光に生きる闇人 (ギグC)
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第1撃 物語の始まり

 振り返ってみれば、嫌な事しかなかった。

 親の愛情も知らないし、そもそも愛情てもんが自分の理解から逸脱しているかもしれない。

 しかしだ。そんな俺でも親と呼べたかもしれない人物がいたのだ。昔の事であり、今となっては薄らと覚えてしかいない。

 よく昔の事を周りの大人達に聞くが、皆はそれを無視し続けている。

 何かを言おうとすると、「次の修行」がセットで飛んで返ってくる。

 同じ道場にも同年代の奴がいたが、これがまたべらぼうに強い。本当に同い年かと疑問に思う程だ。

 今は幸せに暮らしてはいるが、時折昔の事を思い出す。誰かは知らないがある人物の名前と、シルエットだけが浮かぶが、それが誰なのか、名前は何であったのか、は全く分からない。

 けれど、その男のお陰で俺は生き延びる事が出来た。

 いつか、俺はその男を知ることが出来る日も来るのであろう。その時まで、俺は努力を決して怠らない――

 

 

 

 

 

 

「準備は整ったか」と、漆黒を彷彿とさせるサングラスを掛け、上物の一張羅を羽織りながら、男は着々と荷物をどデカイカバンの中へと押し込んでいた。

 荷造りなんて早々に出来ない自分は、彼の言葉に焦りを感じ、慣れない手つきで準備を進める。

 

 

「うん、出来たよ、征太郎!」

 

「こら、その名で呼ぶのはよせ」

 

「え~でも征太郎は征太郎じゃん!」

 

 

 困った、という表情を浮かべながら、男は全ての荷物を持ち上げると、徐にに立ち上がる。

 彼の(かの)男の名、その名は――

 八煌断罪刃が一人、來濠征太郎。

 かなりの実力者でありながら、常識を持ち合わせており、闇に属している半面、表の理屈にも理解を持ち合わせている小太刀使い。

 上からの信頼も厚く、寡黙な仕事人。不用意な殺人など一切行わずに、任務を着々と遂行する。

 だがこの時点で、彼はまだ八煌断罪刃に就任してはいなかった。

 寧ろ、彼は危機的状況に瀕していた。

 彼はとある任務でヘマを仕出かしてしまった。

 それは多かれ少なかれ闇の命に背く事となってしまう。

 だが、彼はその事を承知で命令に背いた。

 

 しかし子供ながらそんな事を一切何も知らない自分からすれば、征太郎は征太郎であった。

 幼い頃から自然が豊かな場所で育ててもらい、何不自由なく暮らす事が出来ていた。

 遊んで貰うこと自体はなかったが、チャンバラゴッコだけは何故か付き合ってくれていた。

 今思えば恐ろしいが、全て真剣で行っていた事が懐かしい。

 

 

「はい、征太郎!」と言われ、呆れ気味に征太郎は荷物を受け取った。

 大きな荷物を背負い、小さな荷物を肩に掛けると、征太郎は子供を抱き抱え、その場を後にした。

 次の瞬間、何の仕掛けもなかった筈の住処が、跡形となく吹き飛んでしまう。

 その爆発の威力はかなりの凄まじさで、百m程吹き飛ばされてしまった。

 

 

「大丈夫か!?」

 

 一張羅の中で、プルプルと震えながら、子供は首を縦に振る。こんな事に巻き込まれ、大丈夫な筈がある訳がない。征太郎に心配を掛けないようにする為の、精一杯の我慢であった。

 

 征太郎は辺りを見渡し、懐にしまってあった小太刀を右手に持ち、左で子供を抱き抱える。

 

 子供乍にわかる、嫌な気が辺りから嫌という程に放たれいる事を感じ取った。

 征太郎ともなれば、この様な包み隠さない、殺気を感じ取らない筈がない。

 鋭い目付きで、ある一点を集中して彼は睨み続けていた。

 

 

「おい、早く出てきたらどうなんだ。殺気が全てを物語っているぞ――ミハイ・ローレンツ……!」

 

 

 数百メートル離れた茂みが、少しだけ揺れたかと思うと、征太郎の前には既に独特な形状の鎌を構えている、死神とも形容がつく様な人物が現出する。

 征太郎が闇の中で光のような存在であれば、ローレンツは対極である存在――。八煌断罪刃の中でも古株であり、発言力にはかなりの影響力があり、同時に征太郎が最も嫌っている人物のひとりである。

 

 

「フッフッフ……貴様は一体何をしておるのだ?」

 

「ふん、聞く必要もあるまい」

 

 

「若造が何をぬかすか。闇の命に背きおって……断罪刃にも入ることをゆるされず、ここでそのガキ諸共地獄へ落としてやろうか――」

 

 

 ローレンツは、鎌を気怠そうに左手から右手に持ち替え、戦闘態勢に入る。

 八煌断罪刃の中で屈指の実力を誇るローレンツに、鎌の穂先を向けられ、十二月であるというのに征太郎の背中から汗が滲み出る。

 

 

「さて、楽しい楽しい地獄めぐりの始まりだぁぁぁああ!!」

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「征太郎!!」

 

 

「うグッ……」と、声を上げ、その場で少し頭を垂れる。先程の戦闘で、辛うじてだが姿を暗ます事には成功したが、見つかってしまうのも時間の問題だ。

 

 

「早く逃げようよ!」

 

「私は――いい。だから、お前は生きろ――」

 

 

「征太たろ――……有無を言わさぬ早さで、征太郎は手刀を首元に一発。気絶した子供を抱え、征太郎は逃げ延びた先のとある道場へと向かった。

 

 

「よし、ここなら心配あるまい――」

 

 

 

 木製の門の真ん前で気絶した子供に背を向けると、征太郎は一歩一歩踏み締め、その場を立ち去った。

 さり際に一言、彼はぽつりと呟く。

 

 

 

  「さらばだ、祐佐久よ。不甲斐ない親代わりですまなかった――」

 

 



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第2撃 梁山泊一同

 朝、目が覚めると同時に木製の天井が目に写った。

 首元がジンジンとし、まだ意識が朦朧とする。あたりを見渡したが、何か、仕切りの様なもので覆われていた。ここは病院なのか、という疑念が浮かんだが、それにしても何かが違う気がする。

 病院であるならば、もう少し清潔感があるというか、独特な匂いがあるからである。

 しかしここは全体的に使い古された感があるというか、寧ろそれさえも超えて、幼いながら侘寂を感じ取ってしまいしそうだ。

 少しばかり頭をもたげながら、祐佐久は上半身をゆっくりと起こし、布団を首元まで掛けながら背後の壁にもたれかかる。

 

 

「一体ここは何処だろう……」

 

 

 病院でもなければ、一体何処であろう。

 布団も、壁も、辺りを囲んでいるカーテンも、床の板と板の間にもホコリ一つ存在していない。これではそこらの病院よりもよっぽど清潔に違いない。

 

 

「うーん……。此処は一体……――あ、そうだ!征太郎を探さなくちゃ!!」

 

 

 祐佐久はベットから首元を押さえながら起き上がり、ベッドの真横にあったスリッパを履くと、ベットの周りを囲んでいたカーテンを、ザッ!っと開けた。

 十二月の割には、かなりの晴天であり、まだ光に目が慣れていない祐佐久の目に、陽の光が襲い掛かる。

 

 

「ウッ、眩しッ――」

 

 

 しかし次の瞬間、祐佐久の目の前に突如日陰が現れた。突然何かに光を遮られ、若干焦ってしまったが、それよりも目がまだ痛む。徐々に目が慣れていき、ようやくだが、ボンヤリと目の前の〝何か〟のシルエットが確認出来る様になってきた。

 鳶職の人達が普段履いている様な靴(足袋)を履いており、ズボンは履いておらず、真っ黒なスカートを履いている(袴)。

 

(あれ、女の人かな?)

 

 上の服は――これは分かる、柔道着だ。これは知っていた。よく、征太郎とチャンバラをする際によく着させられたものだ。

 口元にちょび髭を生やし、ハッキリとした顔立ちをしている。独特な雰囲気を醸し出してはいるが、敵対する様な〝気〟ではなく、かなり心地が良く感じてしまう程だ。

 暫くの間、祐佐久は口をパクパクさせながら眼前の男性の顔を覗いていた。

 次の瞬間、祐佐久は驚きの余り叫んび、気絶してしまう。

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁあああああ!!勝手に寝ててごめんなさぁぁぁぁぁあああいい!!」

 

 

 自分の方向へと倒れ込む祐佐久を軽々と受け止めると、その男は一つ、ため息を付く。

 祐佐久の悲鳴を聞きつけた男の仲間が、朝から騒がしいな、と診療所の玄関をガラガラと音を立てながらゆっくりと中を伺った。

 

 

「秋雨どん、一体何があったね?」

 

「ああ、剣星か。それが困った事に気絶してしまってねぇ。いやぁ、困ったものだよ」

 

「何か脅かしたりでもしたのかね?」

 

「いやいや、ただ、私はこの少年の前に立ちはだかっただけだよ」

 

「充分脅かしてるね……」

 

 

 祐佐久を脅かした人物、基秋雨は再び祐佐久を元いたベットに戻すと、剣星と共に朝食を取るために居間へと向かった。

 

 

「それにしても剣星、あのアパちゃい君はどうだい?」

 

「彼なら大丈夫ね。逆鬼どんと仲良くやってるに違いないね」

 

「彼が梁山泊へ来て二ヶ月が経つのか……時の流れは早いものだ」

 

「ほんとにそうね。あ、そういえば秋月どん――……

 

 

 祐佐久は再び気絶してしまう。

 ああ、なんて情けない。征太郎がこの様な有様を見れば、最早笑ってしまうだろう。

 征太郎と過ごし、早四年近くも経った。幼い頃に征太郎に引き取られた事はハッキリ覚えてはいるが、その反面、全くと言っていい程親の顔を覚えていなかった。

 本当の両親がどんな人達だったかは気になるが、それよりも征太郎と過ごした日々は本当に楽しかった。

 けれど、彼は何処かに行ってしまった。

 本当は自分でも認めたくはないが、征太郎は自分の元から去ってしまったに違いない。

 

 

 征太郎――何処にいるの……

 

 征太郎――

 

 

「せい、たろ――……」

 

 祐佐久が寝言を言っている様を、真横でジーッと見つめている少女がいた。

 その少女は時折人差し指で頬や鼻をツンツンと啄き、その反応を見ては「おお!」と声を上げている。

 流石に何度も何度もちょっかいを掛けられたは、寝ていても気が付いてしまい、祐佐久は目をショボショボさせながら急に起き上がった。

 どうやら寝惚けている様で、彼女の事を征太郎と勘違いしたらしい。

 

 

「あ、す、すすいません――……ゆ、祐佐久、起きておりまふぅ――……」

 

「フフフッ、変な人」

 

 

 そこで少女は再びベットの上で横になっている祐佐久を見、ある事を思いつく。

 声を一オクターブ以上低くし、自分なりにドスの効いた声を祐佐久に向かい、話しかけた。

 

 

「えーっと……オッホンですわ。これ、早く支度を済ませないかですわ!」

 

「すすす、すいません!いまふぐ、服を着替えて――」

 

「――!キャー!!エッチ!!!」

 

 

 女の子の悲鳴が――と、祐佐久がハットなった刹那、身体が宙に浮き、瞬間的ではあるが無重力というものを体験した様な気分になった。

 しかし数秒後、祐佐久は後頭部から地面へと落ち、頭を抱えながら辺りをジタバタとのたうち回る。

 漸く痛みが治まり、徐に立ち上がると、そこには今まで出会った事の無いような目鼻立ちがクッキリとし、金髪の美少女が祐佐久の目の前に姿を現した。

 しかし、よく見れば自分よりも背丈が小さく、恐らく年齢もかなり離れているのだろと感じ取る。

 

 

「ああ、ごめんなさいですわ」

 

「イテテ……――今のは一体何が起こったんだ!?」

 

「私が間違って蹴り飛ばしてしまいましたの」と、かなりションボリとした表情を、彼女は浮べていた。

 しかし、目の前にいるこんな小さくて可愛いらしい少女が自分を蹴り上げれる訳が無いと思い、祐佐久は笑いながら返事を返した。

 

 

「それがホントならすごいや!」

 

「頭、痛くないですか?ですわ」

 

「んー、ちょっとだけ痛いけど――大丈夫だよ」

 

「それより――」と、祐佐久が話を振ろうとした瞬間、腹の虫をがグウグウと大きな音を立てて鳴ってしまった。

 昨日から何も食べていのでかなり腹が減っていたのであろう。

 それを聞いた少女は、クスリと笑を浮べ、祐佐久の手を引っ張り居間へと案内する。

 

 

「随分とお腹が減ってらっしゃいますのね」

 

「実は昨日から何も食べていないんだ」

 

「まあ!それは大変ですわ!」

 

 

 手を引っ張られ、祐佐久は診療所から出るとそこには純日本家屋が存在した。一見しただけでもかなりの大きさであり、此処は一体どんな場所であるか更に検討がつかなくなってしまう。

 

(この子は一体――それよりも……僕は一体どうなるんだ!?)

 

「あの~……ここは一体……」

 

「ここは武術を極めし達人が集う場所――梁山泊ですわ!」

 

「りょ、梁山泊?」

 

 

 梁山泊――全くと言っていい程分からない。

 頭の中で何度も何度も〝梁山泊〟と繰り返しながら、祐佐久は顔を顰めながら、色々と考え込む。

 しかしこの言葉を何処かで聞いた覚えがあり、余計に祐佐久を悩ませる事となったが、それよりも腹が減っているので、そんな事はスグにどうでよくなった。

 様々な事に思いを巡せながら、外に面している廊下を歩いていると、何か地面に突き刺さっている棒のようなものが目に止まった。そして咄嗟に巻藁か、と呟いてしまう。

 

 

「あら、知ってらっしゃいますですの?」

 

「え?いや、たまたまだよ」

 

「貴方も武術、やってらっしゃいますですの?」

 

 

 〝武術〟――その単語を聞くと、征太郎を思い浮かべてしまう。祐佐久が幼い頃に、一度だけ征太郎に「武術をやらないか」と問われたことがあり、勿論祐佐久は「やりたくない」とキッパリ断った事がある。

 余りにもハッキリと応えるので、その時の征太郎は腹を抱えて笑っていた事をハッキリと覚えている。

 しかしだ。祐佐久は武術という単語さえは聞いたことはあるが、その内容を全くと言っていい程知らない。

 どのような武術があり、それはまたどの様に役に立つ等、再び疑問に思う祐佐久であった。

 

 

「あ、申し遅れました。私は風林寺美羽と申しますですの」

 

「僕は――……ゆ、祐佐久です」

 

「よろしくですわ、祐佐久さん!ささ、ここが居間ですのよ。皆さんおいでになさっていますが、基本的にはいい人達ですの」

 

 年季の入った障子を、美羽が開けるとそこには先程いた秋雨含め六人が居間で茶を啜っていた。

 一人は自分と同じか、それよりも少しだけ大きい背丈であり、黒色の帽子を被り、髭を生やしている如何にも中国人っぽい男。一人は明らかに日本人ではないな、と思う様な風貌をしており、今は十二月であるにも関わらず半袖半ズボンという如何にも健康そうな男。一人は自分よりももうちょっとだけ歳上そうであろう女の子。もう一人は上物っぽい一張羅を羽織り、怪訝な目付きでこちらをジーッと眺めている鬼の様に怖い男。

 

(この鬼の様に怖い人は征太郎っぽいや――そんな事より……こ、この金髪のお爺さんは一体何者なんだ!?金髪にお爺さんってなんて組み合わせだよ!聞いたことも見た事もないよ!)

 

 

「おじい様!見てくださいまし、友達が出来ましたの!」

 

「ホッホッホ、そりゃあよかったのう」そういう老人は祐佐久の方へと目を向けると、挨拶を交える。

 

 

「これはこれは、お目覚めかね」

 

「お、おおおはようございます!」

 

「ホッホ、威勢のいい挨拶じゃ。ワシはここの道場の長老である、風林寺隼人。宜しく頼むのう」

 

「じ、じじ自分は!――……祐佐久と申します!」

 

 挨拶を済ませると、美羽は祐佐久の分の朝食を運ぶ。ご飯に味噌汁に漬物、オカズは魚の煮付けにほうれん草のお浸しと 〝the 日本の朝食〟と言った所であろう。

 かなり腹が減っていたので祐佐久は物の見事数分程度でスグに平らげてしまう。

 余りにも必死の形相で飯に食らいつくので、そこに居合わせた全員の笑いを誘う事となったが、祐佐久は気にも留めなかった。

 

 

「――ごちそうさまでした!!」

 

 

 大きな声を上げると、祐佐久は瞬間横になろうとしたが、横になりたい衝動に駆られながら、胡座をかき緑茶を啜る。これも征太郎にいつも言われていた事であり、胡座をかきながら茶を啜るのも征太郎がいつも祐佐久の目の前で行っていた事であった。

 

 

「さて、祐佐久君。アンタは一体何故家の門の前で倒れておったんじゃ?」

 

「えーっと……確か征太郎に連れてこられて……」

 

「征太郎とは親御さんかのう?」

 

「あ、え、いや、僕の親は元々いませんから!だから――征太郎に引き取ってもらって……その……――」

 

 

 ここで祐佐久はとある言葉を思い出す。

 夢であって欲しい、本当にそう思った。

 しかし、途切れゆく意識の中でハッキリと征太郎が自分にその様な言葉を掛けた事を思い出す。

 

 

「さ、ら、ば――……ウソだ!ウソにきまってる!そんな事征太郎がするもんか!」そう言い、祐佐久は急に立ち上がると、居間を飛び出し、門へと駆け出した。突然の行動に全員が呆気に取られてしまう。

 

 

「お、おいおい、アイツどっかに行っちまったぜ!?」

 

「アッパー!驚き桃の木サンゴの木よ!」

 

「早く、追わない……と」

 

「なかなか不思議な子ね。秋雨どん、早く追った方がいいんじゃないかね?」

 

「フッ、私が追うまでもないさ。既に長老の残像がそこにあるだろ?」

 

 

 門の前に到着した祐佐久であったが、彼がその門を開ける事は到底不可能である。そんな事は何よりも自分が一番理解している。だが、そんな事はどうでもよく、只只門を一人で開こうと涙を堪え必死になっていた。

 しかしこの門は余りにも重すぎた。祐佐久は力尽き、その場に蹲る。泣きそうになったが、征太郎に男は泣くな、と教えられていたので、必死に涙を堪え、空を仰ぐ。

 

 

「祐佐久君」

 

「いきなり、ごめんなさい。でも、僕は――僕は捨てられたんじゃない……征太郎がそんな事をする筈が無いんだ……」

 

「まあ、別にあれじゃよ。此処にわざわざ祐佐久君を預けるとなると余程の事情があったんじゃろう。普通の人ならばこんな所にはまず預けないじゃろう。

 恐らく、その征太郎という人物は祐佐久君の身を案じたに違いない」

 

 

 隼人は祐佐久の横に胡座をかいて座り込む。

 祐佐久は未だに空を仰いでいる。涙を一滴も零さない様に。

 隼人はそれを横目でジーッと眺めていた。

 祐佐久の目の周りには涙が貯まっており、少しでも下を向けば全て流れ落ちてしまう。横から見ていてもかなりシュールな光景であり、隼人は心が和むそんな様な気がした。

 ここは地上であるが、祐佐久からすれば今は海だ。涙の海から覗く太陽がまた眩しい。

 

 

「祐佐久君や。泣きたい時は泣いてもいいんじゃよ。君のような子供が泣くことを我慢する必要はないのじゃよ」

 

「――征太郎との約束が……約束が……」

 

(この子は面白い子じゃのう。素直というか愚直というか……。ここまで他人の言いつけを守る子も珍しい。よっぽどその人物の事が好きであったのじゃろうな――)

 

「泣きたい時は泣きなさい。そうしなければ辛いぞい」と隼人は、優しさを含ませた笑みを祐佐久へと向ける。

 その笑みに祐佐久の涙のダムは決壊してしまい、遂には声を荒らげて隼人に泣き付いた。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」

 

「よしよし、ええ子じゃええ子じゃ」

 

 

 隼人にあやされながら、祐佐久は数十分間抱き着きながら泣いていた。

 今まで他人の目の前で泣いたことなど一度もなかった祐佐久であったが、泣いてもいいと初めて言われ、それが心に響いたのであろう。

 二人の光景を物陰から眺めていた残りのメンバー一同は物陰から姿を潜め、隼人と祐佐久を見つめていた。

 

 

「フッ、なかなか面白そうな子じゃないか」

 

「本当にそうね」

 

「ホントに泣きたい時は泣かなくちゃヨ。アパちゃいもたまには泣きたくなるヨ!」

 

「僕……も」

 

「オメーらが泣くなんざ想像つきやしねぇよ!」

 

「もう、逆鬼さん!声が大きいですわ!これではお爺様にバレてしまいますですの!」

 

 

 祐佐久は涙が収まったころには既に泣き疲れ、隼人の膝の上で寝てしまった。

 泣き疲れて寝てしまう、という経験は一度も無く、祐佐久は不思議な気持ちで眠りについた。

 隼人は祐佐久のその様を眺め、再び笑みを浮かべるのであった。



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第3撃 一体?彼の名前は?

場面場面に合わせて、アニメ版で放送され史上最強の弟子ケンイチで使用されたBGMの使用をおすすめします。


 

 

 祐佐久はよく征太郎と焚き火をして、共にサツマイモを食べたものだ。

 祐佐久は征太郎と共に山奥で暮していた。それ故に秋の過ごし方は落ち葉を掻き集め、焚き火をするか、一人で山を散策して紅葉を楽しむかであり、行動がかなり限られていた。それ故に〝焚き火〟に関しては人一倍思い入れが強い。

 毛布に包まりながら、縁側に腰を降ろし、祐佐久は寒空の中で練習に励んでいる逆鬼、秋雨、アパちゃいの姿をブルブルと震えながら眺めていた。

 これでは焚き火をしてくれる様な人はいないな――祐佐久はそう悟る。

 剣星はというと、熱い緑茶を飲みながら、もう片方の手にはエロ本を持ち、時折「ムフフ」という様な声を上げながら祐佐久と共に座っている。

 

 

「ねえ、剣星さん。剣星さんは練習しなくていいの?皆練習してるよ?」

 

「ムフフ、ちょっと待ってね!今は手が離せない、否!目が離せないね!!」

 

「うーん……」

 

 

 梁山泊に住み始めて二週間以上経った今、ここの生活にも何となくだが慣れ始めた所であった。朝は四時前に起こされ皆は練習に励むが、その間に祐佐久はというと、料理は余り得意ではなかったが、自主的には美羽の料理の補佐をする事となる。

 特にする事もなければ、すべき事もない。それ故に美羽の手伝いを行う様な流れになる事は当たり前であった。

 美羽にとってもこれはかなりのアドバンテージがあり、今までかなり時間が掛かっていた食事の準備も今までより半分程の時間で済む様になったのだ。

 その朝食の準備も済むと、次は昼食、それが終われば夕飯の支度だ。その間の何も無い時間といえば、皆の練習の風景を眺める事が早くも日課となりかけていたのである。

 

 

「剣星さん、なんか、暇です」

 

「おいちゃんも漸く読み終わったね。あぁ、やはり若い子はイイね♡あのお尻の曲線美が――」

 

「剣星さん!暇です!焚き火でもしましょうよ。日本の秋といえば焚き火ですよ」

 

「んー……焚き火とはまた随分と古風な子ね。今どき焚き火――たまにはいいかもね。おいちゃんと買い物序に落ち葉を集めに行くかね?」

 

「やった!行くよ!早く行こう、すぐ行こう、今すぐ行こう!」

 

 

 世直しからの一時的な休憩で休んでいる長老に、剣星は一言掛けるとすぐさま祐佐久に手を引かれ、剣星達は市場の方面へと向かった。

 二人の手を繋ぐ様はさながら孫と祖父であり、剣星は終始、どこか懐かしい様な表情を浮べていた。

 暫くして八百屋へと差し掛かかり、祐佐久は全速力で駆け出した。

 

 

「これこれ、そう慌てないね」

 

 

 祐佐久は信号が青になり、道路に差し掛かかったが勢い余り転げてしまう。剣星は表情さえは何一つ変えなかったが、内心不安で仕方が無かったが、(子供は怪我してなんぼね)と結論付ける。

 若干、膝を擦りむいたのであろうか、膝を抑えながら祐佐久は徐に立ち上がる。

 次の瞬間、すぐ側の曲がり角から不良が運転を荒げ、祐佐久の目の前へと姿を現した。

 不良側もかなり調子ずいているようで、人を轢きかけているにも関わらずスピードを一ミリも落とさない。寧ろ、轢いてやると言わんばかりのスピードで、祐佐久目掛けてアクセルを全開にし、直進した。

 

 

「どけどけどけ!轢いちまうぞ小僧!!」

 

「――!!」

 

 

 迫り来る車から逃げようにも咄嗟の事で身動きが全く取れず、只只反射的に目を瞑る以外他に選択の余地は無かった。

 周囲の者達も彼がはね飛ばされる事を予期し、皆これが彼の最期である事を確信する。

 しかし、数秒後。その場に居合わせた全員が自身の予期していたものとは全く異なった結果となってしまった。

 

 

双纒手(そうてんしゅ)!!」

 

 

 極拳の一手である技を剣星は繰り出した。

 元は敵の防御をこじ開け、足から送り出された力を背中の筋肉で増幅させて放つ双掌打であるが、今回相手は車である。しかし剣星は地面からピクリとも動かずに、ある程度の重さにそれなりのスピードで突っ込んで来たにも関わらず、一塊の鉄を真正面から受け止め、更には進行方向とは逆ベクトルの方向に車を吹き飛ばした。

 これには当事者である祐佐久も度肝を抜かれ、地面に腰を下ろしたまま口をポカーンと開けていた。

 

 

「大丈夫かね?」

 

「あ、えっと、腰が抜けて……」

 

「ほら、手をかすね」と、剣星はそう言うと笑みを浮かべながら祐佐久の右手を取り、ゆっくりと引き上げる。

 周りの人たちも驚きを隠せてはいないが、それ以上に驚いている人物は祐佐久であった。

 まだ梁山泊に住み着いて二三週間程度しか経っていないが、ある程度は皆の行動を子供ながら把握している筈であった。

 梁山泊の豪傑の練習、(もとい)修行は毎日見ているが、剣星の修行は今の今まで一切見たことがない。加えて梁山泊の中でもとりわけ体格が小さく、秋雨、逆鬼、アパチャイや長老が生身の身体で猛スピードで迫り来る車の前に立ちはだかり、車を吹き飛ばしてしまうことは子供ながらに予想が付く。

 しかし、実際に起きたことは自分の予想に反し、小柄な剣星がなんと迫り来る車を吹き飛ばしてしまったのだ。

 その時になって初めて剣星のすごさを体感した祐佐久である。

 

「ん?どうしたね、早く落ち葉を集めようね」と剣星に声を掛けられ、今まで上の空であった祐佐久は、やっと我に帰った。

 

 

「剣星さん……」

 

「どうしたね?」

 

「剣星さんって、ただのスケベで役立たずのおっさんじゃなかったんだね!さっきは助けてくれて本当にありがとう!僕、剣星さんのことを見直しちゃったよ!!」

 

「え……おいちゃんはユウちゃんにとっては只のスケベえで役立たずのおっさんだったのかね……。おいちゃん超ショックね……」

 

「落ち葉も集まったし帰ろう!」と祐佐久は剣星の手を引っ張り、家路に着いた。

 帰り際に、剣星は終始項垂れながら〝おいちゃんは只の変態で役立たずなおっさんかね……〟と、ドラクエの復活の呪文の様に唱えていた。

 〝おっさん〟と〝役立たず〟という単語がかなり響いたらしく、明日からは祐佐久の目の前でも少しは努力している様を見せなければな――と、しみじみ思った剣星である。

 

 

 

 梁山泊に着くや否や早速、祐佐久は剣星と共に掻き集めた落ち葉を庭にぶちまけた。丁度、美羽も午前中の修行がたった今終わった所であり、興味津々の様子で祐佐久の背後からヒョコッと顔を出し、その様を眺めている。

 

 

「祐佐久さん、一体何をしてますですの?」

 

「これはね、焚き火といって日本の秋のふーぶつしなのさ!」

 

「焚き火――ということは火を使って燃やしますのね。私も一度だけ経験がありますわ!お爺様と山ではぐれてしまった際に落ち葉を集め、燃やした事がありますの」

 

「そ、それは大変だったね。でも今回はそれとは全然違うよ」

 

 

 祐佐久は駆け足で長老の元へと向かい、火の使用許可を得ると、台所からライターを持ち出して早速落ち葉の山に火を付けた。

 そして、買ってきたバカリのサツマイモをアルミホイルに包み、燃えたぎる落ち葉の中に放り込む。

 

 

「ま!何してますですの!?」

 

「フッフッフ……焚き火のだいごみとはつまり……」

 

「つまり……何ですの?」

 

「サツマイモを焼いて、皆で焼き芋を食べる事なんだ!!」

 

「そうなんですの?」

 

「そうだよ!」

 

 

 そこから祐佐久のサツマイモについての熱弁が数十分間続き、終始退屈そうな美羽の表情を眺める事が出来たのは、言うまでもない。

 祐佐久の熱弁が終わるまでの間にはサツマイモは焼き上がり、その間美羽は何度も何度も生あくびを繰り返していた。

 焼き芋の臭いに釣られ、アパちゃいと時雨も同時に顔を出す。

 

 

「ワーイ、焚き火よ焚き火!これ美味しいのカヨ!」

 

「違うよ、アパチャイ。この燃えている中にあるお芋さんを食べるんだよ!」

 

「ワーイ、おイモよ、おイモ!」

 

 芋が完璧に焼き上がると、祐佐久は秋雨から軍手とアルミ製の取手を拝借し、若干燃え上がった落ち葉の中から掻き出し、そして美羽と祐佐久の二人はそれぞれ皆に焼き芋を配った。

 祐佐久、美羽、時雨にアパちゃいは一列に仲良く縁側に並び、残りのメンバーは居間で焼き芋を食べ始める。

 

 

「時雨さん、美味しいですか?」

 

「う……ん」

 

「ふぅ、良かった良かった」

 

 

 アパちゃいは早速だが焼き芋を全て平らげてしまい、横に座っている祐佐久の焼き芋を物欲しそうに見つめていた。

 それに気がついた祐佐久は自らの身体を盾にし、焼き芋を庇うようにして食べ続ける。

 

 

「アパー……」

 

「モグモグモグモグモグ――(早めに食べないと……)」

 

「ユウサクー……アパちゃいにすこーしだけ頂戴ヨ」

 

「モグモグモグ――!(嫌だね!)」

 

 

 刹那、祐佐久の手元にあったはずの焼き芋は既にアパちゃいの手中に収められていた。

 二週間の間に、祐佐久とアパちゃいの間では食事に関する〝領土問題〟はたまた〝戦争〟が何度も何度も勃発していた。

 目にも留まらぬ早さで祐佐久の焼き芋も強奪したアパちゃいは、途端に走り出し、祐佐久が追いかけ回すという梁山泊では見慣れた光景が繰り広げられる。

 

「オッホッホ、あの二人は仲がええのう」

 

「本当に」

 

「全くね」

 

「全くだぜ」

 

 

 祐佐久達が外でワイワイとはしゃいでいる姿を居間から覗いていた彼らは、とある事についての議論をし始める。

 その事とは――祐佐久の苗字についてのであった。

 ここに来てから早くも二週間経ったが、祐佐久は自分の苗字を頑なに述べようとしなかったのだ。

 何度秋雨や長老達が尋ねようとも決して答えずに、いつもはぐらかされ、別の話題へとすり替えられてしまう。

 

 

「んー……何故、彼は頑なに苗字を言おうとしないのか――それが疑念に思いまして」

 

 秋雨の問いかけに対し、長老は「何か事情があるのかのう?」と応え掛けた。

 

「なんだろうな。んー、あれじゃねえか、どっかのお偉いさんで名前を言いたくないんじゃねえのか?」と、熱燗をクイッと飲み干しながら逆鬼はそう述べる。

 だが、何故どこかのお偉いさんの息子が名前をひた隠しにする必要があるのであろうか。

 もしも隠す必要があるならば、それなりの理由がある筈だ。仮にも、豪傑が集う梁山泊に預ける程であるから、命が危ない等の理由があるのであろう。

 しかしだ、では何故梁山泊側に直接コンタクトを取らないのであろうか。

 

 

「うーん……困ったものだ」

 

「秋雨くん、その前に彼は一体何故梁山泊に来たのだと思うかね?彼の様な幼い子供が我々を知っている様には到底思わんくてのう。

 それに、仮にワシらの事を知っていたとしてもワシらに心内を隠しきれる訳がなかろう。じゃが、彼の心を幾ら詠んでもその様な事は全く隠してはいなかった。

 彼は武術も何もやって無い様じゃし、一体何故此処を選んだんじゃろうか」

 

「確かに。可能性があるとすれば、我々の事を少なからずとも知っている者が彼を預けた――と考えるのが筋でしょうなぁ」

 

 

 いくら時間が経とうとも議論は結論に決して至らなかった。珍しく逆鬼も乗り気になり、終始、秋雨、逆鬼、長老の三人は話し合いを続けていたが、全く話は纏まらなかった。

 そして、剣星は漸く口を開き、ある事を提案した。

 

 

「いやいや、流石にそれは違うだろ」

 

「そうかな。私はこう思うが――……」

 

 

 

「酷く難航しているようね」

 

「チッ、やっと口を開きやがったか」

 

「おや、剣星も何か思いついたのかい?」

 

「そうね、最高にして最強の考えを思いついたね」

 

 

 剣星の言葉を聞いた途端、秋雨と逆鬼はかなりの食い付きを見せた。

 かなり剣星が伸ばすので、逆鬼がイライラし始める。

 

 

「なんだよ、剣星!早く勿体ぶらずに言えよ!」

 

「まあまあ、そう焦らんね」

 

「分かったから早く言え!」

 

「その最高にして最強の考えとは――」

 

 

 皆で問い詰めるね!!

 

 その場に居合わせ皆が瞬間だが、呆気にとられた。

 

 

「あ、別に脅迫しようとか全く思ってないけど……そろそろユウちゃんも心を開いてきたに違いないね。そろそろ話してくれるに違いないね!

 幾ら考えていても所詮は机上の空論、目の前の美女に声を掛けようか迷っていたら去ってしまうのがモノの道理というものね!」

 

 

 だが、結論は出たようだ。

 

 

「よし、それでは夕飯前に聞いてみようかのう」

 

「ええ、そうですな」

 

「ユウちゃんならきっと話してくれるに違いないね」

 

「おいおい、本当に大丈夫かよ……」

 

 

 夕飯前に全員から問いただされるなど微塵も思ってもいない祐佐久である。

 外で無邪気に走り回る祐佐久を眺めていた美羽であったが、居間の方から何やら不吉な気が醸し出されているのを感じ取り、ブルブルと震えるのであった。

 

 そして時刻は午後六時を回り、美羽の夕飯の手伝いをしていた祐佐久は急に呼び出され、若干不審がりながら居間に急いで向かった。

 去り際に、美羽から「グッドラックですわ」といわれ、まだボキャブラリーが少なく、意味が分からなかったが、かなり不安になった祐佐久である。

 

 

「し、失礼します」

 

 

 居間に入り込むと、時雨を除いた梁山泊一同が怪訝な表情を浮べ、祐佐久の眼前に佇んでいた。

 

 

「して、祐佐久君。君にちと尋ねたい事があるのじゃが」

 

「は、はい……何かやらかしましたっけ?」

 

「いやいや、何もやらかしてはないぞい。ただ、質問があってのう。

 祐佐久君、君の苗字を聞きたいのじゃが、何故君は頑なにワシらに言おうとしないのじゃ?何かどうしても言えない問題でもあるのかのう?」

 

 

 長老に質問され、祐佐久は下を向いてしまう。

 別段、苗字を名乗ることはいいのだが、実はそれなりの理由があり、二週間近くその話題については避けていたのだ。

 

 

「あの~長老さん……」

 

「どうしたのかね?」

 

「苗字ですよね……実は――

 

 

 

「僕、自分の苗字、知らないんですよ……」

 

 

 祐佐久の言葉を聞いた一同の時間が、瞬間だが止まってしまった。

 まさかの返答に、長老も驚きを隠せないでいた。

 そして、祐佐久は自分が何故此処に来たのかを、余り詳細では無かったが、大まかの事を説明した。

 しかし、その当時祐佐久は征太郎が闇に属しているなど知らず、加えて梁山泊側も征太郎について何も知らなかった。

 後に梁山泊側が征太郎について知る事となるのは、かなり先の事になる。

 

 

「なるほどのう。もしも苗字が無いなど知られてしまっては、警察に厄介となると思ったのじゃな」

 

「ほ、本当にごめんなさい!――征太郎にも絶対に警察の厄介にはなっちゃいけないって言われてて……本当にごめんなさい!」

 

 

 祐佐久は土下座をし、何度も何度も頭を下げた。

 もうダメだ、追い出されてしまう――祐佐久は覚悟を決め、その場を後にしようと思い、立ち上がる。

 

 

「これこれ、祐佐久君、一体何処に行くのじゃ。ワシらは別に祐佐久君を警察に突き出したり、ここを追い出したりは決してせんよ。

 今後とも梁山泊に居たいだけいなさい。皆もうぇるかむじゃよ。のう?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

「ヘッ、俺はどっちでもいいぜ」

 

「おいちゃんは大歓迎ね!」

 

「アパちゃいも、大感激ヨ!」

 

 

 まさかの返答に、祐佐久は未だに言葉を飲み込めずにいた。やがて状況を理解し、祐佐久の涙の決壊は完全に崩壊してしまう。

「長老ぉぉぉおおお!!」と叫び、長老の懐に飛び込み、祐佐久はオイオイと泣き声を荒らげながら、皆に感謝した。

 

 

「ほんとうにありがとうございますぅぅううう!!」

 

「オッホッホっほ、本当にユウちゃんは甘えん坊じゃのう」

 

 

 騒ぎを聞きつけた美羽が居間へと駆けつけると、奇妙な光景が広がっていた。

 大声で泣きながら長老に抱き着く祐佐久の周りに、梁山泊のメンバー一同が笑いながらその様を眺めている。

 

 

「か、カオスですわ……」

 

 

 一体この状況は何なのだ、と美羽は不思議に思ったが、火に掛けっぱなしの鍋がプシューとガタガタと音を立て、すぐさま台所へと再び戻る美羽であった。

 準備が整った料理をお皿に盛り付け、ようやく晩御飯の支度が完了する。

 

「ふぅ、とりあえず準備が出来ましたわ!」

 

「ご飯出来た……の?」

 

「あ、時雨さん。少しばかり手伝って下さいますか?」

 

「いい……よ」

 

 

 今日も梁山泊は平和なようだ。

 明日も、明後日も明明後日も、同じように平和な毎日が続いて欲しいですわ――と、ニンマリと笑を浮かべる美羽であった。

 

 

「何か……嬉しい事……あった?」

 

「いえいえ、ただ――」

 

「た……だ?」

 

「平和が一番ですわね!さぁ、ちゃっちゃと運んでしまおうですわ!」

 

「りょうか……い」

 

 

 ああ、これから更に」賑やかになるのかな――と、再びニンマリと笑みを浮かべる美羽であった。

 

 



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第4撃 選択!彼の武術

 

 

 祐佐久か梁山泊に来てから早くも一ヶ月と二週間の月日が経ったが、相変わらずだが暇を持余していた。

 祐佐久は縁側でポケーっと座り、一同の修行を眺めていたいるだけである。

 そこである事を思い浮かべた――この暇な時間をどの様に潰せばいいのか、と。

 アパちゃいも剣星も遊んでくれる。しかし、毎日がそうであるとは必ずしも限らない。

 剣星も修行に本腰を入れ出し、それ以外では声を掛けやすいが、修行中では気迫に押されてしまい、全く声を掛けることが出来ずにいた。

 アパちゃいもフラッと一人で何処かへ出掛けてしまうし、本当に遊びたい時は大体不在である。

 それ故に祐佐久のこの悩みはかなり深刻であった。

 

 

「はぁ、暇だなぁ――。今日はアパちゃいも剣星も居ないし……。秋雨は話がヤヤコシいし、逆鬼は顔が怖いし……時雨はいつも居ないしなぁ」

 

 

 一人、深くため息を付く祐佐久であった。

 寒い上に、これ以上ジッとしていては凍え死んでしまうと思い、祐佐久は目の前で巻藁を突いている逆鬼の真似をし始める。

 先ずは自分が出来る限りの怖い表情を作り、そして柱に向かい軽く突きを放つ。

 思いの外に何かがシックリと来たらしく、祐佐久は柱を突く事に無我夢中になった。

 自分の真似をしている祐佐久が横目に留まった逆鬼であったが、特に悪い気は全くしなかった。寧ろ、いい加減に突きを放っている姿に苛立ちを覚え、逆鬼は祐佐久の元へと歩み寄る。

 

「おい」と、ドスの効いた声を背後から掛けられ、祐佐久の心臓が飛び出そうになってしまう。

 真似をしていた事を叱られるのかなと思っていたが、どうやらそうでないらしい。

 寧ろ、自分の突きに関して、逆鬼は的確な指示をくれたのだ。

 

 

「っーたく、何度も何度もいい加減に突くなよな。見ててイライラするぜ」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「あのな、突きってもんはな、もっとこう気持ちを込めて打たなきゃなんねえんだよ。己の拳が相手を貫いちまう様に打たないと意味がねぇぜ」

 

「こ、こうですか?」と、祐佐久は気持ちを込め、力一杯に壁に拳を打ち付ける。

 

 

「痛ッ!!」

 

「オイオイ、大丈夫かよ」

 

「だ、大丈夫です――今のパンチ、どうでしたか?」

 

「んー……ま、いいんじゃねえか」

 

「本当ですか!やった!!」と、祐佐久は無邪気に飛び跳ねる。

 無愛想で、言葉使いが悪く、なんか怖そう。オマケに顔も怖い――これが逆鬼のイメージだ。

 しかし、初めて褒め言葉を貰い、祐佐久はかなり嬉しくなり、それからというと付きっきりで逆鬼の練習を凝視するのであった。

 

 

 

 

 それから二週間後〜

 

 

 

 

「秋雨、ちょっといいか」と、逆鬼は扉を開け、部屋に入り込むと、中央で腰を落す。

 珍しい客人のお出ましだなぁ、と秋雨は不思議がったが、大凡の目星は既についていた。

 

 

「どうしたんだい。ま、一応目星はついているが――」

 

「それなら話は早ぇえや。祐佐久の事について何だが……」

 

「でも何故私に相談なんかを?」

 

 何か言いにくい事があるのだろう、そう思い秋雨は問い詰めたが、逆鬼は下を向きながら依然として黙り込んでいた。出逢ってから年数は浅いものの、なかなか深刻な問題であるなと、秋雨は思いを巡らせる。

 そして、逆鬼は閉じていた口を徐に開き出した。

 

 

「そ、そのよう……」

 

「どうしたんだい」

 

「なんか――恥ずかしいんだよ!」

 

「え」

 

「だーかーら!恥ずかしいんだよ!」

 

 

 逆鬼が顔に似合わずナイーブな事も、かなりツンデレチックであるのも、時に顔に似合わずキザな事を言うようになった事も、そして表情が豊かになった事も――全てこの時からであった。

 今では相当丸くなった様な印象を受けたが、昔は少しだけ寡黙であったらしい、と秋雨は付け加える。

 話を戻すと、どうやら恥ずかしいらしい。

 しかし、何が恥ずかしいのであろうか。

 

 

「一体何が恥ずかしいというのかい?付き纏われている事がかい?」

 

「べ、べ、別に付き纏われてることは嫌じゃねえよ!」

 

「それでは何が一体……」

 

「そ、それがその――……」

 

「なるほどねぇ。確かにそれは君らしい」

 

 

 逆鬼が恥ずかしがった事――それは、自分の事を四六時中凝視を続けてくる祐佐久にどう接すればいいか、という事であった。しかし、接するとはいっても、逆鬼もここに来てから美羽に接し、比較的子供の扱い方には慣れている筈だ。

 彼が本当に悩んでいたものは、接するは接するだが、別のことである。

 

 

「まさか、君が祐佐久に修行を付けてやりたいとは驚いたものだ」と、秋雨は笑いながら言い放った。

 逆鬼は顔を赤くし、恥ずかしさを紛らわす為にポケットにあった瓶ビールを取り出し、グイッと飲み始める。

 

 

「ちげぇよ――でもよ、ただ見るだけなら別にいいんだ。俺もそれだけなら秋雨に声なんて掛けねえよ。その前に、そのー――奴に声を掛けようなんざ思いもしねぇ」

 

「ほう、それもそうか。何やら理由があるみたいだねぇ。流石の私でもそれは分からないなぁ」

 

「アイツはよぉ、俺の修行が終ったらスグにどっかに行きやがるんだよ。それが二週間も続くもんだから、流石に気になりだして、跡を付けてみたんだ」

 

「なるほどねぇ」

 

「そしたら奴は梁山泊の林に入って、一人で事細かに俺の真似をしながら木を突いていたんだよ」

 

 

 意外な事実に秋雨も驚いてしまう。

 確かに、祐佐久が逆鬼を凝視していた事は気付いていたが、彼自身が逆鬼の真似、基修行チックな事を行っているとは思いもしなかった。

 今まで秋雨自身も余り祐佐久とは関わりをもっていなかった。剣星やアパちゃいに任せっきりであり、これから少しは気にかけてみようと、一人ヒッソリと心に誓った秋雨である。

 

 

「なるほどねぇ――まさか一人で逆鬼の真似を行っていたとは……」

 

「それが数分だけならいいんだよ。アイツは何時間も真似をするもんだから、殆ど修行に近いんだよ。

 だから、その〜……そろそろ声を掛けてやってもいいのかなーって」

 

 

 顔を赤らめながら、逆鬼はそう言った。

 酒を飲んでいるのもあり、余計に赤くなっている。

 

 

「でだ、どうやって声を掛けてみればいいと思う?」

 

「普通に掛けたらどうだい?」

 

「普通がわかんねぇんだよ!」

 

「例えばあれさ、一人で逆鬼の真似をしている時に声を掛けるのはどうだい?」

 

「おぉ!ナイスアイデアだぜ!それを明日試してみるわ!ありがとな!!」と言い残し、逆鬼は秋雨の部屋を後にする。

 

「やれやれ、逆鬼もかわいくなったものだなぁ」

 

 窓から流れゆく雲を眺め、秋雨はフッと笑を浮かべながら呟くのであった。

 

 数日後――

 

 皆で朝食を囲みながらいつもの様な光景が繰り広げられている。

 逆鬼はというと、少しだけ窶れており、目の下にはクマが架かっている。やはり寝てないのか、と秋雨は内心で呟いた。

 そして、午前の修行が始まる。

 皆がそれぞれの練習を黙々とこなすなか、逆鬼はどこかぎこちなかった。

 理由は明白であり、午前の修行が終わった後、祐佐久が一人で自分の真似をしている時に、声を掛ける事が出来るのか不安になっていたのだ。

 

 そして――やっとその時が来た

 

 逆鬼の修行が終るのを見計らうと否や、祐佐久は足早に林へと向かう。いつもの定着につくと、早速だがブツブツと何かを呟き、祐佐久は逆鬼の真似をし始めた。

 

 

「確かあの時のパンチはこうやって……ってあれ?ここで少しだけ肘を内側に……何か違うなぁ。うーん……」

 

「バーロ、そこは脇をグッと締めんだよ!」

 

「は、そうか。あれは肘を締めるんじゃなくて脇を――って、その声は!!」

 

 

 背後を振り返ると、逆鬼至緒が木にもたれかかっていた。そこで祐佐久は怒られるのではないかと思い、咄嗟に頭を下げる。

 

 

「ご、ごごめんなさい!無断で林に入っちゃって!」

 

「誰も怒りやしねぇよ。つっても此処はそんなに広くもねぇから大丈夫だ、安心しな」

 

「よ、良かったぁ〜……。あれ、じゃあなんで逆鬼さんがこんな所に?」

 

「いや、ベベべ別に、俺はその――ここをたまたま通りかかっただけだ!!そしたら偶然祐佐久がいたからアドバイスを掛けただけだぜ。

 それにしてもよぉ、祐佐久。オメェー――いつも俺の事をジッと見てないか?」

 

 

 祐佐久は今まで逆鬼を凝視していた事を全くバレていないと思っていた。しかし、実際には梁山泊一同が気付いており、バレていないと思っていたのは祐佐久だけである。

 若干恥ずかしさが込み上げてきたが、今は恐怖心で満たされている。

 何故なら逆鬼の真似事を黙って一人で続けていたからだ。

 今となっては何故怒られるのかと問われれば甚だ疑問だが、当時の逆鬼のオーラが色々と迸っており、子供からすれば恐怖の対象であったらしい。それ故に黙りこんで彼の真似事が発覚した際には、死神に睨まれた様な気分であった。

 下を向きながらプルプルと震えている祐佐久とは対照的に、逆鬼は上を向きながら顔から煙が出るほど赤く、熱くなっている。

 

 

「ゆ、ゆゆゆ祐佐久!!」

 

「ははは、はい!」

 

「ここ、これからは俺がしし、指導してやってもいいぜ!」

 

「指導?」

 

「だーかーらー……俺がお前に空手を教えてやるって事だ!!」

 

「――!!」

 

 

 逆鬼のまさかの言葉に祐佐久は感動したが、一つ疑問に思う事があった。

 

 

「逆鬼さん!ありがとうございます!」

 

「いいって事よ」

 

「それで、空手ってなんですか!?」

 

 

 まさかの言葉にズッコケそうになった逆鬼であったが、必死に堪える。

 

「そのーあれだ、武術ってやつさ」

 

「なるほど……。早速その〝カラテ〟を教えて下さい!」

 

 

 祐佐久は逆鬼の手を引っ張り、逆鬼がいつも修行を行っている中庭へと足を運んだ。道中、終始逆鬼はニンマリとしていた事は言うまでもなく、悪い気は全くせず、かなり嬉しいご様子である。

 中庭に着くと、縁側に腰を降ろしていたアパちゃいと剣星が、不思議そうに眺めている。

 

 

「アパー。サカキがユウサクと一緒にいるよー!」

 

「どうして至緒ちゃんとユウちゃんが一緒にいるか疑問ね……もしや!」

 

「どうかしたノかよ?」

 

「きっと至緒ちゃんがユウちゃんの事を脅したに違いないね」と、ニヤリと笑を浮かべる剣星であった。

 すると、居間で二人の話を聴いていた秋雨は思わず声を上げて笑ってしまう。

 

 

「ハッハッハ、剣星の言う事が最もらしそうだが、あれには裏があってねぇ」

 

「あれ、秋雨どんは何か知ってるのかね?」

 

「実は――祐佐久君は皆に内緒で逆鬼の練習を見ては一人で逆鬼真似事、基修行チックな事を梁山泊の林で行っていたんだよ。

 そして、それを知った逆鬼は祐佐久君の事を思い、どうやって声を掛ければ良いのかと私に相談してきたんだ」

 

「グフフフ……実に至緒ちゃんらしいね♡」

 

 

 

「外野は黙ってろぉぉお!!」と逆鬼は顔を真っ赤にしながら叫んだ。

 祐佐久はというと、道場にあった練習着を拝借し、着替えをすませると逆鬼の元へと向かう。

 

 

「よぉし、それじゃあ一丁始めるとすっか!」

 

「よろしくお願いします!」

 

「まず初めに一つだけ質問だ。どれくらい強くなりたい?」

 

 

 祐佐久は悩んだ。

 どのくらい強くなりたいか――質問はシンプルであるが、子供ながら祐佐久は頭を抱えて悩む。そこらの子供なら世界一等などありふれた言葉を考えつくが、祐佐久は少しだけ違っていた。

 子供の頃から征太郎に育てられ、多少なりとも武術的思想が育まれており、闇に属していた征太郎から〝正義とは何か〟についても聞かされた事がある。話自体かなり難解であった。子供にそんな事を聞かせるなよ、と終始思っていた祐佐久である。

 そして話がおわり、征太郎にとある質問をされる。

 

 

『祐佐久よ、どれくらい強くなりた?』

 

『その質問難しいよ』

 

『ハハッ、だろうな。これはかなり難しい質問であり、人によってはその答えは全くと言っていい程に相違がある』

 

『難しい話の後に難しい質問しないでよ!』

 

『まあまあ、そう怒るなよ。これは今後を生きて行く上でかなり重要な事となる。これについては絶対である言っていい。君がこの世界を生きて行く上で、私は君にハッキリと聴いておきたいんだ。

 さぁ、考えは纏まったかい?祐佐久の答えが楽しみだよ』

 

『そんな急かさないでよ……。うーん……。

 今まで色々とあったしなぁ。辛かった時や楽しかった時、寂しかった時もあったし、とても幸せな時もあったよ』

 

『ほう』

 

『僕の答えは――』

 

 

 

 

 

 

 

 

「答えは――……」

 

「おい、祐佐久。大丈夫か?」

 

「あ、え、だ、大丈夫です!ちょっとだけ色々と思い出して……」

 

「そうか、良かった良かった。でだ、答えは見つかったか?」

 

「僕は――僕は、大切な人達が僕の目の前で死んで欲しくないから……。別に僕が死んでしまうのはいいんだ。でも大切な人達が傷ついていくのを見たくない……。今は全然力なんてないけど……けど――僕は皆を守れるくらいに強くなりたいんだ」

 

「――!!」

 

 

 祐佐久の言葉に、梁山泊一同の目付きがガラリと変わる。この答えには全員が心を打たれた。

 まだまだ彼は幼い。それ故に逆鬼も普通の答えが返ってくると思っていた。しかし、祐佐久は皆の予想を上回る答えを出した。

 座っていた筈の秋雨や剣星、そしてアパちゃいも立ち上がり、皆、祐佐久の元へと歩み寄る。

 

 

「祐佐久君、空手を始める前にぜひ私が稽古をつけてあげよう。柔術を土台にすればきっと空手もスムーズに進むはずさ」

 

「何を言ってるね秋雨どん!ユウちゃんはおいちゃんと共に中国拳法をする事になってるね!」

 

「敵をブッコロスならムエタイが一番ヨ!ユウサクもムエタイやろうよ!オモシロイ事間違いないヨ!」

 

「て、テメェら黙りやがれぇぇええ!祐佐久は俺のもんだぁぁあああ!!」

 

 

 大の大人が子供の前でどんちゃん騒ぎをして揉めている。祐佐久はポカンとした表情で、その騒ぎを遠目から見守るのであった。

 

 

「んー……みんなどうして揉めてるのかな……」

 

「オッホッホ、皆元気じゃのう」

 

「あ、長老!」

 

 

 長老も祐佐久の言葉を聴いており、皆が一斉に祐佐久の元へと集まる姿を遠目から見守っていた。

 向こうでは祐佐久がいないにも関わらず、終始言い争っており、それが止む気配が全くもって感じ取る事が出来ない。

 しかし隼人も何故、皆がこうも言い争って祐佐久に稽古を付けようとしているのかがよく分かった。

 約二ヶ月余り過ごしていたが、皆が武術を彼に勧めるタイミングを逃していたらしい。

 そして逆鬼の事があり、その後に声を掛けようかと思っていた矢先に、逆鬼の質問に対する〝答え〟を聴いて黙っては居られなくなったのである。

 

 

「長老、一体どうすればいいんですか?」

 

「ほおっておきなさい。いずれ収まるじゃろうに。ささ、昼ごはんの用意も出来たことじゃし、行こうかのう」

 

「は、はい」

 

 

 その後、〝祐佐久に誰が稽古を付けるのか〟の言い争いは深夜まで続き、アパちゃいを除く三人は翌朝まで言い争っていたそうな。結局皆でルーティンを組む事となり、争いは事なきを得た。

 そしてそう遠くもない未来に、ある少年に修行を付けるかを言い争いになった際に、もう一人加わり、争いが余計にヒートアップした事はまた別のお話である。



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第5撃 梁山泊での日々

 梁山泊で武術を習う事になってから、朝起きる事が苦痛になった。梁山泊の中では美羽の次に祐佐久は若いので、前日の修行の疲労がスグに溜まってしまう。

 若者は疲れが翌日に響き、少しでも歳をとるとスグには疲れが溜まらないらしい。

 しかしあの人達(梁山泊の豪傑)をみれば、その様に言われている事はどうでも良くなってしまう。

 

 

「おはようございます――」

 

「おはようね、ユウちゃん。さ、朝のお散歩もガンバね」

 

 

 アレが散歩であると言うのだから梁山泊の一同は末恐ろしい。

 目をゴシゴシと擦りながら祐佐久は、門の前で首を長くして待っている秋雨の元へと向かう。

 門前には秋雨が車のぶっといタイヤの上に座り込んでおり、祐佐久がロープを自らの身体に巻き付けるのを今か今かと待ち侘びている。

 

 

「さあ、早く進みたまえ。今日のノルマは梁山泊の周りを五周済ませてから、この町を三周しようか」

 

 

歯を見せながら、ニコやかに笑う。

実に爽やかだが、言っていることは相当えげつない。

 

 

「え、五周ですか!?昨日までは三周だったのに……」

 

「ハッハッハ、一体何を言ってるんだい。君も成長するならばまた、修行も共に成長するのもさ」

 

「うぅ、やるしかないのか……」

 

「さあ、行くぞォォォォオオ!!」

 

 

 朝四時であるので、出逢う人は新聞配達員や健康に気をつけている爺さん婆さんばかりだ。

その人達から見ても、タイヤの上に胡座をかいて座っている大の大人を子供が引いている姿は、虐待等を通り越して滑稽である。

 仮に家に逃げ込んでもどの道修行がまっており、ノリノリの逆鬼に扱き抜かれてしまう。

 〝前門の虎後門の狼〟はまだまだ可愛い方であり、これではまるで〝前門の秋雨後門の逆鬼〟である。どちらも狼や虎を遥かに越えて強いので、虎と狼を出される方が随分とましである。

 

 

「ハァ――ハア――……秋雨師匠!」

 

「ん、どうしたんだい?」

 

「どうやったら秋雨さん達の様に強くなりますか?」

 

「地道に修行を続けていれば、いずれ大成する筈さ。もう、君は梁山泊という崖から今まさに達人に成るべくして転げ落ちているんだからねぇ。底にあるのは成功か死のどちらかだ」

 

 

 聴いた自分が馬鹿だったと思い、歯を食いしばりながら祐佐久は必死にタイヤを引くのであった。やっとタイヤ引きが終わると、今度は修行の中で最も楽な町内のランニングが始まる。

 その時が唯一の癒しであるので、祐佐久は出来る限り次の修行に響かない程度に、かるーく流しながらランニングを行うのであった。

 ランニングが終わる頃には既に朝飯が用意されており、梁山泊に着くと同時に祐佐久は御飯をありったけ腹の中に流し込むのであった。それでよく吐いたりしていたので、美羽にこっ酷く叱られたのはいい思い出である。

 

 

「ふぅ、ご馳走様でした!」

 

「祐佐久さん。少しだけ宜しいでしょうか?」

 

「あ、またですか。全然いいですよ!」

 

 

 二人が向かった先は美羽の部屋であった。

 部屋の壁に凭れ、祐佐久は若干眠気に襲われ、頭を右往左往し、辛うじてだが意識を繋ぎ止めている。そして美羽は本棚からとある本と、年季が入ったノートと鉛筆を取り出した。

 

 

「それでは今週分の献立を決めましょうですわ!」

 

「献立かー……。今日はもう決まっているの?」

 

「うーん――確か、昨日残ったお野菜が少々、特売のお肉がまだまだありますわ。お肉は二日前の特売で買い込んだので安心ですわね。

 問題はお野菜ですわ……。不景気とお野菜の高騰が被ってしまい、なるべく安く済ませたいですわね。今では家の家計は〝火の御車〟ですわ……」

 

 

 梁山泊の経営・家計は全て美羽に任されていた。並の子供では到底なし得ないだろうが、彼女曰く『修行より全然らくで、寧ろ息抜きですわ』とのことである。いやはや風林寺家の血は恐ろしい。

 祐佐久は美羽を心配し、自ら率先して修行の合間に家事や炊事を手伝うのであった。

 今、二人は週に一度の作戦会議を催している真っ最中である。同年代の友達がいない美羽にとって、祐佐久は良き遊び相手であり、また良き理解者であった。

 

 

「ふぅ、やっと終わりましたわね。今日はこれで解散!ですわ!」

 

「んんー……やっと終わったぁぁああ」

 

「それじゃあ、またお昼頃に」

 

「はい、じゃあまた後で」

 

 

 美羽の部屋を出ると祐佐久が向かった場所は秋雨達の部屋がある離れであった。

 古びた階段を登っていると、いつも通りえろ本を手にしっかりと握り締めている剣星が横を通り過ぎる。一見すれば、スキが有るように思われる。しかし、一同だけ背後からボールを力一杯投げ付けると、すんなりと交わされてしまった事がある。

 それからというと、剣星が通り過ぎると、絶対にイタズラしてやろうと心に決めた祐佐久であった。

 今回は前々から用意していた泥団子を離れに向かう途中に拵えてきており、準備は万端である。

 

 

「スキあり!」

 

「甘いね!」

 

 

 泥団子をコロの原理を利用した〝化勁〟でスピードをいなし、いとも容易く割れやすい泥団子をすんなりと手で受け止めた。

 

 

「くそぅ……」

 

「まだまだ功夫が足りんね。さ、エロ本の続きでも読むね♪」

 

 

 剣星とのリアル通過儀式が終わると、祐佐久はアパちゃいの部屋の前に立ち尽くす。

 アパちゃいの部屋には隠された〝財宝〟が眠っているのだ。部屋にこっそりと侵入し、部屋の隅の畳を持ち上げると、そこには大量のお菓子の山が存在する。

 少しだけ取ってもバレないので、お菓子を拝借しすると部屋を後にした。

 子供の暇潰しにはここは十分最適な場である。

 道場のとある部屋の一角には、石製の投げられ地蔵がズラリと並んでいる。修行でも毎回毎回使うが、日に日に大きくなってきているので、初めは秋雨が言っていた事を信じていた。

 しかしこの部屋を見つけた時にハッと気が付いたが、地蔵が成長するなんて馬鹿げた事を何故信じていたのかと今になり思う。

 

 昼食をとり、一息ついた所で午後の修行が幕を開ける。ここからは一時間半毎にルーティンを組んだ秋雨達の稽古を受ける事となる。午前は基礎的なトレーニングであり、勿論筋トレは必要だが、今現在最も重要視されている部分は午後の修行の方であった。

 

 

 

 

 

「それでは祐佐久君、柔術の修行でも始めようか」

「はい、秋雨師匠!」

 

「今日のお題は――どうすれば相手の重心を崩せるかだ」

 

 

 普通の子供であればこの様な問い掛けは難しく、駄々をこねるに違いない。しかし祐佐久は秘密裏に征太郎からの修行、基遊んでいたので技自体はいとも容易く会得してしまう。その際に色濃く小太刀使い独特の身体使いが現れてしまうが、それはそれで彼の武術的感覚を更に研ぎ澄ませる事となるのは少しだけ先のお話である。

 本題に戻るが、先程も述べた様に祐佐久は技をスグに会得してしまった。それもあるが、何よりも祐佐久は頭を使うことの方がどうも好きらしい。

 一度、秋雨の部屋で見つけた中学生様のドリルを見て、かなり興味を持ち、其処からは秋雨に勉学の教えを乞う程になったのだ。

 

 

「うーん……難しいなぁ」

 

「ハッハッハ、君くらいの年齢の子供にチト早すぎたかな?」

 

「自分の動ける範囲から重心がズレたら崩せる……とか?」

 

「当たらずしも遠からずだ。さぁ、考えるよりも先に生身の身体に刻み込んであげよう!」

 

 

 

 それから一時間半の間に、祐佐久は数える事が出来ない程に投げ飛ばされ、そして重心崩すという事を幾度と無く経験した。

 基本的に食らった技の感覚は翌日になっても覚えており、寧ろ技を食らうことに自ら重きを置いていた祐佐久は、かなり飲み込みが早かった。やはり征太郎が幼い頃から施してきた武術的思考・理解力は群を抜いてズバ抜いていおり、祐佐久の潜在能力は梁山泊一同が認める程であった。

 

秋雨の修行が終わると、次の修行は逆鬼の修行である。しかし今日は生憎だが席を外しており、剣星の修行へと移った。

 

 

 

 

「さて、始めるかね」

 

「えーっと、確かこの前は〝はきょくけん〟でしたっけ?」

 

「そうね。八極拳ね。今日は八極拳の基本となる技〝震脚〟について教えるね」

 

「〝しんきゃく〟ですか?」

 

「震脚とは、地面を強く踏み付けるようなような踏み込みの事を指すね。 八極拳では一撃の威力を極限まで高めるための発勁のために、この震脚を用いた動作を多用する傾向にある。

 最終的には動作を極限まで小さくしていって、相手が全く気が付かない程の動きで震脚同様の爆発力を生み出す事が出来るようになるね」

 

 

 剣星の修行は面白く、とても分かり易い。そして上手いこと雨とムチを巧みに使い分ける。ここの技術は流石元鳳凰武侠連盟の最高責任者であり、十万人以上の門下生を抱えていた者である。

 比較的梁山泊の中でも常識人であるので、良く秋雨や剣星に相談事を持ち掛けていたものである。

 

 

「さて、それでは震脚の訓練でも始めようかね」

 

「了解です!」

 

「とりあえず……町を三十周してくるね」

 

「さ、三十周!?」

 

 

 比較的常識人だが、修行に関しては良心もへったくれもない。

 この修行はキツイとか身体的にくるのではなく、精神的にかなり疲れてしまう。

 剣星の修行は初っ端からこの様なものであり、どれも精神的に滅入ってしまいそうになる。初めの頃は町の人達にも奇妙な視線を送られてきたが、今ではすっかり馴染んでしまい寧ろ日常的な光景にまでなってしまった。とは言うものの、恥ずかしいものに変わりはない。

 

 

(ああ、殺してくれ。いっそのこと殺せぇぇええ!!)

 

 

 二十周を過ぎた所で、先程までケラケラと笑い、コンビニエンスストアの前で屯っていた若干高校生位の不良達からの哀れみの視線が痛む。

 終いには祐佐久に近づいて来て、買ったばかりのポカリスエットを貰うのであった。

 嬉しい事には違いないが、何とも言えない気分になった事は言うまでもない。

 

 

「はぁ、はぁ……やっと、やっと終わったぁぁあああ!!」

 

「お疲れ様ね。それじゃあ次はアパちゃいの番ね」

 

 

 

 

 

 今日を締め括る最後の修行は、アパちゃい直伝のムエタイであった。

 裏ムエタイ界の死神と恐れられている、アパチャイ・ホパチャイであるが、実際には心優しき者である。子供や動物達から好かれ、彼の周りには自然と人が集まってしまう程の不思議な優しいオーラを醸し出している。

 祐佐久は一応だが子供扱いになるので、反射的に手加減を繰り出すアパちゃいである。しかし、将来的に祐佐久は少々痛い目を見ることは必至である。

 

「さー、ユウサク!ムエタイやろうよ!」

 

「うん、アパちゃい!今日は一体何をすればいいの?」

 

「今日はスパークリングをするヨ!」

 

「スパークリングって何?」

 

「ただただ殴り合う事ヨ!」

 

 

 秋雨と剣星は、オイオイとツッコミを入れるが、あながち間違ってはいないので特に横槍を刺すこともなく、いつもの様に時間が経過するだけであった。

 ボクシングとは似て異なるムエタイ独特の構えを取り、前後に六対四の割合で重心を掛ける。ムエタイでは〝蹴り〟や〝肘〟を重視して闘い、パンチ等は蹴りや肘等に繋げる役目を担ってる。

 そんな事を一切しらない祐佐久であったが、アパちゃいの真似をしている内にシッカリとした構えを取る事が出来るようになり、肘打ちや蹴りのフォームも次第に様になっていくのであった。

 

 

「レウレウレウ!」

 

「うぉぉぉぉおおお!!」

 

「そこで避けるヨ!」

 

 

 目にも止まらぬスピードのフックが祐佐久の霞目掛けて飛んで来たが、肘でアパちゃいのパンチをガードすると、カウンターを合わせる様に〝ティーソーク〟を繰り出す。

 カウンターを合わせる様になった事は賞賛する以外ほかに無い。しかし、そこで慢心していてはまだまだである。

 

 

「ティーソークはこうヨ!」

 

「え」

 

 

 次の瞬間、アパちゃいの右肘が祐佐久の眼前まで迫っていた。

 死を覚悟したが、やはり相手は子供であるので肘がインパクトする瞬間に力を完全に殺しきり、アパちゃいの肘は優しく祐佐久の肌に当たるのであった。

 

 

「うぅ、死ぬかと思った……」

 

「大丈夫ヨ!アパちゃい、〝鉄仮面〟バッチしよ!」

 

「て、鉄仮面?」

 

 

 アパちゃいとの修行が漸く終わる頃には、そろそろ陽が落ちようとしている頃であった。終わりと共に祐佐久は口をプクーと膨らませ、台所で待ち侘びている美羽の元へと急いで向かう。

 祐佐久が着いた頃には既に下準備が済んでおり、やってしまったと内心申し訳ない気持ちで一杯になるのであった。

 

 

「もぉー!遅いですわ!」

 

「ごめんなさい、その、アパちゃいさんとの修行が長引いてそれで……」

 

「まあ、別に怒ってなどいませんけどね〜ですわ」

 

「ほ、本当かな……?」

 

「ささ、早く済ませてご飯を食べましょうですわ」

 

 

 今日の晩御飯はトンカツにお味噌汁、煮物に昨日の残り物の煮付けであった。あれ、この献立はかなり豪勢ではないのかと疑問に思うだろう。梁山泊の家計は勿論厳いが、そこまで収入が少ない訳ではない。

 梁山泊の主な収入元は、剣星が経営している鍼灸院と秋雨が経営している接骨院、そしてたまに逆鬼に入る警察からの依頼等等の収入から成り立っている。

 梁山泊一同の食事は何処ぞの石〇さん家の家族の倍の倍掛かってしまう事も少なくはない。

 

 

「さ、皆さんご飯ですわよー!」

 

 

 こうして梁山泊の一日が幕を閉じるのであった。

 

 

「あ、ユウサクのトンカツの方がちょっと大きいよ!」

 

「ちょっ、取らないでよ!」

 

 

 こうして梁山泊の一同が幕を閉じるのであった。 



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第6撃 社会見学!逆鬼との長ーい1日

 ここはスポーツ化した武術界に馴染めず、武術を極めてしまった達人が集う場所――その名は梁山泊。

 そこではとある少年が必死に修行に励んでいた。

 現在、彼は秋雨が作の面妖で禍々しい機械の真ん前で立ち尽くしている。

 

 

「あ、あの……これは一体……」

 

「これは瞬発力と持久力を一緒に鍛える事が出来るまっしーん――その名も〝地獄絵図1号〟だ!」

 

(ああ、この人そろそろネジ1本ぶっ飛んできたな。これじゃあ修行よりも拷問だよ……)

 

「アッハッハ、何を言ってるんだい。君に修行を付けてから早くも6ヶ月が経ったよ。それで私は前々から温め続けていた〝地獄絵図1号〟をやっと君に実けん――試す時が来たのだよ」

 

 

 心を読まれた事に驚きを隠せないが、それよりも目の前にある異彩を放っているマシーンに目が離せない。

 〝地獄絵図1号〟はランニングマシーンとは似て異なる機械だ。普通なら途中で抜け出せるが、これは1度入ってしまえば鉄格子で幽閉され、速度は最初からフルスピード。そして鉄格子に触れた瞬間に電撃が流れる。

 余りにも非人道的なこの殺人的機械をトレーニングマシーンだと断言する秋雨のマッドぶりにはたじろいでしまう。

 元より投げられ地蔵の頃からその片鱗を見せられていたかもしれない。

 

 

「さぁ!〝地獄絵図1号〟起動だぁぁぁぁあ!!」

 

 

 秋雨の叫び声と共に祐佐久は我先にとその場を後にする――が、逃げ切れる筈もなく逆鬼に連れ戻される。

 

 

「さ、逆鬼師匠!僕を殺す気ですか!?」

 

「バーロ、これは愛のムチだぜ」

 

 

 〝アメは何処へ〟これが祐佐久の辞世の句である。

 阿鼻叫喚ならぬ本気叫喚(まじきょうかん)。祐佐久の叫び声が梁山泊に木霊する中、皆はケラケラと笑っていた。

 

 

「あぁぁぁぁあ!お助けぇぇぇええ!!」

 

「さて、このトレーニングをたったの――1時間続けてみようか」

 

 

 爽やかな笑でえげつない内容の事をサラリと言い残し、秋雨はその場を後にする。

 梁山泊での修行をいとも簡単にこなしてしまう祐佐久であり、この頃は少しばかり刺激が欲しいと口々に呟いていた事が敗因基全ての元凶である。

 

(ああ、これからは無闇矢鱈に呟いかないでおこう)

 

 叫び声つつも黙々と修行をこなす祐佐久を見ていた逆鬼であったが、突然一張羅の中から着メロが鳴り響く。

 

 

「おっと、電話か」

 

 

 ふと電話番号を確認すると、若干面倒くさそうな顔をし、その場を後にしながら電話に出る。

 

 

「もしもし。あ、おっさんか。――……なるほどな、そういう事か。その依頼乗った!今日は久し振りに大暴れ出来そうだぜ!――了解、じゃあ昼頃に」

 

 

 電話の内容をあらかた予想した秋雨は、一応だが逆鬼に内容を尋ねてみる。

 

 

「おや、仕事の依頼かい?」

 

「あ、ああ。ちょーっとな」

 

「本巻警部からかい?」

 

「まぁー……そんな所かな?今日の昼頃におっさんが訪ねてくっから、それまではテキトーに暇でも潰すかなァ」

 

 

 絶賛奮闘中の祐佐久をチラリと確認し、秋雨は黒い笑みを浮かべ出した。彼が笑みを浮かべる時は大抵何やら〝事〟を企てる時に限っている。祐佐久が来てからというもの、その笑みは増す一方であった。

 フッフッフと低い声を上げながら笑っている秋雨を横目に、逆鬼は若干だが祐佐久が不憫であるなと考える。

 

 

「逆鬼君――」

 

「な、何なんだよ」

 

「すこーしだけ提案が有るのだが……」

 

「――おぉ、それは面白そうじゃねえか!」

 

「フフフ……だろう?」

 

 

 「よし、乗った!」逆鬼の何かを決断した声が辺りに散漫する。その時の祐佐久は彼等の事をまだまだ把握してはいなかった。しかし時が経つにつれて次第に(鬼畜であると)理解する。

 

 

「それではこれの修行が終わった後に――」

 

「へっ、〝表社会見学〟――面白そうじゃねえかよ!」

 

「こらこら、まだ言っちゃいかんよ。一応だが祐佐久君には悟られぬ様に行動せねば」

 

「やべ、今の聞こえちまったかな」

 

 

 二人は同時に振り返るが、微塵の心配も無用であった。あの非人道的マシーン基〝地獄絵図1号〟は、10分置きに早くなるという鬼畜仕様であり、今まさにギアが上がった直後である。

 

 

「ちょ、待って、さっきより早い……」

 

 

 遠方から秋雨の解説が入るが、既に時遅し。今更その様な事を述べた所で非人道的マシーンは止まりやしない。

 祐佐久の悲鳴が更に強まるのを確認すると、秋雨は握り拳を作り小声で「よし!」とガッツポーズ。

 え、今ガッツポーズしたよね?と言わんばかりの表情を秋雨に向ける逆鬼であった。

 

 

「や、やっと終わった――」

 

「お疲れ様ね。これでも飲んで元気出すね」

 

「け、剣星さん……あんたは何ていい人なんだ!!」

 

「フッフッフ、おいちゃんは比較的此処ではまだマシな方ね。そいじゃ、昼飯が近いから着替えを済ませておくといいね〜」

 

 

 剣星から貰ったアクエリアスをゴクゴクと飲み干した。若干アパちゃいの視線を感じたがそれはガン無視だ。ここではアパちゃいの視線をイチイチ気にしていては生き延びる事が出来ない。

 

 

「ふぅ――」

 

 

 春風に吹かれながら地べたに寝転ぶ。

 草木が青々と生い茂る季節になり、庭に咲いている桜が本当に美しい。

 確かあの桜は秋雨が何処かのお偉いさんに気に入られて贈呈されたものだそう。記憶が正しければ、何処ぞの御国のお偉いさんに秋雨作の美術品をプレゼントした所、非常に感激されたらしい。しかしだ。祐佐久はそんな事を知る由もなく、秋雨の書斎に出入し、木製の玩具(骨董品)を持ち出して遊ぶのであった。

 秋雨曰く〝ああ、それはただのお遊びで作ったものさ〟である。

 ふと主屋の方に視線を注ぐと、何やら美羽がせっせと荷造りをしている様だ。

 

 

「美羽さーん!何してるんですかー?」

 

「――――」

 

「おーい!」

 

「――――」

 

 

 どうやら声が届いていないようである。それよりもかなり集中している様だ。

 荒方長老が世直しの旅に出るのだろうな、と。これが自分の荷造りであると微塵も思わない祐佐久である。

 若干春の陽気のせいで寝かけていた祐佐久だが、秋雨に呼ばれ渋々だが主屋へと足を運ぶのであった。

 扉をガラガラと開けると、逆鬼がリュックサックを片手に持っている。

 

 

「あれ、逆鬼さん」

 

「おせぇよ。さ、行くぞ」

 

「え、僕も――って、何処に!?」

 

 

 状況を全く把握出来ずに、パチパチと何度も瞬きをする。それもその筈急に出掛けるなど梁山泊に来て一度も無かったからだ。

 祐佐久君――と、秋雨が低い声で名前を発声する。

 

 

「な、何ですか?」

 

「たまには祐佐久君にも休暇をとってもらおうと思ってねぇ。今から逆鬼と出掛けて来ると良いよ」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「ハッハッハ、私が嘘を付くわけないだろう」

 

 

 予想外の出来事に辺りを駆け巡る祐佐久である。その様を伺い、提案して良かった、と小声で呟く秋雨である。それと同時に祐佐久に同情する逆鬼である。

 

 

「で!何処に行くんですか!?遊園地!?ユニバ!?ディズ〇ー!?」

 

「そんじゃそこらのテーマパークよりズッーと凄い所だよ」

 

「まじですか!」

 

「〝おおまじ〟さ。すりる満点のアトラクションがあり、そこら辺の子供達は絶対に経験する事が出来ないんだ!オマケに普通の大人も行けない様な所に君は脚を運ぶ事が出来るんだ、ヤッタネ、ラッキーだね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが一時間前の出来事で、今現在彼等はとあるビルの一室に有るとある会議室の椅子に腰を降ろしている。

 「何がテーマパークよりもずっといいんだ……」呪文の様にブツブツ呟く祐佐久を横目に逆鬼は何故か申し訳ない気持ちになるのである。

 顔に似合わずかなり面倒見が良く、先程まではしゃいでいた祐佐久の落胆ぶりには目を覆いたくなってしまう。

 

 

「な、許してくれよ祐佐久。アイツもあれできちんと考えて――」

 

「遊園地……ディズ〇ーランド……ユニバーサル……」

 

「こりゃ相当落ち込んでんな」

 

 

 逆鬼が慰めていると、ガタリと大きな音を立てて扉が開く。

 そこには白髪混じりの子小太りの男が何やらファイルを持ち、前の机にドサりとぶちまける。

 

 

「よ、本巻のおっさん」

 

「いやあ、本当にすまないねぇ」

 

「いいって事よ。寧ろ息抜きに丁度いいからよ。それにこれくらいなら弟子の〝表〟社会見学にピッタシだぜ」

 

 

 若干吹き出る汗を拭き取る本巻は、梁山泊とは末恐ろしいと解釈する。まだまだ幼い彼にとってはこのレベルの事件でさえも表社会見学であるのだ。一体裏社会見学とはどれ程なのかと考えるだけで身の毛もよだつ。

 

 

「本題に入りたいのだが――今回の内容はチト警察だけでは身が重たくてね」

 

「薬絡みか?」

 

「ご名答。実は近頃日本ではとある薬物が若者世代に蔓延していてね。それを突き止めていけばある組織に辿り着いたんだ。しかし警察では直接手出しにくく、オマケに梁山泊にも引けを取らないお抱え者がいるとの情報で更に困難を極めているんだ」

 

「大体の話は掴めたぜ。要するに俺はヤクザの事務所をぶっ潰せばいいんだな?」

 

「そうなってしまうな。非力な私共を許して欲しい。本当に申し訳ない!――……」

 

 

 テニスの試合を観戦している様に祐佐久の頭は右往左往している。難しい話は良く分からないし、まだまだ裏の情報は全く知る由もない。

 しかし1度だけテレビの特殊である題意について特集が組まれていた事をふと思い出す。

 確かそれは――

 

 

「ねえ、師匠。今から〝やくぶつ〟を売り捌いている所を潰しに行くの?」

 

「おお、意外と鋭いな」

 

「この間テレビでやってたよ。おおきなグループで取引がどうのこうの……とか」

 

 

 普通の子供は、薄氷を履む様な身内をみすみす見逃すまい。しかしそれは普通の子供であり、当事者が〝普通〟の大人であればだ。

 逆鬼至緒――かれは梁山泊が豪傑が1人であり、〝普通〟の大人とは一線を画している。

 寧ろ祐佐久は今から乗り込まれるであろうグループに対して心配を寄せるのであった。

 

 

「心配だなぁ。相手のそしきの人達も災難だね」

 

「まあ、安心しなって。俺達は活人拳だぜ?生かしはするがその代わり死ぬ程痛い思いをさせるだけだぜ」

 

「活人拳か……カッコいいね!」

 

 

 やはり梁山泊の子も梁山泊の一同となんら遜色もないな、としみじみ思う本巻である。先程までは何故子供が着いてきているのかと疑念が浮かんでいたが、どうやらハッキリとした。

 

(一体何故梁山泊が弟子を取ったのであろうか……。今後の未来の為にも――いや、それならば風林寺隼人の娘さんがいるではないか……。一体彼は何者だ?)

 

 何故梁山泊が弟子を取ったのかがどうにも疑問に残る。しかし何処かで見覚えがある様な記憶が脳裏をチラつく。

 

 

「あのー、逆鬼君。彼は一体……?」

 

「ああ、こいつはすまねぇな。梁山泊の一番弟子――祐佐久だ!」

 

「あれ、すまない。苗字を聞き落としてしまったようだ」

 

「ああ、こいつあれなんだよ。苗字を忘れたらしい。けど下の名前はハッキリと覚えてっから問題ねえかって事になったんだ。

 確か最初らへんは〝らいごう〟だっけな?そんな事をいつもいつも呟いていたぜ。おっさん何か知ってるか?」

 

「さ、さあ。全く検討がつかないな」

 

 

 来濠――苗字が無い――祐佐久――……

 

 

「お、おい。どうしたんだよ、本巻のおっさん」

 

「ああ、いやいや失敬失敬!少しばかり考え事を……」

 

「ああ、それは悪かったな。それじゃあ俺達はそろそろ此処を立つぜ。とりあえず今日中には片をつけるから宜しく頼むな!」

 

 

 祐佐久は本巻を避ける様に逆鬼を盾にしてその場を後にした。

 依然として、本巻は資料を黙々と眺め続けている。しかし全ての情報が右から左へと流れ、心臓がいつもとは異なったリズム刻む。

 

 

 ――まさか、そんな事は――いや、ある筈がない。きっとそうに違いない。そうだ、私の勘違いだ……。



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第7撃 謎の男!?ファーストインプレッション

 夏草や兵士どもが夢のあと――

 

 幾度となく漢達が歓喜し、あらゆる者が挫折し時には涙を流し、そして無謀さ故に命をも落としてしまう者もいる。彼等が挑むのは確率をも凌駕するその先の天国。しかしその蜜を知ってしまっては2度と後に戻ることは許されない。

 ウィリアム・テル序曲が如何にも似合いそうな此処、松江名競馬場では今正に漢達が互いの維持()プライド()を掛けた闘いが始まろうとしていた。

 各々がベストだと予想する馬に全身全霊を掛け、それぞれの思いを馳せ、血眼になり声援という名の罵声を浴びせる。

 そして、此処にも声を荒らげながら自らが予想した馬に声援基罵声を浴びせる豪傑が一人、存在した。

 

 

「そぅら、そこだ!いけいけ!!」

 

「師匠……」

 

「くそ!今のは抜けただろ!!後二周しか残ってねぇぞォォ!!」

 

「はぁ……」

 

 

 楽しいテーマパーク。そんなものは最初から無かった。冷ややかな視線など物ともせず、逆鬼は声を上げている。あれから建物を出た後、少しだけ寄らせてくれと言われて早くも40分が経過中。

 

 

「あぁぁぁぁ!負けちまった!!くそ!!!」

 

「師匠!」

 

「何だよ!今はイラついてんだよ!」

 

「僕はもっとだよ!!!」

 

「そうカッカするなって。とりあえず金でもやるからジュースでも買ってきな。あ、因みに俺は缶ビールな。麒麟だぞ」

 

 

 千円ちょっとを受け取ると、祐佐久はトコトコと会場内を歩き回り売店を目指す。所謂パシリというヤツだが、じっとしているよりかは数千倍マシだ。

 やっと売店を見つけたと思えば今は改装中で、生憎の休業。仕方無く会場を後にすると、外にある自販機でビールが売っている物を黙々と探し続けるのであった。

 漸く見つけた自販機は、街の不良達が集っておりかなり近づき難い。しかし祐佐久は全く動じずにズカズカと不良達のテリトリーに入り込む。

 

 

「おい、子供がこんな所に来ちゃ駄目でちゅよ〜」

「本当それな。早く帰りな」

「お兄さん達は優しいからね〜。早く帰ってママとお寝んねしてな」

「マジウケる」

 

 

 一見すれば強そうに見えるが明らかに祐佐久よりも強は数段劣っているに違いない。しかし喧嘩などご法度だ、との征太郎の教えが頭を過り、握り締めた拳をポケットに収める。

 しかし本当に口だけで弱そうだ。思わず本音がぽろりと漏れてしまいそうで、唇を少しだけ窄めてしまう。

 

 

「お前ら弱そうだな」

 

 

 心の声を代弁してもらった様でスッキリしたが、同時に背後からの声にビクリとしてしまう。

 突然背後からの声掛けには秋雨達から嫌と言うほど食らってきており、今では若干だが対応出来るまでのレベルには達した。

 しかし一般人が自分の背後をいとも簡単に取ることは絶対に有り得ない。恐る恐る振り返るとそこには長身の男が毅然とした態度で腕を組みながら立っていた。

 

 

「やあ、とても勇敢な坊や。怪我は無いかい?」

 

「えーっと……大丈夫だけど。おじさんは?」

 

「アッハッハ、私はまだ25歳だ。次からはお兄さんと呼ぶように。因みに独身で子持ちだよ。子供も君と同じくらいの年齢だ」

 

「は、はぁ。――……?」

 

 

 余りにも突拍子もない登場に不良達でさえも頭の処理が追い付かずにフリーズしている。

 祐佐久自身も訳が分からずにペラペラと喋り続けていると、漸くだが不良達が声を荒らげ出す。

 

 

「やい!テメェは誰だ!」

 

「んー……強いていえば通りすがりの紳士――かな?いや、バツイチ紳士……いやいや、普通の紳士か――……」

 

「雑魚はすっ込んでな。怪我するぜ!」

 

 割とキメ顔でそういう若干25のバツイチ紳士。

 これがイケメンが言うのだからタチが悪い。しかし何処と無く武術の香りが漂っており、祐佐久は自然に身構えてしまう。

 それに気がついた若干25歳のバツイチ紳士はクスリと笑うと同時に、不良達に怪訝な表示を向けた。

 

 

「おやおや、随分と強気なようで」

 

「はっ!オメーみたいなヒョロヒョロの長身イケメンに負けてられっかよ!」

 

「ヒョロヒョロの長身か……。グサッてくる言い方だなぁ」

 

「これを見ても威勢を張ってられるかな!!」

 

 

 不良達はそう言い出すと、徐に服を脱ぎ捨て各々自慢の筋肉をむざむざと見せつける。

 割と良いガタイをしているので〝頑張ったんだな〟と思う反面あの人達とは比べてはイケナイなと、ヒシヒシと感じる祐佐久である。

 

 

「へぇ、なかなかいい筋肉だ」

 

「だろ?オメーにもこれくらいあればいいのにな」

 

 

 その言葉を皮切りにし、不良達は声を上げながら笑うのであった。

 バツイチ紳士は若干悩むような素振りをみせ、意を決したのか自らも服を脱ぎ始めた。

 服を脱ぐにつれ不良達の笑い声は消え、先程まで勝ち誇っていた一人は顔面を蒼白にし、一人はブルブルと震え、一人は腰を抜かす。これにも思わず祐佐久も声を上げてしまう。

 

 

「す、すごい!!」

 

 

 男の身体には脂肪が一ミリもなく、洗礼された筋肉。見た目とは裏腹に研ぎ澄まされた一振りの刃その物で、壮絶な修行の末に辿り着いた結果であろう。

 驚くべきは身体には刻まれた刃跡の生々しい数々。見たもの全てに何かを語りかけるその傷跡は、余りにも衝撃的で、凄まじいさを物語る。

 

 

「フフ、仕事柄拷問などが多くてね。今となってはいい思い出さ」

 

「あ、ああ……」

 

「で――俺と殺り合うのか……?別に俺はいいんだが……子供の前で凄惨な光景を繰り広げるのは勘弁してくれよ」

 

「ちょ、まって……――」

 

 

 

 明らかに口調が変わり、男の辺りからは冷気のような物が醸し出される。スグには分からなかったが、それは剥き出しの殺気。幼い頃に1度だけ無理やり経験させられた事があり、耐性はついたいたが、身体が竦んで竦んでしまう。

 不良達はというと、祐佐久の真後ろでガクガクと膝を震わせている。

 そして男は静かに告げる。

 

 

「今なら見逃してやるよ。10秒やるから消え失せな。10秒後――まだ俺の視界に居るようならテメェの命はこれまでだと悔い改める事だ。早く散れ」

 

 

 声ならならない様な声を荒らげ、不良達は我先にと一目散にして逃げ去った。去り際に「覚えてろよ」と言っていた事が余りにも滑稽で笑ってしまう。

 この男はおそらく梁山泊側の人間であるなと悟ると同時に一体どの様な人物であるかが頭に浮かぶ。

 男の無駄にでかい背中を眺めながらある事を尋ねてみた。

 

 

「あの、おじ――お兄さん」

 

「――ん?どうしたんだい?怖かったかい…………いや、怖い訳がないな。恐らくだが君は〝こちら側〟の人間であろう?私の殺気にいち早く身構えたのは君だ。あいつらは怯えてたけどね 」

 

「質問しようとしてた事言われちゃった……。お兄さんは多分めちゃくちゃ強いんでしょ?達人クラスだよね?」

 

「ああ、達人クラスさ。でもね、達人クラスにも色々と種類があるのさ。その中でも俺はどちらかと言うと比較的上位に位置するのかな?」

 

「特A級でしょ?」

 

 

 ニコニコと笑いながら祐佐久は彼を特A級と言い張った。実際の所彼はそうである。しかし子供がそれを言い当てるとは想像が付かない。

 目を細め祐佐久を頭から爪先まで眺めるが、彼は全く動じない。普通そこらの達人クラスの弟子ならば震え上がるであろう気を込めているが祐佐久はものともしなかった。

 そして男は確信する。

 

(この子の師は特Aか――。ならば限られてくるな。一体誰が彼に武術を仕込んでいるんだ。これは人越拳神の弟子以来か……。燻ってきやがる)

 

 

「君はどんな武術を習っているんだい?」

 

「んー……空手……」

 

「おぉ、空手か。翔と同じか。偶然だな」

 

「空手、柔術、中国拳法にムエタイの4つかな」

 

(な!?まさかこの子は対極側の人間であったか!!面白い、面白過ぎるぞ――少年!)

 

 

 思わぬ答えに男は只只笑うだけであった。

 先程まで鬼の様な形相が今では無邪気な笑を浮かべている。コロコロと表情が変わるので少しだけ心配になってしまう。

 

 

(この人頭可笑しいのかな……。師匠に危ない人には危害を加えてはいけないって言われてるけど、これじゃあ僕が危ないよ……本当に)

 

「アッハッハ、実に愉快だ。確かに君レベルなら一般人の強盗や殺人犯をいとも簡単に倒してしまうだろうね」

 

(――……やっぱり達人嫌いだ)

 

「まあまあ、そう嫌がるなって。大人になれば君も出来るようになるさ、キットね」

 

「はぁ……本当に達人相手には人権なんてクソくらえです」

 

 

 周辺では桜が栄え、花見にはもってこいだ。こんな日には酒を誰かと酌み交わすのもいいが、1人でチビチビと飲むのもまた乙なもの。

 そして男はある事を思い出す。

 

 

(この少年……酒を買おうとしていなかったか?)

 

 

「君は確か――そう、酒を買おうとしていたのかい?」

 

「あ」

 

 

 今の今までは完全に逆鬼の事を忘れており、恐らくだが20分以上経ったに違いない。

 別に帰ってこないからと言って誘拐されたとか、悪漢に襲われたなど微塵も梁山泊の皆は思うだろうし、祐佐久自身も全く思わなかった。寧ろ返り討ちに出来るほどの実力は持ち合わせていると自負している。

 

 

「あー……そろそろ僕は戻るよ。多分怒ってはいないだろうけど心配してるかな」

 

「ああ、それがいいに違いない。これでお別れか――」

 

「それじゃあね、お兄さん!」

 

 

 握手を交わすと、祐佐久はビールを両手一杯に抱え込み走り出す。背後から見るその様はかなり可愛らしい光景である。

 背筋をピンと伸ばし、ただ走っているだけで有るのに彼からは武術の香りが醸し出されている。

 

 

「エッツィオ――それが私の名だ。宜しく頼むぜ、少年」

 

 

 エッツィオは呟くと、ニヤリと口角をあげ空を仰ぐのであった。空では鳶が弧を描きながら優雅に空の遊泳を楽しんでいる。桜が舞い散り、木々の隙間から陽の光が差し込み、子鳥の囀りが気持ち良い。

 幻想的な風景の中に彼は身を投じている自分がさながら絵画の中の人物であるなとクスリと笑を零す。

 その陶酔し切っている様を少女は冷ややかな視線を送っていた。

 

 

「ダディー……ナニシテルの」

 

「あ、え、いや、これはあれだ」

 

「はいはい、いつもの奴でしょ。早くここを出ようよ。退屈だよ。動物園なんて全くの嘘じゃない」

 

「アッハッハ、悪い悪い。さ、行こうか」

 

(恐らく彼と相見える事は今は――無いが、いずれ対面する時が来るであろう。あぁ、少しばかりもどかしいな)

 

 

 まだ幼い娘と手を取りながら、エッツィオは歩み出す。恐らく彼女も自分と同じ様な道を辿るのであろうと考えると若干だが気が引けてしまう。

 傍らでは烏が雀を襲っている。この世では弱いものは抗えぬ事がものの道理。それはまるで――……。

 

 

「今から飯でもいこうか」

 

「うん!高いレストランね!」

 

「はいはい」

 

 

 

 

 

 そして時刻は午後7時を回った頃。

 逆鬼と祐佐久はとあるビルの前で突っ立っていた。どうやらここが目的のビルであるらしい。看板には〝悪鬼運怒組合(あきんどくみあい)〟と掲げられており、難しい漢字が大嫌いな祐佐久は目を背けたくなる。

 

 

「逆鬼師匠。ここがテーマパーク……だった所ですよね?」

 

「んー、まあそうなるな」

 

「はぁ、早く行ってやっつけちゃいましょうよ」

 

 

 逆鬼は突然祐佐久に質問をぶつけ出す。

 

 

「おい、祐佐久」

 

「どうしたんですか?」

 

「遊びたいか?」

 

「そりゃ勿論遊びたいですよ!」

 

「よし、それじゃあ……」

 

 

 何処にでもいそうな少年がゴツイ看板が掲げられているビルにズケズケと入り込む様は正に滑稽。周囲が若干ざわついているが、祐佐久は気にも留やしない。

 逆鬼から言われた一言、それは――

 

「それじゃあ、今からビルにいる全員を蹴散らしてこい!結構爽快だぜ。それを祐佐久に譲ってやるよ」

 

 であった。

 

 

「確かに暇潰しにはなりそうだけどさ……普通子供にやらせるもんなのかな……」

 

 

 些か疑問に思ったが至極普通に楽しんでいる祐佐久である。

 梁山泊での生活のせいか、この様な事が普通であると錯覚してしまうまでに陥って(成長して)しまった。

 世間から見れば異常極まりない以前の問題だ。

 自分でも何故だか分からないが笑が零れてしまう。

 

 

「よし、始めるか」

 

 

 重厚なトビラの横に設置されているチャイムを何度も何度も押しながら相手が出てくるのを今か今かと待ちわびる。

 一応だが体裁を保つもクソもないが、笑顔だけは忘れない。すると数分後には蟻のようにワラワラと強面のおじさん達が現れるのであった。

 

 

「誰じゃ!」

 

「あ、どうも。けーさつです!」

 

 

 思わぬ子供の訪問に強面の男達は皆一斉に笑い出すのであった。オマケに警察と言い出す始末であり、笑いに拍車が掛かる。

 若干イラッときた祐佐久は挨拶がてらに一発ぶちかます。

 

 

「さ、僕ちゃん。ここは子供が来ていいような場所じゃないんだよ。帰った帰った――ってあれ?」

 

 

 目の前に居たはずの少年が目の前から急に消えてしまう。次の瞬間、男の頭部に衝撃が走った。

 

 

「熊手連破!!」

 

 

 指の第一関節を折り曲げる熊手での連続攻撃が男の頭部に放たれる。子供とはいえかなり洗礼された熊手はいとも簡単にコンクリートを貫いてしまう程の威力を秘めている。

 しかし、彼は梁山泊出ある限り活人の道を歩まなければならない。加えて殺しは嫌いだ。

 死なない程度の力である程度衝撃を与え、相手がふらついたスキにトドメの1発を放つ。

 

 

「ぐはッ――――」

 

劣化・鉄鬼百段(れっかてっきひゃくだん)!!」

 

 

 空手の様々な技を繰り出して全方位の敵を一掃する技であるが、まだまだ全方位に攻撃を仕掛ける事が出来る訳がない。今の所対象者は1人だけであるが、空手のあらゆる技の数々が男の身体に刻み込まる。

 とどめには正拳突きを繰り出し、男は吹き飛ぶのであった。

 余りにも現実離れした光景が立った飯間目の前で起こってしまい、その場に居合わせた全員が唖然としてしまう。そして祐佐久の一言で男たちは我に帰るのであった。

 

 

「全員かかってこいや!!」



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第8撃 実力!祐佐久の快進撃!

「へっへっへ。順調に物も蔓延してきた所だし、一安心だな」

 

「ああ、本当にそうだ。これが組合の成長の礎となるであろう」

 

 

 一方は白髪のオールバック。もう一方は黒髪で七三分け。どちらも上物のスーツを身に纏い、ビルの最上階から優雅にワインを片手に楽しんでいる。

 

 

「なぁ、ここまで来るのにどれ位の時がかかったであろうか」

 

「さあな。そんな事はとうの昔に忘れちまった」

 

「はは、違いねえな」

 

 

 2人の関係は山より高くマリアナ海溝よりも深い絆で結ばれている。古くからの下積み時代を共にし、幾多の苦難を乗り越えて来た2人は漸く独立を果たし、組合を結成する。

 裏の広がりや、顔が政界にも効くのでほぼほぼ無敵であった。

 

 

「早く組合を広げたいものだ」

 

「まあ、そう焦るなよ。俺達を退けられるの者などいやしない。時間はまだまだ十分なくらいある。ゆっくりと、そして着実に拡げていこう」

 

「すまない、ちと気が早すぎたようだ。ブラザーの言う通りだぜ」

 

「案ずるな。はやる気持は私にもある。今は足元を竦われないように一歩づつ歩み続けよう」

 

「ああ」

 

 

 三度杯を酌み交わし、今度はブランデーに切り替える。グラスにタプタプと注ぎ深く椅子に腰掛け、掌で少しづつ温もりを加えていく。

 四月の夜は気持ちがよい。横目にはライトアップされた桜が栄えている。

 優雅な時間が流れる中、下の階では祐佐久の快進撃が繰り広げられていた――

 

 

 

 

 

 

「こ、こいつはバケモノだ!!逃げろぉぉぉぉ!」

 

 

 小さな旋風と揶揄される祐佐久は敵を見てはバッタバッタと薙ぎ倒し、投げ飛ばし、そして確実に気絶させていく。その光景はこの世のものとは思えぬ程で、強面の男達の悲鳴がビル内に木霊する。

 

 

「はァァァ!!劣化マ・トロン!!」

 

「ヒィィィ!もうやめてくれぇぇぇえ!!」

 

 

 アパちゃい直伝、ほとんどの人が気絶しちゃうよパンチを散弾銃の如く辺り一面の男達に放つ。

 真に恐ろしのは、無意識の内に全てのパンチが人体の急所を的確に突いているという事だ。どうにもムエタイの技を放つ際にはアパちゃいを意識してしまうのが理由の一つである。

 現在はおよそビル3分の1――つまり10階部分に相当する場所に祐佐久は駒を進めた。

 

 

「逆鬼直伝――普通のジャイアントスイング!!」

 

 

 たまたま足元で気絶していた大男の足をガッシリと掴むと、遠心力を利用し気絶した男を武器代わりにし、辺りの敵を一掃する。

 次の階に足を運ぼうとしたその時、祐佐久は咄嗟に身構え、距離を置き始めた。

 

 

「へぇ、やるね坊や」

 

 

 スキンヘッドの男が上の階からドシドシと足音を鳴らし、姿を現した。図体は逆鬼と同等であろう。しかしサングラスを見ると何故だが泣けてきてしまう。

 

 

「はは、流石に怖くて泣いちまったか」

 

「泣いてなんかないやい!」

 

「――さて、今なら許して上げよう。逃げるなら今の内だ。さあ、早く下校しなさい。親御さんが悲しむよ」

 

「だまれ、ハゲ!」

 

 

 ハゲという言葉に男は若干だが眉を顰める。

 

 

「坊や、今なら――」

 

「うるせぇハゲ!」

 

「――……。そうかい、君は死にたい様だな」

 

 

 祐佐久は挑発の意を込め、来いよと言わんばかりの手招きをクイクイとし、挑発する。

 流石の男もこれにはキレたらしい。

 

 

「糞ガキィィィィィィ!覚悟しやがれェェ!!」

 

 

 全体重が掛かった鋭く思い突きが祐佐久目掛けて放たれる。祐佐久が普通の達人クラスの弟子であるなら、避ける事は出来るであろうが恐らく負けを喫してしまうに違いない。しかし普段からアパちゃいや逆鬼達の突きを見ていては、スキンヘッド野郎の突きは酷く遅い鋭さの欠片もない突きに等しい。

 

 

「何!避けやがっただと!?」

 

 

 突きが到達するまでの数秒間――彼は左に避けるが、右に避け直す。しかしどうもしっくりこず、三度左に身体を預け、合計三回も拳の間を右往左往する。

 臆せず男は蹴りを繰り出したが、祐佐久に届くはずも無く、前髪が蹴りの風圧に靡く。

 祐佐久は息を深く吸い込み、やっと攻撃に転じた。

 

 

穿弓腿(せんきゅうたい)!」

 

 

 片手で身体を持ち上げ、相手を真上に蹴り上げる。そして素早く大勢を整え、自らも宙へと駆け上りスグさま同じ高さに到達。

 

 

「自作――滝落(たきおとし)

 

 相手を空中で、上下逆さに持ち替え、そして地面に目掛けてスキンヘッド野郎を地面に落とす。所謂スクリュードライバー。まだまだ拙い技ではあるが目を光らせるものがある。

 地面で意識を失ったスキンヘッドの大男を横目に、暫し休息をとる祐佐久である。

 

 

「ふぅ……。逆鬼師匠は今頃何してるのかな?」

 

 

 屋上では未だ何も知らずに2人の男がのほほんとブランデー片手に酔っている。

 しかし男の酔いは突如として冷めてしまい、そして部下の一言に戦慄する。

 

 

「何!?侵入者だと!?」

 

「はい!」

 

「それに相手は子供だとォォォォォ!?!?」

 

 

 白髪の男が卒倒しそうになるがギリギリで意識を繋ぎとめる。組員の手下は別れを告げるとスグさま応援へと向かった。

 未だに状況を飲み込めていない2人は呆然としている。

 

「う、嘘だろ……」

 

「悪魔だ……きっと悪魔の子に違いない」

 

 

 こうしては居られぬ――男はスグさま下の階へと移動し、とある一部屋に入り込む。祐佐久はというとそろそろ30階に到達も間近であった。

 

 

「ここが――屋上だよね?」

 

 

 辺りをキョロキョロと見渡すが人っ子1人もいない。あるのはライトアップされた桜が数本、飲み掛けのお酒。

 逆鬼からは只只屋上がゴールと言われているが、逆鬼は一向に現れようとしない。

 

 

「貴様が――悪魔の子……」

 

 

 パッと背後を振り返るとそこには男2人――そして辺りには武術の香りが何処と無く立ち込める男が数十人。刹那祐佐久は死を覚悟する。

 

 

(やばい……これは本当にやばいやつだ。こんな達人クラスを相手に出来るほど僕は強くなんかないぞ。こんな大勢を集めるなんて卑怯だ!)

 

 

「フッフッフ、悪魔には悪魔を。これが鉄則だ」

 

「卑怯だぞ!子供をいじめていいのかよ!」

 

「ええいだまれ!貴様は子供などではない!悪魔だ!悪魔の手先に違いない!!」

 

 

 悪魔の子と言われ、ショックを受けたがこの状況の方が数倍凄まじいに違いない。急いで出口へ向かおうと決意するが、既に塞がれている。

 距離を置こうと思い足を少しだけ動かした刹那、四方八方を塞がれてしまう。退路は完全に絶たれ、四面楚歌。

 

 

「くそ……しくじった――かな」

 

「フハハハハ!これで貴様もお終いだ!」

 

 

 男が静かに手を上げると同時に達人達は身構える。そして静かに呟いた。

 

 

「殺せ――」

 

 

 祐佐久と達人の距離は僅か数メートル。目を閉じた刹那、彼等は目前に迫っていた。

 死――考えたことも無いが、一度だけそれに近い絶対絶命のピンチに陥った事がある。それはまだ幼き日――その日は突然訪れる。

 平穏な一日、平和な日常は淡く脆く崩れ去ってしまう。達人に囲まれなが父は死に絶え、母は目の前で拳の餌食となった。去り際に放った母の言葉が酷く懐かしく感じる。

 そして拳が己に向けられた際に死を覚悟した。絶対的強者による搾取。それは決して逃れる事が出来ぬものであり、弱者は従う以外選択の余地はない。

 過去の記憶の断片が走馬灯の様に駆け巡る。

 

 

(ああ、僕はここで死んでしまうんだな――梁山泊での日々は楽しかったなぁ……身体が軽い――本当に死んじゃったんだ……僕は――!!)

 

 

 梁山泊での辛くも楽しかった記憶が蘇る。ツンデレであった逆鬼。マッドであった秋雨。スケベな剣星。いつも戦争を繰り広げていたアパちゃい。結局中を深める事が出来なかったしぐれ。

 散々であった日々も今となっては愛おしい。

 魂が肉体を離れるとはこの事を言うのであろうか。誰かに抱かれたような感覚があり、何かを自分に語りかけている。さしずめ天国の使者であろう。

 

 

「おい」

 

(天使さんって案外荒っぽいんだなぁ……)

 

「起きろって」

 

(天使ってこんなドスの効いた声か?)

 

 

 恐る恐る目を開けると、月光に照らされ、顔はよく見えない。しかし下を見れば先程眼前に迫っていた達人達が祐佐久を眺めている。

 そして祐佐久は気がついた。

 

 

「僕は――生きてる……?」

 

「たりめーだろ。間一髪だったな」

 

「さがぎじぃじょォォォォォーー!!」

 

 

 咄嗟に自分が助かったことを理解すると否や祐佐久は声を荒げて泣いてしまった。

 

 

「わーった、わーった!だから抱き着くな!ついでに一張羅で鼻水を拭くんじゃねぇ!」

 

 

 此度、少年は一命を取り留める。

 祐佐久を担ぎ、逆鬼は宙を舞う。月明かりの元に舞うその様は幻想的であり、同時に畏怖の念を抱かせる。翼さえ無いが軽やかに、そしてしなやかに大地に降り立つその天使はまさに鬼神。堕ちた鬼は地獄さえも我が手中に収めんとする傲慢さ、凶悪さは他のものとは一線を画す。

 要するには逆鬼はブチ切れた。

 

 

「テメェら――うちの弟子をよくも泣かせてくれなぁ…………。ただじゃおかねぇぞ――!!」

 

「ま、待て!話せばわか――」

 

「景気付けに一丁派手に行くか!祐佐久!」

 

「待て!金は幾らで払う!だから――」

 

「喰らいやがれ――猛羅総拳突き(もうらそうけんづき)!!」

 

 

 正拳、貫手、鶴頭、平拳、掌底、手刀、一本拳、虎口などあらゆる拳で凄まじい連撃を放つ。

 空気中の分子さえも驚くほどの猛スピードで放たれる突きは辺りにいた祐佐久以外の全てを蹴散らし、同時に爆弾が爆発したかのような衝撃が走った。

 

 

 

「ふぅ、スッキリしたぜ。祐佐久ー、そろそろずらかろうぜ。腹が減って死にそうだ」

 

「僕も腹減った」

 

「そうだ。近くに上手いラーメン屋があるんだ。そこには行こうぜ!」

 

「え、ホント!?行く行く!」

 

 

 2人はその場を後にするとすぐさまラーメン屋へと向かう。今日食べるラーメンは格別である。疲れきった身体に自家製とんこつラーメンのスープが行き渡る。

 オマケにチャーシューは丼を覆い隠すほどトッピングを追加してもらった。若干逆鬼は涙を浮かべていたがお構い無しだ。

 

 

「クソォォォ!金が吹っ飛びやがった!」

 

「ズルズルズル(大人って大変だなぁ)」

 

「な、なぁ祐佐久。美羽に今月の小遣い前借りしてくれる様に頼んでくれよ〜……。いや、寧ろ前借りではなくて普通に小遣いが欲しいな――そうだ、今回の仕事のギャラをコッソリと……」

 

 

 梁山泊では小遣い制である。アパちゃいは小遣いは必要なく、秋雨や剣星にはそもそも小遣いが必要ない。何故なら一応だがまともな金銭感覚があるからだ。それに引換え逆鬼は金銭感覚が無く、よくギャンブルで小遣いをパーにする事も少なくはない。

 秋雨と剣星の地道ではあるが確実な収入はコツコツと梁山泊に貯金されているが、逆鬼は月に1本依頼があれば多いほうだ。

 美羽が家計のやりくりの苦労をしっているので、逆鬼に冷ややかな目線を送る祐佐久であった。

 

 

「な、なんだよ」

 

「うーん……別に今回だけだったら良いんじゃない?その変わり報酬の6分の1だけだよ」

 

「本当か!?よっしゃ!それでこそ我が弟子だ!!今日は機嫌が良いから何でも奢ってやらぁ!」

 

「やったね!ありがとう、逆鬼師匠!」

 

 

 その後、逆鬼はもう1度死ぬならぬ、もう1度泣くのであった。

 

 

「チクショぉぉぉぉ!!何でも奢るって言うんじゃ無かったァァァ!!」

 

「あ、師匠。次はあれね。それとー……あれも欲しい!」

 

 



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第9撃 祐佐久が!? まさかのフォールインラブ!

「覚悟!」 

 

 

 祐佐久の声が響き渡る。助走を付けた祐佐久の拳が秋雨に襲い掛かる。手刀で正中線を隠す柔術家独特の構えからのプレッシャーは他に類を見ない。

 終始不動を貫いている秋雨は「流石だな……」と思わず言葉を零す。まだ武術を始めて数ヶ月程しか経たずして祐佐久は既に梁山泊のメンバーを相手にし、組手を行うまでに成長を遂げていた。

 風林寺隼人が孫娘、風林寺美羽とは未だに勝ち越してはいないが、勝率は5分の1程度。

 少し――いや、自分はかなり強くなっているな、と組手の最中であるにも関わらず口角が上がってしまう。

 

 

 

「――だが、甘い!」

 

 

 

 祐佐久の拳をいとも簡単に受け止めると、そこを機転にし秋雨は攻撃に転じた。掌で受けた拳を自らの陣地に引き込むと同時に祐佐久の陣地を侵略し、がら空きの土手っ腹目掛け一蹴り。

 これはやばい――と刹那、祐佐久に考えが過ると同時に腹部に強烈な衝撃が走った。

 

 

「ウグッ――!!」

 

 

 宙へと舞う祐佐久。

 並の達人であれば多少は加減をするのがセオリーである。しかし祐佐久が対峙する相手は岬越寺秋雨。『哲学する柔術家』という異名の名に恥じず、彼は常に達観し物事を分析し、最善の行動を起こす。

 だが秋雨は決して手を抜く事は無かった。

 自分が圧倒的に弱い事を逆手にとり、なんとかならないかと模索していた祐佐久の顔が引き攣ってしまう。

 

 

(クッソ!あの人の性格を忘れてた……。あーあ、ちょっとは手加減してくれてもいいのになぁ)

 

 

「フフフ……。私が君に手加減をするとでも思っているのかい?――それは甘い!この間のピーマンの件を忘れたとは言わせないぞッ!!」

 

 

「――――っそ、そんな事を根に持たないで下さいよ!あれはたまたまでー……って!さらっと心の内を読まないで下さ――」

 

 

「問答無用――覚悟!!」

 

 

 

 地面を大きく蹴り付け、秋雨は祐佐久の背後に回り込む。しかしタダでやられる祐佐久ではなかった。

 体幹とは日常生活において大いに役に立つ。それは武術においては尚更である。子供ながら祐佐久の体幹は既にその歳では有り得ぬほどの域にまで達していた。

 梁山泊の一同はそれに早く気が付いていた。ここに来た当初から武術の薫りが微かに感じ取れたことは言うまでもない。

 

 

「やられてたまるか!」

 

 

 空中でいとも簡単に大勢を立て直し、祐佐久は防御の構えを取る。祐佐久はただただ最善のカードを切る他に選択肢は残されていなかった。

 ここで攻撃に出れば確実に仕留められ、かと言って守るだけであっては一方的な試合運びになってしまう。

 祐佐久が取った構え――それは秋雨直伝『無構え』

 

 

(この際ヤケクソだ。どうせ投げられるに決まってるし、無構えなら最悪だけど、突きにも対処できる自信がある)

 

 

 祐佐久の頭部を地面に向け、練習着の袖に指の第二関節辺りまで引っ掛ける。そして秋雨自身を中心とし、足袋を履いた足で空をエグる様に蹴りつけ一回転。

 『遠心力』学校で物理を習ったことがあるものならば瞬時に理解すると同時に恐怖する。

 

 

「なッ!?」

 

 

「岬越寺流――自転投げ!」

 

 

 余りにも急な回転に加わり、急激なGが祐佐久に襲い掛かる。

 突然視界が暗くなり刹那、祐佐久は意識を失いかける。だが驚異的なメンタリティが祐佐久を支え、ギリギリの所ではあるが意識を保つ。しかし秋雨は休む暇を与えなかった。

 グルグルと宙での回転を止まると同時に祐佐久は地面へと誘われた。

 

 

「ぐはッ――……」

 

 

 身体が悲鳴を上げている事が手に取るように分かる。しかしここで寝てしまうようでは――

 負けたくない――祐佐久はその気持ちだけで立ち上がる。負けたくない、ただそれだけの理由で。

 その様に秋雨はかなり驚いた表情を浮かべていた。

 

 

「まさかまだ起き上がるとは……。一応手加減はしたのだが――正直なところあれを食らっては立ち上がる事は不可能だと思っていたよ」

 

 

「で、でしょうね……。だって今までとは比べ物にならない程の威力でしたよ!というかシャレになってないですって、あれは!!」

 

 

「まぁまぁ、そう怒らない怒らない。君がギリギリでへばりそうな位の力で技を使用したのだが、どうやら手元を狂ったようだ。いつもの力より大体――5割増しにしてしまった。アッハッハッハッ――」

 

 

「笑い事で済むもんか!それで前にこっ酷い目にあったのは誰のせいですか!?」

 

 

 ついこの間の事。秋雨作の『地獄巡り1号』の試運転で強弱のスイッチを逆にセットしてしまう。祐佐久が半分死にかけたことは比較的最近の出来事である。

 

 

「まぁ、あれだ。今日の所はここまでにしようか」

 

 

「ふぅ……。了解です」

 

 

 丁度時刻はお昼をゆうに過ぎた午後4時。

 祐佐久の自由時間がやって来た。だがこれといってする事は無い。一応梁山泊には美羽という比較的歳の近い者がいるが、生憎彼女は稽古の真っ最中。

 祐佐久は本当に暇な時はいつも縁側に座り、空を仰ぐかそのまま寝てしまうとの事。そして今は春真っ盛り。春の穏やかな気候が余計に彼を眠りへと誘うに違いない。

 

 

「はぁ〜……眠い……」

 

 

 このまま寝てしまおうか、と縁側に横になり目を瞑る。

祐佐久は時折自分を見つめ直すことがある。それは本当に〝たまに〟だ。

 そして今、ふと自分の出生について考える事にした――

 

 

「けれど……何も覚えてないんだよなぁ、これが」

 

 

 驚く事になんにも覚えていなかった。

 ある記憶は征太郎と過ごした日常生活。よく自分と遊んでくれた。特にチャンバラごっこが楽しかった。征太郎が一体何処で働いているのかは不明であったが、チャンバラごっこでは1度も勝つことはなかった。

 

 

「本当に強かったもんな。だって征太郎が紙で作った剣で自分が本物の刀で闘っても勝てなかったくらいだもん。絶対にあれはおかしいよ、本当に!

 でも……なんで僕は――捨てられたんだろうか……」

 

 

 実際、ここでの生活は楽しいものであった。多くの人達との交流で退屈した事はないし、何よりも寂しい思いをする事が決してなかった。

 修行は少しばかり辛いものがあるが、これも祐佐久にとっては楽しい事であった。

 しかし、何かが違う。

 何かが違うのだ。

 別にこの生活に不満が有る訳では無い。寧ろ楽しいくらいであり、前の生活の方が少々ばかり寂しい思いをする事も少なくは無かった。

 しかし、何かが違う――

 

 

「征太郎……戻って……来てよ……」

 

 

 祐佐久の手の甲に涙が一粒。男であれば決して泣いてはならぬ、との約束を思い出す。だがそれを思い返せば思い返す程に涙が零れ落ちるのであった。

 道着の袖で目の下を擦る。しかし涙は一向に止まる気配をみせない。頭ではわかっているが、心は常に正直だ。

 

 

 

「くそ……止まれよ……止まっ……て……よ……」

 

 

 何かが違う。それはたった今ハッキリとした。

 征太郎は掛け替えのない存在であることを――肉親も親戚も誰1人として存在しない。そんな祐佐久にとって頼る大人は征太郎ただ1人のみ。

 彼は、そう――親同然であった。

 それ気が付いた頃にはもう遅い。一応声は押し殺してはいるが梁山泊一同が一斉にあつまる程の泣き様。

 アパチャイは屋根から覗き「アパー……」と。

 逆鬼は廊下の端っこからこっそりと覗き込み「ち、畜生……目に埃がッ――!」と。

 剣星と秋雨は互いに見つめ合いながら、どうしたものか、と。

 

 

 しかし皆が見守る中、ある人物が祐佐久の目の前に立ちはだかった。

 

 

「うぅ…………。征太郎…………」

 

 

 涙のせいで視界がハッキリと定まらない。地上にいるがまるで海の中にでもいる様だ。

 祐佐久が泣き止むまでに掛かった時間はおおよそ10分。その間に〝ある〟人物はずーっと祐佐久が泣き止む事を今か今かと待ち望んでいた。

 

 

「大丈……夫?」

 

 

 この声は――と、思い前を向くとそこにはしぐれが佇んでいる。

 このしぐれの行動に梁山泊の皆も驚いた様子であるが、実際に一番驚いている人物は当の本人である。

 

 

 

「し、しぐれさん!?」

 

 

「大丈……夫?」

 

 

「う、ううん。全然大丈夫……です、多分!」

 

 

「本当に……本当?」

 

 

「男なら――本当は泣いちゃいけないんだって。だから悲しくても、もう泣けないよ。でも、本当は……泣きたいよ」

 

 

 祐佐久の隣にしぐれが腰を降ろす。それもピッタリとくっ付いている。余りにも突然の行動に祐佐久は驚くと同時に顔から煙が上がり、顔が真っ赤に染まった。

 先ほどとは状況が一変し、悲しげな雰囲気から一気に良いムードが漂い始める。それを見兼ねた梁山泊一同は一斉にその場を離れた(剣星を除く)。

 

 

 

「祐佐久。なんで……泣いてた……の?」

 

 

「悲しくなったんだ」

 

 

「梁山泊が……い……や?」

 

 

「そ、そんなことは無いよ!ただ――」

 

 

 ただ――。その後に続く筈の言葉が見当たらなかった。正確にはあるに違いない。しかしそれを探すにつれてまた涙が零れてしまうに違いないから敢えて探す事を拒んだ。

 しかし、彼女にはキチンと返事をしなければならないと祐佐久は考えた。

 考えればここに来てから一度も無い。自分の過去について聴かれたことを。

 恐らく気を使っているからに違いない。自ら望んで言いたい訳ではない。しかし誰にも言いたくないかと、問われればそれは違う。

 だからこそ――だからこそ祐佐久は心に決めた。

 

 

 

(しぐれさんが初めてだ……。初めて僕に理由を聴いてくれたんだ。しぐれさんには包み隠さずに打ち明けよう――)

 

 

「ただ――寂しかったんだ。でも!……別に梁山泊が楽しくない訳じゃないよ!?本当にここは皆が温かくて、いつも騒がしくて本当に楽しい!」

 

 

「そ……う」

 

 

「ここは本当に楽しいし、皆優しくて、僕を温かく迎え入れてくれた――まるで家族の様に!でもね、思い出すんだ。征太郎との日々を」

 

 

「征太郎……?」

 

 

「うん。何処で働いているかも知らないし、何処で出会ったのかも知らない。僕の親は生まれてすぐに死んじゃったらしいんだ。でも悲しくはなかった――征太郎がいてくれたから――」

 

 

 

 時刻は夕方を回り、太陽に西に沈みかけている。

 縁側の向かい側には今まさに太陽が地平線へと誘われている最中であり、ゆっくりとオレンジ色の光に陰りが見え始める。

 祐佐久は言葉に詰まる。もしも今、次の言葉を話してしまえば恐らく涙のダムが決壊する――と自負しているからだ。

 若干空を眺めながら唇を噛み締める祐佐久を横目にしぐれは「プッ――」吹き出す。

 

 

 

「その顔……面白い……な」

 

 

 唇を噛み締め、天を仰ぐその様は傍から見てもかなり滑稽な様であることには違いない。

 しかしここで笑われてしまえば涙すること間違いなし――だったが、先程までの気持ちはまるで消え失せてしまった。

 涙をゴシゴシと拭き、横を覗く。

 すると、そこには夕日を浴びながら微笑むしぐれの姿が映し出されていた。

 

 

 

(し、しぐれさんが笑った!?)

 

 

「ごめ……ん。でも、その顔……おもしろかった……よ」

 

 

「え、あ、うん。ありがとう?」

 

 

「へんな……の。笑われ……て、ありがとう……だなんて、へんな……の」

 

 

 

 彼女の笑顔をハッキリと見た祐佐久は、何故だか何かの穴に落ちた様な気がした。それもハッキリと。

 終始胸の鼓動が落ち着かない祐佐久を他所に、太陽は地平線へゆっくりと誘われ、そして夜が訪れる。陽は沈んだばかりであり、まだ地表には太陽の温もりが残っている。

 しかし祐佐久はまだ熱いままであった。まるで40℃の熱をひいたかのように身体中が熱い。なんなら今現在進行形で頭から煙が上がっている。頑張れば水が沸騰する勢いだ。

 

 

 

「ご飯ですわよ〜!」

 

 

 

 これまたいつも通り、美羽の叫び声が梁山泊に響き渡るが、それが全く耳に入って来ない。

 祐佐久のフリーズした状態が10分ほど経過し、そしてもう1度、今度は美羽直々名指しの叫び声が小玉する。

 

 

 

「祐佐久さん!早く来てくださいまし!!

 それにしぐれさんも早く!!」

 

 

 

 祐佐久はそこでやっと意識を取り戻す。

 

 

「あ、そろそろご飯か」

 

 

「そだ……ね」

 

 

 しぐれはスッと立ち上がり、祐佐久の手を取ると、引き上げる。祐佐久は驚いた様な嬉しい様な表情を浮かべ、しぐれと共に走り出す。

 この時から、祐佐久の頭の隅には何故だがしぐれが姿を見せることとなったのは言うまでもない。

 

 



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第10撃 己の道

ここからが本編ということで……


 朝、4時半に起き、1日が始まる。

 祐佐久もようやく慣れたものだ。だが稀に寝坊する事もあるので、やはり自分よりも年下であるにも関わらず、家事さえもきちんとこなす美羽には感心せざるを得ない。

 そしてある晩のこと。

 ふと、祐佐久は目を覚ました。

 寝付きが悪いとか、そういった類ではない。

 前日の修行が余りにも単調であった為である。実を言うと、祐佐久はこの事に薄々と気が付いていた。1週間くらい前から、ここの所の修行がどこかおかしい。

 いつもならもっと扱く筈の秋雨の修行で、あまり辛い修行は無く、いつもなら若干暴言を吐くように指導する逆鬼の修行で、言葉使いが妙に優しい。オマケにアパちゃいの修行に関しては、180°ぐるりと変わってしまった。

 最も顕著なのが、スパーリングである。いつもなら頭を壁に突っ込ませるというのがオチなのだが、この1週間、壁は無傷のまんまである。

 しかし剣星の修行はこれといって変わらなかった事も確かである。

 

 

「なーんか妙なんだよなぁ、最近。何かしたっけな……。別に何もしてないんだよなぁ」

 

 

 ウンウンと唸り声を上げながら、天井を見上げていると突然尿意に襲われた。

 流石にこの歳で(正確な年齢は不明)お漏らしをするのは非常にまずい。

 どっこいしょ、と爺さんばりの声を上げ、むくりと立ち上がる。

 そして戸を開けようとしたその時、祐佐久はある事に気が付いた。

 時刻は午前2時。梁山泊一同も既に就寝の頃だが、母屋の端の方に灯が灯されていた。

 祐佐久は刹那、(強盗かな?)と思った。

 しかしそれが本当なら気の毒で仕方が無い。表からみると随分と広い家だが、ここは本当に金目のものが何も無い。それも恐ろしい程に。

 そして同時に、祐佐久は可哀想に……、と呟いた。

 まぁ、実際仕方が無い。ここに侵入する事それ即ち自滅を意味している。更に運が無いことに、今現在絶賛長老が帰還している最中なのだ。

 

 

「ま、それはないか。ハハハ……ハハ……?」

 

 

 冗談はさておき、目を凝らしよく見ると、どうやら秋雨と剣星が何やら話し合っている様であった。

 祐佐久は、(こんな時間に珍しいなぁ)と思ったが、もしかするといつもこんな時間に話し合っているのかもしれないと考えた。が、やはり何を話し合っているのかが気になってしまう。

 

 

「よし。ちょっとだけスパイごっこでもしよう!うん、それがいい!!」

 

 

 そうと決まれば早い早い。静かーに戸を空け、板の床が軋まない様に廊下の窓に向かい飛ぶ。そして難無く窓の外に出ると、くるりと身を翻し屋根に飛び乗った。

 念押しするが、祐佐久はまだ子供である。何処ぞの諜報員ばりの動きが出来るのは、日々梁山泊での修行の賜物であると言えよう。そして恐らく何処ぞの諜報員と張り合うことが出来るかもしれない。

 そしてそうこうしている内に、母屋に着いた。

 秋雨達が話し込んでいる場所は母屋の隅っこ。ここからはかなり慎重に行かねばならなかった。

 相手は特A級の達人。それも2人。達人になれば約半径10メートル以内の微妙な変化に気が付くらしいが、特A級のそれはそれさえも遥かに超える程だ。

 既に祐佐久の行動は知られているやもしれぬが、

 

(ま、悪い事をする訳でもないし。大丈夫、大丈夫……大丈夫、きっと……)

 

 

 ゆっくりと、そして確実に、ゆっくりと全身する。と、同時に2人の話し声が次第に大きくなっていく。

 ある程度近づけた所で、祐佐久はやっとその場で静止し、腰を落とした。

 耳を立てて聞いていると、『祐佐久』という単語が耳に入った。

 

 

「秋雨どん、そろそろ祐佐久君の……」

 

「ああ、分かっているさ。分かってはいるが……」

 

「あの“事”がまだ脳裏に焼き付いているのかね」

 

「……流石にバレていたか」

 

「バレバレね。祐ちゃんがどのタイプの道に進むかについて話す時はいつも渋っていたからね。そろそろ祐ちゃんに聞いてみようと言ってから1週間経ったね。

 恐らくだけど、祐ちゃんも気付いてる筈に違いないね。おいちゃんは別段、修行に変化は付けていないけど、他の皆は流石に変わりすぎね」

 

「ふぅ……。私とした事が、流石に伸ばしすぎた――か」

 

 

 (僕の――タイプ?)

 と、祐佐久が首を傾げてしまうのも無理はない。

 武術に関しての知識は比較的ある方だ。しかしそれは勉強の様に自ら学ぶものではなく、あくまでも感覚的に要領を得ていた故に、である。

 

 

「なるべく危険な道は避けたい……というのが私の本音だ。彼を、祐佐久が緒方のように成り果ててしまう事は何が何でも避けたいものだ」

 

「それはおいちゃんも同じね」

 

「はぁ……。悩みは尽きぬな」

 

 

 祐佐久は固唾を呑む。

 2人の真剣な表情を見たことは久しぶりであったし、何よりも自分の事について話し合っているからである。

 しかしイマイチ話が飲み込めない祐佐久であった。

 そもそも武術家には2種類がある。

 一つは、心を落ち着かせ、闘う『静』のタイプ。もう一つは、己のリミッターを解除し、力をフルに活用し闘う『動』のタイプ。

 どちらもメリットデメリットはあるが、こちらが良いという確実なものは決してない。無論、その都度状況に合わせ、タイプをコロコロと変えることが出来れば1番よい。しかしそれを行う事は到底不能に近い。仮に可能であるとしても、身体に大きな負担を掛けることになる。

 勿論、中にはそれを可能にする輩がいるが、指で数える程だ。

 

 

(自分のタイプ……か。うーむ、分からない……)

 

 

 しかし祐佐久がどの道を選択するかは明白であった。それには薄々と秋雨は気付いており、故に、だからこそ、余計に渋っていた。

 祐佐久のタイプとは、それ即ち『動』のタイプであった。

 以前から、動の気の片鱗を感じさせる様な出来事は説明するまでもなくあった。

 無意識からであろう気の運用、佇まい、闘い方。

 特筆すべきは気の運用であった。

 いち早く気が付いた秋雨は、出来るだけ静のタイプへと進ませようと修行を進めていったが、呆気なく失敗してしまう。

 

 

「はぁ、困ったものだ」

 

「そうかね?おいちゃんは、祐ちゃんはやれば出来る子って信じてるね」

 

「だが……」

 

「それなら直接聞いてみるね」

 

「ああ、そうだな。それがいい――」

 

 

 目の前で話し込んでいた2人の姿が途端に消えると共に、祐佐久は悪魔に睨まれた様に心臓がバクバクと鼓動を立てる。

 そろりと背後を振り向くと、なんと、剣星と秋雨が満面の笑みを浮かべ、

 

 

「そろそろ君の意見を聴きたいのだが……」

 

「教えて頂戴ね、祐ちゃん」

 

 

 やはり初めから感ずかれていたようである。

 

 

「ええっと……。そもそもタイプってなんですか?」

 

 

 こればかりは仕方が無かった。

 そして秋雨達は懇切丁寧に祐佐久に説明した。

 1通り終わるころには、時間は30分も要したが、その甲斐あってか祐佐久は全てを理解した。

 そして祐佐久は、少しだけ頭を抱えるが、決断をした。

 

 

「僕……動のタイプがいい!」

 

「……やはりか」

 

「うん!さっきの説明を聴いてたんだけど……やっぱり僕には動がのタイプが1番だと思うんだ」

 

「まぁ、私達がどうこういう問題では無いだろうしなぁ、こればかしは。君が動のタイプを選ぶならばそれもまたそれで良い。流石に師である私達が君の意見を聞かない訳もあるまい。意見は尊重するよ」

 

 

 時刻は3時前。

 3人の話合いもおわり、暫くの間、茶でも啜りながら菓子でも食べていると、長老である風林寺隼人が起床する。

 若干寝ぼけ眼で3人を不思議そうに眺めた。

 こんな早朝に話し合っていること自体おかしな話である。

 しかし、そこは無敵超人で尚且つ理解も超人級である風林寺隼人は何も言わずに、そして頷きながら、

 

 

「ほほう。ようやく祐佐久君も決めたのじゃな」

 

「流石長老、話が早い」

 

「ま、なんとなーくは察しがつくものじゃよ」

 

「しかしどうすれば宜しいのでしょうか……。私と剣星は動とは真逆のタイプですし、逆鬼に関してはまだ若すぎます。おまけにアパちゃいが祐佐久君を教えるとなると無理がありますし……」

 

 

 梁山泊で動を扱う事が出来るのは、逆鬼至緒とアパチャイ・ホパチャイの2人である。一応だが、風林寺隼人も扱う事が出来る。

 風林寺隼人という人間は、滅多に教えを解かない事でも有名な話である。

 だが何となくであるが、話は見えている。

 恐らくだが、隼人が祐佐久に動の扱い方を教えるのであろうな、と秋雨は考える。

 

 

「やはり長老が教えるのかね?というか、それしか考えれないね」

 

「確かに」

 

 

 隼人は腕を組み、そして深く目を瞑る。

 そして、突然述べた提案に秋雨と剣星は驚愕する。

 

「そいじゃあ……とある者に稽古を付けてもらおうかいのう」

 

「とある者……とは一体?」

 

「あれじゃよ、むかーし闘ったことがある奴じゃ」

 

 

 秋雨と剣星は互いに見つめ合い、首を傾げる。

 昔闘った事がある、とは言ってもどのくらい昔かは定かではない。寧ろ祐佐久に動の気の扱いを任せるくらいなのであるから、無敵超人に匹敵する程の力を持ち合わせているか、もしくは実力が認められている者が指導するのである筈である。

 時に、達人は常人の理解を超える事を考え、驚かせる。

 しかし特A級の達人は、並の達人の理解を超える程にイカれた事を考える事もある。 

 それが無敵超人ともなれば、特A級の達人の理解を遥かに、それも霞むほどに。

 

 

「とりあえず、祐ちゃんや」

 

「は、はい」

 

「今日の9時にここを立つ準備をしておきなさい」

 

「えっ?どこに行くんですか?」

 

「ちーちゃな島国じゃよ。東南アジア諸国ののう」

 



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第11撃 超人と邪神

 飛行機に乗るること5時間。そして長老に担がれること3時間。到着した時には、既に陽は傾きかけていた。

 日本の季節は春であり、若干肌寒さがあるが、到着したここはかなり暖かい。

 東南アジア諸国と言っていたが、ここまでの暑さとは想像もしなかったと同時に、本で書いていた通りであるなと少々ばかり感動する。

 

 

「ほっほっほ、着いたぞい、祐ちゃんや」

 

「ふう。疲れた……」

 

「すまないのう。でもこれでも割と急いだつもりだったんじゃが。ま、とりあえず行こうかのう」

 

「えっと……ちょっと待ってくださいね」

 

「ええぞい。日付が変わるまで待つぞい」

 

「い、いや!別にそこまでは……。とりあえず質問があります。今からどこにい向かうのですか?そもそもここに来た理由は僕に稽古を付けるため……なんですよね、多分。別に稽古をするだけなら日本で良くないですか?」

 

 

 祐佐久が疑問に思うのも仕方が無い。

 そもそも何故、このような熱帯の島国に来たのかが分からなかった。隼人曰く『世直しのついでじゃ』である。

 毎回思うことだが、達人の行動には理解し難いものがある。それは梁山泊の一同と寝食を共にしていれば分かるのだが、無敵超人である風林寺隼人に関しては本当に訳が分からない時があった。

 今がまさにその時である。

 思わず怪訝な表情を浮かべてしまう。

 

 

「まあまあ、そんなに難色を示さぬ事じゃて。大丈夫じゃ。のーぷろぶれむ!」

 

「一体何が大丈夫なんだが……。大体急過ぎるんですよ!」 

 

「そんなカッカせんと。たまには年寄りの言うことを聴くのもいいぞい」

 

「仕方が無いなぁ。今回だけですよ。まぁ、別に教えてくれるならチャラにしますけど」

 

「ホッホッホ。流石祐ちゃんじゃ。優しいのう」

 

 

 長老のニンマリとした笑を横目にし、祐佐久は地平線へと誘われる夕日に視線を注ぐ。

 浜辺の砂はかなり綺麗で、拳で突くたびにキュッキュッと音を立てるほどだ。それに、ここにつく途中に海をじーっと眺めていたが、透き通った水が空を映し出し、さながら空を優雅に飛んでいる様であった。

 しかしどこかに違和感を感じてしまう。

 余りにも人の気配が無さすぎる。

 此処に到着し、凡そ30分以上が経過したが浜辺を歩く人すらいない。

 恐らくだが誰かの私有地に違いない、と考える以外他になかった。

 

 

「……やっと来たか。にしても遅かったのう」

 

「へ?」

 

「ああ、やっと祐ちゃんに動の気の扱いを教えてくれる彼奴が来たんじゃよ」

 

「えーっと……来たって、何処に?」

 

 

 辺りをぐるりと見渡すが、誰一人として見受けられなかった。一瞬長老が自分をカラかっているのかと考えたが、流石に無いだろうと思い、再度辺りを見渡した。

(遂にぼけたな……)

 と心の中で呟いた刹那、背後から凄まじく、得体の知れない〝何か〟を感じ取る。

 戦慄せざるを得なかった。ただただ背後にあるは恐怖そのもの。ドス黒く、梁山泊のそれとは一線を画す物。言うなれば――殺気。決して己に向けられる筈のない刃。だが背後のそれは刃なんて生易しいものではない。死神にさえも畏怖の念を与えてしまうだろう。

 たった数秒。しかしその数秒は今まで生きてきた中で最も酷く、そして長く感じられたことは言うまでもない。

 

 

「カカッ。久しいのう、風林寺の爺っさまや」

 

「ホッホッホ。そちも何も変わらぬな。相変わらず変てこな仮面を付けおってからに」

 

「ぬかせ」

 

「にしても随分と遅かったのう。随分と待ち草臥れたものじゃて」

 

「貴様が我の元へ出向く筈であろう?歳は取りたくないものじゃのう」

 

 

 背後をゆっくりと、慎重に振り返ると、そこにはアジア独特の民族衣装を身に纏い、仮面を付けた男が一人。先ほど感じた禍々しさはどこかへ吹き飛んでしまった。

 夕日を背にし、体躯をオレンジ色が包み込むその様は正に神秘そのものであり、神々しい。まるで神話の中からひょっこりと現実の世界へと飛び込んできた神そのものだ。

 

 

「まさか……この餓鬼に教えを授けるのではあるまいな?」

 

「そのまさかじゃ」

 

「カカカカッ!流石風林寺家は螺子一本ぶっ飛んでるのう!己が弟子に邪神相手に教えを請うとは狂っておる!面白い、実に面白いのう!久方振りに怠けきっていた我の拳が疼いてきたいのぅ……。しかし相手は餓鬼か。

 ……まあよい。我相手にどこまで耐えれるのか見物じゃわい。そこらの達人片っ端から殺していくよりかは退屈しのぎになりそうで楽しみじゃわいのう」

 

「意外とやる気があるのじゃな、感心感心。それじゃあワシはここらでお暇するとしようかの」

 

 

 一体整理するとこうだ。

 今から自分は自らを『邪神』と名乗る仮面男から動の気の手解きを受ける様である。

 この時点でも大問題だが、更に長老は自分を置いて何処かに行ってしまうらしい。

 これだけは非常にヤバイ。どのくらいやばいかというと、地球の自転が一時停止するレベルでやばい。

 

 

「じゃあ、ある程度経ったら戻るから宜しくたのむぞい!」

 

「承知した。が、命の保証はないぞ。その事を肝に銘じておくのだな」

 

「ホッホッホ。りょうかいした。さらばじゃ――……」

 

 

 気が付くと、目の前に居たはずの長老は残像を残し、既に去っていた。

 さて、いよいよだ。前方には仮面を被った男が1人。仮面越しであるにも関わらず絶え間なく注がれる視線が身体を貫通し、身体が否応なしに竦む。

 祐佐久が言葉を放とうとした刹那、先程まで佇んでいた仮面が、眼前まで迫っていた。

 突然の事に声にならない悲鳴を上げそうになったが、唇を噛み締め、何とか堪える。

 

 

「ほほう……一応は梁山泊の弟子といったところか。風林寺の爺っさまはもう去ったし、ここからは全て主導権は我が握ってるおるのか……面白い」

 

 

 ニヤリと笑みを浮かべたのであろうか、仮面が少し横にズレる。

 すると、突然ムクリと立ち上がり、祐佐久に『着いてこい』と一言。

 悪い夢であって欲しいと切実に願う。到着した場所が梁山泊であり、ドッキリでした〜、なんてオチであれば最高だ。寧ろそうであると願いたい。が、やはりこれは現実だ。ほっぺたを幾ら抓ろうが、自分に平手打ちをしようが、一向に夢から覚める気配はない。

 こうなってしまったのも、全ては自分の責任だが、これは余りにも酷すぎる。プロが初心者に手解きを行う事は良い事だ。

 しかしだ。相手はプロであるとはいえ、言葉の端々に身の危険以外を感じない様な相手だ。先程から自分の中の警鐘が鳴りっぱなしである。

 だがここまでくればもう、仕方が無い。

 

 

「貴様は爺っさまとどういう関係じゃ?粗方予想は付くが、一応聴いておくとしようかのう」

 

「えっと、梁山泊の弟子というか、拾われた身です」

 

 

 拾われた身です、という言葉をなん度もなん度もジュナザードは反芻し、何食わぬ顔で歩き続ける。

 そして質問は続き、

 

 

「何故梁山泊に」

 

「気が付いたら梁山泊の門の前で倒れていたらしいです。何故かは忘れましたけど……。今はそれしか思い出せません」

 

 

 仮面の男はコクコクと頷き、黙り、懐を探り出す。取り出したものは梨であった。しかもかなり大ぶりの梨だ。

 仮面を横にズラし、梨を食らいつく。豪快に食べるその姿に、若干羨ましさを感じてしまった。ここに来るでの間、祐佐久は一切食事を取らなかった。故にお腹はペコペコである。

 そして思わず「美味そう……」と言葉を漏らしてしまった。口を塞いでも、もう遅い。

 仮面の男は立ち止まり、祐佐久の方をぐるりと身体を向る。

 

 

「あ、えっと……ごめんなさ――――」

 

「ほれ、梨じゃ。くれてやる」

 

 

 祐佐久は新品の梨を男から直接受け取った。

 その余りにも意外な行動に驚くと共に、案外この人は優しいのではないかと、思った祐佐久である。

 そのときの梨はとても甘く、美味しかった。

 

 



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第12撃 成れの果て

 見慣れない天井が映る。と同時に自分の部屋でないと知る。

 しかし思いの他にこの家(ジュナザードの城)は大きかった。我の城と言っていたが、満更ではない。寧ろ自分が想像出来る限りの城の大きさを遥かに超える程である。

 

 

「拳魔邪神って人は一体何者なんだ……」

 

 

 

 事前に得た情報は僅かであった。出発前に秋雨師匠から聴いた話によれば、長老が唯一、ドローに持ち込まれた相手であるらしい。

 あの無敵超人と張り合う人物が強者であることは明白であるが、経済、金銭面に関しては全く予想を立てることは困難だ。

 ただ一つだけ言えることは、ウチ(梁山泊)よりも、寧ろ霞むくらいの財力を持ち合わせている事だ。

 

 

「あの、拳魔邪神さん」

 

「なんじゃ」

 

 

 テーブルをひとつ挟み、対面し合いながら朝食をとる。自分の前に並べられている料理とは対照的に、拳魔邪神の目の前にある食べ物は、殆どフルーツのみ。

 

 

(まぁ、果物が大好きなんだな、きっと)

 

 

「今日の予定を知りたくて」

 

「朝食が済んだら、スグに修行開始じゃわい。まぁ、最も今日は殆ど見学じゃがのう」

 

「見学……ですか?」

 

「なんじゃ――不服か?」

 

 

 刹那、対面していたはずの拳魔邪神が何10倍にも大きくなり、身体を包み込む禍々しい程の邪悪な何かに取り憑かれる。

 そして、右の手で掴んでいた林檎が爆発したかのように握り潰された。

 

 

「あ、別にに不服なんて……」

 

「それで?」

 

「いや、だから……その……ごめんなさい!」

 

「……」

 

「……?」

 

「――流石に今の段階ではまだ殺気に耐えられぬか」

 

「……へ?」

 

「今のは、段階的にまだまだ序章。殺気のレベルは下の下。リョウザンパクでの修行のせいか、多少は抗う術を得ているようじゃが……まだまだ青いわい。

 殺気に対抗する手段を知らずして自然に耐える事に成功した事は褒めてやろう。幼いにも関わらず基礎が出来ておる――いや、身体の芯まで浸透させた者を褒めるべきか。

 確かに、この年齢の餓鬼共は扱いやすく、従順じゃ。じゃが常に死が付き纏うてのう。加減を誤ればイタズラに死ぬわい。よく、両の手が真紅に染まったものじゃわい」

 

 

 今さっきまで、自分の余計な一言が原因で身体と首がおさらばだと思っていたが、実は違っていた様だ。

 意外な事に、殺気の耐性があるかどうかを試していたようだ。

 しかし朝の初っ端からやる必要はあるのだろうか。いや、絶対に(必要は)無い。ただ、真面目に稽古を付けるつもりはある事を知り、多少は安心したが、言い放った言い放った内容が内容である事については目を瞑る意外の余地は無い。

 

 

「確か――ユウサクと言ったな、小僧」

 

「は、はい!」

 

「立て」

 

「え?」

 

「ええから、立ち上がれい」

 

 

 ここでの生活で、少しでも拳魔邪神に対しての反応が鈍ければ機嫌を損ねてしまう。1+1が2であっても、拳魔邪神が3と言えば、3になるのだろう。

 若干アホくさい事を頭の中で考えていたが、状況が状況であるので、仕方が無い。

 今現在、真後ろに邪神が。それもコチラを凝視し続けている事が否が応でも伝わってくる。かと思えば、真横に佇み、そして気が付けば真ん前に。

 それが20分以上続き、そして拳魔邪神が一言――

 

 

「小僧――」

 

「な、何ですか?」

 

「肉付きは申し分無いのう」

 

「へ?」

 

 

 突然の事に、思考が停止してしまう。

 何となく、身体をジロジロと観ているという事はそういう事だろうと薄々気がついていた。が、実際に真正面から言われてみると、おかしなものである。それが拳魔邪神と恐れられている人物の口から発せられたならば尚更だ。

 

 

「そ、そうですか」

 

「カカッ、手間は省けたのう」

 

「手間って……何の手間なんですか?」

 

「動の気を解放する以外にも、小僧には修行を付けてやろうと思ってのう。気の解放だけを、唯ひたすらに淡々と続けていくのも退屈じゃろ?」

 

「は、はい……多分」

 

「じゃから小僧にはシラットを付けてやろうと思ってのう。それには先ず、身体が出来上がっているか確認する必要があった。じゃが、此処で基礎的トレーニングをする必要は一切無い。まぁ、楽しみにしておく事じゃな。カッカッカッカッ!」

 

 

 豪快な笑い声と、『支度が出来たら、広間に来い』と言い残し、拳魔邪神はその場を後にした。

 いまいち話が飲み込めなかったが、どうやら気の解放がてら、何かの修行をするらしい。彼が専門とする武術であろう『しらっと』とい呼ばれるものを教えて貰えるらしい。

 不安9割5分、期待5分である。

 

 

「――来たか」

 

「遅れてすいません!」

 

「いや、別に遅くは無かろうに。30秒も掛からんかったしのぅ」

 

 

 別段、部屋に戻っても、支度らしい支度も特に無かったので、拳魔邪神が部屋を出ていった瞬間に急いで広間に向かったことが幸を奏す。

 

 

「さて、行くとするか」

 

「一体どこに行くのですか?」

 

「歩いて30分も掛からん場所じゃ」

 

 

 部屋の窓から見えていた風景が今、目の前に広がっている。この島に来てまだ日日はかなり浅いが、初めての外出である。

 真ん前にいる邪神の存在を除けば、気候も自分好みで、旅行気分を味わえただろうに。

 目的地へと向かう道中に、往々とする人々が拳魔邪神に向かい頭を垂らし、平伏す人までもいた。そして驚く事に祐佐久でさえ同じ様な待遇でも出迎えられる。

 これには驚くと同時に、拳魔邪神がこの国でどの様な存在であるかということを思い知られる出来事となった事は言うまでもない。

 

 

「着いたぞい」

 

「ここは――」

 

 

 目の前には、地下へと通づる階段がポツリ、と一つ。今まで無駄に感じた人の気配は全く無くなり、建物の間ばかりを通り、行き着いた先がこの場所である。

 

 

「ええっと……入るんですか?」

 

「勿論」

 

 

 どの道入らなければ、無理連れていかれるに決まっている。その前に、流石に殺されはしないだろうが、後々色々と自分の身に影響する事は確かなので……。

 渋々だが、階段を降りる。

 1段、また1段と進むに連れ、気温が低くなっていき、平然を装っているが浮き足立つ。そして最深部へ辿り着いた時には、身体は小刻みに震えていた。

 

 

「さ、中に入れ」

 

 

 意を決し、中に飛び込むとそこには――特に何も無かった。何も無かったと言うと語弊があるが、想像していた以上のものは何一つ無かった。

 しかし異様な空気が漂っている事だけは確かである。

 

 

「ここは一体……」

 

「処刑場――だった場所とでも言うべきかのう」

 

「処刑場!?」

 

「そうじゃ。嘗てこの島では戦争が行われておった。同胞は皆、勇敢に戦い、そして散った。当時この場所は敵の拠点付近であり、尚且つ地下と言うこともあり拷問等を試すには持ってこいの場所じゃった。

 そこら中に傷跡や、血痕がじゃろう。それは――同胞が踠き苦しみ、そして殺された証拠」

 

「……まさかそんなことがあったのですね」

 

「結局の所、我らの勝利で終わったがのう。カカカッ。連れて来た理由は、そのような事を話す為ではない。ここは嘗て拷問等が行われていたと話したな。それを我が引き継ぎ、少しばかり改造してのう。今では実験室じゃわい」

 

 

 最後の一言が原因で、嫌な汗が滝のように溢れ出る。言われてみると、得体の知れない道具や薬が進行形で使われている様な形跡があり、よーく見れば、ハイテクの機械も備わってる。

 

 

「さて、初めての修行を此処で始めようとするかのう」

 

「……」

 

「なに、安心せい。今日はただ確認するだけじゃ」

 

「確認……ですか?」

 

「まぁ、見る方が手っ取り早い」

 

 

 更に奥の方へと進む。

 そして、次の瞬間――声にならない叫び声が扉越しに児玉する。

 

 

(な、何だ一体!?)

 

 

 

 悲痛な叫び――とでも形容し難いその声は、他人をいとも簡単に震え上がるらせるであろう。それ程までにその声には怨念めいた何かを孕ませていた。

 

 

「あれが――」

 

 

 扉の向こう側には、男がただ1人。それも、檻に幽閉されており、獣の様な唸り声を上げ、コチラを威嚇していた。

 辺りには血が飛び散り、血の匂いで満たされている。吐きそうになるが、グッと抑え、堪える。

 

 

「こ、これは――」

 

「あれが、動の気の発動に失敗した者の末路――成れの果てじゃ」

 

「い、一体どういう事ですか!?」

 

「動の気を解放するには、それ相応のリスクを背負わねばならぬ。万が一、動の気自体に己を飲み込まれれば修羅道に陥り、2度と人として歩む事が出来んようになる」

 

 

 自分の考えの甘さに思わず笑ってしまいそうになった。今までの修行通り、動の気の解放も呆気なく終わる――そう信じ切っていた。

 しかしどうだろう。目の前にいる存在は、動の気の成れの果て――修羅道に堕ちおった者。人のそれとは違い、完全に理性を失った1匹の動物そのもの。

 余りの衝撃さに、腰を抜かしそうになる。

 

 

「じゃが安心せい。汝をああはさせまい」

 

「……?」

 

「動の気に飲み込まれればああなるということを理解しておく事必要があるのじゃ。今はただ、その事を頭の片隅にそっと忍ばせておけい。

 気にする必要は無い。汝は彼奴とは比べ物にならない程出来が良い。さて、用はこれで済んだ。城に戻ろうかのう」



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第12話 対話

その日、祐佐久は眠りにつくことが出来ずにいた。

 余りにも凄惨な後継が脳裏に焼き付いていた。まるで映し鏡の様に修羅道に陥った彼が現れる。

 あの様に成りたくない───もしも、彼の様に道を踏み外してしまえばどうなることか、と考えるだけでも心が決壊してしまう。だが同時にこれさえ乗り越えてしまえば、自分は一段高み臨むことが出来るに違いない。

 

 

「はぁ、寝れないや。どうしようかなぁ。暇をつぶすにも手持ち無沙汰だしなぁ」

 

 

 天井には伝統的な模様が描かれている。左右非対称なくねくねとした線、それに大小様々な斑点。確か、広間にも似たような模様が描かれていた事を思い出した。

 しかし模様を1時間も2時間も眺めるバカは早々いない。いたとしてもソイツは本当にやる事がないか、単なるバカだ。

 祐佐久は意を決し、布団からムクりと起き上がる。

 

 

「ああ、もう!こうなったらヤケだ。邪神さんのお城を徘徊してやる!」

 

 

 ティダード王国において、ジュナザードは神に近い存在であり、それは如何なる事があろうが不可侵だ。ジュナザードがリンゴを蜜柑と言い張れば、それはもう蜜柑だ。

 それ程の力をもつジュナザードの自宅はまさに城。新旧入り乱れる居城はまさに伝統とモダンアートの融合であり、立地も去ることながら防衛設備も完璧という非の打ち所が全くもってない。

 少なくとも、ケチをつけるのならば、防衛設備はいるのか?という事ぐらいである。

 さて、ここにおはすのは命知らずの祐佐久少年。

 不幸にジュナザードが修行場にわざわざと自ら足を運ぶのであった。そして、ある部屋の前を通り過ぎようとしたその時、

 

 

「───ユウサクか」

 

 

 突然の事に口から心臓が飛び出そうになった。

 見つかってしまってはもう遅い。

 「は、はい」、とオドオドとした口調で祐佐久は返事を返す。

 

 

「こんな夜更けに何をしておる」

 

「いや、ちょっと眠れなくて」

 

「······あれが原因か」

 

「あー、多分そうです。あれです。なんかスミマセン」

 

「カカッ、まだ子供じゃのう。まあええ。とりあえず我の部屋に入れ」

 

 

 重厚で、まるで冥界へと続きそうな扉の前に祐佐久はただただ絶望する。扉の先にあるのは恐らく多くの屍が散乱し、その中央に邪神であるジュナザードが鎮座しているに違いない。

 はたまた贅沢の極みを尽くした数々の装飾が施されているのだろうか。どちらにせよ期待と不安が1:9の割合で、祐佐久は扉に手を掛ける。

 

 

「お、お邪魔します」

 

 

 驚く程にシンプルな内装であり、拍子抜けしてしまう。寧ろ自分が借りている部屋の方が豪華であるが、圧倒的に違いがあるとすれば、部屋の造りがかなり解放的である───という事である。

 

 

「適当に掛けろ」

 

 

 扉付近のハンモックに腰を下ろす。

 部屋に現代的な明かりは無く、ただただ暗闇が辺りを覆い被していた。辛うじてだが暗闇に目が慣れてきており、何となく、真ん前にジュナザードが居るのだろうなと目を凝らす。

 

 

「なんじゃ、こんな夜更けに。散歩なら他所ですればよいのに。もしも貴様が使用人であれば即刻殺しておったわい」

 

「ハハハ、ははは······ごめんなさい。つい出来心で、というか寝れなくて」

 

「やはり童じゃのう。腕はそれなりにあるが、心が追いついていないのか。カカッ、やはり風林寺の爺様のやり方は甘いのう。やはり選択肢を与えずして、鼻っから死の恐怖を刷り込ませれば自ずと精神を鍛えることは出来るのにのう······。

 ユウサク───主が望めば、ワシは貴様の師になってやることも出来るのじゃが······汝は望むか」

 

「え、そ、それは······」

 

「冗談じゃ」

 

 

 邪神の弟子になればべらぼうに強くなるには違いない。が、一歩間違えれば自分の寿命が確実に縮まる事に決まっている。神は神でも彼は邪神だ。邪神に教わるなら、まだ悪魔に教わった方が生き延びる確率はかなり高くなりそうだ。

 考えるに、邪神さまには現在弟子がいないのであろうか。弟子にこないか、という質問は若干本音も混じっていたのかもしれない。

 空一面に掛かっていた雲にの隙間から差し込んだ月明かりが、ジュナザードの部屋に初めて差し込めた。

 自分の足元からジュナザードへと徐々に、光の境界線が前へ前へと広がり、ジュナザードの足元に差し掛かる頃には、既に30分近くお互いに話し込んでいた。

 

 

「あ、はい······って、あれ?」

 

「どうかしたのか」

 

「邪神······さま······ですよね?」 

 

「────ああ、そういうことか」

 

 

 目を疑うという言葉はまさにこの時の為だけに存在すると祐佐久は思い知る。月明かりがゆっくりと、ジュナザードを包み込む様に灯し、部屋一面を覆う頃に祐佐久は既に目を見開き、言葉を失った。

 老人とは決して似つかぬ風貌の若者が1人、中央の台座に腰を降ろし、果実を咀嚼していた。

 祐佐久は混乱する。今まで話していた人物は───ジュナザードは何処に行ってしまったのだと。

 しかし驚く事にその若者の声はジュナザードそのもの。

 

 

「いや、明らかに顔が予想と違うというか······」

 

「カカカッ。貴様の言う事はもっともらしい。我に影武者なんぞおらんからのう。確かに見た目こそ二十歳止まりじゃが、年齢は風林寺の爺様同様に老いぼれに過ぎんからのう」

 

 

「じゃ、じゃあ────」と言葉を汲みだそうとするが、相応しい言葉を選択しようが無い。人は、余りにも驚く事に直面した際にはフリーズしてしまう、という秋雨の言葉を思い出しつつ、祐佐久は考えをぶつ切りにし、言葉にする。

 

 

「ジュナザードさん───老人───若い───長老······」

 

「力を求める余り辿り着いた成れの果てがこれじゃ。顔以外は老いぼれてしもうてた、ただそれだけの話に過ぎぬ」

 

「そ、そうですか」

 

「そうじゃ」

 

「ふ、不思議だ······」

 

「カカッ、実に率直くな感想じゃのう。それが大多数の声じゃろうな。じゃが世の中は貴様が思っている程に広く、そして深いということを肝に銘じておくことじゃな。貴様は今日、1ミリ程度成長したのう。人生とは経験の積み重ねじゃ。例え説明がつかんとしても、経験は一つの経験として存在し、己の糧となる。理解を拒むとしても、理解そのものは記憶される。

 汝は何も知らぬ。じゃがそれが正解じゃ。今はそれで良い。寧ろそれが解。汝が拳を鮮血に染めるのも、人が為に使用するのも正解は存在せぬ。ただ何れ選択を迫られる事もあろう。その時は自分の心に問うことじゃ。

 ワシとて懐疑する事も暫しある。だが、ワシはもう解を見つけてしもうてのう」

 

「解······ですか?」

 

「ワシが見出した解───今は教える事は出来ぬ。それが貴様自身の解に多かれ少なかれ影響を及ぼすかもしれんからのう······。

 さ、もう遅い。はよう出てけ」

 

 

 意外な事に、ジュナザードの言葉には重みがあり、祐佐久の心に響いた。彼の言葉からはどこか不思議な温かみがあった。

 祐佐久はジュナザードの言葉を心に刻み、布団に潜り込む。

 翌日、祐佐久は寝坊し、めちゃくちゃ怒られた。



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第14撃 実践!命懸を掛けて!

 

 

 ティダードでの生活にも慣れてきたところであるが、意外にも長老の旧友?であるジュナザードは、多忙を極めていた。なんでも、私用で忙しいとのことで、城で見ることは滅多になかった。邪神の代わりに、まぁ、比べ物にならないほど優しいメナングという、浅黒く背丈が少し高い、叔父さんが祐佐久の修行を付けているところであった。

 伸び伸びと修行をする彼は、その質の高さに、ジュナザードの教育ともいうべきであろうか、邪神の配下のレベルはやはり高水準なんだな、と実感する。そもそも比較対象が梁山泊なわけであるが、多少ホームグラウンドでの修行には劣るが、並の武術家ではないのだな、と祐佐久が思ってしまうほど、彼、つまりメナングの指導は的確そのものである。

 

「よし、ここまで。一旦休憩に入ろうか」

 

「オッス!」

 

「それにしても、君のポテンシャルの高さには随分と驚かされる。まだ子供とは思えんな」

 

「いやぁ、梁山泊のあの人たちを見てたら、自分なんかにポテンシャルだなんて言葉は…」

 

「ハッハッハ。ジュナザード様含め、あちら側の人種は、言わば外れ値みたいなものさ。もしかしたら君はその領域に踏み込めるかもしれないな」

 

「うーん…それはそれでいやだなぁ…」

 

 修行場所は決まって城から少し離れた、荒地。周りは畑に囲まれていて、周囲からは隔絶されている、修行にはピッタリの場所である。

 ここに来てから、祐佐久はシラットを主体とした身体の使い方を学んでいた。特にシラットの複雑怪奇な動き方や、身体の運用方法は非常に興味深いものであったため、実は満足していた祐佐久である。

 シラットはジャングルファイトに使用された歴史もあるので、四方八方から仕掛ける攻撃に秀でており、そこが彼のお気に入りポイントである。願わくば邪神の技を1度でもいいから、見てみたいし、なんなら教えて貰いたいと密かに考えているほど、この武術は強いな、と祐佐久は考えていた。

 そういえば――と祐佐久は空を見上げる。

 自分は気の習得のためにここに来たのに、未だにそれを習得出来ずにいる、と。ここ数日間、彼はずっとその事を考えていた。

 うーん、と唸りながら歩く祐佐久を横目に、 メナングは語りかける。

 

「どうかしたのか」

 

「いや、そういえば自分は気を習得する為にここに来たんじゃなかったっけな、って思って」

 

 残酷な――メナングは思わず呟いてしまう。

 

「ん、どうかしたの?」

 

「いや、なにも。幼いながら気を習得しようとする気概には驚かされる」

 

「そう…かな?ウチでは当たり前のこと過ぎて、逆に使えない自分だけがおかしいのかな、って」

 

「ハハッ、それもそうか。君の当たり前は、私やこちら側の人間からすると常軌を逸したものであるが、君は既に向こう側の人間になりつつあるということだな」と、メナングは、少し笑っていた。

 

 さて、次の修行は――とメナングが言いかけたその時、城壁の上で地面と平行になりながら、邪神が佇んで?いた。余りの非現実的な光景に目を疑ったが、ぶっちゃけ特A級の達人にはもう物理法則とかある程度無視出来ることは散々理解しているので、即座に状況を理解した。ついでに片手にはかじり掛けのパイナップルがひとつ。割と待たせちゃったのかな?と少し不安に駆られてしまった祐佐久である。

「ジュナザード様!お帰りになられていたのですね」

 

「カカッ、今着いたところじゃわい」

 

「ただいま準備を致しますので、少々お待ちを――」

 

「いや、いい。ユウサク、今より修行じゃわい」

 

 この世には車とか飛行機とか色々乗り物があるけど、事故によって命を落とす人は少なくはない。どんなに頑丈な乗り物でも、事故を起こせば必ず怪我をする人はいるのだから。しかし、世界で最も安全でかつ最速ののりものは存在するするのだ。達人というなののりものが…。

 物凄いスピードで過ぎ去る風景を見ながら、祐佐久はふとそんな事を考えた。ジュナザード様早すぎやしませんか――、と、轟速で移動する邪神の帯に必死になって掴まりながら彼は、移動するならやっぱり乗り物だな、とただひたすらに考えるのであった。

帯に掴まること30分、祐佐久はヘナヘナになりながら砂浜に座り込んだ。

 辺りは見慣れない風景が広がっていた。それもそのはずティダード本島から離れた小島に着いていたからであり、本島とは違い、背丈の高い木々が、島を覆っていた。

 ジュナザードの後ろについて行くこと、10分弱、前の方には自然には似合わないような人口の施設ともいうべきであろうか、コンクリートで覆われた建物が祐佐久の前に現れた。

「ここは一体…?」

 

「ワシの施設じゃわい」

 

「施設…ああ、実験の!」

 

「ほう、意外と元気じゃわいのう」

 

「なんだかもう達人はこうなんだと、割り切った方がいいかなって思うようになったんですよね」

 

「カカカカッ!いい心掛けじゃわい」

 

 歩みを止め、ジュナザードはぴたりと歩みを止めた。画面越しにでも分かるほど、邪神は一瞥をくれず、施設をじっと眺めている。そして、ニヤリと笑みを浮かべた後、ティダード語で何かを呟いた。

祐佐久は同年代の者に比べれば突出している。武術でもそうであるが、特に学力にも秀でていた。また適応率の高さも群を抜いているので、それなりに日常会話程度ならティダード語も聞き取れる程である。

故に彼はジュナザードが放った言葉に戦慄する。

 

 

――生き残れるかのう――

 

 

「ユウサク」

 

「…」

 

「時に修行にはリスクがつきものじゃわい」

 

「リスク…」

 

「しかしリスクが大きければ大きいほど、リターンはデカい。さて、ここでワシからのプレゼントが1つ。これさえ乗り越えることが出来れば、貴様は今より数段高みへと登る――」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい…は、話の意味が」

 

 「なに、すぐに分か――」ジュナザードがそう言いかけた刹那、祐佐久が恐怖を覚えてしまうほどの叫び声が、いや、叫び声なんて言葉では言い表せない程の、憎悪の塊が彼等に降り注ぐ。

 祐佐久は瞬時に理解した。これは殺気が向けられているのだ、と。また邪神の意図を悲しくも理解したしてしまった。この向けられた殺気の大元と自分が対峙しなければならない、数分後の自分の光景が。

 数人の小柄な男、いや、自分と同じくらいの子供が3人ほど現れた。

 

「ジュナザードさん……この子達は多分、そう――」

 

「カカッ、察しが良くて助かるわい」

 

 祐佐久は 「実験体……!」と呟き、拳を握り締める。しかし、その握り拳にはジュナザードに対する怒りは含まれてはいるが、何よりも占める恐怖の割合の方が遥かに大きいのである。祐佐久はこれで二度目であった。1度目はティダードに訪れた際のあのジュナザードから受けた、純粋な殺気。ただそれは本当に純粋な殺意であり、恐ろしさはあるものの、すんなりと受け入れられるものであった。

 しかし、今現在向けられている殺気は、人間の負の感情のどす黒いものが込められた、憎しみ、恐怖、絶望、そして怨念めいた「生」の殺気。身震いしてしまうほどの殺気。目をそむけたくなるような殺気。

 

「ジュナザードさん」

 

おそらく彼は、邪神は、こう口を開くのである。

この3人と闘え。勝てば自然と気は身に付くから、と。

 

ああ、メナングとの穏やかな修行が恋しいと思う反面、否が応でも内から湧き出る闘志に、嫌気がさしてしまうほど、現在の自分の実力を試してしまいたいという、自分がいる。梁山泊での修行が、邪神からの教えがどこまで自分の血肉となっているのかを。

「勝てば……いいんですよね」

 

「カカカッ!実に物分りが良い奴で助かったわい」

 

3人の実験体は、こちらに構えを向けたまま、じっと見つめていた。

 

「少しだけ質問してもいいですか」

 

「カカッ」

 

「この子達はなぜこんな所に……?」

 

「施設から逃げ出したんじゃわい。いつもなら放っておくのじゃが、今回ばかりはちと事情が変わってのう」

 

「事情……?」

 

「奴らは実験体の中でも特に優秀でのう。子供ながらにして動の気の解放に成功したサンプル。故に貴様と奴らをぶつければ面白いものが見れるのではないか、と」

 

 ちょっと待ってくれ、と。今なんと言った?

 

 祐佐久は動揺する。

 

――動の気の解放に成功した――

 

 理解は出来たのだが、その処理に追いついていない。いや、追いつくことを身体が拒んだのであろう。

 ここに来て最悪の文言を聴いてしまった。

 つまり、彼らは、彼ら3人とも気の解放に成功した子供達と今から闘え、と。多対一に加え、相手は動の気を解放しているのだ、と。

 気がつくと、ジュナザードは既に地面にはおらず、木の枝に腰を下ろし、懐からスターフルーツを取り出し、黙々と食していた。

 退路はもうないようだ。

 後に引けば見区切られるに決まっている。

 前に行けば、生の殺気をこちらに向ける3人が。

 少しだけジュナザードという人物を甘く見ていた自分をぶん殴ってやりたい。

 邪神が邪神と呼ばれる所以はここにあるのか、と言葉を洩らす。

しかし、きっとこれは人生に於けるターニングポイントの1つだと理解した。これを乗り越えれば、一皮むけ、武術家として大きな一歩を踏み出すことが出来る。が、失敗すれば命は確実に落とす。

なんともまぁ、極端なターニングポイントであるが、息を整え、祐佐久は構えをとった。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、ユウサクよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死合えい!!」

 

 

 



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