◇番外 Ibにお気楽転生者が転生《完結》 (こいし)
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一枚の少女

 ―――アハハ、可哀想なメアリー。いつもそうやって一人で外に出たがってる。

 

 

 声が響いた。

 いや、声というには些か違う。それは頭の中に直接響く様な、どこから聞こえるのか分からない正体不明の何かの意識。彩の壊れたこの世界から、一枚の少女を淘汰するその声が残響し、彼女を追い詰める。

 

 彼女は外に出たかった。この壊れていて、どんな場所よりも芸術的な世界より色鮮やかな外の世界へ出たかった。そして、外の世界で友達を作り、共に笑い、共に泣き、共に怒り、共に喧嘩し、共に走り、様々な事を共に経験してみたかった。ただそれだけを夢見て額縁の中から外の世界に思いを馳せた。

 だが、それは叶わない。外に出るには、彼女は余りにも非力だった。周囲に存在する自分と同じ作品(どうるい)達はそれを許してくれない。この世界は、それを許してくれない。だから、彼女はいつも一人、孤独に面白くもない一人遊びを永遠続けるのだ。散らかっただだっ広い部屋には一枚の少女と、絵本や人形、お絵かき帳等の娯楽品だけ。

 彼女はいつしか、額縁の中から外の世界を眺める事をしなくなった。

 

 彼女は外に出たかった。だからこそ外の世界を見る事をしない。見ればその思いが大きくなり、叶わぬ夢に絶望し、死にたくなってくる事が分かっているから。

 

 

 ―――アハハ、可哀想なメアリー。一緒にアソボウヨ

 

 

 また声が響いた。彼女は膝を抱えて耳を塞ぐ。自身を引き止めようと気を惹いてくる作品達(オトモダチ)が、彼女にとっては煩わしく、なによりも関わりたくない偽物の友達だった。

 煩い、五月蠅い、ウルサイ、うるさい、うるサイうるサいウルさいうルさいうるさい! 彼女は叫んだ。何処から聞こえてくるかも分からない声が、頭の中で反響する。そのせいかズキズキと頭が痛くなる。

 

 

 ―――アハハハハハハハハハ!!

 

 

 だが、彼らはそんな彼女の叫びを面白がって笑う。狂った様に、壊れた様に、閉じ込める様に、彼らは彼女を笑う。

 一枚の少女は頭を押さえて虚ろな眼に涙を浮かべながら、必死にその声から自分を守る為に今までに見た外の世界の情景に逃げ込んだ。

 

 

 そして、そのまま永遠を過ごすかと思った少女は、突然、無意識に、額縁の前に立っていた。

 

 

 そこから見えたのは、どれくらい昔に見たのか分からない、相変わらず綺麗で色鮮やかな世界。彼女は涙を流す。外の世界に居る人達がこの場で自分を苦しめる作品達(どうるい)を眺めている。どうやら少女達は一つの美術館に飾られているようだった。

 そして、そんな色鮮やかな世界を見るのは胸が苦しくて、少女はふっと眼を逸らす。逸らそうとして、目を見開いた。その視線の先には、彼女の眼を惹く人間が三人いた。

 

 

 一人は茶色いロングヘアーで赤いスカートが特徴的な、少し世間知らずの少女。

 

 

 一人は前衛的なボロボロのコートに紫色の髪をした、長身の男性。

 

 

 そして一人はゆらゆらとした雰囲気を纏って青黒い髪をした、笑っている男性。

 

 

 世間知らずな少女は彼女と同じ年頃で、友達になれないかなと思った。長身の男性は優しそうで、話してみたいと思った。笑っている男性は少し異質で、お兄ちゃんになってくれないかなと思った。

 少女は彼女達と話したかった。そう思ったら、少女の想いは膨らむばかり。

 そして、その想いを彼らは敏感に感じ取った。

 

 

 ―――アハハ、あの子達がホシイノ? アハハハハ、なら連れて来てアゲル

 

 

 やめて! 優しい少女は、こんな世界に彼女達を引き込む事を良しとしなかった。だが、彼らにはそんなのどうでもよかった。一枚の少女をこの世界に残らせる為に、彼らは強引に世界の扉を開く。

 

 

 ―――アハハハハ! 一人ぼっちのメアリー、これでオトモダチがデキルヨ!

 

 

 少女はそんな彼らの言葉に崩れ落ち、ただただ罪悪感の想いに苛まれながら、これなら外に出る事が出来ると思ってしまった自分を嫌った。そして涙を流しながら一言、呟いた。

 

 

 ―――ごめんなさい

 

 

 一枚の少女は、気付かなかった。額縁の向こうの笑っている男性が、こちらを見てゆらりと笑った事に。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 此処は、美術館。現在ここではゲルテナという芸術家の作品の数々が展示されていた。彼の作品は、どこか不気味な雰囲気を持っている事で有名だが、その反面美しい作品も多い。

 

 例えば、首から上を失っている『無個性』という女性の彫刻や、大きな薔薇の立体作品である『精神の具現化』という作品、また底が見えず、惹き込まれてしまいそうな『深海の世』という大きな作品もある。

 ゲルテナの作品はそういった様々な意味で、見る者を魅了する。また、普通の芸術家とは違って絵画や彫刻、立体作品やインテリアの作成といった様々な分野に手を出している部分でもゲルテナの芸術家としての才能が見て取れるだろう。

 そんな場所に、珱嗄は居た。

 

「………ふむ、面白いモノがいるな」

 

 珱嗄は一つの大きな絵画の前で、絵の向こう側を見る様な視線を送りながらそう呟いた。

 

「さて……ん?」

「………?」

 

 絵の前から離れてどうしようかと歩き出そうとしたその時、隣に自分の腹程の身長の少女がいる事に気が付いた。気配察知には定評のある珱嗄だが、どうやら絵の方に集中していて気が付かなかったようだ。

 珱嗄に気付いた少女は首を傾げながら不思議そうな瞳で珱嗄を見た。暫く無言で見つめあっていると、少女の方から口を開いた。

 

「……これ、何?」

「この絵か……そうだな、ゲルテナの世界の絵……かな?」

「?」

「まぁ分からなくても良いさ。普通は分からないもんだから」

「……そう」

 

 少女はそう言うと、視線をまた絵の方へ向けた。珱嗄は嘆息して、少女の後ろを通り抜けようとする。

 

 が、

 

 そこへ世界に変化が起こった。一瞬、停電の様に暗くなり、直ぐに明かりが付く。少女は若干驚いたようで、目を丸くして不思議そうに頭を抱えていた。だが珱嗄は眉を潜めた。何故なら、美術展にいた人間の気配が全て消えていたからだ。目の前に居る少女以外には人間の気配が感じられない。

 

「世界に取り込まれた……?」

 

 珱嗄はそこで先程の絵の中の世界に半分引き込まれている事に気付いた。現在の珱嗄は異能の力も何も持っていない。ただの物理で世界から抜け出すのは流石に無理だ。

 

「……仕方ない、なぁお嬢ちゃん」

「何…?」

「人の気配が無い、から。ちょっと一緒に下に行こうか」

「………うん」

 

 珱嗄の言葉に、少女は信憑性を感じたのか素直に頷いた。珱嗄は少女の手を取って一階へ向かう。少し薄暗くなった館内は、若干不安を煽る様な不気味さがあった。

 

「さて世界とやりあうのは流石の俺も初めてだ………面白い」

 

 珱嗄はそう言って、ゆらりと笑った。

 



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ようこそゲルテナの世界へ

 少女の名前は、イヴだった。珱嗄に手を引かれ、薄暗い美術館と人気のなさにびくびくしながらその細く小さな足を少しづつ、進ませている。元々、彼女は美術品には興味も無い遊び盛りなのだが、親に連れられて此処にやって来たのだ。話を聞くには親が受付で話している最中に先に見に行くと言って一人、美術展を回っていた様だ。

 とはいえ、今ではその両親の姿もなくなり頼れるものといえば珱嗄位だ。自然と珱嗄の手を握る力が強くなり、珱嗄も放さない様に握り返した。今までの珱嗄を見れば分かるだろうが、基本的に珱嗄は子供には優しい。意地悪はするけれど、決して傷付けたりはしなかった。故に、今回も彼は怯える少女を支える。これが珱嗄という人外の内にある人間性なのだ。

 

「イヴちゃん、あれ」

「……うん」

 

 珱嗄の指差す先、そこには柵に囲まれた巨大な深海の作品があった。題名『深海の世』、深く暗くそして底の見えない不気味な世界。そんな作品が、今現在では本物の水となって顕現していた。触れれば冷たいとも感じない。温度が無かったのだ。それもその筈、何故ならこれはただの芸術品なのだから。如何に水の感触があろうと、ただの作品。温度はないし元素である水素も無い。あるのは絵の具の匂いと、不気味な世界の境界のみ。

 

「冷たくない……」

「まぁそうだな……入ってみるか。ほら、見えるか? 底の方に廊下みたいなのがあるの」

「……あ、見えた」

「多分、あそこを辿った先に出口がある」

「………」

 

 イヴは怖がっている様だ。それもそうだ、こんな得体のしれない水の中に飛び込むなんて、不安にも程がある。とはいえ、ここで動かなければ何も分からないのも事実。迷いながら、珱嗄を見た。

 

「大丈夫、俺が付いてる」

「………うん」

「ほら、おいで」

 

 珱嗄が笑ってそう言うと、イヴは珱嗄を信じて頷いた。そして珱嗄はイヴを抱き上げ、しっかり掴まっている様に指示する。そしてイヴが珱嗄の服にしがみついたのを確認すると、珱嗄は『深海の世』の水の中に、飛び込んだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 水に飛び込んだ後、珱嗄達はしばらく温度のない水の中を沈んで行き、世界を渡った。辿り着いたのは、赤い廊下。赤い絵と青い絵が壁に飾られており、長い廊下が左右どちらにも続いていた。

 珱嗄はとりあえずイヴの身体に異常が無い事を確認し、彼女を降ろす。イヴは床に足を着けると、何故か服が濡れていない事を不思議に思いながら、目の前にぶら下がっている珱嗄の手を握った。

 

「さて……行こうかイヴちゃん。とりあえず……どっちに行こうか?」

「………あっち」

 

 珱嗄は行くルートをイヴの勘に任せた。何故かは知らないが、子供はかなり感受性が高く、勘も鋭い。ここは少しでも可能性のある方向へ行った方が良いだろう。流石の珱嗄も身体能力だけで一つの世界を破壊するのは無理だ。殴る蹴るの出来る敵がいないのだから仕方がない。

 

「じゃあ行こう」

「うん」

 

 珱嗄に手を引かれて歩くイヴ。彼女には兄弟や姉妹といった関係の家族はいない。が、もしも兄がいればこんな感じなのかな、と内心で思った。大きく頼もしく、そしてこんな状況でも冷静で居られる珱嗄の手は、イヴにある種の安心感を与えていた。おそらく一人でもなんとか進む事が出来ただろうが、それでもきっと心細さに震えながらだと思うと、珱嗄がいてくれた事がイヴにとってはありがたかった。

 

「あれ……」

「ああ、何かあるな。花瓶、と薔薇か」

 

 しばらく歩くと、一枚の扉とその前に置かれた薔薇を見つけた。血の様に赤い薔薇と、藍色の薔薇が一本ずつ。

 

「……これは持って行っておこうか。持っていた方が良い」

 

 珱嗄はその薔薇が、自分達と繋がってる事に気付いた。薔薇が傷付けば、自分達も傷付く。こうなれば珱嗄も薔薇を守る選択しか出来ない。

 

「うん」

 

 珱嗄は薔薇を二本とも手に取り、着物の腰布に刺した。珱嗄の腰には赤と藍の薔薇が刺さっている。一応赤い薔薇はイヴに繋がっているのだが、自分で持たせるよりは自分が守った方が良いだろうという考えだ。

 

「さて、机は邪魔だしどかしてっと……入ろう」

 

 イヴを連れてドアを開ける。すると、中は狭く、一枚の絵が飾られているだけだった。説明書きには、薔薇と珱嗄達が繋がっている事が書かれているだけで、特に情報はなかった。

 

「なんて書いてあるの?」

「うんまぁ薔薇は大切にしよう、的な事が書いてあるよ」

「そっか……」

「じゃあいこうか」

 

 イヴと珱嗄は扉を開けてまた廊下に戻る。此方側は既に行き当たり、逆方向へと進みだした。赤い廊下は先が見えず、どこまでも暗かった。

 

 

 



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無個性

 しばらく廊下を進んだ先、そこには青い扉があった。どうやら鍵が掛かっている様で、どうしたものかとしばらく考えていると、隣のイヴが手をくいくいと引いてきた。視線を向けてみると、イヴは青い鍵を取り出して扉の鍵を開けた。

 

「何処から鍵を?」

「さっきの大きな絵の部屋に落ちてた」

「成程、イヴちゃんは良く見てるね」

 

 イヴの頭を撫でて褒めると、若干嬉しそうな表情を浮かべて小さく笑った。珱嗄はそんなイヴに微笑し、ドアを開ける。そして手を引いて中に入った。

 扉の向こう、そこは緑色の廊下だった。虫の絵が数点飾られているが、特に興味はない。

 

「ふむ……どうしようか」

「あっち」

 

 イヴの指差した方へ進むと、また別の絵が飾られている。そしてその先には緑色の扉があった。

 

「入れるっぽいね、言ってみようか」

「うん」

 

 相変わらず手を引いて扉を潜る。すると、そこは狭い空間で一本道だった。だが道が途中で崩れている。これでは通れない。

 普通なら、だが

 

「イヴちゃん、ちょっとごめんよ」

「わっ……」

 

 珱嗄はイヴを此処に入って来た時同様に抱き上げて、地面を蹴る。そして軽やかに跳躍し、崩れた道を飛び越えた。かなりの距離だった物の珱嗄の身体能力を持ってすれば5mも無い崩落した道など跳び越えるに難くない。

 

「わわっ……す、凄い……」

「っと……まぁこんなもんか。こっちの扉は……開いてるな、行こうか」

「う、うん」

 

 イヴを抱き抱えたまま扉を潜る珱嗄。そしてその扉の先に見つけたのは、緑色の鍵と赤い服を着た頭のない彫刻。そして一枚の絵だった。とりあえず鍵を拾った珱嗄は、そのカギをイヴにしっかり持たせる。イヴを抱え、鍵を持って両手を塞ぐのは不味いと感じたのだ。戦闘しているわけではないが、こういう場合は片手だけでもフリーにしておいた方が良い。

 

「さて……それじゃさっきの道に―――!」

 

 珱嗄が踵を返し、扉をくぐろうとしたその時――――赤い服の彫刻が動いた。

 

「っ―――マジかよ」

 

 珱嗄は俊敏に動いて迫ってくる赤い服の彫刻、題名『無個性』から逃げるべく扉を潜り、その勢いのままにイヴを抱え直しながら崩落した道を飛び越えた。

 無論、無個性に同じ事が出来る筈も無い。頭が無い故に視界も無いのか、無個性は崩落した道の底へと迷いなく足を踏み入れ、落ちていった。

 

「今のは……無個性?」

「美術館にあった……」

「ああ、作品の一つだ。おっと、ほら立てるか?」

「うん、ありがとう」

 

 イヴを降ろして若干皺になったスカートやブラウスを軽く叩いて伸ばす。そしてすくっと立ち上がると、また手を繋いだ。

 

「イヴちゃん、この先あの作品や……人の姿がある作品を見かけたらあまり近づかない方が良い」

「分かった……」

 

 イヴからしても、珱嗄の言葉は同意出来る提案だった。今の様な怪異が襲って来た場合子供の自分ではなんの抵抗も出来ない。正直、助かる見込みはないだろう。今回も珱嗄が居てくれたおかげで助かったのだから。

 

「じゃ、行こうか。大丈夫、俺がいるんだ。今のイヴちゃんは世界で一番強い男が一緒なんだぜ?」

 

 珱嗄の冗談めかした言葉を信じたわけではないが、先程の跳躍を見ればそれもなんとなく信じられる。イヴは珱嗄の言葉にクスッと笑って頷いた。

 珱嗄はそんなイヴに微笑み、扉を潜ってまた緑色の廊下に戻ってくる。そして反対側に進み、曲がり角にやってくる。その手前で張り紙があり、『はしにちゅうい』と書いてある。

 

「なんともまぁ……親切設計だね」

「はしにちゅうい?」

「とどのつまり、真ん中を歩きなさいってことさ」

 

 珱嗄はイヴを再度抱えて道の中央を歩く。イヴはその意味が分からなかったが、珱嗄の行動には何か意味があるのだろうという考えで珱嗄の首に手を回し、彼が動きやすい様にしっかりしがみついた。

 そして、珱嗄がその道を慎重に進む途中で―――

 

 

 ヴゥァア゛ア゛ア゛!!

 

 

 真っ黒な腕が、珱嗄達に向かって伸びてきた。

 

「!?」

「大丈夫」

 

 が、その腕は珱嗄の肩に触れる直前で止まる。基本的に人間と同じ長さの腕故に、届かなかった様だ。珱嗄は戦闘の経験上その間合いが分かる。故に、手が出てきた瞬間に自分達には届かない事が分かった。

 

「さ、行こうぜ。出てくる手は全部作品名も無いモブだ」

「もぶ……って何?」

「道端の石ころみたいなものさ」

「そう、なんだ」

 

 すたすた歩く珱嗄。その途中で同じ様に幾つも腕が出てくるものの、珱嗄には届かない。端に注意、なるほど中々どうして、親切な設計である。

 

(……でも、正直いって襲ってくるならこんな注意書きはいらない……となると、俺達に味方する作品がいるってことか……さしあたってその作品を探すか)

 

 そんな中、珱嗄は冷静にそう考える。此処までの過程を考えても、何者かが珱嗄達のサポートをしている様な気がしてならない。鍵が落ちていたり、今の様な注意書きがあったり色々だ。

 それはつまり、ソレを行った者がいると言う事。とはいえ、これが脱出ゲーの様な遊び感覚で、作品達のお遊戯であるなら別だが、ソレにしては先程の珱嗄が飛び越えた道は常人なら手詰まりだ。

 

(……まぁ迷い込んだのが俺とこの子だけって訳じゃなさそうだし……動いてるモノの気配はないしなぁ……どうしたもんか)

 

 珱嗄はイヴを降ろし、道の先に会った緑色の扉を手に入れた緑色の鍵で解錠し、扉を潜った。

 

 



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青い薔薇

「う、うう……」

 

 しばらく進んだ先。珱嗄とイヴは自分達以外の被害者に巡り合った。年齢は二十代中盤といった所の男性。紫色の癖のある髪とボロボロのコートが特徴だ。

 

「見てイヴちゃん。この人の手元」

「青い……花弁……?」

「そうだ。多分、俺達の持ってるこの薔薇と同じ物だ」

「それって……」

 

 此処までの道のりで、珱嗄とイヴは幾つか分かった事がある。緑色の扉を潜ってから辿り着いたのは、猫の顔をした壁。その両サイドに続いていた道の先で鍵を集め、通って来たのだが、その際珱嗄の持つ薔薇を狙った作品の攻撃があった。奇しくも人間と同じ生物ではないので気配が無く、珱嗄の藍色の薔薇の花弁を一枚持っていかれたのだが、その時珱嗄の身体に激痛が走ったのだ。それも、思わず膝を着いてしまう程の。

 イヴはその時珱嗄の身を心配したのだが、すぐに痛みは治まったようで、ほっと息を吐いた。そして薔薇が自分達の命と繋がっている事を二人とも理解した。恐らく、この薔薇の花弁が全て散った時、その薔薇の持ち主は死んでしまうのだろう。そして、藍色の薔薇で珱嗄にダメージが行ったという事は、その薔薇が珱嗄の薔薇で、赤い薔薇がイヴのなのだろう。

 

「そう、この人の薔薇はさっきの彫刻と同じで動けるタイプの作品に持っていかれたんだろ」

「どうしよう……」

「どうやらまだ生きている様だし……薔薇の花弁が廊下の向こうに続いてる。多分あっちに行ったんだろう」

 

 珱嗄は自分達のやってきた先に視線を向けてそう言う。イヴは珱嗄が言うのならそうなのだろうと頷いた。

 

「俺はその作品から薔薇を取り戻してくる。イヴちゃんはここでこの人を見ててくれるか?」

「え……」

 

 イヴは泣きそうな顔で珱嗄を見上げた。その顔を見て珱嗄は片膝を着いてイヴに視線を合わせる。そしてその頭に手を乗せて笑った。

 

「大丈夫、すぐに戻ってくるさ」

「………うん。早く戻ってきてね」

 

 珱嗄はイヴの言葉に頷き、立ち上がる。ひらりと着物の裾を翻して通路の先へと進む。その後ろ姿を見てイヴは、何処か安心感を抱いた。こんな場所で半ば死に体の男性のそばで一人残されたというのに、恐怖は無かった。

 

「ん……?」

 

 そしてイヴは男の手に鍵がある事に気付いた。その鍵は珱嗄に必要なのかもしれないと拾い上げて直ぐに珱嗄の方を向く、がそこに珱嗄の姿は既に無かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 珱嗄は自分がやってきた道を戻り、T字路にやってきた。此処を曲がれば自分達のやってきた道を戻り、直進すればまだ確かめていない道を進める。故に、珱嗄は直進した。

 

「……何かが動く気配は有るんだけどなぁ……」

 

 優々と進み、辿りついた先。そこはひらけていて、中心に部屋があった。鍵が掛かっている扉の内からブチブチと何かを引きちぎる音がしている、

 

「……鍵、ねーな。仕方ない」

 

 珱嗄は扉を蹴破る事にした。扉から少し距離を取り、予備動作も無く扉を蹴った。すると、ゴシャっと大きな音を立てて扉が吹き飛ぶ。蝶番が弾け飛び、扉は蹴った箇所から罅割れていた。

 

「があぁあ!」

 

 するとその音で気付いたのか中に居た作品が襲い掛かって来た。絵の額縁から上半身を出した女は、珱嗄の腰布に刺さる赤と藍の薔薇を狙って飛び掛かってくる。珱嗄は冷静にそれを躱し、後方に放置された青い薔薇を転がる様に回収。振り返って飛び掛かる絵を投げ飛ばし、部屋を飛び出て元来た道を引き返した。どうやら追っては来ない様で、一息吐く。

 

「花瓶がある……とりあえずこの薔薇ボロボロだし……生けてみるか」

 

 珱嗄は道中にあった花瓶に青い薔薇を生ける。すると、見る見るうちに薔薇は元の花弁と活力を取り戻した。

 

「なるほど……これも救済措置か……全く、不思議な世界だ」

 

 珱嗄は青い薔薇を腰布に刺し、イヴ達の下へと戻ってきた。

 

「あ、おかえり」

「おう。ほら」

「うん」

 

 青い薔薇をイヴに渡し、イヴはそれを男性の手に持たせる。すると、男性ははっと眼を開けてまるで先程まで寝ていたかのような気軽さで起き上がった。

 

「ここは……はっ……何よ! もう何も無いわよ! ………って、アンタ達……もしかして美術館に居た人? ああ良かった、アタシの他にも人がいた!」

 

 起き上がった彼はそう言って、心底安心したかのような表情を浮かべたのだった。

 

「アタシはギャリー、よろしくね!」

 

 

 



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婚約指輪

 それから、珱嗄達は三人共に先を急ぐことにした。出口は見えないが、それでも進まなければ何もないだろう。ギャリーが倒れていた場所から少し進んだ所には、『無個性』の像が立っていて、その後ろには赤い扉があった。動きださないか不安になったものの、珱嗄がそれを横へどかし、奥へ進んだ。

 

 その扉の先には、花嫁と花婿の絵があった。そして、その前には黒い両腕が。特にこちらに害を与える様な存在ではないようだが、それでも不気味である事には変わりない。まして、ただでさえ不気味な作品なのに、こんな状況下で現れれば尚更だ。とはいえ、進まなければならない。珱嗄達はその作品の中心を通る道を、警戒しながらも進んだ。

 

「さて……どうするかな」

「ここまでの情報を整理した限りじゃ、アタシもイヴ達もさして変わらない道だったみたいだし……そもそもこの世界自体が奇怪だもの、少しずつ進むしかないわ」

 

 ギャリーが増えたことで……つまり大人が増えたことで、多少考える余裕が三人に生まれた。やはり、状況に対して対処しようとする大人が増えれば、それだけ人の心にも余裕が生まれる。まだ幼いイヴにとっても、自分以外に頼れる大人がいることは、心の支えになった。小さな両手を、両側から握ってくれる大きな二つの手の温もりが、今のイヴにとってかけがえのないものになっていた。

 

「そうだな……さ、進むぞイヴちゃん」

「歩ける? イヴ」

「うん」

 

 二人はイヴをちょくちょく気に掛けている。自分達とは違ってまだ幼いイヴは、気に掛けるべきだと思っているのだ。

 そうした二人に対して、イヴは安心して返事を返すことが出来た。案外余裕そうなイヴに、珱嗄とギャリーは少し驚いた様子を見せたが、くすりと笑って手を引き、進む。

 

「! ……広い所に出たな」

「そうねぇ……見た限り幾つか扉があるけど……どうしましょ?」

「………うん、ここは二手に分かれるか。ギャリーはイヴちゃんと一緒に居てくれ、俺は一人で探索してみるよ」

「なっ……駄目よ! 一人で何かあったらどうするの!?」

 

 珱嗄の提案に、ギャリーは強く反対した。イヴも不安そうに表情を歪めている。

 だが、珱嗄は提案を取り下げない。

 

「こんなに広いんだ、三人固まって動くより、二手に分かれた方が早い。それに、ギャリーがイヴちゃんといてくれれば、少なくともイヴちゃんの無事は保障出来る」

「な、なんで?」

 

 珱嗄は此処に来るまでの過程で確信を持ったことがある。

 自分達を襲ってくる作品は全て、『薔薇』を狙っているということだ。ギャリーも、倒れていたのにその身体には一切の外傷はなかったし、珱嗄達も薔薇以外に怪我を負わされた事は一度も無い。何故なら、薔薇を散らせばその命を奪えるのだから、怪我を負わせる必要はないからだ。

 故に、珱嗄がイヴの薔薇を持っている限りイヴ本人が作品に襲われる心配はないということだ。

 

「……俺は普通の人よりも戦闘に通じてる。よっぽどの事が無い限り、俺が負傷する事はない。ここは二手に分かれたほうが良いと思う」

「……分かったわ……でも約束して、必ず後で合流するって」

「分かった、約束しよう」

 

 ギャリーは、珱嗄の考えが正しいとは分かっているが、納得出来なかった。しかし、それが一番最善の手なのだろうと理解はしているので、苦渋の判断でそれを了承した。

 珱嗄はギャリーの隣で俯くイヴの目線までしゃがんで、イヴに優しく言葉を投げかける。

 

「イヴちゃん、大丈夫。俺が強いのは知ってるだろう? 必ず、後で合流するよ」

「………絶対だよ?」

「ああ、約束だ」

 

 イヴが差し出した小指に、珱嗄は自分の小指を絡めた。そして、指切りげんまん、と言って切る。すると、珱嗄はそのまま奥の道へと進み、イヴ達は手近にあった扉へと歩いていく。この広けた場所の探索を開始するのだ。

 ギャリーはイヴを護らなければと意思を強く持ち、イヴは珱嗄を信じてギャリーの手を力強く握った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、珱嗄はいくつか存在する扉を調べた。鍵の開いた場所はそのまま入り、鍵の掛かった扉を蹴破った。最早鍵など必要としない脱出ゲーの反則行為は、この世界においては予想外だろう。ここまでの道中で出会った『無個性』などの銅像作品を何度か攻撃してみたのだが、何故か破壊する事が出来なかった。しかし、作品でない扉ならば破壊可能の様だ。

 そして、幾つかの扉を潜って探索した結果、珱嗄は目薬を手に入れ、地面を蠢く目玉を発見した。充血した目玉があったので、それに目薬を差してみると、隠された通路を示してくれた。中に入ると、そこには赤い石が落ちていて、それを目が抜けている蛇の作品に設置する。すると、一つの絵が外れて、ヒントが現れた。

 

「……『大きな木の後ろに……』、か。これもヒントなのかねぇ……つっても、大きな木なんて何処にもなかったしなぁ」

 

 珱嗄は考える。明らかに、此方にヒントを与えている存在がいる。というか、こちらがちゃんと先に進める様になっているこの世界は、少しだけ違和感を感じさせた。

 もしかしたら、この世界は自分達を殺す、ないし傷付ける為に自分達を取りこんだのではないのかもしれない。珱嗄はそう考えた。この世界はどういうものなのか、何がしたいのか、分からない。

 

「……とりあえず、合流するかな。イヴちゃん達は何処に……?」

 

 珱嗄は一旦考えを保留にし、イヴ達との合流を図る。ヒントは得たし、とりあえずは情報の共有が必要だろう。すると、タイミング良く一つの扉からイヴ達が出てくるのが見えた。珱嗄は二人の下へと足を進める。二人も珱嗄に気がついたのか、駆け足で駆けよって来た。

 

「大丈夫だった?」

「ああ、二人とも怪我は無いか?」

「ええ……ちょっとアタシの薔薇の花弁が一枚持ってかれちゃったけど……怪我は無いわ」

 

 見れば、ギャリーの薔薇の花弁が減っている。どうやら、先程の部屋には襲い掛かってくる作品があったようだ。だがまぁ、行動に支障はないようで、とりあえず一息吐く事が出来た。

 

「で、どうだった? 何か発見はあったか?」

「ええ……さっきの部屋にあったボタンみたいなのを押したんだけど……それ以外は特に」

「そうか……俺の方はどうやら『大きな木』に先に進む手掛かりがあるらしい、ということは分かったんだが……それ以外はさっぱりだ」

 

 情報の共有をしてみたが……さして成果はないみたいだ。しかし……珱嗄は背後にちらっと見える一枚の青い絵を一瞥した。

 あの絵は、危険な匂いがした。一度近づいて調べてみたものの、花をくれというばかりで、何も言わない。薔薇を差し出すのは持ってのほか、近づけば攻撃される危険があった故に、珱嗄はその絵に近づかない選択肢を選んだのだ。

 

「……あの絵も、なにかしらのキーパーソンだとは思うんだけどな……」

「……不気味な絵ね」

「あ」

「ん?」

 

 ギャリーと話していると、不意にイヴが声を上げた。珱嗄がその声に視線を向けると、イヴはある方向をすっと指差す。その先には、一枚の扉があった。

 

「……あの扉、さっきは無かった……」

「? ……本当か?」

「うん……さっきは無かった」

「………なら、行ってみるか」

 

 珱嗄の言葉を皮切りに、三人はその扉に近づき、中に入る。そこには、オブジェがいくつか並んでいた。そして見つけた、そのオブジェの中に

 

 

 『大きな木のオブジェ』があることを

 

 

「っ……あれか」

「大きな木、ね」

「………」

 

 警戒してその場を動かない三人。だが、珱嗄は二人をおいて、前に一歩、足を進めた。

 

「そこに居てくれ、調べてくる」

「………分かったわ」

 

 珱嗄に危険な役目を担って貰うのは、ギャリーとしても少し気が引けたし罪悪感も感じたのだが、それでも、『恐怖』という感情はその罪悪感を行動には移させてくれなかった。

 

「………なるほど、大きな木の後ろ。これが答えか」

 

 珱嗄が大きな木のオブジェを調べてみた所、その枝に引っ掛かった『婚約指輪』を発見し、そう言った。先に進む為には、この婚約指輪が最大の要因となるのだろう。珱嗄はその指輪を手にとって、ゆらりと笑った。

 

 



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歪んだ葛藤

 婚約指輪を手に入れた珱嗄達は、それをこの広間にやって来た時に見つけた両腕の下へと持ってきた。恐らく、この指輪を左手の薬指にはめれば何らかの道が開けるのだろう。そして、珱嗄がそれを左手の薬指にはめてみた所、花嫁と花婿の絵がニコッと笑った。そして、花嫁が持っていたブーケが絵が飛び出して、イヴの足下に落ちた。

 絵から飛び出して来た瞬間、珱嗄は少し身構えたが、イヴが拾って持っても何も起きないことから危ないモノでは無いらしい。少しだけほっとする。

 

 そして、そのブーケはあの不気味な絵に差し出すことにした。花が欲しい欲しいと言っていたのだ、つまりはこのブーケを渡せば道を開いてくれるのだろう。薔薇を持っていかれるよりは試す価値があるだろう。強引に薔薇を奪いに掛かった時は、自分が何とかしようと珱嗄は考えていた。

 

『うへへへへ、いいなぁいいなぁその花いいなぁ、僕に頂戴よ。そうしたら道を教えてあげる』

 

 不気味な絵の前に立つと、一度珱嗄が調べた時と同じ事を言った。イヴはそんな絵にブーケを差し出すと、べロン、と長い舌がブーケを奪い取り、むしゃむしゃと咀嚼する音が響いた。絵が花を食べるなど、不気味過ぎて仕方が無い。珱嗄やギャリーはまだしも、イヴは目を背けていた。

 

『美味しい、美味しい。ありがとう、約束だから、道を開いてあげる』

 

 不気味な絵は、そう言うと真っ青な顔を引っ込めて真っ赤な扉に変身した。つくづく常識の通用しない世界だ、と感想を漏らしながら珱嗄が先陣を切る。ドアノブを掴み、ガチャッと開けた。普通のドアとは勝手が違うので、罠の可能性も考えながらだったが、別段何かある訳ではないようだ。

 

「……大丈夫そうだ、行こう」

「ええ、イヴ歩ける?」

「大丈夫」

 

 珱嗄が安全を確認すると、ギャリーはイヴを気に掛ける。だがイヴは気丈にもそう言って、逆にギャリーを引っ張る様に扉を潜った。その姿に、珱嗄もギャリーも、同様に強い子だ、と思った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 また、声が響いた。

 

 

 ――――可哀想なメアリー、あのコ達に会いに行くノ? アハハハハ!

 

 

 うるさい。頭の中でそう吐き捨てながら、黄色の少女は進む。目的は、煩わしい声が言うとおり。額縁の外から見た、あの三人の人達の下へ行くのだ。自分が望んだから三人もの人をこの歪んだ世界に取りこんでしまった。いや、取りこんだのは自分では無いけれど、それでも少女の作品達(どうるいたち)は少女の気持ちを読み取ってそれを実行した。

 ならば、それは自分のせいだ。少女は進む、三人と同じような黄色い薔薇を携えて、偽物の造花を携えて、進む。この世界の作品である自分を、あの三人は怖がるかもしれない、拒絶するかもしれない、それでも会いに行かなくちゃいけない。そして、出口へと導いてあげないといけない。それが、少女が取るべき責任だと、そう思ったから。

 

 

 ――――良いノ? あのコ達を犠牲にすれば、外に出られるノニ! アハッ!

 

 

 少女の足がピタッと止まる。煩わしい声が放った言葉が、少女の琴線に触れた。

 

「……外に、出れる?」

 

 反応してはいけなかった。いけなかった、筈だったのに、少女は反応してしまった。そして、少女の気を惹いた声は、愉快愉快と甲高い笑い声を響かせる。

 

 

 ――――そうだよ、あのコ達と貴女、四人の内三人だけが外に出られるノよ?

 

 

 それは、悪魔の誘惑。外に、出られる。額縁から眺めるだけだった鮮やかに彩られた世界に、出られる。少女にとって、これ以上ない誘惑だった。自分のせいで巻き込んだ三人の内誰か一人をこの世界に閉じ込めれば、少女は外に出られることを知ってしまった。そして、その欲望は、知ってしまったからには止まらない。

 少女の中で欲望と罪悪感と責任が渦巻いて、止まらない。結論が出せない。葛藤が始まる。

 

 

 ――――アハハハハ! 可哀想なメアリー、貴女は一体どうするのカナ? アハハハハハ!!

 

 

 煩わしい声が、少女を追いこんでいく。追い込まれていく。

 なにもかも、頭の中でぐちゃぐちゃになる。少女は頭を両手で抑えて蹲った。鮮やかで癖のある金色の髪を掻きむしって、狂ったように悲鳴を上げた。煩わしい声の笑い声が頭に響いて止まらない。

 

 少女はその碧い瞳から一筋の涙を溢して小さく漏らす

 

 

「……ごめんなさい………っ……」

 

 

 黄色い少女は、立ちあがって、また進みだした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 珱嗄達は、扉を潜った先で迷路の様な広間に辿り着いた。そこかしこに佇む『無個性』達と、ギャリーを襲った作品と同じ、女性の絵が幾つも飾られている。そして極め付けには、同じ様な灰色の扉が幾つもあった。

 薄暗い空間の中、佇む作品達と灰色の扉。二の足を踏むには少し、不気味すぎた。イヴもギャリーも、息を呑んでいる。もしも、近づいた瞬間作品が襲ってきたら? そう思うだけで進む足が止まってしまう。

 

「……行こうか」

 

 それでも進む事が出来たのは、やはり珱嗄がいたからだろう。珱嗄がイヴの手を引き、進んだイヴがギャリーの手を引いた。珱嗄の持つ安心感が、二人を支えた。此処までの道中、幾度となく二人を支えたのはやはり、珱嗄の強さと物怖じしない精神力、そして包み込む様な安心感だろう。

 だから、ギャリーとイヴは不思議と手を引かれるままに足を進ませられた。先程まで固まって動かなかったのに、本当に不思議だった。

 

 そこからは、二手に分かれることなく三人で各扉を調べた。

 

 誰もいない部屋に、キャンバスと椅子が置かれた部屋があったり、鏡が一枚あるだけの部屋があったりと、手掛かりは無かった。が、その鏡の部屋を出た後、イヴがまた何かを発見した。鍵だ。灰色の。

 

「鍵ね……イヴ、お手柄よ! 凄いわ!」

「うん」

「っ! 危ない!」

 

 イヴが鍵を握って、ギャリーが褒めていると、警戒を緩めない珱嗄は二人を抱えて後ろに跳んだ。そして次の瞬間、先程まで珱嗄達が居た場所に―――『無個性』が襲い掛かって来ていた。後少し珱嗄の行動が遅ければ、おそらくギャリーの薔薇が奪われていた。それを考えて、ぞっとする。珱嗄はギャリーを下ろし、イヴを抱え直す。

 

「走るぞ、ギャリー」

「わ、分かったわ」

「しっかりつかまってるんだぞ、イヴちゃん」

「うん……!」

 

 珱嗄の言葉と同時、珱嗄とギャリーは駆け出した。イヴは珱嗄の首に両手を回してしっかりとしがみつく。『無個性』は追い掛けてくるようだが、速度はそんなに速くない。珱嗄とギャリーは案外速く、『無個性』を撒く事が出来た。

 そして、無我夢中で走った先にあった、鍵の掛かった灰色の扉を拾った鍵で開け、その中へと転がり込んだ。即座に扉を閉め、三人で深い溜め息を吐き出した。

 

「っはぁ……なんなのよ、もう……」

「大丈夫……?」

「ええ、大丈夫よ。イヴこそ、疲れてない? 怪我とかは?」

「平気……」

 

 部屋の中には、白い大きなソファがあり、本棚と窓がある位だった。それだけ見れば休憩出来る普通の部屋、だったが、

 

「! お父さん……? お母さん……?」

 

 その部屋には、二人の男女が描かれた大きな絵があった。それは、イヴの父親と母親の絵。美術館で消えてしまった、イヴの両親の絵だった。イヴはそれを見て、目を丸く見開き、困惑の表情を浮かべる。

 

「え、これイヴのパパとママなの!? ……へぇ、確かにイヴにちょっと似てる……」

「なんで……こんな絵が……」

「………大丈夫だ、イヴちゃん。こんなのただの絵だ、イヴちゃんのお父さんとお母さんはきっと無事だよ」

 

 動揺してふらつくイヴの両肩を珱嗄は支えて、そう言った。ギャリーも、うんうんと頷いている。イヴは、その両肩から伝わる珱嗄の温もりと、目の前で微笑むギャリーの笑顔を見て、不安は拭えないが、その言葉を信じることにした。

 もしかしたらお父さんとお母さんはもういなくなってるかもしれない、でも二人が言うのなら信じよう。お父さんとお母さんには、また会える。

 

「さて、それじゃあこの部屋を調べよう。ああ、そうだ……ギャリーを助けた時に遭った女性の絵は、窓ガラスを突き破ってきたんだったな……とりあえずこの窓は本棚で塞いでおこう」

「ええ、それが良いわね」

 

 珱嗄の提案は直ぐに承諾され、何でも珱嗄に任せるのは忍びない、とギャリーが本棚を動かし窓を本棚で塞いだ。

 その後、本棚に入っている本を幾つか読んでみたものの、めぼしい情報は無い様だ。不幸中の幸いとすれば、作品が無く、休憩する事が出来ることくらいか。

 

「まぁとりあえずはここで休憩しよう。さっきから歩きっぱなしだしな」

「そうね、イヴも強がってるけどきっと内心疲労が溜まってる筈よね……」

 

 珱嗄とギャリーは、ソファに座ってぐったりしているイヴを一瞥してそう決める。自分たちならまだしも、彼女はまだ幼い少女だ、体力にも精神にも限界がある。

 

「とりあえず、俺は外の作品達がどうなってるのか確認してくる。扉を開けて外を見たら直ぐに部屋に戻るあから、安心しろ」

「ええ、分かった」

 

 珱嗄はそう言って、部屋の出口である扉に歩み寄り、ギャリーはイヴに寄り添うようにソファに腰を下ろした。

 扉のドアノブを掴み、回す――――が、

 

 

 

 ガキッ

 

 

 

 扉は開かなかった。鍵は閉まっていなかった筈なのに、扉が閉まっている。オートロックというわけではない、鍵とかそういう概念ではなく、ただ『扉は開かない』と決まっている様に、開く筈の扉は開かなかった。

 焦りが積もる、珱嗄は背筋に走る凶悪な焦燥と不安を感じ、即座に行動に移した。扉は開かない、つまり作品達は自分達が『此処に居る』ということを知っているということだ。それならば、部屋の外には作品達……つまりは無数にあった『無個性』の大軍が、待ちかまえている可能性が、ある。

 

「二人とも、今すぐ立て!」

「え?」

 

 珱嗄の言葉と同時、壁が破壊された。破片が飛び散り、イヴを抱きかかえた珱嗄の背中にパラパラと当たる。ギャリーは瞬時に状況を把握し、破壊された壁の方をじっと見る。そこには、

 

 

 ―――うう゛ぁああ!!

 

 

 黄色い服の、女性の絵がいた。ギャリーの薔薇を奪い、喰らっていたあの女性の絵と同じ作品。狭い部屋の中、鍵の閉まった空間の中では最悪の展開だった。

 

「………あの穴から逃げるぞ」

「!」

 

 だが珱嗄は、冷静に判断して、破壊された壁に空いた穴から逃げられると判断した。もしかしたらあの穴の先から作品がいて、挟みうちに遭うかもしれない……が、それでもそうするしか生き延びる可能性は無かった。

 頷くギャリーを尻目に、珱嗄はイヴをまた抱えて襲い掛かってくる女性の絵を蹴り飛ばす。それと同時、ギャリーが穴に向かって駆け出した。珱嗄もそれを追う。

 

「駆け込め!」

 

 吹っ飛んだ女性の絵が珱嗄の背後にまた迫って来る。だが、ギャリーが穴に駆けこみ、珱嗄も続くようにしてその穴に入ろうとした時、珱嗄の着物の裾を女性の絵が掴んだ。

 

「ぐっ……!」

「えいっ!」

 

 だが、珱嗄に抱きかかえられたイヴがその女性の手を叩いた。着物を掴む手が緩む。珱嗄は直ぐにその手を振り払って、穴へと駆けこんだ。そして、そのまま前を走るギャリーの後ろを付いていく。

 

「ありがとう、イヴちゃん」

「うん……」

 

 珱嗄は一つ、礼を言う。イヴは少し照れ臭そうに返事をした。とりあえず、脅威を退けた三人は穴の中を走り、先程の部屋の外に出た。一息付けるか、と思った矢先。

 

 

「なによ……これ……」

 

 

 迷路のような広間にあった、全ての『無個性』と『女性の絵』が、動きだしていた。

 

 

 



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脱出と虚な夢

 駆ける。迫りくる無数の冷たく黒い、無機質な腕から、逃げる為に駆ける。大きな額縁から飛び出した、這って追って来る狂ったような女性の上半身から、逃げる為に駆ける。

 

 追い付かれたら死ぬ。無数の腕に命の薔薇を引き千切られ、そして同時に己の命も引き裂かれる。

 

 故に、駆ける。駆けなければならない。

 

「ギャリー、あそこだ!」

「っ……! 分かった……!」

 

 珱嗄達は周囲で蠢く『無個性』と女性の絵を押しのけて、たった一つ開いていた扉へと飛び込んだ。他の扉は白い顔の石膏で塞がれていて、ただ一つだけ扉が開いていたというのは罠の可能性を感じざるを得なかったが、それでもこの状況下に居続けるよりはマシだった。

 飛びこんで、扉を閉める。鍵を掛けることは出来なかったが、追ってくる様子は無い。長く続く廊下をしばらく走り、荒い息を整える様に少しずつスピードを落とし、やがてその足を止めた。

 

 ギャリーは膝に手を付けて、前屈みになりながら懸命に呼吸をし、酸素を取り込んでいた。どうやら長身でそこそこがっしりした体格ではあるものの、運動が得意という訳ではないらしい。美術館に芸術鑑賞をしにくるくらいだ、典型的な芸術家タイプなのだろう。

 

「はぁ……はぁ……っ……はぁ~……何なのよ、もう……」

「間一髪、ってトコか」

「なんで息切れすらしてないのよ……アンタ?」

「身体能力なら誰にも負けないさ」

「なるほどね……アタシは運動はどうも苦手ね……あはは、イヴはどうかしら?」

「……私も、走るのは苦手」

 

 そうよねぇ、とギャリーは苦笑しながら息づく。そして彼はそのまま額に滲む汗を袖で拭い、周囲を見渡し始めた。

 逃げて来た廊下はレッドカーペットで、こんな状況でなければ歩くのも気が引ける絢爛豪華な雰囲気を感じさせる。そして壁には一枚ごとに少しずつ目鼻から血を垂れ流すように、順番に張られた人の絵がある。一本道で、奥は薄暗くて良く見えない。

 

「さて……どうする?」

「そうだな……さっきのソファの部屋で休憩出来なかったし、そろそろ精神的にも肉体的にも休息が必要だろう……どこか気の休められる場所を探そう」

「そうね………って……あれ? イヴ?」

 

 ギャリーと今後の方針を定めると、ギャリーが珱嗄の背中にいるイヴの様子がおかしいことに気がついた。なんだかぐったりしているし、顔色の悪い。というよりも、意識すらまともに定まっていないように思える。

 珱嗄はイヴを一旦床に下ろし、具合を確認する。

 

「心音……呼吸……は、大丈夫か。熱も無いようだし、多分精神的にストレスが溜まってたんだろう……ここまでの疲労も合わされば、肉体の方が急遽回復の為に意識を絶つのも無理は無い」

「アンタ……医療の知識があるの?」

「まぁ……多少はね。知っておいて損は無いしな」

 

 珱嗄はとりあえずイヴの首に巻かれているネクタイを外す。こういう場合、ネクタイやリボンといった呼吸を少しでも邪魔するものは取り除いておいた方が良い。念の為にブラウスの第一ボタンも外しておいた。

 珱嗄は赤い子供用のネクタイを一旦懐に仕舞って、イヴをおんぶして立ち上がる。

 

「とりあえずはこれで大丈夫だ。後は落ち付ける場所で休めば直に眼を覚ますだろう」

「そう……ならいいけど……とりあえず、此処にいたらさっきの作品達が来るかもしれないわ。イヴには少し無理させちゃうけど、先に進んで休憩出来る場所を探しましょう」

「そうだな……」

 

 珱嗄とギャリーは、気を失ったイヴを連れて先に進む。珱嗄はあまりイヴの身体を揺らさないように、振動を殺して歩く。気配を殺す為の歩法が、こんなところで役に立つとはな、と珱嗄は正直苦笑した。まぁ、足音を消す歩法なだけ故に、珱嗄の気配は完全に消えてはいない。消す必要も無いので、それでいいのだが。

 

「んー……そういえば、アンタはどうしてイヴと一緒にいたの? もしかして家族かなにかなの?」

「いや、俺とイヴちゃんは美術館で同じ絵を見ている時にこの世界に巻き込まれたんだ。だから、この変な空間に入った時には一緒に居たんだ。それからは一緒に脱出口を探して歩いてきたって訳だ」

「なるほどねぇ……大人が一緒だったことは幸運だったわね。イヴ一人だったら、今頃あの作品達にやられてたかもしれないわ……」

「まぁな……でもまぁ、無かった可能性はどうでもいいよ。この先の事を考えた方が得策だ」

「そうね……っと、こんなところに部屋が」

 

 少し歩いて、突き当たりに辿り着くと、そこには一つの扉と下へ降りる階段があった。部屋に入ってみると、そこは丁度休憩に適しているこじんまりとしているが作品も窓も何も無い部屋だった。珱嗄が一応動くモノの気配を探って見たが、どうやら危険はないようだ。

 珱嗄とギャリーは部屋の床にイヴを寝かせる。珱嗄の着物を敷き布団にし、ギャリーのコートを掛け布団にして、珱嗄の腰布を折りたたんで枕にする。すると、イヴの表情が少しだけ楽になったように思えた。

 

「とりあえず、イヴちゃんが起きるまでは此処で待機……だな」

「ええ……幸い本も幾つかある様だし、情報を集めるわ。珱嗄はイヴを見ていて、情報収集くらいは私がやるわ」

 

 ギャリーがそう言う。珱嗄はその言葉に、ふむと頷き、それならばとその言葉に甘えることにした。戦闘の経験を持つのは珱嗄のみ、ならば此処で珱嗄が倒れるのはチームとしても避けたいところだろう。休息は出来るときにしておくべきだ。

 

「それじゃ、頼んだよ」

「ええ、任されたわ」

 

 そうして、珱嗄達は暫しの休息に入った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――――無音だった。

 

 

 音が無い。まるで、時間が止まってしまったようだった。周囲には暗闇と、暗闇にクレヨンで塗りたくったような落書きしか見えない。足が地面の感触を感じているので、どうやら地面はあるようだが、方向感覚が狂ってしまいそうな場所に、少女………イヴはいた。

 

 

 ――――ずり……ずり……ずず……ずり……

 

 

 そんな中、何かが這いずって来る音がした。無音の空間であるが故に、その這いずりの音は余計に空間に響いた。しかも、隣には誰もいない。あの安心感を与えてくれる珱嗄も、此方を気に掛けて微笑むギャリーも、自分を愛してくれる両親も、誰もいない。

 それがどうしようもなく、怖かった。

 

「珱嗄……ギャリー……お父さん………お母さん………!」

 

 名前を呼ぶ、だが誰も現れはしない。すると、目の前に扉があった。這いずる音から逃げる様に、イヴはその扉を開けて飛びこむ。

 だが、その先にあったのは、また同じ様な真っ暗で落書きが施された空間。あるのはただ一枚の扉だけ。

 

「っ……!」

 

 

 ―――ずり……

 

 

「ひぅ……!」

 

 イヴは聞こえる這いずり音に悲鳴を上げ、また扉を潜った。そして、同じ空間がまた広がる。

 

 怖い、怖い、怖い、怖い………どうすればいいのか全く分からない。何処へ進めばいいのかも分からない。

 イヴは今、どうしようもなく自分を支えるくれる者が欲しかった。珱嗄の手が、ギャリーの微笑みが、両親の抱擁が、なんでもいい、何かに支えて欲しかった。

 

「どうしよう……」

 

 自然と、涙が流れた。

 

「え……! 扉、開かない……!?」

 

 次の扉を開こうとして、扉は開かなかった。ガチャガチャとドアノブを押し引きするが、それでも開かない。

 

 

 ―――ずり、ずり……ずりずり……! ずずずっ……!!

 

 

 さっきより、這いずりの音が近くなった。あの作品達が、自分の下へと近づいているという事実が、更に恐怖を感じさせた。呼吸が乱れながらも、イヴはドアノブを回す。だが、開かない。

 

「うっ……うう………! 開いて………!」

 

 そして、もうすぐそこに這いずる何かが迫ってきていると思ったその時に、不意に扉が開いた。躊躇する余地も無く逃げる様に扉へと飛び込んだ。少しでも、這いずりの音から遠ざかりたかった。

 

 

 なのに

 

 

 

「え……?」

 

 

 

 扉を開けた先、そこには這いずる何かが―――居た。

 『無個性』と『女性の絵』と『白い生首の石膏』が、いた。

 

 

 

 ――――イヴは、這いずる音に向かって進んでいたのだ。

 

 

 

 近寄って来る三体の作品達。一歩づつ、ゆっくりと、まるでイヴを追い詰める様に近づいてくる。

 

「ぁ………っ…………!」

 

 悲鳴すら上げられなかった。恐怖で声帯が固まってしまっている。身体も動かず、見開かれた瞳は見たくも無い恐怖の作品達を記憶へと刻みつける。

 

「た……すけて………!」

 

 辛うじて出たのは、助けを求める言葉。小さく、弱々しく、か細い言葉。

 そして、その言葉が最後。作品達の手がイヴへと伸びる。イヴは入ってきた扉を背後に、最早逃げ場は無い。終わった、と思った。

 

 

 

 しかし

 

 

 

 ―――イヴちゃん、こっちだ

 

 

 

 その瞬間、珱嗄の声が聞こえた。幻聴でも無く、確かに聞こえた。背後から、扉の向こうから。イヴはその言葉だけで身体が動くようになった。不思議と、恐怖を感じない。

 そして、動くようになった身体は勝手に扉へと振り向き、扉を開いた。

 

 白い光が視界を占めた。そして、その光の中へと躊躇なく飛びこむと、

 

 

 

「――――はっ……!?」

 

 

 

 イヴは眼を覚ました。先程までとは違う、こじんまりとしているが小さい少女であるイヴからすれば十分広い部屋が視界に入って来る。そして、じとっとした冷や汗が頬を伝い落ちるのを感じながら、ゆっくりと視線を動かす。

 すると、

 

「お、起きたか。おはよう、イヴちゃん」

 

 安心した様に微笑む珱嗄が、イヴの傍にいた。夢の中の映像がフラッシュバックし、心臓の鼓動が速くなっていたが、珱嗄の顔を見た瞬間に少しづつ鼓動が落ち着きを取り戻して行くのを感じた。

 そして、珱嗄がイヴの額に手を置いた。熱があるかを測っていたのが、イヴにとってはその手の温かさが夢での恐怖を忘れさせてくれた。

 

「うん……おはよう、珱嗄」

 

 イヴは零れた様に笑うと、そう言って身体を起こした。

 

 

 

 



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強い意思を抱いて

「あらイヴ、起きたのね!」

 

 イヴが目覚めると、それに気がついたギャリーは持っていた本を棚に戻し、嬉しそうにイヴに近づいた。気分はどうだ、具合は悪くないか、等とイヴを本当に心配して言葉を掛けている彼の姿は、イヴから見ても少しおかしかった。故に、くすっと笑みを漏らすと、ギャリーは少し意表を突かれた様に眼を丸くした後、ふっと破顔した。

 そんな二人を見て、珱嗄も苦笑する。

 

「さて、それじゃイヴちゃんこっち向いて」

「?」

 

 珱嗄はそう言ってイヴの身体を自分の方へと向かせると、第一ボタンを閉めて預かっていた赤いネクタイを手慣れた風に首に締めてあげた。イヴも先程まで少し呼吸が楽だったことに気がついたようで、締め終わった後に珱嗄に一つ礼を言った。

 そして、イヴの無事が確認出来た珱嗄とギャリーは立ち上がる。イヴも十分回復出来たのか、自分が布団代わりにしていたギャリーのコートや珱嗄の着物、腰布を持って立ち上がった。

 

「二人とも、これ……ありがとう」

「ん、ああ」

「いいのよ」

 

 ギャリーは微笑みながらコートを受け取って着る。珱嗄も着物を羽織り、しゅるっという布切れの音と共に腰布を締めた。

 すると、ギャリーはポケットの中に何が異物感を感じたようで、その中から黄色い包み紙に包まれた飴玉を取りだした。

 

「そうだ。イヴ、これあげるわ」

「いいの?」

「良いのよ、そんなキャンディでも食べれば少しは気が楽になると思うわ」

「随分と優しいな、ギャリー」

「あら、優しい男はモテるのよ?」

 

 どうやら、ギャリーは女性的な話し方ではあるがオネェ系の趣味がある訳ではないらしい。珱嗄とギャリーはそんな会話をしながら楽しそうに笑い合う。こんな状況下ではあるが、こんな風に話して笑い合う事が出来るというのは、なんとなく気楽になれた。

 イヴも、二人が笑い合っているのを見て、自然と笑みを浮かべる事が出来た。

 

「さて……それじゃギャリー、そろそろ本題に戻ろうか。何か情報はあったか?」

「いいえ……大雑把にそこの本を読んでみたけど、美術館の注意事項とか……ここから出てはいけないとか……なんだかおかしなことしか書いて無かったわ。進展なしね……」

「そうか……まぁこの先に何かあるかもしれないし、気落ちせずに行こう」

 

 珱嗄はそう言うと、ギャリーの肩にポンと手を置いた。ギャリーは珱嗄のその言葉で、申し訳なさそうに笑みを浮かべたものの、そうねと気を取り直して切り替えることにした様だ。

 さて、と珱嗄が重苦しくなった空気を払拭する様に言う。こんな部屋に何時までもいた所でそれこそ進展が無い。珱嗄は扉が開くことを確認する。先程はそれでピンチになったのだ、警戒はしなければならない。どうやら、今回はちゃんと開く様だ。

 

「二人とも、そろそろ進もうと思うが……大丈夫か?」

「私は大丈夫よ、イヴは?」

「私も大丈夫」

「怖くなったら言うのよ? 無理しなくていいんだからね?」

「大丈夫だよ。珱嗄とギャリーがいるから」

 

 イヴは本当に怖くない、とばかりにむんっと胸の前で両拳を握った。その様子に、珱嗄もギャリーも大丈夫そうだと判断し、励まされる。こんな小さな少女が平気なのに、自分達も負けていられないなと思った。

 

「それじゃ行こうか」

「ええ」

「うん」

 

 珱嗄が扉を開けて、外へ出る。ギャリーもイヴも、それに続いて部屋を出た。その足取りに、迷いや恐怖といった感情は無かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 部屋を出た先に、作品はいなかった。少し安心しながらも、警戒は緩めない。そして、そのまま三人で向かいにあった階段を下りる。

 下りた先、そこは今までの血の様に真っ赤だった廊下とは打って変わって、青紫の少し不気味な色で包まれた廊下だった。全体的に薄暗く、一定間で壁に設置された蝋燭が無ければ、目が慣れるまで下手に動けなかっただろう。

 

「……ふむ、どうやら作品は……いないみたいだ」

「本当に不気味な所ね……」

「うん……」

 

 珱嗄とギャリーがイヴの両手を片方ずつ握って、三人横並びに進む。階段の直ぐ近くに扉を見つけたが、鍵が掛かっていたのでひとまず放置しておくことにする。珱嗄が蹴り壊しても良かったのだが、先程まで倒れていたイヴがいる前で乱暴な行動をとるのは気が引けた。

 

「!」

「これは……」

 

 そうして進んだ先、そこには柵で作られた迷路のような場所があった。迷路の奥にある壁には三枚の作品、そして所々には『無個性』が配置されていた。この中を進むのは少し、抵抗がある。

 

「どうする?」

「うーん……あの彫刻がある中でこの中を進むのは……危険を感じるわねぇ……でも、あそこに置かれた本棚……気になるわ」

「……こっち側にあるから手を伸ばしたら届かないかな?」

 

 迷路の中には、ここぞとばかりに本棚が一つあった。珱嗄達が危険を感じる迷路の中にあるだけあって、そこには何かヒントがありそうな気がしてくる。だが、だからといって危険を冒すのは少しリスクが高すぎる。

 イヴの言葉を聞いて、ギャリーと珱嗄が試してみるも、やはり少し遠かった。

 

「柵を飛び越えていくのはどうだ?」

「……出来るっちゃ出来そうだけど……それであの彫刻達が動きだしたらどうするの?」

「俺だけなら、多分なんとか出来る」

「……それじゃそれで行きましょ」

「ああ」

 

 ギャリーは少し悩んだが、それでも何かヒントがあることの可能性を捨て切れなかった。珱嗄がそういうのなら、とその提案を承諾する。

 そして、珱嗄は柵を飛び越えて本棚の前に素早く移動する。そして手近にあった本を数冊手に取り、パラパラと読む。特典によって速読の技術を持つ珱嗄は、数冊の本を次々と読んで行く。

 

「珱嗄! 彫刻が!」

 

 だが、予想通り『無個性』達が動きだし、珱嗄へと迫っていた。ギャリーが呼びかけると、珱嗄もそれに気付く。だが、後少し。珱嗄はパラパラとページを捲る。そして、珱嗄まで一直線という所まで『無個性』達が近づいた所で珱嗄は本を読み終えた。素早く本を棚へ戻す。

 そして、そのまま飛び越えた柵まで駆けだした。ギャリーが手を伸ばしている。『無個性』達もかなり近くまで迫っている。

 

「っ……!」

 

 珱嗄は手を伸ばし、ギャリーの手を掴んだ。ギャリーが珱嗄を引っ張るのと、珱嗄が地面を蹴ったのはほぼ同時、ぐんと速度が上がり、珱嗄は柵を飛び越えた。

 

「っはぁ……ひやひやしたわよ……」

「ははは……ま、無事だから良しとしよう」

「大丈夫?」

「大丈夫だよイヴちゃん、ありがとう」

 

 切迫した状況を切りぬけた安心感からか、珱嗄は零れた様に笑ってそう言った。ギャリーはそんな珱嗄に呆れたように脱力し、イヴはイヴで珱嗄らしいなと苦笑した。

 

「つっても、大した情報は無かったよ。だが、ゲルテナはどうやら作品に魂を込められないかと考えていたらしい。もしかしたら、この世界はゲルテナの作品に込められた想いが作りあげたのかもしれない」

「そんなロマンチックな話ならもう少し素敵に作ってくれればいいのに……」

「わはは、芸術家の頭の中なんて、総じて奇妙なものだよ」

 

 緊張感からか、少し乱れた呼吸を落ち付かせ、三人は先に進む。曲がり角が多く、壁には幾つか作品が飾られていたが、三人はそれを気にせずに先に進んだ。そして、付き辺りには扉があり、暗号による鍵が掛けられていた。一つの絵のタイトルを打ち込む事で扉を開けられるらしい。

 その絵とは、イヴと珱嗄がこの空間に入る時に飛び込んだ、床に描かれたあの絵だ。骨の様な不気味な魚と、薄暗い闇の様な水の底。

 

 タイトルは、

 

「深海の世……だな」

「あ、そうそう。それよ!」

 

 ギャリーはうんうんと思い出そうとしていたが、珱嗄はちゃんと覚えていた。元々記憶力は良い方だったし、自分が飛び込んだ絵の名前だ。印象的には十分インパクトがあったし、なんとなく覚えていたのだ。イヴは作品のタイトルが読めなかったらしい。少ししゅんとしていたが、ギャリーが大丈夫よと慰めると、気を取り直した様だ。

 珱嗄はタイトルを打ち込むと、扉の鍵が開いた音がした。試しにドアノブを捻ると、ガチャリと音を立てて扉が開いた。

 

「! 開いたな……というかパスワード式の扉なんて、この世界の世界観が分からなくなってきた……」

「ちょっと色んな要素があり過ぎよね……」

「私の家にもこういう扉あるよ」

「………ギャリー、イヴちゃんってもしかして良い所のお嬢様だったり?」

「かもしれないわね……着ている服とか佇まいとか変に綺麗だもの……」

 

 珱嗄とギャリーはイヴの家を想像して、少し引き攣った笑みを浮かべた。イヴの家はもしかしたらかなりお金持ちな家なのかもしれない、という可能性が少し大きくなってきた。

 とはいえ、扉が開いたので先に進む。

 

「ん?」

 

 扉の先は、先の無い部屋だった。つまり、ここで行き止まりということになる。これは、少し不味いのではないか、と珱嗄は焦りを抑えて考える。ギャリーとイヴも部屋に入ってきて、各々で物色を開始している。大きな絵と本棚が幾つか置いてある部屋だ、ヒントがあるのかもしれない。

 それを見て、珱嗄も一歩足を前に出した―――瞬間だった。

 

 

 

 ――――灯りが消え、辺りは暗闇に包まれた。

 

 

 

「っ!」

 

 珱嗄は瞬時に警戒心を高め、ギャリーとイヴの気配があることを確認する。そして、暗闇の中だが気配だよりにイヴの下へと移動した。

 

「イヴちゃん、大丈夫か!?」

「あ、珱嗄……?」

「ああ、そうだ。怪我は無いか?」

「う、うん」

 

 イヴは少し動揺していたが、珱嗄が肩に触れて抱き寄せると、動揺しながらもしっかりとした返事を返した。

 珱嗄はそのままイヴを抱きかかえながらギャリーの下へと移動する。

 

「ギャリー、大丈夫か?」

「珱嗄? ええ、アタシは大丈夫よ……それよりイヴは一緒に居る?」

「ああ、大丈夫だ」

「そう……良かった……」

 

 ギャリーがホッとした様にそう言うと、急に灯りが元に戻る。いきなり光が戻ったことで少し眩しかったが、光が戻った視界に飛び込んできたのは……部屋中がクレヨンで落書きされた様な光景だった。

 『たすけて』『やめて』『いやだ』『こわい』『しにたくない』と言った言葉が汚い線で所々に大きく書かれている。ハッキリ言って、そんな文字よりもそんな文字を書いた者が暗闇の中に居たという事実の方が、珱嗄にとって気味が悪かった。

 

「……正直、キツイわね……精神的に」

「そうだな……」

「……」

 

 三人して、顔を歪める。珱嗄も、普段ならこんな光景に恐怖等は感じないのだが、やはり『薔薇』という形に命が分割されている以上、命の危険を感じざるを得ない。やはり、少しだけ背筋に悪寒が走った。

 そして、少し気持ち的にも落ち付いて来た頃、三人は本棚の物色を開始する。本の量が多いので、三人別々にそれぞれ本を手に取っているが、やはり新しい情報や事実は期待できないようだ。

 

「……めぼしい情報は無い……か」

 

 珱嗄も、十冊目となる本を本棚に戻す。

 すると、イヴが一冊の本を持って駆けよって来た。

 

「どうしたイヴちゃん」

「この本、なんて書いてあるの?」

「どれどれ……………あー……」

 

 イヴが持ってきたのは、所謂官能小説だった。いかがわしい単語と台詞がふんだんに使われている。珱嗄は本をイヴの手から取りあげ、ぱたりと閉じた。正直、9歳の少女に教えるにはまだ早過ぎる。

 

「もう少し大人になったら読めるようになるよ」

「………そう?」

 

 イヴは珱嗄の言葉に首を傾げながら、取り敢えず納得したようだ。

 

「珱嗄、イヴ、そっちはどうだった?」

「ああ、どうやら役立つ情報は無いな」

「……そう、こっちも大したことは分からなかったわね……」

「……それじゃあまぁ……此処を出るとしようか」

 

 珱嗄の言葉にギャリーとイヴは頷き、入ってきた扉を開けて外へ出る。

 さて、ここまで来て行き止まり。先へ進む道が無くなってしまった。どうしたものかと考える三人。やはり、ここは一度来た道を戻るしか選択肢が残されていないようだった。

 

「……戻るか」

「そう、ね」

 

 珱嗄が一歩足を進めると、ギャリーとイヴもそれに続く。脱出の糸口が閉ざされた事で、かなり気落ちしてしまっている。このままでは不味いかもしれないと、珱嗄は歯噛みする。

 だが、手かがりはまだ消えたわけでは無かった。扉を出て、少し進んだ先………そこには、

 

 

 

 ――――赤く、小さな足跡が続いていた。

 

 

 

「これは……?」

「随分小さな足跡ね………子供みたいな……」

「私と同じ位……」

 

 イヴと同じ位の大きさの足跡。しかも、赤いペンキみたいな色をしている。もしかしたら、この足跡の主が先程の暗闇で落書きをした張本人なのかもしれない。珱嗄はそう考える。

 そして三人、その足跡をたどっていくと、その足跡が途切れた所に、先程までは無かった新たな扉が出現していた。

 

「………行くか」

「……ええ」

「……うん」

 

 まだ、道は途絶えていない。珱嗄とイヴとギャリー、お互いに目を合わせて頷くと、今まで通り、珱嗄が扉のドアノブに手を伸ばした。

 

 

 



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黄色い少女、一枚の少女

 

 

 ―――可哀想なメアリー、ソンナニ急いでどうするツモリ?

 

 

 声が響く。薄暗い廊下を速足で進む少女は、その声を聞かないように耳を塞ぐ。煩くて、煩わしくて、聞きたくなくて、必死で耳を塞ぐ。でも、その声は頭に直接響いてくる。聞こえないようにしようとしても、聞こえてしまう。

 頭ががんがんと痛み、狂ってしまいそうなほどだった。

 それでも少女は進む。自分の馬鹿な願いでこの世界に引きずり込んでしまった三人の人の下へ、迷いない足取りで進んでいく。

 少女は、声が聞いたことを考える。彼らに会って、少女はどうしたいのか。

 

 分からなかった。自分が何をどうしようとしているのか、自分でも分からなかった。三人の人間をこの世界に取り残し、そして自分は夢見た色彩鮮やかな世界へと出たいのか、それでも自分のせいで引きこんだ三人を、外へと出してあげたいのか。自分でも分からない。

 分からないままに、少女はその足を進めていた。彼らはもうすぐ近くにいるのが分かる。生命の存在しない世界の中で、一際鮮やかかつ生命の鼓動を感じさせる存在が感じられる。

 

 

 

 ―――可哀想なメアリー、如何するの? どうするの? ドウスルノ? キャハハハハハハ!!

 

 

 

 煩い! 少女は叫ぶ。分からない、そんなの分からない。どうしたいのかなんて、分からない。でも、会わないといけない。そうしないといけない。だって、此処にあの人達を連れて来たのは、私の願いなんだから。

 金糸の様に美しく、ふんわりと癖のある長い金髪を、少女は掻き乱して呼吸を荒げさせる。そして初めて、足を止め、座りこんだ。頭が痛い。心が壊れそうになる。とにかく、この頭に響くこの声を止めて欲しい。もう嫌、黙って、煩い、五月蠅い、黙れ、黙れ黙れ黙れダマレだまれ!!!

 

 声から逃げる様に、少女は立ち上がり、駆け出した。付いて来ないで! 叫びながら、必死で走った。もう前を見ていない。頭を抱え、涙を堪えながら必死に走った。それでも、声は付いてくる。狂ったような笑い声を響かせてくる。

 そして、走り続けた先に扉があった。少女はその扉が見えていない。このままではぶつかってしまうだろう。しかし、その扉にぶつかる寸前で、

 

 

 

 扉が開いた。

 

 

 

 少女は扉とは違う、もっと柔らかいものにぶつかり、そのまま尻もちをついた。

 

「あうっ……!?」

「おっと……?」

 

 少女は自分とは違う、いままで頭に響いていた声とも違う、もっと低く大人っぽい声にハッと顔を上げた。少女の碧く大きな瞳が丸く見開かれ、その声の主を捉える。そこには、青黒く自分と同じ癖のある髪と、青黒い瞳で此方を見る、着物姿の男がいた。そして、その後ろには長身の男性と、少女と同年代位の少女がいる。少女が、自分の願いでこの世界に引き込んだ三人だった。

 

 呆然としていると、自分がぶつかった男が近づいて来る。それに気がついてハッとなったが、男は自分に向かって手の平を差し伸べていた。

 

「悪いなお嬢ちゃん、大丈夫か?」

 

 身体に染み込む様な、そして安心するような聞いていて心地の良い声色。自然と、少女の小さな手が差し伸ばされた大きな手の平を掴んだ。すると、力強い大きな手の平が少女の小さな身体をぐいっと引っ張り上げて、立ちあがらせる。

 少女は未だに瞳を丸くさせて、自分の手を引っ張った男を見上げていた。

 

「? どうした?」

「え……あっ……!」

 

 男がそう言うと、我に返った少女は手を放して一歩後ろに身を引いた。

 

「お嬢ちゃん、一人か?」

「え? う、うん」

「そうか……お嬢ちゃんも気がついたら此処に?」

「そ、そう……気がついたら此処に居て……」

 

 男の質問に、少女はたどたどしく答えた。嘘を言っているのは分かっている。だが、少女はいざ男達に会うと、どうすればいいのか分からなくなったのだ。とりあえず、男の言っていることに便乗して、そうだと肯定する。

 

「そうか……一人で良く頑張ったな。お嬢ちゃん、名前はなんていうんだ?」

 

 男の言葉、一人で良く頑張ったな、というその言葉は、少女の胸にすっと染み込んだ。男の言っている言葉の意味は違うけれど、ここまで狂いそうになりながらもやってきた自分を認めて貰えたようで、嬉しかった。自分に命は無いけれど、胸の奥底が暖かくなった。

 

「……メアリー」

 

 少女、メアリーはそう名乗った。金色の髪をふわりと揺らし、碧く大きな瞳で男を見て、この世界ではもう滅多に見せなくなった笑顔を浮かべながら、そう名乗った。

 対して、男は少女の前にしゃがんで同じ様に笑みを浮かべる。

 

「そうか、良い名前だな。それじゃメアリー、俺の名前は泉ヶ仙珱嗄(いずみがせん おうか)だ。よろしくな」

 

 珱嗄、それがこの人の名前。メアリーは心の中で、何度もその名前を半濁させる。心に刻み込むように、その名前を何度も心の中で繰り返した。

 

「ああ、そうだ……メアリー、こっちの二人も紹介するよ。こっちの大きいのがギャリー」

「ギャリーよ。よろしくねメアリー」

「こっちの子がイヴちゃんだ」

「よろしくね」

 

 そして、珱嗄がメアリーに後ろに居た二人の名前を紹介してくれた。イヴとギャリーも、メアリーに対して柔らかい笑みを送ってくれる。メアリーにとって、これまで向けられたことがないのに、どこか懐かしい表情。友達もいなかったメアリー。故に、こんな感情を向けられるのはなんとなく、気恥ずかしかった。

 

「よ、よろしく……!」

 

 でも、絞り出す様にそう言った。珱嗄達は、そんなメアリーを見てまた優しく笑った。メアリーも、自然と笑った。

 

 気が付けば、先程まで響いていたあの煩わしい狂ったような声が、嘘みたいに静かになっていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 こうして三人と少女が合流し、四人となった訳だが、珱嗄は気が付いていた。少女、メアリーが人間ではないことに。

 まずおかしいと思ったのは、体温。先程転んだ際に手を貸したが、その時握ったメアリーの手の平から、『体温』が感じられなかった。人肌並に温かい訳では無く、死人のように冷たい訳でも無く、無機物の様に自分の体温が返ってくる感覚。この時点で、珱嗄はメアリーが人間ではないと疑い始めた。

 次におかしいと思ったのは、重さ。メアリーを引っ張り上げた時に感じた彼女の体重は、驚く程に軽かった。これまで抱きかかえた時のイヴの体重と比較しても、異常な程に軽過ぎた。珱嗄でなくとも、それこそイヴであっても片手で持ちあげられるほどだった。

 

 それでも珱嗄がメアリーを攻撃したりしなかったのは、メアリーに自分達を攻撃しようとする意志が感じられなかったことや、彼女自身の瞳の奥に一種の寂しさを感じ取ったからだ。

 何故彼女が自分達の前に現れたのか、何故こんなに悲しい瞳をしているのか、何故この世界の作品であろう彼女が、こんなに人間らしいのか、それはきっとこの世界を作ったゲルテナの想いが一番込められた作品だからだろう。今までの作品よりも必死に、愛情深く、作りあげたからだろう。

 

 ならば、拒絶する事も無いだろう。彼女は倒すべき作品では無く、忌諱すべき脅威でも無い。彼女が知っている事は脱出の糸口になるだろうし、彼女自身の事もこれから知って行けばいい。

 

「さて、それじゃメアリー。聞きたい事があるんだが……」

「何?」

「この廊下を進んだ先、何か気になる様な事はあったか?」

「えーと……分かんない」

 

 メアリーは問われたことにそう答えた。彼女にとっては、ここが常識の世界であり、おかしな点と言われても彼女の常識では分からなかった。

 

「そっか……まぁこれから進んで行けば分かるさ。それじゃ、一緒に行こうか」

「うん!」

 

 珱嗄が差し出した手を、メアリーは力強くぎゅっと握った。珱嗄が先に一歩足を進めると、メアリーやイヴ、ギャリーがそれに続くようにして、進み始めた。

 

 



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心壊

 それから、しばらく。四人で道を進んだ。曲がり角や短い階段なんかもあったけれど、基本的に一本道だった。メアリーはイヴと年齢が近いからか、歩いている道中で歓談するほどには仲良くなったようだ。

 ギャリーと珱嗄はそんな微笑ましい光景を眺めながらも、周囲の警戒は怠らない。幼い子供が二人、珱嗄はメアリーは作品だろうと分かっているが、それでも子供が二人いる状況で、護るべき対象がいる状況で、警戒は緩められなかった。

 

 そして、そのまま少し進んだ先―――一枚の張り紙があった。

 

「張り紙……か」

「なんて書いてあるの?」

「えーと……『一体どちらが正しいのか?』……って書いてあるわね」

 

 イヴの問いに、ギャリーが答える。珱嗄はその張り紙を見て少し考えるも、答えは出なかったので保留として置いた。メアリーに聞けば何かしら分かるのかもしれないが、ギャリーやイヴがいる前で聞くのは得策ではない。それに、メアリーの表情からしてこの張り紙について何か知っているということはなさそうだった。

 

「まぁ気にしても仕方ない。先に進もうか」

「ええ、そうね」

 

 そうして、珱嗄達は張り紙から視線を切って、先へと進む。少し歩けばまた曲がり角にさし当たり、曲がった先にあった短い階段を上る。上った先にあったのは、二つの扉。壁を挟んで少し距離を置きながら存在する二枚の扉だった。

 そして珱嗄は答えを得る。『一体どちらが正しいのか?』、これはそういうことだったのだ。どちらの扉が正しい道なのか、ということだ。だとしても、一概にそれが正しい解答だといい切れる訳ではないが、それでもそれが一番可能性が高い。また、その解答が正しいのであれば、どちらかの扉を選んだ瞬間に後戻りする事が出来ない可能性がある。

 

「……どうする?」

「そうねぇ……あれ? こっちの扉鍵掛かってるわよ?」

「ん、そうなのか」

 

 ギャリーが片方の扉を開けようとして、鍵によって阻まれる。珱嗄はそれによって、考えを改める。これはどちらの扉が正解かという訳ではなさそうだ。当然のごとく、誘導されているかのごとく、鍵の掛かっている扉とは別の扉は普通に開いた。四人はとりあえずその扉を開けてその部屋に入った。

 

 ―――ここが、四人の間にある常識が狂い始めた時だった。

 

 珱嗄が部屋に入って、見た光景は、あまり良い物では無かった。まず、『赤色の目』というタイトルの巨大な絵が扉のある壁とは逆の部屋の奥に飾られており、扉から見て部屋の両端には同じ数の奇妙なぬいぐるみが置いてあった。正直、不気味というしかない。絵は巨大な化け物の絵であり、ぬいぐるみも真っ青で目が赤く、狂ったように笑っている表情が恐怖でしかなかった。隣を見れば、ギャリーも顔を青くして口元を抑えていた。

 

 

 だが、

 

 

「わぁ! 可愛い!」

「え、これの何処が可愛いのよ……」

「え? そうかな……可愛いと思うけど……イヴはどう思う?」

「うん……可愛い」

「そうだよね! 可愛いよね!」

 

 メアリーとイヴは、そうでは無かった。寧ろその奇怪な絵やぬいぐるみを可愛いと評価し、表情を青くするどころかこころなしか嬉しそうだった。珱嗄はメアリーはともかくイヴまでもがこの光景を可愛いと評価していることに、眉を潜める。

 

「えー……もう……良いわ、早くここを調べてさっさと出ましょ」

 

 だが、ギャリーはもう考えたくないのか、早くここを出たいとばかりにそう言った。珱嗄としても、あまり長居したい部屋では無い。故に、一旦思考を置いておいて、部屋の探索に移行することにした。

 また、全員がそれぞれ思い思いに部屋を調べる。絵の前にはまたも本棚があり、ギャリーはそこを、イヴは扉から向かって左側に置かれたぬいぐるみ達を、メアリーはその逆。珱嗄はギャリーの調べている本棚とは別の、もう一つの本棚を調べる。本を一冊取り出し、パラパラと読み始めた。

 

「……『心壊』……あまりに精神が疲弊すると、そのうち幻覚が見え始め、最後は壊れてしまうだろう。そして厄介なことに、壊れていることを自覚する事が出来ない……ね」

 

 珱嗄は考える。この一節がこの部屋での疑問のヒントだとするならば、四人の中で幻覚を見ている可能性のある者がいるということになる。見た目では分からないが、精神が疲弊し、自分が精神的に壊れていることにも気付かずにいる者がいるということになるのだ。

 ふと、ぬいぐるみを見ているイヴとメアリーに視線を移動させる。

 

 そうだとすれば……最も精神的に疲弊しているのは―――イヴだ。メアリーはこの世界の住人であるが、初めて会った時に感じた瞳の奥の悲しみを考えれば、精神的にも何かしらの闇を抱えていてもおかしくは無い。もしかしたら、イヴもメアリーもどこかで壊れている可能性がある。幻覚を見ている可能性がある。それを自覚出来ないままに。

 

「……どうしたものかな」

 

 今の所問題は無いが、本格的に不味い状況になる前に落ち付いた休憩が必要かもしれない。と、珱嗄が考えていると、変化が起こった。

 

「っ! メアリー、危ない!」

「え――――!?」

 

 珱嗄は地面を蹴ってメアリーに接近する。彼女はぬいぐるみの置かれた棚の下を四つん這いになって見ていた。問題はその頭上、置かれたぬいぐるみがメアリーに向かって一人でに落下してきていたのだ。

 珱嗄はメアリーの腰を掴み、ぬいぐるみの落下する地点から避けるように持ちあげた。すると、そのぬいぐるみはガシャン、という音を立ててバラバラになる。そして、珱嗄はメアリーを持ちあげたまま肩の力を抜くように息を吐いた。

 

「わぁー……珱嗄って力持ちなんだね! 凄い!」

 

 だが、メアリーは自身が危険に晒されていたという事実を気にも留めず、宙に浮いた足をぷらぷらと揺らしながらはしゃぐ。苦笑しながら、珱嗄はメアリーを地面に下ろした。

 そして、バラバラになったぬいぐるみを見て考える。イヴでは無く、メアリーを狙ったように落ちて来たぬいぐるみ。もしかしたらメアリーはこの世界においてルール違反になるような行動を取っているのかもしれない。だからこそ、他の作品から狙われたのではないか? そう考える。

 

 すると、地面に足を付けたメアリーはその場でしゃがみ、壊れたぬいぐるみを見ていた。そして、何かに気がついたのかぬいぐるみの中から紫色の鍵を取り出した。

 

「見てみて、鍵があったよ」

「お、本当だ。良く気がついたな、メアリー」

「えへへ、お手柄だね!」

「わはは、そうだな。お手柄だ」

 

 メアリーがどのような存在なのか、まだ分からない。だが、子供と同じように無邪気に笑う姿を見れば、やはり敵には見えない。珱嗄は鍵を見せつけて胸を張るメアリーの頭をくしゃくしゃと撫でる。金色の髪の毛が乱れるが、メアリーはきゃーっ、と嬉しそうな悲鳴を上げながらくすぐったそうに身をよじった。

 

「さて……他に何かありそうでもないし……そろそろ出ようか」

「……うん」

「そうね、行きましょ」

 

 珱嗄の言葉に、イヴとギャリーが歩み寄って来る。何も言わないということは、特に重要な情報があったという訳ではないのだろう。とはいえ、メアリーのおかげで鍵を一つ手に入れることが出来た。なんの成果もなかったわけではない。

 四人は扉を開けて、外へ出る。もう一方の扉はおそらく手に入れた鍵で開ける事が出来るだろう。

 

「それにしても、変な所よねぇ……イヴ、メアリー、疲れたらちゃんと言うのよ?」

「大丈夫」

「うん!」

 

 ギャリーは所々でイヴとメアリーを気に掛けている。保父さんや良いお父さんになりそうだ、と珱嗄は思う。だが、オネェ口調のお父さんだと子供はグレないだろうかと心配にもなって、少し笑みが漏れた。

 そして、別の扉へと向かう途中―――――

 

 

 

 ――――這う様な音が聞こえた

 

 

 

「!?」

 

 一番最初に反応したのはイヴ。聞こえた音は、イヴが夢の中で追い詰められた音と全く同じだった。何かが這って、近づいてくるような音。そして、その音は通路の壁に飾られた一枚の絵から聞こえて来ていた。しかも、夢で聞いたよりもずっと速く近づいて来ている。

 

「なんだ……?」

「イヴ、メアリー気を付けて……!」

「う、うん……」

「………!」

 

 ずずず、と音は大きくなっていく。イヴはギャリーの手を握り、メアリーも珱嗄の腕に抱き付いた。その表情はどちらも怯えている。全員の警戒がその絵に向かう。

 

 

 だが、

 

 

 変化は全く別の所から現れた。

 

「!?」

 

 全員の立っている床から突然、巨大な茨が勢いよく生えて来たのだ。刺々しく、太いその茨は、恐らく簡単に人の肉を突き破る。珱嗄は即座に行動に移っていた。

 腕に抱き着いていたメアリーを片手で抱え上げ、心の中で謝りながらイヴを軽く蹴った。蹴られたイヴはギャリーにぶつかり、ギャリーを押し飛ばしながら茨の脅威から逃れる。そして、珱嗄もメアリーを放さないようにして、その場からバックステップして茨から離れた。

 

「きゃっ!?」

「あたっ……!」

 

 そして、茨は伸びきって地面から天井にめり込みながらその成長を止める。結果、通路は茨によって塞がれてしまった。茨の壁の向こうから、イヴとギャリーの声が聞こえる。珱嗄はそのことで、とりあえず二人が無事であると息を吐く。

 だが、不味いことになった。四人が二組に分断されてしまったのだ。イヴとギャリー、珱嗄とメアリーという形に。

 

「本当……手強いな、この世界は……」

 

 珱嗄は苦々しい表情で、そう呟いた。

 

 



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たった一つの責任

 茨によって分断されてしまった四人。どうにかして茨の排除を試みてはみたものの、どれも効果は無かった。また、茨自体は植物というより石の様な材質で出来ていた。ならば、と珱嗄が茨の破壊を目的に拳を叩きつけても、壊れなかった。まるで、『壊れない』と最初から決められている様に、打撃による衝撃自体が通らなかった。逆に珱嗄の拳に衝撃が全て返ってきて、若干痛めた程だ。

 

「っ……駄目か。これも作品の一つってことか?」

 

 この世界において、作品は破壊出来ない。扉は蹴り開ける事が出来るが、やはり作品となると別格の様だ。おそらく、美術館に展示されていた作品達の『本体』とも言える作品を破壊しない限りは、この世界に蔓延る作品達は破壊出来ないのだろう。何故『本体』があると言いきれるのかというのは、『無個性』達の数が明らかに多過ぎるからだ。まるで複製したかのように大量に存在する作品達、『無個性』だけ見ても、展示されていたのはたったの三体の筈なのだ。明らかに『本体』が存在しているとしか言い様が無い。

 

「珱嗄、聞こえる?」

「ギャリーか、どうした?」

「とりあえずアタシもイヴも無事だし、多分何も出来ることは無いと思う。イヴの薔薇は珱嗄が持っている訳だし、多分イヴに関してはアタシ以上に安全だと思うわ。だから、とりあえずイヴはアタシに任せて、メアリーと先に進んでちょうだい」

「ふむ……いいのか?」

「大丈夫よ。でも、出来ることなら……早めに助けてくれると嬉しいわね」

 

 ギャリーは少しだけ不安げな声でそう言った。その不安は、珱嗄でなくとも十分伝わってくる。隣で手を繋いでいるイヴには勿論、ギャリーと出会ってまもないメアリーでさえ、それは理解出来た。この状況下で、珱嗄とメアリーにこう言うのは一つの最悪な可能性をどうしても考えてしまう。

 

 

『珱嗄とメアリーが自分達を置いて、外へ出てしまう可能性』

 

 

 振り払えない可能性と、置いていかれた場合の恐怖。それを心の中に押しとどめ、それでも珱嗄を信じてそう言ったのだ。正直言えば、怖い、行かないで欲しい。だが、そうした場合状況は何も変わらない。

 それに、ギャリーの隣にはイヴがいる。珱嗄の隣に、メアリーがいる。護らねばならない存在がいる。大人である自分が弱音を吐けば、それだけでその護るべき存在が不安を抱く。彼女達の前では、強く頼れる存在であることが、今の自分に出来る『彼女達を護る』ということだと、ギャリーは折れそうな心をその思いだけで繋ぎとめる。

 

 

「―――任せろ」

 

 

 茨の向こうから、聞こえて来た声。強く、自然と心に染みいる声。

 多分、珱嗄でなければこうはいかなかっただろう、と思う。今まで、珱嗄とイヴに出会ったあの時から今まで、思えば珱嗄に何度も救われた。危険を承知で前を歩き、何時でも周囲を警戒し、危機が迫った時は真っ先に行動を取ってくれた。イヴが倒れた時も慌てず対処してくれた。作品が襲って来た時は立ち向かってくれた。本人はそんなつもりはなかったかもしれないが、いつだって自分達の心を支えてくれた。

 だからこそ、信じられる。信じて、そう言えた。ここまで、ずっと自分達を支えてくれた人。その人がこの場からいなくなる。ならば、此処から先はイヴを自分が支えなければならない。それが、大人として、たった一つ残された責任だ。

 

 

「―――任せたわ」

 

 

 だからこそ。今度は不安なく、真っすぐにそう言えたと思う。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 珱嗄は、メアリーと共に先に進んだ。紫色の鍵を使って扉を開け、その先へと入る。

 中は資材置き場なのか、かなりの数の段ボールが積まれていた。一つを開いてみれば、中には画材やちょっとしたアイデアスケッチの数々があった。おそらく、これらは全てゲルテナが作品作りの為に集めた資料や画材なのだろう。

 部屋の隅には『無個性』が一体立っていたが、どうやらこの『無個性』は動かないらしい。

 

 それから、茨をどうにか出来るものが無いか探してみたが、珱嗄の拳で破壊出来ないのだ、やはりそんなものは見つからなかった。

 

「ねぇ珱嗄、これであの茨をどうにか出来ないかな?」

 

 そう言ってメアリーが持ちだしてきたのは、パレットナイフだった。刃物ではなく、先も尖っていない上に、その材質はステンレスで柔らかい。武器としては不十分、茨もどうにか出来そうにない。無論ナイフというだけあって取扱いを間違えればそれなりに殺傷能力を持つが。

 

「無理だろうな……」

「やっぱり? んー……でも一応持っていこうかな……念の為に、ね」

 

 その時、珱嗄の背筋にゾクッと悪寒が走った。メアリーの表情に影が差した。それだけなのに、珱嗄の危機察知能力が大きな警鐘を鳴らしていた。メアリーの中で、何か、不味いモノが渦巻いている。それがなんだかは分からないけれど、最初に出会った時から感じていた瞳の奥の悲しい闇、その片鱗がそこにある気がした。

 

「……」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 

 だが、メアリーの表情は直ぐに元に戻った。だから、珱嗄は何も言わなかった。放っておけば後々酷いことになるだろう、とは思う。が、今はまだ本人にも自覚はなく、またメアリー自身が抱えている事も分からない。下手に触れない方が良いだろう。

 

 

 すると、

 

 

「!」

「な、何!?」

 

 急に停電が起こった。辺りが暗くなる。見えていた視界が光が失われたことで一気に真っ黒に染まった。珱嗄はその中で、近くにいたメアリーの手を掴み、周囲を警戒する。特に、先程までは動かないと放置していた、『無個性』の気配には注意した。

 暗闇の中、ずずず、と動く音が聞こえる。

 

 

 ―――動いている!

 

 

 珱嗄はそう確信し、出来るだけ『無個性』から離れるべくメアリーを抱きかかえて段ボールにぶつかりながらも距離を取った。

 そして、すぐに灯りが戻る。一瞬戻ってきた光に目を痛めたが、直ぐに視界が正常に戻ってきた。

 

「あ、あれ……」

「ああ……」

 

 そして、その視界にいる『無個性』は………入ってきた扉の前に鎮座していた。

 

「後戻りは……許して貰えそうにないな」

 

 珱嗄はそう言う。作品は壊せない。動かすことは出来るだろうが、あの『無個性』は暗闇の中で確かに動いた。下手に触れようとすればまだ動きだした薔薇を狙ってくる可能性がある。

 

「メアリー、ここは先に進もう」

「え? で、でも二人は?」

「大丈夫、きっと二人を助ける方法はある」

 

 珱嗄は確信している。ここまで進んできて、自分達を誘導する存在がいることは確かだ。故に、ここで四人を分断した事には何かしらの意味があるのだ。この先に進む上で、必要な何かが。だからこそ、此処は進むべきだと判断する。幸いなことに、入ってきた扉とは別に次の空間へつながる扉がこの資材置き場には存在する。鍵も閉まっていないので、先へ進む事は出来るだろう。

 

「……うん」

 

 メアリーは珱嗄の手を握った。片手にはパレットナイフを握り締めて、自分の秘密を隠しながらも珱嗄についていく。

 扉を開け、中へ入る。閉まっていく扉の隙間から、珱嗄は『無個性』を見た。変わらず動かないでそこに鎮座する作品。幻聴かどうか分からないが、閉まる扉の音に重なって、狂ったような甲高い笑い声が聞こえた気がした。

 

 

 



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打ち明ける勇気

 扉を開けて、先に進んだ珱嗄とメアリー。その手はしっかり握られており、二人の足取りに迷いはない。それというのも、珱嗄がメアリーが歩く際に自然とどちらの方向へ向かうかを見て、その方向に自分も進むという方法で進路を知っているからだ。

 メアリーはこの世界の作品。つまりはこの世界の事について最も良く知る存在であるということ。この世界等自分の家の庭と同様に進む事が出来るだろう。ならば、それに合わせて進めばおのずと進路は分かって来るということだ。

 

 メアリーはそれに気づかず、無意識に珱嗄を案内しているも同然だった。しかし、その胸中はあまり良い物では無い。自分が作品だということを隠して、今もこうして珱嗄を騙している。罪悪感と打ち明けた時の恐怖が渦巻いて、メアリーの表情を浮かないものにしていた。

 珱嗄は、メアリーが煩わしい声から必死に走って来た時、優しい声を掛けてくれた。手を差し伸べてくれた。作品が襲い掛かって来た時、誰よりも速く助けに来てくれた。たった短い間のことなのに、メアリーは珱嗄に好意と信頼を置いていた。

 

 故に、これ以上隠しておくことは、メアリーの脆弱な精神ではもう出来なかった。また、イヴとギャリーがいなくなったことで、少し話しやすくなったのかもしれない。二人きりになったことで、メアリーは自分の秘密についてちゃんと話しておこうと思った。

 

「……あ、あのね、珱嗄」

 

 声が震える。だが、切り出すことが出来た。あとは話すだけだ。

 珱嗄がメアリーの方へ視線を移した。メアリーの次の言葉を待っている。

 

「私……本当は美術館に居た人じゃないの」

「うん、まぁ知ってるよ」

「え!?」

 

 俯いて緑色のスカートを握り締めていたメアリーは、珱嗄の言葉に勢い良く顔を上げた。意表を衝かれた、というのもあるがそれ以上に珱嗄が自分の正体を知っているというのだ。驚かない訳が無い。

 

「俺の推測だけど……メアリーはこの世界の作品だろう? そして、この世界においてある意味特別な存在だ。こうして会話出来ているし、他の作品に襲われたこともある。それに、体重がまるで感じられなかったし、体温も全く感じられなかった。これだけ揃っていればメアリーが人間じゃないことくらいは察しが付く」

「あ……あ……」

 

 知られていた。バレていた。メアリーにとって、それが大きな恐怖に変わる。手を放し、珱嗄から距離を取る。

 隠していたことが、バレていたということは、珱嗄がメアリーを普通の少女だと思っていなかったということ。作品だとバレていたということは、珱嗄にメアリーは化け物だと思われていたということ。それはメアリーにとって衝撃だった。

 もしも、珱嗄が今、メアリーを化け物と糾弾した場合、メアリーは耐えられないだろう。少なくとも、この短い間で少なくない信頼と好意を寄せていた相手だ。そんな相手から嫌われる、ということはどんな者でも心に傷を負うことだ。

 不安になるメアリーに、珱嗄が近づく。メアリーはびくっと身体を震わせて硬直する。珱嗄に触れることが、怖かった。

 

「でも、それは大した問題じゃない」

 

 だが、珱嗄はそう言ってメアリーの金糸の様な髪に触れた。碧い瞳に浮かんだ涙を指で拭い、頬を撫でた。それだけで、メアリーは困惑で硬直した身体がふっと緩む。

 

「いいかメアリー、俺は別にお前が敵だとは思っていないよ。お前にもきっと何かしらの事情があるんだろう? それを教えてくれ。俺達が此処に取りこまれたのは何故なのか、そしてお前は何者なのか、最後に……お前はどうしたのかを」

 

 珱嗄は真剣な表情でそう言った。全ての謎は、メアリーが握っている。珱嗄は彼女を敵だと思っていないからこそ、そう言う。この状況がなんなのかという疑問と、そしてメアリーが何をどうしたいのかという彼女自身の願いを、問う。

 

「……本当?」

 

 メアリーは、上目づかいでそう言う。不安げに、確かめる様に、正確な言葉を欲しがった。

 

「ん?」

「本当に……私を化け物だって……思ってないの?」

「思ってないよ」

 

 メアリーの問いに、珱嗄は即答した。

 

「俺がメアリーが人間じゃないと気がついたのは初めて会った時からだが……言っただろう、『一緒に行こう』って」

 

 メアリーは思いだす。珱嗄が最初にメアリーに出会った時、既にメアリーが人間じゃないと気が付いていた。気が付いていて、尚何も言わなかった。また、拒絶するでもなく共に進もうと言ってくれた。それは紛れも無く、仲間として認めるということではないか。

 

「………うん」

「ほら、泣くなメアリー。まだやることがあるんだ、イヴちゃんと再会した時に泣き腫らした顔を見せるのか?」

「え、えへへ……大丈夫、泣かないよ……珱嗄と一緒だもん」

 

 メアリーの言葉に、珱嗄は苦笑する。そして、また手を繋いで歩きだす。まだやらなければならない事がある。イヴもギャリーも、救い出してやらねばならない。そう任されたのだから。

 メアリーの心の中に、もう罪悪感は無い。珱嗄がいるのなら、イヴやギャリーにも同じ様に秘密を打ち明けられる。それだけの勇気が持てる。認められなくとも、精一杯自分の気持ちを伝えよう。それでもだめなら、珱嗄を頼ろう。

 

 ―――それくらいなら、許してくれるでしょ?

 

「珱嗄」

「ん?」

「ありがとっ」

 

 ―――だって、私達は仲間なんだから。

 

 メアリーはニヒルな笑みを浮かべて、嬉しそうにそう言った。珱嗄はその短いお礼に対して、ゆらりと笑った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「だからね、珱嗄達がこの世界に取りこまれたのは、私が願ったから……この世界の作品達が私の願いを察知して珱嗄達をこの世界に取りこんだの」

「ふむ……」

 

 それから、歩きながらメアリーは珱嗄に説明していた。メアリーがこの世界から、外の世界に憧れていたこと。薔薇はその人の魂そのものであること。額縁から珱嗄達を見つけて、会ってみたいと思った気持ちを作品達が察知して、珱嗄達を無理矢理この世界に引っ張り込んだこと。メアリーがそれに罪悪感を感じて、珱嗄達の所へ来たこと。そして、メアリーは珱嗄達の内一人をこの世界に閉じ込めれば、外の世界へ出られること。メアリーは外へ出たいと思っていて、でも珱嗄達の誰かを犠牲することは出来ないと思っていること。全てだ。

 

 珱嗄はそれを聞いて、思考を纏める。メアリーは珱嗄達と同様に黄色い薔薇を持っていた。無論、本物ではない。魂を持っていないメアリーが本物の薔薇を持てる筈が無い。故に、それは造花である。

 しかも、珱嗄達の内誰か一人がこの世界に残れば、メアリーが外へ出られるという事実と、メアリーが外へ出たいと思っていることが、一番問題だ。

 

 何故なら、この世界の作品達は『メアリーの願いを察知して』それを叶えた。それはつまり、メアリーの願いはこの世界の作品達によって叶えられてしまう可能性があるということ。この場合ならば、イヴか、ギャリーか、珱嗄の内誰か一人が強制的にこの世界に閉じ込められてしまうということだ。事態は思ったよりも深刻なのかもしれない。これの解決策は二つだ、四人全員が外に出る方法を見つけること。そしてもう一つは、メアリーという作品を――――破壊すること。

 

「……珱嗄?」

「……まぁ、追々考えていくとしよう。今はイヴちゃん達を迎えに行くことにしよう」

「? うん」

 

 珱嗄は一旦思考を置いておいて、とりあえずはイヴとギャリーの二人と合流することにした。今はまだ、決定的な情報が足りていない。メアリーを追い詰める作品達の意図、そしてこの世界における薔薇の意味、そしてメアリーが他の作品とどう違うのか、まだまだ分からないこと尽くしだ。

 故に、少しづつ紐解いていこう。全てが幸せに終わる、ハッピーエンドはある筈。

 

 

 ―――だから俺は、それを実現しよう。

 

 

 それはけして、簡単なことではない。恐らく最も難しい未来だ。

 だがしかし、珱嗄は娯楽主義者。最も難しいその未来を掴む、それは彼にとって、

 

 

 ―――それもまた、面白い。

 

 

 面白いと言える難関であろう。

 

 



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秘密の共有

 珱嗄とメアリーは、その後順調に進んでいった。複雑に入り組んだ道では無かったので、道筋は大分簡単に進む事が出来たようだ。作品も襲ってくるようなものは無く、小さな絵画くらいしか飾られていなかった。短い階段や曲がり角の多い道ではあったものの、これまでの道のりと比べれば幾分平和なものだった。

 そして、その道の突き当たりにあった扉を開き、中にあったのは渡り廊下の様な空間だった。一本道で、突き当たりに同じ様な扉が見える。単なる通り道……だが、その道の途中が深い溝で断たれていた。

 

 メアリーがしゃがみ込み、深い溝の下を覗き込んでいるが、やはり真っ暗な暗闇で何も見えない。取り敢えず珱嗄は傍にあった、ペンや数枚の紙が置かれたテーブルと水の入った花瓶に近づき、ペンを持ってまた溝に近寄る。そして、そのペンを溝に落としてみた。

 すると、しばらくしてペンが地面に衝突した音が聞こえた。どうやら、この溝の下には地面のある空間があるようだ。

 

「メアリー、ちょっと抱えるぞ」

「え? うん」

 

 珱嗄はしゃがみ込んでいたメアリーを抱える。すると、そのまま溝の中へと飛び降りた。

 

「え……ええええええええええええ!!!!?」

 

 メアリーが急に訪れた浮遊感と、落ちていく感覚に悲鳴を上げる。珱嗄の身体にしがみつき、来る衝撃に目を閉じて備えた。

 だが珱嗄は地面が見えると着地の体勢を取り、ふわっと落下の衝撃を緩和して着地した。メアリーや珱嗄の身体にはなんのダメージもない。

 

「お、珱嗄! 飛び降りるなら飛び降りるって言ってよ! びっくりした!」

「ああ、悪かったよ……立てるか?」

「こ、腰が抜けてる……」

「っははは! 仕方ないな、もうしばらくはおぶっててやるよ」

「むぅ……元はと言えば珱嗄のせいじゃない」

 

 むすっとするメアリーをおんぶして、珱嗄は改めて降り立った空間を見渡す。壁にぶら下がった五本の紐と、別々の壁に設置された二つの扉がある。また、床には三角形の窪みも見えた。そして、片方の扉は鍵が掛かっている様だ。

 

「ふむ……どうやら、イヴちゃんとギャリーには早々に再会出来そうだな……」

 

 珱嗄はそう呟いて、メアリーをおぶったまま鍵の開いている扉を開き、進もうとする。すると、扉を開けた所に何やら茶色い木の壁があった。これでは入れない。

 だが、珱嗄はその木の壁を片手で軽く押す。すると、その壁は案外簡単に動いた。

 

「さて、と」

 

 珱嗄は壁が遠ざかって出来た隙間からその中に入る。すると、そこは先程四人で調べた部屋だった。奇妙なぬいぐるみが並び、大きな怪物の絵が飾られている。あの空間。

 

「ここって!」

「そうだ、あの部屋だな」

「じゃあイヴとギャリーに会えるよ!」

 

 メアリーがぱっと笑顔を咲かせてそう言うと、珱嗄はそれに頷いた。そしてそのまま部屋を出れば、そこは四人が分断された茨のある道。当然そこには、イヴとギャリーが珱嗄達の助けを待っていた。

 

「二人とも、待たせたな」

「! 珱嗄! それにメアリーも!」

 

 珱嗄が声を掛けると、ギャリーとイヴは勢いよく振り返り、安堵の表情を見せた。思ったよりも早く珱嗄が来てくれたことで、幾分張り詰めていた緊張感と不安が解けたようだ。珱嗄はそんな二人に苦笑を浮かべて、歩み寄る。

 すると、ギャリーが珱嗄に背負われたメアリーを見て慌てる。

 

「メアリーはどうしたの? まさか、怪我でもした!?」

「だ、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだもん」

「わはは、腰がわぷっ……」

「もー! 言わないでよっ!」

 

 珱嗄がメアリーをおんぶしている理由を話そうとしたら、メアリーが慌てて珱嗄の口を両手で塞いだ。頬を膨らませ、恥ずかしそうに怒るメアリーを見て、ギャリーは良かったと胸をなでおろした。

 対して珱嗄もイヴに視線を向ける。

 

「イヴちゃんは大丈夫か? 怖くなかったか?」

「うん……ギャリーが手を繋いでてくれたから、大丈夫」

 

 強がっているようには見えなかった。見ればイヴの手はギャリーとしっかり繋がっている。どうやら、ギャリーは珱嗄が助けに来るまでの間、ちゃんとイヴを支えていた様だ。大人として、護るべき存在を護っていた様だ。

 珱嗄はギャリーに目を向けて、ゆらりと笑う。ギャリーはその笑みに言葉は無くとも『よくやったな』という思いが伝わり、照れ臭そうに笑った。

 

「さて、それじゃあ進もうか」

「そういえば、珱嗄達は何処からこっちにきたの?」

「ああ……あの部屋の本棚の後ろに扉があったんだよ。だから俺達は茨の向こう側の扉から遠回りに本棚の裏の扉に辿り着いたんだ」

「なるほど……そんな所に抜け道があったのね……」

 

 珱嗄はおんぶしているメアリーを持ちやすい位置に調整し、イヴとギャリーを連れてまたぬいぐるみの並ぶ部屋へと戻る。

 そして本棚の裏にある扉から、メアリーと飛び降りて来た空間に戻ってきた。相変わらず紐が壁に五本並び、三角形の窪みや鍵の掛かった扉がある。

 

「あれ? この扉鍵が掛かってるけど……珱嗄達は何処からこの空間に入ったの?」

「ああ……この上の階に渡り廊下みたいな所があって、道の途中に深い溝があったんだ、そこから飛び降りたら此処に辿り着いた」

「なんてアグレッシブな進み方なの……!」

「メアリーはそれで腰を抜かしたんだよ」

「わああああ! 言わないでよっ!」

 

 珱嗄がゆらゆらと楽しげに笑うと、背中のメアリーは慌ててその言葉を遮ろうとする。だが、イヴとギャリーには既に伝わったようで、二人とも可笑しそうにクスクスと笑っていた。

 メアリーはそんな二人にうぐぐと唸り、顔を真っ赤にして珱嗄の背中に顔を埋めた。

 

「で、ここからどうやって進むの?」

「メアリー分かるか?」

「うん……此処から先はさっきの上の道とこの扉の先の下の道で仕掛けが連動してるの。だから、やっぱり誰かが上の道を進んでこっちと上手く連携を取らないと進めない……」

 

 メアリーがこの先のことを説明する。珱嗄はその言葉にふむと頷き、少し考え始めた。

 だが、その思考はギャリーが遮る。

 

「ちょ、ちょっと待って! なんでメアリーがこの先のことを知ってるの?」

「あ」

「あ」

「あ、じゃないわよ!?」

 

 珱嗄もメアリーも、今気がついたとばかりに大きな口を開けてそう漏らす。ギャリーはそんな二人に普通に突っ込んだ。

 すると、メアリーは少し悩んだ後、珱嗄の着物をギュッと握って意を決したように話しだす。

 

「あ、あのね……私……美術館にいた人じゃないの……」

「え……?」

「どういう、こと?」

 

 二人の反応に、メアリーはまた少しだけ言葉に詰まる。怯えられている、そう思ったからだ。故に、次の言葉をどう言ったらいいか、迷う。辛そうな表情をしながらも、必死に言葉を探すメアリーだが、そんなメアリーを見かねて、珱嗄が口を出した。

 

「メアリー、大丈夫だ。俺が付いてる」

「! うん……」

「イヴもギャリーも、そう怖がらなくても大丈夫だよ。メアリーは俺達の仲間だから」

「……そうね、ごめんメアリー……貴方のこと、怖いって思っちゃった」

「ごめんなさい……」

 

 珱嗄の言葉で、三人に走っていた緊張感と疑心暗鬼な雰囲気が解けていく。メアリーも、少しづつだが自分のことについて話しだす様になった。無論、イヴもギャリーも、それをしっかり受け止めるように聞く姿勢を取っている。

 

「私は……この世界の作品の一つ……パパが最後に描いた作品……『メアリー』」

「パパっていうのは……ゲルテナ、のことね?」

「うん……それで、私はこの世界から外の世界をずっと見てた。外に出たいって思ってたの……でも、それは出来ない願いだった……だから、私は出来ないのに外を眺めているのは辛くて、外を見るのを止めた」

 

 メアリーは、零れるようにそう紡いでいく。

 

「でもね、今日……ふと外を見たら、珱嗄達が見えたの。それで、不意に思っちゃったんだ……あの三人とお話したいなって……そしたら、この世界の作品達がそれを感じ取って、珱嗄達をこの世界に引き込んだの……だから、ごめんなさい……ギャリーもイヴも、私のせいでこんな目に遭ってる……だから、ごめんなさい……!」

 

 珱嗄の背中で、そう言うメアリー。俯きながら、それでもちゃんと言った。責められても仕方が無いことは承知の上だ。イヴもギャリーも、メアリーを責め立てる権利があるのだから。

 

 だが、イヴもギャリーも何も言わなかった。俯くメアリーの頭に、ギャリーはぽんと手を置く。

 

「馬鹿ねメアリー……そんなのメアリーは悪くないじゃない。謝る必要なんてないわ」

「うん……だから泣かないで、メアリー」

 

 イヴもギャリーも、そう言って優しく笑う。メアリーはそんな二人に呆然とする。気が付けば、イヴの言う通り頬を涙が伝っていた。

 珱嗄は、メアリーを地面に下ろす。

 

「だ、だって……私が……!」

「いいのよ、貴方は悪くない。だって、貴方は何もしていないもの」

「そうだよ、悪いのはこの世界の作品達だもん」

 

 イヴがメアリーの手を取って、そう言う。メアリーは、ぐしぐしと涙を拭って珱嗄を見た。

 

「ほら、ギャリーもイヴも怒らなかっただろう? 良いんだよ、お前は俺達の仲間だ」

「………うん!」

 

 珱嗄がそう言うと、メアリーはまたにぱっとヒマワリの様な笑顔を浮かべて頷いた。

 こうして、メアリーはイヴとギャリーとも分かりあった。絆を深めた。作品だろうと関係無い、メアリーはメアリー、この先もずっと珱嗄達の仲間なのだ。四人は、メアリーの秘密を共有してさらに団結を強くし、先に進む。

 

 

 

 

 

 

 ―――だが、この世界はゲルテナの世界。メアリーを苦しめた煩わしい声や作品達の世界。そして、メアリーもその世界の一部。

 だからこそ、珱嗄達はまだ知らない。この結束が、絆が、笑顔が、この先で……崩壊していくことを。

 

 



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されど希望は捨てさせない

 それから、二つの場所で連携しなければ進めないエリアも、メアリーの助言と珱嗄の身体能力によるゴリ押しでクリアすることが出来、四人の信頼関係もより強いものへと変わっていった。

 そして辿り着いたのは今までとは打って変わってクレヨンで描かれたような空間。何もかもが平面で描かれているのに、立体的なものや空間として成立している世界。正直に言って不気味というよりは違和感しか感じない世界だった。

 

 イヴとギャリーは視線を彷徨わせているが、珱嗄は注意深く周囲を警戒している。今までとは一変した世界だ。何が起こるかも分からなければ、襲ってくる作品にも何か変化があるかもしれない。そう考えたのだ。

 メアリー以外の全員がお互いではなく、一変した景色に注意がいっている。

 

 だからこそ、彼らは気が付かなかった―――メアリーの変化に。

 

 メアリーは表情を歪め、軽い頭痛に苦しむように片手で頭を押さえていた。

 

 ――また……あの声……!

 

 その原因はこれまでなりを潜めていたあの声。このゲルテナの世界に存在する作品(どうるい)達の囁きだ。

 

 

 ――ドコに行くノ? 何処に行くノ? どこどどどこどkどおdこど……!

 

 

 途中からノイズの様な音になって、余計に頭の中を掻き回されている様な気分になる。頭痛が酷くなり、メアリーは目の前がチカチカと不安定になるのを感じた。

 

 

 ――行っちゃダメダヨメアリー? いくナラ、なら、なららららななんらならならららあらららならあらっらなら……

 

 

 うるさい、五月蠅い、煩い、ウルサイうるさいうるサイウルさい……!!

 メアリーは頭を振って歯を食い縛る。そうすれば、流石に様子がおかしいと珱嗄たちがメアリーの方へと視線を向けてきた。

 心配そうに声を掛けてきているが、メアリーには聞こえない。目の前が真っ暗になり、聞こえるのはノイズの様な、壊れたラジオの様な、作品達の声のみ。

 

 イヴの顔が見えない。ギャリーの声が聞こえない。珱嗄の温もりを、感じられない。

 

「く……っ……うぅ……!」

 

 そしてノイズが最高潮に達し、最早その音に精神まで浸食されようとしたその瞬間だ。

 唐突に音が止み、視界が戻ってきた。そして、

 

 

 ――メアリーは、可哀想な、欠陥品(ガラクタ)にナルよ?

 

 

 そんな声を最後に、メアリーの持っていた薔薇が色を失い灰になった。

 

「私の……薔薇が……!?」

 

 そしてメアリーの薔薇が塵になって消えた瞬間、クレヨンで描かれた落書きの世界が崩壊する。ピシピシと亀裂が入るような音と共に、表面が剥がれ落ち、その奥から更なる世界が姿を見せた。

 そこに現れたのは、落書きの世界とは全く持って違う。例えるのなら――命なき悲鳴を表現したような、苦痛と狂気と叫びの世界。

 

 ボールペンでぐしゃぐしゃに書き殴ったような細い線が幾つも重なり、黒い背景に血の様に赤い線が走っている。

 ぎょろりと開かれた瞳は、白目の所が赤く、瞳は黒で、瞳孔がまた赤い色――まるで今までに現れた青い人形の瞳の様だった。

 

「なにこれ……知らない……私、こんなの知らない……っ!!」

 

 メアリーも知らない異変に、珱嗄たちは焦りを募らせる。

 先程まであった家や道はなくなり、道も一本道へと姿を変えていた。見えるのは、赤い線で描かれた道と、その先にぽつりと現れた一つの扉のみ。それ以外には何もなく、まるでその扉を通ること以外は認めないと言っている様だった。

 

 退路も断たれ、珱嗄たちはもう進むしか選択肢がないことを理解する。

 

「……進むか」

「それしかなさそうね……」

 

 珱嗄の言葉にギャリーが返事を返し、イヴとメアリーはその選択に従う。それしか取れる方法がない以上、四人の運命はあの扉の向こう側に託されている。

 何があるかは分からない。だから、扉を開けるのは珱嗄が名乗りを上げた。

 

 取っ手を回せば、鍵が開いていることが分かる。当然だろう、そうでなければ手詰まりだ。

 

「……開けるぞ、皆警戒はしておくんだぞ」

「ええ……イヴ、メアリー、アタシの後ろに」

「う、うん」

「っ……」

 

 全員の視線を受け、珱嗄が扉を開けた。

 

「!」

「嘘……こんなことって……!」

 

 扉を開けた先にあったのは、扉が二つある部屋だった。

 だがその空間には扉の他にもう一つ、メアリーが驚きの声を上げたものが存在している。

 

 そう、それは――メアリーの絵だった。

 

 本来ゲルテナの作品として存在しているメアリー。その彼女の本体ともいえるその絵画が、二つの扉に挟まれるように飾られている。そしてその絵の下には、作品名の他に説明書きの様なものがあった。

 珱嗄たちはメアリーの絵の前まで近づいて、その説明書きを見る。

 

「なんだこれ……」

 

 ――可哀想なメアリーは外に出たくてイヴを犠牲にしました。

 ――意地悪なメアリーは外に出たくてギャリーを犠牲にしました。

 ――身勝手なメアリーは外に出たくて珱嗄を犠牲にしました。

 

 ――二つの扉、右は外への道で、左は素敵なパーティよ!

 

 ――勿論、優しいメアリーはパーティに参加してくれるよね?

 

 書かれていたのは、作品達からの選択肢。右に入れば外へつながる道へと通じており、左は作品達が待っている。そういうことだろう。

 

「……!」

 

 メアリーはそれを見て絶望していた。

 外に出られるのは四人の内三人だけ。つまり、外に通じる道へと続く扉を通れるのは、この中の三人だけだということだ。

 

 当然、元々外の住人である珱嗄たちが通るべきだと、メアリーは思った。

 

 外を願ったメアリーを、しかし作品達は逃がしてはくれない。珱嗄達が優しく、作品と知っても尚今まで通り接してくれても、メアリーが外に出られる資格には成り得なかった。

 だから、メアリーは俯き震える唇を動かす。

 

「……三人とも、右の扉を行って」

「何言ってるのよメアリー! アンタを置いていけるわけないでしょ!」

「良いんだよ、私は元々この世界の住人なんだから……それに、外に出られなくても皆が私の為にパーティを開いてくれるもん。寂しくなんてないし、おかしかったことが元に戻るだけだよ」

「……メアリー」

 

 メアリーは眼を逸らし、ギャリーとイヴの言葉を言外に拒絶した。これでいい、これでいいんだと自分に言い聞かせて。

 

 しかし、珱嗄は黙ってじっとメアリーのことを見ていた。

 

 居心地悪そうに自分の腕をもう片方の手で掴み、目を逸らすメアリー。その姿が、嘘をついていることを明確に表している。

 けれど、このままでは絶対にメアリーは退かないだろう。なにがなんでも、此処に残ると言い張る筈だ。

 

 それでも珱嗄は、ゆらりと笑った。

 

「分かった、それじゃあイヴ、ギャリー、行くぞ」

「ちょ、珱嗄! アンタそれでいいの!? メアリーは……!」

「良いから良いから、ほら」

「ダメ……メアリー……!」

「良いわけないでしょ! 放しなさいッ……! くっ、メアリー! アンタもこっちに来るの! 外に出たいんでしょ!? 四人で一緒に出ようって言ったじゃない! 聞いてんのメアリー! メアリィィィィィ!!!」

 

 俯くメアリーはギャリーの言葉を聞いて、ぐっとこらえるように下唇を噛んだ。眼を逸らし、ぎゅっと目を閉じる。

 

 そして、パタン――という音と共に扉が閉まり、静寂が訪れた。

 

「ごめんね……ばいばい、ギャリー、イヴ……珱嗄……」

 

 ぽつり、呟いたその言葉が部屋に響き、消える。顔を上げられないまま、メアリーは自分の絵に触れた。

 

「どうして……私をこんな風に創ったの、パパ……!」

 

 その問い掛けは、あまりに残酷で、あまりに悲しい。ずるずると崩れ落ち、ぺたんと座り込むメアリーの瞳からは、熱のない涙が零れた。

 涙も流れるのに、嗚咽も漏れるのに、こんなにも悲しいのに、メアリーの作品である事実が生を感じさせない。

 

 温度のない涙、仮初の嗚咽、本物の感情。

 

 どうして、感情だけは偽物のままでいさせてくれなかったのか。

 どうして、狂わせてくれなかったのか。

 どうして、孤独な作品のままにしたのか。

 どうして、どうして、どうして―――

 

 メアリーは作品だ。何もない、生きてすらいない、作品だ。

 

 死にたくても、生きていない。消えたくても、消えられない。悲しみだけを受け止めて、孤独の永遠を過ごさなければならない運命。

 

「……私は、普通の女の子でいたかった」

 

 心の底から零れ出た、その願い。自分の否定と皇帝の入り混じった、複雑ながら単純で、絶対に叶うことはないとつい先ほど諦めた、諦めさせられた夢。

 

 普通でないから諦めたその願いを、

 

「なら、最後まで足掻こうぜ――メアリー」

「ッ――!?」

 

 普通でない男が救い上げた。

 

 勢いよく顔を上げたメアリーの視界に、ゆらりと笑う珱嗄の姿があった。扉は閉まったけれど、珱嗄は扉の向こうへは行かなかったのだ。イヴと、ギャリーだけを押し込んで。

 

「珱、嗄……なんで……!?」

「悪いなメアリー、俺は結構負けず嫌いなんだ」

 

 珱嗄はそう言って座り込んでいたメアリーの両脇に手を差し込んで持ち上げると、そのまま立たせる。

 呆然としたままのメアリーの頭に手を乗せて、今度は優しい笑みを浮かべた。

 

「メアリーも一緒に外に出る、それが俺の選んだハッピーエンドだ。作品ごときにゃ変えさせない」

「でも……外に出られるのは三人だけ……私は出られないよ」

「そんなのやってみなくちゃ分からない。作品達の決めたルールなんか知るか……俺は俺のやりたいようにやる」

 

 傍若無人、傲岸不遜、唯我独尊、そんな言葉で言い表せる無茶苦茶な理屈。珱嗄の言葉は、メアリーを呆気に取らせた。

 

「外に出るぞメアリー、そんで……イヴとギャリーも一緒に遊びに行くんだ。普通の女の子みたいにな」

「……出来るの?」

「やってやるさ」

「……うん、分かった……」

 

 珱嗄の差し出す手を、メアリーは取った。

 珱嗄が言うのなら、信じよう。メアリーはそう思って、一度捨てた希望を拾い上げた。

 

「それに」

「?」

 

 メアリーが涙を拭いながら珱嗄の言葉に首を傾げる。

 すると珱嗄はメアリーの絵の額縁を掴み、ゆらりと笑った。

 

「無茶苦茶は得意なんだ」

 

 バキィッ、と大きな音と共にメアリーの絵が壁から外れた。

 

「ええっ!?」

 

 珱嗄はメアリーの絵を抱えると、もう一方の手でメアリーの手を取った。

 

「さ、行くぞ。この世界に目にもの見せてやる」

 

 驚いて大きな口を開けているメアリーに対して、楽しげに笑う珱嗄のそんな言葉。全く持って無茶苦茶極まりないけれど、どこか優しさに満ちている。

 

 だからだろうか。

 

「……あははっ! うん!」

 

 メアリーは外に出られるという希望が、大きくなったのを感じた。

 

 



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あの願いにはちゃんと、意味があった

 イヴとギャリー。珱嗄によって扉を強制的に潜らさせられた二人は、当然すぐさま戻ろうとした。

 しかし振り返った瞬間に扉は消失していて、二人は新たな別空間へと辿り着いたのだ。禍々しい空間から一転、クレヨンで描かれたような輪郭で形作られた小さい部屋。床に散らばっているのは、おもちゃや絵本、下手くそな子供の絵、最奥の壁には何かが飾られていたような跡があった。

 ここはメアリーの為の部屋。誰の目にも止まらない、見つけられない『メアリー』という作品の展示場所。ゲルテナが生涯を賭して作り上げてきた作品の最後を飾る部屋だった。

 

 日記があった。

 ギャリーとイヴはそれを手に取って読んでみる。メアリーがこの部屋で、どんなことを想い、どんな夢を抱き、どんな日々を送って来たのかを、知りたかった。

 

 ――

 

 ○月×日 

 

 めがさめた。

 わたしはメアリー、ゲルテナパパがつくったさくひんのひとつ

 

 まっくらなへや。でも、みんながいるからさびしくないよ!

 

 

 ○月▽日

 

 わたしの絵のむこうに、うごいているひとがいる。

 みんながさくひんたちをみてる。ちょっとはずかしいけど、わたしもみてほしいなぁ

 

 わたしのえはここにある。みんなとちがってだれにもみられない。

 

 なんでも、わたしはみんなとはちょっとちがうんだって。よくわからないけど、わたしは生きたさくひんなんだってさ。パパがわたしをつくったときに何かしたらしいけど、なんだろう?

 

 

 ○月◇日

 

 絵の向こうのひとたちは楽しそう。

 わたしはさいきんお勉きょうをはじめた。ここにはいっぱい本があるから、文字がいっぱいよめる。だんだんかん字っていうのがかけるようになって、ちょっとうれしい。

 

 外のせかいにはかん字の他にもいろんな文字があるんだって。いいなぁ、わたしも外のせかいにいってみたい。

 そういったら、みんながこわいかおをした。なんでもないっていってたけど、ちょっとこわかった。もういわないようにしよう。

 

 

 ――

 

「メアリーが……他の作品と違う?」

「どういうこと……?」

「分からないけど……でも、確かに他の作品と違ってあの子はどちらかというと……私達人間に近いわよね」

 

 日記の内容に首を傾げるギャリーとイヴだが、どうもメアリーを救うための鍵となりそうな情報が得られたことは確かだ。

 更に日記を読み進め、詳しいことが書いてありそうな記述を探す。

 

 

 ――

 

 ▽月○日

 

 今日は私達の美術展が開かれる。場所はパリってところらしい。今までもそうだったけど、見たことないくらい広い美術館にちょっとびっくりした。

 それに人も凄く多い。代わる代わる作品達を見ている人が変わっていくのは、なんだかとても忙しなかった。

 

 最近なんだか皆の様子がおかしい。

 私が外の世界をよく見るようになってからかな。皆の表情が暗い気がする。なんでだろう? 心配しなくても私達はここから出ていくことなんて出来ないのになぁ。

 

 

 ◇月×日

 

 今日もいっぱいの人を見た。やっぱり外の世界はいいなぁ……きらきらしてて、いろんなものがあって、楽しそう。

 

 そうそう、今日は皆がどこからか黄色い薔薇を持ってきてくれた。造花だったけど、黒い部屋に花があるのってなんだか良い気分。

 どこからもってきたのか聞いたけど、皆笑うばかりで何も教えてくれなかった。

 ただ、この薔薇が将来私の欲しいものをくれるんだって。こんな世界だからあんまり信じられなかったけど、皆がくれたから大切にしようと思う。

 

 最近、背が伸びた気がする。

 

 

 #月♢日

 

 なんだか最近皆が怖い。

 眼が血走っているっていうのかな。表情も暗いし、なんだかずっとピリピリしている気がする。相変わらず外の世界では芸術だって言われているのに、どうしたんだろう。

 近寄りがたいから、なんとなく部屋の中が重苦しく感じた。

 

 今日外を見たらふと、お菓子を食べている子供が見えた。マカロンっていうんだって。

 小さくて丸くてカラフルで、なんだか可愛いお菓子。私も食べてみたいなぁ……どんな味がするんだろう。

 まぁ私は作品だから食べるもなにもないんだけどね。

 

 ちょっと髪が伸びて鬱陶しくなってきた。肩くらいだった長さが、今では腰に届こうとしてる。前髪は流石にハサミで切った。落ちた髪が絵具になって床を汚したのにはちょっとびっくりした。

 

 

 ――

 

 

「!」

「これ……」

「ええ……おかしいわ。メアリーは作品の筈……なのに、この日記の通りならあの子は成長してる。背が伸びたり、髪が伸びたり……まるで人間みたいに」

 

 記述にはおかしな事実がいっぱい出て来た。

 それは、メアリーという作品の異質さ。作品でありながら、まるで生きている人間の様に成長しているメアリー。背が伸びる、髪が伸びる、そんな外見的なものは、作品として作られた瞬間に確定している筈だ。

 なのに、メアリーは絵とは違う姿で覚醒し、絵の姿の様に成長したのだ。しかも他の作品達は最初から知っている様な知識も、子供が学習して覚えるように身に付けている。

 

 ――彼女だけが、最初から作品として完成していない

 

 未完成だったものが、完成していくように。欠けていたものが補完されていくように。彼女だけが他の作品とは違う道を歩んでいる。

 

「それが……ゲルテナがメアリーに施した何か……?」

「……ギャリー」

 

 だとしたら、希望はあるかもしれない。

 

 メアリーがもしも人間とは違う形で、"生きている"のだとしたら――それはこの世界から出ることが出来る魂を持っているということになる筈。

 黄色い薔薇は朽ちて灰になった。元々はそれがなくても動くことが出来たのかもしれないが、作品達が与えた薔薇を作品達が消し去ったことの意味がある気がする。

 

 つまり、メアリーもギャリー達も、最初からある勘違いをしていたとしたら、全て辻褄が合うのである。

 

 何せ作品達は"知っていた"のだから。

 

「イヴ……メアリーのこと、好き?」

「……うん、友達だもん」

「……そう、そうよね……あの子はアタシ達の友達で、仲間……なら、あの子を置いて外の世界に行くなんて――」

「「絶対イヤ」」

 

 二人は同時に言う。顔を見合わせ、共に笑顔を浮かべた。

 手を繋ぎ、消えた扉とは違う扉の前に立つ。クレヨンで描かれたチープな扉は、二人にとっては外に出るための道ではない。メアリーと珱嗄を、救うための道だ。

 

 本来出会う筈のなかった、交わることのなかった物語。

 

 幸福なエンドは、二人にとってはベターであるがベストじゃない。今ここにいるギャリーとイヴは、用意されたエンディングを迎えることを是としない。

 

 本当に幸せな終わりがあってもいいじゃないか。

 

 黄色い少女は願ったのだ――外の世界に出たいと。

 そしてその願いがイヴとギャリー、珱嗄を引き寄せ結びつけた。その意味はきっと、この時の決断にある。この三人でなければならなかった理由が、この決断にある。

 

 イヴもギャリーも珱嗄も、そしてメアリーも、一緒に外に出る。それが彼女達の望む最高のエンディング。涙はいらないし、絶望もいらないし、妥協もいらない。この手にある者は全て持っていく。

 

「行くわよイヴ、アタシ達の手で――友達(メアリー)を救うの!」

「うん!」

 

 扉を開け、二人は駆け出す。友達の為に二人は外の世界と自分達の魂を天秤に掛け、そして選んだのだ。

 

 ――その両方の選択肢を

 



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ED 幸せの絵画

 ――この世界にはいくつか、おかしな点がある。

 

 そう切り出したのは、珱嗄だった。

 メアリーは珱嗄を見上げて首を傾げるが、珱嗄は目を合わせることなく前を向いたまま口を開いた。

 

「まず、どうして作品達は俺達の薔薇を狙うのかだ」

「どうしてって……」

「そもそも、俺達をこの世界に招き入れた理由はメアリーが願ったからだ。それは既に成し遂げられているし、閉じ込めておきたいのなら脱出手段そのものを潰せばいい……なのに、わざわざ俺達の薔薇を狙う理由はなんだと思う?」

 

 珱嗄はこう考える。

 メアリーの願いに呼応して珱嗄達をこの世界に呼んだのだとすれば、作品達は珱嗄達を狙ってはいけないのだ。何故なら、メアリーがそれを望んではいないのだから。

 だとすれば、作品達が珱嗄達の薔薇――命の結晶を狙う理由はただ一つ。この世界に珱嗄達が留まってくれれば、生きていようが死んでいようが構わないということ。

 

 しかしそれは暗に、珱嗄達が外へ出るための手段を潰すことが出来ないということの証明でもある。手段がないのか、理由があるのかは別としてだ。

 彼らはメアリーの願いを叶えようとしている。それが狂気に塗れた手段だとしても、強行してやり遂げようとしているのだ。

 

「でも根拠は?」

「メアリーが俺達の薔薇を狙わないことが根拠だ。もしも作品全部が共通した狂気で動いているのなら、メアリーもそうでなければおかしい。つまり、彼らは狂気に支配されているのではなく、自分達の意思でこんな方法を取っていることになる」

「自分達の意思で……?」

 

 珱嗄は続ける。

 

「そこで二つ目。ならばメアリーは彼らにとって、この世界にとってどんな存在なのか?」

「私……?」

「メアリーの願いを叶える。何故そんなことをする必要があると思う? そもそも、メアリー自体が他の作品とは違って異質なんだ。なら、メアリーはこの世界にとって他の作品以上の何かがあるんだ……そして、それは他の作品達からしても同じことだろう」

 

 メアリーはこの世界において、そして他の作品達にとって"特別"な存在なのだ。

 どう特別なのかは分からない。しかし、メアリーが願ったことを他の作品達は叶えようとし、この世界もそれに従う様に珱嗄達を招き入れた。

 それは紛れも無く、メアリーが特別だということに他ならない。

 

 ならば、メアリーとはなんなのか。

 

 ゲルテナという人物は、この作品にどのような何を施したのだろうか。

 

「だとしたら……俺達は最初からとんでもない勘違いをしていたのかもしれない」

「勘違い? それって……」

「俺の考えていることが正しければ……わはは、まんまと出し抜かれたわけだ。人外を出し抜くとは恐れいった」

 

 珱嗄はメアリーの手を取って、イヴとギャリーが進んだ扉とは違う、もう一方の扉へと手を掛けた。

 えっ、と驚くメアリーだが、声を上げる暇もなく珱嗄は扉を開けた。メアリーの絵を持って入ったその扉の向こう側――そこには賑やかなパーティなんてものはなかった。

 

 小さな部屋に、古ぼけた机が一つ。

 

「え……」

 

 その机の上には、質素な花瓶。

 

「……これ、は」

 

 そして、その花瓶には輝く一本の黄色い薔薇が活けてあった。

 部屋を照らし、薄暗い空間の中で華やかに輝いている。暖かな光からは生の鼓動を感じ、命そのものが凝縮されたような瑞々しさがあった。

 

 造花ではない。紛れも無く、珱嗄たちと同じ本物の薔薇だ。

 

 メアリーは信じられないものを見るように、ゆっくりとそれに近づいて――触れた。

 メアリーの手に取られた黄色い薔薇は、まるで本来の居場所へと戻っていくようにメアリーの身体の中へと入っていく。

 

「きゃっ……!?」

「……ゲルテナの作品はきっと、全部未完成だった」

 

 瞬間、メアリーの身体に変化が起こった。

 見た目が変わったわけではない。肉体に変化が起こったのだ。

 

 ――どこか質素な金髪が、まるで金糸のような艶のある輝きを得た。

 

 ――暗いブルーの瞳に、潤いと光が差した。

 

 ――真っ白な肌に、血が通った様な赤みが付いた。

 

 メアリーは胸に手を置くと、目を見開いて驚く。心臓の鼓動があったのだ。

 ドクンドクンと、命の鼓動が自身の体の中から聞こえてくる。それは生きている証。作品ではなく普通の女の子として生きている証。

 

 呼吸が苦しい。顔が熱い。涙が温かい。心臓が爆発しそうなほど鼓動している。

 

 これが、生きているということ。苦しい肉体のしがらみが、溢れようとする感情に歓喜している。

 

「きっとゲルテナは、一つの命が作りたかったんだ」

「命……」

「メアリーは、ゲルテナが最後に残した最高傑作にして失敗作――だからこそこの世界が生まれた。ゲルテナの残した遺志を、彼の残した作品達が受け継いで……歪んだ芸術の世界が生まれたんだ」

 

 それはきっと、ゲルテナの願いだった。

 メアリーを普通の女の子にする。それはメアリーの願いでもあって、他の作品達の願いでもあって、ゲルテナの願いだった。

 

 だからメアリーは特別なのだ。

 

 ゲルテナの創った最後の作品――それは、ゲルテナの生んだ一人の娘。

 この世界も、作品達も、心の底でメアリーが可愛かった。末っ子ともいえる彼女は、きっと彼らからは大切な宝物であっただろう。

 

「でも……ならどうして、私にあんなことをしたの? どうして、珱嗄達の薔薇を狙ったの?」

「簡単さ……メアリーを外へ出してあげたかったからだ」

「な、なんで……」

「メアリーを外に出してあげたかったから、俺達を呼んだんだ。メアリーを幸せにするために、俺達の薔薇を狙ったんだ。メアリーを悲しませないために、メアリーを苦しめたんだ」

 

 そう、全てはメアリーの為。

 メアリーには魂がない――ならば他から掻き集めるしかない。だから珱嗄達をメアリーが願ったからという理由で呼び込んだ。そして三人の内誰でもいい。命を結晶化した薔薇を、少しでも奪おうとした。

 

 ――奪った命の欠片で、メアリーの薔薇を創るために。

 

 先程メアリーに命を与えた薔薇は、珱嗄やギャリーから奪った薔薇の花弁で作った薔薇。つまり、彼らは珱嗄とギャリーの魂の力をメアリーの命にするために薔薇を狙ったのだ。

 そしてメアリーを苦しめたのも同じ理由。メアリーはあんな目に遭って尚この世界の作品達を嫌いになっていない。それだけ作品達を大切に想っていて、優しい子なのだ。

 

 メアリーが心置きなく外に出るために、彼らは悪役を演じたのに。

 

「そんな……そんなことっ……!」

「彼らにとっての葛藤はきっと、俺達が薔薇を失ってこの世界に死体として残ること……そうすればメアリーはずっとこの世界に残るからな。外に出してあげたくても、別れたいわけじゃないからな」

「……!」

 

 珱嗄の言葉に俯いたメアリーの足元に、青い人形がいた。メアリーを心配そうに見上げていて、元気づけるようににっこりと笑う。

 メアリーはその笑顔にとうとう堪え切れず、涙をあふれさせた。

 人形を抱き締め、手に入れた本物の涙をこれ以上なくボロボロと流し続ける。

 

「うわあああぁぁぁ!! ひぐっ、えぐっ……! そんなことまでしなくても、良かったのに……!! 私だって、皆が大好きだよっ……別れたくない! でもっ、でも……こんなことまでして貰ったら……私外に行くしか出来ないよ!!」

 

 ――メアリー、ボクたちは君を愛シテルンダよ

 

「ッ他になにもしてあげられない……! 皆は、私にいっぱいくれたのに……! 私だって……私だって皆に何かしてあげたかった! ふぐっ……ぅぅぅぅ!!」

 

 ――生まれてきてクレタ……それだけで良かったンダ

 

「でもっ!!」

 

 ――大好きなんだ、メアリーが。だから外に行って欲しい……ミンなが、メアリーの幸せを願ってる。普通の女の子ミタイにサ、いっぱい遊んで、いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい……いっぱい……幸せにナッテヨ

 

 それが、悲しきゲルテナの願い。作品達の願い。メアリーの幸せを手に入れるために、これだけ多くの意志が動いた。その身を投げ打った。

 

 メアリーが幸せになれるなら、関係のない人間も巻き込もう。

 メアリーが幸せになれるなら、狂気にも身を委ねよう。

 メアリーが幸せになれるなら、メアリーも苦しめて見せよう。

 メアリーが幸せになれるなら、メアリーに恨まれたって構わない。

 

 ――"メアリーを愛している"

 

 それが分かればいい、それだけあればいい。他のことなんでどうでもいいから、大好きな娘に、大切な妹に、せめて人並みの幸せを――!!

 

「えぐっ……ああああぁぁ……!!」

 

 メアリーは自分がどれほど愛されているのかを知った。愛されてきたのかを知った。その愛は世界で一番大きく、そして温かい。作品であろうが関係ない。

 

 ――ほら、メアリー……お別れだよ。いっておいで

 

「……っ……う゛ん……」

 

 メアリーを突き放すようにして人形はメアリーから離れる。その表情は、どこから泣いているようにも見えた。

 すると人形は珱嗄の方を見て、真剣な声色を届けてきた。

 

 ――メアリーを幸せにシテ。不幸にしたら、絶対にユルサナイ……!

 

「ああ任せろ、この不器用人形め」

 

 珱嗄は人形にむかってゆらりと笑みを浮かべてそう言う。

 メアリーの幸せを願った人形達は、ゲルテナは、芸術者のクセにどこか不器用だった。苦笑を漏らして珱嗄は立ち上がったメアリーの手を取る。

 そしてメアリーの絵をその場に置くと、奥にあった扉の前に立った。命を手に入れた以上、メアリーの絵は既にただの作品だ。持っていく必要はもうないし、この世界においていった方が良いだろう。

 

 そして珱嗄は扉を開いた――

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 メアリーと共に扉を潜ると、その先には美術館に飾られていた巨大な絵があった。向こう側に美術館の光景が見えて、この絵がこの世界の出口になっていることを二人は理解する。

 

「メアリー!」

「メアリー……!」

 

 するとそこへ、イヴとギャリーがやってきた。二人とも無事の様で、汗だくではあるがメアリーを見つけたからか表情は喜色に塗れている。

 

「イヴ、ギャリー……良かった、無事だったんだ」

「アンタこそ大丈夫なの!? ああもう心配したんだから……っ! ……良かった……本当に、また会えて良かった……!」

「ギャリー……!」

 

 ギャリーはメアリーを抱き締め、肩を振るわせる。メアリーも先程泣いたからか目が赤く、ギャリーもイヴもお互いの無事を確認して安堵の涙を流していた。

 そして数秒後に抱擁を止め、立ち上がったギャリーは珱嗄を忌々しげに睨み付けた。イヴもどこか文句ありげな表情をしている。

 

「珱嗄! アンタさっきはよくもやってくれたわね!? メアリーを連れてきたから良かったものの、下手したらどうなってたか分からないのよ!?」

「珱嗄……四人で出るって約束した……」

「あー……はいはい、悪かったよ。許してくれ」

「イヤよ。外に出てアタシ達にマカロン奢ってくれない限り絶対許してあげないんだから!」

 

 ギャリーの言葉に、メアリーはハッとした表情をする。

 それが分かったのだろう。ギャリーはニコッと笑ってメアリーの視線の高さまで屈むと、メアリーの両手を取った。

 

「メアリー、外にはマカロンってお菓子があるのよ? 此処を出たら、皆で一緒に食べに行きましょ?」

「メアリー……行こう?」

「……うん!」

 

 メアリーはギャリー達が自分の日記を見たことを理解したが、二人が気を遣ってくれていることも分かった。だから、素直に頷いて見せる。

 前から食べてみたかったお菓子。外の世界のカラフルな光景は、今でも彼女の胸の中で色づいている。

 

 四人は手を繋いで、顔を見合わせた。

 

「じゃ、行くぞ」

「ええ」

「うん!」

「……うん!」

 

 珱嗄の言葉に皆が返事を返すと――

 

 

「「「「せーのっ」」」」

 

 

 ――いっせーので、四人は絵の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 ――――――

 ――――

 ―――

 

 

 出来た。紛れも無く、私の最高傑作だ!

 

 ああそうだ。君は私の最高にして最後の作品……いや、愛すべき娘だよ。

 

 君はきっと人の目には留まらないだろう。だけど、気にすることはない。君は私の作品の中で最も美しく、最も幸せな作品なんだ。そうでなくては、私の生涯は意味がなかったものになってしまう。

 良いかい? 君は幸せになりなさい。私はそれを願っているよ。

 

 ああそうだ、君にも名前を上げないとね。

 

 君の名前は"メアリー"……ありきたりだけれど、だからこそ普通の女の子として当たり前の名前をあげよう。

 きっと幸せになれる。君の家族は私だけではないから、寂しいと感じる必要もない。

 

 でもそうだな……結婚するときくらいは、報告して欲しいなぁ。

 

 

 ――――

 ―――

 ――

 

 

 数年後、ゲルテナの生涯最後の作品が見つかった。

 

 作品名『黄色い少女』

 

 金髪でブルーの瞳の少女が、とても幸せそうに黄色い薔薇を持っている絵だ。その絵を見に来た人々は、口を揃えて言う。

 

 ――この作品は、幸せを顕現させた芸術だ

 

 この少女は誰かをモチーフにしたのか、それとも架空の人物なのかは分からない。でも、絵の裏面に小さく"Mary"と書かれていたことを今では誰もが知っている。

 稀代の芸術家、ゲルテナの作り上げた生涯最後にして大傑作の絵画。歴史に残るその作品は、後世までこう語り継がれる。

 

 

 "幸せのメアリー"、と

 

 

 

 

 

 ED 幸せの絵画 fin

 

 

 

 

 




完結です!ありがとうございました!


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