人妖狩り 幻想郷逸脱審問官録 (レア・ラスベガス)
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序録&第一録 逸脱審問官の始まりと人妖のなり損ない 一

皆さん初めまして作者のレア・ラスベガスと申します。
今回初めてハーメルンで投稿させて頂きます。
何分拙い所があるかもしれませんが温かい目で見てもらえると幸いです。
勿論、応援であれ注意であれ指摘があれば真摯に対応する覚悟です。
さて、この小説は一年三ヶ月前にある構想を抱いて書き続けた小説であり今は四話分の話が既に完成しています、余分のある内は毎週金曜日に投稿していこうと思いますが余分がなくなったらかなりの亀更新になりますので予めご了承ください。
前文が長くて遅れましたがこの小説は東方projectを原作に書いている二次創作ものですが正直に言えば東方キャラクターはあまり登場しません、何のための東方なんだと思う人もいますが自分自身は東方キャラクターを使っての二次創作ではなく幻想郷という世界観を生かしての二次創作として書いているつもりです。
小説の内容は見てもらうとしてこの小説のテーマとしては妖怪の楽園である世界で妖怪の糧として生きる人間や人妖との戦いを通して人間とは何か?人間の複雑性や不透明感を感じ取ってもらえたらいいなという思いで書いています。
アンチ・ヘイトタグをつけてありますがこれは東方キャラクターに対してではなくこの小説に出てくる人間に対しての不満や憤りの意味を込めてつけさせてもらいました。
下手な描写や分かりづらい箇所はあると思いますがこれを読んでくれる読者様の中で何かを考えさせられたり感じたりする事があれば私はとても幸せです。
前書きが長くなりましたが最後はこの人妖狩り 幻想郷逸脱審問官録の世界観を現した言葉でしめさせていただきます。
人間としての誇りを捨て外道へ堕ちた逸脱者に無情なる断罪を。


序章 人間をやめるという大罪

 

強大な力を持つスキマ妖怪「八雲紫」によって創られた現世と切り離された世界「幻想郷」

そこには人間の畏怖またや人間そのものを餌とする妖怪とその妖怪に怯えて暮らす人間が暮らしており、ここで暮らす人間は妖怪達に実質支配され数少ない安全地帯で怯えながらこの世界を生きていました。

しかし人間達の中には妖怪に怯えて暮らすのが嫌になり逸脱したやり方で「人間」から「妖怪」になる人達もいます。

彼らの事を幻想郷では「人妖」と呼ばれ、人妖は幻想郷の均衡を崩壊させかねない大罪とされており幻想郷の秩序を保つ博麗神社の博麗霊夢や幻想郷の主である八雲紫は人妖になる可能性のある者を用心深く観察していました。

では何故人妖は幻想郷に置いて大罪なのか?それは幻想郷が妖怪の楽園であると同時に妖怪と人間の微妙な均衡で保たれているからです。人間が妖怪に畏怖し恐怖する思念が妖怪達の糧となりそしてそれが妖怪の力となってこの幻想郷を支えているからです。

幻想郷とはいわば博麗結界という名の強度のあるシャボン玉に作られた。現世と比較すると脆く壊れやすい世界でそれを支えるために妖怪の力が必要でありその妖怪の力の源である人間の妖怪に対する畏怖や恐怖の思念があってこの幻想郷は存在するのです。

しかし人間が逸脱した方法で妖怪になった者・・・・・・幻想郷では「人妖」と呼ばれる存在になるとその者は妖怪を畏怖しなくなるし恐怖しなくなります。

もし人間側から妖怪側に変わる人が増えた場合、人間から得られる妖怪の力の源である畏怖や恐怖の思念が減り、人妖になったものは自分達の存在を維持するために人間を襲うようになります。

結果として妖怪の源である畏怖や恐怖の思念が大幅に減り枯渇、それにより妖怪の力が弱まりそれが原因で幻想郷の均衡が崩れシャボン玉がパチンと割れるように幻想郷崩壊するという最悪の結末も起こりうる可能性があったからです。

もちろん幻想郷が崩壊すれば妖怪も人間も全員滅亡し世界が完全消滅してしまいます。

幻想郷を維持するためには妖怪も人間も必要不可欠でありその均衡が崩れないよう人妖は大罪とされたのです。

 

しかし人妖を大罪と見なしているのは妖怪や博麗だけではありません。

それは本来妖怪達から支配されているはずの人間側にも人妖を忌み嫌う組織があるのです。

人間賛歌、人間って素晴らしい、そんな考えに賛同する者達で構成された。

人間の人間による人間のために活動する組織「天道人進堂」

人間の里の近郊にある、永らく未整備だった荒れ地を開拓して作られた平地に建てられた。本部を拠点に活動する組織で表向きは人間のための慈善社会活動団体なのですが、その組織の中に異質な集団がいます。

それは本部である天道人進堂の地下にある地下総合施設を拠点に活動する「逸脱審問官」と呼ばれる者達です。

彼等は天道人進堂が掲げた人間が犯してはならない掟を破る者達を断罪する事を仕事としています。

天道人進堂には掟がありそれは人間が犯してはいけない規則なのですが、原則的に「故意に人間という存在概念から外れてはいけない」で統一されておりそれを外れる者がいた場合、逸脱者(人妖)扱いとされ多額の賞金がかけられ逸脱審問官の標的になります。

彼等にとって逸脱者は人間の尊厳や誇りを踏みにじった存在であり人間として生きている者達の尊厳や誇りを守るため大罪犯した逸脱者達を断罪するのです。

人間離れした力を持つ逸脱者に対し逸脱審問官達は優れた身体能力と守護妖獣と呼ばれる人工的に生み出された妖怪と永遠の契約を結び彼らの力を借りて逸脱者と戦うのです。

自分の命を削りながら・・・・・・・。

そして今日、天道人進堂本部の最深部、契約の間で一人の若者が逸脱審問官になるための洗礼、契約の儀が執り行われようとしていました。

 

人間としての誇りを捨て外道へ堕ちた逸脱者に無情なる断罪を

 

第一録 逸脱審問官の始まりと人妖のなり損ない 一

それはまるで闇の中に放り込まれたかのような。

辺りは静寂の無音が包み一寸先も見えない暗闇の空間が広がっている。

もし、彼が何を知らずここに放り込まれたなら、恐らく数時間程度で発狂していただろう。

そのくらいの恐怖を感じる闇と無音に支配された世界だった。

彼はこの時、ありふれた光の有難さを感じずにはいられなかった。見て認知できる恐怖よりも見えない恐怖の方が圧倒的に怖いと実感したからだ。

無論、今から彼がなろうとしている職業がこの暗闇の恐怖よりも何十倍も怖い。狂気と血で彩られた世界である事は彼も十分に知っていた。

だからこそ竦むのだ。目の前にある暗闇の恐怖よりもさらに深い恐怖に自分から飛び込んでいくと考えると・・・・・。

コツコツ・・・・・。

正面の方から足音が聞こえる。無音だった分しっかりとした地面を靴が接触する音が空間に響く。その音はこちらに近づいているようだった。

「ようこそ、新たな逸脱審問官になる者よ」

暗闇の中からスッと現れたのは、無精ひげを生やした見た目は三十代くらいの眼鏡をかけたガタイの良い男性だった。

彼はこの男性の事を良く知っていた。逸脱審問官になるための最終試験で一対一の個人面接の時、試験官として現れた男だ。

鼎玄朗、そう名乗ったこの男はこの場所の遥か上の地上にある天道人進堂の大旦那でありそれと同時に逸脱審問官の作戦司令部の司令官でもある。

「ここに来いと言ってのいたのは確かあなただったはずだが?」

彼はそんな大旦那にも敬語を使わず率直な口調で言葉を返す。

そんな彼に大旦那は怒る事なくフッと笑った。

「確かにそうだが、何・・・・・もしかしたら臆して来ないのではないか?と心配になっていた所でな」

逸脱審問官はとても危険な仕事だった、狂気と血で彩られた世界と聞いてはいても到底理解は出来ないはずだ、実際に見てないからだ、だからこそ言い知れぬ不安と恐怖が立ち込めていた。まるで何も見えない、何もわからないこの暗闇のような恐怖が煙のように、なので試験には合格しておきながら、怖気づいてここに来なかった者も過去には数人いたからだ。

「逸脱審問官になると決意してここまで頑張ってきた、臆する事なんて何もない」

嘘、実際はここに来た時この暗闇よりも深い恐怖に飛び込もうとしている事に心の隅で恐怖を抱いていた。だが逸脱審問官になると決意した以上何があっても後ろには下がらないと決めていた。だからこそ逃げずに立っている。

「良い答えだ、てっきり私は心の底では怯えているのではないかと思っていたが・・・・」

図星であった。だがこの男に微かでも表情を変えたら見抜かれてしまう。それだけの技量を持った男だと思っていた彼はなるべく平常心を装う。

「怖気ついて来なかった者達と比べ勇気があった事は誉めてやろう、だが怖気づいてこなかった者達はとても勘が鋭かったとも言えよう、逸脱審問官はどれだけ信念や理屈を並べてもこの仕事は絶対一度は後悔する、絶望に叩きのめされ、時には命を落とす、その運命である事を事前に察知し逃げ出せたのだからな」

本当にこの男は何を考えているのか分からない、逸脱審問官になろうとしている人がいる前で逸脱審問官の現実を叩きつけ皮肉にする、まるで今なら逃げられるぞと言っているかのようだ、いやこれも試験なのだろう。

「そう言う意味では逸脱審問官になった者は勘が鈍い者達ばかりだ、勘の鈍い者は同時に危機能力があまりない損な体質という事でもある、狂気と血で彩られた世界を理解しているようで理解していない、信念や夢を掲げて狂気と血に立ち向かおうとするが結局は狂気と血に呑まれ後悔し絶望しそれでも逃れられない運命であるが故にそれを背負って戦い続けそして死んでいく悲しい者達ばかりだ」

今からその悲しい者達の仲間入りになる彼の心境は複雑だった。

「・・・・・・さて、逸脱審問官になるための最期の儀式、契約の義を受けてもらう事になるが・・・・・・」

思わせぶったように彼に背中を向ける鼎。

そしてチラリと顔をこちらに向ける。

「もう一度聞こう、逸脱審問官になる事に後悔はないか?」

恐らく鼎は自分を試しているのだろう。逸脱審問官として生きる事を正しく理解しているかを。

「試験に合格した日、逸脱審問官になるという規約書にちゃんとサインした、その規約書の約束を破る訳にはいかない」

果たしてそうかな?

そう言って彼の方に体を向けた鼎。

「所詮は規約書など表面上の便宜にしか過ぎない、破った所で何のリスクもないし、私はそれを追及するつもりもない」

まるで悪魔のようにそう囁く。

「今ならまだ止められるぞ、後ろに向きを変え階段を登ればいい、私はそれを止めるつもりはない、私は君の意志を尊重する、全てはお前の気持ち次第だ」

確かにこの暗闇の恐怖よりも怖い、狂気と血に彩られた世界に自らの意志で飛び込もうとしている事に心の底では怯えていた、一度飛び込めばどう足掻いても抜け出せないのも理解していた、恐らく鼎の言う通りこの先何度も後悔する事になるだろう。

だが人生は一度しかないのだ、やらなくて後悔するのよりやって後悔した方が良い。

「誰かがやらないといけないんだろう?幻想郷の秩序と人間の誇りを守るためには」

その言葉が出てくるのを待っていたかのように鼎はすぐに言葉を返した。

「ここに来た者は私の質問に対して皆一様にそう答えたものだ、だがそんな理屈など通用する程この世界は甘くないぞ、何で逸脱審問官になったのだろうと自分に問う時が何度も来る、短くなる命に絶えまなく出現する人妖、常に死と隣り合わせの人生だ、世のため人のためと言いながら最後に可愛いのは自分だ、何故自分がこんな事をしなければならないだろう、死という感覚を徐々に理解していく毎に後悔の念が強くなる、そんな運命を一生背負う事になる仕事だ、今なら逃げられるぞ、全てはお前次第だ」

彼との距離を縮めそう詰め寄った鼎。

しかし彼の一度目を瞑り、息を吐いた。

「人間としての誇りを捨て外道へ堕ちた逸脱者に無情なる断罪を」

そう彼が呟いた時、鼎の目が見開く。

それは天道人進堂が掲げた人間が生きていく故で守らなければいけない掟、九条の内の最後の言葉だった。

人間が守らなければならない掟を破り人間の道を外れてしまった逸脱者を人間の誇りと尊厳を守るために「断罪」する、逸脱審問官のために存在する掟だ。

「俺は人間の尊厳、誇りを踏みにじる逸脱者を絶対に許さない、命が燃え尽きるその日まで逸脱者を戦い続ける・・・・・・それが結果的に見も知らぬ誰かを守り幻想郷の秩序を保つためになれば人生を費やす価値がある、これが俺の決意だ」

瞼を開けそう断言した彼、鼎は後ろに下がり笑みを浮かべる。

「単純かつ素直な答えだ・・・・・・・愚か者め」

鼎の口にした愚か者という言葉はこの時はまるで褒め言葉にように聞こえた。

「いいだろう、私に着いてこい・・・・・・契約の場所まで案内する」

何も見えない暗闇の中を歩き始めた鼎を見失わないよう着いていく。

着いていく内に気づいた事だが、どうやら壁や地面は石畳で出来ており天井からは水が滴る音が聞こえる、恐らく天井は土が剥き出しの状態なのだろう。

一体誰がこんな深い所まで掘ったのだろう?恐らくは前を歩く鼎が掘ったのだろうとは見当は着くが流石に一人で掘ったとは思えない、何故なら天道人進堂の地下は何層もあり広大な地下空間が幾つも存在する、今いるここは天道人進堂の最下層だ。

もしこれを一人で掘ったのであれば、完成する頃には既に鼎は年老いた男性だっただろう。しかし目の前にいるのは見た目だけなら三十代くらいの若々しい男だ。本人は四十代後半を名乗っている。

誰かが手伝ったには違いないが一体誰が手伝ったのか?何百名もの作業員が関わったのは理解できたが人間の里にもこの天道人進堂の地下を掘る作業をしていたと言う者は一人もいない。

「ここを掘るのはとても骨が折れたよ、毎日疲れ果てて泥のように眠ったものだ」

まるでこちらの考えを看破しているかのように鼎は独り言を呟いた。

その言葉が本当なのか嘘なのか、彼には判断が着かなかった。

ある意味ではこの暗闇よりも鼎の方が怖いのかもしれない。

それから随分歩いていると正面の方から光が差し込む場所があった、長く遠かった通路を抜けるとそこはぼんやりと明るい開けた場所に出た、そこで鼎の足が止まる。

どうやら目的の場所に到着したようだ。

「ここが逸脱審問官になるための最後の儀式を行う所だ、通称血の交わる場所と呼ばれている」

彼はこのぼんやりと照らされた空間の全容を見て息を呑んだ。

大きくくり貫かれた縦長な空間は天井がとても高く、杉木が一本入ってしまう程高かった。

一体どうやって掘ったのだろう?それも気になったがそれよりも彼の目を釘付けにしたのは入って正面の壁にはめ込まれた大きな二対のステンドグラス、様々な模様が施され幾多の色ガラスで色彩豊かに作られた大きなステンドグラスが二対並ぶようにはめ込まれその窓から淡い赤の光が差し込んでいた、恐らくこの空間を照らす唯一の光源であろう。

そして石畳にとても年季の入った西洋の気品のある椅子が二対ステンドグラスに照らされるように安置されていた。

その光景はとても神秘的で儀式を行う場所として十分に納得がいくような迫力あった。

しかし一つ疑問があった、それはステンドグラスから差し込む光だ。

確かここは地下深くの光など届かぬ場所であったはずだ。

それだけじゃない、この空間に繋がる通路は今自分が通ってきた狭くて暗い通路しかない。

どう頭を捻ってもこの大きなステンドグラスを運べるような通路ではなかった。

一体どういうことなのだろうか?

「この空間の矛盾に気づいたようだな・・・・・・だが、椅子やステンドグラスをここまでどうやって運んだか?何故ステンドグラスから光が差し込んでいるのか?その理由はあえて教えないでおこう、謎なのもまた神秘的で儀式の行う場所として最適ではないか?」

またも彼の心を看破したかのような発言をする鼎。

この空間の謎は恐らく今は分からないが、どうして鼎が彼の心を看破できているのかだけは理解できた。

恐らく鼎が彼の心を看破出来ているのは、現在逸脱審問官として活躍している者達が過去に逸脱審問官になるためにここを通った時、自分と同じ感想を口にしたからだろう。

恐らくその時もこうやって道案内をしていた鼎は相手が何を考えているのか手に取るようにわかったのだろう。

「さて・・・・・・・これから儀式を始めるが心の準備はいいかな?」

頷く彼を見て鼎は右側の椅子の方に手を差し向けた。

「ではあそこの椅子に座るがよい」

彼は何も言わず何の躊躇もなく椅子に座った、何が起きようと絶対に退かないそんな決意を秘めていた。

「ではこれより契約の儀を始める」

高らかにそう宣言した鼎、その声はこの空間に木霊して響くほどだった。

すると先程通ってきた通路から人間と獣の一組がやってきた。

人間は頭に水玉模様の布を巻き付けた半袖短パンに袖のない前が開いた上着を羽織った褐色肌をした少女獣の方は見た目こそ狐のようだが背中には大きな翼が生えていた。

獣はただの狐ではなく妖怪、妖狐の一種である事は見て取れた。

一体いつ頃から後ろを着けていたのだろう?暗闇なので振り返っても後ろに誰かついてきているか分からないのは当然だが、それにしても足音すら聞こえなかったのは不思議で仕方なかった。

(あれが・・・・・・俺の相棒になる守護妖獣)

彼は知っていた、この儀式は何のために行われるか?

ただの儀礼的なものではない、この儀式はこれから人生を共に歩む事になる人工妖怪「守護妖獣」と契約するための儀式なのだ。

守護妖獣とは逸脱審問官になるための厳しい試験を合格した者から規約書に乗っ取り血を採取し鷹の無精卵に犬、狐、猫のいずれかの精子を共に特殊な注射器で入れられ「子宮炉」と呼ばれる特別な卵を温める窯で生まれる人工妖怪で逸脱審問官のお供として幻想郷の秩序と弱者を守るために生み出された妖怪である。

逸脱者はそのほとんどが人妖であり体内に妖力を含み人間離れした身体能力と妖術を使う者達が多かった。

そのため逸脱審問官は必ず契約した守護妖獣と常に行動を共にし、人妖を探す時は互いに協力して人妖と戦う時は契約者の命令の下連携して戦うのだ。

契約の義とは守護妖獣との間に絶対的な主従関係を作るための大事な儀式で、逸脱審問官の命令には絶対服従で反抗しないという、またそれだけじゃなく守護妖獣が持つ妖怪的能力を借りたり強力な妖力攻撃を放つ事も出来たりするようになるのだ。

しかしリスクもある、一度契約をすると二度と解約は出来ず、死ぬまで付き合わなければいけなくなり、さらに守護妖獣が妖力のない状態で守護妖獣の妖怪的能力を借りたり守護妖獣の妖力攻撃を行うと自分が本来生きられるはずの寿命が縮むのだ。

そのような危険性があっため試験に合格しておきながら、儀式直前で逃げてしまう者達もいたのだ。

妖狐は褐色肌の十代前半のまだ幼さ残る少女に連れられ左側の椅子に座らされる。

妖狐は随分と褐色肌の少女に懐いているらしく彼女が手を差し出すと進んで頬を擦りつけていた。

(俺もあれくらい仲良くなれるといいが・・・・・)

最後の精神的試験に合格し規約書に署名した後、鼎は彼に守護妖獣の説明と契約の義の説明を受けていた、その話の終わりの際、鼎が最後に口にした言葉を思い出す。

「これで話は終わりだが・・・・・・これは私鼎玄朗の個人的な願いである、もし暇な時があれば相棒と遊んであげなさい、頑張った時はご褒美をあげなさい、失敗をしてもなるべく責めないように心掛けなさい、君とこれからの一生を歩む事になる守護妖獣は相棒でもあり戦友でもあり君自身でもある、しっかりとした友好関係を築けるよう努力しなさい」

これから一生を歩んでいく事になる隣にいる妖狐。

彼は自分があまり社交的ではなく人と接するのが得意でない事は理解していた。

だがこれからはあの妖狐と一生を共にするのだ、得意下手ではないのだ、頑張って接しなければいけない。

まじまじと妖狐の方を見ていたら妖狐もこちらを気づき見つめてきた。

視線を逸らさず互いに見つめていたが無垢な瞳に見つめられるうちに恥ずかしくなり目を背ける。

「ほら、あの人があなたと一生を送るご主人様よ、ふふ・・・・あなたに見つめられて恥ずかしそうにしているわ・・・・・きっと素直で優しいご主人様よ」

褐色肌の少女が妖狐にそう言い聞かせているのを聞いた時、顔を赤くなる感覚を覚えた。

別の意味でここから逃げ出したい、穴があるなら奈落の底まで繋がっていても勢い良く飛び込んでいた所だ。

・・・・・もちろん今のは例えであり別に穴に本気で飛び込むつもりはない。

ここで彼は大事な儀式の最中である事を思い出す。

忘れていた訳ではないが、褐色肌の少女の無邪気な発言に緊張感が薄れていた。

大事な儀式だというのにこんな感じではいかんと気分を落ち着かせようとする。

しかし、そんな彼に思いもよらぬ事態が起こる。

大きな椅子の後ろから回り込むようにして鍛冶屋のような厚手の服を着た男達が現れたのだ。

(椅子の後ろから!?いつからそこにいたんだ?)

椅子は細部に装飾が施されとても大きかったため(恐らく異国の位の高い者が座っていたのだろう)二~三人程度なら人が隠れる場所はあったが、人が潜んでいる事に気づかない程気配がなかった。

余程、息を殺すのが上手いのだろうか?それともあの自分が通ってきた通路以外にも隠し通路があったのだろうか。

本来の彼だったら人が潜んでいた事に気づかなかった自分を責めていただろう。

しかしそんな事よりも彼はある事が気になって仕方がなかった。

それはもし自分がここに来た時からいたとすれば、今の少女の話を聞かれていたという事になる。

もしそうだとしたら彼に取って物凄く恥ずかしい事だった。

自分が妖狐に見つめられて恥ずかしそうにしていた話をこんなにも多くの人に聞かれていたなんて思いもしなかったからだ。

(穴があったら入りたい・・・・)

今度こそ彼は穴に入りたい気分になった。

そんなどんより気分になっていると彼の目の前に三十代のまだまだ若気があるガテン系という言葉が似合いそうなお兄さんが立っていた。

「おい、お前顔色悪そうだが大丈夫か?」

心配そうにこちらの様子を伺っているようだった。

重要な儀式の際中なのに随分と気軽だな、と思ったが心配してくれる辺り悪い人ではないのだろう。

ここで彼も儀式の最中である事を再び思いだし、気持ち切り替え首を振る。

「すまない、色々と考え事をしていただけだ」

嘘をつくのは好きではなかったがこんなくだらない事で落ち込んでいた事を悟られぬようため息をつきながらそう答えた。

「まあ、いろいろ考えるよな・・・・・・なんたって逸脱審問官だもんな、あれだけ過酷な仕事じゃ始める前から不安で色々と考えこんじゃうよな」

頷きながら話しかけてくる男、儀式の最中だというのに随分と態度が軽いように思えた。

同じように評した少女の方は見た感じ妖狐の世話係なのだろう、妖狐が警戒しないよういつもと変わらないように接しているのだろう、それに見た感じまだ幼い女の子なのだろう。多少の緊張感のなさは仕方がない。

一方のこの男の方は三十代くらいの男なのにこの態度の軽さだ。

大事な儀式の最中である事を忘れているのではないかと思う程の接し方だった。

彼自身は男の行為を別に迷惑だと思ってなかったが本当に大事な儀式なのか?と思えてくる。

「こらあ!基一!人生で大事な儀式をやっとる人に何気軽に話しかけているんだ!さっさとこっち来て準備せんかい!」

案の定、上司であろう筋肉質の白髭の生えた男が怒鳴った。

基一と呼ばれた男はすいません親方と口にしつつ持ち場に戻っていく。

それにしても何のこの集団は一体は一体何者だろう?

厚手の服装をしている辺り鍛冶屋の関係の仕事をしている人達かもしれない。

確か天道人進堂の地下施設の中には逸脱審問官の武器や防具等を扱う鍛冶場があったはずだ、そこで働く人達なのだろうか?

すると床に鉄で出来た縦に長い箱が置いてある事に気づく、恐らく後ろから出てくる時に持ってきたのだろう。

親方と思われる人物がその鉄製の箱の蓋を開けると中には溶岩のような真っ赤に煮えたぎる液体が入っていた、湯気がぶわぶわと出ている事を考えると相当熱いのだろう。

一気に心臓の心拍が早くなる、それはこれから起きる事への危機を事前に察知していたのかもしれない。

大型のトングの様なもの持った二人の男がその煮えたぎる液体にトングを入れた。

すると煮えたぎる液体の中から真っ赤になるまで熱された鎖で繋がれた二つの手枷が現れた。

それを見た時、今から何が行われるのか何となく理解し息を呑むと同時に背筋に冷や汗が流れる。

基一と親方は厚手の手袋をはめるとその鎖で繋がれた左右にある手枷の部分を持った。

「ぐ・・・・・・」

基一の顔が歪む、恐らく厚手の手袋を着けていても熱いのだろう。

親方も顔を歪ませはしないものの、額からは汗が出ている。

もっとも今から彼は基一以上の熱さを経験しなければならないので他人事ではない。

鎖で繋がれた手枷を持って親方は妖狐の方、基一は自分の方に近づいてくる。

妖狐の方は不安そうにキョロキョロとしている、それを褐色肌の少女が一生懸命なだめていた。

「ではこれより逸脱審問官を志す者とその相棒となる者に一生の繋がりを刻み込め」

鼎のその宣言と共に基一が手枷を一旦外す。

「悪いな、兄ちゃん・・・・・・・熱いやろうけど一生懸命耐えてくれや」

ごくりと唾を飲む彼、妖狐の方は褐色肌の少女が危機を察知し逃げようとする妖狐を抱きつく。

基一は彼の右手に真っ赤に熱された手枷をはめた。

ガチャリ、もう逃げる事が出来ないと理解させる非情な千錠音が耳元でしっかりと聞こえた。

肉を焼いたような音が聞こえたと思うと凄まじい熱さが皮膚に伝わり、それと同時に皮膚が焼ける猛烈な痛みが襲った。

「!!・・・・っ!」

叫ばないよう我慢していたが、あまりの熱さと痛みで小さく嗚咽が出た。

手枷からは皮膚が焼けているのか煙をあげていて自分の皮膚が焼けた匂いが漂っていた。

いや、当たり前といえば当たり前で、そんな嗅いでいる余裕などないのだがこの痛みから逃げようと何か別の事を逸らそうとしている。

しかしこの痛みを逸らすにはあまりにも熱すぎて別の事を考える余裕はなかった。

「!!!・・・・・・か・・・・・・あ・・・・」

あまりの熱さと痛みで閉じていた口から声が漏れる。

妖狐の方も首の辺りに真っ赤に熱された枷がはめられ悶え苦しんでいた。

暴れる体を必死に褐色肌の少女が抱きしめて抑えつけている。

きっと少女も苦しいのだろう、暴れているのを必死で抑えつけている事と自分が世話した妖狐が苦しいめにあっているのを助ける事が出来ないという二重の意味で、ぼやけてよく分からないが泣いているようにも見えた。

あまりの熱さと痛みで意識が朦朧としてくる。

もしかしたら右腕がこのまま使えなくなるのではと思ってしまう程の激痛だった。

しかしそんな事も深く考えられないような程意識が朦朧してくる。

視界が不鮮明になり音が遠のき体から力が抜けていく。

顔が天井を見上げ視界が一層不鮮明になった。

代わりに遠くから聞き覚えのある音が体に響く。

ドクンドクン・・・・・・

規律良く一定の間隔で脈打つ心臓の音、こんな事態でも何も乱す事なくしっかりと鼓動していた。

ドクドクンドクドクン

しかし徐々に異変が生じる、自分の心拍音とは異なる誰かの心拍音が聞こえ始めたのだ。

(・・・・・妖狐?)

根拠はないが何となくそうだと思った、確信できるほどの自信があった。

今彼と妖狐は手枷をつけられ鎖で繋がっているのだ、契約による現象なのかもしれない。

ズレていた彼の心臓音と妖狐の心臓音だったが、脈打つ毎に同調し始めそしてついに共鳴した。

ドクン!ドクン!ドクン!

強く体を揺らすほど強い鼓動が体に響き、血流が早くなり体の血が一気に全身に送られていくような感覚を覚えた。

その瞬間、頭の中に様々な情報が流れ込んできた。

何処かの風景、誰かの手、柔らかな素材の感触、何かが刺さったような痛み、大好きな美味しい、大嫌いな不味い、花の香り、黴臭い香り、暖かい温度、冷たい温度、嬉しい気持ち、悲しい気持ち。

断片的に脳に流れ込んできた情報、彼はそれが妖狐の記憶の断片である事を理解した。

現実と夢があやふやになり彼のぼやけた視界が煌びやかな色で埋め尽くされた。

頭に流れ込んでくる膨大な情報と体を揺らすほどの心臓音、極限まで早くなった血流の中研ぎ澄まされた精神の先で彼は幼い少年の姿をした幻影を見た。

その少年は彼に語り掛けた。

幻影でもしっかり口の動きが見え声は聞こえないが、彼には少年が何を言っているかよく分かった。

しかし次の瞬間、彼の意識は高い所から落ちていくように逆戻りしていった。

鮮明になる視界、周囲の音がハッキリと聞こえ始め、肌や指の感覚を取り戻していく。

まるで失われた五感が急速に戻っていくかのようだった。

「・・・・・!?」

ハッ!と意識を完全に取り戻し彼は周囲の状況を確認する。

そこは先程と変わらない椅子から見た赤い光でぼんやりと照らされた地下空間、自分の傍には基一がおり、隣の椅子には自分と同じように周囲を見回す妖狐の姿があり褐色肌の少女が何とも言えない複雑な笑みを浮かべながら妖狐を撫でていた。

自分の右手の手枷を見ると既に熱は冷め鉄本来の鈍い光を放っていた。(それでも触ったら熱そうではあったが・・・・・)

「契約は無事行われた、手枷を外してやれ」

鼎の指示で基一が手枷を外す、ガシャリと手枷が外れた音、今度は地獄から解き放たれたかのような解放感だった、しかし実際は逆だ、彼はこの時から狂気と血で彩られた世界に体を縫い合わせたのだ、もう逃げられないように・・・・・。

彼は自分の右手を確認する、右手には黒く焼けた不思議な模様の火傷が刻まれており恐らくこれが妖狐との契約の証なのだろう。

まじまじと右手を見ているとコツコツと靴音を鳴らしながら鼎がこちらにやってきた。

「無事『双血の刻印』が刻み込まれたようだな、これでお前と守護妖獣との間に切れる事のない繋がりが出来た」

そう言って鼎は彼の右手の双血の刻印に触れる。

一瞬、触られて激痛が走ると思った彼は身構えるが予想していた痛みはなく火傷したのにも関わらずいつもの皮膚の感覚だった。

「双血の刻印はお前に流れる血とあの守護妖獣の体内に混血して入っているお前の血をシンクロさせるための呪い(まじない)だ、これにより契約者と守護妖獣に絶対的な主従関係を作りだしさらに契約者は守護妖獣の妖怪的能力を共有することが出来るようになり、こちらも契約者の命力を守護妖獣に注ぎ込む事で守護妖獣に強力な妖術を使わせる事が出来るようになる呪いが刻まれた、死ぬまで絶たれる事のないお前とあの守護妖獣との繋がりを視覚で見る事が出来る印だ」

視覚で?気になり聞き返すと鼎は彼の右手を触れるのをやめ背中を向ける。

「本来はそんな刻印など見えなくともお前の血にあの守護妖獣の血にしっかりと呪いが刻み込まれている、しかし人間はそれが見えなければ実感する事が出来ない、実感がなければ守護妖獣との繋がりも感じ辛くなり常に交流を深める事を怠る恐れがある、その双血の刻印の刻印は刻み込まれた血の呪いを視覚化したものなのだ、火傷のように見えるが実際は薄い血が固まって肌に張り付いているに過ぎない」

だから触っても痛くなかったんだ、と彼は自分の右手を擦る。

やはり激痛などなく僅かに皮膚に触り心地が違うだけだった。

「これで契約の儀は終了した、さあお前の相棒となった守護妖獣の所に行くがいい、そして相棒を連れてここを去るが良い、道案内は相棒となったその守護妖獣が示してくれるだろう」

その言葉を聞いて、彼は相棒となった妖狐の方を見た、妖狐も彼を見つめていた。

首には自分と同じ双血の刻印が刻まれていた。

彼は立ち上がり妖狐に近づき正面に立った、褐色肌の少女は緊張した面持ちで彼を見ていた。

「・・・・・・・」

妖狐にどう接したらいいか分からず、まずは落ち着いて手を差し伸べる。

すると小さな煙の爆発が起きた。

「・・・・・・!」

一瞬驚く彼の腕に何かが登っていく感覚がした、登っていたそれは肩で止まった。

顔を向けるとそこには妖狐・・・・・・それが何だか小さくなって可愛らしくなったものがちょこんと座っていた。

「良かった・・・・・その子、あなたの事とっても興味があるみたい、その子はとっても好奇心旺盛でまるで森を駆け回る少年みたいな性格なんです」

鼎から聞かされていたが守護妖獣は人間で言う二十歳くらいまで育った所で契約の義を行うらしい。

つまり少年の様な仕草も単に幼いという事ではなくこの妖狐の立派な個性なのだ。

そう少し複雑な面持ちで話しかける褐色肌の少女。

「あの・・・・・これは私のお願いなんですど・・・・・・出来る限りその子を幸せにしてやってください、お願いします」

きっとこの褐色肌の少女は今までこの妖狐の世話係で大事に育ててきた分、その子がこれから人妖と戦い続ける運命を課せられた事に心苦しさがあったのだろう。だから少しでも幸せな一時を過ごしてほしいと思い出た言葉なのだろう。

彼も少女の気持ちがよく分かったのでしっかりと頷いた。

「ああ・・・・・・・分かった」

少女はその言葉に笑みを浮かべるとそっと彼の肩に乗る、妖狐に指を差し伸べる。

妖狐は頬を摺り寄せた。

「これからはこの人と一緒に一生懸命生きてね」

主が変わる手向けにそんな言葉をかけた、優しい言葉なのに寂しさも覚えた。

彼は相棒となった守護妖獣を連れて唯一の通路へと足を進める。

その途中手伝ってくれたここの鍛冶場の人であろう人達にも頭を下げる。

親方は腕を組んで、ん・・・・と呟き、基一は笑顔を浮かべていた。

彼は通路に入る所で肩に乗る妖狐の方を見た。

「・・・・・道案内を頼む」

妖狐は力強くコン、と答えた、彼は暗闇に足を踏み入れる。

鼎はそんな彼の後姿を見送りながらこの場を締めた。

「今日より新たな逸脱審問官となった、平塚結月に祝福と御武運を」

平塚結月、そう呼ばれた男は暗闇に閉ざされた通路を歩いて血の交わる場所を後にした。

通路は相変わらず暗闇に包まれていたが妖狐の視線を頼りに足を進める。

ここへ来た時は恐怖を感じる程の暗闇、しかし今は恐怖を感じなかった。儀式を終え一人の逸脱審問官となった結月は一段と心を引き締められ強くなったからなのかもしれない。

壁に激突することなく、鼎と出会った場所に戻ってきた結月はそのまま階段を上がり契約の間を後にした。

 




人妖狩り 幻想郷逸脱審問官録を読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?何分一年三ヶ月も前に書いた所なので、もしかしたら忘れている設定もあるかもしれません。(自分自身は忘れていないと自負しているのですが)
しばらくは東方キャラクターは出ませんが人妖狩りの世界観を理解して貰えると嬉しいです。
一応話は一話に対して十ページから十五ページ間隔で区切ってありますが基本的には一話完結ものとして書いています。
とりあえず一話は小説の内容を理解して貰うためなるべく早めに投稿して二話以降は毎週金曜日にとの方向で考えています。
これから先の事を考えると続けていけるのか?待てせてしまわないか?飽きてしまわないか?失踪しないか?心配でなりませんがなるべくは前に見える光を見つめてとりあえず序録と一録を投稿できた事に感謝し頑張って小説を書いて行こうと思います。
これで後書きは終わりとさせていただきます。

追記
・和製英語と英語と思われる部分を世界観を鑑みて修正しました。
ただ日本語に変換できない所は英語と和製英語を使わせていただきます。
・英語と和製英語の修正、誤字脱字・表現方法を修正しました。


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第二録 逸脱審問官の始まりと人妖のなり損ない 二

こんにちは、先日の初投稿したこの小説のタグがダブっているレア・ラスベガスです。
パソコンの調子が悪いのかもしれません、最近は色々と不調に感じる所があります。
新しいパソコン買おうにも金が掛かるので中々踏み切れません。
さて小説の話に戻りますがこの小説を書くに至って東方初心者の方にも読んでもらいたいという思いから東方キャラクターの説明や東方の知識をあえて書いています。
東方を前から知っているという人にはそんな事知っているよと思う部分があると思いますがご了承ください。
何分自分自身も東方に興味を持ったのはとある人の小説やイラストを見たのが切っ掛けだったので自分の小説を見て東方を知るきっかけになれたらなという思いで書いています。
その割に東方キャラクターが出てないのだけど・・・・と言われると返答に困ります、理想と現実は厳しい物ですね。
さて、第一録の前書きでこの小説のテーマを人間の複雑性や不透明感を感じ取ってもらいたいと書きましたが自分が書いた第一話~第二話を改めて見てみると・・・・・あまり人間の複雑性や不透明感を感じる描写が少ないような・・・・・。
まあ、第一話~第二話は天道人進堂や逸脱審問官がどういったものなのか、どんな風に東方キャラクターと馴染んでいくのか分かってもらえる話だと思ってもらえると嬉しいです。
それでは第二録更新です。


階段を登りきるとまばゆい光が目に差し込んでくる。

ずっと光のない場所にいたのだ、暗闇に目が慣れていたのでごく当たり前の光でも眩しくて直視できなかった。

それと同時に光のある有難さを再認識する、やはり暗闇では人間は生きられない。

そう実感させられた、逆に暗闇でも平気でいられる妖怪は比較的光を嫌う所がある。

これは光のある世界を好む人間と光無き世界を好む妖怪との決定的な差なのかもしれない。

最も妖怪の中には光の中でも平気でいられる個体もいるから全てではないのだが・・・・。

目が慣れてきてようやく周囲の様子がわかるようになる、そこは楕円形を半分に割ったような天井が高い土造りの開けた何もない空間だった。床は白く、壁は赤く、壁上部に左右に五つずつ作られた四角い簡素な窓がこの空間を光で照らしていた。この空間だけ見るならばここは幻想郷かと疑うくらいの異国の雰囲気が漂う空間だった。

最初ここに案内された時は何処か幻想郷らしくない雰囲気が漂うこの空間に戸惑い、そしてこの空間に唯一ある天道人進堂の最深部にある儀式の間に繋がる地下階段を見た時、この階段を降りたら幻想郷とは違う世界に迷い込んでしまうではないかと思う程、心の隅で恐怖を覚えた。

もしかしたら鼎の言動を考えるとわざとそうした創りにしたのかもしれない。

彼は逸脱審問官になろうとしている者をわざと煽り、その決意が本当かどうか試していた。

恐らくそれにちゃんと答えられた者が彼に取って相応しい人生をかける覚悟のある逸脱審問官であり臆病風に吹かれて逃げ出すような者は厳しい試験に合格しても逸脱審問官にしたくないのだろう。

だからこそこの空間もあの契約の間も恐怖を煽るように作ったのだろう。

「さて次は・・・・・」

鼎の言う通り地上に戻ってきたがその後どうすればいいか、結月は教えられていなかった。

ここで待っていれば鼎達も戻ってくるだろうが、どうすればいいか分からず、ずっと待っていましたでは何ともかっこ悪いのでとりあえず最初ここに案内された道を戻る事にした。

結月はこの空間を唯一の出入り口である扉を開ける、扉の向こうは簡素な屋根で覆われた壁のない木造の長い廊下一本、赤色と白色の二色を基調にした大きな木造の建物に向かって伸びていた。

あの赤色と白色の二色を基調とした大きな木造建築こそ天道人進堂の本部である。

廊下から一望できる外の風景はとても長閑で手入れされた草原と魚の泳ぐ池と小さな川があり奥には妖怪の住み心地が良い鬱蒼とした森が広がりそよ風の音がしっかりと聞こえる程辺りは静かだった。

結月は外の景色を見ながら廊下を歩いていると花々が咲き誇る場所に見慣れた妖魔の姿を見る。

半袖とスカートが一体となった服を着て幼い人間の幼女の様な姿をしているが髪色は緑や青と人間には染めなきゃ到底無理な地毛を持ち、背中には虫系や見た事もないような羽根が生えている。

幻想郷に有り触れた存在である「妖精」というものである、自然現象に宿る意志であり本質である、本来は人間の目には見えぬ存在であるが幻想郷では次元が歪んでいるため常にその姿を見る事が出来るらしい(逸脱審問官に目指す者達に渡される公式の参考書の一冊に書いてあった)もちろん全てではないが・・・・・・。

妖精は二匹おり、摘んだ花で花飾りを作り遊んでいた、髪色や服装、せめて羽さえなければ人間の女の子とあまり差異はない。

妖精というのは知能もあり実は人間と普通に会話できるものもいる、そのため昔は妖精を労働として使役出来ないか試みられた事もあったようだが、妖精は基本自分優先でやりたい事があったらそれを優先するので、まともに働いてくれずあげくの果てには仕事道具を壊されるは工場を滅茶苦茶にされるはで結局、諦めたらしい。(それも参考書に書いてあった)

「結局、自然現象は人間の手には収まりきらぬが摂理か・・・・・」

それは人間が自然現象を完全に掌握する事など出来ないという自然の摂理を表しているような話だった。

こうしてその可愛らしい姿を遠くで見るのが無難なのである。

「コンコン」

うんうんと頷く肩に乗る手乗り妖狐、まるでこちらの言葉を理解しているようだが本当に理解しているかどうかは定かではなかった。

結月は妖精を見るのをやめると再び廊下に歩き始めた。

 

天道人進堂は変わった構造で出来ている。

建物自体が六角形で組み上げられており三階建てで見た目は何処かアジア系の建物である。

地上の施設は表向きの仕事である慈善社会活動拠点であり多くの職員が働いている、その多くが人間の里出身であるが集落や村からやってきている人達もいる。

また数名であるが物好きな妖怪も働いておりある意味では幻想郷で有数の人間と妖怪が平等な地位で働く希有な組織である。

一~二階が慈善社会活動拠点として使われているが三階はここの大旦那である鼎玄朗の執務室であり呼ばれない限りは入る事の許されない部屋である。

そして慈善社会活動拠点である三階建ての六角形の左右には一戸建ての六角形の建物が併設されており、正面玄関から左が畑で採れた野菜を管理する建物、右が家畜で育てた動物を管理する建物になっている。

天道人進堂の周囲(特に正面玄関)は人間が歩くための一本道以外は全て畑と家畜小屋であり安全安心そして美味しい食材を収穫している。

その食材でお弁当やお菓子を作り人間の里で販売しており、これが天道人進堂にとって貴重な収入源となっている、ちなみにお弁当やお菓子は結構評判良く大手銀行や大手雑貨屋から会社ぐるみで注文を受ける事もある。

そんな天道人進堂の室内もまた独特である、室内も木造で柱は赤色、壁は白色、床は滑らかな木の板を並べるように組まれており、壁には幻想郷では珍しい白黒の写真が額縁に入って飾られており幻想郷の様々な場所の風景が写されている、吸血鬼が住むという紅魔館、桜の木で有名な冥界にある白玉楼、迷いの竹林の先にある永遠亭まであり一体誰が撮影したのか?(いや大体あの人しかいなさそうだが)と思うような写真ばかりである。

大広間のような玄関には中央に小さなヤシの木と南国の植物が植えられここに来る人を驚かせと同時に楽しませる工夫がされており、幻想郷では珍しい珈琲店があり美味しい珈琲の他にもココア(カカオ豆と砂糖などの甘味料を加えた飲み物)も飲む事が出来る。

どれも大旦那である鼎玄朗の発案であり結月には鼎がどのようにしてその技術を手に入れたのか、また何処で幻想郷にはない植物の種子を手に入れたのか、それを手に入れる鼎とは一体何者なのか?計り知れなかった。

結月が今いる場所は先程の廊下を抜けた先、天道人進堂の裏口だった。

結月の前には地下へと降りる階段があり二人の武装した男性が守っていた。

恐らくあそこが逸脱審問官の地下総合施設に繋がる階段なのだろう。

秩序の間は関係者以外立ち入り禁止なのでああやって守っているのだ。

結月は契約の儀を終え晴れて逸脱審問官になったので通れるには通れそうなのだが本当に通っていいのか、彼は迷った。

「やはり一度聞いてみるか・・・・・」

結月はそう思うと地下総合施設に行く階段を通過し玄関にある受付に向かう。

数時間前契約の義を行うためにやってきた時、ここの受付嬢が契約の間に繋がる地下階段をある場所まで案内してくれたからだ、何か知っているのかもしれない。

確か後ろ髪に桜の枝風の髪留めをした茶髪の若い女性だった。

玄関に行き受付の方を見ると桜の枝風の髪留めの茶髪の女性がいた。

「すみません・・・・・」

声をかけると受付嬢が結月の右腕を見るなり思惑を含むような笑顔を見せた。

「結月様ですよね、無事に契約の儀を終わらせたみたいですね、おめでとうございます、それで・・・・・どうされましたか?」

その顔はどうしてここに?という顔だった、その顔を見た時結月は次に自分が何処に行けばいいか大体理解したのだがとりあえず念のため聞いてみる。

「契約の儀は済ませたのだが・・・・・次に何処にいけばいいか、鼎さんから聞いてない、もし知っているなら教えてほしい」

ああ、それでしたらと彼女はさっき結月が通り過ぎた道の方に手をかざす。

「結月様は逸脱審問官になられましたので本拠に通行可能ですよ、番人の方に右腕を見せれば通してもらえますよ、その後は地下一階「秩序の間」で結月様の専属上司の方がお待ちしていますのでその方の指示に従ってください」

どうやら地下総合施設は本拠と呼ばれているらしい。

ああ、やっぱりそうかと思い、心の中で恥ずかしくなる。

「ありがとうございます」

そう言って立ち去ろうとした時、受付嬢が話しかける。

「気にしなくてもいいですよ、鼎様は雰囲気を結構大事にする御方なのでたまに言葉足らずになる事があるんです、前にも二・三人あなたのようにここに来た新人の逸脱審問官もいましたし・・・・・気を落とさないでください」

自分以外にもそんな人がいる事に驚きつつも自分以外にもいる事に内心ホッとしていた。

確かにあの時、契約の儀の緊張感と雰囲気に流されて、次にどうすればいいか聞き逃した逸脱審問官も多そうだろう。

すまない、と口にしつつ結月は来た道を戻り二人の番人が守る本拠に繋がる階段前にたつ。番人は無言で槍を構えて立ち尽くしており常に臨戦態勢をとっているように見えた。

本当に通っても大丈夫なのかと戸惑いつつも右腕を見せる。

番人は顔色一つ変えない、実は精巧に作られた人形だと言われても気づかない程、微動だにしなかった。

「・・・・・・」

とりあえず見せたので警戒しながら階段に足を踏み出す。

門番に動きはない、階段を二・三歩降りた所で安堵として階段を降りた。

階段を降りるとそこは人工的に作られた空洞が広がり契約の間と比べ綺麗に土が掘られており床には木の板が張ってあった、また木材や鉄で各場所に補強がされており契約の間と比べると強度はありそうだった。

そして契約の間と違いこちらは各所に松明や灯篭や蝋燭が設置されており明るかった。

もちろん、空気の換気口もちゃんと掘られている。

恐らくここが逸脱審問官の活動拠点である秩序の間、その玄関なのだろう。

円状の空間には色々なものがあった、右側の壁には掲示板が張られ、様々な情報が書かれた紙が貼られておりこれまでに幻想郷で確認された人妖の数や種類も表で詳しく掲示されていた。

また、右側には簡易的な雑貨屋があり様々な物が売られていた。

店構えは簡易的ではあるものの品ぞろえは良さそうだった、生きていくために必要なものは大抵揃っている感じだった。

その雑貨屋の隣には道具屋もありこちらは逸脱者を断罪する時にあると役に立つかもしれない補助道具が売られていた、様々な姿や特性を持つ人妖に対して有利に戦うためには補助道具にはとてもお世話になる事だろう。

左側にはお酒の飲む居酒屋がありこちらも簡易的ではあるものの御品書きは豊富そうだった、こんな昼間にも関わらずもう一人座って飲んでいた。

居酒屋の隣には床に絨毯がしかれその上に小さな鐘突きが設置された場所があり壁には人一人が通れそうな穴幾つも掘られていた、用途は不明だが恐らく何らかの逸脱審問官に関連ある場所なのだろう。

そしてその隣には紫色の布がかけられた机があり占い師が使うような水晶玉が小さな座布団のようなものに置かれていた、占いもしてもらえるのだろうか?

逸脱審問官がそんな運頼みするような組織にはとても思えなかった結月には不思議でしかなかった、それともこれだけ過酷な仕事だと藁にも縋りたくなるものなのだろうか。

そして正面にあるさらに下に行く地下階段の頭上には天道人進堂の掟が書かれた大きな額縁が飾ってあった、あれを見ていると一人の逸脱審問官になった身として引きしまる気がした。

そんな充実した玄関を見渡していると横から声をかけられた。

「もしかして、あなたが平塚結月さん?」

声をした方を向くとそこには自分と年齢が近いであろう女性が立っていた。

茶髪のセミロングでカチューシャを着けており、パッチリとした目をしておりあどけなさ残る顔立ちをしている。

見た目年齢相応の体格をしているが童顔のせいで若干幼く見えた。

服装は洋式の紺色の上着とズボンと靴を装着しており、ズボンにはベルトが巻かれ拳銃を入れるホルスターと大小の刀と小刀が携えられていた。

しかしよく見ると露出しているはずの手や足首に首回りに黒い密着したゴム製のようなものが見えるため、上着やズボンの中に何かを着こんでいるのは確かだった。

「そんなにジロジロ見ないでよ・・・・・恥ずかしいじゃない」

顔を赤らめながら女性にそう言われ結月は女性の体をマジマジと見ていた事に気づき謝る。

「すまない・・・・・逸脱審問官にこうして面を向って会うのは初めてだったので」

確かに幾ら興味があっても女性の体をマジマジと見ては品定めを受けているようで女性は不愉快に感じるだろう。

冷静さを保っている結月だったが心の奥ではちゃんと見た逸脱審問官の服装に心臓がドキドキしていた。

「まあ、そういう理由なら仕方ないよね、そういえば私も初めてここに来た時はあなたと同じ様な反応をしたような気がするし」

何処か懐かしそうにそう語る女性、その目は何処か懐かしんでいるようにも見えたし悲しそうにも見えた。

何かあったのだろうか?結月は気になったが話しかける前に話が戻った。

「ところで返事がもらえなかったけどあなたが平塚結月さん?」

しかし寂しげな表情はすぐに変わって明るい笑みを浮かべながら結月に興味を示す女性。

「ああ、そうだ、自己紹介が遅れてすまない、俺の名前は平塚結月、年齢は19、肩にいるのは俺の相棒になった守護妖獣の妖狐だ・・・・もしかしてあなたが俺の上司になる・・・・」

うん、としっかりと頷いた女性。

結月はここでこの女性がこれから一年間共に行動し一人前の逸脱審問官に教育してくれる上司である逸脱審問官である事を知った。

「自己紹介がまだだったね、私の名前は飯島鈴音、歳は21歳で逸脱審問官になった二年目だよ」

21歳、結月は女性の年齢を聞いた時、顔には出さないが少し驚いていた。

驚いたのは別に上司が女性だったからではない、結月にとって自分を教育してくれる逸脱審問官がちゃんとしっかり教えてくれる人を望んでいたので男性でも女性でも良かった。

彼に性別に特に区別意識はなかった。

彼が驚いたのは二歳しか違わぬ年齢だった。

てっきり結月はそれこそ五年や十年逸脱審問官を務めた熟練者で年齢も三十代以上とかを想像していたので、まさか自分より二歳しか違わずそしてまだ逸脱審問官になって二年目の人が自分の上司である事に驚いていた。

(熟練者はやはり逸脱者の断罪で忙しくて新人の教育する暇なんてないのか、それともこの女性は二年目にして熟練者と呼べるほどの優秀なのか)

もしくは、熟練者になる前に死亡するので熟練者なんていないのか。

一番恐ろしい憶測だがありえない話ではなかった。しかし結月はあえてその憶測だけは考えないようにした。

「そしてこれが私の相棒の妖猫の月見ちゃんだよ、かわいいでしょ?でも可愛いだけじゃなくてしっかり者で結構強いんだよ!」

彼女の背中に隠れていた薄青色の翼の生えた手乗り妖猫が鈴音の肩に乗る。

「そういえば結月の相棒はもう名前決めてあるの?」

名前を呼び捨てされた事に結月は気にはなったが考えて見れば上司として部下に「さん」付けはそれはそれで違和感を覚えるだろう。

それに鈴音は逸脱審問官としては先輩だ、呼び捨てされても仕方のない。

それはそうと鈴音にそう聞かれ結月は自分の肩に乗る妖狐を見る。

妖狐も結月の方を見ていた。

「・・・・・・まだだ」

これから一生を共に歩む事になる相棒だ、名前はとても重要だった。

しかし結月は妖狐の名前に関して案がなかった。

鼎からは最終試験に合格し規約書に署名した後、相棒となる守護妖獣の話を聞かされており名前も決めておくように言われたが考えても考えても浮かばなかった。

結月にとってそれはまだ会った事のない相棒の名前を決めていいものかと言う悩みでもあった。

結局、名前が決まらず契約の儀の行う日を迎えてしまったのだ。

「そっか・・・・・・でも名無しじゃ可哀相だよ、せっかくこれからの人生の一生を歩むのに」

それは結月も分かっていた、だから今一生懸命考えているのだ。

「・・・・・色々と考えたんだがやっぱりちゃんと会ってから決めたかった」

結月の答えに鈴音はおお、と口にした。

「結月はその妖狐とちゃんと出会ってから決めたかったんだね、それはとても良い事いいと思う、お互い納得がいく名前がいいよね、私は真っ暗な夜に明るくも寂しく光る月を見るのが好きだったから月見ちゃんって名前にしたの、結構この子も気に入っているんだよ」

鈴音は嬉しそうにそう語った、月見ちゃんもゴロニャ~ンと喉を鳴らしている。

「ちなみに妖狐の属性は何なの?」

鈴音の口にした属性、それは守護妖獣が持つ妖怪的能力の中で最も重要な特性である。

守護妖獣は人工的とはいえれっきとした妖怪なので、幻想郷に暮らす妖怪が持つ基本的な能力を持っている、夜でも視界がハッキリと見えたり、妖怪の気配を感じたり、幻術や催眠術等が効き辛かったりなど様々ある。

だが基本的な妖怪的能力の他にも妖怪には個性である属性というものがある。

それはその妖怪にしか出せない特徴であり、時折似たり寄ったり、もしくは被る事もあるが妖怪一人一人が一つずつ持っており誰もが出来る訳ではないその妖怪の個性である。

逸脱審問官は相棒の属性を上手く使いこなし逸脱者と戦う事が生死を大きく別つと参考書には書いてあった。

「・・・・・・まだ、確認していない」

考えて見れば情けない話だろう、名前も決めてない属性も確認していない。

自分はこの相棒である妖狐とこれからの一生を共に歩むというのにその自覚が薄いのだ。

逸脱審問官になったという事で頭が一杯だった事もあるが、それにしても疎かであった事は反省しなければならなかった。

さっきまで歩いている途中でちゃんと確認すれば良かったと思う。

「そうなんだ、相棒になってまだ間もないもんね、私も名前は考えていたけど属性は出会ってここに来て上司の前で確認したし気にする事じゃないよ、ほら自覚だってまだ薄いだろうしこれから仲良くなっていけばいいよ」

しかし結月の自覚の薄さを鈴音は責めず、逆に自分の体験談を交えてそう擁護した。

「妖狐、何か得意な事はあるか?」

人間の言葉がちゃんと伝わるか不安であったが、そう聞くと妖狐は正面を向いて息を吸い込む。

ブフォ!

妖狐は口から小さな火を噴きだした。若干顔の周りが温かく感じた。

「炎か・・・・・・」

結月と鈴音は驚きながら妖狐を見つめる。

「結構攻撃的な属性だね、応用も多彩そうだし戦闘に向いている属性ね」

鈴音はそう評するが、結月は単純な属性故に対策もされやすく耐性を持つ逸脱者もいるであろうと予測した。

(だが鈴音の言う通り、応用もし易い上に逸脱者に大怪我を与えやすい属性であるのは確かか)

結月にとって妖狐の属性に不満はなかった。

さて、属性も分かったので本格的に名前を考え出さなければならない。

炎・・・・・守護妖獣・・・・・・相棒・・・・・戦友・・・・・逸脱者。

結月の頭に妙案が浮かび手を打った。

「明王(みょうおう)」

明王?と聞き返した鈴音。

「仏教の教えに出てくる仏の一人で不浄な存在を聖なる炎で焼き尽くす不動明王尊、幻想郷に置いて逸脱者・・・・・人妖は秩序を乱し人間の誇りと尊厳を踏みにじる存在、そんな逸脱者を聖なる炎で焼き尽くし平和を保つ妖狐になってほしい、そんな願いを込めて明王という名前はどうだろう?」

ん~?と賛成も否定もせず口ごもる鈴音。

「悪くはないけど・・・・・・何だかそれじゃあ戦うためだけの存在みたい、確かに守護妖獣は身体能力が人間離れして妖術も使えるようになった逸脱者と戦いやすくするために生み出された存在だけど私はそれだけじゃないと思うの、あなたにとって守護妖獣は戦うための武器なの道具なの?私は違うと思う・・・・・・・それは親友であり強大であり子供であり相棒であり自分自身だと思うの、この子の体にも私と同じ血が体内に流れているからそう思うの」

自分自身、結月は妖狐の顔を見る、この妖狐の体には確かに自分の血が混血していてそしてその血で結月と妖狐は間接的に繋がっているのだ。

鈴音の感性に驚きつつも確かに今の名前じゃまるで戦うためだけの存在価値しかないように思えてしまう、別に自分にそのつもりがなくとも他の人から見ればそう思われてしまうかもしれない。

「だからさ、名前はそのままにして読み方を変えたらいいんじゃないかな?『あきお』なんてどうかな?」

あきお・・・・・・・確かに明王をあきおと呼ぶことも出来たが結月は本当にそんな名前でいいのかと思ってしまった。

「・・・・・・妖狐、あきおという名前どう思う」

優先順位は名付けられる本人だ、試しに聞いてみると。

「コン!コン!」

意外にも物凄く喜んでいた、妖狐はとても気に入っているようだった。

「・・・・・・わかった、妖狐お前の名前は明王(あきお)だ、いいな」

妖狐がそれでいいのなら結月もそれに従う事にした。

明王という名をもらい嬉しそうに肩の上で器用に一回転した妖狐。

「良かったね~、ご主人から良い名前がもらえて」

鈴音も自分の守護妖獣でもないのにとても嬉しそうだった。

きっと鈴音は自分の事でなくても身近な者が幸せであれば自分も幸せになれるのだろう。

「そうそう、妖狐に名前が決まった所で結月にこの逸脱審問官の本拠を案内するね、結月もここに入るのは初めてだから色々と教わりたいでしょ?」

初めてなのは当たり前だが案内してくれるのは嬉しかった。

「ああ、頼む」

そう言うと鈴音は嬉しそうに微笑んだ。

「うん、任せてじゃあ行こっか」

結月は鈴音の後ろについて本拠の案内をさせてもらった。

秩序の間の大広間のような玄関は大体確認したので結月から見て左側の道に入る。

少し歩くとそこには真っ直ぐな通路の左右に木で出来た扉が幾つもついた場所に出た。

通路の先には大きな扉がある。

鈴音の後について歩く結月だったが、右側にある三番目の扉の前で足が止まる。

「ここは逸脱審問官の宿舎で逸脱審問官はいつ逸脱者が出現しても断罪しに行けるよう、ここに住んでいるんだよ、そしてこれが結月の部屋の鍵だよ」

くるりと体を結月の方に向け鈴音は服に施された胸の収納袋から鉄製の鍵を渡した。

鍵には持ち手の部分に五番と刻まれていた。

受け取り自分の部屋となる扉を見る結月。

「どんな感じになっているか気になるならちょっと覗いてみれば?」

そう言われ扉に鍵を指して扉を開けてみる結月。覗いてみたものの部屋暗くて良く見えなかった。

「あ、そうだった・・・・・蝋燭に火を付けないと部屋暗くて見えなかったんだ」

彼女は部屋の中に入ると携帯用火打石で蝋燭に火をつける。

明るくなった部屋の様子は意外にも床や壁の一部は木で作られており天井と壁は漆喰で作られており窓がない事以外はここが地中とは思えなかった。

玄関には靴入れと木製の衣装棚、部屋にはベッドや机と椅子、箪笥や水道まで設置され決して広くはないが一人で過ごす分には快適に過ごせそうな部屋だった。

「大抵の物は揃っているけど足らない時は玄関にある雑貨店に行ってみるといいよ、あそこには本当に大抵のものはそろっているから」

鈴音は蝋燭の火を消し結月の部屋から出ると鍵を閉めたのを確認してから案内を再開する。

「次はここだよ」

鈴音が次に足を止めたのは通路の中間辺りにある左側の扉だった。

「ここはロッカールームって言ってどういう意味かは分からないけど、とにかく逸脱審問官が狩りに出掛ける時はここで着替えるの、更衣室みたいな所ね、ロッカールームの奥の扉には簡易滝風呂(今で言うシャワー室)っていう所があって上部に取り付けられた細かい小さな穴が沢山開いた蛇口からお湯が出て体を洗う事が出来るんだよ、練習や逸脱者を断罪し終わった後、着ていた逸脱審問官の衣服を脱いで専用の箱状の入れ物に投げ入れた後、簡易滝風呂で土汚れや逸脱者の返り血を綺麗に洗い流すんだよ、ちなみにここは男性用、反対側にあるのが女性用だよ、間違えちゃ駄目なんだからね」

扉の上を見ると左の扉には「男性」右の扉には「女性」と書いてある小さな金属製の表札が着いていた。

「せっかくだし結月もこの服に着替えてみようか、部屋と同じ鍵で開くよ、ロッカー番号も鍵に刻まれた数字と一緒だし、着替える時はまず下着姿になってその上からこれ・・・・・対人妖装着甲冑って言って守る所はちゃんと守りつつも機動性を重視した鎧を着けた後に上着とズボンと靴を装着してベルトとホルスターをつけて着替え完了だよ、一度つけると脱ぐのが大変だから厠は事前に済ませておくといいよ、ちなみに厠はその隣にあるから」

一応厠の場所を目で確認するも今は大丈夫だった。

これに袖を通すのをどれだけ望んだ事か。

「大丈夫だ、では着替えてくる」

そう言ってロッカールームに入った結月。

ロッカールームの中は蝋燭の火が灯されており無機質な金属で出来た縦長い箱状の衣装棚の様なものが両壁に敷き詰められるように幾つも並んでいた。

金属で出来た衣装棚の反対側には上に丸い穴が空いた箱状の入れ物があった。

恐らくあれが鈴音が言っていた練習が終わった後や逸脱者の断罪が終わった後に着ている衣服をいれる入れ物なのだろう。

そして奥には扉があり開けてみるとその中は松明で照らされており、四角い薄緑の石が壁と床に敷き詰められ、正面に金属で来た回転式の取手が着いておりその上部に金属で出来た小さく細かい穴が沢山ついた蛇口が着いた個室が壁で仕切られるように三つあった。

体を洗ったり拭いたりする厚みのある布や石鹸などの備品もあるほか、規格別の下着も用意されていた。

(文字通り簡易的だな、だが汗や血を洗い流すには丁度良さそうだ)

そう思い結月は扉を閉め再び衣装棚の方を見た。

結月は見た事もない無機質な金属の縦長い衣装棚の様なものに戸惑いつつも五番と書かれた金属の衣装棚の様なものを見つけ鍵穴に鍵をさして扉を開ける。

金属を擦る様な音と共に開かれた衣装棚の様なものの中には上着とズボンと革靴、そして鈴音が言っていた対人妖装着甲冑が入っていた。

肩にとっていた妖狐が空気を察して地面に降りて結月の傍で着替えを見守っていた。

まずは言われた通り服と靴を脱ぎ下着姿になると対人妖装着甲冑を手に取る。

黒色をした伸縮性の高い素材で作られており、胸や手の甲や足首の辺りには鎧の様な装甲が施され、頭と首以外の全身を包むような作りで穴が空いているのは首元だけだった。

結月は首元を掴み伸縮性があるかどうかを確かめてから座って手で首元を広げそこに足を入れ次に体を入れ最後に手を入れた。

その上から上着を着てズボンを穿き革靴を履いてベルトを巻いてホルスターをつけた。

ロッカー扉の裏に取り付けられた鏡には逸脱審問官の正装に身を包む結月の姿が映る。

その姿を見て結月は逸脱審問官になった事を実感する。

着ていた服を金属の衣装棚に入れ鍵を閉めるとロッカールームを出た。

「お、出来た?・・・・・おお、かっこいいね、身も心も引き締まっているよな感じ・・・・・いやもしかして結月痩せすぎ?」

鈴音は結月の体をジロジロと見る女性が男性の体を執拗に見るのも失礼に当たらないだろうか?

「鈴音先輩、ジロジロ見るのはどうかと思う・・・・・」

ああ、ごめんと一歩後ろに下がる鈴音。

「う~ん、もしかして結月って着痩せする体質?何だか物凄く痩せているみたい」

結月は言われてみれば確かに思い当たる節があった。

「確かに同じような事言われた経験がある」

やっぱりと答えた鈴音、その目は羨ましそうだった。

「いいな~着痩せする人は、私甘いもの大好きだから食べるんだけどすぐ体型にでちゃって、良いのか悪いのかこの仕事とても過酷だからすぐ痩せるからいいんだけど・・・・・」

はあ、とため息をついた鈴音、しかしすぐに自分のやるべきことを思い出し案内を再開する。

「じゃあ次の場所を案内するね」

そう言って鈴音は案内を再開した。

 




第二録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか、中途半端な所で終わっているなと思う人もいるとは思います。
実を言えば元々は丸々一話を区切らずに投稿するつもりで最初は書いていたのですが、それでは読みづらいという事で途中から一録一録区切って書く事となり既に完成していた第一話は十ページ~十五ページ間隔で無理に区切ったためこのような事になっています。
第二話からはその辺は修正されているはずですのでお許しください。
さて、天道人進堂はどんな所なのか、結月の上司になる飯島鈴音はどんな人物なのか、分かってもらえたでしょうか?
読者の皆様の中にはもしかしたら飯島鈴音がこの小説のヒロインだと思っている人もいるかもしれませんが、自分自身は鈴音をヒロインとして書いているつもりはありません。
私は鈴音を結月と同等の主人公の扱いで書いているつもりです。
口数が少なく感情の起伏が乏しい冷静な結月と口数が多く感情豊かな明るい鈴音の組み合わせあってこそ互いの良さを出せると思って書いています。
ある意味この組み合わせはテレビドラマ「相棒」の影響を私が受けているせいなのかもしれません、一時期は毎週楽しみに見ていましたから。
そう考えるとこの小説も今まで生きてきた経験から生まれたものだと考えるととても考え深いものを感じます。
相変わらず長い後書きになりましたがここまで読んでくれた皆様、ありがとうございます。

追記
・こちらも和製英語と英語と思われる部分をなるべく修正しました。
・英語と和製英語の修正、誤字脱字・表現方法を修正しました。


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第三録 逸脱審問官の始まりと人妖のなり損ない 三

こんばんは、レア・ラスベガスです。
第三録目、更新ですが本当なら昨日やるつもりでした、しかし急な用事が入り断念し今日も色々あってこの時間の更新となってしまいました、本当に申し訳ありません。
さて、私は小説を書くために常に情報収集を心掛けています。
テレビや新聞、ネットやラジオからの新しい情報から書籍などの古い情報まで様々な分野から幅広く情報を集めています。
小説は知識が少ないと書けませんし長続きしません、一見小説に関係ないような情報でも何かの拍子に小説のネタになったりする事もあります。
覚えた知識は決して無駄にはならない、私はそう考えています。
アニメは時間の無駄だとか漫画よりも参考書を読んだ方が良いという人達もいますがアニメや漫画は見ること自体が息抜きになりますしその話題で友人達と盛り上がったり新しい友人を作る事も出来ます。
遊びも勉学も学びでありどちらも無駄にはなりません。
ただどちらかに偏ると本当に時間を無為にしてしまうので五分五分になるよう心掛けると良いかもしれません。
相変わらず前書きが長くなりましたが第三録更新です。


逸脱審問官の本拠がとても充実している事に結月は感心していた。

てっきり逸脱者と戦うためだけの施設だと思っていたので設備も鍛冶場や宿舎以外最低限だと思い込んでいたのだが地下には様々な施設があった。

銭湯、洗濯屋、食事処、銀行、図書館、作戦企画室、喫茶店、床屋、整体店、娯楽施設(サイコロ・花札・卓球と呼ばれるものまで)など様々な施設が地下一階に充実していた。

「結構充実している」

そう結月はポツリと呟いた。

「逸脱者は何時何処で出現するか分からないから一刻も早く断罪に行けるよう多くの逸脱審問官がここにいた方が良いの、だからこそなるべくはこの本拠で事が済ませられるように施設が充実しているんだ、それでもやっぱり人間の里には行きたくなるけどね、流行の服や甘いものはここじゃ取り扱ってないしやっぱりここにはない施設もあるしね」

確かに言われてみればそうだ、逸脱者が出るまでここで長く待機となると何もないではとても退屈だろう、施設が充実しているのは当然の事だった。

「じゃあ次は精錬の間に行こうか」

そう言って鈴音は玄関から真ん中にある地下へと降りる階段を下る。

地下に降りていく途中、金属を叩く音や熱い物を冷やす音そして野太い男性の大きな声が下の方から響いていた。

下へと続く階段はまだ続くようだったが精錬の間についたようだった。

階段を降りるとそこは広い空間が広がっており熱気が凄かった、その空間は土造りで何十人もの鍛冶屋が休むことなく働いていた、炉で鉄を溶かす者、刃を鉄製の小槌で叩く者、金型に解けた鉄を流し込む者、鉄の原料が入った袋を運ぶ者、様々だった。

空間の両側の壁には空洞が空いており地面には線路のようなものが敷かれ金属の車輪のついた荷車がその線路を乗ってここに運び込まれていた。

しかし逸脱審問官のここを自由に行き来する事が出来ないのか、木製の作業台で仕切られていた。

「精錬の間って言って一言に言えばこの空間一帯が鍛冶場なの、鉄や木材、鉛や玉鋼などの原料を荷車で運び出しここで精錬して不純物を取り除いて刀や槍、銃や銃弾などを作っているの、その他にも私達が使う武器の改良や開発、道具屋の道具もここで作ったり直してくれたりするんだよ、ここからじゃ見えない奥の方でだけど」

結月は鍛冶場の様子を伺っていると人混みの隙間から基一と親方の姿が見えた。

基一は相変わらず親方に怒鳴られているようだったが結月には気になる事があった。

(一体いつ彼らはここに戻ったんだ?)

あの時儀式の間を出て行ったのは結月が最初だった。

その後結月は来た道を戻り受付に寄った以外は寄り道していなかった。

彼等が先にここに到着しているなどありえないはずなのだ。

結月が受付している時に戻っていった可能性もなくはなかったが、あんな鉄製の重い箱を持ちながら、暗闇を結月よりも早く歩くのは困難であり同じ速度だとしても大変だろう、それに後ろから追ってくる気配すら感じられなかった。

(やはり何処かにここと契約の間を繋ぐ隠し通路があるに違いない)

そうでなければ説明がつかなかった。

「結月もせっかくその格好に着替えたんだから武器取ってきなよ、あそこにいる浅野婆(あさのばあ)が武器を渡してくれるよ、ほらあの分厚い眼鏡をかけた作業台に座って作業している女性が浅野婆だよ」

鈴音が手を差し出す方向、木製の作業台の上で細かい鉄の部品を器用な手つきで組み立てている田舎のお婆さんのような服装をした七十代の分厚い眼鏡をかけた女性がいた。

浅野婆だと思われる人物は部品の組み立てに集中しているようで周りの事など全く気にしていない様子だった、武器をもらうため結月は浅野婆の前に立つが浅野婆は結月が前に立っている事に気づかず自分の世界に入り込んでいた。

(声をかけるべきか、否か・・・・・)

武器を貸してもらうには声をかけなきゃいけないのだが、あまりにも熱心に取り組んでいるので声をかけると機嫌を損ねてしまうのではと思ってしまう結月。

それ程気難しい顔で部品の組み立てに取り組んでいた。

しかしこのままではいつまでたっても話は出来ない、機嫌を損ねるのを覚悟で声をかける覚悟を決めた。

「あの・・・・・・」

返事はない、意図的に無視したのか声に気づかない程自分の世界に入り込んでいるのか。

恐らくは後者だと思いたい。

「あの」

いつもよりも大きな声をかけると浅野婆が結月の方に顔を向けた。

怒っているのだろうか?結月がそう思っていると浅野婆は今まで繊細に扱っていた鉄の部品を手荒く小さな木箱に流し入れた。

「あっ!すまねぇ!また悪い癖が出ていたわい!若いのすまんの~」

意外にも怒ることなく笑顔を向けた浅野婆。

素早く作業台の上を綺麗にすると手を後ろに組む。

「ど~も作業をしていると周りの事が気づかなくなっちまってな、昔は浅野に向かって歩く足音位なら聞こえたんじゃが今は耳が遠いせいかど~も聞こえなくてな、許しておくれ」

どうやら自分の世界に入り込みやすい事以外は元気で親しみやすいお茶目なお婆さんのようだ。

「ん?浅野の記憶にない男だな、もしかしておめえが新しく逸脱審問官になった平塚結月か?」

また呼び捨てにされたものの、このお婆さんも恐らくは精錬の間で働いて何十年の人だろう、仕事は違えど逸脱審問官を支える重要な仕事だ、新参者である自分が呼び捨てされても仕方がない。

「ああ、そうだ」

そう答えると浅野婆はじっくりと結月を見る。

「おめえ、随分と若えな、まだギリギリ十代だろう?まだ若いのに逸脱審問官になっちゃって、あの坊主よりかはまだ大人みたいだが色々とやれる仕事はあったろ、他に未練はなかったかい?」

浅野婆も鼎程の圧迫感はないにしろ似たような事を聞いていた。

「俺は逸脱者を許さない、この仕事を知った時初めて俺がやるべき仕事に出会えたと幻想郷に貢献できる仕事に出会えたと思った、未練はない、命が尽きるまで戦い続ける覚悟だ」

はあ、と大きくため息をついた浅野婆、木製の作業台の中でゴソゴソしている。

「信念だけは立派だねえ、まあ浅野はおめえに説教するつもりはねえ、おめえがそう考えているならそう思えばいい、浅野ができる事があるとすればおめえが少しでも永らえるよう強くて頑丈の武器を提供するだけさ」

そう言って浅野婆は作業台の上に刀と小刀と拳銃と予備弾倉を置いた。

「おめえがヘマして死ぬのは仕方ないが、武器の不具合で死ぬのはおめえに申し訳ないからな、腕によりをかけて作ったここの鍛冶職人自慢の武器さ、対人妖の呪いが刻まれた刀に同じ呪いが刻まれた小刀、そして米国のコルトM1851ネイビー・・・・・それを複製した拳銃さ、浅野達は和製コルトと呼んでいるが鼎さんは米国の愛称であるネイビーリボルバーと呼んでいるよ、あの人は日本人とか国産とかに拘らない人だからね」

米国の事を結月は参考書で勉強していた。

確か現世にある日本から太平洋と呼ばれる広大な海の先にあるとてつもなく大きな国で当時の日本とは比べ物にならない程、人口も技術も物量もあった凄まじい国らしい。

今は現世と切り離されて長い年月が経過し幻想郷でも米国の事を知っているのは長生きした妖怪、それでも数は少なく人間となるとほとんどいない。

しかし逸脱審問官や逸脱審問官に関わる者達は米国の事を良く知っていた。

「鼎さんは色々な西洋銃を何処からともなく仕入れてくる、それをここの鍛冶職人が研究しておめえ達、逸脱審問官が扱う武器の改良や開発に日々生かしている、それに鍛冶職人として幻想郷にあるかないかの幕末当時の最新の西洋銃の技術は鍛冶職人として胸が躍るものさ、提供してくれる鼎さんには本当に感謝しているが彼がこの現世から切り離された幻想郷で希少な西洋銃をどうやって手に入れているのか不思議で仕方ねえ、本当に謎な御方だよ」

それは結月も同意見であった、やはり鼎の存在を不思議がるものは結月だけではないようだった。

幻想郷の秩序のために逸脱審問官を創設する所から悪人ではないとは思うが善人と呼ぶにはあまりにも素性が不透明過ぎた。

「おお、つい話し込んじまったな、最後に浅野婆からの忠告じゃ、ここにある武器は過酷な仕事をする逸脱審問官が満足してもらえる様にここの鍛冶職人の技術の粋が集まった一級品の武器ばかりじゃ、正しく扱えばその真価を発揮できるが、扱い方を誤れば三級品の武器よりも劣る、ようは結局おめえの腕次第じゃ、武器が強ければ強くなる訳じゃないおめえの腕前で性能を最大限に引き出してこそ強くなるのじゃ、これで浅野婆の忠告は終わりじゃ、ほら持っていけ、鈴音が待ちくたびれている頃合いだぞ」

結月は刀と小刀をベルトにさしネイビーリボルバーをホルスターにしまい込み予備の弾倉をズボンのポケットにしまい込んだ。

「ありがとうございます・・・・ではこれで」

軽く会釈してその場を後にしようとする結月に浅野婆は最後の最後にと言葉をかける。

「武器はそれだけじゃねえ、色々な武器を取り扱ってあるから欲しい武器があったら相談するんじゃよ~、浅野婆はここで待っているからな~!」

それはもっと早く言うべきことではなかったか、と思いつつも鈴音の所に戻ってきた。

「随分話し込んでいたね、浅野婆はとてもお話し好きだから一度話しかけると結構話し込んじゃうんだよね、でも結月は口数が少なそうだからすぐ戻ってくるかなって思っていたんだけど結月もやっぱり話し込んじゃったの?」

結月からしてみれば聞かれたら答えていただけで浅野婆が一人で話し込んでいた感じだった、とても元気のある田舎のお婆さんというのが結月の印象だった。

「まあとにかく、武器もちゃんともらえたみたいだし次行ってみようか」

そう言って鈴音は案内を再開した。

彼女はさらに地下へと続く階段を下りていく。

今度は随分と降りていき上の方で騒がしく聞こえていた鍛冶場の音も次第に小さくなり階段が終わる頃には聞こえなくなった。

「着いたよ、ここが鍛練の間だよ」

地下へと続く階段の終わりには広大な空間が広がっていた。

土を掘って作られた空間だが床から天井までは十mもあり床には銃の射撃場、刀の試し切りの出来る場所、体を鍛えるための器具が設置された場所、森や草原、竹林や家屋など幻想郷に存在する様々な環境を真似た場所までありいわば逸脱審問官の訓練施設だった。

「逸脱者がいない平常時は次の逸脱者の出現に備えるためにここで射撃や剣術の腕を磨いたり、体を鍛えたり、様々な地形が用意されていて色々な戦い方や戦術を試す事も出来るんだよ、後逸脱審問官同士で模擬戦も行う事も出来る場所もあるよ」

流石逸脱審問官の本拠、人間離れした逸脱者と戦う訳だから体を鍛える施設はあるとは思っていたがここまで充実していたとは結月も考えていなかった。

「実はこの案内が終わったら練習場所の詳しい紹介がてら私と一緒に訓練に付き合ってもらおうかなと思って結月にはその逸脱審問官の服に着替えてもらったんだ」

なるほど、これほど着脱がしにくい服を着せたのはそういう理由だったのか。

てっきり逸脱審問官は苦労していつもこの正装をしていると思っていたが、確かにこれでは厠やお風呂が大変だろう、考えて見ればそうだった。

そして鈴音の訓練の御誘いは結月にとってとても嬉しかった。この訓練施設をどう使えばいいか教えてもらえるし逸脱審問官の基本的な戦い方も教わる事が出来るからだ。

「そうだったのか・・・・ここが本拠の最下層なら案内はここで終わりのはずだな、という事はこのまま訓練のお付き合い事になるのか?」

首を横に振る鈴音。

「ううん、最後にある場所を紹介してから訓練には付き合ってもらおうかなって思っているの」

そう鈴音が話しているとこちらに近づく複数の足音が聞こえた。

「もしかしてお前が新入りの逸脱審問官か?」

声のした方を向くとそこには男性二名女性一名の三人組がいた。

声をかけたであろう中央の男は黒髪で髪を後ろに固めており額が良く見えた。目は細くちょっと強面な顔をしていて若干老け顔のように見えたが歳は恐らく二十代後半。

ガタイはとても良く、余分な脂肪のない引き締まった筋肉質の肉体をしていた。

その男の左隣にいるのは黒髪の短髪で黒縁の眼鏡をかけていた男性で、目つきはまるで悪人のように鋭く近寄りがたい雰囲気を出している、(結月に言えた立場ではないが)、体格は年相応だが厳しい試験に合格しただけに筋肉質のように思えた。

そして中央にいる男の右隣にいるのは、赤みのある茶髪の長髪で後ろ髪の最後の方をゴムで纏めており、おでこには自身が筆で「石如必中」と書いた布を巻いている女性。

大人の女性のような顔立ちをしており、細めな体格を含めかなりの美人だ。(鈴音はどちらかと言えば可愛い部類)

皆、逸脱審問官の正装を着ており彼等も結月と同じ逸脱審問官であり先輩だった。

とりあえず結月は自身の自己紹介を済ませる。

「平塚結月か・・・・・・・逸脱審問官を新たに迎えられた事を俺は頼もしく思う、これで強力な逸脱者や逸脱者が複数出たとしても対処しやすくなるからな、では俺の自己紹介をしようと思う、俺の名前は阿久津蔵人(あくつくらひと)歳は二十八で逸脱審問官になって八年目だ、そしてこれが俺の相棒妖犬の虎鉄だ、今はこの三人組の小隊の隊長をしている、これからよろしくな」

蔵人の肩に乗るのは手乗り程度の大きさの妖犬で背中には妖狐、妖猫同様翼が生えていた。

隊長である蔵人の自己紹介が終わると次は眼鏡の男性が自己紹介をする。

「では次は僕ですね、僕の名前は井門修治(いかどしゅうじ)、年齢は二十歳で逸脱審問官になってようやく一年目です、そしてこれが僕の相棒の妖狐の小太郎です、ようやく僕にも後輩が出来てうれしいよ、これから一緒に頑張りましょう、結月さん」

見た目は近寄りがたい程悪人顔だが性格はとても素直で気さくそうだった。

それに結月の事をちゃんとさん付けに呼んでくれた所にさりげない優しさを感じた。

「最後は私ね、私の名前は卯ノ花智子(うのはなともこ)、年齢は二十三歳、逸脱審問官になって四年目よ、そしてこれが私の相棒の妖猫の紫陽花よ、おとなしくて皆の動きをじっと観察するのが好きみたい、後私は射撃には自信あって狙撃手を任されているの、蔵人や修治みたいに前線に立って戦う事はないけど後方で相手の急所を狙って撃つ事で的確に逸脱者に外傷を与えられるわ、中々あなたとは一緒に行動することはあまりないけど何か分からない事があったら相談しなさい、今日逸脱審問官になったばかりで分からない事だらけでしょ?出来る限りは答えてあげるから、お互い頑張りましょう結月」

狙撃手と聞いて結月は彼女の背中を見る。

彼女の背中には確かに小銃の銃身が見えていた、しかし小銃一丁ではいざ逸脱者に狙われた時心もとないと思っているのか刀、小刀、拳銃の標準装備はしているようだ、結月は智子がこれだけの重装備で辛くないのだろうかと思っていた、男女比較するのは良くないがやはり女性とあって若干体は細身で大分負担をかけているのは見るに明らかだった。

(狙撃手も大変だな・・・・・・)

後方にいるから楽という事ではないようだ。

「それにしてもまさかお前に教え子が出来るとはな、にわかに信じられないな」

蔵人は鈴音に向かってそう言った。

「何よそれ!どういう意味なのよ!」

鈴音はムッとした表情で聞き返す。

「そのままの意味だ、良くもまあお前が二年間も生き延びてしかも教え子まで出来るとはな、という事だ」

お前ほどの奴が・・・・?一体どういう意味だろう?結月は気になった。

「あっ!酷い!それじゃまるで私が弱いみたいじゃない!」

そう言い返すが蔵人は否定しなかった。

「確かに初めてあなたがここに来た時、どうしてあなたが逸脱審問官の厳しいテストに合格できたのか不思議に思う程弱そうだったもの、今みたいに明るくなくて気弱だったし、この子はそう長くは生きられないとあの頃は思っていたわ、今でもあんまり強そうに見えないけど・・・・・」

智子も蔵人と同意見だった。

「酷いよ!みんなして!私は一生懸命戦ってきたのに・・・・・」

散々な言われように鈴音は少し涙目になりながらそう言った。

何も言ってないのに自分まで言ったような扱いにされた修治は戸惑っているように見えた。

「一生懸命戦っているのは俺達も同じだ・・・・・・お前でも二年間生き残れたのは運が良いという事だ、運も実力の内と言われるからそれは誇っても良いんじゃないか?」

明らかに馬鹿にされている事に鈴音は腹をたてているようだった。

「結月、お前も大変な上司の部下になったものだな、苦労もあるだろうが頑張れよ」

そう言って蔵人達はその場を去っていった。

鈴音は怒りで体が震えているようだったがため息とともに体の力を抜いた。

「もういいよ、言いたい奴には言わせとけばいいって偉い人も言っていたし気にする必要なんてない、運だけあっても生き残れないよね、実力も確かじゃなくちゃ、うん俄然元気が沸いてきた!」

どうやら鈴音の考え方は前向き思考らしい、結月はこの前向き思考も生き延びられた一因ではないかと思った。

「さあ、最後に重要な場所に案内するよ、着いてきて」

そう言って彼女は来た道を戻り始めた。戻るではあれば何故途中で紹介しなかったのかと結月は思っていた。

到着したのは秩序の間の玄関だった。

ここはもう紹介したはずじゃ、そう結月が思っていると鈴音は結月が最初何に使うか分からなかった壁に穴空いて床には絨毯が敷かれ鐘突きが設置された場所の前にたった。

確かにそこはまだ紹介されてなかったし何の場所なのか知らなかった。

「ここは『禍の知らせ』と呼ばれる場所で幻想郷中を走り回って逸脱者の情報を探る隠密集団「件頭」が逸脱者の情報を手に入れた時ここにやって来てこの鐘突きを鳴らして逸脱者が出た可能性が高い事を逸脱審問官に知らせて同時に逸脱審問官をここに集めて逸脱者の情報を逸脱審問官に教えてくれる場所なんだ、それで私達は件頭が教えてくれた情報を頼りに武器と道具を選んで狩りに出掛けるんだよ」

隠密集団「件頭」の事を結月は講習会で学んでいたので知っていた。

かなり謎に包まれた集団で大雑把な数だけで五人~三十人と曖昧、しかも逸脱者に感づかれないよう一般庶民に変装しており、中には表向きは猟師や露店の商売人として普通に暮らしている者もいるという、さらに情報を常に提供してくれる協力者(鷹の目と呼ばれている)を含めたらかなりの数は要るという噂だった、しかしどれだけの件頭がいるのかどのくらいの鷹の目がいるのか、ちゃんと把握しているのは鼎ただ一人だけらしい。

「天道人進堂の周辺には隠し穴があって逸脱者の情報を手に入れた件頭はその隠し穴を滑ってこの壁に空いた穴の中から・・・・・・」

鈴音はそう説明していたその時、説明していた穴の中から何かが滑ってくる音が聞こえた。

その音と共に何かが滑ってきているとわかって数秒後、薄暗い穴の中から飛び出してくるように現れたのは全身黒づくめの忍者の様な姿をした人だった。

説明していた鈴音は突然現れた黒づくめの忍者に話が途切れる。

「おお、丁度いい所にいたな、鈴音」

声の音程からして三十代くらいの男であろうその者は些か緊迫しているように見えた。

声をかけられハッとして緊張感のある表情をする鈴音。

「件頭!?・・・・・という事はもしかして」

件頭と呼ばれた男は頷く。

「ああ、逸脱者が出た、場所は人間の里から西へ十kmの白露(しらつゆ)の集落その周辺の森、姿は確認できていないが恐らくは未熟種、それ程は強い力を持ってないと思われる、まだ人間に被害は出てないが一刻も早い断罪を望みたい、行ってくれるな?」

逸脱者が出た、その言葉にさっきまでの朗らかとした雰囲気は立ち消え一気に緊張が張りつめる。

鈴音と結月の顔色も変わり先程の穏やかな表情から真剣な表情に変わる。

「博麗の動きは?」

鈴音の聞いた博麗とは博麗神社に拠点としている幻想郷の守護者である巫女「博麗霊夢」の事である。

彼女もまた人妖を幻想郷の秩序を乱す者として敵視しており、彼女自身とても勘が良く先手を取られ標的である人妖を倒してしまう、逸脱審問官の好敵手的な存在だった。

共通の敵なので敵対こそしてはいないが逸脱審問官としては霊夢より先に人間の誇りにかけて逸脱者を断罪することが使命となっている。

「鷹の目からの情報ではまだ動きはないらしい、だが気づくのは時間の問題だろう」

その言葉に良かった、という顔をする鈴音。

そして結月の方を見て問いかけた。

「結月、逸脱審問官になったばかりで悪いけど早速逸脱者が出たみたいだよ、どうする?」

さっきまでの楽しそうだった鈴音の声も打って変わって気合の入った声でそう聞いていた。

「行こう、俺は大丈夫だ、この日のためにちゃんと練習してきたんだ、いつも通りやれば良い」

結月は人間の里にあった、訓練施設での訓練を思い浮かべる。

逸脱審問官の厳しい試験に合格した者が通う事が出来る、正式な逸脱審問官になったその日から戦えるよう本格的な対逸脱者の戦闘訓練を教えてもらえる訓練施設で昨日まで結月は毎日雨の日も風の日も通い詰め体を鍛え戦闘の基礎を学んだのだ。

「流石に逸脱審問官になったばかりの結月を一人で戦わせる訳にはいかないよ、結月はまだ慣れてないと思うから先輩である私が逸脱者の相手をするから結月は援護に徹底して、ここは先輩として腕を見せておかないとね」

逸脱者は自分が倒すと意気込んでいただけに結月は自分が援護側に回る事に少しだけがっかりしていたが、確かに言われてみれば初めての逸脱者との戦いで守護妖獣との息を合わせて行動するのも初めてなので鈴音の言う通り、まずは離れた場所から経験豊富な鈴音の戦い方をじっくり見てみて戦い方や守護妖獣との連携を学んだ方が次の逸脱者の断罪に役に立つと思ったからだ。

(焦るな自分、初めてが二番目に危険で慣れてきた頃が一番危険だ)

逸脱者の出現に昂ぶる気持ちを結月はそう諫めた。

「それじゃ、行こうか!」

互いに顔を見合わせ頷いた鈴音と結月は階段を駆け上がり天道人進堂を後にすると広い道に出た。

「行くよ!月見ちゃん!」

そう声をかけると月見ちゃんはニャアン!と気合の入った鳴き声をあげ鈴音の肩から正面に向かって飛び降りた、すると白い煙の爆発が起きその煙がたち消えるとそこには人が跨れそうな大きさまでになった月見ちゃんの姿があった、手乗りの時と比べると可愛さは抑えられ代わりに虎のような筋肉質な体になっており顔も虎の様な厳つい顔をしていた。

「よいしょ、と・・・・・ほら結月も明王をこの姿にして」

鈴音は巨大化した月見ちゃんの背中に跨る。

逸脱者が出た時、逸脱審問官はこれに乗ってその場所まで移動するのだ。

鈴音にそう言われ結月は肩に乗っている明王の方を見る。

「明王、行けるか?」

そう問いかけると明王はコン!と口にして飛び降りる、先ほどと同じように白い煙の爆発が起きそれがたち消えるとそこには並の狐よりも遥かに大きい、堂々たる妖狐、明王の姿があった。

「背中・・・・・乗ってもいいか?」

ガウ、と返事をした明王、それが「はい」なのか「いいえ」なのか分からないがとにかく背中に乗ってみる、抵抗はない、という事は「はい」だったのだろう。

「よし!それじゃあ行くよ結月!しっかり掴まってないと振り落とされちゃうよ」

そう言って鈴音は月見ちゃんに発破をかけると月見ちゃんは物凄い速度で走り始めた。

結月も鈴音の動きを真似して発破をかけると明王は物凄い速度を出して月見ちゃんの後ろを追っかけ始めた。

「!?!」

物凄く速い上にかなり揺れるので、結月は振り落とされないよう必死に掴まっていた。

一方の鈴音は手馴れた様子で乗りこなしていた。

きっと鈴音は自身が風になったかのような爽快感を感じているのだろうが結月にはそれを感じる暇がなくただひたすら到着するまで振り落とされないよう必死だった。




第三録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?読んでいてカタカナが気になった人がいるかもしれません。
実はこの小説を先に読んでくれる友人達から「幻想郷は江戸時代から明治初期の日本の様な世界だからカタカナはあまり使わない方が良い」と言われていました。
確かに幻想郷という世界観から見てカタカナをは不自然に感じますね、使わないよう努力している方なのですがどうしてもカタカナの方が伝わりやすい場面があり無意識の内に使ってしまいます、なかなか難しいですね。
実際二話以降はカタカナを使わないよう努力したのですが一話はカタカナが結構使われています、本当に申し訳ございません。
別にカタカナがあっても大丈夫だよ、と思っている読者様がいれば嬉しいのですが、修正するべきなら修正するので宜しくお願い致します。
では、後書きはこれで終わりです。

追記
・こちらも和製英語と英語と思われる部分をなるべく修正しました。
・英語と和製英語の修正、誤字脱字・表現方法を修正しました。


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第四録 逸脱審問官の始まりと人妖のなり損ない 四

こんばんは、レア・ラスベガスです。
先日、第三録の後書きで英語や和製英語が含まれている事を話しましたがこれを読んでくれる読者様に失礼だと思い第一録から第三録までの英語や和製英語を含め誤字脱字や拙い表現方法を修正しました。
本来なら投稿する前に修正するべきでしたが考えがそこまで至らず未熟な作品を出してしまった事、投稿した後に大幅な修正をした事をこの場で謝ります。
本当に申し訳ありませんでした。
これからは完成し一度目を通した作品にも投稿する前にもう一度、目を通すよう心掛けていきます。
自分自身、この小説の出来に関しては自信を持っていたので大丈夫だろうと高を括っておりました。
ですがこのような事態を招いてしまった事は自分の詰めの甘さと考えの浅はかさが原因であり、この小説を期待して読んでくれていた読者様の期待を裏切ってしまった事に対して本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
それでも尚、続きを読んでくれるのであればこれ程嬉しい事はありません。
それでは第四録更新です。


幻想郷には人間の里以外にも人間が集まって暮らす集落や村がある。

人間の里は暮らしている人間の数がとても多く、物資も大量に必要なため一々人間の里から出て物資を取りに行くよりもこうして集落や村から物資を安定的に供給し代わりに得たお金で集落や村を潤していく方が効率良かったからである。

また、中には人間の里に張られた結界が信じられないという人間も集落や村に身を潜めていた。

白露集落は生い茂る杉木に囲まれた静かな集落でありここで伐採される木を加工して人間の里で販売する事で生業としている小さな集落である、集落人口は三十二人程度である。

到着してすぐに鈴音と結月は集落の異変に気付いた。

妙に騒がしいのだ、集落の人々が外に集まっている。

鈴音は月見ちゃんから軽快に飛び降りるが、結月は初めての妖獣乗りに方向感覚が狂ったのかゆっくり降りようとするも体がふらつき地面に手を付く。

明王はそんな結月を気遣う。

「大丈夫?結月、もしかして酔っている?」

心配そうに気遣う鈴音に対して結月は首を横に振った。

「大丈夫だ、練習はしていたがこれ程速くて揺れるとは思っていなかった」

方向感覚が元に戻り立ち上がる結月。

訓練施設では木製の守護妖獣に模した乗馬装置(馬ではないが)で模擬体験を何度も経験しており本番はこれより速くて揺れると想定はしていたのだが想定以上だった。

結月は自分が情けない上に自分の想定が甘かった事を反省した。

「安心して、逸脱審問官になった人達は誰もが通る道だから、慣れれば結構爽快だよ」

話からするとどうやら乗馬装置では性能の問題でこの速度と揺れを再現しきれないらしい。

早くこの速度と揺れに慣れようと思った結月だった。

「と、こんな事をしている場合じゃない、集落の人から話を聞かないと」

結月と鈴音は状況を把握するため守護妖獣を元の手乗り程度の大きさに戻し事情聴取を始めた。

 

「つまりここに住んでいた己岩為吉(おのいわためきち)さんの家から得体の知れない化け物が壁を壊して現れて森の中に入っていたと・・・・・そう言う事ですね?」

はい、と目撃者の頭巾を被った初老のおじさんがそう答えた。

「為吉と呼ばれる男は集落の人達との関わりを避けてひっそりと暮らしていたようだ、家からあまり出ず、集落の人達も為吉がどういう生活をしていたのか何をしていたのか知らなかったようだ」

鈴音と結月の前には半壊した住居の前に立っていた。

先程の人だかりは住居が半壊した音に驚いた集落の人達が集まっていたのだ。

「皆さんはこれ以上近づかないようにしてください、後落ちている物も拾わないでください」

鈴音は集落の人達にそう声をかける、為吉が逸脱した方法で人妖になったのならこの住居の中に人間から妖怪になる方法が書かれた書物や道具があると思われるので、それを悪意のある人間が拾って自分や他の人を人妖化させる危険性あったからだ。

幻想郷に暮らす者は誰しもが妖怪に怯えており、人間が見ている限りでは幸せそうに暮らしている妖怪に憧れているのだ、どんな者でも油断は出来ない。

半壊した住居を調べる結月、ふと木材の破片の下に古ぼけた本を見つける。

「秘術・人外転生目録」

拾い上げた本には達筆でそう書かれていた、開いてみるとそこには人間から妖怪になる方法が大まかに書かれていた。

食事を絶ち、水だけで十日間過ごし体の不純物を排出した後、妖力を持つ動物の新鮮な血で体中に変質の呪詛を書き込み、呪いを唱え大気中にある妖力を掻き集め吸い込み妖力を魂に送り込む事で体を変化させ妖怪になる。確かにそう書かれていた。

「鈴音先輩、見つけた、恐らくこれだ」

鈴音が結月に近寄るに本を覗き込む。

「恐らくこれね、それ程詳しくは書いてないけどとても危険な書物ね」

鈴音はそれを受け取ると携帯火打石で火を付けて投げ捨てる。

逸脱審問官の規定では人妖になる方法が書かれた書物はどんな貴重な書物であれ燃やしてしまうよう教えられている。

これを持ち帰り研究するという手もなくはなかったが万が一、書物を悪意のある職員が使用したりもしくはなくしたりした場合、取り返しのつかない可能性があるため燃やしてしまった方が無難なのだ。

それに幻想郷では人妖になる事が大罪ならその方法が書かれた本はその大罪を助長する存在のため燃やしても罪にはならないという認識だった。

「後は件頭に任せましょう、この家を燃やしてその他の資料も使用した道具も使えなくしちゃいましょう」

物凄い事を口にしているようだが逸脱審問官にとってこれは何ら可笑しくない規定行動だった。

逸脱者が使用したであろう人妖になるための書物や道具を住居もろとも全てを焼き払う事で人妖になるための方法を消し次の逸脱者の出現を未然に防ぐためだ。

一部の魔術師や仙人からは勿体無いという声もあるが人間と言う者は心が弱いのであると使ってしまう、どんなに貴重であっても燃やしてしまった方が良いのだ。

「さてと・・・・・」

鈴音瓦礫の下から男性の衣服を見つけ月見ちゃんに近づける。

「月見ちゃん、匂いで逸脱者の場所分かる?」

クンクンと匂いを嗅ぐ月見ちゃん、そして一通り匂いを理解すると鈴音の肩から飛び降りて今度は平均的な猫の大きさになって地面の匂いを嗅ぎ始める。

ニャ~ン!と鳴いた月見ちゃん、森の方に向かって走り始めた。

「どうやら、匂いがまだ残っているようだ」

守護妖獣は人妖の匂いにとても敏感で逸脱者に僅かに残る人間の匂いを嗅ぎ取り追いかける事が出来るのだ。

結月と鈴音は逸脱者の匂いを追う月見ちゃんの後を追っかけた。

 

生い茂る杉木の森の奥へと進んでいく結月と鈴音。

この辺は集落の人達の整備が入ってないのか無造作に杉木が生えており薄暗かった、辺りに人気はなく妖精や妖怪の姿もない、妖怪は逸脱審問官にとっても相手にしたくない存在なのでいない方が良かった。

しばらく匂いを追って走っていた月見ちゃんが突然立ち止まる。

シャー!と威嚇するような声を出して巨大化する、すると結月の肩に乗っていた明王も飛び降りて巨大化した。

「結月、あれ・・・・・」

鈴音が見つめる先、結月が見るとそこには得体の知れない化け物の姿があった。

巨大な赤黒い肉の塊が蠢いており、その赤黒い肉の塊から人間の部位らしきものが何の関連性もなく生えており、肉の塊の下部には手と足が合わせて六本ずつ乱雑に生えていて、それで蜘蛛のように歩いていた。

その赤黒い肉の塊はしきりに呻いておりその声は後悔と悲しみの念で溢れていた。

あれが逸脱者、結月は初めて見る逸脱者の姿に心拍数が上がるのを感じずにはいられなかった、とてもあれが人間だったとは思えないからだ。

それと同時になるほど、集落の人達が得体の知れない化け物と口にした理由が分かった、と結月は思った、あの姿では言葉では表し辛いだろう。

「逸脱者だ・・・・・・ここで仕留める」

とはいえ仕留めるのは鈴音だが、結月にもそれくらいの気迫がある事は示す。

このまま、奇襲を仕掛けても良かったがまずは話しかける事にした鈴音。

「逸脱者に話が通じるかどうか試してもし話が出来るのであれば相手の腹を探ろう、性格さえわかれば戦いやすくなるはずだよ」

話を聞いて見逃すつもりはない、相手の素性を理解する事は奇襲よりも理があった。

「待ちなさい!逸脱者!」

鈴音の言葉に立ち止まりこちらの方に向く逸脱者。

「ぬう!貴様らは・・・・・・逸脱審問官か!?」

幻想郷に置いて逸脱審問官は既に結構知られた存在だった。

逸脱者になろうとしているものなら尚更である。

「幻想郷の秩序を乱し人間の誇りと尊厳を踏みにじる逸脱者よ、その大罪、命を持って償ってもらうわ!」

鈴音がそう宣言するのに対し逸脱者はしがれた声で笑う。

「何が人間の誇りだ尊厳だ、人間なんぞ常に妖怪に怯えて暮らさなければならない惨めな存在ではないか、何故わざわざそんな人間でいる必要がある?妖怪の方が断然いいではないか」

逸脱者の言い分を鼻で笑う鈴音。

「人間に天敵がいないのが普通だと思っているの?兎や鼠を見なさいよ、彼らは狐や狼に怯えながらも必死に生きているじゃない?危険を冒して餌を探して大地を駆けて伴侶を見つけて子孫を残す、とても素晴らしい生活が送れるじゃない、人間も良く似ているわ、幻想郷でも人間は人間らしく生きる事が出来るのよ」

そう言い放つ鈴音に結月は素直にカッコいいと思った。

「例えそうだとしても寿命は遥かに短くひ弱な存在には変わらない、妖怪になれば寿命は延びて力を手にいれる事が出来るではないか、何故人間に拘る」

そんな言葉すら鈴音には通用しない、さらに反論する。

「馬鹿ね、人間は寿命や力で語れる物じゃないの、自分がこの幻想郷で何をしてきたか、その短い命でどんな生き方をしたか、胸を張って言える人生にこそ意味があるの、ただ意味もなく長生きしても力があっても幸せとは限らないわよ」

それにと言葉を続ける鈴音。

「それにどうやらあなたは望んだ妖怪には上手くなれなかったようね」

くっ!と痛い所を突かれ苦悶の表情(恐らく)を浮かべる逸脱者。

「人間が妖怪になり損ねた不完全態である未熟種、主に人妖になるための儀式の手順が抜けていたり人妖になるための魔法道具の使い方を誤ったりするとなってしまう妖怪のなりそこない、あなたが参考にしたであろうあの書物には人妖になるための方法が大まかにしか書かれてなかった、恐らくはあなたなりに調べて儀式をしたみたいだけどどうやら失敗したようね、そんな詰めの甘さでは妖怪になったとしても底辺確定よ、妖怪社会は厳しいわよ、せいぜいあなたは本物の妖怪に出会わぬようひっそりと暮らすしかないわ、それがあなたの望んだ自由かしら?」

かなり強気に攻める鈴音に逸脱者は業を煮やしているようだった。

「やはりあの書物では無理があったか・・・・・・おのれ、逸脱審問官・・・・・・・・言わせておけば」

完全なる逆恨みである、自分のせいなのにそれを指摘されて怒っているのだ。

「最もあなたはここで私達に倒されて幻想郷の大罪人として地獄に落ちる事になるけどね、最後に何か言っておくことはあるかしら?まあ、聞いたとしても覚えるつもりもないけど」

鈴音の渾身の煽りに完全に堪忍袋の緒が切れた逸脱者。

「っ!!・・・・・・・貴様らなんぞに殺されてたまるかぁ!むしろ貴様らを殺してくれる!」

肉の塊が裂け鋭利な牙が並ぶ口が現れたかと思うとこちらに向かって突撃してきた。

6本の手足で粉塵をあげて突進してきた逸脱者を鈴音と結月は左右に別れ避けた。

「結月、こいつは私に任せて、あなたは言われた通り援護に徹底して」

了解、と返事はしたもののどう援護すればいいのか、下手に援護すれば鈴音の足を引っ張りかねない。

(ここは鈴音の様子を見るか)

鈴音の戦い方を観察して学ぶ事も生き残るための術である、結月はそう思い邪魔にならぬよう一歩離れた所から様子を伺う。

「行くよ!月見ちゃん!」

その掛け声と共に鞘から刀を引き抜いた鈴音は月見ちゃんと共に逸脱者に向かって走り始め逸脱者の側面に鈴音は刃を月見ちゃんは鋭い爪を振り下ろした。

肉の塊は大きく引き裂かれ血が飛び散る、逸脱者がこちらに反撃する前に刀で肉の塊を横に切り裂き月見ちゃんはもう一度引っ掻く。

攻撃を受け鈴音の方を向いた逸脱者、口をパックリと開いて噛み付こうとするが鈴音は既にその動きを読んでいて月見ちゃんと左右に分かれて避けた。

そして攻撃の一瞬の隙を突いて今度は刀を構え突進し肉の塊に浮き出る目を突き刺した。

月見ちゃんも肉の塊に爪を引っ掻け、鋭い牙で噛み付くと引き千切った。

引き千切った肉と共に小腸らしき臓器を引きずり出す。

痛みに悶える逸脱者、しかしここで思いもよらない攻撃を仕掛ける。

鈴音と目の前にある肉の塊の何か黒い物質が現れる、危険を感じて刀を抜くと同時に体を逸らす。

その瞬間、鋭く尖った黒い針のような物が飛び出して来て数秒前鈴音の顔があった場所まで伸びた。

「防御触針ね、できそこないでもこれは出来るようね」

体の一部の細胞を硬化させ殺傷能力のある針状の物質を体から出す、近づいてきた敵を傷つける技だ、多くの人妖がこれやこれに似たような技を使えるため鈴音は経験済みだった。

一方の月見ちゃんの方にも防御針が飛び出していたが既にそこに月見ちゃんの姿はなく地面に着地して引き千切った逸脱者の肉をムシャムシャと食べていた。

守護妖獣は逸脱者の肉を食べる事で逸脱者に含まれる妖力を摂取する事が出来るのだ。

怪我を追っている場合妖力は回復に回され、そうでない場合は体内で蓄積される。

鈴音は逸脱者から距離を取り逸脱者を挑発する。

「その程度なの?やっぱりなり損ないの実力何てそんなもんだよね」

その言葉が挑発だと理解せず鈴音の方を向く逸脱者。

そして大きな口から茶色く濁った液体を吐き出した。

鈴音はそれを軽く後ろに跳躍してよけると茶色く濁った液体は地面に落ちるとその落ちた場所にあった石ころや草が溶けだし物の数秒で形がなくなる、どうやら強力な消化液のようだ、当たったら一溜まりもない。

逸脱者はその消化液を次々と鈴音に向けて吐き出すも鈴音は次々と避けていく。

「ほっ!よっ!とっ!」

逸脱者の攻撃を予測しているのか余裕を持って避けていく。

手玉に取られ冷静さを失う逸脱者、口の奥にある喉にこれでもかと消化液を貯め込んでいるとその喉に向かって何かが走り去った。

それは月見ちゃんであった、通り過ぎた瞬間、喉がパックリと引き裂かれ消化液が血と一緒に漏れ出した。

「これで消化液攻撃は出来ないわね」

鈴音が気を引いている間に月見ちゃんは食事を終えこちらへの注意が散漫になっている事を理解して絶好の攻撃の好機を伺っていたのだ。

まさに息の合った仲間だからこそ出来る芸当だった。

喉を引き裂かれ逸脱者の怒りの矛先が月見ちゃんの方を向く。

「が・・・・があ・・・・が」

喉を引き裂かれ上手く喋る事が出来ないみたいだが、殺意の言葉を口にしているのだろう。

肉の塊から大きな鎌のような部位が左右に現れその鎌のような物を月見ちゃんに向かって振り落とした。

しかし月見ちゃんは人工と言えど立派な妖怪、大振りの鎌の攻撃など人間より鋭い動物的洞察力と身体能力で難なく避けた。

逸脱者はこれでもかと鎌を振り回すが月見ちゃんは逸脱者を焦らすようにわざと擦れ擦れで避ける、その顔は「当てられないの?」と言っているかのようだ。

その焦らしに逸脱者は両鎌をあげ渾身の力で振り落とそうとする。

その瞬間だった、森の中に銃声が響いたのは。

放ったのは鈴音、彼女の右手にはネイビーリボルバーが握られており逸脱者が月見ちゃんに気を取られている間に場所を移動し離れた所から発砲したのだ。

放たれた弾丸は逸脱者の後方に命中し血をまき散らす。

逸脱者は痛みに悶えながらも両鎌を渾身の力で振り落とした。

しかし月見ちゃんはこれを垂直に跳躍し翼を広げて空を舞った。

守護妖獣の背中の翼はまさに空を飛ぶために存在する。

しかし妖怪のように自由に空が飛べるわけでもなく空を飛行できるのは短い時間だけだ。

(鼎曰く、守護妖獣の体に対して翼が小さいらしい)

代わりに彼等には空を飛ぶことが出来る妖怪にはない地上での驚異的な身体能力を備えており、歩き慣れていない妖怪と比べると地上戦は守護妖獣の方に理があった。

月見ちゃんを取りのがした事で逸脱者の標的が離れた所から銃撃を行う鈴音に向く。

鈴音に向かって突進する逸脱者、鈴音は後退しつつもネイビーリボルバーの撃鉄を起こし引鉄を引く。

発砲音と共に銃身から放たれた弾丸は的確に肉の塊に浮き出る目や臓器を撃ち抜く、威力は中々のようで命中と共に血しぶきが広く飛び散る。

数発打ち込み、逸脱者との距離が短くなると鈴音は本格的に後退する。

追いかける逸脱者、背を向けて走る鈴音、鈴音の前には大きな杉木がそびえたつ。

逸脱者が大きな口を開け鈴音との距離が3mとなく大きな杉木が目の前にまで迫った時。

「はあああっ!」

鈴音は走ってきた勢いそのまま垂直の杉の木を足で登ると杉木を強く蹴って後ろに空中で反り返る。

逸脱者はそのまま大きな杉木に頭をぶつけ失神していた。

「よっと!」

華麗な宙返りを決めた後地面に着地した鈴音。そこへ月見ちゃんがやってくる。

「妖力は十分溜まってみたいね」

守護妖獣は妖力が一定量溜まると目が光って見えるようになる。

逸脱審問官はそれを見て守護妖獣の妖力の有無を判断し戦術を組み立てるのだ。

「よし!月見ちゃん!強力な一発をお見舞いしてやろう!」

その命令と共に月見ちゃんは地面に爪を立てて目を見開いて翼を広げて口を大きく開くと

月見ちゃんの口の前に小さなつむじ風のような物が現れ周囲の空気を巻き込んでいく。

つむじ風は風を巻き上げどんどん大きくなると形を変え球体状になった。

そして月見ちゃんが口を閉じると肥大化した風の集合体が圧縮され三十cm程度の球体になった、風が集まって出来たその球体は凄まじい風の音が響き砂埃を巻き上げていた。

「必殺!風圧弾!」

鈴音がそう言った時、月見ちゃんは再び口を開き咆哮をあげた。

「ガラララッ!!」

まるで虎の様な野太い声と共に圧縮された風が失神している逸脱者に向かって飛んでいく

物凄い勢いそのままに圧縮された風が命中すると圧縮された風が爆発する。

その威力は絶大で圧縮された風が解き放たれ音速の疾風が体を切り刻み逸脱者の体を宙に浮かし地面に叩きつけた。

ドシャンッ!と大きな音をたてて地面が少し揺れた後、仰向けになった逸脱者はピクリとも動かなくなる。

よし!と顔の前で拳を握る鈴音、とりあえず一段落したようなので結月が鈴音の元に近づく。

「あ、結月どうだった私の腕前は?」

先輩だからと少しは厳しい目で観察していた結月だが素直に感心していた。

「流石鈴音先輩だ、的確な攻撃と守護妖獣との巧みな連携、やはり熟練者は違う、勉強になる」

褒められて嬉しそうにフフンと自慢げに笑う鈴音。

「さて、本当に息の根が止まったのか確認してくるね」

鈴音はそう言って小刀を構える。

「鈴音先輩、気をつけろ、やられた振りをしてこちらの油断を誘っている可能性もある」

結月にそう指摘され一度頬を叩き気合を入れる鈴音。

「うん、大丈夫、ちゃんと分かっているから」

気合いが入った顔つきでそう言った鈴音、月見ちゃんと共にゆっくりと仰向けに倒れる逸脱者に近づく。

一歩また一歩と慎重に近づく、今の所動きはない。

やはりもう息の根が止まっているのか、そう結月が思ったその時。

彼は動かぬ逸脱者から一瞬の刹那を感じ取った。

「鈴音!何か来るぞ!」

え?と口にした鈴音、その瞬間鈴音の手足に何かが絡みつく。

それは地面から飛び出すように現れて赤黒い触手のようなものだった。

「きゃっ!」

月見ちゃんが助けようとすると月見ちゃんも地面から現れた触手に体の自由を奪われる。

「ぐへ・・・・ぐへええ・・・・・」

何を言っているか分からないが恐らくは嘲笑っているのだろう。

仰向けになった体を何とか元に戻すも既に生えていた手足を先程の風圧弾で失い歩行能力はない、その代わり肉の塊からは触手のようなものが幾つも出ており、恐らくはあれが逸脱者の切り札なのだろう。

身動きを取れない鈴音は触手によって体を宙に持っていかれる。

抵抗しようも既に手足と腰回りを掴まれ身動きが取れない、それは月見ちゃんも同じだった。

すると逸脱者の赤黒い肉の塊から先端が鋭利に尖った槍の様な触手が現れる。

「!?」

鈴音がそれを見て表情がさらに険しくなる。

その槍の様な触手は鈴音に狙いをつけると勢いよく飛び出した。

真っ直ぐ早い速度で鈴音に向かって飛んでくる槍の様な触手、万事休すかと思われた。

一筋の鈍い光が飛んでくるまでは・・・・・・。

ザシュ、槍の様な触手の柔らかい部分に刺さった一筋の光の正体は小刀の刃だった。

その槍の様な触手は勢いよく飛んできた小刀に押されるように地面に叩きつけられ小刀が地面に刺さった事で動けなくなった。

「!?結月!」

小刀が飛んできた方を見るとそこには鈴音に向かって走る結月の姿があった。

「はあっ!」

結月は鞘から刀を引き抜くと鈴音に向かって跳躍した。

そして無駄のない剣術で鈴音に巻き付いた触手を斬り捨てる。

地面に着地する結月と鈴音、そして結月は再び跳躍し今度は月見ちゃんの触手を斬り捨てて月見ちゃんを解放すると月見ちゃんと共に着地する。

「ありがとう結月・・・・・・恥ずかしい所見せちゃったね」

そう感謝する鈴音に結月は頷いた。

「鈴音先輩、今の不意打ちを避けるのは難しい、気にする事でない」

そう言って結月は槍の様な触手の先端を刀で斬り落としてから小刀を回収する。

「うん、そうだよね・・・・・それにしても些か厄介だよ、触手が使える以上接近戦は危険だね、と言っても距離を取って攻撃できる武器は今持っているのだとこれだけだし・・・・・」

そう言って鈴音はネイビーリボルバーを手に持つ。

「そうだな・・・・・でも威力はあってもこれであの逸脱者に致命傷を与えるのは難しそうだ」

至近距離ならまだしも距離が離れているので正確に当てられるかどうかもあるし離れている分威力も落ちるだろう。

「鈴音先輩、俺に良い案がある、聞いてくれるか?」

しかしどうやら結月には妙案があるようだ。

「良い案があるの?せっかくだから聞かせてよ、どうすればいいの?」

鈴音はどうやら乗る気なようだ、結月は頷いて鈴音に作戦を伝えた。

「成程・・・・・分かった、やってみよう!」

互いに頷き結月と鈴音は逸脱者の方を見る。

そして結月はネイビーリボルバーを手に持って構える、親指で撃鉄を起こすと弾倉が周り、弾丸が装填される、そして人差し指で引鉄を引くと撃鉄が倒れその衝撃で雷管を起爆させ黒色火薬に引火させて燃焼、その衝撃で弾丸を放つ。

弾丸が逸脱者の体に命中したかと思うとすかさず鈴音もネイビーリボルバーの撃鉄を起こし引鉄を引いた。

交互に撃ちだされる弾丸が次々と逸脱者に命中し逸脱者を苛つかせる。

「ぎ・・・・ぎえええええあああ!!」

距離をとって攻撃を仕掛けてくる逸脱審問官に痺れをきらし逸脱者は触手を伸ばしてきた。

「明王、出来る限り引き付けろ」

こちらに向かって伸びてくる触手から逃げるように結月と鈴音と相棒の守護妖獣がそれぞれ散開し走り出す、触手もそれを追いかけるように別れ伸びていく。

触手の速度は速く少しでも手間取ったら追いつかれそうだった。

ただでさえ整備されていない杉木の森だ、足場はそれほど良くはない。

守護妖獣は持ち前の動物的身体能力で触手を引き付けながら丁度良い距離をとっていた。

一方の鈴音と結月は意識を集中させ足場に足を取られぬよう森を駆け抜ける。

「あっ!」

途中鈴音が根っこに足を取られ倒れる。

触手は足に絡みつくが鈴音はすぐに後ろに反り返りすぐに小刀で触手を切り捨て再び立ち上がり走り始める。

結月は跳躍し木を蹴って飛びジグザグに走る事で触手を惑わせつつ触手との距離を保つ。

「ぐへ・・・・・ぐへへへ・・・・」

逸脱者は逸脱審問官が攻撃に転じられず逃げ惑う姿を笑っていた。

自身の体がどうなっているかも知らずに。

「頃合いだな」

結月は触手を引き付けたまま逸脱者の方に向かって駆け出した。

「ぐへ・・・・・へへ・・・・へ?」

逸脱者は正面から向かってくる結月に触手を出して挟み撃ちにしようとするが、ここで自身の体の異変に気づく。

触手が出ないのだ、伸ばそうとしても出ない。

「どうやら、触手の無限に出せる訳ではなさそうだな」

結月の目の前にいる3mはあったであろう逸脱者の巨大な肉の塊は1m程にまで縮んでいた。

結月は見抜いていた、先程触手が鈴音と月見ちゃんを捉えた時、体が少し縮んだのを見て結月は細胞を変化させて触手を作っているのではないかと仮定した。

そしてそれは事実だと証明された。

「明王、お前に俺の命力を注ぐぞ」

其の言葉と共に双血の刻印に刻まれた呪いの力を使い明王に流れる血と自分の血を同調させる。

ドグンッ!と大きく心臓が鼓動する。

すると結月が左手に握られた刀の鍔から真っ赤に燃える炎が噴き出し刃に纏わりついた。

「必殺、灼熱刀」

触手も使えず戦う手段を失った逸脱者に結月は灼熱の炎を纏った刀を構えて接近する。

「はああっ!!」

結月は刃で肉の塊を横に切るとそのまま駆け抜ける、刃は逸脱者の体を横に斬り裂き続け

最後は体を一回転する程の勢いで刃を斬り抜けた。

束の間の静寂、結月に斬られた傷から炎が噴き出し逸脱者の体を包む。

「ぐえああああああああっっ!!!!」

逸脱者の断末魔が森の中響いたかと思うとそのままぐったりと倒れ息を引き取った。

炎は伸ばしていた触手に燃え移り瞬く間に灰に変わる。

逸脱者の肉の塊は炎に焼かれ溶けていた、その炎はまるで不浄な存在を焼き払う聖なる不動明王尊の炎のように見えた。

「はあ・・・・・はあ・・・・」

結月は刀に付いた血と火を振り払うと鞘に納める。

そこへ鈴音と守護妖獣が駆け寄る。

「やったね!結月!初めてなのに逸脱者を仕留めるなんて凄いよ!」

そう褒めると結月は何処か嬉しそうにしつつも謙虚な態度をとる。

「いや・・・・・・それ程でもない、殆ど鈴音先輩が大きな損傷を与えて俺は止めを刺しただけだ」

そう謙虚に対応しようとするも嬉しさが隠しきれていない。

(無愛想なのかなって思っていたけど根は意外と素直なのかも)

鈴音は心の中でそう思った。

とはいえ止めを刺しただけと謙虚な結月だが鈴音は結月の優れた素質を見抜いていた。

ピクリとも動かない逸脱者の殺気をいち早く察知し自分に警告した事、自分に向かって槍の様な触手が伸びた時小刀を上手く命中させた事、僅かな変化に気づける驚異的な観察能力を持ちそしてその観察から元に仮定を導き作戦をくみ上げた事、そして的確に逸脱者に止めの一撃を刺した事。

鈴音は最初結月に会った時、見た感じ強そうだなと思っていたが見た目通りの強さを持っている事にとても頼もしい反面、少し先輩として不安もあった。

(何か私よりも戦闘能力ありそう・・・・・このままだと少し不味いかも)

今はまだ、戦闘経験の差があるが、なくなってきたら自分を追い抜いてしまうのだろうか?

それは逸脱審問官としては嬉しい事だが先輩としては少し不安な事だった。

「鈴音先輩の戦いを見て俺はまだまだだと思った、一生懸命模擬戦闘もしたから大丈夫だと思っていた、でも違った、模擬戦は所詮模擬戦だった、いつか鈴音先輩と上手く連携して戦えるように努力する、ご指導のほどよろしく頼む」

先輩として慕われているのは嬉しい事だが一体これがいつまで続くか鈴音は複雑な気持ちだった。

(まあ、抜かされてもそれはそれでいいんだけどね)

教え子が出来自分が上司になった事が嬉しい鈴音だったが別にその関係にそこまで拘る性格でもなかった。

「うん、これから一緒に頑張ろうね!私も精一杯教えていくからさ」

そう言うと互いに笑い合った。(結月は少し口元に笑みを浮かべる程度だったが)

そんな時だった。

「どうやら、もう終わっているみたいだぜ」

何処からともなく若い少女の声が聞こえる、辺りを見回すが自分たち以外人間の姿は見えない。

おかしい、人の気配など感じられない、ましてや妖怪の気配は全くない。

「ええそのようね、どうやら先を越されたみたいね」

今度は別の若い少女の声が聞こえた、その声に鈴音が反応する。

「結月、上だよ」

鈴音は空を見上げていたので結月も空を見上げる。

そこには宙に浮く二人の少女の姿があった。

「よう、逸脱審問官、こんな場所まで人妖狩りに来てわざわざご苦労様だな」

宙に浮いていた二人の少女は大きな螺旋状を描きながら結月たちの前に降り立った。

先程話しかけてきた方の少女は白と黒の二色を基調とした魔女の様な服装をしており幻想郷では珍しくもないが人間としては珍しい金髪で髪の長さは肩から少しはみ出すほどで頭にはこれまた魔女の様な黒い帽子を被っていた。

歳は恐らく十代後半、結月は自分と近い歳なのではないかと思った。口元には笑みを浮かべており手には右手には箒を握りしめていた。

そしてその隣にいる少女は先程の少女同様、肩を少しはみ出すほどの綺麗な黒髪をしており、深く透き通った眼をしておりこちらの考えを見透かしされているような感じがした。

脇の開いた巫女服を着て、頭には大きなリボンを着けていた。

歳は恐らく先程の少女と同じ十代後半、感情はちゃんとあるようだが表情には豊かと呼べるほどではない、右手には大幣(幻想郷ではお祓い棒と呼ばれている)を持ち左手には御札を持っていた。

同じ人間のはずなのに、何故か彼女だけ別の次元にいるような感じがした。

結月は金髪の魔女の様な少女は恐らくは初対面であるが、その隣にいる黒髪の巫女の様な少女は博麗霊夢である事を理解した。

「確かあなたは・・・・・・霧雨魔理沙だったよね?」

どうやら鈴音は魔理沙の事を知っているようだ、結月は魔理沙と呼ばれた少女を何処かで見た事がある様な気がしていたが思い出せない。

「お、覚えていてくれて光栄の極みだな、私はお前の名前を忘れてしまったけど」

ガクッとなった鈴音。

「私は飯島鈴音だよ、名前聞いても思い出せない?」

その名前を聞くと魔理沙はああ、と口にした。

「そうだった、鈴音だったな、最近全然会ってなかったから忘れていたぜ・・・・・所でお前の隣にいる奴は恐らく初めて見る顔だな、それとも鈴音同様忘れてしまったのか」

首を横に振る鈴音。

「ううん、この子は今日逸脱審問官になったばかりで、私の教え子なの、平塚結月って言うんだ」

鈴音に紹介されて自己紹介をする結月。

「平塚結月だ、年齢は19、鈴音先輩が言った通り今日逸脱審問官になったばかりだ、そして俺の相棒の妖狐の明王だ」

結月は大きな明王の背中を叩く、魔理沙は驚いた表情を浮かべていた。

「お前に教え子が!?そうかお前にも教え子が・・・・・それにしても大変な上司の部下になったものだな・・・・・結月さんとやら」

結月はその言葉に何処か聞き覚えを感じた、そして蔵人が同じような事を言っていた事を思い出す。

(鈴音はそんなにも頼りにされてないのか)

にわかには信じられない結月、先程の戦いを見る限りでは十分強い方なのだが・・・・・。

「あっ!魔理沙もそう言うんだ!酷いよ!みんなして!」

そして鈴音はあの時と同じことを言った、確かに仲間だけでなく知りあい(恐らく)からもそう言われては鈴音の気持ちにも理解できる、しかし怒る鈴音を無視して魔理沙は結月に話を続ける。

「自己紹介が遅れたな、私の名前は霧雨魔理沙、魔法の森で魔法関係の何でも屋をやっているんだ、賭け事の予測から妖怪退治まで何でも引き受けるぜ、あっ!でも秘薬の調合とかは勘弁な!そういうのは苦手なんだ、よろしくな結月」

魔理沙が笑顔でそう自己紹介した。

「何でも屋って言っているけど魔法の森が人を受け付けない程、鬱蒼としているしその上魔理沙自身家を留守にしがちだから実際は泥棒家業の方が本業だけどね」

淡々とそういった霊夢にガクッとなる魔理沙。

「酷いぜ!霊夢その言葉は、仕事をするつもりがない訳じゃない、頼みに来る人がいないだけだ」

やはりこの巫女は博麗霊夢か、そう思った結月。

霊夢ならば空を飛べるのも頷ける、彼女は空を飛ぶことが出来る程度の能力者だからだ。

「だったらあの鬱蒼とした魔法の森から引っ越して人間の里に家を構えればいいじゃない?そしてあまり出掛けず家でじっとしていれば仕事は舞い込むわ、私としても毎日あんたの相手のするのは面倒だからその方が嬉しいんだけど」

しかし霊夢の提案を魔理沙は拒否する。

「断固拒否だぜ、魔法の森は私のお気に入りの場所だし家でじっとしていると考え方が偏っちまうからな、どっかの図書館の魔女みたいにな、それに博麗のお茶は美味しいからつい来ちゃうんだぜ」

はあ、とあからさまに嫌そうな顔をする霊夢。

「お茶くらい自分で入れなさいよ、全く・・・・・・」

それも断固拒否だ、と魔理沙に笑顔で言われ頭を抱える霊夢。そして結月の方をチラリと見た。

「ああ、忘れていたわね、私の自己紹介、魔理沙を相手にしていたら話が逸れちゃったわ、恐らくは知っているとは思うけど私は博麗霊夢、博麗神社の巫女よ」

めんどくさいという感情を出しながらも自己紹介をする霊夢。

「え~と・・・・・・結月で良いよね?色んな仕事がある中でよりによってなんでこの仕事を選んだのかしら?」

今日で何度目の質問、霊夢が「なんで」と口にした当たり恐らくは厄介者が増えたと認識しているのであろう、霊夢からしてみたら逸脱審問官は自分の標的を横取りする霊夢の思い通りにいかない連中という認識だろう。

結月は同じことを口にする。

「俺は逸脱者を許さない、人間の誇りや尊厳を踏みにじる逸脱者は人間の敵であり同時に幻想郷の秩序を乱す存在だ、この仕事を知って俺はようやく幻想郷のために何かやれる仕事を見つけたと思った、幻想郷の秩序を保つため人間の誇りや尊厳を守るため命が潰えるまで逸脱者と戦うつもりだ」

結月の決意にため息をつく霊夢。

「人間の誇りや尊厳ね・・・・・・私もこれでも人間だから否定はしないけど、そのために命を削って命がけで人妖と戦うなんて馬鹿のやる事よ」

鋭く尖った霊夢の言動が結月に突き刺さる。

「確かにそうかもしれないな・・・・・・」

あら?もしかしてその程度の決意だったの?と言っているような含みのある笑みをする霊夢。

「だが俺はお前みたいに器用に生きられるような人間じゃない、不器用ながらも幻想郷のためにそして自分に誇れる人生を送りたいんだ、命は寿命では語れない、そうだろ霊夢さん?」

途端に霊夢は無表情でじっとこちらを見つめる、その目はやはり心の弱さを見透かそうとしているようにも見えた、そして再びため息。

「霊夢で良いわよ、さん付けは柄じゃないの、親しみを込められても困るし貴方達と友人になるつもりなんてないから」

本来なら呼び捨ての方が親しい仲である証拠であるはずなのだが霊夢の価値観は違うようだ。

「ま、あんたの人生なんだから勝手にすればいいけど」

そう言って霊夢は鈴音の方を見る。

「鈴音・・・・・珍しく今回は先を越されたみたいね」

幻想郷の秩序を保つ役割を持つ博麗神社の巫女である霊夢もまた人妖を敵視する存在で逸脱審問官とは好敵手的な関係に当たるのだが霊夢の言葉からは先を越された悔しさなど微塵も感じられずただ淡々と状況を語っているようにも感じた。

霊夢にそう言われ顔をしかめる鈴音。

「鈴音、私が言うのはなんだけど先輩を名乗るんだったら私よりも先にちゃんと人妖を仕留めて見なさい、それが出来なくてもせめて・・・・・」

霊夢は鈴音を強く睨みつけた。

「あいつの二の舞いにはならないようにね」

霊夢のその言葉に鈴音は怯えた表情を浮かべる。

「もうここにいる必要はないから私は帰らせてもらうわ、じゃあね鈴音、それと結月」

霊夢はそれだけを言うと体を空中に浮かせる、ふわりと宙に浮く体はまるで風に散って舞う桜の花のように優雅でそして何処か儚げだった、そしてその体は杉木よりも高く上がると飛び去って行った。

「あっ!待てよ!霊夢・・・・・それじゃあな鈴音、結月」

ニヤリと笑いながらそう言って魔理沙は箒に跨る。

「それにしても霊夢が忠告するなんて珍しいな・・・・・あんな事いう奴じゃないのに」

そう独り言を口にしつつ魔理沙は箒を空中に浮かせ飛び去って行った。

結月はそれを見送ったが鈴音はうつむいていた。

魔理沙を見送った後一息つき結月は鈴音の方を見る。

鈴音は俯いたままだった。

「先輩?」

声をかけるとハッと結月の方を向いてぎこちない笑顔を見せる。

「あっ!結月!ごめん、私は大丈夫だよ、霊夢はいつも私が狙う逸脱者を先に仕留めちゃう事が何度もあったから私ちょっと苦手なんだ、ただそれだけだから」

聞いてもないのにそう言った鈴音。

しかし結月には不可解な点があった、霊夢が口にした「あいつ」その言葉に酷く怯えていた。

一体どういうことなのだろう?鈴音の過去に何かがあったのだろうか?

「と、とにかくこれで逸脱者の断罪は完了だよ、後の処理は件頭がやってくれるから早く本拠に帰ろうよ、結月もお腹空いているでしょ?本拠に美味しいピザっていう食べ物があるから頑張ってくれた結月のために先輩として私が驕るよ、だからさ早く帰ろうよ?」

しかしそれを聞く間を与えず鈴音はそう言って帰り始めた。

結月もそれを問い質すのは悪い気がしたので聞かないようにした。

「・・・・・・・騒がしい一日だった」

結月は今日の出来事を思い出す。

守護妖獣との永遠の繋がりを刻んだ契約の儀、上司である鈴音や仲間との出会い、初めて見る人間をやめた大罪人である逸脱者、そして幻想郷の守護者である巫女博麗霊夢と可愛らしい魔女霧雨魔理沙との対峙。

「色々と大変だが一緒に頑張ろう、明王」

最後に結月は明王を労って頭を撫でた、明王は嬉しそうに喉を鳴らす。

「結月、どうしたの?早く帰ろうよ」

先に行っていた鈴音が結月に声をかける。

「さて、帰るぞ明王」

結月は鈴音の後を追い歩き始めた。

こうして逸脱審問官の道を一歩歩み出した結月。

彼にどんな運命が待ち構えているのか、それを知る者は誰一人もいない。

ただ一つだけ言えるのは、これから待ち受ける運命を結月は相棒となった明王と共に進むのだ。

命尽きるその日まで・・・・・・。




第四録読んで頂きありがとうございます。
これで第一話完結となります、ここまで読んでくれた読者様本当にありがとうございます。
投稿する前は「第一話は既に完成しているから初投稿だけど難なく終わる」と思っていたのですが終わってみれば七転八倒の結末でした。
人間の複雑性や不透明感を感じてもらいと書いておきながら内容がテーマと沿っておらず読者様の期待を裏切ってしまった事。
投稿する前の最後の確認を怠り不完全な状態で作品を投稿してしまった事。
東方初心者にも読んでもらいたいと謳っておきながら肝心の東方要素が少なかった事。
誤りであると分かっていながらすぐに修正を行わなかった事。
第三録を投稿してから何度も修正を行った事。
全ては私の責任であり読んでくれた皆様の期待に応えられず申し訳ありませんでした。
一日中、何でこんなことをしてしまったのだろうという後悔の念を常に感じていました。
元々万人向けする話ではありませんでしたが今回の件で読者様が離れてしまった事でしょう。
それでも尚、続きが読みたいであればこの上嬉しい事はありません。
今週の金曜日は用事があるので土曜日から第二話である第四録を投稿しようと考えています。
こんな私でありますが読んでくれるのであれば一生懸命書きますので宜しくお願い致します。


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第五録 森の民が環視する山道 一

こんばんは、レア・ラスベガスです。
今回から第二話に入る事になるのですが第一話が物凄くゴタゴタしてしまったので第二話を読んでくれる人がいるのか不安です。
とはいえこれは身から出た錆なので自分のせいだと思って受け入れています。
もし一人でも読んでくれる人がいるのであれば更新を続けたいと考えています。
さて、読者様の中には誰かから視線を感じた事がある方はいるでしょうか?
この小説の中にも気配を感じる、視線を感じるなどの表現が含まれているのですが改めて考えてみると直接自分を見ている人を目撃した訳でもないのに自分を見ている人がいると感じるのは中々非科学的でオカルト的ですよね。
視線というのは目で見えるものではなく物質としても視線という物質は存在せず視線が物理的に突き刺さる事なんてないので本来なら視線を感じるなんてことは出来ないはずです。
大抵は視線を感じるというのは「自分が誰かから見られている」という思い込みであり見られていると感じるのは何か「誰かに見られるような要素」がある事を自覚しているからかもしれません。
でももし実際に視線を感じた先に本当に自分を見つめる者がいるとすればその人はあなたに対して何か強い想いを抱いているのかもしれません。
人間は全てが解明されたわけではありません、自分に差し迫る何かを察知する能力が備わっていたとしてもおかしくはありません。
非科学的でしょうか?でも科学で全てが証明できるなんて傲慢だと私は思います。
それでは第五録更新です。



夜が更け、辺りは静寂に包まれ、唯一梟の鳴く声が森に響いていた。

木々から覗く淡い月の光が照らす人気のない道。

その道を歩く二人の男の姿がいた。

「すっかり夜になっちまったな」

先頭を歩く男が後ろの男に声をかける。

「ああ、こんな事なら金を払ってでも村に泊めてもらえばよかったな」

この男二人は各地を歩き回る商人で、人間の里で作られた生活用品を幻想郷にある村や集落を周り販売し代わりに集落や村で買ったそこでしか手に入らない特産品や装飾品を人間の里で高値を付けて売る事で生業とする商人だった。

今回も都合よく特産品と装飾品を手に入れた商人だったが、泊まる予定だった人間の里に近い山手(やまて)村に到着した時、まだ日が高かったために急ぎ足で人間の里に戻れば宿泊代を浮かせると考え足を進めたのだ、だが予想していたよりも道のりが険しく日も沈み夜になってしまったのだ。

「後悔している暇はねえ、とにかく先に進もう、妖怪に見つからないようにだ」

夜は妖怪の活動時間だ、日の光を基本的に苦手とする多くの妖怪は太陽の出ている時はあまり活動せず、日が沈み、月が空に昇る夜になってから活動を開始して人間を襲うようになる、幻想郷に暮らす多くの妖怪達にとって夜の訪れは朝の訪れであり月は太陽なのだ。

だから幻想郷では夜、結界に守られた人間の里以外で外に出掛ける事はとても危険であり夜になったら家で安静にするのが良いとされている、何故か妖怪は外に出歩いている人間は襲うが家の中にいる人間は寝ていても襲う事がないらしい。

幻想郷の規則で妖怪は家にまで乗り込んで人を襲う事を禁止されているのではないか、と噂されているが真意は定かではない。

とにかく、今の商人達の状況はとても危険だった。

既に日が沈み、月が空高くに浮かび妖怪の活動時間に入っている、それだけでも危険なのに商人達は妖怪が多くいるとされる森の中を進んでいるのだ。

人気のない森は妖怪達の住処であり人間が襲われるのも森の中が多かった。

もし妖怪に出会ったら余程の事がない限り太刀打ち出来ない。(夜になると妖怪の妖力も上がる上彼らは暗い夜でも見通しが効くため)のでなるべく見つからない事を祈りながら一刻も早く森を抜ける事が先決だった。

幸いにも最近は妖怪が人間を襲う事もめっきり減ったらしい。がそれでも全くではないので安心はできない。

「ああ、早くこの森を抜けないとな・・・・・・」

商人達は妖怪に出会わぬよう祈りながら山道を早足で歩く。

森は山道こそ整備されているものの周辺の木々は手つかずの状態だった。

妖怪の気配はないもののいつ妖怪が現れても可笑しくない状況下だった。

急ぎ足で山道を歩いていた商人達、しかし突然後ろを歩いていた商人の足音が消える。

前を歩いていた商人が振り向くと後ろを歩いていた商人は足を小刻みに震わせながら立ち止まっていた。

「どうした?早くこの森を抜けないと危険だぞ、立ち止まっている暇はない」

しかし後ろの商人は体を震わせ辺りを見回していた、何か様子がおかしい。

「なあ・・・・・・何か視線を感じねえか?」

視線?まさか妖怪が?と思い辺りを見回すも周囲に妖怪の気配は感じられない。

妖怪と言うのは基本的に暗闇の中でもその姿を目視する事が出来る存在だ。

実体の無い者や姿を消せる者もいるが数は余り少ない。

暗闇でも見えるからこそ、多くの妖怪の姿がハッキリと妖怪関連の書籍に絵で描かれているのだ。

「馬鹿な事を言うなよ・・・・・妖怪の姿は見えない、こんな所に立ち止まっていると本当に妖怪と出会っちまうぞ」

しかし後ろの商人の怖がりようは普通じゃなかった。

「お前は気づかないのか、視線は一つだけじゃない・・・・・物凄い数の何かの視線が俺達を囲むように見つめているような感じがするんだ」

そう訴える商人だが前を歩く商人は改めて周囲を確認するも妖怪の姿どころか生き物の姿もない。

暗闇の人気のない森の中で極度の恐怖感から幻覚を見ているのだろう。

前を歩く商人はそう思い怖がる後ろの商人を無理に引っ張って連れていこうとした。

その時だった。

カッ!

足に小石を引っ掻けて静かな森に音が響く。

視線、物凄い数の視線を前の商人は感じた、気のせいじゃない、後ろの商人の話は嘘じゃなかった。

「!?」

周囲からものすごい数の視線を感じ辺りを見回すがやはり妖怪の姿も生き物の姿もない。

だが今まさに視線を感じる、一人や二人ではない数十とか数百とかかなりの数の何かの視線だ。

一体何の視線なのか?周りに誰もいないはずなのに感じる物凄い視線に商人達は恐怖が込み上げる。

ハッとした前の商人は上を見上げた。

見上げるとそこには空に輝く星よりも多い赤く光る目があった。木々の枝に座ってこちらを見つめる何かは商人達の周囲を取り囲んでおりその数は数百匹いた。

「な・・・・何なんだこれは!?」

妖怪なのか?生き物なのか?戸惑う前の商人に後ろの商人はある事に気づき震えた手で前の方を指さした。

「お、おい・・・・・あ・・・・・あれ」

前の商人が後ろの商人が指をさした方向を見るとそこには、大きな木の枝に大きな獣の様な何かが乗っていた。

その大きな獣の様な何かは商人達に向かって指をさした。

「さあ、いつものようにやれ、根こそぎだ」

その合図と共に商人達を取り囲んでいた何かが一斉に木の枝から木に飛び移り滑り落ち地面に降りると商人達に襲い掛かった。

「「うわあああああっ!!?」」

振り払おうとする商人達だったが次々と襲い掛かる何かの前になすすべもなく押し倒されついにその何かに体中を覆われてしまった。

「くくく・・・・・」

物凄い数の何かに覆われ動かなくなった商人達を見下ろす大きな獣の様な何かは不快な笑い声をした。

「これだけの数の前には只の人間など無力・・・・・・この森にある食も財も全て俺の物だ・・・・・くくっ・・・・ひゃあはははははっ!」

そう呟いた大きな獣の様な何かの笑い声が森に響いた。

 

「さてと、結月?次は何処に行こうか?」

上機嫌な鈴音はそう言って隣にいる結月を見る。

時刻は昼過ぎ、鈴音と結月は人間の里の様々なお店が立ち並ぶ通りを歩いていた。

お互いの肩には相棒である明王と月見ちゃんが乗っていた。

「何処でも良い、鈴音先輩が俺を連れていきたい所に連れていけばいい、俺は鈴音先輩に着いていくだけだ」

いつもの控えめな結月の発言に鈴音は頬を膨らます。

「もう、前もその前もそんなような事を言っていたよ、せっかく上司として結月との良い信頼関係を築こうとお出掛けに誘ったのに乗りが悪いよ、そう思わない?月見ちゃん」

鈴音の肩に乗る月見ちゃんは「そうね」と言っているかのようにニャアンと鳴いた

鈴音は教え子となった結月の事を良く知るため信頼関係を築くため結月をお出掛けに誘ったのだった。

それと同時に鈴音はこの前の逸脱者の断罪の際に結月の高い潜在能力を見抜いており、上達具合から一緒に逸脱者の断罪出来る日はもうそこまで来ていると考え、鈴音は結月を一人前の逸脱審問官にするために練っていた計画を前倒しして、次の逸脱者との戦いの際にはとりあえず連携が出来るよう交流を深めようとしていたのだ。

だが、やはり仕事と言うよりかは息抜きと言う感じなのか、今日の鈴音は人間の里の流行りの服装を見に纏っていた、結月も地味ではあるが私服を着ていた。

「俺は鈴音先輩の事をちゃんと信頼している、逸脱者との連携を考えているならお出掛けせずに鍛練の間で一緒に練習すれば良いだけの事だ」

結月のその言葉に「そうだよ」と言っているかのようにコンコン!と鳴く明王。

しかし鈴音は結月の言葉に冷静に反論する。

「結月分かってないね、それに明王ちゃんも、そういうのも大事だけど、息の合った連携は互いの事を良く知らなきゃ出来ないものなんだよ、心からその人がどういう人物なのかどういう性格をしているのか互いに理解し合わないと練習の時上手くいっても本番の時上手くいかないよ、逸脱者は練習通りに動いてはくれないからね、その場の状況に合わせて戦術をかえなきゃ」

鈴音の話に間違いはなかった。

結月は鈴音の事を信頼しているので鈴音の行動に対し自分もそれに合った連携しようと考えていたがどうやらそれは甘い考えだったようだ。

結月の肩に乗る明王も顔を俯かせ反省しているように見えた。

逸脱者の断罪の時に息の合った連携をするにはお互いの信頼関係もそうだがお互い一緒に戦っている仲間はどんな人物なのかを理解してないと連携など上手くいかない。こういう何気ないお出掛けもお互いの理解を深めるためには必要な事だった。

結月はしっかりした人間ではあったが流石に完璧超人ではなかった。

「まあ、このお出掛けは息抜きも兼ねているだけどね、いつも逸脱者の事を考えていちゃ大変でしょ?時々はこうやって心や体を休めないと精神が病んじゃうよ」

それが本音かと思った結月、しかしそう言うのも大切だろう、逸脱者を断罪するという責任感が強い結月もそれは必要だと思った、逆に休むからこそ分かる事もあると理解していた。

「それにしても、結月は私の事を信頼してくれているんだ・・・・・先輩として嬉しいな」

鈴音は嬉しそうに笑う、同僚や知りあいからあの言われようでは鈴音の嬉しくなる気持ちも分かる。

「鈴音先輩、逸脱者との戦いから生き残っていた先輩としてご指導の程、よろしく頼む」

うん!と嬉しそうに頷いた鈴音。

「さて、仕事の話はこれくらいにして、次は何処に行こうか・・・・・・」

先程の甘味処でほんのり甘い和菓子を食べたので次は食べ物以外が良かった。

「そうだ!結月の部屋、必要最低限の家具しか着いてなくて寂しいでしょ?雑貨店に行こうよ!私良い店知っているの、どう行かない?」

鈴音の提案に結月は頷いた。

お洒落とか装飾にあまり拘らない結月だったが流石に今の部屋は寂しさ感じる程、殺風景だった、何か機能的な家具が一つや二つ欲しかった所だった。

「よし!じゃあ行こうか!私に着いてきてね」

鈴音の案内の下の雑貨店に向かおうとした矢先だった。

ガシャンッ!

何かが割れる音、例えるならば陶器が割れたかのような一瞬鼓膜に突き刺さる様な音が響いた。

「てめえ!俺のズボンを汚しやがって!」

その音の後、若い男の怒っているかのような声が響く。

その声のした方では通行人がどよめいていた。

何が起きたのか確かめるため立ち止まる通行人を掻き分け現場に駆け寄る。

「ご、ごめんなさい」

そこには柄の悪い若者が五人と地面にへたり込む小さな人間の女の子の様な姿をした妖怪の姿があった。

地面には籠に入っていた様々な品物が転がっており、割れた壺の破片が散らばっていた、恐らく先程の音はあの壺が割れた時の音なのだろうと理解した。

「謝って済む事かよ、良く見ろよ、俺のズボンが油まみれじゃねえか!弁償しろよ!べ・ん・しょ・う!」

そう詰め寄る柄の悪い男に女の子の姿をした妖怪は困り顔だった。

「ごめんなさい、でも今は手持ちがなくて・・・・・」

女の子の姿をした妖怪はそう言うが男の怒りは収まらない、男はその妖怪の胸倉を掴んで持ち上げた。

「手持ちがないだと!?ふざけやがって!なめとるのかい!」

女の子の姿をした妖怪は軽く錯乱に陥っていて涙目になっていた。

「ふええ・・・・・」

今にも女の子の姿をした妖怪が泣きだしそうになった瞬間。

「ちょっと!やめなさいよ!子供相手に何怒っているのよ」

そこへ鈴音が割って入り、女の子の姿をした妖怪の胸倉をから男の手を取り払う。

その時、鈴音の肩に乗っていた月見ちゃんが地面に飛び降りた。

「なんだてめえは!今俺はこの餓鬼に話があるんだ!」

男は随分と頭に血が上っているようだ。

「とにかく落ち着きなさいよ、何でそんなに怒っているのよ」

鈴音は冷静な対応を求めるが男の鼻息は荒い。

「どうもこうもねえよ、この餓鬼が俺のズボンに油をかけやがったんだよ!ほら見ろよ!」

男のズボンを見ると確かに油の様なヌメヌメした液体で少しだけ濡れていた。

「そうなのか?」

結月は女の子の姿をした妖怪に聞く

「い、いえ、かけるつもりなんてなかったんです、買い物を終えて帰り道を歩いていたら固い石か何かに躓いちゃってその時に油壷を割ってしまったんです・・・・・でも私のせいで油が着いてしまった事はちゃんと謝りました」

確かに状況から察するにこの女の子の姿をした妖怪の話が一番しっくりくる。

恐らくわざとではないのだろう。

「ふ~ん、そう言う事ね、ねえ、この子はわざとじゃないんだから許してあげなよ」

しかし男の怒りは収まらなかった。

「ああ!?許すわけねえだろ!きっちり弁償してもらわない限りは絶対に許さねえ」

気に入っていたズボンが汚されては怒らない気持ちも分からないでもないが、それでも子供の様な言い分だ、男と比べて年下である結月すら呆れるものだった。

「やめなさいよ、そう言う真似は、あなたもう大人でしょ?こんな事は誰にでもある事よ、そんな事で子供にいちゃもんをつけている事が恥ずかしく感じないの?怒らなくても優しく諭すだけでいいじゃない、わざとじゃないんだから」

鈴音の正論を口にするが男の堪忍袋は既にキレそうだった。

「てめえ、このズボン高かったんだぞ!そう簡単に許すわけねえだろ、わざとかそうじゃないとかどうでもいいんだよ!」

鈴音はフ~ン、と男の袴を見て一言。

「高い割にはそのズボン、あなたにはとっても似合ってないわよ、良い?よく聞きなさい、値段が高ければ似合うって訳じゃないの、値段には値段なりの品格が求められるのよ、例えどんな高価な物を身に着けても、ブランドの服を着ても品格が伴ってないと絶対に似合わないわよ、あなたも少しは品格を身に着けたらどう?失敗を許すような寛大な心を持って・・・・・」

鈴音はお洒落にはうるさかった、なのでお洒落の話をしだすと中々止まらなかった。

鈴音の辛口評価についに男の堪忍袋の緒が切れた。

「て・・・・・てめえ!痛い目にあいたいようだな!」

男は鈴音に向かって殴りかかった。

この時、男は不運が二つあった、一つ彼女は厳しい試験に合格した高い身体能力と戦闘能力を持つ逸脱審問官であった事、もう一つ彼女は手加減が出来ない事だった。

スッと飛んできた男の拳を軽く避けた鈴音、そして男の腹に一発拳を叩き込む。

うっ!と声を出した男、腹を殴られ怯んだ所で鈴音は男に背中を向けて殴りかかった腕を掴んだ。

そして男を背負い投げるように地面にたたき落とした。

それだけでも十分なのに鈴音は倒れた男の顔面に気合の入った拳を振り下ろした。

ガツン!痛そうな音がした後、男の顔面には赤い痣が浮かび上がっており完全に気を失っていた

「あ・・・・・しまった、やりすぎた」

鈴音はやってしまったという顔をしていた。

「こ、こいつ!」

見守っていた柄の悪い男の仲間の一人が背中を向けている鈴音に向かって殴りかかる。

しかし鈴音は人間離れした逸脱者を何体も断罪してきた身であるため、男の殺気など既に感じ取っており、男の拳を軽く避けると殴りかかった男の背中に回り込み腕を掴むとその腕の関節を曲げられない方向に曲げる。

「いてててっ!」

激痛に顔を歪める男、そして鈴音は激痛で身動きが取れない男を地面に叩きつけた

ドシャ!地面に重力に引き寄せられるように顔面を地面に強打する。

あぎゃっ!と言う声を上げて男は気を失った。

「このやろぉうふ!?」

もう一人、仲間がやられたのを見ていた仲間の一人が懲りずに殴りかかろうとしたその時、男の首に自分のではない腕が現れ、喉を抑え込まれる。

懲りずに殴りかかろうとした男の後ろに回り込み、首に手を回し込んだのは結月だった。

そしてそのまま腕で首を強く絞めた、背中を後ろに曲げ男の体を宙に浮かすように。

「が・・・・・が・・・・は」

首を強く締められ男は何とか逃れようと抵抗するが地に足がついてないため、踏ん張る事も出来ず、ただバタバタと虚しく暴れていただけだった。

次第に酸素が足らなくなり男の動きが鈍くなる、結月は男の動きが鈍くなった所で締め上げていた腕の力を緩めて男を解放した。

宙に浮いていた男は地面に崩れ落ち膝を付き両手で喉を抑えて激しく咳き込んでいた。

しかしあまりに長く呼吸が出来ていなかったのか、上手く呼吸が出来ず、地面に転がるように倒れた。

「・・・・・・これでも、まだやるのか?」

結月は静かに、けれどもしっかりとした声で残った柄の悪い男の二人に聞いた。

「ひ、ひい!お助け~!」

一人が倒れた仲間を置いて逃げ出すと残った仲間の一人に残された選択は一つしかなかった。

「おっおい!待てよ!一人で逃げるなあ~!」

残された一人も先に逃げ出した男の後を追ってその場から逃げ出した。

事態が鎮静化し鈴音の戦いの様子を遠くから見ていた月見ちゃんが再び鈴音の肩に乗る。

ふう、と力を抜いた鈴音、しかし口からできた息はため息交じりにようにも見えた。

「やっちゃった・・・・・暴力は振るわないようにしようと思ったのに・・・・」

鈴音は地面に転がる三人の男を見る。

逸脱審問官は厳しい試験に合格した、心身ともに強靭で日頃から厳しい訓練を積んでいる人間の集まりである。

相手が逸脱者ならともかく、並の人間と喧嘩になると大怪我を負わせてしまう事が多かった。

そのため鼎からは掟を破った者でない限りはなるべく穏便に済ませるように、と言われていた。

逸脱審問官は人間の誇りと尊厳を守る、いわば人間の番人みたいなものなので評判が悪くなるという事は人間の誇りや尊厳を自分達の手で穢す事とおなじだった。

「鈴音先輩は悪くない、鈴音先輩は正しい事をした、悪いのは勝手に逆切れしたこの男たちの方だ」

明王も賛同するかのようにコンコンと鳴いた。

そして結月は野次馬の方を見る。

野次馬は色々と騒いでいたが「格好良い~!」とか「良くやったぞ~!」やら「あいつら周りの事をまるで気にしない迷惑な連中だったから痛い目にあっているのを見て気がせいせいしたよ」などいっており、鈴音や結月を批判する者はいなかった。

「周りに見ていた人達は鈴音先輩のやった事を褒めている、それが何よりの証拠だ」

そう言うと鈴音は結月に真剣な眼差しを向ける。

「結月、例えそうだとしても私達は逸脱審問官よ、並の人間と喧嘩になれば大怪我を負わせる事になるわ、それは逸脱審問官の立場だけじゃなく天道人進堂の評判も悪くしかねない事よ、気をつけなさい」

そう諫める鈴音、結月は確かに、と思い反省した。

「それにしては鈴音先輩、手加減は一切してないように見えたが・・・・」

見ていて素直に思った事を言った結月に鈴音はうっ!という声を出した。

「他の仲間との模擬戦闘を何度もやってきたから、つい無意識に体が動いちゃって・・・・」

それは戦いの熟練者故の悩みだった。

(あの時俺は鈴音を助けようと男の首を絞めたがいつかは俺もあんな風になるのだろうか)

並の人間との喧嘩は避けるべきなのに相手から手を出されると咄嗟に反撃してしまう。

どうすればそれを制御する事が出来るのか、結月にまた一つ考えるべき悩みが出来た。

「とにかく、それはまあ・・・・・置いといて」

話を無理に置いた後、鈴音は地面にへたり込む女の子の姿をした妖怪に手を差し伸べる。

「もう大丈夫だよ、怪我はない?」

優しく微笑んでそう問いかける鈴音。

「あ・・・・ありがとうございます」

鈴音の手を掴み立ち上がりながら礼儀正しくお礼を言う女の子の姿をした妖怪。

その顔は笑ってはいたが目は何処か怯えているようにも見えた。

(やはり成人の男をボコボコにする所を見たら怯えるのは当然か)

鈴音も結月と同じ事を思っていた。

「良かった・・・・・怪我はないようね、怖いお兄さん達は私達が退治したから安心して」

鈴音は女の子の姿をした妖怪をリラックスさせるため屈託のない笑顔を見せる。

「は、はい・・・・・・助けてくれて本当にありがとうございます」

ある程度は怯えなくなったものの完全にリラックスしてはいないようだ。

「ほら、結月も笑いなさいよ、いつも無表情なんだから、それじゃ怖がられるよ」

そう言われ結月も女の子の姿をした妖怪をリラックスさせるため笑おうとするが、いかんせん笑顔に全く慣れておらず鈴音と比べると不格好だった。

結月の相棒である明王も結月の笑顔と言えない笑顔を見て軽くひいているように見えた。

「ちゃんと笑いなさいよ、この子が怖がるじゃない」

そう言われどうにか笑顔を作ろうと頑張って表情を変えていると、それを見ていた女の子の姿をした妖怪は堪らず噴き出した。

「あははははっ!ご・・・・ごめんなさい、でもお兄さんの顔とっても可笑しくて・・・・」

図らずも女の子の姿をした妖怪をリラックスする事に成功した。

「上手く笑えない事が役に立つなんて思わなかったよ、ありがとうね結月」

結月にとってそれは喜んでいい事なのか、恥じるべき事なのか分からず心中は複雑だった。

「良かった、落ち着いてくれて・・・・・あなた名前はなんていうの?」

女の子の姿をした妖怪は可愛らしい笑顔を見せながら自己紹介をした。

「私の名前は幽谷響子(かそたにきょうこ)と言います、山彦の妖怪で今は命蓮寺(めいれんじ)で暮らしています」

幽谷響子、そう名乗った妖怪は人間の10代なりかけくらいの女の子のような体格で、髪は青緑で肩まであり瞳は緑色でパッチリとしている

幼い女の子の様な可愛らしい顔は笑顔が良く似合う、袖口が絞ってある長袖の淡い桃色をしたワンピースのような服を着ており、基本は白で裾の方だけ黒いスカートを穿いている、足には黒色の靴を履いている。

そして頭には茶色の犬の耳のようなものが生えており、ワンピースとスカートの境目からは茶色のふわふわとした尻尾が飛び出ておりそれがとても妖怪らしい特徴だった。

(命蓮寺か・・・・・確かあそこは・・・・・)

命蓮寺、その寺の名前を結月は良く知っていた。

人間の里近くにある、聖白蓮(ひじりびゃくれん)が住職を務め毘沙門天の使いである虎丸星(とらまるせい)を御神体として崇める仏教系のお寺だ、「妖怪と人間の平等な社会」を掲げ住職を含め寺で務める僧は全員妖怪であり、その下に人間の信者が数多くいる幻想郷有数の宗教勢力だ。

ただ参考書には「人間が妖怪に怯え恐怖しそれを妖怪が糧とする」幻想郷の秩序を乱す可能性のある存在として書かれており、敵対こそしていないものの要監視対象と書かれていた。

「へえ~、命蓮寺で働いているんだ、それで今日は買い物に来たの?」

鈴音は響子が命蓮寺に所属している妖怪である事を気にしていなかった。

それは鈴音が特別ではなく結月もそうだった。

(とはいえ天道人進堂が問題視しているのは命蓮寺の考え方であり、そこで働いている僧を邪険にする理由はない)

「妖怪と人間の平等な世界」を掲げているのが住職である聖白蓮と他数名の考えによるものならば、彼女と他数名の考え方自体が問題視されるべきあり責任も彼女らにある。

そして要監視対象とされているが万が一命蓮寺の考え方が幻想郷の秩序を乱す者なら、その時は博麗が動くだろうし幻想郷の主である八雲紫も黙っていないだろう。

つまり要監視対象とはそう重要な事ではなく、単に天道人進堂では「人間が妖怪に怯え恐怖し妖怪がそれを糧とする」という幻想郷の秩序に乗っ取った考え方を支持しているため、命蓮寺の宗教理念に魅入られないようにという事なのだろう。

簡単に言えば問題視しているのは宗教理念でありその人間を否定するものではないという事だ。

「はい、お寺で使う蝋燭とか雑巾とか石鹸とかを買いに来ていたんです」

結月は鈴音と響子が話している間に転げ落ちた品物を拾い籠に入れていく。

「でもその帰り道に石に躓いちゃって・・・・・怖いお兄さん達に絡まれていた所を・・・・鈴音さん・・・・・結月さんに、助けていただいたんです」

名前があっているが鈴音と結月の顔を見ながらそう話す響子。

結月は落ちていた品物を入れなおした籠を響子に差し出す。

「ありがとうございます・・・・・・」

その時は嬉しそうな顔をした響子だったが次第に表情が曇る。

「?どうしたの?もしかして油壷を割ってしまった事を気にしているの?」

はい、と小さく呟いた響子。

「でももう油壷を買うお金はないし・・・・・・素直に報告すれば許してくれるかな、でもこの前ぬえちゃんが木魚をよく分からない物に変えてしまった時、一輪(いちりん)さん物凄く怒っていたな~・・・・・・」

木魚が一体どんなよく分からない物になってしまったのか、結月は気にはなったが今はそれを聞く場合ではない。

「あっ!ごめんなさい・・・・・お二人には関係ない話でしたね」

不安で落ち込む響子を見て結月と鈴音は顔を見合わせる。

そして、二人は互いの財布からお札を出すと響子の前に差し出した。

「え?」

目の前にお札が出て来て状況が理解できない響子。

「ほらこれで油壷を買いなおしなさい」

響子にとって予想しない展開に響子は気が動転する。

「えっ!そんな・・・・・お金なんて受け取れません!割ってしまったのは私のせいですし、これ以上お二人にご迷惑をおかけする訳には・・・・・・」

謙虚な響子に結月が話しかける。

「受け取れ、こける事なんて誰しもある、あんたは何も悪くない、買ってこないと怒られるのだろう?」

いえ、でも・・・・・と渋る響子に鈴音が一押しをする。

「このまま響子ちゃんを帰したら何だか夢見が悪くなりそうだし、私達のご厚意だと思って受け取って、お金が余ったら何か甘い物でも食べなさい、一輪さんにバレないように調節してね」

鈴音がそう言うと響子は嬉しそうな顔をしてお金を受け取り、鈴音と結月にお辞儀をした。

「ありがとうございます!これだけあれば油壷を買い直せます!」

物凄く喜ぶ響子を見て鈴音と結月は嬉しそうだった。

「良かった、今度は割らないように気を付けてね、じゃあ私達はもう行くね」

響子の前から立ち去ろうとした鈴音と結月に響子は「あ、あの」と声をかけた。

「お二人の本名を教えてください、何かお礼をしますから・・・・」

しかし鈴音と結月はあえて本名を名乗らなかった。

「気にしないで、ただの通りすがりの通行人だから、名乗る程でもないわ」

鈴音がそう言うと肩に乗っていた月見ちゃんがニャアンと鳴いた。

「そう言う事だ、じゃあな、響子ちゃん」

ちゃん付けは何だか恥ずかしい気もするが呼び捨てもいけないので不格好ながらちゃんをつけた結月。

結月もそう言うと肩に乗っている明王もコンコン!響子に向かってと鳴いた、恐らくは「さようなら」を言ったのだろう。

「鈴音さん!結月さん!この御恩は絶対にいつか返しますから!」

響子は大きな声で結月と鈴音に向かってそう言った。

鈴音と結月は山彦に恥じない大きな声に見送られるようにその場を後にした。

 




第五録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
小説の補足として書く事があるとすれば逸脱審問官は法ではなく法に従って動いています。
法というのは人間の里の法律でもあり天道人進堂に掟でもあり人間としてのモラルでもあります。
こうやって書くとめんどくさいかもしれませんが逸脱審問官は基本的には法に従いますが状況によってはそれを破ってしまう場面があるかもしれません。
例えば逸脱者の家を焼くというのは天道人進堂としては逸脱者を出さないために行う正しい事なのですが人間の里の法律としては間違っているかもしれません、一応天道人進堂の願いもあって人間の里では特例として許されているのですが・・・・・・。
それに彼等もまた人間なので破ってしまうのは致し方がない事なのです。
だからといって彼等はそれに甘んじる事無く反省しているので許してあげてください。
最も仕方ないでは済まされない事はちゃんと彼等は理解しているのでそういった事はしないと思います・・・・・・・なるべくは書かないように努力します。
それでは今度こそ金曜日に。


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第六録 森の民が環視する山道 二

こんばんは、レア・ラスベガスです。
昨日は更新できなくてすみませんでした、色々あって帰りが遅くなってしまいました。
金曜日更新なのに一度も金曜日更新が出来てないのは本当に情けない話です。
これからはなるべく金曜日に更新できるよう気を付けます。
さて、読者様は何か趣味に打ち込む時、何かを食べながらもしくは飲みながら打ち込む人はいるでしょうか?
私は小説を書いている時、一口サイズのチョコを摘まんだりサイダーやコーラを飲んだりしながら小説を書いています。
別に甘い物や炭酸飲料がなくてもいいのですが私個人としては炭酸飲料やチョコを単体で食べると何だか勿体無い気がするので小説を書きながら摘まんだり飲んだりする事で趣味に打ち込んでいる事への充実感を得ています。
ではチョコや炭酸飲料を食べながら飲みながら書いた方が作業効率は伸びるのか問われると食べない方が正直作業効率はいいです、理想と現実は難しい物です。
それでは第六録更新です。


「ただいま~」

鈴音はまるで家に帰ってきたかのように秩序の間の玄関でそう言った。

「鈴音先輩、ここは家じゃないぞ」

正確には本拠の玄関であって鈴音の自室ではない、そう冷静な返答をする結月に鈴音は手を仰ぐ仕草をする。

「まあそうなんだけどさ、数年もこの仕事に勤めているとね、まるで本拠が家の玄関のように感じられるようになるの、過酷な仕事だからさ、無事ここへ帰って来ると安心感からつい言っちゃうんだよね」

いやホントに、と付け足した鈴音、結月はまだ理解できないがいつかは理解できるようになるのだろうか、と思った。

そんな会話をしていた時だった。

「おう帰ってきたか、鈴音の嬢ちゃんと新入りの坊主」

随分と野太い声は居酒屋「柳之下」の方から聞こえた。

居酒屋の椅子にはまだ外は陽が高いというのに既に一杯やっている男の姿があった。

髪は黒髪をゴムで結んでおり顔は三十代前半の老けている訳でもなく若い訳でもない顔をしており剃り残しの髭が顎に生えている。

年齢は30代くらいで体格は大柄で服を着ていても分かるくらい筋肉がついていた。

服装は天道人進堂から逸脱審問官に支給される普段着だった。

「竹左衛門(ちくさえもん)さん!また昼間からお酒飲んでいるんですね・・・・・・お酒好きなのはわかっていますけど、流石にほぼ毎日は体に悪いですよ?」

鈴音の忠告に竹左衛門は手に持ったお猪口をクイッとする

「安心しな、鈴音の嬢ちゃん、おじさんお酒は強いしお酒は百薬の長って言うだろ、健康のために毎日飲んでいるんだ」

しかし鈴音はため息をついた後言葉を返す。

「飲み過ぎれば百害あって一利なしですよ、タダでさえ短くなる命がさらに縮みますよ」

冗談には聞こえない冗談に対して竹左衛門は軽く笑った。

「鈴音の嬢ちゃんも上手い冗談を言えるようになったものだ、おじさんは嬉しいよ、だが俺の人生は俺の物だ、命が縮んだって酒を飲むのはやめないぜ」

全く、と小さく呟く鈴音、しかしその顔は仕方ないな・・・・という表情をしていた。

「それよりも・・・・・お前か?鈴音の嬢ちゃんの部下になった、新入りの坊主は?」

新入りの坊主・・・・・・呼び捨てされた時はどうなのかと思ったが「新入りの坊主」から比べたらまだ良かった事に気づく。

「ああそうだ、だが坊主ではない、髪もちゃんと生えているだろう?」

結月の言葉にポカンとする鈴音と竹左衛門だったが竹左衛門は豪快に笑った。

「お前は真面目だな、坊主とはお坊さんの事じゃない、若者と言う意味だ、それと幻想郷の坊主は髪が生えている奴らもいるだろう?命蓮寺の僧なんかみんな髪の毛生えているじゃないか、まああれが本当に僧と言えるかと言われると返答に困るがな」

結月は真面目な性格ゆえに冗談をそのまま受け止めてしまう癖があった。

髪のそり坊主の衣服を纏い、手には数珠を持った典型的なお坊さんを結月は想像してしまったのだ。

言葉の意味を知り、少し恥ずかしそうに咳き込む結月。

「すまない、人と喋ったことがあまりなくて意味をちゃんと理解していなかった」

反省する結月に対して竹左衛門は笑みを浮かべながら手首を振る。

「気にしなくていい、確かに幾ら年上でも「坊主」は悪いよな、わりいわりい・・・だがよ」

竹左衛門は椅子の上に乗せていた右足を地面に降ろし両足でがっしりと地面につけると一度地面の方に俯き少しだけ顔を上げて結月の方を見た。

「そんな真面目な性格じゃこの仕事の重みに潰されちまうぜ」

その鋭い眼光は結月の目をしっかりと捉えていた。

「この仕事は「矛盾」で溢れている仕事だからよ、真面目な性格だとその矛盾を解決しようと考えこんじまって、その内に深みに入って、そのうち沈んじまうぜ」

矛盾、その言葉を結月は小さく呟いた。

逸脱審問官が単純な仕事ではない事くらい最初から分かっていた。

だが契約の間で鼎が言った通り、今の自分は分かっているようでちゃんと理解していないのだろう。

恐らく竹左衛門の言う「矛盾」ともいつか向き合う事になるのだろう。

そしたら竹左衛門の言う通り、自分はその矛盾に対して立ち止まって考えこんで、深みに入ってしまい、沈んでしまうかもしれない。

「そうだとしても俺はその矛盾に逃げない、絶対に答えを見つける、必ず答えはあるから」

だが逃げていては何も解決しない、解決するにはちゃんと向き合うしかない、それを問い続け戦うしかない。

きっと竹左衛門も数々の矛盾に対して向き合って自分の「答え」を見つけたのだから・・・・。

「真面目だね~本当に真面目だ・・・・・だが悪くない真面目さだ、それだけの根性があればなんとかなる」

最初は茶化しているかのように笑いながらそう言ったが、一息ついて次に出てきた言葉は渋く肝が据わった口調で結月の真面目さを褒めた、そこにいる竹左衛門は結月よりも長く生きてきて、色々な経験を積んでいると思わせる程の貫禄ある人生の先輩たる姿だった、束の間の静寂が流れる。

「おじさんは矛盾とかそんな難しい事は深く考えず割り切って考えていたよ~」

さっきまでの貫禄のある人生の先輩とは打って変わって、いつもの竹左衛門のような酒が入り陽気になったおじさんみたいな感じでそう言った。

(それも竹左衛門のたどり着いた立派な「答え」か・・・・・)

しかし今度は竹左衛門の言葉を鵜呑みにせず、冷静に分析していた。

人間は割り切るという事が口で言えても実際にはそれが中々出来ないものだった。

見た目には出さなくても心の中ではそれを引きずっており、意識していなくても無意識の内に引きずっている事もあるのだ。

竹左衛門は逸脱審問官としてぶつかるだろう矛盾を気楽に話せる程、割り切っており、割り切って考えられる程、決断力のある強靭な心を持っているという事だった。

(俺にはとても出来ない事だ)

子供の頃から悩みがあると結論が出るまで考え込んでしまう結月には出来ない事だった。

「そういえば自己紹介がまだだったな、俺の名前は片倉竹左衛門(かたくらちくさえもん)だ、歳は三十四で逸脱審問官になって四年目だ、そしてここにいるのが俺の相棒の妖猫の揚羽(あげは)だ、よろしくな、若造」

竹左衛門は台の上に乗る美貌溢れる美しき妖猫、揚羽の喉を撫でる。

結月は竹左衛門が逸脱審問官になってまだ四年目である事を知り内心驚いていた。

結月はてっきり竹左衛門を熟練者中の熟練者だと思っていたのだが実際は中堅くらいだったからだ。

「おじさん、逸脱審問官を目指そうと思ったのは三十代間近だったからこの年齢でもまだ中堅なのよ」

結月の心を見透かしたかのようにそう言った竹左衛門。

やはりこの男は逸脱審問官であるだけの技量はあるなと結月は思った。

そう感心しつつも結月も自己紹介をする。

「結月か・・・・・・・最近の若者らしい洒落た名前だな、だが最近の若者にしては肝が据わっている、年齢が十、いや短くても五年くらい鯖を読んでいるのではないかと思うくらいだ」

鯖を読んでいると言われると幾ら男である結月でも不快に感じるものがあった。

「年齢なんて詐称していない」

そう言うと竹左衛門は笑いながら答えた。

「冗談だよ、そんな事言われなくても分かっている、そう疑ってしまうくらい若いのに肝が据わっていると思っただけだ」

そう言う竹左衛門だったが結月は完全に納得した訳ではなかった。

だが、竹左衛門に悪気はないという事は理解したのでこれ以上問い詰める事はしなかった。

陽気な性格故に口が軽く悪気がなくても失礼な事を言ってしまうのだろうと結月はそう思った。

「よし、今日は新しく逸脱審問官になった結月の歓迎会だ、それと一緒に鈴音の嬢ちゃんに部下が出来た事を祝って今から一緒にここで飲むぞ!もちろん御代は俺が払うぞ」

そう言って竹左衛門は自分の隣の席を進める。

結月の肩に乗る明王はもう座る気満々で竹左衛門の台に置いてある鶏肉の甘辛揚げを期待した目で見ている。

「その誘いは嬉しいが今から鈴音と一緒に鍛練の間で修業する予定になっている、それに俺はまだ十九だ、お酒は飲めない」

幻想郷にお酒に関しての規則は明確にないが、人間の里の酒造組合の決まりでは20歳未満の人間にお酒を売ってはならないと決められていた。

「そういう所も真面目だね~、十九なら二十と大して変わらないじゃないか、お前くらいの歳でお酒を飲んでいる若者も結構いる、それに噂ではあの幻想郷の守護者である博麗の巫女も宴の時はお酒を飲んでいると言われているぜ、お前よりも年下であろうあの女だぞ?もう少し気楽に考えたらどうだ?」

そう笑みを浮かべながら問いかける竹左衛門。しかしその言葉に反論したのは鈴音だった。

「気楽に考えたら駄目よ、一応お酒は二十歳からって言われているんだから、ちゃんとそれは守らないといけないわよ、それに霊夢は霊夢よ、結月がそれに習う必要性はないわ」

鈴音にそう言われ不機嫌な顔をする竹左衛門。

「仕方ねえな、店主、炭酸水は仕入れてあるか?」

店主と呼ばれた熟女の魅力が漂う四十代の茶髪の着物の女性は微笑みながら屋台の下から水の様な透明な液体が入った「甘味炭酸水」と書かれた紙が張られた瓶を取り出す。

炭酸水の事は結月も良く知っていた。

人間の里の外れにある綺麗な湧水を水源に作られる飲み物で、湧水を汲み上げて一度ろ過し、特殊な機械でろ過した水に炭酸ガスを圧縮した後、甘味料で甘みをつけた飲料水とされ結月はまだ飲んだ事はないが話によると喉に弾けるような刺激の後に程良い甘さと喉を突き抜けるような爽快感が味わえる今までに飲んだ事のないような飲料水らしい。

炭酸水を作る事の出来る唯一の工場は天道人進堂の管轄であり炭酸水を作るための機械を発案したのは鼎自身だと言うのだから驚愕である。(本当にこの人は何者か分からない)

工場で作られた炭酸水は人間の里に輸送され酒屋や雑貨屋で販売され居酒屋や食事処や甘味処で提供されている。

人間の里ではかなりの人気商品で若者の中ではこれを飲む事が流行らしい。

また人間だけでなく噂では妖怪にも流行の兆しがあるらしく時折人間の里で買っていく姿が目撃されている。

「結月もこれなら飲めるだろ?やろうぜ~歓迎会、まだやってないんだろ?」

笑顔で甘味炭酸水をこちらに向ける竹左衛門、結月はまだ飲んだ事のない甘味炭酸水に興味があったもののだからと言って鍛練を怠るのは良くないと思い首を横に振った。

結月の肩に乗る明王も結月の意志を尊重して謙虚な態度を取っていた。

明王のその姿を見て鈴音の肩に乗る月見ちゃんは少し笑っているように見えた。

「私達は逸脱審問官よ、平常時でも次の逸脱者に備え体を鍛えなければいけないのよ、それに流石に私も昼間からお酒を飲むのはちょっとね・・・・・鍛練が終わっての夜ならいいんだけど」

鈴音も逸脱審問官として自覚はしっかりと持っていた。

鈴音の提案にはあ、とため息をついた竹左衛門。

「しょうがねえな・・・・・・じゃあ鍛練が終わったらここにこいよ、丁度体を動かしてお腹が空いているころだから美味しいもんを腹いっぱい食わせてやるよ、おじさんは夜までここで飲んでいるからな」

そう言って竹左衛門は屋台の方に向いた。

もしかしてこの人、歓迎会とかどうでもよくて単純にお酒を沢山飲める理由が欲しいだけじゃないか?

結月はそう思ったが、とりあえずは悪い人はなさそうだ。

「竹左衛門さんはどんな時でも気さくに話しかけてくれるとても良い人なんだけど、お酒を程々にしてもっと逸脱審問官としての自覚を持ってくれればいいのに・・・・」

鈴音はそう言うが結月には良い所悪い所を含めてあれが竹左衛門という人間なのだろうと理解していた。

「さ、結月早くロッカールームで服を着替えて鍛練の間に行こうか!」

鍛練の間で体を鍛えるためロッカールームに向かおうとした鈴音と結月。

「鈴音、また一つ徳を積んだようですね」

玄関を抜けようとした時、鈴音と結月に向かって声がかけられる。

声は玄関にひっそりと作られた占い場の方からだった。

人間の里にお出掛けするまでは無人だったその場所に男の姿があった。

凛とした顔つきに青色の瞳をしている、色白な肌をしており髪は白髪で肩まで伸びている。

体格は結月と同じか若干高いくらいで日本人らしい体格をしているが服装が奇抜で、まるで平安時代の貴族の様な白色の衣を着ており、白尽くしである、両手首につけられた金の腕輪が唯一白でない装飾品であまりの時代錯誤に見た目は全然日本人に見えない、結月はあまりの特異点の多さに博麗霊夢とはまた違う異様さを感じた。

「命(みこと)・・・・・・相変わらずね」

命と呼ばれた男はフッと微笑み水晶玉を布で磨いていた。

その水晶玉の隣にはまるで目が三つあるかのような、おでこに目の様な模様をした命の守護妖獣であろう妖狐が結月と鈴音の方を見ていた。

「当たり・・・・・でしかたか、いえ、偶然ですよ・・・・・偶然私が予測した道を通っただけですよ」

淡々と抑揚のない声でそう言った命に対して鈴音はただ・・・・・と言葉を続ける。

「私達は徳を積んだつもりはないわ、あれは人間として当然の義務よ、困っている人を助けるのは徳を積むためでなく人間の番人である逸脱審問官の使命よ」

鈴音の心意気を優しそうな眼差しをしながら聞いていた命。

「困った人を放っておけない鈴音らしい考えですね、ですがそれが『徳』なのです、見返りを求めぬ救済、自分のためではなく困っている人のために助ける事こそ、真の徳なのです」

命は鈴音が考えを理解した上で徳の話をしていた。

結月の肩に乗る明王は話の意味が分からず首を傾げている。

結月も鈴音が人(?)助けした事をまだ話してもいないのに良い事をした事を知っているのか疑問を覚えていた。

「ただ助けたのは人間ではなく妖怪みたいですね、さしずめ小さな妖怪が怖い人間に脅されているのを助けたとかそんな所でしょうか」

脅威の的中率に結月は顔には出さなかったが心の中で驚いていた。

まるで自分達が出掛けた後をこっそりつけていたのかと疑う程の命中率だった。

「本当にずば抜けた的中率ね、その通りよ、人間の里で子供の様な小さな妖怪が柄の悪い男に絡まれていたから助けたのよ」

しかし鈴音は驚かず、まるで何事もないように話を続けていた。

結月にとっては驚きの光景でも鈴音にとっては日常的な会話だった。

「妖怪にも大災害を起こせる者から人間にも勝てないような者まで様々いますから、助けた妖怪が弱者か善人なら助けたのが人間でなくてもそれは立派な『徳』ですよ」

流石に弱いか強いかは断定しなかったが、それでも脅威の的中率だった。

台の上にある水晶玉に何か映っているのだろうか?結月がマジマジと水晶玉を見ていると命が結月の方を見る。

「水晶玉はただの飾りですよ、結月さん」

抑揚のない声で呼ばれた結月は顔を上げ命の方を見る。

「水晶玉は純度の高いガラスの球体というだけでそこには何も映りません、ただこれがないと占い場として雰囲気が出ないので飾りとして置いてあるだけです」

水晶玉が飾りである事よりも結月には気になる事があった。

「何故俺の名前を・・・・?」

命とは初対面のはずなのに何故命は自分の事を知っていたのだろう。

「良く知っていますよ、名前は平塚結月、年齢は十九歳、誕生日は十一月十六日、口数は少ないが腕は確か、戦闘は接近戦を比較的好み、どの武器も平均的に使うが刀の扱いに長けている・・・・・」

自分の名前から戦闘傾向まで言い当てられ顔には出さないが心の中では動揺する結月。

(先読みだけでなくまさか心を読む事も出来るのか?)

もしかして本当に心の中を透視でもしているのだろうか?そう疑う結月に対して命は目を瞑り口元に笑みを浮かべる。

「そう、あなたの履歴書に書いてありました」

ガクッとなる結月、真相はあまりにもあっけないものだった。

「すみません、ちょっと驚かせてみたかっただけなんです、実際は心を見透かすなんて出来ませんよ、安心してください」

心が見透かされてない事に安堵はしたが履歴書とは一体何なのか?結月は逸脱審問官になるために訓練施設に入門する時に履歴書は書いたので名前や年齢や生年月日などは確かに書いたが、命の話し方を考えると彼の言う履歴書は明らかに第三者の視点で書かれたものだった。その答えを知っていたのは鈴音だった。

「実はね結月、逸脱審問官のなるための試験を担当した試験官が合格者の情報や試験の時の評価を記載した、評価履歴書という紙があって逸脱審問官なら鼎さんに許可をもらう事でその評価履歴書を閲覧することが出来るんだよ」

なるほど、確かにそれなら命の説明の辻褄が合った。

「ただ、逸脱審問官は全員が全員几帳面な性格ではないので、合格者の評価履歴書を閲覧するのはその合格者の上司になる人か変わり者の私くらいしかいません」

自分で変わり者を自称するのか、と結月は思った。

まあ確かに、こんな悪戯をするために評価履歴書を閲覧したのであれば変わり者かもしれない。

「さて、結月さんの事はもう知っているので私の自己紹介でもしましょうか、私の名前は百道命(ももちみこと)、年齢は21歳で逸脱審問官になって二年目です、鈴音が逸脱審問官になる二か月前に逸脱審問官になりました、そして座っているのが私の相棒である守護妖獣の妖狐の三眼(みつめ)です、趣味は見ての通り分かるのですが占いをしています、結月さんは占いを信じる方ですか?」

結月は未來なんて誰も分からないと考えていたので占いなんてあまり信じていなかったが、命の驚異的な先読み能力を見た後だと命の占いならある程度は信じてもいいかもしれないと思った。

実は後ろをつけられていたという可能性もなくはなかったが鈴音が命の占いを何の疑いもなく信じている事を考えるとそうとは思えなかった。(もしくは鈴音が騙されているのか)

「俺は未來なんてこれから起こる事なんて誰も予測なんて出来ないと思っていたから占いはあまり信じていなかったが、命先輩の占いは良く当たりそうだな」

そう答えると命は口元に軽く笑みを浮かべた。

「お褒めにいただきありがたいですが、私の占いも外れる時は外れますよ、それはもう盛大にね」

気品のある笑みを浮かべながらそういった命に苦笑いを浮かべた鈴音。

「そう言えば天候を占った時、明日の天気は晴れると言っていたのに一日中土砂降りの雨だったりした事もあったね」

確かにそれは盛大な外れ方だった。

「所詮は未来にある無限大にある道の中から、様々な現象の摂理を感じ取って、その情報を元に消去法で最も起こり得る道を見極めているだけなんです、だから少しでも摂理が狂いその道を通らなければ盛大に外れます」

だからこそ、と言葉を続ける命。

「誰にも未來なんて分からないという結月さんの考え方はとても的を射ています、そんな立派な考えを持っているならば私の占いなんて信じない方が良いですよ、良い未来に繋がる道を通れるかどうかは結局の所、自分の意志の強さと運次第ですから」

とても良い言葉なのだが、占いをしている者が本当にそんな事を言っていいのか?

結月の心境は複雑だった。

「そう言えば今からお二人は鍛練の間で鍛えるって話をしていましたね、それなのに足を止めさせてしまってすみませんでした、それでは私はこれで」

そう言って命は水晶玉を磨いたり見つめたりしていた。

(飾り・・・・・・じゃないのか?)

一見すると先程の水晶玉は飾りという発言は誤りなのかと思うが、もしかしたらあれも占い師としての雰囲気を出すための演出なのかもしれないと結月は思った。

「・・・・・・よし!命の自己紹介も済んだし今度こそロッカールームに行こう」

そう言われ結月と鈴音は玄関を後にした。

 

逸脱審問官の正装に着替え鍛練の間に向かう結月と鈴音。

階段を下り鍛練の間に着いた結月と鈴音を向かい入れたのは拳銃よりも一回り大きな銃声だった。

反射的に身構える結月と明王だったが鈴音は特に大きな反応はない。

「緊張しすぎだよ、結月、逸脱審問官の誰かが射撃場で銃の練習をしているだけだよ」

常に臨戦状態の結月に対して鈴音は苦笑しながらそう言った。

月見ちゃんもまた、子供のような反応をする明王をニャアと笑っていた。

「拳銃と比べると随分と大きな銃声だな、小銃か?」

射撃場のある方向を見る結月に鈴音が顎に拳を据えて考察する。

「恐らくね、しかも逸脱審問官の正式装備小銃の音よ、聞き慣れているから一発で分かるわ」

弾だけにね、と呟いた後、鈴音の案内で射撃場へと向かう結月。

そこには射撃台越しに小銃を構え射撃台の向こうにある丸い白黒の的を狙って撃つ蔵人と修治と智子のいつもの三人組の姿と相棒である守護妖獣の三匹の姿があった。

守護妖獣の方は主よりも先に鈴音と結月に気づいたようだ。

動物的勘だろうか?気配を察知するのは人間より上手のようだ。

「威勢よく撃っているわね、三人とも」

鈴音の声に射撃をやめ構えをやめて鈴音と結月の方を見る、蔵人と修治と智子。

「鈴音か・・・・・これもちゃんと練習しないと刀が不向きな逸脱者が現れた時、困るからな、お前も練習か?」

ううん、と首を横に振る鈴音。

「結月に射撃場の説明とついでに正式装備小銃の説明をしようかなと思って」

そうか、と答える蔵人。

「結月説明するよ、ここが拳銃や小銃などの銃器の練習が出来る射撃場だよ、基本はこの射撃台の前に立って現れる白黒の丸い的を狙って撃つための場所なんだけど、的にも様々あって射撃台に設置されたボタンを押す事で、この射撃場の地下にあるカラクリが動いて色んな場所から的が現れたり、的が小さかったり、的が動いたり、撃ってはいけない赤い的が邪魔したりして状況に応じて正確に射撃をする練習が出来るんだよ」

鈴音の話を聞く限りでは物凄い技術力で動いているんだなと思う結月。

しかし、逸脱者は都合良く撃たれるために止まってはくれないので理がかなった実用的な射撃場だった。

「でも弾の都合上、射撃場の練習は何回も出来なくて、一日に15発程度しか配給されないんだ、弾を作るのは機械も使うけど工程の多くは精錬の間の鍛冶職人の手で行われるから、そんなに弾は作れないし、作った弾は逸脱者が複数現れた時の事を備えて大部分は備蓄するんだ、だからそう何発も撃ってもらうと困るからだって」

逸脱審問官にとっては納得が行くまで練習出来ないのは辛い事だろうが、鍛冶職人からしても何発も無駄撃ちされては困るだろう。

(大変なのはお互いさまか・・・・)

訓練施設に通っていた頃、小銃の訓練もしたが教官から「十発中四発的から外した者は罰として腕立て伏せ百回か腹筋百回だ」と言われていたのを思い出す。

恐らくあそこの弾もここで作られていたはずだから、無駄撃ちするなという事だったのだろう。

「そして・・・・・」

鈴音は智子に近づき少しだけ話をすると小銃を借りて結月の元に戻る。

「これが逸脱審問官の正式装備小銃『スナイドル・ライフル銃』よ、ライフルの部分を略してスナイドル銃と呼んでいるわ」

結月にスナイドル銃を見せる鈴音。

ネイビーリボルバーと比べると機関部と銃身など一部の部品以外は木製で作られたかのような小銃だった。

しかし実際は木製なのは見た目だけで中はちゃんと鉄製の部品で構成されている。

「スナイドル銃は訓練施設の通っていた時に使った事がある、試験の時もその小銃での試験だった」

スナイドル銃の事は講習会で勉強していたし、扱った事もあった。

スナイドル銃は英国(現世ではイギリスと呼ばれる国らしい)で軍隊の正式装備であった前装銃「エンフィールド・ライフル銃」の改造計画が持ち上がり米国のヤコブ・スナイダーの案を採用し改造された後装式小銃であり、急な改造の割には高い火力と高い信頼性と弾込めの時間を大幅短縮に成功した幕末の名銃である。

元のエンフィールド銃は前装式・・・・・つまり昔の火縄銃と同じ火薬を銃身に流し込み弾薬を装填し棒で押し固め撃鉄起こし雷管を装填し引鉄を引き撃鉄を倒す事で火薬を引火させ燃焼させる事で弾丸を発砲する銃でかなりの命中率と射的を誇る名銃だった。(実際幕末にやってきた時は日本でも名銃扱いだった)

しかし弾込めが簡単な後装式銃が現れると英国も遅れないよう名銃であり大量にあったエンフィールド銃を後装式へと変える改造を加えられ出来上がったのが「スナイドル銃」である。

弾は火薬と銃弾と雷管が全て金属製の薬莢の中に組み込まれた金属薬莢に変わりもう銃口に火薬や弾を入れなくても薬室に弾を入れて撃鉄を倒すだけで銃弾を発砲する事が出来た。

雷管を薬莢内に組み込んだ事で暴発も減りさらにガス漏れも減りまた金属薬莢は銃弾と火薬と雷管が金属に覆われているため雨に強く天候に左右されず射撃する事が出来た。

しかしこの小銃の最大の特徴は莨嚢(ろくのう)式と呼ばれる遊底の部分が右側に開閉が出来る仕様で遊底が開く様子は煙草入れの莨嚢を彷彿とさせるためそう呼ばれている。

莨嚢式の長所は気密性が高い事の他に開閉が容易で弾を素早く詰める事も射撃した後、残った空薬莢を排出するのが楽だからである。

さらに弾がもし不発だった場合、前装式は火薬と弾を取り除き再装填するのにかなりの時間を要したがこちらは遊底を開き後ろに下げる事で不発弾を排出しそして新しい弾を再装填する事が出来た。

金属薬莢に莨嚢式を兼ね備えたこの銃は元になったエンフィールド銃が一発発砲するまでに二~三発発砲する事が出来た。熟練者なら一分間で十二~十三発も打てるとされる。

短所としては射程が短くなったとか命中率が悪くなったとか汚れやすくなったとか言われるが総合的に見たら性能は良く信頼性も高いため明治時代の陸軍正式装備として採用された。

天道人進堂でもどんな環境でも確実に作動し効果的な外傷が与えられるとして逸脱審問官の正式装備小銃となった。

「結月が訓練施設で使ったのは旧式のスナイドル銃よ、幻想郷で作られた銃じゃなく幕末の頃に使われていた銃を訓練用として使っているのよ、でも逸脱審問官が使うスナイドル銃は精錬の間の鍛冶職人達が培ってきた技術の粋を集めてスナイドル銃の構造を一から再設計して作り上げた改良型のスナイドル銃で本物の問題点だった射程の短さや命中率が改善しているのよ、それに弾にも改良が施されて威力と初速が上がっているんだよ」

確かに鈴音が持つスナイドル銃は訓練施設の時に使っていたスナイドル銃と比べて細部に違いが見られた。

「そうなのか・・・・・・では逸脱審問官の正式装備小銃とされている割にいつも装備していないのは何故だ?」

結月の質問に蔵人が答える。

「刀と小刀の方が対人妖の呪いをしっかりと刻めるのに対して銃弾は刻める呪いが限られる関係で銃弾よりも刀や小刀の方が逸脱者に効果的に外傷を与える事が出来るのもあるし小銃は弾が切れたら無用の長物となる、一方の刀や小刀は折れない限り効果的な外傷を与え続けられる」

それにと言葉を続ける蔵人。

「刀や小刀や拳銃と一緒に持ち運ぶにはかなりの重量で機動性も落ちる、智子がその典型だ、だからこそ彼女は逸脱者に狙われにくい遠距離の攻撃に徹している、だからと言って刀や小刀を装備から外せば逸脱者が接近してきた時、戦う手段を失ってしまう・・・・・・だから小銃は距離をとって戦いたい逸脱者や飛行する逸脱者に対して使われるのが逸脱審問官として常識となっているという事だ」

つまり刀や小刀の方が効果的な外傷を与えやすく、小銃は限定された条件下のみ使われる武器という事だった。

「まあ、持っていくか持っていかないかは個人の自由だから攻撃手段を増やしたいのなら別にどんな逸脱者相手でも持っていけばいい、ただし無くしてくるなよ、精錬の間の銃製造技術は機密となっているからそれを漏らさないようにな、故障したとしても絶対に持ち帰るんだ、いいな?」

そういえば訓練施設に通っていた時、逸脱審問官は人間側にしては高い技術力を保有しているため機密情報は漏らさないようにと散々言われた事を結月は思い出した。

何故かは教えてくれなかったが恐らくは機密情報が漏れた場合、妖怪に支配される事に不満を持つ人間が精度の高い銃を密造して対妖怪武器にしてしまう可能性があるからなのだろう。

つまりそれは人間が妖怪に対して反乱を起こす機運を高めてしまうという事にもなる。

万が一、幻想郷にいる全ての人間がスナイドル銃を使えるようになったとしても恐らくは妖怪の本気の前には数日と持たず壊滅してしまうのは目に見えている。

最も人間がいなくなってしまえば妖怪が困るので全滅させる事はしないがどのみちスナイドル銃だけあっても全ての妖怪を相手にすることは出来ないのだ。

そのため天道人進堂としては人間が妖怪と敵対関係になる事は何が何でも避けたいので機密情報の扱いはとても慎重だった。

だからこそ精錬の間は作業台で遮られていたのだろう、逸脱審問官であっても機密情報を触れないために。

「そういえば結月は試験の時、拳銃と小銃で幾つくらい的に当てられた?」

蔵人は何気なしにそう聞いてきたので結月は思い出す。

「確か・・・・・・拳銃で九発、小銃も九発だった」

試験では弾を拳銃と小銃それぞれ十発ずつもらい、拳銃で七発以上、小銃を八発以上、当てる事が合格ラインとされていた。(ただし総合評価もあるため例え拳銃が七発未満でも小銃が十発当たれたのなら合格できる場合もあり)

「かなり優秀な腕前をしているな・・・・・正直に言えば俺の試験の時よりも当てられている」

修治も自分より成績良いが良い、と驚いていた。

「私は拳銃が七発で小銃は十発全部よ、でも逆に私は接近戦がギリギリ合格ラインだったから結月は近距離も遠距離もいける優秀な逸脱審問官になる素質がありそうね」

智子にそう褒められ少し照れくさそうにする結月。

「だが流石にあいつの成績には勝てないな・・・・・今でも信じられないがな」

あいつ・・・・・智子よりも良い成績を出した人がいるのか?だがそれはつまり拳銃も小銃も全て当てたという事になる。

結月も試験の時は物凄く緊張した中でやったのでいつもと比べて的に当てる事が出来なかった。

あの緊張感の中、全弾命中させられたという事は恐らくその人は卓越した銃の使い手なのだろう。

一体誰なのだろうか?結月は気になった。

「ほ・・・・・ほら、射撃場の説明もスナイドル銃の説明も終わったし早く特訓に行こうよ!じっくり時間をかけて練習がしたいし・・・・・」

鈴音は不自然にこの話をきると手に持っていたスナイドル銃を智子に返した。

「ん、そ・・・・そうか、ちなみに今日は結月と何の練習をするんだ?」

何故か不自然に話をきられたのに追求しない蔵人、結月は不審に感じ首を傾げた。

「今日は結月との連携攻撃も兼ねて模擬地形での練習をしようかなって思っているよ」

連携か・・・・と小さく呟いた後、言葉を続ける蔵人。

「まだ互いに顔を合わせて日も経ってないのにもう連携攻撃の練習か、少し急ぎ足じゃないか?」

蔵人の懸念に首を横に振る鈴音。

「前回の逸脱者の断罪の時、結月の戦う姿を見て、そう遠くないうちに逸脱者を単独で狩れる程の実力を持てるようになると思ったんだ、だから計画を前倒しして今から連携の練習をしようと思って」

何だか物凄く期待されているようで嬉しい反面、その期待を裏切らぬようしっかりと鍛練しようと思った結月。

結月の肩に乗る明王も心なしか自慢げな顔をしていた。

「そうか・・・・・・・頑張れよ、せいぜい結月の足を引っ張らないようにな」

最後の皮肉に鈴音は言い返す。

「そっちこそ、私達の方が逸脱者を断罪するのが上手くなっても言い訳は聞かないからね」

そう言って鈴音は結月を連れて射撃場を後にして模擬地形場に向かった。




第六録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?今回は逸脱審問官の正式装備であるスナイドル銃の説明を読者様に分かり易いよう書いたつもりですが本当にこの説明であっているのか不安な思いがあります。
これでも幕末に使われた銃器の事が書かれた本を買ったりネットで調べたりして自分なりにまとめて書いているのですがそれでも自分で手に取って調べた訳でも実際に撃てる訳でもないので不安な思いがあるのです
特に小銃の撃ち方についてはどの資料にも余り書いてない事なのでとても苦労しました。
もしかしたら銃に詳しい人がみたらおかしい部分や間違っている部分があるかもしれません。
もしここ間違っているよ、という個所があれば修正するので宜しくお願い致します。
それでは、今度こそ金曜日に。


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第七録 森の民が環視する山道 三

こんばんは、レア・ラスベガスです。
金曜日に更新すると言いながら先週と先々週は金曜日に更新できませんでしたが今日はちゃんと金曜日に更新する事が出来ました。
さて、最近になって秋よりも冬を感じる日が増えてきました。
朝は冷え込み、昼も風は冷たく、夜になればまた冷え込む、一日中寒いと感じる日が日に日に増えている気がします。
そんな時はストーブをつけたくなりますが何分ストーブは灯油を燃やして部屋を暖めているので長時間使っていると灯油代で背筋が凍る思いをしてしまいます。
こたつやエアコンも使い過ぎれば電気代がかかりますがストーブは特に温度を上げ過ぎてしまったり肌寒い程度の寒さでも使ってしまったりと諸刃の剣の様な部分があります。
肌寒い程度の日はストーブを付けず厚着をして寒さを凌ぐものいいかもしれません。
勿論、凍えるような寒い日にストーブを我慢していると風邪をひきますので無理はしないように気を付けてください。
それでは第七録更新です。



場所は変わって人間の里の近くにあるお寺、命蓮寺。

お寺の生活は厳しく、そこに務める妖怪達は朝や夜は読経したり掃除をしたりと慌ただしいものの昼間は比較的落ち着いており木々に止まる鳥のさえずりが寺に響くほど静まり返る。

「ただいま戻りました~」

大きな門の隅に設置された一人用の扉を開けて響子が入ってきた。

「響子、帰りが遅いので心配しましたよ」

響子が中々帰ってこないのを心配して待っていた、桃色の雲の様なものを体に纏った女性が響子に駆け寄ってきた。

「すみません一輪さん、ちょっと色々あって帰るのが遅くなりました」

一輪と呼ばれた桃色の雲の様なものを体に纏った女性は肩まである青色をした切れ込みの入った頭巾を被っており、唯一水色の前髪だけが頭巾から出ている。顔は凛々しく端整だが逆にそれが冷たさを感じる。

見た目は人間でいうと二十代前半の女性くらいの体格と若さをしている。

白い長袖の服と着て、白の切れ込みが入ったスカートの下に青のスカートを穿いている

髪の色以外は人間とあまり変わらない彼女は元々人間であったのだが様々な過程を経て妖怪になったらしい。

では彼女は「逸脱者」なのかというと彼女は幻想郷に来た時から既に妖怪であり既に人間と妖怪の判断が難しいらしく天道人進堂では例外処置として扱っている。

そして一輪の体に纏わりつく桃色の雲の様なものは実は見越入道と呼ばれる雲の妖怪であり、名を雲山(うんざん)と呼び、色々あって一輪を慕っており、一輪と雲山はいつも一緒にいる。一輪は知に長けており、雲山は力に長けており、互いに備わった能力を連携して寺に貢献している。

「でも頼まれた物はちゃんと買ってきました!」

響子はそんな一輪に心配させまいと笑顔で籠に入った品物と財布を差し出す。

「そう・・・・・とりあえず響子が無事なら良かったわ」

安堵した表情で一輪は籠と財布を受け取る。

「・・・・・・ん?おかしいですね」

一輪が曇った様な表情をする。一輪を見下ろすように髭を蓄えた威厳のある親父のような顔をした桃色の雲が覗き込む。

「残った残金が私の計算と違う・・・・・・確かに私は買ってくる品物の値段に合わせてお金を渡したはずなのに・・・・・」

ギクッ!体を一瞬ビクつかせる響子。その心の乱れを一輪は見逃さなかった。

「それに・・・・・・」

響子の顔をじっと見つめていた一輪が響子の顔に手を近づける。

そして怯える響子の口元を指でねぐった。

ねぐった指には甘い香りのする小豆色のねっとりとした何かがついていた。

「ほんのりと甘い香り・・・・・恐らく漉し餡ね、何で響子の口についているのかしら?」

少し声に力を入れてそう問いかける一輪、それは質問というより詰問に近かった。

それは・・・・・・と答えあぐねる響子、もしそれを言ったら怒られるのではないかと言う恐怖が脳裏によぎり言葉が出なかった。

「あら?響子、戻って来ていたのね、中々帰って来ないので探しに行こうと思っていた所でしたよ」

その時だった、ほんわかとした雰囲気が漂う女性が響子に声をかけたのは。

「聖様・・・・・・」

一輪が驚いた様子でその女性の名前を言った。

そこにいる聖と言う名の女性は本来ならこの時間帯にこんな場所にあまり出歩かない人だったからだ。

「聖様!?ご、ご迷惑をおかけしてすみませんでした!私は大丈夫です」

ぺこりと頭を下げた響子。そんな響子に聖は優しく微笑む。

「迷惑なんて思ってないわよ、響子に怪我もなさそうで良かったわ」

そう言って笑顔を見せる聖。

一輪と響子が聖様と呼ぶこの女性、実はこの命蓮寺の住職であり命蓮寺に務める妖怪の元締めなのだ。

見た目は一輪よりも年上な感じで大人の女性の雰囲気が漂い、男女問わず羨むほどの魅力的な体格をしていた。

髪は紫から染まるように金髪になっており腰まである長髪をしている。

優しそうな顔立ちをしておりその瞳の眼差しは慈悲に溢れている、白いワンピースの様なシャツとスカートが一体となった服の上から黒の長袖の上着の様な服を着ており前は常に開いている、両腕の二の腕には白く長細い布が巻きつけている。それは太腿までスッポリと収まる様なブーツの様な靴を履いた足の脹脛にも見られそれが何のためにされているか分からないが何か意味があるのだと思われる。

「わざわざ聖様が探しに行かなくても・・・・・・頼んだのは私ですから、もう少し帰りが遅ければ私が探しに行きましたよ」

しかし聖の横に首を振り、一輪に優しく説いた。

「響子は私の大切な弟子の一人よ、もし響子の身に何かあったのなら私が責任を持って探しにいかなくては示しがつかないわ」

聖の信者想いの言葉に心を打たれ嬉しそうな顔をする響子、一方の一輪はため息をついて言葉を返す。

「聖様のそのお考えはとても素晴らしい事だとは思いますが、帰りが遅いくらいで心配になって寺から出て探しに行かれては寺の運営がままなりません、響子は大切な信者であり弟子である事は私も認めますが信者は響子だけではないのです、聖様にはもう少し寺でじっとしてもらいたいのですが・・・・信者はあなたを慕って仏教を信仰しているのですよ、それなのにあなたが寺を何回も空けているようでは、それこそ信者に示しがつきませんよ」

一輪の言葉に不機嫌そうな顔をする聖。一輪も聖はただ待っているという事が苦手な事は分かっており、その上でそう言っていた。

(聖様はとても素晴らしい御方なんだけど、もう少し自分が住職である事を自覚してほしい・・・・・)

勿論、一輪も聖の事をとても尊敬しており天才的な才能と天性ともいえる人を惹きつける魅力、そして「人間と妖怪の平等な世界」という理想的な思想に惹かれ慕っていた。

だからこそ魔界に封印されていた彼女を幻想郷へ救い出したのだ。

だがいざ封印を解いてみると彼女は寺の住職にしては責任感が強すぎる所があり、何かあれば自ら出向いてしまい、結果として寺を空けてしまうので一輪は手を焼いていた。

悩みを持ち仏の力に縋る人々に教えを説く住職と有事があれば部下に任せず自ら動いてしまう聖は住職に向いていない、と口にする信者も少なくない、実際一輪もその考えが何かある度に脳裏に過ってしまう信者の一人だった。

「それで一輪、どうかしたの?何か響子に問いかけているように見えたけど・・・・・」

心配そうにそう聞いてきた聖に一輪は一連の顛末を説明する。

「実は財布のお金が合わないんです、買ってくる品物の値段に合わせてお金を渡したはずなのですが・・・・・そしたら響子の口元に漉し餡が付いていたので、どういう事か聞いていたのです」

ほんわかとしたにこやかな顔で一輪の話を聞いていた聖。

「品物の値段が変わったとかはない?」

そう聞くが一輪は首を横に振る。

「命蓮寺の出費は信者の寄付金で賄われているので、一銭も無駄遣いは出来ません、だからこそ品物の値段には常に気を配っています、昨日ナズーリンに頼んで里にある品物の値段を調べさせたので今日になって値段が変わる可能性は低いと思います、だからこそ響子に漉し餡の件も含めて問い詰めたのですが・・・・・・」

しかし響子は何も話さず口を閉ざしていた。

目をキョロキョロとしている所から見ると話したくても話せないのだろう。

「一輪、あなたの喋り方は少し厳しいのです、だからこそ響子はその理由を話したら怒られるのではないかと思って話そうとしないのです、ここは私に任せてください」

その理由を聖は見抜いていた。

一輪はとても真面目で肝が据わっており要領も良いため、寺の一部の運営任せる程、聖が信頼を寄せている頼もしい僧なのだが、何分真面目過ぎる所があり冗談が聞かず、寺に務める妖怪や信者に対して厳しく叱咤する所があった。

規則に厳しいのが仏教なのだから彼女のしている事は正しい事なのだが既存の仏教の形に囚われ過ぎる事に聖は困っていた。

全ての規則を守れる事が理想ではあるが人間そう完璧ではない事を聖はよく分かっていた。

だからこそ余程の重罰でない限り許容し重要な規則を守れていればそれで良い、というのが聖の考え方だった。

(一輪は真面目で要領の良い子なんだけど・・・・・もう少し想いやりがあれば皆もあなたを怖がらず頼ってくれるのに・・・・・)

そう思いながらも聖はしゃがみ込み響子の顔を見て微笑んだ。

「響子、怖がらなくていいわ、私も一輪もあなたの話を最後まで聞いてあげるし、悪い事をしていない限りは怒ったりしないから安心して、お使いの時、何が起きたのか教えてくれない?」

聖様、と小さく呟く響子。

響子にとって聖の印象は一輪とは逆で温厚で優しく、滅多に怒らない人だった。

だからこそ聖にそう聞かれると響子はすんなりと口を開いた。

「実は頼まれた品物を買ってお寺に戻ろうとしたら、石に躓いちゃって油壷を割ってしまったんです・・・・・・そしたらその油壷の油が怖い男の人達にかかってしまって・・・・・謝ったんですけど許してもらえなくて、暴力を振るわれそうになった時に、通りすがりのお兄さんとお姉さんが怖い男の人達を追っ払ってくれたんです、そして私が大事な油壷を割ってしまった事を悲しんでいたら、お兄さんとお姉さんが油壷を買い直せるほどのお金をくれたんです、私はどうしてもお礼がしたくて本名を聞いたんですけど名乗る程でもないと言って何処かに行ってしまったんです・・・・」

微笑みながら、それでどうしたの?と聖に聞かれ話を続ける。

「それから私は油壷を買い直した後、残ったお金はお姉さんがお金を渡した事がばれないように何か甘いお菓子でも食べて調整しなさいと言われたので、私はどうしようか迷ったんですけど、結局ずっと前から気になっていたけど入れなかった人気の甘味処で御萩餅とお茶を食べたんです、その御萩餅とお茶があまりにも美味しかったので・・・・ついゆっくりと居座っちゃって、そしてお使いの事を思い出して急いで寺に戻ってきたんです・・・・・本当にごめんなさい」

最後に響子は帰りが遅れてしまった事、甘い和菓子を食べた事、知らない人からお金を受け取ってしまった事をしょぼんとした顔で謝った。

しかし聖は怒らず、そっと響子の頭を撫でた。

「謝る必要なんてないわ、確かに帰りが遅くなってしまった事は少し駄目な事かもしれないけど、あなたに無事ならそれで良いのです、助けてくれたお兄さんとお姉さんがくれたお金はお寺のお金ではないのでお姉さんにそう言われたのなら和菓子とお茶を頂いた事は責めるつもりはないし、むしろそのお金でちゃんとまた油壷を買い直してくれた事を私はとても喜んでいるわ」

それに、と言葉を続ける聖。

「怖い男の人達からお兄さんとお姉さんが助けてくれたのは響子の日頃の行いが良いからなのです、お金をくださったもの日頃の行いが良かったからなのです、誰かのための良い行いはいつか自分に帰ってきます、だからこそ響子は助けてくれたお二人に感謝しながら、これからも良い行いを積み続けなさい」

聖の言葉に響子は顔を上げ嬉しそうな顔をした。

「聖様・・・・・はい!これからも一生懸命、寺の務めをします!」

響子の決意を聞いてまるで自分の事のように嬉しそうな顔をする聖。

(聖様は幾ら響子が子供の妖怪とは言え優しすぎる)

一方の一輪は全くという顔をしていた。

「それで助けてくれたお兄さんとお姉さんってどういう人だったの?」

響子は助けてくれたお兄さんとお姉さんの事を思い出しながら話す。

「お姉さんは二十歳くらいのお洒落な人で鈴音さんと呼ばれていました、お兄さんはお姉さんと同じくらいの年齢で服装は地味だけどカッコいい人で結月さんと呼ばれていました、後は・・・・・・あっ!」

響子は一番特徴的だった事を想い出した。

「お姉さんの肩には羽の生えた小さい猫が乗っていて、お兄さんの肩にも羽の生えた小さい狐が乗っていました!」

羽の生えた小さい動物、それを聞いた途端、一輪と聖は息を詰まらせた。

「・・・・・・?どうしたんですか聖様、一輪さん」

虚を突かれたような顔をする聖と一輪に響子が首を傾げる。

「・・・・・・いえ、何でもないわ、教えてくれてありがとう響子」

すぐに笑顔に戻りそう言った聖。一輪は驚きをまだ隠せてない。

「ところで響子、そろそろ務めの時間だと思うのだけど・・・・・」

あっ!と思い出したかのような顔をする響子。

「そうだった・・・・・じゃあ聖様、一輪さん、私はこれで失礼いたします!」

響子は急いで寺の方へと駆け出して行った。

「・・・・・それにしてもまさか助けてもらったのが逸脱審問官だったなんて」

響子を見送った後、一輪は聖にそう言った。

「ええ・・・・・・という事は響子の言った鈴音は恐らく飯島鈴音さんの事ですね」

聖は飯島鈴音の事を、逸脱審問官が所属する天道人進堂の事を良く知っていた。

幻想郷には様々な勢力があるが天道人進堂と命蓮寺の関係は些か複雑なものだった。

命蓮寺は修行僧が妖怪中心の組織でありながら「人間と妖怪の平等な世界」を掲げている。

対して天道人進堂は職員が人間中心の組織でありながら「人間が妖怪に怯え妖怪がそれを糧にする」を暗に掲げていた。

考え方に決定的な相違がある両者は敵対こそしてはいないか互いに距離を置いていた。

「それにしても複雑な関係である事は逸脱審問官なら分かっているはずなのに何故響子にあそこまで優しく出来たのでしょうか?」

その理由は聖には分かっていた。

「彼らが問題視しているのは私達の宗教理念であって響子ではないからです、彼らは物事を正しく見る目があります、それにもし私達の考えに誤りがあれば真っ先に正しに来るのは彼等ではなく博麗の巫女、博麗霊夢と大妖怪の八雲紫です、私と彼らにあるのは単純な考え方の違いだけです」

その単純な考え方の違いが両者に溝を作っているのだ。

「とにかく、この借りは早く返さないといけませんね」

天道人進堂との厄介事になる前に借りは早く返さないといけなかった。

複雑な関係なのだから無理して借りなど返さなくても良いと思われがちだが、天道人進堂の大旦那である鼎玄朗はとても油断できない男なので厄介事になる前に借りを返してこの話を終わらせておくのが無難だった。

例え鼎が何もしなくても他勢力がこの話を利用して命蓮寺を陥れる可能性も否定できなかった。

「それにしても・・・・・鈴音さんと一緒にいた結月さんという方・・・・・一体何者なのでしょう?」

鈴音と同じ逸脱審問官であるようだが初めて聞く名前だった。

「もしかして鈴音さんにも教え子が出来たのでしょうか」

聖にとってあの鈴音に教え子が出来た事は感慨深い事だった。聖は新人だった頃の鈴音と鈴音の上司の初対面を昨日の事かのように思い出していた。

 

「はあ~・・・・・・ここのココアは本当に美味しいよね」

天道人進堂の地上にある職員と一般人が利用する玄関にある珈琲店「新一息」

何でも今までない新しい休息という意味と、あら!ここで一息しましょう!という二つの意味を掛け合わせてつけられた店名らしい。

流石にこの店名は鼎が名付けた物ではなく人間の里の公募で決められたものらしい。

(なお採用者には喫茶店、新一息の一年間利用券が与えられたらしい)

「鈴音先輩は本当に甘い物好きだな」

結月は初めて体験する珈琲なる珈琲豆から抽出された成分をお湯で割った黒い液体を少しずつ飲んでいた。丸い台をした机に乗る明王は初めて見る珈琲を興味深そうに見ていた。

結月が見つめる先、鈴音側の机には和菓子とケーキなるフワフワなお菓子が三つも皿に乗っていた。

「結月も我慢せずココアにすれば良かったのに・・・・・珈琲結構苦いでしょ?」

初めての珈琲店なので真面目にお店自慢の珈琲を頼んでしまった結月。

あえて答えなかったが結月も正直、余りの苦さに顔には出さないが驚いていた。

しかしただ苦いのではなく、何処か深みのある癖のある味がした気がした。

「でもこれは・・・・・慣れればまた飲みたくなるような癖のある味だな」

結月の答えに苦笑いをする鈴音。

「無理はしなくていいよ、私は一杯飲むだけでも限界だったよ、それに苦くなったら砂糖でも牛乳でも入れれば味がまろやかになるよ」

どうやら鈴音は大の甘党であると同時に苦い物は苦手なようだ。

「大丈夫だ、問題ない」

結月は見栄を張ってしまった。本当は砂糖や牛乳があると言われて入れたくなったが、ここで入れたら絶対、鈴音に「ほら、やっぱり結月も苦いのは苦手だよね」と言われてしまうのが嫌だったので我慢したのだ。

「見栄を張るのは良くないな結月、砂糖くらい入れたらいいじゃないか」

突然鈴音と結月の前に現れたのは何と鼎だった。

いきなりの鼎の登場や心を見透かされたかのような発言に噴き出しそうになる結月。

「鼎・・・・・・何故ここに?」

鼎、とつい呼び捨てにしてしまった結月に鈴音が忠告を入れる。

「結月、鼎様に呼び捨ては良くないと思うよ」

ああ、しまったと思う結月、鈴音の呼び捨ては気にしていた癖に自身は呼び捨てにしてしまった事を反省していた。

「私は一向に構わんよ、私は自分が偉い人間だとは思ってないし様をつける事に躊躇する気持ちもよく分かる、それに呼び捨ての方が結月らしくて良い、無理に『さん』や『様』をつけられても不自然だからな、最も呼び捨てにするのは私ぐらいにしておいてくれ」

鼎は大旦那という役職を仕事の役割としか考えない人間だった、彼とって役職に違いはあれど職員全員と同じ立場である事を尊重していた。

「鼎様も休憩ですか?」

ココアが入った取手の付いた陶器を両手で持ちながらそう尋ねた鈴音。

「何・・・・・君達が飲んでいるのを見て、せっかくだから私もいただこうと思っただけだ」

ここいいかな、鼎がそう聞いてきたので鈴音はどうぞ、と答える。

隣にあった椅子を持ってきて座る鼎。

「結月、苦い物を素直に苦いと言わず深みがあるとか、癖のある味とか言って大人ぶるのは未熟である事を皆に示しているようなものだぞ」

鼎とは契約の間以来だったが相変わらずの鋭い言動だった。

「・・・・・・・では珈琲は苦いと分かっていて飲むものなのか?」

薬じゃあるまいし何故わざわざ苦い思いをして飲む珈琲は一体何なのだろう?

「そうだ・・・・・珈琲とは苦いという事が分かっていて飲む、なのに何故かあの味が忘れられなくてまた飲んでしまう、そして何気なく口にし苦いと感じなくなるようになったら、それが大人だ」

そういうものなのか、そう思って結月は取手の付いた陶器に入った珈琲を見る。

「珈琲とは奥深い飲み物だな・・・・・鼎も大人だからこの味が分かるのか」

そう聞くが鼎の答えは意外なものだった。

「いや、私は苦い珈琲が苦手だから、喫茶店に来たらいつもココアを頼んでいる、珈琲を飲む時は砂糖と牛乳を加えて飲んでいる、わざわざ苦い思いをして飲みたくないからね」

ガクッとなる結月、では何故あそこまで熱く語れたのか?

「じゃあさっきの話は・・・・・」

鼎は受付の方にいる桜の枝風の髪飾りを着けた茶髪の受付嬢を見る。

確か彼女は先日、逸脱審問官になったばかりの結月が次に何処に行くべきか?尋ねた人だった。

「彼女は大の珈琲好きでね・・・・・毎日の三時の休憩にここにやってきて飲んでいる、君に話した話は彼女から聞いた話だ、それに彼女の話によると自分と同じように珈琲を飲む事が習慣になっている人が天道人進堂の職員だけでも二十人位いるらしい」

つまり分かる人には分かる味なのだろう。

それにても幻想郷で珍しい珈琲豆の種を持っていてそれを栽培している男が珈琲苦手とはおかしな話だった。

そこへ可愛らしいドレスを着て白のエプロンと白のカチューシャを身に着けた若い綺麗な黒髪の女性がやってきた。ご丁寧にも彼女がお客様の注文を聞きにくるらしい。

「ココア一つ、クッキーもいただこう、それと珈琲用の砂糖と牛乳もつけて」

はい分かりました、と笑顔を見せた後、調理場に向かう女性。

ココアに必要ない、恐らく珈琲用の砂糖と牛乳は無理して飲んでいる結月のためにつけてくれた鼎の計らいだろう、だが結月にとってそれは恥ずかしい事だった。

「それにしても、わざわざここで飲んでいるのは珍しいな、秩序の間にも喫茶店はあるだろう?」

鼎がそう聞くと鈴音はこう答えた。

「飲むだけだったら地下の喫茶店もいいけど私は明るくて開放感のあるここの喫茶店が好きなんです」

確かに地下の喫茶店は土を掘って作られた地下だけに閉塞感があって雰囲気もあまり重視されていなかった、恐らく鈴音は喫茶店に関してはあの閉塞感が好きではないのだろう。

「そういえば、昨日人間の里で小さな妖怪を助けたそうだな?」

結月は耳を疑った。

何故鼎がその話を知っているのだろう?無難に考えればその話をしたであろう命から聞いたと考えるが、鼎に関してはもっと別の・・・・それこそ件頭から聞いたのではないかと思ってしまう。

「うん、怖い男の人達に絡まれていたから助けてあげたの、名前は確か幽谷響子ちゃんだったよ」

ふむ、と顎に拳を据える鼎。

「幽谷響子、確か命蓮寺に務める修行僧で命蓮寺の門の前をいつも掃除している、山彦の妖怪だったな、能力は音を反射させる程度の能力だったはず・・・・・」

鼎は本当に良く知っていると思う、それとも命蓮寺との関係が些か厄介なのを察して命蓮寺の情報については常に敏感なのか。

「噂では挨拶した人間を襲うとか何とか・・・・・・」

ええっ!?と言う結月と鈴音。

まさか、あのいい子そうだった響子がそんな事をするはずがないと思うのだが・・・・。

「・・・・・・なんてな、所詮は噂だよ、彼女は臆病で非常に温和な性格をしていると言われているし、実際襲われたなんて話は聞かない、情報に詳しい件頭でも信憑性のない噂話として信用されていない程だ、私の推測では博麗の巫女か巷で有名な泥棒魔女が無断で寺に入ろうとして響子と弾幕勝負になった事が人間から人間へと語られていく中で、彼女が博麗の巫女や泥棒魔女を襲ったと内容が曲解してしまったのだと思っている」

その話を聞いて鈴音と結月は安堵していた。

それにしても鼎は噂を否定した上で何故そのような噂が生まれたのか推測を立てた。

その推測は推測だと言われなければ素直に信じてしまう程、的確なものだった。

「彼女の持つ、音を反射させる程度の能力は誰かが発した声を復唱する、山彦の妖怪らしい能力と言えるが、ただ音を跳ね返すだけではない」

鼎が熱心に話している中、先程の白いエプロンとカチューシャを着けた女性がやって来て金属のお盆に乗せた暖かいココアと甘い香りのするクッキーが入った器と珈琲用の砂糖と牛乳を丸い台の机に置いた。

「音を跳ね返すという事は聞いた音を正確に記憶しているという事でありその音を真似て復唱しているという事である、それは音に関して彼女は瞬間的記憶能力に長け、そしてその音と全く同じ音を再現する表現力に長けているという事でもある、音を反射すると言われればたいした事ないように思えるが実際は高い潜在能力を秘めた能力ともいえよう、まるで蓄音機のようだ」

蓄音機?聞き慣れない用語に聞き返す結月。

「音を記憶しその音を忠実に再現する金属製のカラクリだ、幻想郷でも外の世界を行き来出る八雲紫や高い化学技術力を持つ河童なら持っているかもしれないな、最も外の世界では皆がその蓄音機の機能が搭載された多機能なカラクリを手に持って持ち歩いているらしい」

この話が嘘かホントかは分からないが鼎が嘘をついているようには見えなかった。

何故この男はこんなにも外の世界の事にも詳しいのだろう。

もしかして、この幻想郷から外の世界を覗いた事があるのだろうか?にわかには信じられないが鼎ならやりかねなかった。むしろそうだとしたら無駄に先見性が高いのにも辻褄があった。

「さて・・・・・命蓮寺の修行僧である彼女を助けたとすれば、近々命蓮寺の方からお礼の品物が送られてくるかもしれないな」

お礼の品?そんなまさかと思う結月。

「俺と鈴音は響子に本名を名乗ってないからお礼を送ろうにも調べようがないはずだ」

しかし鼎は摘まんだクッキーを明王の口に近づける。

明王は嬉しそうにふんわりとした尻尾を振ってパクッと口に入れ齧った。それを見て結月はハッとした。

「・・・・・・まさか」

そのまさかだよ、と言っているかのような笑みを浮かべる鼎。

「守護妖獣は常に逸脱審問官と一緒に行動する、恐らく彼女の性格を考えると羽の生えた小さな動物をつれた男の人と女の人に助けてもらったと上司に答えるだろう。命蓮寺の住職や幹部ならそれが逸脱審問官の者達である事を理解するだろう」

鼎の話に浮かない顔をする鈴音。

「私は人間として当たり前の事をしただけだから、お礼なんていいのに・・・・」

鈴音はそう言いながら金属で出来たフォークでケーキを切り、フォークの上に切ったケーキを乗せて月見ちゃんに食べさせる。

「困った人がいたら見返り関係なく助ける、優しい心を持つ鈴音らしい素晴らしい考え方だ・・・・・だが命蓮寺は早くこの借りを返そうと考えているはずだ、何故なら命蓮寺は私達の組織、天道人進堂そして逸脱審問官の事を・・・・・」

鼎が話している最中、正面玄関の方から何者かが駆け込んできた。

それは黒ずくめの忍者の様な姿、件頭だった。

息を荒げて駆け込んできた件頭に、天道人進堂の職員や訪れていた一般人の視線が釘付けになり辺りは騒然となる。

鼎は件頭の姿を確認すると険しい表情をした。

そして立ち上がり件頭に近づく。

「若き件頭一之風よ、ここは職員と一般人が通る表の玄関だ、貴様が通っていい入り口ではない、この未熟者が、今のお前は注目の的だぞ」

さっきまで落ち着いた様子だった鼎が怒りに顔を歪め、件頭に喝を入れた。

どうやらこの件頭は件頭になってまだ間もないらしい、本来なら隠し通路から秩序の間の玄関に入るのが普通なのだが、急いだゆえか表玄関から入ってしまったようだ。

「す、すみません・・・・・・逸脱審問官に早くお耳に入れようと急いでしまいました」

息を荒げながら膝に手をつきながら謝った件頭。

「・・・・・・以後気をつけろ、目立つようでは件頭と呼べぬぞ」

鼎は怒りで歪めていた顔を和らげ、そう諫めた。

「それで、どうした・・・・・何か情報を掴んだのか?」

ようやく息が落ち着いた若き件頭一之風。

「逸脱者が出現した可能性が高い情報が入りました、場所は人間の里の近くにある山手村、逸脱者の種類は不明です、至急逸脱審問官の派遣を願いたい」

落ち着いた様子でその話を聞いた鼎、逸脱者が出たと聞いて立ち上がった鈴音と結月の方を見る。

「聞いての通り逸脱者が出現した可能性が高い、鈴音、結月断罪に行ってくれるか?」

まさかすぐ近くに逸脱審問官がいた事に驚く一之風。

結月と鈴音の答えは勿論「はい」しかなかった。

「はい!行きます!私達に任せてください!」

気合いの入った声でそう答えた鈴音。肩に乗る月見ちゃんも気合が入っていた。

「逸脱者を狩るのが逸脱審問官の使命だ、必ず仕留めてみせる」

鈴音に負けじとそう答えた結月、肩に乗る明王をコン!と力強く答えた。

「よろしい、ならば準備が整い次第出撃しろ、それと喫茶の御代は私の奢りだ」

そう鼎が告げると鈴音と結月はありがとうございますと軽く会釈し急いで秩序の間に向かった。

ロッカールームで逸脱審問官の正装に着替え精錬の間で浅野婆から正式装備を受け取ると装着し正面玄関から外に出る。

「行くよ!月見ちゃん!」

その掛け声と共に大きくなった月見ちゃんの背中に乗る鈴音。

「頼むぞ、明王!」

明王も同様に大きくなると結月は明王の背中に乗る。

今度こそ、乗りこなしてみると気合を入れる結月。

「一度で慣れようと急がないで、まずはしっかり守護妖獣に乗る事を意識して私についてきて!」

そう言って発破をかけた鈴音、月見ちゃんは物凄い速度で駆け出した。

結月も明王に発破をかける、明王は月見ちゃんを追いかけるように駆け出した。

前よりかはしっかりと乗る事が出来たがやはりそれでも景色を楽しんでいる余裕はなかった。




第七録、読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?小説の中にココアが出てきましたがチョコレートの歴史が書かれた書籍を見ているとチョコレートは元々滋養強壮のために飲まれていたものが時代の流れと共に甘味料が入れられココアとして飲まれるようになり固形化されてチョコレートになったと書かれていました。
何時頃チョコレートが固形化されたかは覚えていませんが戦後、日本を占領していた米兵がチョコレートを持っていた所を見るに戦前にはあったのは間違いないようです。
同時に栄養価が高くカロリーもあり甘く娯楽性もあるチョコは兵士の携帯食料として重宝されていた事も伺えます。
話は逸れましたが身近で食べられているチョコも深い歴史があると考えると何だか考え深いですね。
色々と忘れてしまった所もあるのでもう一度あの書籍探して読んでみようかな?と考える今日この頃です。
それではまた金曜日に。


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第八録 森の民が環視する山道 四

こんばんは、レア・ラスベガスです。
さて人妖狩りを更新する度前書きに何か書いていますが実際、前書きって何処まで書いて良いのかよく分かりません。
挨拶と小話程度で良いのか、小説の関しての話を書けばいいのか、日々思っている事を書けば良いのか、最低限に抑えるべきか色々な話を書いてみるべきか迷いながら書いています。
小説投稿する前は前面に作者の性格を出した結果色々な人に嫌われている作者様や最低限しか情報を更新しないため一体どういう人なのか一切謎な作者様を知っているので自分はどうしたらいいか迷いましたが色々考えた結果、自分の考えを知ってほしいという思いで前書きに日々思っている事を書いて投稿しています。
今は少しやめておけば良かったかな?嫌われたりしないかな?そんな不安もありますが指摘がない限りは前書きには色々な事を書いていこうと思います。
それでは第八録更新です。


人間の里の近くにある山手村、人口二百十三人が暮らしているこの村は主に豊富な湧水を利用して農作物の育てており育てた農作物を人間の里に供給しその時得たお金で生計を立てている村である。

その村に数十分かけ到着した鈴音と結月。

「よっと」

軽い足取りで月見ちゃんの背中から降りる鈴音。

「・・・・・・うん」

結月は軽い足取りとはいかないものの、前みたいに倒れる事無くちゃんと地面に足をつけて着地した結月。

「前より上手く乗りこなしていたね、結月」

ここまで移動してくれた月見ちゃんを労わりながらそう言った鈴音。

「ああ、だがまだまだ鈴音先輩のようにはいかないな・・・・鍛練が必要だ」

結月もここまで移動してくれた明王を不器用ながらも労わる。それでも明王は喜んでいるようだった。

「さっきも言ったけど急いで慣れる必要はないよ、急ぐと落馬・・・・馬じゃないけど走っている時に落ちてしまう可能性もあるからね、大怪我で済むならまだしも打ち所が悪ければ最悪の死んでしまう場合もあるし焦らず少しずつ乗り方を覚えていけばいいよ」

鈴音の言う事も正論ではあるがそれでも、結月はやはり早く慣れておきたかった。

(速度重視の逸脱者も出てくる可能性もある、明王の背に乗りながら戦う時も絶対くる、いつまでも明王の背中を見ている訳にはいかない)

そんな事を考えていた結月だったが、今はそんな事を考えている場合ではなかった。

「鈴音、今はそれよりも村人の事情聴取から始めよう」

結月の見る方、山手村に住んでいる村人達で人だかりが出来ていた。

「・・・・・そうね、事情聴取から始めようか」

そう言って結月と鈴音は相棒の守護妖獣を手乗り程度の大きさに戻すと村人の事情聴取を始めた。

人だかりを作っていた村人が逸脱審問官である結月と鈴音の姿を見るなりと少しざわついた後、人だかりから山手村の村長らしき白髭を蓄えた老人が現れる。

「逸脱審問官の方ですか・・・・・・わざわざここまでご苦労様です」

山手村の村長は深々と頭を下げると結月と鈴音も頭を下げた。

「まずはお二人に見てもらいたいものがあるのですが・・・・・それが」

村長に顔が戸惑っているように見えた。恐らくは逸脱者の痕跡を見せたいのだろうが、躊躇しているようだった。

戸惑う村長に案内され人だかりの中心部に向かうと村長が躊躇した理由が分かった。

そこには藁で編まれた敷物の上に何かが寝そべっており、その上に網で編まれた掛物が寝そべった何かを隠すように掛けられていた。何が横たわっているかは網で編まれた敷物と掛物からはみ出すように出ている四本の生足を見れば理解できた。

人間だ、しかもこれだけ人だかりが出来て騒いでいるのにピクリとも動かない事や鼻にくるような異臭がする事や蠅などの虫が集っている所からもう生きていない、人間の死体が藁で編まれた敷物の上に安置されていた。

「幾ら逸脱審問官の方とはいえ・・・・・・人間の仏さんを見るのは堪えるんじゃないかと思いまして」

山手村の村長さんは逸脱審問官に逸脱者の証拠を見せたくなくて躊躇した訳ではなく、逸脱審問官が気分を悪くしてしまうと思い躊躇したのだ。

「すみません・・・・気を遣ってもらって・・・・でもこれも逸脱者の手がかりを得るための仕事ですから気にしなくても大丈夫ですよ・・・・・慣れていますから」

慣れている、淡々とそう口にした鈴音だがそれだけ悲しい現場に立ち会ったからこそ言える言葉であり鈴音の心の強さと同時に諦めにも似た達観も感じられた。

「大丈夫だ、覚悟はしている」

結月は白骨化した人間の骸骨なら見た事あったがまだ死んで間もない人間の死体を生で見るのは初めてだった。

「結月、人間の死体を見るのはもしかして初めて?」

こくん、と頷いた結月。

「そう・・・・・でも逸脱審問官になった以上、これも慣れてもらうからね」

そんな事百も承知だった。それに死んでいようがそこにいるのは今まで自分と同じ人間として生きてきた人間だ。気持ち悪いなんて思ってしまっては失礼だ。

「じゃあ、まずは合掌からだね」

手と手を合わせて人間として生きてきたであろう遺体に敬意を表してから鈴音は掛物をめくった。

「!」

結月は息を詰まらせる。そこには結月が見るに堪えない凄惨な遺体の姿があった。

そこには恐らくは三十代前半か二十代後半の男性二人が横たわっており、衣服は着ていない。目は開いているが完全に白目をむいており口は大きく開けており苦痛の表情を浮かべていた。

めくったのは上半身だけだが、それでも無数の引っ掻き傷と人間でない歯形が至る所に見られ体中に傷口から噴き出したであろう血糊が付着していた。

何とも痛々しい姿に結月は気分が悪くはならなかったがこの二人の男性の壮絶な死を考えると初対面の自分でも悲しさで胸が強く締め付けられるものを感じたし同時にこんな酷い事をしたであろう逸脱者に炎の様に燃え滾る怒りが込み上げてきた。

「これは・・・・・酷いな、あまりにも惨すぎる」

結月の素直な言葉に鈴音も同様な意見を持っていた。

「そうだね、多分引っ掻き傷や歯形から見て何十匹・・・・・ううん、何百匹の動物に囲まれて一気に襲われたんだと思う、苦痛の表情を見ているときっと苦しかっただろうし、痛かったんだろうと思うよ」

悲しそうな表情を浮かべる鈴音。人間死体は見慣れているが、悲しむという感情が枯れた訳ではなかった。

「村長、この二人の遺体は何者で、一体何時、何処でどんな状況で見つかったんだ?」

結月にそう聞かれ村長は少し俯きながら話をはじめる。

「今日の朝頃、人間の里に向かって山道を歩いていた村の若者が倒れていたこの二人の仏さんを見つけて慌てて村に戻って皆でここまで運んできたんです、仏さんは荷物どころか衣服も身に着けていなかった、仏さんも乱雑に道外れに放置されていた、最初は追い剥ぎでもされたのかと思ったがそれにしては体中動物がやったかのような傷だらけだった、妖怪の仕業かと思ってみたんだが、ここ周辺の森にここまで非道な妖怪は住んでおらん、村の皆で首を傾げていた所でもしかしたら人妖の仕業ではないかと思っていた所にお二人がやってきたという所なんです」

そしてこの者達が何者なのかという事については村長も答えあぐねた。

「実は二日前の夕方、二人の商人が山道に入っていくのを何人の村人が見たのですが、彼らはこの村をすぐ通り抜けていってしまわれたので何処出身で何という名前なのかは・・・・・私達にはさっぱりで・・・・・・仏さんとなって見つかった時には身ぐるみ剥がされて証明できる物も何一つありませんでした」

この男性が何者なのか証明できないという事はこのままではこの二人の男性は無縁仏で葬られてしまうという事だった、殺されたこの男性達もそうだが今も帰りを心配しているだろう家族や知人の事を考えると何ともやるせない感情が込み上げてくる。

「村人の証言と遺体の様子から察するに殺されたのは二日前の夜、歯形は・・・・・恐らくだけど猿だと思う、良く見ると茶色の毛が付着しているし、数百匹の猿に集団で襲われたんだと思うよ、そして猿に身ぐるみ全てをはがされた後は放置された、幾ら頭が良いとはいえ野生の猿が集団で食べ物でない衣服まで奪っていったとは考えにくいわ、恐らくは逸脱者が猿を支配下に置いて襲わせたんだと思う」

鼎の先見性も素晴らしいが、鈴音もやはり二年間逸脱者との戦いを生き抜いてきただけに経験豊富な知識と鋭い洞察力で信憑性の高い推測をたたき出した。

「そうか・・・・・ついに猿は人間までも襲い始めたのか・・・・」

鈴音の推測を聞いて一人の村人がそう呟いた。

「人間までも・・・・・・どういう事だ?」

結月は村人の言葉を聞き逃さなかった、村人は悔しそうな顔をしながら語り始めた。

「実は最近、俺達が大事に育てている農作物が猿に食べられたり盗まれたりしているんだ、昔も猿に農作物を荒らされる事はなくはなかったが荒らすのは大抵一匹や二匹程度で荒らされる回数も少なかったんだ、森には猿が食べる木の実や果実が十分にあるからだ、だが最近は村の皆が寝静まった夜になって十匹や二十匹の集団で俺達が育てた農作物を頻繁に襲うようになったんだ・・・・幾ら罠を仕掛けても罠を見破って農作物を奪っていく・・・・・このままじゃ俺達飢え死にしちまうよ・・・・」

怒りと悲しみを今まで堪えていたのだろう、村人の目から涙が零れる。

皆も村人も話を聞いて顔を俯かせた。

(悔しいだろうな・・・・・せっかく丹精込めて育てた野菜を持ってかれるのだから・・・・)

結月も逸脱審問官になる前は自宅の畑で野菜を作っていたので気持ちは身に染みる程理解できた。

「私、鼎に相談して山手村に食糧支援を頼んでみるよ、鼎さんならきっと助けてくれる」

その鈴音の提案には賛成だった。天道人進堂の表業務は慈善活動や人道支援なので食糧支援が出来るくらい食料を貯蓄していた。

「では俺達はその猿の集団を操っている逸脱者を早急に断罪しよう・・・・・・恐らく鈴音先輩の推測が正しいのなら逸脱者は主に夜に行動するはずだ」

だが気がかりな事もあった。

「だけど逸脱者はともかく支配下に置いている数百匹の猿をどうしたら良いんだろう」

そうそれは逸脱者が森に棲む猿を意のままに操れるという事だった。

流石の逸脱審問官でも猿を数百匹相手する事は出来なかった。

「何か・・・・・いい方法は・・・・・・猿の集団を追い返して逸脱者単体との戦いに持ち込む方法・・・・・」

鈴音がそう呟いた時、結月の頭に様々な出来事や言葉が蘇る、それが交わり合い結月に一つの妙案が浮かんだ。

「鈴音先輩、俺に考えがある、ただ鈴音先輩の気持ちが良ければな・・・・・」

妙な事を口にした結月に鈴音は聞き返した。

「私の・・・・・気持ちが良ければ?どういう考えなの?」

意味が分からない鈴音に結月は簡潔にこう言った。

「借りを・・・・・返しにいくんだ」

 

今日も命蓮寺はいつもと変わらない時間が過ぎていた。

響子は自分の務めである命蓮寺の門前で落ちている木々の葉を竹箒で綺麗に掃いていた。

仏教を信仰する信者達に気持ち良く門を使ってほしいからという事もあるが清掃も一つの修行僧の務めだからだ、聖の様な立派な坊さんになるためには手を抜く事なんて出来ない。

「ふ~ん・・・・ふふ~ん・・・・ふんふふ~ん」

しかし響子にとって門前の掃除は毎日ようにやっているので鼻歌を歌いながらでも手馴れた手つきで余裕を持って綺麗にする事が出来た。(それが本当に勤めになっているのか分からないが)

今日も彼女にとって何気ない日常になるはずだった・・・・・・彼らがやってこなければ。

「?何だろう・・・・・・あれ?」

耳が僅かに捉えた音、響子の見つめる先、何かがこちらに向かって物凄い速度で近づいてきていた。

響子が驚いたのは、その何かが馬よりも大きな巨大な体に翼の生えた猫と狐だと分かった数秒後だった。

「えっ!?何?こっちに向かって・・・・・!」

戸惑う響子の前に自分よりも大きな翼の生えた猫と狐が立ち止った。

どうしたらいいか分からずあたふたする響子。

「響子ちゃん、安心して、この子は敵じゃないよ」

聞き覚えのある声は猫の方から聞こえた。その声の主を響子は忘れてはいなかった。

「す、鈴音さん!?何でこの大きな猫から鈴音さんの声が?」

状況が上手く呑み込めない響子、もしかして昨日見た人間の鈴音さんはこの翼の生えた巨大な妖猫の妖怪の仮の姿だったのか、そう考えていると妖猫の背中から鈴音が降りてきた。

「ごめんね、驚かせちゃって・・・・・この妖猫は私の相棒の月見ちゃんなんだ、私よりもしっかり者でいい子だから安心してね」

唐突な展開に唖然とする響子、いきなり過ぎて話がうまく呑み込めない。

何故鈴音はこんな巨大な妖猫の背中に乗っているのだろう?何故この妖猫は鈴音に忠実なのだろう?何故今日の鈴音は刀や小刀で武装しているのであろう?

状況が呑み込めず戸惑う響子、そこへ妖狐の背中から降りた結月が響子に近づいてきた。

「響子ちゃん、驚かせてすまない、あの時は何も言わなかったが俺達は逸脱審問官なんだ、そしてこの妖狐と妖猫が俺達の相棒である守護妖獣だ」

いつだつ・・・・・?しゅごようじゅう・・・・?聞いた事がない言葉に首を傾げる響子。

「響子ちゃん、本当は詳しい説明をしないといけないのだけど、今は説明している暇があまりないの、あなたの力を貸してほしいの」

話が読めない響子であったが鈴音と結月が自分に助けを求めているのは理解できた。

「私の力を・・・・・・ですか?私に出来る事なら・・・・・・結月さんと鈴音さんにどうしてもあの時のお礼がしたかったんです、是非やらせてください!」

その言葉を聞いて嬉しそうな顔をする鈴音。

「夜遅くまで付き合ってもらう事になる、それでもいいか?」

夜まで・・・・・そう聞かれ少し考える響子。

「ちょっと・・・・・一輪さんと相談してきます、ここで待っていてもらってもいいですか?」

そう言って響子は一人用の小さな扉から寺に入った。

駆け足で命蓮寺の本堂に向かう響子、本堂に到着し入るもそこには自分の担当である一輪の姿も住職である聖の姿もいない。本堂を後にした響子は聖を含む僧が寝泊まりする建物に向かい引き戸を開け、建物内を探し回ると床の間で正座して話し合っている聖と一輪の姿があった。どうやら今後の命蓮寺で行う行事の調整を行っていたらしい。

「いました・・・・・はあ・・・・はあ」

息を荒げ入ってきた響子に聖も一輪も話をやめる。

「どうしたのです響子・・・・・息をそんなに荒げて」

驚いた一輪は響子にそう尋ねるがまだ息が整っていない響子は答える事が出来なかった。

「まずは落ち着きなさい、響子・・・・・一体どうしたのです?」

慌てて入ってきた響子に対し落ち着いた対応をする聖。

響子は息を整えると顔をしっかりとあげ要件を口にする。

「聖様、一輪さん、失礼いたします・・・・・・実はいつものように門前で清掃をしていたら昨日助けていただいた鈴音さんと結月さんが羽の生えた大きな妖猫と妖狐に乗ってやってきたんです、それで鈴音さんと結月さんは私に力を貸してほしいって頼んできたんです、それで私あの時のお礼がしたくて・・・・・鈴音さんと結月さんと一緒に夜まで出かけてもいいですか?」

響子の要件は聖と一輪にとって驚きの内容だった。

命蓮寺と複雑な関係を持つ天道人進堂の逸脱審問官が響子を頼ってきたのだ。

本当なら逸脱審問官も命蓮寺との関係が良くない事を知っているはずだ、それなのに彼らは命蓮寺の修行僧である響子に助けを求めてきたのだ。

それになによりも逸脱審問官が何故響子を頼ってきたのか分からない、逸脱審問官は一体響子に何をさせようとしているのか?もしかしたら響子の身に危険の及ぶことかもしれないし命蓮寺にとって都合の悪い事をしようとしているのかもしれなかった。

複雑な関係や響子の身を考えるとそう簡単に「はい」と答える訳にはいかなかった。

「・・・・・響子、あのですね・・・・・その鈴音さんと結月さんは・・・・・」

一輪が命蓮寺と天道人進堂の関係を話そうとした時だった。

「分かりました、気を付けていってらっしゃい」

一輪の話を遮るように聖が落ち着いた様子でそう言った。

「ひ、聖様!?」

あっさりと許可を出した聖に一輪は詰め寄るが聖は小さく大丈夫と呟いた。

「ほ、本当ですか?聖様ありがとうございます」

嬉しそうに頭を下げた響子。

「では行ってきます!聖様、一輪さん」

失礼いたしました、と礼儀良くお辞儀をしてから響子は鈴音と結月の所に向かった。

響子を見送った後、一輪は聖に疑問を呈した。

「聖様・・・・・本当に大丈夫なんですか?逸脱審問官が何で響子を頼ってきたかもわからないのに行かせてしまって」

一輪の不安に大丈夫です、と答えた聖。

「鈴音さんは天道人進堂と命蓮寺の関係が良くない事をよく知っていてそれでもなお彼女は響子を頼ってきました、私も彼女の事は良く知っています、きっと彼女には響子の力を頼りたい状況なのです、きっと悪いようにはしません、一輪も彼女が響子を騙すような人物ではない事は分かっているはずです」

聖の言葉はとても的を射ていた。

一輪もまた鈴音とは会った事があり、とても心優しい人柄の良い人だという事は知っていたからだ。

でも本当に大丈夫だろうか?心配な一輪に聖はこう言った。

「そんなに心配なら鈴音さんと結月さんの後をこっそりついていったらどうかしら?もし響子に危険が及ぶようであればその時は助けてあげればいいんじゃない?」

聖の提案に戸惑う一輪。

「えっ?でも・・・・・」

確かにそうだが、真面目な一輪には自らが寺を空ける事に抵抗があった。

「本当は私も少し心配だから響子の後をこっそり追いたいのだけど、私はこの命蓮寺の住職だからあまり動かないでいてほしいのよね?」

う・・・・、と言葉を詰まらせる一輪。

先日自分が行った言葉を聖に上手く返されたのだ。

「私が命蓮寺から動けない以上、担当であるあなたに響子の責任があるのです、しっかり守りなさい」

聖にそう言われ一輪は決意する。

「・・・・・・分かりました私、響子の後をこっそり追ってきます、その間の命蓮寺をお願いします」

一輪はそう言って立ち上がると聖に頭を下げた。

「ええ、任せてください、一輪も気を付けていってらっしゃい」

笑みを浮かべそう言った聖。

「やっぱり、聖様は凄い御方だ・・・・・・」

そんな人だからこそ一輪は聖に惹かれたのだ。一輪は聖の凄さを再確認し響子の後を着いていった。

 

「到着っと・・・・・大丈夫だった、響子ちゃん?」

鈴音は響子を月見ちゃんの背中に乗せて落ちてしまわないよう、響子を後ろに乗せ鈴音のお腹にしっかりと抱き付かせていた。

「は、はい・・・・・・月見ちゃんって・・・・結構早いんですね」

あまりの速度に少しクラクラしている響子。

(妖怪は空を飛べるものも多いが守護妖獣の地上移動速度は幻想郷にいる大半の妖怪の飛行速度を凌ぐというのは本当のようだな)

まさに地上戦に特化した形なのだろう、守護妖獣という存在は。

鈴音と結月と響子が到着したのは何と天道人進堂だった。

「月見ちゃんだけじゃなく守護妖獣は空を飛ぶ事は余り得意じゃないけど走る事なら幻想郷でも指折りの速さを持つ妖怪だからね、それで響子ちゃん、悪いけど今から目隠しをするけどいいかな?」

地面にゆっくりと着地して守護妖獣を手乗り程度の大きさに戻すと鈴音は響子にそう聞いた。

目隠しと聞いて一瞬不安そうな顔をしたがすぐに首を横に振り大丈夫ですと答えた。

青色の布で目を覆い隠すと響子を結月に預ける。

「私は一度鼎さんの所に行って山手村への食糧支援を要請してくるから結月は先に行っていて」

分かった、と答えた結月。ここで一度鈴音と別れ結月は秩序の間に行くための階段に向かう。

そして秩序の間に行くための階段を守っている番人に事情を説明する。

「この子は、俺達に必要な協力者なんだ、内部の情報は漏らさないよう目隠しをしてある、だから通らせてくれないか?」

返事はない、ただ無言でこちらを見つめていた。

結月はゆっくりと響子と一緒に階段に足をつける、番人に動きはない。

二~三歩降りた所で大丈夫だと分かると前が見えない響子が階段を踏み外さないよう支えながら秩序の間に降りて行った。

「さて・・・・・・」

秩序の間に到着すると結月は今日も居酒屋「柳ノ下」で飲んでいる竹左衛門の方を見る。

「竹左衛門先輩、頼みがある」

声をかけられ振り返る竹左衛門。

「結月か・・・・・って、お前の傍にいる子は妖怪じゃないか?一体どうしたんだ?」

相変わらず顔が赤く、随分と酒が入った様子でそう聞いてきた竹左衛門。

「今はその質問に答えている時間がないんだ、とにかく手伝ってくれないか?」

結月の頼みに少し考える竹左衛門。

「手伝ってくれ?・・・・・めんどくせえな・・・・・今日は練習しない日なんだ」

そう言って竹左衛門は台の方を向き直す。

今日は、と竹左衛門は口にしたが結月が初めてここに訪れた時も確か竹左衛門はこの居酒屋で飲んでいた、それからずっと今日まで竹左衛門はここで飲んでいる所しか見かけない。本当に鍛練の間で練習している時があるのだろうか?

鈴音がもう少し逸脱審問官の自覚を持ってほしいと言っていた気持ちが少しだけ分かった。

「重要な事なんだ、少しだけでいいんだ、頼む」

しっかりとした声でそう言った結月に竹左衛門はチラリと結月を見る。肩に乗る明王も見た目は可愛らしい姿であったが真剣な面持ちで竹左衛門を見ていた。

竹左衛門は結月に背を向けたまま台に置いてあるお酒の入った小瓶を手にする。

「この酒・・・・・奢ってくれるか?」

結月は昨日鈴音と一緒に飲んだので竹左衛門の手にする小瓶がお札一枚程度である事を知っていた。

「その小瓶の代金を払えばいいのか・・・・・分かった、払ってやる」

そう言うと竹左衛門は台がドンと音がするほどの力で両手を着いて重い腰を上げた。

「よし、その話乗ったぜ・・・・・・店主、代金はここに置いとくぜ」

財布からお金を抜き取ると台に乗せた。

「・・・・・奢らなくていいのか?」

全額払ってしまったように見えた結月がそう聞く。

「払ってもいいっていう覚悟と心意気はもらったからよ・・・・・そんな奴から金は受け取れねえな」

結月の方を向き直し風格のある笑みでそう言った。

やっぱりこの人は気前のいい人だ、結月はそう思った。

「じゃあ先に鍛練の間で待っているぜ」

そう言って竹左衛門は服を着替えるためロッカールームに向かった。

「やはり竹左衛門はあれがいいのかもしれないな」

先程鈴音と同じように自覚を持ってほしいと少し思ってしまったが、今のやり取りでやっぱりあれが竹左衛門らしくて良いと思った結月。

コン、とそうだねと言っているかのように明王も鳴いた。

竹左衛門を見送ると階段から鈴音が降りてきた。

「お待たせ、山手村の話着けてきたよ、食糧支援と生活保護支給金が出してくれるって」

その話を聞いてとりあえず安堵する結月、とりあえずこれで山手村の村人が飢え死にする事はなくなった。後は自分達の仕事である逸脱者の断罪だ。

「竹左衛門先輩には話を着けてきた、残っている逸脱審問官にも声をかけよう」

後、残っている逸脱審問官は・・・・・、結月と鈴音は占い場を見る。

そこには何も言っていないのに既に逸脱審問官の正装に身を包む命の姿があった。

「お待ちしておりました・・・・・」

そう小さくされどしっかりとした声でそう言った命。

「私の占いではそろそろ来る頃ではないかと思っていました」

結月が響子を連れて近づくと命は響子を見つめる。

「そうですか・・・・・・この子が先日結月さんと鈴音さんが助けた妖怪ですか」

相変わらずゾッとする様な先読み能力だ。

「命先輩、実は・・・・」

結月が要件を伝えようとした時、命は口元に笑みを浮かべる。

「分かっていますよ、鍛練の間に行きましょう、私の占いが正しければ多分、この作戦上手くいきますよ」

そう言って命は肩に三眼を乗せて鍛練の間に向かった。

「・・・・・相変わらず凄い先読み能力だ」

こう言われるのではないかと思ってはいたが、あまりにも予想通り過ぎてあまりの先読み能力に驚きを超えて恐怖を覚えていた。

「一年も二年もいれば慣れてくるよ」

その慣れるという事は良い事なのか悪い事なのか・・・・・。

「よし!私達も行きましょう!響子ちゃんよろしくお願いね」

一体何をするのか分からないがとりあえず元気よく返事する響子。

「は、はい!任せてください」

結月と鈴音は互いに顔を合わせ頷いた。

「よし!じゃあ私達も浅野婆から武器を受け取って鍛練の間に行こう!」

そう言って結月と鈴音は響子を連れて鍛練の間に向かった。

 

空高く昇っていた太陽が沈み、山から青白い月が昇り始め、青かった空は既に黒色に覆われ太陽が沈んだ場所だけがまだ僅かに青く染まっていた。

黒色の空には眩い星が散りばめられたかのように空一面に光っていた。

しかしその幻想的な綺麗な星空は木々に遮られ木々に囲まれた山道は暗闇に包まれていた。

妖怪にとっては快適な空間だが大抵の人間にとっては金を貰っても通りたくない、危険な道だった、なので人など歩いているはずなどないのだが、その山道を歩く二人の姿があった。

何も言わず黙々と足を進める二人、その姿を木々の枝からこっそりと除く動物の姿があった。

体中に茶色の毛が生え人間の様な手足がついており顔と尻には毛が生えておらず皮膚は赤色だった。

猿、幻想郷でも良く見かける日本猿だった。

山道を歩く人間の姿を確認した一匹の猿がある所へ向かって移動する。

そこは山道から少し離れた場所にある大木の根っこに空いた大きな窪みだった。

二人の人間の姿を確認した猿は器用に木から降りるとその窪みに近づく。

そこには窪みの周辺に数百匹の猿と窪みの中に規格外の大きさをした大きな猿の姿があった。

「どうした?人間でも見つけたのか・・・・・」

キ、キキと人間には分からない言語で話をする猿。

「そうか・・・・・人間が二人か・・・・・こんな真夜中にここを通るとは土地勘がないのかそれとも馬鹿なのか・・・・・」

規格外の大きさをした猿は他の日本猿とは違い白色の毛並みをしており尻にもその色の毛が生えていた、大きさは三mあり窪みには腰掛けるように座っていた、手は長く体は痩せているが筋肉質だった。顔と肌色をしており頭の毛は尖がっていた。背中の毛が異様に長く一mくらいはあった。

人語を話し、その声は二十代後半の男性のようだった。しかし人語だけでなく猿の言葉も理解できた。

その異様性から野生の猿ではないのは明らかだが妖怪にしては人間臭かった。

「まあいい、今回の獲物はそいつらだ、今日は俺が直々に怖がらせた後、お前達に襲わせるいいな?」

規格外の猿の方を見て頷く様な仕草をする猿たち。この規格外の大きさをした大猿はここ周辺の森の猿の親玉だった。

そこへ一匹の猿がやって来て大猿に報告する。

「どうした・・・・・・何?・・・・・その二人の後ろに妖怪が一匹いるだと・・・・・放っておけ、前も妖怪にちょっかいだして痛い目にあっただろう?手を出さない方が無難だ」

大猿には苦い経験があった、それはここ周辺の森の大猿になって間もない頃、尊大になっていた彼は妖怪にも勝てると思い込み、夜道を歩く妖怪に大量の猿を襲わせたのだが、突然その妖怪の周辺が真っ暗な闇に包まれ、襲わせた猿達の悲鳴が聞こえた。

そして空に闇に包まれた球体が飛んで行ったかと思うと包まれていた闇が消え去りそこにあったのは猿同士噛み付き合い引っ掻き合う猿の姿だった。猿達はその妖怪を襲おうとした時、暗闇に包まれ視界を奪われた猿達は暗闇から急に目の前に現れた仲間の猿を妖怪だと勘違いし互いに襲ってしまったのだ。結果から行けば二十匹の猿の屍が転がる痛々しい結果だった。

(こいつらは人語をある程度理解し簡単な命令なら忠実に従うがあまりにも単純すぎる・・・・)

猿を部下に加えるのは名案ではあったものの、実際に部下にしてみると気づかなかった弱点にも気づいた。

その苦い経験から大猿は予想外の行動をする可能性のある妖怪は無視する方向に決め、動きを良く知っている人間を襲う事に決めていた。この前まで同じ種族だった人間に・・・・。

「さて・・・・・始めるとするか・・・・お前ら配置に着け」

ボス猿はそう命令すると猿達は散らばり木々に登っていく。

それを見送った後、大猿も窪みから出て立ち上がった。

「何れはこの森に暮らす猿達を完全掌握しに置きこの森周辺の村々の支配する猿の王になってやる・・・・・」

大猿はそう小さく呟くと歯を剥き出した。

 




第八録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?私は東方に興味を持って五~六年くらいになりましたが未だによく分からない所があります。
そのよく分からない所の一つに命蓮寺が信仰しているのは本当に仏教なのか?という謎です。
仏教と言っても国内外にかなりの宗派があるのでどれが正しいとは言えません、元を正せばインドなのですがそれが中国に渡り当時の中国人によって手が加えられ中国式仏教として広まりその中国式仏教が日本に流れ込みその日本でも当時の日本人によって手が加えられ日本式仏教として広まり時代と共に宗派が増えていきました。
そう考えるとどの宗派もやり方に差異はあれどどれも仏教なのです、ですが虎丸星を御神体とした聖の仏教スタイルが私には他の仏教とは何処か異なるような気がしてなりません。
神主様もそのままの仏教を入れるとは思えませんし真っ当にお坊さんをやっているようにも見えないし人間ではなく妖怪が主体となっているという点も無視できません。
何だか仏教という宗教を隠れ蓑に幻想郷に置いて地位の低い妖怪達を人間達の手から保護しているようにも思えます、考えすぎでしょうか?
実際私はそういう認識で小説を書いています。
本当に仏教を信仰しているのかそれとも・・・・・・東方は奥深い物ですね、神主様には頭が上がりません。
それではまた金曜日に。


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第九録 森の民が環視する山道 五

こんばんは、レア・ラスベガスです。
最近本当に寒くなりましたね、私の所ではこの冬初めての雪が降りました、それでも去年と比べると初雪が遅いような気がします、私が幼い頃は十一月や十二月になると当たり前のように振っていたのですが・・・・・・ここ最近は気象の変化を感じる年が多いですね。
世間では本当に地球温暖化は起きているのか?実は嘘ではないか?と言われていますが気象が昔と比べ変わりやすいというのは実感します。
この気象の変化は人間に原因があるにしろないにしろ、成るべくは人間の原因を取り除けると良いですね。
中国やインドなどのアジア地域は排気ガスによる環境汚染が顕著ですが日本も原発を止めてから火力発電に頼らざる得なくなり排気ガスが増えているのも事実。
だからといって原発を稼働させればいいのかと言われるとそうではなく・・・・・・まずはいかに日本の総電力を減らせるかを考えた方がこの問題の解決は速そうな気もします。
夜になっても昼間の様に明るい都市部を見ているとそんな考えが浮かびます。
それでは第九録更新です。


黙々と山道を進む二人、彼らは商人ではないし村人でもない、さらにいえば人間の里を目指している訳でもなかった。

「良い雰囲気ね・・・・・・」

鈴音はとても良い雰囲気とは思えない山道でそう言った。

「ああ・・・・・人間を襲うには絶好の時間と場所だな」

それなのに結月も鈴音の意見に賛成だった。それもそのはず鈴音と結月はこの山道の雰囲気を褒めたのではなく、逸脱者にとって都合の良い場所と言う意味で言ったのだ。

「響子ちゃんはちゃんと着いてきている?」

鈴音にそう聞かれ結月は後ろの方を見る、距離は離れているもののちゃんと着いてきていた。

「大丈夫、ちゃんと着いてきている」

それを聞いて安堵した表情を浮かべる鈴音。

しかしこれだけ離れていると響子が逸脱者に襲われてしまうのではないか?そう思ってしまうかもしれないが、意外にも逸脱者・・・・・人妖は妖怪を襲わない傾向があった。

妖怪は見た目に反して強力な力を持つ者も多く、うっかりちょっかいを加えてしまうと恐ろしい目にあう可能性があった。

人妖には強さに強弱があり例外もあるが、確かな実力を持つ妖怪の本気の前には勝ち目はないので妖怪に関わる事を極力避ける逸脱者が多かった。

自由な妖怪に憧れ妖怪になった人妖が、その妖怪と関わらないように生きるとはまさに皮肉である。

それでも関わらなければ妖怪の方から逸脱者に襲い掛かる事はあまりないので人間よりかはマシだった。

幻想郷では人間が妖怪になる事は大罪であったが妖怪側にそれを自覚している者達が少ない事や知っていても放置してしまう者が多いからである。

それに響子は幻想郷にいる多くの妖怪に備わった飛行能力を持っているため万が一猿や逸脱者に襲われても空に逃げれば安全だった。猿も空までは追って来られない。

恐怖や不安の本質である妖怪には重力に縛られるという概念が薄いのもあった。

「さて・・・・・そろそろね」

噂をしたら何とやら、鈴音の予想通り逸脱者は現れた。

「全く・・・・・運の悪い旅人もいたものだ、夜遅く出掛けなければ俺達に出会う事なんてなかっただろうに・・・・・」

鈴音と結月の足が止まる。逸脱者の妖力に敏感な守護妖獣の月見ちゃんと明王は唸り声をあげるが肝心の逸脱者の姿は見えない、声の出所は正面の大きな木の枝からだった。

そこには白い毛並みと肌色の皮膚をした日本猿にしてはけた違いの大きさをした猿の様な逸脱者の姿があった。

逸脱者との戦いはこれで二度目だがちゃんとした形を持った逸脱者との対峙は結月にとってこれが初めてだった。

「運が悪い?その逆、運がいいのよ、まさかあなたの方から来てくれるとはね、逸脱者さん」

逸脱者、その言葉を耳にした時、逸脱者の顔が歪む。

「逸脱者だと・・・・・まさか、お前ら」

そのまさかよ、と言っているかのような強気の笑みを見せる鈴音。

結月と鈴音の胸の収納袋から明王と月見ちゃんが現れ結月と鈴音の肩に乗る。

こちらを監視していたであろう猿に逸脱審問官だとばれない様に隠していたのだ。

逸脱審問官だと分かってしまった場合、逸脱者が逃走してしまう可能性があったからだ。

「そう、私達は逸脱審問官よ、人間の誇りと尊厳を踏みにじる逸脱者よ、その大罪命を持って償ってもらうわよ!覚悟しなさい!」

そう宣言した鈴音に対して逸脱者は高らかに笑う。

「人間の誇りや尊厳だと?笑わせてくれる・・・・・・幻想郷に置いて人間は常に搾取される存在、妖怪から見ても動物から見てもだ、真面目に人間をやっているのが馬鹿らしいじゃないか」

逸脱者の言葉に鈴音は反論する。

「でもそれは人間に限った事ではないわよ、人間だって何の罪を無い動物から植物から搾取するじゃない、他の動植物は良くて人間が搾取されるのは可哀相なんて不公平じゃない?自然の摂理は人間も例外じゃないのよ」

そう言った鈴音に対し逸脱者は自らの考えを述べた。

「だが俺は搾取される側から搾取する側に回りたかった、妖怪に支配される側から人間を支配する側になりたかった、だから人間をやめて猿の人妖になったんだ、そしてこの森周辺の猿を配下にした、猿は手先が器用で森の中を素早く移動でき頭も良いし数もいる、この森周辺にある村に住む人間を支配し搾取するには十分な奴らだった、俺は猿のいや、この森の支配者になったのだ」

しかし鈴音はそんな逸脱者の意見など受け入れる気などない。

「支配される側の気持ちを知っていながら支配者になりたいなんてとんでもない人間ね、そんな考え方が多くの関係のない人達を不幸にするのよ、なによりも何故あなたはここを通った二人の人間の命を奪ったの!」

鈴音がそう聞くと逸脱者はフン!と鼻で笑った。

「畑に生える農作物だけじゃ満足できねえ、人間の財産も全て自分の物にしたくなったのさ、支配者と言うのは財があってこそだろう?だから俺は人間を襲う事にした、村から奪う事も考えたが、それよりも効率の良い奴らを見つけたんだよ、村や集落を歩き回る商人だ、奴らは村や集落を周って人間の里で加工した品物を村や集落で売買しそこでしか作られない特産品や装飾品と買い込んで人間の里で高値で売りさばいている、この山道は人間の里に最も直進で行ける道だ、村や集落を周りたんまりと特産品や装飾品を貯め込んだ彼らは急いで帰ろうとこの道を選ぶ、だから俺はここに猿達を配置しここを通ったあの二人の商人を襲ったのさ」

逸脱者の話を聞いた、鈴音は怒りで手を強く握る。

「そんなあなた自身の我儘な理由で二人は命を・・・・・許さない!人間をやめて逸脱者になった罪、罪のない人間の命を奪った罪、その二つの大罪の重さ!死を持って分からせてあげるわ!」

そう言うとニヤリと笑う逸脱者。

「威勢は良いようだな・・・・・・だが・・・・」

逸脱者が指を鳴らすと周りの木々が大きく揺れる。

その直後、無数の視線が結月と鈴音に向けられた。

木々を見上げればそこには数百匹・・・・・二百や三百匹くらいいるのではないかという猿の無数の目がこちらに向けられていた。

「逸脱審問官と言えどこれだけの猿の前にはどうしようもないだろう、数こそ戦いだ、どうだ?足がすくんで仕方ないだろう?幾ら気丈に振る舞っても心の奥では震えているのだろう?」

そう煽る逸脱者だったが、鈴音は強気の笑みを見せる。

「数だけは揃えているようね・・・・・・でも二百匹いようと三百匹いようと五百匹いたとしても私達の敵ではないわね」

あまりの強気発言にたじろいだ様子を見せる逸脱者。鈴音は逸脱者の戸惑いを逃さない。

「そう言えば人間は霊長類と呼ばれる猿から進化してこの姿になったらしいわね、知っていたかしら逸脱者?」

何が言いたい?と言う顔をする逸脱者。

「人間は猿から進化した姿なのに、あなたは猿に逆戻りした、つまり退化したのよ、そのせいで悪かった頭がさらに悪くなったようね、まああなたには退化した猿の姿がお似合いね」

鈴音の煽りに完璧に乗せられ頭に来た逸脱者。

「!!てめえら!こいつらを八つ裂きにしちまえ!肉も骨もバラバラにしろ!」

逸脱者の命令で猿達は結月と鈴音に襲い掛かる。

木をつたい、地面に降りて八方から何百匹の猿が飛びかかろうとした。

その時だった。

ババババババババババーン!!

凄まじい銃声が静かな森に響き渡る。

まるで小銃を複数人がとにかく撃ちまくっているような音だった。

森に響き渡る程の銃声の音は結月や鈴音があの時、聞いた時よりも大きく響いていた。

森が静かだった事も銃声が大きく聞こえた要因かもしれなかった。

とにかくその激しい銃声に驚いたのは猿達だった。

猿達は何処かから響き渡る激しい銃声に驚き怯むと反射的に蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ始めたのだ。

「な、何だこの・・・・・お、おい!てめえら逃げるな!戻れ!戻って来い・・・・って」

逸脱者が最後のまで言い切る前に鈴音や結月を囲むようにいた数百匹の猿達はその場から散り散りに逃げていった。

残ったのは結月と鈴音と逸脱者のみ・・・・・。

「一体これは・・・・・・どういう事なんだ」

何が起きたのか分からない逸脱者、いや猟銃を撃ったかのような銃声が森に響いたのは分かる、だが発砲したのは目の前にいる二人じゃない、彼らの後ろに仲間がいて発砲したのか?いや違う、そうであるなら見張り役の猿達が気づいているはずだし、第一銃を発砲する時に見える硝煙(弾を撃った後銃口から噴き出る火薬の燃えた煙)も火花も見えなかった。

それに弾も見る限りでは飛んでこなかった。一体どういうことなのか?

その時彼の視線に逸脱審問官二人の後方で木に隠れながらこちらの様子を伺う妖怪の姿があった。

(よう・・・・かい?)

逸脱者の脳裏に先程の猿の報告が蘇った。

二人の人間の後ろに一人の妖怪の姿あり、と・・・・・。

まさか、そんなまさか・・・・・・。

逸脱者の頭に一つの確証ある推測が打ちだされる。

「て、てめえらの後ろにいる妖怪はまさかお前らのグルだったのか」

信じられない話だった。妖怪と人間が手を組んでいるなんて思いもしなかった。

幻想郷に住む者ならなおさらだった。

「グル?人聞きが悪いわね、手伝ってもらったのよ、あなたの周りにいる猿を追い払うためにね」

そう言って鈴音はニヤリと笑った。

 

真相は数時間前にまで戻る。

天道人進堂の地下総合施設にある鍛練の間、そこの射撃場に多くの逸脱審問官が集まっていた。

「なるほどな、作戦の内容は分かった、だがいささか大胆だな、妖怪・・・・・しかもよりよって命蓮寺の妖怪をここに連れてくるとは・・・・・・」

蔵人はそう言って目を覆い隠された響子を見る。

「逸脱者の周りにいるであろう猿を追い払うためには、彼女の音を反射する程度の能力が必要なの、手伝ってくれるよね?」

手を合わせ軽くお願いする鈴音。

「僕は鈴音さんと結月さんに協力します、僕にとって命蓮寺云々よりも逸脱者を断罪する事が重要だから、この子が手伝ってくれるのであれば僕も協力します」

修治は一番早く鈴音と結月の作戦に賛同した。

「私も賛成よ、響子ちゃんが協力してくれるのであれば逸脱者を単独にする事が出来るわ、私は寺とか宗教とかそういうのあまり気にしないわよ、重要なのはこの子の気持ちだから」

智子も賛成だった。

「勿論、俺も断るつもりなどない、元より天道人進堂と命蓮寺の関係が良くないのは考え方の違いであって逸脱者は関係ない、そして俺達の仕事は逸脱者を断罪する事だ、逸脱者との戦いが有利になるのであれば、この子が妖怪だろうと命蓮寺の所属であろうと気にはしない」

最後に蔵人も賛成した。これで役者は揃った。

「わりいわりい、遅れちまって・・・・・・まさか射撃訓練に付き合ってくれとは思ってなかったからな」

そこへ竹左衛門がやってくる。肩にはスナイドル銃ではない見慣れない銃を担いでいた。

「竹左衛門先輩、その銃は・・・・・」

先輩と言う言葉に顔をしかめる竹左衛門。

「結月、さっき言おうと思っていたんだが先輩はつけるな、竹左衛門で良い、先輩とか呼ばれるのは柄じゃないんだ、それはそうとこれはスペンサー銃だ」

スペンサー銃、銃床(銃の後部にある肩に当てる場所ストックとも呼ばれる)にある装填孔より弾倉へと銃弾を詰め最後に鉄製のバネを装着し銃弾を薬室へと押し上げるような形にする、まずは撃鉄を起こし引鉄の近くにあるレバーを引く事で銃弾を薬室へと送り撃鉄をさらに起こして引鉄を引き銃弾を発射した後、再び撃鉄を起こしてレバーを引く事で空薬莢を排出し新しい銃弾を薬室へと押し上げるレバーアクション式と呼ばれる機構を持つ小銃である。

この銃はスナイドル銃と違い連発銃で七発も装弾して発射できるため、スナイドル銃よりも早く銃弾も撃つことが出来るが弾薬がスナイドル銃よりも弱いうえにレバーアクション式の銃の中でも初期型に入るため装填機構に故障が多発し、撃つ度に重量が変わるため命中率も悪く、撃ち切った後の弾の装填に時間が掛かるなど、細かい欠点が多く、それが逸脱者との戦闘に影響する可能性があり、惜しくも逸脱審問官の正式装備小銃にはなれなかった。

「弾が何発も撃てた方が良いんだろう?浅野の婆さんに頼み込んだら貸してもらえたんだ、命中率が悪いとか弾の装填が大変とか言われているが今は沢山撃てた方が良いんだろ?」

確かに今回はそっちの方が都合よさそうだった。

「それでこんなにも仲間を集めておまけに子供の妖怪までいる、一体何をするつもりなんだ?」

竹左衛門の質問に結月が頷き答える。

「実は人間の里近郊にある山手村の周辺の森に逸脱者が現れた、逸脱者は夜に活動するためそれを見計らって今夜断罪に向かう、だが逸脱者は森に棲む何百匹の猿を指揮していると思われる、何百匹の猿を相手にすることは出来ない、そこで彼女の力を借りる事にした、彼女、幽谷響子は山彦の妖怪で、音を反射させる能力を持っている、その能力を最大限生かして、ここで銃を連射しその銃声を覚えさせ、襲い掛かってきた猿に記憶させた銃声を再生させ猿を驚かせて追い払い逸脱者を孤立させる、恐らくは猿達は獲物である人間を見つけるため山道を環視しているだろう、恐らく猿達は俺と鈴音先輩の二人だけだと思い込むだろう、だからこそ突如響く複数の銃声に大いに驚くはずだ、人間である俺達と妖怪である響子ちゃんが手を組んでいるとは思わないだろう、それが今回の作戦だ」

顎に手を据える竹左衛門。

「成程な・・・・・確かに良い案だ、そうと決まれば早速始めようぜ」

そう言って射撃位置に着く竹左衛門。他の逸脱審問官も射撃位置に着き始める。

「響子ちゃん、大変だと思うけどよろしくお願いね」

鈴音が響子にそう言った。

「は、はい!任せてください!大変だと思うけどちゃんと覚えてみせます!」

良い返事を貰えた鈴音と結月は射撃位置に着く。

「皆、私の合図で射撃して・・・・・三・二・一、撃て!」

撃鉄を起こして引鉄を引く、撃鉄が倒れ装填された金属薬莢に入った雷管に衝撃を与え黒色火薬を引火させ燃焼、その勢いで銃弾が放たれる。

的を狙わずにとにかく排莢、装填を繰り返し撃ちまくった。

大きな銃声が幾つも重なり合うように射撃場に響いた。

結月も訓練施設での事を思い出しながら素早く装填、発射、排莢、また装填を行った。

「撃ち方止め!」

その合図と共に皆が撃つのをやめる。銃声が鳴り響いていた時とは打って変わって静かになる。

「・・・・・響子ちゃん、ちゃんと覚えられた?」

強く確信のある頷きをした響子。

「はい!大丈夫です!」

それを聞いて鈴音は口元に笑みを浮かべた。

「頼りにしているよ、響子ちゃん」

 

作戦は大成功だった。

逸脱者の支配下にあった猿達は突然の銃声に驚き親玉を置いて逃走し、思惑通り逸脱者を単独にする事が出来た。

「ちっ!・・・・・・前々から単純だと思っていたが使えねえ奴らだ」

逸脱者はそう言葉を吐き捨てた。逸脱者は今、猿の人妖になった事を深く後悔しているはずだ。

「そうね、あなたを置いて逃げ出すなんて・・・・・いえ、むしろ猿達はあなたを見捨てて逃げる程、あなたの事を大して信頼してなかったのかもしれないわね」

鈴音は逃げ出した猿よりも残された逸脱者を馬鹿にしていた。

その意図を分かってなのか、頭に血が上っている様子の逸脱者。

「さて、お仲間の猿はみんな背を向けて逃げていったわよ、どうするつもり?私達と戦うの?それともあなたも仲間の猿同様私達に背を向けて逃げるのかしら?」

鈴音のその言葉についに逸脱者は完全に冷静さを失った。

「てめえらなんぞ俺一人でも十分だ!覚悟しろぉ!逸脱審問官!」

逸脱者は結月や鈴音に向かって飛びかかった。

結月と鈴音は素早く後ろに後退する。

そこへ逸脱者が地面を揺らし砂煙を起こす程の衝撃で着地した。

「体がバラバラになるまで切り裂いてやる!」

逸脱者は指先から鋭く長い爪が生える。

それを振り上げて逸脱者は結月と鈴音に襲い掛かった。

 

「は、早くここから離れなきゃ・・・・・」

響子は鈴音に自分の務めが終わったら早くその場から逃げるよう言われていた。

逸脱者に狙われないために、そして逸脱者との戦闘に巻き込まれないようにするためだ。

山道を後戻りする響子だったが突然、横から現れた手に掴まれて引きずり込まれた。

「ん!?んんうん!?」

何が起きたか分からないまま口を塞がれた響子。

とにかく逃れようと暴れた。

「静かにしなさい、響子」

静かだがしっかりと聞こえた、聞き覚えのある声に体の動きが止まる。まさかと思い上の方を見るとそこには一輪の顔があった。

(い・・・・・一輪さん?)

何故ここに一輪の姿があるのか、響子には理解できなかった。

「響子が心配でこっそり着いてきたのよ、とりあえず無事で良かったわ」

そう言って一輪は雲山の雲を周囲に展開する。

見た感じは千切れ雲が一輪と響子の周りを漂っている感じで何とも頼りなさそうだが実際は近づく敵に対して千切れ雲が拳になって襲うようになっている。

雲山は怪力自慢の妖怪なので小さな拳でもその気になれば骨折させるほどの威力があった。

「これで、万が一逸脱者や猿が襲ってきても安心ね」

そう言って一輪は木陰から逸脱者の戦いを覗く。響子も鈴音や結月の事が心配になって覗いた。

「逸脱者・・・・・可哀相だけど生まれる場所と時間、そして道を間違えたようね」

一輪も昔、人間から妖怪になった人妖なので逸脱者をあまり責める事が出来なかった。

最も人間だった者が無関係な人間を襲って殺した事はとても看過できるものではないが、それでも憐れみを感じずにはいられない。人間が妖怪に憧れを抱くのは幻想郷ではある程度は仕方のない事だった。(なりたいかどうかは別として)

だが恐らく自分も逸脱者と戦う事になったら逸脱者を殺す事になるだろう。

それは妖怪と人間の均衡を保つためでもあったし「妖怪」である自分にとっても都合の良い事だからだ。

(私達妖怪は人間の恐怖や不安が無ければ生きていけない、これは仕方のない事なのよ)

だから一輪は逸脱者に対して同情をする事しか出来なかった。

 




第九録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?最近お金に関して色々考える事があります。
多くの人間がお金の事になると無心します、もっとお金が欲しい、もっと蓄えが欲しい、お金はあるだけ良い・・・・・・確かにお金があれば様々な事が出来るし使えば幸せにもなれるかもしれません。
ですがお金自体があっても幸せではないと私は考えています、お金は使う物であり何も理由もないのにため込むのは只の宝の持ち腐れです。
老後が心配だから、家や車など高額な物を買うのに必要だから、何か目標があってため込むのは悪い事ではありません、ただ何となく特に意味もなく溜め込むのは無駄かもしれません。
お金は使わなければ腐っていく、勿論腐るのはお金ではありません、人間の心です。
特に理由はないのにお金を溜めているといつしかもっとお金があればと考え欲深くがめついなりお金がある程度溜まってもなくなったらどうしようという不安がさらに蓄えを増やそうと考えお金に執着するようになります。
お金に執着するようになった人間の周りに人は集まるでしょうか?本当の幸せはやってくるのでしょうか?お金に魅入られないよう皆様も気を付けてください。
それではまた金曜日に。


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第十録 森の民が環視する山道 六

こんばんは、レア・ラスベガスです。
最近テレビや新聞がいつもに比べ騒がしい気がします、海外にしろ国内にしろ政治にしろ芸能界にしろ何かと騒動が多いような気がします。
それともテレビや新聞があたかも大事の様に報道しているだけでしょうか?マスメディアはどんな手を使ってでも国民の関心を惹こうとしてくる節があります。
本来正確で公平な情報を迅速に伝えるべきマスメディアが都合の良い情報や国民の関心を惹けそうな情報だけを報道しているというのは非常に良くない事であり国を駄目にしているといっても過言ではありません。
しかし真実を口にしても国民は耳を塞ぐばかり・・・・・・これでは真面目に報道するのも馬鹿らしくなっても仕方ありません。
耳の痛い話もちゃんと傾けられるような人達が増えてくれるのを願っています。
それでは第十録更新です。


「来るよ!結月」

身構える鈴音と結月、そこへ逸脱者の鋭く長い爪が振り下ろされる。

空をきる爪、鈴音と結月は振り下ろされる寸前に避けていた。

「このっ!」

右手で横に振り払う。しかしこれも寸前に避けられる。

今度は振り下ろしていた左手で鈴音を狙って振り上げる。

だが、これも鈴音には届かない。今度こそとばかりに降ろしていた右手で結月の顔を狙って振り上げる。

しかし攻撃はまたしても空をきる。まるで次の攻撃が読まれているかのようだった。

「隙だらけだな、逸脱者、戦闘はあまり得意ではないようだ」

もし、あの鋭利な長い爪の攻撃を受けたら一撃で命を落とすだろう。

本当なら余裕なんて保てるはずがないのだが結月と鈴音には余裕があった。

それは攻撃の動作が大振りだからだ。あれでは次はこう攻撃しますよと相手に教えているようなものだった。

「ええ、でも気を緩めないようにしましょう」

それは言われなくても分かっていた。慢心などしていない、周囲に常に気は配っていた。

「この・・・・・ちょこまかと動きやがって!」

それからも連続で爪を振り回す逸脱者だが鈴音と結月はそれをあえて寸前で避ける事で逸脱者の気をこちらに向けさせていた。

これでもかと逸脱者は両爪を振り上げた、その時だった。

「ぐあっ!」

逸脱者の両肩に激痛が走る。

逸脱者の肩に巨大化した明王と月見ちゃんが噛み付いたのだ。

「何故、後ろに!?」

驚く逸脱者、突然、背後から襲ってきた守護妖獣が一体いつ後ろに回り込んでいたのか理解できないらしい。

実は鈴音と結月は逸脱者が大きな木の枝からこちらに向かって飛び降りた時、手乗りくらいの大きさの守護妖獣を前方に向かって走るよう指示を出していたのだ。

その指示通り前方に飛び降りた明王と月見ちゃんは前方へ飛び降りると手乗り程度の大きさのまま、逸脱者の着地に巻き込まれないよう全力疾走、逸脱者が結月と鈴音に気を取られている間に巨大化し死角である背中に襲い掛かったのだ。

「くそっ!離れろ!」

噛み付いた明王と月見ちゃんに一瞬気を取られた所を結月と鈴音は見逃さなかった。

「今だ!」

互いに刀を引き抜き一転して攻勢に出た結月と鈴音。

逸脱者に向かって走り出すと逸脱者の両脇腹を横に切り裂いた。

切り裂いた傷口から血しぶきが噴き出す。

「がっ!」

左右の脇腹を斬られ痛みで声が漏れる逸脱者。

だが、逸脱者も馬鹿ではない、背中に力を入れると長く伸びていた毛が引っ込んでいく。

次の瞬間、背中の毛が硬化して鋭い針状の毛が飛び出した。

恐らくは防御触針のようなものなのだろう、噛み付いていた明王と月見ちゃんを狙った攻撃だったが既に明王と月見ちゃんは毛が引っ込んだ所で後ろ脚を蹴って結月と鈴音のいる場所に着地していた。

結月と鈴音は相棒である守護妖獣に刀から滴る血を飲ませていた。

守護妖獣に一滴でも多く妖力を貯め込ませるためだ。

「四対一とは卑怯な・・・・・」

それは先程の逸脱者が行った戦い方を自分で否定しているようなものだった。

(人間とは自分の状況に応じて意見を変えるもの、か・・・・)

人間の尊厳や誇りを守るための逸脱審問官なのに結月は素直にそう思ってしまった。

もちろん全ての人に当てはまる事ではないのは分かっている、だが人間にはそんな人間もいるという事を考えると逸脱審問官として何だか虚しさを感じた。

綺麗事では済まない事くらい分かっていたが・・・・・。

「弾幕勝負に規則あれど、逸脱者の断罪に規則はないわよ」

まさにその通りだった、逸脱者の断罪は遊びではなく殺し合いなのだ。

有利になるためなら数が多くてもいいし強力な武器も使用して良いのだ、そういう意味では平等な戦いともいえる。

「うおおおおおっ!」

結月と鈴音の方を向き直し大きな咆哮を上げ、こちらに走ってくる逸脱者。

一体どんな攻撃を仕掛けてくるのか警戒し身構える鈴音と結月。

鈴音と結月と相棒である守護妖獣まで四mと近づいた時、逸脱者は体を捻じらせた。

「!来るぞ!」

それと同時に結月と鈴音は背中をギリギリまで反り返る。

その行動は正解だった。逸脱者は捻じらせた体を勢いそのままに足を軸にして腕を広げ回転しながら結月と鈴音に近づいてきたのだ。

腕が長い分攻撃範囲も長いため鋭く長い爪に当たれば肉が引き千切られるし腕に当たれば骨折する程の威力があった。

風車のように回転しながら襲い掛かってきた逸脱者だが、膝を曲げ背中を剃り返していたおかげで腕は顔の擦れ擦れを通っていく。

反り返っていた時間は数秒だったが結月と鈴音にはそれ以上に長く感じた。

攻撃をかわされた逸脱者は勢いそのままに結月と鈴音を通り過ぎると回転をやめ結月と鈴音の方を向く。

「チッ!避けたか!」

正直に言えば危なかった、もしあと少し判断が遅れていたら結月も鈴音も胴体と首が離れていただろう。だがこれで回転攻撃が出来るのは理解したので次に同じ攻撃をされても余程の事がない限り余裕を持って避けられるだろう。

「こうなれば・・・・・」

逸脱者は自分の後ろにあった木によじ登り始めた。

猿の人妖という事もあって器用に登っていた。

そして木の上部まで登ると右手で木を抱えると背中の長い毛を硬化させ針状にすると左手で針状になった背中の毛を一本抜くと振り被って結月に向かって投げた。

結月は勢いよく飛んできた鈍く光る触針を素早く後退して避けた。

地面に突き刺さった触針は細いものの先端は鋭く、心臓や頭など急所に突き刺さろうものなら一撃で命を落としかねないものだった。

「こちらの攻撃が届きにくい所から攻撃を仕掛けるか・・・・」

猿を支配下に置いている以上、逸脱者も猿系の人妖ではないかと睨んでいた結月と鈴音。

猿と言えば地上を活動する生物である以上、飛行能力はなく飛び道具も持ってないと思われたため戦闘も肉弾戦を積極的に行う可能性が高かった。また猿は素早いのでその素早い動きに対応するため重量のある小銃の装備は今回見送ったのだ。

結論から言えばおかげで逸脱者の素早い攻撃に対処できたが、意外な飛び道具攻撃に逸脱者から一方的な攻撃を受ける羽目になった形だ。

「くっ!」

真っ直ぐ飛んできた鋭い触針を鍛えられた動体視力で避ける鈴音。

厳しい試験を合格し過酷な訓練に積む逸脱審問官だからこそ出来る芸当だった。

「ひゃはははっ!逃げ惑え!幾ら逸脱審問官でもここまで攻撃する事は出来ないだろう!」

笑いながら背中に生えた触針を抜き投擲していく逸脱者。

次々飛んでくる触針をかわす結月と鈴音と守護妖獣。

このままでは一方的に攻撃をされ続けるだけだ、どうにかして逸脱者を地面に降ろさないといけない。

「結月!私に任せて!」

そう言った鈴音に結月は頷く。結月に出来る事は逸脱者の気を引く事だ。

「逸脱者!どうした?当てられないのか?」

結月は逸脱者を挑発する。

「その減らず口!今すぐ言わせなくしてやる!まずは貴様から串刺しにしてくれる!」

逸脱者は自分の気を引かせるための挑発だと知ってか知らずか、結月に向かって触針を投げ込む。

抜いては投げ、抜いて投げをひたすら行う、背中の触針は無尽蔵に伸びていた。

結月を狙って投げ込まれる触針だったが結月は冷静に祭典減の動きで避けていく。

「ちょこまかと・・・・これで!」

中々当たらない事に業を煮やした逸脱者が背中の触針を抜き大きく振り被った瞬間だった。

銃声が山道に響く、銃弾を放ったのは鈴音だった。

ネイビーリボルバーをしっかりと両手で握り狙いを定めて拳銃の引鉄を引いたのだ。

平常時は明るく何処か抜けている鈴音ではあるが拳銃をしっかりと握り撃つ時はまるで別人になったかのような冷たい顔になる。

拳銃の弾はある程度、距離が離れてしまうと当たらなくなるものだが、鈴音が撃った銃弾は木を抱える逸脱者の右腕に命中し貫通した。

「いっ!?ああああああっ!!」

銃弾が貫通した右腕の激痛で思わず木を掴んでいた手を放してしまった逸脱者。

地面へと真っ逆さまに落ちていった。

ドシン!地面が振動する様な衝撃で地面に背中から落ちた逸脱者、その姿だけなら恐ろしく滑稽である。

「いててて・・・・・うおおお!?」

地面に倒れていた逸脱者に明王と月見ちゃんが襲い掛かる。

逸脱者はとっさに手を地面につけて力尽くで地面を押し上げ体を飛ばす。

身軽な体と長い腕があるからこそ出来る芸当だ。

「猿だと馬鹿にしていたがあんな事、人間では難しいな」

別に猿の能力を見下していた訳ではないが潜在能力の高さに驚いていた。

「猿系に限らず人間系の逸脱者は相手するのが一苦労よ、同じような体格をしているから比較的様々な攻撃が行えるし、逸脱者が人間だった頃空手や柔道の経験者だと恐ろしい事になるわ」

確かに恐ろしいだろう、逸脱者の人間離れした身体能力と卓越した武術の組み合わせはまさに鬼に金棒だ。

逸脱者は明王と月見ちゃんから逃れるように木によじ登る。

地上戦特化の守護妖獣でも木を登るのは難しかった。

しばらくは逸脱者が登った木を見上げ吠えていたが、突然走り始めた。

すると木々が揺れる音が聞こえた。小さな木の枝が折れる音、木の枝が重みで軋む音、葉っぱと葉っぱが擦れる音、様々な音が聞こえその音が指し示す確証は逸脱者が木々を飛び回っているという事だった。

守護妖獣が走り出したのは木々を移動した逸脱者を追っかけたためだ。

しかしすぐに明王と月見ちゃんの足が止まる、恐らくは素早く木の上を移動する逸脱者を見失ったのだろう。

「気を付けて結月、何か仕掛けてくるかも・・・・・」

言われなくても分かっていた、結月は何処から攻撃を受けても大丈夫なように身構えていた。

結月と鈴音の周るように激しく木々が揺れる。

正直今どこに逸脱者がいるか、分からなかった。

明王と月見ちゃんも鈴音と結月の近くで構える。

単体では狙われる可能性があったからだ。

相変わらず逸脱者の姿は見えない。木々の葉が逸脱者の姿を遮っていた。

突然、木々を揺らす音がピタリと止まる、不気味な静寂が流れる。

(さて、何処からだ?)

逃げた訳ではない、逸脱者は不利だからと尻尾を巻いて逃げるような程勇敢な奴ではない事は分かっている。絶対自分達をここで仕留めるつもりだ。

ザシャッ!

何かが木々の茂みから飛び出す音を耳が捉える。

(上か!)

結月と鈴音が見上げるとそこには鋭く長い爪を前に突き出して落下する逸脱者の姿があった。狙いは結月だった。

「結月!」

鈴音のその言葉を直後、地面に強い衝撃と共に砂煙が舞う、砂煙が消えるとそこには地面に深々と爪を突き刺した逸脱者の姿だった。だがその爪に刺さっているはずの結月の姿はない。

「危なかった・・・・・」

急激に落下してきた逸脱者を目視した結月は素早く後ろにバク転していた。

爪が刺さったのは結月がその場からいなくなった直後だった。

予測はしていたがあまりにも大胆な攻撃に反応が遅れてしまった。

(しっかりしろ自分、もしほんの少し遅れていたら死んでいたぞ)

自分を叱咤する結月、しかしここで思わぬ好機が訪れる。

逸脱者は指先に生えていた爪を取ると再び爪を生やした。

無理に抜けば逸脱審問官に隙を見せる事になるからだろう。

そして逸脱者は次に鈴音と明王と月見ちゃんを標的にして爪を振り回していた。

一方の結月には逸脱者のがら空きの背中が見えた。

(あの背中を貫けば大きいダメージが与えられる)

逸脱者はこちらに気づいていない、絶好の好機到来だった。

刀を強く握り気配を悟られないよう気を配りながら背中に接近する。

「どうした?手も足も出ないのか?」

爪を無茶苦茶に振り回す逸脱者に鈴音と明王と月見ちゃんは攻撃を仕掛けられない。

いや、攻撃は大振りなので当たる心配はないがとにかく振り回しているので中々攻撃に転じられなかった。

(逸脱者は本当に私達を殺す気があるのかしら?)

鈴音には不審に思う所があった。逸脱者が本気で襲うのであればああやって振り回すのは良くない、爪を振り回すというのは相手は近づきにくいが相手に致命傷を負わせるという点ではあまり良くなかった、本来なら的確に相手の動きを読んで攻撃をした方が当たるのだ。

一体なぜ逸脱者がこんな滅茶苦茶な攻撃をしているのか鈴音には理解できなかった。

(一旦離れてネイビーリボルバーで逸脱者の急所を・・・・)

そう考えている時、鈴音は不意に逸脱者の後ろに刀を構え近づいてくる結月の姿を見た。

その時、直感で鈴音は危機感を感じた。

「結月!危ない!」

しかし鈴音が言い切る前に結月は逸脱者の背中に刀を突き刺した。

肉を裂きながら腹にまで到達した刀は血しぶきと一緒に深く貫いた。

逸脱者は口から吐血する程の深手を受けたがその直後逸脱者はニヤリと笑った。

突き刺した結月が次に察知したのは殺気だった。

心臓が跳ね上がる程鼓動する、反射的に結月は刀から手を放し防御姿勢を取る。

衝撃、骨が軋むような強い衝撃だった。逸脱者は右足で後ろにいた結月を蹴り飛ばしたのだ。

人間離れした逸脱者とあってその力は凄かった。

間一髪防御姿勢をとっていた結月は攻撃を直撃したものの衝撃を和らげていた。

しかしそれでも衝撃で吹き飛ばされた体は何度も地面にぶつけ木に激突してようやく止まった。

「結月!」

鈴音と守護妖獣は結月を助けようとするが逸脱者は乾いた地面の抉り鈴音と守護妖獣に向かって投げた。

乾いた地面は砂状になっており一瞬の目つぶしには最適だった。

突然飛んできた砂に目をつぶり防御姿勢をとってしまう鈴音と守護妖獣その隙に逸脱者は結月に向かって走った。

逸脱者は鈴音と守護妖獣を標的に変えたのではなくあえて背中を向ける事で隙を作り自分の体に刃が突き刺さる事も計算済みで至近距離まで接近させ後ろ蹴りを食らわしたのだ。

まさに肉を切らせて骨を切る作戦だったのだ。

「うう・・・・」

木にぶつかった衝撃で気が飛びかけたが何とか意識を保った結月。

体に走る痛みに耐え顔を上げるとそこには目の前にまで接近した逸脱者の姿があった。

口を大きく開け鋭い牙を見せながら左手を振り上げている。

「!!」

逸脱者が鋭く長い爪を結月に向かって振り下ろした。

結月はとっさに腰を地面についた状態からでんぐり返しをした。

その判断は正解だった。その直後木に大きな爪痕を刻んだ。

そのままでんぐり返しをして逸脱者の股をすり抜けると何とか痛む体を堪えて立ち上がり走り始めた。

大きな爪痕が刻まれた木はそのまま折れて倒れた。

「ちくしょう!ここまでやったのに・・・・・・」

逸脱者は背中に刺さっていた刀を引き抜く、それと同時に傷口から血が溢れる。

そして結月の刀を怒りで圧し折り投げ捨てた。

「結月、大丈夫!?」

駆け寄る心配そうに鈴音と明王と月見ちゃん。

「ああ、防御姿勢をとっていたおかげで何とか骨は折らずに済んだ、体の至る所が痛いがな・・・・・だが刀を失ってしまった」

むしろ失ったのが刀だけで済んだ事を感謝すべきだろう。

「結月、もう後退していていいよ、あの逸脱者は私一人でやるから・・・・」

しかし結月は首を横に激しく振った。

「大丈夫だ、まだ戦える、このくらいの痛みならまだ耐えられる」

結月の決意に鈴音は自分の刀を結月に渡した。

「大丈夫、私は小刀と拳銃があれば戦えるから、結月はそれを使って」

鈴音のその言葉は結月にとってとても頼もしく聞こえた。

「ありがとう、鈴音先輩」

そんな事をしていると後ろの方で何か引きずっている音が聞こえた。

「てめえら絶対に許さねえぞ・・・・」

そこには大きな木の枝を肩に担ぐ逸脱者の姿があった。

「これでも食らえ!」

逸脱者は大きな木の枝を振り上げると結月と鈴音と守護妖獣に向かって叩きつけた。

森に響く様な音と共に砂煙が舞った。

静寂に包まれる山道、逸脱者は息を荒げながら笑っていた。

「どうだ・・・・・・流石に死んだか?」

そう思っていたが砂煙の中から鈴音の姿が現れた。

彼女は木をつたって逸脱者に接近した。

「小癪な!」

木の枝を持っていない手で鈴音に向かって鋭く長い爪を突きだす。

ザシュッ!鋭く長い爪は空をきり木の枝に爪が刺さる。

鈴音は飛び上がり小刀を引き抜き逸脱者の顔面に向けて振り下ろす。

逸脱者は木の枝を捨てるとその手の爪で攻撃を防ぎ弾き飛ばした。

「っつ!」

宙を舞った鈴音の体はその場に態勢を整え離れた場所に着地する。

その直後、砂煙の中から明王と月見ちゃんが左右に飛び出して逸脱者を挟み撃ちにするように飛びかかる。

逸脱者は足を軸にその場に腕を広げ回転する。

明王と月見ちゃんの体に爪が迫ったその時、明王と月見ちゃんは翼を広げ大きく羽ばたいて後ろに後退し爪を避けた。

そして逸脱者の回転が止まりそうになったその時、砂煙の中から結月が飛び出した。

逸脱者にとって鈴音の攻撃を防ぎ大きな木の枝を捨て、左右から襲い掛かった明王と月見ちゃんの攻撃を防ぐために回転してしまったために結月の突進に対して何の防ぐ手立てを失っていた。

「はあっ!」

結月は自分が先程貫いた部分を再び貫いた。

「ぐえあ・・・・・」

貫いた所に再び貫くという事は傷口をさらに抉るという事、その痛みは想像を絶するものだろう。

逸脱者は再び口から血を吐き出しそれが結月の頭に垂れ落ちる。

それを結月は躊躇することなく浴びた。

逸脱者が結月を振り払う前に、結月は引き抜いて後ろにさがった。

怪我をした訳でもないのに結月は血塗れだった。

呻き声をあげながら逸脱者は走り出すと木によじ登り始めた。

「大丈夫だった?結月・・・・・・怪我した訳でもないのに血塗れだね」

そこへ吹き飛ばされた鈴音と明王と月見ちゃんがやって来る。

「これでもあの逸脱者が奪った命の重さと比べたらまだ少ない方だ」

結月は静かに怒っていた。それは鈴音にも理解できた。

木々に登った逸脱者が何処から襲ってきても対処できるようにそれぞれ四方向を向いて構える結月と鈴音と相棒である守護妖獣、明王と月見ちゃん。

だが、逸脱者の動きはない、こちらの様子を伺っているのか、何か企みがあるのか?

この不穏な静けさを感じ取って鈴音には気がかりな事があった

「もしかしたら逸脱者は私達には勝てないと思ってこのまま逃げ出すつもりなのかも・・・・」

それは結月も心配している所だった。

逸脱者にかなりの深手を負わせる事が出来ている、だがここで逃げ出そうものならこちらは追いかける術はない、先程の木々への移動で分かった事だがどうやら守護妖獣でも木々を飛び回る逸脱者は見失ってしまうらしい。

もしここで逃げられたら恐らく逸脱者は傷が癒えるまでこの森の何処かに身を隠すだろう。

探すにしても捜索範囲が広い上に猿の妨害も予測されるためここで逃げられたら探して見つけるのは困難に等しいのでここで断罪しないといけなかった。

そう考えれば先程の突きは明王の能力を借りて「灼熱刀」を発動するべきだったが何分、逸脱者の大きな木の枝を避けた後、簡単な意志疎通で連携したのでそこまで考えが至らなかった。今思えば惜しむべき事だった。

「ん~・・・・・・・あ、結月、私にもいい事思いついたんだけど・・・・・」

鈴音の視界にある物が写った時、鈴音はある作戦を思いつく。

「良い事?一体どういう作戦なんだ?鈴音先輩」

鈴音は逸脱者に警戒しつつも結月に耳元で話す。

「・・・・・分かった、俺もその作戦に乗ろう」

そう言うと結月と鈴音は自分達の相棒である明王と月見ちゃんに指示を出す。

「周辺を走り回って木々に隠れる逸脱者を探せ、まだこの周辺の木々にいるはずだ」

その命令を聞いて明王と月見ちゃんは結月と鈴音の元を離れ森の中を駆け出した。

一方の逸脱者は結月と鈴音の姿が確認できる場所から枝と葉で身を潜めながら覗き込んでいた。

「ちくしょう・・・・ちくしょう・・・・まさかこんな傷を負ってしまうとは・・・・・」

怒りと悔しさが込み上げながらそう言って木に寄りかかる逸脱者。

体中に出来た傷を抑えながら次の一手を考えていた。

(悔しいがどんな今の俺ではどんな戦い方をしてもあいつらには勝てねえ・・・・・だが地の利ならこちらにある、ここの森は俺が人間だった頃から庭みたいなものだ、ここは一旦退却して傷が癒えるまで身を潜めるか・・・・・使えねえ奴らだが猿に周囲の見張りと侵入者の排除くらいなら出来るだろう、俺の所まで辿り着くのは無理だ)

そう考え撤退しようとした時だった。

逸脱者の目にある光景を目撃する、逸脱審問官が守護妖獣を命令して森の中を走らせている、恐らくは自分を探しているのだろう。そして逸脱審問官は身構えながらゆっくりと大きな岩の方へ後退していく。

(これは・・・・・絶好の機械じゃねえか?)

逸脱者はそう思った。

逸脱審問官達が自分を見失っている事、逸脱者の匂いに敏感な守護妖獣が逸脱審問官の傍を離れている事、逸脱審問官が死角をなくそうと岩を背にしようとしている所を見てある考えが浮かぶ。

(今こっそりと木々を移動してあいつらの後ろに回ってあの大岩を持ち上げてあいつらを押し潰してしまえば守護妖獣も一緒に死ぬはずだ)

逸脱者は自分の最大の敵である逸脱審問官の事を調べている事が多かった。

彼の例外なくこの逸脱者も逸脱審問官の事をそれなりに調べていた。

「ふふふ・・・・・大岩を死角にしようとする考え方がどれほど甘い考えか教えてやる」

そう言って逸脱者はこっそりと木々を飛び移る。

飛び移るというのは間違いかもしれない、掴んでいる木から手を伸ばして移りたい木に捕まり移動する、先程とは打って変わって地味でかつゆっくり移動だった。

だがこれが木々を揺らさずに木々を移動する唯一の方法だった。

時間をかけて結月と鈴音の後ろを取るとゆっくりと木から降り、こっそりと大岩に近づく。

そして大岩に辿り着き、大岩の下に手を入れる。

人間離れした身体能力と猿の人妖であるこの逸脱者にとって大岩を持ち上げるのは難しい事ではなかった。

音が出ないようゆっくりと持ち上げる逸脱者。

(大岩に押し潰されて死ね!逸脱審問官!)

大岩を持ち上げきったその時だった。

「そろそろね」

鈴音がそう小さくそう呟いた。

「ああ、これで終わりだ」

鈴音と結月がホルスターからネイビーリボルバーを引き抜き、振り向くと拳銃を構える。

「え?」

逸脱者は何故、自分の存在が気づかれていたのか、逸脱審問官が勝利の笑みを浮かべて立っているのか一瞬理解できなかった。そして理解する。

考えが甘かったのは自分の方だったと・・・・・。

「言ったでしょ?あなたが罪の重さ、死を持って分からせてあげるって」

引鉄を絞る鈴音。

「これがお前が犯した罪の重さだ」

そう言って結月と鈴音は引鉄を引いた。

撃鉄が降ろされ弾倉の中にある雷管を発火させ黒色火薬に引火させて燃焼、その勢いで弾丸が放たれる。

結月と鈴音が放った弾丸は大岩を支える逸脱者の両腕に命中し貫通した。

「がっ・・・・・」

両腕は支える力を失い、弾丸の勢いに押され大岩から手を放す。

支えを失った大岩は重力引かれ落下する。

逸脱者の視線に映るのは迫りくる大岩だった。

これが逸脱者が最後に見た光景だった。

「うぎゃあああああああっ!!!!」

絶望の叫び声と共に逸脱者の顔面に激突した大岩はそのまま逸脱者に圧し掛かった。

そして重力に引かれるまま逸脱者毎地面に激突した。

ベキバキゴキバキゴキグチュグチャア・・・・・。

最後の断末魔の様な音と共に三mもあった逸脱者は一瞬で厚さ一㎝程度になった。

そして大岩の隙間からおびただしい量の血が溢れ出る。

終わった、命懸けの戦いはこれで終わったのだ。

「作戦成功だな、鈴音先輩」

鈴音はわざと守護妖獣を離れさせ大岩に近づく事で不利な状況を作り逸脱者をおびき寄せる事にしたのだ。

逸脱者の受けたであろう屈辱とその性格を考えると一発逆転を狙ってくると睨んでいたのだ。

だからこそ逸脱者が木から降りた所から気配を感じ取っていていたが寸前まで気づかない振りをしていたのだ。

「うん、上手くいったね、じゃあ最後にこの御札を張ってと・・・・」

鈴音が取り出した御札は対人妖の御札で人妖の体や人妖と接している物に貼り付ける事で人妖の体内にある妖力を放出する呪いが書かれていた。

それを大岩に貼り付けると下敷きになった逸脱者の体から妖力が抜けていくのが見えた。

「これで本当に終わったな」

緊張から解放された事でようやく体から力を抜く結月。

「お疲れさま結月、後は件頭に任せて早く本拠に帰ろう」

そこへ陽動に出ていた明王と月見ちゃんが戻ってくる、頑張ってくれた彼等もちゃんと労った。

「さて、響子ちゃんにもお礼を言わないと・・・・」

そうこの作戦の鍵であった響子にもちゃんとお礼と無事逸脱者を倒した事を伝えなければいけない、結月と鈴音は折れた刀を回収した後、響子が後退したであろう山道を戻っていく。

「かなり腕を上げましたね、鈴音さん」

響子の声ではない、結月にとって聞き覚えのない声が何処かから聞こえた。

「この声は・・・・・もしかして」

鈴音には心当たりがあった、木陰から一輪と響子が現れると鈴音はやっぱりという顔をする。

「戦いの様子を見させてもらいましたよ、あの頃と比べると随分と成長したようですね」

何処かおぼつかない感じで返事をする鈴音。

「・・・・・あなたが鈴音さんの部下になった結月さんですね?私の名前は雲居(くも)一輪と申します、命蓮寺の修行僧として務めており響子の指導係をしております、以後お見知りおきを」

どうも、と会釈する結月。

自己紹介をしなかったのは恐らく一輪は自分の情報をよく知っていると思ったからだ。

「響子の事が心配で後を着いてきたんですが・・・・・やはり人妖を狩るためでしたか、命蓮寺は人間と妖怪の平等な世界を掲げていますが人妖になる事を推奨している訳ではありません、むしろ私達にとっても人妖は邪険すべき存在なのであなた方の活動は否定しません、それに響子本人の強い希望もあったので特別にあなた方と協力する事を承諾しました」

一輪はそこまで話すと鈴音と結月を睨みつけるように見つめる。

「ですがあなた方は気にしなくてもあなた方が所属する組織と私達の所属する組織には考え方に相違があり互いに距離を置いています、申し訳ありませんが協力するのは今回限りだけです、良いですね?」

どうやらこの一輪と言う女性は逸脱審問官の事はやっている事は認めるが、天道人進堂の考え方は認められないのだろう。

組織同士の考え方の相違でこれ以上関わらないようにと言ったのは恐らく彼女が命蓮寺の中でもそんな事を考えて行動しないといけないくらいの地位の高い者だという事だ。

もし響子と同じ程度の僧ならば考え方に違いがあっても協力するはずだ。

排除すべき敵は同じなのだから・・・・・。

(思った以上に深刻だな・・・・・)

一輪の事実上の決別宣言に結月は考え方の相違による闇を感じた。

「分かりました一輪さん・・・・・・・響子ちゃん、今日は本当にありがとう、こうやって協力を頼む事は出来ないけど、また里で私達を見かけたらその時は気軽に声をかけてね、私と結月はあなたの事が好きだから」

鈴音も一輪の考えを尊重してか、響子にはもう協力を頼まないと鈴音はそう言った。

「はい!私も鈴音さんと結月さんのお役に立てて嬉しかったです、また見かけたら声をかけますね!」

響子はにこやかに笑ってそう言った。

「では私達はこれで・・・・・・・人妖を狩ってくれた事感謝します」

最後にお礼を含めたお辞儀をして一輪は響子を抱えてふわと体を宙に浮かすと星空へ飛んで行った。

「・・・・・・いつか、考え方の違いがあっても認め合う事が出来るといいな」

結月は響子と一輪が飛んで行った星空を見上げながらそう言った。

「そうだね、きっと出来るよ、その内にね」

木々の隙間から見える星空の光は結月と鈴音にとって小さく儚くもしっかりと光る希望のように見えた。

 

その後、数名の件頭が派遣され逸脱者の処理が行われた。

件頭は森を捜索した所、逸脱者が使用していたであろう巣を発見された。

そこからは人妖になる方法が書かれた書物と逸脱者が盗んだであろう村と集落からの農作物、そして殺された二人の商人が集めた特産品と装飾品や衣服そして二人の商人が何者なのか証明する物も見つかった。

逸脱者の巣で発見された人妖になるための方法が書かれた書物「人変獣書」には今回の逸脱者だった猿の人妖になるための方法が書かれていた。

死んで間もない猿の死骸を様々な魔力の持った草花でじっくり焼き肉から骨、脳味噌まで全て食べる事で猿の死骸に宿った思念と魔力を取り込み、体を変化させ猿型の人妖になるというものだった。

無論書物はその場で件頭によって焼かれて処理された。

盗まれた農作物はどれが何処で誰が作られた農作物なのか分からないため均等に分けられ返納された。

村々は農作物を取り返してくれた事や逸脱者の退治してくれた事に感謝して天道人進堂に取れた農作物の一部を無償で提供してくれるようになった。

そして商人達が誰なのか証明する物が見つかったので商人達の遺体は、遺品と共に家族の元に帰されその後家族の手により手厚く葬られたという。

強力な統率者を失った猿達はその後、順位争いが勃発し激化、弱体化したのち瓦解、周辺森の村々が襲われる被害は激減し逸脱者が出現する前と同じくらいになった。

こうして森は平穏を取り戻したのだ。

 

あの慌ただしい一日が過ぎ翌日にはいつもと変わらない日常が始まっていた。

今日も響子は命蓮寺の門前で掃除をしていた。

「今日も皆が気持ち良く使ってくれるよう頑張って掃除しないと・・・・」

いつも以上に気合をいれて掃除する響子。

すると響子に向かって歩いてくる集団の足音が聞こえた。

「よお・・・・・ここにいたのか、あの時の餓鬼」

声のした方を見るとそこにはこの前、人間の里であって鈴音と結月に成敗された柄の悪い男とその仲間達だった。

鈴音によって顔面を強打した男性二人は当然のように顔の周りに包帯を巻いているが、あの時逃げた仲間も何故か顔にコブや痣を負っていた、恐らくはこの集団の頭である男を見捨てた罰としてその後お仕置きされたのだろう。

「この前はよくも痛い目に合わせてくれたな・・・・今日は復讐しに来たぜ」

柄の悪い男の顔は眉間に皺を寄せていた。

しかし肝心の響子はピンと着ていない様子だった。

「元はと言えばてめえのせいで俺達はあいつらにボコボコにされたんだ、復讐は当然だろうが!」

実はこの男達は痛い目にあった原因が自分達にある事を理解せず、復讐を考えたのだが痛い目に合わせて結月と鈴音に復讐するのは何だか怖いのでその原因を作ったであろう響子に復讐する事で鬱憤を晴らそうとしているのだ。

何とも器量が小さく幼稚で臆病者な男達である。

「私はちゃんと謝りましたし言いがかりも酷い所です、大人しく帰ってもらえませんか?」

しかしあの時とは違って今日の響子は強気だった。

「弱いくせに良く吠える犬だ・・・・・・これを見てもまだ強気でいられるか?」

男達は手に持った木の棒やら鉄の棒やらを見せる。

「へへへ・・・・・・・あの時受けた何倍の痛みを味あわせてやる」

男の人達五人に対して響子一人、状況は圧倒的不利だが響子に怯えはなかった。

「・・・・・どうしても退かないのであれば、痛い目に合わせますよ?」

むしろ逆に挑発したのだ、あまりの強気発言に動揺が隠せない男達。

「チビの癖に・・・・・お前らやっちまえ!」

そう言って武器を掲げ襲いかかる男達。

響子は大声をあげながら迫って来る男達に対して瞳を閉じて大きく深呼吸をした。

そして喉に力を込め大きく口を開けた。

その直後、多数の銃声が命蓮寺中に大きく鳴り響いた。

「響子!今の音は一体どうしたので・・・・・すか」

驚いた一輪が門を開けるとそこにはいつも通り掃除をする響子とその響子の前で完全に気を失った男達が武器と共に地面に倒れていた。

響子はこんな事もあろうかと射撃場で聞いた音をちゃんと覚えていたのだ。

多数の銃声は彼女の能力と相まって命蓮寺中に響くほどの大音響として発せられ至近距離でその音を聞いた男達は驚き常軌を喫した爆音に耳が耐え切れずその場で気を失ったのだ。

響子は何事もなかったかのように一輪に笑顔を見せる。

「何でもないですよ、ただ迷惑なお猿さん達に大人しくしてもらっただけです」

鈴音と結月と出会い一回り成長した響子はさり気なく毒舌を添えてそう答えた。

 




第十録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?これで第二話は終わりとなります。
拙い文章や表現はあったかと思いますがここまで読んでくださった読者様には本当に感謝しています。
次回からは第三話目となり東方を代表するあの有名な三名が登場するので楽しみにしていてください。
それと次回からは話が長くなります、正直色々詰め込み過ぎました。
ハッキリ言ってしまえば第二話の二倍くらいあります、一応一録ずつ切ってありますが・・・・・。
読んでいる読者様が退屈に感じないか不安ですが不安と希望を抱きながら頑張って投稿していこうと思います。
それではまた金曜日に。


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第十一録 月明かり覆う黒い翼 一

こんばんは、レア・ラスベガスです。
さて、先日この小説を事前に読んで評価して貰っている友人から前書きはあまり長く書かない方が良いと指摘を受けよく考えた上で自分でも一理あると思い、今回から前書きは短めにする事にしました。
今回から第三話に入りますが何卒宜しくお願い致します。
それでは第十一録更新です。


月が照らされ静寂に包まれた夜の幻想郷。

夜は多くの妖怪が活発になる時間帯なのだが彼らは人間のように騒いだりあちこち回ったりする様な事はあまりしない、多くの妖怪は自分のお気に入りの場所からあまり離れたがらない傾向があり出掛ける時は何かしら用事がある時か、それとも人間を狩りに行く時だけだ。

その人間狩りでさえお気に入りの場所で人間が来るのを待っている妖怪も多い。

そのため夜はとても静かで聞こえるのは囁く様な風の音と梟の鳴き声そして夜雀の歌声が遠くで聞こえる程度だ。

例外として騒霊で名高いプリズムリバー三姉妹の気紛れ演奏会や、月一である夜通し続く命蓮寺の読経、不定期に行われる鳥獣伎楽の演奏会のある日には妖怪も比較的活発に行動する。

とはいえ、それでも妖怪が活発に動くのは演奏会が行われている場所周辺のみであり、幻想郷中に住む妖怪が最も活発になるのは年に一度あるかないかの「異変」の時のみである。

月光が照らす森林、その中でも一際大きい木の茂みに人影があった。

それは黒づくめの忍者の様な衣服に身を包み、首には黒の長細い布をマフラーのように巻いている、左目に大きな傷跡のある人間だった。

「夢見刻、優しく照らす、月夜かな」

人間が寝静まり夢の世界に旅立っている頃、幻想郷を照らす夜空の月は夢見る人間を優しい光で包み静かな眼差しで見守っている。

星空に浮かぶ月を見上げそう一句したためた。

風馬(ふうま)そう呼ばれているこの人間は件頭であり天道人進堂が設立されたころから件頭として幻想郷に暗躍している熟練者中の熟練者で他の件頭にとって憧れる存在だった。

性別は男で年齢は30代後半、経歴が全くの不明で鼎との出会いの経緯もよく分からない。

腕前は凄腕だが多くの事が謎に包まれた男だった。

「・・・・・・」

風馬は月を見上げてからじっとその視線を月から放さない。

件頭になって随分と長い、自分が件頭になってから現在に至るまで幻想郷の様々な場所を周り様々な出来事を経験してきた。

昼間は幻想郷を走り回り様々な情報を集め、夜になれば休息がてら空を見上げ月を、月がない時は星空を見てその日の疲れを癒すのが風馬の日課だった。

だからこそ月を見上げると過去に経験してきた出来事が脳裏を駆け巡るのだ。

「後二日経てば満月か・・・・・・」

風馬は少しだけ欠けた月に自身の記憶にある満月を重ね合わせそう言った。

長く件頭をやっているため並みの人間よりも様々な出来事を経験した風馬の中でも印象深い出来事があった。

それはまだ風馬がまだ件頭になって間もない頃の今の彼からは想像できないくらいの失敗談だった。

あの大きな失敗は今でも鮮明に覚えており風馬が気持ちを引き締めたい時に常に思い出すそんな出来事だった。

 

それは何事もない平穏が続いていた時だった、突如赤い霧がたちこめ数日たっても晴れる兆しがなく、むしろ幻想郷中に広がっていき、ついには結界の張られた人間の里も赤い霧に覆われた。

この赤い霧は日の光を遮り夏だというのに肌寒く感じられるほど気温を下げ幻想郷を薄暗い世界に変えてしまった、さらに赤い霧には微力の妖力が含まれており人間がその霧を吸うと気分が悪くなった。

そのため人間の里を含め幻想郷中にある村や集落に住む人間は一歩も外に出る事が出来ず家に閉じこもって出られない異常事態になっていた。

無事だったのは鼎が天道人進堂の周囲に設置した結界の発生させる術式が刻まれた結界石によって作られた強力な結界の中だけだった。

そのため天道人進堂は人間の里や村や集落から逃げるようにやってきた人間でごった返していた。

それでも大きな混乱が起きなかったのは鼎の迅速で正確な対応と備蓄していた災害が起きた時用の大量の食糧があったからこそだった。

後に「紅霧異変」と呼ばれるこの異常事態の最中、若かりし風馬はこの赤い霧の発生源を探していた。

かつてない幻想郷の異変に若気の至りからか鼎の命令である天道人進堂での待機命令を破り赤い霧の正体と発生源を掴もうとしていたのだ。

「話によればこの先のはずだ・・・・・・・」

風馬は赤い霧発生直後から情報を集め天道人進堂に避難してきた人達からの話を分析し赤い霧の発生源である場所を大まかに特定していた。

赤い霧の正体と発生源を突き止め出来るなら止めようと思ったのだ。

忍者さながら森の木々を飛び移りながら発生源へと向かう風馬、彼はこの時のためにある程度の武装を集め、酸素や窒素などは通すが妖力は通さない不思議な素材で出来た布で口と鼻で覆いマスクのようにしていた。

これである程度の時間なら赤い霧の中でも活動が出来た。

森を抜け地面に着地をするとそこは妖怪山の麓にある霧の湖だった。

ここは異変でなくとも昼間は常に霧で覆われている事で有名な湖だが、赤い霧で幻想郷が覆われている今、霧の湖の霧も赤く染まっていた。

「大分ここは霧が濃いな・・・・・」

赤い霧の濃度が高くなり妖力を通さない布の限度を超え赤い霧の妖力が微量ながらも体に入って来る、今は少しだけ倦怠感を感じる程度だがそう長くないうちに気分が悪くなりそのうちにその場から動けなくなってしまうだろう。

そうなる前に早くこの赤い霧の正体と発生源を突き止め、止めなくてはいけなかった。

一方で赤い霧の濃度が高くなったという事は発生源に近づいているという証拠でもあった。

(発生源はこの湖の近くなのか?)

霧の湖を見渡す、しかし視界は赤い霧のせいで不良であまり良く見えなかった。

しかしじっと目を凝らして視線を動かすと赤い霧の奥でぼんやりと浮かぶ大きな影を見つけた。

「あれは・・・・・・」

風馬はぼんやりと浮かぶ影の正体を突き止めるようと走り始めた。

もしかしたらあそこが発生源ではないか?そう思ったからだ。

ぼんやりと浮かぶように見えていた大きな影は徐々に鮮明になっていきついにその全容が分かった時、風馬は足を止めた。

「これは・・・・・一体なんなんだ?」

ぼんやりと浮かんでいた大きな影の正体、それは高い塀に囲まれた巨大な西洋建築の建造物だった。

その大きな建造物には窓が着いている事や屋根が着いている事から恐らく何者かの屋敷である事は間違いなかった、屋根の上に煙突と何故か時計塔が設置されており煙突からは煙が出ていた。

風馬は確信した、恐らくこの建築物の何処かに赤い霧の発生源がある事を・・・・・。

(この建築物の入る場所を探さなければ・・・・・)

正面玄関には門番らしき女性が立っており実力は分からないが赤い霧の中でも平然としている様子から人間ではなく妖怪である事は理解でき、門番を任せられるくらいだから確かな実力を持っていると思われた、玄関からの侵入は無理そうだった。

そこで風馬は身体能力の高さと身軽さ、そしてかつて忍者が使っていた技巧を最大限有効活用し屋敷を囲む高い塀を飛び越えた。

「ここは・・・・」

風馬が降り立った場所、そこはこの建築物の中庭だと思われる場所だった。

幻想郷と飛び回る風馬でも見た事ない花が植えられており、茎に棘が生え葉っぱも棘状な赤い花びらが幾つも折り重なった花が綺麗に咲いていた。

赤い霧に覆われているはずなのにその赤い花はしっかりと自分の色を主張していた。

綺麗に一寸の狂いもなく赤く咲き誇る花々の世界に一瞬心を奪われそうになるが自分の役目を思い出す。

(見とれている場合ではじゃない・・・・早く赤い霧の発生源を突き止めなくては・・・・)

風馬はそう思い気配を殺して進もうとしたその時だった。

「あら?私のお花畑に先客がいるみたいね」

声のした方を見るとそこには見た目は十歳もいっていないであろう人間の子供くらいの体形をしているが背中には大きな翼の生えた幼女と十代後半だと思われる女性がその幼女に寄り添って立っていた。

風馬と翼の生えた幼女とその傍いる女性とは距離があり霧が濃い事もあってハッキリとその姿は見えない、ぼんやりとした陰影だけが浮かんで見える程度だ。

「ええ、そのようですね、お嬢様」

目の前に侵入者がいるというのに幼女の様な妖怪に寄り添う女性はまるで警戒していないようだった。

「お前達は・・・・・何者だ?」

赤い霧の事も聞きたかったがまずは相手が何者なのか知りたくなった。

それは彼女達と赤い霧との関係性が不明なためまずは彼女達が何者なのか知る必要性があった。

「あら?わざわざ侵入しておいて自分から名前を名乗らないなんて失礼じゃない、件頭さん?」

大きな翼の生えた幼女の口からごく自然に出た件頭という言葉を風馬は一瞬聞き逃しそうになった。

(何故この幼女・・・・いや幼女の様な妖怪は何故自分が件頭である事を知っているんだ?)

件頭は村や集落は愚か人間の里でもまだ認知されていない最近設立されたばかり隠密集団だったからだ。

件頭を認知しているのは鼎を含め件頭である自分と仲間、そして一部の人間だけだった。

「戸惑い・・・・・あなたの心に戸惑いを感じるわ、何故自分が件頭である事を私が知っているのか、何故私が件頭の事を知っているのか・・・・・さしずめ理由はそんな所かしら?」

大きな翼が生えた幼女の様な妖怪は的確に風馬の心を読んでいた。

「あなたが何者なのかこちらは分かっているのよ、さっさと名乗ったらどう?」

この大きな翼が生えた幼女の様な妖怪はそのいでたちや従者と思われる女性も連れている事からただの妖怪ではなさそうだった。

少なくとも戦っても勝てそうもない相手である事は理解できたので今は言われた通りにした方が身のためだった。

「・・・・・風馬だ、それが俺の名前だ」

風馬は仕事上での名前であり本当の名前もあるが決して名乗ってはいけないとされていた。

「そう、それがあなたの仕事上での名前なのね」

大きな翼の生えた幼女の様な妖怪は風馬が本当の名前ではない事も分かっていた。

それは件頭が一体どういう存在なのか、良く理解している事を示していた。

「・・・・・・・本名は決して語らぬ以上、風馬は仕事上での名前でもあり実質本名だ、自己紹介はした、今度はそちらの番だ」

そう聞いた風馬だが大きな翼の生えた幼女の様な妖怪はすぐには返答をしなかった。

「・・・・・・あなた、幻想郷中を回って情報を集めるのが仕事ならこんな噂位は聞いた事はあるわよね・・・・幻想郷の何処かに『紅い悪魔』(あかいあくま)が住んでいるって」

紅い悪魔、その言葉を耳にした時、風馬は息を詰まらせた。

幻想郷に何処かに紅い悪魔と呼ばれる遠い異国からやってきた人間の生血を吸う吸血鬼と呼ばれる異国の妖怪が住んでおり、幼いながらも幻想郷を揺るがすような強大な力を持っているとされている。

幻想郷に住む人間の多くがその噂を一度は耳にした事があり風馬も例外でなかったが、誰もその吸血鬼を見たという人間はおらず、また住んでいる所も誰一人知らないため、ほとんどの人間が信憑性のない噂か作り話だと思っており風馬も自身もそうだと思っていた。

この時までは・・・・・。

「その紅い悪魔こそ私よ」

あの噂話は本当だった事を知り心臓が一気に跳ね上がる。

大きな翼の生えた幼女は妖怪ではなく吸血鬼であり、もし噂が全て本当なら目の前にいる幼女の様な吸血鬼は幻想郷の中でも八雲紫と並ぶ指折りの実力者という事になる。

今自分の目の前にいるのは人間とは比べ物にならないほどの絶大な力を持った存在かもしれないのだ。

もしそうだとしたら今の自分はうかつにそんな力を持つ吸血鬼の攻撃範囲に不用意に飛び込んできた愚かな人間だという事になる。

風馬は自分の迂闊さを後悔していた。

「でも、まさか博麗の巫女より先にここに辿り着く人間がいるとわね」

一方紅い悪魔は風馬が自分の所まで辿り着けていた事を褒めていた。

風馬は紅い悪魔の言葉を聞き逃さなかった。

紅い悪魔はここに博麗の巫女・・・・・博麗霊夢がやってくると思っている。

幻想郷の秩序を保つ役割を任させている霊夢がここにやってくるという事はここが赤い霧の発生源である事やこの紅い悪魔がそれに一枚噛んでいるという事を示していた。

しかし気になる事もある。

霊夢が赤い霧の発生源を止めるためここにやってくるのは考えられる事だろう、しかし彼女の口ぶりでは幻想郷の創造主であり幻想郷の所有者である妖怪の八雲紫や他の妖怪ではなく人間の巫女である博麗霊夢がやって来るという事を事前に知っているようだった。

一体これはどういうことなのか?

「流石はあの男が件頭に選ぶほどの者ね」

あの男、紅い悪魔は風馬の主人でもある鼎の事も知っているようだ。

何故、紅い悪魔は鼎の事を知っているのだろう、風馬の謎は深まっていくばかりだった。

「ここまで来れたご褒美として教えてあげるわ、この赤い霧は私が作ったものよ、つまり今起きている幻想郷の異変は私が引き起こしたのよ」

大体予測は着いていたが、いざそう言われると驚きを隠せない。

この幻想郷を覆う赤い霧はこんな小さな吸血鬼によって引き起こされたのだ。

つまりそれはこの幻想郷を覆うほどの赤い霧を出せるほどの力を持っているという事でもあった。

どうやら噂は全て本当だったようだ。

風馬は自分の思い上がった正義感から出た行動がどれほど甘かったか反省・・・・いや後悔していた。

「何故こんな事をする?・・・・・何が目的なんだ?」

畏怖すべき紅い悪魔を前に震えながら、そして赤い霧を吸い続け倦怠感が強くなり呼吸すら大変になりながらもそう聞いた風馬。

万が一ここで殺されようとも何故こんな事をするのかそれだけは知りたかったからだ。

「知らない方が良いわ、知ってしまったら多分、腰が抜けてここから動けなくなるもの」

一体どんな事なのか?幻想郷の均衡が変わってしまう程なのか?

「あなたと話し込んでいたら花見をする気が削がれたわ、それにそろそろ博麗の巫女を迎撃する準備をしないといけないわね」

霊夢は幻想郷の守護者を任せられるほどの人間なので人間の中では強い力の持っており並大抵の妖怪相手なら簡単に蹴散らしてしまう程の実力者ではあるがそれでも人間なので、これ程の力を持つ吸血鬼と戦っても勝ち目は薄そうなのだが・・・・。

紅い悪魔はそんな風馬の考えを見透かしたかの様な笑みを浮かべ少し思慮した後、風馬に話しかける。

「そうね・・・・・せっかくだから伝言を頼めるかしら?帰ってあの男に伝えなさい、一度しか言わないからよく聞きなさい」

鼎への伝言?一体何を伝えようとしているのか?

聞き逃さないよう耳に精神を集中させる風馬。

「今日を持って幻想郷の規律が変わった、私達は殺し合う武器を捨てあなた達は殺し合う武器を持った・・・・・そう伝えなさい」

流石は件頭という事もあって一字一句聞き逃さなかった風馬。

殺し合う武器を持った・・・・その意味は理解できた。

恐らくは天道人進堂で件頭と同時期に設立された逸脱審問官の事を指しているのだろう。

人間が人間だった者を殺すための存在、結局は人間同士で殺し合う存在が生まれた事を紅い悪魔はそう比喩したのだろう。(悪意の有無は定かではないが)

しかし前半の言葉の意味は全く分からなかった。

妖怪が殺し合う武器を捨てる?もう二度と妖怪同士で争わないという話だろうか?

だが妖怪が仲良く手を取りやって和解する姿など風馬には想像できなかった。

「ここまで来られたあなたの勇気を讃えて無断侵入した事は特別に見逃してあげるわ、早くあの男の所に戻りなさい」

風馬は逃げるように紅い悪魔の屋敷を後にすると満身創痍の状態で天道人進堂に戻ってきた。

着いて間もなく意識を失った風馬は天道人進堂の医療室に担ぎ込まれ治療を受けた。

他の人間より濃い赤い霧を吸ったせいで機能疾患を起こしてしまったのだ。

意識を取り戻したのはその数日後で、目を覚ましたやいなや鼎がやってきて風馬は厳しいお叱りを受けた。

「風馬よ・・・・・・私は動くなといったはずだぞ、危険に身を飛び込むのは帰れる算段があってこそだ、今のお前はどうだ?思い上がりな正義感がどんな結果をなるか・・・・身に染みただろう」

そして命令を破った罰として十枚に及ぶ反省書の提出と一カ月の謹慎(これはどちらかと言えば休養に近いが)をもらった。

風馬は鼎から自分が気を失っている間に博麗の巫女と箒に乗った霧雨道具屋の娘が赤い霧の発生源であったあの建築物・・・・・紅魔館(こうまかん)に乗り込み紅い悪魔を打ち負かし異変を解決した事を聞かされた。

風馬にとってそれはとても信じられない話だった。

そして風馬は紅い悪魔から受け取った伝言をつたえると鼎はある事を教えてくれた。

「そうか・・・・・幻想郷は大きな転換期を迎えたのだな」

鼎は紅い悪魔の言葉の意味を瞬時に理解し風馬に説明し始めた。

妖怪同士が対立した時、互いの実力をぶつけて戦う事で決着を着けていた従来の決闘のやり方は幻想郷の均衡を崩しやすく、また一部の強い妖怪が幻想郷の頂点を目指そうと殺し合う事で妖怪全体の影響力が弱体化し、さらには幻想郷の自然や人間にも甚大な被害をもたらす危険性があった。

そこで弾幕勝負というスペルカードを用いた、実力関係なく平等な場で平等な力で勝負し勝敗が決まりやすく、負けても死なない全く新しい決闘方法が八雲紫の他、幻想郷指折りの妖怪達によって作られ幻想郷中に施行され幻想郷に住む妖怪達にこの決闘方法を従わせた。

その弾幕勝負の制定には紅い悪魔も深く関わっており、彼女は平穏が続き平和ボケをしていた人間達に妖怪の力を見せつけるため赤い霧を発生させ人間達を恐怖と不安に陥れた後、赤い霧を止めにくるであろう霊夢が次々と現れる妖怪に対して新しい決闘方法、弾幕勝負で挑み勝ち続け、最後は自分と戦う事で弾幕勝負の有効性を試していたのだ。

つまり一連の赤い霧の異変は平和ボケをしていた人間達に妖怪への怯えと恐怖を刻みつけるのと新しい決闘方法である弾幕勝負が本当にちゃんと機能するかの実験だったのだ。

そのため紅い悪魔自身は勝っても負けても人間である霊夢が弾幕勝負で自分の所まで辿り着けただけでも目的は達成していたのだ。

最も紅い悪魔自身は吸血鬼が日の光を浴びると灰になってしまうという致命的な弱点を持っているため赤い霧で幻想郷中を覆えば日の光が遮られ昼夜問わず外に出て遊ぶ事ができるのではないだろうかという単純かつ自己中心的な理由で起こしたのだろうと鼎は語った。

それを聞いた風馬はあの時の紅い悪魔の言葉を思い出して頭を抱えた。

(腰を抜かすか・・・・・確かに腰が抜ける・・・・あまりにも下らな過ぎて)

そんな理由のためだけにどれだけ多くの人間が苦労した事か・・・・・。

そんな呆れの一方で紅い悪魔と名乗っておきならまだ幼い姿をした吸血鬼らしい理由だなとある種の尊敬の念を感じずにはいられなかった。

妖怪とは本来自分勝手な物だ、吸血鬼も例外ではない、そう考えるならばこれも立派な異変の理由だろう。

「私にも妖怪にもそれなりの人脈があってだな・・・・弾幕勝負の事や紅い悪魔が何かしらの異変を起こす事を事前に聞かされていたのだ、博麗の巫女が異変を解決しに来る事もな、霧雨道具屋の娘は予想外だったが・・・・とにかくそういう理由があったからこそお前に待機命令を出していたのだ、もし私も事前に何も知らなかったら情報収集するよう命令を出していた、もし命令に納得できなければまずは私に言いに来なさい私も人間だから間違っている事もあるからな、これ以後勝手な個人行動は慎むように」

そう諫められ項垂れる風馬に鼎は最後にこう言った。

「私はお前が一流の件頭になってお前の後に続く件頭の憧れになれると見込んでいるからな」

その言葉を聞いて風馬が顔を上げた時、鼎は既に医療室を後にしていた。

風馬はその夜、医療用のベッドに横たわりながら窓から月を見ていた。

赤い霧が半月以上に渡って覆っていたためこうして月を拝むのは久しぶりだった。

幼い頃から身近に月があったため特に何も感じず夜空に浮かぶ天体と言う印象しかなかった。

しかし今こうしてみている月はとても暖かく優しい光に溢れていた。

月はその暖かく優しい光を惜しげもなく幻想郷に振りまく。

その月の光は風馬を優しく慰めているように感じた。

そんな月に対して風馬は自らの失敗を素直に受け止めると共にこの失敗を乗り越え立派な件頭になってみせると心に決めたのだ。

 

そして現在、風馬は「鼎の千里耳」と呼ばれる程の一流の件頭になっていた。

情報専門の隠密集団件頭の長であり、鼎も風馬を最も信頼し風馬が戻ってきた時は常に風馬の話に耳を傾け、重大な任務を任せる際には風馬、もしくは手練れの件頭と風馬の同行で生かせるほどだった。

あの大きな失敗があったからこそ風馬は一流の件頭になり、他の件頭から憧れる存在になったのだ。

だからこそあの大きな失敗の起因でもあり原因でもある紅い悪魔の存在は風馬にとって特別印象深いものだった。

「思えばあいつとの出会いが俺を大きく変えた」

色々な経緯が経て鼎に見込まれ件頭となったものの最初の頃は他の件頭と比べてもさして秀でているという部分はなく、件頭の中でも中の中くらいだった。

それが紅い悪魔と出会ってから風馬は件頭としての頭角を現し数々の困難な任務を達成し経歴実力ともに一流の件頭に上り詰め隠密集団件頭の長にまでなった。

そういう意味では紅い悪魔との出会いが風馬にとって大きな転換期だった。

もしあの大きな失敗がなければ紅い悪魔と出会ってなかったら今の自分はなかったのかもしれない。

だからこそあの大きな失敗と紅い悪魔の存在は風馬の胸に強く深く刻まれていた。

「まるであの紅い悪魔に運命を変えられたような気分だ」

そう感慨深げに月を見上げていた風馬がふとある方向を見る。

夜空に飛び回る幾多の小さな黒い影、ここからは良く見えないが妖怪ではなく動物、鳥に近い姿をしているが普段我々が見る鳥ではない。

羽ではなく膜の様な翼、黒い体、口には二本の小さく鋭い牙が生えている。

蝙蝠、昼間は洞窟や屋根裏など日の当たらない所でじっとしているが夜になると動物の血を求めて単独あるいは群れを成して飛び回る動物だ。

噂ではあの紅い悪魔の使い魔も蝙蝠とされている。

蝙蝠の様な翼を持ち生血を主食とし日が沈んだ夜に活動するなど共通点も多いため吸血鬼の使い魔としてはとても良く似合っているだろう。

「今日もか・・・・・」

風馬がそう呟いたのはこの光景を見るのは今日が初めてじゃないからだ。

ああやって蝙蝠が群れをなして飛び回るようになったのは二日前からで蝙蝠の数は日に日に増えている。

蝙蝠は群れを成して飛び回るのは珍しい事ではないがあそこまで多いのは滅多になかった。

蝙蝠の中でもかなり強い個体が生まれ周辺の蝙蝠を支配下に置いているのか、それとも・・・・・・。

「・・・・・やはり最近起きている『あれ』と関連性がある事なのか?」

風馬には一つ心当たりがある事があった、それは蝙蝠の群れと同時期に発生している不可解な事件である。

風馬は不穏な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。




第十一録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて今日はクリスマスですね、クリスマスは元々キリスト教のイエス様御生誕を祝う祝賀行事でしたがそれがどういう訳か日本ではサンタクロースが子供達にプレゼントと夢を送る行事になってしまいました。
時代の移り変わりや場所によって意味ややる事が変わっていく行事は多いですがクリスマスは既にこの形に固まりつつあり今更ああではない、こうではないというのは余り良くないと私は思います、正確には間違っているのは確かですが時代や場所によって変わっていくのは致し方ない部分もあります、従来の形をそのまま押し付けたって浸透はせずその土地に合わせていく事も必要なのです。
バレンタインデーも元々はキリスト教関連の行事でしたがお菓子メーカーの陰謀で・・・・・冗談はさておいて異性にチョコを送り合う行事となりました。
最近では異性だけでなく親しい人や家族、自分自身に送る人も増えて来てまた形を変えつつあります。
形だけにこだわり廃れていく行事がある中、形を変えつつも残り続ける事には意味があるのではないかと考えてしまいます。
そう考えるならば最近騒がれるハロウィンもあれ程大きく騒がなくてもとは思います、私はあれは日本の形に合わせたクリスマスやバレンタインデーに次ぐ新たな行事だと思っているのですが・・・・・・。
とはいえ迷惑行為をする人達がいるのも事実、ハロウィンが新たな日本の行事として加えられていくのか、それとも廃れていくのか長い目で見守っていきたいです。
それではまた来週、金曜日に。


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第十二録 月明かり覆う黒い翼 二

こんばんは、レア・ラスベガスです。
今年の小説の更新もこれで最後となりました、来年も頑張って投稿いきますので宜しくお願い致します。
それでは第十二録更新です。


本拠の最下層にある精神と肉体を鍛える場所、鍛練の間。

その鍛練の間にある射撃場、その射撃場の射撃台の前に並ぶように立つ二人の女性とその後ろで二人の女性を見守るように見ている男性三人の姿があった。

射撃台の前に立つ彼女達の手には逸脱審問官正式装備小銃であるスナイドル銃が握られており彼女達はボルトを解除し遊底を開くと台の上に置いてあった金属薬莢を薬室へと詰め、遊底を閉じてボルトでロックする、そして撃鉄を起こし銃床を肩に当てると引鉄に指をかけた。

そして束の間の静寂、それは嵐の前の静けさのようでもあった。

彼女達は互いに瞬時に撃てるよう引鉄を搾りながら標的が出てくるのを待っていた。

射撃台の向こう側、彼女達から5m地点の場所から突然、二つの白黒の的が現れた。

銃声、的が現れて一秒とたたず放たれた銃弾は現れた二つの白黒の的の中央を貫いた。

彼女達は発砲したと同時に遊底を開いて空薬莢を排出すると次の金属薬莢を詰めて遊底を閉じ撃鉄を起こす。

それと同時に彼女達の前に一つずつ白黒の的が先ほどより離れた場所に現れるがすぐに銃弾が中央を貫く。

まるで銃弾が意志を持って白黒の的の中央に向かって飛んでいくような感じに見えるがそんな事はなく彼女達の卓越した射撃技術が銃弾を白黒の的の中央に当てているのだ。

その後も次々と現れる白黒の的だが彼女達は焦ることなく排莢、装填、発砲を行う。

次第に白黒の的も現れる間隔が短くなったり白黒の的が動いたり、撃ってはいけない赤白の的が白黒の的の前を横切ったりするが彼女達は的確に白黒の的の中央を貫いていく。

射撃台の上に置かれた金属薬莢はそれぞれ一発ずつとなり彼女達は空薬莢を排莢するとそれを薬室に詰めボルトでしっかりと固定し撃鉄を起こし構えた。

最後に現れた彼女達から30mも離れた直径15センチを白黒の的に彼女達はしっかりと狙いを定め引鉄を引いた。

バァン!銃声と共に放たれた二つの銃弾は山なりの弾道を描きながら白黒の的に命中した。

発砲の後の静寂、射撃台の向こう側を銃口から吹き出す硝煙越しに見つめる彼女達は射撃の構えを崩さない。

「・・・・・・・・はあ、流石狙撃手を任されているだけの腕はあるね、智子」

一息つき射撃の構えをやめる鈴音。

「あなたこそ、全く射撃の腕が落ちていないようで安心したわ」

智子も極度の緊張から解放され額から汗を流しながらそう言った。

「智子先輩も凄いが・・・・・まさか鈴音先輩があれほど小銃の扱いに長けていたとは・・・・」

鈴音と智子を後ろで見守っていた結月は表情では出さないがかなり驚いている様子だった。

一方の蔵人と修治は特に驚いた様子はない。

彼等にとってこの光景は見慣れたものだった。

「鈴音は逸脱審問官になるための射撃試験の時、小銃の試験で的のほぼ中央に全弾命中させた程の腕前だ、俺も最初は信じられなかったが・・・・・これがその何よりの証拠だ、正直俺でもあんな芸当は出来ん」

いつもは鈴音を小馬鹿にしている蔵人も鈴音の射撃の腕前だけは素直に褒めている様子だった。

「僕も鈴音さん程とはいかなくても、もう少し小銃の扱いに上手かったら良かったらと思ってしまいます、自分は射撃試験の時、合格基準ギリギリでしたから・・・・」

修治は羨ましそうに鈴音と智子を見つめる。

「修治そう思うのなら気合を入れて練習しろ、願うだけじゃ叶えられんぞ」

蔵人の考えも真っ当だが結月には鈴音の射撃技術は才能の域なのだろうと思った。

才能とか特別とかそう言う言葉は好きではない結月も鈴音と智子の射撃技術は常人の人間では努力しても辿り着けそうにない生まれ持った素質なのだろうと思ってしまった。

最もそう思う結月自身も他の人からは生まれ持った素質を持っていると思われている人間だった。

結月自身は努力してこの体を手に入れたと思っているが訓練施設時代に一緒に通っていた訓練生からは羨まれたり時には嫉妬されたりする事もあった。

それは結月にとって悔しい一方で寂しい事でもあった。

「よいしょっと・・・・」

射撃場の左右の壁に設置されたレバーを引くと先ほど鈴音と智子が撃った白黒の的が地面から現れる。

現れた白黒の的にどれだけ当てられたか、また白黒の的のどこら辺に当てられたか確認するためだ。

結月と蔵人と修治は射撃台の隅に設置された簡素な扉を開けて射撃台の向こう側に入り確認に向かう。

「相変わらず良い腕だ・・・・・」

現れたであろう白黒の的は全て撃ち抜かれておりそのほとんどが白黒の的の中央を貫いていた。

射撃台の向こう側は的を出すための網目状に穴が掘られておりそれに足を取られないよう気をつけながら鈴音と智子が撃ち抜いた的を見ていく。

そして一番奥にある最後に撃った白黒の的の前で結月と蔵人と修治の足が止まる。

最後に撃たれた二つの白黒の的、鈴音の方は白黒の的の中央を正確に貫いていたが、智子の方は中央を貫いているものの銃弾の弾痕は中央の黒の周りにある白に僅かにはみ出していた。

「最後の的だけ智子の弾痕に若干のズレを確認した、鈴音の方は正しく中央を貫いている」

蔵人の報告を聞いた鈴音は少しだけ嬉しそうな顔をした。

いや、彼女の性格から考えればもっと喜んでいても良いのだが負けた智子のためにその感情を抑えつけている様に見えた。

蔵人と修治から射撃手を任されている智子にとって僅かな差であっても負けた事はとても悔しい事だと鈴音は分かっていたからだ。

「今回は私の勝ちだね、智子」

今回は、とつけたのは次戦ったら勝てるかどうかの分からない程の僅差だったと勝てたのは運によるものだと智子をさり気なく擁護しているのだ。

「お世辞はいいわよ鈴音、あなたは私に勝って私はあなたに負けた、それだけよ、自分が負けた事をちゃんと認めないと強くなれないわ・・・・・」

一方の智子はこの僅差が例え運によるものだとしても運も実力の内だと思い、負けた事を認めていた。

智子は負けた事に言い訳をしない強い女性であった。

「それに今はあなたに負けた事よりもあなたが相変わらずの射撃の腕前を持っている事に安心した気持ちの方が勝っているわ、こうやって競い合ったのは久しぶりだもの、最近はあまり射撃練習をしている様子を見なかったし・・・・・心配していたのよ」

智子の言葉に息を詰まらせる鈴音。

そこへ射撃台の向こう側から結月と蔵人と修治が戻って来る。

「そ、そんな事ないよ・・・・・ちゃんと智子達がいない時間帯で練習をしていただけだよ」

ぎこちない笑顔でそう答えた鈴音。

真意は定かではないが智子はそう・・・・と答えた。

「・・・・・・鈴音、やっぱりあなたもう一度狙撃手に転身した方が良いんじゃないかしら?」

智子のその言葉に思い詰めたような顔をする鈴音。

蔵人も修治も若干驚いたような様子だった。

「お、おい智子、それは・・・・」

智子の言葉を制止させようとする蔵人だが智子はそれを無視して話しを続ける。

「あなたの素質を見れば狙撃手の方が向いているしそっちの方が逸脱者を断罪しやすいと思うのよ、確かにあなたの刀や拳銃の使った近接戦の戦い方も悪くないと思うけど狙撃手の方があなたの能力を最大限に発揮できるし月見ちゃんの能力も上手く使えばあなた単独で一発も攻撃を受ける事もなくそれどころか逸脱者が気づかないまま断罪する事も出来るわ」

鈴音は顔を下に向け怯えた様な表情で手に持った銃をぐっと握っていた。

「結月は私達の方に任せてね、あなたは狙撃手に戻って他の審問官と組んで逸脱者の断罪を行った方が良いと思うのよ、あの事だって元を正せばあの人が・・・・・」

智子が話を遮るように鈴音が口を開いた。

「ごめん智子」

顔を上げた鈴音、その顔は笑っていたがいつもの明るさは感じられない。

「私はもう狙撃手には戻らないって決めたんだ、小銃ももうこの銃しか握らないって決めたから」

その顔を見て智子は少し戸惑いを浮かべた後申し訳なさそうな顔をした。

「・・・・・・そう、ごめんなさい・・・・・無理を言っちゃって」

ううん、と首を横に振る鈴音。

「大丈夫、智子の気持ちも分かっているから・・・・・でも私はこれで行くって決めたんだ」

そういつもと比べ元気のない声でそう言った鈴音。

そんな鈴音を見て結月はある既視感を感じていた。

(あの顔・・・・・・確か射撃試験の話の時や霊夢の時に・・・・・)

結月の脳裏に関連性のある出来事が鮮明に蘇る。

だが流石にあいつの成績には勝てないな・・・・・今でも信じられないがな。

思い出せば蔵人がそう言っていた時も鈴音はあまりいい顔はしてなかった。

あいつの二の舞いにはならないようにね。

霊夢がそう言った時は明らかに怯えていたし自分が何かどうしたのかと話しかけようとした時も無理に笑顔を作って話を逸らしていた。

(そういえば鈴音に初めて会った時も・・・・・)

それは鈴音が自分を見てまだ新人だった頃の自分の過去を重ね合わせた時だった。

あの時の鈴音は悲しそうな目をしていた。

(あいつ・・・・・・それと何か関係があるのか?)

そう思う結月であったが鈴音はすぐにいつもの自分を装った。

「さて、練習も終わったし今日はこれくらいにしようか、結月も疲れたよね?」

ああ、と瞬間的に堪えてしまったが結月からしてみれば今日は準備運動と軽い連携練習と射撃訓練だけなのでそれほど疲れてはいなかった。(汗はかいていたが)

「じゃあロッカールームに戻ろうか結月、お先に失礼するね」

月見ちゃんが鈴音の背中をつたって肩に乗ると鈴音は階段の方に足を向けた。

結月の肩で首を傾げる明王、その気持ちは結月も同じだった。

「では俺もこれで・・・・」

蔵人達に軽く会釈すると蔵人はああ、と手短に答えた。

結月が鈴音の後を追おうと蔵人達に背中を向け歩き始めたその時だった。

「智子・・・・・お前らしくない思慮浅い発言だぞ、お前には鈴音の気持ちが分からないのか」

蔵人の声、珍しく智子を叱っていた。

「ごめんなさい・・・・・・でも私は鈴音の気持ちがわかった上でそう言ったのよ、あの子は才能を無駄にしていると思うのは狙撃手をやっている身からして当然の思いよ・・・・・鈴音は悪くないもの・・・・・悪いのは全部・・・・」

智子も珍しく蔵人に反論していた。

「智子さん、そこまでにしてください・・・・・鈴音さんが悪くなくても彼女が触れてほしくない所を無理に引き合いに出すのは幾ら才能云々でも悪い事だと思います、もうその話はしないようにしましょう」

修治も先輩である智子に対して異議を述べるなど何処かいつもらしくなかった。

「・・・・・そうよね、本当にごめんなさい・・・・・鈴音にはもうこの話はしないようにするわ」

蔵人と修治の言葉に智子はそう反省の言葉を述べていた。

結月は蔵人達の会話を聞き逃さなかった。

 

簡易滝風呂室の使用時は水蒸気で白い霧に覆われる。

ここは湿気も強いため蝋燭の火では簡単に消えてしまうため大きな松明が左右に設置されそれが灯りとなっていた。

上部に設置された細かい小さな穴が沢山開いた金属の蛇口からお湯を浴びていた。

最初の頃は使い方が分からず戸惑っていたがここを利用する蔵人や竹左衛門から使い方を教わり今は一人でも利用できるようになった。

使い方が分かるとこれほど便利なものがあるのかと結月は驚いた。

確かに普通の風呂と比べると気持ち良さは劣るものの素早く汗や汚れを落とす事が出来るしお風呂と比べると時間も手短に済んだ。

体も洗う事も出来るし何より頭からお湯をかぶるという行為がとても心地よかった。

だが今の結月は気持ち良さなど考えず頭からお湯をかぶっていた。

神妙な面持ちでお湯をかぶる結月に明王は風呂桶に溜まったお湯に浸かりながら様子を伺っていた。

(蔵人や智子、それに霊夢が言うあいつとは一体誰なんだ?)

結月の頭にはあの時で出来事が離れなかった。

頭からお湯を浴びながら結月は話を整理する。

恐らくあいつと呼ばれる人物は霊夢や蔵人や智子の話を纏めると鈴音の関わりが深かった人物なのだろう。

蔵人の言葉からして恐らくその人物もまた自分と同じ逸脱審問官だと思われた。

しかも試験の結果だけ見るなら優秀な逸脱審問官なのだろう。

鈴音とその逸脱審問官の関係はよく分からないが智子の言葉からしてある出来事がきっかけで鈴音は悪夢に近いような記憶が残ったという事なのだろう。

そして霊夢の言葉・・・・・これが意味する答えは最悪の答え、憶測にしかすぎないがその出来事のせいでその逸脱審問官は大怪我を負ったもしくは亡くなったという事だと思われる。

そしてその出来事が当時狙撃手をしていた鈴音が狙撃手をやめるきっかけになったという事だった。

(だが、これだけでは何もわからない)

様々な発言からそこまでは辿り着けたものの不明な点も多い上に憶測の域を出なかった。

その逸脱審問官とは一体何者なのか?鈴音とはどういう関係だったのか?鈴音が思い出すのも嫌になるような出来事とは一体どういうものだったのか?

結月には分からない事ばかりであった。

ここまで来たなら出来るなら真実を知りたい、そう言う思いはあった。

(だが鈴音はその事をあまり触れてほしくなさそうだった・・・・本当に知っていいものなのか)

一方で結月にはそんな感情もあった、鈴音が触れてほしくない所を知ろうとすれば鈴音はどんな気持ちになるだろうか、触れないでおくのも一つの優しさなのかもしれない。

少し考え込んだのち結月は意を決したかのようにお湯を止めた。

 

「あいつとは誰か・・・・・・面白い事を聞いてくるな、結月」

結月が訪れたのは天道人進堂の最上階にいる鼎の執務室だった。

結局結月は鈴音と関わりが深かったあいつと呼ばれる逸脱審問官とは何者なのか、鈴音とどういう関係だったのか、そしてあの出来事の真実を知るために鼎に会いに来たのだ。

他の逸脱審問官に聞く手もなくはなかったがその逸脱審問官の話をする度に感じる雰囲気を察するに皆がそれを気にしており、例え聞いたとしてもまともに答えてくれる可能性は低かった。

だからこそ、鼎に聞きに来たのだ。

「しかしながら私は『あいつ』という名前の人物は知らないな・・・・・お役に立てなくて済まないが」

鼎は冗談交じりにそう言って結月の質問に真面目に答えなかった。

「言葉が足らなかったのならすまない・・・・・だが鼎ならよく知っている人物のはずなんだ」

結月は自分のやっている事は間違っているかもしれないというのは分かっていた。

もしこれを知ってしまえば鈴音と自分との今の信頼関係に大きな亀裂が入ってしまう危険性も良く理解していた。

だがそれでも真実を知りたいという気持ちがそれ以上に強く込み上がってきたのだ。

それと同時に鈴音の触れたくない過去がどのような過去であったとしても結月は鈴音を頼れる上司として尊敬する先輩として受け入れる覚悟はあった。

「恐らくその人はかつて優秀な逸脱審問官で鈴音先輩と関わりが深く、あの出来事がきっかけで今はここにいない人物・・・・・他の先輩方は皆知っている人だ、鼎も知っているだろう?」

ああ、と今思い出したかのようなわざとらしい口振りでそう言って結月に背中を向けた。

「あいつの事か・・・・・確かにとても優秀な逸脱審問官だった・・・・・他の逸脱審問官にとって憧れる先輩であり、実力と経歴、どれをとっても輝かしく、いつもどんな時でも頼れる逸脱審問官の主導者的存在だった・・・・」

だった、その言葉から今までの経緯を含めて連想するならばやはりもうここにはいないという事だった。

「一体何者なんだ?」

結月の質問に鼎はすぐ答えなかった。

そして鼎は執務室に置いてある自分専用の椅子に腰かけると結月を見つめる。

「結月、私と君との初対面は逸脱審問官採用試験の個人面接の時が初めてだが私はそれ以前にも君の事を良く知っていた、君がまだ人間の里にある逸脱審問官訓練施設に通っていた頃、私は何度もそこに足を運び未来の逸脱審問官がいるだろう訓練生達を遠くからじっと視察していた、言うなれば訓練施設に入った時点で既に最終試験は始まっていたと言っても過言ではない」

結月には話の意味が分からなかった、あいつの呼ばれる逸脱審問官の事が知りたいのに鼎は何故か自分の話をしていた。

「その何十人といる訓練生の中でも君は一際輝いていた、口数は少なめだが高い潜在能力を秘め、過酷な訓練に対しても弱音を一切言わず淡々とこなし、様々な環境下でも状況に合わせた行動が出来る順応性の高さ、様々な実技や武器を短い期間で扱えるようにする学習能力の高さ、私が初めて結月を見た時、既に逸脱審問官に相応しい資格を持っており、きっと結月なら厳しい試験を乗り越え逸脱審問官になれるだろう、そう思った、そして君は私の見立て通り無事試験を合格し契約の義を経て逸脱審問官になった・・・・・結月、君はとても優秀な男だ」

鼎にそう褒められ表情はあまり変えないが頬を赤くする結月。

しかしすぐに聞きたい話から逸れている事に気づき鼎にそれを言おうとするが鼎は間髪入れずに話を続ける。

「だが、お前は少し真面目過ぎる所がある、いつも必要以上の事を喋らず、娯楽も誰かに誘われなければ自分からは参加しない、いつも逸脱審問官の仕事の事ばかり考え、悩んだら答えが出るまで考え込んでしまう、それはお前のいた環境が生み出した事だが、結論から言えばお前は空気を読むという事が得意ではないという事だ」

鼎は結月の事を名前以外で呼ぶ時は『君』や『お前』の二種類が使うが鼎は恐らく優しく接したい時は君を使い、何かを言い聞かせる時はお前という強い言葉を使い分けでいるのだろうと結月は思った。

「恐らくお前の事だ、他の先輩達からそんな話を聞いて深読みし大よそ何が起きたのか推測を立てて、鈴音が知ってほしくないと知っていながら真実が知りたいという気持ちが抑えきれなくて私の所に尋ねに来たのだろう?そしてどんな過去であっても今の鈴音を受け止める強い覚悟でな」

相変わらずの的中率だった。

反論など出来る余地がない程にだ。

「結月、お前の気持ちも分かる、だが鈴音の気持ちも少しは理解してやろうじゃないか、誰だって触れてほしくない過去の一つや二つだってある、仲間の逸脱審問官が腫物みたいに扱うような過去だって持つ者だっている、血と狂気そして矛盾に溢れた世界と常に隣り合わせの逸脱審問官なら尚更だ、鈴音以外にもそんな過去を持つ逸脱審問官は多い、お前にだってあるだろう?」

結月は自分に問い詰める。

自分の過去を他の人に洗いざらい話せるような人生を送ってきているか?

答えは「いいえ」だ、別に罪を犯したとかやましい過去なんてない。

それでも恥ずかしい経験や話し辛い出来事は確かにあった。

「それにお前が過去を知っても鈴音を先輩として上司として受け入れる覚悟があっても、鈴音は触れられたくない過去を知ってしまったお前を部下として後輩として受け入れられるかちゃんと考えたか?」

言葉を詰まらせる結月。

結月は鈴音の気持ちを十分理解してあげられていなかったとここで気づいた。

鼎は一気に畳み掛ける。

「もし私が鈴音だったら触れてほしくなかった過去を知られた事で心に大きな傷を負うし、そんな事をしたお前と距離を置こうとするだろう、もちろん私が鈴音だったらという話であって本当の鈴音がどう思うかは分からない、だが鈴音はその話をしたくないのはお前に知られるのが怖いからだ、もしお前が鈴音の過去を知れば鈴音は部下であるお前に知られてしまったという心の大きな傷を受けるのは間違いないだろう」

反論なんて出来なかった。

それは結月も気にしていた事だが結月はそれを受け入れる覚悟があれば鈴音も受け入れてくれるだろうと思い込んでいた。

それはどんな事があってもへこたれない不屈の精神を持ち何事も明るく考える前向き思考をしている鈴音ならと無意識に思っていたからだ。

しかし今一度冷静に考えると鈴音が異様に怯える程の過去、それを自分が知ってしまった時、鈴音がいつもの鈴音を保てるとは思えなかった。

「そう言う事だ、結月、私は鈴音のその過去に触れてほしくないという気持ちを尊重したい、今のお前と鈴音の関係を保つためにもだ、知らぬが仏という事もこの世にはある」

そう言う鼎だが逸脱審問官の仕事は知らなければ良かったという事にわざわざ足を踏み入れる機会が多い仕事なので知らぬが仏は詭弁のようにも思えた。

もちろん鼎もそれは分かっているはずだ、恐らくは結月にこれ以上この話はしないという自分の意志を暗に伝えてきているのだろう。

「・・・・・分かった、もうこれ以上鈴音先輩の過去を模索するのはやめる、すまなかった鼎、こんな事を聞きにきてしまって」

そう告げると鼎は椅子の背もたれにもたれかかった。

「結月、私は君が聞き分けの良い子で良かったと安堵しているよ、ちゃんと人の話に耳を傾け自分の考えを改める所も君の良い所だ」

結月にはそれが褒められているのかそうでないのか分からず複雑な気持ちだった。

「それに君は若い、若い者は経験不足から誤った道を選んでしまう事も多い、それを注意し正しい道を導くのが様々な失敗から学び経験を積んだ人生の先輩達だ、だから何も恥じる事はない、またそこから学び経験を積めばいいだけだ」

鼎は結月をそう優しく諭した。

「ああ、そうだな・・・・・」

鈴音の過去をこれ以上触れないと決めた以上、もうここにいる必要はない。

「仕事の邪魔をしてすまなかったな、これで失礼する」

お辞儀をして鼎の執務室から出ようとした結月。

「待て、一つだけ言っておく事がある」

結月は扉の前に足を止め後ろにいる鼎を振り返る。

「今日君は私に会ってないし私も君に会ってない、君は私に何も話していないし私も君に何も話していない、君と私の間には何もなかった、そのつもりでいきなさい」

それはここでの会話は誰にも話すなと言う口止めだった。

鼎ですら内密にする鈴音の過去とは一体何なのか?結月はやはり気になったがこれ以上鈴音の過去に触れないと決めた以上、それ以上考えるのをやめた。

結月は鼎の言葉に静かに頷くと執務室を後にした。

 

鼎の執務室を後にした結月。

(後もう少しで俺は鈴音との信頼関係を失う所だった・・・・・)

結月は自分の行いを反省していた。

逸脱審問官という仕事は血と狂気に彩られた世界だと矛盾に満ち溢れていると言われていたのを思い出す。

そんな過酷な仕事ならば思い出したくもないような出来事も一つや二つあってもおかしくない、皆がそんな過去に心を傷つけ引きずりながら逸脱者と戦っている。

自分もいつかそんな出来事に出会うかもしれない。

もしその触れてほしくない過去を探ろうとしている者がいたと分かった時、自分はどう思うだろうか?

そう考えると自分の考えだけで鈴音の過去を知ろうとした自分に腹がたった。

(もう鈴音の過去はこれ以上触れないでおこう、本人もきっとそれを望んでいる)

結月がそう決意した時だった。

ぐぅ~、自分の右耳でお腹がなる音が聞こえた。

「コ、コン・・・・」

右肩に乗る明王の方を見ると明王は恥ずかしそうな仕草をする。

どうやら明王の腹がなった音のようだった。

「・・・・・・喫茶店で何か食べるか?」

そう提案すると明王はコン!と嬉しそうに鳴いた。

「分かった、俺も珈琲にもう一度挑戦したい所だった」

そう言って結月は一階にある喫茶店「新一息」に向かう。

あの時、苦い思いをした(珈琲だけに)のに何故か結月にはあの珈琲の味が忘れる事が出来なかった。

苦いと分かっているのに何故かもう一度挑戦してみたくなる、もしかしたら既に珈琲に惹き付けられているのかもしれないと結月は思った。

喫茶店に行くため階段を下り一階に戻るとさっきまで比較的静かだった廊下を職員達が慌ただしく行き来していた。

結月は何か違和感を覚えた。

本来なら職員達がこの廊下をここまで慌ただしく使う事はない、天道人進堂は決められた業務の元、余裕を持って仕事しており、残業なんてほとんどしない優良な職場だ、過酷な業務を任さられている職員は年中無休で昼夜問わず命を賭けて逸脱者と戦う逸脱審問官くらいなものだった。(件頭も年中無休らしいが交代制であるため一日中働いている訳ではない)

だから何かの手違いで一人二人が仕事の遅れを取り戻そうと慌ただしく移動する事はあるが大抵は皆歩いて行き来する静かな廊下なのだ。

それが何故か今は職員の多くが廊下を早足もしくは走っている。

(何か重大な問題が発生したのか?)

結月の頭に真っ先に思い浮かんだのは『異変』だった。

異変は何の予兆もなく突発的に起きる事もあり幻想郷中を巻き込む異変が起きた時、真っ先に避難所として強力な結界が張られた天道人進堂に避難者が押し寄せる事があった。

人間側の組織である天道人進堂は数少ない人間達が安心して身を寄せられる場所でもあった。

もしそれならこの慌ただしさも納得できる、だが結月はすぐにそれはないと思った。

(どんなに異変の予兆がなくても鼎なら何かしら情報を掴んでいてもおかしくない・・・・・)

確信はない、ただあの鼎が異変を見逃すとは何故か思えなかった。

普通だったらそんな考え方はしない、鼎だって人間だ、異変に気づかないのが普通だ。

でも何故か鼎だったら異変が起こる前に何かしら自分達が知らないような情報筋から異変の兆候を捉えてそつとなく職員や件頭や逸脱審問官に話をするはずだ。

ここに押し寄せてくるであろう人間達を混乱なく受け入れる準備をさせるために。

そんな風に考えるなんて自分でも馬鹿げているとは思うが不思議と鼎だったらそうすると思えてしまう。

(ではこの慌ただしさは一体・・・・・?)

結月がそう思っていると聞き覚えのある声が廊下の奥で聞こえた。

滑舌が良く、声に張りがあり、優しさが感じられる声。

結月は声が聞こえた方を見るといつもは結ってある髪が降ろされちょっと控えめだがさり気ないお洒落が女性らしさを引き立たせるような私服を着た、仕事の時と同じ桜の枝を模った髪留めを着けた女性がいた。

見た目は違えどこの女性がエントランスにいる受付嬢だと結月は分かった。

「すまない」

早足でこちらに向かって歩く受付嬢に結月は声をかける。

「あ、結月様・・・・じゃなかった、結月さん、どうされましたか?」

結月に声をかけられた受付嬢は仕事と同じように微笑み優しみのある声でそう聞いてきた。

仕事の癖が抜けきらないのか、はたまたこれが素なのか、何処か接客している感があった。

「何故こんなにも多くの職員が慌ただしく廊下を行き来しているのか、知っているのなら教えてくれないか?」

受付嬢は一瞬え?という顔をした後、すぐに何かに気づきに結月に向かって微笑む。

「結月さん達は多分知らされてないと思うのですけど天道人進堂で働く職員は昨日からなるべく日が昇っている内に帰宅するよう鼎様から命じられているんです、なので最低限の夜勤業務をする職員や逸脱審問官とその関連職員以外はこの時間帯に帰るんですよ」

つまり今ここにいる受付嬢はもう帰り支度をした女性であり受付嬢としての今日一日の役目は終わっているのだ。

結月はここ数日、ずっと鍛練の間で練習に明け暮れていたため(逸脱審問官にとって逸脱者が確認されていない平常時は練習こそ仕事)職員達が二日前からこの時間帯に帰っていた事を知らなかった。

「帰宅?帰るにはまだ日が高いようにも感じるが・・・・・」

時間帯にしてまだ3時くらいだ。

本来なら後2~3時間働いた後に職員達は家が遠い順番から帰り支度をするのだ。

一体なぜそんな早退命令が出ているのだろう?

「結月さん、最近夜になると蝙蝠の大群が飛び回っているのを御存知ですか?」

初耳だった。何せここ数日はずっと本拠の中で過ごしていたのだ。

新聞等も置いてあったが結月はあまり新聞を読む癖がなく、外の事情をあまり把握していなかった。

「いや・・・・初めて聞く」

本当はそう言うのも必要なのだが情報を集める仕事は件頭の専門であり何かあれば彼らの方から逸脱審問官に話がある筈だ。

逸脱者以外の情報に関しては逸脱審問官それぞれであり蔵人は毎日熱心に新聞を読んでいるし鈴音と智子は女性向け雑誌を読んでいる事が多いし、竹左衛門に限っては新聞なんて読まないらしい。

逸脱審問官だからといって情報の収集に熱心かといえばそうでもなく人それぞれである。

「そうですか・・・・・実はここ三日前から夜になると蝙蝠の大群が何処からともなく現れ幻想郷の空を飛び回っているらしいんです、どうしてそうなっているかは分からないんですけどその蝙蝠が飛び回り始めた三日前から人間の里で一人、早高(はやたか)集落で一人、奥城(おくしろ)村で一人、外に出掛けた人間がそのまま行方知らずになっているんです」

そんな怪事件が起きていた事を知り興味深そうに受付嬢の話しに耳を傾ける結月。

「夜な夜な空を飛び回る蝙蝠の大群と行方不明者の関連性は分からないんですけど、時期が時期だけに念のため職員の安全を守るため蝙蝠が活動していない日が昇っている内に帰宅するように命令が出ているんです」

なるほど、そう言う事だったのかと納得する結月。

そしてその命令が自分達に出ていない理由は逸脱審問官の居住が本拠にある事や逸脱者の断罪以外の外出には外出許可を取らないといけないからだ。

「そうだったのか・・・・・すまない、足を止めさせてしまって」

せっかく早く帰ろうとしているのに声をかけてしまった事を謝るが彼女は首を横に振る。

「いえ、大丈夫ですよ、分からない事があればまた聞いてください、私の知っている範囲ならお答えしますよ」

そう言って彼女は仕事の時と何ら変わらない柔らかい笑顔を浮かべる。

「ありがとう・・・・・そういえば、お名前は・・・・」

名前ですか?と聞き直した彼女に結月は頷いた。

「そういえば言っていませんでしたね、私の名前は新田桃花(にったももか)と言います、もし仕事以外で会う事がれば気軽に桃花さんと呼んでください」

裏表ない明るい笑顔でそう言った桃花。

「結月さん他に聞きたい事はありますか?」

首を横に振る結月。

「それじゃあ、私はこれで帰りますね、結月さんお疲れさまでした」

ペコリと頭を下げ桃花は帰って行った。

「・・・・・彼女はあれが素なんだな」

結月は初対面の時から丁寧な応対が出来る人だなと思っていたがまさかあれが本来の彼女の姿とは思わなかった。

「しかしそうか・・・・職員達はもう帰宅を・・・・」

そこまで来たとき、結月と肩に乗る明王はハッとする。

「という事は・・・・・」

結月は早足である場所に向かう。

「やはりか・・・・」

結月がたどり着いたのは喫茶店の前だった。

だが既に店には誰もおらず店の看板には「閉店」の二文字が書かれた看板が掛けられていた。

誰もいない喫茶店に佇む結月と明王。

「・・・・・今日は本拠にある喫茶店にするか明王」

彼女の話通りなら玄関広場の喫茶店は早退のため閉店しているが本拠の喫茶店は通常営業であるはずだ。

結月の提案にコンと頷いた明王。

結月は喫茶店を後にして本拠に戻って行った。

 

夜も更け妖怪達の朝が迎える時刻。

結月は自分の部屋で机に向かって今日一日の日記を書いていた。

「これでいい・・・・」

明王に見守られながら日記を書き終えた結月、日記帳を閉じると壁に設置された蝋燭の火を消しベッドに寝転がる。

明王も結月の傍で寝転がった。

結月は明王の喉元を撫でると明王は嬉しそうな顔をする。

一方の結月に笑みはなく何か考え事をしているような感じだった。

(鈴音もベッドに寝転がって何か考えているのだろうか・・・・?)

結月が考えている事、それは上司である鈴音の事だった。

鍛練の間で別れて以来、今日一日出会う事のなかった鈴音。

外出許可はとってないようなので恐らくあれからずっと自分の部屋に閉じこもっているのだろう。

結月の脳裏に鍛練の間で見た鈴音の悲しそうに去っていく姿が鮮明に蘇る。

いつも前向きで明るい鈴音があそこまで落ち込んだ姿は初めてだった。

(明日はいつもの元気を取り戻してくれるといいが・・・・)

真相は分からないが鼎が口止めをさせるほどだ。

余程鈴音にとって堪えた辛い過去なのだろう。

いつもの鈴音だったらすぐに立ち直れそうだがあそこまで落ち込みようを見ていると明日になっても鈴音がその事を引きずっていたらどうしようと結月は考える。

(何か機嫌が良くなるような事をあれば鈴音の元気を取り戻してくれるかもしれない・・・・・)

そう思うのは結月が鈴音の事を単純な方だと思っているからだ。

単純、と一言で言っても鈴音が馬鹿にしているとかそういう意味ではない、良い事があったら喜び、悪い事があっても良い事があると悪い事を忘れ喜んでしまう、気持ちの切り替えが容易にできる人という意味で結月は捉えていた。

それは物事を深く考えてしまう結月にはとても出来ない事だった。

だからこそ結月は明るく前向き思考な鈴音を尊敬していた。

(機嫌が良くなる・・・・何か・・・・・)

そう思慮に耽りながら結月は瞼を閉じた。

結月が深い眠りについた頃、少しだけ欠けた月が星々と共に空に浮かぶ夜、そんな夜空を無数の小さな影が飲みこんでいき欠けた月も黒き大きな翼に覆い隠された。

その夜、畔見(あぜみ)集落で一人の女性が姿を消した。




第十二録、読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?毎回更新する度に楽しんでもらえているか不安で仕方ないです。
さて今年も色々な事があった一年となりました、小さい事やら大きい事まで様々ありましたが一つだけ言えることがあるとすれば何だか年々良くない方向に進んでいる様な・・・・・。
個人的な意見なのですが何分世の中諍いが多くて心に北風が常に吹き込んでいる様な気分です。
そろそろ年末を迎え正月が始まりますが世の中がこうも良くないと何だか正月の賑やかさも空騒ぎの様に感じられてしまいます。
暗い事ばかり考えていても心が荒むだけなのでお正月は明るい希望を見て楽しく過ごしましょう。
それでは皆様良いお年を。


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第十三録 月明かり覆う黒い翼 三

あけましておめでとうございます、レア・ラスベガスです。
今年も頑張って小説を投稿していこうと思います、よろしくお願い致します。
それでは第十三録更新です。


時刻は昼過ぎ、天候は良好で春らしい陽気に包まれていた。

木々は青々とした若葉が茂り、小鳥が囀り、動物が生き生きと活動する、空を見上げれば鳥と共に春告精(春になると現れる妖精でリリーホワイトとも呼ばれている)が春の訪れを告げている、いつもと変わらぬ幻想郷の春だった。

一見すれば何か不穏な事が起きているとはとても思えなかった。

そんな春の陽気の中、二人の人影が人間の里の方向に向かって道を歩いていた。

「それにしてもまさか結月が、一緒に人間の里でお茶しないかって誘ってくるなんて・・・・・結月はこういうの興味ないかと思っていたよ」

嬉しそうにそう言ったのは先頭を歩く鈴音。

結月は考えに考えた末、鈴音をお茶に誘う事にした。

甘いお菓子に大好きな鈴音なら甘いお菓子を食べて機嫌が直れば昨日の事など忘れてしまうのではないか?と結月は考えての事だった。

「練習も大事だが互いの信頼関係がなければいざという時に息の合った連携攻撃は出来ない、互いの信頼関係を築くため一緒にお茶を飲んで何気ない事を語り合うのも大切な事だ、それにここ数日朝から夜まで練習ばかりで心も体を疲れただろう、たまにはこういう息抜きも必要だ」

とはいえ、鈴音にそんな理由で誘ったとはいえるはずがない、話してしまえば昨日の事を思い出して気を遣わせてしまうからだ。

なので結月は建前の口実で誘った理由を説明した。

「もう、結月は固い、固過ぎるよ、素直に私と一緒にお茶がしたい、だけでいいじゃん」

しかし鈴音にとって結月の説明は堅苦しさを感じる物だった。

本当に交流したいとか息抜きしたいとか思っている人だったらそんな事をわざわざ説明しなくてもお茶がしたい、それだけで伝わるはずだ。

それは結月があまり人を誘った事がなく慣れてない証拠だった。

「そ、そうだな・・・・・すまない」

あまりの自身の社交性のなさに反省する結月。

今回はその社交性のなさを鈴音が知っていたおかげで結月は人と接するのが苦手程度しか思われなかったが下手したら今の説明が口実だとバレてしまう可能性もあった。

「でも私のあの時言った事、結月ちゃんと覚えていてくれたんだね、信頼関係を築く事、息抜きも重要な事、ちゃんと理解してくれたんだね、私とっても嬉しいよ」

後ろにいる結月に振り返った鈴音は笑顔でそう言った。

結月はその笑顔を見て内心安堵していた。

それは今見せた笑顔が昨日見た無理に作った笑顔ではなくいつもの鈴音らしい自然に出た笑顔だったからだ。

だからこそ、本当は昨日の事を忘れてほしくてお茶に誘った事に結月の良心が痛んだ。

まるで嘘をついているような気がしたからだ。(正確には嘘をついているのでなく本音は言ってないだけなのだが)

「後、本当に結月の驕りでいいの?」

鈴音がそう心配そうに聞いてきた。

実は結月は鈴音を誘う時、自分の奢りで行くと説明していた。

それはその方が鈴音により喜んでもらえると結月が思ったからだ。

「ああ・・・・・肉の塊のような逸脱者と猿の逸脱者を断罪にして多額の報酬がもらえたからな、お金には余裕がある」

逸脱者が現れた時、その逸脱者に多額の賞金が掛けられその逸脱者を討伐する事で多額のお金を逸脱審問官が受け取る事が出来る。

逸脱者の妖術を扱い人間離れした身体能力を持っている場合が多いため、幾ら体を鍛え守護妖獣の力を借りているとしても人間が逸脱者を断罪するのはいつ命を落としてもおかしくないほど危険な仕事だった。

そのためその逸脱者に見合った対価が天道人進堂で用意され無事断罪を成功させた逸脱審問官には労いと褒美として銀行に振り込まれるのだ。

ちなみに初日に討伐した肉の塊のような逸脱者には十万、一週間前の猿の様な逸脱者には十五万の報酬が支払われ結月と鈴音はそれを半分ずつ山分けした。

基準がないのでこれが高いのか安いのかは分からないが話では百万以上も支払われた逸脱者の断罪もあるらしい。

無論、逸脱者が長期間現れなくても逸脱審問官が飢えに苦しむ事はない、逸脱者が現れてないとき、体を鈍らせないための練習が彼らの仕事とであり、練習日数と時間で給料が支払われるのだ。

一カ月毎日練習をみっちり練習した場合、銀行には十五万程振り込まれる。

基本、住居は家賃・水道料・蝋燭料全て無料なので十五万貰えれば余程やり繰りが下手でない限り余裕のある生活が出来た。

そんな大金、支払っても大丈夫なのか?という疑問もあるが幻想郷に住む人間の中には天道人進堂の人としての道を外れる逸脱者は許すべき大罪人であるという考えに賛同してくれる人達がおり、支援金が天道人進堂に寄付されその中には名のある豪商や資産家も含まれておりハッキリ言ってしまえばそんな心配はしなくてもいいくらいお金があるらしい。

ただ、逸脱審問官全員が皆金持ちなのかと言われるとそうでもなく、結構色々な事で支出しており一方で結月は逸脱審問官の中でもあまりお金を使わない方なので銀行には使う予定のないお金が溜まっていた。

「ただ、人間の里の甘味処には俺は詳しくない、だから鈴音がお勧めの店、行きたかった店に行くと良い、今日くらいは幾らでも払ってやる」

結月の強気の発言に鈴音の顔がパアッと明るくなる。

「本当!?ありがとう結月!丁度行ってみたい甘味処があったんだ!そこに行こうよ!」

そう言ってさらに足が軽やかになる鈴音。

そんな浮き浮きとした鈴音の姿を見てホッとする一方で一体どんな甘味処なのだろうと一抹の不安もあった。

(行ってみたい・・・・つまりそれはまだ行った事がないという事だ)

新しく出来た店なのか、それとも随分歩いた所にある店なのか、それともかなりの値段がするのだろうか?

そんな心配もあったがとにかく今は鈴音の紹介してくれる甘味処をまずは楽しむ事にして結月達は人間の里に足を進めた。

 

人間の里に到着した結月達だったが人間の里はいつもと違う異様な空気感に包まれていた。

「何か・・・・・変だね」

一見すれば人通りが多くいつもと変わらない人間の里の大通り、店も何処も閉まることなくやっており人気のあるお店には行列も並んでいる。

しかし逸脱審問官二年目である鈴音は今日の人間の里がいつもと違う事を敏感に察知していた。

「ああ・・・・・変だな」

結月もまた人間の里の異様な空気感を敏感に察知していた。

それはいつもあって今日はないものだった。

「こんなに人通りがあるのにちっとも活気がないよね・・・・・」

それは結月も同感だった。

そう今の人間の里、特にこの人気のあるお店が立ち並ぶ大通りにあるはずの活気が今日は一切感じられなかった。

人間の里は大妖怪八雲紫が張った結界で守られており人間を食べようとする妖怪や人間に悪意を持つ妖怪は入ってこられないため、人間の里は人間にとって数少ない気が抜ける場所だった。

いつもだったらこの大通りは商人達の客引き、大道芸人への拍手やどよめき、主婦達の井戸端会議、若い女性同士の談笑、荷物を運ぶ男達の掛け声、子供達のはしゃぎ声で犇めきあっており隣にいる人の話し声さえも聞こえにくい程騒がしい場所で当然今の鈴音の小声なんか聞こえるはずないのだ。

しかし今日は人通りこそ多いのだが何処か空気が重く感じられ至る所で色々な人達が内緒話をしているかのような小声で立ち話をしていた。

いつもの人間の里の大通りだったら聞く耳をたてなくても聞こえてくるほどの明るい声と笑い声で満ち溢れているはずなのに今日はそれが感じられない。

商人の客引きの声だけが響くためむしろそれが寂しく感じられる。

「みんなどうしちゃったんだろう・・・・・いつもはこんなに声が通る程静かな場所じゃないのに・・・・・」

いつもと違う人間の里の様子に戸惑いが隠せない鈴音。

結月は一体立ち話をしている人達が何を話しているのか知るためヒソヒソ声に耳を傾ける。

「・・・・・・しちまったんだ、これで四人目だぞ」

結月が耳を傾けたのは運び屋を生業としているだろう男達の立ち話だった。

「ああ、昨日は南東方面の畔見集落に住む女性が夕方人間の里まで買い出しに出掛けてからそれっきりらしい」

彼等が話している話はどうやら行方不明者が出たという内容だった。

「何でもある人の話だと人間の里で買い物している姿は数多くの人に見られているんだが買い物を終えて日が沈みかけた頃、人間の里を出ていく彼女の姿を最後に行方知らずになっているらしい」

どうやら畔見集落に住む女性が昨日の夜から行方不明らしい。

幻想郷で特に行方知らずになる理由もない人が行方不明になる事は珍しい事ではない。

ここは妖怪の楽園であり妖怪の支配する世界なのだ、そのため妖怪が人間を襲って食べてしまうなどごく自然な事だった。

妖怪に襲われなくても幻想郷を通る道の中には危険な道もあり険しい崖から落ちたりや川や湖で転落し流され行方知らずになる事も少なからずあった。

本来ならこんな多くの人で賑わう大通りがここまで空気が重くなるような事件でもない。

しかし結月はその話を聞いて何処かで似たような話を聞いたのを思い出した。

(確か昨日・・・・・桃花が似たような話を・・・・・)

そこで結月は昨日の桃花の話を思い出した。

(確かここ数日の間に夜間外出していた三人の人間が行方不明になっていると言っていたな)

さっき立ち話をしている男の一人がこれで四人目だと言っていた。

もし桃花の話と今回女性が行方不明になった話が関連あるのなら桃花の話と辻褄が合う。

「やっぱりあの蝙蝠の大群と何か関係があるんじゃねえか・・・・・蝙蝠の大群が夜空に飛び回り始めてから毎日のように何処かで人間が消えていく・・・・・きっと今頃、血を全て吸い取られた亡骸が何処かに・・・・・」

悪い冗談はやめろよ、と男の一人が呟くが彼もその言動に確かな自信は感じられない。

やはり男達が話していた女性の行方不明と桃花が話していた三人の行方不明者の話は関連性があるらしい。

「あながち嘘じゃねえかもしれねえな・・・・・これはたまたま聞いた噂話なんだが、何でも蝙蝠の大群の中に一際大きな蝙蝠の姿を見たっていう目撃者がいて大きさは曖昧なんだがその翼は大きくあの夜空に浮かぶ月すら覆い隠してしまうくらいだとか・・・・・」

一瞬聞けば与太話だと一蹴されそうな噂だが結月にはあながち否定は出来なかった。

月を覆い隠してしまう程・・・・・・・守護妖獣にも大きな翼は生えているがこれでも空を飛んでいられるのは短時間だ。

もし月を覆い隠してしまう程の翼で十分な飛行能力を秘めているとしたらその体の大きさは恐らく人間くらいかそれ以上ではないだろうか?結月はそう推測した。

無論普通はそんな蝙蝠なんていない、もし人間を襲う程の巨大な蝙蝠がいたとしたらそれは普通の蝙蝠ではない、恐らくは妖怪の類だろう。

もしそいつが妖怪だとしたら蝙蝠の大群を従える程の力と器があってもおかしくない。

何よりも現状ならそれが一番納得できる説だった。

「まさか・・・・・いやでももし月をも覆い隠してしまう程の大きな翼を持った蝙蝠なら人間を襲うかもしれないな・・・・・・・」

確かにそのくらいの大きさがあるなら人間を襲ってもおかしくない。

「という事はそいつが蝙蝠の大群の親玉かも知れないな・・・・・しっかし一体何者なんだ?」

蝙蝠の大群の親玉の正体、その答えを知る者は誰もいなかった。

一つだけ言えるとすれば人と同等かそれ以上の大きさのある蝙蝠はもはや蝙蝠の域を超えているという事だ。

蝙蝠の生態には詳しくない結月だがそれでも自然発生でそこまで大きな蝙蝠が生まれる訳がない事は分かっていた、そうなればその蝙蝠の親玉の正体は自ずと絞られる。

(恐らくは蝙蝠の姿をした妖怪であろう・・・・・だがもしかしたら・・・・・)

そこまで考えた結月だがすぐに考えるのをやめる。

それはそれを調べる専門として件頭がいて彼らの方が詳しいだろう、そして彼らから何も連絡がない時はまだ分からないか関係ないかのどちらかなのだ。

逸脱審問官の仕事は逸脱者を倒すのであって積極的に逸脱者を探す事はあまりしない。

結月は運び屋の男達の話に耳を傾けるのをやめると鈴音に近づき話の内容を報告する。

「鈴音先輩、どうやら四日前から現れた夜空を飛ぶ蝙蝠の大群と同時期に発生している連続行方不明者がこの人間の里の活気のなさと何か関連している可能性があるようだ」

鈴音は結月の話を聞いて特に驚いた様子もなく、結月の話を聞く前から分かっていたような感じだった。

「結月が聞いた話もその話題だった・・・・・立ち話している人の殆どがその話題で持ちきりだったよ、確かにこれなら人間の里に活気がないのも頷けるわね」

結月も人間の里の活気がない理由に察しがついた。

それは蝙蝠の大群が現れてから連日のように行方不明者が出ている事だ。

実の所、四日連続で特に失踪する理由もない人間が行方不明になるのは最近ではとても珍しかった。

幻想郷は妖怪の楽園のため人食い妖怪が人間を襲う事など珍しくないのだが最近では妖怪が人間を襲う事もほとんどなくなり、一週間に一人襲われるか襲われないかまで減少していた。

妖怪は別に人間を餌としているという訳ではなく人間の恐怖や畏怖を糧としているためそれさえあれば生きていけるのだ。

人間を襲う妖怪がいるのは主に人間の味を覚えてしまったか人間に恐怖や畏怖を植え付けるため他ならない。

妖怪研究の第一人者として知られる稗田阿求(ひえだあきゅう)も「今の幻想郷は妖怪としても人間としても過ごしやすい理想的な時代」と述べていた。

人間を活発的に襲う妖怪の代表に河童が挙げられるが河童は作戦を決め仲間を集め必要な分だけの人間を襲い川に引きずり込むため一日で四・五人の人間を襲う事もあるが連日に渡って行うような事はせずその日が終わればしばらくは人間を襲う事はない。

だからこのように連日のように行方不明者が出るのは珍しかった。

そして行方不明者が出るようになった夜から突然現れた蝙蝠の大群、日が経つ毎にその数は増えそれに伴い言いようのない不気味さが増していた。

夜は妖怪の活動時間なので人間が出歩く事は少なかったがそれでも夜間に様々な理由で守られた結界の外で出歩く人達にとっては蝙蝠の大群は恐怖の対象だった。

妖怪があまり人を襲わなくなった今日に置いては尚更である。

夜な夜な夜空を飛び回る蝙蝠の大群と連日の行方不明者の関連性は全く持って不明だが多くの人達がこの二つの事象には何か関連性があると思っており、蝙蝠の大群、もしくはその蝙蝠の大群の親玉が人間を襲っているという認識を持っている。

つまり蝙蝠の大群と言う多くの人に目に見える形で怪異が起き、そして四日連続で夜間に外に出掛けている人間が行方不明になるという事件が起き、挙句にその行方不明者は蝙蝠の大群かその親玉に襲われたという噂話が人間の里で出回り人間の里に不穏な空気が漂い、人間の里にいる多くの住人や旅人達は言いようのない不気味さと恐怖で緊張をしているのだろう。

「平和ボケも度が過ぎれば大概だな」

結月は別に決して平和である事を馬鹿にした訳ではない、ただあまりにも平穏に入り浸っているため多くの人間が恐怖というものが身近にある事を忘れている事を言っているのだ。

妖怪が人間を当たる前のように襲っていた昔の幻想郷なら皆が常に緊張感を持って毎日妖怪に襲われてもここまでの騒ぎになる事はなく多くの人間は恐怖が身近にある事をちゃんと理解していた。

それだけ強い精神力と緊張感を持って生きていたのだ。

そうでもしないと生きていけないような時代だったともいえるが・・・・・。

「平和な事は良い事なんだけどね・・・・・人間ってそういう所もあるんだよね」

鈴音も結月の言いたかった意味をちゃんと理解しそう言った。

鈴音も蝙蝠の大群と連日の行方不明者で人間の里、全体がここまで重い空気に包まれる事にある種の失望にも似た感情を持っていた。

件頭の調査によると幻想郷全体では妖怪に襲われなくても毎日二~三人の人間が事故や病気で亡くなっている。

大雨が降った日には土砂崩れで一つの集落が飲みこまれ二十~三十人死者が出た時もあった。

そんな日でも人間の里でその土砂崩れの話が話題にあがる事はあっても人間の里全体が今の様な重い空気に包まれるような事にはならない。

連日の行方不明者は毎夜一人ずつなのでこれ以上増えなければ正直に言えば大きく取り上げる事件ではない(行方不明者の家族やその近隣住民にとっては重大事件だが)。

幻想郷は妖怪が住み着く前提で出来た世界なのでその妖怪の餌であり糧である人間は例え毎日人間が五~六人亡くなったとしても人間の地位が崩れるような事はないからだ。

(もしもの場合は大妖怪である八雲紫が外の世界から人間を攫ってくる)

本来ならこれが普通の幻想郷の姿なのに平和を入り浸っていた多くの人間は恐怖が身近にある事を忘れているために蝙蝠の大群という怪異に戸惑いを隠し切れないのだ。

年に一度あるかないかの異変も経験してきたはずなのにいかんせん今まで起きた異変で死者は殆ど出ず妖怪は恐ろしい存在だという認識はあっても今の妖怪はあまり人間を襲わなくなったといういつ壊れるかもわからない安心感に縋っていたのだ。

特に結界の張られた人間の里で暮らす多くの人間達はそれが顕著だ。

そしてその安心感に亀裂が入った時、人間の里で暮らす人々は正常でいられなくなるのだ。

鈴音は過去にもこんな光景を何度も目撃しているため結月の気持ちがよく分かるのだ。

「それにしても蝙蝠の大群の親玉・・・・・月を覆い隠してしまう程の翼を持った蝙蝠の妖怪は一体どういう何者なんだ?」

本当に妖怪かどうかわからず、その存在すら曖昧だが親玉の存在なしに蝙蝠の大群が統制されているとは思えず、何者かが蝙蝠の大群を支配していると考えた方が辻褄は合う。

「蝙蝠の妖怪ね・・・・・・現世の世界は良く知らないけどとりあえず日本では名のある蝙蝠の妖怪はいないわね・・・・・いたとしても殆どの人間に知られていない妖怪だと思うよ」

名もあまり知られていない蝙蝠の妖怪が幻想郷にやってきて短時間で蝙蝠の大群を築くほどの力と器を持っているとは思えなかった。

もしそれだけの器があったとしたら現世で名前くらいは与えられるだろうし文献にも乗る筈だ。

現世で無名だったのは倒される程の脅威はなく大人しく表舞台に姿を現さなかった事に他ならず、強い力と器を持っているとは思えない。

無論、表舞台に出てないだけで強い力を持った妖怪もいたかもしれない、だがその確率は極めて低い。

「後幻想郷に元からいた蝙蝠の妖怪は・・・・あっ!一番有名な妖怪を忘れていたよ」

有名な妖怪?そう結月が聞いた時、確かに蝙蝠の妖怪と聞いて蝙蝠とよく似た妖怪みたいな存在が幻想郷にいたような気がしてならなかった。

「結月は知らないの?ほら霧の湖の湖畔に建っている紅魔館と呼ばれる建物に住んでいる『紅い悪魔』よ」

紅い悪魔、その言葉を聞いた時結月はハッキリと思い出した。

紅い悪魔の事は結月も知っており話によれば本人は吸血鬼を名乗っておりその姿は十歳にも満たぬ幼女のような姿だが背中には身長よりも大きな蝙蝠の翼のような羽根が生えているとされ幻想郷でも指折りの実力者で紅霧異変を引き起こした黒幕と聞いていた。

「でも・・・・・多分この蝙蝠の大群と行方不明者は紅い悪魔とは関係ないと思うよ」

結月も鈴音の言葉で紅い悪魔の事を思い出したが紅い悪魔がこの蝙蝠の大群や連日の行方不明者に関与しているとは考えられなかった。

「だって紅い悪魔は・・・・・」

鈴音がその理由を話そうとした時だった。

「しらばっくれるんじゃねえ!」

突然何処かから男の怒鳴り声が響いた。

「さっきの怒鳴り声、あっちから聞こえたよね?結月、行ってみようよ」

鈴音の言葉に結月はこくんと頷いた。

もし喧嘩が起きそうなら止めなくてはならない。

人間の番人である逸脱審問官としては里の秩序が乱れるような行為は止める義務があった。

もし対話に応じず抵抗する場合は相手を大人しくさせるため制裁と言う名の攻撃を加える。

最終手段ではあるがもし喧嘩が起きれば混乱が起き関係ない人に危険が及ぶからだ。

怒鳴り声のした方には既に人だかりが出来ており結月と鈴音は野次馬を掻き分けて最前列に出た。

人だかりの中心地、そこには天道人進堂の喫茶店の店員と衣装と似たような衣服を着た女性とごく一般的な旅人の服装をした男女合わせて八名が距離を置いて対峙していた。

「一体何の事でしょうか?お話しの意味がよく分からないのですが」

怒鳴り声をあげた男に対してその女性は動じる事無くそう答える。

「とぼけるんじゃねえ!お前なんだろう?お前のとこの主がうちの村の真弓(まゆみ)を襲ったんだろう!?」

そう怒鳴り声をあげる男は既に頭に血が上っていて目は血走り怒りで体が震えている。

どう見たって興奮している状態だ。

「そうよ!私の真弓を返してよ!」

年増の女性が泣きながら必死な声でその女性に訴える。

「ですから、私は何も知りませんし、お嬢様は幻想郷に住んでいる人間を襲う事なんてしませんわ」

一方のその女性は殺気だった男女八名に対して特に怯える事も嫌な顔をする事もなく自分は関係ないと主張していた。

どうやらこの女性、見た感じ恐らく同じ人間だと思われるがどうやら只者じゃない者に仕えている従者のようだ。

もちろん、その言葉で納得してももらえる筈もなくむしろ逆上させていた。

「見え透いた嘘をつくな!」

そう言って前に出てきたのは一人の若者だった。

「俺は見たんだ!あの日真弓が行方不明になった日の夜、俺達の暮らす集落の上空には蝙蝠の大群が飛び回っていた、その小さな蝙蝠の大群の中に紛れるように一際大きな翼を持った蝙蝠が飛んでいるのを俺はこの目でちゃんと見たんだ!」

彼等の話もまた人間の里の人々と同じ蝙蝠の大群に関する話だった。

どうやら彼も蝙蝠の妖怪の姿を見た目撃者の一人のようだ。

彼の話に信憑性があるかどうかは不明だが恐らく目撃者は彼だけではないだろう。

「おまえのとこの紅い悪魔も蝙蝠の妖怪で背中に大きな蝙蝠の様な翼を持っていて蝙蝠を操る事も出来るらしいな、最近の蝙蝠の大群も真弓を襲ったのもお前の主だって言っているようなものじゃないか!」

どうやらこの女性はあの紅い悪魔に仕えている人間らしい。

結月も紅魔館には不思議な力を持つ人間の女性が一人、紅い悪魔に仕えていると聞いていた。

どうやらこの女性がその人物らしく、この八名の団体は紅い悪魔に恨みを持っており、紅い悪魔に仕えているこの女性に対してその事を問い詰めているようだった。

「何度も申しあげますが、お嬢様は幻想郷の人間を襲う事はありません、幻想郷の人間を襲ってはいけないという大妖怪との契約にお嬢様は同意しています、ですから蝙蝠の大群も人間を襲っているというのもそちらの誤解ですわ」

その女性がそう言った時、興奮していた男が一際大きな声で黙れ!と言った。

「そんな話信じられるか!現に夜に蝙蝠の大群が飛び回るし真弓を含めて四人もの人間が行方不明になっている!幻想郷に蝙蝠の妖怪なんてお前の所の妖怪くらいじゃねえか!襲っているんだろう!?真弓も襲ったんだろう!」

その男の怒鳴り声と共に他の八名も声をあげる。

「そうだ!さっさと認めろ!妖怪の肩を持つ人間め!」

一人が罵声を浴びせると他の人達もそうだ!そうだ!と声を上げる。

「妖怪の味方をするお前なんて人間の恥さらしだ!」

暴言罵倒を浴びせられても女性は全く動じず黙っていた。

「人間の里から出ていけ!」

次第にその声は取り巻きで見ていた野次馬達からも聞こえ始め次第に八方から罵倒中傷が女性に向けられる。

「私の真弓は何処へやったのよ!答えなさいよ!」

年増の女性は目元が張れる程泣きながらそう言った。

恐らくこの年増の女性は真弓という人物の姉妹か母親なのだろう。

今にも均衡が崩れ誰かが殴りかかってもおかしくないほど緊張が高まったその時だった。

「ちょっとみんな!やめなさいよ!まずは落ち着きなさい!」

誹謗中傷を浴びせられる女性を守るように前に現れたのは鈴音と結月だった。

「鈴音さん?どうしてここに?そしてあなたは・・・・・?」

どうやらこの女性も鈴音とは顔見知りのようだった、鈴音は振り向くようにして女性の方を見ると真剣な面持ちをしながら小声で問い質す。

「さっきの言葉、私に対してもハッキリと言える?」

その言葉に女性は小さくもしっかりとした声で答える。

「はい、勿論です」

小さくもしっかりとした声で答えた女性に対して鈴音は安堵した表情を見せた。

「結月、彼女の話は本当よ、私が保証する、だから・・・・・」

分かっている、と簡潔に答えた結月、鈴音とこの女性は顔見知りであり鈴音が彼女の言葉を信頼する以上、鈴音を信頼する結月もまた彼女を守る決意を固め八名の団体と向き合った。

「さっきから話を聞いていたが、いくらなんでも話が飛躍しすぎてないか?」

結月の言葉に頭に血が上っている男が怒りに任せて怒鳴る。

「誰だ!?お前達は!そいつの仲間か?」

鈴音はこの天道人進堂の喫茶店の店員と似た服を着た女性とは顔見知りのようではあるが一方の結月は彼女とはこれが初対面だ、だがこの女性の味方になりたいのは事実だった。

「まずは名乗るべきはあんた達だろう?そもそもあんた達は何者なんだ?」

恐らくは見当は着いているものの念のため確認する。

結月の問いかけに男女八名の中から一人の三十代後半の男が前に出て説明を始めた。

「俺達はガラキ丘にある早高集落に住んでいる者達だ、二日前の夜、蝙蝠の大群が俺達の暮らしている集落の上空を飛び回っていて俺達は気味悪がって家に閉じこもっていたんだがこの女性の一人娘である真弓が急な用事を思い出して隣の集落まで出掛けたんだが結局帰ってこなかった、朝が明けて集落総出で辺り一帯を探し回ったんだが真弓は見つからず代わりに道半ばに真弓の髪留めが落ちていたんだ、俺達は妖怪に襲われたか人攫いにあったんだと思ったんだが、見張り番をしていたこの男が昨日の夜に飛び回っていた蝙蝠の大群の中に一際大きな翼を持った蝙蝠を見たって言ったんだ」

結月は確か行方不明者が出た村や集落の一つに早高集落があったのを思い出していた。

「この幻想郷は幾ら妖怪の楽園と言えど蝙蝠の妖怪はそういない、蝙蝠の大群を操り人間を襲うなんて事をする蝙蝠の妖怪はあの紅い悪魔と呼ばれる存在以外有り得ない、俺達はこの夜な夜な飛び回るようになった蝙蝠の大群と連日の行方不明事件は紅い悪魔が犯人だと思って人間の里までやって来たんだ、紅い悪魔に仕えている人間が時折人間の里に買い物に来ると聞いてな、待ち伏せして問い詰めてやろうと思ったんだ」

話を静かに聞いていた鈴音は一息入れて喋り始めた。

「集落の住人である真弓さんが行方不明になって必死になっているあなた達の気持ちはよく分かるわ、でもだからといってそう考えるのはちょっと飛躍し過ぎだと思うわ」

な、なんだと!?と声をあげた男に対して鈴音は冷静に説明を行う。

「まず、真弓さんは本当にその大きな翼を持った蝙蝠に襲われたのかしら、あなた達全員真弓さんがその大きな翼を持った蝙蝠に襲われている所を目撃していないのよね、大きな翼を持った蝙蝠を偶然見かけたからそう思ったのよね、他の妖怪に襲われたとか、動物に襲われたとかは考えなかったの?」

鈴音の言葉に顔を見合わせる早高集落の者達。

「確かにそうだが、蝙蝠の大群が現れてから今日までに真弓を含めて四人もの人間が行方不明になっている、これはどう考えてもその大きな翼を持った蝙蝠に襲われたとしか・・・・」

結月も恐らくは真弓と言う女性を含めた行方不明はその大きな翼を持った蝙蝠に襲われた可能性が高いと考えてはいるものの、それはあくまで推測の域であり断定できるものではなかった。

どう考えても、という考え方は大きな翼を持った蝙蝠しかいないという先入観が入っている他ならない。

その事を鈴音は的確に指摘した。

「逆に言えばその真弓さんを含めた四人の行方不明者がその大きな翼を持った蝙蝠に襲われた所を目撃した人も証拠もないわ、行方不明者を襲った明確な犯人が分からないからこそみんな怖がっている訳だし、何故それで大きな翼を持った蝙蝠に襲われたと言えるのよ、あなた達は大きな翼を持った蝙蝠を見たと聞いただけでその蝙蝠が犯人だと決めつけているだけじゃない」

それに、とさらに言葉を畳み掛ける鈴音。

「もしその大きな翼を持った蝙蝠が犯人だとしてもその大きな翼を持った蝙蝠が紅い悪魔とは限らないわよ」

何を言ってやがる!と一番頭に血の上っている男が声を荒げる。

「幻想郷で蝙蝠を操り人間を襲いそうな蝙蝠の妖怪は紅い悪魔くらいしかいないだろ!」

怒鳴るようにそう言った男に対しても鈴音は冷静に反論を述べる。

「じゃああなたは幻想郷には紅い悪魔に以外に蝙蝠の大群を操って人間を襲う蝙蝠の妖怪はいないと断言できる証拠はあるのかしら?」

その言葉に頭に血が上っている男は言葉を詰まらせる。

「幻想郷は現世に居場所がなくなった日本中の妖怪が移住してくる世界よ、それこそ数えきれない程の妖怪が住んでいるわ、如何なる妖怪学者でも全ての妖怪を把握しきっている人なんていないわ、妖怪の中には人目につく事を極度に嫌う妖怪も少なくないし人間があまり入らない場所に住んでいた妖怪なんかもいるわ、果たしてそれで蝙蝠の妖怪は紅い悪魔しかいないと断言できるのかしら?」

鈴音の反論は次第に攻勢に変わる。

「もしかしたらその大きな翼を持った蝙蝠はつい最近、幻想郷にやってきた妖怪かも知れないわよ、現世にもまだ妖怪は残っているはずだからね、その妖怪の中には決して表舞台には出てこなかったけど蝙蝠の大群を操り人間を襲う程の実力を持った蝙蝠の妖怪が幻想郷にやってくる可能性もなくはないわ、元から居た、現世からやってきた、どちらにしても大きな翼を持った蝙蝠を見たというだけで紅い悪魔の仕業だと決めつけるのは安易だと思うわよ」

もちろん鈴音の話に正解があるとは限らない。

だが犯人が紅い悪魔とは限らないという話では十分に説得力があった。

「くっ・・・・・・てめえらこそ、一体何者なんだよ!紅い悪魔に仕える人間なんかに味方しやがってよ!」

結月と鈴音は顔を見合わせると鈴音が頷いた。

「私達は天道人進堂に所属する逸脱審問官よ」

逸脱審問官、その言葉に周囲の人間がどよめいた。

「い、逸脱審問官だと・・・・・、逸脱審問官は人間の味方じゃねえのかよ!」

しかし鈴音はその言葉をバッサリと切り捨てる。

「私達、逸脱審問官は人間としての誇りや尊厳を厳守する人間を守るためにあり、ただ大きな翼を持った蝙蝠を目撃したという証言だけで犯人が紅い悪魔だと決めつけて紅い悪魔に仕えている人間に対して心無い誹謗中傷浴びせるような人間の味方ではないわ」

しっかりとした言葉でそう言い放った鈴音に対し早高集落の人達も野次馬も反論ができず静まり返った。

「集落の仲間を失って辛いのは分かるわ、でも何の証拠もないのに紅い悪魔や紅い悪魔に仕えている人間を責める事は私達、逸脱審問官が許さないわ、もし紅い悪魔が犯人だというのなら確証性のある証拠を私達に見せなさい、見せてくれたら貴方達の邪魔はしないわ」

それは・・・・と口にした後、言葉が出ない早高集落の人達。

周りの人間もさっきとは打って変わって早高集落の人達に厳しい視線を向けていた。

「くっ・・・・・くそ、このままで済むと思うなよ!」

そう言って早高集落の人達はその場から逃げるように去って行った。

状況からしてみればこの女性を正統性のない誹謗中傷から助けたのだから喜んでいいのだが結月と鈴音は素直にそれを喜ぶ事が出来なかった。

「・・・・・ああは言ったけど、早高集落の人達も大切な集落の住人である真弓さんが行方不明になって必死なんだよね」

周囲から冷たい視線を浴びながら逃げるように去っていく早高集落の人達の後姿を見て鈴音はため息をついた。

確証的な証拠や証言もないのに噂話と思い込みだけで紅い悪魔が犯人だと決めつけその紅い悪魔に仕えている少女に対して心無い誹謗中傷を浴びせた事は容認できることではないだろう。

しかし、早高集落の人達もまた蝙蝠の大群が飛び回る最中、大切な集落の住人である女性が行方不明になって悲しみと怒りで正常な判断能力を失いこのような事をしてしまったのだ。

彼等もまた蝙蝠の大群に惑わされている被害者の一員なのだ。

「ああ、早くこの騒動が収まるといいんだが・・・・」

幻想郷は妖怪が人間を支配する世界なので人間は襲われても仕方がないのだがそれでも度が過ぎると幻想郷の秩序を守る博麗神社の博麗霊夢に幻想郷の秩序を乱す存在と位置付けられて退治、場合によっては成敗されてしまう。

そのため妖怪も度が過ぎないよう過度に人間を襲わないようにしており、結果的に今日の人間は妖怪に支配されつつもただの餌ではなく人間として生きる権利が与えられた世界が保たれている。

今回の蝙蝠の大群は異変と呼ぶにはまだそれ程ではないが幻想郷全体に脅威が及んでいる事を考えると博麗霊夢もそう遠くない内に重い腰を上げる事になるだろう。

それか蝙蝠の大群を操る大きな翼を持った蝙蝠がその前に人間を襲うのをやめるかのどっちかである。

(だが、果たしてこれは妖怪の仕業なのか・・・・・?)

しかし今までの話はその大きな翼を持った蝙蝠が妖怪であるという前提での話である。

結月はその大きな翼を持った蝙蝠が妖怪であるという考えには懐疑的であった。

それは鈴音も同じだろう、だがその大きな翼を持った蝙蝠が妖怪ではないという証拠がない以上、推測の域を出る事はなかった。

「・・・・・あっ、ごめん!大丈夫だった?咲夜(さくや)さん」

鈴音は早高集落の人達を見てつい感傷的になっていたが後ろにいる咲夜と呼んだ女性の事を思い出し振り返る。

「ええ、鈴音さん方のおかげで助かりましたわ、ありがとうございます」

咲夜と呼ばれたこの女性、見た目からして年齢は二十代前半くらい、体格は年相応で鈴音と大差はない(若干この女性の方が高い)。

自分達と同じ人間だと思われるが、髪色も衣服も何よりその雰囲気すら幻想郷に住んでいる多くの人間のものとは違うような感じがした。

結月はその異質なこの世界の人間ではない雰囲気は何処か霊夢にも似ているような気がした。

髪は銀髪で肩まであり頭には白いフリルの様なカチューシャがつけられており左右の横髪は三つ編みになっており緑のリボンで結んである。

青色の質素なドレスを着ておりスカートの裾は白いフリルが着いている。

その青色のドレスの上から白いエプロンを身に着けており胸元には髪のリボンと同じ色のリボンが結んであった。

見た目は天道人進堂の喫茶店の店員の衣服と似ているものの彼女の衣服は喫茶店の衣服と比べ華やかさはなく、キュッとしまった慎ましさを感じるものだった。

「結月紹介するよ、彼女は十六夜咲夜(いざよいさくや)さん、紅い悪魔の住む紅魔館でメイド長をしている女性なんだよ、私よりも家事とか料理が上手くて流石あの紅い悪魔に仕えているだけの事はあるよ」

十六夜咲夜と呼ばれた女性は鈴音の言葉に謙虚に対応する。

「そんな事ないですわ、鈴音さんも料理や家事が上手くてもし逸脱審問官でなかったのなら一緒に働いてほしかったですわ、他の妖精メイドは働いているのか遊んでいるのか分からない程働かなくて、いないよりマシ程度ばかりで困りますわ」

そう言ってため息をつく咲夜。

メイド長と聞いて一体どんな職業なのか分からなかったが聞く限りでは御手伝いさんのようなものだった。

紅い悪魔が住んでいる紅魔館で働く御手伝いさんの一番上という事であるからやはり只者ではないのだろう。

「それにしても大変な目にあったね、偶然私達がここを通りかからなかったらどうなっていた事か分からなかったよ」

咲夜が早高集落の人達と対峙し人間の里の人々に囲まれて八方から誹謗中傷を浴びせられていた時の雰囲気はただならぬものだった。

凄い怒りや殺気で包まれ、いつ咲夜に向かって石が投げ込まれても起きてもおかしくない程だった。

鈴音の言う通りもし自分達が止めに入らなかったら咲夜は只じゃ済まなかったろう。

紅い悪魔の従者だと分かっているはずなのに皆そんな事など気にしていない様子だった。

「鈴音さん方のおかげで大事にならずに済んだ事はとても感謝しますわ、でももし何かあっても私にはこれがあるので大丈夫ですよ」

そう言って咲夜はエプロンの内側から金属製の懐中時計を取り出した。

「ああ、咲夜にはそれがあったわね、確かにそれがあればあの場から簡単に逃げられたよね」

結月には話の意図が一瞬理解できなかったが、すぐに咲夜もまた霊夢や魔理沙の様な特殊能力を使える人間だと理解した。

しかも懐中時計から見るに時間系統それも空間的に作用する能力であるという所まで推測した。

「それにしても一体どうしたのでしょうか、前に来た時は私を避ける人間はいても殺気染みた眼差しを向けてくる人間なんていませんでしたし、先程の方々の蝙蝠の大群や行方不明者の話の内容は分かっても一体何のことか理解できなくて・・・・私がここを訪れていない間に何が起きたのでしょうか?」

どうやら、咲夜は蝙蝠の大群の話も連日の行方不明者の話も初耳のようだった。

真意は定かではないが初耳なら身に覚えがないのも当然だろう。

「それに鈴音さん、そちらの方は?」

咲夜は結月の方を見てそう言った。

「そうね・・・・・話したい事は山々だけどちょっとここでは無理そうね」

早高集落の人達が逃げるように去り一段落したものの騒ぎが大きかったせいか人が集まり注目の的になっていた。

「・・・・・咲夜さん、今時間ある?」

ええ、と答えた咲夜に対して鈴音は結月の方を見る。

「結月、せっかくだから咲夜さんも一緒にお茶に連れてっても良い?お金は私の割り勘でいいから」

咲夜と一緒にお茶をするのは構わなかったが一つだけ譲れない事があった。

「言ったはずだ、今日は俺の奢りだ、咲夜の分も俺が払ってやる」

別に好意が惹きたい訳ではない、結月は自分が決めた事は基本的にやり通す方だった。

「おお!今日の結月は太っ腹だね!じゃあお言葉に甘えて・・・・行こう咲夜さん!一度行ってみたかった甘味処があるからそこに行くよ」

鈴音の案内のもと結月と咲夜は甘味処へ足を進めた。




第十三録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて、小説を投稿し始めてから二ヶ月くらい経ちました。
最初はどうなるかと不安でしたが不安通り七転八倒の有様で読んでくれている読者様に大変申し訳ないです。
小説だけでなく前書きや後書きを見てみると・・・・・・随分偉そうな事ばかりまるで自分が誰よりもこの世の中を分かっているみたいな書き方でした。
自分自身としては日々の生活の中で思っている事を書いていただけなのですがまだまだ自分も未熟者だと反省しています。
しかし後悔してばかりでは前に進みません、これからは駄目だった所を修正し創作に生かしていこうと思います。
こんな私ですが今年も何卒宜しくお願い致します。
それではまた金曜日に。


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第十四録 月明かり覆う黒い翼 四

こんばんは、レア・ラスベガスです。
昨日になってようやくこの冬初のまとまった雪が降りました、今まで遅くても一月上旬にはまとまった雪が降っていたのですがこんなに遅いのは生まれてこの方初めてです。
やはり気象変動が進んでいるのでしょうか?自分が年寄りになった時、昔は冬になるとね、雪という氷の結晶が空から降っていたんだよと語るような未来にはなって欲しくありませんね。
それでは第十四録更新です。


人間の里の大通りから外れた比較的静かな場所にある共同協賛複合甘味処「春菓秋糖」。

平屋や二階建てが主流であり東洋建築の多い幻想郷では数少ない三階建ての西洋建築の建物である。

ここは天道人進堂の支援を受けて営業している甘味処で実質天道人進堂の『子会社』である。

幻想郷に数多く存在する従来の甘味処との大きな違いは四角いお盆にとお皿を持って用意された多種多様なお菓子を取りに行き時間内までなら幾ら食べても飲んでも大丈夫な食べ放題方式という所である。

提供される菓子は天道人進堂の喫茶店で提供されるクッキーやケーキの他に幻想郷で名を連ねる老舗和菓子屋、洋菓子屋、甘味処の代表する菓子が数多く並べられており別払いでお持ち帰りも可能である。

またお菓子だけでなくコーヒーやお茶、抹茶などの飲み物も取り揃えておりこれも全て飲み放題である。

代金はやや値が張るが時間内なら幻想郷にある様々なお菓子が食べ放題飲み放題とあって連日幅広い年齢層の女性で賑わっている。

人間の里の空気が重い中、ここはいつもと変わらぬ活気があった。

その春菓秋糖の三階建ての屋上には一つの丸机と三つの椅子そして日差し避けの大きな傘で一組の客席が複数設置してあり天気のいい時は人間の里を一望できる人気の場所だった。

その屋上の隅の客席に鈴音達の姿があった。

「そうだったんですか・・・・・私が屋敷にいる間にそんな事があったのですね」

咲夜は鈴音達から夜な夜な飛び回る蝙蝠の大群と連日の行方不明者の話を真っ直ぐな瞳を浮かべながら真剣に聞いていた。

どうやら咲夜はここ一週間ずっと屋敷内で過ごしており幻想郷でそんな事が起きている事すら知らなかったようだ。

「人間の里だけでなく幻想郷中が恐らくその話題で持ちきりよ、何せ夜になると蝙蝠の大群が幻想郷の夜空を飛び回っているしその度に一人ずつ人間が行方不明になっているからね」

鈴音はフォークでケーキを切りながらそう言った。

「ですがお嬢様を含め妹様も無実ですわ、お嬢様も妹様もここ一週間は私の視る限りでは御屋敷から一歩も出掛けておりませんし、大妖怪との契約は絶対ですから幻想郷の人間を襲う事なんてありませんわ、そもそもそんな事が起きているという事もお嬢様は知らないと思いますわ」

咲夜は改めて紅い悪魔の無実を訴えた。

咲夜が言った妹様、これは紅い悪魔の血の繋がった妹の事を指している。

紅い悪魔には妹がおり彼女も吸血鬼だという事は分かっているのだが紅い悪魔以上に紅魔館から外に出る事がないため不明な点も多かった。

彼女の事を良く知っているのは恐らく紅魔館の住人だけだろう。

「もちろん、それは私達も同じよ、紅い悪魔が妖怪との契約で妖怪が食べても良い人間を外の世界から連れて来て捧げているからわざわざ人を襲うなんて事をする理由もないし、そもそも紅い悪魔は幻想郷の人間を襲う行為事態、契約で出来ないからね」

結月と鈴音も紅い悪魔が犯人ではないと確信していた。

それは吸血鬼が妖怪と交わした契約の中に名のある妖怪(主に八雲紫だとされる)が外の世界から生きる価値のない人間を提供する代わりに幻想郷の生きた人間を襲わないという規約が含まれており吸血鬼は絶対にそれを破る事が出来ないからだ。

かつて吸血鬼が幻想郷にやって来た時、吸血鬼はその絶大な力で好き勝手に暴れていたのだが、妖怪達はそんな吸血鬼を幻想郷の微妙な力関係で保たれている均衡を崩す脅威と見なした。

そこでとある力のある妖怪が吸血鬼に戦いを挑み激戦の末、吸血鬼はその妖怪に破れその妖怪と契約しそれ以降は人間からその存在が忘れられ紅い悪魔が紅霧異変を起こすまで存在すら曖昧になる程大人しくしていたのだ。

妖怪と交わされた契約は絶対であり吸血鬼はその契約を今日にいたるまで一度も破っていないとされている。

この契約は訓練施設の講習会で勉強する事でありそのため結月も鈴音も知っていたのだ。

実際幻想郷の歴史が書かれた様々な書物を見ても契約以降は吸血鬼に人間が襲われたという記録は一文も書かれていない。

そもそも吸血鬼の姿自体、契約以降殆ど書物に記されておらず記載があったとしても契約前の伝承として書かれる程度でそれは事実上吸血鬼が幻想郷の人間を襲っていない何よりの証拠だった。

「ただ、幻想郷にいる人間の多くはこの契約自体を知らなかったり知っていたとしても妖怪と交わされた契約だから信じていなかったりするから、紅い悪魔が夜な夜な蝙蝠の大群を率いて人間を襲っているという噂話が平然と出回っちゃっているのよね」

妖怪との契約やその紅い悪魔に仕える咲夜の様子を見れば紅い悪魔が人間を襲っていないのは明らかである。

しかしながら人間の多くは吸血鬼が幻想郷で生きた人間を襲わない契約を妖怪と結んでいる事も知らないし契約の話を知っている人でもその契約の効力を疑う者も少なくない。

そもそも妖怪自体が人間にとって恐怖と不安の塊の様な存在だからそんな存在との約束をはいそうですかと素直に信じられる者はまずいないだろう。

そんな妖怪と吸血鬼の間で結ばれた契約のため、果たしてその契約が機能しているのかは結月達を含め本当の所は誰も分からないし効力なんてないと思っている者もいた。

結果的に蝙蝠の大群と連日のように行方不明者には紅い悪魔が関わっているという話が広まってしまう要因になっていた。

「人間は自分の身近で不可解な現象が起きると言い知れぬ不安をなくそうとその不可解な現象に何か理由をつけたがる生き物なのよ、幻想郷には有名な蝙蝠に似た妖怪と言ったら紅い悪魔しかいないから紅い悪魔が夜な夜な飛び回る蝙蝠の大群と連日のように行方不明者の犯人だと勝手に決めつけたのよ、確証性のある証拠なんて何一つないのにね、それに不安になっていた人間が藁にも縋る様な感じで広まっちゃっているんだよね」

恐らくそれが今この幻想郷で起きている真実なのだろう。

そう考えると人間とは何と単純で愚かな生き物なのかと思う。

人間の番人でもある逸脱審問官の結月や鈴音から見てもため息をつきたくなる。

本当ならこんな噂話、心に余裕があり冷静になれたのなら本当にそうなのか?と疑うだろう、明確な証拠も証言もない本当の噂話なのだ。

しかし心に余裕がなく冷静になれない故に噂話を鵜呑みにする人達が現れあたかも真実のように世間に広まっているのだ。

誰もがその噂を真実の様に口にしていればそれを嘘だと否定するのは難しいのもあった。

限りなく信憑性のない情報に踊らされる多くの人間の姿は滑稽と言うほかない。

「でも困りましたわ、切れそうになっていた食料品や生活用品の買いに来ましたのにこんな様子ではちゃんと買い物できるかどうか・・・・・」

買い物に来た咲夜にとって重大な問題だった。

咲夜の服装は人間の里の人間の服装と比べると奇抜な服装をしており人間の里にいる多くの人間は一目見るだけで咲夜だと分かってしまうだろう。

もし今の状態で表通りを歩こうものならあの時のように紅い悪魔が犯人だと思い込んでいる人間達に絡まれてしまう可能性は高かった。

時を操ればその場からは逃げる事は出来よう、だがお店に着いたとしてもちゃんと買い物をさせてくれるかは分からなかった。

お店の店主も人間なので入店拒否される可能性もあった。

今の幻想郷に住む多くの人間が紅い悪魔や紅い悪魔に仕える咲夜に対して疑いの目を向けているのだ。

「その事なんだけどさ咲夜さん、もし良かったら私達も付き合ってもいいかな?もし絡んできたとしても私達が助けてあげられるしお店が入店拒否をしようとしても私達が話を着けてあげるよ、どうかな?結月」

鈴音の提案に結月も頷いた。

「良い考えだと思う、困っている人がいるなら手を差し伸べるのが人間の番人である逸脱審問官だ」

もちろん、全ての人間ではない、あくまでも真っ当に生きる者達に対してだけだ。

そして困っているのが真っ当な者ならそれが例え妖怪に仕える人間であっても妖怪であっても手を差し伸べる。

他の逸脱審問官はどうか分からないが少なくとも結月と鈴音はその考え方だった。

咲夜が真っ当な人間かどうかは分からないが少なくとも悪い人間ではなさそうだった。

「えっそんな!お気持ちは嬉しいですがそんな事をしたらお二人にも疑いの目が・・・・」

鈴音と結月の身を案ずる咲夜だが鈴音はそんな事はないと首を振る。

「そんなの気にしないよ、むしろ世間に流されて真実から目を背けるなんて事をしたらそれこそ逸脱審問官の名折れだよ、誰に何を言われたって私は咲夜さんの味方だよ、紅い悪魔は何もやってない、私は咲夜さんを信じているから」

噂話や世間の考えに流されず強い意志を持ち、困っている誰かを助けるためなら世間の考えにだって逆らう事もまた人間の番人として当然の事だった。

「そうだ、別に迷惑なんて思ってない、俺も咲夜さんの力になりたいんだ」

結月も世間の考えや噂話に流される事も間違った事に従う事も嫌いだった。

正しい事をするためだったら世間に逆らってでも良いという覚悟もあった。

「結月さん・・・・・ありがとうございます、ならご一緒していただけないでしょうか?」

任せてと胸元を叩く鈴音、しっかりと頷いた結月、明王も月見ちゃんも私達も一緒よと言っているかのような顔をしていた。

「それにしても鈴音さんが上司になって部下が出来た事にも驚きましたわ、しかも鈴音さんと同じくとても強い意志を持った御方のようですね」

強い意志、そう言われるが結月にはその自覚はない。

それは結月にとって当たり前であり意識してやっていた事ではなかったからだ。

一方で咲夜は鈴音の事を強い意志を持った人間と評価している事に咲夜は鈴音の事を良く分かっていると結月は思っていた。

「あ~・・・・・・うん、そうだね」

一方の鈴音は何処か複雑そうな表情を浮かべる。

「どうかなされましたか?鈴音さん、何だか晴れない御顔をしている様に見えますけど」

咲夜にそう言われ意を決したかのように鈴音が口を開く。

「咲夜さんは私に上司としての素質ってあると思う?」

ああ、やっぱり気にしていたのかと結月は思った。

仲間である逸脱審問官にも顔見知りでもある魔理沙にも好敵手である霊夢にも頼りない上司と思われている鈴音はその話題になると咲夜も同じ事を思っているのではないかと気が気でないようだ。

「急にどうしたんですか?もちろん私が見る限りでは鈴音さんには十分上司としての素質があると思いますわ」

咲夜のその言葉に安堵したような表情をする鈴音。

「良かった~・・・・・、いや実はね、霊夢や魔理沙からはお前が上司で部下は大丈夫なのか?みたいな言われ方をされてね・・・・ちょっとへこんでいたんだ」

あ~、と言いながら苦笑いを浮かべる咲夜。

「気にしない方が良いですよ、霊夢や魔理沙とは何かと一緒になる事は多いですけど魔理沙はかなりの捻くれ者ですから、鈴音さんに上司が務まる程の実力を持っているのは理解していると思いますわ、ただ素直に人を褒めるって事は滅多にしません、霊夢は妖怪にも人間にもあまり興味がなくて、むしろその両者からあえて距離を置くために人を遠ざけるような言葉を使うのですよ、霊夢も鈴音さんの実力はちゃんと分かっていると思いますよ、だからもしあのお二人に何か言われても真に受ける事なんてありませんわ」

どうやら咲夜は霊夢や魔理沙とは付き合いがありしかも結構長いらしい。

確かに思い返してみれば初めて霊夢と魔理沙と会った時、そういう節があった事を思い出した。

「そうかな、いやでも実際結月はまだ逸脱審問官になって一カ月も経ってないんだけど素質があって物覚えも良くて私から指摘する事なんてあまりないんだよね」

そうだろうか?と思い返してみる結月。

練習の時結月が鈴音から指摘を受ける事は多々あったので結月には鈴音の話は信じられなかった。

「いや練習とかで指摘はするんだよ、もっと足に力を入れた方が良いとか、脇は締めといた方が良いとか、でも大体の体の動きは出来ているから細かい指摘しか出来ないんだよね、しかも物覚えが良いからすぐ修正しちゃってさ、何にも言えなくなるんだよね」

あれで細かい指摘なのかと思う結月、結月が上手く出来たと思っていても鈴音は一度に三か所多い時には五か所くらい指摘される事もあった、そして実際に言われた通りやるとそれ以上良い出来になった。

あの細かい指摘は二年間逸脱審問官として戦ってきた鈴音だからこその豊富な実戦経験と卓越した洞察力、観察力の賜物であるのは間違いなかった。

正直、結月にとって鈴音が上司に向いていないと思った事は一度もなかった。

「ホントに凄いんだよ、逸脱審問官になった初日から現れた逸脱者を倒しちゃうし、そりゃ逸脱審問官になった時点で逸脱者を倒せるように訓練しているけどさ、やっぱりそれでも訓練の模擬戦と命がけの実戦じゃ訳が違うから戸惑うはずなんだけど結月はすぐに実戦に順応しているんだよね・・・・・正直私が教えなくても十分すぎる程の強さを持っていてさ、私なんていなくても大丈夫かなってふと思っちゃうんだよね・・・・・」

しかし鈴音の話の途中で結月は咳き込んだ後、話に割り込んだ

「流石に買い被り過ぎた鈴音先輩、俺は実力も経験もまだまだ未熟だし実際猿の姿をした逸脱者と戦った時も俺は深く状況を吟味せず好機を焦り攻撃したばっかりに反撃を受けて危うく命を落とす所だった・・・・・」

結月が思い出していた事、響子と協力して戦った白い毛をした猿の逸脱者の事だった。

逸脱者はあえて背中を無防備にする事で攻撃を誘っていた、結月は容易に背後を取れた事に疑問こそ持ったが僅かな時間の経過が状況を変化させてしまうため結月は判断を見誤り逸脱者の狙い通り攻撃をしてしまったのだ。

殺気を感じ取った結月が防御姿勢をとった直後、逸脱者の後ろ蹴りを食らい、大した怪我こそ負わなかったもののその衝撃で意識が飛びそうになり、後もう少し意識の戻りが遅ければ逸脱者の鋭い鋭利な爪で体が引き裂かれていた事だろう。

一方あの時の鈴音は状況を理解し逸脱者の企みに勘づき自分に警告を送っていた。

この差は自分と鈴音の実力と経験の差だと結月は思っていた。

「とにかく俺もまだ一人前の逸脱審問官ではない、才能云々は分からないが今の自分は実力も経験も一人前とは程遠い、正直今の俺では単独で逸脱者を倒す事はなんて到底無理だ、一人前の逸脱審問官になるためこれからも鈴音先輩には上司として色々と教えてもらいたい」

言い過ぎのようにも聞こえるが結月は別に言い過ぎでもなんでもなく真面目だった。

一方で咲夜は結月の頬が若干赤くなっている事に気づき笑みが零れる。

(もしかしてあれは照れているのでしょうか?結月さんは冷静沈着な方だと思っていましたが意外とあれで素直な方なのかもしれませんね)

それと同時に咲夜には鈴音の心配が杞憂であると理解した。

結月は口数こそ少ないが鈴音の事を上司として慕っていると分かったからだ。

「そうですわ鈴音さん、結月さんはあなたの事をとても信頼なされていますわ、もっと上司として自信を持っていても良いと思いますよ」

咲夜からもそう言われ鈴音は何処か照れくさそうな様子だった。

「そ、そうだよね!結月が余りにも素質が良いからちょっと自信無くしていたけど、私には上司として結月が一人前の逸脱審問官になってもらうために教えてあげる事がまだいっぱいあるもんね!これからも結月の上司として誇れるよう私も頑張るよ!」

元気を取り戻した鈴音は笑顔でそう言った。

それを見て結月は安堵し咲夜は二人の姿を見てフフッと微笑んだ。

その後の話は咲夜と鈴音の他愛のない話へと変わっていき結月はただただ咲夜と鈴音の話を聞きながらお菓子と頬張り、食べ終わったら取りに行き相棒の明王や結月の方に寄ってきた月見ちゃんにもお菓子を食べさせていた。

(せっかく食べ放題なのに鈴音先輩も咲夜さんもあまりお菓子に手を付けてないな・・・・)

結月は咲夜と鈴音の前にある食べかけのお菓子が乗った皿を見てそう思う。

咲夜も鈴音も話に夢中で一向にスプーンが進んでいない。

話し続けるため喉は乾くのか、飲み物は良く取りに行っているようだが、何だが勿体無く感じる。

ここの食べ放題飲み放題は無制限ではなく時間内であり沢山食べなければ損になるのだ。

とはいえ楽しそうに会話をする咲夜と鈴音の姿を見ていると二人にとっては楽しい会話こそ最高の甘味かもしれないと結月は思えた。

(とりあえず鈴音の機嫌が直って良かった)

いつもの明るく元気に振る舞う鈴音を見て結月は一息つく。

ここまで来るまでに色々あったが結月は当初の目的である落ち込んだ鈴音を元気にさせる事を忘れていなかった。

自分の奢りでお茶に誘った時から既に機嫌は良かったのだが咲夜との楽しい会話ですっかり昨日の事など忘れているようだ。

単純で気持ちがすぐに切り替えられる鈴音に出来る事であって結月には出来ない事だった。

相棒である月見ちゃんも楽しそうに会話をする鈴音を見て嬉しそうだ。

「結月どうしたの?私の顔なんかじっと見てさ、私の顔に何かついているの?」

長い間じっと鈴音の顔を見ていたため鈴音が気になって結月にそう聞いてきた。

「いや、鈴音が元気になってよか・・・・」

え?と聞いてきた鈴音に対して結月はすぐにハッとなり自分の過ちに気づく。

失言だった、鈴音には智子に触れられたくない過去を触れられて落ち込んだ鈴音の機嫌を直すためである事は知られてはいけない事なのについ気の緩みからか考えていた言葉が口に出てしまった。

「あ・・・・いや・・・・・」

戸惑いが隠し切れない結月、まさかこんな凡ミスをするとは思ってなかった。

慢心、傲慢は身を滅ぼす事を結月は身をもって体験した、この経験はきっと結月にとっていい教訓にはなるだろうがだからといってこの状況が良くなるわけではない。

「そ、それよりも時間は大丈夫なのか?」

慌てて話を時間にすり替える結月。

咲夜は白エプロンから鎖で繋がれた懐中時計を取り出し時間を確認する。

「あらいけない、もうこんな時間だわ、そろそろ買い物に戻らないと・・・・・」

結局咲夜と鈴音はお皿に乗せたお菓子を食べ切る事はなく一度もお菓子を取りに行かなかった。

「もうそんな時間なんだ・・・・・・ああ、せっかくお菓子の食べ放題に来たのにあんまり食べられなかったな」

ショボンとする鈴音だが、どう考えても話に夢中になって食べる事を疎かにしていたのだから擁護は出来ない。

「用意されたお菓はお持ち帰りも出来るんだろう?食べたい分だけ箱に詰めて持って帰ればいい、その分も俺が奢る、咲夜さんもお土産に持っていったらどうだ?」

結月がそう言うと鈴音はパアッと明るい笑顔を見せる。

「本当にいいの?ありがとう結月、今日は本当に太っ腹だね・・・・・まあ結月は痩せているけど」

まあ、言葉の文だしなと思う結月。

「本当によろしいのですか結月さん?・・・・・ではお言葉に甘えて美鈴とパチュリー様それに小悪魔にもお土産として持って帰ろうかしら」

紅魔館に暮らしているのはどうやら紅い悪魔や妹だけない、紅魔館を守る門番を務める中華風の妖怪や膨大なる知識を備えた魔女、それにその魔女の使い魔として働く下位の悪魔も住んでいると噂されていた。

ふと紅い悪魔とその妹にはお菓子を買っていかないのかと結月は思ったが考えてみれば彼女達は人間の生血を主食としているため人間のお菓子は食べられないのかもしれない。

「私も食べ足りなかった分や智子や桃花にも買っていってあげようかな」

桃花はともかく、智子にもお菓子をお土産として買っていくと聞いた時、結月は意外だなと思った。

昨日、触れてほしくない過去に触れられて酷く落ち込む原因にもなった智子にもお菓子を買っていくのだ。

どうやら鈴音は智子の事を怒っても恨んでもいないようだった。

(という事は落ち込んでいたのは智子に過去に触れられた事ではなくてその触れてほしくない過去に対しての自分自身の葛藤なのか?)

そんな事を考えている結月とは裏腹に当の本人である鈴音は嬉しそうに箱にお菓子を詰めていた。

談笑しながらひょいひょいとお菓子を迷いなく箱に詰めていく鈴音と咲夜の姿を見て女性って本当に甘い物が好きだなと気楽に考えていた結月だったが、これが後に大変な事になるとはこの時結月は思いもしなかった。

「お待たせ結月!さっお会計をして咲夜さんの買い物に付き合うよ!」

隙間なくギッシリお菓子を敷き詰めた箱を持って来た鈴音と咲夜。

随分と入れたなと思いながらもお会計に向かう結月。

お会計を担当する店員は鈴音と咲夜の箱の中に入ったお菓子を種類と数を確認した後、算盤をうちお金を計算すると食べ放題三人分の料金とお土産のお菓子代を合わせた合計金額を結月に見せた。

「はい、合計でこれくらいになります!」

定員から見せられた算盤を額と見て財布からお金を取り出そうとした結月の動きが止まる。

算盤に打ち出された額は結月の想像を超えるものだった。

(二万五千三百七十一・・・・・・)

その値は結月がお菓子に対する認識が変わる程の値段だった。

食べ放題料金が一人五千くらいで三人いるので一万五千円取られる事は分かっていた。

料金自体は時間制限あれど基本はお菓子食べ放題で飲み物も飲み放題だと考えると妥当だと思っていた、問題はお土産用に箱に詰めたお菓子の値段だ。

(いやでもここで提供されているお菓子は天道人進堂の自慢のお菓子の他、幻想郷で名だたる甘味処や和菓子屋のお菓子ばかりだ、別売りで買ったらこの値段は妥当か・・・・)

しかしそれでもお菓子で約二万五千も取られるとは思ってなかった。

「どうしたの結月・・・・・・あっごめん、ちょっと取り過ぎちゃった」

算盤の前で佇む結月を心配して近づいてきた鈴音と咲夜は算盤の額を見て気まずい顔をする。

彼女達もついつい食べたいお菓子や美味しそうなお菓子を詰めてしまった事を反省する。

「・・・・・やっぱり私も出すよ結月、咲夜さんも分は予想外だったもんね」

そう言って財布を取りだそうとする鈴音。

「私も出しますわ、私の分まで結月さんに奢ってもらおうなんてやっぱり我儘ですよね」

咲夜も財布を取りだそうとした時、結月は首を横に振った。

「いや、ここは俺が払う、俺が払うと言った以上、その言葉を曲げるつもりはない」

別に結月は女性の前で恰好をつけたい訳ではない。

自分自身の誇りが割り勘を許さなかった。

結月にもそれなりに誇りはある、奢ると言った以上、自分の発言には責任を持ちたい。

そうでなければ自分は口だけの人間になってしまう。

無茶もあるだろう、無理もあるだろう、自分の主張を曲げなきゃいけない時だってある。

だが今はそうじゃない。

(かなりの額だが払えない訳ではない)

結月はあまり娯楽にお金を使わない方で節制する方に人間なのでお金には余裕があった。

そのため二万五千なら払えるには払えるがまさかお菓子にこれだけ使うとは思わなかっただけだ。

結月は財布からお札を三枚取り出すと店員に渡した。

店員はお金を受け取るとお釣りを結月に渡した。

「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしています」

全額払った結月に対して鈴音と咲夜はおお、と驚いたような顔をしていた。

何とか自分の誇りを保った結月だったが、その代償はとても高く、甘いお菓子を食べたばかりのはずなのに心は甘くないほろ苦さを感じる結月であった。

 

日は大分傾き、幻想郷は夕焼けに染まっていた。

「ここまでくれば大丈夫です」

人間の里を抜け霧の湖へと向かう一本道を前にして咲夜はそう言った。

「鈴音さんと結月さんのおかげでとても助かりましたわ、おかげで滞りなく買い物を済ませる事が出来ましたわ」

結局あの後、何度も絡まれそうになったり入店拒否されそうになったりしたが結月達が話し合い(脅しを含め)で解決した。

「それでなんだけどさ咲夜さん、もし何か欲しい物があったら私達がいる天道人進堂に来てよ、天道人進堂には大抵物は揃っているし職員は噂話なんて流されないしっかり者ばかりだから、邪険にはしないよ、私達からも職員や鼎には話を着けておくからさ」

鈴音がそこまで言えるのは咲夜が仕える紅い悪魔が絶対に人間を襲っていないという確信があるからだ。

「いけませんわ、これ以上ご迷惑をかけたら鈴音さんや結月さんはおろか天道人進堂にも良からぬ噂が・・・・・」

これ以上迷惑をかけたくない咲夜に対して鈴音はニカッと笑う。

「私言ったはずだよ、世間に流されて真実から目を背けて咲夜さんを助けないなんて事をしたらそれこそ逸脱審問官の名折れよって、それは逸脱審問官だけでなく天道人進堂だって同じ、天道人進堂のみんなその考えを持っているから咲夜さんを信じるよ、絶対にね、例えそれが世間の考えに逆らうとしてもね」

真実、紅い悪魔が犯人でないという確証性のある証拠もないが紅い悪魔が犯人であるという確証性のある証拠もない。

証拠がない以上今の所は紅い悪魔は無関係であり無実なのは紛れもない真実なのだ。

「鈴音さん・・・・・ありがとうございます、では蝙蝠の騒動が収まるまではお言葉に甘えてそうさせてもらいますわ」

蝙蝠の騒動が収まるまでと口にする咲夜だが、果たして蝙蝠の大群と連日の行方不明者は収まるだろうかと結月は思う。

結月にはこの一連の騒動がパッタリと収まるとは思えなかった。

最も幻想郷の秩序が乱れるとして博麗神社の霊夢が重い腰を上げた場合は例外だが。

「では、私はこれで失礼いたします」

咲夜はお辞儀をすると白エプロンから懐中時計を取り出し懐中時計の上部にある突起部を押した。

その瞬間、咲夜の姿は一瞬にして消えてなくなり目の前には霧の湖へと続く道だけが広がっていた。

「驚いたでしょ結月?咲夜さんは時間を操る能力を持っていて空間の時間を止めたり時間を早めたりする事が出来るんだよ、だから時間を止めて家事をこなしたり、時間を早めて葡萄果汁搾りをワインにしたりする事が出来るんだ、流石は紅魔館のメイド長だけの事はあるよね」

時間を操る能力だろうとは結月は思っていたが、まさか時間を止める事も出来るとは思ってなかった結月。

確かに咲夜が一瞬で消えたと結月は感じたが、良く思い出してみれば一瞬と言う言葉すら遅く感じるような消え方だった。

まるで咲夜を含め周りの世界が切り取られたかのような感じだった。

(一体咲夜は何者なのだろう?)

常人には得る事が出来ない能力を一体彼女は何処でそれを会得したのか?何故紅い悪魔の下で働くのか?そもそも幻想郷の人間なのか?謎の多い人物であるのは確かだった。

それは霊夢や魔理沙にしてみても同様の疑問を持っていた。

(まだまだ俺には分からない事ばかりだな)

これも逸脱審問官になったからこそ垣間見える世界の一つなのだろうか?

そんな事を思っていると何処からか聞き覚えのない男の声が響いた。

「十六夜咲夜・・・・・彼女もまた蝙蝠の大群に惑わされた一人の被害者か」

結月は何処からともなく聞こえる男の声に無意識に構える。

「結月、安心してこの声の主を私は知っている、私達逸脱審問官の味方よ」

木々が生い茂り無造作に雑草が生える日の光が入らない暗闇の中から一人の男がヌッと現れる。

全身黒づくめで首には黒色の布をマフラーのように巻いており目の部分しか露出しておらず左目には大きな傷跡があった。

その姿から結月は一目で件頭である事を理解した。

それもすぐ傍にいたのに気付かない程気配を消すのが上手い事やその一方で露出している両目はまるで猛禽類の様な鋭い眼光を放っている事からかなり腕の良い件頭である事も予測していた。

「やっぱり風馬だよね、こんな至近距離で私達に気づかれない程気配を消す事が出来る件頭は風馬しかいないもんね、風馬に会うたびに敵でなくて良かったと思うよ、もし敵だったら背後を取られて暗殺されちゃいそうだよ」

鈴音の言葉には結月も同感だった。

もしこの男が敵だったら知らぬ間に背後を取られ命を奪われていた事だろう。

「それはない、お前達に近づけたのはお前達に殺意がなくただ自然と同化する事に務めただけ、もし暗殺しようと殺気を出そうものならお前達は殺気を感じ取り一瞬で私の姿を捉え瞬く間に私の首は地面に転がるであろう、それ程の実力を逸脱審問官は持っているのだ」

一方で風馬と呼ばれた件頭は謙虚な態度でそう答えた。

しかし結月にはもしこの件頭が本気で自分の命を奪いに来た時、果たして一瞬の殺気を察知し反撃ができるかどうか不安だった。

そう思う程の実力者である事は間違いなかった。

「鈴音、もしやその男が新しく逸脱審問官になった男か?」

うん、と頷いた鈴音、風馬と呼ばれた件頭は結月の方を見る。

「顔を合わせるのは初めてだな、俺の名前は風馬、件頭をやっており恐縮ながら件頭の長をやっている、お前の事は良く知っている、平塚結月・・・・・・さて、何が知りたい?」

その言葉で結月は風馬が凄腕の件頭である事を確信した。

何が知りたいと聞いたのは自分の事なら何でも把握していると宣言しているようなものだった。

そこまでの事を堂々と言えるという事は何でも知っているという自信の表れでもあり恐らく本当に自分の事を良く知っているのだろう。

知らないとすれば何時から何時まで寝たかとか寝る前に読んだ本を何処から何処まで読んだとか細かい所になるがそこまで細かくないと風馬の口から知らないと言わせられないだろう。

結月の見た目には出さないが風馬には自分の殆どの事が知られているような気がして内心は冷や汗を感じていた。

「聞きたくはないな、聞いたら絶対後悔するに決まっている」

結月の答えにフッと答える風馬。

「結月、やはり逸脱審問官になるだけの男のようだ、認めようとしない常人とは違う」

そう褒められた結月だが正直に答えただけなのに何故褒められたのか理解できなかった。

「何故風馬さんは俺を褒めたんだ?俺は風馬の風貌や雰囲気から只の件頭ではないと感じ取って本当に俺の事を何でも知っているような気がしてそう言っただけなんだが・・・・」

結月の疑問に対して風馬は目を瞑って首を横に振った。

「相手の姿や雰囲気から一体何者でどれ程の実力を持っているか瞬時に理解し素直に認める事が出来るのが逸脱審問官なのだ、それを理解するお前は逸脱審問官としての器を十分に持っているようだ・・・・これなら安心して逸脱者の情報を提供する事が出来る」

顔の大部分が隠れており表情は伺えないが安堵しているように見えた。

「それって・・・・・もしかして逸脱者の情報を掴んでいるの?」

緊張した面持ちでそう聞いた鈴音だが風馬は首を横に振る。

「残念ながら今は何も・・・・・ただ」

風馬は猛禽類の様な鋭い目で鈴音と結月の方を見た。

「蝙蝠の大群を率いているのは恐らく妖怪の類ではない」

静かに、けれどもしっかりとした声で風馬はそう答えた。




第十四録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて読者様は御正月は御正月らしく過ごしましたか?
私はお節料理を食べたり仏壇を参ったりやって来る親戚の対応をしたりしてそれなりに御正月らしく過ごしました。
ただ今年は何故か御正月という気分になれませんでした、お正月の時は雪がなくあまり寒くなかったせいなのか新年に入っても2016年の様な気分でした。
ですが2017年に入って今日で十三日目、もう十三日も経ちました、一月の半分に近いです、時の流れは速いのです、だからこそ気分を切り替えて一日一日を大切にし2017年も頑張って創作に打ち込んでいこうと思います。
所信表明の様になってしまいましたがとりあえず小説はどんな形であれ完結させたいという意気込みで行こうとは考えています。
こう書くと物凄いプレッシャーですが一応意気込みであって決意表明ではないのであしからず←言い逃れしようとする屑そのもの。
それではまた金曜日に。


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第十五録 月明かり覆う黒い翼 五

こんばんは、レア・ラスベガスです。
インスタントラーメンとかカップの内側にここまで水を入れてくださいとラインが引いてありますが私はそのラインよりちょっと下くらいでお湯を入れるのをやめます。
どうしてかと言われると私は味が濃い方が好きだからです、お湯減らしても取る塩分量は変わらないですしね。
それでは第十五録更新です。


蝙蝠の大群を率いているのは妖怪ではない、その言葉に結月と鈴音はやはりそうかと言っているかのような顔をした。

「幻想郷にはあれ程の蝙蝠の大群を操る事が出来る妖怪はそうはいない、元々現世には蝙蝠の妖怪自体少ない、いないという訳ではないがあの規模の蝙蝠の大群を操る実力を持つ蝙蝠の妖怪はどの書籍にも記されてない、よってあの蝙蝠の大群を率いている存在は妖怪である可能性は限りなく低いだろう」

そうはいない、と風馬が口にしたのは紅い悪魔ならあの規模の蝙蝠の大群を操る事が出来ると知っているからだ。

しかし風馬は紅い悪魔も犯人ではないと思っているようだ。

「それはつまり・・・・・」

結月が結論を述べようとした時、風馬は言葉を遮る。

「いや、だが蝙蝠の大群を率いているのは妖怪である可能性は限りなく低いだけであって逸脱者であると断言する確証性のある証拠も今の所何一つない」

抑揚のない声でそう言った風馬だがその言葉には何処か悔しさが滲み出ていた。

つまり蝙蝠の大群を率いている親玉の正体はまだ分かっていないという事を指していた。

「恐らく、幻想郷の噂で流れている蝙蝠の大群の中に月を覆い隠してしまう程の翼を持った蝙蝠がいたという話やその大きな翼を持った蝙蝠が夜な夜な人間を襲っているという話は恐らく本当だろう」

情報を収集の専門である件頭がそう言ったのならその二つの話は本当なのだろう。

「私を含め多くの件頭が毎夜夜空を飛び回る蝙蝠の大群の情報を優先的に集めている、その件頭の情報によると姿や大きさに違いはあれど大きな翼を持った蝙蝠の姿を目撃した人間が何人もおり、その大きな翼を持った蝙蝠の姿を目撃した人間が多い地域で四人の行方不明者が出ている事も判明した、恐らくその大きな翼を持った蝙蝠が蝙蝠の大群の親玉で毎夜人間を襲っている可能性が高い」

襲っている所を見た目撃者はいないにしてもその大きな翼を持った蝙蝠が多数目撃された地域で行方不明者が出ているという事は大きな翼を持った蝙蝠が人間を襲っているのは間違いなかった。

しかし姿や大きさに違いがあるという事は信憑性のない噂が広がる原因になっている事を風馬も結月も鈴音も分かっていた。

「だが、恐らくその大きな翼を持った蝙蝠は妖怪ではない、ましてやあの紅い悪魔などでは絶対ない」

風馬は紅い悪魔がこの一連の騒動の犯人ではないと断言した。

風馬に限らず件頭なら吸血鬼と妖怪が結んだ契約の事や吸血鬼の事は重々知っているのでそう断言できるのかもしれない。

しかし結月にはどうしても紅い悪魔ではないと断言した事に不可解さを感じた。

(まるで紅い悪魔に何か強い思い入れがあるような・・・・・)

もちろん結月もそうは紅い悪魔が一連の騒動の犯人だとは思っていない。

だが風馬は大きな翼を持った蝙蝠は紅い悪魔ではないとわざわざ念を押すように言ったのだ。

妖怪ではないと言っている以上、別に紅い悪魔の名は出す必要などなかったはずだ。

もしかして紅い悪魔の犯行ではないかという迷信に対しての否定がしたかったのだろうか?だが紅い悪魔が犯人ではない事は逸脱審問官だって言わなくても分かっているはずなのだ。

「とはいえ、その大きな翼を持った蝙蝠が妖怪でないという決定的な証拠もないし逸脱者であるという決定的な証拠もない、大きな翼を持った蝙蝠の正体は残念ながら件頭の中でも分かってない・・・・・・正直この今の状況ではお前達を断罪に行かせる訳にはいかない」

大きな翼を持った蝙蝠は恐らく限りなく逸脱者に近いのだろう、だがそれを証明する証拠がなければ件頭として逸脱者の断罪を頼むことは出来なかった。

もし大きな翼を持った蝙蝠が妖怪であった場合、逸脱審問官を危険に晒してしまう可能性があるからだ。

逸脱審問官は人間が人間として守るべき掟を破った者を罪人・・・・・・主に逸脱者を断罪するための存在であり、逸脱審問官皆が皆逸脱者を断罪するために集まった人間である、逸脱審問官が人間である以上件頭は情報の正確性を重視し責任を持たなければならなかった。

不正確な情報で討伐に行かせ逸脱者ではなく妖怪でありその妖怪に逸脱審問官が殺されるような事があれば全ての責任は不正確な情報を出した件頭と言う事になる。

それは最も避けるべき事態であり件頭として最も恥じるべき事だった。

それにもし蝙蝠の大群を率いて人間を襲っているのが妖怪ならそれはもう逸脱審問官の出番ではない。

妖怪が人を襲う事は幻想郷の秩序を保つために必要な行為であり天道人進堂はそれを否定しなかった。

もし妖怪が無意味に人間を殺すのが好きな妖怪だとしても、それは逸脱審問官ではなく博麗の巫女の担当だろう。

「じゃあ、件頭の方でも蝙蝠の大群に関して分かっているのは今の所それだけなんだね?」

鈴音の質問に風馬は悔しさが滲んでいるかのような顔で頷いた。

「本当に申し訳ない、蝙蝠の大群は毎日のように夜空に現れる、だが相手は幻想郷の空を飛び回る存在だ、幾ら幻想郷が現世と比べ狭いとはいえ多くの人間を養い現世中の妖怪が棲む事が出来る程の広さはある、それを地上から追いかけるのは件頭全員でも至難の業だ」

件頭は情報を集める専門の集団だが彼らは人間であるため、空を飛ぶことは出来ない、情報を集める時は地上を走り回って集めている。

それに対して蝙蝠の大群は自由に空を飛び回る存在だ、地上から追いかけるのは難しい事だろう。

「その上日に日に蝙蝠の数が増えており捜索範囲も広がっている、その上蝙蝠の大群が活動するのは日の光がない夜だ、黒色の肌の色をした蝙蝠は夜の暗闇に紛れる事が出来る、目撃された大きな翼を持った蝙蝠の大きさや姿が曖昧なのも距離と周囲の暗闇でハッキリとその風貌がよく見えないからなのだろう」

確かにそんな状況では情報を集める専門の集団である件頭であっても空から蝙蝠の大群を追いかけるのは不可能だろう。

もちろん鈴音も結月も件頭が情報収集を怠っているとは思ってないので件頭を責める事はしなかった。

「それに命を大切にしろと鼎様から命じられている、情報を得るために危険を冒して命を落とすような事があればそれこそ本末転倒だと鼎様は言っていた、俺達件頭の命も同じ人間の命だからだ、それに件頭を失うような事があれば同等の能力を持った件頭を育てるのには数年はかかる、それは幻想郷の情報収集の低下を意味する、そうなれば逸脱者が発見に遅れが生じ逸脱者の犠牲となる人間が増やしてしまう事になる、俺達が逸脱者に接近するのは生きて帰れる算段がしっかりとある時だけだ」

件頭も幻想郷に生きる人間の一人であり情報が得られる可能性があっても命を冒すような真似をして逸脱者に殺されたのなら何の意味もなかった。

鼎にしても逸脱者から人間を守るために同じ人間である件頭に犠牲になってほしくないのだろう。

「残念だが大きな翼を持った蝙蝠の正体が分からない以上、俺に出来る事はその大きな翼を持った蝙蝠から人間を守るため夜に出歩く者達に対して家に帰るよう忠告する事だけだ」

目以外の顔の部分を黒頭巾で覆い表情を伺う事は出来なかったが恐らく未だに大きな翼を持った蝙蝠の正体を突き止められず行方不明者を増やしている自分を責めている様にも感じる言動だった。

「だが情報収集を専門とする件頭として諦めるつもりはない、何としてでも蝙蝠の大群の親玉の正体を、せめて犯人が紅い悪魔ではない事を証明しなければいけない」

この時結月の疑念が確信に変わった。

(やはりこの風馬と名乗る男、紅い悪魔に何か深い思い入れがあるようだ)

鈴音と咲夜のやり取りを聞いていた手前、多くの人間から疑いの目をかけられている人間である咲夜を助けるためにそう言っているのかもしれないがそれにしても念を押しすぎているような気がした。

「蝙蝠の大群の親玉の正体は件頭の誇りにかけて絶対に突き止めてみせる、鈴音も結月もいつでも断罪に行けるよう万全を期して待機しておいてほしい」

もちろん結月も鈴音も言われなくともいつでも断罪に行けるよう鍛練は怠っていなかった。

「私達は大丈夫、風馬も情報収集頑張ってね、件頭の事、頼りにしているよ」

だが蝙蝠の大群の親玉の正体を分からなければ動く事が出来なかった。

今はとにかく件頭の情報に頼るしかなかった。

「期待に応えられるよう努力する、ではこれで失礼する、御免」

風馬はそう言うと高く飛び上がり木の枝に飛び乗ると木々を飛び移りながら森の中へと消えていった。

「風馬さんなら紅い悪魔にかけられた疑いを晴らしてくれるだろう、そんな予感がする」

確信などないが、そう思わせてくれるほど風馬から並々ならぬ実力と覚悟を結月は感じ取っていた。

そうだね、と風馬が消えていった森の方を見ながら小さくそう呟いた鈴音。

鈴音も風馬の事をとても信頼しているのだろう、だからこそ頼りにしていると言葉をかけたのだ。

今は風馬と件頭を信じよう、彼等なら必ず蝙蝠の大群の親玉の正体を突き止めてくれると結月は信じていた。

「そういえばさ・・・・・・さっきお茶をしていた時、私の方を見て結月、何か言おうとしていたよね?」

森の向こうを見ながら鈴音はそう聞いていた。

聞いてほしくなかった話題を振られ結月に一瞬動揺の色が出る。

「あれって、私に元気になって良かったって言おうとしたんだよね・・・・・それって昨日のあの事を言っているんだよね?」

やっぱり気づかれてしまったかと苦虫を噛み潰したような顔をする結月。

昨日のあの事を忘れてほしくてお茶に誘ったのに自分が思い出させてしまってしまった事に結月はとても悔いていた。

「すまない・・・・・辛い記憶を思い出させてしまって・・・・・」

謝る結月だったが鈴音は首を横に振って否定する。

「結月は何も悪くないよ、謝らないといけないのは結月に気を遣わせちゃった私の方だよ」

いつも通りのように聞こえていつもとは元気が感じられない声でそう言った鈴音。

ああ、やっぱり落ち込ませてしまったと結月は悔やんだ。

「ごめんね結月、気を遣わせちゃって・・・・・・過去はどうやっても変えられないから気にしても仕方がない事は私も分かっているんだよ」

逆を言えば過去は変えられないからこそどうしても悔やんでしまうものだった。

こうして見てみると鈴音も人間離れした逸脱者を何体も断罪してきた逸脱審問官ではあるがやはり一人の人間である事を教えてくれる。

「でもね、あの時の事を・・・・私が狙撃手をやめるきっかけになったあの時の事を思い出すとどうしても胸が苦しくなるし自分に強く当たりたくなる」

鈴音は自分の胸元をギュッと強く掴んだ。

「結月、勘違いしないで欲しいんだけど、私は智子に対して全然怒ってないし恨んでもいないよ、智子は狙撃手として私の狙撃手としての腕前を評価してくれている、でも私があの事を未だに引きずって狙撃銃を握る事を避けているのが同じ狙撃手として勿体無いと思っていてつい言葉に出ちゃったんだと思う・・・・・・確かに智子の言い分は間違ってないし私も狙撃銃を握ろうと避けるのはあの時の事から逃げているからかもしれないと思っている」

だが過去を過去の事だと割り切るのはとても難しい事だ。

辛い思い出から目を逸らしてしまうのはむしろ人間らしい感情と言える。

「不思議だよね、過去の事なんて振り返ったって仕方ないのに私はあの時以来、狙撃銃を握るのが怖くなってあの時の事を思い出すのが嫌でずっと避けてきた」

あれほどの狙撃手の素質を持つ鈴音が狙撃手をやめてしまう程の辛い思い出なのだろう。

鈴音の話を聞いていた結月は口を開いた。

「それは・・・・・・やっぱり俺に話せない事なのか?」

無理に知ろうとはもう思わない、だが何が起きたのか知りたい気持ちはまだある。

鈴音が自分の意志で語ってくれるならそれに越した事はなかった。

「・・・・・話してあげてもいい、いえいずれ話さなければいけない、あの時の事は上司としてそして私自身として結月にはちゃんと話したいと思う、他の逸脱審問官はあの時の事を知っているし鼎様も知っている、知らないのは結月だけだしね」

やっぱり鼎も知った上であんな事を言ったのかと思う結月。

鼎が鈴音の過去を知っていた上で口止めをさせたという事は余程の事なのだろう。

「でもね、私怖くて仕方がないの・・・・・別に私の事を上司と思わなくても良い、それは大して怖い事ではないんだ」

鈴音はそう言うと結月に背中を向ける、今の自分の顔を見て欲しくないからだろうか?

「あの時の事を話して結月が私の事を受け入れなかったら・・・・・それがとてつもなく怖いの、逸脱審問官をやっていて嫌な事言われたり侮辱されたりした事もあったけど結月に軽蔑されるのが今は何より怖く感じるの」

鈴音の体にぐっと力が入ったのが結月には分かり今の鈴音が恐怖で押し潰されそうになっているような気がした。

お前が受け入れる覚悟があっても触れてほしくない過去を知ったお前を相手は受け入れてくれるか?

鼎が自分に対して言った言葉、それは鈴音の方を同じなんだと結月は思った。

自分が話しても良い覚悟があっても相手が受け入れてくれると信じていても、相手が本当にちゃんと受け止めてくれるか?それでも何も変わらない笑顔を向けてくれるか?

それは実際にやって見ないと分からず、自分にとって最悪の結果を招く可能性もあった。

「俺は例えどんな過去であっても鈴音を受け入れる、どんな過ちだって受け入れてみせる、それに俺が受け入れられないような過去ならば他の逸脱審問官だって受け入れないはずだ」

結月のその言葉に鈴音は振り返り結月の方を見る。

鈴音の目は今にも涙が零れそうだった。

「結月・・・・・・」

手で今にも涙が流れそうな目を擦る鈴音。

口を噤んで曇った表情で地面を見つめる鈴音は話すか話さないか迷っているようだった。

そしてどちらにするのか決め噤んでいた口をゆっくりと開いた。

「ごめん結月・・・・・・やっぱり今はまだ話したくない」

鈴音のその言葉を聞き、少し残念な気もするが仕方ないと思う結月。

鈴音を責めることは出来ない、やはりあの時の事は鈴音にとって躊躇する程辛い思い出なのだからだ。

「そうか・・・・・なら無理して言わなくていい、俺も無理して聞きたいとは思ってない、鈴音が話さなくても俺は鈴音を今まで通りに受け入れるつもりだ、話せないのは何も恥ずかしい事ではない、辛い思い出を誰かに話すのはとても勇気がいる事は俺もよく分かっているつもりだ」

結月の言葉に鈴音は顔をあげて静かに頷き微笑んだ。

「ありがとう結月・・・・・」

小さくけれどもしっかりとした声でそう言った一呼吸した後、結月に笑顔を見せた。

「いつかちゃんとあの時の事を結月に話せるよう、私もっと強くなるよ」

そう言って笑顔を見せる鈴音だがその目は今にも涙が零れそうな目をしていた。

その顔を見ていると胸が締め付けられるような気持ちになった。

「さっ!結月私達も早く本拠に帰ろう!蝙蝠の大群が出てこない内にさ」

ニコッと笑ってそう言ってきた道を戻り始めた鈴音。

そんな鈴音の後を追って本拠に向かって足を進める結月。

だが結論が決まったのに結月は蝙蝠の大群よりも鈴音の方が心配でならなかった。

 

日が沈み、太陽の代わりに月が空に浮かぶ頃、霧の湖の湖畔に建つ吸血鬼の洋館「紅魔館」その紅魔館の奥にある一室に咲夜の姿があった。

「・・・・・という事がありました」

咲夜のいる部屋、そこは他の部屋と比べても大きな空間が広がっており天井も高かった。

紅魔館は屋敷に住む魔女の手によって紅魔館内の空間が拡張されており紅魔館は見た目よりもずっと広く、部屋数が多く通路はとても複雑でまるで迷路のようだった。

これをすべて把握しているのは空間を拡張している魔女と屋敷の主である紅い悪魔、そしてメイド長である咲夜位なものである。

ここで働いている妖精メイドや小悪魔は紅魔館内部をあまり詳しくないので、妖精メイドは頻繁に紅魔館内部で迷子になり小悪魔は迷子にならないようあまり動かないようにしているなど何かと苦労しているようだ。

これは侵入者が紅魔館に入り込んだとき、目的の場所に辿り着けないよう、入ってきた侵入者を逃がさないようにするためこうなっていた。

咲夜のいる部屋も外から見た紅魔館からは紅魔館の大部分がこの部屋で占められているとしか思えない程の広さがあった。

部屋の中も外観と同じ紅色で染まっており壁には西洋文化の装飾が施されていた。

天井に近い壁には大きな窓が左右に取り付けられており月明かりが部屋に差し込んでいた。

それはつまりこの部屋は月明かりが綺麗に差し込むほど暗い事を指していた。

しかし夜の帝王である吸血鬼にとって月明かり以外の明りは好まないため来客がない日はこのようにこの部屋を照らすのは月明かりだけとなっている。

そして咲夜の前方、部屋の奥には数段の意味がなさそうな階段を挟んで一対の豪華な椅子が用意されておりかつてそれは紅い悪魔の前の紅魔館の主とその妻が座るための席だった。

しかし今は紅魔館の主である紅い悪魔とその妹の席となっておりそして今、紅い悪魔が座っていた。

その姿は斜めから入る月明かりに照らされた部分しかよく見えず顔は八重歯が見え隠れする口元しか見えなかった。

紅い悪魔は肘掛に右肘を付き顔の頬を右手の甲に乗せ左手は肘掛に乗せて指はダンスさせているかのように細かく動かしながらいつもと比べ帰りが遅かった咲夜から今日何が起きたのか報告を受けていた。

「そう、それはとんだ災難だったわね、咲夜」

咲夜から話を受けた紅い悪魔は右手の甲に顔の頬を乗せるのをやめ左手の指先ダンスをやめると不敵な笑みでそう言った。

「私が屋敷にいる間にそんな事があったのね、通りで窓から見える蝙蝠がやけに騒がしいと思ったのよ」

そう言って彼女は天井近くにある大きな窓を覗く、そこには活発に飛び回る蝙蝠の姿があった。

「それにしても失礼な話よね、蝙蝠の大群の親玉の蝙蝠と私を見間違えるなんて・・・・・」

紅い悪魔は咲夜から噂話を聞いて少し不機嫌・・・・・というか呆れていた。

「確かに背中には蝙蝠の様な大きな翼はあるわ、でもそれ以外は蝙蝠とは似ても似つかないじゃない」

咲夜も正直に言えば紅い悪魔の姿は背中に蝙蝠の様な大きな翼がある以外蝙蝠にはあまり似てなかった。

むしろ人間の幼女に蝙蝠の様な大きな翼がついているような感じでありどう見ても大きな翼を持った蝙蝠には見えなかった。

「人間の前に付いている二つの目は節穴なのかしら?同じ人間として咲夜はどう思っているの?」

間違えられた紅い悪魔にとってはそう思いたくなるのも理解できた。

少し苦笑気味の咲夜はそうですねえ、と呟いた。

「人間は自分の目で見た事にはあまり疑おうとしません、自分で見た事は聞くよりも実感があるからです、恐らく目撃者は見通しが悪い暗闇の中で大きな翼を持った蝙蝠を見て姿はよく見えなかったでしょうけど大きな翼を持った蝙蝠がいたと認知します、ですがその割に人間の記憶はとても曖昧なものですわ、時間が経つうちにその姿はよりぼんやりとしてきます」

人間は極めて高い知能も持つ生物であるがその知能は完璧ではない、時間が経つ毎に記憶は欠けていき欠けた部分を徐々に想像で補填していく事になる。

「一方お嬢様はその御姿を見た事ある人間はとても少なく僅かな情報を頼りに作られた噂話だけが幻想郷で独り歩きしています、私も蝙蝠の大群を操るとか、平然と人間を襲って血を吸うとか、大きな翼を持った蝙蝠のような姿をしているという噂も聞いた事があります、ぼんやりとしか見えず時間が経つ毎にさらに曖昧になっていく大きな翼を持った蝙蝠の姿と目撃者が少なく御姿や人物像が噂でしか語られていないお嬢様、その二つがちぐはぐに縫い合わされ、あの大きな翼を持った蝙蝠は紅い悪魔だと思い込んでしまった人達がその話を広めてしまっているのではないかと思われます」

そしてそれが連日の蝙蝠の大群に不安になっていた人間達の耳に入り藁にも縋るような感じで信じられるようになり爆発的に広がっているというのが恐らく真相であろう。

「人間は本当に単純ものね、不安にかりたてられるとその不安に理由をつけようとするわ、そこに如何にもそれらしい話が現れると証拠もないのにその話を藁にも縋る気持ちでまるで真実のように信じてしまう・・・・・・・そこに人間の脆さがあるとも知らずに」

不安な時にその不安を解消する根拠のない話が入ってくるとその話を鵜呑みにしてしまう、

不安を取り除きたいという気持ちは分かるがそれはとても危険な事だった。

かつて歴史に登場した宗教の多くはまさに今幻想郷で起きている状況そのままに産まれる。

そしてその話に縋る人々を悪意持つ教祖や幹部が悪用してお金を搾取したりはたまた争いの道具にしたりするのだ。

悪意を持つ人間に利用されて尚、その話に縋る人々は自分達は正しいと思い込んでいるから尚更厄介だった。

「この噂が広まる原因にはお嬢様の御姿を見た事がないという人間が多いからですわ、一度人間の里に行ってその御姿を大勢の人々にお見せすれば噂も収まるかもしれませんわ」

もちろん、それは無理な話だという事は咲夜もよく分かっていた。

噂の歯止めがかからない今、こうやって叶いもしない冗談を口にする事しか出来なかった。

「咲夜、それは私に人間の見世物になれって言っているのかしら?冗談はやめなさい、そんな下らない噂のために人間の見世物になるつもりはないわ、何よりそれは吸血鬼である私が許さないわよ、それにそんな事をしたって火に油を注ぐような物よ」

ですよね、といっているかのような顔をする咲夜。

紅い悪魔は別に噂話など大して気にしてなかった、その気になれば人間なんて簡単に黙らせる事が出来るからだ。

だからこそ紅い悪魔には自分が在らぬ疑いをかけられて尚余裕があった。

「それに咲夜は私の能力を忘れた訳じゃないでしょ、もし人間の里なんかに行ったらどうなるか・・・・・・それをよく分かっているのはあなた自身のはずよ」

紅い悪魔の能力、それはとても数奇で奇妙なものであり紅い悪魔の姿を一目見ただけで能力を発動してしまうものだった。

「・・・・・確かに私もお嬢様のせいで随分と狂わされてしまいしたわ、もう人並みの幸せを得られない程には」

しかしそこに紅い悪魔への怒りはない、もう過ぎてしまった事を振り返らず今の状況を受け入れて楽しむ、咲夜はそんな人間だった。

「それにしてもまさか逸脱審問官に助けてもらうなんてね、それもよりによって鈴音にね」

紅い悪魔も鈴音とは顔見知りだった。

紅い悪魔にとって鈴音の印象はそれほど強い者ではない、いつもだったら忘れていたかもしれない人間の一人、それを記憶に留めていたのは彼女と一緒にいたあの人物と一緒に記憶に残ったからだ。

「随分顔を合わせてないけどあれからどれだけ成長したのかしら?一年、吸血鬼の私にとっては瞬きくらいの年月だけど随分と成長したのは確かのようね、それでなければ今日まで生きてこられなかったし私が知っている頃の鈴音に部下なんて出来るはずがないわ」

紅い悪魔の口に笑みが浮かぶ。

紅い悪魔にとって顔見知りである鈴音が上司になり部下が出来た事は考え深いものだった。

「しかし何で鈴音は私の事を紅い悪魔呼ばわりしたのかしら?鈴音は私の本名を知っているはずよ」

顔見知りである以上、鈴音は自分の本当の名前を知っているはずなのだ。

しかし彼女はその名前を使わず紅い悪魔という呼び名を使ったのは不思議だった。

鈴音が紅い悪魔の事を険悪になったという説はないだろう、もしそうだとしたら咲夜を助ける訳がない。

「私も最初は何故鈴音さんがお嬢様の名前を使わなかったのか分からなかったんですけど、今考えてみると結月さんに顔見知りである事を知られたくなかったのかもしれませんわ」

もし鈴音が紅い悪魔と顔見知りである事が知られたらかなり厄介だろう、何故なら紅い悪魔と鈴音の出会いは鈴音にとって大切なあの人が深く関わっているからだ。

そういう事情は咲夜も知っていたので触れないでおいたのだ。

(流石に今の鈴音でもあの人の事はまだ触れてはいけない領域のようね・・・・・)

紅い悪魔も空気が重くなるのでこれ以上あの話は中断し話題を戻す。

「でも咲夜を助けるという事は疑いの目をかけられている私を庇ったという事よ、鈴音が所属している天道人進堂は仮にも表向きは人間側の組織・・・・彼女に抵抗はなかったのかしら?」

答えを聞く前から分かっている質問、紅い悪魔は念のために咲夜にその質問を投げかけた。

「鈴音さん曰く『天道人進堂に所属する逸脱審問官は人間としての誇りや尊厳を厳守する人間を守るためにあり、証拠もないないのに犯人が紅い悪魔だと決めつけて心無い誹謗中傷浴びせるような人間の味方ではない』とおっしゃっていましたわ」

期待通りの答えが出た事に紅い悪魔は少し上機嫌になる。

それはそう答えた鈴音の成長が手に取るように分かった事の他にもう一つ理由があった。

「流石はあの男に仕えているだけの事はあるわね、噂話や世迷言に惑わされず正しい事をするためなら世間や世俗にだって逆らう、教育がちゃんとなされているわ」

紅い悪魔が口にするあの男、それは鼎玄朗ほかならない。

紅い悪魔は鼎とも認識があり鼎の事を一目置いていた。

「咲夜も鼎を敵に回さないよう気をつけなさい、もし鼎を敵に回したらそれこそ今の噂話所じゃ済まされないわよ、私達を含め咲夜も幻想郷にいられなくなるわ、現世に居場所がなくなってここに来たのにここを追い出されたらもう行く場所はないわよ」

紅い悪魔は鼎の実力と権力を知っており、紅い悪魔にとって敵に回したくない一人だった。

もちろん鼎を含め逸脱審問官と戦う事になっても負ける事はないだろう。

しかしそれよりも紅い悪魔には恐れている事があった。

「承知しておりますわ、私も鈴音さんを含め逸脱審問官とは戦いたくありませんせんもの」

そう咲夜が述べたのは単に友人である鈴音と戦いたくないだけではない。

紅い悪魔を含め紅魔館に住んでいる者達は天道人進堂がやっている事を不快だと思っている者は一人もいない。

天道人進堂は幻想郷の規則である「人間が妖怪に怯えそれを妖怪が糧にする」を厳守しておりその規則を破る人妖を理由はどうであれ討伐してくれる組織なので幻想郷の秩序を保ちたい紅い悪魔にとってはむしろ好都合な組織だったからだ。

「そう、分かっていればいいのよ」

天道人進堂は表向き人間側の組織で紅い悪魔も御人好しではないので支援はするつもりはないが邪魔する事も一切しない、それが紅い悪魔にとって紅魔館と天道人進堂の理想的な関係だった。

それが長く続く事を紅い悪魔は望んでいた時だった。

「とても不愉快な話だねぇ」

この声の主は紅い悪魔でも咲夜でもない、紅い悪魔よりも幼い子供の様な声だった。

暗闇の中から現れたのは紅い悪魔と同じくらいの背丈で背中には七色に光るひし形の水晶のような羽が生えた幼女のような姿をした者だった。

彼女も丁度下半身だけが月明かりに照らされる位置で立ち止まっており全貌は分からなかった。

しかし紅い悪魔も咲夜も全貌が見えなくても声を聞いただけで何者なのかよく知っていた。

「妹様?いつからそこにいらしたのですか?」

咲夜から妹様と呼ばれた七色に光る翼が生えたこの幼女の様な姿をした者こそ紅い悪魔の妹であった。

「何言っているの咲夜?私はずっとこの部屋にいたよ、気づかなかったの?」

咲夜はこの部屋に入って来てから今までの間ずっとこの部屋には紅い悪魔しかいないと思っていた。

「すみません、部屋が暗いので妹様がいる事に気づきませんでしたわ」

咲夜の言葉にあからさまなため息をついた。

「人間って本当に不便だよねぇ、暗闇と明りがないと周囲に何も見えないんだから、暗闇でも見通しが効く私達とは大違いね」

まるで人間を見下したかのような発言、しかし咲夜は怒った様子も見せず紅い悪魔の妹の話を苦笑しながら聞いていた。

「あら?そこにいたのねフラン、全然気づかなかったわ」

フラン、それが紅い悪魔の妹の名前であった。

紅い悪魔が吸血鬼であるように彼女もまた吸血鬼であり幼い見た目ながら姉である紅い悪魔と同じく恐ろしい力をその幼い体に秘めていた。

ただ紅い悪魔は自身の力を制御できるのに対してフランは情緒不安定な面があり自身の力を完全に制御できていなかった、そのため姉である紅い悪魔によって紅魔館に閉じ込められていた。(軟禁が正しい表現かもしれない)

そんな妹を前にして同じ吸血鬼である紅い悪魔は平然とした様子でそう言った。

もちろん紅い悪魔が妹の存在に気づいていない訳がない、当然であるが人間である咲夜がいる手前人間を庇った訳ではない、どちらかというと妹をからかうための冗談である。

「お姉様、それは冗談のつもりで言っているんだよね?」

フランと呼ばれた紅い悪魔の妹は少し殺気染みた声でそう聞いた。

「あ~、声をかけられるまでいないものだと思っていたわ、フランとはかくれんぼやりたくないわね、一週間かけても見つけられる自信がないわ」

お姉様!とさらに強い殺気を感じる声でそう言ったフラン。

「・・・・・・冗談よ、これで十分かしら?」

紅い悪魔が冗談だと認めるとフランの体から出ていた殺気が収まる。

「お姉様、からかうのもほどほどにしてほしいわ、次下らない冗談を言ったらお姉様の片方の翼引き千切るからね?」

実の姉に対して恐ろしい事を口にするフラン、普通の人が見たら物凄く険悪な関係に見えるかもしれない。

実際に彼女にとってお姉様という言葉に敬愛の意はない、ただの呼び名であり、フランは姉である紅い悪魔の事を血の繋がった自分より早く生まれてきた姉くらいにしか思ってない節があった。

だが実際はフランの言葉は脅しに近いようなものであり冗談を言っても本当に引き千切られる事はあまりない。

万が一本当に彼女の怒りに触れて引き千切られたとしても何も問題ない、吸血鬼は強力な再生能力を持つため片方の羽を引き千切られたって次の夜には元通りなのである。

人間で言ってみれば次そんな冗談言ったらほっぺたをつねるぞ、くらいが彼女達吸血鬼になるとこうなるのだ。

「それよりさ、さっきの咲夜の話を聞いていたんだけど、その大きな翼を持った蝙蝠はとんだ身の程知らずだと思わない?」

どうやらフランは大きな翼を持った蝙蝠の事でご立腹の様子だった。

「私達は人間達にどう思われていようとも構わないけど、私達と同じ蝙蝠を使い魔にするなんて・・・・・」

吸血鬼は使い魔として蝙蝠を操る事が出来た、幻想郷に住む多くの蝙蝠を従えている事は吸血鬼にとっても彼女達にとっても誇りであった、それをどことも知らない輩が蝙蝠を従えて我が物顔で幻想郷を飛び回っているのだ。

紅い悪魔もその事は不快に感じていたがそれでもあまり気にしてなかった。

「確かその大きな翼を持った蝙蝠は連日のように夜空を飛び回っているんだよね、だったら今日も飛んでいるはずよね、咲夜」

え、ええと戸惑いながらも答えた咲夜。

戸惑っていたのは何か嫌な予感がしたからだ。

その言葉を聞いたフランは紅い悪魔の方を向く。

「お姉様、その大きな翼を持った蝙蝠がどこの馬の骨かは知らないけどその蝙蝠にそれがどんなに愚かな事なのか身のほどを教えてあげましょう」

身のほどを教える、彼女にとってこれは弾幕勝負で決着をつけるという意味合いではなく、死をもってわからせるという意味だった。

もしその大きな翼を持った蝙蝠が妖怪であった場合、フランの言っている事は明らかに規則違反だ、とはいえ破ったとしても何か罰則が明確にあるかと言われると実の所曖昧だった。

大抵はスキマ妖怪である八雲紫が動くか幻想郷の秩序を保つ博麗の巫女が動くかのどっちかではあるがそれでも厳しい罰が下るとは考えにくかった。

並の妖怪ならそれこそ運が悪ければ討伐されてしまうだろうが紅い悪魔は幻想郷を支える勢力の一つであり、おいそれと討伐する訳にはいかない、均衡が大きく崩れ結果的には幻想郷の秩序を乱す火種になってしまうからだ。

それでは本末転倒なので恐らくだが八雲紫の『建前』としての厳重注意がされるか博麗の巫女からの弾幕勝負と言う名のお仕置きで済む程度である。

もちろん度が過ぎれば討伐対象にされてしまうが紅霧異変以前は人間から忘れられてしまう程大人しくしており紅霧異変後も特に大きな悪さはしていないので、例え紅い悪魔がその大きな翼を持った蝙蝠を殺しても討伐される事はないだろう。

「そうね・・・・・」

顎に手を乗せて考え込む紅い悪魔。

実の所今回ばかりはフランの提案に共感出来る節もあった、実際誇り高き優れた種族である吸血鬼に対して良からぬ噂が幻想郷で広まっているのは事実だ。

例え自分達は人間にどう思われようとも構わないが人間の里に買い出しに行く咲夜になると話は別だった。

この噂が流れている間は人間の里に買い物に行く事も出来ない、天道人進堂で必要最小限の日用品は買えるだろうが自分がお気に入りのワインやフランが好むクレヨンなどはやはり人間の里に行かないと買えないだろう。

それに積極的に天道人進堂に頼るのは控えたい紅い悪魔の思惑もあった。

そんな考えているとふと紅い悪魔はある事を思い出し結論を出した。

「もう少しだけ様子を見ないかしら?別に早急に手を打つ必要性なんてないし、もう少しだけ遊ばせてあげてもいいんじゃない?」

様子を見る、それはフランにとって納得できない言葉だった。

「え~、どうして待つのよ?お姉様はどこの馬の骨とも分からない奴が私達と同じ蝙蝠を使い魔にしている事に腹が立たないの?」

腹が立たないと言えば嘘になる、しかし紅い悪魔にはある考えがあった。

「すぐには動かずしっかりと相手の動向を伺ってから適切な対処をする、それこそ吸血鬼としての行動よ、ちゃんと相手の事を探ってからでも遅くないわ」

とは言っても探るのは紅い悪魔でもなければフランでも咲夜でもなかった。

「咲夜、これから毎日天道人進堂に足を運んでもらうわ、大きな翼を持った蝙蝠に関する情報を耳にしたら随時私に報告しなさい、いいわね?」

かしこまりました、そう返事した咲夜であったが紅い悪魔の意図が理解できず咲夜の顔に困惑の表情が浮かぶ。

「三日、とりあえず三日は様子を見る事にするわ、三日経っても大きな翼を持った蝙蝠の目立った情報がなければ私達が動くわよ」

しかし紅い悪魔には恐らく三日も待つ必要はないと理由のない確信があった。

窓を見上げ夜空を見つめる紅い悪魔、彼女の頭にはある男の姿があった。

「今日で四日目・・・・・・随分とてこずっているようね」

紅い悪魔の思い浮かべる人物、それはかつて紅霧異変の時、情報屋である鴉天狗達が諦め、博麗の巫女よりも先に紅魔館に辿り着いて見せたあの男、風馬であった。

聞いた話では件頭の実質的指導者になっているらしい。

(あれから結構経ったけど、風馬はどのくらい成長したかしらね?)

紅い悪魔はある期待事をしていた、それは風馬が大きな翼を持った蝙蝠の正体を暴いてくれるのではないか?という期待だった。

(とはいえ相手は空を自由に飛ぶ蝙蝠・・・・・・人間である件頭には少し荷が重いかしら?)

蝙蝠の大群を従えて夜空を自由に飛び回る蝙蝠の正体を暴くのは幾ら件頭でも難しい事は何となく察しはついた。

しかしかつて紅魔館に辿り着いて見せたあの男が紅い悪魔の御目に適った成長を遂げていれば例え自由に空を飛ぶ相手でも正体を掴んでくれるかもしれない。

(さあ・・・・・私の期待に応えてみせなさい、風馬)

窓から見えるほんの少しだけ欠けた月を見上げ紅い悪魔はそう思った。




第十五録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか、さて、この東方小説は比較的原作寄りの設定(?)で書いていますが・・・・・東方キャラの口調、思っていたより癖が強くて書くのに苦労しています。
この東方キャラの口調、こんな喋り方だったんだと驚く事が多いです。
特に咲夜さんには驚かされました、二次創作ではクールでイケメンなイメージの強い(作者によってはその真逆もある)咲夜さんの喋り方がまさか『ですわ』口調だったとは・・・・・。二次創作から東方を入って興味本位で東方文花帖を買って読んだ時はとても驚きました。
東方は作り込まれた世界観とゲーム性そして二次創作フリーというやり方で同人界隈に一大勢力を築いたゲーム、咲夜さんの性格をとっても二次創作の大きさを感じました。
二次創作に対して自由過ぎるのもどうかという意見も出ますがやはり二次創作はキャラだけ借りた状態だとしても自由であるべきだと思います、これは駄目、これも駄目、と制限してしまっては東方がここまで大きくなることもなかったでしょう。
ただ一つだけ苦言が言えるのならモラルを考えて欲しいと思ってしまう時もあります。
ほぼ半裸もしくは全裸のイラストや過剰な性的描写がされたイラストを全年齢枠で投稿するのはもう少し何とかならないかな、とは思ってしまいます。
自分が描いたHなイラストを見てもらいたい、インパクトのあるイラストを描きたい等理由はありますが投稿枠をR-15かR-18で投稿して欲しいとは思います、そんなモラルを考えない人がいるからこそ規制すべきだという主張が出てきてしまうのではないかと考えてしまいます、少数の人のせいで関係にない大多数の人に影響が出てしまうのは悲しい事だなと思っている今日この頃です。
それではまた金曜日に。


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第十六録 月明かり覆う黒い翼 六

こんばんは、レア・ラスベガスです。
雪って細かい小さな氷の結晶ですが振り続ければ降り積もり除雪をしなければいけない程降り積もります、これって努力に似ていませんか?空から落ちてくる雪を見ながらふとそんな事を考えていました。
それでは第十六録更新です。


夜が更けて月が空に高く上がる頃、いつもだと静寂に包まれているはずの夜は空を飛び回る蝙蝠の鳴き声が至る所で響いていた。

村や集落は夜空を飛び回る蝙蝠に怯え家に引き籠り、いつもだと大人達の夜遊びで明かりが灯る人間の里も夜人間が出歩かないため何処の飲み屋も休業して暗く静まり返っていた。

幻想郷の夜は今、飛び回る蝙蝠達に支配されつつあった。

こんな夜に外に出掛けている人間など本当ならいないはずなのだが運悪く夜に世界に取り残された者もいる。

とある山中、人気のない山道を歩く二人組の男達も夜の世界に取り残された者達であった。

「おい・・・・・ちゃんと着いてきているか?」

前を歩く男が後ろを振り向き連れの仲間を確認する。

「ああ、大丈夫だ・・・・・だがもう足が棒のようだ」

後ろの男はしっかりと前の男の後を着いてきていたが足に疲れが溜まっているのか時折膝に手を置いていた。

「そうか・・・・・だが足を休ませている暇はないぞ、もう既に日が落ちて月もあんなに高く上がっている・・・・・・」

夜、それは妖怪達の活動時間だ、お腹を空かせた妖怪に出会おうものなら命はない、妖怪があまり人間を襲わなくなったとはいえ、それでも人間にとって夜は危険な時間帯だ。

しかし彼等には今、妖怪に出会うよりも恐れている事があった。

前の男が空を見上げる、木々の枝や葉に遮られ夜空は良く見えないがそれでも一・二匹蝙蝠の影がチラついていた。

「今日も蝙蝠が飛び回っているな、心なしか昨日よりも増えている様な気がする」

空を蝙蝠の大群が飛び回り始めた夜から連日のように外に出掛けた人が行方知らずになっている事を彼等も知っていた、妖怪が人間を襲う事がめったになくなった今日、毎日にように出る行方不明者は夜で歩く人達にとって恐怖の何物でもなかった。

「くそっ・・・・・・俺が良い獲物が取れないからって夕方まで粘らなければこんな事にはならなかった・・・・」

前の男はそう言って悔やんでいた。

この男達は猟師で動物を狩ってその動物の肉食べて剥いだ動物の皮を加工して売って生活をしており今日も獲物を求めて山奥に来たのだが中々狙いの獲物が見つからず手ぶらで帰る訳にはいかないと粘ってしまい日が傾いている事に気づいた男達は帰路に急いだのだが結局日が落ちてしまい夜の世界に取り残されてしまったのだ。

「止せよ、俺も獲物が取れないからって一緒に粘ってしまった俺にも責任がある、そう自分を責めるな」

後ろの男も今日は中々狙いの獲物を見つけられず前の男と一緒に粘ってしまった分、責める事が出来なかった。

「悪いな・・・・・だがもうここまでくれば集落まで後もう少しだ、急ぐぞ」

そう言って山道を歩く男達、しかし次第に後ろの男の歩く速度が遅くなる。

そして生い茂る木々の山道の出口、切り開かれた急な傾斜の山肌に作られた道の手前にある大きな岩陰の所で後ろの男が座り込んだ。

「何をしているんだ・・・・・集落は目の前だぞ」

もう集落までは十分とかからない場所まで来たが男の足は疲労で腫れていた。

「悪い、ちょっと休ませてくれ、お前は先に集落に帰れ、俺も少し休んだら行くから」

そう言う男だが妖怪が活動している上に空には蝙蝠が飛び回る夜に一人にさせるなど出来るはずがなかった。

「こんな所で休んでいたら妖怪に見つかるぞ・・・・・気力を振り絞って歩けないのか?」

しかし座り込む男は首を横に振る。

「そう思って歩いていたんだがこれ以上は歩けない・・・・・十分だけ休んだら歩けるようになるはずだから気にせずお前は集落に帰れ、俺は大丈夫だから」

十分もこんな人気のない山道にいるのは危険だった、しかし座り込む男の腫れた足を見て前の男も今の状態では座り込む男に長い距離を歩く事が出来ないと悟った。

「・・・・・・・分かった、だがなるべく早く集落に戻って来いよ、多少足がいたくてもだ、いいな?」

そう言って前の男は座り込む男を置いて歩き始めた。

「言われなくても分かっているって・・・・・・本当なら一分も長くこんな場所に居たくない」

だが前を進んでいた男に夜にこんな人気のないくらい危険な山道で一緒に待ってくれと言える訳がなかった。

(後、五分・・・・・いや数分休んだらあいつの後を追いかけよう)

座り込む男がそう思っていた時だった。

「うわあああっ!!!」

断末魔のような叫び声、その声は先に行った男の声だった。

「!どうした・・・・・んだ?」

座り込む男が岩陰から急な傾斜に作られた道の方を見る。

座り込んでいた男が見た光景、それは空に無数の蝙蝠の影が飛び回り、道の中ほどに大きな影が蠢いておりその大きな影にしたに仰向けに倒れた人影があった。

月の光しかない夜のため良くは見えなかったが先に行った男が何かに襲われたという事は理解できた。

「!!!・・・・・・まさかあれが蝙蝠の大群の親玉か」

恐怖に男の体が震える、男も蝙蝠の大群に親玉がいる噂やその親玉が連日人間を襲っているという噂話を聞いていた。

それが、噂話が本当だった事や先に行った仲間の男が襲われている事に男は冷静でいられる訳がなかった。

「どうすれば・・・・・と、とにかくあいつを助けなくては」

このまま岩陰でじっとしていれば助かったかもしれない、しかし男は襲われる仲間を見捨てる事が出来なかった。

長年連れ添った仲間が目の前で蝙蝠の大群の親玉に襲われているのだ。

危険から避けたいというのも人間らしい行動だが仲間を助けたいと思うのも人間らしい行動と言えた。

男は背中に背負っていた火縄銃を手に持つ、火縄銃は16世紀半ば、種子島に漂着したポルトガル人によって日本に広められた前装式の銃であり、十分な殺傷力に命中力や扱いやすさ、そして日本中の大名が争う戦国時代に伝来した事もあってか、瞬く間に日本中に広まり幕末にかけて運用された息の長い銃である。

幕末に入ると西洋の銃が大量に持ち込まれ火縄銃は軍用としては完全な旧式銃となったが民間としては明治に入っても長く使われており、幻想郷でも火縄銃はありふれた銃として数多くの猟師達に愛用され使われ続けていた。

男は急いで火縄銃の銃口に火薬と弾を詰め棒で銃身の奥へ押し固めると火皿に点火薬を入れ岩陰から覗き込むようにして火縄銃を蠢く大きな影に向けて構えた。

恐怖で震える火縄銃を落ち着かせる時間もなく男は引き金を引いた。

ヴァアン!

大きな銃声が山道に響いたかと思うと蠢いていた大きな影は驚いた声をあげ仲間の男から離れ空に飛びあがる。

大きな影が怯んでいる隙に男は足の痛みを忘れ仲間の男の元に駆け寄る。

「おい!大丈夫か!?」

倒れる仲間の男を揺さぶる男だが倒れた仲間の男に返事はなく、首には大きく鋭利な牙で噛み付かれたかのような傷があるがその傷口からは一滴の血も零れてなかった。

触れる体はとても冷たく、まるで血が全て抜けきったかのように肌は青白かった。

もう既に死んでいるのは誰が見ても明らかだった。

「そんな・・・・・・嘘だろ」

長年連れ添った仲間がさっきまで生きていた男が死んでいる事に男は驚愕していた。

悲しみと絶望、そして今まで忘れていた死の恐怖が込み上げる。

「は、早く集落に皆に知らせないと・・・・・」

仲間の男が蝙蝠の大群の親玉に襲われた事を報せようとしたその時だった、僅かに照らしていた月明かりが消え周囲が暗闇に閉ざされる、それと同時に男の後ろの方から大きな翼で羽ばたくような音が聞こえる。

男が恐る恐る振り返るとそこには・・・・。

「・・・・・我の姿を見たな?」

男の後ろ、月の光を遮るように翼を羽ばたかせていたのは普通の蝙蝠とは比べ物にならないような大きさをした蝙蝠のような化物だった、体の大きさは三mくらいで体は皮膚も毛も濃い灰色をしているが、顔は灰色の肌以外は30代の人間の男のような顔をしており口からは鋭利で長い牙が左右に生えていた。

そして翼は体よりも大きく片翼で五m程あり手の部分には鋭利な爪が五本生えていた。

代わりに足は細く筋肉がついた翼や体と比較すると何だか頼りなさそうだが、それでも立派な爪が五本生えており人間を殺すには十分な殺傷能力がありそうだった。

三mもある体に翼を含めての横幅は十m以上あり月と重なれば月明かりを全て遮ってしまうような姿をしていた。

「う、うわあああああっっ!」

恐ろしい蝙蝠の親玉の姿に発狂した男は火縄銃を投げ捨て走り始めた。

「逃がすものか!」

蝙蝠の親玉はそう言うと男を追いかける

逃げる男は無我夢中で走るが疲労で腫れた足ではあまり速度が出ない、一方で蝙蝠の親玉は大きな翼を羽ばたかせ男との距離を詰めていく。

「死ねえ!」

男から数mと距離を詰めた蝙蝠の親玉が足の爪を構える、男は振り向く事もなく叫び声をあげながら逃げようとするが蝙蝠の親玉は完全に男の背中を捉えていた。

「ふん!」

蝙蝠の親玉は男に急接近すると足の爪を男の背中に突き刺しそして大きく切り裂いた。

「がはっ・・・・・・」

断末魔と共に口から大量の血が溢れ出し、切り裂いた背中からも血が噴き出した。

男は走っていた勢いそのままに地面に転がり倒れピクリとも動かなくなった。

即死だった、痛みを感じたのもほんの一瞬だったのだろう。

「絶命したか・・・・・・」

自分の姿をハッキリ見た男を殺害した蝙蝠の親玉であったが高笑いする訳でもなく、複雑な表情を浮かべていた。

「・・・・・ぬう、急いで二つの遺体を片付けなければ・・・・」

蝙蝠の親玉にとって今の状況はまずいものだった、他の人間が来る前にこの死体を何処かに隠さなければならなかったからだ。

もし近くの集落の人間がやってきて死体を見られて調べられたりもしたら自分の正体がバレしまう可能性があったからだ。

「仕方ない・・・・・まずはこの男からだ」

そう言って蝙蝠の親玉は血溜まりに浮く男の体を足で掴むと大きな翼を羽ばたかせ空を飛び交う数えきれない蝙蝠を引き連れて空へと羽ばたいた。

 

早朝、風馬はある場所に向かって森の中を飛んでいた。

そこはとある山間の集落だった。

その集落には何かあれば件頭に情報を提供する鷹の目が住んでおり、もし何か情報を掴んだのなら狼煙を揚げる事になっていた。

夜中、蝙蝠の親玉を追っていた風馬だが捜索範囲が広がっている事もあって結局正体がつかめないまま朝を迎えてしまった、失意に沈む風馬だったがそんな時、狼煙を見て風馬は急いで駆けつけていたのだ。

「・・・・・蝙蝠の親玉に関する情報であるといいが」

そう願い集落に到着した風馬を出迎えたのは狼煙を揚げた鷹の目である中年の小太りの男だった。

「どうやらお前が一番乗りのようだな風馬、流石は件頭の長だ」

この小太りの男、鷹の目でもかなりのやり手で信憑性の高い情報を件頭に提供している、実はかつて風馬と共に件頭を目指していた男だった、実力は申し分なかった、が木々を飛び移れる程の身軽さがこの男の体重では出来ず惜しくも不合格、件頭の道を諦めたが共に修業した風馬のため鷹の目として周囲の情報収集を行っていた。

「・・・・?お前、目に隈が出来てないか?もしかして昨日の夜は一睡もせずここへ来たのか?本当に大丈夫か?」

流石はかつて件頭を目指した男だと風馬は思った。

「大丈夫だ・・・・・それよりも何か情報は入ったのか?」

大丈夫な訳ないだろ、と言っているかのような顔をしながら小太りの男は話し始める。

「目に隈が出来ている所を見るとだ、蝙蝠の大群に関する情報を必死に探しているんだろう?お前らに見せたかった現場はそれに関する事だぜ」

本当か?と聞いた風馬にああ、と答えた鷹の目。

「とりあえず着いてこい、案内してやるからさ」

そう言われ鷹の目の後を着いていく風馬。

「・・・・・それにしてもまさかあいつらがな・・・・・」

あたかも風馬に聞こえるような独り言を言った鷹の目。

「・・・・・ああいや、実はな、お前達に見せたかった現場なんだが俺が住んでいる集落にいた二人組の猟師が関係している事なんだ、その二人組の猟師は昨日の朝出掛けてっきり帰って来なくてな、俺が気になって見に行ったんだが二人の姿はなかった、ただ・・・・・」

鷹の目の案内のもと目的地に到着した風馬が見た光景。

急な傾斜に作られた山道に真っ赤な血が染み込んだ生乾きの血溜まりの跡があった。

「これがお前達に見せたかったものさ・・・・・・この険しい山道の中間には二人組の猟師の片割れが持っていた水筒ともう片割れの火縄銃が落ちていた、恐らくうちの集落の二人組の猟師は蝙蝠の大群か蝙蝠の大群を率いている親玉に襲われたのだろう」

そう話す鷹の目の顔は少し悲しそうだった、自分の住んでいた村の猟師なら大して付き合いがなくとも一度や二度くらい顔を合わせた事があるだろう、その人間が妖怪に襲われて恐らくは死んだのだから悲しい気持ちになるだろう。

心配になって確認しに行ったのなら尚更そうだった、もう少し早くいけば助けられたかもしれないという後悔の念もあるのだろう。

「この山にはあまり人間を襲うような妖怪は住んでいねえ、そりゃ時たま腹を空かした妖怪がここに来ることはあるかもしれない、けどこれは妖怪が襲ったにしては不可解だ、もし妖怪は二人組の猟師を襲ったのならどうして血溜まりは一つしかないんだ?もし二人とも襲われたのなら血溜まりは二つある筈だ、もう一人は逃げたとも考えられるが俺が探した限りではいなかった、だが恐らくは二人とも既に死んでいるはずだ、おかしいのは二人とも死んでいるのにその死体がなく血溜まりが一つしかない事だ」

人を襲う妖怪には人肉を食べる方と生血を啜る方がいる、もし襲われたのが人肉を食べる方なら別に死体がないのはおかしくないだがそれなら血溜まりは二つある筈なのだ、生血を啜る方だとしたら何故一人は血溜まりになるような殺し方をしたのか、そもそも生血を吸う妖怪なら生血を吸い終えた死体はそのまま捨てるはずなのだ、一体猟師の死体を何処へやったのか?

「それに昨日、この周辺は蝙蝠の数が異様に多かった、蝙蝠の大群には親玉がいてその親玉は大きな翼を持った蝙蝠の化物の噂が本当なら辻褄が合うような気がしねえか?」

確かに蝙蝠の親玉に襲われたであろう行方不明者は蝙蝠が多く飛んでいた場所付近で行方が分からなくなっていた、もし蝙蝠の親玉が襲ったとすれば猟師達は襲われた後何処かに連れ去られた事になる。

まるで死体に隠された秘密を暴かれないように・・・・・。

「これは俺の推測だが、蝙蝠は大群の親玉は自分の姿を見られるのを避けているようにも見えた、だから単独で行動している人間を狙って襲っていた、そして昨日その親玉は二人組の猟師の片方を襲った後、襲っている姿を自分の姿を見られもう片方の猟師に見られやむなく殺した、そして他の人間が来る前に二人の死体を片付けようとしたはずだ」

毎夜、一人ずつ人間が襲われたのは蝙蝠の大群の親玉にとって生血は一人分しか必要なかったからなのではないか?だからもう片方は普通に殺すしかなかったのではないか?

そう考えながら風馬は急な傾斜の山肌をじっと見下ろす。

「・・・・・・確か昨日は無風だったな」

ああ、と答えた鷹の目、風馬は意を決すると急な傾斜の山肌を滑り下り始めた。

「お、おい!風馬!」

風馬は急な傾斜の岩肌を器用に滑りながら必死に猛禽類の様な目で何かを探していた。

(恐らく蝙蝠の大群の親玉は姿を見られたことに動揺して殺してしまった、ならば死体を隠す時も見つけられたらまずい血塗れの死体を先に運んだはずだ・・・・・ならばあれが残っていてもおかしくないはずだ)

その時だった、風馬の鋭い視線が何かを捉える、それは一秒にも満たない時間、しかし風馬はそれを逃さなかった、岩に付着した赤黒い乾いた液体、それは血痕だった。

(見つけた・・・・・蝙蝠の大群の親玉に繋がる手掛かりを)

風馬は推測通りだった、早く死体を何処かに隠そうと焦ってしまった蝙蝠の親玉は浅はかにも先に血が滴り落ちている死体の方を運んでいたのだ、その時死体から流れ落ちた血痕こそ死体を隠した場所へと導く唯一最後の手掛かりだった。

着地できそうな岩場に着地した風馬、じっと目を凝らし岩肌に付着しているであろう血を探す、常人なら決して見つけられないであろう僅かな血痕を風馬の目は決して逃さなかった。

「血痕を三か所確認・・・・・蝙蝠の大群の親玉はあっちに飛んで行ったか」

正直言えば蝙蝠の親玉が運んでいる時に滴り落ちた血を辿るなど不可能に近い事だった、幾ら風が吹いてなかったとはいえ、血は僅かな揺れで着地点が変わっているため広範囲にそんな広範囲な捜索範囲に対して血痕は近くにあっても肉眼では見逃しそうになるほど小さいものだった。

しかしそうだとしても風馬は決して諦めなかった。

今の風馬を突き動かしているもの、それは件頭としての意地と執念であった。

情報を頼りにしている逸脱審問官や不安に怯える人間のため、そして濡れ衣を着せられた咲夜や紅い悪魔のため、情報収集の隠密集団件頭の誇りにかけて絶対に突き止めてみせる、そんな強い意志と覚悟が風馬には感じられた。

風馬は血の痕跡を追いかけ山肌を駆け下りると近くにあった木の枝に飛び移り地面を見下ろす、地面から探すよりもこうして見下ろして探した方が血痕を見つけやすいという考えの事だった。

(血痕は何処だ?)

必死に目を凝らし血痕を探す風馬、秋に落ち冬を越え腐食し始めている落ち葉が積み重なっている所に視線を移動させたとき、彼の目が何かを捉えた。

「あれは・・・・・」

風馬は地面に降りて何かを捉えた場所へと向かい確認する。

血痕、紛れもなくそれは猟師の死体から滴り落ちたであろう血の痕跡だった。

(やはりこっちか・・・・・)

風馬は血痕辿って移動を開始する。

木の登っては血痕を探し血痕の後から蝙蝠の親玉が通っただろう道を推測、移動しまた血痕を探す、その繰り返しだった。

木の上から見つからない時は地面に降りて這いつくばり血痕を探した、それでも見つからない場合は一旦戻ってもう一度、頭の中の地図と自分の現在位置を重ね合わせ蝙蝠の親玉が通りそうな道を推測し血痕を探した。

時間と手間がかかる大変な作業ではあったが風馬は熱心に続けた。

全ては蝙蝠の大群の親玉の正体を暴くため、そして紅い悪魔の濡れ衣を晴らすために。

(もう一つの死体を片付ける以上、そう遠くには運べなかったはずだ)

出発地点の山から五㎞の所、風馬の足が止まる、そこには必死に探さなくとも辺りに血痕が付着していた。

(どうやらこの辺りを飛び回っていたようだな)

何故この周辺を飛び回っていたのか、恐らく蝙蝠の親玉はこの近くで死体を隠す場所を探していたのではないか?風馬はそう推測した。

(この近くで死体を隠せそうな場所は・・・・・・)

風馬は頭の中の地図を広げ周辺に死体を隠せそうな場所を探す、その時風馬はある事を思い出し走り始めた。

「確かこの近くには・・・・・」

風馬が向かった場所、そこは木々が生い茂り不気味な雰囲気が漂う鬱蒼とした森だった、この森は周辺に住む集落や村の人間から帰らずの森、魔物の大口、妖怪の巣窟など呼ばれ滅多に人が近づかない場所だった。

この森の事を蝙蝠の親玉が知らなくても上空からこの森を見下ろした時、木々が密集し近寄りがたい雰囲気を感じるに違いない。

「隠すにはおあつらえ向きの場所か・・・・」

しかし周辺の集落や村にはこの森に関する怖い逸話や伝承が数多く残っており、猟師と犬が入って猟師の腕を咥えた血だらけ犬が戻ってきたとか、若い男女が森に入ったきり帰って来ず夜になると時折森の奥から若い男女の悲鳴が聞こえるようになったとか風馬も幾つか耳にした事があった。

所詮、昔話だと言えばそれまでだが日の光が全く差し込んでおらず朝だというのに月のない夜のような暗闇が広がる森の奥は件頭の熟練中の熟練者でもある風馬でも入るのを躊躇してしまう程だった。

「・・・・だが、行くしかない」

しかし風馬は覚悟を決め、森の中に足を踏み入れる、ここで諦めたらもう蝙蝠の親玉の正体を見破る唯一の手掛かりが途絶えてしまう事になる。

情報専門の隠密集団件頭としてここで引き下がる訳には行かなかった。

風馬の件頭の意地と執念が恐怖を勝ったのだ。

森の中は人の手が入っておらず無造作に木々が生い茂り空は木々の葉で覆い隠されていた。

地面は落ち葉が積み重なっているが日の光が差し込んでないため草は生えておらず湿っていた。

空気も湿気が多く、黴臭さが漂い、生暖かい風が森の奥から流れ込んでおりその場にいるだけでも気分が悪くなりそうだった。

「・・・・・あの時と同じだな」

風馬はかつて紅霧異変の時の自分を思い出す。

あの時も気分が悪くなるような霧の中、霧の発生源である紅魔館を目指して走っていた。

「あの時は自分の正義感だけの行動だった」

その自分の中にある正義感だけで行動した結果、反って多くの人達や雇い主である鼎にも迷惑をかけてしまった。

今風馬はあの時と同じ事をしようとしている、鼎から言われていた自分の命はちゃんと守れという命令を破ろうとしているのだ。

しかし今回風馬の胸にあるのは決して自己満足の正義感ではない、情報専門の隠密集団件頭の誇りや逸脱審問官の期待に応えるという使命感だった。

自分の自己満足ではなく自分達件頭の情報を頼りにしている者のために風馬は自分の命の危険を顧みず森の中に足を踏み入れたのだ。

(命を大事にするのは大切な事だろう、だがそれを理由に臆病になっては真実など辿り着けない、誰一人救う事など出来ない、鼎様はそういう意味を含めてあの言葉を口にしたはずだ)

思えば幻想郷を昼夜問わず飛び回る件頭は命の保証などあまりされてない、うっかり人食い妖怪に出会えば幾ら件頭でも逃げられるとは限らない、情報収集のために幻想郷を飛び回るため人食い妖怪に出会う確率は俄然高くなる、だから命を大事に慎重に冷静になるのは悪い事ではない、だがそれを盾にしてしまえば件頭は件頭ではなくなるのだ。

自分の自己満足で命を捨てるな、誰かを助けるために危険に身を投じ情報を集め真実を見つけ出す、それが経験を積んだ件頭の長、風馬の答えであった。

(これだけ居心地が悪い森だ、妖怪もそうはいないだろう・・・・)

多くの人間が妖怪に対して誤解している事は結構あるがその中でも定番なのが妖怪は人間が足を踏み入れないような人間の手が入っていない自然の中を好むという話である。

確かに幻想郷に住む多くの妖怪は確かに人の手が入っていない自然を好むがそれでも限度はある、過酷な環境は妖怪にとっても居心地悪いようで例えば多種多様な茸の原生する魔法の森では茸の瘴気が常に漂っており人間も妖怪もこの森に長居すると体の調子を崩してしまうのだ。

この森も決して居心地がいいとは思えず、妖怪もあまり出歩いていないだろうという見立てもあり風馬は森の中に入ったのだ。

(恐らくはこの森の何処かに猟師の遺体があるはずだ)

そんな事を考えていた風馬に予想外の出来事が待ち受けていた。

風馬の正面、何か黒い影がこっちに向かってきていた。

「なっ!?」

その黒い影の正体は蝙蝠だった、蝙蝠は風馬に向かって飛んでくると鳴き喚きながら風馬に纏わりついた。

風馬の視界を邪魔する蝙蝠、妨害するように風馬の周りを飛ぶ蝙蝠、風馬の体に噛み付く蝙蝠、まるでこれ以上風馬を進ませるのを拒んでいるようだった。

「くっ!・・・・・纏わりつくな!」

日の光が苦手な蝙蝠も日の光が入らないこの森は行動できるらしい、だが風馬に執拗に襲い掛かるのはもしかしたら蝙蝠の親玉が死体を見つけさせないよう蝙蝠に命じたのかもしれない。

「このっ・・・・・!」

風馬は腰から護身用の刀を抜くと振り回した、次々と蝙蝠は切られ地面に落ちていくが蝙蝠の数は増える一方だった、服もボロボロになり自慢のマフラーは見るも無残な姿になっていた。

しかし風馬は決して足を止めないし後退もしなかった。

「諦める・・・・・ものか!」

その時、風馬の風馬の前方に一筋の光が見えた。

風馬は前方に見えた一筋の光を見てひたすら、ただひたすらにその光に向かって駆け抜けた。

確証はないがそこに何かがあると強く感じたからだ。

一筋の光は徐々に大きくなりそして風馬はその一筋の光に向かって飛び込んだ。

「!」

眩い光に目を瞑る風馬、無意識に出た防御姿勢は不幸中の幸いだった。

一筋の光の先は日の光が十分に入る程の開けた場所でありそこには飛び移れそうな木々はなかった、それ以前に光に飛び込む事を意識しすぎて飛び移る事など考えていなかった、風馬は飛び込んだ勢いそのまま地面に激突し何度も打ち付けた。

やっと勢いがなくなり地面に倒れ込む風馬、蝙蝠達も眩い日の光の前にして何もできず森の中へと帰って行く。

「・・・・・う、うう」

風馬はゆっくりと体を起こす、防御姿勢もあってか幸い大きな怪我はないようだった。(体の節々が痛そうな様子ではあったが)

「・・・・ここは」

辺りを見渡す風馬、そこは焼けて黒く焦げた木が幾つも生えており、その一方で地面には新緑の草花や木々の苗木が生えており鬱蒼としていた森の中とは違い空気も何だか清らかな感じがした。

開けた場所の中央には一際大きな大木が生えておりその大木も周囲にある焼け焦げた枯れ木と同様に黒く焼け焦げているが周囲にある焼け焦げた枯れ木と違い何か強い力が直撃したかのように幹が途中で大きく裂けていた。

(恐らくあの大木に雷が落ちて大木が燃え上がりその炎が周囲にある木々に燃え移りこのような場所を作ったのだろう)

雷が落ちた事により木々が燃えたのにも関わらずかえってそれが日の光が入るきっかけを作りむしろ自然にとっても人間にとっても動物にとっても環境の良い生命の息吹が感じられる場所が蘇ったというのはある意味では皮肉と言えよう。

「・・・・・・まさか」

大木を見上げていた風馬はある疑念を抱く。

風馬は大木に近寄ると腰に携えた革鞄から鉤爪の付いた縄を取り出し幹の裂けた部分に向かって投げた。

鋭く引っ掻けやすいように作られた鉤爪は避けた幹に引っ掛かり風馬は縄を辿って大木の天辺まで登った。

「!」

天辺に登った風馬は幹に中央にある大きな窪みを覗く、そこは雷を直撃した時に出来た空洞に雨水が溜まっていた、そしてその水底に何かが押し込められるように沈んでいた。

「・・・・・やはりここにいたか」

風馬は鉤爪の縄を腰に巻くと窪みの水溜りの中に入り水底に沈んでいた何かを引き上げる。

風馬が抱えて引き揚げたもの、それはまだ息絶えて間もない猟師の恰好をした男の死体だった。

背中には鋭利な爪で引っ掻かれたような大きな傷があり恐らくこれが致命傷になったのは確かだった。

引き揚げた遺体にひとまず合掌をする風馬、死んでいるからといって無碍にせず今まで生きてきたこの遺体に敬意を表し大切に扱う事を伝えてから遺体を調べるためだ。

「この傷を調べれば・・・・」

風馬は胸ポケットから小さな蓋が付いた半透明の容器を取り出す、容器の中には透明の液体が入っており蓋の裏側には綿棒のような物が付いていた。

風馬は蓋を開けると蓋に着いた綿棒を男の背中の傷に擦りつけ再び液体の入った容器に蓋を装着し閉め小刻みに揺らした、すると透明だった液体が変色し紫色に変わった。

「見つけたぞ、動かぬ証拠を・・・・」

容器に入った液体、実は人妖特有の妖力に対して反応する特殊な液体で毛や皮膚そして引っ掻き傷などに残る僅かな人妖の痕跡でも紫色に変色するのだ。

紫色に変色したという事はこの猟師は人妖である蝙蝠の親玉に襲われて殺されたという確証高い証拠であった。

「さて・・・・・後はあいつらの出番だ」

逸脱者の情報を掴んだ以上、残された件頭の役目は逸脱審問官に逸脱者の情報を教え逸脱者の断罪を頼む事だけだ、逸脱者の断罪は逸脱審問官に託すことになる。

光と影があるならば光は逸脱審問官で影は件頭、光と比べれば決して目立つことのない件頭ではあるが件頭あってこそ逸脱審問官はその力を存分に発揮する事が出来る、幻想郷の秩序を保ち人間の誇りや尊厳を守るきっかけを作る事の出来る件頭を風馬はとても誇りに思っていた。




第十六録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?最近知りましたがゲームとかで昔遊んでいたゲームや異なるゲーム機対応のゲームを今のゲーム機で遊べるようにする移植ゲーム。
自分は最近までそのままデータを移植しているんだろう、映像は綺麗にしているだけで内容は変わらないと思っていたのですが調べてみると完全に移植されたゲームが意外と少ない事を知りました。
やっぱりデータのそのまま移植するのは意外と難しいか出来ない事なのかもしれません。
移植されたゲーム機にうまく対応して良作になれたゲームがある一方で移植を任されたスタッフに技術不足があったり仕事意欲が低かったり短い納期に間に合わせようしてゲームバランスが滅茶苦茶になったりバグが大量発生したりして面白さが半減かもしかくは台無しになってしまったゲームもチラホラと見受けられます。
移植される前のゲームで遊んでいた人達にとってはため息が出てしまう様な事であり新しく遊ぶ人にとっても本来の面白さが伝わらないという点では悲しい事です。
移植ゲームくらい下手に何かをつけ加えるくらいなら本来の面白さを保ってゲームを欲しい、そう考えてしまいます。
それではまた、金曜日に。


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第十七録 月明かり覆う黒い翼 七

こんばんは、レア・ラスベガスです。
私は良くYouTubeで海外ゲームのプレイ動画を見ているのですがどの海外ゲームもグラフィックの凄さに驚かされます、水の綺麗さと良い、家具の使い古した感と良い、肌の質感や肉付きと良い、どんどんリアルに近づいてきているなとしみじみ思います。
とはいえグラフィックの向上≒ゲームの面白さに繋がらないのは日本ゲームも海外ゲームも同じみたいですが・・・・・・。
それでは第十七録更新です。


逸脱審問官の活動拠点、本拠の秩序の間玄関広場の左隅にある占い場「導」(みちびき)そこには逸脱審問官であり占い師でもある命の姿があった。

「・・・・・」

命は紫色の布がかけられた丸机の上にガラスのコップを置きその中に賽子(サイコロ)を五つの入れるとコップの口をひっくり返して丸机に円をかくように掻き混ぜ始めた。

円をかくように十周させた所で命はピタリと掻き混ぜるのをやめそっとコップを持ち上げる。

持ち上げられたコップの中には掻き混ぜられ五つの賽子の数字が何の関連性もなく並んでいた。

はたから見る分には博打の「半丁」をやっているようにも見えるがこれも命にとっては立派な占いの一つだった。

一定の力をかけ円を描くように混ぜる事で命は人間には感じられない様々な現象の摂理を賽子の目や位置を通じて見る事が出来るのだ。

「・・・・・・ほう、これは」

いつもと同じ抑揚のない声でそう呟いた命。

その呟きは偶然その場にいた鍛練を終えたばかりの鈴音と結月の耳にも聞こえた。

「どうしたの?命、興味深そうに賽子を見ているようだけど」

そう聞かれた命は鈴音と結月の方を向くと口元に笑みを浮かべる。

「いえ・・・・ここ最近の占いの結果は不吉なものしか出ていませんでしたがようやくそれ以外の結果が出たのでつい言葉に出てしまいました」

鈴音と結月が命の占い場に近づく、紫色の布がかけられた丸机の上には五つの賽子が転がっており恐らく賽子は数字と位置で何かを示しているのだろうが、それが何を示しているのか結月にも結月よりも付き合いの長い鈴音にも分からなかった。

「この賽子の数字と位置これが指し示す事・・・・・それは大きな転機、変化、そして悪夢の終わりです」

悪夢の終わり・・・・・・それが何を指示しているかは結月も鈴音を分かる様な気がした。

「恐らくはこの幻想郷で続いていた不吉な事象の終わり、もしくは不吉な事象に大きな動きがあるという事でしょうか、少なくとも私の解釈では賽子はそう示しています」

あくまでも根拠のない占いではあるが命の占いはとても良く当たるので妙な信憑性があった。

「近々、そう遠くない内に不吉な事象に変化をもたらす出来事が起きるのではないかと・・・・」

そう命が話していた時、隣にある禍の知らせの件頭が出てくる穴から見覚えのある件頭が現れた。

「おや、今回は私の占いが当たったみたいですね、もう大きな転機が訪れたみたいですよ」

命は件頭の方を見てそう言った。

結月と鈴音は命の驚異の的中率に本当ならその場で驚いていた所だったが、今はとにかく件頭の話を聞かなければならなかった。

「待たせたな、鈴音、結月」

穴から出てきたのは昨日結月達と会話した風馬であったが、その姿は昨日とは違い綺麗に着こなしていた黒装束は何かに襲われたかのように傷と穴だらけになっており汚れていた、首に巻いた黒い布も至る所が解れて見るも無残な姿になっていた。

「ふ、風馬!?どうしたの、その姿は?」

心配する鈴音に対して風馬は首を振る。

「何でもない、気にするな・・・・・それよりも蝙蝠の親玉の正体をついに突き止めたぞ」

風馬のその言葉に結月と鈴音の顔に緊張が走る。

「蝙蝠の親玉の正体は逸脱者である事を示す信憑性の高い証拠を手に入れた、分類は飛行種だと思われる、逸脱者が毎夜の如く人間を襲ったのは恐らく人妖の体を維持するのに一人分の生血が必要だったと考えられる、そして逸脱者は逸脱審問官の事をとても警戒していたようだ、だからこそ自分の正体が逸脱審問官に知られないよう、蝙蝠を操って蝙蝠の大群で自分の姿を眩まし単独で出歩く人間を襲っていたのだろう、そして生血を吸った人間の死体を運び人気のない森の中に捨て妖怪や獣に食べさせて証拠を隠滅していたのだろう」

風馬の話から逸脱者は自分の命を狙うであろう逸脱審問官を脅威と感じており、正体を突き止められないよう証拠を隠滅していた所をみると、逸脱審問官は件頭の情報なしでは動く事が出来ない事を知っているという事なのだろう、つまり逸脱者は逸脱審問官の事を熟知している可能性がある事を示していた。

「蝙蝠の親玉が逸脱者だと分かった以上、これ以上のあいつを野放しする訳にはいかない、毎夜人間の襲われた事を考えると今夜も出現する可能性は高い、幻想郷の秩序を保ち人間の誇りや尊厳を守るために断罪に行ってもらえないだろうか?」

風馬の願いに対して鈴音は覚悟に満ちた笑みで頷いた。

「任せて風馬、あなた達の努力は決して無駄にはしないわ、必ず今夜逸脱者を断罪して見せるよ!」

結月も真剣そのもの顔で頷いた。

「もちろんだ、逸脱者を断罪するのが逸脱審問官の役目だからな、情報を探してくれた件頭の期待に俺達も答えなければならない、それに蝙蝠の親玉に殺されたであろう者達の無念を晴らさないといけないな」

逸脱者に身勝手な理由で唐突に殺されたであろう何の関係のない者達の無念、そしてとり残された家族の無念を背負い逸脱者に自らが奪った命の重さを教えなければならない。

「だが相手は空を飛び回る逸脱者、活動範囲は広大でその姿を夜の暗闇と蝙蝠の大群で隠している、こちらから逸脱者に接触する事は出来ない、だが逸脱者は単独で行動する人間を襲う傾向がある、それを利用して逸脱審問官が囮となって逸脱者を誘き寄せる事は可能だろう、だがそれには鈴音や結月だけでなく多くの逸脱審問官の協力が必要だ」

行動範囲が幻想郷の全域に及んでいるため逸脱審問官が旅人を装い単独で行動し逸脱者を誘き寄せる囮作戦を行わなければいけなかった。

逸脱者に逸脱審問官の方へ誘き寄せるためには鈴音や結月だけでなく他の逸脱審問官にも各地で同様の囮作戦を敢行しなければならなかった。

「なるほど、では私の方から蔵人達に話をつけておきましょう、もちろん私も参加しますよ、ただ本拠をもぬけの殻にする訳にはいきませんから竹左衛門には残ってもらう事にしましょう」

それでいいですか?と命はいつものように居酒屋「柳ノ下」で飲んでいる竹左衛門に聞く。

竹左衛門もしっかりと今のやり取りを聞いており任せておけという言葉と共に手を挙げる。

「出来るなら長期修業や遠征に行っている逸脱審問官もいれば心強いのですが・・・・欲を言えばきりがありません、あまり望んではいけませんね、いまあるだけの戦力で精一杯どうにかしましょう」

結月は確か訓練施設に通っている時、現在の逸脱審問官の数は十四人いると聞かされており結月は十五人目だった。

しかし現在、本拠にいる逸脱審問官は自分を含めて七名しかおらず残りの八名は長期修業と遠征などの任務を課せられて本拠を離れていた。

「あっ!そうだ結月、夜になるまでにはまだ時間があるよね?咲夜さんにこの事を知らせにいかない?咲夜さんきっと一安心するよ」

確かに蝙蝠の親玉が逸脱者だと判明し紅い悪魔が犯人ではなかったと証明されただけでも朗報だしそれを今夜断罪し逸脱者の仕業であった証拠を手に入れる事が出来れば幻想郷で広まる紅い悪魔の根拠のない噂も立ち消えるだろう。

「ああ、そうだな・・・・・今から紅魔館に向かって報告しても夕方にはここに戻れるだろう」

結月も鈴音の提案に賛成し二人は急いで階段を上がり天道人進堂の正面玄関を目指す。

「あっ!結月様、鈴音様、丁度いい所に」

天道人進堂の受付の方から呼び止められる、声のした方を見るとそこには桃花の姿があった。

「桃花さん、どうしたの?長話になるようなら後にしてもらってもいいかな?」

既に時刻は二時半頃になっており急がないと夜になってしまう、長話をしている時間はなかった。

「大丈夫ですよ、すぐに終わりますから、実は先程紅魔館のメイド長である十六夜咲夜さんがここを訪れて日用品を買われた後、喫茶店で一息していったんです、そして帰り際に結月さんと鈴音さんによろしくとお伝えておくよう頼まれました」

その言葉を聞いて互いに目を合わせる結月と鈴音。

「桃花さん、咲夜さんが帰ったのは何時頃なの?」

鈴音の問いに桃花は確か、と小さく呟いた後少し考える。

「丁度三十分前ですよ、今日も職員の殆どが早退なので早めに喫茶店で休憩する時に咲夜さんといたので同席して色々な話をしていましたよ、咲夜さんも色々大変みたいですね」

三十分前、天道人進堂から紅魔館までは距離があるので恐らくはまだ帰路の途中だろう、時間を操ってなければ恐らく十分程度で追いつきそうだった。

「ありがとう桃花さん、行こう結月、咲夜さんに追いつくよ!」

ああ、と答えた結月は鈴音と共に正面玄関に出る。

「行くよ月見ちゃん!紅魔館の道を辿ってちょうだい!」

肩に乗っていた月見ちゃんがニャアンと言う掛け声と共に飛び出し巨大化する、結月の明王も同じように肩から飛び降りると巨大化し結月と鈴音は互いの守護妖獣に跨る。

「行くぞ、咲夜さんの所まで」

結月の掛け声と共に走り始めた明王と月見ちゃん。

三回目という事もあり結月も慣れてきたのか上手く乗りこなしているように見えた。

しばらく紅魔館に続く道のりを走っていると前の方に見覚えのある後姿が見えてきた。

「咲夜さ~ん!」

鈴音の声に足を止め振り向く咲夜、そして少し戸惑った様子をしていた。

巨大な守護妖獣が二頭こちらに向かって走ってきているのだから戸惑うのは無理もない。

「す、鈴音さん?それに結月さんも・・・・・わざわざどうしたんですか?」

咲夜の数m手前で守護妖獣は停止し鈴音と結月が守護妖獣の背中から降りる。

「ごめん、驚かせちゃって・・・・・ただ咲夜にどうしても伝えたい事があったの」

伝えたい事?そう呟いた咲夜に結月が説明する。

「蝙蝠の親玉の正体が分かった、蝙蝠の親玉の正体は人妖・・・・逸脱者だった」

人妖、その言葉に少し驚いた様子を見せる咲夜。

「人妖・・・・・・・そうですか、でもまさかお嬢様や妹様という存在がいながら蝙蝠の人妖になろうとする者がいるなんて思いませんでしたわ」

それは結月も咲夜と同じ考えを抱いていた。

幻想郷では蝙蝠と聞いて連想する事と言えばもっぱら紅い悪魔などの吸血鬼である、これは蝙蝠の妖怪があまりいない事や夜間、紅魔館の周囲を多数の蝙蝠が飛び回っているからであり、吸血鬼は自分達と共通点の多い蝙蝠を使い魔として従えているからではないかと言われてきた。

そのため人間の多くは蝙蝠に関わる事を避けており、大人達は子供に蝙蝠には悪戯しないように蝙蝠に悪さをすれば紅い悪魔の呪いで不幸が訪れると教えており、そんな世間の考え方を考慮するならば蝙蝠の人妖になどなろうとする者はあまりいないだろう。

「逸脱者は紅い悪魔の事を気にしていないのか、それとも軽視しているのか・・・・・」

かつて異変を起こしたほどの強大な力を持つ紅い悪魔を軽んじているとは思えないが、逸脱者になろうとする者の考えている事だから分からなかった。

「もしくは、逸脱者になる方法をそれしか知らなかったのかもしれない・・・・・」

鈴音の推測がもしかしたら一番近いかもしれないと結月は思った。

「とにかく、逸脱者と分かった以上、恐らく今夜も現れるであろう逸脱者を断罪しに出掛てくるよ、あっ!でも今回は空を自由に飛び回っている相手だし私達以外の逸脱審問官にも協力してもらうから私達が断罪できるかは分からないけどね」

しかし咲夜は心配そうな眼差しで鈴音達を見ていた。

「今夜断罪に・・・・そうですか、逸脱者は人間離れした能力を持つ存在、分かっているとは思いますが恐らく命懸けの戦いなると思います、ですが絶対に生きて帰ってきてくださいね」

咲夜に言われなくても何ども逸脱者戦った事のある結月と鈴音は良く分かっていた。

しかし逸脱者は咲夜の言った通り人間離れした身体能力と妖力を持っているので一瞬の油断や些細なミスでも命を落としかねない事を咲夜の言葉で再認識して結月と鈴音は気を引き締めた。

誰も命を落とさずに逸脱者を断罪する、これが最も理想的な逸脱者の断罪だからだ。

「任せてよ!今夜逸脱者を断罪して咲夜さんや紅い悪魔にかけられた疑いも晴らしてみせるよ!そしてまた人間の里でお茶をしましょう」

もちろん、咲夜や紅い悪魔にかけられた疑いを晴らすというのは逸脱審問官の使命としてではなく結月と鈴音の個人的な気持ちの表れだった。

「はい!もちろんですわ、鈴音さんや結月さんもどうかお気をつけて」

咲夜は笑みを浮かべ逸脱者との戦いに向かう鈴音達を見送る。

「じゃあ、私達は天道人進堂に戻るね!咲夜も日が暮れる前に帰ってね!じゃないと逸脱者に狙われちゃうよ」

そう言って鈴音と結月は相棒である守護妖獣の背中に跨る。

「あの鈴音さん、最後に蝙蝠の親玉の正体を突き止めたのはどなたでしょうか?」

咲夜の質問に鈴音は自慢げに答える。

「風馬、情報専門の隠密集団件頭の長をしている人よ、件頭の誰よりも抜きん出ていて件頭の誰もが彼を尊敬しているわ、彼の情報は正確で間違いはないから安心してね」

風馬、その名前に咲夜は心当たりがあった。

彼女の脳裏にかつて紅霧異変の時、博麗の巫女より白黒の魔女より先に紅魔館に辿り着いて見せたあの男の姿が過った。

「じゃあね咲夜さん、無事断罪出来たらちゃんと報告に行くからね」

そう言って鈴音と結月は天道人進堂に向かって走り去っていった。

「・・・・・・早くお嬢様にこの事を報告しないといけませんわ」

鈴音達を見送った後咲夜は急いで紅魔館に向かった。

 

時刻は進み空には無数の星と共に綺麗な満月が浮かんでいた。

満月の夜は妖怪にとっても吸血鬼にとっても最も妖力が高まる時でありいつも以上の力を発揮する事が出来た。

ただ、この状態が長く続くと気持ちの高ぶりや自我が保てなくなり暴走してしまう妖怪もいるため吸血鬼を含めほとんどの妖怪が毎日満月だと良いと思っているものなどいない。

何事もほどほどが良いのだ、ほどほどだからこそ価値がある。

「そう・・・・・・やっぱり人妖だったのね」

紅魔館の昨日と同じ一室、紅い悪魔は昨日と同じ椅子に腰かけ特に驚いた様子もなくそう言った。

相変わらず部屋は光源が窓から入る月明かりしかなく紅い悪魔の全貌は分からなかった。

「お嬢様は蝙蝠の親玉の正体が人妖だと分かっていたのですか?」

咲夜から蝙蝠の大群の話を聞いた時、何となく人妖の仕業ではないかと紅い悪魔は思っていた。

その根拠たる所以は彼女が現世から幻想郷にやってきた存在であるという事であった。

「現世の特に日本では蝙蝠の妖怪はあまりいなかったし、増してや幻想郷に住む人間を震え上がらせるほどの蝙蝠の大群を操れる妖怪なんていないに等しかったわ、吸血鬼も・・・・私達以外にはあまり数はいなかったし、いたとしたらとっくの昔に幻想郷にきているはずよ」

同時にそれは吸血鬼と呼べる存在がもう自分達くらいしかいない事を指していた。

その事を淡々と語る紅い悪魔だが何だかその口ぶりは寂しそうにも感じた。

「それにしても咲夜、蝙蝠の親玉の正体を突き止めたのは本当に風馬なのよね?」

だが紅い悪魔は余韻に浸る事無く別の話題に切り替える。

はい、としっかりとした声で答えた咲夜に紅い悪魔の口から笑みが零れる。

「そう・・・・・あの風馬がね」

風馬が蝙蝠の親玉の正体を突き止めた事は紅い悪魔の予想通りだった。

(五日か・・・・・まあ、能力のないただの人間にしては上出来な方かしら)

話を聞く限りでは恐らく逸脱者は逸脱審問官や件頭に自分の正体を悟られぬよう証拠を隠滅していた可能性もあった、それを含めると五日で逸脱者の正体を突き止めた事は紅い悪魔を満足させる結果だった。

あの時、紅魔館に侵入して見せた男が期待に通りの成長を遂げていた事に紅い悪魔は上機嫌だった。

「まさかあの時の紅魔館に侵入した男の方がまさかお嬢様の着せられた濡れ衣を晴らしてくれるとは思いませんでしたわ」

咲夜は言葉こそ驚いているような感じだったが紅い悪魔が見る限りでは大して驚いていない様子だった、紅い悪魔とってもそれはおかしくも何ともない事だった。

あの時自分は誰よりも先に紅魔館に辿り着いて見せた風馬の実力を賞して咎めず見逃してあげた、それが巡り巡って自分に戻ってきたのだ。

紅い悪魔にとってこの奇妙な運命の巡り合わせは決して珍しい事ではなかった。

「そう言っている割にはあまり驚いてないようだけど?」

何故自分は答えが分かっている質問をするのだろう?しかしその答えも紅い悪魔はちゃんと分かっていた。

「まあ、私もお嬢様の能力は良く理解していますから・・・・・それはもう身をもって」

やはり紅い悪魔が予想していた答えが咲夜から返ってきた。

その言葉が聞きたくて自分はこんな無意味なやり取りを楽しんでいるのだろう。

「風馬が人妖だと突き止めた以上、もう逸脱審問官は動いているのよね?」

聞かなくても分かっている事である、しかし念のために紅い悪魔は咲夜に問い質す。

「ええ、鈴音さんは今夜逸脱者を断罪しに行くとおっしゃられていましたのでもう断罪に行かれていると思いますよ」

当然の答えである、逸脱審問官は人間の掟を破る逸脱者の断罪が使命であり霊夢のように様子を見るなんて野暮な事はしないはずだ。

「もちろん、私達の疑いを晴らすためではないわよね?」

紅い悪魔のその問いに対して咲夜は苦笑いをする。

「鈴音さんと結月さんはお嬢様の疑いを晴らすと言ってくれましたけど、あくまでも逸脱審問官の役目である幻想郷の秩序を乱し人間の誇りや尊厳を穢す逸脱者を断罪するためだと思いますよ、それと逸脱者に殺されたであろう人間の無念を晴らすためでもあると思いますわ」

鈴音は咲夜と顔見知りなので鈴音と結月個人の気持ちとしてそう言ったのだろう。

「人間の誇りや尊厳ねえ・・・・・・咲夜は人間で良かったと思う所はあるかしら?」

そう聞かれ少し考えているかのような仕草をする咲夜。

「そうですねえ・・・・・あっでも、百年も二百年もお嬢様の御世話をしなくていいという点については人間に生まれてよかったと思いますわ」

それはさり気ない咲夜流の愚痴だった。

「それを私の前で堂々と言うかしら?」

そう言う紅い悪魔だが口元には笑みが浮かぶ、それは本人も自分の我儘で咲夜を振り回しているという事をちゃんと理解しているからだ。

咲夜と紅い悪魔の関係は只の主従関係ではなく心から分かり合える強い信頼関係で結ばれていた。

「大丈夫ですよ、生きている間はお嬢様の御側にいますから」

咲夜は人生の一生を紅い悪魔に忠誠を尽くす覚悟を持っていた。

「あら、嬉しい言葉ね、でも生きている間だけじゃなくて死んだ後もずっと御傍にいますよ、くらい言ってほしかったわね」

しかし流石の咲夜もそれは無理な相談だった。

「そう言って欲しいのならもう少し大人になられたらどうですか?お嬢様の子供の様な我儘に付き合うのも結構大変なんですよ」

そう語る咲夜はワザとらしく困った様子で今にもため息がもれそうな顔を作っていた。

「そうね・・・・・善処するわ」

その言葉は咲夜にとって意外なものだった。

「あら、いつになく前向きなお言葉、いつもだと言葉を濁すはずなのに」

咲夜のその言葉に対して紅い悪魔はフランの方をチラリと見た。

「私が異変を起こした時よりも年齢が上になったフランを見ているといつまでも子供じゃいられないと思うのよね」

吸血鬼はとても長生きなので見た目年齢と実際の年齢は大きく違う、紅い悪魔もフランも年齢は五百歳(しかし吸血鬼の年齢としてはまだ子供)超えており見た目はともかく知識や精神に関しては人間の子供を越えているはずなのだがフランはいつになっても幼稚な考え方だった。

「お姉様、そんなに大人になるのが嫌なら私が一生大人になれない体にしてあげてあげましょうか?」

自分が馬鹿にされた事に無邪気な笑みを浮かべながらも殺意に満ち溢れた目で紅い悪魔を見るフラン。

しかしそんなフランを前にしても紅い悪魔は全く動じる事はない。

「フラン、そうゆう所が子供っぽいのよ、少しは大人になりなさい」

しかし紅い悪魔の言動と反して子供っぽい仕草で嫌がるフラン。

「え~子供の方がいいよ、大人になんてなりたくないわ」

そう言うフランに対して紅い悪魔はため息をつく。

「残念ね、あなたがどれだけ我儘をいっても体は少しずつ大人になっていくのよ、諦めなさい」

ふ~んだ、と子供の様な拗ね方をするフランに紅い悪魔は首を横に振った。

「さて・・・・・どうしようかしら?」

フランの事はもう放っておいて紅い悪魔は蝙蝠の人妖と逸脱審問官の事を考える。

人妖だと分かった以上、逸脱審問官は既に動いているだろう、今日断罪できるかは不明だが少なくとも逸脱審問官が動いている以上、長くても数日で事は済むだろう。

しかしこのまま、逸脱審問官に任せてもいいのだろうかという考えも紅い悪魔にはあった。

蝙蝠の人妖は自分達と同じ蝙蝠を従えさせ我が物顔で幻想郷の夜空を飛び回り人間を襲っている、蝙蝠の人妖の故意かはたまた無知か、とにかく吸血鬼に在らぬ疑いがかけられ一連の行方不明事件が自分のせいにされている、これらは吸血鬼に対する侮辱の何物でもなかった。

紅い悪魔自身はどうでも良かったが、誇り高き優れた種族である吸血鬼としては泥を塗った蝙蝠の人妖に対しそれ相当の報いを与えなければ吸血鬼の面子もたたないだろう。

先代で紅魔館当主であるスカーレット卿や歴代の吸血鬼達があの世で泣いていたり怒り狂っていたりする姿が目の浮かぶ、紅い悪魔にとってそんな事どうでも良い事ではあるが。

それよりも逸脱審問官である鈴音や結月の事の事が気掛かりだった。

彼らは咲夜を窮地から救い出し、自分達に疑いの目がかけられる中、生活に必要な日用品を提供し、さらには自分達に着せられた濡れ衣を晴らすため蝙蝠の人妖と戦おうと、いやこうしている間にも戦っているかもしれないのだ。

彼等にかなりの借りを作っている(鈴音達にとってはそんなつもりではないにしろ)はずなのにこのままじっとしていていいのかと思ってしまう。

しかし自分を含め紅魔館は天道人進堂とは邪魔もしないが協力をしないという関係を維持したい思惑もある、人間側の組織である天道人進堂と繋がりを持つのは避けたい所だった。

少し考え込む紅い悪魔であったが決断は思いのほか早かった。

紅い悪魔は椅子から立ち上がり数段だけの階段を降りる。

「咲夜、武器庫から一本、手頃な槍を持ってきてくれないかしら?」

紅い悪魔の意図する所を咲夜はすぐに察知した。

「行かれるのですか?蝙蝠の人妖の所へ」

槍など大した敵対勢力のない紅魔館では無用の長物である存在である、それを用意するという事は今の状況を考えれば紅魔館を出て蝙蝠の人妖を仕留める事を指していた。

「逸脱審問官に任せてもいいのだけど、蝙蝠の人妖にここまでされて何もしないのでは吸血鬼の面子がたたないのよね」

しかしこれは建前であり事実上の口実だった。

「かしこまりました、すぐにお持ちいたしますわ」

次に紅い悪魔は拗ねたままのフランの方を見る。

「フラン、何いつまで拗ねているのよ?一緒に外へ出掛けるわよ、せっかくだからあなたも連れてってあげるわ」

紅い悪魔のその言葉に拗ねていたフランは嬉しそうな目で紅い悪魔の方を見る。

「本当に?外に出てもいいの?」

フランもまた強力な力を持っているが故に紅い悪魔から外に出る事を禁じられていた。

いつも紅魔館に軟禁されているフランにとって外出許可は心躍る事だった。

「あなたも昨日、誇り高い吸血鬼として蝙蝠の人妖に身の程を教えてあげたいって言っていたじゃない?ならあなたにも吸血鬼として手伝ってもらうわよ、ただし遊びに行くわけじゃないからね、その事は頭に置いておきなさい」

しかしそんな忠告を聞いているのか聞いてないのかフランは子供の様にはしゃいでいた。

「全く・・・・・」

フランの行く末が心配になるもののそれよりも紅い悪魔には楽しみにしている事があった。

(しばらく会ってないけど鈴音はどれだけ成長したのかしら?上司が務まるくらいの実力まで成長したのか、そして鈴音の部下になった結月という男は一体どんな人物なのだろうか、今からとても楽しみだわ)

相手は幻想郷の空を飛び回る蝙蝠の人妖、逸脱審問官も幻想郷の各地に配備させて蝙蝠の人妖を誘き寄せているのだろう、だから蝙蝠の人妖が鈴音達と戦うとは限らなかった。

しかし紅い悪魔は蝙蝠の人妖が鈴音達と戦うのではないかと予感していた。

根拠はひとつもないが強いてあげるとすれば鈴音達は私達の疑いを晴らすという思いを背負っている分、他の逸脱審問官よりも強い決意、強い意志で蝙蝠の人妖との戦いに臨んでいるはずだ。

強い意志は運命を自然と本人が望んだ方向へと導き自分以外運命も変えてしまう程の力がある事を紅い悪魔は良く知っていた。

「さて・・・・・もう鈴音達はもう戦っている頃かしらね」

鈴音の成長と結月という人物に期待しつつも紅い悪魔は妹と従者を連れ動こうとしていた。




第十七録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さてこの小説も書き始めて一年半くらい経とうとしています。
最初の方は平日は二ページずつ休日は五ページくらい書けていたのですが最近は中々小説の執筆が進みません、執筆意欲は決して薄れた訳ではないのですが中々ここまで長く書いていると他の小説が書きたくなる衝動に駆られてしまいます。
私は二次創作もオリジナルも書く方なのですが二次創作は東方projectと星のカービィを中心に書く事が多いです。
東方はともかく星のカービィ?と思ってしまう読者様もいるかもしれませんが私自身星のカービィのファンであり星のカービィは二次創作としてとても使いやすい作品だと考えています。
特にカービィはコピー能力や身体能力の高さもあって扱いやすい事や物凄く強いのに単純で御人好しで正義感の強い所が二次創作として広げやすい事も気に入っています。
いずれは中高生や大人向けの星のカービィも書いて投稿してみたいな(ハーメルンで任天堂作品って投稿できたかな?)と考えていますが今はまずは人妖狩りを頑張って書いていこうと思います。
それではまた金曜日に。


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第十八録 月明かり覆う黒い翼 八

こんばんは、レア・ラスベガスです。
ネットを見ていると「日本人は~」「アメリカ人は~」「中国人は~」と人種を一括りにして話をする人がいますが何故人種を一括りにして話をするのか疑問に思う所があります。
同じ人種でも考え方や価値観は人それぞれ違うのに何かある度に人種全体に話を持っていくのはどうなのかな?と考えてしまいます。
それでは第十八録更新です。


時刻は深夜、幻想郷は昼とは一転して暗闇に包まれた世界へと変わり光源と呼べるものは淡い月の光だけである。

しかし今宵は満月、月はいつにも増して優しい光を放っており本来なら綺麗な満月が浮かぶ夜空を見ようと人間が家の窓や庭などに出て夜空を眺めるはずだった。

しかし今日はそんな星空も空に浮かんでいるはずの満月を見上げる者は殆どいない。

というより見られないのが正確だろう、何故なら空には月を遮る様に小さな黒い影が至る所で群れをなして飛んでいるからである。

小さな黒い影の正体は蝙蝠であり見慣れた蝙蝠からあまり見ない蝙蝠まで飛び回っておりまるで幻想郷中の蝙蝠が星や月を蝕むかのように飛び回っているような感じだった。

その蝙蝠の群の一際蝙蝠が密集した群れの中にその巨体を隠すように飛ぶ蝙蝠の姿があった。

「うむむ・・・・・・・やはり満月とあってか一人で出歩いているものは少ないようだな」

大きな翼を持った蝙蝠は小さな蝙蝠と蝙蝠の間から見える地上を見ながらそう呟いた。

大きな翼を持った蝙蝠が探しているもの、それは人気のない道を出歩く人間であった。

それは何故か?それは襲って生血を啜るためでありその大きな蝙蝠の体を維持するためには毎夜一人の人間の新鮮な血が必要だからである。

この大きな翼を持った蝙蝠はもちろんただの蝙蝠ではなく、ましては妖怪でもない、人間から妖怪になった人妖であった。

蝙蝠の人妖は多種多様の種類がおり人妖となった体を維持する方法も様々であるが、この大きな翼を持った蝙蝠の場合、毎夜一人分の人間の生血を啜らなければ体を維持する事ができなかった。

だからこの蝙蝠の人妖は人妖を敵対視している博麗の巫女や件頭からの目を遮るように幻想郷中のありとあらゆる蝙蝠を従わせ飛び回らせ攪乱させ自分は蝙蝠の群に紛れて隠れるように移動し人気のない道や場所で出歩く人間を襲い生血を啜った後、血が抜けきった死体を遠くの場所に捨てていったのだ。

残った死体は腹を空かせた妖怪の餌になるか、他の人間に見つかったとしても現場より遠い場所なら妖怪に襲われた運の悪い人間として処理してくれるはずである。

そして今夜もまた生血を求めて飛び回っている訳だが今宵は満月、満月の夜に人気のない道を出歩く様な人間はあまりいない。

満月に影響される妖怪は数多く、満月の光は人間にとっては淡く優しい光に感じられるが妖怪にとってはその光は体に妖力が満ち溢れさせ活発に動き回るようになるからだ。

そのため旅人や商人は妖怪に出くわさないよう早めに宿屋に泊まり夜出歩く事はない。

しかも蝙蝠の大群が飛び回らせている事もあってさらに夜出歩く者を少なくさせている理由だろう。

「だが何処かにいるはずだ・・・・・夜の世界に運悪く取り残された人間が」

しかし人妖は分かっていた、何らかの理由で運悪く夜の世界に取り残された人間が必ず何処かにいる、帰りを焦ってしまったり道に迷ったりしている人間が必ずいる事を良く知っていた。

そういう運の悪い人間を蝙蝠の人妖は必死に探していた、必ずいるという確信はあったものの一方で焦りもあった、このまま人間の生血を啜れなければ妖力で変化させたこの体が維持できなくなり消滅してしまうからだ。

しかも昨日の出来事も蝙蝠の人妖の心を掻き乱す要因になっていた、昨日の猟師を襲った際、岩陰に隠れていた猟師仲間にその姿を見られやむなく殺したが大量の出血跡が残った上に焦って血が流れている方を運んで近くの鬱蒼とした人が近づけない森に運んでしまった。

まさかとは思うが血を辿ってあの死体を見つけられないか、それが気掛かりで仕方がなかった。

その事もあって蝙蝠の人妖はいつもの冷静さと用心深さを失っていた。

もし蝙蝠の人妖がいつもの冷静さと用心深さを持っていたら彼を獲物にしなかったかもしれない。

「・・・・・ん?あれは」

蝙蝠の人妖の目に飛び込んできたのは雑草が茂る平原、編み笠を被った人間が歩いていた。

近くにこの人間以外の人影はなく、蝙蝠の人妖からしてみれば理にあった人間であったが不審に思う所もあった。

(何故あいつはあんなにも落ち着いているんだ?)

編み笠を被った男は恐らくは旅人か何か夜を出歩いているにしては不自然に落ち着いている。

妖怪が活発化している夜という事だけでも危ないのに満月の夜だ、満月の夜は危険と言う認識は幻想郷では常識中の常識だ、本来ならもっと急いでいる方が普通だ、見ている感じ怪我をしている様子もない、なのにまるで危機感を感じてない様に歩いていた。

それに場所も場所だ、妖怪が遭遇したら危険だというのに旅人は開けた平原を歩いている、これでは妖怪に見つけてくださいと言っている様なものだった。

だがそれにも増して今の状況があまりにも理想的すぎるという点も気になった、近くに誰もおらず一人出歩く人間、こちらにあまり気にしていない、狙うには絶好の条件だが反ってそれが怪しくも感じた。

そして編み笠を被った人間を見た時、蝙蝠の人妖は直感で嫌な予感を感じていた。

何処か普通の人間ではない、選ばれた人間の様な雰囲気を感じ取っていた。

本来ならこの時点で見逃していたかもしれない、しかしいつもの冷静さと用心深さを失い獲物が見つけられない焦りを感じていた蝙蝠の人妖は判断を急いでしまった。

編み笠を被った男を標的と捉え偽装である蝙蝠の群の中から飛び出し急降下しつつ速度を上げる。

(だがここであいつを見逃せば絶好の機会を逃す事になる・・・・危険はあるがこの先獲物を見つけられなければどちらにしろ、死が待っている、ならば!)

急降下しながら編み笠を被った人間に狙いを定めた。

編み笠を被った人間はまだ蝙蝠の人妖が接近している事に気づいていない様子だった。

蝙蝠の人妖は急降下をし続け足を構える。

(貴様の血・・・・・いただくぞ!)

編み笠を被った人間に前方上空二mまで接近し水平だった体を起き上がらせ勢いそのままに襲い掛かった。

しかし蝙蝠の人妖の足は虚しく空をきった、標的の編み笠を被った人間は素早く後ろに後退からだ。

「何っ!?」

今まで狙った標的は確実に仕留めていた蝙蝠の人妖にとって避けられたことは予想外だった、そのため蝙蝠の人妖の足は地面に着地し利点である速度を殺してしまった。

バァン!

その蝙蝠の人妖の隙を見計らうかのように大きな銃声が鳴り響く。

何処からともなく聞こえた銃声に驚き蝙蝠の人妖、しかし機動力を殺してしまった今、避ける動作など出来る訳がなかった。

「うぐっ!」

銃声が聞こえてから一秒も経たずに右胸の脇に激痛が走る、銃弾が体を抉りながらめり込んでいく感覚が伝わる、特殊な弾なのか撃たれた所から力が抜け大きくバランスを崩した蝙蝠の人妖は地面に倒れ込む。

「獲物が中々見つからず焦りか、判断を見誤ったようだな、逸脱者」

地面に着地した逸脱者と呼ばれた蝙蝠の人妖はハッとして編み笠を被った人間を見る。

そこには二十代くらいの編み笠以外はとても旅人とは言えないような姿をした男がこちらを見下ろすように見ていた。

被っていた編み笠を脱ぎ捨てる男、それは紛れもなく結月だった。

「お、お前は・・・・・まさか」

男の格好は見覚えのある姿だった、それは最も警戒しなければならない者達が着ている服だった。

そこへ森の陰で隠れていた男と同じ格好をした女が大きな猫の様な妖獣に乗って男の元に駆け寄る手には幻想郷に広く普及している火縄銃ではなく最新式の小銃が握られていた。

「現れたようね、逸脱者、あなたが犯した罪、逸脱審問官の名に懸けて断罪するわ!覚悟しなさい」

強い口調でそう言った女はもちろん結月の上司である鈴音である。

そして彼女の相棒月見ちゃんは今にも襲い掛かりそうな雰囲気で唸っていた。

蝙蝠の人妖・・・・・もとい逸脱者は結月達の囮作戦に引っ掛かり誘き寄せられてしまったのだ。

これは紅い悪魔が予感した通りだったがそんな事蝙蝠の人妖はもちろん結月や鈴音が知る者はいない。

「くっ・・・・・・この妖怪の味方が!」

一体逸脱者は何となく昨日の失敗が原因でバレた事を一瞬で悟った。

やはり駄目だったか、と後悔しつつも逸脱者はそう言葉を吐き捨てる。

「妖怪の味方?言い掛かりはやめてよ、私達は幻想郷の人間の誇りや尊厳を守り幻想郷の秩序を保つために逸脱者であるあなたを断罪するのよ」

一応紅い悪魔の件もあるがあれは人間である咲夜を助けるという意味もあるので妖怪の味方をしているという事は断じてなかった。

「人間の誇りや尊厳・・・・・・それはお前達がそんなものがあると思い込んでいるだけではないか・・・・・・実際は人間など妖怪に支配され常に妖怪に怯えて暮らしている・・・・・誇りや尊厳などあるものか」

しかし相変わらず鈴音は逸脱者の言葉に全く耳を貸さない。

「でもそれは決して人間に限った話ではないわ、兎とかも常に狐や狼に怯えながらも立派に兎として生きているわ、彼らは果たして惨めと言えるかしら?妖怪と人間も同じよ、妖怪に怯えつつも妖怪は人間がいないと自分の存在が危うくなるから影響の出ない許容範囲内で人間を襲っているわ、だから幻想郷でも人間は人間として誇りや尊厳を持って生きる事を出来るわ、私達は決して自然の生態系から外れた存在ではなく他の動物の同じ生き物よ、それなのに逸脱者になろうとするかしら?」

狐が生きるために兎を襲うのと同じで妖怪も人間に恐怖や畏怖を植え付けるために人間を襲うのだ。

妖怪がいなければ幻想郷は壊れてしまうため妖怪に襲われる人間は幻想郷を維持するための最低限の犠牲と言えよう、何だか残酷な話にも見えるが仮に狐を殺せば兎が増え草の消費量が増え人間の農作物を食べ被害を与えるのだ、結局は幻想郷も自然の生態系も同じなのだ。

さらに一年間に妖怪に襲われる人間の数は人間全体から比べても一%未満であり決してそれは人間が必ずしも妖怪に支配されているとはいえるものではなかった。

「古来人間とは常に上を目指し続ける生き物だ、猛獣、災害、病気など様々な危険が差し迫った時、知恵を絞って危険から退け自分達の立場を向上する事が出来る生き物だ、ならば妖怪という危険に対して怯えて支配されるのを甘んじて受けるのが人間の使命か、否!妖怪からの支配を逃れようとするのは人間として当然ではないか!」

蝙蝠の人妖に言っている事には一理はあるだろう。

しかし決して上を目指し続ける事が正しいとは限らない事も結月は良く知っていた。

「確かに人間は常に上を目指し続ける生き物であるのは認めるわ、でもね、そのためにどれだけのものが犠牲になったと思っているの?人間、動物、自然・・・・・・行き過ぎた進化は多くの犠牲と弊害を生んできたわ、それを分かっているはずなのに貴方は進化のために他の罪のない人間を犠牲にするのかしら」

鈴音の言葉に対してフン!と鼻で笑う逸脱者。

「他の妖怪が自分の体を維持するために人間を襲うように私もこの体を維持するために人間を襲わなければならない、妖怪から怯えなくするための必要犠牲だ」

その言葉に結月は心の底から怒りの炎が燃え上がるのを感じていた。

こいつが逸脱者を目指さなければ罪のない多くの命が失われる事はなかっただろう。

自分の都合で人間を殺しておいてそれを進化の犠牲だと言っているのだ。

「いいえ、あなたはもう人間ではないわ、人間の道から外れた人間『だった』者よ」

人妖は人間ではない、人妖は妖怪でも人間でもない全ての摂理から外れた存在である、それが天道人進堂の考えであり幻想郷の規則でもあった。

「自分の都合だけで罪のない人間を殺す逸脱者め・・・・・・逸脱審問官としてお前が奪った命の重さ・・・・・死をもって教えてやる、覚悟しろ」

そう言って結月は上着の収納袋の留め具を外すと中から手乗り程度の大きさの明王で飛び出し瞬く間に巨大化し逸脱者に向かって殺気を飛ばしていた。

結月は背中に携えたスナイドル銃(ロング・ライフルタイプ)を構えた。

「・・・・・・この姿を見られてしまった以上仕方ない、人間を凌駕するこの力を持って貴様らをここで殺してくれる!」

そう言って逸脱者は翼を広げ羽ばたくと空へと舞い上がる。

金属薬莢はもういつでも撃てるよう薬室に詰めてあるので撃鉄を起こし引鉄を引くだけで撃てるのだが撃鉄を起こした所で逸脱者は速度をあげると逸脱審問官に向かって飛んできた。

「来るよ!結月」

構えをやめて逸脱者の正面を避けるように左側に鈴音と月見ちゃん避け右側に結月と明王が避けた。

しかし逸脱者は結月や鈴音、守護妖獣の頭上を通り過ぎていく。

何もしてこなかった所を見ると一種の脅しなのかもしれない、自分の体の大きさを見せつける事でこちらの士気力を下げようとしたのかもしれないが鈴音も結月も守護妖獣も逸脱者との戦いはこれが初めてじゃない、この程度の脅しでは怯まなかった。

通り過ぎた時に起きた突風に反射的に防御姿勢を取ってしまうがすぐに態勢を立て直し逸脱者の場所を把握する、逸脱者は結月達や守護妖獣を通り過ぎた後、左に旋回し上空十mくらいを飛んでいた。

「鈴音、狙い撃つぞ!」

任せて!と鈴音は肩に銃床をつけて逸脱者に向かって銃口を向けると狙いと機会を伺う。

先に発砲したのは結月、逸脱者と直線距離で四十m程あり不規則に動く逸脱者を狙い撃つのは大変なのか銃弾は逸脱者の掠るように飛んでいく。

「ぐっ!狙いは良いが当てられなけれがっ!」

結月が外し逸脱者の飛行態勢が崩れた所を鈴音は正確に撃ち込んだ。

放たれた銃弾は左脇腹に命中し撃ち抜かれた所から血が噴き出す。

「流石だな、鈴音先輩、良い腕前だ」

結月に褒められどんなもんよ、と誇らしげな顔をする鈴音。

「俺も負けてられないな」

さっきは外したが次は必ず当てると決意し結月は遊底を開いて空薬莢を排莢すると腰ベルトに備え付けられた胴乱(弾薬が入った革鞄の事)から金属薬莢を取り出すと薬室に装填、遊底をしっかりと閉め撃鉄を起こす。

「距離は先程よりも開いているが・・・・・」

そして再び肩に銃床を置くと直線距離で五十五m程離れた逸脱者に狙いを定める。

狙いを定め引鉄を絞り引く、銃声と銃口から放たれた銃弾は山なりを描きながら逸脱者の方向へと飛び今度はちゃんと逸脱者の左翼の皮膜を突き破り体に命中させた。

逸脱者は体勢を崩したものの何とか持ち直し落下はせず飛行を続ける。

「結月いいよ!その調子!」

互いを褒め合う事で士気を上げる行為は状況を前向きに考え状況を悲観的に捉えないようにする利点がある。

物事を悲観的に考えてしまうと自ずと命中率が悪くなり戦術も思い浮かびづらくなるからだ。

鈴音が遊底を開き薬室に金属薬莢を詰め遊底を閉じた時、逸脱者に変化が訪れる。

再び左に旋回し結果的には楕円を描くように飛んでいた逸脱者が翼を閉じ地面に着陸する。

逸脱者との距離は四十mくらい離れているものの油断できない状況だった。

妖力を使っての攻撃を有り得るからだ。

「結月、気を付けて何か仕掛けてくるかも・・・・」

確かに用心に越した事はない、不測の事態に備えよとは何処かの誰かが口にしたありがたいお言葉だ。

逸脱者が不自然な程距離を空けたのも気になった、これでは撃ってくださいと言っている様なものである。

しかし攻撃しない訳にはいかない、銃の利点は遠距離からの攻撃を行える事でありまさにこの距離感が理想的だった。

鈴音が撃鉄を起こそうとした瞬間だった。

逸脱者は大きく太い腕で地面押し上げるように自分の体を正面に放り投げた。

大きく太い腕の力は凄まじく山なりを描きながら鈴音達に向かって飛んできた。

羽を畳んだせいかその速度は先程の飛行速度よりも早く手は前に突き出していた。

結月と鈴音それに守護妖獣は逸脱者の意表を突いた攻撃に驚きながらも冷静に対処した。

逸脱者が結月達のいた場所に勢いそのまま地面に着地する。

しかし肝心の爪の攻撃は空をきり地面に大きな爪痕を残すのみだった。

結月と鈴音それに守護妖獣はとっさに脚力を生かして左右に飛び込んだのだ。

鈴音と月見ちゃんが左側に飛び込んだのに対して結月と明王は右側に飛び込んだ。

結月は地面に転がりながらも態勢を立て直す。

鈴音もまた既に態勢を立て直しており逸脱者の方向を見る。

逸脱者は勢いをつけすぎたのか中々止まらない様子だったが地面に爪を立てて体を百八十度回転させながらようやく止まる。

百八十度回転して事で背中を晒さなかった事を考えるとこれも作戦だったのかもしれない。

逸脱者の動きが止まった所で鈴音はスナイドル銃を構え撃とうとする。

「させるものかっ!」

逸脱者は突き刺している爪で抉り土を掘りだすと鈴音に向かって投げた。

土の塊は大小あるが中には直撃したら痛そうなものもあった。

「!」

鈴音と月見ちゃんは飛んでくる土の落下地点を考えながら後ろに向かって跳躍した。

しかし地面にぶつかった土は細かい土になって跳ね返り鈴音は目に細かい土が入らない様に腕で覆い視界が遮られる。

その間に逸脱者は結月の方を見ると細く短い足に力を込め結月と明王に飛び掛かる。

腕と比べると細く短い足ではあるものの人間離れした力を持つ逸脱者、大きな体と翼を宙に上げるくらいの事は出来るようだ。

右翼を大きく振り被り着地の直前、結月に向かって鋭利で鋭い爪を振り下ろす。

地面が揺れる程の衝撃が起き土埃が舞い上がる。

しかし結月達は冷静に後ろへと跳躍し逸脱者の攻撃を避けていた。

「ふん!ふん!ふん!」

逸脱者は翼を交互に振り上げ結月や明王を狙って振り落としていく。

右翼を振り落としては左翼を振り被り、左翼を振り落としては右翼を振り被り、隙のない連続攻撃を繰り出す。

振り下ろされた爪は地面にぶつかり衝撃と共に土埃を舞い上げるが結月と明王もまた共に後ろへと跳躍する。

「明王」

攻撃を受けながらでも結月は明王に視線を向ける、明王もまた結月から視線から何かを受け取っていた。

「結月!今助けるよ!」

鈴音は無防備の蝙蝠の肩付近を狙う、背中を狙えば誤って結月や明王に誤射してしまう可能性があるからだ。

しかし逸脱者も背中ががら空きなのは承知の上だった。

背中に生えた毛が少し引っ込む、そして鋭く細い鋭利な毛が背中から撃ちだされ鈴音と月見ちゃんの方に向かって真っすぐ飛んでくる。

逸脱者御馴染みの攻撃、防御触針だった。

「くっ!」

鍛え抜かれた動体視力で飛んでくる認知し小さな防御触針を左右に別れ避ける。

鋭くも小さく細い防御触針は当たればそれなりに痛そうだった。

最もこの程度の小さく細い防御触針なら逸脱審問官の正装服と対人妖装着甲冑である程度は防げるのだが顔は無防備だし防御している部分も過信してはいけない。

防御触針は地面や木に突き刺さる。

逸脱者は鈴音と月見ちゃんを近づけまいと幾度も小さく鋭い防御触針を撃ちだす。

例え当たらなくても威嚇射撃にはなった。

その間に逸脱者は結月と明王を仕留めようとする。

次々と繰り出される攻撃を鍛えられた身体能力と洞察力で避ける結月と明王だがいつまで避けられるかは分からなかった。

しかし結月と明王は既に次の一手を考えていた。

「ちょこまかと!」

攻撃が中々当たらない事に苛ついた逸脱者は大きく左翼を振り上げて結月達に向かって振り下ろす。

それをバク転して避けて見せた結月と明王、そして明王は一転して地面に着地すると逸脱者に向かって走り始め振り落とした左翼に飛びつくと皮膜に爪をたてしがみつく。

「なっ!離れろ!」

大事な空を飛ぶための皮膜にしがみつかれた逸脱者は明王を振り落とそうと振り回すが逸脱者は結月から目を離す羽目になった。

結月は逸脱者が明王に気を取られている内に逸脱者に接近する。

「しまった!あの男は・・・・」

しがみつく明王に気を取られながらも結月を探すが結月の姿はない。

結月が何処にいるのか知ったのはすぐだった。

「ぐあっ・・・・・」

口から血が溢れる逸脱者、逸脱者から見て右側から結月が飛び出した。

結月は逸脱者が明王に気を取られている内に振り上げた右翼から懐に飛び込み逸脱者の腹を小刀で切り裂いたのだ。

「くっ!」

逸脱者は右翼で左翼にしがみつく明王を叩き潰そうとする。

しかし明王は右手がこっちに近づいている事が分かると前足で一気に左翼に登りそこから逸脱者の背中に向けて飛び移る。

不安定な場所からの跳躍だったが爪をたてて背中にしがみつく。

「離れろ!このっ!」

振り払おうと暴れる逸脱者だが明王は前足後ろ足でしっかりとしがみつき離れない。

「グルルル!」

明王は足の爪で逸脱者にしっかりと爪をたてて固定すると前足の爪で何度も逸脱者の背中を引っ掻く。

背中から大量の血が噴き出し明王の上半身は真っ赤に染まる。

明王は吹き出すその血を口で受け止める、まるで飲み干すかのような勢いだった。

だが逸脱者もやられてばかりではない、背中の毛が引っ込み鋭く光る。

明王は危険を察知し後ろ足の爪を抜き背中から飛び降りる。

その瞬間、背中から何十本の防御触針が飛び出した。

「ぐっ人間の癖に中々やりおる」

反転し結月達と守護妖獣の方を見る逸脱者。

「これがあなたがやめた人間の力よ?驚いたかしら?」

鈴音の挑発を鼻で笑った逸脱者。

「まだだ・・・・・本当の力を見せてやる」

逸脱者は大きく翼を広げ飛び上がるとぐんぐん高度を上げ月が昇る位置まで飛び上がった。

その大きな翼を広げ月に重なる様に羽ばたく逸脱者は、噂通り月明かりを大部分覆い隠すような大きさをしていた。

そして蝙蝠の声とは思えない魔獣と呼べるような声で咆哮をあげる。

すると逸脱者の先程自分の姿を隠すために使っていた蝙蝠の群が地面に急降下する。

そして蝙蝠の群れは隊形を変化させとても長い一列を作る、そして蝙蝠の群れは結月や鈴音それに守護妖獣を取り囲むように円陣を作り周る様に飛び始めた。

「これは・・・・・!」

蝙蝠が作った円陣は徐々に狭まり始め結月達も徐々に円の中心へと追いやられていく。

蝙蝠の列を突っ切ろうとしてもあまりの速さで飛ぶ蝙蝠の列に飛び込めば大量の蝙蝠の体当たりを大量に食らう羽目になり突っ切る前に地面に蹲ってしまうだろう。

じりじりと円陣は狭まり円の中心へと追いやられていく結月と鈴音それに守護妖獣。

「これで一網打尽にしてくれるわ!」

結月達と守護妖獣が中央へと集められるのを見計らうかのように月を覆うような翼で羽ばたく逸脱者は口を大きく開けると妖力を集める。

「結月!あれ!」

見上げる鈴音の言葉に空を見上げる結月、逸脱者の口前に妖力が集まり妖力の球体が出来ていた。

結月はそれを見て次に何が起きるかすぐに察知した。

「まずいな・・・・・・逸脱者はあれで俺達を片付けるつもりだ」

もしあの妖力玉が今自分達のいる蝙蝠の円陣の中央へ放たれれば例え自分達に直撃しなくても衝撃波で全滅するだろう。

しかし逃げようにもこのさらに狭まり蝙蝠の密度が高くなった蝙蝠の壁は厚く通り抜けそうにない。

蝙蝠を操り逃げ道をなくし敵を集めそこに強力な攻撃を仕掛け一気に片付ける、蝙蝠の逸脱者らしい巧みな戦法だった。

万事休すかと思われたが結月は状況を理解するや否やすぐに次の一手を打ち出した。

「明王、血はしっかりと飲んだか?」

結月は明王の方を見る、明王の目は光を放って見えた。

目が光る、それは体内に妖術が出来る程の妖力が溜まっているという証拠であった。

「よし明王、体内に貯め込んだ妖力で特大の一発を放ってやれ」

ガウッ!と返事をした明王、円陣の中心体を構えしっかりと地面に足をつけ爪で固定すると逸脱者に向かって口を開ける、すると明王の口前に灼熱の炎の球体が現れ大きくなっていく。

炎の球体は物凄い速度で大きくなり逸脱者の口前にある妖力玉と同じくらいになっていく。

その間にも蝙蝠の円陣は小さくなりついに円の直系が三mくらいになりほほ結月達と守護妖獣が円の中心へと集まった。

「死ねえ!逸脱審問官共!」

それを待ったかのように逸脱者は妖力玉を結月達と守護妖獣に向けて放とうとした。

しかし先手をとったのは逸脱審問官の方だった。

「必殺、火炎砲」

結月の言葉と共に明王は一度口を閉じそして大きな咆哮を上げた。

その咆哮と共に火炎玉が逸脱者に向かって放たれた。

それに遅れるように逸脱者も妖力玉を放つ。

二つの玉の進む進路は互いに直線状に並んでいた、それは結月の狙い通りだった。

妖力玉と火炎玉はかなりの速度で距離を縮めていきやや逸脱者よりの場所でぶつかり合った。

妖力玉と火炎玉のぶつかり合った瞬間、高い密度の妖力玉と火炎玉は反発し合い電気が迸り一時周囲が眩しく点滅する。

しかし光の点滅はそう長くは続かなかった、形が保てなくなった妖力玉と火炎玉は互いに大きな爆発をした。

爆発と共に黒煙が広がる、相打ちに思えたがそれは見立て違いだった。

黒煙の中から無数の火の粉が逸脱者に向かって飛んできたからだ。

「なっ!」

逸脱者は咄嗟に防御姿勢をとる、その直後逸脱者は火の粉を雨粒の様に浴びた。

主の危機を感じたのか、それとも主が攻撃された事で統制がとれなくなったのか円陣を作っていた蝙蝠達は飛散し逸脱者のもとへと戻っていく。

「やったね、結月!」

計画通りだった、全ては結月の素早い状況把握とそれを踏まえた戦術の立案そして明王の力がもぎ取った作戦勝ちだった。

「ああ、だがまだ戦いが終わった訳じゃない、気合を入れていくぞ」

気合いの入った顔で頷いた鈴音、逸脱者との戦いはようやく折り返しに入った所だった。

 




第十八録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて前回の前書きで良くゲームのプレイ動画を見ていると書いていましたが私は自分がこの先遊ぶ予定のないゲーム動画を見るようにしています。
遊んでみたいと思うゲームのプレイ動画を見てしまえば楽しみも面白さも半減してしまうと思ったからです。
こうやって書くと反感を覚える人や反発を覚える人もいるかもしれません。
ですが私自身全てのゲームを買える程のお金もなければそこまで技量がある訳でもありません。
だからこそこの先遊ぶ予定のないゲームのプレイ動画だったらそんな思いもしなくてすむ、そう思ってゲーム動画を選んでみているのですが最近になってその考えは甘かったとつくづく思っています。
とあるゲームプレイ動画を見ている時、最初は買うつもりはなかったのですが見ている内にどうしても自分の手でやりたくなってしまいつい先日ダウンロードしてしまいました。
ゼルダの伝説スカイウォードソード・・・・・・・ゼルダの伝説大地の汽笛以来のゼルダの伝説です、完全クリア目指して頑張ろうと思います。
それではまた金曜日に。


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第十九録 月明かり覆う黒い翼 九

こんばんは、レア・ラスベガスです。
最近色々あって人生について考える時間が増えています、本当にこのままでいいのか、この生活が本当に自分の望んでいた生活なのか、このまま大人になっても後悔しないか、人生は一度きりしかない、その言葉が今自分を帰路にたたせている様なそんな気がします。
それでは第十九録更新です。


火炎玉の爆発で飛んできた火の粉を浴びた逸脱者だったが流石に火の粉程度では大した外傷を与えることは出来ない。

「ちいっ!・・・・・この手も駄目か、ならば!」

どうやら逸脱者は逸脱審問官の戦いに備えて作戦を幾つもたてていたようだ。

逸脱者は蝙蝠の群れを一旦下がらせるともう一度単体で逸脱審問官との戦いに挑む。

逸脱者は速度を上げながら急降下を始め結月達と守護妖獣に接近する。

構える結月達と守護妖獣、逸脱者はどんどん距離を詰めていく。

そして伸ばしていた足を地面に向けて爪を大きく開いた。

「来るよ!結月」

その言葉と共に結月と明王は右側に鈴音と月見ちゃんは左側に避ける。

その直後低空飛行の逸脱者が結月達のいた場所を通り抜け地面に勢いよく着陸する。

さっきと同じように地面に爪をたて勢いを落とし停止する逸脱者。

素早く跳躍し体を捻る様に反転し結月達の方を向いた逸脱者、振り返った逸脱者の目に飛び込んできたのは自分に向かって走ってくる二匹の守護妖獣の姿だった。

「ガオゥ!」

月見ちゃんのまるで猛獣の様な咆哮と共に明王と月見ちゃんは逸脱者に向かって飛びついた。

しかし逸脱者も素早く後ろへ跳躍し明王と月見ちゃんの攻撃をかわした。

「五月蝿い畜生め!目障りだぞ!」

左翼を大きく振り上げて明王と月見ちゃんに向けて振り下ろす。

地面が比較的離れている結月達にも感じられるほどの縦揺れと土煙が舞い上がる。

しかし振り下ろされた左手に肝心の明王と月見ちゃんの姿はない。

明王は逸脱者の攻撃を後ろに向かって跳躍する事で攻撃をかわし逸脱者に対して今にも飛び掛かりそうな様子で唸り声をあげていた。

「もう一匹は何処だ?」

逸脱者は何となく目の前にいる明王がこちらに注意を逸らしているようにも見えた。

飛び掛かるなら既に飛びかかっているはずだからだ。

「むっ!そこだな!」

逸脱者は右翼で右側面を薙ぎ払った。

果たして月見ちゃんは逸脱者の右側から回り込むように走っていた。

逸脱者の鋭利で鋭い五本の爪が月見ちゃんの後ろに迫る。

ブオン!

しかし月見ちゃんは後ろに迫った右手を守護妖獣ならではの高い跳躍力でギリギリかわし地面に着地すると逸脱者の後ろへ回り込んだ。

逸脱者は明王と月見ちゃんに前後を挟み込まれるような形となり不利な状況になった。

先に動いたのは明王、不規則な動きで動きを読まれないように動きつつ逸脱者に接近してきた。

しかし逸脱者は左翼で正面を大きく薙ぎ払った。

接近していた明王も一旦後ろに後退し攻撃を避ける。

逸脱者が明王に気を取られている間に月見ちゃんも動き出し無防備の逸脱者の背中を狙う。

しかしそれは逸脱者の予定の内だった。

逸脱者に飛び掛かる月見ちゃん、しかしその瞬間、月見ちゃんの生存本能が警報を鳴らした。

その直後、まとまった数の防御触針が背中から飛び出した。

しかし月見ちゃんは背中についた翼を広げると大きく羽ばたかせた、防御触診は月見ちゃんの下を通り抜け月見ちゃんは逸脱者との距離をとる様に着地する。

(さて、逸脱審問官の方は・・・・)

逸脱者は逸脱審問官の方を見る、鈴音も結月も逸脱者から距離を置くように走っているのが見えた。

どうやら逸脱者が守護妖獣に気を取られている間に距離を稼ごうとしているらしい。

(やはり安全な距離から射撃を行うとするか・・・・・・だがそれが命取りとなる)

逸脱者は逸脱審問官が自分から距離を置こうとする事は分かっていた。

むしろそれは逸脱者の狙い通りだった。

逸脱者はその場で大きく口を開けると耳をつんざく様な咆哮を響かせた、明王と月見ちゃんがその音に怯んでいる内に逸脱者は翼を広げ空に羽ばたいた。

(まずはあの男から仕留める!)

逸脱者は結月の方に向かって飛び始める。

速度はどんどん加速し逸脱者を追いかける守護妖獣でも追いつけなくなっていく。

「・・・・・っ!」

逸脱者が自分に向かって飛んできている事を理解した結月は全力疾走をする。

しかし守護妖獣でも追いつけないような速度で飛ぶ逸脱者を前に物凄い勢いで距離を詰められていく。

逸脱者と結月の距離が五mまで縮まった時、逸脱者の目が完全に結月の背中を捉える。

逸脱者は昨日自分が殺した猟師と同じ事をしようとしていたのだ。

「まずは貴様からだ!」

逸脱者がさらに結月との距離を詰めて足を構えたその瞬間だった。

突然逸脱者の視界が狙いを定める結月の方から飛んできた何かによって遮られる。

逸脱者の視界を遮ったもの、それは逸脱審問官の上着だった。

「なっ!」

上衣を脱いだ結月はその場で姿勢を低くし転がり込んだ。

逸脱者は突然視界を奪われ何が起きたのか分からずとにかく目の前にいるであろう結月を狙って足の爪を振り回すが結月の頭上を掠める程度でそのまま結月を通り過ぎ何とか視界を遮る上着を取ろうと暴れていた。

逸脱者が視界を奪われている間に結月は無防備な背中に向けてスナイドル銃を向ける。

既に薬室に金属薬莢を詰めてあるため撃鉄を起こし引鉄を引いた。

銃声と共に放たれた銃弾は逸脱者の右肩に撃ち込まれる。

命中と同時に血が噴き出したかと思うとその数秒後もう一発逸脱者の左肩に銃弾が撃ち込まれる。

撃ったのは逸脱者から百五十m以上も離れた所にいる鈴音だった。

流石狙撃手を任されている智子に勝るとも劣らない射撃技術で逸脱者を的確に撃ち抜いて見せた。

二発の銃弾を左右の肩に立て続けに撃ち込まれ逸脱者は地面に倒れる。

この瞬間を待っていましたかのように明王と月見ちゃんが結月を追い抜き地面に這いずる逸脱者に向かって飛び掛かる。

明王と月見ちゃんは逸脱者の背中にしがみつくと鋭く並んだ牙で先ほど明王が引っ掻いた部分に噛み付き肉を剥ぎ取り腹に収めていく。

しばらくは明王と月見ちゃんの攻撃に悶えていた逸脱者だったが顔以外の全身に生えた毛が全て引っ込む。

危機を察知した明王と月見ちゃんが背中から離れた瞬間、逸脱者の体は防御触針に覆われ何だかその姿は蝙蝠の翼が生えた栗のようにも見えた。

明王と月見ちゃんが離れた所で逸脱者は起き上がると頭を振って上着を取った。

背中は明王と月見ちゃんの攻撃で血塗れで逸脱者の口からは息が上がる。

「くそ・・・・・こうなったらあの技を使うしかない」

逸脱者にとってこの技はどうやらあまり使いたくない技のようだ。

逸脱者は体を捻じらせその場で大きく回転する逸脱者の妖術なのか逸脱者の周囲に旋風が起きて逸脱者を狙う結月達の視界を遮った、その旋風の中から逸脱者が現れると激しく翼を羽ばたかせ螺旋状を描きながら一気にスナイドル銃の射程範囲外まで飛行し高度を上げる。

先程の蝙蝠の円陣の時とは比べ物にならないほど高度を上げていく。

「大丈夫?結月」

不審な動きをする逸脱者を見上げていた結月のもとへ鈴音が駆け寄ってきた。

「ああ・・・・・大丈夫だ、だが逸脱者は何か仕掛けてくるつもりだぞ」

鈴音も夜空を見上げ姿がどんどん小さくなっていく逸脱者を見つめる。

「気を付けて結月、相手は人間離れした身体能力と妖力を持つ存在だから何を仕掛けて来てもおかしくないよ」

逸脱者は例外を除いて同じ姿形の逸脱者はいない、だから一体どんな攻撃を仕掛けてくるかその逸脱者の特性と技量によって変わるため予測は難しかった。

「それにしてもあの逸脱者・・・・・恐らくは蝙蝠を素体として使って人妖へと変わったのだと思うが・・・・その割には蝙蝠の特性を生かせてないな」

結月は蝙蝠にそれ程詳しくはないがそれでも逸脱者からは人間の面影残る一面が見られた。

「確か蝙蝠は視力があまり良くない代わりに超音波を出して跳ね返ってくる音で状況を把握する事が出来ると聞いた事があるが何だか逸脱者は目も人並みに見通しが効いて視覚を重視しているようにも感じる」

逸脱者と戦っている最中、薄々そう感じていたのだが先程の上着を投げその上着が逸脱者の顔を覆った時、逸脱者が自分を完全に見失ったかのような様子を見て確信に変わった。

勿論、上着によって超音波が使えなかった可能性もある、だが超音波が使えなくても人妖なのだから気で相手の場所を探ったりする事も出来たはずだ。

「元々人間だから目もある程度は見えるのかもしれないね、後人間は自分で見た事はあまり疑わない傾向があるのよ、だから超音波よりも慣れ親しんだ視覚を優先してしまうのかもしれないね」

まさか咲夜が紅い悪魔に対して鈴音と同じ事を言っているとは鈴音が知る由もない。

「人間の癖が抜けきれないか・・・・・何のために逸脱者になったのだろうな」

逸脱者になっても人間の頃に慣れ親しんだ能力を優先してしまうとは何とも滑稽である。

最も強大な力が欲しい、脅威から逃れたい、もっと長生きしたいなど逸脱者になる理由は世俗的な考えが多いため人間の癖を引きずってしまうのも当然と言えば当然だった。

とにかく考えによっては戦いを有利に進める事が出来そうな要素でもあった。

「人間であった頃の癖を見抜けばそこから好機を引き出す事が出来るかもしれないな」

そんな事を考えていると逸脱者に大きな動きがあった、高度を上げていた逸脱者が一転して今度は翼を畳み垂直に急降下していく。

落下速度は急速に上がっていきさらに翼を畳んだ事により空気抵抗がなくなり地上に近づくにつれどんどん加速していく。

(一体何を・・・・・)

結月は物凄い速度で落下する逸脱者の姿を見て嫌な予感が込み上げてくるのを感じた。

逸脱者と地面との距離が三十mくらいに達した時、逸脱者は畳んでいた翼を広げ空気抵抗で体を水平にするように持ち上げようとしていた。

「っ!結月早く逸脱者の進路上から退避しないと!」

逸脱者が何をしようとしているのか理解した結月と鈴音はスナイドル銃を背中に担ぐと急いで守護妖獣の体にしがみついた。

その間にも逸脱者は地面すれすれで体を水平にさせ超低空飛行で風を切り裂き土煙と野草を巻き上げながら結月達に向かって物凄い速度で飛んできた。

明王と月見ちゃんは逸脱者の進路上から離れるよう走り出す、明王と月見ちゃんの毛に必死にしがみつく鈴音と結月は振り落とされないよう手に力を込める、もし振り落とされようものなら逸脱者の周囲で発生する乱気流に巻き込まれ体中がズタズタにされて死ぬか空高く飛ばされて落下死のどちらかである。

そうでなくとも逸脱者の突進に巻き込まれるか巻き込まれないかの瀬戸際だった。

逸脱者が高速で迫る中、明王も月見ちゃんを命懸けで走った。

次の瞬間、凄まじい風の音と大地を揺らす程の衝撃が轟轟と響いた。

明王と月見ちゃんはギリギリで逸脱者の突進を避けていた。

間一髪だった、あと少し判断が遅れていたら逸脱者の突進に巻き込まれていた所だろう。

何とか逸脱者の突進をかわした後、明王と月見ちゃんはゆっくりと減速し止まった。

「結月!大丈夫だった?」

月見ちゃんにしがみつくのが必死で結月の事まで気が回らなかった鈴音が明王のいた方を見る。

「何とか・・・・・・流石地上での運動能力は妖怪の中でも指折りと言われているだけの事はあるな」

結月のその言葉に明王は息をあげながらも誇らしげな顔をする。

結月は逸脱者が通っただろう進路の方を見る、そこには雑草が生えてない一直線に窪んだ荒れ地が伸びており逸脱者の突進の際に発生した気流の威力を物語っていた。

「だがこれから一体どうする?どうやら逸脱者のあの突進攻撃はかなり強力な技のようだがあまりの速度が出ているため逸脱者も進路変更は出来ないらしい、だが攻撃しようにも逸脱者の周囲に発生している乱気流でネイビーリボルバーの弾丸はおろかスナイドル銃の銃弾さえも気流に流されて逸脱者には当たらないだろう」

先程は初見だっただけに逸脱者がどんな攻撃を仕掛けてくるか分からず判断が遅れて後もう少しで巻き込まれそうだったがどういった攻撃なのかは経験したので逸脱者がまた突進攻撃を仕掛けて来ても今度避ける事はそう難しい事ではないだろう。

だがあの突進攻撃を仕掛けてくる限りこちらも迂闊に近づく事は出来ないし拳銃やスナイドル銃などの銃系統は風の抵抗を受けやすく逸脱者の突進攻撃の際に発生する乱気流の影響をもろに受けてしまい恐らく当たらないと思われた。

一方で逸脱者は物凄い速度のまま急上昇していき再び突進攻撃を仕掛けようとしている。

つまり突進攻撃を仕掛けてくる限りこちらは一方的に攻撃を受け続ける訳になるのだが結月の話に対して鈴音は既に対抗策を練っていた。

「私に任せて結月、さっきは逸脱者がどんな技を仕掛けてくるか分からなかったけどどんな攻撃が分かった以上、対策は既に考えてあるわ、これでも私は結月よりも多くの逸脱者と戦ってきたんだからね」

自慢げにそう語る鈴音の言葉には二年間人間離れした能力を持つ逸脱者との戦いに生き残ってきた先輩としての説得力あった。

「頼りにしている鈴音先輩」

結月の言葉にニィと笑みを見せた鈴音。

そうしている間にも急上昇していた逸脱者が急降下を開始する。

「月見ちゃん!いつもの技をお願い!」

しかし鈴音に焦らず月見ちゃんに使い慣れた妖力攻撃を指示する。

月見ちゃんは逸脱者の落下地点に向けて目を見開いて爪を地面に立て体を固定し翼を広げると口を大きく開ける。

大きく見開いた目は光っており十分な妖力が溜まっている事を示していた。

月見ちゃんの口の前に小さな旋風が現れ周囲の空気を巻き込み幾重もの風が吹き荒れる球体を作りだす。

結月は月見ちゃんが使おうとしている技は自分が初めて逸脱者と戦った時に使った『風圧弾』である事を理解した。

(だが例え風圧弾でも逸脱者に命中するだろうか?)

逸脱者の周囲には強い気流が発生しており風圧弾でも気流を流されて逸脱者に当たらないのではないかと結月は思った、だがそれは鈴音もその可能性がある事は百も承知のはずだ。

吹き荒れる風の球体は初めて逸脱者と戦った時よりももう一回り大きな球体になっており風の吹き荒れる音もあの時よりも大きく聞こえた。

「もういいよ!月見ちゃん」

鈴音の指示で月見ちゃんが口を閉じると吹き荒れる風の球体は圧縮していく、吹き荒れる風の球体は圧縮するにつれ月見ちゃんは歯を食いしばる。

どうやら月見ちゃんは吹き荒れる風の球体をさらに圧縮しようと力んでいるようにも見えた。

そんな努力もあってあの時も一回り大きな吹き荒れる風の球体はあの時よりも小さく圧縮された風圧弾へと姿を変えた。

急降下していた逸脱者も再び翼を広げて体を水平にすると土煙と雑草を巻き上げながら結月達に向かって飛んでくる。

しかしそれでも鈴音は逸脱者の進路上から逃げようとしなかったし結月もまた逃げようとしなかった、それは鈴音の言葉を先輩である鈴音を信頼しているからだ。

「必殺!風圧弾」

月見ちゃんは大きな口を開け周囲の雑草が激しく揺れる様な咆哮を上げると風圧弾が逸脱者に向かって放たれる。

「さっ早く逸脱者の進路上から逃げるよ!」

そう言って鈴音は月見ちゃん背中に跨る。

こんなにゆっくりしていていいのかと思いつつも結月も明王の背中に跨ると急いで逸脱者の進路上から逃げるように走る。

物凄い速度で突進する逸脱者と逸脱者に向かって飛んでいく風圧弾は距離を一瞬で縮めた。

「今よ!月見ちゃん」

逸脱者の目の前まで迫った風圧弾が解き放たれ圧縮されていた風が狂風となって吹き荒れた。

「なるほどその手があったか」

結月は鈴音の思惑を理解し驚嘆した。

一回り大きな吹き荒れる風の球体をいつも以上に圧縮した事で風の密度が高くなりその圧縮状態から解き放たれた風の力は想像を絶するものだろう。

幾ら気流で守られているとしてもそんな狂風を受けたらどうなるか大体の予想は着いた。

鈴音の読み通り強い狂風を受けた逸脱者は体の体勢を大きく崩すと右翼が地面に接触したのをきっかけに空気抵抗に呑まれる様に体は回転し逸脱者は勢いそのまま地面に激突した。

乱気流が周囲に発生する程の勢いだっただけに逸脱者は中々止まらず何度も地面に転げ回った。

地面に接触しても中々勢いは止まらず結月達の横を逸脱者は地面に叩きつけられながら通り過ぎていく。

ようやく勢いが弱まり停止する頃には逸脱者は完全に気に失っているのか、それとももう死んだのかは定かではないがぐったりと仰向けに倒れピクリとも動かなかった。

「予想以上に上手くいったわね」

流石の鈴音もここまで上手くいくとは思ってなかったようだ。

「逸脱者に動きはない・・・・・だが死んでいるとは限らないな」

もしかしたら逸脱者は単純に気を失っているかもしれないし死んだ振りをしてこちらの油断を狙っているかもしれない、仮に死んでいるとしてもちゃんと死んでいる事を確認しなければ断罪したとはいえない。

「そうだね、念のため確認しに行くよ、結月」

鈴音の言葉に頷いた結月は明王に発破をかけ仰向けになって動かない逸脱者に向かって鈴音が乗る月見ちゃんと共に走り始めた。

逸脱者に接近するにつれ結月は逸脱者の体が僅かに動いている事に気づいた。

「どうやら逸脱者はまだ生きているようだな」

あれ程の攻撃を受けその上地面に何度も体を打ち付けたのにまだ息がある事に結月は逸脱者の生命力に驚かされる、流石は人妖と言った所だろうか。

「止めを刺しに行くよ、結月、逸脱者が起き上がらない内にもう空を飛べないよう月見ちゃんと明王に逸脱者の翼の皮膜を破いておこう」

幾ら生きていて戦う力が残っていたとしても飛行能力を失えば逸脱者の戦闘能力は大きく低下するだろう。

そうと決まれば結月と鈴音は相棒である明王と月見ちゃんに指示を出す。

結月と鈴音の命令で疾走していた明王と月見ちゃんは減速し始め降りても大丈夫な速度に入った所で結月と鈴音は守護妖獣の背中から飛び降りた。

結月達が背中から降りた途端明王と月見ちゃんは再び速度を上げ逸脱者に接近する。

結月達が降りる事により負荷がなくなり明王と月見ちゃんはより早く逸脱者の元へ駆けつける事が出来るからだ。

結月達は明王と月見ちゃんが皮膜を破った後飛行能力を失った逸脱者に止めを刺すだけだ。

「これで終わりだな」

逸脱者の間近に迫った明王と月見ちゃんが逸脱者に飛び掛かろうとした。

その時だった、結月が何かおぞましい程の気配を察知し右側の上空を見上げた。

「!!」

結月が見上げた夜空、そこには夜空を全て覆い隠してしまう程の数えきれない蝙蝠が飛び回っておりそのおぞましい数の蝙蝠が結月や鈴音、明王や月見ちゃんにも襲い掛かった。

「きゃっ!なっ何よこれ!?」

鈴音も大量の蝙蝠に襲われ困惑していた。

「鈴音!くっ・・・・・離れろ!」

鈴音を助けようと結月は前に進もうとするが視界を埋め尽くすような数の蝙蝠がそれを妨害する。

小刀を抜いて振り払おうとするも幾ら切ってもキリがなかった。

「グルルッ!ガウッ!ガッガウ!」

明王や月見ちゃんもまた数えきれない程の蝙蝠に襲われ振り払おうとするも全くの徒労だった。

数えきれない程の蝙蝠はまるで自分達を逸脱者の元へ近づけさせまいと必死に妨害しているようにも見えた。

「くっ!このままでは・・・・・!」

蝙蝠は噛み付いて来たり爪でしがみついたり視界を遮ったりして前に行かせる事を拒んでいた。

蝙蝠の牙や爪程度では対人妖装着甲冑で防ぐことが出来たがそれでもしがみつかれる分だけ体は重くなり進まなくなる。

結月と鈴音それに明王と月見ちゃんが無数の蝙蝠にてこずっている間に逸脱者は気を取り戻しヨロヨロと体を起こした。

「ぐっ・・・・・お前達・・・・・ようやく来たようだな・・・・・遅いぞ、あまりにも遅すぎる」

逸脱者は奥の手である突進攻撃を仕掛ける時点で強い超音波を出して幻想郷にいる自分が従えさせた蝙蝠を全てここに召集させていた。

これは本当に最終手段だった、何故ならここに蝙蝠が集結すれば自分がここにいる事を今戦っている逸脱審問官の仲間に知られる危険があったし騒ぎが大きくなればもう一人警戒すべき存在、博麗の巫女に感づかれてしまう可能性があったからだ。

逸脱者も逸脱審問官と博麗の巫女、二つの存在を同時に相手するのは難しいと分かっていた。

だから最終手段は使いたくなかったのだがもう既に最終手段を使わないといけない状況下に陥っていた。

逸脱者の体は先程の地面の激突を含め全身傷だらけで血がポタポタと体から滴り落ちていた。

「血・・・・・血があ・・・・」

逸脱者は自分の体から滴り落ちる血を見てそう呟いた。

逸脱者の視線が自分の目の前で数えきれない程の蝙蝠に襲われる守護妖獣に向けられる。

「貴様の血を寄越せええっ!」

逸脱者の咆哮と共に結月と鈴音それに明王と月見ちゃんを襲っていた蝙蝠が一斉に夜空に退避する。

「!・・・・・はっ!」

視界を遮っていた蝙蝠がいなくった結月と鈴音が最初に見たのは月見ちゃんに向かって飛びかかる逸脱者の姿たった。

「月見ちゃ・・・・」

自分が標的にされている事を理解する月見ちゃんだったが既に時は遅かった。

飛び掛かった逸脱者は大きな口を開け月見ちゃんに噛み付いて持ち上げた。

「ガアッ・・・・」

月見ちゃんは首元に鋭く伸びた二本の牙が食い込み口から血が零れる。

逃れようとするも上顎に生えた二本生えた牙は月見ちゃんに深く刺さっており血が溢れ出ていた。

「月見ちゃんっ!」

鈴音は背負っていた既に薬室に金属薬莢を詰めたスナイドル銃の手に取り撃鉄を起こし逸脱者に構えた。

月見ちゃんは鈴音の方を見ると犬の様に吠える、結月にはそれが撃つなではなくむしろ例え自分に当たったとしても撃てと言っているかのように聞こえた。

月見ちゃんの目はそう言っているかのような眼差しだった。

「・・・・・・・っ!」

しかしその時鈴音に異変が起こる。

「どうしたんだ?鈴音、早く撃て!」

鈴音が一向にスナイドル銃の引鉄を引かないのである。

鈴音の射撃の腕ならこの距離なら逸脱者の頭を撃ち抜く事くらい出来るはずなのだ。

それに守護妖獣は例え誤って撃たれたとしても死ぬ事はない、新陳代謝が大幅に低下し肉体を維持できなくなれば肉体としての死はあるだろう、しかし人工とはいえ守護妖獣は立派な妖怪、例え肉体を失っても魂は残り、時間をかければ再び肉体を作りだし蘇る事が出来る、守護妖獣にとっての死は双血の刻印によって繋がれた主である逸脱審問官の死だけだ。

もちろん死なないからって平気で撃っていいという訳ではないが場合によっては逸脱者の断罪のため守護妖獣の肉体を犠牲する事も致し方なかった。

しかも今回は月見ちゃんが自分の事は気にせず撃てと言っているかのような顔で吠えているのだ、今の逸脱者の状態を考えれば銃弾一発でも体にかなり堪えるであろう。

しかし鈴音は何か躊躇っている様な様子だった。

「一体どうしたんだ!鈴音っ!早く撃たないと・・・・」

しかし何かがおかしい不審に思った結月が鈴音の元に駆け寄る。

(!?・・・・・震えている)

鈴音の銃を持つ手が小刻みに震えているのだ、銃というものは僅かなズレでも途端に命中しなくなるものだ、結月が見る限り今の鈴音では撃てそうになかった。

結月はすぐにスナイドル銃を逸脱者に向ける。

既に薬室に金属薬莢を詰めているので撃鉄を起こし狙いを定め引鉄を引く。

(俺に鈴音程の射撃技術はない、だが当てなければ月見ちゃんが危ない、頼む、当たってくれ)

祈る様に放たれた銃弾、逸脱者との距離はかなり離れておりここからの射撃は初めてだった。

銃弾は山なりを描きながら逸脱者の方に向かって飛んでいく。

狙いは勿論逸脱者の頭部の額だったが、急いで狙って撃ったため銃弾は若干狙いより逸れる。

バシュッ!銃弾は逸脱者の右耳を貫いた。

「あぎゃ・・・・・」

撃ち抜かれた右耳は跡形もなく吹き飛びその痛みで口から月見ちゃんが零れる。

ドサリと音をたてて地面に倒れる月見ちゃん。

(っ!外したか、月見ちゃんは・・・・・・)

結月は逸脱者の口から落ちた月見ちゃんを見る、月見ちゃんは地面にぐったりと倒れたままである、首に二本の鋭い牙が刺さり大量の血液が失われた事を考えれば無理もない。

すぐに明王が駆け寄り月見ちゃんを安全な所へ避難させようと首元を甘噛みし一生懸命引きずる。

「明王を援護しなければ・・・・」

逸脱者は月見ちゃんを運んでいる明王を狙う可能性があるので援護しようと遊底を開き薬室に金属薬莢を詰める結月、しかし一方の逸脱者は明王の事など見向きもせずフラフラとしていた。

「うえええあああ・・・・・・」

逸脱者は頬を膨らましたかと思うと口を開け嘔吐した、口からは大量の血が地面に吐き出される。

「?どうしたんだ・・・・」

一件不可解に見える逸脱者の行為、何故飲んだ血を吐き出しているのだろうか?しかしその理由はすぐに分かった。

「はあ・・・・・はあ・・・・・やはり獣の血ではだめか」

どうやら獣の血は逸脱者の体に合わないようだった、逸脱者が人間を執拗に狙っていたのは逸脱者の発言から察するに人間の血だけしか体に合わないのが理由のようだ。

とにかく逸脱者が嘔吐している間に明王も月見ちゃんを安全な場所に運べるだろう。

「・・・・・・おい!鈴音、大丈夫か?」

結月は鈴音の事を思い出して声をかける。

「・・・・・・私は・・・・・私は」

鈴音は俯き視線は定まらず、その言葉だけを繰り返し呟いていた。

明らかに何かに怯え動揺していた。

「しっかりしろ、鈴音!」

その言葉にハッとし結月の方を見る鈴音、その顔は今にも泣きだしそうな弱弱しいものだった。

「・・・・・・結月?」

戸惑いや動揺が感じられる視線を結月に向けながらそう呟いた。

結月は直感で今目の前にいる鈴音はいつもの鈴音ではない事を理解した。

「・・・・・・何かあったのか?」

その言葉に激しく首を横に振る鈴音。

「ご、ごめん、こんな時に限って緊張で手が震えちゃって撃てなかった、代わりに月見ちゃんを助けてくれてありがとね、結月」

嘘、鈴音が明らかに嘘を着いたと結月は思った、決してあの様子は緊張とかではない、何か嫌な事を思い出していたような様子だった。

(待てよ、確か前にもこんな顔をした時が・・・・)

それが何なのか思い出す前に逸脱者に大きな動きがあった。

「このままでは・・・・・・許さぬぞ逸脱審問官共・・・・・貴様らの血一定残らず搾り取ってくれる」

逸脱者はその場で翼を広げ羽ばたくと空を飛ぼうとする。

結月が撃鉄を起こし引鉄を引こうとするがそこへ再び複数の蝙蝠が襲い掛かり結月を妨害する。

結月は振り払おうとするが蝙蝠も必死で妨害する、しかし今度はすぐに妨害をやめ上空へと戻っていく、しかしその時には逸脱者は宙を浮き数えきれない程の蝙蝠が蠢く空に紛れていた。

「くっ・・・・・」

逸脱者は恐らく人間の血を求める、つまり自分達を狙うだろうから逃げる事はしないだろう、だが逸脱者の姿を完全に見失った以上、逸脱者は数えきれない程の蝙蝠を利用して姿を隠し奇襲を仕掛けてくるだろう。

(蝙蝠の隙間から逸脱者の姿を見つけ撃ち込むか、何とか逸脱者の奇襲攻撃を避けた後、銃弾を的確に撃ち込まなければ)

今の所方法はそれしかなかった、だが一つ不安もあった。

「鈴音、逸脱者は蝙蝠に紛れて姿を隠している、無数の蝙蝠に隠れる逸脱者を探し出し撃ち込め、後逸脱者は恐らく奇襲攻撃を仕掛けてくるかもしれない、常に空に気を配り奇襲攻撃を仕掛けて来たら回避行動をとってすかさず銃弾を叩き込むぞ」

それはいつもとは様子が違う鈴音だった、何か考え事をしているのか、浮かない顔だった。

「わ・・・・・わかった」

いつもと比べ頼りない返事をした後、スナイドル銃を無数の蝙蝠が飛ぶ夜空に向ける。

一抹の不安を覚えつつも結月もスナイドル銃を夜空に向けた。

無数の蝙蝠が飛び交う夜空、その蝙蝠と蝙蝠の隙間から逸脱者の姿を探すのは至難の業だった。

結月は集中に徹し目を動かして逸脱者の姿を探す。

(弾は無駄撃ち出来んな)

スナイドル銃は単発銃である、銃弾を撃てば空薬莢を排出し新たな金属薬莢を詰めなければならない。

その間に逸脱者から奇襲される可能性もあった。

その上銃弾も有限だ、持って来た銃弾は腰に取り付けた胴乱に入っている分と使い切った時用の逸脱審問官の正装の収納袋に入った銃弾だけだ、銃弾を失った時、小銃は無用の長物となり攻撃手段や戦術も失われるだろう。

結月は必死に無数の蝙蝠の現れては消え消えては現れる僅かな隙間から逸脱者の姿を探した。

その時、結月の目は僅かな蝙蝠と蝙蝠の隙間から何か大きく蠢く影が見えた。

銃声、僅かに大きく蠢く影に向けて銃弾が放たれた。

 

「うおっ!・・・・・・馬鹿な」

結月が撃った銃弾は逸脱者の体を僅かに掠り皮膜を撃ち抜く。

自分の姿が見えてないと思っていた逸脱者にとって自分の姿を目視してきた逸脱審問官に動揺していた。

そんな同様の中で再び銃声が響く。

身構える逸脱者だったが、銃弾は幾ら経っても飛んでこない。

その後も銃声は聞こえるが銃弾は飛んでこない。

「なんだ・・・・・・・さっきのは偶然だったのか?」

しかし油断していた逸脱者に元に銃弾が今度は頭を掠め撃つ。

「っ!・・・・・違う、逸脱審問官は二人いた、一人が正確な射撃を行い、もう一人は我を捉えきれていないだけだ」

逸脱者は先程的外れの銃声が聞こえた方に向かい蝙蝠と蝙蝠の隙間から覗く。

そこには怯えた表情でこちらに向かって銃口を向ける女性の逸脱審問官の姿があった。

「明らかに動揺しているな・・・・・・流石にこの蝙蝠の数に竦み上がったか」

鈴音は決して蝙蝠の数に動揺している訳ではないのでこれは逸脱者の見当違いだったが、どういう理由であれ逸脱者にとって逸脱審問官が動揺しているのは好都合だった。

「あいつの血を・・・・・・飲み干すとするか」

逸脱者の口から鋭く長い二本の牙が見えた。

 

やはりいつもの鈴音じゃない、結月は横目で鈴音の姿を見ながらそう思った。

鈴音は何か焦っている様に銃弾を撃ち排莢し装填しては空に銃口を向けひたすら撃っていた。

しかし結月には鈴音は逸脱者との戦いに集中しきれておらずとにかく銃を撃っているように見えた。

実際鈴音も空を見上げ蝙蝠と蝙蝠の隙間から逸脱者の姿を探してはいるが集中しきれておらず逸脱者の姿を捉えきらないまま必死に銃弾を撃っていた。

(集中・・・・・戦いに集中しないと)

鈴音も必死に戦いに集中しようとしていたがあの出来事が脳裏によぎり鈴音から冷静さを奪っていった。

「おい、本当に大丈夫か?鈴音、しっかりと逸脱者の姿を捉えているか?」

結月は鈴音にそう声をかけるも鈴音から返事は帰って来ずただひたすら空に向けて何かに怯えた表情で銃を撃っていた。

(確かあの顔・・・・・・前に何処かで)

その時、結月はあんな顔をする鈴音を以前何度か見た様な気がした。

(確かあの時は・・・・・・・っ!)

記憶を辿る内、結月は気づいた。

「そうか・・・・・そう言う事だったのか」

結月の頭の中で散らばっていた記憶の断片が組み合わされ答えとなる。

その答えに辿り着いた時、今の鈴音の状態では逸脱者と戦う事が出来ない事と理解した。

その時だった、鈴音の銃口を向ける先、飛び回っていた蝙蝠が突如何かから避けるように四散していく。

それを見た瞬間、結月は鈴音の危機を察知し走り出した。

「・・・・・あ」

鈴音が銃を構える空、飛び交っていた無数の蝙蝠が四散しぽっかりと空いた穴から逸脱者が自分に向かって飛んできていた。

本来の彼女なら既に危険を察知し回避行動をとっていたが冷静さを失っている今の鈴音は迫りくる逸脱者に対してただ茫然と立ち尽くしてしまった。

逸脱者の鋭く鋭利な爪が鈴音に迫った。

その時、鈴音の横から何かが飛び込んだかと思うと逸脱者の視界から鈴音が消える。

その直後、逸脱者の両足の爪が鈴音のいた場所の地面を突き刺さった。

「うう・・・・・後少しという所で」

逸脱者は恨めしそうにそう言うと空へと戻っていく、逸脱者に正面から逸脱審問官と戦う力はもう残されてないからだ。

「いてて・・・・・・・えっ?」

鈴音は横から何かが飛び込んで来てそのまま地面に倒された鈴音、地面に体を強打し痛みで我に返った鈴音が目を開けると間近に迫った結月の顔があった。

「ゆ、結月?」




第十九録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?最近偉人の名言を通して哲学のついて書いてあるサイトを見つけて読んでいるのですが見れば見る程自分の人生について色々考えてしまいます。
環境破壊による気象変動、差別や紛争などの無益な争い、使う道具以外は昔から何も変わらない人間、人生とは何か、生死とは何か、今は大丈夫でも未来はどうなっているのか・・・・・色々考えこんでしまいます。
こんなに悩むのであればこの哲学サイトを見つけなければ苦しむ事はなかったとも考えてしまいますが、一方で目を逸らし続けても結局は壁に立ちはだかるため今のうちに気づけて良かったと思う気持ちの方が大きいです。
偉人の様な有意義な人生を送りたいと思う一方で誰しも偉人のようにはなれないというのが現実、誰しも偉人の様も自分が見出した目標に命を使い切れるような人生を送れたのなら恐らく大半の偉人は一般人として埋もれていた事でしょう。
もし自分が見出した目標に命を使い切れる様な人間だったら社会形成なんて出来なかったかもしれません。
だとすればどうすればいいか、それに気づいて考えるようになっただけでも大きいと思います。
限られた一度きりの人生を有意義に送るというのはもしかしたら心を圧迫する事かもしれません、実際私もどうしたらいいのか悩んでいました。
本当にゲームで遊んでいる暇があるのだろうか?この小説を書く前にやるべき事があるのではないか?
そんな風に考えた時もありましたが色々考えた末、この先の未来や環境に配慮しつつも自分の好きな様に生きたら良い、誰しも偉人になれないのなら無理して偉人の様な人生を送らなくてもよいと思うようになりました。
この先自分がどれだけ生きられるか分からない、けれども残された時間は決して短くないはずです、かつかつになるより余裕を持つ事も大事な事だと考えています。
一生懸命生きて精一杯人生を楽しむ、国内も海外も気象も変わるけど一喜一憂せず精一杯生きる、誰かに意思に流される事なく誰かの意思に従うとしても自分の意志で選択し人生を送れたらそれで良いと思います。
そうすれば偉人になれなくても子孫を残せなくても波乱万丈でもきっと幸せな人生だったと思えると私は考えております。
それではまた金曜日に。


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第二十録 月明かり覆う黒い翼 十

こんばんは、レア・ラスベガスです。
この間は更新できなくて申し訳ありませんでした、今度からは・・・・・と言いたい所ですがここ最近色々と環境が変わりまして毎週更新する事が難しくなりました。
第四話以降からは月に二回を限度に変更するかもしれません。
ご理解のほどをよろしくお願いします。
それでは第二十録更新です。


それは咄嗟の行動による成り行きだった。

結月は逸脱者の攻撃が迫る中、放心状態で動けない鈴音に飛びかかり押し出す事によって何とか逸脱者の攻撃をかわす事に成功したが押し出された鈴音は地面に倒れ飛び付いた結月は鈴音を押し倒しているかのような体勢になってしまった。

逸脱者と戦っている最中、こんな事をしている場合ではないのだが一方の鈴音は結月の顔が間近にある事に困惑していた。

「え?・・・・・え!?」

一見すれば冷たい印象を覚える結月の顔だが良く見れば中々端正な顔立ちをしており押し倒されているという状況もあって流石の鈴音もさっきとは違う意味で動揺していた。

そんな鈴音に対して結月は冷静に言葉をかける。

「大丈夫か?鈴音」

一方の結月は冷静だった、結月にとってこの状況は成り行きでしかない、結月にとっては鈴音を押し倒している事より逸脱者との戦いに専念しているためそれ以上に深く考えていなかった。

頷いた鈴音に結月はゆっくりと立ち上がり鈴音に向かって手を伸ばす。

「立てるか?早く立たないとまた逸脱者が奇襲を仕掛けるぞ」

逸脱者との戦いの最中である事を思い出した鈴音は頷いて結月の手を取り立ち上がる。

結果的に結月に押し倒された事が強い衝撃となって先程と比べると比較的落ち着いたが、やはりいつもの鈴音らしさはなく元気がなかった。

「ごめん結月・・・・・月見ちゃんが襲われて動揺していた」

そう言葉を口にする鈴音だがそれだけではない事を結月は分かっていた。

「鈴音、それだけじゃないだろう、さっきのお前は明らかに冷静さに欠け逸脱者の戦いに集中しきれてなかった、そしてあの時と同じ怯えた表情をしていた」

逸脱者の動向を伺いながらも結月は鈴音に問いかける。

静かにけれどもしっかりとした声でそう言った結月に対して鈴音はやはり怯えた表情を浮かべる。

「あの顔は触れてほしくない過去に触れられた時にする顔だった」

鈴音のあの怯えた表情は霊夢が鈴音の大切なあの人の事について触れた時、そして鈴音が狙撃手をやめるきっかけになった大切なあの人に関係する事に智子が触れた時にしていた顔だった。

結月の話に顔を俯かせ無言になる鈴音。

「鈴音、お前の過去に何があったか俺は知らないし自分からは知ろうとは思わない」

しかしそれでも結月には鈴音に言いたい事があった。

「だが、今は過去の事よりも今の逸脱者の戦いに専念するべきではないのか?」

鈴音は言っていた、過去はどれだけ頑張っても変えられないものだと、変えられるのは今この時だけなのだ、過去の事を引きずっている場合ではない。

「もし、ここで逸脱者を逃すような事があればさらに罪のない人間が命を落とす事になり紅い悪魔にかけられた疑惑を晴らす事も出来なくなる、辛い過去や悔やみきれない過去を何かの拍子で思い出す事はある、だが俺達は変えられる今この時に専念しなければならない、そうでなければ悔やみきれない過去を増やすだけだ」

鈴音にとって辛辣な言葉かもしれない、だが今の鈴音は足手まといだった、それでも尚鈴音を立ち直らせようと結月もいつになく厳しい言葉を使った。

鈴音ならきっと大丈夫、そんな確信があったからだ。

「逸脱者は蝙蝠の大群を使って奇襲攻撃を仕掛けてくる、大怪我を負わせた俺達に復讐するためと血を飲むためだ、だが逸脱者はいつ標的を他の人間に変えてもおかしくない状態だ、好機は怒りで我を忘れて俺達を執拗に狙っている今しかない」

今の逸脱者の状況は何時逃げられてもおかしくない状況だ、大怪我を負っている上に別に人間の血であれば自分達以外でもいいからだ。

「鈴音の研ぎ澄まされた動体視力と卓越した射撃技術なら蝙蝠の大群に姿を隠す逸脱者を見つけ確実に撃ち抜けるはずだ、鈴音になら絶対に出来る」

鈴音は相変わらず俯いたままだ早くしないとまた逸脱者が奇襲攻撃を仕掛けてくるかもしれない、こうやって話している事も危険なのだ。

「・・・・・・それでも、もし過去に囚われてしまうのなら・・・・もうじき明王が戻って来る、明王の背中に乗って戦線を離脱しろ、逸脱者は俺一人で仕留める」

鈴音を守りながら戦うことは出来ない、幸い逸脱者はかなり弱っている、結月一人でも十分勝ち目はあった。

沈黙を保っていた鈴音だったが、俯く顔の口元が笑みを浮かべる。

「駄目だよ結月、結月一人だけ戦わせるわけには行かない、私は上司でありあなたの先輩なのよ、過去の事はこの後に幾らでも考えられるわ・・・・・でも逸脱者を断罪できるのは今しかない」

そう言って顔を上げた鈴音、そこにはいつもと同じ逸脱者との戦いに動じない強気の笑顔を見せる鈴音の姿があった。

「ごめんね結月!心配かけさせて、安心して、私はまだまだ戦えるよ」

その強気の笑顔を見て結月は心底安堵するのを感じていた。

そこへ月見ちゃんを安全な所へ運び終えた明王が戻ってきた。

「明王ありがとう、月見ちゃんを安全な所へ運んでくれたんだね」

感謝する鈴音に明王はガウと嬉しそうに吠えた。

「結月・・・・・・頼みがあるんだけど、あの無数の蝙蝠をほんの少しの間だけ追い払う事は出来ないかな?その瞬間に私は逸脱者に的確に命中させてみせるよ」

絶対に当てる、その決意に満ちた顔を見て結月も鈴音の要望に絶対に答えたいと思った。

「・・・・・分かった、何とかする、止めは任せた」

その言葉に鈴音は一瞬優しい笑みを浮かべるとすぐに真剣になり素早く排莢と装填を行うと撃鉄を起こし空に銃を構えた。

「明王、鈴音の期待に応えるぞ、空に大輪の花を咲かせるんだ」

ガルル!と返事した明王は体を構えて爪を地面にさして顔を無数の蝙蝠が飛び交う空に向け開いた。

目は先程よりも鮮明に光って見えた、恐らくは月見ちゃんを運んでいる途中、月見ちゃんの体内に残っていた妖力を月見ちゃんから垂れる血を舐めて取り込んだのだろう。

月見ちゃんの体内に残った妖力も取り込んだ事により妖力攻撃はより強力なものになるだろう。

明王の周囲に小さな火の玉が現れそれが明王の口の前に集まり始める、火の玉はぶつかり合い融合し大きくなっていく、小さな火の玉は次々と現れては明王の口の前にある大きな火の玉とぶつかり融合していく、次第に火の玉から炎の玉と呼べるようなものになり、ついには灼熱の玉と呼んでも良いような轟轟に燃え盛る荒々しい炎の球体が出来た。

「必殺、咲烈炎弾(さくれつえんだん)」

結月の言葉と共に明王の一度口を閉じるとその後大きく口を開け咆哮をあげる。

燃え盛る荒々しい炎の球体は無数の蝙蝠が飛び交う夜空に向かって放たれた。

炎の球体は猛然と無数の蝙蝠が飛び交う所へ飛んでいき逸脱者を遮る蝙蝠の壁に迫ったその瞬間、炎の球体は眩い光を放ち弾けた。

炎の球体の近くにいた蝙蝠は炎の球体から弾けた衝撃で吹き飛び炎の球体は無数の火の粉となって縦横無尽に散らばった。

火の粉と言ってもただの火の粉ではない、妖力の火であるため燃焼力に優れており可燃性のあるものに触れれば一瞬で発火し小さな生物くらいだったら、一瞬で灰にする事が出来ると程の力があった。

炎の球体の周辺にいた蝙蝠は八方に飛び散った無数の火の粉を浴びる事になり次々と発火し燃え上がり灰になっていく、さらに炎の球体から飛び散った大きな火の粉は飛んで行った先で弾け飛んで火の粉を拡散させる。

炎の球体は何度も弾け火の粉をまき散らしその度に小さくなり弾ける度に進路を変えながら空高く飛んでいく。

結月達から見て見ればそれは美しい花火のようなはじけ方だった。

深夜だというのに結月達のいる場所は昼間の様に明るく照らされた。

蝙蝠達は飛んでくる火の粉と焼死する仲間を見て混乱をきたし炎の球体から逃れるように散り散りに逃げていく。

十分の一程度大きさまで小さくなった炎の球体は最後の花を飾る様に空高く飛んでいた逸脱者の手前で大きく弾けた。

「!?」

瞬間的に防御姿勢を取る逸脱者、幾ら妖力で出来た火とはいえ逸脱者も妖力で変化した体、火の粉程度では体や翼に火傷を負わせる事なんて出来ない。

(距離五百m、風は西向きだが微風、正面に遮るものはなし・・・・・)

しかしそれは鈴音にとって絶好の機会だった。

引鉄に指をかける鈴音はスナイドル銃の上部に備え付けられた照門(照準)から逸脱者に狙いを定める、その時鈴音は驚くほど無口な女性へと変わる。

意識を遠く空高く飛ぶ逸脱者に集中させ雑音をかき消し心の波を静まらせると空の狩人と呼ばれた鷹の様な目で逸脱者の姿を捉えた。

バァーン!!

銃声と共に銃口から一発の銃弾が飛んでいく。

銃弾は鈴音の卓越な射撃技術と熟知された状況把握によってまるで銃弾の先端に目があるかのように逸脱者を向かって飛んでいく。

逸脱者は火の粉で防御姿勢をとっているため自分に向かって飛んでくる銃弾に気づかず防御姿勢を解いた時、逸脱者の目の前に銃弾が迫っていた。

バシュッ!銃弾は逸脱者の額に撃ち抜くとそのまま後頭部を突き抜けていった。

大事な頭部を撃たれた逸脱者は意識が遠のき落下していく、鈴音の追撃は終わらない素早く遊底を開いて空薬莢を排出し薬室に金属薬莢を詰めて閉め撃鉄を起こし素早く狙いを定め発砲する。

この間僅か六秒くらいだが、決して慌てて撃った訳ではなく全てを考慮し逸脱者の落下速度と位置を計算に入れ射撃をしているのだ。

放たれる銃弾は離れた距離にいる逸脱者に次々と命中し体を穴だらけにしていく。

頭部を含め六発ほど銃弾を撃ち込んだ所で逸脱者は地面に墜落し土埃をあげた。

それを見ていた空を埋め尽くすような蝙蝠は主が死んだと思い込んだのか鳴き声をあげながら四方八方逃げていった。

それと同時に鈴音は銃の構えをやめ一息つく、そこにはいつもの鈴音の姿があった。

決して遠距離向きとはいないスナイドル銃、幾ら改良されているとはいえ有効射程は五百mギリギリな銃で見事逸脱者を撃ち抜き落下している時も五発もの銃弾を体に命中させたのだ。

やろうとして出来る事ではない、熟練した射撃技術と天賦の素質の賜物であり結月には再現不可能な領域だった。

(これが・・・・・・鈴音の才能か)

結月は鈴音の事を上司として先輩として認めていたが、やはり鈴音は一流の逸脱審問官だと実感する。

「流石は狙撃手をしていただけの事はあるな、どれだけ努力しようとも俺には到底できない、一流の逸脱審問官の名に相応しい」

しかし鈴音は結月の方を向くと静かに首を横に振る。

「ううん、まだまだだよ、私なんて・・・・・・結月がいなければ私はあの時逸脱者に殺されていた、私の目を結月が覚ましてくれた、もうこんな失敗は二度としない、結月の上司として恥じないよう努力しないと」

そう答える鈴音だがその顔は優しい笑みが浮かんでいた。

「ああ、そうだな・・・・・・・鈴音先輩、逸脱者の生死を確認しに行くぞ」

うん!と、しっかりとした声で頷いた鈴音は結月と明王と共に逸脱者の落下地点に急いだ。

逸脱者が落下したであろう周辺には土埃が舞っていて良く見えないが逸脱者に大きな動きはないのは事実だった。

逸脱者の目の前までやってきた頃には土煙は収まっておりそこには地面に血が流れ逸脱者は自分の血で浸りながらもまだ息のある逸脱者の姿があった。

「ぐああ・・・・はあ・・・・」

度重なる怪我でもう虫の息ではあるが生きている事に結月も鈴音も驚いていた。

「しぶといわね、逸脱者・・・・・・・それとも、今のあなたは今の落下で死ねなかった事を悔やんでいるのかしら?」

しかし鈴音はまだ息のある逸脱者に動じない、逸脱者の顔を見下ろしながらそう皮肉った。

逸脱者に反論の言葉はなくただ息絶え絶えに呼吸しているがその目は恐怖で踊っていた。

「そうよね、死ねなかったばかりにもっと痛い思いをしなければならない、もしかして死にきれなかったのはあなたが犯した罪の重すぎたせいなのかもしれないわね」

返事はないが逸脱者が鈴音に対して恐怖している事は目を見る限り分かっていた。

目は口程に物を言うということわざはどうやら本当のようだ。

「幾ら逃げようとしても無駄よ、逸脱者、何処へ行こうとも私の目から逃れる事は出来ない、あなたの体から一滴残らず全ての血を抜いてあげるわ」

鈴音はそう言って片手で逸脱者に向けて銃口を向ける。

向けられた銃口、絞られる引鉄、逸脱者の恐怖は死への恐怖は最高潮を迎えた。

「ゔ、ゔわあああああっっ!!!」

火事場の馬鹿力で翼を必死に振り回した逸脱者、結月達が距離をとった隙に空へと飛び立ち逃げようとする。

さっきまでとは違いフラフラと力なく飛ぶ逸脱者、必死に死の恐怖から逃れようとする逸脱者の姿はあの時、自分が殺した猟師の男と似通っておりそれは狩る側から狩られる側になった事を示していた。

まさに自業自得であった、逸脱者の運命は既に決まっていた。

「鈴音先輩、逸脱者に死の報いを」

任せて、と答え鈴音は逸脱者に銃を構える。

今にも落ちそうな飛び方をしている逸脱者など鈴音の敵ではない、既に照門に逸脱者を捉えに引鉄指をかけ発砲しようとした。

その時だった、結月が後ろから何か人間のものではない複数人の気配を感じたのは。

結月が振り返るとそこにはあの時と同じメイド服に身を包む咲夜の姿と十歳も満たないような姿だが一人は背中に蝙蝠の様な翼、もう一人は背中に七色の結晶のような羽を持つ異形の翼が生えており、ただならぬ雰囲気を漂う人間の幼女のような姿をする明らかに人間ではなさそうな二人の者が立っていた。

結月はすぐに目の前にいる、背中に異なる翼を生やした幼女の様な姿をする二人があの紅い悪魔と紅い悪魔の妹である事をすぐに理解した。

「!」

驚く結月に対して咲夜は大丈夫です、と言っているかのようにニコッと笑う。

一方の鈴音は逸脱者に集中しきって咲夜と幼女のような姿をする二人に気づいていない。

そんな鈴音の姿を見て紅い悪魔はフッと微笑むと左手に持っていた細かい装飾がされた槍に紅い悪魔の魔力を纏い包み何倍もの大きさの槍状になった。

「鈴音、悪いけどあの人妖、譲ってもらうわよ」

名前を呼ばれ鈴音は目を見開き驚いたような顔で恐る恐る振り向く。

そして紅い悪魔と目を合わせた時、鈴音は銃を降ろした。

それと同時に紅い悪魔は遠くに見える逸脱者に目を向けると紅い魔力を纏った槍を構えた。

憎悪でもなく快楽でもない底の見えない瞳から一瞬、ほんの一瞬殺意が垣間見えた。

しかしその一瞬の殺意は結月や鈴音だけでなく妖怪である明王すら怖気づいてしまうような恐怖が込み上げる程だった。

「宿命を位置付ける神の裁きに等しき槍(スピア・ザ・グングニル)」

小さくそう呟いた紅い悪魔は大きく振り被り紅い魔力を纏った槍を逸脱者に向けて勢いよく投げた。

耳を塞ぎたくなるような轟音と共に大地が揺れ強風が吹き荒れる。

結月と鈴音は紅い悪魔の力に圧倒されながらも紅い魔力を纏った槍の方を見た。

山なりを描くはずの槍は恐ろしく真っ直ぐ飛んでいき、逸脱者との距離を詰めていく。

逸脱者が後ろから恐ろしい殺気に振り返り紅い魔力を纏った槍が自分に向かって飛んでくるのを見て翼を必死に羽ばたかせるが全てが無駄なのは誰の目から見ても分かった。

紅い魔力を纏った槍は逸脱者の後方に突き刺さりそのまま体を貫いて穂先が逸脱者の口から飛び出す。

「がっ・・・・・・」

逸脱者は人間には聞こえないような小さく虚しい断末魔と共に絶命した。

しかしその虚しさが感じられる程の断末魔を吸血鬼である紅い悪魔は聞き取っていた。

そしてチラリと後ろにいるフランを見てこう言った。

「さあ次はあなたの番よ、フラン」

分かったわと呟きフランの目は純粋な破壊と快楽に満ち溢れた赤く怪しい光を放ち見開かれる。

世界の時間が恐ろしくゆっくりとなり自分以外の存在が動かぬ者となる。

別にフランは時間を操ったのではない、自分の中に流れる時間の感覚を研ぎ澄まし一秒を百秒単位に変えたのだ。

驚異的な身体能力を持つ吸血鬼にとって感じる時間すら早くする事も遅くする事も出来た。

その上で驚異的な速度で動く事により時間の感覚がゆっくりになった世界でも普通に動く事が出来た。

フランの目は赤くは光ってはいるが一秒が百秒の世界は白と黒、その間の灰色の世界で染まっておりフランにとって退屈な世界だった、そう破壊に戯れる時以外は。

「本当は私が止めを刺したかったのにな~」

そう呟きつつもフランは辺りを見渡す、彼女の目には白黒と灰色の以外にも赤黒い目の形をした模様が様々な物、生き物、物質に至るまで一つずつ見えた。

それを見てニンマリと嬉しそうに笑う彼女だったが結月の方を見るなり怪訝な顔をした。

「・・・・・・ふうん、この男の人には目がないんだね~、珍しいなぁ」

それは目がないという事は彼女にとって『あれ』が出来ない存在という事であり好きではなかった。

しかしフランの興味は目的である逸脱者の方に向けられる、遠く宙に浮かぶ逸脱者の体には様々な個所に目の模様が浮かんでいた。

フランは右手の手のひら開くと遠く逸脱者の体に浮かんでいた目の模様が吸い取られるように集まった。

フランの手のひらに逸脱者の体に合った目の様な模様が集まった所で彼女は子供の様な笑顔を浮かべる、しかしその笑顔は純粋ながらも狂気が感じられるようなそんな笑顔だった。

どれだけこの時を楽しみにしていたか、そう言っているかのような顔だった。

「ギュッっとして・・・・・」

フランは手のひらをゆっくりと閉じていく、彼女が最も楽しみにしていた時が来た。

「ドッカーン!」

その言葉と共に彼女は手の平にあった目を強く握りつぶした

その瞬間、時間は早送りし再び人間と同じくらいの時間感覚に戻る。

それと同時に逸脱者の体や翼が急激に膨張したかと思うと凄まじい爆音をたて爆発した。

その光景を茫然と見つめる鈴音と結月と明王。

結月達からしてみれば真っ直ぐ飛んで行った紅い魔力を纏った槍が逸脱者の体を貫いたと同時に膨張し爆発したのだ、例え逸脱審問官でも呆気にとられるのは仕方のない事だった。

(これが吸血鬼の力・・・・か)

幻想郷の均衡を担っている吸血鬼の力、その片鱗を目の当たりにした結月は吸血鬼の偉大さと共に人間のひ弱さを実感する。

恐らく逸脱者を一撃で仕留めたあの力すら彼女からしてみれば本気とは程遠いものだろう。

そう考えるとこれほどの力を持つ吸血鬼を前にちっぽけな存在である人間など勝てる見込みなどないと思えてならない。

人間である霊夢や魔理沙が紅い悪魔に勝てたのは「弾幕勝負」という定められた規定上での戦いだったからこそであろう、もし本気で戦えば霊夢はともかく魔理沙はものの数秒で命を落としていただろう。

もし彼女達が先に逸脱者と出会っていたら戦いは起こらなかっただろう、何故なら一瞬で逸脱者は姿形すら残らない程消し飛んでしまっていたからである。

自分達が命を賭けて必死に戦っていた逸脱者を相手だとしてもだ。

紅い悪魔は逸脱者が爆発四散するのを見届けた後、鈴音の方を見る。

「久しぶりね鈴音、こうして顔を会わせるのは一年振りくらいかしら」

咲夜と友人であった鈴音だがどうやら紅い悪魔とも顔見知りのようだった。

しかも紅い悪魔から鈴音は顔見知りどころか友人のような扱いを受けていた。

「れ・・・・レミリア・スカーレット様?それにフランドール・スカーレット様まで・・・・・どうしてここに?」

鈴音は信じられないという様子で紅い悪魔とその妹を見てそう言った。

レミリア・スカーレットそれが紅い悪魔の本名であり、スカーレットは彼女達の名字であった。

そうレミリア・スカーレットと呼ばれた彼女こそ幻想郷でも指折りの実力者で幻想郷の均衡の一つを担っている存在でありかつて紅霧異変を起こした張本人として人々から『紅い悪魔』と呼ばれ恐れられている吸血鬼であった。

体格と見た目年齢はレミリアとフラン共に十歳も満たない幼女のような可愛らしい姿をしているがレミリアの方には背中には蝙蝠の様な大きな翼が生えており翼の大きさは身長よりも高く全体的に見れば実際よりもかなり大きく感じられた。

一方のフランには背中に七色をした結晶が羽代わりについた不思議な翼が生えており見た目からはレミリアと比べ吸血鬼感は薄いが彼女から滲み出る並々ならぬオーラは絶大な力を持つ吸血鬼のオーラそのものだった。

レミリアの顔は幼げなやはり十歳も満たないような子供の様な顔立ちをしているが口元に不敵な笑みを浮かべる様は決して十歳の幼女とは思えない積み重ねた時間が感じられた。

フランの顔はレミリアと比べさらに幼さが増し可愛らしい顔立ちをしているが何処かその顔に不安を覚えるのはその笑みに隠された狂気を無意識に感じ取り本能が危険信号を鳴らしているからなのだろう。

レミリアの髪色は青色と水色の中間の様な色をしておりふんわりとしたウェーブのかかった髪が肩まで伸びているのに対してフランは金髪で左側の髪だけ結っており全体の髪の長さはレミリアと同じ肩しかないのに結ってある左髪だけは胸辺りまで伸びていた。

そしてレミリアもフランも頭の上にはふわふわとした帽子を被っており鮮やかな赤色のリボンが結んであったがレミリアの帽子が赤色寄りの桃色でフランの帽子は白色だった。

レミリアの服は帽子と同じ赤色寄りの桃色の半袖の西洋の雰囲気漂うドレスを着ており胸元には大きなエメラルドが装飾されていた。

フランの着る服は優雅で気品のあるドレスを着ていたレミリアとは反してお洒落で可愛らしく赤と白をベースにした色合いに胸元にリボンが結んである半袖の服を着て細かい可愛らしい施しがされた赤色のミニスカートをはいており姉と比べ華奢な足が露出していた。

しかし互いの服の腰回りには大きなリボンが結んであり服の各所にもリボンが装飾されていた。

レミリアもフランも見た目こそ可愛らしい姿をしているが幻想郷の均衡を担う吸血鬼に相応しい風格と実力を持っているのは確かだった。

「何畏まっているのよ、私の事はレミリア、フランの事はフランと呼んで良いとあの時言ったはずよ、勿論忘れた訳じゃないわよね?」

約一年振りの再開括衝撃的な登場で驚いている鈴音にレミリアはリラックスするよう促す。

「あ・・・・・ごめんレミリアさん、でもどうしてここにあなたが?」

鈴音の意見はごもっともだった、何故ここにレミリア・・・・・もとい紅い悪魔とその妹がいるのか、逸脱者は自分達が倒すと言った以上、彼女達に出る幕はないはずなのだが・・・・。

「そうね・・・・・あなた達逸脱審問官に全部任せても別に良かったんだけど、人妖が私達吸血鬼の面子を侮辱した手前、せめて最後だけでも人妖に侮辱した報いを受けさせないと吸血鬼の面目が立たないのよね、悪かったわね、止めを譲ってもらって」

止めを譲ったというよりは横取りされたと言った方が近いだろう。

だが相手は誇り高き吸血鬼、例え友人扱いの鈴音であっても自分優先なようだ。

止めを横取りされたのは逸脱審問官として悔やむべき事だがどのみち幻想郷から逸脱者はいなくなり幻想郷の秩序が保たれたのだ。

それに絶大な力を持つ吸血鬼に反論なんて出来なかった。

「ううん、それは別に大丈夫・・・・・それよりもフランちゃんを外に連れ出しても大丈夫なの?」

心配そうに鈴音がそう聞いたのも無理もない、彼女の記憶にあるフランは怖い思い出として刻み付けられているからだ。

姉であるレミリアもまたフランを警戒しており紅魔館の内部が魔法で複雑な構造をしているのはフランを外に出さないためでもあった。

「フランも昔と比べたらこれでも結構大人しくなった方だしフランも人妖に報いを受けさせたいって珍しく吸血鬼らしい事を言っていたし、フランにも吸血鬼として手伝ってもらったのよ、それに一応私も傍にいるし万が一の場合でも大丈夫かなという想定の上でね」

そう語るレミリアにフランと呼ばれた妹はさらに不機嫌そうな顔をする。

「相変わらず酷いお姉様だわ、もう昔の様に闇雲に破壊を楽しんだりはしないわ、壊してしまうより脅して驚かせて怯える姿を見ている方が幾らでも楽しめる事に気づいたからね」

平然とそう答えるフランに結月はフランが一体どういう吸血鬼なのか何となく分かり恐怖が込み上げてくるのを感じた。

それと同時にレミリアが何故フランを紅魔館の外に出さなかったかも良く分かった。

(恐らくフランの価値観は万物に存在する物は全て分け隔てなく同じなのだろう)

彼女にとって虫を潰すのも物を壊すのも人間を殺すのも全て同じなのだ、純粋に破壊を楽しむ彼女には幾ら殺そうとも壊したと同意義で罪の意識など微塵も感じないのだろう。

少なくとも昔の彼女はそうだったに違いない、今は自分で自制をしているらしいが壊す事に対して快楽を感じるのは今も変わらないようだ。

「なるほど・・・・・流石は紅霧異変を起こした紅い悪魔とその妹だけの事はあるな」

そう言った結月に対してレミリアは結月の方を向いた。

「そういうあなたは鈴音の部下になった新しい逸脱審問官の平塚結月なのかしら?あなたの事は咲夜から大体聞いているわ」

どうやら咲夜から大体の事は聞いているようだった、確かに咲夜には自己紹介したので咲夜がレミリアに報告したのなら自分の事を知っていてもなんらおかしくない。

「私の事は紅い悪魔という名である程度は知っているとは思うけど改めて自己紹介をするわ、私の名前はレミリア・スカーレットよ、霧の湖の岬に建つ紅魔館の当主を務めている代々続く誇り高き吸血鬼の末裔よ、よく覚えておきなさい」

レミリアは堂々とした王者の様な口調でそう言った。

「咲夜から鈴音に部下が出来たと聞いてどんな人物かと思っていたけど・・・・・・」

結月をじっと見つめるレミリア、結月がどのような男かを見定めている様な目だった。

「中々良い素質を持った人間ね、本当に逸脱審問官になって間もないのかしら?随分と肝が据わって見えるわ、私達吸血鬼を前にしてもあまり緊張も動揺もしている様子はないし、さっきのこっそり物陰からあなた達の戦いを見ていたけど戦い方といい戦術といいまるで何十体も人妖を討伐してきたような熟練された狩人のような動きだったわ」

そう結月を評価するレミリアだが結月は吸血鬼を前に全く緊張してなかった訳ではないが緊張している事を悟られぬよう平常心を装っていた。

「お褒めに頂き嬉しい限りだがそれは少し買い被りすぎだ、まだまだ俺は実力も経験も一流の逸脱審問官には程遠い、もっと鍛練と経験を積んで強くならなくてはいけない」

謙虚な対応する結月、レミリアはそんな結月に感心していた。

「驚いたわ、私が思っている以上に良く出来た人間のようね、鈴音も大変な部下を任せられたわね、少しでも怠けていると上司の名が名ばかりになりかねないわよ」

が、頑張りますと答えた鈴音、しかし別に鈴音は上司としての立場にこだわりはない、せめて結月の足手纏いにはならないようにはしたいという思いからでた言葉だった。

「お姉様、随分と人間に寛容になられましたわね、人間と対等に接するなんて誇り高き吸血鬼の名が泣いているわ」

紳士的(?)なレミリアに対してフランは違うようだった、フランは結月の方を見る。

「お姉様はあなたの事一目置いているようだけど私はあなたの事あんまり好きじゃないなぁ、吸血鬼を前にしてもあんまり怯えないし、なにより目がないもん」

その言葉にレミリアと咲夜、鈴音までも驚いた顔をしている。

目?フランに言葉に結月は困惑する。

「どういう意味なんだ?ちゃんと顔に二つ付いているぞ」

その言葉にレミリアはクスリと笑っていた。

意味が分からない結月に対して傲慢な態度をとっていたフランもポカンとした表情を浮かべた後、無邪気な笑顔を見せた。

「あははっ!お兄さん、面白い事を言うねぇ、でも私の言っている目は顔に付いた目じゃないんだよね~」

何処か結月を馬鹿にしているような喋り方をするフラン、まあフランは吸血鬼で結月は人間なので人間を遥かに凌駕する吸血鬼が人間を見下していてもおかしくはないのだが。

首を傾げる結月にレミリアが説明をする。

「フランは万物全ての物を壊す事が出来る程度の能力を持っているのよ、彼女の眼には全ての物質に目というその物質の概念と呼べるものが見えてそれを自分の手に吸い寄せて握りつぶす事で潰された目の物質は爆発するのよ、ただあくまでそれはフランの眼で見える範囲の目だけの話よ、目の中にはフランの眼にも見えない目も存在するのよ、見る事が出来ない目は握り潰す事が出来ない、つまり能力が適用されないって訳よ」

ああ、なるほどと納得する結月、それと同時に何故フランが自分をあまり好きじゃないと言ったのか分かった、壊す事に楽しさを覚える彼女にとって自分の能力では壊せないという事だからだ。

「お兄さん単純だねぇ・・・・・でも気に入ったわ、壊せないのは残念だけどそこら辺にいる人間よりかは見所あるし紅魔館に遊びに来たら一緒に遊んであげるわ、鈴音と一緒にね」

フランのその言葉にビクッとなる鈴音、確かにフランの遊ぶは普通の遊ぶとは思えないが。

「せめて物が壊れないような遊びをしなさい、フラン」

レミリアにそう釘を打たれたフランは明らかに嫌そうな顔をする。

者を壊す事が前提でそう言われた事が嫌だったのか、それとも壊す遊びが出来なくて嫌だったのか、どちらなのか分からなかった。

「全く・・・・・それにしても鈴音、あなたも随分と会わない内に変わったようね」

レミリアから出た言葉にえっ?と答えた鈴音。

レミリアは少しほんの少しだが優しげな微笑みを浮かべる。

「たった一年で鈴音も見違えるような成長を遂げたようね、以前のあなたとは大違いね」

レミリアにとって著しい鈴音の考え深いもののようだ。

「えっ!そうかな?私はあの頃とあまり変わってない気がするんだけど・・・・」

一方の鈴音にはその実感がないようだ。

「変わったわよ、咲夜からあなたの話を聞いた時から、私はそれが本当に鈴音なのか疑ったくらいだわ、まあ従者である咲夜の話だから素直に信じたけど、さっきの戦っていた時もあの頃と比べると戦い方は変わっていたけどあの頃とは比べ物にならない程機敏になっていたわ、途中調子を崩していた時もあったけどまた本調子に戻って人妖をあと一歩まで追い詰めていた、どれもこれも私が知っている頃のあなたには出来ない事ばかりだわ」

レミリアにべた褒めされ少し恥ずかしそうな様子で謙遜する鈴音。

だが結月もまたその称賛が決して過大評価ではない事を知っていた。

「私達吸血鬼にとって一年なんて瞬きの様な時間だけど、鈴音はこの一年間の間で人妖との戦いを経て肉体も技術も精神も驚くほど成長したようね、本当に私が過ごした一年とあなたが過ごした一年が同じ長さだったのか疑うくらいね」

レミリアにとって人間とは強い者もいるがそれでも脆い生き物だという認識がある中で逸脱審問官は例外中の例外に入る部類だった。

「あなたの著しい成長を見ていると吸血鬼と人間は生きる時間こそ違えど成長する速度は同じなようにも思えてくるわ」

それと同時に逸脱審問官の存在はレミリアの中の吸血鬼という誇り高い優れた種族の価値観を揺るがす存在でもあった。

「流石にそれは言い過ぎだよ、確かにレミリアさんと最後に会った時の私と比べたら成長したかもしれないけどそれほどは変わってないよ」

結月も流石にそれは言い過ぎではないかと思ってしまうがレミリアは別に冗談で言った訳では無さそうだ。

「じゃあ鈴音?この一年間で私を見て何か変わった所を挙げられるかしら?」

え?と声が出た鈴音、その顔には焦りが見えた。

「そ、そりゃレミリアさんもあの頃と比べたらさ・・・・・うん・・・・その・・・・」

言葉がすぐに出ない所を見るに今いるレミリアと鈴音の記憶の中にいる一年前のレミリアはあまり変わらないと察しがつく。

「そんな必死になって探さなくてもいいわよ、良く見ないと分からないという事はあまり変わってないと同然じゃない?その点私は一目あなたを見ただけで変わった事を確信したわよ」

どうやらレミリアの方が何枚も上手なようだ、見た目こそ子供の様な姿をしているが精神も知性も人間の大人並、否それ以上に思えた、その上誇り高き吸血鬼なのに自虐同然の事までして見せた、流石は何百年も生きる吸血鬼と言った所か。

「ご、ごめん・・・・・・でもレミリアさんも成長したと思うよ、多分ね」

レミリアの変わった所を挙げられなかった鈴音は申し訳なさそうにそう言った。

「・・・・・前言撤回、どれだけ明るく振る舞ってもそういう所はあまり変わってないわね」

しかしレミリアは別にがっかりした訳ではなく何だか懐かしんでいる様子だった。

鈴音も最初こそ緊張していた様子だがすぐに打ち解けて友人の様にレミリアと接していた。

結月は一体鈴音がどのようにしてレミリアとここまでの仲になったのか、不思議で仕方がなかった。

「さて、そろそろあなた達の仲間が先程の蝙蝠の騒ぎを嗅ぎつけてやって来る頃かしら?」

数え切れない程の蝙蝠が一か所に集まるという事はその先に逸脱者がいる可能性があるという事である、恐らく他の場所で逸脱者を待ち構えていた逸脱審問官もこちらに向かっている事だろう。

「鈴音、結月、私達吸血鬼に着せられた濡れ衣を晴らすため戦ってくれて感謝するわ、人妖がいなくなった事で幻想郷の秩序も保たれ私達にかけられた疑いも晴れると思うわ」

あっ!と大きい声をあげる鈴音、そして深刻そうな顔をしていた。

「どうしよう・・・・・・このままだとレミリアさんにかけられた疑いを晴らせないよ、逸脱者がいなくなったから人間が襲われる事はなくなったけど確証性のある証拠がないとレミリアさんが犯人でない事を他の人間に証明できないよ、レミリアさんの疑いを晴らすためには逸脱者の死骸が必要だったのにレミリアさんとフランちゃんが跡形もなく吹き飛ばしたから証明するための証拠がなくなっちゃった・・・・・・」

その言葉聞いて結月も事の重大さに気づきどうすればいいか考え込む、まずい事になった鈴音と結月に対して疑われている張本人であるレミリアは心配もしていない様子だった。

「あら、それは心配ないわよ、鈴音、結月、特に鈴音、私の能力を忘れたのかしら?」

その言葉に鈴音は何故今それを?と言っているかのような顔をする。

「知っているわよ・・・・・でもそれが今どういう関係が・・・・・」

後ろでずっと見守っていた咲夜は何かに気づき夜空を見上げるとレミリアの意図に気づく。

「それが大ありですわ、鈴音さん、お嬢様の能力は運命を操る程度の能力、といってもお嬢様の思い通りに運命を操れるのではなく正確にはお嬢様の御姿を見た者、声をかけられた者は皆さん数奇な運命を辿ってしまいます、効果は人それぞれですが大なり小なり必ずといっていいほど本当なら絶対に起きないような出来事に遭遇しますわ」

運命操る、咲夜の時間を止める能力やフランの万物を破壊する能力と比べたらすぐにはピンとこない能力ではあるがこれから歩むはずだった人生が大きく変わってしまう可能性があると考えると物凄い能力と言えた。

「そして運命というのは意志の強さで変わるもの、弱い意志を運命は翻弄するけど、強い意志は運命を望んでいる方向へ変えてしまうの、私と出会って話をしたあなた達の運命は大きく変わったわ、でもあなた達の中にある強い意志は運命をあなた達が望んだ方向へと変えたはずよ、それはすぐに証明されると思うわ」

そう言葉をレミリアが述べた時、鈴音達の耳に奇妙な音が聞こえた、何かが回転する様な音だった。

明王が空を見上げ吠え結月と鈴音が後ろを振り返ったその瞬間だった。

ズシャーン!と何か金属の棒状な物が落ちてきて地面に突き刺さった。

それはレミリアが先程逸脱者に向かって投げた槍であり天を向く穂先の部分には逸脱者の頭が突き刺さっており口から血濡れた鈍い銀色の光を放つ鋭く尖った穂先の先端が見えた。

「ほらね、言った通りでしょ?」

茫然と立ち尽くす結月と鈴音に対してレミリアは平然とした様子でそう言った。

幾多の数奇な運命を見てきたレミリアにとってこの程度の事など珍しい事ではなかった。

(今だけではなくこれから起こる事にも干渉してしまうとは・・・・末恐ろしい能力だな)

だが幻想郷の均衡を担う吸血鬼に相応しい能力ともいえた。

「さて、用事も済んだ事だし私達はもう帰らせてもらうわ、そろそろあなた達の仲間がこっちに向かってくる頃だしね」

レミリアは別の場所で待機していた他の逸脱審問官がここへやってくる前に帰るつもりのようだ。

「え~、もう帰るの?もう少し遊んでいこうよ~」

せっかく外に出られたのに帰ろうとする事に不満を漏らすフラン。

「フラン、私達の目的は吸血鬼の名を汚した人妖に報いを受けさせるためであって遊びに来た訳じゃないのよ、そんなに遊んでほしいなら後で遊んであげるわ、弾幕勝負でね」

本当に?と目を輝かせて聞き直したフランにレミリアはもちろんと答えた。

「今夜は満月で気分が良いしたまにはフランの息抜きにも付き合ってあげないとね、全力で掛かってきなさい、私も全力で遊んであげるわ」

わ~い、と子供の様に喜ぶフラン、さっきまでレミリアの事を馬鹿にしていたのに喜んでいる所を見ると一応レミリアの強い事は認めているようだ。

「それじゃまたね、鈴音、結月、たまには紅魔館に遊びに来なさい、歓迎してあげるわ」

そう言ってレミリアはふわっと宙に浮きあがる。

「じゃあね~、また紅魔館に遊びに来たらお兄さんも加えて鬼ごっこしようね~」

レミリアに続くように宙を浮いて笑顔でそう言ったフランに対して鈴音は顔を引きつらせる、余程恐ろしい鬼ごっこだったのだろう。

「鬼ごっこは駄目よ、物が壊れないような遊びにしなさい」

え~っと不満そうな声を出しながらフランはレミリアと共に紅魔館へ向けて飛んでいく。

「私もこれで失礼いたしますわ、私からもお嬢様の濡れ衣を晴らしていただき感謝しますわ」

それでは、と言って咲夜は綺麗なお辞儀をすると彼女もまたレミリアの後を追うように宙を浮き静かになった夜空を飛んで行った。

咲夜もまた霊夢や魔理沙の様に人間でありながら空が飛べる人間である、空を飛び去っていく咲夜の後ろ姿を見ながら結月は何故、彼女達は翼がなくても空が飛べるのに自分を含め他の人間は空が飛ぶことが出来ないだろうとつくづく思ってしまう。

「さっ!結月、逸脱者の処理は件頭に任せて、私達は怪我をした月見ちゃんを保護した後、本拠に戻りましょう、逸脱者の断罪に失敗した事を鼎様に報告しないとね」

逸脱審問官の目的は人間から外れ罪を犯した逸脱者を人間が責任を持って断罪する事であり、逸脱者の止めをレミリアとフランにとられた以上、事情はどうであれ断罪に失敗したという事になる。

「そうだな・・・・・・そろそろ他の逸脱審問官や騒ぎを聞いて件頭もやって来る頃だ、ここは件頭に任せて他の逸脱審問官と一緒に帰ろう」

鈴音は月見ちゃんを避難させた明王について月見ちゃんの所へ向かう。

そんな明王と鈴音の後ろ姿を見つめる結月だがふと一つ気掛かりな事を思い出す。

それは鈴音の調子を崩れたあの時の事だった。

(逸脱者に襲われた月見ちゃんを助けようと鈴音が銃を構えた時に思い出したくないあの時の出来事を思い出してしまった・・・・・つまりそれはあの状況とあの時の出来事は似た様な状況だったという事だ、それはつまり・・・・・)

しかしそこまで行きついた所で結月は考えるのをやめた。

「いや・・・・・・鈴音が語ると言った以上、これ以上探るのはよそう」

考えればおおよその真相に辿り着くだろう、しかしあの時に何が起きたのかは鈴音の口から語ってもらうまでは待つと決めたのだ。

鈴音が自分の過去を語る時は辛い過去を完全に乗り越える時であり鈴音の手で過去の事を乗り越えさせるために結月は気長に見守りながら待つ事と決意したのだ。

結月がそう考えていると他の場所で待機していた仲間の逸脱審問官が向かってきていた。

「これでまた静かな夜が戻って来る」

最後にそう呟くと結月は向かってくる仲間の逸脱審問官に向けて大きく手を振った。

騒がしかった夜は終わりいつもと変わらない静寂の夜が訪れていた。




第二十録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて皆様は日々の生活をどんな気持ちでお過ごしでしょうか?
毎日楽しいという人もいれば毎日辛くて大変だという人もいるかもしれません、中には毎日の生活に無意味さを覚えてしまう人もいるかもしれません。
ただどんな日々であれその日々は誰かが送りたかった日々なのかもしれないと常々考えてしまいます。
突然の急病で亡くなってしまう人、飛び出した車に轢かれて亡くなってしまう人、上から落ちてきたものに頭をぶつけて亡くなってしまう人、世の中には生きたかったのに生きる事が出来なかった人たちがいます。
世界を見ても戦火に巻き込まれて亡くなる人、飢えと渇きを覚えながら亡くなる人、猛獣に襲われて亡くなる人、視野を広げれば広げる程、辛く見るに堪えない惨状が広がっています。
例え何気なく過ごした一日でもきっとそれは誰かにとっては喉から手が出るほど欲しかった一日なのです。
だからこそ、何気ない一日だとしても生きていた事に感謝して悔いのない日々を送らなければいけません。
辛い日々もあるかもしれません、それでも生きているなら救いはあります。
私自身もまた暗い未来を見つめて生きている事に対して無意味さや苦しみを覚えましたが今は日々の生活に感謝しながらそれなりに楽しく生きています。
足のない人を見るまで私は靴がない事を嘆いていました。
古い文明の諺、自分より下な人間を捜すのは良くない事かもしれません、ですが自分は一番不幸な人間だと思う時は自分と同じ位、自分よりも悲惨な人間もいるんだ、こんな事でめげてたまるかという気持ちで頑張って生きて欲しいです。
それではまた金曜日に。


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第二十一録 月明かり覆う黒い翼 十一

こんばんは、レア・ラスベガスです。
今回の話で第三話は終わりとなります、第三話も投稿遅れなどあって読者の皆様の迷惑をかけてしまいましたがここまで読んで頂きありがとうございます。
第四話以降もよろしくお願いします。
それでは第二十一録更新です。


翌朝、逸脱者の頭はレミリアの槍に刺さったままの状態で人間の里の処刑場に晒され多くの人だかりが出来ていた。

逸脱者の頭は網目状の木格子を挟んで晒されておりその外側から人間の里の住人や旅人や商人、そして逸脱者に殺された者の家族や村や集落の住人が毎夜の蝙蝠の大群を操り人間を襲っていた犯人の姿を眺めていた。

「立て札によるとあの槍に刺さっている頭の奴が連日飛び回っていた蝙蝠の大群の親玉であり五人もの人間を襲っていた犯人だそうだ、しかもその正体は人妖だったらしい」

幾つも設置された立て札を見て人々は事の真相を知る事となった。

元々は人間だったとはにわかには信じられない絶望に歪んだ顔をした槍に突き刺さった人妖の頭を前にして人々の中にこの事実を疑う者はいなかった。

夜な夜な飛び回っていた蝙蝠の大群も行方不明者も人妖が仕業だったと知り集まっていた人々はざわめいていた。

「まさか人妖だったとはな・・・・・・人間だった者が人間を襲うとは何と恐ろしい事を」

犯人が人妖だったと知り驚く者。

「自分の欲望のために他の人様に迷惑をかけ挙句関係のない者の命を奪うとは・・・・・全く人妖とは愚かな存在じゃ」

人妖に対し嫌悪感を強める者。

「真弓・・・・・真弓・・・・・まゆみぃ~・・・・・・・」

娘を殺した犯人を前に嘆き悲しむ者。

「この・・・・・外道野郎が!地獄に落ちやがれ!」

殺された理由を知り怒りに震え逸脱者の頭に向けて石を投げつける者。

感じる事は人それぞれであったが共通して人々の中に人妖・・・・・逸脱者に対しての嫌悪感が処刑場に集まる人々の中で増し石が投げ込まれた事がきっかけで人々が連日続いていた蝙蝠の大群や行方不明者に対する不安や恐怖が怒りに変わり鬱憤を晴らそうと木格子の外側から逸脱者に向けて石が次々と投げ込んでいく。

逸脱者の的当て会場と化した処刑場、投げられた石の幾つかが槍に突き刺さった逸脱者の顔にぶつかりその衝撃で槍が揺れる、それでも逸脱者は断末魔をあげているかのような絶望に満ちた表情をして白目をむいた目は澄んだ青空を見つめていた。

夜の世界を飛び回る蝙蝠の姿をした逸脱者が光満ち溢れる世界で首だけの状態で晒される光景は逸脱者の短い栄光の終焉を示しているかのようだった。

その日を境に蝙蝠の大群と行方不明はパッタリと収まった事で蝙蝠騒ぎは収まり人間の里はいつもと変わらない日常を取り戻していった、そしてあれほど騒がれた紅い悪魔にかけられた疑惑も次第に消えていった。

 

結月と鈴音の姿は天道人進堂最上階の鼎の執務室にあった。

「そうか・・・・・・逸脱者の止めをレミリア嬢とフラン嬢に横取りされたか」

鈴音と結月は鼎に逸脱者の断罪に失敗した事を報告していた。

成功した場合は件頭に成功の報告をして終わりだが失敗したり先を越された場合は鼎に報告するようになっていたからだ。

「すみませんでした、あと一歩まで行ったのですが・・・・・」

だがあの状況ではレミリアとフランに止めを譲るほかなかった。

相手が吸血鬼である以上、ちっぽけな人間である自分達が逆らえる訳がなかった。

「逸脱者の断罪に失敗した場合、報酬は支払われない・・・・・確かそうだったよな?」

逸脱者の断罪に失敗したり先を越された場合は逸脱者にかけられた賞金は支払われない事になっていた。

もちろん結月も鈴音も賞金が欲しくて戦っている訳ではないが念のためそういう規則であった事を確かめる。

「確かに規則ではそうなっているな・・・・・・だが今回は特別手当として今回の逸脱者にかけられていた賞金と同額の30万を振り込んでおこう、後は二人で相談して分け合うと良い」

鼎は決して適当やいい加減な性格ではなかったがどんな時でも規則通りに従うような厳格な人間でもなかった。

「本当にいいのか?」

鈴音と顔を見合わせた後そう聞いてきた結月にああ、と答えた鼎。

「確かに逸脱者の止めは刺し損ねたがそれでもあと一歩の所まで追い詰めた事はちゃんと評価しなければならない、止めを奪われたから賞金なしではあまりにも君達に申し訳ないからな、人間の尊厳や誇りを守るために戦ってくれた事は事実だ、それに誇り高き優れた種族である吸血鬼としての面子もあっただろう、そういう事情も考えれば逸脱者の止めをレミリア嬢とフラン嬢にとられたのは致し方のない事だ」

レミリアとフランは誇り高き優れた種族である吸血鬼を名乗っている以上、レミリアとフランの考えがどうであれ吸血鬼の名を汚した逸脱者をこのまま逸脱審問官に全て任せてしまっては吸血鬼の面子が立たないと考えたのだろう。

だからこそ逸脱審問官と逸脱者との戦いを隠れた所から観戦し止めの直前に現れ自分達の手で止めを刺す事で逸脱審問官と吸血鬼、両方の面子をたてたのだろう。

逸脱者をあと一歩まで追い込んだのは逸脱審問官で止めを刺したのは吸血鬼、こうすれば互いに違う目的でも互いの顔が立つからだ。

「だがレミリア嬢とフラン嬢が動いていたという事は例え君達が動かなくても博麗の巫女に動きがなくても恐らく数日中に逸脱者は死んでいた事だろうな」

鼎は結月達に背を向けると天道人進堂の畑と牧場が一望できる窓に目を向ける。

「皮肉なものだな、妖怪からの支配に逃れようとして人妖になった者が反ってそれが吸血鬼の怒りを買う事になろうとはな・・・・・」

哀しそうな喋り方でそう言った鼎、それに対して結月は強い憤りを感じていた。

逸脱者は自分達や博麗の巫女が動かなくても吸血鬼によっていずれは殺される事が決まっているも同然だった、ならば逸脱者が殺した六人の人間はほぼ無駄死だったといえるからだ。

無論、生き残って欲しいと思う気持ちは微塵もない、だがいずれ殺される運命だった存在に巻き込まれ奪われた命は一体何だったのか?残された者達の悲しみは何処へ行くのか。

失われた命は二度と戻ってこない、だからこそ自分の体を維持するためという身勝手な理由で六人の人間を殺していた逸脱者に対して結月は憤りを感じているのだ。

「怒りに震えているようだな、結月」

鼎は窓から目を逸らしていないのに結月の考えを見透かすようにそう言った、もちろん後ろの目がある訳でもなく心を読んだ訳ではない、結月ならそう思っているだろうと見越しての一言だった。

窓を眺めていた鼎が振り返り再び結月と鈴音の方を向く。

「だからこそ、このような悲劇がもう二度と起きないよう情報専門の隠密集団である件頭が毎日、昼夜をとわず幻想郷の様々な情報を集めており、もし逸脱者が現れた時、一刻も早くその事を認知できるよう常に努力している、彼らのような存在がなければ君達、逸脱審問官がその力を発揮する事は出来ないのだ、そんな件頭の努力と期待に応えられるよう逸脱者の被害を最小限に抑え短時間で断罪できるようこれからも鍛練に精を出し給え」

幻想郷の秩序を保ち人間の誇りや尊厳、そして多くの失われてはならない命を守る事は逸脱審問官の願いでもあり件頭の願いでもあるのだ。

件頭の思いを背負って結月と鈴音はさらなる高みへと邁進していく決意を固めたのだった。

 

後日、受付嬢の桃花が秩序の間の玄関広場を訪れた。

本来なら彼女はここを自由に行き来する事は出来ないのだが逸脱審問官宛に届け物がある時だけは入る事が出来た。

「鈴音様~、結月様~、お届け物ですよ~」

受取人は結月と鈴音であり差出人はレミリアだった。

届け物は肌触りの良い紫の布に包まれており赤色のリボンで結んであった。

結月と鈴音は一体何の事かと思いながらも互いの自室に戻りリボンを解くと布がハラリと開き中から西洋風の綺麗な細工が施された金属製の箱が現れた。

その西予風の綺麗な細工が施された金属製の箱の蓋を開けると中には一通の封筒と焼き菓子の詰め合わせそして鈴音にはワイン、未成年者の結月には葡萄ジュースが入っていた。

封筒には差出人や宛先等は書かれておらず代わりに封筒の開け口には紅魔館の紋章と思われる朱肉で留められていた。

封筒を開けると中には手紙が入っており恐らくレミリア直筆の文章が短いながらも書かれていた。

「我が従者を助けてもらった件を含め吸血鬼に濡れ衣を着せた人妖と戦ってくれた事を深く感謝する これはその感謝の意を込めて贈らせて頂く レミリア・スカーレット」

達筆の英語の様な書き方で書かれた日本語の文章は若干読み辛かったがどうやらこの前のお礼のようだった。

受け取った時、何となくは察しがついていたがまさかレミリアからあの時のお礼が届くとは思わなかった。

見た目こそ十歳も満たないような人間の幼女の様な姿をしているが相手が人間であっても筋は通すあたり中身は見た目ほど子供ではないようだ。

「吸血鬼・・・・・どれほど恐ろしいものかと思っていたが、案外悪い奴ではないかもしれないな」

レミリアとフランとの出会いは結月の中にあった吸血鬼のイメージに変化を生じさせるものだった。

もちろん異変を起こしたり人類を遥かに凌駕する力を持っていたりと恐ろしい面もあるが一概に悪い奴とはいえないのかもしれない。

(鈴音がレミリアとフランと顔見知りと分かった以上、これからも何かの縁で関わる事になるだろう、もう少し様子を見ながら見極めても良いだろう)

そう思いながら結月はクッキーを取り出すと口の中に入れた。

 

その日の夜、夜空に月が浮かび暗闇と静寂に包まれる幻想郷を優しく見下ろしていた。

先日まで至る所を飛んでいた蝙蝠の群れはパッタリと見かけなくなりいつもの静かな夜が訪れていた。

そんな静かな夜に聞こえるのは梟の鳴き声とそよ風の音、そして遠くから聞こえる夜雀の歌声くらいだ。

特に夜雀の歌声がとても甘美で耳を澄ましたくなるような美声で歌を歌っているがそれに決して耳を澄ましてはいけない。

彼女が歌を歌うのは人間を誘き寄せるためでありこの歌を聞き続けた者は一時的に鳥目になってしまい道が分からなくなった所で夜雀に襲われて食われてしまうのだ。

彼女の歌声が突如として止まる時それは彼女が獲物となる人間を襲ったという合図である。

距離がある程度離れていれば多少ばかり歌声が耳に届いても魅入られる心配はない、しかし聞き過ぎればやはり鳥目になってしまう。

木々を飛んで移動する件頭にとって視界を奪われれば枝から足を滑らせ大怪我をするし、打ち所が悪ければ一撃でお陀仏である。

そのため件頭の規則では夜間移動中は夜雀の歌に耳を澄ましてはいけないとなっている。

しかしそんな規則であるにも関わらず新人の件頭はつい夜雀の美声に聞き入ってしまい視界がぼやけてその際、木から滑り落ちて怪我をする事案が度々発生しており件頭の長である風馬の悩みの一つだった。

大木から飛び出るように出た枝の上に乗る風馬は夜雀の歌声を聞き流す程度で済ましていた。

件頭の長である風馬ですら少しくらい耳を傾けたくなる様な甘く蕩けてしまいそうな美声なのだ。

件頭の間では一時期夜間は耳栓をしたらどうかという話もあったが視界が悪い時だからこそ聴覚は情報収集や身の危険を察知するために聴覚が頼りになる事や逆に夜雀の美声がないと調子が出ないという者もおり結局却下された。

「・・・・・・」

風馬の腕には結月と鈴音が貰った西洋風の細かい細工が施された金属製の箱を抱えておりその箱から視線を外さなかった。

夕方、今日集めた情報を鼎に報告しようと天道人進堂の執務室を訪れた時、鼎から紅い悪魔からお届け物を預かっていると言われ手渡された物だった。

「吸血鬼にかけられた疑惑を晴らしてくれて感謝する そなたこそ天狗に勝るとも劣らぬ人間随一の耳と目を持つ男であろう レミリア・スカーレット」

そう書かれた手紙と共に焼き菓子の詰め合わせとワインが入っていた。

レミリア・スカーレット、名前は良く知っていたが風馬は二つ名である紅い悪魔の方が気に入っていた、紅霧異変を起こし幻想郷を支える一柱として相応しい名だと思っていたからだ。

そんな紅い悪魔から幻想郷で情報屋として飛び回るあの天狗と同等の耳と目を持つとまで称された風馬だったが彼の顔に喜びの色はない。

(紅い悪魔としては人間にしては良く頑張った方と思っているのだろう・・・・だがこの結果は決して満足できるものではない)

結局、逸脱者によって六人もの人間が殺されるまで逸脱者の正体を特定できなかった、幾ら自分達が人間だとしても幾ら相手が逸脱者で自身の正体をバレないよう証拠隠滅していたとしても特定に五日も掛かってしまった事は悔やまれる事だった。

風馬からしてみれば自分が不甲斐無かったばかりに六人の人間を見殺しにしてしまったのだ。

もちろん風馬も人間なので六人の人間の死を全て風馬の責任にする者はいない、だが人間だからしょうがないと甘んじてもいけない。

常に上を目指し続け逸脱者が現れた時、いち早く逸脱者を認知できるよう常に正確で信頼できる情報を集める、それが件頭の使命であり、一人も人間の犠牲を出さずに逸脱者を見つけ出し逸脱審問官に願いを託す、それが風馬の理想であり望みであった。

彼は決して立ち止まらないそれは逸脱審問官も同じだろう、互いに逸脱者の一刻も早い断罪を目指して努力を続け経験を積んでいくのだ。

風馬もまた完成された存在ではなく不完全であり、されど今も尚成長を続け理想を目指しているのだ。

「・・・・・・今宵も月が綺麗だな」

風馬は空に浮かぶ月を見上げるとそう呟いた。

蝙蝠の群れで遮られる事が多かった月もようやく綺麗に見る事が出来た。

こうして久しぶりに見る月の感覚は紅霧異変が終わりベッドで横たわっていた時に見た月と似た様な感覚だった。

「時経てど、変わらぬ月の、美しさ」

長い時間が経ち自分はあの頃と比べ色々変わってしまったが月はあの頃と同じ美しい姿で幻想郷の夜空に浮かんでいる。

感じた事をそう一句認めた風馬は月を見て今日もまた様々な思案に耽る。

月はあの頃と何一つ変わらない儚げながらも優しい光で幻想郷を照らしていた。




第二十一録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?最初の頃は初投稿とあって迷惑ばかりかけてきましたが今は操作の方は大分慣れてきました。
投稿遅れなどもありましたがとりあえず第三話が投稿出来てほっと一安心しています。
ただ第四話以降は更新が月二回程度まで減るかもしれません、自分の身の回りの状況が変わった事や執筆が遅々として進まなかったのが原因です。
毎度ご迷惑をおかけしますがご了承をお願います。
さて、後書きを書いていて気を付けている事があるのですがそれは同じ内容の後書きはなるべく書かないようにする事、当たり前のように思えて結構難しいです、先週や先々週の後書きは覚えていてもそれより前になると振り返らないと分かりませんし初期の後書きや前書きに至っては何を書いたのかよく覚えておりません。
ボケているとか思わないでください、元々私は物覚えが悪い方ですし、今まで書いた前書きや後書きの内容を事細かに覚えている人の方が珍しいのではないでしょうか?
何を書こうかは少し考えれば思いつくのですが前に書いた後書きや前書きに被ってないか心配になります。
もし前回と同じ内容の前書きや後書きを書いていたら・・・・・・・あっこれ前読んだ事あるな、と思って読み飛ばしてください。
それではまた金曜日に。


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第二十二録 船底を伺う二又の復讐者 一

こんばんは、レア・ラスベガスです。
今回から第四話目に入ります、そして前回の後書きにも書きましたが今回から環境に合わせて月二回の更新となります、本当は毎週投稿したかったのですが私の執筆の遅さを考えると毎週投稿は難しいと判断しました。
今週更新したら次の更新は再来週となります、小説を楽しみにしていた読者様には誠に申し訳ない気持ちで一杯です。
それでも読んで頂けるなら幸いです。
それでは第二十二録更新です。


恨み、それは人間が有する感情の中でも最も身近で多様な面を持つ人間らしい感情。

恨みとは人間に備わった感情の一つであり人間でなくても知能指数の高い動物なら備わっているごく有り触れた感情の一つなのですがその中でも人間の恨みはとても多様性に富んでおりこれ程多様な恨みの感情を持っているのは恐らくは人間だけでしょう。

自分が持ってない物を持つ者への恨み、持っている者からの嫌がらせで生まれる恨み、持ってない者からの嫌がらせで生まれる恨み、自分から大事な物を奪った者への恨みなど恨みの理由をあげればきりがありません。

恨みとは何かに対して抱く強い嫉妬や憎悪でありそれが人間の精神に及ぼす影響はとても大きいものです。

恨みの対象は様々あり動物や昆虫や植物などの有機物だけでなくお金や美術品や道具など無機物にも向けられ果ては自然や運命、妖怪などの抽象的な存在にまで向けられるとされ万物全てが恨みの対象となると言われるくらいです。

そんな多様性に富んでいる恨みの中で同族である人間が最も恨まれるとされています。

人間は妖怪と違い単独で生活する者はあまりいません、これは人間が妖怪よりも貧弱な存在であるため集団で集まる事によって様々な役割を分担する事で生活しやすくするのと同時に何か問題が発生しても協力して対処できるからだと思われています。

ですが人間は一人一人考え方、価値観、容姿、環境などで違いがあります。

それを許容する事が出来れば一番良いのですが人間そこまで出来た人間はあまりいないのが現実です。

許容する事が出来ない事に対しては拒絶して自分が正しい事を主張するのが人間なのです。

当然、拒絶された側は拒絶した人を恨むでしょうし拒絶した人間を受け入れる事は難しいでしょう。

人間にはそれぞれ恨みの蓄積量に違いがあり、一度の恨みで限界値を越えてしまう場合もあれば長年の小さな恨みの積み重ねが限界値を上回る場合もあります。

いずれにせよ限界値を越えた恨みは狂気や殺意へと変わります、狂気や殺意に憑りつかれた者は冷静な判断が不可能となりいかなる方法を使ってでも恨みの対象を取り除き復讐しようとします。

それが脅しや暴力に繋がり最悪殺人へと発展し結果的に悲惨な事件へと繋がる事が多いようです。

そうした中で強い狂気や殺意に囚われた人達の中には刃物や鈍器を手に取る様に逸脱者になって恨みの根源に対して復讐しようとする者もいます。

強い殺意や狂気は冷静さを失わせる一方で復讐への大きな原動力として人間を駆り立てるのです。

強い殺意や狂気に囚われた者達に後先考えている余裕などありません、とにかく恨みの根源に対して自分が貯めるに貯め込んだ恨みを理解させるために逸脱者の力を使ってしまうようです。

そういう意味では恨みの対象を排除するために逸脱者になるという単純で簡潔な動機は妖怪の怯えや憧れよりも最も「人間らしい」動機といえるのかもしれません。

 

妖怪の活動時間でもある夜が終わりを告げるとともに東の空から朝が訪れようとしていた。

夜から朝へと移り変わる間にある早朝は妖怪の時間と人間の時間の間でもあり夜以上に静寂に包まれる時間だった。

聞こえる音はそよ風で草木がなびく音や小鳥の鳴き声、そして耳をすませば僅かながら水が流れる音も聞く事が出来る。

幻想郷にはかつて海があったが現世と完全に切り離すため現世と繋がっていた海も分断され今の幻想郷には存在しない。

だが海がなくとも幻想郷には川が幾つも流れており大小様々な川が存在し地表には見えない地下水脈を含めれば百あるのではないかと言われており幻想郷の豊かな自然の一役を担っているとされている。

川の行きつく先は湖だったり池だったりするが一部の川は分離された海と繋がっていると言われておりそのため海と繋がっていると噂される川には時期によって鰻や鮭が流れ込んでくるのもそのためとされている。

さて、川があるなら当然切り立った断崖には水が流れ落ちる滝が出来る。

幻想郷には様々な滝があるがその滝の中でも幻想郷の有数の川幅と長さを誇る「緩葉川(ゆるばがわ)」の上流にあるとされる「悲願の滝」は落差こそあまり高くないものの大量の水が轟轟と流れ落ちる光景は自然の雄大さを感じられる滝であると同時にある曰く付きの滝として周辺の村や集落では良く知られていた。

その悲願の滝の崖の上に三十代後半の男の姿が森林の中から現れる。

「やっと辿り着いたか、どうやらここが悲願の滝の上みたいだな」

男は崖に近づくと崖下にある大きな滝壺を見下ろす。

「うっ・・・・・流れ落ちる水の量が多すぎて滝底が見えない、こうして見てみると怖いものだな・・・・・だが、ここで引き下がる訳にも行かない」

この男は別に悲願の滝を見るためにここに来たのではない、ある決意を固めてここに来たのだ。

「覚悟は出来ている・・・・・怖いのは一瞬だけだ、躊躇なんてするものか」

実はこの男、この悲願の滝の滝壺に飛び込む決意を持ってここまでやって来たのだ。

しかし男に自殺願望はなかった、男はある目的を持って大量の水が流れ落ちる滝壺にその身を投げ込もうとしているのだ。

もし滝壺に飛び込もうものなら大量の水に滝底まで押し潰されまず命はないだろう。

しかし男は例え自分の命を引き換えにしても叶えたい願いがあった。

その願いこそ悲願の滝の名前の由縁でもあった。

男は覚悟を決めた表情で崖前に立つと肺を空気で一杯に膨らます。

「滝壺様よ!聞こえるか!」

肺に詰め込んだ空気を全て吐き出すような大声でそう言った。

それでも声は大量の水が流れ落ちる音のせいでかき消されておりまた彼の求める『滝壺様』と呼ばれる者からは何の返事もない。

しかし男はそれでも話を続ける、男にとって返事があってもなくても滝壺に身を投じる決意は変わらなかった。

「俺はここから下流にある村に住む三人の漁師に強い恨みがある!あいつらに俺が受けた恨み以上の苦しみを味あわせてやりたいんだ!」

男は望む願い、それは三人の漁師への復讐だった。

男の心中はその三人の漁師への強い恨みで満ち溢れていた。

「そのために滝壺様のお力をこの俺に授けて欲しい!かつてここから飛び降りた男と同じような人間を超える力を俺に授けてくれ!」

相変わらず呼びかける滝壺様からは返事はない、しかし男は覚悟を決めて滝壺を見下ろせる位置に立った。

滝壺様がいてもいなくても男は飛び降りる覚悟を決めていた、叶えてくれたなら喜んで復讐対象である三人の漁師を殺しに行くし叶えてくれなくても死ねばこの強い恨みからは解き放たれて楽になれるはずだ、男にはもう何も失うものなんてなかった。

「そのためならこの体、この魂、全てを滝壺様に捧げよう」

男はそう言いながら体を前に傾けるとそのまま滝壺へと落ちていった。

 

肌寒かった冬の終わりと入れ替わる様にして本格的な春の陽気が幻想郷に流れ込んでいた。

幻想郷の空から見下ろせば桜や梅の花の色が所々で色づいている事だろう。

空を飛ぶ春告精(春を告げる妖精)も本格的に始まった春の季節を楽しみにしていたかのような様子で飛び回っており春を告げる程度の能力で蕾の付いた草木に花を咲かせていた。

穏やかで平穏な空気が漂ういつも通りの幻想郷の春、この間の蝙蝠騒動がまるで嘘だったかのように感じられる程の平穏さだった。

そんな春の陽気に包まれる幻想郷のとある道、そこに結月と鈴音の姿があった。

「いや~、さっきの饂飩(うどん)屋さん本当に美味しかったね、やっぱり人間の里で噂になるだけの事はあるよね」

鈴音は満足しているような表情を浮かべながらお腹を擦る。

鈴音の肩に乗る月見ちゃんも鈴音と同じ満足した様子で座っていた。

蝙蝠の逸脱者との戦闘で大怪我を負った月見ちゃんだったが流石は妖怪、数日程度で傷は完治し今では噛まれたはずの傷跡すら確認できない程だった。

最も肉体を失う程の大怪我を受けた場合は完全な状態に戻るまで約一カ月は掛かるらしい。

「ああ、そうだな・・・・・こしのある麺にあっさりとした汁が絶妙に絡み合っていた、わざわざ外出許可を出して一時間並んだかいがあった」

結月も顔には余り出さないが満足しているようだった。

肩に乗る明王も結月の意見に頷いていた。

結月と鈴音は鍛練の息抜きがてら天道人進堂の外で昼飯を取っていた。

蝙蝠の逸脱者との戦闘以来、結月と鈴音は天道人進堂の外には一歩も出ずに鍛練に励んでいた。

鈴音は過去の辛い出来事を向き合い乗り越えるために結月は一流の逸脱審問官を目指して互いに切磋琢磨しながら鍛練を積んでいた。

鍛練は朝早くから夜遅くまで行われており鍛練の内容も守護妖獣を使っての連携を軸に置いた高度な練習を行っていた。

蔵人達も同じように鍛練に励んでいたが自分達よりも早い時間から鍛練を行い、夜が更けても鍛練を続けている結月と鈴音の姿を見るに見かねて声をかけた。

「鍛練に励む事は決して悪い事ではないが余りにも励み過ぎては逆に体を壊しかねないぞ、単純に鍛練量を増やせばいいものではない、毎日適度に積んでいく事で力になっていくものだ、たまには息抜きに外で昼飯でも食べてきたらどうだ?」

蔵人の言葉には一理あった、結月と鈴音は鍛練ばかりだった事を反省し蔵人に言われた通り昼食を最近人間の里で噂になっていると聞いた饂飩屋に足を運んだのだ。

「まさか蔵人に息抜きの重要性を教えられるなんて思わなかったよ、確かにここ最近は鍛練ばかりですっかり息抜きする事を忘れていたよ」

結月に息抜きの重要性を教えたのは鈴音なのにその鈴音本人が蔵人に指摘されるまで息抜きの事を忘れていたのだ。

しかしそれを教えられたはずの結月もまた蝙蝠の逸脱者との戦闘以降、より一層の鍛練に励むようになった鈴音の姿を見て自身も鈴音に負けてはいけないといつも以上に鍛練に取り組み息抜きを忘れていたため鈴音を責めることは出来ないし責めるつもりもなかった。

「あまり気にするな、蝙蝠の逸脱者との戦い以来、俺ももっと実力をつけなくてはと逸脱者との戦いの事ばかりで頭が一杯で息抜きの重要性を忘れていた、これからちゃんと気をつければそれでいい」

結月の言葉に明王と月見ちゃん賛同しているかのように頷いた。

実際明王や月見ちゃんも結月と同じだった、蝙蝠の逸脱者との戦闘以降、熱心に鍛練に取り組む鈴音と結月に負けないよう鍛練に力を入れるようになり息抜きは二の次になっていた。

「うん、そうだよね、これからは適度な時間の中でしっかりと鍛練してたまには息抜きするように心がければいいよね、蝙蝠の逸脱者の断罪での結月の活躍や自分への不甲斐なさを感じてこのままじゃいけないって少し焦っていたよ」

そう言ってにこやかに笑う鈴音、その顔に蝙蝠の逸脱者と戦っていた時に見せた怯えた表情の面影は一切見られない、辛いあの時の出来事を思い出し怯えていた鈴音に対し結月から強く叱咤を受けた事から鈴音はあの時の出来事としっかりと向き合うようになり徐々にではあるが受け入れているのだろう。

鈴音もまた完成された人間ではなく結月と同じく成長していく人間なのだ。

「さて、昼ご飯も食べたし次は何処行こうか?今日の鍛練は朝にみっちりとしたし今日は今まで鍛練をしていた分、今日はとことん息抜きをしようよ、そしてまた明日は無理がない程度でしっかりと鍛練をやろうよ」

そうだな、と簡潔に答えた結月だが結月もまた次は何処に行こうと楽しみながら考えていた。

何分、遊ぶという事をあまりしない結月だったが鈴音と一緒に出掛ける内にたまには遊ぶのも良いと考えるようになっていた。

「そうだな・・・・・人間の里に行って買い物でも楽しむか、落語や歌舞伎を見に行くか、それとも噂になっている『天覧館』にでも行ってみるか?」

天覧館とは幻想郷にいる豪農や資産家や商人が所持している様々な銘品や珍品を展示しており入館料を払うだけで自由にそれを見て回る事ができ、展示主は蔵で埃を被っていた珍しい品を飾るだけで金が入って来るという互いに有益な施設である、鼎曰く現世ではこの施設の事を「博物館」と呼んでいるらしい、噂では永遠亭で行われた物を模したという話もある。

「う~ん、どれも悪くないけど・・・・・あっ!そうだ、せっかくだから古本屋に行かない?小鈴庵(こすずあん)っていう店名の古本屋さんなんだけど、そこの店主と私は友人なんだ、結月にもいつか紹介してあげようかなと思っていたんだよね、そこに行くのはどうかな?」

鈴音は博麗の巫女の霊夢や魔法使いの魔理沙やメイドの咲夜、命蓮寺の妖怪僧の一輪、さらには紅い悪魔と名高い吸血鬼のレミリアとその妹のフランとも顔見知りではあったものの鈴音は彼女らに対して友人という言葉は使わなかった。(レミリアとは顔見知り以上の仲であったのは確かだが)

しかしそんな鈴音が友人と呼ぶ小鈴庵の店主は余程仲の良い友人なのだろう。

「鈴音先輩の友人か・・・・・ではせっかくだからそこに行こう」

結月も鈴音が友人と呼ぶ小鈴庵の店主に興味があった。

「うん!任せて!明るくて笑顔がとっても似合う可愛らしい女の子だから結月もきっと仲良くなれると思うよ、それじゃあ人間の里に出発~!」

鈴音の案内のもと小鈴庵に向かって足を進めていた、その時だった。

「ち、近寄るんじゃねえ!これ以上近寄ったらこの女の命はねえぞ!」

若い男の怒鳴り声が正面の方から聞こえる、怒鳴り声が聞こえた方向には小さな川を跨ぐ様に作られたアーチ状の橋の中央で人だかりが出来ていた。

「一体どうしたんだろう?行ってみよう結月、騒ぎが大きくなるようなら止めないと」

騒ぎが大きくなり関係ない多くの人々が巻き込まれる事態を未然に防ぐのも人間の番人である逸脱審問官の役割である、結月と鈴音は騒ぎの正体を探るため人だかりを掻き分け騒ぎの現場に近づく。

人だかりを掻き分け騒ぎとなっている現場で結月と鈴音が見たもの、それは若い二十代後半の鬚を生やした男性が右腕で若い女性を逃げられないよう抱え込み、左手に持った短刀を抱えている女性の首元に突き付けている光景だった。

(状況は深刻で重大・・・・・・女は身動きが取れない上に男は刃物を持っておりその上興奮している、これ以上刺激したら最悪の事態も想定される)

男性と女性の関係や事の顛末は不明だがまずは人質を解放し次に男性を取り押さえなければならない。

だが一歩でも間違えれば人質の女性に危害が及ぶ上に人だかりと男性までには二m五十cm程の間がある、もしどれだけ速く走っても数秒の隙が出来てしまう、それに刃物を振り回せばこちらが危ない目に合う、考えなしに突撃しても駄目だった。

「おい!何しているんだ!早くその女性を解放しろ!」

何処からともなく聞こえた野次馬の声に男性はその声が聞こえた方に向けて短刀を向ける。

「五月蝿いっ!黙れよ!この女はだな、俺が金をかかった贈り物を貰っておきながら俺の事を振りやがったんだ!このまま退き下がれるかよ!」

どうやら男女の恋愛関係でのもつれのようだった、男女の間で起こる問題の中で最も典型的で模範的な問題と言えよう。

男性に抱えられている女性は男性から何とか逃げ出そうともがいていた。

「はあっ!?あんたが勝手に私の家に置いていただけじゃない!私はあんたが一度も贈り物なんて受け取らなかったしあんたの贈り物なんか全て捨てていたわよ!」

なんだとっ!と言って再び女性の首元に短刀を向ける男性、女性の顔が恐怖で歪む。

「俺の好意を踏みにじりやがって・・・・・こうなったら、ここでお前と一緒に川に飛び込んで心中してやる!」

どっちが正しい主張が正しいかは分からないがとりあえず男性の方を止めなければ最悪の事態になりかねなかった。

「ちょっ!離しなさいよ!あんたと一緒になんか死にたくないわよ!離してよ!」

女性は何とか抜け出そうと暴れるが頭に血が上った男性の力は強く抜け出す事もままならない状態だった。

男性を取り囲む人だかりも短刀を持って女性を人質に取る男性に近寄れずにいた。

その間にもじりじりと男性は後退する、このままでは本当に川に飛び込んでしまう。

「鈴音先輩、あの男の注意をひいてくれ、あの男の注意が鈴音先輩に向いている内に俺が男の横から接近し刃物を取り上げた後、女を解放して男を取り押さえる」

男性はすっかり頭に血が上っており対話の余地はあまりないと思われた、だが結月の作戦は一歩間違えれば女性にも結月にも危険が及ぶ可能性があった、だが鈴音は結月を信頼しているのですぐに了承した。

「任せて結月、しっかりと私の方へ注意を向けさせておくから、結月も怪我しないようにね」

互いに意思疎通を行い、行動に移そうとした時だった。

「まあまあ、とりあえず落ち着いたらどうかな?心中なんて下らない事はやめてさ、僕と話し合おうよ」

人だかりの中から一人の二十代前半の男性が出てきた、体格は年相応の背丈に中肉中背、おかっぱ頭をしており何だか抑揚のない気の抜けた喋り方をしている、この時点で既に変わった男だという印象を受けるがそれよりも彼の服装に目が行った。

彼が身に着けている衣服、それは紛れもなく逸脱審問官の正装だった。

「なっ!何だお前は!俺から離れろ!女がどうなっても知らないのか!?」

いきなり人だかりから現れた見慣れない服装をした屈託のない笑顔をする逸脱審問官らしき男に女性を人質に取る男性には動揺が見られた。

「その女性、とても嫌がっているよ、一度は好きになった女なんだよね、彼女の事が本当に好きなら当然彼女が幸せである事が最優先だよね?だったら自分の事が嫌いって言っているなら素直に手を引いたらどうかな?それが彼女にとっては一番幸せな事だと僕は思うよ」

そう言いながら女性を人質に取る男性にゆっくりと近づく逸脱審問官らしき男性。

男性は短刀を逸脱審問官らしき男性に向ける。

「くっ来るな!こっちに・・・・・来るんじゃねえ!ほ、本当にこの女がどうなってもいいのかよ!」

女性を人質に取る男性はゆっくりとこちらに近づいてくる異様なオーラを放つ逸脱審問官らしき男性に対して短刀を向けながら後ずさりをしていた。

「あの男、逸脱審問官の正装を着ているようだが一体何者なんだ?鈴音先輩」

結月は鈴音のそう聞くがすぐに返事は返ってこなかった、結月は鈴音の顔を伺うと鈴音の顔色は青ざめており戸惑いの表情が見受けられた。

結月はその鈴音の顔であの逸脱審問官らしき男性が只者ではない事を察した。

「嘘・・・・・なんで静流(しずる)がここにいるのよ、なんか嫌な予感がしてきたよ」

静流、と呼ばれたこの男はどうやら逸脱審問官で間違いないようだった。

嫌な予感と言うのはどういう事だろうか?静流を止めようにも今動けば余計人質を取る男性を興奮させるだけだ、迂闊に動く事も出来なかった。

女性を人質に取る男性に何の躊躇もなく近づく静流、人質に取る男性の警戒と動揺はさらに増して近づいてくる静流を注視しながら震える手で短刀を向けていた。

このまま近づくようであるなら女性の身が危ない、静流には何か策あっての行動なのだろうか?そう思っていた結月の目があるものを捉えた。

「!鈴音、あれは・・・・・・」

結月の見つめる先、橋の左右に備え付けられた落下防止用の手すりの下をコソコソと歩いて静流に注意がいっている男性の方へ近づく手乗りサイズの妖狐の姿があった、状況から考えて静流の守護妖獣なのだろう。

「!・・・・・なるほどね、どうやら静流も私達と同じ作戦みたいね」

同じ作戦、つまり静流が女性を人質に取る男性の注意をひいている間に自身の守護妖獣を近寄らせているようだった。

「手が震えているよ、やっぱり人を傷つけるのが怖いんだよね?もう抵抗するのはやめてさ、早くその刃物を手放して女性を解放してあげてよ、そんなに人質が欲しいなら僕が代わりに人質になってあげるからさ、とりあえず落ち着いてさ・・・・・」

落ち着いてと言いつつ笑顔で近づいてくる静流に男性は短刀を再び女性に向けようとした。

その瞬間、コソコソと人質に取る男性に近づいていた静流の守護妖獣が人質に取る男性の足に向かって飛びかかった。

そして空中で白煙の爆発と共に狐サイズに戻ると大きな口を開け男性の足に噛み付いた。

「うあっ!」

突然の右足の走った激痛に無意識に気を取られ右足の方を見る男性。

一瞬、男性に出来た隙を逸脱審問官である静流が見逃すはずがなかった。

「分からず屋のお前には少しお仕置きが必要なようだな」

静流の顔から笑顔が消え無機質な無表情になった瞬間、静流は男性との距離を詰めた。

静流は短刀を握っている腕を掴むと曲げられない方向に曲げる、鍛え抜かれた逸脱審問官の筋力を持ってすれば男性の腕を曲げる事など容易い事だった、左腕に走る激痛に男は手から刃物を落とす。

「結月、行くよ!早く静流を止めなきゃ!」

静流を止める、鈴音の言葉は決して冗談ではなく本気だった、結月もまた静流が只者ではないと察していたため鈴音の言葉に何の疑問を持たず静流の元へと駆け寄る。

しかし一歩遅かった、静流は短刀を落としたのにも関わらず左腕を曲げられない方向へと強く力を入れた。

ゴキッ!その音と共に男性の左腕の骨は圧し折られ左腕はだらんと垂れ下がった。

「あがっ・・・・」

次に静流は女性を抱える右腕を掴んで払いのけ女性を解放した。

「鈴音、それに新人、彼女の事をよろしくね」

静流は後ろから迫る鈴音と結月を一瞥すると彼女の背中を強く押した、強く押された女性は鈴音と結月の方に向かって押し出され結月と鈴音は咄嗟に彼女を受け止めてしまう。

それは大間違いだったと結月達はすぐに後悔した。

静流は男性が落とした短刀を拾い上げると左腕を抑える男性の右腕を掴みあげた。

「お前は刃物の怖さを知らないようだな、刃物を突き付けるという事がどれだけ怖い事か、僕が教えてあげるよ」

気の抜けた喋り方なのにゾッと背筋が凍るような声でそう言った後、静流は男性の右腕に短刀を突き刺した。

「うぐあっ!」

短刀は男性の右腕に深く突き刺さっており刃先が腕から大きくはみ出る程貫いていた。

左腕を骨折し右腕を短刀で貫かれた男性は橋に膝をつき痛みで嗚咽を漏らしていた。

男性は激痛ですっかり意気消沈していたが静流は男性の服の胸倉を掴むと自分の顔まで持ち上げる。

男性の顔は恐ろしく恐怖と絶望が入り混じったかのような顔を浮かべ目からは涙が零れていた、静流は無表情な顔で男性の顔を見つめていた、まるで顔にお面が張り付いているかのような不気味さが伝わってくる。

「さっき言ったよね?この女と一緒に川に飛び込んで心中してやるって」

結月と鈴音は静流のその言葉で静流が何をやらかそうとしているか察し静流を止めようとする。

「それが望みなら」

男性を鍛え抜かれた腕で持ち上げると静流はそのまま大きく振り被った。

それと同時に結月と鈴音が静流の方に向かって飛び込んだ。

「お前一人が勝手に心中すれば?」

結月と鈴音は静流に体を捕まえるとそのまま静流を橋に押し倒した。

しかしもう手遅れだった、鈴音と結月が静流を取り押さえた時、男性はもう橋の外へと投げ出されていた。

まさか振られた女性を恨んだばっかりにこんな目に会うとは思いもしなかっただろう。

勢いよく投げ出されほんの柄の間、宙に浮いていた男性だったがすぐに川へと落ちていく。

ドバーンという音と共に水しぶきが上がった。

「「あ~っ!?」」

最悪の展開を前にして鈴音もいつもは冷静を保っているはずの結月さえも大声で叫んだ。

そんな鈴音と結月を他所に静流は川に落ちた男性があたふたする姿をじっと見下ろしていた。

 




第二十二録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて私がまだ学生だった頃は「萌え」という言葉が世間一般で使われていた時期でした・・・・・こう書くと私の年齢がバレてしまいそうですがそれは置いといてテレビドラマで「電車男」というドラマがありまして結構話題になったドラマだったのですがあれが放映されたのを境にネットや一部の場所でしかお目にかかる事がなかった萌えアニメや萌えイラストが世間一般でも認知されるようになり世間に浸透していきました。
実際そうだったのかは分かりませんが実体験としてはそんな感じでした。
時が過ぎ中学生から高校生へ高校生から社会人へと移り変わる度に萌えアニメや萌えイラストは社会に浸透していき現在は萌え文化≒日本の文化として認識される様になりました。
最近のコンビニではアニメとコラボした商品や並ぶようになり雑誌を開けば何処かに可愛い女性キャラクターが載っているなど萌え文化の一端を見掛けない日は少なくなりました。
きっとこれはネットという家でしか繋げなかった電子世界が携帯電話の普及と進化によって電子世界が身近になったのが一因となっているのでしょう。
しかしそれとは別に「萌え」という言葉は姿を消していき萌えという言葉自体が古臭いものとして口にするのも書くのも憚れる程聞く事も見る事もなくなりました。
恐らくこれはネットという限られた電子世界で一部の人達によって流通していた萌えという文化が世間一般に認知されていくにつれ本来の萌え文化とはかけ離れたものになったからではないかと私は考えています。
「萌え」という文化は広大なネットという電子世界で一部の人達のみに愛され流通していた隠れた文化でありそれが公となり広まる内にあの時あの時代に愛された「萌え」が薄れてしまったというのは何だか寂しい事ですね。
それではまた再来週の金曜日に。


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第二十三録 船底を伺う二又の復讐者 二

こんばんは、レア・ラスベガスです。
久しぶりに体重計に乗ったら平均体重を大幅超過していました・・・・・・あの時見た体重計の数値を目に焼き付いて離れません、読者の皆様は冬の間運動はこまめにしていたでしょうか?私はしていたつもりでしたが何分摂取カロリーの方が・・・・・・今後は甘い物は控えるようにします。
それでは第二十三録更新です。


天道人進堂の三階にある、鼎の執務室、結月がここを訪れるのは三回目だ。

ただ今回鼎に要件があるのは静流であって鈴音と結月は静流の付き添いで呼ばれていた。

結月と鈴音が天道人進堂で支給されている普段着を着ているのは静流が投げ飛ばした男性を助けるために川に入り着ていた服が濡れてしまったので着替え直したからだ。

鼎はいつもと比べ怪訝な顔を浮かべながら執務室を八の字を描く様に歩いていた。

静流は悪びれる様子も反省している様子もなく妙に落ち着いた様子だった。

鼎は静流と結月達がここに来てから一言も喋らない、普段なら口数も多く冗談を口にする鼎がここまで何一言も喋らない所から察するに相当静流のやった事を怒っているのだろう。

無言の重圧が付き添いで来ているはずの鈴音や結月にも重くのしかかっていた、しかしそれでも当の本人はそんな重圧など微塵を感じていない様子だった。

鼎の足が止まり静流をじっと見つめると今まで固く閉じていた口を開いた。

「静流、お前がここに呼ばれるのは一体何回目だと思う?」

ずっしりと重い口調でそう語り掛けた鼎、予想通り相当機嫌が悪いようだ。

最も鼎がここまで怒るのも無理はない、人間の番人である逸脱審問官は騒ぎと遭遇した場合、他の人々に危害が及ばないよう騒ぎを治める事も務めであり、場合によっては武力行使も致し方ないとされている。(前に響子を助けるために柄の悪い男達を倒したのは良い一例である)

しかし静流は女性を人質に取っていた男性から武器を取り上げたまでは良かったものの無力化されている男性の左腕を骨折させた上に右腕の短刀を突き刺し川へと投げ込むなどをして結果的に男性に全治三カ月の大怪我を負わせたのだ。

明らかに必要以上の武力行使であり、逸脱審問官、ましてや天道人進堂の悪評にも繋がりかねない事態だった。

静流一人が罰を受けて済むなら良いのだが、当然それだけで済むわけがない、天道人進堂で働いているこの出来事と無関係の職員まで不利益を受けかねない事態であった。

「そうですねえ・・・・・・これで三十五回目くらいかな?」

三十五回、一体どれだけやらかしているんだと思った結月だったが鼎がすぐに訂正をする。

「二十五回目だ、少ないならまだしも何故十回も多く数えるんだ」

あからさまに驚いた様子を見せる静流、逸脱審問官にしては随分と胡散臭い男である。

「あれ?おかしいな、まだ二十五回しか怒られていないんだ、もっと怒られているような気がしたのになあ・・・・・・・」

結月は耳を疑った、『まだ二十五回』という言葉を驚きだが、それよりも『もっと怒られている様な気がする』と静流が思っているという事はつまり静流が他にも怒られるような事をしている可能性がある事を示していた。

「二十五回でも歴代逸脱審問官の中では断トツの多さだぞ、何故怒られる事だと自覚しておきながら反省をしない?」

鼎の質問に対して静流は間髪入れずに即答した。

「それはもちろん僕は間違った事をしていないと思っているからですよ、どんな理由であれ女性に対して刃物を突き付けて自分はお前よりも強い人間なんだぞと思っているような男には、自分の行いがどれだけ悪い事なのか身を持って教えてあげなければまた同じ事をしでかしますよ」

静流の言葉に鼎には眉間に皺をよせ睨みつける。

「例えお前が間違ってないと思っていても他の大勢の人達からしてみればお前のやった事は間違いであると思うだろう、男に裁きを与えるのはお前ではなく法だ、それとも自分が行った愚行を理解していないようであるならお前の言葉通り身を持って教えてもいいのだぞ?」

冗談ではない、鼎の目は本気だった。

「怒られるような事をしているという認識はちゃんとありますよ、僕のやり方が万人全てに納得して貰えるものではないとは思っています、ですが本当に大勢の人が選んだ意見が全て正しいと言えるでしょうか?ましてや天道人進堂は例え世論に逆らっても正しい事をする組織だと思っていました、だからこそ鼎さんの口から大勢の人という言葉には少しがっかりしています」

無力化された男に大怪我を負わせる事が正しい事なのか?そう思う結月であったが静流はそんな結月の思いに答えるように言葉を続ける。

「確かに男の罰を与えるのは僕ではなく法律ですよ、でも僕は自己満足で武力を行使した訳ではありません、例え法律で犯した罪が裁かれたとしても男から彼女への恨みは消えるものでしょうか?刑期を終えたらまたあの女性に危害を加えるかもしれません、だからこそ僕は痛みを持って男に自分の行った行為がどれ程駄目な事なのか彼のために教えるんです、きっと今頃あの男も人間の里にある奉行所の拘置所で自分の行った行為を後悔していると思いますよ」

納得した訳ではない、しかし静流の言い分には何処か理解したくなるような危険な魅力があった。

確かに法は万能とはいえない部分もあった、牢獄を出た後再び同じ事をする可能性も否定できない、男性を常時監視する手段などないのだ、ならばいっそ自分が行った行為が恐怖として残りその行為に抵抗を覚えるようになる静流のやり方は絶対に間違いとはいえないかもしれない。

男性は振られた腹いせに女性を人質に取り無理心中を図ろうとしたのはどういう理由があったとしても断じて許される行為ではない。

自分が犯した罪の重さと同等の痛みを与えるだけの理由はあったのも確かだ、男性は人間の掟の一文である『人間を陥れる事なかれ生まれる環境は違えど最初皆は平等な赤子』を破ったのだ。

それに自身が行った罪の重さを痛みで分からせるというのは逸脱審問官が逸脱者に対して使う常套句だった。

逸脱者にもそれなりのいい分はあっただろう、人間が妖怪に怯えながら暮らしているのも事実だ、だがどんな理由であれ逸脱者には痛みと死を持って自分が犯した罪を償わせなければならない、程度はどうであれ人妖になる事はそれだけ重罪なのだ。

(静流のやり方はやり過ぎではあったが理由にはそれなりの説得力があるな・・・・・・・)

静流の考えに同意は出来ない、しかし先ほどまであった怒りは収まっていた。

「それに命を奪わないようちゃんと配慮はしましたよ、骨も後遺症が出ない様に綺麗に折ったし短刀の傷も治り易くて比較的傷も残らないように刺しましたよ、それにあそこの川の水深は浅くて水の流れも緩やかなのでまず溺れる心配はないと分かった上で投げ込みました、あの男も自分の犯した罪がどれだけ重かったか良く理解したと思いますよ、少なくとも僕はそう思っています」

ここに来て結月は逆に静流に感心していた、言っている事は雇い主であり天道人進堂の元締めでもある鼎相手でも静流はしっかりとした意志で自分の意見を固辞し続けているのだ。

もし自分が今の静流の立場だったら鼎の言葉を言い返すなんて出来なかっただろう。

「・・・・・・・全く、私も恐ろしい奴を逸脱審問官に選んでしまったものだ」

静流に背を向けてそう言った鼎、反論しようと思えば幾らでも言えるだろう、だが例えどれだけ反論しようとも静流は主張を曲げるような事はしないだろう、呆れていると言った方が正解だろうか?

「もしかして後悔しています?」

はあ、と大きなため息をついた鼎。

「嫌、後悔はしていないさ、私も君みたいな逸脱審問官も必要だと思って逸脱審問官に採用した、こうなる事もよく分かっていた、ただ一つ見抜けなかったのは思っていた以上に君が減らず口だった事だよ」

抑揚のないわざとらしい声で笑う静流。

「君の意見に一定の理解はしよう、しかし幾ら何でも度が過ぎだ、お前にもそれなりの罰を受けてもらう、反省文十枚の提出及び一カ月間本拠での謹慎だ、反省文十枚は明日中にまで書いて提出しろ、出来なければ謹慎をもう一カ月増やす、いいな?」

は~い、と軽く返事した静流。

鼎が静流に対して重い罰則(これも十分思い方ではあるが)を与えなかったのは、その後奉行所に連れていかれた男性が語った犯罪の動機がとても同情できるようなものではなかった事や静流から受けた暴力について男性が奉行所に訴え出なかったためである。

つまり静流のやった行為はこれ以上取り沙汰されないという事であり、これでこの一件は終わった事になったからだ。

「結月と鈴音も静流の傍にいながら度が過ぎた行為を止められなかった事は反省すべき点だ、罰として反省文一枚を書いて提出しろ、代わりに謹慎等は特になしとする、いいな?」

静流の様に理屈を捏ねる事など結月も鈴音も出来なかったし反省文一枚分にあたる失態があったのは確かだった。

「はい、分かりました」

結月もまた鈴音と同じくその処罰に異論はなかった。

「ではこれで話は私の話は終わりだ、最後と言っては何だが結月と鈴音は静流が逃げないよう本拠まで静流を連行するように」

連行するように、そう言われ戸惑いながらも結月と鈴音は静流を挟むように執務室を後にした。

 

「いや~本当に申し訳ない、僕のせいで鈴音も結月・・・・・だったよね、反省文を提出する事になるなんて、まさかあの場に鈴音と結月がいるとは思わなかったんだよね」

相変わらずの気の抜けた喋り方でそう言った静流。

しかし結月にはどうしても自分達がいるとわかった上で静流がそんな事をしたような気がしてならなかった。

「本当に迷惑よ、静流、幾ら水が緩やかで水底が浅いからと言って両腕を大怪我した人を投げ込まないでよ、私達がいなかったらどうなっていた事か・・・・・」

随分疲れた様な様子でそう言った鈴音。

しかしそれよりももっと気にすべき事があるだろ、と思ってしまうが大怪我をさせた理由は大体静流が説明したのでこれ以上口にしても鼎のようになるのがオチだと分かっているので鈴音は敢えて口にはしなかった。

「まあ、鈴音や結月がいなかったら恐らく僕が川に飛び込んで助け出していたよ」

自分で大怪我を負わせて川へと投げ込んだ男を自らで救い出すというのは何ともおかしな話だが静流にとってはおかしくも何ともなくむしろ真面目そのものなのだろう。

今までの静流が一体どういう人物なのか理解した結月はそう思った。

「別に連行しなくたって僕は逃げないよ、一体僕を何だと思っているだろうね?」

一瞬も油断に置けない人物、真性の変人、それが静流の印象だった。

変わり者という扱いでは命も入るのだが命は服装と占い以外は常識範囲内であり占いに至っても本人ですら未来は自分の意志で切り開くものと考えている所から鑑みて結月は命を変わり者と自称する常識人だと思っていた。

だが静流は考え方も価値観も明らかに常識から外れていた、まるで見えている世界が違うかのような。

恐らく鼎も静流に対してそんな印象を抱いているのだろう、だからこそ自分達に静流を本拠まで連行するように言ったのだろう。

「長期修業で帰って来たばっかりだからとりあえずはお風呂に入って汗や汚れを落としたいし服も着替えたいし色々と本拠でやりたい事があるんだ、一ヶ月といわず二ヶ月くらい本拠に引き籠っていたいな、外でやりたい事は長期修業中に全部やっておいたからね」

静流の口にする、長期修業とは逸脱審問官に課せられる合宿の様なものである、幻想郷の山奥にある天道人進堂所有の山小屋を拠点に一ヶ月、長くて三カ月間を自給自足の生活を行い大自然の中で妖怪や熊や狼などの猛獣に気を配りながら修業を行うというものであり想像力や行動力や判断力などを養い、また逸脱者との戦闘は主に自然の中で行われる事が多いため限りなく実戦に近い状態で模擬戦闘に挑めるというのも利点だった。

一応、件頭が交代で逸脱審問官の見張りにつき万が一の時には救助するため安全性は保たれているもののなるべくそんな事態に陥らないよう長期修業を課せられる逸脱審問官は心掛けているらしい。

(自給自足か・・・・・訓練施設時代に学んだつもりだったが実際は想像するよりも過酷なんだろうな)

もう一度、自給自足の事について学び直そうと思った結月であった。

「だからといってわざと反省文を書かないような真似はしないでね、あれ以上鼎様を怒らせたら只では済まないわよ」

一応釘を刺す鈴音、静流は分かっているよ、と軽く返した。

「そういえば、改めて聞くけど君が新しく入った逸脱審問官の平塚結月だよね?見張りの件頭から話を聞いているよ、逸脱審問官なった初日から未熟種の逸脱者を断罪してその数週間後に人間の里周辺に出た獣人種の逸脱者を断罪した期待の新人だってね、確かに初めて鈴音の隣にいた結月を見た時、一目見ただけでこの男が結月なんだと確信してしまう程の並々ならぬ気を感じ取ったよ、これはかなり優秀な逸脱審問官になるんじゃないかな?」

毎回誰かに会うたび褒められてしまう結月、褒められるという事は嬉しい事なのだが皆一様に自分には才能がある事を褒めているような気がして心境は複雑だった。

逸脱審問官になれたのは絶えず努力してきたからと思っている結月とってそれは尚更だった。

鈴音のように天性の才能がある者もいよう、しかしそれでも結月自身は自分の実力は努力の賜物だと信じていた。

「期待してくれるのはありがたい事だが今の自分は優秀どころか一人前すらまだ程遠い、確かに三体の逸脱者を断罪したがそれは経験者であり先輩でもある鈴音先輩や守護妖獣の明王や月見ちゃんがいたからこそだった、俺は鈴音先輩の手助けをしたに過ぎない、優秀な逸脱審問官になれるかどうかはこれからの努力次第だ」

結月は決して自分を褒める事はせず常に自分に厳しかった。

「成程ね、結月は才能に溺れないからこそ逸脱審問官になれたんだね、才能を持つ人は多いけどその多くの人達が才能に振り回され自滅していく、それは才能に縋る程に自分の才能を実力以上に評価してしまうからなんだよね、結月はそれを分かっているからこそ自分の能力を決して過大評価しない、それは誰しもできる事じゃない、つまりそれが結月の才能なんだよ、産んで育ててくれた両親にはちゃんと感謝しなきゃいけないよ」

素質や才能を持つ人は持たない人より抜きんでているため有利な存在なのは確かだがそれは同時に下手に努力しなくても出来るようになると努力を怠りがちになり自身の才能に溺れ開花する事なくその道をやめてしまう人間も多かった。

才能とは凄まじい切れ味を持った両刃剣である。

実際、多くの訓練生がいて自分よりも実力が上な者がいたのにも関わらず最終試験を合格し逸脱審問官になれたのは結月一人だけだった事がなりよりの証明だった。

そういう意味では才能に溺れない事も才能なのだろう。

「ああ、父親、母親には産んでくれた事育ててくれた事とても感謝している、だが・・・・・」

それでも才能だけで逸脱審問官なれた訳ではないと反論がしようとした結月に静流はニンマリとした笑みを浮かべる。

「言わなくても分かっているって、結月の実力は才能だけじゃないって事は僕もよく分かっているよ、才能は原石、努力は磨きなんだ、どれだけ才能があっても磨かなければ綺麗な宝石にはなれない、きっと結月から並々ならぬ気を感じ取ったのは結月が一生懸命自分の中にある宝石を磨いたからなんだよね、結月は宝石の磨き方を良く知っている、だからこそ結月は優秀な逸脱審問官になれると僕は思ったんだよね」

結月はそれ以上何も言わなかった、静流は逸脱審問官になれたのは才能だけじゃないと理解していたからだ。

(きっとそれを理解している静流もまた宝石の磨き方を良く知っている人間なのだろう)

逸脱審問官は才能だけでは決してなれない、努力して伸ばす事が出来る人間が逸脱審問官になれる素質を持っているのだろう、結月は逸脱審問官になってそう思っていた。

「そういえば、自己紹介がまだだったよね?紹介が遅れたけど僕の名前は瀧宮静流(たつみやしずる)っていうんだ、年齢は24歳で逸脱審問官になってまだギリギリ四年目だよ、あっ!でも僕は先輩とか後輩とか余り気にしないで気楽に静流って呼んでくれればいいよ、僕はあまりそういうの拘らないからね、そしてこれが僕の相棒であり守護妖獣の凪無(ななし)だよ、見た目通り妖狐の守護妖獣で性別はオス、僕と似て変わり者だから変な行動をとっていてもあまり気にしないでね、凪無にとっては何か考えての事だから、まあ相棒の凪無共々これからよろしくね、結月、あとそれから・・・・・・」

それから本拠に到着するまで静流の自己紹介は続いた、自分の好みの話から最近の凪無の奇行の話だけでなく幻想郷に存在する宗教の在り方や幻想郷の洞窟に生息する貴重な微生物の生態の事まで全く自分とは関係のない事まで話していた。

口調が独特で何処か子供っぽいような喋り方だが話は上手いので聞いていて苦痛は感じないが流石は自分で変わり者を自称するだけの事はあると結月は思った。

「三カ月振りに本拠へ帰って来られたよ、まあでも長期修業も結構楽しかったから別段本拠に戻って来られて嬉しいって事はないんだけどね」

三ヶ月振りという事は長期修業が一月から三月まで行われたという事だ。

一月から三月は冬の季節であり幻想郷は寒さに凍え辺りは雪に覆われ鍛練どころか食糧の調達すら難しく長期修業が行われる時期としては最も過酷な時期のはずなのだが静流にとってはそんな過酷な環境での長期修業もまるで何処か旅行にでも行っていたかの様子で話していた。

無表情な静流の顔を伺う限り嘘をついている訳では無さそうだった。

「さてと、今から一ヶ月の間、本拠での謹慎生活を満喫するとしようか凪無、色々やりたい事はあるけどとりあえず銭湯に行って体の汚れを落として服を着替えよっと、ここまで同行してくれてありがとうね、じゃあ僕はこれで失礼するね、また何かあったら声をかけてよ、結月」

そう言って立ち去ろうとする静流に鈴音が最後に忠告する。

「静流、忘れてないと思うけどちゃんと反省文十枚明日中に提出しなさいよ、そうしないともう一ヶ月謹慎が伸びちゃうからね」

再三に渡る鈴音の警告に対して静流は分かっていると言っているかのように右手をあげて返事を返した。

「・・・・・・随分と変わった男だな、個性的というか意思が強いといえば良いのか、まるで激流の川でもビクともせず自分の存在を主張し続ける岩の様な男だ」

例えそれが世間や世俗と言う名の濁流であっても決して流されない岩の様な重く頑丈な強い意思を結月は静流から感じ取っていた。

「少し自分の意志が強すぎる所もあるんだけどね・・・・・・・実際、蔵人よりも頑固で一度思い立ったら誰の制止も聞かなくなるから結構付き合うのは大変なんだよね、でも個性的な分私達が考え無さそうな事を考えていたり妙に勘が鋭かったり誰もが躊躇してしまう事を率先してやったりするから傍にいて助かる時も多いんだよね、それに変人ではあるけど基本的には良い人だよ・・・・・・度を超す事もあるけどね」

鈴音の顔は何だか喜んでいるのか困っているのか複雑な心境が混ざり合うような表情を浮かべていた。

「・・・・・逸脱審問官も十人十色か、いやこれも鼎の思惑の内なのかもしれないな」

同じような考えの人間を集めた方が意見をぶつかり合う事がなく物事も順調に進むだろう。

しかしあえて考え方や価値観の違う人間を鼎が選んで集めたのには何か鼎の考えがあってのような気がしてならなかった。

結月は通路の曲がり角に消えていくまで静流から目を離さなかった。

 

幻想郷有数の川幅と長さを持つ緩葉川、その名は木から落ちた葉が沈む事無く緩やかに流されていく様子から名づけられており実際、川の流れは他の川と比べ緩やかであり誤って水に落ちても泳ぎが下手でない限り溺れる事はない(それでも年に五~六人の人間が溺死しているらしい)川であり魚も豊富に棲んでいるためこの川に沿うように村や集落が点在しておりその殆どが漁業を生業としている。

半日村(はんにちむら)から三百m下流の方で自前の小舟に乗って辺りを見回しているこの男もまた漁師であった。

「お~い!与助(よすけ)!小三郎(こさぶろう)!いたら返事しろ~・・・・・・くそっ、なんで俺があいつらを探さなければいけないんだよ」

男は誰かを探していた、それは同じ村に住み同じ職業を営む漁師であり小三郎は一週間前、与助は昨日の朝から行方知らずとなっており村の住人総出で捜索していた。

しかしこの男は人探しには乗る気ではなかった、むしろ与助と小三郎がこのまま見つからなければいいとまで思っていた。

「とはいえ探さないと疑われるのは俺だしな・・・・・・まあ後もう少しの辛抱だ、このまま見つからなかったら村の奴らも諦めるだろう、そしてこのままあいつらが行方不明になった後にあそこから古正(ふるまさ)を追い出せば・・・・・」

そう言った男はニヤリと怪しく笑った、男にとって探している与助も小三郎も古正と言う人物も死んでほしい程憎くて仕方のない奴だったからだ。

「それにしてもあいつらは本当に何処に行ったんだろうな、川に落ちても溺れるような金槌でもねえし、まさか妖怪に・・・・・・いやそんなまさかな」

この川にそんな危険な妖怪なんている訳ない、しかしこの時、自分を狙う魔の手がすぐそこまで迫っている事に男は気づいていなかった。

「・・・・・?なんだ」

男が与助と小三郎の捜索をやめて一休みしよう船に寝転んだ時だった、男は川の些細な変化に気づいた。

それは普段聞いた事がないような川の音だった、それは緩やかな川の底から聞こえる大きな何かが水を掻き分けて動く様なそんな音だった。

「水の底に何かいるのか?」

舟の底に耳をつけ音をそれが何の音か探ろうとする男。

音の正体を探ろうとする男、その時、船に大きな波がぶつかり大きく船が揺れた。

大きく船が揺れた事で船の底に耳をつけていた男は大きく態勢を崩し船の上を転げる。

「い、一体何なんだよ!?」

起き上がり辺りを見回す男だったがそこには何もない。

しかし何かがおかしい事に男は気づいていた、何故ならこんな緩やかな川で自分の態勢が崩れる程の波が船にぶつかった事など起きるはずもない。

ましてや雨が降り続いて川が増水した訳でも嵐で川が荒れている訳でもない晴れ模様の日になのに船を大きく揺らす程の波が起きるなんてありえなかった。

辺りは異様な静けさに包まれており聞こえるのは緩やかな水の流れる音と船にぶつかる小さな波の音だけだった。

しかしこの異様な静けさがむしろ得体の知れない何かに対しての恐怖へと男を駆り立てていた。

ブクブクブク・・・・・・。

突如耳に聞こえた不気味な音に男が反応して音のした方を見ると水面に泡が湧き上がっていた。

泡が湧き上がるという事は水中に空気が漏れているという事であるが先程までその場所には泡など湧き上がっていなかった。

つまり水中にいる何かが空気を吐き出しているという事になる。

「も、もしかして妖怪なのか?妖怪が近くいるのか!」

男の頭に過ったのは幻想郷に住人である妖怪の存在だった。

川にも様々な妖怪が棲んでおり中には人間を襲う河童や船を沈めようとする舟幽霊などの人間に対して実害をもたらす妖怪もいた、人間を襲わなくても人間の脅かすために悪戯をする無名の妖怪も川に多く棲んでいた。

しかしこの辺りの川には人に悪さをする妖怪はあまり棲みついておらず妖怪に襲われたという話も全く聞いた事がなかった。

男は恐る恐る船から顔を出して水中を伺った。

水面には何も映っておらず綺麗な群青色の水が下流に向かって流れているだけだった。

気のせいかと顔を下げようとしたその時であった。

「っ!?」

突然、男は目を見開いたかと思うと驚いた様子で船に尻餅をつき怯えた表情を浮かべる。

男が見たものそれは魚とは思えない恐ろしく大きな影が横切ったからだ。

「な、なんなんだよ、あれは、ひっ!ひいいっ!?」

男は恐怖で顔を歪めた、先ほどまで静かだった船の周囲の水面に無数の泡が沸き上がったのだ、まるで沸騰したお湯の様なかに船を浮かべている様な光景だった。

「やめろっ!やめてくれ!!」

冷静さを失った男は逃げる事をせずその場でうずくまっていた。

しばらくの間、ぶくぶくと泡が湧き上がっていたが突如それがピタリと収まった。

再び辺りは静寂に包まれ、うずくまっていた男は恐る恐る辺りの安全を確認すると立ち上がった。

「収まった・・・・のか?」

そう思った矢先、大きな水しぶきと共に突如男の視界が低くなった、別に男はしゃがんだわけではない、まるで自分の周りの水位が急激に低くなったかの様な感じだった。

「うわ・・・・・・」

男は水中に吸い込まれる様に落下していく、まるでそれは自分の船の周りだけ水がなくなって川底へと落ちていくかのような感覚だった。

それと同時に男の舟の前後にぬめぬめとした赤黒い生々しい肉の壁が現れた、その赤黒い肉の周囲には白く大きな石の様な物が綺麗に生え揃っていた。

「・・・・・・あ」

グシャッ!

男が赤黒い肉の壁が口だと理解した瞬間、その大きな口は勢いよく閉じられ船と男を飲みこんだ。

そして大きな口はそのまま水中へと消えていった。

辺りは再び静寂に包まれ水面には船の残骸が浮いているだけだった。




第二十三録読んで頂けるありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて最近ドラマやアニメの恋愛物を見てつくづく思う事があります。
それはどの恋愛物も最終回が結婚か新婚の夫婦生活の所で終わってしまう事です。
互いに両想いになったもしくは悲しくも失恋した所で終わる例外作品もありますが大抵は結婚か結婚して数年の場面が多いような気がします。
確かに恋愛物における結婚は物語の最終回として区切りのつけやすい所かもしれません、これからも二人は幸せに暮らしていく、そんな意味合いもあるのかもしれません。
ですがリアルの恋愛と比べてみると本当にそこで区切りをつけるべきなのかとは思ってしまいます。
恋愛における結婚は当然ながらゴールではありません、結ばれた夫婦にとっては通過点でありこれからも彼らの人生は続きます、もし恋愛にゴールがあるのなら常に人生を共に歩んできた夫婦のどちらかがこの世から旅立つ時、それが恋愛におけるゴールであり終わりではないでしょうか?
定義は様々でありこれが正解とは断言できませんが少なくとも結婚はゴールでない事は確かです。
人生ゲームでも恋愛要素はあっても結婚がゴールではありません、その後も進むべきマスは続いています。
だとしたら恋愛物の最終回を結婚に位置付けて良い物でしょうか?結婚した時は幸せでも時間が経つ毎に様々な苦難が待っています、私生活のすれ違い、他愛もない喧嘩、互いの魅力の低下、他の異性への誘惑・・・・・・その過程で愛が醒め不倫に走り家庭内暴力が起きて最悪離婚してしまうかもしれません、スピード離婚、熟年離婚、リスクは常に存在します。
もしそうだとしたら恋愛物の最終回で結婚まで行っても最後まで幸せとは限りません。
もし本当にハッピーエンドだったと言いたいのであれば結ばれてからの生活を走馬灯のように書き出した後、片方が幸せに逝くまで書いてこそ本当のハッピーエンドではないでしょうか?
・・・・・・・・そこまで見たいかは別として結婚を最終回と捉える恋愛作品に対して何気なしに疑問を投げかけてみた今日この頃です。
それではまた再来週。


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第二十四録 船底を伺う二又の復讐者 三

こんばんは、レア・ラスベガスです。
突然ですが読者の皆様は緑茶を良く飲む方でしょうか?私は時折緑茶を飲みながら小説を書いている時があります。
いつもはスーパーで買ったお茶の粉を使っているのですが、たまにお金を奮発して茶葉の専門店で買った茶葉で作る緑茶は格別です。
味は勿論美味しいのですが一番の魅力はお茶の匂い、嗅ぐだけで幸せな気分になります。
それでは第二十四録更新です。


その日は朝七時から連携攻撃を重点に模擬戦が行われ逸脱審問官にとっても守護妖獣にとっても体力と気力と集中力を大幅に使う過酷な鍛練を結月達は小休憩を入れる事無くやっていた。

だからこそ昼食と一時間の休憩は絶対に欠かす事が出来ない大切な『鍛練』の一つだった。

「結月、後三十分経ったらまた連携攻撃の練習を始めるからしっかり体を休ませないといけないよ」

そう言う鈴音はテーブルの上に疲れた様子で倒れ込みながらそう言った。

結月達は秩序の間の右の道に入った先にある飲食店が立ち並ぶ場所で昼食をとり(ちなみに結月は焼き味噌ナス定食、鈴音は春の旬の山菜天ぷら丼+味噌汁)飲食店に併設されたテーブルとイスで休憩をとっていた。

(随分疲れているようだな、流石の鈴音も昨日から連携攻撃の模擬戦をしていれば疲れるのも無理はないか)

そう言う結月も疲れてない訳ではない、しかし幼い頃から空に太陽が出ている内は体を動かしていていた結月にはかなりの体力があった。

「いつも思うけど結月は私と同じくらい鍛練している割にはまだまだ平気そうよね・・・・・やっぱり男だけの事はあるのかな?」

顔をあげて特に考えた訳でもなくそう聞いてきた鈴音。

どうだろう?と考える結月、訓練施設時代、確かに女性よりも男性の方が力を強く体力もあった、それは男性の肉体が運動向きの体つきをしているからなのだろう。

古来より男性が狩りに出掛けたり戦場で戦ったりするのも男性が女性よりも体を動かす事に向いているからだった。

しかし鈴音の様な女性の逸脱審問官もいるように決して肉体に個人差があっても全体的に見たら全てに置いて男性が女性に勝っている訳ではなかった。

実際、自分と同世代の訓練生も最初こそ男性は女性よりも体力と力に有利だったが過酷な訓練を続けるにつれ男性の中には能力が伸び悩み訓練施設を去っていく者や逆に女性の中には体を鍛え男性よりも強い筋力と体力を身につけたり身軽さや忍耐力で力と体力の低さを補ったりする者も現れ最終試験直前で自分を含め男性が三人、女性が二人残っていた。

それを踏まえるならば決して男性だから体力がある訳でも逸脱審問官に向いている訳ではなさそうだった。

どちらかといえばその後の体の鍛え方や努力次第で体力と力はどうにでもなった。

鈴音も随分とお疲れの様子ではあるが別に体力がないという訳ではなくむしろ昨日に引き続き連携攻撃の模擬戦を午前中休まず続けられた事は鈴音も逸脱審問官に相応しい体力を持っている証拠だった。

高い身体能力と体力が売りである守護妖獣の明王と月見ちゃんでさえテーブルの下で疲れからか寝転がっているのだ。

それだけ連携攻撃の模擬戦は体力と集中力を消費する過酷な鍛練なのだ。

その連携攻撃の模擬戦の後でも余り疲れてない結月はずば抜けた体力の持ち主といえよう。

「別に男だから体力があるとは限らないと思う、子供の頃、日が昇って日が落ちるまで薪割りをしたり水を運んだりして家事を手伝っていたから体力には自信がある、それだけの事だ」

別に誇っている訳ではないが体力に関して結月は自信があった。

結月は親孝行だね、と言いながら鈴音は再びテーブルの上に伏せた。

親孝行・・・・・というか、朝から晩まで働かないと暮らせない環境だったが正解なのだが。

「本当に大丈夫か?鈴音先輩、昨日の連携攻撃の疲れも残っているんじゃないか?連携攻撃は午前中みっちりやったから午後は基礎運動を中心にやるのも手だ」

基礎運動は腕立てや腹筋運動など肉体を鍛え基礎能力を底上げする鍛練で楽ではないが連携攻撃とは比べ物にならない程、気楽にやれる鍛練だった。

もちろん気楽と言っても基礎能力がなければ連携攻撃などの高度な鍛練もこなす事が出来ないので大切な鍛練の一つだった。

しかし鈴音は顔をあげて首を横に振った。

「駄目だよ、結月、そうやって楽しようとしたらそれが癖になっちゃうよ、一度だけなら、そう思ってやめたら最後、次の日もその次の日も過酷な鍛練をやりたくなくなるものだよ」

まあ楽である事に越した事はないと思ってしまうのは人間らしいと言える。

「私は大丈夫、三十分休憩したらちゃんと動けるようになるから心配しないで」

そう言って鈴音は顔をテーブルの上に伏せて目を瞑り仮眠し始めた。

(一生懸命指導してくれることは嬉しいが幾ら何でも急ぎ過ぎではないだろうか?)

鈴音は結月の事を高く評価し事前に計画していた鍛練内容も前倒しして高度な鍛練を行っていた。

それは鈴音にとって結月にはもっと上を目指して欲しいという思いがあっての事なのだが結月からしてみればいささか足早に感じる所もあった。

もちろん鈴音が一生懸命指導してくれる手前遅れはとらないよう精一杯鍛練に取り組んでおり遅れはとってないと自負はしているが結月が良くても鈴音がいつ過労で倒れないか心配な面もあった。

(鈴音の指導に力を入れるようになったのは俺がせかしたせいなのかもしれないな)

結月は鈴音を信頼し先輩として尊敬しているため自分に上司の素質があるか悩む鈴音を何度か励ました事があったが逆にこれが鈴音の指導に熱を入れてしまったと考えると何だか申し訳なかった。

(どうしたものか・・・・・)

結月がそう考えていた時、結月のふとあるものが目に止まる。

それは結月が座っている席と道を挟むようにして設置している自分達が座っている同型の椅子とテーブル、その椅子に座り黙々と何かを口に入れている静流の姿があった。

昼食だろうか、静流は生気のない目で何かを黙々と食べているようだが昼食の割には嬉しそうに見えない。

何か他事を考えているのだろうか?結月はあの一件以来静流の行動を気にしていた。

「一体何を食べているんだ・・・・」

椅子から立ち静流に近づく結月。

「!にゅふきぃりょうしたぁりょ?」

結月どうしたの?と言ったのだろう、食べながら喋ったため聞き取りづらかったが。

「・・・・・・静流、何を食べているんだ?」

そう聞くと静流は何も答えず歯に力を込め食べていたものを引き千切って結月に見せた。

それは赤黒い水分が抜け干からびた長細い肉の様な物だった。

「長期修業で余った猪の干し肉だよ、捨てるのも勿体無いし何より命を分けてくれた猪に悪いから食べ切ろうと思ったんだ」

長期修業は小屋と布団、そして医療器具(流石に怪我して治療できず悪化したら元も子もないので)だけは用意してあるがそれ以外のものは自給自足だ、食料もこれに漏れない。

恐らくは静流が今食べている猪肉は静流がとったものだろうと思っていた。

「猪肉か・・・・・・・長期修業中はそうやって動物を狩って食べていたのか」

しかし静流から返ってきた答えは意外なものだった。

「ううん、これは森の中で息絶えて三日目くらいの猪からいただいたものだよ、もうあんまり食べる場所残っていなかったし蠅もたかっていたけど他の動物に譲ってもらって少しだけいただいたものなんだよ、僕は例え自分が食べるためでも罪のない動物を殺すのは嫌いだからいつもは木の皮や雪の下に埋まっている草やその根、たまにリスが隠して忘れた木の実などを見つけては食べていたよ、この猪の干し肉はどうしても必要な栄養が取れない時に食べるつもりだったけど結局一度も食べずに長期修業の期間が終わったんだ」

素っ気ない様子でそう言った静流だが結月は顔にはださないものの驚いていた。

(木の皮や草やその根・・・・・まるで荒行のお坊さんのようだ)

生きるためなら動物を狩って食べる事も出来た、妖怪が生きるために人間を襲うように無暗な殺生でなければ動物を狩るのは罪ではなかった、人間もまた生きる権利があるのだ。

「長期修業は過酷だと思う、特に冬の時季なら尚更だ、厳しい寒さと冷たい風の中、自給自足の生活は勿論、長期修業の名の通り鍛練も積まなければならない、体の蓄えも大きく消費し肉を獲らなければ体の蓄えを燃やして暖める事も出来ない、幾ら件頭が見張っているとはいえ木の皮や草やその根だけではいつ凍死してもおかしくない状況だ、今肉を食べている限り肉が嫌いなわけでもない・・・・・生きるためなら動物を狩って食べるのも致し方ないのではないか?」

しかし静流は敢えてその選択を避け木の皮と草やその根、リスが隠した木の実などで生きながらえたのだ、しかし何故そこまでするのか結月には分からなかった。

「結月の考えも正解だと思うよ、実際肉を食べなければ体を温める事も効率的に体に蓄えを増やす事も出来ない、結月が長期修業に行くときはそうするといいよ、その動物に何か罪がなくとも誰かの生のために殺生されるのならそれは自然の摂理でありそういう運命でもあったと思うよ」

では何故?と口にしようとした結月に静流は言葉を続ける。

「でも僕は変わり者なんだよ、肉を獲ればいいのに、生き仏になるために荒行をしていた修行僧が木の皮や草やその根、木の実だけで千日も生き延びた、って話を聞くと、もしかしたら人間の身体を極限状態に追い込んで栄養の吸収効率を最大値まで高めたら木の皮や草やその根、木の実だけで生きる事が出来るんじゃないか、極限状態を維持し続ければ体の蓄えの消費も最小限に抑えられるのではないか、実は人間は常に効率の悪い生き物なのではないか、そう思ったら・・・・・・・・確かめたくならないかな?長期修業は件頭以外誰も見ていないし件頭も余程の事がない限りは手を出してこないしさ」

結月は静流の話を聞いて心底ゾッとした、人のいない森の奥、厳しい寒さと風の中、死の恐怖が隣り合わせにあるのにそんな危険な事を平然と実行にうつし達成する思考倫理に対してだ。

「もちろん僕は修行僧じゃないから焚火を焚いてお湯を沸かして飲んだり、非常食の干し肉を燻製にしたりして火で暖はとっていたよ、ただ寝る時は火事になるから火を消して寝るけどね、やっぱり寒いよ、体に蓄えがなくて体を温める事が出来ないから体の芯まで冷えるよ」

平然とそう語る静流だが正直に言えばそれはいつ死んでもおかしくない状況であった。

(それでも三ヶ月それだけで生き永らえたのは静流の恐ろしい程の生命力の高さなんだろうな・・・・)

そして三ヶ月木の皮や草やその根、木の実だけで生き残った後、帰り道、大人の男の腕を平然と圧し折り体を投げ飛ばす程の力が残っているのだ。

霊夢や魔理沙や咲夜の会った時、特殊能力を持った人間という印象は抱いたものの人間から外れた存在であるとは思わなかった結月でも静流は何処か並みの人間から外れた存在なのではないか?と疑ってしまう。

勿論、逸脱者の様に妖怪になりかけている意味ではない、他の人にはない人体の機能が静流には付与されている様な気がしてならなかった。

驚異の生存能力は霊夢や魔理沙や咲夜と同じく特殊能力者なのか、もしくは極限状態を常時維持してきた静流の肉体が生存本能を覚醒させた賜物なのか、真相は定かではないがどちらにせよ静流は性格を含め人間の中でも『変わり者』のようだ。

「動物の肉を三カ月も絶っていたからこうして猪の干し肉を食べると動物の命の欠片を頂くという事がどれほど大切で感謝しないといけない事なのかを一層実感するよ、やっぱり肉は美味しいし体の蓄えにもなるし気力も沸いてくる、食べ過ぎれば毒だけど人間には肉は必要だと思うんだよね、だからこそ命の欠片を分けてくれた動物に感謝をしながら残らず食べないとね」

そう言って静流はズボンの収納袋からもう一切れ猪の干し肉を取り出し結月に向けた。

「結月も動物の命の欠片を分けてもらって生きている事を感謝しないといけないよ、これを食べてさ」

結月は静流から猪の干し肉を受け取りじっと見つめる、野生の動物特有の匂いと若干腐っているかのような匂いが漂うが静流の話を聞いた以上、結月も退く訳にはいかなかった。

口を開けて猪の干し肉を齧ろうとしたその時だった。

カンカンカンカンカンッ!!

聞き覚えのない鐘の音、しかしそれが何処から鳴っているのか何が目的でなっているか結月は瞬時に理解した。

「おや?逸脱者が現れたみたいだね、全くこんな平穏な季節くらい静かにして欲しいよ」

音の正体は秩序の間玄関広場にある「禍の知らせ」に設置された鐘突きの音だった。

「っ!逸脱者が現れたの!?早く件頭の所へ行くよ、結月!」

鐘突きの音に飛び起きた鈴音だったがそれに文句を言うことなく逸脱審問官としての役目を全うする、気持ちよく寝ていた守護妖獣も目を覚まし玄関広場に向かっていた。

勿論、結月と静流も遅れる事無く玄関広場に向かった。

「っ!・・・・・白鷹(しらたか)あなたなのね、逸脱者の情報を手にしたのは」

玄関広場に着いた時、禍の知らせには一見風変わりな件頭の姿があった。

件頭の正装でもある忍者の様な黒装束を身に纏っているが頭には黒色の防災頭巾様なものを被っていた、そのため他の件頭が目以外露出していないのに対してこの白鷹は顔が露出しており色白の肌も怪しさを感じるような笑みも淀んだ瞳も見る事が出来た。

情報提供者の件頭が白鷹だと分かった時、鈴音は警戒しているかのような顔をした。

「ああ、まさしくその通りだが・・・・・随分と怖い顔で私を見つめているな、鈴音」

白鷹は他の件頭と比べ気楽な感じに鈴音に話しかける。

「どうして私があなたを警戒しているか、あなたが一番分かっているはずよね?」

一体どういうことなのだろうか?そう思う結月に対して白鷹は軽く笑った。

「まあ、心当たりがない訳でもない、しかしまだ一度も間違った事はないだろう?そうだろう、鈴音?」

話が呑み込めていない結月に対して静流は結月の傍によると耳打ちをした。

「結月、君は会うのは初めてだから知らないと思うけど白鷹は件頭の中でも変わり者と評される男なんだよ、彼は物的証拠よりも状況証拠に頼る所があって逸脱者である可能性が限りなく高いと判断したら確証性のある物的証拠がなくても逸脱者の断罪を逸脱審問官に依頼する人間なんだよ、だから本当に逸脱者が出現したかどうかは分からないんだよね、他の件頭が限りなく業況証拠が逸脱者の仕業だと分かっていても物的証拠を見つけない限りは逸脱者の断罪を依頼しないのとは対照的にね」

静流の説明を聞いて結月は鈴音が何故白鷹に警戒するのか理解した、つまり彼は風馬とは正反対に位置する件頭だからだ。

風馬は蝙蝠騒動の時も確証的な物的証拠が手に入れるまで断罪を依頼しなかった、それは逸脱審問官の命を守るためでもあったからだ。

しかし彼は確証的な物的証拠がなくとも限りなく逸脱者が出現した可能性が高いと判断した時点で断罪を依頼するのだ。

それはつまり妖怪かもしれないという可能性を完全に否定できないまま断罪を依頼しているという事になる、逸脱審問官にとってこれほど危険な事はない。

鈴音が警戒するのは当然と言えた。

「確かに今の所あなたの依頼が間違っていた事は一度もないわ、でもそれは今までの話、今回外さないかどうかは分からないわよ」

恐らく今回も確証的な証拠がない状況で依頼をしているのだろう、そう考えるならば前も大丈夫だったから今回も大丈夫なんて保証はないだろう。

「確かに今回も物的証拠は出ていない状況での依頼だ、だが俺の下調べでは限りなく逸脱者の出現した可能性が高いだろう、もし逸脱者ではなく妖怪だとしたら責任は全て私が受けよう」

そう口にする白鷹だったがその言葉には重みがあまり感じられなかった。

「言葉だけは立派ね、でももしあなたの情報が間違っていて逸脱者ではなく妖怪だったとしたら、そして私達があなたの誤った情報で命を落としたら、例えあなたが本当に責任を取って自決しようと失った命は戻ってこないわよ?」

鈴音の反論しようのない言葉に対して白鷹は腰に携えた小刀を鞘から抜くと腹の手前で突き立てた。

「ならばもし私の情報が間違っていると断言できるなら私はここで切腹をして命を絶つしか他にないな、私は私の情報が間違ってないと思っているからね、信じてもらえないという事は情報専門である件頭の死の宣告であり件頭の道しかない私にはそれを受け入れるしか方法がないからね」

白鷹の言葉には先程の軽さとは打って変わって言葉に重みが感じられた。

むしろその覚悟の込められた言葉を聞く限り、もし「信じない」と答えれば小刀が腹に突き刺さってもおかしくないような危険な意気込みが感じられた。

こうなるとおいそれと信じられないとは答えられなかった、その上で白鷹は話を続ける。

「私の調べでは恐らくもう二人の人間が逸脱者の犠牲になっていると思われる、これ以上犠牲者を出さないためにも逸脱者の断罪を頼みたいんだ、確かに確証性のある証拠を見つけるまで待つのが真っ当な件頭のやり方だとは思うさ、だがその証拠を待っている間も逸脱者は人間を襲い続ける事になる、逸脱者の可能性が限りなく高い以上、一刻も早く逸脱審問官が現場に行き状況を把握し逸脱者かどうか見極めた方が良いと私は思っているよ」

確かに逸脱者の仕業らしき出来事が起きているのに確証性のある証拠を待っていてはいつになるか分からない、決して正しいとは言えないが蝙蝠騒動の時も確証性のある証拠がなかったために罪のない人間の命が失われる事になったのも事実だ。(勿論その事で風馬や他の件頭を責める事などしないが)

(白鷹もまた件頭の変わり者か・・・・・)

とはいえここで信じて貰えなければ切腹する覚悟があるという事は余程自身が集めた情報に自信あるという事だ、信憑性のない情報なら切腹するなんて言わないはずだ。

彼は決して適当でもなければ決断が早すぎる訳でもない、むしろ確証性のある物的証拠がなくともそれに匹敵する程の状況証拠をかき集めてきたに違いない。

逸脱者の犠牲者を増やさないために出来る限り多くの証拠を集めいち早く決断を出し危険は承知の上で逸脱審問官に断罪を依頼する、彼もまた変わり者ではあるが件頭なのだ。

しばし白鷹を警戒していた鈴音だったがため息をつき根負けしたかのような顔をする。

「・・・・・・分かったわよ、ここで自殺してもらいたくないしそれだけの覚悟はある事は理解したしね、ただこんな事ばかりしていると何れ風馬や鼎様の怒りを買う事になるわよ、気をつけなさい・・・・・・それで逸脱者の事は何処まで分かっているの?」

自分の情報を信じて貰えたことが嬉しいのか白鷹はうっすら笑みを浮かべ小刀をしまった。

「正しいやり方ではない事くらい承知の上さ、それで逸脱者の出現場所は緩葉川の上流にある半日(はんにち)村の周辺の川だと私は睨んでいる、逸脱者の種類は恐らく水棲種だ、ここ一週間の間に半日村の漁師が三人行方不明になっておりその内の二人が昨日の朝方と今日の朝方に行方不明になっている、半日村周辺には人間を襲うような危険な妖怪は棲みついておらず襲われた話所か目撃情報さえも見当たらない、最近は人魚の妖怪を見掛けるらしいが・・・・・それほど危険な妖怪でもないようだ、また川の流れは緩やかで流されたり転覆したりする事はないらしい、そもそも行方不明になった二人の漁師はそれなりに長い漁師歴なのでまず溺れるなんて事はないそうだ、それに・・・・・・・」

白鷹が何か言葉を言おうとした時、静流は何かに察した。

「半日村の漁師だけが狙われたように襲われているのが不可解に感じるよね」

白鷹だけでなく鈴音や結月の視線が静流に向く。

「妖怪の仕業なら何故半日村の漁師だけを狙うのか分からない、本来なら他の周辺の集落や村の漁師が襲われてもいいはずだよね、わざわざ半日村の漁師だけ襲われたのは何かの偶然かな?僕には決してそう思えないけどね、まるでその漁師を狙っていたかのように見えるよ・・・・・」

確かにそう言われてみれば妖怪の仕業にしては不自然だ、そもそも水に潜む妖怪の多くは川辺に近づく人間を川に引きずり込む者が多く絶対数が少なく警戒心の強い猟師を襲う妖怪はあまりいないからだ。

「狙っていたね・・・・分かったわ、とにかく半日村に行ってみるよ、確かにちょっと妖怪にしては不可解に感じるしね、じゃあ急いで逸脱審問官の正装に着替えた後、半日村に全速力で向かうわよ、いいわね?結月」

とはいえ逸脱者が出たかどうかも定かではないのに正装を着る事に躊躇を覚えてしまう結月、あの正装は逸脱者との戦う事を前提に作られた衣服であり長時間着る事に向いてない衣服だという事は何度も着た事がある結月が一番知っているからだ。

だからこそ逸脱者が出現したと断言できるまで逸脱審問官に声がかからないのはそういう理由もあった。

「分かった、すぐ準備する」

だがもし逸脱者が本当に出現したのなら着ない訳にはいかない、逸脱者が出現したら必ず正装に着替えてから断罪に向かうのが逸脱審問官の規則だからだ。

結月と鈴音は急いで仕立屋に行き新しい逸脱審問官の正装を受け取るとロッカールームで着替えた後、浅野婆から武器を受け取り急いで正面玄関を目指した。

「あっ!結月先行っていて、あるものを取って来るから」

そう言って鈴音は再び飲食店の方の道に入って行った、結月は鈴音の言う通り先に正面玄関を出ると明王を巨大化させ鈴音を待っていた、鈴音は結月から遅れて二十秒くらいで戻ってきた。

「遅れてごめん結月!はいこれっ!漢方厳選元源薬(かんぽうげんせんげんげんやく)!疲れた時にはこれを飲むと元気と気力が体から湧いてくるよ、味は保証できないけどね・・・・・」

鈴音から飴色のガラス瓶に入った液体状の薬を二本受け取る結月、一本は自分用もう一本は守護妖獣用だろう。

様々な漢方薬の素材の中から厳選した百種類を調合した薬で絶大な疲労回復と気力増進効果が望めるが高価な素材をふんだんに使用しているため一本三万の値が付くほどだった。

また高価である事は希少でもあるため作れるとても本数も限られており、しかもあまりに効力が強すぎるため一本使用したら二週間も間隔を空けなければ体に支障をきたす危険性がありまさに毒と薬は紙一重である事を教えてくれる薬だった。

逸脱審問官を本拠に一定数を待機させているのも同じ人が短い期間で何度も出撃するのを防ぎ、薬を出来るだけ使わせないようにするためでもあった。

「味は保証できないか・・・・・相当な覚悟を持って飲む必要性があるようだな」

そう言いながらも結月は瓶のふたを取ると躊躇なく薬を飲んだ。

薬の味は鈴音の言った通り今までに味わった事のない苦味と辛味と酸味が混じり合ったような味が口いっぱいに広がり本能がこれを飲み込む事を拒否していた。

しかし結月は危険信号を無視し勢いを持って一気に飲み干すとその場で咳き込んだ。

「げほっごほっ!・・・・・大丈夫・・・・・結月?」

心配する鈴音であったが鈴音もまた苦悶の表情を浮かべながら咳き込んでいた。

「んっ・・・・んう・・・・・ああ、まるで様々な虫の体液を一日煮詰めた様な味だった、二週間どころかもう二度と飲みたくないな・・・・・出来る事なら」

とはいえもし疲れている時に逸脱者が出現したら迷いなくこの薬を手に取るだろう、それが逸脱審問官の使命でもあり覚悟だった。

残ったもう一本を結月と鈴音は互いの相棒に飲ませる、グイグイと一気に飲み干す明王と月見ちゃんであったが飲み終わった後少し咳き込んでいた。

「ごほっ・・・・ある程度は味覚を押える事が出来る守護妖獣でもこの味を完全に抑える事は無理、けほっ!・・・・・みたい」

良薬は口に苦しというがこれ程苦いなら効力にも期待した所だ。

「はあ・・・・・はあ・・・・よしっ!でもこれで半日村に着く頃には疲労は感じられなくなるよ、さあ出発しよう!」

鈴音と結月は相棒である守護妖獣に跨ると半日村に向けて出発した、口に残る苦味を気にしつつも・・・・・。

 

緩葉川の上流近くの森、春の訪れと共に木々は枝に緑の葉を生い茂らせ空から降り注ぐ日光の多くを遮ったため森の中は日陰が目立った。

しかし薄暗いと感じる程ではなく差し込む光だけで森の中は十分明るかった、日陰の多い地面は長年降り積もって出来た腐葉土を栄養にして草木が生え地面の下からは様々な昆虫が目を覚まし微生物と共に去年の落ち葉を食べて新たな土を作っていた。

その昆虫を食べる野鳥も集まっており森の中は鳥の声が常に響いていた。

そんな森の中でも野鳥が集まる場所があった、そこは大きな木の根元であり草花がまばらに生えており密集していないため餌とする昆虫が見つけやすく鳥はこぞって集まった。

何十羽の体の大きさも模様も種類も違う鳥が夢中になって虫をつばんでいる中、地面に這いつくばり草むらで身を隠しながら静かに何かが近づいてきていた。

その静かに近づく何かは慣れた様子で鳥に気づかれず草むらから草むらに移動し最も鳥に近い草むらに紛れ込んだ。

「よし・・・・・・とりあえずここまでは順調のみたいね」

小さくそう呟いた何かは草むらの中から集まった鳥達の様子を伺う、左から右へ視線を動かしまるで鳥を選んでいるかのようだった。

すると運が良いのか悪いのか、一羽の野鳥が何かが隠れる茂みに近づく、それは綺麗な色合いをしたキジだった、餌に恵まれていたのか肉付きも良かった。

茂みに隠れる何かはキジに狙いを定め集中力を高める。

(勝負は一瞬・・・・・・・眠っている狼の本能を目覚めさせるのよ)

狼の本能と口にした何かは狼に近い存在であったが純粋な狼でもなかった。

キジに殺気を悟られないよう押し殺し機会を見計らう何か、口からは人間のよりも鋭く長い犬歯がチラつかせ目は狩人の様な鋭い視線でキジから視線を外さない。

キジは餌に取るのに夢中になっており草むらの潜む自身を狙う存在に全く気付いていない様子だった。

自身が狙われているとはつゆしらずキジは飛び跳ねる昆虫を見つけ草むらに背を向けた、その瞬間だった。

(来た!)

虎視眈々と狙いを定めていた何かは中に眠る狼の本能に従いキジ目掛けて草むらから飛び出した。

草むらから何かが飛び出した瞬間、多くの鳥が危険を察知し空へと逃げていく。

多くの鳥が空へと逃げる中、草むらから離れていた鳥や草むらに背を向けていた鳥が一瞬反応に遅れ飛び立つのが遅れてしまった。

しかし自然は一瞬の判断の遅れも許してはくれない、仲間に続こうと空へ飛び立つキジだが草むらから飛び出した何かに首を掴まれ何かと共に地面に落とされる。

「こらっ!暴れるなって・・・・・・このっ!」

鳴き声をあげ暴れるキジを必死につかむ何か、首を掴む手に自然に力が入る。

少しの間激しく抵抗していたキジだが徐々に動きが鈍くなり数分後には大人しくなった。

「はあ・・・・・はあ・・・・・やったわ、キジを仕留めてやったわ、流石は日本狼である私ね」

キジの息の根が完全に止まった事を確認すると日本狼を自称する何かは息を切らしながら何かは立ち上がるとキジを持ち上げ誇らしげに笑った。

日本狼と自称する何かだがその姿は人間の女性の様な姿をしており頭からピョコンと出ている狼の様な耳だけが唯一彼女が日本狼の『妖怪』だと判断できる特徴だった。

彼女は現世では既に滅び幻想郷で僅かながら生きていた日本狼の一匹が妖怪化した狼女であり妖怪の楽園である幻想郷で生まれた新しい妖怪である。

見た目は十代後半か二十代前半の人間の女性のような姿をしており同じくらいの歳の人間の女性と比べると中々魅力的な容姿をしていた。

髪は赤みがかった黒髪をしており頭には大きな狼の耳が生えていた、凛々しくも女性らしい顔立ちをしており目は鮮やかな赤色の目をしていた。

黒色の襟と袖、白色の服、赤色のスカートが一体となったお洒落なドレスを着ており日本狼の妖怪と名乗っている割には野蛮さや凶暴さは感じられずむしろ気品に溢れていた。

実際彼女は人間を襲うような恐ろしい妖怪ではなく、むしろ人間から距離を置いて暮らしている妖怪だった。

彼女の様に大人しい妖怪でも平穏に暮らしていけるのはここが幻想郷だからであり、まさに妖怪の楽園と呼ばれる幻想郷を象徴する妖怪と言えた。

それでも日本狼は肉食動物であり日本狼の妖怪である彼女もまた妖怪化の影響なのか雑食性になったものの今でも肉は大好物だった。(とはいえ彼女は鶏肉や鹿肉が好みのようだが)

「・・・・・とはいうものの5回くらい失敗したんだけどね、まあ今のは我ながら完璧な狩猟だったわ・・・・・・もう随分日も高くなっているようだし多分十二時は過ぎているはずよね、十三時過ぎ位くらいかしら?そろそろお昼ご飯にしないといけないわね・・・・・そうと決まったら」

日本狼女は川に方向に向かって走り始めた、一緒に来ている友人を昼食に誘うためだった。

一方その頃、日本狼女が友人と呼ぶ者は彼女がいる森を抜けた先、河原を挟んで流れる緩葉川の水底におり楽しそうに鼻歌を歌いながら何かに没頭していた。

「この石は・・・・・ちょっとごつごつしているかな、こっちの石は・・・・・うん、滑らかで肌触りも良くて形の良い石ね」

そう言って日本狼女の友人は手に持った石を腰に着けていた腰巾着の中に入れ、また気に入る石を探し始めた。

日本狼女の友人は女性寄りの妖怪であり自分好みの石を集めるのを趣味にしており日本狼女と同じく幻想郷生まれのおっとりとした性格の大人しい妖怪だった。

普段は住居のある霧の湖でひっそりと暮らしているのだが今日は友人である日本狼女と一緒に緩葉川までお出掛けに来ていたのだ。

「ほかに綺麗な石は・・・・・うん?今誰かが私を呼んでいたような・・・・」

水中でしかも水底にいるためハッキリとは聞こえないが彼女の魚の鰭の様な耳は人の声の様な音をしっかりと捉えていた。

声が聞こえた方を見上げるとそこには川の流れで揺らいでいるが見間違えるはずのない友人の日本狼女が川底を覗き込んでいるのが見えた。

「影狼(かげろう)ちゃん?何かあったのかな?」

彼女は下半身を大きく揺らめかせ影狼と呼ぶ日本狼女に向かって浮上した。

ザバァという水を押し上げる音と共に川から上半身を出した彼女、その姿は耳以外人間の女性と近い姿をしている影狼とは違い彼女は一目で妖怪だと分かる姿をしていた。

何故なら彼女は上半身こそ髪色や耳代わりの鰭以外は人間の女性の様な体をしているが下半身は魚の様な体をしているからだ。

そう彼女は人魚の妖怪でありその人魚の中でも川や湖などの淡水に生息する人魚だった。

上半身は十代後半か二十代前半の女性の姿をしているが影狼と比べると何処かその姿は幼く感じられ、少なくとも影狼よりは年下に見えた。

髪は鮮やかな青色で前髪以外の髪は螺旋状に巻いており水色の魚の鰭の様な形をした耳をしており澄んだ青色の目は何処までも沈んでいくような深みのある水の色をしていた。

体は大人なのに幼げに感じられる顔立ちには優しい笑みが似合っていた。

深緑色をした和服を着ており紫の帯と橙色の帯紐で腰回りを締めているが帯から下はフリルの様なものが施されまるでスカートのようになっていた。

下半身の魚の部分は鈍い青色をしており立派な尾鰭もついていた。

一目で妖怪だと分かる姿は人間から警戒され恐れられているが彼女自身から恐怖や悪意は一切感じられず優しさと穏やかな雰囲気すら感じられた。

「どうしたの、影狼ちゃん?何かあったの?」

彼女の言葉にキョトンとしていた影狼はため息をついた。

「何があったのって・・・・・・太陽を見上げてみなさい、もうお昼過ぎているわよ」

影狼にそう言われ空を見上げる彼女、太陽の位置を確認した後彼女はあっ、と小さく呟いた。

「本当だ・・・・・ごめんね影狼ちゃん、ずっと石拾いをしていたから気づかなかったよ、じゃあお昼ご飯にしようか、ってあれ?影狼ちゃんその手に持っているのって・・・・・・・」

友人の人魚の目が影狼に左手に掴まれたキジに向かう。

「これ?ふふん、このキジはさっきの森の中で餌に夢中になっている隙に後ろから忍び寄って飛び掛かって捕まえたものよ、これでも私は日本狼の妖怪だから狩りは得意なのよ」

実は失敗する事の方が多い事は敢えて伏せてそう自慢する影狼に友人の人魚は口を手で押さえ驚いた顔をしていた。

「えっ!これ影狼ちゃんが仕留めたの?・・・・・・凄い、やっぱり影狼ちゃんは日本狼の妖怪だけの事はあるね、私には鳥を捕まえる事なんて出来ないよ、この尾ひれじゃ地上を上手く走る事が出来ないしきっと近づくだけで気づかれちゃって逃げられちゃうしね・・・・」

そう言って友人の人魚は目線を下げ魚である自身の下半身をじっと見つめた。

魚の部分である下半身は泳ぐ事には適していたが陸地を歩くのには適しておらず陸地を進む時は跳ねながら進むしかないため短距離でも多くの体力を消費する上に跳ねる度にベタッベタッと着地音が鳴るため確かに彼女では鳥を捕まえる事は至難の業だろう。

一応妖怪なので宙に浮く事も出来たが元々水中での活動に適した体をしているためあまり早く空を飛ぶことは出来なかった。

それに例え鳥を捕まえたとしても彼女には捕まえた鳥に止めを刺す事が難しいだろう。

何故なら彼女は小さな虫も殺せない程気弱な性格をしているからだ。

このように殺生を苦手とする妖怪は幻想郷に少なからずいた。

落ち込んでいる友人の人魚を見て影狼は慌てて励まそうとする。

「お、落ち込む事なんてないわよ!わかさぎ姫、妖怪にも得意不得意あるし何でも全部できる妖怪なんて八雲紫様位なものだよ、もしかしたら紫様でも苦手な事があるかもしれないじゃない、確かに私は陸地での行動は得意だけどわかさぎ姫は水中では物凄い速さで泳げるじゃない、私は・・・・・元々は狼だから泳ぐのは得意ではないしそれにほら・・・・とにかく水中を自在に泳ぐことの出来るわかさぎ姫はやっぱり凄いと思うわよ」

影狼の励ましに嬉しそうな顔をするわかさぎ姫と呼ばれた友人の人魚。

それが彼女の名前であり周りからもその名前で知られていた。

「本当?・・・・・えへへ、影狼ちゃんにそう言ってくれると私嬉しいなぁ・・・・でも泳ぐのは得意だけど河童とか比べると泳ぐ速度が遅いから自慢できることじゃないけどね・・・・・」

わかさぎ姫は後ろ向きな性格をしており何事も悪い方へと捉えてしまう傾向があった。

このままではまたわかさぎ姫が落ち込んでしまう、何とか励まそうと思案する影狼はある事を思い出す。

「何も速く泳ぐことが良い事とは限らないわよ、そりゃあ、泳ぐ事だけ考えたら河童の方が速いかもしれない、でもわかさぎ姫は水中の中をまるで空を飛んでいるかのように優雅に泳ぐ事が出来るじゃない、わかさぎ姫みたいに優雅に泳げる妖怪なんて他にいないわよ」

とにかく機嫌を直してもらおうと褒める影狼に顔を赤らめるわかさぎ姫。

「あ、ありがとうね影狼ちゃん・・・・・そんな風に褒めてくれるの影狼ちゃんくらいだよ、でもそれでも私は影狼ちゃんが羨ましいんだよね、影狼ちゃんは誰にでも優しいし自分から話しかけられるしとてもお洒落だしそれに・・・・・可愛いし、私からしてみたら憧れの存在だよ」

わかさぎ姫の言葉に影狼は首を横に振る。

「そんな事ないわよ、私なんかよりわかさぎ姫の方が優しくてお洒落で可愛いと私は思うわ」

その言葉を聞いてわかさぎ姫の顔はさらに赤くなる。

「・・・・・わかさぎ姫?顔が赤いようだけど大丈夫?」

影狼のその言葉にハッとした表情をしたわかさぎ姫は激しく首を振るといつも通りの様子で振る舞う。

「ご、ごめん・・・・・特に何でもないよ、やっぱり春になったから太陽の光が強くて火照っただけだから・・・・・ちょっと水の中に戻るね」

そう口にするわかさぎ姫だが別に彼女は水中向きとはいえ地上でもある程度活動が出来るため太陽の光が苦手という訳ではない、影狼に褒められて照れているのを紛らわせるためそう言っただけだった。

「そう、それなら良いのだけど・・・・・・血抜きをして羽取りをして捌いたらまた呼びに来るからそれまで水中で待っていてね」

そう言って影狼は森の中へ戻っていく影狼の後姿をわかさぎ姫はじっと見つめていた。

そして影狼の姿が見えなくなると少し落ち込んだ様子で水中へと潜っていく。

「はあ・・・・・・駄目だなぁ私、影狼ちゃんに迷惑かけてばかりだよ、影狼ちゃんの前では元気でいたいのに・・・・・」

顔を赤らめながらも何処かため息が漏れそうな顔でそう言ったわかさぎ姫。

どうしても自分は消極的な所があり何かと物事を後ろ向きに捉えてしまう事が多かった、自分以外の者に対しては良い所も見つけられるのに自分には良い所なんてないと思ってしまっている自分がいるのだ。

「でも影狼ちゃんはちゃんと私の良い所も見てくれるんだよね・・・・・えへへ、嬉しいな」

そう言って先程の影狼の言葉を思い出し笑みをうかべるわかさぎ姫。

わかさぎ姫は影狼から褒められる事がとても好きだった。

「私も影狼ちゃんみたいになれたらいいのに・・・・・・・」

それが難しい事は彼女自身がよく分かっていた、性格はすぐに変えられるものではない長い人生の積み重ねの末形となり少しずつ変わるものである。

だからこそわかさぎ姫は影狼に対して憧れを抱いていた。

影狼は決して強い妖怪ではなかったが持ち前の明るさと愛想の良さから交友関係は広かった。

一方のわかさぎ姫は臆病な性格で自分から進んで話し掛ける事が出来ず何事も悪い方へと考えてしまうため他の妖怪と関わろうとせず距離を置いてしまいがちだった。

当然、友人関係の少ない彼女は話のやり取り自体も慣れておらずそれが余計に彼女の社交性の低さに拍車をかけていた。

彼女の趣味が石拾いなのも孤独な時間が長かった故の趣味なのかもしれない。

影狼はわかさぎ姫の中でもありのままの自分を受け入れてくれる唯一の友人であり彼女との会話である程度は話のやり取りは出来るようになったがいざ他の妖怪と会ってみると緊張から頭が真っ白になり次の言葉が出てこないのが現状であり彼女の悩みの種だった。

「やっぱり・・・・・無理だよね、私なんかが影狼ちゃんみたいになんかなれる訳ないよね」

わかさぎ姫は大きくため息をついて俯いた。

「ああ、また駄目な方向に考えちゃった・・・・・・とにかく石拾いに集中しよう」

気を紛らさせるためわかさぎ姫は石拾いを再開しようとした、その時だった。

「・・・・・?何だろうあの影」

わかさぎ姫が水面を見上げると黒い小さな影が幾つもこちらに向かってきていた。

川の流れは向かってくる方からなので水面を何かが流れてきているという事だった。

正体が気になったわかさぎ姫は幾つもの何かが浮かんでいる水面に向かって浮上する。

水面から顔を出したわかさぎ姫、彼女が見たものは木の破片・・・・・幾つもの木が組み合わされた破片もある事から船の破片のようだった。

「これは船の破片だよね?どうしてこんなものが・・・・・・」

転覆した船が流れてくるのなら分からなくもないがここまで無残な船の残骸が流れてくる事にわかさぎ姫は困惑していた。

「なんでこの船のこんなにもバラバラ何だろう?まるで物凄い速度でぶつからなきゃこんな残骸にはならないはずなのに・・・・・・」

しかしそれが不可能な事はこの川の事を良く知っているわかさぎ姫が良く知っていた。

緩葉川はその名の通り静かな川の流れと例えられる程、水の流れが緩やかなのだ。

意図的に壊して流さない限りここまで無残な船の残骸が流れるなんて事は絶対ありえないのだ。

「何でこんなものが・・・・・一体上流で何が起きているの?」

不穏な空気を感じ取っていたその時、わかさぎ姫の正面から船の残骸と共に水面を浮かぶ青白い色をした黒いカビのような物が生えた何かが向かってきていた。

「何だろう・・・・・これ」

わかさぎ姫は青白い色をした何かを手に取るとそれが何なのか確かめる、しかしそれが何なのか理解した時、彼女は青ざめた顔色を浮かべ表情は恐怖に染まった。

「きゃああああああっっ!!」

甲高い悲鳴、その悲鳴は森の中でお昼ご飯の準備をしていた影狼の耳にもしっかり届いた。

「この声は・・・・まさか、わかさぎ姫!?」

影狼はわかさぎ姫の悲鳴を聞きつけ川へと全力疾走する。

「わかさぎ姫!大丈夫!?一体どうした・・・・・の?」

森を抜けて河川敷に着いた時、影狼は自分に向かって何かが飛んでくるのが見えた。

「うわっ!と・・・・」

影狼は向かって飛んできた何かがを反射的に受け止めてしまう、しかしそれは不運だった。

「なにこれ・・・・・・」

反射的に受け止めてしまったもの、それが何なのか理解した影狼はわかさぎ姫と同じように顔色を青ざめさせ顔を強張らせる。

わかさぎ姫は反射的に投げ影狼が反射的に受け止めてしまったもの、それは絶望と恐怖で顔を歪め断末魔をあげながら絶命したかのような表情をした白目をむいた人間の男の生首だった。

黒いカビに見えた様な所は髪の毛で青白い色をしていたのは血が抜けきっていたためだった。

「きゃああああああっ!!」

影狼もまたその場で大きな悲鳴をあげた、影狼もわかさぎ姫も大人しい妖怪が故に人間の死体慣れしていなかったため反応は人間そのものだった。

こうして彼女達もまた水底に潜む魔の手の因縁に巻き込まれていく事になる。




第二十四録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて、最近ネットではけものフレンズというアニメが流行っているみたいですね。
アニメは見た事なくても名前だけならキャラクターだけなら知っているという人もいるでしょう。
元々は配信終了したソーシャルゲームを原作にオリジナル要素を組み込んで三カ月という短い期間で公開されたアニメでしたが瞬く間に人気は爆発、同時期に放映されていた他の深夜アニメに大きな差をつけ覇権アニメとなりました。
まるで火に油を注いだかのような人気に私はここまで勢いよく人気になったのはネットの情報伝達力ならでは、と感心していましたが心の片隅では果たしてけものフレンズは一体何時までもてはやされるのだろうと考えている自分がいます。
けものフレンズが終わる?けものフレンズは永久に不滅だ、そんな風に考えているファンも多いかもしれません、ですがかつてけものフレンズのように爆発的に人気になった作品は総じてある程度時間が経つと急速に勢いが衰えていくものです。
例えるなら古いもので言えばらき☆すた、新しい物で言えばゼロから始める異世界生活、この二つ共ネットで爆発的に流行し全盛期は燃え盛る炎の様な勢いがありましたが今は二つ共余り話題にあがる事はなくなりました、らき☆すたは十年以上も前と考えると当然かもしれませんがゼロから始める異世界生活はまだ一年も経ってないのに語られる事がめっきり減りました。
私の偏見と言えば偏見なのですがどうでしょうか?アニメ系まとめブログを開けばけものフレンズの話題ばかり・・・・・・本当にそんな事はないと言えるでしょうか?
何故こうも流行り廃りが早いのか、それはネットの情報伝達力の速さが原因です、ネットの情報伝達力が速いが故に人気作品は瞬く間に人気に火が着きますがそれは同時に当時の流行を上書きする様な形で広まっていくので今流行りの作品よりも前の作品は忘れられるからです。
そうでなくても深夜アニメは一年に四回に分けて複数のアニメが公開されます、大きな流行が生まれなくても新しいアニメが公開されていく内に前のアニメの存在感は薄くなっていきます。
つまりけものフレンズも今は勢いがあるけれどこの先流行となるアニメが現れたり長く時間が経過したりするともしかして・・・・・・という事はあります。
これはアニメに限った事ではありません、様々な所で同じ事が起きています、インターネットの普及と手軽さによって流行り廃りが昔以上に加速しています。
ですが流行の中には流行り廃りの流れに生き残って定番として語れる物もあります。
けものフレンズは一時の花火になるのかそれとも長く咲き続ける大輪の花となるのか今後の経過を注視しながら日々を生きています。
それではまた再来週の金曜日に。


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第二十五録 船底を伺う二又の復讐者 四

こんばんは、レア・ラスベガスです。
先週は小説を更新できず申し訳ありませんでした、最近色々あって仕事がとても多忙で家に帰ってきても小説が書けない程疲れています。
今は書き溜めていた物を手直しして投稿しているのですがその手直しすら手がつかない状態でした。
まだ仕事が忙しい状態が続きますが今週からはまた頑張って投稿していこうと思います。
それでは二十五録更新です。


半日村の名前の由来は単純かつ安易なものである、東側に存在する断崖絶壁の断層を背に作られたこの村は朝を迎え太陽が昇って来ても断崖絶壁の断層が朝日を遮り村の空が青くても村の周囲は暗く九時頃になって日の光が村の周辺に入ってくるようになるが村の西側には川を挟んで大きな山があるため四時頃には山に太陽が沈み始め五時頃には暗闇に包まれるため太陽が出ている時間帯でもこの村の周辺では半分程度の時間しか日の光が入ってこない村と言う意味でこの名が付けられたのだ。

しかもこの村は冬になるとさらに日の光が入り込まなくなり三分の一程度しか日照時間がなく一日の大部分を暗闇と震えるような寒さに支配されるとても過酷な場所にあった。

しかしこの場所は緩葉川に隣接し川魚も豊富に棲んでため漁業に向いておりさらには脅威となる妖怪もいなかったため人が集まり村として形成されたとされている。

名前が至極単純なのはこの村が現世からやってきた古くからある村ではなく幻想郷に住んでいた人々が集まって生まれた漁業をするためだけの村だからなのだろう。

とはいえ村が出来て何十年と経過し村の暮らす人々にも半日村の村人としての意識が芽生えつつあり村にひっそりと余生を送るこの村を開拓した老人達がかつて若かりし頃に過ごした故郷の祭り文化が入り混じる様にして生まれた豊漁祭りは今年でようやく五年目だ。

村の人口は老若男女合わせて百十七人程度の人々が暮らしておりその大部分の村人が漁業関連の仕事に着いているが太陽の光があまり差し込まないジメジメとした場所である事を生かして茸栽培をする村人も少数いる。

「着いたよ、結月、ここが半日村だよ」

数十分かけ目的の村に到着した結月達、月見ちゃんの背中から軽やかに降りる鈴音の姿に先程の疲労は一切感じられない。

(元源薬の効果は絶大だな、まさに良薬は口に苦しか・・・・・)

そんな感想を抱く結月も元源薬の効力を自身の体で実感していた。

先程まで昨日からの鍛練の疲れが出ていたのに今はそれが全く感じられずむしろ体全体が気力に満ち溢れていた。

「ああ、既にあそこに人だかりが出来ているようだ・・・・・恐らく三人の行方不明者を探しているのだろう、詳しい事情を彼等から聞く事にしよう」

結月の言葉に頷いた鈴音と共に結月は行方不明者を探しているであろう人だかりに近づいた。

「どうしたものか・・・・・・!?お主達は一体何者だ?」

こちらに近づいてくる結月達の存在に気づいた白い長髭を蓄えた老人がそう尋ねた。

その老人の言葉と共に人だかりの視線が結月達に向く、不安、警戒、緊張が窺える顔色を皆一様に浮かべていた、逸脱審問官の正装を纏い肩には翼の生えた手乗り程度の大きさの妖獣を乗せた結月達の姿は警戒されて当然だろう。

「驚かせたのならすまない、俺達は逸脱審問官だ」

逸脱審問官の一言だけで何処まで伝わるか不安だったがそれは杞憂だった。

「逸脱審問官だと・・・・・人妖を狩る事を専門とした者達がいるとは聞いていたがお主達の事だったか・・・・なるほど、確かに常人とは思えぬ程の気迫と強さを感じますな」

老人は逸脱審問官の姿を見るのは初めてのようだが疑う事なくすんなりと認めた。

「な、なんだって!?逸脱審問官だと・・・・・じゃあ与助と小三郎と重信(しげのぶ)は・・・・まさか人妖に・・・・」

誰かが言ったその言葉に集まっていた村の者達がざわついた。

「いえ、まだ逸脱者・・・・人妖が出現したとは断言できないけどその可能性が高いから直接私達が状況を確認しにきたのよ」

本来状況を確認するのは件頭の仕事のはずなのだが戦う専門である逸脱審問官がそれを行うのは些か可笑しな事だった、だが百聞は一見に如かず、自分達で確認した方が状況をより把握する方がより詳しく理解できるという点では白鷹の言葉にも一理あるだろう。

「そうですか・・・・・・確か逸脱審問官には逸脱審問官の耳と言える件頭がいると聞く、恐らくはその件頭からあらかたこの村で起きている事を聞いた上でここに来られたはず・・・・・それ以上に何か聞きたい事があるならこの半日村の村長であるわしが答えよう」

どうやらこの白髭の老人が半日村の村長らしい。

「貴方が村長でしたか・・・・・・では事の始まりから詳しく話してもらえないだろうか?」

件頭からはある程度説明は受けていたが所詮は大まかだ、まずはこの村で起こっている事を村長から詳しく聞く事にした。

「うむ・・・・・だが一体何処から話せば良いものか・・・・・・恐らく最初は一週間前の朝、漁師の小三郎が突然行方知らずになった所からかの・・・・・その前の日の夜までは小三郎の姿を目撃した者はおったのだが次の日の朝からは誰も見かけなくなってしまった、最初は皆気のせいだと思っていたが二日経ってようやくわしらも小三郎がいない事に気づいた、村人総出で探したのだが見つからなかった」

もし逸脱者が犯人だとしたら彼は逸脱者に襲われたと考えるべきだろう。

とにかく今は村長の話の続きを聞く事が先決だった。

「そして小三郎が行方不明になってから六日目の昨日の朝の事だった、今度は船で下流に向かった与助がそのまま行方知らずになった、この川は緩葉川という名の通り穏やかな川だ、流されてしまったという可能性はないだろう、それに与助は漁師になって長い、例え船が転覆しても溺れる事はまずないだろう、後は妖怪の仕業だがこの村の周辺の川には人を襲うような危険な妖怪はあまりいない、だからこそここに人が集まり村が作られたのだからな」

村長が話では恐らく与助と言う人物は事故にあった可能性は低いだろう、逸脱者ではないとすれば別の場所にいた人を襲う妖怪がここにやって来て襲った可能性だけだった。

逸脱者でないとすれば可能性としては妖怪が一番ではあろう、しかし白鷹はこれが逸脱者の仕業だと信じて疑わなかった、そこまでの確信を抱ける何かがあるはずなのだ。

それは結月も鈴音も何となくここに来て感じ取っていた。

「そして今日の朝、小三郎と与助を探しに船で下流に向かった漁師の重信が全く戻ってこない、あいつは十一時頃には戻ってくると申しておったのに十三時になっても帰って来なくて心配していたのだ、重信は時間を間違えるような男ではないからな、何か起きたに違いない、村の者達は不安に苛まれ探しに行くのに躊躇している、何が起きているか分からない以上、下手に動いて今度は自分が行方知らずになってしまう事を恐れているのだ」

一週間の間に三人もの行方不明者が出ているのだ、探しに行くのを躊躇してしまうのも無理はない。

「つまり重信さんの安否は誰も確認しに行ってないんですね?」

静かに元気なく頷いた村長、どういう事情であれ村人が三人も行方不明になってしまった事に対して責任を感じているのだろう。

詳しい状況を把握した結月と鈴音、その上で気になるのは三人とも同一犯に襲われたのかという点だった、与助と重信の行動は良く似ていた、朝方に下流に向かって船を出してそのまま行方不明になった、仮に逸脱者か妖怪の仕業であるなら同一犯の可能性は高かった。

妖怪は基本単独行動であり群れて生活する事はない存在だ、もしこの村周辺に人を襲うような妖怪がやってきたとすれば恐らくは単独だろう。

しかし妖怪の仕業にしては不可解な点もあった。

(人間を襲う間隔が不自然だ・・・・何故一人目と二人目の間に六日も時間を空けたのに何故二人目から三人目は一日の間隔しか空けなかったのか?)

妖怪の気紛れ・・・・そういえば簡単だろうが妖怪はこのご時世、頻繁に人間を襲わなくても生きられるようになった、本来なら二人目から三人目の間にも五日以上間隔があいているはずなのだ。

何故なら肉を好む妖怪は肉食動物に似た思考倫理・・・・・自分の必要な分だけしか襲わないという考え方をしている者が多いからだ。

人間を比較的襲う事で知られる妖怪、河童も理由もなく人間を殺したりはしない。

だからこそ襲われる人間の間隔が不自然なのは妖怪が複数いるかそれとも妖怪でないかのどちらかなのだ。

しかし白鷹の言葉が結月の脳裏に過る。

「・・・・・半日村周辺には人間を襲うような危険な妖怪は棲みついておらず襲われた話所か目撃情報さえも見当たらない」

白鷹は異端でも件頭、情報収集はしっかりとしただろう、この緩葉川上流周辺には半日村を含めいくつもの集落や村が点在し人口も多い、妖怪が複数いたとしたら目撃者の一人や二人くらいいてもおかしくないはずなのにこの周辺の妖怪の目撃情報が乏しいのは妖怪が複数いる可能性が限りなく低いという事だった。

そして結月達にはもう一つ引っ掛かる点もあった。

(そもそも最初の行方不明者の小三郎と二人目三人目の行方不明者である与助と重信は本当に接点があるのかな?)

与助と重信と比べ小三郎の失踪には相違点があった、三人とも漁師である事は同じなのだが夜間に行方不明になった事を含め短い期間に襲われた他の二名とは違いそれなりに間隔があった、もしかしたら小三郎の行方不明と与助と重信の行方不明は全くの別問題かも知れなかった。

「最初に行方不明になった小三郎さんが村から出ていくような事に何か心当たりはないかしら?」

そう聞いた時、一瞬人だかりの中にいた特に特徴のない三十代の男が一瞬、不審な挙動を見せたのを結月は見ていた。

「そうだのう・・・・・・実は小三郎が行方知らずになる三日前、小三郎の船と漁師網が何者かに壊されていたのだ、犯人は・・・・・結局分からずじまいだが、小三郎がいなくなった時、最初わしらは小三郎の船と網が壊された事で放心状態になって村を出ていったと思っていたのだが・・・・」

舟が壊された、つまり小三郎は陸路で何処かに向かったのは確かであり、傷心して放浪に旅にでも出掛けたか、それとも放心状態のまま死地を求めて何処かに行ったかのどちらかである。

やはり川で行方不明になった与助と重信とは状況が違うようだ、与助と重信の行方不明とは全く関連がないのかもしれない。

しかし結月と鈴音には小三郎がこの行方不明と関係がないようには思えなかった。

間隔はあれどこの一週間の間に三人も行方不明になる状況を考えれば偶然が重なっただけとは思えなかった。

「とにかく今は・・・・・戻って来ない重信の行方を探した方が良さそうだな」

もし重信が逸脱者か妖怪に襲われたのならまだ時間の経っていない重信ならまだ川に手掛かりが残っている可能性があった。

「ええ、そうね、急いで川沿いに向かって探しましょう」

その時、人だかりの中から年老いた女性が現れた。

「息子を探しに行って下さるのですかい、どうか重信を見つけてください、お願いしますだ」

どうやら重信の母親らしい、必死に結月達に向かって頭を下げていた。

「・・・・・・分かりました、ではお願いがあるのですが重信さんの衣服か良く使っていた物を一つだけ貸してもらえませんか?この子は匂いにとても敏感なので重信さんが近くにいた時匂いを辿る事が出来るんです」

鈴音の肩に乗る月見ちゃんが任せてと言っているかのようにニャンと鳴いた。

「重信の・・・・・ですかい、それならこの手拭きを使ってください、いつも重信が持ち歩いていた手拭き何です」

重信の母親から手拭きを受け取ると鈴音は月見ちゃんに匂いを嗅がせる、そして次に結月に手拭きを手渡すと結月は明王に手拭きの匂いを嗅がせた後重信の母親に手拭きを返した。

「では探しに行こう鈴音先輩、こうしている間にも状況は変わっているはずだ・・・・・」

うん、と頷いた鈴音、月見ちゃんと明王は息を合わせたように肩から飛び降りると人が乗れる大きさまで巨大化した。

先程まで肩に乗る程小さく可愛らしかった妖獣が主人を逆に乗せられる程大きくそして狂暴な姿へと変貌を遂げた事に村人は驚きを隠せなかった。

「では重信さんを探しに行ってきますから皆さんはそこで待っていてください」

唖然とする村人に見送られながら結月と鈴音は川沿いに向かって守護妖獣を走らせた。

明王の背中に乗り慣れた手つきで乗りこなす結月だったが心中は穏やかではなかった。

(先程の村長の言葉・・・・どうも歯切れが悪かった、何か心当たりでもあるのだろうか?)

それは先程、小三郎の船と網が壊された話をしていた時、犯人は分からないと言っていたがどうも不審に感じる所があった、隠しているという程でもないようだが確信はなくても心当たりはあった様子だった。

そしてもう一つ気になったのは鈴音が小三郎の行方不明になる原因を聞いた時、人だかりの中にいた男が俯いたように見えた事だ。

話したくない、隠したい、結月にはその男の行動がそんな風に見えた。

「・・・・・・戻ったらもう一度問い質す必要性があるな」

結月の目がより一層険しくなった。

 

しばらく川沿いを走り村から五km下流に下った。

明王と月見ちゃんの足が止まらないという事は匂いを見つけられていないという事だった。

それと同時にやはり重信は何かに巻き込まれた可能性が高い事を確信していた。

幾ら漁師でもここまで下流に下る事はないからだ、幾ら流れが穏やかとは言えも五kmも下流に下る可能性は低いからだ。(戻るには流れに逆らって船を漕がなければならないため)

「・・・・・結月、やっぱり重信さんと与助さんは・・・・・」

鈴音に言われなくても結月は鈴音にわかる様に頷いた。

「やはり只事ではないようだ、白鷹の読み通り、逸脱者が関わっているかもしれないな」

まだ逸脱者だと決まった訳ではないが結月と鈴音は妖怪の仕業とはあまり考えていなかった。

明確な理由がないため断言はできなかったが先程の村長や村人の会話で妖怪の仕業とは思えなくなってきたからだ。

何かがおかしい、何かを隠している、何かに躊躇している、あの重信と与助が襲われる原因となった出来事があの村で起こった気がしてならなかった。

(もしそうだとしたら逸脱者の正体はあの村の住人である可能性が高い・・・・)

しかし逸脱者が元は村の住人だとしたら犯人は一体誰だろうか?

状況を考えるなら一番逸脱者になり得そうなのは一週間前に行方不明になった小三郎だろう、村長の話から小三郎は行方不明になる三日前に自分の船と網を壊されたらしい、もしかしてその出来事と現在行方不明になっている与助と重信が関わっていたのだろうか?

(一体あの村で何が・・・・・)

そんな事を考えていた時、突然明王と月見ちゃんの足が遅くなる。

「もしかして匂いを嗅ぎつけたのかもしれない」

鈴音の読み通り明王と月見ちゃんは突然河原で足を止めしきりに地面の匂いを嗅いでいた。

そして森の方に向かってグルル・・・・と喉をならした。

「重信さんは森の中に入っていったのかな?・・・・・でもこの近くには船は一隻も停泊してなかったし・・・・・」

そう思いつつも鈴音と結月は慎重に森の方へと足を踏み入れる、可能性は低いにしても妖怪がいるかもしれないからだ。

もし妖怪だった場合、すぐに逃げられるよう明王と月見ちゃんの乗ったまま森の中を進む結月達。

しかし森に入ってすぐ結月達は異様な姿をした二人組を見つけた。

それは後姿ではあるが一目で明らかに二人共人間ではないという事を結月達は理解した。

「結月・・・・・あれ」

警戒を強める鈴音、明王と月見ちゃんもいつでも逃走できるよう身構えている。

しかし結月は二人の後姿を見た時、その内の一人の後姿に目がいった。

上半身は人間の女性の様な体をしているが下半身は魚の体をしているその姿は以前何処かの誰かから聞いたような気がしたのだ。

(そういえばあの時・・・・・)

結月はすぐに思い出した、それは逸脱者に関しての情報を白鷹が話していた時だった。

「・・・・・最近は人魚の妖怪を見掛けるらしいが・・・・・それほど危険な妖怪でもないらしい」

危険な妖怪ではないと聞いていたため聞き流していた結月だったが、もしかしてあれが人魚という妖怪なのだろうか、確かに見る感じは危険な雰囲気は全く感じられなかった。

「・・・・・鈴音先輩、もしかしてあれが白鷹の言っていた人魚かもしれない」

結月の言葉に鈴音も守護妖獣もあの話を思い出し幾分警戒を解いていた。

一方、肝心の二人というとこちらの存在にまだ気づいていない様子だった、あまり強い妖怪ではないのかもしれなかった。(だからといって完全に警戒は解いていないが)

「本当にここに埋めるの?影狼ちゃん」

困っているかの様なはたまた悲しんでいる様な表情をしながら影狼の方を見る。

「しょ、しょうがないでしょ、私だって出来る事ならこれをこの人の帰りを待っている人達に帰してあげたいわよ、でも人間は恐ろしい生き物なのよ、自分より弱い奴に対しては平気で苛める奴もいるし、何かと言い掛かりをつけて脅してくる奴もいれば、人の弱みに漬け込んでくる奴もいる、はたまた自分達さえよければ周りの事なんて考えない奴もいれば、平然と動物や同族である人間すら殺す奴もいるのよ・・・・・・私は人間が怖くて仕方がないの、それにもしこれを持って人間に会ったらまるで私達が殺したみたいに見られるわよ、そうなったらもっと危険な目に会うかもしれないわ・・・・・わかさぎ姫だって人間怖いよね?」

それはそうだけど・・・・と口にしたもののそこから先の言葉が出ないわかさぎ姫。

「だから私達に出来る事はこれを手厚く葬る事だけなのよ・・・・・それくらいの事しか出来ないのよ、私達がもう少し強ければ探してあげる事も出来たんだけどね・・・・・人間って本当に恐ろしい生き物だから・・・・」

どうやら彼女達は妖怪でありながら人間を怖がっているようだった。

もちろん妖怪全てが人間を餌と認識している訳ではないし人間を軽視している訳ではない。

中には響子のように人間に友好的な妖怪もいれば聖や一輪のように人間に融和的な妖怪もいたが彼女達の様に人間をあそこまで怖がる妖怪も珍しかった。

結月からすれば静流、白鷹に次ぐ変わり者の『妖怪』だった。

「なるほど、人間と言う生き物はそれ程恐ろしい存在なのだな、怖がるのも無理はないな」

突然後ろから聞こえた声にビクッとなった二人は恐る恐るこちらを向いた。

「うっ!うわっ!?よ、妖獣!?何でここに?しかも今話しかけてこなかった?」

影狼とわかさぎ姫が驚くのも無理はない、自分よりも大きな妖獣が二匹並んで立っておりしかも言葉を話しかけてきたのだ。

最初は妖獣の姿しか見ていなかった影狼とわかさぎ姫だったがその妖獣の上に二人の人間が乗っている事に気づいた時、彼女達はさらに驚いた様子を見せた。

「!?・・・・・に、人間!?」

人間である結月と鈴音の姿を見て影狼は動揺しわかさぎ姫は影狼の腕にしがみ付いた。

あれ程人間を恐れていたようだからそう反応されるのも無理はない。

結月は明王の背中から降りると明王を手乗り程度の大きさに戻し肩に乗せた、鈴音もそんな結月を見て月見ちゃんから降り手乗り程度の大きさに戻した月見ちゃんを肩に乗せた。

「驚かせてすまない、だが俺達はあんた達が思っている様な人間じゃない、まずは落ち着いてくれないか?」

そうは言っても素直に落ち着いてくれるとは思ってなかった。

「私達は天道人進堂の逸脱審問官よ、人間の掟を守り幻想郷の秩序を保つのが私達の使命であり人間の掟を破った者に罰を与えるのが私達の仕事なのよ、人間の番人とも呼ばれたりもするわ、貴方達が怖がるそんな悪い人間も規律を正すため罰したりする事もあるわ」

鈴音は結月を援護するように自分達が何者か説明する事で彼女達を落ち着かせようとした。

逸脱審問官?天道人進堂?彼女達の戸惑いを見る限りではどうやら天道人進堂も逸脱審問官も知らないようだった。

「人間の掟破った者・・・・その多くが人間の道を外れ妖怪となった人妖・・・・逸脱審問官の間では人妖を逸脱者と呼んでいるが、その逸脱者を断罪するのが人間の番人である逸脱審問官の仕事だ、そして俺達の肩に乗っているのが守護妖獣、人工的に作りだされた妖怪で俺達の相棒だ」

相棒、と言う言葉に明王は誇らしげに胸を張っているように見えた。

「人工的に生み出された妖怪ね・・・・・・人間の手で妖怪が生み出されるなんて何だか恐ろしい話ね」

影狼の言う通り守護妖獣の存在を危ぶむ妖怪も少なからずいた、鼎もその危険性は重々承知しており守護妖獣が妖怪と人間の均衡を崩す存在にならないように守護妖獣の生み出し方と飼育方法は極秘情報として扱われ一部の情報は天道人進堂の一部職員が把握しているが全容は鼎のみである。

「それは意外と私達も同じだけどね・・・・」

小さく鈴音がそう呟いたのは守護妖獣の存在ではなくそのやり方を生み出したであろう鼎の存在に対しての恐怖や不気味さからでた言葉であろう、結月も鈴音と同感だった。

「・・・・・・・まあ、とりあえず悪い人間ではないようね」

影狼の後ろに隠れるわかさぎ姫はともかく影狼は幾分警戒を解いていた。

「俺達からすればまだあんた達が本当に安全な妖怪かどうか判断しかねている所がある」

心が見えない以上妖怪であれ人間であれ不信感を抱くのは致し方なかった。

「・・・・・・まあ、そう思って当然よね、でも人間が怖いのは本当よ、演技じゃないわ、私達は妖怪だけどあんまり強くないのよ、貴方達が後ろにいても話し掛けられるまで気づかなかった程にね、だから人間に関わらない様に生きてきたしましてや人間を襲った事なんて一度もないわ、それに・・・・・人間にはあまりいい思い出がないのよ」

そう語る影狼の顔は本当に何か嫌な事を思い出したのか俯いて悲しそうな様子だった。

その雰囲気から結月と鈴音には彼女が嘘を着いているようには見えなかった。

それを見て結月と鈴音は彼女達が漁師を襲った可能性はないと理解した。

「・・・・・・分かった、あんた達を信じよう、俺達もあんた達に危害を加えるつもりはない、ただ話が聞きたいだけなんだ」

真剣な面持ちでそう言った結月に対して影狼とわかさぎ姫は顔を見合わせた後、頷いて結月達の方を見た。

「信じてくれるのね・・・・・・だったら私は貴方達の話を信じるわ、でもその前にお互いの自己紹介をしない?貴方達の事をもっと知りたいのよ」

自己紹介は信頼を築く上で土台に当たる部分だ、当然結月達もするつもりだった・

「俺は平塚結月、そしてこれは俺の相棒の妖狐の明王だ」

簡単で簡素な自己紹介を済ませた結月、続いて鈴音が自己紹介をした。

「私の名前は飯島鈴音よ、そしてこの子が私の相棒の妖猫の月見ちゃんよ、よろしくね」

鈴音も結月程ではないが自己紹介も簡単で簡素なもので済ませた、これは現在仕事中のため必要最低限の要所のみを抑えたためだ。

結月達が自己紹介を終えると今度は影狼とわかさぎ姫も自己紹介をする。

「私は日本狼の妖怪で今泉影狼っていうのよ、皆からは影狼って呼ばれているわ、それと日本狼の妖怪だけど人間は襲わないから安心してね」

日本狼の妖怪、そう名乗った彼女と耳を見てああ、だからかと結月と鈴音は納得する。

一方で先程から人間は襲わないと何度も言う辺り影狼にとってそれはとても重要である事が窺えた。

恐らく日本狼の妖怪≒人を襲う妖怪だと誤解されやすく、人間を襲わない彼女としてはそう思われるのは不本意なのもあるし人を襲う妖怪だと認知されると妖怪退治を専門とする者達に狙われてしまう事を恐れているからなのだろう。

一方影狼にしがみついていたわかさぎ姫も影狼にせかされて自己紹介をし始める。

「つ・・・・・次は私の番だよね・・・・・私の名前はわかさぎ姫っていうんだ・・・・見て分かるかも知れないけど人魚の妖怪なの、私も影狼ちゃんと同じく人間を食べたりする妖怪ではないから安心して・・・・ください、趣味は石拾いで丸みがあって手触りの良い石を集めるのが好きなの・・・・・・よ、よろしくお願いします、結月さん、鈴音さん」

影狼の後ろでもじもじしながらも自己紹介をしたわかさぎ姫、話し方からして人付き合いが下手か元々臆病な性格なのだろう。

「よろしくね、わかさぎ姫さん」

鈴音はそれを察してか得意の笑顔で返すとわかさぎ姫も幾分警戒を解いてくれた。

少なくとも影狼の腕から手を放していた、危害を加えるような存在ではない事を理解してくれたようだ。

「そ、それで結月さんと鈴音さんは何をしにここに来たの?」

影狼達の警戒を解くため話し込んでしまった結月達だが話が逸れている事に気づき本来の目的を影狼達に説明する結月。

「実は俺達は幻想郷各地で情報を集める件頭・・・・・・情報専門の隠密集団からこの周辺に逸脱者が現れた可能性が高いという情報を得てここにやって来た、逸脱者は川に潜んでいる可能性が高くそれを示しているかのように上流にある村の漁師が一週間前に一人、昨日の朝に一人、今日の朝に一人、三人の漁師が行方不明になっている、俺達は今日の朝から行方不明になっている漁師の匂いを守護妖獣に覚えさせ下流に向かって漁師を探していたんだがこの森の方から漁師の匂いを嗅ぎつけて森に入ったらあんた達がいたというのが今の状況だ・・・・・行方不明になった漁師について何か知っているか?」

結月の話を聞いて息を詰まらせたような表情をする影狼とわかさぎ姫。

「・・・・・・私達が人間を襲わないって話、信じてくれるよね?」

そう聞いてきたという事は何か手掛かりを持っているのだろう、勿論だと言っているかのように頷いた結月と鈴音。

「実は・・・・・・さっき石拾いをしていたらこれが船の残骸と一緒に流れてきたんだ、人間に関わるのが怖いから手厚く葬ってあげようと思っていたんだけど・・・・・」

そう言ってわかさぎ姫は後ろにあった布に包まれた何かを震える手で持ち上げ結月達の前に出した。

結月達は包みを受け取り包みを開くとそこには眠っているかのような表情をした男の生首があった、流石に断末魔をあげているかのような顔で埋めるのはどうかと思った影狼とわかさぎ姫が怖い気持ちを必死に抑えながら口を閉じさせ瞼を閉じさせたのだ。

「っ!・・・・・・・もしやこれが・・・・・・」

明王が生首に近づき匂いを嗅いだ、明王は結月の方を見て確信のある顔で頷いた。

「恐らくこれが重信さんね・・・・・・これで何かに襲われたのは間違いないようね」

重信の生首に対してまずは手を合わせ重信の生きてきた人生に敬意をはらった後、鈴音は重信の生首を躊躇なく手に取り持ち上げる。

「安らかな顔をしているようだけど手直しされた跡があるわね、影狼さんとわかさぎ姫さんが多分表情を変えたんだと思うけど恐らくはもっと絶望に満ちた顔を浮かべていたのかもしれないわね」

影狼とわかさぎ姫は鈴音の話を聞いて驚いた表情をしていた。

何故それが分かるのだろう、何故そんなに人の死に顔を見つめられるのだろう、両方の意味合いで驚いていた。

「首の傷が荒い・・・・・刀などの鋭い刃物で切り裂かれたというよりは何か強い力で引き裂かれたとような感じね、もしくは引き千切られたか・・・・・」

生首を横に向け首の断面をマジマジと見つめる鈴音、そんな鈴音を見て影狼とわかさぎ姫は若干退いていた。

「鈴音先輩、これを・・・・・」

実況見分していた鈴音に結月が透明の液体と蓋底に綿棒がついた小さなガラス瓶を差し出した。

それは風馬が使っていた人妖特有の妖力に反応する薬が入った逸脱者かどうかを判断する道具だった。

「さて、どうかしら・・・・・」

鈴音は蓋を取り蓋底に着いた綿棒で首の傷口を擦りその綿棒がついた蓋をガラス瓶に被せ小刻みに振った。

すると透明だった液体が見る見る紫色に変わっていった。

「・・・・・・当たりみたいね、どうやら川には恐ろしい人間だった者が潜んでいるのは間違いないようね」

紫色に変化した液体の意味する事、それは逸脱者が現れたという何よりの確信だった。




二十五録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて読者の皆様が住んでいる地域には桜の木は生えているでしょうか?私の住んでいる地域では人の手で植えられた桜の木と野生の桜の木を見る事が出来るのですがどちらの桜ももう完全に散ってしまい新緑の葉を青々と茂らせています。
読者の皆様の住んでいる桜はどうでしょうか?咲き始めでしょうか?満開でしょうか?散り際でしょうか?それとも完全に散ってしまったのでしょうか?九州から北海道まで駆け抜けるように咲く桜。
その様子はまさに春の訪れを告げる花と言っても過言ではないでしょう。
昔から人々は桜に様々な想いを抱いてきました、美しさ、気品さ、慎ましさ、そして儚さ、かつて桜を見てきた人々にとって桜は何を連想させるものだったのでしょうか?
派手でもなく短いながらも美しく咲く桜、これほど多くの日本人を魅了してきた花はないでしょう。
その一方で桜よりも一足早く咲く梅は桜と同じ春を代表する花の一つですがこちらは桜と比べると若干影が薄い印象を受けます。
平安時代の頃は桜よりも梅の方が人気はあったのですがそれ以降は桜の人気に隠れがちです。
テレビをつけても特集は桜の事ばかり何だか梅が可愛そうになってきます。
どちらも素敵な花なのですがどうしてもこうも人気に差がついてしまったのか、気になる所ですが梅もまた桜には劣りますが日本人に愛される花の一つ、どちらが人気などと気に留める事もなくどちらも愛して大切にしてもらえればいいなと思う今日この頃です。
それではまた来週。


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第二十六録 船底を伺う二又の復讐者 五

こんばんは、レア・ラスベガスです。
数年前、Wiiが壊れてしまいWiiUを購入したのですが結局、遊んだソフトはWiiU専用ソフト数枚とWii専用ソフト数枚程度、前回のWiiが十枚以上だった事を考えると二つ足しても二桁言ってない事に驚きです、別にWiiUが面白くなかったという訳ではないのですがWiiにはあってWiiUにはない魅力があって言葉で表し辛いのですがあえて言葉にするならば斬新さがなかったと言えばいいのでしょうか?
ソニーがシンプルながらも高機能なハードで売り出す中、任天堂は新感覚や斬新さを生かしたハードを創ろうとしているのは分かるのですが何だか上手くいっていない印象を覚えます。
私は任天堂もソニーどちらも好きなのですがどちらかと言えば任天堂よりなので何とか任天堂スイッチには頑張って欲しい所です。
それでは第二十六録更新です。


重信の生首を抱え半日村に戻ってきた結月達。

「・・・・・っ!おお、戻ってきたか、それで重信は・・・・・」

それが・・・・と言葉を口にした鈴音、その表情と手に持った何か包まれた物を見て村人達は大体を察してしまったようだ。

重信の母親の方を見てみると青ざめた顔色を浮かべ口元に手を当てていた。

「下流を下った先で重信さんだと思われる体の一部は見つけましたが・・・・・これが重信さんか、誰か確認してもらえませんか?」

結月達は当然重信の顔を知らない、この生首が本当に重信本人かどうかは顔を知っている村人達に確認してもらわなければならなかった。

ざわつく村人達だがすぐに前に出たのは重信の母親と村長だった。

「・・・・・見せてください、やっぱり自分の目で確認しない限りは信じられねえから」

人違いであった欲しい、あるいは例え体の一部でも自分の息子が帰ってきたのか、年老いた女性の顔にはそんな思いが滲み出ていた。

「ではこちらへ・・・・・」

村人達と一旦距離を置いたのは多くの人が見て騒ぎを起こさないようにという鈴音の配慮だった。

一方で結月は集まった村人の方をじっと見つめていた。

結月はある男を探していた、村を出る前鈴音の質問に対して顔を俯かせた男だった。

(あの男は何かを隠している・・・・それも重要な事だ)

漁師二人の行方不明に逸脱者が関わっている以上、この村の村人が関わっていた可能性が高いからだ。

結月は村人一人一人確認しながら探していたがすぐに探していた男は見つかった。

特に目立った特徴のない三十代の男、あの時と同じく顔を俯かせていたがあの時とは違い体を小刻みに震わせ顔色は重信の母親よりも青ざめた顔色をしていた。

他の村人と比べても明らかにこの男だけがこの場から浮いている様に感じた。

(恐怖に苛まれているようだ・・・・・まるで次に自分が襲われるのが分かっているかのような・・・・・)

話し掛けようかどうか結月が迷っている一方で鈴音は布に包まれた重信の生首を地面にそっと置くと包みを解いて布を広げた。

「っ!・・・・・・・うっ・・・・うう、まちがいねえだ、あたしの息子に間違いねえだ」

重信の母親はその場で崩れ落ちると重信の手拭きで目元を抑えて涙を堪えていた。

「確かにこれは重信本人だ・・・・・まさかこのような姿になって戻ってこようとは・・・・・」

村長も大分動揺しているようだ、まさか本当に襲われていた事実に驚きが隠せないのだろう。

重信の母親と村長の話は集まっていた村人達の耳にも入り本当に重信の首だった事に不安と恐怖、そして言い知れぬ不気味さが村人達の心に影を差した。

「本当に重信なのか・・・・・・一体誰がこんな事を・・・・・・」

そんな言葉を誰かが呟いた、村人達はそれがまだ逸脱者の仕業だとは断定していなかった。

しかし結月が注視していたあの男はその言葉を聞いて目を泳がせ歯をガタガタ震わせ両手で頭を抑え込んだ。

「あいつだ・・・・・・・・あいつがやったんだ・・・・・」

そう言って男はその場で崩れ落ちると地面に手を付いて項垂れた。

集まった村人達も突然の男の行動に戸惑っていた。

「こ、殺される・・・・・今度は俺の番だ・・・・・・まさか、こんな事になるなんて・・・・」

男の思いもよらぬ行動に村人達は困惑するばかりであった、離れた場所にいた鈴音や村長も男の突然の行動に視線が向けられた。

村人達が男に声をかけるが男は頑なに村人達の声を無視し地面に視線を向けていた。

結月はその男に近寄り声をかける。

「・・・・・・何か心当たりがあるようだな」

そう結月が男の前でそう語り掛ける、男はゆっくりと顔をあげると後悔と絶望に満ちた目で結月を見上げる。

「あ、あいつは・・・・・・重信は人妖に殺されたのか?」

ああ、と答えた結月、男は結月の言葉に目を大きく見開くと結月の服に掴みかかろうとした。

咄嗟の判断で後ろに下がった結月、しかし男は四つん這いで結月に詰め寄る。

「逃げないでくれっ!お願いだあっ!し・・・・死にたくないんだ!」

必死に結月に縋ろうとした男であったが手を滑らせ地面に倒れ込んだ。

異様な男の行動は不安と恐怖でざわついていた村人を唖然とさせ黙らせるような気迫があった。

「う・・う・・・うう、頼む・・・・俺が悪い、俺が悪かったんだ・・・・・・俺が知っている事全てを話す・・・・・だから・・・・・助けてくれ」

男は倒れた場所でうずくまり涙声で助けを求めるその姿は絶望的な状況に立たされ迫る死に対して足掻き悶える人間らしい一面を垣間見ているようだった。

集まった村人を一瞬にして沈黙させる程の「必死」という言葉が似合いそうな命乞いは決して演技ではなく男の本心である事は誰の目から見ても分かる事だった。

「逃げて悪かった・・・・逸脱審問官の職業柄故の咄嗟の行動だった、別にお前を見捨てた訳ではない、俺達は人間の番人である逸脱審問官、例えあんたが何をしたとしても見捨てるような事はしない、あんたが人間である限りはな・・・・・・何か知っているのだろう?教えてくれないか?」

例えこの男が何か罪を犯したとしてもそれを捌くものがあるとしたらそれは法でありもしくは閻魔様である、逸脱審問官は人間である限り逸脱者から人間を守る権利があるのだ。

結月がそう宥めると男はその場に座り込みゆっくりと重い口を開いた。

「・・・・・・・俺は・・・・・いや正確には俺達か・・・・俺と与助と重信、俺達三人が・・・・小三郎を逸脱者にしてしまったんだ・・・・・小三郎は俺達に復讐しようとしているんだ」

衝撃の告白に集まっていた村人達が息を呑んだ。

男は最初に行方不明になった小三郎が人妖になったと確信していた。

その言葉に最初は耳を疑った村人だったが異様な程落ち着きを取り戻すのが早かった。

「・・・・・まさか、古正お前・・・・・・そこまで険悪な仲だったのか」

一人の村人の言葉に古正と呼ばれた男は地面に着いた両手を握りしめ土を抉った。

「ああ、そうだ・・・・・心の底から互いに憎んでいた、だが・・・・まさか人妖になってまで復讐にしにくるなんて・・・・・与助と重信は復讐の報いであんな無残な姿になったんだ」

どうやら古正と殺されたであろう与助と重信そして逸脱者になったと思われる小三郎には何かしらの因縁があったようだ。

「・・・・・・・この村の漁師は漁場を巡っての争いを避けるために漁師になった者は漁師の集まりで自分の漁場を与えられその範囲内で漁をするのがこの村のやり方だ、俺と与助と重信そして小三郎とは特別仲が良かった訳ではないがここまで険悪な仲じゃなかった、同じ漁師仲間という程度だった・・・・・・あの時までは」

あの時、その言葉には後悔の念が感じられた。

「あれは今から半年も前の事だった、その日与助は自分の漁場で漁をしていたんだがあまり収獲が良くなかったんだと思う・・・・・与助は自分の漁場を離れまだ誰の漁場でもない場所で漁をやっていたんだ、そこは如何にも魚が潜んでなさそうな場所だったんだがその時偶然与助は川魚が多く潜んでいる場所を見つけたんだ、それかというものあいつはその場所で漁をするようになった、魚の取れた量がそのまま収入源に繋がるからな・・・・・だが与助が見つけた場所の近くで漁場としていた俺と小三郎と重信はそれが気に食わなかったんだ、あいつ一人だけに川魚を独占させるわけにはいかない・・・・・そう思った俺と小三郎と重信は与助の見つけた漁場に集まって漁をするようになった、狭い漁場に四隻の船が集まって漁をする・・・・・考えただけでも周りの連中がうっとうしくなるだろ?実際俺達の場合もそうだったんだ・・・・」

そう言った後男は一息ついた、自分の罪を懺悔しているかのような消沈した様子で話を続ける。

「最初はお互い黙って漁をしていたんだが次第に小舟の上から互いを脅し罵るようになった、その時はお互い他の連中を追い出してその場所を独占しようとして脅したり罵ったりしていたんだ、俺もそのつもりだった、だが時が経つにすれ俺達は本気で憎しむになっていた・・・・・脅していた言葉が次第に傷口となって、罵っていた言葉がその傷口に塩を塗り込むような痛みへと変わったんだ、俺達の仲は急激に冷え込んでいった、漁をしない日でも口を一切聞かず顔を合わせればすぐに口喧嘩になるようになっていた、家の前に馬糞を撒かれた事もあった、俺も復讐とばかりにあいつらの家の玄関に肥溜を撒いた事も何度もあった・・・・・そのくらい俺はあいつらの事を憎んでいた、思い出すだけでも虫唾が走る程だった、多分それはあいつらも同じだろうな・・・・・だが、まだその時は憎しみあっても強い殺意はなかった・・・・・その憎しみがさらに強くなったのは丁度十二日前のあの日だった」

男の脳裏にはあの時の事が鮮烈な記憶として残っていた、あの時の事はかつてないほど大きな憎悪を抱いた日でもあったからからだ。

「あの日小三郎は新しい網を持って来たんだ・・・・・それはとても大きく頑丈で編み目も細かい漁師網だった、俺から見てもかなりの値段がする物だ、恐らくは里か他の村で買ってきたものだろう、あいつはその網を俺達が取り合っていた場所の大部分を覆うように川に投げ入れたんだ、ここは俺の場所だ、お前達は出ていけ、まるでそう言っているかのように・・・・・だが俺達にはこのまま退き下がる事なんて出来なかった、あの場所を取られる事よりもあいつの一人勝ちにしてはいけない、そっちの思いの方が強くなっていたんだ」

彼の話を聞く限り恐らく彼らの中では既に漁場の事などさほど重要ではなくなっており恨み染みた執念で張り合っていたようだ。

こいつらより先に退く訳にはいかない、彼ら全員にその感情があったのではないだろうかと結月は思った。

「それで俺と与助と重信はまずは小三郎をあの場所から追い出すという共通の目的で協力する事になったんだ・・・・・不思議な事だよな、あれだけ憎み合っていた仲なのに共通の敵が出来た事で互いに嫌いながらもあの時の俺達は協力し合っていた・・・・・・そして俺達はその日の夜の内に顔を会わせ小三郎をあの場所から追い出す方法を考えたんだ、そして十日前の深夜それを実行したんだ・・・・・」

十日の夜、その言葉を聞いて集まっていた村人の多くがまさか・・・・という顔をしていた。

「・・・・・・ああ、そうだ、小三郎の船と漁師網を壊したのは俺と与助と重信なんだ、与助と重信が持って来た木槌で船を叩き壊して俺が網を鉄鋏で切り刻んだんだ・・・・・・船と網がなくなってしまえば漁に出ることは出来ないし最悪漁師を廃業せざる得なくなる・・・・・それが村の漁師の掟を破るという事が分かっていても俺達は構わずやった、それだけ小三郎のやり方が気に入らなかったんだ・・・・・・それがまさか・・・・こんな事になるなんて・・・・」

古正はがっくりと肩を落とし地面に両腕をつく。

第三者の漁師舟や漁師道具を壊してはいけない或いは妨害してはいけないというのがこの村の漁師の掟の一つだったようだがその掟を破ってでも小三郎の事が許せなかったのだろう。

だが恨まれた方は例外あれど反発しそれ以上に恨むのが人間の特徴である。

当然漁師舟と網を壊された小三郎の恨みは恐らく並大抵のものではなかっただろう。

「あの時・・・・・俺達が船を壊した翌日の朝、小三郎は壊された船の前で茫然と立ち尽くしていた、俺は村人達に紛れて小三郎の悔しがる様子を見ようと思っていたんだが・・・・・小三郎は悔しがる事も怒り狂う事もなくただ無表情でこちらを睨みつけていたんだ・・・・・それはもう心底ゾッとする様な目でな・・・・・多分船と網を壊したのは俺達だって分かっていたんだろうな・・・・・・あれは殺意が芽生えた人間の目だった」

あの時見た小三郎の顔を思い出し体が震える古正、地面につけていた手で顔を覆った。

「・・・・・・それから次の日の事だ、漁が終わって家に帰ったら家の前に山菜が入った笊が置いてあったんだ、山菜を恵んでくれるような事をした覚えがないから不審に思って山菜を一つ一つ手に取って確認したんだ・・・・・・そしたら食べられる山菜に混じって毒草が入っていたんだ、俺はすぐに小三郎の仕業だと確信したよ、俺はまさかと思って重信や与助の所を尋ねたら重信や与助の家にも山菜が置いてあったんだ、与助に至っては調理の途中だった・・・・・もし俺が声をかけに行かなければ恐らく与助は中毒死していただろうな」

どうやら小三郎は人妖になる前に三人の殺害を企てたようだった。

「小三郎が俺達を殺そうとした、あいつを殺さなければ俺達が殺される、そう思った俺達は密かに小三郎の殺害計画をその日の夜から考え始め小三郎に殺されないよう注意深く生活していたんだ・・・・・・だが一週間前のあの日、小三郎は突如姿を消した、殺害警戒実行を前日に控えた行方知らずとあって俺達は小三郎が殺されるのを恐れて逃げ出したと思ったんだ・・・・・・・・まさか、人間をやめてまで復讐しようとするなんて・・・・・」

小三郎は三人の殺害に失敗し三人に警戒心を抱かせてしまった、その上復讐に失敗した以上、報復が待ち構えている事も分かっていた筈だ、追い詰められた小三郎は奥の手を使わざる得なくなったのだろう。

「・・・・・与助と重信を殺したのは小三郎だ、間違いない、与助も重信を殺す動機があるとしたらあいつ以外いない・・・・・そして今、人妖になってしまった小三郎は最後に残った俺を血眼になって探しているはずだ・・・・・・あいつの殺意は水辺でじっとしているようなものじゃない、もし俺が水辺に近寄らないと分かったら何れこの村にやってくるはずだ・・・・・・」

その言葉に村人達は戸惑いの色が隠せない、この村に与助と重信を殺した小三郎だった化物がやってくる、それに恐怖や不安を抱かない人間などいるのだろうか?

「古正・・・・・・お前、何という事をしでかしたのだ」

慌てて古正の元へと駆け寄りそう叱咤する村長に古正は頭を地面につけて謝った。

「すまねえ・・・・・本当にすまねえ・・・・・」

古正は力なく項垂れながら泣いていた、その姿を見る限り古正は嘘をついているようには見えず村人達の反応を見れば恐らく古正の話は本当なのだと確信できた。

「古正の話が本当なら全ての辻褄が合うな・・・・・だが小三郎が逸脱者になった確証性の高い証拠がない以上、断言は出来ない」

どれだけ辻褄があっても今の状況では逸脱者が小三郎である証拠は状況証拠しかない、この状況で小三郎が犯人だと決めつけようものならやり方は白鷹と同じである。

「つまり二人の漁師を襲ったのは元々人間だったっていう事だよね・・・・・人間自体が怖いのにそんな人間が化物になったら・・・・・考えるほど恐ろしい話だね」

その時、結月の後ろから聞き覚えのある女性の声が聞こえた。

しかしそれは鈴音の声ではなかった。

「復讐のために人間を辞めて人間を食べる化物になってまで復讐を成し遂げようとするなんて・・・・・・やっぱり人間は怖いわね」

結月がまさか、と思い振り返るとそこには先程別れたはずのわかさぎ姫と影狼の姿があった。

「あんた達・・・・・何故ここにいる?」

あれ程人間に警戒していた筈の彼女達が何故ここにいるのか?結月には理解できなかった。

「・・・・ん?うっ!うわあっ!よ、妖怪がいるぞ!」

狼の耳が生えた影狼と下半身が魚であるわかさぎ姫の姿は一目で妖怪だと分かる妖怪らしい姿をしており村人達も一目で彼女達が妖怪だと認識し怯えた様な驚き方をしていた。

「人妖といい、妖怪といい、おら達の村はどうしちまったんだ・・・・・」

度重なる出来事にパニックになりかけた村人達、しかしここは鈴音が冷静に対処する。

「みんな!落ち着いて!」

鈴音は村人達全員に聞こえるような大声でそう言うと村人達は一瞬にして静まり返り皆一様に鈴音の方を見ていた。

「彼女達は確かに妖怪だけど人間を襲わない大人しい心優しい妖怪なの、重信さんの遺体を見つけたのも彼女達でしかも彼女達は重信さんの遺体を手厚く葬ろうとしてくれていたのよ、彼女達の安全は私が責任を持つわ」

そして大声と呼べるような声ではないが遠くまで届く様なしっかりとした声で諭しているかのように語り掛けた鈴音。

「鈴音さん・・・・・・私達のためにそこまで・・・・」

出会って間もないのに村人の警戒を解す為にそこまで言ってのけた鈴音に対してわかさぎ姫と影狼は驚きを隠せなかった。

同時にそれはわかさぎ姫と影狼を鈴音が信頼している証だった。

「・・・・・・・うむ、皆の者、落ち着くのだ・・・・・彼女の目を見よ、あれは覚悟のある目だ、相当な自信がなければあんな目は出来ん、彼女の言葉を信じよう・・・・わしも長年生きているが見る限り彼女達は危険な妖怪ではないだろう」

村長のその言葉で村人達は落ち着きを取り戻し再び逸脱者になったであろう小三郎の話題に戻って行った。

「・・・・・貴方達、逸脱審問官って私達が知っている人間とは物凄く違うようね、確かに人間に危害を加えるつもりは一欠片もないけどあそこまで自信を持って言えるなんて・・・・」

勿論鈴音があそこまで自信を持って彼女達の安全を保障したのは心が読めたからではない、鈴音は人間の闇である逸脱者と幾度も戦ってきた熟練者だ、それだけに相手が善か偽善か見抜く能力が自然と磨かれたのだろう。

「人間は一概に名義する事は出来ないという事だ、それは妖怪も同じだ・・・・・・それよりも何故ついてきた?人間が怖いのではなかったのか?」

自信なさげにう、うんと頷いわかさぎ姫。

「怖いわよ・・・・・怖いけどさ、私達もその・・・・・首を拾ったからには私たちもこの事件の関係者よね?・・・・・・気になったのよ、この緩葉川で一体何が起きているのか、恐怖心よりも好奇心が勝ったって所かな」

言葉を選ぶようにそう言った影狼に結月は小さく息をついた。

「・・・・・一応言っておく、首を突っ込んで楽しいものではないぞ」

それは逸脱者の起こした事件に何度も関わった結月だから言える事だった。

人間の暗い所や弱い所そして醜い所などの暗部を覗き込んで楽しい気分になれる人など極一部の人間だけだろう、人の不幸は蜜の味と言う言葉があるのも事実ではあるが。

「恐らくはそうでしょうね・・・・・生首を見つけた時から面倒事が起きている事には気づいていたわよ、でもここまで来たら知りたいのよ、知りたくて仕方がないのよ」

恐怖心より好奇心が勝ったという話は嘘ではなさそうだ、でなければ人間が怖くて仕方がない彼女達が人間が多く住む村にやって来る訳がない。

「・・・・・仕事の邪魔はするな、見ているだけだったら構わない」

冷たい対応のようにもみえるが、これでも追い返さない辺りまだ結月は寛大な方だった。

逸脱審問官にとって大変なのは野次馬が集まって現場が荒らされてしまう事だからだ。

「話はよく分かったわ、でもその話だけじゃまだ小三郎さんが逸脱者になったとは断言できないわ、もし小三郎さんが逸脱者ならもしかしたら小三郎さんの家に逸脱者の手掛かりがあるかも知れない・・・・小三郎さんの家まで案内してもらえないかしら?」

鈴音のその言葉に数名の村人が名乗りを上げ鈴音と結月の方を見ながら歩き始めた。

村人の案内のもと小三郎の家へと向かう結月達、その間結月は影狼達の方を見ると村人達の奇異な視線に怯え体を寄せ合いつつもついてきていた。

人間に恐怖感情を抱く妖怪はいなくはないがあそまで恐怖感情を露わにする妖怪も珍しい。

(あれ程怖がるならついてこなければよかったのに・・・・・)

これから先、恐らくは今以上に怖い事が待っていると分かっているからこそ尚更その結月にはその思いがあった。

(好奇心か・・・・・好奇心は時として不幸や後悔を招いてしまう・・・・・彼女達が後で後悔する様な事にならなければ良いのだが・・・・)

それが儚い希望だという事は結月が一番分かっているはずだった、とはいえそれを彼女達に説明しても理解してはくれないだろう、好奇心とは他意のない無邪気な興味なのだ。

「・・・・・ここが小三郎の家だ」

村人の案内のもと辿り着いた場所には建てられて随分時間が経ったであろう古い木造家屋が佇んでいた。

人間の里と比べると何処か古さを感じるのは人間の里が明治時代初期の西洋建築と擬洋風建築(西洋建築を見よう見まねで作った建物の事)の建物があるのに対して人間の里から遠い村や集落は江戸時代の村や集落の姿をそのまま残しているためであり、また村や集落に住む大工も江戸時代からの建築技術しか持ち合わせていないため新しく建てられた建物も自然と江戸時代の建物になるためである。

この人間の里と集落と村の格差は技術だけでなく生活環境や豊かさにまで及びこれによる弊害も幻想郷では社会問題になっている。

「小三郎さんが行方不明になってからこの家内に入った者はいるか?」

もし小三郎が逸脱者になった可能性があるならこの家の中に逸脱者になるための書物や道具があった可能性がある、もし部屋に入った者の中にその書物や道具を持ち去っていてしまった者がいればゆゆしき事態だ。

「確か・・・・・俺とこいつだ、あの時、小三郎の姿を見ていなかったもんであんな事があった後だからもしかしてと思って家の中に入ったんだ・・・・・・だが家の中には小三郎の姿はなくて小三郎が行方不明になった事を知ったんだ」

結月は鋭い目つきで二人の男の方を見る。

「・・・・・その時、何か部屋を物色したり持ち出したりしたか?」

まるで疑っているかのような目つきで見つめる結月に男達は必死に否定する。

「俺達を疑っているのか?金には余裕はねえが流石に泥棒なんてしねえよ、ましてや人妖なんかに興味何てない、あんな恐ろしい妖怪と同列なんてごめんだね、ついでに部屋は荒らしてねえ、少し入って見て回っただけだ」

男の口にした恐ろしい妖怪という言葉にムッとした表情を浮かべる影狼と少し悲しそうな顔をするわかさぎ姫、まるで自分達がそんな風に見られる事が不機嫌な様子だった。

「そうか・・・・・・疑ったつもりはない、目つきが悪いのは元々だ」

冗談を入れて否定した男には余裕があった、余裕があるという事は自分がそんな事をしていない確信があるからだ、もし物色したのなら冗談を入れる余裕などなく焦りが感じられるはずだ、結月は中に入ったこの男達の言い分は誠である事を見抜いていた。

「結月、早速小三郎さんの家にお邪魔するよ・・・・・何かしらの証拠が残っているはずよ」

鈴音のその言葉に結月は小三郎の家に向かい合う、何の変哲もないこの家に二人の人間を殺した殺意の凶器が眠っているかと思うと少し不気味な雰囲気が入り口から漂っているように感じた。

「村の皆さんはここで待っていてください、絶対に入らないでください、いいですね?」

忠告をした鈴音は結月と共に木の扉を開け中に入った、特に何の変哲もない家、特に何処か変わった所はない、しかしこの家には絶対何かがあるという確信が結月と鈴音にはあった。

「台所には特に怪しい所はないようね・・・・・居間に向かいましょう」

家内はさほど広くはなく台所と囲炉裏のある居間そして様々なものを収納する押入れだけだった。

江戸時代頃の村や集落の家屋としてはこの間取りは大して珍しくなかった。

「見た所、可笑しい所はないな・・・・・」

だがそれは当然と言えば当然だった、人妖になろうとしている人が表立って一目がつく場所に人妖に関連する書物や道具を置く訳がない、何処か人の目がつかない場所に隠してあるはずだ。

居間には囲炉裏の他に漁師道具や畳まれた布団、机と蝋燭立てなどが置かれており特に変わった所はなかった。

それでも結月と鈴音は居間を隈なく探すが逸脱者に繋がる書物や道具はなかった。

(流石に居間には隠してないか・・・・・・という事は・・・・・)

結月は二つの引き戸を仕切られた押し入れに目をやる。

「・・・・・・・残るは押し入れね」

押し入れ、そこは家屋の中で他の人の目が付きにくい場所の一つだ。

押し入れの前に立つと一息ついた後、左側の押し入れの引き戸を開けようとする鈴音だったが・・・・。

「・・・・・っ!この引き戸!全然・・・・・開かない・・・・・やあっ!」

普通の引き戸なら既に大きく壁とぶつかって大きな音が鳴っているであろう力を込めた鈴音であったが引き戸はビクともしなかった、しかし鈴音は逸脱審問官である、日頃鍛えられた筋力を持ってして無理矢理こじ開けた。

「・・・・・!これは・・・・・」

引き戸を開けて一息つく鈴音大して結月は引き戸の前で片膝をついて引き戸の溝を見つめる、溝には粘着状の液体が付着していた。

「どうやらこの引き戸・・・・・糊のようなもので固めてあったようだ」

逸脱者を目指す者の中には逸脱者に関連する道具や書物を如何なる手を使ってでも隠そうとする者達もいた。

余程開けて欲しくなかったのだろうこの引き戸の奥には見られると都合の悪いものが隠してあるのは間違いなさそうだった。

「糊ね・・・・・・一体何を隠してあったのか見せてもらいましょうか」

そう口にする鈴音であったが何が隠されているのかはこの時点で結月も分かっていた。

押し入れの中には黴臭さと湿気が混ざり合ったような空気と漂っており上下2段の収納空間の内、下には埃を被った道具達が眠っており特に気になる点はない、問題は上段だった。

上段の押し入れの奥の壁そこにはこの村周辺の地図が描かれておりこの村を思わしき場所から幾つかの目印になりそうな場所を通って滝の絵が描かれた場所まで矢印の道が出来ていた。

「どうやら・・・・・ここ周辺の地図のようだが一体小三郎は何故こんな絵を・・・・?」

逸脱者になるための道具や書物があると思っていた結月にとってこの絵は些か奇妙だった。

しかしこの絵は小三郎が糊で引き戸を固めてでも隠したかった絵だ、何か重要な事を表しているのだろう、特に矢印の先にある滝に何か秘密があるのは間違いなさそうだった。

(だが・・・・・これだけでは小三郎が逸脱者になった証拠にはならないな)

どれだけ押し入れを糊で固めていた疑惑があったとしてもどれだけこの絵が怪しかったとしても逸脱者に直接関係してある道具や書物がなければ小三郎が逸脱者になった事を立証できないのだ。

「鈴音先輩、次は右側の引き戸を開けるとしよう、今度は俺が開ける」

左側が糊で固めてあった以上右側の引き戸も恐らくはそうなのだろう。

結月は右側の引き戸に手をかけると力を込めて引き戸を開けた。

引き戸は糊で接合された部分が引き千切れるような音を立てながら左側の壁にぶつかった。

「・・・・・結月、お疲れさま」

糊で接合された引き戸を開ける大変さを身を持って理解している鈴音は結月を労わる。

「労わる程でもない、糊で接合されている事が分かれば開ける事は造作もない事だ」

そう言って結月は開かれた右側の押し入れの中を覗き込んだ。

久々に光が差し込む押し入れの中、そこには数冊の古びた本が綺麗に積まれていた。

「半日村郷土民話集・・・・・・?」

それは一見すれば逸脱者とは関係のないこの村で起きた様々な出来事が記された本だった。

手書きであろうこの本は恐らくかつて半日村を暮らしていた人々が遺した村の大事な記録であり記憶だった。

その他の本も半日村の歴史や半日村の周辺の詳細な地理やかつて半日村に暮らしていた男の日誌など半日村やその周辺に関係する書物ばかりで逸脱者になるための方法が書かれた書物は一冊もなかった。

「一体何故こんな本をここまで隠そうとしたんだ・・・・・?」

半日村にとっては重要な資料ではあるが逸脱審問官にとってこれは隠す程の内容の代物ではなかった。

「でも小三郎さんは何か理由があってこの本を押し入れに隠してあったんだよね、だったら恐らくこの本の中に逸脱者に関連する何かが隠されている事は間違いないわ」

だが糊で固めた引き戸に隠してあった以上、この本には逸脱者に関わる情報が隠されている可能性は十分高かった。

それに手掛かりもある、小三郎が目指していたであろうこの村の上流にある滝である。

その滝についての文献を調べれば何か出てくるかもしれない。

「ああ、そうだな・・・・・」

結月は早速手に持っていた、半日村郷土民話集の表紙を開き目次を見る。

様々な民話の題名が横並びで書かれており結月は一つ一つ目で追っていた。

逸脱者もしくは滝と関連性のあるような民話を探していた時ある題名が目に留まった。

(湧き上がる滝壺・・・・・・)

もしや、と思い結月はその民話が書かれた所まで紙をめくった。

そこにはこの村の上流には悲願の滝と呼ばれる滝がありとある男がその滝壺で魚釣りをしようと釣り針を投げ入れたら何かが食いつき引っ張ってみるもビクともせずしばらく粘っていると釣り針を垂らした滝壺が突然沸騰したかのように泡が湧き上がり男は驚いて村まで逃げたという話だった。

(悲願の滝・・・・・どうやら何か曰く付きの滝のようだ)

所詮は信憑性の薄い民話だが既に人間が二人亡くなっている事を考えると単なる作り話とは思えずもし小三郎が逸脱者ならこの民話もあながち嘘ではなかったのかもしれない。

「・・・・・!結月、こっちにも滝に関しての文献があったよ」

鈴音が見つけた資料「半日村三十語部」にはやはり上流にある悲願の滝と名付けられた滝の事が書かれておりこの文献には轟轟と水が流れ落ちる雄大な滝と共に幾つか不気味な話が乗っていた。

先程結月が見つけた湧き上がる滝壺の話の他に、滝壺の底に黒い影を見た話や、真夜中滝壺の中から大きな何かの影が水面から顔を出していた話が書かれていた。

「どうやらこの悲願の滝の滝壺には何かが潜んでいる可能性は十分にあるわね」

悲願の滝について謎が深まっていた時だった。

「悲願の滝・・・・・・・・まさか・・・・そんな事は・・・・・・」

後ろから聞こえた声に結月と鈴音が振り返るとそこには興味深そうに押し入れを見ているわかさぎ姫と影狼の姿があった。

「・・・・・・お前達、なんで家の中まで入ってきている?」

険しそうな顔をする結月に睨まれた影狼は少し怯えた様子で思案に耽るわかさぎ姫に寄り添いながら話し始めた。

「えっ?だってさっき鈴音さんは家の中に入って駄目なのはこの村の住民だけって言ったから私達は入っても良いと思って・・・・」

その言葉に鈴音はハッとして結月の方を申し訳なさそうに見る。

「・・・・・ごめん結月、確かあの時村の皆さんは入ったら駄目って言っちゃった」

恐らくはそれが原因だろう、影狼とわかさぎ姫はここの村人じゃないからだ。

そういう意味では鈴音の言葉足らずであったがそれでも村人に入るなと言って普通入ってくるだろうか?

その時、結月はかつて訓練施設時代に学んだ妖怪の基礎知識の一つを思い出した。

(妖怪は自分の好奇心に忠実・・・・・か)

基本妖怪は利己的である、我が強く何事も自分優先であり自分の意志に忠実である。

他人から指摘を受ける事を好まず、自分の考えを曲げる事もあまりしないとされている。

大人しい彼女達もその辺は他の妖怪と例外ではなかった。

恐らくは逸脱者に興味を持ち恐怖感情を抱いているはずの人間の村までやって来る程なのだから

結月はため息をついた後、影狼とわかさぎ姫に忠告をする。

「・・・・・・そこでじっとしていろ、仕事の邪魔はするな、ここで見た事は誰にも話すな」

本当は家から出すのが正しい事だとは結月も分かっている、だが人間ならまだしも相手は妖怪だ、本人達の意志が頑なであれば追い出すのは難しい事だった、それに今は彼女達に構っている余裕などあまりなかった、小三郎が本当に逸脱者になったのか?一体どのような人妖になったのか?逸脱者の情報を集める方が先決だった。

結月の忠告に影狼はすぐに頷いたのに対してわかさぎ姫の返事はなかった。

何か考え事に耽って気づいてないようなそんな様子だった。

「どうしたの?わかさぎ姫ちゃん、何だか青ざめているように見えるけど大丈夫?」

不審に思った鈴音がそう聞くとわかさぎ姫はハッとした表情で顔をあげると鈴音や結月、影狼まで心配そうにこちらを見ていた。

「あっ・・・・ごめんなさい、ちょっと考え事をしていただけだから・・・・・・」

そう笑みを浮かべながらそう語るわかさぎ姫だったが結月はその時、ある言葉を思い出した。

悲願の滝・・・・・・・・まさか・・・・そんな事は・・・・・・。

それはさっきこの家の中に入ってきたわかさぎ姫が最初に発した言葉だった。

この言葉はわかさぎ姫は悲願の滝について何かを知っている可能性を示していた。

「わかさぎ姫・・・・・・あんた悲願の滝や逸脱者について何か知っているようだな」

その言葉にわかさぎ姫は目を見開いたかと思うと何か思い詰めるように顔を俯かせた。

その様子からわかさぎ姫が悲願の滝について何か知っているのは明白だった。

「えっ!本当なの?わかさぎ姫・・・・・・あの滝について何か知っているの?」

まさか、とは思いつつも影狼もいつもとは違うわかさぎ姫の姿に何か隠し事をしている事は長年の付き合いで理解していた。

心配そうにわかさぎ姫の方を見る影狼、しかしわかさぎ姫はすぐに返事は帰って来なかった。

「うん・・・・・その滝と同じ名前の滝の昔話を思い出したんだ・・・・・でもあれは昔話だし私自身も今の今まで作り話だと思い込んでいた話なんだよね・・・・だからあまり参考にならないかも・・・・・・」

体は小刻みに震えお腹周りの着物をギュッと両手で掴むわかさぎ姫の姿は恐怖に慄いてようにも見えた、余程怖い話なのだろう、だからこそ作り話であってほしい事実であってほしくない、そんな心情が彼女の口から昔話を語る事を躊躇させていた。

不安がるわかさぎ姫の傍に寄り添う影狼、わかさぎ姫も自然と影狼に寄り添う姿を見て本当に気の知れた仲なのだろうと結月は思っていた。

(自分も誰かが不安な時、その支えになれるような人間になりたいものだ)

こんな状況でも結月はそんな事を考えていた、一方の鈴音は前屈みになるとわかさぎ姫と視線を同じにする。

「わかさぎ姫・・・・・貴方がその話を事実である事を認める事が辛い事は分かっている、私だってそうだった・・・・・でもそれでもそれが事実なら私はその事実を認めて理解し向き合わなければならないと思っている、曖昧なままではきっと貴方はずっとこのまま昔話を作り話だと思い込み続けなければいけないのよ?それがどんなに辛い事か私は貴方自身よく分かっているはずよ」

鈴音の言葉には妙な説得力があった、血と狂気で彩られた世界を生きてきた鈴音もまたそんな経験を何度もしてきて乗り越えてきたから言える事だからなのだろう。

「それに私は例え昔話であろうと貴方の話は私達にとって何か役に立つ事だと思っているわ、もし間違っていたとしてもその事で貴方を責める事なんてしない、昔話なんてそんなもんじゃない?だからわかさぎ姫、貴方の知っている話、私達に語ってくれないかな?」

情報を収集するという事はその中には嘘や膨張が混じってしまうのは致し方のない事である、件頭や逸脱審問官に求められる事は集めた情報の中から事実に近い情報を見出す力なのだ。

情報を集めなければ事実には近づけないのだ、そのためにはとにかく多くの情報集めなければならない、そこに信憑性云々はさほど重要な事ではない。

集めた情報を比較し共通点を探す事で初めて信憑性の高い情報が生まれるのだ。

鈴音の説得にわかさぎ姫は思案しながら話を始める。

「・・・・・・・私が幼い頃にね、風変わりな河童が教えてくれた人間の昔話・・・・・幼い私にとってその話は怖くて怖くて仕方がなかったんだ・・・・・・でもあの話は風変わりな河童が幼かった私を怖がらせるために作った話だと思っていた、同じ名前の滝が緩葉川の上流にあると知っても私はその話は作り話だと思い込んでいた・・・・・・目の前にある押し入れの絵を見るまでは・・・・・」

わかさぎ姫は幼かった自分に対してそんな昔話を語り掛けてくれた風変わりな河童を思い出しながら語り始めた。




二十六録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて、二次創作フリーという環境によって爆発的に人気が増えた東方projectですがそんな二次創作で人気が出た東方projectにも一つだけ二次創作を阻害してしまうものがあると私は考えています。
それは何か?それは本元である原作東方projectだと考えています。
それがなければ二次創作も何も、と考えてしまう読者様は多いと思います。
確かに原作である東方projectがなければ多種多様な二次創作は生まれなかったと思います、原作があるという事は例えるなら調理場と材料は既に用意されている状態ですから作りだす側はそこから材料を選んで味付けをするなり原作にはない材料を入れるだけで様々な料理、東方projectの二次創作物を作りです事が出来るという利点があります。
ですがそれは同時に原作設定に依存してしまいがちになるという諸刃の剣も兼ね備えています。
東方projectには世界観、キャラ設定、キャラ同士の関係性など様々な設定があります、多くの二次創作物はここから自分が使いたい材料を選んで調理するのですが東方projectも今年で二十一年目に入ろうとする中、作品が増える度に設定は増えていく一方で中には今までの二次創作を全否定してしまう物も・・・・・。
例えるなら文×椛の組み合わせは風神録以来人気の組み合わせでしたが文花帖での文の白狼天狗を見下すような発言をした以降、文×椛の組み合わせは実質原作としてはない、という状況になり当時の文×椛を手掛けてきた二次創作者も困惑する事態となってしまいました。
これはあくまでも一つの事例ですが結果的に原作設定が二次創作フリーな素材である東方projectの足枷になっている感も否めません。
二次創作なのだから設定を無視しても構わないのだろうと考える人もいますが元は原作東方projectがあってこそ成り立つので余りに剥離しすぎると原作とのギャップが生じてしまいどうしても違和感を覚えてしまうのも事実。
中々に折り合いをつけるのは難しい所ですが原作が存在している以上はパラレルワールドであっても原作設定に依存してしまいがち、だからこそこれ以上ややこしくなるような設定は増えて欲しくないのですが・・・・・・シリーズが続いている以上望み薄です。
ですがその原作設定を魅力的な存在にするのか足枷と化すのかは二次創作者作り方次第なのでなるべくは設定を活かしながら新しい材料入りたり味付けをしたりして良い料理が生み出せるよう頑張って欲しい所です。
それではまた再来週。


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第二十七録 船底を伺う二又の復讐者 六

こんばんは、レア・ラスベガスです。
つい最近誕生日を迎え二十代後半に足を踏み入れつつあります、子供の頃は大人になるのはずっと先かな?と考えていましたが気づけばもう二十代も半ばに入りつつあることに驚きと同時に時間の流れの速さに驚いています。
時間は決して速くなる事も遅くなる事もありません、一日一日は人生の置いて短いかもしれませんがその一日も遠い目で見れば人生なので一生懸命生きたいです。
それでは二十七録更新です。


かつて山奥の川沿いの村に漁師を営む男とその娘が暮らしていた。

親子は獲れる魚を売り得た僅かな稼ぎで生活する貧しい暮らしを送っていた。

常にその日暮らしの過酷な生活だったがその男の娘は周囲の村々探しても右に出る者はいないと評される程それは美しい女性だった。

男は美しく育った娘を父親として愛し娘もまた父を愛していた。

だからこそこの過酷な生活に置いても二人共幸せだった。

だが男は一つだけ不安な事があった、自分の稼ぎでは娘に晴れ着一着どころかその日の食事すら十分に食べさせてあげられない、せめて娘だけでも豊かで幸せな暮らしをさせてあげられないだろうかと。

そんなある日、その娘に縁談の話が来た、相手は川を下った先にある村の豪農の家主の息子であり次期家主の男だった。

縁談の前金だけでも男の収入の二十年分、もし縁談成立なら一生働かず暮らしても余る程のお金を提示し娘の祝宴代も全額負担というまたとない縁談だった。

男は娘に豊かな生活を送らせてあげられる好機だと思う一方で一人娘を遠い下流の村に嫁がせる事に迷いがあった。

しかしそんな男に対して娘は自らの意志で縁談に行う事を告げた、娘は貧しいながらも一生懸命を育ててくれた父親への恩返しがしたいのと父親にはもう辛い生活を送らせたくないという思いだった。

こうして縁談は執り行われ無事に縁談は成立、後日大きな祝宴が行われ娘は豪農の家へと嫁いでいった。

しかしそこには豊かな生活も幸せな生活もこの家の何処にもなかった事を娘は知らされる事になる。

実はこの豪農の家主の息子はかなりの我儘であり何か気に入らない事があるとすぐに暴力を振るう乱暴者で娘は何かある度に暴力を振るわれるようになった。

それなのに家主も姑もそんな息子の暴力を咎める事無くむしろ嫁である娘に対して暴力を振るうのはお前のやり方が悪いからだと叱りつける有様だった。

誰かにこの事を相談しようにも知らない土地に嫁入りしたため屋敷に働く者達とは面識がなくしかも娘は山奥の貧しい村の出身とあって何処か差別的な感情があったのか娘に対して皆よそよそしい対応だった。

屋敷の中に彼女の味方はおらず娘は屋敷の中で孤立していく中で彼女の環境は日を追うごとに悪化していった。

十分ではない食事、姑の嫌がらせ、夫の暴力、朝から晩まで休息のない勤め、屋敷内での孤立、次第に彼女は疲労していった。

その事を父に相談する事も出来たが娘は幼い頃父に迷惑をかけた分これ以上の心配をさせまいと週一で送る手紙には自分が幸せに暮らしていると嘘を綴っていた。

そしてあの日の夜、家主の息子は余程機嫌が悪かったのか、酒を煽りひどく酔っていた。

酒を浴びるように飲む夫に対して娘はもう酒はやめるよう忠告すると夫は激昂し掛け軸の下に飾ってあった刀を手に持つと娘を斬りつけた。

倒れた娘に対して夫は何度も刀を振り下ろし娘は体の部位という部位を切断され見るも無残な姿になった。

騒ぎを聞いて駆け付けた家主と姑はあろう事か息子が人を殺してしまった事を隠蔽しようとした。

バラバラにされた娘の遺体は袋詰めにされ川へ流され血の付いた畳や障子は新しいものへと変えられ屋敷に働かされていた者達には口止めがされた。

後日、週一の手紙が途絶えた事が心配になり娘の父親である男が豪農の屋敷を訪れると家主は娘は数日前から突然行方不明になっており今使用人達に探させていると虚言し男は驚愕し娘を探そうと屋敷を後にしようとした時だった。

男に声をかける者がいた、それは屋敷内で働いていた男であり自身にも年頃の娘がいるため嫁に来た娘に対して何かと気にはかけていたのだが周りの空気感に押され娘を助ける事が出来ずその罪悪感から男はこの屋敷で起きていた娘に対しての過酷な仕打ちや娘の最後について全てを白状した。

真実を知った男は娘を失った悲しみとそんな所へ娘を送り出してしまった自分への後悔、そして娘を殺し隠そうとした屋敷に住む人間に強い憎悪を抱きそれは間もなく恐ろしい殺意へと変貌を遂げた。

娘を失った男は何としてでも復讐を遂げようと模索し始めた、しかし屋敷の住む人間全てに復讐する方法は見つからずにいた。

そんな時、男はある事を思い出す、それは自分が住む村のさらに上流に曰く付きの滝の事だった。

その滝の滝壺には恐ろしい化物が住んでいるとおりその化物は人間に対して憎悪感情を抱いているとされ人間が近づくと不可解で不吉な現象が起きるため「化物壺」と呼ばれていた。

化物壺を知っている村人達は災難を恐れ化物壺に近づかないようにしていたが男は何を考えたのか、化物壺がある滝に足を運び滝壺が見下ろせる場所に立つと化物が住んでいる滝壺に向かって話し掛けた。

人間が憎いか化物よ、俺も人間が憎い、娘を殺した男が憎い、娘を追い込み娘を見殺しした男の両親が憎い、苦しむ娘を見て見ぬ振りをした者達が憎い、滝壺の化物よ、俺は奴らに娘が受けた苦しみを何倍、何十倍も味あわせてやりたい、人間を憎む気持ちは同じだ、なれば俺に力を貸してくれ、そのためならこの体も命を捧げよう。

そう言って男は滝壺に身を投げた。

男が身を投げてから数日後の新月の夜、娘を殺した豪農の家では何事もなかったかのように宴が行われ屋敷に住む者達全てが酒を飲み酔いつぶれていた。

そして時刻は次の日へと移り変わろうとした時だった、村の傍を流れる川から突如とんでもない大きさをした三首の化物が這い上がり蛇の様に体をくねらせ屋敷へと向かった。

村人は皆寝静まっており化物が村に侵入している事に誰も気づかなかった。

そして三首の化物が屋敷の前に現れるとようやくここに来て一人の男が塀よりも高く見上げるような大きさをした化物に気づき慌てるも時すでに遅かった。

三首の化物は山が振るえる様な爆音を響かせると塀を壊し屋敷を中に入って行った。

爆音に目を覚ました屋敷の者達は大きな化物を見るや大騒ぎとなった。

左の首はその大きな首を地面に叩きつけ屋敷を壊し屋敷の者達を蹂躙し慌てて飛び出した姑を化物は見つかるや否や姑にいる場所に向かって大きな首振り下ろしそこにいた者全てが押し潰し下敷きになった者全てが潰された蚊のようになっていた。

右の首は口から大量の水を吐き屋敷にいる者達は突然の津波に飲み込まれ多くの者が溺死する中、運良く生き残った家主だったが右の首が家主を見つけるや否や大きな口で家主の両足に噛み付くと首を持ち上げた後、勢いよく地面に向けて叩きつけられ家主は一瞬で血塗れの肉片と化した。

化物から逃げようとした者達が唯一の逃げ道である裏口を目指したが裏口には常に南京錠の鍵をされていて開ける事が出来るのは家主と姑と息子だけだった。

そのため逃げ出そうとした者が裏口に殺到するも扉が開かずもうここに来て彼等はもうこの屋敷には逃げ場所がない事を知り絶望した。

そのため屋敷の者の中には何とか脱出しようと塀をよじ登ろうとする者もいたが塀は高く、中には屍を積み重ねて脱出しようとする者までおりまさに地獄絵図だった。

しかし三首の化物はとにかく暴れるに暴れ次々と屋敷の者達を屍へと変えていった。

五分も経たない内に怪物以外動かなくなった屋敷で化物はある者の姿を探していた。

すると屋敷の残骸から一人の男が現れた、その男は娘を殺した家主の息子だった。

男は怪我をしているのかヨロヨロとよろめきながら裏口へと向かうが男は背後から生暖かい風を浴びるとそっと後ろを振り向いた、そこには笑っているかのように口を開ける真ん中の首があった。

男は完全に気が狂い走り出そうとするがすぐに真ん中の首は男に襲い掛かり男を口に入れた。

しかし真ん中の首はそのまま飲み込むような事はせず歯で男を挟み込みゴリゴリとじっくり時間をかけて男の体を噛み潰していった。

肉が千切れる音、骨が折れる音、何かが潰れるような音、男の悲鳴は数分の間村中に響き続けた。

グシャリ、その音を最後に男の悲鳴が途絶え三首の化物は満足したかのように十分前は屋敷だった廃墟を後に川へと戻って行った。

翌朝、村総出で屋敷の残骸を捜索したが屋敷にいた者の中に生き残りはおらず身内や親友がその屋敷で働いていた村人達は嘆き悲しんだと伝えられる。

 

「・・・・・・この話はあの日宴に参加せず生き残った娘の死の真相を娘の父親に教えた男が死ぬまで人々に語り続けた惨劇の真相だと伝えられているわ」

わかさぎ姫は胸に手を当て俯きながら結月や鈴音、友人である影狼に語った。

幾ら昔話とはいえあまりにも生々しい内容は幼かった彼女にとってどれだけ怖かったであろうか察するのは難しい事ではなかった。

恐らくは彼女が人間に対して恐怖感情を抱いているのはこの話が影響しているのだろう。

(凄惨な話だ・・・・・・・一体何を考えて風変わりな河童はそんな話をわかさぎ姫に・・・・?)

軽蔑、傲慢、理不尽、孤独、絶望、狂気、隠蔽、憎悪、復讐などの人間の闇ともいえる部分を描き出した余りにも残酷で凄惨な話だった。

昔話の中には怖い話もあれどこれは子供に聞かせるような昔話ではなく大人に対して人間の暗部を知らしめるような昔話であり幼かった彼女にとってトラウマになったのは当然と言えた。

その風変わりな河童は一体何を考えてそんな話をまだ幼かったわかさぎ姫に語ったのだろう?結月はその風変わりな河童の精神を疑いたくなった。

最も彼女にとってトラウマとなっている昔話が結月達にとって悲願の滝を知る有力な手掛かりになっている事は皮肉と言えた。

「そしてこの話が山奥の男が暮らしていた村に伝わると村人達は男が滝に身を投げて滝壺に棲む化物に力で異形の化物になって豪農の屋敷を襲ったのだと噂しいつしか男が身を投げた滝の事を『悲願の滝』と呼んで滝壺に棲む化物の事を『滝壺様』と呼んで恐れるようになったと・・・・・・そう風変わりの河童が言っていたの・・・・・」

わかさぎ姫にとって怖くて仕方のなかった話が今、実話だったのかもしれないという仮説を前にして不安になるのは当然だった。

「滝壺様ね・・・・・・全然ありがたくない存在なのに様をつけてしまうのは未知なる力を持つ者に対しての畏怖と平伏の表れなのかしらね・・・・・」

自然災害を具現化し神様として畏怖しながらも崇めるのと同じ事なのだろう。

崇め敬う事でどうにか自然災害から逃れようとしていたのかもしれない。

「でも・・・・・この昔話は幻想郷で起きた話とは限らないし私達とは正反対の世界である『現世』で起きた話かもしれない・・・・・もしかしたら風変わりな河童の作り話かもしれない・・・・だからあまり参考にはならない・・・・よね?」

わかさぎ姫は幻想郷で生まれた妖怪なので現世の事はあまり知らずそんな世界があるという知識だけだった。

わかさぎ姫が参考にならないと語ったのは嘘であってほしいという気持ちが見え隠れしていた。

結月も全ての昔話を知っている訳ではないが幼い頃は幻想郷の色々な民話を本で読んでいたので民話関してはそれなりに自信があった、しかし結月は知らなかった。

これ程凄惨な昔話なら何処かの本に乗っていてもいいのにわかさぎ姫の話を一通り聞いても似たような話は思い出さなかった。

それを考えるならば幻想郷で起きた話とは考えにくかった。

「・・・・・・いや、あながち作り話ではないのかもしれない」

しかし結月にはこれがとても作り話とは思えなかった。

「えっ・・・・・でも、現世で起きた実話だとしたら滝は現世にあるんだよね?だったら名前が似ていても上流にある悲願の滝は全く別の滝じゃないの?」

しかしそれに関して結月も鈴音も幻想郷のある特徴が関係している可能性がある事を見出していた。

「わかさぎ姫、幻想郷はスキマ妖怪である八雲紫によって作られたと言われているけど全てが八雲紫によって作られた訳じゃないの、中には地形ごと現世から幻想郷に持ち込まれた場所があるのよ、紅い悪魔が住む紅魔館も元々は現世にあったものが幻想郷に移されたと言われているの」

大抵幻想郷に持ち込まれた場所は現世において存在が曖昧になった場所である、もしその滝も何らかの理由で存在が曖昧になったのなら幻想郷に持ち込まれてもおかしくなかった。

「そう考えるならば悲願の滝という言われもこの滝で起きる不気味な民話の数々も納得できるわ」

しかし影狼は結月や鈴音の考えに懐疑的だった。

「ちょ・・・・・・ちょっと待ちなさいよ、もしわかさぎ姫と同じ話をここに住んでいた男が偶然耳にしたとしてもだよ、たかが根拠のない昔話でしょ、信じるとは思えないわ」

しかし影狼の疑問は押し入れの壁に書かれた滝のまでの地図が答えを示していた。

「そうね・・・・・・確かに平常心だったら小三郎さんもそんな昔話信じなかったのかもしれない、でももし自分の船と漁師道具を壊した犯人に対して強い憎悪を持っていたとしたら・・・・・人は気分が高ぶっている時ほど誤った判断を下してしまうものよ」

根拠の有無は恐らく小三郎にとってどうでも良かったのだろう、ただ重信や与助や古正に復讐できればという思いでの行動なのだろう。

そして昔話は今まさに現実のものになろうとしていた。

「恐らくは小三郎さんは何処かで悲願の滝の由来となる昔話を知った、もしかしたらその時はまだ本気で昔話を信じていなかったのかもしれない」

鈴音と結月は今まで得た情報から何故小三郎が逸脱者になったのか推測し始めた。

それを影狼とわかさぎ姫は緊張した面持ちで聞いていた。

「だが、与助と重信と古正との漁場を巡っての争いとなり何カ月もかけて恨みが積もり積もっていった・・・・・次第に漁場の巡っての争いから互いの意地の張り合いとなり四人は互いに憎むようになった」

この村にで起きた連続行方不明の真相に近づくにすれわかさぎ姫はギュッと胸を強く掴む。

「そして小三郎が他の三名を出し抜こうと新しい漁師道具を使った結果、他三名から集中的に攻撃を受け船と漁師道具を壊された・・・・・・漁師にとって命である船と漁師道具を失った小三郎はついに今まで貯め込んでいた恨みが強い殺意へと変わり与助と重信と古正に復讐を考えるようになった」

与助と重信と古正に殺人動機は漁場を巡っての争いの末に他三名から集中攻撃に対しての報復行為もしくは意地の張り合いとなっていた漁場で自分が最初に脱落する事への恐れから他三名も道連れにしようとしたかどちらにせよ、与助と重信と古正を殺す程の動機があったのは確かだ。

一方で話を聞いていた影狼は不意に見た、わかさぎ姫の様子がおかしい事に気づいた。

体を小刻みに震わせ呼吸が小さいながらもしっかりと聞こえる程荒いのだ。

影狼がわかさぎ姫を心配するのを他所に結月と鈴音の真相究明は続く。

「小三郎が三人への復讐を決意し毒草を持って三人の殺害を計画するが失敗、後がなくなった小三郎はふと悲願の滝に纏わる昔話を思い出した、滝壺に身を投げ化物になった男の復讐劇・・・・・・小三郎にとってこれほど望んでいた復讐はなかっただろう、そして夜な夜な小三郎は人の目を紛れてこの押し入れの中で悲願の滝についての情報と行き方を調べていた・・・・・・そして今から十日前の夜、小三郎は悲願の滝に向かい・・・・・・滝壺に身を投げた」

地図まで描いた以上、小三郎が滝に向かったのは事実だろう、そして昔話の内容通りに身を投げた、与助と重信が殺された以上そう考えるのが妥当だった。

話を聞いていたわかさぎ姫は顔を青ざめさせ恐怖で目が泳いでいた、わかさぎ姫は思い出していた、まだ幼かった日、流れの急な川のほとり、他のとは違う風貌をした河童、その河童の口から優しく語り掛けるように聞いてしまった真っ黒な色をした話。

風変わりな河童は分かり易く手振りを加えながら三首の化物がどんなふうに人間を殺したかをまるで御伽噺でも聞かせてくれているかのように語っていた。

その姿がまるで昨日の出来事の様にわかさぎ姫の記憶に鮮明に蘇る。

「そして・・・・・願いは叶った、小三郎は人間をやめ人妖となった・・・・・」

わかさぎ姫の様子を見ていた影狼はわかさぎ姫の身に何が起きているのか察した。

「人妖となった小三郎は復讐を実行に移した、下流を下り村の近くの川底に身を潜めた、彼は三名の誰かが来るのを待った、水面に浮かぶ船底を伺いながら・・・・・」

・・・・めて、聞こえないような小さな声で呟いたわかさぎ姫、しかしわかさぎ姫の声が届く事はない。

「そして人妖となった小三郎は自分を探しに来た与助と重信の船を見つけると彼等が単独になるのを見計らって二人を・・・・・」

鈴音が行方不明事件の真相を口にようとした時だった。

「やめてっ!!!」

わかさぎ姫の悲鳴に似た声が部屋中に響いた。

突然の事に結月も鈴音も戸惑いわかさぎ姫の方を見る。

額から汗を流し、息をきらすわかさぎ姫に影狼が寄り添いながら結月達の方を険しそうな表情で睨みつける。

「ちょっと貴方達・・・・・・わかさぎ姫にとってこの話はあまり思い出したくない事なのは分かっているはずでしょ、怖かったからこそ今までわかさぎ姫は作り話だと必死に思い込んでいたのよ、そんな気も知らないでまるで本当に起きた話のように語られたらわかさぎ姫はどんな気持ちになるのか、少しは考えなかったの?」

幼い頃に語られた怖い話がもし実話だったら・・・・・その恐怖はどれ程のものだろうか?

そんな怖い話を聞かせた風変わりな河童に不愉快さを感じた結月達であったが結月達もまた彼女の心の傷を抉ってしまったのだ。

その事については真相究明ばかり重視していた結月達も反省しなければいけない所だった。

真実は時として人や妖怪を傷つけてしまうのだ、恐らく件頭も常にこの問題に悩まされているのだろうと考えると件頭も大変だとこの時実感する。

「悪かった・・・・・・もっと場を弁えるべきだった、本来ならこの話の真偽は別の場所で行うべき事だった、わかさぎ姫にとって辛い経験なのにそれを強く思い出させるような事をしてすまないと思っている・・・・・・だが、俺達は一度忠告したはずだ、首を突っ込んで楽しいものではないぞ、と」

それは・・・・・と呟いた後言葉が出ない影狼、覚悟はしていた方だったが現実はそれ以上だった。

「あんた達はそれを了承してここにいる、俺達は真実を、最も事実に近い真実を探求する、例えそれが信じたくない耳や目を塞ぎたくなる様な残酷なものであっても俺達はそれを受け入れなければならない、世迷言や与太話には流されない、だが決して事実から目を逸らしてもいけない、それが人間の番人である逸脱審問官の覚悟だ」

それは事実から目を逸らさない、それがどれだけ難しい事が口にする自分達もちゃんと出来ているのか言われると断言も出来なかった、否断言する事が難しいと分かっているからこそ逸脱審問官に相応しいといえる、事実を常に見据える事など本来なら不可能だからだ。

「恐らくここまでの顛末や状況、二人の犠牲者の共通点を考えると恐らくあの話は只の作り話ではないのは間違いないわ、実際にあった話か、もしくは誰かが滝壺の秘密を知って滝壺の身を投げさせるために流した話かもしれない・・・・・ただ一つだけいえるなら、滝壺に飛び込んだ小三郎が化物になったのは間違いないようね」

淡々とした様子でそう言った鈴音に影狼が言い返そうとした時、わかさぎ姫が影狼の服を掴む。

「いいの・・・・・・影狼ちゃん、自分でも分かっていたつもりだから・・・・・・あの時風変わりな河童が語ってくれた事は本当に起きた話だって分かってつもりだった・・・・・でも認めるのが怖かった・・・・・・認めたら人が・・・・人間が恐ろしい何かに見えてしまう事が怖くて仕方がなかった・・・・・・だからその事実から目を背けていた、作り話だって思い込んでいた・・・・・・」

わかさぎ姫・・・・・そう呟いた影狼にわかさぎ姫は息をきらしながら言葉を続ける。

「でもさ・・・・・・鈴音さんと結月さんの話を聞いていた時、私思い出したんだ、幼かった私にあの話を語り掛けている時の河童の表情を・・・・・・優しそうな顔をしていたけど目は全く笑っていなかった、物凄く真剣な眼差しをしていた・・・・・・あの目は決して作り話を語る様な目じゃないって幼い頃の私は分かっていたんだ・・・・・・それなのに・・・・・」

幾ら幼かったとはいえどうして自分はその事実から逃げてしまったのだろう、そんな後悔の念が感じられる表情をわかさぎ姫は浮かべていた。

「・・・・・・無理もない、あんたはまだ幼かった、事実から目を背けてしまうのは当然だ、今でも覚えている程の恐ろしい話なら尚更だ」

結月は事実からはもう目を背けたりはしないが子供にまでそれを強いる事は出来なかった。

せめて子供には逃げ場所があっても良い、夢があっても良いと思っているからだ。

それだけにわかさぎ姫のトラウマを想起させてしまったのは結月にとって本当の申し訳ない気持ちだった。

「そうだよね・・・・・でも結月さんや鈴音さんと話していると人間ってそんな人ばかりじゃないと思えるんだ、だから今ならあの話を事実として受け入れてみようと思うの・・・・・私ももう子供じゃないから逃げてきた事からちゃんと向き合わないといけないとね」

わかさぎ姫の言葉に影狼は驚いた表情をする、弱気なわかさぎ姫らしくない強い意志が感じられたからだ。

大人になるという事は子供の頃、目を逸らし続けた現実と向き合うという事である、どれ程辛い事であろうと現実と向き合わなければ前へと進めないのだ、向き合う覚悟がなければ何十歳になっても子供のままだ。

(・・・・・でもやっぱり人間は怖いかな・・・・・)

その一方であの話を事実として受け止める以上、人間の事が少し怖くなってしまったわかさぎ姫であった。

「・・・・・・とりあえず、この村で何が起きているか大体把握したわ、滝壺様はとりあえず後回しね・・・・・・今は逸脱者の断罪を優先しないと」

ああそうだな、と答えた結月、短い言葉であったが既に声には気迫が感じられた。

「貴方達がここに来た目的は人妖・・・・逸脱者の断罪だったわね」

そう口にした影狼だったがその顔は何処か複雑な表情を浮かべその心中は様々な思いが巡り巡っていた。

「・・・・・・貴方達、本当に人妖と戦うつもりなの?幾ら元々は人間とはいえ相手は半ば妖怪化した存在なのよ、力も能力も人間よりも上回るような存在よ、生身の人間が勝てる相手ではないじゃない」

しかしそんな事は言われなくても結月も鈴音も分かっていた。

「確かに逸脱者は人間の身体能力を上回る個体も多い、だからこそ俺達は日々厳しい訓練を積んで逸脱者との差を縮めようと努力している、それでも人間では補えない所は人工妖怪である守護妖獣の力を借りる事でようやく俺達は互角に逸脱者と戦う事が出来る、実際俺達は過去に何度か逸脱者と戦い断罪に成功してきた、怖がることなんて何もない」

そう言って結月は肩に乗る明王の撫でる、明王も差し出された結月の手に自分から頭をこすりつけていた。

「でも・・・・・もしわかさぎ姫の昔話が本当なら相手はかつて多くの人間を蹂躙する程の力を持った化物なのよ・・・・・・そんなの相手に勝てるかどうか分からないじゃない」

影狼の意見はごもっともだった、実際結月達も命知らずではない、逸脱者と戦う時は常に死の恐怖に怯えていた。

それでも結月達に失敗の二文字はなかった。

「断罪『できるか』『できないか』じゃない、『断罪する』だ、それが幻想郷の掟であり人間の掟である以上絶対に断罪しなくてはならない、今までもそうだった、これからもそうだ」

そう言って結月は鈴音の方を見ると頷いた。

わかさぎ姫が語ってくれた物語がもし実話なら残された時間はあまり長いものではないだろう、もし古正が村から出ないという事が分かれば逸脱者は川から這い出て半日村を襲う可能性は高かった。

その最悪な事態を避ける唯一の方法、それは安全な場所に逸脱者を誘き寄せて戦う事であった。

結月達は影狼とわかさぎ姫を室内の残し小三郎の家を出る、玄関前では半日村の村人達が待っていた。

「何か人妖の手掛かり証拠は何か見つかったのか?」

村長は緊張した面持ちでそう聞いてきた、結月は何も言わずただしっかりと頷いた。

そんな結月の姿を見て村人達はざわついた、まさか自分達の村から人妖が出てしまうなんて・・・・・そんな様子だった。

「悪い話はまだあるわ、逸脱者は最後の標的として古正さんを狙っている。このままだと逸脱者は古正さんを狙って村を襲う事になるわよ」

本来なら不用意な混乱を避けるために言わない方が良いのだが鈴音がある目的のためにあえてその憶測を口にしたのだ。

鈴音の予想通り、村人達に大きな動揺が走る、自分達の村に逸脱者がやってくる、恐怖と不安が広まると同時に古正に厳しい視線が向けられる。

「ま、待ってくれ・・・・・・お願いだ、俺は・・・・俺だけのせいじゃないんだ」

鈴音の目的、それは古正を精神的に追い込む事だった、本来なら人間の門番にふさわしくない行為かもしれないがそれには理由があった。

結月は古正に近寄ると視線を合わせる、その目には逸脱者と戦う強い覚悟と気迫が感じられ古正もたじろいでいた。

「これ以上村に迷惑をかけたくなかったら協力しろ、上手くいけば逸脱者を安全な場所まで誘き寄せる事が出来るかもしれない」

古正を追い詰めたのは彼から選択肢を考える力をなくすためだった、村人と結月達に迫られ孤立無援の状態ならなんだって従うはずだった。

「あんたの漁師舟を俺達に譲ってくれないか?あんた一人が全て悪い訳ではないがあんたにも悪い所があった、恐らく漁師舟は壊れるだろうがそれで命が助かるなら安いだろう?」

漁師舟を失うという事は新しく作り直さないといけない限り漁師を廃業するという事だ。漁師にとってそれは苦渋の決断であるが古正の答えは早かった。

「・・・・・・・ああ、分かった・・・・・船一つで村が襲われないのなら譲ろう、それにこんな事があったんだ、もう二度と漁師なんてごめんだ」

古正は吐き捨てるようにそう言った。

(元を正せば欲張らなければこんな事にはならなかっただろうに、何が漁師なんてごめんだ)

何もしていないのにこんな事態になったのなら古正の気持ちは分かる、だが古正もまたこの事態の原因を作った一人なのだ、それなのにそれ全てを自分の欲望ではなく漁師だったからという事にしようとしている事に結月は強い憤りを感じた。

誰しも人は何か自分にとって都合の悪い事が起きると自分の責任を他の何かに転嫁したがるものだ。

「そうね、自分も悪いのにそれを自分の職業のせいにしてしまう漁師なんてこっちからお断りね、さて貴方の船に案内してもらいましょう」

鈴音の言葉に言葉を詰まらせ苦虫を噛み潰したような表情をしながら古正は自分の船がある場所に結月達を案内した。




二十七録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?さて、私は何処か遠くにお出掛けする時は必ず出掛けた先にある博物館や美術館に足を運ぶようにしています。
その博物館や美術館にしかない展示物がある事も一つなのですが地域毎にその地域色の濃い博物館や美術館があるのが魅力の一つです。
例えば半年前に旅行に行った富山はガラス工芸と薬が有名なのでガラス工芸品を展示した美術館と薬を調合するための道具を展示した博物館があります。
時間の都合上、ガラス工芸の美術館しか行けませんでしたが展示してあるどのガラス工芸品も素晴らしいものでガラスはこんなにも自由自在な形が作れるのかと驚きました。
読者の皆様も富山に足を運ぶ機会があったら一度、富山市ガラス美術館に見に行く事をお勧めします、ガラスのイメージが変わりますよ。
旅行先で地域色の強い美術館や博物館を巡る度に思う事は同じ日本なのにその場所その場所によって文化や生活が違う事です。
同じ日本なのにここまで違うのか、と驚かされる事もあります。
日本は外国とまでは行きませんが古今東西、多種多様な文化があります。
日本だから何処も同じだろ?と考えている人は是非とも色んな場所に出掛けて美術館や博物館や歴史館を巡ってみてください、へえこんな文化もあるのか、そう驚くかもしれません。
それではまた再来週。


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第二十八録 船底を伺う二又の復讐者 七

こんばんは、レア・ラスベガスです。
唐突ですが親の責任と子供の責任の線引きって物凄く難しいですよね、もし子供が非行に走った時、世間では責任を負うのは親か子供かどちらか片方だけの方が多いです、親の教育が悪かったんだ、と口にする者もいれば、子供は子供で学んでいるから親の責任だけじゃないと口にする者もいます。
実際はどちらなのかというと・・・・・ケースバイケースの場合が多いです、両方に責任があるという場合もあります、だからこそ子供が非行に走る事件が起きた時、前はこうだったから今回もこうだ、とは考えないようにしたいですね。
それでは二十八録更新です。


村から少し下流に言った所、一見すればいつもと変わらぬ穏やかな流れの緩葉川の中央に結月と鈴音が乗った小舟が浮かんでいた。

「逸脱者・・・・・・小三郎は漁場を巡って争っていた、だからいつも他三人の船を毎日のように見掛けていた筈だ・・・・・逸脱者は水底に潜んでいる以上、逸脱者は水上に浮かぶ舟底を見て狙っている三人の船かどうか判断していた筈だ」

漁師は一人につき一つ船を持っており漁に出掛ける時は自分の船で漁に出掛けていたようで自分以外の漁師に自分の船を貸したりする事はこの村ではまずないらしい。

それを踏まえるならば船を見るだけで誰が乗っているのか逸脱者には判別できた。

「でもまさか、逸脱者はこの漁師舟に見知らぬ人達が乗っているとは思わないわよね」

一方でそれは逸脱者にはこの船にはこの人が乗っているという先入観があるという事だ。

だから例え古正の船に結月達が乗っていても水底から船底を見上げる事でしか判別できない以上、逸脱者は浮かんでいる船には古正が乗っていると思い込むだろう。

「恐らく逸脱者は村の周辺の川底を移動しながら古正の船を探しているはず・・・・・周りには他の船はない、襲うには絶好の機会ね」

逸脱者を村から離れた所に誘き寄せる以上、こちらが逸脱者にとって都合のいい条件を作る必要性があった。

「ただ・・・・・・誘い出されてくるかは運にもよるだろう、今逸脱者が何処に潜んでいるのか正確な場所は把握できてない、村の周辺にいる事は間違いないがもしかしたら今日はもう何処かに身を潜めて動かないかもしれない・・・・・」

昨日は与助を襲い、今日は重信を襲ったのだ、もし逸脱者が警戒しているのであれば今日最後の一人を襲う確率は低いだろう。

「確かにその可能性もあるけど・・・・・・私はその可能性は低いと思うよ、だって人間をやめてまで復讐をしようとしているのよ、警戒なんて思慮深い事が出来るとは思えないわ」

鈴音は緊張した面持ちで舟を漕ぐ道具を持つと上流に向かって押し上げる。

水は下流へと流れている以上、同じ場所に居続けるには舟を漕がなければならなかった。

「きっと今も血眼になってこの船を探しているはずよ、だから期待して待ちましょう」

期待・・・・・期待する程会いたい奴ではないが来てくれる分には断罪する事が出来るため何だか複雑な心境である。

「それにレミリアも言っていたよね、強い意志は運命を自分達が良い方向へと導いてくれるって、私達には人間の誇りや尊厳そして幻想郷の秩序を保つために逸脱者がいない時でも常に努力を怠る事はしない、なら運命もきっと答えてくれるはずだよ」

強い意志は運命を望んだ方へと導く・・・・・まるで御伽噺の様な話だが運命を操る程度の能力を持つレミリア・スカーレットがそう言ったのだ、そして自分達も実際それを経験したのだ。

「そうだな、ただ逸脱者も復讐という名の強い意志で行動している、どちらの望んだ運命に傾くのは俺達かそれとも逸脱者か・・・・・・」

来れば自分達、来なければ逸脱者である、そこまでくるともう運頼みだった。

だがそれでも結月は逸脱者が誘き寄せられる事を信じていた、鈴音は逸脱者が来る事を望んでいるのだ、自分の望まなければ逸脱者に気持ち負けしてしまう。

何とも非現実的な戦いだがここは妖怪の楽園、幻想郷である、科学では証明できない事がしょっちゅう起こる世界なのでこのような運頼みも決して意味がないわけではなくむしろ比較的重要な要素だった。

しばらく川を漂い続ける事数十分、幾ら流れが緩やかとはいえ流石に鈴音に船を漕ぐ仕事を任せ続ける訳にはいかない、まだ体力には余裕がありそうだが逸脱者の戦いのために温存しておかなければならない。

「鈴音先輩、今度は俺が船を漕ぐ、休みながら周囲の警戒を・・・・・」

うん、分かったと口にした鈴音が結月に船を漕ぐ道具を渡そうとした時だった。

「「!?」」

突然、何かを感じ取ったかのように結月達は体を身構えた。

周囲には特に変わった様子は見られない、しかし結月達の耳は何か大きなものが水を掻き分けて泳いでいるかのような音を捉えていた。

その直後、結月達は水中に何かがこちらの方を注視しているのを研ぎ澄まされた神経で感じ取っていた、心の中に冷たい風が吹き込んだかの様な予感がしたのだ。

「結月・・・・・・どうやら運命は私達が望む方に傾いたようだよ」

結月は鈴音の言葉に返事こそしなかったが鈴音と同じ言葉を抱いていた。

逸脱者の姿を見た訳ではないが今感じた冷たく冷え切った風は水中にいる何かの強い殺意がそのような形で結月達に伝わった事を意味していた。

「すぐ攻撃に出るか、それとも・・・・・・」

束の間の静寂が過ぎた後、結月達の乗る舟が大きく揺れる、波がぶつかったようだ、その場でぐらつく結月達だが転倒する事はなくその場で態勢を立て直す。

「・・・・・どうやらこちらの恐怖を煽っているようだ、もしも乗っているのが古正だったら腰を抜かしていただろう」

しかし逸脱者にとって不幸があるとすれば乗っているのが結月達であるという事だろうか、今まで何度も死線を乗り越えてきた結月達にとってこの程度の脅しでは腰を抜かさない。

その時、鈴音が何かを察知しその方向を見ると水中に黒い影が見えた。

漁師舟より一回り大きい黒い影は溶けていくように消えていった。

「確かわかさぎ姫さんの昔話では化物は三首の人妖だったわね」

何が言いたいかは結月も十分わかっていた、結月もまた何かを察知しその方向を見ると再び大きな黒い影の姿が現れては消えていた。

「屋敷にいた人間を逃がすことなく全て殺した化物・・・・・恐らくとても巨大な逸脱者だったのだったに違いない」

どれ程の大きさかは分からない、だが水面から見える陰から見ても結月が今まで戦ってきた逸脱者とは比べ物にならない大きさをしているのは確かだった。

「結月・・・・・大きさに圧倒されてはいけないよ、大きいという事は動きも鈍重である可能性も高いという事だから」

例え逸脱者だとしても体が巨体であればあるほど動きは鈍くなり攻撃の振りも大きくなる。

巨体が有効なのは大多数を相手にする時であり機動性のある少数を相手する場合はその巨体が仇となるのだ。

「攻撃は避けやすく攻撃は当てやすいか・・・・・・そう考えるならあまり怖い相手ではないな」

最もその巨体から放たれる攻撃を直撃すればまず一溜まりもないだろうが・・・・・。

こんな状況下でも結月と鈴音には冗談を口にする程の余裕が感じられた、それは互いに互いの実力を信頼しどんな逸脱者が相手でも勝てると信じているからだ。

ブクブクブク・・・・・・水面から泡が湧き上がる音が聞こえたかと思うと船の周囲を囲むように大量の泡が水中から湧き上がった。

しばらく泡が湧き上がったかと思うと途端に泡は止み、再び静寂に包まれた。

その静けさはまさに嵐が来る前の夜の様なそんな静けさだった。

だが次の瞬間、結月達は何かがこちらに向かって浮き上がってくるのを察知した。

「今だ、明王」

小さくそう呟いた結月、例えその言葉が明王の耳に届かなくても明王と血の刻印で繋がれているため結月の意志を明王はちゃんと感じ取っていた。

それと同時に船は物凄い速度で陸地に向かって進み始めた。

ザバーン!

数秒前自分達がいた所の水位が急激に下がったかと思うと大きな水しぶきと共にブヨブヨと水膨れしたかのような白く大きな肉の塊のようなものが大きな口を開けて現れそして勢いよく口を閉じた。

「ギリギリだったね・・・・・!」

流石の鈴音も少し冷や汗をかきながら船の揺れに耐えていた。

標的を逃した逸脱者の頭部は再び潜水すると物凄い速度で移動する船を追いかけ始めた。

陸地に近づく毎に逸脱者の影の濃さは増し逸脱者の全貌も視覚で捉える事が出来るようになった。

水面に浮かび上がった逸脱者の影、水膨れしたかのような肥大化した人間の体、手足は退化したのかそれとも水中に適応したのかヒレ状になっていた、そして逸脱者最大の武器である首は三つに分かれ頭部へと近づく毎に首は太くなり顔と思われる部位まで来ると首の幅は五mくらいの大きさになっていた。

「結月!しっかり掴まって!」

言われずとも結月はその場にしゃがみこみ両手で舟をしっかりと掴む。

舟の先端には細くも丈夫に編み込まれた紐がくくりつけられており紐の先を陸地にいる明王が口で咥えており明王の脅威の運動能力を持って舟を引っ張っているのだ。

舟を追いかける逸脱者を陸地へと誘き寄せる事で逸脱審問官が自由に動ける場所で戦わせるのが目的だった。

そして逸脱者を逸脱審問官にとって有利な陸地に深追いさせるためには舟を陸地まで引っ張る事が有効だった、そうする事で逸脱者は船を追いかける勢いそのまま陸地へと突撃し陸地の奥まで入り込んでしまうのだ。

だが当然舟は陸地を進む事を前提に作られている訳がない、しかも陸地は石が無数に転がる河原のため船の揺れは相当なものだった。

「っ!」

舟は勢いよく陸地に乗り上げるとそのまま石の上を走っていく。

舟は激しく揺れ大きく軋むような音をたてながら石の上を滑走する、いつ舟が壊れてもおかしくないような揺れと軋む音が結月達に不安を煽る。

しかしそれでも結月達は冷静だった、一度乗る前に目で確認して使い込んでいる割には丈夫に出来ている事を確認したからだ。

舟は何度も大きな石に乗り上げ浮き上がり石の上に激突しながら河川敷の向こう、森に向かって進んでいく。

その背後、逸脱者が勢いそのままに大量の水と共に河原に打ち上げられる。

それを確認した所で結月は明王に命令した。

「明王、紐を捨てて戻れ」

その言葉と共に森の中を駆けていた明王はその場で急停止をすると噛んでいた紐を離すと河川敷に向かって走り始めた。

推進力を失った船は急激に速度を落とし後五m進めば森という所で完全に停止した、結月と鈴音は船から降りると逸脱者のいる川の方を向いて刀を引き抜いた、そして森の奥から船を引っ張っていた明王と一緒にいた月見ちゃんがやってきて結月と鈴音の傍についた。

臨戦状態で待ち構える結月達の一方で逸脱者はここでようやく舟に乗っていたのは標的である古正ではなく武装した若い男女二人と翼の生えた大きな狐と猫である事を理解した。

地上に引き上げられ日の光に晒され姿が露わになった逸脱者、ブヨブヨと水膨れした白い肉塊のような巨大な体、手足はやはり魚のヒレの様になっており水中での行動に適した体になっていた。

首は二又に別れ体と同じく白くブヨブヨとした水膨れしたかのような肉質の首は首元から頭までの長さが十五mあり一番大きい頭には耳や鼻と言ったものはなく目の部分には赤黒い模様が浮かび上がっていた。

そして小舟なら丸呑みできそうな大きな口には人間の歯みたいな嚙み切るというよりは磨り潰すのに適した歯が綺麗に並んでおり肉食の鋭い歯とは違う別の恐怖が込み上げてくる。

鈍重ながらも圧倒されるような桁外れな巨体はかつて人々を軽く蹂躙したという昔話にも納得がいくほどの説得力があった。

普通の人なら逸脱者と正面を向き合っただけでも竦み上がってしまう程の恐怖を覚えるだろう、だが逸脱審問官はそんな逸脱者に命懸けの戦いを挑みそして断罪しなければいけないのだ。

だからこそ逸脱審問官になれる人間は限られるのだ。

「さて逸脱者はどう仕掛けてくるかしら・・・・・・」

逸脱者は地面につけていた頭を持ち上げると結月達の方を見る。

三つの首が結月達の方を向く、表情は伺いしれないが明らかな敵意を結月達は感じ取っていた。

自分を騙した事に怒っているのか、それとも自分に対して向けられた敵意を感じ取ったのか、もしくは狂気に呑まれ復讐を忘れただただ怒りに身を任せ襲い掛かる化物に成り果ててしまったのか。

理由は定かではないがどちらにせよ逸脱者も結月達を敵と見なしたようだった。

逸脱者の三つの頭の口がゆっくりと開いたかと思うとその直後、顎が外れたかのような大口を開けて耳をつんざく様な轟音を周囲に響かせる、森はざわつき穏やかだった川は荒波と化し森に棲んでいた鳥と妖精が一斉に逃げ出した。

「っ!?結月!何か来るよ!」

轟音と共に逸脱者の三首の正面の地面から大量の水が噴き出し三首が向いている方向一直線上に次々と大量の水が噴き出していく。

そのうちの一つが結月達に迫って来ていた、もし巻き込まれでもしたら上空高く打ち上げられ後は落下死を待つだけか、もしくは水しぶきで体が千切れるかのどちらかである。

「っ!」

迫りくる大量の水の噴き出しを前に結月と明王は左側、鈴音と月見ちゃんは右側に避ける。

勢いよく水が湧きだす様な音と共に結月達の横を大量の水が地面から噴き出した。

取り残された古正の舟は大量の水と共に大空高く打ち上げられる、後ろの断崖の頂上に届くかのような高さまで浮き上がるがその後、重力に引かれるように地面へと急降下、勢いよく地面と激突した舟は一瞬で木の残骸と化した。

「・・・・・どうやらこの逸脱者は話が通じなさそうだな」

先程の轟音で耳の鼓膜が震える感覚を覚えながらも結月はしっかりと逸脱者の方を処刑者のような目で見つめていた。

今まで逸脱者とは何度も対話を行ってきた結月達であったが目の前にいる逸脱者は既に理性を捨て狂気に呑み込まれている様に見えた。

恐らくもう自分が何のために復讐しているのか、自分が何者なのかさえ理解できていないのだろう、理由があってこそ憎しみが生まれ、憎しみがあってこそ復讐が成立するのだ、そう考えるならば憎しみもその理由も失ってしまった逸脱者にとって既に復讐の意味はなくなっているに等しかった。

「逸脱者に小三郎だった頃の人格はもうないようね・・・・・なら残された事は逸脱者を断罪するのみね」

復讐の理由を忘れただただ強い狂気に身を任せる逸脱者、絶大な力を制御できなくなり厄災の化身と成り果てた逸脱者を前にして結月と鈴音は殺人を犯し人間をやめてしまった逸脱者の大罪を断罪する意思を固めて逸脱者に刀を向けた。

 

逸脱者が現れる少し前、村の背後にある断崖の上、そこには逸脱者と逸脱審問官との戦闘に巻き込まれないよう避難した村人と影狼とわかさぎ姫の姿があった。

彼等は小三郎が本当に逸脱者になったのか、一体どのような逸脱者になったのか、本当に逸脱審問官は人間をやめてしまった存在に勝てるのか、村は本当に大丈夫なのか、様々な思惑を秘めながら逸脱審問官の様子を静観していた。

「本当に逸脱者なんて現れるのか・・・・・・?おら、まだ小三郎が逸脱者になったなんてとても信じられねえ」

一人の村人が遠くに見える緩葉川に浮かぶ逸脱審問官が乗った舟を見ながらそう言った。

「あたしだって信じられねえよ、でもさ、あれだけ仲の悪かった重信と与助が行方知らずになって重信が首だけになって帰って来たらもう小三郎がやったとしか思えないだよ」

しかし逸脱者の存在を疑う村人に対して隣にいた40代後半の女性はそう答える。

「人間が妖怪に・・・・・考えただけでも恐ろしいわ、とにかく今は逸脱審問官が逸脱者を断罪してくれることを祈りましょう」

そう言った若い女性の手には数珠が握られておりそれは彼女が命蓮寺の仏教徒である事を意味していた。

「ああ・・・・・・そうだな、今の俺達にはそれしか出来ない、俺やお前よりも若い奴らだが只者じゃない雰囲気をだしていた・・・・・・きっと断罪してくれるさ、その資格があるからこそ逸脱審問官なんだ、信じて祈ればきっと仏さんだってあの二人に力を貸してくれるさ」

仏教徒の女性の傍に寄り添う旦那らしき男の手にもまた数珠が握られており彼もまた命蓮寺の仏教徒であった。

「だがよ・・・・・相手は妖怪化した存在なんだろ?例え元々は人間だとしても妖怪の力を持っているという事なんだろ?本当に大丈夫なのかよ・・・・・」

半日村の村人もまた妖怪は恐ろしい存在だという認識があった、例え妖怪退治を専門とする人でも妖怪を懲らしめる事は出来ても妖怪を消滅させるほどの力を持つ人間は極僅かだ。

その極僅かな人間の一人が博麗霊夢なのである。

「さあな・・・・・ただ、逆をいえば人妖は妖怪化した存在だが純粋な妖怪ではないという事だろう?つまり不完全なんだ、不完全である以上、勝てる見込みはあるんじゃないかな?」

素人的考えではあるが実際、逸脱者・・・・・人妖が不完全な妖怪であるという認識はあながち間違いでもなかった、実際蝙蝠の人妖と戦った際、蝙蝠の人妖には蝙蝠特有の超音波や妖怪特有の気配を感じ取る力があったのにも関わらず逸脱者は人間本来の視覚に頼ってしまっているのが何よりも証拠だった。

だが勝てる見込みはあっても本当に倒してくれるかは全くの未知数であり村人達には漠然とした不安が広がっていた。

そんな村人達の雰囲気を気にしてかわかさぎ姫も何処か落ち着かない様子だった。

「影狼ちゃん・・・・・・本当に鈴音さんと結月さんは逸脱者と戦って生きて帰って来られるのかな・・・・・私とても心配なの、もし昔話のような化物が出て来たら・・・・・」

人間が怖くて仕方のなかったわかさぎ姫が人間である結月や鈴音を心配するのは本来なら有り得ない事であった。

「大丈夫よ、鈴音さんと結月さんは私達から見ても他の人達とは明らかに違っていたし、きっと逸脱者を倒して無事に帰って来るわよ、それに鈴音さんも結月さんも逸脱者を倒すのは初めてじゃなさそうだったからどんな逸脱者が出て来てもきっと大丈夫よ」

そう口にする影狼ではあったが本当に大丈夫かどうか確信はなかった、彼女の心中もまた不安の霧が立ち込めておりそして彼女もまた人間が怖くて仕方がなかったはずなのに結月達の事を心配していた。

だがその一方であの時、結月と鈴音から覚悟は並大抵のものではなく彼等なら本当にやってくれるのではないかという思いも影狼の中にはあった。

(大丈夫よ・・・・・私、結月さんと鈴音さんならきっと逸脱者を倒してくれるに違いないわ)

影狼は自分に対してそう言い聞かせる、あの時自分達が見た結月達の覚悟には一切の迷いが感じられず、本当に逸脱者を断罪して見せる、そんな強い意志を影狼は感じていたからだ。

村人の間に不安と期待が入り混じっていたその時、逸脱者はついにその姿を現した。

「お・・・・・おい!あれ・・・・」

村人の一人が指をさした方向、結月達の乗る舟が突然動き出したかと思うとその舟を追いかけるように黒い影が現れ逸脱者は河原へと勢いよく上陸した。

「ま、マジかよ・・・・・・あ、あれが小三郎だっていうのかよ・・・・・」

かつて一緒に村で暮らしていた小三郎とは大きさも形も全てが違う異形の存在を見て村人は驚きと戸惑いを隠せなかった。

わかさぎ姫は怯えた表情を浮かべると冷や汗を流しながらそれでも逸脱者から目を離さない。

「同じ・・・・・昔話と同じ姿をした化物・・・・・・やっぱりあの昔話は本当に起きた事だったんだね」

怯えた表情から辛そうな表情へと変わるわかさぎ姫、影狼はそんなわかさぎ姫の傍に寄り添う、それくらいしかできなかった。

逸脱者が大きな口を開けたかと思うと耳を塞ぎたくなる様な爆音が響き村人達がいる場所も地面が小刻みに揺れていた。

轟音に驚き反射的に目を瞑ってしまった村人達が目を開けて見たもの、それは宙に浮かぶ古正の舟、村人達にはそれが一瞬何なのか理解できなかった、その舟が地面に落ちて残骸と化したのを見て村人はそれが古正の舟だという事を理解した。

「化物だ・・・・・あんなのに人間が勝てる訳がない、もう俺達の村はおしまいだ・・・・」

人間離れした逸脱者の力を前にして人々の中にあった僅かな希望が途絶え絶望と恐怖が心を染め上げていった。

村人達と一緒に見ていた影狼とわかさぎ姫も逸脱者の力に唖然としていた。

「あ、あれが逸脱者の力なのね・・・・・・」

人間をやめて妖怪化した存在であり人間離れした身体能力を持ち妖怪特有の妖力を使うとは予想していたつもりだったが実際自分の目で見た逸脱者の力は自分の予想を上回るものだった、少なくともそれなりの実力を持った妖怪でなければ勝てないような相手であり自分では到底敵いそうもない相手だった。

「・・・・・・人間って怖いわ」

只の人間だった者が復讐のためだけにあそこまでの化物に変わってしまった事に改めて人間の心の闇の深さを実感した影狼であった。

 

逸脱者の妖力攻撃を避けた結月達、とりあえず逸脱者との距離を開けた結月達だったがどうやら逸脱者は妖力で水を操る事が出来るようだった。

「理性を失って闘争本能だけで戦っている割には器用な事も出来るのね」

人間の体に大量の妖力が入る事で人妖化し逸脱者は生まれるのだが逸脱者でも妖力を操って攻撃を仕掛ける事は容易ではなく力任せではまず妖力を具現化する事すら出来ず攻撃として使える程の妖力攻撃を発現させるためにはある程度の知識と集中力、そして妖力を形にする想像力がなければ難しく妖怪化した存在である逸脱者でも扱える者は限られていた。

しかも妖力攻撃は逸脱者の体内に貯蓄してある妖力を使うため多用は出来ず無理して使い続ければ妖力不足となり妖力を補充しなければ妖怪の体が保てなくなり崩壊する、妖怪の体は体内に妖力があってこそ保てる姿なのだ。

そのため逸脱者の多くが物理攻撃や強力な酸や毒、触手などを使うのは妖力攻撃が容易ではないのと使い過ぎれば体がもたないためとされる。

だが今回の逸脱者は妖力攻撃を行えるほどの力があり体内のかなりの妖力を貯蓄しているようだった。

(これ程までに妖力を体内に貯蓄している事を考えると滝壺様と呼ばれる存在はこれ以上の妖力を持った妖怪であるのは間違いなさそうだ)

只の人間であった小三郎がここまでの化物になる程の妖力を体内に注入した事を考えると滝壺様はこの逸脱者と戦っても余裕で勝てる程の力を持った妖怪であるのは間違いなさそうだった。

自分の脅威になりそうな逸脱者を妖怪がわざわざ作る訳ないからだ。

「逸脱者に接近するよ!結月」

様子を見るため逸脱者との距離を開けた結月達であったが相手は遠距離攻撃できる上、距離の空いた逸脱者に攻撃できる武器はネイビーリボルバーだけと決定力に欠けるため急接近しての近接戦が有効的だった。

「耳栓をするわよ、耳栓をしている間は当然会話できないけどいつも通りやれば大丈夫よ」

逸脱者の中には轟音を響かせて相手の動きを止めるものもいる、動けなくなることは非常に危険なため逸脱審問官の正装の胸収納袋には耳栓が入っていた。

これがあれば轟音をある程度軽減する事が出来るが当然会話も出来なくなるため味方同士の意思疎通も難しくなり連携も困難を極める欠点があった。

しかし結月と鈴音にはそんな不安などあまり感じられず戸惑うことなく耳栓をした。

そして結月は明王の背に鈴音は月見ちゃんの背に乗ると明王と月見ちゃんは逸脱者に向かって走り始めた。

逸脱者はこちらに近づいてくる結月達を乗せた守護妖獣達に対して再び大きな口を開け爆音を響かせる。

それと同時に地面から大量の水が結月達に向かって次々と噴き出してくる。

結月と鈴音は耳栓をしても尚、鼓膜を激しく震わせる爆音に耐えながら相棒である守護妖獣にしがみつく。

一方の明王と月見ちゃんは人間よりも遥かに敏感な聴覚を持ち一般的な犬や猫と比べても優れた聴覚をしているのだがやはりそこは妖怪、聴覚の感度を自在に調整できるため轟音程度では全く怯みもしなかった。

次々と迫って来る水しぶきを華麗に避け逸脱者に接近する。

逸脱者も水しぶきが連続して出せる訳ではない、水しぶきを出すためには大声を上げる必要がありもう一度水しぶきを出すためには一度口を閉じ再び開けるしかない。

首は三つあるため一つ大声をあげている間にもう一つが閉じ三つ目の首が大口を開ければいい事なのだがそれでも噴き出す事の出来る水は一方向のみだ。

噴き出す大量の水を次々と避けられすぐ近くまで接近する明王と月見ちゃんに逸脱者は大声をあげるのをやめ突然大人しくなる。

(なんだ・・・・?)

逸脱審問官にとって最も警戒すべき時は唸っている時でもなく怒っている時でもなく大人しくなった時である。

敵を前にして大人しくなるなんて有り得ない、もし何の理由もなく大人しくなったとしたらそれは何か思惑があってその機会を伺っているほかにない。

結月の読み通りだった、突如逸脱者は三つの首を後ろに反り返したかと思うと正面に向けて勢いよく首を振り下ろし地面に叩きつけた。

しかし守護妖獣の反応は早かった、逸脱者が首を反り返した時点で明王と月見ちゃんは後方へ宙返りをすると空中で翼を羽ばたかせ素早く後方へと移動していた。

真ん中の首は結月達の数m手前で地面に叩きつけられる。

明王と月見ちゃんは地面に着陸すると爪をたてて素早く停止し結月と鈴音を降ろす。

逸脱者は地面に首を叩きつけ勢いを殺しているためすぐに首を持ち上げることは出来ないため今が好機だった。

結月と鈴音は一瞬目を合わせると逸脱者に視線を向けて走り始めた。

そして逸脱者に接近すると結月と鈴音は刀を振り上げた刀を振り落とした。

逸脱者の肉は恐ろしく柔らかくまるで豆腐を斬っているかのような斬った感覚があまり感じられないものだった。

しかし斬られて裂けた傷からは大量の血が噴き出し衣服に飛び散った。

結月と鈴音は振り下ろした勢いそのままに刀の向きを変え切り上げた。

歪な×印を描くように切り上げた傷口からは大量の血が噴き出し先程斬りつけた刀傷と交わる場所からは止めどなく血が溢れていた。

結月達が再び逸脱者を斬りつけようとした時、後ろから何かが走って来た、それは明王と月見ちゃんだった、明王と月見ちゃんは逸脱者の顔に飛び掛かると逸脱者の体に爪を食い込ませ逸脱者の体によじ登っていく。

その間に結月と鈴音は逸脱者にこれでもかといわんばかりに横に一閃、刀で切り裂いた。

六太刀も浴びせられた逸脱者は悶え苦しむように首を空高くあげると口を開けて苦痛の声を響かせる。

しかし逸脱者への追撃は終わらない、体をよじ登っていた明王と月見ちゃんは逸脱者の頭上に陣取ると結月達のいる正面に向き直し手足の爪を逸脱者の体に深く食い込ませ自分の体を固定させる。

逸脱者が空を見上げ逸脱者の首が九十度の直角になるなか、明王と月見ちゃんは大きく口を開け綺麗に生え揃った鋭利な牙で逸脱者の体に噛み付き血肉を噛み千切り腹へと治める。

肉を噛み千切られた逸脱者は必死に明王と月見ちゃんがしがみつく真ん中の首を振り回し時には地面にぶつけながら振り落とそうとするが明王と月見ちゃんは必死にしがみつきながら逸脱者の体を貪り食っていた。

その姿は普段の愛嬌ある可愛らしい姿とは程遠く久しぶりに獲物にありつく血に飢えた野生の狼や熊の様な貪欲さと凶暴さを取り戻したかのような姿だった。

しばらくのたうち回っていた逸脱者であったが急に大人しくなったかと思うと左右の首が明王と月見ちゃんの方を向いた。

左右の首の食道の辺りから下から上に向かって何かが込み上げてくるのが結月達からも見えた。

(何かを吐き出そうとしているのか・・・・・?)

恐らくのたうち回っても明王と月見ちゃんを振り落とせない以上、左右の首の力を借りて明王と月見ちゃんに対して攻撃を加えようとしているようだ。

だが左右の首が何かを吐き出そうとした瞬間、明王と月見ちゃんは手足の爪を使って逸脱者の頭部に素早くよじ登るとそこから結月達のいる方向へ飛んだ。

その直後、明王と月見ちゃんがしがみついていた場所を大きな水の塊が掠めた。

バッ!翼を広げ明王と月見ちゃんは短い間滑空すると翼を畳み其々の契約者の傍に着地する。

「かなり痛手を与えたわね・・・・・それに妖力も大分蓄積できたみたい」

鈴音は結月に聞こえない事が敢えて分かっている上でそう独り言を呟いた。

「復讐の動機を忘れた哀れな逸脱者・・・・・・恨みも怒りも苦しみも全て逸脱審問官が断ち切ろう」

動機のない復讐に囚われる小三郎を解放するための戦いはまだ始まったばかりだった。




二十八録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?何処かの本で読んだ事があるのですが人間は自分の意志で動いている様で実は欲望に突き動かされている事が多いようです。
確かに考えて見ると食欲も何かが食べたい、これが食べたいと思う事はそれを食べて欲を満たしたい、つまり食欲に突き動かされているという事になります。
物欲もこれを手に入れて欲を満たしたいという物欲に突き動かされているという事になり禁欲も金を手に入れて欲を満たしたいという禁欲に突き動かさているという事になります。
とはいえ人間を突き動かす欲があるとすれば性欲でしょうか、元々子孫を残すという意味合いで性欲が強くても可笑しくないのですが他の欲は比較的我慢できてもこの欲を我慢するというのは難しいと思います。
勿論生きていく上で食欲など最低限の欲は必要ですし欲で満たす事でストレスを発散する事も出来るので決して欲望が悪とは言えません。
ですが欲望はいわば目先の快楽と考える事も出来ます、欲望は本能的な快楽でありその快楽にしたがってばかりでは他の動物が食欲のまま性欲のまま行動するのと何ら変わりないと考える人達も多いみたいです。
実際古来より仏教では欲望は世俗的な物で断ち切る物であるという教えを説いており七つの大罪も欲望を諫めるものとして使われます。
では自分の意志で動くとはどういう事なのでしょうか、それは何かを大きな事を成し遂げるために様々な欲望を我慢するという事じゃないかな?と考えます。
欲望は断ち切るべきと説いた仏陀も様々な欲を断ち切り厳しい修行をした結果悟りと呼ばれる境地に辿り着きました、孔子もまた欲に捉われず本当の『自由』を手に入れました。
中々難しい話かもしれませんが何かこれがしたい、あれが欲しい、そう思った時は一度これが自分の意思なのかそれとも欲なのか考えてみるといいかもしれません。
それではまた再来週。


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第二十九録 船底を伺う二又の復讐者 八

こんばんは、レア・ラスベガスです。
先日福岡と長崎へ旅行に行っていました、九州と言えば中国や韓国を船で繋ぐ航路があるため行く先々中国人や韓国人の観光客が沢山いました。
とはいえこれと言った問題も特になく旅行先も何処もとても綺麗で楽しい旅行でした。
ネットやテレビでは良く外国人のマナーの悪さばかり放映している様な気がしますが現実は外国人観光客でもマナー悪い人は極一部だけなんだなと再確認する一方、テレビやネットの情報は偏っているなとしみじみ思います。
メディア的にはそっちの方が美味しいから偏向報道になってしまう事を考えると何だかやるせなさを感じてしまいます。
それでは二十九録更新です。


復讐の動機を失い復讐を誓った理性すら失い三首の化物へと姿を変えた小三郎、ただ標的である者が乗る舟を探し襲って殺す自分の姿は本当に小三郎が望んだ姿だったのか?

三首の逸脱者は既に闘争本能に従い結月達と対峙し襲い掛かっていた、既に復讐者ではなく残忍な殺戮者として、だ。

結月は思う、もし昔話が本当の話でかつてこの三首の逸脱者と同じ化物が屋敷を襲ったのなら逸脱者は娘の殺した屋敷の人間への復讐などどうでもよくて只々標的である屋敷の人間を淡々と闘争本能に任せて殺していたのではないかと、そうだとしたらそれは男が望んだ復讐であったのか?単に滝壺様に利用されただけなのではないか?そして今回も小三郎の復讐を滝壺様は利用したのではないか?そんな気がしてならなかったのだ。

しかし時間が結月達に考える時間をあまり与えてはくれなかった。

「グ・・・・・グガアアアア!!」

悲鳴に似た大声をあげたのは手負いの真ん中の首、おもわず結月達は水しぶきが出てくると思い地面の方を視線が向かう、しかし水しぶきは出てこない、外傷を受け過ぎて妖力が制御できなくなっているのか、しかし結月達にはそうには思えなった。

(脅しではない・・・・・そんな事をする理性はないはずだ、まさか!)

結月達の読みは正しかった、結月達が地面の方に気を取られている間に左右の首が首を竦ませ今にも飛び掛かってきそうだった。

その直後、左右の首が伸縮性のあるゴムの様に伸びて結月達のいる場所にめがけて一直線に突進し地面にぶつかった、勢いよく地面と接触した首は地面にめり込み数m頭が潜り込んだ。

危機一発だった、結月達は左右の首の突進を後ろにバク転をしながら避けていた。

攻撃の好機にも思えるが真ん中の首が健在な以上、攻め入ることは出来なかった。

(逸脱者の首は三つでもこちらは四人いるのよ・・・・・練習通りやるわよ、結月)

鈴音は結月の方を見ると強気の笑みを見せる、言葉は伝わらずとも結月は鈴音の意図をちゃんと受け取っていた。

正確には人間二人と妖獣二匹なので鈴音の四人という表現は本来なら誤りである、だが結月と鈴音にとって守護妖獣はペットでも使い魔でもない、戦友であり親友でありそして自分と同じ血が流れる兄弟同然の関係だった、それに敬意と愛情を込めて四人と表現したのだ。

明王と月見ちゃんも互いの相棒の目を見ると何をするのか理解し位置に着いた。

「・・・・・・頼むぞ、明王、月見ちゃん」

結月のその言葉を皮切りに結月と鈴音は互いの背中を向けるように二手に分かれた、結月は左側、鈴音は右側から逸脱者に回り込む。

真ん中の首は二手に別れる結月と鈴音を見て戸惑っていた、結月達の狙いは自分達の胴体である事は間違いない、だが結月と鈴音、両方を真ん中の首だけで相手することは出来ず、しかも正面にはまだ明王と月見ちゃんがおり迂闊に動けば彼らが懐に飛び込む可能性もあった、逸脱者は急いで地面にめり込む左右の首を引き抜くと右の首を結月の方へ左の首を鈴音の方へ向かせ真ん中の首は守護妖獣の方を向いた。

結月と鈴音は自分達の狙う首をなるべくひきつける、他の首から距離を空け互いに連携できないようにするためだ。

結月と鈴音は自分を狙う首がこちらに向き終わるのを狙って足を踏ん張り急停止すると自分を狙う首と対峙した。

「グググ・・・・・」

結月と鈴音を狙う首の下部からまた何かが込み上げて来ていた、その込み上げて来たものが喉まであがってくると逸脱者は大きな口を開け直径二mくらいの大きな水の塊を吐き出した。

吐き出された大きな水の塊は太陽の光を反射し煌びやかに輝きながら結月と鈴音の方に向かって飛んでくる、たかが水でも2mもある水の塊が落ちてこようものならそれは凶器でしかない、当たったら最後、人間の骨など簡単に圧し折り押し潰してしまう程の質量はあった。

脱審問官の刀の威力が逸脱者にとってカッターナイフの切り傷程度でも逸脱審問官にとって逸脱者の攻撃は常に致命傷に匹敵するため常に逸脱者の攻撃には細心の注意を払わなければならなかった。

逸脱者との戦いは当然公平ではない、互いに持てる力のぶつけ合いだ、場合にもよるが基本的に守護妖獣の力を借りているとはいえ逸脱審問官は妖怪化した逸脱者と比べ不利な立場で戦わなくてはいけなかった。

しかしそれでも逸脱審問官が逸脱者に勝ってきたのは仲間同士の連携によって逸脱者の力を上回ってきたからだ。

「!」

結月と鈴音は水の塊を避けるように走り出した、幸い水の塊は質量が重すぎるのか空気抵抗を受けているのか落ちる速度は妖力玉と比べれば比較的ゆっくりしたものであり全力で走れば避ける事が出来た。

水の塊は数秒前、結月と鈴音がいた所に着弾すると形を大きく崩し弾けた。

しかし逸脱者の首元から次々と喉に向かって水が込み上げてきており逸脱者は喉まで込み上げてきたものから次々と結月と鈴音のいる方向に向かって水の塊を吐きだした。

結月と鈴音は走りながら自分のすぐ後ろで水の塊が弾ける音を聞きながら時折走る進路を予測して飛んでくる水の塊を急な方向転換でギリギリ避けながら走り続けた。

「グルルル・・・・・ガウッ!」

一方の明王と月見ちゃんは真ん中の首を威嚇しながら隙あらば無防備な懐に飛び込む好機を伺っていた。

「グギギギ・・・・」

真ん中の首は先程の痛手が効いているのか、先程の様な派手な妖力攻撃はしてこないがその巨体を生かし懐に飛び込まれるのを阻止しようとしていた。

一瞬逸脱者が威嚇する明王に注意が向く、その隙に月見ちゃんが逸脱者の懐に向かって駆け出した。

しかし逸脱者は月見ちゃんの動きを読んでいた、真ん中の首が突然右に向かって曲げ始め右側で右の首と戦っている鈴音の姿を視認できる所まで首を曲げていた。

「!」

月見ちゃんと明王は逸脱者が奇妙な行動に危険を察知し踵を返し急いで後退した。

その直後だった、真ん中の首は曲げた首を地面にぶつかる擦れ擦れの距離で大きく薙ぎ払った。

ブオン、決して速くない大振りの薙ぎ払いだったがその巨体を振り回し発生した風は明王と月見ちゃんの繊細ながらも剛毛な毛をなびかせた。

逸脱者は後退した明王と月見ちゃんを追撃するように薙ぎ払った真ん中の首を大きく反り返させると明王と月見ちゃんに向かって振り落とした。

伸縮性のあるゴムみたいに伸びた体は攻撃範囲外にいたはずの明王と月見ちゃんの周囲に黒い影を作っていた。

地面に叩きつけられた真ん中の首、その衝撃は砂ぼこりを舞い上げ周囲の石を空中へと浮かべていた。

しかし肝心の明王と月見ちゃんは二手に別れ左右に走り攻撃を紙一重で避けていた。

地面と接触している真ん中の首に明王と月見ちゃんは飛び掛かろうとするが逸脱者も同じ過ちを繰り返したりはしない、地面と接触している真ん中の首はその場で激しくのたうち回った。

一見すれば悪あがきのようにも見えるが明王と月見ちゃんにとっては暴れている首に迂闊に飛び掛かれば巨体の下敷きにされたり体当たりされたりする危険性もあったため真ん中の首と距離を取り状況を伺った。

真ん中の首は明王と月見ちゃんがこちらの動きを警戒していると見るやすぐにのたうち回るのをやめ首を高く持ち上げる、当然明王と月見ちゃんは首を持ち上げる動作も何か意味があるのでは?と深読みしたために攻撃にうって出られなかった。

「ガルルル・・・・・」

折角の好機を逃す羽目になり何処か悔しそうな表情を浮かべる明王と月見ちゃん、しかし逸脱者の方も何処か焦りが感じられた、これだけ執拗に攻撃を行っているのにまだ誰も殺せていない事だ、彼らが普通の人間とは違う事を逸脱者はここに来て本能的に理解していた。

だからこそ逸脱者は苛立ちを隠せなかった、自分の知っている人間以上の身体能力と行動をしてくる逸脱審問官と守護妖獣に対して怒りと恐怖からくる憤りを感じていたからだ。

そして結月と鈴音が逸脱者の吐き出し攻撃を避け続ける事数分、走り続けている結月と鈴音の体に疲労が見え始めた。

(流石に全力は長くは持たないか・・・・・・当然と言えば当然だが)

息を切らしながらそう思う結月、全力とは力を全て出し切るという事であり長く持つようであればそれは全力ではないのだ。

(だけど逸脱者も相当苛ついているようね)

鈴音もまた結月と同じことを考えていたが激しい体力の消費は想定内の事であった。

(相当頭に血が昇っているようだ・・・・・・・頃合いだな)

逸脱者の周囲には強い殺気が漂い、時折こっちまで聞こえる程の歯ぎしりが聞こえていた。

自身の首の攻撃範囲外にいる逸脱審問官に対して吐き出し攻撃が当たられず苛立ちは最高潮に達していた。

首が三つあるという事は死角が減り一度に三回の攻撃を同時に行えるため波状攻撃が出来る他、攻撃範囲が真後ろを覗く範囲全てが攻撃範囲内になるなど長所も多いが体は一つしかないため複数人を相手にする時、距離を取られてしまうとそこから動けなくなる短所もあった。

左右正面の三方向に敵がいる以上逸脱者は迂闊に動く事が出来ず、逸脱者は距離を置いた逸脱審問官に対して近づく事が出来ないため水の塊を吐き出す攻撃しか出来ないのだ。

しかし一向に水の塊が当たらないため逸脱者の苛立ちは最高潮に達したという訳だ。

「この信号が鈴音に伝わればいいが・・・・・」

結月はホルスターに入った拳銃を取り出すと上空に銃口を向け撃鉄をあげ引鉄をひいた。

銃口から放たれた弾丸は一筋の光を描いて空高く飛翔していった。

銃声は離れた所で戦う明王と月見ちゃんの耳にしっかりと届いていた。

一方で結月とは正反対の場所で戦う鈴音は耳栓をしているため銃声が聞こえなかった。

「そろそろかしら・・・・・・」

鈴音はホルスターから拳銃を取り出そうとした時、逸脱者の頭上に一瞬キラリと光る一筋の小さな飛翔体が飛んでいくのを鈴音は見逃さなかった。

かつて狙撃手を務めていた鈴音の動体視力は並外れたものではなくそれが弾丸である事も結月の合図だという事も一瞬で察知した。

「結月から仕掛けたようね、私も続かないと」

そう言って鈴音は自分の方を向いている首に向かって走り始めた。

それと同時に明王と月見ちゃんがそれぞれの契約者のいる方向に向かって駆け出した。

銃声と共に左右二手に別れた明王と月見ちゃんに対して真ん中の首はどちらを狙うべきか迷ってしまった。

結月は自分の狙う逸脱者の首に向かって真正面から近づいていく。

逸脱者の首は結月と鈴音が自分達の方に向かってきていると理解すると首を竦ませる。

水の塊で仕留めきれない以上、伸縮性を生かした体当たりで仕留める目論見だった。

結月と鈴音が近づく毎に首を竦ませ虎視眈々と自身の攻撃範囲内に入るのを待つ逸脱者、頭に血が昇っている逸脱者は標的である結月と鈴音だけしか見ておらずこちらに向かって駆け出してくる明王と月見ちゃんに気づいてない様子だった。

逸脱者が自らの攻撃範囲内に自分達が飛び込んでくるのを待っている事など結月と鈴音は既に分かっていた、だがそれを分かっていても結月と鈴音は足を止めなかった。

何故なら逸脱者は既に結月達の戦術に嵌っていたからだ。

(理性がないとこうも単純なものなのか・・・・・)

闘争本能は自分の脅威となる存在を倒すためにあらゆる手段を用いる事が出来るが相手の行動を読んだ行動はあまりせず一方的に脅威を排除できそうな攻撃を行うのみだ、簡単な進路予測や攻撃後の防御行動などある程度の「学習」は見られるが相手が何を考えているのか、次にどんな行動をしてくるものなのかなどの相手の行動に関して考える余地はない。

だからこそ逸脱者には逸脱審問官が水の塊を避け続けた理由や急に危険を承知でこちらに近づいてくる理由を考えない、考えようともしない、否考える知能がないのだ。

息を切らしながら逸脱者へと走る結月と鈴音はチラリと相棒の方を見る。

明王と月見ちゃんは目にも留まらぬ速さで前足と後ろ足を動かし物凄い速度でこちらに近づいてきていた。

それを確認すると結月と鈴音は何かを確信し逸脱者の攻撃範囲に飛び込んだ。

「グアアアアッ!」

結月と鈴音が攻撃範囲に侵入したと同時に逸脱者は首を勢いよく結月と鈴音に向かって伸ばした。

まだ結月と鈴音との間には十mもの差があったのにも関わらず首はゴムを引っ張る様に伸びていき結月と鈴音を大きな頭を持って押し潰そうとした。

しかしそんな状況でもなお結月と鈴音は冷静だった、逸脱者の攻撃範囲に侵入した時、結月と鈴音は自らの守護妖獣との同調率を上げていた、同調率を上げる事で守護妖獣に備わる動物的能力と妖怪的能力を共有する事が出来るようになり彼らは動物的能力である危険回避本能を高め集中力を一時的に高めていた、そのため逸脱者の突進は結月と鈴音にとってゆっくりとしたものだった。

ゆっくりとそれでいてぬるぬるとした速度で近づいてくる逸脱者の首に向かって結月と鈴音は走る勢いそのままに跳躍した。

逸脱者の首が後三mと迫った時、一瞬何かが逸脱者の前を横切った。

ズガァン!

首が地面に接触するとともに地面が抉れて石が空高く舞い上がり首は地面に深々とめり込んだ。

勢いよく地面にぶつかり動けなくなっている逸脱者の首の横には明王と月見ちゃんの姿があり爪をたて足腰を踏ん張り速度を急激に落としながら器用に半回転する。

その明王と月見ちゃんの横腹に結月と鈴音がしがみついていた。

「間一髪だったな」

結月はそう言うと地面足をつけ明王を撫でて労う。

全ては計画通りだった、結月と鈴音は逸脱者の体を見るなり逸脱者の長所と短所を見抜いていた、その上で結月と鈴音は逸脱者の攻撃を機に二手に別れ守護妖獣が正面に残る事により逸脱者の三首を離れさせ連携を取れないようにした後、結月と鈴音は逸脱者の首の攻撃範囲から挑発する事で首を苛つかせる、逸脱者は近づこうにも体が一つしかないため動かす事が出来ない事を計算しての行動だった、そして十分苛ついたら守護妖獣を呼び出した後、逸脱者に急接近する、逸脱者が物理攻撃で仕留めてくると睨んでの行動だった。

そして守護妖獣の動きを注視しながら結月と鈴音は逸脱者の首の攻撃範囲に飛び込み逸脱者が攻撃に転じたと同時に走って来る守護妖獣に飛び付く、守護妖獣の全力疾走を持ってすれば逸脱者の突進攻撃を避けるのは可能であった。

「逸脱者は相当お怒りだったようね・・・・・随分と深くめり込んでいるわね」

結月達の狙い、それは逸脱者の攻撃後に出来る無防備な時間だった、苛ついた逸脱者の突進攻撃は凄まじい威力であった事は首のめり込み具合から見て分かる、だが理性のない逸脱者の攻撃はあまりにも威力が強すぎた、深々とめり込んだ深々とめり込んだからなのか、それとも強く頭を打ち付けたせいなのか、全く動いてなかった。

結月達はこれを好機と見るや逸脱者に向かって走り始めた、そして逸脱者の真横まで近づくと結月と鈴音は刀で明王と月見ちゃんは鋭利な爪で逸脱者の体を斬りつけた。

「はあっ!!」

斬りつける毎に逸脱者の体から鮮血が飛び散り結月達の体を真っ赤に染め上げその度に首が脈打つように震える。

真ん中の首は激痛に体をくねらせながら何とかしようともがくが地面にめり込んだ左右の首が楔となっており動かそうにも動かせなかった。

「てあっ!!」

逸脱者の体は本当に気持ちがいい程良く斬れた、結月が刀を深々と突き刺し奥まで斬りつけるのに対して鈴音は浅くしなる様に刀で体を斬りつけていく。

明王と月見ちゃんは爪で引っ掻き逸脱者の体を抉った後、傷口に顔を突っ込み逸脱者の肉を引き千切った。

逸脱者は何とか首を地面から抜こうと必死になっているのは首を見れば分かるがいかんせん物事は押す事は簡単だが引くのはとても大変である、深々とめり込んだ首を引っこ抜くのは地面にめり込ませる事より何倍も難しかった。

本来なら理性があればこんな行動はとらなかったのかもしれない、冷静じゃないというのはこれ程危険な状態なのだ。

「グル、グルルルル・・・・・」

すっかり顔を鮮血で染め上げ逸脱者の肉を頬張る明王と月見ちゃんの目が眩い光を放つ、かなりの妖力を補充できたと見ていいだろう。

一方の逸脱者も必死にあがいたおかげか地面から首が抜けていき土色に染まった顔が見えてきた。

(最後の一撃は逸脱者本人に決めてもらうか)

結月と鈴音の考える事は同じだった、体を切り裂いていた刀を一旦抜くと刀を真横に構え槍を突き刺すように傷だらけの逸脱者の体に刃を深々と食い込ませた。

首に刃が深く突き刺さった逸脱者は持てる限りの力で首を引っ張った、そしてついに首は地面から抜けた。

ズルズルズルズルブシュウッ!

首が抜ける時に聞こえた妙な音、その音の正体はすぐに目に見える形で現れる。

地面から抜けた首、既に切り傷で血塗れだったがその首から一筋、横長の裂け目が現れ大量の血が滝の様に流れ出た。

「ウギャアアアアアアッッ!!」

逸脱者の悲鳴が周囲に響き渡る、しかしその声は既に耳栓を必要とするほどの轟音ではなく最初結月達に向けて威嚇するように吠えた轟音と比べたら弱弱しく聞こえた。

「巨体の割に皮膚はあまりにも貧弱だな」

結月と鈴音は耳栓を取るとそう呟いた。

結月と鈴音が刀を深々と突き刺した理由、それは逸脱者が力を込めて首を抜こうとすれば勢いよく首は地面から抜けるのでその力を利用して刀を突き刺し逸脱者自身の力で大きな刀傷を作ろうとしたからだ。

そして逸脱者は結月達の狙い通りに自ら大きな刀傷を自分の体に刻み付けた。

結月と鈴音は相棒である守護妖獣の背中に乗ると真ん中の首の正面を目指すように走らせる。

流石の逸脱者も同じ手には乗る可能性は低い、一度合流し戦術を考える必要があった。

「鈴音先輩、模擬戦で練習していた通りに出来た、逸脱者はかなりの外傷を受けて明らかに弱っているようだ」

明王と月見ちゃんが並走すると鈴音の耳に耳栓がしてない事を確認し結月はそう言った。

無論最初から三首の逸脱者を想定した模擬戦はしていない、様々な状況で行った模擬戦の中から一番三首の逸脱者に効果がありそうな戦術を実行したのだ。

学んだ事をその状況のみで活かすのではなく状況に応じて応用する事が逸脱審問官にとって重要な事だった。

「ええ、三首を相手に会話もなしでやるのは初めてだったけど何度もやった練習だったから上手くいったわね、今までの厳しい連携の鍛練はこういう時に真価を発揮するのよ」

全くその通りだと結月は思った、地上の環境に模した場所で行った幾つもの連携攻撃の練習、それが今結果として現れたのだ。

「グガ・・・・・ガガガグガガグガ・・・・」

とても人とは思えぬ無気味な声が後ろから聞こえ結月と鈴音は逸脱者の方を見た。

三首は結月達の方を向き直しており左右の首が真ん中の首に寄り添うように首を傾けて頭を空に向け口を開いた。

すると三首の口の前に大きな水の塊が現れると急速に大きくなっていく。

「まずいな、先程の攻撃と似ているようだが・・・・・威力と範囲は段違いのようだな」

三首は出せる妖力を頭上に浮かぶ水の塊に集中させ結月達の想像以上の速度で膨張させる。

状況を考えるならば今すぐにでも回避行動をとるべきなのだが・・・・・。

「避けるには危険すぎるな・・・・・」

急速に膨張していく水の塊を見て結月は回避行動では避けられる確率は五分五分と判断していた、結月と鈴音は当初の合流地点である森の手前で明王と月見ちゃんを止めた。

「今こそ明王が溜めるに溜めてくれた妖力を使う時、避けるのが無理なら受け止めるのみ」

そう言って結月は明王の背から降りて逸脱者と向き合う、どうやら何か策があるようだ。

結月の右手に刻まれた双血の刻印が脈打つ、結月は刀の柄を両手で掴んで刃を地面に向けると真っ赤な炎が螺旋を描く様に刃に纏わりついた。

「・・・・・分かったわ、少し危険かもしれないけど私は結月と明王を信じるわ」

鈴音は結月の考えている事を理解すると月見ちゃんの背を降りた、本来なら今すぐにでも回避行動をとった方が良いだろう、それでも月見ちゃんの背を降りたのは結月への信頼の表れだった、結月なら大丈夫、生死をかけたこの状況に置いて鈴音は結月に賭けたのだ。

明王の目の輝きが弱くなっていくのに比例し刃に纏わりつく炎は一層強くなった。

結月は想像する、自分がやりたい事を、水の塊を防ぐ妖術を、集中し形にしていく。

(逸脱者も大分弱っているわね・・・・・水の塊も随分と歪んだ形をしているわ)

鈴音が結月の考えに乗ったのは逸脱者が明らかに疲弊しているのを察したからだ。

逸脱者は疲弊すればするほど体内の妖力は不安定な状態となり妖力を上手く操れなくなるのだ。

それは元々妖力を持たぬ人間の体に妖力を注入して妖怪となっているため妖力を操る事にそもそも慣れてないからだ、それでも傷を負ってなければ不器用でも集中力があれば妖術を使う事も出来るが深手を負った今の状態では操れる妖力にも限界がある。

水の塊は逸脱者の妖力を注ぎ込まれ大きく膨張しているがそれに比例して球体状だった形は崩れ形容しがたいうねりがなら常に形を変える何かへと変わっていた。

「例え水の塊が大きくてもあのような不安定な形では・・・・・・」

明王の目の光がなくなる頃には刀に纏わりつく螺旋状の炎は激しく燃え盛り周囲を夕焼け色に照らし柄を放したくなる程の熱さが両手に感じ取れる程、刃は真っ赤に染まり過熱していた。

「グガアアアアアッ!!!!」

逸脱者の胴体よりも大きくなった水の塊を逸脱者は精一杯の叫びと共に結月達に向かって投げつける。

山なりを描くようにこちらに近づいてくる水の塊は結月達の想像よりも質力も大きさも一回り上だった。

迫りくる水の塊は澄み切った空を歪ませまるで自分達が水中から空を見上げているか様な錯覚を覚える程、空を覆っていた。

水の塊が迫るごとに結月達の周囲には影が広がっていく。

もう逃げるには遅い、唯一の希望は結月の妖術だけだった。

しかしそんな状況下でも結月達の顔には焦りや恐怖などは感じられなかった。

例えどんな大きな水の塊が迫ってきているとしても絶対に防いで見せる、そんな強い覚悟があったからだ。

根拠のない慢心かそれとも絶対的な摂理か、その覚悟を証明する時がついに訪れた。

「必殺、燃焼防壁(ねんしょうぼうへき)」

その言葉と共に炎を纏った刃を勢いよく地面に突き立てると結月達の手前の地面から炎が噴き出した。横一列に並ぶように凄まじい勢いで噴き出す炎によって火の壁が現れる。

その火力は手前にいる結月と鈴音の肌を焼けつく様な痛みを感じる程だった。

見上げる程の炎が噴き上がる火の壁に向かって水の塊が迫って来る、結月と鈴音は息を呑んだ。

そして水の塊が炎の壁に接触した瞬間、激しく噴き出す炎によって水が蒸発し瞬く間に周囲は水蒸気で覆われ水の塊だけではなく河原や森も視界不良となった。

逸脱者の三首はかなりの妖力を使ったのか激しい息切れをしながらじっと結月達のいた所を見つめる、恐らく今の攻撃で奴らを仕留めたと逸脱者は考えていた。

しばらくして霧が飛散し薄らいでいくと三首は口を大きく開け驚いたような仕草を見せる。

三首の視線の先、そこには倒したと思っていた結月達が無傷で立っていたからだ。

「良くやったわ、結月あの顔を見なさい、随分と動揺しているみたいね」

鈴音の言葉通り逸脱者は明らかに動揺していた、動揺しているという事は冷静さを失っているという事である。

「それだけじゃない、強力な妖術だった分、大量の妖力を消費してしまったのか、随分疲弊しているようだ、もうあの大きさの水の塊を作るのは無理そうだな」

逸脱者は例外もあるが純粋な妖怪と違って大気から妖力を吸収したり恐怖や不安を妖力に変えたりする事が出来なかった、そのため多くの逸脱者が人間を襲って血肉を食らってそれを妖力としていた、この逸脱者も例外ではなく既にかなりの妖力を使い果たしその上補給もままならない状態のようだった。

それでも逸脱者は結月達が生きている事が分かると激昂し弱弱しいながらも咆哮をあげた。

「結月、弱っているけど油断したら駄目よ、安心できるのは逸脱者の命が潰えた時だけよ」

言われなくても分かっている事を口にしたのはそれだけ今の状況が一番危ない事を示していた、逸脱者はかなり弱っている時ほど、一発逆転を狙って大技を仕掛けてくる可能性があるからだ。

逸脱者は結月達を一瞥するとゆっくり川の方へと後退をし始める、追いかける事も出来るが直感で嫌な予感を感じ取った結月達はその場から動かずゆっくりと水の中に戻っていく逸脱者を警戒していた。

このまま逃げ出すのではないか?その心配もなくはなかったが逸脱者にそこまでの理性があるとは思えなかった、逃げる行為もまた高度な理性だからこそ出来る行動だからだ。

逸脱者の体は徐々に水の中へと沈んでいきついに逸脱者は水中に完全に潜ってしまった、この選択が結月達にどのような結果をもたらしたかはすぐに目に見える形で現れた。

「ギアアアアアアッッッ!!」

川の水が突然盛り上がったかと思うと渾身の叫び声と共に逸脱者は水の中から飛び出した。

「な・・・・!?」

冷静を保っていた筈の結月も逸脱者の行動に一瞬驚きの声を隠せなかった。

川から飛び出した逸脱者は見上げる程の高さまで飛んだのだ、空に浮かぶ太陽すら後少し高く飛んでいれば覆い隠してしまうのではないかと思うような高さだった。

逸脱者の予想外の跳躍に驚愕する結月達、一方で逸脱者には空を飛ぶ翼はない、どれだけ跳躍しようとも勢いを失えば後は落ちるだけだ、逸脱者は空中でグルンと体を器用に回転させると重力に引かれるように落下し始めていた。

凄まじい巨体である逸脱者の体は先程飛び上がった時の速度よりも速い速度で川へと吸い込まれる様に落ちていく。

ぶよぶよと水膨れした体はいとも簡単に刃を通す程の柔らかさをしていたが水を大量に含んでいる分、重量も恐ろしいものだった、その重力も相まって落下速度は天狗が時折度胸試しにやっている地面擦れ擦れの急降下を彷彿とさせるような速度が出ていた。

「結月!早く明王の背に乗って!」

常識外れな跳躍を見せた逸脱者に呆気を取られていた結月達だったが、鈴音はすぐに我に返ると逸脱者の落下地点を予測し逸脱者が何を企んでいるのか鈴音は察すると結月に命令を出した。

しかし結月は既に明王を傍に寄せ明王の背に跨ろうとしていた、結月もまた逸脱者が何を企んでいるのか察していたからだ。

それを見た鈴音は結月の遅れをとらないように急いで月見ちゃんの背中に乗ろうとした。

逸脱者は見る見る高度を下げると減速することなくそのまま勢いで川へと落下した。

逸脱者の体が川の水底へと沈んでいくと同時に清らかな流れだった川の水が大きくうねりそのうねりは河原に近づくにすれ大きな波となって押し寄せてきた。

「鈴音、早く森に退避するぞ!」

明王と月見ちゃんが駆け出した時、津波は既に河原の大部分を呑み込みすぐそこまで迫っていた・・・・・・。




二十九録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?最近テレビやネットや新聞では共謀罪に関して色々と騒がれています。
共謀罪はテロや凶悪事件を未然に防ぐための法案ですがその定義が曖昧で法案を悪用される可能性がある事から市民団体や野党から非難されている法案です。
確かに今の状況を考えれば共謀罪は確かに非難されて当然かもしれません、ですがその一方で本当にそれで困る日本人がどれだけいるのか考えてしまう自分がいます。
日本人の多くは正直に言ってしまえば政治に対して余り良い印象を持っておらず興味を抱いている人も少ない印象を覚えます、政治に興味がないという事は政治に対しての反応も薄いという事であり積極的な政治活動を行っている人はそれ程多くないような気がします。
つまり政治家が何をやっても何も思わないか、非難する事はあっても結局は非難するだけで政治活動まで発展しない人々が大多数を占めている、そんな気がします。
実際、ここ近年の投票率は低調であり裏を返せばそれだけ日本人が政治に興味を持ってないという事になります。
極端ですが若者の多くがゲームやアニメの話題ばかりで盛り上がっている姿を見ると実際共謀罪なんてあってもなくても・・・・・そう考えてしまう自分がいます。
そしてその若者の一人に自分がいる、時々それが虚しく感じる時があります。
探せば真剣にこの国の政治について考えている人や団体もいるかもしれませんがそう多くはいないと考えられます。
共謀罪を非難している割にはそれとは無縁な人々が過半数を占めている国、人権や自由がないがしろにされても気にしない国であってもいいのかどうか今自分自身に問い質したい今日この頃です。
それではまた再来週。


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第三十録 船底を伺う二又の復讐者 九

こんばんは、レア・ラスベガスです。
梅雨なのに雨が中々降らないと思っていたら今度は大雨、今年の梅雨は何かおかしい・・・・・と思っていましたがそういえば去年も同じ事を思っていたような気がします。
ここ数年の梅雨は自分が子供の頃に経験した梅雨とは何か違う気がします。
気象変動によるものなのかそれとも偶然そんな年が続いているだけなのか・・・・・。
とはいえ梅雨はいつも通り降ってくれないと日本の自然環境が崩れてしまうので普通に降ってくれる事を願うばかりです。
それでは三十録更新です。


逸脱者の起こした津波はまるで全てを呑み込む貪欲な化物ようだった、地上のありとあらゆるものをその体に取り込み大量の水が勢いよく流れる音は化物が咆哮をあげているようにも見えた。

そんな化物と見間違う様な津波が結月達のすぐ後ろまで迫って来ていた。

明王と月見ちゃんは生きているかの様にうねる津波から逃げるように森へと駆け出した。

守護妖獣の走る速度は個人差あるが妖怪の中でも指折りの速さを持つ、その上妖怪となれば複雑に入り組んだ森の中を走る事など難しい事ではない、だがその守護妖獣の走力を持ってしても津波は守護妖獣との差を短くしていく。

森の木々を薙ぎ倒し呑み込んでいくその姿は化け物が大きな口を開けて木々を食べているようにも見えた。

「くっ・・・・・近づいてきているな」

守護妖獣との距離を縮める勢いで迫る津波を見て結月の心には焦りが見られた。

だがそれでも結月は明王にもっと速く走れとは言わない、彼らもまた自身のためそして契約者である自分達を守るために必死に全力で走っているのだ。

結月と鈴音は守護妖獣を信じていた、だからこそ何も言わないのだ。

(頼むわよ、月見ちゃん・・・・)

結月と鈴音の命を託された守護妖獣は後ろに迫る津波に呑み込まれないよう一心不乱に森の中を走る、木々にぶつからないよう草木に足を取られないよう集中して森の中を駆け抜けていく。

そのおかげとあってか、最初守護妖獣との距離を縮める程の勢いがあった津波は幾多の木々の壁に遮られ徐々に速度がおち水位も低下していた。

だが一方で森の奥は崖となっておりもしこのままでは逃げ道を失い崖と水で押し潰されてしまうだろう、何か津波でもビクともしないような高台に移動しなければならなかった。

(一体どうすれば・・・・・・)

その時、結月達の正面、木々の向こうに地面に半分埋まった灰色の苔むしった大岩が見えた。

長年その場所を留まり続けた大岩は随分古ぼけてはいるが津波程度ではビクともしないという自然の意思がひしひしと伝わってきた。

「っ!結月あの岩!あの岩の上なら!」

鈴音の言葉で結月は木々の向こうにある大岩を見るとしっかりと頷いた。

「あれなら何とかなるかもしれないな」

その言葉を聞いていた明王と月見ちゃんは指示がなくとも大岩に向かってより強く足に力を込めて駆けた。

迫る津波、遮る木々、無残にも砕かれ砕ける木々の悲鳴、弱っても尚咆哮の様な轟音が後ろから近づいてくる、結月と鈴音の焦りはより一層強くなっていった。

かつて現世の日本の漁村は何度も津波の被害を受けてきたと聞かされていた、話を聞く限り被害にあった村人達は恐ろしい程の恐怖を体験しただろうとは思ってはいたが今津波に追われる身となってどれ程津波が恐ろしい存在か結月と鈴音は体のそこから震撼していた。

速くこの恐怖から逃れたい、何としても助かりたい、そんな思いを口にする事はないが結月と鈴音の手が自然と明王と月見ちゃんの毛を強く握っていた。

「グルルル!!」

そんな結月達の思いを察したのか明王と月見ちゃんは唸り声をあげると姿勢を低くし守護妖獣が出せる速度以上の走力を発揮した。

明王と月見ちゃんは何としてでも結月と鈴音の思いに応えたい、そんな思いが彼らの身体能力を底上げしたのだ。

縮まっていた津波との差が広がっていくのが分かった、どうやら津波と言う名の化物との駆けっこは守護妖獣に軍配が上がったようだ。

そして苔むしった大岩が目の前に来た時、明王と月見ちゃんは大岩に前足の爪を食い込ませると走ってきた勢いそのままに大岩をよじ登った。

そして大岩の上まで登り切ると四本の足についた爪をたてて急停止した。

そして明王と月見ちゃんが振り返ると津波はすぐそこまで迫っていた。

ゴオオオオオ!!

津波と言う名の化物が咆哮をあげながら大きな口を開け大岩にぶつかった。

結月達の体が揺れる、下を見ると明王と月見ちゃんの足元に水が流れていた。

結月達の恐怖がここ一番で最高潮に達した瞬間でもあった。

鼓動が一気に早まる結月達であったが水は足元を浸かっただけでもそれ以上水位は上がっては来ないようだった。

どうやら窮地は脱したらしい、一息ついた結月と鈴音であったが足元にリスの死体が水と一緒に流れてくる。

恐らくここに暮らしていた動物達もそのほとんどが水に呑み込まれただろう、死んだ彼等に責任はない、こちらの、人間の勝手な都合で多くの動物が死んだのだ、結月は流れゆくリスの死体を見て人間とは特別な存在ではないとつくづく思う、妖怪の都合で人間が犠牲になっていると主張する彼等も人間の都合で動物を犠牲となり動物の都合で昆虫が犠牲となり昆虫の都合で自然が犠牲となっているのだ。

そう考えるならば人間は他の動物より頭が良いだけで自分達が特別な存在ではないと結月は思ってしまうのだ。

流石に彼らの無念を逸脱者にぶつける程結月は優しい人間ではない、もとより生きている上で小さな虫や動物を気づかない内に殺しているはずだ、小さいといえど命は命だ、その一つ一つに謝ろうとしたらキリがない、それに巻き添えで死んだ彼等もまたそれを望んでいる者は少ないだろう、人間の禍を人間が晴らして満足するのは所詮晴らした人間だけだ、ようするにエゴである。

それでも人間の都合で無駄死にする生き物は何としても減らさなければならない、それが出来なければ人間とは全ての生き物の中でも底辺になってしまうのではないか?そんな危機感が脳裏をよぎるのだ。

「・・・・・・!?結月!逸脱者が・・・・・」

結月が正面を向くとそこには湖に浮かぶ孤島と化した自分達のいる大岩に向かって逸脱者が水を掻き分けて突進してきていた。

流石は水中の人妖とあって体が水に浸かっている状態ならかなりの速度で動けるようだった、水の抵抗など微塵も感じられない。

水位は一向に減る様子はない、何故なら押し寄せてきた水が崖にぶつかり水がこちら側に戻ってきているからだった、このままでは身動きが取れない。

「水がひく様子はない、水がひかない以上、俺の命力を注いで火炎砲を逸脱者にぶつけるのみ・・・・・」

逸脱者は大分弱っている、火炎砲をぶつければ仕留められる可能性はある、だが逸脱者は得意な水の中での行動で地の利を得ている、当てるのは難しい上に当てたとしても一度で仕留められるかは未知数だった。

しかし結月がそう考えている時、鈴音は周囲を見渡しある事を思いつく。

「・・・・・・結月、ここは私に任せてくれない?」

その言葉に結月は鈴音の方を見る、鈴音の顔は何処か確信に満ちていた。

任せて、と口にしたのは余程の自信の表れだろう、結月は鈴音に対して厚い信頼を寄せている、今この状況を打開する方法がない以上、鈴音の名案に乗らない訳がなかった。

「・・・・・分かった、鈴音先輩に全てを託す」

結月は明王の背を降りながらそう言った。

その言葉に鈴音は強気の笑顔で答える。

鈴音は月見ちゃんの背から降りて逸脱者を一瞥する。

「任せて結月!月見ちゃん!今こそ貴方が溜めた妖力全てを解放しなさい!」

その言葉に対して月見ちゃんはガウ!と短いながらもしっかりとした声で返事する。

「必殺、荒嵐風(あらあらしかぜ)!」

鈴音のその言葉を口にすると月見ちゃんは爪をたて体を大岩に固定する翼を大きく広げるとその場で大きく羽ばたかせた。

バサッバサッバサッバサッ!

すると大きく翼を羽ばたかせる度に後ろから風が吹きつけしかもその風は月見ちゃんが翼を羽ばたかせる毎に風は強くなっていった。

「岩から転げ落ちないように明王に捕まって!落ちたら助けようがないから!」

最初はそよ風程度だった風が木々を揺らす様な風となり春一番の様な突風へと変わりそしてついには嵐のような凄まじい風が後ろから吹き付けた。

「何て風だ・・・・・まるで嵐の様な、いや、それ以上の猛烈な風・・・・・・」

鈴音に言われた通り足に力を入れ吹き飛ばされないよう明王に必死にしがみつく結月、猛烈な風によって辺りを浸す水に幾重もの大小様々な波が出来ていた。

辺りを浸す水が逸脱者に向かって動いている証拠だった、だが幾ら水と風が逸脱者の方に向かってくるからと言って逸脱者の突進を阻める程の力はなかった。

「・・・・・・っ!そうか、鈴音の狙いはこれか」

結月は水と一緒にあるものが風に押し流されていくのを見て鈴音の狙いを理解した。

それは津波によって薙ぎ倒され浮かんでいた木々だった。

津波によって薙ぎ倒された木々は水底に沈むものもあったがその多くが水の上に浮いていた。

その薙ぎ倒された木々は月見ちゃんが起こした猛烈な風によって水と一緒に川に向かって流れていた。

風を受けそして水の流れに乗って勢いよく流れる流木は数百にも登り中には大きな大木や折れた部分を先端にして流れていく木々もあった。

「ガルルル!グウアッ!!」

逸脱者に薙ぎ倒された木々が風に乗って川に向かって流れていく中、月見ちゃんが咆哮をあげ大きく羽ばたくと川に向かって吹き荒れていた猛烈な風が逸脱者に吹き付ける。

それと同時に木々も押し流される様に逸脱者に集中する。

「っ!?」

猛烈な風をものともせず接近する逸脱者であったが数百にも及ぶ木々が自分に向かって集まり始め壁となって槍となって押し寄せてくる様子に大きな口を開け驚愕した。

押し寄せてくる倒木を避けようにも巨体では急な方向転換は不可能だった。

逸脱者は最後の手段と首を体に巻き付け防御態勢をとった、その直後、押し寄せる木々は逸脱者にぶつかった、鈍い音が結月達のいる所まで響いたかと思うと水しぶきをあげた。

首で大事な体を防御様に丸まった逸脱者であったが首自体水膨れしたかのような柔らかい体のため折れて鋭い槍と化した木々が首を貫き木々の大木が逸脱者の首に打ち付ける。

「グ・・・・・グギギャアアアアア・・・・・」

逸脱者は苦痛と悲鳴が入り混じる声をあげながら木々に押される様に押し戻されていった。

辺りを浸す程あった水は月見ちゃんが起こした荒嵐風によって川へと押し戻され水位は急激に減っていく。

月見ちゃんは翼を羽ばたかせる間隔を広げると風も弱まり始め翼を羽ばたかせるのをやめると先程まで立っているのも大変だった猛烈な風はまるで嘘のように無風となっていた。

そして風が収まる頃には辺りを浸していた水は完全に川へとひき周囲はついさっきまで生気が溢れる森であった事など微塵も感じられないような荒地と化していた。

「酷いな・・・・・・これは」

先程まで豊かな自然に溢れていた森が見る影のもなく倒木と泥が周囲に散乱していた。

大岩から景色を見るだけなら世界が終末を迎えてしまったかのような感覚に陥ってしまいそうな惨状が広がっていた。

「この森が元通りになるには数十年の年月が必要ね・・・・・」

物事、壊すのは一瞬だがそれを元通りにするのには長い年月が必要だ、その長い年月を費やしても森が生態系の多様さを含め完全に元通りになる事はない、破壊とはそれ程恐ろしい行為なのだと結月は改めて実感していた。

「逸脱者は・・・・・・あれか」

周囲の惨状ばかり目がいっていた結月達だったが今の状況を思い出し逸脱者の姿を探した。

逸脱者の姿は見当たらなかった、しかし河原だった場所に倒木が山積になっているものを見つけた。

「恐らくはあれね・・・・・・」

逸脱者に倒木を集中させた事を考えればあの倒木の山積の中に逸脱者がいるはずだった。

倒木の山積に大きな動きはなく殺気もあまり感じられなかった。

息の根が止まったのか、それとも気を失っているだけなのか、はたまた息を殺してこちらがやってくるのを待っているだけなのか、どちらにせよ近づいて確認するほかなかった。

「行くよ、結月、少しでも不審な動きがあったら距離をとって」

結月は頷くと明王の背に乗って先に走り出した鈴音が乗る月見ちゃんを追って倒木が山積した場所へと向かう。

近づいている時も倒木の山積を注視する結月だったが動く気配はなく山積した倒木の地面にはおびただしい程の血が流れていた、かなりの痛手を受けているのは間違いないだろう。

だがそれでも油断は出来なかった、結月は初めて戦った未熟種の逸脱者の行動を思い出す。

肉の塊に手足が乱雑に生えていたあの不完全な逸脱者も息の根が止まった振りをして鈴音と月見ちゃんが近づいてくるのを待ち、事前に地面に潜り込ませておいた触手で身動きをとれなくした事があった。

それを狙ってくる今回の逸脱者も狙ってくる可能性も否定できなかった。

倒木が山積する場所を周り込むように近づき川沿いに移動した守護妖獣は足を止める。

正面から逸脱者に近づいてはもし息の根が止まってなかった場合荒地で戦う事になる。

津波によって薙ぎ倒され水に浮かんでいた木々は月見ちゃんが起こした風によって逸脱者の元へ集められたため河原は大量の石が押し流され所々、土が露わになっている事以外は比較的無事だった。

大岩からは逸脱者が倒木で覆われている様にしか見えなかったが回り込んでみると倒木が集まっているのは逸脱者の正面のみであり逸脱者の側面は白いぶよぶよと水膨れした逸脱者の体が露出していた。

しかし首を巻き付けての防御も大量の流木を前には完全とはいえず逸脱者の体は外傷が幾つも見られ血も流れていた。

既にかなりの血が流れ出ており息の根が止まっていたとしても不思議ではなかった。

結月達は明王と月見ちゃんの背に乗ったまま微動だにしない逸脱者にゆっくりと近づく。

何かあればすぐにでも距離をとるためだった、ゆっくりゆっくりと逸脱者の様子を警戒しながら近づく守護妖獣。

(息の根が止まっていると思いたいが・・・・・・)

結月と鈴音は戦いを楽しむような戦闘狂ではない、死への恐怖と極度の緊張で心が押し潰されそうな中、必死で誇りと信念を持って逸脱者と戦っているのだ。

命懸けの戦いなど一刻も早く終わらせたい、そんな思いが結月と鈴音には常にあった。

だからこそ逸脱者の息の根が既に止まっている事を願っていたのだが・・・・・・。

ガタン、逸脱者を覆うように積み重なった木々から河原の石が転げ落ちる。

それと同時に守護妖獣の足が止まり百八十度体の向きを変え距離をとるために走り始めた。

倒木の山積は石が転げ落ちたのを発端に積み上げられた木々が音をたてて崩れ落ち、微動だにしなかった逸脱者の体が大きく動いた、そして木々を押し上げるように現れたのは体に傷だらけの逸脱者の首だった。

(まだ息があったのか・・・・・・しぶとい奴だ)

結月の願いは儚くも崩れ落ち現れたのは非情な現実だった、だがその現実も闇のどん底に叩き落とす程残酷でもなかった。

逸脱者は口を開けて息を切らしており体には無数の傷と流木が突き刺さっていた。

最初遭遇した時と大きさはあまり変わらないはずなのに何処か先程よりも小さくなったようにも見える、かなり衰弱し闘争本能が薄れ気迫がなくなったからなのかもしれない。

首は周囲を見回し結月達を見つけると体を動かして結月達の方に向き直す。

しかし結月達に正面に向き直した逸脱者の体は何かを引きずっていた。

「結月、逸脱者の体に横たわっているの、あれってもしかして首だよね・・・・・」

逸脱者の体が引きずっていたものそれは左右の首だった、左右の首は致命傷を受けたのかぐったりとしており生きているようだが既に虫の息だった。

「左右の首はもう使い物にならないようだな」

勿論逸脱者も結月と同意見のようだった、ただとった行動は結月達の予想を上回るものだった。

地面に横たわる瀕死の左右の首に対して真ん中の首は意外な行動に出る、左の首の根元に噛み付くと持てる限りの力で引っ張り引き千切った。

肉が引き裂かれる音と共に地面に転がる左の首、体から引き千切られた首はか細い断末魔をあげその場で絶命する、それを見下すように真ん中の首を見つめると今度は右の首の根元に噛み付き引き千切り川に向かって投げ捨てた。

「これでようやく逸脱者もまともな姿になったわね」

本来生き物は体一つに対して頭一つが原則である、そう考えるならばこの姿が本来の生き物の姿といなくもない、そうした意味を踏まえての鈴音らしい皮肉だった。

逸脱者は距離をとる結月達を一瞥した後、首を地面につけ首を体に押し込めるように縮み始めた。

(逸脱者は一体何を企んでいる?)

逸脱者が何を仕掛けてもすぐ動けるように体を構え逸脱者の動きを注視する明王と月見ちゃん、鋭い視線は僅かな油断も感じられなかった。

逸脱者は首を体に押し込めるように縮ませ十五mもある首が五mくらいまで圧縮され首は皺だらけになっていた。

(伸縮性のある筋肉・・・・・圧縮する首・・・・・左右の首の切断・・・・・・まさか)

逸脱者が何を仕掛けようとしているか結月は頭をフル回転させ今の状況と逸脱者の構造や行動原理を重ね合わせ考えた結果、ある恐ろしい推測がたたき出された。

「鈴音!バネだっ!逸脱者は自分の首を・・・・!」

結月の言葉を聞いた鈴音はすぐに逸脱者が何を仕掛けようとしているか理解した。

その直後、逸脱者は首に圧縮した首の筋肉を解放した。

爆発音に似た轟音と共に逸脱者の体は尋常じゃない速度で結月達目掛けて飛んできた。

「っ!!」

明王と月見ちゃんはすぐに左右に別れ走り出していた、逸脱者は衝撃波を放ち石や土を巻き上げながら結月達に向かって猛進する。

逸脱者が林檎程度の大きさに見える程の距離をとっていたはずなのにものの数秒ですぐそこまで迫っていた。

全力疾走で走っていた明王と月見ちゃんが後ろ脚に力を入れ跳躍した。

跳躍後、逸脱者の首が通り過ぎると巨大な体が真後ろを通り過ぎていった。

その時の時間は一秒にも満たない時間であったが結月達には長く感じられた。

逸脱者は結月達を通り過ぎると地面に接触し体を地面に擦りつけて減速する、逸脱者が地面に着地してから止まるまでの距離には一直線の窪みが出来ていた。

「恐ろしい・・・・・まだあんな技を持っていたなんて」

冷や汗をかきながらそう言った鈴音、結月の予測と守護妖獣の走力がなければ間に合わなかったかもしれない。(とはいえ、何か動きがあれば回避行動をとっていたとは思うが)

しかしどんな攻撃か把握した今なら避けるのはそう難しい事ではない、銃弾の様に撃ち出される逸脱者の首の伸縮性を生かした突進は威力も攻撃速度も侮れないが攻撃範囲は直線状のみである事や攻撃までの動作が長い事を考えれば溜め始めて放つ直前に回避行動をとれば避ける事は十分可能だった。

溜めて放つ直前に動かれては逸脱者も首を縮めているため方向転換が出来ないからだ。

それに自制する事が出来ない突進にはあの基本戦術が使える事を結月達が分かっていた。

訓練施設の逸脱者との戦い方が記載された教本にも書かれている程の模範的な戦術だった。

「多分逸脱者の攻撃手段は恐らくはもうあれ一つしかないわ、結月、今こそあの手を使うわよ」

逸脱者はもうかなり衰弱しておりもう妖術攻撃も水を吐きだす事さえ穴だらけの首では無理だろう、されど接近戦をするには首が一つでは乏しいと思われ一発逆転を狙うにはもうあの突進しか残されていないという鈴音なりの見解だった。

その言葉に一息ついた後、結月は頷いた。

「あの手か・・・・・・悪くないな、むしろ絶好の機会だ」

その言葉と共に結月と鈴音は明王と月見ちゃんの体を軽く叩く、あの手を使うには明王と月見ちゃんに頑張ってもらわないといけない。

「次の突進を避けた後、全速力で村まで走って」

鈴音の命令に月見ちゃんが軽く吠えて答えた、そうしている内にも逸脱者はこちらに方向転換をしており再び首を縮め始め突進の構えをとっていた。

逸脱者の首の縮み具合を注視しながら結月達はいつでも走れるよう身構えていた。

「今よ!」

鈴音の指示を出したと同時に明王と月見ちゃんは再び左右に別れ走り始める。

今度は先程よりも数秒経ってから逸脱者が衝撃波を放ちながら一直線に飛んでくる。

大地が小刻みに震えるような衝撃と共に守護妖獣の五m後ろを逸脱者が通り過ぎていく。

避けるだけならもうさほど突進は脅威ではなかった、だがあの手を使うためには幾つかの条件があった、その一つにわざと追い詰められるような危機的状況を作らなければいけないという事だった。

結月達を通り過ぎた逸脱者が地面に接触し地面を抉っている間に明王と月見ちゃんは指示通り村に向かって走り出し途中で並走する、本来なら村の被害を最小限止めるために村での戦闘は避けるべきなのだがあの手を使うには遮蔽物である木々がない平地の方が良いからだ。

最も結月と鈴音は村の被害は出さない様に計算しての行動だった。

村まで戻ってきた結月達、数十m先には住人が避難して静寂に包まれた民家が佇んでいる、住人の大切な家々を巻き込む訳にはいかない、今度こそ一撃で仕留めなければならない。

後ろを振り返ると既に逸脱者はこちらを向いて首を縮めていた。

「崖に向かって走れ、逸脱者をギリギリまで引き付けるんだ」

その指示から間髪入れずに明王と月見ちゃんは右に方向転換をして崖に向かって風をきる様な速度で走る、方向転換してから数秒後、逸脱者が体や首を地面にこすりつけながら結月達の後方で停止する、逸脱者の浮き出る赤黒い模様の様な目が崖に向かって走る明王達の姿を捉える、逸脱者は傷だらけの首を持ち上げると体と首を結月達の方向に向け首を縮め始める。

本来なら先程の様に逸脱者の直線距離から逸れて回避するのが模範行動なのだが守護妖獣は何故か左右に逸れる事無く猛然と崖に向かって走っていく。

一刻も早く回避行動をとるべきなのにそれをしない理由、それは逸脱者にとって有利な状況をこちらから作り意図的に逸脱者に突進攻撃を促しているからだ。

わざと追い詰められるような状況下を作る、それを今結月達は行っているのだ。

結月達の目前に崖が迫っていた、逸脱者もこれで終わりにせんと言わんばかりにより強く首を圧縮し今にもその力を解き放とうとしていた。

そしてその時は来た、逸脱者が首に溜まりに溜まった力を解放する、首が目にも留まらぬ速さで伸びきると同時に土煙が大きく舞い上がり逸脱者は猪突猛進の勢いで崖に追い詰められた結月達目掛けて飛んでくる。

「明王、お前の走力見せてみろ」

逸脱者が飛んできたと同時に結月がその言葉を口にした。

答えるように一吠えすると明王と月見ちゃんは足に力を入れ目の前に迫った崖に向かって飛びかかり両足の爪を出して崖に張り付くと走ってきた勢いそのままに崖をまるで走る様に登っていった。

追い詰めたはずの結月達が崖を登っていく姿は逸脱者にとって予想外の光景だっただろう、そして逸脱者の目の前には灰色の絶壁が立ち塞がる、理性と冷静さを失った逸脱者は結月ばかりに気をとられ行き止まりである壁に向かって突進攻撃をしてしまった、止まろうにも首をバネにして体を撃ちだすため急停止する事は不可能であり地面に体を擦りつけて止まるにも距離が短いため減速出来たとしても絶壁に打ち付けるのは明らかだった。

ここに来て逸脱者は自分が罠に嵌められた事を理解した、しかし理解した時には既に首は灰色の崖に直撃する直前だった。

逸脱者の首が崖と激突すると同時に絶壁が大きく揺れ大きく亀裂が入ったかと思うと崩れ始めた。

「っ!明王!」

明王と月見ちゃんがしがみついていた場所にも亀裂が入ったかと思うと大きく崩れ大岩となって壁から剥がれ落ちそうになる、明王にしっかりとしがみつく結月は相棒の名を口にした、それに応えるように明王と月見ちゃんは壁を蹴る様にして飛び降りた、その直後大岩が剥がれ落ちて顔の部分が壁にめり込む逸脱者の首に落下する、逸脱者の激突により崖が大きく崩れ逸脱者の顔から首の中ほどまでが土砂で埋もれた。

明王と月見ちゃんは埋まってない逸脱者の首に着地すると結月と鈴音を降ろし地面に着地する。

「行くよ!結月!」

刀を鞘から引き抜き逸脱者の首に突き刺した、結月も刀を引き抜くと首に突き刺したままの状態で首元に向かって走り始めた。

逸脱者は完全に気を失ったのか動く気配は感じられない、水膨れしたかのような皮膚を魚の腹に包丁を入れる様な感覚で切り裂いていく。

首元に近づくにつれ幅が短くなり結月と鈴音の間隔も短くなり少しでも足を滑らしたら地面に落ちそうだった、それを想定してか明王と月見ちゃんが結月達と並走するように地面を走っていた。

刀で途切れる事無く一筋を描くように斬り続けついに首元に辿り着いた結月と鈴音、2m程空いていた筈の間隔は首元に着いた頃には隣同士にいる程狭まっていた。

結月と鈴音は互いに顔を合わせると刀を引き抜き互いに見つめ合うように向くと刃を自分の方に向けて逸脱者の首に深々と突き刺した。

そしてそのまま首から滑り落ちるように落下する。

ズルズルと肉が裂けるような音共に溢れ出る血で上半身を濡らしながらも刀からは手を放さず重力と自分の体重を持ってして首を左右から切り裂いていく。

ズルッと肉から刃が抜け落ちるとともに結月の体は宙に浮く落下する相棒を助けようと明王と月見ちゃんが近づこうとするがすぐに足を止める、結月と鈴音は空中で態勢を立て直し着地する態勢に入っていたからだ。

少し高めの所から着地したため足に強い衝撃と共に骨が震えるような痺れを感じ体重が数倍重くなったような感覚を覚える。

それでも膝をつかなかったのは流石逸脱審問官というべきだろうか。

結月と鈴音が地面に着地したと同時に逸脱者の首がくっついていた残りの肉が引き千切れる音と共に首が体からズレ落ちた。

最後の首が切り離され首を失った巨体は突然その場でのたうち回る様に跳ね回った、その様子はまるで水でしか生きられない魚が大気に晒されもがき苦しむ姿に似ていた、何度も何度も跳ねてその度に地面を揺らしていたが次第に動きが鈍くなり最後は大きく跳ねると背中から着地し仰向けになり手足をばたつかせた後、息がきれるように動かなくなった。

逸脱者の状態を見て取る様に分かる明王と月見ちゃんは動かなくなった逸脱者を見て剥き出していた牙をしまい、戦闘態勢を解いた。

そんな明王と月見ちゃんの様子や全く動かなくなった逸脱者の胴体の斬られた首元から滴り落ちる血を見て結月達は死線を乗り越えたのは幸いにも自分達の方だったと理解する。

「・・・・・・・終わったようね」

結月もようやく一息つくと肩の力が抜けていくのを実感した。

途端に持っている刀がズシッと重くなる。

「ああ・・・・・・これも鍛練と連携の賜物だな、やはり苦くとも流石は良薬と言った所か」

極限状態から一転して安堵感が広がったため結月らしくもなく皮肉が口から零れる。

「あはは・・・・・・そうだね、ただ今は甘い物が食べたい気分ね」

自分へのご褒美がはたまた糖分補給か真意が分からないが結月も今なら甘い物が幾らでも進みそうな気分だった。

「・・・・・・・はあ」

大きく一息入れた後、いつもよりも重く感じる刀を鞘に納める。

「お疲れ、結月」

簡素ながらも仲間である結月を労った鈴音に対して結月も労いで返す。

「鈴音先輩こそ」

互いに労った後結月達は隣に寄り添う相棒の守護妖獣の頭を撫でて労った。




三十録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?最近とても仕事が忙しく仕事が終わって家に帰っても布団に入ってスマホでYouTubeを見て時間を過ごし小説を書かないまま一日を終えるという自堕落な生活を送っています。
お金は必要だが重要ではない、という名言がある様に仕事してお金を稼いでいる分無駄な一日を過ごしている訳ではないのですがこの一度きりの人生の大事な一日を無駄にしている様な気がします。
それに小説が書かなければ当然小説が投稿できなくなってしまいます。
小説を書けない理由を並べ立てるのは簡単ですが読んでくれている皆様にとっては関係ない事ばかりでこちらの言い訳にすぎません。
だからこそ疲れている体に鞭を打って小説に打ち込まなければなりません、書いている以上投稿できる小説の余裕がなくなって投稿できなくなったとしても小説を書く手は止めてはいけません。
少しでも読んで頂けるのなら書き続けたいです、その気持ちは十分あります、書く意欲もあります、ただ書く速度が異様に遅い・・・・・・この悩みは私だけの悩みではなく恐らくほとんどのハーメルンの作家様が抱えているかもしれない問題ですが結局は自分だけの悩みではないので小説が進まない理由をこれを盾にしてしまってはいけませんね。
小説の閲覧数を見ると頑張って書かなければそんな思いにさせられます、ただそれが重圧に感じないよう自由にのびのび小説を書きたい所存です。
それではまた再来週。


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第三十一録 船底を伺う二又の復讐者 十

こんばんは、レア・ラスベガスです。
最近何となく図書館で三銃士を借りて来て読んで知ったのですが三銃士の主人公のダルタニャンは三銃士のメンバーではなくダルタニャンと深い関わりのあった三人組の銃士が三銃士と呼ばれていてその三銃士にダルタニャンを加えた四人が恋に冒険にと活躍する物語だった事に驚きました。
アニメや漫画では三銃士の部分が独り歩きしまるで三銃士自身が三銃士の主人公に置かれていたかのような作品が多い中、やっぱりどれだけ聞いた事ある作品でもちゃんと原作は読まないといけないなと思いました。
それでは三十一録更新です。


結月達が逸脱者の断罪した時、崖の上から見守っていた村人達は驚きからしばらく声を出ず唖然とした様子だった。

そして互いに顔を見合わせ自分が見た光景が夢や幻でない事を確認する。

「終わった・・・・・・みてえだな」

一人の静寂を打ち破るだけの勇気ある村人がそう口にするともう一人の村人も喋りはじめる。

「やった・・・・・・やりやがったぞあいつら!本当に人妖を倒しやがった!」

一人の村人の喜びの声と共に他の村人達の顔にも笑顔が浮かび喜び始めた。

「まさか本当にやっちまうなんて、やっぱり逸脱審問官と名乗るだけの事はあるな」

ある村人は断罪された逸脱者の傍にいる逸脱審問官と守護妖獣を見て感心していた。

「逸脱審問官は無事逸脱者を断罪したのね、仏様はやはりあの方々を見捨てはしなかったのね」

結月達の無事を必死に祈っていた仏教徒の女性は無事逸脱者を断罪し結月達が生きていた事を仏様に感謝していた。

「そうだな、だが仏様の力だけじゃない、あの若者達は臆することなく自らの力と勇気で逸脱者に挑んで勝利したんだ、仏様はそっと彼等に力添えをしてあげただけさ、あの若者達にも感謝しないとな・・・・・」

ええそうね、と答え仏教徒の夫婦は村の危機を救った結月達に感謝していた。

「すげえ・・・・・あんな化けもんを倒しちまうなんて・・・・・・オラはてっきりもうだめかと・・・・・・」

極度の緊張から解放され安堵の表情を浮かべる男の顔には汗が滲み出ており周りの村人はそれを軽く馬鹿にしていたが内心は皆男と同じ意見だった。

「悲しいなあ・・・・・・おぞましい姿をしていたとはいえあれは小三郎のなれの果てだと思うとな・・・・・・せめて先に逝った与助や重信と共に安らかに眠ってくれよ」

喜ぶ村人がいる一方で同じ漁師仲間の中には例え恐ろしい姿になったとしても憎しみが狂気へと変わり翻弄されそして最後は惨い死に方をした小三郎やその小三郎に殺された与助や重信を偲ぶ者もいた。

反応は様々だがとにかく村の脅威となりうる存在がいなくなり村人達は緊張と絶望から一転して緩やかな雰囲気になっていた。

しかしそんな中、未だに驚きを隠せない表情を浮かべている二人がいた。

「倒したんだよね、結月さんと鈴音さん本当に倒したんだよね?」

自分の見ている光景が信じられず友人である影狼にそう聞いたわかさぎ姫、一方の影狼も今自分の目を通して映る光景が事実である事がにわかには信じられなかった。

「倒した・・・・・のだと思うわ、逸脱者の首は全て斬られたし体は息の根が止まっている様に見えるしね」

影狼の言葉を聞いてわかさぎ姫も自分の見ている光景が決して幻ではなく事実である事を理解する、それは影狼も同じだった。

「結月さんと鈴音さん、本当に逸脱者を倒したんだね・・・・・」

うん、と聞こえるか聞こえないかの境目の様な声でそう呟いた影狼、二人の気持ちは複雑だった。

結月と鈴音が無事生還出来た事は喜ぶべき事であり緩葉川にいたであろう逸脱者が倒された事を安堵している一方でかつて多くの人間を蹂躙し死屍累々を築いてみせた化物と同等の力を持っていただろう逸脱者を倒してしまった結月と鈴音に言いようのない恐怖を覚えていた。

「あれが・・・・・・逸脱審問官なんだね」

わかさぎ姫と影狼は逸脱審問官が戦っている人妖は人を襲って食べる妖怪よりかは恐ろしくないものだと思っていた、否願っていたというのが正解だろうか、昔話に出てくる三つの首を持つ化物もきっと話が膨張されたものだったのではないか、そんな思いも心の何処かにあった。

だが実際現れた逸脱者は昔話通りの姿形をしておりその強さも昔話通りの凶暴さだった、その恐ろしい逸脱者の姿を間近に見てわかさぎ姫も影狼も村人同様人間なんかでは勝てないかもしれないと思ってしまった。

だが結月達はそんな絶望など微塵も感じずむしろ僅かに見える希望に目を向け戦いを挑み逸脱者の攻撃を守護妖獣との息の合った連携で避け続け戦術で逸脱者を罠に嵌め好機を作りここぞとばかりに攻撃に転じそして見事逸脱者を断罪して見せた。

人妖という人間よりも凌駕した力を持つ存在を彼らは知恵と力と勇気で上回って見せたのだ。

その姿は人間の可能性の証明であり人間の道を外れてしまった彼等に対しての否定でありそれは逸脱審問官の掲げている理想だった。

守護妖獣という妖怪の助けもあったのは確かだがそれを踏まえても結月と鈴音の活躍は人間の本来の強さの表れだった。

そんな人間の可能性を証明してみせた結月と鈴音を見て影狼とわかさぎ姫は込み上げてくる様々な感情を一つの言葉にする。

「「人間って怖いわ~・・・・・」」

それは先程逸脱者に向けて言った時とは違い人間の可能性に感心する一方で人間の底知れなさに不安を抱く様な感情が込められていた。

 

村人達が崖下から降り逸脱者を取り囲むように見つめる頃には太陽が川向こうの山に沈みかけ日陰が村のすぐそこまで迫っていた。

この村の夜は早い、だが逸脱者を断罪して今、彼らは安心して夜を眠る事が出来るだろう、息の根が止まっている逸脱者が隣にいる事を許容できればの話だが。

「逸脱審問官の皆さん、我らの村を救っていただきありがとうございます、おかげで村は安全となり漁師達も不安なく漁に出掛ける事が出来ます」

半日村の村長のその言葉に結月達は誇る事もなく謙虚に答える。

「人として当然の事をしただけですよ、逸脱審問官は逸脱者を断罪し幻想郷の秩序を守るのが目的ですから、私達は光に照らされた人間の道を歩む人間の番人でありその責務を果たしただけです」

地位や名誉が欲しい訳でもない、幸福や金銭が欲しい訳でもない、逸脱審問官にとって人間の道を外れた逸脱者を断罪するのは人間としての義務なのだ。

「そうだ、逸脱者を断罪する事は俺達の仕事だ、感謝される程でもない」

とはいえ、それで納得できる人はいないだろう、納得できなくとも良い、感謝したいなら感謝すればいい、自分達にとっては感謝されてもされなくても逸脱者を断罪するのだから。

そんな結月達の姿を影狼とわかさぎ姫は遠くから見つめていた。

「人間って怖い存在なんだと思っていたけど、結月さんと鈴音さんを見ていると人間ってそれだけじゃないと思えるんだ・・・・・・・怖いのは今でも変わらないけど」

わかさぎ姫にとっての結月達との出会いは人間の魅力を少しだけ惹かれたのと同時に人間の怖さを再確認する出来事だった。

「そうね・・・・・・人間は怖い生き物だという認識は変わらないわ、だけど怖い人だけじゃなく優しい人や厳しい人、信念の強い人や弱い人、素直な人や疑り深い人、色んな人がいる事を教えて貰ったわ」

考え方、価値観、性格まで違う人がいるからこそすれ違いが起き恨みは生まれ争いが起きてしまうのだろう。

だがそれは同時に人間とは一言で表せるような単純なものではなく複雑であり一概に人間とは何かと言えるものではないという事であり影狼の中にあった人間への考え方にも変化をもたらしていた。

「そうだね・・・・・・もしかしたら人間と仲良くなる事も出来るのかもしれないね」

勿論、今すぐにそれが出来るとは思っていないし人間の怖さを再確認した今、わかさぎ姫も影狼も素直に人間を信じる事はできなかった、しかしもし結月や鈴音の様に妖怪だからと警戒せず受け入れてくれる心優しい人間が現れたとしたらもし自分達に一歩踏み出す勇気があるならば人間と友達になる事も出来るかもしれない思いはあった。

以前の彼女達では考えられない事だっただろう。

「妖怪も色々いるなら人間も色々いるのね・・・・・・」

今日という日は自分達にとって忘れられない出来事になるだろう、もしかしたらこれがきっかけで何か変わるかもしれない、そんな思いが彼女達にはあった。

だが、これで全て終わった訳ではない、結月達にはまだやらなくてはいけない事があった。

「逸脱者は断罪された、だが逸脱者の脅威が去った訳ではない、当分の危機は去っただけだ、逸脱者を生み出した元凶を倒さなければ終わった事にはならない」

結月のその言葉に村長はどういう事だと問い詰める。

「実は小三郎は逸脱者になるためにここから上流にある悲願の滝と呼ばれる滝から身を投げてその滝壺に棲んでいるとされる滝壺様と呼ばれる化物から力を貰って逸脱者になった可能性が極めて高いわ」

滝壺様、その言葉を聞いた村長は驚きの表情を浮かべ額からは冷や汗が出ていた。

「滝壺様だと・・・・・・・・確かにあの滝壺には化物が棲んでいると噂されていたがまさか本当にいるとでもいうのか・・・・・・」

どうやら村長も滝壺様の話は知っているようだった、しかし驚いていた村長はすぐに落ち着きを見せる、その様子は何かを察し理解したようにも見えた。

「だが・・・・・恐らく本当なのだろう、お主達が嘘を着く訳もない、それに冗談やまやかしでそんな事を口にする訳がない、確かな自信があるのだろう、実際わしの若い頃も同じ村人の何人かが悲願の滝で不可解な経験をした者もいたし実際わしも悲願の滝で滝壺から背筋が冷えるような視線を向けられた経験がある・・・・・・わし自身は気のせいだとは思っていたのだが私が村長になって初めにやった事は悲願の滝に近づく事を禁止した事だ、化物が潜んでいるかどうかは知らんが何かあっては遅いからな・・・・・・」

白髭を触りながらそう語った村長。

「・・・・・小三郎が一体何処で滝壺の化物の力を貰える話を知ったかはどうでもよい、復讐は大きな原動力だ、恐らく復讐する方法を血眼になって探した結果なのだろう、問題は滝壺の化物だ、滝壺の化物は人妖と違って真正の妖怪、それも只の人間だった小三郎をあそこまでの化物にした所から考えてみても実力は逸脱者よりも上である事は確か・・・・・・お主達はそんな化物にも挑むつもりか?」

大分力の入った声でそう尋ねた村長、結月達は無傷で済んだとはいえ逸脱者の力は相当なものであり断罪できる確率は六~七割程度だっただろう、もし妖怪がそれ以上の力があるなら倒せる勝率は逸脱者よりも低いだろう、勝率が五割切っている戦いは余程の事がない限り避けるべき戦いであり兵書に置いても勝率が八~九割の戦いをするのが基本であるからだ、しかし意外にも鈴音は首を横に振る。

「逸脱者が幻想郷に置いて断罪されるべき存在ならそれを意図的に生み出してしまった妖怪もそれ相当の大罪を背負っているのは確かよ、ただ私達、逸脱審問官はあくまでも道を外れた人間を断罪するのが仕事・・・・・妖怪退治は妖怪退治の専門家に任せる事になっているわ」

妖怪の楽園とされる幻想郷に置いても妖怪が守らなければ規則は幾つか存在する、その中でも重罪に値する規則に意図的に幻想郷に置いて大罪とされる逸脱者を生み出してはいけないというものがある、もしそれを破ろうものなら例え幻想郷に指折りの妖怪だとしても罪を免れる事が出来ず、妖怪としての存在定義を消される・・・・・・つまり妖怪に対して決定的に『死』が与えられるとされている。

「そうでしたか・・・・・・・確かに妖怪の事なら妖怪退治の専門家の方が利はある、だがあれ程の逸脱者を生み出す妖怪となればそれこそ貴方達同等の妖怪退治の手馴れでなければ返り討ちにあうだろうて・・・・・・」

流石は村の村長を務めている事だけのある洞察力だ、勿論結月達もそれは分かっていた。

「とりあえず一度天道人進堂に戻って鼎様と相談して逸脱者を断罪した事や妖怪が関わっている事を報告しないと・・・・・、後は鼎様が滝壺様を断罪出来そうな信頼できる妖怪退治の専門家を後日悲願の滝に派遣する事になると思うわ」

逸脱者を生み出した元凶がいる限りこの案件は終わった事にならないだろう、だがここから先は自分達の仕事ではなく妖怪退治の専門家の仕事だった。

件頭が逸脱審問官に願いを託すように今度は逸脱審問官が妖怪退治の専門家にその願いを託す番なのだ。

とりあえず自分達の仕事はこれで終わりか、そう結月が思っていた時だった。

「あら珍しい、私よりも先に鈴音が人妖狩りを終わらせているなんてね、やっぱり部下が出来ると上司としての期待に応えなくちゃいけない緊張感から人一倍頑張る様になるからなのかしらね」

聞き覚えのある声、もしやと思って声が聞こえた方の空を見上げるとそこにはゆっくりと降りてくる博麗神社の巫女である霊夢の姿があった。

「霊夢?なんでここに?」

何度も顔を合わせているせいか鈴音の顔に驚きこそないが何故霊夢がここにいるのか分からない鈴音。

半日村の村人達も突如空から降りてきた可憐な少女に姿に気づいてざわついた。

何故可憐な人間の少女が空から降ってきたのか理解できていない様子だった。

村人達にしてみれば逸脱者は現れるわ逸脱審問官はやって来るわ妖怪も関わって来るわ博麗の巫女が空から降って来るわで心が休まらないだろう。

「何で?特に理由なんてないわよ、何となく空を飛んでいたら白い大きな肉の塊を見つけたから近づいたら貴方達がいたから何となく察しただけよ、理由なんて絶対に必要なものじゃないでしょ、理由を求めたがるのは人間の悪い癖よ」

そう語りながら地面にふわりと着地した霊夢、手にはお祓い棒が握られておりそれを肩に担ぐ様に乗せる。

突如現れた博麗の巫女に村人達は彼女が何者なのかざわつくなか、わかさぎ姫と影狼は霊夢の姿を見て顔を青くする。

「影狼ちゃん・・・・・・・もしかしてあの姿、博麗の巫女じゃない?」

人間達にとってはあまり知られていない博麗の巫女だが妖怪達にとっては知らぬ者がいるのかと思われるくらい有名な人だった、特に幻想郷に置いて下位に甘んじる妖怪にとっては彼女と会った事が無くても彼女の一目見るだけで分かる程の話を聞かされていた。

「嘘!でもあの姿・・・・・・間違いないわ、博麗の巫女よ、出会ったら最後、妖怪でも神でも仙人でも完膚なきまで叩きのめされると言われている恐ろしい人間よ」

わかさぎ姫と影狼は全身に寒気を感じていた。

何故なら彼女は機嫌が悪い時、外に出掛け出会った妖怪を手あたり次第退治して鬱憤を晴らしているとされ例えそれが何も悪い事をしていない妖怪でも大人しい妖怪だとしても容赦なく叩きのめす恐ろしい巫女として妖怪達の中ではまことしやかに語られていたからだ。

「でも何でここに博麗の巫女がいるのよ・・・・・・もしかして機嫌が悪くて憂さ晴らし出来る妖怪を探してここに・・・・・・?」

もしそうだとしたらもし自分達がいる事が霊夢に知られたら拙い事になるのではないか?自分達がその標的にされるのではないか?そんな不安が込み上げてくる。

「わかさぎ姫、まだ霊夢はこっちに気づいていないわ・・・・・今のうちに退散するわよ」

わかさぎ姫は村の人々が逸脱者と博麗の巫女に気をとられている内にこっそりと誰にも気づかれない様にその場を後にした。

「確かに霊夢の言う通りだけどそれを言ったら霊夢も同じ人間じゃない・・・・・まあ、私が言える事じゃないけどさ、それにしても何の理由もなしに外に出掛けるなんて事はないと思うんだけど・・・・・もしかして博麗神社にいても暇だから暇つぶしに外にでも出掛けたとか?そんな事は流石に・・・・・・」

軽い冗談のつもりでそう言った鈴音だったが霊夢は少し不機嫌な顔をする。

(・・・・・・もしかして図星なのか?)

霊夢の顔を見てそう思った結月、鈴音も少しひきつった様な笑いを浮かべる。

「しょうがないでしょ、今日は誰も尋ねに来ないし神社の掃除はもう終わったし休憩だって一時間も長くとっていたのよ、他に何かする事あるの?」

仕事しろよ、結月と鈴音の脳裏にその言葉が浮かぶがあえてそれは口にしなかった。

本来なら霊夢に課せられた使命を考えるならば人間の里や村や集落を周り妖怪に困っている人を助けたり御札を売ったりお清めをしたりして村人から得られる報酬で生活を送るのが本来の仕事である。

だが霊夢はめんどくさがりやであり気分屋でもあるためそのような地道な仕事はしないので当然時間に空きが出来てしまうのだ。

異変の解決は遅かれ早かれちゃんとやる所を見ても使命自体を放棄している訳ではないが、やはり霊夢は地味な仕事はあまりやりたくないのだろう。

そのせいでいつも生活は困窮気味だとも言われている。

「そう言う貴方達も今日やる事がなかったからこそ件頭に情報を貰ってここに来て人妖を倒しに来たのよね?暇していたのは同じじゃない?」

そう反論する霊夢だが用事があったとしても人妖が出たら人妖の断罪を最優先すべきなのが逸脱審問官でありその時点で差異があった、しかも逸脱審問官にとって逸脱者がいない時は鍛練こそ仕事なので神社でゴロゴロしている霊夢とは大違いである。

勿論霊夢も屁理屈を承知でそんな事を言っているのは確かだがそれにしても失礼な話ではある。

「まあ、実際はもっと複雑なんだけどね・・・・・・件頭から逸脱者が現れた可能性があるから現地で調査してくれと頼まれたからこの村にやって来て守護妖獣の力を借りて現地調査をしていたんだけど、その道中、二人組の妖怪と出会ってその二人が持っていた物に逸脱者の妖力が付着していてこの村で起きていた行方不明事件が逸脱者の仕業だと分かり逸脱者を河原に誘き寄せて激闘の末断罪したのよ」

鈴音の説明を興味無さそうな感じで聞く霊夢、霊夢にとって済んでしまった事など大して興味ないのかもしれない。

「激闘ねえ・・・・・・自分で激闘と言ってしまう戦いなんて実際は大した事なかったり膨張してあったりするものよ」

別に霊夢は煽っている訳でも見下している訳でもない、自分の考えを率直に述べているだけのだ。

「何だと!この人達は俺達の村のために命懸けで戦ってくれたんだぞ!何も見てないお前が何を偉そうな事を言っているんだ!」

意外にも霊夢の言葉に反論したのは村人達であった、彼らは影上から結月達の戦いを見届けており村人にとって結月達は村の危機を救ってくれた存在だった、だからこそ後からやって来た癖に結月達の戦いに疑問符を投げかける霊夢の態度に反発したのだ。

そうだ!そうだ!誰がどう見ても激闘だったぞ!お前の様な礼儀知らずは出ていけ!

多くの村人が霊夢に向かって野次を飛ばしていたが、一方の霊夢は怯える事はなくしかめっ面をするだけだった。

「観客の多い事ね、激闘だったは確かようね、言葉は撤回するわ、私の事を悪く思いたいのであるなら好きにしなさい・・・・・・そういえば逸脱者の証拠を持っていた二人組の妖怪って一体何者なの?」

反省しているのか、反省してないのか、曖昧な態度を取りながらそう聞いてきた霊夢。

「ああ、その二人組ならあそこに・・・・いる・・・・・はず」

結月はわかさぎ姫と影狼が先程いたと思われる場所を見るがそこには誰もいなかった。

「おかしい・・・・・・さっきまであそこにいたはずなのに」

村人達は辺りを見回すが何処にも彼女達の姿はなさそうだった。

「もしかして霊夢は機嫌が悪い時、妖怪退治で憂さ晴らしをしているってもっぱらの噂だから貴方の姿を見て逃げたんじゃないかな・・・・・?」

もしかして、とつけた鈴音だったが恐らくはそれが真相ではないかと結月も思っていた。

「困ったものね、誰がそんな噂を広めたのかしら、機嫌が悪い時は強く当たっていただけなのに」

つまり霊夢の話を聞く限りでは機嫌が悪いから手あたり次第妖怪を退治しているのではなくそうでない時も手あたり次第妖怪退治をしているようだ。

(末恐ろしい女だ・・・・・・)

霊夢は見た目こそ可憐で清純そうな乙女なのに性格は優しさの欠片も感じられなかった。

とはいえ人間の脅威である妖怪を退治する仕事柄、妖怪に舐められているよりかは恐れられている方が頼りがいはありそうな気もするが・・・・・・。

「まあいいわ、白い肉の塊が見えたから何かと思って見に来たけどもう終わっている様ならここに用はないわね、退散させてもらうわ」

そう言って霊夢は飛び立とうとするが結月達は霊夢を呼び止めた。

「待ってくれ霊夢、話がある、逸脱者は断罪したがまだ終わってはいないんだ」

その言葉にふわりと浮かせた足をもう一度地面につけた霊夢、一体何事かと思っているかのような顔をしていたが結月達の真剣な表情を見て大体の事を察した。

「説明しなくていいわ、どうせ人妖になった原因に妖怪が深く関与しているからその妖怪を消して欲しいのでしょ?」

霊夢はニヤリと笑みを浮かべながらそう言った。

「察しが良いな、流石は博麗の巫女と言った所か、ここから緩葉川を上った先、悲願の滝に逸脱者になったであろう人間に力を与えた妖怪がいる可能性がある、意図的に人妖を生み出してはならない、その規則破りし妖怪は大罪を償わなければならない、それが妖怪の規則だったはずだ・・・・・・・霊夢、暇をしているなら博麗の使命を果てしてくれないか?」

霊夢は思慮しながら結月達に背中を向ける、そして肩に担いでいたお祓い棒で肩を軽く叩く。

「不公平」

ぽつりとそんな事を口にした霊夢。

「あんた達は人妖を倒したらお金が貰えるのに私は妖怪を退治しても何も貰えないなんて不公平だとは思わない?」

何処か回りくどく聞こえる言い方は霊夢が結月達の口から自分が言いたい事を言って欲しいからだ。

「・・・・・・・手伝ってあげるから自分にも分け前を寄越せ、そう言いたいのだな?」

何とも素直ではない、正直に言えばいい事なのに自分が言えば欲張りな人間だと思われたくないから相手に言わせたかったのだろう、既に分け前を欲しがる辺り欲張りなのだが・・・・。

「あら、察しが良いのね、流石は逸脱審問官ね、魔理沙だったら分かっていてもわざとはぐらかそうとするのに」

何だか霊夢と魔理沙がいつも一緒にいる理由が分かったような気がする結月。

鈴音は苦笑いを浮かべていた。

「それで、この人妖でどれくらい出るのよ?大きさからしても結構な額が出るんじゃないの?」

ニヤニヤと悪い顔をしながらそう聞く霊夢、恐らくこの様子ではさっきの激闘に関しての話も分かっていた上で話していたに違いない。

「そうだな・・・・・・・どのくらい出るんだ?鈴音?」

逸脱者はその強さに比例して金額が変わり未熟種などの妖怪のなり損ないは十万、中型猿人種は15万など強い逸脱者程金額は高値になる傾向があった。

「そうね・・・・・・私が今まで戦ってきた逸脱者を比較すると大体・・・・・・・五十万はいかないかな?」

五十万、話を村人達は驚愕していた、人間の里と村や集落とでは金銭感覚が大きく特に稼ぎが少ない村や集落では五十万でも一年は遊んで暮らせる程の大金だった。

だが、それを高すぎると思う者はいない、あれだけの生死をかけた戦いならむしろそれ相応の対価と言えるだろう。

さて、分け前と言っても恐らく霊夢の性格上、三等分十六万では恐らく納得しないだろう、もっとふっかけてくるはずだ。

霊夢はお金にがめついという話は天道人進堂の職員の中では周知の事実だった。

「う~ん・・・・・・じゃあ、霊夢三十万で私達は二十万で良いよ」

逸脱審問官は別に金が欲しくて仕事している訳ではない、勿論タダ働きする程御人好しでもないが逸脱審問官にとって逸脱者を断罪し幻想郷の秩序を守り人間の誇りや尊厳を守る事こそ至福と考えておりお金は二の次だった。

三十万・・・・・・そう小さく呟いた霊夢、少し思慮した後、言葉を続ける。

「三十万ね、悪くはないけど・・・・・・・・もう少し欲しい所ね、四十万、私が四十万で鈴音と結月が十万を分け合うならやっても良いわよ」

何て強欲な女だ!そんな野次が村人の方から聞こえる、命懸けをかけて逸脱者と戦ったのに報酬が五万だけとは酷いとは誰もが思うだろう。

「外野は黙ってなさい!・・・・・・・どうせあんた達、他の人妖を倒して結構お金貰っているんだから五万程度でも良いでしょ、私なんか妖怪退治しても異変解決してもこれっぽっちもお賽銭入れてくれないのよ、お金貰える仕事はキッチリと貰わないとただでさえ家計があの幼鬼のせいで火の車なんだから、それに人妖を生み出した妖怪は当然、人妖よりも強いはずよね?そんな相手に弾幕勝負ではなく真剣勝負をするんだからそのくらい貰ってもいいじゃない」

仕事しろよ、二度も同じ言葉が脳裏に浮かぶが決裂すると色々と面倒なので口にはしなかった。

とはいえ霊夢は一度決めた事はやり遂げる性分なので後は霊夢が出した要件を承諾すればこの事件は終わったも同然だ。

結月と鈴音は互いに目を合わせると頷き霊夢の方を見る。

「分かった、それで良い・・・・・・だが倒せなければ報酬は零だぞ?」

結月の挑発に霊夢は強気の笑みを浮かべる。

「任せなさい、真剣勝負は久しぶりだけど心配なんてする必要はないわ、博麗の力見せてあげる」

そう言って霊夢はふわりと体を空中に浮かす、いつ見ても羽がないのに力を入れる事無く浮き上がる姿は元々人間には空が飛べる能力合ったのではないかと疑ってしまうような自然さがあった。

「ほら、そうと決まったら行くわよ、ついてきなさい」

霊夢は緩葉川の上流へ目を向けると上流に向かって低空飛行で飛び始める。

結月と鈴音もおいてかれないように村長に軽く会釈すると明王と月見ちゃんの背中に乗り霊夢の後ろをついていく。

村人達の霊夢に対しての冷たい視線を横目で見ながら結月達は半日村を後にした。

 

半日村を出て数十分、川沿いを走りごつごつした岩場を守護妖獣の走破力を持って乗り越えて幾つもの支流を通り抜け川幅が狭くなる緩葉川の本流を上っていると、耳元に僅かだが水が流れ落ちる音を捉える、最初は微かだったその音は川を上る内に徐々に大きくなりしっかりとした音が聞こえた頃には正面に轟々と音をたてながら膨大な水を流れ落ちる壮大な滝が見えてきた。

「あれが悲願の滝に間違いないようね」

しっかりと聞こえる声でそう言った霊夢、一瞬垣間見えたその顔は若干緊張しているようにもはたまた妖怪との真剣勝負を楽しみにしているかのような思いが感じられる顔立ちだった。

霊夢は博麗の力があったとしても人間だ、怪我をすれば完治するのに時間はかかるし腕がもげればもうくっつく事はない、命を落とせば人間として蘇る事なんてないのだ。

そんな生死をかけた戦いを前にしても霊夢には余裕が感じられた。

「自然の力に圧倒されるようなとても立派な滝ね・・・・・・同時に化物が住処にするにはこれ程いい場所はないわね」

鈴音の視線の先には崖から水が流れ落ちる先、深い青色をした大きな滝壺があった。

「どうして妖怪はあんな目立つような所に住居を構えたがるのかしら、どう考えても滝壺なんて音が五月蝿くて眠れないじゃない、こういう所に棲む妖怪は大抵自分の強さに酔いしれている証拠なのよ」

霊夢の持論は実に面白い、確かに自分が強いと思っている妖怪は自分の強さに似合った住居を求めたがるのかもしれない、それは人間も同じだ、自分が偉いと思っている人間ほど高い所に住みたがるものだ。

流石は妖怪退治の熟練者なだけある霊夢らしい発言だった。

霊夢は滝壺から数十m離れた河原で急停止するとゆっくりと地面に降り立つ。

明王と月見ちゃんも足に力を入れて爪をたてて急停止する。

降りようとする結月と鈴音に霊夢は右手に持ったお祓い棒を自分の体と水平になるよう突き出す。

「降りなくても良いわよ、これは私の獲物だから」

ここは自分一人でも大丈夫、そう言っているかのような姿はとても頼もしい一方で金が絡むとこんなにもやる気が出る事に現金な奴だとも思ってしまう。

だがそれ以上に結月は霊夢が滝壺から既に何かを感じ取っているようにも見えた。

霊夢は突き出したお祓い棒を降ろし一息入れた後、轟々と水が流れ落ちる滝壺に向かって大声で話し掛ける。

「そこにいるのは分かっているのよ!さっさと出てきたらどうかしら?どうせ水の中から様子を伺っているんでしょ!」

返事はない、だが霊夢は滝壺に何かがいる事を感じ取っていた。

「分かっているのよ!人間に力を与えて人妖化させた事は!それが妖怪の規則に反している事も分かっているはずよね!黙っていれば気づかれないとでも思っているの?」

しかしそれでも返事はない、霊夢の顔に苛立ちが見える。

「出てこないのであれば無理矢理にでも引きずりだすわよ!」

最後通告、脅しているかのようなその声は轟音が響く滝に置いてもしっかりと反響する程大きな声だった。

結月と鈴音が滝壺を注意深く見ていた時だった。

「くくく・・・・・誰かと思えばそうか・・・・・お前が博麗の巫女か」

何処からともなく男の様な女の様な判断に難しい声が耳元に響く。

大声でもないのに滝の音に遮られずしっかりと聞こえるこの声はまるで頭の中で響いているかのような声だった。

(まさか・・・・・・囁キか)

囁キ、とは一定の妖怪が持っているとされる能力の一つでどんな状況だとしてもまるで耳元で囁くように自分の声を飛ばす事から天道人進堂ではそう呼ばれている、ある程度距離をとっていたとしても効果範囲内であればしっかりと自分の声が届くとされている、主に遭難した人間の近くで恐怖を煽る様な言葉をかけ続け狂わせるために行われるとされる。

「数々の異変を収束させあの紅い悪魔や冥界の亡霊主とも渡り合ったと聞いて一体どんな奴かと思えば・・・・・・・まだ青臭い少女ではないか、紅い悪魔も冥界の亡霊主もたいしたことないな」

紅い悪魔は当然レミリア・スカーレットの事を指しているが冥界の亡霊主は恐らく冥界の白玉楼に住んでいると言われている死を司る亡霊の事を指しているのだろう。

「あら?見た目で判断するなんてあんたも大した事ないのね、幻想郷で見た目ほど頼りにならないものはないのよ、滝壺に引き籠り過ぎてそんな事すら分からなくなったのかしら?」

囁キが使えると分かった以上、もう大声で話す必要はない、囁キが使えるという事はこちらの声もしっかりと届くだけの聴力を持っているからだ。

「馬鹿を言うな・・・・・・・我をその辺にいる妖怪と一緒にするなよ、かつては大きなため池に棲む妖怪の元締めだったのだ、それなのに人間達よってため池を追い出され今はこの滝壺で人間に復讐する機会を待っていたのだ」

その化物は人間に対して憎悪感情を抱いている、わかさぎ姫が語ってくれた昔話の一節が脳裏を過る。

(どうやらわかさぎ姫の昔話に出てくる滝壺様に間違いないようだな)

人間に対して憎悪感情を抱いているからこそかつて人間への復讐のために身投げした娘を失った父の様に身投げした小三郎にも同じ力を与えたのだろう。

「もう一度聞くわ、人間を人妖へと変えたのはあんたなのね?」

返答はすぐに帰ってこなかった、代わりに気色の悪い笑い声が頭の中に静かに響く。

「・・・・・・ああ、そうだとも、あいつらは人間へと復讐を願って我の住処に身を投げたのだ、我は人間が嫌いだ、だが人間に対して復讐する人間には大いに興味がある、私は彼等に私の力を与える事で復讐の手助けしてやったのだ、復讐する人間の魂と引き換えにな」

妖怪の中には人間の魂を食べる事で力を増す妖怪もいた、恐らくこの妖怪もその類なのだろう、復讐を願う人間を利用して魂を集めて力を貯めていたのだ。

「逸脱者に理性が感じられなかったのは復讐に対しての迷いをなくし躊躇なく復讐を実行させるためか・・・・・・」

復讐したいという気持ちを利用して魂を集めていた滝壺様に結月は怒りが込み上げてくるのを感じていた。

「その通りだ、だがもう一つは我が人妖を操りやすくするためだ、理性があると我の言う事を聞かなくなる可能性がある、だからこそ理性をなくし考える能力を失わせる事で我に忠実な人妖を作りだしたのだ、復讐を終えた人妖に役目を与えて人間を襲わせ魂を持ってこさせるためにな・・・・・・・お前達がいなければあの人妖も多くの魂を我に捧げるはずだったのにな」

結月は人間の魂を食べていた事に怒っていた訳ではない、理性を失い理由もなくし意味のない復讐に憑りつかれた逸脱者を道具の様に利用する滝壺様に言いようのない怒りを覚えたのだ。

「あんたの目的何てどうでもいいわ、でも人妖を意図的に生み出した行為を見過ごすわけにはいかないわ、妖怪の規則を破るとどうなるか分かってやったのかしら?」

一方の霊夢は常に冷静だ、お祓い棒を滝壺に向けて突き出し臨戦態勢に入る。

「何故紅い悪魔やスキマ妖怪が勝手に作った規則に従わなければならない?我はそんな規則に縛られるつもりはない、妖怪は常に自由だ、妖怪に規則など不必要だ」

だがそれでは幻想郷の秩序が乱れてしまう、残念ながら滝壺様は幻想郷に置いて不必要な存在であるのは確かだった。

「規則を守らない妖怪は幻想郷にいてはならないのよ、そうでもしないと幻想郷が幾つあっても足りないもの、残念だけどあんたにはここで消えてもらうわよ」

妖怪の楽園を維持するのは大変だった、その妖怪が楽園を壊しかねないのだから。

博麗神社の存在はまさにこのためにあると言っても過言ではなかった。

「消えて貰うだと?くくく・・・・・・笑わせる、貴様の様な青臭い少女に何が出来る?」

そう言った直後、滝壺が沸騰するかのように水面に泡が湧きだす。

その数秒後、滝壺の水面に大きな影が浮かび上がると水が大きく盛り上がり滝壺から大きな何かが現れる。

それは濁った茶色の殻を身に纏い強靭で太い槍の様な足が六本もあり左右非対称の大小二つの鋏を持ち触角の様に飛び出した黒々とした目には霊夢と結月達の姿が写り口からはブクブクと泡を吐いていた。

それはまさしく沢蟹であったが大きさは逸脱者よりも一回り程小さいものの沢蟹よりも規格外に大きく人間と比べてもその大きさは一目瞭然だった。

縦五m、横七m程あるその巨体は妖怪と言う名にふさわしい大きさをしていた。

非人間型の妖怪も幻想郷には数多く暮らしており人間でない理由は様々あるが滝壺様が人間の姿をしていないのは人間の姿になれない妖怪なのか、それとも人間に憎悪感情を抱いているのが主な原因なのだろう、恐らく理由は後者だと思われる。

「言っておくが私は弾幕勝負などという遊びに付き合うつもりはない、実力勝負だ、尻尾を巻いて逃げるのなら今の内だぞ?」

滝壺様の脅しに対して霊夢はフッと口元に笑みを浮かべる。

「安心しなさい、規則を破った妖怪に弾幕勝負で挑むつもりなんてないわ、望み通り実力勝負であんたを叩き潰してあげる、かかってきなさい」

小癪な・・・・・・その言葉を述べた後、滝壺様は鋏で口を押えた。

「・・・・・・っ!避けろ明王!」

強い殺気を感じ取った結月と鈴音は素早く指示を出した、その直後、滝壺様は口を押えていた鋏をどけた瞬間、逸脱者の口から物凄い水圧の水が放たれ地面を抉りながらこっちに近づいてきた。

霊夢は空へと飛びあがり明王と月見ちゃんは左右に避ける。

勢いよく放たれた水が霊夢のいた所を通り過ぎる、水が通り過ぎた場所には深い溝が出来ており河原の石は綺麗に斬られていた。

滝壺様は霊夢を追いかけるように空を見上げると口から放たれる水も空へと上がっていく。

「よっ!」

霊夢は真下に迫った水圧の刃をくるりと回転して避けた。

そして態勢を立て直して滝壺様を見下ろした、滝壺様も霊夢を黒々とした目玉で見つめる。

「覚悟しなさい、滝壺の中の沢蟹、私に喧嘩を売った事地獄で後悔させてあげるわ」

霊夢の煽りに対して滝壺様も煽りで答える。

「後悔するのはお前の方だ、博麗の巫女、妖怪の真の恐ろしさを冥途の土産に教えてくれるわ」

互いに動きを探り合っているかのような静寂な時間が流れた、次の瞬間、滝壺様は右手の大きな鋏を開くと大量のシャボン玉を霊夢に向かって放った。

霊夢も何処からともなく御札を取り出すと滝壺様に向かって投げた。

御札とシャボン玉がぶつかり合うと爆発するかのように弾け飛び爆音を響かせた。

霊夢と滝壺様の戦いが今幕を開けた。




三十一録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?この場をお借りして読者の皆様に報告があります、数か月前から仕事が多忙ながらも何とか小説を更新してきましたが来週からさらに忙しくなりとても小説を更新できるような状況ではなくなりました。
大変申し訳ないのですがお盆過ぎまで小説の投稿は控えさせていただきます。
この小説を楽しみにしていた読者の皆様には申し訳ありませんがお盆過ぎたら更新していきますので宜しくお願い致します。
さて話はガラリと変わりますが私は漫画を中心に取り扱うとあるネット掲示板をときどき見ています。
そこでは様々な漫画の批評がネットユーザーの間に行われているのですが作品の中にはネットユーザーから邪険にされる漫画があります。
新連載から国民的アニメで知られる漫画まで幅広い数の作品がネットユーザーから辛辣な評価を受けます。
結果が全てとは良く言いますが、作者が考えるに考えた末一生懸命書いた作品が詰まらないなど糞だの軽い気持ちで言われているのを見ると作者の気持ちを考えるといたたまれない気持ちになります。
もし漫画を批判しているネットユーザーが何かの拍子に漫画が書ける才能に目覚め漫画を描いて連載してネットでかつて自分がしていたような邪険な扱われ方をしたらどう思うでしょうか?
自分達は何も描いてない癖に偉そうだな、そんな風に考えてしまうかもしれません、そんな風に考えてしまうという事は批判している漫画の作者も同じ気持ちになっている・・・・・かもしれません。
ですが同時に批判や非難に晒されている人間はそれだけ存在感があるという事であり非難や批判に晒されていない人間はそれだけ存在感がなく相手にされないという事であり批判や非難を受けてしまうのは漫画家としての宿命かもしれません。
存在し続けるなら非難や批判は免れない、そんな言葉もありますし多少の非難や批判を受けても自分が間違っていないと思っているなら気にしない様な強いハートが欲しい物です。
それではお盆過ぎに。


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第三十二録 船底を伺う二又の復讐者 十一

お久し振りです、レア・ラスベガスです。
約一カ月ちょっと振りの更新ですが・・・・・・先週は更新できなくてすみませんでした。
今週からは何とか更新できそうです、読者の皆様には待たせてしまってすみません。
さて一ヶ月と書けば長いようで短いような期間ですがこの間に自分は色々な事を学ぶことが出来ました、日本の将来、世界の将来、地球の将来、良い事も悪い事も色々ありますが一日一日を大切に生きたいと思わせてくれる一ヶ月でした。
これが小説に生かせれたらいいな、と考えています。
それでは第三十二録更新です。


霊夢と滝壺様の戦いが繰り広げられる最中、結月と鈴音はその様子を警戒しながら見ていた。

「霊夢・・・・・・実力は確かだから大丈夫だと思っていたけどやっぱり少し心配だわ」

鈴音が心配に思うのも分からなくもない、霊夢は博麗の力を持っていたとしてもやはり人間であり彼女の輝かしい戦績はどれも幻想郷で定められた公平で必ず決着がつきそして誰も死なない事が前提の弾幕勝負によるものだった、対して今回は逸脱者を生み出す程の力を持った妖怪との実力勝負だ、博麗の力と滝壺様の力、どちらが上回るかの真剣勝負だ。

「そうだな・・・・・・だが霊夢も数々の異変を解決した強者だ、必ず成し遂げてみせる」

それにと言葉を続ける結月。

「霊夢には多額の金が掛かっている、いつも以上に気合を入れて戦うはずだ」

結月の言葉に鈴音はクスッと笑った。

「そうだよね、霊夢はお金が絡むと本気になるからきっと大丈夫よね」

そう結論付けた結月と鈴音は霊夢と滝壺様の戦いを注視する。

「はあっ!」

霊夢は手品の様に御札を取り出すと滝壺様に向けて何十枚もの御札を飛ばした。

ヒラヒラの紙で出来た御札は一見すれば投げても飛びそうもないのに霊夢の御札はまるで誘導されるように滝壺様目掛けて飛んでいく。

一方の滝壺様も大きな鋏から大量のシャボン玉を撃ちだし正面に展開する。

御札はシャボン玉に阻まれる様に衝突し幾多の爆発を起こす。

霊夢は滝壺様に向かって急降下を始めるとシャボン玉が爆発し出来た霧の中に突っ込んだ。

滝壺様からしてみれば霧の中から突如として霊夢が現れ面食らった事だろう。

「ていあっ!」

霊夢はお祓い棒を大きく後ろに振り上げると滝壺様の額に振り下ろした。

お祓い棒が滝壺様の額に直撃すると眩い電撃が走りピカピカッ!と点滅する。

「中々良い攻撃だ、だが・・・・・・」

しかしお祓い棒の強力な一撃も滝壺様にとってはあまり効果がないようだった。

元々蟹は甲殻類、厚く固い殻に全身を覆われている、その上妖怪だ、恐らくは物理にも揚力にも強い殻なのだろう。

「っ!思った以上に固いわね・・・・・」

そう呟いていた霊夢に大きな鋏が口を開いて噛み切ろうと迫った。

ガキンッ!金属同士がぶつかり合う様な音と共に鋏が火花を散らしながら勢いよく閉じた、霊夢は直前に後ろに移動し大きな鋏の攻撃を避ける。

しかしそこに滝壺様の左手の小さな(それでも人間を切断出来るほどの大きさだが)鋏が口を開けて近づいてくる。

再び金属同士がぶつかり合う音が響くが霊夢は素早く高度を下げ小さな鋏の攻撃をかわすと滝壺様との距離をとるように空に向かって飛んだ。

「逃がさぬぞ!」

滝壺様は距離をとろうと空へと飛びあがる霊夢に小さな鋏を構える。

その瞬間、小さな鋏から鋭く長細いもの撃ち出される。

撃ち出された鋭く長細いものは目にも留まらぬ速さで霊夢との距離を詰め死角である背中に向かって飛んでいた。

しかし霊夢はまるで後ろに目でもあるように飛んできた鋭く長細いものを左回転してギリギリでかわした。

霊夢のすぐ横を通り過ぎていく物体、それは先端が槍の様に鋭い氷だった。

(水を凍らせて尖らせる事で殺傷力を高めているようね、水鉄砲をぶつけるよりか威力はあるのは確かだけど)

そう冷静に分析する霊夢に後ろから幾つもの鋭い氷が飛んでくるが霊夢はそれをヒラリ、ヒラリと空中で難なく避ける。

「ちいっ、これも駄目か・・・・・」

滝壺様は苦虫を噛み潰したかのような声でそう言った、一定の距離をとった霊夢は反転して滝壺様を眼下に見下ろす。

霊夢と滝壺様は互いに動きを止め見つめ合っていた。

互いに次の一手を模索しているかのようにも見えるしどちらが先に攻撃を仕掛けるか見極めている様に見えた。

「大抵こういう時は先手が不利になりやすいのよ、だから互いに後手を狙っている、だから互いに攻撃が止まってしまうのよ」

見極めている以上、先手の攻撃は見切られてしまう可能性が高い、一方で後手は攻撃態勢を保ったままの相手に反撃を行う事が出来た、最も先手は文字通り先に攻撃できる事やしっかりと狙って攻撃できる利点がある一方で後手は相手の攻撃を避けなければいけない欠点があった。

「さて、霊夢はどうでるか・・・・・・」

遠くから見ていた結月がそう思っていると霊夢は何も持っていない左手を上に掲げる。

「この手の技は苦手な方なんだけどね・・・・・・・」

すると霊夢の周囲に小さな光の玉が現れ掲げた左手の手の平に集まり一つの球体が構成されていく。

球体は小さな光の玉を吸収してどんどん大きくなり蜜柑程度大きさだった玉は林檎くらいの大きさとなり今は西瓜くらいの大きさになっていた。

霊夢の手の平で大きくなる光の玉を見て滝壺様は二つの選択を迫られた。

このまま霊夢に攻撃をさせて反撃を狙うか、それともこちらが先手を仕掛け霊夢の攻撃を阻止するか、考えあぐねているようにも見えた。

そうしている内にも光の玉は大きくなり霊夢の巫女服も五十cmの大玉となった光の玉から発せられる波の様な衝撃波を受けてはためいていた。

光の玉は凄い威力を秘めている事はその見た目だけでも容易に想像する事が出来た。

もしあれに直撃しようものなら滝壺様も只ではすまないだろう。

「くっ!」

滝壺様は意を決したように大きな右手の鋏を開くとそこから水の球体を撃ち出した。

霊夢の攻撃を阻止しなければ大きな痛手を負うと判断したのだろう。

しかし一分一秒で状況が大きく変わる戦闘に置いて滝壺様は判断に時間をかけすぎてしまった。

撃ち出された水の塊に向かって霊夢は光の玉を掲げる左手を大きく振り被った。

「滅光封幻玉(めっこうふうげんぎょく)!」

霊夢は掲げた光の玉を滝壺様に向けて全力投球した。

形の良いフォームで投げられた光の玉は迫っていた水の塊に貫き大きな穴をあけると楕円状の形になりながら滝壺様に目掛けて飛んでいった。

「う、うおおおおっ!!」

滝壺様は左の小さい鋏を開くとその間から水を出して両刃剣のような形の氷を作り迫りくる光の玉に向かって右上斜めに斬り上げた。

光の玉は氷の両刃剣と接触し電撃と閃光で辺りを激しく照らした。

滝壺様は左の鋏に力を入れると氷の両刃剣は光の玉に半分食い込むが氷の両刃剣に大きなヒビが入った。

しかしここで怯えていれば光の玉の直撃を食らうのみ滝壺様は全力で左の鋏を振り切った。

ガシャンッ!氷の両刃剣が光の玉を通り抜けた時、氷の両刃剣は粉々に砕け散る。

一閃された光の玉は二つに割れ間隔を広げ合うように飛んでいき滝壺様の左右を通り抜け地面に接触する。

大きな爆音と共に大地が震え土煙が舞い上がった、二分されあの威力なら本来の威力はもっと大きかった事が窺いしれた。

「はあ・・・・・はあ・・・・・はあ・・・・・」

極度の緊張から解放され息をあげる滝壺様に対して光の玉を切り捨てられてしまったのにも関わらず霊夢は不自然な程平然とした様子だった。

「あら、もしかしてもう気力切れかしら?大層偉そうな口調の割には大した事ないのね」

霊夢はそれどころか滝壺様を煽って見せた、その様子はまるで自分はまだ本気を出していないと言っているか様な姿だった。

手加減しているのか、それともハッタリなのかは定かではないが霊夢の口車に滝壺様は乗ってしまったようだ。

プライドが高い故かはたまた短気なのかは分からないが乗ってしまった以上、口喧嘩は霊夢の方が分はあるようだ。

ふざけている訳ではない、口車に乗せられるという事は挑発に乗りやすいという事だ、かつて歴史上でも挑発に乗せられ敵の罠に嵌った者も多い、挑発や煽りもまた戦局を左右する重要な要素だった。

「人間風情が図に乗るぁ!」

滝壺様は両鋏を開くと大きな鋏からは水の砲弾を小さい鋏からは槍のように鋭い氷を次々と打ち出す。

飛んでくる幾重もの槍の様に鋭い氷と水の砲弾を霊夢は空中で縦横無尽に動き回り次々とかわしていく、射撃戦となれば当然避ける事は弾幕勝負に慣れている霊夢が有利だ。

激しい対空攻撃が止む事なく続いたが霊夢に当てる事は叶わず滝壺様の苛つきが増していく。

「蠅の様にちょこまかと・・・・・・」

苛つきが最高潮寸前に達した所で滝壺様は大きな鋏から水の砲弾を霊夢のいる空に撃ちだす。

水の砲弾は威力こそ高いが撃ち出された後の空気抵抗のせいか速度はゆっくりとしたものであり霊夢にとって爆風を含めても避けやすい攻撃だった。

飛んでいく水の砲弾を避けようと意気込んでいた霊夢だったが水の砲弾は霊夢の五m手前で爆発する。

予想外の爆発に霊夢は何が起きたのか分からなかったが目の前の視界が水の爆発によって霧が立ち込めた事ですぐに滝壺様の狙いを読み取る。

すると霧の向こうから水が押し出されるような大きな音と共に突然、霧から水圧の刃が現れる。

霊夢は霧の向こうの滝壺様の姿は見る事が出来ないが滝壺様からは霧の向こうの霊夢の姿は妖怪的能力を使えば見る事が出来るからこその芸当だった。

しかし霊夢は突然霧の抜けた現れた水圧の刃をまるで分かっていたかのように避けた。

霊夢はとても勘が鋭い女性として逸脱審問官の中では知られていた。

それは博麗の力なのかそれとも彼女自身の力なのか、それはともかくとしても異変発生時も彼女の行く所は異変の元凶場所だったり異変に関しての手掛かりがあったりと何かと勘の鋭さは人間の理解の範囲を超えていた。

恐らく滝壺様の水圧の刃を事前に察知出来たのはその霊夢特有の勘によるものだろう。

勿論、勘だけでなく瞬時に反応して回避行動に移せる身軽な体と類まれな身体能力合ってこそ成し遂げられる技である事は確かだった。

水圧の刃は霊夢を切り裂こうとするがそれを霊夢は擦れ擦れ括、無駄のない動きで避けていった。

霊夢の視界を遮ったはずなのに彼女はまるでまるで霧の向こうの自分の姿を見通しているかのように避けていく姿は滝壺様の苛立ちを最高潮にさせた。

「ぐ・・・・があああっ!何故だ!何故当たらぬ!?」

完全に頭に血が登った滝壺様、そこに一枚の御札が霧を縫って飛んでくる。

冷静であれば御札を器用に撃ち抜く事もシャボン玉で防ぐことも出来ただろう、しかし頭に血が上った滝壺様は御札を大きな鋏で振り払おうとした。

ブオン、御札に向かって鋏を振った滝壺様だが御札は振った時に起きた風に乗って鋏を通り抜け滝壺様の額に張り付いた。

その瞬間、まるで電撃が走ったかのように滝壺様は項垂れるようにして動かなくなる。

「ぐっ・・・・こ・・・・・これは」

体に力が入らない事に戸惑っている滝壺様を他所にようやく霧は晴れそこには何事もなかったように平然とした様子の霊夢の姿があった。

一つ奇妙な点を挙げるとすれば霊夢の左手の手の平には幾重もの折り重なった紙が乗っている事だろう。

「雷染札(らいせんふだ)よ、それは張り付いた途端に体の動きを封じる電撃を流して妖怪の動きを止めるのよ、弾幕勝負じゃ反則だから使えないけど何でもありの真剣勝負ならではの御札よ」

滝壺様は一生懸命力を込め額に張り付いた御札を取ろうとするがしっかりと張り付いていて悪戦苦闘していた。

「式神系は紫の使いと被るから余り使いたくなかったけど・・・・・・」

そう言って霊夢は左手の手の平に乗った幾重にも折り重なった鳥を模ったような式神をチラリと見る。

一方の無防備な滝壺様は必死に額に力を入れて御札を弾き飛ばそうとするが全く取れそうもなかった。

そんな滝壺様の様子を一瞥した霊夢は滝壺様に向けて式神が乗った左手の手の平を向けた。

「博符紅白雀群(はくふこうはくすずめぐん)」

そう言った後、霊夢は手の平に乗る式神に息を吹きかけると一枚一枚飛んでいく。

そしてある程度飛んだ所で紙製だった鳥は守護妖獣が大きさを変える時と同じ白煙の爆発が起こし真っ白な体に一筋の鮮やかな赤い線が入る紛れもないふっくらとした鳥になって滝壺様に向かって羽ばたいた。

こちらに向かって飛んでくる式神に嫌な予感を感じ必死に御札が張られた額に力を入れる滝壺様であったが一向に取れない。

迫る雀の式神を前にして、もはやここまで、そう思った時、滝壺様に妙案が浮かんだ、滝壺の水を吸い上げ体が水を滲みださせると御札は濡れて書かれた文字がふやけた。

その瞬間、体がフッと軽くなり御札の効力が落ちた事を理解した滝壺様は全力で額に力を入れついに御札を吹き飛ばした。

もうすぐそこまで迫って来る霊夢の式神に対して滝壺様は急いで滝壺の中に沈んだ。

式神は滝壺様を追いかけるように滝壺の中に飛び込むと爆発音と共に水柱が立った。

その後も何十枚もの式神が滝壺に向けて特攻し水柱を立たせていく。

最後の一枚が特攻し一番大きな水柱を立てると辺りには滝の音しか聞こえなくなる。

終わったのか?そう思う結月達であったが霊夢は警戒を解いてない。

「・・・・・・・しつこいわね、逸脱者と同じで」

鈴音は霊夢の表情からまだ終わってない事を察する。

突然、滝壺の中から大きな鋏と小さな鋏だけが出てくると霊夢目掛けて水の砲弾と槍の様な氷を撃ち出す。

「引き籠りの癖に妙に知恵が回る」

お前が言うな、と言いかけた結月達だったが滝壺様と比べたら霊夢はまだ外出派だろう。

大きな鋏と小さな鋏の対空攻撃は厳しいものとなっており流石の霊夢はその場で避け続けるのは危険だと判断したのか逸脱者の射撃範囲を逃れるように時計回りに飛び始める。

しかしそんな霊夢を追いかけるように大きな鋏と小さな鋏も霊夢を追いかけた。

しかし動く霊夢を捉えるのは難しく避けなくても外れていく水の砲弾や槍の様な氷もあった。

激しい対空攻撃を避け続け一周回って元の場所に戻ってきた霊夢。

すると滝壺の中から隠れていた滝壺様が現れ大きな鋏を開いて力を入れると水の砲弾を撃ち出す。

しかし撃ち出された水の砲弾は似ているようで何処か違っていた、その違いが分かったのは撃ち出された水が冷気を纏っていたのを見た時だった。

(氷の砲弾・・・・・・一体何でそんなものを?)

そう思いながら撃ち出された氷の砲弾を難なく避ける霊夢、しかしすぐに霊夢の脳裏にある事が過った。

水の砲弾は爆発し霧をまき散らした光景が思い浮かんだ所へ氷の砲弾にヒビが入る映像が流れたのだ。

まさか、そう思い振り返ると既に氷の砲弾は大きく亀裂が入り今にも弾けそうだった。

その直後、細かい亀裂が氷の砲弾に入り弾け飛んだ、その際氷の砲弾は無数の大小様々な鋭く尖った欠片となって三百六十度全範囲に拡散した。

直前に気づいた霊夢は急いで距離をとり体を回転させたため多くの氷の破片を避ける事が出来たが一部の氷の破片が霊夢の巫女服を切り裂き霊夢の頬に小さな氷の欠片が接触し一筋の切り傷を作って見せた。

回転をやめ態勢を整えた霊夢、服は至る所が破け下地である白い布が切られた個所から垣間見えた。

そして切られた頬からは赤い鮮血が少しだけ流れ出ていた。

「あ~痛っ・・・・・・・手加減して戦っていたつもりだけど、顔に傷をつけられた以上、本気で戦わないといけないわね」

そう口にする霊夢であったが滝壺様はそれを鼻で笑う。

「強がりは止せ・・・・・・・我の絶大なる力が博麗の力を上回っているだけの事、人の魂を多く食らった我と不思議な力使えどか弱き人間であるお前とでは当然の差だ」

勝ち誇ったようにそう言った滝壺様だが声からはかなりの疲労が感じられた。

妖術を連続で使い続けた事で体内の妖力が大幅に減ってしまったためだろう。

霊夢はそんな滝壺様の様子を見て頬から流れる鮮血を右手でねぐると口元に笑みを浮かべる。

「あんたはそんなか弱き人間に池を追い出されたのよ、人間の力を甘く見過ぎじゃないかしら?」

霊夢は妖怪主義でもなければ人間主義でもない、だが傲慢な妖怪と対峙した時は自分が人間として生まれた事を感謝していた、何故なら妖怪は全てに置いて人間より秀でていると思っている長く伸びきった鼻をへし折る事が出来るからだ。

「いいわ、手加減して戦ってあげていたけど顔を傷つけられたからには本気を出してあげるわ、後悔してももう遅いわよ!」

霊夢は右手に持っていたお祓い棒を一振りすると霊夢の左右から白黒の球体が現れた。

「陰陽玉(おんみょうだま)・・・・・・あれを使うという事は霊夢も本気になったようね」

陰陽玉とは代々の博麗の巫女が継承してきたとされる博麗の力を具現化した秘宝とされ幅広く様々な使い方が出来る博麗の巫女の補助的な役割を持つ道具である。

弾幕勝負時には陰陽玉から御札を撃ち出す事も出来れば陰陽玉から博麗の力を引き出して強力な技を繰り出す事も出来た、その一方で遠い所にいる妖怪と連絡が取る事や御札を入れられる等から様々なものを収納する事も出来るとされ、博麗の巫女について書かれた古い伝承の中には『色々な香りが出せる』とか『小さな妖精に変身できる』など様々な事が出来るとされているが真偽は定かではない。

一説には陰陽玉は博麗の力次第で如何なる事も可能になるため用途は無限大なのではとも言われている。

とはいえ今までの霊夢は陰陽玉なしの状態では実力の四割程度しか発揮できないと言われているため陰陽玉を二つ出した時点で実力七割程度は出している事は間違いなさそうだった。

(戦いながらあいつを観察していたけど滝壺から出る事はなかった、恐らく滝壺から動かない理由は滝壺の水を吸収して自身の妖力を混ぜて妖術として使っているのが妥当な所ね・・・・・・となればやる事は一つ)

霊夢は陰陽玉を飛ばすと一つを川の水が崖から流れ落ちる直前の場所にもう一つを滝壺と川の境目に沈めた。

「境界(きょうかい)の力使わせてもらうわよ」

その言葉と共に水の中に沈んだ陰陽玉が回転し始めた。

「な・・・・・何だ!滝の水が・・・・・・」

滝壺様の視線が滝に向かう、何と滝の水が急激に少なくなりものの数十秒で滝がなくなったのだ。

それなのに川の水は少なくなっておらず滝が流れ落ちている時の水量を保っていた。

「境界の力・・・・・そうか、スキマ妖怪の力を使って陰陽玉同士で『道』を作ったか」

霊夢とスキマ妖怪の紫は幻想郷の創造主と幻想郷の守護者として深い関係にあった。

霊夢は深い関係にあるとされる紫との縁を辿り遠くにいる紫と陰陽玉を繋ぐ事で紫の能力である境界を操る程度の能力を引き出したのだ。

紫の能力である境界を操る程度の能力は概念(その物の本質もしくは存在意義)と概念の間にある壁、川と陸、人と影、現実と理想などありとあらゆる概念と概念の間にある壁・・・・・境界を意のままに操る事の出来る能力であり概念同士の境界を取り払って繋げたり境界を弄って概念を変えてしまったりする事が出来る妖怪の中でも最上位に入る能力であり幻想郷の創造主である紫に相応しい能力だった。

恐らく霊夢は紫の境界を操る程度の能力を使って緩葉川と悲願の滝の『境界』と悲願の滝の滝壺と緩葉川の『境界』を断ち切って滝から落ちる前の緩葉川と滝から落ちた後の緩葉川を境界で繋いだのだ。

「これで滝壺の水は有限となった・・・・・・滝壺の化物が水を使った妖術を使えば使う程不利になるな」

今までの戦いを見る限り滝壺様は滝壺の水を使った妖術攻撃を主軸に置いているようだった。

それは水が滝から流れ落ちる限り無限に使う事が出来る事や一から妖力で水を作りだすよりかは周囲にある豊富な水に自分の妖力を加えた方が妖力の節約になるからだ。

だが滝の水を断ち切れば水は今滝壺にある分だけとなり水を使った妖術攻撃を使い続ければいずれは滝壺の水は底をつき滝壺様は攻撃手段を大幅に失う事だろう。

「確かに滝を封じ込めてしまえば我の妖術も限りが来よう・・・・・・だが滝壺にはまだ大量の水がある、それが底を尽きるまで逃げ続ける事つもりか青臭い少女よ」

だが滝を断ち切っても滝壺には滝壺様を隠す程の豊富な水がありもしひっきりなしに妖術攻撃をしたとしても尽きるのは恐らく一時間はかかるだろう、それまで避け続ける事は霊夢の体力的にも難しいし何より霊夢がそんな戦法をするとは思えない。

となると霊夢に何かしら考えがあるのは間違いなさそうだった。

「別に滝壺の水がなくなるまで避け続けるつもりなんてない、次で決めるわ」

次?次で決めるのに何故滝を封じ込めたのだろう?結月には霊夢の狙いが読めなかった。

霊夢は結月達や滝壺様が考えてないであろう一手を決めていた、意表を突くには敵も味方(?)も予想していないやり方の方が良い。

霊夢は何を思ったか滝壺様に向かって急降下を始めた。

「万策尽きて決死の特攻と来たか!ならば望み通り死ね!」

滝壺様は左右の鋏を霊夢に向けると水の砲弾と槍の様な氷を次々と撃ち出す。

心なしか滝壺様には疲れが感じられ撃ち出される対空攻撃には隙があった・

それを霊夢は擦れ擦れでかわしながら滝壺様との距離を縮める、近づくにつれ避ける事が難しい妖術攻撃に対しては御札をぶつける事で威力を相殺していった。

疲労気味とはいえ滝壺様と十mも離れてないのに鋏から撃ち出される攻撃を瞬時に認知して反応できるのは流石、博麗の巫女と言った所だ。

「真っ二つに切り裂いてくれるわ!」

目の前まで迫った霊夢に対して滝壺様は両鋏を水で凍らせ両刃剣へと変え迎撃の態勢を取る。

そして滝壺様は大きい鋏の方で近づいてくる霊夢に向かって豪快な一振りを振るった。

しかし両刃剣の一振りは虚しく空をきった、霊夢は鋏の両刃剣の攻撃範囲外ギリギリで急停止したからだ。

攻撃が空振り滝壺様は霊夢の攻撃を備え構えるが霊夢からの攻撃はなかった。

霊夢は迎撃態勢をとった滝壺様の頭上を通り過ぎた、まるで滝壺様など最初から興味なかったかのように。

予想外の行動に呆気にとられる滝壺様、それは遠くから見ていた結月達も同じだった。

だが結月達は見ていた、霊夢が滝壺様の通り過ぎた時、霊夢が何かを滝壺に落としたのだ、滑り落ちたのではなくわざとであった事は霊夢の顔を見れば明らかだった。

「あれが・・・・・・決め手か」

何を落としたのかは分からないがわざわざ危険を冒して接近して滝壺様の背後で落とした事を考えれば霊夢が先ほど口にした決め手に相応しいものなのだろう。

霊夢はそのまま真っ直ぐ飛び滝壺様と距離をつけると滝壺を出た所で空高く飛び上がる。

そして滝壺様が後ろを振り向くと再び霊夢が空高くから見下ろしていた。

「固い殻に覆われている割には随分と臆病なのね、中身も大部分が殻で身は少ないんじゃないの?」

小心者、と遠回りに煽る霊夢に滝壺様は怒り心頭だった、やはり煽てられやすい者程、扱いやすく愚かな者はいない、少なくとも戦いに置いて冷静になりきれない者は早死にするだろう、滝壺様は霊夢の思う壺だった。

「に・・・・・人間如きがあああっ!地面にたたき落としてくれるわ!」

滝壺様は左右の鋏を開くと再び水の砲弾と槍の様な氷を次々と撃ち出す。

まるで昔合ったとされる合戦を再現しているかの様な物量で飛んでくる水の砲弾と槍の様な氷を霊夢は魚が水の中で泳ぐ様にしなやかな体を生かして避けていく。

彼女の空を飛ぶ程度の能力は鳥の様に羽ばたいて飛んでいるのではなく自在に空を移動できるというものなので急旋回も急降下も急上昇も急停止も彼女の思い通りなのだ。

だから霊夢の空を飛ぶ姿は違和感を覚えない自然さがありながら何処か不自然にも感じるのだ。

霊夢は激しい対空攻撃に対して反撃する事なく避け続ける、当てられないの?と言っているかのような動きはむしろ滝壺様の攻撃を誘発させているようにも見えた。

一撃でも当たれば即死のはずなのに霊夢には笑みを浮かべるだけの余裕があった、それと同時にその微笑みは勝利の確信している様なそんな表情だった。

「そろそろ効いてくる頃合いかしら」

激しい対空攻撃の合間を縫うように滝壺様の水圧の刃が放たれるが霊夢は激しい弾幕の中ぐるん!と一回転して避けた。

しばらく続くと思われた対空攻撃だがここで変化が現れる、激しかった対空攻撃は徐々に緩やかになり始め飛んでくる水の砲弾や槍の様な氷も次第に減り始めた。

だが一番大きな変化が現れたのは滝壺様だった。

がっしりとした体が揺ら揺らとふらつき、息切れのような声が頭に響く、囁キがどんな場所でも自分の声を届かせる反面、自分の状態を相手に伝えてしまう短所があった。

結月達は最初こそ霊夢が滝壺様に毒を盛ったと思ったがどうも滝壺様の様子からして違う、もがき苦しんでいる様子もなく苦痛を感じている様子もない、今の滝壺様の様子を言葉で表すならば倦怠感という言葉が一番当てはまる。

空に向けていた左右の鋏も震え大きい右の鋏がゆっくりと滝壺に沈んでいきしっかりと地面を支えていた足もガクガクと震え力が抜けていくように右側の足が体を支えきれず挫くと体も右側に傾いた。

極度の疲労状態にも見えたが長期戦で疲労気味だったとはいえ今までの激しい戦いから見ても短時間でここまで疲労するとは思えなかった。

「く・・・・・くそっ!」

滝壺様は左の鋏を精一杯の力で霊夢のいる空へとあげ槍の様な氷を放つが放たれた氷は尖っておらず初速も遅く、動いていない霊夢の五m下を通り過ぎるという有様だった。

「か・・・・・体に力が入らぬ・・・・・ま、まさか、毒を・・・・・・一体何処で?」

滝壺様は霊夢の突撃の際、自分の顔を小さな鋏で守る様に隠していたため霊夢が滝壺様の背後で何かを落としたのを知らないようだ。

体が傾き右側の大半が滝壺に沈んでいる滝壺様の前に霊夢が空から降りてきた。

その顔には既に勝ち誇ったかのような笑みが浮かんでいた。

「毒?そんな物騒な物なんて持ってないわよ、持っているとすればこれね」

そう言って霊夢が得意げに脇から取り出したのは茶色の陶器、その陶器の蓋には酒の一文字が書かれていた。

「酒・・・・・なるほど、だから霊夢は滝の水を封じ込めたのか」

遠くで見ていた結月達は霊夢の狙いを理解した。

滝壺様は滝壺の水を使って妖術攻撃を仕掛けていた、なので霊夢は滝壺様に突進し滝壺様の背後でお酒を落とし遠くから挑発して妖術攻撃をさせる事で酒が混じった水を滝壺様に吸収させ泥酔状態にさせたのだ。

滝と川を境界で繋いだのも滝壺の水が滝の水で薄まらない様にするためだった。

全て霊夢の計算通りだった、滝壺様はまんまと霊夢の策略に嵌ったのだ。

「このお酒は私が宴会用に仕込んで置いた妖怪用のお酒なのよ、どんなに酒に強い妖怪でも酔えるよう濃度を濃くしてあるの、それこそ人間が飲んだら一口で倒れるくらいのね」

霊夢が目の前にいるのに全く体が思うように動かない滝壺様、この時点で既に勝敗は決していた。

「馬鹿な・・・・・・我が・・・・・我がこんな青臭い少女の手玉にされるなど・・・・・」

動かない体を何とか持ち上げようとする滝壺様だがついに左側の足も崩れ体が滝壺へと沈んでいく。

「久しぶりの真剣勝負だったから長く楽しめるよう手加減して戦っていたけどあんたとの戯れもそろそろ飽きてきたわ、次で止めを刺してあげる」

そう言って霊夢は手に持っていた酒壺を右の袖にスッとしまった、陰陽玉と比べたら地味ではあるが博麗の巫女服も特別な存在なのかもしれない。

そして霊夢は真剣な表情になると滝壺の縁に移動しお祓い棒を水面に向けると滝壺を時計回りになぞっていく。

すると霊夢がなぞって行った所が光の筋となり一周すると滝壺に大きな光の円が浮かび上がる。

「日天昇龍水泉(ひてんしょうりゅうすいせん)」

霊夢のその言葉が放たれたと同時に滝壺の大きな光の円が強く輝いたかと思うと滝壺の水が空に向かって花火の様に打ち上がった。

その滝壺の水位が急激に下がり大きな水柱が現れる、その勢いに巻き込まれる様に滝壺様が空へと打ち上げられた。

霊夢は打ち上げられた滝壺様を見上げると目を閉じて何かを念じるように眉間に皺を寄せた次の瞬間、一瞬にして霊夢が消えたかと思うと空高くにいる滝壺様の近くに現れた。

博麗の力の一つとされている瞬間移動である、その名の通り行きたい場所を頭に浮かべ念じるだけで離れた所でも一瞬のうちに移動してしまう凄い能力だが行きたい所が遠い場所程念じる時間が長くなり瞬間移動できる距離も限度がありそもそも瞬間移動自体が人間の体には無理があるらしく体力の消費が激しいため真剣勝負や余程差し迫った時しか使わなかった。

「目に焼き付けとくといいわ、この美しい幻想郷の景色を、あんたが最後に見る絶景になるのだから」

霊夢はそう言って左手を滝壺様の前に突き出す。

「っ!・・・・・これは」

その時、地上にいた結月と鈴音は奇妙な光景を目にした、水と一緒に流れ落ちて出来たであろう河原の石が次々と空へと浮かび高く飛んでいく。

数百個、数千個にも及ぶ大小形様々な石が空高く飛んでいき宙に浮かぶ滝壺様の周囲を展開するように浮かんだ。

「最後に一つだけ教えておくわ、出る杭は打たれる、幻想郷の常識よ」

そう言って霊夢は開いていた手の平をギュッと握りしめた。

その直後滝壺様の周囲を展開していた数千個にも及ぶ河原の石が一斉に滝壺様目掛けて飛んでいく、滝壺様に様々な石がぶつかり幾つかは殻を破り食い込んでいく。

石が滝壺様の体を覆っても尚次々と石の塊となった滝壺様に張り付いていく、それと同時に滝壺様に張り付いた河原の石が圧縮され石の塊が徐々に小さくなっていく。

「う・・・・・うおおおおお」

体に張り付く無数の河原の石に押し潰され呻き声をあげる滝壺様、滝壺様の体を覆っても尚石は石の塊に向かって張り付いていくが石の塊自体はそれに反して小さくなっていく。

そして宙に浮いていた河原の石が全て張り付いた所で霊夢は止めを刺す。

「罪罰(ざいばつ)大岩封じ」

そう小さく霊夢が呟いたと同時に一気に石の塊は縮小していく、それと同時に滝壺様の体が圧力で砕け散り潰れていく音が鳴り響いた。

そして全てが終わった時、河原の石は一つの大岩となり滝壺様は四分の一の密度まで圧縮されてしまった。

滝壺様の墓標と化した大岩は重力に引かれるように落ちていき滝壺横の河原に激突し結月達の衣服や守護妖獣の毛並みをはためかせる程の衝撃と共に罪埃が辺りに舞い上がる。

しばらくして土煙が収まり視界が良くなるとそこには物動かぬ大岩が鎮座していた、

霊夢は静かに大岩の前まで降りてくると御札を取りだした。

「これでおしまいっと・・・・・・」

霊夢が御札を大岩に貼り付けると大岩から大量の妖力が放出されていく、自分の体よりも小さい岩の中にいる滝壺様に残っていた妖力だ、妖怪は妖力あってこそ存在できる、それを全て絞られれば消えてなくなってしまう、恐らくは霊夢の御札で滝壺様は完全に死んだのだろう。

戦いは終わった、死闘を生き残ったのは霊夢だった、否死闘と呼ぶには余りにも力の差がありすぎたようにも感じる戦いだった、彼女は最後以外本気ではなかったのだから。

とはいえ滝壺様が倒された事により半日村連続行方不明事件にも完全な終止符が打たれた。

ふう、と一息を着いた霊夢、手加減していたとはいえ短時間ながらも身の詰まった戦いは弾幕勝負よりも疲れるものだった。

命のやり取りをしているという極度の緊張感も彼女の疲れを増やす原因になっていた。

だが霊夢は弱い所を人に見せる事をとても嫌った、霊夢は戦いを見届けていた結月達の方を見るとまだ余裕がありそうな笑みを浮かべる。

「全然たいしたことなかったわ、これで四十万貰えるなら儲け物ね」

そう言って見せた霊夢だが結月達はそれが本心ではない事くらい分かっていた。

ただそれを口にするとめんどくさい事になるので結月達は二つ返事で返した。




第三十二録読んで頂きありがとうございました。
いかがだったでしょうか?さて、今日から九月に入りましたが読者の皆様にとって今年の八月はどんな感じでしたか?
陽射しが少ない、雨が多い、夏らしくない、私の所はそんな感じの八月でした、陽射しが少ない分、汗が噴き出る様な暑さはなかった一方で陽射し不足や雨の多さから野菜や米の育ちが悪く病気もつきがちで農家は大変そうでした。
雨不足だった六月七月とは打って変わってのこの天気、農家の苦労は絶えませんね。
こういった異常気象は日本だけでなく世界各地で起きており中国では豪雨、ヨーロッパでは熱波、アメリカではハリケーンと様々な形で表れています。
異常気象で最も打撃を受けやすいのは農業です、人間と違って地面に根を生やしている彼等は逃げる事も隠れる事も出来ません、そのため想定される被害を避ける事が出来ず大きな損害を出してしまいます。
人類の人口が七十億に突破しはや数年、二千四十年頃には九十億を突破すると言われ消費が増える一方、生産量を余り増えておらず将来的には減産していくらしいので食料自給率の低い日本は近い将来、飢餓や飢饉が発生するかもしれません。
一方で将来の危機に備えて食の研究が進んでおり中には人類の食糧事情を救ってくれる技術も幾つかあります。
将来人口が増えても安定した食糧供給が出来るかそれとも全世界で飢饉や飢餓が各地で発生するのか、未来の事はまだ分かりません。
ただ一つだけ言えることは望めば望んだ未来が行ける可能性がありますが望まなければ望まない未来に必ず辿り着きます。
もう駄目だ、何をやっても無駄、諦めるしかない、そんな発想では良い方向に向かう訳がありません、出来る限り良い方向、良い未来を夢にてそれに近づけるよう努力していきましょう。
それではまた再来週。


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第三十三録 船底を伺う二又の復讐者 十二

こんばんは、レア・ラスベガスです。
昨日は更新できずすみませんでした、急な用事が入ったのが原因です。
予告がなかった事は悔やまれる事ですが時間も環境も自分を中心に動いてくれないのが常なので何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします、
さて、長々と続いた人妖狩り四話もこれで完結です、次回は本編と外れて本当は『三話』が終わった後に投稿するつもりだった番外編を投稿しようと思いますので宜しくお願い致します。
何で忘れていたかと申しますとその番外編を書いてから時間が随分立っており書いた事すら忘れていたのが原因です、大した理由でなくてすみません。
それでは第三十三録更新です。


霊夢の住居であり幻想郷を包む博麗結界が張られている場所でもあり幻想郷と現世の境目にあるとされる博麗神社は幻想郷の最も東にあるとされ人間の里から歩いて三日から四日、走って二日、守護妖獣で一時間の場所にある、この結果だけでも守護妖獣の地上に置いての運動能力の高さがうかがえる。

幻想郷に置いて神社は博麗神社と守矢神社の二つだけでありそれ以外の神社は公には存在しない、これは幻想郷があくまでも妖怪の楽園であり妖怪とは性質が違う神様という存在を祀る場所を幾つも作りたくないというスキマ妖怪の思惑がありからなのだろう。

では神社が少ないから参拝客が多いかと聞かれると人間の里と離れている事や霊夢の知名度が低い事もあってか参拝客は殆どない。

最も歴代博麗の巫女は人間の里や村や集落を周って仕事していたらしく当時はそれなりに参拝客もいたらしいが霊夢の時代になって博麗神社に妖怪がうろつく様になってからはめっきりいなくなってしまったらしい。

二又の逸脱者及び滝壺様の断罪から一夜明け、結月達は博麗神社に向けて守護妖獣を走らせた。

いつもは風をきる様な速さで走らせる守護妖獣も平常時は道を歩く人々を考慮して風を感じる程度で走らせる、なだらかに流れる風景を楽しみながら時折立ち寄った集落や村で休憩し井戸水を飲みながら博麗神社を目指して走っていく。

一番東にあるとされる集落を通り過ぎると舗装されていた道とは打って変わって狭い獣道となり万が一歩いている人がいないよう、速度を落とし駆け足の様な速度で走らせるが結月は歩いている人などいないだろう、と思いつつ守護妖獣の背中に乗っていた。

しばらく走っていると生い茂った森の向こうに開けた場所が見えてきた。

「見えて来たよ、結月あれが博麗神社の入り口だよ」

生い茂った木々を抜けるとそこには小高い山があり頂上に向かって石畳の階段が続いていた、ここまで徒歩で来た者はこの階段を見て大きなため息を漏らすだろうが動物的能力と妖怪的能力を併せ持つ守護妖獣にとって階段を駆け上がる事など造作もなかった。

「結月、後ろを振り返ってみて」

頂上を上り結月は鈴音の言われた通り振り返るとそこには狭いなんて感じさせないような広大な幻想郷という世界が広がっており中央には人間の里、遠くには一際大きな山、妖怪の山まで一望できる景色を前に結月は前に息を呑んだ。

同時に幻想郷の守護者に相応しい光景とも言えた。

かつてここまでやってきたであろう人間はこの景色を見て疲れを癒していた事だろう。

「こうして見てみると狭く小さな世界と比喩される幻想郷もそれ程狭い訳でも小さい訳でもないな」

幻想郷は小さく集約された世界である、現世を知る妖怪は口々にそう口にし訓練時代の時も小さな妖怪の理想郷と書かれる程だが日本中の忘れ去られた妖怪や古き神はおろか妖怪の糧である数多くの人間が暮らす幻想郷が本当に狭かったら既に満杯になっていた頃だろう。

結局は現世と比べたらと言う話であり実際は遠くに朧気な山脈が見えるくらい広い世界である。

「まあ、幻想郷の世界がここから一望できると言われれば何だか狭いようにも感じるけどね」

確かにそう言われてみればどれだけ広く感じてもこれ以上はないと思うと狭くも感じた、恐らく妖怪達にとって現世はどれだけ高い山から一望しても見えない世界がある恐ろしく広大な世界なのだろう。

結月達は改めて正面を見ると綺麗に咲き誇る色とりどりの桜の森の開かれた場所に石畳の道が真っ直ぐ伸びておりその途中には大きな赤い鳥居がどっしりと石畳の道を跨ぐ様に建てられておりその鳥居の奥には派手さはないが風情が感じられる博麗神社があった。

「あれが博麗神社か・・・・・・思っていたよりも真新しく見えるが・・・・・・」

もっと古く少しガタついてそうな建物を想像していた結月にとって目の前にある博麗神社は古い木で数年前に建てたような古さと新しさが混在した中途半端な印象を覚えた。

鳥居を守護妖獣に乗ったまま通り過ぎ神社の前で守護妖獣を止め背中から降りると既に霊夢が縁側に座ってお茶を飲んでいた、箒が傍に置かれている事や箒で掃いていたであろう塵が集めきれてない所から見て休憩中のようだった。

「やっと来たわね、ずいぶん遅かったじゃない、何処で道草食っていたのよ」

霊夢の問いかけに結月は首を傾げる。

「何を言っている?途中で井戸水は飲んだが道に生えている草なんて食べてないぞ」

キョトンした様子の霊夢と苦笑いを浮かべる鈴音。

「結月・・・・・・道草を食っているは何処か寄り道をしていないかって意味だよ」

鈴音の言葉を聞いて珍しく動揺したような姿を見せる結月。

「・・・・・・貴方、鈴音よりかはしっかり者だと思っていたけどまさか冗談が通じない程真面目だったとはね、そんな性格じゃこの先苦労するわよ」

その言葉にデジャヴを覚えた結月、ふと思い出してみると竹左衛門が似たような事を口にしていた事を思い出す。

「あっ今!何気に今私の悪口を言ったわよね、そんなに私ってしっかりものじゃないの?」

霊夢は一口お茶を啜った後口を開いた。

「馬鹿ではないし間抜けでもない、只しっかり者かと言われるとそうは思えないって所ね」

所々詰めが甘い、霊夢は恐らくそう言いたいのだろう、だが結月には何故鈴音にだけこんなに厳しいのか分からなかった。

「・・・・・・それにしても博麗神社は幻想郷が生まれた頃からあったと言われる割には随分と建物は真新しいようにも感じるのだが・・・・・・」

結月がさっきから感じていた疑問をぶつけると霊夢が左手で神社の縁側を擦る。

「結月、新聞見てないの?って思ったけどあいつの新聞では知らなくても当然と言えば当然か・・・・・実はどっかの向こう見ずな天人(てんじん)が地震を起こして神社を壊したのよ、いつもは温厚な私でもその時は怒ってその天人を懲らしめたわ、そしたらその天人は弁償として幻想郷中の古い木を集めて見た目だけは元通りに建て直してくれたの、中は前よりも快適に過ごしやすくなったけどね、今から数年前の出来事よ」

そういえば、そんな話を訓練時代に勉強したなと思い出す結月。

天人は冥界の空の上、『天界』に暮らす仙人を越えた存在だと言われ当然仙人よりも凄い力を持つ種族とされ数少ない人間から合法的に外れる方法として知られているが人間が仙人になること自体とても難しく欲の塊である人間から全ての欲を取り払わないと天人にはなれないとされている。

だからこそ手っ取り早く比較的簡単に人間がやめられる人妖が横行している訳だが・・・・。

「それで報酬の四十万、ちゃんと持って来たのよね?」

心なしか嬉しそうにそう聞いてきた霊夢に鈴音は肩掛けのポーチから厚みのある札束を取り出す。

「それが目的なんだから忘れてくるわけないじゃない、でもこのまま手渡すのは味気ないから・・・・・・」

鈴音は札束を半分に分け結月に渡すとその札束を目の前にあるお賽銭箱に投げ入れた。

そしてその場で二回柏手をうつと合掌する。

「幻想郷から人妖になる人間が一人もいなくなりますように」

鈴音の願いはとても理想的だ、とにかく大きくそれでいて叶うのが難しい。

「早く一人前の逸脱審問官になれますように」

一方の結月の願いは現実的だ、小さいものの努力を続ければいずれは叶うかもしれない。

とにかく霊夢に直接渡すよりかはお賽銭に入れた方が一回願い事が出来る分お得ではあった。

「ちゃっかりしているわね~」

結月達のささやかな抵抗に霊夢はあきれた様子だった。

「二十万も入れたんだから叶ってほしいけど・・・・・・」

鈴音の理想に対して霊夢はお盆に乗せた湯呑にお茶を注ぎながら淡々と言葉を返す。

「叶うかどうかは分からないけど只願うだけでは決して願いが届く事なんてないわ、その夢を叶えようと努力する人間の願いを神様が気まぐれで叶えてくれるのよ、私は努力なんて好きじゃないから神頼みなんてしないけどね」

霊夢は努力嫌いとは聞いていたが別に努力する人間を否定するような事はしないようだった。

「そもそも神社と言うのは神様を祀って信仰する場所、博麗神社の神とは一体何なんだ?」

霊夢は二つの湯呑にお茶を入れると結月達の前に差し出す。

「博麗神社はこれと言って特定の神様を祀っている訳じゃない、幻想郷の秩序を保つための神社だから本来なら神社の定義からはずれているのかもしれないわね」

結月達は霊夢の手から湯呑を受け取る、湯呑に入ったお茶は湯気がたっており高温である事が見て取れた、ふうふう、と息を吹きかけ冷ました後、口をつけるがそれでも尚熱く感じる程だった。

「只神様を祀っていないという訳じゃないからあんたが信仰したい神様を信仰すればいいわ、只守矢の神頼みは止めといた方が良いわよ、一応商売敵だしやりたいなら妖怪の山に登って守矢神社で信仰しなさい、勿論その時は私と戦う覚悟でね」

淡々とそう言った霊夢だったが彼女の目は決して冗談ではなく本気だった。

守矢神社は現世からやって来た八坂神奈子と洩矢諏訪子の姿ある二神を信仰する神社であり妖怪の山の頂上に建てられており守矢教の総本山である。

かつてこの守矢が幻想郷でやって来た事が原因で異変が起こった事もあった。

「流石に宗教に縋る程未来を不安視してはいないし誰かに導いてもらおうとは思っていない、未来は自分の意思で切り開くものだからな、そういう意味では特定の神様を祀っていない神社の方が拝みやすくていい」

だからこそ神頼みは依存するものではなく支えるものであり後押ししてくるものであって欲しい、それが結月の神に対しての認識であり鈴音もそういう認識だった。

「理想は立派ね、でも人は弱い、追い詰められ心身ともに疲れ切った時、それでも自分の足で立とうと思えるかしら?」

湯気がたつ湯呑を見つめながら結月は霊夢に言葉を返す。

「一人ならそうだろう、だが人は集まれば集まる程強大な力になる、それこそ神を作る事も神を追い出す事も出来る程だ、疲れた時は神ではなく同じ人同士で支え合う、仲間がダメな時は俺が支えて俺が駄目な時は仲間が支えてくれればいい、立ち上がるのも歩くのも本来なら神なんて不要な存在だ、ただそれでも縋りたくなる時のために神はとっておくべきだ」

他力本願、と口にした霊夢だが内心は結月の考えに同意気味だった。

霊夢自身は支えてもらっている感覚はないのだが人間が神を生み出したのは結局、人間が人間の力を信じられず人間の力が及ばない力を持つ存在に頼ろうとしたのではないか?と思っていたからだ。

神の存在自体を嫌っている訳ではない霊夢だがだからこそ身を任せる気にはなれなかったし従うつもりもなかった、神奈子や諏訪子と戦ったのもそう言った反発からだった。

「そう言えばさっき博麗神社は特定の神を祀っていないって言ったけど博麗神社の存在が幻想郷の秩序を保つための存在なら考え方によれば博麗神社の神様は私なのかも知れないわね」

霊夢は傲慢な態度が見られたが別に霊夢は自分が偉いとは思っていなかった、自分本位であるのは間違いなかったが決して自惚れからではなく元々そんな性分だった。

神様発言も自分が偉いからではなく何となく思いついた事を口にしただけだった。

「大きく出たね、霊夢、でも流石に神様を名乗るにはちょっと・・・・・・その傲慢過ぎじゃないかな?どれだけ強くても人間は神様になれないと思うんだよね、仙人や天人にはなれたとしてもさ、人間には及ばない力を求めたからこそ神様が生まれたのなら人間は神様にはなれないと思うんだ・・・・・多分」

余程霊夢が苦手なのか鈴音はいつもと比べ発言が弱めだが言いたい事は霊夢も分かっていた。

「あら?言うようになったわね、鈴音、まあ、私も神様になりたいなんて思ってないけどね、力に溺れる者はその力に振り回されるのよ、何となく思いついたから言ってみただけよ」

単なる冗談である事は結月達も分かっていた、霊夢は神様という大きな器を持ってしても収まりきらない存在、と認識していたが正解だろうか。

種族的には人間で間違いないだろうが彼女を人間の定義に当てはめるには特異点が多すぎる一方で言葉には出来ない魅力もあった。

「ああ、そうだ、これも頼まれていたな」

結月は右収納袋から数枚の万札を取り出す。

「何そのお金?まだ叶えたい願いでもあるのかしら、願いが多くなるほど叶いづらくなるわよ、二兎追う者は一兎も得ずっていうじゃない」

首を振る結月、別に結月は二つ目の願いを叶えようとしている訳じゃなかった。

「いや、これは仲間の静流先輩が博麗神社に行くならついでに自分のお願い事をしてきてくれと頼まれ渡されたものだ」

結月にはあの静流が神頼みするとは想像できなかった、神の存在なんて信じていないと思っていた所があったからだ、否、特定の神を信仰してない博麗神社だからこそ神頼みをしても良いと思ったのだろうか?真意は定かではなかった。

「え?静流が・・・・・・あっ!そっか、静流は謹慎処分で一ヶ月外出が禁止されているから結月に代わりを頼んだんだね」

一瞬何故静流はわざわざ結月に願い事を託したのか、ピンとこなかった鈴音だがすぐに静流の状況を思い出し納得する。

「謹慎処分って・・・・・・その静流っていう人は一体何をしたのよ?一ヶ月の謹慎処分ってそれなりの事よね?」

霊夢の問いかけに結月と鈴音は顔を見合わせた後、ため息をついた。

「えっと・・・・・・・好きだった女に振られた男が逆恨みしてその女を小刀で人質にとって橋から身を投げて無理心中をしようとしていたんだけど静流は男の人の左腕を力づくで骨折させて持っていた小刀を奪ってその小刀を右腕に刺してその上で川に投げ込んだのよ、私達が素早く救助したから幸い加害者の男は命に別状はなかっただけど、鼎は逸脱審問官の地位を揺るがす行為だとして罰として謹慎処分にしたのよ」

事の顛末を掻い摘んで話した鈴音、霊夢は動じる事無く話を聞いていた。

「ふ~ん、確かにやり過ぎといえばやり過ぎだけど、逸脱審問官ならそれくらいやってもおかしくないと思っていたわ」

霊夢の中での逸脱審問官の認識はどうも逸脱者の断罪の時のイメージが強いようだ。

「そ、そんな事ないよ!相手が私達に危害を加えようとしたら自己防衛と相手を大人しくさせる目的で武力行使をする事はあるけど基本揉め事は被害者も加害者も無傷で済ませる事が最優先事項なんだから、私達が罰を与えるのではなく法が罰を与えるのだから必要以上の危害を加える事は職権乱用になり得るからね、私達が法ではなく法が私達を動かしているんだから」

結局、逸脱者の断罪するのは逸脱者が人間の掟を破り死に値する罪を犯し逸脱審問官が償わせているだけなのだ、個人的な怒りや執念があったとしてもそれは二の次だ。

「意外とお堅い役職なのね、逸脱審問官は、まあでも権利を私情で振り回すようになったら人間の番人を名乗っているだけあって逸脱審問官の地位も揺らぐのは確かね、鼎はなんでそんな人をいつまでも手の内に置いておくのかしら?」

それを言ったら道中で会う妖怪を問答無用で退治する霊夢もかなりグレーゾーンなのだが。

「鼎は静流先輩のやり方は決して正しくないと思いつつもそういう人材も必要だ、と考えているようだ」

そう言って結月は飲み終えた湯呑を霊夢に返すと階段を上がってお賽銭箱に直接入れ柏手を二回打ち合掌する。

「足の指で編み物が出来るようになりますように」

結月の口から出た言葉に鈴音も霊夢も耳を疑った。

合掌を終え何も言わず階段を降りる結月、呼び止めたのは鈴音だった。

「えっ?ちょっと待って結月、静流はそんな願い事を本当に頼んだの?」

にわかには信じられない様子の鈴音だが結月がそんな冗談を口にするとは思えなかった。

「ああ、静流曰く謹慎中の間、編み物に挑戦しようと思い立ったらしいが只編み物するだけではつまらないからと足の指で編み棒を持って編み物をするつもりらしい」

ええ・・・・、と戸惑っていた鈴音だったがすぐに戸惑いの表情は消える。

「・・・・・・まあ、変わり者の静流らしい願いと言えば願いね」

鈴音も静流との付き合いは長い、新人の頃から一緒に仲間として過ごしてきたのだ。

今でも驚かされる事はあるが大方は慣れていた。

「そうだな、変わり者を自称しているだけの事はあるな、普通では考えない事を良く思いつく」

結月も鈴音も静流は自他ともに認める変わり者と言う認識だった。

「ほんとそうだよね~、まるで私達とは見えている世界が違うみたいだよね」

結月と鈴音の話を聞いていた霊夢だったがふと心の内に思っていた事を口にする。

「私からすれば人間の誇りや尊厳のために命を擦り減らしながら人妖と命を賭けて戦うあんた達も十分『変わり者』と思うけどね」

その言葉に結月と鈴音の視線が霊夢に向く、霊夢は平然とした様子で湯呑に残っていたお茶を啜った。

「そもそも普通って何かしら、何の起伏もない人生?両親が普通にいる暖かい家庭?冴えている訳でもないが馬鹿でもない程々の頭の良さ?酷い事をされたらやり返す行為?特徴的のない中肉中背?誰に対してもそれなりに優しく出来る心?そんなの人其々、共通する認識はあっても全てがあっている人なんていない、誰もが違う普通の定義を持っていてその上で自分の内にある普通の定義から外れた存在を『異端』として扱うのよ」

普通の定義は存在しない、物事を鋭く見ている霊夢だからこそ気づいた事だった。

「普通の人間なんていない、誰もが変わり者なのよ、只大半の人が自分の内にある普通がこの世の普通だと思い込んで自分はこの世界の普通の人間だと考えているから気づかないだけ、普通である事に拘るからこそ異端扱いされないよう周囲の空気に流され続け意思のない人間になってしまう、ホントに馬鹿な話よね、そういう意味では静流は自分が変わり者である事を自覚して尚自分の意志に忠実なのは凄い事だとは思うわ、私自身がそうだからこそそう思うのかもしれないけどね」

異端であり続けるという事は他人の普通に反目し続けるという事であり誹謗中傷も避けられないだろう、孤独感に押し潰されそうになる事もあったはずだ、それを幾度もなく経験してきた霊夢は静流の普通である事に拘らない事を評価したのだろう。

そう考えるならば静流だけでなく白鷹や影狼やわかさぎ姫は普通から外れた変わり者ではなくそれもまた一つの個性なのだ。

「普通なんていないか・・・・・・・そうだな、普通である事に囚われるなんて俺もまだまだだな」

そう言って結月は左収納袋に手を入れると何かを取り出す、それは先日静流から貰った動物の干し肉だった。

「結月?それは何?」

結月からすれば干し肉だと分かっても鈴音からすれば赤黒く長細い何かの切れ端にしか見えないだろう、実際干し肉にしては色が悪いし品質も腐っていると評されても間違いではないだろう。

「静流の非常食であり静流の意思だ」

そう言って結月は干し肉を齧った、固く黴臭く血生臭い味は決して美味しくはなかったが静流の事を少しだけ知る事が出来たような気がした。

結月はこの味を忘れない様にしようと心の内に決めた。




第三十三録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?今回で四話は終わりです、いざ確認しながら読んでいるとかなりの文章量に本当に自分が描いたのか疑ってしまいます。
とはいえつい最近書き終わり確認作業をしている五話も同じ位の文章量なので恐らくは自分が書いたのだと確信しています。
ただ五話と四話では文章量が同じでも書けた時間は段違いでした。
五話は話の見通しが甘かったせいで何度も修正を重ねた事や仕事の都合や小説を投稿する事への重圧やとある事が切っ掛けで一時的に小説を書く心の余裕がなくなった事が原因で時間が大幅にかかってしまいました。
改めて小説を投稿する事の難しさや苦労を知る事が出来ました、苦い経験でありこれからの影響の事を考えると気が重くなりますが小説を投稿したからこそ直面し経験できた事なので苦くとも薬だと思っています。
次に書く小説はその反省を生かしてある程度の見通しを立てしっかり練り込んで根気よく書いていこうと思います。
読者の皆様には苦労や迷惑をかけるとは思いますがそれでも読んでくれるなら精一杯書きますので宜しくお願い致します。
それではまた再来週。


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外伝 蝙蝠騒動最中の霊夢

こんばんは、レア・ラスベガスです。
さて、今回は番外編となります、前回の前書きにも書きましたが今回は第三話の蝙蝠騒動が起きていた時、霊夢はどうしていたのかを書いた番外編です、確認のため一度読み直しましたが今一度読んでみると何だか霊夢が相当アレな気がします、きっと書いていた時の自分の考え方や価値観が今の自分とは違うからなんでしょうね、これは成長したとみるべきかそれとも退化したとみるべきか・・・・・・迷う所ですね。
それでは番外編です。


月夜に照らされた静かな幻想郷の夜が各地で飛び回る蝙蝠の群れによって脅かされてから四日目。

幻想郷に暮らす人々は飛び回る蝙蝠の群れとそれと連動するように起こる行方不明者事件に怯える中、幻想郷の最も東にある博麗の巫女の住居、博麗神社ではいつもと変わらない日常が続いていた。

神社と鳥居の間にある石造りの歩道を博麗の巫女と呼ばれる博麗霊夢は何処かやる気なさげで手に持った箒で落ち葉を掻いていた。

とはいっても霊夢にやる気がないのはいつも通りであり、彼女がやる気を出すのは幻想郷に影響を及ぼすような厄介な事件・・・・主に「異変」が起きた時か、自分に悪影響を及ぼす事態が発生した時、そして金の絡む話である時である。

「さて・・・・・そろそろ休憩の時間ね」

歩道にはまだ所々落ち葉が残っているが彼女は決してやりきる性格ではなく多少残っていても大体が良ければ良しとする所があった。

それに彼女は掃除が余り好きではなかった、理由は単純で楽しくないからである。

とはいえ不潔なのも嫌なので神社の清掃も殆ど毎日欠かす事はないが大まか出来ていれば多少汚れていても気にしなかった。

彼女が楽しみにしている事、それは掃除の合間にある休憩である。

神社の正面入り口の階段の上にある縁側に腰かけお茶とお菓子で一服する、それを一日に三回するのが彼女の日課だった。

「はあ~今日もお茶が美味しいわ」

湯呑に入れたお茶を一服しまるで疲れた心を癒しているかのような様子でそう言った霊夢、とはいえ彼女は一息つくほど疲れるような事はあまりしていないのだが・・・・。

霊夢がそんな風に一息ついていた時だった。

神社の正面、石造りの歩道をまたぐように立つ赤い鳥居、その鳥居の向こう側から何かが飛んできていた。

その何かは物凄い速度でこちらに向かって飛んできており鳥居を潜り抜けた所で急速に速度を落としていき神社の屋根に入るか入らないかの所で急停止した。

その間、霊夢は驚く事なくじっと自分の目の前にいる何かを見つめながら饅頭を食べていた。

「霊夢さん、また休憩ですか?随分とお暇なようですね」

その何かは人型をしており姿こそ人間の少女と変わらないが背中には鴉(からす)の様な大きく広げた黒い翼が生えており、その風貌も幻想郷で暮らす人間とは何処か違っていた。

彼女の名前は射命丸文(しゃめいまるあや)、天狗の妖怪であり彼女は鴉天狗だった。

容姿は10代後半の少女の様な体格をしているが背中には鴉のような翼が生えておりこれが鴉天狗の所以とも言われる。

顔は中々可愛らしい、見た目年齢で年相応の人間の少女の様な顔をしており髪は黒髪のセミロングで頭には山伏が被っている帽子の様な物を被っておりその帽子からは左右に紐のようなものが伸びている。

服は白色の襟の付いた半袖のシャツに胸元には黒色のリボンが結んである。

黒色の短めのスカートを穿いておりスラリとした足が露出している。

黒色の靴下の他、高下駄の様な靴を履いておりお洒落と伝統の中間の様な風貌をしている。

右手には文花帖と呼ばれる天狗の手帖のようなものを持っており背中には天狗の団扇を携えておりそして肩には紐付きの幻想郷では珍しい一眼レフカメラを担いでいた。

彼女は天狗の中でも最も速い天狗であり天狗は幻想郷でも一・二を争う速さを誇る妖怪であるため彼女は事実上、幻想郷一速い妖怪である。

「みんながせかせか動き過ぎなのよ、物事はゆとりを持ってやるものよ」

そう言って彼女は湯呑のお茶を啜る。

「貴方はもう少し動いてもいいと思うのですが・・・・・歩道の落ち葉だって所々残っていますよ」

そう言って地面に着地をする文、そこへ一羽の鴉が飛んできて文の隣に着陸する。

この鴉は文の使い魔であり幻想郷一速い文の使い魔だけあってこの鴉もまた幻想郷一速い鴉なのだがそれでも先程みたいに全速力で飛ばれると追いつけなくなり遅れてやってくる事になる。

「あれくらいでいいのよ、どうせまた汚れるんだし」

そういう考え方もあるが文にはどうも適当に済ます理由にしているように思えなかった。

「それより何の用なの?貴方が欲しそうな新聞のネタはここにはないわよ」

鴉天狗はその殆どが新聞屋をやっており彼女もまた新聞屋として幻想郷中を回って新聞のネタになる様な情報を探し編集して掲載し文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)として幻想郷中に発行しているのだ。

しかし幻想郷一速さを持つ彼女だが速過ぎる故か地道な情報収集が苦手で新聞の発行は月に多くても五回と少なくその割には記事の内容も少ないため、愛読者は少ない。

ただ背中に生えた翼と服装以外は可愛らしい人間の少女と変わりなく、幻想郷に住む人間の多くが彼女の事を少なくとも邪険にはしておらず取材を快く引き受けてくれる事が多い。

「そうですねえ『怠慢の博麗の巫女、掃除の合間に三回も休憩をとる、幻想郷の未来は大丈夫か?』という記事にしかならなさそうですね」

屈託のない笑顔でそう言った文に霊夢は文を睨みつけた。

「馬鹿な事を言わないでちょうだい、それに許可もなく私の私生活を記事にしないでよ」

それに対し文は手で仰ぐような仕草をする。

「冗談ですよ、そんな記事出しても多分売れませんしね」

しかし文のその言葉は逆に霊夢をより不機嫌にさせていた。

「あくまでも記事にしない理由は私生活だからではなくお金ならないからなのね、本当に貴方はいつも新聞の売り上げの事しか考えていないわね、そんなんだからいつまでたっても貴方の新聞は売れないのよ」

しかし今度は文がムッとした表情を浮かべる。

「余計なお世話です!これでも皆様が私の新聞を読んでくれるよう努力しているんですよ」

しかし霊夢はお菓子である饅頭を頬張ろうとしながら反論で返す。

「努力していても結果が出なければ意味がないのよ」

霊夢のその言葉に文は言葉を詰まらせた後ため息をついた。

「どうしたらもっと私の新聞の愛読者が増えるでしょうか?このままじゃ私の新聞また部数の少なさで負けちゃいますよ」

新聞屋を仕事としている鴉天狗の間では新聞の部数の多さを競う新聞大会を毎年行っているのだが文の新聞は常に下位に甘んじており鴉天狗の間では文は新聞屋に向いていないなどの陰口を言われる事も何度もあった、だからこそ次の新聞大会では上位に食い込んで自分の陰口を言っていた奴らを見返してやりたいと思っていた。

文の悩みに関して霊夢には心当たりがあった。

「そうね・・・・・まずは号外なんてせこい手はやめて毎日ちゃんとした新聞を毎日出せるよう努力しなさい、新聞は多い時でも月に五回で時季外れの号外ばっかり出していたら、そりゃ貴方の新聞を愛読しようとする人なんて少ないわ、私も貴方の号外にはうんざりしているのよ」

文は新聞の部数を増やそうと号外と呼ばれる重大な事が起きた時に発行される新聞(文の場合は大して重大でもないような内容なのだが)を発行して幻想郷中にばらまく事で何とか新聞部数を増やそうとしていた。

しかし号外を出す頻度があまりにも多いため自然と号外が家の中に溜まってしまい、しかもどの号外も時季外れの内容が多いためこの号外がむしろ文の新聞の印象を悪くしていた。

「やっぱりそれしかないですよね・・・・・・・って、今日はそんな事を話にきたのではありません」

話が脱線している事に気づいた文は霊夢に近づくと自分の書いた新聞を霊夢に差し出した。

「はい、最新号の『文々。新聞』を渡しに来ました、貴方にはまだ配ってなかったはずです」

文の言葉に霊夢は眉間に皺を寄せる、それは何か腑に落ちないような顔だった。

文の手から新聞を受け取った霊夢は新聞の見出しをじっくりと見た後、その新聞を文に差し出した。

「これ、私もう持っているわよ?」

文が手渡した新聞は既に昨日の朝、文が賽銭箱の上に置いていた新聞と同一のものであった。

「え、本当ですか?貴方の勘違いとかではなくて」

霊夢はめんどくさいという顔をしながらも腰を上げると神社の引き戸を開け室内に入ると右手に新聞を持って戻ってきた。

「これが違う新聞に見える?」

霊夢が見せた新聞は確かに自分が先程渡した新聞と同一のものであった。

「確かに同じ新聞ですね・・・・・・そういえば昨日は一番早く貴方の神社に配りに行きましたね、私としたことが忘れていました」

ワザとらしく、今その事を思い出したかのようにそう言った文を霊夢は疑いの目で見ていた。

「本当に忘れていただけなの?そうやって忘れた振りをして新聞を手渡して新聞の部数を増やそうとしているんじゃないの」

霊夢の言葉に文は考え込む様な仕草をする。

「・・・・・・なるほど、私の新聞があまり読まれていない事を逆手にとって同じ新聞をいかにも最新号の様に手渡す、その手もありましたね」

文のその言葉に呆れた表情を浮かべる霊夢。

「流石に幾らなんでもそれは惨め過ぎるわよ、そんな事をして新聞大会に勝っても何一つ嬉しくないでしょ」

ごもっともな意見である、もちろん文も冗談のつもりだった。

「流石の私もそんな真似はしませんよ」

冗談のつもり、そうは言いつつも内心その手もありだな、と思っている自分がいた。

しかし霊夢は勘の鋭い女性である、文の考えている事など感づいており疑いの目で文を見ていた。

「・・・・・・何ですか、その目は?いや絶対そんな真似はしませんって、本当ですよ?心に誓っても良いです」

霊夢から疑われている手前、やましい気持ちなどないと主張する文だが霊夢はそう簡単に納得してくれない。

「果たしてどうかしら、貴方の発言には信憑性は感じられないわね」

信頼あってこその新聞屋なのにその信頼がないとは何とも情けない話だが文は実際、狡賢い一面があり口ではそう言いつつも果たして本当なのか疑わしかった。

実際、号外で新聞部数を増やそうとしている所を見てもそういう節があった。

「・・・・・・それをするくらいなら新聞屋なんて名乗りませんよ」

しかし流石の文も一端の新聞屋、幾ら部数が増えなくてもそんな行為をするくらいなら新聞屋を辞める覚悟だった。

その言葉に霊夢はようやく疑いの目をやめてもう一つ用意されていた湯呑にお茶をいれ文に差し出す。

「ありがとうございます、貴方がお茶を注いでくれるなんてめずらし・・・・熱っ!」

寒い冬を越え春らしくなってきた幻想郷、人間でも半袖の服を着た人が増えてきたのに霊夢の差し出したお茶は今沸かしたかのような熱さだった。

「ちょっとこのお茶熱すぎません?」

火傷しかけた舌を出し冷ましながらそう言った文に対し霊夢はムッとした表情をする。

「何よ、せっかく好意でつけてあげたのだから文句言わないの、それに私は寒がりだからこれくらい熱い方が体が温まっていいの」

確かに霊夢は寒がりだからこれくらいの熱さの方が丁度いいかもしれないが、では何故別に寒がりではない魔理沙はこんな熱いお茶を平然とした様子で飲めていたのか?

そう思いつつも文はフーフーと冷ましながらお茶を啜る、熱いものの味は悪くなかった。

「それにしても私の最新号の新聞の一面を読みましたか?」

霊夢はその言葉にお茶で一息ついてから別に興味無さそうに返事をする。

「見出しの記事は見たわよ、詳しくは読んでないけど」

昨日発行した最新号の文々。新聞の一面には『静かな夜を蝕む蝙蝠の群れ』という見出しと共に『連日の人間の行方不明者事件に関連性?』と副題が添えられており書かれている内容も蝙蝠の群れに関する事だった。

実際、この記事をあげているのは文だけでなく殆どの鴉天狗が蝙蝠の群れの事を書いており中には『新たな異変の予兆か?』とまで書かれた鴉天狗の新聞もあった。

「一体誰がこんな事を起こしているのでしょうね?」

飲み終わったお茶を霊夢に手渡した文。

実は文が博麗神社を訪れたのは蝙蝠の群れに関してある事を確認するためだった。

「さあ?レミリアやフランがこんな事をするとは思えないし現世からからやってきた蝙蝠の妖怪が暴れ回っているんじゃない?」

霊夢も紅魔館の吸血鬼がこんな事をするとは思ってなかった、一度対峙し戦った事のある霊夢なら尚更だった、あの二人がこんな事をするはずがない、増してやこんな地味なやり方で人間を脅しそして人間を襲うなんて霊夢には考えられなかった。

「知っていますか?現世の特に日本では名のある蝙蝠の妖怪は殆どいないんですよ」

見た目は少女の様な姿をしている文だが幻想郷で生まれた天狗ではなく幻想郷が出来る前、現世で生まれた天狗であり現世事情(その当時のだが)には詳しく、現世の日本には蝙蝠の妖怪が少なくまたこれほど蝙蝠の大群を操れる程の妖怪などいないに等しかった。

幻想郷にいる妖怪はその殆どが日本に住んでいた妖怪が入ってきている事を考えるとこの蝙蝠の群れと連日の人間の行方不明事件は妖怪の仕業とは考えにくかった。

「へえ、そうなんだ、覚えておくわ」

特に驚いた様子もなくそう答えた霊夢、文はさっきまでとは違う真剣な表情を霊夢に向けた。

文も霊夢もこの蝙蝠の群れを操る存在は何となく予測がついた、恐らくはそうだろうと確信できた。

それでも動こうとしない霊夢に意を決して文は霊夢を問い詰めた。

「行かないんですか、人妖狩りに?」

まだ裏の取れていない未確定要素なので新聞には載せられなかったが文はこの蝙蝠の群れが人妖の仕業であると確信していた。

人妖は幻想郷に置いて秩序を乱す大罪人である、博麗の巫女には悪事を働く妖怪を退治する役割の他に人妖を倒す役割があった。

霊夢もまた蝙蝠の群れが妖怪の仕業ではない事など既に気づいているはずだ、のんびりとしているようで他の人間と比べ状況を冷静に分析し考える能力に長けているからだ。

しかしそれでも霊夢は動こうとしない、それは何故なのか気になりもしや、自分が新聞を配り忘れ霊夢が幻想郷で起きている事をあまり把握していないのではないかと思い博麗神社を訪れたのだ。

「今はその気分じゃない」

即答だった、しかしその答えが帰って来る事を文は何となく分かっていた。

「気分じゃないって、幻想郷に秩序を乱す人妖を倒すのが博麗の巫女の役割ですよね?」

しかし霊夢は平然とした様子で湯呑にお茶を入れる。

「そうよ、人妖が現れた時、幻想郷の秩序を保つため人妖を狩るのが博麗の巫女の使命よ、でも今はそんな気分じゃないの」

悪事を働いた妖怪を退治するのも幻想郷の秩序を乱す人妖を狩るのも博麗の巫女の役割であり使命でもあったが、いつやるかは本人の気分次第であり、今の霊夢にはやる気がなかった。

しかしこれは珍しい事ではなくかつて起きた異変の中でも霊夢がすぐに動いたのは本当に幻想郷が危機的状況だった永夜異変(夜が明けず満月の月が空に浮いたまま状態が続いた異変、満月の月に影響される妖怪も多く、最悪幻想郷が壊れてしまう危険性もあった大異変だった)時くらいであり基本的には霊夢は気分が乗った時しか動かない傾向があった。

「連日のように人間が襲われているのですよ?それでもですか?」

蝙蝠の群れを操っているのが人妖であると同時に恐らくは連日の行方不明者も人妖の仕業であることを文は確信していた。

何故なら人妖の多くは人間を食べなければ自分の体を維持できない体質でありもし蝙蝠の群れを操っている存在が人妖であるならば連日の人間の行方不明者も説明がつくからだ。

「私の役割は幻想郷の秩序を保つ事であって人間を助ける事ではないのよ、ましてや他の人間の事なんて私にはどうでもいい事よ」

霊夢は種族こそ人間だが霊夢は人間に対して大して特別な感情はもってなく、自分は自分、他は他としか考えておらず、例え蝙蝠の群れを操っている存在が同じ人間を襲っていたとしてもどうでも良かった。

博麗の巫女に課せられた使命は幻想郷の秩序を保つ事であり決して人間を妖怪や異変から守るためのものではない、幻想郷の秩序を守るための行動が結果として人間を救っているだけに過ぎなかった。

むしろ今の理想的な幻想郷の秩序を保つためには妖怪に襲われる人間は必要最低限の犠牲とさえ霊夢は思っていた。

偶然妖怪が人間を襲う所を見掛けたとしても人間を助ける時はその妖怪が霊夢の嫌いな妖怪の時か、それとも余程虫の居所が悪く妖怪を退治して気分を晴らしたい時である。

結局は霊夢と言う人物は自分本位な存在であり、妖怪を退治し異変を解決してくれる存在である博麗の巫女だが、正義の味方ではなかった。

それでも今の幻想郷の秩序が保たれているのは博麗の巫女がいるおかげなので感謝しなければならないのだが、博麗の巫女の評価する人間はあまりいない、そもそも霊夢自体あまり知らない人間さえいるのだ。

例外として天道人進堂は人間側の組織で霊夢の役割を理解し働きを評価する珍しい存在といえた。

博麗神社の参拝客がほとんどいないのもこういう事が理由だった。(博麗神社が人間の里から程遠い場所にあるのも原因らしいが)

「蝙蝠の親玉が人妖にしても妖怪にしても襲われている人間の数だって毎夜一人くらいなものじゃない、みんな大きく騒ぎ過ぎなのよ、昔は毎日二、三人の人間が襲われても誰も驚かなかったわよ」

もちろん霊夢が昔の幻想郷の事を知っている訳がない、しかし紫からそんな話を聞いた事があった、それはまだ幻想郷に大した規定が決められていなかった頃の話だった。

「そりゃまあ、あの頃と比べたら大した騒ぎではありませんですけど、それでも毎日のように人間が襲われるのは近年では珍しい事ですよ」

逆を言えば珍しくなる程人間が襲われる事が少なくなったからこそ人間が毎夜一人ずついなくなっただけでも怯えている訳なのだが・・・・・。

「それに本当に蝙蝠の群れの親玉が人妖とは決まった訳ではないわ」

それに霊夢が動かないもう一つの理由に蝙蝠の群れを操っている存在が人妖と決まった訳ではないという事もあった。

幾ら人妖の仕業である可能性が高くても証拠がなければ推測の域を出る事はない。

もし夜な夜な飛び回る蝙蝠の群れや行方不明者の犯人が妖怪の場合、早急に手を打つ必要性はなかった。

もし妖怪が蝙蝠の群れを率いて人間を襲う事は妖怪の楽園である幻想郷の規定において何一つ間違ってないからである、霊夢が動くとすればその妖怪が自分に襲い掛かってきた時か蝙蝠騒ぎと行方不明事件がこれ以上長期化する場合のみである。

幾ら妖怪の楽園だからって物事には限度がある、人間が少なくなれば幻想郷の妖怪の力は弱体化するため必要以上人間を襲いこの騒動が長期化するようなら退治しなければならない。

しかしどこまで続けば長期化しているという基準もまた霊夢のさじ加減であり、結局は霊夢の気分次第だった。

「蝙蝠の群れと行方不明事件が人妖の仕業だっていうのなら確証性のある物的証拠はあるのよね?見せてくれたら今夜にでも人妖を狩りに行ってあげるわよ」

そう言いながら霊夢は饅頭を頬張りお茶を啜った。

「そんなものありませんよ、そんな証拠があったらとっくの昔に新聞の一面を飾っていますし、わざわざ貴方に来たりしませんよ」

霊夢は分かっていてそんな事を言っているのが文には分かっているので少し怒っているかのような口調でそう言った。

「蝙蝠騒動が起きてから今日で四日目よ、人妖であるかどうかもまだ分かってないの?」

霊夢がそう言うのも分かる、鴉天狗は幻想郷の新聞屋でもあると同時に幻想郷屈指の情報屋でもある、そんな鴉天狗でも蝙蝠の群れの親玉の正体を未だに掴めてないのは不審に感じるだろう。

「私達も努力しているのですが、何分蝙蝠の群れに近づけば無数の蝙蝠が襲い掛かって来て近づくのを邪魔してくるんです、天狗の力を持ってすれば追い払う事も出来ますが追い払っても次から次へと蝙蝠が絶えずやってきて正直きりがないです、私も何度か近づこうとしましたが視界を遮られるわ、蝙蝠に纏わりつかれるわ、爪と牙で服が破れるわ、全く近づけませんでした」

ちなみに今文が着ている服は予備の服でありあの時着ていた服は修繕中だった。

「幻想郷の新聞屋や情報屋を名乗っている割には鴉天狗の実力はその程度なのね」

霊夢は何気なく言ったつもりかもしれない、しかし文からしてみればそれは天狗に喧嘩を売っているも同然だった。

「例え貴方が幻想郷の秩序を保つ博麗の巫女だとしてもそのお言葉はいただけませんね」

言葉に力が入り、背中に携えた天狗の団扇を右手に持ち、臨戦態勢に入った文。

体からは強い妖気と気迫が滲み出ていた。

「あら?脅しのつもり、でも私は自分の意見は絶対に曲げないわよ」

ただ一つ、自分を倒す事が出来たらという言葉は敢えて省く、弾幕勝負とはまさに考え方や意見の食い違いが起きた時に発生し負けた方は勝った方の考えに従い自分の考えを曲げなければいけない、その事を文は良く知っているからだ。

「脅しなんて生ぬるい手は貴方には使いませんよ、天狗の本当の恐ろしさ見せてあげますよ」

文のその言葉にニヤリと笑った霊夢、立ち上がり階段を降りて文と正面から向き合う。

そして何処からともなくお祓い棒と御札を取り出すと一気に臨戦態勢に入った。

自分と同じ強者と戦える事を楽しみにしているかの様な武人の笑みを霊夢は浮かべていた。

霊夢は平和主義者であったが意外にも弾幕勝負は楽しんでいる節があった。

「忘れてはないわよね、私に二度も負けている事、幾ら貴方が強くても私に勝つ事なんて出来ないのよ」

慢心している訳ではない、もう既に戦いは始まっているのだ、弾幕勝負の前哨戦は口舌戦で始まるのが基本である、相手が妖怪だとしても霊夢は強気の姿勢だった、もし相手に弱みを見せれば一気につけこまれる事を霊夢は良く知っていた。

「あの時は少しちょっかいを出した程度ですが、今回は本気で行きますよ、果たして博麗の巫女といえども本気の私の速さを見切れますかね?」

相手が例え博麗の巫女だとしても文は負ける気など一切しなかった、弾幕勝負最強の一角とされる霊夢だが決して無敗ではなく過去には弾幕勝負で負けた経験がある事を知っているからだ。

「教えておくわ、弱い妖怪程強い言葉を使いたがるのよ」

フフッと嘲笑うかのような笑い方をする文、一瞬、ほんの一瞬だが彼女は人間である霊夢を見下したかのようなそんな表情を浮かべる。

「その言葉、そっくりそのまま返してあげますよ」

二人を包む緊迫感は最高潮となり今にも小さな風の音でも弾幕勝負が起こりそうな雰囲気が周囲を包んでいた。

嵐の様な静けさが数十秒経った時、突如として文は臨戦態勢を解いた。

「待ってください、私と戦うくらいの気力と力があるなら蝙蝠の群れの親玉を倒して来たらどうですか?妖怪でも人妖でもどちらにしても退治するも倒すのも貴方の役割ですよ?」

急に警戒を解いた文に霊夢は不満そうな顔を浮かべる、今の文には弾幕勝負をする意志がないという事を察したからである。

「それとこれとは話が別よ、趣味と仕事の差くらい違うわよ」

臨戦態勢を解きそう答えた霊夢に対して文は頭を抱える。

「めんどくさい人ですね・・・・・・」

不意に本音が口から出てしまったが霊夢は文の本音など一向に構わない様子だった。

「貴方も人間の味方じゃない癖に人間に味方をする理由でもあるの?」

文は決して故意に人間を襲ったり困らせたりする妖怪ではなかったが人間の味方とは絶対に言いきれなかった、あくまでも彼女は人間を支配する側の存在である妖怪だからである。

「まあ、確かに私は人間の『味方』ではありませんよ、ですが人間がいなければ私達妖怪も存在できません、気が乗らないのはよく分かっています、ですが貴方が博麗の巫女である以上、その使命をちゃんと果たしてほしいのです」

可哀相だと思う事もある、幻想郷の秩序を保つという使命を自らが選んだのではなく選ばれて押し付けられたのだ、恐らく口には出さないが魔理沙も生まれながらそんな使命を背負った霊夢を放っておけず何かと博麗神社を訪れ霊夢の傍にいるのだろう。

「もちろん私も博麗の巫女として幻想郷の秩序を保つ使命を忘れた訳でもないし放棄したわけでもないわよ、蝙蝠騒動も数日様子を見て収まらないようならちゃんと動くわ、それでいいわよね?」

一方の霊夢に悲壮感は感じられない、霊夢はとても気丈な事もあるが博麗の巫女の使命を彼女があまり重荷に感じていないような様子だからだろう。

霊夢の答えが聞いて安堵した表情を浮かべる文に霊夢は言葉を続ける。

「それに」

霊夢はお祓い棒を右肩に乗せると何か含みのある笑みを浮かべる。

「私が働き者だったら貴方達も色々と困るんじゃない?」

その言葉に文はほんの柄の間ポカンとしていた様子だったがクスッと笑った。

「確かにそうですね、貴方の先代の頃には私も私の仲間も結構お世話になりましたから、あの頃と比べたらありがたいです」

結局、博麗の巫女が動かないのは妖怪の自由もまた許されているという事であった。

「では返事も聞けたので私はそろそろ仕事に戻りますね、今日も又蝙蝠騒動について調査をしないといけませんので」

そう言って文は背中に生えた黒い鴉の様な翼を広げる。

「他と同じような新聞を出してもあまり部数は増えないわよ」

霊夢の忠告に対して文はフッと笑った。

「そこは私の腕の見せ所ですよ、楽しみにしていてください」

霊夢は文の言葉をあまり期待しないで待つ事にした。

「では私はこれで失礼します」

そう言ってお辞儀をした後、文は空へと飛び立つと一気に加速し物凄く勢いで幻想郷の青い空へ消えていった。

使い魔である文の鴉もまた翼を広げ飛び立つと物凄い速度で文の後を追って博麗神社を後にした。

「・・・・・・・ふう」

客人が帰り霊夢は再び縁側に座り休憩を再開する。

霊夢は湯呑を手に持ちながら文が飛んで行った青空を見上げる。

静かで穏やかな少し早い春の風が舞い込む博麗神社。

ここだけ見るならとても蝙蝠騒動で揺れているとは思えない。

しかし夜になると蝙蝠の親玉が無数の蝙蝠を引き連れ何処からともなく現れ夜の世界を飛び回る、まるで自分が夜の世界の支配者になったかのように。

当然だがこの騒動を看過する事は博麗の巫女として出来なかった。

「あと数日・・・・・・二日経っても続いているようなら動く事にしましょう」

霊夢はそう決めると今日何杯目となるお茶を啜った。

しかし霊夢が動く事なくその二日後の夜、逸脱審問官の活躍により蝙蝠の群れの親玉は倒され幻想郷に平穏が戻っていく事になる。




番外編読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?今回の番外編は人妖が出現した時、霊夢は何故すぐに動かないのか理由を小説として書いたものですが今一度見てみると当時の自分の中の霊夢像がどのようなものであったか鑑みる事が出来ます。
読んでくれた読者の皆様の中には私の霊夢像に疑問を抱く方もいたかもしれません。
実際改めて読み直した私ですら霊夢ってこんなんだっけ?と思ってしまう程でした。
しかしながら実際霊夢は博麗の巫女の使命を真面目に取り組んでない節があり幻想郷の一大事でもある異変の時もすぐには動かず神社にまで影響が及んだ時に動き出したところから見るに結構自分本位な所があります。
それに彼女が守っているのは幻想郷の秩序であって人間ではありません、幻想郷の秩序を乱すのが妖怪であれ人間であれ、それを鎮めて鎮静化させるのが巫女の役割だと当時の私は認識していたのでしょう。
最も妖怪の秩序を乱すのは妖怪の方が圧倒的に多いのですが・・・・・。
それに人妖が現れてもそれが人妖だとしっかりと認知されない限り霊夢は動かないような気がします、人々が人妖の仕業ではないと思う限りそれは妖怪の仕業とされる訳であり人は減りますが妖怪への恐怖や不安が高まるため妖怪への影響、ひいては幻想郷への影響は少ないと霊夢が判断しているから、と当時の自分は考えたのでしょう。
それに霊夢は決して博麗の使命を放棄している訳ではなく、長期化するようなら嫌々でもそれに終止符を打つために動くはずです。
つまるところ、霊夢は自分に影響がなければあまり動かずその間に逸脱審問官が人妖を逸脱者として断罪している、という事を書きたかったのだと思います。
・・・・・何とか霊夢を擁護しようとしたつもりですが改めてこの後書きを読んでみるとやっぱり霊夢は相当アレな様な気がします、私は数年前から成長何処か退化もしていないのでしょうか?
それではまた再来週。


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