シロツメクサの恋 (ライジング)
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①ねえ、シロツメクサの花言葉を知ってる?

 公式設定によると妙子ちゃんの家族構成は「母・弟」とのことらしいので、本作ではその設定を採用しています。
 ただ義理の姉弟、弟の年齢等は捏造です。


 二つの選択肢が少年にはあった。

 

 人は幸せになるために生まれてくると、誰かがそう言った。

 今の君は果たして幸せか、と問われれば間違いなく幸せだと答える。

 しかし、その幸福には二種類が存在する。

 幸福の形は人それぞれだ。

 少年もまた異なる形をした幸福を選ぶことができた。

 ひとつは、本当に欲しいものは手に入らないが絶対の平穏が約束された幸福。

 もう一方は、最も求めているものを得ることができてもリスクを背負うことになる幸福。

 選択肢である以上、両方を選ぶことはできない。

 

 どちらが正しいのだろう。

 少年は問いかける。

 もし本当に人が幸せになるために生まれてくるというなら、なぜ運命はこうして選ばせるようなことを強いるのか。

 もっと遡れば……なぜ『この思い』を自分に気づかせてしまったのか。

 

◇◆◇

 

「ねえ、ショウちゃんはシロツメクサの花言葉を知ってる?」

 

 ある日、姉の妙子はそう尋ねてきた。

 シロツメクサ。

 妙子が好きな花だ。

 

「いや、知らないな」

 

 弟の奨真(しょうま)はそう応えた。

 花言葉どころか花そのものを知らない人のほうが多いのではないか、と彼は思った。

 

「どんな花言葉なんだ?」

 

「『幸福』とか『約束』の意味があるんだよ」

 

「へえ……」

 

「どう? お姉ちゃん物知りでしょ?」

 

「それぐらいで威張るなよ。今時スマホで調べれば誰だって一発で知れるだろ」

 

「むぅ。なによぉ。ショウちゃんはそもそも知らなかったじゃない。お姉ちゃんバカにする資格ありませーん」

 

 そう言って妙子は頬をプクリと膨らませて拗ねてしまった。

 一歳違いの姉がすごく年下の少女のように感じられた。

 思わず頬が緩みそうになるのを奨真はこらえた。

 

「ま、いい花言葉なんじゃない?」

 

 お詫びというには不適切な言動だが、奨真は拗ねる姉に一応のフォローをかけた。

 しかし、

 

「でもベタベタというか、ありふれてるよな」

 

 すぐに皮肉を飛ばしたくなるのも年齢的に避けられないことだった。

 弟のシニカルな態度に妙子は不満げな視線を送る。

 

「どうしてショウちゃんはそう捻くれてるのかなぁ」

 

「思春期なんだよ。察してくれよ姉貴」

 

「もう! その呼び方も捻くれてる! 『姉貴』じゃなくて昔みたいに『お姉ちゃん』って呼びなさい!」

 

「そう呼べないのも思春期なんだってば」

 

 15歳の少年としてはいつまでも姉を『ちゃん』づけで呼ぶのはやはり羞恥心が勝る。

 彼の中で妥協できた呼び方は『姉貴』だった。

 

「弟がすっかり反抗期だぁ。昔はあんなにかわいい甘えん坊だったのに」

 

「こんな歳になっても姉貴に甘えてたら気持ち悪いだろうが」

 

「お姉ちゃんはぜんぜん気にしないよ?」

 

「俺が気にするっつの」

 

「遠慮しない遠慮しない」

 

 そう言ってフニャリと破顔した妙子は両腕をいっぱいに広げた。「抱きしめてあげる」と告げる構えだ。

 小さい頃から妙子は弟を抱きしめることが好きだった。

 今もそうだ。

 

「あのなぁ……」

 

 もうそんなこと気軽にできる歳じゃないだろうと奨真は呆れた。

 妙子はまだ幼少時の気分が抜けていないのだろう。

 しかしお互い、カラダは立派に成長しているのだ。

 私服の上からでもわかる妙子の膨らみに視線が向く。

 視覚だけでも柔らかいとわかるたっぷりとした双丘。

 

「ほらほらおいで~♪」

 

 妙子が少し身を揺らしただけで、豊満過ぎる果実が波打つ。

 昔のように無邪気に飛び込めば、さぞ至福の感触に包まれることだろう。

 だが当然、奨真は飛び込まなかった。

 

「しないってば」

 

「むぅ。つれないなぁ~」

 

「そっちこそいい加減弟離れしろよ姉貴」

 

「また姉貴って言う~」

 

「もうガキじゃないんだ。そう呼びたいお年頃なんだよ」

 

 嘘だ。

 本当は『妙子』と名前で呼び捨てにしたかった。

 しかしその気持ちは必死に押し留めた。

 

 それは彼女の弟として、いろいろ間違っている。

 

「……けどさ、なんで急に花言葉知ってるかなんて聞いてきたのさ?」

 

 胸の内から込み上がるものを誤魔化すように奨真はそう尋ねた。

 

「ん……いや、ショウちゃんは知ってるのかなぁって思って」

 

「ふーん……」

 

 奨真は思う。

 もし知っていたら、彼女はどうするつもりだったのだろう。

 

「なあ姉貴」

 

「お・姉・ちゃ・ん」

 

「姉貴」

 

 呼び方を訂正させようとする妙子だったが、奨真は意気地に押し切った。

 言い聞かせるように。

 

「シロツメクサの花言葉ってその二つだけなのか?」

 

「え? どうして?」

 

「いや……花言葉ってひとつの花でもいっぱい意味があるじゃないか。だから他にもあるかなって……」

 

 奨真は妙子の反応をうかがった。

 いつもと変わらない『姉』としての表情。

 うーん、と記憶を漁る彼女に含むものは感じられない。

 

「あったと思うけど、忘れちゃった」

 

「……そう」

 

「むっ。今お姉ちゃんのこと『相変わらず頭悪い』って思ったでしょ?」

 

「自覚あんならバレーのことだけ考えるじゃなくて、もっと勉強がんばれって」

 

「バレーはお姉ちゃんの青春なの!」

 

「でも部員まともに集まってないんだろ? 大会出場できないじゃん」

 

「むぅ~! いつか集まるんだもん!」

 

「はいはい」

 

 姉弟らしい他愛ない口喧嘩をしながら奨真は思う。

 

 忘れていてくれてよかったと。

 もし知っていて聞いていたのなら、危うく気持ちが先走ってしまうところだった。

 

 シロツメクサの花言葉。

 知らないと言ったのは嘘だ。

 本当は知っている。妙子が忘れたという花言葉も含めて。

 妙子が好きだと言う花を知らないわけがない。

 だから妙子がシロツメクサに込められた言葉を尋ねたとき、奨真は困惑した。

 わかって聞いているのか? どういうつもりで聞いているんだ?

 冷静さを失いかけた。

 だから(とぼ)けた。

 そして妙子は知らないと言った。

 奨真は安堵した。

 一抹の口惜(くちお)しさもあったが、すぐに意識から振り払った。

 

 妙子が忘れたシロツメクサの花言葉。

 それは、

 

 

 

 ──『■を思って』『■のものになって』

 

 

 

 違う。

 妙子は別に深い意味で聞いたわけじゃない。

 思い上がるな。

 そして心を揺らすな。

 奨真は自分にそう言い聞かせた。

 

 彼女を『女性』として見てはいけない。

 それは自分の苗が『近藤』となり、彼女の『弟』になった瞬間から決まったことなのだから。

 

◇◆◇

 

 幼い頃の話だ。

 奨真は虐められっ子だった。

 その日もいつものようにクラスの素行の悪い連中から理不尽な暴力を受けていた。

 奨真は半ば無気力になっていた。

 痛くてしょうがなかったが、誰も自分を助けてなんてくれないからと諦めていた。

 子どもの彼は『社会的弱者』という言葉を知らなかった。しかし知識はなくとも、感覚で自分は『そういうものだ』と理解していた。

 大人たちがどちらを優先的に贔屓するのか、彼は経験で知っていた。

 この世は生まれた家で立場が決まる。

 そういうものなのだと、彼は幼くして残酷過ぎる真実に辿り着いていた。

 だからこれはしょうがないこと。

 助けてくれる神様なんていない。

 そう思っていた。

 しかし、

 

『やめなさい!』

 

 最初、目にしたのは白いバレーボール。

 まるで空から星が降ってきたようだと、幼い奨真は思った。

 投球が地面に直撃すると、凄まじい音を響かせた。

 一人の少年をよってたかって虐めていた連中はその音に竦み上がった。

 傷だらけの奨真は、次に少女の姿を目に納めた。

 とてもかわいらしい、お淑やかな雰囲気を持つ少女だった。

 捻くれ屋の悪童たちも、思わず心を奪われて見惚れるほどに。

 しかし少女の目には美しさとはまた別に、雄々しい正義心が宿っていた。

 それは奨真がいままで見たことのない、フィクションの中にしか存在しない悪を憎む目だった。

 

『虐めなんて最低だよ! 男の子らしくない!』

 

 いつも強気で傲慢な悪童たちは怯んだ。

 綺麗な少女に叱咤されたことが少年心に痛みを与えたのか、あるいは先ほどの投球に恐れをなしたか。

 どちらにせよ、自分たちよりも背の高い、そして肉体的にも精神的にも『強さ』を感じさせる少女を本能的に恐れていた。

 

『それ以上その子傷つけたら、許さないよ?』

 

 そのひと言がトドメになった。

 気づくと悪童たちは逃げていた。

 

『だいじょうぶ? ひどい、こんなになるまで……』

 

 少女は奨真に駆け寄り、そっと抱き起した。

 奨真は戸惑った。

 彼の人生で、今までこんなことをしてくれる人物はいなかった。

 

『お家はどこ? 送っていくよ。お母さんかお父さんに早く手当してもらわないと』

 

 しかし、少女のその言葉に奨真はまた意識を暗い淵に沈めた。

 

『……いないよ』

 

『え?』

 

『そんなのいないよ……』

 

 奨真は見知らぬ少女に自分の生い立ちを打ち明けた。

 自分が『ミナシゴ』と呼ばれる子どもだということ。

 虐められていた理由も『オヤナシ』で『シセツグラシ』だからだということも。

 少女にとってそれは無縁な世界の言葉だったのだろう。

 明らかに戸惑う様子を見せていた。

 しかしすぐに平静さを取り戻して、傷だらけの奨真をいたわった。

 

『……とりあえず、そこに帰ろう? ね? 怪我直さなくちゃ』

 

 帰りたくない、と奨真は言った。

 怪我をして帰っても、どうせまた適当に治療をされて叱られるだけだ。厄介事を持ち込むなと。

 奨真のいる施設は決して暖かい場所ではなかった。

 ほとんど義務的に、生活のためにいやいや働く職員しかいない、思いやりのかけた環境だった。

 奨真の態度から、子どもながら少女は何かを察したのかもしれない。

 少年の小さな手を優しく包み込んだ。

 

『……じゃあ、わたしの家に来る?』

 

 少女はそう尋ねた。

 

『……うん』

 

 自然と頷いていた。

 

 彼女に手を曳かれて、夕陽に染まる道を歩く。

 バレーボールでずっと練習をしていたのか、その手はとても熱かった。

 その温もりを手離したくないと彼は思った。

 少年の胸の中に、これまで経験したことのない気持ちが芽生えた。

 

『そうだ。自己紹介してなかったね。わたし、近藤妙子。君は?』

 

『……奨真』

 

『じゃあ、ショウちゃんだね。狭い家だけど、よかったらゆっくりしていって』

 

 そう言って微笑む妙子は、夕陽に負けないくらい輝いているように見えた。

 

◇◆◇

 

 それから奨真は妙子の家に招かれることが増えた。

 妙子が母親に事情を説明すると、快く受け入れてくれた。

 妙子の言うとおり決して広い家とは言えなかったが、奨真の心はとても安らいだ。

 その家で過ごす時間や、その家で食べる食事はとても暖かく感じられた。

 

『ショウちゃん。次はこれで遊ぼう?』

 

 妙子はよく奨真の面倒を見てくれた。

 弟のような存在ができて嬉しかったのだろう。

 奨真もまた、施設にいる陰湿な年上たちと違って、明るく優しい妙子に懐いていった。

 少しずつ、少年の表情に笑みが戻っていった。

 仲睦まじく遊ぶ子どもたちの影で、妙子の母は電話で施設と難しいやり取りをしていた。

 電話の内容は子どもでは理解できないものだったが、妙子の母の目には娘と同じ光が宿っていた。

 

 妙子の家にいると、幸せというものを感じることができた。

 ここが本当に自分の家ならいいのに。

 そう考えると、唐突に悲しくなって奨真は泣いた。

 

『だいじょうぶ。ショウちゃんは、何も心配いらないよ?』

 

 奨真がそうして泣き出すと、妙子はいつも胸の中に抱きしめて「よしよし」と慰めた。

 その頃はまだ小さな胸だったが、しかしたっぷりとした情を込めて奨真を包み込み、優しく頭を撫でてくれた。

 妙子の温もり、声、手つき、そして安心感を与えてくれる明るい笑顔。すべてが奨真は好きだった。

 

 奨真は自分が恋をしていることをやがて自覚した。

 好きという気持ちは、彼の心を穏やかにし、幸福で満たし、そして熱くさせた。

 大好き、といつも彼女に伝えるようになった。『わたしもだよ』と妙子も笑顔で応えてくれた。

 好きの意味は恐らくすれ違っている。

 でも構わなかった。

 妙子と過ごす時間が、少年にとっては掛け替えのないものだったから。

 一緒にいられればそれだけでいい。

 

 そして、その夢は叶えられた。

 

 気づくと、妙子の家は「お邪魔します」から「ただいま」を言う場所になった。

 大嫌いだった施設から離れることができた。

 

『今日からわたしは本当のお姉ちゃんだよ?』

 

 そう言って妙子は心から嬉しそうに弟の奨真を抱きしめた。

 奨真も喜んだ。

 願いは現実になった。

 ……けれど、叶えられなくなった夢もある。

 

 自分たちは姉弟になった。

 だから、姉に恋をしてはいけない。

 それは、おかしなことだから。いけないことだから。

 子どもながらに、そう思った。

 もしこの思いを打ち明けてしまったら自分たちはもう家族でいられなくなるかもしれない。

 この関係は壊してしまうかもしれない。

 それだけは、イヤだった。

 

 自分を迎えてくれる家がある。妙子の弟でいられる。

 それだけでもう充分過ぎる幸せだった。

 だから、それ以上は望んではいけない。

 

『ショウちゃん』

 

 自分の名を呼ぶ慈愛の込もった妙子の声。

 しかし、それは姉としての愛だ。

 思い違いをしてはいけない。

 この感情を伝えてはいけない。

 姉弟の絆を、壊したくないから。

 

 奨真はそうして、ずっと今も、義理の姉への恋心を隠し続けている。

 




 妙子ちゃんはいいぞ。


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②弟でいなくちゃいけないのに

 小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 奨真は微睡みから目を覚ます。

 

「……あれ?」

 

 いつも起きている寮部屋ではないことに彼は違和感を覚える。

 しかし見慣れた場所でもあった。

 

(……ああ、そっか。実家に帰ってるんだっけ)

 

 今は夏休みだ。

 長期休暇になったら、学園艦から実家に戻る。

 それが近藤家の約束事だった。

 

「起きるか」

 

 寝間着から部屋着に着替え、リビングに向かう。

 味噌汁のいい匂いが鼻腔を突く。実家だからこそ嗅げる匂い。

 胸がポカポカした。

 

「~♪」

 

 軽快なハミングがキッチンから聞こえてくる。

 小さい頃よく子守唄で聞いた優しい音色。

 心が穏やかになっていくのを感じる。

 キッチンでは、エプロンを着た妙子が鍋をかき混ぜていた。

 

「……」

 

 朝日を浴びて朝食の準備をする姉の姿に、奨真は思わず見惚れる。

 妙子と最後に会ったのは春頃だ。ほんの短い期間しか離れていなかったはずだが、どこか印象が変わったように思える。

 うまくは言えないが、なんだかひと回り大人に成長した。

 そんな気がした。

 

 清楚を体現したような妙子に、朝のキッチンというのは非常にマッチしていた。

 若奥さんという言葉が浮かんだ。

 そしてつい甘い連想をしてしまった。

 大人の女性に一歩足を踏み出したような艶のある表情で、しかし昔のように明るい笑顔で、『おはよう、あなた』と言ってくれる光景だ。

 

「あ、おはようショウちゃん♪」

 

 もちろん、現実ではこうだ。

 自分に向けてくれる妙子の笑顔は、未だにカラッとした無邪気なものだった。

 先ほど感じた印象は恐らく思い違いだろう。

 そして妙な想像をしてしまったことを、奨真は恥ずかしく思った。

 

「……おはよ」

 

 込み上がる羞恥をまだ眠気が取れていないフリをして誤魔化す。

 

「そろそろ起きる頃かなと思ってお味噌汁温めておいたよ?」

 

「サンキュ」

 

 仕事で多忙な母の代わりに弟の面倒を見てきた分、妙子はこういう面では本当に鋭い。

 奨真のことはすべてお見通しとばかりに、いつもタイミング良く気づいてくれる。

 

「まだおねむ?」

 

「少しな」

 

「けどもう9時だよ? お母さん寂しがってたよ。お仕事行く前に、一緒に朝ごはん食べれなくて」

 

「ああ、それは、ごめん……」

 

「早速、親孝行の機会逃しちゃったね?」

 

「帰ったら肩でも揉んであげるか」

 

「うん。喜ぶと思うよ」

 

 近藤家の家族構成は母と姉と弟の三人。

 二人の子どもが学園艦に通っている間、母は家に一人きりである。

 寂しい思いをさせてしまっていることは、姉の妙子と一緒に日々感じていることだ。

 だから長い休みは家族と過ごす時間を大事にする時期だった。

 母は女手ひとつで二人の子どもを養ってくれている。

 深く感謝している。

 特に奨真の感謝の度合いは計り知れない。

 彼の年頃ともなると、親孝行というのは照れくさくて避けるものだ。

 しかし奨真はその辺りに関して余念がない。

 

「顔洗っておいで」

 

「うん」

 

 妙子に言われ洗面所に向かうことにする。

 冷水を顔いっぱいに浴びて気分を変えようと思った。

 そうしないと妙子のエプロン姿を直視できない気がした。

 薄着の上からエプロンを着ているというだけで、途方もなく扇情的に感じられた。

 露わになっている健康的な二の腕や、ショートパンツから伸びるスラリとした美脚が目に眩しい。

 長年バレーボールによって鍛えられた肉体は美しいラインを描いており、引き締まるべきところはビックリするほどに引き締まっている。

 だと言うのに出るべき場所は暴力的な発育をしている。

 本人は大きすぎるヒップがコンプレックスらしいが、それが世の男性の目を引く武器になることは言うまでもない。

 

 そういう目で姉を見ていることに気づくと、奨真はまた自己嫌悪に陥った。

 純粋に妙子の美しさに惹かれるのならまだ辛うじて許容できるが、そこに思春期特有の青い、そして桃色の情欲が交じった途端、彼は己を叱咤する。

 

(去年まではこんなことぐらいで動揺したりしなかったんだけどな……)

 

 パシャパシャと冷水で洗顔しながら、奨真は修行僧のように煩悩を振り払う。

 年々、妙子に対してますます魅力を覚えてしまうのは、それだけ自分が『少年』から『男』として移ろい始めているからなのか。

 あるいは妙子自身に女性としての色香が加わり始めたからか。

 その両方かもしれない。

 

 手探りでタオルを取り、濡れた顔を拭く。

 気分共々サッパリした。これで不自然なく『弟の顔』に切り替えることができる。

 元の場所にタオルを戻そうとすると……15歳の少年にとっては目に毒なものが洗濯籠に入っていることに気づいてしまった。

 

「……っ」

 

 切り替えたはずの気持ちはまた複雑な色情に襲われる。

 籠の中にはかわいらしい柄の三角形、そしてそれと同じデザインの特注サイズの布が無防備に置かれていた。

 視力の高い奨真の目は、タグに表記されている『I』というアルファベットまで刻み付けてしまった。

 デザインとサイズからして、間違いなく妙子のだろう。

 

「はあ……」

 

 込み上がってくる激情を少年は呆れの溜め息と共に吐き出した。

 どうせ身内しかいない家だ。意識し過ぎる自分がおかしいのだ。

 だがそれでも年頃の少女ならば、ましてや乙女ならば、歳の近い弟がいる以上、少しぐらいは気を付けるべきではないかと奨真は思った。

 たとえ姉弟でも、そういうことを考えるべき年齢に自分たちはなったのだ。

 そのことを妙子に伝えるべきだろう。

 注意を促すこと自体は別におかしいことではないはずだ。

 わざとらしく荒い足音を立てて奨真はリビングに向かった。

 頭にちらつく、巨大な果実も包めそうな魅惑的な布は必死に意識から切り離した。

 

「おい姉貴。洗濯物だけどさ……」

 

 リビングのテーブルには奨真のために用意された朝食がホカホカと湯気を立てていた。

 そして妙子はソファに座りながら乾いた洗濯物……奨真のトランクスを畳んでいた。

 

「あ、ショウちゃん。洗濯物畳んでおいたから後で部屋に持って行ってね?」

 

 奪い去るように奨真はトランクスを妙子の手から抜き取った。

 

「それぐらい自分でやるっつの!」

 

「なに恥ずかしがってるの? 別に姉弟なんだからいいじゃない」

 

「気にしろよ少しは!」

 

 これは多分、洗濯籠のことを言っても「?」と首を傾げられるだけだろうと奨真は気落ちした。

 

(普通こういうのって逆じゃないのかよ……)

 

 まるで気にし過ぎている自分のほうがおかしいみたいではないか。

 奨真は煩雑な思いに駆られた。

 妙子が若干天然気味なのは、というよりも空気を読めないのは昔からのことだが、ここまで来ると男としても弟としても心配になる。

 今日ほど妙子の通う大洗が女子校で良かったと思ったことはない。

 彼女が多感な男子生徒に思わせぶりなことをして誤解させてしまう絵が容易に想像できた。

 そして面白くない想像に自分自身が腹立った。

 

「……もういい。飯食う。いただきます」

 

 苛立ちを発散するように焼け食い気味で白米を口の中に掻き込む。

 

「ゆっくり食べなさい」

 

 妙子が注意してくるが無視してオカズのハムエッグに箸を伸ばし、豪快に食らいつく。

 

「もう」

 

 聞き分けの悪い弟に呆れている様子だったが、それもすぐに笑顔に変わった。

 おいしいあまり夢中で食べているように見えたのだ。

 

「ふふ♪」

 

 洗濯物を畳み終えると、妙子は奨真の対面に座り、ガツガツと食べる様をにこにこと眺めた。

 

「おいしい?」

 

「……うまいよ」

 

「よかった♪」

 

 素直な感想を聞くと妙子はまた機嫌が良くなった。

 この家でよく口にするのは妙子の手作り料理だった。

 小学生の頃はずっと妙子が晩御飯を作ってくれていた。

 奨真にとって母の味は妙子の料理だった。

 久方ぶりに食べる妙子の手料理は否応なしに奨真の心を穏やかにした。

 

「そういえばショウちゃん。学園艦ではちゃんとご飯食べてる? いまだにコンビニのお弁当とかお惣菜で済ましたりしてない?」

 

「少しずつ覚えてるよ。この前はトンカツ揚げた」

 

「よろしい♪」

 

 そう言って妙子は奨真の口元に着いたご飯粒を指で取って口に入れた。

 ほぼ自然な動作で反応が遅れた。

 顔が赤くなるのを、奨真はアツアツの味噌汁を飲んでいるせいにした。

 

「そうだ。お姉ちゃん今日バレー部の皆と練習する約束があるから、お留守番よろしくね?」

 

「ん、了解」

 

 彼女が所属するバレー部(非公認)の面々は、妙子の家庭事情に理解を示してくれ、長期休暇になると一緒に帰省してくれるのだった。

 しかし根性をモットーにする彼女たちはもちろん帰省してもバレーの練習を欠かさない。

 キャプテン磯辺典子は大洗町、同級生の河西忍と佐々木あけびはひたちなか市と比較的近隣に住んでいるが、妙子だけ北茨城市の住まいのため少し距離がある。

 そのため陸で練習する場合は、ちょうど互いの住まいの間に位置する日立市にわざわざ電車で集まるのだった。

 陸のほうが練習場所を気兼ねなく確保できるため、学園艦よりも捗るという。

 本当によくやるな、と奨真は感心した。

 

「出かけたいなら出かけてもいいけど、鍵はちゃんとかけてね?」

 

「うん。でも今日は夏休みの課題に集中するよ」

 

「夏休みの課題……あーあー聞こえない聞こえない」

 

「今年は手伝わないからな」

 

 妙子がスポーツに情熱を燃やす一方、奨真は勉学に励んでいた。

 学費を無駄にしたくないという気持ちと、しっかりと学んで母に恩を返したい夢があるからだった。

 中高一貫の学園艦に通っているので受験の心配はないが、その分夏休みの課題は多い。

 休みの終わりに泣きわめく姉と違って、奨真は早めに終わらすタイプだった。

 

「バレーの練習もいいけどさ、ちゃんと計画的にやれよ?」

 

「わ、わかってるよ~。こほん……とにかくお昼ご飯は作り置きしてあるから食べたいときに食べてね?」

 

「おう」

 

 姉の威厳を取り戻すためか、妙子はやたらと「あーだこーだ」と弟に注意を呼び掛けた。

 段々と「歯はちゃんと磨くんだよ? 知らない人を家に上げちゃダメだよ?」と小さな子に言い聞かせるような内容になっていった。

 

「お姉ちゃんがいなくて寂しいかもしれないけど我慢してね? 泣いたりしないでね?」

 

「泣くかよ! 園児か俺は!」

 

 さすがに子ども扱いが過ぎるので奨真は顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「え~だって昔は『お姉ちゃん行っちゃやだ~!』ってよく泣きついてきたじゃない。かわいかったなぁ、あのときのショウちゃん♪」

 

「いつの話してんだよ、ったく……」

 

 確かにできれば妙子と二人きりで過ごしたい気持ちはあるが、だからと言って子どものように駄々をこねたりしない。

 しかし妙子の中では奨真はいまだにあの頃の小さな子どものままなのかもしれない。

 つまり男として意識されていない。

 そう考えると複雑だった。

 

「帰ったらいっぱいお姉ちゃんがお世話してあげるからね?」

 

 だからこのような発言も意味深いものではなく、単なる幼少時の延長に過ぎない。

 

「しなくていいから」

 

 つい浮かびそうになるふしだらな妄想を地平線の彼方に押しやって、奨真は素っ気なく言った。

 その態度は妙子にとっておもしろくなかったようで不満げに頬を膨らませた。

 

「むぅ~。お姉ちゃんにとって実家に帰ってきたときは弟のお世話をすることが楽しみなんだよ!?」

 

「初耳だよそんなの」

 

 確かに学園艦から帰ってくるたびスキンシップが過剰になっていくのを感じてはいた。

 弟と離れていて実は一番寂しい思いをしているのは妙子なのかもしれない。

 しかし、その成長した肉体で昔のように遠慮のないスキンシップをされるのは健康上よろしくない。

 妙子が気にしていなくとも、奨真は常時爆弾を抱えて生きているようなものなのだ。

 ふとした拍子で爆発でもしたら、姉の無垢な愛情を裏切りかねない。

 だからこそ抑制のため奨真は言う。

 

「あのさ、お互い恋人ができた時までそんなことしてたら恥ずかしいだろ?」

 

 そんなことは想像もしたくないが、彼女の弟として生きる以上、いずれは避けられないことだと思っている。

 妙子ほど魅力的な女性ならば引く手あまただろう。

 今のうちに覚悟は必要だ。

 

「だからさ、もういい加減弟離れを……」

 

「え? ショウちゃん、もしかして、恋人ができた、の?」

 

「はい?」

 

 妙子の様子がおかしいことに奨真は気づく。

 目の中の光が消えているように見えるのは、はたして錯覚か。

 

「姉貴? 何を言って……うわっ!」

 

 思いきり肩を掴まれる。

 華奢な手が出しているとは信じられない握力だった。

 

「誰!? いったいどんな子なの!? お姉ちゃんよりバレー強い人じゃないとお姉ちゃん認めませんよ!?」

 

「なんでバレー基準なんだよ!? イテテテッ!」

 

「いつのまにそんな人ができたのショウちゃん! お姉ちゃんに黙ってたの!? 許しませんよおお!!」

 

 グワングワンと揺らされる。

 食べていた朝食を戻してしまいそうだった。

 

「例え! 例えの話だって! いねーよ恋人なんて!」

 

 必死に説明するとパッと拘束が解かれた。

 勢い余って頭がテーブルに激突する。

 

「なぁんだビックリしたぁ♪」

 

 鬼気迫る態度は一気に霧散し、いつもどおりの、もしくはそれ以上のにこやかな笑顔を妙子は浮かべた。

 

「まぁでも当然か~♪ ショウちゃん女の子にモテなさそうだもんね♪」

 

 失礼な、とテーブルの上で奨真はプルプルと怒りに震えた。

 しかし事実なので否定できなかった。

 クラスメイトの女子曰く「近藤君って悪い人じゃないけど何考えてるかよくわからない」だそうだ。

 

「あっ! もうこんな時間だ! そろそろ準備しなきゃ。お姉ちゃん着替えてくるね~♪」

 

 やけに機嫌よさげに妙子は部屋に向かった。

 

「うう……」

 

 男子顔負けのパワーに揺すられて、目が回りそうだった。

 まさか妙子があんなに取り乱すとは思わなかった。

 もし本当に恋人ができたと言っていたらどうなっていたことか。

 

「……」

 

 ただ、あの反応が単に姉としての過保護なのか、それとも──自分と同じ感情から来るものなのか判別はつかなかった。

 弟の自分は前者だろうと溜め息を吐いた。

 男の自分は後者であって欲しいと期待した。

 

 自分の中で聞き入れたのは弟の声だった。

 

 こうして帰省して顔を合わすたび、妙子の過保護ぶりはエスカレートしていく。

 そしてまた自分も、ますますそんな彼女の虜になっていく。

 

 けれど、いつかは終止符を打たなくてはいけない。

 この思いは家族としてとても歪なものだ。

 

 思うところはあれど、奨真はこの家の暮らしが好きだ。

 先ほどの妙子とのやり取りも、些細なものだとしても奨真にとっては掛け替えのないものだ。

 あの日、妙子に助けてもらえなかったら、今も自分はあの暗く冷たい施設で心が磨り減っていたかもしれないのだから。

 今でも充分、幸せだ。

 だからこそ『男』の自分に言い聞かせる。

 もうこれ以上、妙子を女性として意識してはいけない。

 せめて家にいる間だけは、弟としての顔を……

 

 

「ショウ~ちゃん」

 

 むにゅり、と信じられないほどに弾力性に富んだ感触が背中に広がる。

 ついで首周りに絡む細腕。

 艶のいい髪が頬に当たる。

 シャンプーのいい匂い。

 そして大好きな人の大好きな香り。

 

「ぎゅ~っ。弟分補給~」

 

 体操着に着替え、トレードマークのハチマキを結んだ妙子に抱きしめられていた。

 至福の心地がカラダいっぱいに広がっていく。

 

「さっきはモテないだなんてひどいこと言ってゴメンね?」

 

 軽はずみで失言したことを気にしているらしかった。

 お詫びとばかりにギュッと抱擁してくる。

 凶悪な膨らみがますます背中に押し潰れた。

 意識が混濁していく。

 

「でもね?」

 

 追い打ちをかけるように、妙子は耳元に唇を近づける。

 甘い吐息が耳穴にフッと当たる。

 

「お姉ちゃんだけには、ショウちゃんモテモテさんなんだよ?」

 

 そう言って妙子は昔よくしてくれたように、頬に柔らかなものを当てた。

 

「よし! 気合い入った! これで練習がんばれるよ! 行ってきます!」

 

「……」

 

 奨真はまたテーブルに突っ伏した。

 元気よく家を出ていく姉に「行ってらっしゃい」と言う気力も湧かなかった。

 まだ自分は寝ていて夢を見ているのではないかと思った。

 しかしカラダに焼き付いた妙子の豊満な肉体の感触はまぎれもない現実だ。

 

 姉に恋をしてはいけない。

 妙子を女性として見てはいけない。

 そう決めたというのに……

 

「挫けそうだよ、お姉ちゃん……」

 

 つい幼い頃の呼び名を呟いて、奨真はしばらく悶々とした。

 

 夏休みの課題にはちっとも手がつかなかった。

 

 



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③自慢の弟です!

 軽快なラブコメにしたいのに前の二話がシリアスすぎた。
 なのでここから、少なくとも中間の話まではコメディタッチ強めを意識していく予定です。


 少女たちの気合いの込もった声が夏の空いっぱいに響き渡る。

 

「もう一本! みんな真夏の暑さに負けず根性出していこう!」

 

「はい! キャプテン!」

 

 そーれ! と快活なかけ声と同時に、凄まじいスパイクが海辺の空き地にはじけ飛んだ。

 大洗女子学園バレー部の四人は今日も部活動再開の日を夢見て練習に明け暮れていた。

 夏の日差しの中でも彼女たちの満ち満ち溢れる運動エネルギーは尽きる様子を見せない。

 

「それそれそれ~~!」

 

 練習の勢いはさらに増していく。

 そんな彼女たちの練習風景を通行人たちが興味深そうに眺めていた。

 

「すげーなー。なんかのパフォーマンスあれ?」

 

「なんかバレーボールっぽいことしてるけど、まさかね~」

 

 少女たちの常識外れの運動能力は傍目から見ると、ほぼ超人が繰り広げる曲芸染みていて、誰もバレーの練習をしていると認識できなかった。

 

 バレー部になぜ部員希望者が増えないのか。

 超人少女たちは未だその真相に気づかない。

 

◇◆◇

 

「よし! みんなそろそろお昼にしよう!」

 

「は~い♪」

 

「お腹すいたぁ」

 

 身体を動かし続ければ当然、腹は減る。

 各々持参した弁当を屋外テーブルに広げた。

 四人とも女子が食べるにしては結構な量である。

 弁当箱のメニューも全員似通っていた。

 夏バテ防止の生姜焼きのお肉に王道の卵焼き、からあげのお肉におにぎりや竜田揚げのお肉と野菜の煮つけ、ソーセージのお肉とサンドイッチになんとも贅沢な牛ステーキのお肉と新鮮なフルーツ。

 そして、みんな大好きハンバーグのお肉。

 半ばお肉だった。

 

「カラダを動かした後のお弁当はやっぱり格別ですねキャプテン♪」

 

 おっとりした雰囲気と明るい金髪が特徴的な佐々木あけびはご機嫌にサンドイッチをはむはむと食べる。

 子どものように無邪気な笑顔に反して、そのボディはとてもグラマラスだ。

 

「わざわざお弁当用意して遠出するのもいいですね。ピクニックみたいで」

 

 アタッカーの河西忍は汗を拭きながら水筒の麦茶をグイッと飲んだ。

 凛々しい見た目に似合ういい飲みっぷりだった。

 そしてその肉体はボーイッシュな雰囲気にふさわしい慎ましやかなものだった。

 

「はむはむ! 長い休みこそ思いきり練習する時! 陸にいる間もこうして欠かさず集まって練習をしよう皆! むぐむぐ!」

 

 キャプテンの磯辺典子はガツガツと肉を食べながら、改めてチームに気合いを入れさせた。

 その小さな身体にはリーダーとしての貫禄がいっぱいに詰まっている。

 自然と後輩たちの士気を上げる張りのある声だった。

 

「はぁ……」

 

 しかしその日はただ一人、キャプテンの活入れに影響されず浮かない顔をしながら食事をする後輩がいた。

 セッターにして部のエースの近藤妙子である。

 

「どうしたの妙子ちゃん? 溜め息なんかついて」

 

「今朝も少し元気なかったけど、何かあったの?」

 

「そうだぞ近藤。今日はらしくない動きが目立っていたし、体調が悪いなら無理せず言うんだぞ?」

 

 妙子にいつもの明るさがないことで、チームメイトが心配する。

 

「みんな……ううん、体調は別に悪くないんだけど……」

 

「じゃあ何か悩みとか?」

 

「うん……そんな感じかな」

 

 妙子はますます元気を失くす。

 前向きな彼女がここまで落ち込むのは珍しい。

 悩みがあっても表面に出さず、笑顔で乗り切るのが妙子という少女だ。

 これは余ほど辛いことがあったに違いない。

 三人はさらに心配した。

 

「近藤、悩みがあるなら言ってくれ。チームメイトの悩みはチーム全員で解決するべきものだ。じゃないとチームワークが乱れる」

 

「そうだよ妙子ちゃん。よかったら話してみて?」

 

「力になれるかはわからないけど、話だけなら聞くわよ?」

 

「みんな……」

 

 仲間の優しさに妙子はじーんと瞳を感動の涙で濡らす。

 

「うん、じゃあ話すね。実は……」

 

「実は?」

 

 三人はゴクリと唾を飲み込んで妙子の言葉を待つ。

 

「実は……かわいい弟が反抗期なんです!」

 

「……へ?」

 

 妙子の告白に三人はしばし呆然とする。

 てっきり重い悩みだと身構えていたのだが、聞いてみると思わず拍子抜けしてしまうような内容だった。「え? そんなこと?」と。

 

「え~と、近藤の弟って確かひとつ違いの?」

 

「はい! 自慢の弟ですキャプテン!」

 

「その自慢の弟が反抗期なの?」

 

「そうなの忍ちゃん!」

 

「どんな感じに?」

 

「お姉ちゃんに優しくしてくれないの! ひどいと思わないあけびちゃん!?」

 

 妙子以外の面々は顔を合せた。

 さて、どう反応したものかなコレと。

 しかし悩みを聞くと言った以上、覆すわけにもいかない。

 ただでさえ人数の少ないバレー部の間で不和を起こすのは好ましくない。

 

「うぅ~。ショウちゃんなんであんなに素っ気なくなっちゃったのかなぁ。昔はとっても素直なお姉ちゃんっ子だったのに」

 

 しょぼんと落ち込む妙子に聞こえないように、三人は耳打ちをする。

 

「ねえ、近藤ってすごい弟好きなんだっけ?」

 

「ええ。普段からしょっちゅう弟さんの自慢話とかしてますね」

 

「なるほど。確かそういうの何て言うんだっけ? ブ、ブ、ブラ……ブラジャーコンプリート?」

 

「ブラザーコンプレックスですよキャプテン」

 

 妙子が物凄いブラコンということは学園の間でわりと知れ渡っていることだ。

 家族思いと言えば聞こえはいいが、妙子の場合そういった領域を越えた深い愛情を匂わせる。

 小さい頃から母親の代わりに弟の面倒を見ていたという話は聞いている。

 その特殊な家庭事情が妙子を過剰な家族愛に駆り立てているのか。

 あるいはそれだけ妙子の弟が我を忘れるほどに魅力的ということなのか。

 実際に会ったことはないのでその辺は聞いてみる他ない。

 

 三人はとりあえず話だけでも伺うことにした。

 もしかしたら本当に深刻なレベルの反抗期かもしれない。

 だとしたらチームメイトとして、そして友人としてチカラにならねばなるまい。

 

「優しくしてくれなくなったって言うけど、それって冷たくなったってこと?」

 

「もしかして悪い同級生とつるんで不良になっちゃったとか?」

 

「学園の窓割って回ったり、盗んだバイクで走り出すの?」

 

「ウチの弟はそんな子じゃありません!」

 

 あとセンス古い! と妙子は激怒した。

 滅多に感情的にならない妙子がわりと本気で怒ったことでチームメイトは反射的に「すみません」と頭を下げた。

 とりあえずグレたというわけではないらしい。

 で、あるならば、この場合は妙子が大げさに悩んでいるということになる。

 

「弟さんってもう15歳でしょ? そのぐらいの歳の男の子なら、いつまでもお姉ちゃんにベッタリなのは『さすがに恥ずかしい』って考えると思うけど」

 

「むぅ。忍ちゃん、ショウちゃんとおんなじこと言う」

 

 妙子的に受け入れがたい意見だったのか、ジト目で忍を睨む。

 いやそんなに不貞腐られても、と忍は困惑の汗をかいた。

 男兄弟のいない忍にはよくわからなかったが、少なくとも15歳の時期というのは男女問わず「一人前になりたい」という自立心や「自分は凄い」と根拠のない万能感をいだく。

 忍もその頃は親に甘えたり、姉に頼り切るのは恥ずかしいと感じていたものだ。

 

「そういえばキャプテンにはお兄さんがいましたよね? お兄さんが15歳の頃って家族に素っ気ない感じでしたか?」

 

「ふむ」

 

 忍が尋ねると典子は腕を組んで記憶を思い起こし始めた。

 

「確かにその頃はなんか冷たい感じだったかなぁ」

 

「やっぱり」

 

「あたしが話しかけても『寄るな。我が右腕に宿りし暗黒邪竜がお前を喰らいかねない』とか『これより暗黒邪竜のダークネスエナジーを封じ込める儀式に入る。決して黒き闇の結界に近寄らぬことだ、血を分けし我が妹よ』とかワケのわからないこと言って部屋に入れてくれなかったしなぁ」

 

「あの、キャプテン、それは……」

 

 俗に言う『他人とは違う俺カッコイイ病』ではなかろうか。

 

「妙子ちゃんの弟くんもそんなこと言うの?」

 

「ううん。そんな恥ずかしいことショウちゃん言ったりしないよ~」

 

 恥ずかしいとか言われちゃったよキャプテンのお兄さん、と忍は内心で同情した。

 

「まあでも、しばらくするとまた普通に話すようになったし、近藤の弟くんも時期が来れば素直になるんじゃない?」

 

「そうでしょうか……」

 

「うん。むしろ今は逆にあたしにベッタリでうざったいくらいだもん。昔の話持ち出すと『ヤメロォ!』って悶えるからそこは楽しいけど」

 

 やめてあげてくださいよーと忍はますますキャプテンの兄に同情を深めた。

 

「キャプテン。わたしは今ベッタリして欲しいんです。というか四六時中ベタベタしていたいんです」

 

 こりゃ重症だ、と忍は妙子の闇の深さを思い知った。

 こうなってくると、その弟がどんな人物像なのか気になってくる。

 

「弟さんってどんな子なの?」

 

 よく日常会話で「弟はかわいい」「弟はかっこいい」「弟は天使」「弟は小悪魔」といった類の惚気は耳にタコができるほど聞いてはいるものの、溺愛による過剰装飾の話題ではどんな少年なのか特定できそうにない。

 

「写真があるよ。見る?」

 

 弟について尋ねられたことで機嫌を良くした妙子はノリノリでスマートフォンの画面をタッチする。

 

「これがショウちゃんだよ!」

 

 画面上の写真に三人の目線が向く。

 自宅のソファーで小難しそうな本を読んでいる少年が映っていた。

 そこそこ整った顔立ちをした中性的な少年。

 なるほど、確かに愛着が湧きそうな人相ではある。

 しかし、明日にはどんな顔をしていたか思い出せなくなるような、無個性な顔でもあった。

 良くも悪くも『普通』という感じだ。

 忍はそんな感想をいだいた。

 

「わぁ、弟くんかわいい~♪」

 

 一方、あけびにとっては好みのタイプだったのか、丸い瞳にキラキラと星のような光が瞬いた。

 妙子が「でしょ~?」と盟友を見つけたように喜ぶ。

 普段から何かと気の合う二人だったが、似た感性を持っているのかもしれない。

 

「そして表情別バージョン!」

 

 変なスイッチが入った妙子はそのまま写真をスライドさせる。

 二枚目の写真には、顔を真っ赤にして慌てふためく少年が映っていた。「なに勝手に撮ってんだよ!」という声が聞こえてきそうだ。

 あ、これは確かにかわいいと忍もつい思った。

 女性の嗜虐心を煽るような反応だ。

 もし一緒に育ったりしたら、妙子ほどではないとは言え、必要以上にからかってやりたくなっていたかもしれない。

 

「や~ん、弟くんカワイイ~♪」

 

「でしょ~!」

 

 あけびに至っては愛らしい小動物を見たときのようにたるんだ表情を浮かべている。

 妙子はますます得意げになった。

 

「ショウちゃん写真映るのが苦手でね、集合写真のときとかもこんな感じにカチカチになっちゃうの。カワイイでしょう~♪」

 

「カワイイ!」

 

 趣味が似通った二人はますます盛り上がる。

 

「あんまりカワイイ反応するもんだから、こうしてやりました!」

 

 三枚目の写真は、妙子が蕩けた顔で弟を抱きしめている所を自撮りしたものだった。

 ボリュームたっぷりの乳房に弟の顔が完全に埋もれてしまっている。

 うわーすごいなー。オッパイで人の顔って隠れるんだー、参ったなーと忍はサスサスと意味もなく自分の胸に手をスライドさせた。

 表情は笑っているが、瞳は虚ろだった。

 

「いいな~。わたしも弟がいたらこんなスキンシップしてみたいかも~」

 

「えへへ。ショウちゃんはとっても抱き心地がいいんだよあけびちゃん?」

 

 左様ですか、と忍は半ばどうでもいいように聞き流した。

 特大果実に包まれた弟の表情は伺えないが、リンゴ色になった耳から何を思っているかはだいたい察せられる。

 まー嬉しいだろう。たとえ相手が身内でも男の子ならこんなサイズに抱かれたら誰だって……。

 

「けっ。男なんてどいつもこいつも。けっ」

 

「し、忍ちゃん?」

 

「な、なんで急にヤサグレテるの?」

 

 とつぜん人が変わったように荒みだした忍を心配する発育の暴力二名。

 ちょっと身動きを取っただけで「たわわ」に波打つ四つのビッグサイズ。

 忍は彼女たちと同級生である。

 ……同級生なのである。

 

「ふん、わからないわよ。持っている者に持たざる者の気持ちなんて……」

 

 せめてもの誇りを守るため、忍は泣き顔を逸らし、敗北の涙を必死に飲み込んだ。

 

「ほうほう、弟くん結構ガッチリした身体してるね。バレー向きに鍛えられたいい筋肉だ」

 

 一方、典子は容姿よりも身体つきに興味を示していた。

 確かに、童顔に見合わぬ筋肉質なボディをしていることが私服の上からでもわかる。

 これは普段から鍛えているタイプの筋肉だ。

 

「弟さん何かスポーツやってるの?」

 

「ううん。帰宅部だよ。でも学園艦の設備にトレーニングルームがあるみたいでそこで鍛えてるんだって。『健全なる魂は健全なる肉体に宿るから』って」

 

 それは感心だ。

 スポーツ少女である彼女たちは瞬く間に妙子の弟に対して好印象をいだいた。

 

「けど勿体なぁ。せっかくいい身体してるのに何も部活動してないなんて」

 

 典子の発言に忍とあけびは同意した。

 鍛えた肉体というのは、実戦の競技で使って初めて爽快感を得られるというのに。

 

「……部活に入ると、いろいろ費用がかかるからって言って所属してないんです。お母さんは『気にするな』って言ってるんですけど、どうもそういうところ気にする子で」

 

 妙子は少し寂しげな苦笑を浮かべて答えた。

 そういう話を聞くと少女たちは黙るしかなかった。

 妙子の家庭状況が自分たちの家庭と異なることを考えれば、安易なことを口にできるはずもない。

 

「わたしが『何でもいいから部活入ってみたら?』って言っても『俺のことはいいからそっちはバレーに集中しなよ』ってはぐらかしちゃうんです。頑固なんですよねホント」

 

 忍はなんとなく思った。

 弟の少年は姉にバレーを続けて欲しいがために、自分の経済的負担をできるだけ減らそうとしているのではないかと。

 もしそうなら、なんと健気なことか。

 

「弟くん、いい子……」

 

 あけびも同じことを察したのか、ホロリとドラマチックな涙をひと粒流した。

 

 話だけ聞けば、妙子の弟は不器用ではあるが姉思いの少年だということがわかってくる。

 素っ気ない態度はやはり年頃特有のもので、その胸の内では家族に対する優しさが満ちているはずである。

 

 いい弟さんじゃないの。

 と忍は指摘しようと思ったが、妙子はあくまでも不満げな態度を崩さない。

 身内からすれば、自分を押し殺して遠慮されるのは悲しいのだろう。

 確かに、水臭いと思わなくもない。

 

「わたしとしてはもっと弟のワガママを聞いてあげたいの。そりゃ確かにいい子でいてくれるのは嬉しいことだけど──でも家族なんだから」

 

 妙子のそのひと言には、なにやら言い表せない重みが感じられた。

 

「お母さんだって『もっと子どもらしく駄々こねればいいのに』って言うぐらいだし、やっぱり最近よそよそしい気がするんだ。寂しいよ、そういうのは……」

 

 ここでようやく妙子の悩みの本質を理解したチームメイト。

 なるほど。いくら家族に対する温情があるからと言って心の距離があるのは切ない。

 妙子の弟は良かれと思ってそうしているのかもしれない。

 しかし、そんな若い内から自己犠牲的なことをしていると思うと見る側はいたたまれないに気持ちになる。

 赤の他人である自分たちですらそう感じるのだから。

 最初は「そんな悩み?」と思ったが、今では妙子の深刻な顔を見ていると同情の気持ちが湧いてくる。

 仲間として、友人としてその悩みを解決させたいと思えてくる。

 

「わたし思うんだ。やっぱり弟はお姉ちゃんに堂々と『大好き♪』って言いながら思いきり甘えるべきだって!」

 

「いや、それはどうかな」

 

 湧いた同情も一瞬、忍は冷静に妙子の発言を否定した。

 仲の良い姉弟は確かに微笑ましいものだが、ものには限度がある。

 15歳になっても姉にベッタリな男というのは、いかに容姿や内面が優れていてもさすがに引いてしまう。

 

「近藤の気持ちはよくわかった!」

 

「弟くんともっと仲良くなれるよう、わたしたち協力するよ!」

 

「あれ~?」

 

 しかし典子とあけびは近藤家の姉弟仲を憂いているようで、その関係性を修復しようと奮起していた。

 妙子の状況を切ないホームドラマのように思ったのかもしれない。

 

「キャプテン! あけびちゃん!」

 

 そして二人の言葉で瞳を感動的に濡らす妙子。

 三人の間で交差する絆と友情。

 

 やだ、わたし蚊帳の外じゃんと忍は寂しくなった。

 

「……わたしも力になるからね!」

 

「ありがとう忍ちゃん!」

 

 仲間外れはイヤなので忍も話に加わることにした。

 バレー部はいつだって心がひとつでなくてはならない。

 

「そうと決まれば作戦会議だ! どうすれば近藤の弟くんが素直になれるか皆で話し合おう!」

 

 キャプテンの典子がそう宣言すると後輩たちはいつものように「おー!」と腕を高らかに上げた。

 もうこうなったらノリと勢いである。

 

「というわけで、弟くんのこともっと教えてくれる?」

 

「例えば弟くんって何が好きなの?」

 

「そんなのお姉ちゃんに決まってるよ!」

 

「いやいや、そこは趣味とか好物の食べ物とかの話でしょ」

 

 好きなものが姉オンリーならばそもそも妙子が頭を悩ませているはずがない。

 

「ふぅむ、お姉ちゃん以外で好きなものか……」

 

 まるで「姉以外の好みなどオマケ」とでも言わんばかりなことを口にして、妙子は腕を組み「うんうん」と頭を左右にひねる。

 そうするたび腕で寄せ上げられた果実も左右に揺れる。

 忍は意味もなく自分の胸を左右にさすった。

 二の腕まで届きやしない。

 

「好きな食べ物はコロッケかな。わたしが揚げた挽肉入りのコロッケとか喜んで食べるんだぁ♪」

 

「なるほど。じゃあ今晩たくさん作ってあげればきっと嬉しくなって……」

 

「いやー実はですねキャプテン。実家に帰ってから毎晩出してあげているんですけど『さすがに飽きた』って昨日言われたところなんですよ♪」

 

「そりゃそうでしょ」

 

 たまに食べるからこそ好物は輝くように見えるのだ。

 食べ物は却下。

 

「じゃあ趣味とかは?」

 

「えーと、あまり話してくれないけど、確か音楽鑑賞だったかな。『動画サイトでいくらでも聞けるからコストがかからない』って言ってしょっちゅう聞いてるよ」

 

 音楽鑑賞と読書は無趣味の範囲という意見もあるが、突き詰めていけばそれも立派な趣味だ。

 

「じゃあCDとかプレゼントしたら喜ぶんじゃない?」

 

「そうしてあげたいけど……でもどんなのが好きなのか知らないんだあ」

 

「音楽って言ってもいろいろジャンルあるしねー」

 

 若い子ならば流行りのJ-POPが安定と思われるが、しかし中には静かなクラシックや渋いジャズなどを好む者もいる。

 一概にこれがいいだろうとは決められない。

 

「確か……ぷろぐれ? の、クリムゾン? っていうのが好きだったと思うけど、よくわからないんだよね」

 

「ぷろぐれ? キャプテンは知ってます?」

 

「かいもくけんとうもつかない!」

 

「わたしも知らないかな」

 

 調べれば詳細はわかるだろうが、それでもそのジャンルの中から「これだ!」と思う一枚を探すのは難しいだろう。

 となると趣味で責める作戦も却下だ。

 早くも手立てがなくなった。

 

「うーん。我が弟ながらなんて無個性な子なんだろう」

 

「容赦ないわねお姉ちゃん」

 

 しかし妙子の言うとおり、印象深く残る特徴を感じられないのも事実。

 悪い子ではないと思うが、親しくなるには難がありそうだ。

 というのが今のところ忍がいだく妙子の弟に対するイメージだった。

 

「う~んと……あっ! もうひとつ好きなものがあったよ!」

 

「なに?」

 

「オッパイ!」

 

「は?」

 

 晴れやかな笑顔でとんでもないことをのたまうオッパイの持ち主。

 

「小さい頃一緒にお風呂入ってるときとかもよく触らせてあげると元気になったし、一緒に寝るときもオッパイで抱きしめてあげるとスヤスヤ眠ったし、部屋に隠してるエッチな本もそういうのばっかりだったし!」

 

「けっ! 男なんてどいつもこいつも……けっ!」

 

「忍ちゃん、ドウドウ」

 

 ナチュラルに弟の恥ずかしい過去を暴露する妙子の横で、忍は再び荒んだ。

 あけびが嗜めてくるが、彼女の爆弾レベルのサイズを見ると余計惨めになって泣いた。

 

「それだ近藤!」

 

「え?」

 

「その昔してあげたことを今してあげるんだ!」

 

「ええ~!?」

 

 典子が口にしたアドバイスを聞いて妙子は顔を赤くして驚いた。

 いや、いくらなんでもそれはどうだろうと忍も動揺した。

 

「キャ、キャプテン。で、でもこの歳になって弟と一緒にお風呂に入るのはさすがに恥ずかしいです……」

 

 その辺は妙子もちゃんと羞恥心があるようだった。忍は安心した。

 

「身体にタオル巻くか水着を着ないと恥ずかしくてできません!」

 

 一緒に入ること自体に抵抗はないのかと忍は結局呆れた。

 やはりどこかズレた感性を持つ妙子に典子は立て続けに言う。

 

「だが近藤。人間誰しも、小さい頃のことを思い出せば懐かしい気持ちになって自然と心が穏やかになる!」

 

「はっ! た、確かに!」

 

「恥ずかしい気持ちはわかる。だがそれだけのことをしなければ弟くんの心を開くなんてできないんじゃないのか?」

 

「キャ、キャプテン」

 

「勇気を出すんだ近藤! 恥ずかしさを乗り越えた先には、きっと弟くんとの絆を取り戻した未来がある!」

 

「勇気を出せば……」

 

「あとは根性だ!」

 

「根性ォー!」

 

 お馴染みの言葉が火種になったのか、妙子の目に迷いはなくなっていた。

 

「そっか。今でも充分愛情は届いていると思っていたけど……まだ足りなかったんだね!」

 

 ゴゴゴと妙子の背後で気合いの炎が燃える。

 

「ありがとうございますキャプテン! 心の距離をなくすなら、まずお姉ちゃんのわたしが心の壁をなくさないといけなかったんですね! そのことに気づけました!」

 

「がんばれ近藤! 今のお前なら何も恐れるものはない!」

 

「はい! これまでスキンシップは結構控えめにしていたんですけど、これからはもう遠慮なく弟に全力でアタックしていきます!」

 

 今でも控えめだったというのか。忍は末恐ろしさを覚えた。

 

「見ててください! 必ずや弟との絆を取り戻してみせます!」

 

「その意気だ近藤!」

 

「応援するからね妙子ちゃん!」

 

 うおー! と士気を高揚させる妙子、典子、あけびたちの影で忍は完全に冷めていた。

 もう勝手にやってくれという具合に。

 これから妙子の弟はさらに過剰になった姉の溺愛ぶりに苦労することになるだろう。

 だが同情など湧かない。

 忍の中で妙子の弟はすでに『巨乳好きの女の敵』になっていたからだ。

 

「ふんだ。デカければいいってもんじゃないのよ。デカければいいってもんじゃ……うぅぅ」

 

 大丈夫、きっとまだ成長の余地はあると自分を励ましながら、忍は膝を抱えた。

 妙子やあけびと違って、膝が胸に埋没することはなかった。

 



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④告白できない理由はちゃんとある

 前回コメディ調にしていくと宣言したな。
 スマンできんかった。
 でも次回はラブコメ全開の予定です。一応。


 妙子への思いに、決して嘘偽りはない。

 

 本気で恋をしている。

 姉としても、女性としても、愛をいだいている。

 妙子以上に美人な女性に出会っても、その心が変わることはなかったし、恐らくこの先も変わることはない。

 奨真にとっての『女性』とは、妙子しかいないのだ。

 

 それでも彼はその熱情を打ち明けることを恐れる。

 たとえ血の繋がらない姉弟だとしても、『家族』という確固として目に見える関係性が彼を縛り続ける。

 

 もしも彼の悩みを偶然知り、尚且つ理解のある、情に厚い人物がいたとしたらこう言うかもしれない。

 

『本気で好きなら姉弟とか関係ないだろ! お前の思いはそんなものなのか!? 世間の目なんて気にしてんじゃねーよ! 男を見せろよ! もっと熱くなれよ!』

 

 最後がなぜ松岡修○なのかはさておき、奨真の態度はそう指摘されてもおかしくはない臆病風に吹かれている有り様である。

 奨真自身もそう思っていた。

 上記のセリフはほとんど自分に対して向けられた、もう一人の声である。

 

 勇気がないのは承知だ。

 世間の目を気にし過ぎているのもまた承知だ。

 情けないのは、自分自身が一番感じている。

 だが、そう自覚していても奨真は言う。

 

 思いを告げることだけが正しいことなのか、と。

 

 兄弟姉妹の禁断の恋。

 その手の恋愛ものは世の中にいくらでも溢れている。

 それこそ古今東西と、大昔からずっと語り継がれてきた、物語を読む人間ならば何度か目を通してきたテーマのはずだ。

 

 そして人々は知っている。その手の物語のだいたいの内容、話の筋というものを。

 

 血の繋がった近親、あるいは義理のどちらかだとしても、家族として暮らしてきた二人が互いに異性として意識することに、多くの場合葛藤し、悩み、そしてすれ違う。

 もうそんなのお腹いっぱいだよ、と飽きるほど見てきたはずだ。

 

 そしてまたこうも思う。

 どうせ最後には「世間の目なんて関係ない! お前を愛しているんだ!」とか言って結局は結ばれるんだろ? はいはいお約束。

 と冷めた感性で禁断の恋の末路を見届ける。

 

 そこに感動を覚えるかは物語の出来次第だろう。

 それほどまでに手垢のついたテーマであることには違いない。

 恋愛ものの題材として選ぶには、いかんせん古臭すぎる。

 

 しかし、それはあくまでフィクションとして見るからこそ軽く扱えるものだ。

 もし現実に、自分がその立場になったとしたら……

 

 

 ──これほど厄介な恋は他にない。

 

 

 この世の中で、近親同士で本気の愛をいだいている男女がどれほどいるだろう。

 義理の家族になった男女がやがて異性として意識しだして、最終的に結ばれるというケースが、実際にあるだろうか。

 

 すべてはフィクションの中での話だ。

 

 フィクションでなければ成立しない話だからこそ、現実でそんな恋が本当に成立した際には……

 待ち受けているのは無遠慮な好機の視線だ。

 

 血の葛藤や世間体のしがらみを乗り越え、結ばれた男女。

 美談だ。

 だが現実にその美談を祝福してくれる存在が何人いることだろう。

 理解を示してくれる優しき心がいくつあることだろう。

 

 奨真は知っている。

 そんな都合のいい話は、それこそフィクションの中にしか存在しないと。

 

 考えすぎじゃないのか。

 少し後ろ向きすぎやしないか。

 もっと人を信じられないのか。

 そんな言葉が脳裏を掠める。

 もちろん奨真だってそう信じたい。この世は優しさと温情で満ちていると。

 

 だがそれ以前に、彼は『社会の闇』をその身で知り過ぎた。

 底辺の底辺というものを孤児時代に痛いほどに味わってしまった。

 この世にどれだけ優しい人物がいたとしても、それに比例して歪んだ人間も存在する。

 それだけは、どうあっても覆せない真実だ。

 平穏の日々の裏で、吐き気を催す邪悪は今もどこかで悪事を働いている。

 

 奨真は知っている。

 その手の連中はどこまでも、人の弱みに付け込み、踏み込んではならない領域を侵食し、嬲り罵倒し、意地汚く付け回す。

 弱者相手なら、いくらやっても許される、とでも言うように。

 他人を苦しめることでしか快楽を得られない、救いようのない腐った魂。

 そんな人間は世の中にいくらでもいる。

 どんなに願っても、そういった人種が潰えることはない。

 

 そんな人種の蔓延る底辺から救い出されてからは、奨真の人生は光に満ち溢れている。

 暖かい家庭がある。

 気さくに遊べる学友たちがいる。

 いざというとき力になってくれる、信頼し合った仲間もいる。

 孤児だった自分がこれほどの幸せを得られたのは、まさに奇跡と言えよう。

 

 だからこそ、ときどき怖くなる。

 いつか、その幸せを壊そうとする悪意がやってくるかもしれない。

 そういうことが、ふと起こる。

 なんの前触れもなく姿を現す。

 今ある幸せを根こそぎ奪い、また自分を腐敗に満ちた深淵に引きずり落とそうとするかもしれない。

 そう考えると、怖くてしょうがなくなる。

 

 身体を鍛えるようになったのは、そんな怖さを埋めるためだ。

 いざ本当に排除すべき悪が自分たちに牙を剥いたとき、それを撃退できるだけの力を身に着けておきたかった。

 

 妙子を守れるだけの強さが欲しかった。

 

 ……告白を躊躇う一番の理由。

 最愛の女性をもしかしたら、そんな悪意の標的にしてしまうかもしれない。

 

 仮に妙子にこの思いを打ち明けたとしよう。

 妙子が受け入れてくれたとしよう。「わたしもあなたが異性として好きだよ」と。

 これほど幸せなことはない。

 

 ……では、その後は?

 本当にその幸せは続くのだろうか。

 それこそ、物語のように『いつまでも幸せに暮らしましたとさ』が実現するとでも言うのか。

 

 断言する。

 それは絶対にありえない。

 必ずどこかで、愛を育む幸福の隙間から、障害は生ずるだろう。

 そのとき、はたして自分はその障害から妙子を守れるのか。

 

 愛する人のためなら奨真は死力を尽くすだろう。

 何ものだろうとこの幸せを壊させはしまいと息巻くだろう。

 確信がある。

 それは今もいだいている決意だ。

 

 ……しかし、妙子の心が耐えられるとは限らない。

 

 奨真が最も恐れるのは、妙子が不幸になることだ。

 それも、自分の手によって、自分のせいで、不幸に陥れてしまうことだ。

 

 妙子は優しい女性だ。

 それは奨真が一番知っている。

 そして同時に弟に甘い。

 弟の言うことなら大抵は受け入れてしまう。

 弟からの愛の告白さえも、「拒んでしまったら可哀相だ」という姉としての温情で受け入れてしまうかもしれない。

 その結果、彼女は延々と『義理の弟と結ばれた女性』としてのレッテルを貼られ、好機の視線に曝されるかもしれないのだ。

 いかに隠し通そうとしても、思いもしない所から噂というのは生ずるものだ。

 そして噂はいつだって、過剰な装飾をされて無責任に飛び交うものである。

 

 絶対の平穏。絶対の幸福。

 そんなものは、たとえ神だろうと約束できるものではない。

 

 妙子に告白することは、そういったリスクを背負うということだ。

 妙子が大事だからこそ、誰よりも愛しているからこそ、考えなければならない最悪のケース。

 

『心配ない。そんなことは決して起こらないさ。きっと周りは祝福してくれるさ』

 

 などという甘い考えは決して許されない究極の選択。

 

 奨真は所詮、一介の学生でしかない。

 世界の運命を変える救世主でもなければ、巨大な悪を滅ぼすヒーローでもない。

 義理の姉に恋をしてしまった、ただの少年だ。

 できることは、限られている。己の限界を、弁えないといけない。己の器を、理解しなければならない。

 無責任な行動をして、妙子を苦しめることなどできない。

 

 だから彼は今日も堪える。

 今すぐにでも伝えたいこの思いを、胸の内に閉じ込める。

 

 最愛の女性の弟でいられる、この掛け替えのない『幸福』を守るために。

 

「……ふぅ」

 

 一曲聞き終えたところで奨真はイヤホンを外す。

 意識が暗い淵に沈み込んだとき、彼は音楽の世界に没頭する。

 聞く曲はいつもプログレッシブ・ロックだ。

 ヒーリング効果のある曲で心を癒すよりも、奨真はそういう荒唐無稽で挑戦的な曲を好んだ。

 想像もつかない、先の読めない曲を聞いているうちに、意識は音楽そのものに向いていく。

 未知の世界に自分も沈んでいきたいと思う。

 彼の頭の中は今、完全にロック一色だった。

 

「~♪」

 

 エアギターを弾きながら口笛を吹く。

 奨真が最も好きなバンドのファーストアルバム。その一曲目。

 プログレ界に激震をもたらした、まさにプログレの代表曲。

 初めて聞いたときの衝撃は忘れられない。

 こういう音楽もあっていいのか、と。

 そう感じたとき奨真は『心だけは自由でもいいんだ』と無条件で信じることができた。

 

「……」

 

 そう、心だけが自由でいいのならば、このまま妙子を思い続けることも自由でいいはずだ。

 その気持ちを明かさない限りは、それは奨真だけの問題だ。

 

 再び口笛を吹く。タイトルでもある歌詞の部分には、特に力を入れる。

 鬱屈したものをすべて吐き出すように。

 

 以前、妙子に「なんでもいいから部活に入ってみたら?」と言われた。

 そのときは、うまくはぐらかした。

 もちろん、奨真にもやりたい部活はあった。

 それは彼の口笛とエアギターが証明している。

 ただ何となく、妙子に「()()()()」と思われたくなかったのだ。

 そして何よりも、かかるであろう莫大な費用のことを考えると、安易に口にできなかった。

 できることなら、お世話になっているこの家でワガママは言いたくない。

 

「……いろいろ機材集めるとなると、バカにならないだろうからな」

 

 そう思っていても、友人からお古の教本を譲ってもらってコードを一通り覚えた辺り、我ながら未練がましいと感じる。

 

(……高校に進学したら、アルバイト漬けの生活だな)

 

 そう奨真は決めた。

 そして間違いなく遠慮されるだろうが、可能な限り家に資金を入れ、少しでも母の助けになりたい。

 それだけのことをしても返せないほどの恩を、奨真は受けているのだから。

 当然のことだと思った。

 

 ……そして、できる限り早く独り立ちをして、妙子の傍を離れたかった。

 

 もちろん恋した相手と会えなくなるのは辛い。

 いつまでも妙子と一緒にいたい。その笑顔を見ていたい。

 だがその気持ちに反することをしなければ、いつ自分の感情が暴走するかわからない。

 今日だって危うく先走りかけたのだ。

 妙子の柔らかな身体に抱きしめられて、フェロモンたっぷりの芳香を嗅いで、『男』が目覚めかけた。

 

 ……いや、そもそも実家に帰ってきてからというもの、ずっとそうだ。

 年々、肥大化していく妙子への思い。

 自分ですら怖いと感じる途方もない熱情。

 

 抑えられるだろうか。

 本当に一生、明かさないままこの思いを胸に秘められるだろうか。

 

 本当に怖いのは、そうしてだんだんと『少年』から『男』になっていく自分自身かもしれない。

 男の理性など、あてにならないものだ。

 ちょっとした拍子で、状況次第で、欲する女を求める。

 それも清い慈愛からではなく、爛れた欲望で。

 

 そんな愛し方は嫌いだ。

 穢らわしいとすら思う。

 妙子を思う気持ちは、あくまでまっさらで、綺麗で純粋なままであってほしい。

 

 そう思っているが……しかし保障などできない。

 もし仮に──本当に仮に、自分ではなく妙子のほうから告白をしてきたとしたら。

 

『大好きだよ』

 

 そう思いを告げられたら、今度こそ『男』の自分は我慢が効かなくなるかもしれない。

 最後の砦を崩されるかもしれない。

 

 最も……

 

「そんなこと、あるわけないけど」

 

 自嘲気味にそう思っていると、玄関の扉が開く音が聞こえる。

 慌ただしい足音から母ではないと判断する。

 どうやら妙子がバレーの練習から帰ってきたようだ。

 

 窓を見るといつのまにか夕暮れになっていた。

 随分長い間、ロックに没頭していたらしい。

 

「風呂沸いてるって伝えてくるか」

 

 猛暑の中での練習で汗まみれになっただろう妙子に、風呂を勧めるため部屋を出ようとする。

 しかし、向こうから奨真の自室にやってくるらしき足音が聞こえる。

 何をそんなに慌てているのか。

 まさに疾走と言わんばかりの足音であった。

 

「おい姉貴、近所迷惑だろ。そんなにドタドタ走るなって……」

 

 扉越しに注意を呼びかける前に、バタンッと勢いよく奨真の部屋に入ってくる体操服の妙子。

 やけに真剣な瞳で、気合いの込もった顔つきに奨真はたじろいだ。

 

「な、なんだよ。どうしたんだ姉貴?」

 

「ショウちゃん!」

 

「お、おう」

 

「大好きだよ!」

 

「……は?」

 

 

 

 

 奨真の頭の中で緊急警報が鳴る。

 

 危惧していたことが現実になりやがった。理性やべー。

 と。

 



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⑤ずっと昔から片思いしている義理の姉になんと告白された

 ずっと昔から片思いしている義理の姉になんと告白された。

 

 今どきのライトノベルのタイトルで普通にありそうだな、と奨真は思った。

 ちなみに彼の好きなラノベは『まあ、いいじゃん』の後書きで有名なあの名作である。

 図書館にあったものを偶然読み、ものの見事に嵌まった。

 プログレを聞くようになったきっかけだったりする。

 

 ともあれ……

 

 ずっと夢見ていたことが突然に現実となった。

 なんと自分たちは両想いだった。

 

 いろいろ葛藤はあったが、今は嬉しさが心を満たしている。

 しがらみに縛られていた熱情は瞬く間に決意に彩られる。

 

 妙子も同じ気持ちなら、もう迷うことはない。

 いろいろ障害はあるだろうが、きっと乗り越えてみせる。

 手と手を取り合って同じ人生を歩んでいこう。

 

 これぞまさにハッピーエンド。

 

 短い間でしたが、ご愛読ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……なんてご都合的なことがあってたまるか)

 

 奨真はすぐに冷静になった。

 

 いくらなんでも唐突過ぎる。

 今日もいつもと代わり映えのない日常だった。

 そこから愛の告白という衝撃的展開に繋がる要素がどこにあるだろうか。

 

 断言。

 まったくない。

 

 バレーの練習で何があったか知らないが、恐らく奨真が期待しているようなことを言っているわけではないだろう。

 

 奨真は正気に戻った。

 

「帰ってくるなり何を言っとるんだ」

 

 ただいまも言わず、開口一番「大好き」などと言う姉に対して出てきたのはそんなツッコミだった。

 冷却された喜びは、急速に呆れに変わっていた。

 そんな澄ました顔をした弟に、妙子は、

 

「言葉どおりだよ!」

 

 と意気込んだ顔つきを変えずに言う。

 一瞬ドキリと、淡い期待感が懲りずに少年の中で芽生える。

 冷ましたはずの熱がまた温度を上げていく。

 言葉どおり。ということは本当に……

 

「『弟が大切』って気持ちを直球で伝えているんだよ!」

 

「……」

 

 またもや冷めていく熱情。

 今度は氷よりも尚寒々しく、吹雪すら起きそうなほど冷え冷えと。

 

 うん、そうだと思ったよ。

 わかっていながら少しでも「もしかしたら」と甘い希望をいだいた自分を奨真は恥じた。

 

「大好きだからねショウちゃん!」

 

「はいはい……」

 

 ときめくことを言われても、奨真の心はもう動じなかった。

 所詮それは『弟としての好き』であり、含むものは一切ない。

 

「いつまでも大好きだからね!?」

 

「わかったわかった。ありがとよ」

 

 もはや適当に流す。

 言われれば言われるほど、恋する少年としては虚しくなる。

 

「ショウちゃんがどんなに悪い子になっても、世界の敵になったとしても、お姉ちゃんだけは絶対に味方だからね!?」

 

「いや、最初のはともかく世界の敵になるレベルってどんだけ悪いことしてんだよ俺」

 

 ブギーでポップな自動的存在と会わせたいとでも言うのか。

 

「本当に悪い人になっちゃってもお姉ちゃんは信じ続けるからね! 絶対に優しい子に戻ってくれるって!」

 

「悪い人になる前提みたいなこと言うな」

 

「絶対に絶対に見捨てたりしないからね!?」

 

「もういいっつの! 念押しすぎて逆に不安になってきたよ!」

 

「不安なの!? お姉ちゃんがギュッてして安心させてあげよっか!?」

 

「汗臭いからヤダよ」

 

 真夏の中で相当な練習をしたのだろう、今は乾いているが、妙子の体操着にはたっぷりと汗が含まれている。

 口ではそう言う奨真だったが、しかし本当にイヤというわけではない。

 妙子の汗なら別に気にしない。

 むしろ女性フェロモンをたっぷり含んだその状態で抱きしめられたら、抑えが効かなくなってしまいそうだ。

 もちろんそんな変態染みたことを堂々と言えるわけがないので、素っ気ない言葉で妙子を制した。

 

「うわあああん! やっぱり反抗期だよおおおお!!」

 

 弟のその言葉は女の子の妙子には相当ショックだったのか、幼児のように泣きだした。

 そのまま「うえーん」と涙を流しながら奨真の部屋を去っていった。

 

「……なんなんだよ、いったい」

 

 あまりにも突拍子もないことを連発する姉に奨真はただ困惑した。

 おかげで泣かせてしまった罪悪感もまるで湧かない。

 

「お~い、風呂沸いてるからさっさと入れよ~」

 

 とりあえず、そう声だけかけておいた。

 

「入るうううう!」

 

 一応向こう側から返事はきた。

 

 家族として暮らし始めてから随分経つが、いまだによくわからないところがあるなと奨真は思った。

 

 とりあえず妙子が入浴している間に課題を済ますことにした。

 結局昼間は悶々として進まなかったのだ。

 

「ショウちゃん……」

 

 机に向かおうとすると、また妙子は奨真の部屋にやってきて、ひょこっと顔を出した。

 なぜか異様に顔が赤い。

 発育良好の身体をモジモジとさせている。

 

「まだ何か用か?」

 

 奨真が尋ねると、妙子は意を決したように頷いてから真剣な目でこう言った。

 

「……お風呂、一緒に入る?」

 

「入れるか!」

 

「うわあああん! 反抗期だあああ!」

 

 顔を真っ赤にして断ると妙子はまた泣き出して部屋を去っていった。

 

「中学に上がるギリギリまで一緒に入ってたくせにいいい!」

 

「言うなソレを!」

 

 身内以外には絶対秘密にしておきたい事実をさり気なく暴露する妙子に怒号を飛ばす。

 

 違う。あの頃はまだ無邪気だったのだ。別に下心があったわけじゃない。妙子だって嫌がるどころかノリノリで入ってあんなところやこんなところを洗ってくれ……

 

「……はぁ。もう、なんなんだよ本当に」

 

 バクバクと鳴る心臓を抑える。

 バレーの練習で何があったかは知らないが、いくらなんでも挙動不審すぎる。

 

「何考えてんだ、この歳で一緒に風呂って……」

 

 口にした途端、妙子と一緒に入浴する光景がついつい浮かんだ。

 小学時代に拝んだ、中学生とは思えない妙子の見事なプロポーションは今でも鮮明に頭の中で思い描け……

 

「ふんっ!」

 

 頭を机に思いきり叩きつけた。

 

「弟は姉にやましい気持ちをいだかない」

 

 言い聞かせるように呟く。

 これもラノベのタイトルっぽいなと思いつつ、そのまま奨真は煩悩を打ち消すため何度も頭を机に叩きつけた。

 

 結局、また課題には集中できなかった。

 

◇◆◇

 

 湯船の中で妙子は溜め息を吐く。

 

「うぅ。キャプテン。第一の作戦は失敗です……」

 

 どうやって反抗的な弟を昔のように素直にできるか。

 そのことをバレー部のチームメイトに相談し、そして貰ったアドバイスを妙子は早速実行していた。

 

 まずは尊敬するキャプテンのアドバイス。

 

『とにかくストレートに素直な気持ちをぶつけるんだ! それが一番弟くんの心に響くはず! あとは根性次第だ!』

 

 言われたとおり根性全開で心から思っている気持ちを伝えたが、弟の奨真はこれを軽くスルー。

 昔なら『好きだよ』と言ってあげるたび花咲くように喜んだというのに。

 

「えへへ……」

 

 愛らしい幼少時の奨真を思い出すと、妙子の顔はゆるゆると緩んだ。

 

 しかし今の奨真が向けてきたのは『何言ってんのコイツ?』と言わんばかりの何とも冷めた澄まし顔。

 妙子はまたズーンと落ち込んだ。

 

「うぅ。思春期の男の子はとっても強敵です」

 

 正直な気持ちをぶつけても心に届かないとは。

 しばらく離れている内に弟の心の壁はいったいどれだけ高くなってしまったのだろう。

 

 それでも奨真が完全に冷たくなったわけではないと妙子は信じた。

 こうしてわざわざ姉のために風呂を沸かしてくれたことがその証拠である。

 しかもお湯の温度は妙子の好みに調整してくれていた。

 

「ふぅ~湯加減ちょうどいいよ。さすがショウちゃん」

 

 練習の疲れが一気に溶けていくようだ。

 

 奨真は直接言わなかったが、心地いい湯船に浸かっていると「練習お疲れ様」と言われているような気がした。

 

「ふふ」

 

 思わずほくそ笑んだ。

 

 奨真は昔のように素直に甘えてくることはなくなった。

 しかし、その優しさと思いやりの心は今も消えていない。

 

「不器用だなぁ」

 

 照れ屋で恥ずかしがりで、見えないところで誰かのために行動している。

 そういうところは本当に子どもの頃から変わらない。

 いつまでもあの頃のように、正直な子でいればいいのに。

 妙子は過ぎ行く時間を切なく思った。

 

(……でも)

 

 妙子は自分の裸体に視線を落とす。

 もう子どもとは言えない身体つき。

 それは、弟の奨真も同じ。

 

 先ほど混浴に誘ったとは言え、一緒に入ることを恥ずかしいと思う辺り、確実に自分たちは大人になっていっている。

 無邪気に一緒に入れる歳ではなくなった。

 

(ショウちゃんも、いつまでも子どもじゃない、か……)

 

 弟を未だに幼児のように愛でる妙子。

 そんな彼女に、同級生の忍は冷静に指摘した。

 

『男の子ってそんな風に子ども扱いされるのは嫌がるものじゃないかしら? 弟さんだって成長してるんだから、いつまでもお姉ちゃんに面倒ばかり見てもらうのは辛いんじゃない?』

 

 言われてみれば、その通りなのかもしれない。

 しかし妙子にとって、そういう関係は何年経っても不変だと思っていた。

 

 確かに、奨真は少年から立派な青年に育っていっている。

 かわいい弟から、逞しい弟になっていく。

 それでも妙子にとっては、変わらず面倒を見てあげたくなる存在なのだ。

 

 何がいけないのだろう。

 この先もずっと『弟』を大切にすることは、そんなに悪いことか。

 

「……」

 

 湯船の中に身体を沈ませる。

 頭ごと湯に浸かる。

 水中の音に耳を澄ましながら、妙子は考える。

 

 

 ──いつまでも、昔のままでいちゃいけないのかな?

 

 

 自分の手を弱々しく握る手。

 

 傷つき、光を失った瞳。

 

 救いを求めるか細い泣き声。

 

 

『ぼくは、ここに……本当にここにいて、いいの?』

 

 当たり前だ。

 自分がいる限り、あの子にはあんな──あんな酷い目には、二度と遭わせない。

 

(だからこそ、わたしは……)

 

 

 

 

「ぷはっ」

 

 湯船から顔を出し、呼吸をする。

 難しいことを考えるのは苦手だ。

 それよりも自分の心に従ったほうが、物事はいつだって上手くいった。

 あの日もそうだった。

 だからこそ、今の奨真との日常があるのだ。

 

 大丈夫。

 今は捻くれている弟だが、きっとまた昔のように仲睦まじく触れ合えるだろう。

 まだ試していないアドバイスもある。

 きっと弟の心を開いてみせよう。

 

「根性だぞ~お姉ちゃん」

 

 そう言って自分を励ました。

 姉弟はいつまでも仲良く。それが妙子の理想だ。

 

 家族なのにすれ違う。

 それほど、悲しいことはないから。

 

「今晩の夕食は何にしようかな~?」

 

 力を抜いて、湯に身体を預けながら献立を考える。

 自分の手作り料理を食べて機嫌をよくする弟の顔を想像すると、妙子も嬉しくなる。

 その笑顔のためなら、どんなことだってしてあげたいと思う。

 

 見れば見るほど、胸がポカポカと温かくなる。

 

「……む」

 

 そしてその胸はプカプカと湯船から浮き上がってきた。

 手で覆いきれないふたつの膨らみを、妙子は忌々しげに抑える。

 

「なんか、また大きくなってる気がする……」

 

 小四になってから急激に膨らみ始めたソレは、いまだに成長を止める様子を見せない。

 

「こんなのバレーの邪魔になるだけなんだけどなぁ……」

 

 困った顔を浮かべながら、妙子はプカ~っと浮かぶ巨峰を手で包み続けた。

 

 弟が昔のように素直なままでいて欲しいのと同じく、胸も昔のようにペッタンコのままでいいのに。

 妙子は切にそう思った。

 

◇◆◇

 

 ──同時刻、河西邸にて……

 

「ちょ、ちょっと、どうしたの忍ちゃん? いきなり壁なんか殴って」

 

「なぜか無性に腹が立ったのよ姉さん。何かしらねこの怒り……」

 

 




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⑥姉弟の絆取り戻す作戦です!

 バレー部以外のキャラも出さないといけないかな、と思う今日この頃。


 入浴を済ました妙子は夕飯の準備に取りかかった。

 

 その間も彼女の頭の中にあるのは、ツンケンになった弟とどう和解するか。そればかりだった。

 

 キャプテンの典子が提案したアタック作戦は失敗に終わったので、次はあけびのアドバイスを実行することにした。

 

『自分のことあまり話さない子なんだったら、よく観察して何がイヤで嬉しいのか見抜いたらどうかな?』

 

 なるほど、一理ある。

 口で言ってくれないのなら、普段の生活態度から弟の望んでいることを探ればいいのだ。

 

 バレーだって相手の目や動作を観察して次の行動を予測する。

 洞察眼ならば多少の自信はある。

 

 調理をしつつ、妙子はチラチラとキッチン越しから愛弟の様子を伺った。

 

 奨真は今ソファに座ってテレビを見ている。

 番組の内容はこんなものだった。

 

 

 

 親子がカレーライスを前に食卓を囲んでいる。

 両親は箸で食べているが、子どもは食べる様子がない。

 

『どうしたの? ちゃんと食べなさい』

 

『だって箸なんかじゃ食べられないよ!』

 

『どうして箸じゃ食べられないの? お父さんもお母さんもちゃんと食べてるわよ』

 

『箸なんかじゃ食べられないよ!』

 

 子どもが叫んで近くの机の下に隠れる。

 

『どうしてそんなわがまま言うの! みんなお箸で食べてるでしょ!』

 

 父親も怒り出す。

 

『そうだぞ、わがまま言わないでちゃんと食え!』

 

『(泣きながら)お箸なんかじゃ食べられないもん!』

 

 そこでナレーターが深刻な顔をして現れる。

 

『親の言うことに理由なく反発する……これが、反抗期です』

 

 

「いやいや、箸でカレーライス食えとか強要する親いたら誰だって反抗するわ」

 

 番組の内容に奨真が呆れ顔で突っ込みを入れる。

 

 妙子は思う。

 さすが我が弟。テレビの内容を盲目に信じず冷静な刃を突き入れるその姿勢。

 かっこいい。

 

 そして番組を見て妙子も考える。

 

 反抗すること。そこにはやはり相応の理由があり、何かしら不満をいだいているということ。

 ならば奨真も自分に対して何か不満をいだいているのだろうか。

 もしあるのならば、改善せねばなるまい。

 カレーライスを箸で食えと強要するような愚かな(というかおかしい)人間にならないためにも。

 

「ショウちゃん、うちではカレーライス、スプーンで食べていいんだからね?」

 

「許可するまでもなくそれが普通じゃないかな」

 

 素っ気なくもちゃんと返事をしてくれる愛弟。

 ちょっとだけホッコリした。

 

 その後も観察を続ける。

 

「ごちそうさま」

 

「お粗末様♪」

 

 食事を終えて手を合わす弟に妙子は機嫌良く笑みを返す。

 どんな献立でも妙子が作ったものなら奨真はいつも残さず食べてくれる。

 好き嫌いせず何でも食べようとする弟の頭を、妙子は「えらいえらい」と撫でようとした。

 

「……ハッ!」

 

 しかし無意識に伸びた手を妙子は瞬時に止める。

 男の子は子ども扱いされるのを嫌う。忍に言われたことを思い出したのだ。

 

 つい習慣で未だに小さな頃のように弟をかわいがってしまうが、それが反抗の原因かもしれないではないか。

 これまでの妙子なら「えーそんなことないよー」と不満を口にするところだ。

 しかし忍の客観的意見から行き過ぎた愛情表現も時には重みになってしまうのかもしれないということを、妙子はようやく学習しつつあった。

 しかし、それでも……

 

(撫でてあげたい!)

 

 やってはいけないと警告する理性。

 一方で「弟を全力で愛でたい」という姉としての激情の間で妙子は葛藤した。

 

 ああ、愛しい弟を撫でられないなんて、こんなに辛いことはあるまい。

 

「……さっきから何してんだ?」

 

 腕を伸ばしたままプルプルと硬直する不審な姉に奨真が話しかける。

 

「お姉ちゃんは今、必死に自分と闘っているんだよショウちゃん」

 

 目をバッテンのようにして「うぐにゅう~」と唸る妙子。

 

「よくわからないけど……がんばって?」

 

「ありがとうショウちゃん」

 

 理解せずともエールを送ってくれる優しき弟。

 思い切り抱きしめてあげたい。

 しかし我慢である。

 

「そ、そうだ。何か飲み物淹れようかショウちゃん」

 

「うん。頂こうかな」

 

 気を紛らわすため、妙子はキッチンに向かう。

 

 奨真は食後に温かい飲み物を飲むことを好む。

 暑い夏でも関係なく、おいしそうに飲む。

 

 ここで奨真の喜ぶ飲み物を淹れてあげれば、和やかな空気を作ることができるかもしれない。

 問題は奨真が何を飲みたいかだ。

 その日の気分によって、奨真は飲みたいものが変わる。

 コーヒーは苦手のはずだったので除外。

 なので緑茶か紅茶のどちらかだ。

 

 奨真の表情をジッと観察し、飲みたいものが何か推測する。

 今こそ姉としての本領を発揮するとき。

 夫が「あれ」と言ったときに欲しいものを瞬時に察することのできる良妻賢母のように、弟の望むものを見事当ててみせようではないか。

 

(……うん、きっと紅茶だ!)

 

 直感でそう妙子は判断。

 さっそくお湯を沸かし、紅茶の茶葉を用意する。

 ティーパックではなく、しっかりとしたブランドのものである。

 しかも聖グロリアーナからお裾分けで頂いた超がつく高級品だ。

 戦車道全国大会優勝以降、よく送ってくれるのである。

 

(ふふん。紅茶淹れることに関しては少し自信があるのですよ~)

 

 宴会でダージリンの物真似を披露する際、妙子は演技に迫真性を持たせるため紅茶の淹れ方も密かに習得していた。

 やってみるとこれがなかなか奥深くおもしろい。

 いつのまにか紅茶を愛飲するほどに嵌まっていた。

 彼女の淹れる紅茶は女子寮に住む生徒たちの間でわりと好評だ。

 

「……うん、上出来!」

 

 納得のいく出来になったところでティーカップに注ぐ。

 芳醇な香りと美しい紅色がなんとも上品である。

 

「はいショウちゃん、紅茶だよ」

 

「うん、サンキュ」

 

 受け取った紅茶を奨真はひと口。

 ドキドキしながら反応を伺う妙子。

 

「お、うまいなこの紅茶」

 

「でしょ~!」

 

 味を褒められたことで妙子は上機嫌になる。

 

「すごいな。いつのまにこんなに紅茶淹れるのうまくなったんだ?」

 

「えっへん! お姉ちゃんね、学園にいる間『じょせいとしてのさほう』をしっかり覚えてきたんだよ!」

 

 立派な胸を()()()と張って姉としての威厳を誇示する。

 姉の意外な一面を見たことで奨真は素直に感心しているようだった。

 これはなかなか好感触。

 そのまま奨真が「へえ~お姉ちゃんすごい! 大好き(唐突)!」と言ってくれるんじゃないかと期待し、妙子は今にも空に羽ばたけそうな気持ちになった。

 

「へえ~すごいじゃん。……でも淹れてもらって悪いけど正直コーヒーが飲みたい気分だったんだよね」

 

「ずこ~っ!」

 

 弾んだ心は一気に墜落した。

 

「ショウちゃんコーヒー飲めなかったんじゃないの!?」

 

「まあそうだったんだけどさ。友達と入った喫茶店で試しに飲んだのが思いのほかおいしくてさ。それで嵌まっちゃった」

 

「どんなコーヒー!?」

 

「トールモカチョコレートソースココアパウダーカプチーノとかショートアイスチョコレートオランジュモカエクストラホイップエクストラソースとか。あれは絶品だった」

 

「……」

 

 弟が未知の呪文を唱え始めた。

 会わない間に弟が遠い存在になっている。

 

「というか……」

 

 それ以前に妙子にとって驚くことが一点あった。

 

「ショウちゃん友達いたの!?」

 

「驚くところそこかよ! いるよ普通に!」

 

「だってあの人見知りのショウちゃんが……あっ! もしかして『ケーンージーくん』ってハットリくんのお面を被ったあの……」

 

「その『ともだち』じゃねーよ! 弟をなんだと思ってるんだよ!」

 

「うぅ……」

 

 まさかの思わぬ弟の一面に妙子はたじろいだ。

 友達がいたことにも驚きだが、いつのまにかコーヒーが飲めるお年頃になっていたとは。

 

「知らない間に大人になっていたんだねショウちゃん……」

 

「コーヒーぐらいで大げさだな」

 

「お姉ちゃんを差し置いて一歩大人の階段を昇っちゃったんだね……」

 

「なんか誤解招きそうだからやめてその言い方」

 

 妙子は寂しい気持ちになった。

 そして悔しくなった。

 弟に関して知らないことなど、ひとつもないという自信があったからだ。

 最もお互い学園艦に通って一定期間離れる以上、さすがに知り得ない部分も発生するだろう。

 それは承知の上だ。

 だからといって、こうも露骨に既知の差が浮き彫りになってくるとやるせない気持ちになってくる。

 このままでは、どんどん弟との心の距離は離れていくばかりだ。

 

 言葉なしでも弟の望んでいることを見抜く?

 まことに悔しいがどうもできそうになかった。

 というよりも、辛抱たまらなかった。

 

「ショウちゃん……教えて」

 

「え?」

 

「学園艦でどんなことしてるのか全部教えて!」

 

「なんで!?」

 

「だってだって~!」

 

 まるで駄々っ子のように妙子は涙目でぶんぶんと腕を振る。立派な胸も盛大に揺れる。

 

「ショウちゃんのことで知らないことがあるのはイヤなんだも~ん!」

 

「なんだそりゃ……」

 

 最初の意気込みはどこへやら。

 洞察眼への自信などかなぐり捨てて、妙子は直球で奨真の明かされない一面を探ろうとする。

 

「いいから教えて! 全部包み隠さずだよ!? 朝何時に起きて朝ご飯は何を食べるのかとか登校する時間帯とかその際に会う友達はどんな子なのか昼休みはどう過ごすのか放課後は何してから帰るのかまさかとは思うけど女の子と会ったりしているなら一部始終その子のとの出来事を子細に懇切丁寧に一切合切聞かせなさい!!」

 

「こえーよ! 普段絶対に使わないような難しい言葉使ってるのが余計にこえーよ! なんでそんな細かいことまで話さなきゃなんないのさ!」

 

「お姉ちゃんには知る権利がある!」

 

「あるわけねーだろ!」

 

「お姉ちゃんの学園生活のことも教えてあげるから! それでおあいこでしょ! えーとね! 朝はまずバレーの練習に行って終わった後にシャワー浴びるの! 最初に洗う身体の場所はまずオ……」

 

「やめんか! 聞きたかないわそんな情報!」

 

「なんでさ!? お姉ちゃんのこと嫌いなの!?」

 

「ああもう! いちいち抱きつくなっ!」

 

 悲しさのあまり弟に思いきり抱きつく妙子。

 我慢していた分、ぎゅうっと強烈なハグをお見舞いする。

 

「ちょっ! ちから強っ……離せって!」

 

「いやあああ離さないいいい!」

 

 もはや号泣の勢いで妙子は奨真を抱きしめる。

 

 バレーで鍛えられた超人級の腕力が奨真の肉体を締め付け、その間で巨大な肉球が押し潰れる。

 物理的にも精神的にも危うい状況に奨真は激しく動揺した。

 

「お、おい。マジ苦しいから離してって……」

 

「ショウちゃあああん! お姉ちゃんのこと嫌いになっちゃイヤアアア! 昔みたいに『大好き』って言ってえええ!」

 

「いい加減にしろこの天然娘ェェェ!!」

 

 複雑な意味で顔を真っ赤にした奨真の叫びが夏の夜空に木霊した。

 

◇◆◇

 

「ってことがあってね、余計にショウちゃんが素っ気なくなっちゃったんだよ。どうすればいいと思う忍ちゃん?」

 

『むしろもう何もしないほうがいいんじゃない?』

 

「そんなー」

 

 妙子にとって頼りになる相談役、忍は電話越しでそんな冷静なアドバイスを送るのだった。

 

◇◆◇

 

 その夜、奨真の自室にて。

 

「……眠れねぇ」

 

 今日一日だけでも複数回と繰り返された妙子との刺激的な接触。

 豊満で蠱惑的な感触や甘い吐息と艶声は生々しい名残となって肉体に刻まれ、恋する青少年を一晩中悩ませるのだった。

 




 次回辺りで他の原作キャラも登場させてみたいと思います。


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⑦女心は複雑だけど男心も複雑です

 劇場版の小説が面白すぎて頭おかしくなりそう。

 ネタバレは控えますが、新しい情報やあのキャラの意外な一面が判明したりと、映画だけでは知りえない要素てんこ盛りです。
 試合が文章化されているのも個人的にありがたいですね。すごく参考になります。
 他にもガルパンSSを書く上で知っておかなければならない細かな設定などが明らかになっていたりします。
 ガルパンSSを書くならば間違いなく必読の本でしょう。

 おかげで本作の今後の展開にも厚みが出せそうです。


 男の子の気持ちって難しい。

 妙子は心底そう思った。

 

 女心は度し難いとよく言うが、男心も大概だ。

 年頃の男子ともなれば、余計わからなくなる。

 まるで苦手な図形の問題を解くとき同じくらい難しい。

 

「家族でもわからないんだもんなあ」

 

 身内にも関わらずその心の奥底を見抜けないことに悔しさは募るが、繰り返し弟の機嫌を損ねてしまっている以上、理解力が足らないことを認めざるを得ない。

 

「みんなのアドバイスは全部使っちゃったし……」

 

 信頼するチームメイトの知恵を借りても奨真の心を開くことは叶わなかった。

 

 我が弟はよほど頑固で剛健な気質の持ち主に違いない。

 なんという強敵。

 まさか自分たちバレー部のスパイクのごとき攻勢でも打ち抜けない障害があろうとは。

 

 まるで八九式の砲弾が悉く弾かれたときのような心境に妙子は陥った。

 

「これは他の人から知恵を借りるしかないかな」

 

 別にバレー部の仲間たちを信用していないわけではない。

 しかし根性全開の作戦が通用しなかった以上、それとは異なる方向で攻めるしかない。

 

 そう、言うなればもっと男心をグッと掴むような、男の子がついつい喜んでしまうような作戦。

 

「男の子が喜ぶこと……はてなんだろう?」

 

 ここで真っ先に青少年が興奮するような桃色の発想が浮かばない辺り、妙子という少女はそのなやましい肉体に反して未だ無邪気であると言えた。

 実際に思い至ったところで実行する勇気があるのかも怪しい。

 

 日常的にやっている過剰なスキンシップは、あくまで幼少時の癖が抜けていないのと、生まれついた無垢の性格によるものだ。

 

 そんな彼女が男心を汲んだ作戦を思いつくというのは至難の技であった。

 

 なので、ここは素直に()()()に尋ねることにした。

 

 妙子はスマホを取り出し、電話帳の一覧を開く。

 画面にはチームメイトと友人たちの番号。

 そして自分と同じ通信手たちの連絡先が記録されている。

 

 サンダース戦にて無線の代わりに携帯電話で連絡を取り合ってから心の壁が取り払われ、以後プライベートでも別チームの通信手と気軽に会話をするようになった。

 

 その話し相手の一人に妙子は電話をかける。

 刃物を持ったウサギのアイコンをタッチし、目的の人物を選択。

 

 プルルと何度かコールが鳴ってから相手は電話に出た。

 

『は~い。優季で~す♪』

 

 電話越しから同級生である宇津木優季の独特な声が発せられる。

 

「おふぅ……」

 

 優季の声を聞いた瞬間、妙子は思わず陶酔に似た不思議な感覚に襲われる。

 至近距離で響く優季の蕩けた蜜のような声に、ゾクゾクと背筋に甘い刺激が走り抜ける。

 

 前から思っていたが、本当にかわいらしい声だ。

 一度聞いたら忘れられない、愛らしいような、色っぽいような、とにかく艶を含んだ声色。

 これもいわゆる美声というものだろう。

 耳と鼓膜を虜にする魔性の美声である。

 

 女の自分ですらこうして悩殺されてしまうのだから、男が優季と電話をしたら大変なことになるだろう。

 女子に耐性のない奨真だったら卒倒してしまうかもしれない。

 

『どうしたの~妙子ちゃん。電話なんて久しぶりだね~』

 

「あ、うん。ごめんねこんな遅くに」

 

『いいよ~。今ね、皆でお泊まり会しててオールナイトで映画観る予定だったし~』

 

 だから大丈夫と語尾にハートマークがつきそうな間延びした声で優季が言う。

 感謝をしつつ、妙子は事情を説明した。

 

『はえ~。弟くんとどうやったら仲良くなれるか~?』

 

「うん。どうしても男の子の気持ちがわからなくて」

 

 相談相手に優季を選んだのは、彼女が唯一知り合いの中で異性との交際経験があったからだ。

 恋愛経験豊富な人間からなら、自分では気づけないありがたい意見を貰えると思った。

 経験者の言葉ほど信用できるものはない。

 

 是非、男心についてご教授願いたかった。

 

 ──因みに、優季が本当に異性と交際していたかは実際のところあやふやである。思い込みの激しい彼女が勝手に『付き合っている』と勘違いしていたのではないか、とチームメイトの友人たちは睨んでいる。

 

 そんなことも露知らず、師に教えを請うように妙子は優季の言葉を待った。

 う~んとね~っと甘ったるい間を置いてから優季は話し出す。

 

『そうだな~。やっぱり男の子は献身的な女の子に弱いと思うんだ~』

 

「献身的?」

 

『うん♪ お料理ができたりお裁縫が得意だったりすると男の子的にはやっぱりポイントが高いよねぇ』

 

「一応わたしも家事得意だよ?」

 

『だったらぁ思い切りアピールしていかなくっちゃ~♪』

 

「う~ん。いつもそうしてるんだけどな~」

 

 料理の献立にはいつも気を遣っているし、掃除もこまめにしている。

 お裁縫だって頼まれれば喜んでやってあげる。

 

『いつも通りのことしてても男の子は気づいてくれないよ~』

 

「そういうものかな?」

 

『うん。大事なのは《あなたのことが大好きです》って気持ちを込めて尽くしてあげることだもの。これだけ愛情込めてますって伝わるぐらいご奉仕してあげなくちゃ~』

 

「なるほど! でもわたしいつも愛情100%で尽くしてるよ!」

 

『や~ん♪ 妙子ちゃんたら大胆~♪』

 

 きゃっきゃっと盛り上がる二人。

 会話はだんだんと女子特有の姦しいノリに移ろっていく。

 それでも妙子にとって有益な情報はどんどん手に入った。

 

「つまり、男の子のために何か頑張って覚えたってことが重要なのかな?」

 

『そうそう~♪ わたし料理とか全然したことなかったけど、カレのためにがんばって覚えたんだ~。そのことをさり気な~く伝えると男の子はグッとくると思うよ~? 自分のためにそこまでしてくれたんだって』

 

 なるほど。さすが恋愛経験者は重視するポイントが違うと妙子は感心した。

 妙子が家事上手なのはすでに奨真も知っていること。要はそこにプラスアルファあると良いわけである。

 今日淹れてあげた紅茶のように『密かにこんなことも覚えたんだよ』という一面を見せ、尚且つ奨真のために習得したことが伝われば間違いなく男心に響くだろう。

 

 ケーキを焼いてあげるといいかもしれないなと妙子は早速プランを立てた。

 奨真は甘いものが大好きなのである。

 

「ありがとう優季ちゃん。おかげでいいアイディアが浮かんだよ」

 

『ほんと~? よかった~♪』

 

 無邪気に喜ぶ優季の弾んだ声に妙子は思わずホッコリした。

 本当に優季はひとつひとつの反応に愛嬌がある。

 こんなにかわいらしい女の子から逃げるだなんて、優季の元カレはさぞかし見る目がなかったに違いない。

 

『弟くんとうまくといいね~』

 

「うん!」

 

 普通の女子ならば身内同士の不和よりも、気になる異性の相手についての話で盛り上がるものだ。

 しかし優季は決してバカにしたり、適当に受け流すことなく真剣に話を聞いてくれた。

 心優しい彼女に妙子は改めてお礼を言った。

 

「優季ちゃんならきっとすぐに新しい素敵な彼氏ができるよ」

 

『えへへ~ありがとう~』

 

 心から思っているエールを優季に送る。

 

『じゃあ、そこで早速相談なんだけど~弟くんってどんな子~? イケメン~? かわいい系~? もしよかったら紹介して欲しいな~って……』

 

 プツン

 

「あ」

 

 無意識に電話を切ってしまった。

 自分でも驚く。

 慌てて〇INEで「ごめん、途中でスマホの電源切れちゃった」とお詫びのメッセージを送った。

 

 そしてかなり悩んだが、自慢したいという気持ちが勝り、愛弟の写真を添付して送信した。

 野良猫を撫でているところを隠し撮りしたお気に入りの写真だ。

 

「さて……」

 

 経験者からの話は聞けた。

 次はもっと恋愛に関して知識豊富な人物から話を伺うことにした。

 

 そう、()()()()()()()な。

 

 

 

「というわけでして、是非知恵を貸してください武部先輩!」

 

『もちろん! 男心ならお姉さんに任せなさい!』

 

 頼れる上級生、武部沙織の快活な声が電話越しに響く。

 

 一年生たちにとって沙織はまさに憧れの女性だ。

 彼女ほど女子力の高い女子高生は他にいない。

 そしてこと恋愛に関してこれほど頼りになる存在はいない。

 

 恋愛経験ゼロにも関わらず。

 

『なるほどぉ。弟くんはお姉ちゃんに素直になれないお年頃なのね』

 

「はい。そこが可愛らしくもあるんですけど、やっぱりもうちょっと甘えてきて欲しいなぁって……」

 

『わかった! 大洗の恋愛マスターであるわたしがアドバイスしてあげる!』

 

「頼もしいです先輩!」

 

 恋愛経験ゼロだけど。という言葉は呑み込んだ。

 早速、沙織のアドバイスが始まる。

 

『積極的にアピールするのが逆効果なら、逆にツレない態度を取ってみるのよ!』

 

「ええ!? ショウちゃんにそんなことできるかな……」

 

『そこは辛抱よ妙子ちゃん! いつもは優しかった女の子がある日突然冷たくなった途端、男の子は気づくの。《ああ、彼女は自分にとってなくてはならない大切な存在だったんだ……》ってね!』

 

「な、なるほど。さすが武部先輩です!」

 

『当たり前のように尽くしてくれていた女性がとつぜん自分のもとを去る……そんなときほど恋は燃え上がるのよ! そして仲直りすると二人の関係はさらに深まるの!』

 

「すばらしいです!」

 

 沙織のありがたいレクチャーが続く。

 

 男性の機嫌が悪いとき女性がすべき対応。

 さり気ない気遣いで信頼と愛情を得る方法。

 時には距離を置いて見守ること。

 そして傷ついたときには一番傍にいて優しく癒やしてあげる等々。

 

 妙子は圧倒された。

 さすがは恋愛マスター。

 一般的な男性心理だけに留まらず、男心のディープな部分まで知り尽くしている。

 なにより感心すべきは女性としての在り方。

 ここまで男性に尽くす姿勢を崩さず、女性としての理想像を目指す少女はなかなかにいない。

 まさに完璧な女子力の塊である。

 

 本当にどうしてこれでモテないのか。

 

『そして障害を乗り越えた二人は、永遠の愛を誓い合うのよ~! んぅやだも~!』

 

「武部先輩! とてもタメになる話ですけど脱線しています!」

 

 恋愛講座がだんだんと沙織の妄想恋愛劇場に転じ始めたところで妙子はストップをかけた。

 

 もう充分過ぎるほどの知恵をいただいた。

 自分も恋愛経験ゼロにも関わらずまるで熟練の恋愛上手になった気分である。

 

「ありがとうございます武部先輩! 頂いたアドバイスのいくつかを弟に試してみます!」

 

『うん! がんばって!』

 

 このまま沙織をヒートアップさせると夜明けまで続きそうなので、ここでお開きにすることにした。

 

『……あ、待って妙子ちゃん。最後にひとつだけいい?』

 

「なんでしょう?」

 

 冷静になったらしき沙織が妙子を呼び止める。

 真剣で真摯な抑揚に妙子は思わず背筋を伸ばす。

 

『いろいろ言ったけど……妙子ちゃんはそのままでもいいんじゃないかな?』

 

「え?」

 

 沙織の言うことが妙子にはよく理解できなかった。

 

「それって、特別なことはしなくていいってことですか?」

 

『うん。妙子ちゃんはそのままでも充分魅力的な女の子だもの』

 

「でも……」

 

 それじゃ今までの話はなんだったんですか、という不満の声は呑み込んで妙子は耳を傾ける。

 

『妙子ちゃんの話を聞いて思ったんだけど、無理に何かしなくても弟くんは充分満足してると思うよ』

 

「そうでしょうか」

 

『うん。わたしにも仲のいい妹がいるんだけど、それよりもずっと仲よさそうだもん』

 

「え」

 

 沙織にそう言われると、妙子の体温が急激に上がった。

 

「仲、いいと思いますか?」

 

『うん! 聞いてたら微笑ましくなっちゃった!』

 

 異性同士の兄弟姉妹というのは普通、成熟していくと自然と心の距離ができてしまうものだ。

 しかし近藤姉弟にはまったくその壁は感じられないと沙織は指摘する。

 

『妙子ちゃんが気づいてないだけで、弟くんはちゃんとお姉ちゃんのこと思ってくれてるはずだよ』

 

「そう、でしょうか……」

 

 もし本当にそうなら、どうしてあんなにも素っ気ないのだろう。

 

 妙子の気持ちを察したのか、沙織は母性に満ちた声色で話す。

 

『たぶんね、弟くんは自然体の妙子ちゃんを望んでいると思うんだ』

 

「自然体?」

 

『うん。だって、長い休みには必ず実家に帰るぐらい家族思いなんでしょ? だったら弟くんが喜ぶのは、いつもどおりのお家の光景なんじゃないかな?』

 

「あ……」

 

 妙子は虚を衝かれたような気持ちになった。

 

 すっかり見落としていたこと。

 最も大切にしなければならなかったこと。

 それを、沙織の言葉でようやく思い出した。

 

 

 

『お姉ちゃん』

 

『なぁにショウちゃん?』

 

『ボク、この家が大好きだよ』

 

 幼い奨真が、やっと明るい笑顔を作れるようになった頃。

 幸福と喜びに満ちあふれた笑顔で、奨真はそう言った。

 

『この家の子になれて、すごく幸せ。だから……』

 

 ──ありがとう。

 

 万感の思いを込めた奨真の感謝の言葉。

 自分たちが『姉弟』になった始めの出来事。

 

(……そうだったね、ショウちゃん)

 

 妙子は心の中で愛弟に詫びた。

 

 沙織の言うとおり、特別なことなんてしなくてもいい。

 自分たち姉弟は、ただありのままでいればいいのだ。

 

 それが一番、自分たち()()にとっての幸せだから。

 

「武部先輩。ありがとうございます。なんだか、憑き物が落ちた気がします」

 

 純粋な感謝を送る。

 沙織がどうしてここまで後輩に慕われ、同級生たちに信頼されているのか、改めて実感した気がした。

 

 沙織は謙遜するように照れ出した。

 

『あはは。わたしとしては偉そうなことばっかり言っちゃった気がするけど、妙子ちゃんが元気になったら良かったよ』

 

「偉そうなんかじゃありません。武部先輩に相談して、本当によかったです」

 

 見落としていたことを思い出させてくれた沙織に妙子は今一度感謝する。

 そして本心から来る賛辞を送る。

 

「武部先輩みたいに素敵な人なら、いつか必ず素敵な恋人ができますよ」

 

『え! そう思う!? 本当にそう思う!?』

 

「はい。わたしが男の子だったら恋しちゃうと思います」

 

 華々しい出会いが沙織にあることを妙子は本気で願った。

 

『じゃ、じゃあ! ひとつお願いがあるんだけど!』

 

「あ、はい。なんでしょうか?」

 

 興奮気味に鼻息を荒くした沙織が言う。

 

『弟くんってどんな子!? イケメン!? かわいい系!? よかったら紹介して欲しいなぁ、なんて!』

 

 プツン

 

「あ」

 

 また無意識で電話を切ってしまった。

 すぐに〇INEで「すみません! 途中でスマホの電源切れちゃいました! 今晩はありがとうございました。おやすみなさい」とお詫びのメッセージを送った。

 

 そしてかなり悩んだが、本気で悩んだが、やはり愛弟を自慢したい気持ちが勝り、写真を添付して送信した。

 優季に送ったのとは別の、寝顔を隠し撮りしたお気に入りの写真だ。

 

 

 

「ふぅ……」

 

 夜も更けてきた。

 自分の中で結論も出たことだし、そろそろ眠るとしよう。

 寝間着に着替えて妙子はベッドに入る。

 

 横になりつつ頭に浮かべるのは、やはり愛弟のこと。

 

(明日には、ちゃんとショウちゃんの好きなお姉ちゃんの顔ができるかな?)

 

 少なくともすれ違うことは減る。

 そんな確信があった。

 弟の喜ぶ顔が見られることを願って、妙子は眠りに落ちていく。

 

 微睡みの中で、今日起きたことが反芻される。

 その中で印象深く残った出来事が再生される。

 

『ねえ、妙子ちゃんはどうしてそこまで弟くんのこと大事にしてるの?』

 

 相談相手になってくれた一人であるあけびは、純粋な疑問をいだいて妙子にそう聞いた。

 ただ弟がかわいいという理由だけでは説明のつかない愛情を、妙子から感じたのだ。

 

 あけびの問いに妙子は苦笑しながら答えた。

 

『だって、ちゃんと伝えないと、不安にさせちゃうから』

 

 弟が大好きな気持ち。

 弟を大切に思う気持ち。

 その思いは、いつだって全力で、言葉で、カラダで伝える。

 

 ──ショウちゃんは、わたしたちの家族だよ?

 

 決して一人じゃない。

 そのことを、奨真にわかって欲しいから。

 この思いは絶対に変わらないと、安心させてあげたいから。

 

◇◆◇

 

 同時刻。

 ウサギさんチームこと一年生の仲良しグループは夜通しの映画鑑賞会を始めるところだった。

 そこで優季が自分のスマホを皆に見せている。

 

「ねえねえみんな~。これ妙子ちゃんの弟くんだって~。結構イケてな~い?」

 

 妙子から送られてきた奨真の写真を友人たちに見せて回る優季。

 どれどれとチームメイトたちが興味深げに画面を覗く。

 

「へぇ~近藤さんの弟くんかぁ。確かに、ちょっとかっこいいかも」

 

 メンバーのまとめ役である澤梓は少し頬を赤く染めてそんな感想を口にした。

 

「うちのお兄ちゃんたちより優しそう!」

 

 その傍で桂利奈が元気いっぱいにコメントした。

 

「紗希はどう思う?」

 

 梓が横にいる丸山紗希に尋ねる。

 表情を変えないまま、紗希は無言で親指を立てた。

 彼女も好印象をいだいたらしい。

 

「真面目でいい子そうだね」

 

「え~でもパッとしなくない?」

 

「う~ん。わたしもパスかな。悪い子じゃなさそうだけどね」

 

 あやとあゆみは比較的に厳しめの評価だった。

 

「なんか冗談通じなそうっていうか、堅物な感じしそう」

 

「ちょっと失礼だよ近藤さんの弟くんに」

 

 失言をこぼすあやをさすがに窘める梓。

 そんな梓を見て、あやは意地の悪い笑顔を浮かべた。

 

「あれれ~? もしかして梓こういうのがタイプ?」

 

「な、なんでそんな話になるの!?」

 

「え~そうなの梓~?」

 

「妙子ちゃんに紹介してもらう~?」

 

「もう~! やめてったら!」

 

 まるで小学生のようなからかいを受けて、梓は怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にした。

 

「まあ、でも武部先輩だったら一発で惚れちゃいそうだけどね」

 

「ああ、そうかも」

 

「ありそう!」

 

 あやが何気なく口にしたことに周りも同意する。

 

「若い男の人見たら誰にでも恋しちゃいそうだもんね武部先輩」

 

「いや、そこまで肉食系じゃないでしょあの人は」

 

 本当に男性に見境のない女性だったら今頃彼氏の一人ぐらいはできているだろう。

 夢見がちであることは否めないが、恋愛に関してはどこまでも真剣な人だ。

 

「じゃあ試しに武部先輩にこの写真送ってみようよ」

 

「ああ~それいいかも~」

 

「だったらさ、いっそ戦車道の皆に送って意見聞いてみよ!」

 

 とんでもないことを言い出した友人たちを前に梓は冷や汗をかく。

 

「え? いやいやダメだよ。そんな勝手に人の弟さんの写真を拡散したりしちゃ……」

 

「え~ダメなの~? もう送っちゃった~」

 

「ああ! もう!」

 

 時すでに遅し。

 天然の優季によって奨真の写真は大洗戦車道履修者の全員に送信された。

 

◇◆◇

 

 同時刻。

 西住みほは寮部屋で一人、ボコの秘蔵DVD映像を鑑賞していた。

 

「ボコ~がんばって~!」

 

 深夜なので声は小さめにして愛するボコにエールを送る。

 電気を消した部屋でひたすらリンチを受けるクマのぬいぐるみを眺めている姿は、端から見ると闇を感じさせるものだったが、みほ自身はたいへん明るくエンジョイしている。

 

 ボコを見ている瞬間はみほにとって、まさに至福の時間だ。

 辛いときはいつもボコの姿に心を救われてきた。

 趣味の少ないみほにとって、ボコとは掛け替えのない存在。

 この触れ合いは誰にも邪魔をさせない。

 もし邪魔する者がいるとしたら容赦なくパンツァー・フォーである(謎)。

 

 ボコに触れているときの西住みほはテンションがハイになっている状態だ。

 ゆえに普段と違う一面が表出するのも致し方ない。

 普段は大人しい少女も愛する存在のためなら軍神にも鬼神に変貌する。そういうものである。

 

 この場に居座る者がいたとしたら、誰も今のみほに話しかけることはできなかっただろう。

 しかしそこで命知らずと言わんばかりに携帯が鳴る。

 

「むむ」

 

 至福のボコタイムを阻害するのは何やつか。

 西住流特有の眼光をむき出しにして、みほは携帯を取る。

 相手によっては容赦なくパンツァ・フォーである(謎)。

 

 名前の欄には「宇津木さん」と表記されていた。

 かわいい後輩の一人だ。

 もちろんひどいことなどできるはずがない。

 許そう。

 

「宇津木さんから連絡来るなんて珍しいなぁ。なんだろう?」

 

 テンションがハイになっていたみほは一瞬にしていつもの大人しい少女に戻る。

 

 メッセージを開いてみる。

 まず目に入ったのは歳の近そうな少年の写真。

 そしてこんな文章だった。

 

『妙子ちゃんの弟さんで~す。どう思いますか~?』

 

 恋愛沙汰に疎いみほには質問の意図がつかめなかったが、恐らく印象のことを聞いているのだと思った。

 

 とりあえず「優しそうな子だね」と無難な返事をして、再びボコの鑑賞に戻った。

 

 色気より食い気。

 花より団子。

 男子よりボコ。

 

 みほにとってこの方程式は崩れない。

 

「ボコ~がんばって~」

 

 再びテンションがハイとなるみほ。

 そこでまた携帯が鳴る。

 今度は出るまで鳴り止まない電話であった。

 

 西住流特有の眼光を煌めかせて携帯を取る。

 こんな遅くに電話をしてきて至福のボコタイムを邪魔するのは何やつか。

 相手によっては容赦なくパンツァ・フォーである(謎)。

 

 名前の欄には「沙織さん」と表記されていた。

 学園生活を変えるきっかけをくれた大親友の一人である。

 

 みほにとってボコと同列に並ぶほどの大切な人物。

 そんな彼女にどうしてひどいことができよう。

 許す。

 全力で許す。

 

「もしもし? どうしたの沙織さん?」

 

 ハイになっていたテンションは再び落ち着き、元の大人しい少女に一瞬にして戻る。

 

『……みぽり~ん』

 

 電話越しから沙織の弱々しい声がする。

 

『どうしよう~みぽり~ん……』

 

「さ、沙織さん? 何かあったの?」

 

 沙織の様子がおかしい。

 声だけでもそれがわかる。

 

 何か余程のことがあったのか、ずいぶんとテンションがおかしい。

 もし何か困り事があるのなら、親友として力にならねばなるまい。

 

 しかし「どうしよう」と口で言うわりに、沙織が本気で困っている印象は受けなかった。

 むしろその逆で、舞い上がっているような、浮き浮きしているような……

 

『あのねぇ、みぽりん』

 

「う、うん」

 

 何やら異様に熱を帯びた沙織の声色に、みほは動揺する。

 

『どうしよう。わたしね、運命の人見つけちゃったかも……』

 

「はい?」

 

 やたらと色っぽい溜め息をついて突拍子もないことを口にする沙織。

 みほはさらに困惑した。

 

 どう反応したらいいものかな~ボコ~、とみほは画面の向こう側に尋ねたい気分になった。

 もちろん、ボコは何も答えてくれない。

 異様に寂しくなった。

 

『や~ら~れ~た~』

 

 ただ、いつも通り敗北した姿を見ると心がホッコリした。

 

◇◆◇

 

「……ひっ!?」

 

 眠っていた奨真は、真夏にも関わらずとつぜん寒気を感じて目を覚ました。

 

「な、なんだこの悪寒……」

 

 なにやら胸騒ぎがした。

 まるで何者かにターゲットとして狙われ始めたような、そんな奇妙な心地がした。

 

 はて、自分は誰かの恨みを買うようなことをしただろうか。

 まったく身に覚えがない。

 

「おかしいな。なんでこんなに無性に危機を感じるんだろう……」

 

 奨真はその夜、謎の不安を抱えながら一夜を過ごした。

 

 

 

 まさか自分の写真が知らぬうちに姉の知り合いたちに広まっている上、一方的に運命の相手に認定されたことなど、考えに至るはずもなかった。

 




 おめでとう、奨真は婚活戦士にロックオンされた!

 美人で巨乳でムチムチボディで黒ニーソで料理上手で友達思いで面倒見もいい幼なじみ系現役女子高生。
 なんやこれ最強やん。

◇◆◇

 たくさんの評価とお気に入り登録ありがとうございます。
 メインキャラとのラブストーリーと違って、サブキャラとのラブストーリーではそこそこの評価しかもらえないだろうと思っていましたが、予想以上に多くの方に読んでいただけているようで感激しております。

 この場をお借りして感謝のお言葉を送らせていただきます。
 誠にありがとうございます。


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