Plains Walker -次元世界遊歩道中- (sasandra)
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はじめに

この作品は、作者の「MTGのデッキを操る能力のある人間を異世界に転移させてみる」という妄想から端を発しております。9割9分お遊びでやっておりますので、作者が面白くなるようにご都合主義満載、矛盾するような設定が満載です。そのような作品がお気に食わない方は、そっと「戻る」ボタンを押すことをお勧めいたします。

 

この作品における「MTGのデッキを操る能力」とは

 

デッキを操るというからには「山札からカードを引いてプレイする」という現実のMTGを想像される方がいらっしゃるでしょう。しかし、作者は作品の主人公がいちいち山札を用意して、カードを一枚ごと引いてきて、マナ数やら呪文に必要な計算して、呪文をプレイする。というようなまどろっこしい方法はとりたくありません。ですから、本作品では「MTG」を取り入れるに当たり、以下のような法則、考えを適応します。

 

・デッキは目に見えない非実体で、『何か』に搭載

本作品ではデッキのカードを「呪文化」して、主人公はその呪文を覚えて唱えることができるという設定にします。デッキを現物化したら大きな弱点になりますし。

追記:ただし、物語の設定上カードは単体では登場させます。あくまで、バラ単位ではありますが。

 

・召喚済みのクリーチャーは主人公の好きな時に墓地に置くことができる

まぁこれはなかったら不便ですので。

 

・ルール上の各フェイズの曖昧化

現実の行動に照らしてみると、1ターン=何分なんて換算は難しいです。お話のその場その場に合わせて作者が独断と偏見で推移させていきたいと思います。原則、アンタップ、アップキープ、ドローなんていう各フェイズは撤廃します。しかし、場合によっては、その概念を持ち出す場合があるかもしれない事をあらかじめここで宣言しておきます。

 

・作中の雰囲気や成り行きでご都合主義を持ち出す可能性あり

一応なるべく起こさないようにしますが、執筆中に熱きソウルが暴発して、ご都合主義がでてくるかもしれません。

 

・新規エキスパンションは随時取り入れ

この作品を完結することができるかどうかはわかりませんが、連載中に新たに発売されたエキスパンションのカードも投入していく予定です。作者が面白いと感じた物は最新のエキスパンションでも登場します。『明らかに主人公コレ知らねぇだろ』という突っ込みはご容赦願います。

【20191020追記】

流石にもう新カードを使って物語がどうこうする思考までリソース、気力が無いです。新エキスパンション出るたびに新カードをしゃぶしゃぶ突っ込むような事はもはやないです。ですが、もしかしたら、もしかしたらすると何枚かは入れるかもしれません、とか逃げ道を用意してみたり。

 

 

その他蛇足

・作者は元MTGプレイヤー(そして今後も再開するつもりもない)

作者は学生の時にMTGをやったことがある元プレイヤーです。ですので、現在のMTGの状況等は把握しておりません。作品中の記述や設定が、現状のMTGの設定やルールと矛盾する点があるかもしれないので、あらかじめご承知をお願い致します。



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第一章 浄化の儀式と災厄の流星
001:転移


言い訳がましいですが、今作が処女作となります。
なにとぞご容赦を。


 太陽が地平線に沈みかかり、空の支配者が橙色の夕暮れ模様から、夜の帳に変わろうとしている頃。道々の電燈が、濃くなりだした闇の浸食を食い止めようと必死の抵抗を試みている下を、一人の青年が物がいっぱいに入っているリュックサックを背負って歩いている。両手には手提げ袋、トートバッグ、スーパーの袋、風呂敷の包みをぶら下げていて、これらも物が目いっぱい詰め込められている。挙句の果てには、青年の履いているカーゴパンツのポケットすら、ひとつ残らず詰め込められていた。

 まわりは不安を掻き立てずにはいられない薄暗さだというのに、青年はそんな事も気にせずに、満足のほくほく顔で歩いている。持っている物を投網かクーラーボックスに変えてみて、この人物は獲物が大量で満足している漁師(もしくは釣り師)だ、と説明してもなんら違和感は感じられないであろう。

 

「大漁、大漁っと」

 

と、過去同じ心境にあった漁師達が幾度となく吐いたであろう定番のセリフを言い、帰り道をご機嫌のステップを踏みながら青年は歩く。時折、青年の顔に横切る車のライトの光が当たり、青年の幸福そうな表情を一層際立たせた。

 

「山岡さんがマジックをやめるって聞いたときは驚いたけど、こんなにカードもらえるとは思わなかったな。エントリーセットも買ったし、崇のやつと思う存分ゲームできるぞ。それにしても崇のヤツ、初回のデッキ構築からこんなにカードが選べるなんて、なんて恵まれてるんだ」

 

 青年が運んでいる荷物の中は大量のカードの束が詰まっている。このカードの束はトレーディングカードゲーム、マジック・ザ・ギャザリング(以降MTGと省略)という名前の遊戯で使われる物である。MTGは基本的に1対1で遊ばれる。各プレイヤーは最低60枚からなるカードの集まり、「デッキ」と呼ばれるカードの束を使って、お互いを倒す。MTGの最大の醍醐味は何千種類とあるカードから自分だけのオリジナルデッキを作成できる点であり、デッキの作成パターンが無数に存在するといっても過言ではないほど、カードの種類が豊富である。また、トレーディングカードゲームとしての歴史も古く、その面白さから全世界で流行った事もある。まさに世界的に有名なカードゲームといっても差し支えはないだろう。

 

「あー、でも山岡さんともうプレイできないのはさびしいよな。山岡さんのメタデッキにボコられた日々も今となってはいい思い出に………、いや、それはやっぱないか」

 

 青年は長年通い詰めたカードゲームショップからの帰路途上であった。同じショップの常連であった山岡(30歳独身男性)が「引退宣言」をし、今までためてきたカードを処分すると言ったのだ。引退の理由は結婚であるのだが、今回のカード処分という名目のバラマキ劇の裏に、部屋を埋め尽くすほどのカードの山に呆れた山岡夫人の撤去命令発令という事情がある事をこの青年は知らない。カードショップ常連内でも屈指の実力者であった山岡新郎のカード財産は凄まじく、その恩恵に預かる事となった他の常連達は、一抹の同情を腹に抱えながらも、よだれを垂らして山岡を尊大に崇め奉ったという(カードショップ店長談)。

 

「それにしても山岡さんの資産すごすぎっ! これで俺のデッキも夢のレア満載デッキになる!」

 

 山岡神の施しから1時間以上経ったというのに、青年のにやけ顔は止まる気配はない。おそらく、今日という日は彼の今までの人生の中でも、上位3位以内に入るほど充実した日になるのであろう。

 

 いつまでも上機嫌が続くかと思われた青年に、突然、突風が吹きつける。風の強い冬の日に突然吹き付ける強風というちゃちな物では断じてない。台風の暴風域圏内に居てはじめて遭遇できるかどうか、というほどの突風だった。浮かれていた青年は当然そんなものに対する備えなどできているであろうはずもなく、恐ろしい物の片鱗さえ感じさせられる突風にされるがまま、後ろに転んでしまった。

 

 「うおおおおおっ、っていてててて、カードは大丈夫だよな」

 

 情けなくも後ろ回りで一回転半してこけた少年に、前から転がってきた木の枝や小石が当たる。ガラガラとゴミ箱の蓋が直立回転して横をかなりの高速で転がる。他にもゴミや葉っぱが猛烈な勢いで青年が歩いてきた方向に飛び去っていく。青年は姿勢を元に戻そうしたが、風が強く身を起こすことさえできなかった。風が吹く方向に面する面積が少なくて済む今の姿勢で辛うじて飛ばされずに済んでいるのだ。青年は風が止むまでこの姿勢を維持しせざる得ないと断じ、我慢するしかなかった。彼にとって宝の山であるカードが詰まった荷物をすべて死守したのは驚くべき根性であろう。彼はすべての荷物の口を結んだ、過去の自身の行動に感謝をした。そうして、されるがままの間しばらくして、ようやく風が収まり始めた。

 

「いっつー。一体なんだってん……」

 

 身を起こした青年が見たのは、空間にぽっかりと空いた『穴』であった。どうやら、先ほどの突風はこの『穴』から吹き出しているようだった。まさに今この時でも、先ほどよりかは弱い風が『穴』から吹き出し、少年の髪をなびかせている。何もない住宅街という絵画を背景に、突然真っ黒い『穴』が空いている光景は、青年に何かが間違っているという違和感を想起させた。あまりの出来事に、目の前の現象がドッキリか何かだと感じてしまうくらいに事態が突飛すぎる。いつの間にか、日も完全に暮れ、自分を含めた穴の周囲が常闇に覆われた感覚に囚われる。周りを黒く塗りつぶされて、目の前の『穴』は近寄り難い雰囲気を醸し出しているようにも感じられた。ようするに、青年は『穴』怯えてしまったのだ。

 

 青年は、しばらく口を開けて呆けていたようだが、恐る恐る『穴』に近づいていく。何よりも青年には事の原因がこの『穴』にあるように感じられた。先ほどから吹き付けていた風は今はそよ風程度となり、近づくのにも特に苦労することはなくなっていた。何が起きたのか確かめようとするならば、原因と思われる物を調べるのは当たり前の行動だと言えよう。しかし、青年のこの時の行動は正解とは言えなかった。突然、穴の周りの空気が逆流し始めたのである。

 

「これもしかしてまずっ」

 

と、後ろに下がろうとする間もなく、風の勢いはあっという間に強まり、当初の突風ほどにまで迫るほどになった。青年は今度は風に押され前転をすることとなった。

 

「うおぉぉぉぉぁああああああ!」

 

 昔のお伽噺に『おむすびころりん』という話があるが、青年の転がり具合は、その話に出てくる『おむすび』であった。『穴』に転がり突っ込むまでの擬音をつけるとしたら「ころころころりん」という文句以外考えられないほど滑稽でもあった。青年は手に持っていたいくつかの手荷物と伴に、一直線に『穴』に向かい、『穴』に入った後、『落ちる』こととなる。『穴』は青年を食った後、非情にもその口を閉じる。その様は「ばくり」という物を食べた時に当てはめる擬音が似合っている程であった。そうしてこの世から青年『境目 亘』は姿を消した。

 

 

*****************************

 

 

 

「なっ、んあっ、なにっ、なっにっがおきたんっ」

 

 突然、風に吹っ飛ばされたと思ったら、今度は吸い込まれた。そして気がついたら落ちていて、今は闇一色の中で、ものすごい勢いの風に流されてもみくちゃにされている。もうこの状態で何分も流されている。穴に落ちた当初は何がなんだかわからず、今のように多少落ち着いて考える事さえできなかった。風にすっ飛ばされっぱなしの状態では、姿勢を維持して体を安定させ、後は風まかせなのが一番楽だという事に気づくのにそれほど時間はかからなかった。はじめは抵抗しているつもりなのか、手足をぶん回していたので、手に持っていた荷物や背負っていたリュックはすっぽ抜けてどこかに飛んで行ってしまった。内心もったいなかったかもという気持ちが生じる限り、腐っても自分はMTGプレイヤーなのだなと思わないでもなかったが、今はそんな事を言ってる事態ではない。

 しかし、風に流されっぱなしの現状では、この状態を楽しむ事くらいしか俺にできることはない。昔遊園地でバンジージャンプをしたことがあるが、今の状態をいうなら、バンジージャンプの状態でジェットコースターに乗っているという感じだろうか。自由落下顔負けの速度で右に曲がり、左に反転、下に急降下したと思ったら今度は上昇、実は宙返りでした、というような動きばかりなのだ。ジェットコースターみたいに叫んでみれば少しは気分がすっきりするかもしれないと思ってしばらく叫んでみたが、のどがつかれるだけなのでとっくの前にやめた。いい加減今の状態に飽き飽きし始めたところだった。

 

 「っに、っしてっもっ、イヤなっ感じがっ」

 

 実はさきほどから、心の中が嫌な予感というか、何か妙な気持ちに変わってきたのだ。例えるなら、カンバスに絵を描いていて、自分はそんなつもりはないのに、いつの間にか背景色が薄暗くなって、徐々に全体が黒一色に塗りつぶされていくような感じ。俺が落ちた『穴』に対して感じた恐怖や不安といったものが俺の心を塗りつぶそうと押しつぶしてくる。そんなイメージが少し前から俺の心を蝕んで止まないのだ。されるがままの俺に対抗手段はなく、徐々に闇に心は塗り替えられていく。

 

「がぁあああああああああ!」

 

 本能的な部分がそうさせるのか、俺は恐怖し泣き叫ぶ。そして、泣き叫ぶ本能的な部分でさえ塗りつぶされていく。俺は自分ではそうと気づかない間に意識を手放していた。

 

 

*****************************

 

 

夜。

 

 この言葉だけでも情景を思い浮かべるには十分すぎるほど事足りる。人によって思い浮かべる光景は千差万別の区別がつくだろう。例えば、輝く星や月が全く存在しない、邪悪な気配漂う、夜。または、まぶしいほどの光にあふれた美しく輝かしい、夜。今、目の前に広がるのは、どちらかというと後者の夜であった。大地に身を横たえて空を仰ぎ見れば、どんなに乏しい美的感性であろうとも、感動せずにはいられない光景がそこに広がっていた。天を覆い尽くすは「宝石箱をひっくり返したような」という言葉では事足りないほどの星の数々、そしてそれらがこぞって持ち上げるは、青、緑、赤、白の4つの月。それぞれ星々のおしゃれを身に着けて、声高に自分の領域を主張している。大空での静かな闘争をよそに、横たわる大地は静寂の独壇場であった。時々聞こえるのは風にそよいでいる草花の音や虫の鳴く音のみ。この光景は、見る者にとっては、そう、例えば境目 亘の住む世界の住人ならば溜息をつかずにはいられない絶景なのであろう。しかし、そんな光景もこの世界にとっては当たり前の光景の1つにしかすぎないのであった。

 そんなこの世界では当たり前の1つの光景の中、ボロ雑巾と呼べる真っ黒い煤けた人間のよう『何か』が、どちゃっと不法投棄されているのだった。

 

 

 

*****************************

 

 

 

 目を開ける。見えるのはとても綺麗な星空。少しデカイ気がする白い半月もあり、ずっと眺めていたくなってしまうほど美しい。

 聞こえるのは虫の鳴き声、それと時々さらさらと草の擦れる音が聞こえて、風情が感じられる。

 

「って、あれ?」

 

 ようやく自分が突飛な場所にいるのだという事に気づいた。俺は確か、山岡さんからカードをかっぱらって、あのカード無くなっちゃったけど勿体無かったなぁ。じゃなくて、通い詰めたカードショップから家に帰ろうとしていたはずだ。確か、突然風が吹いて転がされたと思ったら、宙にぽっかりと『穴』が空いている現象に出くわして、様子を伺ってたら吸い込まれて――

 

「ははっ。月が四つもあらぁ」

 

 最初に見た月は白色に輝いている。ここまでは良かった。少し視線を横にずらすだけで、緑、青、赤と白色の月よりも大きかったり小さかったりする月、としか呼べないようなまるっこい衛星が夜空にさも当たり前のようにドッカリと居座っているのだ。

 否定したいのはやまやまだが、こうまで見慣れない光景を見せ付けられると認めざる得ない。ここは、自分の住んでいた世界とは違う、異世界だという事を。

 

「ははははははは、ってなんじゃこりゃぁぁぁ!!!」

 

 風情ある情景をバッサリ断ち切る、俺の金切り声がこだました。 

 

 ひとしきり叫んで落ち着いた後、現状の確認をする。自分の体に異常はないか、五体満足手足もしっかりつながっていて、俺の意思通りに動く。「穴」に飛び込む前に転んだのか、こちらに来た時に地面にうちつけたのか、尻が痛いが問題はない。

 次に、道具だ。といってもカードががっぽり詰まったリュックサックや荷物はどっかに飛んでっちゃったし、後はカーゴパンツのポケットに財布と携帯くらいしかない筈だ。あ、そういえば荷物に詰め込めなかったカードがあったはずだ。ズボンの上からポケットに物が入っているのを確かめようとしてパンパンたたいてみるが……

 

「あれ? 財布と携帯はあるのに、カードが無くなってる?」

 

 

 

 

 



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002:あるひ そうげんのなか くまさんに であった

 俺は、端正込めて作成し、何回もの闘いを伴にくぐりぬけた自分の魂とも呼べるマイデッキが無くなっている事に打ちのめされた。あまりにも荷物にカードを詰め込んで収納スペースがなくなったため、仕方なく俺のズボンのポケットに突っ込んでおいたのだ。

気づいた時には、カラフルなお月様達が別の所にすっかり移動してしまっていた程、時間が経過していた。ポケットには財布、携帯電話、家の鍵、2つのマイソウルデッキ、弟の崇のために買ったエントリーセット、そして、できるだけ持っていこうとした元山岡氏から譲りうけたカードが入っていた。なのに、MTGに関連するものだけ―――マイソウルデッキ2つとエントリーセット、そして譲りうけたカード―――がポケットから無くなっていた。

 

 心をかけて大切にしていたものを失くす、今日手に入れた物をその日のうちに失くす、という事は結構落ち込むことだが、今は嘆いている場合ではない。身一つ見知らぬ場所に放り出された俺の役に立つとは微塵にも思えないが、財布と携帯電話をチェックする。財布は、中身は一切変化なし。間違っても中身が増えているという事は起きていないようだ。そんな事があったとしても、この世界で円が通用するとは思えないが…… 

 携帯電話の電波状況は案の定、圏外になっていた。いざという時の物々交換の品になるの関の山だろうか。家の鍵も特に変化なし。使わない鍵でもキーホルダーにつけっぱなしにしてジャラジャラにしていたので鍵の数は無駄に多い。危険になった時にメリケンとして使えなくもないのかもしれない。

 

 結論は、俺の命は風前の灯火だという事だった。

 

 食糧なし、装備なし、土地勘なしのどうしようもない状態で俺ができる事と言えば、助けを求めてさまよう事くらいである。しかし、周りを見渡してみるに今は夜中。複数の色鮮やかな月のおかげで、夜中と言っても、照明がついているグラウンド場の隅くらいには見通しが良い。思いのほか遠くまで見渡せるようだ。辺りを目を凝らして眺めて見ると、一方向が真っ暗になってる。この方向のそう遠くない場所から森が茂っているようだ。こんな夜中に、何が潜んでいるのか分かりもしない異世界の森に侵入など、自殺行為に等しい。とりあえずは森とは逆方向に歩いてみて、街道がないかどうか探しつつ、一夜を明かすにふさわしい場所を探索するしかないだろう。

 

「はぁーーー。大変な事になったなぁ」

 

と、溜めるに溜めた溜息を吐き、俺は歩き出す。

 

 

 

 夜の空の一方に鎮座していらっしゃったお月様達が、反対側に移ってしまうほど時間が経った頃、ようやく俺は街道らしき道を見つける事ができた。多少高い丘を登りきって下を見下ろすと、ちょうど真正面に道らしき線が、左手から右手にまたがっていた。

 

「あー、よかったー」

 

 発見した時は、気が緩んだのかその場にへたり込んでしまったくらいだ。本当に良かった。これで少なくとも、道を辿れば人が住む場所に行けるはずである。そこに居るのは自分と同じ姿をしているホモサピエンス型生物とは限らないのかもしれないが、そんな事はどうでも良い。最悪、さまよった挙句に、餓死か、脱水症状で誰にも知られずに、しゃれこうべと化す可能性が付き纏っていただけに、この発見は大きい。

 街道まで歩いて、道の向う先を眺める。言うまでもない事だが、良くは見通せない。わかるのは、せいぜい土地が起伏している程度で、あい変わらず草原が馬鹿正直に続いているようだ。疲れてるから今夜はここで明かさなきゃならないかな、と考えつつも反対を見てみると、こちらも先ほどと変わらずの様子。しかし、異なる点がひとつだけあった。

 

「灯りが灯ってる!」

 

 暗闇の中に、ポツンとたき火の灯りであろうと思われる点が灯っている。これはかなり幸運な事かもしれない。最悪、人に会うまでに数日間はさまようになるかもしれないと感じていたからだ。善は急げである。この時、歩き通しで体は疲れ切っていたにも関わらず、気が付けば駆け足で向かっていた。つくづく、人間の体とは馬鹿正直で、現金なものである。

 

 

 無我夢中で灯りに向かう事、幾数十分。急ぐ内心を余所に、ようやく辿りつくことができた。しかし――――

 

 「誰もいない……」

 

 遠目から見て、たき火の灯りだと思っていたものは、予想通りであった。火はパチパチと音をたてながら、暖かい光を周りに投げかけている。火がこれほど心に安寧をもたらすとは思わなかった。気にかかるのは誰も人がいないという事だが、たき火の横に寝床らしき敷き布と毛布がある事、また、大きな背負い袋が置いてある事から、持ち主は一時的にこの場を離れているだけなのだろう。

 たき火の灯りを見つけた時には気付かなかったが、このキャンプは人工物に寄り添うようにして存在していた。この人工物を一言で言い表すなら、大きくなった灯篭といった所だろうか。大地から無骨ながらも堅牢さを感じさせる岩を柱に直立していて、その上に石削りでつくられた台がついている。台には4本の石柱に支えられて屋根がついており、台の上に設置されている物を守っているようだ。台自体は少し高い位置にあるため、下から伺い覗かなければ見ることはできない。よく目を凝らして見ていると、一瞬、中にあるものが閃いたように見えた。

 

 「でっかい、宝石……みたいな石なのかな?」 

 

 何にしても、人間の手によるものであろう事は違わないはずだ。あとは、このキャンプの主が戻るのを待ち、保護を要請すればとりあえずは安心できるはずだ。と、その時の俺は人に会えることに安心しきって、出会った存在が自分に危害を加えないとも限らないという考えがすっぽり抜け落ちていた。灯篭らしき物の観察を終えて、たき火の方角に向きなおると、いつの間に現れたのか、そこに、熊がいた。

 

 熊。

 

 体長が大きい物で2、3メートルにも達する茶色の毛並をした獰猛な動物。それが今、目の前にいる。先ほど俺に安心をもたらした、心の拠り所であったたき火は、今は目の前の遭遇者の危険な雰囲気を醸し出すのに一役買っている。大人の腕など簡単に折ってしまうであろう太い四肢で大地を踏みしめ、その先端には鋭利な爪が、獲物を求めて舌なめずりしているように火の光を反射している。頭部に視線を移すと、爪に負けず劣らず、岩さえも噛み砕いてしまいそうな研ぎ澄まされた牙が開いた口から伺える。闇に沈んで、時折光に照らされて見える、漆黒の目は、一度獲物を定めたら二度と視線を外すことなどないであろう絶望感を俺に与える。

 異世界転移をやってのけたというトンデモ展開を経験していた俺は、もう何が起こっても驚くような事はないだろうと思っていた。しかし、今目の前にいる物に対しては、全く予想だにしていなかった。いくらなんでも展開がナナメ上すぎる…… 

 

 (っは! 今は落ち着いて生き延びる事を考えるべきだ! )

 

 (そう、熊に対しては相手の目を見つつ、死んだふりをすればいい筈だ!)

 

 (慌てるな! 相手をむやみに刺激せずに、細心の注意を払って行動するんだ!) 

 

 内心の動揺はおくびにも出さず、俺は少しずつゆっくりと姿勢を低くする。

 

 両手を地面につき、ひざを下ろし、そして視線は決して熊の目からそらさず、ゆっくりと… ゆっくりと… 

 

 身を地面に横たえ、後は熊から視線を外すタイミングを伺う。

 

 ここが肝心だ。今まで注意深く行動してきたことが全て無駄になってしまう! 

 

 

 お互い見つめあったまま、数分、数十分にも間延びされた時間間隔の中で、ひたすらその時を待つ。

 

 にらみ合ったままどのくらい経つのかわからなくなった時、熊が後ろを振り返った。

 

 (今だっ!!)

 

 反射的に首を動かし、頬を地面になすりつけて目をつぶる。

 

 (完璧だっ! 完璧に決まった! よもや熊も俺が生きてるとは思うまい!)

 

 と、さっきまで動いていた輩が次の瞬間死んでいるという、矛盾甚だしい思考をしている矢先に、熊の後方から声がかけられた。

 

「オメェ、何やってんだ?」

 

 

*****************************

 

 

 

「ブッハハハハハハハ! グレーに襲われると思って、あの行動!? 今まで同じような状況になった時は何回かあったけど、あんな反応をしたヤツを見るのは初めてだぜ! 絶対おかしーぞ! 始め見たときは、悪いけど、オマエが馬鹿じゃないのかと思ったぞ」

 

 闇夜の草原の静寂を笑い声で盛大にぶっとばす、この人は『ラルフ』という名前の旅人だそうだ。夜の中、光源がたき火だけなので、はっきりとわからないが、濃い色を髪を後ろにまとめてひとくくりにしている。無精ひげを生やして、一目みた誰もがオッサンと呼ぶような容姿をしている。しかし、良く見れば、笑いながらもその目は俺の正体を見極めようと、時折品定めをしているように細められている。見た目はボロボロだが作りはしっかりとした外套を羽織り、胴体には着古した旅装らしきものを着て、何かの皮でできてるらしいブーツを履いた両足で胡坐をかいている。その傍らには、彼の一回り、いや、二回りも大きい塊がうずくまっている。その大きさはもはや『小さな山』と言っても問題ないだろう。先ほど俺が妙ちきりんな行動の原因となった熊は、前足に頭を乗せてくつろいでいた。時々、ラルフさんに頭をなでられてご満悦そうなのがうかがえる。このとてつもなく大きな熊さん、名前は『グレー』というそうだ。ラルフさん曰く、このグレーと連れ立って旅をしている最中とのこと。なんでも、祭壇の近くで野営をしていた所、突然俺がやってきた方角の一点が轟音とともに光輝く現象が起きたそうだ。時間にして数十分、その方角は光つづけ、次第に光は収まってったそうだ。何が起こったのか調べに行ったそうだが、発光現象が起こっていたと思しき地点には何もあらず、結局何もわからずに元いたキャンプに戻ってきたら…… あとは恥ずかしい思いしか湧き上らないのでこれ以上はやめることにする。

 

「それで? オメェはこんなところで一体どうしたってんだ?」

「それは…………」

 

 まさか、「異世界からやってきました。ハロー」なぞとは、とてもではないが言えたものではない。しかし、こんな状況でうまく取り繕う言葉が突然出てくるわけでもないので正直に言う事にする。

 

「こんな事言っても信じてもらえないかもしれませんが、俺は気がついたらこの草原に居たんです、それでしばらくさまよってたら、たき火の灯りが見えて、歩いてきたらラルフさんに出会ったんです」

「なんだってぇ! オマエ、やっぱり頭いかれちまってんじゃねぇか?」

 

 ラルフさんは眉をしかめながらも、怪訝そうにこちらを見る。

 

「信じてください。こう言ってる俺が何がどうなってんだかわからないですから……」

「村が近いとは言え、馬がなければ、歩いてまる半日かかるし、見たところ長旅の装備もヘッタクレもない恰好してやがんなぁ」

 

 ラルフさんは、しげしげと俺を眺めて、何回も視線を上下させている。

 

「ま、とりあえずはそういう事にしといてやるよ。 そういやまだお前さんの名前を聞いてなかったな。」

「『境目 亘』といいます。あれ、それともワタル サカイメかな? ワタルの方が名前です」

「へー…… ワタルか。まぁ何だ、あんまりうまくないが何か食いもんごちそうしてやるよ」

「もうヘトヘトで、何か食べないと死にそうです……ありがとうございます」

「へっ。ほんとに味は保障しねぇからな。けど人間、腹が減ってりゃなんでも食えるもんさ」

 

 正直、今まで状況が状況だけに、俺は腹がへっていることに全く気が付いてなかった。まともな人間と話す事ができたおかげなのか、今は緊張の糸が切れて、腹が今すぐ何かを詰め込めと激しく自己主張している。

 ラルフさんがごちそうしてくれたのは、小麦以外の何か――ライ麦か燕麦だったか――が使われてる固いパン、それとたき火であぶり直した干し肉だった。どちらも日本で食べられる物に比べてとても固く、普段なら不平が出てくるところだがそんなことも言ってられない。そして何よりも本当に思っている以上に腹がすいていたらしく、腹の中に収めると意外とすんなりと満足感を得ることができた。腹も膨れた所で、俺はさっきから疑問に感じていたことをラルフさんに聞いてみる事にした。

 

「あの…… ラルフさん。グレーってラルフさんのペットなんでしょうか」

「グレーが俺のペットだなんて、俺とグレーはそんな軽い間柄ってもんじゃねぇよ。相棒だよ、相棒!」

 

俺の言葉に、少し気分を害されたのか、「相棒」の部分を少し強調して返事を返してきた。

 

「でも、言い方が悪くなっちゃいますけど、こんな大きな熊どうやって手懐けたんですか?」

 

 何人もの人に同じことを聞かれ続けたのだろうか、「またか」というような退屈そうな鼻息を漏らして彼は答える。

 

「そりゃ、おまえ、輝石を使ってに決まってんじゃねぇか。だいたい1年前か、もの探しに山の中を歩いてたら、突然でっけぇ熊に襲いかかられてな。ありゃ死闘だったな…… そんなわけで、俺とグレーには一言じゃ言い表せられない友情が芽生えたのさ」

 

 感慨深そうに目をつむり、過去に思いをはせているのかうんうん頷いて、グレーを撫でる手つきもゆっくりと思いを込めているようだった。グレーの方も、耳をピクピク動かして気持ち良さそうである。

 

「へーそんな事が…… でも、こんなに大きな熊と一緒に行動するなんて、他の人から見られたら驚かれるもんかと思うんですが」

「おまえ、魔物や動物を使い魔として使役するのが出来る事もしらねぇのか? グレーみたいなデカブツは珍しいけどよ。ここらへんはあまり旅人の往来がそう多くないと言ったって、俺以外の旅人連中でも使い魔を伴ってるヤツはそう珍しくはない筈だ。それを知らねぇたぁ、ますます何者なのかわからねぇなぁ」

「うっ――――」

 

もはや、ラルフさんのジト目には、胡散臭いという言葉では不足なほど、疑念がこもっているように感じられる。俺も、異世界転移などのようなファンタジー小説はいくつか読んだ事があるのだが、それらと比べて、転移先の世界の事柄ついて、事前知識もなしに現地住人と話を合わせるというのは無理があるようだ。

 

「俺の住んでた所では、見たことがなかったんですよ。そのぐらい田舎な所から来た……って事にしといてくれるとありがたいです」

 

視線を横にかわしつつ、今はこのように答えてはぐらかすのが俺の限界だ。

 

「へいへい。これ以上は何も聞かねぇよ」

 

降参のポーズか、両手を挙げながら本当にこれ以上聞くつもりがないのか、話題を切り替えてきた。

 

「そういうと、お前さん、輝石ってのも見たことがねぇんじゃねぇのか」

「ええ、実は…… よくお分かりになりましたね……」

 

 もはや、苦笑しかできない。見知らぬ人間に対して世話を焼いてくれ、なおかつ何も聞かないでいてくれるこの人には、もう俺は頭が上がらないだろう。

 ラルフさんは、立ち上がって俺に近づいて来た。左腕を腕まくりして、ズイっと俺の目の前に腕を持ってくる。袖に隠れていて見えなかった、意外と筋肉質な腕に驚きつつ、示された物を見る。彼の腕には腕輪がつけられていた。材質は見ただけではわからないが、銀のような金属でできていて、そこに彫られた美しい線模様が灯りに照らされて輝いて見える。ラルフさんの手の甲側、ちょうど俺の方に向いた部分には、深緑色をした宝石がはめられている。大きさはちょうど卓球で使う玉を少し小さくしたくらいだろうか。

 

「これが、輝石ってやつだ。だいたいのヤツは俺みたいに装飾品か武器に取り付けられて使われてるな。」

「………っ、なんというか凄い良い感じですね……この腕輪……」

 

 思わず腕輪に見とれていたのか少し返事が遅れる。

 

「へへっ。いいだろう。ちょっとしたこの手の知り合いが居てな。意匠には口煩く注文してみたかいがあったってもんだ」

「それで、この腕輪についてる輝石の力を使って、グレーを相棒にしたんですか?」

「ああ。あんときゃかなりギリギリの戦いだったな… トドメを指すときに、何故だかアイツの事が惜しくなっちまってな。そしたら輝石が力を発揮して、俺と絆ができちまったってわけだよ。」

「輝石ってのは、グレーのように使い魔を得ることができる道具なんですか」

「いいや、使い魔を得るってのはひとつの力に過ぎんよ。 そうだな…… 輝石の力ってのは、ある程度系統はあるとは言われているが、人によって全然異なるんだ。輝石ってのは人の願いを叶える力を持つ女神様が授けてくださった物と言われているんだ」

 

『輝石』を俺の国で昔から流行っている、モンスターをボールで捕まえるゲームの代物、と考えてた俺には寝耳に水な言葉だった。

 

(その言葉が本当なら……)

 

ドクンと脈打つ内心の逸りを抑えつつも、切磋に湧いてでた疑問をラルフさんに聞いてみる。

「えっ…… それじゃぁ、輝石を使えば、故郷から遠く離れた場所に帰るって事も可能じゃ……?」

「おまえさん、やっぱり神隠しみたいな物にでもあったんじゃねぇかよ」

「はうっ……」

 

一人で草原をブラブラ歩いていた時に比べて、幾分か落ち着いたものの、思っている以上に心に重圧がかかってるようだった。半ば長期滞在を覚悟しかけていた目の前に突如として湧いてきた帰郷の可能性に、本心が出てしまった。

 

「やっぱり、あの光は何か関係あるんじゃねぇか? オマエ、あっちの方角に森があるんだが、あっちから来たんじゃねぇのか?」

 

転移してから後は、状況が状況だけに細かい事を気かけるほど余裕はなかった。

 

「はぁ。森は危ないだろうから、できるだけ離れる事だけを考えてここまで歩いてきました。正直、方向なんて気にかけてる余裕なんてありませんでしたし……」

「そりゃ正しい判断だ。いくら結界石が祭られてる『祭壇』が街道に設けられてるとはいえ、森の方まで行くとどんな魔物が出るかわかったもんじゃねぇ」

 

そう言って彼は『祭壇』と呼ばれてるらしい無骨な石の台座を見上げる。グレーは撫でられてたのが止まったのが不満らしく、不機嫌そうにラルフさんを見上げている。

 

「どんな辺鄙な場所でも、人間が住む場所には、必ず『祭壇』は設けられてるもんだ。あれのおかげで魔物に怯えてなくて済むからな。この街道にも結界石を奉った祭壇が、道に沿って建てられてるんだ」

「どんなもんかと思ってたんですが、これには魔除けの効果があったんですね」

 

 どうやら、俺の歩いてきた方向は正解だったようだ。転移する事自体は悪い事だったが、それ以外ではツキが俺に回ってるようだ。こうして、ラルフさんに出会えることができたのだから。

 

「話が逸れちまったな。それで、お前さんが来た方向が光った事が起きたのはさっき話した通りだが、お前さん何か心あたりはあるのか?」

「すみません。本当に何もおかしなことはなかったと思います。気がついたら、草原に横たわってたわけですし、ここに来るまでにも何かおかしい物を見たりはしていません」

「ふーん。結局何もわからずじまいってわけかい。まぁ、今このことを考えても何もわからないだけだから、もうヤメにしちまおう。えーっとそれでなんだったか……」

「輝石を使えば俺は帰れるのでしょうか?」

「おーそうだったな。……昔の話だと、死んだ人間を生き返らせたり、昼と夜を入れ替えたりとか、ぶったまげた事が起こせたらしいが……」

「そんな事ができるんだったら……」

「いや、気の毒だがオマエの望みに叶う話は聞いたことがねぇよ」

「そんな……」

 

 期待という物は、すればするほど、それが外れてしまった時の反動が凄まじい物だ。俺は帰れるものだとほぼ完全に信じ切っていただけに、ラルフさんの言葉は疲弊しきっていた俺の心にトドメを与えるには十分すぎる威力を持っていた。

 

「おっ! おい……あきらめるのはまだ早いぜ! 伝説の宝珠を使えば、今までにない奇跡だって起こせるかも知れねぇ。だからなっ。あーもう、泣くんじゃねェよ!!」

 

 ラルフさんが励まそうとしてくれているが、その言葉は俺の心を素通りしていく。むしろ同情を買ってしまっている事自体が、何故かとてつもなく寂しく感じてしまう。そして、俺は世界のありとあらゆる存在から見放されしまって、最早どうすることもできないのだと思ってしまう。

 

「昔から女神様は、誰も見捨てたなんて事、あったためしはねぇんだ! 時間はかかるかもしれねぇが、聖石教会とか騎士団を頼れば可能性は見えてくるかもしれねぇ!」

 

 静かながらもとめどなく胸の内からあふれ出すものを抑えきれなくなる。目に映るラルフさんの姿がぼやける。

 ラルフさんは、こんな俺を見かねたのか、俺の背中をポンポンと安心させるようにたたいてくれた。

 

 それが限界だった。

 

 俺は静かに、しかし、心の思うままにさめざめと泣き続けるのだった。

 



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003:旅立ちの朝

 生けとし生きるもの全てに一日を始まりを告げるべく、太陽が地平線から顔をのぞかせる。生物達は、太陽が投げかける、厳しくも優しさのこもった呼びかけに、それぞれの一日を始めるべく、少しずつ動き出す。大地にはまだ夜の冷えが残っているが、暖かい朝の光を浴びながらであれば、冷えこみも、朝の清々しい気分を味わうための隠し味に思えてしまうだろう。

 大地には、ワタルが昨夜では見ることができなかった光景が広がっていた。遠くには頭に白い雪をかぶった山々が軒を連ねている。その足元には、夜が取り落としていったのか、夜の闇と変わらぬ色をした樹海が広がっている。しかし、内に取り込まれれば恐怖を掻き立てる恐ろしい存在であっても、遠景の一部と化してしまうこの場所からでは『世界』という芸術大作の壮大さを引き立てる一要素にしか過ぎなかった。視線を遠くから手前に戻すだけで、誰もがその巨大さに気付くであろう。360度、見渡す限りの大平原である。早朝という事もあってか、薄い霧に覆われ、天から朝日が降り注ぐその情景は、現代の都市に住まう者ならば誰でも「この世界ではないどこかの世界――異世界」という言葉を連想するだろう。

 

 そう。『異世界』である。ワタルの冒険は、今、ここから始まるのだ。

 

 

*****************************

 

 

 

 現実世界から、すっころんで、穴に落ちて、異世界に迷い込んで、さまよい歩いて、咽び泣いて、夜が明けて、朝になった。

 時間にして十数時間なんだろうけれど、とんでもなく濃い時間を過ごしたような気がする。昨日一日の事を思い出しているのに、なんだか昔のアルバムを引っ張り出して過去に思いをはせているように錯覚してしまうから奇妙なものだ。しかし、まだ、何も始まっちゃいないのだ。俺はこの世界でまだ、何もしていないし、まだ、何かするという事もできない。

 

「良く眠れたか?」

 

 そう俺に声をかけながら、ラルフさんは毛布を両手で持って振りながら、器用にホコリをパンパンはたき落している。その後ろでグレーも睡眠を満喫したのか、口をこれでもかと大きく開いて大あくびしている。のど○んこが見えそうな程だ。

 

「はい。おかげ様で。昨日はお見苦しい所をお見せして申し訳ありませんでした」

 

 まさか20歳の大のオトナになってあんなに泣くはめになるとは思わなかった。終始ラルフさんに見守られっぱなしだったので、かなり恥ずかしい。

 

「ま、いいってことよ。オマエの境遇を考えりゃ、誰でもあんな風にはなるさ。俺としちゃ、おいおい泣き叫ばれてうるさくなるよりかは何百倍もマシさ」

 

 そう言って毛布を丸めて紐で縛り、背負い袋に取り付ける。昨晩は気付けなかったが、荷物の1つに剣があるのが目に入った。日本では剣など普段お目にかかれるものではないだけに、妙に気になってしまった。ラルフさんは、毛布を取り付けるのが終わると、両手を腰に当てて俺のほうを振り向いた。

 

「さて、朝食でもとりながらこの後の話でもしようや」

 

 朝食は昨日食べた硬いパンだった。昨日はどうやってこんなパンをどうやって貪り食ったのか不思議なほど硬く感じた。昨日はこんなものがこれ以上ないご馳走に見えたものだから、人間の空腹とは恐ろしいものである。

 

「幸い、ここら辺からだと、今日中にアルンの村には着ける。とりあえずオマエをそこまで連れてってやるよ」

 

 昨晩ラルフさんに世話になり、もしかしたらこれからも援助を期待できるのでは、と頭の片隅で考えていた俺には内心チクリと来た発言だった。わかってはいたつもりだが、見ず知らずの他人の世話をするなど、かなりの負担になるのだろう。村まで連れて行ってくれるラルフさんの申し出を幸運と捉えなければならないのかもしれない。

 

「その、アルン村ってどんな所なんですか?」

「村の住民がそんなに多くもない何の変哲もない村さ。確か、蛇の怪物の伝説で多少は知られてたか…… あとはアルノーゴ樹海で取れる魔物の素材や植物を採取しに、旅人がそれなりに来るといったくらいか」

「アルノーゴ樹海?」

「昨晩、オマエが遠くの方に見えたって言ってた森のことさ。ほれ、あっちの方向」

 

 ラルフさんが指さした先のある地点から、木がまばらに生え次第に密集していき、森が形成されているのがわかる。今は朝で明るいせいか、昨日ほど恐怖をあおるような場所には見えなかった。

 

「あの樹海は深く入らなきゃ、それほど経験の多くない旅人でも危険なことはない。でもな、調子に乗って、一度入ったきり二度と帰らないやつがたまに居るんだよ」

「俺は入ろうだなんて、絶対に考えないですから大丈夫ですよ」

 

 首をブンブン回して、そんな危険な所へ自ら行くような意思はないことを全力で主張する。

 

「ま、そういう場所だ。結界石が街道には張り巡らされるからな。道から外れない限りは魔物のことは心配しなくてもいい」

「それ聞いて安心しました」

「話は戻るが、俺がオマエにしてやれるのは村まで連れてく事くらいだ。一応聞くが、これから一人でやってけるのか?」

 

 こんな世界に身一つ放り出されて、いきなり生活していけるわけがない。おまけに、見たところ、この世界は俺がいた世界に比べて、剣と魔法要素にあふれていて、人一人の命が軽い殺伐とした世界のようだった。当然、俺も現代日本一般人に漏れず、魔物相手に勝てるような戦闘能力など持っていない。

 

「まぁ、昨日からオマエの様子を見るに、まったく旅慣れてる感じがしなかったから当然っちゃ、当然か」

 

 俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、ラルフさんは上を見上げて、荒く息をついていボヤく。

 

「ここは、聖石協会に保護を求めるのが一番いい方法か……」

「何から何までお世話になります。ところで、昨日も聖石協会だとか騎士団という言葉をラルフさんから聞いた覚えがあるんですが、それって何なんですか?」

「輝石を見たこともねぇっていうから、教会や騎士団のことも知らなくて当然か。聖石教会ってのはな、俺たち、か弱い人間達に輝石を授けて下さる女神様を讃える者達が集まっている集団だ。騎士団ってのは、教会や女神様を讃える人間達を魔物といった脅威から守るための武装集団、といったところだな」

「教会の人たちってのは困っている人たちを助けたりして、騎士団の人達は魔物狩りとかやってるんですか」

「ま、だいたいそんなもんだな。オマエの身の上を相談すれば、何か手助けはしてくれるはずだ」

 

 村に着いたとたんに、ポイっと放り投げだされて途方にくれる心配はしなくてもよさそうである。先ほどから不安が顔に出ていたのか、ラルフさんから「そんな心配しなくとも、あてができるまでは一緒にいてやるよ」と言われてしまった。

 俺はラルフさんと話していたせいか、グレーがいないことに気づいた。どこか行ったのか少し不思議に思っていたら、突然ふらりと戻ってきた。グレーの口まわりが赤く染まっているのを見るに、どこかでお食事をされてきたようである。それを見て、昨晩初めてグレーを見たときの牙の鋭さを思い出した。背筋に悪寒が走ったが、このことはラルフさんにはばれていないと信じたかった。

 

 朝食も食べおわり、焚き火の始末を確認してから俺達は出発した。俺にとっては今までの人生の中で、こんな大草原の真っ只中を黙々と歩くという経験はない。今の自分の状況も省みずわくわくしてしまう。見えるのは、大草原を貫く一本の道。それが俺がいる丘の頂上からむこうの別の丘へ向かって、途中でうねうねとたわみながらも続いている。生い茂っている草以外に目につくのは、結界石が祭られている祭壇が、道沿いに一定間隔で立っているだけだ。道を延々と進みながらすれ違う祭壇は、苔がこびりついているものがあったり、部分的に崩れてるものがあったりして、どれも遠い昔に立てられた事がわかる。しかし、石が欠けたり削られたりはしていても、崩れているものはひとつもなく、悠久の時をものともしない堅牢さを感じる。

 道中は先頭にラルフさん、続いてグレー、最後に俺といった順番で歩いている。

先頭を行くラルフさんをずっと観察していたが、絶えず何かをしていて、俺は退屈せずに旅を楽しむことができた。例えば、ずっと空を見上げてたり、後ろを振り向いて俺やグレーがちゃんとついてきてるか確かめたり、鼻歌を歌ったり、両腕を天に振り上げて伸びをしながら大あくびをしたり、きっと昔から旅をしてる時はずっとあんな調子になるのだろう。対して、グレーはラルフさんの後を、むっつりしたまま、のっしのっしと太い足を力強く動かしている。時々、虫がたかってくるのが気になるのか、耳をピクピク動かしたり、我慢しきれなくなったときは手をぶんぶん動かして払いのけている。こんな調子で太陽がちょうど頭上に上がるまで歩き続けた。

 

アルノーゴ樹海とやらに近くなっているのか、道の周りにぽつぽつと木が茂り始めてきたころ……

 

「ワタル。そろそろ休憩にするか?」

 

 正直言って、ラルフさんもグレーも現代日本人的感覚から比すると、舌を巻いてしまうほどの健脚ぶりだ。あれだけいっぱい歩いたというのに、双方とも疲れてる様子は全くない。俺は昨日の疲れが抜けきっていないのか、体を鍛えなくなって久しいのか――おそらく両方だろう――ふくらはぎはパンパンになり、これ以上歩き続けるのは無理だった。

 

「あ、ありがたや……」

 

 休憩場所は、道の真ん中にしつらえられた祭壇の足元。祭壇の周りは円形に広場が広がっていて、ちょっとした団体でも余裕を持ってスペースを取る事ができそうな所だ。祭壇のすぐ横に、枝が広く伸びている立派な木が一本生えていて、休むにはちょうど良い木陰を作り出している。

 

「オマエは都会育ちなのか? これだけしか歩いてないのに、もうそんなにへばっちまうとはな」

 

 木陰で仰向けにぶっ倒れている俺には、ぐうの音もでない指摘である。

 

「返す言葉もないです」

「まだ、アルン村まで半分いってるか、いってないかくらいだぞ。コイツで少しは活を入れ直しな」

 

 そう言って、ラルフさんは皮袋の水筒を放っくる。咄嗟に上半身を起こして胸で受けとる。

 

「ふぼっ」

 

 水筒は予想していた以上の重さだ。昨晩も結構使ってた印象があるので、もうてっきりなくなる寸前かと思ってたのだが。

 

「この水筒、結構使ってたと思うんですが、まだずいぶんと残ってるみたいですね」

「それも輝石を使った道具の一種だ。水筒の内側に輝石が入っていて、そこから水が湧き出てくるんだよ。お前さんがたらふく飲んでも、まだ余裕があるから遠慮はいらないぞ」

「へー。輝石って便利なものですねぇ」

「こんな役に立つ物を俺たちに授けて下った女神様はかくも偉大なり、ってやつさ。あ、飲んだらグレーにも水やってくれ」

 

 皮袋の水筒など使った経験もないので、少し躊躇った後、左手で蓋を外して口を持ち、右手で袋の底を持ちあげて、喉に水を流し込む。中学校や高校でよく飲んだ、ウォータークーラーから出る、ひんやりキンキンした冷たい水ではなかったが、それでも体中に染みわたって生き返る心地がした。水を飲んだ後の余韻に浸っていると、のそのそとグレーが寄ってきた。グレーの視線は俺が左手で持っている水筒に向けられている。

 

「飲む?」

 

 俺は立ち上がって、グレーの口に向かって水筒を傾ける。あんまり勢いよく水が出ないように少し傾きをおさえる。グレーはじょろじょろと水筒の口から出る水を、舌をベロベロ出しつつも噛み砕くようにして水を飲む。結構長めに水を流したが、水筒の中身はいっこうに減っている様子が感じられない。俺とグレーがあんな飲んだのに、水筒の重さは全く変わり映えしないのだから驚きである。

 

「まさに魔法の水筒ですね。これあるだけで、旅が段違いで楽になるんじゃないですか?」

「ああ、野営のたびに水場を探しにいかなくて済むからな。ただ、それ自体の値段と水の補給に金がかかるっていうのが玉に傷だが、これを欲しがらない旅人はいねぇと思うぜ」

「俺の住んでた所にも魔法の水筒って呼ばれてる物はありましたが、こんな物はありませんでしたよ」

「ほぉ? その魔法の水筒ってのはどんな物なんだ?」

「えーと、中に入っている水の熱さが変わらない水筒なんです。冷えた水は長い時間経っても冷えたままですし、熱いお湯だったら、熱いままなんですよ」

「おおっ! そんなしろもの聞いたことがねぇぞ! それ、輝石を使ってるのか……ってお前さん輝石見たことないんだから違う方法でそんな事ができるようにしてるのか?」

「あー……俺もどんな方法でそんなことやってるのかわかりませんね」

「なんだよ、知らねぇのか。でもよ、そういうのがあったら、それはそれで良いよな。冷えたまんまの井戸水を入れといて、暑いときに飲めばさぞウマイだろうな」

 

 というように雑談を交わして、くつろいで休憩することができた。ちなみに、魔法瓶の仕組みは聞きかじった程度には知っていたが、この世界では未知の技術を持ち込む事に僅かな危機感を覚えたのでラルフさんには適当にはぐらかしておいた。

 

「おし、そろそろ行くか」

 

 休憩も終わり、ラルフさんが出発の合図をかける。木陰のおかげか疲れもやわらいだ。アルン村までもつかはわからないが、しばらくは体力は持つ気がした。

 

「おい、グレー。さっきからどうした?」

 

 声につられてグレーの方を見る。グレーは低い姿勢を取りながら、森が深い所をじっと見つめている。視線の先に何があるのか見極めようとして集中しているかのようだ。グレーの纏う雰囲気に呑まれたのか、緊張感が周りに漂うように感じる。突如、グレーの耳がぴくっと動いた。そして、ラルフさんの方を向き、視線で何かを伝える。

 

「ワタル! その木の上に登るんだ!」

 

 ラルフさんはグレーから何か警告じみたものを受け取ったのか、俺に鋭い声で言ってくる。

 

「一体、どうしたんですか?」

「どうも樹海が近いせいか、こちらに襲いかかろうとしてる、ふてぇ野郎がいるみてぇだ。グレーの様子を見るに、大方、魔物の群だろうよ」

「でも、結界石ががすぐ近くにあるのに…」

「つべこべ言ってねぇで、早くしろ!」

 

 今まで聞いたことのない大声で怒鳴られ、本当に危機が間近に迫っている事を痛感させられる。戦闘能力皆無の俺がうろちょろしていては、足手まといになるだけだ。ここは言われた通りに木に登る。幸い、木登り関しては子供の頃から得意だったため、問題なくすぐに上る事が出来た。登ってる最中に後ろから「意外と早ぇな、オイ…」という言葉が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。

 ちょうど家の2階くらいの高さにある、太い枝にしがみつく。枝の太さは俺の両腕で抱え込むとちょうどぴったりの大きさであり、両腕と股でがっちりホールドすれば、ちょっとやそっとじゃ引き離されないだろう。枝のしがみつきの良さ具合に安堵しつつ、グレーの見つめる先を見る。その時、接敵したのかラルフさんが警告を発した。

 

「来るぞ!」

 

 茂みからガサガサ音がして、グレーよりもかなり小さい黒い物体が、矢のようにいくつも飛び出す。

 

「ッチ…… 《魔狼》の群れか!」

 

 ラルフさんの吐き捨てた言葉から、飛び出てきた物が何かわかった時には、俺たちは10匹以上の狼に取り囲まれてしまっていた。



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004:襲撃

 突然の出来事に呆けている間に、《魔狼》と呼ばれる狼の群れに取り囲まれてしまった。

 わけのわからない展開に、喚きたくなる衝動が胸の奥から突き上げてくる。だが、喉元まで悪態がつき上がってくる前に……

 

「グルルルルゥ……」

 

 《魔狼》の唸り声が聞こえてきた。腹の底まで響くその音が、本能的な恐怖を引き起こさせる。歯をむきだしにして、よだれをたらし、今にも襲い掛からんとじりじり迫ってくる。今まで屠った獲物たちの血が濃縮してできたようなギラギラした真紅の目。狩られる生き物の恐れを表したかのような真っ黒な毛並。恐怖という言葉が姿をとったような姿に、呑まれてしまう。

 

 「グォォォォォォォォ!」

 

 狼のうなり声に対抗するかのように、大地が揺さぶられるような雄叫びがこだまする。《魔狼》達に向かって、グレーが威嚇したのだ。グレーの声のおかげで、縮こまっていた俺の肝っ玉に喝が入ったような気がした。

 

(落ち着け…… こっちにはラルフさんやグレーが居るんだ…)

 

「ワタル! ビビるこたぁない。数は多いが《魔狼》ごときでやられる俺たちじゃぁねぇ! なぁグレー! そうだろ」

「グォア!」

 

 ラルフさんは腰に差していた剣を勢いよく引き抜く。歩いている道中それとなく気にはなっていたが、この世界では帯剣することは珍しい事ではないのだろう。そして、それに応じて、グレーも前足を持ち上げて仁王立ちとなる。なんとも頼もしい一人と一匹を見て、俺が抱いていた恐れや不安はかき消えてしまった。

 

「来い。雑魚共」

 

 それが引き金となったのか、ラルフさん真正面に位置する《魔狼》が彼にとびかかる。ラルフさんは両腕で剣を持ち、右肩上に引いて迎え撃つ。

 

「ッへ。 ひとぉぉつ!」

 

 狼が剣の間合いに入るにはまだ距離があるのに、彼は剣を振り下ろした。

 

「キャイン……」

 

 なんと、狼は剣にも触れていないのに斬られていた。勢いよく血が吹き出しながら、ラルフさん手前の地面にたたきつけられる。一体どうやって狼を斬ったのか、さっきの光景からではよくわからなかった。いや、剣を振り下ろす直前、彼の左腕にある腕輪が一瞬、光ったように見えた気が――

 

「ギャン!」

 

 大きな狼の鳴き声に思考が遮られる。鳴き声と一緒に大きな音も聞こえたが…… 

 視線を少し横にずらせば、グレーが狼を叩き伏せていた。よほどインパクトのある一撃をもらったのか、グレーの前足の下敷きになっている狼はぴくりとも動かない。よく見れば地面にヒビが入っている。グレーは顔を狼たちに向けて「グフゥ…」と声を漏らす。きっと、にやりと笑って狼たちを挑発しているのだろう。狼達は出鼻をくじかれたせいか、じりじりと後ろに下がっている。

 

「そっちから来ねぇならこっちからいくぜぇ!」

 

 ラルフさんが威勢よく飛び出す。剣を持ち左に振りかぶって…

 

「そらよっ」

 

 右に向かって、真横に一閃。すると、数メートルも離れた位置に居た狼から血しぶきがあがった。今度は見間違いようがない。明らかにラルフさんは離れた敵を斬っている。きっと、これが昨夜言っていた輝石の力なのだろう。

 

「おらぁ! みっつめぇ!」

 

 腕を振るたびに狼の死体が増えていく! まるで魔法でも使っているようにしか――いや、実際使っているのだろう――としか思えない。ラルフさんにとっては、離れた敵を一方的に切りつける事できるので、狼の数など問題にもならないのだろう。 一方、グレーもその巨体のアドバンテージを生かして、狼達を前足ではたく――これは、叩き潰すといった方が正しいだろう――狼達を叩き潰していた。中には背骨が真っ二つに折れたかのような死体もあった。

 戦いはあれよあれよと混戦となり、あっという間に狼達の死体が山積みされていった。しまいに、狼達は2、3匹にまで数を減らしてしっぽを巻いて逃げて行った。

 

「ふぃー……ちょろいもんだな」

「ウォフ」

 

 ちょっとした雑用を終えたばかりのような言葉を漏らして、一人と一匹がこちらへ振り返る。戦闘が始まってから、圧倒、と言ってもいいほどの一辺倒な戦いだった。

 

「お、お疲れさまです。な……なんというか、二人ともめちゃめちゃ強いですね」

「たりめーよ。俺とグレーにかかればあんなもの朝飯前ってもんよ。なぁグレー?」

「グゥフ」

 

 と、何とも頼もしい道連れ達である。木の幹にしがみつきっぱなしだったので、えっちらおっちらと降りて、ラルフさんの所に向かう。

 

「さて、いらん足止め食っちまったな。そろそろ出発……ワタルっ!」

「え?」

 

 突然、ラルフさんが大きな声を出したかと思ったら、世界がものすごい勢いで回転した。真っ青で澄み渡った大空と、草の生えた緑色でまっさらな地面。交互がくるんくるんとものすごいスピードで行ったり来たりする。目に映る光景はめまぐるしく変わるのに、見える光景の変化は何故かスローモーションのように感じてしまう。一体、自分がどうなっているのか、把握できない。ラルフさんが必至に何かを言ってるような気がする。しかし、耳に入ってくる音も、そのまま頭を突き抜けて行ってしまったかのように理解できなかった。ぐるぐるめまぐるしく回転する世界が止まり、ようやく思考が動き始めた。はじめに感じたのは、あつい感覚。バーベキューの時、鉄板に手を近づけすぎて肌がヒリヒリする感覚。次に、全身に鉛を詰め込まれたかのような倦怠感を感じた。体を起こそうとしても、全身に重いおもりが付けらてるかのようで、全く動く気配がしない。なんとか顔だけは動かせそうだったので、なんとかして周りを確かめる。

 太陽の光が逆光となり、中々周りを確かめる事ができない。目が慣れるにつれて、自分の目の前に何かが居る事がわかった。

 それは――狼。先ほどの《魔狼》と似たような姿をしている。大きさもそれほど変わらないだろう。しかし、黒い毛皮の輪郭に縁取るように、薄い靄のような、いや、光っているようにも見える『何か』がまとわりついている。それだけではない、狼の周りを、3つの薄い青色の板がふわふわとただよっている。それらは、狼のまわりをゆっくりと回転していて、狼とは対照的に、神秘性を醸し出している。板は、青い石を切り出してきたかのような、様々な『青色』が複雑にまじりあった不思議な色をしいて、視線が吸い込まれてしまいそうだ。

 狼に、宙を浮く板。奇妙な組み合わせの筈なのに、俺はこれをどこかで――

 

「ワタルから離れろぉ」

 

 ラルフさんが剣を振りかぶりながらこちらに突っ込んできた。驚くほど速い速度で狼の左手方向から距離を詰めてくる。そして、先ほどの狼達を屠った時と同じように、上段から剣を振り下ろす。ギャリィッと金属同士が激しくぶつかる音が鳴り響いた。ラルフさんは狼から離れた距離から剣を振るった。しかし、対する狼は全く動かずに、ちらりと視線をラルフさんの方に向けただけだった。狼の周りを漂う板の1枚が、攻撃を防いだのだ。

 

「クソっ」

 

 ラルフさんは狼に寄りながら何度も剣が振るうが、そのたびに板1枚が――これは盾と言っていいだろう――盾1つが見えない攻撃を防ぐ。狼まであと数歩、という距離まで詰めたとき、盾と剣が拮抗し、ラルフさんの突撃が止められてしまった。

 

「かってぇな、この野郎……」

 

 一撃で狼達を屠ったはずの攻撃が簡単にしのがれてしまい、動揺もあらわにしつつも彼はニヤリと笑う。

 

「グレーェェ!」

「グォフ」

 

 死角となる狼の右手後方から、大きな黒い巨体が――いつのまに回り込んでたのか――迫ってきた。さすがにグレー相手には分が悪いのか、狼は手持無沙汰になっていた2枚の盾をグレーの方向に回して攻撃に備える。盾2枚がならんで空中にぴったりと静止する間もなく……バゴォオオオンというような、銅鑼を力いっぱいぶったたいた時のような音が響きわたる。俺は、その音が鳴るかならないかのうちに、ラルフさんに担ぎ上げられていた。視界が地面スレスレの所を高速移動するのを味わったのち、強烈な痛みとともに地面に引きずりおろされた。

 

「あだぁぁ……」

「手荒になっちまってわるかった。大丈夫か」

「ああ、そういう事か……」

 

 突然現れた謎の狼に気をとられて、自分がそれに痛手を負わせられた事に今気づいた。体を揺さぶって感覚を確かめる。動くたびに鈍痛が刺すように全身を走るが、なんとか動くようだ。

 

「なんとか。骨折はしてないみたいです。でも全身打撲したみたいで……あだだだだ」

「あんだけ派手に吹っ飛んでちゃぁな。今ので済んでるだけでも幸運なほうだぜ」

 

 なんとか視線を狼の方へ向ける。グレーと狼が格闘中であった。

 

「ところで……ラルフさん、あれは?」

「わからねぇ。あんな青い盾をまとわりつかせてる《魔狼》なんざ見たことねぇ」

「そうですか……」

 

(なんなんだろう、のど元まで来てもう少しで出そうなのに、なかなか出てこないこの感覚)

 

 そうなのだ。さっきラルフさんが突っ込んでくる直前に、俺はこの《狼》に対して既視感を確かに感じた。こちらに来る前の現代日本でも中々お目にかかれない狼に、宙を浮く3枚の盾。まるで魔法でありもしない光景を見せつけられてるかのような……

 

(待て!俺はいま何を想像した!?)

 

「グォォォォ」

 

 苦しみが混じったうめき声に思考が再び戻される。

 

「くっ。このままじゃグレーがヤベェ。この狼野郎ォォ」

 

 ラルフさんが狼めがけて突っ込んで行く。狼はラルフさんの乱入に慌てる事もなく、軽やかに跳躍をして距離を空ける。遅れて3枚の盾が追随する。

 

「チッ。グレーをこんなにボロボロにしやがって」

 

 グレーは噛まれたり引っかかれたりしたのか、所々出血していてとても苦しそうだ。しかし、デカイ図体に見合ったタフネスを有しているらしく、まだまだ戦う意思は失われてないようだ。対して狼の方は、ラルフさんやグレーと幾回も打ち合ったにもかかわらず、一切手傷を負ったようには見えない。ラルフさんが俺を助けた時のように、全ての攻撃をあの宙に浮く盾が防いだのだろう。

 

「このままじゃラチがあかねぇ。グレー! 使いたかねぇがあれやるぞ! 頼む、もう少し耐えてくれ」

「グォフ」

 

 右手に持っていた剣を地面に突き刺して、彼は左手を前に突き出す。同時に、グレーも力強く後ろ脚を蹴りだし、狼に突進していく。狼は特に大きな反応もなく構えをとり、宙を浮く盾を前に突き出して、迎え撃つ構えをする。

 グレーと狼が激突するのを見ながら、ラルフさんは突っ立ったままだ。先ほどから左手を突き出したままの同じ姿勢。そして、左腕の一部がまた光った。いや、俺からは背中が影になって見えるはずもないのだが、左腕が光ったような気がした。左腕を真上に掲げ、グレーに向けてまた振り下ろす。

 

「ぶっつぶしちまえ! グレー! 【巨大化】!」

 

 言葉を聞いた瞬間、何の事を言ってるのかぽかんとしてしまった。しかし、グレーを見ると、彼に変化が起きた。突如、グレーがまばゆい深緑の光に包まれ始めたのだ! グレーを包む光は徐々に輝きを強め、グレーが徐々に大きくなっていく! 巨体がさらに大きくなる! 木よりも大きくなり、丘よりも大きくなり、そしてまさに山と言っていいほどの巨体になってしまった。

 

「GUOOOOOOOOOOOOO!!」

 

 地響きかと聞きたがえるほどの咆哮。あらゆる存在を委縮させてしまう轟きの叫びが響き渡る。そして、ゆっくりと、だが実際は見た目以上の速度で腕を振り上げる。山が自らの意思で動き、その圧倒的な質量で敵を押し潰そうとする!

 だが、俺はその前に無意識的に叫んでいた。

 

「それだけじゃあ、足りない!」

 

 ラルフさんがハトが豆鉄砲を食らったような顔をして、こちらを振り向く。

 

「なんだと!」

「それだけじゃ足りないって言ってるんだ。【巨大化】だけじゃ、あの狼には届かない」

 

 狼の方を見れば、盾を一か所に集めて防御の姿勢をとっている。俺は直感的に、あの狼を倒す事はできないと確信していた。

 

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

 

若干、苛立ちが混じった返答が返ってくる。

 

「足りないなら、足せばいい」

 

 そして、先ほどから俺の中で激しく存在を自己主張する何かへ意識を向ける。グレーが大きくなったその瞬間から、いや、ラルフさんが『巨大化』と叫んだ時から、俺の中の何かが目覚め、暴れだしたのだ。その何かをなだめすかせ、俺に訴える事を汲み取る。論理的に理解するのではなく、本能で感じとる。そして、目をつむり実行する。

 俺の内側にある何かを通して見えるのは、2つの土地の情景だ。見渡す限りの広大な平原。これは俺がさっき旅してきた平原だ。さらに、それに隣する、見る者すべてを飲みこんでしまいそうな鬱蒼な森。土地にあふれる生命力、いやエネルギーといった方がいいのか、膨大な力が集約して俺の中に注ぎ込まれる。体の中を荒れ狂う膨大な力をもって紡ぐは――呪文。

 

窮地に追い込まれども、決して屈することなく、己が運命を切り開こうとする者に、意思の力を。

 

【不退転の意志】

 

俺の中の何かが明確なかたちをとって放たれる。目指すは当然――グレー。

 

「グルォ」

 

変化は微々たるものだった。狼を見すえる視線がいっそう鋭くなる。巨大で粗暴であった力が、さらに力を増して研ぎ澄まされ、振り下ろされる。

 

《狼》にできた事は、理不尽なほどの力が自らを覆い潰す様を眺める事だけであった。



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005:唐突な目覚め

説明回。ごめんなさい。


 一撃。巨大な熊が振り下ろした攻撃は地面に陥没を穿つほどの威力だった。土砂が舞い上がりって土煙がおこり、小石がパラパラ落ちる。しばらく、誰も動こうともしなかった。やがて、グレーがのっそりと黒くて太い手をどける。土煙もおさまり始めたようだ。狼がどうなったか見極めようとして目をこらす。いくらなんでも、あの攻撃を受けて生きているとは思い難いが……

 

「何もない……」

 

 ひび割れたクレーターの中心には、影も形も見られなかった。狼は押し潰された筈なのに、血しぶきや、死骸のかけらも見当たらない。いや、実際あったらあったで、見るも絶えないグロテスクな光景になってたのであろうが……

 

「まさか……」

 

ラルフさんがつぶやき、注意深く陥没した箇所へ近づいていく。グレーは、また淡い緑色に輝き元の小さな体躯へ戻っていく。俺と比すれば元の体長でも十分大きいけれど……

 

「光が2つ……?」

 

 土煙が完全におさまり、はっきりと観察する事ができるようになった。陥没地点の中心には、人の手のひら大の光が2つ漂っていた。1つは白色をしていて、もうひとつは白色になったかと思えば、数秒の周期で緑色に変化して、また元の色に変化している。2つの光は双子星のように、クルクルと回りながらラルフさんの顔ほどまで浮き上がり、突然俺に向かってきた。

 

「ワタルッ……」

 

 怪我をしていた上に、完全に不意をつかれ微動だにする事もできなかった。2つの光は俺の体の中に入ってきた。直後、何かが満たされる達成感が込み上げてくる。そう、コレが一体なんなのかはわからないが、「失っていたものを取り戻す事ができた」という事を感覚的に理解した。

 

 同時に、先ほど俺の中に感じた力が歓喜しているような、暖かい躍動感を感じる。長い間分かたれた者達が久しく再会できたかのように。

 自分でもこのような感覚を味わうとは思わず、余韻に浸ってしまった。

 

「おい」

 

 そこに、ドスのきいた低い声がかけられる。見れば、ラルフさんが鋭い視線をこちらに向けている。狼の返り血を浴びたのか、顔についている赤い血しぶきが凄みを際立たせている。今まで「頼れる兄貴」だったラルフさんの突然の豹変ぶりに、不思議な感覚はどこかに吹き飛んでしまった。

 

「答えろ……何が、一体どうなっている」

「え……そんな事言われても何がなんだか……」

 

 少しずつだが、ゆっくりと歩み寄ってきて、右手に持っていたまだ血まみれの剣を横に勢いよく振り払って血をきってから、俺の首筋にあててくる。辛うじて手をついて身を起こしている俺には、剣を突き付けてきた主を見上げる事しかできない。

 

「あれが放たれたときに感じた魔力のざわつき……あんときの感覚を忘れたわけじゃねぇ! なんでお前があの【呪文】を使えるんだ!」

「え……」

 

 どうやら、俺が半ば無意識的にグレーに唱えてしまった【呪文】の事を言っているようだった。

 

(そんな事を言われたって、こっちとしても無我夢中で【不退転の意志】を唱えちまって……)

 

(えっ……!? 【不退転の意志】!?)

 

 咄嗟に右手が、カーゴパンツの右後にある尻ポケットにのびる。こっちに来たときにそこに入っていた物を紛失していたのは確認済みだったので、何もポケットには入っていない。しかし、こっちに来る前には、そこには俺のデッキの1つが入っていたのだ。

 【不退転の意志】は確かに触った方のポケットに入れていたデッキの1枚だった。それを俺はさっき、グレーに向かって唱えた。マジックのゲーム用語的に言えば「プレイ」したのだ。

 

「オマエ、輝石が使えないだろ。だったら俺と同じように《呪われてる》ってわけでもなさそうだな」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「ああ!?」

「確かに、俺はさっき呪文を使いました」

「それはわかってるっつってんだよっ!!」

 

 さっきよりも大きい、俺の小さい肝っ玉をさらに縮こませる罵声によって、俺の冷静はたやすく吹き飛んだ。

 

「だ、だ、だだだから俺にも突然のこと過ぎてなにがなんだか……」

「さっさと吐けこの野郎!!」

「ひっ」

 

 ちゃきりと剣から音が鳴り、首筋に突き付けられた感覚が強くなった。首をめいいっぱいのけぞって、少しでも切れないように抵抗する。もしかしたら首皮が切れてしまって血が流れているかもしれない。あの狼のアタックをもろに受けてしまったこの体には、今の体勢はかなりきつい。体中に鉄をねじ込まれたかのような鈍痛が再びわきおこる。

 

「わ、わ、わかりましたから、剣を……剣を下ろしてください」

「テメェ……そう言って何かする気だろ」

「何にもしませんってば、剣を突き付けられた状態じゃ、説明できることも説明できません」

「……ッチ。グレー、こっち来い」

「ウォフ」

 

 グレーがのっそりと俺に近寄って、真後ろに陣取ったあと、やっと剣が引かれた。ラルフさんは右手に剣を握ったまま、一歩離れた所から睨みつけてくる。

 

「変な気を起こしたら、グレーがすぐに叩き潰す」

 

 ちらりと後ろを見やると、真っ黒な塊が目と鼻の先に仁王立ちしていた。心なしか、あの狼と同じく、グレーの体表に白い何かがまとわりついているように見える。そして、存在感が前に比べて増しているように思えた。吸い込まれそうな真っ黒な目でこちらをにらみつけ、口をガパリと開けて「ガフッ」と吠えた。「動けるもんなら動いてみろ」と言ってるように見えた。

 

「か、体中痛くて動くだけつらいだけですってば…… ええと、何から話せばいいものか……」

 

 まずは、俺が趣味で遊んでいたトレーディングカードゲームの事から説明しなければならないだろう。

 

 マジック・ザ・ギャザリング――通称、マジック。

 

 某米国発祥のトレーディングカードゲームの名前である。

 トレーディングカードゲームとは、トランプに代表されるようなカードゲームに、収集を意図されるように作られたトレーディングカードの要素を混ぜ合わせた物だ。

 

「トランプ? カードゲーム? 一体何の事だ?」

「いえ、言葉が悪かったです。こう……」

 

 気だるく両手を持ち上げ、親指と人差し指を直角に伸ばし、長方形をつくるようにくっつける。よく、景色を切り取って眺めたい時にする仕草だ。

 

「こんな長方形の薄っぺらい札を使った遊びを何か知りませんか?」

「っ? デリーチってやつが良く酒場でやられてるが……数十枚の札で役を揃えて競うルールだが……その類か?」

「はい。そういう札遊びの1つだと思ってください」

 

 「札遊び」の言葉を聞いた瞬間、ラルフさんの顔がしかめられたような気がしたが、すぐに凍てついたような表情に戻る。冷静に、そして淡々と事実を見極めようとしているようだ。俺が少しでもふざけた行動でもとろうものなら、グレーの鉄拳が振り下ろされて、俺の背骨がひしゃげてしまうだろう。

 

「トレーディングカードっていうのは……所謂、収集目的で販売される札の事です。お金持ちの人で宝石とか骨董品を集めている人っていないですか? 宝石や骨董品のように、いろいろな種類の札をつくる事で、人々の所有欲を刺激して、お金を稼ごうという事が目的の商品です」

「ああ、それならなんとなくわかるぜ……アイツみたいなやつの事なんざ理解したくはないがな……」

 

 後の方はボソッとつぶやいてたのか、あまりはっきり聞こえなかった。

 

「続けます……」

 

 マジック・ザ・ギャザリングを遊ぶ人間――普通、プレイヤーと呼ばれる――は、1万を超す膨大な種類のカードの中から好きなものをひとまとめしたカードの束――これをデッキと言う――を作り、互いに競いあって勝負を決する。

 

「同じ絵柄の札を揃えたりして、役でも競うのか? 一万も種類があったんじゃ揃うどころじゃ…」

「いえ、そういう遊び方ではないです。勝敗を決めるのは簡単な事ですよ。相手を倒せばいいんです」

 正確には、ゲーム開始時にプレイヤーが持っている持ち点20点が、先に0になった方が負け、相手の持ち点を0に追い込んだ方が勝ちだ。この持ち点をライフポイント、もしくは単純にライフと呼ばれる。

 

「ライフ……このゲームが作られた国の言葉では《命》という意味があります。このゲームは決闘を模しているんですよ。つまりは、2人のプレイヤー同士の殺し合い……ライフが0になった方が負け、要は相手に殺されるって事です」

 

 ラルフさんの表情が険しくなった。さっきの言葉だけでは非常に野蛮な遊びに聞こえてしまうせいなのかもしれない。

 

「もちろん。ただの遊びです。別に相手を負かした、相手に負かされたといったからって実際に殺し殺されるわけではありませんよ」

 

 勝敗はライフポイントの有無で決するから、当然、デッキの中身には相手のライフポイントを減らす手段が詰まっているという事になる。マジックの最大の魅力は、その手段そのもの、すなわちカードにある。

 

「プレイヤー達は物語に登場する魔法使いになって、色々な呪文を駆使して相手を倒すんです。とても恐ろしい怪物を召喚したり、想像を絶するような威力がこもった攻撃呪文を唱えたりして……」

 

 カードひとつひとつが、魔法使い達が唱える呪文なのだ。プレイヤーは万を超える種類のカードの中から好みのカードを選び出して呪文書をつくる。自分と同じく、魔法を使いこなす敵を倒すための呪文書を。万を超える魔法の中から、選りすぐりの呪文達がひとつにまとめられ、魔法使いの手の中に。それが集う魔法、マジック・ザ・ギャザリングなのだ。

 

「それで……?」

 

 ラルフさんの視線がだんだんと鋭くなってるような気がした。殺気を視線に込めてこちらを凝視しているかのようだ。

 

「は、はい。それで俺はその札遊び……マジック・ザ・ギャザリングを遊んでいたんです。いつものようにカードショップ……札を売ってるお店ですね……そこで遊び友達と遊んで……そう、ちょうどその中の一人が結婚して止めるっていうから、その人の持ってたカードをたっぷりもらったんです。持てるだけ一杯、リュックや袋、ポケットまで一杯にしてホクホク顔でウチまで帰っていたら――穴に吸い込まれました」

「はぁ? 穴に吸い込まれただぁ? お前、またふざけたことを……」

 

 またもや喉元に剣を突き付けられそうになり、あわてて両手を前に出して勘弁のポーズをする。

 

「ほ、本当です。歩いてたら突然ブラックホールみたいな……いや、黒くて丸い何かが現れて、猛烈な勢いで吸い込まれたんです。その後はもう何がなんだか…… 気がついたら草原の中に寝転がってました」 

「そんな話信じられると思ってるのか」

「だってこれが本当のことなんですから仕方ないじゃないですか。むしろ、何がどうなってるのかこちらが聞きたいくらいですっ!」

 

 突然の転移、戦闘の緊張、脅された状態での尋問。待ったなしの目まぐるしい環境の変化にこちらが逆切れしそうになる。先まで凶器を突き付けられた相手であっても、だ。

 少しラルフさんは意表をつかれたのか、質問内容を変えてきた。

 

「……っち、じゃぁ質問を変えるけどよぉ。お前さっき、魔法の事を『物語の中の出来事』だの言ったり、《輝石》も存在しないだの、まるで『魔法』そのものが使えないような言い回ししてたじゃねぇか。もしかして、お前が来たところには魔法という物がないのか?」

「正確には、想像の産物であるだけで、現実には一切存在しません」

「っか!それこそ信じられねぇなぁ。現に、お前はグレーに対して《魔法》を使った。あれはどう説明するんだ」

「っ! それだっ!!……へぶぁ」

 

 脇へのけていた重要な事実を指摘されたのに気付いて叫んだ直後、背後から巨大な質量の何かに押さえつけられた。大質量の、のしかかりに胸がぺしゃんこにされてしまいそうだ。肺の空気が全て押し出されてしまいそうである。

 

「グレー、少し手加減してやれ。そうでないと話せなくて尋問もできやしねぇ。ま、魔法行使可能な人間を、好きなようにしゃべらせられる状態にしていた俺も気が緩みすぎだったが……」

「ウォフ」

 

 体重をかけていたのを軽くしたのか、先ほどよりかは幾分かマシになった。

 

「さっきみたいに突然叫ぶ事はもうしない方がいいと思うぜ。次は、グレーのかぎ爪でお前の喉を掻っ捌く。これは最後の警告だ。話すにしても、その口をもう少し慎重に動かす事をお勧めするぜ」

「は、い……気を付けます」

 

 本当に自分が追いつめられているのだという事を痛感させられる。ぞっとする感覚――背筋に悪寒が走る――に苛まれる。

 

「それで、何が『それ』なんだ?」

「前の戦闘では俺は無意識に魔法を使ってたみたいなんです。ここに来る前はあんな事は絶対にできなかった……あの何とも言えないような感覚は今まで体験したこともなかった」

「お前が魔法を使えなかったという証拠でもあるのか」

「……そんな証拠はありません。信じてもらうほかないです。問題は、俺が使った魔法が、俺の使っていたマジック・ザ・ギャザリングのデッキの中の1枚だという事です」

 

 その言葉を聞いて合点がいったのか、彼は、はっとした顔をする。

 

「するとお前が言いたいのはこういう事か。札遊びの札を持って帰ってたら、穴に吸い込まれて、気づいたらここに居た。そして、お前が持っていた札が魔法として使えるようになってたと」

「は、はい……」

 

 ラルフさんは、手を顔にあて思案している。自分でもめちゃめちゃな事を言っているという自覚はあるが、本当の事なのでこれ以上は何も言いようがない。

 考えの整理ができたのか、ラルフさんは一歩こちらに踏み出し、そして俺を見下ろしながら言う。

 

「もう一つ聞く。お前がグレーに使った魔法なんだが一体なんだったんだ?」

「あれは【不退転の意志】というカード、いや、呪文です」

 

****************************

不退転の意志/Indomitable Will  (1)(白)

エンチャント — オーラ(Aura)

瞬速

エンチャント(クリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーは+1/+2の修整を受ける。

****************************

 

 マジックのカードにはいくつか種類が存在する。今回使った【不退転の意志】は『エンチャント』と呼ばれる種類のカードだ。さらに詳細に言うなら、『エンチャント』の中の『オーラ』に分類されるカードである。効果は簡単に言えば「魔法の力でパワーアップする」だ。

 今回、俺はこれをグレーに唱えてグレーを強くしたのだ。

 

「あの、妙な盾を浮かべた硬ぇ狼を倒すためか?」

「はい。あの瞬間に『このままでは倒せない』と思いましたから」

「なぜそんな事がわかる? 確かにヤツは防御がべらぼうに硬かった。だが、自分で言うのもアレだが、今まで【巨大化】したグレーが倒せなかったヤツなんかいなかったぜ」

「ええと……なんでかと言われれば……」

 

 そもそも、なぜ俺はあの瞬間、グレーがあの狼を倒しきれないと考えたのだろうか。

 思案を続ける思考の隅にひっかかるものがあった。あの瞬間、俺は敵側と味方側の2匹のクリーチャーのパワーとタフネスを比べ、引き分けになると判断したのだ。

 

『クリーチャー』

 

 それは、魔法使いが対戦相手を攻めたり、相手から身を守るために召喚する魔物を指す言葉だ。

 

 マジック・ザ・ギャザリングにおいては、クリーチャーを用いて攻防する事が最も基本的なゲームの流れとなる。

 

 対戦は、2名のプレイヤーが交互に各自のターンを行う事で進むが、各プレイヤーは毎ターン1回、自分が召喚したクリーチャーを使って相手に攻撃を仕掛ける事ができる。

 攻撃を受ける側は、自分のクリーチャーを攻撃してくるクリーチャーにあてがい、攻撃を妨害することで防御を行う。ゲーム内用語では、クリーチャーを用いて相手側の攻撃を妨害する事を『ブロック』すると言う。

 

 攻撃側のクリーチャーが、防御側に『ブロック』された場合、クリーチャー同士の闘いが行われる。この闘いを決する要素が、各クリーチャーの強さを表す2つの数字、すなわちパワーとタフネスだ。

 クリーチャーと呼ばれる存在には、必ずパワーとタフネスの2つの数値が設定されている。パワーは攻撃力、タフネスは防御力を示している。

 『ブロック』が行われた場合、2匹のクリーチャーは、互いにそれぞれが持つパワーに等しい『ダメージ』を相手に与える。

 与えられた『ダメージ』が、そのクリーチャーが持つ『タフネス』よりも多い場合は、『ダメージ』を受けたクリーチャーは死んでしまう。

 

 あの時の状況を振り返ると、【巨大化】したグレーは攻撃クリーチャー。盾の狼は、それをブロックするクリーチャー――厳密には『ブロック』とは言えないが――に当てはめる事ができる。

 

 俺はあの時、この勝負の結果が「互いを倒しきる事ができない引き分け」に終わる事を瞬間的に確信したのだ。

 自分でもまさかとは思うが、考えを反芻しながら答える。

 

「マジックのカードの中には魔物を扱ったカードがあります。あの狼は、俺の考えが正しければ【番狼】だったのではないかと思うんです」

 

********************

番狼/Watchwolf (緑)(白)

クリーチャー — 狼(Wolf)

3/3

********************

 

「【番狼】のパワーとタフネスは……パワーが力で、タフネスが体力みたいなものだと思ってください。で、その番狼のパワーとタフネスはそれぞれ3点と設定されているんです」

「あれの具体的な強さがわかったということか」

「はい。しかもあの狼には【神聖なる好意】がエンチャントされていました」

 

*****************************

神聖なる好意/Divine Favor  (1)(白)

エンチャント — オーラ(Aura)

エンチャント(クリーチャー)

神聖なる好意が戦場に出たとき、あなたは3点のライフを得る。

エンチャントされているクリーチャーは+1/+3の修整を受ける。

*****************************

 

「あのときの【番狼】のパワーとタフネスは、エンチャントの効果が足されて『4/6』でした。それに対して【巨大化】がかかったグレーのパワーとタフネスは『5/5』。どちらも互いを倒すには攻撃力が足りない状況だったんです」

 

 どちらも俺にとっては良く見慣れたカードだ。それのおかげか、俺にはあの狼の正体を判別することができた。それに何よりも、今も内側に感じる『何か』が俺にそうであると囁くのだ。

 

「じゃあ、グレーも一体何なのか、お前にはわかったということだ」

 

 ラルフさんを無言で見上げる。指摘された通り、もはや俺はグレーが何であるのか理解している。

 

*****************************

灰色熊/Grizzly Bears (1)(緑)

クリーチャー — 熊(Bear)

2/2

*****************************

 

************************************

巨大化/Giant Growth (緑)

インスタント

クリーチャー1体を対象とする。それはターン終了時まで+3/+3の修整を受ける。

************************************

 

 『グレー』という名前からして、グレーの正体は薄々感づいてはいた。あの時のグレーは【灰色熊】の素の能力値である『2/2』に【巨大化】の効果が足されて『5/5』であったわけだ。

 【巨大化】は【不退転の意志】とは種類が異なるカードであるが、端的な効果自体は同じだ。しかし、【巨大化】で強化された状態でも《狼》を殺しきる事はできない。

 

「そこで、お前が呪文を唱えて、グレーをさらに強くしたわけか」

 

【不退転の意志】の強化値――ゲーム的には修正値と言う――は『+1/+2』で、最終的なグレーのパワーとタフネスは『6/7』となった。これならば、グレーのパワーは《狼》のタフネス値『6』と等しくなり、狼を倒す事ができる。

 

「なるほど……まさかグレーが……」

 

ラルフさんは俺の言った事を繰り返し確認しているのか、口に手を添えてブツブツ言っている。俺の言った事に衝撃を受けたのか少し、顔色が悪く見える。

 

「……まぁいい……次の質問だが、狼がいた場所から出た光が――」

「ウォフ」

 

 グレーを見上げると、鼻先を街道の方に向けて耳をピクピクさせている。耳を澄ませてみると、馬を走らせた時に出る足音が複数聞こえてくる。徐々に近づいてくるようだ。

 

「ちっ」

 

 グレーと同じ方向を向きながら舌うちをひとつして、ラフルさんが剣をおさめる。

 

「えっ――」

「とりあえず、敵対の意志はなしってことにしといてやる。わざわざ狼を襲わせてこんなケガする事に意味があるとは思えねぇ。さらに、ヤツを倒すのにも一役買った。それに……」

 

 腕を組んで、ニヒるな笑みを浮かべながら彼は続けた。

 

「こんな状況じゃあ、俺がお前を襲ってるようにしか見えねぇだろ。余計な面倒はもう御免だからな」



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006:騎士達

「かっぽかっぽ」という足音を耳にしながら、音が鳴るたびに体が上下に揺さぶられる。当初は遠目に眺めるだけだった樹海の中に入り、木々が鬱蒼に茂る間に通る道を、俺は生まれて初めて馬に乗りながら通っている。上下動のたびに体に走る刺すような痛みを感じて顔をしかめる。

 

「おい、大丈夫か。もう少しすれば村につける。そうすれば、ニーナがもう少しマシにしてくれるはずだ」

「ニーナの回復魔法はすごいからね。そのくらいの怪我ならすぐに治っちゃうよ」

 

 俺は今、ごついオッサンの操る馬の背に乗り、村へ向かっている。無論、俺に乗馬の経験などなく、オッサンの腹に手を回して、何とか乗っかっている状態だ。オッサンは鎧を着ているのか、しがみつく面がゴツゴツしていて、馬が上下動するたびに走る鈍痛と合わせて、居心地はこの上なく悪い。

 俺がしがみついている、この鎧を着たオッサンは『アルバート・ゲイツ』という名前らしい。初老に差し掛かった、体が大きい見た目タフガイなオッサンである。多少白髪が混じった金髪で刈り上げの髪型をしており、いかつい顔つきをしている。無精ひげがあって目つきも鋭く、170センチを超す俺が見上げてしまうくらいの大男だ。初めて見たときは、鎧を着こんだ彼の姿を見て『戦士』という言葉がこれほど似合う存在はいないと感じたものだ。見た目からして近寄り難い印象を与えがちな彼だが、いざ接してみると、こちらを労わる優しさも持ち合わせている事がわかる。今までも何回かこちらを気にかけて声をかけてくれている。

 横に向けば、そこには見た目麗しい女性が馬に乗り、少し遅れて追随してくる。彼女の名前は『ナエ・リランドル』。現実世界ではまずお目にかかれないであろう、真紅の髪をしていて、後ろで1つに縛っている。荒事を職業としているとは思えないほど白い肌をしいる。さらに、均整のとれた美麗な顔立ちに、そのはきはきとした物腰は、10人中10人に好印象を与えるほどの美人さんだ。背中には鞘に収まった、一本の長剣を背負っていて、さらに彼女の背を覆うほどの大きな盾を背負っている。これは元々、アルバートさんのものらしい。けが人の俺を馬の後ろにのせるために、一時的に彼女が運んでいるのだ。こんなデカイ盾を何の気兼ねもなしにヒョイと担ぎあげる時を見たときは、こんな細い体のどこにそんな力あるのかと驚いてしまった。

 

(できるなら、ナエさんの馬に乗りたかったなぁ……)

 

と、そんな益体ない事を考えつつ、つい先ほどの事を思い出す。

 

***********************************

 

 徐々に近づく馬の足音を聞きながら、こちらに向かってくる存在が来るであろう方向を注視する。そこに、先ほどの尋問時の威勢を、つゆほども感じさせないラルフさんの声がかかる。

 

「ワタル。時間がないから手短に言うぞ。さっきの《狼》に対してお前がやった事は黙ってろ。俺たちは《魔狼》の群に襲われたが、全て俺とグレーが撃退した。そういう事にしておく。尋問の続きは、村について落ち着いてからする。何、もうあんな風に脅したりはしねーから安心しな」

「は、はぁ……」

 

 あまりのラルフさんの豹変ぶりに面喰いながらも、なんとか返事を絞り出す。背後のグレーを見れば、もはや近づいてくる存在を危険なしと判断しているのか、尻を下ろした楽な体勢をしている。そういえば、《狼》と戦っているときは、負傷をしていたはずだ。それが今では綺麗さっぱり消えているような……

 そんな風に思っている最中に、馬の足音が止み「どう、どうー」と馬を静止する声がした。

 

「我々は聖石騎士団所属の者だ。先ほど、この周辺から妙な魔力の高まりを検知し様子を見に来た」

 

 立派な体格をした薄茶色の馬に騎乗した初老の男が名乗り出た。馬に劣らず立派な偉丈夫だ。胴を覆う鎧のような防具を身に着けていて、背中に大きな盾を背負っている。彼以外にも同じような恰好をした男性4人、女性が1人騎乗してそこいた。どうやら警邏している騎士が異変を察知して様子を見に来たらしい。

 

「あいよ、ご苦労さんです」

 

(軽っ!)

 

 片手をひらひらさせながら、如何にも知り合いに声をかけるように、ラルフさんは気安げに騎士達へ近づいていく。

 

「ちょいと《魔狼》の群れに襲われちまった所でしてね。そこのグレーと一緒に片付けちまったんですわ。あ、グレーは俺の使い魔で、暴れたりしないですからご安心を」

「そうか――ラルフ? ラルフじゃないか」

 

 名乗りでた男は突然大きな声を上げたかと思うと、馬を飛び下りてラルフさんに向かう。ラルフさんの方も何かを察したらしく驚いた顔をしている。

 

「……おやっさん? おやっさんじゃねぇか! まさかこんな所で会うとは……」

「そりゃこっちのセリフだ。てめぇ、何も言わずに出て行きやがって、一体どこをほっつき歩いてたんだ」

「いやー……ラグジッドを出た後、いろんな所を回って……」

 

 一方的にまくしたてる『おやっさん』こと大男と、歯切れが悪いラルフさん。二人は知り合いらしいが、さすがのラルフさんも『おやっさん』を前にして縮こまっているようだ。二人の体格を比べると本当にラルフさんが縮んでいるように見える。

 

「ちょっと隊長! お知り合いなのはわかりましたから、まずは事情聴取しないと……」

 

 間に鈴のような声が割って入る。騎士達の紅一点、赤い髪をした女性の声だ。女性も馬を下りたらしく、隊長(=『おやっさん』)の肩をたたいて静止に入っている。男の方も自分の醜態に気付いたらしく、咳払いを一つして仕切り直す。

 

「おっほん。まぁ、私情は後まわしだ。それで?《魔狼》の群れに襲われて撃退したって話だったか?」

 

 ラルフさんの話した内容を繰り返しながら、男は周りに散らばっている《魔狼》の死骸を一瞥する。

 

「おまえならこのくらいは朝飯前だろうさ、あの熊も居る事だしな。ったくドミトリの『お告げ』通りにしたらやっぱり骨折り損だったか……ん?」

 

 熊と言えばグレーの事を指しているのだろう。肩を落としつつもグレーがいるこちらを向いた大男が俺の事に気付いたようだ。

 

「おい、誰かいるじゃないか?」

「あ、こいつは昨日俺が拾った行き倒れで……そうだ、《魔狼》に襲われたときにケガしてんだ」

「それを先に言え! 馬鹿。おい、だれか見てやれ」

 

 他の男性の騎士達が、それにこたえようとしてたが、誰もがこちらを見て躊躇っているようだ。さては後ろのグレーにビビッてやがるな……

 

「私が見ます」

 

 見るに見かねたのか、女性がこちらに近づいてくる。途中、やはりグレーの事が気にかかるのか、ちらちらと俺の後ろを見て警戒してたようだが、当のグレー本人が全く気にしてない事がわかると気にせずに寄ってきた。

 

「どっか噛まれたりした?」

「いえ、噛まれたりはしてないです」

「どこか痛い所は?」

「特には……体全体が痛いですが……」 

 

 彼女は俺の方にかがんで、俺の体のあちこちを検分しつつ、時折手で俺の体を触ってけがの具合を確かめている。手で押さえられたりした時は痛みが増したりしたが、俺はこんな美人に至近距離に近寄られて気が気ではなかった。俺の人生の中でも、こんな美人は『とびきり』の部類に入る。打撲箇所の確認時に彼女のうなじが見えてしまった時はドキリとしてしまった。彼女は「変な服着てるねー」とか「噛まれなくてよかったねー」とか「あの熊怖いよねー」とか雑談を交えつつ親身になって見てくれた。

 

「隊長! 特に致命的なケガはありません。全身、擦り傷と打撲ってとこでしょうか」

「そうか」

「どうします? アルン村までの距離を考えるなら、ここで私達が処置するよりも、ニーナに見てもらった方が一番確実で早く治療できると思います」

「あーその方が良さそうだな。そこのオマエ歩けるか?」

「は、はい。何とかいけると思います」

「よし。これからアルン村に連れてくから、そこで治療する。誰かコイツを馬の後ろにのせてやれ」

 

「君、立てる?」

 

 見れば、女性がこちらに手をかざしてくれていた。その少し冷たいながらもすべすべした手を取って、手間取りながら立ち上がる。少し足を引きずってしまうがなんとか歩く事はできるようだ。足を出すたびに痛みが走るが…… 女性が肩を貸してくれてるので、思ったより苦労せずに済みそうだ。

 

「さて……後はあの妙な魔力の高まりだが……ラルフ……お前何かしたか?」

「そのことだったら……悪い……」

 

 ラルフさんは隊長に近づき小声で話し始めた。流石にどんな話がされているのかは離れたここからではわからない。話を聞きながら、隊長はグレーが《狼》にトドメをさしたときにできたクレーターをしばらく見て、その後、俺の方を一瞬だけ見た。ラルフさんが話し終えた後も、俺が馬に辿りつくまでの間は考え込んでいた。

 騎士達の所に近づきつつ、怪しまれない程度に彼らを眺めてみる。現代日本に生きてる人間からしてみれば、彼らの恰好を見るだけでも珍しく感じるだろう。各々鎧を着こんでいて、背中には紺色のマントを羽織っている。4人全員帯剣していながらも、それぞれの得物は違うらしく、槍を持ってる人がいたり弓を背負ったりしている人もいる。流石に騎士らしく体つきががっしりしていて、激しい訓練を潜り抜けてきた猛者の雰囲気を感じさせる。皆、肩あてをしていて、同じ意匠が施されていた。正六角形の中に十字架が描かれており、十字架の交差する位置に宝石のような図形が描かれている。また、十字架の後ろには剣が交差している。きっと騎士団のエンブレムなのだろう。

 俺が騎士達を眺めている間に、隊長は考えるのが終わったようで、こちらを見た後に、他の騎士達に命令を出した。

 

「よし、周辺地域は特に問題がなしと判断する。けが人を連れて俺とナエはアルン村へ帰還する。他のオマエ達は《魔狼》の死骸の掃除と、念のため周辺の様子を一通り確認してから引き返してこい」

「ッハ!」

 

 さすが軍隊、と思わせるほどの揃った応答だった。その後、俺の肩の貸してくれているナエさんがおずおずと隊長に尋ねる。

 

「隊長ぉ、サボりですか……」

「っか! こちとらドミトリに言われて、いつもより余計な巡回の帰りに引き返してきたんだ。それが蓋を開けてみればコイツがいて、自己解決してたわけだぞ。とんだ無駄骨だ。それと……報告もしなければならんだろうからな……」

 

 最後の方は小声であまり聞き取れなかったが、ようはサボリたいらしい。

 

「隊長、その方の護衛はよろしいのですか」

「んなもんいらねぇよ。お前ら4人が束にかかってもかなわんくらいに強い『二つ名』持ちだからな、コイツは。心配するだけ無駄だ」

 

 男性騎士の質問を彼は一蹴する。隊長の『二つ名』の言葉に、騎士達から「おお」とどよめきがあがったが、言われた本人はそっぽを向いて「昔のことだよ」と手をしっしっと振っている。薄々感じてたが、やっぱりラルフさんはこの異世界でも強い部類に入るらしい。

 

 隊長はふうっと息をはいた後、再び馬にまたがって俺を見た。

 

「お前は俺の馬に乗れ。ナエ、手伝ってやれ」

「隊長。背負ってる盾が邪魔になるのでは?」

「おお、そうか、しばらくお前が持ってくれ」

 

 そう言って、背中の大盾をおろし、おそらく、ナエという名前であろう女性に手渡す。地面におろした時にガコっと音が鳴っているあたり、盾は相当な重さであることがうかがえる。

 

「よし、引っ張りあげるぞ。ナエ、足持ってやれ」

「はい」

「行くぞ」

 

 隊長に左手を持ったと思われたら、グイっと持ち上げられた。隊長は平均体重はある俺を片手の一本で軽々持ち上げたのだ。見た目通りの怪力のようだ。

 

「んしょっと……」

 

 乗馬の経験などいざ知れず、ましてやけが人の俺は、干された布団のように上半身を馬の同に引っ掛けながら、なんとか反対方向に足をかける。馬が落ち着かないのか、よたよたと横に足踏みして、しっぽがぶらぶらと横に揺れる。

 

「どう、どうっと」

「よし。大丈夫だね」

 

 俺が馬にまたがったのを確認して、ナエさんが馬に戻る。軽々と盾を持ち上げてしょっているのには、軽くショックを受けた。

 

「よし、行くか。お前ら後は頼んだぞ」

「ワタル」

 

 声がした方向を見れば、ラルフさんが近寄ってきた。思ったよりも早い別れになってしまったようだ。後で村で会えるとは思うが……

 

「とりあえず『おやっさん』にお前の事は任せておいたから安心しな。先に村へ行って治療に専念するといい。まあ『白の癒し手』の嬢ちゃんが一緒に来てるらしいから、すぐに治るとは思うがな」

「何から何まで本当にありがとうございました」

「いいってことよ。それと……」

 

 ちらりと隊長の方を見て、小声で彼は続ける。

 

「お前が俺に話した事は、俺がいいというまでは黙っておけ。それとグレーに使った『アレ』も使うんじゃねぇぞ」

「え……わかりました、でも……」

 

 隊長の方を俺が見ると――

 

「おやっさんだけには、多少話した。お前の事は了解済みだ」

 

 横から小声で「そういう事だ。任せておけ」と声がかかる。どうやら保護もしてくれるらしい。

 

「それじゃあな。また村で会おう」

「よし、行くぞ」

 

 そうして、馬が進み始める。ナエさんも連れ立ってくる。

 

「ラルフさん。本当に、ありがとうございました」

 

 手を上にあげて見送ってくれる彼の姿が徐々に遠くなってゆく。

 

「グレーもありがとーー」

 

 グレーをはこちらを少しだけ見ると、また別の方向へ視線を移してしまった。最後まで彼らしい反応だった。

 短い間だったが、ラルフさんには本当に世話になった。今、彼に拾われていなかったらと考えるだけで今の自分はいなかっただろう。負傷で手を振るのがつらくてできなかった事が少しだけ残念だった。

 

 

 

**********************************

 

 結界石が設置された広場から、アルノーゴ樹海側へ少し侵入した茂みに、広場を観察する存在がいた。

 

「いやはや、面白い物を見れたものだ」

 

 フード付きの外套を羽織った男が、もう一人の連れに話しかける。

 

「見覚えのあるやつがいた。1年前の実験対象になったやつだ」

 

 答える男の方も同様の服装をしていた。2人はフードをかぶっていて、薄暗い樹海の中では素顔を見る事はかなわない。

 

「ほう、我々と同じ力を使いこなしていたのは、そういう事か。だとすると、我々とご同類

という事かな、あの男は」

「それよりも、《狼》に襲われていた若い方だ」

「ほう?」

「わからなかったか? ヤツは『輝石』を持っていない」

「何っ」

 

 聞いた方の男が驚きの声を上げる。広場で使われた『力』については既知のものであったが、その『行使のされ方』が男にとっては問題であるらしい。

 

「それに、《狼》が倒された後もだ。『降ってきた』直後でもないのに、『憑りつく』事が起きたことは今まで見たことがない。それに確かに『憑りついた』はずなのに、その後も変化がない」

「ふむ、それも奇妙だな。あの《狼》の力量は相応のものに見えた。逃したのは少し惜しかったが……」

「少し確かめてみる必要がありそうだ……」

「また戻るのか?」

「致し方あるまい」

「やれやれ……ここにいると騎士達が来る。そろそろ行くとするか」

 

 そう男が告げた後、木の枝が風に揺られたのか、葉の間から差し込んでいた太陽の光が遮られる。再び日が同じ場所を照らしたとき、その場所には何物も存在はしていなかった。

 



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007:聖石教会の司祭達

うだうだしてるのなら、内容がどうだろうがまずは投稿すべし。
執筆自体に取り掛かるのが億劫な私にとっては、まずコレであるべしなのです。


 アルバート隊長のごつい背中に抱き着いて揺られる事数時間。やっと村らしきものが見えてきた。正直、慣れない馬に揺られて、ただでさえ怪我で良い状態とは言えない体の調子はもう限界を通り越していた。

 

「おい、もう着くぞ」

 

 そういわれてラルフさんの横から覗くように前を見る。建物が複数集まって立っている集落が見えた。周りを大人の背丈に届くかどうかくらいの高さの柵に囲まていて、柵の上端から家々の屋根が突き出しているのわかる。村と言われている割には建物の数が多いようだ。

 屋根の中に一本、細長い尖塔が突き出している。塔の中が空洞になっていて、四方を柱に支えられている。空洞になっている部分には釣鐘型らしき物体がぶら下がっている。また、塔の先端、一番上には十字架が突き刺さっている。

 これだけで如何にもこの建物は教会なのだろうという印象を抱くが、この世界の教会の十字架は1つ違うところがあった。棒が交差する部分、十字の中心に宝石のような物がついているのだ。

 どこかで見たような気がしたが、答えは俺がしがみついてる人間の右肩にあった。騎士団のエンブレムに書かれている意匠と同じなのだ。きっとこれがラルフさんの言っていた『聖石教会』なのだろう。

 アルバート隊長は隣にナエさんを引き連れて、村の入り口に入っていく。扉は手前側に開いていて、両脇に見張りの兵士が立っている。

 

「隊長。お帰りなさいませ。《魔物》は出ましたか?」

「ぜんぜんだ。出ない事に越した事はないが、こうまで何もないと暇でしょうがねぇ」

「実は内心、さぼれると喜んでるのが正直な所じゃないんですか?」

 

 ナエさんのツッコミが入る。ナエさんはサボりがちな隊長のお守りをしているようだ。

 

「違いないですね。所で、隊長が後ろにのせている方は?」

「おっと。いけねぇ。魔物に襲われたけが人なんだ。ニーナはいるか」

「はい。教会の方に詰めていると思います」

「よし。おい、教会前までこのまま乗り付けるから、ナエはニーナにコイツを見せてやってくれ」

「わかりました。行きましょう」

 

 門を通り抜けて村の中に入っていく。外からでは柵で覆われてわからなかったが、中はかなり広いようだ。門から続く道はそのままメインストリートになってるようで、村の中心までのびている。道にそって建物がまばらに建っていて、いずれも木造のようだ。樹海がそばにあるので材料には事欠かないのだろう。車や鉄筋コンクリート製の建物などの現代日本を彷彿させるような物はひとつもなく、昔の中世ヨーロッパ時代の村と言えば十人中十人が納得できるような光景である。

 しばらく道になりに行き、村の中心部に近づいた。村の中心は大きな広場になっていて、広場の中心には大きな石段が置かれていた。石段は3段構造で大きな石が積まれてできている。どうやら段は正方形の形をしているらしく、四辺それぞれに段に登るための階段がしつらえられているようだ。段の上には石柱が立っているのが見える。石柱は四角柱の形をしていて、根元が太く上になるほど細くなっている。四隅の角が滑らかに上にのびていて、表面には見事な模様が彫られている。石柱の先端には人が抱えるほどの大きな青色の澄んだ石が置いてあった。この台座は明らかにこの石を祭るためのものなのだろう。

 奥に目を移せば、村に入る時には遠目に見えた教会が見えた。やはり、教会は村の中心をなしているとこらしく、教会前の広場を中心として3方向に道が広がっているのが確認できた。教会は、俺たちの来た道から、石の台座を挟んで向かい側にあるため、大きく広場を回り込んで入口に近づいていく。

 

「おし。ついたぞ。ナエ、ワタルを下ろすの手伝ってくれ」

「はい」

 

教会の目の前に、馬を止まらせてからナエさんが先に降りて俺が下りるのを手伝ってくれた。馬上の景色や見慣れない街並みに気をとられて気付かなかったのか、長時間の騎乗でおしりが滅茶苦茶痛かった。馬に乗る時以上のたどたどしさでやっとの事で降りる。

 

「ケ……けつが痛い……」

「あはは。初めてならそんなもんだよ。それだけ言う余力があるならまだ大丈夫だね」

「ナエ頼んだぞ。言っておくが、ニーナに会った時のはずみでワタルの事を忘れるんじゃねぇぞ。俺は馬を厩舎に戻してくる」

 

 そう言って隊長はいったん馬から降りて、ナエさんが乗っていた馬のくつわを、教会の入り口横にある棒にくくりつけた。某国西部劇映画の酒場の入り口に似たような物が同じように使われたのを見たことがある。馬を括り付けておくための、現代で言えば駐車場みたいなものなのだろう。隊長の馬からで1匹ずつ戻すのだろうか? 

 

「あ、隊長。盾はどうしますか」

「後で俺もいくから、お前が持っててくれ」

「はい。じゃ行こうか。ニーナに会えるぞー」

 

 何故か、急にナエさんのテンションが上がり出した。俺はナエさんに肩を貸してもらっている状態だったが、ナエさんは俺を顧みずグイグイ前にひっぱっていく。美人のお姉さんに肩かしてもらってるとか役得等と考える余裕もないほどに。

 

「あででででで。ちょっ、そんなにひっぱらないで」

「ワタルもニーナに会えばわかるよー。あ、でも手出すのはこのナエお姉さんが許さないんだからね」

 

 一体、その人の何がわかるんだ、という俺のツッコミは俺の痛みに悶える声にかき消えた。ナエさんは俺の方をジトっとにらんだ後、厳かな教会の大きな扉の取っ手を持って手前に開く。彼女は何気なくやってるように見えるが、扉はかなり大きく、開けた時の勢いでぎいぎい大きな音がした。大人一人に肩かして、大きな盾を背負ったような状態で軽々とできるような行動ではないと思うのは俺の気のせいなのだろうか。

 

 教会の中に入った瞬間、外との明るさの差のせいで少しの間だけ目がくらんだ。だが、徐々に中の暗さに目が慣れるにつれて、中の様子がわかるようになってきた。俺がいる所は長方形の形をしている空間で、俺から奥側に向かう方向に長く伸びている。俺が立っているところから、部屋の奥まで真っ直ぐ通路が伸びていて、その両側には長椅子が等間隔に並んでいる。奥まった所は一段高くなっており、広いスペースが保たれている。その上にはステンドガラスがあり、色とりどりのガラスを通して日が中に差し込んで神秘的な雰囲気を醸し出している。ガラスの絵柄を見ると、上方にひとりの大きな人物が描かれていて、周りに何人もの人達がその人物を取り囲んでいるように見える。いずれの人物も体のどこかに宝石のような物を身に着けている。端っこの方には細かくはわからないが、何かが絵の中心部から追いやられているようにも見える。追いやられているモノは様々な姿をしていて、狼かと思えば、獰猛な虎、果てには首が長い恐竜のようなモノまでいた。中でも一際大きいのが、上方の大きな人物から対照的に大きく描かれている、黒い細長い姿をした影。これは蛇だろうか。ステンドグラスの絵は微細に描かれているとは言えず、単純に太い線で縁取りされた拙い絵だが、何故か黒い大きな蛇を見た瞬間、ぞわりと俺の中のナニかが蠢いたような気がした。

 

「何ボーッとしてるの? ほらほら早くニーナに会いにいかなくちゃ」

「え……おわっ!」

 

 俺が如何にも教会という風な荘厳な空気に呑まれているうちに、ナエさんの中でのこの場を訪れた目的は完全にすり替わっていてしまったらしい。入ってきた時と同じように、グイグイひっぱられて、入口から見て、左手奥の方に連れてかれてゆく。俺たちの足音と、ナエさんの鎧と盾が揺れて鳴る音だけが教会の中に響く。

 左手奥には木製の扉があり、これもナエさんが片手でバーンと勢いよく開いた。扉の奥には廊下が続いていて、廊下の突き当たり1つ、右手側に3つほど扉があった。ナエさんは相変わらずの勢いで俺を一番奥の扉まで引きずっていき、ノックもせず「ニーナァー今戻ったよー」と大声で言いながらドアを開いた。

 ここまで来るのに、ドアをぶち抜いてくるかのごときで踏破してきた。当然ながら、教会の中に居た人物にその音が聞こえていないわけがなく、ある人物が待ち受けていた。

 

 その当人の姿を目に収めてからの第一印象は「真っ白」であった。ナエさんが真っ赤に燃える暖かい灯火のような、熱くも心地よい雰囲気と称すならば、こちらは雪が降って一面真っ白な平原を想起させる、静かなる雰囲気とでもいうのだろうか。髪は光の反射でまっしろに見間違えてしまうかのような銀髪で、縛らずに腰までのばしている。「絹のような髪」と言う言葉は一体どこで聞いた言葉なのだろうか、彼女の髪はまさしくそれにふさわしいと言えるほど美しかった。肌はナエさん以上に白く、かといって、病弱な印象を与えるというわけではない、やわらかな色であった。来ている服装も白であり、修道服なのだろうか。

 

(これ以上真っ白しろにはなりようがないだろ)

 

等と阿呆な事が一瞬脳裏をよぎってしまうほどであった。

 

 ナエさんを待ち構えていたのか、きつめな表情をしていたが、それでもナエさん並の美人である事がわかる。整った顔立ち、透き通るような唇、そして黄金に輝く瞳。『美』というものが姿をとったらこういうものなのだと言われれば、誰もが納得してしまうほどだろう。あまりの美しさに、本当に人間なのか疑いたくなるほどだ。ただ、俺やナエさんと比べると少し年下な印象を受ける。もう数年すれば、ナエさん以上の絶世の美女になる事は想像に難くない。俺たちがいるドアに向かって両手を腰に当てて仁王立ち状態である彼女には、今のような不機嫌そうな顔ではなく、ほほえみが似合いそうだなぁと考えてしまうあたり、俺は見とれていしまっていたのかもしれない。

 

「ナエ! 教会の中では静かにってあれほどいったでしょ!」

「ニィィナァァ、ただいま!」

 

「エッ?」

「おわぁっ!」

 

 前者が『白の癒し手』のニーナさんが漏らした言葉、後者が突然支えを失って倒れようとしている俺の言葉だ。何が起きたかというと、ナエさんがニーナさんに向かってダイブしたのだ。俺に加えて、背負っていた盾をその場に放り上げる手際の良さに、無駄な器用さがうかがえる。だが、何故ナエさんが身につけていた鎧や剣が、突然着ていた当人がさっぱり消え失せたかのように宙に浮いているのだろうか。某怪盗の、服を綺麗に脱いで下着だけの恰好でダイブする様を彷彿とさせる光景だった。

 

「キャァァァァァァ」

「にーなぁぁ、でへへ……」

 

 という、一方的セクハラが展開されているであろう嬌声を聞きつつ、俺は激痛をともなって前のめりに倒れた後、脳天をカチわる大きな衝撃と同時に意識を手放したのだった。

 

 

*************************************

 

「ニィナァァ。ああ、このサラサラした髪。すべすべしたお肌。アタシがどれだけほっぺたですりすりしたかったか……」

「ちょ……、こんな事に『力』まで使ってるんじゃ……。やっ、どこ触ってんの」

 

 ワタルの想像通りのチョメチョメが繰り広げられようとしてる中、部屋の中に大きな音が響く。ちょうど鉄板を勢いよく床に落としたときに聞こえそうな音だ。

 

 ニーナは音の大きさ故に、音がした瞬間は体がびくりとしてしまい、ナエにやらしい事をされそうになっている事を一瞬忘れかけてしまった。おそるおそる部屋の入口に目をやると、ちょうど青年が剣や鎧に埋もれて前のめりに倒れていた。そして、ちょうどトドメを入れるかのように、頭の上に大きな盾が突き刺さっている。誰がどう見ても音の原因は判断できるだろう。

 

「ナっ……ナエ? あの人は?」

「えへへへへ、よいではないか、よいではないか」

「だぁかぁら! いい加減にしないともうアレやってあげないわよ! 離しなさいって」

「えー……わかった。あ、ワタルの怪我見せにきたんだっけか。ニーナぱぁうわー補充に夢中で忘れてた」

「ちょ……それを早く言いなさいよ。ちょっと、あなた大丈夫!」

 

 カランカランと青年の部の横に盾が音をたてて倒れるが、青年には一切反応が見られない。次第にニーナの脳裏には、これはもう手遅れなのかもしれないという考えが満たされていく。倒れ伏した青年の傍らにひざまずき、肩を揺らしてみるが、やはり全く反応がない。はぁと溜息をつきつつ、ナエ達が入ってきた時以上の不機嫌な表情をしてナエをにらみつける。

 

「怪我を治しに見せに連れてきたアナタが、トドメ刺してどうすんのよ」

「う…… ご、ごめなさい。ワタル大丈夫……?」

「あなたも見ればわかるでしょう! まったく、その癖いつになったら治るのよ。私はもう子供じゃないんだから……」

「ニ、ニーナ? ワタルはどうするの。もうこれはだめかもしれなかったり……」

「まずはベッドにのせるわよ。早く、ナエは足の方持ちなさい」

 

というように、紆余曲折あったものの、ワタルはようやく異世界に放り出されてから一安心できる場所に保護されるようになったのである。

 

*******************************************

 

目を開ける。見える光景は薄暗く、自分が一体どこにいるのかわからなかった。だが、少しずつ記憶がよみがえってくる。突然穴に吸い込まれた事。どこかもわからない草原にほっぽり出されたこと。グレーに会って、死んだフリしたこと。ラルフさんに助けてもらった事。狼に襲われたこと。突然、マジックの呪文に目覚めてしまった事。アルバート隊長やナエさんに連れてきてもらった事。

 

「はぁ……全部夢だったらよかったのに……」

 

 俺の独白に対する答えは沈黙だけだった。俺はどうやらベッドに寝かされて介抱されていたようだ。しかし、あいにくベッドで寝た記憶がない。その事を不思議に感じつつ、感触を確かめる。元いた世界のものに比べれば、ベッドは硬く、毛布はごわごわで決して快適とは言えないが、地べたに寝なければならなかった前日に比べれば天国と地獄の差である。俺がいる部屋は病室として使われているらしく、俺が寝ているベッドを合わせて6つのベッドが向かい合わせに置かれている。壁には木の窓があって、内側から立てかける事で外に開いている。開けられて窓から見える外は赤みがかっており、部屋の中の暗さと合わせて、今が夕方だという事がわかった。部屋は静寂で満たされており、まるで世界中からすべての存在が消え去って、俺だけが取り残されたかのような寂しさを感じてしまう。

 

 突然、ギィッとドアが開く音がした。ドアの方に目を向けると、人がお盆を片手に持って、ドアを開けて入ってきたところだった。見れば、その人物の横の棚の上には光を明るく放つ石を備え付けた台が置いてあり、部屋の隅から、俺のいる空間をほのかに照らしている。その灯りのおかげか、俺は入ってきた人物の顔を認識する程度には見る事が出来た。意識が途絶える前に見たニーナさんにと比べると明らかに背が高く、別の人物だろうかと訝っていると……

 

「おや……目が覚めましたかな?」

 

 口からもじゃもじゃした白髭をたらした老人がにっこり俺に笑いかけてきた。ニーナさんが着ていたような純白の法衣……のような物を着ているが、こちらは袖や服の合わせ目に細かい意匠が施されていて、より高位の人物が着る服装であることが察せられる。だが、着ている当人からはそのような威厳は微塵も感じられず、にこにこしている表情からは「気のやさしそうなおじいちゃん」くらいの印象しか感じられない。扉を閉めたあと、傍らに置いてあった灯りの台の取っ手を握りながら、お盆を持ってゆっくりと俺に近づいてきた。お盆を俺のベッドのとなりにしつらえられている棚の上に置き、近くに置いてあった丸椅子をベッドに近づけて腰をおろした。お盆の上には木製の皿にシチューともお粥ともとれるような食べ物がよそってあり、脇にスプーンが置いてある。お皿からわきだつ湯気と一緒においしそうな匂いが俺の鼻をくすぐり、唐突に空腹感を感じた。思えば朝から何も食べていなかった。

 

「ほっほっほ。まずはこちらをどうぞ」

 

こちらの考えてる事などお見通しなのか、そう言って、老人は俺にお盆ごと渡してくれた。無我夢中でがっつきそうになるが、最低限これだけは忘れてはいけない。両手を合わせて……

 

「いただきます」

 

そう言って、ちらりと老人を見やる。部屋の中に入ってきたときから変わらない柔和な表情で頷いてくれた。目の前の老人が入る前に俺が感じていた孤独感など、火急の空腹感を前にしては些細なものであった……

 

*************************************

 

「ごちそうさまでした」

 

 そう言って、木でできたスプーンを置く。おなかが満たされた辺りから、少しだけ食べ物を分析する余裕ができた。断定はできないが、お粥に相当する食べ物なのではないかと思う。正直、味つけとして塩が入れられてる程度で味気なかったが、ここまで面倒見てもらってる身の上で文句を垂れる事ができる立場ではない。それでも、腹を満たすというには十分すぎるほどだ。「朝食べた硬いパンに比べればまだまし」と自己評価に見切りをつけ、老人の方を向く。

 この老人、俺ががっついてる間も黙って見守ってくれて、食い終わるのを待ってくれていたようだ。そのことを考えると、申し訳ない気持ちになってしまった。

 

「さて、お腹も満たされたことでしょうし、少し、このじじいとお話をしてくださいませんかな?」

「いえいえ、大変お世話になってしまってるようで、ありがとうございます……ここは『聖石教会』なのでしょうか」

「そうです。ここはアルン村の『聖石教会』です。私はこの教会で『司祭』をしているザーナと言います」

「この教会に入るとこまでは覚えてるのですが、ベッドにもぐりこむまでの記憶が飛んでいるのですが」

 

そう言った途端、ザーナさんの表情が申し訳なさそうになった。いきなり図星をつくような発言をしてしまったのだろうか…

 

「これは非常にすまなかったの。ワタルさん……と言ったか。君はナエ様に連れてこられて、この部屋までやってきたのまでは覚えておるかね」

「はい。その時、ニーナさんでしたか。俺を見てくれる人に会ったまでは覚えているのですが……」

「そこでナエ様がワタルさんを手放してしまって、転倒。あなたは結果的にそこで意識を失ってしまったのですよ」

「あ……」

 

 確かに、そういう事だったような気がした。あの時は前につんのめって意識を失うまでにあまり間がなかったから、あまり記憶に残らなかったのかもしれない。

 

「確かナエさん、部屋に入るや否や、ニーナさんにとびついてったっけ」

「ナエ様はニーナ様の事を、それはもう非常に大切になされてまして、実の妹のようにかわいがっているのですよ。ただ、まぁニーナ様の事が関わってくると、少しタガが外……いえ、何よりも優先してしまうほどかわいがっておられるのですから、けが人を無下に扱った手前、落ち度としてはわたくし達の方にもございますが、その……どうか大目に見てくださいませんでしょうか」

 何気に『タガが外れる』的な危険な言い回しがされていたような気がしたが、助けてもらっている俺としては、相手がそう言うからには断る事は出来ないだろう。

 

「ええ。問題ないですよ。こうして面倒見てもらってるわけだし……っ痛」

 

 少しだが、頭の後ろ側に鈍い痛みがした。手を痛みの所に持っていき、髪の毛の上から撫でてみる。触って、少し押した時に感じる鈍い痛みから、たんこぶができてるようだった。

 

「いかがなされましたかな?」

「うーん。なんか頭の後ろの方にコブができてるみたいですね。こんな所に大きなタンコブができるような事ってあったかなぁ……」

 

 優しげに俺を見てくれていたザーナさんだが、少しだけ体がビクっと震えたように見えた。

 

「き、聞いた限りですとワタルさんは《魔狼》に襲われたときに全身を強く打ちつけているとか、その怪我なのではないのですかな……」

 

 何故だか、ザーナさんは焦ってるようにも感じられる。先ほどから視線をずらしてなぜか俺を見てくれない。

 

「うーん。そうかもしれませんね。でもすごいですよ。気がついたら全身の痛みが引いてるんですもの。何をどうやったか知らないですが、ニーナさんってすごいですね」

「む、無論。ニーナ様は代々『癒し手』として知れ渡っているデルフス家の次期当主とまで言われておる方ですぞ。才能にあふれ、あの御年で先代のエレナ様を凌ぐとまで言われておるほどですぞ。そんな方にかかれば、どのような怪我でも治らない事はないでしょう。ほっほっほっほ……ふぅ……」

 

 そうなのだ。教会に入る前にはあれほど感じていた痛みが今では嘘のように引いている。ザーナさんが汗をぬぐっていて、溜息もしていても気にならないほどの回復ぶりである。擦り傷でボロボロになっていた所も治っていて、まるで怪我をする前に巻き戻されたかのような状態になっていた。恐らく、これも『輝石』とやらの力で、どうにかしたのだろう。

 

「そういえば、ラルフさんは戻って……ってわかりますか?」

「騎士様方と一緒に戻ってこられた方ですかな。あの方でしたら、あなたの様子をこちらに聞きに来ましたが、無事に治療中だという事をお伝えしたところ、安心しておられましたよ。宿の方にしばらく滞在するつもりだという事を伝えてくれと言われましたな」

「そうですか。無事だという事を伝えなきゃいけませんね」

「そうですな。しかし、今日の所はもうゆっくりとお休みになられた方がよろしいですぞ。そろそろ日も暮れますし、詳しい話は明日になってからでも遅くはありませんぞ」

「……そうですね。今までいろいろあって今日は疲れてしまいました。お言葉に甘えさせていただきます」

「うむ。よろしい。それでは私はこれにて失礼しますぞ。お休みなさい」

「ええ、おやすみなさい。何から何までありがとうございました」

「『儚く弱き、全ての命に、救いの手を』 我が聖石教会の教えの一つです。私達はそれを実行したにすぎません。どうかお気になさらず。あなたは養生する事だけを考えればよろしいのです。ではまた明日」

 

そう言ってザーナさんはドアを閉めた。見れば、外はもう完全に暗くなりかかっており、夜になりそうな時間になっていた。見たところ、この世界には電気がないので、きっと就寝時間も驚くほど早いのだろう。部屋の中は、暗闇と言っていいほど暗く、またもや沈黙が支配する場となっていた。しかし、俺からは先ほどのような孤独感は無くなっていた。見知らぬ異世界でも、自分は見捨てられていない。そのことが分かっただけでこんなに安心感が得られるとは思っていなかった。

 

「今夜は安心して眠れそうだな……」

 

そう言いながら、俺は目を閉じた。



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008:目覚め、事情聴取

 深淵に浸りきっていた意識が次第に引き上げられて、はっきりしていく。睡魔に抗いつつも、それらを払いのけるために、横たわったまま大きく伸びをする。伸びをした後に、苦も無くそのような事ができる程度には怪我が回復したのだと改めて気づいた。

 

 「すげーな……おい……」

 

 上体をおこし、部屋を見渡す。ザーナさんに会う前と同じく、部屋には俺一人がいるだけだった。開かれた窓の方を見やれば、かなり外が明るい。やっと安心して眠れる環境に身を置いて気が緩んだのか、かなりの間、惰眠をむさぼっていたようだ。

 大きく口を開けて、他人が見ているだけで眠りを誘発しそうな長いあくびをする。右手で後頭部をガリガリかきつつ、特に何をするまでもなく茫然と部屋を眺める。後頭部の大きなコブに手があたったのか、鈍い痛みをやり過ごす。まるで、土日に二度寝をして昼まで寝てしまった時のような、出遅れてしまったようなやりきれない気分だ。

 

「とりあえず、起きるか……」

 

 いそいそと、ベッドから抜け出す。幸い、足元に俺が履いてきたスニーカーは揃えられて置いてあった。スニーカーを履いて両足で立って改めて気づいたが、俺はいつの間にか寝ている間に着替えさせられていたようだ。チュニックというのだろうか、少し濁った白色のごわごわした布地でできた衣服だ。恐らく病人用の着るものなのだろう。俺は全身くまなく打撲と擦り傷だらけだったのだから、治療のために脱がされたのだろう。その事が頭をかすめると同時に、あの美麗な白い少女の事を思い出し、そんな人物に全身ひんむかれたという事に思い至って、かなり恥ずかしくなった。いくら怪我の治療のためだからと言って、男としては女性に一方的に裸を見られるというのは、とても気恥ずかしい。ズボンらしき、履物の皮ヒモを緩める。ズボンを両手で持ち、バッと広げて自分の息子が生えている周辺を確認する。見覚えのある俺のトランクスはちゃんと穿いたままの状態であった。どうやら最後の一線は守られていたらしい。

 少し思考が脱線してしまった。部屋の隅を見ると棚の上にツボが置いてあるのに気付いた。確認してみると、水差しのようであった。水差しの脇に置いてあった木のコップに水を注ぎ、一気にあおる。ぬるかったが、贅沢は言ってられないだろう。

 

「さてっ、いっちょいきますか」

 

渇きも潤したので、部屋の外に出てみる事にした。

 

 扉を開け、すぐ右手にある扉を開けてみる。どうやらその扉は裏口になっていて、建物の外に出たようだった。扉を開けた瞬間、照りつける光に目がくらむ。昼過ぎという俺の予想は当たっていたようだ。周りを見れば、開けた場所になっていて、教会裏の空き地のようだった。周りを木の柵に囲まれていて、柵の向こう側には民家が数件まばらに建っている。少し離れた場所に村を囲う大きな柵が見えた。教会は村を覆う仕切りの中の奥に位置しているようだ。視線を手前に向ければ、洗濯物がヒモを通されて干されているのがわかる。ちょうど干し終えたのか、誰かがかごを持ち上げて、ちょうどこちらを振り返った所だった。

 

「あら……」

 

 その女性は、俺の姿を確認するすると、少し小首を傾げてこちらに歩いてくる。背丈は小ぶりで、幼さが抜けきらない顔からは、彼女の歳が中学生くらいの年ごろなのではないかと想像させる。帽子をちょこんと頭の上にのせて、その下には三つ編みにした空色の髪が、腰の長さまでのびている。服装は教会の人間らしく、修道服に変わりはなかったが、ザーナさんのような装飾が見当たらない地味な物を着ている。彼女は籠を両手で抱えたまま、こちらに近づいて来た。

 

「おはようございます。目が覚められたんですね。具合はいかがですか?」

「あ、おはようございます。すっかり良くなりましたよ。ああ、でもまだ頭のコブが少し気になりますかね」

 

 背丈の差の都合上、俺は彼女を見下ろす事となる。目の前の女性は俺の返答に苦笑しつつ、はにかみながらも答えてくれる。頬にそばかすちらほら見られるが、そんな特徴も、彼女の纏う、やわらかではつらつとした好印象な雰囲気に一助を添える特徴にしか思えない。

 

「うふふ。また後程、ニーナ様に見ていただけるようお願いしておきますね。あっ、申しおくれました。私、ロミスと言います。この教会で司祭見習いをしています」

「俺はワタルと言います。面倒みていただいて本当に助かりました」

「そんな、とんでもない。私は大した事はしてません。その言葉は司祭様やニーナ様にかけて下さい」

 

 片手で手をひらひらさせつつ、ロミスさんは笑って答えてくれる。本当に、教会の人達はやさしい人達ばかりで少し感極まってしまう。胸の奥から湧き上る情動をそうとは悟られないようにぐっとこらえていると、ロミスさんが口を開いた。

 

「ワタルさんが起きたら、司祭様からお話があると伝えるように言われております。今から司祭様を呼びに行きますので、少しお待ちいただけないでしょうか」

「あの、起きたばっかりで顔を洗いたいのですが、水とかタライとかどこかにないでしょうか」

「タライ……ですか? 何のことかわかりませんが、井戸ならあちらにありますよ」

 

 彼女の示す方向に、その通り井戸があった。細かな石が積み上げられていて縁が作られていて、その上に木で骨組が組まれている。横に木のバケツがあるので、これを使って水をすくうのだろう。

 

「私はかごを置いてきますね。またここに戻ってきますので」

 

 そう言って、ロミスさんは俺の横を通りぬけて、教会の中へ入っていった。

 

「さて……」

 

 井戸に近づいて、周りを検分する。木のバケツには縄が付けられていて、それが井戸の上の骨組みに向かってのびている。滑車があるのでこれを使って水の入ったバケツを引き上げるのだろう。縄をつかんで速度を調節しつつ、バケツを井戸に落とす。

 

「うお、重っ……」

 

 想像以上の重さに戸惑いつつ、えっちらおっちらバケツを引き上げて、井戸の縁にのせる。両手をバケツに突っ込んで、服がぬれないように顔を洗う。キンとした冷たさに、緩んでいた思考や全身の感覚が研ぎ澄まされる。洗った直後にぬれた顔をふくタオルがない事に気付く。自分の物ではない服なので、袖でぬぐおうかどうか迷っていた所、横から布がつきだされた。気づくとロミスさんが戻ってきていた。彼女は子供を叱る時の母親のように俺に言ってくる。

 

「はい、これで拭いてください。袖でぬぐうと行儀が悪いですよ」

「あ、ども。すみません」

「はい。よろしいです」

 

 素直に謝ると彼女がにっこりほほ笑んだ。小さな子を諭すような、俺よりも年下ながらも母性全開のその笑顔にドキリとしてしまった。どうも転移してきてこの方、この世界の女性の魅力に翻弄されつつある。会う人全てが俺の中の物差しで上位に食い込むのだからこればかりは仕方がない。

 

「では、司祭様の準備が整いましたのでご案内いたしますね。あちらへ」

 

 そう言って手をむけられた方向を見るに、先ほど出てきたドアに加えて、もう一つこちらに面しているドアがあった。ロミスさんに連れられて教会に入って気付いたが、どうやら俺が寝ていた部屋は、礼拝堂の裏手にあたる所に位置していているようだ。礼拝堂に続いているであろう廊下を真っ直ぐ進み、3つあるうちの真ん中のドアまで進む。

 

「さあどうぞ、中で司祭様がお待ちです」

「ありがとうございます」

「いいえ、では私はこれで失礼いたします」

 

 別れ際にも、にこりと笑みを絶やさないロミスさんへ向いてしまう視線を無理やり引きはがしてドアを開ける。

 中の部屋には大きな長机があり、テーブルクロスがかけられている。周りには調度品がいくつか配置してあり、壁には豪華な額縁に収まった絵がかかっている。おそらく応接室として使われている部屋なのだろう。テーブルの隅の一角にザーナ司祭が座っている。

 

「おや、どうやら具合は良くなられたようですな」

「はい。もうすっかり良くなりました」

「それはなによりです。まずは、こちらへ」

 

 昨日見た服装と変わらない出で立ちをした司祭に返答し、ザーナ司祭が示したイスに座る。ちょうどザーナ司祭が左手に来る位置だ。

 

「さて、およびたてしたのは、あなたがこの教会にいらっしゃるまでの事情をお聞きしたかったからです」

「はい」

 

 そう言って、これまでの経緯を順序だてて頭の中で組み立てていると、ザーナ司祭が再び口を開いた。

 

「実は、おおまかな事については、アルバート殿を通してラルフ殿からお話を伺っております」

「え、だとすると……」

 

 俺がこの2日で体験したことは、穴に吸い込まれる。行き倒れる。ラルフさんに拾われる。狼に襲われる。この程度である。ラルフさんから事情を聴いているのならば、もはや話す事は何もないように思われた。

 

「正確には狼に襲われた時の事を関係者を交えて、もう一度確認させていただきたいのです。他の出席者については今使いの物を出しています。間もなく、おつきになるころかと……」

 

 その時、ちょうどタイミング良くドアからノックする音が聞こえた。ザーナ司祭が許可すると、3人の人間が入ってきた。2人は俺と面識がある人物――アルバート隊長にラルフさんだ――であり、残りの1人は見たことがない人物だ。

 その人物は、一瞬小柄に見えたが、それは長身のラルフさんとアルバート隊長と比べたからであり、俺より少し小さい程度であった。ボサボサの金髪をしていて後ろにはしっぽみたいな髪が1本伸びている、濃い澄んだ青い目は、深さが知れない水底のようである。年齢は3人の中で一番若く、俺よりも2、3歳年下のように感じられた。全身をすっぽりと濃緑のローブ――今回見るのが初めてだがそうとしか表現がしようがない衣類――で覆っていて、ローブの間から見える手には拳ほどの水晶玉がつかまれていた。そして、なぜか彼の視線はずっと俺に向けられていた。初対面なのにこれほど注目を浴びる理由が思いつかず、少し不安になってしまう。

 

「ザーナ司祭、失礼します」

 

 1日ぶりにアルバート隊長を見るが、その巨体には相変わらず圧倒されてしまう。数人程度が入ってもなお余裕があるこの応接室らしい空間内でも、一際その大きさは異様に感じる。

 

「おお、意外と速かったですな。それではこちらへ」

 

 3人はザーナ司祭の勧めに従ってそれぞれ座席に腰掛けた。アルバート隊長と見知らぬ少年は俺の真正面に。ラルフさんは俺の右隣だ。

 

「よっ。思ったよりもピンピンしてそうだな。さすがは《白き癒し手》ってところか」

 

 ラルフさんが右手を上げて挨拶しながら、イスを引いてドッカリと座る。どうやら、彼はTPOという概念はあまり気にしてないようだ。俺の右前方に座った隊長から「おい、司祭の前だぞ」と軽くお叱りを受けている。ザーナ司祭は好々爺然とした笑いをするだけで特に気にしていないようだ。ただ、初対面の少年は二人のやりとりをちらりと一瞥しただけで、すぐに俺に視線を戻してきた。

 

「さて、先ほどワタルさんには、この場の目的をお伝えした所です。ラルフ殿もその場にいらっしゃったわけですし、今一度、当時の状況を振り返ってみるのがよろしいかと存じます」

 

 司祭の発言に隊長が頷いて、後を引き継ぐ。

 

「司祭のおっしゃったとおりだ。昨日の事だが、我々は警邏の巡回中……と言っても隣のコイツのせいなのだが、突然奇妙な魔力の高まりを感知して、その出所を調査しようとしたところでお前たちと出くわしたわけだ」

「はい」

 

 一拍を置いて、隊長が続ける。一方、隣の青年は変わらず俺を観察し続けている。

 

「だいたいのあらましは、そこのラルフから一度聞いている。しかし、我々としては、今一度確かめたい事があったのでな。ワタルには病み上がりで申し訳ないが、この場を設けさせてもらった」

「いえ、もう結構大丈夫みたいなので問題はないのですが……今更何を確認したいのですか?」

 

 隊長は一瞬だけ視線を横にずらした、その先は金髪の少年である。少年は一瞬のアイコンタクトで事が伝わったのか、座るときに手元に置いた水晶を軽く一撫でする。すると、水晶の中が暗闇で満たされ、輪郭が薄く輝くオーラに包まれ始めた。

 アニメやドラマで見られそうな、いわゆる《占星術的なそれらしい光景》に半ば茫然としてしまった。

隊長からの「コイツは気にするな」という言葉で集中が戻る。なぜか、となりのラルフさんが「フンッ」と鼻息一つ荒らげたのが気になったが、今は隊長の言葉に意識を向けた方がいいだろう。

 

「それで、確認したいことなのだが…… ワタル。お前は盾を浮かべた大きい狼に襲われて、それを撃退したそうだな」

「えっ……そう……ですけど、俺は何も……」

 

 撃退した。と言われれば、そう断言するのには一瞬迷いが生じた。トドメを刺したのはグレーであって、俺はその手助けをしたに過ぎない――突然使えるようになったマジックの呪文で。

 

「いや、お前は何かをしたはずだ…… ラルフ。お前からも言ってやってくれ」

「ああ。ワタル。お前はあの時確かにグレーに何らかの呪文をかけたはずだ。じゃなければ、俺の《巨大化》を受けたグレーでさえ出せないあの一撃が説明がつかん」

「ラルフはこう言っている。お前はその時に《呪文》を唱えたそうだな。これは間違いないな」

 

 隊長の視線が少し鋭くなった気がした。内心少し焦りながらも正直に答える。この場で嘘をついてもどうしようもないというあきらめもあった。

 

「はい」

「お前があの時唱えた呪文はどんなものなんだ」

 

 何かいけない事をしてしまったのかと焦りが出てきてしまう。

 

「いえ……あの時はグレーを強化しようとして、無意識に……」

「《強化》呪文なのか? おまえは輝石を持っていないそうだが、どうしてそんな事ができるんだ。何かほかに隠してない事はないのか!」

 

 一言ごとに凄みを増す隊長がとても怖い。恐怖でおなかの奥が締まる感覚がする。だが、ラルフさんが助け舟を出してくれた。

 

「オヤッサン。ワタルは怪しいが無害で自覚もないって言う事は何回も言っておいたことだろう。それに、コイツを揺さぶった所で何も出てこないだけだと思うぜ。何より、コイツは盾の狼を倒すという点で協力してくれた事には変わりはねぇぜ」

「む……わかった」

 

ラルフさんの諫言を聞いて、身を俺の方に乗り出していた隊長が元の席に収まる。「すまんかったな」と、隊長は少し間をおいてから、さらに聞いてくる。

 

「話は飛ぶが、お前、《ネメス》という言葉に聞き覚えがあるか?」

「《ネメス》……? 誰かの名前でしょうか? それとも地名? すみませんが全く聞き覚えがないです」

 

 残念ながら、この世界には来たばかりで知り合いは多くはない。ましてや日本に居た時でさえ、外国人の知り合いなぞいなかった。地名についても同様である。高校の授業でも、ネメスと言うような名前の場所を習った覚えはない。

 その答えを聞いて、隊長はまた少年の方を見る。少年は話が始まってから水晶をじっと見つめていたが、軽く首を振るだけの応答をした。その後に、隊長の俺に対する視線が少し和らいだような気がした。

 

「じゃあ、お前が狼に襲われる前の話を聞かせてくれ。聞けば、ラルフに拾われたんだとか?」

「そうなんですよ。信じられないかもしれないですが、俺は突然ここに放りだされたんです」

 

 今までたまっていた鬱憤を晴らすちょうど良い機会だったのかもしれない。俺は一方的に、元の世界から放り出されて、この教会におさまるまでの話をまくしたてるのだった……

 




仕事忙しすぎてもう働きたくないお……


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009:召喚と謎の揺れ

ドンガメ更新。相変わらず。


 大きなため息をついて、隊長が俺の話をまとめる。

 

「つまり、お前は別の世界から、この世界にやってきて、気がついたら空想の《魔法》の力が使えるようになってたってことか?」 

「そーです!」

 

 言い放ってから、俺は自分がヒートアップしていたことに気付いた。隊長は俺に辟易してるようだし、目の前の金髪の少年も呆れたような表情をしている。間髪いれず、隣から「なっ、コイツ意外に逆切れ気質だろ」とラルフさんからツッコミが入る。なんだか恥ずかしい事になってしまった。微妙な空気の中、司祭から救いの一言が入る。

 

「さて、ここらで一休みとしましょうかな。ワタルさんも話しすぎでさぞ、疲れてるでしょう」

「はい、お気遣いありがとうございます」

 

と、返事すると同時に俺の腹も盛大に音をならす。そういえば起きてからこの方、何も食べてなかったな……

 

「ほっほっほ。何かつまめるものも用意しましょうか。では皆様少しお待ちくだされ」

 

 そう言って、ザーナ司祭は席を立ちあがり、部屋の外へと出て行った。ドアが閉まるまで目で追ってから、俺は改めて真正面に座る少年を見やった。少年はもう水晶玉を注視するのをやめており、その水晶もいつの間にか普通に戻っていた。少年は水晶玉を手にとり、ローブの内側へごそごそと収めている。すると、俺の視線に気付いたのか、こちらに視線を返してくる。初めて彼を見たときに、視線で俺を射抜くのではないかと思うほどの目つきの鋭さは感じなくなったが、今度はおかしな物でも見たかのような怪訝な表情になってる。

 

「……何?」

 

 初対面の人物であるという事など、全く気にしないぶっきらぼうな聞き方だ。いきなりつっけんどんな問いかけに、なかなか返答が口から出てこない。

 

「え、いや……べつに……」

 

 さっきの水晶玉がおかしくなった事や、当初なんでそんなに俺に注目してたのかとか、聞きたい事はいくらでもある。しかし、少年の様子から察するに聞いても答えてくれなさそうな雰囲気である。そこへ――

 

「へー、そいつがおやっさんの言ってた《天才》ってやつか。けど、なんつーかネクラにしか見えねーが」

 

 俺の右隣に座る、初対面の人に遠慮しない人物 その2から声がかかる。少年はラルフさんの方に、ちらりと視線を向けるだけで何も反応はしない。見かねた隊長からフォローが入る。

 

「ごほん、こいつはドミトリ・ワイアントつってな。《占術師》の素養がある。他にもいろいろできる多才なヤツなんだが、俺が巡回の帰りがてらにお前らを見つけたのも、コイツの《お告げ》があったからなんだ」

「ほぉ。未来を見通す事ができる《占術師》ってやつか。見るのは久しぶりだが、コイツはどの程度の精度で『視る』んだ?」

「『何かが起きる』という事だけだな。いつ起きるのか、どんな事が起きるのか、詳細までとなると、さすがにわからん。だが、『何かがおきる』という事に関しては今までで1回も外したことはない」

「へぇ……ワタルより若ぇのになかなか使えるヤツじゃねぇか……なぁ、ネクラ?」

「……僕はネクラじゃない。ドミトリというちゃんとした名前がある」

 

 ドミトリは年上なラルフさんに全く物怖じしないで言い返している。ラルフさんも特に気にしてる風はなく、それなりに感心しているようだ。一方、ドミトリはラルフさんにも関心がないらしく、適当にあしらってるように見えた。何となくやりとりを見てると、ドミトリが突然、俺に視線を向けてきた。今度は初めに見た時と同じような、何も見逃すまいとする鋭い目つきだった。

 

「アンタ、一体何者? 今まで《視た》ことがない変な感じがする。こんなにおかしいのは初めてだ。《輝石》が使えないヤツでも、こんなおかしいオーラは見たことはないのに…… 今までアンタみたいなヤツ見たこともない」

 

 「何者?と」聞かれても、こちとら身の上話は、相手に嫌気がさすほどまき散らかしたばかりである。「もう一回気ままに話してやろうか?」と思っていると、反応したのは意外にも隊長だった。

 

「ドミトリ。さっきまでの話だとワタルは《輝石》に依存しない魔法を使えるみたいだぞ。別に《輝石》を使わずとも魔法を使える種族はいたはずだ。ワタルも見た目とは違って、エルフやドワーフといった他種族の血をひいてるんじゃないのか?」

「隊長。目の前のコイツは、人間だよ。妖精やエルフが《輝石》に依らない独自の魔法を有しているのは創世記にも書かれてる事だけど、コイツにそんな力を有する種族の身体的特徴があるようには思えない」

 

 ああだこうだ言われてるが、この世界を数日だけしか経験してない俺には《魔法》とは、何たるものなのかわからない。黙っているとラルフさんが議論にのっかってきた。

 

「そいつは変だぜ。俺は、ワタルがグレーに強化魔法を使った時、嫌な感じ……というか魔力の高まりを感じた。あれは、俺が今の『呪われた』状態になった時に感じた、自分を塗りつぶされちまいそうな感覚に似ていた……」

 

ラルフさんの言う事も抽象的で理解できなかったが、隊長も同意する。

 

「ああ、俺もお前らに会う前、魔力の高まりを確かに感じた。その後、魔力の発生したと思われる場所に行ったらお前らを見つけたんだ。あの時に感じた、妙な魔力は、ワタルが【呪文】を唱えた時のものじゃないのか」

「僕はその場所に居なかったから、隊長が感じた魔力についてはわからない。でも、僕は1回ハーフエルフを《視た》ことがある。彼は、輝石を使う人間と比べて体に纏わりついてるオーラの《色》が違った。でもコイツはそれとも違うんだ。こう……言い表しづらいけど、僕達が普段使ってる《輝石》や他種族の《魔法》とは違う、異なるものが纏わりついてる感じがするんだ」

「ふむ……」

 

 隊長とラルフさんがあーだこーだと言って、ドミトリが冷静に反論するという議論がしばらく続いた。聞きなれない単語ばかり出てくるので俺には何を言ってるのか半分も理解できなかった。 どうやら、議論の話題は、ドミトリが俺に《視た》何かが問題であるらしい。議論はしばらく続き、最終的に俺が【呪文】をもう一回使えばわかるという事に落ち着いた。

 

「ほっほっほ。皆様何やら騒がしいご様子。休憩中に余計な体力を使っては元も子もないのでは?」

 

ちょうど議論のきりの良い所になった時、ザーナさんがロミスさんを伴って戻ってきた。二人の手にはおぼんがあり、ティーカップとポット、パンが盛られたバスケットがのっていた。

 

バスケットの中のパンは何かを挟んでいるらしく、野菜らしき緑や、何かの肉だと思わしき茶色い物がパンからはみ出している。なかなかうまそうに見えるので、口の中でじゅるりと唾液がにじみでてくる。

ロミスさんが慣れた手つきでティーカップと小皿を取り分けてくれた。全員にいきわたって、ロミスさんが空いている席に座るのを今か今かと待つ。座ったのを確認してから……

 

「いただききまーす」

 

と、バスケットに手をつきだしたら……

 

パシィンと、右から手を叩かれてしまった。俺の食事を邪魔する曲者は誰ぞと見やれば、なんと、ロミスさんが身を乗り出して、俺の手をインターセプトしているではないか。

 

「ワタルさん。お行儀が悪いですよ。まだ女神様へのお祈りがすんでいません。」

 

小柄なかわいらしい姿の背後に、薄暗い大きな闇を幻視するような言い方であった。小柄で優しそうな彼女からは想像できない凄みに、さすがのドミトリやラルフさんもぎょっとしている。別に、異郷の俺には女神様やらなんやら全く縁がなく、俺自身も無神論者であったが、今はロミスさんに従った方が賢明なようだ。なんか怖いし……

 

「し、失礼しました……」

 

胃がさっさと食い物を寄越せと主張しているが、ここは郷に入ってはなんとやら。ザーナ司祭を見ると、彼はやれやれとため息をついてから、席についてる全員に言い聞かせるように話を始めた。

 

「ワタルさん、いますこし付き合ってくだされ。私が祈りの言葉を申し上げますから、あとに続けてください」

 

 司祭はそう言うと、目を閉じて両肘を机の上にのせて左右の手を組む祈りの姿勢をとった。俺以外のみんなも、次々に祈りのために手をくみ出した。ドミトリやラルフさんまで大人しく従っている。戸惑いながらも俺も同じようにする。俺の準備ができるのを片目を開いて確認した司祭は、祈りを始めた。

 

「大いなる慈悲深き女神様よ。か弱き私たちに、今日を生き抜くための糧と力を授けてくださったことに感謝します」

 

ザーナ司祭の後に全員が続けて祈りを終える。唱和している間だけであったが、神秘的な雰囲気だった。やがて、祈りが終わると、司祭は机についてる面々を見渡して、柔和な表情で「それでは頂きましょう」と告げた。

 

ザーナ司祭の言葉が終わるや否や、バスケットに向かって手が延びていた。むんずとパンをつかんで、一口に頬張る。異郷の得たいの知れない食べ物に対して無防備すぎやしないか、少し気にするべき所かもしれない。しかし、昨日もここの料理を食べてる事であるし、今更なので気にしないことにした。

なにより、おれは腹が減っているのだ。口の中に収まるだけパンを突っ込んで、思いっきりかじる。もしゃもしゃ噛むと、シャキシャキした野菜と、少し硬いが肉の香ばしさが口内に広がる。勢いのまま食べてはみたが、パンも柔らかく、結構いける味である。

 

「ふふぁい!(うまい!)」

 

2口目、3口目と、口に入れるのももどかしく、あれよあれよとかじっては咀嚼して飲みこみ、かじって咀嚼して飲みこみの繰り返し。このパン――こちらでなんという名前かわからないが――本当にうまい。食がガンガン進む。

 

「ふふ。そう言ってらえると作ったかいがあります。ただ、ワタルさん。ちょっとお行儀が悪いですよ」

 

 ロミスさんが困り顔で俺に注意してくる。背は俺より小っちゃいが、まるでお姉さんであるかのような言い方だ。やはり、この軽食をつくったのはロミスさんのようだった。日本でちょっとお高い軽食屋で食べられるメニューだと言われても通じるくらいうまい。

 

「こりゃなかなかいけるじゃないか。こんなうまいサンドには巡り合った事がねぇ。挟んである素材の旨みが最大限に生かされてるって感じだな」

「さすがに僕も、ロミスの料理ほどの物は作る自信がない」

「へぇ、ロミスの作る料理はうまいってナエから聞いたことはあるが、これほどのもんだとはなぁ」

 

 俺以外の男たちも大絶賛である。2つめのサンド――おそらくこちらの世界でいうサンドイッチであろう――にとりかかってみると、今度はトッピングが違うらしく、シャリっとした歯ごたえがした。何かの果実なのか、しかも複数の異なるものが入ってるようだが、こちらも絶妙な味である。

 

「ほっほ。私もロミスに胃袋を掴まれてしまいましてな。できるものなら三食全て作ってもらいたいものなのですが」

「司祭様。いくらなんでもそれは無理です。それでは私の弟たちの面倒を誰が見るというのですか」

「こんなにうまい物を毎日作ってくれる事になるなんて、そいつぁとんだ幸せ者だろうなぁ。嬢ちゃんはいい嫁さんになるぜ」

「そんな、ラルフ様……私の腕なんてまだまだです……」

 

ロミスさんは顔を赤らめながら謙遜している。現代日本から比べれば、文明レベルは明らかに劣っているだろう。調理器具も漏れずに劣っているであろうことは想像に難くない。その上で、現代日本にあるお店と同レベルの料理を仕上げる事ができるというのは、ロミスさんの腕は推して図るべしであろう。あ、でも輝石ってやつがあるから、そこらへんがどう影響するかはわかんないな。

 

そうやって、ロミスさんの作った軽食に舌鼓を打ちつつ、和やかな雰囲気で時間が過ぎていった。

 

***************************************

 

 

所はかわって、教会裏の井戸がある広場へとロミスさんを除いた全員で移動してきた。俺がさっきロミスさんと出会った場所だ。俺は教会を背にして、建物もまばらな、村を取り囲む壁の方向を向いて立っている。他の面々は横から俺を観察できる位置に立っている。ちなみにロミスさんは後かたずけで不在だ。俺の事情聴取の後に話題に上がった《呪文》を披露してみる事となったのだ。

 

「さて、それじゃあ、ワタル。わかってるとは思うが、おまえが使えるようになった《呪文》を唱えてもらうぞ。一応、目的を言っておくが、おまえの能力を、ドミトリの魔力視で改めて確認するためだ。我々やここの村人に危険性がない《呪文》を唱えるように」

「はい、わかりました」

 

そう言う隊長は、俺が《危険》な事をやったときのためなのだろうか、俺と出会った時に背中に着けていた盾と剣を装備している。

 

「おやっさん。そこらへんは何かあったら俺が何とかする。何、この距離ならワタルの首を落とすことくらい、2秒もあれば十分だ」

 

ラルフさんがこちらを見ながら物騒な事を言う。《狼》に襲われていた時に使っていた、あの《伸びる斬撃》を使えば、わけもなく俺の首を落とす事ができるのだろう。俺とラルフさんたちの距離は5メートル以上は離れているのだが、射程距離はそれ以上なのかもしれない。脅された時のラルフさんの恐ろしさを思い出してしまい、背中がブルリと震えてしまった。

 

「オイオイ、脅すのもそれくらいにしといてやれ。まぁこんな揺さぶりビビッてるようじゃ、今ここで何かをしでかすタマでもないだろ…… ドミトリ、いいか?」

「わかった」

 

ドミトリは再び、ローブの内側でゴソゴソしてしてから、俺の事情聴取の時に使っていた水晶玉を取り出した。水晶玉の縁が輝きだし、やがて中が黒く変色しだした。尋問中に水晶に起こっていたのと同じだ現象だ。

 

「いいよ。《呪文》を唱えて」

 

ドミトリはこれから起こる事は何一つ見逃すまい、というような気迫すら感じさせる目つきでこちらを観察している。注目されていると思うと緊張してきてしまった。数回深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 

「では、いきます」

 

《呪文》と言われても、何を唱えればよいのか分からなかったが、俺は今までの経緯、さらに、今も内に響く《声》――これは、グレーに《呪文》を使った時から聞こえていた――から一つの推論をしていた。俺の予想が正しいならば、即時に周りに被害を及ぼすような《呪文》は、『今の俺』には唱えられないはずだ。内から聞こえる《声》に従って俺は唱えるべき呪文を選ぶ。――まずは基本的な所から行くことにしよう。

 

 《声》の中から一つを選び取る。自分の心の中の奥底を見つめるイメージ。底が見渡せない常闇のイメージが浮かぶ。その闇を恐れずに腕をつっこんで、掴んで、ひっぱりあげる。闇の中から徐々に《何か》が湧き上る感触がする。掴んだ《何か》から発する《声》が、別の《何か》を必要としていると訴えかけてきた。それは、そいつを【呪文】として使うために必要なもの。【呪文】の元となるエネルギーだ。

 

 マジックにおいては、カードには必ず行使するために必要となるコストが設定されている。(一部例外はあるが……) コストは『土地』から必要分の『マナ』を引き出す事で払うのが通常のやり方だ。『土地』は基本的には5種類――これはカードを大別する、5つの色に対応している――があるが、今回必要なのは『平地』である。そう、これから唱える《呪文》の色は『白』だ。

 

 ここで、グレーに《呪文》を唱えた時の感覚をもう一度思い出す。あの時、俺は広大な平地と鬱蒼と生い茂る森のビジョンを見た。マナを引き出すにはあの感覚がヒントになると思ったのだ。すると、俺の中に《何か》や《声》とは異なる奇妙な《感覚》がある事に気付く。なんと言ったら良いのか、《声》は俺自身の内に潜んでいるのだが、この《感覚》は細いようで、何かとつながっているような感触がするのだ。

 

 これから使おうとしている《何か》が俺に訴える。「それを引っ張って、自分によこせ」と。それを聞いて、確たる理由はないが合点がいった。きっと、コレをたぐりよせば、マナを引き出す事ができるのだろう。《感覚》のつながる先は、広大な平原。グレーの時と同じビジョンを幻視する。

 

「さあ、来るんだ」

 

 昨日もやったはずだから、きっとできる。平地につながる《感覚》を伝って膨大なエネルギーが体に満ち溢れる。白く輝く、厳かで聖なるエネルギー。伝ってきたそのエネルギーを《声》にくれてやる。《声》が歓喜しているのがわかる。

 

「【先兵の精鋭】」

 

《呪文》を口にした後、俺の目の前の空間が円状に捻じ曲がった。そして、円の中心が白く染まり、次第に何かの形を成していくように変形しだした。徐々に縦に長く伸びて、人の形となっていく。光も強さが弱まり、形を成していく物の表面があらわになる。

現れたのは、鈍色に反射するがっしりとした鎧。細く伸びるように型どられた四股のひとつには、一振りの剣が握られている。人の顔を成した部分には、黒髪の男の顔が現れた。

目の前で起こっている奇怪なこの現象を簡単に言うと『一人の戦士が何もない空間から現れた』という他ない。

 戦士の男は閉じていた瞼を開け、まっすぐに俺を見つめてきた。剣を鞘に納めながら、俺の前まで進んで来ると、片膝だちの姿勢となった。

 

「こうして会いまみえる日をどれだけ心待ちにしていたことか。我の姿見は変われども、今までの百を越す戦いに変わらず、忠義を捧げようぞ。さあ、主(あるじ)、命令を。今度の敵はどこにいるのだ?」

 

力強い物言いに、自分に対して言われている事に気づくのが遅れてしまった。

 

「あ……あー、とりあえず落ち着いて。OK、落ち着こう」

 

目の前の、厳かな騎士に対しての言葉というよりかは、自分に向けての言葉だった。グレーに呪文を使ったときと同様、体が勝手に動くのに任せていたら、予想以上の事が起きてしまった。冗談半分にやったら深刻な事態になってしまって呆然としてしまうのと同じである。

 

「ワタル、そいつは一体?さっきの魔力の高まり……この感じはグレーの時と……」

 

 横からラルフさんの質問が入る。後の方は聞き取れなかったが、何やら口元に手を当ててブツブツいっている。さらに――

 

「おまえっ、強化魔法だけじゃなくて《守護者》も召喚できるのかっ!?」

「今まで見たことない色、魔力の流れだった。隊長、さっきのは《守護者》召喚じゃないよ。《守護者召喚》だったら、魔力の源は輝石から出てくるはずなのに、今のは突然、虚空に魔力が出現したんだ」

「ほう……という事は、先ほどの術は《守護者》召喚に似て非なる物、ということですかな?ドミトリ殿?」

 

ラルフさん以外の人達も三者三様の驚きを見せている。やべ……そういえば俺、召喚を使うとは一言も言ってなかった。グレーに使った【不退転の意志】を使うものだと思われてたようだ。

 

「主…… こやつらは……?」

 

【先兵の精鋭】は跪いた姿勢から立ち上がり、一度鞘にしまった剣に手をかけ、横に立っている男たちをギロリと睨みつけている。攻撃されでもしたらたまらないので、慌てて肩に手をかけて止める。

 

「ちょい!ちょっ!ストップ、ストップ。この人たちは敵でもなんでもないから。落ち着こう。話せばわかる」

「む……主がそういうのならば……」

 

【先兵の精鋭】が肩越しにこちらを見て、彼が剣の握りから手を離したときだった。

 

突然、ドクンッと大地が揺れた。

 

そして、途轍もなく強大な存在を感じとった。

 

蛇に睨まれた蛙という言葉があっているだろうか、自分が矮小に感じてしまうほどの大きな存在に見られているかのような悪寒。反射的に震えが背中を駆け抜ける。

 

突然の事態に、誰も反応できずにそのまま時間が流れる。始めの大きな揺れ以降、特に何も起きなかった。遅れて、冷や汗が頬を伝う。

 

「今のは……地震?」

 

おずおず、周りの人間に聞いてみる。元の世界では全世界中、最強に地震慣れしている日本国民こと俺をしても、今の揺れは奇妙に感じられた。地震という物は、揺れが継続的に続く物だ。いつかの大震災の時の揺れは記憶に新しい。だが今のは、一度だけ大きく揺れを感じた。地震というよりかは、車に乗っていて交通事故にあった時の揺れ……と表現した方が近いように感じる。

 

「いや……地震って、こんな辺境じゃ起きた事なんて聞いたこともねぇ」

「おい、ドミトリ。今のは何だったかわかるか?」

「……今のは揺れというよりかは、大きな魔力波動のような……でも、これだけ大きな衝撃だったなら、昨日の《星読み》で何か兆候があったはず……」

 

ドミトリでさえ何が起こったのかわかっていないようだった。ならば、【先兵の精鋭】にも聞こうとしてみたが、どう呼んでよいか迷ってしまった。

 

「えー……あなたは、今の揺れは何だったかわかる?」

「そのように、かしこまって呼んで頂かずに結構。無骨物の我にはさっぱりわかりませぬ」

「そうか……、えーと、じゃあなんて呼べばいい? 名前は?」

 

【先兵の精鋭】は少し、小難しい顔をしてから答える。

 

「我にはそのような物はございませぬ。構わないのならば主から名を賜りたく存じますが」

「え……名前か……」

 

 改めて、【先兵の精鋭】を視る。全身に鈍色に輝く鎧を纏い、背は俺よりも高く、体つきは隊長ほどではないが、ラルフさんに負けず劣らずがっしりとしている。黒髪をしていて、良く見れば顔の右頬に傷後がはしっているのがわかる。中年オッサンの厳つい顔つきではあるが、話し方から如何にも武人と言った印象を受ける。腰には得物である剣を帯びていて、頼もしさも感じられる。

 よくよく思いだしてみれば、コイツは俺のデッキの中ではいつも切込み役をしてきたクリーチャーだった。

 

********************************

 

先兵の精鋭/Elite Vanguard  (白)

 

クリーチャー — 人間(Human) 兵士(Soldier)

 

2/1

 

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『クリーチャー』

 

 それは、マジック・ザ・ギャザリングでは攻守を担う主要的存在である。

 基本的にプレイヤー達は、クリーチャーを自分の僕として召喚、相手を攻撃、または相手からの攻撃の防御に利用することで勝負を進めていく。

 

 クリーチャーを召喚するには『コスト』が必要だ。『コスト』とは、呪文を行使するのに必要なエネルギーの事を指す。単純に、RPGでいう呪文の『消費MP』と同じ概念だと考えても構わない。

 

 マジック・ザ・ギャザリングでは『コスト』として支払うエネルギーは1種類だけではない。ゲームによっては、『HP』とか『必殺技ゲージ』を消費して繰り出す技も存在する。同様に、1つのエネルギー源だけではマジックに存在するすべての呪文を使う事は出来ないのだ。

 マジックでは、『コスト』に使用するエネルギーを『マナ』と呼んでいる。『マナ』は基本的なもので5種類存在し、内訳は白マナ、青マナ、黒マナ、赤マナ、緑マナとなっている。それぞれのマナ対応する呪文は色付けで大別されており、マジックにおける大多数の呪文は、これら5つの内のどれかに属している。

 

 さて、【先兵の精鋭】のコストは、白マナ1つ分である。(なお、この呪文は白に区別される)

マジックが先ほど例にあげた一般的なRPGと異なる点は、術者自身にリソースが設定されていない事だ。要はプレイヤー自身には、MPに相当するステータス概念がないのである。

 

 自分のMPの代わりに、マジックのプレイヤーは『土地』からマナを発生させる。『土地』は自分のターンに1つだけ『場』に出す事が出来るカードであり、場に出ている『土地』がプレイヤーの使う呪文のエネルギー源となる。

 マナは5種類存在していると言ったが、マナごとに発生源の土地も定まっている。白マナには平地、青マナには島、黒マナには沼、赤マナには山、緑マナには森が必要だ。

 

 先ほど、俺は白マナを『土地』から発生させて、【先兵の精鋭】の『コスト』として支払った。召喚呪文の行使の前に、平地を幻視したのは、きっとこれが関係しているのだろう。

 

 説明が長くなったが、【先兵の精鋭】のコストは白マナ1つ。これは最初のターンから【先兵の精鋭】を使う事ができるという事を意味する。ちなみに、ゲーム開始時には土地は何もない状態から始まる。最初の1つ目の土地が平地ならば【先兵の精鋭】を唱える事ができる、というわけだ。……あれ? でも【不退転の意志】のコストって2マナ分だったような…… 

 

 まぁいい。そんなわけもあって、【先兵の精鋭】はいつも第1ターン目から召喚されることが多く、俺のデッキの中では、文字通り先兵の役を担ってきたカードだったのである。

 

 

 そんな事を思い出しながら、目の前の忠義熱い騎士につけるべき名前を考える。先兵の精鋭……英語だと"Elite Vanguard" エリ……いや、ヴァン……ヴァン!

 

「お前の名前はヴァンだ」

 

勢いよく思いつきで言ってしまった。単純すぎないか若干不安になりかけた時――

 

「ほう……我の名前はヴァン! しかと受け取った。今後もより一層、忠義を捧げん!」

 

と、最初に俺に跪いた時と同じ姿勢をとった。どうやら思ったよりも受けは悪くなさそうである。内心、安堵をついていると、大きな声を張り上げてこちらに走り寄ってくる騎士に気付いた。

 

 

「アルバート隊長~っ!」

 

見れば、アルン村の入り口で隊長と雑談を交わしていた騎士だった。彼は俺たちの元までやってくると、隊長に詰め寄った。

 

「隊長! 先ほどの揺れは一体なんなのですか? 住民達は不安に思っております。今のところ、騎士団が住民の対応に当たっているのでパニックには陥っておりません。これからいかがいたしましょう?」

 

隊長は少し思案してから、淀みなく答える。

 

「住民には浄化の儀式の準備でちょっとしたトラブルがあったと説明しておけ。些細なミスで特に問題はない。迷惑をかけて申し訳ない、と謝罪を忘れずにな」

「了解致しました」

「よし、いけ」

 

指示を聞いた騎士は来た方向へ戻っていった。隊長は戻っていった騎士を見送ってから、ドミトリに質問をする。

 

「ドミトリ。さっきの揺れの発生源と原因を調べることはできるか?」

「揺れの発生源は僕達からほとんど離れてない所だと思うよ。原因、というか切っ掛けは明らかにひとつしか思い当たらないね」

 

そう言ってこっちを睨み付けてくる。隊長もやはりかと呟きながら、少々困り顔でこちらみ見てくる。

 

「おまえら、なんか心当たりは……ってそんな顔じゃあるわけないか……」

 

俺の内心が表にあらわれてたようだ。隊長は頭をガリガリかきながら、ヴァンにも質問する。

 

「そこの《守護者》のおまえ」

「我か?」

「そうだ、お前だ。さっきの揺れはお前が出現してから起きたのは明らかだ。このことに関して何かお前は関わっているのか?」

「主に先ほどの申し上げた通り、我には先ほどの揺れに関しては一切何もわからない。ましてや、我には先ほどのような大規模な現象を起こす魔術的素養は全く無い。あんな現象、起こしたくとも我にはとても無理だ」

 

魔法的手段で呼び出した魔法的存在から「魔法が使えない」と宣言されしまってはなんだか少し残念に感じてしまう。

 

「なんだ、ヴァンって魔法使えないんだ」

「申し訳ありませぬ。我が、主に貢献できるのは我が武を持ってしてのみ。さすがに他の同志のように多才ではないのです」

 

まあ、1マナバニラクリーチャーだし、当然と言えば当然か。ちなみに、バニラクリーチャーとは特殊能力が一切無いクリーチャーのことをさす。バニラとは、特殊能力を持っていた場合、カードに説明文章が記載されているのに対して、能力無しの場合だと何もかかれていない事に起因する。妙に納得していると「たいちょ~」と隊長を呼ぶ声がまた聞こえた。聞き覚えのある、透き通る高い声からナエさんだとわかった。純白の衣装をしたニーナさんと、水色の髪型が映えるロミスさんと一緒だった。ナエさんの真紅の髪も相まって、俺がこちらに来てから遭遇した三大美女が一同に揃ってるのもなかなか見物な光景であった。

 

ナエさんはヴァンの存在に気付いたようで、少し警戒しながら隊長に話しかける。

 

「隊長。そこの人は一体?」

「あー……そいつはワタルの《守護者》?……みたいなもんだ」

 

こっちを見ながら隊長は言うが、口調が少し疑問形である。

 

「へー。ワタルって《守護者》が呼び出せたんだね。ワタルの《守護者》って隊長みたいに厳ついんだね」

 

 ナエさんの発言から間をおかず、隊長とヴァンが同時に「厳つくなどない」とハモった。両者の反撃を聞いて、ナエさんはかなり狼狽えた。

 

「えっ! この《守護者》しゃべれんの? すごい…… あ、え~と厳ついと言って失礼しました」

 

たじたじしながらもヴァンに謝るナエさん。隊長からの「俺には謝らんか」のツッコミはスルーのようである。

ナエさんだと締まらないせいか、横からニーナさんが「ちょっと、ナエ!何しにここまできたの?」と注意がかかった。

 

「あ、そうだった。隊長。さっきすごい揺れがあったんですが、一体なんだったんですか? なんだか外も騒がしいようですし……」

「あー、それだが、直接的な原因はまだ不明だ。これからドミトリに原因を探らせようとしてたんだが……ナエ。おまえは空いてるヤツを連れて村の回りを警邏してこい。もしかしたら、この現象で新しく《災厄の魔物》が湧いてるかもしれん」

「わかりました。ニーナもつれてっていいですか?」

 

ナエさんの要求に、少し躊躇ってから隊長が答える。

 

「あー…… 一応、怪我人のために許可する。だが、ニーナは後衛で、さらに貴重な《聖石》の使い手だ。怪我させんじゃねーぞ」

 

ナエさんは自信満々で答える。

 

「あったり前です。ニーナの《守護者》は私なんですから。誰がきても指一本触れさせやしません!」

 

隊長もナエさんがこう返すとわかった上で言ってたようで、ニーナさんに確認する。

 

「そういうわけだ。ニーナ、頼めるか?」

「はい、ナエがついていてくれてるなら何も心配いらませんから」

「そんなに信頼してくれてるなんて、私、感激ぃ~」

 

と、ナエさんがニーナさんにガバリと抱きついた。「ちょ、やめなさい」という抗議むなしく、ニーナさんはナエさんにいいようにスリスリされている。このやり取り自体、よくあることなのか、隊長もドミトリもやれやれといったような表情だ。ラルフさんは「眼福、眼福」とばかりにニヤけた表情で観察に徹している。そんな中――

 

「司祭様? いかがなさいました?」

 

ナエさんとニーナさんのやり取りに場の空気が弛緩し始めたなか、ロミスさんがザーナ司祭に何か感づいたのか様子を見に近寄った。

 

「……っ!? 御加減が悪いのですか?顔色が悪いですよ!」

 

ザーナ司祭はわずかながら体が震えてるように見えた。村の外の方を呆然とながめて、「いや……まさか……」とブツブツと何かを呟いている。顔は青ざめて、汗をびっしょりとかいている。ロミスさんの問いかけも聞こえてないのか、心ここにあらずといった感じであった。

 

「ザーナ司祭? おい、どうしたんだ?」

 

司祭の異変に気付いた隊長が、肩を揺さぶってやっと呼び掛けられてた事に気付いたようだった。

 

「……っ、これは、アルバート隊長。いががなされた」

「それはこっちのセリフだ。ぼーっとしていて、そこの嬢ちゃんが声をけているのにも気づいてなかったじゃないか。一体どうしたんだ?」

「司祭様? 大丈夫ですか?」

 

ロミスさんが心配そうに司祭の手を両手で握っている。いつの間にか自分がこの場全員の注目を集めてる事に気付いたようで、司祭は今までの態度らしくない、たどたどしい反応を返す。

 

「こ、これは失礼しました。先ほどの揺れが思いの外、衝撃的でしてな。呆然としてしまいました。いやはや、老いてしまうと何事に対しても脆くなってしまっていけませんな」

 

徐々調子を取り戻してきたようで、話すうちに見慣れた好好爺の表情に戻ってきていた。

 

「さっきの揺れ、凄かったですもんね」

 

ナエさんも声をかけるが、相変わらずニーナさんにくっついたままである。あまり心配しているように見えないのは今更ではあるが……

 

「ほっほっほ。年甲斐もなく驚いてしまいましたな。ですがもう大丈夫です。ロミスも心配させてしまってすまなかった」

「よし、ザーナ司祭。悪いが住民達の様子を見回ってくれないか? 俺とドミトリは原因を調査する。浄化の儀式も最終日を前にこんなことになるたぁな……」

 

「……わかりました」

 

少し間があった後、司祭がうなずいた。なにやら《浄化の儀式》なる、聞きなれない単語が隊長の口から出てきたようだが何の事なのか想像がつかない。

 

「隊長。儀式はどうするのですか?」

 

今度はニーナさんから質問が出る。今までの周りの人間の反応から察するに、さっきの揺れは非常事態の扱いをされてるようだ。有事の際は予定が取り止めになることは多々あることだが……

 

「見回りで《魔物》が湧いてないようなら、予定通りに明日決行する。先伸ばしにすると、結界術式が持たなくなる。それに、もうここが儀式を行う最後の村だ。結界石の力ももう打ち止めだから、なんとしてでもやらなければならん……」

 

隊長は苦渋を噛み殺していたような表情をしていた。いろいろとキツキツの状況下で任務を強いられているようだ。

 

「他に何か質問はないか?」

「いえ、ありません」

「よし、行け」

「了解」

 

打てば響くような応答が女性二人から返ってくる。いつの間にやらナエさんはニーナさんを解放して、二人ともビシッと直立姿勢をとっていた。締めるところはしっかりと締める所に、流石は騎士団というだけのことはあるかと感心した。

 

「ザーナ司祭と嬢ちゃんも頼んだぞ」

「かしこまりました。ロミス、他のみんなにも声をかけて村の様子を見て回るように言いなさい」

「はい。わかりました」

 

それぞれの組が去っていくのを確認してから隊長はこっちを向いた。

 

「おまえらは…… 仕方ないから俺とドミトリに着いてこい。それと、ラルフ、すまないがおまえもついてきてくれないか? おまえも居た方が俺たちは仕事に集中できる。ワタルが出した《守護者》らしき存在もこのままってわけにもいかないだろうからな」

「そうなるだろうって事は予想してたぜ。ま、俺としちゃ乗りかかった船だ。最後まで面倒みてやるぜ。俺としてもワタルは、アイツら以外の《呪い》に関係する、やっと見つけた手掛かりなんだ。それ以前に、このまま放りだすのは俺の信条に反するしな」

「フッ、その性格はかわっちゃいないな」

 

隊長は少しの間、ラルフさんにニヤリとすると、ドミトリに命令を下した。

 

「よし、ドミトリ。さっきの揺れが何だったかはっきりさせるぞ」

「わかった。……教会の方向から魔力の反応があったような気がする……」

「オマエら、ついてこい」

 

ドミトリは水晶玉を取り出して歩き出す。そして、それに隊長も続いた。俺も行かなければならないだろう。少し躊躇ってラルフさんを見ると、彼も頷いて俺を促した。

 

「ワタル、おまえが出したそいつもいっしょだ」

「……わかりました。ヴァン、行こう。たぶんこっちがおとなしくしてる限りは大丈夫だよ」

「御意。我は主の意にそった行動をするまで」

 

ラルフさんを最後尾にして、俺たちは教会へ向かって歩き出した。

 

****************************************

 

ワタル達が去り、無人となった教会裏の敷地には、端の方に一本の木が生えている。時刻は昼を過ぎ、日が中天から少し傾き始め、注ぐ日の光が涼しげな木の根元に木陰をつくっている。足元には草が青々と茂り、昼寝をするには絶好な場所であると言えよう。そんな情景が、ゆらゆらと波打ち始め、景色が不明瞭になり始める。仮にワタルがこの場に居たらこう言うだろう――この光景は蜃気楼のようだ、と――

 やがて、景色の揺らぎはおさまり、その場には二人の男が現れた。二人は立っている場所に移動してきたのではない、二人は立っている場所にそのまま現れたのだ。仮に仮を重ねるようだが、ワタルが居たならば、こう言うだろう――「瞬間移動!?」と。 二人は漆黒のローブで全身覆った出で立ちをしていて、顔はフードで影になっていて他人から見る事はできない。ただ、不気味に吊り上っている口元を確認することができるだけだ。

 

「さて、あの《召喚》、そして謎の揺れと来た、どう見る?」

「見るも何も、あの《召喚》は我々の《召喚》と同じだろう。感じられる魔力の質も同じだと言ってもいい。揺れについてはわからん。《占術師》の小僧の言うとおり、《召喚》が切っ掛けになったのだろうが……連動して何かが起きたとでもいうのか?」

「……揺れに関しては、騎士団に任せておけばよいのではないか?」

「ふむ、隠れてる我らでは、いろいろと嗅ぎまわるのにはリスクが伴うからそれが良いだろう、そしてあの《召喚》だが……」

「あの若いのが我々と同じ術を使ったとしても、『輝石』を媒介にしていないという点は非常に気になる所ではあるな」

 

片方の男は顎に手をあて、少し思案してから返事を返す

「だが、今は手を出すのはまずいだろう。攫って尋問するにしても、騎士団が居る村の中では孤立無援だ。さらに、さっきの《召喚》で騎士団から重要人物とみなされた可能性がある」

 

「と、すれば明日の『儀式』に乗じて行動を起こすか?」

「ふむ、だったらついでに《調達》もすませてしまうか? もうすでに充分、集まってしまったが、多くて困るという事はないだろう」

「のめりこみすぎて、危ない事にならないだろうな? 『殺し』が入るとお前は歯止めがきかないから困る」

 

そう小言を言われた男は、釣り上げた口元を、さらに不気味ににやけた表情にして返事をする。

 

「それは俺にもわからん。一年前の実験体も居た上に、久しぶりに騎士を殺れそうな機会だからな。俺の手で殺す事を想像しただけで胸が高鳴ってくる」

「はぁ、お前の、その殺人衝動は救いようがないな。少なくとも明日の儀式までは我慢しておけ」

「ふ、せいぜい努力する事にしよう。行くぞ」

「やれやれ、人扱いが荒いからなおさら困る」

 

話し合いは終わったのか、溜息をついたもう片方の男が片腕を上げて、手をつきだす。すると、二人のたっている場所の景色が再びゆらゆらと揺らぎだした。景色の揺れが収まった時、二人の男の姿は忽然と消え去っていたのだった。




20150621誤記訂正


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010:予想だにせぬ奇妙な因縁

ドミトリは歩を進めながら、じっと水晶玉を注視している。時々、立ち止まっては回りをキョロキョロと見回したり、ある一点をじっと見つめたり、端から見ると何をやってるかわからない行動をし始めた。一体何の調査なのかはわからないのだが、この奇怪な行動をとる少年に大の男×4が金魚の糞よろしくついて回ってるのだ。事情も知らない人間が見ようものなら、不審集団にしか見えないだろう。

 はじめ、ドミトリは教会の建物を中心に、大きな弧を半時計回りに描くようなルートを歩いた。教会裏の敷地から、はみ出して移動することとなり、その間に村の様子を見ることができた。やはり先ほどの揺れがあったせいか、住民達は所々に集って不安そうに話し合っている。泣いている赤ん坊をあやす母親。しがみつく子供に安心するように言い聞かせる父親。巡回する騎士に詰め寄る初老の男性。それぞれの様子は不安ながらも、かろうじて冷静さを保ってる、といった感じだ。

 

 教会の敷地から出て、村の道に沿って歩くようになった。ドミトリは俺たちの先頭を行きながら、道なりにゆっくり歩いては立ち止まり、またゆっくり進むということを繰り返している。さすがに亀ほど遅いというわけではないが、いい加減に無口で歩き回るのに、居心地の悪さを感じ始めてきたところだ。なにか気をまぎらわせるために、俺は隊長に彼が話していた聞きなれない単語について聞いてみる事にした。

 

「隊長。聞きたいことがあるんですが」

「ん? こっちも退屈してたとこだ、答えられることならいいぞ」

「その基準が俺にはわからないんですが…… さっき口にしていた、『浄化の儀式』とは何なんですか?」

 

隊長は一瞬キョトンとしたあと、直ぐに察したのか、納得顔で俺に返してくる。

 

「ああ、おまえは何もわからないんだったな。……そうだな。ワタル、《魔物》と言う存在は見たことがあるか? ラルフの話を聞いた限り、お前は《魔狼》に襲われたはずだが」

 

言われて、昨日の事を思い出してみる。俺は木の上にへばりついて、間近には見れなかったが、襲ってきたあの狼達のことだろう。遠目からみても狼の鋭い牙は鋭利で、本能的な恐怖をわき起こさせる存在だった。

 

「昨日、俺たちを襲ってきた狼の事ですか?」

「正確には、あれは《魔物》の一種だな。あれ以外にもいろんなのがいるが、魔力の澱に影響されて人間を襲うような存在を《魔物》と呼んでいるんだ」

 

横からラルフさんが口を出してくる。彼も退屈していたに違いない。降ってわいてきた話題に彼ものっかる気のようだ。

 

「魔力の澱というのは、正確な事は明らかになっていないが、魔力の絞りカスのようなもので、人間を始めとした、生命には毒となるものなんだ。この世界中に存在していて、それが濃い場所、とりわけここらへんのような辺境だと、《魔物》が発生するんだ」

 

『魔力の澱』とか、また聞きなれない単語がでてきたが、まだすべてを聞いたわけではない。まだ聞きに徹した方がいいだろう。隊長は俺を見て、質問がないことがわかると、また説明を続ける。

 

「そこでだ。人がいる場所に《魔物》が発生しないように、我々、人類の活動圏内には《結界石》が設置されている。アルン村に来るまでの街道に、時々、石を奉った石柱や祭壇があったと思うが、それらが《結界石》だ。ここでは……ちょうどこれだな。あれがアルン村の結界石だ」

 

隊長の指さす先には、教会入り口前の広場の台座の上にのっている青い石がある。いつの間に、教会正面まで来ていたらしい。あの石は位置的に、村の重要な施設なのかもしれないと漠然的に予想していたが、どうやら正解だったようだ。

 

「結界石ってのは、輝石の一種で、周囲の大気中の魔力の澱を吸収して、澱が濃くならないようにする石だ。街道や村のような人が生活する場所には必要不可欠なモノだという事だな」

 

一拍いれて、隊長は続ける。

 

「ただ、結界石にも限界があって、溜め込める澱にも限界がある。容量限界に澱を吸収した結界石は、本来の機能を失うのに加えて、澱を撒き散らす危険なものになるんだ」

「そこで、浄化の儀式ってわけだ。定期的に結界石が溜め込んだ澱を解放してやることで、結界石が継続的に機能するように調整するんだ。そんでな、今、アルン村では儀式が行われてる最中だ」

 

肝心な所の説明をラルフさんに奪われたせいか、隊長は眉をピクリと動かしてラルフさんをにらんだ。

 

「へぇ、そうなんですか。でも《浄化の儀式》というからには、何か特別な催し物のような印象を受けるのですが、この村ではそういったものが行われているというような様子は見られないですね」

 

 実際にファンタジー世界の風俗を目の当たりにするのは今回をおいて他にはないが、俺の主観では、特別なイベントが行われているようには見えなかった。子供の時に地元のお祭りに行ったときに感じる高揚感――いわゆる、ワクワクするような雰囲気が村人達から感じられないのだ。さっきの揺れを差し引いても、みんな何かに怯えているようにみえる。そして、時折、怒鳴り声が聞こえる。さっき見た、騎士に食ってかかっていた初老の男性は、まだ同じ騎士と口論しているようだ。どうにもならない不安や鬱憤をわめき散らしているのか――

 

隊長は、既に後方に追い抜いた騎士を遠くに苦々しく見たあと、話を続ける。

 

「少し前までは、楽しいお祭りみたいな事やってたんだ。かたっくるしい事は儀式の時だけで、前夜祭では、みんなでどんちゃん騒ぎするのが恒例だったんだ」

 

隊長は懐かしげに目を細めながら話している。

 

『恒例だった』ね。

 

「だが、変化は突然だった」

 

隊長の口調が突然、あたたかみのない無機質な口調に変わる。

 

「明確な時期は不明だが、儀式を行うと魔物が空から降ってくるようになったんだ」

 

突飛な話題の転換に、理解が追い付かない。某国民的アニメ映画のセリフに「空から女の子が」というようなものがあったが、同じような事を言われたようなものだった。そのセリフを聞いた、親方が取り合わないのも頷けるものである。

 

俺がポカンとしていたせいか、隊長は少し苦笑しながら続ける。

 

「突然言われても、一体何の事を言われているのかわからないだろう? だが、これは事実だった。このことが起こるようになったのは、もう何年も前になるが、最初に聞いた騎士も相手にしなかったそうだ」

 

だが、知らせをもたらした村人の様子が真に迫っていた事、いつまでたっても村人の必至な様子が変わらないことから、騎士は村の様子を見に行くことにしたという。

 

「半信半疑で、油断ならない状況であると判断した騎士は、一部隊を駆り出して、偵察に赴いたそうだ。案内に村人を伴って戻ったら、村は焼け落ちて、燃え跡しか残っていない廃墟になってたそうだ。だが、注目すべきはそんなところではなかった……」

 

所々、残り火が燃える廃墟のなか、得体の知れない存在が村に十数体はいたと言う。

 

「狼や鳥、見たこともない獣、果ては幽霊、異形の者、人間の形をした存在さえいたと言う話だ。それらに共通する事は一つ。騎士団を見るや否や、襲いかかってきたことだ」

 

騎士団は完全に不意を突かれる形で混戦に陥った。村の様子を把握するために各自、散っていたのも状況の悪さに拍車をかけたようだ。

 

「敵は騎士団が相手してきたどの敵よりも、恐ろしい特性を有していたらしい。疲れ知らずで、どんなに交戦を続けても、疲弊しない無限の持久力。致死に至らない傷であるならば、全快まで回復してしまう再生力。そのときはなんとか撃退できたそうだが、犠牲となった騎士は何人も出た」

 

隊長の言ってることが本当なら、楽しいお祭りのような催し物が悲劇の大事件にかわってしまったということになる。少し気まずい雰囲気になりつつあるなか、おそるおそる続きを促す。

 

「それでその後、どうなったんですか?」

 

隊長は、同じ冷徹な調子で淡々と話し続ける。

 

「ああ、犠牲を出しつつも魔物は撃退できたんだが、さらに奇妙な事が起きた。魔物を倒したら、その死体が残らずに綺麗さっぱり消えたそうだ。代わりに魔物が倒れていた場所には、人の死体が倒れていた」

「どういう事なんですか?」

 

いまいち、話が飛躍しすぎていてなかなか内容が掴めない。もう一度、隊長に聞き返そうかと思ったが、その時、前の方からドミトリの声がかかった。

 

「隊長。うるさい」

 

ドミトリは、水晶を持ったまま、片手を腰にあてて、こちらを睨み付けている。かなり不機嫌そうである。

 

話にのめりこんでしまって、ドミトリの仕事の邪魔をしてしまったようだ。思い出したかのように、隊長がドミトリの方へ振り替える。

 

「あ、おお。すまん。それで? 原因はわかったのか?」

「教会の周りに僅かながら魔力の残留反応があったから、調べてみたけど、あの揺れを引き起こす事につながるような反応はなかった。実は、もう一つ気になるところがあって、外の方にも魔力反応があるんだ。アルノーゴ樹海に行くことになるけどいい?」

 

隊長は俺たちを一瞥したあと、ドミトリに了承を示した。

 

「ふむ。そうか。樹海は危険な《魔物》が出るが…… 護衛としては、俺とラルフがいるから問題ないだろう」

 

ヴァンを見て、隊長は続ける。

 

「あんたも、そんな格好してるんだから多少なりとも腕に覚えはあるんだろう?」

「無論。主の率いる僕では下かもしれんが、そこらの有象無象には遅れはとらん」

 

ヴァンは腕を組んで堂々と答える。なんとも頼もしい限りだ。ヴァンは低コストクリーチャーであるが故に、パワー、タフネスは低い数値が設定されている。しかし、そんな差を覆してしまうのではないかと思わせる貫禄があった。

 

「よし、裏口から出てくか?」

「うん」

 

あらためて回りを確かめると、再び教会裏手方面にまで戻ってきていた。話し込んでいるうちに、いつのまにやらそれなりの距離を踏破していたようだ。今、俺たちがいる道は、教会前広場から、教会を左手に中心にして回りこむように続いており、教会が完全に左90度方向に位置するあたりから、くねくね曲がりながら村の奥――アルン村を囲む壁――へと続いている。引き続きドミトリを先頭に、俺を含めた男連中が歩き出す。

 

しばらく無口で歩いたが、俺としては中途半端に遮られた、先の話が気になって仕方がない。隊長に続きを促す。

 

「それで、アルバート隊長。さっきの続きなのですが、一体どういう事なのですが? 分からない事が多すぎて、俺はどこに驚いたらいいのか全然わからないのですが……」

 

隊長はドミトリの方をちらりと見て、彼の様子を一瞬伺った。ドミトリは水晶玉をローブの内に引っ込めて、両手が自由な状態で歩いている。今は『調査モード』でないようである。今なら話をしても大丈夫そうだった。隊長はドミトリを気にしなくていい事を確かめてから、続きを話し始める。

 

「どこまで、話したんだったか? そうそう、《魔物》を倒したら、魔物の死体が消えて人間の死体が現れたという所までか」

 

死体が消えるという事は、俺の世界基準で考えると奇妙な事に該当するとは思うが、ファンタジーに代表されるフィクションでは、それほど珍しくもない事象のように思われた。思い返してみるに、昨日、《魔狼》に襲われた時は、ラルフさんや、グレーが倒した狼の死体は残っていたはずだ。唯一、俺の【番狼】を除いて……

 

「《魔物》の死体というのは、消えるまでしばらく時間がかかるんだ。まぁ、死体をほったらかしておくと、他の《魔物》の発生を促してしまう事があるから、澱が発散しやすくなるように火葬等して処分するもんなんだがな」

 

どうやら、この世界では死体が消えるというのは《魔物》に限っては普通の出来事のようだ。昨日、隊長が狼に襲われた場所に残った騎士達に命令していた、《魔狼》の処理とはそういう事だったようだ。

 

口調を曇らせながら隊長が続ける。

 

「で、《魔物》に襲われた村の件なんだが、《魔物》の死体から現れた人間は、なんとその村の住人ばかりだったそうだ」

「えっ、それじゃあ……」

 

《魔物》の正体は村人達だったという事なのか。それでは、騎士達は村人たちを殺してしまったという事になる。

 

隊長は言葉に詰まっている俺を見ていたが、一瞬、横にいるラルフさんを見た。

 

「ラルフ、いいな?」

「あぁ、いつかは話さなければいけない事だからな」

 

俺にはわからないやりとりをしてから、隊長は再び俺の方を向く。その目は真剣で俺を見定めているような気がした。

 

「当時の騎士団にとっては、奇妙な事が立て続けに起こった事件だったが、今ここで重要なのはそういう事ではない。さっきの話だが、《魔物》が倒された後の死体には、村の住人であったという事の他に、共通点があった」

 

突然、緊張感めいたものを感じた。天啓めいたことではあったが、これから俺にとって重要な事が告げられるような予感がした。周りの空気が重たいように感じる。さらには時間が間延びしたようにも感じられる中、隊長が二の句を告げる。

 

「そのことだが、死体の近くには、必ずある《札》が落ちていたという事だ。そう、ちょうどこのような札がな」

 

 隊長は、腰につけている小物入れに手を突っ込んで、取り出したものを俺に示した。

 

俺が目にしたのは、統一された絵柄で書かれた札が4枚。その札は黒で縁取られていて、内側に大きな楕円が縁に内接するように描かれている。楕円の外側は、薄汚れた真鍮のような柄をしており、内側は皮でできているように薄い黄土色をしている。楕円の中心には5つの異なる色の玉が、ちょうど正五角形の頂点を模すように配置されており、その上下に英文字が刻まれている。下側は小さな読みにくい文字で『Deck master』。上側には大きく、冒頭の単語だけ青色で強調してい書かれている――そう、『MAGIC The Gathering』と。

 俺にとっては、目をつぶってもはっきりと想像できるほど見慣れた絵柄である。どこをどう見てもマジック・ザ・ギャザリングのカード裏側の絵柄であった。俺がこの世界に来る前に山ほど持ち歩いていた物でもある。その事を認識した瞬間、懐かしさと安堵に満たされてかけていた俺の心は、氷のように冷たい恐怖に占められた。

 

「なん……で……?」

 

 なんで? どうして? 俺は怪現象に巻き込まれてこの世界に来たはずだ。隊長の話した事なぞ、俺は全く知らない……

 予想以上に自分は衝撃を受けていたようである。カードに伸ばす手が、腕も思うように動かない。手は小刻みに震え、指先には力が入らない。やっとの事でカードに触れる事が出来たが、針に糸を通すように、中々指に掴む事ができない。隊長は俺の様子を確かめると、溜息を吐きつつ、俺の指を払いのけてカードを再び小物入れにしまってしまった。横のラルフさんの「アタリだな」という言葉が脳内に残響する。

 

「その様子を見る限り、これには覚えがあるようだな。これが、騎士団やラルフがオマエに執着する理由だ」

 

隊長を茫然と見ていると、肩を思い切りたたかれた。横を見ると、ラルフさんが俺を見て、笑っている。

 

「これだけは言っておくが、俺やオヤッサンは、お前が諸悪の元凶だ、なぞ思っちゃいないからな。さっきのも含めて、これまでのお前の反応を見る限り、なんというのか、被害者面というような反応しかしていないよな。どうも、荒事に慣れていないズブの素人にしか思えないんだ」

 

隊長は苦笑してラルフさんに続ける。

 

「俺も同感だ。お前が儀式の怪現象に何か関わりがあるとは推定してるが、お前が意図的に関わっているわけでは無いことぐらい、様子を見てれば何となくわかる。そのぐらいの分別は持ってるつもりだ。ドミトリの《感知》にも引っ掛からなかったしな。なあ、そうだろ?」

 

隊長は少し先を歩くドミトリに大きな声をかける。先ほどの不機嫌そうな雰囲気からかわらず、彼はしぶしぶ答えた。

 

「オーラ自体は見たこともないものだったけど、おかしな乱れはなかった。だから、嘘をついてたり、隠し事をしてるようには思えなかった。あれだと、しゃべくりまくってる女と変わらないよ。あの時のアンタは、ニーナにくっつき足りなかったナエが愚痴たれてる時にそっくりだったくらいだ」

 

俺の事情聴取をしているときに、ドミトリは俺の供述の真偽を見極めていたらしい。ずっと彼に見張られていたが、そんなところまで見られていたとは思わなかった。というか、人間嘘発見器ができる人物がいるとは驚きである。

 

三者三様の言葉を聞いて、少なくとも自分が危険視されていない事がわかった。安堵の息をもらしているところに、ドミトリの言葉が続く。

 

「隊長。僕はソイツよりかは、ソイツが呼び出した……そこの《守護者》に聞いてみたほうがまだ収穫があるんじゃないかと思うんだけど」

 

ドミトリが指差す方向に、ヴァンが立っていた。今まで静かに隊長の話に耳を傾けていたようだ。今は考えているのか、両目を閉じて、想いにふけっているようだ。

 

「無論、俺も問いただすつもりではいたさ」

 

隊長は一歩一歩ヴァンへと近づいていく。

 

「さて、確かヴァンとかいったか。お前は先ほどの話について、何か知っているのではないか? 言っておくが、とぼけたり、はぐらかしたりすんじゃないぞ」

 

隊長は有無を言わさない、きつい口調でヴァンに言い寄った。俺としても、隊長が話した『浄化の儀式』と、マジック・ザ・ギャザリングとの関係性について、ヴァンならば何か知っているのではないかと思った。なぜなら、彼はカードから現実に召喚された存在なのだから。

 

ヴァンは少し間をあけてから、目を開け、隊長に向かって静かに答えた。

 

「主に呼び出される前の記憶ははっきりとは思い出せないのだ。すまないが、貴様の話に関する手がかりは提供できそうにない」

「何……? 嘘はついてないだろうな?」

 

隊長はドスがきいた一層低い声でヴァンに詰め寄る。だが、ヴァンは俺とは違って、怯んだ様子を微塵も見せない。

 

「本当だ。主に捧げた、この剣に誓っても良い」

 

ヴァンは召喚した時と変わらない超然とした態度で堂々としていた。

隊長とヴァンがにらみ合う緊張した時間が暫く続いたが、そこに空気を読まないドミトリの声が割って入る。

 

「隊長。早く調査を終わらせないと。まだ儀式の準備が残ってるでしょ。ソイツの事は後回しにしなよ」

 

だが、隊長は食い下がる。

 

「ドミトリ。こいつを魔力視で視ろ」

「やだ。あれは落ち着いた状況じゃないと、うまく視れないんだ。それにこんな場所でやるもんじゃないよ。アレ結構疲れるし……」

 

ドミトリは隊長の命令を拒否したが、軍隊的に部下が上司の命令に反発するのは許されることなのだろうか。隊長はヴァンとのにらみ合いを止め、ドミトリの方を見て口をパクパクして、何かを言おうとしてたようだが、大きなため息を吐いて再びヴァンの方を向きなおして言った。

 

「はぁ…… この天上天下唯我独尊な性格がなければ言うことがないのだが…… ドミトリの言うとおり、今はそういう事にしといてやる。おまえがワタルみたいに素人めいたやつならよかったんだが」

「隊長。早く行こう。こんなめんどくさい仕事はさっさと終わらそう」

 

もうだいぶ先からドミトリの急かす声がかかった。見れば、もう彼はさっさと歩きだしていた。樹海に通じる裏門までもう少しといったところだった。しかし、マジックのカードを隊長が俺に見せた時点でドミトリ以外の全員の足は止まってしまってた。遅れて、隊長が歩き出す。先頭が動き始めた以上、俺たちも行かなければならないが、俺はヴァンの言葉が気になっていた。

 

「ヴァン。さっきの言葉って本当なの? 何か覚えているようなことはないの?」

 

ヴァンは俺のほうを向いて少し困ったような様子で答える。

 

「主。これは本当です。以前のことを思い出そうとしても、記憶がバラバラになってしまっているとでも言いましょうか、雲をつかむようにはっきりしたこと事は思い出せないのです。ただ――」

「ただ?」

 

言葉が少しつかえてたようだが、ヴァンは続ける。

 

「ただ、主と伴に過去に幾度も闘ったという事実。そのことだけは、我は覚えていると確信できるのです。主の下、同志達と何度も栄光の勝利や苦渋の敗北をしたこと。それだけは記憶としてではなく、我が魂にしかと刻まれているような気がするのです」

 

そう言うヴァンはどこか懐かしむような、柔和な表情をしていた。普段の厳かな雰囲気からは想像できない、昔のどこか遠いところでの出来事を思い浮かべているような、歴戦の武将の顔がそこにはあった。俺はラルフさんに促されるまで、何故だかその顔をただ見ていることだけしかできなかった。

 

しばらく歩くと、樹海に通じる裏門についた。

 

 この村に入ってくる時に見た正門ほど大きくはないが、両開きの扉がしつらえられている。扉一枚で大人一人を覆い隠してしまうほどには大きい。扉は木製で作られてはいたが、いくつも丸太で補強されており、《魔狼》ぐらいの大きさの《魔物》では突破は不可能のように思われた。グレーほどの熊だったらわからないが…… あれ?そういえばグレーはどうしたんだろう?

 そんな疑問を感じてる俺をよそに、隊長は見張りの騎士2人といくらか話して扉を開けさせた。裏口は普段、貴重な薬草等の採取に向かう旅人が少なくない頻度で通るとの事で、割と頻繁に開け閉めがされるそうである。冒険者は朝早く出発するので、こんな昼過ぎに扉を開けることは珍しい、とは扉の番をしていた騎士の言葉だ。さらに、彼は扉を開きつつも気になる事を言った。

 

「ああ、そういえば。少し前に司祭様が扉を開けて森の奥に行きましたよ。なんでも、結界石の結界に影響がないか調べるついでに、足りない分の薬草を補充するとか……」

 

隊長が不可解な事を目の前にした人間のような、なんともいえない表情をして聞き返す。

 

「何? ザーナ司祭がか?」

「は、はい。自分の主観ですが、少しあわてていたような感じではありました」

「オヤッサン。なんかおかしいのか?」

 

思案する隊長にラルフさんから質問が飛ぶ。

 

「あの揺れのあとだ。村の結界になんら影響がないか心配なのはわかるが…… 浄化の儀式をやるにしても多少安全をとってるから、結界石の機能にも幾分の余裕はまだあるはずだ。第一、薬草の補充くらいの雑用なら司祭自ら出向くのが解せないな」

 

隊長の指摘ももっともらしく思えるが、樹海に老人一人というのは危険ではないのだろうか? 気になった俺は隊長に指摘する。

 

「樹海の中は危険ってお話ですけど、ザーナ司祭は大丈夫なんですか?」

 

隊長は俺を見て、諭すように話す。

 

「その点に関しては心配は要らない。ザーナ司祭は、当然ながら《司祭》系の加護を受けているからな。攻撃手段は乏しいが、守りに関しては大丈夫だ。その気になれば、半日くらい無傷で樹海をさまようこともできるんじゃないか?」

 

どうやら、いらぬ心配だったらしい。余計な懸念が増えたためか、ドミトリがめんどくさそうに隊長に言う。

 

「隊長、ここでザーナ司祭のことを考えても、しょうがない。運がよければ途中で見つけられるかもしれないし、さっさと行こう」

 

隊長はドミトリのほうを向くと、またもやため息をついた。

 

「まったく、これじゃどっちが隊長なんだか…… いちいち言ってることが正論なのが厄介なところだな。よし、行くぞ。お前ら、後を頼んだ」

 

隊長は門番2人に声をかけて、すでに歩き始めたドミトリに続く。俺達も後を追う。

 

門を抜けると、道が森の中に続いているのが見えた。旅人が頻繁に森に出入りしているために自然と作られた道なのだろう。道はしばらく行くと、まるで、穴に吸い込まれてるかのように見えなくなってしまっている。正しくは、道の先が見えないほどに森が暗いということなのだろう。底なし穴を覗いているかのようなその光景は、図らずも、俺が転移する際に転がりこんだ『穴』を連想させた。

 

ゴクリ、と唾を飲み込む。

 

俺には、森がまたもや俺を別世界にいざなうように手招きしているように思えてしまうのだった。

 



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011:樹海の封印

アルノーゴ樹海。

 

転移してきてから、遠めに眺めたり、深入りする事はなかったが、俺達はその中を進んでいる。

 

 アルン村自体がアルノーゴ樹海に隣接している位置にあるので、村に近づく折に、木々が生い茂っている風景は前もって見ていた。しかし、『樹海』に入ってから見る風景は、それらとは一線を隔てていた。はっきりとはいえないが、明らかに雰囲気が『禍々しい』のである。俺達の背丈を軽々と越えて茂っている木々の葉は太陽の光を遮り、森の中を暗くしている。見上げれば、葉は若葉を想起させるような緑色ではなく、黒を混ぜたかのような濃緑色をしている。暗いところによっては、黒色をしているようにすら錯覚してしまう。木々は樹海に入る前に見た木とは違い、うねりくねった幹をした木が生えていて、中にはバラのように棘の生えていたものまであった。時折、鳥や獣の鳴き声がガーガー、ギャーギャー聞こえてきては、どこかの茂みでガサガサ音がなったりして、どこにどんな恐ろしい存在が潜んでいるのかわかったものではなかった。夏にイベントで開かれるようなお化け屋敷で感じるような恐怖とは違う、生命の生存が脅かされるような、根源的な恐怖を味わわされる場所であった。

 

今は、ドミトリを中心として、その隣に俺とヴァン。前方を隊長が警戒し、後方の警戒をラルフさんが受け持って塊となって進んでいた。幸い、村を出てから《魔物》には一度も襲われていない。

 

「な、なんだか怖いところですね……」

 

森に入ってからこの方、ずっと感じる不安にたまりかねて口が開いてしまった。

 

「ああ、ワタルは樹海に入るのは初めてだったか」

「へっ、安心しな。俺とオヤッサンがいれば、こんな浅い所じゃ十分だ」

 

俺の不安を察したのか、ラルフさんが頼もしい言葉を返してくれる。ラルフさんが強いことは一度確かめているのだが、場所が場所なだけに一抹の不安が残ってしまうのだ。隣からドミトリの「うるさい」という苦情が出てくるが、そんな憎まれ口も、今の状況下では不安を和らげてくれるのだから不思議なものだ。気を紛らわすために、かと言ってドミトリの気を紛らわさないように、精一杯声を抑えてラルフさんに質問をしてみる。

 

「それにしても、この森の中、明らかに木がおかしくないですか?」

 

ラルフさんはドミトリに配慮したのか、俺のほうに近づいて、先ほどよりも少しボリューム小さめの声で答えてくれる。

 

「それは、魔力の澱の影響だ。アルン村の結界石の範囲外だから、澱が村周辺に比べて格段に濃くなってんだな。澱が濃い環境だと、動植物はその影響を受けちまって、通常では考えられないような生育をしちまうんだ」

「人間は大丈夫なんですか?」

「2、3日くらいなら影響は無いらしい。騎士団の任務で澱が濃い場所に2、3カ月居続けるヤツもいるが、輝石を身に付けてれば、問題はないみたいだ。輝石が澱から守ってくれるっていうらしいが」

「俺は輝石、持ってないですよ」

「……まぁ輝石を発現できていないヤツでも、旅の都合上で数日単位で身をさらすことはあるみたいだが、めまいだとか、気持ちが悪くなるとかで、そんなに影響はないみたいだ。それこそ1年間単位でドップリ浸かってないと悪影響はでないんじゃねぇのか?」

 

どうやら、魔力の澱が与える悪影響については、とりあえずは大丈夫そうである。1回目よりもボリュームが大きくなったドミトリの「うるさい」という苦情を脇に、気になった質問を続ける。

 

「そういえばグレーはどうしたんですか?」

 

教会でラルフさんと再会してから、相棒たるグレーの姿は一回も見ていない。アルン村に来るまではラルフさんとグレーが一緒でない時はほとんどなかったので、どうしたのかと気になったのだ。

 

「あー、それはな……」

 

ラルフさんはガシガシ頭をかいて、少し思案してから答える

 

「お前には一度、グレーを俺の『使い魔』だって説明したが、今までの事を考えれば、大体察しがつくだろ。グレーは『仕舞って』ある。さすがに村の中に連れ込むわけにもいかねぇしな……」

 

一瞬、何のことを言っているのかわからなかったが、グレーの正体に思考が至った途端、意味がなんとなくわかってきた。きっとラルフさんは、グレーを『場』から『手札』、もしくは『墓地』、そうでなければ『デッキ』か『ゲーム外領域』にやったのだろう。俺の私見が入るが、この世界ではクリーチャーは召還されなければ、文字通り『現実に発現しない』のであろう。マジックでは、召還とは基本的に『手札』から『コスト』を支払って『場』に出す行為である。(もちろん、クリーチャーを場に出すのに、それ以外の手段も存在はするが……) 『仕舞った』とは『内に収納する』または、『ひっこめる』ということであり、グレーは現時点では、この世界のどこにも存在しないという事なのだろう。すなわち、俺達がいる現実たる『場』にはグレーは存在しないということである。

 合点がいったが、よくよく思い返せば、一番重要な事をラルフさんに言ってなかった。この際、グレーを『仕舞う』事がいったいどういうことなのかをハッキリさせる事はどうでも良い。それは……

 

「というか、どうしてラルフさんはマジックの呪文を――」

「う、る、さ、い」

 

俺の核心をついた質問は、2度の苦情を無視されて、業を煮やしたドミトリの3度目の苦情によって遮られた。ちなみにボリュームは過去最大級であった。

 

 

*******************************************

 

鬱蒼と木々が生い茂る中、俺達5人は無口でひたすら進む。

 

 ドミトリの3度目の苦情のあと、大声に引き寄せられたのか、俺達は《魔物》の襲撃を受けてしまった。

襲ってきた《魔物》は《魔狼》ではなく、《邪豹》と呼ばれるネコ科を思わせる《魔物》であった。黒い体毛の中に、白い玉が散りばめられた模様の毛皮をしていて、まるで現実世界の豹を白黒反転したかのようであった。だが、赤い目や鋭い牙は《魔狼》と変わらず、何より細くも強靭でしなやかな前足からは想像できない鋭利な爪が印象的だった。

 余計な面倒を引き起こしてしまったツケとして、ラルフさんが相手をすることになったのだが、今回も特に苦労している様子はなかった。《邪豹》は、その細身な体からは想像できない大きな跳躍でラルフさんに飛び掛ったが、ラルフさんはふらりと横に交わし、輝石を一瞬輝かせてから、右手で剣を一閃。《邪豹》は地面に着地できずに地面に頭から突っ込んだ。見れば、《邪豹》の腹が大きく掻っ捌かれていた。なんかエグイ、ひょろ長いニョロニョロしたものが腹からこぼれていたのですぐに視線をはずしたが……

ヴァンが「ほぉ」と感心が口から漏れるほどの、惚れ惚れするほどの対処だった。

 その後、隊長から「お前ら、私語は禁止する」とお叱りを受けてしまった。この年になって叱られるとは思わなかったので少しヘコんだ。ドミトリも隊長から「お前ももう少し、声を落とせ」と叱られていたが、ドミトリは「そんなことわかってる」と、馬耳東風やら、どこ吹く風やらといった風であった。

 プリプリしていた隊長は何回目になるかわからない大きなため息を吐いたあと、《邪豹》に向かって右手をかざして一言「埋まれ」と囁いていた。驚くべきは、その後に《邪豹》の死体が、突然地面に埋まってしまった事だった。恐らく死体の処理をしていたのだとは思うのだが、これはきっと隊長の輝石の力の一端なのだろう。隊長につめよろうとしたが、「質問も禁止だ」と先に言われてしまい、俺はぐっとこらえるしか無かった。声も無く嫌味な表情で笑う隊長と、感心の言葉以外、一切無口で無表情なヴァンが対照的だった。

 

そんなこんなで、一度は襲撃で足を止められたのだったが、再び森の奥へとドミトリの調査を進める。

 

「もう少しで揺れの発生源がある場所につくと思う」

 

と、襲撃をかたずけ終えた直後に水晶玉を見ていたドミトリが言った。

 

「早いな。まだ深部に入りこんでないとは思うが」

「オヤッサン。まだ、村を出てから数十ミニトしかたってないと思うぞ」

 

隊長とラルフさんから、意外そうな声があがる。ラルフさんの言う時間の単位はわからないが、どうやらまだ森に入ってからそんなに時間はたってなかったらしい。俺としては森の異様な光景と、襲撃の一幕でかなり時間がたっているように感じられた。だが、荒事に慣れているであろう二人がそう言うのならば、そうなのだろう。隊長は、少し大きめの声をだしてしまったラルフさんに「シッ」っと注意をしてから、ドミトリに先を促した。それから、歩みを進める事数分、茂みの中を進んでいるときに、前方からドミトリの声が聞こえてきた。

 

「ここだ」

 

茂みを抜けた先は樹海の中にも関わらず、ちょうど開けた場所が広がっていた。薄暗くて奥まで確認はできないが、目の前にはアルン村の教会前や街道の途中で見かけたのと同じような、結界石が奉られている台座があった。アルン村教会前の物と比較すると、石柱に描かれている文様が異なるような気がする。さらに、台座の上にある、結界石の色が緑色をしていた。

 

「結界石か……?」

 

隊長の疑問には何も答えずに、ドミトリはスタスタと石柱に近づく。水晶玉をかざしながら結界石をしばらく見つめた後、隊長に返事をする。

 

「いや、正確には侵入阻害と空間位相変化の結界が付与された結界石だね。村や街道の祭壇にあるものとは違うよ」

「なぜこんな所に結界石があるんだ? 昔、アルノーゴ樹海への開拓に失敗した時に回収し忘れた物なのかもしれんが、それだと付与されてる結界の効果が解せんな」

 

隊長は頭を捻っているが、今なら少しだけ質問しても大丈夫そうだろう。

 

「その結界ってどんな効果があるんですか?」

「侵入阻害ってのは……」

「結界が張られてる場所を生き物が把握できなくする効果がある。意識しなくて結界に近づいても、結界が別の場所に向かうように近づいてる者の認識を誘導するんだ。結果的に魔物も人間も結界内に入る事が出来なくなる。僕も本でしか読んだ事がなくて、今初めて見たけど、極めて高度な結界だよ」

 

珍しくドミトリが率先して答えてくれた。少し意外に思いつつも、説明された事を反芻する。

 

「空間位相変化は、特定の空間を僕たちのいる空間からずらして、僕たちのいる空間から分離して認識させないようにする効果だよ。これも初めて見る物凄く複雑な術式だ」

 

 

なんか内容が難しそうで、理解するのに困難するが、ドミトリの説明の内容の中で、何かが頭の中でひっかかる。それが判明する前にラルフさんが違和感を明らかにしてくれた。

 

「おい、ネクラ。その説明だと俺たちが、結界内に入っちまってる事に矛盾してないか」

「あっ、そうですね。なんで俺たちが、その結界石を目の前にすることができてるんでしょうか」

 

ドミトリは既にお決まりとなった「僕はネクラじゃない」という突っ込みを返しつつも説明を続ける。

 

「それが、この結界石はその効果が切られているんだ。普通、結界石は発動された時点で、間断なく効果は続くはずなのに…… もしかしたら……」

 

何やらドミトリはスイッチが入ったようで、周りをグルグル回っては、水晶をかざしつつ、ブツブツ言いながら結界石を観察しだした。言ってる事はわからないが、ようは目の前のコレが、この世界基準でも珍しい物なのだという事はわかった。

 

「おい、ネクラ!」

 

ラルフさんが呼びかけても、ドミトリに反応は見られない。『ネクラ』に反応しないという事は、それほど没入してしまっているという事だろう。

 

「ああなったドミトリはしばらくは帰ってこない。ほっといて俺たちは他を探索するぞ」

 

隊長が俺とヴァンとラルフさんに言ってきた。これまでのドミトリを見るに、好奇心旺盛な研究者気質な人物かと思ってたが、だいたいあっているようだ。今も飽きずにじっと結界石を眺めている。

 

「ほっといても大丈夫なんですか?」

「腐ってもアイツは騎士学校を卒業した一人前の『従騎士』だ。《魔物》に襲われても一人でなんとかする程度の実力は身に着けているさ。おいっ、ドミトリ。俺たちは先を探索する。何かあったら『アレ』で知らせろ」

「……わかった」

 

流石に隊長の言葉は聞き逃してはいないのか、ドミトリから小さい了解が返ってきた。

 

「行くぞ」

 

隊長が先に進み始めるが、ラルフさんから声がかかる。

 

「オヤッサン。何を探索するんだ?」

「ドミトリの言うとおり、あの結界石が『侵入阻害』の効果を持っていたとすると、結界石を設置した人間は、結界内に何かを隠したかったと推測できる。それを確認するんだ」

 

結界石が設置されている場所から、森の奥に向かって、木が少ししか生えていない開けた場所がしばらく続いているようだ。隊長の言うとおり、この奥に隠されていたものがあるのだろう。

 

目的のものはすぐに見つかった。結界石より歩くこと数分。茂みを抜けた場所に、こじんまりした社が建っていたのだ。

さらに、予想外な事に、一人の人間がそこにいた。その人物は社へ身をかがんで、中の様子を伺っているようだ。中をのぞくのに夢中で、背後の俺たちに気づく様子はない。

隊長は、人間に気づいた瞬間に、後ろを歩く俺たちに片手をあげて、俺たちの歩みを止めた。始めは何の事かわからなかったが、隊長がアゴをしゃくった方向に、人間のシルエットが見えてようやく気づくことができた。ラルフさんは隊長に無言でうなずきを返すと、腰に差してある剣を握りつつ、ゆっくりと隊長と謎の人物に近づきだした。俺も続いた方が良いか迷ったが、ヴァンが俺の前に出てきて、進行方向を手で遮った。ここは、大人しくしておいた方がいいだろう。

 

隊長は、社の台となっている石段に足をかける所で、抜刀とともに誰何の声をあげた。

 

「誰だ!」

 

少し離れた場所にいる俺の腹の底に響くほどに大きな声だった。社に夢中になっていた人物は相当驚いたようで、社の屋根に頭を思い切りぶつけた。

張りつめた空気が一気に弛緩してしまったが、当該の人物は後頭部を手で押さえて「ぬおぉぉ」と唸っている。うずくまっているので顔が、確認できない。だが、しばらく様子を見ていた隊長から、声があがる。

 

「その声に、修道服。まさかザーナ司祭か?」

「そ……その声はアルバート殿ですかな?」

 

ようやく頭の痛みが引いたのか、顔をあげた人物はザーナ司祭だった。頭の後ろをさすりながら、俺たちを見回す。なかなか痛そうで、俺の後頭部のたんこぶが疼いたような気がしてしまった。

 

「何故、アルバート殿がここに。結界があったはずでは――」

「それはこっちのセリフだ。結界石なら、効果が切れっぱなしになってたぞ」

「なんと、それで…… いや、もうアルバート殿達がここに居る時点で既に手遅れでしたな」

 

どうやら司祭の口ぶりは結界石に関わりがあるかのような言葉だった。ただ、もう言い訳ができない状況なのか、観念したようであった。

 

ラルフさんから質問が飛ぶ。

 

「で? 司祭様はあの結界石を操作したって思ってもいいんだよな? 一体、ここで何してるんだ。そこの社が気になってるみたいだが」

 

ザーナ司祭に注意がいっていたので細かく確認してなかったが、社は約5メートル四方の石段の上に建っていた。ちょうど大の大人の胸あたりの高さしかなく、形状的にアルン村の結界石の石柱部分を取り除いたようなものだった。ただ、屋根部分はずっしりした岩を四角錘の形状に削ったもので、頭をぶつけたらいかにも痛そうではあった。社の中に収まってる石は人の頭ほどもあり、血を思わせる深紅色をしていた。社の回りの所々欠けた石畳の隙間からは草が生えている。この場所が長年放置されていたことが推察できる。

 

司祭は静かに語りだした。

 

「私は、あの揺れがこの場所にある封印石が原因ではないかと思い、様子を見に来たのです」

「封印石だと? あなたの後ろのそれが、そうだというのか?」

「マジかよ……」

 

前者から、隊長、ラルフさんの反応だ。司祭の言葉は2人にとってかなり衝撃的なものらしい。が、俺にはその凄さがいまいち計れない。

 

「その封印石ってのはかなり珍しいものなのですか?」

 

俺の正直な質問に、司祭は昨日俺と話した時と変わらない、優しげな表情で答えてくれた。

 

「封印石というのは、災厄と呼ばれるほどの被害をもたらした魔物が封じられた輝石の事です。この世界のどこかに数多く存在していたと伝わっていました」

 

なんとも含みのある説明ではある。これだけでは理解できないから、もう少し話を続けるべきだろう。

 

「伝わっていた、とは」

 

司祭は社の方を向き説明を続ける。

 

「長い歴史の中で失伝してしまったのです。今では騎士団や教会が管理しているものしか場所が明らかになっていません」

「ザーナ司祭。我々、騎士団はアルノーゴ樹海に封印石が隠されていたことなど聞いたことがない。それは教会が独自に管理してきたものなのか?」

 

司祭は淀みなく隊長に答える。

 

「正確にはアルン村代々の司祭ですよ。この封印石を本山は感知していないはずです。私はこの場所を前任の司祭からの引き継ぎの時に初めて知りました。もう30年以上も前の事です」

「何? 本山の方はどうしているんだ?」

「おそらく、この場所は忘れ去られてしまったのでしょう。前任の司祭から聞いた話だと、100年以上前から存在していたそうです。私ですら、この場所に来たのは、これで2回目なのですから。前任も含めて、本山とこの封印石についてやりとりしたことなぞ、ありませんでしょうな」

 

おそらく、人が立ち入らない場所に位置していたため、長い間に忘れられてしまったらしい。だが、放置されてても何も問題は無かったのだろう。隊長は少し呆れた様子で、司祭に問い続ける。

 

「まあ、その状態でこれまでに問題なかったことはわかった。だが、今は封印石の状態は大丈夫なのか?」

「幸い、私が見た限りでは変わりはないようです。しかし、念のためドミトリ殿に見ていただきたいところではあります」

 

結界石を観察して、その性質を言い当てていたので、やはりドミトリにはその分野の専門性があるようだ。しかし、残念ながらドミトリは来る途中にあった結界石に夢中でこの場にはいない。隊長はラルフさんに指示をする。

 

「ラルフ。戻ってドミトリを呼んでくるんだ。何、封印石があるって言えば飛んで来るだろう」

「あまり気は進まねぇがしょうがないか」

 

ラルフさんは抜いていた剣を鞘に収めて、トボトボ来た道を引き返していった。ふらふらと歩いて、徐々に遠ざかるのを見送ってから、隊長は司祭に質問を続ける。

 

「それで?ザーナ司祭。その封印石には何が封じられてるってんだ? アルン村って言えば、昔に蛇の化け物が出たっていう伝承で有名だが……」

「その通りです。私が先任の司祭から伝え聞いた話になります。アルノーゴ樹海に入植が行われるようになって、十数年後に突然現れて、大きな被害をだしたそうです。その甚大さは当時、勢いづいていた開拓が大きく後退し、二度と再開されないほどのものだったそうです」

 

大きな蛇、という言葉について、気のせいではすまされない程度の既視感を覚えた。よくよく思い出して見れば、昨日にナエさんに教会に連れてこられた時に見たステンドグラスにそのような絵が描かれていたように思う。それに、ラルフさんも隊長と、同様の話をしていたはずだ。おとぎ話や伝説には由来となる話が存在するものだが、この世界でもそれは同じようだ。ましてや、この世界ではファンタジー要素が豊富なだけに、この手の話題は探せばいくらでも出てきそうな気がした。隊長は、信じてるのか、疑ってのか、どちらともつかないように鼻息をふんっと吹かしてから話を続ける。

 

「そんだけ被害を出しながらよく鎮圧できたもんだな」

「そこは、偉大なる女神様のお力添えあってのこと。犠牲を出しつつも、当時のガイウス派の術師達の活躍より、封印石におさめる事に成功したそうです」

 

司祭の言葉の中に、ガイウス派なる言葉が出てきた。話の流れから、封印石に深く関わっている存在なのだろう。ラルフさんもまだ戻ってきていないようどし、このことも聞いてみてもバチは当たらないだろう。俺がこの世界について知れる事は1つでも多い方が良いのだ。

 

「あのう…… ガイウス派って言うのは一体何なのでしょうか? 聞いている限りだと、何かの派閥を指してるんでしょうか?」

「それは……」

「ガイウス派とは……」

 

司祭と隊長は、俺に説明しようとして、ほぼ同じタイミングで話し出してしまったようだ。二人は互いに視線を交わしつつも、微妙な譲りあいという押し付けあいをやりあってるようにみえた。やがて、隊長は小さく「司祭に譲る」とだけ、呟いてからむっすりしてしまった。

譲られた当人は、やれやれと言ったような、かと言って全く嫌そうではない表情を浮かべて、俺に話し始めた。

 

「ワタル殿の言う通り、ガイウス派とは、聖石教会に属する術師達の事を差します。一般的には、結界石の作成、管理を担ってると言われてますね」

「その人達が、その封印石に関わってるということですか?」

「その通りです。彼らは輝石を使った結界術や封印術に定評があります。この封印石以外にも、ガイウス派が関わりを示唆する逸話は各地に伝わってますな」

 

なんだか話を聞く限り、ガイウス派の説明とこれまでのドミトリの行動が重なるような気がした。

 

「なんとなくその話を聞いて思ったんですが、ドミトリは、ガイウス派の術師なんですか?」

「はて、私もそう思っておりましたが、アルバート殿?」

 

司祭は困った顔をして、隊長に問いかけた。まさか、話が降られるとは思ってなかったのか、隊長は意外そうな顔をした後、腕を組んで思案気に語り出す。

 

「あー、確か、騎士学校卒業時に誘われたとかなんとか言ってたな。本人は適当にはぐらかしたとか言ってたが……」

「なんと、ドミトリ殿はガイウス派の術師ではなかったのですか。しかし、ガイウス派からの誘いが来ていたのですな?」

「ああ、ガイウス派からの派閥誘いなんて、数年に一回あるかないか、なかなかお目にかかれる事じゃないんだがな。本人は規律がめんどくさいとかで、バッサリ切り捨ててやがったな」

「なんというか、彼らしいですね」

「違いないですな」

 

ドミトリと会って話したのは今日一日だけだが、それだけでも彼の強烈な個性を知るには十分な時間である。どこまでいっても、マイペースで天上天下唯我独尊的な性格は、世間的に著名な派閥からの誘いも歯牙にかけていないようだった。俺たちが来た方向を見るに、まだラルフさんはドミトリを呼びに行ってるようだ。まだ今しばらく時間がかかりそうである。コホンと咳払いをひとつして、司祭が話を続ける。

 

「さて、話を戻しますかな。ガイウス派は歴史は古く、その起源は創世記にまでさかのぼる事ができるそうです。その起源は、女神様の従者、大導師ガイウスといわれております」

 

創世記という言葉は、過去に聞いた事がある単語だった。俺はそれが、某十字架的宗教が拠り所としている世界一のベストセラー本に相当するものではないかと予想していた。それから察するに、ガイウス派という派閥は歴史の紀元から存在する、由緒正しい厳格な団体であるという印象を受けた。

 

「なんか、すごく歴史のある、厳格な組織であるようなイメージがしますね」

「ほっほっほ。大抵の方はそのように受け取られるようですな。実際、世間一般に知られているのは今まで話した程度の事くらいで、それ以上の事となると何も情報がないのです」

「それは……一体?」

 

司祭の言葉をどう受け取ったらよいのか、悩んでいると横から隊長が補足してくれた。

 

「奴らは総じて、やる事なす事、みんな秘密なんだよ。俺が隊長をするようになって、何回か奴らと交わる機会はあったが、みんな《機密》の一言でこちらに必要な情報をひとつもよこしやがらねぇ。おかげでいらない苦労背を負いこまなきゃいけなかったな」

 

過去の出来事を思い出してるのか、隊長の声は若干不機嫌そうである。隊長の話を加味すると、ガイウス派というのは秘密主義的な所もあるようである。俺の中のイメージは某スパイ映画よろしく、情報を扱う秘密集団に塗り替えられてしまった。やましい悪事を働いてると、影で誅殺されてしまいそうな気がする。不安を抑えながら隊長に聞いてみる。

 

「それじゃあ、結局、ガイウス派って封印術や結界術に詳しいけど、何をやってるのかわからない集団って事になりますよね。それって何もわからないってことじゃないですか?」

「身もふたもない言い方すればそうなるだろうよ。なんか不思議な事があれば、だいたいガイウス派のせいにされるのが常だ。アイツらが好き好んでそういう振る舞いをしてるかどうかはわからんが、連中はそんな事を言われても全く気にしてないようだぞ」

 

結局、ガイウス派とは、なんともとらえようのない集団という事しかわからなかった。しかし……

 

「ドミトリに聞いてみたら、何かわかるのでは?」

「それも無駄だと思うぜ。俺も興味本位で聞いてみたけど、何もしゃべる事はないって言ってムッツリしたまんまだったな」

 

どうやら、ドミトリ本人に聞いてみても無駄なようである。何か箝口令でも敷かれてたりするのだろうか。

 

「ま、今はそんな事よりも目の前の封印石だ。我らがガイウス派内定術師様のご到着だぞ」

 

隊長がアゴでしゃくった方向を見ると、ザッザッザと一定間隔で茂みが揺すられる音が聞こえてきた。音は次第に大きくなり、やがて草をかき分けてドミトリが姿を現した。歩きながら周囲を確かめて、封印石の社を発見するや否や、グングンと社に近づいていく。俺やヴァン、司祭、ましてや隊長すらスルーして、最後には小走りで社に近づいて行った。目標物にたどりつくと、彼は水晶玉を片手に、社のあちこちに手をぺたぺた当てて、ブツブツ言いながらながら社を調べ出した。ドミトリに遅れる事少し、背後から、同様に草をかき分ける音が聞こえてくる。見れば、ラルフさんがやる気のない動きでフラフラと戻ってくるところだった。

 

「あ、おつかれさんです」

「おう……」

 

ラルフさんは気が抜けて疲れ切った様子であった。

 

「あの、ネクラめ、結界石から引きはがすのに苦労かけやがるだけか、封印石があるって聞くや否や俺をほっぽってガンガン先に進みやがって…… もう好きにしやがれってんだ……」

 

流石に、ラルフさんでもってしてもドミトリを御することは不可能らしい。彼の興味は封印石にのみ注がれていて他はどうでも良いようだった。彼の社への歩みが何よりもそのことを証明してるように感じられた。

 

「ラルフ、ご苦労」

 

隊長がラルフさんをねぎらいに寄ってきた。

 

「おやっさん。あんなみたいなのを部下に持つと苦労しないか?」

「今更だな。もう何度《隊長の威厳》という言葉を考える羽目になったことやら。もう俺はあきらめたがな……」

 

隊長とラルフさんの間に妙なシンパシーが生じているようだ。ドミトリを見ていると、その苦労がありありと想像できる。ドミトリは社の周りをくるくる回って調べていたようだが、今は社に収まっている大きな封印石に集中している。俺が隊長に尋問されていた時のように、射抜くように封印石を観察している。

 

「すごい。封印石を見るのは初めてだけど、こんな高度な術式が施されているとは思いもしなかった」

 

ドミトリの声を聴いたとき、おや、と思った。その声が少しだけ上ずっていて、興奮しているような様子だったのだ。結界石を見たときでさえ、このような声の調子ではなかった。司祭が彼に近づき、封印石について尋ねる。

 

「ドミトリ殿。封印石の様子はどうですかな? 私はワタル殿が、あの《守護者》を召喚した時に生じた揺れの原因が、この封印石にあるのではないかと思い、様子を見に来たのです」

「内の魔力の流れを完全に閉じ込めた上で、それを利用しているみたいだな…… 中に封印されてるのがどんなのかはわからないけど、それすら利用した術式…… 術を施した人間は相当な腕前に、非凡なセンスもある…… すごいぞ。あれ?」

「ド……ドミトリ殿……?」

 

ドミトリは司祭の言葉を完全に無視して、封印石に没頭している。司祭もドミトリの静かなる傍若無人ぶりに若干ひるんでいる様子だ。一方、ドミトリは何かを発見したようで、頭を社の中に突っ込んでまで封印石を調べ出した。

 

「おかしいな。わずかだけど魔力が漏れ出した後がある。術式も少し解けかけてる箇所が…… でも、もうほとんど元通りといっていいほど持ち直してる……」

「ドミトリ殿、それで封印石は大丈夫なのですか」

 

ドミトリは社に首をつっこんだまま、少し間を開けて答える。ドミトリは司祭を無視してるはずなのに、なぜか会話が成り立ってしまっているような気がする。

 

「うーん。大丈夫かな… 自己修復機能まであるとは…… これを作った術師は僕と同じくらい天才だな」

 

何故かこの場にはいないであろう、結界石を作成した術師に対抗してるかのような発言をしているが、ドミトリが言うには結界石は大丈夫らしい。ザーナ司祭も彼の言葉を聞いて一安心のようだ。

社から首をひっこぬいたドミトリに、隊長が声をかける

 

「それで、思う存分珍しい輝石を眺めてきた感想はどうだ」

「あれ? 隊長ここにいたの?」

 

ドミトリはやっとこの場に他の人間が居たかのに気付いたようだった。

 

「一番始めに見た結界石も中々興味深かったけど、この封印石はもっとすごいシロモノだよ。多分ガイウス派の手によるものだ」

「誰にも教えられずにガイウス派の名前を出すあたり、流石といった所か。それで、ザーナ司祭がその封印石の事を心配してるんだが、おかしな様子はないのか」

「うん、中の魔力が外に漏れだして封印が解けかけてたみたいだけど、封印石自身の術式で自動的に持ち直したみたいだよ。修復もほとんど終わりかけてるみたいだし、もう安全な状態になってると思う」

 

隊長は「そうか」と言ったあと、ドミトリに問い続けた。

 

「それで、あの揺れの原因らしきものにアタリがついたわけだが、この封印石の封印が解けかけた影響としては、大規模な揺れしかないのか? 他に何かないのか?」

 

ドミトリは調査項目のうちに入っていたのか、淀みなく答えを返す。

 

「今まで、ここに来るまでに魔力の揺れや濃さを探ってきたけど、大きな魔力波動が通りぬけた残滓が見られるだけで、他にはおかしなところは全くなかったよ。多分、封印石の術式が解けかけた時に、中の魔力が漏れて、大規模な魔力波動が生じたんだと思う。それ以外には……」

「なんだ?」

「いや、ここに来るまで様子を探ってる間に、誰かの視線を受けてるというか……変な感じがしたんだけど」

「何? ……ラルフ。おまえここに来るまでに何かに感づいたか?」

ドミトリの言葉に隊長が怪訝そうな表情をする。ラルフさんは隊長の問いかけを受けても、首を横に振るだけだった。

「いや、監視を受けてるような気配は感じなかったぜ。呪われてるとは言え、まだ《加護》で増幅された感覚まではやられちゃいねぇ。てめぇはどうだ、《守護者》?」

 

意外にラルフさんはヴァンにまで、何かなかったかを聞いてきた。歴戦の彼ならば何かに気付くような感覚に優れているかもしれない。

 

「いや、我も特におかしなことは感じなかった」

 

その言葉を聞いて、ラルフさんが隊長に「だそうだぜ」と話を戻す。

 

「隊長。僕としてはあの感覚に根拠はなにもないんだ。気に食わないけど気のせいだったと言われたら否定できない……」

「ふむ、お前がそんなに自信なさげに物を言うのも珍しいな……まぁいい」

 

不確かなものについては早々に見切りをつけたらしい。隊長は全員を見回して全員に告げる。

 

「よし、揺れの原因はその封印石と想定して、今回の調査はこれで引き上げる事にするぞ。樹海の中にこんな代物があるとは想像しなかったが…… 明日の儀式の準備もある。さっさとここを撤収するぞ」

 

隊長はザーナ司祭に一言付け足した。

 

「ザーナ司祭。その封印石の事について知っていたなら、我々がアルン村に来たときに告げるべきだった。今は最後の儀式が差し迫ってるから、深くは追及しないが、この件はラグジッドの騎士本部に持ち帰らせてもらうぞ」

「ええ、お伝えしていなかったのは明らかに私の落ち度です。また、騎士団にこの封印石を知っていただいた方が、私としても心配事が軽くなって喜ばしい事ではございます」

 

隊長は「それは結構」と一言した後に、ドミトリにこれ以上の封印石の観察禁止を告げ、無理やりひっぱっていく。

ドミトリはずるずる引きずられながら「えー、もっと見たいんだけど」と駄々をこねている。なんだかこの様子だけ見てると、天才という評判が台無しではある。

 

「うっし、ワタル、ザーナ司祭、俺たちも行くか」

 

ラルフさんに急かされて俺も歩き出す。しかし、なぜか社が気になって中々歩が進まない。後ろ髪引かれるという言い方もおかしいかもしれないが、俺の中の《何か》が社を、いや、その中の封印石の存在を無視するなと訴えかけてきてるかのようであった。しかし、いつまでもここにいるわけにもいかない。

 

ザーナ司祭、ヴァンの背中を追って、封印石がある広場を後にするときに、それは起こった。

 

ドクン

 

不意に俺の中にある《何か》がざわついた。

 

とっさに、社の方を振り返るが、封印石は相変わらず、森の中という静かな情景の中に変わらずあり続けたままだ。ざわついた余韻が残る胸に手をあて、じっと封印石を見続ける。

 

「やっぱり、俺に、マジックに関係してるのか?」

 

ヴァンがしばらく動かない俺を見かねたのか「主?」と様子を聞いてくる。妙な不安は残るが、封印石に変わりがない以上、この場にとどまっていても何かあるとは思えない。仮に何かあるとしても、俺一人だけでは不安が残る。俺には逃げるようにこの場から立ち去る事しかできない。

 

「おい、ワタル。早くいかねぇと、この場から出られなくなるぞ」

 

振り返ると、ラルフさんが戻ってきていた。何やら聞き捨てならない不穏な発言である。

 

「え、出られなくなるってどういう事ですか」

「ネクラが言うには、今、司祭が効果を切っている結界石なんだがな。効果を戻すと人払いの結界が働くんだそうだ」

「それは、結界石がそういうものだと聞いてますから、そうなるんじゃないんですか?」

「問題は、結界の内側らしい。結界石は、外から見れば何者も侵入を許さない結界を張るんだが、中の方は、逆に何者も外にださない効果を及ぼすらしい。外からの存在を退けつつ、中の存在を封じる2重の効果がある素晴らしい結界なんだとよ」

「え、じゃあ、ザーナさんが効果を戻す前に出なきゃだめじゃないですか。それを早く言ってくださいよ」

「ま、司祭様に限って俺たちを閉じ込める事なんて考えられないがな、早くいくぞ」

 

ラルフさんに軽く文句を言ったその時である。俺の後方から左手方向にかけて、茂みをかき分ける音が聞こえてきた。すわ、魔物か?と思ったのだが、どうやら音の発生源は俺たちから遠ざかる方向に移動しているようだ。ラルフさんとヴァンが得物に手をかけ前に出て、俺を守ってくれたが、しばらくしても何も飛び出してこなかった。

 

「魔物ですかね」

「まぁ、結界石の効果が切ってあるから、俺たち以外の存在がこのあたりに侵入してても不思議はないな」

「主、ここに留まり続けるのは危険です。先に行った騎士隊長殿と合流しましょう」

「そこの《守護者》の言うとおりだ。ワタル、だべってないでさっさと行くぞ」

 

俺を守ってくれてる二人にそこまで言われてしまっては、口答えのしようがない。先ほどのやりとりで気が緩んだせいか、妙に疲れきってしまった体を叱咤しながら、俺たちは帰路につくのだった。

 




2017/01/08 ドミトリの結界石の説明に関して加筆修正


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012:浄化の儀式と災厄の流星 その1

 色とりどりのステンドグラスから差し込む光は、鮮やかに彩色され教会の祈り場を照らしている。その光は2日前に初めてこの場にやってきた時と変わらず、教会の中の神秘さを醸し出すのに一役買っている。しかし、それは無人の中の静けさの中にあって初めて感じられるものなのかもしれない。この前と異なるのは、この中に多くの人間が窮屈に詰められているという所だ。何列にも設置された長椅子すべてに収めるのが不可能なほどの人数が教会の中にいる。椅子には老人や子供、その親が優先して座らされている。あぶれた大人はそれぞれ床に座ったり、壁にもたれかかったりして、それぞれ思い思いに過ごしていた。中の人間達はざわざわと騒いでいるが、秩序はなんとか保たれているようだ。だが、昨日の魔力振動が起きた直後と同じくらい落ち着きが見られない。決壊一歩手前な感じではあった。

 俺はそんな中、大広間の一角に他の村人に混じって、暇を持て余していた。壁に寄りかかって何となしに回りを俯瞰して時間をつぶしていた所だ。ちょうど広間の真ん中に位置するここは、中に居る人間を見回すには絶好の位置であった。祈り場の方とは逆方向にある入り口には、村人に混じって騎士2人が扉の両側に立って、教会内の様子を伺っている。

 騎士と言えばヴァンであるが、彼は今日起きたら、いつの間にやら姿を消していた。いや、正確には俺のデッキに戻っていたという表現が正しいだろう。どうやら俺が一眠りしたら召喚したクリーチャーの召喚状態が解除されてしまうようだった。ヴァンがいないと気付いた時は慌てもしたのだが、今は己の内に潜む《声》を聴けば、ヴァンはちゃんとこの中に収まっているという事が感じ取れる。なお、《魔狼》に襲われた時にグレーにかけた【不退転の意志】の《声》も感じるとる事ができた。おそらく、怪我を負った状態で教会で気を失った時、そうでなくとも、ラルフさんがグレーを『戻した』時にエンチャント状態が解除されたものだと考える事ができる。

 

 話が逸れた。

 

 何故、俺がこんな、ぎゅうぎゅう詰めの空間に居るかというと、アルン村の人達と『避難』という名目で押し込められているせいだった。今頃、教会の外では、『浄化の儀式』が進行中のはずだ。穏やかな天気だったはずなのに、強風がビュウビュウ吹いたり、外でバシバシ大きな音が鳴っているので何かが行われているはずだ。ところで、何故こんな『避難』という措置を取るかというと、昨日のアルバート隊長の説明を聞いているのならば納得は行く話ではある。樹海から帰った後、ザーナ司祭から改めて話を聞く事が出来たが、その時に得た情報に比べると、今回の措置は念の入れすぎではないかとも感じられた。ザーナ司祭の話では、儀式中の魔物出現現象以降、儀式時の危険性は格段に増したが、あらかじめ特殊な結界を張り巡らせる事によって、村内への魔物の侵入を防ぐことができるようになったそうだ。この結界はガイウス派の術師達による功績だそうだが、儀式の危険性を格段に減らす事ができるようになったそうだ。儀式時には《魔物》が結界外に押しやられ、迎撃態勢を取る余裕ができ、せいぜいよっぽど運が悪くて死傷者が数人出るくらいの被害に抑える事が可能になったそうだ。

 今まで回りをキョロキョロ見回したり、考え事をして過ごしていたが、同じ姿勢でじっとしているのも億劫になってきた。この村に来てまだ2日しかたたない新参者の身としては、話しかける知り合いなぞほとんどいない。ザーナ司祭は『儀式』のために屋外に、ロミスさんは避難している人達の世話に走り回っている。特にやる事もない現状なのだが、この世界に来てこの方、やっと一人で考えに没頭できる時間ができたとも言える。俺には物思いにふけるには恰好のネタがあった。過去2日間の出来事を振り返ってみるに、俺の内に潜むマジックの力とやらについて、考える事はいくらでもあった。

 先ほどまでも、外での騒音を気にもせず、己の内から聞こえる《声》に耳を傾け、今までの経緯、《声》達が訴えかける事、現実世界でのマジックルール等様々に照らし合わせて、今の俺にできる事について考えをめぐらしていた所だ。まだ考える事は色々あるため、再び思考に埋没しようとした所、突然大きな音に現実に引き戻された。まるで交通事故でダンプがどこかに突っ込んだかのような音だった。にわかに、教会の中が騒ぎ出す。しかし、間を置かずに次々と爆音が響き渡った。音が鳴るたびに叫び声や悲鳴が上がる。まるで爆撃でも受けているかのようだ。音が鳴り止むと、入口に控えていた騎士は扉を開けて外の様子を見に出て行く。しばらくして、慌てたように戻ってきた騎士は教会に居る人間にこう告げた。

 

「みなさん、落ち着いて聞いてください。これから私の言う事を聞いても、決して騒がないでください…… 先ほどの音は魔物が村の中に侵入した時の音です」

 

その言葉を聞いた瞬間、広間の中は叫び声や大声が響き渡り、混乱状態に陥った。しかし、パニックが起こりそうな中、不思議と透き通るような声が広間に響き渡った。

 

「みなさん。落ち着いてください。我々、聖石騎士団が居る限り、教会は絶対に安全です。ですが、万が一という事も考えられます。女性や子供は広間の奥に移動して固まって下さい。いいですか、落ち着いて行動してください」

 

声のした方向を見ると、ニーナさんが2日前と変わらない修道服姿で皆に大声を張り上げている所だった。大人数が起こす騒乱に負けないほどの大声であったのに、発した彼女の神秘的な柔らかい雰囲気は全く崩れる事がなかった。村の人間達は、ニーナさんの姿に半ば茫然と見入っている事に気付くと、静かに移動を開始する。俺もつられて、ニーナさんに見入ってしまった。しかし、今の様子を見に行った騎士が告げた事は、昨日聞いたザーナ司祭の話を嘲笑うかのような内容であった。昨日起こった魔力振動の件といい、何かが想定外の出来事を矢継ぎ早に起こしてしまっているのではと不安に思ってしまうのであった。

 

 

*******************************************

 

時はワタルが教会内に押し込められる時間帯から少しさかのぼる。

 

 アルン村のほぼ中央に位置する教会前の広場には、騎士団と教会関係者が集まっていた。広場に鎮座する結界石の台座の周りの四方には、中心に立つ結界石の石柱をデフォルメしたかのようなミニチュア版結界石が設置されていた。それぞれに取り付けられている輝石の大きさは、中央に位置する結界石ほど大きくはないが、各々光を放っている。おそらく、儀式に必要な術式を発動するためのものなのであろう。騎士達は四方の縮小版結界石が仕切っている術の領域外に立って、それぞれ周りを警戒している。囲われた結界石の内側、教会扉の前に位置する場所にはザーナ司祭が片足を立ててひざまづき、目をつむって術発動の準備に集中している。彼は俯いており、両手を合わせて握りしめている姿は、さながら神に祈っているかのようであった。実際、彼は術を準備しながら女神に祈っているのであろう。司祭の目の前には、敷物の上に、大小様々な大きさの輝石が、小さい山となるくらいに積まれていた。大小と言っても、せいぜい大きなもので、四方に設置されている結界石ほどのものであり、小石程度の大きさの輝石も見られた。ザーナ司祭の後方では、アルバート隊長が両腕を組んで、司祭の様子をじっと伺っていた。彼は、当然ながら今回の『儀式』を取り仕切る役を受け持っていた。『儀式』進行の中心となるこの場に居合わせるのは当然の事と言える。

 

 今、彼は1人の騎士から報告を受けている所であった。

 

「隊長。正門、裏門ともに配備完了です。《流星》が落下した後、門に近づいて来た《魔物》を撃破する手筈となっております」

「よし」

 

 アルバートは後方を振り返り、教会扉の両脇を守る騎士に問いかける。

 

「教会内はどうだ? 避難できてない住民はいないか?」

「はっ。全員点呼をとって、教会内に避難が済んでいる事を確認済みです。2日前保護した男も中におります」

「よし」

 

 アルバートは、右をちらりと見る。少し視線を下げて、そこに居る自分と比べて小さな存在に問いかける。

 

「ドミトリ、調子はどうだ?」

「大丈夫だよ。感度は良好。いつでもいける」

 

 ドミトリはローブの間から右手を突き出した格好で立っていた。右手の上には彼愛用の水晶玉があり、縁にはオーラを纏っている様子が見て取れる。彼の口調は冷静沈着そのもので、これから『儀式』であるというのに緊張を微塵にも感じさせないほどひょうひょうとしていた。彼のこの調子は、いつもならば溜息の原因なのだが、《儀式》を前にした今では、頼もしく思えてしまうのだから不思議なものである。

 

 今度は反対側を向き、その場にいる2人に問いかける。

 

「ナエ、ラルフ。準備はいいか」

「おやっさん。いつでもいけるぜ」

「私もいいですよ。でもちょっと今回は警戒しすぎじゃないですか?」

 

 ナエは片手を腰に当てて、自然体でくつろいでいるようだった。恰好はワタルを助けた時と同じであり、軽鎧を身に着け、背中に大きな剣を装備している。髪は後ろにひとつに結われ、本人の顔の美しさもあり、非日常的な光景にあるこの場に、ある種の美的観念を想起させる存在であった。一方、ラルフはナエよりも防御力に劣るが、軽い皮鎧を身に着けている。拳をパキパキならしたり、小刻みにステップを踏んだりして、今にも暴れまわりたいのをこらえているかのようだ。

 

「ナエ、お前の言いたいこともわかるが、一昨日のワタルを拾った件、昨日の魔力振動、そして、ワタルの話と《災厄の流星》。 どれをとっても、1週間前のように被害ゼロで済むとは思えん」

「でも、私に、隊長に、《カマイタチ》のラルフさんまでここにいるんですよ。いくらニーナの初任務だからって、これだけ《二つ名》持ちがいてダメって事はないんじゃないんですか? ダメ押しでドミトリの《占術》まであるんですし……」

「まぁナエの嬢ちゃん。おやっさんの心配も汲んでやってくれねぇか。心配してもしすぎるていうのはないんだからよ」

 

 ラルフがナエに手をひらひら振って、彼女を軽く抑える。

 

「まぁ、そうなんですけどね。けど、ラルフさんがあの《カマイタチ》だったなんて驚きましたよ。1年前、急に行方不明になったというので話題でしたものね。やっぱり、こう、スポーンっと切り捨てちゃうんですか?」

「おいおい、そんなに期待されても困るぜ。流石に今は昔ほどは《加護》の力がないんだ。ま、代わりに得た力もあるが……」

 

そう言ってラルフは左腕を顔の前まで持ち上げて、腕につけてある輝石を見つめる。存在を主張するかのように、キラリと緑色の光を反射した。

 

「おい、ラルフ。『アレ』はどんな影響を与えるかわからんから、儀式が終わるまではなるべく控えてくれよ。それと、お前ら、ドミトリ含めて緊張しなさすぎだ。もう少し警戒心ってものを持て。ったくぅ…… やはり俺の考えすぎなのか?」

 

 アルバートの嘆く通り、広場に居る騎士達はどこか弛緩しているような様子であった。事実、1週間前に行われた《浄化の儀式》では、今回よりも緩い配備で被害ゼロであったのだ。アルバートの方針が「心配のしすぎ」と揶揄されるのも、多くの人間が同意する所であっただろう。しかし、そのような中にあっても、統制を取らなければならないのが隊長の仕事である。この場に居る全員に喝を入れるかのようにアルバートは大声で叫ぶ。

 

「よし。今後の方針を確認するぞ。まず、司祭が第一に《退魔結界》を展開。次に《次元穴》の術式展開を行う。術が安定後、《浄化》の術を発動。ドミトリは脅威となる《流星》の落下方向を推定。脅威度に応じて、迎撃にあたる人数の配分を調整する。敵が優勢の場合はラルフかナエが増援にあたる。俺はザーナ司祭と教会の護衛、兼、指揮にあたるから基本ここからは動かん。何もなければ、正門と裏門で迎撃態勢をとるだけだが…… 門で魔物を迎撃した後は、村周辺に《落ちた》魔物撃破に移る。《儀式》がいつも通りいく場合は以上だ」

 

「了解」

 

教会前に詰めている騎士達から一斉に応答が返る。余談ではあるが、ラルフは下にうつむいて「この感じ、久しぶりだぜぇ」とつぶやきながら、拳をプルプルさせていた。

 

「さて、次はいつも通りに行かなかった場合だが…… 仮に、《流星》が村の中に落ちたら、正門と裏門は防御に徹する手はずとなっている」

 

アルバートは門からの報告をあげてきた騎士を見て目線で確認する。

 

「はっ。隊長の指示は正門、裏門配備の者に伝達済みです」

「うむ。それで、その場合、ここにいる戦力で魔物を駆逐する。《流星》の《憑依》にやられないように、魔力を輝石に込めておくんだ。戦力配置だが、これはもうその時に応じて臨機応変にとしか言いようがない。《憑依》された場合でも、落ち着いて素早く複数人で連携して倒すんだ。ガイウス派の連中が言うには、《憑依》されたとしても、早めに倒せば、宿主を救える可能性は高いらしい。《憑依》される人数が少なければ、ヤツラは共食いして、それだけ数が少なくなる。いいか、なかに《流星》が落ちたとしても、決して取り乱すな。恐れこそヤツラが付け入る隙になると肝に命じておけ!」

 

ひとしきり捲し立てたあと、アルバートは激を飛ばすように続ける。

 

「そして、中の掃除を完了し次第、門の魔物の討伐にうつる。ただし、言われるまでもねぇだろうが、教会の安全を確保するのが絶対だ。それを忘れんじゃねーぞ」

 

「了解っ!」

 

再度、統制のとれた応答が響くなか、アルバートはナエに歯切れ悪く声をかける。

 

「あー……ナエ、言いにくいんだが」

「隊長? なんですか?」

 

 再び、声をかけられるとは思ってなかったのか、ナエは首をかしげている。楽天的で解放的な性格なのか、先ほどのピシッとしまっていた敬礼から、純真に下から見上げている仕草は、男ならば一種のギャップ的な可愛さを感じてしまうものであり、ワタルならば顔をそむけて赤面してしまうところだったであろう。しかし、アルバートは慣れているのか、一切たじろがずに続ける。

 

「中に《魔物》が入った場合は力を押さえとけよ。被害の一番の要因が聖石騎士団の騎士だった、って報告はあげたくないからな」

 

アルバートの言を聞いて、ナエは眉をつりあげた。どうやらアルバートの言葉が腹に据えかねたらしい。

 

「そんなこと、言われなくても分かってますよ。でも、ニーナが危なくなったら、そんなこと気にずやっちゃいますからね。そのくらい、隊長も分かってますよね」

「ああ、だが、お前の加護の力は、強力で攻撃力に優れる分、周りへの被害も大きくなる。冷静さを欠いて、余計な損害を出すことにならないようにするんだぞ」

「もう、わかってますよ」

 

 ナエはぷりぷり怒ってそっぽを向いてしまった。そのやりとりに、周りの騎士達は苦笑を禁じ得なかったようだ。困難事を前にして、再び張り詰めかけていた空気が良い感じにほぐれたようだ。アルバートは、そんな様子を感じ取ったのか、再び騎士達を見回してから、口を開いた。

 

「よし、これから最後の《浄化の儀式》を行う。ザーナ司祭、準備はよろしいか」

「……いつでもよろしいですぞ」

 

 司祭は祈りの姿勢を維持しまたまま返事をした。流石に、今まで何回も儀式をこなしてきた経歴があるからか、いつもとかわらない調子であった。そんな彼もナエやラルフ、そしてドミトリ同様、騎士達に安心感を与えうる存在であった。

 

「うむ。ではザーナ司祭、頼みます」

「では、参ります。――慈悲深き偉大なる女神様。その神聖なる御力で、不浄なる澱を清めたまえ。……」

 

司祭が祈りの文句を読み上げると同時に、四方に設置されている小さな結界石が仄かな光を放ち始める。

 

「澱にまみれる邪悪なる魔の者は強大なり。されど汝の加護はか弱き我らを守護する守りとならん。……」

 

四方の結界石は、一際力強く輝くと、それぞれ一条の光線を天に向けて放った。四本の光は上空でぼやけて、オーロラを作り出した。昼間なのにはっきり見えるほど輝き、幾層にも連なっている。この異世界の人間にとっては、何度見ても畏敬の念を禁じ得ない神秘的な光景だが、息つく暇もなく、光のカーテンはアルン村を多い尽くすように降り注ぐ。光の束は形を変え、村を囲いこむ壁の縁に沿うように丸まっていく。やがて、光が降り注いだかと思われた後、半透明な壁がアルン村を覆いつくしていた。広場の騎士達から感嘆のどよめきが漏れる。

 

「対魔結界の展開完了。村をすっぽり覆ってるよ」

 

ドミトリが水晶を覗きながら、状況をよみあげる。

 

「出だしは順調だな。相変わらず良い術式展開だ。司祭、引き続き頼みます」

 

司祭は、チラリと後方を振り替えって頷いてから、再び祈りを続ける。

 

「大いなる女神よ、そして天上に連なる偉大なる《原初の体現者》達よ。我、澱に汚れたこの地を浄化せんと欲す。邪にまみれた汚れを払うべく、《混沌の海》へ続く扉を開きたまえ。……」

 

 司祭の言葉に応じ、今度は広場に鎮座するアルン村の結界石が光を放った。光は結界石にまとわりつき、炎が燃えているかのように揺らめいている。変化は、突如としてアルン村上空に現れた。何もない空のある部分が渦巻きだしたのだ。渦は次第に規模を大きくし、やがてその中心に『底』を現しはじめた。底がひろがるごとに、渦は勢いを弱め、やがて空にぽっかりと穴があくようになった。その光景は、ワタルをこの世界に引きずり込んだ『穴』の発生を想起させる光景であった。穴の中は黒とも、青色とも、紫色とも言えないような暗い色で満たされており、常に変色していて、どこに通じるものかわからない不気味な様子であった。

 

アルバートは『穴』を見て、背中に走る得体の知れない悪寒を感じながら、騎士達に号令を飛ばす。

 

「お前ら! こっからが本番だ! 輝石に魔力を込めて待機!」

 

 騎士達に緊張が走る。儀式前は気楽に構えていても、やはりアルバートの飛ばす怒号は効くらしかった。そんな中、司祭は、落ち着いて続きの祈りを読み上げる。

 

「聴け、邪の者よ。知れ、穢れの者よ。汝らの企みは偉大なる女神様の御意向の前では塵芥と化す。深遠なる混沌の海にて、その身の運命を呪うが良い。おお、我が防人よ、女神様の御力を宿す力の欠片よ。この地に集う全ての穢れをはらいたまえ。……ラーク・テ・ティド・ハルムーグ……邪よ、往ね!」

 

 最後に力強く叫んだ司祭の目の前に変化が生じた。山と積まれた輝石から、どす黒いモヤのようなものがわきだしたのだ。まるでドライアイスが溶けているかのように、黒いモヤは地を這って溢れだす。同時に、中央の結界石からも黒いモヤが溢れだした。しかし、間もなく黒い竜巻が結界石を中心に発生した。輝石の山からあふれでたモヤは竜巻に吸い込まれ、結界石から発生したモヤも巻き込んで、頭上高く登っていく。竜巻はうねりながらも、上空の穴目掛けて真っ直ぐ上昇していく。竜巻は横殴りの突風を発生させた。広場の騎士達は、懸命に耐えながら黒い竜巻が穴に吸い込まれる様を見守った。

 やがて、怒涛な嵐がすぎさり、黒い竜巻が穴に追いやられた。 誰もが口を閉ざす静寂の中、司祭が最後の祈りを口にする。

 

「穢れは、この地から払われた。流刑地への扉は閉じられん」

 

 すると、アルン村上空に空いた穴に動きが出た。穴の回りは再び渦巻きだし、次第に穴の大きさが小さくなりだしたのである。しかし、その変化は穴が開く時とは違い、鈍重であった。

 騎士達は、皆沈黙しながら穴を食い入るように見つめている。ふいに、ドミトリの口から言葉が漏れ出た。

 

「来た……」

 

 穴から見渡せる深淵の中に、ひとつキラリと煌めく光点が表れた。一瞬の事で多くの騎士が気付くことができなかったが、続く現象には些細なことであった。穴の中に光が次々に出現しだしたのだ。その数は2個、3個、瞬く間に増え、やがて10個を越すようになった。10を過ぎて、まだ止まらない様子に、数を律儀に数える者などいなくなってしまった。

 

ある騎士が穏やかならない声をあげる。

 

「おい…… 数が多すぎないか?」

 

悲鳴にも似た声色を皮切りに、ざわざわと騎士達が騒ぎだす。

 

「こんなに多いことなんか、今までなかったぞ」

「マジで大丈夫かよ」

「結界は持つのか?」

 

どうやら、上空で起きている現象が見慣れたものから明らかに逸脱しているようだった。騎士達は視線を空に向けたまま、近くの同僚と話しあっている。誰を見ても皆、浮き足立っていた。

 

「馬鹿者! 狼狽えんじゃねぇ! てめぇらそれでも聖石騎士団の一員か! てめぇらがしっかりしないで誰が平民を守るってんだ。冷静になれ!」

 

 アルバートの喝が騎士達の動揺をおさえるために響きわたる。騎士達の慌てようが落ち着いた様を見るに、一定の効果はあったようだ。アルバートは初めて見る現象に対して少しでも情報を得ようと、部下に声をかける。

 

「ドミトリ」

 

だが、いつも淡々として傲岸不遜なドミトリもこのときばかりは平静ではいられなかったようだ。

「ごめん。数が多すぎて詳細を知るには探知が間に合わない。ざっと見た限り、30以上もある……」

 

 アルバートがドミトリを見ると、彼のほほを伝って汗が落ちていた。それだけでアルバートが目の前の現象の苛烈さを再認識するには十分であった。

 

 

騎士達がざわついている間にも、光の点は増加を続け、さらにそれぞれの点は大きくなっていった。未だ『浄化の儀式』に立ち会った事がない者には何が起こっているのか気付くのに難しかったかもしれない。だが、この場にいる者達には、わかりきったことであった。

 

「落ちてくるぞ」

 

 やがて、穴から一つの物体がこぼれ落ちた。それは炎であった。丸まった塊に、炎がまとわりついている。塊の落下の速度に追い付けないのか、紅蓮の炎が尾を引いている。ワタルならば隕石が降ってくる映画のワンシーンを幻視したであろう。しかし、ファンタジーなこの世界ではそのような感覚をもつ人間などいるはずもなく、異世界の人間にとって目の前の流星はまさしく『災厄』と呼ぶに十分な光景であった。

 

続々と流星は降ってくる。そんな中、最初の流星が村の中に突入しようとした瞬間――

 

バシィッ!

 

と、大きな音が響きわたった。広場に居た何人かの騎士は何回か《儀式》を経験してるにも関わらず、頭を抑えたり、腕で顔を覆っていたが、想像した衝撃と爆音が起こらない事を不思議に思って恐る恐る状況を確かめている。

 

なんと、流星は村の上空で静止していたのである。良く見れば、流星はある中空の一点で浮いていて、流星の横から白い波紋が立て続けに発生していた。

 

「退魔結界に流星が接触。続けてくるよ……」

 

 ドミトリが、水晶を上空にかざしつつ、状況を説明する。目の良い人間ならば、流星とアルン村を覆う半透明の膜が接触している事に気付く事ができただろう。白い波紋は、流星と膜の接触面から発生している。突然、今度は「バチィッ」という爆音が響きわたる。空中で静止していた流星は大きく結界から弾かれて、あさっての方向に飛んで行った。どうやら、結界がその効果を流星に及ぼしたらしい。騎士達の幾人かがほっと息つくが、続けざまに3度、「バシシィッ」という大きな音が響き渡る。

 

「3つ、退魔結界と接触。まだくるよ」

 

上空を見ると、今度は3つの流星が結界に阻まれていた。さらに、上空にはまだまだ何十もの赤い炎が連なっている。

 

「ザーナ司祭! ドミトリ! 結界は持つのか!?」

 

「術式はまだ余裕があります。しかし、全てを防ぎきるのは難しいかもしれません」

「20くらいまでなら大丈夫だったって聞いたことがあるけど、今回はどうなるかわからない」

「ええい、それではわからんではないか」

 

司祭もドミトリも目の前の事は初めてらしく、歯切れの悪い答えしか返ってこない。

 

 問答の最中にも流星は結界に衝突を続け、しばらく押し返しが続いた後、村の外の方向へ飛ばされていく。退魔結界はその狙い通りの働きを見せてはいたが、時間当たりに侵入を防いでいる流星の数はだんだんと増加していく――

 

ミシミシィ……

 

結界と流星の押し合いへし合いに上空に注意が逸れていたが、今度は広場の中央から音が響き渡った。

 

「いけません。結界石に亀裂が!」

 

ザーナ司祭が叫ぶ。広場中央、アルン村の結界石を囲う四方の結界石にそれぞれ大きな亀裂が走っていた。素人目に見ても過負荷がかかっている状態だという事が嫌でもわかってしまう現象であった。騎士達もいよいよかと顔に悲壮感を漂わせ始める。

 

「クソっ、各員! 抜刀状態で待機、いつでも動けるように構えておけぇ!」

 

このような状況下でも冷静さを失わないのは流石軍人といったところか、騎士たちはそれぞれの武器を握りしめ、状況に備える。しかし、アルン村上空でのせめぎ合いに比べ、騎士達の得物のなんと心細い事か。その様子は、何でも良いから、手当り次第に物にすがりついている怯えきった子供のようであった。

 

「大きいのが10個強! くる!」

 

ドミトリが大きな声で警告を飛ばす。

 

バシィィィ!!!

 

より一層、大きい音が村中に轟く。一度に10を超す《流星》が結界と衝突したのだ。結界が防いでいる流星は、1度空を仰ぎ見るだけでは数えきれなくなった。空は、結界が流星を防ぐ時に発生している白い波紋で大きく波打った。普段なら、地上で見るはずの波動現象を空中に見上げているのだから、最早、何が起きているのかわからない光景であった。「バチィッ、バチィ」と結界と流星が起こす音が、過酷な状況にある事を嫌でも騎士達に知らしめる。その上、とうとう限界も近いように思われた。ダメ押しに、広場中央からも結界石に亀裂が走る音が聞こえてくる。

 

「もう支えきれない!」

 

 司祭の叫びが皮きりだった。結界に阻まれている流星の1つが、村の中に突っ込んで来たのだ。流星は広場をまたいで、正門の方向へ落ちて行った。黒い煙を後方に残しつつ、流星は建物の奥に落ちて見えなくなった。間を置かずに爆音と軽い衝撃が地面を伝い、土煙があがった。

 

「隊長!」

 

 騎士の一人が、アルバートに叫ぶ。アルバートは頭を最高速で回転させながら、下すべき命令を思考する。村の中に《流星》が落ちてしまった以上、もはや1週間前の安全に済んだ《儀式》通りに事が済むとは言えなくなった。不幸中の幸いか、村人全てを教会に避難させている。《流星》1つのみであれば、広場に居る戦力で十分に対応可能なはずであった。しかし、《災厄の流星》の厄介な特性が、彼に指令を出すのをためらわせる。しかし、状況は彼に指令を下す時間すら与えない――

 

「一気に来る!」

 

 別の1人が叫ぶ。騎士達は流星の1つのみに気を取られてはならなかった。追い打ちをかけるように次々と流星が村の中に落ちてきたのだ。幸い、教会前広場に直撃するものはなく、全方位のあちこちで、爆音と振動、土煙があがるのが確認できた。

 

「ッチ、ドミトリィ!」

 

 アルバートの救いを求めるかのような大声に、ドミトリは我を忘れている事に気付いた。慌てて水晶を注視する。

 

「落ちてきたのは約10! 場所は――これは…… 囲まれてる!? いや、まだ……」

 

 状況が変わってしまった。《流星》1つだけならば、『部下を切る覚悟』であれば、どうにでもなった。しかし、自分達は既に囲まれてしまっている。逐一、討伐に戦力を割いていては戦力が分散してしまい、守りが薄くなってしまう恐れがあった。ここは防御につとめる必要がある。落ちてきた《流星》が複数であれば《共食い》が期待できる――

 

アルバートの思考をザーナ司祭が遮った。

 

「アルバート殿! 結界石が――」

 

その瞬間、石が砕ける音がした。退魔結界を発動していた、四方の小さな結界石が4つ全て砕け散ったのだ。村を覆っていた膜は空気に溶け込むかのように消滅する。もはや、村を守る盾は無くなってしまった。最初の《流星》が村に落ちた時点では、侵入を許したものの、結界はまだ幾つかの流星を防いでいた。しかし、結界が消え去った今、それらの《流星》が落ちてこない道理はなかった。

 

「おい、ひとつここに落ちて来るぞ!」

 

 誰があげた声だったか…… 騎士達全員が上空を見ると、1つ、真っ赤に燃え盛った流星が、広場に直撃する軌道をで突っ込んできている所だった。騎士達はその状況を確認するので精一杯であった。

 

《流星》は広場の隅に建てられている家に直撃した。大きい轟音が響く。家の近くに控えていた騎士2,3人が吹っ飛ばされ、瓦礫と土が宙を舞った。

 

これ以上、どうしようもない状況かと思われたが、運命は騎士達をさらに絶望の淵に叩き込む。

 

バラバラと瓦礫が地面に落ち、土煙が晴れない中、それは出現した。

 

 それは何とも形容し難いモノであった。全体的に黒く、モコモコと蠢きながら常に形を変えていて、煙とも、液体のようでもあった。縁は時折、血を思わせる紅にドクンドクンと明滅し、蠢く本体から一部を細くして伸ばしたり、引っ込めたりして動いている。あれに触れてはいけない。この世に存在する事すら許してはいけない。それを目撃した騎士達はそのような絶対的な危機感と恐怖を感じた。騎士達はその瞬間、想像もしなかった得体の知れないモノに呑まれてしまった。この場を支配するのは黒い何か。少しでも動こうものなら、その瞬間に命を取られてしまう。何かを引っ掛けようものなら、糸が切れてしまう――そんな緊張感に場は満たされた。

 

そんな緊迫した状況のなか、《流星》の衝突で吹っ飛ばされた騎士がうめき声を上げる。

 

「ウッ……」

 

 騎士が痛みに耐えかねて漏れたわずかな声ではあったが、黒い何かには十分な音量であった。その場でボコリボコリと形を変えて佇むだけであった塊が、一瞬ピクリと痙攣して変形が止まったと思えたのも束の間……突然、上半分を伸ばして倒れた騎士に伸ばしたのである。

 

「オイッ…!!」

 

アルバートは声を荒らげるだけで限界であった。黒い何かは倒れた騎士まで到達すると、瞬く間に騎士の全身を覆い尽くしていく。まさに、肉食獣が得物を狩るときのように、一瞬にして騎士は黒い何か飲みこまれてしまった。

 

「ウギャァァァァァァ!」

 

 黒い何かに覆いつくされた騎士から、この世ものとは思えない絶叫があがる。騎士を覆い尽くし、地面に横たわる黒い何かは、中に居る騎士が暴れてるのか、時折その形が大きく変形している。腕で払ったり、足で蹴っているのか、四肢の形が変形している最中に見て取れる。騎士も抵抗はしているようであるが、黒い何かは完全に中に閉じ込めているのか、騎士の体の一部さえ外から見る事は出来なかった。聞いているだけで身がよじれそうな断末魔があがりつつも、その声は次第に枯れていく。そして、それに合わせて騎士の抵抗も弱くなったのか、黒い何かの変形も次第に少なくなっていく。

 

「これが…… 《憑依》現象……」

 

 広場の反対に位置する騎士がポツリと漏らす以外は、全員目の前の現象に身動きが取れないでいた。騎士達全員にとって、目にしている事がこの世の物であるとは信じられないほど、生々しく、残酷で衝撃的な光景だったのだ。

 

 やがて、騎士の叫びや抵抗が止んでしばらくすると、黒い何かはするすると縦長に変形をはじめた。今までと異なる事に、縦長に伸びるに従って、黒い何かがそぎ落され、中の物が外界にむき出しになっていった。

 

「骸……骨……!?」

 

 そこに居たのはもはや騎士でもなかった。身に着けていた鎧は消え、肌、肉、内臓さえも消え去っていた。両足を支えるのは白く黄ばみがかった、折れてしまいそうな骨。腕も同じで肩から指先も全て骨であった。以前では柔和な表情を浮かべていたであろう顔には、見るための目は存在せず、頭蓋の裏側まで見通せる2つの黒い穴が開いているのみ。頬も削げ、ただ鋭利なむきだしの歯が生えた口を広げるだけである。胸には大きな肋骨がはえていて、以前の騎士の細見な体つきからすると不自然なほど大きく膨らんでいた。奇妙な箇所が1点。頭の上に角を思わせる鋭利な骨が、かの者の不気味さを際立たせていた。

 

「クソッタレ! やられちまったか!」

 

 あっという間に大切な部下の1人が《魔物》へと変わってしまった。話には聞いてはいたが、いざ自分の部下が被害にあってみて、その理不尽さを痛感する。あまりの厄介さにアルバートは歯噛みをした。

 

《憑依》現象。

 

 それは、《災厄の流星》を悪名たらしめる現象の1つである。《災厄の流星》は《浄化の儀式》を行うと、必ず落下する謎の物体である。何故、流星が落下するようになったのかは不明であり、その説には世界の終末であるだとか、魔王出現の兆候であるとも様々に言われている。

 話がそれたが、人類にとっては《災厄の流星》は害悪な存在である。そうでなければ《災厄》などとは呼称されない。その理由であるが、《流星》は殺戮や破壊をもたらすからであった。落下の衝撃がもたらす破壊はもちろんの事、流星は地面に落下すると、善悪問わず周辺にいる生物に《憑依》をする。ここで特筆すべき点は、憑依した宿主を全く別の存在に作り替えてしまう事であった。作り替えられてしまった宿主は見境なく周辺に破壊と殺戮をもたらす。厄介なのは、場合によっては《憑依》による、2次被害が落下による被害よりも大きくなってしまう事だった。《憑依》により作り替えられてしまった存在は、疲労を知らず、延々と暴れ続ける。その上、生半可な傷害を与えても再生してしまうオマケつき。そう、アルバートがワタルに説明した、儀式で滅びた村に出現した魔物の特性がそれであったのだ。そのような特性を備えた《憑依》によって作りだされた存在が、もたらすであろう被害規模は想像するのは難しくない。

 《災厄の流星》は以上のような悪辣な現象であるため、ガイウス派が開発に成功した退魔結界は正に救いであった。この退魔結界により、儀式中の乱戦のリスクを低減し、防備を固める余裕を作り出し、《憑依》現象を防ぐことができたのだから。先週にも行ったアルン村の浄化の儀式では、退魔結界は正常に機能し、《憑依》現象は1つも起きなかった。そもそも、その時落下してきた《流星》はわずか5つ足らずであったのだが……

 

 己の不運さに悪態をつきつつ、事態を良くしようと部下に出す指令を考えるアルバートであったが、最後のトドメが彼を絶望させた。

 骸骨の出現の異様さにのまれかけていた騎士達だが、またもや轟音によって現実に引き戻された。大きな爆音が後方の教会から聞こえ、続き、カラカラと瓦礫が落ちる音が聞こえた。

 

「おい、今度はなんだ!」

「隊長。教会に流星が落下しました!!」

「なんだとぉぉ!?」

 




書いているうちに興がのってしまい、騎士達の状況が当初考えていた以上にひどくなってしまった……

読み直して感じるこのアポカリプス感!? な、何故だ?

だがしかし、次はやっとこさお待ちかねの闘争です。

諸君、私は闘争が好きだ。
一心不乱の闘争を。一心不乱の闘争を!!


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013:浄化の儀式と災厄の流星 その2

※014話と連続更新


 長く続いていた俺の思考は、突然起こった爆音に遮られた。急な事だったので、数瞬の間、何が起こったのかわからなかった。気がつけば教会内はホコリが立ちこんでいて、様子を把握するのに困難な状態になっていた。しかしそれよりも、中にいた人達の状況の方が混乱を極めていた。悲鳴が所々であがり、泣き声や怒号が飛び交ってパニックがおきていた。

 少しでも状況を把握しようと、まわりを見ると、少し薄暗かった教会内が明るくなったように感じる。上を見ると、天井の一部にぽっかりと穴が開いている。まだ昼過ぎの明るい陽光が、空いた穴から降り注いでいた。再び視線を下に戻せば、俺が寝泊まりしている部屋に続く扉横の壁が大きく崩れていた。このせいで、神秘的な雰囲気に包まれていた教会内の様相は完全に破壊されてしまったと言っていだろう。恐らく天井から何かが落下してきて、この破壊を引き起こしたのだ。壁の崩れている部分は天井に近い上側の方だ。落下したものは教会の建物をかすめて落ちたのかもしれない。幸い、ニーナさんの号令のあと、広間内のイスを脇によけて部屋の中央に寄り集まっていたおかげで、 人に大きな破片が直撃するという事態はさけられたようだ。

 

「落ち着いて! 静かにしてください。危ないですからその場から動かないで……」

 

混沌極まる状況の中、不思議と透き通る、凛とした声が人々の耳に響き渡った。ニーナさんが人々を落ち着かせようと必死に訴えかけている。流石に一声で人々を落ち着かせた前とは状況が違うだけに、その声からは余裕が感じられない。しかし、このような状況で鈴の音のように良く通る声は、多少だが人々をなだめる効果を及ぼしたようだった。

 

「けが人はいないですか。私が治療します」

「子供が破片で怪我をしたの。助けてください」

 

すがるような声が聞こえた方を見ると、俺と同程度の年齢を思わせる女性がうずくまって子供を抱きかかえていた。痛々しく泣き腫らしている子供の肩の衣服は、切られた様に破けていて、そこから少なくない量の血が流れていた。天井に落下物が落ちた時に破片がかすめたのだろうか。

 

「はい。今行きます。どいてください……ちょっと……怪我した子の所にいきたいの」

 

ニーナさんは混乱が収まらない人々の中をかき分けて、助けを求めた母親の所へ近づいていく。親子の元につくと、床に膝をついて子供の様子を調べる。少し検分した後に、彼女は傷口に向かって両手をかざした。

 

「偉大なる女神様。傷ついたか弱き我らに、癒しを与えたまえ」

 

詠唱の後に彼女のかざした両手の先に白く薄明るい光が灯り始めた。すると少しずつではあるが、子供の肩の傷がふさがっていく様子が見て取れた。魔法的な現象を見るのはこれで何度目になるかはわからないが、俺にはこの光景が今まで見てきたものの中で一番神秘的に感じられた。この中が教会であるという所も一役買っているのかもしれないが…… 

 俺と同じように、ニーナさんの周りに居た人々も、治療の様子を不思議そうな観察している。あるお年寄りなぞ、ニーナさんに祈りをささげていたくらいだ。治療の様子を見ているのも束の間、教会入口、大扉の方の騎士が大声を張り上げる。

 

「壁の様子を調べたいので、道を開けてください。危ないから離れて!」

 

 爆音がした当初よりかは、少し混乱が収まりつつあったので、割とスムーズに道はできあがった。騎士はニーナさんとすれ違う時に、視線を合わせて頷いてから壁の方向に進んでいく。腰に差した剣の握りを掴んだ構えの状態を維持しながら、じりじりと近づいていく。既に、壁が崩れた箇所の近くには人は寄ってはおらず、混乱で余計に窮屈になった教会入口とは正反対に、無人スペースが出来上がっていた。騎士は、尖った木材がむきだしの崩れかけの壁をジロジロ見たあと、剣を抜刀して、空いた壁から外の様子を伺った。身を乗り出し、首を壁の裂け目から突き出して、左右を見ていた様子だったが、突然押されたように体が揺れた後に、大声をあげた。

 

「うわぁぁぁああああ」

 

 手から離れた剣が地面に衝突した音さえ、かき消される程の大絶叫だった。騎士は頭をかきむしって暴れている。おかしな点は、空いた壁の隙間から、細く続く黒いものが騎士の頭に覆いかぶさっていた所だった。やがて、騎士は床に倒れこみ、頭を両手で抱えてのたうちまわる。騎士の頭を覆っている黒い何かは壁から『黒い線』を細長く伸ばして、変わらず騎士に取りついている。少しずつではあるが、騎士の全身を飲みこもうとしてるかのようだった。騎士を襲ったあまりの状況の変化に、教会内は一瞬にして静寂に包まれた。人々は目の前の光景が理解できずに茫然とし、見入る事しかできていない。誰も身じろぎひとつしない状況の中、黒い何かは、もはや騎士の全身を覆うほどにとりついていた。騎士の動きや声も、当初に比べればだいぶ弱弱しくなってきている。俺にも一体何が起きているのかさっぱりわからなかった。しかし、何か良くない事が起きていることは確実だった。このまま騎士が襲われているのを手をこまねいて見ていていいのかと焦燥に駆られる。しかし、何をすればいいのか全く分からないのだった。《輝石》や《呪文》、《魔物》とかいう非日常的な光景を立て続けに見てきたが、まだこんな光景を見ることになるだろうとは全く予想していなかった。今まで見てきたものは、元いた世界でも空想上で想像できる、俺の考えが及ぶ現象でしかなかった。しかし、目の前に起こっているこの光景は、そんな種類の者とは全く別のもの、そう、まるで『死』をまざまざと見せつけられているかのような、尊い何かが堕ちるかような、見てる人間にひどい喪失感を植え付ける出来事のように感じられた。

 じたばたしていた騎士のもがきも遂に止み、黒い何かはモゴモゴと蠢きながら膨張しだした。風船がふくらむように形が膨張していき、アルバート隊長もかくやというほど膨れきったあと、何かの形を作り出した。地面に深く根をはった雑草を抜いた時のように、ボロボロと黒い何かは土くれのように落下していく。そうやって外に現れた容姿は、人間の手足を想起させるかのような形だった。次第に形が削られて、形が形成されていくのを見るに、その存在は、細長い棒状のもの握っているかのようだった。その先端には人間の頭よりも少し大きい、直方体の形をした物体が取り付けられている。物体にはコブの凹凸が付けられていて、装飾がされてるようだった。その正体は武器……なのだろう。正確には『槌』と呼ばれるものだ。使い方は、見てだいたい想像できるように、対象を叩き潰して使う鈍器だ。あの大きさの槌ならば、人間の頭など、卵の殻を割るように粉砕することができるだろう。しかし、注目すべきはそんな所ではなかった。黒い何かは四肢がある形を見せたものの、いちばん奇天烈な箇所は頭にあった。ソイツの顔の真正面の位置には、人間にはあり得ない長い物が3つもついていた。顔の下半分を占める両頬からは白く長い突起状の者が生えていた。それは、人間ならば肘にまで達するであろう位置までのびている。頬にあたる位置から2本、緩やかに湾曲していて生えている。それは――『牙』なのだろうか。さらに、2本の牙の間には灰色の大きな筒状の細長いモノがはえていた。両脇に生えている牙とは異なり、ぷらんぷらんと左右に揺れている事から、多少は柔らかそうな印象を受ける。一方、顔の上部分、人間でいう鼻やおでこの位置にはのっぺりした部分が大きく広がっており、何か刺青のような印章が見て取れた。印章の横にはノッペリした部分の広さからは想像できないほど小さな眼窩があり、堀が深くて目を直接見る事はかなわない。さらに、耳にあたるであろう位置には、大きく面をこちらに向けたヒラヒラした形状のものが広がっていた。これも時々パタパタしていて、牙ほど硬くはなさそうな印象である。

 

黒いナニかから、形を取ったソレは、手にした槌をブォンと一振りする。その勢いは比較的離れた位置に居る俺でさえ、そよ風が感じられてしまうほどであった。そして、ガァン!と槌を地面にうちつけ「パオオオオン」と大きくいななく。

 

 俺は元いた世界でこれに近い存在を見たことがある。そう――何回も見たことはないが――地上最大の哺乳類、『象』である。しかし、俺が見たことがあるのは、大地を4足で踏みしめる、大きいがどこか繊細でやさしそうなイメージのする動物であり、決して、槌なんていう物騒なものを握りしめた存在ではない。

 

「おまえぇぇぇ! ダンをどうしたぁぁ!!」

 

横槍は突然だった。大声を張り上げて、別の騎士が象モドキにつっこんできたのだ。床に蹲る村人達を大きく飛び越しての、およそ普通の人間ではできないであろう大跳躍。彼は上空から剣を象モドキに振り下ろして襲い掛かる。象モドキはちらりと上を見上げ、ゆさりと耳動かしたした後、騎士の攻撃を槌で受け止めた。ガキィンと武器の衝突音が響きわたる。象モドキは騎士の振り下ろしに全く動じた様子もなく、槌を片手で大きく振り払った。襲いかかった騎士は払われた勢いそのままに、距離を取ってくるりと身軽に着地する。象モドキにも驚かされはしたが、この騎士も想像以上の身のこなしをしている。「チクショウが」と悪態をつきつつ、騎士はもう一つ腰に差していた剣を抜き出して、二刀の構えを見せた。後方をちらりと振り返り、ニーナさんに向けて一言、言い放つ。

 

「ニーナ。ここは俺が時間を稼ぐ。村人を固めて《守護の領域》を! ウォラァァ!」

 

 彼はまたもや象モドキに突っ込んで行く。体が地面にこすれてしまうのではないかと思うほど、低い体勢で駆け寄っていく。しかし、象モドキはまたもや、ゆさりと耳を一揺れさせたあと、巨体からは想像もしない俊敏さで槌を振りかぶった。そのモーションの速さに比べれば、駆け寄る騎士の動きなどスローモーションに等しいほどの差であった。

 

振りぬきは一瞬だった。

 

「プァン!」と甲高い象モドキのいななきと伴に、大きくガァンという音が響き渡った。象モドキが振った槌が騎士をジャストミートして打ち返したのだ。騎士は銃から放たれた弾丸のような勢いで教会入口の方にふっとばされてしまった。バリバリィという何かが壊れる音が耳をつんざいた。騎士の飛ばされた方を見ると、教会入口のドアには真ん中に大きな穴が開いていた。騎士が突き抜けたであろう部分は、ちぎれた木材が向きだしになっている。象モドキは、振りぬいた槌の束をガンと床に突き付け、鼻をぷらんと一揺れして「パオーーン」と鳴く。

 きっかけはそれだけで十分であった。未だかつてないほどの大絶叫が教会内に響き渡る。村人達が象モドキから逃げ出そうとして、入口に殺到しだしたのだ。しかし、俺はさんざんすれ違う村人達と体をぶつけながらも、目の前の象モドキから目が離す事ができなかった。

 

「【ロクソドンの……強打者】」

 

***************************************

ロクソドンの強打者/Loxodon Smiter  (1)(緑)(白)

 

クリーチャー — 象(Elephant) 兵士(Soldier)

 

ロクソドンの強打者は打ち消されない。

対戦相手1人がコントロールする呪文や能力があなたにロクソドンの強打者を捨てさせる場合、それをあなたの墓地に置く代わりに戦場に出す。

4/4

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 始めはソイツの奇妙な体の構成に拍子ぬけしていたものだが、己の内の《声》によって、その正体に感づいたのだった。確かに《声》の言うとおり、俺はこの目の前の存在を長く使い続けてきた。目の前に存在するソレは、『カードの絵柄が姿そのままに動き回っている』と言っていいほどの記憶通りの姿だった。我ながら気づくのが遅れてしまった、自分の鈍さにあきれてしまうほどである。しかし、何故『俺のデッキ』の中にいたコイツが目の前に居て、しかも人々を襲っているのか? 明後日から、さらにナナメ上方向に行ってしまってる状況に俺は思考を追い付かせることができないでいた。良く思い出してみれば、先日の《魔狼》の件でも【番狼】は俺を襲ってきた。しかも、倒した後は俺の内の《声》に加わっている。もしかしたら、同じことが目の前の【強打者】にも言えるかもしれない。しかし、そんな事よりも【強打者】は明らかに人々に害をなそうとしている。自分の身を守るうえでも、コイツをどうにかしなければならない事は明白であった。

 コイツが【ロクソドンの強打者】とすると、対抗するには少しキツイかもしれない。【ロクソドンの強打者】のパワーとタフネスはそれぞれ4点である。これは、マジックにおけるクリーチャーの能力で言えば、平均的な数値を上回っているとも言える数値だ。俺の経験則的に、素の人間の能力では【強打者】に対抗するのは不可能であろうことは容易に想像できた。具体例を示すとするなら、マジックにおいて、人間の能力値はせいぜいパワー、タフネスがそれぞれ1点か2点ぐらいしか与えられていない場合が多い。それ以上の数値となると、カードデザインの題材で用いられている物語において、突出した存在である事がほとんどだ。だが、そこは豊富なカード種類を誇るマジックである。その程度の数値を克服する手段はいくらでもある。俺のデッキにも、コイツを一発でどうにかする手段があったにはあったのだが…… 転移の影響か、俺の『内なる声』(デッキ)は大きく呪文数を欠いてしまっている。いや……当座しのぎでも、あれを使えばなんとかなるか……?

 

「みんな……待って。今、外にでてしまっては…… イタッ」

 

埋没しかけていた思考を慌てて現実に戻す。聞こえる声の方向を見れば、ニーナさんが逃げ惑う村人達に必死に訴えていた。彼女は床にうずくまり、怪我をしてしまった子供と母親をかばっている。逃げ惑う村人の雑踏から親子をかばうのに精一杯で、動こうにもどうにもならないようだ。

 

「パァオン」

 

 そんな彼女らに、ちょうど良い得物を見つけたかのように【ロクソドンの強打者】が反応する。床に突いていた槌を両手で持ちなおして、ズシリズシリと一歩一歩近づいていく――ってこれってヤバくね? くそ、『アレ』じゃ【不退転の意志】ほど素早く唱えられないし、かといって俺が生身じゃ対抗できるとも思えないし……

 

そんな葛藤をしている内に、【強打者】はニーナさんと子供に近づき、槌を振り上げる。

 

クソっ……間に合わない。

 

 

 

 

「ニーナにぃぃ……触るなぁ!」

 

聞いたことのある、甲高い女性の声が響いた。同時に、爆音とともに【強打者】の背後で大きな紅蓮の柱が走る。教会内は一瞬、真っ赤な光に照らされ、熱気に満たされた。恐らく、あの赤く走る柱のような物から熱が発せられているのだろう。やがて、赤い柱は数秒で空中に消え失せたが、柱が消えるのと同時に【強打者】の体勢が大きく崩れた。赤い柱は【強打者】の背後で起こったため、何が起こったのかはよくわからなかったのだが、どうやら【強打者】はその赤い柱にダメージをうけたようだった。【強打者】は槌を支えに体勢をなんとか持ち直し、後ろを振りむきざまに力強く槌を振りぬいた。ダメージを受けても衰える様子がない薙ぎ払いだったが、それは当たらずに空振りに終わった。

 

「ナエっ!」

 

子供を抱きかかえていたニーナさんの叫びが大きく聞こえた。住民達は【強打者】から逃げ出して、教会内に居たのは親子、ニーナさん、そして俺だけだったが、そこには外に居たはずの第三者――ナエさんがいたのだ。

 

「ニーナっ! 何コイツ、長いのが生えてて気持ち悪い」

 

ナエさんは崩れた壁付近まで下がり、両手に大きな両手剣を構えている。その剣の刃は赤く発光していて、時折、その刀身が陽炎のように揺らめいていた。俺が見た昨日までの彼女の様子とは全く異なり、敵を射抜かんとする敵意の籠った鋭い視線で【強打者】を睨みつけている。

 【強打者】はナエさんの方を向き、背後を俺やニーナさん達に晒している。見ると、【強打者】の背後に大きな、何かで引っ掻いた跡があった。【強打者】の背後に走った太い跡は、黒く、無事な部分との境目には赤くただれていて、まるで火傷でもしているかのようであった。コゲくさい匂いが漂う中、しばらく見ていると、その黒い跡を中心に、ジュクジュクした音を出して肉が覆い始めた。少し吐き気を催す光景だが、もしかするとコイツ……再生している!?

 

「ナエっ! コイツ《流星の魔物》よ! もう再生しだしてる!」

「そんな事よりも早く離れて! このままじゃ巻き込んじゃう……ってワタル!?」

「えっ……!? なんでアナタまだ逃げてないの!」

「はえ?」

 

今まで目の前の光景に圧倒されていて、自分が保護対象の身で会った事を完全に忘れてしまってたようだ。ナエさんもニーナさんも俺の存在に気付いて、早く外に逃げるようまくし立てている。【強打者】は意外とナエさんの一撃が聞いているのか、肩を大きく揺らしながら、再生に集中していて動く様子はない。だが、その再生もあと少しで完治する様子だ。大きく【強打者】の背中に走っていてた黒い跡も当初の半分以下の細さまで回復している。

 逃げるも何も、まずは【強打者】をなんとかしないと始まらない。パワー、タフネスが劣るヴァンを出すよりかは、より危険性が少なく済む手段をとるべきだ。『アレ』を唱えて本当に効くのか正直どうなるかわからんが……

 

「スゥ……ハァ」

 

一回深呼吸をして、己の内に意識を集中する。必死に逃げるよう訴えかけるナエさんとニーナさんの声が遠くなる。

 

 《声》達が歓喜の声を上げる。呪文として現実に解放されるのを喜んでいるのだ。どいつもこいつも、大きく「自分が、自分が」と必死に訴えかけてくる。雛鳥を育てる親鳥は、エサをやるときはこんな風に見えるのかなと関係ない事を想像して笑ってしまう。さて、【呪文】を唱えるのはこれで3回目だ。流石に多少は慣れてきたつもりだ。己の内から遠くにつながるリンクを辿り、マナを引き寄せる。今回唱えようとしている呪文のコストは2マナだ。平地、そして森を幻視して、それぞれから力強く発しているエネルギーを引っ張りよせる。続いて《声》達の発生源に手を突っ込むイメージ。がさごそやって目当ての《声》をひっぱりあげる。紡ぐ呪文は……

 

「【平和な心】」

 

俺の内から、何かが放たれる感触がした。俺の内から出た不可視のモノは一旦、頭上高く上って教会の天井に達してから、ゆっくりと対象の【強打者】へと落ちていく。俺には白い光が【強打者】の頭上から降り注ぎ、大きな図体を輝きながら包み込むように見えた。光が収まると、肩を揺らしていた【強打者】は突然ピタリと動きを止めた。【強打者】を見続ける俺につられたのか、ナエさんとニーナさんも【強打者】に注意を向ける。

 【強打者】は突然、何かに気付いたようで、「パオンパオン」と鳴きながら教会内をグルグル見回した後、自分が両手に持っている槌に驚いた様子を示した。そして、泣くように「パオオオン」といななきながら、何と槌を横に放り投げてしまったのだ。何を考えているのか、頭を抱えてブンブン首をまわしたあと、その場にどかりと胡坐をかいて座ってしまった。

 突飛な【強打者】の豹変ぶりに、最初は訝しんでいたナエさん、ニーナさんもあんぐりして固まってしまっている。そりゃそうだろう。俺は【呪文】の効果を知っていたから、ある程度は想像できたが、今まで自分達を襲っていた恐ろしい敵が、目の前のコイツのように豹変したとなれば何が起きたか理解できないはずである。しかし、本当に効くかどうかは確信が持てなかったが、とりあえずはちゃんと効果がでてるようで一安心だ。

 

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Pacifism / 平和な心 (1)(白)

エンチャント — オーラ(Aura)

 

エンチャント(クリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーでは攻撃したりブロックしたりできない。

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 マジックにおけるエンチャント、さらにその中の一部に分類されるオーラは、昨日までに見た【不退転の意志】、【神聖なる好意】のようにクリーチャー強化を目的とした呪文だけで構成されているわけではない。中には俺が唱えた【平和な心】のように、害となる相手クリーチャーに対処する呪文も存在しているのだ。【平和な心】の効果はカード名そのままであると言っても良いだろう。障害となる危険性のあるクリーチャーの心を変化させ――その手段は改心なのか、洗脳なのかは脇に置いておくが……(どうもさっきのは洗脳っぽいけど)――戦闘に参加させないようにする。もともと敵対していたクリーチャーは『場』に存在し続けたままだが、その存在を無力化することができる極めて使い勝手の良い呪文だ。やばそうなクリーチャーが出てきたら、とりあえず使っておくというのが、デュエルにおける俺の常套手段だった。

 さて、目論見通りに【強打者】に【平和な心】が効いたようではあるが、危険性が無くなったとたん、目の前の【強打者】に対する興味がわいてきた。ヴァンは自分のデッキのクリーチャーだとはいえ、その姿は普通に人間だった。対して【強打者】は現実世界には存在しない、二足歩行する象?とでも言うべき存在だ。主として、もとい、マジックプレイヤーならばその姿を近くで見てみたくなるという欲求が出てくるのは自然なこととは言えないだろうか?

 つかつかと【強打者】に回り込んで近づいていき、胡坐をかいて座っても、なお俺の背に達するかという大きさの【強打者】をしげしげと眺める。すれ違うニーナさんや背後のナエさんからは静止の声が上がるが、【強打者】は近づいても何の様子も示さない。【強打者】に呪文がちゃんと効いている事への確信が深まるだけだった。【強打者】は本当に、図体のデカイ人間(そのデカさがもともとありえないサイズなのだが)の首から上を象に変えただけのような姿をしている。小さいころに読んだ、頭に冠をのせた二足歩行の象の王様が人間と交流する絵本を思い出してしまう姿ぶりである。心なしか、【強打者】の全身に何かが纏わりついているような気がした。この感覚は《魔狼》を倒したあとのグレーからも感じられた。もしかしてオーラをつけているとこんな感覚がするのだろうか? 【強打者】は左右に広がった耳をパタパタ揺らして、長くのびた鼻を時折ゆらゆらさせながら俺を見返している。これだけ近づけば、眼窩奥深くに隠されたつぶらな目も観察することができる。黒曜石のように光を反射する小さな両目を見ていると、先ほどの暴れっぷりが想像できないギャップを感じてしまう。思わず手がでてしまい、大きな文様が描かれた額をなでる。結構ざらざらしてるな…… すると、【強打者】は鼻を持ち上げて大きく「パオオオン」と鳴いて応じてくれた。

 

ヤバイ……何この【ロクソドンの強打者】……普通の象さんになっちまいやがった……

 

「ワタル。そいつは触っても大丈夫なの? なんで急にこんなに大人しく……」

 

背後からナエさんの声がかかる。振り返ると未だに両手で剣を構えたまま、注意深くこちらの様子を伺っていた。疑問も当然なので答える事にする。

 

「ええ。さっき俺が【平和な心】……っと、大人しくする『呪文』をかけたので大丈夫ですよ。正直、実際にやってみるまでは効くかどうかは半信半疑だったんですが。けど、もう大丈夫なはずです」

「本当?」

「ええ。武器も放り出してましたし、俺がこんなに近づいても何もしてないんですし」

「そんな……『災厄の流星』の魔物を大人しくするなんて。一体何を……?」

 

ニーナさんから不安げな声で疑問がくるが、俺としてはそういう『呪文』を使ったとしか言いようがない。初めてでぶっつけ本番である、というのは言わない方が良さそうだ。

 

「ちょっと、ナエ!?」

 

ナエさんは恐る恐る【強打者】に近づいてくる。そして剣先で【強打者】をつつこうとした。しかし、ここで大きく反応を見せたのは、なんと【強打者】だった。

 突然、姿勢をおおきくのけぞらせて剣の切っ先から逃げだしたのだ。大きな図体で、床を這いつくばりながら「パオオオオン」と鳴いて入口の方へ逃げていく。向かう先にはニーナさんと親子が居て、このままでは【強打者】と衝突事故が起きそうだ。

 

「ちょっ、ナエさん何を……。おい、オマエも待てって!」

「ちょっと、こっちこないで!」

 

ナエさんと親子があたふたと散り散りに逃げる中、ナエさんは嗜虐心が刺激されたのか、ニヤリと笑みを浮かべ剣をつきだしながら【強打者】を追いたて始める。

 

「何これー。おもしろいじゃない。ほらほら、急がないとつついちゃうぞー」

「ちょっ、ナエさん!」

 

「パオンパオン」と鳴きながら、いや、泣きながらほうほうの呈で逃げる【強打者】をナエさんが剣をつんつく突っつける動作で追い立て始めた。もはや、当初とは完全に攻守が逆転してしまっている。【強打者】は勢いそのままに、教会の入口まで突進していく。そして、バキィ、メリメリィと大きな音をたてて、木製の重厚な扉を、まるでなかったかのように突破していってしまった。間髪いれず、外から悲鳴が上がるのが聞こえてくる。

 

「あ、あれぇ…… ま、まてぇ!」

 

流石に遊びすぎたのに気づいたのか、ナエさんは慌てて後を追いかけて行く。「あーもう何なんだか……」とぼやきつつも、俺も慌てて後を追いかけた。



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014:浄化の儀式と災厄の流星 その3

※013話と同時更新 最新話リンクから飛んできた方は注意を。


 破壊の跡が生々しい扉を抜けると、教会前の広場に出た。しかし、昨日見たときとは様相が一変している。結界石の台座には教会内に避難していた人々が寄り添い、その回りを騎士達が囲んで四方へにらみをきかせている。また、広場の隅を見ると、1つの建物が倒壊していて、その周辺に取り囲むように騎士達が並んでいた。誰もが武器を抜いた状態で建物の倒壊跡を注視している。その中心には、なんと骸骨が立っていた。学校の保健室や理科室で見るような標本の骸骨よりも一回り大きい姿をしている。骸骨は外国製ファンタジーゲームに出てくるような、ゆったりとした動きではなく、生きた人間ように何の淀みもなく素早く動き回っている。今、一人の騎士が骸骨と交戦中のようだった。骸骨は片手に持った剣を騎士に叩きつけ、騎士も危なげなくそれを受け止めている。交戦中のさなかにも、四方のあちこちからズズンという音やバキバキィという破壊音が聞こえてくる。【強打者】の件で緊張が解けかけていたが、今が非常事態だという事を思い知らされる。

 「パオン……」という悲痛そうな鳴き声を聞いて視線を真正面に戻すと、【強打者】は結界石と教会入口のちょうど間で、3人の騎士に取り囲まれて腰を抜かしていた。武器を振り上げたり、構えていたりしている騎士達3人を仰向けで見上げて、まさに殺される寸前で打つ手なしという状態のようであった。これでは、騎士か、【強打者】、どちらが悪者なのかわかったものではない。そんな中、お構いなしに横から怒鳴り声が割り込む。

 

「オイ! ナエッ! これは一体どういう事なんだ!」

 

俺や【強打者】だけでなく、騎士達もビクリと体を震わせるほどの大音量だった。アルバート隊長が両腕を組んでギロリと鋭い視線でこちらを射抜いてくる。俺のちょうど横にいて、同じように広場の様子を伺っていたナエさんは怒鳴られた瞬間「ウヒャイ!」と可愛らしい悲鳴を上げ、冷や汗ダクダク状態となっていた。

 

「突然、『飛びやがって』どこかへ消えたか思えば、教会の中から《魔物》が飛び出してきやがった。お前、中に居たんだろう……? 何やらかしやがった!!」

 

アルバート隊長はこめかみに青筋を幻視しそうな程ご機嫌ナナメなようである。今は非常事態ではあるが、隊長のこの不機嫌のおかげで、この場の人間達が一定の冷静さを保つ事ができているかのように思えてしまう。

 

「え、えーと……ニーナが危ない感じが……」

「そいつだ! そいつがダンを『喰い』やがった!!」

 

ニーナさんのしどろもどろな言い訳は、男性の大声に遮られた。隊長の少し後方、芝生が生えた平らなスペースに、一人の騎士が装備を外された状態で寝かされていた。肩肘をついて必死そうに上半身を持ち上げている。頭から血を流し、全身ズタボロで傷だらけである。彼は親の仇でも見るかのように、仰向けに倒れた【強打者】に罵声を浴びせる

 

「今すぐ殺せ! 俺もダンもソイツにやられたんだ。じゃないとダンが……ダンが! 隊長ぉ!」

 

「落ち着け、サイラス。ナエ、この腑抜けてる《魔物》がダンを『喰って』現れたのか?」

 

隊長は悲痛な訴えをするサイラスという騎士をなだめて、先ほどよりかは穏やかな口調でナエさんに続けて質問をする。

 

「えっ?あれっ? えーっと……」

 

ナエさんは、頬を指でカリカリとかきながら必死に記憶を巡らしている。思い出してみれば、ナエさんは教会の中には居なかったはずなのに、ニーナさんが危なくなった瞬間に突如としてあらわれた。少なくとも、サイラスという騎士が【強打者】に吹っ飛ばされる時までは教会内にいなかったように思われる。ココは俺が説明した方がいいか、と口を開きかけた途端、後方からニーナさんの声が聞こえた。

 

「隊長、その通りです。ナエは私が危なくなった時に『飛んできて』救ってくれたんです。ですが、今はそこの彼が変な『呪文』を魔物にかけて、このような状態になってます」

 

彼女は必要最低限の事だけ伝えながら小走りで俺たちの元へと近寄り、ナエさんを挟んで反対側へ並んだ。横に並ぶ瞬間、彼女は俺を見たような気がした。心なしか、俺への視線がどこか得体の知れない物を見るかのような冷めたものように感じられた。

 

「ッチ。だとするなら、そのヘタってる《魔物》は今すぐ倒さなきゃならんな。オイ、おまえら……」

「隊長! 四方から魔物が迫ってきます!」

 

隊長が【強打者】を囲む騎士達に命令を出そうとした時に、それを遮る騎士の報告が広場に響き渡った。騎士の大声を聞いて、結界石の台座に集う住民達の表情が、更に悲壮めいたものに変わった。広場の雰囲気は、より一層、絶望的なものに変化し、広場を囲む建物の向こうから、今すぐにでも何かが飛び出して襲ってきそうな恐怖に包まれる。

 

「くそっ。あちこちでメチャクチャ起こりやがって。司祭、守護陣はいけるか?」

「いつでもいけますぞ」

「よし。まずは守りを固める。司祭が守護陣を展開するから、住民の皆は結界からは決してでないように。あと、そこの骸骨だ! いつまでもてこずってねぇで、さっさとかたずけちまえ。早くしねぇと手遅れになっちまうぞ」

「しかし、隊長! コイツ、斬っても叩いても再生しやがります」

「情けねぇ! おいナエ! あの端っこでグズってる骸骨に特大のをかましてやれ! 家は崩れちまってるから燃やしちまってもかまわん。」

「ハ、ハイィィ!」

 

隊長のおかんむりから少し目を離されて、一息ついていたナエさんだったが、突然命令されて再びビシィと直立不動の姿勢を取る。

 

「あと、そこのヘタってる《魔物》だが、ソイツもやっちまえ。さっさとしねえとダンがオダブツになっちまう」

「ッハ!」

 

隊長の有無を言わさない命令に、広場に居た騎士達はキビキビと行動を始める。ナエさんは剣を肩に担いで「じゃ、ニーナ行ってくるね」と広場の隅の骸骨との戦闘場所に走っていく。【強打者】を取り囲む3人の騎士達は互いに頷いたあと、それぞれの武器でいっせいに【強打者】に攻撃した。そうとは意識してなかったのか【強打者】に武器があたる瞬間、俺は目をそむけてしまった。聞こえるのは鈍い音、音とともに響く【強打者】の鳴き声だった。恐る恐る目を開けてみると、【強打者】は体を剣や槍で刺し貫かれた状態で、仰向けに倒れていた。体の周りは血だまりができ、見るからに痛ましい光景だった。

 

「コイツ、まだ生きてやがる」

「意外としぶといな」

 

騎士達は【強打者】をまるで家畜でも見るかのように、冷静に観察している。その冷徹な感じに、思わず背筋がゾッとする。

 

「あなた、こういう光景見るのは初めて?」

 

横を見れば、ニーナさんも冷めた表情で俺を見つめている。

 

「話には聞いた事はあるけど、実際に目にするのは初めてかもしれない」

「そう……」

 

湧き上る吐き気をこらえながら、辛うじて返事を返す。ニーナさんを良く見ると、表情が少し青ざめているようにも見える。彼女ももしかしたら、あまりこのような光景に慣れていないのかもしれない。彼女は俺の言葉をどこか、うわの空で聞いていたようだが、俺が見つめているのに気付くと、少しバツが悪そうに話をはじめた。

 

「私もね、こういうのは初めて。でも、お母様の跡を継ぐと決めた時から、覚悟はしていたわ。聖石騎士団や教会の人間はか弱き民達の盾にならなければならない。例え、前衛に出ない後方支援に配備される司祭でも。あなたにその覚悟がないのなら、さっきのような手出しはしないようにすることね」

 

途中から、彼女が俺を見る表情は真剣なものに変化していた。俺はその言葉を反芻する。【強打者】に『呪文』を使ったとき、好奇心を満たすためだけに使っていなかったか? いや、あの時【強打者】を無力化しなければ、さらなる危険が俺やニーナさんに及んでいたのは間違いない。しかし、本当に俺は純粋に危険に対抗するためだけに『呪文』を唱えたのか……? 思考に埋没しそうになった時、広場の隅で、聞いたことのある爆音が轟いた。

 わずかなどよめきが聞こえたあと、少し焦げ臭い匂いが辺りに漂い始めた。広場の隅の骸骨との戦闘が繰り広げられていた位置に、ナエさんが剣を振り下ろした状態で佇んでいた。剣の先には小規模の爆発があったかのように、爆発跡と、黒く焼け焦げた人骨の破片が散らばっていた。

 

「ナエの《ヒートブレード》ね。あの時、私を助けてくれた時に《魔物》に放った魔法剣よ」

 

ニーナさんが【強打者】に襲われそうになった時、【強打者】の背後で炸裂した炎の柱の正体はソレだったようだ。その威力は、骸骨が一瞬で火葬した後のようになってしまってる事から、中々威力が高い事がうかがえる。しかし、【強打者】はアレを食らっても体勢を崩し、一時的に戦闘不能となるだけであった。【強打者】のタフネスは4点。やはり、そのような数値となると、人間――骸骨ではあるが――を殺すに足るだけの威力だけでは足りないようであった。

 

「《魔物》が……」

 

 ニーナさんのつぶやきに応じて、ナエさんの方を再び見ると、骸骨の破片がカタカタと蠢きだした。そして、骸骨だった黒い破片からボコリボコリと黒い泡が湧き出したかと思うと、それぞれ互いに引き合いあって、一つの塊になり出した。ナエさんは骨に動きが出始めた瞬間、それに気付いて、今は一歩離れて様子を伺っている。黒い泡は1つに集まって大きく膨らんだ後、泡がはじけて、だんだん大きさが小さくなっていく。まるで、【強打者】が騎士を『喰って』姿を現している時の光景を巻き戻しに見ているかのようだ。泡がはじけたり、こそぎ落ちてだんだん小さくなっていき、中に入っていたものを表に現しはじめた。最初こそ、それが何かはわからなかったが、中から人があらわれたのである。

 

「《流星の魔物》に喰われた人間は、憑りついた《魔物》を倒す事によって救い出す事ができるの。でも、早いうちに《魔物》を倒さないと、憑りつかれた人間の命は失われてしまうわ。彼は大丈夫かしら……」

 

 この光景を見て、ようやくサイラスが【強打者】へ憎々しげに叫んでいたことに納得がいった。ダンという騎士が黒いナニかに覆い尽くされる――ここは喰われるといった方がいいだろうか――様は俺も見ていた。《魔物》は人間に憑りついて姿を現す。今、武器に刺し貫かれて痛々しく倒れている【強打者】も、憑りついた騎士を犠牲にして出現していたのだ。【平和な心】でただのゾウさんになってしまい、今は痛々しい目にあっている【強打者】に僅かながら憐憫の感情を抱いてしまっていたが、騎士達の【強打者】に対する扱いには、それ相応の理由があったのだ。

 骸骨から解放された騎士に、他の騎士が介抱にあたっている。ナエさんの表情や、集団の様子を見る限り、有望な展開になっていそうだった。とりあえずは一安心という事か。

 

「オマエらどきな! 俺がトドメをさす」

 

右手前方から、ラルフさんの鋭い呼びかけがかかる。彼は剣を握りしめながら【強打者】の方へ向かって行く。まだ【強打者】は完全には倒しきれていない。【平和な心】でおとなしくはしても、そのパワーやタフネスには変化がない。4点ものタフネスがあって、そんじょそこらの武器で傷つけられた程度ではやられるはずもなかったのだ。既に刺し貫かれた傷は、前と同様に再生しつつある。

 

「グレー! こい!」

 

左手を前方に掲げてラルフさんは叫ぶ。すると、手をかざした地点に、俺が昨日ヴァンを召喚した時のように、黒い穴が発生しだした。穴は次第に緑の光を放ちながら、グニャリと形を変え、次第に大きな獣の形へと変形していく。変形したモノは四肢を動かしつつ、ラルフさんに続いて【強打者】の元へと追随する。

 

「ヴォアアアアアアア!」

 

現れたのは、一昨日見たときとなんら変わりがない、人間一人をやすやすと超える巨躯を誇る【灰色熊】(グレー)であった。二足で立ち上がり、雄叫びを上げ、広場に居る人間に高々と存在を主張する。

【強打者】を取り囲んでいた騎士達はグレーの姿を見るや否や、後ずさりしてしまっていた。やはり、自分を覆い尽くすサイズの熊を見ようものなら、このような反応をしてしまうのが自然な事だろう。ラルフさんはそんな事はおかまいなしに【強打者】の近くへ寄ると、剣を真横に構えてグレーへ指示を出す。

 

「グレー、先に仕掛けな。俺がトドメを」

「ヴォフ」

 

グレーは頷いたかのように一鳴きした後、再び仁王立ちして、前足を天高く掲げる。【巨大化】を受けていなくとも、その時の様子をありありと思いだしてしまうかのような振りかぶりであった。ラルフさんは腰を低くして、剣を横にしながらも何かに集中しているようだった。

 

「パオン……」とわずかに鳴きながら、【強打者】は高々とかかげられたグレーの前足を見つめるのみである。

 

「ヴォフゥ!」

 

グレーの高く掲げた前足が【強打者】の腹にクリーンヒットする。「パオォォ!」と【強打者】がうめいて、体が大きく折れ曲がる。殴った直後、グレーは巨体からは想像もできない素早さで、【強打者】から後ずさる。グレーがラルフさんとすれ違った瞬間、ラルフさんの左腕の輝石が光を放ち始めた。輝石はグレーを召喚したときとは異なる白い色で輝き、また、ラルフさんが右手に持つ剣も光に包まれた。見れば、ナエさんが【強打者】を攻撃したのように、剣に変化が現れ出した。剣の切っ先に光が収束して、光の刀身が伸び出した。光の剣が伸びきったあと、ラルフさんはくるりとその場で一回転をし――

 

「《鋭き一薙ぎ》」

 

剣を【強打者】へ向けて振りぬいた。振りぬいたあと、ラルフさんは振りぬきの姿勢をそのままに暫く佇んでいたが、変化は【強打者】に現れた。なんと、【強打者】の上半身がずれたと思ったら、斜めに地面にずり落ちてしまったのだ。断面からは血が噴き出して見るに堪えない。ラルフさんは文字通り【強打者】を『一刀両断』してしまっていた。しかし、見たのは一瞬で、俺は内からせりあがる感触に下を向かざるえなかった。

 

「オェェ……」

 

瞬間、胃の中が急激に咽びあがってきて、地面に吐き散らかしてしまう。嗚咽を必死に抑えつつ、呼吸を整える。

 

「すごい、あの巨体を一振りで…… これが『カマイタチ』」

 

ニーナさんも目の前の光景に茫然としているようだ。ケホケホと吐き散らかしつつ、口元をぬぐって再び前を向く。俺が吐き散らかしている間に、上半身と下半身に分かれてしまった【強打者】は骸骨と同様に、黒い泡に包まれて一つの塊になっていた。大きく膨らんでいた泡はやがて次第に小さくなっていき、一人の人間を外にあらわし始めた。その人間は意識を失っているようだが、見覚えのある顔をしている。「あ、いけない……」とニーナさんは、ダンが姿を現したのに気付いて、慌てて彼に駆け寄って診断を始めた。脈を図っていたが、やがて安堵の表情を浮かべる。こちらも無事救出することができたようだ。

 ニーナさんがダンの体をあれこれ触診していると、彼の手から札のようなものが地面に零れ落ちた。そして、地面に接触するや否や、突然激しく発光しだした。

 

「これは……」

 

光は地面からふわりと浮きあがり、緑色になったり、白色になったりして交互に変色しながらも輝いている。この光景を俺は過去に見ている。まだ記憶に新しい、グレーが《狼》を倒した直後の事だった。あの後、光は俺の中の《声》と一体化して、結果として《内なる声》が2つ増える事となった。現に、俺の内に潜む《声》達は、あの時のように歓喜の《声》を上げている。失われた物をまた1つ取り戻す事ができるのだ。

 

「おい、ワタル……」

「大丈夫ですよ。ラルフさん」

 

ラルフさんが心配そうに警告してくるが、俺には何がおこるかわかりきっていた。光はゆっくりと俺に近づいてきて、胸の中に侵入してくる。俺の体が一瞬輝いたかと思うと、内の《声》と光が一体化するのが感覚でわかった。【ロクソドンの強打者】が俺の手元に戻ってきたのだ。

 

「おかえり……」

 

俺のつぶやきをラルフさんもニーナさんも不思議そうな表情で俺を見ていたが、二人ともなにも尋ねてはこなかった。失われた一部を取り戻す事ができた《声》達の喜びの余韻をかみしめる。理由がわからないが、俺のデッキはこのようににして取り戻していかなければならないのだろう。

 

「おい、何があったかは聞きたいとこだが、今は《魔物》にあたる方が先だ。ラルフ、お前は迎撃に。ニーナ、おまえは負傷者の手当てだ。ワタル……おまえは、皆が固まっている所に避難しろ」

 

隊長から、「暇はないぞ」と矢継ぎ早に指示が下る。

 

「了解」と打てば響くように応答するニーナさんと、「あいよ」と変わらない調子で返すラルフさんとは違って、俺はすぐに返事する事ができなかった。本当に俺はこのまま、守られっぱなしで良いのか、心の内で葛藤していたのだ。俺には《魔物》に対抗できる『呪文』があるのだ。大幅に数が減ってはいるが、内に潜む《声》は【平和な心】を放ったくらいで尽きたわけではない。《声》達は自分達を「放て」と、内を食い破るかの勢いで強烈に訴えかけてくる。しかし、先ほどのニーナさんの言葉が俺に歯止めをかける。彼女の指摘通り、俺は他の騎士達のように荒事に慣れているというわけではない。彼女は力を振りかざしたら、必ずそれ相応のしっぺ返しがあると警告したかったのだろうか。

 

「おい、ワタルさっさと来るんだ」

 

いつまでも動かない俺を見かねたのか、ラルフさんが俺の手を引っ張って無理やり連れていこうとする。

 

「ラルフさん。俺、このままでいいのかな」

「っけ。《魔狼》にすらビビっちまう腰抜けが必要なほど、騎士団の連中はヤワじゃねぇ。おまえは大人しくしてんのが一番だ。今は余計な事なんか考えるな」

 

そう言われてグイグイひっぱってゆかれ、騎士達が囲む円陣の手前まで連れてかれる。ニーナさんは円陣の中に寝かせられているけが人の手当てにあたっていた。俺は、並んでいる騎士やラルフさんに促され、しぶしぶ村人達が固まる一団に加わる。それを見届けて隊長はザーナ司祭に命令を飛ばす。

 

「司祭。頼んだぞ」

「はい。――大いなる女神様よ。か弱き我らを守りたまえ。その御力は邪なる物を阻む盾なり――《守護の領域》」

 

 

司祭はうなずくと、跪いて祈りを捧げながら呪文を唱えた。すると、変化は頭より少し高い位置の空間に現れはじめた。村人達が固まっている結界石を中心として、円を描く白い線があらわれたのだ。線はつながって円となり、一際輝いたあと、真下に光を降り注いだ。光が落ちたあとは、景色が白く染まった半透明に見え、何かが俺達と外を隔てているように見えた。同時に、上の方にも半透明の膜が展開されて、すっぽりと結界石ごと覆ってしまった。まるで自分達が大きな白いヴェールで覆い隠されたかのようだった。

 

「おまえら、ここが正念場だ。司祭が《守護結界》を展開してるが、その護りは完璧じゃねぇ。死んでも《魔物》を結界石に近寄らせるな!」

「オウ!!」

 

結界が張られるのを見届けてから、隊長が俺たちを囲む騎士に向かって激を飛ばす。騎士達も自らを鼓舞するかのように大声で応じる。もはや、広場の四方の至る所から鳴き声や足音が聞こえてきて、襲撃の時は間もなくかと思われた。

 

誰もがかたずをのんで待ち構える中、一人の騎士が空を指さして襲来を告げる。

 

「隊長。上です」

 

騎士の指さす方向を見ると、大きな影が素早く空を横切るのが確認できた。影は広場を大きく旋回し、横に大きく広がる翼を動かしながら、俺たちを睥睨しつつ咆哮を上げる。体は硬そうな鱗に包まれ、それが頭から尾にかけてびっしり覆われている。翼は蝙蝠の翼のような被膜で構成されていて、見た目で感じられる薄さながらも、風を逃さず捉えてソイツの大きな胴体を危なげなく空中に持ち上げている。その姿は空飛ぶトカゲ……いや、まるでドラゴンのようだった。

 

「あっちにもいるぞ!」

 

反対側を見ると、今度は『人』の姿をした影が宙を横切るのが見えた。肌の露出が多い恰好をしていて、片手に長い錫杖のような棒を持っている。どことなく戦装束のような出で立ちだが、その姿は女性であった。何よりも空を飛んでいるという時点で、注目してしかるべき箇所はその背中にあった。なんと『翼』が生えているのである。まるで某宗教に出てくる『天使』のような姿をしているのだ。彼女は広場を大回りに飛び回りながら、襲うべき得物を品定めしているようにも見えた。

 

「おい、まだ来やがる」

 

今度は、紅く燃え盛る炎が空を横切った。先のドラゴンや天使ほどは素早くはなく、大きさも小さいが、炎が舞い踊る様は、先の2体とはまた違った不気味さを感じさせられる。よく目を凝らせば、炎の中に、本体と思わしき影が見えた。胴体は細長く、その横からは胴体と比べるとやけに大きな手が2本生えている。流線型をした、これまた大きな頭には、頭の大部分を占めるほどの目がついていて、顔だけを見ればコイツだけが一番《魔物》じみた奇怪な外見をしていた。

 

三者三様の《魔物》は広場の上空でぐるぐると輪を描きながら回っていたが、突然向きを転じてこちらに急降下してきた。俺たちの方へ襲ってきたのは、赤く燃える炎を纏う魔物であった。急降下しつつも、ソイツは口から俺たちに炎を吹きかけてきた。ブレス攻撃――と言ってもいいのか、小さな図体に見合わず勢いがなかなか強い。俺の周りの住民からは悲鳴があがり、頭を抱え込む人もいた。しかし、俺たちが居る結界石の周りにはザーナ司祭の張った結界がある。炎は白いヴェールに遮られて俺たちに届く事はなかった。

 

「おい、大丈夫か」

「クソ。あのドラゴン、デカイくせして意外に素早い」

「あの人型のも油断ならん。2人やられた!」

 

結界の外では他2体の魔物にやられてしまった騎士がいたようだ。騎士もやられるだけではなく、弓で射るなり、炎や氷の魔法らしきもので応戦しているようだが、素早く動く目標にあてられず苦戦している。騎士達に気を取られている間にも、俺たちが居る結界も炎の《魔物》に何回か攻撃される。

 

「このままですと……まずいですな」

 

祈りの姿勢のまま上空を見上げる司祭から、悲観的な言葉が漏れる。結界の維持に余裕がないのか、はたまた外の状況に気が気ではないのか、相当追いつめられた表情をしている。もはや、外の状況は最悪であると言ってもいい。広場のあちこちで怒号が飛び交い、叫び声が響きわたり、まるで地獄絵図と言った状況だ。

 

大きく肺いっぱいに空気を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出して深呼吸をする。もはや、覚悟だとか荒事に慣れていないだとか、そんな事を悠長に語っている所ではない。覚悟をきめるんだ。

 

幸い、感覚で今まで【平和な心】で消費していて細くなっていたマナの繋がりが復活しつつある事がわかる。今、ここから反撃を始めるのだ。

 

「ヴァン……」

 

つぶやくのは、昨日名付けたばかりの彼の名前。白マナを《声》に注ぎ込み、目の前へ召喚する。

 

ヴァンを召喚した時の現象が焼き増しで目の前で起こる。結界内に起きた突然の異変に、ぎょっとする村人も居たが、外の騒ぎに気を取られている人間が多く、さほど大きな騒ぎは起きなかった。ただ一人、昨日と同じ光景を見ていたザーナ司祭が、俺がしている事を若干驚きながら静かに見ていた。

 

ヴァンが地に足をつけて現れるとすぐに、様子を伺っていた司祭へ話しかける。

 

「ザーナさん。この結界から外へ人を出す事はできますか」

「ワタル殿……それにヴァン殿。何をされようというのですかな?」

「ご想像の通りです。俺は外の危機に対して手助けする事ができる――と思います。実際はヴァンにやってもらうのですが……」

「然り。我は主の剣。このまま状況を静観していても、いずれは主に危険が及ぶのは明白。なればこちらから攻めるは自明の理」

 

司祭は、冷静沈着に言い放つヴァンをしばしの間見つめ、自分の中で整理をつけたのか、大きく頷いた。

 

「よろしい。一部、結界を解除する必要がありますが、大した手間はかかりません。ヴァン殿。存分に力をふるうがよろしかろう」

 

もしかしたらダメかと思っていたので、許可の言葉を聞いた瞬間、自分の心が沸き立つのが、明確に感じられた。きっと、俺は今、笑っているのだろう。不謹慎ではあるが、この場の闘いが、この世界での、いや、本当の意味での『初陣』となるのだ。

 

「ヴァン……」

「御意」

 

ヴァンを見れば、これまで無表情だったのに、彼も獰猛な笑いを浮かべていた。俺の高ぶりが伝わっているかのようである。

 

「ちょっと、待ちなさい」

 

いざ行かん、という所で後ろから声がかかる。振り返ると、ニーナさんがキッと俺を睨んできつい表情をしながら、両手を腰に当てて仁王立ちしていた。まるで俺たちの行動を止めようかというように。

 

「あなた、一体何をするつもりなの?」

「ニーナさん。外の《魔物》を倒してくるんです。やるのはヴァンですけど……」

「っ! さっきあなたに話した言葉を……司祭様?」

 

口を出そうとしたニーナさんに、ザーナ司祭が歩み寄り、手で遮る。

 

「ニーナ様。ここはワタル殿の好きなようにさせてみてはいかがですかな? 昨日の【呪文】や、話を鑑みる限り、彼は『守護者』系統に類する力を持っていると見て良いようです。おそらく、彼自身が前に出て戦うという事ではないと思われます。違いますかな?」

「ええ、まぁその通りです。俺自身には戦闘能力なんてありませんよ。でもヴァンなら……」

 

ニーナさんは、ヴァンをしげしげと眺めながらまくし立てる。

 

「でも、このヴァンっていう《守護者》だって、私達騎士団より実力で勝っているとも思えないわ。アナタが出しゃばった所で足手まといになるだけよ」

 

今は状況が状況だけに、余計な時間をかけているヒマはないかと思うのだが、中々、ストレートに物を言ってくれるものである。若干、なにくそと忸怩たる思いを抱きつつ反論する。何も、策がないわけで実行に移そうとしているわけではないのだ。

 

「そう言うのなら見ててくださいよ。――ヴァン。まずは飛んでるヤツらから片付けるぞ」

「御意」

 

右手をヴァンにかざして、呪文を紡ぐ。リンクを通じて引き出すは、緑マナ1点。

 

「【蜘蛛の陰影】」

 

すると、かつてラルフさんがグレーに【巨大化】を使ったときのように、ヴァンの体が濃緑の光に包まれた。体を覆う光は徐々に厚みを増し、何かの形に変形しだした。丸まった形は胴体となり、その胴体から8本の細長い足が突き出る。光が形作るその姿は大きな『蜘蛛』だ。かなり大きい姿をしていて、近くで見てるとそのリアルさに背中がむずがゆくなる。苦手な人間にはかなり気持ち悪い光景だろう。不思議な事に、ヴァンを包む光の蜘蛛は結界石の台座の上にぎりぎり収まるかといったほど大きいものであったが、光は人間や物を透過していて、何も影響を与えてはいないようである。「い、いや……なによコレ」と目の前のニーナさんや村人はかなり引き気味な様子であった。しかし、光の蜘蛛が一瞬強く輝いた瞬間、陰影は一瞬にして姿を消した。代わりに、中に包まれていたヴァンの姿が表に現れた。彼の姿の輪郭が緑色に強く輝いているのがわかる。大蜘蛛の力が彼の中に凝縮されたかのようだ。

 

「調子はどう?」

「変わらず、見事な呪文です。これならば上空の彼奴らめを散らす事ができましょう」

 

手を握りしめたり開いたり、ステップを踏んだりして、ヴァンのコンディションは中々に上々といった様子だ。

 

「ザーナさん。ヴァンを外に出すために結界を操作して頂けないですか」

「むやみやたらと出て行っては危険です。《魔物》が襲い掛かったスキを狙って、一部の結界を解除しましょうぞ」

「ザーナ司祭、その心配は無用。我の真上の結界を解いてくだされば結構」

「……!? それは一体……」

 

珍しくヴァン自ら司祭に話かけたが、司祭は彼の言葉の真意を掴みかねているようだ。しかし、俺にはその言葉の意味がわかる。【蜘蛛の陰影】が与えうる能力を考えれば、納得のいく発言である。

 

「司祭殿。迷っている暇はありませぬ。あの炎の魔物が踵を返して、また来てしまいますぞ」

「ザーナさん。彼の言うとおりにしてください」

「ねぇ、彼は一体何をしようというの?」

 

普通に俺たちの会話を聞いていたら、ニーナさんの反応ももっともであるのだが、今はそんな事に構っている暇はない。司祭はしぶしぶ、その言葉通りにしてくれるようだ。

 

「……わかりました。では、いきますぞ――『結界解除』」

 

ザーナ司祭の言葉と伴に、ヴァンの真上の結界が解除された。上を見ると、やや薄く白い色に染まっていた外の景色の一部に穴が開き、外に出られるようになっている。ヴァンは腰に差した剣を右手で引き抜き、腰を落として、かがんだ姿勢をとった。弓に引きつがえられている矢のように、飛び出す勢いを貯めているかのようだ。

 

「ヴァン」

 

俺は無意識にヴァンに声をかけてしまっていた。少し躊躇ってしまうが、主として彼に何か声をかけてやらねばと思ったのだ。ヴァンはじっと俺の次の言葉を待ってくれている。今にも《魔物》に向かおうとしている彼に、言うべき言葉はそう多くは必要ないだろう。

 

「ヴァン……思いっきりやっちゃえ」

「……承知。必ずや勝利を主の手に」

 

そう返す彼の顔は、これまで見てきた中で一番獰猛的に笑っていた。しかし、怖い顔というわけではなく、とても頼もしくも凛々しいものであった。

 

ヴァンはぐっと姿勢を一層低くした。すると、彼の姿を強調的に縁取っていた緑の光が一瞬輝き、瞬間的に『蜘蛛の陰影』がヴァンを中心に投影された。その後、ドンッという踏込の音とともに、彼は真上へと飛び上がっていった。

 

「なっ……」

「嘘っ」

 

二人が驚くもの無理はないのかもしれない。ヴァンは真上に飛び上がってから、炎の魔物へと向かっていく。しかし、その高度は『普通の人間が飛び上がった』だけでは済まされない程の高さにまで迫っている。

 「オイ、アイツ空を飛んでるぞ」「えっ本当かよ」「《魔物》に向かってくぞ」と結界内の村人たちもヴァンの常識外れの動きに驚いている。炎の《魔物》は自分に向かってくる存在に動揺したのか、反応が若干遅れつつも、炎のブレスをヴァンに浴びせる。しかし、ヴァンは空中で少し横にずれて、余裕を持って炎を回避する。彼は剣を下段に構えつつ、すれ違いざまに《魔物》を切り捨てた。スッパリやられた《魔物》は空中でもみくちゃ動きながら、やがて黒い泡へと変じて地面に落ちていく。ヴァンが結界石の台座前に着地する頃には、空から小さい札が2枚ヒラヒラと舞い落ちるものに変じてしまっていた。

 

ヴァンの頼もしき後ろ姿を横目に捉えつつも、ニーナさんとザーナ司祭に振り向く。

 

「ね。俺のヴァンも結構やるでしょう?」

 

茫然とする二人に、自分のクリーチャーを自慢するのは中々気持ちがよかった。



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015:浄化の儀式と災厄の流星 その4

教会前にいた人間すべてがヴァンのやったことに注目していた。結界石周辺に固まっている住民達、空の魔物へ応戦していた騎士達までもが、広場のただならぬ状況に、何が起きたのか確かめようとしていた。

ヴァンは着地のあと、ゆっくりと立ち上がり、こちらを振り返った。結界越しに半透明に見える景色の中、彼が獰猛に笑っているのがはっきりと見えた。彼は俺の視線に気づいたのか、こちらを無言で見返してくる。しかし、俺には彼が次の命令を待っているのが分かっていた。出だしよく《魔物》を倒せたとはいえ、まだ空の脅威が取り除かれたわけではない。

 

「ヴァン、次のやつも頼んだ」

「御意」

 

ヴァンは一言述べたあと、上を見上げる。ちょうど、大きな図体をしたドラゴンが上空を横切るところだった。ドラゴンは仲間をやられたことに怒っているのか、ヴァンの方を向いて 「ギャアス」と咆哮をあげている。鳴き声に気づいたのか、騎士達の注目が空へと戻る。

 

しかし、ドラゴンか。いくら【蜘蛛の陰影】で強化しているとはいえ、先ほどのようにうまく倒すことができるだろうか。

 

******************************************

蜘蛛の陰影/Spider Umbra

 

エンチャント — オーラ(Aura)エンチャント(クリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーは+1/+1の修整を受けるとともに到達を持つ。(それは飛行を持つクリーチャーをブロックできる。)

族霊鎧

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【蜘蛛の陰影】は過去唱えた【不退転の意志】と同様に、クリーチャーを強化するエンチャント(オーラ)呪文だ。その点においては【不退転の意志】と変わりがないのだが、異なる点はエンチャントしたクリーチャーに特殊能力を与えうる点にある。その特殊能力とは『到達』と呼ばれる能力である。だが、それを説明する前に、まずはマジックのクリーチャーが持つ特殊能力について説明すべきだろう。

 マジックのクリーチャーの一部には、特殊能力を持つものが存在する。その能力はいろいろ存在するのだが、それぞれ能力は、キーワード化されて区別がつけやすいように扱われている。代表的でわかりやすいものとしては『飛行』という能力が挙げられる。これはどういう能力を示すのかは説明するまでもないだろう。文字通り『空を飛ぶ』能力の事だ。鳥やあの空を飛ぶドラゴンはもちろんの事、想像上の生き物、果てはどこをどう見ても空を飛びそうもない絵柄のクリーチャーにさえ与えられる事もある、メジャーな能力である。この能力はクリーチャー同士の戦闘で効果を如実に現す。どういう事かというと、「『飛行』を持たないクリーチャーは『飛行』をもつクリーチャーをブロックできない」という事だ。これも説明するまでもないだろう。地面を這いつくばる動物は、空を飛ぶ鳥に手を出す事が出来ないからだ。このように、『飛行』を持つクリーチャーは、『飛行』を持たないクリーチャーを悠々と飛び越えて相手に攻撃することができるのだ。

 しかし、この能力にも対抗する術は存在する。唐突だが、人間の歴史を振り返ると、空を飛ぶ鳥を仕留められなかったという事実は一切存在しない。人間が飛行機を発明する、はるか以前から、人間は銃や弓等を利用して空飛ぶ生物を狩る事ができたのだ。空は自在に飛べずとも、空中を行く存在に攻撃を届かせる能力。この能力を象徴するキーワードが『到達』である。『到達』能力の具体的の内容は「『到達』を持つクリーチャーは、『飛行』を持つクリーチャーを、あたかも自身が『飛行』を持っているかのようにブロックしても良い」である。明確に述べると多少長くてわかりづらいのだが、ようは『飛行』を持つクリーチャーを妨害することができるのだ。『到達』はあくまで『ブロック』する時のみ有効であり、攻撃時には有効にならない。弓を持つ人間は、飛んで敵を飛び越えるような真似はできないのだから、当然ではある。

 ヴァンの行動を照らし合わせてみると、彼は『飛行』を持つ攻撃してきたクリーチャーを『到達』でブロックしたと言える。空を飛ぶかもしれないとは予想はしていたが、まさかあんなに風に自然と空中を飛び回るとは思わなかった。

本来、『到達』という言葉は、この能力を種族的に持ち合わせているようにカード能力をデザインされていた『蜘蛛』に由来していると言われている。イメージ的には、蜘蛛の糸を伝って空中にいる敵に手を届かせる、糸にからめとって妨害すると言うことなのだろう。

 

「――主」

 

ヴァンの呼びかける声に思考を現実に戻す。ヴァンは俺を見て、まだ何か指示がないか待ち受けている。

 

「そうだな…… あのドラゴン、相手にするにはきつくないか?」

 

ヴァンは空を見上げながら俺の質問に淀みなく答える。

 

「まともにやりあえば、主の呪文がある今の状況でもやられてしまうかもしれませぬ。しかし、奴からは過去相対したものと比べると、さほど重圧を感じませぬ。相討ち覚悟ならば、呪文なしの我でも倒せるかと」

 

ヴァンのドラゴンに対する評価は俺よりも低いものだった。マジックにはドラゴンは様々いるが、強いものから弱いものまでピンキリだったりする。いま空を飛んでいるアイツは弱い部類の種類なのだろう。ヴァンには【蜘蛛の陰影】をつけているので迎撃するのは可能だ。減らせる内に、《魔物》は減らしといた方がいいだろう。どっちみち、マナが尽きてる今は何もできやしないのだから。

 

「よし、このままアイツを頼む」

「御意」

 

ヴァンは再び腰を落として、上空へと飛び出した。今度はドラゴンへと向かって飛んでいく。ドラゴンは、口を大きく開けて噛みつこうとしてきた。あわや衝突するかと思ったが、2つの影は素早くその姿を交差した。高速ですれ違った空を駆けるヴァンと《魔物》は、再びそれぞれ相対するために上空で反転する。方向転換のために速度が落ちたおかげか、双方の姿を一瞬確認することができた。ヴァンは五体満足で無事なようだったが、ドラゴンは大きな顔の一部に横に走った傷のようなものが見えた。すれ違いざまにヴァンが切りつけてできた傷なのだろう。

 ヴァンとドラゴンは再度、互いに高速で近づいて空中戦を始めた。ヴァンが縦横無尽に剣で切りつけ、ドラゴンが大の大人を飲みこもうかという大きな口でかみつこうとする。ヴァンはドラゴンよりも小さな体躯を生かして、動物にたかるハエのようにドラゴンを翻弄していく。しかし……

 

「あっ」

 

誰があげた声だったか。俺かアルン村の住民か、騎士だったのかもしれない。順調にドラゴンに相対していたヴァンだったが、大きく切りつけようとした際に、ドラゴンが首をもたげて攻撃をかわしたのだ。おおきく振りかぶってしまったせいで、隙ができたヴァンを、好機とばかりにガブリと口でかみつく。ドラゴンはヴァンの腹をくわえて、もみくちゃに首を振る。

 

「このままだとまずいぞ」

「アイツはもうダメか……」

 

もはや、これまでなのかと絶望的な悲鳴が見上げる群衆からあがった。危機的状況になってしまったが、支援の呪文を放とうとしても、マナは先ほどの【蜘蛛の陰影】で枯渇してしまっている。俺にはヴァンの健闘を祈って見上げるしかできない。

 ヴァンをくわえて、首をぶん回すドラゴンだったが、一瞬、空中でピタリと動きが静止した。よく見ると、ドラゴンの頭から何か細長い物が突き出ているのが見えた。ドラゴンの咢に囚われて、されるがままだと思われたたヴァンだったが、右に持っていた剣をドラゴンの喉元に突き立てる事に成功していたのだ。上下左右もわからない空中で、良くそんな真似ができるものだと驚いたが、状況はまだ安心できるようなものではない。

 剣に頭を貫かれたせいなのか、ドラゴンは白目をむいて大きな巨体をグラリと崩して落下し始めた。死後硬直というやつなのか、口はがっちりと閉じたまま、くわえたヴァンを離そうともしない。ヴァンもドラゴンの口を開けようと必死に顎に手をかけてこじ開けようとするが、びくともしない。二者はドラゴンの重さもあり、一直線に地面へと落下していく。ヴァンは抜け出す事も敵わぬまま、広場に面する家にドラゴンもろとも突っ込んでしまった。家屋には大きな穴があき、屋根の一部が崩れて瓦礫がくずれる音が大きく響いた。ドラゴンを倒す事には成功したが、あれではヴァンも無事ではいられないだろう。

 

「あの《守護者》……大丈夫なの? はやく治療しないと……」

 

振りかえれば、ニーナさんが顔を青くしておそるおそる尋ねてくる。

 

「多分……大丈夫だと思う」

「大丈夫って、あんな勢いで落ちてきたんじゃ……」

 

ニーナさんの言うことももっともなのだが、俺には予感めいたものがあった。俺の内に感じた、あの妙な感覚がその理由だ。あの感覚とは【呪文】が終了したタイミングに味わったなんとも言えない妙な感触とでもいえばいいのだろうか。【ロクソドンの強打者】がラルフさんに倒された時、じつは【平和な心】の《声》が弱々しいながらも、俺の内に『戻ってきた』のだ。完全に感覚的で抽象的な表現だが、確かにそうとしか言えないような、妙な感覚をあのとき味わった。ヴァンが死んでしまったのなら、《呪文》である以上、同じような感覚がするはずだ。しかし、俺が感じた《声》は1つだけだ。だが、ドラゴンとヴァンが突っ込んだ家からは未だに彼が出てくる様子はない。

 

「くそっ。アイツ、『炎弾』が効かないぞ」

 

周りの状況はヴァンを心配する予断など許してはくれないようだ。まだ、空の敵は一体残っている。背中に翼を生やした女性――天使が大地に散らばる騎士達を空から襲っている。

 

騎士達はヴァンのように空を飛べないながらも、魔法や矢を放ってはいるが、どれも決定打になっていないようだ。天使の羽には命中したのか、矢が数本突き刺さったままになってるのが見てとれた。

 

「矢が当たっても、再生しちまう。あれじゃ打ち落とせない」

「ちきしょう、しぶといヤツだ」

 

矢を命中させることができても、再生を切り崩すほどのダメージを与えることができていない。どれだけ攻撃しようと埒が明かない状況に、騎士達は及び腰になってしまっている。そんな中、勢い良く、高い女性の声が響き渡る。

 

『猛き炎弾』

 

広場の隅から、一際大きな炎が天へ舞い上がる。その大きさは人間一人を飲み込むほどのものだった。ゴォォッと唸りをあげながら、炎は隕石のように尾を引きながらまっすぐ天使へと迫る。地からの攻撃を気にもせず、我が物顔で空を駆け巡っていた天使だが、さすがにこの攻撃は無視できないのか、横にそれて回避を試みる。しかし、炎弾を援護するように、次々と矢が天使のまわりに飛来し、天使の行動範囲を制限する。

 

「うまい」

「よし、あたる」

 

ナエさんの必殺の一撃に、横から聞こえるニーナさんの声はどこか得意げそうだ。

 

ナエさんが放った大きな炎は違わず天使に命中し、体の一片に至るまで焼きつくすかと思われた。だが、いざ当たるかと思った瞬間、炎はまるで見えない手で書き散らされるように消えてしまった。

 

「なんだと……」

「ええええ。あれでもだめなの」

 

騎士やナエさんの落胆の声があがる。必殺の一撃だと思われたためか、この攻撃が不発だとわかると絶望感が広場に広がった。だが、それを尻目に、俺はある考えにとりつかれていた。さきほど、騎士の一人が『炎が効かない』と言うような事を漏らしていた。事実、その通りで、目の前で起きたことを見て、それが真実であると改めて認識する。どうも、先からヴァンが交戦してきた《魔物》は、もしかしたらマジックに出てくるクリーチャーそのものだと思った方が良いのかもしれない。【ロクソドンの強打者】の例もあり、この考えはほとんど正鵠を得ているであろうという確信がある。あの天使は『炎弾』と呼ばれる魔法が効いていないようだが、かと言って全くダメージを与えられないかというと、そうでもないようだ。背中に大きく広がる羽根に刺さってる矢を見ればそのことも正しいと考えられる。この事から導きだされる推論は――天使は『プロテクション』持ちだという事だ。天使で『プロテクション』持ちと言うと、もしかしてアイツは『声』サイクルの【法の声】なのかもしれない。

 

*******************************

法の声/Voice of Law (3)(白)

クリーチャー — 天使(Angel)

 

飛行、プロテクション(赤)

2/2

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『プロテクション』とはクリーチャーが持つ特殊能力のうちの1つであり、必ず『プロテクション』という言葉の後に何かキーワードが付随されて定められている能力である。能力はかいつまんで言うと、『付随されたキーワードに対する耐性』という事になるのだろうか。プロテクションの能力は数点あるが、その中の1つに、『付随されたキーワードに属する存在からのダメージを0に軽減する』という、ある種のダメージへの完全耐性と呼べるものがある。あの天使、【法の声】は『赤』のプロテクションを持っている。ここで『赤』とは、マジックの5色のうちの1つ色であり、天使はその色に属する呪文――クリーチャーや呪文でさえ――からのダメージを遮断することができる。マジックにおいて『赤』には様々な意味、象徴が設定されているが、その中の一つに『炎』がある。ようは、あの空を飛んでいる【法の声】には、炎の攻撃が一切通用しないという事だ。これは、ハマりようによっては致命的な能力と言える。なぜなら、もしも自分のデッキが全て『赤』で構成されていて、目の前に【法の声】が出てきたら、それだけで自分にはもう【法の声】をどうにかすることができなくなってしまうからだ。実際のゲームでは相手にすると厄介な事この上ない能力だが、その凶悪さは現実でもそのまま反映されているようだ。だが、いくら厄介な能力であろうと、どうにかする手段は存在する。身も蓋もないが、プロテクションに当てはまらない手段で攻撃すればいいだけなのだ。

 

「アイツには、炎は効かない。他の方法で倒すんだ」

 

大きく声を張り上げて、騎士達に注意を促す。まわりの騎士達は一瞬、俺を見たあと、今までの光景を見て納得がいったのか、炎を放っていた騎士は空に手をかざすのをやめて、弓に矢をつがえ始めた。

 

「ワタルのいう通りにしろ。弓を持ってないやつは投石でもいい。少しでも牽制になれば十分だ」

 

アルバート隊長の言葉もあってか、騎士達は空へ攻撃を止まずに続けている。

 

「ラルフッ」

「あいよ、おやっさん」

「ナエの攻撃はアイツにはきかんようだ。オマエの力で切り捨てろ」

「さっき使ったばっかだが……しようがねぇか。わかったぜ」

 

ラルフさんは多少ためらっていたようだが、何でもないように隊長に答えた。前半のつぶやきは隊長には聞こえてはないらしい。隊長が急かすように命令をするのも当然だった。天使にてこずっている間に《魔物》がとうとう広場に姿を現し始めたのだ。人間にしか見えないような魔物や、《魔狼》のように低姿勢で唸る狼の姿をした《魔物》、果ては数人の騎士さえ覆い尽くしてしまう図体の大きな《魔物》さえいる。広場の外縁に陣取っていた騎士達は《魔物》へ応戦にせざるえなくなり、いつまでも空の敵にかかりきりになっているわけにいかない状況となったのだ。

 

「アイツに矢を打ち続けて、俺のところに誘導してくれ」

 

ラルフさんは大きく叫んで、空へ攻撃している騎士達に指示を出す。天使は広場の外を反転して、再びこちらを襲おうとしている。騎士達は、直接天使を狙わずに、少し離れた位置に矢を打って、少しでも天使をラルフさんに近い位置へ誘導しようとしている。天使は、向かおうとした先の方向に集中的に矢が撃ち込まれているのを煩わしそうに睥睨したあと、ラルフさんを標的として定めたように向かってくる。

 

「よし。そのまま来い」

 

ラルフさんは、腰に差していた剣の鞘を左手で持ちあげた。右手に持っていた剣を鞘におさめ、腰を落として抜刀の構えをとった。顔を空に向け、視線だけで射殺さんというほど天使をにらんでいる。天使はラルフさん敵意を敏感に感じとったのか、いよいよ急降下してラルフさんを襲うとする。だが、ラルフさんが動く方が早かった。

 

『遥かなる一薙ぎ』

 

鞘を持つ左腕の輝石が一際輝いたあと、ラルフさんは勢いよく剣を抜き放ち、天を大きく切り裂いた。しかし、天使との距離は地上からはまだ幾ばくか離れている。少なく見積もっても、ヴァンが炎の《魔物》を切り裂いたときと同程度の高度に天使はいた。ラルフさんが離れた敵を切り裂く力を有していることは既知の事だが、今まで敵を切り裂いていた距離の数倍は天使とラルフさんは離れている。

 しかし、ラルフさんが剣を振りぬいて、敵を仕留めそこなった場面など、【番狼】を除いて1度もなかった。変化は直後にあらわれた。急降下してトップスピードに乗ろうとしていた天使が縦に真っ二つに割れてしまったのだ。【強打者】を倒したときと同じように、2つに割れた天使の亡骸は黒い泡に包まれ落下してくる。血さえ飛び散らず、地面に落ちる頃には、完全に泡が収縮して、最終的に2つの札が転がるだけとなってしまった。

 

鮮やかな手並みに、天使に攻撃していた騎士達がどよめく。

 

「すげえ、あんなに離れた距離でも、真っ二つだぜ」

「『カマイタチ』の二つ名は伊達じゃねえってことか」

 

ヴァンの空中浮遊で場の雰囲気を独占していたのが完全に上書かれてしまったようだ。しかし、注目を集めている本人は、その場から動かず、中腰にかがんで下を向いていた。

 

「ラルフさん?」

 

肩で大きく息をしていて、調子が悪そうである。グレーが心配そうに、そろりと歩みよるが、ラルフさんは手をつきだして静止の合図をした。

 

「あークソ。全力解放は疲れるぜ」

 

そう言いながら立ち上がり、肩が凝ったかのように腕をぐるぐるまわした。どうやら、少し休憩していたようだ。今はグレーのアゴをカリカリかいて、場にそぐわない脱力モードに入っていた。

 

少しラルフさんの調子も気にはなったが、俺の興味は切り捨てられた天使のなれの果てである、地面に落ちた2枚の札に向いていた。俺から少し離れた位置に落ちているため、はっきりとは視認することはできないが、あれは、『ダン』という騎士が【ロクソドンの強打者】から元の姿に戻った後に手に握っていたカード、すなわちマジックの札に間違いないだろう。何のカードかは2枚とも裏を向いていてわからないが、俺の方から見ることができるカードの裏側――かつてゲームで何度も見た――楕円が描かれた絵柄は見間違えようもない。気になるのは、何故【強打者】の時とは違って、カードが2枚もあらわれた所なのだが――

 

埋没しかけた思考は、倒壊した家屋からガラガラ物が崩れる音に中断せざるえなかった。音のした方を見れば、ヴァンがドラゴンと一緒に突っ込んだがれきから手が2本付きだされ、1人の人間が這い出てきた。全身ボロボロで少し黒ずんではいたが、五体満足でようやくヴァンが姿をふたたび現したのだ。

ヴァンは勢いよく建物に突っ込んだことなどなかったかのように、軽い足取りで結果石の台座へ近づいてきた。

 

「大丈夫?」

「ええ、主の呪文のおかげで何とか。しかし、力は失われてしまったようです。申し訳ありませぬ」

「空を飛んでる《魔物》はもうかたずけられたし、別のやつを唱えればいいだろ」

 

ヴァンを再びよく観察すると、空へ飛び立つ前に全身を力強く覆っていた緑がかったオーラは消えてしまっていた。おそらく、ドラゴンと建物に突っ込んだときに、その能力を発揮してヴァンを守ったのだろう。

 

「あなた、あんな勢いで落ちてきたのに、どこも怪我してないの?」

「……いやはや、驚きですな」

 

ニーナさんはヴァンの全身をしげしげと眺め、どこにも怪我がないことを確かめ、ザーナ司祭は何ともないヴァンの調子に驚いている。

 

「こいつは大丈夫ですよ。何かあっても1度だけ守ってくれる呪文をかけたんです」

 

******************************************

蜘蛛の陰影/Spider Umbra

 

エンチャント — オーラ(Aura)

 

エンチャント(クリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーは+1/+1の修整を受けるとともに到達を持つ。(それは飛行を持つクリーチャーをブロックできる。)

族霊鎧(エンチャントされているクリーチャーが破壊される場合、代わりにそれからすべてのダメージを取り除き、このオーラ(Aura)を破壊する。)

******************************************

 

ヴァンに唱えた【蜘蛛の陰影】には3つの能力がある。1つ目はクリーチャーのパワー・タフネスを増強する強化能力。2つ目は飛行するクリーチャーを妨害可能とする『到達』を付与する能力。そして、最後の3つ目は『族霊鎧』能力だ。『族霊鎧』とは、『到達』のようにキーワード化された特殊能力の1つだ。その能力とは『エンチャントされたクリーチャーが破壊される場合、変わりにそのダメージを無効化した上でエンチャント自体を破壊する』というものだ。ようは、エンチャント自体を肩代わりに、クリーチャーを致命的なダメージから1度だけ守ることができる能力なのだ。

ヴァンはドラゴンと一緒に家に突っ込んだときに致命的なダメージ(ゲーム的には致死ダメージを負ったとも言う)を受け、【蜘蛛の陰影】の族霊鎧が発動。ヴァンはやられることはなかったが、代わりに【蜘蛛の陰影】は破壊されてしまった、というのが事の顛末なのだろう。

 

ざっとニーナさんとザーナ司祭に概要だけ説明したが、驚きを通り越してあきれたような反応をされてしまった。

 

「強化呪文でそこまでのものなど聞いたことがありません」

「……あなた、ほんとーに輝石を持ってないのよね? 聖石の使い手じゃあないわよね?」

 

二人の反応を見るに、【蜘蛛の陰影】が、十分この世界の魔法的常識から逸脱した性能を持つことがわかった。先日から騎士団の面々から注目されている立場にあるであろうことは薄々感じてはいたが、ヴァンの大立回りを演出してしまったからには、もう知らぬ存ぜぬは通じないだろう。しかし、それも今の状況が切り抜けられたらの話だ。遅かれ早かれ、マジックの呪文を頼りにする以上、避けられない事態ではあるのだ。

 

「おい、ラルフ、ワタル! くっちゃべってないで援護にまわれ! 次から次へと新手がきやがる」

 

やっと空の脅威が駆逐されたと思ったのもつかの間、今度は広場の全方向から魔物が襲いかかってきた。ラルフさんが天使を切り捨てたときから数が増えている。結界石の守備をしていた騎士までもが迎撃に出てしまっていて、アルバート隊長とドミトリが直接守りについている状況になってしまっている。ナエさんは既に迎撃にまわっているようだ。隊長は2日前見た、大きな盾を片手に持ち、剣を抜刀している。ドミトリはいつもの水晶を片手にたたずんでるのは変わっていないが、その横に見たこともない存在を従えていた。ソイツは鈍色の輝きをしている全身鎧であった。注目すべきところは、鎧を身に着けている中身が存在せず、鎧自体がぷかぷか浮遊している点である。スキマができる関節部分をつなぎ合わせる部分など見当たらず、まるでお化けが中に入って浮かしてるのではないかと疑ってしまう奇妙な光景だった。

 

「な、それ何……」

「アンタ、何いってるの?」

 

俺が驚きのあまり、鎧を指さしても、ドミトリは首をかしげて「コイツ何言ってんの」と要領を得ていない。

 

「何って、『守護者』でしょ。あなたも出してるじゃないの」

「え? 『守護者』って、それが?」

 

俺のヴァンは、ドミトリの『鎧』ようなポルターガイスト的存在ではない。あの怪奇現象と同じように扱う感覚が理解できない。

 

「嬢ちゃん。ワタルは『守護者』を見るのが初めてなんだ。むしろコイツの出してる『ヴァン』を『守護者』の基準としてるのかもな」

 

騎士の面々が集まっているのを見て、ラルフさんがフォローを入れながら近づいてくる。グレーも少しはなれてノシノシ歩いてきた。

 

「はぁ? あなたの『守護者』なんて、普通に受け答えできて、それこそ『聖石』の加護を受けた『守護者』みたいじゃないの! あんなのを基準に持ってこられる方が感覚がおかしくなるわよ」

「お、俺のヴァンはこんなお化けみたいなヤツじゃないやい!」

「そんなことはない。僕の『守護者』は他人も使うことができる一般的なものだ。アンタのその『守護者』の方が僕たちの常識から外れているといえる」

「っく、ヴァンも何か言ってやれ……」

 

「主……」

「……」

「グォフ……」

 

「テメーら、いい加減にしてさっさと行け!」

 

ギャーギャーまくし立てて隊長に怒られてしまったが、ヴァン、ドミトリの『鎧』、グレーはそれぞれ主人のそばに無言で佇んでいた。主人達と違って、至極真面目な『守護者』たちであった。




説明の割合が結構多くなってしまいました。


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016:浄化の儀式と災厄の流星 その5

またもや説明回。思ったより進みが遅いなあ。


 隊長に急かされ、ヴァンを援護に回そうとするが、全方向から《魔物》が攻め寄せていて、どこに回せばいいのかすぐには判断がつきかねた。ラルフさんが天使を切り捨てる時には、狼や人のような《魔物》が見えたが、それ以外にも目を疑うような多種多様な《魔物》が広場に押し寄せていた。ここは落ち着いて状況を把握するのが優先すべきことだろう。

 最初の《魔物》は、教会を真正面にとらえる方向からやってきたようだ。いまは、教会を背後に控える俺の左手から右手にかけて騎士達が立ちはだかって、《魔物》の侵入を防いでいた。右手には、一度横目で垣間見た、赤い体毛をした狼がいた。 大きさは【番狼】を少し大きくしたくらいであり、【番狼】と比べると、よくRPGで見るカラーリングが変わった雑魚敵の【番狼】バージョン、というような印象を受ける。赤い狼は一匹だけだったが、俊敏に騎士達と間を取って、致命的な一撃を受けないようにうまく攻撃をかわしている。

 少し左手に離れた、教会から真正面にあたる位置には、一人の体の大きい女性が、複数人の騎士に取り囲まれていた。白い布の薄着に身を包んでいて、惜しげもなくその豊満な肢体をさらしている。右手には若干湾曲した剣を持ち、反対側には胴を隠せるほどの盾を装備していて、軽快な動きが得意そうな戦士に見える。 頭の装飾品や肩当てには赤や緑の明るい色をした石がちりばめられていて、どこぞの民族衣装を身につけているように感じた。この女性を取り囲む騎士達は、相手に圧倒されているのか、負傷している騎士が多い。あまり悠長に眺めているわけにはいかないだろう。

 その隣、教会から見て左手前方には、人の像を模した石の塊が騎士達に襲いかかっていた。人の四肢に相当する石と、頭と接合した胴にあたる石が宙に浮いている。ドミトリの《守護者》のように関節部分には何も存在しない空間が占めているが、各部分は連結しているかのように連動して動いている。だが、下半身に関しては、下にいくほど形が失われていて、足にあたる部分などは石のつぶてが多数ばらばらと浮いているだけであった。反対に上の部分は頭に近づくほど精巧に作られており、指は五指がはっきりと形作られていた。顔に至っては、誰かの顔の型を取ってきて石膏で固めたか思ってしまう程、本物の人間の顔と相違ないほどに作りこまれている。目や口を閉ざした無表情な石像が、人間に襲いかかっている様は違和感を感じさせる不気味な光景であった。

 首を大きく右に向けてみれば、何やら細くしなやかな体躯をした恐竜のような見慣れない《魔物》が存在していた。《恐竜》とは言ったが、その大きさは人間を少し大きくしたくらいであり、後ろ足2本で立つ姿からは、ティラノサウルスのような肉食の恐竜に属する生物のように見える。しかし、動く様子を見れば、恐竜らしいというよりかは、むしろ人間に近い生物なのではないかと疑ってしまうような《魔物》だった。そう思わせる要因の中で最たるものは、その《魔物》は衣服らしきものを身に付けていて、さらに手に槍が握られている点である。前のめりの姿勢で扱いにくいかと思いきや、かなり手慣れた様子である。図鑑で恐竜が絶滅していなかったら人間のように進化するだろうというコラムを見たことがあるが、あの《魔物》はその頁に載っていた恐竜をそのまま現実にひっぱりだしてきたかのようだった。

 トカゲ人間型の《魔物》がいる反対側を振り返って見てみれば、馬が大きく前足を振り上げて、騎士達を威嚇しているのが目に入った。不思議なのが、馬の頭にあたるところが上に伸びているところか。だが、ちらりとその先を追ったとたんに驚きの声を漏らしてしまった。

 

「んなっ……んだ、アレ?」

 

 やけに首が長いと思ってたら、馬の頭にあたる部分には人間の上半身が生えていた。人間の上半身に、馬の胴体。記憶を探るとすぐに該当する存在を思い出した。もしかして、ケンタウルスっていうやつなのだろうか。そのケンタウルスは全体的に緑がかった体躯をしていて、人間にあたる部分の腕には、鞭のように使われそうな武器を持っている。先端に球形のものがじゃらじゃらとりつけられており、降り下ろされたらとても痛そうだ。頭髪や長く伸びたもじゃもじゃな髭も濃い緑に染まっていて、白目をむいた厳つい顔つきで騎士たちを睥睨している。胴体から上だけを見れば騎士達を激しくしかりつけている偉そうなオッサンに見える。しかし、下半身とのギャップが激しすぎて、馬の部分を再び目にいれると、そのような印象にさえ違和感を禁じ得なかった。

 

「あなた、何ボーッとしてるの」

 

 ニーナさんに声をかけられて、俺は《魔物》の姿に見入っていたのに気づいた。少し前まで近くにいた、ラルフさんやニーナさんは迎撃の援護に散ってしまっていた。アルバート隊長ですら、広場真正面から襲ってきた《魔物》に対する後詰めに少し前にでてしまっていて、ドミトリだけが結界のそばに控えている。隊長の背を追った時に、はからずもこちらを振り返った隊長と目があった。彼は何も言いはしなかったが、ギロリとにらまれてしまった。言わんとしていることは嫌すぎるほどに伝わってくる。今ならナエさんの慌てぶりも理解できる。

 

「主……」

 

 ヴァンは律儀に俺の指令を待ってくれている。今はなんとか《魔物》と騎士達の膠着状態が続いているが、楽観的な考えは捨てた方がいいだろう。まだ《魔物》の方に増援が来ないとも限らない。そう考えると、ヴァンはなるべく温存しといた方が無難だろう。ただでさえ、呪文やマナを欠いている今、呪文ひとつ唱えることの重要性が高まっている。特に、今は一度に扱えるマナの数の関係上、一度呪文を唱えてしまったら、マナが回復するまでの間、何もできなくなってしまう。せめてもう1つ、余分にマナが使えたら、今は飼い殺しするはめになってる呪文を、使うことができるのに……

思わず握る拳に力が入ってしまっていたが、落ち着いて何の呪文を行使するか思考する。現状、唯一の戦力であるヴァンを温存させるように、という条件がつくと、自然に使うべき候補はしぼられてくる。既に【蜘蛛の陰影】は使ってしまったから……

使う呪文を決めると、意識を内に向け、《声》から目的のものをひっぱりだす。初めはこの感覚に戸惑ったものだが、もはや息をするように自然なものとして慣れてしまった。

 

「【天上の鎧】」

 

リンクを通じて平地から白マナを呼び寄せる。【蜘蛛の陰影】のときのように、呪文による変化はヴァン自身に現れた。にわかに白いオーラがヴァンの胴体を包んだ後、白い線が何かの形をヴァンを覆うように描き始めた。それは、俺がいる結界が張られるときと様子が酷似していた。もっとも、線が形作ろうとしているものは、今の方が規模が小さく、より詳細で複雑であった。やがて、白い線によって現実に現れたのは鎧であった。ヴァンは既に、相当に使いこまれているであろう、年期の入った鎧を着てはいたが、呪文によって作られた鎧は、それをさらに覆う形でヴァンに装備されている。全体的に白みがかった白濁色をしていて、時たま半透明になったり、濁ったりして、靄のように色がうつろいでいる。鎧の縁は、CGのワイヤーフレームのように白い直線で構成されており、その鎧がこの世ならざるものでできていることを伺わせた。ヴァンは呪文の効力を確かめるように、白い鎧の感触を手で確かめたり、腕を回したりして確認をしている。

 

「ふむ。さきの呪文と変わらず、見事な仕上がり」

 

ヴァンの様子を見るに、白く輝く鎧が動きを阻害しているようなことはなさそうだ。むしろ、呪文をかける前後で動きは変わっていないようにさえ思えた。無事に呪文が効力を発揮していることに安心していると、広場のすみから大きな声が上がった。何事かと、広場右手の方を見ると、なにやら小柄な体躯をした青い姿が、騎士達の間を抜けてこちらに迫ってくる。

 

「気を付けろ、一匹抜けた。早いぞ!」

 

ある騎士から警告が飛ぶ。そいつはまるで雪山でスノーボードをやっているかのように、広場の上を滑って侵入を果たしてきた。スノーボードのような細長い板切れに乗っかって姿勢を保っている様は、見る誰もがスノーボーダーのようだと言われれば納得するだろう。ただ、背丈が大人より一回り小さい点を除外すれば、という断りは入るであろうが……

 その《魔物》はちょうど、小学生くらいの体躯をしていて、全体的に真っ青な体躯をしている。だが、小振りな姿には不釣り合いなほどに醜悪な顔つきをしていた。口からは汚ならしい歯が不並びにのぞき、しわしわだらけの顔の両端から、これまたしわだらけの大きく尖った耳がつきでている。にやついた表情からは、板に乗って滑っている事が楽しいのか、それとも騎士達の包囲を抜いて、獲物に襲いかかれることを喜んでいるのかはわからなかった。不思議なことに、《魔物》が乗っている板からは雪の奔流が発生して、板そのものを前へと押しやっているかのようだ。このスピードならほどなくこちらに達してしまうだろう。

 無言でそばに佇んでいたドミトリと鎧モドキが前へ出ようとするが、何者かに制されたのかすぐに立ち止まった。ドミトリは何かを言おうとして、一瞬こちらを見たが、俺がうなずくと、また元の位置に控えた。様子をうかがうつもりのようだ。

 そのドミトリを手で制した当人であるヴァンは、抜刀しつつも既に青い姿をした醜悪な青い子供の《魔物》に向けて走り出していた。《魔物》は変わらず高い速度を維持したまま、ヴァンへ一直線に向かってくる。ヴァンと青い《魔物》が交差する瞬間、ヴァンが姿勢を低くしてさらに加速した。不思議なことに、その瞬間から《魔物》の動きが緩慢になった。いや、何故かはわからないが、ヴァンの動きだけが普通通りで、急に周りの存在すべての動きがスローモーションになったように感じた。ヴァンは剣をまるで鈍器のように、青い《魔物》に思い切り叩きつけた。《魔物》は力強いその攻撃に抵抗することはできず、小さな体はされるがままに地面にたたきつけられた。板切れは《魔物》が離れた瞬間から雪の噴出が止まり、当初の勢いのまま、地面を転がって結界の台座にぶつかって粉々に砕けちった。

 

「今のは……一体? あの《守護者》の動きが、一瞬だけ急に早くなったような……」

 

後ろのニーナさんから疑問が漏れているが、当然、俺にはヴァンの先ほどの不自然な動きについて、心当たりがあった。だが、今は説明しているより一気に畳み掛けた方がよさそうな状況だ。いとも簡単に驚異をはねのけたヴァンは、騎士達の注意を集めるだけにとどまらず、槍を持ったトカゲ人間に警戒感を植え付けたようだった。無防備な騎士に攻撃がいってしまっては今の包囲など軽く崩れさってしまうだろう。

 

青い《魔物》が黒い泡に覆われつつあるのを一瞥し、トカゲ人間に指をさし、ヴァンに突撃を下す。

 

「ヴァン。そいつも一気にやっちまえ」

「御意」

 

ヴァンは俺の命令に阿吽の呼吸のように答え、弓から放たれた矢のように一直線にトカゲ人間へ向かって飛び出した。やつとの距離はそれなりに離れていたが、間髪いれず、次の行動に移れたおかげか、トカゲ人間の注意をヴァンに固定させることができたようだ。しかし、反対に騎士達は状況に追い付けていないようで、事の推移にも関わらず、ポカンと棒立ちになってしまっている。トカゲ人間は「ギャアス」と、空を飛んでいたドラゴンとは比べて、だいぶ小さな鳴き声を出すと、騎士達の間を抜けてヴァンに接近する。手に槍をかまえ、ゆったりと、だが確実に大地を踏みしめて歩を進め、着実に獲物を迎えようとしているようだった。その動きからは「俺は簡単には倒せないぞ」と堂々と主張しているかのようだった。

 

「何ボーッとしてるの!」

 

先ほど俺に浴びせられた言葉が、同じくニーナさんからの口から発せられる。しかし今回はトカゲ人間を迎撃していた騎士達に向けられた言葉だった。騎士達が茫然としていたことに気づいたときには、トカゲ人間は既に広場の中ほどに侵入を果たしており、騎士たちが手を届かせるには不可能な位置にいた。《魔物》の前を遮るのは最早ヴァンのみである。ドミトリが控えてはいるものの、彼は明らかに後衛向きであり、彼だけを頼みにするのはいささか不安が残る。何がなんでもヴァンにトカゲ人間を倒してもらわねばならない状況になってしまった。だが、俺にはヴァンが勝つであろうという勝算があった。結界の中にいる人達から、迫る《魔物》に怯えて悲鳴が上がるが、その時は不思議と悲鳴を聞いても、俺の自信は揺らぐことがなかった。

 ヴァンは当初の勢いのまま、トカゲ人間に向かう。トカゲ人間は槍を構えて迎えうつ姿勢をとった。ヴァンは剣を持っているのに対して、トカゲ人間は槍を持っている。普通に考えればリーチに優れる槍が有利だろう。当然ながらトカゲ人間もリーチを生かすべく、ヴァンが槍の間合いに入る瞬間を狙って攻撃しようとしたが――その時、青い《魔物》を倒した時と同じような現象がヴァンに起きた。

 

「なっ」

 

 ザーナ司祭の驚きの声をあげる。俺も声こそ出さなかったものの、その光景を目にしたときは少なからず驚いた。ヴァンはまばたきする瞬間に、トカゲ人間に肉薄していたのだ。先ほど、間違いなくヴァンは槍の間合いの境界線上、少なくとも目算でもトカゲ人間の持つ槍が届くギリギリの位置にはいたはずだった。それが、一瞬の間にトカゲ人間の懐に飛び込んだのだ。トカゲ人間はヴァンの瞬間移動じみた接近に完全に不意をつかれた。最早、遠距離の敵を突こうとする体の動きは止められず、ヴァンが自身に向かって振るう剣の軌道を目で追うのが精一杯のようだった。

 ヴァンはトカゲ人間が突こうとしている腕を掻い潜って、目の前を追い払うように剣を振るった。その勢いのまま、トカゲ人間とすれ違い、急ブレーキをかけた。

「ズザザザァ」と地面とブーツがこすれる音が響く。彼は器用に振り向いて急制動をして、トカゲ人間を警戒しつつも、何があっても即応に対応できるように中腰の体勢をしている。しかし、その心配は杞憂だったようだ。

 トカゲ人間は細長く伸びた首の根本から胴体、下半身にかけて大きく切り裂かれていた。ヴァンの勢いが完全に殺され、静止するころには、トカゲ人間は、地面に倒れ付していた。黒い泡がトカゲ人間を包みつつあるので、完全に倒し切れたと判断していいだろう。

 

「今度はいったい何なの? もしかして、あの白い鎧が関係してるのかしら」

 

振り返ると、ニーナさんが詰め寄らんとばかりに俺に疑問を飛ばしてくる。さすがに、ヴァンを空に飛ばすのを見ているだけに、今回のことも俺が唱えた呪文が関係していると予想しているのだろう。

 

「ま、そんなところです」

 

*******************************************

Ethereal Armor / 天上の鎧 (白)

エンチャント — オーラ(Aura)

 

エンチャント(クリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーは、あなたがコントロールするエンチャント1つにつき+1/+1の修整を受けるとともに、先制攻撃を持つ。

*******************************************

 

 【天上の鎧】の効果は【蜘蛛の陰影】と同様に、呪文をかけたクリーチャーのパワーアップである。さらに【蜘蛛の陰影】と同じく、特殊能力をクリーチャーに与えうる点でも同じであり、【蜘蛛の陰影】と同列の呪文に相当するだろう。【蜘蛛の陰影】と異なる点は、クリーチャーに与える特殊能力が『先制攻撃』であるという点だ。『先制攻撃』とは『飛行』と同じく、クリーチャー同士の戦いに影響を与える特殊能力である。その効果は、文字通り「先制して相手にダメージを与えることができる」という効果だ。ここで重要なのは「先制できる」という点である。通常、クリーチャー同士の戦いは、一方が他方に自分のパワー分だけのダメージを与え、相手から、相手のパワー分だけのダメージを受けるというように扱うのだが、これらのダメージは自分と相手、双方同時のタイミングで処理される。ダメージが処理された結果、クリーチャーの戦いの勝敗が決するのだ。戦ったクリーチャー同士のパワーが相手を殺しきれない場合は、【巨大化】したグレーとエンチャントされた【番狼】が戦ったときのように、引き分けで終わる。(もっとも、グレーと【番狼】の戦いは俺が介入して、グレーの勝利に終わったが……) また、双方ともに相手を殺すに足るパワーを持っている場合、共倒れで終わる場合もある。

 さて、『先制攻撃』を持つクリーチャーは、このダメージ処理タイミングに変化が生じる。ここまでの説明を聞いた人間ならば予測できるかもしれないが、『先制攻撃』を持つクリーチャーは、自身のパワー分のダメージを、相手に先んじて与えることができる。そして、ダメージが処理された結果、相手に与えたダメージが相手を殺し切るに十分であるならば、相手クリーチャーから手出しされる前に相手を倒すことができるのだ。この効果は、例えるならば、徒手空拳で戦うはずだった二者の一方に、銃器を与えて戦わせることに等しい。こうなった場合の戦いの結果は言うまでもないだろう。『先制攻撃』を持つクリーチャーは相手からの反撃のリスクを負わずに、一方的に相手を倒すことができるのだ。この利点は、パワーに優れるがタフネスが少ない打たれ弱いクリーチャーだとより有効的だ。この能力を持っていれば、通常、相手と相打ってすぐに『場』(戦場)から去ってしまうクリーチャーの生存率を格段に引き上げることができる。

 だが、『先制攻撃』にも穴は存在する。相手クリーチャーも『先制攻撃』を持っていた場合は、ダメージ処理は通常通りに扱われるし、自身のパワーが相手のタフネスを上回っていない場合、最終的に自分もダメージを負う点は通常の戦闘と変わらない。いくら自分が銃を持っていようが、相手も銃を持っていたり、相手が鉄の装甲を持つ戦車だった場合は、銃のアドバンテージも無いに等しいことと同じである。

 

 先ほどのヴァンの戦い方を振り返ると、この『先制攻撃』はちゃんと効果を発揮していたといえるだろう。【蜘蛛の陰影】と同じように、あんなテレポート能力じみた形で発現するとは全く想像していなかったが、過程はどうあれ、結果だけを見れば、相手を一方的に倒したという見方ができる。

 1体目の青いスノーボーダーの《魔物》はおそらく『ゴブリン』や『モグ』に相当するクリーチャーだったのかもしれない。『ゴブリン』は説明も必要ないくらい有名なモンスターであろうし、『モグ』はマジックでは『ゴブリン』と同じように醜悪で矮小なモンスターとして扱われている。双方とも素の能力ではパワーやタフネスが1点や2点がせいぜいのところだ。【天上の鎧】がエンチャントされたヴァンのパワー、タフネスは3/2である。ゴブリンやモグなど、エンチャントしたヴァンの敵ではない。(今後はパワー、タフネスを『X/X』のように『/』で区切って表現する)

 2体目のトカゲ人間のような《魔物》は心当たりがあった。もしかしたら【ヴィーアシーノの戦士】というクリーチャーであったのかもしれない。

 

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Viashino Warrior / ヴィーアシーノの戦士 (3)(赤)

クリーチャー — ヴィーアシーノ(Viashino) 戦士(Warrior)

4/2

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【ヴィーアシーノの戦士】は攻撃力に特化した、いわゆる『頭でっかち』なクリーチャーの代表例ともいえる。(何故か『赤』にはこのような『頭でっかち』クリーチャーが多い)

【ヴィーアシーノの戦士】は特殊能力を何も持たない『バニラ』クリーチャーでもある。もし、ヴァンが何もエンチャントされない状態で、このクリーチャーと戦った場合、

 

4/2 VS 2/1 (ヴィーアシーノの戦士 VS ヴァン(先兵の精鋭))

 

となり、お互いに相手を倒し切る十分なダメージを与えて、相打ちに終わっていただろう。しかし、現実は【天上の鎧】によって『先制攻撃』を得たヴァンが一方的にダメージを与え、ヴァンが生き残る結果となった。この戦いはまさに『先制攻撃』の面目躍如といった所だろう。

 

「ふーん…… そんな能力が、あの鎧には……」

「ワタル殿の呪文は効いたこともないものばかりですな」

 

ニーナさんやザーナ司祭に簡単に説明したが、【蜘蛛の陰影】を唱えたときと同じような反応だ。もっとも、さすがに今ので2発目なので、1発目よりかは衝撃は和らいでいるようだ。

 

「…………」

 

ドミトリは結界の外で無言で佇んでいたが、澄ました態度を取り繕いながらも、こちらの話を食い入るように聞いているのがバレバレであった。



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017:浄化の儀式と災厄の流星 その6

「ぐあああああ」

 

戦闘の中の説明タイムも騎士の絶叫によって終了となった。声のした方向に目をやると、教会入口の真正面の方向からであった。見れば、ラルフさんが剣を抜刀ながら、体の大きい女戦士と相対して、後ろに倒れ伏した騎士をかばっていた。倒れ伏した騎士に別の騎士が駆け寄って、距離を取ろうとひきずっている。

 

「ほかのやつに比べて格段に早いぞ、気をつけろ」

「もう4人目だぞ」

 

ラルフさんは剣を右手に女戦士とにらみ合っているが、その間にも2人の騎士が女戦士の両側からじりじりと距離を詰めている。

 

「はっ!」

 

右側の騎士が前に詰めよって、女戦士に襲いかかろうとしたが、俺がそう認識した瞬間には既に女戦士の方がその騎士に攻撃しようとしていた。違和感も感じる暇もなく、ギャリイと鉄が激しくぶつかる音が響きわたった。ラルフさんが、これまた何時のまにやら、剣を降り下ろしている。女戦士の方は盾をかざして、防御をしていた。不思議なことに、盾の前には何もない空間があるだけで、盾で防がなければならないような物は見あたらなかった。

 

「させねぇよ」

 

そういいながら、ラルフさんが剣を突き出す。女戦士は、ラルフさんの離れた敵を切り裂く攻撃が見えてるかのように、襲おうとしていた騎士から離れた。危うく女戦士にやられそうだった騎士も一旦距離を取る。あの女戦士に騎士達は苦戦を強いられているだった。ラルフさんの介入でなんとか膠着状態持ち込んでるようだ。

 

「ガフゥッ!」

 

 すぐ隣では、グレーが単独で複数の魔物を相手している。ぼろをまとった人間と、ヘンテコなトサカのついた何とも形容しがたい形状をしている魔物だ。トサカのついた方は、何故か半透明なようで、周りの景色が魔物の体を透過しているように見える。しかしかといって、魔物が見えなくなるということは無く、むしろより鮮明に認識できるのだから違和感をぬぐえない。人間の方はフードをかぶっていて、どのような顔をしているか全く判別できない。終始無言だが、狂ったようにグレーにとびかかっている。何も武器を持っていない生身の人間が、人の図体を大きく凌駕する獣に襲いかかっているのだ。よく考えれば、その光景さの異様が計り知れるというものだ。周りの騎士達は、魔物をその場に食い止めるのが限界のようで、ヴァンが倒した魔物以外、どこも決着はついていないようだった。しかし、騎士達の表情からは余裕が消えている。いずれこの状況が続くようならば、均衡が崩れるのもそう遠くないだろう。

 

「グルウゥ」

 

グレーが相手している魔物は、2体とも見かけなかったことから、ヴァンが魔物を倒しているうちに来た新手なのだろう。流石に2体も相手にしてるせいか、かなり形勢が悪いようだ。ぼろをまとった人間に組み付いて押しつぶそうとしているが、意外にも人間の方はそれに抗っていた。むしろ五分の所まで持って行ってるあたり、ますます人間の方は常識では測れない存在であるという実感がわいてくる。無色のトサカ獣は、人間とグレーが組み付いている横から、グレーの脇腹に大きくかみついている。このままではグレーがやられてしまいそうだ。

 

「ヴァン。グレーを助けるんだ」

「御意」

 

俺の命令を聞くや否や、ヴァンがグレーに向かって走り出す。しかし、ヴァンとグレーの間の距離は一瞬で駆けつけることができるほど短くはない。ヴァンが間に合うかどうか、かたずをのんで見守っていたが――

 

「っち、グレー」

 

ラルフさんの呼び掛ける声もむなしく、無色のトサカ獣がグレーの体を噛み千切ると同時に、グレーはその巨体を地面に横たえてしまった。「グォフ」という弱弱しい鳴き声を漏らし、ピクリとも動かなくなってしまった。

 変化は突然グレーに起こった。体が一瞬、緑色に輝いたかと思うと、体の隅から、肉体が光の粒子に代わって、風に吹き飛ばされる灰のように空中に消えていったのだ。まるでゲームで物語のキャラクターが死亡するようなシーンにしばらく見とれてしまうが、おそらくこれが死亡――クリーチャーがやられる現象――なのだろう。仮にヴァンがやられたら、同じようなことが彼に起こるかもしれない。トサカ獣とボロをまとった人間はグレーの体が完全に消え去るのを見届けてから、2体同時にギョロリとこちらの方を向いた。どうやら2体とも揃って次の獲物を定めたらしい。

 

「ヴァン!」

 

どうも、ヴァンもクリーチャーという同類がやられる様を前に、冷静ではいられなかったらしい。グレーが空中へ消え入るのを驚きとともに見ているしかなかったようだ。しかしながら、今はのんきに突っ立っていられる状況ではない。いくら結界があるからと言って、脅威を野放しにするのは危険がすぎる。

 

「っく、御免」

 

一瞬気を取られてしまったのに気付いたらしく、ヴァンは再び2体の魔物に向かってかけだす。2体の魔物も自らの方向に向かってくる存在に気づき、ヴァンを迎え撃つべく、進む先をヴァンの方向にずらす。

 

魔物2体とヴァンが交差する瞬間、ヴァンが魔物を屠った時の焼き増しの光景が繰り広げられた。すれ違いざま、剣を立て続けに2閃。気づいたら、ヴァンは後ろ姿で剣を振り切った姿のまま、魔物と大きくすれ違っていた。一方、すれ違った2体の魔物の方はというと、しばらく同じ姿勢を維持したまま、人間の方は地面に倒れ伏し、トサカの無色獣は縦に真っ二つに胴体が分かれて血が噴き出した。2体の魔物がやられるのが同時のタイミングなものだから、見ていて背中に寒気が走ってしまった。やんわり鳥肌も立ってしまっている。なんというか、手前勝手ながら、ヴァンがものすごくかっこよく見えてしまった。今の光景など、まるで伝説の剣豪が相手を居合で一撃で倒してしまったかのようなシーンだった。こんなクールな光景を現実に見せつけられて、感動しないやつなんていないのではないだろうか。俺と同じように結界の中にいる人達もヴァンの絶技に完全に呑まれてしまっているようだった。

 

 さて、何が起きたかはもはや説明しなくともいいだろう。だが、多少補足するとするならばクリーチャーの戦闘でのダメージ割り振りについてだろう。通常クリーチャーの戦闘時、クリーチャーは互いのパワーの点数分だけ相手にダメージを与える。だが、実際のゲームでは一対一で済まされない場合がある。例えば、相手が強大なクリーチャーで攻めてきたときに、自陣にはひ弱なクリーチャーしかいない場合はどうすればいいか、等といった場合だ。やられるのがわかりきったクリーチャーを、単独でぶつけるだけでは、明らかに無駄死である。

 そういう場合はどうするか? そう、量で対抗するのだ。相手が攻撃してきた場合、攻撃された側は防御するクリーチャーを割り当てると前回説明したが、この時あてがうクリーチャーは何も1体だけでなくてもよいのだ。先の例であれば、クリーチャー複数体で一緒に防御することができるなら、強大なクリーチャーでも倒し切るのに十分なダメージを与えることができる。氷河期に人間の祖先が巨大なマンモスを多数で狩っていたのと同じ理屈である。さて、この時ダメージの割り振りについてであるが、ダメージを与える側は、自身のパワーの点数分だけのダメージを好きなように割り振ることができる。ようは攻撃する側は、殴る相手を選ぶことができるのだ。ダメージの割り振りの結果、タフネスに等しいダメージを与えられたクリーチャーは死亡し、ダメージがタフネスに満たない場合は生き残る。先のグレーと魔物の戦いでは、2体のクリーチャーはグレーを倒し切るのに十分なダメージを与え、対してグレーはダメージを分散せざる得なくなって、相手を倒すことができなかったということになる。しかしながら、ゲームと現実は異なる。ゲームではダメージを必ず相手側に与えることができていたが、現実ではそのようにいかないことも考えられる。この点に関しては頭にキチンといれておくべきことだろう。対して、ヴァンがボロ人間と無色トサカ獣を倒したときのことは『先制攻撃』があって故のことだろう。先制攻撃が発動し、ヴァンは自身が持つパワーを、それぞれの魔物を倒し切れるように適切に配分した、ということになる。うまく力の配分を行ったともいえるが、いざ自分でやってみることを想像すると、なかなか難しいことなのではないかと思えてくる。そういう点でヴァンはかなり技巧者なのかもしれない。どちらにしろ、自分が従えるクリーチャーが優秀なのは結構なことだ。

 

 ヴァンが切り捨てた魔物が黒い泡に包まれるのを眺めながら考えると、何度目かわからない騎士の声が響き渡る。

 

「次、細長い魔物が左手から来るぞ」

 

言われた方向を見れば、何やら二本足で屹立して、腕組みをしながらこちらに闊歩してくる存在が見えた。この魔物も通常の範疇で収まるような外見をしておらず、その特徴は腕が複数生えているところにあった。全体的にひょろ長い胴体と同じように、奇怪に生えた4本の腕も細長く胴体から伸びている。腕を組んでいない2本の腕はくねくねと、奇妙なモーションで振り回されていて、何かの舞をしているのかと不思議に思ってしまうような動きをしている。年季が入った老齢の樹木の皮のような肌をしていて、肌を指先で強く抓ってねじりきったような、尖った顔をしている。肩から上だけの4本腕をしている箇所を見れば、京都のどこかのお寺で見たことがあるかのような観音様を彷彿とさせる。しかし、慈悲深さを感じるような要素はどこにもなく、細い胴体に見合った長い2本足でこちらに迫ってくるのは後ずさりしたくなるような光景だった。

 

「そこのお前ら、あいつを押さえろ。ワタル、その守護者に早くこちらを援護するよう言うんだ!」

 

アルバート隊長から、【ヴィーアシーノの戦士】を相手にしていた騎士達へ命令が下る。流石に3人にもいれば少なくとも敵に対する足止めにはなるだろう。いざとなればヴァンが切り捨てれば済む話でもある。だが、今は教会真正面方向の魔物の猛攻に対処した方が良い状況だった。ラルフさんが相手をしているとはいえ、女戦士は騎士達の何人かを再起不能追いやり、石像や狼も変わらず顕在だ。右手のケンタウルスにはナエさんが対応しているようだが、まだ決着がつく様子がない。ナエさんは骸骨を滅ぼした炎の一撃を当ててはいるが、ケンタウルスはその一撃に耐えている。流石に効いていないということはなさそうなのだが、他の騎士がとどめを差すには至っていないようだった。

 

「ヴァン、ラルフさんを援護するんだ」

「御意」

 

ヴァンは俺の指示を聞いてうなずいたあと、反転、ラルフさんの元へ駆けつける。女戦士の方はヴァンが加わるとわかった途端に少し後ろへ後ずさりして、安易に攻撃を受けないように警戒を強めた様子だ。

 

 ヴァンに【天上の鎧】を唱えてから、幾ばくも時がたったわけではないが、それ以上の時間がたったように感じられる。ヴァンは魔物の駆逐にかなり貢献できたとは思うが、やはりヴァン一人ではまだまだ手が足りないだろう。さらに戦力を投入する必要がありそうだ。

 

内なる《声》に意識を向け、中から呼び出すクリーチャーの《声》を引っ張りあげる。先ほど戻ったばかりの白マナのラインと、緑マナのラインを手繰りよせ、《声》に与える。こうして会うのは実に2日ぶりといった所か。

 

「来い、【番狼】」

 

手をかざした先、アルバート隊長と、ドミトリが控える台座のちょうど中間あたり。ヴァンを呼び出した時ほど高くはない、人間でいう膝から上の位置に白く輝く穴が出現した。ヴァンの時と異なるのは、その穴は、時たま緑色にも変色している点だろうか。穴は色をめまぐるしく変化させながら次第に横に細長く伸びだした。同時に細長い棒状の突起を4本、地面に向けて伸ばし始めた。だんだんと形作られていくのは、地面を4つの足で踏みしめる獣の姿。そいつは、俺の右手方向で騎士達を相手に暴れている、赤い色をした狼に酷似している。だが現れたのは、現れる前の色とは明確に異なり、黒一色に染まった狼であった。

 そう、呼び出したのは2日前、《魔狼》に襲われた時、グレーに倒された【番狼】である。2日前に襲われた時は、警戒に動きまわってラルフさんやグレーを翻弄し、俺に怪我させたクリーチャーであるが、今はあの時の手ごわさなど何処に行ってしまったのだろうかと思ってしまうほど、律儀に俺の前でお座りをしている。目の前でゆっくりと眺める機会はなかったが、やはり【番狼】かなり大きかった。近所にゴールデンレトリバーを飼っている知り合いがいて、触れ合う機会もあったが、その犬に負けず劣らずの大きさをしている。【番狼】の体毛は禍々しいともいえるほどの黒一色ではあるが、しっぽを振りながら「ハッハッハッハ」と舌を出して息をしながら見上げる姿には愛嬌も感じてしまう。

 

「いやはや。新たな《守護者》とは。まだ何か隠していると思った方がよさそうですな」

「あら、結構かわいいじゃない。結界が邪魔で撫でられないのが惜しいわね」

「これは危険じゃないよね? 人型とは別の《守護者》も呼び出せるとはなかなか興味深い……」

 

俺の周りにいた人達も、俺が新たに呼び出したクリーチャーに興味深々といった様子である。

残念ながら、コイツを紹介してあげられるほど余裕があるわけでもない。すぐさま騎士達の援護に向かわせるべく命令を下す。

 

「よし、い……いや、ちょっと待て」

 

【番狼】は「クゥーン」と首を傾げて俺を見上げてくる。

 

ヴァンには「ヴァン」という名前を付けた経緯もあり、目の前の【番狼】にも何か名前を付けた方が良いのではないだろうか。「バン」というフレーズが脳裡をかすめるが、ヴァンと発音がかぶってしまい、ややこしいので一瞬でボツにする。ヴァンと同じように考えるならば…… 

【番狼】の英名は【Watchwolf】だ。ゴロがいい呼び名を考えるが、いいフレーズが思いつかない。単純にウルフでは芸がないし、ラルフさんとも発音が重なってしまっていまいちだ。いっそ日本語そのままに……

 

「ロウ。お前の名前は『ロウ』だ」

「ワン!」

 

俺の言葉を聞いた途端、ロウは答えるかのように大きく吠えた。大人しく座っているものの、しっぽの振られるペースが倍速になってかなり嬉しそうである。

 

「行け、ヴァンを援護してくるんだ」

「ワン!」

 

まるでフリスビーを投げられて嬉々として追いかけるようにロウは飛び出していった。

 

「おい、そいつは……」

 

猛烈な勢いで追い越したアルバート隊長から声がかかるが、ロウはそんなこともお構いなしに前線へまっしぐらに進んでいく。そのスピードはヴァンとは比較にならない。その点、流石は狼といった所か。

 

「グルゥゥァ」

 

と、うなり声をあげてロウがラルフさんとヴァンが女戦士と対峙する集団に突っ込んだ。

 

ヴァンが加わり、にらみ合っていた集団には、ロウのカチコミは不意の事態だったらしい。まず、女戦士が反応した。確かに女戦士の反応速度は、今まで数人の騎士達を退けていることから、かなりの脅威だと言える。しかし、その場にはそれに対抗しうる存在がいた。ラルフさんに、ヴァンだ。一瞬の間に、女戦士とヴァン、ラルフさんが剣を振るうのが交差したように見え、激しく物がぶつかる音が響き渡る。

 

「グルァ!」

 

一瞬遅れて、ロウが女戦士に襲いかかる。ヴァンの鎧に剣を突き付けていた女戦士は、ロウの迎撃に遅れる事となった。ロウにも剣を振るうが、飛び込んでくるロウを軽く切り裂くだけに終わり、ロウの飛び付いた勢いのまま、そのまま地面に引き倒された。ロウは軽く切り裂かれたものの、狙い通り女戦士の首筋にかみつくことができたようだ。地面に獲物を押さえつけたならば、後はロウの独壇場と言ったところだ。女戦士はじたばたと、首への噛みつきを解こうともがくが、ロウは地面に根を下ろしたかののようにピクリとも動かない。間もなく女戦士の動きが止まり、黒い泡に包まれ出した。

 

「こいつは……」

 

ラルフさんが何か漏らしているのが聞こえる。女戦士を倒した存在を、やっと認識したようだ。

 

剣を構えてロウの方を向いたまま、大きな声で俺に確認してくる。

 

「ワタル。コイツは二日前の《盾の狼》じゃあ……」

「そうです。最も今は《盾》つきではないですが」

「どういう事だ?」

 

隊長もロウを怪しげにじろじろ見ながら重ねて聞いてくる。

 

「俺が呼び出した二体目でのクリ……《守護者》ですよ。ヴァンと同じように俺の指示にしたがって……くれるはずです」

 

返答が尻切れなのは、今、初めて呼び出したロウが俺のコントロールできる存在なのか、いまいち自信が持てないからだ。脳裏に二日前に襲われた光景がかすめる。

改めてロウを見るが、彼――もしくは彼女は、女戦士だった黒い泡からは興味を完全に失い、ヴァンに両足立ちでよりかかって、彼の顔をペロペロ舐めている。

 

「ちょ……、ロウ殿、久方ぶりとはいえ、少し落ち着いて……」

 

いつもは泰然としたヴァンだが、さすがにロウの前にはたじたじな様子だ。

 

 一応、ロウは狼なのだが、今の様子では完全にただの大型犬のペットにしか見えない。思い返してみるに、召喚した直後でさえ、きちんとお座りで俺の命令を待機していた。その忠実ぶりは関心させられるほどであり、どうもはじめから躾がされているように思える。さらに今のヴァンへの甘え具合などを考慮すれば、二日前のような事はもう起こらないと考えても問題はないかもしれない。

 

「グォアアアア」

「隊長! デカイのが来ます」

 

現実というやつは一瞬の気の緩みすら許してくれそうにないようだ。今度は、教会の方向から大きなうなり声が聞こえてくる。細長くクネクネしている魔物の相手をしている騎士達から、すがりつくような報告が隊長にされる。少しして教会の建物を迂回して姿を見せた《魔物》は、見上げるほど大きな図体をしていた。反対側でナエさん達が相手にしているケンタウロスが両足立ちしても頭がやっと胸に届くかといったくらいの大きさだ。肩や腕に防具を身に付け、さらには上半身に鎖が巻き付けられていて、何本もの本数を引きずっている。極めつけは左手に持つ金棒だった。それだけで魔物の背丈に匹敵する長さで、全体的に均等に刺がついている。あんなので叩き潰されたりしたらアルバート隊長のような頑丈そうな人間でも、卵を潰すかのようにぺしゃんこにされてしまうだろう。俺の語彙の中から無理やり当てはめて呼称するなら、鬼、そう呼んでしまいたくなるような魔物だった。

 

流石に今までの魔物とは一際大きさが違う敵の出現に、広場の皆が及び腰になってしまった。やがて、隊長からラルフさんへ声がかかる。

 

「おい、ラルフ……」

「おやっさん。あんなデカイの相手にしろなんて言うんじゃあ――」

「やれ」

 

隊長は間髪いれずに、非情な命令をラルフさんに下す。

 

「冗談じゃねぇぜ。もう騎士でも何でもねぇ俺に死んでこいっつーのか」

「やかましい。うちのどのやつらよりも軽々、魔物を倒しておきながらどの口が言う。お前なら離れた場所からチクチク牽制できるだろうが。結果的にお前をぶつけるのが一番被害が少なくて済む」

「つっても、グレーもやられちまったしなあ」

「まだ、他にも手は持ってるだろうが。それに、他に戦力が欲しいなら、ワタルの守護者を当てにして構わん。何の呪文の力か知らんが、ヴァンという守護者の実力はお前も見たはずだ。いいな、ワタル」

「ええ、もちろんです」

 

隊長から確認されたが、どのみちここまで来て、助太刀しない事はあり得ない。ヴァンにロウが加われば、女戦士を倒したときのように魔物を倒す余地を作り出すことができるだろう。

 

「他の戦闘に加わられると厄介だ。さっさと行け」

「クソ、後でもらうもんはきっかりいただくからな。行くぞ」

「ヴァン、ロウ。次はあの鬼だ」

 

「御意」「ワン」と、俺のクリーチャー達は了解の意を示して、ラルフさんの後を追いはじめた。

 

「ドミトリ、どうしたの?」

 

結界の内側から、ニーナさんが耳に心地よく残る声でドミトリに声をかけた。聞かれたドミトリはと言うと、結界石の台座から少し離れた位置で、地面の辺りを気にしながらうろうろしている。

 

「無いんだ」

「……? 何がないのかしら」

「魔物が倒された後に残っているはずの呪札が見つからないんだ」

「他の誰かが拾ったんじゃないの?」

「それはないよ。魔物が攻めてきてから、みんな迎撃にでてるから、僕か隊長だけしか拾う事はできない。だけど、少なくとも僕は、次々に魔物が来るものだから、今まで気にかける余裕も無かった。隊長も指揮のために前に出てきてからは、今の位置から動いていないはず」

 

ドミトリとニーナさんの会話を聞いて、俺も結界石の台座回りにカードが落ちていないか目を凝らして探してみる。一通り見える範囲の地面を探してみたが、やはりドミトリの言うようにカードのようなものは一切落ちてはいなかった。ヴァンに切り捨てて倒された魔物は黒い泡に包まれてしぼんだ後、その姿はカードになっていたはずだった。ヴァンはもはや片手では足りない程魔物を倒したはずなのに、カードが一つも見当たらないというのは、ドミトリが言うようにかなり不自然な事だった。

 

「アルバート隊長! おかしな事が起きてます」

「ニーナ。そんな大きな声でどうした?」

「今まで倒された《魔物》の呪札が消えてるんです。隊長が回収されたのですか?」

「いや、あとからまとめて回収するつもりで、何も拾っちゃいない」

「やっぱり…… ドミトリが気づいたんですが、地面に落ちていたはずなのに、いつの間にかすべて消えしまったんです」

「何ぃ!?」

 

隊長は再び不機嫌そうなに声を荒らげる。魔物の襲撃になんとか耐え、ようやく押し返すことができるかといった状況で、新たに厄介ごとが発生した事に相当機嫌を損ねたようだ。

 

「おい、ドミトリ。《災厄の魔物》の魔力の残滓から、呪札の行方を追うことはできないか? 見たところ、峠を越したところだろう。もう降ってくることもなさそうだしな」

「試したことはないけどやってみる」

 

ドミトリは珍しく素直に頷くと、右手の水晶玉に左手をかざして、目を閉じた。胡散臭い呪術師が何か呪いをやるときのように、何かを念じているようである。戦闘の騒がしい音がうるさく響く中、まるで彼だけ世界から切り離されたかのように作業に集中している。この切り替えの早さや集中力が、彼が「天才」と呼ばれる所以なのかもしれない。結果はそれほど待たずして彼の口からもたらされた。

 

「これは…… すぐ近くに固まった魔力の反応がある。場所は…… 広場の中! すぐ目の前に――」

 

ドミトリの言葉は、突然発生したガラスが一斉に砕け散るような音に遮られた。



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018:浄化の儀式と災厄の流星 その7

ごく近くで発生した轟音に腹の底が揺さぶられる感覚を味わうとともに、目の前の白く半透明がかった景色が、色彩鮮やかな世界に変わる。これは――景色が変わったのではなく、元に戻ったのだ。台座を覆っていた結界に何か変化がおきたのだろうか。いや、さっき何か奇妙な感覚を――

 

「あなた一体何っ……キャア」

 

パシンと何かを叩きつけたような音とニーナさんの悲鳴に、反射的に視界を台座の内側に向ける。避難した村人達で人がいっぱいになっている台座の上に、不自然に人だかりが割れている箇所があった。その中心では黒い全身を覆うローブを着た二人の人間がずんずんと台座の中心に向かって歩いてきていた。彼らの後ろには、ニーナさんが地面に倒れ伏している。二人の男に何かをされたのだろうか。

 俺が訳も分からず事態を観察するしかない間にも、二人は台座の中心に侵入してくる。しかし、突然途中で立ち止まると、フードに覆われた顔をある方向に向けた。その先にはザーナ司祭が立っている。

 

「あ、あなた達は一体。ニーナ様に、何て事をするのですか」

 

ザーナ司祭は若干戸惑いながらも二人に向かって詰問するが、声をかけられている二人はそんな事お構いなしのようだ。片方の人間が前に出て、突然ザーナ司祭に手をかざした。

 

 ゾワリ――その瞬間、俺は表現し難い妙な感覚を覚えた。だが、この感覚は一度感じたことがある。先ほど結界に変化が生じた瞬間に感じた感覚、そしてラルフさんがグレーを召喚するときに感じた感触と、ほぼ同じのものだった。

 ザーナ司祭は突き出された手を見ていたが、しばらくすると、まるで夢遊病にでもかかったかのように目がトロンとして、夢現な表情をしだした。手足もだらんとして、まるで催眠術にでもかかったかのようだ。ザーナ司祭に手を向けた人間は、もう一方の人間に頷くと、今度は俺の方を向いた。そして今度は俺の方に向かって手をかざした。ゾワリ――またもや奇妙な感覚を覚える。

 

「…………??」

 

 しばらくしても何も起きた様子はなかった。俺に手をかざした人間は少し茫然としていたようだが、もう一人の人間に体を小突かれて我に返ったようだった。

 

「わからんが、アイツには効果がないようだ」

「興味深いがかまってる余裕はない。さっさと済ませるぞ」

 

すると、もう一方の男の方から、またもやあの奇妙な感覚がした。男はローブの内側から右手を外に出した。右手には小ぶりな刃物が握られている。その刃物は果物ナイフよりかは幾分か長く、薄い赤色に染まっていた。奇妙な感覚がしてから起きた変化は、男が武器を手にした程度の事だったが、やにわに台座の外側にいる村人達から悲鳴があがりだした。

 

「狼だ!」

「こっちもなんか出てきたぞ」

「魔狼か? 突然現れたぞ」

「こんなやつら、さっきまでいなかったぞ」

 

ちらりと外側に目をやると、台座の外側の村人達が騒いでいるようだ。そして、さらにその外側では村人達を騒がしている原因が周りを取り囲んでいた。

 

台座に向かって今にも飛びかからんとしている狼が二体、そしてボロをまとった干からびている人間が一人。狼は、ロウや今も騎士を襲っている赤い狼に比べると若干小柄だ。しかし、牙をむいてこちらを威嚇している様は、俺が襲われた時に見たロウの獰猛な姿と変わらないくらい恐ろしく感じられる。干からびた人間は白目を向いて、どこを注視しているのかはわからない。体は黒ずんでいて、腐乱死体がそのまま動いているように見える。その上、腕や胴体に矢や鎖、おれた刃物がつきたっていて、ただならぬ死に方をした人間だったように見える。一見その場たたずんでいて、ピクリとも動かないのだが、次の瞬間には何をしでかすかわからないという点では、村人達にとっては狼並みに危険だということに変わりはないだろう。

 

「お前ら一体何なんだ!」

 

アルバート隊長の怒鳴り声が響きわたる。意外にも赤い刃物を握った人物からすぐさま反応があった。

 

「おっと、それ以上動かないでもらおうか」

 

彼はゆっくりとザーナ司祭に近づくと、手に持った刃物を司祭の首元にあてた。司祭を人質にして隊長の動きを封じ込めるつもりのようだ。

 

「ぐっ、ザーナ司祭、いったいどうしたってんだ」

 

司祭は喉元に刃物が突き立てられているにも関わらず、抵抗もなく茫然としたままだ。

 

「周りの騎士一同も、これ以上動くな。 少しでも近づいたら、周りのコイツを住民たちにけしかける」

 

男がわざと周りに言い聞かせるような大声を発した後、俺の周りの住民たちから恐怖の声があがる。

 

「そして、俺の後ろにいるそこの守護者も……な。 村人が傷つくのは望むところではないだろう」

 

男は後ろをチラリと振り返り、ドスの聞いた声で誰かに言い聞かせるように話した。男の向こうを見るに、これまたいつの間にやらナエさんがニーナさんの体を助け起こしていた。ナエさんはニーナさんに大した怪我がないことを確かめると、まるで親の仇でも見るかのように忌々しげに男を睨みつけた。

 

「ニーナ……アイツ、よくも」

「ナエ、押さえて。司祭様が……」

 

司祭が人質にとられてしまって、この場はこう着状態に陥ってしまった。ザーナ司祭だけではなく、台座を取り囲む《魔物》らしき存在が村人達を脅かしている事も、騎士に二の足を踏ませている原因となっているようだった。

 

「あんたら、もしかして『ネメス』……?」

 

そんな中、台座から離れた位置にいるドミトリから鋭い一言が発せられる。

 

「ほお、わざわざ自己紹介する手間が省けたと思えばいいのか? お察しの通りだ、坊主」

 

ドミトリが言う『ネメス』という言葉はどこかで聞いた覚えがあった。少し記憶をたどればすぐに思い出すことができた。あれは、隊長やドミトリから尋問を受けている最中だったか、隊長が俺にその言葉について聞いたことがないか質問していたはずだ。生憎、俺には心当たりなどなく、その時はどこか外国の地名か誰かの名前にしか思ってなかったのだが…… 少しでも情報を得ようとしてるのか、隊長は冷静に男たちに話かける。

 

「そんな『ネメス』が聖石教会の司祭を人質にとって一体なにをしようってんだ」

「我々が何をしようが、我々の勝手だ」

「もしかして……『呪札』を回収していたのは、アンタ達なのか?」

 

ドミトリからまた詰問が飛ぶ。普段の彼の印象からは想像できない饒舌さだ。彼が『呪札』――おそらく、倒されたクリーチャーが変化したマジックのカードのことをさしているのだろう――が無くなっていたと言ってた事を思い出したが、その原因が彼らなのでは、という事なのだろう。

 

「っち、坊主。勘がいいのは認めてやるが、それ以上は口を閉じておくんだな」

 

男は次々とドミトリに真相を言い当てられているのが気に入らないのか、吐き捨てるように答えた。ドミトリの言うことが正しいのなら、目の前の彼らは何らかの方法で姿を消しつつ、カードを回収していたという事になる。この世界において、マジックのカードが一体何の価値を持つのか俺にはわからない以上、その行為がどれほどの意味を持つことなのかはわからない。

 

「ここ数か月間、各地で起きている『呪札』の紛失事件、他にも『浄化の儀式』の最中に目撃された不審者の情報…… なるほど、裏で動いていたのはお前達という事か」

 

ドミトリと男の会話から、何か合点がいったのか、隊長がにやりと笑って告げる。どうも、俺が尋問中に『ネメス』について、質問される事になったのは、儀式の裏で動いている怪しい連中がいたという事情があったようだ。

 

「ふん。ここまで来ては誤魔化すのも無駄か。おおよそキサマの考えている通りであろうよ。最もこれ以上は何も言うつもりはないがな」

 

あっさり男は隊長の言う事を認めた。このような大がかりな騒ぎを起こしてしまっている以上、しらをきるのにも限界があるのだろう。辺り一体は《魔物》と騎士達が交戦する音以外には、誰もが男と隊長のやりとりに集中して、緊張に包まれている。しかし、突然そこに割り込む大声が上がった。

 

「トォォォォトーーーー!!」

 

大声は地面を揺らすほどではないかと思うほど広場に轟いた。騎士と魔物達が交戦して出る騒音すらかき消ささんほどの大絶叫であった。

 

男はゆっくりと声のした方向を見やり、ニタリと口の端をつりあげた。

 

「ほぉ、誰かと思えば、いつぞやの『カマイタチ』か」

 

広場に這い寄るように近づいてくるのはラルフさんだった。右手に持つ剣は地面をズリズリと擦り、下をうつむいて表情を伺わせずに広場に近づいてくる。足取りはゆっくりなのに、ゆらりゆらりとまるで幽鬼を彷彿とさせるような歩み方は畏怖を感じさせるものだった。

 彼はドミトリと同じ位置にまで近づくと、顔をあげて、まっすぐ男を睨みつけた。その表情はかつて俺を尋問している時よりも憤怒にまみれ、修羅が憑りついてしまったかのように憎々しげな表情に歪んでいる。

 

「今まで散々探したぜぇ!」

「ふん、俺は貴様のような暑苦しい男に追い回される趣味はない」

「アイツの仇ぃ、今ここでとってやる」

「おっと、我々が手中に収めているのは誰なのかわかっていないようだな。 そこで大人しくしてることだ」

 

男とラルフさんの会話の最中に、ラルフさんの後ろからヴァンとロウが追いついてきた。見れば、彼らが相手をしていた鬼はもう小さな泡に包まれていて、問題なくかたずけられたようだ。だが、ラルフさんは2人(1人と1匹ともいう)が近くにいることにすら気が付いていないほど男に集中していた。会話から伺わせる並々ならない因縁があるからなのか、もう男の事しか眼中にないようだ。

 

「ラルフ、『トート』と言ったか、もしや……お前……『殺人狂』トート・ステルか?」

 

アルバート隊長が男の名前を指摘した瞬間、台座の上にいた村人達から一斉に悲鳴を上げた。見れば、ナエさんやニーナさんも心当たりがあるのか、若干顔を青ざめた表情をしている。

 

「ほぉ…… 俺の名前もこんな辺境まで伝わっているとな意外だな」

「くそっ、その『殺人狂』のお前がわざわざ人質を取ったりして何が目的なんだ」

「おやっさん、こんなやつの言う事聞くこと必要なんかねぇ…… 俺が殺してやるからよぉ!!」

「えっ、ラルフさん……!?」

 

なんと、ラルフさんは怒りで我を失っているのか、人質が取られているにも関わらず、台座に襲いかかろうとした。しかし彼の体はその場から動く事はなかった。とっさの寸前で、ヴァンが彼を背後からホールドして妨害したのだ。

 

「テメェ……何しやがる、離しやがれ……」

「ラルフ殿、落ち着くのだ。この状況では被害が出てしまう」

 

間一髪セーフ。我がクリーチャーながらグッジョブな行動。さすがヴァンだ。エンチャントで強化されてるのが効いてるのか、ヴァンはラルフさんをガッチリ拘束して、いくらラルフさんがじたばたもがいてもビクともしない。とりあえず、ヴァンが押さえている内はラルフさんが強硬手段に走る事はないだろう。

 

トート、とかいう男はラルフさんとヴァンのやりとりを一瞥すると、間をおいてからアルバート隊長に要求をした。

 

「さて、隊長殿。要求を言おう。お前達がこれまでに収集した『呪札』だ。 すべてを我々にわたしてもらおうか」

「っ!? やはり、それが目的か? だが一体何のために使う。『呪札』に何をしても無駄である事は知っているはずだ」

「隊長殿。二度は言わん。村人達の命が惜しくはないのか」

「ぐっ、わかった。要求を呑もう。アルン村での浄化の儀式で回収した『呪札』は俺の手元にあるこれで全てだ」

 

隊長は大きな盾を地面に置くと、腰につけていたポーチらしき荷物入れに手を突っ込んで、手のひら大の小袋を掲げた。袋のふくらみ具合からするに、ざっと数十枚は入っていそうだった。男は掲げられた袋を確認して、にやついた笑みを浮かべた。

 

「よし、お前はそのまま動くな……そこのお前」

 

トートは何も持っていない左手で突然、俺を指差した。その瞬間、心臓がばくりと飛び上がったように感じた。

 

「隊長殿から袋を受け取って、持って来い」

「お……オレ!?」

「早くしろ。お前に選択肢は無い」

 

トートは右手に持つ刃物を司祭に少し押し付けながら言った。司祭の首の皮が切れて、血が流れ出している。だが、司祭は何も感じていないのか、相変わらず、心ここにあらずといった様子だ。

 何故、俺が選ばれたのかはわからない。トートは俺に命令した後、続けて何か言ってくる事はなかったが、俺の事を面白がりながら観察しているようにも見える。どういう意図があるのかは見当がつかないが、司祭を人質にとられている以上、彼の言うとおり俺に選択肢は存在しない。本当は、唱えることができるようになったマジックの『呪文』の力を使えばあるいは……と一瞬考えもしたが、司祭が敵の手中にある今の状況では、犠牲を出さずに人質達を救出する手段は今の俺には存在しなかった。

 俺は、なんとか動揺を表に出さないように努めながら、視線をトートから引きはがして隊長に向けた。隊長は俺が見ているのに気付いたのか、ひとつ頷いてくれた。隊長が見てくれているという事に安心したのか、ぎこちなくもなんとか俺の体は動きだしてくれた。台座にいる村人達を無言で掻き分けてながら進む。皆、事の推移を見ていたのか、俺の進む方向の道をあけてくれた。長いような、一瞬のような判断がつかない間のうちに、台座の縁にたどり着く。やはり、ザーナ司祭が張っていた結界はあっさり消え失せていた。台座を降りて、隊長の元に向かう。

 アルバート隊長は俺が近づくまで、一切身じろぎせずに静かにその場に立っていた。隊長とやりとりできる距離まで近づくと、隊長は俺に小袋を渡してきた。

 

「確かに渡したぞ」

 

そう言って、両手を空へ向かってかざしながら、一歩二歩と台座からあとずさった。わたされた小袋は緊迫感のせいか、想像した以上にずっしりとした重み感じる。

 

「よし、台座の上に戻って来い」

 

トートは抑揚のない声で俺に命令をする。俺は言われた通りにするしかない。歩きながら台座に近づくたびに、治まっていた緊張感が再び高まってくる。受け取った小袋だが、どのように渡せばいいのだろうか。流石に投げて渡すというのは躊躇われる、明後日の方向にでも投げてしまったら、機嫌を損ねてしまうかもしれない。かといって、近づいて渡すのはもっと嫌だった。それこそ何をされたものかわかったものではないからだ。

台座の段差が、まるで断頭台への階段のように感じられる。ゆっくりと登り、台座の上にたどり着く。

 

「そのまま、直接渡しに来い」

 

心臓が、また飛び上がった。まるで自分自身が人質にとられて、今まさに命を刈り取られそうになってるかのように錯覚してしまう。

 

「どうした。早く来い」

「あ……わかった……」

 

トボトボと少しずつ、トートと司祭の元へと向かう。一歩一歩が自分で自分の寿命を縮める行為のように感じられる。緊張からか無意識のうちに息が切れていた。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……」

 

いつの間にやら額から汗が流れ落ちていた。背中は汗でびっしょりになっている。

近づくにつれ、フードにの影に隠れて口元しか見えていなかったトートの表情がはっきり見えるようになった。肌は俺の世界で言うアジア人と同じくらいの肌色をしている。顔だちは意外とほっそりとしているが、黒い無精ひげが中途半端に生えていて、野蛮で無骨な印象を与える。フードの縁から覗く黒い髪からも、いかにも逃亡していてどこかに潜伏している犯罪者顔――よく指名手配ポスターでみかける人相顔――といったような顔立ちをしていた。

 

俺がトートからあと数歩というところまで近づいたとき、トートは俺が緊張しているのを見て取ったのか、醜悪な笑みをさらに濃くした。

 

「何もしていない内から、そんなに怯えてるようでは、底が知れるぞ小僧」

「あ、あの…これを……」

 

トートの揶揄も今の俺には取り合う余裕もなかった。おずおずと握っていた小袋をトートに向かって突き出す。トートはちらりと袋を見て、左手を出して袋をつかもうとし――俺の予想とは裏腹に、トートは俺の腕を掴んだ。

 

「――っ!?」

 

何をされたのかわからず、掴んでいた小袋を取り落してしまう。握られた部分の腕がきつく圧迫され、熱くなってしまったかのように錯覚してしまう。腕を振り払おうとするが、トートは、まるで万力をつかっているかのように俺の腕をしっかりと掴んでいて、ビクともしない。トートは、にやついた表情で俺をまっすぐ無言で見下ろしている。瞬間、眼力というのか、力がこもった何かで俺を射抜いたように見た。

 

ゾワリ――

 

トート達が現れた時から幾度も感じられた、あの違和感が俺を突き抜けた。身震いするような感覚がしたが、一体これは何なのだろう。

 

「オイッ、トート!」

「ワタルッ!!」

「トートォォ! テメェ、ワタルに何しやがった、コラァ」

 

ニーナさんの悲鳴や、ラルフさんの怒号が聞こえてくる。だが、意外だったのは、先ほどからトートの背後に控えていた仲間と思わしきもう一人の男も驚きの声を漏らしていた事だった。今まさに俺がされたことは味方でさえも予想しなかった行動だったようだ。

 ニーナさんやラルフさんの声は、現実に起きていない事であるかのように、俺の耳を通り抜けていくのみだった。気づけば俺はトートを見上げる姿勢になっていた。トートに腕を掴まれたあと、腰をぬかしたのか、俺は尻もちをついていようだ。

 トートは俺に何も変化がないことに気づき、俺を掴んでいた手を放して、己の手のひらを見つめだした。やがて、「ふんっ、確かに効かないようだな」と独り言をしてから、俺が落とした小袋を拾いあげる。袋をローブの内側にもそもそとしまってから、再び俺を見下ろしてきた。

 

「あっ……」

 

 恐怖からか、緊張からか、俺の口から声が漏れ出る以外は何も起きなかった。ほんの数秒、俺を観察したあと、トートは背後を振り返り、もう一人の仲間に一言漏らす。

 

「いくぞ」

「ああ」

 

二人にはそれだけで十分であったらしい。今度は背後の男の方から、もう何度目になるかわからないが、同じゾワリとしたあの言いようのない違和感を感じた。しかも、今度はすぐ後に周りに変化が起きだした。

 それは突然、目の前の中空におびただしい数で現れた。まるで、雨が降っている最中に時を止めたかのような光景――水玉のようなものがたくさん空中にふわふわと漂いだしたのだ。

 

「これ一体なん――」

 

言ってる最中に目の前が光の洪水にあふれた。普通こんなにも強い光を直視したら、網膜に焼き付いて目を開けてられないのに、まるで吸い寄せられるように見てしまう。水色に光る様々な大きさの光は、目まぐるしく、互いに入り交じっては離れたり、時たま光の線をひきながら、くっついたり、分裂したりしている。たくさんの蛍を箱に詰め込んで、一斉に解き放ったときのような光景か、いや目の前で起きていることは、そのような表現では言いあらわせられないほど、幻想的で、激しく色鮮やかだ。こんな激しく幻想的な風景がこの世の中に存在していたとは……ああ、なんてきれいなんだろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれほど、見入っていたのだろうか、ふいに、俺は呆然としていたことに気づいた。周りの人間は誰もが、今まで何が起こっていたのかわからずに戸惑っている。俺と同じように先ほどの光景に見入ってしまっていたようだった。誰もがまわりをキョロキョロして、今まで起こっていた光景の説明や原因を探りあぐねている。しかし、戸惑いの雰囲気は直ぐに恐怖のものに変わっていく。

 

「誰か! 誰か助けてくれ! 狼が、かみついてきたぁ!!」

 

台座の外側の方から助けを上げる声が突然あがった。

 

「こっちも襲われている。騎士様はいないのか」

「ちくしょぉ、いてぇ、離せこの野郎」

 

しかも、悲鳴は台座のまわりの複数の箇所から聞こえてきた。外を見れば、狼が村人の足にかみついて、台座から離そうとずりずり引きずっている。反対の方でも、狼が俺が知らない村人を襲っていた。台座から離れた位置で村人達を牽制していた狼が村人達に襲いかかっていたのだ。

 

「っち、ドミトリ。お前はそっち側を頼む。ナエ! ニーナの近くにいるんだろう、村人を救出しろ」

「り、了解」

 

少し戸惑った応答が、ナエさんやドミトリから発せられる。いつの間にやらニーナさんの近くに控えていたナエさんはともかく、台座から離れた位置にいたはずのドミトリも混乱しているようだった。

 

「クソォ! トートの野郎ォ。どこ行きやがった!」

 

ラルフさんが大声で悪態をつく。俺は、その言葉が意味する事に気づき、台座の周りを見回す。先ほどまでは余裕がなかったが、今は少しだけ周りを把握できる程度には落ち着いてきた。肝心の人物達がどこにも見えないことにはすぐに気づくことができた。

 

「いない……」

 

黒ローブを着た、あのトートという男の姿が見えない。その仲間の男も。もう一度周りを見て確かめるも、村人達の中に彼らを見ることはなかった。

 

「ザーナ司祭様は? ねぇ、司祭様はどこにいったの?」

 

さらに、泣きながら懇願するように、周りの人間たちにザーナ司祭の居場所を聞こうとするロミスさんの声も聞こえてきた。ロミスさんは、未だに混乱する人ごみを掻き分け、手当り次第に近くの村人達に聞いている。ラルフさんの悪態に、意識をトート達黒ローブ連中に持ってかれて気づけなかったが、ザーナ司祭の姿もどこにも見当たらなかった。どういうカラクリかはわからないが、あの連中は、見事に俺達の目を掻い潜ってこの場から離脱することに成功したようだ。つい先日、異世界に来たばかりの俺には程度はわからないが、この状況はかなりマズイのではないだろうか?

 

「アルバート隊長!」

「なんだ! 今は忙しい!」

 

ちょうど、隊長は村人に襲いかかっていたボロを来たゾンビをはったおして、村人から遠ざけようとしてたところだった。盾を構えて油断なくゾンビに相対しながらも、声だけでこちらに返答してきた。そのドッシリと落ち着いた姿に、少なからず安堵してしまう。

 

「あの男達とザーナ司祭がいなくなってます」

「なにぃ! あの野郎……司祭様もさらっただと! クソ野郎が……」

 

予想に反して、明後日の方向から反応があった。ラルフさんである。男たちと問答してた時に滾らせていた殺意は全く衰えた様子はないが、司祭を気にしている分だけ多少は落ち着いた……と言えるのだろうか。

 

「ッチ、ザーナ司祭を誘拐してったという事か。一体何が目的なんだってん……だっ!」

 

隊長は毒づきながらも、起き上がったゾンビに大きな盾を叩きつけた。隊長の大きな図体と盾の質量が合わさった攻撃にヒョロヒョロなゾンビに耐えられるはずもなく、ゾンビは大きく吹っ飛ぶ。

 

隊長の悪態を聞いて、疑問がひとつ湧いてきた。それは、『何故あの男たちはザーナ司祭を連れ去ったのか』という点だ。男達はアルン村の人達を人質にとって、アルバート隊長から『呪札』、すなわち、マジックのカードを奪った。ドミトリやアルバート隊長が話していた、彼らの過去の行動の断片的な情報と照らし合わせれば、彼らの目的はそれだけで達せられたと考えてもいいはずだ。何故、ザーナ司祭まで連れ去る必要があったのだろうか。しばらく過去の記憶に意識を集中してると、おもむろに、昨日の記憶が思考にひっかかった。

 

(森の中の封印っ!)

 

ザーナ司祭が絡む特別な出来事。それは、昨日に訪れたアルノーゴ樹海へ入った所に祭られていた封印石しか思い浮かばない! 

 

「隊長、もしかしたら、あいつらザーナ司祭をつれて森の中にっ!」

「そうか、昨日のあれか!?」

 

隊長はちょうどゾンビの脳天に剣を叩きこんだところだった。剣をずるりと引き出すと、ゾンビは四肢を痙攣させながらも、地面に倒れ伏した。やがてピクリとも動かなくなるのを見届けてから、隊長は俺の方へ振り返る。

 

「アルン村に伝わる『蛇神の伝説』にかかわる封印石か。ヤツラが興味を示す可能性はあるな」

「でも、あのときは俺たち以外には誰もいなかったはずじゃあ……」

 

俺の言葉は自信が無くなるにつれ、しりすぼみになっていった。思いつきで話してみて、もしかしてとは思ったものの、当時の状況を振り替えると、封印石の場所にいた人間は限られていたことを思い出したのだ。

 ラルフさん、隊長、ドミトリ、俺、ヴァン、そしてザーナ司祭以外の人間はあの場にはいなかったはずだ。昨日は森から帰ってくる途上、アルバート隊長は森の封印石の事は他の人間に漏らさないよう言い渡した。隊長は言わずもがな、ドミトリも騎士の一員だし、ラルフさんもはっきり聞いたわけではないが、もともとは騎士だった経歴があるように思える。あの時、封印石が祭られていた場所に居たメンツで、騎士団の関係者でない人間は、俺とヴァンだけだったのだ。当の俺はペラペラ話すにも、知り合いはこの村にほとんどいない。ヴァンは元々寡黙な上に、俺がそうと命令しない限り話を漏らそうともしないだろう。やはり、封印石の存在を知るには、実際に封印石が祭られた場所にいて、司祭と俺たちの話を聞く必要があったはずだ。

 

「僕の予想だけど、あいつらは姿を消して、僕たちの話を聞いていたんだと思うよ」

 

ドミトリが俺の内心を読んでたかのように話し出した。彼は台座を背後にかばいつつも、水晶玉を片手に、もう片方の手を狼に突き出していた。彼の手の先では、背後に控えていた鎧モドキが変わらず宙に浮きつつも、狼に襲いかかっていた。

 

「あの魔力振動の後の事だし、何より僕の探知にかからない、隠密性に長ける術が使えるんだ。僕たちの後をつけるくらい簡単だったはずだよ」

 

ドミトリの背後の台座の元には、狼に足をかみつかれた男性がぐったりとしていたが、ニーナさんが看病をしている。彼女の手の先には仄かな光がともっていた。怪我をした人は彼女に任せておけば大丈夫だろう。

 

「僕たちの行動を観察していたなら、封印石を封じている結界もザーナ司祭しか解くことができないと看破できたはずだよ。そう考えれば、アイツらが結界を解くために司祭を連れ出したと見るのが妥当だろうね」

 

ドミトリが俺の予想に見解を付け加えて、より話に現実性を持たせてくれた。相変わらず淡々と話す彼は泰然としている。ドミトリの鎧は単調な様子で狼を殴り続けて、「キャイイン」というような狼の鳴き声すら聞こえてすらいた。

 

「ワタルさん。司祭様がどこへ連れて行かれたか、わかるんですか?」

 

後ろから話しかけられて振り返ると、そこには目に涙を浮かべたロミスさんが立っていた。隊長とドミトリは台座から多少離れているので、大声で話していたのが聞こえてしまったのだろうか。

 

「お願いします。教えてください」

 

そう言って、俺の手を両手で包み込んで見上げてくる。ここまで悲愴な表情になった女性に迫られた(物理的距離な意味合いで)事など一回もなく、俺はどう答えたら良いものやら動揺してしまう。

 

「え、ええと、あの男の連中に樹海の中へ……」

 

封印石の事も詳しく話して良いものやらなのか判断しかねていると、さらに別の場所から大声があがった。

 

「ラルフ殿! どこへ行かれる!?」

 

突然ヴァンの声が響きわたる。彼の方向を見ると、ラルフさんが急いで広場から駆け離れる後ろ姿が見えた。ヴァンとロウは、そんなラルフさんの突然の行動に戸惑って、彼の後ろ姿を見るのみである。ラルフさんが向かった方向は、教会を回り込んで裏門へ続く道だった。

 

「まさか……」

 

彼は村の裏門を抜けて、森へ行くつもりなのだろうか。トート達を前にして、怒りで冷静さを欠いた様子だったが、相当な恨みがあの男達にあるのだろうか。ロミスさんの事を一時棚上げしてしまうが、慌てて隊長に彼の行動を告げる。

 

「隊長、ラルフさんが森の方向へ走っていっちゃいました」

「何っ!? アイツ、ネメスのやつらが現れた時から様子がおかしいと思っちゃいたが、一体……」

 

ラルフさんの行動に隊長も思い当たる節はなさそうだった。だが、今は彼ひとり行かせても大丈夫なのだろうか。

 

「ラルフさんを一人で、行かせてしまって大丈夫なのでしょうか?」

「あいつも今は違うとはいえ、元騎士だ。そう簡単に――」

 

隊長が話している間、俺は彼の背後で動く存在に気付いた。認識した時には既に遅かった。隊長に頭を二つに割られて倒されたはずのゾンビが起き上がって、背後から隊長に襲いかかろうとしていたのだ。

 

「後ろ!」

「危ない!」

 

俺とロミスさんにはせいぜい警告を発するのが限界であった。ゾンビは隊長に覆いかぶさろうと、しなだれかかってきた。隊長は俺の注意に背後を振り返り、ゾンビの接近に気づくのが精一杯で、ゾンビに勢いのまま組み敷かれてしまった。

 

「クソっ、コイツ……」

 

ゾンビは隊長の上に乗っかり、その両手で隊長をメッタ打ちに殴り始めた。隊長もなんとか盾でガードして直撃を防いでいるが、なかなかゾンビから逃れる事ができないでいる。ゾンビの頭は真ん中あたりまで真っ二つになったままだったが、その動きは隊長に倒される前よりも力強くなってるように見えた。

 

「クッ……、さっきよりも力が強くなってやがる……はがれねぇ」

 

隊長がゾンビの不意打ちにやられている内に、ドミトリの方からも声があがる。

 

「おもしろい…… この狼、倒したはずなのに、また起き上がってくる。これは驚くべき事だ!」

 

隊長がピンチに陥っている間に、ドミトリの方でも何かあったらしい。彼の方を見れば、狼がドミトリの鎧に襲いかかっていた。先ほどは鎧が攻める一方的な展開だったが、今は狼の方がドミトリの鎧を押している。ドミトリの鎧の中身はがらんどうで空っぽなのだが、狼の体当たりが当たったり、かみつきをされている時には、鎧がよろめいているような動きをしていた。ドミトリ本人は自分の鎧が押されているにも関わらず、狼を興味深そうに夢中に観察している。彼の言葉が本当ならば、ゾンビ同様、狼も倒されてから復活したという事になる。

 

「え……ドミトリそれって……」

 

また別の方向から、ナエさんが煙がプスプス上がっている大剣を肩に担ぎながら、聞き返してきた。彼女の先では爆発跡にクロ焦げになったものが転がっている。おそらく炎の柱を出す攻撃で狼を焼き殺したのだろう。狼は黒く炭化してしまって横たわっている。しばらくすれば黒い泡に覆われてカードに戻るはずなのだが…… 

 変化はすぐにあらわれた。しかし、今まで見たものとは全く異なる現象がおきた。まるで逆再生をしているかのように、黒焦げになった狼の毛皮が元の色に戻っていったのだ。変化はそれだけに終わらず、もともと茶色の毛皮が黒く変色しだした。変化が止まると、はじめはふらつきながらも、狼は再び立ち上がり、赤く猛々しく目を光らせて牙をむき出し雄叫びをあげた。

 

「アオーーォオン」

 

「げぇ!」

 

狼が復活するグロイ様子を見て、ナエさんは見た目からは似つかわしくない、うめきを漏らした。同じ光景を見ていた俺も同じ気持ちである。

 ゾンビだけに限らず、狼も一度倒したものが復活している。しかも、ドミトリの鎧や隊長の苦戦具合からして、復活後は倒される前よりも強化されているようにも見えた。なんという厄介な魔物なのだろうか……ん? なんか、そういうのどこかで見たことがあるような――

 

「主、主!!」

「今度はなんだよ!」

 

今度はヴァンの方でも何かが起きたらしい。ただでさえ蘇りなどという非現実的現象に脳みそが追い付いてないのに、これ以上情報を詰め込まれても処理しきれない。

 

「雲が、森から雲が迫ってきます」

 

ヴァンが指差すラルフさんが去った方向を見ると、なんと空の上から、雲のような、靄とも何とも言い表しがたい、白い煙のようなものが、もくもくとこちらに迫ってきていた。ロウは毛を逆立てて近づいてくる煙にキャンキャン吠えて威嚇している。さすがにこの現象はスケールが段違いで、巨大なものが勢いよく迫ってくるので、俺の周りの住民達からも悲鳴があがる。

 

「雲がせまってきて……」

「い、いったい何なのよあれ!」

 

ロミスさんは怯えた表情を見せ、俺に体を俺に寄せてきた。ちょっと役得と考えたのは秘密だ。さらには、ニーナさんも、この光景には驚きを隠せないようだった。

 

雲はあっという間にアルン村を囲む柵をその内に覆い隠し、瞬く間に教会前の広場をのみこんでしまった。

 復活した魔物から目を離すわけにもいかず、なす術もなく、俺達は迫りくる雲に飲み込まれるしかなかった。俺や村人達に特に変化は現れなかったが、予想した通り、広場は霧に包まれてしまった。せいぜい見えるのは10メートルにも満たない距離であり、それ以上となると白い靄に包まれて全く見えなっくなってしまった。

 

「クソっ、まったくみえねぇ。オイ、みんな無事か!?」

 

やっとゾンビを引きはがすことに成功したようで余裕ができたのか、隊長が大声で他の騎士達の生存を確かめる。

 

「無事です」

「なんとか、だけどこの視界じゃ、魔物と……」

「隊長~。どこですかー。ニーナー、なんにも見えないよぉ」

「ここまで大規模な霧を発生する術があるとは驚くべき事だよ」

「主、我とロウ殿は無事です」

 

姿は見えないが、いろんな方向から声が上がる。どうやら辺り一体が濃霧で包まれただけで、騎士や住人達には特に変化は見られないようだ。

 

「訳がわからんが、各自、目の前の魔物に集中しろ! むやみやたらと動き回る方が危険だ。……っち、しぶといなヤツだ」

 

命令を下す最中に、またゾンビが襲いかかってきたらしく、隊長の命令は遮られてしまった。だが、視界が著しく遮られている今の状況では、隊長が言うとおりの以上の事はできはしないだろう。何も見えなくて、移動しようにもまさしく五里霧中といった状況で、方向もわからずウロウロしている中を魔物にやられるのが関の山だ。霧をなんとかしようにも、天候を相手に人間ができる事は何もないだろう。そんな中、ヴァンから大声で俺に声がかかる。

 

「主、もしやと思うのですが、この『霧』は【呪文】やもしれませぬ」

「ヴァン、なんだって?」

「この霧は誰かが輝石で起こしたという事ですか?」

 

突然ヴァンから予想だにしない事が告げられた。ロミスさんが言う事は、この世界の住民が故の発想だ。しかし、俺とヴァンにとっては、ヴァンの言う【呪文】が意味する事は異なる。【呪文】すなわち、マジックのカードに該当するという事だ。にわかには信じ難いことだが……

 

「この感じ、以前この姿になる前に、似たような【呪文】に攻撃を阻まれた記憶があります」

「ワンワン」

 

ヴァンの言うことに同意するようにロウが吠えた。ヴァンが今の姿になる前と言えば、確信はないが、俺のデッキのクリーチャーとして、対戦していた頃の事しかないだろう。ヴァン本人もはっきりとは断言できていないようだったが、昨日は『おぼろげながら覚えている』というような事を話していたはずだ。

 

霧。もしくは雲のような水蒸気の気体。万を優に超す種類の豊富さを誇るマジックでは、当然そのような現象を引き起こすと考えられるカードは存在する。メジャーなものは【濃霧】と言ったところか。

 

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Fog / 濃霧 (緑)

インスタント

 

このターンに与えられるすべての戦闘ダメージを軽減する。

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濃霧の効果は戦闘により発生するダメージを無かったことにする効果だ。イメージ的には、視界さえ塞いでしまう濃い霧を発生させて、戦闘そのものを行えないようにしてしまうようなものだろうか。コストは1マナのみであり、手軽で優秀な時間稼ぎになる。だが、だいたいこの呪文で辛うじて生き長らえる状況では、戦況的に詰んだ状態で手遅れなのが大半なのだが…… 他にも似たような効果を持つカードは緑に数多く存在する。これらのカードはクリーチャーではない。クリーチャーは『パーマネント』という種類のカードの一つであり、一度唱えれば、外的要因や何かの能力のコスト等で取り除かれない限り、ずっと場に留まり続ける。しかし、【濃霧】のようなインスタントに分類されるカードは一時的なものであり、一回で使い切りのカードである。効果を発揮した後は墓地に置かれる事となる。

 霧は【呪文】で発生させられたものだとするならば、誰が行ったかなど十中八九、ネメスの連中に違いないだろう。しばらく待ってればおさまるかもしれない。だが、その猶予こそヤツラの狙いなのかもしれないのだ。

 

「隊長! この霧はネメスの連中が起こしたかもしれません」

「追跡をかわすための時間稼ぎが目的だろうね。やっぱり封印石に何かしようとしてるのは間違いないかも……うわっ」

 

ガシャンという大きな音がするとともに、ドミトリの声が上ずる。霧でよくは見えないが、彼の鎧が復活した狼に倒されたようだ。

 

「ドミトリ、大丈夫?」

 

ニーナさんが声をかけるが、霧に包まれてドミトリの様子はよくわからない。今日までの彼の働きから、なんとなく彼は後衛担当という事は俺も分かっているつもりだ。彼が明らかにラルフさんや隊長のように接近戦が得意ではないことは容易に想像できる。

 

「っち、しまった。ヴァン、ロウ!」

 

今になって俺はヴァンとロウを遊ばせていた事に気づいた。魔物に襲われる混乱した状況と、魔物の復活現象、非現実的な霧の発生に意識を持ってかれてしまい、『手元がお留守』状態だったのだ。俺の急な指示にも2人はすぐに答えてくれた。

 

「承知!」

「ワン」

 

霧で周りは見えないが、音の発生源からだいたいの方向は掴むことができる。当然、人間ではないロウの方が感覚が優れているらしく、すぐさまドミトリがいると思わしき所へ駆けていく音が聞こえた。

 

「グルァァ」

 

ロウは、グレーの雄叫びもかくやと言った唸り声をあげながら、狼にとびかかったようだ。

 

「ガルゥッ」

「ガウガウ」

 

どうも、もみくちゃに争っているらしい。やはり霧で全く様子がわからないが、文字通りドッグファイトが繰り広げられてるのだろう。そこへ、ガシャガシャ鎧の音を響かせてヴァンが近づいてゆく。

 

「ロウ殿、そのまま押さえつけてくだされ」

「ガルウゥ」

 

シャキンと剣を抜く音が聞こえ、何かを切り裂く言いようのない音が聞こえた。しばらくして、ブクブクという魔物が黒い泡に包まれて消えていくときの音が聞こえた。

 

「主、狼を倒しましたぞ」

「また復活しないのか?」

 

しばらく間をおいてからヴァンから返事が返る。

 

「しばらく見てますが、その様子は見られませぬ」

「ワンワン」

 

無事、狼を倒すことができたようだ。ブクブクと黒い泡がはじけているであろう、先ほどと何も変わらない音が聞こえてくるだけだ。と、そこに大きな爆発音が響きわたった。

 

「いっちょあがりー」

 

ナエさんが勝鬨の声を上げている。焦げ臭い匂いただよってきたという事は、ナエさんが狼を再び炎の剣で爆殺したのだろう。復活していた魔物を気持ち悪がっていたわりには、特に苦労している様子はなさそうな軽い掛け声である。

 

「ナエさん。狼は復活してきてはないですか?」

「えー、もう黒いブクブクになっちゃってるよ?」

 

「やっぱり『不死』持ちなのか……?」

 

 復活した魔物を倒し始めて、事態が好転している。しかし俺は、先ほどから幾つか気づいた点があり、それゆえに俺は得体のしれない不安感をぬぐえないでいた。

 

 まず、初めに気が付いたのは、【濃霧】の状態なのに、ヴァンが復活した狼、いや、『クリーチャー』を倒せているという事。マジックのルールをバカ正直に鵜呑みにするのならば、【濃霧】の状況下では、クリーチャーは戦闘ダメージを与えることができないため、相手にダメージを負わせることができないはずだ。しかし、ヴァンもロウも狼を倒すことができている。そのため、ダメージを与える事が出来ていると言えるのではないだろうか。

 第2に気づいた点として、復活した狼やゾンビの正体についてだ。ヴァンやナエさんが仕留めた狼は、一度倒されたあと、パワーアップして復活するという能力を有していた。じつは、この特性はマジックのクリーチャーが持つ、ある特殊能力に一致する。それは『不死』という能力だ。『不死』というと、何度殺しても復活し続けるイメージがあるが、マジック的には『1回だけ死なない』という能力と言えるだろうか。通常、タフネスに等しい、もしくはそれ以上のダメージを受けたクリーチャーは『破壊』され、墓地という領域におかれる事となる。墓地という領域は簡単に想像できると思うが、使い終わったカードを置いておく場所である。一度、この場所に置かれたカードは特殊な方法を用いない限り、再度使う事が出来ない。クリーチャーが墓地に置かれる事、イコール『死亡』という事になり、もうそのクリーチャーは戦力として利用できなくなる。しかし、『不死」を持つクリーチャーは、墓地に置かれる場合、『+1/+1カウンター』を1つ得た上で、再び戦場に舞い戻ってくる。『+1/+1カウンター』はクリーチャーの能力値を加算するための目印であり、カードを使うゲームでは、おはじきの様な小物をカードに載せて置いておくことで表現している。さて、この『+1/+1カウンター』を得ているクリーチャーは、得ているカウンターの数だけ、能力値に補正がかかる。つまり、『不死』の能力を持つクリーチャーが倒された場合、そのクリーチャーはパワーアップして復活してくるのだ。1回倒すだけでは排除できず、さらにパワーアップして復活してくるものだから、相手にするには非常にやっかいな能力だと言える。あの狼の正体は、不死を持つ緑のクリーチャー、【若き狼】かもしれない。

 

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Young Wolf / 若き狼 (緑)

クリーチャー — 狼(Wolf)

 

不死(このクリーチャーが死亡したとき、それの上に+1/+1カウンターが置かれていなかった場合、それを+1/+1カウンターが1個置かれた状態でオーナーのコントロール下で戦場に戻す。)

1/1

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このクリーチャーが現実に召喚されたらどうなったかは語るまでもないだろう。ゲームにおいても現実においても、やはり厄介だったが、もちろんこの能力にも対処法は存在する。パワーアップしている状態で、もう一度倒せばよいのだ。じつは『不死』を持つクリーチャーが復活するのには、条件が定められている。それは『+1/+1カウンターを得ていない状態』だ。つまり、パワーアップしている状態で倒せば、もう復活はしてこないのである。ヴァンやナエさんが、今やっつけたように、2回目の撃破以降は復活するそぶりはなかった。一方、隊長が戦っているゾンビも狼と同じように復活した事から、アイツは【グールの解体人】なのだろう。

 

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Butcher Ghoul / グールの解体人 (1)(黒)

クリーチャー — ゾンビ(Zombie)

 

不死(このクリーチャーが死亡したとき、それの上に+1/+1カウンターが置かれていなかった場合、それを+1/+1カウンターが1個置かれた状態でオーナーのコントロール下で戦場に戻す。)

1/1

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(だとするなら、やはりアイツらは……)

 

 3番目に気づいた点は、『不死』を持つクリーチャーを召喚したのがネメスの連中であったであろうという事だ。そして、俺が懸念する最も重要な事をこの点から導きだすことができる。それは、ネメスの連中は『マジックのカードの呪文を行使する能力を有している』と考えられるのだ。

 落ち着いて今までを振り返ってみると、じつは既にその前例が存在している。そう、ラルフさんだ。そのために、同じような事ができる人間が居た事はあまり驚くことではないのかもしれない。思い返せば、ネメスの連中が姿をあらわしてから、俺は得体のしれない奇妙な感覚を何度となく感じた。その感触は、ラルフさんがグレーを召喚する時にも感じられた感覚と酷似していた。この事からも、ネメスの連中がマジックのカードの呪文を使えるという事はあながち外れではないように思える。

 霧が【濃霧】であると仮定するなら、クリーチャーが倒せてる点と矛盾する事は、気にしても答えは出ないのかもしれない。そもそも、これが【濃霧】だと推察したのはヴァンの発言がきっかけだっただけであって、【濃霧】でない呪文だったり、『輝石』によっておこった現象だという可能性だってあるのだ。

 

「アルバート隊長!」

 

大きく声を張り上げる。隊長の姿は見えなかったが、もう戦闘音が聞こえなくなってしばらくしていた。返事はすぐさま返ってきた。

 

「ワタル。なんだ?」

「もうゾンビは大丈夫なんですか?」

「初めは不意をつかれたが、一度距離をあければ大したヤツでもなかったな」

 

声に落ち着きあることから、もうゾンビは片付いたのだろう。台座回りの脅威は排除できたと思ってもよさそうだ。

 

「アイツら……ネメスといいましたか? あいつら俺の話した『マジック』の呪文を使っているかもしれません」

「それは……ラルフの事といい、やはり、お前の知らないところで何か関連があるという事か?」

 

俺本人が、ネメスや異世界でなぜかマジックの【呪文】が行使されている現状について認識していないのは、昨日の事情聴取でわかっているはずだ。しかし、ラルフさんや、『災厄の流星』、ネメスと立て続けにマジックに関連する存在が出現してくると、神様のような超常的な何かの存在の意図を疑いたくなる気持ちもわかるというものだ。

 

「隊長。今は、そんな事よりも、ネメスがザーナ司祭を誘拐して、森の封印石に何らかの目的を持って向かっているという事の方が優先だと思うけど」

「え……、やっぱりそういう事なんですか?」

 

気づいたら、ドミトリが台座の上に上ってきていて俺の横に立っていた。俺がロミスさんにすぐ横に近寄られてドギマギしてしまい、うまく説明できなかった状況を簡潔に明瞭に表現してくれた。ロミスさんから不安そうな言葉が漏れるのに対して、ドミトリは先ほどまでピンチな状況だったのに飄々としている。

 

「ザーナ司祭の救出以上に、ヤツラを阻止しないとロクでもないことになりそうなのは明白だな。しかし、まだ魔物は…… オイ、教会方面に魔物は残ってるか!」

「はっ。巨大な鬼は『カマイタチ』殿とそこの騎士と狼によって片づけられてます。馬のような魔物はナエ副長が撃破済みです。他にはもう現れておりません」

「よし、教会方面についているやつは、台座前面方向の援護につけ。おい、前の方の誰か、状況報告しろ!」

「霧のため、戦闘困難な状況ですが、なんとか複数人で魔物を抑え込んでます。ですが、そう長く持ちません……早く援護を」

「ドミトリ」

「ん。報告の通りだね。教会方向は何の反応もないよ。あとは前方の二体だけ」

 

ネメスの登場にひっかきまわされはしたが、魔物の乱入を防げているのは不幸中の幸いといった所か。しかし、この濃霧の中、魔物を押さえつけてるのは至難なのだろう。あまり持ちそうにない様子だ。

 

「ワタル」

「はい?」

「守護者を前の奴等の援護にまわしちゃあくれないか?」

「もちろん。ヴァン、ロウ!」

 

俺としては否やはない。すぐに二体に指示を飛ばす。隊長は少し思案した後、指示を下す。

 

「ナエッ!!」

「ハッ、ハイ」

「魔物がかたずき次第、俺とドミトリでネメスの連中を追う。後の指揮はお前がとれ。ニーナには重症者を治療させるんだ」

「了解」

 

アルバート隊長からナエさんに後を引き継ぐよう指示が下る。ナエさんはちょっとでもニーナさんが絡むとアレな所があるせいか、指揮官としての役割も果たせるのは少し意外だ。

 

「ドミトリ。村の安全が確保され次第、すぐに森の封印石まで向かうぞ」

「わかった」

 

後は教会前の魔物を殲滅するだけである。もう増援も打ち止めのようだから、あと少しでかたずけられるだろう。しかし、俺は隊長に先から胸の内にある考えを言う事を抑えることはできなかった。

 

「アルバート隊長、お願いがあります」

「ん? なんだ?」

「俺も連れて行ってください」

 

霧の向こうから隊長が近づいてくる音が聞こえ、やがて俺の目の前に姿を表した。ゾンビとの戦いでもみくちゃになったのか、その鎧やマントは少し乱れている。

 

「なんとなく予感はしていたんだが、本気か?」

「はい、ラルフさんやザーナ司祭が心配ですし、いえ、それ以上に、はっきりした事は言えないのですが、ここで行かないと……俺がここに来ることとなったきっかけか、もしくは理由かもしれませんが……俺にとって、重要な事、きっと、そういうものがつかめなくなってしまう、そんな気がするんです。」

 

自らの手の平を見つめ、そして隊長を見上げて言葉を続ける。

 

「この世界に落ちてきた時は混乱もしたし、何もできませんでした。本当なら、のたれ死んでいた所をラルフさんに助けてもらったんです。そして、得体の知れない俺をザーナ司祭は優しく受け入れてくれた。 ……突然使えるようになったマジックの力もきっと何か意味があるのかもしれません。いえ、きっとここで使うために俺に力が宿ったんだと信じます。俺は、俺を少しでも助けてくれた人達を今度は助けたいんです」

 

隊長は静かに俺を見下ろして、俺の言葉を最後まで聞いてくれた。しばらく無言でたたずんだままだったが、静かに息を吐いて再度俺に問いかけてきた。

 

「はっきり言って、この先どんな危険があるかわからんぞ。お前の事も助けられないかもしれん」

「はい、承知の上です」

「おまけに、お前自身は戦闘経験もない、とんだ足手まといの存在だ。連れて行くメリットが存在しない」

 

隊長の反論も分かりきったことだ。論理的根拠を理由に許可してくれないのは、ある意味、隊長の優しさかもしれない。しかし、俺としては、ここで置いてきぼりにされては困るのだ。俺を連れて行くことの利点を示さねばならない。

 

「俺自身に関してはそうかもしれません。でも、俺のクリーチャー、いえ、《守護者》達は頼りになります。その実力はもう嫌というほど見たでしょう? それに……」

「ふん……」

 

隊長は腕を組んで俺の言葉に聞き入っている。その様子は『続けろ』と言ってるようだった。

 

「俺を連れて行くことに1つメリットがあります。それは、ネメスの連中の使う呪文がわかるかもしれないという事です。先ほどの狼やゾンビでしたが、あれもマジックのカードの1つです。一度死んでもパワーアップして復活するという点から正体を突き止める事ができました。このことからもネメスの連中はラルフさんや俺と同じようにマジックのカードが使えると考えれます」

 

「フッ、ドミトリが言いそうなことをベラベラ言いやがって」

 

隊長は俺が言葉を言い終えた後、ニヤリと笑った。俺の言葉は採用する価値があると認めたも同然の様子だった。

 

「いいだろう。そう言うからには、せいぜい役に立ってもらうからな」

「アルバート隊長! ワタルをつれて行くのですか!?」

 

俺と隊長のやりとりを聞いていたのか、ニーナさんが横に立っていた。俺が彼女を見ると、彼女は俺を鋭い目つきで睨み返してきてから、アルバート隊長に抗議しだした。

 

「彼は非戦闘員です。私たち騎士のように覚悟も持っていない人間を戦いに赴かせるわけにはいきません」

「うるせぇ。もう決めたことだ。コイツも男だからには、覚悟もできているはずだ。ワタル、せめて自衛用の武器くらいは身に着けて置け。ドミトリ、何か適当なのをコイツに見繕っとけ」

「了解」

「そんな、隊長! 隊長っ!」

 

アルバート隊長は手をひらひらさせ、霧の中へ踵を返して姿を消していった。俺はそんな隊長を安堵半分、緊張半分の気持ちで見送ったが、ニーナさんは厳しい表情のまま彼の背中を見続けていた。

 



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019:濃霧の中の追跡

 ドミトリに装備を見繕ってもらって、教会前の広場を出発する。行くメンバーはアルバート隊長、ドミトリ、そして俺。当然、ヴァンとロウも一緒だ。この5人でネメスの連中が向かったと思われるアルノーゴ樹海に鎮座する封印石の祭壇へ向かう。だが、ネメスが去ってから発生した濃霧は一向に晴れる様子はなかった。急がなければならなかったが、教会広場から村の裏口へと続くと思われる道筋に頼って進むしかなかった。どうも、教会前の広場から森の方向へ向かうにつれ、霧はだんだんと濃くなっていくように感じられる。もはや、数メートル前を行くアルバート隊長とドミトリの姿すら、霧の中に掻き消えてしまうほどであった。

 

「ちょ……アルバート隊長。なんか霧が濃くなってませんか?」

 

流石に村も出てないのに、置いてけぼりを食らって迷子というのはかっこが悪すぎる。慌てて隊長に声をかける。

 

「む……、確かに、ここまではっきり差があるとな。おい、ドミトリ。はぐれんように固まって進むぞ」

「わかった」

 

少し先に進みかけて離れていたドミトリから返事が返ってくる。もう彼の姿は俺からの距離では見えなくなっている。少しでもよそ見をしようものなら、すぐに離ればなれになってしまうだろう。

それから俺たちは、意識的に寄り添うように一塊となって進んだ。並びの順番はかわらない。濃い霧のせいで、裏門の距離が異様に遠く感じられる。

 

「あれは……?」

 

やがて、道が若干広がり、行く手の先に壁のような遮る障害物があらわれた。やっとの事で裏門に到達したらしい。

 

「主、何者かが倒れております」

「ガルゥ」

 

俺の背後のクリーチャ達がにわかに反応しだした。

 

「これは……オイ、しっかりしろ!」

 

 アルバート隊長が急に門に向かって走りだし、霧の奥へ姿を消していった。何か異様な出来事が起きているのは確かだ。ヴァンは「人が倒れている」と言っていた。俺の目には白い霧が先に広がるだけで、今の場所からでは何が起きているのかはわからない。何事か、と恐る恐る近づくにつれ、ヴァンや隊長の様子の変化の原因がわかってきた。

 アルン村の裏門の手前に4人の人間が散らばって倒れていたのだ。4人は仰向けやうつ伏せに地面に倒れており、誰ひとりぴくりとも動かない。

 隊長は地面に倒れ伏した4人のうち、1人の様子を見ていたが、「クソッ」と漏らしてから、次の騎士へ駆け寄っていく。隊長が見ていた騎士は仰向けに倒れていた。空を見据えて、口を半ばあけた状態でピクリとも動かない。彼の表情は驚愕で彩られたまま変化しない。何か驚くような事が起こって、そのまま死んでしまったように見えるが、さもありなん。その騎士の胸には赤い血でできた跡が見られた。騎士の手は己の胸を抑え込むようにして握られている。まるで心臓を刃物で突き立てられてそのまま死んでしまったかのようだった。鎧を着ているはずなのに、その鎧は刺された後だけ、細長い切れ目が開いている。よっぽど切れ味の鋭い刃物を突き立てられたのだろうか? 脳裏にトートが握っていた赤い刀身をした刃物がうかぶ。

 もう2人はうつ伏せに倒れており、隊長はそのうち片方を慎重に仰向けにひっくり返していた。怪我人を動かすのはご法度だが、先の騎士の死体を見せられてしまったら、残っている人間の状態も想像がつくというものだ。ひっくり返された騎士を見た限りは、特にどこにも怪我をしているようには見えない。上から下までどこにもおかしな箇所は見当たらなかった。おかしい所は、ただ騎士がそれこそ『死んだように』眠って目を覚まさないという事だけである。隊長は騎士の手首に手を当てながら、騎士の息があるかどうか確かめるために、騎士の顔に自分の顔を近づけている。

 

「ちくしょう。脈も息もない。クレイ……一体何があったっていうんだ」 

「こっちのドリスもだめだったよ……」

 

ドミトリは残ったもう1人の死体を仰向けにして様子を見分していたようで、彼の口からも芳しくない結果がもたらされる。ドリスという騎士も、隊長が見ていたクレイ同様、全身をくまなく見ても怪我という怪我が存在していないように見える。彼も表情はまるで安眠を満喫しているかのように安らかな表情をしていた。

 

「こちらの騎士も果ててしまっています。首を切られたのが原因でしょう」

「クゥーン」

 

最後の一人をヴァンとロウが看取っていた。こちらも姿勢を仰向けにされているが、首からの出血後が悲惨な状態だった。勢いよく血が飛び出したのか、首から下の鎧が真っ赤に染まってしまっている。4人の中で一番ひどい状態の死体のためか、少し気持ち悪くなってきてしまった。

 死んでしまっている4人はアルン村の裏門を守っていたのは明白だ。裏門の周りには、浄化の儀式の最中に広場の台座に近くに設置されていた小さな封印石らしきものが幾つか設置されていた。この結界で儀式が終わるまでやり過ごす算段だったのだろう。しかし、何者かの襲撃を受けて全滅してしまった、というのが事の推移なのだろう。門は中途半端に村の外へ向かって空け放たれており、何者かが通過したような状態だった。

 

「これはトート達の仕業なのか……」

「そうとしか考えられないけど、クレイとドリスの死体が、ザルツとヒューイのように刃物でやられたようには見えないのが奇妙だね……」

 

俺の状況を確かめるように独白した言葉にドミトリが返答してくる。彼は大きく目をあけて果てている騎士の顔に手を当て、目を閉じさせていた。

 

「ザルツ、ヒューイ、ドリス、クレイ…… クソっ、この落とし前は必ずつけさせてやる。 大いなる女神様よ。あなたの元に旅立つ、か弱き魂に守護を与えたまえ」

 

隊長はひざまづいて祈りをささげた。ザーナ司祭のように慇懃で、普段無骨な印象のある隊長からは連想できない所作だった。

 

「隊長。どうするの?」

 

ドミトリが立ち上がって隊長に尋ねる。ヴァンも残った一人の騎士を安置してから俺達に寄って来る。

 

「どうするもこうするも、行くしかねぇだろうが。こいつらをこのままにしておくのは気が引けるが、今は時間が惜しい」

「ヤツらはあまり殲滅力に長けてるようには見えなかったが、多勢を相手にした結果がこれとなると、何か隠し持っていると考えるのが妥当だ。対策も考えずに無暗に突き進むのは悪手だと存ずるが」

 

ヴァンが珍しく隊長に警告を発してきた。ヴァンの言うとおり、何かされた跡が見当たらないのに、死んでしまっている騎士の事が気にかかる。アイツらは俺達の想像できない方法で人を殺せるのかもしれない。

 

「うるせぇ。ここでウダウダ考えるだけ無駄だ。これ以上被害を広めたくなければ、ヤツラを食い止める以外に方法はない。それともオマエはアルン村の住人達全員がこんな風になってもいいというのか?」

「いや……我は……主さえ安全ならば……」

「テメェ!」

 

ヴァンは俺を見ながら隊長に歯切りが悪い答え方をしたが、隊長はその言葉を聞くや、急にヴァンにつめよって怒鳴り始めた。ヴァンは俺が召喚したクリーチャーだ。アルン村の住民よりも、俺の方を優先する考え方をするのは、むしろ普通の事なのかもしれない。でも、俺は……

 

「ダメ……です。アルン村のみんなが、こんな風になるのは食い止めなくちゃいけない」

 

俺の胸中から漏れ出た言葉に、ヴァンと隊長は俺の方を振り向く。

まだ数日かそこらしか過ごしていないが、あの村には俺の恩人たちがいるのだ。こんな騎士達のような無残な姿にしては決してならない。

 

「ヴァン。行こう。俺の身を心配してくれるのは、オマエにとっては当然の事で、俺にとってはめちゃくちゃ有難い事なんだけれども、ヤツラを食い止められるのは俺達しかいないんだ。だから、アイツらがどんな得体の知れない力を持っていたとしても、いかなくちゃいけないんだ」

 

男には危険だとわかってても挑まなければならない事がある。というフレーズはいろんな漫画や小説で見てきたけれど、今がそれにあたる事なのかもしれないと思う。いや、決して俺個人に当てはまる事ではないんだけれども、俺を含むアルン村にいる者たちの境遇にしてみれば、今この瞬間が「やらなければならない時」なのだろう。

 

俺の言葉を聞いてヴァンは「御意」と深くうなづいた。ヴァンの胸倉をつかみあげていた隊長は、きまりが悪そうにヴァンから離れる。

 

「悪い…… 部下が一度にやられて、頭に血が上っていたようだ。ワタルの言うとおりだ。行くぞ」

 

そう言って、後ろも振り返らずに中途半端に開け放たれた門へ向かって歩き始めた。

ドミトリは思うところがあるのかないのか、無言で彼の後を追う。隊長の独白に意識を奪われていたが、このままだと置いてけぼりを食らってしまう。だが、トート達ネメスを警戒するためにも、やれることは今のうちにやっておいた方がいい。

 

「あ、少し待ってください」

 

そう言いつつも、俺は内なる《声》に意識を向ける。少なからず、魔物の迎撃に呪文を使ってしまったため、《声》からは少し活気が無くなってしまったようにも感じる。一抹の心細さを感じながらも、目的の呪文はすぐに見つかった。俺の中に眠る《声》達の中でも、ロウと同じく新参者な方の呪文だ。

 

【神聖なる好意】

 

 対象はロウだ。ロウは一瞬、身を縮こまらせた。見れば、ロウの体を白いオーラが包んでいる。霧に覆われていても、違いがわかるほど強烈で印象的な白色だ。やがて、白いオーラは3つの白い塊をロウの真上に吐き出した。塊は縦に薄く伸びていき、やがて薄い青色が混じった光沢のある物体へと変わっていく。形を変えて姿を現した3枚の物体――その正体は、盾だ――はロウを取り囲んで、ロウの胴体ほどの高さで静止した。ロウを包み込むオーラは盾が姿を現したタイミングで、一際輝いた後に消えてしまった。今やロウの姿は、先日俺を襲ったときと同じ姿だった。異なるのはロウ自身だけで、前は闘争心むき出しで牙を向いていたのに、今は耳の後ろが痒いのか、後ろ足でカリカリかいている。当時との差に思わず力が抜けてしまう。本人は俺の心境を知らずか「クゥン?」と首をかしげている。全く親の心子知らずというか、いや、この場合は召喚主とクリーチャーなわけだが……

 図らずも先日の焼き増しとなってしまったが、ロウにかけたのは【神聖なる好意】だ。これでロウのパワー/タフネスは4/6へと強化される。これは【ロクソドンの強打者】を相手に、一方的に屠ることができるくらい固くて強い数値だ。俺の経験的に、流石にこれ以上強いのが出てくるとは考えられない。『浄化の儀式』の間に出てきた魔物は、パワー/タフネスが3/2のヴァンで通用していたから、それほど外れた予想でもないだろう。

アルバート隊長とドミトリは俺の声に足を止めていたが、ロウの変化を物珍しげに眺めていた。隊長はしばらくロウを見て何かに気づいたのか、ロウに近寄ってきた。

 

「もしかしてソイツが、ラルフが言っていた『本当の』盾の狼か?」

 

言われて俺も今までロウの説明を省いていたことに気づく。

 

「あ、はい。そうです。先日、俺とラルフさんが襲われた時、この状態でした」

 

自分で説明しながら、ロウの安全性をどう説明したものか焦りがつのる。ロウを召喚したときは、魔物の迎撃にかまけて何も説明してなかったのを忘れていたのだ。

 

「なかなか珍しい魔法だね。盾が自分で行使者を守る『宝具』は、なかなか見られないな……」

 

と、ドミトリは興味深そうにロウをしげしげと眺めている。

隊長はしゃがんで【神聖なる好意】の盾を、片手の拳でこんこん叩きながら、もう片方の手でロウをワシワシなで回している。ロウはされるがままにお座りしながら、気持ちよさそうにしっぽを振っている。

 

「なるほど、アイツが守りを崩せなかったと言うわけだ。俺のと同じくらい『硬い』かもしれんな」

 

それだけ言って、隊長は立ち上がって歩きだした。ロウはなで回しが名残惜しいのか、「クゥーン」と不満気な様子だ。あれだけ、隊長がなで回したのだ。ロウの安全性の説明など、今さらだったのかもしれない。

 

「さて、いくぞ」

 

隊長は立ちあがり、門に向かっていく。この先に一体何が待ち受けてるのだろうか。覚悟を決めて俺も隊長の後に続く。

 

*******************************************

 

 森の中に入ってしばらくたった。前に祭壇に赴いた記憶からすると、体感的にまだ半分いったかどうかという程度の進み具合だ。敵が先に潜んでいるためか、または魔物が出てくる危険性があるためか、森に入ってから誰も一言も発していない。俺も腹の中が締め付けられるような緊張感に苛まれて、自分から話し出す気にはなれなかった。

 濃霧は森の中に入っても変わらず晴れることはなく、むしろ薄暗さも相まって、視界の悪さはさらに酷くなった。もはや、俺の先を行く隊長の大きな背中でさえ霞んでしまって、隊長の歩む音の方が方向感覚をつかむのに役に立つという程であった。そんな状況の中にあってもロウだけは別のようだ。森に入ってから俺たちの集団の間を突っ切って先頭に走っていったり、その場で地面に鼻をむけてスンスン匂いを嗅いだり、アルン村にいるときよりも活発になっている。ロウの自由奔放な動きに、青い3枚の盾は遅れずに追従している。森の中での動きやすさを優先しているのか、盾は森に入る前よりもこぢんまりとした並びをしている。ロウは先ほど、若干俺たちの集団から離れて変わらず匂いを辿っていたが、途中で立ち止まってこちらを振り返り、小さく「ワフッ」と鳴いた。

 

「ロウ殿が言うには、この方向で間違いないようです」

 

先の教会広場前から、薄々気にはなってたが、ヴァンはロウの言うことが理解できているようだ。歴戦の経験からか、はたまた魔法的な、いや、これはクリーチャー的つながりが関係しているのかも知れない。いちいちヴァンに聞いてみたい衝動にかられるが、今は無駄口をたたいてる暇はない。

 

「ふむ。ドミトリ、もう俺には全くわからないんだが、方向はこっちであってるか?」

 

隊長はヴァンの方を振り替えりつつも、前を行くドミトリに確認をする。

 

「うん。今の方向で間違いないよ。狼だから匂いをたどれるんだね」

 

ドミトリは水晶を時折注視しながら淡々と答える。どういうわけかロウ同様、ドミトリは方向を見失わずに進むことができるようだ。昨日の魔力振動の時からして、探知能力を有していることが伺えたので今更ではあるのだが。しかし……

 

「こんな濃霧で、ラルフさんは迷ったりしてないのでしょうか?」

 

俺たちはロウやドミトリがいるからいいのだが、ラルフさんは単身でネメスを追いかけていった。霧が発生したのは、彼が駆け出してから少しもたっていなかったはずなので、彼も霧に飲み込まれたはずだ。

 

「あいつは『呪われる』前は《野伏》の加護を得ていた。まだ加護が失われてないなら、標的を追う力も残っているかもしれん」

「つまり、心配する必要性はないってことですか?」

「ああ」

 

アルバート隊長は後ろにいる俺を振り返ずに答えてきた。ラルフさんが教会前の広場で突然走りだしたのも、その力があるがためだったのかもしれない。ふと、俺はある可能性に気付いた。

 

「ロウ、ラルフさんの匂いを追うことはできないか?」

 

ロウは、小さく「ワンッ」と鳴くと、地面を丁寧にかぎだした。一旦、俺たちの方へ戻ってきたが、すぐに元の方向にとって返した。匂いの経路を確かめているのだろうか。そして、お尻をこちらに向けて首だけ振り替えって「ワフッ」と小さく一鳴きした。

 

「ラルフ殿もこの道を通った、とロウ殿が」

「そっか。ありがとう、ロウ」

 

声をかけると、ロウはしっぽを、ブンブンふって「ワンッ」と答えた。どうでもいいが、これからはコイツは犬と思うことにしよう。うん、そうしよう。

 

改めての確認を終えた後、また俺たちはロウとドミトリの先導に従って進んだ。ほどなくして、先を行くドミトリが声をあげる。

 

「ちょっと待って。ここで何かがあったみたいだ」

 

ドミトリは立ち止まり、近くに生えている木に手を当てて調べてだした。濃霧のせいで、何も見えないので、彼の近くまで近寄る。

 

「何を見つけたんだ?」

 

隊長もドミトリを挟んで俺の反対側に並び問いかける。

 

「おそらくここで、ラルフさんと何かが戦闘したみたいだ」

 

そう言って、ドミトリは手をついている木の上を見上げた。

つられて視線を移すと、彼が手を添える木が、ある高さからスッパリと一直線に切断されているのが見えた。転じて前方の地面を見ると、少し先に倒木があった。その倒木は霧の中、辛うじて見えたのだが、こちら側に姿を表している面は鋭利な何かで切ったかのように尖っている。見上げていた木と同じようにスッパリ切られた倒木から【ロクソドンの強打者】が真っ二つに切られた時を思い出す。こんな事ができる人間など、ラルフさんを他においてはいないだろう。

 

「この跡は…… あいつ以外にはいないだろうな」

「魔物の死体が見当たらないという事は、ラルフ殿が相手をした者は召喚されたクリーチャーかもしれませぬな」

 

 辺りをうかがっていたのか、ヴァンがここであった事を推察して補足してきた。彼の言うとおり、木や茂みに近づいて見分してみると、何かで『薙ぎ払われた』後は、あちこちに散見された。しかし、あるのは『何かされた』跡だけであって、魔物の死体はどこにも見当たらなかった。昨日、ここに来たときに『邪豹』に襲われ、ラルフさんが対処した後は、『邪豹』の死体は残っていた。しかし、今日のネメスの連中が召喚したと思われる『狼』や『ゾンビ』は1度復活した後に再度倒されたら、死体も何も残らなかった。それらの事からも、ヴァンの推察に穴は見られないように思われる。

 

「ラルフさんにとって、この霧は障害にならなかったから、アイツらに1度追いつきかけたのでしょうか?」

「わからんが、ラルフを邪魔しなければならない程、ヤツラは追い詰められたという事だ。もう今は接触して戦闘に入っているかもしれん。ドミトリ、急ぐぞ」

「了解」

 

もしかしたら、もうラルフさんは単身でネメスに挑んでしまっているかもしれない。ラルフさん1人では人数的に不利な上に、ザーナ司祭が人質にとられてしまっている以上、有利に動けない事が容易に考えられる。第一、ネメスを前にしてあの激情を見せたラルフさんが、冷静でいられる保証など何処にもないのだ。

 

 俺達は、なおの事急いで封印石の祭壇に向かわねばならなかった。森に入ってから当初は、魔物の襲撃を警戒して進むペースを抑えていた節があったが、隊長は事ここに至ってはなりふり構わなくなったらしい。常に走るというほどのマラソンのような早いペースを続けるわけではなかったが、起伏ある森の中を相当早いペースで突っ切っていく事となった。騎士達のように鍛えているわけでもない俺は何とかついていくのに精いっぱいだった。ヴァンやロウは全く疲れた素振りを見せないものだから、なんとまぁ困った召喚主であることだ。と心の中で自嘲していると、地形が平坦になりだした。

 

「主、結界石についたようです」

 

隊長やドミトリからは少し離されかけていたので、えっちらおっちらヴァンの先導する方向へ進んでいく。すると、白くかすむ霧の中から、俺の背を越す重厚な建造物のシルエットが見えだした。昨日も見た、森の封印石を隠すための結界石だった。ドミトリはその結界石を水晶を掲げながら調べている。隊長はそんなドミトリの背後に控えながらも、やっとのことで追いついた俺達の方へ顔を向けてきた。

 

「悪い。少しペースが速かったか。だが、ここまで来たからには、もうお前の事まで気遣ってやれる余裕はないかもしれん。心の準備だけはしておけ。ドミトリ、どうだ?」

「うん。やっぱり、昨日ココに来たときと同じように、結界石の効果が切られているね。ザーナ司祭を操れるなら、できないことじゃないよ」

 

やはり、予想通り結界石はその効果を切られていた。ますますネメスの狙いが封印石だという事がわかる。最早ここまできたからには、確定だと言っていいだろう。ドミトリの予想していた、昨日もヤツラがここに来ていたという予想も正鵠を得ていたというわけだ。

 

「もう一刻の猶予もないな。ワタル。覚悟はいいか!」

 

隊長はそう言うと、いつの間にか外していた背中の盾を腕にもち、剣を抜刀した。ドミトリも、手に持っていた水晶が妙なオーラを纏ったと思ったの束の間、彼の背後に中身ががらんどうの鎧が現れた。教会前では狼にやられていたが、変えが効くのか、再生能力でもあるのか、やられる前の姿そのままだった。

いよいよ決戦の時だ、俺も拙いながらも腰に差していた剣の握りを右手で持つ。右手は震えて中々思い通りに動いてくれなかった。内心、舌打ちしつつも、おさまってくれない怯えに、無力感と苛立ちだけが募る。

 

「主」

「ワフッ」

 

左右を見れば、ヴァンとロウが俺を見ていた。彼らの目はこれから難事だというのに、俺のように緊張にまみれている様子は一切見られない。むしろ、不安に駆られる俺を励ますかのように、絶対に守って見せるという決意に満ちた視線を送ってくる。彼らの表情を見て、手の震えが不思議と治まった。大丈夫、俺にはコイツらがついている。ヴァンとロウに向かって一度頷いてから隊長に言う。

 

「行きましょう、隊長」

 

隊長は俺達のやり取りに何かを感じ取ったのか、少しだけ口の端をあげて微笑むと、封印石がある奥の方向へと顔を向け、小さく「よし、行くぞ」と言って進みだした。

 

だが――俺達の決意はそうそうに出鼻をくじかれる事となる。封印石から発せられる怒号によって。

 

「キサマァァ!!」

 

この腹の底を振るわせる大絶叫はラルフさんか――そう認識した瞬間、この場を何かがが突き抜けた。

 

「ッ!」

 

ラルフさんの叫びよりも、本能を震わせる強烈な『何か』をこの場にいる全員が感じ取った。この感覚は――昨日、アルン村で感じた『魔力振動』を何倍もの規模に大きくしたかのような『震え』だった。あの時は何か得体の知れないものの気配を、まるで壁越しのようになんとなく感じとる――といった程度だったが、今のは恐ろしく巨大な存在をごく間近に感じる強烈な感覚だった。

 

「ッハ、ッハ……」

 

無意識に荒い息をしてしまう。トートに相対している時の感覚など、ちっぽけな事にしか感じられないほどだった。この向こうから感じる強烈なプレッシャーは、ラルフさんの叫び声が聞こえた直後から発せられた。この先に、居るだけで俺達を立竦めさせる何かが現れたという事は明白だった。

 

「ドミトリ、ワタルッ、行くぞ!!」

 

 隊長は最初は少しだけ怯んでいたが、俺達に大声で呼びかけてくる。まるで「狼狽えるな」と言われてるようで、俺は尻を蹴っ飛ばされたかのように、前のめりに進みだした。

 

 もはや、慎重に近づくという事はありえなかった。通常ではありえない尋常な状況に陥っているのは明白だ。巨大な波動が突き抜けた影響なのか、いつの間にか周囲を覆っていた濃霧はきれいに消え去っていた。そのおかげか、強烈な存在感を放ち続けるモノの正体は、封印石に近づくつれ、はっきりと把握することができた。なんと、昨日は存在しなかった巨大な山としか言いようがない何かが、俺達と封印石の間に横たわっていたのだ。

 

 ソレは長い胴体をしていて、その胴体は、【神聖なる好意】の盾と比べて、水底を思わせるさらに濃い青色の鱗にびっしりと覆われている。その中には紫色と橙色の鱗が交互に一直線に並んでいる箇所があり、ソイツの異様さ一際目立たせている。さらに、長い胴体は、あるところでたわんでいたり、とぐろを巻いていたりしている。

 ここまでの説明なら、その正体を蛇と思うのかもしれないが、問題はそのサイズが大きすぎるという点だった。胴体の直径は下手をしたら俺の身長を超えているかもしれない。尾にあたる端の方は、はるか離れた場所にあるのか、長すぎる胴体の影にかくれているのか、視界に収めることはできなかった。太くも長い胴体は途中から起こされており、その上から巨大な頭が俺達を見下ろしている。一般的な蛇の頭部を、さらに流線型のように変えた頭をしていた。閉じられた口の上下からは、人の胴体を易々と突きぬく事が出来る牙が覗いている。頭を二等辺三角形とするなら、鋭角にあたる鼻の先端には、一際大きな牙が生えていた。頑強な鱗に覆われた頭部の奥にあるのは、ソイツの巨体さからは意外に小さくも感じられる瞳があり、その奥には、湾曲した角が2本生えていた。頭部の裏からは白い髭のようなものがもじゃもじゃ生えており、頭部だけを見るならばまるで『竜』を見ているかのような気分になる。そんな巨体な『化け物』としかいいようのない魔物が、行く手を遮り、俺達を上から睥睨していた。

 

「こ、こいつは……」

 

俺は、この姿を……元いた世界で見たことがある。

 

「ワタル、コイツの事がわかるのか」

「あ……コイツは……」

 

 ソイツはマジックを始めたばかりの初心者には、ひどく頼もしい存在に思えるだろう。こんな巨大なクリーチャーを、相手にぶつけて叩き潰すことができれば、どれほど痛快なのだろうかと。しかし、何回かゲームを通して、ソイツを呼び出すのに必要なコストが膨大で現実的でないものに設定されている事に気付くのだ。「呼び出す前に勝負がついてしまう」ではないか、と。そして、知れば知る程、多種多様なあらゆるカードの効果を前にして「実はコイツは大したことないんじゃないか」と切って捨ててしまうのだ。万を超える呪文を前にしては、ソイツをどうにかするには、如何様にもやりようはあるのだ。

 ソイツは俺がいた世界のマジックでは『初心者が嵌りやすい、強そうに見えるが実は弱いカード』という扱いを受けていた。だが、目の前に感じるこの巨大な存在感はなんなのだろうか。あちらの世界では、たかがザコなヤツだと、イラストが描かれたカード以上の扱いをしたことなんかなかったのに、現実に相対してみるとこれほどまでだったのか。自分が以前、ソイツに対してどう扱っていたを思い出すだけで、腹の底から震えあがってしまう。

 ソイツのカードには、フレーバーテキストである悪名が名づけられている。一体どのように呼ばれていたのか、それは――

 

「『氷河期の災厄』と言われていた……【甲鱗のワーム】!」

 

「GYAOOOOOOOOOOOO!!」

 

俺の言葉に応じるように【甲鱗のワーム】が大きく吠える。その轟きは先の魔力波動よりも、この場にいる人間達の身も心も震わせる。

 

『災厄』は果たして、流星だけに留まらず、深い樹海の奥地にて、ひっそりと封印されていたのだった。

 

 




誰もが7話で予想した、あのお方が満を持してのご登場。
オマエこれがやりたかっただけだろ、だって?
うん、一片の後悔もなし。
だってこのシーンがやりたかったことの1つなのですから。
だって、やっぱりお約束じゃぁないですか。
さぁ、その圧倒的暴力を前に震えあがるがいい!(←自分でハードルをあげて墓穴を掘りにいくタイプ


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020:氷河期の災厄 その1

氷河期のあいだに繁栄を極めたこのワームは、キイェルドーのありとあらゆる人々にとって恐怖の的だった。その巨体と狂暴な性格が呼び起こした悪夢は数知れない ――― 甲鱗のワームはまさに、氷河期の災厄の象徴だった。
――― 「キイェルドー:氷の文明」


俺たちは目の前にいる巨大な【甲鱗のワーム】に呑まれ、誰も身動きがとれなかった。【ワーム】の顔を含めた高さは、教会前で襲ってきた鬼に比べて、約2倍に達するかという上に、長い胴体が頭の後ろに続いており、視界に納めた範囲では全容をとらえきれない点に大きな差があった。

ふいに、【ワーム】の背後から、『あの感覚』がした。それと同時に【ワーム】の大きな胴体が光につつまれる。

 

(もしや、何かの呪文――?)

 

内心疑問をふつふつと滾らせている内に、ワームの胴体を包む光が治まった。そして【ワーム】は静かに頭を背後――俺たちの方からは奥手――にむけた。

 

「どうだ?」

「成功だ。だがそろそろ、残り呪文が乏しくなってきた。あまり遊ぶなよ」

「ククク。わかっている。しかし、これほど大きいヤツとは想像外だったな」

「だがそれほど期待がもてるというものだ。幸い、試すには格好な獲物がいるわけだしな」

「おまえら一体、何を……」

 

最後の吐き捨てる声は聞き覚えのあるラルフさんの声だった。

 

「おい、ラルフ! そっちにいるのか?」

「おやっさん! 来てたのか」

 

隊長が大きな声を張り上げてラルフさんに確認する。【ワーム】の大きな胴体に隠れて、向こう側の事は見えないが、ラルフさんとネメスの2人がいる事は今までの会話から明らかだ。だが、あろうことか、ザーナ司祭の声が聞こえない。

 

「ザーナ司祭はどうした?」

「……ザーナ司祭はたった今、トートに殺された」

「なんだと!」

 

苦汁を噛みしめるようなラルフさんの返事が【ワーム】の向こう側から聞こえた。そんな……間に合わなかったか!? 既に目の前の【ワーム】の出現に打ちのめされてたが、その残酷な事実は俺達をさらに、絶望の奥底に叩き落とした。思わず足の力が抜けてしまいその場にへたりこんでしまう。

 

「おやおや。これは思ってもない客が来てるようだ。ブレダン、このデカブツをわきへどけて客人を招いてやろうじゃないか」

「余り遊ぶなと言ったはずだが、まぁいいだろう」

 

以前の発言から俺達の存在に気づいていた事は分かりきっていたはずなのに、向こう側の人間はもったいぶった発言をした。すると、【ワーム】がその巨体を動かし始めた。俺達の真正面から右手へ向かって、長い胴体をウネウネ動かし、この場を大きく回り込んで、後ろの方へ移動し始めた。巨大な胴体と地面がすれて、ズリズリとうるさく【ワーム】は移動する。胴体が視界から消えるまでに、10秒以上もかかっただろうか。ワームが居座っていた箇所には、移動跡の轍が見られ、それを越えた奥側には、先日見たときと変わらない、封印石の祠が立つ石段があった。今はその場には3人の人間が立っている。手前には右手で剣を握っている男性――ラルフさんだ。そして、奥の封印石の社の側には、2人の黒いローブを着た人間――ネメスの2人組――が立っていたが、そのすぐ脇には一人の人間がうつ伏せに倒れていた。

 

「そんな! ザーナ司祭!」

 

アルバート隊長が目の前の光景を信じたくもないというように悲痛に叫ぶ。

倒れている人間の顔は俺達の側から確かめる事はできないが、頭部を覆う白髪、頭から離れて落ちている見覚えのある帽子から、いったい誰なのかは容易に想像がついた。着ている服も、見覚えのある純白で華美な装飾が施された法衣であることから、倒れた人間がザーナ司祭であるのは確実だ。しかし、今はその純白の法衣も、胴を中心に真っ赤に染まっていた。ザーナ司祭を中心に血だまりができているのだ。血だまりに倒れる様は、アルン村を出てくる時に見た、胸を突かれて果てていた騎士を彷彿とさせる。

 

「クククっ…… お勤めご苦労といった所か、だが残念。今少し遅かったようだな」

 

トートは腕を組んで悠然と立ち、俺達を余裕の態度で出迎えてきた。脇には同じ黒いローブを着た男が立っている。教会前の広場ではフードに隠されて顔を見ることはできなかったが、今はその顔を見ることができる。見た目に受ける印象はトートよりかは少し若く、ラルフさんと同程度、30歳前後程度の人間に見える。トートのような極悪そうな面ではなく、白い肌に少し長めの金髪、透き通るような青い目をしていて、人種的にはドミトリにかなり近いようだ。だが、普段からして無表情で無愛想なドミトリとは違って、その表情は自信に満ちており、体全体から発する気迫というものだろうか、自信がみなぎっていて、ドミトリとは全く異なった印象を感じた。場にそぐわない表現だが、女子受けするのは、彼のような堂々とした人間なのかもしれない。今はトートと同じように高みの見物といったような余裕の表情だ。

 彼らの自信の源は、言うまでもなく後ろにデカデカ鎮座している【ワーム】だ。当初の俺達に向かって吠えた時の荒々しさはどこへ行ったのか、今は大人しく、大きなとぐろを巻いて後ろに控えている。その様は、【巨大化】をかけられたグレー以上の大きな山が、俺達を見下ろしているかのようだ。時折チロチロと太い舌を出して、静かに俺達を伺っている。巨大な質量を伴った圧倒的存在感は、風前の灯にまで縮んだ肝っ玉をつぶしかねないほどの迫力だが、それほどの存在が、大人しく従順にネメスに従っている事にも別種の末恐ろしさを感じる。やはり、あの時の呪文が関係しているのだろうか?

 

「ちっ、やはりニーナを連れてくるべきだったか。早く手当を……」

「そいつは無駄だ、おやっさん」

「何?」

 

隊長の言葉を即座にラルフさんが否定する。確かに、あれだけの血だまりができるほど出血しているのなら、手遅れなのかもしれないが……

 

「ザーナ司祭はトートの『宝具』に心臓を刺された。もう命は残っちゃいるめぇよ」

「『宝具』に!? ……『殺人狂』の『宝具』といえば、『命を喰う』特性!」

「正解だ、隊長殿。俺の『宝具』は殺した人間の命を喰う。『喰った』からにはもう助からん。教会関係者を喰うのは久しぶりだったからなぁ、あの感覚なかなか刺激的だったぞ」

「貴様ァ。人殺しめ」

 

こちらを挑発する言葉に、隊長が逆上する。トートにとっては隊長の怒りも、弑逆心をくすぐる程度でしかなく、「ククク」と、醜悪な顔を愉悦に歪めて笑うのみだ。再三と示されるザーナ司祭が殺されてしまったという事実を前に、俺の脳裏にザーナ司祭が優しく面倒を見てくれた光景が思い出された。ザーナ司祭は右も左もわからない俺を優しく見守り導いてくれた恩人だ。それが今は無残にも殺されて、地面に倒れ伏している。それを思うだけで、腹の底からふつふつと熱い怒りがマグマのように湧き出てくる。今にもヤツラを八つ裂きにしたい衝動に駆られる。だが、あの【ワーム】がいる限り、赤子の手を捻るかの如くやられてしまうだろう。この状況を打開する手立てが思いつかない。自分の不甲斐なさに歯を食いしばる。隊長は憤怒しているが、流石に教会の広場のラルフさんのように特攻する様子は見られない。やはり後ろにいる【ワーム】が脅威すぎるからであろう。

 

「やっぱり、『封印石』が目的だったんだね。昨日は社にあったはずなのに、今はもうない」

 

ドミトリが落ち着いた声でトートに聞いた。彼はこんな状況でも落ち着いているように見える。だが、発する言葉が普段の発言と比べるとゆっくりだ。まるで自分を落ち着かせるために言い聞かせてるようでもある。トートは上機嫌なまま答える。

 

「ボウズ、今回も正解だ。アルン村に伝わる伝説の『蛇神』。昨日のお前達の後を追ってみれば思わぬ収穫だった。我々としてはみすみす逃す手はなかったという事だ。見ろ、この巨大な『蛇神』を。アルノーゴ樹海の開拓計画を凍結に追いやるにふさわしい『災厄』だなぁ。クッハッハッハ」

「こんな化物蘇らせて、一体何をたくらんでやがる」

 

ラルフさんがトートの高笑いに負けず劣らずの怒鳴り声を発する。トートは愉悦がピークに達してるるのか、ひとしきり笑った後に話始める。

 

「くっはっはっは…… さて、何でこんな事してるかって? 伝説の『蛇神』だ。一体どんなものか確かめてみたくなるというのは人の性というものではないか? その恐ろしさってのはどんなものなのか? 我々が手にするにはふさわしいのか……ちょうど相応しい餌がいるからなぁ……クッハッハッハ、イッヒッヒッヒ」

 

最後の『餌』という言葉を聞いて、背中がゾクりと震えあがる。なんとなくそうなる事は予想できたが、コイツら……俺達をいたぶって楽しもうとしてるのか。

 

「やっぱり、おまえ達はこの『蛇神』を操っている。そうでなければ、今頃僕たち共々『餌』になってるはずだから。……そうだろう」

 

ドミトリが鋭く指摘する。トートの意図を見事に丸裸にした教会前のやり取りと同じように、その言葉はまるで刃ををえぐりこむような鋭さをもっているかのようだった。だが、トートの余裕は変わらない。

 

「ほぉ……ボウズ。やはりお前は見どころが違うようだ。冥途の土産にキサマの顔だけは覚えといてやろう。残念だがそろそろお別れの時間だ。ブレダン……せっかくノコノコ出てきたんだ、黒髪のボウズは残しとけ」

「ったく、お前の話は長すぎる。今までの間で余計な魔力がかかったぞ…… さて、『蛇神』とかいうデカブツだったか……やれ」

 

『黒髪』というフレーズに疑問を感じつつも、ネメスのもう一方の男、ブレダンとか言う男がが言うや否だった――

 

「いかん、主――」

 

ヴァンの声が聞こえると同時に突然、俺は猛烈な力で横に突き飛ばされた。地面を転がりながらも、立て続けに何かが起きた。近くで何かが爆発するかのような爆音が轟き、大量の土砂が舞いがる音が聞こえた。途端に俺の中の《声》に弱弱しい2つの《声》が戻るような感覚がした。一体何が起きたのか全く分からなかった。

 

(一体何がおき――)

 

地面に突き飛ばされた痛みに顔をしかめつつ、慌ててまわりの状況を確かめようと顔を上げる。かつて【巨大化】したグレーが攻撃した時以上に近くの地面が荒れ果てていた。俺達がいた場所はなにかが通ったかのような大きく半円柱状にえぐれた跡が残っていた。その元へ視線を移すと、封印石の社が設置されている石段の端っこが大きくえぐれている。まるで新幹線が地面をえぐりながらトップスピードでこの場を突っ切ったかのような跡だった。少し遠くからズリズリと何かが這いずり回る音が聞こえる中、他の人達は無事かと探す。

 

「おい、黒髪のボウズは外せといったはずだが」

「余りこの『呪文』は試した事はないが、それほど細かい制御ができるわけじゃないようだ。次からは入念に命令するさ」

「まぁいい、運がいいのか悪いのか、今ので誰も仕留められなかったようだが……あの【狼】か?」

「ああ、見逃したのはつくづく惜しいな。だが、流石にあの巨体を止めるには小さすぎるようだが」

 

パラパラと土砂が舞い落ちる中、ネメスの連中の会話が聞こえてくる。ヤツラの会話の通り、地面が直線状にえぐれている反対側に、ラルフさん、隊長、ドミトリが倒れこんでいるのが見えた。えぐれた土砂に体に付着してみんな土まみれになっていて、各自よろよろと立ちあがっているのが見える。ヴァンは俺のすぐ横にうずくまっていた。ロウは……どこにも見当たらない。

 

「ヴァン……ロウは……?」

「ロウ殿が直前に食い止めたおかげで命拾いできました。しかし、やはり耐えきれなかったものかと……」

 

ヴァンの報告を聞きつつ、頭の片隅で納得する。やっぱり、突き倒された直後に感じたあの感覚は、過去に感じた事がある感覚――教会前の広場で、ヴァンがドラゴンと家屋に突っ込んだ時に感じた感覚――と同じだった。あの直後、ヴァンは【蜘蛛の陰影】が解除されていた。すなわち、致死ダメージを受けて『破壊』されたという事なのだろう。今は俺の中の《声》達の中に弱々しく存在している事が、なんとなく感じ取れた。俺は気づけなかったが、ロウは【ワーム】の攻撃を『ブロック』して、俺達を危機からそらしてくれたのだろう。

 

「これが【甲鱗のワーム】か……いくらなんでも圧倒的すぎるだろ……」

「然り、申し訳ありませぬが、ロウ殿を欠いた今の我では太刀打ちできませぬ」

 これ以上はありえないと考えたくらいに固めたロウを鎧袖一触にする圧倒的攻撃力。理不尽なまでの結果に自然と口から悲嘆がこぼれる。

 

*******************************************

Scaled Wurm / 甲鱗のワーム (7)(緑)

クリーチャー — ワーム(Wurm)

 

7/6

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【甲鱗のワーム】はパワーとタフネスがそれぞれ7/6であるクリーチャーである、以上。

カード単体の説明としては、わずか一文で事足りるだけの、『ただの』クリーチャーだ。あえて注目する点はパワー/タフネスが高い数値が割り振られている事と、莫大なマナコストが設定されているという事だろうか。だが今はその点が圧倒的な脅威として俺達に襲いかかってきている。

 既に説明した事だが、クリーチャー同士の戦いは、パワー/タフネスの数値を比べることで勝敗が決まる。この時、もし圧倒的に大きな数値が割り振られたクリーチャーと極小の数値が割り振られたクリーチャーが戦った場合どうなるだろうか。結果は当然、圧倒的数値が割り振られたクリーチャーが、極小値のクリーチャーを殺戮して終了である。極小値のクリーチャーは圧倒的数値のクリーチャーにダメージを与えはするが、受ける側にとってはダメージが自らのタフネスに達しない限りは何の意味もない。ちっぽけな一人の人間が戦車に立ち向かった所で何の意味もないという事だ。戦車の表面にはひっかき傷くらいはつけることはできるかもしれないが……

 俺が連れていた戦力はヴァンとロウの2体のクリーチャーだ。このうち、ロウには【神聖なる好意】をエンチャントしていたため、ロウのパワー/タフネスは4/6。ヴァンは【天上の鎧】の効果により、パワー/タフネスに+2/+2の修正が施されているため、4/3だった。(俺がコントロールする場に出ているエンチャント1つにつき+1/+1の修正。すなわち、【神聖なる好意】、【天上の鎧】の2つにより+2/+2の修正となる)

 そう。俺のロウのパワー/タフネスでは、【甲鱗のワーム】を倒すことができないのだ。封印石に向かう道すがらでは、4/6で十分であったと考えていたが、完全に予想が外れてしまった。クリーチャーは倒されてしまうと、墓地へ置かれる事となり、プレイ中のゲームでは再利用することはできない。さらに悪いことに、倒されたクリーチャーに付与されていたエンチャントも同様に墓地に置かれる事となる。俺の場合だと、このルールはヴァンに悪影響を及ぼす事となる。俺のコントロールしているエンチャントも1つに減る事となり、ヴァンのパワーとタフネスは3/2へと弱体化してしまうのだ。ヴァンには『先制攻撃』が備わっているが、これは相手を倒し切るパワーがあって初めてアドバンテージが生まれる能力だ。【甲鱗のワーム】の前では、象に挑むアリが如く、プチっと踏みつぶされて終了だろう。俺の内の《声》で使えるものはもうほとんど残っていない。もしも、3マナ使う事が出来れば……

 

「―ウズ。――おい、そこの黒髪のボウズ!!」

 

大きな声をかけられて、俺が呼ばれている事に気づく。なんと、トートが俺に声をかけてきたのだ。

 

「オマエ、どうやらこの『蛇神』を知っているようだな。何を知っている?』

 

俺とヴァンの会話が聞こえていたのだろうか、トートに思わせぶりな所を感づかれたようだ。ザーナ司祭を殺されて憎い相手ではあるが、それでも殺人鬼なぞに注目されるのは真っ平御免だ。

 

「な、何のことやら……」

「とぼけるなっ! お前が《流星の魔物》に憑りつかれても平気だという事、輝石も持っていないこと、我々やそこの『実験体』のように『呪われている』訳ではないことは分かっている。なのに、何故かお前は、横の騎士のような『守護者』を呼び出したり、強化呪文を唱えていた。お前は一体何だ? この輝石ではない『力』の何を知っている?」

 

何から何までお見通しらしい。次から次へと、隠したい事を掘り返されてしまい、図星のせいか、心臓がバクバクいって緊張状態が全く解けない。最早、どう返したらいいのかわからず、自然と顔が騎士達の方へ向いてしまう。

 

「っへ、おまえらにゃあ話す事は何もねぇよ、大人しく俺に切り捨てられな!」

 

地面に落ちた剣を拾い上げて、ラルフさんが反骨精神旺盛に堂々とトートに言い返す。

 

「ほう? さっきは『蛇神』の攻撃をかわすのにいっぱいだった口が何をほざいている」

 

トートは余裕を崩さず、返す口でラルフさんを挑発する。

 

「るっせい! こうなりゃアレやるしかねぇな…… おやっさん。30セカンでいい、時間を稼いでくれ」

「おまっ、あんな化け物相手に無茶言うな!」

「おやっさんの『アレ』ならしのげるだろ?」

「たが、あんな大きなやつ相手には……ああああっ、ちくしょう、後で覚えてろ。ドミトリ、あと、特にワタル! 後ろに下がってろ」

 

《内なる声》に少し集中し、呪文を唱えたタイミングでちょうど声がかかったので、促されるまま後方に下がる。ヴァンが前出てくれて俺をかばう。攻撃を分散させるためなのか、ドミトリが俺とは反対に下がった。その前にラルフさん、隊長と、並ぶ形になった。ワームは左手奥の方へ大きく回りこんで、再び大きな頭を持ち上げている。相変わらずの大きさに、こんな陣形など簡単に吹き飛ばされてしまいそうに思えてしまう。だが、計算通りなら……

 

「隊長。ヴァンもヤツを防ぐのに協力します」

「るせぇ、余計なやつに前に出られると術に集中できない」

「ゴチャゴチャうるさい。さっさと死ね」

 

トートは俺達の陣形を待つことも無く、攻撃を仕掛けてきた。トートの声に合わせて、ワームが突っ込んでくる。それとあわせるように、隊長は後ろも振り返らず一直線にワームの真正面へと躍り出ていく。一体何をするつもりなのか、驚きが疑問に変わらないうちに、盾を前にかざして大きく叫んだ。

 

「其は大いなる大地の護り!!」

 

隊長の体全体が一瞬まばゆく輝く。その光景は、ラルフさんが輝石の力を行使するときに似ていた。違う点は、輝きが隊長の体全体にわたっていて、より今の方が強烈な印象を受ける点だろうか。一瞬の後、ワームが口を大きく開けて、隊長の付近丸ごと噛み千切るかのように突っ込んでくる! 瞬間、轟音が大きく響き渡る。自動車事故のような、ものがつぶれるような音ではなく、甲高いキイイインというような不思議な音がした。なんと、隊長はワームの突進をその身一つで食い止めていたのだ! 

 

「クゥォォォォ」

 

隊長は盾を突き出して、苦悶の声を漏らして耐えている。隊長の姿を中心に、大きな岩が幻影のようにまとわりついている。浄化の儀式の時にヴァンに唱えた【蜘蛛の陰影】のような光景だ。まるで、隊長が大きな一枚岩と化しているかのような光景である。ワームは岩の幻影を咥えるようにして、押しとどめられている。

 

「隊長、すげぇぇ」

「隊長の十八番、『巨岩の護り』。『鉄壁』の二つ名は伊達じゃないよ。……でも」

 

いつのまにやら、ドミトリが俺の横に来ていた。彼の解説のおかげで、隊長が輝石の力でワームの攻撃を防いでいる事までは理解できた。だが、彼の言葉尻があまり好ましくないように聞こえる。

 

「でも……何?」

「あの『巨岩の護り』でもってしても、抑えきれてない。こんな事は初めてだ」

 

隊長を見ると、徐々にだが俺達の方へ追いやられているように見える。足元も無理やり押されているせいか、地面をすった跡が見られる。

 

「くそっ、このままじゃ持たねぇ。ラルフ! まだかっ?」

「まだだ。ふんばってくれ」

 

隊長とラルフさんがやり取りしている間に、巨岩の幻影に変化があらわれた。まるで、風化を早送りで見ているかのように、外側から砂へボロボロ崩れだしたのだ。幻影が崩れるのにあわせて、ワームが徐々に俺達の方にせまり、間があったはずのラルフさんがいる所まで、押し込まれていた。このままでは不味いのは明らかだ。

 

「ヴァン」

「御意」

 

彼も自分に起きた変化を自覚しているのか、一言で俺の言いたいことを理解してくれた。ヴァンは未だ『溜め』をしているラルフさんを追い抜いて、ワームの方へ突っ込んでいく。

 

「んなっ、おまえ何やってん――」

「なんっ? うぉっ!!」

 

パキィィンと甲高い音が鳴り響いて、隊長の周辺に光が散った。隊長の防御がついに打ち破られたのだ。隊長は防御を破られた反動なのか、俺達の方へおおきくふきとばされて、俺の近くまで飛んできた。

 

「隊長!?」

 

ドミトリが隊長の様子を見に伺う。しかし、ワームの奥からトートの声がきこえてくる。

 

「蛇神の攻撃をしのいだのは見事だ。流石は隊長殿といった所か、だが此処までだ。死ね」

 

トートからの最後の宣告だ。ワームは一度、頭を引いて、矢をつがえた弓のように全身を引き締めるように動く。もう俺達を守ってくれる存在はどこにもいない。

 

「くそ、まだ、たんねぇってのに」

 

ラルフさんの嘆きもむなしく、今度こそワームが突っ込んでくる。

 

だが、大質量の突進を阻む存在がまだ一人だけ残っていた。剣を縦に構え、すべてを受け止めるかのように堂々と立つ騎士。そう、ヴァンだ。

 

「はぁ?!」

 

トートから彼らしくもない、すっとんきょうな驚きの声が上がる。今、この出来事をけしかけた本人である俺でさえ、声を漏らしそうにな奇妙なことが起きたのだ。

 

 ヴァンがワームの攻撃を食い止めている。表現すればそれだけの事なのだが、奇妙なのは、ヴァンは剣を構えたその場所から一歩も動いていないという点だ。勢いよくぶつかられたら、多少なりとも勢いに押されて、よろけるなり、後ずさるなりするのだろうが、そんな様子は一切ないのだ。ワームの動きは、紐で繋がれた番犬のように、ヴァンを前にして、ぴったりと止まってしまっていた。俺からはヴァンの後ろ姿しか見えないが、彼の回りに、時折光がまとわりついているのが見えた。その光は時折緑色に輝き、彼の前方で円を描くように回っている。

 まずは狙い通りといったところか。予想以上の光景をもたらしてくれた呪文に感謝しながら、思わず口の端がつりあがる。

 

******************************************

 

Flickering Ward / ちらつき護法印 (白)

エンチャント — オーラ(Aura)

ちらつき護法印が戦場に出るに際し、色を1色選ぶ。

エンチャントされているクリーチャーは、選ばれた色に対するプロテクションを持つ。この効果はちらつき護法印を取り除かない。

(白):ちらつき護法印をオーナーの手札に戻す。

 

******************************************

 

俺がヴァンに唱えた呪文は任意の色の『プロテクション』を対象に与える呪文だ。プロテクションについては、その能力を持っていたであろう魔物が教会前の攻防騎士達を相手に暴れまわっていた。そいつはプロテクション(赤)を有していた可能性があった。その理由として、その魔物に対しては炎の攻撃が一切通じなかったことが挙げられる。プロテクションは特定の発生源からのダメージを一切無効化してしまう。今回ヴァンに対して、あのワームからの攻撃が無効化するような色を指定して、呪文をかけたのだ。大抵、プロテクションは色で指定されることが殆どである。ワームの色は、俺も扱える『緑』だ。結果はご覧のとおりで効果てきめんだ。なんとかこれであのワームの攻撃を抑えることができるようだ。

 

「ラルフさん!」

 

誰もが物理法則を無視した光景にあっけをとられていて、ラルフさんもその例にもれていなかったようだ。俺の声掛けに我を忘れていたことに気づいたようだ。

 

「あ、お……おう。もう十分だぜ」

 

そして、左手を前に突き出した。その姿は、《魔狼》に襲われた時に見た彼の姿と酷似していた。ワームに襲われたせいで乱れた衣服からは腕がさらけ出されていて、そこには装飾が施された輝石の腕輪がされている。あの時と同じように、輝石は輝いた。だが、その煌めきはあの時よりも一層激しく、眩いほどだ。

 

「蛇野郎……とっておきのだからなぁ」

 

ラルフさんから、圧力のようなものが周りに広がった。流石に昨日の魔力振動ほどではないが、それでも人である存在からその波動が発せられている事に思わず心の奥底がわずかに震撼する。左手を突き出したあとは、その手を左手下段に振りかぶった剣に持っていき、両手の構えを取る。

 

「ヴァン、下がれぇぇぇ」

「承知」

 

ヴァンがラルフさんに声を張り上げる。なんとなしに彼を名前でちゃんと呼ぶのは今回が初めてな気がするが、そんな事は些事に過ぎないだろう。

ヴァンは涼しい顔でワームを食い止めていた剣を一払いした。驚くべきことに、ワームはそんな軽いしぐさでさえ体勢を崩された。その隙に大きなバックステップでラルフさんよりも後ろに下がってくる。

 

ラルフさんはそれを見計らってワームに処断を告げる。

 

「これで終わりだ。喰らいな」

 

彼の握る剣が白い光に包まれる。教会前の広場で【強打者】を屠った時と同じだ。あの時と同じ技でワームを倒すつもりなのだろうか。しかし、教会前ではグレーの攻撃と組み合わせて【強打者】を倒していた。あれ単体だけでは攻撃力が不足はしないのだろうか?

 

 俺の懸念は直後に解消される事となった。続けてラルフさんが剣を振りかぶりながら大声で叫ぶ。

 

「【巨大化】ァ!」

 

それは、2日前に狼を倒す、否、俺がマジックの能力に目覚めるきっかけとなった呪文。あの時はグレーが対象であったが、今回はグレーはどこにもいない。変化はラルフさんの振りかぶる剣に現れだした。もともと、何らかの輝石の力の行使なのか、彼の剣は白いオーラに包まれていたが、それ自体が一瞬のうちに大きくなったのだ。教会前で空中にいる敵を切った時は、剣の先の切っ先が伸びて行ったが、今回は剣を覆う光自体が太く、まるで風船を膨らませるかのように膨張していく。小さな芽から雄大な大木にまたがる雄大な木の成長を、一瞬の内に見せつけられてるようだった。ワームにその光の刃が当たるころには、刃そのもの大きさはワームに迫るほどまでになっていた。

 

《巨人の一薙ぎ》

 

ワームはその身に等しい大きさの、巨大な輝く剣に両断された。

 




細々とまだ生き残ってます。
前書きは第5版の甲鱗のワームのフレイバーテキストです。


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021:氷河期の災厄 その2

 ラルフさんの大技は、その超弩級な見た目とは異なり、最初は驚くほど静かだった。彼が腕を振り切ったあと、衝撃がまわりに一気に駆け抜け、轟音があたりに響く。

 白き巨大な刃が通り過ぎた後は、『一直線に切られている』というよりかは、『軌道上にあるものを削り取っていった』という方が正しい表現だと思えるように、何もかもが一直線に消え失せていた。軌道上にあった木はどれほど太くても、元の姿を有し続けているものは無く、剣が振りかぶられた軌道上にある地面には、一直線に割れ目が穿たれている。余波で風が吹き抜けるとともに、木々がバラバラとあたりに落ちてきた。

 

これほどの威力がある技ならば。だが……

 

「マジかよ……」

 

 思わず俺の口から言葉が漏れ出る。ラルフさんの姿勢や周りの荒れ具合から見るに、ラルフさんはあの刃を『振り切った』はずだ。だが、【ワーム】はあの刃を食らっていたにも関わらず、以前の巨大な姿のままであり続けていたのだ。

 

「GYUOOOAAA!!」

 

 まるで平気だというように【ワーム】が咆哮する。だが、異変は既に【ワーム】自身にも起こっていた。頭部よりも少し下のあたり、刃の通ったであろう部分がごっそりと削げ落ちていたのだ。体の内部が見え、血が勢いよく噴き出している。白い部分は骨なのだろうか、象牙以上に太い棒状のものが突き出ていた。

 

「GAAAAAA!」

 

 【ワーム】は自分にされた事に今気付いたらしく、苦悶の声を上げながら、胴体を激しくうねり始めた。大きい咆哮をあげ、回りの木々を巻き倒しながら激しくのたうちまわっている。頭部のは陸上に上げられた魚のように口をパクパクと動かしている。バタバタと胴体の暴れ具合が徐々に激しくなる中、この光景を巻き起こした張本人――ラルフさんは、【ワーム】の目の前でがっくりとうなだれてしまって全く動くそぶりもしなかった。

 

「ガッハ、グホっ……クソ…」

「ラルフ殿」

 

 ヴァンがラルフさんの様子を疑問に思い、彼に近づく。

 

「ラルフ殿! その血は!?」

「うるせぇ……どうってことねェよ。それよりヤツは?」

 

 彼はヴァンに気づいて、苦しげに声をあげた。ヴァンを見上げるラルフさんの口の端には、血が垂れたあとが見えた。吐血でもしたかのようだ。ラルフさんの事も気になるが、【ワーム】は一層激しく暴れだす。このままだと彼が巻き込まれてしまう。

 

「ラルフ殿、この場は危険だ。急ぎ、主たちの元へ下がるぞ」

「ああ……」

 

 ラルフさんはゆっくりと立ち上がる。技を放つ前と比べて、少し弱っているようにも見える。ヴァンはラルフさんが満足に身動きができないことを看破すると、ラルフさんに肩かし、彼を補助する。ラルフさんとヴァンは、ヴァンがラルフさんを引きずるようにして、俺達の方に戻ってきた。

 

「二人とも大丈夫?」

「我は大丈夫です。ですが、ラルフ殿が衰弱してるようです」

「ッケ。こんなん、そのうちすぐ直るさ」

 

 彼らが近づいてくるのと同時に、隊長とドミトリも俺達のところに集まってくる。隊長は吹き飛ばされはしたが、無事の様だった。

 

「みんな、無事か?」

「ラルフさん以外は、それであのワームは……?」

「攻撃は効いたようだが、倒しきれなかったか」

 

 隊長の視線の先には【ワーム】がじたばたしていたが、ラルフさんが与えたはずの大きな傷口がもう塞がりはじめていた。アルン村教会内で見た【ロクソドンの強打者】と同じ光景だ。この点、『災厄の流星』の魔物と、あの【ワーム】は同じ性質を持っている事がわかる。ザーナ司祭の話では、【ワーム】は遥か昔に封印された魔物であるということだったが、もしかすると【ワーム】も『災厄の流星』のように空から降って表れたのかもしれない。

 

 だが、そんなことは今はどうでも良い事だ。今は目の前の【ワーム】を排除することが最優先である。ヴァンにかけた【うつろう護訪印】の効果は狙い通りに【ワーム】の攻撃を防いではくれたが、このままでは千日手、いや、そのうちに均衡は崩れ去ってしまうだろう。これがマジックのゲームだったならば、『プロテクション(緑)』を有する、自分の防御クリーチャー1体と、相手側の『緑クリーチャー』1体で、相手側の攻撃を完封することができる。しかし、今の目の前の戦いは現実に起きているのである。相手側がこの状況に手をこまねいて何もしない保証はどこにもないのだ。

 

 ベストな手としては、ダメージが通った【ワーム】にとどめをさすことだが……ってしまった!? 今になって、この一時一時が、【ワーム】にとどめをさす絶好のチャンスだという事に気づく。急いでヴァンに指示を……と、思った束の間だった、ゾワリという、あの感覚がしたと思ったら、今度はラルフさんに続き、ヴァンが突然地に倒れ伏したのだった。

 

「お、おい!? ヴァン」

「グ、グァアアアアアアアア」

 

 ヴァンは突然、頭を抱えだして絶叫しだした。その声や、少し先で傷のせいで暴れまわる【ワーム】が起こす騒音を掻き消すほどだ。ヴァンは頭を抱えて叫びながら、【ワーム】と同じように地をごろごろと暴れまわっている。

 

「おい、一体どうしたんだ」

「だめだ、力が強すぎて抑えられないよっ……うわっ」

 

 隊長やドミトリがヴァンを押さえつけようとするが、エンチャント2つで強化されたヴァンの力にかなわないせいか、2人ともヴァンに手を取り払われて、押さえつけることができなかった。

 

「あ、ああああっある、あるじぃぃぃ……」

 

 ヴァンは俺を幻視しているのか、木々が茂る空を見上げて、手を伸ばしている。たまらず、ヴァンに駆け寄り彼の手を取る。

 

「おい、おいっヴァン。大丈夫か!?」

「うううううううぅぅ」

 

 幸い、ヴァンは俺の手をはねのけることなく、ぎゅっと握り返してくるが、徐々に言葉が弱々しくなってきた。ヴァンの顔は汗にまみれ、顔色が悪いというのも控えめなほど、顔面が蒼白になっている。目は白目になりかけており、どこを見ているのかはわからない。何が原因でこうなったかはわからないが、発作のようなものを起こしているのは確かだ。突然のヴァンの豹変に意識を割かれた俺たち4人に、【ワーム】の背後から声がかかる。

 

「小僧。先ほどその貧弱な『守護者』にかけた呪文は一体何だ? あのような効果を与える呪文は見たことがない」

 

 【ワーム】が傷つけられたというのに、起こったことなど全く気にもせず、トートは冷徹に質問を投げかけてくる。にゃろうめ、それはこっちのセリフだっての。

 

「うるさい! んなことより、お前らこそ一体ヴァンに何しやがった!」

「質問をしているのはこちらだ。小僧、その守護者に何をした。最も、その守護者も直に死ぬだろうがな……クククッ」

 

 ヤツらがヴァンに何かをやったという事は、トートの発言からは明らかだ。

 

「あるじっ、あるじっ、あるじっ」

 

 再びヴァンを見ると、頭を掻きむしった後なのか、頭部から血が流れていた。ヴァンは小さく胴体を丸め、右手を頭に添えて怯えながらも、現実を見ていない視線は空の方向を向いている。左手は、誰かの助けを求めるのかのように、小刻み震えながら、誰かの手を取ろうと必死に宙をかいている。そのあまりに弱々しい姿は、今まので堂々としていて忠実なヴァンの姿を見てきた俺を打ちのめすには、十分な惨状だった。

 

 ふいに、頭の中に今のヴァンと同じような光景が浮かびがる。何かに打ちのめされたかのように弱弱しい姿で、こちらを見返すこの姿は……

 

「あっ……ああああ!」

 

 この野郎! 俺のヴァンになんてことを。傷がふさがりかけている【ワーム】を超えて、台座の上に余裕をもってたたずむトートをにらむ。

 

「おまえら! ヴァンに【恐怖】をかけやがったな!」

 

 トートは俺の言葉に、口の端をニタリと釣り上げて応じるだけだった。

 

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恐怖/Terror (1)(黒)

 

インスタント

アーティファクトでも黒でもないクリーチャー1体を対象とし、それを破壊する。それは再生できない。

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 【恐怖】の呪文。

 

 その効果はいたって単純。端的に言うと、場に出ているクリーチャーを破壊する力をもっている。

 

 黒やアーティファクトに分類されるクリーチャーに対して通用しないが、耐性を持たないクリーチャーならば、これ1枚唱えられたら即お陀仏である。おまけに、それほどコストもかからないという、どのデッキにも入りうる万能カードともいえるような代物だ。シンプルがゆえに、この【恐怖】の効果と同じような呪文はマジックには腐るほど存在する。そのことからも伺えるように、マジックにおいては、場に出ているクリーチャーというものは、それほど価値のある物としては扱われていない。【恐怖】のようなカードがありふれている環境なのだから、必然的にそうなってしまうのだ。【恐怖】で破壊されたクリーチャーは墓地に置かれ、実質的に『死んだ』と同然の扱いを受ける。通常は墓地で置かれたカードは再使用することはできない。一番痛いところは、俺のデッキにとっては、この手の呪文は天敵といってもいいところにある。その理由は、破壊されたクリーチャーにかけられたエンチャントも同様に墓地に置かれてしまう点にある。そう、せっかくコツコツ強化してきたパワーアップが1回で水の泡となってしまうのだ。エンチャント呪文の利点は【巨大化】と違って永続的に強化ができる点だが、クリーチャー自体をピンポイントで破壊してしまう呪文にはめっぽう弱いのだ。

 

まずい。

 

 徐々にラルフさん以上に衰弱していくヴァンを看取りながら、俺の脳裏にはその考えだけに占められた。ヴァンにつけた【うつろう護訪印】で【ワーム】の攻撃をいなしつつ、時間稼ぎに徹し、ヴァンをさらにエンチャントで強化することで【ワーム】を打破しようとしていた作戦が根底から覆された。このままでは、【ワーム】を倒すもおろか、次の攻撃で俺たちは【ワーム】の圧倒的質量で肉のミンチになってしまう。隊長も【ワーム】には防御呪文で対抗していたが、それが通用しないのは、ヴァンが割り込む前の事を思い返せば明らかなことである。

 

 ヴァンはもはや何も言葉を発しなくなり、やがて体が一瞬白色に輝き、光の粒子の集まりとなって、空中に散っていた。グレーがやられた時と同じだった。

 

「まずい、まずい、まずい……」

「おい、ワタル。 大丈夫か」

 

 頭の中の考えがいつの間にやら口から洩れていたらしい。ラルフさんが俺を心配してくれるが、トートから最終宣告が告げられる。

 

「クックック。ご名答。何故、この呪文の名前まで知ってるのかは気になるが、まあいい。後でゆっくりと尋問するだけだ。さて、どうやら、その守護者が要だったようだな。これで『蛇神』を防げる者はいなくなったというわけだ。そろそろ、傷も治りきったようだ…… ブレダン」

「やれやれ、そろそろ飽きてきたところだ。今度こそ、やれ」

 

 ブレダンは、俺の絶望など斟酌するはずもなく、躊躇なく【ワーム】に命令を下す。

 

「くそがぁ!」

 

アルバート隊長が前に駆け出し、盾をかざす。

 

「其は大いなる大地の護り!!っ……」

 

 前回と同じように、隊長がかざした盾から光が溢れ出した。隊長があの防御魔法を展開したのだ。詠唱の後半は、幻影が現出する際の音で聞こえなかった。

 【ワーム】が突っ込んでくるタイミングと盾が一際輝くのが一致し、目がくらんで何が起きたか一瞬、判別がつかなくなる。すぐに聞こえるのは、聞いたこともないような何かが飛び散る音と、【ワーム】の苦悶の声だ。

 

「何っ!」

 

 意外な声を上げたのは、トートかブレダンどちらかだったか。隊長が【ワーム】の攻撃を呪文で防いだのだが、今回は現出している岩の幻影の形が前回とは大分違っていた。前は、川の上流にあるような、全体として丸まっている大きい岩のような形をしていたのだが、今回は、大きく前方に尖った形状をしていたのだ。【ワーム】は針状の巨岩に自ら突進する事となり、半透明の岩の幻影に口を貫かれていた。

 

「GUOOOOOO!!」

 

 【ワーム】は思いもしない獲物の反撃から脱しようと、大きな胴体を後方にずらし始める。

 

「逃がすかよ。其は大いなる大地の御力!」

 

 隊長が叫ぶと、また一際盾が輝き、尖った岩に変化が現れる。【ワーム】の頭部の内側から、何かが突き上げてきて、次々と【ワーム】の鱗を突き破って出てくる。

 

「GYAAAAAA!!」

 

 【ワーム】はさらなる痛覚に絶叫する。【ワーム】の頭部のあちこちから突き破って出てきたのは、岩の棘だ。隊長は【ワーム】を貫いている、巨大な槍のような岩の形状を変化させて、針状に変化させたのだ。【ワーム】の内部は柔らかいのか、かなりの数の岩の針が鱗を突き抜けていて、結果的に【ワーム】は岩の槍に固定されてしまった。エグイ事に、隊長が変化させる前は、芯となる岩の先端はとがっていたのに、今はかえしがついた形をしている。何が何でも離すまいとする隊長の覚悟が現れているかのようだった。

 通常の生物であれば、これだけ頭部を刺し貫いたから死んでもおかしくないのだが、【ワーム】は『災厄の流星』の魔物故か、まだ生きているようだ。苦悶しながらも、胴体をあっちこっちにクネクネとばたつかせている。

 

「ドミトリ! ワタルとラルフを連れて、結界石の外に出ろ」

「えっ、隊長はどうするの?」

「俺は、コイツを抑えておく。お前は、外に出たら、ここの封印を閉じるんだ」

 

 それだけ聞けば、隊長の意図は明らかだった。前回、この祭壇に来たとき、封印石の内側にいたまま封印されてしまった場合、封印が解かれない限りは二度と外に出ることができないとラルフさんから聞いた。【ワーム】やトート達ごと自分も道連れに封印されようという事だ。

ドミトリも、隊長の意図を察したらしく、一瞬表情が歪んだが、すぐに返事を出す。

 

「……了解っ。 急いで。ワタルはラルフさんの肩を貸してあげて」

「わかった……」

 

 ドミトリの一瞬の表情の変化を見てしまっては、俺がとやかく言う余地はないだろう。ラルフさんの元へ近づき、屈んで腕を回す。

 

「おまっ。おやっさんを、おいていけるかよ」

「ラルフ、これしか方法がねぇ。ゴチャゴチャ言ってねぇでさっさと行けっ」

「うるせぇ、俺がソイツをたたっ切ってやるから問題ねぇ」

「馬鹿野郎! そんなヘロヘロな状態でできるわけねぇだろうが。いいから行けぇぇ!!」

 

 最後の言葉は俺達に懇願するような悲痛な叫びだった。ラルフさんは、その言葉を聞いて、茫然としてしまったようだったが、うつむいてしまった。そして、うつむいたまま「行くぞ」とだけポツリと言葉を漏らす。

 その言葉を聞いて、俺はドミトリと目線を合わせる。彼は頷き返してくる。そして、ドミトリと俺とでラルフさんに肩を貸して立ち上がり、結界石の封印へ歩き出す。

 

「っち。させると思うのか」

 

 だが、トートやブレダン達が、俺達の行為を黙って見過ごすはずもなく、ゾワリとあの感覚がした。

 

 俺達の目の前の空間に緑色の穴が開き、次第に丸い球体が形づくられていく。現れたのは、アルン村教会前広場で見た、あの【狼】だ。

 

「っく、現れよ!」

 

 ドミトリは、開いている手を地面へ向け、呪文を発動させる。地面に円形の光る魔法陣のような図形が描かれ、渦巻くように光が上空へ向かって放出される。光の粒子で形造られて現れたのは、これまたアルン村でドミトリが召喚していた、中身ががらんどうの『鎧』だった。

 

「行けっ」

 

 鎧はドミトリの指示を受けて、狼に音も立てずに向かっていく。教会前では、鎧は狼を一方的にボコっていたので、十分対抗できるだろう。しかし……

 

「あの狼は倒されても復活してくるぞ」

「わかってる。今度は手加減をする」

 

 ドミトリも、一度体験した教会前の出来事から学習しており、すぐさま返答が返ってきた。ラルフさんに肩を貸しつつ進んでいるので、歩みは早いとは言えないが、進行を妨げるものはいない。

 

「っち、させるかと言ってるんだ!」

「うおおおおおおおおおおお」

 

 トートの毒づきの後に、隊長の雄叫びが響きわたる。続けて、バゴンッというような大きな轟音が発生した。俺達の立つ地面が大きく振動し、大きな縦揺れが一回だけ起きた。その勢いや、俺、ドミトリ、ラルフさんの3人一組の俺達が一瞬、空中に持ち上げられるほどだった。何が起きたのかと、進みつつ後ろを見やると、なんと、視界いっぱいを横断する岩壁が、【ワーム】を貫く針の両脇に出現していたのだ。明らかに隊長が出現させたのがうかがわれる。

 

「行こう、隊長がヤツラを抑えている間に!」

 

 ドミトリが、状況を察したのか俺に声をかけてくる。幸い、トート達から見て、視界が遮られてるおかげか、追撃のクリーチャーが現れてくる様子はない。今は結界石の外へ急ぐのみである。しかし、ある程度進んでから、隊長のふんばりもむなしく、追撃の知らせがラルフさんから発せられる。

 

「くそ、後ろだ。岩の上から、何かがくるぞ」

 

 再び後方に目をやると、何か白い靄のようなものが2つ、岩壁を乗り越えてこちらへ向かってくる。その靄のようなものは、こちらに近づいてくるにつれて、何かの形を取り始めた。薄く広がっていた靄が次第に収縮し始め、やがて四肢を形作りだす。その変化はヴァンの召喚の時の光景に似ている。しかし、目の前の靄の変化は、頭部が大きくいびつな形をとる点で異なっていた。こちらを憎々しげに見る怒りの表情が顔に表れ、その上にはソイツの怒りの激しさが現実に形を伴なって現れたかのような異形の角が生えていた。はっきりと認識できる変化は頭部のみであり、それ以外の要素は辛うじて手足が形作られているかどうかという程度だった。全体的に白く靄がかっていて、霧や雲といった気体から構成された化け物であるという事はなんとなく察せられる様相だ。この、人間にホラー要素を足して、幾ばくか常識を外して成型したかのような霧人間は、一直線に俺達に向かってきた。

 

「このままじゃ追いつかれる」

「ちくしょう…… おい、下せ。あいつらを迎撃する……」

「ラルフさん、大丈夫なんですか」

「さっきよりかは多少ましだ。だが、せいぜい一発がいいところだ。おい、ネクラ、お前もあいつらを何とかする方法はないか?」

「宙にいる相手だと『魔力の矢』しか届かない。せめて、今、狼を抑えている『守護者』をそっちに回せれば……」

「あの狼を抑えられればいいんだな?」

「うん、もしかしてまだ『守護者』が?」

「ああ、だけど、事態を打開するほど強力じゃないんだけど」

 

 今しがたつながりが戻ったばかりのラインを通じて、緑マナと白マナを手繰り寄せる。もう片手で数えるほどになってしまった《声》の中から、1つをひっぱりあげる。

 ヴァンと同じように白い球形の『穴』が、俺の念じた箇所に発生する。変化はヴァンと同じく、次第に白い球形は人の形を取り始める。人間の形をとっているが、ヴァンと比べると、背は彼よりもさらに大きく、体もがっしりと厚みがある体格を形づくり始めた。彼が現れている場所は俺達から少し離れているから、まだ実感が伴わないが、きっと目の前にしたら、見上げるほどの大きな体格なのだろう。ヴァンは防具を身に着けていたが、現れたクリーチャーは、下半身を覆い隠す布のようなものを纏っているだけで、上半身はむき出しで何もつけていない。下半身のそれは古代ギリシア人が身に着けていた『トーガ』と言われるもののようだった。一方、筋骨隆々とした胸板は、それそのものが自然に出来上がった防具だと言われてしまえば納得してしまうほどに立派なものだった。肩から両端に下がる腕、拳は大きな胴体から想像できる期待通りの立派なものだ。短めの頭髪をしていて、アジア系人種を思わせるヴァンと比べて、茶色に染まっているのはヨーロッパ系白人を思わせる。その表情は劣勢に追いやられている俺達にしてみれば、正気なのかと疑ってしまうほど威風堂々、そして自信に満ち溢れており、その存在を見るだけで、何とかなってしまうのではないかと見るものを圧倒してしまうほどだ。

 彼は、すっくと大地に太い両足をつけると、その全身を上に向け、まるで大空すべてを抱え込もうとしてるかのように、両手を広げた。そして――

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 雄叫びをあげた。

 

 空気の振動が俺達に伝わり、ビリビリする。雄叫びの後、彼は何事もなかったかのように、のしのしと俺達の前に来て、ひざまずいた。

 

「マスター。要請に応じ【イロアスの英雄】、今ここに見参! 俺の拳を打ち据えるべき敵はどこだ?」

 

 これまた、お似合いなハスキーボイスで俺に告げた。

 

「こいつは、まぁ……」

 

 何と言っていいのやら。俺のクリーチャー召喚の光景は、ヴァン、ロウと2回は見てきたのである程度は慣れてきたつもりだったが、こいつの登場は一際強烈だ。ヴァンの俺を主を仰ぐ時の光景をしのいでダントツで俺の記憶に焼き付いてしまった。ヴァンは無骨な武人という、長き戦場の果てで研ぎ澄まされた、いぶし銀的な印象を受けるのだが、目の前のコイツは身に纏う覇気からして、ヴァンのそれとは根本的に違っているようだ。それは、名乗りを上げたようにまさに『英雄』と言った所か。それにしても、コイツ、見たまんま某ギリシア神話のガタいの良い脳筋英雄様のイメージそのままなのだ。

 

「オイ、ワタル、そいつ大丈夫なのか」

 

 半ば俺が面白がって、黙っていると、横から多少引きぎみなラルフさんが問いかけてくる。

 

「急いで」

 

 ドミトリが焦った声で促してくる。もう霧の化け物との距離は当初の半分以下になるほどに近寄られている。外れの方へ狼を追いやっているドミトリの鎧守護者を探しながら、目の前の『英雄』に命令する。

 

「はりきってるとこ悪いが、あの鎧の代わりに狼を押さえてくれないか? 狼は倒しても復活してしまうから、手加減するように」

 

 俺の言葉を聞いた英雄は、明らかにがっかりした表情をした。

 

「なんだ、つまらん。あの大蛇とは闘えないのか」

 

 こいつは、バトルジャンキー気質な所がある、と心のメモに付けたしつつも、さっさと行かせる事とする。

 

「もうほとんど、呪文を使っちゃったから無理。頼むから早く……」

「仕方がない」

 

 英雄は登場時の時と比べて明らかにテンションがた落ちで、そそくさと狼の所へ向かっていく。しかし、すぐに俺の方を振り返った。

 

「マスター。俺に名前をつけてくれないか?」

「えっ」

「【先兵】や【番狼】にはつけていただろう?」

 

 突然振られても、そうやすやす出てくるものではない。しかし、ヴァンやロウに名前を付けてやった手前、コイツの言う事も正当な要求だと思う。

だが、どうしたもんか、ヴァンやロウの時は結構単純に名前をつけたしな。ここは……

 

「ヘラ――いや、待てよ」

 

 流石にそのまますぎるか。ならば、ここは、後ろの方を取って……

 

「『クレス』。おまえの名前はクレスだ」

「さっきの『ヘラ』というのは?」

「それは気にするな! いいから、もう行け!」

「気になるがまぁいいか。ウオオオオオオ!」

 

 またもや『クレス』は雄叫びを上げて、狼の方へつっこんでいく。狼は外野から大きな声を浴びせられて、体がビクリとのけぞった。狼は倒されない限りはパワー、タフネスは1/1ずつなので、2/2のクレスには余裕の相手だろう。今になって召喚したクレスには、実は俺にとって有利に働く特殊能力が複数あるが、今回は使う機会に恵まれなかった。もっと落ち着いて戦いに臨む時間があったのなら、いの一番に召喚するのだが、アルン村の時の状況では即戦力を必要としていたので仕方がない。

 

 ドミトリはクレスが、狼を押さえつけるのを見計らって、鎧の守護者をを空へ転じさせた。この鎧、当然だが、ある程度空も自由に行き来できるようだ。アルン村の攻防の時から、地面の上にふわふわ浮いていたので、普通の事ではあるが……。

 鎧は、まるで上からロープでつられているかのように、ふわりと霧の化け物を迎え撃ちに行く。ラルフさんは、片膝立ちで座り直し、剣を右手で持ったまま、地面に寝かせて置き、少し溜めてから振り抜いた。

 ラルフさんが振り抜いた剣は、教会前で上空の魔物を真っ二つにした時のように、一直線に霧の化け物に向かって伸びて行った。そして、雲が物体を突き抜けた時のように、まっすぐ伸びた刃は、霧の化け物をかき消した。ラルフさんの刃が霧の化け物に届かんとした時に、横からドミトリの詠唱が聞こえた。すると、ドミトリがいる方向の地上から上空に向かって、白くて尖った立体のようなものが3つ、上空に向かって飛んでいく。これが『魔力の矢』だろうか。それぞれの大きさはバスケットボール程度で、それが地対空ミサイルのように、霧人間に向かっていく。

 

「ギィヤァァ」

 

 魔力の矢は、すべて霧の化物に当たった。霧の化物から何かうめき声のような声が聞こえてくる。魔力の矢はラルフさんの攻撃ほど殺傷力が無かったようだ。霧の化物は、その体のうち『魔力の矢』が当たった箇所の形状が大きく崩れていたが、まだよろよろと俺達に近づいてくる。そこへ、魔力の矢に遅れて、ドミトリの鎧が霧の化け物に追いつく。鎧は霧の化け物に体当たりをかました。驚く事に、鎧と霧の化物はお互いぶつかりあって、接触していた。あの霧の化物には質量や実体があるという事か。

鎧は霧の化物に上のりになって、もみくちゃしている。倒し切る至っていないが、十分妨害は果たせているようだ。

 

「行こう」

「ゲホッ、コフッ…… ああ。悪いがまた肩を貸してくれねぇか」

 

 ドミトリは、鎧の事を気にせずに、俺達に先を促してくる。ラルフさんはまた吐血したのか、だいぶ息が荒くなっていて、【ワーム】に大きな斬撃を放った直後の時のように苦しそうにしている。ラルフさんは、自力で立ち上がる力が残っていないようで、ドミトリと俺の2人で肩を貸して歩みだす。幸い、霧の化け物に続けて、追手が来ることはなかった。俺達は少しでも早く結界石の元に行こうと、元来た道を戻っていくことしかできなかった。



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022:氷河期の災厄 その3

 隊長が俺たちを【甲鱗のワーム】やネメス達から逃してくれてから、一体どれだけたっただろうか。前に一度訪れたときの記憶によれば、俺達の目指す『結界石』は、【ワーム】の封印石が封じられていた台座から、徒歩で10分圏内の距離しか離れていないはずだ。だが、今の俺達は衰弱してしまったラルフさんをドミトリと俺が肩を貸して移動しなくてはならない状況であり、思うように前へ進むことができなかった。もうとっくについても良いのではと思うのだが、まだ『結界石』の台座の影すら視界にとらえることができない。

 

「ぜっ、はあ。結界石までって、こんなに距離あったっけ」

 

 荒い息をととのえながらも、ぼやいてしまう。

 

「はあ、はあ、まだっ、あと少しあったはず」

「お前ら、わりぃな……いざとなったら俺を捨ててでも……」

 

 ラルフさんは衰弱しているせいか、アルン村までの彼の様子からは想像できない弱気な言葉を漏らしている。もしかしたら、隊長が犠牲になったことが少なからず影響しているのかもしれない。だが、ラルフさんの言葉は、隊長の捨て身の献身を考えると、聞き捨てならないものだ。

 

「そんな事言っちゃだめだ。隊長がどれほどの覚悟をして僕達を逃がしてくれたか……」

「……すまねぇ。今は少しでも急ぐべきときだったな」

 

 ラルフさんは前を向き、再び俺達は結界石の元へと急ぐ。

 

 そんな時だった、後方の俺達が通ってきた方向から、【ワーム】の大きな咆哮が聞こえてきた。

 

「この鳴き声はもしかして……もしや、隊長は……!?」

「それ以上は考えないで。今は急ぐんだ」

 

 ドミトリが注意がそれないように促してくるが、その声も、何かに縋り付いているようだった。俺達はほうほうの体で逃げてはいるが、体感的にもう数百メートル程度は封印石の場から離れることができているはずだ。にもかかわらず、音が聞こえるという事は、あの強大な【ワーム】を捕えていた枷か【ワーム】に何かがあったと考えるべきだろう。追いつかれてしまったら、今度こそ一貫の終わりである。

 慣れない戦闘に加えて、ドミトリと協力して運んできたとはいえ、今までラルフさんに肩を貸してきて進んできたおかげで、俺の体はもはや疲労で限界に近かった。気は急いているのに、歩みは依然としてゆっくりなままである。そのような状況に、さらなる追い打ちをかけるかのように、もう1つの変化が幾ばくもしないうちに起こる。

 

 突如として、俺の中の《声》に戻ってくる感覚がしたのだ。

 

「!? クレスがやられた!」

 

 今まで俺の内の《声》達から解き放たれていたはずの『クレス』の《声》が、俺の内に戻ってきたのだ。こればっかりは、未だ馴染みきっていない《声》の感覚なので、すぐにわかった。パワー、タフネスが2/2のクレスでは、7/6の【ワーム】の前では焼け石に水だったのだろう。

 

 いよいよもって追い詰められた状況となってしまった。まだ影すら捉えきれていない結界石までの道程が、永遠に続いているかのように思えてしまう。

 

ズリズリズリズリ……

 

 背後から何かが迫ってくる音が聞こえる。土砂が崩れる音や、茂みの葉を掻き分ける音、さらには木がへし折られる音が混じっては背後から俺達を追い立てる。そして次第にその音は大きくなっている。

 

ズリズリズリズリ……

 

「くそ、おいつかれるぞ」

「GUGYAOOOOOOO!」

 

 背後を振り返ったラルフさんが叫ぶ。俺とドミトリは必死に足を動かしているだけで、背後を振りかえる余裕はなかった。しかし、何度も聞かされ、恐ろしさを味わう羽目となった【ワーム】の鳴き声を認識するには、もう十分距離を詰められるほどとなってしまっていた。

 

「まわりこまれる!」

 

 視界の右手、ドミトリの方向から大きな影が俺達の行く手を遮るように、大きくまわりこんできた。その大きな影は、長すぎる胴体で俺達の行く手を遮ると、続けて反対の左手から竜のような頭部をのぞかせ、最後の仕上げとばかりに、大きく口をあけて俺達に咆哮してきた。

 

「GUOOOOO!」

「くそ……追いつかれちまった」

 

 自然と俺たちの歩みは止まってしまっていた。もはや万事休すか。せっかく隊長がその身を挺して逃げる隙を作ってくれたというのに、みすみす追い付かれてしまった。

 

「っ!? あぶない!」

 

 ドミトリの突然の警告に、何が起きたと状況を確かめようとした時だ。体全体に大きな衝撃が加わり、勢いよく吹っ飛ばされた。

 

【番狼】のロウに襲われたときと比べると、俺が受け止める事となった衝撃は違った。人間にタックルをかまされて吹っ飛ぶというよりかは、もっと大きなもの、まるで軽トラックに思いきり正面からぶつかられたかのようだった。

 

「っつぁ……」

 

 宙に浮いていたのはそれほど長くなかったが、地面に投げ出され、まともに受け身もとれずに転がる。続けて全身から違和感を感じる。体の感覚が、手の届かない遠いところに持ってかれてしまったかのような、自分の体が自分のものでないような気がした。そのくせ、焼けつくような痛みに鈍い倦怠感が混じったような、この世の苦しみを凝縮した最悪の痛覚に襲われる。

 

「っくぉ……」

 

 なんとか体を起こして辺りを確かめる。すぐ近くにはラルフさん、ドミトリが地面に俺と同じように投げ出されていた。二人とも身じろぎをしている事から、幸いにして死んではいないようだ。

 

「くそ、いたい、めちゃくちゃいたい……」

「ラルフさん、ドミトリ、大丈夫か?」

「っがあ、あのクソ蛇め、俺達もろとも吹き飛ばしやがった」

 

 ドミトリは手をついて上半身を何とか起こしていた。顔は土にまみれ、半泣き状態でうめいている。ラルフさんは、あおむけで大の字になって倒れたままでいる。あれだけの衝撃を受けておきながら、まだ何とか意識を保てたようだ。

 

「GUOOOOOO!!」

 

 【ワーム】の方を見ると、俺達を通せんぼしたまま、その大きな頭部で俺達を睨みつけている。右の方から、【ワーム】の太い胴体からは想像できないほど、細い尻尾がゆらゆら揺れていて、時々地面をたたきつけている。どうも俺達はその尻尾で吹き飛ばされたらしい。大の男3人を朝飯前であるかのように吹き飛ばしてるあたり、やはり圧倒的質量は致命的な戦力差であった。

 

「なんで、あいつ動かないんだろう」

 

 ドミトリが訝しげに口を開く。ドミトリの言うとおり、【ワーム】はしばらく尻尾を地面にたたきつけていたが、動き出さずにそのままであり、俺達を攻撃する様子がない。舌をチロチロと出しつつ、俺達の方をじっと伺っているだけである。

 

「わざと俺達を殺さないように命令を受けてるのかもしれない」

「あの攻撃で俺達をつぶすこともできたはずか……」

 

 そう。俺達を吹き飛ばした【ワーム】の尻尾の一撃であったが、別に尻尾である必要はなかったはずだ。【ワーム】にはアルバート隊長の渾身の攻撃であった岩の針に刺し貫かれた怪我がどこにも見当たらなかった。あれからそれほど経ってないはずだ。だが、その姿は隊長にやられる前の時と比べて、遜色ないほどだ。驚異的な再生力に舌を巻いてしまう。見れば見るほど万全な状況のはずなのに俺達に対して『手加減』をしたのは、何らかの理由があるはずだ。

 

「もしかしたら、俺を殺さないようにしてるのかも……」

「そういうや、あのクソ野郎は、そんなことも話してたな」

 

 ヤツらは俺に対して『尋問』をすると話していたので、もしかしたら俺を殺さなように【ワーム】に指示をしているのかもしれない。若干『尋問』でどんな事をされるか、想像が及びかけたので、震える体を抑えつつも、目の前の事に集中を戻す。【ワーム】は変わらず、俺達を通せんぼしている状態のままだ。

 

「そういえばトート達は?」

「いてて…… 来る様子はないね。もしかしたら隊長がその場に押しとどめてるのかもしれない」

 

 ドミトリが痛みをこらえつつも、右手に水晶を現出させながら答える。というか、出したり消したりすることができるのかよソレ。俺達に【ワーム】に追いついて来てから、背後からは、誰も近づいて来る様子はない。この事も、【ワーム】が様子見をしている事に加えて、納得しがたい奇妙な膠着状態を推察させる状況に一役買っている。ドミトリの水晶の仕組みも気になるが、いつまでもこのままというわけにはいかない。いつトート達が背後から現れるのかわからないのだ。もし来てしまったら、その時こそ本当の『詰み』である。

 

「オイ、ネクラ、ワタル、お前らまだ動く事はできるか?」

 

 最早、自分達の最後をその場で待つしかないのか、そう思っていた中、ドミトリと俺に挟まれた中央のラルフさんが、今までに無い真剣な様子で話出す。

 

「まだ、なんとか」

「俺も辛うじて」

 

 【ワーム】の尻尾に大きく吹っ飛ばされはしたが、ドミトリも俺も動けなくなるほどのダメージはうけていない。全速力で駆け抜けるという事はできないが、なんとか立って移動することはできそうだった。

 俺達の応答を聞いてから、ラルフさんは一拍設けて、一語ずつ確かめるかのように話しだす。

 

「いいか、よく聞け。俺があの蛇野郎に一撃を加える。なに、倒せないだろうが、アイツを抑え込む事はできるはずだ。その間に結界石まで辿りついて、封印をするんだ」

「そんなっ!」

 

 まさかの自己犠牲の発言だった。ラルフさんが【ワーム】に見舞ったあの一撃は、【ワーム】を倒す事は出来なかったが大きな痛打にはなっていた。【ワーム】が完全に回復するまで、楽観的に見積もっても1分以上の隙は見込めそうであった。だが、隊長が犠牲となった経緯がある以上、ラルフさんの決死の申し出を条件反射で反対してしまう。

 

「そんな、ラルフさんまで、そんな事言うんですか?」

「るせぇ、もうこれしか、方法がねぇんだよ。頼むっ……!」

 

 ラルフさんの最後の言葉に想起されたのか、アルバート隊長の言葉がリフレインする。確かにラルフさんの言う事が正しいのは俺だってわかっている。だがしかし、何もかもが理屈で通るというわけではないのだ。俺の脳裏に、この世界に転け落ちてからのラルフさんと過ごした光景が次々と溢れてくる。

 

「だからって、ラルフさんまで犠牲になる事なんて、ないじゃないですか……」

「ワタル……」

 

 短い間であったが、胸の内から溢れ出す記憶の奔流に俺はもう耐えられなくなってしまった。俺がこの世界に迷い込んで、身一つであった状況で、ラルフさんとグレーと出会えたことがどれだけ救いになっただろう。行き倒れになりそうだった状況から保護してもい、ラルフさんと話すうちに不安が和らいでいった事。『輝石』の可能性を話すうちに、元の世界に帰れるかもしれないと、淡い希望が早くも砕かれて打ちひしがれる俺の背中を静かに叩いてくれた事。ラルフさんは俺がこの世界に来てからの一番の恩人だ。ザーナ司祭に続いて、俺に優しくしてくれた恩人たちが次々と犠牲になってしまう事に、俺はもう耐えられないのだった。

 男らしくもなく、メソメソと嗚咽を漏らす俺の事をラルフさんは静かに見つめ返してくる。やがて、彼らしいニヒルな笑みを浮かべて俺を諭してきた。

 

「っへ、お前には『守護者』達がついてる。あの『ヴァン』という騎士も、やられはしたが、きっとグレーと同じように後から再び呼び出せるんだろう? もう俺やグレーが居なくても立派にやってけるはずだ。お前と過ごしたこの数日は退屈しなかったぜ」

「らるふざぁぁぁん……」

「っは。ワタル! そんなに、泣くんじゃねェよ、さて、ネクラ……いや、ドミトリ。お前がやる事は理解してるだろうな」

「うん。何が何でも成し遂げてみせる」

 

 涙ぐしょぐしょで鼻水ずびずびの俺の顔を見て、ラルフさんは大笑いしたが、ドミトリには真剣に問いかける。ドミトリは俺とは違って、使命を背負った覚悟ができたのか、今まで見たことがない一本筋の通った凄みのある表情であった。

 

「しゃあ! ワタル、いくぞ」

 

 そういって、ラルフさんはよろよろと起き上がり。剣を右手に、左手を前につきだして。堂々とワームに対峙する。

じわりと、ラルフさんがつきだした二の腕から光が放たれる。だが……

 

「危ない!」

 

ドミトリが叫ぶ。

 

「っく……」

 

 声に気づくや否や、ラルフさんはその場に伏せた。その瞬間、ラルフさんが立っていたあたりを【ワーム】の尻尾がブオンという風切り音を残して通過していった。それまで様子見に徹していた【ワーム】が突然攻撃し始めたのだ。【ワーム】の尻尾は空振りに終わったが、またにょろりとワーム自身の方へ、まるで矢を放つ前の弓の弦のように引かれていく。また攻撃を……?

 

「よけて!」

「おわっ!」

 

 俺も叫ぶが、多少回復した様子が見られるとしても、ドミトリの咄嗟の警告に、その場に伏せる事しかできなかったラルフさんは動くことができない。ちょうど、ティーカップの上に置かれたゴルフボールをスイングするがの如く、ラルフさんは【ワーム】の尻尾の先端にすくい上げられてしまった。彼は俺とドミトリが居る位置よりも、さらに後方に吹き飛ばされた。

 

「づああ……」

 

 うめき声が聞こえるから、ラルフさんはまだ死んでしまったわけではないようだ。

 

「GUOOO……」

 

 【ワーム】はその場から動かず、舌をチロチロ出して俺達を注視するだけである。だが、多少余裕というものがあるのか、俺達の行く手を遮る大きな胴体はいつの間にかとぐろが巻かれており、ラルフさんをスイングしたしっぽは、俺達の企みを『甘いぜチッチ』と指摘するかのように、先っちょが空に向けられて横にフラフラ揺れている。

 

「こいつ、僕達に何もかもさせないつもりだよ」

 

 どうやら、先のラルフさんの一撃を食らって学習したのか、ラルフさんに攻撃をさせるスキを与えるつもりはないらしい。さらに小憎たらしい事に、こちらを殺さない程度に攻撃を手加減することも覚えたようだった。この世界に来る前は、たかが【甲鱗のワーム】だった癖に……。当時の見下してた価値観と、現在の脅威度のあまりの差に歯噛みをしてしまう。【ワーム】はこちらの考えなど御見通しであるかのように、その瞳には理性的な知恵が宿っているように錯覚してしまいそうだ。非常に厄介極まりないことに、俺達にとって、【ワーム】の『この行動』は『詰み』に至ってしまう致命的なものだった。

 

「っつぅ、ちくしょう、これじゃぁ……」

 

 身じろぎして、体を起こそうとするラルフさんを片目にやりつつ、ドミトリの方を伺う。彼は、何を思ったのか、水晶をじっとして見つめたまま動かない。この状態を切り抜ける切り札があるのか。だが、ドミトリの能力は、目の前に立ちふさがる【ワーム】を打破する程のパワーを出すことができるようなものではないはずだ。探知やちょっとした妨害をする攻撃など、小回りが利く多数の便利な能力が彼の持ち味だと言える。彼には、この状況を脱する何かをまだ隠し持っているとはとても思えない。そのような自己問答を否定している俺の視線の先で、彼はじっと水晶を見つめたまま、ラルフさんに話しかける。

 

「ラルフさん、さっきのあれ、もう一回やって」

「っく……、ネクラ……俺としても、あのクソ蛇にドデカいのをぶちかましてやりたいのは、やまやまなんだが、あれにはどうしても溜めが必要になる。このままだといい的だ」

「いいから、すぐに始めないと、合わせることができない」

「ああ? っち、わかったよ。よっこら……クソっ、いてぇ……」

 

 「俺の決死の覚悟を軽くあしらいやがって、クソ蛇がぁ」と悪態をつきながらもラルフさんは、よろよろと立ち上がり、先ほどと同じ体勢をとった。ジワリと腕の輝石からあふれ出るかのように光が放たれる。【ワーム】は少しだけ目を細めてその様子を見つつ、またもや尻尾でラルフさんを薙ぎ払おうとする。

 

「今だ!」

 

その時、ドミトリが大きく叫ぶと同時に、ワームの後方に大きな爆発が発生した。

 

「GYAOOOOO!?」

 

 爆音とともに【ワーム】が、それまでに聞いたことのないような調子で鳴いた。何を言ってるのかわかりはしないが、何が起きたのかわからなくて困惑しているのだろう。ちなみに、俺も同じ心境である。だが、あわやこれで終わりか、というタイミングでの敵への爆発による奇襲攻撃――この光景には見覚えがあった。背後に起こる紅蓮の炎。そう、あれは【ロクソドンの強打者】がアルン村の住人を襲おうとしてた時のはずだ。その炎を発生させたのは……

 

「ドミトリー、このでっかいの一体何ぃ~!?」

 

【ワーム】の背後から、場にそぐわない、のんきな調子の甲高い声が聞こえてきた。聞き覚えのある、その声の主は、ナエさんだった。

 

「いいから、攻撃できる人は撃ちまくって、蛇神の注意を引いて!」

 

 ドミトリが水晶をかざしながら、大きく叫び続けている。すると、先ほどの爆発ほどではないが、小規模な爆発や、何かがぶつかる音が【ワーム】の背後で続けて発生する。【ワーム】に当たらなかった氷や岩といった放たれた攻撃が、【ワーム】の横を飛びぬけ、地面に落ちたり、木々の幹を削り取る。ひとしきり、【ワーム】へ攻撃が続いた後、さらに、【ワーム】の胴体の上に数人の影がとびかかった。影達は、瞬く間にワームの体にとりつき、その身に武器を突き立て始める。

 

「GUOOOOOOO」

 

 【ワーム】は地味に痛いのか、苦悶の声を漏らして身をよじる。

 

「これは……」

「なんとか援軍が間にあった……」

 

 ドミトリの漏れ出た言葉にようやく納得がいった。彼らはアルン村から来た援軍だったのだ。アルン村の諸々の雑事が済んだので、俺達を追ってきたのだ。まさにどんぴしゃなタイミングで援護が得られたのは行幸だ。ドミトリが攻撃タイミングを指示してたあたり、彼には離れた位置にいたはずの彼らと、やり取りできる手段を有しているのかもしれない。

 

「やるじゃねぇか、ネクラ。これで、ぶちかませられるぞ。さぁ、おまえら、行くんだ」

 

 【ワーム】はその身に降りかかる攻撃と、自らの身に取りつく騎士達にかかりきりで、俺達の方を気にする余裕はなさそうだ。俺はラルフさんの顔を見るが、彼は一度頷いただけで、後は視線で俺を促すだけだった。

 

「くそっ」

 

 もう俺には口惜しく毒づく事しかできなかった。ネメス達の追撃についていくと話した時は、俺に助けてやれないと、脅しておきながら、隊長もラルフさんも自分も省みずに俺に甘くしすぎなんだよ。内心、悔しさしかなかったが、行動しないことは彼らに対して、最も失礼なことだ。俺とドミトリは重い体を引きずって、ワームを避けるように大回りに移動し始める。

 

 ラルフさんは左手を前に突き出したまま、目をつむり集中していたが、やがてその左手を手元に引き寄せ、右手の剣を大きく天に掲げた。剣から白い光が吹き出し、剣の切っ先からさらにその先へ、一直線の光の刃を形づくる。

 

「いくぜぇ、蛇野郎……」

「みんな、離れて!」

 

 ドミトリが、【ワーム】に取りついていた騎士達に注意を発する。騎士達はラルフさんが集中していた間は、暴れまわる【ワーム】の胴体からはなされまいと、必死にしがみつきながらも、得物を執拗に【ワーム】の胴体へぶっさしていたが、ドミトリの声を聞くと、蜘蛛の子を散らすかのように、各々さっさと逃げて行った。最後っ屁に、ナエさんの爆発攻撃が【ワーム】の鼻先で炸裂する。

 

「GYAOOOOOO」

 

 【ワーム】は爆発に頭部を揺さぶられ、首をもたげたあと、朦朧を振り払うかのように頭をぶんぶん振っている。

 

「【巨大化】ぁ!」

 

 ラルフさんの、辺りに一際大きく響く詠唱に、何が目の前で行われているのか【ワーム】はやっとの事で気づいたようだ。大きく天に向かって掲げられた白い刃は、緑色に輝くオーラに包まれ、さらに太くなっていく。

 

「みんな、左右に逃げて!」

 

 ドミトリが【ワーム】の後方に聞こえるように大きく叫ぶ。俺はドミトリとは離れて、反対側だ。【ワーム】を避けるように大回りに移動していたが、ラルフさんの攻撃の射線上から逃れるために分散したのだ。

 

 ラルフさんが掲げる剣を見上げる。その先端は木々の葉に隠れて見えない。だが、仮に今この場に上空の視界を遮るものがなかったとしても、その先端が見えない程、上空に伸びてることであろう。剣の芯にあたる部分はラルフさんの輝石から放たれたのと同じく、白い光からできている。芯から刃にあたる外側の部分になるにつれ、白から新緑色に強く輝くようになり、雄大な刃を堂々と誇示している。その様は、都会で周りよりも頭一つ飛びぬけている高層建築ビルを、足元から見ているかのように圧倒的だ。初めて見たときはその大きさに驚いたものだが、今回も頼もしさをこれでもかと感じる。しかし、これほどの攻撃を【ワーム】に与えても、倒し切れなかったのだ……

 移動しながら、剣を見上げていたが、ふいに俺の記憶の中に触れるものがあった。ラルフさんが【巨大化】を唱えて敵を仕留めようとするのは、何も今回が初めてではない。【神性なる好意】がエンチャントされた【番狼】のロウを倒す時もそうだったはずだ…… そうか! その手が!

 

「ラルフさん!」

 

 ワームへ攻撃をしようとしていたラルフさんへ声を張り上げる。

 

「ああ!?」

 

 攻撃を中断されたのか、あせっているのか、彼からはあまり余裕のない返事が返ってきた。

 

「それだけじゃぁ、足りない」

「何を言って……」

「それだけじゃあ、足りないっていってるんだ! 【巨大化】だけじゃあ、あのワームは倒しきれない」

「何を言って……!? まさか、お前!」

 

 始めは、俺が何を言ってるのかわからないようであったが、一体何の事をさしてるのか、俺が言いたい事を理解した途端、彼は今まで見てきた中で最高にニヒるでかっこいい表情で俺に返事をしてきた。

 

「っへ! じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」

 

 俺も自然と口の端がにやりとあがっていたようだ。迷わず、答える。あの時も彼に答えた、あの言葉を。

 

「足りないなら、足せばいい」

 

 そして、俺は自分の内に潜む《声》に意識を向ける。本来、あるべき母数と比べると、いくつもの存在を欠いた状態であったが、浄化の儀式の途上で、幾つかの《声》を取り戻すことができた。だが、これまでの騒動での行使で残っている《声》はあと1つだけとなってしまっている。だが、それこそが今この場で必要としている、最もふさわしい《声》なのだ。

 クレスの召喚で使用して先細ってしまってはいたが、戻ったばかりの森と平地へのリンクをたどり、マナを手繰り寄せる。最初のうちは何となくでやっていた。だが、今はもう朝飯前にできると言うことができる程度には慣れた。緑と白の2マナを引きずりだし、現出しようとする《声》に与える。《声》は再びこの世に表れる事に、喜びの感情を伝えてくる。そうして紡ぐは――呪文。

 

 窮地に追い込まれども、決して屈することなく、己が運命を切り開こうとする者に、意思の力を。

 

【不退転の意志】

 

 俺の中の《声》が明確なかたちをとって放たれる。目指す対象は――ラルフさん自身!

 

 ラルフさんの体を白い光のオーラが包む。その様子はヴァンに【天上の鎧】を唱えた時と同じだった。あの時は、ヴァンに白い鎧が装着されていたが、ラルフさんにはその様な変化は起こらない。だが、彼の存在そのものがより強烈に印象づけられたような、彼が現実に占める圧迫感が、より重くなったように感じられた。彼の眼光は意志にあふれ、目の前の巨大な敵を駆逐せんと意気揚々としていた。

 

「く、らぁ、えええええええええええええ!!」

 

 天を突き抜ける巨大な緑の刃が振り下ろされる。

 

【甲鱗のワーム】にできた事は、理不尽なほどの巨大な剣が自らを両断する様を眺める事だけであった。

 



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023:争いの果てに その1

 一閃。

 

 ラルフさんの振り抜きは、一瞬で終わる。

 

 巨大な刃が瞬く間に振り下ろされ、辺りに突風が駆け抜ける。

 

 刃を真上から振り下ろされることとなった【ワーム】は、まだその身を大地に屹立させていたが、中央にあたる部分がごっそりと無くなっていた。頭部から大地に至るまで、刃が通り抜けた跡は何もかもが削り取られていた。大地に穿たれた谷は、1回目の時よりも太く、底が見えないほどで、その威力をまじまじと感じさせられる。

 やがて、ぐらりと【ワーム】の両断された体が崩れ、大地に【ワーム】だった体が折り重なった。

 

 しばらく、辺りは静まりかえっていたが、歓声が爆発したかのように起きる。

 

 肉やら骨やらが飛び出して見るに耐えない【ワーム】だった残骸の向こう側で、駆けつけて来た騎士達が騒いでるのだろう。やんややんやの騒がしさに気付いて、俺はようやく【ワーム】を倒すことができたのだと実感できた。

 

「ワタル」

 

 右手の方を見ればラルフさんが、手に持った剣を鞘に納めて俺の方を向いていた。

 見るも無残な【ワーム】の死骸にはあまり近づきたくない。ラルフさんが剣を振り下ろす前に横を駆け抜けた時よりかは、少し大回りでラルフさんに近づく。

 

「突然叫びやがって…… 始めは何言ってるのかわからなかったから焦ったぞ」

 

 ラルフさんは、力を出し切ったのか地面に胡坐をかいて座り込んでしまった。俺に向ける表情は、事が終わってやれやれと言った表情だったが、俺がラルフさんに叫んだ時の事をぼやく時になると、内心の複雑な心境が表に現れたのか、俺の事を叱りたいが叱れないといったような微妙な表情となった。

 

「あー…… あれは、なんとなくというか」

「だが、おかげであの蛇野郎を倒すことができた。ありがとよ」

 

 そう言って、ニカっと満面の笑みをした。その表情を見て、ああやっぱりこの人に頼ることになってしまったな、という若干の申し訳無さと、この人だからこそできたんだ、という頼もしさの相判する複雑な感情を俺の胸に想起させた。

 

「そういえば、ドミトリは?」

 

 周りをきょろきょろと見回したら、すぐに彼は見つかった。ドミトリは俺が【ワーム】を大きく避けて逃げようとした時に駆け抜けた反対側、すなわち俺がいた位置から【ワーム】を挟んで、刃が地面を分断してできた谷の向こう側に佇んでいた。少し離れた位置なので彼の挙動は仕草しかわからないが、その様子は少しおかしい。右手に水晶玉を掴んでいるのは、普段の彼のイメージそのままなのだが、彼は水晶と【ワーム】の死骸を交互に何度も見つめていた。言葉にすると、普段から何かを観察している彼の様子そのままのように聞こえるが、今は彼が妙にそわそわしているのが気になる。昨日見た、彼が何かを調べる時の様子は、観察対象に没入して集中しきっているようだった。しかし、今の彼は明らかに【ワーム】に対して、何か得体の知れない恐ろしさものを見たかのように辟易としている。

 

「なんだ、ネクラ。アイツおかしくないか?」

 

 ラルフさんも俺の視線の先のドミトリに気づいたのか、俺に同意を促してくる。

 

「おーい、ドミトリー。どうしたんだー」

 

 俺は声を張り上げて彼に声をかける。彼は俺達の方も見もせず、震える左手で【ワーム】を恐る恐る指差す。

 

「こ、こいつ、まだ生きている!」

 

「へ?」

 

 素っ頓狂な声が出る。その声は俺の声かと疑ってしまうほど裏返っていた。こいつは何を言っているのだろう。ついにいろいろ調べすぎて頭がおかしくなったのではないか――

 

「なっ! これは!」

 

 ほぼ同時に、隣のラルフさんから信じられないというように声が漏れる。

 

 自然と視線は真正面の【ワーム】に吸い寄せられた。先ほどは胴体のど真ん中を縦に割られた、グロテスクな有機物の鎮座物があったはずだが、今まさに、その光景に『揺らぎ』が発生していた。次第に『揺らぎ』は激しくなり、【ワーム】の死体がはっきりとは見えなくなる。だが、『揺らぎ』の奥にあるであろう【ワーム】の胴体のシルエットは黒く霞んでいるだけで、そこにいる事は確認することができた。驚くべき事に『揺らぎ』の奥の【ワーム】の影が少しずつ大きくなっていく。いや、正確にはラルフさんの斬撃で欠けていた箇所が補填されていき、元の姿に戻りつつあるといった方が正確な表現か。

 

「そんな、まさか……」

 

 やがて、揺らいだ光景は晴れて行く。目の前で起きている事は明らかなのに、心の中では事実を否定して信じこむことができない。現れたのは何度も苦しめられた、氷河期の、いや、俺たちにとっての災厄――

 

「GYAOOOOOOOOOO!」

 

 【甲鱗のワーム】は頭を大きく上げ天に向かって吠える。その姿は、封印石の台座で見た時とまったく同じだった。隊長が尖った岩で刺し貫いた跡や、ラルフさんが文字通り真っ二つにした跡はどこにも見当たらない。隊長やラルフさんが決死の覚悟で与えた痛手を2度も易々と、あたかも無かったかのように【ワーム】は復活を果たした。

 

「おやおや、あの《蛇神》を倒してしまうとは。それに、実験体と言えど『抽象化』を使いこなすとは、中々恐れ入った」

 

 【ワーム】に集中していた俺達の背後から声がした。

 

「っ、テメーは!」

 

 ラルフさんの毒づきも、さもありなんというところか。トートとブレダンの二人が、いつの間にやら追いついていたのだ。

 

「おやっさんはどうしやがった! 倒したはずの蛇野郎が復活したのは、おめえらの差金か?」

「次から次へと五月蠅い…… 俺は知らん。だが、ブレダン。おまえか」

 

トートはやれやれと言ったように首を振りラルフさんの問いかけをスルーしつつ、隣の相棒に尋ねる。

 

「ああ、あの『鉄壁』の時にな。早々に倒されてはもったいないからな。【まやかしの死】をかけておいた」

「【まやかしの死】!? だから倒しても……!」

 

 俺の反射的に出た言葉に、トートが目を細めながらこちらを見てくる。

 

「ほう…… 小僧。やはり何か知ってるようだな。俺もブレダンの言う呪文はなかなか見たことがないのにな……」

「っぐ……」

 

 不気味で邪悪な視線に、行動がうかつだったかと後悔しても、もう遅い。結界石の台座で会いまみえたときから、俺自身の身はヤツらに狙われてしまっているのだ。

 

「ワタル、アイツの言っている【まやかしの死】ってのは何なんだ?」

 

 隣にいたラルフさんも、もちろん俺の言葉尻を逃さないでいた。

 ここまで来て、説明しないのも不自然か。自分の置かれている状況を理解するためか、妙にその場にいて周りをきょろきょろ見回す【ワーム】を背後に見つつ、俺は口を開く。

 

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False Demise / まやかしの死 (2)(青)

エンチャント — オーラ(Aura)

 

エンチャント(クリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーが死亡したとき、そのカードをあなたのコントロール下で戦場に戻す。

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 【まやかしの死】はエンチャント――オーラ――呪文の一種であり、その効果は至極単純である。効果は名称から想像できる通り、エンチャントしたクリーチャーの死を『一度だけ』無かった事にできる。ダメージにしろ、呪文にしろ、エンチャントしたクリーチャーが『破壊』されたならば、墓地に置かれる事になるクリーチャーを再び現実(ゲーム的に言うならば『戦場』)に戻すことができるのだ。

 

「だから、俺がぶった切っても復活したっていうのか。死んでいるのは明らかだったぜ!」

 

 ラルフさんが悔しさを滲ませて叫ぶ。俺も同じ気持ちだが、恐るべきは現前たる事実をこうも簡単に覆してしまうマジックの『呪文』の効果だ。今思い返してみるに、さっき【ワーム】に起きた事、そして【ワーム】の復活を嘘だと信じ込みたい内心も相まって、いまだにそれが現実に起きたことだと認識することができない。

 

「俺には、あの《蛇神》のように巨大な『魔物』はいないからな、さっきの光景は中々見ものだったぞ。だが……」

 

 突如、背後で爆発が起きる。振り返ってみると、先ほどまで止んでいた騎士達の攻撃が再開されたのだ。さっきまで倒したと思っていた化物が復活を遂げたのだから、騎士達の行動は当然だろう。

 

「みんな、コイツは危険だ。攻撃はやめるんだ」

 

 【ワーム】に注意しながら、俺達のもとへ下がってきたドミトリが水晶に向かって叫んでいる。だが、【ワーム】の存在が威圧的なのか、強大な力を持った存在を前に、脆弱な存在ができる事は我武者羅に足掻くことだけだ。攻撃は止むどころか、その激しさを増していく。

 

「GUGYAOOOOO!?」

「なっ!? 危ない!」

 

 【ワーム】は、はじめは顔の前をハエにでもたかられたかのように、煩わしく身を動かしていたが、突然何かに気づいたのか、急に騎士達のいる方向へ這いずりだした。騎士達は突如の【ワーム】の行動に注意がいき、攻撃が緩まる。そして【ワーム】の進行方向から退避しだした。蛇が障害物を苦も無くすり抜けていく様そのままに、【ワーム】は俺達が来た方向、結界石がある方向へ進んでいく。

 

「一体何が……」

「おい、そこのキザ野郎! 今度は何をしようとしてんだ」

 

 疲れてるはずなのに、すっくと立ち上がり仁王立ちでズビシィ、と堂々と指を突きつけるラルフさん。指が指す人物は、トートの横に侍るようにして立っているブレダンであった。見た目を揶揄ったつもりなのか、この場の面子で『キザ野郎』と言われて、目につくのはまず彼になるだろう。ブレダンは『キザ野郎』と言われて心外なのか、目をひくつかせているが、ラルフさんの事は無視するようだ。

 

「小僧」

「うぇ!?」

 

 ブレダンに呼び掛けられるのは初めてだ。今までトートにしか話しかけられていなかったので、彼からの呼び掛けは不意打ちだった。心臓がビクリと反応し、情けない声が漏れてしまう。

 

「俺はあの《蛇神》には何も命じてはいない。【まやかしの死】の効果が発動した後から、最初にかけていたはずの【支配魔法】の感覚がしなくなった。答えろ。一体ヤツに何が起きた?」

「なんだって!?」

「あれの動きは、俺の命令ではない。ヤツは今、勝手に動いていると言っている」

 

 意外な言葉をブレダンから聞くことになった。【ワーム】の不自然な動きは、ブレダンの意図してない事だというのだ。まさかの言葉に、隣のトートも言葉を失っている。

 

 だが、ブレダンの言葉を反芻しながら頭を回してみると、彼の言葉と【ワーム】の行動には、なんら矛盾はないのかもしれないと思えてきた。ブレダンは「【ワーム】に【支配魔法】を唱えた」という意味の言葉を確かに話した。あれは俺達が【ワーム】の威嚇にビビッて竦んでいた直後だったか。俺以外の存在がマジックの呪文を唱えた時のゾワリとする感覚がしたのを覚えている。

 

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Control Magic / 支配魔法 (2)(青)(青)

エンチャント — オーラ(Aura)

 

エンチャント(クリーチャー)

あなたは、エンチャントされているクリーチャーをコントロールする。

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 【支配魔法】は【まやかしの死】と同じくエンチャント(オーラ)呪文の一種であり、これも効果は単純である。効果はこれまた名称通りであり、敵側のクリーチャーを自分の味方にする効果がある。マジックのゲームでは、原則的にクリーチャーは召喚したプレイヤーが操る事になっている。相対するプレイヤーは自身の唱えるマジックの呪文やその他カードの手段を通さずして、相手側クリーチャーを操る(ゲーム的に攻撃する、ブロックするような)事はできない。そんな原則の中、相手側クリーチャーを操る手段の1つが【支配魔法】を相手側クリーチャーに唱える事だ。唱えられたクリーチャーは相手側の支配を離れて、自分の味方となるのだ。実際のゲームでは、相手側が切り札で召喚したクリーチャーに対して唱えるのが最も効果的、かつカタルシス感があふれる使い方になるだろう。自分の最も頼れるクリーチャーをカード1枚で奪われる相手側の屈辱感、そして本来、脅威となるはずだったクリーチャーを自分の戦力として使える事ができる頼もしさ。わずか1枚で2重にうまみがある、非常に強力な呪文と言えよう。

 

 さて、以上の【支配魔法】だが、今回の【ワーム】に当てはめてみると、通常のマジックのゲームとは事情が違うのではないのだろうか。もともと【甲鱗のワーム】は『封印石』に封印されていたもので、トートやブレダンが召喚したクリーチャーではない。俺の想像だが、【甲鱗のワーム】は《災厄の流星》の魔物と同じ存在なのではないかと踏んでいる。《災厄の流星》の魔物は、アルン村で見た通り、好き勝手暴れて周りに破壊をもたらす。その行動は、何らかの存在の意図を想像できるものではない。魔物達の破壊が無差別なので、その行為に何らかの意図を読み取る事ができないのだ。

 話を戻そう。【ワーム】は最初にブレダンから【支配魔法】を唱えられ、ブレダンの支配下に置かれる事となった。そして俺達との交戦中、より詳しく言うならば、ブレダンの発言から察するに、隊長が【ワーム】をくいとめている間に、【まやかしの死】をブレダンから唱えられた。この時、【ワーム】には【支配魔法】と【まやかしの死】の2重のエンチャントがかかっている事となる。さらにそのあと、【ワーム】は何らかの手段で隊長の必死の拘束を抜け出し、俺達に追いついてきた。しかし、俺の【不退転の意志】とラルフさんの巨大な剣の斬撃により、倒される事となった。だが、【ワーム】が倒された時、ゲーム的には【甲鱗のワーム】が破壊され、墓地に置かれた直後に【まやかしの死】の効果が発動する。墓地に置かれた【ワーム】は、再び戦場に戻るのだ。(現実的に言えば『生き返る』だろうか?)ここで重要なのは、【まやかしの死】の効果で再び復活するといえども、【甲鱗のワーム】は一瞬だけ『墓地に置かれた』扱いになるという点である。

 さて、この点に着目しつつも、口惜しくもやられてしまった俺のヴァンの事を振り返ってみることにしよう。ヴァンはトートの唱えた【恐怖】によって破壊され、ゲーム的には墓地に置かれる状態となってしまった。この時、ヴァンを強化する目的で唱えた【天上の鎧】のエンチャント呪文も、ヴァンと道連れに破壊され、墓地に置かれる事になってしまった。

 つまり、何が言いたいかというと、エンチャント呪文は対象であるクリーチャーが墓地に置かれたら一緒に破壊されてしまうという事だ。そう、【ワーム】はゲーム的には、墓地に置かれてしまったので、つけられていたエンチャント呪文【支配魔法】もそのタイミングで破壊されてしまったのだ。それはすなわち、ブレダンの支配から解き放たれる事を意味する。言い換えるならば……

 

「ラルフさんが【ワーム】を倒すことで、あいつらから【ワーム】を解き放つ事ができたんだ」

「っへ、んなフォローなんかいらねぇよ」

 

 照れくさそうにニヒるに笑うラルフさんに、俺もなんだか少し恥ずかしくなってしまう。

 

「ふん、そういう事か。トート、やはりあの小僧は我々にとっては何としても確保しなければならない存在らしい」

「未だ我々でさえ、すべてを知り尽くしたわけではない、この『呪文』について精通している人間か。騎士団の連中に引き渡すだけで厄介な事になりかねん」

 

 俺のラルフさんに語った言葉は、当然ネメス達二人にきこえているわけで、2人は俺の言葉を契機にいよいよ行動に踏み切る段階に入ったらしい。今までヤツラから、そして【ワーム】から逃げるために、俺やラルフさん、ドミトリは持てる力を振り絞ってここまで来ることができた。だが、俺達の方はもう完全に力を絞りつくして何も残っていない状態だ。俺はもう最後の呪文を使い果たしてしまったし、ラルフさんは度重なる【ワーム】への強力な攻撃で、立ち上がるのもやっとなはずだ。ドミトリも俺達の中では一番消耗していないと言えば聞こえはいいが、トート達を打ち破る程の決定力が無い。

 

「くそっ、もう……」

「ワタル、ドミトリ、ここは死んでも俺が食い止める。騎士達のいる方へ逃げるんだ」

「っふ、強がりもその辺にしておけ。もう、お前には何もできやしない」

 

 ゾワリとあの感覚がしたと思うと、ネメス達2人の両脇に黒い穴が発生した。穴はやがて、はっきりとした形状になりながら大きくなってゆく。もう何度も見ているからわかる、トートとブレダンがクリーチャーを召喚したのだ。

 

「っち、背後にも……」

 

 後ろを見れば、黒い穴が左右に一つずつ、俺達を挟み込むように発生していた。こちらも次第に形を取りながら、その姿を現しだそうとしている。クリーチャーの召喚する位置を調整する事で、相手側を牽制する。簡単だが、発想するには習熟が必要なテクニックを行っているあたり、やはりマジックのゲームには見られない【呪文】の使い方はネメス達に一日の長がある。すわ、万事休すかと思われた時、俺達の周りの光景が一瞬くらんだように変化する。

 

「えっ、今のは?」

「ワタルっ何かしたのか?」

「いや、そんな事はなにも……」

 

 トート達が召喚したクリーチャーが現れ出しているが、何故か目の前の彼ら、そしてクリーチャーらとの間に、何かヴェールのようなものが垂れ下がっているかのように、空間の光景そのものが変色しだした。

 

「――っ! ――っ!」

 

トート達は、ヴェールがゆらいでいるような箇所へ近づいて、手に持った赤い刃物を突き付けたりして様子をうかがっているようだが、彼らが話している事はどこかで遮られているのかはっきりと聞くことはできない。トートが召喚した、枯れた植物が絡まったような見た目がグロテスクな2体のクリーチャーがこちらへ迫ろうとするが、やはり同様に俺達とトート達の間の何かに阻まれて突破できないようだった。不思議に思う俺達だったが、ふいにドミトリが水晶をかざして何かを調べ出した。

 

「これは……僕たちの周りの空間の位相が揺らいでいる?」

「なんだよ、それ!?」

 

ドミトリはもはや、何でもありなのかもしれない。何らかの手段で目の前で起きている現象を判断する手段を持ち合わせているのだろう。

 

「昨日、結界石の読み取った術式を実験したときに、同じような現象が起きたんだ。でも、ここまで大規模じゃなかったけどね。どうしてこんな事が起きてるのかはわかないけど……」

「でも、これはもしかしたら、ヤツらから逃げられるかも……」

 

 結界石がある方向にも、ネメス達と俺達を隔てるヴェールめいたものが何層かあるように見える。そのおかげか、背後に姿を現した、ブレダンが召喚したらしき白い靄でできた熊や、首がいくつも生えている獣の進行を防いでくれている。だが、ヴェールめいたものは、さらに後方にも現れてるらしく、クリーチャー達よりも後ろの騎士達の移動を妨げている。その様子を見て、ラルフさんがぼやく。

 

「ああ、応援に来たヤツラと合流できれば……」

「でも、あのへんなのがあって、結界石の方には行けないんじゃ?」

 

だが、俺の心配にも、すぐ側の存在から光明がもたらされる。

 

「じつは、こんなこともあろうかと、実験から得た結果から、一時的に現象を和らげる術を開発したんだ。でも、効果が及ぶ範囲を限定できないから、ネメスと僕たちを隔てている境界も解除されて、アイツらもこちらに追ってくるけど」

「それじゃぁ、意味ねぇじゃねえか!?」

 

 期待感を膨らませていたのか、ラルフさんががっくしうなだれている。俺も同感だが……

 

「でも、アイツらの所にまで効果が及ぶまで、数十秒は時間差があるはずだよ。その間に逃げられれば……」

「仕方ががないか。あの魔物2匹はどうする?」

「なんとかかわすしかないか……」

「こっちに、応援に来くれるように頼んどく。術に集中する必要があるから、準備しといて」

「よし。わかった」

 

 ドミトリは結界石の方向に立って、これまで俺が何度も見てきたように水晶に集中し始めた。

 

「大いなる女神様よ。その御力でもって我らを迷いから救い出したまえ……」

 

 輝石の力を使うときに詠唱してるのを見るのは、ドミトリでは今回が初めてかもしれない。隊長やザーナ司祭が、ドミトリが口にしている、祈祷するときに述べる口上をしていた記憶がよみがえる。

 その間トート達や、彼らに召喚されたクリーチャーはというと、トート達はクリーチャー達に、俺達を遮るこの謎の現象を突破しようと、力任せに体当たりするよう命じ、そのままに任せている。トート達は、自らがどうにかしようとして、効果がないとわかると、一歩引いて俺達の様子をうかがっていた

。どうも、こちらから、あちらの声が聞こえないように、こちら側の会話の内容はあちら側にも聞こえていないようだ。だが、俺達が行動を始め、ドミトリが前に出てるのを見て、俺達が何かしようと気づいたのかもしれない。クリーチャーを下がらせ、俺達の出方を伺いだした。四方から敵に観察され、俺は自分が水槽の中の観賞用の魚になった気分であった。音も聞こえず、見るだけしかかなわないという状況も似たり寄ったりだろう。

 

「……我らに立ちはだかる壁を払いたまえ!」

 

 そうドミトリが唱えると、彼の掲げる水晶から、青く白い光の波が辺りに広がった。光は俺達の向かう方向、結界石がある方向へ放たれた。光は音も出さず人が駆け抜けるよりも早く突き進み、やがて茂みの奥に消えて行った。

 

「さあ、早く!」

 

ドミトリは駆けだす。俺達も必死に彼の後を追うべく駆けだす。

 

「誰か、援護を頼む。ネメス達に追われてるんだ」

 

 駆け出したはいいが、結界石の方向には、ブレダンが召喚したと思われる、獣を彷彿とさせるクリーチャーがいる。ドミトリの術は彼の水晶を基点に発動したらしく、位置取り上、クリーチャーから俺達への障害となっていたヴェールめいたものが取り払われてしまっている。

 2体のクリーチャーのうち1体は、まるっきり熊の外見をしている。全体的に、水を想像させる水色に染まっている。器用に仁王立ちしていて、上半身は両前足が長く発達しており、グレーに迫る巨体をさらに大きく見せている。だがその姿は半透明であり、向こう側の景色を見ることができる。迫力あふれる姿の割には幽霊めいていて、巨体を支えるはずの両足は地面に溶け込んでるかのように途中で消えていて、はっきり視認することができない。

 もう1体は、より面妖な体をした獣で、こちらはドライアイスの気体で構成されてるかのように白い靄でできている。吹けば霞んで消えてしまいそうなのに、不思議とそこにあり続けている。一番の特長は大地を踏みしめる胴から頭が2つ、いや3つ生えていることだ。頭の下半分は大きな口で構成されていて、鋭い牙が顎の上下からびっしりと並んで生えている。空気でできたような見た目のくせして、牙は鋭さがありそうだ。並んだ頭の下には、アクセサリーなのだろうか、青い石をあしらったブローチのようなものがぶら下がっており、石を取り付けてある中心から鎖が4本それぞれ胴体にまとわりついている。

 

「右のを抑える!」

 

ラルフさんが剣を抜き放ち、首がたくさんついているクリーチャーへ飛びかかる。今までの攻撃で消耗していたはずのラルフさんだが、その動きは妙に機敏だ。彼の体には白いオーラがまとわりついている。俺が唱えた【不退転の意志】がまだその効果を発揮し続けているのだろうか。

 俺たちに襲いかかるなんとも珍妙なクリーチャーだが、俺の思考にその存在を推察させるものがある。俺の考えが正しければ……

 

「ドミトリ! あの熊に、さっきの飛ぶ攻撃を当てるんだ」

 

青い熊の幽霊、いや正確には【幻影】か?

指を指してドミトリに叫ぶ。俺のすぐそばを先行していたドミトリは、手をクリーチャーに突きだし「魔力の矢」と叫んだ。彼のすぐ横の中空に白く尖った物体が現れ、一斉に青い熊へと飛んでいく。この魔力の矢は、封印石の台座から逃れる時にも見たが、そのときは、白い空に浮くクリーチャーに致命的とはいかないまでも、ダメージを与えていたが……

 ドミトリが放った魔力の矢は、青い熊に向かったが、命中する前に熊の方に変化が現れた。なんと、魔力の矢が青い熊に触れるかどうかというタイミングで、青い熊が煙を撒き散らして消えてしまったのだ。

 ドミトリは起きたことが想像もつかなかったのか、足を止めて熊がいた場所を口を開けて見つめるのみだ。やはりあのクリーチャーは【幻影】系のクリーチャーだったか。狐につまされたように驚いているドミトリに説明したいのはやまやまだが、今は急がなければならない状況だ。前方には応援にかけつけきた騎士達――中にはナエさんもいた――が迫っている。彼らも、今起きた現象に戸惑ってはいたが……

 

「ドミトリ! ラルフさんを助けないと!」

 

 そう声をかけると、ドミトリはハッとして、後方を向き、再び「魔力の矢」と唱えて手をラルフさんが押さえているクリーチャーへ向ける。さっきと同様に、白い矢がドミトリの横に発生し、上空に向かって飛び出して行く。打ち出す角度が急だが、疑問はすぐ解けた。魔力の矢がクリーチャーとラルフさんのちょうど真上にきた瞬間、ドミトリは前にかざしていた手を振り下ろした。すると魔力の矢が急にクリーチャーに降り注いだのだ。急な攻撃に、クリーチャーはが怯む。

 

「ラルフさん。こっちに!」

 

 ドミトリの掛け声にラルフさんは状況を察したらしい。白い靄のクリーチャーにヤクザキックをかますと、反転して俺たちの方へ向かってくる。

 

「ナエっ! でかいの一発!」

「よーし! いくよ!」

 

 もう俺達の元までたどり着いていたナエさんが応じる。

 

『双炎弾』

 

 ナエさんが、祈るように両手をあわせ、詠唱とともに両手を突き出す。すると、両手から赤く燃え上がる炎がそれぞれ飛び出す。2つの炎弾はアルン村で見た炎弾よりかは小さいが、内包する熱量は俺が見たことのある、過去にナエさんが繰り出した炎に劣っているようには見えなかった。2つの炎は、こちらへ向かってくるラルフさんの両脇をすり抜ける。見た目が小さいわりに盛んに燃え盛る2つの炎の勢いや、すれ違い様にラルフさんが「オオオォ」とのけ反るほどだ。やがて、炎弾はほぼ同時に、白いクリーチャーに着弾して爆発した。

 

「今のうちに!」

 

 ドミトリの声を合図に、ラルフさんを待つのももどかしく、俺たちはまた走り出す。

 

「ドミトリ、大変だったね。それよりも隊長は……?」

 

 合流したナエさんが走りながらドミトリに近寄り訪ねる。ナエさんの言葉を聞いた瞬間、ドミトリの表情が一瞬こわばる。まだ隊長の顛末は伝えていないようだった。

 

「隊長は…… 僕たちをアイツラから逃がすために…… 足止めを……」

 

 ドミトリが辛そうにポツリ、ポツリと言葉を漏らす。言葉ひとつずつに悔しさがにじみ出ている。普段冷静な彼にも、こんな一面があるのだ。 

 

「え…… そんな……」

 

 ナエさんも彼の普段らしからぬ様子に、万が一の事が起きてしまったことを悟ったらしい。当然ながら受けている衝撃は軽くはないようだ。まわりの騎士達も動揺している。そんな中、ドミトリが意を決して言葉を続ける。

 

「隊長からの命令がある。この場所の封印石を、《蛇神》やネメス達ごと封印しろと……」

「そんな、まさか! 隊長はどうするんだ!」

 

 話を聞いていたある騎士が非難するように叫ぶ。

 

「《蛇神》って、さっきのデカイやつか!? 封印石の方に行ったぞ! 止めないと!」

 

 別の騎士がまた叫ぶ。その指摘も最もである。封印しなくてはならない【ワーム】を自由にさせたまま結界石を閉じてしまっては元も子もない。

 

「あの長いやつの後を別の班が追っている。追い付けるかわからんが、後を追うしかない」

 

 【ワーム】の向かった先をずっと行くとアルン村にたどり着いてしまう。やつに追い付けなければ、最悪アルン村が壊滅なんてことも充分考えられる。

 

「ナエ…… 急がないと」

 

ドミトリから隊長の事を聞いて心ここにあらずといった様子のナエさんをドミトリが促す。

 

「うん…… わかった。あの大きい蛇の後を追おう」

 

 ナエさんは、迷いを振り払うように首を振った後、命令を出す。俺たちは、この場から逃れるように出発した。

 

 



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024:争いの果てに その2

 茂みを掻き分け、必死に進む。

 

 聞こえるのは茂みを掻き分ける音、地面を蹴る音、俺達の荒い息遣いだけだった。みんな進むのに必死だ。身体的にはきつい状況が続いているが、隊長が【ワーム】を食い止めてくれた後の逃避行と比べ、すぐ近くを並走する騎士達のなんと心強い事か。やはり頼りになる味方が、すぐそばにいるというのは心理的に大きい。だが、進んでいる最中に、俺達がネメス達から逃れるきっかけとなった、青いヴェールめいたものが辺りに出現する現象は続いていた。行く手を阻まれる事は一度だけでなく、歩みを進めるごとに、ヴェールめいたものが出現する頻度が上がっているように思えた。進退窮まる事もあったが、なんとか正面にヴェールが現れないよう、ドミトリが時折術を行使することで進む事ができた。

 

 必死に進む事、数分。俺達はトート達に追いつかれることなく、結界石が設置されている広場へとたどり着く事ができた。

 

 茂みから身を現した途端、目についたのは幾人かの騎士達だった。彼らは樹海の中を移動してきたせいか、みな体のどこかが葉っぱがついたり、汚れていたりしている。だが、それ以上に目につく存在がさらに奥にいた。

 

「GUGYAOOOOOO!」

 

 再三聞いてきた咆哮が前方から聞こえる。なんと、俺達を無視して行ってしまった【ワーム】がこんな所に居たのだ。ブレダンのコントロールが外れた【ワーム】は、そいつ自身の赴くまま、アルン村にまで突き進んでいたのかと想像していたが、それよりも手前の結界石のすぐそばに居すわっていた。【ワーム】の居る結界石よりも手前の開けたスペースには騎士達が固まっていて、油断なく【ワーム】の様子を伺っている。しかし、当の【ワーム】はそんな騎士達を無視して、ひたすら結界石に攻撃を加えていた。

 結界石だが、最初に見た時の堅牢そうに見えた石柱の表面部分が、所どころ欠けてしまうほどにボロボロになっていた。かなり激しく【ワーム】から攻撃を受けたであろう事は想像に難くない。だが、まだ結界石の効力は生きたままなのか、ワームの頭部の噛みつきや、尾の薙ぎ払いが柱に当たる瞬間に、まるで石柱自体がバリアでも張ってるかのように、白い光の壁が現れ直撃を防いでいた。攻撃を防がれている【ワーム】はそんな事にもめげずに、結界石を滅多打ちにしている。一撃一撃は結界石を破壊するには至らないが、確実にダメージを蓄積することができているようだった。既に、結界石の見た目の崩壊具合がその事を十分に示している。

 

「あっ、ナエ! ザーナ司祭様は無事なの?」

 

 【ワーム】が結界石に激しく攻撃を加えているのを観察している騎士達の中に、意外な事に白い修道服を着たニーナさんが立っていた。ザーナ司祭を慮って一緒に来たのかもしれない。

 

「あ、ニーナ。 それよりもアレは……」

 

 ニーナさんを発見したナエさんが、少し嬉しそうな声を出し、彼女に近寄っていく。だが、初めてアルン村教会でニーナさんに出会った時に比べ、その声の調子はいささか元気の無いものであった。そして、彼女は奥に存在する巨大な魔物を見やる。

 

「あの蛇野郎、一体どうしちまったんだ?」

 

ラルフさんがぼやくが、おそらくその疑問はこの場にいる人間の共通した思いであるだろう。

 

「わからない。長らく封印されてたから、封印の力が込められている輝石に反応してるのかもしれないな……」

 

ドミトリも予想外なのか、話す口調から戸惑いが感じられる。

 

「ドミトリ、どうするんだ? 結界石で封印するにしても、《蛇神》が結界石を壊そうとしてるんじゃ、どうしようもないじゃないか?」

 

 俺達と一緒に来た騎士の1人がドミトリに急かすように話かける。彼の話す通り、【ワーム】が暴れまわっていては、結界石に手を出すことができない。

 

 俺達はとりあえず、ワームが暴れまわるのを伺っている騎士の集団まで近づいていき、1ヶ所に集まる事にした。【ワーム】の咆哮や身をくねらせる音、結界石に攻撃が当たって弾かれる時の音が、次から次へと響き渡り、うるさくてかなわない。

 

「もしかして、あの空間の位相がずれている現象は、《蛇神》が結界石を攻撃したのが原因なのか?」

 

 ドミトリが誰に聞いてるのかもわからない疑問を口にするが、誰もその問いに答えない。いや、答えられないのだろう。正直、俺を含めたこの場に、ドミトリ以上に詳しい人間がいるとも思えない。その間にもワームは執拗に結界石に攻撃を続けている。攻撃が結界石に当たるたびに、俺達の居るところも含めた結界石の周りの空間に、青白い雷とも、光の粒子ともいえる『何か』が集まってできたものが現れ、瞬いては消えていく。

 

「おい、いよいよやばくないか?」

「な、なんなのよあれ…… 怖い……」

 

 ニーナさんやラルフさんが指し示す方向に、例の青いヴェールめいた、ドミトリが言う『空間の位相のズレ』が漂う。ニーナさんは、その不気味な光景に顔を青くしている。【ワーム】が結界石に攻撃するたびに、俺達を包むかのように、ところどころに青いヴェールが発生する。

 

「おい、ヤツラが来るぞ」

 

 後方の騎士が警告を発した。全ての騎士達に緊張が走る。結界石のある広場はそれほど広くないが、少しでも距離をあけられるよう、集団がまるで身をすくめる一体の生き物のように、お互い身を寄せあう。

 

「ひっ……」

 

 騎士の誰が怯えたように声を漏らした。結界石の反対方向の茂みがガサガサと鳴る。姿を現したのはトートが召喚した、植物の茎が絡みついて出来上がったような姿をしているクリーチャー2体だった。それぞれ、絡み合った蔦や茎がまるで人体標本の筋肉のように編み上げられ、爪や牙に至っては薔薇の棘を何十倍にも大きくしたかのように鋭く尖っている。いずれもこの世ならざる化け物の姿見であり、見慣れていない人間が怯えるのも当然と言えよう。

 

「これは……」

 

遅れてトートとブレダンが姿を現すが、結界石を攻撃している【ワーム】を見て、俺達と同じように困惑しているようだった。

 

「あ、アンタ達。ザーナ司祭様と隊長はどうしたのよ!」

「ふっ……司祭様は永遠にお休み頂いた。『鉄壁』のもな……」

 

 今までの俺達の体験した経緯を聞かずにいたニーナさんが、たまりかねてトート達に叫ぶが、対するトートはいやらしくニヤリと笑って絶望的な回答を返してきた。

 トートの言葉を認識した瞬間、周りの騎士達みながこわばったように見えた。現場に居た俺達は、認めたくない現実を再度つきつけられ、忸怩たる思いを味わわされる。

 

「そんな…… そんな嘘よ。ねぇ、ナエ?」

 

 ニーナさんが、トートの言うことはまるで悪い冗談だと言いたそうに声を滲ませて、ナエさんに聞くが、ナエさんは黙ったままだ。

 

「ねぇ、嘘でしょ、ドミトリ……」

 

今度はドミトリに聞くが、ドミトリは首を横に振るだけである。

 

「嘘よ…… そんな……」

 

 信頼を置く仲間の反応を見て、ニーナさんはトートの言が本当の事であると信じざるえなかった。

 

「この人殺し! ザーナ司祭様が一体何をしたというのよ! この悪魔! 化物! あんたなんか……」

「ニーナ!」

 

 ニーナさんが感情を爆発させてトート達に叫ぶ。その絶叫ぶりは彼らの前に身を乗り出しかねない勢いで、横のナエさんが彼女を抑えるほどだ。一方、トート達だが、ニーナさんの叫びも、まるで心地よい音楽を聴いているかのように上機嫌で佇んでいる。

 

「くっくっく。若い娘にここまで感情的になじられるのも久方ぶりだな」

「トート、お前、そういう趣味があったか?」

「くっはは。そうかもしれんな。しばらく辺境に居たせいか、嗜好が変化したかもしれんな」

 

 彼らの性根が腐っていることに、ニーナさんの叫びは彼らには届かず、むしろその事を雑談の肴にする始末だ。

 

「あのクソ野郎が……」

 

 そんな様子に、ラルフさんが拳を握りしめ殺意をたぎらせる。だが、混沌とした俺たちのやりとりの最中にも、【ワーム】は執拗に結界石に攻撃をつづける。『空間の位相のズレ』は現出し続け、まわりの景色がより青色一色に染まってゆく。

 

辺り一帯の尋常ならざる光景に、トートは笑いを早々に切り上げ話しだす。

 

「さて、黒髪の小僧。この状況は、一体何が起こっている?」

 

 トートは俺に視線を向け、淡々と聞いてくる。未だ慣れないトートとのやりとりを前に、つばを飲み込み、いったん間をあけて答える。

 

「わ、わから、ない。【ワーム】には、もう何もエンチャントがついていないはずなんだ。誰もあの【ワーム】は操っていない。あの【ワーム】が何をしようとしてるのかなんて、あれ自身にしかわからないんだ」

「小僧、俺達がその言葉を信じるとでも思ってるのか? 貴様が何か仕込んでいるのではないのか? 本当の事を言え!」

 

 今まで聞いた中で最も激しいドつく声に、全身がビクリとはねがあがる。中学の時にカツアゲされかけた時のヤンキーのドつきとは比べ物にならない。心臓がバクバクとなり、思うように話す事ができない。

 

「もう我慢ならねぇ! その減らず口、叩き切ってやらぁ!」

 

 耐えかねたラルフさんが剣を抜き放つ。その時と同時であった。ドミトリが急に何かに気づいて結界石の方を振り返る。

 

「待って! 結界石がもう壊れる!」

 

 ドミトリの言葉はラルフさんやトート達でさえ含めた、この場にいる全員の注目を結界石へ吸い寄せた。

 

ドミトリが叫んだ時、【ワーム】が結界石に噛みついていた。さっきまで結界石の台座には謎バリアが張られていて、直接触れることはかなわないはずだったのに、【ワーム】の口は結界石がおさまっている先の部分をくわえている。

 結界石の石柱は元から亀裂が入っていたが、いまや全体にヒビが行き渡ってしまっている。そして、とうとう破片がぽろぽろと崩れ出した。結界石がおさまっている頂の社のような部分をメキメキと【ワーム】は噛み砕く。同時に、柱の部分は自壊するようにその場に崩れ落ちた。【ワーム】の閉じられた咢から、緑色に光る粒子がたくさん落下する。とうとう結界石が【ワーム】に壊されてしまったのだ。緑の粒子は地面に達する前に、空中に溶けて消えてしまっている。その様子はクリーチャーがやられてしまった時の光景に似ていて、どこか悲愴感を思わせる光景だった。

 

「GUOOOOOOOO!」

 

【ワーム】は自らの行いを誇示するかのように、天に向かって咆哮した。

 

「結界石が壊れるなんて……」

「そんなバカな……」

 

周りの騎士達が、口々に嘆く。その様子は、ひょっとしたら、アルン村での浄化の儀式で追い詰められている時よりも、ショックを受けているように見えた。俺達自身の身には被害は何もないが、決して傷つけてはならない、心の中の誇りやアイデンティティといったようなものを無残にも砕かれてしまったのかもしれない。

 

「これは…… 空間が――」

 

 ドミトリが水晶を見ながら呟く。それと同時に、結界石の周辺に現れていた青いヴェールが、一際濃く変色し、これまでの頻度とは比べ物にならないくらい、急に多くのヴェールが周りを満たし始めた。

 

「ニーナ! ニーっ……」

 

ナエさんのニーナさんを呼ぶ叫び声が聞こえたが、途中でかき消される。一瞬、声がした方向を見るが、青いヴェールによって、ナエさんとニーナさんのいる場所が分断されてしまっていた。そして、ナエさんがいる場所も俺達のいる位置からは青いヴェールによって遮られてしまっている。

 

「オイ、ドミトリ! 何が起こってるんだ」

 

ドミトリ、ラルフさんは俺の近くに居るので、まだヴェールによっては遮られてはいない。だが、先のナエさんやニーナさんに起きた事のように、俺達のまわりの騎士達は青いヴェールによっていくつかの集団に分断されてしまった。

 

「結界石が壊れたから、このあたりに効いていた空間位相変化の術式が暴走してるのか? このままだと、ここの空間はズタズタに……」

「……ええい、つまり何が起きるんだよ」

「わからない。最悪、僕たちごと此処ではないどこかに飛ばされてしまうかも……」

「おい、どうすりゃいいんだよ!」

「ここまでひどいと、何をしても無駄だよ。 これほどの暴走なんて歴史上初めてかも……」

「ドミトリ!」

 

ドミトリの言葉が途中で止まる。声が聞こえなくなったタイミングで青いヴェールがドミトリを遮ってしまったのだ。かろうじて青いヴェールの先にドミトリの表情が伺えるが、彼は突然のヴェールの出現に驚いた表情をした。だが、俺が見えたのはそこまでで、ヴェールが濃くなって、その先の様子をうかがう事はできなくなってしまった。

 

「ドミトリ! クソ、オイっ、ワタル。おまえだけでも…… しまっ」

 

ラルフさんもドミトリと話せなくなるとわかると、まだ分断されてない俺に向かって何かしてくれようとしたが、それすら容赦なくヴェールは遮る。

 

「ラルフさんっ」

 

俺にできたのは、口から名前を叫ぶことだけであり、言葉を終えると同時に、視界は青いヴェールに覆い尽くされてしまった。

 

とうとう、俺一人だけとなってしまった。青いヴェールに遮られていない場所は俺の足元わずか数平方メートル程度の領域だ。完全に青いヴェールに覆われてしまった。青く光り輝くヴェールの中だと、まるで自分が氷河の中に閉じ込められてしまったかのような錯覚を覚える。そしてその錯覚が孤独感や不安感を一層際立たせる。

 

「ラルフさーん。ドミトリー! ナエさんっ! ニーーナさん!」

 

力いっぱい叫んでみるが、俺の声はむなしくヴェールの向こうには届いた様子はない。反対に外からの応答も全くない。もう完全に閉じ込められてしまったのか。

ヴェールを力いっぱい殴ってみたり、タックルしたりしてみたが、まるでトランポリンの壁に向かって攻撃してるみたいで、バネのような弾力で反対に押し返されてしまう。

マジックの呪文も【不退転の意志】で最後であり、もう俺には何もできる事はない。

 

いつの間にか、地面に座り込み何をするまでもなく、茫然としてしまっていた。そして、少しずつ意識がはっきりしなくなってくる。青く白い空間に自分の意識が溶け出してしまいそうな感覚がする。

 

俺達が分断されてからどのくらいたったのか。数分かもしれないし、十数分、数十分、何時間? いや、もう一日以上たったのかもしれない。変化は何もない。目に見えるのは白い空間のみ。俺自身の知覚もやがて白くなり何も感じなくなってゆく…… ああ、眠たいなぁ……

 

 

 

 

*******************************************

 

 あれから5日が過ぎた。

 

 教会の周りの建物や土地は、空から降ってきた流星や魔物によって荒らされてしまって、以前はここに静かな広場や家が建っていたことなど信じられない光景になってしまった。

 

 5日前の浄化の儀式は、これまで経験したことが無いくらい激しく、怖いものだった。見たこともない《魔物》が何匹も村の中を我が物顔で歩き回る光景は、世界の終りが来てしまったのではないかと思うほど恐ろしかった。だけど、そんな地獄とさえ思える中でも、騎士様達は身を挺して、私たちアルン村のみんなを守ってくださった。私たちを守る結界が破られて何人も負傷者はでたけれど、結果だけを見れば、アルン村の住民には一人も死者は出なかった。きっと女神様が私たちを見捨てずに手をさしのべてくださったおかげなのだろう。

 村のみんなには被害はなかったけど、騎士様達の被害はひどかった。《流星の魔物》にやられて重傷を負ったのは一人や二人ではない。さらに、『侵食』されて、流星の魔物自体になってしまった騎士様さえいた。処置が早かったのか、それとも『白の癒し手』ニーナ様が見てくださったおかげか、今は『侵食』された騎士様達も意識を失ってるだけで無事に済んでいる。私はニーナ様の後を引き取って、騎士様方のお世話をしているのだけれど、彼らは安らかな表情で眠っている。きっとあと数日もすれば目を覚ますだろう。

 無事だった騎士様もいたけれど、無事ではすまなかった騎士様達もいた。儀式の混乱が収まったと思われた時に、裏門を守っていた4人の騎士様達が、みな死んだ状態で見つかったという知らせが村中にもたらされた。現場を見てきた騎士様に聞いた話だと、奇妙にも遺体の様子が2つの状態に分かれていたらしい。ひとつ目は、外傷は特に見当たらず、眠ったかのように綺麗な状態で死んでいた2人の遺体。もうひとつは、反対に出血がひどい状態の遺体。こちらも2人の遺体があり、心臓を一突きされた遺体と、首の前半分を切られた遺体があったそうだ。2体とも残酷な殺され方をされていて、きっとあのネメスのトートと呼ばれていた殺人鬼がやったのだろうと、村の中ではもっぱら噂している。4人の遺体は、その日の内に、教会が管理しているアルン村の共同墓地に丁重に葬ることになった。ザーナ司祭様が不在だったので、恐れ多くてあまり気は進まなかったのだけど、私が祈りの言葉を捧げる役をする運びになった。儀式の初めは緊張して、失敗をしないか不安な気持ちでいっぱいだったのだけれど、殺された騎士様達の事を思うと悲しみで胸が満たされて耐えきれなくなって、気が付いたら泣きながら祈りを捧げていた。儀式の最中の事は悲しい感情に耐えながら儀式をやりきるだけでいっぱいいっぱいであまり覚えていない。

 村の人達や建物は酷い被害を受けたけど、今はみんな、前の生活を取り戻そうと、働き出している。幸い、アルン村にいる人達のなかに、取り返しのつかない怪我を負った人はいない。無事だったり、怪我が軽い騎士様方が手伝いを申し出てくださり、みんなで倒壊した建物の瓦礫のあとかたずけや、雨風をしのぐために簡易的な家屋を立て始めている。私も騎士様達のお世話の外にも、弟達の面倒をみたり、アルン村の他の女性たちといっしょに炊き出しをしたりして、一日中忙しく働いている。みんな浄化の儀式で負った心の傷を忘れようと、一心不乱に目の前の仕事に取り掛かっている。いろいろやることがたくさんあって、本当に大変だけれど、むしろ私たちにとっては、山積みの仕事は、少しでも浄化の儀式の記憶を隅に追いやるための方便として、有難くもあった。みんなは表面上は精力的に動いているけれど、誰もが心の奥底に一抹の不安を消し切れないでいる。その正体は、樹海に消えて行った騎士様達やネメスの行方だ。アルバート隊長やナエ副隊長、『白き癒し手』のニーナ様やドミトリ様。あの人達はザーナ司祭様を誘拐していったネメス達を追って、アルノーゴ樹海に入っていった。隊長達が樹海に入っていった後、樹海の奥から何か大きな地響きが響き渡ってきて、何かとてつもない事が起きている事だけはわかった。私も村の人達も、《流星の魔物》のような恐ろしい存在が、またアルン村を襲うのではないかと、戦々恐々と身をちぢこませていた。幸い樹海から響き渡る轟音は、日が暮れるころまでには静まっていき、そのあとはいつもの静寂に包まれた神秘的な樹海に戻ったようだった。

 だけど、私たちはそれからの『何も起きなかった』事こそ不信に思うべきだったのかもしれない。心の中に巣食う不安は日が暮れて夜になり、次第に時間が進むにつれ大きくなっていった。誰もが心の中にもたげた『それ』を口にしたのは、村の警護をナエさんから託された騎士様の一人だった。

 

「なんで、誰も樹海から戻ってこないんだ」と。

 

 夜中に野外を出歩くのは自殺行為そのものだ。どのような魔物が襲われるかわかったものではないからだ。そんな事、言葉を話せるようになった小さな子ですら知っている事だ。ましてや、アルン村に居るみんなは、浄化の儀式で誰も彼も疲れ果てていた。夜明けを待ってから捜索するしか私たちにはできなかった。

 翌日、日が出てすぐに、比較的余力のある騎士様によって捜索隊が組まれ、樹海に入っていった。捜索隊はその日の夕暮れぎりぎりまで村に戻ってくることは無かった。日も落ちそうになる時にやっとの事で、村の裏門に帰ってきた騎士様達は、予想だにしない結果を村にもたらした。

 

それは、「激しく争った跡はみられたが、アルバート隊長やザーナ司祭、挙句の果てにはネメス達の姿や行方を一切発見する事ができなかった」という事だった。

 

 樹海の奥の方に、木がまばらにしか生えていない開けた場所があり、その周辺がとても激しく荒れていたそうだ。幹が太い歪んだ木々がなぎ倒され、地面には大きな裂け目が長々と穿たれていたらしい。その場所には、他に地面に何か大きな巨体が這いずり回った跡や、元は何かの構造物の一部であったかのような石の破片が散乱していたそうだ。周辺の荒らされ具合からするに、激しく争いがあっただろうことは簡単に考えられるのだけど、魔物の死体や人間の遺体は一切残されていなかったらしい。一通り周辺を見終わったあと、捜索隊はその場所を基点にして、樹海の奥の方に探索の手を伸ばす事にしたそうだ。次の発見は直ぐに見つかった。アルン村とは反対の方向、樹海の奥に向かう方へさらに進んだ所に、石で組まれた大きく平べったい石畳でできた広場が発見された。その広場周辺も、基点にした場所のように木々が折れて、穴が穿たれており、戦闘があった事を推察させる様子だったらしい。さらに、大きな胴体をもつ魔物が這いずり回った跡もこの場所も見られた事から、捜索隊はここでもアルバート隊長とネメス達の戦闘があったと考えたそうだ。そして、捜索隊が最後に見つけた手がかりとなりうるものは石畳の一画にあった。それは、真っ赤に染まった血の跡だった。捜索隊の一人の騎士様が、石畳の上にシミのように広がった赤い跡を見つけたのだそうだ。それを見つけた瞬間、即座に『それ』の跡だという考えがよぎったそうだが、即断せずに近づいてよく見てみると、赤いしみのような跡が石畳のある場所を中心に広がっていることから、血だまりの跡だと断ずる他なかったらしい。だけど、おかしいのは出血をしていたであろう生き物の死骸が、どこにも見当たらない事だった。どこかへ移動したと考えるにも、かなり広い血だまりができるほど出血をしていたのなら、血が流れた跡がどこかへ続いているはずだった。だけど、そこにある血だまりは、円のように広がっていて、どこかへ体を引きずってできた跡がどこにもなかった。まるで、血を出している生き物を、誰かが空から持ち上げて取り去ってしまったとしか考えようのない、不自然な状況だったそうだ。

 結局、捜索隊はその場所からさらに探索範囲を広げはしたものの、辺りにいつ作られたのか分からない程古い壊れた結界石と思しき台座が数本あるのみで、それ以外目ぼしいものは見つけることはできなかったそうだ。その時点で日が暮れかかっていたのでアルン村に引き返すこととなったそうだ。

 次の日は、1日目よりかは人数は少ないものの、再度捜索隊が組まれて、1日目以上の範囲を探し回った。だけど、結局何も見つけることができなかった。アルン村の復興に力を注ぐべき状況もあって、結局その日の捜索で行方不明者の捜索は打ち止めとなってしまった。

 

 今日もアルン村には、教会前広場のあちこちで建物を修理する音が響き渡る。村の人達と、騎士様達によって懸命に作業が続けられている。流石に数日も作業をしていれば、広場の周りの荒れ模様は少しは見れるものになり、みすぼらしいながらも、夜露をしのぐには十分な建物がちらほらと組みあがり始めている。復興が進む一方、教会の建物自体の修理は、まずは村の人達の住む場所を優先するために後回しにされているのが実情だ。私も本当はすぐにでも教会のかたずけをしたいのだけれども、村のみんなが落ち着くのが先だと思う。女神様の教えにも、『見栄や誇りよりも、まずはか弱き者達を慈しみ、育め』という教えもある。

 教会は、災厄の流星がホールの天井を掠めて落ちたせいで、ホールの一部の天上が崩れ落ちてしまっている。さらに、一時『浸食』された騎士様が《魔物化》した時に暴れたせいで、中の椅子や床ががめちゃめちゃになって荒れ放題となってしまっていた。幸い、ホール奥手の寝室や病室は特に被害を受けていないので、今は怪我をした村の人や騎士様達を収容するのに使っている。

 瓦礫のかたずけを手伝い終わった後の休憩の時間に、なんとなく私は屋根が崩れてしまった教会のホールの中に入る。静かな教会前の広場と神秘的な教会を仕切っていた教会の大きな扉は、中心が大きく破られてしまっていて、覗き込めば教会の中が易々と見渡せてしまう。中に入ると、ホールの中は長椅子が壁際に追いやられて、無造作に積み上げられている。中には積み上げられた椅子が崩れて、ひっくり返ったまま、床の上に転がっているものさえある。ホールの中央には大きな穴が床に開いていて、すぐ横に黒ずんだ染みのような跡が残っている。これは後で聞いた話だと、ナエ様が『浸食』された騎士様が暴れまわっている時に放った攻撃の跡らしい。その時出た炎の柱は轟轟と燃え盛っていて、離れていた場所でもその熱気を感じたほどだとか。この焦げ跡を見るだけでも、ナエ様の攻撃の激しさが想像できる。

 視線を上げれば、これまで何度も見てきたアルン村に伝わる伝承を現したステンドグラスが目に入る。今は崩れてしまった屋根から、太陽の光が降り注いで、神秘的なステンドグラスにうつる絵を一層際立たせている。このステンドグラスは、目立った事が特にないアルン村の中で、数少ない自慢のものだった。たまにアルン村にやってくる旅の方にお見せすると、どの人も感心したように、ほぅと息を吐くのを眺めるのが私の誰にも明かしたことのない楽しみだった。だけど、このステンドグラスの中に1つだけ、ずっと好きになれないものがあった。それはステンドグラスの端の方、女神様に追い払われる細長い黒い魔物だ。それはアルン村に伝わる伝説で、大いなる『災厄の魔物』であったらしい。それが起きたのは私が生まれるはるか昔の事で、伝説に伝え聞く限りでは被害は大層なものであったようだ。だけど、女神様の威光の前には、そんな恐ろしい魔物もステンドグラスが描くように、逃げ惑うだけだった。お話では、それで「めでたし、めでたし」で終わるのだけれども、何故か今の私は、その黒く描かれている『蛇神』の事がが気になって仕方がなかった。捜索隊の騎士様の話に出てきた『何か巨大な魔物が這いずり回ったかのような跡』というお話。その話を聞いた瞬間、私はこのステンドグラスに出てくる『蛇神』を想像してしまった。

 思い出すのは、浄化の儀式が行われる1日前。司祭様やアルバート隊長がワタルさんを引き連れて教会の外に行った後、大きな揺れが起きた時の事。その時は浄化の儀式の準備の時に起きた事故だと知らされ、そのことを信じたのだけれども、私は何かおかしいという違和感も感じた事も覚えている。特におかしかったのはザーナ司祭様だ。私がナエ様やニーナ様と、教会裏居たアルバート隊長に会いに行った時、ザーナ司祭様はどこか上の空で、私が声をかけるまで、心ここにあらずといった様子だった。私やアルバート隊長に声を掛けられて気づいたときは、単に「動揺してしまった」と笑って、大丈夫だとおっしゃっていた。けれど、そのあと、司祭様が樹海から帰ってきてからお話ししてみると、司祭様はどこか終始何かを気にしてらっしゃる様子だった。いつもは私たちを包み込んでくださる慈悲に満ちた様子でらっしゃるのに、その時だけは、どこかぎこちなさを感じるような話し方だった。結局、そのあと司祭様は浄化の儀式の準備が忙しくなり、お話する機会には恵まれなかった。

 

「司祭様……」

 

 私は荒れ果てたホールの床の上に跪いて祈りの姿勢を取る。両手を合わせ、頭を垂れて天上におわす女神様に祈りをささげる。

 

「どうか女神様。 ザーナ司祭様、騎士様達のご無事を……」

 

 口の端に上がるのは、5日前から会えなくなってしまった人達。みんな優しい人達で年下の私を一人前の司祭見習いとして扱ってくれた。

 

「そして、ワタルさん……」

 

 つい数日前、教会で保護する事になった青年の姿を思い出す。何でも、ラルフ様がアルン村へ来る途中で拾われたとか。黒髪の人は初めて見たのだけれど、どこか大人しく優しげな雰囲気を持った人だった。話しを聞く限り、迷子になったみたいで、アルン村の全てに戸惑っていたような印象がある。だけど、ネメス達を追う前の彼は、張りつめそうなほど緊張はしていても、それまでの印象を吹き飛ばすほどに使命感に満ち、覚悟の壮絶さ感じさせた。

 脳裏に思い浮かぶのは、樹海の奥で発見された血だまりの跡の事。その広がりようは出血多量で死に至る程のものだったという騎士様のお話が頭から離れない。私の知っている人達の誰かが、そんな目にあってしまうと考えてしまうと、不安が無限に膨れ上がって夜も眠れなかった。

 

「どうか、女神様。か弱き我ら、そしてあの方々を、あらゆる災いから守りたまえ」

 

どうか皆様ご無事で…… 私にできるのは、ただ祈る事だけなのだから。

 

 

 

 

 

 




一応これにて第一章が終了です。

行方不明シメは、今思うにアレな終わり方だとは思いますが、いかんせんそういう風に進めると物語を構想してしまってますので、寛大なるお心でご承認いただければと思います。

改めて振り返ってみるに、公開を始めて、ここまで辿りつくのに3年9か月くらいかかってます。我が事ながら長ーよ。長すぎだよww

次は第二章ですが、いつになるでしょうか?
正直、勢いで書いてる割合の方が多いので、
案外すぐにご提供できるかもしれません。

では、次は第二章でお会いしましょう。

2月20日:ロミス独白部分に、アルン村裏門を守っていた騎士達に関して追記


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幕間 1
EX1-1:城塞都市ラグジッドのある騎士の一日


作者の、作者のための、作者による、習作兼、具体的な世界観構築を目的とした番外編です。
結果的に説明がメインになっちゃってますが、絶対に読まなければならない、というわけの話ではございません。


 空は長い暗夜の支配が解かれ、朝日が大地の向こう側から顔をのぞかせている。

 太陽から放たれるまばゆい光が、大地と空の境を青白く染まらせる。次第に外は明るくなり、静かに眠っていた様々な生き物が動きだそうとする頃。

 

 夏の頃の過ごしやすい気候と比べて、最近は少しずつだがそれなりに冷え込んできた。

以前は、惰眠を貪る事を中々やめられずに、ベッドから出られなかったが、これからは外の寒さの耐えがたさ故に、ベッドから出るのが難しくなるのだろう。

 

「ううううん……」

 

 そんな事を思いながら、やっとの事で身を起こす。両手をいっぱいに天上へ伸ばして眠気を飛ばしつつ、アリサ・リランドルはベッドから起き上がる。

 日々の鍛練に邪魔だからと、短めに切った金髪は、寝ている間についたのか、左側の一部が寝癖で直角に曲がって中空に飛び出している。

 一度癖がついたら、中々直らない飛びはねた髪を左手で撫でつつ、アリサは器用に右手で大きく開いた口をふさぐ。

 

「ふああああ…… さて、おきなきゃ」

 

 そう言って、彼女はのそのそとベッドから離れた。

 

 生まれた実家が城塞都市ラグジッドでは比較的高い地位にあり、アリサは彼女の若さからすると異例の高待遇で騎士団に迎えられている。

 普通、彼女の同年代の騎士達に割り当てられる部屋は相部屋であることがほとんどだ。参考程度だが、アリサより身分が低い騎士身習いとなると、1部屋に5~6人詰め込まれてしまう事も珍しい事ではない。

 幸い、彼女はやんごとなき身分のほかに、同世代の騎士達と比べると武力・指揮の才能に恵まれており、その長じたポテンシャルを騎士団に入りたての頃から幹部達に見出されていた。そして、彼女の実直で素直な性格も相まって、特に大きな問題もなく、彼女は出世コースを順調に進んでいる。

 

 5人~10人の少人数の騎士達から成る、『小隊』の隊長の身分にあるアリサには、個室が割り当てられている。実家の身分のおかげもあってか、その部屋の広さも、宿舎の中でも大き目な部類に入る。だが、さすがに実家にある彼女の部屋のように、寝転がってごろごろと端から端まで転がるほどのスペースはない。壁際にベッドを置いて、せいぜいもうひとつ、1人用ベッドを反対側に置けるか、と言った程度の余裕しかない。

 高い身分にある人間―― 一般的に貴族と呼ばれている――は、部屋に自分の身の回りの世話をさせるメイドや執事を控えさせている者がいたりするが、アリサは他人に世話されるよりかは、自分で自らの面倒を見る方が気が楽であると感じていた。そのため、彼女の部屋にはアリサ以外には誰一人もいない。

 

 貴族出身の騎士が詰め寄る宿舎では、早朝、召使いが身だしなみを整えるための水を各部屋に配っている。真冬となると、水が湯に変わり、時期によっては、かなり冷え込むラグジットではなかなかありつけない贅沢にもなる。だが、今はまだ少し冷え込みが始まる時期であり、まだ桶に入っている水は、冷たいままである。

 アリサは重力に真っ向から対抗して、ほぼ水平90度に曲がっている自身の寝癖と、桶の水と櫛で何とかしようと格闘したあと、寝間着から騎士団用の制服に着替える。

 

 騎士団に属する人間は、武に秀でられていることが求められるため、男性ばかりいるものだと思われがちだが、聖石騎士団はその限りではない。魔法適正や知力に由来した戦闘以外に関する資質も、戦闘能力と同じ程度に重視されているのだ。そのため、戦闘能力がからっきしだが、別の分野で突き抜けた能力を示す、尖った人材も居ないことは無い。単に男性偏重ではなく、能力さえあれば性別なぞは二の次であるという気質なのだ。

 

 話が逸れたが、聖石騎士団ではそのような気質の集団であるため、意外なほど規則等の決まり事は男女どちらにとっても、弊害にならないように取り計られている。つまり、制服にもその特徴は現れていて、女性用の制服が聖石騎士団に存在しているのだ。だが、流石にそういうものはドレスのようにヒラヒラとしたスカートであったりして、むしろ式典のような公式な祭事でしか着用しない。他には、教会に所属している人間向けの華美な装飾がされた祭司服等があるのだが、アリサにとってはそんなものには縁がなく、今日も男性と共通である、動きやすさを優先させたズボンの制服を着る。全体的に多少の装飾がされてはいるが、かといって動きを阻害するほどではなく、実用性とデザイン性が両立された制服だ。現代でいうベストのように体のラインにぴったりと沿っていて、右肩の側面には聖石騎士団のエンブレムが刺繍されている。アリスは毎回この制服を着ると、自然と騎士道精神が触発されて、寝ぼけた頭もしゃっきりするのだった。アリスの体は15歳で執り行われる成人の儀を終えてから4年ほど経ち、体つきも十分、大人とみなされる程には成熟している。その証拠に、騎士団の制服越しに、胸の膨らみや女性らしい腰つき具合がそれとなく伺うことができる。より妙齢である年上の、アリサと同じ騎士である姉からウワサに聞いたところ、胸の大きい女性のために、胸元に余裕を持たせたカスタマイズ版制服があると噂されているらしい。だが、アリサにとっては、今着ている制服の締め付け具合には不満はない。いつかこの身につけてやる、と不満を募らせながらも剣を腰にさす。騎士たるもの、これがなければ始まらない。剣を腰に差す行為自体が、アリサにとっての心もちを騎士にするための仕上げだ。最後に、聖石騎士団の騎士として、剣よりも大事なロザリオを胸元から下げているのを触って確認する。そして、この部屋の中では一番高価かも知れない姿見で身だしなみを確かめる。

 

「良し!」

 

今日も、アリサの一日が始まる。

 

*****************************************

 

 

『カライアは魔物の氾濫(スタンピード)よりも飢えを怖れる』

 

 教会が教えに用いる逸話にこのような言葉がある。聖石教会にその名を連ねる、軍司の原初の体現者(プライモーディアル)にまつわる逸話にある格言だ。曰く、軍神と謳われるまでに、数々の戦いで華々しく戦果を叩き出してきたカライアであるが、どのような魔物を前にしても恐れはしなかった彼でも、兵站が滞る事は何よりも恐れたという。これは、聖石騎士団の教本に軍事行動における補給の重要さを端的に表す言葉として記載されていて、騎士過程を経たものならば誰でも知っていることである。この考えは騎士団の上層部から下層の末端まで浸透していて、その教えは騎士団の生活スタイルに如実に現れている。つまり、何をするにしても腹を満たしてからでないと始まらない、ということだ。物を食べる以上当たり前なことではあるのだが、弱きを庇護し、教え導く使命を自らに課している教会や騎士団としては、従うに疑いのない真っ当な教えだ。

 

 ラグジットの騎士団駐屯地には、騎士団関係者だけではなく、教会関係者も滞在している。周辺の中では一番栄えた都市として知られるラグジットの騎士団駐屯地に詰める人数は、かなり大規模であり、数百人を優に越える。無論、その膨大な人員の胃袋を支える食堂は、騎士団駐屯地の中でもかなり大きな建物である。

 

 アリサが寮を出て食堂に着いた時、中には既に小規模ながらも行列ができていた。食堂の広々とした空間の大部分を占拠しているのは、木製の長机だ。両端には、机よりも少し低い高さに設えられた長椅子が並んでおり、アリサが並んでいるカウンター前から、同じ机と椅子が規則正しく何列にもわたって並んでいる。所々には、アリサよりも早く来た騎士や教会関係者が、各々の装いをしつつも、三々五々に朝食を採っている。黙々と平らげる人、数人寄り集まって会話を挟みながら一緒に食べている人達など、今日も様々な様子の人達がいる。そんな様子を横目に見つつ、ようやくカウンター前まで辿りつき、脇に置かれているスプーンとお盆を手に取る。カウンター奥は厨房になっており、料理人達が『戦争』を繰りひろげていた。奥手の竈では風呂桶としか思えないほどの大きさの鍋が並べられていて、中で大量のスープが煮詰められている。火加減を調節する料理人や、鍋を棒でかき混ぜる料理人、煮込む具を一抱えもあるバケツから中にぶちまける料理人さえいる。気候的には最近寒くなってきたというのに、厨房の中は暑いのか、皆一様に汗をかいており、まさに『灼熱』の戦いが続いていた。『火』には何かと縁があるアリサとしても、この種の暑苦しさには同情を禁じ得なかった。鍋が並ぶ横には、煉瓦で設えられた竈が3つも並んでおり、複数の料理人が竈にパン生地を突っ込んでは、焼き立てられたパンを取り出していた。取り出されたパンは無造作に台車の上に放り投げられ、山になった所でカウンターへと運ばれてくる。また、厨房の隅のある一画には、野菜が山と積まれており、料理人見習い達がどこか遠くを見ているような目をしながら黙々と皮むき作業を行っていた。

 

 いつ見てもこの光景は魔物との戦闘と遜色ないほど苛烈だな、とアリサは思う。死物狂いの料理人達に戦々恐々としながらも、アリサは木製のお椀に、大量の具と一緒によそわれた野菜スープと、これまた人の顔ほどもありそうなパンを受け取る。ラグジッド騎士団駐屯地の食堂の献立はあまり種類には恵まれておらず、野菜スープとパンの組み合わせが多い。だが、毎日同じ献立でも飽きられないように、日ごとにスープの具が違っていたり、干し肉や腸詰めなどのタンパク源が合わせて提供されている。

 パンをとった後、果実水が入ったコップを取り、長机に向かう。人間の性というものは不思議なもので、毎回決まった位置で食事ををとる人間がいる。アリサもそんな傾向の人間であり、今日もいつもの位置――カウンターから一列奥に並んでいる、長机の中でも一番左手の端っこ――に向かっていく。寝坊して、いつもより遅い時間に来ると、席はほぼ満席で、散発的に空いた席に座るしかなくなるのだが、いつも通りの時間に起床できた今日は、彼女の指定席は空いていた。朝食がのったお盆を机に置いて、長椅子をまたいで座る。空腹を訴える本能に従って、スプーンを手に取りたくなるが、理性を働かせてぐっと我慢する。敬虔な聖石教会の信者は、糧を取る前に必ず女神へと感謝の祈りを捧げる。首から下げたロザリオを取り出して両手で包み込み、机の上に肘を立て、頭を下げて額に握りが当たるようにする。そして、一旦心を落ち着けてから小さく、だがはっきりと祈りを言う。

 

「偉大なる慈悲深き女神様。今日も糧を頂けることに感謝を捧げます」

 

祈りの言葉を唱え終えるのももどかしく、スプーンを手に取って、お椀に目一杯に盛られた具をすくい上げる。少し息を吹いて冷ましてから、大口をあけて一気に中に入れる。まだ十分に冷ますことができていなかったのか、熱さが口の中に伝わり、口の外に熱さを逃がすために、頬張りながらハフハフと熱い吐息を外に出す。オニタギやキュロンが程よく煮込まれていて、噛むごとに野菜の旨みが口の中に広がる。次に片手では収まらないほどの大きさのパンをちぎる。焼きたてで、外はカリカリしてて程よく焼き上がっているが、料理人の腕がいいのか、ちぎった箇所から見える白い生地はモチモチしているのが見ただけでわかる。これは当たりをひいたかもしれないと、ワクワクしながら口に持っていく。まだオーブンから引き出したばかりで、余熱が中にこもっている上に、表面の焼き上がった部分のサクサク感と、中の生地のもっちり感が口の中でとろけあって、なんとも言えない幸福感に満たされる。たまらず、続けて頬張るが、生地のふっくら感が口の中を占める。今日のパンは会心の出来と評価を下し、未だに厨房で奮闘を続ける料理人達に称賛を送った。アリサは、この食堂で提供される食事にはおおむね満足している。玉に、煮込み足りないスープや、焼きすぎて焦げたパンを引くことがあるのが玉に傷であるのだが。

 

 そうしてしばらく朝食に舌鼓を打っていると、前方の反対側の席から声がかかってきた。

 

「おはよう、相変わらず美味しそうに食べるわね」

 

 アリサが視線を前方に向けると、ちょうど長い金髪をした女性が席に座るところだった。直ぐに返事をしないのは、アリサの育ちの良さのおかげか、咀嚼していた食べ物をのみ込み、アリサは対面の女性に挨拶を返す。

 

「おはよう。ライラ。今日のパンはかなり当たりだと思うわよ」

 

 アリサの目の前に座る彼女、ライラはアリサにとっては先輩にあたる人物だ。年はアリサよりかは3つか4つほど上といった所か。ラグジッドではさほど珍しくない聖石教会の司祭服を着て、アリサと同じメニューが載った盆を前にアリサの対面に座っている。彼女の外見で特徴的なのは、長く伸びた艶がかった金髪だ。その様は食堂の中でも光を反射してるのではないかと見紛うほどで、時折、男性司祭や騎士達の中では『神々しい』とさえ噂されるほどだ。それに加えて、彼女は長身でありスタイルも抜群だ。いつも質素な司祭服を着ているが、それだけでは彼女の美しさを隠し通すことはできず、服の上から彼女のスタイルの良さがありありとわかってしまう程である。アリサとしては、司祭の身ながら、何故これほどの体に恵まれているのかと、ライラの全身を上から下まで眺めて常々疑問を呈している。アリサとライラは、アリサがラグジッド駐屯地に来て以来の仲であり、いつも一緒に朝食を食べる以外にも、何か機会があるごとに一緒居る間柄だ。ライラは面倒見が良い性格で評判があり、アリサとしては何か困ったことがあるたびに相談にのってもらっており、気の置けない存在だ。内心、彼女の事を、実の姉よりも姉のようであると思ってさえいる。

 

(まぁ、姉さんはニーナにご執心だからね……)

 

 夢中の対象にべったり張り付いて、嫌らしい表情を浮かべる、自ら本来の姉の様子を想像しかけたが、外れかけた思考を現実へと起動修正する。同じ食堂で食べている以上、ライラはアリサと同じメニューであるのだが、騎士のアリサと比べて、彼女の朝食の量は少なめだ。ライラはアリサの言葉を受けて、パンを食べていたのだが、一口飲みこむと驚きの声を上げる。

 

「あら、ほんとだわ。今日のはとってもいけるじゃない」

「また最近、パン担当の人が変わったのかな? なるべく長く続いてくれるといいんだけど」

「まぁ、料理長の御眼鏡にかなう事を祈りましょう。ところで、あなたのお姉さん達はまだ帰ってこないの?」

 

 ライラは、野菜スープをスプーン片手につまみつつ、いつもの調子でアリサに話しかけてくる。ライラの胸元には、アリサが身に着けているのと同じような、首飾りが身に着けられていて、中心にしつらえられた輝く石が、外から入ってくる光を反射している。実は、いつもならば、本当はこの場にはもう2人ほど人物が加わっているのがいつもの光景なのであるが、その2人はラグジッドから中長期的な外征任務で遠征中である。彼女らが旅立ってから、既に3か月経過しており。アリサやライラとしても、心細さを感じているのであった。

 

「もうそろそろ、最後の村の儀式を終える頃だと思うわ。ただ、一番活動圏から離れているから、ラグジッドへ帰ってくるのにもう2,3週はかかるかしら」

「まだ、当面は私達2人だけね。いつもあの2人がいると騒がしいけど、いい加減懐かしく思えてきちゃうわ」

「私もよ」

 

図らずもお互い一緒の事を考えていた事を、くすくす笑いつつ、寂しさを紛らわすようにおしゃべりは続いていく。今はいない2人が外征へ出発した直後は、2人がいないだけであまりにも場が変わってしまった事に戸惑ったものだ。だが、その状況にもいい加減に慣れてしまい、ライラと2人だけでひっそりとお互いをつつき合うように過ごすようになって久しい。もともと、暴走しがちなアリサの姉と、それにまとわりつかれる、もう1人を肴に騒いだり、わいわいやったりするのが常であった。だが意外にも、アリサとライラの2人は、共にストッパーな役割を果たしていただけに、お互い気の通じ合うのか、自然と2人だけでも会話が盛り上がった。今も、気分がのってきたのか、朝食より話す方に集中してしまって、朝食がおざなりになってしまっている。女が3人集まれば姦しいと言うが、別に3人集まらなくても女性は姦しいのである。

 

 

 聖石騎士団の一日の活動は、礼拝堂での女神への祈祷で始まる。騎士団を擁する活動拠点には、必ず祭壇が優劣問わず備え付けられていて、騎士達は何かにかこつけて、そこで祈りを捧げている。その習慣の染み付き具合は、ちょっとした行軍中の野営にも祭壇を整える程度には、そして、それが当たり前に捉えられる程度には浸透している。

 ラグジッドは、その周辺一帯には、最も発展している城塞都市として名が知れ渡っている。そして、その城塞都市の騎士団駐屯地には、その発展具合には釣り合う程度の、なかなか華美で豪華な礼拝堂がある。聖石教会総本山にある大聖堂と比べると流石に見劣りしてしまうが、大きさはその次に迫る程である。その規模だけを鑑みるのならば、『礼拝堂』というよりかは、『大聖堂』と表現すべきなのかもしれず、初めて訪れる人間はそのスケールの大きさに驚かされるだろう。

 入口は大きな木製の両開きの扉が2つ設えられており、とても人間一人で開けるような代物には見えない。中に入れば、聖堂の奥まで見渡せるほどの空間が広がっており、重厚な建物を支える柱が並ぶ先に、色とりどりの彩色が施されたステンドグラスが目に入る。アリサは初めて聖堂の中入った時は、荘厳な光景に感動もしたものだが、それがもう何日も、毎朝続くとなると、流石に慣れてしまっていた。もし、中に誰もいないのだったら、静謐さもあって普段見慣れた光景とは別種の感動もあったのかもしれない。だが、アリサと同じような、見慣れた光景に何の感慨も抱かない人間が百人単位で群がると、とたんに聖堂内の神聖さが損なわれしまうものだから、人間とはなんとも罪深き生き物なのだろうか、などと皮肉な思考をしつつも、今日もアリサは騎士団の位階に従った所定の位置に並ぶ。ちなみにライラとは聖堂までは一緒に来はしたが、入口で別れている。実は、大聖堂内は、騎士団の人間だけではなく聖石教会の司教や司祭見習いも集まっている。一部の手伝いを含む裏方を除いた、ラグジッドの騎士団と教会関係者が一堂に介するのはこの時くらいだ。並ぶ場所は騎士団出身者と教会出身者とで分かれているため、アリサとライラは入口で分かれて、それぞれの場所へ向かったという次第だ。聖堂内は至る所でざわめきが起きていて、雑多な印象を受けるが、そのざわめきも礼拝を開始する鐘が鳴るまでには次第におさまっていく。

 ゴーン、ゴーンと鐘が鳴る時には、物音を立てる人間は誰一人いなくなった。アリサにはこの切り替わり様が不思議でしょうがないのだが、いざ自分も物音を立ててはならないと神経質になっているのだから、これは神秘が介在する、大聖堂の中だけで起こる女神様がなせる御業なのか、としみじみと感じ入る時がある。

 

 大聖堂の鐘が鳴ると同時に、入口から奥にある一段高い床に、大司教を始めとする高位に連なる司祭や騎士長達が並ぶ。鐘が鳴り終わると、前に並んでいる高位の人物達を含む聖堂の中の全員がその場にひざまづいて、女神への祈祷が始まる。この間は、前に出ている大司教が口上を述べて祈りを捧げ、他は静かに黙祷をする。日によって、大司教が不在の場合は、変わりの人間が祈りを上げる時もある。この時ばかりは、雑多な事を考えがちなアリサをしても、女神に対する祈りの気持ちで思考が静かになる。祈り自体はそれほど長くもなく、およそ1分で終了する。祈りが終わった後は全員その場に立ち上がり、点呼や通達が行われる。騎士団や教会の指導層としては、全員が一堂に集まるこの場に便乗しない手はない。むしろ、大聖堂に毎朝集まる習慣は、そちら(・・・)の方が真の目的のように思われるのであった。

 幸い、今日は重大な通達事項は特に存在せず、大司教の挨拶と解散の言葉でその場は終了となった。

 

 

 聖堂での礼拝が終了すると、いよいよ騎士団と教会の一日の本格的な活動が始まる。騎士団出身の人間が行う仕事は、専ら肉体労働である。ラグジッドは、それ自身の統治だけではなく、周辺の活動圏の維持を担っており、秩序を維持する機関として、騎士団の軍事力が必要とされている場所は多い。

 騎士団の仕事と言えば、まずは魔物の討伐が一番に挙げられるだろう。この世界の大半は『魔力の澱』に満たされており、『魔力の澱』の濃度が濃い空間では、そのまま放置しているだけで『魔物』が自然発生してしまう。そのような過酷な世界に対する解決策として、女神がもたらした奇跡の1つが『結界石』である。その『結界石』が人類の活動圏のあらゆる場所に予断無く配置はされてはいる。しかし、それでも完全には活動圏内の『魔力の澱』を抑え込むことはできないのが実態だ。そのため、どうしても人類の活動圏内で『魔物』が出現してしまう事がしばしばある。流石に、逐一各地点の『魔力の澱』の濃度や分布を把握して、魔物の出現を予測する事はできない。代わりに取りうる手段として、人の手による周辺監視が長年にわたって騎士団主導で行われてきた。他に言及すべき類似する騎士団の仕事としては、アリサの姉や友人達が遠征として行っている、『浄化の儀式』の定期的な遂行と、それに伴って『深淵なる混沌の海』から落ちてくる(・・・・・)災厄の流星の魔物討伐が挙げられる。これは比較的近年になって発生した、騎士団の歴史上、最も特異で危険な任務であった。かつて、前者の周辺監視の仕事と比べると、理不尽としか言いようの無い凶悪な性質をもつ魔物達を相手にするため、負傷率・死亡率がかなり高い任務であった。しかしながら、幸い、教会所属の一大勢力『ガイウス派』らが開発した結界型輝石のおかげで、その損耗率をかなり抑え込む事に成功した。現在は普段の周辺監視の任務とは少し性質の異なる、変わった任務という認識に収まる程度には難易度がやわらいでいる。他には、ラグジッドの都市内警邏、都市内の至る所に配置された詰所の管理・治安維持、ラグジッドに隣接する町村での治安維持を目的とした駐屯任務、刑務所といった特別な施設の管理・警護、さらにはラグジッドの支配層、教会、騎士団の要人警護、災害が発生した場合等は、被害を受けた施設の復旧工事、警護といった仕事もあったりする。

 騎士団の仕事に対して、聖石教会の司祭達の仕事は、騎士団が出張る必要がない、荒事向けではない事全般に及ぶ。まず、教会の存在意義にも等しい第一の任務は、『結界石』の維持・管理による人類活動圏の維持、拡大が挙げられる。聖石教会が擁する女神にまつわる流離譚によれば、かつて、人類を始めとする幾多の民草は、楽園と呼べる安住の地を求め、様々な世界を女神や原初の体現者(プライモーディアル)らに率いられて、長きにわたる流浪の旅をしていたという。そして、長い流浪と様々な世界にいた現地勢力との摩擦の結果、流れに流れて現在の世界に落ち着く事となったという。しかし、その世界は『魔力の澱』に満たされていて、決して楽園と呼べるような優しい世界ではなかった。女神や原初の体現者(プライモーディアル)達は、そのような世界でも庇護する民達が生きていけるよう、結界石による浄化・生存圏のシステムを確立したという。このような流離譚を擁するため、聖石教会の存在意義は、人類の維持・保護に等しいと言っても良い。その根幹をなすのが、結界石による『魔力の澱』の浄化システムであるため、必然的にその維持に注力するのは当然と言えよう。と、このように述べたが、聖石教会が担う役目は他にもいろいろ存在する。聖石教会の存在意義に関連する役目として、女神による奇跡の結晶であるとも言える『輝石』の管理・研究・ノウハウの蓄積も担っている。また、『教会』として、人類の活動圏に存在する人々の精神的主柱、さらには人々を教え導く事も聖石教会が自らに課している事に含まれている。その一端として、村によっては、聖石教会の司祭がその村のコミュニティの管理・維持を担っているという事も珍しくない。

 このように、聖石騎士団と聖石教会は、この『魔力の澱』に覆われる厳しい世界で、人類が生き残るうえで欠くべからざる『車の両輪』と言える役目をそれぞれ果たしている。騎士団と聖石教会はそれぞれの由来が女神と原初の体現者(プライモーディアル)であるため、常に連携して数々の問題に協力して当たってきた歴史がある。そのため、ラグジッドの騎士団駐屯地に騎士団所属の人間だけでなく、聖石教会出身の人間が混在しているのは極自然な事と言えるのだ。

 

 話がそれてしまったが、アリサの本日の任務は実の所、具体的な任務を仰せつかっていない。普段はローテーションで任務が割り当てられて、様々な所へ東奔西走しているのであるが、たまたま本日は任務が割り当てられていない『フリー』状態なのであった。こういう時は、騎士団は各自の戦闘能力を錆びつかせない事を目的に、自主鍛練を行う事が常だ。アリサはその慣習に従い、自らと配下の小隊の訓練を行うべく、演習場に向かう。

 

 さて、訓練をするに当たって、当然ながらしかるべき装いというものは存在する。訓練場の横にある、休憩所と着替え場所を兼ねた建物に入り、鎧を身につける事がまず始めに行うことだ。鎧とは、騎士にとっては身を守る大事な装備である。魔物と戦闘するのが主たる任務のため、鎧を装備した状態で、なんの事もなく動き回ることは、騎士に求められる必要最低限の能力のひとつと言える。

 アリサは自分に割り当てられたスペースに行き、騎士団の制服から鎧下に着替える。この鎧下は、実用性第一に作られていて、騎士団の制服以上に動きやすく作られている。シンプルな白の麻でできた長袖とズボンを身につけて、袖やズボンの端を皮の紐で結び、激しい動きでずれないように固定する。次に鋭利な刃物や魔物の爪といった凶器を肌に届かせないための帷子を上半身に身につける。また、体の駆動の自由が確保されている今のうちに、足回りの防具を身に付ける。ここからは一人だときついため、控えている補助の人間に手伝ってもらうのが常だ。そして仕上げとして、自身のロザリオが首もとに身に付けられているのを確認し、上半身から胴回りまでを覆う小隊長用の軽鎧と小手を身につければ終わりだ。アリサの装備は騎士団基準でいえば、バランスがとれていて、薄すぎず、重すぎずと言ったところだ。だが、それでも手伝いを必要とするので、身に付けるのは一苦労である。この面倒さが煩わしくもあるのだが、これを怠れば自分の命が脅かされかねないので、有無を言わずにやるしかない。これが大の男ともなれば、全身鎧で、隙間なく身を覆って、もはや輝石で具現化される《守護者》と何ら変わらない格好をする騎士もいる。そんな装備を身に着けようと思うのならば、それに費やされる時間も想像に難くない。そんなこともあり、アリサの装備は、装備するのに、そんなに時間がかからない方とも言える。一時的に外していた剣を腰に差し、訓練場に出る。ラグジット聖石騎士団の訓練場は、その規模にふさわしく、かなり広めに作られており、その広さだけで騎士団駐屯地の、おおよそ半分に迫るほどだ。これほどの大きさを有している理由としては、騎士団の団体演習が行われる他に、輝石の力を行使することが考えられていることも挙げられる。そんな見渡す限りの広い敷地の端に、見覚えのある顔が一列に並んでいる。一度気を落ち着かせるために息を整え、そして腹の底に力を込め一気に捲し立てる。

 

「第17小隊、整列っ!」

「っは!」

 

隊員達も慣れたものなのか、アリサの号令にすぐさま応じる。普段のアリサは温厚で大きな声を出すことは無いのだが、任務の時ばかりは別だ。普段の大人しさからは想像もできないような大きな声を、これでもかと大音量で巻き散らす。その落差は、アリサが人伝に聞いたところ、アリサが声を張り上げる様が信じられずに、呆然と立ち尽くす人がいるとか、居ないとか、だそうだ。アリサにしてみれば、小隊長として責任ある立場にいる以上、部下に何時何時も、何が起こっても対処できるようにカツを入れて訓練するのは当たり前のことなのだ。

 

 アリサが今の小隊を統べるようになってから、もう一年以上は経つ。当初は、アリサよりも年上の騎士すらいる隊員達から、侮られはしたものだったが、そんな雰囲気もアリサの実力を前に叩き潰されてきた。今では、アリサを蔑むような目で見る隊員は誰もいない。だが時折、からかいを受けたり、マスコットのような扱いを受けることには、断固抗議する姿勢を示してはいるが。そういうことが、たまには、いや、それ以上にしばしばあるが、アリサにしてみれば、アリサと彼女の隊の隊員達の間には、そこらの並みの隊以上の信頼は築くことが出来ていると自負している。

 

 今日も開始の挨拶もそこそこに、まずは準備運動、そして走り込みを行う。体を慣らす意味合いもあるが、これが意外に馬鹿にならない運動量だったりする。まず、騎士の務めとして、装備を纏わずに活動することなど有り得ない。そのための地力を養うために、広大な訓練場を何周もするのだが、この負荷に耐えうる体力がなければ、到底騎士としてはやってはいけない。

 

 走り込みが終わったら、隊員同士で組を作って、木剣を使った模擬戦闘訓練を行う。残念なことに、騎士団が相対する存在は魔物だけではない。時によっては同胞である人間を撃退、または制圧しなければならないときがある。そのためにも、対人戦闘の経験を積むために、訓練に取り入れられているのだ。この訓練であるが、輝石の力の発現は、原則禁止されている。これは騎士達の地力を鍛えるためという目的もあるが、実践時に敵を殺さずに制圧することを第一に考えているためである。その根底にある思想は聖石騎士団・教会の理念について説明した今ならば察することができるだろう。反面、これは騎士達を騎士たらしめる(教会の司祭達にも言えることだが)《輝石》の強力さが遠因でもあると言える。

 アリサは、と言えば、彼女はこの訓練を少し苦手としている。男性に比べると筋力に劣る女性であるのは言わずもがな。それに彼女の戦闘能力は彼女の輝石の力に依るところが大きいのも理由のひとつである。アリサの小隊は男性の方が多いため、小隊でダントツに好成績を納めることはできていないが、それでも上位半分以内に収まれるように、アリサはかなり頑張って取り組んでいる。別にアリサの小隊の隊員達は、そんなことどうでも良いのだろうが、アリサとしては少なくともそうあることが、小隊長としてあるべき『在りかた』であると信じているのだ。

 

 小隊の全員と、一通り組み終わったときには、太陽が中天に差し掛かっていたため、昼の小休憩となった。折よく、ちょうど聖堂の鐘が鳴り、正午に差し掛かったところだった。アリサの小隊の隊員達は、各々休憩をとろうと、思い思いに散っていく。各人をよく観察すると、怪我をしたのか、痛そうに体を動かしている騎士もいる。対人戦闘で木剣を使う以上、怪我はつきものだ。当然、木剣の当たり所によっては打撲、骨折をしてしまう騎士もいる。幸いにも、輝石の力はこのような問題にも役に立つ。教会出身の司祭達を中心として、癒しの力を持つ輝石を有している人間がそれなりにいるのだ。訓練中に怪我を負った騎士は、昼の小休憩の間に教会が運営している傷病施設へ診察してもらいに行く。流石に粉砕骨折のような怪我は即座に完治というわけにはいかないが、軽い打撲や擦り傷程度、骨にヒビが入る程度ならば、直ぐに癒すことができるのだ。

 怪我をしていない騎士達は、この休みの間に軽い軽食をとる。敷地内にある朝食を食べた同じ食堂に行く騎士が半分、施設外の市民が営む定食屋や屋台に行く騎士がもう半分といったところだ。

 アリサはその時々の気分で、騎士団の食堂を利用したり、ライラと一緒に外へ昼食をとりにいったりで色々だが、生憎ライラは仕事の都合上、今は敷地の中にはいないと、あらかじめ彼女から聞いていた。午後も訓練が続くこともあり、敷地内の食堂で軽くすまそうかと考えていたところに声がかかる。

 

「アリサ隊長。一緒に食べに行きませんか?」

 

彼女に声をかけたのは、アリサとほぼ同じ年齢の女性騎士で、彼女から少し離れたところに、アリサよりも背が高い男性騎士が二人、アリサと声をかけてきた女性騎士の様子を伺っている。

 

「外に行こうとしてた?」

「いいえ。午後も修練がありますから、食堂ですまそうかと思ってました。隊長は外へ?」

「いや、私もちょうど食堂へ行こうと思ってたんだ。一緒に行く?」

「やった。 隊長も食堂に行くって」

 

アリサに話かけていた女性騎士は後ろを振り返って、様子を伺っていた2人に大きく手を振る。彼女を含めた騎士達はアリサと比較的同世代という事で、上司と部下というよりかは友達感覚で付き合う機会が多く、アリサとは隊の中でも特に仲が良い。もっとも、任務中は上下の関係をきっちりしているが、アリサも彼女らも、そうすべきであると考えているため、特に不満や問題は起きていない。

 訓練場横の建物に鎧や武器を置きに戻ってから、4人揃って話をしながら食堂へ赴く。話題はもっぱら、先ほどの訓練の内容だった。

 

「今日こそは、アリサ隊長に勝てると思ったんですけどね。あと少しだったのに」

「シャールは、もっと体力をつけるか、攻撃のペースを考えた方がいい。攻撃されてるときは息つく暇もなくて結構危なかったけど、その後がバテバテで隙だらけだったわよ」

「俺は今回も負け越しですよ。 アリサ隊長みたいに上手く相手の攻撃を捌けないんですよね……」

「隊長やってる身としてはそう簡単にやられるわけにもいかないしね。アイルは相手の攻撃をもっとよく見た方がいいと思う」

 

隊長たるもの、隊員の能力の底上げを促していかなければならない。会話の所々にアドバイスを入れているうちに、あっという間に食堂にたどり着いてしまった。

 食堂での昼食メニューは、朝食と比べると簡単に作る事ができる軽食であることが殆どだ。これは、朝食時ほど食堂で昼食をとる人数がいないためだ。昼時にはラグジッド騎士団駐屯地の敷地外に出ている人数は結構多いのだ。今日のメニューは野菜や果物、肉を挟んだサンドと、朝食の余りのスープだ。アリサ達騎士は、体が資本のため、昼食と言えどかなりの量を食べる。今日も彼女の部下を含めた4人で、平均的な男性司祭が食べる8人相当量をぺろりと平らげたのであった。

 

 

 聖堂の鐘が1度だけ鳴って一刻が過ぎたら、アリサ達の訓練が再開される。午前行った訓練は体力を鍛えることを目的とした基礎的な内容だったが、午後からは『輝石』の訓練を行う。

 

 そもそも『輝石』とは何であるのか。それは騎士団や教会が存在する理由の拠りどころと言っても過言ではない、騎士達や司祭達が必ず肌身離さず身に付けている石のことである。腕輪や首飾りといった装飾品にされて身に付けている場合がほとんどだ。騎士や司祭達は、この『輝石』を通じて超常なる力――いわゆる、魔法と呼ばれる現象――を行使する。騎士や司祭が活動する上で欠くべからず存在であり、全てにおいて要となる、最も重要な存在である。

 輝石で起こせることは種々様々だ。ある人間は敵を焼き尽くす灼熱の炎弾を解き放ったり、ある人間は痛々しい怪我を跡形もなく癒したりすることができる。それ以外にも、生物とも呼べないような奇怪な存在を使役する者もいる。これらの力は教会の女神にまつわる流離譚によると、慈悲深き女神が、あまりにも厳しい世界の脅威から民達を守るために授けた力だという。

 アリサは首から下げたロザリオに輝石をつけている。騎士によっては、彼らの防具や武器につけて使いこなしているものも少なくない。アリサの隊にも剣の柄に取り付けているものがいる。

 先にも述べたように、輝石は人によってできることが全く異なっているため、鍛練も別れて行う必要がある。だが、個人ごとに異なる輝石の力だが、その行使のされ方には、ある程度の系統が存在する。騎士団では、これらの系統ごとに訓練施設が整えられており、各自に応じた訓練を行うことができる。

 

 午前に模擬戦闘をしたところとはまた別の場所に、アリサを含めた第17小隊の一部の騎士達はいた。彼女らの目の前には、丸太で組み上げられた高い骨組みや、床がむき出しの不思議な形状をした建物がある。あるのはそれだけではなく、土が盛り上げられた小降りな山があったり、かといえば変な形をした岩がいくつも連なって地面から生えたりしていて、一見なんのための場所なのか、知らない者からすれば首をかしげてしまうような所だった。だが、そんな無節操な場所を素早く動き回る存在がいた。彼らはアリサが着ているのと同じような装備ながらも、目にも止まらぬすばしっこさで、辺りを駆けずり回っている。所々、出っ張った丸太の骨組みを軽く跳躍して登ったり、岩場では、軽く跨ぐかのように一蹴りで岩の先端を駆けて行く。各人とも、あたかも猿か豹のように、不安定な足場をものともしていない。人によっては武器を手に持った状態で動き回っているのすらいる。

 

「あいかわらず、第3小隊のやつら、化け物ですね」

 

半分呆れすら混じった様子で、アリサの部下が一人漏らす。毎度、目のあたりにするたびに思う非現実的な光景に、アリサも同意せざる得ない。

 

「あの人らにまともに対抗しようなんて思わないでよね。あんなスピード、私でもやっとなんだから」

 

アリサが言わずとも、誰も思いもしないだろうが、誰かが対抗して羽目を外して惨事が起きないように、一応釘は指しておく。

 

「あー、そこにいるの、順番待ちか?」

 

声がした方を向くと、ちょうど先の尖った岩の先に片足で立っている男がいた。アリサ達が集まっている方向を見下ろせる位置にあるので気がついたのだろう。男性は兜をかぶっていて、アリサ達の位置からだと顔を確認する事ができない。

 

「はい、第17小隊です」

「もう、そんな時間か。おい、てめえら! 終了だ」

 

男が訓練場全体に響くほどの声をかけると、辺りを動き回っていた騎士達の動きが止まり、アリサ達のいる方向に集まり出す。声をかけた男性も岩から飛び降りて、兜をぬぎ、アリサ達の眼前に顔を表す。現れた顔は予想していたよりもかなり高齢であった。頭は白髪に覆われ、日に焼かれたのか、素肌は黒い。顔には皺がいくつもあり、声から感じられた厳つい印象がさらに強まるように感じる。しかし、驚くべきは彼が先ほど荒れた足場をものともせずに駆け回っていた事だろう。アリサ達の元に集合しだした他騎士達と比べて、彼の年齢は、親子と言われても不自然さを感じない程度には年が離れていた。

 

「お疲れ様です。グランツ隊長」

「ああ、お前は確か、リランドルのとこの下の方か」

「アリサ・リランドルと言います。第17小隊の小隊長を仰せつかってます」

「他の奴らはわからんが、おまえがここで発現訓練か? だが、リランドルは……」

そっち(・・・)の方は姉の方が得意でして、私はどちらかというと強化系の方が」

「ふーん。そうか。ま、気張ってやれや。お前らメシ行くぞ! じゃあな」

 

第3小隊の「押忍!」という掛け声を後に、グランツ小隊と第3小隊の面々は、ぞろぞろと訓練場を後にしていく。

 

「アリサ隊長。グランツ隊長とは面識が?」

「それほどではないわ。せいぜい隊長連の会議で同じ場所にいるときがたまにあるだけよ」

「はぇー。あの年齢であれだけの動きをするってグランツ隊長はすごいっすね。てか、第3小隊の人達も大概ですけど」

「グランツ隊長はその厳しさから『鬼教官』なんて呼ばれてるしね…… 訓練も相当厳しそうだし」

「あら、私もこれからはグランツ隊長ばりに引き締めた方が良いかしら?」

「ちょ、それは洒落になってないですよ隊長」

「っふふ。冗談よ。おしゃべりはここまでにして訓練に入るわよ」

「了解であります」

 

 そもそも、アリサ達が統一感の無い訓練場に来た理由は『輝石』の力を発現した状態での機動訓練を行うためだった。アリサ達のいる場所は、体の動きを速めたり、力を強化することができる――このような特徴を持つ発現系統を『強化系』という――騎士が訓練するための場所だ。それらの系統が具体的にどんなことができるようになるかというと、先程の第3小隊の騎士達が良い例になるだろう。『強化系』は近接戦闘が主たる騎士にとっては無くてはならない能力であり、騎士団の中においても最もスタンダートな能力だといえる。だが『強化系』の効果は苛烈だが、その激しさ故に使いこなすのが難しい能力でもある。そのため、練度を上げるために、現実世界の現代風に表現するならば、アスレチックとも呼べるような訓練施設があるのだった。

 

 アリサ達の恰好は、実践を想定して午前中の模擬戦と同じ装いである。各自、軽く準備運動をした後、スタート位置から順次、アスレチックに向かって慣らし運動を開始する。各自スタートする際に、輝石がつけられている位置から光が一瞬煌めく。スタートするときの各員の様子は、黙ったままむっつり駆け出す者や、何か言葉を一言発する者など様々だ。隊員達がスタートしたのを見届けた後にアリサもスタートする。

 

(女神様…… 力をお貸しください)

 

 輝石の存在を意識しながら、心の中で女神に祈ると、アリサは全身が不思議な力に満たされるのを感じた。『輝石』の力の行使には特定の手段は存在しない。アリサの隊の隊員達のように、それは各自によって定まっており、アリサの場合は心の中で女神に祈りを捧げる事が相当する。これも輝石の千差万別さを表す特徴とも言えよう。

 地面を力強く蹴り、目の前の小山を一気に駆け上る。山の頂上に至れば、目の前の足場は、ほぼ垂直な段差で途切れていて、目算5メルト先の少し離れた位置に、ごつごつした岩場が連なっている。岩場より少し奥にあるグランツ隊長が立っていた場所に意識を集中し、駆け上っても余りある勢いをのせて、思い切り跳躍する。視界が一気に浮き上がり、全身がふわりと中空に浮くのを感じる。だが、視線は目的地の岩場に集中し続ける。やがて、狙い通りにちょうどいい位置に着地する。

 アリサの内心に、ささくれだったようにもたげた対抗心から、いつもは試さない大きな跳躍を試してみたが、今日は思いの外、調子が良いようだ。部下に釘を刺しておきながら、当の本人は対抗心を燃やしているあたり、アリサのこういう所が隊員達からからかわれる原因だったりもするのだが、当の本人はそのことに気づく様子は一切無い。進路の先にいる隊員から「おおっ」という感嘆が聞こえるが、動きを止めずに、ひょいひょいと岩場をジャンプしてゆく。「あ、ちょっ……」と呆気にとられている部下を追い抜き、丸太でできた骨組みエリアへと進んでいく。アリサの動きは外から見れば、第3小隊の隊員達に勝るとも劣らない俊敏さであった。流石に彼女の部下達はそれほど機敏でもなく、アリサは最後尾のスタートにも関わらず、次々に部下達を追い抜いて行く。行く手を遮るように、360度、全方向から突き出てくる丸太をするりと躱しつつもアリサはぐんぐん進む。ちょうど、丸太の骨組みエリアはスタート位置へ折り返すように作られている。骨組みエリアを抜けた先には少し広めの池があり、池の中に岩やら、丸太といった足場がちらほら水面から突き出ている。趣向としては、今まで進んできた障害物と変わらない。しかし、環境が異なれば受ける印象も変わるもので、突然の水場に調子を崩して池に突っ込む騎士や、勢いを落として慎重になってしまう騎士が多い。だが、アリサはそんな事も気にさせない勢いで、池を渡ってゆく。この池、実は輝石の能力によっては、池の上を走る(・・・・・・)攻略法もあるが、それはまた別の話である。池の先はゴール地点で、勢いを殺すための砂場があるが、スタートから変わらない調子でアリサはそのままゴールへと至る。ゴール地点にいる騎士は2人だけしかおらず、残りはまだコースの途上にいる。

 

「隊長、今日は早いですね」

「ええ、グランツ隊長を見てたら、こう、気分的に」

 

 アリサの得意分野は『強化系』である事は隊員達には知れ渡っており、最後にスタートしたアリサが隊員達を追い越す事はいつもの光景の様だ。少し待っている間に、残りの隊員達がゴールし、一旦小休止を挟む。

 

「さて、次は上級者コース行ってみよー」

 

気の抜ける感じでアリサが隊員達に指し示す先は、先ほど回ったコースと反対側の方向だ。丸太でできた骨組みや足場があるのは変わらないのだが、丸太に刺々しい針が生えていたり、何故か丸太が空中で回転していたり(・・・・・・・・・)、さらにはある箇所から炎が一定間隔で噴出していたり(・・・・・・・・・・・・・・)して、先のコースとは色々な意味で異なる障害物が伺えた。

 

「へーい……」

 

先の困難さを予見し、現実を見たくなくなったのか、隊員達は死んだ魚のような目をして応じる。

 

 

********************************************

 

 たっぷり時間をかけて上級者コースで『強化系』発現訓練を終え、アリサはその場で隊員達にその日の訓練の終了を告げた。隊員達はげっそりとして、皆がフラフラと幽鬼のような動きをして散っていった。その惨憺さはひどいものだが、毎回この訓練場を使えばこうなるのでもう慣れたものである。

 正式な訓練は終わったものの、アリサはまだ別の訓練施設を場所を訪れていた。その場所では、地面に白線が引かれており、その線の手前で騎士達が一斉に横に並んでいた。並んでいる人間は手を前に突き出している人間が多かったが、中には杖を前に突き出している人間もいる。少数だが、ナイフや剣を掲げている騎士もいた。また、弓を引き絞っている騎士も多くいる。彼らの狙う先は木の棒や、藁で組まれた人形であったり、円形の的だ。この場所は見ればわかる通り、射的場である。この場は『強化系』とは双璧を成すとみなされがちな『放出系』の能力発現を訓練するための場所だ。だが、当然だが、輝石を用いずとも弓矢を用いる事もあるため、弓の訓練する場としても兼用されている。

 

「あれ? アリサ隊長? 今日は『強化系』の訓練だったのでは?」

「ええ、そうなんだけれど、こっちの方も鍛えておきたくて。実家の方針なのよ」

「ああ、『烈火』のリランドル家のですか…… アリサ隊長もそれほど得意ではないのに大変ですね」

「まったく、姉さんの才能のかけらでも欲しい所よ。それよりも、あなたはもうあがりかしら?」

「ええそうです。私はこれで失礼します。隊長もあまり困を詰め過ぎないでくださいね。では」

 

射的場で訓練していた部下と言葉を交わしつつ、中心から少し離れた、いつも使っている発射位置へと向かう。その場所からだと、的は岩を削って造られた頑丈なタイプの岩人形になる。この場所を使っているのは、アリサの『放出系』の能力の性質に因る所が大きい。

 定位置について、大きく深呼吸をして気分を整える。そして、胸のロザリオに着けた自身の輝石を意識しながら、心の中で念じる。

 

(偉大なる女神様…… 力をお貸しください。其は、悪なる存在を焼き尽くす炎――)

 

「猛き炎弾っ」

 

突き出した両手の先が熱を帯びる。手のひらの先の中空に、赤く輝く光が現れる。やがてそれは、人の頭ほどの大きさになり、ちりちりと火花をまき散らすようになる。アリサは手の先に宿る炎が大きくなるにつれて、心の中で消費される何か(・・)に耐え続ける。そしてそろそろ限界が近いと感じると――

 

(行って!)

 

念じると、炎はまっすぐに岩人形に向かっていく。アリサの狙いは外れておらず、炎弾の軌道が外れる様子はない。やがて、炎弾は岩人形へと触れ、ドカン、と爆裂音とともに爆発する。煙が岩人形を包むが、すぐに晴れて様子が明らかになる。炎弾が炸裂した箇所には、やや黒い焦げ目がついているだけで、岩人形には、それ以外変化が見られない。アリサはその光景を確かめて溜息をつく。

 

(やっぱり威力が上がってる様子はないわね。いい加減、父様も諦めて頂けないかしら)

 

内心に浮かぶのは、姉が同じ場所で同じ魔法を発現した過去の光景。姉が発現した『猛き炎弾』は、アリサのものよりも2倍以上も大きく、その威力は岩人形の上半身を吹き飛ばしていた。それと比べると、自分のは何と弱々しい事か。だが、このことは今までに何回も繰り返して来た。自身の適正が『強化系』系統である事は避けようもない事実でああり、その能力が小隊長を拝命できる程度には優れているという自信も持っている。そのような現実があるにもかかわらず、『家の沽券』というものを傘に、いちいち文句をつけてくる父親の存在がアリサは苦手なのであった。

 

(ちょっとサボってるとすぐに気づかれてしまうのよね…… もうちょっと続けますか)

 

『強化系』の発現訓練ほど気乗りはしないながらも、放出系訓練をアリサは続ける。 

 

********************************************

 

 日もすっかり落ちて、射的訓練が続けることができなくなるまでアリサは訓練を続けた。ごっそりと減ってしまった精神力にヘロヘロになりながらも、鞭打って食堂に体を引きずって行く。昼以降、訓練浸けだったため、体も精神も消耗が激しい。しかし、それ以上にアリサは腹が空いていた。ちょうど夕食時間帯を外れるころであったため、少な目な行列に並んで待つ間ももどかしく、献立も気にせずにアリサは普段以上の物量をお盆に載せる。朝食を食べたいつもの位置に向かうと、偶然ライラが居合わせているのに気付いた。

 

「あら、アリサ。お疲れ様」

「ライラ」

 

馴染みの顔を発見して、疲れて陰った表情をしていたアリサは微笑んだ。

 

「その疲れようからすると、今日は訓練だったの?」

「うん。今日は射的場で炎弾の訓練もちょっと……」

「まだそんな事続けてるの?」

「サボってるとお父様がうるさいのよ」

「まったく、ナエだけで十分じゃない。『とっとと止める』ってオヤジに言ってやりなさいよ」

「うん……」

 

ライラは食べ終わった後のようだったが、アリサに付き合ってくれるようだ。話題は今日一日した事をそれぞれ話あい、いろいろな不満に対する愚痴をぶちまけた後、巷のウワサへと会話が移っていく。ライラと話しながら、夕食を平らげるうちに、アリサの今日一日の疲労は自然と和らいでいく。

 

こうして、アリサの一日は終わって行く。明日も、彼女は自らの使命を果たすために、懸命に任務に邁進しつづける事であろう。

 

これは城塞都市ラグジッドに住む、ごく普通の騎士の一日の様子を語ったお話し。

 

仲の良い司祭と、笑いながら楽しそうに語らう彼女の耳に、姉と友人を含む部隊が任務先で行方不明になった、との報がもたらされるのは、これからしばらく後の事である。

 




最後はちょっと急に閉じすぎな印象ありますが、想像以上に文字数が膨れ上がってるのでやむなし。
え?こんなの書いてないで次章をさっさとしろって?
え、えーっと、そのうち書きますって(遠い目をしながら)


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第二章 タイトル未定
025:樹海のどこかで、Pump Up!


「ぶえっくし」

 

 急に寒気を感じて、意識が覚醒する。

 

 見上げて目に入るのは、やけに薄暗い光景。黒色に見えてしまう程、濃く青々とした細かな物が集まって重なっていて、複雑な紋様を描き出している。それらが、妙にくるくると変な軌道で伸びている黒い棒状のものから生えていると気づいて、木を下から見上げていることに気づいた。身を起こして周りを確かめる。やけに暗いと思ったが、辺りを把握するのに難儀をするほどではない。まだ夜中にはなっていないようだ。ふと、自分の今の状況に疑問がよぎる。

 

「確か……」

 

 確か、そう。俺は、いや、『俺達』は、【甲鱗のワーム】が『結界石』を破壊して引き起こした、謎の現象に分断されてしまったんだった。ドミトリが『空間』がどうだか、と言っていた記憶があるので、『結界石』が破壊されたことで周辺の空間に大きな変化が起きてしまったのだろう。あの時は、青いヴェールのような幕に四方八方を遮られて、にっちもさっちも行かなくなっていたのまでは覚えているのだが…… いつの間にやら俺は意識を手放していただろうか?

 

「ヴァン達は……っ。《中》にいるか……」

 

 正確には、俺の中の《声》に戻ってきてはいる状態だ。やられた時ほど弱々しくは無いから、今呼び出すことはできそうだ。

 

「ラルフさんらは……」

 

 呟きながらも、もう一度、周囲を見回してみるが、『封印石』の祭壇へ赴いた時から、もうずっと見続けている、同じにしか思えない薄暗い樹海の中の光景が広がるだけで、目ぼしい存在は一切見当たらない。葉擦れの音さえしていなくて、周辺一帯で音を立てる存在が自分だけであることを改めて思い知らされる。

 

 仲間達とは分断され、樹海の中と分かるとはいえ、自分がいる場所は全くわからない。普通の人なら焦りもするだろうが、幸か不幸か、俺はつい最近に同じような経験をしていた。そのせいか、やけに冷静に自分の状況を捉えることができているみたいだ。いや、自分の状況がマズイという事は認識してはいるのだが、前回と比べると、今回はまだマシだと言える。

 

 そう言える決定的な要因は俺の《中》にあった。

 

「【先兵の精鋭】。来い、ヴァン」

 

 もはや手足の先のような感覚で、《マナ》を自らの内に潜むリンクから引き出し、《声》に与える。俺の目の前に、白い球体が急に現れ、すらりとした手足をもつ人間の輪郭を形作る。召喚が完了すると、ヴァンは最初に俺の姿を認識し、次に回りをぐるりと見回してから俺の方へ寄ってきた。

 

「主、ご無事のようで」

 

 挨拶を述べながら、俺が初めて彼を召喚したときと同じように、ヴァンは俺の前で膝まづいた。その仕草は、主君に忠義を果たそうと、礼を尽くしながらも堂々としている。される側としては、実は自分はやんごとなき身分なのではないかと、柄にも無い事を疑ってしまうほどである。

 

「や、ヴァン。呼び出せないとは思っては無かったけど、何も無かったようで良かったよ」

 

 最後にヴァンを見たのは、トートが【恐怖】をヴァンに放ち、その結果、彼がやられてしまった時だった。あの時のヴァンは、気が狂ったように『そこには存在しない』何かに恐怖して、もがき苦しんでいて、見ている俺まで絶望感を味わわされた。しかし、幸い、今はその時の後遺症をひきずってるようには見えず、無骨な見た目ながらも慇懃な態度で俺に接していて、以前と変わりが無いように思える。

 

 ヴァンは俺の言葉を受けて、顔を上げて立ち上がり、周囲を不思議そうな感じで見回した。

 

「は、心配堪りましてありがとうございます。ところで主、ここは如何様な場所で?」

「そういう言葉が出るという事は、トートにやられた後の事は覚えてないってことか」

「はい。申し訳ございません。かの者の【呪文】にやられてしまった後の事は意識が無く、気づいた時には主の元に戻っていた、という事しか覚えておりませぬ」

 

 ヴァンは【ワーム】との戦いで、最後まで生き残れなかった。ヴァン然り、ロウやクレスも同じように、やられてしまったクリーチャーは俺の《声》の元に戻ってくるのだが、《声》から感じ取れるクリーチャー達の存在は、召喚前と比べると弱々しくなってしまったように感じられた。どう表現したらよいか、彼らの《声》をうまく捉えることができなかったのだ。召喚前は、雛鳥が親鳥に餌を求める時のように、こぞって「自分が、自分が」と声高に存在を主張する。しかし、やられた後の様子は、ひそひそ声で話しているようで、はっきり聞くために至近距離まで耳を近づけなければ、《声》を発している事が確信できない程、ひっそりとしてしまうのだ。このようなやられてしまった時の《声》の感触は、以前から感じ取っていたため、ヴァンがトートに【恐怖】でやられた以降の事は全く記憶にないというのも、薄々は予想はしていて、実際にはその通りだったようだ。

 俺はヴァンに、彼がトートにやられてしまった後の経緯をかいつまんで話す。【ワーム】との怒涛の戦い、そしてアルバート隊長の必死の妨害で何とか逃げおおせた事。ラルフさんの攻撃と俺の【不退転の意志】で、【ワーム】撃破できたこと。しかし、ブレダンの【まやかしの死】で再びワームが復活してしまったこと。復活して制御を離れた【ワーム】が『結界石』を破壊して、謎の現象に皆が分断されてしまったようであるという事。

 途中から話すことに夢中になってしまっていたが、ヴァンは静かに俺の言葉に耳を傾けていた。俺が話し終えると、彼は腕を組んでしばらく黙った後、再び俺達の周りを見回して切り出してきた。

 

「主、少なくとも今は、主の安全を最優先に行動した方が良いと思います。その次に、ラルフ殿達と合流するのを目的として動いた方がよろしいかと」

「ラルフさん達の事も気になるけど、やっぱり今はそうする他はないか」

「然り。今は大丈夫そうですが、ここは樹海の中。《魔物》に襲われることも十分考えられます。こう申し上げるのは心苦しいのですが、主の【呪文】の力の助けなくば、今の我だけで切り抜けるのはいささか困難かと。あとはもう一人、主を守護する供を付けた方がよろしいかと」

 

 ヴァンの言う事は、安全第一の行動を考えるならば当たり前の事なのかもしれない。だが、やはり自分以外の存在から、その内容を告げてもらえるのは、大変頼もしく感じられる。ヴァン自体はは強力なクリーチャーではないが、冷静に的確なアドバイスをしてもらえるというだけでも呼び出す価値はあったというものだ。

 まずは、安全な今のうちに整えられる戦力を揃えておこう。呼び出せる戦力の中で、最大は【番狼】ことロウだが、ここはより強化の伸びしろが大きい方を呼び出すべきだろう。数分待って、俺の《中》の《マナ》へのリンクが戻るのを待ってから、召喚に取り掛かる。

 

「来い、クレス。 【イロアスの英雄】」

 

 ヴァンの時と同じように、中空に穴が生じて、次第に人の形を成していく。しかし、それはヴァンよりも大きく膨らんでいき、次第に筋肉で頑丈に覆われた、暑苦しさすら感じる筋骨隆々とした肉体が成型されていく。現れた大男は、前と同じように、両足を大地で踏みしめながら天を睥睨し、「ウオオオオオオオ」と大音量で咆哮を上げた。

 前は【ワーム】に追われている時から、既に薄々気づいていたが、やはり呼び出した【イロアスの英雄】こと、クレスはとーっても暑苦しい感じがする。俺の元いた世界で『炎の妖精』とか『地球温暖化の原因』等と呼ばれていた、とある有名熱血スポーツ選手といい勝負ではないだろうか。

 

「オオオオオオオォォォ……」

「クレス殿! 五月蠅いから少しは黙れ!」

 

雄叫びも長く続いて、残響が彼の腹からまだ轟き続けていたが、ヴァンが大き目な声で強く嗜める。クレスはやや仏頂面で睨みつけているヴァンを見たあと、彼の『我は今、不機嫌である』オーラなど見えていないかのように満面な笑みを浮かべた。

 

「オオオ! 【先兵の精鋭】殿、久しぶりではないか。いや、今は『ヴァン』殿と呼んだ方が良いか」

 

そう言うと、のっしのっしとヴァンの元へ歩み寄り、両手で彼を抱き上げてハグしだした。クレスはヴァンよりもガタイが良く、長身のヴァンでも軽々と持ち上げる。突然抱き上げられたヴァンも流石にこんな事は予想してなかったのか、どう反応してよいのか困惑気味である。しかし、俺から見るとクレスがヴァンにベアハッグをかけてるようにしか見えないな…… あとなんか絞めがだんだん強くなってるみたいだし、ヴァンは大丈夫か?

 

「クレス、ヴァンを離してやれって」

 

ちょっと強めに声を出してクレスに注意をする。クレスは俺に気づくと、

 

「おお、わかってはいたが、マスター、無事だったか」

 

と満面の笑みで喜んだ。そして、ヴァンをあっさりと投げ捨てて、今度は両手を横に広げて、のしのしと俺の方へ迫ってくるではないか! あれに掴まれたらもう終わり(・・・)だという、嫌な予感が脳裏をかすめる。

 

「ちょい、ちょい待った。そこで止まれ!」

 

両手を前に突き出し、断固として彼の接近を阻止せんと、拒絶の意思表示をする。彼の後方では、ヴァンが項垂れながら腰に手を当てて必死に痛みをこらえている様子が目に入った。ヴァンならまだしも、より体格的にか弱い俺が、あれを受けたら背骨がひしゃげてしまうに違いない。

 

「なんだ、俺は今、懐かしき面々と顔を合わせることができて猛烈に嬉しいのに…… 挨拶くらい、構わないではないか……」

 

 そう告げるクレスの顔は結構しょぼくれていて、意外とショックを受けているように見える。クレスの想像もしない素朴さな面を目の当たりにして、罪悪感が少し心をよぎるが、ヴァンのあの様子からして、やはりアレはだめだと断ずるを得ない。

 

「いつつぅ…… クレス殿、貴殿は力をもて余し過ぎだ。よもや敵から守る前に、守護すべき主を自らの手で二つに折りたたむ気ではないだろうな」

 

やっとの事で立ち上がったらしいヴァンが、彼の後方から、さっきよりも2倍増しの不機嫌さでクレスを嗜める。

 

「むう…… 仕方がない」

 

残念そうにむっつりとしながらも、クレスは唯一身に纏っている、下半身が覆われたトーガの上から腰に手を当てて、俺とヴァンを交互に見る。

 

「おっほん。さて、クレスも全く変わらないようで安心したよ。ちなみに…… やられた時の事を聞いても?」

 

とりあえず、場を仕切りなおすために、咳をしてクレスに問いかける。

 

「もちろんだ。あのような血が滾る闘いは久しかったからな」

「へ、へぇー。それで【ワーム】どうだったの?」

「それはもう綺麗にやられたぞ。一発で」

「へ?」

 

余りにも自信満々に話すものだから、さぞ激しい戦いが繰り広げられたのだろうかと期待を高鳴らせていたが、そんな事は全然なかったようだ。

 

「流石に俺も、マスターの加護無しで、あのような化け物は無理だったということだ。【ワーム】の尾の一撃で打ち上げられて、それで終わりだったぞ。いやー、すがすがしいほど強烈な一撃だったな」

 

ガッハッハッハと豪快に笑い飛ばすクレスを俺とヴァンは胡乱げに見やる。いや、理屈上はわかっちゃいたが、さすがにパワー、タフネスが7/6の【ワーム】と2/2の【イロアスの英雄】(クレス)では一方的にやられるだけに過ぎなかったか。あっさりと負けた癖に、それすらも愉快な出来事として豪快にわらい飛ばす彼の、なんとまあ豪胆不敵な性格か、といった所か。

 

「あー、まぁなんにも《エンチャント》つけてなかったし、【ワーム】にやられるのは当たり前か。クレス、今この場に呼び出したわけなんだけど……」

 

ヴァンに話したように、クレスにも俺がここに至った経緯をかいつまんで話す。一度ヴァンに話していたおかげか、今度は落ち着いて話す事ができた。話を聞いたクレスはヴァンと同じように腕を組んで、俺とヴァンに確認してくる。

 

「ふむ、それならば俺はマスターの守護を担えばよいのか?」

「然り。貴殿には主の護りに集中してもらい、我は付近の探索を担った方が良いと考えている」

「道理だな。俺はヴァン殿のように斥候の真似事はできない。敵を真正面から叩き潰す方が性に合っている。マスター。大船に乗ったつもりでこの【イロアスの英雄】(クレス)に身を預けてくれ!」

 

ワッハッハッハと大笑いを上げるクレスは一旦脇に置いといて、俺はヴァンの発言から感じた疑問を彼に聞いてみる。

 

「ええっと、ヴァンってそういう探索とかってできるの?」

「然り。元々、我は軍の先駆けとして露払いを担ってきた経歴があります故。ここは戦場とはまた異なりますが、《英雄》として戦いを繰り広げてきたクレス殿よりかは、まだ経験がある分、我の方が向いていると愚考した次第です」

 

 ヴァンの由来であるクリーチャーのカード名は【先兵の精鋭】だ。ヴァンの言う事は、ここでいう『先兵』の単語にあやかった来歴であることは、簡単に想像がつく。一度、ゆっくりと時間がとる事ができたら、クリーチャーである彼らの来歴をじっくりと聞いてみたいものだ。

 

「えーっと。ヴァンの言う事はわかった。とりあえず、ヴァンには1つ、クレスには2つ《エンチャント》をつけようと思う。その後にロウも召喚しておくことにするよ」

 

 ロウまで出してしまえば、俺が召喚する事ができるクリーチャーがすべて表に出てしまう事となる。これは、俺の最大戦力でもって、事にあたるという事であり、理に適っているようにも思える。しかし、反面として、このうちの誰かがやられてしまったら、戦力の目減りの憂き目にあってしまうという事でもある。そのため、ヴァンは偵察を担う以上、生存を優先として【蜘蛛の幻影】をつけるべきだろうか。あれならば、1回だけならばやられるのを防ぐことができる。その効果はアルン村でヴァン自身が身を以て証明しているので安心して使う事ができる。クレスには【天上の鎧】と【神聖なる好意】辺りが無難だろうか。【不退転の意志】はその速効性から、いざという時の戦力アップにとっておきたいし、【ちらつき護法印】は相対する敵が、【ちらつき護法印】の《色》と合致しないと、無駄になってしまう可能性がある。

 

 そう考えながら説明すると、頼もしきクリーチャー達からは特に反論も出なかった。いつまでも雑談していて、時間を無駄にし続けることもないので、早速呪文を唱える事にする。

 

「んじゃ、まずはクレスから……」

 

 クレスと、やいのやいのとやっている内に、元通りになった胸の内のリンクから再びマナを引き出して、クレスへ向かって唱える。

 

【天上の鎧】

 

 ヴァンに唱えた時と同じように、クレスの体の表面に、白い直線からできた複雑な形状の鎧が現れる。だが、そのサイズは図体がデカいクレスにちょうどあ合ったものであり、ヴァンの時よりかはサイズが一回り大きめだ。クレスの上半身裸の姿しか見てきていない身としては、彼が鎧を着こんだ様は、また別の印象を俺に与えた。その見た目はヴァン以上の歴戦の強者の雰囲気を纏わせており、周りの者を居ただけで圧殺してしまうかという迫力を感じさせる。話がそれるが、エンチャントをクリーチャーにかけると、エンチャントが文字通り『オーラ』として彼らの身に纏わりつくのか、彼らの存在を一際際立たせる変化があるような気がするのだ。だが、今のクレスはその雰囲気が、より一段と強く感じられる。肌に焼けつくような、このビリビリ来る感じ、明らかにヴァンやロウの時よりも強い。やはり、これがクレスの特殊能力の効果なのだろうか?

 

 

*******************************************

Hero of Iroas / イロアスの英雄 (1)(白)

クリーチャー — 人間(Human) 兵士(Soldier)

 

あなたが唱えるオーラ(Aura)呪文は、それを唱えるためのコストが(1)少なくなる。

英雄的 ― あなたがイロアスの英雄を対象とする呪文を1つ唱えるたび、イロアスの英雄の上に+1/+1カウンターを1個置く。

2/2

*******************************************

 

 【ワーム】に襲われた時は、ただの肉壁として一瞬にして散ってしまったクレスこと、【イロアスの英雄】であるが、実は、こいつは俺のデッキの中で最もオーラ呪文と親和性が高いクリーチャーの一体だったりする。その特徴は2つの特殊能力として【イロアスの英雄】に現れている。

 1つめの特殊能力は【オーラ呪文】のコストの減少だ。本来のコストのうちの、マナ1点分の無色マナを無いものとして呪文を行使する事ができる。なお、無色マナとは色が存在しないマナの事であり、このマナは黒、白、赤、青、緑のどんな色でも代用する事が可能だ。俺の今の唱えられる呪文で言えば、【神聖なる好意】【平和な心】【不退転の意志】等の呪文を、俺が使えるマナの最大数、2つ分を費やす事無く唱える事ができる。たかだか1点分と思いがちかもしれないが、これがマジックのゲームに当てはめると、如実に差が現れてくる。

 マジックはターン制ゲームであり、自分のターンに比べて、相手のターンの最中は、自分のターンに比べてできることが限られる。呪文を唱えるためのマナは、自分のターンの開始時にしか回復しないため、相手のターンで、自分のできる事を増やしたければ、マナを温存しておかねばならない。しかし、そうしてしまうと、自分のターンにマナを使わないこととなり、自分のターンに何もしない事につながる。このように、マナの最大数制限に関するジレンマは、コインの表裏のように存在する。

 相手に勝つためには、自分のターンにクリーチャーを召喚したり、自分のターンでしか唱えれらない呪文を唱える必要があり、これらの行為をしない事には、相手に対して有利になる事ができない。このような条件下では、必然的に『なるべく強力な呪文』を、『コストをできるだけ安く』、そして『相手よりも1ターンでも早く唱える』という要素がゲーム上重要になる。たとえ、使えば勝てる効果をもつ呪文を手札に備えていたとしても、マナが足りなくて使えずに、次の相手のターンで自分が負けてしまったのでは全く意味がないのである。さらに、土地を場に出すことで増やせるマナの最大数は、基本的に1ターンに1点分だけ、というゲーム上のルールを付け加えて置けば、1点分コスト減少の重要性がより深まるだろう。

 2つめの特殊能力は『英雄的能力』だ。これは【イロアスの英雄】が収録されたカードセットにおいて、たくさんのカードが持っている誘発的能力の事を指す。誘発的能力とは、特定条件下で発動する能力の事であり、その条件とは『英雄的能力』を持つクリーチャーを、他の自分が唱える呪文の対象にすることである。【イロアスの英雄】(クレス)の場合、この条件が成立した時の効果は『+1/+1』カウンターを得る、である。つまり、俺が呪文をクレスに唱えると、彼は『+1/+1』だけ強くなれるのである。もっと具体的に俺のデッキに当てはめて言うと、『オーラ呪文でクリーチャーを強化して殴る』という戦略で構築された俺のデッキにおいては、【イロアスの英雄】(クレス)は、ヴァンやロウと言った他のクリーチャーよりも、オーラ呪文での強化幅が大きい、という事である。

 

 クレスは自らを覆う『鎧』のあちこちをぺたぺた触ったりして感触を確かめたあと、納得したのか静かに自らの姿を見下ろしている。「ふむ、なかなか」という言葉が漏れてるので、ご満悦いただけてるようである。

 マナのリンクを回復させるために数分待つ。今度はクレスの影響でコストが下がった【神聖なる好意】をクレスに対して唱える。白いオーラが、【天上の鎧】により存在感を増しているクレスを覆った。オーラの一部がちぎれて、クレスの周りに3つ小さい塊を形成し、やがてそれらは薄く蒼い盾に変わる。クレス自身は【神聖なる好意】と【天上の鎧】で相当強化されたせいなのか、彼の佇む方向から感じる『威圧感』というものか、プレッシャーが余計に際立ったように感じられる。クレス自身は、【神聖なる好意】で発生した蒼い3枚の盾を、手を上に上げたり、下にさげたりして操る練習をしている。ロウが操っていたように、【神聖なる好意】で現れる盾は、呪文を掛けられた本人の意志に応じて自由にコントロールできるようだ。

 

「マスター。この盾を操るのは結構おもしろいぞ」

 

クレスは右手を振りかぶって、めいいっぱい振り払う動作をする。その動作に追随するように、3枚の盾は彼の周りをグルングルンとすさまじい速度で周りだす。

 

「あんまりはしゃぐんじゃないぞー」

 

彼に意識半分注意をしながら、今度はヴァンに対して【蜘蛛の陰影】を唱える。本来、【神聖なる好意】は2マナであるが、クレスの特殊能力で、今の俺には緑マナ1つ分の余裕があるのだ。その緑マナを余すことなく、《声》に注ぎ込み、目当ての呪文をひっぱりだす。ヴァンに対しては、過去にアルン村で同じ呪文を掛けたことがある。その時と同じように、ヴァンを中心に緑色の蜘蛛の陰影が出現した後、縮まるようにヴァンへ収束していく。やがて、ヴァンは蜘蛛の陰影が濃縮された緑のオーラをその身に纏う。同時にクレスの方からのプレッシャーがさらに高まるのを感じた。

 

「ふぃー…… そういえばこんなに立て続けに呪文を使用するのは初めてかもしんないな」

 

実際はマナを回復させるために、数分のインターバルをはさんではいるが、軽く運動した後のように俺の身は熱っぽさを纏っているように感じられる。樹海の中は涼しいが、涼しすぎて、うすら寒くすら感じる事があったのだが、今は少し熱く感じらるので、仕事を終えた解放感を演出してみたくて、少し手のひらで顔を煽いでみる。そんな俺を尻目に、クレスは何故かわからないが、ヴァンに【蜘蛛の陰影】を唱えた直後から身を震わせだした。

 

「ウオオオオオオ。マスター! 今の俺ならば、あの【ワーム】に余裕で勝てそうだ」

「そりゃそうだろ。 一体、いくつの【エンチャント】を使ってんだと思ってんだ」

 

 ちょっと計算がめんどくさいが、ひとつずつ確かめてみよう。まず、クレスの素のパワー/タフネスが2/2。そこに【天上の鎧】を唱え、【天上の鎧】の効果、『場に出ている【オーラ】分の数×パワーとタフネスがそれぞれ1点分パワーアップ』により、+1/+1で、クレスのパワー/タフネスは3/3になる。さらに、クレスの『英雄的能力』により、【天上の鎧】の対象となったことで+1/+1され、4/4。次に【神聖なる好意】の効果で+1/+3されて、5/7。さらにさらに、【神聖なる好意】によるクレスの『英雄的能力』で+1/+1されて、6/8。忘れてはいけないのは、【天上の鎧】の効果で、【天上の鎧】の上昇分が、さらにプラスされる事だ。【神聖なる好意】の出現により【天上の鎧】の上昇分がさらに+1/+1されて、クレスのパワー/タフネスは7/9となる。最後の仕上げとして、ヴァンに唱えた【蜘蛛の陰影】が、【天上の鎧】の上昇分をさらにハネ上げて、最終的にクレスのパワー/タフネスは8/10となる。

 うん、これって【甲鱗のワーム】を一方的にやっつける事ができる強さだな。アルン村の出来事とか、その後の【ワーム】の出来事は、エンチャントを盛ったクレスが1体いれば、すべて片付いてしまってたのではという考えは、なんというか、後悔後先立たずと言っていいのか、なんとやら。でも、思い返してみるに、ヴァンを始めとして、断続的に呪文を使う事になったのは、当時の状況からしてやむ得ない事だったとも確信をもって言える。

 

「主、クレス殿から感じる威圧がすさまじいですな」

「やっぱり、ヴァンも感じる? アイツの我の強さも相まって余計に暑苦しく感じちゃう気が……」

 

 クレスの特殊能力による、強化具合を見て、思考の片隅にちらつく、ある可能性が考えを占め始める。今の状態でも、その実験はできるにはできるが、今までの呪文を唱えるための、マナの回復を待たなければならないことも考えると、かなり非効率な行為になりそうだ。流石に8/10ともなれば、大抵のクリーチャーを倒すには十分な強さを持っている。前の時のように【ワーム】じみた強さを持つ魔物がそうそういるとも思えない。というか思いたくない、というのが本音なのだが……

 

「さて、ロウも召喚しとくか」

 

 ロウはヴァンやクレスとは違い、狼である。アルン村から飛び出していったラルフさんや、トート達を追うときに、匂いを頼りに先導を果たしてくれていた。ヴァンの斥候に、ロウの匂いや野生の生き物の探知が加われば、一層警戒が強まろうというものだ。

 《声》にマナを投じて、現実へ引っ張りだすと、クレスやヴァンを召喚した時よりも低い位置に緑色の球体が出現する。やがて、その球体は細長いスリムな四肢をもつ体躯を形成する。前と変わらぬ姿でロウが現実に召喚される。

 

「おお、その姿は、もしや【番狼】! 今は名前は【ロウ】だったか」

「ガルル! ワンワン!」

 

 ロウはクレスがそう叫んだのを聞きつけ、彼の方を向いたが、何やら彼に向かって突然吠えだした。その姿は尾っぽを地面になすりつけるようであり、どこか怖がっているのか、後ずさっているように見える。

 

「ん? 【ロウ】? どうしたんだ」

「ガルルル…… クゥーン」

 

クレスは疑問を感じて止めていた歩みを再び始めるが、ロウはそれにつられて後ずさる。しまいにはヴァンの方へ駆け寄って、彼の後ろに隠れてしまった。

 

「もしかして、クレスの事が怖いんじゃ……?」

「ふむ、我と主が感じている、クレス殿の『威圧』がロウ殿には近づきがたく感じるのかもしれませぬ」

「何だと! 俺もロウに触れてみたいのに…… ヴァン殿ずるいぞ」

「クゥーン……」

 

 ロウはヴァンの影に隠れたまま、鼻先だけ俺達方に向けて鳴いている。かなり怯えてるように見えるので、これ以上クレスを進ませるのを妨げるには、なかなか効果のある様子だ。

 

「それにしてもヴァン」

「どうしました、主?」

「俺らこんなに五月蠅くして、大丈夫なのかな?」

「わかりませぬ。クレス殿の威圧が凄まじい事になってるので、もしかしたら、それが魔物避けの効果を出してる事を祈るのみかもしれませぬ」

「はぁー…… 俺はむしろ、このメンツの方にこそ、不安要素があるのではと感じるようになってきたよ……」

 

毛並を触りたくて追いかけまわすクレスと、それからキャインキャインと鳴いて逃げ回るロウのコンビを見て、俺とヴァンはため息をつくのだった。

 




こんなにハイペースな投稿は続かないっす。


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026:あるひ もりのなか ようせいさんに であった

 クレスとロウのぐるぐる回る追いかけっこが続いて、二人ともバターになってしまってはたまらないので、早々に切り替えて出発する事にする。だが、見渡す限りの360度に広がる光景は、『THE 樹海』としか言いようの無い変わり映えのしない景色だけであり、方向感覚を掴もうとも如何ともし難い。

 

「これって、どっちに行ったらいいんだろう……」

「ふむ…… 流石に我もわかりませぬ。主、ここはロウ殿の鼻を頼ってはいかが?」

「ワンッ。 ワンッ」

 

ヴァンに話を振られて、ロウは元気よく吠える。そしてしっぽを振りながら地面をスンスンと嗅いで、あちこちにかけずり周り始めた。俺達の周りをぐるっと一回りした後、ある方向に移動し、少しだけ奥に進んでから、俺達の方へ「ワンッ」と鳴いて振り返る。しっぽが勢いよく振られている。

 

「ロウ殿曰く、こちらの方から何か匂いがするとのことです」

 

どうやら、ロウとヴァンのやり取りはすんなりと行われているらしい。少し気になるので、聞いてみる事にする。

 

「ところでヴァンって、ロウの言う事がわかるの?」

「はて? 我は特に何も……? 主はロウ殿の言う事はわからないのですか?」

「流石に完全に理解する事はできないよ。だいたい態度で言いたい事はわかる…… ような気はするけど」

「俺もマスターと似たようなもんだ」

 

クレスも俺と同じように感じていたらしい。ロウは俺たちの方を向いたままお座りして、静かに待っている。今の状況でなかったら、撫でくりまわしてるところだ。

 

「ワフ」

「ロウ殿の言う通り、まずは行ってみるべきかと」

「今のは何と言ってるのかはわからなかったけど、そうするか」

「ロウ殿と我が先行します。クレス殿は先程示しあわせた通りに」

「心得ているぞ」

 

ヴァンがロウに頷くと、ロウは立ちあがり、自らが示した先に歩き出す。ヴァンも「では」と、軽く挨拶した後にロウに続く。ヴァンの姿を見送った後、俺はクレスをちらりと見る。ワームのときは、彼の戦う姿は見られなかったので、仮に襲われるようなことがあれば、彼の戦いぶりを目にすることができるだろう。

 

「ん? どうしたマスター? さては俺の肉体に見とれたか?」

 

そう言ってクレスはボディビルダーがよくするポーズをしだして、勝手に悦に入りだした。オツムの方は貧弱そうだな、と俺の目線に気づいてそんな事をしだしたクレスに、内心ため息をつくのだった。

 

*********************************************

 

 黙々と樹海の中を俺たちは進む。事前にヴァンが言った通りに、先頭はロウ、次いでヴァン、最後尾を俺とクレスが一緒になって進む。先行するロウは、俺とクレスの位置からはかなり離れているのか、その姿を見ることはできない。もっとも、茂みが俺達の視界を遮る事が多々あるので、少し先にいるはずのヴァンでさえ見えないときの方が多いくらいだ。いくら先をロウとヴァンが索敵してくれているといっても、離ればなれになってるような感覚になってしまって、妙な不安がおさまらない。そして、意外にも移動中は寡黙なクレスの様子が、俺の落ち着かない心境を、さらにぐらつかせるにかかる。第一印象は単にお調子者なのかな?と思ってたのだが、ヴァンと同じく、真面目な気質も持っていたりするのだろうか? いまいち、俺はまだクレスのキャラを掴み切れていない。

 ロウのワンワンと吠える声や、ヴァンの先導に従って進み続けていると、ふいに茂みの奥の方から「ウォンウォン」という、今まで聞かなかった調子のロウの鳴き声が聞こえてきた。すると、すぐ後に前方の茂みからガサガサと音がして、ヴァンが俺達の方へ駆け寄ってくる。何か異変に気付いたのだろうか?

 

「主。ロウ殿が、何者かがこちらへやってくる、と」

 

ヴァンの警告の途中にも、ロウの鳴き声は続く。ヴァンは何も聞き漏らすまいと、注意深く耳を澄ませている。続いているロウの鳴き声を聞いてから、彼は続ける。

 

「何っ!? かなりの速さだそうです。このままだと、間もなく接敵するかと」

 

この間にも、ヴァンが出てきた茂みの方向から、何かの音が続けて聞こえてくる。サワサワという葉ずれの軽快な音が、だんだんとガサガサという葉が激しく擦りあった音に変化する。すると、茂みから腰より低い程度の高さの影が飛び出してきた。ロウだ。

 

「ぐるるぅ」

 

ロウは直ぐに反転すると、駆け込んできた方向に向き直り、警戒の体勢をとった。ロウが素早く構えている間にも、ロウが飛び出してきた方向からはバキリ、ボキリと、木がへし折れる音が響いてくる。時折「ギャオオン」と、獣の鳴き声と表現するには、当てはまらない激しい鳴き声も聞こえてくる。ロウも警戒度が最大に高まったのか、牙を剥き出しにして「ギャンギャン」と、いっそう吠え立てる。

 

「来ます!」

「マスター、俺の後ろに」

 

近づいてくる存在の接近速度が予想より速く、クレスは俺を半ば後ろに押しやるように俺の前に出てきた。ほぼそれと同じくして、茂みから何かが飛び出して、視界を横切ったような気がした。だが、その影は小さすぎて、自分が目にしたものに確信が持てない。その『何か』は小鳥程度の大きさだったような気がする。本当に視界を通り抜けたのか、その影はどこへ行ったのか探そうとしたが、盛大な音がして、俺の視界いっぱいを遮るように飛び出してきた別の影があった。

 

「グギャオオオオオ!」

 

一目見て、俺はある動物を想像した。まさにゴリラか!?といったような魔物だった。しかもかなり大きい! 飛び出してきた野獣とも呼ぶべき存在は、現実世界で言うマウンテンゴリラのような、がっしりした体躯をしている。俺がテレビや本で見たことのあるマウンテンゴリラは、成人男性の胸から頭くらいの大きさだが、実際の大きさに反して、ゴリラの腕や胸板が分厚いため、成人男性以上に大きな印象があった。だが、目の前のコイツはその感覚と比べても、それをさらに2、3倍した程度ほどにも大きい。俺がこちらに来てから1番デカイと思ったアルバート隊長と比しても、きっと彼が小さく感じてしまうだろう。そのゴリラは、体は黒い体毛に覆われていて、所々に白い紋様がまるで魔法陣を描いてるかのように複雑に走っていた。頭には獰猛姓を主張するかのように、角が2本、横から天に向かって突き出している。

 巨大ゴリラモドキは、茂みから飛び出したあと、何かを探すようにキョロキョロ辺りを見回していたが、すぐに俺たちに気づき、角つきの頭で俺達を突きさすかのように威嚇をしてきた。

 

「グギャア!」

 

そして、大きな図体をこちらに向けてきた。

 

「マスター、俺の出番だな!」

 

クレスが前に出てゴリラモンスターを迎えうつ。彼は大きな手のひらに「ブッ」とつばを吐いて、パンパン擦り合わせてから、両腕を広げ、気合を入れて叫ぶ。

 

「さぁ、こい!」

 

てっきり、かつてロウが俺を襲ってきたときのように、【神聖なる好意】の浮いている盾を使って、ゴリラモドキを食い止めるのかと思っていたのだが、クレスは両手を広げて構えの姿勢をとった。ゴリラモドキは目標をクレスに定めたのか、彼に向かって猛然とタックルを仕掛けてくる。

両者を比べると、やはりゴリラモドキの方が図体が大きい。両者を見たそのままの印象で、勝負の結果を想像するならば、押し倒されるのはクレスの方だろう。両者はそのまま接触し、地面をずる音がして、クレスが少し後ろに押しやられた。しかし、そこでゴリラモドキの突進は止まり、クレスは持ちこたえてみせたのだ。

 

「フハハハハッ。 軽い、軽いぞ! あの【ワーム】に比べれば何と軽いことか! どうしたぁ! 持てる力をすべて出し切ってみろ!」

 

 クレスは、ワーム戦の雪辱をはらそうとしてるのか、腹の底から笑い声をあげて、ゴリラモドキとの組み付きを楽しんでいる。彼は後ろに少し追いやられたものの、それ以降、両足は少しも動いていない。地面にピッタリと足の裏が張り付いてるかのようだった。

 

「クレス殿、主を前にして戯れるのは頂けないぞ」

 

ハイになりつつあるクレスをヴァンが嗜める。だが、彼も既に勝負はついたと判断したのか、剣は腰の鞘に戻していた。

 

「ぬ、スマンな。これ程のマスターの加護に恵まれたことはなかったんで、つい、な」

 

そう。今や、クレスのパワー、タフネスは、さんざん辛酸を舐めさせられた、あの【甲鱗のワーム】に勝っている。普通のマジックの卓上デュエルでも、ここまで【オーラ】を積み増しできる機会なんて、なかなか存在しない。それくらい、今のクレスの強化具合は見ていてロマン感が溢れだすくらい魅力的だ。クレスの浮かれ具合もわからなくはない。

 

「悪いがここまでのようだ。今の俺を相手にするとは、運がなかったな。っとりゃあ!」

 

クレスは盛大なかけ声と共に、ゴリラモドキをつかんで横方向へ投げ飛ばした。軽いものでも扱ってるかのようだったが、すごい勢いである事を伺わせる。その余波でブォンと風切り音がして、風が俺の顔を横切って吹きぬけるほどだ。

ゴリラモドキは「ギャオオオオオン」と叫び声をフェードアウトさせながら投げ飛ばされ、背後の木をなぎ倒しながら、それでもまだまだ吹っ飛んでゆく。木が倒れる音がメキメキと響きながら小さくなっていき、その音の発生源が次第に遠のいていった。

 

「おいおい……」

 

ゴリラが吹き飛ばされた方向を見て唖然とする。木々が倒れてひどく荒れてしまっていた。まるで漫画で『必殺技を紙一重で避けて、あとの惨状を見て威力を思い知らされる敵キャラ』にでもなった気分だ。さすがのヴァン、ロウも呆然としてしまっている。

 

「ふっ…… このパワー、自らが恐ろしく感じてしまうな」

 

声のした方向を見るとクレスが、ゴリラモドキをぶん投げた後の体勢のまま目を閉じて、余韻を噛みしめていた。

 

(だからって、これはやり過ぎだろう!)

 

開いた口がふさがらない出来事とはこのことなのだろうか。今、無性に手元にハリセンが無いのが悔やまれる。いや、便所スリッパでも構わない。本気で自分に酔いしれているクレスの頭に、何かを叩きつけてツッコミしたい衝動に駆られた。それなりにゴリラモドキに対して警戒感を抱いていたのだが、こうもあっさりやられてしまっては心配も無駄であった。

 

「クレス殿」

「クウゥン」

 

ヴァンもロウも俺と同じ事を抱いている事だろう。ツッコミ不在のまま時が過ぎるかと思ったが、その時……

 

「な、何なのよコレ!」

 

突然、聞き覚えの無い、鈴を転がすような声が聞こえてきた。

 

「何奴!?」

 

ヴァンは腰に刺している剣の握って構え、周囲を警戒する。すると、横のロウが耳をピクリと動かし、すぐに俺の後ろの方向へと駆けてきて、俺を横切ってさらに進んでいった。俺が急いで振り向いた先で、ロウは地面を蹴って空中にジャンプする。

 

「きゃああああ、来ないで!」

 

ガチンと音がした。ロウは空中で何かを咥えようとして、し損ったのだろうか? その理由は、ロウの鼻先より少し上にあった。なんと、輝く光がフワフワと宙に浮いていたのだ。その光は、俺達の方へ逃げてくるが、ロウはそれを追って、ジャンプしては噛む、ジャンプしては噛む行為を繰り返す。

 

「やだっ、私はおいしくなんかないわよっ。いやあああ!」

 

聞こえる声は、年若い少女を思い起こさせるものだが、そんな存在は思いつかない。俺が樹海で意識を覚醒させてからというものの、俺達はむさ苦しい男だらけのメンツだ。女性なぞ身近にはいなかったはずである(※ロウはまだ性別が判断できていないので棚上げ扱いとするが)。宙に浮く光は、風に漂うタンポポの種のようにゆっくりと無軌道に宙を動いて、それにロウがじゃれついてるように見えるので、ゴリラモドキと比べて危険なものには思えない。それに、光は逃げるだけで、ロウに反撃する素振りを見せない。きっとこのままだとロウに食べられてしまうだろう。

 

「ロウ、お座り!」

「ワッフ」

 

ロウは俺が命令すると、地面に行儀よくペタリとお座りした。その反応速度は、どこぞの軍の兵隊もかくやというほどの電光石火ぶりだ。やはりロウの躾具合は完璧だ。俺が躾をした覚えは全くないが。

 

「主」

「言われなくてもわかってるって」

 

ヴァンが何か言いたそうにしているが、彼の言いたいことは分かってるつもりだ。未知の場所で、それも異世界という、俺がこれまでに培ってきた常識が全く通用しない世界で、不用意に未知なる存在に接触するのは危険な行為だ。だが、目の前の存在はどうしても危険なモノには思えなかった。ロウに対する彼女――聞こえる声だけで性別を決めつけてしまっているが――の反応で、その考えはやはり間違っていないと思えるのだ。

 

「もう大丈夫。ロウは食べちゃったりはしないから。ロウはそのままお座りね」

「クゥーン」

 

もう危害を加える事はないことを伝えるために、少しやさしめな声で宙に漂う光に声をかける。ロウはおもちゃを取り上げられた子供のように少し悲しそうに漂う光を眺めている。

 

「本当?」

「うん。本当、本当」

 

宙に浮く光は、しばらく俺の頭上あたりの高さで漂っていたが、ゆっくりと俺の目の前に降りてくる。顔の高さほどにに降りてきても、光は仄かに灯ったままで、変わらずふよふよ浮いている。不思議な事に、その光をまぶしくは感じない。樹海に覆われて明度が乏しい中、その光は真っ暗な部屋で灯る豆電球のようにも感じられて、ほっとするような安心感を俺に抱かせる。おまけに、その光から聞こえてくる声は十代前半の少女を思わせ、話し方も至って普通なせいか、全く違和感を感じなかった。

 

「あの、あなたたちって、あの魔物をやっつけてくれたのよね」

「うん。まぁ、結構派手にやっちゃったけどね」

 

クレスの方を苦笑しながら見ると、彼は俺の視線に合わせて「ムゥン!」と、さっきもやってたポーズをキメている。

 

「私、あの魔物に追われていたの。助けてくれて、ありがとう」

「あ、そうなんだ。どういたしまして……」

 

ゴリラモドキとの遭遇は俺達にとっては完全に突発的で偶然の出来事だった。無意識に人助けをしていて、そのことに関してお礼を言われるのは、なんだかくすぐったい感じがする。何はともあれ、目の前の彼女(?)の発言の通りだとするのなら、俺がゴリラモドキを目にする前の、一瞬に見たような気がした小さい影は、彼女だったのだろう。ロウもじゃれつくように咥えようとしてたから、彼女の存在は動物や魔物にとって、気になってしまうようなものなのだろうか?

 

「ところで、君はそんな魔物に追われてたわけなんだけど、一体どうしたの?」

「……あっ。そうだ。早く『隠れ里』に助けを呼びに行かなくちゃ。女王様の結界が破られちゃう!」

 

宙に浮かぶ光は、急にピカピカと点滅して強く光りだし、小刻みに同じ場所を行ったり戻ったりしだした。

 

「助けてくれてありがとう。私、急がなくちゃいけないから。今度また会えたら、お礼は必ずするから……」

「え、ちょ、行っちゃうの!? 待って!」

 

こちとら、延々と樹海をさまよった身の上だ。やっとまともに話あえる存在と巡り合えたのだ。孤立無援の今の状況の打開するためには、どうしても彼女から情報を聞き出す必要がある。

 

「本当に悪いけど、そんな暇は……「ロウ殿!」って、ひやぁぁ!」

 

機転を利かせたヴァンが、ロウをけしかけてくれたおかげで、彼女の移動がインターセプトされた。ロウと宙に浮かぶ光は、ロウにお座りを命じる前と同じように、ロウがジャンプしながら追いかけ、光がそれを避けるという追いかけっこに戻る。

 

「俺達、ずっと樹海を迷ってここまで歩いてきたんだ。ここがどこなのか、とか、身を落ち着かせられる場所が無いのかとか、いろいろ知りたいんだ」

「そんなっ、ことっ、言われても。私達のっ、森がっ、魔物にっ、襲われてん、のよっ!」

 

宙に浮く光は、器用にロウの追撃をかわしながら答える。

 

「早くっ、『隠れ里』に助けを呼ばないと、みんなが、やられちゃうかもっ、しれないわっ。って、早くその狼に襲わせるの止めなさいよっ!」

「わかった。ロウ。お座り」

「ワッフ!」

 

ロウは今度もお利口にペタリとお座りをする。完璧なお座りの姿勢だ。しっぽがブンブン勢いよく振られているので、このお遊びは大変お気に召してるようだ。

 

「ふん。そっちも大変みたいだけど、私の方ははもっと大変なんだから。じゃぁ……」

 

ガシャリ、と金属が重なる音が彼女の話を遮る。

 

「な、何よコレっ!」

 

振り返る彼女の先には板状の障害物が浮いている。いつの間にか、クレスの周りを漂っていたはずの【神聖なる好意】の3枚の盾が、彼女の進もうとしていた方向を通せんぼうするように遮ったのだ。彼女は上から、それがダメなら下から盾を回り込もうとするが、盾はその動きに合わせて彼女の進路を遮る。

 

「フッハッハ。マスターの言う通り、いろいろ教えてくれないか? この俺の筋肉に免じて!」

 

今度はクレスが気を利かせてくれて、光の行く手を遮ってくれたようだ。だが、クレスは何故かポーズをキメながら、光の居る元へずんずん迫って行っている。光はいっそう逃げようと動きを激しくするが、盾も動くスピードが増し、隙を全く見せない。やがて、光は盾と近づいてくるクレスに挟まれてゆく……

 

「いやっ…… こないで、来ないでったら……」

「見よ! この上腕二頭筋を。 フハハハハハハハハハハハハハハ」

「嫌あああああああああああああああ!」

 

樹海に、うら若き乙女の悲鳴がこだまする。

 

********************************************

 

「ごめん。本っ当にごめん。もう何もしないから」

「うぇぇぇん。ぐっす」

 

なんとか、『彼女』のエスケープを阻止する事が出来たが、代償に『彼女』の大事な何かを損なわせてしまったような気がする。実際には盾とクレスの『むさくるしいもの2重プレス』が起きる前に。『彼女』の方が地面にポトリと落ちて、泣き出してしまったものだから、クレスのアプローチはそこで中止となったのだが。

なんだろう…… この状況。赤の他人に「責任とれ!」と言われてしまっても、言い逃れできない展開になってしまったような気がする。だが、とにかく、まずは『彼女』の機嫌を直さなければならない。

 

「もう本当に何もしないから。ね。だから機嫌直してってば」

「本当に本当?」

「うん。本当、本当!」

 

『彼女』の安全のため、クレスとロウは10メートル以上、俺達から遠ざけてある。この場には地面で光る『彼女』と俺とヴァンの3人(?)だけだ。

 

「そろそろ話してもいいかな? まずは……、君は誰?」

「ぐっす。……私はアイシャ」

「アイシャ、か。俺の名前はワタル。横にいるのはヴァンだ」

 

ヴァンを紹介すると、彼は無言で目礼だけする。ロウやクレスが気の向くままに行動している中でも、彼だけは始終むっつりしたままだ。ある意味、落ち着いて話すことができる唯一のクリーチャーとも言える。

 

「あっちの犬、じゃなくて狼はロウ。隣の筋肉野郎はクレスだ」

 

離れた場所に居る彼らを、親指でクイっと指しながら紹介する。さて、目の前の光る存在は『女性』であるというのほぼ間違いの無いようだ。だが、それはあくまで会話する上で、という前提条件がつく。未だに俺には、光りながら宙に浮かぶ、会話ができる存在というものの正体が掴めていない。

 

「アイシャ、気を悪くしたら悪いんだけど、もう一度聞いていいかな?」

「なあに?」

「君は誰? いや、こう言った方がいいか。『君は一体、何なの?』」

「えっ…… あなた、もしかして『隠れ里』じゃなくて、『外』の人間なの?」

 

彼女は俺の言う事がわからず困惑してたようだが、何かに思い至ったようで声の調子が変わる。だが、まだ彼女が何に気づいたのか、聞こえた言葉からではまだわからない。

 

「『外』って何の事? 俺達は一度意識を失って、気づいたら、この樹海にいたんだ。意識を手放す前はアルノーゴ樹海ってとこにいたはずなんだけど」

「『アルノーゴ樹海』? 知らないわ。ワタル、『隠れ里』の事は知らないの?」

「『隠れ里』? アルノーゴ樹海に入る前は、アルン村って場所に居たけど、それの事じゃないよね?」

「いいえ、『隠れ里』は『隠れ里』よ。他に人間の住む場所はあるかもしれないけど、私は聞いたことはないわ。知らないって事は『外』から来たって事は確かね……」

 

そう話したきり、アイシャは黙り込んでしまった。問答している間、アイシャはまたピカピカと光っていたが、その調子もしばらくするとおさまる。しばらく間をおいてから、アイシャはまた話しだした。

 

「私、『外』の人間と話すのは初めてだけど、今更ね。ねぇ、ワタル……」

「うん?」

 

アイシャは地面からふわりと宙に浮かび、中腰に座っていた俺の顔から、目と鼻と先程の距離に近づいてきた。この距離でも、光はやさしく寄り添うように灯っていて、まぶしくは感じない。

 

「私は、あなた達の言葉で言うと、そう、『妖精』というものなの」

「え? それは……」

 

アイシャの言葉がすぐには理解できなかった。だが、彼女の言葉が本当とするならば、彼女はまさにファンタジー オブ ファンタジー、物語というものには大抵登場してくる、あのメルヘンな存在だというのか!? 俺のいた世界だと、妖精は人の手のひら程の大きさの小さな女性が、蝶や虫のものを思わせる羽を背中からはやして、空を飛ぶ愛らしい姿で描かれている。だが、目の前に居るアイシャはというと……

 

「その『妖精』ってのは、光り続けてるような存在なの?」

「あら、私ったら夢中で気づいてなかったわ。ほら、これならわかるでしょう?」

 

アイシャは一瞬ぴかっと、強くきらめいた。すると、次第に光が弱まっていき。人の姿をした影が見えるようになっていく。しばらくして光は完全に収まり、彼女の姿を完全にとらえることができるようになった。

 

「へぇ……」

「ほぉ……」

「えへへ、そうまじまじ見られると、ちょっと恥ずかしいかな……」

 

俺の横で直立不動だったヴァンも、いつの間にか俺と同じような恰好になってアイシャに見入っていた。アイシャの姿は、俺が彼女から『妖精』という言葉を聞いて、頭に思い浮かべた姿そのものと言っていいほど愛らしい容姿をしている。全身の大きさは両手で包み込めそうな程小さかったが、体の各所をパーツ単位でつぶさに観察すれば、彼女のスタイルがいい事がよくわかる。スカート丈が膝上程度の桃色のドレスを着ていて、スカートから伸びる両足はスラリとして脚線美が感じられる。また、ドレスは大胆にも肩より上は露出しており、胸元は華奢な全身に反して、豊かに押し上げるものがある事がわかる。彼女の長い金髪は美しく輝き、腰元までサラリと流れ、細いウエストと金髪の間から、4枚の昆虫のものを思わせる羽が、斜め方向にピンと張り出ている。時々、その4枚の羽からは鱗粉のような小さな光る粒がこぼれ落ち、神秘性を醸し出している。

 

「やだ。そんなにジロジロ見ないでってば」

 

そう言って、恥ずかしそうにもじもじしている姿が、もう何とも言えないくらいにとても可愛らしい。こちらの世界に来てから、ナエさん、ニーナさん、ロミスさんと美人所を見てきたが、今回はそれと比しても、完全に予想外のあさって斜め上を、どストレートに俺の心をついてきた。表現が意味不明だが、それほど衝撃的だったという事だ。思わず「はぁ」とため息が漏れてしまう。

 

「ねぇ……黙ってないで、何か話してって……ってアンタ達は来るんじゃないわよ!」

 

アイシャの愛らしい姿はまた元の光り輝く姿に戻り、何かから逃げるように宙に高く飛んで行ってしまった。犬の息遣いが聞こえるので、横を見てみると、隔離していたロウとクレスが俺の横に来ていた。アイシャにとってはトラウマな存在なだけに、逃げざるえなかったのだろうか。彼女の姿をもっと眺めたかったが、仕方がない。

 

「はぁ。それで、どこまで話したんだったけか?」

「我々が『外』から来たのかもしれない、という所です。主」

「ありがと。俺達はそれで迷ってたわけなんだけど、さっき『隠れ里』という言葉を使ってたよね? そこに俺達のような人間っているの?」

「ええ、そうよ。ここは、マグナ様が封ぜられている『深樹界』で、深い樹海に覆われているのだけど、人間達が住む場所はあるわ。ただ、私達、妖精は、別の『森』に女王様と一緒に住んでるの。『隠れ里』の人間は『妖精の森』と呼んでいるわ」

 

多少気になるフレーズが幾つかあったが、アイシャの言葉は俺達にとっては朗報だ。アイシャの言葉を借りれば、俺と同じ『人間』が住んでるということだから、接触してコミュニケーションする事は可能だろう。言葉が通じなくとも、今の俺には『力』がある。本当に形振り構わなければ、おそらくやってはいけるだろう。最も、いざそのような事になったら躊躇ってしまうかもしれないが。思考が脱線しかけていたが、続くアイシャの言葉に意識が現実に戻される。

 

「ねぇ。それで私達の『森』なんだけど、今日、突然たくさんの魔物達が襲ってきたのよ!」

「さっきも言ってたけど、それが急いでいた理由?」

「ええ。女王様が森の境界に結界を張って、魔物のを防いで下さったから、まだ被害は出てないんだけど、いつまで女王様の結界がもつかわからないわ。急いで『隠れ里』の人達に助けてもらわないと!」

 

彼女はその『隠れ里』へ1秒でも早く助けを呼びに行こうと、飛び出したそうにうずうずしだした。俺達としては、せめて人がいる所までは連れてってもらわないと、また樹海の中をさまよう事になってしまう。どうしたもんか、とため息をつきながら、そばに寄ってきたクレスとロウを特に意味なく見たとき、ふとした考えが俺の頭をよぎった。

 

「ねぇ、アイシャ?」

「何よう…… まだ何かあるの?」

「『隠れ里』ってここから結構かかるの?」

「そうね。ここからだと、まだ少なくとも1アウス以上はかかると思うわ」

「えっと、1アウスって何ミニトだっけ?」

「あなた、そんなことまで知らないの? 1アウスは60ミニトよ!」

 

アルノーゴ樹海の封印石に向かう時に、ラルフさんが『ミニト』という時間の単位を話していたのを覚えてたのが幸いした。あの時の感覚から推察するに、どうやらミニトは俺の世界で言う1分、アウスが1時間と考えてよさそうだ。

 

「あっはっは。そうだった、そうだった。ド忘れしちゃってて。えーと、それで? もう一回聞くけど『妖精の森』からだと、そんなに離れてないのかな?」

「ええ、急いで逃げて来たけど、まだそんなに離れてはないはずよ」

 

だとしたら、俺の目論見はアイシャにとってもメリットはあるはずだ。俺は思い切って提案してみる。

 

「助けを呼びに行く事についてなんだけど、俺達が『妖精の森』に救援に行くのはダメかな?」

「えっ……」

 

アイシャは一瞬、俺の言っている事がわからなかったのか、戸惑う素振りを見せる。

 

「アイシャも、クレスが追ってきた魔物を投げ飛ばす所を見ているだろう? 今のクレスだったら、伝説の魔物相手でもヒケはとらないよ。それにクレスやロウも、ちょっとやそっとの魔物には負けない実力はあるはずだ」

 

自信満々に言い放っているが、流石に、パワー、タフネスが10以上のバケモノ級クリーチャーはいないと信じたい。そこまでのクリーチャーとなると、大災害と言ってもいいほどの存在である。そんなのが居たら、この『深樹界』界隈周辺が壊滅必須である。

 

「……言われてみればそうね。あの魔物を、あんなにあっさりやっつけちゃうわけだし。ワタルが普通だから、その事に気が付かなかったわ。ワタル以外は強いのはわかったけど、貴方は大丈夫なわけ?」

 

クレスの実力を目の当たりにしてるだけに、俺の言葉には説得力があるはずだ。対して、アイシャの言う事も最もで、痛い所をついてくる。俺個人に限っては、このメンツの中で最弱なのだ。ソコを責められるとちょっと弱い。

 

「そこはほら、俺はこの中では『主』というか、一番偉いの。そばに1人いれば大丈夫だし。それにほら、武器もあるからね」

 

とってつけたように、腰に差した剣の握りを手でポンポン叩く。実際はまだ一度も使ったことが無いのだが。我ながら、かなり苦しいごまかしである。

 

「ふーん。そういう事にしといてあげるわ。確かにその方が『隠れ里』に行って帰ってくるよりも、もっと早く済むわね…… わかったわ。そうと決まれば早く行きましょ。こっちよ」

 

アイシャはにっこり笑った後、しゃらんと音を立てて飛び上がり、彼女が最初に飛びだしてきた、茂みの方向へ俺達を促した。

 

 




1年間エタる、までにはならないで済みました。
彼女を出した時点で半分以上この章の目的は果たしたようなもんです。


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027:妖精の森の攻防 その1

 アイシャの先導に従って、俺達は樹海の中を進む。アイシャは俺達が迷い込んだこの場所を『深樹界』と言っていた。その名にふさわしく、アイシャに従って進むようになってからも、見える景色は木々ばかりで全く変わり映えしない。俺には自分達がどの方向に進んでいるのか全く見当がつかない。一体、アイシャはどんな方法でもって、自分が進んでいる方向を見分けているのだろうか? 今は急いだ方が良い状況だが、かといって道中の会話ができないほど切羽詰まってるわけでもなった。気を紛らわすついでに彼女に疑問を訪ねてみると、

 

「うーん。森の中の所々に、『魔力の澱』のたまり場があるのよ。場所によって感じられる魔力の質が違うから、私達はその差を感じ取って、今どこにいるのか判断してるのよ」

 

アイシャの言葉の中に、聞き逃すには少々不安な言葉が混じっていた。

 

「『魔力の澱』!? それって体に悪影響があるんじゃ?」

「女王様が言うには、私達、妖精の祖は、女神様と一緒に流れてきた種族ではなくて、もともとここ『深樹界』のような場所に住み着いていた祖霊の流れを汲んでいるそうよ。そのおかげか、私達には特に害もないみたいね」

 

というようだった。『魔力の澱』の事を聞いたときは、以前、アルノーゴ樹海に分け入る時に聞いた事を思い出して、少し背筋がヒヤりとした。だが、まだ何週間も入り浸っているわけでもないし、目下の安全を確保できるまでは気にしても仕様がない問題だろう。

 

 時折言葉を交わしつつも、方向を完全に把握しているであろうアイシャに続くこと約十数分。生える木々に少し変化がみられるようになった頃、アイシャが俺達に警戒を呼び掛ける。

 

「もうそろそろ私達の『森』につくわ。どこに『魔物』が居るかわからないから、みんな気を付けて!」

「『妖精の森』はまだ無事なのか?」

「ええ。まだ女王様の魔力が感じられるわ。もうしばらくは持ちそう」

 

がさがさと茂みを掻き分けて進むと、何やら目の前に薄い幕のようなものが広がる場所へと出た。その『幕のようなもの』は、俺達が今いる『深樹界』へと迷い込む前に見た、ドミトリが『次元』がなんとか、と言っていた現象のものと似ているように見えた。あの時は青い色をしたベールのようなものが、辺りを万遍なく覆い隠す現象だった。だが、今目の前に見える光景は、それよりかは静かな現象のようであった。『幕のようなもの』は濃い緑色の光を出しながら、弱いながらも波打っていて、さながらオーロラのようであった。

 

「主、近づくのは……」

 

近づいていく俺を、ヴァンが静止するも、その時の俺には耳にはいらなかった。ゆっくりと緑の幕に近づいて、手でなぞる。手で触った場所から波が広がり、周りへ伝わっていく。アイシャが言うこの結界は、幕のようでもあったが、触ってみると水面を想起させた。不思議と安心感がわいてくる。

 

その時。

 

――トクン

 

何かが俺の中の《声》に響いたような気がした。手を胸に当て、自らの内に思いを馳せる。

 

「ワタル、どうしたの?」

 

アイシャが俺の様子を不思議に思ったのか、そばに近づいて尋ねてくる。

 

「ワンワン!」

「主、どうやら敵が現れたようですぞ」

 

 アイシャに、さきほどのつかみどころのない感覚を説明しようとしたが、相応しい言葉を手繰り寄せられずにいる間に、ロウとヴァンからの警告で注意がそれてしまった。

 クレスが俺達を遮るように進み出る。彼の進み出た方向、そのさらに奥を見ると、ちょうど茂みから、小学生くらいの背丈の人間が2人出てきたところだった。その2人は、大きさはそれほどではなかったが、人間の子供と評するにはいささか醜い人相をしていた。肌は苔がびっしり生えているかのように薄い緑色をしていて、顔面には顔のパーツが不恰好に配置されていて皺が寄っている。頭には髪の毛が一本も生えておらず、禿げあがっている。側面には、顔面の大きさには不釣り合いなほど大きい耳が、斜め上方向に突き出ていた。口は大きく裂けていて、尖った不揃いな歯がむき出しで、薄汚れてるのが遠目からでもわかる。そいつらは上には何も羽織っておらず、せいぜい布のぼろきれと呼べるようなものを腰に巻いているだけだった。手には、先端に動物の骨らしき尖ったものをくくりつけた、粗末な木の槍を持っている。空いているもう片方の手で俺達の方を指差して、俺には全く理解できない言葉を早口で互いにまくし立てている。見るからに嫌悪感を想起させる醜悪な魔物であった。だが、以前アルン村でヴァンが倒した《魔物》に似たようなヤツがいたはずだ。

 

「もしかして、ゴブリンってやつか?」

 

俺が値踏みしている間に、茂みから、さらに帽子を被った似たような個体が現れた。そして、3人揃ってさらに激しく俺達の方を指して騒ぎはじめた。最後にゲラゲラと笑ったあとに、ゆっくりと俺達の方へ寄ってきた。

 

「やだ、何なのコイツラ。気持ち悪い……」

 

見た目がいかにも汚らわしいゴブリンに対して、アイシャも俺が感じた同様の嫌悪感を抱いたようだ。今はヴァン達――クリーチャー達――が居るので、危機感は感じない。だが、それでもあまり長く見たいとは思えない魔物だった。

 

「クレス」

「あんな貧相で汚い奴ら、相手にしたくないんだが」

 

俺が言わずとも命令を理解しているのか、クレスはぶつぶつ言いながらゆっくりした足取りで迎え討ちに行く。彼は左手を小刻みに振ると、彼の周りを浮いていた【神聖なる好意】の3枚の盾が放射状に並んで広がった。そのまま3枚の盾はゴブリンに向かって、宙を音もなく移動する。対するゴブリンは、当初のへらへらしていた呑気さはどこにいったのか、急に迫る盾に慌てだした。そして、あっという間に3匹とも同じタイミングで盾に地面に押さえつけられてしまった。小柄なゴブリンでは、盾は彼らの半身に相当する大きさで、ジタバタしても逃れることは適わない。クレスはギャーギャー喚き散らすゴブリンの1匹に近づき、足を振り上げて思い切りゴブリンの顔を踏み砕く。

 

「うえっ」

 

アイシャから、その可憐さには似合わないうめき声が漏れる。クレスは、仲間を倒されて余計に騒ぎだすゴブリン達を気にも止めず、淡々とトドメをさしていった。既に踏み砕かれたゴブリンの死体は黒い泡に包まれて、縮みだしていた。3人とも黒い泡に変わって消え去り、跡に残ったのは、2枚の濃い色をした札だ。クレスはその札を拾い上げると俺の方へ戻ってくる。

 

「マスター、こんなのが出てきたが」

「ああ、まさかとは思ったけど、ううん……」

 

俺は煮えきらない返事を返さざる得なかった。それは、いくつかの推測が短い間に頭の中に湧き上がっては消えていったからだ。まず、ゴブリンのやられた後の変化が、アルン村での浄化の儀式で見た《災厄の流星》の魔物、いや、クリーチャーのものと全く同じだったこと。次に、やられた後に2枚の呪札――マジックのカードのことだ――が残ったこと。このことから、あの3人のゴブリンの正体が何であったのか、という問いに対する回答は言うまでもないだろう。だが、何故、《浄化の儀式》が行われていないはずのこの地で、マジックのカードを見る事となったのか? 『深樹界』と呼ばれるこの場所について、俺が知る事はまだほとんど無い。俺達の先導人――アイシャならば、何か知っているのかもしれないが……

 

「ねぇ、アイシャ。これ……」

「ん? 何その札? 見たことないわねぇ……」

「そう……」

 

 アイシャの答えを聞いて、俺の口から出かけていた質問はしりすぼみとなった。今はこの疑問は捨て置くしかないか。

 

「マスター。新手が来たぞ」

 

 クレスの警告を聞いて、彼が指差す方向を見ると、茂みから馬に乗った騎士が姿を現した所だった。騎士が乗る馬は、真っ白で、鬣が何本も三つ編みに結えられていた。明かりに乏しく、木々の深緑色と土の茶色しか見えるものが無いこの樹海の中では、その白さは一層際立って見える。上に乗る騎士は、聖石騎士団の騎士達が着込んでいたものと比べると、かなり厚手で頑丈な鎧を身に纏っている。その鎧は白馬と同じく、白く輝いていて、背中には鐙に届くほど大きく広がる、白い外套がたれさがっている。手には細くて長い、白いポールウェポンが握られていた。まさに、全身まっしろしろだ。俺の中の騎士っぽい存在ランキング1位が更新されるほどの『THE 騎士』と言った様相だ。最後に白馬に乗っている点が、騎士っぽさにダメ押しをしている。

 

その白い騎士は、馬の手綱を引き絞って馬を「ヒヒン」と嘶かせてから、一直線に俺達の方向へ駆けてくる。

 

「少しは歯ごたえがありそうだ。だが、今の俺には適うまい!」

 

クレスは、手を振って【神聖なる好意】の盾を移動させる。白い騎士にぶつけて、インターセプトしようという腹積もりだ。

だが、白い騎士は、馬の手綱を思いきり引っ張り、勢いを減じつつも馬の駆ける方向を逸らす。急な制動に馬がまた「ヒヒン」と嘶く。騎士は、一旦俺達から離れる方向へ転じる。

 

「逃すか!」

「なっ、クレス殿」

 

すると、クレスが突然走り出した。俺達から離れていった白い騎士の後を追いに駆けてゆく。そのスピードたるや、白い騎士が載っていた白馬に勝るとも劣らない。あっという間に、茂みの奥に消えてしまった。ヴァンの静止も届かず、一瞬の出来事だった。

 

 クレスの姿が見えなくなったのと時をほぼ同じくして、ロウが「ワンワン」と激しく吠え立て始めた。ロウの向いている方向からさらに新手がやってきたのだ。

 

 それは、地面を這ってやってきた。クレスが追っていった白い騎士と同じく、体は白一色であり、その姿は、周りから際立って見える。体は蛇の様だったが、俺の世界でいう『蛇』とは大きさがかなり違っていて、目の前のコレは俺の世界の『蛇』よりもかなり大きく見える。例えとして、俺の世界のアマゾンにいるニシキ蛇は、時に人の腕以上の太さの個体がいたりするが、コイツの大きさはそういう次元の話ではなかった。オチにもならないが、唯一の救いである点は、【甲鱗のワーム】ほどの見上げる高さではないという点ただ1つだけだ。【甲鱗のワーム】とは違い、この白蛇の先端は槍のように鋭く尖っている。体も、『鱗』というよりかは、岩の表面を思わせるようにゴツゴツしていて、とても固そうだ。頭部の外縁には、中空に向かって、円錐形の形をしたでっぱりが植物の根を思わせるように、何本も突き出ている。

 その『白蛇』は、手近な木の幹に自らの身を巻きつけてから、俺達の方を睥睨する。体を巻きつけ終わって、ようやく見えるようになった『白蛇』の尾の部分は、頭頂部ほどは見た目が荒々しくは無かった。『白蛇』の体は、尾に向かう途中から2本に分かれていて、その形はアザラシの尾のようだった。だが、体が2本に別れてからも、まだまだ胴体は伸び続けていて、やがて次第に細くなってゆき、終端は植物の弦のようにくるくる巻いた弧を成していた。

 

この大きな『白蛇』…… どこか俺の記憶にひっかかる。なんとなくだが……

 

「スリヴァー?」

「キシャアアー」

 

俺のつぶやきが聞こえたのか『白蛇』、もとい【スリヴァー】は威嚇で返してきた。

 

「あの長いの知ってるの!?」

 

アイシャが驚いた様子で俺に聞いてくるが、理由を含めて答えるとなると少々説明しづらい。『白蛇』もとい、【白スリヴァー】と俺達の間にロウが陣取って牽制してくれてるおかげか、【白スリヴァー】はその場から動く様子はない。だが、状況は俺達を安穏とさせておくつもりはないらしい。さらに新しい敵が姿を現す。

 

「主、あちらにも……」

 

 【白スリヴァー】が居る方向の反対側、クレスが去ってしまった方向から少しだけずれた方から、2人の人間が姿を現した。一人は黄色の衣をまとった、禿げ頭の青年だ。両手に握り拳を作って構えをとったまま、じりじりとにじり寄って来ようとしている。額の部分に何かの文字か、マークのようなものが文様として描かれていて、見た目が某有名バトル漫画の『ク○リン』のように見える。武闘家か何かだろうか?

 もう一人は、これまで現れた敵と違い、深緑色をした防具を身に纏った女性だった。肌はやや白く、しなやかな体つきから素早く動きそうな印象を受ける。防具は、ビキニアーマーと言えばいいのだろうか? かなり露出部分が多い防具をつけていて、いやらしい言い方だが、そのセクシーな体を十分堪能する事ができた。肢体の側面には、青い豹柄のような斑点が上から下まで走っていて、顔の外縁にも同じような柄が見られる。耳はとがっていて、黒い髪は短めに切りそろえられていた。手には先端がそった曲刀あり、それを腹にズブリとやりさえすれば、人ひとりなぞ簡単に殺せそうである。注意深く見れば、際立つ特徴が揃った女性だったが、不思議な事に姿全体を視界にとらえようとすると、ぼやけてしまう感覚を覚えた。まるで姿が周りの木々の景色に埋没してしまいそうな『あいまいさ』が全身からにじみ出ているような奇妙な印象を受けた。

 

2人は微妙に間をあけて、俺達の方へ向かってくる。

 

「くっ、一度に来られては抑えきれん!」

 

ヴァンが剣を抜き放って、俺の前に出てくる。ロウは【白スリヴァー】を牽制しているので、その場を動く事ができない。

 

「主、迎え撃つ準備を!」

 

ヴァンの警告に、自分が棒立ちだった事に気づく。腰に差した剣を抜こうとするが、こういう時に限って中々抜き出すことができない。

 

「クソッ……剣が抜けない!」

「主、女の方を【呪文】で……」

 

剣を抜くのに夢中で、今度は【呪文】で足止めする手段もとれる事が、頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。やはりまだ慣れないか、と内心自身に毒づきながら、手を女性にかざす。

 

 俺にとっては、もう【呪文】を唱えるためのプロセスは簡単なものになっていた。自らの内の《声》に意識を集中し、《声》を選択して、土地へつながるリンクをたどってマナを呼び起こす……っ!? 

 

これまで当たり前のようにできた事だからか、その時の今まで味わったことのない感覚に、俺は意表を突かれた。

 

「主?」

 

ヴァン声もどこかにすり抜けて、焦りの中でひたすら同じプロセスを繰り返す。だが、何故か、最後の最後で止まってしまう。

 

「どうして!? なんで!?」

 

何故だ? 何故、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?

 

「主っ! クソっ!」

 

ヴァンが、俺が呪文を掛けようとしていた女を迎撃しに飛び出す。だが、『武闘家』の男はヴァンの横をすり抜けて、俺の方へ来てしまった。

 直前の時よりも、さらに激しく自分自身を罵倒しながら剣を抜く。今度は意外にも簡単に抜き放つことができた。心臓がバクバク激しく鼓動しているのを感じる。躊躇している余裕など微塵もない。俺は右手に持った剣を、向かってくる『武闘家』にたたきつける。

 

「っ!」

 

右腕に強い衝撃を感じる。俺の振り下ろした剣は、『武闘家』の片手で遮られてしまった。刃先が当たっているはずなのに、『武闘家』の腕は固く、傷がついている様子は見られない。

 

「ってぇ!」

 

右手を振り払われると同時に、握っていた剣はどこかに飛ばされてしまう。そして刹那の間に、腹に強烈な衝撃を受け、景色が反転する。俺は地面の石や木の根の凸凹に体を打ち付けて、地面を転がる。

 やがて勢いがおさまってから、鈍痛で重たい体を必死に動かして、上体を起こす。

 世界から音が無くなったかのような錯覚に陥る。アイシャが全身をピカピカ光らせながら、必死に何かを俺に言ってるようだが、今、目に見える光景を認識するだけで精一杯で、彼女の言葉をとらえる事ができない。

 俺を吹き飛ばした『武闘家』は…… 居た! 少し離れた所で、構えを解かないまま俺を睨みつけている。再び、俺に狙いを定めて近づいてくる。だが、『武闘家』は視線を俺の後ろの方に移した。

 

「ガルァアア!」

 

俺の頭上を飛び越して、ロウが『武闘家』にとびかかる。『武闘家』は不意を突かれたようだったが、上体を逸らしてロウの強襲を回避した。ロウは勢いのまま地面に着地し、四肢を器用に調節して、ブレーキを掛けてドリフトしながら、体の向きを『武闘家』のほうに向ける。

 

「ガルルゥ」

 

 ロウのブロックのおかげで、『武闘家』の狙いは俺からロウに移ったようだ。ロウと『武闘家』は互いにじりじりと襲い掛かる隙を見計らっていたが、ロウが先に仕掛けた。

ロウは、『武闘家』の四肢のいずれかに噛みつこうとするが、『武闘家』は素早い身のこなしで、危なげにそれを回避していく。この『武闘家』、見切りの能力が優れているのだろうか。ロウは果敢に攻め続けているが、有効な一撃を与える事ができていない。

 

「主、後ろから【スリヴァー】が!」

 

慌てて後ろを見ると、ロウが牽制していた【白スリヴァー】が俺の方へすり寄ってきていた。ロウはまだ『武闘家』とやりあっていて、簡単には抜けられなさそうだ。クレスはまだ戻ってきては来ない。

 

「クソ、主。今すぐに……」

 

ヴァンは覚悟を決めたようで、女と競り合っていたが、女に急接近をして、相手の腹を剣で貫いた。だが、相手にとってもチャンスだったようで、ヴァンも女に曲刀で腹を貫かれてしまい、お互い差し違える結果となってしまった。だが、ヴァンには【蜘蛛の陰影】をつけてある。エンチャントははがれてしまうが、相手を倒した分、収支はプラスとなるはずだ。なんとか持ち直せそうか、と気分を持ち直していた所に、アイシャの悲鳴が辺りに響く。

 

「嫌っ。ワタル、血が……」

 

 その言葉は、聞いたことが無いほど絶望にまみれてるような感じがした。『武闘家』にふっとばされて、地面を転がったから、どこかすりむいているかもしれないが、何もそこまでひどい様子で叫ばなくても、と思った矢先だった、

 

「コフッ」

 

俺は急に咽せて、口から何かを吐き出してしまった。続いて、えづきが何回も起きる。自然と手を口にあてる。咳き込みが収まって、手の平を見た時、俺は何が起きているのかわからず、我を忘れてしまった。

 

俺の手のひらに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

なんだ!? 一体何が起こった?

 

「ワタル…… お腹からも」

 

アイシャの言葉に下を向くと、俺の着ていたシャツに、赤いシミが広がっていた。手をあてると妙に生暖かい。

 

間違いない。()()()()()()

 

血に収まらず、自分からそれ以上の大切なものが失われてるかのように思えてしまい、恐怖に立ち尽くす。

 

何がなんだかわからない。『武闘家』に殴られはしたが、せいぜい殴打で、こんなに血が出てくるような傷を負うことはないはずだ。

 

「あ、主…… 逃げ……」

 

ガシャリ、とガラスが割れるような音がした。声のした方向見ると、ヴァンが俺に向かって苦しそうに叫んでいた。直後、俺の中の《声》に、弱々しい存在が戻ってきた感覚を覚えた。ヴァンにかけた【蜘蛛の陰影】だ。アルン村では、ヴァンがやられる瞬間は見ていない。あの時、彼の姿は家が崩れた残骸に隠れていて、俺のいた結界石の台座からは見えなかった。今、ヴァンは剣を片手で支えにして蹲っていて、大分苦しそうである。

 マジックのルールだと、相手プレイヤーへ攻撃し、戦闘を行ったクリーチャーは、そのターンはもう行動する事ができない。この状態を示すために、実際のゲームだと、クリーチャーカードは『タップ』されて(カードを横にする行為の事を指す)、行動済みである事を示す事がルールで定められている。あのヴァンの苦しみは、彼はすぐ動きたいのだが、それができないが故の『もがき』のような印象を受けた。だが、それを抜きにしても、【蜘蛛の陰影】の効力は、通常は死んでいる現象を『無かったこと』にするのだ。何某かのデメリットが存在していてもおかしくは無い。

 

「主!」

 

思考が脇に逸れそうだった俺の意識を、ヴァンの叫びが繋ぎ止める。【白スリヴァー】はゆっくりとだが、俺の方ににじり寄ってくる。

 

「くそっ」

 

ロウと『武闘家』が激しく争うのを横に、ヴァンの居る方向へ駆けだす。今、ヴァンは動くことができないようだが、少しでも生き残れる可能性がある方に逃げるべきだ。今も腹からはじくじく出血が続いている。出血の熱い感覚を、なるべく気にしないように努めるが、吐血を伴なう咳がときどき起こる。『武闘家』にやられた時に喰らった打撲もあり、気を抜くとよろめいて倒れてしまいそうだ。だが、俺はヴァンの脇を見て、結局、倒れてしまった。ヴァンの横、ヴァンが相打ちにした女性が倒れていた場所で、何回か見た現象が起きていたせいだった。

 女性の死体はとっくに無くなっていたが、その後にはカードが地面に落ちているわけではなく、緑色に輝いた2つの光が、双子星のようにゆっくりと回って浮いていたのだ。

 

 この光景は、ロウが俺の《声》に戻ってきた時と全く同じだ! まさか、こんなタイミングで、この光景に出くわすとは! 意表を突かれて力が抜けて倒れてしまった。俺の内心に構わず、緑色に輝く2つの光は俺の方向へ飛来してくる。

 

「ワタル、危ない!」

 

 アイシャもその光を察知して、警戒を促してくれたが、うつ伏せに地面に倒れてしまい、ダメージを負ってしまっている俺には、かわすような余力があるはずもない。

 

 光が目前に迫る。だが、この後、俺に起きる事が今まで通りであるならば、俺にマイナスになるような事ではないはずだ。こちらに向かってくる光を注意深く観察し続ける。

 

「!」

 

だが、予想外の事がさらに起きた。2つの光のうち、1つは俺の方に向かって落ちてくるような軌道に変化したが、残りの1つは俺の頭を飛び越えていったのだ。俺の頭を、光が飛び越すのを見送るのと同時に、俺の中の《声》に、新たな《声》が加わった。歓喜にあふれる《声》に意識をやりつつ、俺は飛び越えていった光を目で追う。

 俺の視線の先には、ロウが『武闘家』と争っている以外には1つしか存在しない。【白スリヴァー】だ。なんと、あろうことか、飛び去った光は【白スリヴァー】にぶつかって消えてしまったのだ。変化はすぐに【白スリヴァー】に現れた。【白スリヴァー】の体表に、緑色に輝くオーラがまとわりつき始めたのだ。【白スリヴァー】の目は、元々敵意に満ちた目だったが、それが、より一層、殺意にあふれるかのようにギラギラしだした。

 

「ギシャアアアアアアア!!」

 

 再度、俺達に向かって咆哮するときに、【白スリヴァー】にまとわりついた緑色のオーラから、放電現象のような線がバチリと現れた。今まさに、【白スリヴァー】が纏っている、あのオーラ。単純に考えるのならば、ヴァンがとどめをさした『女』がもともと身に纏っていたと考えるのが自然だ。だが、マジックのエンチャント(オーラ)はクリーチャーが死んでしまうと、クリーチャー諸共、墓地送りになるのが普通だ。膨大な種類を誇るマジックのカードと言えど、その基本ルールを超越するカードは少なく、その正体は絞られてくる。

 

クリーチャーが死んでしまっても、別のクリーチャーにつける事ができる、普通のオーラとは異なる特徴。

次に、ヴァンがやられた手順をなぞるかのような、俺の腹にできた出血現象。

そして、【白スリヴァー】が咆哮した時に起きた、電気のような放電現象。

 

これらの特徴・光景は、俺にあるカードの絵柄を思い起こさせる。

 

「そういう…… ことか!?」



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028:妖精の森の攻防 その2

種明かし。主に説明成分多め。


 俺の中の《声》に加わった、新たな《声》と、今までに起きたことを照らし合わせて、連なって起きた不可思議現象の真相が朧気ながらわかった。ヴァンも気づいたようで、彼の警告が俺の考えを裏打ちしてくれる。

 

「主っ! あのスリヴァーには【怨恨】がつけられています。危険ですから、早くお逃げに!」

 

*******************************************

Rancor / 怨恨 (緑)

エンチャント — オーラ(Aura)

 

エンチャント(クリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーは、+2/+0の修整を受けるとともにトランプルを持つ。

怨恨が戦場からいずれかの墓地に置かれたとき、怨恨をオーナーの手札に戻す。

*******************************************

 

【怨恨】

 

それは、俺のデッキの中で、最も凶悪な特徴を持つかもしれない呪文だ。その『凶悪さ』をここに挙げてみることにしよう。

 

【怨恨】が1枚でも手札に加われば、わずか緑色マナ1点だけの『コストの軽さ』で、そのコストと釣り合わない『破格の効果』をもつオーラを、『複数クリーチャーに使いまわし』することができるのだ。

(※『使いまわし』とは、あるクリーチャーにつけられていたが、そのクリーチャーが死んでしまっても、【怨恨】を別のクリーチャーに再度使う事ができる、と言うことを端的に言い表した言葉だ)

 

 普通、エンチャント、とりわけオーラは、それがつけられたクリーチャーと道連れで墓地送りになってしまう事は先に説明した通りだ。だが、【怨恨】は、オーラに宿命づけられた、その弱点を克服しているのだ。この特徴だが、マジックのデザインをしている発売元が、ある時期にエンチャントの弱点を克服すべく打ち出した強化策の1つだった。だが、この効果は【怨恨】にとっては、『鬼に金棒』的な意味合いで噛み合ってしまい、結果的に、強すぎてゲームバランスを崩す、と言われてしまう程のカードになってしまったのだった。じつは、同様の特徴を持つオーラのカードは、【怨恨】が収録された同カードセット内において、他の色にも1枚ずつ存在してはいた。だが、他の色のオーラは【怨恨】程の『手軽さ』や『効果』は持ち合わせてはいなかったため、【怨恨】のように、もてはやされる事はなかった。

 【怨恨】の『使いまわし』できる効果は、現実では、わかりやすい現象で俺の前で具現化された。最初、ヴァンが倒した女についていた【怨恨】が、俺の頭上を通り越して【白スリヴァー】にのりうつった事が、『使いまわし』効果だったのだろう。(術者も無しにどう呪文が展開されてるのかは謎だが)

 また、まだ一度も説明したことが無い能力、『トランプル』についても触れておくべきだろう。【怨恨】はパワー2点分の能力値修正の他に、『トランプル』という能力をクリーチャーにもたらす。

 『トランプル』とは、クリーチャーが攻撃してダメージを与える時に効力を発揮する能力の1つだ。その効果は、クリーチャーの攻撃をプレイヤーにまで『貫通』させる事ができる。より具体的に言うと、『トランプル』を持つクリーチャーが、ブロッククリーチャーを倒しても、まだ余っているダメージ点がある場合、その余り分のダメージを、相手プレイヤーに与える事ができるのだ。

 ここまで説明すれば、想像できることだが、この能力はクリーチャーのパワーが高いほど、効力が高まる。例えば、1点しかタフネスを持たないクリーチャーを、10点のパワーを持つクリーチャーのブロックにあてれば、そのクリーチャーは死んでしまうが、10点のダメージを食らう事態は避けられる。しかし、攻撃クリーチャーが『トランプル』持ちだと、ブロッククリーチャーが死ぬ上に、余った9点のダメージを負う事になる。このように、『トランプル』が、あるのと無いのとでは、その差は歴然だ。

 『トランプル』能力は、現実においては、俺は身を以て体験する事となった。ヴァンが相打ちした後に、何故か俺の腹から出血した、『あれ』がそうなのだろう。ヴァンはあの時、女に腹を刺し貫かれていた。一方、俺の腹にできた怪我も、ヴァンが刺し貫かれたであろう位置にできている。この現象から、『女のパワーは、少なくとも、あの時点でのヴァンのタフネスを上回る数値だった』という事が断言できる。ヴァンのタフネスは【蜘蛛の陰影】で+1されて、2点だったはずだ。それを貫いたのだから、あの女のパワーは3点以上であったと言うことができる。

 

 さて、今度はその女についてだ。全くの想定外だったが、俺の中の《声》と融合した。いや、『元に戻った』と言った方が正しいのか? ヴァンや【ロクソドンの強打者】の時と同様、俺は既にその正体について完全に把握している。女は【林間隠れの斥候】だったのだ。

 

********************************************

Gladecover Scout / 林間隠れの斥候 (緑)

クリーチャー — エルフ(Elf) スカウト(Scout)

 

呪禁(このクリーチャーは、あなたの対戦相手がコントロールする呪文や能力の対象にならない。)

1/1

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 コストが緑1点と軽く、そしてパワー/タフネス=1/1の典型的な『軽い』クリーチャーだ。だが、このクリーチャーの有する『呪禁』能力は、相対する側にとっては厄介な、とても強力な能力だ。『呪禁』能力は、対戦相手、または対戦相手が操るクリーチャーの、特殊能力の標的にならない能力である。

 説明に、過去、俺が『深樹界』に転移してくる前、ヴァンが『アルノーゴ樹海』でトートが唱えた【恐怖】の呪文によって『破壊』されてしまった時を例にするとしよう。もし、この時のヴァンが【林間隠れの斥候】だとした場合、トートの唱える【恐怖】の標的とはならないので、『破壊』される事はなかっただろう。

 実際の卓上マジックでは、【呪禁】能力を持つクリーチャーに対して【呪文】を使おうとしても、唱えられないので、呪文を唱るのをあきらめるのが普通だ。(もしくは、他の標的に切り替えるだけなのだが……) だが、現実世界では、その『標的にしたくてもできない』ジレンマは、パニックに陥いれる程の強烈な違和感を俺にもたらした。【平和な心】を【林間隠れの斥候】に唱えようとした時に、俺の精神に、二律違反による矛盾の苛烈なストレスがかかったのかもしれない。あの時の、まるで喉まで出かかってるのに、出すことができないようなもどかしさは、今も思い出すだけで顔をしかめたくなる。あの時は、さっさと【平和な心】の標的を『武闘家』に切り替えていれば、ヴァンも相打ちにはならなかったはずだ。だが、覆水盆に返らず。既に起きてしまったことだ。どうしようもない。

 

 【怨恨】がのり移った【白スリヴァー】だが、俺が思考している間にも、徐々にすり寄ってきた。【白スリヴァー】の姿を、より近くで見ることで、コイツの正体も把握する事ができた。コイツの正体は【板金スリヴァー】だ。

 

********************************************

Plated Sliver / 板金スリヴァー (白)

クリーチャー — スリヴァー(Sliver)

 

すべてのスリヴァー(Sliver)・クリーチャーは+0/+1の修整を受ける。

1/1

********************************************

 

 コイツに関して、特筆すべき点は『スリヴァー』だということくらいだ。簡単に言うと、スリヴァーと呼ばれる種に属するクリーチャーは、それぞれ1枚ごとに同じ種族(=スリヴァー)すべてに影響を与える、なんらかの能力を持つデザインになっている。マジックの卓上デッキでは、この特徴を最大限に活かすために、すべてのクリーチャーがスリヴァーで構成されたデッキが考案されていたりするほどだ。また、地味にやっかいなのが、スリヴァーの能力補正は、能力を有する『そいつ自身』にも効果を及ぼす。【板金スリヴァー】は、すべての【スリヴァー】にタフネス1点分の上方修正を与えるのだが、この効果は【板金スリヴァー】自身にも適応される。今、のりうつった【怨恨】の効果もあって、コイツのパワー/タフネスは3/2であるはずだ。

 【板金スリヴァー】について、ぐだぐだ並び立てたが、じつは、目の前のコイツの単体としての脅威度は、それほど大きくはない。群になってこそスリヴァーの能力が生かされるのだが、目の前のコイツは単体だ。スリヴァーの利点も、単体では無視できる微々たるものにすぎない。(ただし【怨恨】の分が積み重なった分を勘定した、総合的な尺度での脅威度は別だが……)

 

「クッソ……」

 

 なんとか立ち上がり、迫るスリヴァーから逃れるためにヴァンの方へ駆けだす。ヴァンはまだ剣を杖にしてうずくまっており、復帰するにはまだまだ時間がかかりそうだ。ヴァンのパワー、タフネスは2/1。まともに今のスリヴァーとやり合えば、やられはすれども、差し違える事はできるはずだ。だが、あんな調子では、まともに抵抗できるとは思えない。しかし、それでも…… 少しでも生き残る可能性があるとするならば、それはヴァンのもとへ寄る事だ。

 

「そのまま奥へ、クレス殿を探して頼るのです」

 

 なんとかヴァンへ近づき、彼を追い抜き、そして、どこへ続いているのかわからない茂みの奥へと逃げてゆく。ヴァンとすれ違う瞬間、俺は何も話さなかった。彼の俺を見る目を見て、なんとなくだが言葉は不要だと思ったのだ。

 

「ねぇ、ワタル。 彼は大丈夫なの!?」

 

アイシャは恐る恐るの様子で、ぴかぴか光りながら、俺についてくる。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

息を切らせながら、なんとか答える。俺が言っていることは嘘だ。『大丈夫』なのは、ヴァンがやられてしまっても、また召喚することができる、という意味であって、今の状態の彼が【板金スリヴァー】を相手に無事で済むという意味ではない。

 

「ロウ殿! 頼んだぞ!」

 

ほどなくして、後ろからヴァンの叫び声が聞こえてくる。続いて、【板金スリヴァー】の咆哮が聞こえ、何かをすりつぶす音が鳴り響いた。

 

「ねぇ! ヴァンが! ねぇ! ワタル! ……!?」

 

 アイシャの悲痛な声が聞こえたが、俺は何かがすりつぶれる音が聞こえるのと同時に、全身に激しい痛みを覚えた。俺の自身の体には、何も起きていないはずなのに、全身が激しい力で押しつぶされたかのような痛みがしたのだ。俺に触れる存在は何もないのに、肉が引きちぎられているような感覚がする! 何もされてないはずなのに、骨が砕かれているような感覚がした! 俺の頭をはさむものは何もないのに、頭がつぶされるような痛みを覚える!

 

「ぐあぁぁぁぁ」

 

うめき声が自然と喉の奥底から出てくる。知らず知らずのうちに、俺は地面を転げまわっていた。

しばらくして、やっと痛みが治まった。きっと【板金スリヴァー】はヴァンを殺したはずだ。なによりも、俺が先ほど感じた『痛み』がすべてを物語っている。地面に手をついて起き上がろうとする。だが、のばした先の手を見て一瞬、茫然としてしまった。俺の手は血で染まっていたのだ。反対の掌を見ても、そちらも血にまみれていた。きっとこれも、ヴァンが【板金スリヴァー】にやられた時に発動した『トランプル』の効果によるものだろう。恐ろしい事に、やられたクリーチャーが受けた被害をそのままトレースしているようだ。きっとヴァンは【板金スリヴァー】に全身をかみ砕かれたのだろう。 

 

「はぁ…… はぁ……」

「ワタルぅ…… 一体どうしちゃったのよ! 全身血まみれじゃない! ねぇ、もう私達の森の事はいいから、逃げようよ!」

 

アイシャはさっきよりも、さらに激しく明滅しながら俺の周りを飛び交って、必死に語りかけてきてくれている。逃げるも何も、先ほどのヴァンから貫通してきた『トランプル』のダメージで、体全体に鈍い痛みを感じるようになり、十全に動くことができなくなってしまった。ロウにやられた時と同じくらい気怠く、体が重くて思うように動かない。それでもなんとか立ち上がり、奥へと進む。

 

少し進むと、結界が行く手を遮っている所に出てきた。

 

「くそ…… 行き止まり!?」

「ここからは結界の境目が突き出しているの。これ以上は結界に沿って逃げないと……」

 

少しでも距離をショートカットするために、結界が張られている境界と並行になるよう、徐々に向きを変えて歩を進める。しかし、ダメージを負ったせいか、中々速度は上がらない。

 

「ギシャアアアア!」

「きゃあ! もうそこまで来ちゃったわよ」

 

俺が出てきた茂みから鳴き声が響く。とうとう【板金スリヴァー】が俺を捉えたようだ。このままではいずれ追いつかれてしまう。

 

そこに、別の獣が吠える鳴き声がするとともに、茂みから勢いよく飛び出してきた影があった。

 

「ガルルルウゥ」

 

ロウだ! 『武闘家』を倒して、駆けつけてくれたようだ。

 

「ワンちゃん!」

 

 アイシャが強く輝いて喜びを表わした。ロウは素早く駆けてきて、俺達と【板金スリヴァー】の間に入り込み、【スリヴァー】を牽制する。よく見ると、多少傷ついているようだった。だが、その傷も徐々にふさがってるように見えた。やはり、『災厄の魔物』のように、クリーチャーは受けたダメージを回復する事ができるようだ。マジックのターンの進行上ルールに、『自ターンの最後に、与えられたダメージが帳消しとなる』フェイズが存在するが、これが現実に発現した結果なのだろうか?

 

「ワタル! あっち!」

 

 アイシャが俺が向いている別の方向で、光って俺に呼び掛けてきた。見ると、さらに新手が現れている! どんだけ来れば気が済むんだ、畜生!

 ソイツは一見すると、ただの猪のように見えた。だが、頭に赤く長い毛を生やしている。頭頂部で炎が燃えているかのようだ。そして、頭の側面の両方から、緩やかな曲線を描く角が突き出ている。大きく開かれた口からは、ロウのものと勝るとも劣らない鋭い歯が並んでいる。体の真正面を俺達の方に向け、後ろの方の全貌を見る事はできないが、時折体の縁の横から、揺れているしっぽが見える。そのしっぽは、先端だけが黒く染まった白い毛がふさふさ生えていて、まるで墨がついた毛筆のようだった。ふらりふらりと、時折姿を見せるしっぽだけを見てると、ソイツが呑気な存在のようにように思えるが、そのがっしりした図体で突っ込まれたら、それこそ軽トラで突っ込まれるのと変わらないダメージを負う事だろう。

 『猪モドキ』は、俺達の進む方向から、少し外れているが、俺達を遮るには容易にできる場所に位置取りしている。

 

「追い込まれたか……」

 

 俺は少しずつ、じりじりと結界の方へ後退していく。『猪モドキ』は、今は俺達の方を様子見しているが、いつ突っ込んでくるかわからない。ロウの方も、スリヴァーとにらみ合いをしていて、とても『猪モドキ』をどうにかできるとは思えない。

 

(【平和な心】を使うか?)

 

 対応策を考えながら後ずさっていると、背中に柔らかい感触がした。ちらりと後ろを見ると、薄い緑色をした幕が、目の前にあった。とうとう、結界の境界ギリギリまで追い詰められたのだ。

 結界は変わらずオーロラのようにたゆたっていて綺麗だ。この幕さえ越えられれば…… 忸怩たる思いで、向こう側を眺めていたら、ある方向に、向こう側の景色に見られるものとは異なる、奇妙な物を見つけた。

 

「あれは……!?」

 

 この辺りは樹海というほど木々が密集しておらず、起伏が激しい今までの地形に比べて、平坦な地面が続いている。アルノーゴ樹海での封印石があった場所に似ていて、ある程度奥が見渡せる場所になっていた。結界の向こう側もその地形は続いていたが、その先に、樹木の背丈を超す、非常に大きいな花のような植物があったのだ。その花は、いくつもの白い花びらで成り立っており、中心部から、アイシャの光っている時と同じような光が解き放たれていた。光は天空に向かって一直線に伸びて、ホタルのような小さな光の燐光を周りに降り注いでいる。今までの暗澹たる『深樹界』の、憂鬱とする光景を見せられてきた人間には、その花の姿は、突如現れた神聖なものか何かに見えるだろう。それほどに美しく不思議な花だった。

 

(トクン)

 

 その白い花を俺が認識した途端、俺の中の《声》が脈動したかのように感じた。少し前に、結界に初めて触れた時に続いて2回目だ。確証は何もないが、この白い花は、俺の中の《声》と関係している、そんな事を直感した。

 今こうしている間にも、俺の中の《声》達が騒いでいるのを感じる。何かの到来を、今か今かと待ちわびていて、期待に満ち溢れているようだ。ロウを取り戻した時、俺の中の《声》達が歓喜に打ち震えるていたことは、俺の記憶に印象深く焼き付いていた。それと比べると、今回のは、それとはまた別の何かのような気がする。《声》達は俺に何かを促しているのだろろうか?

 

「ワタルっ。目なんか閉じて、何してるのよ!」

 

 アイシャの叱責も無視して、俺は《声》の中に意識を沈める。いつも【呪文】を行使するときよりも、より深く。自分そのものが《声》と同質化するように意識する。変化には直ぐに気づいた。これまで、《声》達へリンクが成立しているマナの通り道、――いや、つながりと言った方がいいか――が、もうひとつ、増えていたのだ! 

 この新しいリンクは、既にあった2本よりも、若干弱々しいが、それでも『つながり』と認識できる程度には感触がはっきりしている。『つながり』が向かう先に望みを託して、俺は迷わず新たなリンクをたどる。土地へのリンクを辿るとき、つながった土地の情景が意識に投影されるが、今回も見えるものがあった。見えたのは、禍々しく歪んだ木々によって成り立つ樹海に囲まれている、巨大な花。天に向かって堂々と屹立し、花の中心から暖かみのある光をまっすぐ上に放っている。光は花の周りに恵みをもたらし、それを享受しているのか、周りでは可憐な妖精達が、花畑の上で楽しそうに宙を舞っている。

 

 その瞬間――リンクがはっきりと確立したのを捉えた。刹那の間に、俺はそれが何かを理解した。

 

「【陽花弁……木立ち……】」

 

薄い緑色の結界から先に見える、あの花は、やはり俺のデッキの中に入っていた土地カード、【陽花弁の木立ち】だったのだ。カードイラスト通り、どでかい姿そのままなのには、驚きを通り越して茫然としてしまいそうだ。俺のデッキの中にあったはずのカードが、目の前で具現化している事は、もう何回目になるかはわからない。疑念が余計に深まるが、今はそんな場合ではない。

 

********************************************

Sunpetal Grove / 陽花弁の木立ち

土地

 

陽花弁の木立ちは、あなたが森(Forest)か平地(Plains)をコントロールしていないかぎり、タップ状態で戦場に出る。

(T):(緑)か(白)を加える。

********************************************

 

 【陽花弁の木立ち】は土地カードだ。まず、『土地カード』に関してだが、マジックには【平地】、【沼】、【島】、【山】、【森】の5つの、各色のマナを発生させることができる、『基本土地』と総称される土地カードが、5種類存在する。それらに対して、『特殊地形』と呼ばれる土地カードも存在する。『特殊地形』は「マナを生み出す」という基本土地と同じ性能に加え、プラスアルファの能力を持ったカードが多い。(逆にマナを生み出さない特殊地形も存在するが……)

 【陽花弁の木立ち】だが、基本土地の【森】や【平地】は異なり、この土地はマナを2種類発生させることができる。発生させることができるマナは白、緑の2種類だ。ある意味、【森】や【平地】の上位互換と言える存在だ。だが、その便利さゆえに、バランスをとるため、何某かの足枷がついていることも珍しくは無い。【陽弁花の木立ち】の場合は、【森】か【平地】が場に存在しない時は、すぐには使う事ができないという点だ。この場合、次のターンまで待つ必要がある。だが、このデメリットは、今回に限ってはクリアされていると思ってよさそうだ。《声》に意識を沈めて知覚した、【陽花弁の木立ち】へのリンクはエネルギーに満ち溢れていたし、【森】と【平地】へのリンクも確立している以上、状況的に条件をクリアしているのは明らかだからだ。とにかく、これで今まで、封じられていた、コストが3マナの【呪文】が解禁されることになる。

 

 【陽花弁の木立ち】とのリンクが確立してから、《声》の中でも一際、自己主張をする存在がいた。そいつは、《声》に戻ってきたのはいいが、俺が今まで使えるマナが2点分しかなかったがために、活躍の場を得られなかった。それが、今になって、「やっと自分の出番が来た」と、いきり立っているようなのだ。【呪文】を行使するときは、《声》の中の存在達は、我先に、と各自声高に主張するのだが、今回はこいつが一番騒がしい。その激しさや、他の《声》も辟易しているくらいだ。

 そんな様子の、その《声》が頼もしく、そして滑稽にも感じてしまって、クスリと笑いが漏れてしまう。さっきから俺の様子がおかしいのか、アイシャがさらに何か言っているようだったが、内なる《声》に集中しているせいか、言葉は耳を素通りしていく。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その《声》の様子を見ていたら気が変わった。ああ、期待通りにお前を解き放ってやろう。図らずもお誂え向きの舞台は整っている。俺達のピンチを救ってくれ。

 

 《声》に手を突っ込む動作をイメージする。同時に、もう一つの手で、土地につながるリンクを3つ、まとめて掴んで手繰り寄せる。引き出すマナは、森から緑マナ、平地から白マナだ。そして最後の【陽花弁の木立ち】からは、期待通りに、白マナ、緑マナ、どちらでも取り出せるようだった。まぁ、これから解き放とうとするヤツは、1点分のマナさえあればどちらでもいい。ここは緑にしておこう。

3点分の潤沢なマナをリンクから引っ張りだし、ソイツにぶち込む様をイメージする。

 

「行け、【ロクソドンの強打者】!」

 

すると、俺の目の前で黒い穴が中空に発生する。穴は次第に膨張していき、大柄な体格の異形の存在を形づくり始める。突如として現れた奇妙な存在に、猪モドキも【板金スリヴァー】も硬直する。ただ、ロウだけが何が起きているのかが分かっているのか、変化が生じた場所を見向きもせずに、敵を牽制し続けている。やがて、姿を現したのは象の頭を持ち、長いハンマーを持つクリーチャーだった。

 【ロクソドンの強打者】は大地を踏みしめると、ハンマーを大きく振ってから、石づきを地面に勢いよく叩きつけ、「プァン!」と咆哮をあげる。【ロクソドンの強打者】の姿を見るのはそれほど間が無いはずだが、ずいぶん久しぶりなように感じる。見た限り、アルン村の教会内で初めて見たときと変わらないようだ。

 

「【ロクソドンの強打者】! っと……」

 

 俺が、声をかけると、【強打者】は「ぷあん?」と鳴いて俺の方を振り返った。大きい図体だが、長い鼻がぷらぷらと揺れている。強い存在感と、愛嬌が同居しているようで、親しみやすさを感じる。

 俺が黙ったのは、命令する前に、名前を考えてやらなきゃいけない、と気づいたからだ。絶対に必要というわけではないのだが、これまでのクリーチャー達にもやってあげたことだし、これは今後も続けていく事にしようと思う。付ける名前が単純なのは許してほしいが……

 俺の【ロクソドンの強打者】に対する一番強いイメージは、【平和な心】をかけられて豹変した時のものではなく、騎士の攻撃をハンマーの一撃で退けた光景だ。あの時は、人間離れした動きをした騎士にも驚いたものだが、さらにそれを覆した、【ロクソドンの強打者】の痛烈な反撃にショックを受けたのを覚えている。【ロクソドンの強打者】の英名の内、『強打者』に相当するのは"Smiter"だが、強烈な一撃――スマッシュ"Smash"――を名前の由来にしよう。

 

「『マッシュ』。お前の名前は、これから『マッシュ』だ! あいつらをやっちまえ!」

 

俺が叫ぶと、マッシュは喜ぶように「パオーーン」と鼻を持ち上げて大きく咆哮した。

マッシュは、両手でハンマーをもつと、大きな巨体を『猪モドキ』へ向かわせてゆく。意外と身のこなしが軽く、すぐに接敵する。

 

「フガッ!?」

 

猪モドキは出鼻をくじかれたようで、マッシュへむけて突進しようとするが、既にマッシュはハンマーを振りかぶった状態で待ち受けていた。

 

「ブギイィィ!」

 

メリィという、何かが砕けた音とともに、『猪モドキ』が苦痛の雄叫びをあげる。マッシュが、名前の由来に恥じない、見事なフルスイングを『猪モドキ』に叩き込んだのだ。『猪モドキ』は吹っ飛ばされたあと、一回バウンドしてから、木の幹に背中から激突した。『猪モドキ』は口から泡をふいて、痙攣している。しばらくは動けなさそうだ。

 

********************************************

Loxodon Smiter / ロクソドンの強打者 (1)(緑)(白)

クリーチャー — 象(Elephant) 兵士(Soldier)

 

この呪文は打ち消されない。

対戦相手1人がコントロールする呪文や能力があなたにロクソドンの強打者を捨てさせるなら、それをあなたの墓地に置く代わりに戦場に出す。

4/4

********************************************

 

 【ロクソドンの強打者】の最大の魅力は、その『コストパフォーマンスの良さ』にあるだろう。わずか3マナでパワー/タフネスが4点ずつ、という性能は、クリーチャーカードの性能に重きを置いた白、緑以外の色では、中々お目にかかれないだろう。俺が今、召喚する事ができるヴァンやクレスでさえ、この数値を実現しようと思うと、オーラ呪文1つは何かつけなければならないだろう。それが1枚で済むのだから、手数の少なさと効率性が重視されるマジックでは、この性能は注目に値する。(ロウこと、【番狼】は、【ロクソドンの強打者】と同じ強みを持つクリーチャーなので、ここでは扱わない)【ロクソドンの強打者】はそれだけに限らず、他にも能力がある事も、高評価(by俺)の要因となるわけだが、それらの効力が発揮されることは、そうそう無いのでここでは脇に置いておく。

 

「ガルルァ!」

「ギシャアアア」

 

マッシュが『猪モドキ』の相手をしている間に、ロウと【スリヴァー】との間でも戦いが始まっていた。お互いのパワーは相手を殺し切るには十分な数値を持っている。ロウが【スリヴァー】の胴体に噛みついて、同じ個所に深いダメージを与えようとしているが、【スリヴァー】の方は、胴体をむちゃくちゃに振り回して、ロウを振りほどこうとしている。ロウは、何度も地面にたたきつけられているが、噛みつきをとこうとはしない。体格差からは【スリヴァー】の方が勝っているようにも思えるが、パワー、タフネスの総合的な点数では、ロウの方が勝っているはずだ。俺にはロウを信じて見守る事しかできない。

 

「プァァン!!」

 

一方、マッシュの方は、痙攣して動けない『猪モドキ』にとどめの一撃をさしていた。とどめの一撃が叩きこまれた箇所は、跡がくっきりと残る程めり込んでいた。俺としては、あの一撃を受けるのは御免こうむる。『猪モドキ』は痙攣を止めて、やがて黒い泡に包まれ始めた。

 

「ぱおおん」

 

マッシュは『猪モドキ』が消え去るのも見ずに、こちらを振り返った。ハンマーの石突を地面に立てて、俺に向かって一鳴きした。まるで「どんなもんだい!」と言ってるかのようだ。

 

「ガルルァ……」

「ギ、ギ……」

「ワンちゃん……」

 

ロウの方も決着がつこうとしていた。ロウは【スリヴァー】に地面に何度もたたきつけられ、もうダメなのではないかと思う程ダメージを受けている。アイシャも気が気がでないのか、心配の言葉を漏らしている。だが、ロウは一度も噛みつきを解くことは無く、【スリヴァー】に確実にダメージを与えていった。対するスリヴァーは、ロウを振りほどくのに体力を使い果たしたのか、それともロウの攻撃が効いてきたのか、徐々に動きが鈍化していった。今は地面に共倒れているが、ロウはそれでも噛みつきを続けていた。

 

「ギゥゥ……」

 

やがて、スリヴァーが、聞こえるか聞こえないか程度のうめき声を発したあと、静かに瞳を閉じた。口は少しだけ開いたままで、舌が垂れている。そして、黒い泡に包まれ始めた。ロウも【スリヴァー】と同じように目を閉じて、動かなくなってしまった。ヴァンがやられた時と同じように、ロウの体は一瞬光ったあと、体の端から光の粒子となって、風に運ばれるように空中に溶けて消えて行った。ロウは最後まで【スリヴァー】に噛みついたままだった。

 

「そんな…… ワンちゃんが……」

 

俺の《声》の中に、弱々しい《声》が戻ってきた。

 

「お疲れ…… ありがとうな」

 

胸に手を当て、ロウに感謝を送る。しみじみしていた俺に、急にアイシャが飛び込んできた。

 

「ワタル、ねぇワタル! ヴァンとワンちゃんが死んじゃったじゃないの! それよりも、あの新しく出てきたわけのわかんない化け物はなんなのよ! それと、あの化け物が出てきた時、貴方からとても心地の良い魔力の気配があふれてきたんだけど、あれは一体なん……って、ちょっとぉ!」

 

次から次へと起きた不思議な現象に、アイシャは我慢できなくなったのか、次々にまくしたてて聞いてくる。こんなに詰め寄られてはたまらない。アイシャを手で遮って、なんとか静かにさせる。

 アイシャを落ち着かせる余裕があるのも、火急の脅威が、ロウとマッシュの奮闘のおかげでなんとかなったおかげだ。だが、まだ忘れてはいけない存在がある。【怨恨】の次の挙動だ。普通に考えれば、【怨恨】も俺のデッキの中にあったカードなのだから、【林間隠れの斥候】と同じように、俺の中の《声》に加わってもいいはずだ。だが、【スリヴァー】が黒い泡に包まれて消え去った後には、淡い緑の光を放つ存在が、空中に浮いていたままとなっていた。その光は、そこに留まり続けたままで、どこにも向かおうとはしない。光が動かない事が、俺に『まだ何かが起きる』と示唆しているように思えてならないのだ。マッシュも俺の考えている事がわかっているのか、「ぱおん」と鳴きながら、俺達のそばに近づき、俺と【怨恨】の光の射線上に立って、守ってくれている。(アイシャがまたわめきだして、うるさいが……)しばらくすると、変化がおきた。

 

「動いた!」

 

【怨恨】の光は、今度は『猪モドキ』が現れた方向へ移動しだした。すなわち、まだ俺達の敵となりうる存在が、その先に居るという事になる。その存在は、意外と近場に居たようで、【怨恨】が発現した時に現れる、放電現象の音がバチリとしたのを耳が捕えた。やがて、新たな【怨恨】の対象となったクリーチャーが、姿を現す。

 




20181015:マッシュ召喚前の《声》の描写に、少しつけたし。


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029:妖精の森の攻防 その3

殆ど何も書かずに、結局1年前に書いたストックを放出。エタりそうなのん……


「……」

 

現れるクリーチャーはさぞ恐ろしいやつなんだろう、と想像したが、現れたのは小柄な女性だった。全体的に白い様相で、セミロングに伸びた髪は白髪、肢体を含めた肌全体も白い。だがニーナさんのような、雪を感じさせるような色とは大分違う印象を受ける。まるで絵具で塗りたくったような、人工的に作り出された固さを感じさせるような白色だ。そして、格好もかなり刺激的だ。ビキニも同然と言ってもいいような、皮で作られたかのような服で、胸部や恥部を隠しているだけで、武器も一切持っていないように見える。だが、その女性からは【甲鱗のワーム】から感じた、重苦しいプレッシャーのようなものを感じる。何かを隠していて容易には近づけない、そんな印象を受けた。

 

「ッ!」

 

女性が一瞬俺を睨みつけた瞬間、何かの形をした獣の幻影が、女性を包んでいるかのように見えた。その獣は、四肢で歩き、突き出た鼻の下から牙が生えていて、先ほどマッシュが倒した『猪モドキ』と似ている獣だった。幻影を見た後は、何もおかしな事は起きてはいない。だが、女性からの重圧は変わらず続いている。あの女性には、確実に何かがあると思っていいだろう。

 

「何よ。 今度は何だってのよ」

 

 アイシャが女性にも聞こえるような大きい声で言葉を漏らすが、その白い女性はそんな事は露にも気にせず、少しずつ俺達に近づいてくる。まだ距離がある今の内に、打てる手だてがあればやっておきたい所だ。だが生憎、俺のマナはマッシュを召喚した時にすべてを使い切ってしまっていて、まだしばらくは回復はしないだろう。今は頼りなのは、俺達の前に陣取るマッシュ、ただ一体のみである。

 

「マッシュ、あいつは尋常じゃない感じがする。気をつけるんだ」

「ぷあぁん」

 

 マッシュは振り向かずに、長い鼻だけ持ち上げて応ずる。マッシュは、ハンマーを両手に持ち、女性に攻撃するタイミングを伺ってるようだ。対する女性は歩みのペースを緩めず、距離を詰めてきている。しばらく、女性が歩み寄ってくるだけであったが、当初の距離が、もう半分ほどになるか、といったところで、突然、マッシュが「プァッ!」と叫んで飛び出していった。その勢いは『猪モドキ』を吹っ飛ばした時と変わらず俊敏だった。マッシュのハンマーが女性に振り上げられ、人の頭なぞ容易に粉砕する鉄の塊が頭にヒットする。

 

「ぱおん?」

 

マッシュの攻撃は正確に女性の頭に当たりはした。だが、マッシュは何が起きたのかわかっていないかのような困惑した鳴き声を漏らした。なんと、女性は相変わらず立ち続けたままであった。先ほど、猪モドキにマッシュの攻撃が当たった時は、ハンマーが体にぶつかった音が辺りに響いていたが、今のマッシュの女性への攻撃は、音が全くしなかった。マッシュは今も力いっぱい押し付けているのか、ハンマーが小刻みに震えている。

 

「ぱおおおお!」

 

突然、マッシュが大きな鳴き声と共に、俺のいる方向へ大きく吹っ飛ばされてきた。見れば、女性が左手を振り上げていた。マッシュの攻撃は、女性の腕によって防がれていたようだ。女性の腕は、明らかにマッシュのハンマーの主軸よりも細いようにしか見えない。そんなか細い腕で、クレスよりも重そうに見えるマッシュを、わずか腕一本の力で押し返してた。質量差を考慮するならば、どう見てもおかしい光景だ。だが、過去に圧倒的に巨大な存在が、矮小な存在に食い止められる光景を俺は見たことがある。それは、【ちらつき護法印】をつけられたヴァンが、【ワーム】を食い止めた時だ。あの光景は、マジックのカードによってもたらされた。今回、目の前の光景も同じような事が原因であると考えた方がよさそうだ。やはり、あの女性にはその現象をもたらすだけの()()がある。

 

「ぱおん。ぷぁん!プァアアン!」

「何だ?」

 

マッシュは立ち上がった後、俺達の方を向くや、細い鼻を持ち上げて、ある方向へと、つんつんと突き出し始めた。同時に、片手で同じ方向を指さしてから、手を払いのけるような動作をして、まるで俺達をここから立ち退きさせたがってるかのようなモーションをしだした。おそらく、俺達を指差してる方へ誘導しているのだ。この間にも、女性は少しずつだが、俺達の距離を詰めてきている。

 

「逃げろって言ってるのか…… わかった。アイシャ!」

「あ、うん、こっちよ」

 

俺は何とか体を動かして、マッシュが指差した方向へ走りだす。今まで連続してダメージを受けたせいか、体が重く、思う程早く移動する事ができない。後ろを振り向くと、マッシュは俺達に背を向けながら、じりじりと俺達の向かう先へ後退している。対する女性は、余裕なのか、ゆっくりのペースで追ってきている。何を理由に、マッシュや俺達を攻撃しないのかは謎だったが、今は少しでも距離を離しておかなければならない。目の前に迫る茂みをためらいなく潜る。

 やがて、いくつか茂みを越えた時、背後から「プアアアア!」という大きな嘶き声が聞こえた。きっとマッシュがまた攻撃をしかけたのだろう。だが、当初の勢いに反して、弱々しい鳴き声が後から聞こえた。

アイシャは俺の先を進んで、先導してくれていたが、その音が聞こえた瞬間は、ビクリと体を震わせていた。直後に俺達が来た方向から、樹木がへし折れる音が聞こえ、ガサリとすぐ脇の大きな茂みが大きく揺れた。すると、目の前に、何か大きな物体が飛び出してきた。

 

「きゃあ」

 

アイシャが悲鳴を上げる。前の方に見ると、何か大きな存在が、四肢を大きく広げて地面に仰向けに倒れていた。地面には赤い血だまりが広がり、今見ているこの瞬間にも、それは徐々に大きくなっていっている。俺はソイツの顔を見て正体を悟る。いや、状況から言って彼しかいないのは当然なのだが、心がその事実を認めたくはなかった。そう、あれほど頼りに見えたマッシュだったのだ。マッシュの倒れている周りは、血が地面や樹木に激しく飛び散っていて、よりグロテスクな様相を呈していた。

 

マッシュは俺達に気づいたのか、少しだけ鼻を持ち上げ何かを訴えようとした。だが、その鼻も、力なくだらりと体の上に垂れてしまった。鼻が垂れた体の中央の箇所を見ると、マッシュの胴体の真ん中から勢いよく血が吹き出ている。どういう攻撃を喰らったのかはわからないが、あれほど重厚に見えた体にぽっかりと穴が開いてしまっていた。誰がやったのかは語るまでもないだろう。

 

「ゴホォァ」

 

 俺は腹から急なえづきを感じて、何かを盛大に吐き出してしまう。

 

「ゲホォ、オェェ……」

 

むせこみは、後にも続き、口から何かが垂れ落ちる。手を口にあてがうが、だが、何の押さえにもならず、指と指の間から、赤い液体が流れ落ちる。ぐらりと視界が揺れる中、アイシャが必死に呼びかけてきているのがわかる。口から垂れたものは血だ。マッシュの受けたダメージが俺にトレースされたのだ。さっき受けたときは何が何だかわからず衝撃的だったが、今回のコレはとてつもなくマズいような気がする。致命的と言ってもいい、もはや取り返しがつかないダメージを負ってしまったようだ。俺が倒れて、悶えている間にも、マッシュの体は、一瞬白く光り輝き、体の隅から光の粒子に変わっていって、空中に溶けて消えてしまった。これまでヴァンやロウが死んだ時と同じ光景だった。同時に、俺の中の《声》にマッシュの弱々しい《声》が戻ってくる。これでもう、俺達を守るクリーチャーはいなくなってしまった。

 

「ワ、ワタルぅ……」

 

アイシャが地面に降りて、俺を必死にゆすって話しかけてくれている。ある方向を見て怯えているようだったので、彼女の見る方向に目をやると、ちょうど白い女性が茂みから出てきた所だった。先ほどと違う点は、女性の右手が赤く染まっており、その血糊が白く輝いて、空中に光の粒子となって消えていっている最中だった。女性はその現象が不思議なのか、右手を顔の前に持ち上げて、しげしげと自分の手を眺めている。しかし、飽きてしまったのか、俺達のほうに視線を向けてきた。そして、今まで無表情だった顔が、獲物を見つけた獰猛な獣のように、残酷な笑みに変化する。

 

「ひぃぃ!!」

 

アイシャの悲鳴もむべなるかな、俺も、その笑みを見た瞬間、背筋にゾワリと悪寒を感じてしまった。ひたり、ひたりと一歩ずつソイツが近づいてきて、俺を攻撃しようと右手をあげたその瞬間……

 

「待てい!!」

 

どこからか、大きな声が響いた。

 

女性はその声が響いた瞬間、振り上げていた手をおろし、声がどこから発せられたのか探ろうと視線をさまよわせる。

 

「マスターに手を出す奴は、この俺が許さん。ふっはっはっはっは!」

 

上空から徐々にボリュームを上げながら何かが落下してくる。ズドンっと、大きな爆音を響かせて、俺と女性の間に着地したソイツは、マッシュほどに大きい図体をしていた。遅れて上空から3枚の青い盾が追随してきて、背後に並べて浮かび、白い直線的な鎧を着ている。

 

「あああああ! あんた!」

 

その存在――クレスは首だけ俺達の方へ向き、アカルイックスマイルを浮かべてドヤ顔を決めていた。

 

「フッハハハハ! このクレス様が来たからにはもう安心だ、マスター。この目の前の女を手早く倒してしおう」

 

女性の方は、突然の場の雰囲気の変化に戸惑っているようなのか、クレスをしげしげと奇怪なものであるかように観察している。

 

「……お前……どこ行って……」

 

クレスは俺に近づいてきて、俺の容態を確かめだす。

 

「かなりダメージを受けてるようだが、まだなんとかギリギリ持ちそうだな。」

 

「そんな、こんなにひどいのに……」

「なに、まだ意識を保ってるのが大丈夫な証拠だ、今はダメージで動けないようだが、じきに立てるようになる」

「そんな……わけ……」

 

俺の必死の口答えも、クレスの宥めるような声にふさがれてしまう。

 

「見た目の割にはまだ感じられる生命力が()()()。俺自身も()ならやられてるほどの傷なのにな。俺が一番驚いてるくらいだぞ」

「おまえどこに……」

 

 そう俺が聞くと、クレスは手を口元にあてわざとらしく思案気な顔をして話し出す。

 

「ふむ、あの騎士を追っていったのはいいが、思いのほか深く入り込んでしまってな。しかも、帰りがけにいろいろと()()がわいてきたので倒してたのだ」

 

クレスは倒れている俺の顔の上に、何枚もの《呪札》を開いて見せつけてくる。

 

「それは……」

 

クレスは、《呪札》を俺の横においてから、顔だけ近づけて囁いてきた。

 

「ッフ。思ったよりギリギリで内心焦ったぞ。だが、もう安心だ」

 

そして、俺を診るために屈んでいたが、女の方へクレスは向き直る。これから戦おうとしているようだが、あの女は()()()

 

「クレス…… ヴァンもクレスもやられ…… ソイツ……やばい……」

「ほう、ソイツは期待できそうだな……」

 

えづきが続く中、俺はクレスにヤバイ状況である事をなんとか伝えようしたのだが、クレスは逆に嬉しそうにニヤリと笑みを深くした。

 

(しまった! コイツ脳筋だった!)

 

自分が受けたダメージの大きさにショックを受けていたせいで、忘れていたが、クレスは戦闘狂のきらいがあったのだ。もしかすると【ワーム】と同じくらい強いかもしれない存在を前にして、俄然やる気にならないわけがなかったのだ。

 

クレスは両方の拳を重ね合わせて、ごきりと骨をならしながら女性に語りかける。

 

「女ぁ、お前中々やるそうではないか? だが、俺のマスターにおイタが過ぎたようだな? その代償を払ってもらうぞっ!」

 

言葉だけ聞くと完全にチンピラのそれだが、言葉尻を発すると同時に、クレスが女に一瞬のうちに詰め寄って、拳を振るう。流石にオーラでパンプアップしてあるおかげか、マッシュ以上のスピードがでている。さらに、その拳は、マッシュが振るう攻撃以上の威力が込められているように見えた。

 

パァンと辺りに、拳が猛烈にあたった音が響く。クレスのやつ、女だからといって全く容赦する気がない! 思いきり顔面を殴りにいったのだ。だが、女は片腕でクレスの大きな拳を易々と防いでいた。

 

「何っ!」

 

拳が払いのけられると同時に、クレスも驚きの声を上げる。だが、俺はそれ以上に動揺していた。

 

(クレスの攻撃もきかないだと!?)

 

目の前の女は、【ロクソドンの強打者】こと、マッシュを簡単に葬り去ったわけだが、その強さに関して、せいぜいパワー、タフネスが6点か7点あたりだろうと高をくくっていたのだ。今のクレスのパワー/タフネスは、ヴァンがやられてしまった事を勘定すると、7/9のはずだ。それで十分ヤツを倒すことができると思っていたのだ。だが、今の光景はどうだ。クレスの攻撃はマッシュが攻撃した時と変わらず、相手に全くダメージを与えられていない。

 

「っふはは。思ったよりも手ごたえがありそうな女だ。楽しませてくれよ」

 

俺の焦りをよそに、クレスは攻撃をいなされて、余計に戦意が高ぶったようだ。そして言い終わるや否や、また相手に殴りかかっていく。

 そこからの戦闘の光景は、俺は口をあんぐりあけたまま見ることしかできなかった。なぜなら、クレスと女の攻防が、あまりに激しく、刹那の間に幾つもの攻撃、防御の応酬が繰り広げられたからだ。しゅばばばと、お互いの手足が、残像を残す程素早く動いている。動いているのはわかるが、その像をはっきり目にとらえることができない。まるで、某少年格闘漫画のアニメを見てるかの様だった。クレスは太い手足の他にも、【神聖なる好意】の3枚の盾を器用に動かして渡り合っている。だが、その攻防もそれほど長くは続かなかった。バァン、という轟音と共に、クレスが結界へと叩きつけられたのだ。結界はクレスを包み込むかのように受け止め、クレスが叩きつけられた箇所を中心に、大きく破紋が広がっていく。クレスは痛みに顔を歪めていたが、すぐに何かに気づくと、その場を飛びのいた。女が追撃してきたのだ。クレスは危なげに攻撃をかわす事ができたが、女の攻撃が結界にモロに突き刺さってしまう。

 

「やだ、結界が……」

 

アイシャの悲鳴にも似た嘆きが聞こえる。結界は、女の攻撃を受けた箇所から、ヒビがだんだんと広がっていき、やがてガラスが割れる時のような音を響かせて消えてしまった。結界が区切っていた先は、結界があった時は、その向こう側な景色は、やや緑色に染まって見えていたが、それも通常の色合いに戻っていった。

 

結界が崩壊していく間にも、クレスと女の攻防は続いていた。相変わらず、バトル漫画もかくや、というような激しさだが、徐々にクレスが追されているように感じられた。なぜなら、クレスが吹き飛ばされ、そして果敢に女に再び飛び掛かってい回数が多いように思えるのだ。そして、クレスは息が乱れ始めているが、女はまったく苦しそうには見えない。

 

「ねぇ、あの大男、このままだとやられちゃうんじゃ……」

 

アイシャも俺と同じ事を感じているのか、俺に語りかけてくる。認めたくはないが、クレスの、パワー7点分もある攻撃が、あの女には全く通じていないと断じざる得ない。パワー7点だぞ! あの【甲鱗のワーム】を軽く捻る事ができる点数なんだぞ!? それが通じないとするのだと、あの女は、少なくともタフネスが8点はあると考えなければならない。いくらなんでも、インフレし過ぎではないだろうか。このクラスになってくると、神話上での大物モンスタークラスの領域だ。クレスと比べて、あんなひょろい体をしている女に、それだけの強さがあるなんて、とてもじゃないが信じられない。だが、対策はある。時間は俺達の味方になるはずだ。

 クレスが俺を診たときに言ったように、少し体の調子が戻ってきたような気がする。普通に話かける事はできそうだった。

 

「クレス…… あと1、2分持ちこたえろ。そうすれば《マナ》が回復して【平和な心】が唱えられる」

 

俺の中の《声》へ通じるマナは、【ロクソドンの強打者】を召喚するのに費やしてしまって、まだ回復していない。だが、経験上、あと1分、2分もすれば回復するはずだ。そうすれば、クリーチャー無力化呪文の【平和な心】が唱えられる。この呪文にかかれば、相手がどれだけ凶悪なパワー/タフネスを持っていようと、問答無用で無害化できる。効果のほどは、昔にマッシュで確認済みだ。だが、俺の目論見は意外な人物からひっくり返される。

 

「断る!」

「はぁ?」

「断ると言ったぞ。マスター。これほどの相手、相手にできる機会なぞ、滅多にないのだぞ。俺は自らの拳で、アイツを打したいぞ!」

「何、わかんない事いってるのよ! 現に負けそうになってるじゃないの!」

 

アイシャが信じられないといった様子で、口をはさんでくるが、彼女の言うことは、ご最もである。だが、クレスは女から距離をとり、俺の方を向いて必死に訴えかけてくる。

 

「【呪文】だ。マスター。まだマスターには、俺を強化する事ができる【呪文】があるはずだ。それを俺にかけてくれ」

「んな事言っても、【呪文】をかけても、アイツを倒せなかったらどうするんだよ!」

「逆に、【平和な心】で無力化しても、俺やマスターはアイツを倒す事ができるのか? 今、攻撃が通用してないのならば、結局は同じ事ではないのか?」

「いや、それもそうかもしれんが……」

 

俺が渋っていると、クレスはさらに大声で俺に求めてくる。

 

「ならばこそ! なればこそ! 俺はより激しい闘争を望む! こんなに手ごたえのある、全身全霊をかけて戦える敵に巡り合えることのなんと希少な事か! 夢にも見た、マスターを御前にしての受肉! そして、強大な敵を前にして、マスターを守護する事ができる誉よ! 俺は今、一世一代の大勝負にいる。 マスター! 頼む! 俺に戦わせてくれ!」

 

その言葉は、今までクレスが発してきた中で、最も真摯に、まっすぐ俺に向けられた言葉だった。思えば、俺は卓上ゲームのマジックで、【イロアスの英雄】をどんな風に使ってきたのだろうか? せいぜい《オーラ》での強化は1枚どまりで、パワー/タフネスが貧弱な敵を、サクっと片付けるだけだったのが、ほとんどではなかっただろうか? 珍しく何枚も《オーラ》を付ける事ができても、クリーチャー破壊呪文で、あっさりと墓地へ除去される始末。現実だと、ただのカードだったのが、実際に召喚してみると、なんと暑苦しいヤツだっただろう。バトルジャンキーでアレなところもあるが、それでもコイツは、自らの矜持を体現したうえで、俺に精一杯仕えてくれている。その言葉は、俺を吹っ切れさせるには十分思いがのったものだった。

 

「ああ、そうかい…… そうかよ。だったら、望み通り唱えてやるよ!」

 

図らずも、クレスの啖呵が時間稼ぎとなった。俺の中の《声》で、3つ分のマナへのパスが、活性化した感覚が知覚できた。

 

再び《声》に意識を集中する。

 

まだ唱えていない【呪文】は少しは残っているが、今回はその中から、まだ選び出したことがない《声》へ意識を向ける。

 

そいつは、【陽弁花の木立】へのパスができたときは、とりわけ喝采して一番騒ぎ立てていたのだが、マッシュに出番をとられた時はがっかりしたかのように静まってしまっていた。

俺が意識を向けた途端、やっと自らが選ばれたと知って、息を吹き替えしたかのように騒ぎ出した。ソイツのその喜びようは、計り知れないくらいすごいのだろう。なぜなら、ソイツは、今までマナが足りなかったために、俺が唱える事ができなかったからだ。

【陽弁花の木立】へのパスに集中して、マナを手繰り寄せる。ソイツへは、意図的に同じマナ2点を与えなければならない。今まで、俺は緑マナ、白マナ1点ずつしか手繰り寄せる事ができなかった。そのため、どうしても《コスト》を払う事ができなかったのだ。白マナを2点引き寄せる。そしてソイツへ与えて、現実へと解き放つ。

 

清らかな曙光よ、立ちはだかる敵を屈服させますように。

 

【夜明けの宝冠】

 

変化はクレスの頭上に現れた。突如として、彼の頭の上に、光輝く円盤が現れたのだ。光は刺すような閃光を周りに解き放ち、俺やアイシャ、敵の女を照らす。

 

「ぬおおおおお! きたぞっ、きたぞぉぉぉぉ」

 

クレスの雄叫びとともに、彼の頭上の光は一際強く光った。まぶしくて目をあけてられないくらいだ。すると、クレスの方から感じていた圧力のようなものが、さらに強まったような気がした。クレスは女との戦闘で全身ぼろぼろだったが、今はその傷も消え失せている。【神聖なる好意】の3枚の蒼い盾を宙に浮かべて、頭上からの光で、後光に照らしだされてるかのような姿は、あの粗野だったクレスに、高貴さ、神聖さを感じさせるほどのものとなった。

 

「マスター、感謝する。これでまだ俺は戦える!」

 

**********************************************

Daybreak Coronet / 夜明けの宝冠 (白)(白)

エンチャント — オーラ(Aura)

 

エンチャント(他のオーラ(Aura)がつけられているクリーチャー)

エンチャントされているクリーチャーは+3/+3の修整を受けるとともに先制攻撃、警戒、絆魂を持つ。(このクリーチャーがダメージを与える場合、さらにあなたは同じ点数のライフを得る。)

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実は、俺はまだ【不退転の意志】を唱えてはいなかった。何故【夜明けの宝冠】を唱えたかというと、それは、【夜明けの宝冠】が【不退転の意志】をしのぐ強化値を持っているからだ。その数は、パワー/タフネスが+3/+3。相手を倒すのに重要なパワーの修正値に関しては、【不退転の意志】の3倍だ。この呪文は、他にも様々な特殊能力をクリーチャーに与える事ができるのだが、それに見合うだけのデメリットがいくつか存在する。ひとつ目は、コストが白マナ2点であり、《色拘束力》が強いという事だ。基本的に呪文のコストは5色のマナ、もしくは無色マナで構成される事が殆どだ。無色マナは5色のマナ、どれかで代用ができるが、『換え』がきくため、5色のマナよりかは一段階『安価』なマナとして位置づけられている。俺は当初、緑マナ、白マナを、それぞれ1点ずつ分しか、コストとしてねん出できなかった。そのため、白マナ2点を要求する【夜明けの宝冠】を唱える事ができなかったわけだ。デメリットの2つ目は、【夜明けの宝冠】を付けるクリーチャーは、既に何かしろの《オーラ》がつけられたクリーチャーでなければならないという点だ。言い換えると、《オーラ》が何もつけられていないクリーチャーには【夜明けの宝冠】は唱える事ができない、という事になる。この点に関しては、クレスは既に2つ分の《オーラ》がつけられており、呪文を唱えようとした段階で既に克服できていた。

 

「はぁん…… はぁ……すごい… ビリビリする……」

 

何故か、横でアイシャが艶めかしい息遣いをして身をよじっているいる。漏らす言葉がエロく聞こえる。多少気になるが、今はクレスだ。今のクレスのパワー/タフネスは、女に押されっぱなしだった時とは段違いのはずだ。

 

改めて、クレスの今の強さを整理してみよう。

 

 ヴァンがやられて【蜘蛛の陰影】分の【天上の鎧】強化が外れたクレスのパワー/タフネスは7/9だった。そこに【夜明けの宝冠】を付けたことにより、+3/+3。さらに、《英雄的》効果により+1/+1修正が施され、最後に【天上の鎧】効果により、さらに+1/+1(【天上の鎧】効果自体は3つ分のオーラにより+3/+3)されている。

 つまり、クレスのパワー/タフネスは12/14となる。これがどのくらい強いのか例えるとするなら…… カードの素の能力値で、クレスを倒しうるクリーチャーは数えられる程度しか残らない、と言う程度だ。しかし、恐るべくは、これだけ強くしても、それに匹敵するカードがまだ存在する、マジックのカードの層の厚さといったことか……

 

女はクレスに変化が現れてから、警戒しているようで、少し離れたところから様子を伺っている。クレスはその女に向けて拳を突き出して宣言する。

 

「女、お前は強かった。俺のわがままに答えてくれた事に感謝する。だが、もうおしまいだ! さらばだ」

 

ズバンっ、と轟音が響きわたった。一瞬、何が起きたかわからなかった。認識できるのは、クレスがさっきまで立っていたところが、大きく土がえぐられているということと、舞い上がった土がぱらぱらと地面に落ちていることだけだった。

 

「一瞬で……」

 

アイシャの言葉を聞いて、女が立っていた所の方を向く。すると、そこにはクレスがいて、女の首を片手でつかみあげていた。女はクレスの腕を叩いたり、手でかきむしったりしているが、クレスには全く効いていない。クレスが「ふんっ!」と力んだ瞬間、ゴキリと骨が折れる音が聞こえた。女は、顔をぐらりと

うつむけて、じたばたしていた手足の動きも、ぴったりと止まってしまった。俺とアイシャは、クレスが女を屠る瞬間を黙ってみていることしかできなかった。

 

「うん……!?」

 

クレスが女を倒した直後、俺の体中を不思議な感覚がめぐった。体中を見回すが、特に違和感は感じない。あれ?さっきは体を動かすのにも鈍痛が走ってたのに、今は何とも……

 

「マスター、女を倒したぞ! これで、あらかた片付けたことになるな」

 

クレスは、足元に女をドサリと落とすと、俺のほうへ向かって登場した時と変わらない、満面ドヤ顔スマイルで笑いかけてきた。【夜明けの宝冠】が、後光の如くクレスを照らしだしている今の状況だと、そのうざさは10倍だ。さっきから、シリアスだったかと思えば、それをぶち壊したり、やっぱりキャラを掴むことができない。

 

「ったく、こっちはもうだめだと思ったんだから……」

 

全身の緊張が解かれ、その場に尻もちをついてしまう。始めは楽勝かと思ってやって来た魔物討伐だが、ふたを開けてみれば、ヴァンとロウはやられてしまい、挙句に俺自身も攻撃を食らう結果となってしまった。大分ゆるい評価をして、辛勝といったところか。【甲鱗のワーム】で痛い目を見たはずなのに、それでもどこか、心の中に驕りがあったのだろう。俺はマジックの【呪文】の力が使えると、無意識に余裕をぶっこいてしまっていたのだ。『勝って兜の緒を締める』というように、ここで深く反省しなければ、近いうちに死んでしまいかねない。俺はまだまだこの世界の事など何も知らないのだから、いや、今使えるこの力だって、まだ何もわかっちゃいないのだ。

 

ガシャン、というガラスが砕けるような音が轟いた。

 

「ワタル! 危な……」

 

アイシャの叫び声が突如として聞こえた瞬間、目の前に何かが一瞬でやってきて、大きな音が鳴り響いた。

 

「ひゃあ」

 

あまりの勢いに、瞬間的に風が吹き荒れ、アイシャが飛ばされたのか、彼女の悲鳴が聞こえる。

俺の視界は何かに遮られて、何が起きたかすぐには把握できなかった。だが、目の前の俺を遮るものが、クレスの【神聖なる好意】の盾であることがわかった。顔を上げると、クレスが大きな背中を俺に向けて、何かを抑えている。

 

「えっ!?」

 

彼の脇から見えたものは、なんと、クレスが首を折って倒したはずの白い女だった。女は、クレスと戦っていた時の無表情な顔とは違って、目を充血させながら、息を荒くして俺に飛び掛かろうとしていたのだ。

 

「うがああああああ!!」

 

女は俺に近寄ろうとじたばたと暴れるが、ガッチリとクレスの腕にホールドされて一歩も俺に近づけないでいる。女はクレスの腕力にかなわないと悟るや、クレスの腕をひっかいたり、叩いたり、挙句には口で噛みついて拘束をほどこうとするが、それでもクレスには全く効いている様子は無い。

 

「往生際が悪いぞ、女。不意を突いたつもりだろうが、マスターの【呪文】で強化されている俺が見逃すはずがない。それ以上に、遅すぎる」

 

クレスは意気揚々と戦っていた前の様子と比べて、嘘ではないかと思える程、冷静に淡々と女に告げる。まだ俺の心臓はバクバクしているが、クレスの言葉のおかげか、女を落ち着いて観察する余裕が出てきた。今も女は息が荒く、目が充血しながら叫び狂っている。こんなのに襲われかけたとは、なんとも恐ろしく感じるものではある。だが、なんとなくではあるが、クレスに倒される前と比べて、彼女から感じるプレッシャーがかなり弱くなった感覚がする。クレスはもしかしたら、この事を感じ取って、落胆しているのかもしれなかった。

 

「ワタルー! ワタルっ!」

 

そんな事を感じながら、クレスを眺めていたら、後方からアイシャの声が聞こえた。風で飛ばされてたが戻ってきたようだ。

 

「え、あ…… な、なんでコイツがまだ生きてるのよ!」

 

遅れてやってたアイシャが、今まで何が起きたのか把握したのか、甲高く叫ぶ。

 

「どうやら、一度倒されても復活するような呪文か能力を持っていたのかもしれん。だが、代償に力を失っているようだ。この女、先ほどよりもかなり弱くなっている」

 

やはり、クレスも感づいていたようだ。女に明確な変化があった事は違いないだろう。クレスは女の背後に回って、両手で顔をホールドする体制をとった。

 

「もうどちらにしろ、これで終わりだ。これ以上の狼藉は、マスターの守護を請け負った俺の面子が立たん。潔く逝け」

 

「いや」という、アイシャの小さな悲鳴と同じくして、ゴキリと骨が折れる音が響く。クレスがまた両手で女の首を折ったのだ。女の充血した眼は白目となり、力がぬけるようにその場に倒れた。やがて、うつ伏せに倒れた遺体は、黒い泡に包まれ始める。やっと倒すことができた。誰も言葉を発することなく、黒い泡が収まるのを眺めていたが、泡が小さくなるにつれて、内側から光が漏れ始めた。

 

「これは……? さっき見たのと……」

 

アイシャは【林間隠れの斥候】が、俺のもとに戻ってきた時のことを言ってたのだろうか。女が倒れた跡から、3つの光を発する球状の物体が現れ、ゆっくりと回転しながら宙に浮かび始めた。

 クレスが何か感づいたのか、驚きの声をあげる。

 

「この()()。まさか、同胞か!?」

 

3つの光は静かに輝き、泰然と存在している。1つは白、残り2つは緑色の光だ。やがて、3つの光は俺の方に近寄り、1つずつ俺の胸の中に入ってくる。1つ、また1つと加わるたびに、俺の中の《声》達が騒ぎ出し、そして俺の中に戻ってた《声》自身も喜びの声をあげる。

 

【林間隠れの斥候】が戻ってきたときは、戦闘中で余裕がなくて、余韻に浸る暇もなかった。だが、《声》が戻ってきた今は、何故か心が落ち着いていた。アイシャ、クレス、2人とも、そんな余韻に浸ってる俺の様子に遠慮したのか、しばらく誰も何も口にださなかった。

 

だが、しばらくすると、クスクスと囁き声のようなものが、俺達の周りのあちこちから聞こえてきた。始めは聞き取れない大きさだったが、ほどなく聞こえるようになってくる。

 

「ねぇねぇ。さっきから、あの人達なんなのかなぁ……」

「しっ! 聞こえちゃうよ。魔物には見えないよね」

「でも、あの筋肉ムキムキの男! とてもすごい感じがするよ」

「もう一人の男は、なんだかナヨっとして強そうには見えないわよ」

「あれ? あそこにいるの、もしかしてアイシャじゃない! 無事だったのね」

「でも、《里》の人間達に助けを呼びにいったんじゃないの? 一緒にいるのが2人だけなんて、ちょっとおかしいよ」

「声かけた方がいいんじゃない? 誰か呼んでみてよ」

「いやよ…… あなたが、声かけなさいよ」

 

等と、聞こえる話し声が多くなり、声のボリュームも大きくなってくる。聞こえる声質は、秋の虫の鳴き声のように、やわらかく、心地よいものだったのだが、その数と音量が大きくなってくると、流石に気が散ってしまう。

 

「ねぇ…… アイシャ? なんか、いろいろ聞こえてくるけど……?」

「ごめん…… 仲間たちよ」

 

アイシャは拳突き上げて、周りの茂みに向かって力いっぱい叫ぶ。

 

「コラァーーーー! 隠れて話してないで出てきなさいよぉ!」

 

アイシャが叫ぶと、俺達の周りの茂みや上の木から、一斉にたくさんの小さな光が現れた。その数や、あまりにも数が多いものだから、俺達の周りは電飾でイルミネーションされているかのようにまぶしくなってしまった。

 

「え? これ何なん……」

 

突然光に包まれた俺は、何がなんだかわからず、アイシャに戸惑いながら聞くしかない。周りの光達からは、クスクス笑い声がしている。見方によっては、今まで出会ってきた場面の中で、1番奇妙な光景かもしれない。

 

「みんな、妖精の森に住む妖精よ」

「こ、これ全部妖精?」

「そうよ。みんな私の仲間の妖精。ようこそ《妖精の森》へ。私達の森を守ってくれてありがとう」

 

数多くの妖精たちを背後に、アイシャは満面の笑みで俺を出迎えてくれたのだった。

 

 



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