おばさんは薬学教授の娘に転生しました。 (angle)
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幼少期1

 

周りが、やけに騒がしく感じた。

徐々に意識が浮上しているらしく、その流れに自然に身を任せて目を開ける。

どうやら私が寝ているのはベッドのようで、視界の中に白衣を着た人が何人か映ったところをみると、ここは病院かなにかなのだろう。

なぜ自分が病院にいるのかなんて判らない。

でもとりあえず状況を把握しようと顔を動かすと、いきなり視界に飛び込んできた男の人に怒鳴られて驚いた。

 

 

「 ―――――――――――――――― !!」

 

 

え? ……もしかして英語ですか?

驚きのあまり呆然としていると、私に対して怒鳴っている人を別の白衣の人がたしなめていて。

そこの言葉も英語で、しかも私の目の前で口論したかと思うと、男はまた私に対して怒鳴ってくる。

怒鳴ってる人は真っ黒な服を着てるから医者じゃないのかもしれない。

年の頃はたぶん20代半ばくらいで、顔色が悪く、眉間に深いしわを寄せていてすごく怖かった。

 

 

「ふぇ……」

 

 

気がついたら私は目に涙をいっぱいにためて泣いていた。

ただただ怖いという感情だけが押し寄せてくる。

この狂ったような感情の奔流も信じられなかった。

すぐにのどの奥が痛くなって、私は感情に流されるままにしゃくりあげて泣いていたんだ。

 

 

え? ちょっと待ってよ! なんで私、こんな子供みたいな泣き方してるワケ!?

こんな泣き方したの、子供の頃の一時期をのぞいたら、もう10年以上前だけどちょっとしたきっかけで子供の頃のトラウマを思い出した時だけだったんだけど!

 

 

だいたい私はもう40を過ぎた立派な大人で、ある程度感情を抑えるすべだって知ってたはずなのに。

こんな、誰も知ってる人がいない、しかも英語をしゃべる外国人に囲まれてるのになんでこんな手放しで泣いてるんだろう私。

確かに怒鳴りつけてくる黒い人はめちゃくちゃ怖いけど、でも泣いてたってなにが解決する訳でもないし、なによりトラブルに遭っていきなり泣くなんて社会人として恥ずかしいじゃないか。

 

 

でも、そんなことを思ったのは恐怖で支配された頭の中のほんの片隅でのことで。

泣き疲れてしまったのか、私は再び眠ってしまったようだった。

 

 

 

 

トイレを探しまわる夢を見て。

目が覚めた瞬間、どうやら粗相をしてしまったことに私は気がついた。

 

 

(いやいや、さすがにないでしょおねしょとか……)

 

 

あ、いや、うん。

実はこれまでの人生で最後におねしょした日のことは覚えてたりするんだけどね。

 

 

今から20数年前、私がまだ高校卒業したてのぴちぴちの18歳だった頃。

就職して最初の日、ガチガチに緊張して一日を過ごした日の夜はあまりに疲れてたらしく、翌朝なんの意識もなく布団を濡らしてたんだ。

いやもうその時は恥ずかしいとかそういうんじゃなくひたすらショックだったよ。

こういうときいつもならバカにし倒すうちの母親も茶化せる状況じゃないと悟ったようで、『よっぽど疲れてたんだね』と言ったあとは黙ってあと始末をしてくれて、この時ほど親のありがたみを感じたことはなかった気がする。

 

 

……ああ、判ってるよ、自分が現実逃避したがってる、ってのは。

おねしょ、やばっ!とか思って暗闇の中、起きあがって布団に手を押しあてたけど、そこにはぬれた感触はまったくなかった。

なんのことはない、私はおむつを履かされていたんだ。

それもショックですぐに手探りでおなかのあたりを探ると、ようやく闇夜に目が慣れてきた私の視界に映る身体はいつものそれじゃなかった。

 

 

なんだか、異様に小さいのだ、私の身体が。

確かに私はそれほど長身の方じゃないがそれにしたってあまりに小さすぎる。

 

 

どうやら今は真夜中のようで、個室らしい病室には私以外の誰の姿もなかった。

見回せば壁にかかった時計の針は3時を過ぎたあたりを指している。

とりあえず自分の状態を確かめようと思って、灯りと鏡を探しにベッドを降りるつもりだったのに、ヘリに腰かけた私の足はあまりに短く床まで軽く50センチ以上は離れていた。

ベッドの高さが高いんじゃない、私の身体が縮んでるんだ。

 

 

いやいやいやいやいや、だって私、昨日まで45歳の大人だったよね??

普通の ―― って言っていいかは微妙だが ―― 結婚できない独身の会社員で、そんなにスタイルがいい訳じゃないけど、少なくとも見た目は普通のおばさんだったのに。

 

 

 

ベッドに腰かけたまま、薄明かりの中で手足を見る。

もしかして身長、1メートルもないかもしれない。

私が身長1メートル超えたのって確か幼稚園の頃だった記憶があるから、下手したら今は3、4歳くらいなんじゃないだろうか?

それって私がやっと物心ついたかな、って年齢だよ。

 

 

その後、私はなんとかベッドから降りて(まさに清水の舞台から飛び降りる心境だった)、病室からドアを隔てたユニットバスにあった姿見で自分の姿を確認した。

子育ての経験がない私、子供の年頃なんかほんとに判らないけど、でも鏡に映ったのはたぶんまだ幼稚園にすらも行ってないくらいの幼い子供の姿だった。

しかもあり得ないことに、純日本人だったはずの私は、なぜか西洋風の顔形をしていて。

髪は黒くはあるけれどちょっとしたくせ毛で、瞳の色も茶色に変わっていたんだ。

 

 

……ええっと、これはトリップ? それとも生まれ変わり?

夢小説用語でいうところの若返りトリップとかなのか??

え? でも私、元の世界で死んだりとかしてないよね???

 

 

そう思ってここへ来る前のことを思い出そうとしたのだけど、なぜかまったく思い出せなかった。

いやほんとに、かけらも浮かんでこない。

せめて昨日寝る前にどうだったとか思い出せないかと思ってたんだけど、頭の中にいろいろ浮かんではくるのにそのうちのどれが最後の記憶なのかが判らないんだ。

私は45歳の独身会社員、そういう記憶はあるのに、昨日が何月何日だったとか、昨日仕事でどんなことがあったとか、そういう具体的なことがぜんぜん思い出せなかった。

 

 

 

いったいどのくらいの時間、私は冷たい床に座り込んでいたんだろう。

気がついたとき、私の隣には看護師さんなのだろう、白衣をきた女の人がしゃがんで顔を覗き込んでいた。

 

 

「ミューゼちゃん、いったいどうしたの? こんなところで」

 

 

自慢じゃないけど私、この年になっても英語はまるでできなかった。

でも、なぜか彼女が言ってる言葉が理解できたんだ。

こんなに英語が頭にすんなり入ってきたのは生まれて初めてだった。

 

 

「ミューゼ……? それ、私の名前……?」

 

 

自然と英語が口をついて出る。

こんなにちゃんとした発音ができたのも初めてだ。

ちょっとたどたどしいのは、私の舌がまだ幼児のそれだからだろう。

 

 

私の答えに看護師さんが笑顔を消して不安そうな表情を見せる。

でもまたすぐに今度は作ったような笑みを浮かべた。

 

 

「寝ぼけちゃったのかな? ミューゼちゃんはまだお怪我が治ってないから、あんまり動くと傷が開いちゃうのよ。さあ、一緒にベッドへ戻りましょうね」

 

 

そう言うと、看護師さんは私を軽々と抱き上げて、夜が明けて明るくなった病室のベッドへと寝かせてくれた。

 

 

 

そのあと、私のベッドに昨日の白衣のお医者さんらしい男の人がやってきて。

いくつも質問を投げかけられた私は、正直訳が判らずほとんどの問いに判りませんと答え続けた。

先生の話から察するに、どうやら私はミューゼという名前の4歳の女の子で、家の木の上から落ちて頭を打ったらしい。

(そういえば鏡の中の私の頭には包帯が巻いてあった)

じっさい私にはそんな記憶はないのだから、先生が私が頭を打ったせいで記憶を失ったという結論を出したのは至極当然のことだった。

 

 

 

質問タイムが終わって、もらった薬を飲み干して横たわると、先生達が部屋を出ていって独りになった。

どうやら私、本格的にトリップしてしまったらしい。

しかも、45歳会社員だった私の記憶はあいまいで、この身体の私が4年間生きてきた形跡があるということは、私はおそらく生まれ変わったということなのだろう。

 

 

(たぶん、ミューゼという名前の女の子が木から落ちて、頭を打った拍子に前世の記憶を思い出したとか、そういうことなんだろうな)

 

 

それなら私に英語が理解できた訳も判る。

ミューゼは生まれてからずっと英語を聞いて育ったわけだから、彼女の脳は英語が聞き取れる脳になってるんだ。

記憶だって、私という意識が思い出せないだけで、ちゃんと彼女の脳の中には存在してる。

つまり、45歳の私の記憶がよみがえることで、4歳のミューゼの意識を乗っ取っちゃったんだ。

 

 

(えーっと、もしかして私、果てしなく悪いことをした……とか?)

 

 

4歳のミューゼはやっと物心がついたくらいの幼い子供だから、あまりはっきりした自我なんてものはなかったのだろうけれど。

でも、45歳の私の記憶が蘇らなければ、きっと私とはまったく違った自我を形成したのだろう。

その可能性を私の記憶は潰してしまったんだ。

……でも、蘇ってしまったものを今更どうすることもできないんだけど。

 

 

(そっか、たぶん、初めて目覚めたあの時の恐怖の感情、あれが彼女の自我だったんだ)

 

 

ただ怖さに泣くことしかできなかった。

あの感情が、私がミューゼであることの証だったんだ。

 

 

(ごめんね、ミューゼちゃん。私、あなたを乗っ取っちゃったよ)

 

 

でも記憶が蘇ってしまった以上、私はこの記憶を抱えて生きていくことしかできない。

せめて彼女が完全に消えてしまっていないことを、私は祈りたいと思った。

 

 

 



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幼少期2

連続投稿しています。


私がベッドの上で寝たり起きたりを繰り返していると、ときどき看護師さんはやってきて、私に薬を飲ませてくれたり、着替えやおむつを替えてくれたりした。

……まあ、1回経験しちゃえばどんな体験でも開き直れるってもんだ。

そんなことより私が驚いたのは、看護師さんが持ってる杖を振ると、なぜかおむつや衣服やゴブレットが宙を舞うことだった。

 

 

「あら、ミューゼちゃんは魔法が珍しいの?」

「……うん」

「でもミューゼちゃんのお父さんも魔法使いでしょう? お父さんが使うのを見たことは覚えてない?」

 

 

どうやら私には魔法使いの父親がいるらしいです。

……もしかして、いやもしかしなくても、きっとあの人なんだろうな。

目覚めていきなり私を怒鳴りつけてきた、黒い服を着た怖いお兄さん。

 

 

「……ごめんなさい」

「謝らなくていいのよ。今すぐには思い出せなくても、頭を打った人にはよくあることだから、すぐに思い出せるようになるわ」

 

 

お父さん、か。

確かに同じ黒髪だったし、親子だと言われればそうなのかな、とは思えるな。

母親の話がでないってことは、私はきっと父一人子一人の境遇なんだろう。

若気の過ちで子供が出来て、でも5年も経たないうちに愛想尽かされて離婚とか……うん、あの人ならありそうな気がする。

 

 

にしても、この杖に魔法って、私がハマってた某作品にそっくりだよね。

いや、原作はぜんぜん読んだことはないんだけど。

映画は確か3作目まではテレビで見たことあって、でも昔すぎて断片的にしか覚えてないんだけど。

 

 

実は45歳の私の趣味は夢小説サイト巡りなのだけど、ちょっと前まで別の作品の夢小説にハマってて。

そのジャンルの中でものすごく気に入ったウェブ作家さんが、同じサイトでハリーポッターの夢小説を書いてて、それをちらっと読んだのが始まりだったんだよね。

その人、もともと文章がうまくて原作知らなくてもちゃんと話の筋が理解できたから、最後まで読んだらすっかり原作も読んだ気になっちゃったんだけど。

確かあの夢小説で生きてた人の何人かは原作では死んでるって、そのあといろんな人のハリポタ夢を読んで知ってちょっとショックだったのを覚えてる。

 

 

トリップ救済も、成り代わりも、いろいろ読んだけど。

一番読んだのはやっぱり教授夢。

学生セブたんとかもハマったなぁ。

確かに私は四捨五入すれば50歳だけどさ、独身女はいくつになっても夢見がちなんですよアナタ!

 

 

 

そんな、杖と魔法でそこまで脳内展開しちゃってたんだけど、まさか夢小説の世界が現実になるなんてさすがの私も思ってなかった。

でも、夜になって先生と一緒に入ってきた人を改めて見て、私はそのまま呆然と彼を見つめてしまったんだ。

 

 

「ミューゼちゃん、お父さんが来てくれたよ」

 

 

黒いねっとりとした長めの髪を真ん中で分けて、土気色の肌に眉間の深いしわ。

鉤鼻と黒づくめの服装が特徴的な、育ち過ぎた蝙蝠のような容貌の薬学教授。

 

 

胸の中にわき上がる恐怖はきっと、幼いまま私に飲み込まれてしまった、小さなミューゼの唯一の自我。

セブルス・スネイプ教授は、ミューゼこと私のたった一人の父親だった。

 

 

「……お父、さん……」

 

 

口に出した瞬間、私は鋭い目にギリッと睨まれた。

恐怖に私の肩がぴくんと震える。

 

 

「スネイプさん、そんな顔をされたら娘さんがおびえますよ」

「……この顔は元からです。放っておいてくださいますかな」

「ミューゼちゃん、お父さんはミューゼちゃんのことを心配してるんだよ。だから早く元気になって退院しなくちゃね」

 

 

…………いったい何をしたんですか、スネイプ教授。

実の娘がこれだけおびえるって、よっぽどのことですよ。

 

 

もちろん私自身はスネイプ教授に萌えを感じていた立場なので、彼女ほどには教授を恐れてはいなかった。

まあ、確かに怖いのは怖いけどね。

だいたい45歳にもなる自分が、その半分ちょっとの年齢の青年なんぞ恐れる訳にいかないというか。

酸いも甘いも乗り越えてきた私にはその年齢なりのプライドってものがあるんですよ。

 

 

「怪我は大したことはないのでしょう」

「ええ、外傷はほとんど治っています。ただ、記憶が戻らないのが気になりますが」

「ならば明日退院させます。私も暇ではないのでね」

「……判りました。でも、明日までは私の患者です。また昨日みたいに怒鳴りつけるようなことがあれば魔法省に通報しますからそのつもりで」

「……」

 

 

……うん、あれはヤバかった、虐待並みに。

夢小説の教授はけっこうツンデレさんで可愛い性格のが多かったけど、私は原作の教授を知らないからな。

原作の彼は自分の子供に虐待するような人なのだろうか?

いやいや、そんな彼ならあそこまでの人気キャラにはならないような気がするけど。

 

 

ていうか、そもそもスネイプ教授って子持ちじゃなかったよね?

確かネタバレサイトによれば教授は幼馴染のリリーのことがずっと好きで、生涯彼女を愛し続けるんだった気がする。

 

 

ということは、ここは“ハリーポッター”の原作とはすこーし違う歴史を辿ったパラレルワールド、ってことでいいのかな?

それとも私がいるせいで原作が歪んだとか?

……いや、私が彼の娘だってことは、この世界には私を産んだ母親がいるはずだから。

原作を歪めた人がいるとしたらその女性だろう。

 

 

そっか、つまり、どう転んでもこれはセブたん夢にはならない、ってことか。

ミューゼは血がつながった娘の設定なんだから、どこまで行っても私は彼の娘にしかなれないんだから。

 

 

 

教授が出ていって、ベッドに横になると、私はすぐに寝入ってしまった。

朝起きる頃には、せめてセブたんの娘である今の境遇を堪能しようと、私はいろいろな意味で開き直っていた。

 

 

 



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幼少期3

 

こんな感覚、ずっと忘れてたけど。

子供って、努力しなくても眠れるものだったんだね。

 

 

 

朝食の時間に起こされて、食後は先生に診察を受ける。

頭の怪我はもうほとんど治っているみたいだったけど、やっぱり記憶は戻っていなかった。

これでも一応思い出そうと努力はしたんだけどね。

(ミューゼちゃんのためというのもあったけど、やっぱり私自身もちゃんとした日常生活を送りたかったし)

昼頃になってセブたんが迎えに来たから、私は病院を退院することになった。

 

 

「ミューゼちゃん、頭が痛くなったり、気分が悪くなったりしたら、すぐにお父さんに言うんだよ」

「はい」

「スネイプさん、娘さんの様子によく気を配ってやってください。頭の怪我は特に注意が必要なんですから」

「判っている」

 

 

セブたん、めちゃくちゃ不機嫌そうです。

お医者さんから逃げるように大股で歩いていくセブたんのうしろを、私はすっかり短くなった足で必死になって追いかけていった。

 

 

「あの、お父さん」

 

 

さすがにこの速度はないだろうと思って声をかけると、足を止めて振り返ったセブたんに再びギリッと睨まれました。

……もしかして、私にお父さんと呼ばれるのが嫌い、なのか……?

 

 

いやでも他にどう呼べというのか。

スネイプさん、じゃ私の苗字もたぶんスネイプだし(一応病室の名札で確認済み)、まさか父親をファーストネームでは呼べないし。

睨まれたまま数秒考えた末、出た言葉は

 

 

「教授……?」

 

 

だった。

 

 

たどたどしい発音で“プロフェッサー”と呼んだ私に、セブたんは少し驚いたものの睨んではこなくて。

背を向けた彼は今度はゆっくりと歩き始めたから、私は彼がその呼び名を了承してくれたことを知った。

うん、まあ、私も夢小説読みながら頭の中で教授呼びはしてたからね、そんなに違和感ないし。

 

 

(でもぜったい親子の呼び方じゃねえよ)

 

 

なんかいろいろ否定されてるような気はしたけど、病院を出たところで教授に肩を掴まれたとたん姿くらましをされて、そのあまりの激しさにどうでもよくなってしまった。

 

 

 

 

姿現しでついたところはどうやら教授の自宅らしかった。

スピナーズエンドって場所だけは知ってたけど、思ってたよりもずっと広くて、でも家の中には誰の姿もなかった。

 

 

「覚えてないか」

「あ、はい」

「……そうか」

 

 

きょろきょろと見回した私にそう訊いてくる。

たぶん私は怪我をする前にもこの家に住んでいたんだろう。

 

 

 

なんか少しだけ憐みの視線を向けられたような気がした。

でもそれだけで、ふっと眼をそらした瞬間、教授はパチンというラップ音を残してその場から姿を消してしまったんだ。

って、おい! ちょっと待てよ!!

いくらなんでも怪我で記憶喪失の幼児を独り放り出したままいきなり消えるとか、親としても大人としても思いっきり間違ってるだろ!!

 

 

少しの間立ちつくしたままぼうぜんとしてたのだけど、どうやら本当に帰ってくる気配がないことが判ったので、とりあえず近くにあったソファに腰を落ち着けた。

 

 

 

ええっと、とりあえずもう1回状況を整理してみよう。

 

 

私の名前はミューゼ・スネイプで、おそらくこの家の庭にある木のどれかから落ちたため、父親のスネイプ教授に病院に運び込まれた。

それまではたぶん普通の4歳児だったミューゼは、頭を打ったショックで前世の記憶をよみがえらせてしまった。

その前世の記憶が私。

たぶん、4歳のミューゼと45歳の私とでは蓄積された記憶の量が10倍以上も違ってたため、『私』は自分を45歳の会社員の私と認識してしまった。

 

 

でも、4年間生きてきたミューゼという少女の記憶がぜんぶ私に駆逐された訳じゃなくて、あまり鮮明ではなくてもちゃんと残ってはいるんだ。

だいたい私は英語なんかぜんぜんできないのに、4歳の子供が喋れるくらいには話すことができる。

スネイプ教授に怒鳴られれば恐怖で泣いてしまうほどの感情を持っているし、自分が彼を実の親だと認識してるのもちゃんと判る。

初めて呼びかけられた時には判らなかったけれど、一晩経った今は自分がミューゼと呼ばれることも抵抗なく受け入れている。

 

 

こうして落ち着いて考えれば、私は確かにミューゼ・スネイプなんだ。

前世の記憶がよみがえった直後は混乱したけど、私は確かにここに存在して、短い間だったとしてもこの家に住んで、スネイプ教授を父親と思って育ってきたんだ。

 

 

まあ、あまり懐いてた訳でも、一緒に過ごした楽しい時間があった訳でもないみたいだけど。

 

 

「お嬢様! ミューゼお嬢様! おかえりなさいませでございます!」

 

 

とつぜん聞こえた甲高い声に振り返ると、そこには今の私とほとんど変わらない背丈の異様な生き物がいた。

私の中に慕わしいという感情が沸き上がる。

そして、理性担当の45歳の私は、その生き物が物語ハリーポッターに出てくる屋敷しもべ妖精であることに気がついていた。

 

 

(ああ、なるほど。いくら陰険なスネイプ教授でも子供を独りで放っておく訳がないか)

 

 

原作の教授の家に屋敷しもべ妖精がいたのかどうかは知らないが、どうやらここには存在しているらしい。

おそらく、教授がいない間私の世話をするために、彼女(たぶん)が雇われているのだろう。

 

 

「メイミーめはお嬢様が記憶をなくされたことを昨日お知りになりましたのでございます! お嬢様はメイミーめのことも覚えておられないのでございます!」

「あ、うん。……ごめんなさい」

「お嬢様はメイミーめにお謝りになってはならないのでございます! お嬢様が木におのぼりになられたときにお止めにならなかったメイミーめがお悪いのでございます!」

 

 

メイミーという名前らしい屋敷しもべ妖精の複雑怪奇な言葉を拙い語学力で聞き取ってみる。

多少私の翻訳が違ってたとしても言ってることはそれほど間違ってはいないだろう。

 

 

思った通りメイミーは私の世話係だったようで、彼女は私をこの家の子供部屋に案内したあと、着替えや食事、ベッドなんかもすべて完璧に用意してくれた。

 

 

 



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幼少期4

 

その後、メイミーの難解な言葉を必死で翻訳しながら訊き出したところによると。

思った通り、私はスネイプ教授の娘のミューゼ・スネイプで、先月の8月初めに4歳になったばかりということだった。

メイミーがこの家に雇われたのは私が1歳を過ぎたくらいの時らしいのだけど、その頃にはもう私の母親という人はこの家には存在せず、雇い主である教授は話題にすらしようとしなかったらしい。

現在、スネイプ教授は原作どおりホグワーツの教師をしていて、でも土曜日の夜だけ娘と食事をするために戻ってくるのだそうだ。

 

 

私は木から落ちたということだったけれど、どうして私が木のぼりなんかしたのか、その理由まではメイミーも知らなかった。

ただ、その日はどうやら金曜日で、私が目覚めて教授に怒鳴られたのが土曜日、記憶喪失だと判ったのが日曜日で退院したのが月曜日になるらしい。

次に教授が帰ってくるまでには5日ほどあったため、私はその5日間をメイミーと話をすることに費やしたんだ。

おかげでこの世界について様々なことを知ることができた。

 

 

とりあえず私が気になっていたのはもちろん主人公ハリー・ポッターのことで、聞けば3年ほど前にハリーは原作通りヴォルデモートを滅ぼしたというから、計算したら私はハリーと同じ年齢だった。

ということは、もしも私が魔女なら、彼と同学年でホグワーツに通うことになる。

でも、確か教授は混血だから、私の母親が純血の魔女じゃない限りスクイブの可能性もあるんだよね。

(思わず学生時代に習ったメンデルの遺伝の法則なんぞを必死で思い出しちゃったよ。それによれば、母親が混血もしくはマグル生まれの魔女なら4分の1、マグルなら半分の確率で私はスクイブになるらしい)

もちろん魔女になれたらその方が嬉しいけど、こればかりはミューゼという少女の宿命だから、もしも魔力がなかった時は潔く諦めるつもりでいる。

 

 

でも、もしも私が魔女で、この世界が原作の世界とものすごくよく似たパラレルワールドだったとしたら、私はハリーがホグワーツで経験する様々な事件を一緒に経験することになるんだ。

 

 

(……できれば関わりたくないよね)

 

 

そもそも私は面倒事には極力関わりたくないし、世の物語の主人公のように好奇心や正義感が旺盛な訳でもない。

将来の夢のために努力したりもしなかったし、そもそも夢自体持ったこともない。

自分の人生の中ですら私は主役なんかじゃなかった。

私みたいな人間があんな事件に巻き込まれたりしたらきっと1年も持たないだろう。

 

 

(でも……)

 

 

困ったことに、私はセブルス・スネイプ教授の娘なんだよ。

言うまでもなく教授は物語の準主役級の扱いだ。

物語の最大のキーパーソンで、ネットのネタバレによればハリーが7年生の時にヴォルデモートの飼い蛇に噛まれて命を落としてしまう。

その娘である私はどうしたって否応なしに巻き込まれるだろうし、たとえ事件そのものには巻き込まれなかったとしても7年生の時に唯一の家族を失って独りになってしまうんだ。

 

 

ホグワーツの7年生といえば魔法界では成人の扱いだけど、できればそんな若さで天涯孤独にはなりたくない。

なにより生まれ変わる前の私は小学生の頃に父親を亡くしているからか、再び父親を失うと考えただけで過去のトラウマが発動しそうになって焦った。

考えただけで涙が止まらなくなっちゃって、自分でもびっくりしたんだ。

とうぜん隣にいたメイミーも驚いたようで、おたおたしながら必死で私を慰めてくれたんだ。

 

 

この時泣いていたのは、おそらく前世の私1人だけじゃなく、4年間をセブルス・スネイプ教授と過ごしたミューゼ・スネイプもだったのだろう。

彼女は教授のことをものすごく怖がっていたけれど、でもけっして失いたいとは思っていないんだ。

彼女は彼女なりに父親を慕っている。

だったら私は彼女のためにも、教授が死ぬのを黙って見ている訳にはいかないだろう。

 

 

(……いやでも、私はしょせん平凡な一般人なんだよね)

 

 

私は原作を熟読した訳でも、作者の頭の中を見た訳でもない。

この世界について知っているのは別の誰かが書いた二次小説の内容だけで、しかもその知識も書いた誰かによって都合よく捏造された世界の話だ。

だいたい私がいる時点でここがパラレルワールドなのは確定事項だし、原作とどれだけズレがあるのかも見当がつかない。

そんな中途半端な知識を持ってるだけの平凡な人間が、1人の人間の命を救うとか、そんな大それたことができるはずがない。

 

 

 

 

暇なのをいいことに、私はうだうだとつらつらとそんなことを考えながら日々を過ごしていて。

ここ数日ですっかり慣れてしまったようにメイミーに着替えを手伝ってもらいながら支度をすると、彼女はいつもより少し緊張した風に話し始めた。

 

 

「ミューゼお嬢様! 今日は土曜日でございます! メイミーめは、ご主人様の前にはお姿をご覧になられてはならないのでございます!」

 

 

 

そういえば土曜日の夜だけ教授は娘と食事を取るのだった。

どうやら長期休暇には教授も自宅ですごすようだけど、今は9月で新学期が始まったばかりだから、しばらくはこのパターンが続くのだろう。

 

 

 

「教授が家にいる間は、メイミーは隠れてるってこと?」

「はい! メイミーはぜったいにお姿をご覧になられないようにお隠れなさるのでございます!」

 

 

もしかして教授は屋敷しもべ妖精が嫌いとか?

そんな設定があったかどうかは知らないけれど、いろんな夢小説を見たけど教授が屋敷しもべ妖精を雇ってる設定の話はひとつもなかったと気がついた。

もっともそれは夢小説の作者たちが教授と夢主をイチャイチャさせるのに邪魔だっただけかもしれないけど。

 

 

 

でもまあ、そういうことなら仕方がないと、午後になってメイミーが本格的に夕食の準備を始めてからは部屋で独り本を読みながら過ごしていた。

もちろん英語が超苦手な私が読むのは子供用の絵本だ。

(いちおう教授にも子供に絵本が必要だという程度の常識はあったらしい。もっとも私にあてがわれた部屋は子供部屋とは思えないほど殺風景だったけど)

ミューゼの記憶のおかげで多少の英語は理解できたから、少なくとも前世の頃よりはよほどスムーズに読むことができた。

とはいえミューゼが知ってる英語も所詮は4歳レベルだから、大人用の文章をすらすらと読めるようになるまではまだまだ鍛練が必要だろう。

 

 

 

そろそろ空腹が我慢できなくなってきた頃、メイミーに声をかけられて私は部屋を出た。

そのまま1人でリビングへ行くと、ローブを脱いで掛けていた教授と目が合った。

 

 

「おかえりなさい」

「……ああ」

 

 

そのまま教授が夕食の並んだテーブルに腰かけたから、私も自分の席の椅子によじ登る。

この椅子、とうぜん子供用だから座る場所が高い位置にあるんだけど、梯子が前についてるからそのまま座ってもテーブルに手が届かないんだよね。

いつもならメイミーが魔法で浮かせてちょうどいい位置に動かしてくれるんだ。

でも今はメイミーがいないから、私は座ったあと一瞬だけどうしようか迷ったのだけど、顔を上げる前に椅子が浮き上がってちょうどいい位置に動いてくれた。

 

 

「ありがとう、教授」

「……まだ記憶は戻らんようだな」

「……ごめんなさい」

 

 

視線を外して溜息をつく教授に謝る。

教授にしてみればたった一人の家族で(たぶん)最愛の娘だ。

一日でも早く元通りに戻ってもらいたいと思ってることだろう。

でもそれは彼女に前世の記憶が蘇ってしまった以上かなわぬ夢だ。

 

 

おなかもすいていたので、私はすぐに食事に夢中になった。

にしても子供の身体ってのは本当に不器用だ。

大人の感覚を知ってるとイライラするくらい、指が思った通りに動いてくれない。

ふっと気を抜いて感覚だけで動こうとするとすぐにコップをひっくり返したりお皿に腕をひっかけたりして大きな音を立ててしまう。

 

 

そのたびに教授が杖を振って元通りにしてくれるから、私はそのたびにいちいちお礼を言い続けて。

子供がいる家庭ではある程度は仕方がないことなのだろうけれど、これでは教授もゆっくり食事を楽しむなんてことはできないだろう。

 

 

私が下を向いて一心不乱に食べていると、教授の視線が私に向いているのに気がついた。

反射的に顔を上げて正面を見るとすっと視線が逸らされる。

……たぶん、なにか言いたいことがあるんだろうな。

もしかしたら教授、私が怪我をする前にはけっこう頻繁に私のことを怒鳴りつけてたのかもしれない。

 

 

なんとなく漠然と、なんだけど。

私、学校の先生なんてやってるヤツは、なんだかんだ言って心の底では子供が好きなんだと思ってた。

 

 

だって、毎日毎日1日中子供につきあうとか、子供嫌いの私にはぜったいできないもん。

だから漠然となんだけど、陰険で厭味なスネイプ教授も心の底では子供が好きなんだろうな、って。

 

 

でも、こうして教授を横目で観察していて、私は彼に私自身と同じものを感じたんだ。

いわゆる“子供嫌い”の同じ魂を。

 

 

(まあ、教授が先生やってるのって、リリーの忘れ形見を守るため、だったもんね)

 

 

私だったら、たとえ好きな人の子供を守るためでも、学校の先生なんかできそうにないわ。

その前に好きな人の子供をなにがなんでも守りたいなんてそもそも思わないだろうけど。

 

 

 

先に食事を終えた教授は食後の紅茶を自分の分だけ淹れて飲んでいて。

少し遅れて私もごちそうさまをすると、不快そうに私を見下ろして言った。

 

 

「顔と手を洗ってこい」

「はい」

 

 

素直に答えて椅子を降りようとすると、教授はまた少し椅子をずらしてくれて、なおかつ部屋の扉も魔法で開けてくれた。

よほど家の中を汚されるのが嫌なのだろう。

もうちょっと私の身体が成長するまでは我慢してください教授。

 

 

 

洗面所で言われたとおりに食いこぼしを洗い流したあと、ちらっとリビングを覗くと教授はソファの方で本を片手に紅茶を飲んでいた。

どうやらすぐに帰ってしまう訳じゃないらしい。

私はいちど部屋に戻って、絵本を持って再びリビングへと戻った。

 

 

「教授」

「……」

「絵本を読んでください」

「……自分で読めないとでもいうのか?」

「教授に読んで欲しいです」

「……」

 

 

察してくれ、この気まずい空気を。

でもこの延々と長く続く沈黙は耐えがたいんだよほんとに!

ほら、子供と付き合うのに絵本はいいコミュニケーションツールになるよね、きっと。

親子なんだからさ、そのくらいのことはしてあげようと思ってくれよ頼むから!

 

 

私がソファの隣に座って絵本を差し出すと、教授はしぶしぶながらも読んでいた本をテーブルに置いて、絵本を開いてくれた。

教授が広げた絵本を横から覗き込む。

ここは子供を膝の上に乗せる、が正解なんだろうけど、スネイプ教授にそこまで要求してもね。

背伸びしながら覗き込む私に気づいたのか、教授は少しだけ絵本を私の方に近付けてくれた。

 

 

不機嫌そうに、でもゆっくりと、教授は絵本を音読し始めた。

低音のボイスがやたらと胸に心地いい。

これ、たとえばバーのカウンターとかで口説き文句を囁かれたんだとしたら一発で堕ちてるレベルだわ。

 

 

教授の読み聞かせは朗読というよりはほとんど読経といった感じで、おなかがいっぱいになってたこともあってすぐに眠くなった。

そのままいくらも経たないうちに私は眠ってしまったんだろう。

気がついたときには既に朝で、教授は私が眠ったあとそのまままたホグワーツに帰ってしまったのだとメイミーが教えてくれた。

 

 

 



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幼少期5

 

土曜日の夜の食事会と、その後の教授の読み聞かせが毎週の定番になっていた。

どうやら教授自身も絵本を読めば間が持てることに気がついてくれたらしい。

何回かソファで眠ってベッドで起きるを繰り返したあと、教授は読み聞かせの場所をリビングのソファから私のベッドへと変えてくれた。

きっと眠った子供を寝巻に着替えさせてベッドへ運ぶのが面倒になったのだろう。

 

 

絵本は何冊かあったのだけど、同じ本を何度も繰り返して読むことに、私はもとより教授自身が飽きてしまったのかもしれない。

クリスマスを十日後に控えたその日、教授は初めて日が高いうちに帰ってきた。

 

 

「すぐに出かける支度をしなさい」

「お出かけ、ですか?」

「ああ。本屋へ行く」

「はい」

 

 

すぐに部屋に行ってメイミーを呼ぶと、教授が予告なく帰ってきたことで慌ててどこかへ隠れていたらしいメイミーはすぐに姿を現した。

彼女に手伝ってもらいながら外へ出られる暖かい服装へと着替える。

多少髪も整えてから戻ると、さっそく教授が私をつかまえて姿くらましをした。

 

 

 

連れてこられたのは、おそらくダイアゴン横丁にある比較的大きな書店だった。

もしかしたらここがハリー達がいつも教科書を買いにくる本屋なのかな?

見回してみたけれど、クリスマス休暇の直前だからか、学生の姿はなく就学前の子供と大人がちらほらいるだけだった。

 

 

教授は私を児童書のコーナーへと連れてくると、好きなものを選ぶようにと言って放置し、自分は別のコーナーへ行ってしまった。

相変わらず子供の扱いを知らない人だ。

たった4歳の子供をこんな場所に放置したら、迷子になるか最悪人さらいにでも遭うのが関の山だろうに。

(まあ、私は実質大人だから危険率はだいぶ下がるけど、いきなり口をふさがれて連れ去られたら対処できないぞ)

 

 

私はいちばん低い位置にある幼児用の本棚と、その少し上の児童用本棚を眺めて、ときどき中を確認しながら面白そうな本を探した。

物語の中身というよりも、どちらかといえば英語の勉強が出来そうな本を選んでいく。

禁じられた覚えがないからときどき教授の部屋に入って本棚の本を眺めたりもするのだけど、私の語学力では判らない単語が多すぎてぜんぜん読めないんだよね。

メイミーに聞けばある程度は教えてもらえるけど、彼女だってさほど高い教養がある訳じゃないから知らない単語も多くて、人付き合いのない今の生活では教授に読み聞かせてもらって覚えるのがいちばん勉強になると思うんだ。

 

 

吟味に吟味を重ねて3冊ほど選んだあと、きょろきょろとあたりを見回すと、本棚の間から教授が顔を出した。

って、もしかしてずっと様子を見守ってました、って感じですか?

このツンデレさん!って言いたいところだけど、果てしなく勘違いな気がするから頭の中で妄想するだけにとどめておく。

きっとちょうど教授が本を選び終わったタイミングだっただけだろう。

 

 

「もういいのか?」

「はい」

「貸してみろ」

 

 

教授は私の手から本を取り上げると、少し眺めて再び私を見下ろした。

なにか言いたそうな、少しいぶかるような視線で私を見る。

……やっぱり、4歳の女の子にしては少し難しい本を選んでしまっただろうか?

変に思われたくなかったから、文字は多くてもできるだけ絵が派手なのを選んだつもりだったんだけど。

 

 

けっきょく教授はなにも言わずにカウンターへ行き、店員に3冊の本を手渡して。

しばらくして店員から戻ってきた時にはクリスマス用にラッピングされていた。

どうやら私へのクリスマスプレゼントのつもりだったらしい。

その日のうちには渡してもらえなかったので、恒例の夜の読み聞かせは前回途中で眠ってしまった絵本の続きだった。

 

 

 

 

 

いつものように教授の美声を聞きながら寝落ちした翌日から、私はものすごく久しぶりにワクワクしていた。

こんな気持ちでクリスマスを待つなんて何十年ぶりだろう。

実はこれでも20代の頃はそれなりに彼氏がいたんだけど、30過ぎてからはぱったりだったから、少なくとも15年か。

いやいや、彼氏がいた頃だって、もしかしたら子供の頃だって、クリスマス前にこんな気持ちになったことはなかったかもしれない。

 

 

(これも多少はミューゼちゃんの感情が混じってそうだよね)

 

 

最初から私と元人格のミューゼちゃんとの自我に境界線なんてものはなかったから、こうして45歳の私として思考している私も実のところかなり4歳の彼女に浸食されているのかもしれない。

 

 

数日間はただ楽しみなだけだったんだけど、ある日ふと気がついたんだ。

そういえば私、教授にクリスマスプレゼント用意してないじゃん。

忘れてたのは私が子供で、日本では親が子供にプレゼントするのが当たり前だから、っていうのもあったんだけど、こっちではクリスマスプレゼントは互いに贈り合うのが常識だった気がする。

 

 

でもさ、そもそも私、とうぜんお小遣いなんかもらってないし。

必要なものがあればメイミーが取り寄せてくれるけど、それだって教授のお金なんだから、私が教授のお金で適当なものを買ってプレゼントしても喜んでもらえる気がしないよ。

 

 

少し考えて、私は教授に労働力をプレゼントすることにしました。

いわゆる『肩たたき券』というヤツです。

ふつうは父の日の定番だけど、私はイギリスの父の日がいつなのかなんて知らないし。

教えてもらってない以上教授も期待はしてないだろうから、画用紙とクレヨンで適当に作ったそれを、メイミーに頼んでフクロウ便で届けてもらうことにした。

 

 

というのも、教授はクリスマス当日はホグワーツのクリスマスディナーに出るらしく家には帰ってこないのだ。

翌日から数日間は家で過ごすようだけれど、自分の子供よりも学校に居残った生徒が優先というのはやっぱりさびしい気がする。

 

 

(これも仕事のうちだからね、しょうがないっちゃしょうがないよ)

 

 

彼が仕事をしてくれてるから、私は何不自由なく暮らせるんだし。

それに、教授は私といてもあまり会話をしようとしないから、1日中一緒にいたら間が持たなくて困るんだろう。

私自身も一日中引きこもってるから話題なんかないし。

 

 

だから、肩たたき券はいわゆる絵本に続くコミュニケーションツール第二弾て意味もあったりするんだ。

って、まだ私は英語の語彙が少ないから「お客さん、凝ってますねー」的な会話を英語でどうやるのかは知らないけど。

 

 

 

 

そんなこんなでクリスマス当日の朝、私の部屋にはちゃんと教授サンタからのプレゼントが届いていました。

もちろん中身は私が選んだ絵本3冊……だけじゃなかった。

見覚えのない本の表紙を見ると、以前教授の部屋の本棚でよく見た単語が並んでいる。

『魔法薬学の初歩の初歩』と頭の中で訳したその本の中身は、タイトル通り魔法薬の基礎知識が子供にも判る優しい言葉で解説されていたんだ。

 

 

たぶん教授は、私が教授の部屋に入っていたことを知ってたんだろう。

そして、私が魔法薬の本を ―― 興味本位で ―― 手に取って眺めていたことも。

 

 

判らないけど、なんだか涙が出るくらい嬉しかった。

教授がこの本を私のためだけに探してくれたのが判ったから。

たぶんホグワーツの一年生の教科書よりもずっと子供向けのこんな本、マイナーすぎて置いてる本屋だってずっと少なかっただろうに。

 

 

(なんか……複雑だけど、すごく嬉しい)

 

 

私のためなんかじゃない、教授はミューゼちゃんのためにこの本をプレゼントに選んだ。

だから複雑、でもすごく嬉しい。

教授は無口で不器用で睨んだり怒鳴ったり怖いこともあるけど、ちゃんと娘のことを見ていて、教授なりに愛しているんだ。

そしてその愛情は、ミューゼちゃんの中身がどうだろうと関係ない、ただ娘だという事実があるからこそ私に注がれている。

 

 

前世の私の父親は私が小学生の頃に亡くなってしまったから、私は父親に愛された記憶があまりない。

逆に母親とは生まれて45年間ずっとそばにいたから、口うるささや理不尽さに憎しみさえ覚えるくらい、それこそトラウマになるくらい、家族愛とそれに付随するいろんな感情を余すところなくぶつけあって生きてきた。

父が亡くなってしばらくは判らなかったのだけど、ある時ふと父のことを思い出して、私は悲しみよりも悔しさを強く覚えたんだ。

もしもお父さんが生きていたら、母と戦い過ごしたのと同じくらいの感情を、父ともぶつけあえたんじゃないか、って。

 

 

私は今生まれ変わって、前世と逆の父子家庭という境遇を与えられた。

もしかしたらこれはチャンスなのかもしれない。

前世では築けなかった父親との濃密な家族関係を、私はセブルス・スネイプ教授と築いていける。

もうさんざん!おなかいっぱい!この次生まれ変わったらぜったい親子になんかならない!って思うほどの超うざい親子関係を。

 

 

(教授が教授なりに私を愛してくれるなら、私は私なりに教授を愛そう)

 

 

教授にとっては元のミューゼちゃんも私もどちらも娘だ。

だから私は、ミューゼとしても私としても、教授を父親として愛する。

好きなキャラクターとしてじゃなく、私は私の父親であるセブルス・スネイプを愛していこう。

 

 

 

それは、私がこの世界で生きていることを、本当の意味で肯定することにつながるのだから。

 

 

 



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幼少期6

メイミーは私にいつもよりも豪華なクリスマスディナーを作ってくれた。

あ、ちなみにメイミーにもクリスマスプレゼントを贈ったよ。

ただ、教授と同じ肩たたき券は、彼女には不要のものだったみたいだけど。

 

 

「ミューゼお嬢様のクリスマスカードをメイミーは一生大切にされますのでございます!」

 

 

ときどき使って欲しいと言う私に、メイミーはぶんぶん首を振って辞退を表明した。

 

 

 

とうぜん幼児の私にはディナーをぜんぶ平らげるなんてことはできず、おなかがいっぱいになったところで。

なぜかとつぜん教授が姿現しをして帰ってきたんだ。

慌てて身を隠すメイミーを横目で見送りつつ、私は少し驚きながらも教授に声をかけた。

 

 

「おかえりなさい、教授」

「これはおまえか?」

 

 

ローブを脱ぐこともせずにずいっと差し出されたそれは私が贈った肩たたき券だ。

そういえばカードには名前を書かなかったけれど、メイミーが封筒に入れてくれたようだったから、そちらに書いてあると思ってた。

 

 

「はい」

「なんだこれは」

 

 

……もしかして通じなかったのだろうか。

英語が間違ってたとか?

ひょっとして、イギリスでは子供が親の肩をたたく習慣自体がないとか、そういうオチなんだろうか。

 

 

「えっと、教授がつかれてたら、私が肩をたたきます」

「……」

「それを見せてくれたら、いつでもどこでもたたきます」

「……ならば今やってみろ」

 

 

教授はようやくローブを脱いで、ソファに横向きに座って私に背を向けた。

私はさっそく教授のうしろ、ソファの上に立ってこぶしを握る。

で、たたき始めたんだけど……。

 

 

「……ぜんぜん効かんな」

 

 

……すみません、私、自分が4歳児だってことを忘れてたみたいです。

私の柔らかいこぶしでは全力でたたいてもほとんど衝撃を与えることなんかできなくて。

すぐに私の手の方が痛くなっちゃったんだ。

 

 

「えっと、じゃあ、腰を踏みます。ここに寝てください」

 

 

教授を無理矢理ソファに寝かせて腰に乗る。

背もたれにつかまってバランスを取りながら必死に体重をかけるんだけど、しょせんは4歳児の体重で ――

 

 

「……無理だな」

「……ごめんなさい」

 

 

―― 労働力プレゼント作戦は完全に失敗だったみたいです。

 

 

軽く落ち込んでうつむいていると、さすがに少し気の毒に思ってくれたのか、教授の方から声をかけてくれた。

 

 

「もう少し大きくなったらな。それまでこれは取っておいてやる」

「……ほんとう?」

「ああ。……今は気持ちだけもらっておく」

「……ありがとう」

 

 

教授のフォローが嬉しくて自然に笑顔になる。

そんな私の表情を見て、教授はすっと視線をそらしてキッチンに紅茶を淹れに行ってしまった。

 

 

照れ屋さん、でいいのかな?

どっちにしても嬉しい。

だって、本当だったら今日は帰ってくる予定じゃなかったんだ。

それなのに、(もしかしたら私が変なカードを贈ったからかもしれないけど)少なくとも紅茶を飲む時間くらいは私と過ごしてくれるつもりになってくれたんだから。

 

 

教授は私にもミルクティを淹れてくれたから、ソファに座って ―― 私はカーペットに正座して ―― 一緒に飲んだ。

 

 

「教授、ご本、ありがとう。すごく嬉しかったです」

「そうか」

「はい」

「……それを飲み終わったら持ってくるといい」

 

 

それはもしかしてこのまま読んでくれるってことですか!?

あんまり嬉しかったから、早く紅茶を飲んでしまいたくて少し口をやけどしちゃいました。

 

 

部屋に戻って、絵本と薬学本とでちょっとだけ悩んだ。

うーん、薬学の本も気になるけど、寝落ちする前提だとやっぱり頭に入らないからね。

けっきょく迷った末に絵本1冊と薬学の本を持って再びリビングに戻った。

 

 

「なぜ2冊も持ってきた」

「……教授、明日はおうちにいてくれますか?」

「先に我輩の質問に答えたまえ」

「えっと、教授が明日もいてくれるなら今日は絵本で、今日だけならおくすりの本にします」

 

「……明日は休みだ」

「じゃあこのご本を読んでください」

 

 

私が薬学の本をテーブルに置いて絵本を差し出すと、教授はいつものとおり本を開いて、その横から私は広げた本を覗き込んだ。

 

 

今までの本は自分でも何度か読んだことがあったから、絵や文がちゃんと見えなくてもあまり気にしなかったけど。

今回の本は初めて見るもので、しかも今までよりも文字が小さかったから、私はいつもよりも教授にくっついて背伸びしながら覗き込んでいた。

読み始めた教授も私の仕草には気づいたのだろう。

少しの間読む声が止まって、訊ねるように顔を上げると、教授はいきなり私を抱き上げて膝の間に座らせてくれたんだ!

 

 

 

背後から私を抱え込むようにして、目の前に本を広げてくれる。

これでこそ読み聞かせの定位置だ。

でも、そんなことよりも私は、おそらく初めて感じる教授のぬくもりに胸がいっぱいになってしまったんだ。

 

 

前世の私の父は、ちょっと太めでたぶん教授ほど長身じゃなかったけれど。

ずっと忘れてた父との距離を私は鮮明に思い出していた。

……お父さん、なんだ。

ここに私のお父さんがいる。

 

 

絵本の物語はほとんど私の頭には入ってこなくて。

ただ、教授の低い声と身体を包むぬくもりだけを私は感じていた。

 

 

 

 

きっと私は安心してしまったんだろう。

気がついたときには既に朝になっていて、久しぶりに私はベッド以外のところで寝入ってしまったのを知った。

 

 

はっと飛び起きてメイミーを待つまでもなく着替えを探す。

もちろんすぐに彼女はきてくれて、私を手伝いながら、教授が自室にいることを教えてくれた。

既に朝食を済ませていてもおかしくない時刻だけれど、教授はまだ食事をしてはいないらしい。

間違いなく私が起きるのを待っててくれているのだろう。

 

 

支度が済むと私はすぐに教授の部屋を訪れた。

勝手に入ったことはあるけれど、昼間教授がいること自体が初めてだったから、こうして部屋に教授がいるのを見るのも初めてだった。

教授は部屋の机で書類仕事をしていたようで、私がノックをして入ると椅子から腰を上げた。

 

 

「おはようございます」

「ずいぶん遅いお目覚めだな」

「ごめんなさい」

「……」

 

 

もっといろいろ言いたそうではあるけれど。

二言目を我慢したらしい教授は、私の横を通って部屋を出ていこうとした。

私も教授のあとについて食卓へ行く。

テーブルには既に朝食の用意がされていて、私が椅子によじ登ると教授はいつものように椅子を浮かせてちょうどいい位置に動かしてくれた。

 

 

まあ、確かに朝寝坊ではあるけれど、4歳児と思えば睡眠時間が長いのはある意味しょうがないことなんだよね。

それとも木から落ちる前のミューゼちゃんはもっと早起きしてたのかな?

ということは今の私よりも早く寝ていたということだから、もしかしたら夜の読み聞かせの時間の分、以前より寝る時刻が遅くなってるってことなのかもしれない。

 

 

 

目覚ましをかけるなりして強制的に起きることはできるだろうけど、それなりに睡眠時間は確保しなくちゃだから。

……幼児の身体でも寝だめってできるんだろうか?

とりあえずクリスマス休暇の間くらいはなんとか早起きできるように頑張ろう。

 

 

朝食のあと、手と顔を綺麗にした私は、さっそく薬学の本を持って教授がくつろいでいるソファへと赴いた。

教授は私が規格外れの読書好きだと思ってるのだろう。

(まあ、じっさい読書は好きなのだが、少なくとも同じ絵本を何度も繰り返して読んでもらってるのはひとえにコミュニケーションのためだからだ。そこまで私はマゾじゃないぞ!)

喜々として魔法薬学の本を抱えてきた私を、教授は昨日と同じようにソファの膝の間に座らせてくれた。

 

 

教授はいつもよりも更にゆっくりと文章を読み聞かせてくれて。

私は教授の声を聞きながら単語を追って、知らない単語の発音を頭に入れようと頑張っていた。

真剣な、まるで学校の授業のような緊張した時間がしばらく続いた。

さすがに話し疲れたのだろう、章の区切りで教授が一息ついて、冷めてしまった紅茶を飲み干した。

 

 

「今日はここまでだ」

「教授、私、先が気になります」

「……内容が頭に入っているとは思えんのだが?」

「ぜんぶは覚えてないです。でも教授が疲れたのなら、今度は私が読みます」

 

 

攻守交代、続きを私が読み始めると、少しムッとしたらしい教授も黙って聞いてくれていた。

もちろん私はまだ英語をすらすらと読めるほどの語学力はない。

単語一つ一つを拾うように読むからゆっくりだったし、ときどきは発音を間違えたし、読めない単語もたくさんあった。

でも、私がつっかえれば教授はうしろから単語を読んでくれたし、判らない単語の意味を訊けば易しい言葉に直してちゃんと教えてくれたんだ。

 

 

うん、この本はこういうやり方の方が理解できそうだ。

もちろんペースは格段に落ちるし、トロすぎて教授がイライラしてるのもすごくよく判っちゃうんだけど。

 

 

私が読み疲れる頃には、読書を始めて2時間くらいが経過していた。

さすがに4歳の子供の集中力はこんなに持たなかったなと思い当たってちょっとだけ焦る。

できれば教授には私が45歳の精神を持ってるとは悟られたくないんだけど。

 

 

「 ―― か」

「え?」

「なんでもない」

 

 

教授が言った言葉を訊き返したのは、聞こえなかったのではなく単語の意味を知らなかったからだ。

でも教授は私に教えるつもりはないらしく、私の身体を隣に移動させて新しい紅茶を淹れるために席を立った。

とりあえず教授が私の精神年齢について疑問を持った感じではなかったことにほっとした。

……だって、もしも私が教授の立場だったら、我が子の中身が自分の母親と同年代とかぜったい嫌だし。

 

 

幸いにして私はもともと英語ができないから、4歳児の語彙で話してる限りバレる可能性は格段に低いと思う。

思ったことをちゃんと表現できないってのはかなりもどかしいけれど、それだけには感謝していいような気がするよ。

 

 

 

 

午後からは教授は仕事だと言って部屋にこもったので、私は心置きなく自室で惰眠をむさぼることにした。

まあ、昼寝は幼児の務め(?)だし。

ここできちんと眠っておけば、もしかしたら明日は早起きができるかもしれない。

 

 

 

 

とまあ、そんなことを思っていつもよりも長い時間昼寝をした訳なんだけど。

そうそううまくはいかないのが世の常というヤツで。

振り返ってみれば当然ではあるのだけれど、昼寝しすぎて夕食のあとはぜんぜん眠れる気配がなくなっちゃいました。

 

 

「またこれを読むのか?」

「はい。続きが気になります」

「……判った」

 

 

うんざりしたような口調だったけれど、娘が魔法薬学に興味を示すのは、実はまんざらでもないのだろう。

教授はまた私を膝の間に座らせて読んでくれて、試しに話を途中でさえぎって質問してみたけれど、溜息をつきながらもちゃんと解説してくれた。

 

 

 

 

その夜けっきょく寝付いたのはかなり遅くなってからだった。

眠る前にメイミーに目覚ましを頼んでおいたところ、ほんと寝付いて一瞬で起こされたんじゃないかと感じるくらい夜が早かった。

こんなふうに熟睡するのも大人になってからは数えるほどしかなかったような気がする。

 

 

「教授、おはようございます」

「ああ」

 

 

そうとう寝足りない感じはあったけれど頑張って支度をして教授に朝の挨拶をする。

もしかしたら教授の方もあまり寝ていないのかもしれない。

おそらく私を構いすぎたせいで必要な仕事が滞ってしまっているのだろう。

さすがにちょっとだけ申し訳なく思った。

 

 

今日は昨日教授が読んでくれたところを復習しながらひとりで読んでみよう、と予定を立てつつ食事をしていると、先に食事を終えて紅茶を飲んでいた教授が、私の食事が終わったと見て声をかけてきた。

 

 

「おまえは、魔法薬に興味があるのか?」

「はい」

 

 

素直に答えれば、教授は少しだけ視線を外して続ける。

 

 

「今日は魔法薬の調合をやる」

「はい。邪魔しないように大人しくしてます」

「それは結構。……我輩の邪魔をせず、大人しくできるなら、部屋で見ていてもかまわんが?」

 

「……はい!」

 

 

そう返事をした私はたぶん、嬉しさを全面に表わしたような笑顔だったことだろう。

だって、教授が私に調合を見せてくれるって、そう言ったんだ。

こんな、まだ4歳でほんとだったらうろうろちょろちょろ危なっかしい年頃の幼児の私を、調合という繊細な作業が必要な部屋に入れてもいい、って。

……もしかしたら、教授はあまり子供のことに詳しくなくて、4歳児の危なさを理解してなかっただけかもしれないけれど。

 

 

 

私自身は教授よりもいくぶん子供のことが判ってたから ―― 前世で友達の子供とかとは多少関わったりもしたし ―― 自分の危うさは十分理解していた。

この身体になってからは、大人にはなんでもない場所でも子供にとってかなり危険な場合がたくさんあることも判ってきた。

少し考えた私は、教授に頼んで食卓の子供椅子を調合部屋に運び込んでもらったんだ。

その椅子を鍋から少し離れた場所に置いてもらって、そこから教授の調合を見守ることにした。

 

 

座ってみると、目線は教授よりかなり下だけれど、調合用テーブルは食卓よりやや低いため十分に鍋の中を見ることができた。

 

ここなら私が暴れたり教授が椅子にぶつかったりしない限り危険はないだろう。

 

 

「これから作るのは『思い出し薬』だ。スムーズにいけば20分くらいで完成する」

「はい」

 

 

思い出し薬、って。

もしかして私の記憶を戻すような薬なのかな?

訊ねてみたかったけれど、それだけ言ってすぐに教授は作業に入ってしまったから、私は黙ったまま作業工程を見守った。

教授の調合テクニックは本当に鮮やかなもので、言ってた通り20分もかからないうちに薬は完成したようだった。

 

 

「あとは粗熱を取って瓶に詰めるだけだ」

「はい。ぜんぜん判らなかったけどすごかったです」

「そうか」

 

「……あの、その薬は、私が飲むんですか?」

 

 

教授は一瞬だけ目を見張ったあと、すっと目を細めた。

数秒間の緊張をはらんだ沈黙に包まれる。

……もしかして、私はまたなにか教授が気に障ることを言ってしまったんだろうか。

このところ教授が優しかったからちょっと油断してたかもしれない。

 

 

「……飲んでみるかね?」

 

 

教授は言って、引き寄せたゴブレットに少量の薬を移して、私に差し出してきた。

やっぱりちょっと怒ってる。

手渡されたゴブレットの薬はすでにかなり冷めていたから、私は中身を一気に飲み干した。

ちょっと癖のある味だったけど意外に飲みやすかった。

 

 

「どうだ。記憶は戻ったか?」

「……いえ、まだ」

「この薬でおまえの記憶は戻らん。これは年明けに生徒に調合させる『忘れ薬』の解毒剤だからな。もしもこれでおまえの記憶が戻るのならばとっくに飲ませている」

「……はい」

 

 

言われてみればその通りだ。

私が記憶をなくしてから既に3ヶ月くらい経ってるのだから、もしも効くならこんなに簡単に作れる薬を飲ませずにいる理由はない。

でもそれを4歳児が理解しなかったからといって機嫌を悪くするのはいかがなものだろうか?

(いや、中身45歳の私が言っても負け惜しみにしか聞こえないけどさ)

 

 

教授の調合はそれだけでは終わらず、他にもいくつかの解毒剤的な薬を調合して、工程はちゃんと私にも見せてくれた。

たぶんこれは教授にとって、毎年冬休みの予定に組み込まれた作業なのだろう。

いつもならば私の世話をメイミーに任せてその間にやっていたのだろうけれど、今年は私が魔法薬学に興味を示したからあえて見せてくれたんだ。

もちろん調合そのものはまったく理解できなかったけれど、素人目に見ても教授の調合がすごいってことと、休みの日を使ってまで生徒のための準備をやってるんだってことはよく判った。

 

 

 



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幼少期7

 

 

私と教授との親子関係は、たぶん私が木から落ちて怪我をする以前よりはずっと安定したものになったと思う。

教授は事故そのものやそのあと医者から怒られたことについていろいろ考えて、私に対してできないことを叱ったり感情をぶつけることをできるだけ抑えているようだったし。

私自身はさすがにもう子供じゃないから、教授が機嫌を損ねたら理由もなんとなく察せられるし、ある程度相手の性格に合わせた対処法だって判ってる。

長年男社会でOLからお局様までこなしてきたからね、ふだんは適当に聞き流して、必要なところで意見を言うその絶妙なさじ加減なんかも身についちゃってたりする訳です。

 

 

私が変わった ―― たぶん反抗したり怯えて泣いたりしなくなった ―― ことで教授もかなり楽になっただろうし、読み聞かせや薬学という共通する話題を持てたことで多少は会話も増えたのだろう。

でもそれだけで、私と教授の間には無駄な会話というものはほとんどなかった。

まあ、私自身、もともとあまり人付き合いは得意な方じゃなかったからね。

(だいたい私の第一印象ってほぼ『とっつきにくい』だったし。最近では仕事以外の時間はずっと引きこもりで友達もいなかった)

たぶん根本のところで私と教授は似たところがあって、それがいい意味でも悪い意味でもお互いの関係を安定させていたのだろうと思う。

 

 

クリスマス休暇が終わって、イースター休暇は試験の準備などで忙しいのか教授が寝泊まりに帰ってくることはなく、夏休みまでの間は土曜日の夜だけが私と教授の親子の時間になった。

私はとにかく言葉を覚えたかったから、禁じられてないのをいいことに教授の部屋を家捜しして、やっと広辞苑並みの分厚い辞書を探しあてて。

メイミーに鉛筆とノートも取り寄せてもらったから、必死になって文字と単語と発音を練習していったんだ。

勉強するにあたって子供の脳はかなり優秀だったから、努力の甲斐あって夏休みに入る頃には私は教授の部屋の薬学の本をそれなりに理解できるまでになっていた。

 

 

問題があるとすれば知識が薬学に偏ってしまっていることだろうけれど、教授と会話するという意味ではさほど問題ではない。

でも、たぶん教授自身はそうじゃなかったんだろう。

学生の夏休みが始まって数日後に教授も休みに入ったようで、迎えた私に教授は言ったんだ。

 

 

「おまえは9月からマグルの学校へ行け」

 

 

え? 私、8月の誕生日が来て5歳になるんだよね?

行くのは構わないけど、今の年齢だと通えるのは幼稚園なんじゃないだろうか?

 

 

「5歳でも入れるんですか?」

「マグルの学校では5歳が1年生だ。魔法学校とは違う」

「……はい。判りました」

 

 

どうやらイギリスと日本とでは根本的に教育制度が違うらしいです。

いずれにしても、私はまだ魔女なのかスクイブなのかはっきり判る年齢じゃないから、もしもスクイブだった時のためにもマグルの学校に入学するのは間違いじゃないのだろう。

もっともダンブルドア校長ならすでに知ってるのかもしれないけど。

 

 

 

そんなこんなで夏休みは入学の準備でけっこう忙しかった。

もちろん私がじゃなくて教授がだ。

おかげでクリスマス休暇の時のようなまったり感はあまりなくて、どことなく落ち着かないまま過ぎていって。

9月1日の入学式は午前中だったから一応出席してはくれたけれど、式が終わると今度はホグワーツの入学式があるため教授はすぐに文字通り飛んで帰ってしまった。

 

 

 

 

結果的には、私はマグルの小学校へ行けてよかったと思う。

たくさんの人たちとの関わりの中で言葉も覚えられたし、人との付き合い方も思い出した。

それなりに身体を鍛えることもできた。

教授は相変わらず仕事で忙しくて学校行事のほとんどに出席してくれなかったけれど、毎週土曜日にはふつうの親子のように学校での出来事を話題にして会話することもできた。

 

 

言葉さえ覚えてしまえば学校の授業内容自体は問題にならなかったから、放課後はすぐに帰ってきて料理や魔法薬の勉強をして。

夏休みやクリスマス休暇には教授の助手をして、やがては簡単な調合なら任せてもらえるようにもなった。

もちろん教授は厳しい先生だったから、魔法薬に関わっている時には遠慮なく怒鳴りつけられたけど、私はもう初めて教授に怒鳴られた時のように泣いたりはしなかった。

言葉が増えた私は理不尽なことがあれば遠慮なく言い返したから、時には睨み合いの喧嘩に発展することもあったけれど、それも教授と私の距離が少しずつ縮んでいる証拠だと思うと無性に嬉しく感じられた。

 

 

学校へ行き始める前にはどこか上司と部下のような立ち位置で安定していた関係は、私が成長していくに従って、少しずつ親子へと近づいていったのだと思う。

でも、心のいちばん真ん中のところではやっぱり私と教授はよく似ていて、他人にはぜったいに踏み込ませない何かを持っていたし、相手のそういう部分に踏み込む勇気は持っていなかった。

私は自分に前世の記憶があることをぜったい誰にも知られたくないと思っていた。

そして教授も、私を産んだ母親のことや、ハリー・ポッターとその母親のリリーのことについては、一度も話してくれようとはしなかった。

 

 

たぶん私は、自分の母親のことについて、教授に訊ねるべきだったのだろう。

ふつうの子供ならば成長するにしたがって母親がいないことに疑問を抱くものなのだから。

でも、ここが大人のずるさなのだろうけれど、教授がそれを訊かれたくないと思ってるのが判ってしまうのだから仕方がない。

母親について、教授が少なくとも1回はそういう行為をした女性がどんな人なのか気にならないと言ったら嘘だけど、けっきょくそれ以上の興味ではないから、教授の機嫌を損ねてまであえて訊きたいとは思わないんだ。

 

 

私はただ、教授に娘として愛されていればそれで満足で。

私は教授をたった1人の父親として大切にできればそれでいい。

そう、できればハリーがホグワーツを卒業してからもずっと生きていてくれて、私はたぶん前世と同様結婚なんかしないだろうからずっとそばにいて、老後の面倒をみて最期を看取って。

もう十分父親との関係は堪能した、悔いはない、そう思って独りさびしく死んでいければいいんだ。

 

 

 

失いたくはない、けれど。

小学校を卒業するときには、もうあと7年なのか、と思ってしまった。

教授と過ごせる年月はいつの間にかもう半分が過ぎ去ってしまったのか、と。

 

 

「教授、おかえりなさい」

「ああ」

 

 

ローブを脱ぐ教授に駆け寄って受け取り、背伸びしてハンガーにかける。

テーブルに並んだ夕食の中には、実は私が作ったおかずもある。

日本人女性だった記憶があるからなんだろうけれど、ときどき無性に日本食が食べたくなることがあるんだよね。

今日作った白あえに使った豆腐は私が大豆から手作りしたものだったりする。

 

 

まあ、前世では料理なんてぜんぜんしたことなかったから、味の保証はできないんだけど。

でも教授は感想もない代わり文句も言わないので、出されたものはたとえどんな見た目のものであろうと黙って口に入れてくれた。

 

 

食事がすむと教授はソファで紅茶を飲むので、私はうしろにまわって教授の肩もみ。

絵本の読み聞かせタイムはいつしか肩もみの時間に変わっていた。

 

 

「先週無事に小学校を卒業できました」

「そうか」

「はい。それで、卒業あとの進路なんですけど」

「おまえは9月からホグワーツだ。校長にも了承を得てある」

 

 

え? 私、魔力あるのか?

実はこの年まで私の魔力が発動したような気配はない。

確かハリーは原作より前から周りで不思議なことが起こってたような気がするのに。

 

 

「私、スクイブじゃないんですか?」

「おまえの血筋でスクイブはない。おまえは間違いなく魔女だ」

 

 

教授が言い切ったってことはそうなんだろう。

ということは、私の母親は純血の魔女だってことだ。

……時期的に、お相手は教授が死喰い人だった時の同僚とかなのかな?

闇の帝王の部下には純血貴族が多いから、混血の教授とは禁断の恋とかで、なおかつ帝王が倒されるのと前後して死んだか捕まったかしたのかもしれない。

 

 

いよいよ原作が始まることについては特に何かがある訳じゃなくて。

私の目標はあくまで教授と親子になることで、本当に可能ならば教授の命を救うことだったから、原作に関わる気はまったくなかったりする。

だから寮はもちろんスリザリンがいいけど、私にスリザリンの資質があるかどうかはけっこう微妙なんだよね。

(大人なりの狡猾さはあるかもしれないけど、どちらかといえば私は正直者がバカを見るタイプだし)

まさかこの小心者の私がグリフィンドールになることはないと思うから、無難にハッフルパフあたりに入れてもらって、魔法薬の研究でもしながらのんびり過ごせればいいと思う。

 

 

「おまえは自分がスクイブだと思ってたのか?」

「え? あ、はい。私、自分の周りで自然に魔力が発動したことなんかなかったですから」

「あれは感情が不安定な子供だから起こる現象だ。おまえくらい感情が安定していたらまず起こらん」

「あ、なるほど。そういうことですか」

 

 

さすがに私は元45歳、あれから約7年で既に52歳になってる訳だから、感情の揺れ幅が子供のそれとは程遠いしね。

今でもときどきミューゼの感情を感じることはあるけれど、よほどのことがなければ理性を押しのけてくるようなことはなかったりする。

 

 

教授が紅茶を飲み干せば肩もみの時間は終わりで、教授は自室に戻って仕事を始めてしまう。

私はお風呂を使ったあとはたいていベッドの中で読書をして過ごしていた。

相変わらず教授は私が勝手に部屋に入ることを禁じないでいてくれたから、奥の本棚に隠すように置いてある闇の魔術の本なんかも簡単に持ち出せちゃったりして。

自分が魔女だと判ってもその中には使ってみたいと思うような魔法はなかったけれど、知識だけは相当数が頭に入ってるから、もしも今後自分がのっぴきならない状況に陥ったときにはけっこう頼っちゃうんじゃないかと思う。

 

 

でも、どれもこれも、死にゆく運命の教授を助けられるような魔法じゃなかった。

 

 

(やっぱり私は、教授にだけは死んでほしくない)

 

 

死にゆく人は教授だけじゃないけど、他の人は正直言ってどうでもいい。

たとえばもしも私がシリウス・ブラックの娘だったら彼を救いたいと思い、セブルス・スネイプのことはどうでもいいと思ったのかもしれないけれど。

私が教授のもとに生まれたのは単なる偶然だったのかもしれない。

でも、私が娘として7年間愛してきたのは確かに教授で、私を父親として7年間育ててくれたのは確かに教授だったから。

 

 

シリウスもリーマスも、好きなキャラクターではあったけれど。

私が生きていて欲しいと、ずっとそばにいて欲しいと思うのは、やっぱり教授だけなんだ。

 

 

(これから先の7年も、私は教授の娘としての人生を最大限優先して生きよう)

 

 

前世を思い出さなければ今の私とは違う人生を歩んだかもしれないミューゼ・スネイプのためにも。

私はミューゼ・スネイプとして恥ずかしくない人生を歩んでいこう。

 

 

 



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賢者の石1

 

 

前世で私が一番嫌いなものを挙げるとすれば、それは“買い物”だった。

なぜかというと、私は物心ついたときからずっと、自分が選んで買ったものに対して母に文句を言われたことしかなかったから。

おかげで私は、小学校の修学旅行でもお土産1つ選ぶことができなかったし、45歳だったあの頃も着る服はほとんど母が選んで買ってきたものだったりする。

私にとって買い物はトラウマで、だから私は、この日を迎えるのが苦痛以外のなにものでもなかったのだ。

 

 

 

「なぜそんな顔をしている」

「……いえ」

「具合でも悪いのではあるまいな?」

「……大丈夫です」

 

 

買い物は大きく分けて、制服、鍋や筆記用具などの学用品、教科書、杖の4種類。

うち制服と杖は私自身が出向かなければ始まらない。

おそらく教科書もこの時期は通販などできないだろう。

(もっとも、本に関しては母は口出ししてこなかったため、唯一本屋だけはトラウマの対象から除外されてたりする)

残る学用品だけ通販で済ませるというのもおかしな話なので、私は覚悟を決めて、教授にくっついて姿くらましをした。

 

 

私にとって人生二度目のダイアゴン横丁は、一度目とは違ってたくさんの人で賑わっていた。

多くは学生とその両親だ。

私ははぐれないよう、教授の腕につかまって、人にぶつからないように少し教授のうしろを歩いていた。

 

 

すれ違う学生が教授に気づいて目礼していく。

通り過ぎたあと、一緒にいる両親に教授のことを話しているのだろう姿も見えた。

教授の腕にはりついた私を見てあからさまに驚いた顔をする生徒もいる。

それだけでも、教授がふだん学校でよもや子持ちとは思われていなかったことがうかがえた。

 

 

(ええっと、確か教授って、今年31歳とかだっけ?)

 

 

いちおう誕生日にはさりげなくお祝いしてはいる。

(奇跡的に教授の誕生日覚えてた自分グッジョブ!!)

でも年まで数えてなかったから、なんとなく頭の中で計算してみる。

ホグワーツの教師の中ではとうぜん若い方だから、何百人もいる女子生徒の中には、教授みたいな男性が好みの変わった子もいるのかもしれないな。

 

 

……なんだかちょっとおもしろくない。

まさか学校で恋の告白とかされてたり……!?

べ、べつに教授が幸せになりたいと思うなら邪魔したりはしないけどさっ、私はたった1人の娘なんだから、週末のコミュニケーションの時間だけは断固として死守させてもらうよ!

 

 

と、そんなよけいな妄想をしているうちに、教授が目指す一つ目のお店についたみたいだった。

 

 

「まずはこの店で制服の採寸をしてこい。その間に鍋を買っておいてやる」

「……はい」

「なぜ今日はそんなに機嫌が悪い」

「……行ってきます」

「……」

 

 

教授とは目を合わせずに目の前の洋服屋を睨みつける。

たぶんハリーとドラコが初めて出会った店だ。

看板には『マダム・マルキンの洋装店』とあって、新入生らしい子供やその親、それよりちょっと大きな生徒がガラス越しに何人か見えた。

 

 

ひとつ深呼吸して足を踏み入れると、すぐに女性店員が飛んできて、順番に採寸するから少し待つように言って私を誘導してくれた。

 

 

椅子に座って、窓の外を眺めながら、再び大きなため息をつく。

買い物に来るたびに毎回思う。

やっぱり私は買い物が嫌いだ。

 

 

なかでも特に洋服を買うのが嫌いで、仕事で使うスーツなんかはほとんどネット通販で済ませていた。

下着関係も同じで、靴だけはしょうがないから近くの靴屋か、そこがつぶれてからは仕事帰りにデパートへ寄って適当に選んで。

もちろんファッションセンスなんか皆無だったから、Gパンとスーツの間のお出かけ着なんかぜんぜん持ってなかったんだよね。

(それで困らなかったのは単に私が仕事以外で引きこもりだったからだ)

生まれ変わってからもそんな調子で、マグルの学校へ行ってた頃の普段着はメイミーにカタログで選んでもらったのを通販してたんだ。

 

 

ホグワーツに行ったら、専属コーディネーターのメイミーはもういないんだよね。

授業中は制服だからいいとして、普段着も今のうちはメイミーが選んでくれたマグルの服を着回せば大丈夫だろうけれど。

これから文字通り成長していく私は、いずれはこの欠点も克服しなきゃならないと思うとかなり憂鬱だ。

 

 

(なんだかんだいって教授もけっこうお洒落だしね)

 

 

ふだん黒づくめだからあまり目立たないけど、服装にところどころこだわりがあるのは素人目にもよく判る。

私も、せめて教授の娘として恥ずかしくない程度にはセンスを磨くべきなのだろう。

 

 

 

 

順番がきて採寸を終える頃には教授も店に戻ってきていた。

後日出来上がった制服の送り先を店員に伝えて代金を払ったのだろうと推察する。

 

買うと言っていた鍋は持っていなかったから、もしかしたら家に置いてきてくれたのかもしれない。

 

 

 

 

「次は杖を買う」

「……はい」

「……」

 

 

杖か。

確かこれも選ぶのに時間がかかるんだよね。

人によってはすんなり決まるのかもしれないけれど。

なにより私はこの空気にすっかりうんざりしていたから、相変わらず視線を集める教授の腕にしがみついたまま、ずっと下を向いて歩いていった。

 

 

幸いなことに、私の杖は3本振ったところであっさり決まってくれた。

 

 

「イチイの木にユニコーンのたてがみ、26センチ。振りやすい」

「ありがとうございました」

「こちらこそ。お嬢さん、いい魔女におなりなさい」

「はい」

 

 

オリバンダー老人に優しく微笑まれて、私のテンションも少しは上がった。

もちろん杖選びにさほど時間がかからなかったのがいちばんの理由だったのは間違いない。

 

 

 

ようやく少しだけ余裕が出てきて、顔を上げると、私と目を合わせた教授がふうっとため息をついた。

 

 

「教授?」

「……少しは機嫌を直したか?」

「……はい?」

「いったいなにが気に入らん。我輩と歩くのがそんなに嫌かね?」

 

 

……えーっと。

つまり教授は、今日私のテンションが低いことを今までずっと気にしてくれてた、ってことなのかな?

 

 

「……すみませんでした。ご心配をおかけしました」

「謝れと言っている訳ではない」

「はい。教授と一緒にいるのは嬉しいです。ただ、少し不安になってしまっただけです」

 

「なにをだ」

「メイミーがいなくなってしまうことです」

「……」

 

 

間違ってはいないはずだ、うん。

すごくいろんなものをすっ飛ばした気がするけど、いちばん簡単に説明できて、かつ11歳の女の子がさほど恥ずかしいとか思わない理由はこれだけだから。

 

 

メイミーが私の母親代わりだということは、私はもちろん教授だって認めざるを得ない事実だろう。

11歳の女の子が母親と別れて暮らすことを不安に思うのは、世間的に見てもおかしなことじゃないはず。

 

 

ところが。

一瞬驚いたような表情を見せたあと、なぜか教授は思いっきり私を睨んできて。

私がびくっと震えると、教授は私を引き離して、踵を返した瞬間姿くらましをしちゃったんだ!

 

 

え? えぇ!?

まさかこのタイミングで、こんな公共の往来に娘を放置ですか教授!?

 

 

場所は杖屋の店先からちょっと歩いたところで、本当に道の真ん中だったから、とりあえず杖屋のあたりまで引き返して。

さすがに一生放置されることはないだろうから、迎えに来てくれることを信じてそこで待つことにする。

……なにか、私の言葉に気に障る部分があったんだろうけど。

怒るのは構わないから、せめて私をこの買い物地獄から解放したあとにしてほしかったです。

 

 

 

人間、立ってるのと歩いてるの、どちらが辛いといえばぜったい立ってる方だと思う。

ボーっとしながら往来を眺めていると、ものすごく大きくて髭もじゃのおじさんが向こうから歩いてきて。

思わず目が合ったから軽く目礼すると、見られることには慣れてるのか特に因縁をつけられることもなく通り過ぎて、うしろの杖屋に入っていった。

あれがきっとハグリッドだろう、うん、間違いない。

 

 

私はハグリッドが杖屋に入っていく意味にその時は気付かなかったんだけど、しばらく経ったあと、再び出てきた2人と目が合って。

連れの少年にも目礼して微笑むと、なぜか彼は私の方に歩いてきたんだ。

 

 

「ねえ、君、さっきからずっとここにいるよね」

 

 

くしゃくしゃの黒髪と眼鏡の奥には緑の瞳、痩せてもしかしたら私よりも少し小柄かもしれない男の子。

……なんで会っちゃうかなぁ、ハリー・ポッターだよ、原作主人公の。

そういえば7月31日はハリーの誕生日じゃないか。

実は明日8月1日が私の誕生日だからハリーの誕生日とかぜんぜん気にしてなかった。

 

 

「あ、うん、ちょっとね」

「待ち合わせ? にしてはなにも持ってないし、こんなベンチも目印もなにもないところでってことはないよね。もしかして迷子?」

「……限りなく正解に近いけど違います」

 

 

 

保護者に置いていかれてはや1時間。

私はさほど小さな子供ではないので今まで周囲には放置されていたけれど、そろそろ声をかけられておかしくないくらいには時間が経ってしまったようだ。

 

 

「実は父とけんかして怒られちゃって。ここにいることは判ってるから、そのうち迎えに来てくれると思うんだけど」

「もしかして置いていかれちゃった?」

「うん」

 

「そうなんだ。……君も大変なんだね」

 

 

しみじみ言われてしまう。

どうやら私、幸薄いはずのハリー・ポッターにすら同情されてしまったみたいです。

 

 

「僕、ハリー・ポッター。君は? ホグワーツの新入生?」

「うん。今年入学するの。ミューゼ・スネイプ」

 

「スネイプだと!? まさか、魔法薬学のスネイプ先生か!?」

「はい。セブルス・スネイプは私の父です」

 

 

私の名前を聞いてうしろから口を挟んできたハグリッドにも笑みを返す。

どうやら森番のハグリッドも、スネイプ教授に娘がいることは知らなかったらしい。

教授はいったいどこまで秘密主義なんだろう。

 

 

「おまえさん、ずいぶん苦労しちょるみてえだな」

「いえ、それほどでもないですけど」

 

「ハグリッド、ミューゼのお父さんって怖いの?」

「あ、いや、その。……生徒の間ではちいっと厳しいことで有名な先生だな、うん」

 

 

ハグリッドは精いっぱい言葉を選んだようだ。

もっともそうと聞いたハリーはそれまで以上に不安を覚えてしまったみたいだけど。

 

 

「おれはルビウス・ハグリッドだ。ホグワーツで森と鍵の番人をしちょる」

「Mr.ハグリッド、父がいつもお世話になってます。ミューゼ・スネイプです」

「ハグリッドでええ。ミューゼ、なにか辛いことがあったら、遠慮なく森の小屋へ訪ねてこい。いいな?」

「ふふふ……ありがとうございます」

 

「ミューゼ、僕のことはハリーで。入学したらよろしくね」

「うん。ありがとうハリー」

 

「……同じ寮に入れるといいね」

「さあ、どうだろう? 私が入りたいのはスリザリンだから」

「スリザリン!? どうして!!」

 

「ハリー、スネイプ先生はスリザリンの寮監をしちょるんだ。……人にはいろいろ事情がある。そろそろ次へ行くぞ」

 

 

まだまだ心配そうに私を見つめるハリーをハグリッドが促して。

お互いに別れのあいさつを交わして、2人は往来に消えていった。

……ん、まあ、たぶん大丈夫だろう。

原作通りならハリーはグリフィンドールになるはずだし、勇気もクソもない私がグリフィンドールに組分けされることはないだろうから、これ以上ハリーの物語に関わることにはならないだろう。

 

 

 

それからさらに40分余り。

そろそろ周囲の視線がヤバいんじゃないだろうかと思っていると、ようやく長身の黒づくめが人ごみの間に見えてきた。

 

 

「教授、おかえりなさい」

「……ずっとここに立っていたのか?」

「迷子が動いちゃいけないのは子供の常識です」

「……行くぞ」

 

 

さすがに立ちっぱなしで足が限界だった私は、教授の腕につかまるときに倒れ込むような形になってしまって。

気付いた教授は、ことさらゆっくり足を進めてくれた。

辿りついたのは文房具屋でも本屋でもなく、喫茶店のようなお店だった。

いちばん奥のテーブル席に座って勝手に紅茶を二つオーダーしてしまう。

 

 

まあ、私を気遣って、というのもあるんだろうけど。

私と離れていた間に教授が喉を潤したり休んだりしていたとは思えないから、教授自身も座って休みたかったんだろう。

真夏の炎天下に2時間放置された私の方は、体内の水分のほとんどが汗になってしまったようで、店に入ってもトイレに行きたいとは思わなかった。

 

 

長い沈黙のあと、教授はやっと口を開いた。

 

 

「なにか我輩に言いたいことは?」

「私の言葉が気に障ったのなら謝りますが、教授がなにも言わなければなにを謝っていいのか判りません」

「……」

 

 

親に対する言葉にしては生意気で、いくぶん反抗的ではあったけれど、正論だ。

じっさいあの時教授がなにに対して怒ったのか、私には判らなかったのだから。

 

 

「……馬鹿者」

「……はい……?」

 

「おまえが今言うべきなのは、買い物の途中で保護監督責任を放棄した我輩への文句の言葉だ」

「……はい」

 

 

……えーっと。

ものすごく判りにくいけど、これって教授、私に謝ってるつもり、なんだよね。

私が見かけどおりの年齢だったら判らなかったかもしれないよ。

 

 

「それで、おまえが朝から不機嫌だった理由はなんだ」

「さっきも言いましたけど ―― 」

「それだけではあるまい」

「……買い物が、苦手です」

 

 

ああこれ、間違いなく教授、メイミーに話を聞いたな。

 

 

そもそも屋敷しもべ妖精って、主人の命令を果たすことが生きがいで、命令を果たせないことがものすごく苦痛に感じるらしくて。

以前から感じてたことではあるのだけど、教授は私が平日になにをしているのかよく知ってる節があるから、おそらくメイミーに私の様子を報告させてるんだと思う。

そんな彼女になにかを口止めするのって、ほとんど不可能なんだよね。

(私が言えるのは『教授に具体的に訊かれるまでは黙ってて』ってだけなんだ。じゃないと私と教授と二つの命令の間でジレンマを起こすから)

つまり教授には、私が買い物、特に洋服を買うのが嫌いだってことがバレちゃった、ってことだ。

 

 

「理由はなんだね?」

「……決断力がないんだと思います。迷ってしまって、思い切って買うことができません」

 

「決断力の欠如。優柔不断。それは、自分が決めたものごとに対する責任感の欠如につながる。これから社会で生きていく中で、責任感の欠如は致命的な問題だ。判るかね?」

「……はい」

 

 

あたりまえのことだ。

責任感のない人間なんて、社会に出てもやっていける訳がない。

まあ、私の場合は責任感がどうのというよりは、過去のトラウマが問題なんだけど。

前世で受けたトラウマの話ができない以上、そう取られてしまうのは仕方がない。

 

 

教授は懐から財布を取り出すと、テーブルの上にガリオン金貨を5枚出して、積み上げた。

訊ねるように見れば憮然とした顔で言ったのだ。

 

 

「小遣いだ。これから毎月5ガリオンをおまえに与える」

「……多すぎると思います」

「少なくては訓練にならん。これは、おまえが責任感を養うための試練だ。おまえは毎月必ず5ガリオンを使い、小遣い帳をつけろ ―― 」

 

 

そのあとの教授の説明を要約すると。

私はこれから文房具屋へ行って、このお金で文房具の他に小遣い帳を買う。

その月に使ったお金の記録を残して、翌月の月初めに教授に見せてまたお小遣いをもらう。

1ヶ月に必ず4ガリオン以上は使い、もしも1ガリオン以上繰り越す場合にはその理由を書く。

(たとえばクリスマスプレゼントのために貯蓄とかそういうことでいいらしい)

品名は可能な限り記入するが、書きたくなければ書く必要はない。

(たぶん生理用ナプキンとか教授への誕生日プレゼントとかそういうたぐいのことだろう)

 

 

今日はまだ7月だけど、明日から8月だからこの5ガリオンは8月分でいいらしい。

ホグワーツへ行ってしまうと買い物する機会自体がなくなるのだが、それでも通販やら何やらで必ず買い物はしなければならないのだそうだ。

 

 

「寮生活で毎月5ガリオンを使うのは無理です。せめて3ガリオンになりませんか?」

「洋服、本、魔法薬の材料、買うものはいくらでもある。なんなら新聞や雑誌の定期購読でもしたまえ」

「無駄なものを買って散財するのは嫌です」

「無駄かどうかは自分で見極めろ。月5ガリオンを改める気はない」

 

「……判りました」

 

 

……たいへんなことになってしまった。

なんで私は、嫌いなはずの買い物を強要される羽目になってるんだろう?

 

 

渡された5ガリオンをポケットへしまうと、そこで話は終わり、食べそこなってしまった昼食の代わりに簡単な食事を取った。

食べ終えて外へ出ると、日差しはずいぶん低くなっていた。

 

 

「教科書は我輩が買う。おまえはその金で文房具を揃えたまえ」

「アドバイスが欲しいんですが」

「よかろう」

 

 

教授は一緒に文房具屋についてきてくれて、私に使いやすい羽根ペンななんかを教えてくれて。

私はここで一気に1ヶ月分の買い物するつもりで、金に糸目をつけずに高い羽根ペンをわんさと買った。

買い物は嫌いなんだけど、教授にいろいろ聞きながら品物を見るのは、そんなに悪くないと気付いたんだ。

やっぱり私が嫌いだったのは買い物そのものじゃなく、母にさんざんぱら文句を言われることだったらしい。

 

 

 

お小遣い帳になりそうなノートと教科書を買って自宅に戻ると、メイミーが作った夕食がすでにテーブルに並んでいた。

そして、なぜかソファに出かける時にはなかったいくつかの紙袋が置いてあった。

 

 

「1日早いが誕生祝いだ」

「ありがとうございます。開けてもいいですか?」

「部屋で開けて着替えてこい」

「はい」

 

 

部屋で包みを開けたついでに着替えて来いって意味だと思ったんだけど。

紙袋を開けたらそれはぜんぶ洋服で。

どうやら教授は、私が買い物嫌いと聞いてわざわざ買ってきてくれたらしい。

しかも私がコーディネートしやすいように袋ごとに一式ずつ分けてくれてるし。

 

 

不器用で、寡黙で、いまいち怒りのポイントが判りづらい人だけど。

私はほんと、いい父親を持ったな、と実感した。

 

 

軽くシャワーだけ浴びてから、春夏用らしいワンピースに袖を通す。

清楚な感じの白いワンピースはきっと教授の趣味なのだろう。

サイズがぴったりなのは変な理由じゃなく、買った店が制服を注文した服屋だったからだと思う。

 

 

「お待たせしてすみません」

「……いや」

「洋服をありがとうございました。すごく嬉しいです」

「そうか」

「はい!」

 

 

もちろんこういう服を着ることはあまりない。

私は黒髪のくせ毛で、実は床屋も嫌いなためけっこう伸ばしてたりするんだけど、服がこうなら髪もやっぱりストレートの方が可愛いような気がする。

 

 

「教授、くせ毛を治す魔法薬はありますか?」

「ないこともないが」

「もし資料を持ってたら貸してください」

「……あとで部屋に取りに来い」

「はい」

 

 

買い物が終わったせいもあるだろうけど、なんだかだんだんホグワーツへ行くのが楽しみになってきたよ。

このくせ毛が治ったら、ストレートの教授とももっと親子っぽくなれるかもだし。

 

 

食事と恒例の肩もみタイムのあと、私は部屋で今日の分のお小遣い帳をつけて。

眠る少し前に教授の部屋へ行くと、書類から顔だけあげてテーブルの上を指差した。

 

 

「そこに出しておいた」

「ありがとうございます。お借りします」

「作り終えたら使う前に見せにこい」

「はい。判りました」

 

 

軽くパラパラとページをめくって、すぐには見つかりそうにないから邪魔にならないうちに帰ろうとすると、教授は書類に切りがついたのか立ち上がった。

手にはなにかの箱を持っている。

 

 

「入学祝いだ」

「え?」

「驚くことでもあるまい」

「……はい」

 

 

まさか同じ日に2回もプレゼントをもらえるなんて思ってなかったし。

促されて箱を開けると、中には銀の懐中時計が入っていた。

 

 

「時間厳守で、と?」

「そういうことだ」

「はい、気をつけます。お気遣いありがとうございました」

 

「……もう一つ話がある」

 

 

私は少し首をかしげて、どうやら話しづらいらしい教授の次の言葉を待った。

 

 

―― なんとなく、判ってたような気がする。

 

 

「……おまえと同じ学年で、ハリー・ポッターが入学してくる。名前は知っているな?」

「……はい」

「おまえは、奴には近づくな」

 

「……はい。判りました」

 

 

まあ、もう近づいちゃってはいるんだけど。

教授もこう言ってることだし、今後はできるだけ接触しないようにしよう。

もともと原作に関わる気なんか私にはなかったんだから。

 

 

「理由を聞かずに納得できるのかね?」

「理由のうち少なくとも一つは私の身の安全のためです。それだけ判れば十分納得できます」

「……」

「できるだけ近づかないようにします。だから私のことは心配しないでください」

 

 

最後はことさら明るい声で言って、私は教授の部屋を辞した。

これからは教授はハリーを守らなきゃならないんだから、できるだけ私に気を取られないでハリーに集中して欲しいから。

 

 

 

けっしてさびしくない訳じゃないけれど。

教授にはやっぱり、原作のままのかっこいい教授でいて欲しいって、私は思うんだ。

 

 

 



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賢者の石2

 

教授と同じ日に同じ場所へ行くのに、なんで私は1人で特急列車なんかに乗らなきゃいけないんだろう?

 

 

 

駅まで送ると言ってくれた教授を断って、私はマグルの交通機関でキングス・クロス駅まで行った。

荷物は教授に軽くしてもらってはいるけれど、やっぱりトランク丸々1つというのはこの小さな身体にはかなりきつくて。

キャスター付きだからカートを借りずにそのまま引きずってどうにか9と4分の3番線まで辿りつく。

ホームへの入り方は教授にも聞いていたし、前世で読んだ夢小説の知識もあったから楽勝だった。

 

 

しっかし、長く連なったホグワーツ特急、本当に壮観だわ。

ウィキに全校生徒が約千人とか書いてあったけどほんとにそんなにいるんだろうか?

 

 

教授に買ってもらった白いワンピースとつばの広い帽子は、制服に合わせて買った茶色い革靴でもさほど違和感がなくて。

見送りのいない私はさっさと列車に乗り込んで、大きなトランクを引きずりながらうしろの車両へと歩いていった。

前の方はきっと、監督生だとか上級生だとかいわゆる権力者的な人が多そうだもんね。

最後尾というのもちょっと怖いから、うしろから2番目くらいの車両で誰もいないコンパートメントに早めに席を取った。

 

 

前世で一番私が嫌いなものが買い物だとするならば、二番目がなにを隠そう電車もしくはバスだったりする。

 

 

これはトラウマがどうとかいう話じゃなくて、単に私が乗り物酔い体質で、子供の頃には必ず気分が悪くなっていたからだ。

それでも成長してからはかなりマシになって、自分で車を運転するようになったらほとんどなくなったんだけど、嫌なイメージってのはそう簡単には消えてくれないんだよね。

これでもしもミューゼ・スネイプの三半規管が弱かったら、私が学校についてから最初にすることは、図書館で乗り物酔いの薬の作り方を探すことだと言い切る自信がある。

 

 

とまあ、走り出すまではそんなこんなでけっこうドキドキだったんだけど、幸いにしてミューゼは乗り物酔い体質じゃなかったみたいで。

動き出したあとに同じコンパートメントに数人の女子が乗り込んできたんだけど、互いに自己紹介したあとは ―― 名前を言った直後はいろいろ質問されたけど ―― とくに何事もなく、無事に終着駅に着いたようだった。

 

 

 

列車を降りてからは一緒に座った人たちとは別れて、ハグリッドが呼び集めていたイッチ年生の集団に紛れて。

暗い夜道を巨大な彼の誘導に従って歩き、小舟で湖を渡ると、やっと大きな城のシルエットが見えた。

うん、やっぱり凄いわ、ホグワーツ。

ここではほとんどの教科が移動教室になるはずだから、時間にゆとりを持って行動しないとすぐに授業に遅刻しそうだった。

 

 

案内役がハグリッドからマクゴナガル女教授に代わって、大広間近くの小部屋に通される。

寮と組分けの説明のあと、マクゴナガル先生がその場を去ると、私はいちおう言われたとおりに身づくろいをした。

制服のしわを伸ばして、肩までの長さにそろえた髪も手すきで整える。

もちろん魔法薬でくせ毛はちゃんと伸ばしたから、教授とおそろいの黒髪ワンレン(通じるかなこれ?)で親子であることが一目で判ってもらえるだろう。

 

 

「では、一列に並んで私のあとについてきてください」

 

 

再び現れたマクゴナガル先生が声をかけると、入口近くの生徒から次々に部屋を出ていった。

その中にはハリー、ハーマイオニーっぽい子、たぶんロンだと思われる子、ドラコらしき子なんかがいた。

私は戸惑う子を前に入れてあげて、いちばん最後に並んで部屋を出る。

大広間は天井が高く夜空色に染められていて、数多くの灯りがふわふわと浮いていた。

 

 

目の前にはたくさんの在校生と、うしろに先生方がいて、組分け前の子供たちに視線を向けている。

キョロキョロするのはみっともないからさりげなく視線を移動させて教授を探す。

教授はちゃんと私を見てくれていた。

視線が合うと、軽く目くばせしてきたから、私はわずかに微笑んで顔を前に向けた。

 

 

帽子の歌が終わると、マクゴナガル先生が名前を読んで、呼ばれた生徒に帽子をかぶせていく。

寮が決まれば在校生と先生方の拍手に送られてテーブル席へと走っていく。

その中でひときわ大きなざわめきに包まれたのがハリー・ポッターだ。

ハリーは一瞬戸惑った様子だったけれど、帽子をかぶせられてからは周囲の視線は気にならなくなったようで、帽子とぶつぶつ会話してるらしいのは傍から見ていてもよく判った。

 

 

「グリフィンドール!!」

 

 

帽子が叫べばほっとしたような笑顔を見せて席へと走っていく。

その様子を見守っていたら、テーブル近くで振り返ったハリーが私を見たような気がして。

まあ、今のところ魔法界でハリーの友達といえるのはロンと私くらいだから、多少なりとも私の組分けは気になるんだろう。

周りに気づかれない程度にハリーに笑みを返して、私は再び組分けに集中した。

 

 

「スネイプ・ミューゼ」

 

 

やっと私の名前が呼ばれて、ハリーの時ほどではないにしても他の新入生とは違ったざわめきが起こる。

注目されてるのが判ったから、私はできるだけ慌てないように前へ出て、椅子に腰かけた。

 

 

「スリザリン!」

 

 

え? ってか、いきなりですか!?

なんかほとんど帽子をかぶせられた感触がなかったんですけど!?

 

 

いやいや、スリザリンに決まってくれたのは正直うれしいけれど、一生に一度の儀式なんだからせめて一言二言くらい帽子と会話したかったんですけど!

 

 

決まってしまった以上ここに座ってても儀式の邪魔になるだけなので、私は転ばないように立ち上がってマクゴナガル先生に目礼、教員席にも目礼したあとスリザリンのテーブルへ行った。

とりあえずちらっと目に入った教授が満足そうな顔(判りづらいけど)をしててくれてよかった。

教授にはどの寮が、とも言われてなかったけど、やっぱり内心はスリザリンに入って欲しいと思ってただろうから。

 

 

壇上では次の人の儀式が始まってたのだけど、私が近づくとスリザリンの寮生たちは再び拍手で迎えてくれた。

案内役に立っていた監督生らしい先輩に声をかけられる。

 

 

「スリザリンへようこそ、Ms.スネイプ。我々は君を歓迎する」

「ありがとうございます」

「向こう側の空いている席へ」

「はい」

 

 

監督生が指示してくれたあたりに近づくと、空席の隣にいた先輩が椅子を引いて私を座らせてくれた。

 

組分けの儀式はそろそろ終わりなのだろう。

 

新入生の最後の1人がスリザリンに決まって、彼が拍手の中席につくと、長いひげを伸ばして半月眼鏡をかけたダンブルドア校長が立ち上がって簡単な挨拶をした。

もしかしたら校長は、在学中だった数十年前、当時の校長のあいさつが長くて辟易した経験でもあるのかもしれない。

 

 

 

ぱっと見まわしたところ、新入生は程よく在校生の合間合間に席をあてがわれたようで。

ドラコ・マルフォイは斜向かいのあたり、最後に決まったザビニは二つ席をはさんだ向こうに座っていた。

あと私が判りそうなのはパンジーくらいかな?

でも、彼女を見分ける前に食事がテーブルに並んで、いくつかをお皿に乗せるとそれを待ってたのか隣の男子の先輩が声をかけてきた。

 

 

「Ms.スネイプ、君はスネイプ先生の親戚かい?」

「はい。娘のミューゼです。父がいつもお世話になってます」

「あ、いや、お世話になってるのは僕らの方だから ―― 」

 

 

その先輩を皮切りに周りにいた何人かの先輩が自己紹介してくれたけど、正直頭に入ってはいなかった。

ごめん、人の名前を覚えるのは昔から本当に苦手で。

特に洋風の名前はほんとに覚えづらくて、翻訳小説なんかもいちいち登場人物欄を見返さないと誰が誰だか判らなくなっちゃうんだ。

そのうちちゃんと覚えるだろうと、その場では笑顔でよろしくお願いしますと言っておいた。

 

 

食事の間、私が訊かれたのは、私自身のこともだけど教授についての方が数的には多かったんじゃないだろうか。

 

 

「スネイプ先生は家でもあんな感じなのかい?」

「あんな、が私にはよく判らないですけど、たぶんほとんど変わりないと思います。むしろ父については皆さんの方が詳しいんじゃないでしょうか?」

「どうして? 君はスネイプ先生と一緒に暮らしてるんじゃないの?」

「長期休暇の時には帰ってきますけど、学校がある間は週に数時間顔を合わせるくらいですよ。父は基本的に寝泊まりはこちらでしてますから」

 

 

よく考えれば誰にも思い当たることはあるのだろう。

スリザリン寮の生徒なら就寝前に質問をしに行くこともあるだろうし、監督生なら夜の見回り当番を教授がちゃんと勤めてることも知ってるだろう。

 

 

「失礼だけど、お母様は?」

「私が物心ついたときには既にいませんでした。家の屋敷しもべ妖精によれば、1歳を過ぎた頃にはもういなかったらしいですけど」

「そう。……ごめん。つらいことを訊いたね」

「お気になさらず。私にとってはあたりまえの境遇ですから。 ―― 両親が禁断の恋で結ばれて、なにかの理由で引き離されたとか、そういうドラマチックな展開なら面白いんですけどね」

 

 

ちょっとおどけて言うと、いつもの仏頂面の教授で想像したのか誰かが噴き出すように笑って、重くなりかけていた空気が少し和らいだ。

 

 

私は根本のところではかなり人嫌いが入っているのだけど、マグルの学校へ通った6年間で子供の扱いは否応なしに慣れた。

前世では20年以上社会人をやってたこともあって、大人同士の付き合いもある程度は学んでいる。

11歳の子供としてクラスメイトとガチで親友、とかはたぶん無理だけど、表面的な付き合いならそれなりになんとかなるんじゃないかな?

寮の先輩方も私のことは“大人っぽい新入生”程度には思ってくれたようだったから、教授の娘でもあるし多少は可愛がってくれるんじゃないかと思う。

 

 

 

入学式が終わって地下の寮に案内されると、私は4人部屋で他の3人は聞いたことがない名前だった。

軽い自己紹介と互いのベッドだけを決めたあと、トランクを開けて衣服をすべてクロゼットに移す。

同室の子が1人猫をペットに連れてきたらしくて、見慣れない部屋に戸惑ったのかしばらくは鳴き声が聞こえていた。

でも私も疲れていたのだろう、いつの間にか寝入ってしまっていたようで、はっと気がついたときには懐中時計の針は朝の6時を指していた。

 

 

 



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賢者の石3

 

 

実は今年の9月1日は日曜日で、9月2日が月曜日に当たるから、今日から丸々5日間はきっちり時間割りが組まれていたりする。

とはいえ正確な時間割は今朝の朝食で配られる予定だ。

6時に起きた私はしばらく同室の子たちを起こさないように支度をしてたのだけど、昨日指定された7時半が近づいてきたからベッドを回ってみんなを起こした。

これが毎朝の恒例にならなきゃいいんだけど。

 

 

「ミニー、起きて! デイジーも!」

「……ミューゼ、その子確かミリーよ。そっちの子はテイジー」

「アスランも起きたのなら手伝って!」

「……だから私はアスリンだって」

 

 

そんな些細な間違いはあったけれど、ひとまず部屋のぜんいんが支度を整えて。

上級生のうしろにくっついて寮を出れば、どうやら遅刻はせずに大広間へ到着したようだった。

 

 

テーブルのてきとうな席に向かい合って腰かけて食べ始めると、ぜんいんがそろったのが確認できたのか、寮監の教授と監督生が手分けしてみんなに時間割りを配り始めた。

 

 

「Ms.スネイプ」

「はい」

 

 

教授の低い声に振り返って時間割りを受け取る。

それで終わりかと思ったら教授は付け加えた。

 

 

「それと、今日の夕食後、我輩の部屋へ来るように」

「判りました。ただ、場所をまだ知らないので、夕食のあとご一緒してもいいですか?」

「いいだろう」

「ありがとうございます」

 

 

私と教授のやり取りは周囲の注目を集めたらしい。

教授が同室の3人にも時間割りを渡し終えて遠くへ行ってしまうと、隣に座っていた上級生が3人より先に声をかけてきた。

 

 

「……なにかやったのかい?」

 

 

いやいや入学早々まだ授業も受けてないのに呼び出し喰らうほど私は器用じゃないですから。

 

 

「ただの親子の会話です。お気に障ったのならすみませんでした」

「……今のが?」

「はい。たぶん先月の会計報告と、あとは私的な内容じゃないかと」

「……そう、なんだ」

 

 

あまり周りに聞こえないように姿勢を低くして話していた先輩が、恐る恐る顔を上げて教授がいる方を見たようで。

私もそちらを見ると、なにやら恐ろしい顔でギロッと睨まれちゃいました。

……またしても教授の怒りポイントが判らない。

つい今しがた会話したときはべつに怒ってた様子はなかったのに。

 

 

「会計報告って?」

 

 

今度は反対側のミニー(?)が話しかけてきたから、私は逆に向き直って他の2人にも聞こえるように話し始めた。

 

 

「お小遣い帳をつけてるの。月が変わったから、父に見せないといけなくて」

「お小遣い帳? それってどういうもの?」

 

 

あ、そこからなんだ。

どうやらホグワーツ自体、授業料が高いのかけっこう上流階級の子女が多いみたいなんだけど、スリザリンは特にその傾向が強いんだろうな。

私はまず、月決めのお小遣いという家庭内制度の話から懇切丁寧に説明して、でも内容の半分も判ってもらえた気はしなかった。

 

 

 

ホグワーツの授業は月曜から木曜までが6時間、金曜日が4時間で、そのほか時間外の授業を合わせると週当たり30時間余りが組まれていたりする。

でも、1年生の授業時間はずっと少なくて、時間割りの半分ちょっとくらいしか埋まってないんだよね。

月曜日の今日は正味3時間授業だったから、空いた時間は同室の4人で城内の探索にあてていたんだ。

もちろんほとんどといっていい教科で宿題が出たから、あるていど落ち着いたあとは空き時間は宿題消化にあてられることになるだろう。

 

 

放課後もあちこち歩き回って比較的早めに大広間へ行く。

教員席に教授の姿はまだなかったから、私はゆっくり食事を味わうことができた。

もしも教授の方が先だったら、私の食事時間は格段に短くなってたからね。

(今でも一緒に食事を始めれば教授の方がずっと早く食べ終わるし)

ほどなくして現われた教授は、必要な分を詰め込むとすぐに席を立ったから、私も教授を追うように立ち上がった。

 

 

「じゃあ、行ってくるね」

「うん」

「いってらっしゃい」

「がんばって」

 

 

いったいなにを頑張れというのだろう?

朝の説明で私がなにかを間違えたのか、ルームメイトたちは教授について誤った認識を得てしまったのかもしれなかった。

 

 

 

大広間の出口付近で待っていてくれた教授は、私と目が合うと踵を返して歩き始めた。

教授を見失わないように足を速めながら通る道を覚えていく。

幸いにして私は方向音痴じゃなかったから、一度覚えてしまえばほとんど迷うことはなかった。

教授はたぶん、校内で私と親しくする姿を生徒たちに見られるのはあまり好ましいと思わないだろうから、私は必要以上に近づかないよう注意しながら教授のあとについていった。

 

 

教授の部屋はスリザリン寮からさほど離れていない場所にあった。

 

 

「場所は覚えたか?」

「はい」

「寮から来るならこちら側の道を辿ると早い」

「判りました。帰る時に通ってみます」

 

 

教授は部屋のドアを少し大きく開けて、私を先に通してくれた。

 

 

教授の部屋は入口近くにソファとテーブル、奥に執務机と棚があって、全体的に落ち着いた雰囲気だった。

奥に二つあるドアのうちのどちらかが寝室でもう片方が調合室なのだろう。

作り置きの魔法薬なんかはそちらの部屋の方にあるのかもしれない。

振り返ると教授がドアに杖を振っていて、私はちょっと首をかしげた。

 

 

「防音だ」

「難しいお話なんですか?」

「いや。……かけたまえ」

「はい」

 

 

私は教授が指示したソファに座って、斜向かいの1人用ソファに腰掛けた教授の前に、持ってきた小遣い帳を広げた。

 

 

「今月はほぼ文房具の購入に充てました。残した1ガリオンはご承知の通りポンドに両替しましたが、ここへの道中はとくに何事もなかったのでそのまま残っています」

「……いいだろう。帳簿も見やすく出来ている」

「ありがとうございます」

 

 

教授は用意していたらしい5ガリオンをポケットから取り出して私に手渡してくれた。

 

 

「毎月1日か2日、夕食後に帳簿を持ってここへ来たまえ」

「はい」

「それと、校長からお許しが出た。土曜日の夜は今までどおり、共に夕食を取る。大広間へは行かずに直接ここへ来なさい」

 

 

それはどうなんだろう。

みんな親元から離れて寄宿生活をしているのに、私だけが父親と2人きりの時間を過ごせるというのは。

ただでさえ親が教師ということで特別に見られているというのに。

 

 

「どうしたね?」

「いえ。ただ、他の生徒に申し訳ない気がしただけです。彼らはクリスマス休暇まで家族に会えない訳ですから」

「おまえは昨日、そのために根回ししていたんじゃないのかね?」

 

 

あれ、もう教授の耳に入ってるのか。

確かに『今までさびしかったんだよー』的な発言で根回しめいたことはしたけど、それは親が教師だということに関してであって、教授と特別な時間を設けることに関してじゃなかったんだ。

 

 

「ここには兄弟姉妹もいる。親が理事をしていて用事のついでに子供と会っていくケースもある。過去には教師の子供が入学した前例もあった。家庭の事情は人それぞれだ。そのことで周りに妬まれることはあるかもしれないが、そこをうまくやれるかどうかはおまえしだいだ」

「……はい」

 

 

よく判ったよ。

つまりは、いじめの種だけ勝手に撒いておいて、刈り取りは私にやれってことだな。

……まあ、別に、今さら中高生のいじめが怖い訳じゃないけど。

 

 

「判りました。できるだけトラブルは起こさないように善処します」

「……構わん」

「はい?」

 

「トラブルは起こしてかまわん。おまえが善処すべきはただ、自分の身をいかにして守るか、それだけだ」

「……はい」

 

 

そうと聞いてだいぶ気が楽になったのか、私の表情にも笑顔が戻る。

ま、いずれにしろトラブルを起こす気はないけどね。

教授はハリーのことで手いっぱいなはずだから、私はとにかく大人しくして、教授の気を散らさないようにしよう。

 

 

 

紅茶を一杯飲み終えたところで教授の部屋を辞すれば、寮の自室で待っていたのは今日出された宿題の山だった。

 

 

 



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賢者の石4

ルームメイトたちの入学直後の興奮状態もだいぶ落ち着いてきたため、木曜日から私は空き時間に図書館へ行くことにした。

授業の宿題は多いのだが、まだ図書館を使わなければならないほど難しい課題が出る訳じゃない。

部屋で一緒に始めても私はすぐに課題が終わってしまうから、そのままぼーっと一緒にいるよりは自由にしてくれてた方が彼女たちも気が楽なのだろう。

私が薬学の棚の近くで図書を物色していると、ふわふわ栗毛の彼女が私に気づいて近づいてきた。

 

 

「こんにちわ。あなた確かスネイプ先生の娘さんよね」

「うん。ミューゼ・スネイプ。あなたも新入生みたいだけど」

「ハーマイオニー・グレンジャーよ。明日が魔法薬学の初授業なの。だから予習しようと思って。ねえ、魔法薬学ってどんな授業になるのかしら? Ms.スネイプはご存知?」

「ミューゼでいいよ。教授と同じだから呼びづらいでしょう?」

 

「私もハーマイオニーでいいわ。私の場合は名前でも呼びづらいかもしれないけれど」

「ふふふ……」

 

 

なんか笑ってしまった。

今では私も英語に舌が慣れてるけど、前世ではハーマイオニーの名前を一回で言えた試しがなかったんだよね。

夢小説で誰かが呼んでたように、原作では彼女の名前を短い愛称で呼んだ人はいなかったのだろうか?

 

 

「明日は確か、前半が座学で、後半はおできを治す薬の調合だと思う。私はスリザリンだからたぶん同じ」

「まあ、じゃあ最初から実技があるのね? 難しそうだわ。うまく出来るかしら」

「教授が説明したとおりに調合すれば問題ないよ。ハーマイオニーなら大丈夫。でももし実技の予習がしたいのなら……これかな?」

 

 

私は1冊の本を棚から出すと、パラパラとめくって中身を確かめた。

魔法薬の調合に使う材料の切り方や保存方法を詳しく説明した本だ。

学校の授業で調合する際には切り方なんかは教授が一から説明してくれるだろうからあまり必要はないんだけど、魔法薬の本を見て調合するようなときには重宝する。

実技の不安を解消するには適当だろう。

 

 

「教科書に出てくる判らない言葉をこれで調べて、イメージトレーニングするといいと思う。大丈夫、うまくできるよ」

「……ありがとう! さっそく読んでみるわ!」

「がんばって」

 

 

喜々として本を抱えていくハーマイオニーを見送る。

……このくらいはいいよね。

なにもしなくてもハーマイオニーは完璧に調合するんだし、原作を変えるようなことは教えてない。

あれを渡したからといってまさか彼女が調合に失敗することはないだろう。

 

 

しっかし、原作キャラとの遭遇率高すぎでしょミューゼさん。

教授の娘だって事実を差し引いても、ぐうぜん出会うパターンがハリー&ハグリッドに加えてこれで2件目だよ。

(まあ、どちらも“教授の娘だったから”声をかけられたといえばそうなのかもだけど)

 

 

 

そんなこんなで翌日の金曜日。

この日の授業は半日で終わるので、3・4時間目の魔法薬学が最後の授業だった。

私は同室の3人と一緒に早めに教室へ行って、2人1組で前後に席を取る。

周りを見れは壁際にはずっと棚が作られていて、魔法薬の材料になる様々なものが所狭しと並べられていた。

 

 

(あのヒキガエルの目玉、ずいぶん古いけどいったいいつからあるんだろう?)

 

 

前世では苦手だったけど、この7年で気味の悪いものにはすっかり慣れましたよ。

だってそうじゃなかったらそもそも教授の調合室になんか入れないからね。

昔は悲鳴を上げることしかできなかったGも、今なら片手で握りつぶせる気がします。

 

 

 

ここホグワーツの先生には、生徒を最初に教室へ迎える時の流儀みたいなものがあるらしくて。

マクゴナガル先生は猫から変身をやってみせたし、ゴーストの ―― 名前ど忘れした ―― 先生は黒板からニューと出てきた。

確か占い学の先生は生徒1人の死を予言するんだったよね。

そして、わが父スネイプ教授は ――

 

 

―― バン!!

 

 

ドアを壁にぶつけるように勢いよく開いて、生徒をびくっと震えあがらせてくれました。

 

 

 

原作を知らない私でも、このシーンのくだりは何度も読んだ記憶がある。

ここは初っ端のスネイプ教授最大の見せ場で、彼の今後の印象を決定づける重要なシーンだったから、教授がらみの夢小説を書いてた作家さん達はかなりの確率で詳しく描写してくれたんだよね。

だから私も、一言一句、とは言わないまでもそうとうな割合でセリフを覚えていたりする。

とはいえ、さすがに何度も読んでうんざりしてきたせいもあって、途中からはト書き以外読まなくなっちゃったんだけど。

 

 

教授は出席を取って、ハリーのところではちゃんと猫なで声も聞かせてくれて。

その後も続いていく、名前、はい、のやり取りが、なんだか単調で退屈に感じられた。

私の名前のところでは特に教授のパフォーマンスはなかったのだけれど。

名前が呼ばれたあと少しだけざわめいて、返事のあとには多少の視線も感じたから、組分けの時にちゃんと私の顔を見られなかった新入生が教授の娘に興味を示したのだということはうかがえた。

 

 

そのあと教授は魔法薬学についての口上を始めて。

抑揚がなく単調な教授の低い声に、私は幼い頃の読み聞かせの時間を重ね合わせていたんだ。

もう何度も読んでしまった文章、新しい発見も胸の高鳴りもない、限りなく睡魔に魅入られやすい時間。

ベッドに入って、不機嫌そうな教授の声を聞きながら目を閉じていたあの ――

 

 

「ポッター!!」

 

 

とつぜんの教授の大声にびくっと震えて目を開ける。

はっとして見ると、隣のミリーが必死で私を起こそうとしていたらしい姿が視界に入った。

口元と表情で謝罪を表わしながら顔を上げる。

まさか教授にも気付かれただろうか?

 

 

私が焦っているうちにハリーへの質問責めは終わっていたようで、周りで羽ペンを動かす動作に合わせて私もノートに書き込んだ。

内容はまったく聞いてなかったけれど、なにを書けばいいかは判ってたからなんとかなった。

 

 

その後の実技においても流れは原作通りに進んだらしく、グリフィンドール席にいたネビルが鍋を爆発させて保健室へ行って。

私は睡魔を再発させることもなく、組んでいたミリーと協力して仕上げた魔法薬を無事提出することができた。

……魔法薬に関してだけは、だが。

 

 

「Ms.スネイプ、おまえはこのあと残るように。理由はおわかりですな?」

 

 

……だよね、気付いてない訳がない。

その場で指摘しなかったのはたぶん、スリザリンの点数を減らしたくなかったからだろう。

 

 

「ミューゼ、提出ありがとう」

「こっちこそ片付けありがとう。ていうかバレてた」

「え? もしかしてさっきの居眠り?」

「うん。だから居残りを言い渡されました。ごめん、食事は3人で食べてて」

 

 

居眠り? なんの話? なんて会話をミリーと前にいた2人とがかわしたあと、3人は心底気の毒そうな顔を私に向けて、でも足早に教室を去っていった。

作業が遅れていた生徒も周りが手を貸したらしくてどんどん片付けて引き上げていって。

10分も経つ頃には、教室には私と、不機嫌全開の教授との二人だけが残されていた。

 

 

「Ms.スネイプ、入学して初めての我輩の授業で居眠りとは、ずいぶん度胸が座っていると、お褒めすればよろしいのですかな?」

 

 

わあ、完全に嫌みモードの教授だわ。

うっすらと笑いさえ浮かべたこんな教授は初めて見る。

 

 

「それとも、Ms.スネイプには我輩の未熟な授業など必要ないと、そうおっしゃりたいのですかな?」

 

 

たぶん娘の私には見せずにいてくれた姿なんだろう。

恐縮する気持ちはあったけれど、別のところで少し嬉しくもあった。

……教授が表情を変えて次の言葉を言うまでは。

 

 

「理由を言いたまえ。魔法薬作りは危険な作業だ。1年生の簡単な調合だからといっておまえが授業をなめていたのだとしたら話にならん」

 

「すみません。……幼い頃のことを思い出してしまいました」

「なんだと?」

「教授が読み聞かせてくださった絵本のことです。……同じ声で、単調な語り口で話されていたので、安心してしまって。……申し訳ありませんでした! 今後二度とこのようなことはしないと誓います!」

 

 

深々と頭を下げて沙汰を待つ。

 

 

もしも私が一年生の授業を甘く見て居眠りしたのだとしたら、その責任の一端は、入学前の私に魔法薬を教えた教授にもある。

私は教授にそう思わせてしまったことを知って、いま改めて事の重大さに気がついたんだ。

もしも居眠りをしたのが私じゃなかったら、教授はその場で頭でもたたいて起こすだけで済ませたのかもしれない。

でも、私だったから教授は、わざわざ居残りまでさせて私に気付かせようとしてくれたんだ。

 

 

「もういい。顔を上げろ。罰則を言い渡す」

「はい」

「今日の反省文を羊皮紙2枚にまとめて、明日の夕食の時に持ってくること。判ったな」

「はい。判りました」

 

「帰ってよい」

「はい。本当にすみませんでした!」

 

 

もう一度深々と頭を下げて教室をあとにする。

そのあと、大広間で食べずに私を待っていてくれた3人と一緒に昼食を取ったけれど、私が食べている間に教授が食事に現われることはなかった。

 

 

 

 

その日の午後から、私は部屋でずっと反省文を書いていて。

ふだんの宿題なんか比べ物にならないくらいに難しくて、翌日になってようやく納得できるものを書き上げる頃には羊皮紙を10枚以上も無駄にしたと思う。

 

 

「ふあー……」

「おつかれさま。ミューゼ、紅茶でも飲む?」

「ありがとうミリー。お願いします」

 

「ずいぶん書いたわね。いったいどれだけ書かされたのよ」

「ああ、完成品はこっちの2枚。あとのは下書きの没原稿だから」

「じゃあこれぜんぶゴミ箱行きなの!?」

「さすがにもったいないからしばらく取っておく。そのうち消失呪文を習うと思うから、使えるようになったら文字を消して再利用するよ」

 

「別にいいけど、たぶん一度書いたあとだと毛羽立って書きにくいと思うわよ」

「うん、でも、私の反省文のために皮をはがされちゃった羊さんのことを思うと申し訳ないし」

 

「なんかミューゼって言うことがおばあさまみたい」

 

 

ミリーが紅茶を淹れてくれる間、アスリンと話してたらテイジーにとどめを刺されたところです。

……まあ、こう見えても私は実質52歳な訳だから、彼女たちのおばあさまと近い世代なのは間違いない。

 

 

 

 

しばらくミリーの紅茶を飲んでまったりしていると夕食の時刻が近づいてきて。

3人には既に毎週土曜日の予定は伝えてあったから、私は1人で教授の自室まで足を運んだ。

 

 

「教授、ミューゼ・スネイプです」

「入れ」

 

 

ノックをして声をかけると中からそう答えが返ってきて。

ドアを開けて見るとちょうど教授が執務机から立ち上がったところだった。

 

 

「教授、反省文の提出に来ました」

「見せてみろ」

「はい」

 

 

教授は羊皮紙を受け取って一人掛けのソファに腰掛ける。

私はその隣に立ったまま、教授が文章を追うのを少しドキドキしながら見守った。

 

 

「……いいだろう」

「ありがとうございます」

「この反省文は預かっておく。おまえはこれがここにあることを忘れるな」

「はい」

 

 

教授は執務机の引き出しに反省文をしまいに行って、その間に促された私はソファに座った。

ここは自宅のリビングに雰囲気が似ていてちょっと落ち着く。

と、教授がテーブルに向けて杖を振って。

次の瞬間、テーブルには2人分の夕食が出現していたんだ。

 

 

驚いたのは、それらがいつものホグワーツの夕食というよりは、我が家で食べていたメイミーが作った夕食に近かったからだ。

しかも、私が好きだったメニューがずらっと並んでいて。

もしやと思って顔を上げると、相変わらず憮然とした表情で教授が言ったんだ。

 

 

「誰もいない家に屋敷しもべを置いても無駄だからな。メイミーにはホグワーツの仕事をさせている」

「……そうだったんですか」

「ああ。土曜日の夕食はあれに作らせることにした」

「教授、ありがとうございます」

 

 

そうか、教授は本気で、ここに我が家での時間を再現してくれようとしてるんだ。

私は笑顔で教授にお礼を言って、教授がワインに口をつけるのを待ってフォークに手を伸ばした。

 

 

 

食事中はいつも、お互いに会話を振るようなことはなくて。

毎度先に食べ終わる教授が紅茶を淹れて、遅れて食べ終えた私がくつろぐ教授の背後に回って肩をもむ。

もうずっと繰り返してきた習慣だからお互いに慣れてるし、私自身、マグルの本屋でマッサージの本を立ち読みしたりして、少しは腕を上げてるからね。

実は教授も、これがなければ一週間が終わった気がしない心境なんじゃないかと、私は勘繰ってたりする。

 

 

「学校ではうまくやれているか?」

「はい。同室の3人には仲良くしてもらってます。寮のみなさんも今のところ好意的で」

「そうか」

 

「あ、そういえばグリフィンドールのお友達が1人できました。一昨日図書館で一緒になったんです」

「……まさか奴の関係者ではあるまいな」

「違うと思います。同じ一年生ですが、友達になったのはハーマイオニー・グレンジャーですから」

「……」

 

 

教授が溜息をついたのが肩越しに判った。

昨日の授業でのことが頭をよぎったのだろう。

私は大人の女性の目線で見てるから彼女を可愛い子だと思うけれど、教師の目で見ればハーマイオニーは生意気で扱いづらい子に映るんだろうな。

のちのち彼女は立派なハリーの関係者になるのだけど、この時点ではハリーとハーマイオニーとはまだ親友と呼べるほどの間柄じゃないから、私が教授に嘘を言った訳ではもちろんない。

 

 

まあ、このあたりもきっと、大人なりの根回しってヤツなんだろうね。

ハリーは昨日の授業で教授のことが嫌いになっただろうから、教授の娘である私に近づいてくる確率はかなり下がったと思うけど、万が一にも仲良くなっちゃったときに教授に“私が悪いんじゃないよ”とアピールするための伏線というか。

だって、好意的に近づいてくる人をむげに扱うとか、私の性格で出来るとはとうてい思えないから。

“ハリーが私の友達のハーマイオニーと親友になっちゃったんだから、あるていど話をするのはしょうがないじゃん”て言い訳するためだけに、私は教授にこの報告をしてるんだ。

 

 

……そう考えるとやっぱり私はスリザリンで正解なのかもしれない。

 

 

「そういえばひとつお訊きしたかったんです」

「なんだね?」

「私用の薬を調合したいと思うんですが、どこでやればいいでしょうか? 寮の部屋ではルームメイトに迷惑がかかりそうなので」

「薬学教室は放課後生徒に開放している。棚に置いた材料も自由に使って構わん」

 

「ありがとうございます。……ということは、他にも調合する生徒がいるんですね?」

「スリザリンの生徒が多いが、熱心な者は毎日のように来ている。クラブ活動をする生徒もいる。先輩にアドバイスをもらうこともできるだろう」

「教授が指導されることもあるんですか?」

「たまにだ」

 

 

なるほど、いわゆる自然発生した薬学クラブみたいなものなのか。

確か秘密の部屋の時だったか、誰かのセリフで“クラブ活動は一切中止”的なのがあって、『クラブ活動ってなんぞや?』と思ってたんだけどこれがそれにあたるのだろう。

 

 

 

ともあれこれで無事テイジーの猫ちゃんに邪魔されずに調合する場所は確保できそうだった。

 

 

 



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賢者の石5

 

「ミューゼ・スネイプ。おまえはどうして僕に挨拶にこないんだ」

 

 

朝食の席で呼ばれて振り向くと、背後に取り巻き2人を引き連れて仁王立ちしたドラコ君に思いっきり睨まれました。

 

 

 

どうやら知らず知らずのうちにプライドを傷つけちゃったみたいだね。

私も立ち上がって、ドラコ少年に笑顔を見せる。

 

 

「それはごめんなさい。今ここで挨拶すればいいかな?」

「あ、ああ。仕方がない」

「初めまして、ミューゼ・スネイプです。Mr.マルフォイ、同じスリザリン同士、仲良くしてくれると嬉しいです」

「ドラコ・マルフォイだ。おまえの父親は僕の父の後輩で今でも懇意にしてるんだ。だから本当だったらおまえの方から僕に挨拶にくるべきだったんだ」

 

「そうだったんだ。知らぬこととはいえ、たいへん失礼しました。Mr.マルフォイ、父がいつもお世話になってます。お父様にもよろしくお伝えください」

「判ればいい。……クラップ、ゴイル、行くぞ」

 

 

踵を返して去っていく3人を、あるていど離れるまで立ったままで見送る。

そのあと椅子に座ると、同室の3人が私を見てさっそく話し始めた。

 

 

「なによあれ。失礼なのはあっちじゃない」

「さすがは純血の一族、マルフォイ家の直系男子、って感じね」

「ミューゼも黙って言うこと聞いてることないのに」

「あれはあれでよかったんじゃない? 下手に絡まれてもいいことないし」

 

 

うん、アスリンはよく判ってるね。

プライド? そんなもの、社会に出たら何の役にも立たないことは、52年も生きてる私には常識以上のものだから。

 

 

 

プリプリ怒ってるミリーを私とアスリンとでなだめつつ、ふと視線を移動させると、グリフィンドールのテーブルでドラコがネビルに絡んでる姿が見えた。

そういえば今日は飛行訓練の初日だから、例の思い出し玉の騒ぎだったりするのかな?

声までは聞こえないけどたぶん間違いないだろう。

ほら、マクゴナガル先生が仲裁に入って、ドラコがテーブルを離れていったし。

 

 

こうしてスリザリンの立場になると、ドラコがネビルに絡むのも判る気がする。

だって、ネビルっていわゆる授業クラッシャーで、グリフィンドールとの合同授業になる魔法薬学では毎回なにかしらスリザリンの生徒は被害を被っているんだ。

この間の鍋爆発の時だって、せっかくドラコが教授に褒められてたところだった訳だし。

もちろんネビルが全面的に悪いとは思わないけど、この場合のドラコの心情はあるていど察してあげていいと思う。

 

 

 

 

私にとって飛行訓練は、マグルで言うところの体育の時間、箒は自転車くらいの認識だった。

前世で体育の授業はめちゃくちゃ苦手だったけど、自転車は小学校上がる頃には補助輪が外れたし、あまり心配はしてなかったんだよね。

まあ、確かに地面がないのはちょっと怖いと思うけどさ。

要は習うより慣れろというヤツで、転びながら覚えるのが一番の早道だと思ってたりする。

 

 

いかにも体育教師なマダム・フーチの指導のもと、箒の左側に立って上がれと言う。

落ち着いて何度か言えば、箒は私を認識してくれたのか、すーっと手の中におさまってくれた。

夢小説で読んでるときにはなんでこんな儀式が必要なのか判らなかったんだけどね。

(ふつうにいきなり跨っちゃえばいいじゃんと思ってました)

さすがにこれだけの人数がいっせいに練習する訳だから、最初に自分の箒とコミュニケーションを取るのは必要なんだと理解したよ。

 

 

上がった人も上がらなかった人も、箒に跨って握り方のチェックを受けて。

いよいよ飛び上がるという時だった。

あらかじめ知ってたこととはいえ、またしてもネビルがやらかしてくれたのだ。

合図の前に飛びあがったネビルは、見る間に箒から落ちて手首を骨折、マダム・フーチに保健室へ連れて行かれてしまった。

 

 

残されたのは、箒に跨った格好のままぼうぜんと見送る生徒たちだった。

 

 

(ネビル……悪いけど私も君が嫌いになりそうだよ)

 

 

私は知ってたからまだマシなんだけど、ほかのみんなは箒で飛ぶのをワクワクドキドキしながら楽しみにしてた訳だからね。

特にドラコなんか、自分の雄姿をみんなに見せられるってすごく張り切ってたんだし、悔しさはひとしおなんじゃないかと思う。

ネビルの思い出し玉を拾って空高く舞い上がったドラコを、私は止める気にはならなかった。

 

 

「ねえ、危ないわ」

「大丈夫でしょ。ヘリコプターと遭遇して無事に戻ったんだから」

「ミューゼったら、まさかそれ本気にしてるの?」

「……」

 

 

信じてあげようよ、そのくらいの可愛い嘘。

ドラコを追っていったハリーが落とされた思い出し玉を追って急降下すると、周りからたくさんの悲鳴が上がって。

無事にキャッチしたハリーをマクゴナガル先生がすぐに連れ去ってしまった。

 

 

けっきょくマダム・フーチが戻ってくることはなく、私たちは箒をその場に置いたまま解散となった。

 

 

 

 

 

 

「 ―― と、こんなところです、教授」

「……」

 

 

その週の土曜日、私は教授の肩をもみながら、ことの次第を教授に話し終えていた。

教授の機嫌が悪いのは、守るべきハリーが一年生ながら危険なクィディッチのシーカーになったことなのか、それともそれまでシーカーが弱かったグリフィンドールに新たな戦力が追加されたからなのか。

両方なのかもしれないけれど。

 

 

「私としてはハリー・ポッターよりもネビル・ロングボトムの方をどうにかしてほしいところですけど」

「……毎年いるのだ。ああいうのは」

「たいへんなんですね。よければ魔法薬学の時間だけでも私が組みましょうか?」

「おまえが構うことはない」

 

 

一言で切り捨てられました。

まあ、私だって好き好んで劣等生の教育係をやる気はない。

 

 

「それはそうと、ドラコ・マルフォイのことを教えてもらってなかったんですが」

「なんのことだ」

「彼の父親と教授が懇意だということです。私が挨拶に行かなかったことをとがめられました」

「……別に言うほどの仲でもない。放っておいて構わん」

 

「マルフォイ家のクリスマスパーティーに行ってたことが私にバレるのが嫌だったんですか?」

「……!」

「黙っているということは行ったことがあるんですね?」

「……」

 

 

教授はクリスマスにはたいていホグワーツに残るため、私もマグルの教会のミサに出たりして過ごしてたのだけど。

何回か教授が違う匂いをさせて戻ってきたことがあったんだよね。

(まるで夫の浮気を悟る妻だよコレ)

まあ、教授がマルフォイ家と家族ぐるみのお付き合いなのは知ってたから、そんなことだろうとは思ってたさ。

 

 

「別に怒りませんよ。私、パーティーとか好きじゃないですから」

「……断り切れなかったのだ。我輩にも大人の付き合いというものが」

「だから怒ってないですって。次からは堂々と言ってから出かけてください。子供にも子供なりの付き合いがあるんです」

「……判った」

 

 

教授って、不意をつかれるとつい本音が出ちゃうタイプみたいだよね。

(こんなんで二重スパイとか大丈夫なのかと思うけど、仕事モードの時はたぶん違うんだろう)

実はこれまでもけっこうこのテクで教授の嘘を暴いてきたので、教授も私には嘘がつけないと思ってるのかもしれない。

 

 

 

 

翌週の飛行訓練ではマダム・フーチも学習したのか、ネビルを外して他のぜんいんにある程度の飛び方を教えたあと、ネビルだけを個人的に指導していた。

おかげで私は少なくともほかのみんなと同じくらいには箒で飛ぶことができるようになって。

あんがい箒で飛ぶのも悪くないな、と、教授がらみ以外で初めて魔女として生まれたことを嬉しく思った。

 

 

 



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賢者の石6

 

「 ―― ちょっと考えれば騙されてることくらいすぐに判るじゃない! ほんと、どうしてあんなに考えなしに行動できるのかしら!?」

「ある程度は仕方ないと思うよ。基本的に男の子ってバカだから」

「そうよね! 本当に男ってバカ! 私、ミューゼと意見が合って嬉しいわ」

「ふふふ……」

 

 

図書館の隅の方で声をひそめながらも激昂するハーマイオニーをなだめつつ本を読む。

私がいつも薬学の棚の近くにいるのはけっこう知れ渡ってるみたいで。

ハーマイオニーはあまり同じ寮に友達がいないのか、ときどき来てはいろいろ私に話していくんだ。

聞けばどうやら無事三頭犬遭遇イベントは終わったらしい。

 

 

もっとも、フィルチから逃げてる途中に三頭犬と出会ったことは、私にも話してはくれなかったけれど。

漏らしていいことといけないことの区別はちゃんとついているのだろう。

 

 

「人間も、さかのぼれば生き物だから、生き物のオス同士で競い合うのは本能なの。それに社会秩序とかが絡んでくるから複雑になってるけど、原点に立ち返れば争い合う動機は単純だから、私達メスはあまり首を突っ込まない方がいいと思う」

 

「……なんか、そういう視点での話を聞くのは初めてだわ。すごく新鮮ね。でも、女にだって闘争心はあると思うわ。だって自分を他の人よりよく見せたくてお洒落したりお化粧したりするもの」

「もちろん、メスにだって闘争心はあるよ。いいと思ったオスを得るためにメス同士で争うこともする。でもそこに原因となったオスが介入したらおかしなことになるでしょ? だからオスはオス同士、メスはメス同士で勝手に争ってるのがいちばん平和なんだよ」

 

 

今度そういう場面に遭遇したら一歩引いた視点で見てた方がいいよ、とだけ忠告して、私は再び本に視線を落とした。

……まあ、元来おせっかい体質のハーマイオニーにはしょせん無理なことなんだと思うけど。

まだ幼い彼女には、オスがメスに対して優位に立ちたいと思うプライドとか、メスの前でかっこつけたいプライドとか、そういうものまでは察することはできないだろう。

 

 

 

そろそろホグワーツではハロウィンパーティーの日が近づいている。

スリザリン寮で浮かれてるような子はいないけれど、他の寮の、とくにグリフィンドールの双子の先輩たちなんかは大いにはしゃぎまわるのだろう。

私は念のため通販で大量の小分けチョコレートと飴を買って(もちろん今月の小遣いの残りほとんどをつぎ込む勢いでだ)、持ち切れそうにない分は同室のみんなにも分けてあげて当日を待った。

 

 

原作ではまだ誰も死なない。

主人公三人組は多少の擦り傷くらいで済むはずだし、教授だって命に別状があるような怪我はしない。

だから介入する気はまったくないんだけど……。

 

 

やっぱり、不安に思う気持ちはあるんだ。

もしもなにかが原作と狂ってしまったらどうしよう。

たとえばハリーがトロールに殴られて大けがをするとか、教授の足が三頭犬に噛みちぎられるとか。

私がいるせいで原作とは少し違った歴史を辿っているこのパラレルワールドが、主要の登場人物たちに修復不可能な運命を与えてしまうんじゃないか、って。

 

 

 

漠然とした不安を抱えたままハロウィン当日を迎えてしまった。

朝からさっそくいじわるそうな顔をして現われた双子にチョコレートと飴を手渡し、そのあともちらほらと声をかけてくる、たぶん教授の娘に公然といたずらできる日を逃したくない人たちに笑顔でお菓子を渡し続けて。

残るだろうと思っていたお菓子は、意外なことに足りなくなるかもしれないくらいに持っていかれてしまったので、途中からは私も相手に“トリック・オア・トリート”を言ってお菓子を補充する。

ほんとに足りなくなったらこれをリサイクルさせてもらうことにしよう。

 

 

「ミューゼったらすごい人気者ね」

「この日ばかりは父である薬学教授の人気のなさを恨むよ」

「それだけじゃないでしょう? ぜったいミューゼのお菓子が欲しくて声をかけてる人の方が多いわ」

「ないって。それよりもしもお菓子が足りなくなったら、悪いんだけど貸しておいて。あとで埋め合わせはするから」

 

「いいわよ。もともとミューゼがくれたお菓子なんだから気にしないで」

 

 

他の3人だってけっこうな人数に声をかけられてる。

明らかに私にいたずらできなかった腹いせだって判る人もいたけれど、やっぱりそれぞれに個性的でかわいいから、彼女たちの誰かが目当てで私はついで、って人も中にはいたのだろう。

 

 

 

あたりに漂う甘い匂いにはさすがに辟易してきていたので、放課後は図書館へも薬学教室へも行かず、他の3人と一緒に寮の部屋で宿題と向き合って。

ディナーの時刻が近づいて、私たちは少し早めに大広間へと行った。

トロールの騒ぎがいつ起きるのか判らないけど、そのあとは食べる間もなく寮に直行だからね。

(まあ、たぶん寮の談話室でご馳走の続きは食べられるだろうけど)

ある程度は腹に入れておきたいから、私は“まだ早すぎるんじゃない?”といぶかる3人をせかしてハロウィン仕様の大広間のテーブルに席を取った。

 

 

さすがにまだ早すぎたけれど、あちこち置かれたり空中を漂ってたりするジャック・オ・ランタンの灯りと飛び回る蝙蝠たちが織りなす幻想的な光景は、私たちを飽きさせることはなかった。

続々と生徒たちが集まり、やがてパーティーが始まると、私はいつもよりも速いペースで食事をかき込んだ。

得体の知れない不安はずっと抱えたままだ。

知らず知らずのうちに視線は教員席へと向いて、黙々と食べ続ける教授と、その隣にある空席を視界に入れながら、私はその時が来るのを待ち続けた。

 

 

やがて、大広間に現われたクィレル先生が、ダンブルドア校長に向かってなにかを呟いてばたっと倒れた。

声が聞こえたのだろう近くの席の生徒たちから悲鳴が上がり、一気にパニックが伝染していく。

その騒ぎを校長先生が一瞬で納めて、私たちは監督生に連れられて寮に戻ることになった。

見ればすでに教授は大広間から消えていた。

 

 

教授はこれから三頭犬に足を噛まれてしまう。

物語としては教授が噛まれるのは必要な出来事なんだと思う。

だからこそハリー達は教授を疑って、最後まで犯人を取り違えたままではあったけれど、徐々に真相へと近づいていくんだ。

その流れを私は邪魔する訳にはいかない。

 

 

だいたい私が行ったところで教授を助けられるとは限らない。

もしかしたら、私が現われたことで気を散らしたり、私を守ろうとしたりして、教授の怪我がより深くなってしまう可能性だってあるんだ。

 

 

 

「ミューゼ、大丈夫?」

「なんか意外ね。ミューゼがここまでおびえるなんて」

「ミューゼ、しっかりして。大丈夫、トロールがここまで来ることはないわ」

「クィレル先生がトロールを見たのは地下だって話だけどね。もしかしたらここも ―― 」

 

「「テイジー!!」」

 

 

よけいなことを言ったテイジーをミリーとアスリンが制して。

そのあと代わる代わる私を慰めてくれる3人に、私は力ない笑みを返すことしかできなかった。

 

 

 

その夜はなかなか寝付けないまま明けて。

翌日の金曜日、朝食の席にはちゃんとふだんと変わらない教授がいて、私はその場で大きく安堵のため息をついてしまった。

 

 

もちろんその日の魔法薬学の授業も通常通りに行われた。

教授は教室に入ってくる時もとくに足をかばう様子はなく、教卓からときどき黒板に移動するときもいつものままだった。

ただ、静まり返る教室に響く教授の、左右の足音の違いに、私は気付いてしまったんだ。

たぶん私ほど教授に注目していなければ気付かなかっただろうほどの、ごく小さな違いだった。

 

 

(やっぱり、怪我をしてる。でも痛みがあるようには見えない)

 

 

まさかと思いつつはっと気づいた。

たぶん教授、足の痛覚を麻痺させて、怪我を誰にも悟らせないようにしてるんだ。

 

 

その方法がいろいろあることも私は知ってる。

麻酔薬なんかもあるし、魔術の中にも身体の一部だけ石化させるような呪文があった。

でも、どんな方法であれ、元の傷を治さず痛みだけ麻痺させれば状態が悪化してしまうのは必至だ。

 

 

授業が終わると、私は真っ先に教授のもとへと駆け寄った。

 

 

「教授、いくつか質問をしたいんですが」

「……我輩は今忙しい。あとにしたまえ」

「……判りました。今日は1日ですので夕食後に伺います」

 

 

近づいてみて初めて判ったけれど、教授の額にはうっすらと汗がにじんでいた。

魔法薬なのか魔術なのか、いずれにしても2時間続けての授業時間内が効果の限界だったんだろう。

 

 

 

大広間で私が昼食を食べている間に教授がくることはなく。

そのあと、部屋で宿題や小遣い帳を片付けて早めに夕食へ行ったけれど、やはり教授に遭遇することはなかった。

昨日から私の様子がおかしいのはとうぜんルームメイトの3人は気付いていて、朝いくらか浮上したものの薬学の授業でさらに深刻化したのが判ったのだろう。

私が夕食がテーブルに並ぶ時刻よりもかなり早く大広間へ行くと言った時も、一口二口食べてすぐに教授のところへ行くと言った時も、黙って私のしたいようにさせてくれた。

 

 

 

「教授! ミューゼ・スネイプです。質問に来ました」

「……ああ」

「入ります!」

 

 

ドアを開けると、教授はいつもとは違って、三人掛けソファの方に腰かけていた。

もしかしたら直前まで足の治療をしてたのかもしれない。

入ってきた私を少し驚いたように見上げたけれど、それは私が深刻な顔で飛び込んできたのが理由のようだった。

 

 

「どうした」

「あの、……見せてくれとも、詳しい話を聞かせて欲しいとも言いません。ただ、言える範囲で教えてください。……足を、どうされたんですか?」

「……」

 

 

私のその言い方で、教授は私が言わんとしていることを察してくれたらしかった。

私は教授の足の怪我に気づいていて、教授がそれを誰にも言っていないこと、誰にも知られたくないこと、気付かれないために痛みを消していることも判っているのだと。

 

 

「……獣に噛まれた」

「 ―― !」

 

 

その瞬間、私の目から一気に涙があふれて、滝のように頬を流れ落ちた。

自分でも驚いたけどかまわなかった。

私の中にある感情、幼いミューゼも、45歳までの前世の私も、今まで7年余り教授と過ごしてきた私も。

すべての私の感情が同じことを思っていたんだ。

 

 

―― 教授を失いたくない。

―― 父親を亡くしたくない。

―― 独りになりたくない。

 

 

喉が詰まって、しゃくりあげていて、声にならなかった。

三頭犬に噛まれて、教授はもしかしたら命さえ落としていたかもしれないのだ。

その可能性もあった過去の出来事に対して、私の中にあるすべての私は今初めて恐怖を覚えていた。

 

 

「教……授……っ! ……いや、だ……!」

 

 

とつぜんガタガタ震えながら泣きだした私に、教授は心底驚いたのだろう。

もう視界はまったく利かなかったのだけど、教授が立ち上がろうとしたのが判って、私は教授の腰辺りにしがみついて制した。

2人一緒にソファに倒れ込んでしまう。

私はそのまま教授にしがみついて、ただただ泣き続けていた。

 

 

「 ―― 慌てるな。死ぬような怪我ではない。おまえがそんなに心配するほどのことはない」

 

 

私はしゃくりあげながら断片的な言葉をいくつも並べたてて。

教授はそれにいちいち答えながら、私を安心させてくれようとしたのだろう。

でも、私は教授の言葉とぬくもりを持ってしても、今はただひたすら恐怖の方が勝っていたようで。

 

 

やがて泣き疲れて眠ってしまうまで、私はずっと教授にしがみついて、胸に顔をうずめていたんだ。

 

 

 



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賢者の石7

 

目が覚めた時、私は制服のままソファに横になっていて。

目の前の教授の黒い身体を抱きしめているところだった。

 

 

「やっと起きたか」

「教、授……?」

「目が覚めたのなら、まずは身なりを整えてはどうかね? ひどい顔をしておられますぞ」

 

 

はっとして身体を起こしてきょろきょろと周りを見る。

場所は最後の記憶と同じ教授の部屋のソファで、時刻は既に朝になっているようだった。

 

 

「す、すみませんでした! とんだ失態をお見せして ―― 」

「いいから顔を洗ってきたまえ。洗面所は向こうだ」

 

 

改めて教授に教えられるまでもなく洗面所の場所は知っていたので、私は慌てて靴を探し出すとそれを履いてドアへ飛び込んだ。

顔を洗い、鏡の中の自分を見ながら制服のしわをのばす。

懐中時計を探すと、針は既に昼近い時刻を指していた。

 

 

授業に遅刻したかもしれないと焦ったが今日が土曜日だったことを思い出す。

まあ、もしも平日なら教授が私を起こさないはずはないのだけれど。

いずれにしても、私がしがみついていたせいで教授はベッドで寝ることも、おそらく食事を取ることもできなかったに違いない。

 

 

部屋に戻ると教授はいつもの一人掛けソファに座りなおしていて、テーブルには2人分の紅茶が用意されていた。

 

 

「昨日はすみませんでした」

「かけたまえ」

「はい」

 

 

促されてティーカップが置かれた場所に腰かける。

私が一口飲むまでの間を待って、教授が話しかけてきた。

 

 

「それで、昨日何があったのか、話せるかね?」

 

「はい。……おとといのハロウィンパーティーの時、クィレル先生が来たあとにぜんいんが寮へ戻ることになって、教授の席を見たら教授がいなくなっていました。寮でトロールが出たことを聞いて、まさか教授がトロール退治に行ってしまったんじゃないかって、不安になってしまったんです。そのまま一睡もできずに朝食へ行ったら教授はふつうに食事をしていて、その時は安心したんですけど。……教室で、教授の足音が、左右で微妙に違うことに気づいたら、不安が蘇ってしまって」

「……」

「怪我をしているのを、生徒に隠そうとしてるだけなら、たぶん理解できました。でもそのために痛みを麻痺させるのはやり過ぎな気がして。……教授が、誰にも言えない理由で危険なことをしている気がしたんです。それこそ、マダム・ポンフリーにも内緒でなにかをしようとしたんじゃないか、って。それが私、怖くて……」

 

 

話している途中からまた涙がにじんできてしまう。

幸いポケットに昨日のハンカチが残ったままだったから、私はそれを取り出してにじんだ涙をぬぐった。

 

 

「……泣くな」

「はい、すみません」

「昨日も言ったがもう一度言っておく。我輩の怪我は命にかかわるものではない。この怪我が元で死ぬことはない」

「はい」

 

「問題は、我輩が怪我を負ったことではない。我輩の怪我におまえが過剰な反応をしたことだ」

「……はい」

「なぜ、そうなったか判るかね?」

 

「……あの時、教授が獣に噛まれたと言ったとき、思ったんです。もしかしたら、教授がその獣に殺されてた可能性もあったかもしれない、って」

「現実に殺されていないことが判っていたのに、かね?」

「はい。可能性に恐怖しました。“一歩間違えてたら殺されていたかもしれない”と」

 

 

教授はふうっとため息をついて、目の前の紅茶を飲み干した。

私が言った言葉を頭の中で転がして、次に言うべき言葉を探ってるように見える。

私は自分が間違ったことをしているとは思っていなかった。

もちろんいきなり泣き出してしかも教授に抱きついたまま眠っちゃって、ものすごく迷惑をかけたとは思ってるけど。

 

 

やがて、静かにカップを置いた教授は、私をじっと見つめて言った。

 

 

「おまえは、心を一か所に集め過ぎている。心のすべてを一つの対象に注いでいるから、それが壊れた時に何もかもを失う」

「……はい」

「我輩以外の、別の対象を作りたまえ。友達でも、勉強でも、なんでもかまわん。心を小分けにして残しておきたまえ。けっして心のすべてを一つの対象に向けることがないように」

 

 

それは、私が教授を全力で愛していて、それが教授には迷惑だってこと?

いやでも私、そんなに教授だけを愛していただろうか……?

 

 

……どうしよう、否定できないよ。

だって私の昨日のあの取り乱しようは、まさに教授が言う通り“たった一人の愛する人を失うかもしれなかった”人間のそれにしか見えないのだから。

 

 

 

教授自身は、教授が言う“一つの対象に心のすべてを注いでしまった”人だ。

教授がリリーを失って、何もかもをなくしたとき、たった一つ教授の壊れた心をすくい上げたのがハリーの存在で。

もしかしたら教授は、私に同じ想いをして欲しくなくて、こうして忠告してくれたのかもしれない。

 

 

「……判りました。お心遣いありがとうございました」

「もう大丈夫かね?」

「はい。いちど寮に戻ります。ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」

「……」

 

 

私はぎこちないながらもなんとか笑みを浮かべて、教授の部屋を辞した。

 

 

 

寮の自室に戻るとルームメイトの3人はちょうど部屋にいて、私を迎えてくれた。

 

 

「ミューゼ! ちょっと、どうしたのその顔!?」

「スネイプ先生に叱られたとか?」

「ううん、そうじゃないんだけど。……3人とも、少し話を聞いてくれるかな?」

 

 

3人は了承してくれて、私が制服から普段着に着替えている間、紅茶を淹れたりお菓子を用意してくれたりした。

 

 

私はかいつまんで、教授が“ちょっとした”怪我をしたことに授業中気付いたこと、昨日はそれが心配で早めに教授の部屋へ行ったことなんかを話した。

 

 

「 ―― 私、今まで教授が怪我をしたのに気付いたことなんかなかったから、すごく怖くなっちゃって。……やだ、また涙が出てきた」

「ミューゼ……」

「それで泣いちゃったのね?」

「うん。ほんとに小さな子供みたいに泣きじゃくったの。それで泣き疲れて眠っちゃって。気がついたら日にちが変わってた。……みんなにも心配かけたよね。ほんとにごめんなさい」

 

「ん、まあ、私たちはスネイプ先生と一緒だって知ってたから、そこまで心配はしてなかったけど」

「週末だしね、たまのお泊りもいいんじゃないって話してたくらい」

 

「ありがとう。……でね、今朝起きて、教授に言われたの。私は、心を一つにまとめ過ぎてる。もっといろんな対象に心を小分けにしなさい、って。……私、教授のことを愛しすぎてるのかな? 私ってそんなに教授一筋?」

 

 

私が訊くと、3人はお互いにちょっと顔を見合わせるようにした。

 

 

「確かにミューゼはスネイプ先生を好きすぎる感じはあるけど。でも、ちゃんと私たちのことも心配してくれるわ。ほら、最初の頃、私がホームシックになりかけた時も慰めてくれたし」

「うん。私が頭痛だった時も気付いて保健室に連れて行ってくれたわね」

「スネイプ先生以外が少しも見えてないとは思わないけど?」

 

 

……ごめん、今あげてくれたの、ぜんぶ“ふり”だ。

私が大人社会でふつうの人間に見えるように身につけた社交術。

そうじゃない、って否定されて初めて気付くなんて本当に皮肉だけど、私、今までみんなのことちゃんと見えてなかったよ。

 

 

「ありがとう。……それじゃあ、これからはもっとたくさん、みんなのことを見るようにするね。だから、小分けにした私の心の一部を受け取ってください」

 

 

真面目に言う私にみんなは少し照れたような笑みを見せて、『改めて言われるのも変ね』と言いながらも私の友情を受け入れてくれた。

 

 

 

 

その夕方、私が再び教授の部屋を訪れた時には、時間が早すぎてメイミーの夕食はまだ出来上がってなかったようで。

私は昨日見せようと思って忘れていたお小遣い帳を先に教授に見てもらうことにした。

教授は最初の時、毎月1日か2日に持ってくるように言ってたから、今月みたいに1日が金曜日、2日が土曜日の時は土曜日の夕食の時にまとめてもいいよって意味だったんだと思う。

……今回は心配のあまり一刻も早く教授の部屋に行く口実が欲しくてそんな気にならなかったんだけど。

 

 

「紅茶は部屋のみんなで飲む分です。最初はミリーが持参してきたんですが、彼女がいつもぜんいんの分を淹れてくれるので、せめてものお礼という意味で。お菓子はハロウィン用です」

「いいだろう。……まさかとは思うが、ハロウィンでもらった菓子を口にしてはいまいな?」

「はい。もったいないとは思いましたが、すべて処分しました」

「それが賢明だ」

 

 

まあ、部屋のみんながお礼にってくれたのは遠慮なく食べたけどね。

他寮の知らない人がスネイプ教授の娘にくれたお菓子なんて恐ろしくて口にできないでしょ。

 

 

お小遣い帳にOKが出たので、いつもの通り今月の5ガリオンを受け取って。

そうこうしているうちに夕食がテーブルに並び始めたから、教授と一緒にメイミーの心づくしの夕食を食べた。

食事中、教授がときどき手を止めたのは、おそらく足に痛みがあるからなのだろう。

そのせいか教授が食べ終わったときには私もあらかた食事を終えていた。

 

 

「教授、まさか立ち上がって紅茶を淹れに行ったりしませんよね」

「……」

 

 

教授は無言で杖を振って食事のお皿を片付けると、もう一振りしてティーポットとカップを出現させた。

この様子だと、私が声をかけなかったらほんとに淹れに行くつもりだったな。

私は教授に笑みを見せたあと、いつものようにソファのうしろにまわって肩を揉み始めた。

 

 

「教授、昨日は本当にすみませんでした」

「そう何度も謝ることはない」

「これで最後にします。教授がおっしゃる通り、手始めに同室の3人を友人としてもっとちゃんと気遣うことにしました」

「そうか」

 

「はい。……私にそれを気づかせてくださってありがとうございました」

 

 

私自身でも気付かなかったことに教授は気付いてくれた。

それはきっと、教授が父親としてちゃんと私を見ていてくれてるからだ。

 

 

 

教授の壊れた心のかけらをすくったのはハリーの存在がいちばん大きいのかもしれないけれど、できれば私の存在も少しは慰めになったのならいい。

私も、少しは教授の心のかけらを注いでもらってると、信じていたいんだ。

 

 

 



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賢者の石8

 

ハロウィンが終わると、ホグワーツではいよいよクィディッチシーズンに突入する。

4寮がそれぞれ総当たり戦を繰り広げて、勝敗と得点差を競って優勝杯を目指すんだ。

さらに試合で得た得点がすべて寮の得点にも加算される訳だから、各寮ともに否応なしに盛り上がる。

その皮切りになる試合がグリフィンドール対スリザリンというのも盛り上げに一役買ってるのかもしれない。

 

 

寮の中でもその話題で持ちきりで。

私は誰が選手だとかまったく知らなかったのだけど、ときどき他の寮生に『がんばれよ』なんて声をかけられてる先輩を何人も見かけて、すぐにほぼ全員を知ることができた。

確かこの時点ではハリーがグリフィンドールのシーカーに抜擢されたことは他寮には内緒のはずなのに、気がつけばみんながハリーの噂話をしてるんだよね。

(この件に関しても私はドラコが気の毒で内心ひたすら同情しまくってたよ)

ここホグワーツでは秘密を秘密のままにしておくことはほぼ不可能なのかもしれない。

 

 

原作では確か、この試合の最中にクィレル先生がハリーの箒に呪いをかけて、その反対呪文を教授が唱えるんだった。

でもって、その反対呪文をかけてるところをハーマイオニーに見られて誤解されて、教授はローブに火をつけられちゃうんだよね。

まあ、今回は被害がローブだけだからそんなに心配することもないと思うんだけど。

万が一にも教授が足にやけどでもしてたらそのあと私はハーマイオニーと上手に会話できる自信はなかったりする。

 

 

 

「あら、ミューゼ。いつもの棚の方にいないと思ったら今日はこっちなの?」

 

 

噂をすればハーマイオニーさんでした。

なお悪いことに、ちょっと離れた場所からハリー君とロン君がこっちを見てますよ。

 

 

「うん。本命は料理の本の品ぞろえを確かめたかったんだけど、クィディッチの本が目に入ったからつい浮気してた」

「料理? ミューゼは料理好きなの?」

「実はあんまり好きじゃなかったんだけど、魔法薬を作るのと作業が似てるから、一緒に勉強したら相乗効果で両方上手になるかな、って思って」

「やっぱりミューゼって考え方が独特だわ。そうそう、友達を紹介するわ。グリフィンドールのハリーとロンよ」

 

 

ハーマイオニーが手招きすると、ロンはしぶしぶといった感じで、ハリーも恐る恐る、私の近くにやってきた。

 

 

「ロン・ウィーズリーだ」

「ミューゼ・スネイプ。よろしくねロン。ハリー、久しぶり」

「うん、久しぶり」

 

 

2人とも知り合い? ちょっとね、なんて会話を交わしたあと、ハリーがじっと私を見つめてくる。

ホグワーツで食事をするようになったおかげか、ハリーは以前見た時よりもずっと栄養状態が良くなったような気がした。

 

 

「ミューゼ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

「だいたい想像はつくけど。父のことなら私はぜんぜん知らないよ?」

 

「……なんで僕、あんなに目の敵にされてるんだと思う?」

「ほんとに判らないんだけど。……たとえば、昔うちの父とハリーのお父さんが、1人の女性を争った恋敵だった、とかだったら面白いと思わない?」

 

 

 

おどけた感じで言えば、最初に吹き出したのはロンで、意図を汲んだのかハリーも笑顔を見せた。

 

 

「あのスネイプが? ありえないよ」

「あら、でもミューゼの想像だと、スネイプ先生はミューゼのお母さんと禁断の恋で結ばれて、周りに強引に引き離されたんじゃなかった?」

 

「うん。だから、母に横恋慕してたのがハリーのお父さんなの。……ううん、実はもともと母と婚約してたのはハリーのお父さんの方で、父が略奪したんだよ! ほら、純血の家って親同士が勝手に子供の婚約を決めちゃったりするし。もしもそうだったら面白いと思わない? ね、ハリー?」

 

「……うん。なんか僕、スネイプのことは判らないけど、ミューゼのことはよく判った気がするよ」

「うん、僕もだよ」

 

 

それはもしかして私の空想 ―― 妄想とも言う ―― 力が人並み外れてたくましいって言いたいのかな?

 

 

実は私の空想から展開した物語が、関係者の位置は違っても真実にかなり近いんだって、今のハリーには知るよしもない。

ともあれ、自分が預かり知らないところで過去になにかがあったのかもしれないという思考に辿りついて、ハリーも少し気が楽になったみたいだった。

 

 

 

3人はクィディッチの本を借りに来たようで、ハーマイオニーが棚の中から『クィディッチ今昔』を選んで取り出すと、お別れを言って図書館を出て行った。

これから彼らは校舎の外で教授と遭遇して、本を奪われて、取り返しに行った先でハリーが教授の怪我を見てしまうんだろう。

そのあたりのいきさつに関わる気がなかった私は、あらかた料理の本を確かめたところで、地下牢教室にいつものくせ毛治しの魔法薬を調合しに行った。

(これ、実は使用後1週間で効果が薄れるから、2週間に1回は調合してたりして。できればもっと効果が持続するように改良したいところだ)

わりと頻繁に通っている私は、常連のスリザリンの先輩たちともすっかり顔なじみになって、けっこう可愛がってもらえてるのは別の話だ。

 

 

 

 

そんなこんなで翌日の試合の日。

私はもちろんスリザリンの応援席にいて、同室の3人と一緒に並んで競技場を見下ろしていた。

 

 

(やっぱりこれだけの人数が一つ所に集まるとすごいね)

 

 

大広間での入学式やハロウィンパーティでも同じだけの人数は集まってたはずだけど。

競技場というのはやっぱり雰囲気が違って、伝わってくる熱気に圧倒されそうになる。

ピッチを囲んだ座席はほぼ寮ごとに4分割されてたりするんだけど、よく見るとハッフルパフやレイブンクローの席にもグリフィンドールの応援旗が掛かってたりして、スリザリン席に座ってたらほぼ“まわり中が敵”な感じなんだよね。

(しかも確かスリザリンて寮生の人数が一番少なかったり。全校生徒の2割とかそのくらいだったはずだ)

つまり、ピッチの選手たちは、味方の応援に対して敵の応援が4倍もある中で試合に臨まなきゃならないって訳だ。

 

 

なんか、前世で夢小説を読んでた時にも、それ以前に映画を見た時にも感じてたことなんだけど。

この物語、スリザリンが迫害されすぎなんじゃないですか?

 

 

(だいたい寮生の資質に“狡猾”とか、いかにも悪役な感じじゃん)

 

 

確かに物語の中ではとかく悪役として描かれてることが多いのかもしれないけど、一人一人はみんないい子たちだし、(私が人嫌い入ってるからかもだけど)中に入ってしまえばなかなか居心地がよかったりもするんだ。

 

 

「これは、人の4倍応援するっきゃないね」

「ん!? なにか言った!?」

「がんばって応援しようね!って話!!」

「そうね! 私たちも頑張ろう!!」

 

 

既にざわめきで声が聞き取りづらくなってるから、私は隣のミリーと大きな声で声を掛け合った。

 

 

やがて選手たちが出てきて。

フーチ先生のホイッスルで試合が始まった。

 

 

グリフィンドールびいきの実況は無視して、クアッフルを追い回す選手たちに応援の声をかける。

いちおうスリザリンの選手たちの顔と名前は覚えたけど、高速で飛びまわって入れ替わるから正直誰が誰だか見分けがさっぱりだ。

実況のリー・ジョーダンはいったいどうやって見分けてるんだ?

しかも見分けるだけじゃなく瞬時に試合の流れを解析して口に出すとか、ほとんど人間業じゃないと思う。

 

 

「行けー!! そのままゴール行けー!!」

 

 

応援の声が既に女の子じゃなくなってる気がするがほっといてくれ。

最初の頃はとにかく大きな声を出そうって頑張って応援してたけど、そのうちに興奮してきたのか周りと同じように立ち上がって腕を振ったり足を鳴らしたりなりふり構わなくなってきた。

 

 

試合途中にハリーの箒のコントロールが利かなくなったりと、些細な出来事はあったけれど。

(物語的にはメインだがスリザリン的にはどうでもいい)

その間に大量得点が取れればよもや、と思いもしたけど、残念ながらスニッチを取ったのはハリーで、結果は原作どおりスリザリンの敗北で終わった。

 

 

……初めて見るクィディッチの試合は、私の想像以上に面白かったということだけ付け加えておく。

 

 

 

 

 

 

試合が行われたのは土曜日だったため、私はいつもの通り夕食前に教授の部屋を訪れて。

いつもよりさらに憮然とした顔の教授に迎えられました。

 

 

「試合中に教員席でボヤ騒ぎがあったと聞きました。教授は大丈夫でしたか?」

「……」

 

 

どうやら今はなにも話したくないらしい。

まあ、見たところ靴やズボンが焼け焦げた様子もなさそうだし(魔法で修復したのかもだけど)、足にまで被害はなかったようでほっと胸をなでおろした。

 

 

 

 

食後、私が教授の肩をもみ始めても、しばらく教授は腹の中が怒りで煮えくりかえってるようだった。

 

 

「私、今回初めてだったんですけど、クィディッチってなかなか面白いですね」

「……」

「人が箒でちゃんと飛ぶのを見たのも初めてのようなものなんです。とくにシーカーのヒッグス先輩はもうスピードが授業なんかとはぜんぜん違いますし。あと、フリント先輩でしたっけ? 箒一本であんなに華麗に動けるものなんですね、びっくりしました」

 

 

返事がないので適当にスリザリンチームのメンバーをほめていたら、教授の背中に力が入ってよけいに苛立たせてしまったことが判って焦る。

……すみません、またしても教授の怒りポイントが判らないんですけど。

もうクィディッチの話題には触れない方がいいんだろうか?

 

 

「……まだ始まったばかりじゃないですか。スリザリンが他のチームに2勝して、グリフィンドールがどこかのチームに負けたら、優勝する可能性は十分ありますよ」

「……」

「今回得点能力はグリフィンドールよりもスリザリンの方が上回っているって証明されましたし、このままいけば総得点数はおそらくスリザリンの方が上です。個々の能力はこちらの方が高いんですから、あとはメンバーの力を信じましょう」

 

 

フォローの言葉を投げかければ少し教授の肩から力が抜けたので、潮時かと思って次の話題を探す。

んでも特にはないんだよね。

今週はほとんどどこもかしこもクィディッチの話題ばかりだったから。

 

 

そんなことを考えつつ肩もみに集中しているふりをしていたら、教授の方から話しかけてきた。

 

 

「おまえは、試合中のポッターを見ていたか?」

「……あまり見てませんでしたけど、もしかして箒が暴走したとかいう話ですか?」

「ああ。……試合中、ポッターの箒に呪いがかけられていた」

 

「……え?」

 

 

ていうか、それ私に言っちゃっていいんですか!?

もちろん生徒の間でいろいろ憶測は広まってたりするけど、教授がそれを肯定しちゃうのはいろんな意味でまずいと思うんですけど。

 

 

「もちろん他言無用だ」

「あ、はい。誰にも言いません」

「問題は、ポッターが誰かに命を狙われたということだ。だからおまえには改めて念を押しておく。 ―― ポッターにはぜったいに近づくな」

 

 

……ダメだこれ、黙ってれば済むとかそういう話じゃない。

教授は本気で私がハリーに近づくことを禁じてる。

親だからとか、心配だからとか、そういう心の問題だけじゃないんだ。

私がハリーに近づくことで、たとえば他の誰かの命が危険にさらされたり、なにかの計画が狂ったり、そういう重大な問題が出てくる可能性があるから言ってるんだ。

 

 

そうじゃなかったら、たとえ私が娘だからといって、教授が呪いのことを口外するなんてことはしなかっただろう。

 

 

「すみません、教授。昨日のことなんですが、ハーマイオニーにハリーとロンと引き合わされました」

「……なんだと」

「図書館で、偶然クィディッチの本がある棚の近くで彼女たちと会ってしまって。……しばらく図書館には行かないことにします。今後なにか話しかけられたら、理由をつけて交流を絶つことにします」

「……」

 

「念のためグリフィンドールの友達は一切作らないことにします。それでいいですか?」

 

 

後半はソファの前に回って、床に膝をついて教授の顔を見上げながら宣言する。

教授は少し驚いたように私を見つめていたけれど、やがて緊張を解くように溜息をついて。

1回視線を外したあと、再び私を見て言った。

 

 

「……おまえはそれでいいのか?」

「かまいません。ハーマイオニーは頭がよくて面白い友達でしたけど、教授の言いつけに背いてまで交流を続けたいと思うほどではないです」

「なぜそこまでするのに理由を訊かん」

 

「理由なら今話してくれました。ハリーは誰かに命を狙われたんです。そんな人の近くにいるのは危険ですし、先生方には生徒であるハリーを守る義務がありますから、私などが周りをちょろちょろして守る人数を増やす訳にはいきません。それに、私は教授の娘ですから、その立場をハリーを狙う誰かに利用される危険性もあります。そこまで判ったら理由は十分だと思います」

「……」

 

 

教授はまたなにか言いたそうに私を見たけれど、それ以上はなにも言わずに背もたれに身を預けた。

私も再びうしろへまわって肩もみを再開したけど、けっきょくそれ以上話題を振ることはしなかった。

 

 

 



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賢者の石9

 

それからしばらくの間、私は空き時間に一人で図書館へ行くことも、そもそも一人で行動することさえほとんどしないでいて。

放課後はたびたび一人で薬学教室へ出向いていたけれど、地下牢教室はスリザリン寮とさほど離れていなかったため、グリフィンドールのハーマイオニー達と偶然すれ違うようなことはまったくなかった。

彼女たちもそろそろ教授へ疑いの目を向け始めていた頃だったから、私とどう接していいか迷うようなところもあったのだろう。

ときどき大広間や魔法薬学の授業で姿を見かけることはあったけれど、いつも一緒に行動している三人組が私に話しかけてくるようなことはなかった。

 

 

11月の最終日がちょうど土曜日だったため、私はその月のお小遣い帳をつけ終えたあと、土曜日の食事会に教授の部屋へと赴いた。

 

 

「今日はもうお金を使いませんので、1日早いですがついでにお見せしようと思って持ってきました」

「ああ、かまわん。見せてみろ」

「はい。 ―― 私服に似合いそうなマフラーを友人が選んでくれたので、通販で買いました。残りはクリスマスのために繰り越しました」

「……これは?」

 

「あ、はい。初潮があったので」

「……?」

 

 

まさか私もこんなに早く来るとは思ってなかったんだよね。

11歳とか、前世では確か13歳くらいだったから、覚悟もなにも出来てなかったっていうか。

でも、多少は驚いたけど、どちらかといえば『またこれと毎月付き合わなきゃなのか』ってうんざりした方が強かったな。

どうせ私は出産なんかしないんだから、こんなのあっても無駄なだけだし。

 

 

教授は言葉の意味が判らなかったらしく、私はそれでスルーしてくれることを期待したのだけど、なぜか訊ねるような視線を向けてきて。

まあ、私の方に抵抗がある訳じゃないから(元オバタリアンだし)、せっかくの私の気遣いを無視してくれた制裁の意味を込めてずばりと言ってやっちゃいました。

 

 

「生理が始まりました。なので保健室で下着とナプキンを購入しました。……やっぱりちゃんと言った方がよかったでしょうか?」

「な……!」

 

 

目を見張って口元を押さえて絶句する教授の珍しい表情を見せていただきました。

……でもこれって、少なくとも既婚男性の反応じゃないだろ。

私を産んだ(と思われる)教授の奥さんは教授にこういう話はしなかったんだろうか?

 

 

「今後必要でしたらファーストキスも報告しますけど?」

「………………言わんでよろしい」

「ではそうします」

「……」

 

 

気まずい空気を払拭するように教授が杖を振ったので、私も小遣い帳を片付けて、テーブルの上の食事に手をつけた。

 

 

 

 

グリフィンドールの三人組に呼び出されたとき、私は図書館で同室の3人と一緒に宿題をしていた。

もしかしたら私が図書館へ出向くのをいつからか待っていたのかもしれない。

まあ、たぶんここにいた理由としては“ニコラス・フラメル”を調べるのがメインだったんだろうけれど。

 

 

「ミューゼ、実は話したいことがあるんだけど」

「どんなこと?」

「ここではちょっと」

「そうなんだ。 ―― ごめん、ちょっと行ってくるね」

 

 

スリザリンの3人に言い置いて、私はグリフィンドールの3人のあとについて、図書館近くの空き教室に入った。

最初からここで話をするつもりで目をつけてあったのだろう。

ぜんいんが入ったあと、ハーマイオニーはドアに鍵をかけて、私をドアから離れた椅子に導いた。

 

 

どうやらメインで話をするのはハリーに決まってたようで、他の2人は一歩下がったあたりで待機の態勢に入ってたから、私は目の前に座ったハリーに話しかけた。

 

 

「それで? 話って?」

「うん。スネイプのことなんだけど」

「私のこと?」

「あ、いや、君じゃなくて、父親の方 ―― 」

 

 

実はハリーやロンが教授を呼び捨てにするのもちょっと気に障ってたんだよね。

(ハーマイオニーは少なくとも私の前ではスネイプ先生と呼んでたけど)

そんな、険悪というほどではないけれど、ちょっと気まずい雰囲気から話は始まった。

 

 

 

7月31日、私とハリーとが初めて出会った日、グリンゴッツ魔法銀行に盗みに入った誰かがいたこと。

その誰かが盗むはずだったものは、実はその前にハグリッドが金庫から取り出していて、今はおそらくホグワーツの中にあるだろうこと。

真夜中に寮を抜け出したハリー達が、禁じられた廊下の先で仕掛け扉を守る三頭犬に遭遇したこと。

そしてハロウィンの日、トロール騒ぎがあったと同じ時に教授が三頭犬に噛まれて怪我をしたと知ってしまったこと。

 

 

先日のクィディッチの試合では、ハリーの箒に呪いがかけられて、その時教授はじっとハリーの箒を見つめながら何かを呟いていた。

……確かに、状況証拠だけなんだけど、教授ってめちゃくちゃ怪しいじゃん。

まあ、私は教授が賢者の石とハリーを守ろうとしてるって、知ってるんだけどね。

知らなかったら娘の私ですら教授を疑ってたかもしれないよ。

 

 

「それで? どうして私にそんな話をしたの?」

「どうして、って。君はスネイプ…先生が疑わしいとは思わないのか?」

「疑わしい、って、私の父がハリーを箒から落とそうとしたとでもいうの? グリンゴッツに泥棒に入ったとでも?」

「だって、そう考えるのがいちばん自然じゃないか! あの日君は30分以上お父さんに置いてきぼりにされてたんだ!」

 

 

あー、それも推理の中に含まれてるんだね。

私はふうっとため息をついて、興奮しかけたハリーを見つめた。

 

 

「結論を先に言うけど、私は今の話を聞いても、少しも父を疑ったりしてないよ。私の父はハリーを殺そうとなんかしないし、銀行に盗みに入ったりもしない。もちろん三頭犬が守る部屋に侵入するためにトロールを校内に入れたりしない。だからハリー達が考えてることは、ぜんぶ間違ってるよ」

「なんで? これだけ証拠があるのに……。犯人はスネイプで間違いないよ!」

 

「間違いだよ。犯人は別にいる」

「どうしてそう言い切れるんだ! なにか犯人じゃない証拠でもあるの!?」

 

「見せられるような証拠じゃないけどね。……私の父は、子供嫌いのくせにホグワーツの教師を9年以上もやってるセブルス・スネイプ教授は、生半可な理由ではこの仕事を投げ出すようなことはしない。娘である私の人生に汚点を残すようなことはしない。そう信じてるだけだから」

 

 

 

私が言い終えても、今度はハリーも、他の2人も、反論してこなかった。

それはたぶん私の言い分に納得したからじゃなく、なにを言っても私が考えを曲げないことを悟ったからのように見える。

私はそれでもかまわなかった。

だって、下手に今納得されちゃったら、私の目的の方が達成できないから。

 

 

「とりあえず、勘違いは誰にでもあることだと思うけど、それを理由に父親を侮辱された私は不愉快だし、私の言葉を信じてもらえないことには傷つきもしたから。私の父は無実だから、いずれみんなにも判るだろうけど、私はあなた達が面と向かって父に謝らない限り許さないからね。短い付き合いだったけど、今日限り絶交させてもらうから」

 

「……君だって、僕たちのことを信じてくれてない。もしかしたら君がスネイプに利用されてるかもしれないって、忠告してるのに」

「それはどうもありがとう。その忠告の内容はともかく、気持ちだけはありがたく受け取っておくよ」

 

 

話はそれで終わりってことで、私はドアに向かって歩いていった。

……まあ、これだけ険悪ムードで別れればしばらくは話しかけてこないだろう。

だいたい彼らが教授に面と向かって謝るなんてこと、できるとは思えないし。

 

 

ドアの近くまで来たところでそれまで黙っていたハーマイオニーの声が聞こえた。

 

 

「ねえ、ミューゼ。……もしかして、あなた何か知ってるんじゃない?」

 

 

……なんだこの鋭い生き物は!?

 

 

「なにか、って?」

「三頭犬が守ってるものがなんなのかとか、ハリーを狙ってるのが誰なのかとか」

「……個人的に疑ってる人がいない訳じゃないけど、私はそもそも首を突っ込む気はないから。命だって惜しいし」

「スネイプ先生の疑いを晴らしたいと思わないの? ミューゼが大好きな“教授”が疑われてるのよ?」

 

 

……オイオイオイオイ勘弁してくれよ。

間違って説得されちゃったらどうしてくれるんだよ。

 

 

「……私たちの世代は、比較的平和な時代に育ってるから、危機感があまりないけれど。闇の勢力が解体してから実はまだ10年くらいしか経ってないんだよ。この平和な時代を築いてくれたのは、私たちの親。教授や、ハリーの両親や、ロンの両親たちなんだ。私たちがここに無事生きていられるのは彼らが必死で守ってくれたからなの。それが判ってるのに、たかが生徒3人に父親が疑われたからって、私は危険なことに首を突っ込むなんてできないよ」

 

 

さすがにマグル出身のハーマイオニーはとっさに反応できなかったようだけど。

また一歩踏み出そうとした私を引き止めた声はハリーだった。

 

 

「僕の命が狙われたんだ。このまま何もしなければ僕は殺されるかもしれない。だから、なにか知ってるなら教えてくれ」

「私が言えるのは、今みたいに警戒しなきゃいけない人を間違えてたら危ない、ってことだけだよ」

「じゃあその人の名前を教えてよ! 僕の命がかかってるんだ!」

「言えない。だって私、その人に面と向かって謝る勇気なんかないもん」

 

 

うん、これはほんとに嫌だ。

なんせ相手は後頭部にヴォルデモートをくっつけた闇の魔術に対する防衛術の先生なんだから。

 

 

 

たぶんハリー達の筋書きでは、私に教授の行動が怪しいことを訴えれば、それだけで私が教授を疑って彼らに協力することになってたんだろう。

その先にはたとえば私に教授の行動を見張って欲しいとか、教授からなにかを訊き出して欲しいとか、そういう要求もあったのだと思う。

でも、まさか最初の一歩で躓くとは思ってなかったんだろうね。

このあたりはしょせんは子供の浅知恵というか、圧倒的な経験不足というか、11歳の子供ではどうすることもできない部分だった訳だ。

 

 

 

ようやく私は空き教室を出て、図書館に戻ったのだけれど、宿題を片付けていたルームメイト3人は既に寮へ戻ってしまったみたいだった。

私が持ってきてた荷物もすっかり片付けられてる。

たぶん3人が持って帰ってくれたのだろう。

 

 

私は一刻も早く3人にお礼を言うために、足早に寮への道を歩き出した。

 

 

 



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賢者の石10

 

正直、たかだか1週間やそこらの休暇のために、片道丸々1日をかけて電車で移動する意味ってあるのかと思うんですけど?

私の家族といえる存在は今ぜんいん、ホグワーツのお城の中にいるというのに。

 

 

「ほう、生徒があらかた帰省して静まり返る校内に、残されたのは数人の生徒と教師のみ。さぞかし交流が深まることでしょうな」

 

 

……はい、素直に帰りますよ。

ハリーがクリスマス休暇に帰省しないと決めている以上、私がホグワーツに残るのは不可能だってことですね、教授。

 

 

 

ルームメイトの3人はとうぜんのように帰省組で、家族に会える嬉しさから興奮気味の彼女たちと一緒に、私もホグワーツ特急に乗り込んだ。

コンパートメントの中でお菓子をつまみながら楽しくおしゃべりして。

そうこうしているうちに列車は駅へと到着して、ほとんど時間というものを感じさせなかった。

 

 

「じゃあ、いいクリスマスを」

「うん。また新年に会いましょう」

「プレゼント送るからねー」

 

 

3人と別れのあいさつを交わして、迎えがいない私は一人でマグルの街をぶらぶら歩きながら、クリスマスムードに染まった風景を楽しんだ。

 

 

 

実は、クリスマスプレゼントは最初からマグルのお店で買うつもりでいて、今月のお小遣いは教授に頼んでポンドでもらってたりする。

というのも、私以外のルームメイトはぜんいん魔法使いの両親を持っていて、マグル界のことはまったく知らなかったりするんだ。

だからたまには私がマグルの世界のことを話してあげたりもするんだけど、やっぱり聞いているだけでは実感できないからね。

みんなにぜひにと頼まれちゃったりしたこともあって、私はマグルのお菓子でおいしいと思ったものをクリスマスプレゼントで送ってあげることにしたんだ。

 

 

とはいっても、マグルのお菓子に類似するものの大半は魔法界のお店でも売ってたりするから。

私が買ったのはコアラのマーチ的なチョコレート菓子とか、ポッキー的なチョコレート菓子とか、カール的なスナック菓子とかだったけれど。

(なんとなく機械で大量生産された雰囲気があるヤツね。クッキーみたいなものは食べ慣れてるから)

てきとうに数種類買って、あとクリスマスカードもいくつか選んで、私は本命の教授へのプレゼント選びに取り掛かった。

 

 

 

……買い物に来るたびに思うけど、私は買い物が大嫌いだ。

 

 

クリスマスといえば父の日、父の日といえばネクタイ、タイピン、カフス、靴下、お酒、おつまみ、etc。

クリスマスプレゼントに最適なお店はたくさんあって、お店の中にはプレゼントに出来そうな品物もたくさんあるのに、私は遠巻きに眺めるだけでなかなか選ぶことができない。

……怖いんだ、教授に『どうしてこんなものを選んだ』って目で見られるのが。

じっさい教授にそんなことを言われたことも、プレゼントを拒否されたことも一度もないのに。

 

 

(前世の母、あれだって立派な虐待だったよな)

 

 

朝仕事に出かける前には、毎度毎度私が着てる服を見て『そんな格好じゃ暑いでしょ』だったし。

私がサプリメントを飲んでれば『またあんたはそんな薬みたいなものばっかり飲んで』だったし。

 

 

私がどんなに寒がりかを説明しても、暑がりの母はぜったいに認めなかった。

現代社会の食の偏りとサプリメントの有効性を説明してもまったく耳を貸そうとしなかった。

 

 

買い物に来ると、母に『またこんなもの買ってきて』と言われた時の気持ちを思い出して、それ以外のいろんなことまで思い出していたたまれなくなる。

これが虐待じゃないならいったい何なんだろう?

これだけ私の心に傷を残しておきながら、あの人は露ほども私を虐待したなどと思ってはいないのだ。

 

 

(……ああ、私はまったく、いったいなにをやってるんだ。この世界にもうあの母はいないのに)

 

 

私が子供を産めないと思ったのも、この虐待とはみなされない虐待を、自分の子供に与えてしまうのが怖かったからだ。

前世で付き合ってた人にプロポーズされたこともあるし、付き合ってなかった人に告白代わりにプロポーズされたこともあったけど、私は結婚に踏み切ることができなかった。

私の子供嫌いは、本当は子供が嫌いだったんじゃない。

子供に虐待してしまう自分が怖かっただけなんだ。

 

 

(とにかく、今は教授へのクリスマスプレゼントだ。教授に私の買い物嫌いは改善してるって証明しないと)

 

 

服とかアクセサリーとか、残るものはまだ怖いから。

ワインかブランデーにしようと思って、私は酒屋に入って、悩んだ末にクリスマス向けのお酒の中からシャンパンを1つ選んで購入した。

もしも教授が好きな味じゃなかったとしても、ひと瓶くらいなら飲んでくれるか、飲んだふりくらいはしてくれるだろうし。

……なんかとことんうしろ向きになってる自分がものすごく嫌だけど。

 

 

 

そんなこんなで、家に辿りつく頃にはぐったり疲れ切ってました。

ホグワーツでは会うことができなかったメイミーが夕食を用意しながら待っていてくれて、買い物袋を抱えた私をねぎらってくれる。

私はメイミーに、プレゼントをフクロウ便で送ってもらうように頼んだあと、食事をしてお風呂を使ってすぐに眠ってしまった。

 

 

 

 

そうして迎えたクリスマスの日。

私の部屋には、同室の3人からのプレゼントのほか、なぜかスリザリン寮の先輩やら同輩やらのプレゼントが大量に届いていて。

見ればお菓子の類が多かったのだけど、中にはアクセサリーやら羽根ペンやら、明らかに知り合いぜんぶに一括で送ったのとは違うだろうと思われる値段のものまで含まれていた。

 

 

……クリスマスカード、たくさん用意しておいて本当によかったよ。

(実は来年以降は買わずに済ませるつもりで年号が入ってないのを40枚くらい追加で買っておいたんだ。……ポンドを使い切る勢いで)

私は名前が書いてあって顔が判る人にカードを書いて、またメイミーにフクロウ便で送ってもらった。

 

 

教授からのプレゼントは毎年数冊の本で、今年も1冊が魔法薬の本、1冊が薬草、あとの2冊は学校では習わないけど使い勝手がいい魔法の本だった。

去年までは私も手作りお菓子や料理で誤魔化してたんだけどね。

(ちなみにメイミーとは一緒に作って互いに贈り合ったことにしてました)

だからこそ今年のプレゼントへの教授の反応は正直めちゃくちゃ怖いです。

 

 

まあ、今年はハリーが学校に残ってるから、教授はたぶん25日のうちには帰ってこないけどね。

確か原作でハリーが透明マントを使って図書館に入って、フィルチと教授に追いかけられるのが25日の夜だったと思うし。

……あれ? 教授が出てくるのって映画だけの設定だったっけ?

賢者の石は夢小説でかなり読み込んだはずだけど、ところどころ細かいところが抜け落ちてるのは経過した年月からも仕方がない部分だったりする。

 

 

 

そんな訳で、クリスマスディナーはメイミーと一緒に作って一緒に食べて、夜は教授にもらった本を読みながら眠りについて。

教授が帰ってきたのは26日の夕方になってからだった。

 

 

「おかえりなさい。お疲れさまでした」

「ああ」

「教授、本をありがとうございました。さっそく昨日読みました」

「そうか。……おまえのシャンパンも届いた。今夜飲ませてもらう」

「はい」

 

 

昨日のうちに開けてフィルチさんとでも飲むのかと思ったけれど、どうやら開けずに持って帰ってきてくれたらしい。

テーブルにメイミーと一緒に作った夕食が並ぶと、教授はコルクを飛ばすようなことはせず、丁寧にシャンパンを開けてグラスに注いだ。

一口飲むのを待ってから恐る恐る訊ねてみる。

 

 

「お味はいかがですか?」

「……」

 

 

いや、そこで沈黙されるとめちゃくちゃ心臓に悪いんですけど。

教授は少し私を見つめたあと、ついっとグラスを差し出してきた。

 

 

「飲んでみるか?」

 

 

……未成年にお酒を勧めていいんだろうか?

(私が子供の頃にはいたけどね、水だと偽って日本酒や焼酎を子供に飲ませて笑うような親戚の大人が)

 

 

恐る恐るグラスを受け取って口に運んでみる。

……やっぱり、子供の舌ではお酒の味をおいしいとは思えないか。

苦みにちょっとだけ顔をしかめたあと、グラスを教授にお返しした。

 

 

「少し甘すぎましたか?」

「いや。悪くない」

「そうですか。それならよかったです」

 

 

マグルのお店で買ったものだからどうかと思ったけれど、教授の舌に合ってくれたのならよかった。

私はほっと息をついて、目の前に並べられた料理に手をつけた。

 

 

 

肩もみの間、教授はシャンパンを飲みながら何かを考えていたようで。

私も無言で肩もみを続けていると、教授の考えがまとまったらしくふっと口に出していた。

 

 

「……透明マントか」

 

 

あ、なるほど、昨日の夜のことを考えてたのか。

今ホグワーツに残ってる人数は多くないから、図書館に侵入した犯人の目星はついてたんだろうけれど、どうやって逃げおおせたのかが今まで判らなかったということらしい。

確かハリーの透明マントはもともと父ジェームズのものだったはずだから、浅からぬ因縁をもつ教授もその存在は知ってたのだろう。

 

 

「懐かしいですね。教授が読んでくださった絵本の中に出てきたのを覚えてます」

「……飲みすぎたようだ」

「そうですか。では、私が紅茶を淹れてきます」

 

 

口に出してるつもりはなかった、ってことなのかな?

私はテーブルまで行って丁寧に紅茶を淹れ始める。

教授ほどの腕はないのだけれど、酔っ払いが飲む分にはさほど気にならないだろう。

 

 

「そういえば、クリスマスプレゼントでアクセサリーをいただいたんですけど、お返しはカードだけで問題なかったでしょうか」

 

 

紅茶を淹れ終えてテーブルに置きながら訊ねると、教授は酔って少しうるんだ目で睨み上げてきた。

 

 

「誰からだね?」

「名前は失念しましたが、スリザリン寮の先輩からです」

「……持ってきたまえ」

「……はい」

 

 

なんか、教授の目が少し怖いんですけど。

とりあえず言われたとおり部屋に戻って箱とカードを一緒に手にして再びリビングへと戻る。

差出人はスリザリンの確か4年生で、薬学教室でよく声をかけてくれる優しい先輩だ。

もらったのは琥珀かなにかでできたペンダントで、カードには『君の瞳に似合いそうなので贈ります』と一言だけ書いてあった。

 

 

そういえば前世で友達と旅行中、似たようなのを観光地の土産物屋で買ったことがあるけど、確か当時で千円くらいじゃなかったかな?

(当時とはいっても私が若い頃なので時代は今とほぼ同じだ)

その場のノリで友達とお揃いで買ってはみたものの、使うことはほとんどなかった気がする。

 

 

ペンダントを手にした教授は少し眺めたあと、杖を振って何かを確かめたようで。

やがて憮然とした顔のまま、ペンダントを私に返してくれた。

 

 

「気に入ったのかね?」

「私、アクセサリーのことはほとんど判らないです」

「その生徒に特別な好意は?」

「ありません」

 

「ならばカードだけで十分だ。突き返すほど高価なものではない。だからといってわざわざ付けて見せてやる必要もないだろう。……呪いなどは掛かってないようだから、付けたいと思ったら付けてもかまわんが」

「判りました。見てくださってありがとうございました。助かりました」

「……」

 

 

うん、やっぱりこの父は頼りになるよ。

これからもなにかもらったら真っ先に教授に見せることにしよう。

 

 

 

再び肩もみに戻って、私はこの広い背中に守られてるんだな、ってことを実感した。

前世では、父親に守られる感覚とか、実感したことがなかったから。

 

 

私が仕事を始めた頃は、まだセクハラって言葉すらなかった時代で、20年後なら一発で問題になるようなこともかなり大っぴらに横行していて。

私は同期の他の人たちと比べてとくべつ魅力的な訳でも社交的な訳でもなかったのに、頭をなでる、肩をたたく、くらいの被害にはしょっちゅう遭遇していた。

やがて周りが結婚し始めて、既婚女性でも働きやすかったうちの職場には、ちょうど不景気で採用が減ったこともあって独身女性が少なくなってきて。

ある1人の上司が、私以外の人にはまったくセクハラをしてないことに気がついたことで、私ははっきりと自覚したんだ。

 

 

私は、誰にも守られてないんだってこと。

父親がいなくて、結婚もしていない私は、上司にとってセクハラしやすい人だったんだ。

 

 

他の人たちはみんな、独身の頃は父親に、結婚してからは旦那様に、見えないところで守られている。

じっさいに誰かに睨みを利かせてる訳じゃなくても、背後にその存在が“ある”という事実だけで、彼女たちは守られていたんだ、って。

 

 

 

今、私の目の前には、広い背中で私を守ってくれる存在がある。

この人がここにいるだけで、私に対して邪なことをしようとする人は確実に減っているだろう。

これから先、私が性の対象として見られる年齢になってからも、それだけが目的で近づいてくる人はほとんどいないはずだ。

……まあ、もしかしたら、まじめに好意を持ってくれた人が二の足を踏むこともあるかもしれないけれど。

 

 

(でもそれでいいんだ。私は、教授だけが傍にいればそれで満足なんだから)

 

 

 

子供としては、せめて教授に孫の顔くらい見せてやらなきゃなのかな、とは思うけど。

(これも子供としての義務ではあるんだよね。……果たせる気はしないけど)

 

 

今はただ、せめてもの親孝行と思って、私は誠心誠意教授の肩をもんでいた。

 

 

 



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賢者の石11

「教授、お忙しいところをすみません」

「なんだ」

「この2人、文章の構成も、文体もほぼ同じ、教授から見て右の生徒の方にはスペル間違いが1か所あるのに、どうして右の生徒の方が評価が高いんですか?」

「……カンニングをしたのが左の生徒だからだ」

 

「え?」

「いいから黙ってやりたまえ。邪魔をされては手伝ってもらっている意味がない」

「……はい」

 

 

休暇の最終日、教授が食事に出てこなくなってしまったので、部屋を尋ねたところレポートの採点が終わらないとかで。

私が手伝うと言ってどうにか朝食だけは済ませたのだけれど、昼食は返上して今も採点の真っ最中だったりする。

しかも、私が手伝ってるのは、採点し終わったレポートに書かれた評価を別紙に書き写すだけの簡単な仕事だ。

確かにこれだけでも時間短縮にはなるかもしれないが、残されたレポートの山を見る限り、ほとんど焼け石に水でしかないような気がする。

 

 

それにしてもこの2枚のレポート、文字はおそらくそれぞれ本人が書いてるだろうに、どうしてカンニングしたのが左の生徒だって判るんだろう?

文章構成のクセ? それとも2人の性格と力関係?

いずれにしても、教授が生徒一人一人を完全に把握してるのはよく判ったよ。

 

 

 

「教授、3年生の残りのレポートはひとまずあとまわしで、先に4年生からお願いします」

「なぜだ」

「効率のためです」

 

 

深く考えるのも時間の無駄だと思ったのだろう。

教授が4年生の束を手元に引き寄せて採点を始めたので、私は残りの3年生の束を引き取った。

教授が採点を終えて積み上げていくレポートの評価を書き写す作業をしながら、まだ採点されていない3年生のレポートに目を通す。

それらに勝手に評価を書き込んで、教授が採点したのとは別の山を作っていった。

 

 

「教授、切りがいいところで5年生に移ってください」

「……」

 

 

教授にも私がなにをしているのか、既に判っているのだろう。

なにも言わずに4年生を中断して5年生の束を始めたので、私は今度は4年生の残りの分を引き受ける。

さすがに作業自体には教授の方が圧倒的に慣れているし、私は評価を書き写す作業も続けながらなので、私が4年生の採点を終える頃には教授は5年生の採点をあらかた終わらせていた。

作業にひと段落ついて、私は教授があとまわしにした二つの束を、改めて教授に差し出した。

 

 

「どういうつもりかね?」

「効率を重視したらこちらのやり方の方が最良だと思いました。ただ、私には生徒個人の性格や能力は判りませんので、違うと思ったら容赦なく訂正してください」

「……いいだろう。見せてもらう」

 

 

さっきまでよりもいくらか早いペースで採点済みのレポートが回されてくる。

いくつかのレポートで私が書いた評価が書きなおされてきたけれど、ほとんどのレポートは私の評価のままで返された。

ほんとにわずかな時間だったけれど、いくらかは時間短縮になったのだろう。

夕食までの間に少し休憩をはさむことができた。

 

 

「50点だな」

「私の評価ですか?」

「減点した50点はその生意気さに対してだ」

「はい。……光栄です」

 

 

つまり、レポートの評価に関しては減点はなかったってことだ。

真面目に魔法薬学の勉強を続けてきてよかったと思う。

 

 

 

夕食後の肩もみタイムも返上して、私が2年生、教授は1年生のレポートを採点する。

(1年生のレポートはレポートと呼べるようなものじゃないので、それまでのテンプレが役に立たないのだ)

6年生以上はその前に終わらせてあったからこれで最後だ。

今回は記録の方をあとまわしにしてあったため、教授が2年生の再採点をしている間に記入して、どうにか就寝前にすべての作業を終えることができていた。

 

 

さすがに若い私も肩がガチガチに固まっていた。

 

 

「教授、肩をお揉みします」

「……ああ」

 

 

教授は椅子に腰かけたまま、魔法で淹れた紅茶を飲む。

こうして教授の部屋で肩もみするのはもしかしたら初めてかもしれない。

たまにはこういうのも気分が変わっていいと思う。

 

 

「明日の準備はできているのか?」

「はい。……ひとつだけ忘れていました」

「なんだ」

「お小遣い帳です。今日が12月の最終日ですから、今日のうちに書いてお見せするつもりだったんですけど」

 

「……」

「明日にさせていただきます」

「……」

 

 

これは言わなくていいことだったな。

背中越しに教授のうんざりオーラが漂ってきたことだし。

 

 

「今日は……助かった」

「はい。お役に立ててよかったです。私の方こそ勉強させていただいてありがとうございました」

「おまえは……」

 

「……はい?」

「あんな技術をどこで習った」

「魔法薬学は教授に習ったのと、あとは本で勉強しただけです。教授の部屋の本は勝手に読ませていただきましたし」

「そうではない。……レポートの評価の技術は、薬学を勉強するだけでは身につかん。あれはたかが薬学に詳しい1年生ごときができることではない」

 

 

……いや、確かに私は前世の記憶があるから多少のことはできるけど。

さすがに魔法薬学のレポート採点の技術なんか、その中に含まれてるはずがない訳で。

 

 

「たぶんですけど、教授が採点したレポートから、だと思います。最初に見せていただいたのが3年生のレポートで、テーマはぜんぶ同じでしたし、読んでいるうちに教授の採点基準が判ってきたので」

「……」

「ですから、今ほかのレポートを採点しろと言われてもできないと思います。最初にいくつか見本を見せていただかなければ」

 

「見本があればできるというのか」

「4年生くらいまではたぶん。それ以上はまだ勉強不足で無理だと思います」

 

 

さっきの感触だと、ギリギリ5年生くらいまではいけるかな、と思ったけどね。

まあ、教授が疑問に思うのも判るよ。

1年生の子にレポートを多角的に見るような芸当、とうていできる訳がないし。

これは私が今52歳で、それまでの人生経験があるからこそ自然に身についてる感覚なんだ。

 

 

こういうとき、私は焦って言い訳をしたり、自分でそれらしい結論を口にしたりはしないようにしている。

教授がなにかを疑ったとしても、そこから一足飛びで私に前世の記憶があるなんて結論を導き出せるはずがないのだから。

私は現実にできてしまっているのだから、教授は教授で勝手に想像して、いちばん現実的な結論を出してくれるんだ。

だから私は、ただ知らないふりをしていて、教授が自分で結論を出すのをひたすら待っていればいい。

 

 

ふうっと、教授が溜息をついて、思考を手放したのが判った。

おそらく何らかの結論が教授の中で生まれたのだろう。

 

 

「もういい。今日は早く休め」

「はい。ではおやすみなさい」

「ああ」

 

 

教授に夜の挨拶をして部屋を出る。

さすがに私も疲れたので、お風呂のあとは読書をせずにそのまま寝入ってしまった。

 

 

 

 

翌日はまたホグワーツ特急で。

再会したルームメイトたちに新年のあいさつと、クリスマスプレゼントのお礼を言って、一通りみんなの休暇中のエピソードを聞いた。

 

 

「じゃあ、ミューゼはずっと家で過ごしていたの?」

「うん。ほとんどは教授のお手伝いをしてたかな。有意義で楽しい休暇だったよ」

「あなたって……」

「一言でいえば教授中毒?」

 

 

相変わらずテイジーはずばりと言ってくれちゃいます。

中毒でもなんでもいいよ、それがいちばん楽しいんだから。

もちろんレポートの採点まで手伝ってたとはさすがに洩らさなかったけどね。

(これはもろ個人情報だし……ってこれもまだこの時代にはない言葉だったか)

おかげでこの次に提出する自分のレポートにどんな採点がされてくるのかが何気に楽しみになってきたよ。

 

 

 

そのあとも、寮の談話室ですれ違う先輩たちにプレゼントのお礼を言ったり。

荷物を片つけたりしてたらすぐに1日が過ぎてしまった。

今週は明日から2日授業を受ければすぐに土曜日がやってくるのだけど。

来週はいよいよ教授の誕生日があるので、私はまた思案に暮れているところだったりする。

 

 

今までは当日にバースデーカードと、その週の土曜日の夕食でさりげに誕生日を演出してたんだけど。

ホグワーツでは自分で料理を作ることができないので(厨房があることはいちおう夢小説で知ってる)、やっぱりちゃんとしたプレゼントを用意する必要があると思う。

でもお酒はクリスマスにやっちゃったから、そろそろほんとに形あるものを考えた方がいいよね。

……まだ怖い気持ちは変わってないんだけど。

 

 

「スネイプ先生への誕生日プレゼント?」

「うん。ミリーはいつもどうしてるの?」

「私の父は夏休み中だから、旅行に行った先で思い出の品を買ってプレゼントしてるけど」

 

「テイジーは?」

「うちはカードだけ。私が健康で元気でいてくれるのがいちばんのプレゼントなんだって」

「アスリンは?」

「去年はブローチとカフス。一昨年は写真入りのロケットだったかな。その前は手編みのマフラーだったような気がする」

 

 

なんか参考になりそうでならないかもしれない。

手編みは確かに魅力的だけど、今からどうにかするにはちょっと厳しいと思うし。

 

 

「ミューゼ自身は先生になにをもらったの?」

「私は洋服。ほら、夏に着てたワンピースとか」

「ああ、あれ素敵だったわよね。清楚な感じが出てて」

「確かに似合ってたわね。中身とのギャップを気にしなければ」

 

 

……ま、そうなんだけど。

 

 

「プレゼントって、人によってかもしれないけれど、自分が欲しいものをあげる傾向があるっていうし。洋服もいいんじゃない?」

「よりによってなんでいちばん自信がないものを挙げるかな。私にはセンスがないって言ってなかったっけ?」

「一緒に選んであげるわよ。スネイプ先生なら、黒を選んでおけばほぼ間違いないし」

「そうね、ある意味楽かもしれないわよ」

 

「……うん、そうかも」

「じゃあ決まり。確か談話室に通販カタログがあったと思うから、私借りてきてあげるわ」

「ありがとうミリー」

 

 

そんなこんなで。

私のありがたい友達は、ああだこうだと言って一つのシャツを選んでくれて。

サイズの方はメイミーに訊けばすぐに判るからと、私は洗濯物にメモを紛れ込ませるいつものやり方で無事教授のサイズをゲットすることができた。

 

 

うん、持つべきものはセンスに富んだ友達だとマジで思いました。

 

 

 

 

誕生日の前日までに、プレゼント用にラッピングされたシャツが通販で届いて。

それに手書きのカードを添えて、私はわざわざフクロウ小屋から誕生日の朝に届くよう教授の部屋へ送った。

すると、その日の朝食の時、フクロウ便の時間にいつもはない私への手紙が配達されたんだ。

もちろん教授からで、カードには『プレゼントが届いた。大切に着させてもらう』と書かれていた。

 

 

「よかったじゃない」

「うん。みんなのおかげだよ。ありがとう」

「いいえ、どういたしまして。今度私の相談にも乗ってくれる?」

「うん、もちろん」

 

 

教員席の方を振り返ると、教授もこちらを見てたのだけど。

教授のもとにフクロウからいくつかの手紙や小箱が配達されてるのに気がついたんだ。

……やっぱりそれなりに慕われてるんじゃん、教授って。

私の表情が曇ったことには、ルームメイトのみんなは気付いたみたいだった。

 

 

「どうしたの?」

「ううん。……なんか、他にも教授にプレゼントが届いてるの見たらなんとなく」

「少なくともカードのうち3通は私たちのよ」

「あ、そうなんだ。みんなありがとう」

 

 

そうだよね、知ってたらカードくらいふつう送るか。

小箱の方は気になるけど、いつもお世話になってる教授にスリザリン生が贈り物をしたとしてもたぶんよくあることだし。

 

 

 

 

教授の誕生日は木曜日で、その日はフクロウ便のやり取りだけでとくに顔を合わせることもなく。

翌日金曜日は魔法薬学の授業があったけれど、相変わらずネビルを中心としたグリフィンドールがわいわいがやがやうるさかったくらいで、教授と個人的に話をするようなことはなかった。

そして、さらに翌日の土曜日。

やっと直接おめでとうが言える夕食会のその日、同室のみんなと朝食を食べている時に少し遅れて現われた教授に、真っ先にアスリンが気がついた。

 

 

「ミューゼ、ほら見てごらんなさい。スネイプ先生、ミューゼがプレゼントしたシャツを着てるわ」

「え?」

「あ、本当! あの襟の形は間違いないわよ。よかったわね、ミューゼ」

「……うん」

 

 

アスリンと、あとミリーが言う通りだった。

さっそうと現れて教員席にまっすぐ向かって歩いていく教授は、確かに私が贈ったシャツを身に着けていたんだ。

 

 

……なんだかちょっと気恥ずかしい。

そのシャツが似合ってるのかどうかすらも私には判らないのだけど、たぶん教授がこの日を選んで着てくれたのは間違いなかったから。

 

 

 

夕食の時間が待ち遠しかった。

部屋で本を読んでいてもなかなか頭に入らなかったし、切り替えるつもりで授業の予習をしてみたけれど、やっぱり頭に入らなかったし。

今日一日、教授があのシャツを身につけて過ごしているんだと思うと、やっぱりちょっとだけ恥ずかしくて。

誰かになにか言われたんじゃないかとか、もしかしたらセンスがないとか思われたんじゃないかって、急に心配になったりもした。

 

 

ふだんの私はあまり物事を気にしないタイプではあるんだけど、ひとたび気になりだすと持ち前の妄想力で思考が暴走する傾向があるみたいで。

夕食までの数時間、私は悪い方へばっかり暴走する妄想と必死に戦い続けていた。

 

 

そして、ようやく教授の部屋を訪ねても早すぎないだろう時刻がやってきて。

私ははやる気持ちを抑えながら、教授の部屋をノックした。

 

 

「教授、ミューゼ・スネイプです」

「入りたまえ」

「はい」

 

 

私がドアを開けて中へ入ると、教授はソファから立ち上がって、いつものようにドアに杖を一振りした。

 

 

「教授、そのシャツ、さっそく着てくださってありがとうございます」

「ああ」

「あらためてお誕生日おめでとうございます」

「……改めて祝ってもらうほどのことでもない」

 

 

言葉はぶっきらぼうだけどけっして嫌がってる訳じゃないのは判った。

それまでの悪い妄想も、教授の声を聞いたら一瞬にして消えてなくなっていた。

 

 

 

食事中はいつものように会話はなくて。

食後、私はソファでくつろぐ教授のうしろへと回って、肩もみをしながら声をかけていた。

 

 

「そういえば、おとといの朝、フクロウ便で教授にプレゼントが届いたのを見ました。贈り主はスリザリン生だったんですか?」

 

 

教授の肩が少し緊張したので、立ち入ったことを訊いて怒られるかと思ったのだけれど。

教授の答えは意外なものだった。

 

 

「あれは贈り主に突き返した」

「……へ?」

 

「学生が贈り物に選ぶには高価すぎるものだったのだ。よっぽど親に吠えメールでも送りつけてやろうかと思ったが」

 

 

教授が吠えメールって……恐ろしすぎる。

思いとどまってくれたみたいでほんとによかったです。

 

 

「ちなみにおいくらぐらいのものだったんですか?」

「あのブランドなら軽く百ガリオンはくだらないだろう。特注品ならさらにその3、4倍はしたはずだ」

「……」

 

 

えーっと、1ガリオンが私の感覚だとだいたい千円ちょっとくらいだから。

百ガリオンなら十万円以上、その4倍だと40万円……!?

 

 

「その人、まさか将来私の母親になったりしませ ―― 」

 

 

言い終えることができなかったのは、勢いよく振り返った教授がギリッと私を睨みつけたからだ。

 

 

「馬鹿も休み休み言いたまえ!」

「……はい。すみませんでした」

「ふん!」

 

 

照れてるって感じじゃないから、ほぼ間違いなく教授は迷惑してる方なんだろうな。

とりあえずそういう常識がない女の子が教授の好みじゃないと判って心底ほっとしたよ。

 

 

まあでも、今すぐじゃないにしても、教授が再婚するってパターンは十分ある可能性なんだよね。

原作中では若い女教師がホグワーツに来るようなことはなかったはずだけど、ハリーが卒業したあとのことは判らない訳だし。

まずは教授の命を救うことが第一の関門になるんだけど、たとえ私が教授の老後の世話をしたいと願っても、私といくらも変わらない年齢の後妻を迎えちゃったらその夢もついえることになるのか。

 

……いろいろ難しいなぁ。

 

 

 

「なにを考えている」

 

 

どうやら肩もみの手が止まってたらしい。

私は慌てて肩もみを再開させながら、特になにも考えずに答えていた。

 

 

「あ、将来のことを少し」

「なにかやりたい仕事でもあるのかね?」

 

 

……だよね、11歳の女の子が自分の将来について考えてたら、まさかそれが父親の老後のことだなどとは誰も思うまい。

 

 

「お話しできるようなことではないです」

「……そうか」

 

 

私の言い方が悪かったのか、教授の声は低くてわずかな苛立ちを含んでいるのが判る。

いやでも、正直に話す訳にはいかないしな。

 

 

「いえ、今考えていたのはお話しできるようなことではないんですけど、進路については教授に相談しないで決めるようなことはしませんから」

「……」

「その時はぜひ相談に乗ってください」

「……」

 

 

それ以上、フォローの言葉も思いつかなかったので、教授と一緒に私も沈黙したままで。

しばらく肩もみを続けていると、ふっと教授がソファから立ち上がった。

そのまま執務机の方へ行って、引出しから取り出した羊皮紙の束の中から一枚を抜き出して私の目の前にぶら下げた。

 

 

「なにか問題でも?」

「今まではこれでも“優”をやっていたが、どうやらおまえには易しすぎたようだ。今後は3年生レベルのレポートを要求する」

「課題は1年生のままでですか?」

「そうだ。同じ課題で、3年生で優を取れるレポートを仕上げろ」

「……判りました」

 

 

なにげに難しいよこれ。

教授のレポートは授業内容をまとめるとか、そこから少し発展して何かを調べるとか、そういう課題が多いんだけど。

3年生の授業を受けて3年生レベルのレポートを書くのと、1年生の授業を受けて同じレベルで書くのとじゃ、それだけで難易度が格段に上がってくる訳だから。

 

 

でもそれを言うなら教授もだよね。

今までぜんぶの生徒を画一的に採点できたのに、私のレポートだけ基準が変わる訳だから、それだけでも手間が増える。

つまり、私だけ教授に個人授業をしてもらうのと同じだってことだ。

それはそれで嬉しいことだったから、私は自然に笑顔になっていた。

 

 

「そのレポートも書き直しますか?」

「次からでかまわん。……そろそろ時間だろう」

「そうですね。ではこれで失礼します。おやすみなさいませ」

「ああ」

 

 

いつものように就寝の挨拶をして教授の部屋を出る。

そろそろ寮の門限が近いから、あたりに人影はなく薄暗い廊下を自分の足音だけを聴きながら寮へと戻っていった。

 

 

 

このときには、私はこれから起きる出来事について、まったく予想もしてなかったんだ。

 

 

 



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賢者の石12

 

翌週の木曜日、私が図書館から戻ると、部屋の3人がなにやら浮かれ気味に話していたのに遭遇した。

 

 

「ただいま。なんだか楽しそうだね」

「おかえりミューゼ。実はね、私たちアメリア先輩のお茶会に誘われたの」

「アメリア先輩?」

 

「ほら、6年生ですごくきれいな先輩がいるでしょう? 談話室ではいつも他の人たちに取り囲まれてて、今まではお話しする機会がなかったんだけど」

「今日は先輩の方から私たちに話しかけてくれたの」

「金曜の午後にお茶会を開くから、私たちにもきて欲しい、って」

「招待状をいただいたのよ」

 

 

テイジーが封筒から丁寧に出して見せてくれた招待状には、綺麗な文字でテイジーの名前と明日のお茶会の詳細が書かれていた。

 

 

「そう、それはよかったね。3人ともぜひ楽しんできて」

「ミューゼもいらっしゃいよ。たぶん1人くらい増えても大丈夫だと思うわよ」

「そうよ。一緒に行きましょう?」

 

「でも、私は招待状をもらってないんだし。それに、明日はたぶんそれどころじゃないと思うから」

 

 

明日は魔法薬学の授業があって、たぶんレポートの宿題が出されるだろう。

期限はいつもと同じなら月曜日のはずだけど、3年レベルのレポートにどれくらい時間がかかるか判らないから、できればすぐに取りかかって片付けてしまいたかったんだ。

 

 

「そう。……じゃあ、今回は仕方がないわね」

「うん。あとでぜひ話を聞かせて」

「判ったわ。……ねえ、なにを着て行ったらいいのかしら? 制服のままじゃやっぱり失礼よね ―― 」

 

 

そのまま再び盛り上がり始めた3人の話題には私はとうてい入ることはできなかったので(ファッションの話じゃ内容的にもね)、私は楽しそうなみんなを見ながら借りてきた本に視線を落として。

とくになにも気にすることはなく、いつものように本の世界へと旅立っていった。

 

 

 

そして翌日の金曜日。

教授の授業が終わって昼食を取ったあと、4人で一度寮に戻って私はさっそくレポート作成のために部屋をあとにした。

さすがに3年生レベルのレポートとなれば図書館の参考資料が不可欠だからね。

他の3人はお茶会の準備でてんやわんやだから、そんな中で1人テンションを落とすのは悪いというのもあった。

 

 

教科書やら筆記用具やらを抱えて寮の談話室を通りかかって。

ふと見ると、数人の女子に囲まれて、1人の先輩がこちらを見てるのに気がついたんだ。

目が合ったから軽く微笑んで目礼すると、その先輩も私を見て笑顔を向けてくれたんだけど……。

 

 

上品で、きれいな人だというのはすぐに判った。

でも、なぜかは判らないけれど、その品のいい笑顔と視線の強さにちょっとした違和感を覚えたんだ。

たいして気になるほどじゃなかったけど。

 

 

(あ、もしかして、彼女がみんなが言ってたアメリア先輩なのかな?)

 

 

うん、確かに、場の中心的存在というか、みんながあこがれるのも判るよね。

きれいだし、上品だし、もともとの整った顔立ちを引き立たせるような化粧も上手だし。

……まあ、元中年女から言わせてもらうなら、学生のうちなんてただでさえきれいなんだから、化粧で素肌を隠すなんてもったいない!って感じなんだけど。

大人になったらいやでも化粧しなきゃならないんだから、今のうちは素肌の美しさを堪能すべきだと思うのは、大人っぽさにあこがれる子供には判らない感覚なんだろうな。

 

 

ともあれ、視線があったのもほんの一瞬の出来事で、私は何事もなかったように談話室を通り過ぎて図書館へと向かったんだ。

 

 

 

 

その日の夜は、3人ともかなりの興奮状態で、お茶会の素晴らしさを代わる代わる私に話してくれて。

みんなが楽しそうに話せば私も楽しいから、遅くなるまでずっと会話に花を咲かせていた。

 

 

レポートの方は、意外というかやっぱりというか、思いのほか時間がかかっていた。

金曜日の午後だけではまったく進めることができなくて、翌日の土曜日も私はほぼ1日中、図書館に入り浸ることになっていて。

けっきょく教授と過ごす夜になっても終わらず、日曜日になってようやく概要が整うようなありさまだったんだ。

おかげで同室の3人と過ごす時間なんか食事の時以外は皆無で、すっかり図書館の住人のようになってしまっていた。

 

 

はっきり言って、私は周りのことがまったく見えていなかったんだろう。

日曜日の午前中、ようやく固まった概要を元にレポートを書いていると、ふと手元を見つめる視線を感じて。

顔を上げると、覗き込んでいたのは、先日絶交したまま一言も会話を交わさずにいたハーマイオニーだった。

 

 

「それ、この間の魔法薬学で出された宿題のレポートよね」

「……」

「それにしては明らかに別物に見えるんだけど私の気のせいかしら?」

「……」

 

 

べつにハーマイオニーが嫌いになった訳じゃないけど、できれば話しかけて欲しくない。

今は集中してるってのもあるし、なにより私はグリフィンドールの友達は作らないと教授に誓ったんだ。

 

 

「ずいぶん難しい内容なのね。そんなに掘り下げて書く必要があるの?」

「……私の覚え違いじゃなければ、あなたと私は絶交中だったはずだけど?」

「友達じゃなくなったら会話もしないつもりなの? 私、ミューゼが他人にも親切な人だって知ってるんだけど?」

「私とあなたは他人じゃない。他人よりも遠い存在になったの」

 

 

確か原作の流れでは、ニコラス・フラメルの正体が判るのは、教授がクィディッチの審判をやると判った頃だ。

ということは、イースター休暇のあとくらいの計算になるのか?

つまり、これから3ヶ月くらいは彼らにはまったく動きがないってことで。

……たぶんハリーがクィディッチの特訓でそれどころじゃなくなってるってことなんだろう。

 

 

「お願い、そんな悲しいこと言わないでちょうだい。私にとっては、ミューゼはホグワーツでできた最初の友達で、寮が違ってもいちばん私を判ってくれる人なんだから」

「でもあなたと考え方が同じなのはハリーとロンの方でしょう? 彼らがいれば私1人くらいいなくても別に関係ないじゃない」

「ミューゼくらい考え方が大人で、私にいろいろ教えてくれる人はいないの。ミューゼの話は面白いの。あの2人じゃ代えられないものがミューゼにはあるの」

「それを私の立場で言うと、あなたは私と話をするには子供過ぎてつまらない、ってことになるんだけど?」

 

 

そもそも私、あんまり人を傷つけるのとか、したくないんだけどな。

だからできれば近づいてきて欲しくない。

ハーマイオニーが自分から近づいてきたら、私はひどい言葉を投げつけて遠ざけるしかなくなっちゃうんだから。

 

 

私の思惑通り傷ついたらしいハーマイオニーは、なにも言わずに私の傍から離れていった。

頼むからもう近づいてこないでください。

私もこんな態度を取り続けられるほど強い心を持ってる訳じゃないんです。

 

 

 

 

そんなことはあっても魔法薬学の課題はどうにか日曜日には終わってくれて、提出期限の月曜日に間に合わせることができた。

いつもなら金曜日に出された課題はその日のうちに終わらせて提出していたから、これだけ時間がかかるのは予想外で、私は一気にテンパってしまっていた。

とりあえず、返されてきたレポートには優がついていて、教授にも特にお叱りを受けるようなことはなかったのだけれど。

同じレベルを維持しながらスピードアップを図ることがなかなかできなくて、私は週末をほとんど魔法薬学の課題につぎ込むことになってしまったんだ。

 

 

一方、同室の3人は、アメリア先輩のお茶会の常連になりつつあるようだった。

どうやらアメリア先輩は毎週金曜日に気に入ったスリザリン生をお茶会に誘っているようで、誘われているメンバーはその週によってまちまちなのだが、3人はほぼ毎週のように誘ってもらえているらしい。

まだ一年生で課題もそんなに多くないから断る口実もないし、そもそもあこがれの先輩の誘いを断る気など彼女たちには微塵もないのだろう。

それまでも私自身は単独行動をすることが多かったのだが、しだいに私とルームメイトとの関係がぎくしゃくしてきていたことに、ひと月ほどたったその日に私はようやく気付いたんだ。

 

 

金曜日のその日、3人はお茶会に、私は図書館でレポートの概要をまとめに行っていて。

夕食を共にするために私が部屋へと戻ると、3人は顔を突き合わせてなにかを話していたようだった。

 

 

「ただいま。なにか深刻な話?」

「……」

「……おかえり。 ―― 続きは明日にしましょうか」

「そうね。そろそろ食事の時間よ。早く行かないと席がなくなるわ」

「ええ、急ぎましょう」

 

 

なぜか3人とも私と目を合わせないで、そそくさと支度をして寮を出ていこうとする。

私も荷物を置いて3人のあとから部屋を出たのだけれど。

みんな、私を無視しているみたいで、私には判らない話をずっとしていたんだ。

どうやら3人の間でなにかがあったのだろうけれど、私はその場では問いただすこともせず、けっきょく就寝までその異様な雰囲気の中にいたんだ。

 

 

 

翌朝、いつも同室の誰よりも早く起きる私は、いつもならばみんなを起こさないように支度を始めるのだけれど。

いちばん寝起きがいいアスリンを、ミリーとテイジーに気づかれないようにこっそり起こした。

 

 

「……ミューゼ」

「ごめんね、起こしちゃって。でもちょっと訊きたかったから」

「……」

「昨日何があったのか教えて欲しいんだ」

「……うん」

 

 

私はほかの2人に聞かれないよう、アスリンと一緒にバスルームに入って、そこで話をすることにした。

 

 

「昨日もアメリア先輩のお茶会へ行ったんだよね? そこでなにかがあったの?」

「……言いにくいことなんだけど」

「いいよ。私のことなら気遣わなくてもいいし、ほかの2人に言わないで欲しいならそうするから」

「うん。……実はね、昨日のお茶会でミューゼの話になって。……アメリア先輩が口を滑らせたっていうか、ミューゼをどうしてお茶会に誘わないのかって尋ねたら、アメリア先輩が“彼女、あんまりいい噂を聞かないから”って」

 

「……」

「先輩はすぐに笑顔で話題を変えちゃったから、どんな噂なのかは聞いてないの。でも、なんかそれからちょっと雰囲気がおかしくなってしまって」

「……うん」

「私たちはミューゼのことをよく知ってるつもりでいるわ。でも、どんな噂なのか私たちには判らないから、疑う気持ちもあって。……ごめんなさい。さぞ気分を悪くしたでしょうね」

 

 

……なるほど、そういうことか。

どうやら私、知らないうちにアメリア先輩のターゲットになってしまったらしい。

 

 

理由については確実とはいえないけど、おそらく私が教授の娘であることと無関係じゃないだろう。

ここからは想像でしかないのだけれど、たぶん教授の誕生日に高額な贈り物をしたのがアメリア先輩で、贈り物を突き返されたことでプライドを傷つけられたとか。

もしかしたら私がプレゼントしたシャツを教授が身につけてたことを知ったからなのかもしれないな。

あの土曜日の朝食の時、私たちは周囲に聞こえてたかどうかなんて気にせずにしゃべってたから。

 

 

いい噂を聞かない、か。

うまい言い方だよね。

アスリン達には、アメリア先輩が私についての悪い噂を知ってるように聞こえるけど、じっさいそんな噂がなくたって彼女が嘘をついたことにはならないんだから。

 

 

「うん、事情は判った。話してくれてありがとうアスリン」

「……ごめんなさい、ミューゼ。私……」

「大丈夫、気にしてないから。それにみんなが疑心暗鬼になっちゃった気持ちも判るし。……どうしようか。やっぱりしばらくは距離を置いた方がいいかもしれない」

「そんな。だってミューゼは悪いことはしてないのでしょう?」

 

「してないよ。でもみんながアメリア先輩を好きなのも判るから。やっぱりほとぼりが冷めるまで私は別行動するよ。2人にはレポートが間に合わないから、ってことにしておいて」

「……ええ、判ったわ」

「ごめんねアスリン。あなたによけいな心労をかけちゃって」

「ううん。……謝るのは私の方よ。疑ったりしてごめんなさい。少なくとも私はミューゼのことを信じてる。ううん、信じることにしたわ」

 

「ありがとう」

 

 

アスリンが最後に言った言葉は、思いのほか私を力づけてくれた。

そのあと、やっぱり別行動するなんておかしいってアスリンは言い始めたのだけれど、私自身は別に独りでいることに何ら抵抗はないし。

なによりアメリア先輩に作戦がうまくいってるように装っておいた方がいいと思ったんだ。

さすがにそこまで説明はしなかったけれど、私はアスリンをどうにかなだめて、さらにときどきこうして早朝に話をしてもらう約束を取り付けておいた。

 

 

 

その日から、私は完全に独りで行動するようになった。

部屋にいる時間が最低限になるように、朝早くからその日1日分の荷物を持って部屋を出て、授業以外の時間はほとんど図書館や薬学教室で時間を潰して。

4人そろって行ってた1日3回の食事もすべて時間をずらして素早く済ませるようにして。

夜は寮の門限ギリギリまで部屋に帰らず、でも就寝前にはできるだけ今まで通りに振る舞っていた。

 

 

だから、同室の3人とは、ぎこちないながらも会話はあるんだ。

眠る前のひと時、お互いの身体を気遣いながらお茶を飲むくらいだったけど。

いちおう早朝の会話についてはアスリンに口止めしておいたけれど、彼女なりに考えてほかの2人に私のことを話してくれたのかもしれない。

だからミリーとテイジーは、私が距離を置いた理由についてはレポートが忙しいからというのをあまり疑ってないんだろうと思う。

(そもそもこの2人は人を疑うということをあまりしないタイプだからね。だからこそアメリア先輩に心酔してるってのもある)

 

 

 

そんなこんなで心身ともに多少疲れてきていた2月下旬。

今度は、薬学教室の先輩たちに異変が現われた。

もともとここに集まるスリザリン生には圧倒的に男子の先輩が多いんだけど、彼らが私が行くと遠巻きにして声をかけてこなくなったのだ。

それまでも私の方から挨拶以外の声をかけることはあまりなかったため、ここでも私は人と会話することがなくなってしまっていた。

 

 

翌朝、アスリンを起こして事情を訊けば、どうやら本当に私についての悪い噂が流れ始めていたんだ。

それによれば、私は男にだらしがなく、薬学教室で男の先輩をはべらせて逆ハーレムを作ろうとしているらしい。

 

 

(いやいや、私まだ11歳なんだけど)

 

 

これ、以前アメリア先輩が口にした“いい噂を聞かない”発言だけで発生したのだとしたら大したものだと思うよ。

(たぶん、いい噂を聞かない→悪い噂ってなんだろう→男にだらしがないとか?→そういえば薬学クラブは男ばっかりだし、みたいな流れだったらあながちあり得なくもない)

 

彼女は優しくて親切で、人の悪口などめったに言わない、人に嫌われることが妬み以外ではほとんどないタイプらしいから、周りの人たちも彼女の言葉はほぼ無条件で信じてしまうのだろう。

 

 

 

 

 

さすがの私も注意力散漫というか、頭の中でいろいろなことに整理がちゃんとついてなかったようで。

 

3月3日の火曜日、朝食のフクロウ便の時刻に教授に手紙をもらって初めて、自分が月初めの小遣い帳提出をすっぽかしてしまったことに気がついたんだ。

 

 

(ていうか、2月ぜんぜんお金使ってないし!)

 

 

1月は前半に教授の誕生日プレゼントを買って、それでほぼその月のお小遣いは使い果たしていたから、すっかり油断しきってて月が変わったことに気づいてなかったらしい。

部屋で過ごす時間も格段に減って、心の余裕みたいなものがなくなってたから、お小遣いのことまで頭が回ってなかったよ。

 

 

 

その日の夜、夕食後に教授の部屋を訪れると、教授はかなりのお怒りモードで私を迎えてくれた。

 

 

「我輩はおまえに、毎月1日か2日に来るようにと、最初にお話ししたはずでしたな」

「はい。すみませんでした」

「我輩との約束など、おまえにとっては簡単にたがえてしまえるほど軽いものだったのでもいうのかね?」

「申し訳ありませんでした」

 

 

言い訳のしようがないのでひたすら謝り倒す。

何度か嫌味、謝罪、のやり取りを繰り返したあと、教授が諦めたように溜息をついて、私をソファへ座らせてくれた。

でも、真っ白なお小遣い帳を見て、また怒りがぶり返したようにギロッと私を睨みつけていた。

 

 

「これはどういうことだ! 1クヌートも使ってないではないか!」

「すみません」

「謝るだけでは判らん! きちんと説明したまえ!」

「はい、ご説明します。でもその前に、情報の共有をしたいんですが」

 

 

私が言うと、教授はまた眼を細めて怒りオーラを放出したが、めげずに見つめていたらなんとか譲歩してくれたようだった。

 

 

「なんだ」

「はい。まず、ひとつお訊きしたいんですが。アメリア先輩ってどんな方なんですか?」

「……!」

 

 

教授の眉間のしわが深くなる。

十中八九間違いないだろうと思っていたが、どうやら私の推測はあたっていたらしい。

 

 

「お願いします、教えてください」

「……優秀な生徒だ。入学したときから熱心に学んでいた。我輩も目をかけていた。……1年ほど前、馬鹿なことを言い出すまでは ―― 」

 

 

どうやら去年のバレンタインデーに彼女が教授に贈り物をして告白したらしい。

そういえば私、そんな行事があったことすらすっかり忘れてたけど、先月14日はバレンタインデーだったんだよね。

……まあ、これまでの7年間にもその日教授になにかをしていたという訳ではなかったんだけど。

 

 

「じゃあ、例の高額な誕生日プレゼントの贈り主は」

「……ああ」

 

 

教授も、目をかけた生徒はとことん贔屓するからな。

(今年の生徒ではドラコがいい例だ)

彼女の方も、生徒として目をかけられて勘違いしちゃったってのもあったんだろう。

 

 

「だがそれがどうした」

「はい。私のルームメイト3人が、彼女のお茶会に招待されていまして。1人だけ招待されていない私との間で関係がぎくしゃくしています。なので、今は少し距離を置いているところです」

「……食事時に見かけないと思ったらそういうことか」

「はい。それで、部屋でくつろぐ時間もほとんどなくなってしまったので、買い物のことを考える余裕がありませんでした。正直に言えば忘れてました。……すみませんでした」

 

「……」

 

 

教授にも、私がアメリア先輩に1人だけ仲間外れにされているのが、自分と無関係だとはとうてい思えなかったのだろう。

しばらく考えるように沈黙してしまう。

もちろん私は教授のせいだとは思ってないし、ルームメイトとの関係改善のために教授になにかしてもらうつもりもない。

というか、考えたところでこの場合教授にできることはなにもないのだ。

 

 

「とにかく、どんな理由であれ、教授との約束を破ったのは私の不始末です。どんな罰でも甘んじて受け入れます」

「……」

「なんでもおっしゃってください」

 

 

教授の思考の矛先を変えるように言えば、また少し考えた末、教授は声を出した。

 

 

「約束は約束だ。だが、今回のことは、毎週会っていながらおまえの様子に気付けなかった我輩にも落ち度がある。よって、今回に限っては不問とする。次はないと思え」

「はい。ありがとうございます」

「今月の分だ」

 

 

あ、やっぱりくれるんだ。

私は教授が差し出した5ガリオンを受け取って、ポケットにしまった。

 

 

「それで、対策は講じてあるのか?」

「あ、いちおうスパイは送り込んであります。あちらも当面の目的は私を孤立させることのようなので、ひとまず孤立しておこうと思っています。私自身に対してなにかを仕掛けてきているという訳でもないので」

「それでおまえは大丈夫なのか」

「独りでいること自体は問題ありません。今のところ勉強にもついていけてますし」

 

「……おまえは安定しているように見えて、たまに脆いところがある」

「大丈夫です。……私には、教授が味方だって、判ってますから」

 

 

笑顔で言えば、逆に教授は眉間にしわを寄せて表情を隠してしまう。

なんだかなぁ。

そんな顔、私じゃなかったら、教授を怒らせちゃったと思うところだよ。

 

 

 

教授から見た私は、たかだか教授が足に怪我をしたくらいで恐怖に泣いてしまうような、脆い子供なのだろうけれど。

教授が絡まないところでは本来私はとても図太いんだ。

18歳から27年くらい社会人を経験してるんだし、その間ほんとにいろんなことがあったから、今さら学校で独りにされたところで教授が心配するようなことは起こらないと自信を持って言えるよ。

……まあ、優秀な6年生に魔法かなにかで直接攻撃された日にはその限りじゃないかもしれないけれど。

 

(とりあえず学生相手に闇の魔術を使うようなことだけはしないように気をつけないと)

 

 

 

 

照れ隠しにしかめっ面でもう帰れと言う教授に笑顔でうなずいて、私は校内で一番安心できる場所になってしまった教授の部屋をあとにした。

 

 

 



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賢者の石13

 

このところの私にとって最大の課題といえば時間つぶしというヤツで。

朝はみんなが起き出すまでに支度を整えて、朝の挨拶だけして部屋を出るのだけれど、朝食がテーブルに並ぶまでには少し時間があるからそれまでは校内を散歩する。

食後、1時間目の授業までもまだ少しあるけど、これは教室に一番乗りすることでなんとかやり過ごして。

授業の空き時間があるときには、前の授業の宿題をしたり、次の授業の予習をしたりで図書館に詰めることが多くなっていた。

 

 

問題なのは放課後だ。

薬学教室は私がいるとどうしても周りが緊張しちゃって空気が悪くなるから、あまり入り浸ることができなくなっちゃったんだよね。

で、だいたいは図書館に行くのだけれど、ルームメイトに“課題が忙しい”と言い訳している手前、そこではレポートに関係する読書なりをしない訳にはいかなくなっていて。

魔法薬学のレポートもだいぶ効率よくこなせるようになってきたため、別の教科のレポートにも相応の時間をかけるようにしたところ、どうやら私は担当教師の間で“努力家の優秀な生徒”認定をされてしまったらしいです。

 

 

「Ms.スネイプ、このたびのレポートはたいへんよく出来ていました。スリザリンに5点差し上げましょう」

 

 

授業でレポートが返されるたびに、ほとんどの教科で点をもらってしまうようになったのだ。

先生方はとうてい1年生レベルとは思えないレポートに驚愕して、ほめて伸ばすつもりで加点してくれてるのだろうけれど、それが各教科で立て続けばとうぜんクラスメイトからは妬みの感情なんかも湧いてくる訳で。

慌てて次のレポートからは多少手を抜くようにしたけれど、この週の得点ラッシュがすぐに忘れてもらえるはずなんかないし。

例の逆ハーレムな噂なんかも相まって、私はスリザリン寮でますます孤立することになってしまったんだ。

 

 

(いや、まあ、百歩譲って孤立するのはいいんだけどさ)

 

 

トータルでたぶん30点は稼いじゃった計算になるけど、これで賢者の石ラストのグリフィンドール逆転優勝がほんとに果たせるんだろうか?

って、別にグリフィンドールが優勝する必要はないんだけどね。

確か寮杯の行方が直接ストーリーに影響するようなことはなかったはずだし。

 

 

「 ―― で、なぜ来た」

「すみません。居場所がなくなりました」

「……」

 

 

いいかげん勉強するのにも飽きてきてはいたんだけれど。

でも、それより大きな問題に気づいちゃったんだ。

先月と今月でトータル10ガリオン、さすがに今本を買おうとは思わないし、それなりに身体も成長してきているから、必要なものと思えば衣類なんだけど。

周りからの視線が痛すぎて、とてもじゃないが寮の談話室で通販カタログを広げられる雰囲気じゃなかったんだ。

 

 

という訳で、今私はカタログを片手に教授の部屋へと逃げ込んで、教授に睨まれてるところだったりする。

 

 

「隅の方で大人しくしてますのでここに居させてください。お願いします」

「……いいだろう」

「ありがとうございます」

 

 

教授も、多少なりともアメリア先輩に関しては責任を感じてくれているらしい。

(もしかしたらなにかの噂も耳に入ってるのかもしれないけど)

いつものようにドアに杖を振ったあと、魔法で紅茶を出して私の分もソファのテーブルに置いてくれた。

 

 

私はソファで通販カタログを広げて、とりあえず選びやすい下着のあたりからチェックを始めた。

前世の私は大人になっても小柄で幼児体型で、小学生の頃なんかはブラジャーが必要になるほど胸もなかったんだけど。

このミューゼちゃんの身体は思いのほか発育が良くて、そろそろ付けないとまずいんじゃないかってところまできてたりするんだよね。

誕生日が遅いわりに身長も同学年の子より高くなってきてるし、足も長いし、このままいけばすらっとしたナイスバディに成長するんじゃないかと思う。

 

 

 

「教授、この部屋にメジャーなんかは」

「保健室で借りてきたまえ」

「はい、そうします」

 

 

そうか、保健室へ行くって手もあったな。

今回はせっかく教授がいてもいいって言ってくれてるから居すわるけど、この次にはぜひ保健室を利用させてもらうことにしよう。

 

 

マダム・ポンフリーにメジャーを借りて戻ると、教授は部屋を出る前から熱心に読んでいた分厚い本の続きをまだ読んでいるところだった。

ちらっと目に入ったタイトルはなんと『クィディッチルール全集』。

……おおかた、クィディッチの審判をやると申し出たところ、フーチ先生に押しつけられたというところだろう。

 

 

「なんだね」

「いいえ。ちょっと洗面所をお借りします」

「……ああ」

 

 

私になにか尋ねられるとでも思ってたのか、私がそう言うと緊張が解けたように肩を下ろした。

確かクィディッチの反則って700くらいあるんだっけ?

5分で終わる試合のためにあんなに分厚いルール集を覚えなければならない教授はかなり気の毒だと思うよ。

ハリーを守るためにこんなに努力してる教授が、そのあとハリーを逆恨みしてもしょうがないと思う。

 

 

洗面所に入った私は、とりあえずパンツ1枚になって魔法が掛かったメジャーにサイズを測ってもらった。

って、既にAカップ越えてB近くなってるし。

理想はCくらいなんだけど、もしかしたらそれ以上いきそうな気配だよね、これ。

せめてDくらいで止まってくれることを願うしかない。

 

 

再び制服を着てソファに戻り、下着を何枚かチェックして。

夏用にブラウスとかスカートあたりを買えばそれでなんとか10ガリオンはクリアしてくれるんだけど。

 

 

「教授」

「なんだ」

「教授にいただいたグリーンのスカートに合わせたいんですけど、どちらのブラウスの方がいいと思いますか?」

「なぜ我輩に訊く。自分で決めたまえ」

 

「私の好みだと左になるんですけど」

「…………右だ」

「ありがとうございます」

 

 

うん、この手は使えそうだ。

服装にこだわりがある人って、自分の隣を歩く人までコーディネートしたがる傾向があるみたいだから。

 

 

そんなこんなで何枚か服を選んだところで、程よくお小遣いを使い切ることができたから。

注文書を書きあげた私は、さっそくフクロウ小屋へ行こうとテーブルのカタログを片付け始めた。

と、その様子を見ていた教授が声をかけてきたんだ。

 

 

「夕食のあとはなにか予定はあるのか?」

「いいえ。宿題はすべて終わってますので特にはありません」

「ならば我輩の手伝いを申しつける。場所を提供してもらった見返りだと思いたまえ」

「はい、よろこんでお手伝いします!」

 

 

たぶん居場所がない私を気遣ってくれてるんだろう。

私はすぐにフクロウ小屋へ行って、その足で大広間へ行って、食べている間に教授がくることはなかったので再び教授の部屋を訪れた。

教授は私を待っていた訳ではなかったらしい。

食事に出ようとしていたところだったようで、私が既に食事を終えていることに少し驚いたようだった。

 

 

「3年生のレポートだ。見本用に5枚だけ採点してある。残りの採点をおまえに任せる」

「……判りました」

「食事をしたら戻るが、その前に終わったら帰ってかまわん。机の上に置いておけ」

「はい」

 

 

いやいや、見た感じ教授が夕食食べてる間にぜんぶ片付けるなんて不可能でしょ。

ていうか、どう考えても門限までに終わるとは思えない量に見えるんですが。

 

 

教授はそのまま部屋を出ていってしまったので、私は羊皮紙をソファのテーブルに広げて、教授が採点したという5枚のレポートをさらりと眺めた。

うん、さすがは教授、生徒のことが判ってる。

たぶんこれ、ランダムに5人引き抜いて採点したんじゃなく、私に採点の基準が判りやすいように選んで採点してくれてるんだ。

つまり教授は、生徒の名前を見てあらかじめどのくらいの成績がつくか、あるていど判ってたってことになる。

 

 

私はまず見本の5人のレポートを熟読して。

基準を頭に叩き込んだあと、残りのレポートの採点を開始した。

かなり集中していたのだと思う。

教授はしばらく戻ってこなかったから、静かな部屋に邪魔が入ることもなく、順調に採点を続けていった。

 

 

ふと、私の集中力が途切れて。

人の気配を感じた気がして入口のドアを振り返ると、音もなくドアノブが回るのが見えたんだ。

けっこう何度か回って、あれだけ激しく回れば音がするはずなのにと思って気付いた。

たぶん教授、部屋を出る時にドアに施錠と防音の魔法をかけていったんだ。

ということは、私はこの訪問者に対して対応する必要がないということで。

 

 

(ていうか、これって教授が戻るまで私も部屋を出られないってことじゃないか?)

 

 

まあ、解錠の呪文は知ってるから、うまく魔法が発動してくれさえすれば帰れるだろうけど。

外の人物も同じ呪文を試してなおかつドアが開かないのだとすれば、私ごときの魔法では鍵を開けるのは無理かもしれない。

 

 

ドアノブが回されたのはそう長い時間じゃなかったけれど、人の気配は少しの間その場所にあって。

気にしても仕方がないと、私が採点作業を再開すると、ほどなくして憮然とした表情の教授が戻ってきた。

 

 

「おかえりなさい」

「……ああ」

「どうかされました?」

「……」

 

 

私に言う必要があるかどうかで迷ったらしい。

けっきょく言わずにいつも通りドアに杖を振って歩いてきたから、私の方から言ってみた。

 

 

「もしかして、例の6年生に待ち伏せでもされましたか?」

「……!」

「よくあることみたいですね。安心してください。私はずっとここに座ってましたから」

「……」

 

 

もしかしたら、今までも私が気付かなかっただけで、彼女がドアの向こうまで来たことはあったのかもしれない。

毎回教授が杖を振るのを忘れなかった理由が今はっきりと判ったよ。

 

 

「……悪い生徒ではないのだ。目上の者に対する礼儀も心得ている」

「はい」

「しかし、なぜあれほどまでに我輩に執着するのかが判らん」

 

「同じ女性の立場で言うなら、教授はけっこう魅力的な方だと思いますけど? 長身で、職場での地位や収入もあって。子連れなのがネックですが、逆に言えば一人親で子育てしてきた実績がある訳ですから」

 

 

まあ、16、7歳の女の子がそこまで打算的なことを考えて恋してるとは思わないけど。

少なくとも教授へのプレゼントにお金を出してくれる親がいるということは、彼女の親から見ても教授はさほど悪い相手には見えないって事だろうから。

 

 

 

私からそこまで具体的な返事が返ってくると思ってなかったのか、教授は手で口元を覆って、少し照れたように目線を泳がせた。

やがて異様な物を見るように私を見る。

……さすがにこれも11歳の女の子の発言じゃなかったか。

 

 

「マグルの図書館で読んだ本なんですが、最近出てきた学説らしいです。人が恋をする過程を遺伝子の存続という立場から検証していて面白かったのでつい」

「……」

「茶化すつもりはありませんでした。気に障ったのならすみませんでした」

「……いや」

 

 

ほんとは前世で見たテレビ番組の影響なんだけどね。

それに自分の経験やら周囲の恋愛模様やらを加味してアレンジしてるから、実際の学説とは程遠いことになってそうな気がするが。

 

 

私は再び採点に戻って、教授は自分の執務机で引き続きクィディッチの本を読み始めたのだけれど。

教授はぜんぜん集中しているようには見えなかった。

……たぶん、私に採点をやらせて、自分はさっさとルールを頭に入れちゃう計画だったんだろうと思うのに。

(だいたい教授ってふだん忙しすぎだからね。プライベートな時間てものが皆無なんじゃないかと思うくらい)

 

 

「教授、今日できなかった分の採点は、明日でも間に合いますか?」

「そもそもおまえがこのすべてを今日中にできるとは思っておらん。残りは我輩が片付ける」

「いえ、始めてしまったことなので最後までやりたいと思います。間に合うのでしたら明日また来ます」

 

「……3年生のレポート返却は明後日の予定だ。明日中にできるのかね?」

「はい。明日は放課後すぐに取りかかれますので、余裕を持ってできると思います」

「……よかろう」

「ありがとうございます」

 

 

題して“時間つぶしながら教授を楽させつつアメリア先輩を排除しちゃう一石三鳥作戦”だったりして。

どうやら教授、私がきてるときには部屋に人避けをしてくれるみたいだからさ。

難点は、教授に質問に来たまじめな生徒まで排除しちゃうってことだけど。

 

 

その日は門限ギリギリまで作業して、どうにか半分くらいまでは終わらせることができた。

この分なら明日は比較的早くすべてを終わらせて教授に引き継ぐことができるだろう。

 

 

 

 

と、そんなこんなで翌日の放課後。

私が教授の部屋へ行くと、なぜか教授はめちゃくちゃ不機嫌だった。

 

 

「教授、昨日の続きをやりに来ました」

「……」

 

 

教授はものも言わずに歩きだしたので、私もあとへついていく。

部屋の奥のドアを開けるとそこには調合室と、さらにその奥に薬品倉庫があるんだけど、教授が示したのは調合室の机でそこには既にレポートの束と椅子が置かれていた。

どうやらここでやれってことらしい。

 

 

 

「では、終わったら声をかけます」

「……」

 

 

いったいなにを怒ってるんだろう?

昨日別れた時にはふつうだったし、今日はとくに顔を合わせることもなかったんだけど。

 

 

気にしててもしょうがないので(いつものことだし)私はすぐにレポートの採点の続きに取り掛かって。

部屋の中は静かで集中できたこともあって、夕食の前にはすべて終わらせることができていた。

今から行けばちょうど食事が始まる頃で、ルームメイトとも顔を合わせず食べ終えることができるだろう。

そう思って教授の部屋へのドアをたたいたんだけど、向こうからの返事が聞こえてこなかったんだ。

 

 

(まさか防音してあるのかな?)

 

 

もしかしたら、今日は教授の部屋にお客でも来る予定だったのかもしれない。

それなら私がここで作業させられた理由も判るし、不機嫌だった理由もなんとなくわかる気がするけど。

……ドアノブをまわしてもドアが開かないってどういうことですか?

さらに解錠の呪文を唱えてもフンともスンとも言わないんですけど。

 

 

らちがあかないので倉庫への扉へ行くと、そこはちゃんと開いてくれた。

その先の扉(方向的にたぶん薬学教室の方)へ回ってみたんだけど、ご丁寧にもそこにもかかってましたよ、防音呪文と施錠呪文が!

これじゃ誰かに助けを求めることもできないじゃないですか!!

 

 

(実の娘を監禁するとか、変態ですか教授……)

 

 

いや待て早まるな。

単に忘れてるだけかもしれないし。

そういえば3年生のレポートのテーマが“腹減らず薬”だったってことは、私にそれを作れってことなのかもしれない。

 

 

すぐにでも教授が気づいてドアを開けてくれるかもしれないとも思ったけれど。

本気で忘れられてる可能性も考えて、私は採点したばかりのレポートとさらっと読んだことがあるだけの3年生の教科書の内容を思い出しながら、倉庫の材料を使って腹減らず薬を調合した。

薬そのものは30分くらいで出来上がったのだけどまだドアは開かない。

こりゃ本気で忘れられてる可能性もあると思って、私は完成品の薬を飲みつつ、そろそろストックが切れそうなクセ毛治しの薬を調合させてもらうことにした。

 

 

やっと教授の部屋へ続くドアが開けられたのは、既に大広間のテーブルから夕食が消える時刻になってからだった。

 

 

「あ、教授。よかった」

「……忘れていた。大丈夫か?」

「やっぱりそうでしたか。私は大丈夫です。採点してたのがちょうど腹減らず薬のレポートだったので」

「……悪かった」

 

 

教授は見た目では判らないけれど、かなり恐縮しているみたいで。

どちらかといえば私は、ここへ来た時の教授の怒りがなくなってることの方が嬉しくて、自然に笑顔になっていた。

 

 

「ちょうどいいので魔法薬の出来を見ていただけますか? 既に飲んじゃってますけど」

「……拝見しよう」

「よろしくお願いします」

 

 

鍋に半分残ったそれを教授は軽くかき混ぜながら色を確認して、ゴブレットに移して匂いもかいでくれて。

そのまま飲み干したから私はちょっと驚いてしまった。

(落ち着いて考えてみれば教授も夕食は取ってないはずだから、教授にとっても必要な薬だったんだろう)

……どうやら味の方も問題なかったらしい。

 

 

「合格だ」

「ありがとうございます。あ、あとよろしければクセ毛治し薬を持って帰りたいので瓶をお借りできますか?」

「その棚にあるのを使いたまえ」

「はい。では後日お返ししにきます」

 

 

私が鍋に作りたてのクセ毛治し薬を瓶に移していると、教授は机に束にしたレポートを一通りパラパラと眺めていた。

是非が気になって私もつい手を止めて見てしまう。

 

 

「このレポートの内容だけで腹減らず薬を作ったのか?」

「あと、多少は教科書の内容を覚えていたので」

「3年生の教科書をどこで見た」

「自宅の教授の本棚です。改訂前のものだと思いますけど、一通り全学年そろってましたから」

 

 

教授が驚いたように見つめてくる。

あ、うん、教授が驚くのも判る気がするよ。

私もミューゼちゃんの記憶力の良さにはびっくりしたからね。

彼女の脳味噌はかなり優秀で、前世の私では考えられないくらい記憶力がずば抜けてるんだ。

 

 

まあ、それを使ってる私がうっかりさんだから、完全に使いこなせないのが悲しいところだけど。

 

 

教授が黙ってしまったので、私は魔法薬を瓶に詰める作業を再開させて。

二つの瓶を一杯にして蓋をすると、それ以上用事もないからと教授にお暇の挨拶をしようと向き直った。

 

 

「では教授、私は今日のところはこのへんで ―― 」

「待て」

「 ―― はい」

「萎び薬の材料と調合法を答えろ」

 

「えーっと、確か4年生の教科書に出ていました。材料は ―― 」

 

 

私が以前読んだ教科書の記憶を呼び覚ましながらたどたどしい口調で答えていくと、教授は黙ったままじっと耳を傾けていて。

答え終わると教授が一つうなずいたから、どうやら間違いはなかったらしいとほっと胸をなでおろした。

 

 

「新たな課題だ。萎び薬に関する4年生のレポートの採点と、薬の調合。明日の夜までだ」

「……はい……?」

「調合にはこの部屋を使って構わん。教科書が必要ならば薬学教室にあるものを使いたまえ。4年生のレポートは既に提出させてある。すぐに取りかかるかね?」

 

「……はい。判りました。すぐに始めたいと思います」

 

 

どうやら拒否権はないらしいです。

っていうか、もしかして教授、まだクィディッチの本が読み終わらないんだろうか?

 

 

 

 

けっきょくその日、私は教授が不機嫌だった理由を訊くことはできなくて。

その後数日間、私は教授の調合室に監禁されて、レポート採点と薬の調合をする羽目になっていた。

放課後がつぶれることに関してはまあ、私も時間つぶしができてよかったといえばそうなんだけど。

 

 

 

さらに数日後、私はアスリンに『スリザリンの誰かがスネイプ先生にうっかり“ミューゼ・スネイプ逆ハーレム疑惑”の噂を洩らしちゃったらしいわよ』と教えてもらって、ようやくあの日教授が怒ってた理由と私を監禁した理由とを悟ったのだった。

 

 

 



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賢者の石14

 

もしもミューゼ・スネイプの人生が夢小説で言うところの“嫌われ”というジャンルに属するなら、私はアメリア先輩の取り巻きたちにいじめられて、肉体的な危害なんかも加えられていたのだろうけれど。

幸いにしてアメリア先輩は、教授に対して異様に執着している以外はかなりの常識人だったため、私は根も葉もない噂で孤立する以上の被害を受けることはなかった。

まあ、ふつうに考えて、教授を好きなことと教授の娘をいじめることって、ちょくせつ因果関係で結ばれてるようなことじゃないからね。

(だいたい私をいじめたのが自分だと知れたら教授に嫌われる確率の方が高い訳だから、むしろ仲良くなって懐柔する方に回るのが正解だと思う)

つまり、私に対する彼女の態度と発言は単なる腹いせというかその場限りの思いつきのようなもので、もともとなにか緻密な計画があってされたという訳ではなかったのだろう。

 

 

彼女を6年近くも見守ってきた教授ははっきり『悪い生徒ではない』と言ってたし、ミリーやテイジー、それにアスリンも彼女のことが好きで懐いてるのはよく判る。

私自身、ちょくせつ話をしたことはないけれど、大人の目線で見れば“ちょっと無理をしてるかもな”と思うくらいで、どちらかといえばかわいい女の子といった印象だ。

もしも教授が少しでも彼女を1人の女性として好ましく思ってるなら、自分の母親として迎えるのに反対する要素はなにもないと思えるのだけれど。

 

 

(私がおもしろくないと思ってるのは確かなんだよね)

 

 

老後の計画とかひとまず置いといたとしても、どうやら私は教授が再婚することに諸手を挙げて賛成するなんてことは気持ち的にできないらしいです。

 

 

 

イースター休暇ではいつも、教授は試験の準備などで忙しいらしく自宅に戻ることはなかったのだけれど。

相変わらず私は学校から追い出されて家で過ごすことになって、ようやく監禁生活ともおさらばかとほっとしていたら、帰宅した教授にレポートの山を手渡されました。

 

 

「休暇中の課題だ。見本は作ってあるから採点するように」

「……まさか全学年ですか?」

「できるところまででかまわん。4日後に引き取りにくる」

「……判りました」

 

 

期限4日で7学年分を採点とか、それだけならできないことではないかもしれないけれど、私には他の教科の宿題なんかもある訳で。

……って、やってやりましたよ、4日間で7学年分のレポートの採点を!

最後の方なんかもう、意識朦朧としてて自分がなにをやってるのか判らなくなってた自覚があったし。

もしかしたら私、この技術だけならホグワーツの先生方に引けを取らなくなってるんじゃないだろうか。

 

 

いやでも、教授は平日の1週間でこの量のレポート採点に加えて、1日6時間の授業と提出された魔法薬の採点、寮監の仕事や職員会議や夜間見回りなんかの雑務、今の時期は試験問題の作成なんかもこなしてるんだよね。

前世で会社員をやってた私に言わせれば、ホグワーツほど労働条件が劣悪な職場はないと思うよ。

ほんと、ホグワーツに労働組合があったら、ダンブルドア校長は間違いなく解任されてるんじゃないかと思う。

 

 

(教授に限っていうなら、この過酷な仕事量にある意味救われてきた部分はあるんだろうけどね)

 

 

どういういきさつで私が産まれたのかは知らないけど、きっとリリーが死んだ時の教授の気持ちのほとんどは彼女に注がれていたのだろうから。

教授が精神的にも社会的にも立ち直るためにはこの過酷さが必要だったんだろう。

 

 

 

教授がレポートを取りにくると言った日は疲れのためすっかり朝寝坊しちゃったんだけど、目が覚めて支度を始めた頃にやってきたメイミーが、教授が自室で私が採点したレポートを再採点してることを教えてくれた。

 

 

「ミューゼお嬢様にはお目覚めになられたら旦那様のお部屋へいらっしゃるようにおっしゃられましたのでございます」

 

 

どうやら今日1日はこちらで過ごすつもりらしい。

支度を終えると既に昼近かったのだけど、私は朝の挨拶をするために教授の部屋を訪れた。

 

 

「教授、ミューゼです」

「入りたまえ」

 

 

ドアの外から声をかけて、部屋に入ると教授は執務机でレポートの山に囲まれていた。

 

 

「おはようございます。遅くなってすみませんでした」

「ああ。……6、7年生はまだぶれるな」

「すみません。勉強不足です」

「いや、できない方がとうぜんの課題だ。おまえはよくやっている」

「恐縮です」

 

 

さすがにね、6年生以上は生徒の基礎知識量が違うし、たぶん私がまだ読めないような禁書なんかを読んでる生徒もいるみたいだし。

そういう内容が出てきたときには私もちゃんと調べられればいいんだけど、今回はそこまでの時間がなかったから、想像でてきとうに採点した分は基準にぶれがあったらしい。

 

 

教授はテーブルに私の分も紅茶を淹れてくれて、少し休憩にするみたいだった。

 

 

「宿題は進んでいるのか?」

「はい。課題の内容は休暇前の授業で渡されていましたから、空き時間におおむね済ませました」

「そうか」

「はい。なのでもしもお手伝いできることがあればなんでも言ってください」

 

「……」

「私では、かえって教授のお仕事を増やす結果になりかねないので、そうならなければ、ですけど」

「……」

 

 

カップを手にしていた教授の動きが止まったので、慌てて付け加えておく。

やがて教授は静かにカップを置いて答えた。

 

 

「……いや、おまえには助けられた。このレポートもだ」

「それならよかったです。私への課題が教授のご負担になってるんじゃないかって、それだけが気がかりだったので」

「……馬鹿者。おまえは我輩に学生がする必要のないことをやらされたのだ。むしろ怒ってとうぜんだ。なのになぜおまえは怒らん」

 

「……教授が、噂から私を守ってくださったからです。だから私は教授に感謝こそすれ、怒ることはできませんでした」

 

 

けっきょくそういうことだったんだよね。

私に変な噂がついて、時期を同じくして身体の成長なんかがあって。

放課後孤立してた私は、勘違いした一部の生徒に万が一にも性的ないたずらをされちゃったりする危険があったんだ。

噂を聞いた教授が私を監禁したのはたぶん、その危険から私を守るためだったんだ、って。

 

 

じっさいなにか起こるような可能性はわずかだったと思うけど、ほかの同じ年ごろの生徒と比べたら確率はいくらか高かった。

そんなわずかな危険でも教授は放置しないでいてくれた。

だから私は、教授がどんなに理不尽な課題を出したとしても、なんとか頑張ってこれたんだ。

 

 

「……おまえは、馬鹿なのか聡明なのか」

「どちらかと言われれば馬鹿な方だと思いますけど」

「大人の基準を当てはめれば確かに馬鹿な方だが、子供ならもっと馬鹿でもいい。おまえは子供にしては聡明すぎる」

 

「……褒められてませんね」

「ああ。褒めてはおらん。……今日1日でレポートの採点を終わらせる。おまえは成績を記録しろ」

「はい、よろこんで」

 

 

ちょうどメイミーの昼食が出来上がったから、私と教授は一緒に食事をして。

食後は教授が採点し終わったレポートを私が成績表に記録して、夕方までに山とあったレポートはなんとかさばくことができた。

 

 

教授は夕食までは家にいてくれるようで、その後はすぐにホグワーツに帰ってしまうということだったので、メイミーの夕食ができるまでの間私は教授の肩を揉むことにした。

 

 

「ほかの先生方が、おまえのレポートをほめていた。1年生とは思えないと」

「教授のおかげです。レポートの見本をたくさん見せていただいたので、書き方の勉強になりました」

「薬草学は苦手なのか?」

「はい。……薬草が、ということではなくて、生き物全般が苦手です。自分で手をかけてやらなければならないので」

 

 

前世では貧乏な母子家庭だった私は、とうぜん集合住宅住まいで犬も猫も飼えなかった。

それでも小中学生くらいの時にセキセイインコを飼ったことがあるんだけど、3羽飼ったうち2羽を死なせちゃったんだよね。

(ちなみに残り一羽は逃げられました)

それ以来どうも苦手意識があるというのか、たぶんもともと私自身ペットの世話というのに向いてなかったんだと思うけど。

私が子供を育てられないと思ったのも、原因の一端はこのあたりにもあったような気がする。

 

 

「そういうことか。……魔法の実技はどうだ」

「平均的にはできてると思います。もっと上をご希望でしたら努力します」

「いや。努力は必要だが、我輩が強要することではない」

「はい」

 

 

ちょっと気をまわしすぎたか。

娘の成績が悪ければ職員室での教授の立場にも影響するかと思って言ってみたけれど、教授はそんな些事に頓着する人間じゃなかったようだ。

 

 

「ならば、魔法薬学はどうだ」

「……え?」

 

 

魔法薬学、って。

私は幼い頃から教授の本棚の本を読みあさったり、調合を見せてもらったり、実際に自分で調合をさせてもらったりしてて。

たくさんの時間を費やして勉強してきたから、今ではレポートの採点までできるようになってるんだ。

私が魔法薬学をどの程度できるかなんて、教授がいちばん知ってることじゃないのか?

それなのにどうして教授は私にそれを訊いたりするんだ?

 

 

それとも教授が訊きたいのは、ホグワーツでいろいろ授業を受けてきて、私の中で魔法薬学への印象が変わったかどうか、とか?

今まで私が好きで勉強してきたように見えてたけど、ほかの授業を受けたらそちらの方が好きになったように、教授には見えた……?

 

 

「馬鹿者。なぜそこで言い淀む。我輩の言葉の裏を読んで、我輩が気に入る答えを探そうとなどするな」

「……!」

「おまえは我輩の所有物ではない。……違うか?」

 

 

教授の言葉はあたらずとも遠からずといったところで。

私が衝撃を受けたと感じたということは、少なくともこの件に関して私は教授を見くびっていたということなのだろう。

 

 

私は教授に気に入られたいし、教授に嫌われたくないし、教授が思う娘像から外れたくないと思ってる。

教授が思い描く娘じゃなくなったとき、私は教授に嫌われるかもしれないと、無意識に思ってる。

 

 

教授はそんな私の心情を見抜いていて、私にそう言ってくれた。

それはつまり、これから先私が教授が思い描くミューゼ・スネイプにならなかったとしても、変わらずに愛してくれるということだ。

 

 

その覚悟があると、教授は言ってくれた。

私は、教授にそんな覚悟があるなんて、思っていなかったのに。

 

 

「……すみませんでした」

「自分がなにについて謝っているのか自覚はあるのかね」

「はい。私は自分の父親を侮り、見下し、傷つけました。……申し訳ありませんでした」

「……」

 

 

……って、自分で訊いておいてなぜ腹を立てるかセブルス・スネイプ!

顔は見えなくても背中が緊張するからすぐに判るんだよ!

さっき言外に『遠慮するな』って言ったのは自分だろうに。

 

 

半分やけになったのか、私にはもう遠慮する気持ちはさっぱり消え去っていてその勢いのままさっきの教授の質問に答えた。

 

 

「魔法薬学についてですが。私が幼い頃に勉強を始めたきっかけは、教授の部屋にある本を理解できれば、教授と会話ができると思ったからです。その後、継続して勉強してきたのも動機は同じです。なので、私は魔法薬学という学問を、教授の存在抜きで考えることはできません」

「……」

「ただ、ここまで続けてこられたのはもちろん楽しかったからです。今後も継続して勉強していきたいと思っています。……才能があるかどうかは判りませんが」

 

「……」

「とりあえずこれが今の私の嘘偽りない答えです」

 

 

言い終えて、いつの間にか止まっていた肩を揉む作業を再開すると、教授はしばらくの間黙ったままで。

もしかしたら本気で距離を置かれるのかと思い始めた頃、教授はやっと口を開いた。

 

 

「才能など、努力の前には塵の一粒のようなものだ」

「そう言ってくださる教授の気持ちだけはありがたく受け取ります」

「嘘ではない。努力できるということも立派な才能だと言っている」

「……はい」

 

 

その言い方から察するに、教授自身もたぶん、自分に薬学の才能があると実感したことはないんだろうな。

なんだか意外だったけれど、そうと判れば教授の教師みたいな ―― 教師なんだけど ―― 言葉も素直に受け取れるような気がした。

 

 

「今後も放課後のレポート採点は続けられるか?」

「はい。1年生のうちは授業数も少ないので問題ないと思います」

「では月曜から木曜までの放課後は我輩の部屋へ来たまえ。学年は2年生から7年生。調合をする必要はない」

 

「……私には、6年生以上のレポートについて、知識不足を補う手段がありません」

「そうか。……では、参考資料を用意しておく。持ち出しは許可できないが」

「ありがとうございます。頑張ってみます」

 

 

どうやら教授自ら図書館から禁書を借りて部屋に置いてくれるらしい。

期待に胸が高鳴るのを感じられたってことは、私はやっぱり魔法薬学が好きなんだろう。

 

 

 

もしも教授が魔法薬学の教師じゃなかったら、きっとこんなに勉強したいとは思わなかっただろうけれど。

私にとってはやっぱり教授がいちばんで、教授の自慢の娘でありたいと思うこの気持ちは、ずっと一生変わらないんじゃないかと思う。

 

 

 



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賢者の石15

 

イースター休暇が終わると、私はまた放課後監禁生活に戻されて。

平日4日間で6学年分のレポート採点は実のところかなり過酷だったのだけど、どうにか時間をやりくりして期限内にあげられるようになっていた。

金曜日から日曜日はいちおうフリーでも、その半分近くは自分の魔法薬学のレポート作成に消えちゃうし。

今、ホグワーツでなにを勉強しているのかと訊かれたら、私は『8割がた魔法薬学です』と答えられる自信がある。

 

 

そんな中、クィディッチではレイブンクロー対スリザリンの試合が行われて。

久しぶりに寮の3人と一緒に応援しに行ったのだけど、結果はもちろん勝利で、しかも文句のつけようがないほどの大量得点を蓄積しての大勝だった。

 

 

(確かこの年、グリフィンドールとスリザリンが2勝1敗ずつで並んで、得失点差でスリザリンが優勝するんだよね)

 

 

グリフィンドールが優勝を逃す最大の原因はレイブンクロー戦にハリーが出場できず試合に負けることだったけど、最初に一敗したあとにも諦めることなく地道に得点を重ねたスリザリンの粘り勝ちだと言っていいんじゃないかと思う。

 

 

もともとスリザリン寮は寮生の人数自体が少ないんだけど、寮の特性で純血貴族が多く集まってるせいか、スポーツよりも勉強に力を入れてる生徒が多いらしくて。

もちろんドラコみたいに文武両道を目指す生徒もいるんだけど、やっぱり成績が落ちることを懸念してか、クィディッチチームに入る人材自体がほかの寮よりも少ない傾向にある。

(同じ事はレイブンクローにも言えるかもしれない。あちらは勝つことの方が珍しいみたいだし)

たぶん練習時間もスリザリンはグリフィンドールなんかよりずっと少ないのだろう。

そんな中、反則ギリギリの頭脳プレイを駆使して得点を積み重ねていったスリザリンのメンバーたちに、私たちは惜しみない拍手と声援と称賛を贈ったんだ。

 

 

 

でもって、その翌週に行われたグリフィンドール対ハッフルパフの試合では、たった5分にも満たない時間だったけれど箒に乗って審判を務める教授の姿を見ることができて。

グリフィンドールの勝利に教授は思いっきり渋い表情をしてたけれど、教授が審判だったからこそハリーは短時間で試合を終わらせなければならなかった訳だから、グリフィンドールに得点させる隙を与えなかった教授はスリザリン優勝の陰の功労者だと思う。

 

 

 

 

原作の流れでは、この試合の直後に教授がクィレル先生を呼び出して、彼がどちら側につくのか決断を迫っているところをハリーに見られてしまうんだ。

たぶんそのせいなんだろう。

その日の夕食を共にした時の教授は、なにかをずっと考えていたようで、肩もみしながら私が試合の話を振ってもずっと上の空だった。

私も諦めて無言で肩もみを続けていると、しばらくしてやっと教授が私の存在に気がついたようだった。

 

 

「おまえは、クィレルをどう思う」

「……質問の意図が判りませんが。……ほかの人と違う部分を挙げるとすれば、どこか口調とか態度が視線とかみ合わなくて気持ちが悪いです」

「もっと具体的に言いたまえ」

「はい。口調も、態度も、常に何かに脅えているように見えるんですけど。視線だけがときどき違うものを見せることがあって。……なんとなく、なんですけど、周囲を見下しているんじゃないかと思えることがあります。気のせいかもしれませんけど」

 

 

このあたりはたぶん、知ってるからそう見える、っていう方が強いのかもしれないけどね。

私が思うに、彼はきっと常に闇の帝王におびえていて、反面自分がその存在を身体に宿していることを誇りにも思っているのだろうから。

 

 

「おまえが奴と個人的に会話することはあるか?」

「ありません。最初の授業の時、教授との関係を訊ねられて、娘だと言ったらずいぶん驚かれました。それ以降はなにも」

「そうか。ならば好き好んで近づくようなことはないと思うが。……奴には隙を見せるな。罰則などもってのほかだ。授業以外で近づく口実を与えてはならん」

「……はい、判りました」

 

 

まだ確証はない、ってことなのかな?

ハリーの時には『ぜったいに近づくな』だった訳だから、それに比べたら少し言い方が弱い気がする。

……まあ、教科担当の先生にまったく近づかないってのはとうてい無理な話なんだけど。

 

 

 

 

 

翌日の日曜日、クィディッチ騒ぎのおかげで少し遅れてしまった魔法薬学のレポートを図書館で仕上げていると、私の傍に例のグリフィンドール三人組がやってきた。

 

 

「ミューゼ、話を聞いて。今度こそ間違いないわ。ハリーが見たの」

「スネイプがクィレル先生を脅してたんだ! 僕、昨日の試合のあと ―― 」

「判った! 話は聞くから今は黙って。……どこへ行けばいいの?」

 

 

3人が案内してくれたのは、前回と同じ空き教室だった。

 

 

「それで? 今度はどんな規則を破ったの?」

「……そんなのは重要じゃないよ。それより僕は見たんだ。スネイプがクィレル先生を脅して三頭犬の突破方法を聞き出そうとしてた。どっちにつくかよく考えろって」

「ミューゼ、本当にこのままでいいの? 放っておいたらいずれあなたの大好きなお父さんが犯罪者になるのよ?」

「僕を殺した殺人犯にね」

 

 

いやだから、なんで私を味方に引き入れようとするかな。

とくに今の私は放課後ほぼ調合室に監禁状態で、教授の見張りを満足にできるような状況じゃないってのに。

 

 

「ハーマイオニー、この間の時あなたは私に傷つけられて、近づくのも嫌になったと思ったんだけど?」

「よく考えたらわかったの。あの時のあの言葉は、ミューゼの心の中を表わしたんじゃない。私の言葉を立場を変えて言い換えただけだわ。私が勝手に勘違いして傷ついただけだったの。ミューゼが本心からあんなこと言うはずないもの」

「……似たようなことは思ってるよ」

「そうだとしても、ミューゼは一度友達になった人を見捨てたりしないわ。私はあなたを信じてる」

 

 

……なんかものすごく懐かれてるよ。

まあ、実際のところ私はハーマイオニーのことをけっこう気に入ってたりするから、そういう気持ちは伝わってるのかもしれない。

 

 

「じゃあ私が言うことも信じたら? 私の父はハリーを殺そうとなんかしてないし、三頭犬が守ってるものを盗もうともしてないって」

「しょうがないじゃない。だって私はスネイプ先生がハリーに呪いをかけてるところを見たんだもの。それに、三頭犬が守ってるものは賢者の石なの。あらゆる金属を黄金に変え、永遠の命が得られる水を作ることができる。誰にとっても魅力的だわ」

 

「……教授は、永遠の命なんか望んでないよ」

「え?」

「むしろ、1日でも早く愛する人のところへ行きたいんじゃないかな。私がいるからそうできないだけで」

 

 

本当は、私がいるから、じゃなくてハリーがいるから、なんだけど。

今はそれを言うべきじゃないから、教授が会いたい人はリリーじゃなく死んだ ―― かもしれない ―― 私の母で、教授が生きる理由を私ってことにしておく。

……これは真剣に考えると本気で悲しくなるけど。

 

 

「だけど僕はスネイプに殺されかけたんだ。いつも僕のことを目の敵にしてる。ミューゼだって、スネイプが僕を嫌いだって事実まで否定はできないはずだ」

「殺されかけた、ってところには同意できないけど、教授がハリーを嫌いで、むしろ憎んでる、ってのはその通りだと思うよ」

「……! だったら! どうしてスネイプが僕を殺そうとしたって信じてくれないの!? 僕はずっと目の敵にされてて、いつ殺されてもおかしくないくらいに憎まれてるのに」

「殺したいくらいに憎むのと、実際に殺すのとでは天と地ほどの差があるんだよ。私はときどきハリーがうらやましいよ。私は教授に、ハリーほど強い気持ちをぶつけられたことがないから」

 

「っ! こんなのぜんぜん嬉しくないよ! なんでそんなことを言うの!?」

「だって、教授はいつもハリーの一挙一動を見つめてる。私と2人だけでいれば私にも関心を向けてくれるけど、同じ空間にハリーがいたら、教授は私の方なんかぜんぜん見てくれないんだ。私がどんなに慎重に、完璧な魔法薬を調合しようと努力してたとしても、出来上がったものを見てたった一言『よく出来ている』って言ってくれるだけ。ハリーには、材料の切り方が悪いとか、混ぜ方が雑だとか、ふつうだったら気付かないようなことまで細かく指導してくれるじゃない」

 

「あれは指導じゃなくていじめだよ。僕を減点できるチャンスを狙ってるだけだ。スネイプは僕を退学させたくてうずうずしてるんだ」

「そうだとしてもね、私は教授のことを愛してるから、教授の関心がハリーにだけ向いてるのが悔しくて悲しいんだよ」

「……」

 

 

「もしかして、前にミューゼが言ってた“憎しみと愛情は同じ”ってこと? あの時私には意味が判らなかったんだけど」

「うん。相手に対する気持ちの強さ、関心の強さって意味でもそうだし。愛情と憎しみは心の中の同じ場所にあって、ときどき入れ替わることもある。同じ気持ちの裏と表なんだと思うよ」

 

 

前世で私は母のことを、どちらかといえば憎んでいたけれど。

あれだって私が母に“愛してもらいたい”、私は母を“愛したい”って思う気持ちの裏側だったと思ってる。

母の私に対するうざいくらいの干渉もそうだったんだろう。

……まあ、子供の立場であれを愛情として受け取れる人の方が少数派だとは思うけど。

 

 

2人が黙ってしまったから、私は今まで口をはさんでこなかったロンに向き直った。

 

 

「ねえ、ロン」

「え? なに?」

「あなたは私が味方になる必要があると思ってるの?」

「僕としてはどっちでもいいけど。でも、スネイプを止められるとしたら、ミューゼしかいないとは思ってる」

 

 

ああ、そりゃそうか。

どうもハーマイオニーやハリーと話してると話がそこから進まないからね。

この3人の真の目的がどこにあるのかとか、私自身も見失ってたよ。

 

 

「そう、僕たちはミューゼに、スネイプを止めて欲しいだけなんだ」

「このままじゃハリーが危険なの。だからお願いミューゼ、スネイプ先生にハリーを危険な目に遭わせないように説得して?」

 

 

で、けっきょく話は元に戻るしかない、と。

 

 

「あのさ、みんな話をいっしょくたにして考えてるけど、そもそも賢者の石を狙ってる誰かと、ハリーを殺そうとしてる誰かとが、同じ人物だとは限らないんじゃないの?」

 

 

たぶん、私がいろんな情報を明かせば、3人を説得することはできるだろうけれど。

もしも原作どおりに話が進まなくて、ハリーがクィレルと対決しなかったとしたら、ハリーの代わりに隠し扉の向こうへ飛び込んでいくのは教授である可能性が高い。

となれば愛の魔法に守られてない教授は命さえ危うくなるかもしれないんだ。

だからここで私が原作を変えるようなことはできない。

 

 

「でも悪いことを考える奴が同時に2人も現われるなんてことがあるのかな?」

「確率は低くても可能性がない訳じゃないでしょ? だったらこの二つのことは切り離して考えるべきだよ。で、まず賢者の石のことだけど。ホグワーツにあることはたぶん、教師なら誰でも知ってるし、フィルチさんやハグリッドも知ってると思っていい」

「ハグリッドはホグワーツに石を運んだ本人なんだ。盗む気ならその時にやってるよ」

「そうだね。で、賢者の石は巨万の富と、永遠の命を与えてくれる。これを欲しいと思う人は誰?」

 

「誰でも欲しがるよ。だってこれから何百年もの間、お金も時間も気にしないで好きなことができるんだから」

「でも、世の中そんなに甘くなくてね。実際に石が盗まれれば、ダンブルドア校長は誰が盗んだのか徹底的に調査するよ。そのとき、元ホグワーツの教師で遊んで暮らしてる人がいたら、真っ先に疑われて魔法省につかまって投獄されることになる。そうならないためには逃亡生活をするしかないんだけど、これまでの人生でずっと努力して勉強して、名門のホグワーツに就職できたような優秀な人が、その後の逃亡生活についてなにも考えずに安直に身を落とすことを選ぶとは考えにくい。それが例えばこの城に石が運ばれてきた直後なら魔がさして、っていうのもあるかもしれないけど、これだけ時間も経ってることだし考える時間はたっぷりあった。つまり、盗んだ本人がこの石の恩恵にあずかるには、ほとぼりが冷めるまでの長い時間が必要になる、ってこと」

 

「……もしかして、誰か別の人のために石が必要だった……?」

 

 

お、なかなか賢いですね、ハリー君。

この結論はこの先罰則でヴォルデモートに遭遇したときに辿りつくことができるから、原作よりも時期が早いってだけで根本的に変えたことにはならないはずだ。

 

 

「可能性の一つだね」

「でも、あの日スネイプがダイアゴン横丁にいたのは確かだ。ミューゼと一緒だったけど、はぐれてたからグリンゴッツに泥棒に入る時間もあった」

「あの日あそこにいたのは教授だけじゃないと思うよ?」

 

「……クィレル先生もいた」

「ほかにもいたかもしれないよね。でも、これから泥棒に入る予定だったなら、変装するなりして自分だとばれないように行動してた可能性もあるから、気付かなかったとしても無理はない」

 

「だけど、ハロウィンの日にスネイプは三頭犬に噛まれたんだ! きっとトロールに注意を惹きつけて石を盗むつもりだったんだ!」

「その同じ発想を、あの瞬間にできた人物がいたかもしれないとは思わない? 石のことを知ってる先生方はみんな、石のことは常に頭に置いてあるはずだよ?」

「そうね。トロールが校舎に入り込むなんて、めったにないことだと思うもの。先生方は生徒の安全が第一だろうけど、その瞬間に石のことが頭をよぎれば、生徒のことはほかの先生に任せて石を守りに行く可能性だってあるわ」

 

 

「だけど! スネイプはクィレル先生を脅してたんだ! 三頭犬を突破する方法について訊いてた! 怪しげなまやかしについても ―― 」

 

 

言葉を切ったその瞬間、ハリーも気付いたのかもしれない。

もしかしたら、2人の立場はまったく逆だったのかもしれない、って。

 

 

「……ミューゼが言いたかったこと、少しだけ判ったような気がするわ。確かに証拠はひとつもないのね」

「ぜんぶ可能性の話だよ。私は信じたい方を信じるから、3人も信じたい方を信じればいいと思うし」

 

 

ここで少しだけフォローを入れておく。

さすがにちょっとばかりしゃべりすぎちゃった気がするし。

(まあ、それでも教授がいちばん怪しいのは変わらないから大丈夫だと思うけど)

 

 

「賢者の石については判ったわ。今度はハリーが命を狙われたことについて話してくれる?」

「うん。……ハーマイオニーは、教授がハリーの箒を目をそらさずにじっと見てたところを目撃したけど、どんな呪文をかけてたのかまでは聞いた訳じゃない」

「ええ、そうよ」

 

「たぶんハーマイオニーが読んだ呪いの本と同じ本に出てたと思うけど。詠唱タイプの呪いには反対呪文があるってことは知ってる?」

「え……? でも私がスネイプ先生のローブに火をつけた時に目をそらして、ハリーの箒は元に戻ったわ」

「教員席でボヤ騒ぎがあれば、近くにいた先生方はみんなそっちに気を取られたと思うけど? 近くでそんな騒ぎになったら自分1人だけハリーを凝視してるのは目立ち過ぎるから、続けたくても続けられなかっただろうし」

「……」

 

「これも可能性の話。私は教授のことを信じたいから、教授が無実の可能性を必死で探してるの。私は確かな証拠がない限りぜったいに教授を疑ったりしない。だからみんなも、私の意見を変えるのは諦めて欲しい」

「確かな証拠、って。それこそ僕がスネイプに殺されない限り無理じゃないか」

「そうだね。だから諦めて。これ以上私に関わろうとしないで」

 

 

そこで話を終わらせるつもりで席を立つ。

と、引き止めるように声をかけてきたのはやっぱりハーマイオニーだった。

 

 

「これからも私、ミューゼに話を聞いて欲しいわ」

「それは無理かな。……教授に言われてるから。ハリーにはぜったいに近づくな、って」

 

「え? どうしてスネイプがそんなこと言うの!? おかしいじゃない! ミューゼが誰と友達になったってスネイプには関係ないことだろ? ミューゼだって素直に言うことを聞かなくたって……」

「あのね、ハリー。自分がどんなに危険な存在か判ってる? 命を狙われてるのに加えて、よけいな危険なことにまで首を突っ込んで。親の立場で考えたら、自分の子供がそんな危険な人と友達になって欲しくないと思うのはあたりまえだよ。ロンのご両親だって、ハリーが命を狙われてたり、賢者の石のことに関わってるって知ったら、きっと同じことを言うと思うよ」

 

「……」

「……僕の両親は、それでもハリーと友達になるなとは言わないと思う。……たぶんだけど」

 

「じゃあそうかもね。でもうちの父は違う。私に危険があるようなことは、たとえどんな小さなことでも排除しようとするの。だからもう話しかけないで。ロンとハーマイオニーもね。私教授に、グリフィンドールの友達は作らないって約束したから」

 

 

それ以上話しかけられないように、足早に部屋を出たけれど。

きっと3人とも、その時点では私に話しかける気力はなくなってたんじゃないかと思う。

 

 

 

まあ、ここまで言ってしまえばたぶん大丈夫だと思うんだけど。

万が一また彼らに話しかけられたとしたら、私はまたきっと話を聞いてしまうような気がするよ。

 

 

 

 

 

 

 

もともと根も葉もなかった私についての悪い噂は、4月も終わる頃になればすっかりなりをひそめていて。

アメリア先輩もあれ以来特に何かを仕掛けてくることもなかったし、毎週お茶会に行ってた同室のみんなも誘われる頻度が少なくなってきてたから、部屋での雰囲気も以前のものに戻りつつあった。

もっとも、私自身が教授の部屋に監禁されてたのは変わらないから、一緒に過ごす時間は門限以降の眠る前だけだったんだけどね。

でもその時間にはみんなでお茶を飲んで、今日あった出来事なんかについてたわいない会話を交わしていたんだ。

 

 

月曜日のその日、私はミリーが淹れてくれた紅茶を見つめながら、1人ため息をついていた。

 

 

「ミューゼ、どうしたの?」

「……ねえ、相談に乗ってくれる?」

「ええ、もちろん。話してみて」

「……今月分のお小遣いがまだほとんど手つかずで残ったままなの。今日を除いたらあと3日しかないのに、使うあてがぜんぜんないの」

 

 

もしも前世の友達や、マグルの友達に同じことを言ったら、ぜいたく言うなって怒られたと思うけど。

欲しいものならほとんど躊躇なく買える上流階級のお嬢様方は、私の言葉を茶化しもせずに同情してくれた。

 

 

「洋服は先月買ってたんだっけ?」

「うん。あんまり増やしてもトランクで持って帰れないから」

「紅茶も補充したばっかりね。アメリア先輩にいただいたのもあるし」

 

「ミリーの誕生日が来月じゃなかった?」

「でも月末よ。もちろん今から用意してくれてもかまわないけど、来月は来月でまた5ガリオン増えるんでしょう?」

 

「ねえ、ミリー。何か欲しいものはない? ほら、ちょっと高いもので10ガリオンくらいするような」

「……ちょっと待ってて?」

 

 

ミリーはなにか思いついたようで、自分の机の方に行ったあと、1冊の雑誌を手にして戻ってきた。

 

 

「実はね、そろそろ新しいティーセットが欲しいと思ってたの。ここでみんなで使うのにね。ちょっと高いから両親におねだりしようと思ったんだけど」

 

 

ミリーが広げてくれたところには、どうやら有名らしいブランド物のティーポットとカップ5客のセットがあって、いかにもミリーの好みという感じの繊細なデザインだった。

でも、お値段のところにあった数字は、逆に高すぎて私のお小遣いで買える金額ではなかったんだ。

 

 

「いいわね、これ」

「でしょう? アスリンなら気に入ってもらえると思ったわ。テイジーはどう思う?」

「悪くないんじゃないかしら。部屋の雰囲気にも合うと思うし。これにしたら? ミューゼ」

「え?」

 

 

いやだって、皆さん値段のところ見えてますか?

これ、私のお小遣いだったら6ヶ月くらい貯めないと買えない計算になるんですけど。

 

 

「ええっと、今が4月だから、5、6、7、8、9月までか。ちょうど新学期には間に合うけど、そんなに繰り越して教授が許してくれるかな?」

 

「……なに言ってるのよ」

「みんなで使うものを、どうしてミューゼだけに払わせると思うの?」

「4人でお金を出し合って買わないか、って話をしてるのよ? 今までのはミリーが家から持ってきたものだもの。いつまでもお世話になってても悪いから、買うならちょうどいい機会だと思うわ」

「私はそれでもかまわないけど、ミューゼがお小遣いを使いたいなら、ね?」

 

 

私は改めてみんなの顔を見まわした。

3人とも笑顔で、でもちょっとあきれ顔で、しょうがないなって感じに苦笑してたんだ。

 

 

「……いいの?」

「いいんじゃない? みんなが賛成なら」

「ていうか、賛成してないのってミューゼだけよ」

「どうするの? これに決めてもいい? それとも、ほかのデザインで気に入ったものがあるなら ―― 」

 

「これでいい! これにしよう! もうこのセット以外考えられない!」

 

 

私が言うと、みんなは笑顔で「じゃあ来月ね」「私家から金貨を送ってもらうわ」なんて話をわいわい始めて。

その様子を見ながら、私は改めていい友達を持ったな、ってことを実感したんだ。

 

 

 

 

 

その週の土曜日が5月2日だったので、私はまた教授との夕食会で真っ白なお小遣い帳を披露することになった。

 

 

「 ―― という訳で、ルームメイトぜんいんでお金を出し合って、新しいティーセットを購入するために繰り越ししました」

「……」

「あと、来月はミリーの誕生日なので、その分も含んでいます」

「……いいだろう。だが、来月は必ず使い切るように」

「……はい」

 

 

なんかハードル上がっちゃった気がするよ。

生理はまだあまり順調にはきてないけど、来月余った分はナプキンの大量購入とかしといた方がいいかもしれない。

 

 

 

食後に肩もみを始めると、さっそく教授が憮然とした声で私に訊いてきた。

 

 

「我輩に言うべきことがあるようにお見受けするが?」

「……すみません。日曜日にハーマイオニー達3人に話しかけられました」

 

 

どうやら図書館には教授のスパイがいるらしいです。

って、もしかしたらスパイは姿を消したメイミーなのかもしれないけど。

 

 

「おまえは我輩に、グリフィンドールの友人は作らんと、約束したはずではなかったですかな?」

「話の内容が教授についてだったので、無視できませんでした。……教授がハリーを目の敵にするのをやめてくれるように、私から教授に話して欲しい、と」

 

「……くだらん」

「はい。なので今の話は聞かなかったことにしていただけると助かります。私に頼めば教授が優しくなるなどという噂が流れたら、教師の沽券にも関わります」

「……」

 

 

飴と鞭、じゃないけど、優しい先生と厳しい先生のバランスって、学校全体にとってはけっこう大事だと思うんだよね。

その中でも教授は厳しい先生の代表格といっていい存在なんだから、うかつに生徒に優しくしちゃいけないと思うんだ。

……まあ、スリザリンの生徒相手にはけっこう甘いところもあるんだけど。

 

 

そんな話で誤魔化すつもりだったのだけど、あいにく教授はそう簡単にはいかなかった。

 

 

「それだけではあるまい」

「……不愉快なのでできれば思い出したくないんですが」

「我輩にはできない話なのかね?」

 

「……3人は、去年の夏ごろにグリンゴッツ魔法銀行に盗みに入ったのが教授だと思ってるみたいです。それと、クィディッチの試合でハリーの箒に呪いをかけたのも」

 

「……!」

「もちろん違うのは判ってます。でも、私がなにを言っても彼らは信じてくれなくて。……すみません、私の力不足で」

「……それはおまえの責任ではなかろう」

 

 

どこまで話していいものか判らないから、とりあえず新聞でも公表されたグリンゴッツの盗みの件と、教授が認めた箒の呪いの件だけを取り上げておいた。

これ以上は盗み聞きとか憶測とか、本来なら生徒が知らないはずの情報も混じってるから、情報を流したハグリッドやハリー達のために黙っておいた方がいいだろう。

 

 

「それで、約束のことを話しました。ハリーに近づかないことと、グリフィンドールの友達は作らないことを」

「……そうか」

「はい。それで納得してくれたかどうかは判りませんが、私は今後も教授との約束をたがえるつもりはありませんので安心してください」

「……」

 

 

私が言うと、またしばらくの沈黙があって。

なにかを考えていた様子の教授が、久しぶりに肩もみ中の私を振り返って言った。

 

 

「おまえは、我輩が考えていることを知りたいか?」

「……教授のご判断にお任せします」

「では質問を変えよう。……おまえはなにをどこまで掴んでいる」

 

「……教授が、クィレル先生をお疑いかもしれない、というくらいです」

 

 

教授の視線がぐっと強さを増す。

たぶん、私がまだなにかを隠してるって、察してしまったのだろう。

 

 

「ひとつだけ教えてやろう。……おまえは、我輩に心を読ませたことがない。……幼い頃のある時期から今日まで一度もだ」

 

 

 

教授が語った新たな事実に驚きもしたけれど。

 

 

それよりも私は、教授が今まで何度も私の心を読もうとしてきたことにショックを受けたのだと。

数日後にようやく気づいて愕然としたんだ。

 

 

 



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賢者の石16

4歳だったあの日、私 ―― ミューゼ・スネイプは庭の木から落ちて、その衝撃で記憶を失ってしまった。

父親である教授はきっと、彼女がなぜ木に登ったりしたのかも知りたかっただろうし、彼女の記憶が戻ることへの期待なんかもあっただろうから、その時の彼女に開心術を使ったとしてもおかしなことじゃなかっただろう。

でも、たった4歳の彼女は、教授の開心術に抵抗して見せた。

その後、折をみて何度か同じことを試したとしても、親としてとくだん非難されるべきことではないと思う。

 

 

そう、理屈をこねまわしながら自分への説得を試みてはいるんだけど。

教授が自分に対して開心術を繰り返してきたという事実が、まるで私が教授に信用されてなかった気がして、気持ちがどんどん沈み込んでしまうんだ。

教授自身はいったいどう思ってたんだろう。

なんど試してもいっこうに心が見えない私が、以前より懐いてるように見えても本当には教授に心を開いてはいないんだと、そう感じて傷ついてきたんじゃないんだろうか。

 

 

(確かに、今私に閉心術が使えるなら使ってるとは思うけど)

 

 

私には教授に知られたくないことがたくさんあって、だから知られてなかったことにほっとする部分もあるのだけれど。

私が心を閉ざしている限り、教授も本当には私を信用してくれることはないはずだと気付いてしまったんだ。

教授が私に対して開心術を使っていることを知らない間は、もしかしたらいつかは教授に心から信頼される娘になれるんじゃないかと思っていたんだけど。

開心術という、目に見える手段がある限り、私が心を見せないうちは教授もこれ以上歩み寄ることはしてくれないだろう。

 

 

 

そんなことをつらつら考えているうちにも月日は順調に流れたようで。

グリフィンドールの点数が一気に減ったことを知って、私はようやくここが物語のパラレルワールドだってことを思い出したんだ。

 

 

ええっと、ドラゴンのノーバートがルーマニアに連れていかれて、そのあとがユニコーンで、罰則でヴォルデモートだったっけ?

流れはなんとなく覚えてるけど、このへんはけっこうあいまいかもしれない。

まあ、基本忙しいのはクィレルとハリー達だけで、教授の仕事はドラコを森での罰則に送り出すくらいだろうからね。

そもそも私は罰則がいつ行われるのかも知らなかったし、罰則が終わっただろうあともその情報が流れてくることはなかった。

 

 

 

学年末試験まで2週間余りとなったその日、私はようやく監禁生活から解放されることができた。

 

 

「試験勉強は寮の部屋でやりたまえ。極力外出は避け、移動中はけっして独りにはなるな」

「……判りました。努力します」

「なにか問題でもあるのか?」

「いいえ。ただ、相手があることなので。独りにならない方を優先するということでいいでしょうか?」

 

「……いいだろう」

「はい」

 

 

だって、寮のみんなが図書館で勉強したいって言って、そのあと大広間へ直行しちゃったら、私は食事に行けなくなっちゃうからね。

どうやら教授も私の食事する権利まで奪うつもりはなかったらしいです。

 

 

 

それまでと一転して寮のみんなと行動するようになった私を、みんなはちゃんと迎えてくれた。

 

 

「むしろミューゼがいると助かるわ。判らないところは教えてもらえるし」

「じゃあ、基本は部屋で勉強して、必要が出てきたらみんなで図書館へ行きましょう」

「ありがとうみんな」

「要するに元に戻っただけでしょう? 気にすることないわ」

 

 

一時期のぎこちなさがすっかりなくなってくれたのがすごく嬉しいよ。

私もそうだけど、やっぱりみんなもこの7年間ずっと同室で過ごす友達とはできるだけ仲良くしていきたいと思ってくれたんだろう。

 

 

 

試験前でレポートの宿題もほとんどなくなってきたのだけれど、授業の空き時間には寮まで戻る時間がもったいないから図書館で過ごすことが多くて。

放課後は部屋に戻って勉強というのが平日の日課になっていた。

 

 

試験まで残り1週間を切ったその日、授業が終わって寮へ戻ろうと廊下を歩いていると、私はまたしてもグリフィンドール三人組に声をかけられたんだ。

 

 

「ミューゼ!」

「ちょっと話があるんだけど。大事な話なの」

「僕たち森でたいへんな目にあったんだ! 傷ついたユニコーンを探してたらそこに ―― 」

「いきなりやめてよ。悪いけど話を聞く気はないから」

 

 

私が踵を返して離れようとすると、逆にスリザリンの3人が私を取り囲むようにすーっと前へ出たんだ。

 

 

「グリフィンドールのみなさん、私たちスリザリンになにか用かしら?」

「君たちには用はないよ。僕たちはミューゼに ―― 」

「あら、グリフィンドールの方たちって、ずいぶん礼儀に欠けるのね。知らなかったわ」

「そうね、とつぜん廊下で声をかけて、嫌がる人に無理やり話を始めるなんて、スリザリンでは考えられないわ」

 

「私たちはミューゼと話したいの。悪いけれどそこをどいてくださる?」

「ええ、構いませんわ。ミューゼが話をしたいというなら」

「ミューゼ、お願いよ。私たちの話を聞いて。スネイプ先生がもしかしたら大変なことに手を出してるかもしれないの」

「何度も言うけど、私の父は悪いことは何一つしてないから。いいかげん妄想で人を巻き込むのやめてくれないかな」

 

「という訳だから、ごきげんよう、グリフィンドールの礼儀知らずさんたち」

「え? ちょっと、お願いよミューゼ!」

 

 

スリザリンの3人は、そのまま私を囲むようにしてその場を離れてくれて。

十分距離を置いたと思った時、ミリーが心配そうに顔を覗き込んだ。

 

 

「ミューゼ、あれでよかったの?」

「うん。ありがとう。助かったわ」

「ハリー・ポッターでしょ? マルフォイがよく絡んでる」

「前にミューゼを呼びに来たことがあったわよね。私、彼らはミューゼの友達だと思ってたんだけど」

 

 

ん、まあ、友達といえば友達なんだけど。

にしても、ミリーもアスリンもテイジーも、ふだん優しいのにあんな態度も取れるんだね。

さすがは上流階級のお嬢様方と言わざるを得ないわ。

 

 

「教授に言われてるんだ。ハリーに関わっちゃいけない、って」

「そういえばスネイプ先生のことも言ってたみたいだけど」

「うん。なんかいろいろ勘違いしてるの。教授が泥棒だとか人殺しだとか」

 

「ひどいわねそれ。いくら授業で厳しくされてるからって、学校の先生をそこまで中傷するの?」

「ましてミューゼにとっては父親じゃない! ちょっと許せないわあの3人」

「もっと言ってやればよかったわ」

 

 

私のために怒ってくれる3人に、私は気持ちが暖かくなる。

自然に笑顔になっていて、怒り顔の3人についでに怒られてしまった。

 

 

 

 

ともあれ、余計な出来事もあるにはあったけれど、翌週には学年末試験が始まって。

パイナップルをタップダンスとか(足がないものをどうやってタップダンスさせろって!?)、ネズミを嗅ぎ煙草入れとか(そもそも嗅ぎ煙草ってなんだよ!?)、訳のわからない実技試験と筆記試験を次々とこなしていく。

確かに試験が年1回っていうのはある意味ありがたいのかもしれないけど、勉強する範囲が広すぎてヤマが張れないから勉強する方としてはとんでもなくしんどかったよ。

って、私は夢小説のおかげで多少は問題を覚えてたから、フェアじゃないと言われても仕方がないのだけれど。

(でも覚えてるものはしょうがないからね、許されてくれ)

 

 

試験最終日の最後は、スリザリンの1年生のクラスは闇の魔術に対する防衛術の実技で。

1人ずつランダムに教室へ呼ばれて、そこで初めて言われた課題をこなしたあと、別の出口から帰るという方式で進められた。

 

 

「私がトップみたいね。じゃあ、出口で待ってるから」

「うん、がんばって」

 

 

4人のうち最初に呼ばれたアスリンをみんなで見送る。

試験時間は1人1、2分くらいだったから、隣の待合教室にいる人数は比較的早いスピードでどんどん減っていった。

 

 

「呼ばれてる順番はほんとに適当みたいね」

「心の準備ができなくてちょっと怖いわ」

「最後の方だったら緊張だけで疲れちゃいそう」

 

 

そういえば気にしてなかったけど、夢小説で闇の魔術に対する防衛術の実技試験なんて出てきてたっけ?

課題をぜんぜん思い出せないんだけど、もしかしたらこのあたりは原作でも語られなかった部分なのかもしれない。

 

 

やがてテイジーが、それからすぐにミリーが呼ばれていって。

待合教室に残ったクラスメイトもずいぶん減って、私はラストの2人にまでなってしまった。

でもって、次に呼ばれたのは残されたもう1人の方。

つまり、どうやら私は最後の1人ということらしかった。

 

 

(えーっと、確かこのあとハリーが、ハグリッドがドラゴンの卵を手に入れたいきさつの不自然さに気付いて)

 

 

急いでダンブルドア校長に伝えようとしたら、校長は偽手紙でロンドンに呼び寄せられていたんだ。

それで彼らは、賢者の石が盗まれるのが今日だと確信して ――

 

 

(って、つまり今日が物語のクライマックスじゃないですか!?)

 

 

いやいやけっして忘れてた訳じゃないんだけどさ。

私、ほんとに原作に関わるつもりなんかなかったから、ミリーやアスリン、テイジー達と一緒にいればハリー達に無理矢理引き込まれることはないと思ってたんだよ。

でも、たとえ試験とはいえ、最終日の最後にクィレルと2人っきりになると知って、別の可能性に気付いちゃったんだ。

 

 

……いや、ないよ、だって私はただ教授の娘だってだけのキャラクターなんだし。

教授を懐柔するための手駒にされる可能性は考えてたけど、いよいよ賢者の石を盗む段階になったら、私なんて別になんの役にも立たないんだから。

 

 

「ミューゼ・スネイプ」

「あ、はい!」

 

 

ドアのところでクィレル先生に呼ばれて部屋に入る。

もともとあった机なんかはすべて壁際に寄せられていて、中央に広い空間が作られていた。

 

 

「ではMs.スネイプ、闇の魔術に対する防衛術の実技試験を始めます」

「……はい」

 

 

先生、なんでどもってないんですか?

さっきまで他の生徒を呼んでた時はいちいちおどおどびくびくしてたじゃないですか。

 

 

「私が魔法を放ちますので、盾の呪文で防いでください。それが試験の課題です」

「……え?」

 

 

盾の呪文、って。

そんなの習ってないでしょ先生!

 

 

「ステューピファイ!」

「マホ○ンタ!」

 

 

って呪文間違えたし!!

もうだめかと思ったけど、私が苦し紛れに放ったマ○カンタ(byド○クエ)はかろうじてクィレル先生の赤い光をはじき返してくれた。

 

 

「ほう、変わった呪文ですね」

「……お疲れさまでした。失礼します」

「待ちなさい。まだ試験は終わっていません」

「防いだら終わりじゃないんですか?」

 

「1回とは言ってません」

 

 

よもや誤魔化せるのでは、と思ったけど無理でした。

今度は無言呪文で飛んできた赤い光を、私はもろに身体に浴びてしまった。

 

 

倒れる瞬間頭をよぎったのは、ドアの向こうで待っていてくれてるはずの、3人のルームメイトの顔だった。

 

 

 



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賢者の石17

 

「 ―― リナベイト」

 

 

その声に導かれて、急激に意識が戻ってきた。

目の前にいるのは闇の魔術に対する防衛術のクィレル先生。

そして、私がいるのはどうやら隠し扉の向こう、賢者の石が隠されたみぞの鏡がある部屋みたいだった。

……なんだろうこの夢小説的な展開は。

 

 

「目が覚めたな」

「はい、おかげさまで」

「寝ぼけてるのか? それとも私を馬鹿にしてるのか!?」

「寝ぼけてはいません。先生を馬鹿にするなんて、そんな恐ろしいこともしていません」

 

 

どうやら身体は縛られていて、上半身を起こすくらいのことはできそうだけれど、自力で立ち上がるのは無理みたいだった。

とりあえず身体を起こしてみて、腕をうしろに拘束しているロープと、足をひとまとめにしているロープの2本を確認した。

 

 

「Ms.スネイプ、君はずっとそうだった。私を見てたいていの生徒は気味悪がったり、馬鹿にしたりしていたのに。君はいつも私を警戒していた。まるで、この頭のうしろにあるものがなにかを知っているかのように」

 

 

……そうだったんだ。

言われるまで気付かなかったけど、私はどうやらクィレル先生にとってそうとう目立つ生徒だったらしい。

いや、実は前世の頃から私はポーカーとかぜんぜんダメなタイプだったんだけど。

 

 

「あの、出口で友達が待ってたはずなんですけど」

「ああ、いたね。でも、君が30分も前に試験を終えて出て行ったと教えてあげたら、素直に帰って行ったよ。今頃は大広間で夕食を食べているんじゃないかな」

「そうですか、ありがとうございます」

 

 

できればそうであってくれることを願おう。

下手に騒がれでもしたら、そのあと教授がどんな行動に出るか判らないし。

 

 

「聞きたいことはそれだけか?」

「ではもうひとつだけ。私、どうしてこんなところにいるんですか?」

「私が連れてきたからだが?」

「いや、そうじゃなくて。……ここって、行き止まりの部屋ですよね。ここまできてしまえば、父に対して人質とか必要ないと思うんですけど」

 

「……君は、賢いのか馬鹿なのか」

 

 

あ、教授と同じこと言われたし。

でも、ここまでくる過程で例えば、扉の仕掛けを教えなければ殺すぞ、みたいに脅すための人質なら判るけど。

私だけ単独で連れてきてもあんまり意味はないんじゃないかと思うんだけど?

 

 

「君は餌だよ。セブルスをおびき寄せるための」

「……それは困りました」

「なぜだね?」

「下手したら父が死ぬじゃないですか。私、この年で天涯孤独になるのはいやです」

 

「もちろん死なずにすむ方法もある。セブルスが私の側につくと誓えばいい」

「そっちの方がもっと嫌です。教授にはぜひ長生きしてもらいたいんですから」

「闇の帝王に従えば長生きくらいできるさ。賢者の石が手に入ればなおさらね」

「……たぶん手に入れるのは無理だと思いますけど」

 

 

クィレル先生はおもむろに私の足のロープを解いて、私を立たせてくれた。

視線の先にみぞの鏡がある。

 

 

「君を起こしたのはある仕事をしてもらうためだ。……鏡の前へ行きなさい」

 

 

あれか、私を使って鏡の中から石を取り出すってヤツ。

あれって確か、石を使いたい人では取り出せないんだったよね?

 

 

私は鏡の前まで歩いていって、目の前の光景を見た。

 

 

鏡の中には喉元に怪我をした教授と、賢者の石らしきものを手にした自分の姿。

私が石をかざすと教授の怪我がみるみるふさがっていく。

 

 

私が自然に笑顔を浮かべたのを見て、クィレルが私に訊ねた。

 

 

「なにが見えたか言え!」

「死にかけていた教授の傷が癒えました。私が石を使って、教授の傷を治したんです」

「それで! 石はどこにある!」

「もちろん、鏡の中の私が握りしめています」

 

 

クィレル先生、完全に人選を間違えたよ。

私みたいな欲にまみれた人間が、純粋な気持ちで賢者の石を取り出すなんて無理に決まってるじゃん!

 

 

クィレル先生は舌打ちして、再び私の両足をロープで縛りあげたから。

私はまたその場に倒れ込んでしまった。

鏡の中の教授は穏やかな表情で私を抱きしめていて、私は目に涙を浮かべながら、でも笑顔で教授の胸に寄り添っていた。

 

 

 

人の心の望みを映す、とても罪深い魔法のかかったみぞの鏡は。

それから先もずっと、私の望む光景を映し続けた。

 

 

いつも穏やかな表情をした教授と、笑顔でそばに寄り添っている私。

季節は巡り、私はさらさらした黒髪の美女に成長して、教授のために料理を作り、ソファでくつろぐ教授の肩を揉む。

木陰で一緒に本を読んで、かと思えば鍋を囲んで難しい魔法薬に挑戦して。

寄り添って、笑みをかわして、キスをして ――

 

 

―― いやそれはさすがにまずいだろうと思った瞬間鏡から視線を外して我に返る。

ちょっと待て、いや、私は確かに教授がお相手の夢小説を読んでニマニマしてた過去がある中年女だけどさ。

今はちゃんとした教授の娘なんだから、そんな未来を望むのはかなり間違ってるだろ!!

 

 

……なんか、ミューゼちゃんごめんなさい。

まるでミューゼちゃんのお父さんと不倫した気分だよ。

いや、前世でも不倫とかしたことはないんだけどさ。

でもなんか、そのくらいの背徳感でいっぱいいっぱいになってます自分。

 

 

気を取り直して周囲を見れば、さほど時間が経ってた訳ではないのか、クィレル先生が鏡の前でああだこうだと思案している姿が目に入った。

 

 

「鏡を壊せば……いや、それでは石を取り出せないかもしれない。壊すのは最後の手段にしなければ ―― 」

 

 

いったいなにをもたもたしてるんだろう。

取り出し方が判らないなら、鏡を持ってさっさとトンズラすればいいのに。

……って、私はこの鏡が鍵だって知ってるけど、クィレルからすれば本当に鏡の中に石があるのかどうかは判らないのか。

鏡は囮で、実は本物の賢者の石が部屋のどこかに埋まってるとか、そういう可能性もある訳だから。

 

 

クィレルは鏡を覗き込んだり、周囲のあらゆる場所にときどき杖を振ったりして、必死で賢者の石を探しているようだった。

そうこうしているうちにクィレルが思ってた以上の時間が経ってたんだろう。

ふと、どこかで扉が開くような音がして、ほどなくしてハリー少年が姿を現したんだ。

 

 

「まさか、クィレル先生が。僕、スネイプだとばかり」

 

 

そのあと、鏡の傍に転がった私の姿も目に入ったらしい。

 

 

「ミューゼ! どうして君が……!」

「……私としてはくる予定じゃなかったんだけど」

「セブルスがあちこち飛び回って邪魔をしてくれたのでね。見せしめにさらってやったんだよ」

 

 

オイオイさっきの話とぜんぜん違うじゃないですか。

ハリーが時間稼ぎなのだろう、クィレルにいろいろ質問をし始めたから、私は芋虫みたいに少しずつ動きながらハリーが入ってきたあたりを目指していった。

いちばん困るのは、クィレルがハリーに倒される前に、教授がこの部屋にきてしまうことだ。

きっと教授はクィレルからハリーを守ろうとして、悪くすれば大怪我、最悪なら命を落としてしまうことにもなりかねないから。

 

 

だからせめて教授が部屋に入ってきたとき、いちばん最初に目に入るのが私であるように。

縛られた私が目の前にいたら、きっと私を放ってまでハリーの前に立ちはだかったりはしないだろうから。

 

 

でも、本当に教授がハリーよりも私を選んでくれるのか、自信なんてものはひとかけらもないのだけれど。

 

 

「Ms.スネイプ、逃げられるとでも思ってるのか?」

「少しでもあなたの傍から離れたいんです。怖いので」

「本当に君は、賢いのか馬鹿なのか」

「……!」

 

「ミューゼ!」

 

 

次の瞬間、私を縛るロープが3本に増えて。

増えた1本が私の首に絡みついた。

そのままゆっくりと締めあげていく。

既に息は止まっていて、苦しさの中しだいに意識が薄れていくのが判った。

 

 

 

賢いか、馬鹿かって言われたらさ。

やっぱり私は、馬鹿な方だと思うよ。

 

 

 

そのまま気を失った私は、意識が途切れる直前、教授が自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び目が覚めた時にはすべてが終わっていて。

私は保健室のベッドの上にいて、なんか白くてふわふわしたものに顔を覗きこまれていた。

 

 

「目が覚めたようじゃの」

「あ、はい。おはようございます」

 

 

ダンブルドア校長先生でした。

生徒よりいつも一段高いところにいるのを目にしたことはあるけれど、こうして同じ場所で話をするのは初めてのことだった。

 

 

「身体の具合はどうじゃ?」

「少し、喉が痛いです。あと喉が渇いてます」

「そうか」

 

 

私が答えると、校長は杖を振って、私の目の前にゴブレットを出してくれた。

お礼を言って口をつけると、オレンジのちょっと酸っぱい果汁が喉をうるおしてくれた。

 

 

「それでの、ミューゼ。なにがあったのかを話して欲しいんじゃが」

「闇の魔術に対する防衛術の実技試験で、たぶん失神呪文だと思います、赤い光を浴びました。そのあと起こされて、鏡の前に立たされて。縛られて転がったところにハリーが来ました。そのあと、首を絞められました」

 

「なぜ、クィレルの名前を出さなんだね?」

「やっぱりクィレル先生だったんですか。かなり印象が違っていたので、別の人が変装しているのかと思いました」

「……生徒にとってはあまりにもショックな出来事じゃったな」

 

 

校長は慈しむような視線を向けて、私の頭をなでた。

どうやらそれだけで私の尋問は終わりらしい。

あたりは暗く夜だということは判ったけれど、私は今がいつなのか、あれからなにが起こったのか、まだなにも知らないままだった。

 

 

「もう少し眠りなさい。夜明けまでまだしばらくある」

「……父は、どうしていますか?」

「傍におるよ。のォ、セブルス」

 

 

呼びかけに答えるように、校長先生の背後から黒い影がぬーっと現われた。

視線は強くて明らかに私を怒ってる。

……確かに、この教授が傍にいたら、私が緊張して話せないだろうと校長が配慮して遠ざけたのも判るよ。

実際のところ私は慣れてるからそれほどでもないんだけど。

 

 

校長先生が去ると、教授は校長が座っていた椅子を引き寄せて私の枕元に腰掛けていた。

 

 

「教授、お怪我はありませんか?」

「馬鹿者。自分が殺されかけておいてなんだその言い草は」

「殺すつもりではなかったと思いますが」

「どちらでも同じことだ。おまえの生死は一時期あの男にゆだねられた。そんなことを我輩が許すとでも思うのかね」

 

 

えっと、さっきの話を聞いてたんだろうか、教授は。

今回に限っていえば、私に落ち度はなかったと思うんだけど。

 

 

「すみませんでした」

「理由も判らず謝るな」

「はい、すみません」

「……もういい。首を見せろ」

 

 

私が両手で髪を上げると、教授は薬瓶から液体を少し取って、私の首に塗りつけ始めた。

丁寧に前から横、うしろへと薬を塗り込んでくれる。

教授の手が触れたところからしだいに温かくなって、それまでの喉の痛みがスーッと引いていったんだ。

ふと目に入った手首に縄の形のあざがついているのを見て、もしかしたら私の首に同じものがあったのかと思って、ちょっとだけぞっとした。

 

 

だって、首に縄のあとがくっきりとか、まるで絞首刑か首吊り自殺したゴーストみたいじゃん。

首が終わると教授は手首と足首にも同じ薬を塗ってくれて、塗ったところからあざが消えていくのを見ていくぶん気持ちがほっとしたけど。

 

 

「痛みが引きました。ありがとうございました」

「ああ」

 

「それで、ハリーとクィレル先生は……」

「ポッターはまだ目覚めん。クィレルは……死んだ」

「……そうですか。教えてくださってありがとうございます」

 

「……おまえは、クィレルとなにを話した」

 

 

なにを、っていうほどの会話はしなかった気がするけど。

私はあの時の会話を思い出して、教授に話し始めた。

 

 

「私がクィレル先生を警戒してたことに気づいていたと言われました。それと、私を誘拐した理由は、教授をおびき寄せるための餌だと」

「……」

「ただ、ハリーに対しては、教授が今まで邪魔をしてきたことの見せしめに私をさらったと言っていました。ですから、どちらかが嘘なのかもしれませんし、もしかしたら両方嘘なのかもしれません」

 

「おまえはどちらだと思った」

「両方嘘だと思いました。……ただの印象ですけど」

 

「……おまえは、クィレルの背後にいたものとは話したのか?」

「いいえ」

「そうか。……もう休め」

「はい」

 

 

私が横になると、教授は布団をかけてくれて。

目を閉じたあと、静かにベッドを離れたのが判った。

教授はけっきょくなにも話してはくれなかった。

私がいないと判ったときどう思ったのか、私が鏡の部屋で見つかったとき、いったいなにをしていたのか。

 

 

 

あの時意識を失う直前、教授がきてくれたような気がしたんだけど。

 

 

それが本当なら嬉しいと思う反面、できれば本当じゃなければいいという気持ちも、私の中にはあったんだ。

 

 

 



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賢者の石18

ハリーが寝てる間に行われたクィディッチ第3戦では、原作どおりレイブンクローが勝利をおさめて。

その1週間前にハッフルパフとの試合に勝利したスリザリンとの間で得点が計算されて、スリザリンは見事優勝杯を手にすることができていた。

 

 

そんなこんなで、学年末パーティーの直前に総合得点を見に行けば、なんと原作と同じ点数が並んでいたんだ。

なんのことはない、私が稼いだ30点は、夜間徘徊したドラコの減点が20点から50点に引き上げられたことで相殺されていたらしいです。

 

 

(なんか、ドラコにはほんと、悪いことをしたというか)

 

 

このパラレルワールドは原作の力が強いのか、ある一定の法則でなのか、変えられない部分というのが存在するのかもしれない。

それとも、これも予定調和のうちの一つで、私がいて変わった部分も本来そうあるべきだった出来事として既に決められてることなのだろうか。

 

 

 

 

来年こそは下手に点をもらわないようにしようと誓って、グリフィンドール色に染められた大広間を、卒業していく先輩たちを見送りながらあとにする。

と、なぜか私のところへ向かって、例のグリフィンドール三人組が駆け寄ってきたんだ。

大広間の前の廊下はただでさえ混乱していたから、私は同室のみんなとも離されて容易に連れだされてしまう。

両手を引かれてしばらく走ると、ようやくあたりに人がいないことが確認できたのか、息を切らせた3人にほとんど同時に迫られていた。

 

 

「ミューゼ!」

「スネイプ先生はどちらにいらっしゃるかしら!?」

「僕たち今すぐ会いたいんだけど!」

「先生の部屋へ連れて行ってくれる?」

 

 

……なんなんだいったい。

訳も判らず歩きだすと、3人はせかすように私の背中を押して、あれよあれよという間に教授の部屋へと案内させられてしまった。

 

 

「教授、ミューゼ・スネイプです」

「入りたまえ」

 

 

学年末パーティーの直後でいないかとも思ったけれど幸い部屋に帰ってたらしい。

私が「失礼します」と声をかけてドアを開けると、うしろから様子を見ていた三人組が、私の前に躍り出て次々と話し始めたんだ。

 

 

「グリフィンドールのハリー・ポッターです!」

「同じくロナルド・ウィーズリーです!」

「ハーマイオニー・グレンジャーです!」

 

「僕たち、先生に謝らなければいけないことがあります!」

「僕たちずっと、賢者の石を盗もうとしているのが、スネイプ先生だと疑っていました!」

「それと、ハリーの箒に呪いをかけたのも、先生だと思い込んでいました!」

 

「誤解していてすみませんでした!」

「すみませんでした!」

「すみませんでした!」

 

 

まるで小学校の卒業式でやった呼びかけみたいに声を合わせて。

3人が代わる代わる教授に謝罪の言葉を述べて、頭を下げたんだ。

 

 

……侮ってた、と言わざるを得ない、かも。

確かにグリフィンドール生の勇気は称賛に値する。

 

 

以前、私が言ったんだ。

面と向かって教授に謝らない限り、私はあなたたちを許さない、って。

 

 

教授は少しの間あっけに取られていたようだったけど。

やがて我を取り戻したのか、私に向かって言ったんだ、私の名前を。

 

 

「ミューゼ!」

「っ、はい!」

「今すぐこいつらを追い出せ!!」

「はいっ!!」

 

 

最初の“はい”は驚きで。

2度目の“はい”は喜びで。

 

 

声を上ずらせながら返事をしたあと、私は「失礼しました!」と叫んで教授の部屋を飛び出した。

速足でずんずん歩いていけばすぐに教授の部屋が遠くなる。

ほどなくして3人も教授の部屋を飛び出したようで、駆け足で私に追いついてきたんだ。

そして、歩きながら私の顔を覗き込むように見て、少し驚いたように言ったのはハーマイオニーだった。

 

 

「ミューゼ! あなたいったいどうしてそんなに嬉しそうなの!?」

「もしかしたら初めてかもしれない。教授が私の名前を呼んでくれたの」

「へ?」

「私の名前、ミューゼ、って。だから今すごく幸せなんだ、私」

 

「じゃあ今までなんて呼ばれてたの?」

「おまえとか、教室ではMs.スネイプとか」

「どうして? 嫌われてたとか?」

「ううん、簡単な話だった。今までは教授と2人だけで話してたから、名前を呼ぶ必要がなかったの。でも、今はほかに3人も人間がいたから」

 

 

嬉しかったから、私は思ったことをほとんどぜんぶ垂れ流すように話していて。

一気に話したらさすがに息が切れてきたから、私が立ち止まるとほかの3人も私を囲むように廊下に立ち止まった。

 

 

「それより、僕達ちゃんと謝ったよ。ミューゼ、前に言ったよね。謝ったら許してくれる、って」

「言ってないよ。謝らない限り許さない、って言っただけ」

「同じことだよ! 僕達ちゃんと謝ったんだから許してくれたっていいじゃないか!」

「私、ミューゼとずっと友達でいたいの。だからお願い、私達と友達になって」

 

 

いやだから、なんでそんなに私に懐いてるんだよ。

べつに私、君らにそんな親切にした記憶ないんだけど?

 

 

「前に言った通り、私はグリフィンドールの友達は作らないって、教授と約束してるの。だからみんなとは友達になれないよ」

 

 

言葉はそんなだったけれど、さっきの嬉しさが残ってて満面の笑顔のままだったから、その言葉に説得力なんてものはまるでなかった。

 

 

「なんで!? 僕、ミューゼと本当に友達になりたいんだ。ミューゼってなんだかお母さんみたいで……」

「……は?」

「ちょっとハリー! いくらなんでもお母さんは失礼すぎよ!」

「そうだよ。僕だって姉さんくらいだったのに」

 

 

いやロン君、それもちょっと失礼だ。

もっとも、私はロン君の母親よりもかなり年上なのは間違いないが。

 

 

「でも、みんながちゃんと謝ったから、許すのは許してあげる。それと教授に名前を呼ばれるきっかけも作ってくれたから」

「だったらついでに絶交もやめようよ」

「それはダメ。私には教授との約束がなにより大切なんだもん」

「そんなに教授教授って。君はこれからの人生ずっと教授の言う通りにするつもり?」

 

「そうだよ。私は教授が言う通りの人間になって、教授が言う通りの人生を歩んでいくの」

「そんなこと言ってたら恋人の1人も作れないじゃない」

「いらないもん。私は恋人もいらないし、結婚もしない。教授の老後の世話をするのが将来の夢なの」

「……ついていけないよ」

 

 

ロンがあきれ顔で言う。

まあ、たかが11、2歳の子供に、私の夢を判ってもらおうなんて最初から思ってないから。

 

 

私がロンと話してる間黙ってたハリーは、少し別のことを考えてたらしくて。

再び歩きだしたところで、ちょっと深刻そうに声をかけてきた。

 

 

「ねえ、ミューゼ。スネイプ先生に聞いてる? ……その、例の部屋でのこと」

「クィレル先生が亡くなった、ってことだけ。私、ハリーが来たところで気絶しちゃったから、そのあとのことは知らないんだ」

 

「うん。……あのあと、ミューゼが倒れてから、僕はみぞの鏡から賢者の石を手に入れたんだけど。そのすぐあとにスネイプ先生が来たんだ。それで、ミューゼのことを見つけて、何度もミューゼの名前を呼んでた。だからミューゼが名前を呼ばれたの、今日が初めてじゃないよ」

 

 

……やっぱり、あれは空耳とかじゃなかったんだ。

教授は確かに私の近くにいて、私の名前を呼んでくれたんだ。

 

 

「そっか。ありがとうハリー。すごく嬉しいよ」

「だったら絶交は解いてくれるよね?」

「それはダメ」

「じゃあどうしたら僕達はミューゼと友達になれるの?」

 

「べつに友達にならなくてもいいじゃない。私、みんながそんなに執着するほどの人間じゃないよ」

「そんなことないわ! ミューゼはほんとに違うの! ミューゼってね、私にとっては灯台みたい。いないと迷っちゃう。ミューゼがいてくれるからこの先どう進んでいいか判るの」

「僕のこと、あんな風に叱ってくれるのはミューゼだけなんだ。でもちゃんと僕のことも判ってくれる。ほんとにミューゼはお母さんみたいに思えるんだ」

「僕らだけでは気付かないことにミューゼは気付いてくれる。僕達にとってミューゼは必要な人だよ。……確かにちょっとついていけないところはあるけどね」

 

 

さて、困った。

なにが困ったって、聞いてて嬉しくなっちゃうのが困った。

でも、比べたらやっぱり、私はこの3人よりも教授がいちばんなんだよね。

 

 

「みんなの気持ちは判った。でも、私はやっぱり教授との約束を守るよ」

「……じゃあ、スネイプ先生が許してくれたら、友達になるんだね?」

「そういうことになるかな」

「だったら許してもらおう」

「そうね」

 

 

そう言ってきた道を戻ろうとした3人を私は慌てて制した。

 

 

「待った! 今日はやめた方がいいから! さっきので機嫌最悪だから!」

「でももう夏休みよ? 今日行かなかったら9月までお会いできないわ」

「ちょうどいいから少し頭を冷やそうよ。もしも9月まで同じことを思ってたら、ってことで。ね?」

「……そうしよう。さすがに今日の今日はやめた方がいいって僕も思うよ」

 

 

どうやら納得してくれたらしくて私は大きくため息をつく。

……まあ、どうせ2年の初っ端は空飛ぶ車事件で教授の機嫌は極悪になるし、そのうちに彼らも私のことなんか忘れてくれるだろう。

 

 

 

お母さん、か。

私の目か髪か、少しでもどこか似た特徴があればよかったのにね、ハリーのお母さんと。

そうすれば教授も、もう少しだけハリーより私のことを気にかけてくれたかもしれないのに。

 

 

 

みぞの鏡が見せてくれた幻を振り切るように一度だけ頭を振って。

 

 

私は、長い休みを教授と一緒に過ごすために、旅の荷物をまとめに部屋へと向かった。

 

 

 




お読みくださいましてありがとうございました。
いちおうこれで、ミューゼのお話は終わりになります。
執筆した当初はもちろんこの先も続けるつもりで書いてたんですけどね。
伏線やらなにやら何も回収できずに終わっていますが、おそらく今後続きを執筆することはないと思いますので、これにて完結とさせていただきます。

チラシの裏にもかかわらずおいでくださった皆様、お気に入り登録してくださった皆様、コメントくださった皆様、本当にありがとうございました!!


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【蛇足】番外編・秘密の部屋【夏休み】

当時書いていた秘密の部屋の第1話になります。
(文章量としては2話分くらい?)
ほんとは出す予定じゃなかったんですが、なぜか最終回後もお気に入りが増えてるので申し訳なくて。w
もうこれでほんとにすっからかんですので、くれぐれも続きはご期待されないようお願いいたします。


 

 

 

ホグワーツの夏休みは、それこそ腐るほど長い。

 

 

 

前世で関東地方に住んでた私は、夏休みといえば7月21日から8月31日までのきっかり6週間というのがあたりまえだった。

(私が学生の頃はまだ海の日なんて祝日はなかったので、恩恵を受けたのは就職してからだ)

朝は地域のラジオ体操で起こされて、昼間は学校のプールへ午前か午後のどちらかに行き、夏休みの友という素敵な名前の宿題本や、自由研究、絵日記、アイデア貯金箱などの工作の宿題が大量にあってなにかと慌ただしかった記憶がある。

私は元来怠けもの体質なので、小学校の低学年の頃は最終週まで宿題をため込んでたのだけれど、高学年になって学習したのでできる宿題は勉強の習慣が残ってる最初の週にほとんど片付けてあとは遊ぶ方式に方向転換したんだ。

その感覚は生まれ変わってからも残ってたようで、マグルの小学校へ行ってた頃は、宿題は1週間で済ませてあとの日数はほとんど教授の手伝い(邪魔とも言う)をして過ごすことが多くなっていた。

 

 

教授は夏休みに旅行へ行こうなどと考える人ではないらしく、たいていは部屋にこもって魔法薬の研究をしたり、定期購読している『ザ・マジック』(『サイエンス』みたいな学術雑誌)をまとめ読みしたりして過ごしていた。

まあ、私もじっさいホグワーツへ行って、教授の忙しさは身を持って実感したからね。

教授が仕事以外の時間を過ごせるのはこの時期しかないんだろう。

……ほんとに仕事以外のことを考えてるかどうかははなはだ疑問なのだが。

 

 

(だいたい魔法薬の研究やザ・マジックを読むのだって仕事といえば仕事だし)

 

 

この人はほんと、自分の時間というのが果たしてあるのだろうかと、私はつねづね疑問に思ってるところだ。

 

 

 

学生の夏休みが始まって1週間ほどで教授も夏休みに入ったらしくて。

教授が姿現しで帰ってきたとき、私はリビングのソファで読書をしていたところだった。

 

 

「あ、教授、おかえりなさいませ」

「………………なんだその本は」

「友人に勧められました。なかなか面白かったのでシリーズでそろえたんですけど」

「……今後二度と我輩の前で読むことは許さん」

 

「……はい。判りました」

 

 

どうやらロックハート氏がホグワーツの教師になることはすでに教授に伝えられてるらしいです。

チャーミングなスマイルを振りまきながらウインクしてくる表紙を重ねて、私はそろそろメイミーが掃除を終えているだろう自室に持って帰った。

 

 

ロックハート氏の本を友人に勧められたというのはもちろん嘘だったけど(スリザリン寮にはあまり彼のファンはいないらしい)、読んでみたらけっこう面白かったのは本当だ。

前世の頃から本は好きだったし、ハリポタの夢小説にはまってたくらいだから冒険活劇的な軽い話も好きだし、とうぜん多少文章が乱れてようが気にしないし。

彼の本はあれだ、自伝だと思えば胡散臭いが、小説と思うとちょっとばかり素人臭い。

つまり、軽い読み物としてみれば時間つぶしにはなるが、読み終わったあとにはなにも残るものがないのだ。

 

 

まあ、私が彼の本を取り寄せた一番大きな理由が、夏休み中の小遣いの使い道にしたかったから、だからね。

(どうせ買わなきゃいけない本な訳だし)

おかげで7月は残り小遣いの心配はまったくせずに優雅に引きこもれて私はすこぶる満足してたりするよ。

 

 

 

帰宅した教授はそのまま自室に引き取ったようで、本を置いて戻るとメイミーが台所で食事の支度を始めていた。

教授がいる間は隠れるように命令されたメイミーはけっこう大変だ。

こうなれば食事が出来上がるまで教授が部屋を出てくることはないので、私はメイミーを手伝って一緒に夕食を作りあげた。

 

 

「では、メイミーめは地下へお戻りなさいます。ご用がございましたらお呼びくださいませでございます」

「うん、ありがとう」

 

 

どうやらメイミーの自室は地下にあるらしい。

ただ、そこまで行ける階段もドアもない秘密の地下室らしいので、これまで私が足を踏み入れたことは一度もなかったりする。

 

 

 

部屋でザ・マジックに没頭する教授を引っ張り出して夕食を共にしたあと、雑誌の続きを読みながら紅茶をすする教授の肩を揉む。

私もなんの気なしにうしろから教授が読んでるページを覗き見ていたんだけれど。

ページをめくった瞬間、見開きでロックハート氏のチャーミングスマイルが目に飛び込んできて、教授が本をぱたっと閉じたんだ。

どうやら新刊『私はマジックだ』の広告宣伝ページだったらしい。

 

 

「あ、ロックハートの新刊が出るんですね」

「……まさか奴の自伝を鵜呑みにしてはいまいな」

「自伝なんですか? 私、よく出来た空想小説だと思ってました。たまに設定が矛盾してますよね?」

「……そうなのか?」

 

「はい。ある本で3年前の9月に同じ村を訪れたという記述があるんですけど、その時期は別の本ではちょうど正体不明のなにかに襲われた村の調査に奔走してる時期にあたるんです。主人公が重要な調査を放り出して脈絡のない村を訪れるはずがありませんから、てっきり設定上のミスだと思ってたんですが」

「……」

「自伝だとすると3年前というのが勘違いなんでしょうか? でもそのとき出会った少女が3歳年を取ってますし、村人の話の中にも3年前とはっきり出てきますし」

「……おまえが思い悩む必要はない」

 

 

まあ、私はからくりを知ってるから、読みながら矛盾を探してたんだけどね。

ともあれ教授も私が最初から自伝と思って読んでいないことを知って安心してくれたようでよかったよ。

 

 

「そういえばまだお礼を言っていませんでした」

「……なんの話だ」

「クィレル先生にさらわれた時の話です。ハリーに聞きました。教授が助けにきてくれた、って」

「……」

 

「ありがとうございました。それと、お礼が遅くなってすみませんでした」

「……我輩はまだ許してなどおらん」

「……はい。でも、理由が判らないんですが」

「二度も言わせるな」

 

「……」

 

 

いや、あの時聞いたのは確か、私の生死が一時期クィレル先生に握られてた、ってだけで。

それについて私に落ち度があったとは思えないんだけど?

……確かに首を絞められたのは私が逃げようと(少なくともそう見える行動を)したからなんだけど、あの時は教授はまだその場にいなかったし。

あの状況ではハリーからも話を聞いてなかっただろうから、教授が許さないと言ってるのはそれについてじゃない訳で。

 

 

「私がクィレル先生の試験をおかしいと感じたのは、待合教室に最後まで残された時でした。あの教室にはほかに出入口はなかったので、その時にはもう逃げることはできなかったんです。でも、試験の説明はその前にされたので、試験中はクィレル先生と2人きりになるのが判っていました。私はその時におかしいと感じて試験を放棄すべきでした」

「……」

「この次からは、教授が怪しいと思う人物と2人きりになる場合には、それがたとえ試験であっても事前に逃げることにします。それで許してくれますか?」

「……」

 

 

うん、自分で言ってても無茶だと思うよ。

ただでさえ学生が1年間の最終試験をそんなあいまいな理由で放棄するのは抵抗があるし、大人の視点から見ても、試験が始まる段階で子供に試験そのものが怪しいと察しろというのも無理だ。

 

 

でも、ここまで言っても教授はなにも言わない。

ということは、もう私には教授に許してもらえるすべはなにもないということだ。

ちょっと悲しいが、今後この話題には触れない方が双方ともに幸せかもしれない。

 

 

 

 

それから数日間、教授は部屋にこもって独りだけの時間を過ごしていて。

食事に呼びに行けば読書をしていたり、鍋の前で本を見ながら難しい調合をしていたり、食事時以外は私を構ってくれることはなかった。

そうかと思えばあちこち出かけることも多くなっていって。

邪魔をしたくない私は部屋で読書をしたり、メイミーと料理をしたりしながら過ごしていた。

 

 

 

迎えた8月1日、私の部屋にはフクロウ便でいくつかの誕生日プレゼントが配達された。

もちろん同部屋の3人からがメインだったのだけど、スリザリン寮で以前話したことがある人たちからは謝罪の言葉が入ったものがいくつかあって、あと珍しいところではドラコ・マルフォイの名前が入ったものがあった。

 

 

(もしかして親になにか言われたのか?)

 

 

 

去年は最初の頃に挨拶を交わしただけだったからね。

ホグワーツでの話を聞いた両親に、教授の娘である私ともっと仲良くするようにとでも言われたのかもしれない。

 

 

 

一通りプレゼントを確認したあと教授の部屋へ朝の挨拶に行くと、教授は1つの封筒を私に手渡してくれた。

 

 

「これは?」

「誕生日プレゼントだ」

「ありがとうございます。見てもいいですか?」

「ああ」

 

 

見た目はただの封筒で、中を見れば何か判るかと思ったけれど、入っていたのは店の伝票らしきものだけで。

 

 

「マダム・マルキンの洋装店……?」

「それを持って店へ行け。サイズを合わせてくれる」

 

 

詳しく訊けば、どうやら教授は今年も洋服を選んでくれたらしいのだけれど、サイズが判らなかったためとりあえず店に予約してあるらしい。

私自身が行ってサイズを測ってもらえば、その場でプレゼントとして受け取れるようにしてくれたのだそうだ。

 

 

「ありがとうございます。いちばん嬉しいプレゼントです」

「そうか」

「はい! 教授の見立ては確かなので助かります」

「……」

 

 

これも余計なひと言だったか。

でも嬉しかったので、私は再びダイアゴン横丁へ行く日を楽しみに思いつつ、にこにこしながら朝食を終えた。

 

 

 

ほかの人たちからもらったプレゼントを一通り教授に見てもらったあと。

午後になってから、私のところにホグワーツからの手紙が届いていた。

教科書のリストは思った通りロックハート一色だ。

でもぜんぶ持ってる本だったから、それ以外のわずかな教科書を買って、そのあとマダム・マルキンのお店へ行くだけですぐに終わりそうだった。

 

 

「今年はどうやらあまりお手を煩わせなくてすみそうです」

「我輩は買い物には付き合ってやれん」

「え? では私一人で行くんですか?」

「おまえのことはルシウス・マルフォイに頼んである。おまえも知ってるドラコ・マルフォイの父親だ。水曜日に迎えにくることになっている」

 

「……判りました」

 

 

 

理由を言う気はないみたいです。

ただの勘でしかないんだけれど、これって教授の都合が悪いというより、ルシウス・マルフォイの差し金なんじゃないかって気がしてならないよ。

とつぜんドラコから届いたプレゼントのこともあるし。

 

 

(そもそもルシウスって今年の黒幕じゃん)

 

 

彼がジニーの鍋にリドルの日記を入れるのは、アーサー・ウィーズリーと視察の件で対立してたからって理由があるのかもしれないけれど。

ダイアゴン横丁でウィーズリー家と行き合ったのが偶然で、これ幸いとジニーを選んだのだとしたら、もしかしたら本来日記を託すのは誰でもよかったのかもしれないよね。

……たとえば“私”とか。

 

 

(うん、確かに私も血筋は純血っぽいし、スリザリンの継承者の資格はある、かも)

 

 

どういういきさつで私がマルフォイ家と買い物に行くことになったかは知らないけれど、ルシウスにとって私は、日記を託すてきとうな人が見つからなかった時のための保険なのかもしれない。

 

 

原作の秘密の部屋では恐ろしい事件がたくさん起こるけれど、結果的には誰も死なないで終わってくれる。

でも、ここがパラレルワールドだってことを鑑みると、小さな狂いから死人が出ることだって十分考えられる。

たとえ原作で死人が出ないからといって、けっして安心していい1年という訳じゃないんだ。

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに、買い物に行く水曜日がやってきて。

ルシウス・マルフォイは家にまで迎えに来てくれる訳ではないらしく、私は教授にくっついてノクターン横丁寄りのダイアゴン横丁まで姿現しをした。

 

 

「ここでしばらく待っていろ。向こうが見つけてくれる」

「はい」

「買い物が終わったらここで待て。迎えにくる」

「はい、判りました」

 

 

どうもこのところ教授がそっけないな。

忙しいっていうのもあるのかもだけど、なんだかあまり目を合わせてくれなくなった気がするんだ。

……本格的に距離を置かれてるんだとするとかなり悲しいが。

 

 

教授がその場を去ったあと、マルフォイ親子はしばらく現われる気配がなくて。

往来を眺めながらしばらくしたあと、私の目に飛び込んできたのはなんと、ハリーとハグリッドのコンビだったんだ。

って、まるっきり去年と同じ構図じゃないですか。

 

 

「ミューゼ!」

「こんにちわ、ハリー、ハグリッド」

「どうしてこんなところにいるの? もしかしてまたスネイプに置いて行かれた?」

 

 

まあ、確かに教授に置いて行かれたのは間違いないけれども。

ハリー、治ったかと思ったがまた人の父親を呼び捨てですかコノヤロウ。

 

 

「今日はちゃんとした待ち合わせだよ。Mr.マルフォイとね」

「え!? なんでマルフォイ!? ミューゼ、マルフォイと仲良かったっけ??」

「私はそうでもないけど、父親同士が仲がいいみたい。だから今日の引率はMr.マルフォイのお父さんなんだ」

「……そんなの断ればいいのに。ミューゼも僕達と一緒に行けばいいよ。みんな来てるんだ、ロンも、ハーマイオニーも」

 

 

いやいやそういう訳にはいかないだろ。

マルフォイ氏だって忙しいところを私ごときのためにわざわざ引率を引き受けてくれたんだから。

 

 

「あれ? お見えになったかな?」

「あ、じゃあ僕は行くね。またホグワーツで会おう」

「うん」

 

 

って、ナチュラルに返事しちゃったけど、私と君は今絶交中のはずじゃなかったっけ?

意識してないとついいつもの社交辞令で対応しちゃうから、私はほんと喧嘩とかには向いてないんだと思うよ。

 

 

ハリーとハグリッドがあわてたようにその場を去ると、ハリーが来たのと同じ方角から一組の似た者親子が連れ立ってやってきて。

私が軽く目礼すると、マルフォイ氏は隣のドラコを振り返って、ドラコが頷いたのが判った。

 

 

「Ms.スネイプかな?」

「はい、初めまして、ミューゼ・スネイプです。Mr.マルフォイですね?」

「ルシウス・マルフォイだ。ルシウスでかまわんよ」

「私のことはミューゼと呼んでください、ルシウスさん。今日はよろしくお願いします。 ―― Mr.マルフォイ、先日は誕生日プレゼントをどうもありがとう」

 

 

私がドラコに視線を移してにっこり笑うと、憮然としたドラコにルシウスさんが促すような視線を向けた。

 

 

「僕はドラコでいい」

「じゃあ、私のこともミューゼで」

 

「信じられんな、うちの息子はこんな愛らしいお嬢さんに声もかけなかったとは」

「ドラコはまじめで紳士なんだと思います。勉強も飛行訓練も人一倍頑張ってましたから、私など目に入らなかったんでしょう」

「どうかね。よりによってマグルに成績で負けるとは、純血の恥だと思わんかね?」

「試験の結果がすべてではないと思います。事実、父の授業ではマグルの彼女よりドラコの方がずっと多く褒められてましたよ」

 

 

私のフォローにドラコの表情が少しだけ緩んだ。

たぶんこれまでもハーマイオニーに負けたことでルシウスさんにいろいろ言われてたんだろうな。

純血貴族の長男で1人息子として生まれたドラコは、ほんとにたくさんのプレッシャーにさらされて生きてるんだってことを改めて突き付けられた気がするよ。

 

 

「父上、今年は必ずトップの成績を取って見せます。二度とマグルには負けません」

「期待していいんだな?」

「はい!」

「その言葉を忘れるでない。 ―― では、そろそろ行こうか」

 

 

 

2人のマルフォイと連れ立って、まずはレディファースト、私のメインであるマダム・マルキンの洋装店へ行って。

サイズ合わせをしたあと、プレゼントの服は家まで送ってくれるというので手ぶらで店をあとにする。

その間待っていてくれた2人と一緒に今度は文房具の補充。

ドラコは私のフォローが嬉しかったのか、買い物中にもかなりうちとけてくれるようになっていた。

 

 

「だいたいおまえはグレンジャーと仲がいいじゃないか。図書館でよく話してるのを見かけたぞ」

「最近はそうでもないよ。それに、今はグリフィンドールの友達は作らないことにしてるし」

「そうなのか?」

「うん。むしろ向こうから近づいてくるから困ってるんだ」

 

「だったら、今度話しかけられたら僕に言え。追い払ってやる」

「ありがとう。じゃあ、もしタイミング良くドラコが近くにいてくれたら頼らせてもらうね」

 

 

ま、本気で頼るつもりはないけどね。

ミリーたちならともかく、ドラコがハリー達と対峙したら原作にないよけいな諍いを生むかもしれないから。

 

 

ドラコにとっての今日のメイン、競技用の箒を見たあと。

ルシウスさんが少しの間別行動すると告げて離れていって、私とドラコだけでいよいよ今回の事件現場であるフローリシュ・アンド・ブロッツ書店へと辿りつく。

書店にはロックハートの新刊を宣伝したポスターが貼ってあって、大写しのチャーミングスマイルが私達に向かってあちこちからウィンクしてきていた。

 

 

 

「あ、私、ロックハートの本はもう持ってるから」

「ファンなのか?」

「うん、まあね」

 

「1年間の授業で7冊も買わせるってことは、よっぽど内容が薄い本なんだろう。程度が知れる」

「ふふふ……確かにそうかも」

 

 

内容はほとんど紀行文に毛が生えたような感じだからね。

闇の魔術に対する防衛術に関係しそうなところは最後の方の一番盛り上がる冒険部分だけな訳だし、そこだけ集めたら7冊でちょうど1冊分くらいにはなるかもしれない。

 

 

「おまえは怒らないんだな。ふつう好きなものをけなされたら怒るだろう」

「わからないよ? 顔で笑ってても内心は怒ってるかもしれないし」

「スネイプ先生がおっしゃってた。おまえは顔に出る方だ、って」

 

「……教授、意外と私のことをしゃべってるんだ」

「ほら、今少しムッとしただろ? ちゃんと顔に書いてあるぞ」

「嘘だったの?」

「嘘じゃない。この間スネイプ先生がいらしたとき、僕が君のことはよく判らないって言ったらそうおっしゃったんだ」

 

 

ふうん、教授、最近どこかへ出かけてたと思ったらマルフォイ家へ行ってたんだ。

もちろんそれ以外の場所へも行ってるんだろうけど。

 

 

話してる間に書店には続々と人が集まりつつあった。

これ以上人が増えたら騒ぎが収まるまで書店から出られなくなるかもしれないと、私とドラコはひとまず教科書の清算をすませる。

だがちょっとばかり遅かったんだろう。

2人分の会計を終える頃には、既に今回のゲストであるロックハートが店に姿を現していたんだ。

 

 

「あ、本物! ねえドラコ、あれロックハートだよね? 本の表紙とおんなじ顔してるもん」

「あたりまえだろう。おまえ、ああいうのが好みなのか?」

「ううん、ぜんぜん。外見だけならMr.クラップとかMr.ゴイルの方がずっと好みだし」

「……やっぱりおまえは変わってる」

 

 

なにを隠そう私、前世では子供のころから相撲ファンだったんだよね。

シーズンになると両親がずっと相撲中継を見てたから、私の中には“力士=かっこいい男”っていう図式が刷り込まれちゃったらしくて。

大人になってからも理想の男性像を訊かれたら迷わず千代の富士と答えてたんだ。

(いや、当時はほんとに強くてかっこよかったんだよ。既に妻子持ちだったからそれを知ったときには軽くショックだった…)

ま、半分は飲み会の持ちネタみたいなもので、実際につきあった人はなぜか痩せ型の人が多かったんだけど。

 

 

その時私達がいたのは吹き抜けになった2階部分だったんだけど。

ロックハートに絡まれるハリーの姿が見えたからだろう、ドラコが私を置いてハリーをからかうために階段を下りていってしまって。

人込みを掻き分けながら追いついた頃には既にハリー達とは一触即発状態で、原作どおり現われたルシウスさんもウィーズリーパパと舌戦を始めてたんだよね。

やがてウィーズリー氏がルシウスさんに掴みかかって、書店の中が大混乱になると、私に気づいたドラコが手を引いて私を書店の外まで引っ張っていってくれたんだ。

 

 

「ありがとうドラコ」

「……いや、べつにたいしたことじゃない。怪我はないか?」

「うん、大丈夫」

 

 

とりあえずかばってくれたから、その前に私の存在を忘れてハリーのところへ行ったことは不問にしてあげよう。

そうこうしているうちにハグリッドに引きはがされたルシウスさんも私たちのいる場所まできてくれた。

 

 

「ミューゼ、見苦しいところを見せてしまったね」

「いいえ、とても紳士的な戦いでした。ドラコ、尊敬できるお父さんでよかったね」

「あ、ああ。もちろんだ」

 

 

魔法使いならとっさに杖が出そうなものだけど、襲いかかられて取っ組み合いだけで済ませたのはオス同士の争いとしては紳士な方だ。

本当にそう思ってたから、表情にも出ていたんだろう。

一瞬皮肉を言われたと思ったかもしれないルシウスさんは、私が本気で尊敬の感情を向けていると判ったのか表情を緩めていた。

 

 

「ミューゼ、君はどうやら物事をよくわきまえているようだ。君のような子にぜひ将来ドラコの嫁にきて欲しいところだが」

「ありがとうございます。身に余るお言葉で恐縮です」

「真剣に考えてみてはくれないか?」

「ルシウスさん、それ以上はぜひ父と話してください。もっとも、ドラコは将来性豊かな人ですから、私ごときが相手では申し訳ないと思いますけれど」

 

 

えーっと、ドラコって確か、原作で誰かと結婚して子供が生まれたりもするんだよね。

もともと私は結婚とかするつもりないし、その人からドラコを奪っちゃうのはかわいそうだ。

……って、教授が本気で私とドラコの婚約を進めちゃったらマジで困るんだけど。

 

 

「父上、僕はミューゼの好みではないみたいです」

「どうやらそのようだな。セブルスが言っていた通りだ」

「はい」

 

「……」

 

 

例の“顔に書いてある”ってヤツだったらしい。

ほんと、ポーカーフェイスっていったいどうやったらできるんだろう?

 

 

 

買い物は一通り終わったので、最初に待ち合わせた場所に戻ると、教授は既にそこで待っていてくれた。

私をちらっと見たあと視線をルシウスさんに移して話しかける。

 

 

「今日は手間をかけた」

「いや、実に有意義な時間だった。ミューゼは賢く愛らしい娘だ。今まで私に存在を隠していたのは許せんが ―― 」

「……」

 

「 ―― ここで引き合わせてくれたことには感謝をしよう、セブルス。ミューゼにはもう話をしたのだが、君に話を通すように言われてしまってね」

「……なんの話だ」

「ミューゼと、うちのドラコとは、将来似合いの夫婦になるとは思わないか?」

「……!」

 

 

勢いよく振り返った教授にギロッと睨まれましたよ!!

ってかルシウスさん、その話はさっきふつうに終わってたよね!?

教授をからかうつもりですか??

でもその被害がぜんぶ私にくるって、ほんとに判ってますか???

 

 

「……うちの娘はまだ12歳なんだが?」

「早すぎるということはあるまい。卒業までの6年などあっという間だ。婚約だけでも今のうちにしておいてかまわんだろう」

「断る」

 

「ドラコのどこが気に入らないというのかね?」

「……とにかく断る。これに婚約はまだ早い。 ―― 行くぞ」

 

 

教授は私の肩を無理矢理つかんでそのまま姿くらましをした。

っていうか文字通り逃げたんだろう。

家に着いたときのめまいの程度は行きの時の比じゃなかった。

 

 

 

てっきりそのままの勢いで怒られるんだと思ってたんだけれど。

教授はリビングへ着くなり私の肩から手を放して、なにも言わずに自室へ飛び込んでしまった。

 

 

(……なんか、距離を置かれてるとか、そういうレベルじゃなくなってきてる気がするんだけど)

 

 

とりあえず愛されてはいる、と思う、たぶん。

でも、もしも私が見かけどおりの年齢だったら、それすら疑いたくなるほどの逃げ方だったよ。

 

 

 

部屋で買ってきたものを整理して。

時間があったので新しい教科書を軽く予習していたところ、数日遅れで私の部屋に教授からの誕生日プレゼントが届いていた。

包みを開いてみれば、薄いグリーンを基調としたワンピースとほか数点の普段着だ。

私はさっそくワンピースに着替えて、髪も軽く整えて、教授の部屋へと向かった。

 

 

「教授、ミューゼです」

「……入れ」

 

 

ドアを開けると、教授の執務机一杯になにかの資料らしきものが広げてあった。

その向こうで顔を上げた教授に見えるよう、両腕を広げてにっこり笑う。

 

 

「教授、誕生日プレゼントをありがとうございました。いかがですか?」

「……ああ、似合っている」

「ありがとうございます。嬉しいです」

「用件がそれだけなら出て行きたまえ。我輩は今忙しい」

 

 

いやいや、忙しいのは見て判るけどさ。

 

 

「教授、さっきの話ですけど」

「ドラコ・マルフォイと婚約したいのかね?」

「いいえ、そうではなく ―― 」

「ならばなんの問題もあるまい。同じことを二度言われたいかね?」

 

「いったいなにを怒っていらっしゃるんですか?」

「怒ってなどおらん」

「では、せめて目を見て会話してくれませんか?」

 

 

教授はおもむろに立ち上がると、執務机をよけながら私の方へと歩いてきて。

まだまだ身長差のある上の方からギリッと私を睨みつけてきた。

 

 

「出て行きたまえ」

「……はい、失礼しました」

 

 

素直に言って教授の部屋をあとにする。

 

 

怒ってた?

……ううん、違う。

動揺してた、と思う。

 

 

 

教授の部屋のドアの前で思わず笑みを浮かべてしまった。

 

 

いわゆるあれだ、花嫁の父、ってヤツ。

いきなり娘の婚約の話なんて聞いたから、単純に動揺してただけだったんだ。

 

 

大丈夫、私はちゃんと愛されてる。

不器用だから態度に出にくくて、ちょっとしたことで疑いそうになっちゃうこともあるけど、まだまだ信じていて大丈夫なんだ。

 

 

 




お読みくださりありがとうございました。


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閑話・名前の由来

初の教授視点です。
過去と未来の二本立て。
二人とも3年生の終盤頃になります。



学生の頃に一度、不思議な幽霊を見たことがある。

確かホグワーツ3年生の終わりの頃じゃなかったかと思う。

 

 

 

その日僕は例によってポッターとブラックに絡まれていて、投げつけられた怪しい物体を端からぜんぶ魔法で消し去っていった。

この3年間で僕の魔法の腕はかなり鍛えられたと思う。

もっとも、不意打ちを食らってしまえば相手は2人、そうそうぜんぶ回避できる訳じゃなかったのだが。

 

 

「なかなかやるじゃねえか。でもこれは避けられねえだろ?」

 

 

2人は目くばせして何かの作戦を実行しようとしているらしいことが判る。

僕も杖を構えて、投げつけられる何かを見定めようと意識を集中させた。

 

 

その時だった。

ふいに目の前に1人の女生徒が飛び出してきて、僕の視界から2人の姿を隠してしまったんだ。

 

 

次の瞬間、僕の顔と胸になにかが当たって、ドロドロした感触とひどい臭いにまみれた。

一瞬の出来事だったけど何が起こったのかはしっかりまぶたに焼き付いていた。

2人が投げた糞爆弾が、飛び出してきた女生徒をなぜか突き抜けて、僕の身体に当たったんだ。

 

 

「やった!」

「ちょっと! 2人ともセブになにしてるのよ!」

 

「ヤベッ! エバンズだ! ジェームズ逃げるぞ!」

「え? リリー!?」

「早く来い! 捕まったら面倒なことになる!」

 

 

目が開けられずなにが起こったのかを見ることはできなかったが、声を聞いて察することはできた。

どうやらリリーが気づいて駆け寄ってきたのを見て2人が逃げ出したらしい。

リリーはすぐに杖を振ってくれたようで、僕の身体についた糞爆弾はきれいに清められていた。

視界が元に戻って、心配そうに覗き込んだリリーと僕は目を合わせた。

 

 

「セブ、大丈夫?」

「……ああ。すまない」

「悪いのはポッター達だもの。 ―― あなたは大丈夫? 怪我はない?」

 

 

後半は僕に向かって言われたものじゃなかった。

リリーの視線を追って首を動かすと、そこにはさっき目の前に飛びだしてきた女生徒が呆然と立ち尽くしているのが見えた。

 

……制服はスリザリンだ。

でも、僕とあまり年頃は変わらないように見えるけれど、同じ寮の割には見たことがない顔だった。

 

 

「今……私……」

 

 

彼女は自分の両手をじっと見ながら独り言をつぶやく。

おそらく彼女自身も見たのだろう。

自分の身体を糞爆弾が突き抜けていくところを。

 

 

僕は恐る恐る手を伸ばして、彼女に触れようとした。

でも、僕の手が彼女の感触を得ることはなかった。

伸ばした手は彼女の腕のあたりに触れたと思ったとたん突き抜けて見えなくなってしまったんだ。

 

 

「え?」

「……」

「嘘……!」

 

 

まるでゴーストのように身体を突き抜けてしまう。

でもゴーストのような冷たい感じはなくて、透き通ってもいなくて、見た目は実体とほとんど変わらない。

たとえて言うなら鏡の中から像だけが抜け出てしまったみたいだ。

彼女自身も驚いたようで、なぜか僕をじっと見つめたまま泣き出しそうな表情をしていた。

 

 

「私、どうして……」

「ゴースト、なの?」

「……判らない」

「そう。……でも、ありがとう。あなた、セブを助けようとしてくれたんでしょう?」

 

 

そうだ、彼女は、僕が2人に糞爆弾を投げつけられた瞬間、目の前に飛びだしてきた。

僕は彼女が邪魔でけっきょく爆弾を喰らうことになったんだけど。

彼女はたぶん、自分の身体を糞爆弾が突き抜けるとは思ってなかったんだ。

つまり彼女は、僕の代わりに糞爆弾を浴びるつもりで飛び出してきたことになる。

 

 

「私、グリフィンドールのリリー・エバンズ。あなたは?」

「あ、ミューゼ・ ―― ミューゼ、です」

 

「……セブルス・スネイプだ。スリザリンの3年生だ」

「……」

 

 

ファーストネームだけを名乗った彼女は、僕が名乗るとまたじっと僕を見つめて複雑な表情を見せる。

少し癖のある黒髪と、ブラウンの瞳。

……なぜか胸がドキリとした。

 

 

「ミューゼ。素敵な響きの名前ね」

「ありがとう」

 

「……毒草だ」

「え?」

「昔の文献に出てくる毒草の名前だ。失われてしまったのか、今ある草の別名なのか、詳しいことは知らないが」

 

 

頭に浮かんだことをなにも考えずに口に出してしまったのはたぶん照れ隠しだった。

ミューゼは一瞬キョトンとした表情をしたから、先に声を出したのはリリーで。

 

 

「セブ! なんてことを言うの!? 女の子の名前の由来が毒草のはずがないじゃない! きっと違う由来があるのよ ―― 」

「ふふふ……」

 

 

でも、隣のミューゼはなぜか嬉しそうに笑っていて、僕に対して怒鳴っていたリリーも驚いたように彼女を見つめた。

 

 

「ミューゼ?」

「あ、うん。たぶんそれが由来で間違いないわ。私、父に自分の名前の由来なんて聞いたことがなかったから。教えてくれてありがとう」

 

 

この日僕は、自分の名前の由来が毒草と聞いて喜ぶ女子と、初めて出会った。

 

 

 

僕たちは廊下から移動して、建物の外へ出た。

というのも、どうやらミューゼの姿は僕とリリーにしか見えないらしくて、通り過ぎる生徒が気づかずに彼女の身体をすり抜けていくからだ。

ゆっくり話を聞いてみようということで、僕たちはミューゼを人気のない場所へと誘導した。

移動中、ミューゼはあたりをきょろきょろと見回していて、自分の記憶の中の風景と照らし合わせているように見えた。

 

 

やがて暴れ柳が見えるあたりまで来て、ミューゼは足を止めた。

 

 

「……思い出した。私、暴れ柳に襲われたんだ」

「詳しく話してくれる?」

「うん」

 

 

僕とリリーは両側からミューゼをはさんで近くの草むらに腰を下ろした。

 

 

「私、ちょっとショックなことがあって、建物を飛び出したの。満月の夜だったけど、月は雲に隠れててあたりは真っ暗で。不用意に暴れ柳の前に飛び出したところを、追ってきた父がかばってくれたんだ。それで……」

「……死んだのか?」

「ううん。私は父がかばってくれたから怪我はなかったと思う。でも、父が重傷を負ってしまって。……私、父を助けたかった。だからいろんな呪文を、それこそ知ってるのも知らないのも、デタラメにいろんな呪文を唱えたの」

 

 

そのあとミューゼは意識を失って、気がついたらホグワーツの廊下に立っていたらしい。

通る人は誰もミューゼに気づくことはなく、歩いているうちに僕とポッター達のいさかいに出くわした。

僕をかばおうとしたのは本当にとっさに身体が動いただけだと言った。

その時はまだ、自分に実体がないことや、僕に自分の姿が見えていることは知らなかったのだろう。

 

 

薄く笑みを浮かべながら話すミューゼは終始落ち着いていて、そのことに僕は違和感を覚えた。

ふつうだったら、こんな奇妙な出来事が自分の身に起こったら、もっと慌てるなり取り乱すなり、違う反応があるんじゃないだろうか?

もしも僕がミューゼの立場だったらきっと今後の自分を思ってものすごく不安になるだろう。

もしかしたら僕たちの他にもミューゼの姿が見える人はいるかもしれないけれど、必ずしも先生達大人やミューゼの家族がその中に入っているとは限らないのだから。

 

 

 

「とにかく先生たちに相談してみましょう? ミューゼ、あなたはスリザリンの何年生なの?」

「3年生だけど、でもたぶん、私のことは誰も知らない。先生達も」

「え? 本当に3年生なの!? 私はグリフィンドールだから、百歩譲って知らなくても無理はないけど」

「僕も知らない。同じ学年ならはっきり言える。スリザリンの3年生に君のような人はいない」

 

 

ミューゼはリリーと僕を交互に見て、僕の方を向いたとき、少し遠くを見るような眼をして微笑んだ。

……なぜだろう、彼女は何もかも知っているように思えた。

まるでずっと年上の、人生のいろいろなことを経験してきた大人の女性のような感じがした。

 

 

「じゃあ、やっぱりミューゼはゴーストで、今よりずっと昔の人だってことなのかしら」

「ゴーストというより、たぶん生霊なんだと思う」

「生霊? それはゴーストとは違うの?」

「うん。私はたぶん死んでなくて、私が唱えた呪文のなにかが、私を私が知らないホグワーツに連れてきた。……たぶん、そういうことなんだと思う」

 

「……」

「だから心配しないで。きっとそのうち戻れるし、もしも戻れなかったとしても、私がいつかいちばん会いたい人に会えるって、2人に会って判ったから」

 

「意味が判らないわ」

「ふふふ……」

 

 

 

リリーの言葉を笑ってごまかした彼女は、立ち上がって数歩歩くと僕達に振り返った。

その笑顔に思わず見とれてしまう。

 

 

けっきょく彼女はいったいなんだというのだろう。

 

 

やがて。

 

 

「あ、ほら、もう戻るみたい」

 

 

彼女の周りに小さな光がキラキラと舞い始めた。

身体も少しずつ透けているようで、見る間に気配が薄れていく。

 

 

「会えて嬉しかった、リリー、セブルス」

「やだ、もう行っちゃうの? ミューゼ」

「うん。 ―― どうかあなた達2人の心が、互いにいつまでも寄り添っていられますように ―― 」

 

 

そう、最後の言葉を残して。

毒草と同じ名前を持つ少女は消えてしまった。

 

 

 

 

あれから僕はいろいろな文献を調べて、ミューゼという毒草がユリの花に似たきれいな白い花を咲かせる植物だということを知った。

たぶん彼女の名前はその花の名前にちなんで名づけられたのだろう。

無知というのは本当に罪深いものだと思う。

もしももう一度ミューゼが姿を現してくれたのなら、僕は彼女に伝えることができたのに。

 

 

リリーにその話をしたらやっぱり怒られた。

でも、それを知らないはずのミューゼがあの時嬉しそうな顔をしていた理由については、やっぱり僕にもリリーにも判らなかった。

 

 

 

 

そんなことがあったわずか2年後。

僕とリリーの間には、修復できない大きな溝ができてしまった。

僕は、最後にミューゼが言った願いをかなえることができなかったのだ。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

目覚めてあたりを見回して、私が横たわるベッドがホグワーツの保健室のものであることはすぐに判った。

ベッドを囲うカーテンは閉じられていたが、右隣との仕切りのカーテンだけは開いていて、そのベッドにミューゼが眠っていることにもすぐに気付く。

眠る前、最後の記憶は、暴れ柳に吹き飛ばされてケガをした時のものだ。

仕切りのカーテンが開いていた理由は、私が目覚めたあと真っ先にする行動が娘の無事を確かめることだと、マダムに見抜かれていたからなのだろう。

 

 

少なくともその程度には娘を愛している自覚はある。

そしておそらく、娘が目覚めて取る行動が私とさほど変わらないだろうと思える程度には、彼女に愛されている自覚もあった。

 

 

身体に多少の違和感はあるが、傷のほとんどは治っていることを確認して、私はベッドから降りて立ち上がる。

眠る娘の脈と呼吸を診て、ケガがないことも確かめてほっと息をついた。

そして、先ほどまで見ていた過去の夢を改めて思い起こす。

もしかして今、彼女の心は20年前のあの日を経験しているとでもいうのだろうか。

 

 

(もう、顔もはっきりとは覚えてはいないが)

 

 

覚えているのは、少し癖のある黒髪と、ブラウンの瞳。

すべてを悟っているような、大人びた微笑み。

娘の成長とともに、あの日の幽霊が自分の娘だったのではないかとこれまで考えなかった訳ではない。

だが、まさかあの時彼女が語ったのと同じ状況に自分が陥るとは夢にも思っていなかった。

 

 

私の簡易の健康診断は、娘を起こすだけの刺激としては十分だったらしい。

目を覚ました彼女は、私を見て心配と安心が入り混じったような表情で微笑んだ。

 

 

「教授、おはようございます」

「ああ」

「あの、お怪我は、大丈夫ですか?」

「問題ない」

 

 

私の答えを聞いて、彼女もすぐにベッドから身を起こした。

部屋の中を一通り見まわしてすぐに現状を把握したのだろう。

明らかにほっとした様子で、私にはっきりとした笑みを見せて言った。

 

 

「助けてくださってありがとうございました」

「……いや」

 

「教授、私、夢を見ました。ホグワーツ3年生の頃の教授の夢でした」

「すぐに忘れなさい」

 

 

急に恥ずかしくなる。

あの頃の自分が子供だったのは理解している。

そんな、子供じみた自分の姿を娘に見られるというのは、想像していた以上に気恥しいものだと気づかされた。

 

 

「判りました。……でも、ちょっと惜しいです。夢の中で、教授が、私の名前の由来を教えてくれたので」

 

 

彼女が夢の中で聞いたのは、ミューゼという名前の毒草がある、ということだろう。

あの時何も考えずにそう口にしてしまったことを後悔していた。

あれ以来会うことができなかった幽霊に、謝罪や訂正の機会は与えられなかったのだ。

 

おそらく今がそのときなのだろうと思った。

 

 

「花の名前だ」

「……え?」

「小さな、白い花だ。……形はユリに似ている」

「……」

 

 

一瞬、彼女の瞳が悲しげに揺らめいたのを見たような気がしたが。

すぐに笑顔に変わったため、私はそれを見間違いだと思った。

 

 

「そうだったんですね。教えてくれてありがとうございます。うれしいです」

 

 

あるいは会話しているうちに思い出したのかもしれない。

眠る前、彼女にとって衝撃的な出来事があったということを。

 

 

 

いちどだけ頭を振って。

私は、彼女が暴れ柳の前に飛び出す原因となった出来事、彼女を傷つけた過去の事情について、説明を始めた。

 

 

 

 




もう一つの方の作品があまりに書けないのでリハビリです。
以前書いてあった教授視点の話に加筆して、なんとなく閑話っぽく。
前半が過去に書いた分で、◇のあとが加筆分になります。


作者視点での主人公の名前の由来ですが、

名前 → 音読みでミョウゼン → 名前っぽくしてミューゼ

って感じなので超適当です。

主人公が傷ついた事情については長い上に面倒なのでカット。w


 


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