花は――落下傘だ。
「空挺部隊だ……空挺ゾンビだ、パラゾンビだ!」
そう、この閉ざされた屋上にゾンビが侵入できた訳。それは奴らが空挺部隊だったからなのだ!
「ねぇ、あれを見て!」
キャサリンがこの施設からやや離れた上空を指差す。
見てみると、先程からこの街の上空を旋回していた大型輸送機たちが大量のパラシュート部隊を投下しながら同じコースを旋回飛行していた!
「あれ……全部ゾンビなんでしょうか……?」
「ああ、きっとそうだ」
「これでゾンビの発生の仕方がおかしかった原因もはっきりしたわね。まさにエアボーン、安全地帯のど真ん中にあちこちでゾンビが投下された、だから同時発生的にあちらこちらから感染が広がったんだわ!」
奴らは輸送機から飛び降りると、手慣れた手つきで適切な高度にて落下傘を開いて安全に減速し、そして頭上から生存者たちに襲いかかる。
「クソ! どうして連中、パラシュートの使い方覚えてるんだよ⁉」
「精鋭部隊だからね」
精鋭部隊だから覚えてるそうである。
そうこう言っていると、丁度俺たちの頭上の真上を輸送機が通過した。当然、置き土産は空挺ゾンビだ!
「まずいぞ、屋上が占拠される!」
ハリスが叫んで上空に向かって拳銃を連射するが、そう簡単に命中するものではない。
空挺ゾンビの一個分隊がホームセンターの屋上に降り立ってしまった!
「ヴァァァアアアア!」
幸いにしてゾンビが俺たちの脳天に直撃することこそ無かったが、空挺ゾンビたちは非常に手慣れたようすで落下傘を片付けるとすかさず両手を前に突き出した体勢に移行して、俺たちに向かってきた!
ハリスと俺がまず拳銃で射撃するが、やはり鍛え上げられた精鋭ゾンビだけあってピンポイントでヘッドショットを決めない限りはなかなか怯んでくれない!
「まずいぞ、この屋上はもう駄目だ! みんな、中に入れ!」
ハリスがこの屋上を捨てることを決意し、俺たちも屋内に駆け込む。
「ヴァ、ヴァァアア……」
「うおっ⁉ 畜生、こっち来るな腐れ野郎!」
だが最後尾のダニーがドアを閉めようとした時、やはり精鋭だけあって移動も妙に速い空挺ゾンビが半身を扉の隙間に突っ込んで閉鎖を妨害、ダニーに掴みかかろうとしてきた。
「私がやります」
そこで引き返したのはケイシーだった。
彼女はヘルメットの力によって増強された膂力を以てして空挺ゾンビの首に掴みかかり、そしてへし折った上で蹴り飛ばしてやった。
扉が閉められると、この薄い鉄板を挟んだ向こう側の生々しい呻き声とは対照的に、こちら側は奇妙な静寂に包まれた。だが、やらねばならないことは決まっている。
「この扉もじきに突破される……ここを放棄して全員で脱出せねば」
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8
「……という訳なんだ。申し訳ないが、ここを放棄して脱出するしかないから準備して欲しい。外の駐車場にマイクロバスがあっただろう、あれを使う」
ハリスがホームセンター内の避難民たちを前にして宣言する。だが、ほとんどの人はそれをすぐに受け入れられている様子ではなかった。
「し、信じられるかよ! 空からゾンビが降って来るなんてよう」
「残念だが本当なんだ」
「ここで引き続き助けを待っては駄目なの?」
「屋上の扉がいつまで持つかもわからないし、屋上が占拠されているようでは救助も後回しにされかねない」
ハリスが淡々と迷いなく答えるため、避難民たちも不本意でありながらも少しずつ現実を受け入れざるを得なくなっていく。
だが、当然それでも反発するものは一定数いる訳で。
「んまッ! さんざんアタクシたちに泥臭いことを強要しておきながら、次はこのアタクシを外に連れ回すおつもりなのかしら? あー、もう嫌んなっちゃうわ! どうせ外でもアタクシたちに戦えとかおっしゃるのでしょ⁉ もうついていけないわ! アタクシにはアタクシの考えがありますのよ!」
フリクソンが相変わらず声帯を酷使した金切り声を上げてどこかに行ってしまった。
「ハァン! オレも嫌だね! オレにはオレの救いがある、それがわかってなお、お前みたいな偉そうな仕切りたがり屋に従う義理はねぇや!」
フリクソンに続いて、以下にもジョックっぽい季節に合わぬ薄着の青年が俺たちに背中を見せた。
「まったく、こんな時に反発して何になるものか」
俺たちとしては呆れる他無かったが、これは俺たちがいくらか修羅場を潜り抜けて来て、この局面で落ち着いているからだろうか。
「では皆さん、裏口から逃げる準備をしてくれ。俺がゾンビの注意を引くからその間にバスに……」
ハリスが本格的に避難民たちを外に誘導しようとした、その時だった。
上の階から何かが破壊される音、押し倒し、破壊したものを土足で踏みにじる音がしたのは。
「何だ今のは?」
「上の階だ!」
「まさか……」
俺たちはハリスと共に、一旦避難民たちを待機させてから既に停止しているエスカレーターを駆け上がり、最上階を目指した。すると、そこには案の定空挺ゾンビが!
「まさか……いくら薄いとは言え、一応金属製の扉だぞ⁉ こんなに早く破れるものなのか、精鋭部隊とは!」
だからゾンビ化しても精鋭部隊のスキルが受け継がれるって思い込みやめようよ、いや、確かに実際にパラシュートは操作してたけどさ。
「ええ、完全に想定外ね」
キャサリンが背中からチェーンソーを抜き構え、俺たちもそれに続いて武器を構える。
「オホーッホッホッホ‼」
武器を手に周囲を警戒しながら屋上へと続く階段を目指そうとしていると、俺たちの前に立ち塞がるものがいた。
フリクソンだった。彼女は既に肩を噛まれて流血していたが、高らかに笑っていた。
しかしその目には最早生気の光は無い。焦点の合ってない目で満面の笑みを作って甲高い声を轟かせていた。
「フリクソン……まさか、お前が扉を開け放って奴らを入れたのか⁉」
「そうですわよ! アタクシはこの方々とお話して仲良くなるつもりですのよ! アナタみたいな典型的な田舎者右翼の妄言で戦いだのなんだの、泥臭い話はアタクシには合いませんの! アタクシは見ての通り頭が良くてお上品ですから、優雅に解決してみせますのよ!」
フリクソンはそう高らかに言って両手を大きく広げた。まるで自分が世界の支配者となったとでも言わんばかりだ。
「キャァア⁉ 何ですの⁉ やめなさい、放しなさい! アタクシはアナタがたをこの野蛮人共から助けてあげたのですわよ⁉ 話し合いの場を設けて……キィェエエエエエエエエエッ‼」
しかし魂無き者たちに彼女の溢れんばかりの「善意」が伝わることは無い。彼女は天を仰いで高笑いしているところをさらに背後からゾンビに奇襲され、たちまち床に組み伏せられて、首筋に血濡れの歯を立てられてしまった。
「くっ……仕方が無い、戦いながら脱出する……ぞ……!」
銃を改めて構え、勇ましく俺たちを鼓舞して戦いに臨もうとしたハリスが突如硬直、その言葉から覇気が滑落した。
「キャァァァアアアアアッ!」
レベッカが悲鳴を上げるとほどなくして床に倒れ込み深紅の水溜りに沈むハリス。彼の背中には一本のジャックナイフが突き立てられていた。
「ハ、ハリスさんッ!」
倒れたハリスの後ろに立っていたのは、先ほど勝手に離脱した薄着ジョックだった。ナイフを構えた姿勢のまま固まり、その手を震わせている。
「や……やったぞ! オレがやったんだ! み、見てくれましたかヤンテクト司祭様! こ、これでオレも救われますか⁉」
殺人の罪をその身に刻んでしまった彼が振り返った先に立っていたのはヤンテクト司祭。
「うむ、よくやったぞアンディ。我が神の怒りを頑として受け入れない魑魅魍魎がまた一つ取り払われた……これで他の者たちも今こそ改心し、我が宗派に入信するまたとない機会となるだろう」
彼はフリクソンと同じように両手を大きく広げながら仰々しく言った。
そう、この薄着ジョックはあの似非宗教家に洗脳されていたのだ。
「お前ら……狂ってるぞ、こんな時に!」
俺は思わず二人の狂人に向かって叫んだ。
だが当然、それを自覚できるだけの理性があればこんな凶行には最初から及ばない。彼らは俺に向かって侮蔑の嗤いを向けて来た。
「ふ、ふん! 本当の真理に気付けない馬鹿者め! このオレはヤンテクト司祭様に真理を教えていただいたのだ、それを侮辱するのか!」
薄着ジョックが俺に殴りかかって来る。
俺はこんな奴相手に正々堂々と拳で語る気などさらさら無い。向かって来たところにいきなり首を掴んで締め上げて動きを封じ、それから鳩尾に膝を突き立ててやった。やはり自分より体格の良い相手と戦うにはネックハンギングと急所狙いに限る。
「……相変わらず見事なネックハンギングです」
後ろでケイシーが謎の称賛。
「……ぐ! て、てめぇ……卑怯だぞ」
「うるさい。これ以上何か言ってみろ、お前の口を縫い合わせて、その分ケツの穴を引き裂いてやる」
俺は薄着ジョックの頭を手すりに打ちつけて気絶させた。
「おお、神よ。どうしたこの後に及んで未だ終末の理を理解しない者が蔓延るのか。今
こそ聖なる裁きの鉄槌を……ぐわぁぁぁあああ!」
ヤンテクト司祭はヤンテクト司祭で、相変わらずの尊大な物言いで俺に詰め寄ろうとしたところ、ゾンビが押し倒した陳列棚が丁度彼のところに倒れ込み、そして下敷きになる過程で頭を床に打ち付けて死んでしまった。恐らく肋骨も潰されているだろう。
「ヴァ、ヴァァアア……」
空挺ゾンビに噛まれたフリクソンが起き上がった。彼女もまた、和解を試みようとした相手の一部となってしまったのだ。
「まずいぞ、これは! 仮にここにいる奴らを全員倒したとしても、いつまた空挺ゾンビが降下してくるかもわからない!」
「ええ、そうね! やっぱりすぐに脱出した方が良いわ!」
俺たちは急いで一階に戻るが、そこには既に空挺ゾンビの分隊が進入しており、奴らに噛まれた者もまた蘇り始めていて、とっくに魔境と化していた。避難民たちの多くは混乱し、奴らと戦うことに思い至れぬまま次々と噛まれていっている。
「何やってるんだ、早く外に出ろ! 逃げるんだよ!」
俺たちは彼らに声をかけながら裏口のバリケードを破壊して外に出る。それでも縮こまったまま動こうとしない者は多くいたが、三人程度はついて来てくれた。
「やばい、ガス臭い! 爆発するぞー!」
ゾンビが暴れ回ったせいでどこからかガスが漏洩していたのか、俺たちが脱出した直後にホームセンターは内側から大爆発してしまった。俺たちは既にある程度距離を取っていたことと、爆風に押されるようにして地面に伏せたこともあって何とか無傷だったが、俺たちに続いて脱出した三人のうち二人はまだ十分に距離を取っておらず、爆轟に巻き込まれてしまった。
「助かった……? ハハ、ハハハハハハ! やったぞ、オレは助かったぞ! 神はオレを救ってくれた!」
俺たちと一緒に先行していたおかげで難を逃れた微妙にジョックっぽい男が天を仰いで高笑い。だが、それに向けられた彼の視線の先にあったのは天使の微笑みではなかった。
「アァァァアアアアアアアアアッ‼」
彼は丁度降下してきた空挺ゾンビを脳天に直撃させられて絶命してしまった。
「畜生、また俺たちだけになっちまったな!」
俺はとりあえず、ジョックの肉を貪る空挺ゾンビを撲殺。
改めて空を見てみると、未だゾンビの雨は止む気配は無い。
「おいおいライアン、やべぇぞ! 使えそうな車が無い! オレの車も壊されてる!」
ダニーが嘆いた。駐車場を見回してみると、やはりエンジンが熱を持っていた車は壊されているし、マイクロバスの周りには多くのゾンビが群がっていて接近が難しそうな状況になっていた。いや、そうでなくとも、車を動かすにはエンジンキーが必要なものだ。しかしこれだけゾンビが集結している環境下で都合よくキーが放置されてる車を探すのは難しい。
「仕方が無い。車が調達できるまで歩くしかない」
そのために武器を調整したのだ。
「ええ、そうよ。戦うのよ!」
キャサリンがチェーンソーを掲げると、やはり闘志に何故か火をつけられる俺たちであった
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9
「戦え、戦うんだ!」
俺たちはホームセンターの敷地から出ると、早速路上でゾンビ共に遭遇。いつ空挺部隊が来るかもわからないので、上空にも注意を払いながら進むことにした。
「レベッカ、どっか車を調達できそうなところは?」
「そ、そうですね……新設されるショッピングモールの工事現場なんてどうでしょうか。ここから五キロのところなんですが、今日は工事が休みだったみたいで作業員がいなかったから、ゾンビもあまりいないようです」
「なるほど、土建屋の兄ちゃんたちならゴツい車もそこに放置してそうだな。よし、まずはそこをチェックポイントとして目指そう!」
俺たちは第一の目的地を定めると、北に向かって走り始めた。
まず最初に十字路でゾンビの群れと遭遇する。だが迂回などしない、戦って最短ルートで突破してやる!
「よし、まずはこいつを喰らえ!」
俺は向かって来た三体のゾンビたちに向かって丸ノコの付け替え刃を手裏剣の要領で投擲した。正確に眉間に突き刺さりノックアウト。
「ひゅう、やるなライアン。シュリケンとは想定外だ」
「前世が日本人ならできて当然の芸当さ。それより、ダニーのそれは?」
「ああ、こいつかい?」
ダニーは俺の疑問に応えて、手にしたボウリングの玉を投擲、迫り来るゾンビ四体の脚の骨を打ち砕いてストライク。
「まさかそんな使い方するとは」
「ああ、でも今ので使い切っちまった」
「お前馬鹿か」
「だが、銃と鈍器はまだまだあるぜ」
ダニーはショットガンを普通に構えた。
対して女性陣はどうか。
キャサリンはまあ、相変わらずの超人っぷりだった。流石はサーファーである。
中距離の相手に対しては両手に持ったバールを投げつけて正確に頭部を破壊するか、あるいは手足を粉砕して戦闘力を奪うかしているが、空中で円を描きながら飛翔するバールの姿は一種美しさを感じさせるほどに見事なものであった。そして使命を果たしたバールは逆方向に宙を裂き、キャサリンの手元に戻って来る。ゴム紐で手首と連結されているからだ。
だが、彼女が敵ゾンビ集団に積極的に切り込んでいっている以上、中距離戦だけで済むわけではない。敵の数も多く、バールで倒せなかった奴らが肉薄してくる。
そこで輝くのが彼女のチェーンソー。バールを手元でスタイリッシュに回転させながら工具ベルトに戻すと共に背中からチェーンソーを抜き、その勢いのままに接近してきたゾンビを両断する!
「チェーンソーは友達! チェーンソーがあれば何も怖くない!」
頼もしい限りである。
彼女の親友であるレベッカも、拳銃とクロスボウを上手く使い分けながらも奮闘、前衛のキャサリンをうまい具合にサポートしていた。
そしてケイシーはスチールガールとしての鎧の姿に変身した上で、次々とゾンビの首をへし折っていく。たまに肩から小型ミサイルも撃つ。そんな武器を収納できるスペースがあるようには見えないが、現に撃ってるのだから仕方が無い。
「君たちもやるな!」
俺は俺で丸ノコ手裏剣投擲しつつ近接戦闘ではパイプ椅子での打撃攻撃をやっていたが、やはりパイプ椅子はかさばる。威力は申し分ないのだが、まだ道が長いことを考えると、武器を変えた方が良さそうだ。
「ライアン、良いところに木の棒が落ちてたぜ!」
ゾンビをバットで撲殺しつつダニーが木の棒を投げてくれた。そう、やっぱり俺の手に馴染むのはこいつだ!
「礼を言うぜダニー! これならまだまだ戦える!」
俺が木の棒を振りかざすと、少しでも掠ったゾンビは恐れおののくようにして一歩後退した。やっぱり効いている!
「ライアン、ダニー! 上から来るわ、気をつけて!」
と、キャサリンが左手にチェーンソーを持ったまま何と片手でライフルを構えて空中から襲いかかって来た空挺ゾンビを撃墜し始めた。それでも着地した空挺ゾンビはチェーンソーの餌食。サーファーだから仕方が無い。
俺たちも追従して手持ちの銃を以てして可能な限り空挺ゾンビを空中で撃破するよう試みるが、それでもやはり何体かは着地を許してしまう。しかしそこは重装備の空挺装備、パラシュートを畳んでいる着地直後を狙えば意外と簡単に倒すことができた。
こうして、多用な武器を駆使して目的地までの半分を越したくらいのところまで来たところでゾンビの気配がだいぶ無くなったため、とりあえず小休止を俺たちは取ることにした。
「さて、今後のためにも今のうちに色々と確認しておこう」
俺たちは無人の喫茶店の客席に腰掛けた。
「このパンデミックの元凶が空からやって来たというのはわかった。でも、どうして空挺部隊がウイルスに感染してるんだ? 何のために飛んでるんだ? 輸送機のパイロットも感染してるのか?」
「うーん、それだが、ここに来た時にカーラジオで何か気になること言ってなかったか?」
疑問に応えてくれたダニーの言葉を聞いて、俺はさっきのラジオの内容を思い出した。
「レンゴクとかいうので言ってたあれか。空軍基地で、何かヤバいものの輸送を始めるって」
だとすれば、それがウイルスなのだろうか。だがそれでは、飛行機の乗員が感染していたことの説明がつかない。
「……そのことなら私たちにも心当たりがあります」
とケイシー。
「何、本当か?」
「はい。詳しいことは先生にお願いします」
『うむ。我々が、某軍事企業の手先を追ってここまで来たというのは話したな? では疑問に思わないか? 何故、その軍事企業が事前にこの事態がこの街で起こることを予測して潜り込めたのかを。実は、そのウイルスは他の某製薬会社が米軍と協力して作ったもので、サンタクラム空軍基地から輸送されるはずだったのだが、積み込み前に漏出して、基地内で感染が広まってしまったらしい。幸いにも基地の滅菌は成功したようだが、既に輸送機は乗員に保菌させたまま飛び立った後だったのだ』
まーた米軍は怪しげな会社の口車に乗せられてナチスを笑えない面白ビックリ兵器に手を出していたのか。こういう話を聞けば聞くほど、この後世世界米国の安全保障が心配になりまくるのだが。日本なんて、一般国民こそ平和ボケしてるようで、実際には自衛隊は怪獣上陸に備えてメーザー兵器を大量配備し、都内の在来線も有事の際には特攻兵器に転用できるように作られているというのに。
「なるほど、それでその騒ぎを嗅ぎつけた軍事企業が、奴らが降下するなら進路上にある最初の一定規模以上の街ってことで、このニュースタング市に予測をつけて、先回りしたと」
『そういうことだ。奴らはホームセンターにいただけが全てではない。私たちはこれから街中で奴らの残りを探して、チップも奪わねばならないのだ』
「そう言えば、何であの輸送機はこの街の上空をひたすら旋回してるの? 別にここがあいつらの本来の目的地って訳でもないんでしょ?」
キャサリンが新たな疑問を挙げる。確かに、たまたま進路上にあったでは説明のつかないことだ。
『私にもわからん』
「あの……もしかしたらわかるかもしれません」
無責任にも質問を突き放すクラッシュ博士に代わってレベッカが挙手した。
「本当? 流石ベッキーね。聞かせて」
「はい。彼らは熱を感知するんですよね。っもし輸送機のパイロットも感染しているとしたら、あちこちに熱源が散在している街の上空でとどまってしまうのもおかしくはないんじゃないでしょうか。その場合は、街のどの熱源よりも大きな熱があれば輸送機を誘えると思いますが……」
なるほど、確かに理にかなっている。俺たちはとりあえず、今後行動するための指針を安定させるため、ここで成された結論を前提条件として捉えることにした。
「そういえば、ヘルメットくらいは脱がないんですか? スーツ全部は大変かもだけど、ヘルメットくらいは小休止の時に脱いだ方が楽になるかと思いますよ」
レベッカが悪気も無く禁句に触れてしまった。しまった、このことをキャサリンとレベッカに伝えてなかった。
「……脱げるものなら脱ぎたいですよ」
対してケイシーは、ものすごーくげんなりとした、人生に疲れ切ったような遠い目を湛えた表情で応えた。
「え、脱げないんですか?」
「はい、脱げません」
「どういうことですか博士⁉」
『本当は着脱可能にしたかったが、予算が無くて手が回らなかった。とてもすまないと思っている』
相変わらず悪びれない博士。
「ご近所の博士の研究所に入り浸ってたのが私の運の突きだと思ってますよ……。そうですよね、一介の女子小学生にできる研究のお手伝いなんて実験台くらいですよね」
自分の人生を狂わせた元凶を軽く皮肉るケイシー。完璧に悟ってる感があった。
『そんなことはない。君は将来有望だった。だから手伝いも頼んでいたのだ』
「で、将来有望な女の子を全身貞操帯に封じ込めたと」
『私は君の正義感が強くて真っ直ぐな性格を信頼していたのだ。だから正義の力を授けた』
「私の意思は全く考慮してくれませんでしたけどね。……挙句、パパとママも巻き込まれましたし」
『本当に申し訳ない』
真の絶対悪とはこの博士を言うのではないかという気がしてきた。
ともあれ小休止もいいところなので、俺たちは再び戦いに戻ることにした。
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10
その後俺たちは予定通りに進路を進んだ。すると、さらに半分ほど突破したところで、ゾンビのいない安全地帯に一台のバンが停まっているのが見えた。
「なあ、わざわざ工事現場まで行かなくても、キーさえあればあの車パクれないかな?」
とダニー。いい加減車で移動したいらしい。
「いえ……あれは軍事企業の車です! あそこにきっとチップが。先生、今すぐ乗り込みましょう」
『うむ、早めに済ませてしまおう』
しかしそのバンはどうやら、ケイシーたちの宿敵のようであった。よく見てみれば中に人もいるようだ。
「あっ、ちょっと」
ケイシーは一人でバンに向かって吶喊。彼女の戦いに関係の無い俺たちは巻き込みたくないということだろうか。
「来やがったな、例のチビガキ!」
「よし、撃ち殺せ! 俺たちの方が上手だ!」
バンの中から拳銃を持った男たちが出てきた。何と、今回はその軍事企業とやらの中でも最精鋭なのか、最低限のintを持ち合わせており、ケイシーに向かって発砲した。こいつは手強い。
「フィールド・オン!」
しかしケイシーは身体を包み込む光の障壁を展開し、拳銃弾を三発ほど弾きながら突撃、肉薄してチンピラたちを一人一人丁寧にネックハンギングで沈めていった。
「はぁはぁ……か、身体が重いです……」
だがチンピラを倒し終えたケイシーは消耗した様子で、地に膝を着いてしまう。
『銃弾を浴びすぎてフィールドに関わるナノマシンが急激に消耗してしまったんだ。大量の銃弾に耐えられる設計ではないからな……。こうなればエネルギーを補給するしかない。さあ、練乳を飲むんだ』
パワードヘルメット基準では三発で大量の銃弾というらしい。
「……ふぐっ! んごほっ! んく……んく……こふっ! く、く、く……んほぉ!」
そしてケイシーは練乳を補給。せめてこんな声が出ない程度には味を改善してあげたい。
それからケイシーは倒した男の服を漁り、チップを奪い取った。
「……チップも無事に回収できましたし、この車を使いましょう。彼らがここで足止めされてて運が良かったです」
「やったぜ」
徒歩パートの終わりを喜ぶダニー。
「そうだな、工事現場までの道のりに危険地帯が無いとも言えないしな。ところで、そのチンピラたちはどうするんだ? いくら悪人でもゾンビの跋扈するところに放置はまずくないか」
「あそこにあるコンテナに放り込んでおきましょう。それなりに安全なはずです」
「なるほど、理にかなってる。ところで、奴らはどうしてこんなところで足止めされてたんだろう。すぐ近くにはゾンビもいないようだけど」
「あ、あれではないでしょうか……」
少し離れたところの上り坂に様子を見に行っていたレベッカが、坂の向こう側を指差す。
俺たちが坂に登って反対側の斜面を見下ろしてみると、なるほど、数百という単位のゾンビが犇めいて道路を塞いでいた。あまりに密集し過ぎて、ゾンビたち自身も身動きが取れない様子だ。
「あー、あれを見て迂回を検討してたって訳か。今はまだ感づかれてないけど、俺らもこのまま行くことはできないな」
「じゃ、じゃあわたしたちも迂回しますか?」
「いや……変に迂回するのも危険だ。でもここを直接突破するのが一番街から出るのには近道だしなぁ。かと言って、ここは一本道だから陽動もできないし」
「じゃあ、突破口を開いた上で車で駆け抜けるしかないってことですか……」
そう、こうなれば何とかして俺たちの内の戦闘力の高い者が出ていって、突破口を穿ち、死中に克を見い出すしかないのだ。
俺は手に握った木の棒に改めて視線を落とす。
「……これじゃあ火力が足りな過ぎる。もっと大きい木の棒が必要だ」
「あたしのチェーンソーもサイズが足りないわ。うんとでかいのが欲しい」
キャサリンもどうやら同じことを考えているようだ。彼女も切り込むつもりなのだろう。
「おい、ならあそこにあるのはどうだい?」
さらなる力を欲する俺たちに対して呼びかけるダニー。彼の指差す先にあったのは、材木商の集積場だった。
「ビンゴだ……木の棒の店だ!」
俺とキャサリンはすぐさま集積場に駆け込んだ。
「これは良い。身の丈ほどもある大量の木の棒が選び放題だ!」
「それ、丸太って言うんじゃないかしら?」
とても太くて長くて逞しい黒々とした木の棒を抱え上げた俺に対してそう言うキャサリンは、何やら重機の操縦席に乗り込んでいた。恐らく車体の基部は小型のホールローダーと同じなのだろう、しかしバケットの代わりに巨大なチェーンソーが装備されている重機だった。
「それ、何に使う重機なんだろ?」
「道路のアスファルトを切り取る時とかかな? まあ、ここに置いてる以上、巨木の丸太を加工するのにも使えるんでしょうね」
「てかキャサリン、そんな重機運転できるの?」
「経験は無いわ。でもチェーンソーである以上はあたしに操れないことはないはず」
頼もしい限りである。
「よし、それじゃあ俺とキャサリンとケイシーで突破口を穿つ。ダニーは車のエンジンをふかして待機、突破口ができ次第突入、俺たちを速やかに回収してくれ」
「任せとけ、白馬の王子様がやるように颯爽と拾い上げてやるからそのつもりでいてくれ」
「まーた気持ち悪いことを。まあいい、今は少しでも時間が惜しい、キャサリン、ケイシー、行くぞ!」
俺が先陣を切り、キャサリンとケイシーを引き連れてゾンビたちの群れに突入する。
俺は坂の下のゾンビたちに向かって、丸太――ではなく立派な極太木の棒を、自身の周囲に円を描くようにして大振りで振り回す。すると、その攻撃をその身に受けたゾンビは大きくよろけて骨を砕きながら崩れ落ち、掠った程度のゾンビたちも、普通の木の棒と比べてひと際大きく恐れて後退した。流石の火力である。
「ははは! 木の棒は家族だぜ!」
俺がこの巨大な棒を力任せに振り回すだけで群がる敵が次々と薙ぎ倒されていく様は、まるで日本の無双系のビデオゲームである。
しかし、元の数が多いため、薙ぎ払ってもやはり数体単位の集団で襲いかかってくる。
そこで俺は敵を一挙に滅する補助的手段として、ホームセンターから持って来たカセットボンベも使ってみた。間合いを取りながらカセットボンベをゾンビの小集団に投げつけた上で、拳銃で狙い撃ってやる。すると、直撃を受けたゾンビの衣服や頭髪に引火し、その熱に釣られて他のゾンビたちが燃えるゾンビを襲撃、共食いが発生し、敵を上手く攪乱させることができた。
キャサリンとケイシーも奮闘している。キャサリンの乗るチェーンソー車両はその刃を縦にしか振るうことができないが、それでも刃がでかいからか、よくわからない衝撃波的なもので広範囲のゾンビを薙ぎ払っているように見えないこともない。
ケイシーは練乳をさらに補給してフルバーストを発動、目にも止まらぬ速さで次々とゾンビたちをネックハンギングの餌食にしていく。
「よし、拓けたぞダニー! 突入だ!」
「よっしゃ腕の見せ所だぜ!」
ダニーはバンを急発進させて突破口に残存していた少数のゾンビを轢き殺しながら俺たちの目の前まで滑り込み、俺たちを拾い上げると、再びアクセルを一気に踏み込んで突破口が閉じないうちに脱出することに成功した。
ちなみに特大木の棒は車に乗り込む際に捨てた。流石にこんなかさばるものを持ち続ける気はしない。キャサリンも重機は乗り捨てだ。
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11
「いやっほう! つくづくオレの運転テクは仲間を救ってると実感するぜ、みんな、オレに惚れて良いんだぜ?」
ゾンビ密集地帯からの脱出に成功したダニーが浮かれていると、フロントガラスに空挺ゾンビが血のりをまき散らしながら落下、激突の勢いのままガラスを突き破って上半身を車内に突っ込んできた。
「う、うお! 来るな! 運転の邪魔だ、どけ!」
空挺ゾンビはハンドルから手を離せないダニーに掴みかかろうとするが、すんでのところで何とか俺が銃を抜くのが間に合った。顔面に拳銃弾を受けた空挺ゾンビは車体から転げ落ち、車輪の一撃で止めを刺されることとなった。
「まずい! どこの空を見ても空挺ゾンビだらけよ! この街の空はゾンビで埋め尽くされているわ!」
車窓の外を見ると、今まで以上に降下作戦が本格化していた。三百六十度前方角に宙を舞う空挺ゾンビの姿が見える。輸送機の最大収容人数がどれくらいだったかを気にするのはきっとご法度なのだろう。
「このままではゾンビが風に乗って街の外にまで拡散してしまうのでは……」
『ああ、そうなれば一挙に始末するのは困難になるな』
外界の終末へのカウントダウンが近づいている光景を前に絶望に駆られようとしていると、俺の携帯電話がこんな時なのに突如着信音を発した。番号は非通知だった。
「……もしもし、ライアン・ブラウンです」
『ライアンか? すぐに出てくれて良かった、手短に済ませたい』
しかしいざ出てみるの、俺の耳に飛び込んできたのは聞きなれた声だった。
「クレア? 非通知だったから一体何ごとかと思ったよ」
『ああ、普通の回線では言えないことだからな……秘密の回線で電話させてもらっている。……お前たちは確か、今日キャンプに行くと言ってたな? ニュースタングを通るルートだったと思うんだが、もう通過済みか?』
「ああ、今丁度ニュースタング市で混雑に巻き込まれてる状況だ」
『……そうか。なら話は早い。単刀直入に言おう。もうすぐ空爆が始まるから一刻も早く脱出してくれ。州軍の筋から入手した噂話だが、信憑性は高い』
我らが祖国のお家芸来ました。
「まさか核攻撃?」
『いや、流石にそこまではいかないらしい。燃料気化サーモバリック爆弾を使うらしい。既に連邦空軍のB-1戦略爆撃機二機がそっちに向かってるとのことだ。早く逃げた方が良い』
その滅菌方法が証拠隠滅を兼ねていることは言うまでも無いだろう。
「わかった。危険を冒してまで忠告してくれてありがとう、クレア。何とか脱出してみよう」
『ああ、気をつけてな……』
俺は電話を切って、仲間たちに向き直る。
「お、幼馴染みの州兵姉ちゃんからかい、ライアン?」
「ああ、彼女が機密情報を流してくれた。もうすぐこの街は焼き払われるから脱出しろってな」
俺はクレアから聞いた話を手短に説明した。
「ふうん、それは大事になってきたわね。……でも」
「ああ、この拡散の仕方じゃあ、空爆だけではどうにもならないかもしれない。それこそ、核兵器を使わないと完全に滅菌できないだろう。すでに郊外まで拡散してるかもしれないし、何よりあの輸送機が他のところに飛んで行ってそこでゾンビをまた投下してしまうかもしれない」
「あの輸送機は街の熱に釣られてこの上空を滞空している……となれば、街の機能が完全に死んだら、他の熱源に行くかもってことね。地上のゾンビたちももちろん」
「ああ、そして軍は戦闘機を派遣しない辺り、その可能性を考慮するにはまだ至ってないらしい。このままじゃあ、なし崩し的に本当に国内で核を使う事態になっちまう」
もしそうなれば、この国はどうなるのか。前代未聞の大混乱に覆われるだろう。また、ある程度拡散してしまえばただ一発の核で全てを終わらせられる保証すら無くなってしまうのだ。
「……こうなったら、俺たちでこの事態をどうにかしよう」
またしても望まぬ活躍をしてしまうのは不本意だが、アメリカの危機かもしれないのだ、仕方が無い。
「マジかよ……一体どうやるってんだ?」
「レベッカ、この街の地図を今一度見せてくれ」
「あ、はい。これです」
俺はレベッカの示した地図を見て、やはりな、と唸った。
「ど、どうするんですか?」
「ここから二キロ離れたところに雑木林がある。サッカーコート三面分の面積だ。ここに放火しよう」
放火、という不穏な単語に車内が凍りつく。何だよライアン、とうとうイカれたか、とでも言いたげだ。
「……奴らは熱に反応するが、どうやら人間の体温とか適温でなくても良いようだ。さっき、ボンベ爆破でゾンビを何体か燃やしたら俺に見向きもせずに共食いを始めた。つまり奴らは、より大きい熱量に優先して釣られていくんだ」
「なるほど、サッカーコート三面分の林を燃やせば今のこの市内では一番の熱量になる。そうすれば全てのゾンビはそこに釣られ、郊外の奴らも街の中におびき寄せられる、って訳ね。道理に適ってるわ」
流石と言うべきか、一番最初に放火の意味を理解したのはキャサリンだった。
「そうだ。それに輸送機も釘付けにできるかもしれない。パイロットゾンビはおそらく、街を俯瞰して見てるから、同程度の熱が散在する街のどこにも降りずに、旋回を続けてる。街のどの熱源よりも巨大な熱量を発見すれば、絶対に突っ込んできてくれるはずさ」
「決まりね。じゃあ皆、雑木林に向かうわよ。ダニー、さっさと運転しなさい」
こうして俺たちはいまいちスケールが小さいのに、もしかしたら国の存亡に関わるかもしれない個人的な作戦を敢行することとなった。
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12
雑木林の周囲にゾンビの大集団は無かった。少数のゾンビが点在しているだけで、作業はしやすそうだった。だが相手は空挺ゾンビ。いつどこで空襲されるかもわからないから、注意が必要だ。
「よし、この辺りに止めろダニー」
「おう」
「あっちにガソリンスタンドが見える。タンクローリーが丁度停まってたらビンゴだ、そいつを引っ張って来い」
「お前は毎度のように、オレに多種多様な乗り物の運転を押し付けるな、ライアン」
「ふん、まんざらでもないんだろ?」
「あ、バレてたか? ま、オレ様を頼ってくれんのは嬉しいことだ、惚れても良いんだぜ?」
ダニーは相変わらず調子の良いことを言いながらガソリンスタンドに向かって行った。
「さて、俺はボンベを探してくる。キャサリンとレベッカは脱出に向けてこの車を守れ、ケイシーは俺に同行してくれ」
俺もすぐにケイシーを伴って駆け出した。車の守護を任されたキャサリンも、喜々としてチェーンソーのエンジンを点火する。
「探すのはボンベですか」
「ああ、時間が惜しいから少しでも一気に燃え広がるようにしたいからな。ダニーにはこの雑木林の外縁にできるだけガソリンを散布してもらうが、それの点火にボンベの爆発を使いたい。どこまで違うかわからないが、単にマッチで火を着けるよりは勢い良さそうだし、近づかなくて済むから安全だ」
「油を撒ききれなかったところに点火するのにも使えますしね」
「そういうことだ。二つは確保したい。でも俺一人じゃ一つしか持てないからな、ついて来てもらったんだ」
「わかりました。力を尽くします」
「助かる」
俺たちは雑木林の外縁を半周分ほど走ったところで、都合よくガス会社の出張所を見つけた。だがそのエントランスの中にはゾンビが犇めいていた。
「ケイシー、行くぞ!」
「了解です」
俺とケイシーは迷わずにガス会社に突入。
俺は木の棒を振りかざしながら拳銃を発砲、温存していた最後の丸ノコ手裏剣も投げつくす!
ケイシーは練乳を一気に飲み干してたっぷりとエネルギーをチャージした上でパワードヘルメットのブースト機能を発動、圧倒的な処理速度と加速された挙動を以てして、群がるゾンビたちを、何と今回は首狙いに固執することなく、優位なパワーを以てして速やかに殲滅していった。
「よし、クリア! ボンベを運び出せ!」
ゾンビはまだ建物内に残っているようだが、全員を相手にしている余裕は無い。出入り口付近の中型ボンベを俺は担ぎ上げ、ケイシーも小柄な体躯からは想像できない力で大き目のボンベを持ち上げ、二人で建物を後にした。
「ヴァ、ヴァァアア……」
建物内から聞こえる呻き声が大きくなってくる。奥の方や二階に隠れていたゾンビが俺たちに気づき、追って来ようとしているのだ。
だが遅い! この段階で俺たちの方が優位だ!
「燃え尽きろ!」
俺は手持ちの最後のカセットボンベをガス会社エントランスに投げ込んで発砲。爆発したカセットボンベは至近の中型ボンベに誘爆し、そして建物内のボンベたちが立て続けに連鎖爆発を起こしていった。これで屋内にいたゾンビは全て丸焼きだ。
「ライアン! ガソリン撒き終わったぜ!」
ダニーが血のついたタンクローリーに乗ってやって来た。
俺に見える範囲内にはガソリンを撒いていない辺り、死角になるところで撒き切ってしまったようだ。
「お疲れ。やっぱり足りなかったか?」
「ああ。だが、撒けてないのはこの近辺だけだ」
「わかった。ならばここにボンベを置こう。ケイシー、その大きいボンベそこに置いて」
「はい、了解です」
「よし行こう」
俺はケイシーが設置したボンベを拳銃で爆破し、辺りの木々に火が着いたのを確認しながら言った。
俺たちはボンベを爆破するとすぐにダニーのタンクローリーに乗り込み、もとのバンの報に向かって走った。
バンが見えてくる。バンは既に多数のゾンビに囲まれ、キャサリンがレベッカの援護射撃を受けながら何とか守り抜いているが、如何にキャサリンと言えどやはり前衛一人でこの数を相手にするのは無理があったのか、既に彼女は珍しく披露を顔に滲ませていた。手にしたチェーンソーも既に刃の回天が緩慢になり始めている。
「キャサリン! 避けろォ‼」
ダニーはタンクローリーを一旦加速させてからブレーキを踏みながらハンドルを目一杯に切って車体をドリフトさせ、その豪速と質量、そして車体の長さ全てを活かして群がるゾンビたちを薙ぎ倒していった。
それにより、バンが発進するには十分な空間が確保された。
「みんなバンに乗り込め! ガソリン散布とボンベの爆破は終わった! あとは逃げながらこっちのボンベで着火するばかりだ!」
「わかったわ!」
邪魔なゾンビが残っていれば車窓からの銃撃で強引に排除、一体や二体ならばさらに強引に轢き殺しながら発進した俺たちのバン。
「ライアン、ここがオレが撒いたガソリンベルトの真ん中ら辺だぜ」
「よし、ならここから燃やせば一番効率良く燃えるな。まだゾンビは追って来てるが、手短に済ませちまおう」
俺はダニーが指定したところに車内からボンベを転がし、そして発車しある程度距離を取ったところで同時にそれをライフルで狙撃。
辺りを轟かす爆炎はその勢いのまま自らの力の一端に周囲全てを飲み込み、同化するようにしてガソリンを燃やし、ベルト状に巻かれたガソリンは地を奔る勢いで燃え広がる。そしてやがて、森林の外縁部が見事に炎の輪に囲まれた。
炎の輪が完成する頃には既に、中央に向かっての勢力拡大も始まっており、雑木林全体が炭になるのも時間の問題である。
「見て! ゾンビたちが惹かれてるわ! 大成功よ、ライアン!」
黒煙を上げて天を焦がさんばかりに轟々と燃え盛る雑木林に向かって、この場に通じる全ての路地からゾンビたちがふらふらと熱にでも浮かされたようにやって来た。成功だ、比喩でなく、本当に熱に浮かされて集まって来たのである!
「よしダニー、俺たちはトンズラと行くぞ! あそこの道はまだゾンビが少ない。あそこから脱出する」
「よっしゃ任せとけ!」
俺たちのバンは熱気に後押しされるようにして加速する。多数のゾンビ共とすれ違うが、皆俺たちには見向きもせず一様に大火を目指していたため、本格的な戦闘は要さず、たまたま進路を塞がれていても、車上からの銃撃でどうにでもできた。
「まさかここまで上手くいくとは……」
振り返って見てみると、歩いて火に入る冬のゾンビたちが全身火だるまになって共食いしながらもどんどん業火の中心に向かって行進していた。
頭上から爆音が聞こえる。見上げてみるとその主は件の輸送機たち。
やはり輸送機パイロットも巨大な熱量に惹かれてしまうようで、空を飛んでいた輸送機が次々と吸い込まれるようにして炎の中に全力で突っ込んで行き、次々と爆発していく。これでは収容されている残りの空挺ゾンビも無事では済まないだろう。
「あ、爆撃機が……」
キャサリンが上空に空軍の爆撃機の機影を発見した。恐らく旋回して様子を伺ってから空爆を始めるだろう。爆撃機のパイロットは森林火災に群がるゾンビを見てどう思うだろうか。
「ダニー、かっ飛ばせ! 空爆が始まる!」
「よし来た! しっかり掴まってろ!」
俺たちが市街地から脱出して少しすると、俺たちの背後でいくつもの中型のキノコ雲が発生、ニュースタング市は消滅した。
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13
「ここまで来れば安全だ……」
しばらく走ったのち、ダニーが不安を煽る言葉を無意識に発しながら、潰れたドライブスルーの敷地に車を停めた。だが実際、辺りにゾンビの気配も無ければ爆撃機が追ってくる気配も無かった。ニュースタング市がただでさえ夕焼けに染まる空をより一層赤く染めて燃え盛っているのが、丁度地平線の辺りに見える。
「本当に逃げ切ったようだな……」
俺たちは脅威から逃げ切ることに成功した解放感というか安堵感というか、そういった気持ちを改めて感じるべく車外に出て、さっきまでいた街を今一度見てみる。
肌に感じる空気は極めて平穏なものであった。
「……皆さん、今日は協力ありがとうでした。お陰でだいぶスムーズに目的果たせた……」
と、ケイシーがどこか恥ずかし気な様子で俺たちに向き直ってきた。
「いやいや、俺たちの方こそ助けられたよ。そのヘルメットの力はかなり頼りになった」
「ええ、あたしたちもケイシーがいなかったらどうなってたことか……。そう言えばケイシーはこの後どうするの? あたしたちは何とかして帰ろうと思うけど、一緒に来るかしら?」
「いえ……。私にはまだやることも残ってますので、ここでお別れですね」
ケイシーは俺たちに背を向けた。
「すべきことを終えたら拠点に帰ります。ツリーサイド市の拠点に」
「ツリーサイド市? 奇遇だな、俺たちとは隣町じゃないか」
ケイシーが振り返る。
世間は意外と狭い、それはアメリカでも同じことのようだ。
「……そうなんですか」
「ああ、車さえ使えば行くのには大して苦労しない。機会があればまた会おうじゃないか」
「……ま、まあ、機会さえあれば」
ケイシーは改めて俺たちに背を向けた。
「い、行ってしまうんですか?」
「おいおい、もうちょっとくらいオレたちと感傷に浸ろうや」
『私たちにもやらねばならない使命があるのでな。申し訳ない』
レベッカとダニーの別れを惜しむ声に博士がケイシーより先に応える。空気を読んで欲しい。
「……まあ、やることが残ってるのは事実です。また会えるようですし、私はここで失礼します。お世話になりました……」
ケイシーは練乳を三本ほど飲み干して一気にエネルギーを補給すると、脚部からジェット噴射をして身体を浮かび上がらせた。
何気に飛行能力あったのか、このスーツ。
「……あ、ライアンさん」
「ん?」
「やはりなかなか見事なネックハンギングでした……」
「君もな。お互い精進しよう」
ケイシーが最後にヘルメットの中で笑ったように見えた。
そして彼女は空に向かって勢いよく飛び上がり、彼女の果たすべき使命の待つ場所へと飛翔していった。彼女の博士に押し付けられた受難はまだ終わらないのだ。
「ふぅ~、何だかあっけなかったなぁ」
「いつもあっけない気もするけどな、ダニー。とりあえず、俺たちも家に帰ろう」
「おいおい、キャンプの予定はどうすんだよ?」
「またの機会に付き合ってやるよ。この車は借り物だし、軍に追跡されたりしても面倒だ。俺たちは少し歩いてからヒッチハイクで帰ろう」
こうして俺たちはまたしても、貴重な休暇をモンスターとの戦いに浪費したのであった。
……後でネットを見たら、ケイシー以外に生きてる目撃者がいた訳でもないのに、なぜかニュースタング市にまつわる様々な噂と「英雄ライアン」がセットになって語られてしまう事態になっていてしまったことは言うまでも無い。
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シン・ヤマタノジョーズ
1
その存在の姿は見えなかった。
ただ、確かにそこに存在し、俺という存在に語りかけてきている、それだけがわかった。
同様に俺の身体も見えなかった。
ただ虚数という言葉が一番合いそうな何も無くしかし何かと連結している境界線も見えない空間の中に俺という存在が漂っている、それだけが感じられた。
『汝、次の世に力を欲するか』
最初に語り掛けられた問いに、俺はイエスと答える。だが声など出ない。そもそも発声器官自体が感じられない。ただ、答えたという概念のみを紡ぎ出すのである。
『その需要がある近しい世がある。汝はその力を以てして因果律の修正に努めることになろう』
因果律の修正?
『その世は汝のいた世に非常に近しい。元は同じ線上の世。だが外的存在によって因果律が狂わされた。放置すれば世界を形作る理もが歪もう。その前に因果律を修正する、その存在が欲されている。転生者のうちの適合する者を、その担い手として送り込むことでこれを解決せんとす』
その力を俺に? 何で俺が?
『適合性が高し。これは人の意が左右することに非ず』
その力とは何なのか――
『その世界で適合した事物を手にすれば、因果律を正す聖剣として、外の理に歪められし因子を祓うために振るうことができる力。因果律の歪みが生んだ怪異を払うことが能うものなり』
え、それは――
ここまでの問答を不可視の存在と俺という不確定な存在がしたところで、俺の意識は「次の世」のそれへと落ちて行った……。
「おい、ライアン。起きろ。もうすぐ着くぞ」
自分が今の自分という存在を持たない状態。その時にあったのだろうか、とにかく懐かしくも得体の知れない記憶の断片が脳裏を支配していた時、今の自分にとって聞き慣れた声が、俺を暗闇から引きずり出した。
目を開けてみるとそこは旅客機の客席。俺を現実へと引き戻したのは隣に座る相棒だ。
「ん、ああ。夢見てたみたいだ」
「おいおい、もうすぐハワイだぜ。寝ぼけてちゃあ、仕事を果たせないだろ?」
「勝手に仕事請け負っておいて何を」
三度に渡る事件の後、俺は相変わらずの調子で英雄とか怪物殺しのプロとか、いらない期待に晒されることとなった。
するとどうなる? そう、うちの地元にも怪物が出るから退治してくれ、報酬は弾む! そういう依頼が舞い込むようになるのである。
「でもよお、一人当たりの報酬が二万ドルだぜ? 結局来れなかったレベッカちゃんの分も上手くいけば貰えるかもだし、こいつはオレらみたいな田舎の学生にはまたと無いチャンスだぜ?」
と、家族共用の車を空挺ゾンビの一件で紛失したため新車を買いたいダニー。
「後から交通費と宿泊費込みって言われる気がする」
しかし俺としてはこれ以上目立ちたくはないので、冷淡にならざるを得ない。
「大体、車欲しいダニーはともかく、何でキャサリンまで来てるんだ」
「ん? サメ退治に使命感を感じるからよ」
キャサリンはキャサリンで駄目だこりゃ。
「おれとしては、幼馴染みにして守るべき市民でもあるライアンを一人行かせたくないってのがあるな」
と、来れないレベッカに代わって州軍の休暇を利用してついて来たクレア。本気で心配するなら引き止めて欲しい気もする。
「まあ、今回の敵は単なるサメのようだし、すぐに終わるだろ。そしたら残りの日程はバカンスに洒落こみゃ良いじゃないか。報酬だって、来年オレらも日本に短期留学するだろ? そのためとでも思えば良い」
ダニーは相変わらず楽観的なのであった。
そうこう言っているうちにも、飛行機は目的地に近づく。
……しかし「因果律の修正」か。
俺はこの後に及んで、ここのところ夢に見ることが増えた、恐らくは転生と関係のある記憶の断片に、心の内を掌握されてきている気がしたのであった。
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2
ホノルル空港に到着すると、すぐに案内人が出迎えてくれた。
アロハシャツ姿の彼の名はサム。依頼主であるホテルオーナーの部下である。
「皆さん、ハワイへようこそ。ここからはあちらの小型機で島に向かいます」
俺たちはサムに案内されるまま、小型のビジネス連絡機に乗り込む。
「よろしくお願いします、サムさん」
「いえいえこちらこそ。三度に渡ってナチス悪魔軍団からアメリカを破滅の危機から救った無敵の英雄ライアンさんがいてくれれば百人力です」
何だか色々と尾ひれがつき過ぎてる気がする。
「良かったじゃねぇかライアン。ヒーローとして名を馳せれば、女の子にだってモテ放題じゃねぇか。それに比べてオレは縁の下の力持ちだってのに、全く名前が知れ渡ってないんだぜ? もっとありがたがれよ」
席に着くや、またしても軽口を叩くダニー。
「黙れダニー。本音を言えば替わってやりたいくらいなんだよ。ここまで尾ひれがつくとやってられんわ」
「おいおい、数多くの名誉な通り名を得ておきながら贅沢だぜ? 今朝もSNSでお前の新しい通り名を見つけた。その名も『爆殺天使ライアンちゃん』。どうだ? 素敵だろ?」
「ああ、その名をつけた奴をボンベで爆破したい気持ちでいっぱいだ」
ていうか俺に関する風評被害の片棒をダニーが担いでいそうな気もする。
「そう言えばダニー、今回の事件とは別に、他にも依頼請け負ってたのよね。まあ、片方はあたしの判断だけど」
とキャサリン。
そう、ダニーとキャサリンは俺が消極的なのを良いことに、一度に三つものモンスター狩りの依頼を受諾してしまっていたのである。ちなみにどれも報酬は一万から三万ドルの範囲内だ。
「ああ、それなんだがキャサリン。問題が発生した。どうしても、日程が被っちまう。どっちも十日後になっちまった」
「まあ、本格的な冬休みシーズンに入る前に片付けたいのね、向こうとしても。特に片方なんてスキー場だし……でもどうする? 手分けにでもする訳?」
「ああ、フロリダの件はサメが絡むからキャサリンに行ってもらいたい。スキー場の依頼は、他にも実績がある腕利きの実力者が招集されてるようだから、ライアン一人で十分だ。オレはキャサリンのサポートに回らせてもらおうかな」
何だか一番の当事者である俺が一番ののけ者にされて話が進んでるのはどういう訳か。
「おい、勝手に話進めてんじゃねぇぞお前ら。何で俺が一人で雪山行かなきゃならないんだよ」
「まあ、そう言うなよライアン。雪山ミッションには、カリフォルニアで蜘蛛の怪獣を駆逐した元役者やらネバダの田舎町で地底怪獣を退けたサバイバリストも助っ人に来るんだ、怖くはねぇよ。それに、パワーバランスが上手く取れるのはそれだって、お前こそ良くわかってるんだろ?」
「そりゃまぁ……」
理屈ではそうなることをわかっているから言い返せない。
そう、一騎当千の実力を持つサーファーであるキャサリンとサポートに長けたダニーやレベッカが組むのと、総合的な指揮能力に加えて木の棒やボンベを扱う技術に長けた俺が他の英雄たちの司令塔として動くのでは、確かに総合戦力としては上手い具合に分散させたことになるのである。
「お、着くようだぞ」
窓の外を眺めていたクレアが言い、俺たちも前に出てきたサムに向き直った。
「皆さん、間も無く到着です。知る人ぞ知る新たなハワイの保養地、フワル島へようこそ」
飛行機が着陸したのは滑走路が一本しか無く、ターミナルも二階建ての木造の建物というローカル臭の溢れる空港だ。
ここフワル島は長らくハワイ州の中では見向きされていなかったが、数年前に始まったベンチャー的な思い切った開発によって、少しずつ観光地や保養地としての需要を高めているのだという。サムによれば、今後もう少し大き目の本格的な空港も作る計画があるようだ。
そんな島の観光地としての価値を可能な限り下げないため早急に最近出没するようになった人喰いザメを駆逐する、それが俺たちに与えられたミッションであった。
「おお、君がライアン君とキャサリン君か。よく来てくれた、ささ、座って。私はフワル・リゾート代表取締役のスタンリーというものだ。こちらは警察署長のチェンバレン」
「チェンバレンです、よろしく」
ホテルの応接間に通されると、依頼主二人が丁寧に応対してくれた。意外なことである、この手の事件を、新興観光地の権力者は隠蔽したがるものだと思っていたのだが。
「ライアンです、よろしくお願いします。さて、早速ですが、詳細をお聞かせ下さい」
応接間のソファーには俺が中央になる形で座る。別に代表者とか責任者になったつもりは無いのだが。
「はい、では早速。……ことの発端は二週間前に遡ります。アメリカ本土からやって来ていた学生グループのうちの数人が突如として、一キロほどの沖合で変死する事件があったのです。検死をしたところ、歯型からしてサメの仕業である可能性が高いとされたのですが、それでは説明がつかないことがあった。歯型の配置がおかしい上に数が数匹分ついていたのです」
「そして我々警察は警備艇での捜索を行ったのですが……手掛かりは今のところ、この写真しか入手できませんでした」
スタンリーに続いて説明するチェンバレンが一枚の写真を示してくれた。
そこに映っていたのは、数匹分のサメの頭部が密接に群がって水面から顔を出している様子である。
「サメが群体として行動していると?」
「ええ、他に異様に巨大な背びれも目撃されているため、巨大な『女王鮫』が数匹の群れを束ねて行動しているのではないかと私たちは睨んでます」
女王鮫なんて聞いたこと無いんですが。てか、そんな仮説立てるくらいならちゃんと専門家に意見求めろよ。
「……キャサリン、そういうことってあるのかな」
「どうかな……。あたしは災害対策の対象としてならサメに詳しい自信あるけど、そういう生物学的な分野は専門外よ。それでもまあ、そんな生態のサメがいるなんて聞いたこと無いけど……あとでレベッカに聞いてみようかしら」
そう言えばレベッカは生物学者の娘だったっけ。思えばゾンビのウイルスの特性を見抜いたのも彼女だった、彼女がいなければ俺たちはニュースタング市から生きて帰れなかったかもしれない。
「それで、市としての対策はどうしてきたんですか?」
「ああ、それなんだが……実は対応がかなり遅れてしまっていた……市長の方針でな……」
やはりというべきか市長は観光産業最優先のようである。
「市長の命令で我々警察も早急に調査を打ち切られ、だからその写真しか撮れなかった。その後放置していたところ第二第三の犠牲者が出たため市長もようやく動いたのだが……」
「だが?」
「それも島を盛り上げるためのイベントでしかなかった。各地から腕利きのサメハンターを角って懸賞金を巡って競わせたのだが、犯人かどうかもわからない標準的なホオジロザメが数匹捕らえられただけだった。そしてその後も犠牲者は出続けているが、市長はこれ以上には事を荒立てたくないらしい」
もう金輪際、観光地の市長は信頼できなさそうだ。
「……だから私たち警察が勝手に動く訳にもいかない。そこで私は、比較的自由の効く民間の実力者ということで、スタンリー氏を頼った訳だ」
「そういうことでしたか……」
「そういう訳なのだ。どうだろう、頼まれてくれるか? 何なら報酬は上乗せしても構わないが」
まあ、ダニーがノリノリで一度受諾してしまった仕事だし、ここで変に断ったら余計におかしな風評が立ちそうだし、大金が欲しくないと言えば噓になる。
「了解しました。やれることはやってみましょう。ただ、あまり期待はしないで下さいね」
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3
俺たちはまずホテルの客室で荷解きをした後、とりあえずは偵察に出てみることにした。ターゲットのサメの情報があの写真一枚と不足がちな目撃証言だけでは心許な過ぎる。やはり、実際に海に出てみて様子を伺ってみなければ。
「お、ここは工事中ですか。随分と大きな施設を作ってるようですが……」
ホテルを発って少し走ったところで、巨大な複合施設の建設現場が目に入った。どうやら岡を削って地形ごと改変する大規模な複合作業のようで、大量のブルドーザーにクレーン車、ショベルカー、そしてホイールローダーとコンクリートポンプ車が居並ぶ光景は壮観にすら見える。
「ああ、ここもうちのグループが運営する複合リゾート施設の現場なのですが……。この調子でサメ騒ぎが続くようでは、開業も見合わせなければならないかもしれないんです……」
「なるほど、それは大変ですね。……そう言えば、地域住民とかの間では何か新説が出てたりはしないんですか? これだけの事件だ、話題にもなるだろう」
俺は船着き場に向かう車中で、サムに尋ねた。
「そうですねえ、それなりに話題にはなっていますが、住民の間で囁かれている説となると、我々の想定と同じようなありきたりなものか、もしくは政府やナチスの陰謀だとか言うあり得ない陰謀論かに二分されてる状況でして」
いや、それがあり得なくないからこの世界が怖いのだが。
「あ、でも一人少数意見を言ってる人もいました。まぁ、戯言に過ぎないと思いますがね。日系人の老人です」
「情報は多いに越したことはないです。あとで詳しく伺いましょう」
「わかりました。あ、到着ですよ」
目的の船着き場は交通量が少なめなこともあって、意外と近かった。
すぐ近くにリゾートビーチがある小さな港だが、俺たちが乗るのは遊覧船ではなく、漁船と同じ船体をベースにした公用船である。
「木の棒が刺さってる」
俺は桟橋の上を歩いている途中で、砂浜に一本の上等で確かな闘気を感じさせる木の棒が垂直に刺さっているのを発見した。
「ああ、あれですか。いやぁ、いつから刺さってるのかわかりませんが、邪魔なので撤去しようにも、地中で何かに引っかかっているみたいで微動だにしないんですよ。近々重機で掘り返したいところですが……」
「ふむ」
だが俺はその木の棒を見逃すことができなかった。この手があれを握りたくて疼いていた。
俺は桟橋から砂浜に飛び降りて、木の棒に向かい、そしてそれを握ってみる。
「駄目ですよ、どんな筋肉モリモリマッチョマンの変態が引っ張っても抜けなかったんですよ」
「それはどうかな」
俺は木の棒を握る両手に力を込めてみた。
すると木の棒は、驚くほどあっさりと、ほとんど抵抗せずに俺の腕の動きに合わせて地面から離れた。
この時、この海岸の上空は曇っていた。
だが俺が引き抜いた木の棒を片手で天に掲げた刹那、真上の雲が割れて一筋の光が俺と木の棒をスポットライトのように照らし、そしてその雲の裂け目が広まっていく形で、天候はリゾートビーチに相応しい晴れへと移行した。
「抜けたぞ」
サムが何だか異様に驚愕の表情を見せているが、俺に言わせてみれば単に引っかかってたものが取れただけではって気もする。
「まあ、木の棒が手に入って良かったじゃないかライアン。それはそうと、そろそろ偵察に赴こう。船はおれが運転する。河川警備艇くらいなら乗ったこともあるしな」
「ああ、頼むよクレア」
俺たちはクレアが操舵する船で沖合に繰り出した。
だが沖合に出れば見つかるというものでもない。とりあえずは地道に探しつつも、もし手掛かりが無いようであれば次の日に引き継ぐしかないだろう。
「ダニー、魚群探知機に反応は?」
「いや、それらしいのはいないね。熱帯魚の類いならわんさかと映ってら。とっとと終わらせて、平和な海でダイビングと洒落込みたいところだぜ」
「そうか……サムさん、そう言えば、島のもう一か所では今、地元の漁師が捜索してるんでしたっけ?」
「ええ、件のサメは漁業にも少なからず悪影響を及ぼしてますからね。何人かの猟師は対策を続けています。そのうちの一人は、明日からライアンさんたちに協力するようですよ。まあ、今北部でやってる人は違いますがね。北部では餌撒きによる誘き出しを敢行中とのことです」
一応は二手に別れての体制での捜索であった。できればこちらの船でも餌を撒きたいところだが、多用途に使う船なので、魚の血の匂いがつき過ぎるのはまずいということで断念した次第である。
「しかし、今回は偵察と言えど、やっぱり武器が無いのは心許ないわね。ライアンの木の棒はあるけど、チェーンソーも欲しい」
「ああ、それはおれも思った。木の棒とチェーンソーも必要だが、その補助に銃器も欲しいな」
キャサリンとクレアにとっては木の棒とチェーンソーがメインで銃器は補助に過ぎないらしい。そんなに木の棒に信頼あるなら俺にばかり任せないで自分たちも使えば良いのに。
「サム、帰港したら鉄砲店への案内を頼みたい」
「おや、知らないのですか? ハワイ州は銃規制が厳しいんですよ、アメリカの中でもトップクラスにね。だから鉄砲店で入手というのは期待しない方が良いと思いますよ」
「そう言えばそうだったか」
「まあ、警察署長の協力もありますし、最低限、拳銃とショットガンくらいなら貸してもらえるとは思いますがね」
「いや、それじゃあ不十分だ。相手は巨大なサメだぞ、豆鉄砲でどうにかなるような相手じゃない」
俺は思わず口を挟んだ。そう、サメを拳銃如きで倒せるはずがないのは摂理である。
「そ、そうなんですか……ではどうすれば……」
「ボンベだ。大型のサメを銃で倒そうと思ったら、ボンベやドラム缶を併用するしかない」
「ボ、ボンベなら多分入手は可能です。あ、あとチェーンソーも林業用のなら買えるかと……」
「チェーンソーは決まりね。飛行機に載せて来れなかったから心配だったのよ」
何がキャサリンをそこまでのチェーンソー愛に駆り立てるのか。
ともあれ、武器に関してはある程度何とかなりそうだ。とりあえず、この海域をもう一回りしてみよう、そう思った時だった。
「お、おい! これは例の捜索活動中の漁船か? SOS信号が来てるぞ!」
ダニーが無線機と睨めっこしながら叫んだ。
俺たち一同、無線機の周りに集合する。
「何だとダニー。よし、漁船に繋いでくれ」
「了解だ相棒」
『こ、こちら漁船アンソニー号……! サ、サメが出た! や、奴は今、船体に何度もタックルしてきてる、転覆も時間の問題だ! 頼む、早く来てくれ!』
どうやら本当に現れたらしい。武器さえ充実していればこれを機に倒したいところだが、それが叶わなくとも、人命救助と敵の全貌を伺うことを避ける道理は無い。
「全速前進だ! 北部海岸に向かえ!」
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4
北部海岸、リゾートビーチから一キロほどの海上。
俺たちの船がそこに到着すると、時既に遅し。漁船が転覆していた。遠洋漁業で使用するものほどではないにしても、沿岸・沖合漁業に使用するものとしては決して小型のものではないため、これを転覆させるとなると、相当なパワーが必要なはずである。
「大丈夫か!」
既に海面が赤く染まっている辺り、ほとんどの乗組員は捕食されてしまっていたようだ。
「た、助けてくれ!」
だが生き残った一人が、俺たちの姿を見て必死に助けを求めていた。
「待ってろ、今助ける! この浮き輪に掴まれ!」
クレアがロープで船に繋がれた浮き輪を投げ、そして漁師が掴まるとすぐに手繰り寄せた。
「ま、マズい! すぐそこまで来てるぞ!」
ダニーが漁師の後方を指差す。
そこには巨大な背ビレが水面から顔を出していた! そして真っ直ぐこちらへ向かって来ている!
「おい、何やってる、早く船に上がれ!」
「だ、駄目だ! おらぁ、脚を潰されちまった!」
脚に重傷を負った漁師は腕の力だけでもたもたと梯子を登ることを強いられ、その間にも背後の巨大ザメはどんどん近づいてきている!
そして……
「ぐっ、ぐわぁぁあああああッ‼」
漁師は鮮血を俺たちに浴びせながら水中に引き込まれてしまった!
そして漁師の半身を口に咥えたままのサメが遂にそのおぞましい姿を現し、俺たちの船に襲いかかる!
「おい……一体何なんだ、こいつは⁉」
そのサメは巨大であった。
姿形はネズミザメ科に見えるが、サイズはジンベエザメ並みだ。
だがそれ以上に目を引くものがあった。
「頭が……八つあるの⁉」
その巨大なサメの胴体の先端からは、通常のサメのそれと同じサイズの頭部が上下に四つずつ二列、計八つほど生えていたのである!
泳ぐ時、水の抵抗が凄そうだ!
「これは……まさか……!」
俺は車中で聞いた日系人の老人の話を思い出した。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁああああ!」
八頭のサメが咆哮しながら船の右舷に上半身を乗り上げさせた衝撃で船が大きく揺れ、足を取られたサムがサメの方によろけて転んでしまった。
「サムさん危ない!」
「え……? う、うぐわぁああああ!」
サムは八頭のうちの隣り合う二つに上半身と下半身をそれぞれ捕まってしまった。
「畜生、これでも喰らえ!」
他に武器は無い。俺は先ほど拾った木の棒でサメを突いた。
するとサメはやはり酷く狼狽した様子で船から離れ、海に帰って行った。
そして二つの頭が水中でサムを半分に引きちぎって仲良く半分こして胃袋に納めてしまった。
「い、一体何なんだあいつは⁉ あ、頭が八つあったぜ⁉」
目を見開いて驚嘆の声を上げるダニー。驚くのも無理は無い、と本来なら言いたいところだが、こんだけおかしな事件に出くわしてきて慣れててもおかしくないのに、何で毎度経験がリセットされてるように驚くのかという疑問の方が俺の脳内では優勢だった。
「クレアさん……あれ、どう思います? 少なくともあたしはサメには詳しいつもりだったけど、見たことは無いわ」
「ああ、遺伝子異常と考えるのが普通だが、ここまで豪快だともっと根本的な要因があるのかもな……。放射能、工場廃液、ナチス……色々考えられる」
放射能や工場廃液と同列に並べられるナチスは流石に可哀想。
ちなみに頭部が二つ程度のサメなら、前世世界でも実際にニュースになっているのを見たことがある。カリフォルニア沖やオーストラリア近海で双頭の深海性ザメが発見されたのだが、ネット上では発見場所が東アジアから離れているという事実を無視して、やれ福島原発の放射能が原因だやれ中国の工場廃液が原因だと騒ぎ立てている輩がいたのだ。生命の謎より、メディア・リテラシーの問題について考えさせられたものである。
「まずいぞ、奴はビーチに向かってる!」
視線を海に戻すと、サムを食い殺した八頭ザメは水の抵抗を無視した速度でビーチに向かって水中を疾走していた。
「まずい、ビーチではジョックのグループが写真撮影してるぞ!」
双眼鏡を片手にクレアが叫ぶ。
俺も双眼鏡を手に取ってビーチを観察してみると、そこでは八人のジョックが海を背にして並び、一人のジョックが彼らに向かってカメラを構えていた。
「クレア、全速だ! サメを追え!」
「言われなくてもッ! だが、追いつけるかどうか……!」
俺たちの船は機関最大でビーチに向かって疾走し、砂浜でサメを待つジョックたちの姿も次第にはっきりと見えてくるが、それでもやはり、既に距離を取られていた八頭ザメには追いつけそうにない。
「よーし、それじゃあ撮るぜ! みんな、ノッてるかい⁉」
「「「「ウェーイ‼」」」」
ジョックたちは身に迫る脅威に気づきもせずにお気楽ライフをエンジョイしているジョックたち。それもあと数秒しか続かないというのに、彼らの言動には相変わらず中身が無い。
「よし、それじゃあみんなポーズを決めろ!」
「ひゃははは、おい、ジェニーこっち来いよ!」
「あーん、そんなに焦らないでコールぅ」
「オレのこの肉体美をフィルムに残してやるぜ」
「ねぇねぇ、このあとのダンスパーティでアツくなったら……」
「おいおい、そろそろポーズを決めてくれないかい。俺のこの高性能最新式一眼レフカメラが待ちくたびれちまってるぜ」
「ハハハッ、わかったわかった。それじゃあ固まれ女ども」
「いやぁーん」
「よーし、撮るぜー。……一、二の……」
カメラマンジョックがシャッターを切ろうとした、その時である!
水中から勢いをつけて飛び上がり砂浜に揚陸した八頭ザメが、その八つの大口に八人のジョックたちをそれぞれ一人ずつ納めてしまった! 悲鳴を上げる間も与えられない!
「おわわわわわわッ⁉ こ、こいつは一体何なんだ⁉ ジャニー! コール!」
八頭ザメは残ったカメラマンジョックを前に、八人のジョックたちを飲み込む。
「くっ……殺せ! このビリー、サメ如きに身体を食われようとも、心までは決して屈しはしない!」
カメラマンジョックはサメを睨みつけて威嚇する。
しかし八頭ザメは海に向き直り、その強靭な尾びれで砂浜を叩いて水中に帰還。
「ぶぇはぁあッ‼」
カメラマンジョックは尾びれの一撃を全身で受けて跳ね飛ばされ、空中で憤死した。
「くそっ! また助けられなかった! 何が英雄ライアンだ、くそくらえ!」
流石に一瞬で九人もの人間が犠牲となるのを見せつけられては己の無力さを痛感せざるを得なかった。
そして八頭ザメは流石に九人も捕食してとりあえず満腹になったのか、俺たちの船を振り切って沖に帰って行った。
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5
多大な犠牲は出てしまったが、とりあえず目標のサメの全貌を確認するという目的は果たすことができた。
俺たちが船から降りる頃には、ハワイの空は既に夕焼けに染まっていた。
「ライアン……そう気を落とさないで。ジョックが死んだのはあんたのせいじゃないわ」
「ああ、だがサムさんもやられた」
「仕方ないわよ、あんなの想定外だもの。今必要なのは、悲劇を繰り返さないために何をすべきか考えること」
「ああ、そうだな……」
そうだ、考えるのだ。今、何をすべきかを。
「……まずはとりあえずスタンリー氏たちにサムさんが亡くなったことも含めて色々と報告して……それから……そうだな。みんな、帰りにサムさんが言っていた日系人の老人のもとを訪ねてみないか」
少し考えて出した結論に、一同がキョトンとする。
「おいおい、じいさんの世迷言なんて信用できんのか?」
「忘れたのかダニー。グリーンリバーでの戦いでも、あのレイモンド老人の言うことが真実だっただろう? 今回もそういうことがあるのかも」
「まあ、確かに何かしらのヒントくらいにはなるかもな」
「ああ。そうと決まれば、スタンリー氏に経過と訃報を報告するついでに、その老人の居場所を聞こう」
その後俺たちはスタンリー氏に報告ついでに教えてもらった老人の家に向かって車を転がした。スタンリー氏はサムを部下として信頼していたようで、悲痛な溜息を電話越しに見せたが、少し考えた後、俺たちに判断を任せた上で、最大限にバックアップを引き受けてくれると約束してくれた。
俺たちはそれを受けて、ダニーに運転手を交代した車で件の日系人の老人の家に向かった。観光地としての開発から取り残された海沿いの通りに面したところにある小さな木造の家だった。日系人の家らしく、控えめながらも庭には鳥居と祠があった。
「ごめん下さーい」
ノックしてみるが、反応無し。
「うーん、やっぱりこの手の老人はこう出てくるか」
「ど、どうするんだいライアン?」
「大丈夫だ、考えがある」
俺は息を大きく吸って、大声で家の中に向かって叫んだ。
「ヤマタノオロチって知ってますよね⁉」
そう叫ぶと、仲間たちは皆キョトンとしていたが、しばらくすると扉の向こうから物音が聞こえてきた。
思った通りだ。
「……何の用だ?」
扉を開いて姿を現したのは、かつての鋭い眼光の名残を湛えた顔立ちの日系人の老人だった。髪も精悍な短髪であり、何らかの武術をやっていたことは一目でわかる。
「あなたがマシロさんですね? サメについて伺いたいことがあります」
「お前たちは何者だ?」
「サメの駆除を請け負ってる者です」
マシロ老人はしばし考え込んだのち、俺たちを家の中に招き入れた。
彼が日系何世なのかは知らないがマシロ老人宅の内装はかなり和風な趣で、玄関の入ったところには塩の山が盛られており、畳の居間には武者甲冑や「武士道」と書いてある掛け軸が飾られ、廊下の壁には旭日旗の褌がぶら下げられていた。
マシロ老人は俺たちに玄関の塩で手を清めさせてから、居間の座布団に座らせた。
「して、一体何用だ? サメと言ったか……」
「ええ、最近出没しているサメについて何か考えのある日系人の方がいると聞いて来たんです。そして俺たちはさっきそのサメを見た」
「ああ、とんでもねぇ奴だったぜ」
「ほう……」
マシロ老人は落ち着き払っている。
「……あのサメは八頭だった。……あなたはあれを、ヤマタノオロチと関連付けていますね?」
「……関連付けているのではない。再来だ」
マシロ老人は茶を一気に飲み干した。
「ヤマタノオロチというのは、一種怒りの象徴だ。この堕落と汚濁に塗れた時代に、サメの姿を持って再臨したとしてもおかしくはない」
いや、おかしい。
「ねぇ、そのヤマタノオロチってのは何なの?」
とキャサリン。しかしマシロ老人は含み笑いをしてすぐにわかりやすくは教えてくれなさそうだ、俺が答えよう。
「ああ、日本の神話に出てくるドラゴンのことだよキャサリン。首が八つあるんだ」
「ふぅん、だからあのサメが重ね合わされてるのね」
「ああ、だからそこに何か倒すためのヒントが無いかなと思ったんだが」
マシロ老人が含み笑いをしながら口を開いた。
「何だ、お前たち、あのヤマタノジョーズを倒すつもりか」
「当然です。もう何人も殺されているんだ」
「ふん、あれを倒そうなど本来ならば神にしか許されぬ所業だし、人に成し遂げられる訳も無いのだが、お前たちがあくまでも人の身で挑もうというのならば参考程度のことは言ってやろう」
「ありがとうございます。どんな些細なことでもありがたい」
「例など要らぬ、ワシが人の思い上がりがどう出るかの顛末を知りたいだけだ。……さて、まず確認しよう。お前たち、肺や腎臓は二つずつ持っているな?」
「え? は、はい」
「その片方を失ったからといってすぐに息絶えるか? そうはならぬな。呼吸の効率は悪くなるが肺を片方失っても人は生きながらえられるし、腎臓も片方くらいならば他人にくれてやっても問題無いからこそ、移植のハードルが低い。ヤマタノジョーズの首も同じことだ」
つまり、あのサメから首を一本や二本奪ってもびくともしないということだろうか。
「おまけにあのサメはこの時代に急に発生した存在だ。発生の速度が驚異的であるからには再生も驚異的なはずだ。首を何本か切り落としたところで、同時に全ての首を落とさぬ限り、次の首を落とすまでに新たな首が生えて来て堂々巡りになってしまうだろう」
脳みそとか入ってる部位がそう簡単に再生して良いものなのか。
「ではどうすれば……」
「そうだな、ここで出せるヒントは日本神話においてヤマタノオロチがどう倒されたかだ。スサノオはヤマタノオロチに『ヤシオリ』という酒を飲ませて、泥酔したところで首を切った。ふふふ、ワシに言えるヒントはここまでだ。これに気づけぬようでは、お前にはまだヤマタノジョーズに抗う資格を有していないということだ」
「は、はぁ……」
「せいぜい健闘を祈るぞ」
その後俺たちは茶ろ一通り飲み干すと同時に、遠回しに追い出されてしまった。
「なあ、ライアンはあの老人の言うことはどう受け止めているんだ? おれには意味深なだけで中身があるようには思えなかったのだが」
ホテルに向かう車の中でクレアが言った確かに、言葉の表面上の部分のみ聞けばそうだろう。
「うん……でも俺にはこれが、何か欠けているパズルを埋める隠されたピースのような気がするんだ。一体何とどう組み合わせるのかわからないが……ヒントではあると思う」
俺はその意味を考えつつもホテルの資質で天井を眺め、来るべき翌日の戦いに向けて英気を養った
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6
翌日における八頭ザメ対策部隊の陣容はなかなかのものであった。
もとより協力者である漁師のジーンによる呼びかけなどもあったのだが、前日の一件をスタンリー氏たちに詳細に報告したこともあり、市長の意向を無視しての警察動員も行われたのである。漁船五隻に警備艇四隻、そして警察のヘリコプターが一機に、陸上の監視班も待機している。これらが島の周囲を哨戒し、発見し次第、全戦力を集結させる段取りであった。
ちなみに市長は朝からパーティー船の視察に出かけていたため、それに気づかないのであった。
俺たちは旗艦として使われる漁師ジーンの漁船に乗り込んだ。
「ライアン、お前、サメと戦った経験は?」
出航してしばらくして、各船舶の配置が整いつつある中、ジーンが俺に聞いて来た。
「一応、二度ほどありますよ。八頭のは初めてだけど」
「そうか。俺様も長く生きてきて何度もサメと戦い、この船を守ってきたが、お前も二度も経験があるならわかるだろう。奴らは普通のやり方じゃあ殺せない」
「ええ、特にこういう大きい変異種のサメは銃でも死にませんね」
「そんな時、お前ならばどうする?」
「そうですね……やはりボンベで爆破ですかね」
「ああそうだ。爆破は有効だ。だが、真に必要なのは敵の特徴と性質を知る、そして見出した弱点を一点突破するだけの精神だ」
「全くです」
ジーンは歴戦の漁師に見合った風格の持ち主で、下手な軍人よりも、戦士の貫禄を持った初老の男であった。
「しかし……この船にも載せられた、あの木の棒は一体何なんだ? 他の船の何隻かにも搬入されたと聞いたが」
俺はサメを始めとするモンスターに対して抜群の効果を誇る聖なる武具を、作戦に参加する漁師らに事前に勧めていたのだが、過半数は真面目に取り合ってくれず、全ての船に木の棒を配備することに失敗していた。この船にも一応は載せてはもらえたが、ジーンも理解には及んでいないらしい。
「ええ、それは切り札ですよ。サメを倒すのには有効です」
「銛が使えなくなった時の代用ということか?」
「まあ、そう捉えてもらって大丈夫です」
いざという時に俺が先陣を切って木の棒を手に取って、その威力を見せつける必要がありそうだ。
その後船団は島の外周を隈なく哨戒し始めた。俺たちの旗艦・ジャクソン号は決まった区域を担当せず各哨戒エリアを巡回し、目標発見の報が入り次第機動的に動けるように備えていた。
「ライアン、今ベッキーからメールが届いたわ」
とキャサリン。今回のサメに関する考察を頼んでいたらしい。
「へぇ、何だって?」
「今回のようなことも、考えられないことではないって説があるって言ってたわよ」
考えられない。
「サメを単なる魚と捉えたのは大変な過ちであり、サメは無限の進化の可能性を秘めた、地球上で最も神に近い完全生物だって説が最近は唱えられているらしいわ」
「それ、サメが大昔から姿を変えていない生きた化石って説と矛盾してないか?」
「最近は放射能汚染とかナチスとかいるから適応したんじゃない?」
「なるほど、適応したのか。なら仕方ないな」
いや、やっぱりおかしい気もするが。
だが、それでも生き物である以上は、必ず人の手で殺す手段はあるはずだ。
「ライアン、今無線が入った! 警戒ヘリ及び一号哨戒船メリー号が、巨大な魚影を探知したとのことだ。間違いなく目標のサメだぜ、こいつは」
通信を担当していたクレアが声を荒げる。
「本当か、場所は⁉」
「こっから南南東に七キロ行ったところ……まずいな、これは。市長が視察中のパーティー船に近いぞ」
「迅速に対応する必要があるな。ジーンさん、直ちに船を南南東へ最大船速で向かわせて下さい。クレア、キャサリン、ダニー、戦闘準備だ!」
「ようし、州兵としての訓練の成果を見せてやる!」
俺が号令すると、クレアは喜々として、船倉から小銃を取り出して構えた。警察に融通してもらった、セミオート射撃限定のG3小銃である。
俺も腰から抜いたベレッタ拳銃と木の棒の調子を入念に確かめ、来るべき戦いに備え、キャサリンはチェーンソーを担いで舌なめずり、ダニーは水平二連装式のショットガンを構えた。
船には武器と木の棒だけでなく、ボンベも積み込んである。
体制に関しては間違いなく万全なのだが、それでも俺は不安を禁じ得なかった。
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7
報告された地点に到着すると、すでに三隻の船と上空のヘリコプターがサメを捕捉していた。
『敵の潜水艦を発見!』
『駄目だ!』
怪物を前に混乱している漁師たち。
俺たちを合わせて船四隻とヘリ一機。対してサメは一匹だ。
不安は残るが、飽和攻撃ができない物量差という訳でもない。被害が拡大する前に、攻撃は開始しておく必要がある。
「皆さん、攻撃を開始して下さい!」
漁船がサメに接近し、漁師たちがライフルや捕鯨砲を水中のサメに撃ち込み、ヘリコプターに搭乗した警官が小銃と狙撃銃でサメの頭上から攻める。
俺たちもその戦列に加わるや、各々手にした銃器でサメを攻撃する。
「ライアン、あまり効いてるようには見えないぞ! どうなってるんだ、あのサメ肌は⁉」
「三十年海で戦ってきたが、こんな頑丈な獲物は初めてだァ……」
クレアとジーンが、その耐久力に驚嘆する。
「怯むな、ボンベ爆弾投下!」
各船舶の乗員がボンベを海に投げ込み、それを銃で狙い撃つ。
サメは致命傷にこそならないものの、ある程度の苦痛は受けたようで、唸り声を挙げながら水中で暴れ回った。
だが、それがサメの逆鱗に触れた。怒り狂った八頭ザメは漁船の一隻に肉薄し、半身を右舷に乗り上げさせ、乗員を捕食してしまった!
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ! バ、バケモノめ!」
「撃て、撃ち続けろ!」
その船の乗員が弾を使い尽すまで銃を乱射するが、八頭ザメは気にも留めない。
乗員は何か武器が無いかあたふたした末、俺が渡しておいた木の棒を見つけ出した。しめた、これで勝てる!
「う、うらぁあああああ!」
「くそ、俺の船から離れやがれ!」
しかし漁師たちの木の棒の攻撃を受けても、八頭ザメは全く怯まなかった。
まさか、木の棒は効かないサメがいるなんて……!
八頭ザメはその漁船を沈めて海に放り出された八人の船員たちをそれぞれの口でひとりづつ捕食すると、次は俺たちを無視して、南南東へさらに進んだ。
「まずいそ、あっちにはパーティー船が航行中だ!」
八頭ザメの向かう先には、大学生のジョックたちが多数参加しているイベントにチャーターされたパーティー船が、海に潜む脅威に関する警告を信じずに航行していた! そしてあろうことか、その船には市長が乗っているのだ!
「ヘリコプター、先行してパーティー船に警告して下さい! 俺たちは救命胴衣等を準備しながら後を追います!」
『了解』
流石の八頭ザメも、ヘリコプターの速度には追いつけないらしい。ヘリは八頭ザメの頭上を通過し、水平線の近くに見えるパーティー船に向かって飛んで行った。
その数分後、俺たちがパーティー船のすぐ近くまで到達すると、ヘリの警官たちは忠実に職務を遂行しているようで、拡声器を使って船に向かって海域からの離脱を呼びかけていたが、船上の人々は乗組員も乗客も、それを信用していないようであった。下品な音楽と歓声が、ここまで聞こえてくる。
『警告する、付近に大型の八頭ザメが遊泳しており、大変危険な状況となっている。直ちに当海域から離脱、もしくは帰港せよ』
「「「ウェェェェエエエエエエエエイ‼」」」
「えー、皆さまが我がフワル島を祝宴の舞台に選んで下さったことに大いに感謝し、私はこの地の行政の責任者として――」
バカ騒ぎするジョックたちの咆哮に混じって、相手にされているようには思えない市長の演説が聞こえてくる。
『市長、当海域は危険です。直ちに離脱して下さい』
「うるさい、黙れ! 私は観光のPRを直々にやっているのだぞ! こんなに勤勉な政治家など今時稀だ、それを妨害するというのかね、警察の諸君は!」
「「良いぞ、もっと言ってやれ!」」
市長が上空に向かって叫ぶと、警察などに日頃から不満があるのか、今まで相手にしていなかった市長を指示する歓声をジョックたちが響かせた。
「何てこった、全然相手にされてねぇじゃねぇか」
ジーンが呆れる。
その間にも海中を我が物顔で征く巨大な影はパーティー船の真下に迫っていた。
そしてパーティー船の船体が水飛沫を上げて大きく揺さぶられる。八頭ザメが尾びれで船底を叩いたのだ。
「な、これは一体どういうことかね⁉ 警察の諸君、説明したまえ!」
「キャーッ、怖いわ!」
「大丈夫だよブリトニー、オレがついている」
「ウェェェエエイ⁉」
「み、皆さんどうか落ち着いて下さい、高波に当たっただけです!」
慌てふためく乗客たちの前に船員が現れて声を掛けるが、既にパニック状態になった船上では、誰の耳にも届かない。
その時である。水中から勢いをつけて飛び上がった八頭ザメが船の甲板に腹を打ち付けて乗り上げ、ちょうどそこにいたジョックたちを踏み潰した。そしてその勢いのまま、メガホンを片手に乗客の説得に努めていた船員たちを捕食してしまった!
「キャァァアアアアアアアアアアア!」
八頭ザメは甲板上から転げ落ちて海に帰ったが、この衝撃によって船の竜骨が折られてしまったらしく、船体がV字型に徐々にひしゃげながら浸水、沈没が始まった。
「キャーッ! タスケテー!」
「畜生、俺たちのパーティーはどうなるんだ!」
船上のジョックたちは完全に混乱、一部では暴力沙汰も起きていた。
「船が沈むぞ! 早く海に飛び込め!」
ジョックの一人が、救命胴衣を身につけて船首から海に飛び込んだ。
すると丁度そこに八頭ザメが大口を開けて顔を出し、彼はその口の中に吸い込まれるようにダイブしてしまった!
「キャァァアアアアアアアアアアア‼」
その様を目にして更なる深い絶望に沈むジョックたち。
「ライアン、おれたちも救助活動をやらないと」
救命ボートを担いだクレアが州兵としての使命感を燃やす。
「ああ、でもあれじゃあ近づけない! サメがまだいるし、接近し過ぎても沈没に巻き込まれてしまう!」
「何だと、じゃあおれたち自身の安全のために、彼らを見捨てろというのか、見損なったぞライアン!」
「おいおいクレア、落ち着いてくれ。誰もそうは言ってないだろ」
「じゃあどうしろというんだ!」
「クレア、一回落ち着け! あそこにヘリコプターがいる。既にヘリコプターがサメへの攻撃と、救命胴衣の投下を始めてる、見えるだろう? ある程度状況が安定したところでヘリにサメを陽動してもらって、その隙に俺たちの船と、今こっちに向かってる増援の船で一気に救助しよう、良いな?」
「あ、ああ……そうだな、ライアン。おれが早とちりしてた、見損なったとか言って悪かった。本当に申し訳ない」
しかし八頭ザメにそんな常識は通用しなかった。
八頭ザメは一度深く潜って勢いをつけたまま浮上すると、その勢いを以てして水面から水と空気の抵抗を無視して飛び上がり、上空にホバリングしていたヘリコプターにかぶりついた!
八頭ザメは獰猛なる牙でヘリコプターの尾部を破壊、テイルローターが機能しなくなった機体は空中で激しくスピンしながら失速し、海面に墜落して壮大に爆発炎上。付近の海面に漂っていたジョックたちが何人も巻き込まれてしまった。
「飛んだ……だと……!」
驚き目を見張るジーン。
そりゃあ飛ぶだろう、サメなんだもの。
ヘリコプターを撃墜して救助活動をより困難なものとした八頭ザメは、海面を漂うジョックたちをプロテインとして消費しながら付近の漁船を尾びれの一撃でダイナミックに跳ね飛ばした。空中に舞い上がった漁船は、岸部に立っていた、観光用に割と最近建立された銅像に命中し、その首をへし折る。
「くそう、増援の船団はいつ来るんだ!」
「あ、あと数分で見えるところまでは来てるってよ!」
船の手すりを叩いて唸るジーンに、無線機に張り付いていたダニーが答える。
しかしサメはすぐそこまで来ている、対してこちらの戦力は漁船二隻のみ!
さて、どう戦う⁉
俺の仲間たちはチェーンソーや銃を手に取ることでそれを示した。
そうだ、諦めてはならない。俺もまた、木の棒とボンベ、それから拳銃に手を伸ばした。
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8
八頭ザメは俺たちの船に狙いを定めたのか、こちらに向かって全速で向かって来る。
「海の男をなめんなよ!」
ジーンが慣れた手つきで水中の敵に向かってライフルを放ち、俺やクレア、ダニーもそれに続いて射撃を開始する。
しかし八頭ザメの勢いは衰えない。船の右舷に向かってまっしぐらだ。
「衝突するぞ、衝撃に備えろ! 頭を庇え!」
ジーンが船長としての貫禄を感じさせる声で号令し、俺たちはそれに従って姿勢を低くして近くの固定物に片手で掴まりながら、もう片方の手で後頭部を守った。
そして、その姿勢のまま息を飲み、長く感じられる数秒間に身を投じるも、来るべき衝撃は来なかった。
「なっ……!」
恐る恐る上を見上げてみると、頭上にあったのは巨大なサメの腹部。
そう、八頭ザメは俺たちの船を飛び越えて、その先にいるもう一隻の漁船に襲いかかるべく大ジャンプをしたのだ!
完全に想定外の行動、対ショック姿勢を取っていた俺たちは即座に攻撃することができない。
しかしキャサリンは違った! 彼女は手にしたチェーンソーを振りかざし、自分の頭上を通過する八頭ザメの首を一つ切り落としてしまった!
魚臭い鮮血の洪水に飲まれる甲板。動かなくなってもなお貫禄のあるサメの生首が転がる。
しかし八頭ザメ、首を一本失ってもその殺意と底なしの食欲衰えない!
七頭になったサメは俺たちの船の左側に着水するや、血の航跡を海に描きながら狙いの漁船に向かってまっしぐらに突進した。
「う、撃てー!」
漁師たちが銃撃するが、それで怯むなら既に敗退しているはずだろう。
サメは漁船に全身で体当たりをかまして竜骨を破壊、船底に裂傷を与え、漁船の船としての命を一瞬にして絶った。
浸水によって次第に沈みゆく漁船の乗組員たちを血肉に餓えた牙が狙う。
「畜生、撃ち続けろ!」
「駄目です船長、効きませんよ! それにもう弾も残り少ない!」
「く、クソ! そうだ、さっき渡された武器があったろう、あれで時間を稼ぐのだ!」
「あんな棒切れでですか?」
「ああ、無いよりはマシだ!」
漁師たちは木箱から俺が手配した木の棒を取り出し、迫り来るサメに向かって振るった。そうだ、これで勝てる!
しかしサメは木の棒の攻撃を受けてなお、その覇気を一切緩めることなく漁師たちに喰らいつき、瞬く間に全員を胃袋に納めてしまった。
「どういうことだ、木の棒が効かないぞ!」
「おい、ライアン! お前さんが持たせたっつう武器、全く役に立ってねぇじゃねェか! お前の勧めが無きゃァ、代わりに銛とマチェーテでも載せて、時間稼ぎくらいはできたかもしれねェんだぞ!」
露にした怒りを俺に向けるジーン。あとになってわかったことだが、今捕食された漁師はジーンと長い付き合いのある友人だったらしい。
「すみません! でも、俺にもわからないんだ! 今まではどんな怪物にも効いてたのに! 昨日だって、確かに効いたんだ!」
「考えてみろ、ただの木の棒が、銃で殺せないヤツに効く訳無ェだろが!」
仰る通りでありますジーンさん。この上ない正論です。
「あのサメを始末して港に帰ったら、たっぷりと落とし前をつけてもらうぞ、ライアン」
んなこと言ったって、今まで俺が木の棒使ってた時は効いてたんだから仕方ないじゃないか。
「ライアン、ジーンさん! その話は後にするんだ、サメが迫ってきているぞ!」
クレアの声で、船上という名の戦場に意識を引き戻される俺とジーン。
見てみると、サメが船尾側から相変わらず水の抵抗仕事しろと言いたくなる豪速で休息接近してきていた。
「野郎……何しやがるつもりだ……。とりあえず全員、船主側に移動しつつ離脱準備だ! 奴はケツに喰らいついてきやがるぞ!」
しかしジーンの指示より、八頭ザメの機動性能の方が早かった。
八頭ザメは勢いをつけて半身を船尾に乗り上げさせながら船尾側の機構を破壊、その衝撃で後部に大きな亀裂を生じた船体は、船首を持ち上げる体制で後ろ向きに沈み始めた。
甲板が斜面になり、固定されていないものが船尾側に向かって滑り落ちていく。その先に待ち構えるのは、七つの顎(ジョーズ)を大きく開いて餌が自ら飛び込んでくるのを渇望する八頭ザメだ!
「畜生、みんな何かに掴まれ!」
斜面の角度が大きくなると、踏ん張りも効かなくなってくる。キャサリンやダニー、クレアたちは船橋周辺に既に移動していたのもあって、室内に入って壁に身を預けつつ、固定物に掴まればよかったのだが、後部甲板にいた俺とジーンはそうも行かなかった。
身体が重力に引っ張られ、濡れた甲板を滑る。
「ち、畜生ォォォオオオ! 死ね、死ねバケモノ! 俺様は、俺様はシャークスレイヤーのジーンだぞッ‼」
そしてジーンは最後まで抵抗しながら、八頭ザメの二つの頭によって引きちぎられる形で捕食してしまった。何度見ても、いかに安っぽい謎のオーラが放たれていても、見ていて気持ち良くならないであろう光景だ。
そして八頭ザメは、残ったもう片方の獲物であるこの俺にその怪獣の眼光を煌めかせた。上半身を今一度甲板に叩き付け、何とかへばりついている俺を落とそうとする。さてどうしたものか。キャサリンたちに助けを求めても、彼女らですらこの状況下で優位に立ち回れるとは思えない。
と、そんな時、俺の視覚がご恒例のアレの存在を認識した。
「見つけたぞ、ボンベだ!」
船に備え付けられていたボンベが、サメの体当たりの衝撃によって転げ出してしまっていたのだ。これを使わない手はない!
俺は引っかかっていたボンベを解放し、そして八頭ザメの口の中に向かって甲板上を転がした。見事にホールインワン!
「くたばれ化け物!」
そしてボンベの咥え込んだ頭部に向かって弾丸を放つ!
爆発四散! 血と肉片が俺の半身を赤く染める!
頭が六つになったサメはそれでも死んでいない! しかし確かに苦しんでいる! よし、効いているぞ! やったか⁉
サメは確かに苦しんでいた。だが、決して絶命はしていなかった。それが何を意味するか。
そう、苦痛にのたうち回り、その無秩序な暴力で周囲を巻き込む!
暴れ回る八頭ザメによって船体は大きく揺さぶられ、そして俺は遂に海中へと投げ出されてしまった。
「く、くそ! 敵のフィールドにッ!」
海中でもがく俺に向かって、既に船から離れていた八頭ザメが怨嗟を込めて突進してくる。このままでは牙の餌食になってしまう。
「くそぅ、何か武器は無いのか⁉」
その時、海中をかき回す俺の掌に、安心感のある触り慣れた感触があった。
木の棒だ! 俺と一緒に木の棒も海に落ちていたのだ!
「こいつを喰らいやがれェェエエ‼」
俺は肉薄してきた八頭ザメに木の棒を突き立てた。するとサメは酷く苦しがって、いくつもある頭部を何度も振り回しながら方向転換し、俺に尾びれを向けた。
「やっぱり効いた……?」
さっき漁師が木の棒を使った時は全く効かなかったのに何故今回はちゃんと効いたのだ? 何か条件が違ったというのか?
そう訝しんでいると、俺の身体は突如として発生した奔流に飲み込まれた。
全力で立ち去ろうとするサメの尾びれが巻き起こした水流だ。これほどの大型のサメが水の抵抗を踏みにじれるほどの推力を得ようとしたら、とてつもない水流が発生するのだ。
そして、水流にダイレクトに飲まれた俺は洗濯機に揉まれる衣類のように白泡に包まれながら全身にでたらめなベクトルをかけられる中で、まず平衡感覚を失い、次に上下感覚を失い、そして最後に、意識そのものを失った……。
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9
まただ。またここだ。
自分という存在と周囲という空間との境界面が限りなく不可視なところ。ただ意識のみが漂っているところ。
そして、傍らに巨いなる存在がいることが本能的にわかるところ。
『至ったか』
またしてもその存在は、抽象的に言葉を始める。
『授けられし〈力〉を感じたか』
力……何のことだ?
『因果律の歪みを払い、特異点として生まれた怪異を祓う力のことなり。心当たりもあるはずだ』
怪異を祓う力……まさか!
じゃあ、あれが他の人間が使っても効かなかったのは⁉
『然り』
一体何なんだよ、この力は⁉
『適合したものを聖剣に変える力』
いや、そうでなくて。
『これは因果律に携わる力、汝らの世界と物理法則でどうこう説明できるものでもない』
便利な設定である。
『選ばれし者にしか使えぬ力。敢えて名をつけることを欲するならば……〈フォースのちか――』
あ、別に固有名詞つけることとか望んでないし、その名前はちょっと不穏なのでやめておきます。
『いずれにせよ、汝が転生に当たって因果修正のために選ばれし存在であることには変わりは無い。これは汝の宿命である、使命を果たすまで逃れることはできぬ』
やだ。
『すでに、汝らの物質世界でも動きがある。汝はすでに接触済みだ』
え、それはどういう……。
『今回はここまでだ。海に投げ出された汝が生き永らえられるようにしておいた。安心して励むが良い』
おい、まだ聞きたいことが――
「ぶはっ⁉ ごほ、ぐぉほっ‼」
瞬間、俺の意識は苦痛を肉体の感覚として感じた。
今俺の口から噴出しているのは、しょっぱいな、海水か。
全身が痛み、まだ頭がぼうっとする。しかし太陽の光は確かにぼやけた視界を照らすし、背中に感じる痛さは固体の上に横たわっていることを意味する。
要するにあの水流に巻き込まれた俺は溺れて水中で気絶した末に、どこか陸地に打ち上げられたということらしい。
痛む身体に鞭打って上半身を起き上がらせる。全身は痛むし呼吸器官にも苦しさを感じるが、どうやら複雑骨折や内臓裂傷は無いようだ。俺の右手にはまだ木の棒が握られていたので、それを杖代わりにして立ち上がり、周囲を見渡してみる。
どうやらここは、フワル島から独立した離れ小島のようだ。水平線の近くにフワル島が見える。
「さて、どうしたものか……」
自分の居場所を知らせて救援を呼ばねば。キャサリンたちが無事なのかも早く確認したいし。
そう思って周囲を見回していると、少し離れたところを中型船が航行しているのを発見、どうにかしてあれに自分の存在を伝えねば。俺は改めて周囲を見回す。
「……あったよ、信号拳銃が」
まあ、ありそうな予感はしていた。件の存在がこういう風にしてくれたのか、単に沈められた船に備えられていたものが俺と同じ島に漂着したのか知らないが、とにかく島に自生しているが如く都合よく信号拳銃が落ちていたのである。
俺は迷わず信号弾を発射。かくして俺は救われ、見当外れの場所を半ば俺が既に死んでるかのような扱いをしながら捜索していた仲間たちのもとに帰ることができた。
――しかし、あの存在が言っていた「物質世界での動き」、「接触」とは何を意味するのだろうか。俺に宿されし力そのものは、謎が明かされたと言えるかはわからないがとりあえず何なのかはわかったが、こちらは未だ謎のままである。
「さて、作戦会議を始める」
さっきまで葬式ムードだったのを掌返したようにわざとらしい歓迎ムードで俺の生還を迎えてくれた仲間たちとの乾ききった再会劇を繰り広げて簡易な治療を受けた後、俺は仲間たちと共にホテルの会議室に赴いた。
目的はもちろん、八頭ザメを確実に仕留める方法の協議だ。この場には俺たちの他に、スタンリー氏らと、そして甚大な被害を被った地元漁業関係者らが集まっていた。
「さて、先の戦いで判明したことだが」
進行役のスタンリー氏がプロジェクター上のサメの写真を指し示しながら言う。
「あの八頭ザメは、頭を一つ破壊しただけでは全く動じない。そして同様に、発生速度が驚異的だから再生速度も驚異的で、失った頭もすぐに生えてくる。ですね、ライアンさん?」
「ええ、あいつの頭は二つ破壊しましたが、全く衰えた感じはしなかった。むしろ、怒りで強くなってたようにも見えました。再生速度に関してはマシロ老人からの伝聞に過ぎませんが」
「再生速度、あたしも確認したわ」
と、ここでキャサリンが挙手して捕捉。
「あたしがチェーンソーで切り落とした頭の断面、ライアンが落とされた段階では既に出血が止まってた。ライアンが爆破した頭もそうよ、海に撒かれた血の量が少な過ぎたの。止血作用が早い証拠ね」
「あ、そ、それならオラも見たです」
地元漁師も挙手する。
「漁船から見張ってたら、何か傷痕からもこもこしたものが生えかけてたです。あれはきっと、新しい頭に違いねぇです」
「ふむ、やはり凄まじい超生物だ……。しかし斃さねばこの島に未来は無い」
スタンリー氏は頭を抱える。
しかし相手は生物だ。ならば必ず殺す方法があるはず、俺はそれを経験上知っているのだ。
考えろ。今までに何かヒントは無いか? 奴を倒すためのヒントが……。
「スタンリーさん、俺に提案が」
そして記憶の迷路の中で行き着いた鍵。俺はそれに賭けることにした。
「ほう、流石はライアン君だ! そう、そのために呼んだのですよ。それで、どんな妙案が?」
「その前に一つ確認したいのですが、今俺が思いついた作戦はかなり大掛かりなものになります。相当、御社にも警察にも協力してもらわねばならないのですが、大丈夫ですか?」
「勿論だ、どんな犠牲を払ってでも、奴を倒さねば全てが終わる!」
「結構です……。それではまず、ありったけのホイールローダーとコンクリートポンプ車を集めて来て下さい」
「か、可能だが……一体それで何をするのですか?」
「……こうです」
俺はホワイトボードの前に立ち、一堂に解説した。
この場にいる全員が、目を見張ることとなった。
「作戦名は?」
「今回も以前のロボコンダ戦と同じで、常に攻めの姿勢を崩さないことが重要だ。だから今回も〈ヤオイ作戦〉で行きましょう」
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10
作戦決行当日。
俺は作戦を遂行するため、仲間たちや呼び集められた警察、漁業関係者たちには所定の場所で待機してもらい、そして俺は作戦の全貌を見守るため――そして作戦の最終段階に備えるため、上空のヘリコプターに待機していた。ここが事実上の司令部だ。
「定刻通り、予定地点に八頭ザメが現れました。東部海岸線付近に出現!」
「クレア、砂浜での準備は万全か?」
『ああ、いつでもどんとこいだ!』
「よし、それではまずは目標を砂浜まで追い込む。〈ヤオイ作戦〉フェイズ1始動、有翼圧力容器爆弾、投下!」
俺が作戦開始を宣言すると、まずサメのもとに急行したのは有人ヘリ並びにドローンからなる即席の航空部隊であった。先の戦いでも警察ヘリが一機犠牲になっていることもあって、観光用ヘリまで徴用して数を揃えたお粗末な騎兵隊だ。
『了解、一番機から三番機、八頭ザメを射程に納めた! 有翼圧力容器爆弾、第一波攻撃開始!』
ヘリコプター群が空中から慣性によってサメのもとに飛ばしたのは、ボンベであった。しかし、ただのボンベではない。巡航ミサイルのような長い翼が溶接され、長距離を滑空できるように改造された巡航ボンベであった! しかも、ラジコン飛行機のシステムを取り付けることで尾翼を遠隔操作して、ある程度の軌道修正を行うことすらできる!
そう、直接ヘリで爆弾を投下できる距離まで接近しての攻撃だと、サメは航空機の高度までジャンプできるので危険である。故にサメの射程圏外からキツイ一撃をお見舞いしてやる必要があったのだが、生憎俺たちは軍じゃないからミサイルなんて用意できない。そこで考案したのが、この簡易長距離誘導爆弾なのである!
放たれたボンベたちは水上に突き出した背ビレに向かって吸い込まれていき、そして次々と水上で炸裂した。
『第一次攻撃、命中!』
「よし、続けて撃て!」
『了解! 四番機と五番機、回り込め!』
次々と撃ち込まれてゆく有翼圧力容器爆弾。その業火には、流石のヤマタノジョーズも堪えたようだ。進路を反転させた。
そして更なる有翼圧力容器爆弾を投下し、奴を浜辺へと追い込んで行く! 途中で避難勧告を無視したジョックが巻き込まれた気もするが気にするな!
そして遂に、サメは砂浜に打ち上げられた! サメは陸上や空中でも活動できる生き物だが、水中にいる時よりは機動性が落ちる、このチャンスを逃すな!
「目標が砂浜のB地点に上陸した! クレア、頼むぞ!」
『了解! 特別建機部隊、発進!』
そこで牙を研いで待ち構えていたのは、クレア率いる建機部隊であった。建物の陰から姿を現したそれは、ホイールローダーとコンクリートポンプ車から編成されていて、まず先陣のホイールローダーが八頭ザメの左右に展開し、そして力強いバケットでサメの身体を両側から挟んで固定した。
『目標を固定完了!』
『よし、注入作業開始!』
続いて突撃したコンクリートポンプ車群は次々とポンプアームを展開し、ノズルを八頭ザメのそれぞれの口の中に突っ込んでゆく。
『各車、注入開始!』
『了解!』
そう、彼らがサメの口に流し込んでいるのは、重油と酸化剤だ。
サメを殺すのに一番有効なのは口にボンベを仕込んでの内部爆破だ。しかしあの八頭ザメは、頭を一つや二つ破壊しても生命活動に支障は無い上に、驚異的な速度で再生してします。
ではどうすればいいのか? そう、あのサメを倒すには、一瞬で全ての頭を刈り取るか、或いは胃袋に爆発物を仕込むことで胴体から爆破するかのどちらかしかないのだ! そして一瞬で同時に八つの頭を落とすのは土台無理な話なので、消去法で後者の手段となる訳である!
これぞ、マシロ老人が言っていたヤマタノオロチに酒を飲ませて殺したという伝承を今風にした、最新技術と東洋の神秘が融合した究極の作戦だ!
『予定注入量の五割を突破!』
『……まずい! 全員退避しろ!』
順調に作業が進んでいたかと思いきや、クレアが叫んだ次の瞬間、一時的に大人しくなっていた八頭ザメが思い出したように暴れだし、恐るべき怪力で固定作業中のホイールローダーを振り払い、口の中に挿入されたアームを噛みちぎってしまった!
そしてそのまま身体を反転させ、水の中へ帰っていく。
『すまん、ライアン! あと少しのところだったけど……』
「気にしないでくれクレア。想定内だ。ダニー、サメの位置は?」
「ああ、丁度河口に入ろうとしてるところだぜ」
「河口ならキャサリンの隊にも近いし、備えもあるな。よし、キャサリンに臨戦態勢を取らせろ! 橋の上のトラップを使う!」
「アイアイサ―!」
俺が号令すると、橋の上に停車していたタンクローリーとロードローラーが動き出した。
そして八頭ザメが、橋の下を通過する。よし、チャンスだ!
「タンクローリーだッ!」
『了解! 無人油槽車爆弾、投下!』
俺が黄色い服が似合いそうな形相で叫ぶと、待機していた警官たちが橋からタンクローリーを落下させた。そしてタンクローリーは丁度通過中だった八頭ザメの頭上で爆発、河口を火の海に変える!
「効いてる、効いてるぜライアン!」
とダニー。確かに、八頭ザメは爆発の衝撃と熱風に煽られ、動きを鈍らせながら川を遡上しようとしていた。
「よし、この調子で確実に追い込み、河川敷に乗り上げさせるぞ」
「じゃあ最期の一撃も使うのか?」
「当然…………ロードローラーだッ!」
機を見て叫んだ俺の声に応え、橋上のロードローラーが落下、サメをその重量から生まれる衝撃力を以て確実に追い込んでいく!
『無人締固め機質量弾、効果あり! 目標、予定ポイントに上陸します!』
「よし今だ! キャサリン隊、攻撃開始!」
河川敷に当然のように上陸した八頭ザメのもとに、キャサリンが率いる第二建機部隊が群がる。キャサリンは空挺ゾンビ騒動の時に重機を扱う才能を見せたことと、いざとなればチェーンソーで応戦して他の隊員を守れることからリーダーに選ばれたのだ。
『了解よライアン! 今から第二次注入作業を始めるわ!』
クレア隊の時と同じようにホイールローダーがサメの身体をロックし、そしてコンクリートポンプ車が重油と酸化剤を流し込んでいく。
『予定注入最低量を突破! ……注入量百二十パーセント! 臨界です!』
『よし、引き上げるわよ!』
キャサリンの速やかな判断は正しかった。臨界まで飲まされた八頭ザメは待っていたかのように暴れだし、腹の中をパンパンにした状態で水中に帰ったが、キャサリンの指示のお陰で巻き込まれた者はいなかった。
八頭ザメはそのまま川を下り、海に戻った。さて、ここからが本当の本番だ。
「なあライアン。本当に、お前が行くしかないのか?」
と、不安げなダニー。
俺たちは八頭ザメの後方上空でヘリで滞空していた。俺はヘリの扉のところで、潜水用のフィンを足に装着していた。既に服はウェットスーツにチェンジ済みで、ボンベは背中に背負うものの他にもう一つ、傍らに置いていた。
「いや、だって俺以外適任いないじゃん。俺以外じゃあ、木の棒使っても食われるし」
「でもよ、お前こないだまであんなに嫌がってたじゃねぇか、こういうの」
「勘違いするな、今でも嫌だよ。ああ、嫌だ。お前とファックするくらいには嫌だ。でも、さっさと終わらせるにはこれしかないだろ」
「にしても、リスクが高いんじゃねぇか? ボンベを抱えて潜水して、奴の口にボンベをねじ込んで点火するなんて」
自分でも危険な作戦であることは自覚している。いくら確実に内部爆破するためとはいえ、奴に再び肉薄するなど、正直生きて帰れる保証は無い。
「そんな装備で大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題無い。接近戦のために木の棒も持ったし、キャサリンから借りた水中チェーンソーもある。上手く立ち回ってみせるさ」
言ってて、どうして自分はいつの間にかここまでこの世界の問題に真剣になっているのか、どうしてここまで木の棒に信頼を寄せるようになっているのか不思議になってきた。俺自身が何かを守るために変わり始めているのか、それとも「件の存在」によって何かされているのか。
「ライアンさん、予定ポイントです!」
「……時間だ。まあ、心配すんなダニー。イケメンは死なない」
俺はいつの間にかヒロインの座を占拠したかのような面持ちで見守るダニーを背に、海へ飛び込んだ。
木の棒とチェーンソーは腰や背中に剣のようにして固定し、爆破用のボンベはワイヤーで牽引している。万全の体制だ。
「……さあ来いヤマタノジョーズ! 俺はサメが大嫌いなんだ! 俺を怒らせたことを後悔するが良い!」
落水する音を聞きつけてやって来た八頭ザメと相対する俺は、恐怖と共に謎の自信を感じていた。
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11
「さあ来やがったか!」
挑発するまでもなく、八頭ザメ水中に飛び込んだ俺めがけてまっしぐらに突進してきた。あんなに腹に重油入れられてもまだ食欲があるのだろうか。
俺は水の抵抗を無視した速度で肉薄してきた八頭ザメに対し、手にした木の棒を振るう、また振るう。砂浜で俺の手に収まる時を延々と待ちわびていた木の棒は、今この瞬間、俺と一体となって巨大なサメに牙を剥く。
「……やっぱりだ、効いてるぞ!」
木の棒の攻撃を受けた八頭ザメは、大きく仰け反って突進をキャンセルされ、そしてさらなる一撃を加える旅に体勢を崩した。
やはりだ、あの時漁師が木の棒を使っても有効打にならなかったのは、その持ち主が俺ではなかったからだったのだ。
あの存在が言うところの「聖剣」とその担い手……それが木の棒やボンベと俺だったのだ。俺は転生に当たって、木の棒とボンベに因果律を紡ぐ攻撃属性を付与する力を得ていたのだ!
あんまり嬉しくない。
「……よし、その調子で大口開けて見せろ! こいつをぶち込んでやる。それとも、ケツの穴の方がお好みか?」
俺はサメが口を開いたタイミングを見計らって、牽引していた爆破用のボンベを投げ込んだ! よし、これで後は距離を取って狙撃するだけだ――
と、思ったが甘かった。
「何、まさか飲み込むとは⁉」
サメの口と喉は予測していたよりも遥かに大きかったようだ。サメはボンベを丸ごと胃袋まで吸い込んでしまった。
そしてその勢いのまま、周囲の海水を大量に吸い込む!
「ぐぉおおおおおおお!」
当然、その海水の中にはこの俺も漂っていた訳で。
俺はあろうことか、サメの口に吸い込まれてしまった!
「くそ、噛まれて死ぬのだけはごめんだ!」
牙を避けていると、さらにどんどん吸い込まれ、不自然に広い食道を通過して、重油に満ちた胃袋に納められてしまった!
「まさか喰われてしまうとは!」
嫌だ、せっかくあと少しで作戦も成功しそうだったのに、こんなところで死んでたまるか!
何か、何か脱出の手段は無いのか⁉
「……こいつだ!」
俺はキャサリンから預かったチェーンソーの存在を思い出した。
こいつで腹を内側から掻っ捌いて外の空気を再び拝んでやる!
「いっけェェェええええええ!」
俺は唸り猛り狂うチェーンソーの刃を肉の壁に当て、思いっきり押し込み、そして引っ張った。
流石に体内からの攻撃には弱いのか、八頭ザメは、激痛にのたうち回っているようで、俺はチェーンソーを手にしたまま大きく揺さぶられた。だがここで中断する訳にはいかない! さらに腕に力を込め、そして引き裂く!
「イィヤァァアアアアアアアアアッ‼」
そして遂に、無理矢理広げれば人一人が通ることができる程度の裂け目を作ることに成功した! 本当なら面で切り取って作った穴からすっぽり出たかったのだが、贅沢は言えない。俺は身体を圧迫されながらも、力づくで外界に這い出る。
ある程度出たところで、身体が勝手に外に向けて押し出される。そう、サメの内部は重油で満たされていたため、内圧が高く、その圧力によって吐き出されたのだ。これにより俺は、華麗なる脱出劇を見事に成功!
「……しめた! ボンベが露出している!」
腹を裂かれて苦しむサメの方を振り返ると、奴は何と都合の良いことに、腹の裂け目から飲み込んだボンベを露出させていた。人一人がやっと通れる程度の裂け目だったので、上手い具合に引っかかってくれたらしい。そしてボンベは蓋の役目も果たしていて、裂け目からせっかく流し込んだ重油と酸化剤が漏出するのを最低限に抑えてくれていた。
八頭ザメは苦しみ混乱しているのか、急激に浮上し始めた。
「よし、今度こそ止めだ!」
俺も八頭ザメを追いかけて浮上し、拳銃を防水パックから取り出す。
「当たれ……くたばれ化け物!」
そして俺は、奴の腹から顔を見せるボンベが水面に出てきたその瞬間に狙撃した。
ボンベが炸裂すると瞬く間に体内の重油も誘爆し、今までの怪物爆破とは比べられないほどの爆轟がサメの身体を包み込む。
「……くっ……!」
その衝撃波はすさまじく、俺は一時水面下へ退避することを余儀なくされてしまった。潜水しようとする俺を、爆発が生んだ大波が襲う。
そして十数秒程度待って水上に顔を出すと、先ほどまで八頭ザメがいたところには生命の気配すら無く、ただ巨大なキノコ雲が立ち込めているだけであった。サメの体内で圧縮された流体が爆発したからだろうか、心なしかキノコ雲がサメのシルエットをしているようにも見える。
そして、そんな爆炎をバックに飛行するヘリコプターから手を振るダニーの姿を認めたところで、俺の視界は再び暗転した。
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12
ハワイのサメ討伐の旅最終日。
俺たちは、ジョックを招く平和が戻った海辺にいた。
「ライアン、早くこっち来たら〜? サメのいない海でするサーフィンは格別よ!」
「ライアン、サーフィンが嫌ならおれと泳ぎで競争しないか? エレメンタリースクールの時、よくレースしたな、懐かしい」
海では、キャサリンとクレアが各々の流儀ではしゃいでいる。全く、ついさっきまでヤマタノジョーズが暴れていて、今でも普通のサメはいるかもしれない海でよく遊べるものだ。
ダニーは少し離れたところの木陰でパソコンをいじっているが、そのサングラスの裏ではしっかりと少女の水着姿を最高画質で記録している。
「勘弁してくれ、俺はサメの胃袋から生還したばっかりなんだ」
俺は友達の誘いを当然に断る。サメの体内でガソリン塗れになってからまだ一日しか経っていないのだ。油の匂いはとれたが、やっぱり何だか気分は良くないし、肉体的にも精神的にも色々とエネルギーを使い過ぎた。こうして砂浜に腰掛けてボーッとしているのが一番だ。
「平和が戻った海じゃ。もっと満喫してもバチは当たるまい」
そんな俺の隣にいつの間にか座っていたのは、あのマシロ老人だった。気配を全く感じなかったので、俺はその声に少し仰け反った。
「疲れたんですよ、俺も。それに明日には帰るんだ。中途半端に遊んで未練を残しても良くない」
「ほう。しかし……このような試練は、まだお前に降りかかるぞ? この程度でへこたれていて良いのか?」
「……⁉︎」
マシロ老人の声色が、眼光が、豹変していた。
「転生にあたって理に干渉する力を授けられた者……。お前にはまだ、試練と使命が残っておる。次の大いなる試練は……天からの災厄であろうな」
「マシロさん……あなたは一体……!」
俺は反射的に飛び起きて、マシロ老人と距離を取った。しかし、マシロ老人は武術で鍛え上げられた絶妙な足運びで、俺との距離を一定に保ってしまう。
「……まあ、そう身構えるでない。ワシも別に、お前と敵対する者ではない」
「……じゃあ、あなたが一体何者なのかを答えてもらおうか」
「ふむ……ワシが、というよりも我々が、じゃな」
「我々?」
俺は首を傾げる。まさか、俺の転生のことを知るような者が、偶然ここに一人いるのではなく、集団を成しているというのか。
「我々の名は〈アルバトロス〉……」
アルバトロス……アホウドリか?
「我らは観測者。この世界に介在する、外なる因果を観測し続けてきた者。そして、その諸悪の根源に抗するための希望を探す者」
「諸悪の根源?」
「〈アサイラム〉……本来存在し得ない宇宙意志……我らはそれがこの世界を歪めていると見ておる。そして、それに立ち向かい得る第一候補こそが……転生と共に〈理力〉を授けられし君なのだ」
何だ、一体何を言っているんだ。
俺は心配になって、海辺に遊ぶ友達に目を向ける。彼女たちには問題は無かった。
が、視線を戻すとそこにマシロ老人はおらず
「お前も、こらから目覚めてゆくだろう。だが、まだ練度が足りん。〈アサイラム〉に相対するにはな」
背後を取られていた。
「あなたたちは一体……」
「言っただろう、観測者だ。世界の歪みと共に、お前の覚醒を観測する者。我らには、守らねばならないものがある。だから待つ、お前の覚醒を」
「……俺の友達にも手を出すのか?」
「それはお前次第だ」
マシロ老人は、くるっと背中を向けた。
「時間だ。また見えることもあろう。次なる試練を経て、お前は大きく覚醒のレベルを上げることになる。心せよ」
そう言ってマシロ老人は、走っていって遠くに停めてあったバイクに乗り、どこかへ消えた。
そこはテレポーテーション的なことしろよ。
「ライアン、今誰かと話してたの?」
と、流石に気配を察したらしいキャサリン。
「いや……何でもない」
俺には答えるべき言葉が見つからない。
俺にとってもあまりに想定外だったからだ。
ただ一つ言えることは、これから俺の新たなる戦いが、次の段階の何かが始まるということだ。この世界の正体に向かって。
……嫌だなぁ。
第一部完
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