艦隊これくしょん ― 紺碧の戦線 (ラケットコワスター)
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第一話:1ページ目

 深海棲艦。

 突如として深海から姿を現したそれらを人はそう呼んだ。その姿は人形のものから完全に人形を離れた異形まで様々。しかしいずれも共通して恐ろしく強い、という特徴が挙げられる。

 あまりに唐突に現れた外敵に対し人間は抗うことができなかった。人間の装備では敵わなかったのだ。

 しかし全く希望が無いわけではなかった。深海棲艦と同じくまた別の新たな存在が世界に現れていた。

 艦娘。人は彼女らをそう呼ぶ。どこから現れたのか、気付けばそこにいた。気付けばそこにいて、気付けば戦っていた。外見は人間の少女と言って差し支えない。いや、何から何まで人間と全く変わらない。

 新海棲艦の対抗存在として人間とは比べものにならない強靭な肉体を有し、実際の船のように油で活動エネルギーを得ることができる、という点を除けばの話だが。

 少女らは皆総じてかつてこの海を駆けた艦艇の名と記憶を持っていた。彼女らは人間が作り出した存在の生まれ変わりだった。故に彼女らは人間の手を取り、人間と共に在り、人間と共に戦う道を選んだ。

 かつて海で凄惨な殺し合いを演じた“兵器”は“心”を得て手を取り合い、共に人類の敵に抗うこととなった。

 

 

 ―――鎮守府近海

 

 

「目標到着時間一時二十分頃……予定通りだ」

 

 蒼く晴れ渡る空の下、同じく限りなく蒼い海の中、陽炎型駆逐艦十三番艦“浜風”の美しいシルバーブロンドはよく目立った。

 

「うぅんっ……今回も長かったなぁ……疲れたぁ……」

 

 思い切り背伸びをして浜風に呼応するように独り言を洩らしたのは特型駆逐艦、吹雪型一番艦“吹雪”である。

 

「仕方ない、また資材が枯渇寸前なんだそうだ。私達が出なければ最悪鎮守府が回らなくなる」

 

 吹雪の独り言に初春型駆逐艦三番艦“若葉”が返事をする。容姿は浜風や吹雪に比べ大分幼いが漂う雰囲気は容姿に似合わない達観したような何かを感じさせた。

 

「だがなぁ……流石にこうも遠征ばかりだと何だか張り合いが無いっていうか……やっぱ出撃してえなぁ……」

 

 最後に遠征隊の先頭を行く旗艦が口を開いた。彼女は天龍型軽巡洋艦一番艦“天龍”だ。

 艦娘らと提督が深海棲艦と戦う為の前線基地、それらは総じて“鎮守府”と呼ばれる。鎮守府と言えば戦時中日本に数ヶ所存在した海軍の根拠地を想像するが深海棲艦や艦娘らが現れるようになってからは単に艦娘と司令官がいる基地をその規模の大小を問わず鎮守府と呼ぶようになり、またそのような場所は各地に散見されるようになった。故にそれらを束ねる大本営も各鎮守府の運営に必要な資材を負担しきることは出来ず、ある程度までは供給されるが基本的に運営の為の資材は各鎮守府で都合するしかなかった。

 彼女ら四隻、もとい四人は枯渇寸前になっている資材を集める為に朝から遠洋航海を行い資材をかき集めてきた。

 彼女らが所属している鎮守府はここしばらくこれといった出撃は行っておらず、遠征隊が資材回収の為に海へ出ているだけだった。この遠征隊の旗艦を務める天龍も本来は主力、第一艦隊に所属しているのだが艦娘としての活動の燃費の良さから遠征隊に抜擢された。

 

「あぁ……どうせ帰ってもまたすぐに次の遠征に出されるんだろうなぁ……なんつーかつまんねーなぁ……」

 

 天龍が背伸びをしながら愚痴を溢す。

 

「まぁまぁ。鎮守府が回らなくなるよりマシですよ」

 

 吹雪がやんわりと天龍を諌める。それに対して天龍は首だけ振り返り苦笑いを浮かべてみせた。

 

「まぁな……ん?」

 

 突然天龍の表情が曇る。素早く首を前方に向け空を見上げた。

 

「ど、どうしたんですか……?」

「電探に反応あり、三時の方角!何か来るぞ!」

 

 急に真顔に戻った天龍は腰に差してあった刀を抜いた。艦娘が持つ艦船としての特徴の一つ、艤装である。それに応じるように他の三人も手に持った小さな大砲のような艤装を構えた。

 

「三時の方向……?爆撃機でしょうか」

 

 浜風が天龍に訊ねる。拳銃のような形をした自らの艤装に取り付けられたトリガーガードにかける指の力が自然と強まった。

 

「わからない。だがあっちは……」

「ええ。深海棲艦の支配海域の方向ですよね」

 

 遠征はあくまで資材の回収や工作を目的とした出撃であり戦闘が目的ではない。しかしこうして会敵する可能性もまたゼロではないのだ。

 やがてそれ(・・)は姿を現した。

 

「来た!」

 

 遠くに影が見えた。しかしそれは――

 

「……一機だけ?」

 

 影は一つだけだった。雲に隠れてうすぼんやりとしか見えないが確かに一つだけだ。本隊からはぐれたのだろうか。

 

「……いや、違う。あれは……」

 

 次第に影の形がはっきりしてきた。縦に長い楕円形のような機体、横に長く伸びた二本の翼、弱々しく回るプロペラ……プロペラ機だ。

 

「……あれは人間が乗る機体だ。敵じゃない」

 

 近づいてきたことでわかったが影は思っていたより大きかった。おおよそ艦娘や深海棲艦が扱う艦載機の大きさではない。と、なれば人間が扱う機体ということになる。天龍は刀を鞘に納め、他の三人も安堵の表情を浮かべ艤装の構えを解いた。

 

「しかし珍しいな今時このあたりで人間の機体とは」

「そうですね」

 

 影はいまやしっかりプロペラ機とわかる程に近づいてきていた。一機だけ、というのが気になるがとりあえず敵ではないようだ。

 

「ん……あれ!?ちょ、ちょっとあれって!」

 

 しかし吹雪が突然プロペラ機を指差して声を上げた。それにつられて皆プロペラ機を見上げる。

 その瞬間、プロペラ機のプロペラが止まった。

 

「!?」

 

 推進力を失ったプロペラ機はゆっくりと前のめりに傾き四人のもとに真っ逆さまに墜ちてくる。

 

「か、回避ぃぃっ!」

 

 四人が慌ててその場を離れる。途中プロペラ機は火を吹き派手な音をたて、錐揉み回転しながら海へ墜ちた。

 

「う……そ……墜ちた」

「と、とにかく搭乗者の保護を!」

 

 四人は急いでプロペラ機に近づく。機体は激しく損傷し、煙がもうもうと上がっている。

 

「うっ……すっごい煙」

「大丈夫ですか!?」

 

 鉄屑と化したプロペラ機の残骸を解体しながら搭乗者の安否を探る。早くしなければ搭乗者もろともプロペラ機が沈んでしまう。

 

「いた!」

 

 やがて中から一人の男が引きずり出された。どうやら軍人のようで血と埃で薄汚れたボロボロの深緑色のつなぎのような服を着ている。この損傷は墜落した時のものだろう。おびただしい出血に加え意識も無いのか、ぴくりとも動かない。

 

「……生きてるのか?」

 

 若葉に言われて浜風は男の口元に耳を近づけた。わずかにだが浜風の耳に自然のものではない空気の流れが届く。どうやら息はまだあるようだ。

 

「……息はしている。急ごう、まだ助けられる」

 

 四人は頷き、天龍が男を背負うと皆鎮守府へ向けて帰路を急いだ。

 

 ***

 

「……どうですか」

 

 十数分後、四人は鎮守府の医務室にいた。目の前にはベッドに横たわる男、そして鎮守府近くの町から急いで呼んできた人間の医師がいた。

 

「うーむ、微妙なところですね」

 

 医師は見事に禿げあがった頭を掻きながら男の診断結果を前に苦い顔をする。

 

「結構な量出血していますし、全身傷だらけです。しかしまぁ……現状命に関わるような怪我は見当たりません」

 

 医師の言葉に四人はほっと息を吐く。

 

「ですがまだどうなるかわかりません。怪我が悪化する可能性も充分に考えられますし、場所によっては止血できていない所もあります……ん?」

 

 そこまで話すと医師が口をつぐんだ。そして眼鏡を直し、ベッドの側面を見つめる。

 

「ど……どうしました?」

 

 浜風が恐る恐る聞くと医師は我に帰ったように浜風の方を向く。

 

「あっ、いえね、今彼の手が動いたように見えまして……私も歳ですかね、流石にこんなに早く意識が戻るというのは流石に考えられないのですが」

「はぁ……」

 

 浜風がちらと男の手を見た。医師が動いていたように見えたというその手はやはり微動だにしない。見間違いのようだ。

 

「しかし……珍しいですな、話を聞く限り深海棲艦の支配海域の方角からの戦闘機……まさかそんなことがあったとは」

「えぇ……私達も驚きました。服装から察するに軍人……だとは思いますが」

 

 そう言われて今度は医師が自身の左手に位置する壁にかけられた男の服を見た。墜落の衝撃でズタズタになってしまっているが戦闘機のパイロットが着る深緑色のつなぎだというのはわかる。

 

「しかし……一体なんでそんな方角から飛んできたんだ?軍人だとすると……連中に攻撃を仕掛けでもしたのか?その隊の生き残りとか」

 

 天龍が顎に手をあて男の素性を推察する。深海棲艦の支配海域から飛んできたボロボロの戦闘機と同じくらいボロボロのパイロット。そう考えるのが自然だろう。

 

「ふーむ、いや、特に最近そういう話は聞かないですな。少なくともこのあたりの海域では、という話ですが」

 

 鎮守府を度々訪れるこの医師の情報網はどういう訳か妙に広い。そういった話も多少なりとも入ってくるそうだ。

 

「だとすると……いやまさか……そんな遠くから飛んできたとでもいうのか?」

 

 若葉が医師の顔を見上げながら質問をぶつける。医師は困ったような顔をして続けた。

 

「流石に詳しくはわかりませんよ。私は軍人じゃあありませんし……」

「まぁ……そうですよね」

 

 結局疑問に答えは出ず、五人は黙りこんでしまう。

 

「……で、どうする」

 

 しばらくして天龍が沈黙をやぶった。

 

「どうするって……提督に報告するしか」

「……私あの人苦手なんだよなぁ……」

「私もだ吹雪……」

 

 医師を除く艦娘四人の会話はこのことを報告するか否か、いや、誰に報告すべきか、という話題にシフトした。どうも四人とも歯切れが悪い。

 

「とはいえ秘書艦に一任するわけには……」

「そうだよね……」

「俺が報告しなきゃいけないのかこの場合」

「お願いできます?」

「えぇ……」

 

 やがて四人の会話は声量が上がっていく。医師は蚊帳の外に取り残され、椅子に腰掛けズタズタになった男の服をぼんやりと見ていた。

 

「俺は嫌だぞ!あの人苦手なんだ!」

「それは皆そうです!」

「というよりあの人大丈夫なのっているのか?」

「……う」

 

 瞬間、ほんの一瞬だった。あまりに突然のことにその場にいた全員は何が起こったのかすら認識できなかった。

 ベッドに寝かされ全く動かなかったはずの男の手が突然動いた。突然素早く伸び完全に呆けていた医師の腕をしっかりと、確かな力で掴んだ。

 

「うおおっ!?」

 

 あまりに突然のことに医師は声を上げのけぞった。当然その医師の腕を掴んでいる腕も引っ張られる。それに連動し腕の持ち主も当然引っ張られた。

 ガシャンと大きな音をたてベッドに寝かされていた男がベッドから転げ落ちた。横に置かれていた鉄製の台や木製の椅子が派手にひっくり返り、四人も変な声を上げ飛び上がる。

 

「な……ななななんですか!?」

 

 吹雪が両手を上げ壁に背中をぴったりとくっつけながら状況を確認しようとする。

 

「うう……ここは……どこだ」

 

 吹雪の声に続いて聞こえたのは人間の男の声だ。医師の声ではない。若々しく低い声だ。と、なればこの声は怪我人の方になる。

 

「も、もう意識が戻ったんですか!?」

 

 今度こそ医師の高めの声が聞こえた。吹雪が落ち着いてきた頃には男が医師の肩に手を回し立たされていた。

 男はそのままベッドに寝かされ、医師は倒れた台や椅子を元に戻した。男は小さくうめき声を上げ寝返りをうつ。

 

「せ……先生?これは……」

 

 浜風が驚いた顔のまま医師に状況の説明を求めた。

 

「意識が……戻りましたな。しかもこんなに動けるとは……」

「あぁ……駄目だ……すまねぇ、そこのあんた、そう、あんただ」

 

 男は再度うめき声を上げ浜風を指差した。

 

「わ、私?」

「なんか……食いもんをくれ……血が足りねぇ」

 

 

 ***

 

 

「あの……彼、大丈夫なんですか?」

 

 数分後。浜風と医師は二人そろって呆気に取られた顔をしていた。医師にいたってはずれた眼鏡を直そうともしない。

 

「しょ……食事ができてるなら……問題ない……ですかね」

 

 男は意識を回復するなり食事を要求した。今浜風の目の前で鎮守府の一日分の食糧を平らげようとしている男はとてもつい先程まで意識不明の重体だったとは思えない。

 

「うー……ゲフッ」

 

 ちょうど男が胃袋におさめた食事がのっていた食器で病室が埋め尽くされそうになった時、そこでやっと男は箸を置き、食事以外の目的で口を開いた。

 

「あぁ……食った!もう食えねぇぇ……」

 

 男は大きく伸びをするとベッドに倒れこんだ。その様子を見た浜風は急いで男に駆け寄る。事情を聞き出す前に眠られたらたまったものではない。

 

「あ、あのっ!」

「ん……?」

「お名前を聞かせてください」

「俺の名前……?」

 

 一瞬、男は何故そんなことを聞くんだとでも言いたげな顔をした。してからほんの少し考え、すぐに表情を変え勢いよく起き上がった。

 

「失礼、悪い悪い。メシ食わせてもらったのにこんな態度はないわな」

 

 そう言って男は歯を見せながら笑ってみせた。

 そこで浜風は改めて男の顔をしっかりと見た。全体的に顔立は整っており、目は男性にしては少し大きく、その眼光は大人の男性と言うよりは悪童どもを束ねるガキ大将のような無邪気さを感じさせた。眉は細めだが凛々しく力強い印象を受け、無邪気に笑う男の屈託のない笑顔が与える印象に一役買っている。

 

「俺の名前は赤羽。赤羽 興助(あかばね こうすけ)だ。よろしく頼む」

「……戦闘機に乗っていたりあの服を着ていた、というところを見るあたり軍人のようですが、間違いありませんか?」

 

 名前が確認できた所で浜風は今度は男の身分について探りを入れてみた。対して赤羽は不意を突かれたように歯切れ悪く返答する。

 

「ん?……あ、あぁ……空軍に所属している」

「空軍、ですか。階級は?」

「少佐だ」

 

 浜風が次々に浴びせる質問にたじろぎながらも赤羽はきちんと答えた。嘘をついてはいなさそうに見える。

 

「あの……赤羽少佐、聞けば、深海棲艦の支配海域方面から戦闘機で飛んできたそうですが、何があったのですか?」

 

 あまりにも浜風が矢継早に質問を浴びせるので医師がやんわりと横やりを入れた。会話のテンポは一気にテンポダウンし、赤羽も調子を取り戻した。

 

「……俺は……俺達は、深海棲艦と戦ってたんだ」

 

 赤羽は少し考え、やがて重苦しく口を開き、述べた。

 

「深海棲艦と?このあたりでは最近そういった作戦の話は聞きませんでしたが……」

 

 赤羽は改めて医師と向き合い、使用言語を砕けた敬語に切り替え続けた。

 

「作戦の存在そのものが秘密だったからなぁ……ま知らないのが普通でしょう」

「なんと」

「そういえば、今このあたりと言ってましたが、ここは一体どこなんですかね?」

 

 赤羽の言葉を聞くなり吹雪が背後の戸棚から海図を取り出し赤羽に手渡した。

 赤羽は海図を受けとるなり丸められていたそれを一気に開き、目を通す。

 

「マジか、こんなところにまで……」

「……どうされましたか?」

 

 医師に言葉をかけられ、赤羽はゆっくりと顔を上げた。

 

「俺はこのあたりの人間じゃあないんですよ」

「なんと」

 

 赤羽は自らの所属について話し始めた。なんでも彼は深海棲艦の支配海域近くの小さな港町の出身だそうだ。彼の街はまだ深海棲艦に対する装備が整っていないのにも関わらず勢力を拡大する深海棲艦に挑んだ。当然結果は惨敗。彼は戦闘中に被弾しその衝撃で気を失ってしまった。そのまま燃料が切れるまで飛び続け、結果燃料が切れ墜落した所に丁度浜風らが通りかかったというわけだ。

 

「そんなことが……」

「そうだ、俺の仲間は。他に、俺の他にここまで流れ着いたのはいなかったか?」

 

 赤羽が思い出したように浜風に尋ねる。食事をし自分以外のことに気がまわるようになったのだろう。

 浜風は突然返された質問に不意をつかれ黙りこんでしまう。

 

「少佐……その……」

 

 浜風の代わりに吹雪が口を開く。が、言葉が続かない。直接に確認したわけではないが赤羽がこれだけひどい状態だったのだ。生き残りがいる見込みは薄いだろう。

 

「……そうか」

 

 吹雪の態度を見て赤羽なりに納得したようだ。赤羽はそれ以上尋ねようとはしなかった。

 

「……」

 

 重い空気が流れる。たった一つの質問でこうも空気が変わるものなのか。誰も口を開かない。

 息苦しい。空気が変わるとこうも居心地が悪くなるものなのか。だんだんとその場にいる者に落ち着きがなくなってきた。

 

 ―――コツッ、コツッ

 

 突然扉をノックする音が鳴った。今の今まで沈黙が部屋を支配していたがために全員の反応は速かった。

 

「どうぞ」

 

 医師の言葉に続いて木製の扉が軋む小さな音をたて一人の男が入ってきた。後には小さな少女を従えている。恐らく彼女も艦娘だろう。

 

「失礼する」

 

 男は低く、若々しいながらにも威厳のこもった声で話した。

 海軍の将校が着用する白い制服をきちんと着用し、帽子のつばもきっちりと前を向いている。帽子から少しはみ出た髪は几帳面に整えられ、全体的に何処と無く神経質な出で立ちだ。人相は悪くなく、鋭い眼光の三白眼、眉は比較的細めで緩やかな傾斜を描いていた。端正な顔立ちではあるものの、同時に眼光の鋭さや近づく者全てを威圧するような雰囲気をまとい、なんとなく近寄りがたさを醸し出していた。

 見たところ赤羽とそれほど年は離れていなさそうだが何かが赤羽と決定的に違う。そう感じさせる男だ。

 

「提督……」

 

 部屋に入ってきた男と目が合うなり天龍が小さく呟く。

 

「天龍、帰っていたか。報告は後で聞こう」

 

 男は表情一つ変えずに淡々と述べた。

 

「さて、君が問題のパイロットだな」

 

 天龍が視線をそらすと男は赤羽に向き合い彼の身分を確認した。冷たい目だ。赤羽の中でこういう目を持つ人間はそれだけで‘嫌なやつ’に分類されてしまう。自然と体が緊張した。

 

「私は冷泉 君彦(れいぜん きみひこ)少将だ。ここ、第九鎮守府の責任者を務めている。……君の名前は」

 

 冷泉の質問は一本調子だ。話題が完全に彼のペースで進んでいる。

 

「え、あ、はぁ……赤羽興助といいます、えぇと、あ、階級は少佐であります」

 

 コイツ苦手だわ―――

 赤羽は内心舌打ちした。赤羽はこういう人間が得意ではない。

 

「ふむ、赤羽。ここに来るまでに何があったか覚えているか?覚えているだけ話してもらいたい」

 

 冷泉はあくまで表情を変えない。無愛想な男だ。

 赤羽は自らの所属する航空戦隊と深海棲艦団との戦い、敗北、長時間の飛行など先程までの話を繰り返すように冷泉に説明した。

 

「……以上です」

「わかった。ではまずは君の所属先へ確認を取る。今後のことはそこから考えるとしよう」

 

 冷泉は小脇に抱えていたクリップボードの上に敷かれた紙にさらさらとペンを走らせ赤羽の証言をまとめると彼と目を合わせることなく言った。

 すると赤羽は少し驚いたような顔をして冷泉の一本調子に割り込んだ。

 

「し、しかしっ、恐らくもう俺の街は深海棲艦に占領されています、そこへ通信するのは逆に危険では……」

「そこは問題ない」

「はぁ……ですが」

「問題ないと言っているだろう。怪我人は大人しくしていろ。くれぐれも余計なことはしてくれるな」

 

 冷泉はぴしゃりと言い放った。これには赤羽も黙らざるを得ない。

 これ以上の対話は無意味と判断したのか冷泉はすぐに部屋を出ていった。彼について部屋に入ってきた艦娘はついに一言も発さずに冷泉に続いて退室していった。

 

「……本当に必要な話しかしなかったな」

 

 冷泉が出ていった後生じた沈黙を破ったのは浜風だった。赤羽の視界に彼女は映らなかったが声に苦々しさがにじんでいるあたりよくない表情をしているのだろう。

 

「……助けてもらってなんなんだが」

「?……どうしました少佐」

 

 しかしそれは赤羽も同じだった。 

 

「嫌なヤツぅッ」

 

 ――八月十五日午後一時三十分、赤羽興助、第九鎮守府へと辿り着く。

 歴史にはこう刻まれる。後世に語り継がれる人間の反撃、勝利の歴史。輝かしいこの歴史はなんでもない鎮守府の無機質な病室の一角から始まる。後にその場にいる者の多くがこの歴史で主役を演じることになるのだが、それはまだ誰も知るよしのないことであった。




 初めましての方は初めまして、なんだおめーかって方は毎度お世話様ですラケットコワスターです。今作、「艦隊これくしょん ― 紺碧の戦線」よりpixivでの活動も開始しました。優柔不断さに定評のあるぼくですが、そちらも合わせて赤羽、冷泉共々よろしくお願いします。

さてさて、第一話「1ページ目」。如何だったでしょうか。なにぶんネットに小説アップするのは久しぶりで、まー書けない書けない。難儀しました(笑)ネタ自体は大分前から練っていた話なのでこうしてやっと形になったのはぼくとしても嬉しいことです。まぁそれでこのクオリティかとかは言わないでください泣きます。今回登場した赤羽、冷泉、浜風や吹雪達。ちょーっと人間目立ちすぎかな?まぁですがそういうお話だと思ってくださいごめんなさい。更新は遅めになってしまうかもしれませんがしっかりちまちま書いていきたいと思います。これからもよろしくお願いします!


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第二話:単冠湾グループ第九鎮守府

 さて、赤羽が第九鎮守府へと流れ着いてから数週間が経った。

 

「明石ィー、暇だ」

「そうですね……」

 

 鎮守府に流れ着いた時に深緑色の航空隊員の服を着ていた赤羽は今薄い緑色の整備員のつなぎを着ていた。

 

「本当にやることねぇのな」

「仕方ありませんね、今うちは資材が尽きかけてますし、工廠もやることが無いんですよ」

 

 結局あれから冷泉は赤羽の所属先に連絡を取ろうとしたが元より場所がはっきりせず、更に深海棲艦の攻撃を受けていたこともあってか通信は繋がらなかった。

 その後の赤羽は本人が希望したこともあってそのまま第九鎮守府の所属となった。と言ってもここは人間の基地ではなくあくまで艦娘と提督の鎮守府。人間のパイロットに需要はなく、結果として工廠に回された。

 

「夕張ィー、今日の予定は?」

「その質問今日三度目ですよ?」

「そうだっけか」

 

 先程から眠そうな表情で紙パックのジュースを啜り赤羽と気だるそうに会話をするのは工作艦“明石”と軽巡洋艦夕張型一番艦“夕張”だ。

 

「なんだかなぁ……もっとこう……なんだ、作業はないのか」

 

 紙パックが空になったのを確認した赤羽はゴミ箱へ空箱を放り投げ、小汚ないソファへ腰かけた。

 

「そうですねぇ……やることもないですし、暇つぶしになりそうなものもないですし……」

「だな……あー、空に行きてぇ」

 

 工廠の高い天井に取り付けられた広い天井には不釣合いな程小さな窓を見上げ、赤羽が呟く。どこと無く悲壮感が漂っている。

 

「……」

「そういえば少佐」

 

 悲壮感漂う赤羽をみかねた明石が沈黙を破った。

 

「ん?」

第九鎮守(ここ)の施設見学なんてしました?」

「んー……いや、ここに配属されてからろくに出歩いてないからなぁ……」

「なら丁度いい!せっかくですし、行ってきたらどうですか?」

 

 明石は手を叩いて声を上げた。しかしそれに対し赤羽は困惑したような表情を浮かべる。

 

「いや……確かにそうしたいところではあるが俺らは一応まだ勤務中だぜ?勤務時間内に仕事場を離れた、なんて提督に知れたら面倒じゃないか?」

「どうでしょう?バレないんじゃないですか?」

 

 夕張が工廠の隅に置いてあったダンボールからポテチを一袋取り出しながら言う。

 

提督(あの人)は一日中執務室にこもってるみたいですし」

 

 あくまで夕張は気だるそうにソファに腰掛け、ポテチの袋を開く。

 

「そうなのか?」

 

 怪訝そうに言いつつも赤羽は夕張が開けたポテチの袋にすぐ手を突っ込んで一枚口に運んだ。夕張が少し不機嫌そうな顔をする。

 

「まぁ、そうですね。夜時々海岸の方に歩いていくのを見かけますけど日中執務室の外にいるところなんて見たことないですね」

 

 明石も袋に手を突っ込んで一枚ポテチを取り出す。自分が袋を持ってきたのに先に二枚持っていかれた夕張は露骨に嫌そうな顔をした。

 

 ***

 

「うーむ、やっぱ広いな」

 

 赤羽は結局工廠を出た。第九鎮守府側も流れ者の赤羽の部屋を急には用意できず、結果赤羽は職場となった工廠に置かれた小さなプレハブで生活しており、工廠からろくに外出していなかったのでなんだかんだ新鮮だった。

 

「さて……出たはいいがどこに行くかね……」

 

 工廠から出てあたりを見回すと数人の駆逐艦が走っていくのが遠目に見えた。

 

「あー、おい!ちょっといいか……」

 

 声を上げ制止してみるが届かない。走り去られてしまった。

 

「ふぅむ」

 

 赤羽は鼻で大きな息をつくとポケットに両手を突っこみ歩きだした。当然行くあてなどなく、どこに何があるのかわからない状況だ。

 

「お?」

 

 しばらく歩くと来客用に作られたのか鎮守府の地図が描かれた金属製の看板を見つけた。

 

「こりゃいいや、どれどれ……現在地は……どこだ」

「あ、あのっ」

 

 不意に後ろから声をかけられた。か細くか弱い声だ。なんとなく自信がなさげな高い声は瞬時に艦娘の声であると赤羽は察した。

 振り替えるとそこにはやはり艦娘が立っていた。予想と違ったのは思っていたより小柄だったということ。いや、それはもう小柄というより身体の幼さ、と言った方が正しいかもしれない。

 

「あー、ええと、なんだ。確かあんたは……」

「電と……いいます」

 

 極端に小柄な体躯に少しサイズの大きなセーラー服を纏い、薄い黒に近い色のスカートを履いている。髪は艶のある茶髪であり、もみあげは肩にかかるほど伸び、後ろ髪は一本に束ねられ、先が上を向くように後頭部に固定されている。よく見ると一部微妙に束ねきれておらず、それなりに髪の量はあるようだ。きっとほどけばそれなりの長さがあるのだろう。眉は微妙に八の字になっており、髪の色より薄い茶色の大きな瞳は真っ直ぐに赤羽の瞳を見据えていた。

 

「……誰?」

「だ、だから電ですっ!」

「悪い悪い、冗談だよ」

 

 赤羽がからかうと電は少し声を大きくした。赤羽は非礼を詫びると電に歩み寄り、話を続けた。

 

「確か……提督と一緒に居たよな。するとあれか?あんたが……秘書艦ってやつか」

「はい。電は提督の秘書をやっているのです」

 

 自分の仕事に誇りを持っているのか電は胸を張り答えた。心なしか先程までのおどおどした雰囲気もこの一瞬で無くなったようにも感じる。

 

「で……その秘書艦が俺に何の用だい?」

「その……少佐が危ないことをしないよう見てるように、と提督が……」

 

 バレていた。

 

 ***

 

 数分後、電と赤羽は広場を歩いていた。電は赤羽を工廠に連れ戻そうとはせず、むしろ施設案内を始めた。工廠に押し込めておくよりはこの方がいいと判断したのだろうか。

 第九鎮守府は赤羽が思っていたよりずっと広く、電につれまわされながら内心驚きの連続だった。

 電はまず北の正門へ赤羽をつれて行った。

 

「ここが正門です」

「おう」

 

 そう言う電の背後には彼女が三人肩車しても通れそうな程高い門が開かれていた。この鎮守府は基本的に高い塀で囲われており、出入り口は限られている。

 

「ここの他にもう一つ東門があります。正門は町に、東門は海にそれぞれ続いているのです」

「市街地と浜辺ねぇ……なるほど」

 

 次は正門の前にある広場を真っ直ぐ進み、広場を挟んで正門と向かい合うレンガ造りの比較的大きな建物の前に来た。

 

「ここが‘本館’です」

「ふむ」

「提督のお部屋(執務室)や作戦指令室、お客さんの為のお部屋、電達のりょう?もここにあるのです」

「つまり居住スペースってことか。……ケッ、いいとこあんじゃねぇか」

 

 赤羽は工廠の隅に急遽置かれたプレハブのことを思いだしながら独り言を漏らす。

 

「次は別館です」

 

 電は本館の門前に立ちながら右手に建っている建物を指差した。

 本館もそうだがこっちも組まれたレンガの劣化が進んでおりみすぼらしい。

 

「ここには間宮さんの食堂や病院があるのです。少佐がこの間起きた所もここなのです」

「ああ……ここか」

 

 赤羽の脳裏にあの日病室で目覚めた時の場面がよぎった。よくまぁ生きていられたものだと勝手に感慨深い気持ちになった。

 

「そして次が工廠です」

 

 正門から見て広場の北東、本館と別館の間にできたスペースを抜けると目の前に水平線が広がった。鎮守府を囲うレンガ造りの高い塀が鎮守府南部にはなく、代わりに艦娘サイズのドックがいくつか設けられていた。うち一つに覆い被さるようにコンクリートの四角く洒落っ気のない建物を電は指差した。赤羽にとっては今の職場にして自宅である。

 

「……知ってますよね」

「うん」

 

 赤羽の返事には生気がなかった。

 

「じゃあ最後はあれだけなのです」

 

 そう言うと電は工廠の右手を指した。

 本館、別館と工廠の間にはちょうど街の大通りのようなスペースがある。鎮守府を横断するように伸びたスペースは東門から伸び最終的には西端の――――森に辿り着く。

 

「あぁ、あそこな。最初見た時は驚いたぜ?まさか鎮守府内に森があるとは。それとも海軍じゃ普通なのか?」

「あそこまで大きな森があるのはここだけなのです」

「あー……やっぱり」

「色んな()がよく行ってるみたいですけど電はまだちょっと怖くて……」

「ハハ、そうかもな。まだお前にはちょっと早いかもな」

 

 赤羽は腰を折りかがむと、電の頭に手をおいて無邪気な笑みを浮かべた。

 

「ありがとな。お陰でよくわかったよ」

「……は、はいっ、こちらこそ、ありがとうございます……なのです!」

 

 一通り鎮守府内を歩き、少し話をしたことで気づいたことだが、赤羽は電が思いの外難しい言葉を使うことに驚いた。まぁ常に傍にいるのが冷泉(あの男)だということを考えると妙に合点がいくが。

 

「ええと、これで案内は全部なのです。何か聞きたいことはありますか?」

「ん……あ、あぁ、そうだな、じゃ一つ聞きたいんだが……」

「電」

 

 赤羽が電に対し質問しようと口を開くと横から別の声が割って入ってきた。赤羽は出鼻を挫かれ口をつぐんだ。

 声の方を見るとそこには電と同じく幼い容姿の艦娘が立っていた。

 セーラー服を着用している電とは違い、こちらは深緑色のジャケットにスカート、タイツを着用している。ジャケットの下には白いシャツを着、赤いネクタイを巻いているがシャツは裾がはみ出ており、ネクタイも胸元が空いている。きちんと服を着用している電が近くに居るのも手伝って全体的にだらしない印象を受ける。が、表情はそれに似合わず口元は真一文字に結ばれ、その眼光にも鋭いものがある。電と同じ茶髪、瞳まで同じ色だ。

 

「ああ……なんだ若葉か」

 

 赤羽はこの艦娘を知っていた。数週間前、医務室の一角で目が醒めた時にベッドの傍にいた。その後も資材運搬などでちょくちょく工廠を訪れており、顔見知り程度にはなった。

 

「なんだとはなんだ」

 

 若葉はショートに切り揃えられた自分の髪のハネを直しながら応答する。

 

「それで……私に何の用ですか?」

 

 今度は電が話に割って入る。

 

「ああ、そうだ。呼ばれているぞ。提督の執務室へ戻ってこいだそうだ」

「え、でも提督に少佐を見ておくようにって……」

「その提督が呼んでいるんだ」

「あ……わかったのです」

 

 電は赤羽に深く頭を下げると広場の奥の方にある大きな建物へ走っていった。

 広場の噴水の前には赤羽と若葉の二人が残された。

 

「……そういえば」

 

 先に口を開いたのは若葉だった。

 

「なにか電に聞こうとしていたな。なんだったら私が代わりに答えよう」

「え?あ、おう……そうだな……ここの名前って確か……」

「第九鎮守府」

「そう。それだ。ずっと気になってたんだが……()()ってことは他に第八、第十って具合にたくさんあるのか、鎮守府って」

「……うん、まあ、結論から言うとそうだ」

 

 そう言うと若葉は歩き出した。“ついて来い”と言いたいのだろう。赤羽は黙ってついて行くことにした。

 二人は広場を横切り、やがて正門へたどり着いた。

 

「これだ」

 

 若葉はそう言うと正門に掛けられていた大きな木製の札を指差した。

 

「ん……?」

 

 赤羽の体躯ほどはあろうかという大きな札にはまるで筆で書いたかのように堂々と『単冠湾グループ第九鎮守府』と彫られていた。

 

「単冠湾グループ?」

「そうだ。私達の鎮守府はこの‘単冠湾グループ’の九番目の鎮守府。だから単冠湾グループ第九鎮守府、というんだ」

 

 若葉は小さな胸を張って自慢気に言った。対してその隣の赤羽は顎に手を当て難解そうな顔をしている。

 

「あー……よし、‘第九’の部分はわかった。今度はその‘単冠湾グループ’について教えてくれないかね……」

「うん?……あー、そう……だな」

 

 若葉は急に口ごもった。

 

「ん?なんだ若葉、あっ!さてはあれだなおめー肝心の単冠湾グループが何かわかってないな!?」

「ち、違うっ!ちょっとド忘れしただけだ……」

「あら?どうしたんですか?」

 

 正門前で騒ぐ二人の会話に上品な高い声が入りこんで来た。赤羽と若葉が同時に首を九十度回すと声の主が視界に現れた。

 赤羽より微妙に背が高く、将校の制服によく似た青い服、青いベレー帽、かなり短めなスカート、黒のニーハイソックスに髪はこれまた透き通るような黒のショート。きちんと服を着用しているがどうも胸部に目が行く。あまりの大きさにボタンが弾け飛ばないか不安になってくる。と、こうして文章に起こしてみると中々ハレンチな格好をしているが実際にはそうは感じさせない上品な淑女然とした雰囲気を放っている。

 

「高雄か、どうしてここに?」

 

 若葉がいち早く調子を取り戻しいつものクールな雰囲気で尋ねる。

 

「ちょっと街へお買い物に行ってて……それよりあなたが噂の少佐ですね?」

「え?あ、おう。そうだ」

 

 急に話を振られた赤羽は生返事をする。

 高雄は赤羽から門の札へ目を移し、先程までの二人のやりとりを察した。

 

「なるほど、単冠湾グループについて話してたんですか」

「よくわかったな」

「あれだけ声が大きければね……せっかくですし、私が解説しましょう」

「おっ、頼むわ」

 

 赤羽は腕を組み、話を聞く体制に入った。若葉も諦めたように黙りこむ。

 

「まず、少佐は現在の‘鎮守府’という施設の定義について、どこまでご存じですか?」

「さっぱりだ」

「うーん、そうですね、まず現在の鎮守府は私達がまだ船だった頃と比べてだいぶ小規模になって数が増えたんです。それはもうあちこちにあるくらいで」

「ふむ」

「今では艦娘とそれを率いる人物がいて、深海棲艦と戦う基地としての働きができていればもうそこを鎮守府、と呼ぶようになったのが原因ですね」

「んー……なるほど」

 

 赤羽は右手をあごにあてる。理解しているのだろうが端から見ればまるで理解していなさそうだ。

 

「そこで無数に存在する鎮守府を束ねる為の‘大本営’が設けられ、鎮守府は地区ごとにグループ分けされたんです。地区の名前は昔日本海軍が基地として使っていた場所の地名がつけられました」

「あー……横須賀~、とか舞鶴~、とかか?」

 

 基本的に赤羽は海軍の知識は全く持っていなかったが何故かこの二つの地名だけは知っていた。

 

「そうですそうです。そして私達の地区につけられた名前は‘単冠湾(ひとかっぷわん)’。だから‘単冠湾グループ第九鎮守府’なんです」

「ほーう。なるほどな」

 

 赤羽はもういちど札に目をやる。

 

「しかし……小規模になった、とはいえやっぱ鎮守府はでかいぞ。この大きさの施設を所構わずドカドカ造ったってのか?土地や資金はどうしたんだ」

「そうですね……資金は各地でどうにかしたようですが、土地に関しては元々あった軍事施設の再利用が多いみたいです」

「んー……そりゃつまりどういうこと?」

「私達艦娘が登場するより先に深海棲艦は現れ、しばらく人間と戦っていましたね?その時各地に軍事基地が造られたみたいで。ほとんどの鎮守府はそういった基地を改装してできたみたいですよ」

 

 高雄も流石にそれ以上詳しくは知らないようだ。言い方が先程と比べて自信無さげである。

 

「なんでも、ここもそうだとか」

「ここもか」

「ええ。ここは元々航空基地だったそうですよ」

「航空基地!」

 

 赤羽の目が輝く。

 

「……当時の機体と思われるものは一機たりとも残ってませんでしたけど」

 

 赤羽が目に見えて落胆した。

 

 ***

 

 若葉、高雄と別れた赤羽はまたふらふらと歩きだした。

 

「……行ってみるか」

 

 この際だから行ける所には全部行ってしまおう。そう考えた赤羽は電と別れる前に少しだけ話題に上がった森に行ってみることにした。

 再び正門をくぐり、広場を通り、本館と別館の間を通って通りに出る。そのまま右を向くとやはり奥にはうっそうとしげる森があった。

 

「うし」

 

 赤羽は森の中へ足を踏み入れた。既に雑草に呑まれ始めているが一応石で道が作られており、人の手は入っているようだ。

 

「……」

 

 森の中へ進むに連れて赤羽の独り言は減っていった。ここはもともと人間の航空基地。きっとここでは数々の人間のやりとりがあったに違いない。

 しばらく無言で歩く。小鳥のさえずりが耳に心地いい。軍隊の基地であることを忘れてしまいそうだ。

 赤羽は地面に手頃な大きさの石が落ちているのを見つけるとサッカーのドリブルよろしくそれを蹴りながら歩いた。

 

「……しかし広いな……」

 

 やがて石を蹴るのにも飽き、石を拾い上げると道端の深い茂みにむかって放り投げた。

 石は狙い通り勢いよく茂みに飛びこみ、雑草を分ける音を立てた。が。

 

「ん?」

 

 その音に紛れて金属音が聞こえてきた。

 

「……なんかあるのか」

 

 石はかなり奥まで飛んでいったようだ。どうせ当てもなく歩き続けていた赤羽は音の正体が気になり、茂みへと入り込んでいった。

 

「っ!?こりゃあ……」

 

 そこにあったのは一機の戦闘機だった。深い茂みの中に半ば埋もれており、注意深く見なければ発見はできなかっただろう。

 

「高雄め……さてはちゃんと探さなかったな?」

 

 赤羽は舌を出し口の周りを湿らせ、帽子のつばを後頭部へ回すと茂みの中に足を踏み入れた。

 

「ま、とはいえ損傷機。直さねぇと動かないだろうな……」

 

 赤羽は独り言を言いながら機体の下に潜り込み、機体の様子を確認する。

 

「……ん?」

 

 赤羽の口から思わず声が漏れる。

 

「……まだ動かせるんじゃないか、こいつ」

 

 機体の下から這い出た赤羽は翼によじ登るとキャノピーをこじ開け、操縦席に潜り込んだ。

 

「……へぇ、見た目の割にはまだ元気じゃないか」

 

 しばらく無言で損傷機の動作テストをした後赤羽はこう結論づけた。

 

「ただまぁ燃料がないな……まぁそれくらいならなんとかなる、か」

 

 赤羽は重々しく腰を上げ立ち上がると操縦席の縁に腰掛け、小さくため息を漏らした。ちらと操縦席の計器に目をやると燃料のメーターだけがゼロを指している。

 

「……弾は入れ替えないと駄目かねぇ……いや、まずは修理、あいや、提督にパイロットとして雇ってくれって言うところからか……はぁ」

 

 赤羽の独り言はそこに行き着くと止まった。右手で頭を掻き、黙りこむ。

 

「ん……?」

 

 不意に耳に音が届く。自然の音ではない。

 

「これは……」

 

 赤羽にとっては聞き慣れた音だ。おおよそこんな穏やかな森で聞きたい音じゃない。

 

「……誰だこんな森の中で大砲なんて撃ってるのは」

 

 砲撃音だ。正確には砲撃音と銃声の中間のような微妙な音だ。

 答えはすぐに出た。音のする方へ木々をかきわけ歩いて行くと海岸へ着いた。正門から外へ出て辿り着く砂浜のような場所ではなく、目の前に突然海が現れた。陸と海の境界線がはっきりとしている。

 そこには先客がいた。

 

「あんたか」

 

 赤羽は目の前に現れたシルバーブロンドに見覚えがあった。

 白髪は後ろからかけられた声に反応し振り返った。

 

「……少佐?」

 

 駆逐艦、浜風。数週間前、赤羽を医務室に運び込んだ張本人だ。

 

「射撃訓練か」

 

 赤羽は近くにあった手頃な大きさの岩に座り込み、あぐらをかいて浜風の行動を尋ねた。

 

「えっ、あ、はい」

 

 見ると浜風の手には彼女の艤装が握られており、煙を吐いていた。海の方にはいくつか丸い的が先端につけられた棒が立てられており、その内の何個かは先端を粉々に砕かれていた。

 

「いつ何が起こるかわかりませんからね……普段からこうしてっ、鍛えておかないと」

 

 浜風はそう言いながら的を一つ撃ち抜いてみせた。

 

「自主練ってわけか。はえー、真面目なやっちゃな」

 

 赤羽は感心したように息をもらす。

 

「というより何故ここに?」

 

 浜風は赤羽がこの森を訪れた理由を尋ねた。考えてもみれば勤務時間中の赤羽がこの森を訪れる道理はない。

 

「あー……仕事が無くて暇なもんでな……散歩ついでに施設見学してたら迷っちまってな……」

 

 赤羽の返答を聞くと浜風は眉をつり上げた。

 

「つまり仕事を抜け出してきたんですか?」

「まぁ……そうなる」

「……信じられませんね、あなたそれでも軍人ですか?」

 

 急に浜風の態度は冷淡になった。岩の上にあぐらをかいていた赤羽は浜風の態度が変わったのにきょとんとしている。

 

「な、なんだよ……いいじゃないか、どうせやることもないんだし」

「そういうことではありません。あなたは工廠で整備員としての仕事を受けましたよね?でしたらその仕事に従事するのは当たり前です。例えやることがなくても勤務時間内に仕事場を離れふらふらしているなんて言語道断です!」

 

 話してる内にだんだんと浜風は早口になっていく。最後にはまくしたてるように一気に言い放った。あまりの勢いに流石の赤羽もたじろぐ。

 

「いいですね!すぐに工廠に戻ってください!」

「ま、待て、待てよ」

「いいえ待てません!すぐに戻りなさい!」

 

 浜風は指先を赤羽に突きつけるように小刻みに振りながら赤羽に迫る。彼女の偽装はバレルの長い拳銃のような形をしており、そんな風に手を振れば当然銃口が赤羽に向けられることになる。

 

「待てって!銃口向けんな!」

「ん、失礼しました。つい」

「ついってお前……」

 

 浜風は少し落ち着いて偽装を下げた。

 

「全く……これで軍人だというのだから驚きです。規律を守れない軍人なんて論外ですよ論外」

 

 浜風のとげのある言い方に赤羽が眉をひそめる。言い方はともかくこの場合非があるのは赤羽であり、彼女が言っていることは正論であるからたちが悪い。

 

「待て、そんな言い方はねえだろ」

「事実です。他にどんな言い方をしろと?」

「かっちーん。あったま来た」

 

 一触即発。赤羽も浜風もお互いに相手を睨み付けて一歩も引かない。浜風にいたってはまだ艤装を握ったままだ。

 

「待て。そこまでにしておけ」

 

 突然木々の間から深みのある声が飛んできた。赤羽と浜風が同時に声の方を見ると、ちょうど木の陰から一人の艦娘が姿を現した。

 黒い髪はショートカットに切り揃えられ、端正な顔立ちは穏やかな表情を浮かべている。背は艦娘にしては高く、赤羽や高雄より少し高いくらいだ。おそらく、戦艦娘だろう。白い巫女服のような服を着用し、黄土色のスカート、黒いインナーを着ている。艤装は装着していなかったが、腰に刀を差していた。

 

「ひゅ、日向!」

 

 浜風が驚いたような声を上げた。

 

「なんだ?私がここにいるのはそんなに驚くことか?……ここは読書に最適でね」

「い、いえ、そうではなくて……」

 

 日向はあくまで穏やかな微笑を崩さない。

 

「……君が噂の少佐、だな?」

「お、おう……」

 

 日向は赤羽に向き合うと腕を組み赤羽の目を見つめた。

 

「な、なんだよ……」

「いや、なんでもない。それより、浜風の言う通り工廠へ戻った方がいい。そろそろ提督も見逃してはくれないだろう」

「あ、あぁ……そう……だな」

 

 調子の狂った赤羽は日向の忠告に素直に従い、工廠へ戻ることにした。

 赤羽は去り際に振り返った。するとちょうど浜風と目があった。

 

「……」

 

 赤羽は右手の人差し指を右目にあてると浜風に向かってあかんべをしてみせた。

 振り返り前を向くと背後から浜風の大きなため息が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こんにちは!ラケットコワスターです。二話目にしてこれだけ時間が空いてしまいました……すみません。ここまでの難産回は初めてでした……すっごい書くの難しかったです。最初にある程度まで書いたら赤羽ががただのウザいやつになってたり……とにかく頑張りました(笑)
 そういえば、先日劇場版艦これ観に行きました。元よりアニメも割と楽しんで観れたので(ただ睦月の扱いには閉口しますが……)期待してましたが期待通りのものでした。面白かったです。結果やる気が一気に絶頂に達して書き上げられたわけで……
 とにかく三話以降も頑張っていきたいです。では、また次回に!


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第三話:赤羽ドリル

 食堂。ここでは給糧艦‘間宮’や町の人間が運営しており、艦娘や町の人間達で賑わうスポットとなっている。

 中でも人気のメニューは間宮が手がけるあんみつ。小豆や抹茶アイスにソフトクリームやウエハースなど和洋折衷、豪華絢爛にして甘味尽くしな一品である。一口食べれば病みつきになること間違いなし__ともっぱらの評判である。

 さて、ここに一人分のあんみつが置かれている。それに向かうは特型駆逐艦‘吹雪’。普段の彼女ならば目を輝かせてソフトクリームにスプーンを入れるのだが何故か今日に限ってはそうしない。それどころか非常に気まずそうな顔をしてうつむいている。

 その理由は隣に座っている浜風にあった。

 

「で……なんであなたがここに居るんですか」

 

 浜風が心底嫌そうな顔をする。その視線の先には牛丼にがっつく赤羽の姿があった。

 

「そりゃこっちの台詞だ。俺はそいつに飯に誘われてな。そんで来てみりゃなんでお前までいるんだよ」

「ま、まぁまぁ……」

 

 吹雪の頬を嫌な汗が伝う。

 つい三十分前の出来事だ。赤羽は昼休みに入り、特に理由もなく外をぶらぶらと散歩していると偶然吹雪に出会った。お互いに顔見知り程度だったので親交を深めるのにいい機会と考えたのか吹雪は赤羽を食事に誘ったのだった。赤羽も空腹感を感じ始めていたので快くそれに応じ、二人で食堂へ入ったまでは良かった。が、そこには浜風がいた。その存在に吹雪が先に気づいたのだが、困ったことに吹雪は赤羽と浜風が喧嘩したことを知らなかったのだ。

 

「ううう、まさか喧嘩してたなんて……」

 

 結果赤羽が気づく前に浜風に声をかけてしまい、不運にも喧嘩中の二人をばったり出会わせてしまうことになった。二人とも案外頑固な所があるようで、赤羽が席についても浜風は席を離れず、赤羽もまた遠くの席へ動こうとはしなかった。吹雪も赤羽を食事に誘った側である手前、彼を一人にして離れるわけにもいかず、結果として非常に気まずい空間が出来上がってしまった。

 

「吹雪、無理にここに居る必要はありませんよ。なんならどこか他の席にでも……」

「お前が動けばいいじゃないか」

 

 浜風が吹雪に席を動くことを薦めようとしたら赤羽が割って入ってきた。

 

「私は吹雪と話をしているんです。入ってこないでもらえませんか?」

 

 気まずい。とても気まずい。二人の視線が合わさると火花が飛ぶ。好物であるはずの間宮のあんみつが全く美味くない。

 

「私の方が先にいたのになんで私が動かなければならないんですか。というよりあなたが他の席に移ればいいだけの話では?」

「いやぁ実はさっき足を挫いちまってなぁ、歩けないんだわ」

「そうですか、じゃあずっとそこに座っていてください」

「うう……二人とも怖い……」

 

 本当に気まずい。

 

「そもそもここで食事をするだけの働きをしたんですか?働かざるもの食うべからず、です。どうせまたふらふらしていたところを偶然吹雪に見つかったんでしょう?」

「その仕事がない場合はどうすればいいんですかね浜風さん?」

「そんなの私が知ったことじゃありませんよ」

「あー出た!そうやって逃げるやつ!議論の放棄だ放棄!」

「ちょっと大きな声出さないでください!」

 

 赤羽と浜風の言い争いは白熱する。次第に二人とも声が大きくなり、食堂にいる他の艦娘達も何事かと顔を向け始めている。吹雪の居心地の悪さはピークに達した。

 その時である。

 

「ごめんね。ちょっと隣いいかな」

 

 赤羽の隣、浜風と向かい合う席に大胆にも新手の艦娘が乱入してきた。きつねうどんが乗せられた盆をそっとテーブルに置き、椅子にかけると割り箸を綺麗に割り手を合わせた。

 

「いただきまーす!」

 

 そう言ってうどんをすすり始める。あまりに突然のことに赤羽も浜風も調子が狂って黙りこんでしまう。

 

「も……最上さん?」

 

 沈黙を破ったのは吹雪だった。

 

「ん?」

 

 最上と呼ばれた艦娘はうどんをすすりながら呼応した。急に顔を上げたのでうどんの汁が少しえんじ色のセーラー服に飛んでしまった。

 

「え……ええと……」

「……二人とも、喧嘩はよくないよ?せっかくのご飯なんだから美味しく食べようよ、ねっ?」

「えっ、お、おう……」

「そ、そう……ですね……」

 

 決まった。赤羽と浜風は完全に調子を崩され沈黙した。落ち着いてきて大声で言い争っていたのが恥ずかしくなったのか二人ともうつむいて黙々と食事を再開する。

 

「も……最上さん」

 

 吹雪が二人に聞こえない程の小声で最上に話しかける。

 

「なんだい?」

「ありがとうございます」

 

 吹雪が小声で礼を述べると最上は優しく微笑んだ。

 彼女は重巡洋艦、最上型一番艦の‘最上’である。短く切りそろえられた黒髪に艦娘としては珍しく半ズボンを着用し、男性的な立ち振る舞いから見目麗しい美少年と勘違いする者も多いがれっきとした女性である。

 その親しみやすく、面倒見の良い性格から鎮守府内の一部の艦娘達からは姉のような存在として見られており、吹雪もその一人だった。

 

「そう言えば……今日は第一艦隊は朝から中部海域に行ってるって聞いてたんですけど、もう帰ってこれたんですか?」

「うん、まぁ……ね」

 

 急に最上の返事は歯切れが悪くなった。

 

「ん、ごっそさん」

 

 最上が次の言葉を繋ぐ前に赤羽が空になった牛丼の器に箸を置き立ち上がった。

 

「悪いな。先、帰るぞ」

「えっ、あ、はい」

 

 浜風と同じ場所にいるのがよほど居心地が悪かったのか赤羽は早々に立ち去ろうとした。吹雪としても居心地の悪さは感じていたしこれ以上赤羽と昼食を共にする理由もないので別に引き留めはしなかった。

 

「……」

 

 赤羽はそのまま食堂を出ていった。吹雪は浜風の方をちらと見やる。相変わらず無表情のまま食事を続けていた。

 

「あぁ……畜生、なんであいつがいるんだ……せっかくのメシが不味くて仕方ない……」

 

 食堂を出た後赤羽はブツクサ言いながら食堂のある別館を練り歩き始めた。まだ昼休みが終わるまでは時間がある。せっかくだから行ったことのない場所にも行ってみようという魂胆だ。

 

「……ん?」

 

 ふと、赤羽は足を止めた。

 

「風呂場……?」

 

 赤羽の目の前に突然レンガ造りの洋風な建物に似合わない一角が現れた。

 それは一言で表すならば‘銭湯’。突然銭湯で見かけるようなのれんのかかった通路が現れたのだ。

 

「……海軍はよくわからねぇな……」

 

 別に軍隊の基地に浴場があるのは変な話ではない。基地とはすなわち兵士の生活の場となるのでむしろ無い方がおかしい。だがこれはどうみても明らかに銭湯だ。軍隊の浴場ではない。

 それにもう一つおかしな点もある。のれんが一つしかない。本来のれんは赤と青が並んでそれぞれ女湯と男湯に通じる二つの通路があるのだがここでは女湯の赤いのれんしかない。

 しかし赤羽はそれに気づかなかった。基地に突然現れた銭湯の衝撃に気をとられ、自分がとんでもない行動を起こしていることにも気づけなかった。

 

「……なんだよ、ちゃんとした風呂場あるじゃないか」

 

 あろうことか赤羽はその中に足を踏み入れてしまったのだ。脱衣場の中心で腕を組み部屋を隅々まで見渡す。幸い今はまだ誰もいないがもしここに誰かが入ってきたらどうなるかは想像に難くない。

 

 ***

 

「そう言えば」

 

 時間は少し遡る。赤羽が去ってから少し経った後の食堂。

 

「結局なんでこんなに早く帰ってこれたんですか?」

 

 赤羽がいなくなり居心地の悪さが和らいだ反動からか吹雪の口はよく動いた。

 

「あぁ、そうだ、ええとね……出撃したまではよかったんだけど……その……」

「?」

「山城が大破しちゃって」 

「ええっ!?山城さんが!?」

 

 吹雪がすっとんきょうな声を上げた。

 

「うん、戦闘海域に入ってすぐに敵の雷撃に当たっちゃって……で、そのまま撤退さ。僕も含めてほとんど皆無傷。でも山城が大破するくらいだからあの海域の攻略はまだまだ先になりそうだなぁ……」

 

 艦娘とは人の身体を持ちながらその本質は船に非常に近い。艦艇が戦いで傷つき、破損し、大破するように艦娘もまた戦闘で()()する。彼女らが本質から人間であればその傷を癒す為にはしばらく前線を離れ療養生活に入る必要があるが、先ほども述べたように艦娘らの本質は‘船’。()()することができるのだ。

 ただし、工具や資材を持ってきて修理ができるのはあくまで艤装まで。本体である人間の身体を癒す為には艦娘専用の浴場で入浴する、という方法を取る。

 つまり、赤羽が足を踏み入れた場所と言うのは――。

 

「……夜にまた来るか」

 

 浴場。自分が今女湯の脱衣所に居ることなどまるで気づいていない赤羽は部屋を一通り見回すと頭の後で手を組み、欠伸をひとつすると脱衣所から出ようとした。

 

「全くもう……なんで私なのよ全く……あぁ、不幸だわ……」

「うん?」

 

 脱衣所を出ようと入り口の方へ歩いていくと丁度その入り口の方から女性の声がした。

 ここが男湯か女湯か全く何も考えていなかった赤羽は特にその声に反応することもなく歩みを進める。一方で声の主も浴場に用があるらしく独り言が遠くに行く気配はない。

 一本しかない通路。突然二人は出くわす。それだけならまだよかったかもしれない。ここで更に問題だったのは――。

 

「え?」

「は?」

 

 声の主が大破した艦娘であり、その衣服までボロボロになり非常に際どい格好をしていたことである。

 そこにはボロボロの服を纏い、全身すり傷だらけの長身の艦娘が立っていた。赤羽の姿を見るなり色白な顔がみるみる真っ赤になっていく。

 

「なっ……!お前っ!?」

「ちょ、ちょっと何よあんた!?」

 

 赤羽と艦娘は同時に驚嘆の声を上げた。

 

「ま……待て!ちょっと待て!お前……!?」

「なんで男がここにいるのよ!?」

「待ってくれ、ちょっと待ってくれ、整理させてくれ、なんでお前がここにいるんだ!?」

「当たり前じゃないここ女湯よ!?」

「女湯?」

 

 艦娘に言われ赤羽は初めて赤いのれんに気づいた。

 

「あー……なるほど……」

 

 バチン。赤羽の耳の奥で乾いた音が響く。

 

「ぶべら!」

 

 人の姿ではあれどもその細い腕から繰り出される力は強烈である。艦娘に思いきり横面を張られた赤羽は錐揉み回転しながら吹き飛び壁に突っ込んだ。

 

「ぐふっ」

 

 そしてそのまま気を失った。

 

 ***

 

「……」

「……佐……」

「……少佐!」

「うおっ」

 

 赤羽が気づくとそこは工廠だった。ソファに寝かされていたようで、明石と夕張が微妙な表情で赤羽の顔を覗きこんでいる。

 

「あぁ……明石……に夕張」

「全くもう、驚きましたよ?天龍さんが廊下で気絶してたってここへあなたを担ぎこんできた時は」

「天龍か……あとで礼を言わなきゃな」

 

 そう言って赤羽は体を起こした。かなり激しく頭をぶつけたので未だにくらくらする。

 

「今何時だ?」

「二時前です。そろそろ仕事に戻りますよ」

「仕事ったってねぇだろ今日はもう」

「大丈夫。あ、り、ま、す、よ。今はね」

「うん?」

 

 そう言って明石は工廠の奥を指差した。

 そこにはボロボロの大きな艤装があった。

 

「こりゃあ……」

「山城さんの艤装です。なんでも、出撃先で真っ先に雷撃をもらっちゃったそうで」

「山城?」

 

 赤羽が眉をひそめる。どうやら聞いたことの無い名前のようだ。

 

「浴場で会ったって聞きましたけど?」

「浴場で?……!」

「少佐?」

「ん?あ、あぁいやいや、なんでもない」

 

 赤羽が珍しく静かなリアクションをとったので夕張が不審がって赤羽の顔を除きこむ。

 すると赤羽はソファから降り、艤装に近づいた。

 

「……なぁ、明石」

「なんです?」

「あいつのこと、ちょっと詳しく教えてくれないか」

「ん?どうしたんですか急に。あ!さてはあれですね?一目惚れってやつですかぁ?」

「違うわ!」

 

 明石がやや下品な笑みを浮かべ赤羽を茶化す。

 

「そうですねぇ……実は皆山城さんがここに来るまで何をしてたか知らないんですよ」

 

 明石から帰ってきた返答は赤羽の予想外のものだった。

 

「知らない?そりゃまたどういうことだ」

「教えてくれないんですよ。何故か。いつもその話になるとはぐらかされちゃうんですよね……」

 

 赤羽は腕を組み、山城の艤装を見上げながらゆっくりと口を開いた。

 

「そうなのか……」

「ええ。別に人当たりの悪い(ひと)ってわけじゃないんですけどこれだけは何故か」

「……なぁ、あいつ多分戦艦だろ?姉妹艦とか……いたりしないか」

「?なんでそんなこと聞くんですか」

 

 赤羽の意味深な発言に明石が反応した。

 

「あぁいや、ほら、いるならそいつに聞けば何かわかるんじゃないか……とか思っただけだ」

「……」

「な、なんだよ」

 

 夕張も明石も赤羽を疑わしげに見つめる。

 

「……いることにはいますが」

「いるのか、やっぱ」

「はい、います。お姉さんがいます。ですが……」

「?」

「山城さん自身が、()()()()()()()()()()()()()と言ってるんです」

「そう……なのか」

 

 それを聞くと赤羽はまたソファにどかりと腰を降ろした。

 

「……あぁいや、何、ちょっと気になっただけさ。さ、ほら!仕事あるならやろうぜ!」

 

 明石と夕張が未だに自分に疑惑の目を向けていることに気づいた赤羽は気丈に声を上げ山城の艤装の修理に取りかかった。

 丁度その時である。

 

「失礼する」

 

 工廠の入り口から落着きはらった声が飛んできた。

 ――この声は。

 赤羽の全身の筋肉が緊張した。

 

「て、提督……」

 

 答えは明石と夕張が明かした。赤羽の背後数十メートル後方に立っていたのは冷泉君彦だ。

 

「山城の艤装の調子はどうだ」

 

 冷泉はクリップボードを片手に歩いてくる。振り返り、彼と目が合うことを恐れ赤羽は蟹歩きで艤装の前から動いた。

 

「まだ修理には時間がかかりそうです……」

「そうか。しかしこちらも時間がない。なるだけ早く直せ」

「は、はぁ……では高速修復剤は……」

「使わん」

「ですよね……」

 

 恐れるようにおずおずと言葉を返す明石に対し冷泉の返答は冷たく素っ気ない。

 冷泉は手元のクリップボードに何か書き込むと工廠を見回した。一瞬、赤羽と夕張が後ろに隠れているソファの前で一度視点を止めたがまたすぐに別の場所に目を移した。

 

「ふむ、吹雪と浜風はいるか?」

「へ?」

 

 突然冷泉の口から飛び出した名前に明石は目をパチクリさせた。明石の様子に特に反応もせず冷泉は淡々と続ける。

 

「先の進撃であの海域は特定の艦隊編成でなければ突破できないことが判明した。そこで山城、高雄を一度艦隊から下ろし、代わりに吹雪と浜風を編入させる。まぁ、ここにいないなら他をあたるとしよう。仕事に戻れ」

 

 それだけ言うと冷泉は足早に工廠から出ていった。

 

「……」

 

 一人残された工廠で明石は首だけ回し無表情のままソファを見つめた。

 

「……」

「……」

「何か言うことは」

「一人にさせてすみませんでした」

 

 ソファの陰からは男女の声が同時に聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 




こんにちは。ラケットコワスターです。やっと第三話、投稿できました。当初の予定では今回からお話が色々と動き始め、赤羽がやりたい放題始める予定だったんですがまー上手くいかないものですね……ただただ赤羽が山城にビンタされて赤羽ドリルを披露するだけのよくわからない回になってしまいました……次はっ、次回こそはっ!ちゃんと……お話を……動かしたいです……そんなわけで次回をお楽しみに……


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第四話:鎮守府近海沖海戦・前編

「……緊張してる?」

 

 最上が軽く吹雪の背中を叩いた。

 

「だ、だだっ、大丈夫、ですっ!」

「駄目じゃねぇか」

 

 天龍がやれやれと右手で頭を押さえた。

 鎮守府南、工廠近くのドック。第九鎮守府を覆う高い塀がここだけには無く、目の前には水平線が広がっていた。ここから艦娘が海へ繰りだし、また帰ってくる。ここはいわば‘海の玄関口’である。

 その内の一つに六人の艦娘の姿があった。艤装を装備し、戦闘準備を整えた彼女らには闘志がみなぎっているように見える。

 

「しかし……流石に第一艦隊となると緊張します……」

 

 吹雪ほどではないにしろ、浜風もまた緊張した面持ちで水平線を見つめている。

 今から第一艦隊が向かう海域は鎮守府から比較的近い位置である。

 故に現れる深海棲艦も大して強くはなく、戦闘で深手を負う心配はほぼない――はずではある。

 

「……」

 

 しかし浜風の脳裏には前回の出撃で山城が大破した、という事実が離れなかった。あまり強い敵が確認されてないとはいえ、現に山城は大破して帰ってきた。油断は禁物だ。

 

「……暇だ」

 

 そんなドッグの様子を近くの工廠の二階の窓から眺めている人間がいた。

 

「あーここにいた!探したんですよ少佐!」

 

 不意に現れた夕張に襟首を掴まれた。

 

「ほら、早く山城さんの艤装直さないとですよ!あとほんの少しなんですから!」

「おーう……」

 

 赤羽の返事は素っ気ない。

 

「ん?」

 

 ふと、工廠の方へ目を向けた浜風と赤羽の目が合った。

 

「……」

 

 二人はほんの少しだけお互いの目を見つめたがまたすぐにそっぽを向いた。

 

「ほら、行きますよ!」

 

 夕張は不格好なまま腕を組み横を向く赤羽の襟首をもう一度引っ張り、引きずるようにして工廠の一階へと連れていった。

 

「各艦、出撃準備」

 

 赤羽が工廠の中へ引っ込むと同時にドッグのスピーカーから冷泉の声が響いた。それに合わせ日向、最上、天龍、そして浜風と吹雪の五人が横一列に並び水平線をのぞんだ。

 

「今回の作戦の目的は戦線の拡大。偵察ではなく敵の本隊を叩く」

 

 五人は冷泉の声を聞きながら一歩前へ踏み出した。それぞれの前には黒いレールのようなものが敷かれており、足を乗せるとレールが青白く光った。

 

「目標はD地点。先の出撃でそこに敵の本隊を確認している。貴艦らの奮戦を期待する」

 

 冷泉の口調は妙に事務的だった。

 

「……」

「出撃!」

 

 冷泉の号令と共に五人の足に装着された艤装が勢いよくレールの上を滑走し、五人は海へと放たれた。

 

「視界良好、進路よし。索敵開始!」

 

 偵察機が飛び立つ。三機の水上機は雲に紛れて見えなくなった。

 

***

 

「ぐへー、暇だぁ」

 

 その頃工廠では。山城の艤装の修理も終わり、再び暇になってしまった赤羽がソファに寝そべりひどく気の抜けた顔をしていた。

 

「あぁ……また暇に……」

 

 明石ですら別のソファに寝そべり、女性であることを忘れたかのようなだらしない姿勢をとっていた。

 

「二人とも……流石にだらしなさすぎますよ……」

 

 そう言う夕張にいたってはコンクリートの床に敷かれたゴザの上にもはや雑魚寝してしまっている。

 

「山城は?」

「まだ疲れが取れないって言って間宮さんの所に食事に行きました」

「……」

「あ、また山城さんのこと考えてますね?やっぱり一目惚れしたんですか?」

「違うわ」

 

 そう言うと赤羽は立ち上がり、背伸びをした。

 

「ちょっと出てくる」

「はーい」

 

 必要最低限のことだけ言うと赤羽はまた背伸びをし、工廠を後にした。

 

 ***

 

「……」

 

 一方第一艦隊。

 

「……ふむ……」

 

 鎮守府を出て三十分は経とうかという頃。長らく艦隊を包んでいた沈黙を破ったのは日向だった。

 

「おかしいな。前はすぐに会敵したんだが」

 

 先程から偵察機を飛ばしては着艦させ、飛ばしては着艦させを繰り返している。一向に敵の気配は無い。

 

「うーん」

 

 最上が顎に手をあて思案する。

 

「……」

 

 吹雪は緊張して黙りこくっている。

 

「なぁ日向、このままだと燃料が……」

「……ん、あぁ、そうだな。ふむ、ひとまずこの先の補給地点に向かおう」

 

 日向が進路変更の指示を出した。天龍の進言に従ってとりあえず補給を行うことにしたのだ。

 

「補給地点?」

 

 浜風が訝しげに言う。

 

「あぁ、そっか。浜風は初めてだったよね。ほら、僕達の鎮守府って貧乏だからさ、いつも燃料を満載できないじゃない?だから前にここに来たときに補給所を作ったんだよ。そこにいけば燃料も弾薬もあるし、ね?」

「なるほど……」

 

 艦隊の進路が曲がる。浜風と吹雪もそれにならい東へ進路をとった。

 

「……」

 

 しばらく無言の航行が続く。相変わらず敵艦はおろか海鳥の一羽も見かけない。

 妙だ。もはや艦隊の全員がそう思っていた。浜風や吹雪はともかく、以前から第一艦隊に属する面々は前回の出撃時と比べてあまりにも穏やかな海に不安を抱かずにはいられなかった。

 

「……見えてきたぞ」

 

 やがて補給所が見えてきた。小さな無人島のようだ。

 

「あれが……」

「うん。あれが補給地点。とりあえずあそこで弾薬と燃料を……あいてっ」

 

 突然日向が急停止した。浜風に補給地点の説明をしていた最上はそれに気付かず日向と衝突してしまった。

 

「痛ったいなぁ……止まるなら止まるってちゃんと言ってよ……」

 

 しかし日向からの返事はない。

 

「?……どうしたの?一体何が……」

 

 日向の背後から覗きこむようにして最上が補給所の様子をうかがう。そして、彼女もまた言葉を失った。

 見ると他の面々も同じ様子だ。

 

「ど……どうしたんですか?」

 

 最後に浜風が身を乗り出した。すると、浜風の目に日向が言葉を失ったその理由、その光景が映りこんできた。

 

「えっ」

 

 はたしてそこに補給所はあった。が、しかし。

 

「そんな……」

 

 そこに補給物資はなかった。簡易的なキャンプは荒らされ、破壊されたドラム缶からは重油が漏れ出ており、弾薬は水に沈められている。そして極めつけは―――

 

「あいつらが……ッ!」

 

 代わりにそこには大量の深海棲艦がいた。陣形を組み、まっすぐにこちらを見据えている。

 

「……戦闘準備ッ!」

 

 日向が絞り出すように叫んだ。

 

 ***

 

 「ここは……」

 

 作戦司令室。仰々しい鉄の扉にはそう書かれていた。

 

「……」

 

 結局赤羽は食堂へ向かったがそこに山城の姿は無かった。それからそのままふらふらと鎮守府内を歩き回り、現在に至る。

 今、赤羽の目の前には鎮守府内でもそう見ない重厚な扉の前に立っている。

 ここは作戦司令室。頑丈なその扉の向こうには今、作戦を遂行するためのスタッフ、そして冷泉と電がいる。

 

「……」

 

 ふと、出撃していった第一艦隊の面々の顔が頭に浮かんだ。

 

「戦況はどんなもんかね……」

 

 赤羽は第一艦隊の状況が気になり扉に近づいた。あわよくば通信を盗み聞きしてやろうという魂胆だ。

 まぁしかし、ここは作戦司令室。盗み聞き対策をしてないはずがない。赤羽はそう思いつつ扉に耳を当てた。

 

「どれどれ……」

 

 瞬間。赤羽の耳にけたたましい音が届いた。

 

「!」

「救援要請!?」

 

 続いて冷泉の声。珍しくその声には焦りが感じ取られた。

 

「場所は」

「B地点です」

 

 聞き慣れない女性の声。

 

「Bか、ならばまだ分岐点ではないな。山城と高雄を控えさせておいたはずだ。出撃準備をさせろ」

「で、ですが山城さんはまだ出撃できません」

 

 通信手と思われる女性の声にもまた焦りが感じられた。

 

「なんだと?もう入渠は済んでいるはずだ」

「まだ疲れがとれないと……」

 

 冷泉のうめき声。  

 

「構わん、出せ。そんなもの待っていられるか……電」

「は、はいっ」

 

 冷泉の声には感情を感じられなかった。冷泉から指示を受けた電が慌てて通信機の受話器を取る音がした。

 

「どれくらいで準備できる」

「三十分で準備できるって言ってるのです」

「遅い。十五分でなんとかさせろ」

「は……はい……」

 

 再び受話器を取る音。

 

「……あれ?」

「どうした」

「い、いえ……なんでも……ないのです」

 

 その時、電の耳は受話器からの声の他に革靴が木の床を打つような、乾いた音も拾っていた。

 

 ***

 

「うッ!?」

「浜風!」

 

 水柱があちこちで上がる。敵艦隊に包囲され、なすすべも無く第一艦隊は敵からの砲撃を浴び続けた。日向や山城が果敢に応戦するが元々満載ではなかった弾薬は底が見え始め、次第に砲撃が弱まっていく。

 

「くッ!俺たちも撃つぞ!吹雪、構えろ!」

 

 堪らず天龍が砲撃戦に参加する。しかし一向に敵の数は減るようには見えない。

 

「どうして……この海域ではこれほどまでの規模の艦隊は確認されてないはずなのに……!」

「鎮守府側からの救援は!?」

「山城と高雄が今出たらしい!」

「くそ……間にあわないぞ!?」

 

 この海域は鎮守府が近くにあるということもあり深海棲艦を見かけることはあってもここまで本格的な艦隊が出張って来ることはない。前回の山城の件といい、完全に想定外だ。

 

「誰か!浜風の救援に向かえ!」

 

 日向が叫ぶ。先程の砲撃で直撃は免れたものの浜風はダメージを受けていた。

 

「私が!」

 

 吹雪が飛び出す。しかし横から砲撃を受けまた陣形に押し戻された。

 

「まずい、浜風が陣形から分断された!」

「おい!誰か行けないのか!?」

 

 天龍が叫ぶ。しかし誰もそんな余裕などないことくらい彼女にもわかっている。

 敵艦隊の旗艦らしき軽空母が咆哮した。動物の猛り声にも人間の悲鳴にも聞こえる気味の悪い声だ。

 それにならうように他の深海棲艦も叫ぶ。一隻一隻はそれほど強くないにしても数が多い。まるで大軍団の鬨の声のようである。

 

「くっ……」

 

 対して艦娘の側は誰も攻撃を仕掛けられない。じりじりと包囲網は迫り、単縦陣はいつの間にか輪形陣になり、少しずつ縮小していく。

 陣形から離れた所でそれを見ていた浜風の頬を汗がつたった。状況はかなり悪い。本隊は敵に囲まれ、自分もまたそれ以上の数の敵に狙われている。迂闊に動けばすぐにでも蜂の巣だろう。

 砲撃音がやむ。各々が波を分ける音だけが戦場に漂う。少しずつ、少しずつ包囲網は縮まる。

 

「うぅっ……」

 

 やがて限界が来た。包囲網の一角からまた雄叫びが上がる。

 

「オオオオォォォッ!」

 

 全体が鬨の声を上げる。敵陣の後方にいる軽空母が最後に叫んだ。

 

「ツブセ」

 

 それはよくわからないうめき声のように聞こえた。でも確かに敵はそう言っていた。浜風の全身に恐怖が走る。

 それと同時に全ての敵が包囲網を一気に狭め、艦娘に向けて突進してくる。応戦しきれない量だ。ましてや浜風にいたっては一人である。

 

「あ……あぁ……っ」

 

 浜風は最早声もも出ない。呼吸が乱れる。汗が尋常じゃない。視界がぼやけ、思考力が失われた。

 駆逐イ級が飛び出す。大きな口を開けて浜風に迫った。

 刹那、浜風の世界から音が消えた。色も消えた。周囲の動きはひどく遅くなり、ただ浜風の思考だけが高速で働いた。いや、思考というよりは願望と言うべきかもしれない。

 ――死ぬ。

 このままでは死ぬ。嫌だ。死にたくない。まだやり残したことが沢山ある。やりたいことだって山ほどある。せっかく生まれ変わったのに、もう自分はここで終わるのか。嫌だ。嫌だ。それは絶対に嫌だ。それだけは、絶対に――。

 浜風が両腕で顔を被う。ゆっくりとイ級が海面から飛び出す。浜風にはもはや願う余裕すらなくなった――

 しかし。イ級が浜風に向けて砲弾を撃ち込もうとしたまさにその瞬間、浜風の耳に音が響いた。小さな爆発音。それも、何発もの。随分と久しく音を聞いていない気がした。同時にイ級の悲鳴が上がった。

 

「!?」

 

 時の流れが正常に戻った。音も、色も帰ってきた。

 生きている。浜風の脳裏に真っ先に上がった情報はそれだった。

 

「何が……」

 

 イ級は急速に浜風から遠ざかっていく。

 何が。一体、この一瞬に、何が。

 

「後ろだッ!か、回避ぃッ!」

 

 突然誰かの声が上がった。‘後ろ’という言葉に反応してとっさに振り替える。

 

「!」

 

 浜風の視界に不自然な物が映りこんだ。青い水平線、その彼方から飛来する鉄の塊――

 

「戦闘機!」

 

 一機の()()()の戦闘機が乱暴にプロペラを回し、水面に触れそうな程の低空飛行で突っ込んでくる。

 

「うッ!」

 

 浜風が衝突の寸前にかわす。戦闘機は速度を緩めることなく戦場を横切ると急上昇し、戦場の空に陣取った。

 

「何だありゃあ!」

 

 改めて天龍が声を上げる。戦闘機は悠々と空を舞い、次の攻撃の機会をうかがっているように見える。

 

「味方か……?」

 

 日向が呟く。

 次の瞬間、戦闘機が急行下した。

 

「!」

 

 両翼に取り付けられた機銃が火を吹く。銃口から飛び出した弾丸は戦闘機より速く降下し、大口を開けて今まさに砲撃をくわえようとしていた駆逐ロ級に降り注いだ。

 

「味方だ……味方だぞ!」

 

 日向が叫ぶ。

 戦闘機はロ級の砲撃を阻止したことを確認するとすぐに機体を起こし、上昇する。

 その時、ほんの一瞬、浜風と操縦席のパイロットの目が合った。

 

「えっ!?」

「浜風!」

 

 浜風が驚嘆の声を上げると同時に最上が浜風の襟首をつかみ陣形へ復帰させた。

 

「大丈夫?」

「少佐です」

「えっ?」

「あの戦闘機に乗っているのは……少佐です!」

 

 浜風が戦闘機を指さして叫ぶ。

 

「ええっ!?」

 

 戦闘機が高度を取り戻す。

 

「……いいぞ、やっぱり元気じゃないか。お前」

 

 戦闘機の操縦席。パイロットが目の前の計器に目をやりながらニヤリと笑う。

 

「よぉし!次はどいつだ!」

 

 操縦席で操縦桿を握っていたのは赤羽だった。乱入者の正体は――赤羽興助だ。

 

 ***

 

「……まさか、いきなり飛ぶなんて言い出すなんてね」

 

 第九鎮守府。赤羽が飛び去った後の水平線を見つめながら夕張が呟いた。

 

「あとで怒られないといいんですけどねぇ」

 

 明石が緊急の機体整備で額についた油を拭いながら言う。

 

「どうかな、味方を助けにいったんだから大目に見てもらえるんじゃない?」

「そうじゃなくて。私達の話」

「あぁ……」

 

 ***

 

「誰でもいいぜ、相手してやる!」

「オオオォォォォォッ!」

 

 深海棲艦が一斉に咆哮する。それは突然現れ暴れ始めた赤羽へのブーイングのようだった。

 

 

 

 




こんにちは!ラケットコワスターです!またもやお久しぶりです!……いやホントすみませんでした。どうにも学期末、テストやなんやかんやと忙しくて……言い訳ですね。はい。もっと頑張ります。
 さてさて、第四話、いかがだったでしょうか。とはいえ前編。まだ後編が残っているのでどうとも言えないかもしれませんが……やっとお話が動かせましたね。それにあわせてかっこいい赤羽も書けました。嬉しい!このまま赤羽はかっこいいままでいてくれるのか……後編、頑張ります。お楽しみに!


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第五話:鎮守府近海沖海戦・後編

「少佐……」

「ほんと……はは、なんだろ、意味わからないや」

 

 最上が苦笑いを浮かべる。

 

「これは好機だぞ……私達も続け!」

 

 日向が腰の刀を抜き叫んだ。それに呼応するように残りの者も艤装を構え再び臨戦態勢を取る。

 

「撃てーッ!」

 

 砲撃の轟音。輪形陣から四方へ砲弾が発射された。

 

「敵被弾確認!行けます、これは行けます!」

 

 吹雪が戦果に嬉しそうに声を上げる。

 赤羽の乱入で戦況はひっくり返った。艦娘達は士気を取り戻し、深海棲艦達は調子が狂ったように勢いを失っていく。赤羽の戦闘機に搭載された機銃は深海棲艦を撃沈する威力は持たない。しかし砲撃を阻止し、邪魔するだけの威力はあった。何より、空に味方がいるという安心感、機銃が鳴らす爆音は艦娘らを勇気づけ、鼓舞する力があった。

 

「オオオオォォォォッ!」

 

 しかしここへ来て軽空母、ヌ級が動く。一斉に大量の艦載機を飛ばしてきた。

 敵機は編隊を組み、真っ直ぐに浜風らに向かって飛んでくる。

 

「!」

 

 軽空母一隻とはいえそれなりの量がいる。無傷でやり過ごすのは難しそうだ。

 

「くっ……!」

 

 浜風が艤装を向ける。

 しかし。

 

「待て、まずはこっちにしとけ」

 

 赤羽の戦闘機が浜風の前に躍り出た。両翼から白熱した弾丸が撃ち出される。無数の弾丸は密集した編隊を組んだ無数の敵機に飛び込みその機体をめちゃくちゃにした。艦爆、艦攻機はあっという間に全滅し、一番数の多い艦戦が残った。

 

「オオオォォォォ」

 

 ヌ級は赤羽の挑発に乗った。艦戦達は浜風らの目の前で急旋回し、赤羽を追い始める。

 

「……少佐ッ!」

「そうだこっちだ、こっちに来い!」

 

 赤羽は急上昇し、無数の敵戦闘機が後を追う。

 

「……少佐……」

「浜風!前だ!前!」

 

 天龍の切羽詰まった声で我にかえった浜風は空から目の前へ視線を移す。

 

「ッ!」

 

 ロ級だ。先程赤羽に攻撃を邪魔されたロ級がまた大口を開けている。

 

「させない!」

 

 浜風は素早く艤装を構え引き金を引いた。バレルから轟音と共に砲弾が飛び出す。

 砲弾は弧を描き、綺麗にロ級の口の中へ吸い込まれて行った。

 轟音が響く。ロ級は悲鳴とも怒号ともつかない声を上げ、今度こそ沈んでいった。 

 

「よし……いける、隊列を組み直せ!」

 

 日向の号令に合わせて改めて隊列が組み直された。

 

「いくぞ……全艦、砲撃!」

 

 再び轟音が響いた。

 

 ***

 

「かっこつけたのはいいが流石にこの数は無理があるか……ッ!?」

 

 一方上空では。一機の戦闘機に小さな深海棲艦の艦戦機が群がっていた。

 

「うッ!」

 

 背後からの弾幕。赤羽は操縦桿を切り間一髪の所でかわす。

 戦闘機の空中戦は戦闘機という乗り物の性質上、相手の背後を取るのが優位に立つ術だ。故に赤羽を含め戦闘機のパイロット達は空中での格闘戦において相手の背後を取るように動く。これを犬の喧嘩に例え、ドッグファイトと呼んだ。

 

「くそ、やっぱサイズが違うってのはでかいな」

 

 艦娘や深海棲艦は人の姿、またはそれに近い形になることでその装備は人がその手に持てるほどに小型化した。戦艦の主砲から駆逐艦の機銃にいたるまであらゆる装備がだ。

 と、なれば今赤羽が戦っている敵機もまた‘小型化’したことになる。彼の視界をところ狭しと飛び回るバスケットボール大の異形の戦闘機。小型な為非常に狙いづらい。

 右へ左へ操縦桿を切り、ペダルを踏み込み右往左往する。どうにか反撃の機会を得られないものか―――

 

「!」

 

 が。その機会は思いのほか早く訪れた。

 突然現れた厚い雲。とてつもない大きさだ。

 

「ここだッ!」

 

 赤羽は迷わず雲に突っ込んだ。当然敵機も後を追い雲に入ってくる。 

 視界が悪い。猛スピードで雲に紛れていった赤羽はその白い世界に紛れ、姿を消していた。

 雲は厚く、赤羽は見事に白い世界に溶け込んでみせていた。後を追う戦闘機はめちゃくちゃに機銃を撃ってみるも雲を裂くだけで赤羽の機体を見つけられすらしない。

 結局そのまま異形の戦闘機達は赤羽を探し出せず雲を抜けてしまった。

 始めに一機、続いて二機、三機、四機―――そして、一拍置いて巨大な戦闘機が一機。

 

「後ろ、とったぞ」

 

 赤羽はニヤリと笑うと操縦席の傍らのレバーに手をかけるとそれにとりつけられている別のレバーを握りこんだ。

 ガラスの窓の外で機銃が弾丸を撃ち出す音がする。弾丸は赤羽の目の前の小さな敵機を撃ち抜き風穴を開けた。

 

「一機撃墜!」

 

 赤羽は更にペダルを踏み左から飛来する敵機と向き合う。

 敵機も負けじと機銃をうならせるが赤羽の機体は回転(ロール)し軽々と弾丸をかわす。

 再び赤羽がレバーに手をかけた。

 次の瞬間には敵機は爆発炎上する。

 

「二機撃墜!次だ!」

 

 突然操縦席のガラスのそばを弾丸が掠めた。

 

「うっ、なんだ」

 

 振り替えるといつの間にか背後にまわった一機の戦闘機が機銃を向け追いかけてくる。

 

「へぇ」

 

 赤羽は不敵に笑うと急旋回した。後ろについてくる敵機も慌てて急旋回する。

 

「おし、ついてこいよ!」

 

 赤羽の機体は急旋回を繰り返し、急上昇したかと思うと急降下し、回転し、加速し滅茶苦茶な操縦をしだした。

 敵機の方もなんとかついてくる。

 

「よし、そのまま」

 

 赤羽は水平飛行へ移った。

 敵機はその隙を見逃さず真っ直ぐに突っ込んできる。

 

「ぐッ!」

 

 しかしそこでまた赤羽が操縦桿を引き急上昇した。あまりに突然のことに哀れな戦闘機は反応が遅れてしまった。

 そして、急上昇した赤羽の代わりに真正面からはもう一機戦闘機が――。

 空中で派手な爆発が起こった。

 

「よし!」

 

 しかし喜びも束の間、すぐに左右から別の機体に挟まれ銃撃を浴びる。

 

「うっ!……しかたねぇ、やるか……!」

 

 赤羽は苦虫を噛み潰したような顔をすると酸素マスクを口にあてがい、そのまま更に上昇を続けた。残りの敵機も後を追い上昇してくる。

 

「うッ……ぐ、おおッ……」

 

 赤羽の体にGがかかる。自分の体重の倍の重力が体にかかり、圧迫感と共に血流の異常を感じる。

 

「まだだ……まだ……」

 

 更に高度が上がる。大気が薄くなり、気温も下がっていく。

 赤羽の後を追い複数の戦闘機もまた高度を上げる。こちらの方がやや速い。少しずつ間合いが詰まっていき、充分に撃墜可能な距離まで近づいた。機銃が赤羽の機体を見据える―――

 

「かかったな」

 

 突然、空を昇る全ての戦闘機が減速し、一瞬その場で停止した。

 かと思うとそのまま反転し、逆さまに落下し始めた。空気が薄くなったことで動力が正確に作用しなくなったのだ。

 

「さぁ覚悟しろ!」

 

 一転して追われる者から追う者となった赤羽は速度を失い落下していく敵機に照準を合わた。

 

「うぐッ……ぐ、おおおッ!」

 

 またしても体にかかるG。頭に血がのぼり、視界に赤みがかかり始める。気絶(レッドアウト)寸前だ。

 

「駄目だやっぱもたねぇ……!」

 

 通常、人間の限界は7Gから8Gと言われる。急上昇し、さらにそのまま急降下した赤羽には間違いなくそれに近いGがかかっている。早くこのGから逃れなければ、最悪操縦桿を握ったまま気絶してしまいかねない。そうなれば最悪の事態を招くだろう。

 勝負は一瞬。それもすぐに訪れる一瞬。そこで決められなければ次のチャンスはない。

 ―――やれるか!?

 しかし、やらなければ恐らくもうチャンスはこない。ほんの一瞬の間に赤羽は覚悟を決めた。

 

「ぐっ……いくぞ!」

 

 レバーを強く握りこむ。

 一拍置いて敵機が爆発する。

 

「二機撃墜確認!あいや三機だ!次!撃墜!」

 

 敵機は速度を得ようと必死に立て直すが小型で特徴的な形状が災いし、そもそものバランスがとれない。そうこうしているうちに頭上から降り注ぐ弾丸にことごとく貫かれ、爆発していく。

 

「よっしゃ!どうだこの野郎!」

 

 全滅。ついに空に敵はいなくなった。あるのは敵が遺していった黒煙とその中を悠々と飛ぶ戦闘機だけだ。

 赤羽はすぐに機体の体勢を立て直し、計器をちらと見やる。エンジンは正常に動いていた。

 

「……よし、全滅したな」

 

 赤羽は口元につけたマスクを外し、一息ついた。

 

***

 

「撃つぞ!……それっ!」

 

 轟音。日向の艤装の主砲が火を吹く。狙いは敵軽巡。

 

「ギャアアァァッ!」

 

 命中。ホ級と見てとれる敵軽巡はすさまじい悲鳴を上げて沈んでいく。

 

「どう!?」

「まだだ……気を抜くな!」

 

 日向が叫ぶ。

 敵は数にものを言わせ少数の編隊に分かれ攻めてくる。

 

「くそ……元の数が多すぎる!」

「離れるな!隊列を維持しろ!」

 

 敵の航空戦力は赤羽が引き受けたおかげで空の心配は無い。しかしだからといって状況が好転したわけではなかった。

 

「ここままじゃジリ貧だよ……なんとかしなきゃ」

 

 最上が不安そうに言う。

 

「確かにこれじゃキリがありません!」

 

 吹雪が最後の魚雷を射ち出し叫んだ。

 

「くっ……」

 

 当然、そんなことは日向も十分に理解している。とはいえそれを打開する策が思い付かない。

 

「……ん?」

 

 不意に、日向の眼前でヌ級が妙な動きをした。傍らにいたイ級にさりげなく、しかし確かに何かを伝えた。するとイ級は咆哮し、それを機転に敵艦隊の動きが変わった。

 

「まさか」

 

 その動きは日向の経験に無い動きだった。

 

「どうした日向!?」

 

 天龍が日向の様子に気づき声を上げる。

 

「撃ち方やめ!あの岩の裏まで後退しろ!」

「はぁ!?」

 

 日向は全体に指示をだすと右斜め後方の岩場を指差した。天龍が素っ頓狂な声を上げる。

 

「何言ってんだ!これ以上下がると本当に逃げ場が無くなるぞ!」

 

 事実、岩場の後ろには島がある。敵の陣形が変形したことによって今なら逃げ込めるが同時に退路も絶つことになる。

 

「構わない、とにかく一度集まれ!」

「……どうなってもしらないぞ!」

 

 五人は砲弾を撃ち、追っ手を阻みながら岩場へ逃げ込んだ。

 

「なぁ天龍……深海棲艦は意思疎通ができるのか?」

 

 岩場へ逃げ込むなり日向はすぐに話を切り出した。

 

「なんだ急に!?そういうのは母港でやれ!」

「深海棲艦はあんなに原始的な意思疎通をするのか?」

「はぁ!?」

「いや違う、奴らに指示という概念は存在したか?」

 

 日向の目の前でヌ級は確かにイ級に指示を出した。それ自体は極めて当たり前なことで、本来であれば考察しようとすら思わないほど自然なことだ。

 しかし問題は()()()()()()()()()()()()()だ。

 日向を初め、第九側の者、ひいては人類の見解として、低級な深海棲艦は意思疎通能力が低い、またはほとんどないというのが今日の認識だった。ヌ級やイ級はその‘低級な深海棲艦’にあたるため、ここまではっきりと連携を取っているのは初めて見た。

 

「指示なんて……奴らだってそれくらい当然するだろ……」

「そうだよ。日向らしくないよ。どうしたのさ」

「いや……違う、そうじゃないんだ。恐らく、奴らの行動はヌ級の指示に完全に依存している。これまで、ここまで明白に‘指揮官’という存在を立てた連中は見なかった」

 

 日向が顎にてをあて思案する。

 

「つまりどうしたいんだ」

「……ヌ級を優先的に沈める。奴らの指揮系統を叩く」

「で?じゃあそのヌ級を倒す方法は?」

「少しばかり乱暴なやり方になるが」

 

 ***

 

「……じゃあ、先陣は僕が行くよ」

「やってくれるか、最上」

「うん、いける。任せて」

 

 最上が先陣を買って出た。傷一つない手に握る艤装を握り直し、首を左右にふって小気味良い音を立てる。

 

「ま、待ってください」

 

 するとその様子を見ていた浜風が口を挟んできた。

 日向と最上が不思議そうに浜風の顔を覗きこむ。

 

「なんだ?何か問題でも?」

「いくら最上でもあの数です。無理があるのでは……」

「なぁんだ、そんな心配?大丈夫大丈夫。僕にまかせて」

「ですが……じゃあせめて私も一緒にいかせてください」

「そいつはだめだな」

 

 突然浜風の頭に手が置かれた。天龍だ。

 

「吹雪はもう射ちつくしちまった。今魚雷を射てるのは俺とお前だけだ。大丈夫だって、最上を信じろよ」

 

 それでも浜風は不安そうだ。見ると吹雪も同様だった。対して他の三人は不安などまるで感じていないように見える。

 

「で、でも……」

 

 その瞬間、五人の背後の岩場が大きな音を立てた。

 

「……もう持たない、行くよ!」

「最上!」

 

 岩場を飛び出し勢い良く最上が前に出る。日向の隣によくいたせいかなんとなく小柄で華奢な印象の強かった彼女ではあるが、その艦種は‘重巡洋艦’。この艦隊では日向に次ぐ火力を持つ。次の瞬間、その事実を浜風は再確認することになった。

 

「大丈夫だって、これくらい!」

 

 直進する最上に二体のイ級が襲いかかった。最上は急停止し、艤装を構える。

 片方のイ級が口を開け砲口をのぞかせ、砲撃を加えようとした瞬間、最上の艤装が先に火を吹いた。

 ずん、と浜風の体内に鈍い音が響く。イ級は先ほど浜風が撃沈したロ級よりも派手な爆炎と轟音を上げ沈んで行った。残りの一体もそれを呆けるように見ていたが、すぐに口を開き、砲口から大きな火の玉を吐き出した。

 

「!」

 

 しかし最上はその場で回転するようにそれをかわし、振り向きざまにイ級に艤装を向ける。

 轟音。

 

「すごい……」

 

 思わず浜風の動きが止まる。その瞬間、日向が見たことのない速さで浜風の横を通り過ぎた。

 

「ッ!」

「遅れるな吹雪!」

「は、はいいっ!」

 

 続いて吹雪が飛び出す。心なしか青い顔をしていた。

 

「……」

「……よし、浜風、準備しとけ」

「……はい」

 

 浜風が艤装を構える。

 

「オオオォォォォ」

 

 最上の奮戦は凄まじかった。今や逃げる敵を最上が追う状況になっている。依然として敵の方が多いが、敵は包囲網を狭めすぎたがために最上から逃げる場所を失い隊列が崩れ始めていた。ちょうど、密度の高く硬い鉱物ほど一点に集中した衝撃を受けるとあっけなく砕け散るように。

 

「ねぇ……まだぁ!?」

 

 とはいえ最上の方にも限界がある。早く次の行動に出なければすぐに相手は立て直してしまう。そうなれば作戦の成功も、最上の無事も保証できない。

 

「うわっ!」

 

 案の定最上の死角からホ級が襲いかかった。細く青白い腕で最上の腕を掴む――

 

「すまない、少し待ちすぎたようだ」

 

 その言葉と同時にホ級の腕が飛んだ。

 

「……!?」

 

 一瞬置いて腕を斬られたことに気付いたホ級が見やるとそこには日向が刀を抜き立っていた。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛!」

「吹雪!」

「は、はい!」

 

 轟音。吹雪の艤装から放たれた砲弾に貫かれたホ級が爆発する。

 

「いくぞ!二時の方角!あそこに穴を開ける!」

 

 日向は右前方を指し叫んだ。最上が始めに突撃をかけたポイントだ。不意を突かれ攻撃を受けたため未だに隊列が乱れている。

 日向の艤装が重厚な音を立て砲塔を回した。

 この日一番の轟音。日向の艤装の主砲十門全てが砲弾を吐き出した。

 

「続け!」

 

 着弾地点に上がった水飛沫の間を縫ってロ級やへ級が迫る。

 

「あ……当たってぇっ!」

 

 吹雪の艤装が吼える。一拍置いてまた水飛沫が上がる。

 

「……外した……」

「いや、いいぞ。上出来だ」

 

 日向が吹雪の肩に手を置く。

 

「天龍!浜風!」

 

 再び十門の主砲が火を吹く。吹雪が上げた水飛沫に遮られ動きが止まっていた敵の下に砲弾が綺麗に落ち込んだ。

 

「浜風!行くぞ!」

「……はい!」

 

 浜風はもう一度頭の中で日向が作戦を説明した時のことを思い返した。 

 

 ***

 

「他の敵は無視する」

 

 日向は作戦内容を説明するにあたって始めにそう宣言した。

 

「無視……?」

「あぁ。見たところ敵艦隊の動きは完全にヌ級の動きに依存している。ヌ級を潰せば奴らは崩れるだろう」

 

 日向が即興で立てた作戦はこうだ。

 まず、敵の包囲網を限界まで狭める。限界がきたところで一人が飛び出し、手当たり次第に攻撃を加える。敵の陣形が乱れ、敵が一人に気を取られているうちに残り二人が突撃、ヌ級までの道を拓く。そして後はその道に沿って天龍と浜風が魚雷を――

 

「ま、待ってください!それって……」

 

 吹雪が抗議の声を上げる。日向の口が止まった。

 

「それって……その……」

 

 力押し。浜風が心の中で次の言葉を受け継いだ。日向が提案した作戦はもはや作戦などというものではなかった。少し計画性があるだけのただの突撃だ。

 日向は小さくため息をついた。

 

「……そうだ。これは作戦なんて立派なものじゃない。だがもうこれくらいしか打つ手も、時間も無い……やれるか」

「……」

 

 ***

 

「……行きます!」

 

 天龍に続いて最後に浜風が出る。

 宣言通り一点だけ綺麗に敵がいなくなっている。

 

「ヌ級を直接狙う!直線上に入れ!」

 

 天龍が急旋回する。それにならい浜風も続く。日向と吹雪のすぐ側を通った。一瞬、吹雪と目が合う。

 ――やってやる!

 浜風の擬装を握る手に強く力が入った。

 

「焦るな、あの穴が塞がるまで少し時間がある。しっかり全部当てろ!」

 

 天龍が更に速度を上げる。敵は持ち直し始め、穴が塞がり始めていた。

 

「行くぞ!」

 

 艤装に衝撃。体に鈍く、緩い反動が来る。魚雷が全て射ち出された。

 

「いけぇぇぇぇぇ!」

 

 魚雷が水面をかき分け進んで行く。

 

「!」

 

 しかしヌ級の前に駆逐艦達が群がり壁を作った。

 まずい。このままでは。

 

「全弾撃て!」

 

 日向が即座に叫ぶ。

 

「なんとしてでも魚雷を当てろ!あの壁を崩さないと全部無駄になるぞ!」

「浜風!」

「大丈夫です、まだ撃てます!」

 

 魚雷を放った二人も即座に艤装の砲口を向ける。

 

「撃て!撃ちつくせ!」

 

 続けざまに鳴る轟音。弧を描き空を飛ぶ砲弾はさながら流星群のようだ。

 

「撃沈確認!」

「当たれぇぇぇぇぇぇ!」

 

 天龍の叫びと同時にヌ級が大爆発を起こした。

 魚雷、全弾命中。ヌ級は凄まじい叫び声を上げ小爆発を続けざまに何度か起こし、未練がましく腕で宙をかくとそのままゆっくりと沈んでいった。

 

「よし!」

「撃沈確認!旗艦撃破です!」

 

 浜風がヌ級の沈没を報告した。

 

「……」

 

 すると戦場には嘘のような沈黙が漂った。日向の予想通り、敵はヌ級の指示に行動を依存していたようだ。皆次はどう動けばいいのかわからず沈黙している。

 

「……ギッ」

 

 不意に、深海棲艦の声とも艤装の音ともつかない奇妙な音がなった。それを皮切りに途端に深海棲艦達がさわぎ始める。

 

「さて……敵もずいぶん減ったな。日向、次は?」

 

 天龍が不敵に笑う。

 

「殲滅する必要はない。弾薬を節約し……脅かしてやれ」

 

 もはや深海側の優位性は失われた。()()で補っていた以上、その大部分を砲撃戦で失ってしまったらもう逃げるか玉砕するしかない。

 残った深海棲艦が取った選択は前者だった。我先に海底に逃げていく。

 

「深追いする必要はない、弾薬を節約して追い払え」

 

 程なくして海に浮かんでいるのは艦娘だけになった。

 

「……うまくいったな」 

 

 作戦の成功を確認すると日向が額の汗を拭った。

 

「しかし……すごいですね、本当に成功するなんて」

「何?ひょっとして信用してなかった?」

 

 最上がいたずらっぽく笑う。

 

「い、いや!そんなつもりでは……皆頼もしかったです。ずっと怯えてた私なんかよりずっと……」

 

 浜風が慌てて訂正する。

 

「いやいや、僕たちも大概だよ」

「え」

「本当はすごく不安だったよ。力押しなんて全然日向らしくないし」

「仕方ないだろう。もう別の作戦を立てる余裕なんて無かったんだ」

 

 日向がすこしふてくされたように言う。

 

「にしてももっと別のやり方なかったのかぁ?浜風と吹雪は最前線に来たのは始めてだったんだし。ん、いやここは最前線じゃねぇか」

「えええ!?」

 

 浜風は驚愕の声を上げずにはいられなかった。この三人は自分とは違うと思っていた。なにか確信のようなものがあるのだと思っていた。自分にはわからない、何か勝利を確信するに足る要因があるのだと。だからあそこまで平常心を保って戦えたのだと。

 だがそれは違った。そんなものは無かったのだ。ただただ己の経験を、仲間の力を信じ、ただそれだけで不安を押さえ込んで敵の砲火の前に身をさらせたのだ。

 これが、第一艦隊。浜風は思わず身震いした。山城と高雄を抜いた不完全な状態でこれなのだ。果たして彼女らを加えた完全な第一艦隊ではどこまでやれるのか。浜風は目の前にいる三人が急に手の届かない存在のように思えてきた。

 

「まぁ……でも彼がいなかったら流石に危なかったかもな」

 

 そう言うと日向は空を見上げた。それにつられて浜風も顔を上げた。

 すると戦闘機が雲の切れ目から陽光を背に姿を現した。

 

「少佐!」

「おーおーこっちも随分さっぱりしたな……」

 

 戦闘機はそのまま艦隊の頭上を旋回し、艦隊の次の作戦行動を待った。

 

「で……次はどうするの?」

 

 最上が日向の様子を伺った。途端に空気が緊張し、空を見上げ微笑んでいた日向は真顔に戻り視線を仲間の顔に戻した。

 

「……撤退だ。補給所も潰され、弾薬も使い果たした。何より……これだけの規模の艦隊がこの海域(ここ)にいたことを考慮すれば作戦の見直しが先決だ」

 

 日向の決定に異議を唱える者はいなかった。

 

「帰るぞ。途中山城と高雄に合流できるよう、もと来た道を引き返す」

 

 日向はまた上空を見上げ、赤羽に身振り手振りで撤退の意思を伝えると隊列の先頭に立ち、指示通りもと来た道を引き返し始めた。

 

「……撤退か。まぁそりゃそうだろうな」

 

 赤羽は日向の意思を理解すると操縦桿を握り直し、艦隊に続いた。

 その時。突然操縦席の左手のガラスに亀裂が走った。

 

「ッ!」

 

 油断した赤羽の背後から弾丸が飛んできた。

 

「少佐!?」

「まだいたか!」

 

 見ると二機の戦闘機が赤羽の背後から猛スピードで迫ってくる。

 

「くッ!」

 

 すぐに赤羽は操縦席のレバーに手をかけ、エンジンの出力を上げる。上空で旋回していた戦闘機は速度を増し、艦隊の頭上から急速に遠ざかっていく。

 

「生き残りがいたか……!」

 

 日向が艤装を構える。が、赤羽と敵機は既に激しい格闘戦に入ってしまい、迂闊に手が出せない。

 

「くそ!後ろにつけねぇ!」

 

 操縦席で赤羽が悪態をつく。格闘戦は赤羽の得意とするところではあるがいまいち丁度よい位置につけない。空を激しく飛び回る三機は時折機銃を唸らせるがそれでも当たらない。

 

「どうする……!?」

 

 赤羽がふと燃料の心配をした時、突然敵が予想だにしなかった動きをした。

 

「!?」

 

 赤羽が旋回動作に入った瞬間高速で離脱したのだ。

 

「……まさか」

 

 予想通り。赤羽が旋回し終え、敵を探すと二機とも正面から真っ直ぐに突っ込んできた。ヘッドオン(真っ向勝負)で決着をつけるつもりだ。

 

「……この機体で真っ向勝負は辛いぞ……ええいくそ、受けてやるよ!」

 

 互いに速度を緩めることなく一直線に進む。確実に撃墜できる間合いまで詰める気だ。

 

「……!」

 

 先に赤羽が手を出した。レバーに手をかけ、強く握る――

 チキッ。乾いた音が耳に届いた。

 

「……は?」

 

 弾は出なかった。

 焦った赤羽はすぐに計器を確認する。

 

「――!」

 

 目の前のいくつもの計器。その中の一つ。残弾数を示す計器がゼロを指していた。

 ――弾切れだ。

 

「まずいッ!」

 

 赤羽はすぐに離脱する。が、当然敵もみすみす逃すわけがない。

 

「うっ、くそ、撃ちすぎたか……」

 

 あっという間に後ろにつかれ、弾幕にさらされることになってしまった。

 

「ま、まずい!あれはまずいよ!」

 

 真下の海上でも赤羽の弾切れに気づいた最上が声を上げる。

 

「対空攻撃だ、用意!」

 

 日向が右手を上げ号令をかける。しかし――

 

「……あれを撃墜できるほど……弾薬は残ってない」

「!……」

 

 天龍が答える。日向の右手がゆっくりと下がっていった。

 そうこうしているうちに赤羽はますます追い詰められていく。

 

「うッ!」

 

 ついに被弾。操縦席の右手の主翼を弾丸がかすめ、主翼の表面がえぐれた。

 その衝撃で機体は体勢を崩し、水平飛行が困難になってしまった。

 

「うッ……ぐぐ……バカ野郎、墜ちるんじゃねぇ……ッ!」

 

 操縦桿を強く握りしめ、体勢を整えようとする。しかし一度体勢を崩した機体はそう簡単には安定せず、ふらふらと墜ちていく。

 

「ど、どうしましょう……!?」

 

 その様子を見ていた吹雪は完全にうろたえ、情けない声を上げた。

 

「!」

 

 不意に赤羽は操縦席の両脇に敵機の姿を捉えた。機銃を向け、挟み込むように真っ直ぐに迫ってくる。

 

「嘘だろ……待て、待て待て待て!」

 

 南無三。やはり人間では深海の力には勝てないのか。

 ガラスが割れる。赤羽は右手で頭をかばった。割れた窓から強い風が吹き込んでくる。今にそれに乗って弾丸が飛んでくる。

 ――しかし。次の瞬間敵機は火の塊に変わった。

 

「!」

 

 突然の爆発音に赤羽は目を見開いた。そのまま反射的に操縦桿を引き、無理矢理体勢を戻す。

 

「うッ!」

 

 まさに衝突の寸前。水面に到達する寸前に戦闘機はバランスを取り戻し、再び空へ還っていった。

 

「……!」

「浜風!?」

 

 敵機は、浜風が撃墜したのだった。まるで残っていない弾薬で、正確に一機ずつ撃ち抜いた。

 離れ技を披露して見せた当の浜風は艤装を構えたまま息も絶え絶え、未だに小刻みに震えていた。 

 

「……俺が助けられちまったか。カッコつかないなこりゃ」

 

 操縦席で赤羽は独りごち、頭を掻いた。

 

 ***

 

「それで……突然戦場に乱入してきた赤羽に皆助けられた、と」

「はい、あの人が居なければ全滅でした……」

 

 艦隊は無事母港に帰投し、吹雪は冷泉に戦場で何があったのか詳細に話した。冷泉は終始眉一つ動かさず聞いていた。

 

「ふむ。若葉。補給と入渠を頼む」

「……わかった」

 

 若葉は指示されるとすぐに第一艦隊の面々をドックへ連れていった。

 

「赤羽、待て、お前は私の執務室へ来い」

 

 赤羽もそれに続こうとしたが冷泉に呼び止められ、ぴたりと歩みを止めた。

 

「え、えぇ……その……俺も疲れていまして……」

 

 冷泉の明らかに怒気のこもった呼び掛けに赤羽はゆっくり振り返りひきつった笑みを浮かべ逃れようとしたが冷泉に素早く歩み寄られ肩を掴まれてしまった。

 

「来い」

「……はい……」

 

 観念した赤羽は半ば引きずられるように冷泉、電と共に第一艦隊の面々とは逆方向へ連れていかれた。

 

 ***

 

 やはり冷泉の執務室は落ち着かない。部屋に入ると冷泉の机に向かい合うように椅子が一脚置かれていた。まるで公開尋問のようだ。

 

「座れ」

 

 冷泉は赤羽に椅子にかけるよう促し、自分もまた机に向かって歩いて行き自分の椅子に深く腰かけた。電もその後に続き冷泉の背後に立った。表情は緊張しきっており、今から起こることを恐れているようだった。

 

「……お前は、自分が何をしたかわかっているのか」

 

 電が所定の位置に立ったのを気配で確認すると早々に冷泉は本題に入った。

 

「……第一艦隊を救済しました」

「たわけ!それはあくまで結果だ!」

 

 珍しく冷泉が声を荒げた。赤羽の視界の隅で電が驚いたように目をつむった。

 

「私がお前に与えた仕事は母港での整備作業だ!ましてやお前が使用した戦闘機!どこから拾ってきたのか知らんが、正確に機能するかどうかもわからない代物を飛ばして……戦場で墜落でもしてみろ!」

「し、しかしですね」

「お前も軍人ならば命令に背くことがどういうことかわかっているだろう!?余計なことはしなくて良い!」

「っつってもですね……あの」

「やかましい!余計なことまで言わせるな!自分の仕事をきちんと」

「ですが提督!」

 

 今度は赤羽が声を荒げた。電はまた驚き今にも腰が抜けそうだ。

 

「そりゃあ俺だって軍人の端くれ、命令違反がどれほどの重罪かはわかってます。ですが!あの場面で誰が救済に向かえたってんですか!確かに俺、あぁいや私が出撃したのはバカなことでした。ですが……その……誰も救済に向かえないと知っていてもたってもいられなくなりまして……」

 

 最後の方は半ば呟くように勢いが無くなっていった。確かに冷泉の言うことは反論の余地が無い程の正論である。上官の命令に背くということは作戦そのものの根幹を覆し狂わせかねない。それを一人の感情で無謀な行動を取り、それだけのリスクを自分以外の者にも背負わせた赤羽は軍人失格と言えよう。

 

「それでも、だ。今回のお前の行動は厳罰に値する。処罰が決定するまで工廠から出るな。わかったらさっさと行け」

 

 赤羽はゆっくりと立ちあがり、トボトボと部屋を出ていった。

 

「……!」

 

 が、赤羽の表情は執務室を出た途端に変わった。

 偶然、執務室の前を通ろうとした浜風と出くわしてしまったのだ。

 

「……お前……」

「……」

 

 浜風は決まりが悪そうに目をそらした。

 

「……」

 

 不思議な沈黙が流れる。

 

「……」

「……」

「……おい」

 

 先に口を開いたのは赤羽だった。

 

「……助かったよ。ありがとうな」

「!」

 

 赤羽も決まりが悪そうに礼を述べた。

 浜風はその言葉に驚いたように息を呑んだ。そしてまたしばらく黙り、やがて俯き、絞り出すように言った。

 

「……敵を撃つのが私の仕事です。別に大したことはしてません」

 

 そう言うと浜風は赤羽の前を横切り、立ち去ろうとした。が――。

 

「それと」

 

 また赤羽が口を開いた。浜風の足が止まる。

 

「……この間は悪かった」

 

 そう言って赤羽は頭を下げた。

 

「……」

 

 浜風は振り返らずに立ち尽くした。浜風に赤羽の姿は見えていなかったが、何故か彼女の脳裏には頭を下げる赤羽の姿が以前見たことがあるかのように想像できた。

 やや長めの沈黙。そして――。

 

「……いえ、私も言い過ぎました」

 

 無愛想にそう答えるとやっとその場を立ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こんにちは、ラケットコワスターです。結局一ヶ月近くお待たせしてしまいました。まさかこんなに長くなるとは……前後編に分けた意味。
さて、ようやく戦闘に決着がつきました。戦闘シーンって難しいですね……どうにも単調になってしまいます。もとからか。どなたか僕に地の文の書き方を手ほどきしてください……
とにかく、次話からはまた鎮守府のお話です。次の更新でお会いしましょう!


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第六話:少数精鋭不揃い艦隊

 赤羽の第一艦隊救援から一週間が経った。相変わらず第九鎮守府に目立った戦果、出撃は無く、人手不足の艦娘達は駆逐艦から戦艦まで資材集めの遠征に精を出していた。

 

「こんなに集めてるのになんでうちは貧乏なままなんですかね」

 

 母港。重油が満載されたドラム缶を丁寧に降ろしながら浜風が愚痴を言う。その言葉には苛立ちが滲んでいた。

 それにならうように若葉や吹雪たちもドラム缶を倉庫の前に並べる。ドラム缶を背負うために取り付けられた縄が食い込み肩のあたりに一筋の赤い痣ができていた。

 

「提督が変なことに使い込んでるんじゃないか?」

「本当にありえそうで笑えねぇよ」

 

 若葉の言葉に天龍が真顔で返す。元より第九の艦娘達は冷泉のことが好きではない。その上冷泉は常に執務室を閉ざしており、普段の行動は電くらいしか把握していない。それだけに鎮守府内に冷泉の黒い噂が立つのはある意味仕方のないことであった。

 

「そうだとしたら何にだろう、最新の秘密兵器!とか?」

「さぁな。無駄口を叩いている余裕があるなら効率を高めてもらいたいものだが」

 

 突然話題に静かに入ってきた冷たい声。最上の表情が引きつる。振り返らずともわかるこの無愛想な声。他の艦娘達の視界に映るいつもと同じ白い制服、いつもと同じクリップボードを片手に持ち、いつもと同じ不機嫌そうな顔。その神出鬼没さまで、何から何までいつも通りな男。その無機質な不変さには一種の不気味さすら感じる。

 

「て、提督ぅ……」

「時間が惜しい。補給が済んだらすぐにまた遠征に向かえ。午後の遠征計画に支障をきたしてくれるなよ」

 

 それだけ冷たく言い放つと冷泉はクリップボードにペンを走らせ最上達を睨むように一瞥すると本館の方へと引き返して行った。

 

「……」

 

 五人は去っていく冷泉の後ろ姿を忌々しげに見送った。どうにも冷泉の態度は冷たく、その上第九の労働環境は劣悪であり、艦娘達が置かれている状況は良いとは言えない。

 

「ほんっとに可愛げがねぇと言うかなんと言うか……」

 

 天龍が去って行く冷泉の背中に向け、しかし聞こえないように絶妙な声量で吐き捨てた。それに釣られるようにその場にいた者は心なしか冷泉に冷ややかな視線を向ける。

 

「なんて言うか……よくわからない人ですよね……」

「まぁ、あっちもあっちで大概だと思うがな」

 

 若葉はそう言って工廠の方をちらと見た。

 

「うおおおお!?」

 

 男の叫びと同時に爆発音。音と同時に全員が目を瞑った。

 

「またか……」

 

 ゆっくりと目を開け、再び工廠の方を見やると大きな窓から黒煙が上がっている。煙の中でプロペラが弱々しく回っているのだけがかろうじて見えた。

 

「まぁ……あっちは人当たりがいいだけ充分マシじゃねーか?」

「だらしないのでアウトです」

 

 天龍の意見をぴしゃりとはねのけると浜風は工廠に目もくれず別館へ歩いて行った。

 

「なんだよお前この間仲直りしたって聞いたぞ?」

 

 不機嫌そうに歩く浜風の後を天龍がニヤニヤと笑いながらついてくる。

 

「それはそれ、これはこれ。です。そもそもなんで提督はあの人を追い出さないんですかね。あれだけ好き勝手やってるのに」

「あー、確かにそうだね。提督って絶対少佐のこと嫌いだと思うんだけど」

 

 天龍と浜風の間に滑り込むようにして最上が話題に入ってきた。しかし、そうだねと同意する割には最上の口調からは嫌悪感を感じられなかった。対して浜風は対照的に少佐という単語を聞いただけで顔をしかめる。

 

「どうでもいいじゃないですかそんなの」

「ものすごい嫌われようだ」

「吹雪はどう思う?」

「うーん……私は好きだけどなぁ。面白い人だし」

「……」

 

 三人の背後で展開される若葉と吹雪の能天気な会話でさえ今の浜風にとっては不快なものに感じた。

 

 ***

 

「うひゃあ……ひどいですねこりゃ」

 

 工廠。もくもくと立ち上る黒煙の中から顔を出した明石がため息をついた。

 

「ちょ……休憩!休憩ーっ!窓開けて窓!」

 

 少し遅れて夕張が叫ぶ。

 

「ほら少佐!寝てないで手伝ってください!」

 

 すすにまみれ床で伸びている赤羽を明石が半ば踏みつけるようにして叩き起こす。そこで初めて赤羽は飛び起き辺りを見回した。覚醒しきってないのか目をパチクリさせている。

 

「……車輪に爆弾をつけたあの新兵器はどうなった」

「よく今の一瞬で夢見れましたね」

 

 赤羽はやれやれと軽く頭を叩きながら工廠の隅に置いてあった箱から缶コーラを一本取ると近くにあったガラクタに腰掛けようとした。

 しかしその際夕張にすれ違いざまにコーラを横取りされ顔をしかめた。

 

「しかしこれもう直るのか?エンジン新品に取り替えた方がいいんじゃないのか?」

 

 赤羽は仕方なく近くにあったモンキーレンチを手遊びの相手に選び、今度こそガラクタに腰掛けると黒煙を吐いている戦闘機のエンジンを指しながら切り出した。赤羽に向き合うように夕張がほこりがこびりついた汚い丸イスに腰掛け相手をする。

 

「うちには新しいエンジンを用意するだけのお金はありませんよ」

「くっそー……」

 

 三人の前には一週間前鎮守府近海の空で暴れまわった零式艦上戦闘機、零戦の姿があった。空母娘が使う手のひらサイズのものではなく人間が搭乗して空を飛ぶ代物である。

 もっとも、今はエンジンから黒煙を上げ飛べるかどうかわからない状態になっているが。

 

「そう言えば少佐」

「うん?」

「最近浜風ちゃんとはどうなんですか」

「うるせぇ」

「即答かよ」

 

 赤羽は不快そうに顔をしかめた。

 

「なんでもこの間仲直りしたって聞きましたけど?」

「それはそれ、これはこれ。だ。だがまぁほら、確かにありゃ俺が悪いようなもんだし」

「あ、そこらへんは意外と理知的なんですね」

「意外とってなんだよ俺は普通に理知的だろうが」

「理知的な人はいきなり飛ぶかどうかわからない零戦で飛んでいったりしませんよ」

「うぐっ」

 

 バツが悪そうに黙り込む赤羽。今思えば相当な無茶をしたものだ。目の前の零戦は見ての通りオンボロ、明石と夕張、ついでに赤羽の三人がかりで二日前からずっとメンテナンスを行っているというのにまるで機能が回復しない。一週間前の戦闘を最後に限界をむかえたようにも見える。ここまでボロボロの機体であそこまで激しい戦闘を行い帰ってきた。間違いなく墜ちてもなんらおかしくないレベルだ。冷泉があそこまで激怒するのも当然だ。

 加えて修理が滞っている理由はもう一つあった。この機体は手を加えられ過ぎていたのだ。機体の隅から隅まで徹底的な改造が施されており、重箱の隅をつつくように点検した赤羽が「考え尽くされた美しい機体」と評した異形の戦闘機は明石と夕張を卒倒させるには充分だった。

 

「……もう正直このオーパーツいじくるの嫌なんですけど」

 

 赤羽が黙った後話題の終了を悟った夕張が今度は目の前の零戦に話題を変えた。

 

「だーから言ってんじゃねぇか、無理に直さずとも新しく部品をだな」

「お金」

 

 またしても黙り込む赤羽。

 

「……誰がこんな改造をしたんでしょうね……」

「さぁな。でもきっと凄腕の技師かもしくはパイロットだ。そこらへんの人間に考えつけるレベルの改造じゃない。戦闘機のことを知り尽くしてる奴の仕事だよ」

「そんなものが森の中に、ねぇ……?」

「あったモンはしょうがねぇだろ……」

 

 夕張に疑惑の目を向けられた赤羽が工廠の隅に倒れ込んでいる明石に目をやりながら答えに困るように応じた。

 夕張には未だにこれが信じられなかった。赤羽はこの魔改造された零戦を鎮守府西部の森の中で“拾った”と言うのだ。赤羽が浜風と森で喧嘩した日からしばらくして、突然荒縄を持って森に入っていったかと思うとこれを引っ張って出てきた。

 二人は当初面食らったが、暇だったのも手伝ってこの零戦を洗浄、再塗装し、工廠の奥深くへ置いておいた。が、一週間前に突然赤羽がどこに用意してあったのか飛行服を着用して工廠に飛び込んで来るやいなや、

 

「あの零戦をだせ、今すぐ飛ぶ!」

 

 などと言い出したのだから驚いた。しかもその正確に動くかどうかわからないもので飛んで行き、戦って帰って来たのだから驚きを通り越して笑ってしまった。

 

「……少佐」

「なんだ?」

 

 黒煙がおさまりつつある機体を見やりながら夕張が二つ目の話題を振った。

 

「何であの時……飛ぼうと思ったんですか?」

「何でってそりゃあ……俺はパイロットだ。飛ばなきゃなんの役に立つってんだ」

「……」

 

 違う。私が聞きたいのはそういうことじゃない―――

 夕張が肩を落とす。彼女としてはそんな答えを期待していたのではない。

 

「少佐がいた空軍ってどんな所だったんですか?」

 

 興ざめしてしまった夕張が唐突に話題を変える。

 

「どうした急に」

「あ、それ私も聞きたいです」

 

 突然明石が起き上がり話に入ってきた。

 

「だって私達が船だった頃は無かったものじゃないですか。そりゃあ気になりますよ」

「あぁ……そうか。日本に空軍ができたのは戦後だもんな……」

 

 二人は第九に訪れる前の赤羽の経緯について尋ねた。まだ彼女らが船だった頃、すなわち‘あの時代’の日本には空軍が存在しなかった。戦後、日本軍は再編されその中で赤羽の所属する日本空軍は作られた。明石と夕張にとっては未知の集団なのだ。興味がわくのも無理はない。それに、この男程のパイロットが所属していた空軍だ。さぞや優れた集団だったのだろう。

 

「……うむむ」

 

 目を輝かせ迫る二人の予想に反しどうにも赤羽の返答は歯切れが悪い。

 と、ここで昼食を知らせるラッパの音が鎮守府内に響いた。

 

「あらら……ご飯の時間になっちゃいましたね。しょうがない、今度聞かせてくださいね!」

「え、あ……お、おう」

 

 歯切れが悪いままの赤羽をそのままに明石と夕張は素早く立ち上がるとそそくさと工廠を出ていった。

 

「……」

 

 二人が脱兎の如く工廠を後にするのを不思議そうな顔で見送りながら赤羽がゆっくりと立ち上がる。別に二人と食事を共にしたかったわけではないがどうも二人の態度が気になった。

 と、ここで赤羽は自分の足元の紙切れが落ちているのに気がついた。

 

「なんだ?メモ?」

 

 拾い上げ目を通す。

 

『零戦は今結構危ない状況なので私達が帰ってくるまで見張りお願いしますね!くれぐれもどこかへ行ってしまわないように!』

 

「……嵌められたあぁぁぁぁぁ!」

 

 ***

 

 昼。食堂で働く間宮や第九のスタッフ達にとってこの時間帯が一番忙しい。どういうわけか常に資金難に喘ぐ第九の資金源としてここだけは一般に開かれており、艦娘やスタッフだけでなく、第九が置かれている島の住人達も訪れる。それ故に食堂は第九の中でも比較的清潔で人の往来も多い。島民達の職場にもなるので人間より艦娘や妖精の人口が多い鎮守府という特殊な環境の中にあってここだけは人口密度が高く、別の世界にあるようだった。

 

「……うーん、たまにはラーメンとかもいいかな……」

 

 そんな食堂の入り口に置かれた数台の飾り気の無い券売機。その右隣に置かれた背の高い看板に貼り出されたメニュー表を眺めながら浜風が呟く。既に彼女の味覚はラーメンを受け入れる態勢にシフトしており、今の彼女の関心はそのラーメンを醤油味にするか味噌味にするか、更に味玉を二個にするか否かにあった。

 

「あ、浜風じゃなぁい」

 

 突然横からいたずらっぽさが漂う声が飛んできた。振り返ると明石と夕張が無邪気に手を振っていた。

 

「あ、どうも……」

「あれ、一人?」

 

 夕張は浜風に気軽に話かけながら券売機に紙幣を挿入し、迷わず‘特盛りラーメン’と書かれたボタンを押した。後ろから明石が首を伸ばし、夕張の選択を観察する。

 

「あれ?減量するからラーメンは控えるって」

「無理はよくないじゃない」

「良いこと教えてあげようか?それ三日坊主って」

「うるさーい!」

 

 向こうから話かけてきたというのにいつの間にか蚊帳の外に放り出された。浜風は暴風雨のような二人の様子に唖然とする。

 

「……やっぱりうどんにしておこう」

 

 浜風の指が味噌ラーメンのボタンの右隣の関東風きつねうどんのボタンへスライドした。

 

 ***

 

「それで朝からずっと遠征に?それは大変だったね……」

 

 明石がカツ丼をほおばりながら半ば他人事のように言葉を発する。

 

「まぁいつものことですけど流石にキツイですよ……なんでうちってこんなに貧乏なんですか……」

 

 浜風が油揚げを噛み千切る。

 

「うーん……実を言うと工廠(うち)もよくわかってないんだよねぇ」

 

 夕張はと言えば器用に野菜の山を崩し麺をすすっている。

 

「そうなんですか?」

 

 浜風が眉を吊り上げる。明石と夕張は同時に頷いた。

 

「他の鎮守府だと資材を使うことなんて兵装の開発と艤装の修理、補給くらいしかないから自然と資材の使い道は工廠が全部把握してるって状況になるらしいんだけど、どうもうちはそれ以外にも何か使ってるらしくて。使い道がわからない資材の消費があるみたいなの」

「そんな馬鹿な」

「残念だけど本当。提督も知ってるっぽいんだけど特に何か対策をしてるってわけでもないから多分提督が何かしらの理由で使ってるんだと思う」

「……」

 

 そこで突然三人が黙った。特に何か意識したわけではない偶然の沈黙だった。

 

「……いや、何というか……すみません、愚痴っぽくなっちゃって」

「はは、いいよいいよ」

 

 浜風がバツが悪そうに謝ると二人はころころと笑う。浜風は苦笑いを浮かべ話題を変えた。

 

「……二人は今日は何を?工廠が大変なことになってましたけど……」

「一日中あの零戦の修理。まさかあんなに改造されてるとは思わなかった……」

「あぁ……少佐が乗ってたアレですか」

 

 明石が自嘲的に笑う。

 

「一昨日からずっと修理してるんだけどね……まるで駄目。まぁ直ったら直ったでまた暇になっちゃうんだけど」

「……そういえば少佐は?まさかまたサボって」

「いやいや。今あの人は工廠。それこそあの零戦がぐずりだした時の為に残ってもらってる」

「へぇ……」

 

 浜風の返事には猜疑的な響きがあった。あの赤羽が大人しく工廠で留守番などしていられるのだろうか。

 

「あ、さては信じてないね?」

「あ、いや……別にそういうわけじゃ」

 

 しかし赤羽と常に仕事をしている二人の手前、本音を見せるわけにはいかない。浜風はまた苦笑し、なんとかごまかそうとする。

 

「まぁね、そもそも私達以外あの人と会う機会も少ないし。そう思われちゃうのもしょうがないかもね」

「……誤解してる、ってことですか?」

 

 予想外の話に思わず本音を隠すのを忘れる。

 

「結局あれから時間外の外出は一切しなくなったし、そもそも仕事がある時は前からまぁそれなりに真面目に働いてたしね」

「……」

「まぁ……確かに時々うるさいけどね。でも楽しい人だし、基本的に仕事自体には真面目な人だよ。仕事自体にはね。誤解、ってまで言っちゃうのは言いすぎだとは思うけど」

「……なるほど」

 

 浜風が短く返事をする。うどんの器に目を落とすときつね色の汁に映りこんだ自分の顔が不服そうな顔をしており、急いで表情を作り直した。

 正直聞きたい話ではなかった。嫌っている相手の‘良いところ’など大抵は知りたくないものである。自分が嫌いになるほどの悪人なら頭からつま先まで悪人でいてもらいたいものだ。

 と、その時である。

 

「あ、あのっ」

「!」

 

 電だ。冷泉ばりの神出鬼没さである。いつの間にか三人のテーブルの傍に立っていた。

 

「あ、あぁ……電ちゃん。どうしたの?……ていうか誰に用事?」

「浜風ちゃんに……」

「え、あ、私?」

 

 名前を呼ばれた浜風は慌てて電に向き合った。

 

「これを提督から……それと、三十分後に会議室に来るように、と……」

「会議室?」

 

 電から差し出された封筒を受け取り、浜風は怪訝そうに復唱する。

 

「そ、それじゃあ電はまだお仕事があるのでっ!」

 

 そう言って電は足早にその場を去った。

 

「……」

「そう言えばさ」

 

 浜風が受け取った封筒を見つめながら黙っていると夕張が口を開いた。

 

「電ちゃんはどうなんだろ?」

「え?」

「ほら、さっきの資材の話。電ちゃん秘書艦でしょ?少なくとも私達よりは提督のやってることわかってるはずなんだけど」

「あー……」

 

 明石と浜風が同時に声を上げる。電は冷泉の秘書。しかも冷泉は電だけはいつも傍に置いている。ということは冷泉の仕事を全部とまではいかないまでも、それなりの範囲で把握しているはずなのだ。浜風としては電が汚職に関与している可能性など、考えたくもなかったが。

 

「……まぁ、とりあえず行ってきます」

「はーい、いってらっしゃい」

 

 それからしばらくして、食事を終えた浜風は二人に別れを告げ立ち上がった。電から渡された封筒をスカートのポケットに入れ、手袋をはめなおし、スカーフを直し会議室へ向かう。

 食堂を後にし、廊下を通り外へ出ると、広場の噴水を横目に本館へ入る。これまた長い廊下を渡り階段を上がる――この階に今回指定された会議室はあるはずだ。

 

「……ん?」

 

 ふと、会議室近くの道に見慣れぬ影があるのに気づいた。それなりに大きく、微動だにしない。

 近づくにつれ、段々とはっきりと見えてくる。人だ。尻を突き出すような不恰好な体勢でうつ伏せになっている。

 

「……え」

 

 赤羽だ。廊下に倒れこんでいたのは赤羽だった。もはや浜風の理解力を越え、彼女はため息をつくほか無かった。

 

「何してるんですか少佐……だらしないですよ起きてください」

 

 浜風はできるだけ皮肉げに聞こえるように近づき声をかける。正直話したくない相手ではあるがこのまま放置するわけにはいかない。

 

「……少佐?」

 

 しかし赤羽は弱々しくうめくだけで反応が薄い。不審に思った浜風は赤羽をひっくり返した。

 

「うわ!?」

 

 見ると赤羽は恐ろしく悲壮感の漂う表情をしていた。まるで死にかけの様相だ。

 

「昼メシを……食って、ない……」

「なんでお昼一回抜いたくらいで死にかけてるんですか!」

「やべぇ……目まわってきた」

「ていうかなんでここに……やっぱり工廠で待ってなんかないじゃないですか……ん?」

 

 ふと、そこで浜風は赤羽の震える右手に紙が握られているのに気がついた。物々しい雰囲気の茶封筒。くしゃくしゃになっているがこれは先程浜風が電から受け取った物と同じ物だ。そしてここは集合地点に指定された会議室。

 つまり。これが意味することとは。

 

「はああぁぁぁぁ!?」

 

 浜風が叫ぶ。

 

「少佐!ちょっと!なんであなたが呼ばれてるんですか!?」

 

 弱々しく返事をする赤羽の胸倉を掴みゆする。赤羽の首が生まれたての赤ん坊のように危なっかしく揺れた。

 

「やべろのうがゆれるう゛っ」

「答えてください少佐……!なんであなたまでここにいるんですか……!」

 

 赤羽は答えない。しかし代わりに彼の腹が大きな音をたてた。

 

「……」

「……もう!わかりましたよ何か買ってくればいいんでしょう買ってくれば!」

 

 浜風は赤羽の胸倉を掴んでいた手を放すと踵を返し食堂へ戻ろうとした。一方赤羽は糸が切れた操り人形のようにべちゃりと廊下に倒れこんだ。

 

「……ラボール巻き、が、いい」

「ラボール巻き!?」

 

 ***

 

「本当にあった……でもなんで私がこんなこと……」

 

 数分後。浜風はぶつくさ言いながら再び会議室へ向かっていた。手には赤羽が指定したラボール巻き。初め聞いた時は何かわからなかったが間宮に頼んでみると出てきたのは少し長めの細い海苔巻きだった。中身はかんぴょうや紅生姜、おかかなどシンプルなものが一本ずつ別々に入っていた。間宮が言うには航空兵が空で食べる為に開発された携行食らしい。

 

「少佐ー、持ってきましたよラボール巻き。これでいいですか?」

 

 浜風は相変わらず床に突っ伏したままぴくりとも動かない赤羽の前で海苔巻きをちらつかせた。

 しかし反応が無い。

 

「少佐ー、聞いてます?」

「……」

「もう!返事してください!」

 

 浜風はそう言うと赤羽を無理やり起き上がらせた。見ると口が半開きになっている。

 

「……」

 

 一瞬の沈黙。浜風は意を決したように赤羽の頬を掴み――

 そのまま口にラボール巻きを押し込んだ。

 瞬間、赤羽の目が見開かれ、凄まじい勢いでラボール巻きが短くなっていく。

 

「ぎゃああぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 先程までの瀕死っぷりはどこへやら、死にそうな雰囲気から一転、数本のラボール巻きを一気に食した赤羽は完全にいつもの調子を取り戻し、無駄に良い姿勢で廊下に立った。

 

「生き返ったァ!流石ラボール巻き……シンプルながらに味覚を刺激し、丁度良い量で腹も苦しくならない。まさしく至高の食い物だな!」

「……はぁ」

 

 一方浜風はと言うとげんなりした顔でそんな赤羽を見ていた。

 

「……さて」

 

 そう切り出すと赤羽は振り返り、

 

「悪いな。礼は言う。“ありがとう”。じゃ、俺はこれで……」

 

 そう言って赤羽は踵を返し会議室へ入っていこうとした。

 

「あああ待ってください!」

 

 浜風は素早く手を伸ばし、赤羽の襟首を掴んだ。急に動きを止められた赤羽は首がしまり、情けない声を上げた。

 

「何すんだこの野郎」

 

 喉を押さえながら振り返る赤羽。浜風はスカートのポケットから若干はみ出していた茶封筒を抜き出すと赤羽の前に突き出した。元より彼女の目的は赤羽の蘇生ではない。この茶封筒。赤羽が持っている封筒について。それが知りたいがためにわざわざ食堂にまで出向いたのだ。

 

「これ。少佐も同じものを持ってますよね」

「……おい嘘だろ」

 

 みるみる赤羽の顔が歪んでいく。

 

「工廠にいたらいきなり高雄がこれを持ってきてここへ来いと言われたんだが……」

 

 そう言って赤羽も封筒を取り出した。浜風の顔から血の気が失せていく。食堂にいた時の自分と同じ状況だ。嫌な予感が加速する。

 

「まさか……同じ内容が書いてあるなんてことはないですよね」

「そんなわけあるか。同じ内容だったらこっちから願い下げだ」

 

 しかしお互いの手は震えている。実を言うと二人とも薄々感づいているのだ。

 ――この封筒には、恐ろしいことが書かれている――。

 

「……もう嫌だ……」

「やめろまだ決まったわけじゃないだろ」

「だったら開けてみればいいじゃないですか!」

「できるか!まだ開けていいって言われてねぇだろ!」

「なんでそういうところだけ変に真面目なんですか!」

「変にってなんだよお前それは軍人として基本だろ!」

「はぁ!?今更あなたが軍人の基本を語るんですか!?」

 

 始まってしまった。こうなると止まらない。少しづつ二人の声量は高まり、やかましく騒ぎ立て始めた。辺りに誰もいないだけに声がよく通る。

 二人は興奮し、次第にボルテージが高まっていく。二人分の声が高まり、最大限に高まった瞬間。

 会議室の扉が開いた。

 

「……お取り込み中のところ申し訳ないが、中でやってもらえないか」

 

 沈黙した二人の代わりに誰かが口を開いた。会議室から出てきたのは日向だ。

 

「……日向?」

 

 赤羽の間抜けな声。

 

「ああ。特殊作戦支援艦隊‘旗艦’、日向だ」

 

 ***

 

「それで……そこで口喧嘩に発展した、と」

「はい……」

「おっしゃる通りでございます……」

 

 数分後。会議室に入った二人は長方形を成すように置かれた長机の一辺を挟むように日向と向き合あっていた。中には日向の他に最上がいた。困ったように苦笑いを浮かべ、遠巻きに三人の様子を見ている。

 

「ふむ……本当に仲が悪いな君らは」

 

 日向は腕を組み続けた。その表情には一種の呆れと困惑が滲んでいる。

 

「無理に仲良くしろ、などというつもりはないが、少なくともこれから一緒に戦場に出ることになるんだ。仲が悪いというのは時に致命的になる。それは認識してもらいたいところだが……」

 

 日向の発言に赤羽と浜風が同時に顔を上げる。

 

「……やはり」

「ああもう……お先真っ暗だ……」

 

 二人の反応に日向が怪訝そうな顔をする。

 

「あれ?ひょっとして二人ともなんで呼ばれたのかわかってない?」

 

 突然最上が会話に入ってきた。二人が最上を顔を見ると最上はズボンのポケットに手を入れ、そこから一枚の茶封筒を取り出した。封が切られている。

 

「……あれは別に読んでもいいものだぞ」

 

 それを見た日向がそう言うと二人は音を立て椅子からころげ落ちた。

 

「まぁ、もうだいたい中身について察しはついているだろう?」

「う……ま、まぁ……」

 

 浜風が薄笑いを浮かべる。その瞳には一切の希望が感じられない絶望感が感じられた。

 

「今回私達が集められたのは新艦隊結成の為。第四艦隊、‘特殊作戦支援艦隊’。それが艦隊の名前だ。メンバーは私、最上、浜風、そして少佐の四人だ」

 

 浜風が勢いよく日向の顔を見る。

 

「四人だけ!?」

「嘘だろ!?」

 

 同時に赤羽も声を上げた。それを合図に二人が顔を見合わせる。

 

「四人だけ!?」

 

 また声を上げる。

 

「四人だけだ」

 

 日向の返答に赤羽と浜風はうなだれた。それなりに人数がいればお互いに関わりは少なくても済むが四人となればそうはいかない。嫌でも関わりが増えるだろう。

 

「不服か?」

 

 突然、底冷えする声。

 ――この声はッ!

 その声に本能的な恐怖を感じ取った赤羽の首がぎりぎりと音をたて回る。

 

「て……提督ぅ……い、いつからそこに?」

「つい先程だ。全員居るな。まぁ当然だが」

 

 冷泉だ。入り口のすぐ前に座っていた赤羽の背後にいつのまにか立っていた。赤羽が振り返ったことで二人の目が合う。

 次の瞬間、冷泉が手にしたクリップボードで赤羽の頭をはたいた。

 

「あだっ」

「お前の席はそこではない」

 

 そう言うと冷泉は顎で別の席を指した。見ると一脚のパイプ椅子が空いている。既に他の椅子には浜風、日向、最上の三人が着き、すました顔をしていた。

 

「お前ら……」

「いいから早く座れ」

 

 冷泉に催促され、赤羽はそそくさと席を移動した。それを見ると冷泉もまた席に着く。五人が円卓に着いたかのような緊張した空気が流れた。

 

「さて。さっさと本題に入ろう。今回お前たちを集めたのは新艦隊結成の為だ」

 

 冷泉は小脇に抱えていたクリップボードを取り出しテーブルの上に置くといきなり切り出した。

 四人の顔が引き締まる。

 

「構成員は今この場にいる四人。赤羽、お前も戦闘員として扱う」

「え」

 

 赤羽が面喰らったような顔をした。

 

「先の海戦でお前の行動には問題しかなかったが少なくともお前は航空兵としての有用性を証明してみせた。お望み通り航空兵として扱ってやる。そうでなければ明石と夕張にあの機体を修理などさせん」

 

 “お望み通り”と言う点が妙に皮肉げであったが当の赤羽はやや口元を歪ませ、あまり気にしていない様子であった。赤羽にとって母港で慣れない整備作業をし続けるよりこちらの方が良いのは明白だった。

 

「……さて、先日の第一艦隊と深海棲艦隊との海戦についてだ」

 

 冷泉がちらと赤羽を見やり続ける。

 

「日向の報告によると先日第一艦隊と交戦した深海棲艦は口答での指示、連携を行っていたとあるが、そこは間違いないな?」

「間違いない」

 

 日向が返答する。

 

「ふむ……そうか」

 

 冷泉が手元のクリップボードにペンを走らせる。

 

「やはり、問題に?」

 

 日向の問いに冷泉のペンが止まる。

 

「……話題にはなった」

「話題?」

 

 日向が訝しげな、少し苛立ちの混じった声を上げる。冷泉が初めて顔を上げ、日向を見やった。

 

「これだけのことが“話題にはなった”程度なのか?」

 

 日向の言葉には少しとげがあった。そこに関しては浜風も同感ではあった。あの時、自分達の身に起きたこと。深海棲艦達の未知の行動。それなりに大きなことが起こっているはずなのにこれは―――いささか危機感に欠けてはいないだろうか。

 それに対し冷泉は口を閉ざし、下唇を噛んでなにやら思案するような素振りを見せた。

 

「……まぁ、いいだろう」

 

 そう独り言を言うとそのまま続けた。

 

「実は……今回が特異なケース、と言うわけではない」

「……というと」

「最近、深海棲艦の戦略、連携の取り方、あらゆる面において奴等は変わってきている」

 

 最上が面食らったような顔をした。対して日向は神妙な面持で質問を飛ばす。

 

「つまり、今回のようなケースは他にもあった、と」

「そうだ。単冠湾グループ海域外でもそういった連中は多く目撃されている。現在大本営でも調査が進められているというがな」

「……提督、まさか僕達が集められた理由って」

 

 冷泉と最上の目が合う。

 

「……第四艦隊は第一艦隊とは別に分けた主力艦隊。今後、敵の作戦行動はより複雑化することが予測される。それだけにこちらも常に自由に動かせる戦力が必要なのだ」

 

 第四艦隊が結成された理由はこれだった。第九鎮守府は人員不足――というよりは練度の高い艦娘が不足している。そのためそういった艦娘達を主力艦隊に集中させてはいざという時戦力を分散させなければならなくなってくる。ならば始めから分散させ連立させてしまおうという考えだ。

 

「いいな?日向」

「……わかっているさ」

 

 話がとんとん拍子に進む。冷泉が放つ威圧感に呑まれないのが精一杯な浜風にはもはや話がどこへ向かっているのかわからない。

 

「任務や演習の連絡は随時行う。何か質問がある者は」

「……あっ、はい」

 

 ‘質問’という単語に反応し、やっと浜風が会話に入った。右手を上げ、冷泉の視線を自分に引き付ける。

 

「なんだ」

「え、えぇと……その……少佐のことについてなんですが」

「……」

 

 赤羽が少し俯いたまま表情を強張らせた。

 

「……いくら先日の海戦で実力を見せたとはいえ少佐はあくまで人間です。我々や深海棲艦の戦場で戦うというのは……」

 

 これが最大の疑問だった。艦娘と深海棲艦は人間の姿をしているとはいえ実際の人間とは比べ物にならないほどの身体能力、戦闘力を有している。いくら赤羽が優秀なパイロットとはいえ、その実力差は歴然としている。それがわからない冷泉ではないはずだ。なのにそんなことにただでさえ乏しい第九の資材を割くというのは―――

 

「……整備兵にしておくよりはまだマシと判断しただけだ。使えるものはなんでも使う」

「ですが……」

「……容赦ねぇな二人とも……」

 

 誰にも聞こえないように独り言を言ったつもりだったが冷泉と浜風が同時に赤羽に冷ややかな視線を投げた。そのまま冷泉は浜風に視線を移した。すぐに口を開きはしなかったがその視線には一切の意見を受け付けない、嫌な部類の意思の堅さが感じ取れた。

 

「指令には従ってもらう。ともかくこいつは今日から整備兵ではなく航空兵とする」

「……」

 

 浜風はしぶしぶ引き下がる。

 

「他にはいないな?ではここまでだ。解散」

 

 ***

 

「さて……そういうことだ。これからはこの四人でやって行く。よろしく頼むぞ」

 

 会議が終わり冷泉が去った後、日向が沈黙を破った。全員が日向に注視する。

 その表情は様々だった。闘志を燃やす者、この世の終わりのような表情の者、ほんの数人であるのにも関わらず見事なほどに違いが出ていた。

 

「四人か……」

「だ、大丈夫だってなんとかなるよ。ね?」

「まぁ、ともかくまだ始まったばかりだ。気楽に行こう」

 

 第四艦隊は四人。冷泉はこの艦隊の力をどれほどのものと考えているのか。この艦隊にはどれほどの力があるのか。

 少数精鋭か――

 ただの寄せ集めか――

 それはこの時点では、まだ誰も知らないことであった。

 

「とりあえずなんとかして零戦直さねぇと……」

 

 

 

 

 

 




お久しぶりです!ラケットコワスターです!やっと第六話、投稿できました……思ってた以上に忙しい毎日でした。受験なめてましたわ……
さてさて、第六話、いかがだったでしょうか。今回はギャグに全振りしたギャグパート。第九鎮守府の日常の一場面など書いててなかなか面白い回ではありました。めちゃくちゃ難産な回でもありましたがね……ともかく、ついに結成された第四艦隊、彼らの今後の活躍にご期待ください!ではまた次回!


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第七話:応急手当

※はじめに 

 今になって最上の口調が原作通りになってないことに気づきました……今更修正するわけにもいかないのでこのままいかせてください……


 さざ波がにわかに暴れる。穏やかな波が消えうせ、同時に一定の質量を持った物体が高速で通り過ぎ新たに生まれた波を破壊していく。

 

「右舷に敵影四!」

 

 浜風が叫んだ。

 

「敵艦確認……狙え!」

 

 日向に声に呼応するように最上と浜風が艤装を持った手を敵に向け照準をつける。

 

「浜風は後ろの二つを!僕は前の二つをやる!」

「わかりました!」

 

 空にプロペラが空を切る音が響く。赤羽だ。零戦は調子を取り戻し、空を縦横無尽に駆けている。

機体の銃口が宙に浮く目標を捉え、狙いをつけた。

 

「そこだ!」

 

 機銃口から銃弾が飛び出し、空に陣取る目標が破裂していく。破片が揚力を失い、下の三人に降り注いだ。

 しかし三人はそんなことを気にも留めずに目標へ砲口を向けることを止めない。

 

「撃て!」

 

 爆音が一斉に海に轟いた。零戦が吐き出す銃弾より数倍大きな白熱した砲弾が弧を描く。

 着弾。数キロ先の目標の間を縫うように大きな水柱が数本上がる。

 

「夾叉確認!」

「次だ!」

 

 次弾が撃ちだされる。しかしまた数本の水柱が上がっただけだった。

 

「外した……」

「雷撃用意!」

 

 海戦は次の段階へ移行する。夾叉が繰り返され動きが止まった目標へ向け一撃必殺の魚雷を叩き込み決着をつける気だ。

 浜風の艤装が動き始めると同時に最上も魚雷を取り出し海中へ放る。

 日本海軍が運用する酸素魚雷は航跡の隠匿性の高さ、高速かつ長大な射程など魚雷としては極めて高性能なものだ。真っ直ぐに目標に向かって進んでいく。目標は魚雷の航跡に気づかないのか先程から全く動こうとしない。

 

「着弾!」

 

 目標に魚雷が突っ込む。先程の夾叉弾以上の水柱が上がる。水柱に混じって木片が散った。

 

「よし!……ん?」

 

 しかし。激しい水しぶきの中から射ち漏らした目標が現れる。

 

「しまった殲滅しきれていない!」

「任せろカバーする!」

 

 無線機から赤羽の声がしたかと思うと頭上の零戦が軌道を変えた。

 

「……!待って少佐!背後に敵機確認!」

「うっ!?」

 

 最上の声を聞き操縦席の赤羽が振り返ると機体の後ろに何かがいる。

 

「しまっ……う、おおおおおおっ!?」

 

 敵の機銃口が赤羽をとらえる。背後につかれ、同時に機動に要するエネルギーも残されていない。万事休す。装甲の無い零戦では敵の攻撃に耐え切れず機体は燃え上がるだろう。哀れ、赤羽興助、死す――

 

「そこまでだ」

 

 と、そこで日向が動きを止めて右手を上げる。同時に最上と浜風も立ち上がり大きなため息を吐いた。

 

「また連携失敗だな。反省会だ。少佐、下りてきてくれ」

「下りたくない」

「下りてきてくれ」

「はい……」

 

 第四艦隊の演習は朝から続いていた。そのせいで第九のドックには艤装の砲撃を受け破壊された的が大量に転がっていた。これまでにすでに数十回は何かしらの理由で作戦を失敗している。演習の時点でこれなのだから実戦になったらどうなってしまうのか。

 

「それにしてもなんで毎回すぐ被撃墜判定出すんですか」

「しょうがねぇだろ、飛んでんの俺だけなんだからそりゃ墜とされるわ」

「“演習弾撃っても構わないぞ、どうせ俺には当たらないしな。キリッ”なんてやってたのはどこの誰ですか」

「あああうるせぇ言うなあああああ!」

 

 ドックでの反省会。浜風が赤羽を追及した。事実、ここ何回かのシミュレーションで赤羽はほぼ毎回撃墜されている。あの海戦の時のようなキレはなかった。

 

「そういうお前だってなんだあの命中率。目も当てられないじゃねぇか!」

「言わないでください気にしてるんですから!」

「まぁまぁ二人とも……そうは言っても少佐の撃墜数はやっぱりすごいし、浜風だって雷撃戦のスコアはよかったじゃないか」

 

 最上が二人をフォローする。それを聞くと二人はまんざらでもなさそうな顔をした。反面、日向はため息をつく。

 

「もっとも、少佐が撃墜したのはただの風船、浜風が雷撃したのも完全な静止目標だがな」

「う……」

「まぁ、確かに褒められる箇所もあるんだがな……毎回大事な所で失敗していては意味がないだろう」

 

 第四艦隊が結成されたまではよかったが、毎回毎回出撃のお呼びがかかるのは第一艦隊だった。主力艦隊が二つに増やされてからにわかに第九の出撃回数は増えたが何故か第四艦隊の出番は全く無かった。恐らく、現段階で課題を多く残す練度上の問題なのだろうが、出撃命令がかからないというのは同時に艦隊の経験がまるで積まれないという問題も引き起こす。多くの鎮守府は新艦隊を結成すると簡単な任務に就かせ、経験を積ませるものなのだが第九にその余裕は無い。故に即戦力でなければ実戦にも行かせてもらえないのだ。

 

「今日はもうこれ以上やっても改善は見込めないな。実戦演習はここまでにしておこう。今夜もう一度会議を行う。それを元に明日また演習だな」

「……ねぇ、日向」

「?」

「あまり言いたくないんだけど、この訓練でどこまで効果が望めるのさ」

「……」

 

 珍しく最上がとげのある言い方をした。

 第九は他の鎮守府とは違う。軍隊とは常に膨大な資金が必要であり、特に戦後、軍事に対する一種のアレルギーが根付いてしまった日本では無い無い尽くしで運営している軍事基地は海軍だけの話ではない。しかし第九の不足欠乏は輪をかけてひどい。それだけに高い水準の訓練が行えないという軍隊としてはあまりにも致命的な問題を抱えており、多少のリスクを負ってでも実戦を繰り返した方がよっぽど効果的なのだ。

 

「だからといって何もしないわけにはいかないだろう」

 

 最上の言葉に日向が冷静に返答する。最上は答えずそのまま少し俯いた。

 

「わかっているさ、この後もう一度提督に具申しておく」

「お願い」

 

 ***

 

「どうにも上手くいかねぇなぁ……」

 

 数分後、赤羽、浜風、最上の三人は日向と別れドックと本館の間の道を歩いていた。森から東門へ続く一直線の道だ。第九を横断するように引かれているこの道は、かつてここが航空基地だった時の滑走路の一部だった所らしい。

 

「なんでだろうね……皆実力は充分なんだけど……」

「すみません……私が至らないばかりに」

「浜風は悪くないよ、僕だって反省点はいっぱいあるし」

「……」

「提督、もう無理です」

「ん……?」

 

 ふと、前方で何かを訴えるような声が聞こえた。目えを凝らして見てみると、高雄と冷泉が何やら話しこんでいる。高雄の背後には第四艦隊と時を同じくして再編された新第一艦隊の面々、天龍と吹雪が続いていた。本来ならここに山城もいるはずなのだが、今その姿は無かった。

 

「まだ小破だ。戦闘を行えと言っているのではない。充分遂行可能だろう」

「そうじゃなくて……!」

 

 高雄の訴えを聞き入れない冷泉。高雄に限らず後ろの二人にも端から見てとれる程に疲れがにじんでいた。ここで高雄が主張しているのは艦隊の疲労だろう。

 しかし冷泉は聞く耳を持たない。冷泉が指示しているのは偵察任務。極力戦闘は避け情報収集に徹しろというのだ。それならばまだ小破程度の被害なら充分に遂行可能だろうというのが冷泉の判断であった。

 

「……あれ、吹雪……!?」

 

 その時、浜風が高雄に立っている吹雪の姿を見つけた。他の二人の背が高いからか、子どものような体躯の吹雪の存在は浮いて見えた。

 

「ホントだ、吹雪だ……新しく第一艦隊に抜擢された()がいるって聞いてたけど、吹雪のことだったんだ」

「吹雪は第一艦隊に抜擢されたのに……私ときたら」

 

 先日まで一緒にいた吹雪の大抜擢に浜風は肩を落とした。なんだか急に大きな差をつけられたように感じた。

 

「ま……まぁまぁ、第四艦隊には僕らもいるし」

「えっ!あっ、すいませんそんなつもりじゃ……!」

「気を張りすぎだよ浜風。もっと気楽にいこ?ね?」

 

 最上に言われ、浜風が気を取り直す。その間にも冷泉と高雄の話は続いていた。

 

「まだ異議を唱えられるだけ元気が残っているようだが?悪いが休息は認められない。そも遠洋まで出ているわけでもあるまい。再出撃だ。まだ情報が足りん」

「……」

 

 結局先に高雄の方が折れ、黙り込んでしまった。冷泉はそのまま背を向け、別館の方へ歩いていった。

 

「大変だね、第一艦隊も」

 

 最上がひとりごちる。その声が聞こえたのか、振り返った高雄と目があった。

 

「あら……ごめんなさい。変なところ見せちゃったわね」

「あ、いえ……」

 

 浜風と最上が第一艦隊と合流する。近づいて見るとやはり三人とも疲れた顔をしている。それを見ると浜風は耐え切れなくなり口を開いた。

 

「ひょっとして朝からずっと……」

「まぁな……まだ慣れてる連中はいいが……その……」

 

 高雄の代わりに天龍が答える。それを聞くと吹雪が一瞬体を震わせた。

 

「わ、私は大丈夫ですっ……!」

 

 そう言って見せるものの腕を押さえる姿は見ていて痛々しい。しかし実際艦娘の体は人間の数倍丈夫にできており、この程度の負傷は‘小破’となる。見た目の割にはまだ傷は浅いと判断されるレベルらしい。

 

「いや、すまん。そんなつもりで言った訳じゃないんだが……」

 

 少し前の最上のようなフォローをする天龍。そういう彼女の腕にも大きなすり傷があった。

 

「ちょっと……疲れが見えててね……何故か最近急に出撃回数が増えて……」

「なんでまたそんな」

「さぁ……第四艦隊(そっち)は?」

「あー……うん、まぁそれなりに色々やってるよ」

 

 とてもではないが一切出撃していないなどとは言えない。二つの()()()()にはこんなにも差がついていた。これは早く練度の課題を解決しなければ。二人はそう思った。

 

「そういえば少佐はどうしてるの?零戦の調子が大分悪いって聞いてたのだけど」

「だってよ少佐?……あれ」

 

 最上が振り返るとそこに赤羽に姿は無かった。

 

「?」

「おかしいな、さっきまで一緒にいたんだけど」

「おう、ちょっと工廠に戻ってた」

「あ、少佐……え?」

 

 最上の死角から突然赤羽が現れた。しかしそのシルエットは歪であり、違和感があった。見ると、脇に救急箱を抱えている。それを見た艦娘達は目を白黒させた。

 

「あ、あの……少佐?何して……」

「何ってほら、怪我してんだろ?ほら腕出せ。化膿しちまうぞ」

「い、いや……そうじゃなくて……」

「なんだよ、俺が傷の手当もできないとでも?」

 

 赤羽は困惑する第一艦隊の輪の中心に入り込み、救急箱を開き消毒液と包帯を手に言い放った。

 

「少佐、ひょっとして工廠に戻ってた理由って」

「ん、そういうことだ、最上よ。手伝ってくれたまえ」

 

 そう言って赤羽は最上に消毒液の瓶を手渡した。

 

「……はは、そうだね。わかった」

 

 最上は軽く笑うと瓶のふたに力を入れ捻った。その様子を浜風が呆気に取られたように見ている。

 

「……お前もだよ何ぼさっとしてんだ」

「え」

 

 赤羽は無愛想にそう言うと浜風には脱脂綿が入った半透明の箱を放ってよこした。

 

「……」

 

 いきなり現れ最上や浜風と応急手当の準備を始めた赤羽に対し、第一艦隊の面々は呆気に取られていた。艦娘は人間の姿をしてはいるが、だからといって人間と同じ治療を施そうとは誰もしない。それよりも入渠させた方が効率が良いし、実際艦娘相手に人間の治療はそれほど効果がのぞめないのだ。

 

「艦娘に人間の手当てはあまり意味が……どうせそのうち入渠すれば直りますし……」

「何もしないよりはマシだ。ほら、いいから傷見せろ」

「は……はい……」

 

 そう言って赤羽が近くにいた吹雪の隣にしゃがみこむ。恐る恐る突き出された吹雪の腕の傷を見ると慣れた手つきで傷口の消毒を始めた。

 

「っ!」

「ん、しみたか?悪いな、ちょっと我慢しろ」

「……はい、大丈夫です……」

 

 赤羽の作業が続く。腕の大きなすり傷、次に脇腹の切り傷、更に頬の火傷――。幸いにも吹雪の怪我は数こそ多いがどれも深いものではなく、応急処置でなんとかなるものばかりだった。

 やがて吹雪の怪我の処置が終わる。

 

「ありがとうございます……」

「おう。許可が下りたらちゃんと入渠しとけ。よし次!」

 

 吹雪に施された処置は几帳面な仕上がりだった。普段の大雑把さからは想像しづらいほどに綺麗に包帯が巻かれている。

 礼を言われた赤羽は屈託無く笑うとひらひらと手を振り、次の包帯を取り出した。

 

「あー……次は?どっちだ?」

 

 ***

 

「うし、こんなもんか」

 

 しばらくして、三人の処置が終わった。

 

「これで全員か?」

「あ、いえ、まだ山城さんが……少し遅れてくるって……」

「山城?」

「あ、来ました」

「え」

 

 振り返るとそこに山城がいた。以前浴場で出会い張り手を喰らったとき以来の再会になる。

 

「……何よ」

 

 山城を前に固まる赤羽を不審そうに見る山城。赤羽の視線に何か不審なものを感じ取ったのか胸の前で腕を組み体を捻った。

 

「……ねぇ……何か言ったら」

「え、あぁ……すまん。なんでもない。よし、傷どこだ」

 

 赤羽は突然我に返ったように顔を上げると歯切れの悪い返事をした。少しぎこちなく消毒液を取り出しながら山城をその場に座らせる。続いて空いた方の手に脱脂綿を持ちながら自身もしゃがんだ。

 

「なぁ……山城」

 

 少しして、手当てをしながら赤羽が唐突に口を開いた。その場にいた他の五人が談笑し、こちらの話を聞いていないのを確認すると、山城の腕の傷を消毒しながら声をひそめた。

 

「何?」

「お前……姉貴がいるって聞いたんだが」

 

 赤羽がそう言った途端、わずかに山城の腕が強張った。

 

「……いるけど。それが何か?」

「そうか……」

「ちょっと。きついわ」

「え?あぁ、悪いな」

 

 山城に指摘された赤羽は軽く詫び、山城の腕に巻きつけた包帯を緩めた。

 

「艦娘になってないとも聞いたんだが」

「ええ。なってないわ」

「なんでそう言いきれるんだ?」

 

 赤羽が思いのほか食いついてきたからか、山城は不審そうな顔をしながら頭の髪飾りに手をやった。その手の動きにつられて赤羽も髪飾りを見る。金色の装飾が優美に揺れた。

 

「簡単な話、艦娘のデータは軍属、非軍属関係なく各国の海軍がリスト化して保存しているわけ。当然私も、日向とかそこの吹雪とかも。どうやってるのか知らないけど、そこに登録されてない艦娘はいないって言われるくらい正確だって話よ」

「そこにお前の姉貴のデータが無い、と」

「そういうこと。気になるなら提督に頼んで調べてもらったら?まぁ……あの人が取り合ってくれるかどうか怪しいけど」

「何をしている」

 

 その時‘あの人’が帰ってきた。瞬間、赤羽の表情がうんざりといわんばかりのものに変わる。

 

「またお前か赤羽……」

 

 赤羽がゆっくりと立ち上がり冷泉と向き合った。手に持った包帯をいじりながら言葉にならない声をこぼしている。何と言って切り出すべきか定まらず、目が泳いでいた。

 

「答えろ」

「えー……その、あのですね……ご覧の通り第一艦隊の手当てをしていました」

 

 そう言われ冷泉がちらと目をやる。冷泉と目があった吹雪は無意識に山城の背後に隠れた。

 

「艦娘に人間の医術はあまり効果的ではないのを知っているのか」

「……知ってます」

「そもそも今第一艦隊の被害状況はたいしたことは無いレベルだ。作戦行動に支障はない」

「でも痛いものは痛いでしょう。やらないよりはマシです」

「もういい。早く出撃させろ。とにかくその手当てに意味は無い」

 

 冷泉が不機嫌そうに鼻を鳴らす。いつもの調子で目も合わせず冷たく言い放ち、そのまま第一艦隊に出撃の指示を出した。

 

「待て!」

 

 それを聞き吹雪が観念したようにドックへ向かおうとしたが赤羽に止められ足を止めた。

 

「……先程日向が私の所に来たが、現在の訓練に不満があるらしいな」

「……はい。あります」

「その足りない訓練もまともに遂行できないで何を言っている」

「うっ」

「ものを言うならばまずは行動を示してからにしろ。もしくは立場を得るんだな。わかったらさっさと自分の仕事に戻れ……お前達もだ」

 

 相も変わらず冷泉の物言いは的確だが容赦が無い。冷泉の言い方から察するに日向の行動は徒労に終わったようだ。冷泉は畳み掛けるように赤羽の意思を折りにかかる。

 しかし、今回の赤羽は引かなかった。

 

「……提督、何をそんなに焦ってるんですか」

 

 眉をひそめ、何かを疑うように赤羽は言い返した。冷泉としては赤羽がすぐに引き下がると思っていたのか顔を上げ赤羽と目を合わせた。底が見えない冷たい目が赤羽の双瞳を捉える。珍しく反撃してきた赤羽の思考を探っているかのようだった。

 

「焦っている?私が?」

「今は近くに戦線が構築されてるわけじゃない。そんなに出撃を繰り返さなくてもいいはずでは?偵察にも限度があるし、こいつらも疲れが溜まってる。まだ情報が足りないっていうなら俺……私が飛びましょう。その方がコストも効率もいいと思いますがね」

 

 赤羽の物言いに今度は冷泉が眉をひそめた。

 赤羽のこの反論は至極的を射ていた。ここ数日第一艦隊は‘偵察’の名のもと海域調査及び資材の収集を行わされていた。その間戦闘はほとんどなく、実際敵艦隊の情報も無い。偵察をないがしろにしてはいけないというのは赤羽とて充分承知している。しかしここまで力を入れなくてもいいのではないか。赤羽はそう思っていた。

 

「資材収集についても、それこそ若葉らがずっとやってくれてるのにまだ足りないって言うんですか。提督、まさかとは思いますが」

「待て」

 

 冷泉がぴしゃりと言い放つ。冷泉の語気に調子を崩された赤羽は黙ってしまった。冷泉はその一瞬を逃さずすぐに反撃に出る。

 

「人を疑うならまずは証拠を見せろ。根拠も無しに上官を疑うのかお前は」

「う……」

「どちらにせよ事実として資材が足りないという現状がある以上、まずはそれをどうにかせねばならん。そうでなければ第九は回らなくなる」

「第九が回せてもこいつら(艦娘)が駄目になっては意味がないと思いますが」

 

 赤羽も引かない。一歩前に出ると毅然と言い放った。

 

「ちょ……ちょっと少佐……」

 

 空気に耐えかねて高雄が赤羽の航空服の袖を引っ張った。「そのへんにしておけ」と言いたいのだ。第一艦隊や最上、浜風らは赤羽と冷泉の険悪な空気に息がつまりそうだった。

 

「それに……」

「黙れ」

「!」

「これは命令だ。第一艦隊は出撃させる。お前は工廠へ戻れ」

 

 まるで聞く耳を持たない冷泉に言われ赤羽はついに観念し、救急箱を持ち上げ改めて冷泉と向き合い敬礼した。その後最上と目配せし、一人彼の脇を通り工廠へ足を向ける。

 が、途中で足を止めた。

 

「……偵察くらいうちだってできます」

「ふん」

 

 ***

 

「……少佐、あなたやっぱり山城さんのことが」

「いつから見てた明石ィ」

 

 工廠に戻ると明石が現れた。救急箱を片付けている赤羽の隣に中腰になりにやにやと笑いながらからかうように声をかけた。

 

「それにしても、優しいんですね」

「提督が冷たいだけだろ。これぐらい誰でも当たり前にやる」

 

 赤羽が無関心そうに返す。

 

「そうですね……」

「しっかしなんで提督はこう……()()なんだよ。助けてもらった身の俺が言うのもなんだが、もう少し優しくなれんのかね」

「ホントですよねー……なんでもあの人、もともとは結構内地の地区の出身らしいですよ」

 

 明石が噂好きの女性の顔になる。聞けば冷泉はもともと単冠湾グループの所属ではなく、内地の方から異動してきた人材なのだという。どこから仕入れてきた情報なのかは知らないが、あの若さでかつ内地で少将まで昇りつめるとは、なかなかのエリートだ。

 

「あー、内地出身のエリートなのね。そりゃヤな奴になるわ……待て、だとしたらなんでここにいるんだ?別に悪く言うつもりはないが正直エリートが来るような所じゃないだろここ」

「ずーいぶんはっきり言ってくれますね」

 

 明石が赤羽を軽く小突く。すると赤羽は勢いのまま地面に転がった。

 

「少佐、‘大損害’って覚えてます?」

 

 赤羽が固まった。

 

「……左遷されてきたのか」

 

 明石の口から出た‘大損害’という単語。赤羽はそれを聞くなり全てを察したように呟いた。

 

「まぁ、そういうことなんじゃないかって。私達も含めて」

「お前らも含めて?どういうこった」

「大損害の後、多くの鎮守府が立ち行かなくなって、戦力を減らしたり、もしくは解体されました。でもうち(第九)は何故か逆に大損害後に置かれた鎮守府なんです。しかもグループの中の僻地、最前線に近い位置に。でもその割には貧乏でこれといった援助も受けていない。つまりその……そういうことなんだと思います」

「……」

 

 赤羽は答えなかった。まるで‘大損害’という言葉がそういう呪文であるかのように彼の動きを奪い、その場に固めてしまったようだった。

 

「あ……すいません、なんか変な空気になっちゃいましたね。それじゃ私はここで……仕事に戻りますね」

「そのこと」

「え?」

「そのこと。まさか皆気づいてるのか」

「……たぶん」

 

 赤羽は転がったまま尋ねた。固まったまま、口だけを動かして。

 明石の返答も簡単なものだった。赤羽はそれを聞くと返事の代わりに小さくため息をついた。明石はそれがもうそれ以上会話が続かないことの意だと判断したようで、そのままその場を後にした。

 

「……」

 

 赤羽の脳裏にふと、数日前喧嘩した軍規に厳しい浜風の顔が浮かんだ。

 

 ***

 

 ――何故帰ってきたんだ――

 ――面倒なことになったぞ――

 ――どうするんだ、なんて説明すればいい――

 ――沈んだんじゃなかったのか?既に後釜を用意してしまったぞ――

 

「ッ!」

 

 ふと、頭の中に響く声。しかし直後に轟音にかき消された。

 日が傾き、空に赤みがさし始めた頃。鎮守府西部の深い森で浜風がため息をついた。第九の名物でもある森。その木々の間を抜けると突然、こじんまりとした入り江が現れる。そこは以前赤羽と浜風が喧嘩をした浜風の縄張りだ。ここで浜風のいつもの‘自主練’が行われていた。こころなしかいつもより荒れているように見える。

 既に水面には艤装から撃ち出された砲弾によって粉砕された木製の的の残骸が無数に浮かんでいた。当の浜風は独り言を洩らしながら不満そうに破片を拾い上げる。

 今日の自主練には身が入っていなかった。午前中の演習もそうだが、その後の赤羽の行動が気になっていた。赤羽のことは好きではないが彼女の中で今回の行動は評価に値した。これが自分に認めた人間によるものであれば彼女の中で純粋な美談として記録されただろうが、それを行ったのが赤羽であり、そのせいであのことを思い出す度に赤羽もセットで思い起こさなければならないのが問題だった。

 

「浜風?」

 

 ふと、背後から声がする。振り返ると若葉が立っていた。

 

「若葉……何か用ですか?」

「日向が呼んでる。会議の前に少し話がしたいそうだ」

「……わかりました。二十分後に行くと伝えてくだ――」

「“三十分後に来てくれ”って言ってたぞ」

 

 浜風の言葉を遮る若葉。日向には浜風が何をしているのかわかっているかのようだった。

 浜風はそうですかと軽い返事をすると艤装を持ち直し、手袋の裾を強く引いた。

 

「少し疲れているようだな」

「……ここへ来る前のことを思い出してしまって」

 

 その言葉を聞くと若葉の表情が曇った。

 

「……浜風も……‘大損害’のせいでここへ来たんだったな」

「……えぇ……若葉は?」

「私は大損害とは関係ない異動で……そうだと思いたいがな」

 

 浜風は再び艤装を構え、的を打ち抜く。

 

「……すまない、デリケートな話だったな」

「いえ、構いません。昔の話ですから」

 

 意に介さぬ様子で艤装に弾薬を再装填する浜風。銃口が上がり、轟音と共に最後の的が粉砕された。

 

「……ただ、あれから私の考えが変わったのは確かです。私達はあくまで()()です。今のままではまるで駄目です。艦娘は、いや軍人は、戦える存在でなくては。せっかく第四艦隊へ抜擢されたんですし」

「……そうか」

 

 若葉の遠慮がちな返事を聞いていたのかいないのか、浜風は相変わらず手を休めることなく傍に積み上げてあった的を数枚取ると洋上に文字通り棒立ちになっている鉄棒へひっかけに行った。

 ふと、空を見上げる。雲行きが怪しくなってきていた。

 

「そういえば、台風が近づいてるんでしたっけ」

 

 

 

 

 

 




 お久しぶりです。ラケットコワスターです。毎度のことですが、本当にお待たせしました。創作活動始めて以来、最強レベルの難産回でした。なんかいつも言ってる気がしますが……
 それと、前書きでも書きましたが最上の口調が原作通りになっていないことに今更気づきました……そういえば最上って日向のことさんづけで呼んでましたね……あと「僕」じゃなくて「ボク」でしたね……最上ファンの方、すみませんでした。しかし今更書き直すわけにもいかないレベルで最上書いちゃったのでここについてはこのままいかせてください。ホント申し訳ないです。師弟関係超越するレベルで絆が高まってるってことにしておいてください。
 えー、なんというか今回は変なこと書いてしまいましたが以後、気をつけていきたいと思います。次回をお楽しみに。


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第八話:僻地の不祥事

「……はい」

 

 昼下がり。工廠に隣接された資材庫に若葉らが遠征の成果を届けに来た。第四艦隊編成後も一応工廠の業務を手伝っていた赤羽は軽く返事を返すとドラム缶を持ち上げ倉庫の奥へ運んでいく。ドラム缶を積み上げ、出来上がった泥色の山を見上げてもため息が出た。

 

「こんなあんのになんでビンボービンボー言われんのかねぇ……」

「工廠は知らないのか?」

「あぁ。明石や夕張でも知らねぇって言ってるし、当然俺も知らん」

 

 いつの間にか隣に立っていた若葉の頭に何気なく手を置きまた山を見上げた。若葉らのおかげでかなりの量の備蓄があるはずなのだが、気づいた頃には無くなっている。いくら第九とはいえ資材を使わないことは無いし、最近は妙に出撃が増えたのもあって資材をよく使う。

 しかしそれを差し引いても資材の減りは早いように感じる。当然冷泉に聞いても答えは返ってこないし、電も“何もない”の一点張り。冷泉が何かに使っているのはわかっているのだが、これといった証拠も無しに追及するわけにはいかなかった。

 

「しっかし溜まったな……」

 

 赤羽が資材の増減を記した紙をかさかさと揺らしながら言う。あの一件から冷泉の人使いは更に荒くなったように思う。もとより冷泉は自分のことを語ることがほとんど無い。資材の使い道についてもごまかすのではなく、一切話してくれなかった。

 

「あぁあ、こんだけ溜めてもまたすぐ無くなんだろうな」

「恐らくな」

 

 そう言いながら二人で大きなため息をつく。この山はどれほど()()のだろうか。資材は使ってこそのものではあるが、それでも使い道のわからない資材を集め続けるのも、その増減を管理するのもむなしいものだ。

 と、ため息がおさまると同時に二人の腹が大きな音をたてた。

 

「……働かなくても腹は減るのか?」

「やめろ、お前までそんなこと言うんじゃねぇよ。それにあいにく少佐はちゃんと働いてますゥー」

 

 若葉の冗談を軽く流すと赤羽は窓越しに別館の方を見やった。昼時というのもあってか人の出入りが多くなっている。

 

「どうする?メシ行くか?」

「まぁ、そうだな。午後にはまた遠征だし、今済ませておくか」

「ご苦労なこって……」

 

 そう言うと赤羽は資材庫の鍵を取り出しちらつかせた。“閉めるから先に出ろ”と受け取った若葉は素直に資材庫をあとにした。

 

「今日の日替わり定食なんだっけか」

 

 資材庫から出るなり鍵をかけながら赤羽が問う。

 

「あぁ、なんだったか……」

「アジフライ定食です」

 

 突然聞こえた声に振り返ると明石、夕張のいつもの二人が立っていた。

 

「アジフライかぁ……」

 

 赤羽が腰を押さえながら伸びをする。腰が小気味良い音をたてた。

 明石と夕張もここ数日で忙しくなった二人だった。資材の増減が激しくなり、それだけ管理に割く時間が増えていた。赤羽が戦力として採用され、工廠の仕事に割ける時間が減ったというのにも忙しさを手伝っていた。

 

「ところでエンジンの件どうなった?」

「許可下りませんでしたよ。やっぱり資金がねぇ……」

「やっぱりか……」

 

 赤羽、若葉の会話に自然に入ってきた二人は当然のように食堂へ向かう二人に合流し、四人で食堂を目指した。

 別館につくと思ったより人の出入りが多かったことに気づいた。腕時計を確認すると十二時半を指していた。なるほど確かに昼時ちょうどだった。

 

「あー……こりゃ券売機混むなぁ……」

 

 赤羽の予想通り券売機まで来ると長蛇の列ができており、四人は空腹をさすりながら並ぶ羽目になった。

 しかし並べば意外と出会いはあるようで。赤羽は並びながらちょくちょく知り合いを見つけ、列の近くを通る人物と時折立ち話をしていた。

 

「……あれは……」

「三丁目のお肉屋さんね」

 

 カレーを乗せたトレーを手に赤羽と楽しげに会話をしているパーマの女性を横目に、若葉と夕張がひそひそと話をする。

 この食堂は時間によっては一般にも開放されており、鎮守府外の町の人間も訪れる。もっとも、一日のほとんどを鎮守府内で過ごす艦娘達にとって、鎮守府外の人物はほぼ顔も知らない存在であり赤羽のように出会っても会話をすることはほとんどなかった。時折向こうから話しかけてくることはあっても、自分からはほとんどなくあまり関係が成熟してないだけに、なんとなく赤羽が羨ましく思えた。

 

「少佐って非番の時よく街ふらついてるんだよねぇ」

「そうなのか?」

「そうね。この間なんかもらったー、なんて言ってみかん一袋持ってきたしね。あの人のコミュ力どうなってんのほんと……」

 

 そう言われた若葉の脳裏にみかんがぎちぎちにつめられた袋を持ち、いつもの笑顔で工廠へ入ってくる赤羽の姿が瞬時に浮かび、思わず吹き出してしまった。

 

「しかも面白いのがそれだけのコミュ力あるのにいまだに浜風ちゃんとは上手くいってないってとこだよね」

「ほんとそれ!」

 

 そこまで話して二人も吹き出し、笑い始めた。四人とも何かしらの理由で笑い、ゆったりと時間が流れる。その時だった。

 

「あ、あのっ」

「ん?」

 

 肉屋の店主と別れた赤羽がふと視線を落とすといつの間にか電が赤羽の前に立っていた。

 

「あら電ちゃん。どうしたの?ひょっとしてまた提督が何か言ってるの……?」

「え、ええと……」

 

 赤羽の肩に顎を乗せながら夕張が声をかける。

 

「急ぎじゃなかったらできればご飯のあとがいいんだけど……どうかな?」

 

 今度は明石の顎が赤羽の肩に乗った。

 

「重ぇーよ」

「あ、その……えっと……」

「あー、ど、どうしたー?」

 

 どもるばかりで話を切り出さない電を前に赤羽も対応に困り、苦し紛れの声を出す。

 

「少佐の顔が怖いんじゃないですか?」

「バッカこんなハニーフェイスが怖いわけねーだろ」

「ダウト。悪人面ですよ」

「……ご、ごめんなさい!やっぱりなんでもないのです!」

「うぇ!?お、おい電!?」

 

 電は突然そう言うと現れた時と同じように唐突に走り去ってしまった。残された四人は目を丸くし、状況把握を始める。

 

「あー……俺なんかまずいことしたか?」

「顔じゃないですか?」

「顔ですね」

「顔だな」

「やめて泣きたくなる」

 

 しかし今の電はどこかおかしかった──四人全員がそう思ったがその瞬間また腹が大きな音をたてた。そこで券売機が空いたことに気づき四人の疑問は吹き飛んでしまった。

 

 ***

 

「んむぅ、今日も少佐頑張ったわ」

 

 夜。工廠の隅に置かれたプレハブ(執務室)で赤羽が伸びをする。結局午後も工廠の仕事を中心に事務作業が多かった。明日からはまた怒涛の演習が待っている。以前よりマシにはなったもののまだまだ課題は多い。明日からの演習を想像し少しげんなりした気持ちになりながら布団に入った。

 最近疲れているのか寝つきは妙に良い。ベッドは明石が良い物を用意してくれたおかげもあるだろうが。布団に入るなり赤羽の意識はすんなりと沈んでいった──

 

 ──カサリ。

 

「……」

 

 ──コツッ、コツッ。

 

「ん……」

 

 三つ目の夢が佳境に入ったあたりでふと、何か聞こえた気がして目が覚めた。枕元に何かが置かれている。寝ぼけ眼で何度か枕元を叩き、五度目で右手がシーツ以外の何かの感触を捉えた。

 かさり、と音がし、それを合図にしたかのように頭を垂れる。

 

「……?」

 

 いや、これはおかしい。寝る前、枕元には何も置いてはいなかったはずだ。そう思い、無理矢理意識を覚醒させる。

 呻き、気だるい体を起こす。右手にはメモが握られていた。

 

「なんだ?」

 

 部屋の明かりをつけ、手に握られたメモを広げてみる。

 

「うわっ、きったねぇ字。えぇと……何だ?」

 

 ‘資材庫へ行ってください’

 メモには何とか読み取れる程の汚い字でただそれだけ書かれていた。

 

「資材庫?何でまた……」

 

 そう言いつつ赤羽は半目で上着を取り肩にかけた。眠気に伴う判断力の低下からか、特に疑問を抱くことなく指示に従っていた。

 プレハブを出、うつらうつらとおぼつかない足取りで工廠を出る。途中三度大欠伸をした。

 工廠と資材庫は繋がってないものの隣接しているので移動するのは容易い。工廠から出た赤羽は首を九十度曲げるようにして資材庫に目をやった。

 

「……?」

 

 しかしそこで違和感に気づき、眠気が一気に吹き飛んだ。

 資材庫からうっすらと光が漏れている。今夜は月光が弱かったため気づけた。それほどうっすらとした光だった。

 しかし間違いない。今、資材庫の中に誰かがいる。赤羽は上着のボタンと留めると注意深く資材庫へ入っていった。

 

「……!」

 

 中へ入ると案の定誰か居た。赤羽は反射的に近くに積まれた木箱に身を隠し相手の様子をうかがった。

 二人だ。資材の山を前になにやら話し込んでいる。

 

「……今回は随分遅かったんじゃないですか?」

「そこについては説明したはずだ。思いがけないことが起こったからな。あれはお前の差し金だろう?」

「証拠もなしに追及するな、とはあなたの言葉ですよ?」

「……?」

 

 聞いたことのある声だ。この不機嫌そうな声は──聞き間違えようがない。

 

「冷泉……?」

 

 暗闇に目が慣れてくると二人組の片方が冷泉であることがわかった。目立たぬように黒いコートを羽織っている。もう一方は──いやに背が低い。赤羽自身、成人男性にしては小柄な部類に入るが、それよりも更に背が低い。加えて妙に声が高い。いや、これは──変声前の声。まさか子どもか?

 

「とにかく、これで要求分は全部のはずだ。さっさと持って行け。私にはまだ仕事がある」

「驚いた。ボクよりは時間があるはずなのにまだ何か仕事に追われてるんですか」

「あぁ。お前よりは仕事があるからな」

 

 親密さなどまるで感じない雰囲気だった。赤羽は身を潜めた木箱を背に二人の様子を観察し続けた。

 

「まぁいいです。こちらは要求量を満たしてくれればそれでいいですし」

「毎回気になっていたがどう運ぶのだ?みたところ来ているのは毎回お前だけだが」

「気にしなくていいです。()()()()()()()できないことはしませんから、運搬方法くらい万全にしてます」

「そうか。まぁいい。さっさと持って行け」

 

 運搬?要求量?まさか、用途不明分の資材っていうのは──

 そう思った時、その事実に注意が行ったせいで不用意に体勢を変えてしまい、それによって動かされた木箱が音をたててしまった。

 

「!」

 

 冷泉が首だけ素早く振り返らせた。その視線は紛れも無く赤羽が隠れている木箱を見据えている。不審げな視線を向ける冷泉に対し、赤羽は青い顔をして木箱に背中を密着させた。呼吸音も聞かれているような気がし、無意識に口と鼻を両手で押さえる。もう音は出さない。一度くらいなら冷泉も聞き間違いと処理するはず。いや、そうであってほしい──

 

「誰かいるな……誰だ」

 

 だめだった。

 

「……」

 

 しかしそれで返事をするほど赤羽も間抜けではない。口を押さえたまま沈黙を続ける。顔が更に青くなるが気にしている余裕はない。呼吸を忘れていることすら忘れる程消音に全神経を集中させた。

 

「……」

 

 しかしそんな赤羽の努力もむなしく木箱が動かされる。代わりにそこには顔をしかめた冷泉の姿が現れた。

 

「赤羽……お前か」

「彼は?」

 

 そこで初めてもう一人の少年が赤羽の方を見やった。自身に投げかけられた質問だったが冷泉は無視し振り向きもしなかった。

 

「何故ここにいる」

「そ…そりゃこっちの台詞だ……です!誰だそい……誰なんですかそいつ!」

 

 赤羽の言葉を受け、少年は大義そうに肩をすくめて見せた。

 

「誰も近づかないと聞いていたんですが?」

「急ぐなら用事をさっさと済ませろとも言ったはずだが」

「はぁ、急いでいます。あなたと違ってやらなければいけないことは多いんです。あなたの感覚では急いでないみたいですけどね」

 

 まるで赤羽などそこにいないかのように二人で会話が進行する。

 

「聞いてんですか提督」

 

 冷泉が大きなため息をつく。

 

「運搬だの要求量だのさっきから妙な話をしてますが……まさか提督」

「お前には関係ない」

「横流ししてんですね?ここにある資材!用途不明資材ってのは……」

「関係ないと言っているだろう」

「……横流ししてる分なんですね!?そうなんだろ!?」

 

 赤羽の口調が乱雑なものに変わる。その言葉には明らかに怒気がこめられていた。

 

「見損なったぞ」

「黙れ、端からお前に期待などされたくない。それより質問に答えろ。何故ここにいる!」

「こっちの質問が先だ!」

「ふぅ。もうあてになりませんね。ボクがやります」

 

 突然、少年が話に入ってきた。冷泉の肩に生意気に手を置き、大儀そうに赤羽の前に出る。

 

「……余計なことはするなと言ったはずだ」

「それはあなたの感覚で、ですよね?」

 

 聞く耳を持たない少年の様子に冷泉はここまでで一番のため息をつくと二人に背を向け裏口へ向かった。

 

「おい!待て冷泉、俺はお前に……」

「面倒なことにはしてくれるなよ」

「うるさいな。そっちが自分の仕事もできないからでしょう?」

 

 赤羽を無視し冷泉は資材庫から出ていった。赤羽は忌々しげに声を漏らすと改めて目の前の少年と対峙した。もとより赤羽自身が成人男性にしては少し小柄であったためか、さほど二人に大きな身長差はなかった。

 

「何もんだ」

「同じ質問を繰り返すのは非効率的ですよ」

「うるせぇ」

 

 赤羽が吐き捨てるように言うと同時に少年は素早く腰に手をまわし、警棒のような金属棒を引き抜いた。

 

「!」

「吐き気がする。そんな言葉しか語れないんですか」

 

 少年が前に飛び出し、小さな動作で金属棒を振り下ろす。突然のことに赤羽は面喰らったものの、素早く横っ飛びにかわした。

 そのまま少年は素早くステップを踏みまだ体勢を立て直しきっていない赤羽に殴りかかる。対して赤羽は頭上から振り下ろされた棒を右腕で受け止め、そのまま払いのけながら素早く立ち上がった。しかし金属棒での一撃は相当堪えたようで顔を歪めながら右腕を押さえている。

 

「ん?あぁ、こいつが赤羽少佐か。煩わしい人だと聞いてたが本当らしい」

「年上に対する礼儀がなってないなクソガキ。大人をからかうもんじゃないぞ」

「独り言に返事をしないでくださいやかましい。それに反論するなら自分の言葉で語りなさい。定型文のような言葉は聞きたくありません」

 

 一瞬の突き。間一髪赤羽はそれをかわすと右手を横に突き出し、隣を通過していく少年の顔面を掴み力任せに押し込んだ。

 頭部と下半身で逆向きの力がかかった少年の体はその場で空転し背中をしたたかに打ちつけた。そのまま赤羽が覆いかぶさり間接を極める。

 

「ふんっ!」

 

 しかし腕ひしぎ固めが決まる直前、少年が腕に取り付いた赤羽ごと持ち上げ強引に立ち上がった。

 

「……嘘だろ」

 

 次の瞬間、赤羽の体が宙を舞う。振り払われた勢いは尋常ではなく、今度は赤羽が背を壁に強く打ち付けた。

 肺の空気が一気に抜け、突然体が呼吸のしかたを忘れたかのように息ができなくなる。

 

「……うわ、とりあえず考えなしに筋肉だけつけた、そんな重さだ」

「げっほ……えおっ……バケモンかよ……」

 

 少年は少し息が乱れたように見えるが特にかまう様子もなくゆっくりと歩み寄ってくる。対して赤羽は忌々しげにそれを見上げ、近くに落ちている金属片や木片を手当たり次第に投げつけるが小石ほどの大きさも無いそれらは少年の足を止める力は無く、そもそも届いているものも少ない。

 

「ふぅ。これが()()か。海軍が没落したと言われても反論できませんね。吹雪といい冷泉少将といい、寄せ集めはろくなことにならない」

「……?吹雪?」

 

 少年は赤羽の前に立つと腕を組み、わざと赤羽に聞かせるかのように一人ごちた。赤羽は鳩尾を押さえながら予想外の名前が飛び出したことに驚いたような顔をする。

 

「は?聞いてたんですか?」

「なんで、あいつの名前が出てくんだ」

「まぁ、顔見知りなので」

「……んなわけ、あるか。お前みたいなのとあいつが……知り合いでたまるかってんだ」

「根拠は?ボクより彼女のこと知らないくせによく言えますね。感情論でしか話せないんですか?」

「あ?」

 

 赤羽の額を軽く蹴りながら少年が言う。

 

「ボクはあの子の元上官です。戦後、日本海軍は完全実力主義になったのは知ってますよね?特に艦娘と接する提督は適正さえあれば年齢は関係ありません。あぁ、ちなみにボクの今の階級は大佐なのであなたの上官にあたります。理解できますか?できますよね?」

「……なんだと」

 

 不意に赤羽の表情が変わる。

 

「お前……あいつの元上官だってのか」

「一度で理解してください。これだから体育会系は」

「一つ聞かせろ……お前、この資材……誰が集めたのかわかってんのか……?」

「質問まで低級ときた。まぁ、答えましょう。ここの艦達ですね」

「それがないと……あいつらが苦しむのをわかってるのか」

「ボクが許可した質問は一つだけです」

「うるせぇ!答え」

 

 その先の言葉は続かなかった。少年に頭を踏みつけられ無理矢理黙らされた。

 

「許可した質問は一つだけ、です。それにボクらは今この資材のことについて僕らの話をしてたはずでは?先に彼女の名前を出したのはボクですが、関係ない話です。論点のすり替えなんてして時間でも稼ぎたいんですか?」

「関係ないわけあるかよ」

「ありません。では今度はこちらが聞きますが、あなたは作戦を立てる時に拳銃の意見を求めるんですね?それが弾を使いたくないって言ったら戦わないんですね?」

 

 その瞬間、赤羽の目の色が変わった。

 

「言いやがったな」

 

 少年の足を払いのけながらよろよろと赤羽が立ち上がる。

 

「言いやがったなてめぇ。それは艦娘は兵器だ、艦娘の意見なんか関係ない、そういうことでいいんだな!?」

 

 少年は目を細め、小さく息をついた。

 

「艦……艦娘は喋るし心もあるようです。ですが大前提として彼女らは戦力です。本分を忘れた運用は効率を落とす。司令官としてそういうことはできませんね。ボクにはそういう前提があるので。なまじ人の姿をしているからそこを勘違いする人も少なからずいるようですが、職務を果たせない司令官にあたってしまう艦も気の毒ですよね」

「てめえぇ!」

 

 赤羽が激昂し殴りかかる。しかし怒りに任せた一撃は大振りで、かわすのは容易かった。少年は軽くステップを踏み拳を避け、話を続ける。

 

「あぁ野蛮、野蛮野蛮野蛮!反論できなくなったとたん拳に訴えるなんて!……ふ、ふぅ、そうですね、ちゃんと説明しましょう。彼女らは戦力、ボクらはその頭脳。そういう前提があります。極めて合理的な役割分担ではないですか。事実、ここ(第九)だってそうしてますよね。作戦は全部冷泉少将が立てているようですし、それに黙って従ってるあなた達にどうこう言われたって説得力がありません。何か間違ったこと言ってますか?」

「確かにそうだ。司令官と兵士じゃ仕事が違う。だがてめぇは兵士と兵器を一緒くたにしちまってるじゃねぇか!」

「人聞きの悪い。ボクは自分の仕事を全うしてるだけです。一回で理解してください。できないんですか?」

「それは全うって言わねぇよ」

「聞く耳無し、ですか。こんなのが軍にいるなんて……」

 

 少年は大儀そうに肩をすくめてみせると赤羽と改めて向き合った。その態度があまりにも大げさだったので、もはやわざとなのではないかと赤羽はひそかに眉をひそめた。

 

「では話を完結にまとめましょう。ボクはこれが欲しい。冷泉少将は持っていっていいと言っている、あなたの横槍、発言に合理性は無い。そういう状況です」

「だから邪魔すんなってか?断る」

「まぁわかってくれるとは思ってませんでしたけど」

 

 そういうと少年はそのまま一瞬で飛び出してきた。相変わらず人間の子どもの動きではない。目にもとまらぬ速さで繰り出される突きをじりじりと後退しながらさばく。反撃に出たいがかわすので精一杯であり、じりじりと後退していってしまう。もともと壁際近くに立っていたのもあって退路はない。

 

「そもそも寄せ集めに戦果なんて初めから期待してません。言いましたよね?役割分担です。いいじゃないですか。戦いに出ず資材収集。リスクの少ない仕事ですよ。爪弾き者の集まりなんですから、せめてそれくらいでもして役立ってくださいよ」

「てめっ……どこまで馬鹿にしやがんだ!」

 

 少年の言葉は赤羽の怒りを更に加速させた。その言葉からは悪気が感じられず、もはや自覚の無い侮蔑が感じ取れ尚更神経を逆撫でした。

 しかし少年の方もどうやらもう話し合う気は無いらしい。嘲るような視線を向けると未だふらつく赤羽へ早足で近づいていく。

 

「そんなふらふらで凄まれても、ね」

 

 腹部に衝撃。一瞬遅れて殴られたのを理解した。しかしその先が続かなかった。理解した瞬間、全身を衝撃が襲った。まず背中に一撃。そのまま頭、腕、顔、脚──全身を一斉にめった打ちにされたような衝撃が走った。同時に聴覚も容赦無く刺激され、何かが崩れ落ちたような、激しく金属がぶつかりあう音が耳を満たした。

 視界も刺激され、目が見えなく──いや、意識が遠のいていく。そのまま赤羽は存外あっさりと──意識を手放してしまった。

 

 ***

 

「それで?お前はそのまま一晩そこで寝ていた、と」

「何を白々しい」

 

 翌日、赤羽は取調べ室の机に向かっていた。頬には絆創膏が貼られ、頭には包帯、右目には眼帯と実に痛々しい見た目をしている。

 あれから赤羽は朝まで資材庫で気を失っていたようだった。朝になり、資材庫の様子を見に行った明石が崩れた資材の下敷きになっている赤羽を発見し、今に至る。

 冷泉は赤羽が資材庫に何かしらの工作をしようとしたと推察。調査を行ったところ資材庫から爆薬と壊れた通信機が発見された。結果、赤羽の容疑は深まり、取調室に連れてこられたわけだ。

 

「白々しいのはお前の方だ。ここまで証拠が揃っているのにまだそんな嘘を通すか」

「事実だ!」

 

 当然、冷泉も嘘を言っている自覚はあるはずだ。赤羽からすれば三文芝居もいいところである。少年が赤羽をそのまま放置していったのもことを荒立てたくなかっただろうか。死人が出た、よりは内部の人間の不始末にしておいた方が()()()()()()がいるからだろう。

 

「そういうのならばお前が無実だという証拠を見せろ。差出人不明のメモ、都合よく資材庫にいる私、果ては対人格闘の達人である侵入者。それも子ども。相手が私でなければすぐに病院送りもおかしくないほど意味不明な主張だという自覚があるか?」

 

 冷泉がこめかみを軽くつついてみせる。

 

「馬鹿にしやがって……」

「上官に対する言葉がなってないぞ」

「ケッ」

 

 あくまでしらを切り冷静さを欠かない冷泉の態度に赤羽の怒りは更に掻き立てられる。もはや激昂する段階すら越してしまった。

 

「じゃあ逆に聞くがお前があの時間あそこに居なかったって根拠はどこだ。アリバイは無いんだろ?」

「悪魔の証明か、相も変わらず頭の悪いことを言い出すな」

 

 苦し紛れの反論だった。恐らく冷泉にその証明はできないはずだがこの論法を持ち出すのは逆に自分の首を絞めるだけだ。

 

「まだ何か言うことはあるか?」

「俺はやってない」

「……営倉を開け」

 

 ***

 

「……何をしやがった」

「何のことだ?」

 

 鉄格子越しに赤羽が冷泉を睨みつける。あの後赤羽は別館の営倉へ連れて行かれた。営倉と言えば聞こえはいいが実態は牢獄だ。しばらく使われていなかったようで埃臭い。

 

「とぼけんな、お前は確かにあの時あの場にいた!」

「知らんな」

 

 赤羽が鉄格子を掴み激昂する。冷泉はそんな赤羽を相変わらずの冷たい視線で刺した。

 その時だった。突然営倉に勢いよく誰かが飛び込んできた。小柄な体躯にセーラー服──電だ。

 

「提督!た、大変なのです……!」

「どうした電、騒がしいぞ」

 

 そうとう急いで走ってきたようで肩で息をしており、途切れ途切れ発される言葉は何を言っているかわからない。

 

「落ち着け、何があった」

 

 電が黙って手に持っていた紙を冷泉に差し出す。その内容に冷泉は一瞬眉をひそめたがまたすぐにいつもの仏頂面に戻るとすぐに電に指示を出した。

 

「損害報告を早く終わらせるよう明石と夕張を急かせ。その後高雄を中心に準備委員会を設置。人事はあいつに一任していい。必ず開催に間に合わせろ」

「は……はい」

 

 冷泉の指示を受けた電は赤羽のほうを見向きもせずふらふらと営倉を後にしていった。恐らく赤羽と顔を合わせたくなかったのだろう。まるで後ろめたいことでもあるかのような雰囲気だった。

 

「……運の強いやつめ。次の‘定例会議’の会場がたった今ここに決まった。お前の処分はその後だ」

「何?」

「まぁ、お前にはさほど関係のある話ではないな。会議が終わるまでそこで大人しくしていろ」

 

 そう言って冷泉は営倉を出て行こうとした。が、すかさず赤羽がそれを呼び止める。

 

「おい待て!」

「……なんだ」

「最後に聞かせろ、何故資材を横流しした」

「何の話だ」

「答えろ!」

 

 冷泉が目を細める。

 

「……初めに言ったはずだが、何のことだかわからんな」

「てめぇ……」

「それではな。さらに忙しくなってしまった」

 

 そう言って冷泉が部屋を出て行く。

 

「俺は……」

「?」

 

 が、冷泉がドアノブに手をかけた時、また赤羽が口を開いた。

 

「もう俺はお前を認めない。お前にあいつらは任せられない」

「勝手にしろ。何を言うのも自由だが行動が伴わなくてはただの壮言に過ぎんぞ」

「ケッ」

 

 冷泉は振り返ることなく、今度こそ部屋を出て行った。

 




 お久しぶりです。ラケットコワスターです。極めてお久しぶりになってしまいました……前回の更新時には高校生だったのに今や大学生……何やってたんだろほんと……お待たせしました。ホントお待たせしましたすみません……
 ええと、そんなわけでめちゃんこ久しぶりの更新になった第八話、いかがだったでしょうか。だいぶ期間が空いたというのもあって色々と忘れてたり書き方かわってたりで結構苦心しました。特に後半。ぶっちゃけこのシーンを書いたり消したりで五ヶ月は使いました。マジです。うぅん難しかったよう……
 ……まぁとにかく、今後もちまちまと更新を続けていきたいと思ってます。営倉にぶちこまれてしまった赤羽、ここから起死回生はありうるのか!?ではでは次回をお楽しみに……


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第九話:静けさもくそもあるものか

 赤羽が営倉に入れられてから第九の時間は異常に速く過ぎていった。まるで塊のように不規則に時間が流れているように感じる。

 朝起きていきなり山積みの仕事を押し付けられた者が気づいた時には食堂で昼食を前にため息を吐き、その日の業務を全て中止し倉庫の整理を行う羽目になった者が次の瞬間には工廠の床に寝転ぶ──そんな妙な雰囲気が第九を覆っていた。

 

「……」

 

 やはり──何故──

 そんな中、冷泉はいつも通りだった。自分の執務室に引きこもり、先程届いた手紙を何度も何度も読み返しながらその度に眉間のしわを深めていった。

 

「提督?」

「!」

 

 珍しく不意をつかれたように冷泉が顔を上げる。その視線の先には高雄が立っていた。

 

「何の用だ、簡潔に頼むぞ」

「準備委員会の招集が終わりました。名簿です」

 

 事務的に告げると高雄は一枚の紙を取り出し、手渡さずに冷泉の机の上に置いた。数時間前に自身が命じた定例会議準備委員会の名簿だった。対して冷泉はそれをちらと見やり、内容をおおかた把握すると無愛想に高雄に返した。

 

「ご苦労。引き続き取り組め」

「……はい」

 

 いつになく威圧的な雰囲気の冷泉に高雄はややひるんだように見えたが、すぐにたて直すと書類を受け取り部屋を出て行った。

 そのまま執務室の扉をそっと閉めると高雄の口から大きなため息が漏れ出た。

 

「随分滅入ってるみたいだな」

「っ、と……」

 

 横から声が聞こえ反射的に口を塞ぐ。声の主を探すと隣の部屋の扉の前に日向が立っていた。高雄をからかってはいるものの当の日向自身もあまり元気がなさそうに見える。

 

「滅入らないわけないじゃない……朝起きてみれば資材庫はめちゃくちゃ、犯人は少佐で状況を理解する間もなく定例会議の準備委員長に任命されて……一気に仕事が増えたわ」

「それは私もさ」

「わかってるけど……」

 

 相手が日向だと気づき安心したのか急に愚痴っぽくなる高雄。対する日向も高雄の反応は想定内だったのか肩をすくめながら応える。

 そういう日向の腕にも書類が抱えられていたが、朝から働き通しの高雄は日向に何の仕事を振り当てたのか忘れかけていた。確か、日向なら大丈夫、とそれなりに重要な仕事を任せたはずなのだが、それすらど忘れする程疲労しているのか、とやや自分に辟易した。

 

「ところで、少佐には会ってきた?」

「あぁ。思ったより元気そうではあったがな」

 

 話題の終了を感じ取ると次に出たのは、やはりというべきか赤羽の話題だった。

 当然ながら昨夜の一件は赤羽と冷泉だけの問題ではなかった。朝、資材庫の様子を確認しに行った明石はそこで崩れ落ちた資材の山、そこに埋もれ重傷を負った赤羽を発見し、流石に頭を抱えたという。もとより第九に所属する者は多くなく、この話が伝播するのに時間はかからなかった。

 その話を受けた第九の面々の反応は一言で言うならば‘困惑’であった。それぞれがそれぞれの受け止め方をし、反応も変わっていたが皆根底にあるものはそれだった。

 

「それで、あなたはどう思うの?」

 

 高雄は手で“歩きながら話そう”と示し、廊下を少し進むといきなり切り出した。どう思う、とは勿論赤羽のことである。

 

「……正直、嘘をついているとは思えない。少佐は嘘をつくとき、独特の間を置いて話すからすぐわかる。それに、彼の話は辻褄があってないわけじゃない」

「そうね……むしろそういう点では提督の言っていることの方が無理があるのよね……結局少佐の動機は明らかにできなかったんでしょう?」

「あぁ。そこに関しては若葉が今取り調べてる最中だしな。流石にかんかんだったぞ」

「でしょうね……」

 

 無意識に顔を手で覆った。小さなため息とともに今与えられた情報を咀嚼する。

 

「ただ……それを差し引いても少佐の話は現実味に欠けるのよね。流石に大の大人を片腕だけで放り投げる子ども……っていうのは……ねぇ?」

「まぁ、そうだな」

「……どうなっちゃうんだろ」

 

 ふと、日向を前にして既に崩れかけていた高雄の口調が更に砕けた。高雄の微妙な変化を日向は敏感に感じ取り眉を少し上げた。

 

「何か不安ごとでもあるのか?」

「あなたはないの?」

「不安のない人生なんてあるはずがないさ」

「またそうやって茶化す」

「……何か妙なことが起こっている、とは思う。お互い気を張っていよう。用心にこしたことはないだろうさ」

「……」

 

 高雄は黙って頷いた。

 

 ***

 

「……」

 

 一方、高雄が居なくなった執務室では。書類を読むのをやめた冷泉が手帳に忙しなくペンを走らせていた。かと思えば突然別の書類を取り出しなにやらメモを書き込む。冷泉のデスクワークは第九にいる者であってもなかなか目にしないが、それでも冷泉が平時とは違う状況である、と一目でわかるほど忙しない様子だ。

 

「提督……」

「なんだ高雄。もう用はないはずだぞ」

「電です」

 

 唐突に届いた予想外の返事に反射的に顔を上げる。そこには電が立っていた。別に珍しいことではないがどうにも雰囲気がいつもと違った。いつもの小動物的な雰囲気をあまり感じさせず、かと言って毅然とした雰囲気であるわけでもない。

 しかしこういう時の電は決まって何か話がある。冷泉は電に聞こえないように小さく息をつくとまた手元の書類に顔を落とした。

 

「悪いが今は忙しい。話なら後にしてくれないか」

「ど……どうして少佐を閉じ込めたんですか」

 

 しかし電はおかまいなしに無理矢理話を切り出す。

 

「資材をどこかへ持ち出そうとしていたからだ」

「嘘……ですよね」

「……はぁ」

 

 今度は隠すことなくため息をついた。ペンから手を離し、改めて電を向き合う。

 

「電。()()()言ったはずだ。ここは地獄だぞ。それを承知でお前は残ったはずだ。今更異論を唱えるのか?」

「で、でも……」

「電」

 

 冷泉の語気が強まる。これまで何度も赤羽を黙らせてきた声だった。怒鳴るわけではないが聞く者の言葉を粉砕し無理矢理口をつぐませる嫌な雰囲気。電も例外なくひるんだ。

 それを境に冷泉はまた顔を落とす。もうこれ以上は話さない──電は冷泉の態度を瞬時にそう理解した。

 ──が。

 

「……この間の海戦……ありましたよね」

 

 電は退かない。自らを奮いたたせ、またも無理やり言葉を紡いだ。冷泉は答えない。

 

「あれを見て電は……もう何が()()()()なのかわからなくなったのです」

「……」

「だ、だから……一生懸命考えたのです。電にとって……な、何がいいことなのか」

 

 しかしなけなしの勇気はすぐに枯れ、電の声が震え始めた。電が何を言おうとしているのかなんとなく察しがついたのか、冷泉は何か思案するように目を閉じた。

 

「あの人達が何かしようとしてるんだと思います」

「ありえん。そうだとしても時期尚早だ」

「……ばれたら大変なことになるのです」

「ばれんさ。そこまで間抜けではない」

「……で、でもっ」

「電!」

 

 冷泉が声を上げた。突然のことに電は口をつぐみ沈黙が流れた。

 冷泉と電が互いを見つめ合う。二人の付き合いは第九の中では最も長く、深い。それだけに多くの秘密を共有しているのだ。電は──知っていた。初めから全て知っていたのだった。

 だからこそ。だからこそ彼女は動いてしまった。

 

「電。何度も同じことを言わせるな」

「それでも電は……や、やっぱり()()()の提督がいいのです!」

「……おい!」

 

 電はそう言うなり冷泉に背を向け走り去ってしまった。とっさに冷泉は手を伸ばすが届くはずもなく、空をかくだけだった。

 そのまま執務室に一人、冷泉だけが残され先程とは違った沈黙が流れる。

 その沈黙の中で冷泉は大きく舌打ちをすると椅子に体を預け、今日一番のため息をついた。

 

「また‘少佐’か……」

 

 ***

 

「だぁかぁらぁ……」

「ああもう……進まないな……」

 

 場所は変わって営倉。あの一件以来定例会議の準備と平行して赤羽の取調べが行われていた。取調べを行うのは最上と若葉。営倉の鉄格子を隔てて三人はここ数時間ずっと向き合っていた。

 

「俺はやってねぇっつってんじゃねぇかよ……信じてくれよ最上ぃ……」

 

 第九の中でも比較的仲の良い最上に疑われているというのは流石に堪えるようで、どこか赤羽の様子はしおれて見えた。

 

「そうは言ってもなぁ……今の僕の立場的に簡単にはうんって言えないんだよ……」

「そうだぞ。それに時間だって余ってるわけじゃないんだ」

「やってもないこと話せるわけねぇだろ……」

 

 申し訳なさそうに話す最上に対して若葉の言葉には棘があった。最上が赤羽の聴取役を名乗り出た際に日向の推薦で若葉も任命されたそうだが、最上の様子を見ていればその意図も容易に読み取れた。

 最上は他人に甘い節がある。それが彼女の長所でもあるのだが、こういう場においては余計な枷でしかない。対して若葉は資材庫がやられたと聞き、真相究明を誰よりも望んだ。おおよそ二人とも尋問には不向きな状態に思えるが、日向曰く“今取れる最善の人事”らしい。

 

「あの資材を集めるのにどれだけの時間を使ったと思ってるんだ……若葉の三日間を返せ……」

「うるせぇぇぇ!俺は無実だぁぁぁぁ!」

「ま、まぁ二人とも落ち着いて……ちょっと休憩しよ?ね?」

 

 しかし最善の人事とは言えそれは最悪の中の最善、そいうやつであり尋問は平行線だった。言葉が恨み節のようになってきている若葉に、ヒートアップし始めている赤羽。話がかみ合うはずもなく──堂々巡りになりはじめた尋問に最上が休憩を申し出た。

 

「……」

「……」

 

 鉄格子越しに赤羽と若葉がにらみ合う。昨日まで食事を共にする仲であったはずだが、事情が事情なだけに仕方ない。

 赤羽の犯行を受け多くの者が困惑したが少なくとも答えは出さなければならない。中には客観的な視点にこだわった者も居り、若葉もその一人だった。それゆえ若葉は尋問の前に“相手が少佐といえども容赦はしない”と宣言しており、あくまで赤羽を疑ってかかった。今の彼女にとってはこの事件に関わった者全てが怪しいのだ。

 

「わぁかぁばぁ……信じてくれよ……同じ器のラーメン食った仲じゃねぇかよ……」

「食べてない。若葉だって少佐を疑いたくはないが、今の状況じゃ一番少佐が怪しいからな」

「あんまりだ」

 

 最上の提案を受け入れ、尋問が中断されたが、それでも二人のぎすぎすした雰囲気は続いた。最上が今更ながら後悔したような顔をしていたが後の祭りだった。

 赤羽の尋問が始まってから相当な時間が経っていたが尋問は堂々巡り。赤羽としてはやってもないことを話せるわけがなかったが、若葉はあくまで公正に裁いているだけであり、どちらにも非がないだけにタチが悪かった。

 

「……と、ところでさ少佐。他の皆には会った?みんな忙しくてさぁ」

「定例会議だろ。冷泉が言ってた」

 

 苦し紛れに最上が話題を変えるが逆効果であったとすぐに悟った。赤羽の声色が明らかに不機嫌になったからである。

 

「……」

「……」

「……」

 

 気まずい。三人とも黙りこくってしまい、嫌な空気が流れる。元よりいい空気では無かったが更に重苦しくなってしまった。

 なんとか話題と空気を変えなければ──最上の目的はもうすっかり切り替わってしまった。しかしこの状況で何を言い出す?尋問を行っている時よりも頭が働いているのを感じた。

 

「……そういや……」

 

 最上が思案していると唐突に沈黙が破れた。破ったのは意外にも赤羽。空気を重くした責任を感じていた最上は勢い良く顔を上げ、赤羽の次の言葉を待った。

 

「その定例会議についてなんだが……」

「会議くらい空軍でもやってただろう?」

 

 若葉が噛み付く。

 

「ちげぇよそこじゃない。会場がここになったって話だ。なんつーか……冷泉は予想外って顔してた。あの反応からすると、ここが会場になるのって初めてなんじゃないか?なんでここが指定されたんだろうなぁって」

「あぁ……確かにね」

 

 最上はそう言うと再び沈黙が訪れるのを嫌い、聞かれてもいないのに海軍の定例会議について解説を始めた。せっかく見つけた話題を手放したくはなく、いつも以上に饒舌になる。

 曰く、戦後沢山作られた鎮守府、それらを地区毎にグループ分けし、さらにそれを束ねる大本営という構図ができ、第九はその中でも単冠湾グループの所属になる──

 

「あぁ……それは高雄から聞いた。鎮守府の数が随分増えたって話も」

「え、そう?ま、まぁそうだよね。ただ……いいことばかりじゃなかったんだ」

「というと?」

「今回みたいな件が何度も起こるようになったんだ。ちょっとした事件程度ならよかったんだけど……」

 

 最上がそこで突然口をつぐむ。最上の言葉が途切れたのを聞き若葉が反射的に顔を上げた。見ると宙を見つめ黙っている。その表情は何か思案するようにも見えた。

 

「最上?」

「……どうも、深海側に寝返る人が出てきちゃったみたいなんだよね」

「え?」

 

 若葉がため息をつき最上の言葉を引き継いだ。

 

「……深海について人類を裏切る提督が現れたんだ。そっちの方が()()みたいでな」

「……」

 

 それを聞き赤羽の表情が険しくなる。

 

「それから……年に一回、各鎮守府の提督達が集まって会議を開くようになった。一年の活動報告、今後の作戦展開……」

「そして相互監視のためか」

 

 赤羽の重苦しい言葉に若葉が頷く。

 

「そう。それが定例会議……なんだけど、確かに、第九が会場になったのって多分初めてだと思うんだよね」

 

 最上が会話に戻ってきた。先程ちらと見せた雰囲気はきれいさっぱりなくなっており少し違和感を感じる程だ。

 

「なるほどな、そりゃ冷泉も焦るわけだ……今回の一件がバレかねない」

「その前に少佐が突き出されるだろう」

「だからぁ……」

 

 そこまで話すと今度は赤羽が口をつぐんだ。そのままゆっくりと表情が「最悪」に変わっていく。

 つられて若葉と最上も赤羽の視線の先へ目をやる──と、営倉の入り口に浜風が立っていた。

 

「お疲れ様です」

 

 浜風はそう言いながら軽く会釈した。何か用事があるのか営倉へ歩みよってくる。一歩毎に赤羽の表情が至極嫌そうな顔に変わっていくがおかまいなしだった。

 

「あ……取り込み中でした?」

「いや、まぁ……一息ついてたとこ」

「高雄が呼んでました。準備の件で話があると……」

「あ、そう?あー……でも少佐は……」

「私が引き受けますよ。ちょうど仕事終わったところですし」

「そっか」

 

 ***

 

「……」

「……」

 

 高雄から呼び出しを受けた二人はさっさと営倉を出て行ってしまった。最上がすぐ出て行くのは予想通りだったが若葉まで出て行ってしまい、赤羽にとっては最悪な状況になってしまった。

 浜風が振り返る。するとすぐにもはや形容しがたい表情になっている赤羽が視界に映った。

 

「……さて?」

 

 浜風が手近な椅子に腰掛ける。

 

「詳しく話してもらいますよ」

「おれやってない」

「それだけ言われても話が進まないんですが……」

「……やってもねぇことをどう話せってんだよ」

 

 赤羽が小さく呻き顔を手で覆う。それを見て浜風もため息をついた。

 

「そう言われても、少佐の証言には反証材料が多すぎるんですよ……」

「冷泉の言葉を信じるのか」

「少佐の証言に比べればまだマシなことを言ってます」

「……くそ、頭でっかちめ」

 

 悪態をつき鉄格子を殴りつける。瞬間、赤羽が顔を歪めた。

 

「痛かったんですか?」

「うっせぇ!」

 

 赤羽も浜風も、もううんざりだと言わんばかりの顔をしていた。真実に照らし合わせればこれ以上ない時間の無駄使いをしているのだが、浜風がそれに気づくことはできないし赤羽にもそれを証明する手段はない。時間だけが無駄に過ぎていった。

 

「それで、消えた資材はどこへ?」

「冷泉に聞け」

 

 今日だけで何度したかわからない返事を叩きつけるように浜風に返すと視線を落とし、そのまま黙り込んだ。

 何故信用してもらえないのか。そう考えるとみじめなものだが、日頃の行いと言われるとそれまでである。反省はしても後悔はしない──とは赤羽のポリシーではあるが、もう少し素行に気をつけておくべきだったと後悔を感じ始めていた。

 

「……しょうがねぇだろそれが俺なんだから……」

「何か言いました?」

「別に」

 

 搾り出すように呟いた赤羽の言葉は誰にも届くことはなかった。届かなくていいのだが。

 

「あの……」

 

 その時だった。不意に赤羽の浜風の耳に声が届く。顔を上げると先程まで浜風が立っていた場所に電が立っていた。

 

「電……?」

「電じゃないか、どうしたよ?」

「今……お時間ありますか……」

「え?」

 

 電は伏し目がちにゆっくりと部屋に入ってきた。何やらただならぬ雰囲気をまとっている。

 歩きながら呟くようにそう告げると顔を上げる。少し自身が無いように震えて見えたが、その瞳には何か今までと違うものが感じ取れた。

 何か重要な用事がある。そう感じ自然と二人とも身構えた。

 

「提督……冷泉さんについて……聞いて欲しいことがあるのです」




 こんにちは!(久しぶりのあいさつ)ラケットコワスターです。今回はさほどお待たせしませんでしたハイ。
 えー、さて、第九話、いかがだったでしょうか。今回は本来プロットになかった部分を急遽入れた回だったのですがその割にはまとまってる方……なのかな?何気に重要なシーンも入ってますしね。電ちゃん何言う気なの……
 やっとここまで来た……って感じです。言うなれば第一チェックポイント。遅っせぇ。そんなわけで次回はついに明かされる電と冷泉の過去。電は何故冷泉の傍にいるのか。お楽しみに!


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第十話:マイ・アドミラル

 

「今……なんて?」

「提督について、聞いて欲しいことがあるのです」

 

 青天の霹靂とも言える告白だった。電が一人でここを訪れたこともそうだが、提督──冷泉に関する話がある、と。

 赤羽も浜風も電の様子に思わず緊張した。これまで電とは何度も顔を合わせてきたし話もしたがこんな雰囲気は初めてだ。さて、どんな話題が飛び出すのか──

 しかし紡がれた言葉は二人にとって少し意外なものだった。

 

「電が秘書艦さんになった時のことなのです」

「秘書艦になった時の話?」

 

 浜風が怪訝そうな顔をする。そんな浜風の様子を見て赤羽も更に首をかしげた。

 浜風がこのような反応をするということは──浜風も知らないのだろうか。目の前の電が秘書艦として冷泉に付き従う訳を。第九の面々が渋い顔をしてきた中、彼女だけが構わず冷泉に付いてきたその理由を。

 電は第九の中でも最古参と聞く。ならば相応のことを知っているはずだ。

 

「提督は……あの人は電の命の恩人なのです」

 

 予想外の返答だった。あの冷血な鉄仮面が電の、この可憐な少女の命の恩人だと言うのだ。にわかには信じがたい。

 

「……どういう……ことなんだ?」

 

 電はそのまま黙り、少し考えこんだがやがて意を決したように赤羽と向き合った。

 

「……今からちょっと前の話なのです」

 

 ***

 

「第三艦隊、出撃だ」

「……えっ」

 

 提督の冷たい声が飛ぶ。それに向かいあった艦娘は小さく声を漏らした。

 電はもともと第九とは別の鎮守府の所属だった。第九より資金も人材も潤沢だったがそれを束ねる提督はいささか厳しすぎる人間だった。

 

「て……提督さん!今私達が出撃するわけには……!小破三人に中破二人……!これではろくに戦えません!」

 

 提督と向き合った艦娘が異議を唱える。電は第三艦隊に所属しており、電の目の前で食い下がる軽巡洋艦娘はその旗艦、電らのリーダーにあたる。

 提督の命令にも異を唱えるだけの芯の強さ、リーダーシップの高さから人望は厚く、電にとって憧れの一人だった。

 

「大丈夫だ、お前達の役目は敵戦力の弱体化、はなから大戦果など期待しておらん。敵戦力を削いでくるだけでいい」

「で、ですが……!」

「くどいぞ、他の艦隊は既に皆出撃している。お前達も早く行け」

「……!」

 

 結局、艦娘の方が先に折れた。

 その日はひどい天気だった。海は大荒れでいつも以上に航行が難しく、電らの任務も非常に厳しいものだった。

 どこかの鎮守府の提督が非常に重要な作戦で失敗し、その分の挽回をする──電らはそう説明されていた。なんでも、深海棲艦の大規模な棲地を攻撃し、南方海域のかなり広範囲な制海権を奪い返すことを目的とした一大作戦だったそうだが、結果は人類側の大敗。計り知れない程の損害が出たという。

 

「……」

 

 そのまま電ら第三艦隊は決して万全とは言えない状態ながら鎮守府を追い出されるように出撃し、ふらふらと目的地を目指し始めた。

 電も例外ではなく、痛む体を無理矢理動かし、前へ、前へと進んでいく。

 

「……っ」

 

 既に旗艦の艦娘も同様の状況であり、とても艦隊とは呼べない程ひどい有様だった。

 しかし電らに与えられた任務はあくまで主力艦隊の補佐。露払いを命じられ、本格的な戦闘はこなす必要がない──そういう理屈なのだそうだ。

 

「……大丈夫ですか?」

「……あぁ、電ちゃん。大丈夫、安心して」

 

 見ていられなくなった電が声をかける。対して艦娘は優しく微笑むだけだった。

 

「……本当に?」

「ええ。心配かけてごめんね」

「……」

「そんな顔しないで。さぁ、そろそろ戦闘海域に入るわ。慎重にいきましょう。ね?」

 

 艦娘がそう言うと、いつの間にか戦闘海域に足を踏み入れていたことに気づいた。艦隊に緊張が走る。電が艤装を構えると、まるで待っていたかのように深海棲艦が姿を現した。いずれも低級な個体ばかりで強力な集団ではないが今の艦隊の状況を考えると油断はできない。

 相手の数を分析する。それなりに数はいそうだ。そう確認すると、艦娘が旗艦らしく勇ましく声を張り上げた。

 

「砲雷撃戦!始めます!」

 

 ***

 

 戦いはすぐに激しくなった。電らもボロボロだったが蓋を開けてみれば他の艦隊も皆同じだった。主力の第一艦隊もすでにどこかで交戦していたらしく、電らほどではないにしろ傷だらけ、普段なら負けない相手でも士気の低さから本当に勝てるのか怪しい状況だった。

 

「うっ」

「電ちゃん!?」

 

 そのうち電も被弾した。幸い、大事に至るような損害ではなかったが──

 

「誰か!誰か電ちゃんを!」

 

 囲まれた。

 

「えっ……えっ?」

 

 今まで経験したことのない状況だった。右を見ても左を見ても敵しかいない。どこを撃つべきなのか、いやそもそもうかつに撃っていいのか、それすらわからなくなる。電は完全にパニックを起こしてしまった。

 

「まずい!このままじゃ……!」

 

 敵の動きが一瞬止まる。この動きが何を示すかわからない電ではない。

 前、後ろ、右左──四方八方から砲を向けられ、照準を合わされていることがわかってしまう。何とかしなければ。そう思う思考とは反対に、吐き気がこみあげてきて体は動かない。

 

「やだ……やだ……」

「電ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 

 突然横に強く突き飛ばされた。そのすぐ後に敵が砲弾を撃った音が耳に届く。視界の片隅で砲弾がかすめていったのが見えた。

 

「うっ……」

 

 突き飛ばされたおかげで電の被弾はなかった。

 しかし──。

 

「!」

 

 顔を上げると艦娘がさっきまで電が立っていた所に立っていた。

 既に混乱している電の思考が必死に情報を収集する。そこにいるのは艦隊の旗艦、純白の美しい髪は風になびき、口元に優しい微笑をたたえ、電の前に立ち、その背中には──

 何発もの砲弾が着弾した痛々しい跡ができていた。よく見ると二、三不発弾も突き刺さっている。

 

「だ……大……大丈夫?」

「な、なんで!なんでこんな……!これじゃあなたが……!」

「だって……電、ちゃん……は……私……の……大事な……」

 

 息も絶え絶えで立てているのが不思議に感じられた。冷や水でもかけられたように急速にその機能を回復させられた電の思考が状況を理解してしまう。この艦娘は今自分をかばったのだ。電の代わりに甚大な被害を被ったのだ。

 それなのに艦娘は電に優しく微笑みかける。電の無事を喜ぶ。ちょうど──その時だった。

 

「渦潮だ!退避、退避ぃぃぃぃぃッ!」

 

 もともと酷い天気で海が荒れていたからか、突然渦潮が発生した。少なくとも電が見てきた中ではかなりのサイズであり、、既に何体か深海棲艦が飲み込まれていた。

 電の本能がすぐに警鐘を乱打する。体勢を立て直し、一刻も早く渦潮から離れようとする──しかし、艦娘の方はもう逃げられるだけの余力が残っていないように見えた。

 

「……っ!捕まってください!」

「い……電ちゃん……?……いいのよ、もう……いい、わ。私のことは……いい……から……」

「嫌だ!嫌なのです!」

 

 電は無理やり艦娘の腕を掴み、他の艦娘がしていたのを思い出したようにその腕を肩にまわした。が、もうその頃には渦潮がすぐ後ろにまで迫ってきていた。

 

「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 結局、電らはそのまま渦に飲まれた。全身を圧迫するような圧力に襲われる。水は電の体を圧し、捻り、押し流す。そうこうしている内に電の意識は途切れた。

 

 ***

 

「……う、」

 

 電が再び目を覚ますとそこは砂浜だった。なんとか立ち上がってあたりを見回してみると、遠くに大きな建物が見えた。あとでわかったことだが、電は第九の近くの砂浜に流れ着いていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 渦に飲まれて電はボロボロだった。近くにあの艦娘の姿はなく、一人ぼっちだった。

 全身が平等にはげしく痛んだ。腹の虫も空腹を訴える。心は寂しさを叫び、頭は恐怖を呟き続けた。

 やがて眠くもなってきた。電は倒れるようにに寝転んでしまった。

 ――私、死んじゃうのかな。

 とうとうそんな風に考え始める。

 ――が。

 

「……大丈夫か」

 

 突然上から声をかけられた。瞳を動かして見てみると、一人の男性が電を見おろしていた。どういうわけか肩で息をしていて、電が反応したのを見て安心したのか少し口角が上がった。

 

「……」

 

 もう電に返事をするだけの力はなかった。男は電を優しく抱き上げるとゆっくりと歩き始めた。とても、とても優しく。

 電はそのまま眠ってしまった。今思うと気絶したのかもしれない。 

 

「……っ」

 

 次に目が覚めた時はベッドの上だった。次に内装がやや豪華な室内の様子が視界に映る。電が寝かせられていたベッドの他に大した物はなく、内装の割に狭くやや寂しい部屋だった。

 

「……目が覚めたか」

 

 隣から聞こえてきた声に素早く反応するとベッドに隣接するように置かれていた机に先程の男が向かっていた。電の方を見ることはなく、無感情に書類の上にペンを走らせている。

 

「あなたは……」

「私は冷泉。冷泉君彦という」

 

 男はそこで初めてペンを置き、電と向き合った。気難しそうな表情に、眉間に浅くしわを寄せていたが不思議と威圧感は感じなかった。

 

「冷泉……さん……」

「あぁ。そうだ」

「……!あっ!あの(ひと)は、あの(ひと)はどこに!?」

 

 自分が置かれている状況を理解すると、電の思考は即座に沢山の質問を引き出してきた。電は自分でもやや混乱したまま、勢いに流されるようにあの艦娘の安否を問うた。

 冷泉はその言葉を受けるとほんの少し目を見開き、そのままゆっくり視線を外した。やがて、視線を落としたまま、言いづらそうに、搾り出すようにこう言った。

 

「……すまないが……君以外には誰にも会わなかった」

「……そんな」

 

 冷泉の言葉にやっと冷静さを取り戻しつつあった頭が即座に真っ白になった。何も考えられなくなり、気づいた時には冷泉の制止をふりほどいて部屋から飛び出していた。

 

「ま、待てッ!まだその怪我では……!」

 

 背後から冷泉の焦ったような制止が届く。聞こえなかったわけではないが、電はそれを無視し走り続けた。

 今思うとあの時何を思っていたかはもう覚えていない。あの艦娘を助けることだけを考えていたのかもしれないし、ひょっとすると絶望感を振り払うためだけに何も考えず走っていたかもしれない。

 

「はぁ……はぁ……どこです……どこですか!」

 

 どのルートを通ったか覚えてはいないが気づくと先程自分が流れ着いた砂浜に着いていた。既に夜は更けており、見通しは非常に悪かった。

 砂浜に着くと電は一瞬呆けたが思い出したようにあの艦娘を探し始めた。名前を呼び、周囲を見渡し、走り回る。しかし、荒れた海に叫び声はかき消され、夜が更けた砂浜の見晴らしなどいいはずもなく、元より傷だらけの足で走れる砂浜の範囲はたかが知れている。

 

「……っあっ!」

 

 案の定、脚が機能を停止した。電はその場に倒れこみ、激しく痛む脚の状況を理解できず、疑問符を投げかけるばかりだった。

 その時だ。

 

「……う、嘘……」

 

 夜の闇に紛れた海が本性を現した。明るくて見通しがよかったらすぐ気づいてたはずだが、気が動転していたのと見通しが悪かったのでその時の電にはすぐに何が起こっているのか理解できなかった。

 嫌な気配に気づき横を向くと、目と鼻の先に高波が迫ってきていた。

 

「うッ!……うぐぅッ……」

 

 再びどす黒い水に呑まれた。激しい水の流れにめちゃくちゃに流され、身動きがとれなくなる。

 ――せっかくあの(ひと)やあの人に助けてもらった命なのに。こんなことで、自分が馬鹿だったから捨てることになるなんて。

 電は今度こそ死を覚悟した。

 

「!?」

 

 が、またしてもその覚悟は杞憂に終わる。もみくちゃにされている最中、突然腕の一部に水によるものではない圧力を感じた。そしてそのまま水の流れに反して体が動き、肺に空気が一気に入ってきた。

 一瞬置いて、自分が水中から引き上げられたのだと理解する。

 

「馬鹿なことを……」

 

 安堵したような声が聞こえた。冷泉だった。電はまた──この男に助けられたのだった。

 

「冷泉……さん……」

「君が探している人物については本当に申し訳ない。だが……今は君の命が大事だ。君が命を落とすことなど、彼女(・・)が望むか……?」

 

 冷泉は電を高台まで連れていき、そこで肩を優しく掴み電と向き合うとそう言った。

 

「うっ……ううっ……うあっ……」

 

 電はもう限界だった。そして、彼女が恐らくもう生きていないこともわかってしまった。

 

「うあ……あっ、ゆ……由良さん……由良さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 そこからはあっという間だった。これまで泣く暇も無かった分、わけもわからない量の涙が一気にあふれ出てきた。

 その涙に理性が溶かされたかのように電はあの艦娘の名前を叫び、泣き続けた。何度も、何度も叫んで泣いた。冷泉はそんな電が泣き止むまで黙って傍に居続けた。

 どれほど泣いたかはわからない。だが、このまま泣き止むことはないのではないだろうかという程涙は出た。涙が枯れるとは言うが、あれは嘘だと思った。

 

 ***

 

「さて……君はこれからどうする?」

 

 電が泣き止んだ頃、そっと冷泉が話しかけてきた。既に日は昇っており、冷泉の表情もよく見れた。

 

「……前居た所には帰りたくないのです」

「何故だ」

 

 電にはもう元の場所に戻るつもりは無かった。上手く説明はできないが絶対に戻りたくなかった。

 

「……前居た所はとてもつらかったのです。きっと……帰っても電はまたつらい思いをするだけなのです。それは嫌なのです」

「ならばどうする?街にでも行ってみるか?」

「……冷泉さんの所にいさせてください」

 

 電の答えに冷泉はとても驚いた顔をした。まるで予想外だったとでも言わんばかりの反応だ。

 

「私の所は地獄だぞ……恐らく君が元いた鎮守府よりもずっと、だ。それこそ私の所へ来たって辛い思いをするだけだ。君の為にもそれは許可できない」

「でも……!私は……!」

 

 電は引き下がらなかった。この人なら。自分のことを助けてくれて、見ず知らずの自分にここまでしてくれたこの人ならどんなに辛く厳しくてもいいと思えた。

 対して冷泉の反応は鈍い。返答を濁らせ、視線を合わせようとしない。

 

「……しかしだな……」

「お願いします!」

「……」

 

 ***

 

「そんなことが……あったのか」

 

 話を聞き終えた赤羽はかつて冷泉が電に見せた驚いた表情と同じ顔をしていた。

 

「はい……私はあの(ひと)と提督のおかげでここにいるのです」

「……だが……まだ気にかかる。冷泉が本当にそんないい奴ならなんでわざわざあんな嫌われるような真似をするんだ?」

 

 赤羽の一番の疑問はそこだった。冷泉はまるで好かれたくないかのように自分から嫌われるようなことをしているようにすら思える。何か理由があるのだろうか。

 その質問をされると電は口をつぐんだ。そしてそのまままた赤羽から視線をそらし、ゆっくりと口を開き答えをよこした。

 

「それは……電の口からは言えないのです」

「知ってるのか」

 

 電は“知らない”とは言わなかった。知っているのだ。この駆逐艦は──冷泉君彦が何故ああなってしまったのか、その理由を知っているのだ。

 

「……提督は……自分は好かれていい人間ではない、と……」

「どういうことだ」

 

 それ以上電が赤羽の質問に答えることはなかった。赤羽は話を続けるのを諦め、簡単に礼を述べた。浜風がまだ何か言いたげだったが、電と目が合うと黙り込んでしまった。

 電はそれを会話の終了と判断したのか、そのままそっと部屋を出ていった。

 

「提督……今度は……電が提督を助けてみせるのです……!」

 

 部屋を出た後、厚い扉を背に電はぽつりと独り言を漏らした。

 

 ***

 

「……どう思う」

「は?」

 

 電が部屋を飛び出して行き、代わりに訪れた静寂の中、唐突に赤羽が口を開いた。そのあまりの脈絡のない口ぶりに浜風は一瞬混乱した。

 見ると格子の中の赤羽が珍しく真面目な顔をしている。一瞬だが、どこか冷泉に似た瞳をしているように見えた。

 

「どうって」

「なぁんだよなんも思うトコないのかよ」

 

 浜風が一瞬赤羽に不穏なものを感じたのも束の間、瞬きをするといつものアホ面に戻っていた。まるで今見たものが浜風の見間違いであったかのように。いや、実際そうだったのかもしれない。

 赤羽はそのまま大げさなため息をつくとだいぶくつろいだ様子で牢の中のござに転がった。自室のようなだらけっぷりである。

 浜風はそんな赤羽の姿に渋い顔をしながら一人思案を再開した。

 先程は赤羽の雰囲気に気をとられ返答に濁ったが、浜風とて思うところがないわけではない。電との付き合いは少なくとも赤羽よりは長いのだ。様子がおかしいことに気づかないはずはない。

 電のこれまでの第九での振舞いを一言で表すならば‘沈黙’。秘書艦としてただひたすらに冷泉についてきた。第九の中で、電ただ一人がずっと冷泉の傍に──

 だとするとこのタイミングで電がこの話をしたということは?そこには誰のどんな意図があるのだろうか?

 

「下手すっと今、電は冷泉とは関係無しに動いてるのかもしれねぇぞ」

「少佐もそう思いますか。でも電に限ってそんなことが……」

 

 赤羽が勢い良く起き上がる。

 

「なんか心当たりないのか?電のことはお前の方が詳しいだろ?」

「うぅん……」

「わかんねぇのかよ……」

 

 赤羽が露骨に失望したような顔をする。しかし赤羽とて浜風が電のことを把握しているとは思っていないだろう。非難というよりはからかいだと浜風は受け取り、お返しと言わんばかりに大きなため息をついた。

 

「どんなハラがあんのか……策士なんてキャラでもないだろ」

「……」

 

 二人とも神妙な面持ちで黙り込む。思案するように俯いた。

 

「……ていうかちょっと待ってくださいよ」

 

 が、それから間もないうちに突然浜風が沈黙を破った。

 

「そもそも少佐の取調べの最中だったはずでは?」

「はァーッ思い出しやがった!そこはそのまま大人しく考えててくれよ……」

「は、はぁ!?ごまかそうとしてたんですか!?」

「え、あぁいやそういうつもりじゃないんだが……」

「本当ですかぁ……?」

「勘弁しろよ俺だって流石に疲れてんだよ……」

「そうは言っても現状少佐を疑わざるを得ないんですよ……」

「ああもうやめろ!聞き飽きたわ!」

「こっちだってもうやめたいんですよこの水掛け論は!」

「じゃやめりゃいいじゃねぇか俺はやってねぇっての!」

「営倉に入ってる人の話なんて信じられますか!?」

「うっせぇ!もう信じてもらわなくて結構ですゥー!」

「このッ……はぁ、もういいです。今日のところはここまでにしておきます。あ、そうそう。今日、間宮さん休暇を取ってしまってるので食事はありませんよ」

 

 そう言って浜風が席を立つ。再び赤羽と向き合った時には非常に穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「えっ、は?マジ?お前らはどうすんの?」

「このあと街へ出ようかと」

「……悪いんだけどさ。そのぉ、俺の分って」

「営倉に入ってる人って何するかわかりませんしねぇ……」

 

 そういうと浜風はくるりと踵を返して部屋を出て行く。

 

「あーッ!ちょっ、待て、待って!浜風さん!?ごめん!俺が悪かった、悪かったってぇ!ラボール巻きぃぃぃ!」

 

 ***

 

 ──今から数年ほど前の話だ。

 

「……」

「……あ」

 

 男と女の目が合った。ほんの数分の短い話だが、それはこの出来事から始まる。

 

「……艦娘か」

 

 忘れることなどできない。その日は息をするのも憂鬱な程の曇り空だった。もとより気分のいい場所にいるわけでもないので気にはしなかったが、それでも散歩に出ようかと考えた程だったのできっと滅入っていたのだろう。

 だからだろうか。海岸線で倒れている艦娘を見つけた時、男は驚きこそしたが、取り乱すようなことはなかった。

 男の小さく呟くような声に反応し艦娘が顔を上げた。瞳の光は既に消えかかっており、肩を震わす割に浅い息は、もう彼女が長くはもたないだろうということを示していた。

 

「……海軍の人……ですか」

「まぁ、そんなところだ」

 

 男が無感情な声で答える。艦娘の顔が安堵したようにほころんだが、反対に男は目を伏せた。

 この後この艦娘が何を要求してくるか想像に難くはない。だが、男にはその要求に応えてやれるだけの力も余裕もない。

 だからこそ男は目をそらした。相手の失望する顔を見たくはなかったからだ。

 

「……すまないが、君を助けることは」

「あの子を……助けてあげてください」

「……何?」

 

 思わず顔を上げる。

 

「多分……この近くに私っ、と、同じ……ように駆逐艦の子が……いる、はずです」

「駆逐艦?」

「い……いな、ずまちゃん、って、言い、ます。はぁ……ど、どう、っか……お願いします!」

 

 男はこめかみに汗が滲み顔を伝っていくのを感じた。目の前の艦娘から発されるそのあまりにも強すぎる意志の力に圧倒されているのだ、そう気づくのに時間を要するほど彼女の気迫に呑まれてしまったのだった。

 思わず後ずさる。そうさせた心の働きは果たして前向きなのか後ろ向きなのか。少なくとも男の心に畏れがあったのは間違いない。

 

「待っ……て!」

 

 男の足首を艦娘の手が掴む。簡単に振りほどけるほどの弱々しい力のはずなのに男の動きが止まった。

 艦娘が頭を上げ、血にまみれた顔に鬼気迫る表情を浮かべながら男に縋るその姿は、男がこれまで見てきた何よりも凄まじく、熾烈だった。

 

「……」

「……おねがい……しま……す」

 

 小さな呟き。消え入るような言葉だったがいやに耳に響いた。そして──その呟きを最後に艦娘は事切れたように倒れこみ、気づけば男の足も自由になっていた。

 

「……ッ!おい、おいッ!」

 

 男がやっとそう叫んだ時にはもう、そこには彼しかいなかった。恐らく艦娘はあのまま波にさらわれてしまったのだろう。目の前にいたはずなのにその瞬間を見ていない、覚えていないというのは──自分のことながらめちゃくちゃだった。

 

「……」

 

 男の思考はそうしてひどくゆっくりと再始動した。自分はこれからどうするべきか。真っ先にそう考えた。あの艦娘の影響か。そうならば──

 男は踵を返し走り始めた。あの艦娘に報いなければ、という使命感があったわけではないが流石に無視できる程非情な人間ではない。

 もう一人流れ着いている保障はない。しかし探せるだけ探してやろう。男は広い海岸線を走った。もし流れ着いているなら時間はあまり残されていない。

 

「……!」

 

 そして見つけた。大分遠くまで走ったように思う。肩で息をする男の視線の先には小柄な艦娘が倒れていた。ゆっくりと歩み寄り、顔を覗きこむ。弱々しく相手の瞳が動き、男の顔を捉えた。

 

「……大丈夫か」

 

 

 

 

 

 

 

 




 こんにちは!ラケットコワスターです。祝☆十話突破。いかがだったでしょうか。
 今回はついに電の過去について明かされました。割と重たい出会いだったんですね。やっと書けましたホント……今回一部の文は以前書き溜めてたのをそのまま流用してるので一部高校生の時書いた文が混じってるんですよねぇ(執筆秘話)。
 やっと本格的に物語が動き始めました。何やら不穏な空気の定例会議、覚悟を決めた電、そして営倉でアホ面を晒す赤羽……今後どうなるのでしょうか。それでは次回をお楽しみに!


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