ナーサリー・ライム 童話の休む場所 (らむだぜろ)
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プロローグ 何時もどおりの日常

 

 

 

 

 その日も普通に、彼女達の世話をする。

 それが今の私の役目であり、今の私のできること。

 だから、今日も精一杯努めよう。

 私が、私でいられるうちは。

 

 

「ふああああああーーーーーっ!?」

 

 

 ……うん? 今の声、誰だろう?

 よく聞こえなかったけど、ピンチみたい。

 まだ悲鳴上げている。早く行くか。

 全く、みんな本当に世話の焼けるんだから。

 仕方ないなぁ、もう……。

 

 

 

 

 

 私の名前は一ノ瀬亜夜(いちのせあや)

 決して珍しくもない、ただの高校生だと自分では思う。

 学校行って、ご飯食べて、お風呂入って、ゲームして遊んで、寝る。

 そんな有り触れた日常を生きているだけの、ただの子供。

 お母さんもいるし、お父さんもいる。幸せだと思う。

 平凡が、一番良いってことは知っているつもり。

 非日常とか、戦いの世界とか、そんなのは真平御免。

 私はこの連綿と続く時間が好き。ここにある世界が好き。

 周りの友達は年頃だろうか、そういうもののゲームやら本やらを好んでいた。

 面白いものは面白かった。娯楽としては。

 ただ、感情的には理解できないからそれ以上にはのめり込むことはなかったけど。

 やっている日々があるから楽しいのだ。

 自分が万が一、天と地が引っ繰り返ってその当事者になったらと思うと、正直怖かった。

 そんなのは願い下げだと思うから。

 その日は新しい無料プレイ出来るオンラインゲームを、携帯ゲームで探していた。

 良い時代になったものだ。ネット環境さえあればタダでゲームができる。

 私はその日もストアを物色していた。そしたら、面白そうなものを見つけたのだ。

 『ナーサリー・サナトリウム』というタイトルのゲームだった。

 レビューは参考にしていると、どうやら悪い魔女に呪いをかけられた童話の登場人物達の世話をするゲームのようだ。

 私の知っている童話の少女、少年たちの世話をしながら幸福にして、呪いを跳ね返すという内容。

 悪くなかった。私はファンタジーは嫌いじゃない。

 基本プレイはタダだから、と私は早速ダウンロード。

 ワクワクしながら、アプリを起動した。

 そして、いざプレイ……と思ったんだけど。

 そこで急に、私は眠気に襲われた。

 夜更ししすぎたと、その時は思った。

 夜遅かったこともあるし、寝落ちだけはまずいと思ってゲーム機の電源を落とした。

 そのまま、自分の部屋で、机に突っ伏すように眠ってしまった私。

 次に意識が覚醒したのは、誰かに呼ばれている声だった。

 

「……さい。……げん、……覚ま……て……さい」

 

 目を覚ませ。いい加減、目を覚ませ。

 そんなことを言われる筋合いはない。

 ここは私の部屋だ。

 そして、私はもう家事も何もかも終えて好きにしていいはずだ。

 明日は学校休みだし、もう少し寝ていてもいい。

 でもその声は、聞き覚えのない女の声。

 怪訝そうに、目をこすりながら私を顔を上げた。

 そこには、見覚えのない光景と、見覚えのない女性の顔があった。

 私を見て、その人は笑顔で言った。

「目覚めましたか? では、おめでとうございます。貴方は職員に採用されましたよ」

「……」

 何を言ってるんだこの人。

 というか、これは夢か。よし、寝直そう。

 また突っ伏す私。

「話聞いてください。確かにここは夢の中で合ってはいますが、然し逃避しても向こうには帰れませんよ?」

「……?」

 何を、言っている?

 ここは夢の中? 夢なのに、覚めることがない?

 ちょっと興味の出てくる話だった。

 どうせ夢なら聞いてもいいだろう。

 好奇心が勝って、私はもう一度顔を上げた。

「あの、誰ですか?」

 私が問うと、看護師の姿をした女性は笑いながら答えた。

「私の名前ですか? ライムという名前ですよ。一ノ瀬亜夜さん?」

「こっちの名前まで知ってるなんて、流石夢ですね」

「ええ。履歴書は見せてもらいましたから。おめでとうございます。一発採用です」

「……履歴書?」

 そんなもの書いている訳がない。

 バイトなんて出来る身体していないのに。

 起き上がって、首を傾げる私にそのライムと名乗る若い女性は一枚の紙を見せた。

 ああ、これは確かに履歴書だ。

 そこには私の住所氏名年齢、事細かに個人情報が書かれている。

 そして最後に採用、という判子が押されている。

 どういうことだこれは。何という超展開の夢。

「……なにゆえに?」

 呆然とする私に、その人は語る。

「貴方は、眠る前にゲームをダウンロードしましたね? あのゲーム、実は素質ある人を見つけると、自動的に夢の世界にご招待する機能があるゲームなのですよ」

「……はっ?」

 えっ、それはつまりどういうこと?

 私は、どこにいるんだ?

「簡単に言うと『不思議の国のアリス』と似たような感じですね。ここは、不思議の国と同義の、夢の国。貴方は素質のある、選ばれた人だということです。やって欲しいことはただ一つ。みんなを幸せにしてください。そうすれば、元の世界に戻れます」

 夢の世界だとしても荒唐無稽な話だ。

 つまりはアレですか?

 友達が言っていたような、違う世界に飛ばされてしまったとかそういう展開?

 しかも否応なしに?

 私は疑問に感じたそれを聞くと、あっさりと微笑みと共に首肯。

 事実だとすれば、私は……出られない。いうなれば、夢の世界にとらわれた。

 困惑から一転、絶望に叩き落とされた。

 いや、実際私は見覚えのない部屋にいて知らない人に言われている。

 まるで病室のような白一色の室内。

 そこの机に突っ伏す、寝巻き姿の私と看護師のライムさん。

 これは間違いなく現実だ。

 机の感触、鼻腔をくすぐる特有のニオイ、どれをとっても確実だと私に知らしめる。

 逃げ出さないでここで役目を果たせ。

 採用って……まさか、ゲームと同じことをすればいいということなのか?

「そういうことです。貴方も既に彼女や彼らと共に、同じ状況になっているんですよ?」

 ……同じ? まだ、何かあるというのか?

 確かレビューでは悪い魔女に童話の登場人物達は呪いにかけられて、それぞれ苦しんでいる。治せない呪いのせいで、サナトリウムにいるのだと。

 私も……まさか。そうだというのか?

「私はここで数少ない、『外』を感知出来る存在です。ですので、ここにいる患者さんたちが元々はなんであるか知っています。魔女の出てこない『童話』でも、条件は同じなんです。貴方も、呪いの餌食になっています。ただ例外なのは、貴方は地力でそれを治せる状況にいるのと同時に、他の患者さんの呪いをも解ける稀有な人。要するに、貴方はこのサナトリウムの救世主。医者ですら延命しかできない、呪いという難病を癒せる数少ない人なのです」

 その言葉を聞いている限り、私以外にもどうやら似たような感じの人間はいる。

 ニュアンス的に、そう感じる。思い切って問う。

「私以外にも、いるんですか? その同じ立場の人が」

「おや、鋭いですね。初対面でそれを聞いてきた人は初めてです。答えはいますよ。まだ数名程残ってらっしゃいます。一部はもうそちらの世界に帰っていますが」

「……帰れるんですね?」

「ええ。役目さえ果たしてもらえれば」

 成程、帰れるならそれでいい。

 衣食住はこちらで用意するから、強制で働かせる代わりに給料も出すし、ある程度の自由は保証するという。脅している割には、随分と寛大だった。

 拒否しても逃げる場所はない。私は諦めてその条件を受け入れた。

 ここまで包囲されて嫌がることを出来るほど、私は感情的にはなれない。

 どこか、理屈で諦めるのが得策だと判断していた。

「あと、私の呪いとはなんですか?」

 肝心なことを聞き忘れていた。

 呪いは私にも降りかかっているという。

 それは一体何だ。

「見れば一発でわかりますよ」

 そう言って、ライムさんは私の背後に回った。

「じっとしていてくださいね。多分、自分じゃあ一体化していてわからないと思いますが」

 失礼しますと一言言うや、背中に手を突っ込んで、何かをまさぐる。

 くすぐったくて抵抗する私。だが、そこで違和感を感じた。

 何か背中に、変な感触が……ある。同時に一瞬、鋭い痛み。

「いたっ」

「取れましたよ。これが、亜夜さんの呪いの正体です」

 正面に戻ってきたライムさんの手には……。

「これは……」

「見てのとおり、青い羽根です。今、亜夜さんから採取しました」

 一枚の青い羽根だった。それを見せびらかし、言われる。

「あなたの呪いは『幸せを呼ぶ青い鳥』。呪いが進行すると、亜夜さんは孰れ、人をやめて青い鳥となり、鳥かごに入れられる。逃げないようにしないと、貴方はこの世界を宛もなくさまようことになりますからね。それが嫌なら、みんなに幸せを呼んでください。そうすれば自然とあなたも幸せになって、呪いは跳ね返されて人間に戻れます。既に亜夜さんの背中には翼があるんですよ。まだ、小さいですけどね。あんまり放置しておくと、その翼はあなたを蝕みます。最終的には、縮んで鳥になる訳ですよ」

「……」

 私まで『童話』に巻き込まれているのか……。

 徐々に鳥になる、それが私の呪い。

 私はラッキーアイテムの代わりにされてしまうのか。

 そんなの、冗談じゃない。

 鳥になんてなってたまるか。何でもしてやる。

 私はライムさんにやるという旨を伝えた。

「あと、不思議なことに貴方は『魔女』としての才能もあったみたいです。何故か強大な雷の力まで宿していますね」

「……魔女、ですか? 私が?」

「みたいですねえ……。履歴書にはそう書いてあります」

 これには、ライムさんも予想外のような顔をしている。

 私は童話で言う幸運の青い鳥であり、同時に雷の魔法を操る魔女でもある。

 どんな状態だそれは。

「うーん……。弱りましたね。魔女の素質がある人は初めてです」

「そうなんですか?」 

「ええ。然し、参りました……。魔女はここでは酷く嫌われます。無論、理由はわかると思いますけど」

「加害者、だからでしょう?」

 患者に呪いをかけたのは魔女だという。

 私自身にはその力はなくても、ひとくくりにされたらおしまいだ。

 私まで、加害者一味にされてしまう。

「お察しの通り。亜夜さんは賢くて助かります。下手にごねられると、こっちも迷惑ですんで」

 面倒そうに、ライムさんは溜息をついて、肩を竦める。

「どの口が言うのでしょうね……」

 無理やり連れてきて働かせるなんて、殆ど奴隷と同じじゃないか。

 今の風潮では喜ぶ人もいるんだそうだが……嫌な時代でもある。

 その他、必要なことを確認しておいた。

 私は役目を終えるまでは戻れず、現実世界の身体は勝手に元の生活を続けているらしい。 

 意識ないのによくやる。

 でも、それで大騒ぎにはならなさそうなので正直ありがたい。

 必要事項は、その都度ライムさんに聞くとして。

 サナトリウムと言っても、普通の暮らしを真似ているらしいのでそこまで気張る必要もないと言われた。日常の延長線上、か……。

 私は今日から、このサナトリウムで働くことになった。

 やるしかないなら、やれるだけやってやる。

 そう、決意して。

 ……本当に大変だとすぐに、思い知らされることになるわけだが……。

 

 

 

 

 

 

 私は、態度悪いんだろうか。

 姉妹も兄弟もいないから、接し方なんてわからない。

 もっと話を聞くべきだろうか? 難しい。

 私の主な仕事は、ここにいる子供の世話だった。

 色々な雑務をこなしつつ、コミュニケーション取るのが内容。

 お風呂の手伝いもするし、食事もつくるし、遊び相手もするし、勉強まで見ている。

 私が世話をすることになったのは、数名の女の子たちだった。

 ここは沢山の子供たちが入所しているようだったが、私以外にも職員はいるようだった。

 専属であれやこれやをしてあげていた。

 当然のことながら、突然採用された私に反感を覚える子もいる。

 入って早数日。毎日、衝突の繰り返しだった。

「あたし、そんなのやりたくない」

「正直、私もやりたくないです」

「なんで!?」

「同じ理由で」

 あの子達の名前で説明しよう。

 私の相手している子はアリス、ラプンツェル、グレーテル、マーチの四人だ。

 それぞれ『不思議の国のアリス』、『ラプンツェル』、『ヘンゼルとグレーテル』、『マッチ売りの少女』の主人公の女の子たちである。

 同室で暮らしているらしい彼女たちの新しい担当として入ったはいいが、先ずアリスという女の子と日々揉めている。

 この子、凄くワガママだった。

「そんなん、亜夜がやってよ。あたし達の担当なんでしょ!?」

 何処かで見たことのあるようなゴスロリ姿に、セミロングの金髪を揺らして青い瞳で私をにらんだ。

 一応、名前では呼んでくれるし、何だかんだで話してくれるのでまだいいけど。

 他の職員に聞いたところによると、アリスは一切口を聞かないのだという。

 困ったもんである。

「自分でやることぐらい自分でしてください。担当だからってホイホイ言うことを聞くと思ったら大間違いです」

「あーもう、分かった! 勉強するからオヤツ頂戴!」

「よろしい。買い物から付き合ってくださいね。量は多めにするので」

「……えー……。まぁ、いいよ。うん、分かった。多めにしてよね」

「はいはい」

 ワガママを私はあまり聞かない。

 前の担当とは相当仲悪かったと本人は言う。

 今日も勉強したくないというので、私もアリスのオヤツを作るの嫌だと言い出して、数分揉めて互いに妥協した。

 アリスは勉強する、私はおやつ作る。それで和解。

 買い物付き合う分、みんなよりも多めに。

「……亜夜はさ、なんでこんなところで職員なんてやってんの?」

 机に座ってアリスの隣に座り、ノートを見下ろしながら私に聞くアリス。

 一応、アリスには私の呪いのことを話している。

 無論、魔女のことは秘密だ。

 知りたいとアリスにせがまれて渋々説明しておいた。

「仕事がなかったもんで」

「えー。もっとマシな仕事選びなよ。あたしからすればさぁ、こんな辺鄙な病院勤めたってろくなことないよ?」

「でしょうね。ま、私も嫌々ですから。っていうかアリス知ってますよね」

「あー、同じだったっけ? あたしは軽いほうだからいいけど」

 アリスは口が悪い。私も口が悪いが、彼女も相当だ。

 人の悪口を言うわ言うわ。

 私も言うので、そこは気が合う。

 イヤな奴の陰口で盛り上がるなんてことはざらだ。

 彼女の呪いは『本人の精神状態に情報が左右される』というもの。

 気分が良いときはプラスに、悪い時は全部マイナスに五感から入る情報が傾くらしい。

 だから、悪いときに下手に刺激すると曰く最悪になると聞いた。

 これで軽い方。

 確かに他三人は教えてもらったがトラウマ持ちなので余計にやりにくかった。

 特に魔女関連の二人には、気を遣う。

「鳥になる、ねえ……。幸運を呼ぶって意味じゃあ、あたしはラッキーかもしれない。亜夜とはあんまし揉めないし」

 互いに引くべき一線を自覚しているから揉めないのだ。

 アリスの精神状態はここのところ安定している。

 と、アリスからは伝えられている。

「相性は悪くないです、私達」

「亜夜がもっとあたしの言うこと聞いてくれればね」

「アリスが私の言うこと聞いてくれれば尚、いいんですけどね」

「えぇー……。あたしにこれ以上どうしろっていうのよ」

 アリスは我侭だ。だが、同時にそこまで愚かでもない。

 ちゃんと、言うべきことは言えるし、見るべきことは見ている。

「別に今のままでもいいですよ。私はワガママ言うなら言い返すだけですから」

 バランスは取れていると思う。

 振り回されても私も言い返しているので釣り合っている。

「……そいえばあたしのこと、怒ったりとかしないよね亜夜って。なんで?」

「何でも怒ればいいってもんでもないでしょう」

 ふと私に聞いてくるアリス。確かに一度もまだ怒っていない。

 アリスみたいなタイプは怒ると余計にムキになって反抗する。

 だから、適当に合わせておけばそれ以上は言わない。

 彼女はそこまで馬鹿じゃない、と思うから怒らない。

 大体、私が何とかすればどうとでもなるレベル。怒るほどでもない。

「あんたとは、やっぱし上手く行きそう。そんな気がする」

 彼女は私に言う。アリスとは、立場の前にどっちかっていうと気の合う友達。

 他の職員よりも接しやすいと言われた。

「亜夜だけなのよね。あたしに付き合ってくれるのさ」

「自覚あるならほどほどにしておくように」

「やーよ。これがあたしだもん」

 やれやれ……。

 不思議の国の主人公は、ワガママな性格をしている女の子だった。

 それに付き合う私。新しい日々は、まあなんとかやっていけている。

 まだ、私の日々は始まったばかりだ。明日も、頑張っていこう。



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情けないと思う心

 

 

 

 

 童話には、魔女がよく存在する。

 ヘンゼルとグレーテル、白雪姫、いばら姫。

 結構な確率で魔女というワードが出てくる。

 が、その扱いは大抵、悪者という一面が強い。

 ヘンゼルとグレーテルとは別として、姫君が出てくると大体は嫉妬で本人は何も悪くないのに呪いをかけてくる。

 しかも下手しなくても死ぬし。

 勝手な理由で呪殺を平然とする。余りにも身勝手な女である。

 この世界に置ける『魔女』という存在は、人類史に多大な影響を及ぼす害悪。

 入所者の子供たちに聞いた。

 魔女ってどういうものなのか、と。

 すると案の定、邪悪で醜い女たちというイメージが返ってきた。

 世間には『魔女狩り』という法律が存在するんだそうで。

 魔女は見つけ次第、何が何でもぶっ殺せ。要約するとそういうことだ。

「……」

 えっ、私にも死ねってことですかこれは。

 私も一応、魔女らしい。自覚ないし呪いなんてできないけど。

 怖くなってライムさんに聞いてみた。魔女は最終的にどうなるのかと。

「うーん、バレたら即、殺されますね。大凡ですが、公衆面前で磔からの丸焼きでしょう。よくあるじゃないですか。そちらの世界の人類史にも魔女狩り、あったらしいですね。私はよく知りませんが、そのへんは亜夜さんの方が詳しいのでは?」

「……」

 古い時代には怪しい女は片っ端からそうやって処刑していったらしいが……。

 私、何も悪くないのに。事実、私の世界には魔法もなければ呪いもない。

 根も葉もない事実無根の罪で彼女達が殺されていったのは歴史が証明している。

 キッパリ否定できるモノがある。

 が、こっちではそうとも言えない。

 こっちには魔法も呪いも存在するのだ。

 そうとなれば、言い逃れできず強引に処断されてしまう。

「私もバレれば……」

「例外には出来ませんよ、きっと。感情的に忌避されていますから。例外など有り得ません。グレーテルさんも、ラプンツェルさんも、魔女と聞いた途端に怯え出したでしょう? アレは、魔女に巻き込まれて酷い目にあったこの世界の一般人の反応です。魔女は、悪です」

 魔女は人を喰う。人を呪う。人を惑わす。だから、悪。

「ですが、亜夜さん。貴方は同時に呪われた被害者でもあります。背負っている翼が、その証。知らないと思いますが、魔女が魔女を呪うことは通常、やりません」

「えっ?」

 ライムさんが説明してくれた。

 魔女は普通、呪いをかけるのは人間だけだという。

 理由として先ず魔女は呪いに精通している。呪解のやり方も当然知っている。

 だからどんなに強い呪いをかけても自分で解いてしまい、効果がない。

 魔女は前提として寿命が長い。時間なんて有り余っている。

 嫌がらせにもならない無駄なことを、賢い魔女がする訳がない。

 故に解くこともできない、逃げることもできない人間にするのだ。

 なのに私は呪われている。人をやめ、鳥になるかもしれない呪いが蝕む。

「貴方はその定義から外れているのは当然です。『外』の世界から来てますからね。でもそれを知っているのは私含めて一部だけ。『魔女』の素質があるだけで、生粋の『魔女』じゃないんですよ、亜夜さんは。ですので、知らない人には貴方は呪われている人間として扱われることでしょう」

 そりゃそうだろう。

 私は人間だ。

 然し、それでも。

「でも……。私は魔法が使えますよ」

「そんなの、才能あれば人間だって使えますよ」

「えっ!?」

 どういうことだそれ。

 聞いて脱力してしまった。

 童話には、よく『魔法使い』と言う単語も出てくる。

 シンデレラとか思い出せばよくわかる。

 舞台に連れていったのは謎の魔法使いだったはず。

「貴方は恐らくバレても『魔法使い』扱いですよ。魔女は魔法は使えません。出来るのは呪い。この世界じゃ『魔法』と『呪い』は別物です。魔法は光の力、呪いは闇の力という区別がついているんです」

「はぁ……」

 どういうことかというと、魔女が使う超常現象の類は全て対象が人に特化している。

 対して、魔法はそれよりも汎用性のあり、様々な用途で使える。

 成程、そういう区別だったのか。

「ですので、貴方は『魔女』の素質があることさえ黙っていればいいんです。あくまで、素質。呪いを使おうと思えば使えますが、覚えていないのなら単なる魔法使い。そこまでビクビクする必要はありません」

 私の雷の魔法は、魔法使いとして処理されていく。

 気楽に行けばいいと言われるが……やっぱりそこかで一抹の不安を残す。

 呪いをするつもりなんてない。呪う相手もいない。

 だけど自分がそういう才能があることだけは、覚えておく。

 決して、そちら側には流れないように気をつけながら仕事に戻った……。

 

 

 

 

 

 呪いには、様々な種類があると知った。

 私の『鳥になっていく』呪い。

 アリスの『精神状態で情報が傾く』呪い。

 それに加えて、他にも私が面倒を見ている三人は別々の呪いがあった。

 アリスは自分の呪いは軽いという。

 確かに他の子供に比べれば遥かに軽いだろう。

 他の子達は、多くが生命に関わる重大な呪いだ。

 私が面倒を見るうちの一人、マーチという少女がそれに当て嵌る。

 マッチ売りの少女の主人公である彼女の呪いは『ずっと寒さに凍える』呪い。

 周りが夏だろうと温泉だろうと関係ない。

 本人は、ずっと凍えそうな寒さを味わっている。

 放っておくと体温が下がって凍死するとライムさんから聞いている。

 童話通りだといえばそうだ。

 最期彼女は、雪の中で一人孤独に、凍え死ぬ。それが結末。

 どうやら呪いの中には元になった童話が影響している子もいたようだ。

 アリスのそれは情報。なぜなのかよく分からない。

 が、ある程度予想はついた。

 多分不思議の国での出来事を終わったあと、元の世界に戻ったハズだ。

 というか、今の私と同じ夢オチだった気がする。

 そして、周囲の大人達に夢の内容を説明したと思う。

 無論、誰も真剣に取り合う訳がない。少女は知っただろう。

 あの体験は、一体何だったのかと。

 自分が信じるものを誰からも否定され、挙句には異常扱い。

 きっと精神的に不安定になったに違いない。

 そうなると他人から来る情報が精神がマイナスのせいで被害妄想的になっていく。

 それが原因じゃないかな、と。

 語られない童話の結末後の想像だ。

 そのとおりとは限らないし、私も自信はない。

 私はラプンツェルも面倒を見ている。

 彼女は『髪の毛がすごい速さで伸びる』呪い。

 一見すると困るか? と思うだろう。実は凄く困る。というか困ってる。

 一日に大体、伸びるのか。それを先ず調べないといけない。

 泣きじゃくる彼女をアリスと一緒になって押さえつけて計測したところ30センチは伸びていた。髪の毛が伸びるには栄養がいる。栄養を出すには食べないといけない。

 どこか一つでも欠けるとどうなるか。ラプンツェルは飢餓で倒れる。

 彼女も命懸けだ。

 食べ続けないと、生きていくエネルギーを髪の毛に吸収されていくのだ。

 髪の毛は童話通り、凄く長い。

 際限なく伸び放題伸びてしかも本人から栄養を根こそぎ奪っていく。

 挙句には手入れも大変だし、彼女は髪の毛を触られることを極度に嫌がる。

 見事な三重苦の出来上がり。たまったもんじゃない。

 前だってアリスが渋々手を貸してくれなかったら失敗していた。

 ……今頃きっと、嫌われているので既に手遅れだろうけど。

 一番マシなのはグレーテル。

 彼女は『食べたもの全てがお菓子の味になる』呪い。

 食事は人生の楽しみだ。それを魔女はどうやら奪ったらしい。

 グレーテルはモノを最低限しか食べない。

 過去に辛い経験をして、お菓子というものがトラウマになっている彼女には食事は苦痛でしかない。

 何を食べても味が、嫌でもその時のことを思い出させる。

 毎日毎日トラウマをほじくりかえされていれば孰れ精神が病む。

 前の担当は本当に杜撰な世話しか、してなかったようだ。

 私が来た当時は、四人とも酷かった。

 グレーテルは荒んでおり、アリスは敵意剥き出し。

 ラプンツェルは歩く汗臭い毛玉で飢え死に一歩手前、マーチも凍死寸前だったのだ。

 一週間ほどかけて、死物狂いで彼女たちが死なないように私は頑張った。

 何度もアリスやグレーテルに罵倒されて、ラプンツェルやマーチに逃げられながら。

 そして気付く。

 私、自分でも知らぬところで世話好きでお節介でお人好しだったようだ。

 あの子達に何を言われても何をされても仕方ないで許している。

 おいまて、私はこんな感情的な生き物じゃない。

 どっちかっていうと屁理屈を言う嫌味な奴じゃなかったか。

 学校のクラスメートにも散々言われてきたのに。なぜこうなっている。

 ……自分でも知らないことって意外に多い。

 こっちにきて仕事するようになって、初めて気がついた。

 で、ここのところ激しく動きすぎたらしい。

 元々私は身体がそう、丈夫じゃない。

 むしろ病弱のモヤシだ。

 そんな私が連日働けば、ツケはこうなる。

 私はこの日、高熱を出して仕事中に倒れる羽目となった。

 

 

 

 

「……やれやれ、世話の焼ける奴よね。こんなになるまで働いてさ。馬鹿じゃないの」

 私が与えられた自室で寝ていると、何とアリスが訪ねてきて、逆にアレコレ助けてくれていた。あのワガママアリスが、と他の職員は信じられない顔で見ていた。

 部屋の片付けを、不器用ながらしてくれた。

 食事の用意も、首を傾げながらもしてくれた。

 指示を飛ばしても失敗したのはご愛嬌。

「すみませんね……アリス。解熱剤を飲んでいるので、もう少ししたら私も向かいます」

 休憩室にあった薬を飲んで数時間寝ていて、ある程度は回復した。

 起き上がって何とか仕事に復帰しようとすると、アリスに怒られた。

「無理して何になるの。今の亜夜が何かしても二度手間になるだけっぽいし。あいつらは勝手にやらせておけばいいの」

 アリスは他の子達とすごく仲悪い。

 前から波長が合わなかったとか。

 私が来る前はあの場所は誰もが安らげない、緊迫した状態だったと聞いている。

「そうも、いかないでしょう。私は……職員です。私の仕事、ですからね」

 そう、これは仕事だ。しなければいけないことだ。

 さもないと、私は鳥になる。それだけは避けたいから、無理だってする。

「仕事、仕事って。亜夜、自分の身体見てみなさいよ。顔は真っ赤、呼吸は熱っぽい、それで何ができるの? 杖ついて普段から歩いているようなあんたに出来ることなんて、そもそもが少ないじゃない。ここ二週間、頑張りすぎ。だから倒れるんでしょ?」

 アリスはエプロンドレスに腰を当てて、横になる私を見下ろして呆れていた。

 こちらに着て二週間程経過した。

 アリスとかなり早く打ち解けてきていたのが、せめてもの救いだった。

 アリスは子供っぽいワガママばかり言って手を焼かすが、それだけ。

 あとは特に素行に問題もない、至って普通の女の子。

 それを理解したから、仲良くなれたのかもしれない。

 道理で、表面ばかりを見ている印象を受けるほかの職員とは相容れないハズだ。

 バイトの経験すらない私が上手く出来たのも、アリスの支えがあったからだった。

 私は先天性で足の骨に奇形があり、上手く歩けない。

 学校に行く時もバス通だったし、杖を片時も手放すことはなかった。

 挙句には身体が根本的に弱いので、すぐ倒れる。

 今までは、助け合ってなんとかしてこれた。

 でも、多少の無理を押したらこのざまだ。

 情けないというか、何というか。自分のためとはいえ、もう少し頑張れないものか。

「どうしても、って言うならあたしが亜夜に手を貸してあげるわ。これ以上無理されてもこっちも困るからね。ったく、ホント職員に向いていないね」

「すいません……。世話をする職員がこのざまで……」

「あんたの場合は無理しすぎ。謝る前に休みなさいよ」

 多少フラフラするが動けると言えば動ける。

 私は立ち上がってスリッパを履くと、軽く着替えて移動開始。

 仕事を再開しなければ。アリスが着替えを手伝ってくれた。

「あーあー……。よくみたら酷いわね、背中」

「そこまでひどいですか……?」

 私の背中を見たアリスが嫌そうに言う。

「ええ、酷いわよ。痛くないの、この翼?」

「痛み……? いえ、全く」

 翼は私の意思じゃ動かない。動かし方がわからない。

 普段は折り畳んで服に収納しているだけ。

 お風呂に入ると湯船に青い羽根が浮かんで気持ち悪かったり、抜け落ちた羽根が歩いたあとに点々と残っていることぐらいが被害だ。

「ちょっと擦れただけで抜け落ちて、抜けたら抜けたですぐ生えてるわ。どうなってんのよ、亜夜の身体」

「……さぁ?」

「分かったら苦労しないわね、お互いに」

 呪いの影響で、こんなふうになっているのだ。

 仕方ない。頑張ればどうにでもなるんだ。気にしても意味がないから。

「こんな状態の亜夜に世話させてるのね、あたし達……」

 後悔のような、そんな小声。

「気にしないでください。仕事、ですんで」

 私は振り返って、ぎこちなく笑顔で答える。

 そう、仕事だ。いやだとか言っていられない。

「……他の連中ならどうでもいいけど、亜夜ならそうも言ってられないでしょ」

 アリスは着替えた私を見て、腕を組み睨め上げる。

「あんたが良い人だってもう分かったから。あたし、なるべくあんたが大変なときは手伝うわよ。だから、無理して倒れるのだけは勘弁して。迷惑よ」

 そう言う割には、心配してくれているような表情。

 心配させてしまったのだろう。申し訳ない。

「すみません。助かります、アリス」

「礼はいいわ。それよりも、あいつらの様子を見に行くんでしょう?」

 アリスは私に付き添いながら、部屋を共に出る。

 これではどちらが世話をしているのか分からない。

 アリスが、鍵をかけて廊下を歩き出す時に、小声で私に語りかけてきた。

「亜夜、黙って聞いて。あんたがあたしのワガママ聞いてくれるのは凄く嬉しいわ。でも、あんたが倒れたら意味ないじゃない。お願い、無理しない程度にして。怖いよ、あたし。亜夜がそのまま居なくなりそうで。あいつらみたいに帰ってこないのが」

「……」

「あたしの勉強見てくれるのも、一緒にお茶会してくれるのも、もうあたしには亜夜しか居ないの。やめて、居なくならないで。猫も、兎も、帽子屋も、友達だって言ってくれたのに居なくなっちゃった……。そんなのあたし、いやだよ」

 本当に嫌がるように、私に縋るアリス。

 涙を瞳に浮かべていた。

 まさか、呪い?

 心配という感情にまで影響するのか、この呪い。

 動揺で精神が傾いて、変なふうにアリスに伝わったのかな。

 猫? 兎? 帽子屋?

 アリスには、そんな友達がいたのか?

 チェシャ猫達のことだろうか。

 気の狂った兎と帽子屋、得体の知れない猫。

 それが、友達とは……。

 凄い事をしたものだ、この主人公(アリス)は。

 何も言わないで、というのは今何かを言われても本当の意味で理解できないから。

 アリスは頭のいい子だ。

 よく自分の呪いに関して、分かっている。

 五感の情報が傾く。どんなことでも、マイナスに。

「……」

 今、私にできること。

 ほほ笑みかけることでも、手を握ってあげることでも、何かを言うことでもない。

 ただ、何も言わず、何も浮かべず、共にいることだ。

 情報をアリスにぶつけてはいけない。

 不安定な心に、刺激を与えてはいけない。

 今は、やらせたいようにしておく。

 アリスは私にしがみついて、一緒に歩く。

 病み上がりと衝撃でふらつくが、踏ん張って歩く。

 幼い迷子のように、私に縋るアリス。

 落ち着くまで、放っておこう。

 

 

 

 

「ごめん、見苦しいとこ見せちゃった」

「いえ」

 数分で収まったようで、彼女は私に顔を赤くして言った。

 少し休もうと、突き当たりにある休憩室に入った。

 ここは誰でも使っていい小さな部屋。

 ソファーとポットと机ぐらいしかない殺風景な室内。

 好きに飲んでいいように、飲み物が置いてある。

「ちょっと、不安定になったから。ごめん、ホント」

「気にしないでください」

 甘めに入れた紅茶をアリスに渡した。

 私も紅茶をもらおう。体力消耗したのでとびきり甘いのを。

「さっきのことは、忘れて」

「アリスがそれを望むならそうしますよ」

 さっき言ったのは本当の気持ちだろう。

 知られたくないから忘れろ。なら、覚えておくことにする。

 ワガママを言うのは、誰も離れて欲しくないからだろうか?

 自分に留めるために、そんなことをしているのだろうか?

 まぁ、予想に過ぎないことだ。今は気にしない。

「私の呪いは鳥になること。ですが同時に傍にいる人に、幸運を呼ぶというのは知ってのとおりです」

 突然の私の発言。怪訝そうに、紅茶を飲むアリスは見る。

「何、突然……?」

 私の呪いは鳥になる。

 だが童話がもしも私に宿るなら、幸運だって呼べると思う。

「アリスに、幸運が呼べたらいいな、と思うんですよ。尤も、それが出来るかどうかは微妙ですけれども」

 そうすれば、私の呪いも消えるのだから。

「あたしは……もう、ラッキーよ。亜夜はあたしのこと、悪くしないし」

「それ以上の幸運も、あっても良い気がしますけどね」

 もっとだ。もっと、アリスに幸運を呼びたい。

 これじゃ、アリスは幸せじゃない。

 足りない。足りない、今のままじゃ。

 アリスをいつも笑顔にするぐらいでなきゃ、全然足りない。

 もっと幸福を。もっと幸せを。

 私の為に、アリスの為にもっと。

 もっともっと努力しなければ。

「頑張ります、私」

「……また無理する気じゃないよね?」

「どうでしょう」

 アリスは睨むがそれ以上は言わなかった。

 まだ、私の努力は足りていない。

 アリス一人を満たせないんじゃ、意味がない。

 もっと……頑張らないと……。



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矛盾

 

 

 

 

 光の力、魔法。

 闇の力、呪い。

 幸福を呼ぶ青い鳥。

 不幸を撒き散らす魔女。

 全て私を構成する説明である。

 本来ならば一つに纏まるべきじゃない真逆のものが私の中には存在する。

 そう、私は矛盾している。

 結局自分が何なのか、説明できない。

 魔女の素質があるけど、人間。

 不幸を呼ぶこともできるし、幸運も呼ぶこともできる。

 両方出来る不便な体質。必要ないものまでくっついて、いい迷惑だ。

 私は魔女になんかなるつもりはない。

 魔女として学べば私にも青い鳥の呪いは解けるだろう。

 同時に、自分の世界に帰れなくなるかもしれない不安が付き纏う。

 面倒なことになったものだ。

 出来ることが限られていくのに、負債だけがどんどん重くなって伸し掛る。

 でもひとつずつ片付けていくしかないから、私は今日もやれることから進めていく。

 

 

 

 なぜ、呪いをサナトリウムの医者たちが治せないか。

 答えは簡単だ。医者たちは原因も治療法も分かっていないから。

 魔女を詳しく知らない、俗にいう一般人である医者達はなぜ彼女、彼が蝕まれているのか理解できない。

 呪いの原理が分からないから、出来ることは対処療法のみ。

 今すぐ死ぬわけじゃないけど、孰れ死ぬ可能性が高い。

 もう満足に日常生活が続かないから、死期の近い病棟(サナトリウム)なんて名付けた場所に放り込んで面倒を見ている。

「結局、お医者様では役者不足。呪いは解けません。私からすれば、簡単に説明はつくんですが、実践できないものでして。そこで、素質あるあなたがたのような人々に助けてもらっているんですよ」

「強引に、ですけどね。拒否権を与えないテロリストがよく言います」

「そんなの、どこの世界に飛ばされても同じです。勝手な理屈で招き入れているんですもの」

 ライムさんと休み時間、喋っていた。

 話題はここの患者は本当に治らないのか。

 結論は、私みたいな人じゃないと治せない。

 ライムさんは、やり方を知っていて実行しても変わらない事も知ってる。

「よくあるヤツですよ。呪いは、人のマイナスの感情を糧として成長します。当然、蝕まれている人間はスパイラルに捕われて死ぬまで何度も繰り返す。だから、治らないんです」

「心を支えないと意味がない、と?」

 呪いの原理はそういうことだ。

 強く、暗い感情に根を張って、吸収して、成長する。

 絶望こそ呪いの栄養。ここにいる子供たちは、全員常に落ち込んでいる。

 だから治せない。治らない。病は気からならぬ、呪いは気から。

「はい。物理的に治そうとしても時間の無駄。魔女は要するに生命を奪う嫌がらせをしているんです。お医者様は物理的にしか治そうとしないので、遅々として進まないんですよ」

「……」

 だから私に幸福を呼べと。

 幸せな気持ちにして、絶望を吹き飛ばし、栄養源を絶つ。

 そして呪いを枯らして、ハッピーエンド。

 まさか呪いの中身が幸福呼ぶとは誰も思うまい。

「ですので、亜夜さんは正に治療に特化しているんです。出来ることなら、全員を癒して欲しいぐらいです」

「嫌ですよ。今ですら手一杯なのに。それに、私自身の呪いが無くなれば、私に価値はなくなります。そうしたらもう、自分の世界に帰ります」

 そこまでしてやる義理もないし、他の物語に興味がないわけじゃないが、責任を負いきれない。

 私以外の誰かが助けてくれるだろうし、それをやるのは私じゃなくてもいい。

「ですよね。そもそも、あなたの担当する彼女たちさえ満たしてもらえれば、それ以上の無理強いはしません」

 ライムさんは納得しているように言う。

 強制的にやらせている割にはそのへんは寛大だった。

 まあ、あんまりしつこい場合は、私にも考えがあるんだが。

「さて、そろそろ休憩終わりなんで。マーチたちの所に行ってきます」

「はい、いってらっしゃい」

 休憩は終わりだ。

 私はライムさんに見送られて仕事に戻る。

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 今日も口は聞いてくれない、か……。

 彼女には警戒されているし、当然だと思う。

 彼女にとって、私は前の担当と同じ。

 『敵』、だ。

 私もそれはそれで仕方ないと思う。

 辛いときは、無理なことはしないし近寄らない。

 ただ、黙々と作業するのみ。

 マーチの分の仕事は終わった。

 洗濯物は全部乾燥して畳んである。

 食事は用意してあるから大丈夫。

 後は自分でやってもらえれば。

 掃除も終えた、諸々もOK。

 部屋の隅で膝を抱えて、震えている彼女は何も言わない。

 ただ、こちらを時々見ているだけ。

 安易な優しさはただの暴力だ。

 彼女を余計に追い詰める。

 近寄るときは空気を読んで。

 そんなの、基本だろう。

 粗末な格好をしていた当初とは違って、今は暖かい衣服を用意した。

 それを着ているということは、少なくても完全拒否という訳じゃないと思いたい。

「……あの……」

 不意に、道具を持って部屋を出ようとした私に、マーチは声をかけてきた。

「……なにか?」

 振り返り、問う私を見て、彼女は言いにくそうに言った。

 何度も目を泳がせて、口篭りながら必死に紡いだ小さな言葉。

 それは初めての出来事で、彼女なりに一歩前に踏み出したキッカケだった。

 

 

 

 

「わたしと一緒に……買い物、してくれませんか……?」

 

 

 

 

「なんで、亜夜さんは……」

「亜夜、で構いませんよ。年齢は同じですんで。敬語も結構」

「……亜夜、は……どうして、わたしと同い年なのにもう、働いているの?」

「仕事がなかったもんで」

 街にマーチと共に出た。

 買い物、したかったらしい。

 お金はサナトリウムが小遣いとして出しているもの。

 私はまぁ、見張り兼付き添い兼荷物持ち。

 そこまで重いものや沢山は買えなかったが、彼女が欲したのは微々たるものだった。

 俗に言う、火種。ライターとか、ジッポとか。そして、マッチも。

 何に使うのか聞くと、持っていると落ち着くからという理由だった。

 そこそこ入れて、袋に下げての帰り道。

 私は、近くにあった飲食店で二人でお茶をしている。

 街並みはどこか、現代に近い世界だ。

 コンビニ、ファミレス、なんでも一通り揃っている。

 ただ原理はやはり文明の基盤が違うので異なる様子。

 そのくせ人々の意識は中世で止まっているというか。

 アリスの認識もコンビニで売っているモノの扱いを知らない様子だった。

 ライムさんに聞いている限り、人々の認識と文明には、下級と上級の間で大きな差があって、豊かな人の見識は上昇する一方で、貧しい階級の人を置いてきぼりにして文明の急発展があったらしい。

 でもそれじゃあいけないってことで一部の善人達が貧しい階級の人たちにも施しを与えた結果が、扱えない高度な文明の品々。

 彼らには取説があっても使えず、入ることに抵抗を感じる。

 なんとアンバランスな世界か。

 マーチもライターやジッポをお守りと勘違いしている様子だった。

 挙動不審に周囲を見回して、ウェイターに注文できずにいたマーチにかわり、慣れている私が全て行なった。

 そして運ばれてきたケーキを嬉しそうにもそもそつつきながら、マーチに問われたのが先程の質問だった。

 そういえば笑うの、初めて見た。

 やっぱり、笑顔が少ないのは良くないことだと思う。

 辛そうな顔は、不幸だって呼び込みそうで。

 私はそれをよく聞かれるが、珍しいことなんだろうか。

 本当のことは言えないし、仕事がなかったと言うようにしてる。

「亜夜、は……。わたしたちに、良くしてくれる、よね? それも、仕事だから?」

 誰かと出かけるのは初めてだと言われた。

 前の担当はキレやすくて乱暴で、粗野な奴だったらしい。

 ビクビクしているしか出来なかったとマーチは言う。

 私の事を観察して、大丈夫そうと判断して漸く、一歩前に踏み出した。

 その結果が、私との外出だったようだ。

「……ぶっちゃけると、そうですね。仕事だからってこともあります」

「……そっか……」

 仕事だから。それが一番大きい。

 お節介というのも多く含んでいると思うけど。

 なんの意図があるかは分からないが、まだ心を開いているようじゃない。

 もう少し、距離は開けておこう。

「働くのは、大変……だよね……」

「まぁ、そうですね」

 唯一、あのメンツの中で働くことの大変さを知っているマーチ。

 ……働きすぎた結末が死ぬことだもの、嫌でも解する。

「働いたことは、報われている……?」

「一応は報われていますよ」

 ろくでなしの父親に稼ぎを丸ごと奪われていたあなたに比べれば。

 そう心の中で付け加えておく。

「そう……。なら……」

 彼女は何かに納得したように話題を切り上げた。

 聞きたいことは、そういうことか。

 自分みたいなことになってないか、倒れたと聞いて心配してくれていたのかな。

 そんなところだと判断する。

「言いたいことは察してるんで、分かりますよ。まぁ、過酷じゃありますけど……それなりに楽しく、やってます」

「……」

 マーチはケーキを食べながら私を眺めている。

 私は外を行き交う人を頬杖をしながら見ていた。

 この世界の人間は、それなりに幸せそうだ。

 自分すら幸せにできないような奴は、誰かを幸せにするなんてできない。

 余裕がなければ、与えられる方も迷惑を被るだけ。

 もう少し、私も余裕を作るべきか。

 それが早急かもしれない。

 うん、そうしないとダメ。

 私は先ず、もう少し余裕を持とう。

 そうすれば嫌でも、変化する。それが現実だ。

 自分の幸福も、追いかけてみよう。

 それが自分の呪いを止める方法でもある。

「……同じ部屋で、お菓子は食べられませんよね? たまにで良ければ、私も外食、付き合いますよ」

「えっ?」

 お代わりを選び始めたマーチに、私は言い出す。

 常に寒さに凍える呪い。それは、身体だけじゃない。

 ココロも寒さに凍えている気がする。

 彼女は、人と接する機会を増やして方がいい。

 近くにいる人から、繋がれば。もう少しだけ、暖かくなるかもしれない。

 またお節介で、こんなことを言い出している私。呆れるよ、本当。

「外食。私で良ければ、付き合いますよ」

「……」

 意外そうな顔をしていた。

 同じ空間に生活する人がいるにもかかわらず、未だにあの子達はお互いを嫌悪しているということに気が付いた。

 アリスは気に入らないという理由で。

 グレーテルはどうでもいいと無関心で。

 ラプンツェルとマーチは、似たものの性格なのか大丈夫みたいだけど。

 みんな仲良くなんて言葉は、彼女たちの間にはない。

 喧嘩して、対立して、壁を作って、離れていく。

 それの繰り返し。

 大抵の入所している子供はそうだと言うし、珍しくない。

 みんな、友達というものを知らないようだった。

 嫌がる感情は知っている。でも、好きという感情は忘れてしまってる。

「……」

 返答に困っているマーチ。私は自嘲的に笑った。

「そんなに意外ですか? でも、そうでしょうね。職員は精々、仕事と割り切ってあなた達と接する程度。仕事の範疇のみですもの」

「……」

「私も仕事と割り切っている、つもりです。今でも、そうですよ。が、現状は感情移入している。言われるまでもなく、自覚はありますよ。お節介、お人好し。何とでもどうぞ。私自身、ここまで自分がそうだとは思いませんでした」

 どちらかというと事勿れ主義。

 冷酷で、利己的で、理屈的で、損得主義。

 クラスメートから言われてきた私は、そんな言葉が大半。

 それが今はどうだ。自分のためと言いながら、やってることはなんだ。

 自分から彼女たちのお節介を焼いて、可愛がってるじゃないか。

 その感情が、まさか伝わってないとでも?

 向き直り、肩を竦めて言う。

「やれやれ、本当に意外ですよ。本来の私は、こことは正反対の冷たい人間のはずだったのに。どうしてか、マーチたちを見ていると放っておけないんですよ。心配になるんですよ。それって、マーチ達が私の母性本能でも刺激してるんですかね?」

「……そう、言われても」

 困る。その通り。

 私は結局何なんだ。

 言動不一致がお約束のツンデレか?

 いや、それはどっちかというとアリスじゃ?

「自分でも呆れるというか、戸惑っているというか。寧ろ、全力で世話したくなっているというか、構いたくなるウザい人間へと変わっているようです。ですんで、怯えなくても平気ですよ。私の基本は、悪意じゃありません。大凡、余計なお節介です。自分で言うのもなんですし、うまい話はなんとやらですが」

「……」

 自虐混ざっているな、と思う。

 何でここまで世話したくなるんだろう。

 彼女達の辛そうな顔を見ているのが嫌だから?

 彼女達は、笑っている方がきっと似合うから?

 微笑んだ表情が、見たいから?

 ありがとうの一言も言わないような素っ気ない子達なのに。

 何を倒れるまで必死にやっているんだろう、本当に。

 こんな奉仕精神溢れる性格していたっけ、私。

「……変な、人」

「デスヨネー」

 マーチは、何時の間にか苦笑していた。

 私を見て、苦笑い。自然な表情で。

「でも……悪い人じゃ、ない気がする」

「悪人ならもっと利口に利用していますよ。というか、その前に即刻クビです」

 私の呪いのことを知っているのは、今の所アリスだけだ。

 マーチは青い鳥の話は教えていない。

 純粋な好意に見えるかもしれない。

「亜夜……さん。やっぱり、さん付けしていい? わたしよりも、立場……上だし。それに、職員さんは、敬意を持って接しないと、ダメだと思うから……」

「……まあ、マーチの気の済むように」

 彼女はわたしに敬意を持つという。

 そんな偉そうなことはしているつもりはない。

「それに……。わたしだけ、こんなに幸せでいいはず……ないよ」

 彼女は窓の外を見て、言った。

 遠い目をしている。誰に対する言葉だろうか。

「いいんですよ、幸せで。誰だって幸せになりたいと思うのは当然」

「……?」

 当たり前だろう?

 幸福を求めて何が悪い。

 それが他人の不幸の上に成り立つならまだしも。

 マーチの言う幸福は、こんなに小さく、質素なものだ。

 それすらダメだというのは魔女だけで十分だ。

 これ以上呪いなんかかけてみろ、魔女は私が魔法でぶちのめしてやる。

「マーチ。貴方は幸せになっていいんです。自分で捨てちゃダメですよ。こんな当たり前の日常は、誰にだってあるべきもの。掛け替えのないモノを捨てたら勿体ない」

「…………」

 私を見るマーチの瞳。

 何の感情が浮かんでいるか、よく分からない。

 でも、言いたいことは言う。

「幸福を求めてください。私が出来ることなら、何だってします。いいんです、お菓子を食べたり、誰かと食卓を囲うことを求めても。私は、否定しません。壊しません。奪いません。マーチの幸福を肯定し、作り出し、護ります。それが、私という職員の仕事です」

「……」

 職員の仕事は世話をすることだ。

 同時に、彼女達の幸せを護ることも仕事だ。

 私はそれを考えるし、それを実行する。

 何とでも言うがいい。私は、そういうもんだから。多分。

 暫く私を見ていたマーチ。やがて、突然小さく笑い出した。

「なんか……なんて、いうのかな。亜夜さん、わたしたちの……お姉さんみたい……」

「……」

 姉、ときたか。私は、姉?

 実際姉妹なんていないし、一人っ子だ。

 でもいたらこんな風にウザイ世話焼き姉さんになっていたのかな、私。

「……私が姉、ですか? じゃあみんな、妹扱いになりますよ?」

 腕を組んで悩む。妹ってどんな扱いすればいいんだろう。

 周りの兄妹持ちはぶつかってを繰り返していたようだが。

「わたし……お姉さんとか、ちょっと憧れ、あったから。そうだったら、嬉しい……よ」

 彼女も一人っ子。

 そういえば一人っ子って兄弟に憧れるらしい。

 実際はそうでもないけどって、誰か言ってた。

「うん? 私でいいならお姉さんしますよ?」

「いいの……?」

 私が了承すると、うって変わって嬉しそうに聞く、マーチ。

 彼女は姉が欲しかったのか……。

「世話焼きでお節介で、お人好しで妹を甘やかすようなダメな姉ですよきっと」

 客観的に見れば現在私はこういう人間だ。

「それは……それが、いい……。わたしは……」

 マーチは優しい姉を求めている。

 そんなんでいいなら、私は応える。

「分かりました。私でいいなら、そう振る舞いましょう」

 私に姉が務めるか分からないがやれるだけやってみる。

 要するにやることは変わらない。

 マーチは私に姉みたいにして欲しいという。

 どんなものかは知らないけど……挑戦する。

「ありがとう……。亜夜、さん……」

 嬉しそうだった。マーチは、控えめに笑って礼を言う。

「いえ……お気になさらず……」

 この日、私は不器用ながら彼女にお姉さん役を頼まれた。

 職員の上に姉、か。大役だろうけど……最後までやり通して見せよう。

 それがマーチの幸福につながるのなら。



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蒼の呪い

 

 

 

 

 

 

 ……本当に、どれだけ長いんだこの髪の毛は……。

 既に単位はメートルだ。

 手入れ始めてどれくらい経過した事やら。

「重たい……」

 そうボヤく髪長姫。

 そうだろう、長いから手間がかかるのは当たり前だ。

「当然です。ラプンツェル、水分を吸うと髪の毛は重たくなると何度も教えてるじゃないですか、乾かしましたか?」

「……ううん」

「言わんこっちゃない」

 風呂上がりに部屋の真ん中に出来上がる、熱気を出す等身大の毛玉。

 髪が伸び続ける呪いの被害者、ラプンツェルだ。

 それを丁寧に櫛で梳いてゆくが、うまくいかない。

 毎日のこととはいえ、慣れていかないものだ。

 嵩張る上に、とんでもなく重たい金色の髪の毛。

 私もそこそこ長い髪の毛をしているけど、大体風呂上がりにはすぐドライヤーで乾かす。

 理由として長い分水気を吸い重たさが増して、負担が半端じゃないことになる。

 私ですらこれだ。ラプンツェルでは桁が違う。

 キロの重さが首にかかっているかもしれない。早く乾燥させないと。

「……亜夜、痛い」

「痛いと言われても……」

 そりゃ痛い。

 早く乾かしたいが相手は巨大モップと同じ。

 小さなドライヤーじゃ限界がある。

 いっそのこと、業務用扇風機で一気に、と思うがそもそも移動できないので困る。

「……いつになったら終わるの? どの『どらいやー』とかいうのの、音がうるさい。眠れない。迷惑なんだけど」

 備え付けの二段ベッドの上から、仕切りのカーテンを開いてこちらを睨む少女。

 不自然に瞳孔が広がる目でこちらを見る。

 癖っ毛だらけの茶の前髪を退かして、不快感を表す声色で刺々しく言う。

 グレーテルだった。彼女は大きくため息をついて、クレームをつける。

「その毛玉、早く何処かに連れていってくれないかな。正直、石鹸のニオイもキツイいから」

 グレーテルは私とラプンツェルを睨んで言った。

「勝手なことを言う人の意見を、私が聞くとでも?」

 グレーテルには、最近私は意識してかなりキツく言っている。

 一番現状で、この室内の住人の中で不協和音になっているのは、彼女だ。

 この室内でできあがりつつある、グループを壊そうとする。

 大抵勝手な理由だ。無論、そんなことはさせない。

 アリスが漸く、譲歩を覚え出したのだ。

 それを踏み潰すような真似を許すほど甘くない。

 ラプンツェルは困ったように私を見上げる。

 私は意にも介さないで、作業に戻る。

 付き合っていられない。

「……我慢しろってこと? じゃあ私は誰に文句を言えばいいのかな?」

「言わなくて結構です。私は一切受け付けませんので。アリスですら、譲る事ができることを出来ないではなく、しない人間を甘やかすほど、私は優しくありません。寝言は寝てからどうぞ。自分一人で生活できないのは誰ですかね?」

 私が言うと、うざったそうに見てくる。

「あいつと同列扱いされるほど落ちぶれていないよ、私」

 不愉快そうに目を細めるグレーテル。口だけはよく動く子だ。

「いいえ、同類です。私の地方じゃ、団栗の背比べという諺はありましてね。意味は、分かるでしょう?」

 皮肉げに私が言うと、彼女は眉を顰めた。

「……。馬鹿にしてることだけはよくわかったよ」

「言外に言ってるだけですよ。一番の子供は誰かということを、ね」

「今、ハッキリ言ったよ。なにそれ、つまり私が悪いって言いたいの?」

 この場合、私は仕事をしている。

 ラプンツェルは髪の毛が重すぎて自立歩行すら今できない。

 マーチとアリスは既に寝ている。気にしないようにしてくれている。

 これでも気を遣っている方だ。

 最小限の音にするように努力しているし、ドライヤーだって消音にしている。

 お風呂を最後にしているし、私だって髪の毛を洗うのを手伝っているから、自分の入浴だってまだだ。

 二人とよく話し合って妥協しあった提案だった。

 事前にちゃんと打ち合わせをしているのだ。

 話し合いすら参加しないで、文句しか言わない奴の言うことを優先などしない。

「ご明察。グレーテルが悪いんです。ならもう少し大人になったらどうです?」

「同い年のくせに……」

「ええ、同い年ですよ。それが何か?」

 吐き捨てるように言ったことを開き直って言っておく。

 グレーテルはこの協調性の無さが一番の問題だった。

 ラプンツェルはまだ子供だ。確か、13くらいだったか。

 無菌培養されている人間が、真っ当な社会性なんて持っている訳がない。

 塔に閉じ込められている彼女が、出来ることは殆どない。

 対してグレーテルはどうだ。同い年で、見解も至って健全。

 なのに性格がこれである。優先するべきことはない。

「何で私が妥協しなきゃいけないの?」

 ほら、聞いてきた。自分が悪くないと思っている証拠だ。

「なぜ、グレーテルが妥協しちゃいけないんですか?」

 屁理屈なんて、正当な理屈で叩き潰してやる。

 こっちは既に妥協している。筋も事前に通してある。

 理解してもらえるまで説得もした。

 それすら参加せず聞く耳を持たないでいたのは誰だ。

 聞く気がないなら、こっちも説明なんてしない。

 そんな暇なんかない。

 それでも言いたいことがあるなら言ってみろ、と視線で挑発する。

「……」

 案の定、言い返せない。睨んでくるだけだ。

 私に何を言っても、正論で潰されてしまうことは分かっている。

 そもそも、私は職員だ。

 彼女たちの世話をしている手前、私に反抗することはろくなことがない。

 それが理屈なのだが、アリスやら彼女やらは問題児のカテゴリーにされている。

 関係ないんだろうが、生憎と私は本来の性格はこっちに近い。

 得意分野だ。相手の揚げ足取りも、否定することの場数は上だ。

 所詮子供の屁理屈。穴なんていくらでもある。

「……もういいよ。どうせ私が悪いんでしょ」

 彼女は不貞腐れて、カーテンを閉めると寝てしまった。

 勝ち目のない相手に噛み付くからだ。私は作業に戻る。

「亜夜……。いいの?」

「放っておきましょう」

 ラプンツェルは心配そうに仕切られたベッドを見上げる。

 彼女は純粋に気遣うことができる、子供特有の優しさがある。

 逆に言えば子供特有の根拠のない嫌悪もある。

 グレーテルに対してどうやら皆と仲良くしたいとは最近思い始めているようで。

 良い兆候だと思う。これで少しでも、アリスともやっていければ。

 問題は……グレーテルだけだ。

 私とラプンツェルは、マーチを通して怖い人ではないと知ってもらったから何とかなりそう。

 曰く前の人と同じでおっかない人だと思われていたらしい。

 要するに被害妄想。

 理解できるけど、私自身が彼女に何かしたとしてもそれは悪意のものじゃないし、暴力なんて以ての外。出来るほど元気じゃない。

 その後、更に30分ほどかけて漸く乾ききった。

 眠そうに目をこする彼女を寝かしつけて、自分の事を終えて眠ったのは日付が変わった頃だった……。

 

 

 

 次の日。

 私は、街に買い物に出ていた。

「何で私が……」

 小声で文句を言いながら、荷物を持たされているグレーテル。

 今日はたまたまグレーテルがついてきた。

 というか、グレーテルしかいなかった。

 ラプンツェルは長すぎる髪の毛の苦しみが徐々に身に染みて来ているようで、散々嫌がっていた散髪へ。

 マーチとアリスは医者のところに行っている。

 私が彼女達に頼まれた買い物を行こうとして、多過ぎるのでグレーテルを引っ張り出した。

 言うまでもなく抵抗された。

 が、一番荷物を頼んでいる本人がサボっているコトなど許さない。

 久々に全力で言い負かしてみた。そして勝利した。

 プライドをズタズタにされたグレーテルはとぼとぼついてくる。

「私がこなくてもこれぐらいどうとでもなったでしょ……」

「……それは嫌味ですかね?」

 不機嫌そうに言うグレーテルに立ち止まって振り返り、私は冷たく見つめる。

 荷物を入れている袋を腕に下げて、鞄を背負っている。

 私にしては過剰積載までしているのに、まだ載せろというか。

 これでも、足はフラフラなのだが。

 杖をついている人間にこれぐらい、などと簡単に言うとは良い度胸だ。

「……ごめん。何でもない」

 流石にそれは自分でも不味いと思ったのか、グレーテルは直ぐに謝ってくる。

 そのぐらいは失言だったってわかるらしい。

 動きやすさ重視の服装をしているグレーテル。

 体格では明らかに彼女の方が恵まれている。私の方が身長が低い。

 歩き出す私。買い物、早く終わらせよう。

 

 

 

 

 

 亜夜の後ろについてくる、グレーテルの目にあるモノが入った。

 

(……? なに、これ?)

 

 拾い上げるとそれは青い羽根だった。

 点々と、羽根は眼前に落ちている。

 視線でその先を追う。落としているのは……。

 

 

「……」

 

 

 ――前を歩く、小柄な職員の背中。

 そこから一枚、また一枚と青い羽根が服の間から溢れている。

(!?)

 グレーテルは絶句して立ち止まった。

 彼女は気付いていないようだった。

 一枚は小鳥の羽根のように小さい。

 それが、彼女から落ちている。

 この不可思議な現象は……まさか。

「……ちょっと」

 怖々グレーテルは、亜夜に声をかけた。

 何だ、これ?

 まさか、とは思うけど。

 この人も、まさか。

「ん? なにか?」

 振り返った亜夜は、グレーテルが持っているそれを見て、目を丸くした。

 だが、すぐに苦笑して済ませた。

「あらら……。また気がつかない間に、落としていましたか」

 なんのことか分かったように、彼女は近づく。

「その羽根が、私から落ちたのを見ましたか? 普段出歩くときは出ないようにしているんですけど……漏れちゃったようですね」

 呆然とするグレーテルから羽根を受け取る。

 鳥の羽根。人間にあるはずのないパーツ。

 それを見ても、この人は恐れを抱いている様子はない。

「……なに、この羽根?」

「私の羽根です。すみませんね、グレーテル。見苦しいものを」

 あっさりと肯定。

 戦慄するグレーテルに、亜夜は平然と袋の中に羽根を仕舞い込む。

「まさか……。まさか、これって……魔女の呪い?」

 考えていた可能性を問うと、亜夜は頷いた。

 知りたくない、返答を。

「ええ。私も状況は同じです。言ってませんから、知らないのは当然でしょう」

「……」

 嘘だ。有り得ない。

 魔女の呪いを受けている人間が、変わらず生活できるなんて嘘だ。

 絶望しないで、病まないで生きていくなんて無理だ。

 グレーテルはこの職員に強い恐怖感を抱いた。

 なぜ、出来る。なぜ、大丈夫なんだ。

 呪いを当たり前と受け入れていられるのは、どうしてだ。

「……私が怖いですか?」

「!?」

 表情を読み取られたのか、亜夜は見上げてそんなことを聞いてくる。

 一歩、後ろに下がる。怖い。この人が、とても怖かった。

 驚くグレーテルに、笑って亜夜に提案される。

 何処かで休んでいこうと。

 グレーテルは、言われるがままについて行く……。

 

 

 

「そっちはさ、なんの呪いなの?」

 寂れた小さな公園のブランコ。

 そこに来た二人。

 亜夜は近くのベンチに腰掛け、グレーテルはブランコに座って直球に質問した。

 職員のことだから、こちらの呪いの内容は知っているだろうから、こちらが聞く。

「私のは、『鳥になる呪い』ですよ」

 あっけらかんとして言われた内容は、非常に重かった。

 死ぬのではなく、生きたまま徐々に人をやめていく呪い。

 聞いたことのある呪いの中で、死という明確な終焉のない呪いは初めて聞いた。

 最悪の嫌がらせだ。死ぬことすら許されない呪いなど、考えるだけでおぞましい。

 副産物で幸運を呼ぶらしいが、そんなものが何の気休めになる。

 別物になる恐怖を味わいながら、日々この人は生きているのに。

「怖くないの、呪いが?」

「知っていれば、それ程でも。怖がれば思うつぼですよ」

「……へぇ。知ってたんだ、呪いの原理」

「ええ」

 呪いの原理。

 多くの人が知らずに悪戦苦闘している中。

 魔女と直接対決したことのあるグレーテルは知っている。

 死に際に放たれた呪いの全容を。

「そういえば、グレーテルは魔女と対峙したことがあるんですっけ」

「……そうだよ。私は、お兄ちゃんと共に魔女に立ち向かったことがある」

 辛い過去。職員なら、情報として知られている。

 言いたいことではない。

 でも以前の奴とは違って、それをネタにして嫌がらせをしてこない。

 ここのところ観察していて、この人はそんなことをする前に論破しに来る。

 そういう結論に至った。

「詳しい話は引継ぎをする時に伺ってますよ」

「そう……」

 知っているから、聞き出すような真似はしない。

 言外に言っている。やはり、違うようだった。

「魔女というのはどうしてこうも、面倒なコトばかりしてくるんでしょうか」

「そんなの、あいつらがそういう存在だからに決まってるでしょ」

 あいつらは災害と同じだ。人類の天敵。

 見つけ次第、殺さないとダメ。

 グレーテルは被害者だから、強くそう思う。

「奴らは害獣。殺さないとダメだよ。例え死ななくても、死ぬまで殺せばいい。死なない生き物なんていない」

 魔女は邪悪だ。

 殺さないといけない生き物なのだ。

 そうしないと、自分みたいな人がもっと増える。

 どうでもいい世界だけど、それだけは嫌だった。

「そうですか。然し、グレーテルはなんでああも自分勝手なんです?」

 話題が変わった。いきなりの質問が飛んできた。

「……」

 自分勝手。そうだろう。

 亜夜とはぶつかってばかりいて、仲良くしつつある彼女たちも何か嫌だ。

 何であんな風にすぐにまた信用できるんだ。

 裏切られる可能性だってあるのに。

「別に……」

 そっぽを向くグレーテル。

 それには自分なりの理由があった。

 でも言っても理解されないし、余計に……。

「変なこと聞きますけど……前の人とも、トラブルか何かありましたか?」

「!」

 亜夜は突然言い出す。

 大袈裟に動揺してしまうグレーテル。

「やっぱりですか……。私は以前の担当がろくでなしだとアリスから聞いています。曰く人間のクズだったとか」

「クズ……ね」

 アリスめ、やっぱり色々彼女に吹き込んでいる。

 あいつは警戒心は強いがすぐに懐く。

 奴はクズだ。それは間違いないだろうが。

「私まで同類扱いされたら心外ですね」

「……。まぁ、確かに違うかもね」

 口で喧嘩していても、亜夜は嫌がらせまではしてこない。

 どっちかっていうと、殴り合いに近かった。

 言葉で徹底的に傷つけて、終わったら手を差し伸べて仲直り。

 争いことは一度きりで、後腐れさせないというか。

 次にそれを持ち出さない。そんなスタンスだった。

「もしかして、関わられるのが嫌ですか?」

「……」

 それが一番の理由だった。

 職員の言う事や誰かの指示を聞きたくない。

 グレーテルは人に干渉されたくなかった。

 どうでもいいのに。もう、何もかも。

 全部どうでもよかったのに。

 そのくせ常にイラついていて、ちょっとした事で彼女たちと揉める。

 大半がしょうもない理由で、頭では勝ち目ないとわかってるけど、苛立ちが先立って口が動く。そして諍いが起こる。

 だったら、もういっそ全部断ち切ろうとしているのに。

 現実はうまくいかないでそれが新しいイライラの種になる連鎖。

 それのせいで、何もかもが余計に嫌になった。

 出来ることなら、このまま楽になりたい。

「……私は……」

 何と言えばいいんだ。

 こんな理由、誰が分かってくれようか。

 勝手極まる、アリス以上のワガママ。

 誰が、許してくれるというのか……。

「ごめんなさい。私がもう少し有能だったら、何か出来たかもしれないんですけど」

 突然、頭を下げて謝ってくる。

 驚くグレーテルに、職員として無力を痛感しているような亜夜。

「私はそこまで利口じゃないみたいです。グレーテルの抱えているモノを軽くしたいとは思うんですけど、方法が思いつきません。グレーテルからすればそれすら傲慢だと思われてしまうでしょう。余計なお節介だと思いますけど、何かできることはないかと考えてたのですが、ダメでした。今は何もできそうにありません。なので、ごめんなさい。私じゃ役者不足のようです」

「……」

 唖然とするグレーテル。

 この人、本気でアホなのか?

 自分の呪いだってあるだろうに。

 なのにどうしてそんな風に他人の為に何かしようとする?

 できなくて謝る? 

 ……亜夜は、まるで兄だ。

 生前のヘンゼルそっくり。

 自己犠牲で妹を救った兄と同じニオイがする。

 自分のことを後回しにして、誰かのために努力して。

 それでは誰も救われないことを知らないから……悲しいことばかりする。

(お兄ちゃん……。この人、お兄ちゃんと同じ人なの……?)

 兄と同類なら、亜夜は自分が鳥になってでも周りに奉仕する。

 実際、兄は自分を殺して妹を生かした。

 その結果、グレーテルだけが生きている。

「……」

 その言動は、グレーテルに眠っている二つ目のトラウマに触れた。

 一つ目は、お菓子。見るたび、感じる度に辛いことを思い出す。

 そしてもう一つの、兄の面影をさせる亜夜。

 彼女は、ヘンゼルと同じことをするつもりだ。

 止めなきゃ。久しぶりの決心。

 亜夜の暴走を止める。

 グレーテルはまた辛くなる。

 グレーテルのために兄と同じ理由で、この人は無茶をしようとする。

 自分を犠牲にして、同じことの繰り返し。冗談じゃない。

 また、苦しい思いをしろっていうのか。

 嫌だ、二度としたくないのに。

 今なら、まだ間に合うか?

 ヘンゼルの時とは違う、自分が苦しまない方法で、何とかできるか?

 自分の為に、この人の暴走を、止められるか?

 どうせ言っても聞かないだろう。なら無理矢理止めるしか。

 グレーテルは決めた。絶対、この愚かな職員の愚行を止める。

 だから……少しばかり、振る舞いを気をつけよう。

 あと、自分のことを気遣うように言おう。

 そうすれば、自分のことも気遣うようになるだろうし。

 グレーテルはそのまま黙っていた。何も言わなかった。

 亜夜を連れて、その日はサナトリウムに帰った。

 次の日から、グレーテルのトゲトゲしさは少しずつ引っ込んでいくのだった……。



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呪いの成長

 

 

 

 

 

 グレーテルは、思った以上に難敵だった。

 正確に言うなら、グレーテルと分かり合うのは一番難しい。

 あの子の背負う事情に対して、私ができることはないと言い切れる。

 彼女だけが、唯一肉親を失っている。

 自らの死という結末を迎えたマーチや、最終的に幸せになれたラプンツェルとは訳が違う。

 グレーテルの物語は、私の知る物語とは少々内容が違っていた。

 彼女のお兄さん……ヘンゼルさんは既に亡くなっているようだった。

 それも、お菓子の家の主……魔女と共倒れする形で。

 極限の状態で、妹だけを助けだし、自分はそこで魔女と共にかまどで焼死。

 魔女が死に際に放った呪いだけが、生きている彼女を蝕んでいる。

 たった一つ、兄が全てを擲ってまで護ろうとした生命さえも、魔女は玩具にする。

 本当に、魔女という生き物は最低最悪で、下劣な生き物だと思うようになった。

 同時に私は、その醜悪な魔女の素質もある。

 絶対に、そんなものになるものか。

 私は自分の為に、魔道に堕ちるつもりはない。

 そして今、妹さんの世話を私が担当しているのだが……。

 自分の無力さを痛感するたび、嫌になる。

 私は一介の高校生で、職員に過ぎない。

 護られた生命と呪いを背負い続けるグレーテルの苦しみなんて、理解できようはずもない。

 そして、癒せる訳もないんだ。私も……子供だ。

 彼女を子供と言っておきながら、私も同類だった。

 何もできない、何も変えられない。

 彼女の為に幸福を呼ぶことも、彼女の為に生命を投げ出すことも。

 なにも、出来ない。諦観に似た感情だった。

 

 

 

 

 

 ――こんなにも私は……無力だったのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 呪いは、暗い感情を苗床にするという。根を張り、吸収し、成長する。

 その感情が強くなればなるだけ、急成長するものらしい。

 その原理を身をもって実感した。

 どうしよう……どうすればいいの。

 こんな姿じゃ、表に出られない。

 これじゃあ、何もできないよ。

 落ち着けない。負のスパイラルに飲み込まれる。

 強い恐怖が餌になるって分かってるのに……怖い。

 

 

 

 誰か……! 誰か……私を、助けて……!

 

 

 

 

 何時までも部屋から出てこない私を心配して、ライムさんが迎えにきて驚いていた。

 私の部屋の中は、蒼一色に染められていたんだ。そりゃ、驚く。

 そのまま、連行。

 入所する子供たちと同じく検査を受けさせられた。

 ざっと一通り終えたのち、説明されている。

「翼の侵食率が以前に比べて大きく進行していますね。これじゃあもう隠し通すことは無理でしょう。他の職員も大方知っていたのでそこはいいのですが……。翼が、ここまでなってしまえば……」

「私は……どうなるんです?」

 医者は一度黙る。

 聞いていた話じゃ、私の背中の翼はまだ小さいと言っていたのに。

 何で、こんな鳥人みたいな姿になってしまったんだ。

 今の私の背中には、大きな青い翼がある。

 振り返ったときに視認出来る、巨大な二対の大きな翼。

 進行したからなのか、私自身のコントロールが効くようになった。

 小さい頃はただ抜け起きていただけで済んだのが今では、翔く事で飛翔まで出来る。

 ある程度の低空飛行や滑空まで。

 本来、人間には翼という器官はない。

 故に、言うことを聞かせることなんて元々ないから出来るはずもない。

 なのに今は、ごく普通に私の意思で動く。

 何を意味するかと言えば、もうこの時には私の神経や骨格とも一体化して、脳との接続も完了している。私は本当に、人じゃなくなってしまった。

 翼に触覚が通じているようで、叩くと痛かった。

 骨も歪に無理矢理繋がっているから、力を込めすぎると、とてつもなく痛い。

「そうですね、恐らくは一度ある程度成長し、巨大化した翼は貴方を包み込み、そして縮小する。そうして、亜夜さんは小鳥になります」

 いくら呪いと言えど、人一人の身体を急速に変化させることはできない。

 だから先ず地盤を整えるという意味で、翼が大きくなって、等身大になる。

 そのあと、適合してから徐々に縮小させて最終的に鳥になる算段らしい。

「亜夜さん。もう一度、羽ばたいてもらえますか?」

 ライムさんに言われて、実践。

 女医さんの前で大きく羽ばたく。

 突風が室内で発生した。

 周囲のカルテやら器具やらが宙に舞い上がる。

 私自身は座ったまま、羽ばたいたせいで前のめりに急加速。

 向き合っていた医者に顔から激突した。

「凄まじい膂力ですね……。人一人なら、軽々持ち上げて浮遊するぐらいは出来るかもしれませんね」

「そんなにですか」

 起き上がって座り直す。

 室内には青い羽根が神秘的に舞っている。

 相変わらずよく抜ける羽根のようで、凄まじい量が出ている。

「これじゃあ、仕事に支障をきたすのではないでしょうか?」

 医者にドクターストップを出されそうになる。

 それだけは阻止したかった。

 それじゃあ鳥になる運命を受け入れるのと同じ。

 それに、あの子たちが心配だった。

「いいえ。大丈夫です。翼があっても、仕事はこなします」

 前向きに考えよう。翼がある。だからなんだ。

 便利なものが手に入った程度の認識でいい。

 実際、積載量は大きく増した。足が不自由な分、浮けばいいのだ。

 大丈夫、私はまだ仕事ができる。翼があるだけだ。

 それは、そういうものだ。私なら問題なく出来る。

 前向き、前向きに。

 呪文のように、自己暗示のように、何度も繰り返す。

 私は……まだ、呪いと戦えるんだから。

 

 

 

 

 

 

「亜夜……! あんた、その羽根!?」

「呪いが…………進んだの?」

 その日だけは流石に休んで、次の日には現場に復帰した。

 このサイズの翼を隠すわけにもいかない。

 収納しようとして折りたたむと嵩張る。

 抜け落ちる羽根の量も半端じゃない。

 なので、もういっそと翼を常時展開していることにした。

 他の職員の許可ももらえた。

 入所している子達にはそれぞれ、言っておいてくれるという。

 正直有難い。ライムさんの手配には感謝しきれなかった。

 普段は畳んでいる。これなら普通と変わらない。

 彼女たちを朝、起こしに部屋に普段通りに向かうと、知っているアリスとグレーテルは驚いたように飛び起きて私を見た。

「わーーーー!?」

「あ、あ……?」

 ラプンツェルとマーチは混乱していた。

 目をぐるぐるさせている。

「おはようございます」

 特に気にすることもなく、私は一式道具を持ち込んでさっさと仕事開始。

「おはよう、じゃないわよ!! あんた、羽根が大きくなってるじゃない!!」

 私に食ってかかるアリス。

 心配してくれていたんだ、嬉しいけど……仕事の邪魔。

「ていっ」

「いたぁ!?」

 素早く翼を展開、軽く振るう。

 寝起きのアリスの頭を翼で殴打する。

 私の新必殺、羽根ビンタ炸裂。

「落ち着いてください。ただ、進行しただけの話です。こうなる可能性はあったと言ったでしょう」

 腰を下ろして両手で作業開始。

 近づく彼女を翼でハッ倒す。

 落ち着いたアリスと怪訝そうにグレーテルが近づいてきた。

「ちょ、ちょっと亜夜。今、骨の感触したんだけど……」

「骨……? まさか、骨格と繋がってるの?」

 二人は怖々、私の翼に触れたいと申し出た。

 別に乱暴しなければいいので、触ってもらう。

「やっぱり、骨があって、肉があって、羽根があるわけね」

「……」

 丁寧に触って感触を確かめるアリスと、一枚羽根を拾い思惟に耽るグレーテル。

 混乱する二人に、私は自分が呪われていると改めて説明する。

 ラプンツェルも、お風呂の時は私は服着ていたから気付かなかっただろう。

 噛み砕いた説明をされると、恐る恐るマーチに聞かれる。 

「あ、あの……亜夜、さん。痛く、ないんですか?」

「いえ、全然。無理しなければ痛くないですよ」

 事実、痛みは無理をしなければ全くない。

 違和感も数時間で慣れた。恰も、最初からあったかのごとく。

 苦しくないとホッと安堵するマーチ。

 これも呪いに含まれているのか、私が受け入れたことによるものなのかは不明だ。

 ラプンツェルは怖くないと知るや、無邪気に抜け落ちた羽根で遊び始める。

 やれやれ……それ程深刻じゃないだろうに。まだ間に合う範囲だ。

 私は人間をやめた。それはもう諦めたし、どうでもいい。

 考えても、悔いても、所詮は餌になるだけ。

 だったら思考放棄でも何でもして、受け入れておくしかない。

 自滅は余計な破滅を呼ぶのだから。

 それよりもまだ、やることがある。

 強いて言うなら、今の私は『亜人』だ。

 人に近しい異形とでも言おうか。

 だから、人間の亜種。故に『亜人』。

 それに翼の出現は、不便なことばかりじゃない。

 特にマーチには得があった。

「マーチ。話があります」

「は、はい……?」

 私は部屋の片付けを終えると、呼ぶ。

 皆、思うところはあるが

 ビクッと反応したマーチに、生えてきた翼を広げて見せる。

 笑顔で、いいことを思いついたのだ。

 ずっと寒さに凍える彼女の為に、私の呪いでできることがあった。

 

 

「羽毛のお布団、欲しくありませんか?」

 

 

 

 

 この翼、利点もいくつかあった。その一つが、これだ。

 抜け落ちる羽根の量は、以前とは比較できないほど多くなった。

 そこそこ有効利用できるということなので捨てないで使えるものは使うと決まった。

 他の職員も、快く手を貸してくれた。

 私も賛同して、その一つが羽毛の布団やダウンジャケットなど材料。

 抜けた羽根を集めて立派な布団にしてくれたのである。

 業者にオーダーメイドで発注した。一部材料持ち込みで。

 代わりとして、かなりの量の羽根を持っていかれた。

 それだけじゃ足りないから新鮮な羽根を寄越せとせがまれて毟られた。

 丁寧に扱って欲しいと何度か言ったが、尽くスルーされて結構痛かった。

 抜いても抜いてもすぐ生え変わるから減るもんじゃないけど。

 寒さの呪いに苦しむマーチへのプレゼントとして、布団を贈る。

 後日、仕上がったそれを持ち込んで皆の部屋に行った。

「あ、亜夜さん……。ありがとう、ございますっ……!」

 掛け布団と加えて枕も私の羽根で仕上げてもらった。

 私に、嬉しそうに嬉し涙を浮かべてお礼を言うマーチ。

「いえいえ。どうせ抜けるもんですから」

 丁寧に何度も頭を下げる彼女にそう言う私。

 嬉しそうに早速、ベッドの上の布団と交換を始めている中、

「で、何であたし達にまで?」

「みんなにあげないと意味ないじゃないですか。不公正反対ですんで」

 怪訝そうに見るアリスたち。

 当然、一人だけにプレゼントなんてしない。贈るなら分け隔てなく。

「妙に立派なクッションじゃない。これ、中身は亜夜の羽根?」

「ええ、まあ。職人曰く一級品の羽根らしいですよ」

 受け取ったライムさんから聞いたのだが、私の羽根は品質の良い最高級の羽根に匹敵するらしい。職人がベタ褒めしていたと聞かされた。

「つまりは高級品でしょ!? そんなの、貰っていいの……?」

「ええ。どうぞ」

 金額にすると一つで万単位とか言ってたけど、元は私だ。

 私が誰にあげようが勝手なことである。

「……わざわざ、ありがとう。こんな良くしてもらえること、してないけどさ」

「いえいえ。私が喜んで欲しくて、勝手にやったことですので」

「……」

 ぎゅ、とクッションを胸に抱いて、顔を赤くして戻っていくアリス。

 あら可愛い。それはいいとして。

「ラプンツェルの分はー?」

「ラプンツェルは帽子ですよー」

 ラプンツェルには可愛いデザインの羽帽子。

「わーかわいいー! ありがとー!」

 本当はよく笑う子のラプンツェル。

 この笑顔が私の一種の癒しになっているのは本人には秘密だ。

「……私に……これを?」

「ええ。羽ペンです」

 グレーテルにはシンプルな蒼の羽ペンを。というか、まんま私の羽根だ。

 一番綺麗なのを自分で選んで、加工してもらった。

 これぐらいしか、グレーテルには出来ないから。

 せめて、何でもいいから彼女に出来ることをしたかったから。

「……ありがとう、亜夜さん」

 グレーテルは暫く受け取った羽ペンを見落としていたが、やがてそう言った。

 初めて、名前で呼んでもらえた。そして、お辞儀をされた。

「お兄ちゃん以来かな……純粋な好意の贈り物。久しぶりに、気持ちが楽になったよ」

「そうですか。なら、よかったです」

 私にできることは本当に数少ない。

 だったら出来ることを全力でやるしか方法はない。

 これしか、私には出来ないなら実行あるのみ。

「あと、ごめん。今まで散々酷いこと言って」

 グレーテルは、浮ついた空気の中、素早く近づき小声で私に謝罪を告げた。

「……いいえ、お気になさらず」

 私はそう言って肩を竦める。

 すると、グレーテルは更に続ける。

「あと……あんまり、他人に入れこんで必死になりすぎないで。度の過ぎるお人好しは、身を滅ぼす。分かったでしょ? 呪いは、どんな小さな感情でも、餌になるなら何でも取り込むよ。後悔とか、無念さとか。憎悪とか、恐怖とか、怒りだけが呪いの餌じゃないこと、よく覚えておいてね」

 グレーテルはそれだけ言うと、ベッドに戻っていった。

 何が言いたいのか、何となくわかった。

 これは警告のつもりなのだろう。

 今回の呪いの進行は、自分のせいだと思っているのかもしれない。

 私があの時、謝ったから。その感情のせいで、こうなったって。

 その通りだけど、グレーテルのせいじゃない。弱い私のせいだ。

 付け入る隙を見せた私がいけないんだ。

 あの子が謝ることじゃない。

(……本当に幸運を招けば、呪いは治るんでしょうかね……?)

 事実、蝕む領域は増えた。そして、私はこの有様だ。

 幸運を呼ぶことも、呪いの一環なら進まなければ呼び込めない。

 破滅と紙一重の幸せか……。

 そんなことにはなりたくないが、これだけしかないなら私は続けるだろう。

 諦めないから、何とかなる。きっと、何とかできる。

 私は改めて、そう思うことにした。

 今は考えるのをよそう。この時間は、みんなと笑顔を共有したかった。

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 寝静まった真夜中に、グレーテルは目を覚ます。

「ねぇ、アリス。ちょっと、いい? あの人のことで話があるんだけど」

 ベッドから顔を出し、小声で下の段にいるアリスを初めて呼ぶ。

 今まで文句以外で滅多に声をかけなかったグレーテルにしては、異例のこと。

 隠語で彼女のことを持ちかけると、数秒の間をあけて優しいランプの光が灯る。

「奇遇ね。あたしも、あんたに話があったのよ」

「……」

 顔を出したアリスは仏頂面で、ベッドから出てきた。

 グレーテルも寝巻き姿のままで、降りる。

 二人だけの話し合い。それは、あの人の知らない場所で……。

 

 

 

 

 

「ハッキリ、聞くわ。腹の探りあいは無しよグレーテル。あんた一体、亜夜に何を言ったの?」

「……」

 移動したのは、洗面所だった。

 小さなランプを、洗面台においてから聞かれた。

 アリスはご立腹だった。

 眉を釣り上げて、腰に手を当てて問われる。

 怪訝そうに眉を顰めたグレーテルは、何もしていないと言う。

 あったのは、彼女の呪いを知ったこと。これぐらいだ。

「あの時、亜夜は珍しく落ち込んでいたわ。あんたと買い物に行って戻ってきてから。あんたはあんたで様子がおかしいし。それだけなら、どうしてああなるの? 実際、呪いが進行してあんな姿になっちゃったじゃない。亜夜を見て、何も思わないの?」

「……私は……」

 疑われている。本当に何もしていないのに。

 事実無根もいいところだ。重ねて否定する。

「…………」

 納得していないアリス。

 だが、グレーテルは言い訳もしなければ謝罪もしない。

 ただ、何もしていないというだけだ。

 先に進まないと判断して、仕方なく取り下げる。

 グレーテルはこちらのターンだと知ると、切り出した。

「アリスに言ったことしか私はしていない。でも、多分。あの人の性格からすれば……原因を作ったのは、私であることに間違いはないと思う」

「は?」

 グレーテルは言う。グレーテルの過去を、あの人は知っている。

 あのお人好しに、グレーテルのために必死になって出来ることを探していたけど、何もできないと謝られた。

 そのせいじゃないかと。

 つまり、無力を思い知ったことによる絶望を餌にして、呪いは一気に進行したのではないかと。

 全ては憶測の域だが、一番信ぴょう性はある。

「あんた……何言ってんの……?」

 アリスは呪いの原理を知らない。

 荒唐無稽なことを真面目な顔で言われて首を傾げる。

「私は前に、魔女と直接会ったことがある。戦ったこともある。知ってるの、呪いの原理」

 教えていなかった過去を軽く触れて説明する。

 まさか生還者が身近にいるとは露知らずのアリスは目を丸くし、納得する。

「……いいわ。じゃあ、その原理とやらで亜夜の呪いは進んだと仮定しましょ。それで、グレーテル。あんたに何かしたかった亜夜はその絶望のせいで……」

「うん。私は何もしていなくても、私がキッカケになったと思う」

「……」

 本人にその意図はなくても、勝手に物事は進む場合だってある。

 亜夜の来度の変化はまさにそれだった。二人の見解は一致した。

 亜夜の、性格によるものだったのだ。誰が悪いとか、そういう問題じゃない。

「そういうことね……。それで?」

 腕を組んで、促すアリス。

 グレーテルは語った。

「呪いは、幸福を嫌う。幸せな気持ちを嫌がるの。……ここにいる連中はみんな、何かしらに絶望してる。立ち直れないから、呪いも消えない。幸福を受け入れる余裕がない。アリスだって身に覚えあるでしょ?」

「あ、あたしは別に……」

 それは自分の弱さを認めるようなものだった。

 強がり、何も言わない彼女を見て、グレーテルは言う。

「誰だって認めたくないよ、自分の心が弱いことなんて。でもさ、結局それが結論なんだよ。前を見ないで後ろ向きで、メソメソしてるから私たちはダメなの。ここにいるのがいい証拠」

「……」

 暗に自分もそうだとあっさり認めるグレーテルを一瞥して、アリスは聞いた。

「……で、あんたは何が言いたい訳?」

「結論から言うと、亜夜さんは、私たちを幸福にしようとしてるんだと思う。あの人も、呪いの原理を知ってるから」

「……えっ?」

 それは、意外というほどの答えでもなかった。

 自身をお人好しと言っていた亜夜の行動は、献身。

 こちらに尽くすための言動だった。

 それがグレーテルは危険だと警鐘を鳴らした。

「私達のためなら亜夜さんは……きっと、自分が鳥になってでも尽くそうとする。自己犠牲、それがあの人種の行動理念。自分なんて滅んでもいいから、他人の為に努力を惜しまない。今回だって、言い方は悪いと思うけど、言ってしまえばただの自滅だよ。勝手に絶望して呪いが進んで。頼んでもいないのに、あの人はプレゼントをくれた。全部、私達が幸せになって、呪いから解放して欲しいと願うから。あの人の幸福を呼ぶ呪い、それすら使ってる。だから、危ない」

「…………一理あるわね」

 まるで経験があるかのような言い方をするグレーテル。

 それをつつかないで、アリスは頷く。

 必死な表情で、グレーテルはアリスに説明した。

「私達も、亜夜さんを鳥にしないために、努力しよう。あの人を、幸福にしないとダメだよ。出来るかどうかじゃない。しなくちゃ」

「そりゃ、同感ね。言いたいことは分かったわ」

 アリスもそれは同じだ。亜夜に鳥になって欲しくない。

 だったら、こちらも亜夜の負担にならないようにするという考えは賛成。

「もう、私達は亜夜さんの呪いに巻き込まれてる。私達の呪いが亜夜さんを巻き込んでいるのと同じ。お互いの生命を握ってるっていうと分かりやすい?」

「……ええ。あいつの場合は、生きながら人をやめるからね。今日見て実感したわ」

 アリスやグレーテルのように、トラウマを刺激されるタイプでも、凍死や餓死の可能性のある二人とも別系統の呪い。

 一番、タチが悪い。

「だから、アリス。お願い」

「了解。一時休戦するわ、グレーテル。啀み合ってる場合じゃないわね」

 ここまで誰かのために必死になっているグレーテルは初めて見る。

 一番嫌いな同族嫌悪の相手である互いに譲歩してでもやりたいこと。

 あの優しすぎる亜夜を、鳥にしない為なら何でもする。

「協力しよう」

「あいつのためだもんね。仕方ないわ」

 差し出された手を握る。

 残り二人は放っておいても、懐いているから問題はないだろう。

 そしてこっちのしこりも一時忘れる。

 だから、これ以上呪いは進行させない。

 がっしりと掴んで、握手した。

 二人の主人公が結んだ、亜夜の知らない彼女のための物語(ナーサリー・ライム)

 翼を持つ優しい少女を救うために、呪いを背負う彼女たちは結託する……。



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みんなとのお茶会

 

 

 

 

 巨大化した翼を持つようになって一週間ほど経過。

 折り畳んでいてもやはり時としてこれは邪魔だ。

 今まで仰向けで寝ていたのに、翼のおかげで出来なくなった。

 俯せは苦痛でしかないので、今では部屋に自分で不器用なりにハンモックを作った。

 翼は上手く穴を作って下に落としている。

 正直ハンモック自体の耐久性が心配だが、見に来たライムさん曰く大丈夫そうで。

 ハンモックの下には大量の青い羽毛を毎日定時に持って行ってくれるようになった。

 何に使われているのか、ちょっと気になった。

 聞いてみたらフェザーミールに有効活用してもらえているとか。

 ああ、だろうなぁと思う。そういう使い方もあるだろうし。

 ただこんな蒼でいいのかどうかは不安だが。

 他の職員にその時、フェザーミールって何? と聞かれた。

 フェザーミールって言うのは肉骨粉と言うとわかりやすいか。

 もっとわからないと言われた。

 羽根を集めて集めて、窯に放り込んで高圧高温で燻製にしたものだ。

 本来は家畜のニワトリの廃棄物で作られるんだそうだが、この世界でも家畜文化は上流階級には存在するので、多分その方向で。

 私、ニワトリと同類だった。

 それを何かの餌にしたりとか、肥料にしたりとかする。

 私たち人間の食わない部分を集めてリサイクルしたのが肉骨粉と思ってくれていい。

 私の場合は羽根の質はいいが、なにせ量が多過ぎる。

 なので職人に割安で譲ると同時に、こんな風に産業廃棄物扱いされてもいた。

 童話で語られない部分がこんな風になるなんて。

 夢も希望もあったもんじゃない。

 あとは得体の知れない魔法使いの魔術の触媒にされたりとか。

 まぁ、色々だ。魔法と科学が混在する世界なんだから細かいツッコミはなし。

 然し、随分と大きくなったと思う。

 思いっきり翼を広げて、大きさを計測してもらった。

 片翼、約三メートル。猛禽類よりも大きな翼。

 こんなものを背負っていたようだ。

 体重もごにょごにょ増えたし、その加重はこの翼のせいだ。私のせいじゃない。

 そんな日々を送りながら、私は今日も仕事を続けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 その日はお休みだった。

 久々のお休み。何日ぶりだろうか。

 住み込みゆえ、休日でも彼女たちの所に遊びに行ける。

「こんにちはー」

 ドアを開けて入った途端、

「ぶふーーーーー!?」

 ラプンツェルの悲鳴。

 というか、汚い音。何か吹き出したような。

「い、何事ですか!?」

 慌てて室内に入る。

 すると、

「……」

 頭からぽたぽたと雫を垂らすアリスが、ぶすっと膨れっ面で座って私を見上げていた。

 近くにはちゃぶ台が置いてあり、そこにはお茶の準備がしてあった。

 空色のエプロンドレスを着たアリスは、黙って顔を吹いていた。

 ……何をしているんだこれは?

「げほっ、げほっ!」

 むせているラプンツェル。

 その背中を摩っているマーチ。

「……何をしているんですか?」

 自体が理解できず、私は誰ともなく聞いた。

 すると、ベッドの方からグレーテルの声。

「ちょっと色々あってね、お茶会をしていたの。で、それはいいとして。いきなり来訪者がきたものだから、驚いて彼女が紅茶を吹き出した、という始末」

 グレーテルは会話だけ参加、ということにしてあるらしい。

 あの子にしては妥協したようだ。一応、話し合いに出ているだけ大きな進歩である。

「……あたしが馬鹿だったわ。ラプンツェルに紅茶飲ませるんじゃなかった」

 静かに怒っているアリスに露骨に怯えるラプンツェル。

 マーチが宥めるが、彼女の怒りは収まらない。

「この子供に味がわかる訳がないわ。あたしは何て馬鹿だったの……」

「さ、さり気無く……酷い……」

 マーチに控えめにツッコミを入れられる。

 お茶の意味を知らずに、熱いまま一気飲みしようとして、熱さで驚いたのと私の来訪が重なったらしく、二重の意味でアリスは不幸を見舞った。

 そもそも、紅茶があまりラプンツェルには合わなかったようだった。

 霧状になった紅茶を拭き終えると座り直すアリス。

 ラプンツェルも謝って、仕切り直し。

「それで、話題とは?」

 それを気になって聞くと、アリスは取り付く島もなく関係と切り捨てられた。

 マーチとラプンツェルは目を泳がせて必死に言い訳を探していた。

「……何かいたずらでもする気ですか? だったら、私のカバーできる範囲にしてくださいね」

 悪戯ぐらいなら許そう。

 その程度で一々目くじら立てていたら職員じゃない。

 私が見逃すと、グレーテルの溜息が聞こえた。

 彼女は食事に強い抵抗があるから、仕方ない。そういう呪いだ。

「亜夜も良ければ、その……参加してく? どうせ暇してるから来たんでしょ?」

 そう、アリスに聞かれた。

 こちらを伺うように、私を見ている。

「別に嫌ならいいわよ? 強制は、しな」

「参加していいなら是非」

 セリフの途中で参加表明。

 折角誘ってもらえたんだ。この上ない仲良くなるチャンスである。

 私も、女の子だけのお茶会とやらに出させてもらおう。

 そんなこんなで、私も参加させてもらえることになった。

 

 

 

 

 

「亜夜はじゃあ、魔法使いなの?」

「らしいですよ。何時の間にか使えるようになってました」

 茶菓子とお茶を用意して、三人で語り合う。

 時々、グレーテルがツッコミを入れて参加する。

 要は駄弁っているだけでいいのだ。

 細かいことは気にしない。

 話題は、私のこと。

 もっと知りたいと聞かれて、答えられる範囲でと前置きしておいて話している。

 私が魔法の素質があると説明すると、やってみて欲しいとラプンツェルに言われた。

 無論、私に魔女の素質があることは伝えていない。

 知ってのとおり、グレーテルは魔女に強い憎悪を抱いている。

 兄を奪い、自らの人生を蝕む元凶を許すなどまずありえない。

 それがたとえ私だろうが、『魔女』はひとくくりにされていると思う。

 私のことで更に苦しむだろうから、絶対に言わないつもりだ。

 兎も角、実際やってみる。

「すみません、蛍光灯とかあります?」

「けいこうとー?」

 彼女に首を傾げられた。

 知らないのか単語自体。

「じゃあスタンドでもいいです。コンセント掴んで電気を流せば多分つくかと」

「……すたんど? こんせんと?」

 マーチにも首を振られた。

 なんのことかわからないと言われる。

 ダメか。電化製品の名称が全く通じない。

 そういえば前グレーテルがドライヤーを変なイントネーションで言っていた。

 要するに使い方は知ってるけど名前は知らない便利な道具、ということか?

「電化製品で分かりませんか?」

 全員にわからないと言われた。マジですか。

「でんかせいひん、というのは私達の身の回りにあるあれのこと。明るかったり、温かかったりするあの家具」

 グレーテルが顔だけ出して、皆に言った。

 彼女は近代だから、予想はついているのかな?

 本当に文明の人々の認識に大きなズレがある。

「あー……。どれ?」

「どらいやーなら、知ってるでしょう?」

 グレーテルが何度目かの溜息をついてラプンツェルに言った。

「どらいやー? あの大きな音がするの? やだ、あれ怖いもん……」

 怖いっていう認識でしたか。

 うん、消音にしておいても熱出すし音大きいから怖いもんね。

 異文化に接した人間の言動はこういうものらしい。

「はいはい、じゃあこれでいいでしょう?」

 と、しょうがないようにアリスが動く。

 持ってきたのは、卓袱台の下にあったそれ。

 湯沸かしポットだった。

「これもその電化製品、とか言うのでしょう? だったらこれでいい?」

 成程、これなら分かりやすい。

 湯を沸かせばいいだけの話だから。

「ええ。いいですよ、でも中身が……」

 中のお湯がまだ残っているんじゃないのだろうか?

 アリスは私に訝しげに言う。

「中身? とっくに飲み終えちゃってるわよ?」

「……え?」

 アリスが指さす方向を見れば、重ね着をしているマーチが凄い勢いで温かい飲み物を飲みまくっていた。

 無言で黙々と。

 ハッとして、見つかって慌てて誤魔化そうとする。

 ああ、寒いから恋しくなるのか。

「構いませんよ。これからまたお湯を沸かすので」

「す、すいません……」

 申し訳なさそうにして彼女は謝った。

 それを見て、頭をかきながらアリスがぼやく。

「マーチ……あんた、そうやって何でもかんでもすぐ謝るクセ、やめたら? 自分が全部悪いみたいなこと言われると、あたしも謝りにくくなるんだけど」

「あ、はい……。ごめん、なさい……」

「また謝る……」

 アリスの指摘に恐縮するマーチ。

 ラプンツェルは何のことか分からず、無造作にクッキーを丸呑みして喉に詰まらせた。

 色々事情があるんだ。

 マーチがパブロフの犬のようになった理由は。

 私がすぐにラプンツェルにカフェオレを飲ませながら、マーチに優しく言う。

「大丈夫ですよ、マーチ。ひどいことをする奴は、もうどこにもいません。そして、私がマーチにそんなことを誰にもさせません。何が何でも阻止します。ですから、怯えないでも平気です」

「亜夜、さん……」

 私も知ってる。

 マーチの物語を知っているから。

 マーチのその理由を、理解してるから。

 怯えなくても、私がマーチの幸せを守る。

 だから、安心してほしかった。

「……ありがとうございます」

 私の隣に座るマーチは、そう言って私に寄り添ってきた。

 私はその頭を軽く撫でる。嬉しそうにするマーチ。

 栄養状態が良くなくて、最初はボロボロだった髪の毛も、最近では漸くツヤを取り戻しつつある。これが本来の在り方なのだ。

 あんな辛い経験は私がいる限り、させるつもりは毛頭ない。

「……」

 アリスはそれを呆れてみていた。

 グレーテルも顔だけ出して、呆れていた。

 その表情は、私に向けられているもの。

 私に呆れているのか。仕方ないだろう、もう性分なんだ。

「亜夜ー! ラプンツェルもー!」

「はい」

 ラプンツェルの毛玉もなでる。

 目を細めてくっついてくる巨大毛玉。

「あんたは……。そんなに二人を甘やかしてどうするのよ……?」

「はぁ……」

 やってられない、と引っ込んでしまうグレーテル。

 アリスは言うだけ無駄と諦めたようだった。

「アリスも混ざりますか?」

「お断りさせてもらうわ」

 迷いなく断られた。話がズレたが、魔法の実践だった。

 マーチが簡易キッチンから水を入れて、戻ってくる。

「これで普段はその、コンセントとかいう穴に突っ込んでほっとけばいいんでしょ?」

 部屋にはしっかりコンセントもあるので、与えられた電化製品は自由に使える。

 まぁ……使えない道具を使おうとする子はあまり居ないようだが。

「ええ。ですので、こういう風にすれば……」

 ライムさんに魔法の使い方は教わっている。

 意識するだけでいい。後は身体が呼吸と同じで勝手にやる。

 プラグを掴んで、電気を流すと意識する。

 すると。

 

 

 

 

 バチッ!!

 

 

 

 背後で鋭い音。

「なに!?」

 驚いて固まる二人よりも先にアリスが反応した。

 同時に少々焦げ臭いニオイが漂う。

 立ち上がり、背後に行くが何もないと言う。

「火事……?」

 私が見回す範囲で、火種はない。

 マーチのマッチもライターも、仕舞ってあるし。

 いや、手元か? だが異常はない。

 正常に動いているようで、モニターには時刻表記もされている。

 魔法は発動し、電気は私の手を通じてポットに流れ込んでいた。

「何か、焦げ臭い……?」

 ラプンツェルが自分の髪の毛が焦げているのかと焦る。

 大丈夫だ。髪の毛は燃えると臭いじゃ済まない異臭がする。

 一度嗅いで気絶した私が言うんだ、間違いない。

「なんのニオ」

 言いながら見回すマーチが、中断して絶句。

 何かを見つけて私に報告してくれる。

「亜夜、さん……。髪の毛が……その、逆立ってる……」

 どうやら、私の髪の毛がなんか逆立っているようで。

 もしかして、魔法使ってるから静電気で逆立ってるのかな。

 熱せられた鰹節みたいになってた。

 ついでに、隣のラプンツェルに至っては髪の毛がゆらゆらと海面漂う海草よろしくの動きをしている。

 無邪気に面白がる髪長姫。

 それだけならいいんだけど。ならば、何が焦げたんだ?

「静電気にしては、派手な音がしたわよ?」

「ですよね?」

 アリスと一緒に疑問符を浮かべていると、

「あー!?」

 ラプンツェルも何かを発見して取り出した。

 今度は何事だろうか。

「亜夜の羽根焦げてるー!」

「うぇ!?」

 流石に私も焦る。私の翼が静電気で燃えたのか!?

 でも、違和感はないのに?

 神経が通じているから痛みなどあるはずだが。

「ちょ、羽根!?」

 アリスが私の翼をすぐに確認。

 が、肝心の翼は無事だ。

 ラプンツェルが言うのは、抜け落ちた羽根が静電気で爆ぜていたという話だった。

「ややこしいわね全く……。雷の魔法だって言ってたけど、確かに静電気も強く発生しているし、ラプンツェルはその状態だし。本当に魔法が使えるのね」

「ええ、私も実践して如何に不便かよくわかりました」

 可燃性の翼があるのだ。

 強力な静電気を伴う魔法なら、自分に引火する可能性大。

 やりすぎると、火達磨になるかもしれない。

 沸いたお湯で新しく入れ直したモノを飲みながら喋る。

「呪いに加えて魔法まで一緒くたって、あんたも大変ねえ」

「慣れちゃえばどうってことないですよ」

 そう、どうってことない。

 皆の苦しみに比べればこのぐらい。

「亜夜、さん……。大変なときは……言って、下さい。わたし、お手伝い……しますから」

「ラプンツェルも出来ること、するよ?」

 二人は私のことを案じてくれてた。

 そんなことを言われるようじゃ、まだまだだ。

 無理はダメと釘を刺されているし、気を付けたほうがいいかな?

 加減、まだまだ難しいそうだ。

 この日のお休みは、みんなとこうしてお茶会をして過ごしたのだった。



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魔女の脅威

 ――魔女が出たぞォッ!!

 

 

 自警団と思われる人の大声で、その日訪れていた村は大混乱に陥った。

 昼下がりの小さな村の商店街は、逃げ出す人で溢れかえった。

 すれ違う人々の表情は同じ。

 統一されてるかの如く、『恐怖』一色だった。

 村人は全員家に飛び込み施錠。

 旅人や商人たちは我先に逃げていく。

 私達は、通り過ぎる彼らを見つめていた。

 私は特に、動じることもなく見送っていく。

 さて、どうしようかなこの場合は。

 今日は、全員来ちゃっているし。

「……」

 傍らにいたラプンツェルが怯え出す。

「亜夜、さん……!? ど、どうしましょう……!?」

 マーチは焦燥からか、冷静な答えを私に乞うてくる。

「……」

「……」

 アリスもグレーテルも、何も言わずに動かない。

 アリスは周囲を探っているように目を動かす。

 グレーテルは嫌悪感を隠そうとしないで険しい顔をする。

 状況を整理しよう。

 魔女の出現は、あの自警団の動きからして、村の外。

 連中、武器を持って果敢にも立ち向かうように駆け出していく。

 足止めなら任せておけばいい。所詮は、関係ない。

 幸い、行く先だったので回れ右して逃げれば十分間に合うだろう。

 が、問題がある。走って逃げるにはそれなりの体力が必要だ。

 ……私は常に杖をついて歩くような脆弱な人間。

 走るなんて当たり前のことすら、出来ない。

 つまり、足手纏いになる。私じゃ先導ができない。

 無理をすればできないこともない、が……。

 この混乱した状況でやれば、私も魔女扱いされて殺される。

 異形とは得てして、大体そういうものだ。

 だからこそこそ隠れて生きていかないといけない。

 役立たずの自覚はあったが、こんなことになるなんて。

 参ったものだ、本当に。

「アリス、帰り道は分かりますよね? 先に、戻っていてください」

 動揺こそしているけれど、比較的冷静なアリスに頼む。

 この子なら、大丈夫だろう。

「亜夜はどうするつもりなの?」

 言い出されることは考えられていた。

 アリスに責めるように睨まれた。

「私は後から行きます。先に脱出してください。見てのとおり、私は走れません。それに、ラプンツェル達も先導して頂かないと。私では、役不足です。万が一のことがありえます。だから、アリス。グレーテル。二人に、託します。先にサナトリウムに戻っていてください。最悪、通りかかった馬車でも何でも使って構いません。後払いで良ければ私が支払います」

 未だに交通に馬車が使われるなど不便な世界だったが、走るよりは断然早いだろう。

 給料から差し引きされる程度で皆の安全が確保されるなら安いもんだ。

 翼を使え、とアリスは突っかかるがグレーテルが叱責する。

「……亜夜さんは、表立って翼を出すわけにはいかないの。多分、魔女と同類扱いされて……狩られる」

 グレーテルの言うとおり、無理矢理行こうと思えばいける。

 アリス、グレーテルには走ってもらい、私はラプンツェルとマーチを何とか抱きかかえて飛べばいい。

 でも私が死ぬ確率は少なからずある。

 弓矢で射抜かれたら確実に死ぬだろう。

 元は人間だ。耐久力だって上がってはいない。

 下手すれば猟銃を持ち出される可能性だって否定できない。

 窮地になった人間のやり出すことは、感情的でも理論的でもない。

 ――本能的だ。

 危険から忌避するために対象を防衛のため攻撃、対象から離脱するため逃亡する。

 大まかに見てその二つが考えられる。

 然し、よく考えてみる。

 時として、その対象の危険度合いによっても行動は左右されるとはないだろうか?

 私はそこまで脅威に見えるか?

 言ってしまえば翼のあるだけの人間。

 魔女のような圧倒的な敵じゃない。

 形容可能と言えば、何とか収めることはできる範囲だ。

 逃げる前に、殺してしまえばいいと判断されても、おかしくない。

 逃げるほど恐ろしい風貌をしていないのが最大の原因になるのでは?

 私が翼を出して逃げるという案は却下だ。

 人目が少なかろうと、いるにはいる。危険な賭けには出られない。

 私一人の問題じゃないんだから。

「……どうするの、亜夜?」

 アリスに問われる。遠くの方から流れてくる大きな爆発音。

 もう、争いは始めているようだった。

 二人が竦み上がっている。早く、決断しないと。

「私は亜夜さんに従うべきだと思う。但し条件付きでね」

 グレーテルは、アリスと共に逃げることを選んでくれた。条件を提示して。

「亜夜さん、逃げ切れる算段ぐらいはあるんだよね?」

「……はい?」

 逃げ切れる算段?

 そんなもの、あとで考えればいい。

 今は皆を優先しているに決まってる。

「考えてることはわかる。私達を優先しようとしてるでしょ。だけど、許さないよ」

「?」

「亜夜さんも無事に帰ってくると約束して。それが条件。じゃないと、私ここに残るから」

「なっ……!?」

 言葉を失う私。

 グレーテルは本気だった。

 本当に自分は残るつもり。

 アリスも唖然としていた。

「グレーテル、あんた何言って……」

「アリスは黙ってて」

 睨みつけたグレーテルは、私に向き変える。

「いい? 亜夜さんは自分が思っている以上に、重みのある存在なの。私達は亜夜さんを必要としてる。それを巫山戯た理由で、勝手に居なくならないで。居なくなるなら、みんな巻き込んで一緒に死んで。そのほうが幸せだよ」

「……」

 グレーテルは真剣に言った。

 まさか、亡き兄と私を重ねているのか?

 遺された人間は、辛い思いしかしない。寂しい思いしかしない。

 消えるなら、死ぬならいっそ同じ時をして。寂しくなく、辛くなく。

 グレーテルはそう言いたいんだ。

「先に逃がすなら、ちゃんと帰ってきて。あの場所に。私達の部屋に。それで、明日も変わらずちゃんと世話を見て。それが出来ないなら、一緒に逃げるかここで一緒に死んで。亜夜さんが選べるのはこの二択だけ」

「……」

 成程、選ぶなら相応の覚悟を持て、と。

 遺された人間のことも少しは考えろっていう忠告。

 なら、いい。私は元より、そういうことなら得意だ。

「ええ。分かりました、必ず帰りましょう。大丈夫、私がするのも基本は逃亡です。足止めするなんて、戦うなんてことは言ってませんよ?」

「必要ならするつもりだったくせに」

「否定はしません」

 決定だ。

 皆が先に逃げることになった。

 私は赤の他人を率先して救うほど優しくないし、常識もない。

 逃げるときは見捨てるし、犠牲にするし、必要だったという自己正当もする。

「私を信じてください、グレーテル。私のお人好しは特定の人だけですよ」

「……それだけ利己的なら、大丈夫そうだね。行こう、アリス」

 アリスを促すグレーテル。

 心配そうに見ているマーチの頭を撫でて、ラプンツェルの髪の毛を邪魔にならないように結ぶ。

 そして、胸を張っていった。

「大丈夫です

 その言葉を、二人は信じてくれた。」

「亜夜、帰ってきてね!」

「信じて、ますから……」

 足手纏いになるつもりはない。

 況してや、人柱になるつもりない。

 みんなの幸せを考えるなら、自分だってそこにいる。

 犠牲にしてでも生きて帰る。

 それが、私とヘンゼルさんとの違いだ。

「……分かった、あんたも必ず来なさいよね!!」

 アリスたちは何度も振り返りながら、ひと足早く、脱出していった。

 完全にその姿が見えなくなるまで、しっかりと確認してから。

 私も逃げようと、ゆっくりと歩き出す。

 逃げると言っても私はこれしかない。

 頼りない、己の足のみで。一歩ずつでいいから、離れよう。

 そう、思ってる時だった。

 

 

 

 

 

「おやおや、身内を逃がすための囮かい? 随分美しい家族愛じゃないか。ハッ、下らない。本当に下らないよォ。所詮ガキはガキだねェ」

 

 

 

 

 嗄れた、老婆の声。

 すぐ後ろに、強烈な気配。

 不自然に近い距離。

 耳元で、囁かれた。ぶわりと、産毛が総毛立つ。

 声を聞いただけで、本能が警鐘を鳴らした。

 ああ、成程。嫌でも理解する。これは、不味いわけだ。

 自警団の連中は、負けてしまったか。足止めにもなりゃしない。

 私が止めるしかないか。今逃げたら、追ってくる。

 結局、こうなるじゃないか。

 理性や感情よりも前に人間としてのシステムが反応する、想像以上の化け物。

 こんなのにグレーテルは立ち向かい、ラプンツェルは育てられたわけか。

 でも、その前に。

 本能よりも私は、言いたいことがある。

 何が……下らない、だと? 誰が、囮だと?

「ええ、腐れ外道からすれば下らないでしょうね。一丁前にほざいてんじゃないですよ、暇人共が」

 私は、振り返らずに言い返した。

 このババア……一番私の腹の立つことを言いやがった。

 あの子達を……見下したな?

 あの子達を……嗤ったな?

 あの子達の気持ちを……否定したな?

 今、このババアが鼻で笑った事が、一番許せない。

 感情?

 理性?

 生存本能?

 

 

 

 ……知るか。

 

 

 早く逃げろ?

 挑発に乗るな?

 

 

 ……知るかッ!!

 

 

「ん? お前……なんだい? 人間じゃ……ないのかい?」

 怪訝そうな声。

 人じゃない? だから、それがどうした。

 見ればわかるだろうそんな事。

 どうでもいい、全部どうでもいい。

 今、私にあるのはこの文字だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――さっきの言葉を、訂正しろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜夜はこの世界に来てから、初めてハッキリとした怒りというものを感じた。

 それは、殺意と言って近いほどの激情。

 そして、それは目覚めさせてはいけないものまで覚醒(めざめ)させる。

『訂正しなさい。あの子達に言った言葉を、今すぐ』

 後ろにいた靄。

 向こう側が決して見えない、白昼を蝕む深夜の闇。

 彼女を背後から這い寄ろうとしていたのを、俯いた少女の言葉が止める。

『私を呪えるもんなら呪ってみなさい。殺せるもんなら殺してみなさい』

「な、何なんだいお前は!?」

 魔女は驚いて、慌てて姿を見せた。

 黒いローブを着ている、皺くちゃの腰の曲った老婆。

 これが、魔女の一人。この世に蔓延る喋る悪意。

 その表情は、見たことのない異物を見るかのようだった。

 普段、魔女たちは自分たちがつくる数々の秘薬によって効果を得ている。

 媚薬だのなんだのから、人間を殺すモノまで様々だ。

 この魔女が使っていたのは、自らを霧にして一切の物理攻撃を効かないようにするモノ。

 それを解いた。つまり、物理攻撃じゃない攻撃が魔女を襲ったのだ。

 このひ弱な子供から漏れ出す言葉によって。

『訂正しろって言ってンですよ。その耳は飾りですか、クソババア』

 顔を上げた少女。

 爛々と真紅の目を光らせて、口から薄紫の吐息を吐き出し、蒼い翼を威嚇するかのように大きく広げる。

 得体の知れないバケモノが、そこにいた。

『私を心配するあの子達の気持ちが、下らない? 笑わせますよ。一番下らないのは、魔女そのものです。生きてる価値もこれっぽっちもないくせに、偉そうに人様にほざいてるんじゃないですよ、このクソババアが』

「……」

 何だ、この子供は。

 何だ、この感じは。

 あの翼は……呪いか?

 なら人か?

 だが、この威圧感(プレッシャー)はなんだ。

 魔女相手に、ここまで言い切れる殺気と違和感はなんだ?

『腰だけじゃなくて性根まで腐ってひん曲がった薄汚い老耄の分際で、懸命に生きる人をディスるなんて権利がありますか。いいえ、ありません。誰のせいで、こんな姿になったと思ってんですか。誰のせいで、あんなに苦しんでると思ってんですか。お前らみたいなクソババアが意味不明な理由でやらかしたからでしょうがッ!! えぇ、違いますかねェッ!?』

「……な、何を言ってんだい、お前は……?」

 激昂する子供。魔女は正直、生まれて初めて怖気ついていた。

 ああ、分かった。こいつの正体。

 取り敢えず、敵じゃない。敵対はされているけど。

 だが、こいつにとって不味いことを言ったのは事実なようだ。

 自分が悪いと理解したし、早めに謝っておこう。

「あぁ、もう。あたしゃが悪かったよ。連れに余計なことを言っちまったね。撤回するよ。すまんすまん」

 素直に頭を下げて謝る。

 憤る子供は、睨め上げてくるままだ。

『……そんな言葉で、許すと思ってんですか……?』

「そうは言うけどねェ……」

 魔女は警戒を解いた。

 もう少し早く気付いていれば、こんなことにはならなかっただろうに。

「ちょいと落ち着きなよ、若いの。年寄りに失敗くらい、許してくれないもんかね?」

『……』

 子供は、黙っている。

「あたしゃ、あんたにゃ何もせんよ。互いの害しかないだろ?」

『……』

 訂正はした。謝罪もした。

 子供は、敵意はないと判断して、一応矛先を引っ込めた。

 翼を折りたたみ、然し不気味な紅い双眼は未だ睨みつけてくる。

「あんたに茶々入れたことは、あたしゃの失敗だったよ。ただ、若いの。一つだけ言わせてもらえるかい」

『……』

 言ってみろ、という視線。

 では遠慮なく指摘させてもらおう。

「やっちまった詫びとして老耄から一つ、言っとくけどねぇ。あんた、何で人の真似事なんてしてるんだい? あんまり入れ込みすぎると、為にならないよぅ? 利用しようと近づき過ぎて、毒されたらあたしゃたちは、大体殺される。油断してっと、寝込みを襲われてそのまま火あぶりさ。それを分かった上でやってるなら、いいんだけどね」

 この魔女は感じていた。

 こいつは、同類だと。

 奇異な外見をしているが、人間と偽って暮らしている異物。

 同じ穴の狢だから、よくわかる。

 この娘は見たところ相当若いが、立派な魔女だ。

『……わ、私は、魔女じゃありません……』

「ん、なにいってんだい? 何処からどう見たって、立派な魔女じゃないか。隠さなくてもいいよぅ? あたしゃも魔女だよぅ。もしかして、自分以外の魔女は初めて見るのかい? だったら余計に突然襲って悪かったぁねぇ」

『……』

 反射的に誤魔化す癖でもついているんだろう。

 こんな世界だ、本物相手に言えるなら良い傾向だ。

「事情知らずに罵られたらそりゃあ怒るってもんさな。いや、悪かった悪かった。今回は見逃しとくれ、次は気をつけるわい」

 ケラケラ笑って彼女を宥める。

 最近じゃあ珍しい、年若い魔女。

 呪いの力が半端にあるから、制御できずにいるのは当たり前だ。

 面倒くさいのは、

 魔女は多くが個人主義だし、教えてもらうのではなく自分で学ぶが基本なのだ。

『…………。はい、気を付けてください。同類なら、言いますけど。私、人前で怒りたくないんです。折角隠しているものが、バレてしまいます』

 子供……いや、年若い魔女はそう言って渋い顔をした。

 魔女同士なら遠慮することなく、話ができる。

 老婆は再度謝った。

「あー、やっぱりそうかい? わかるよぅ、人ってのは用心深いからねえ。……って、思ったよりも不味くないかいそりゃ。あー、いかんわな、うん。詫びと言っちゃあなんだが、これ使うかい?」

 ひょいっと、ローブの下から取り出した杖を渡す。

 先端に宝石のついた、立派な杖だ。

『……これは?』

「あんた、見たところ誰かに嫌がらせされてるだろ? その背中の羽根、見ればわかるよ。呪いだろ? 若いからって、ねちっこいことする奴がたまーにいるのさぁ。ほんと、くだらないよ。あんたも苦労してるんだねぇ……同じ魔女なのに、こんなことされて……。その杖はね、呪いを止めることができる杖だよ。あたしゃお手製の奴さね。若いとまだ呪いも半人前だろ? 上手く制御できるのかい?」

『……いえ、まだ全然……』

「だろう? ここは知り合った縁というか、先人のお節介だと思って、受け取っておくれよ。今じゃ魔女も少なくてねえ……。こういう、未来有望な娘にゃ頑張って欲しいもんなのよぅ」

『……』

 困ったようにしている若い魔女。

 何度も持って行けというと、渋々受け取ってくれた。

 人の中で隠れて、呪いの修業中と見た。

 それを事故とはいえ、暴くようなことを仕出かしたのだ。

 相当な危険性があるのをやったらお詫びをするのが魔女の礼儀だ。

「今日はすまんかったね、若いの。じゃあ、達者でやっとくれ。あたしゃ用事が住んだら引っ込むから。あんたもバレないように、頑張んなー」

 怖い笑顔で手を振り、また霧になって老婆は去っていった。

 随分と同類にはフレンドリーで、然も余計なお世話だった。

『……』

 目から危ない紅が抜けて、吐き出す紫煙も収まった。

 ただの少女となった亜夜の手元には、魔女がくれた呪い止めの杖。

 亜夜は瞬間的に『魔女』に近しい存在になり、それを暴かれ慌ててフリをした。

 意図せず、覚醒してしまった。魔女としての第一歩を。

 そして、難を逃れた。……どうしようかな、これ。

 取り敢えず、サナトリウムに戻ることにしたのだった。



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童話の解釈

 

 

 

 

 その日は、彼女達との態度に違和感がないかと聞かれたら、自信がない。

 多分、気付かれている。グレーテルには特に。

 彼女にアレだけ警戒するように言われたのだ。

 戻ってきた私を見てあれやこれやを確認していたから、悟られちゃったと見ていい。

 困ったなぁ……。私、魔女への第一歩も踏み出してしまったかもしれない。

 あの時の強い感情。怒り、というやつかな。

 瞬間的に、あいつを許せないという感情に支配されて、気が付いたら私は私じゃなくなっていた。

 分かる。

 あの状態をどこか客観的に見ていた、人間としての今の私がいたから。

 私はあの刹那、間違いなく『魔女』になっていた。

 訂正しろという言葉そのものが『呪詛』という呪いになって、あの魔女に対して攻撃した。

 それを理解したあの老婆は謝ったんだ。

 呪いが、そうさせたのかは分からない。

 魔女には呪いは意味がないと言っていた。

 だが、あの魔女は若い魔女にも嫌がらせをする奴もいると言っている。

 個人差があるってことか。呪いを分からなければ、される場合もある。

 ライムさんの見解は『傍観者』としての、第三者の立場。

 当事者の見解じゃない。魔女からすればそういうことも有り得る。

 この世に絶対がない早々ないように、時と場合によるようだ。

 あの老婆は言った。どこからどう見ても、私は『魔女』だと。

(怖いですね…………)

 あの激情がもしも、長時間保っていたら。

 私は、どうなっていたんだろう。

 もう、手遅れか。既に、遅いか。

 素質だけじゃない。私は自らの意思で、外道になった。

 そして手元には、呪いを止める魔女の杖。魔女からの贈り物。

 怖くなって、私はもう一度精密検査を受けた。

 結果は……アウト。私は、半分程度の割合で『魔女』になっていた。

 皮肉なことに、青い鳥の呪いの部分が、『人』としての私に食い込んでいたおかげで、内部変容がそちらに及ぶことがなく、半分程度の覚醒で済んでいた、とのこと。

 呪いがあるから、『人』としての私がいる。

 本当に皮肉な話だ。私を鳥にするための呪いが、私を人に留めておくとは。

 先んじて人として呪われたが故に、のちの魔女への変容にも適合しないで、あくまで呪いは人としての私へ呪う。

 『半魔半人』の亜人。

 強いて言うならそれが私。

 いよいよ意味のわからない生命体になってきた。

 結局私はなんだ? 魔女か? 人か? 

 ライムさんだって、私が何かもう分からないとサジを投げた。

 呪いを止める杖は本当に呪いの進行を食い止める役目をしているらしい。

 まあ、その代わりと言ってはなんだが、魔女としての最適化をしているようだが。

 でも魔女も最適化は呪いの領域を犯せず、呪いは魔女への最適化にエネルギーを持っていかれているから成長できない。

 つまりは現状から、酷くなることはもうない。多分。

 どっちみち、そろそろ絶望的かもしれない。

 進むことはないかもしれないが、戻れることもキツくなってきた。

 私の、人に戻れる可能性は、どんどん低くなっていく……。

 

 

 

 

 

 

「し、死ねェ! この、クソ狼がぁぁああああーーーーーーーッ!!」

 

 

 ガシャーンッ!!

 

 

「ぎぃやぁああああああーーーーー!」

 

 

 ……何の騒ぎだ朝っぱらから。

 数日経過して、一応は何事も無く過ごしている私。

 皆とも、そこそこ何ともなく接して、内心ビクビクしながら過ごしていた。

 ぶっちゃけ、一人の時は精神的に疲弊状態だった。

 秘密を守り通すってのはかなりキツイ。

 いつバレるかと安らぐ時が全くないのだ。

 相手は仲の良いみんなだ。知られた時が一番怖い。

 不眠にならないのが不思議なことだった。

 今日はお休み。ちょっと気晴らしに出かけようと思って、部屋を出たら。

 何か遠くの方で女の子の切羽詰った悲鳴が聞こえてくる。

 あと聞いたことがある野太い男の絶叫も。

 何事だろうか? 職員として見に行くことにした。

 

 

 

 

 

「……何してんです?」

「一ノ瀬!? た、助けてくれッ! バカ頭巾に殺されるッ!」

「誰がバカ頭巾だケダモノがッ! ぶっ殺してやる!」

「そうです、死になさいケダモノ」

「何で!?」

 様子を見に行く。行くんじゃなかったと速攻後悔した。

 私と同年代の職員が入所している女の子に刃物を向けられていた。

 気の弱そうなシンプルなデザインのメガネをした、ジャージ姿の長身の優男。

 それが羞恥で顔を真っ赤にした寝巻き姿の少女に今まさに、殺されそうになってる。

 少女の手には、鋭い包丁が持たれていた。

 うん、死ねばいいんじゃないかな。

雅堂(がどう)……。何度言わせる気です? 学習能力保持してますか? それとも、野郎にケツの穴掘られないと女性の心が分かりませんか?」 

「何で向こうの味方するのさ! ぼかぁ、仕事で着替え持ってきただけだよ!?」

 ……何か言ってるよこの野郎。生意気な。

「黙れ。知るか。死ね。……女性の為ですから。ここで、殺していいですよ」

「ありがとう、職員さん! ってことで覚悟しろ狼! 今日こそ殺してやるッ!」

「ひぃっ!?」

 この男は私の同期にあたる異世界、要は私の世界の人間である雅堂という高校生。

 私と似たようなタイミングで送られてきた、同じ運命を背負う人間である。

 こいつも相当厄介な呪いを持っており、そのせいでサナトリウム中の入所する女の子に蛇蝎のごとく嫌われている。

 こいつの呪いは『特定の女の子に自身の姿が狼に見える』呪い。

 基盤になっているのは童話『赤ずきん』だそうだ。

 ……まぁ、言うまでもない。雅堂の担当はその本人、赤ずきん。

 赤ずきんの本名は知らないが、彼は彼女をバカ頭巾と呼んでおり、日々殺し合いの日常を送っている。殺される役目が雅堂の方で。

 赤ずきんはこの狼を天敵、更に言うなら男はケダモノだと本当に信じ込んでおり、この狼をぶち殺すと公言していた。

 ……そういえば性的な意味で食べられてしまう赤ずきんの話があると聞いたことある。

 雅堂はその加害者になるかもしれない候補者なので、今のうちに悪い可能性は摘んでおきたいようだった。

 うん、実に納得いく内容だね。

「待て、やめろ、落ち着け! 今の一連の行動で、僕に落ち度がどこにある!?」

「見た目そのものが落ち度だよ!」

「僕本体を全否定してんじゃねえよ! だから、呪いだって言ってんだろうが!」

「それがどうした! お前はそん中で一番ケダモノだ、主に見た目が!」

「何もしてねえのになにその言い草!? してから言えよ!」

「してからじゃ遅いから今言ってんでしょ!!」

 ……不毛だなぁ、と本当に思う。

 ど突きあいしながら、騒ぐ。仲良いな二人して。

 そもそも、童話とは子供に夢を与えるだけのものじゃない。

 童話特有の残虐性も残っている話もある。赤ずきんがいい例だ。

 確か下手すると、性的な意味でだけじゃなくて物理的な意味で狼に食われたり、助からないでそのまま死んじゃったりなんて結末もある。

 そういうところからきていた場合、この赤ずきんの態度も納得せざるを得ないというか。

 だから、雅堂の扱いは妥当である。

 そのまま殺されることはないだろうけど、去勢ぐらいはしてもいいと思う。

 私個人としては、あのヘタレな風貌が気に入らないのと、性格の相性が最悪なので、どうなろうが知ったことじゃない。私には呪いは効果なしだがあいつは嫌い。

 さて、ここで問題になるのがラプンツェル。

 雅堂を王子様と思うことはほぼないと思うが、身の危険が童話的に有り得てしまうので、絶対に近づかせない。

 近寄り次第、私もあいつを即刻この手で直々にぶっ殺す。

「死ィねぇえええええーーーーー!」

「ぎゃああーーーーーーーーっ!?」

 雅堂は一目散に逃げ出した。逃げ足の速さは、職員随一。

 赤ずきんはその後を、包丁をダーツのように投げながら追いかける。

 あんな職員と子供たちの接し方も、ある意味じゃ正解なのかもしれない、うん……。

 あの二人ならやらせておけば、多分いいかな。

 うざったいから、放っておこう……。

 

 

 

「――トったァッ!! 死ねェ、変態がぁー!!」

「ンぎゃああああーーーーーーーすっ!!」

 

 

 最後の悲鳴は聞こえなかったことにしようと誓う私だった。

 

 

 

 出かけようと、私は支度して出口に向かう。

 すると、散髪から戻ってきたラプンツェルが私を発見。

 嬉しそうに、無邪気な笑顔で私を飛びついてくる。

「あーーーーやーーーー!」

「おっ、と……」

 バランスを崩すが、杖と翼を使って立て直す。

 軽いとはいえ勢いがあるから、大変。

 ぶわりと背後から突風が起きて、羽根が散らばる。

 しまった、出かける前に片付けしないと。それでも、転倒は免れた。

「どうしたんです、ラプンツェル?」

 私服の私が珍しいのか、彼女は熱心に見たり嗅いだりしながら言う。

「ラプンツェルも一緒に出かけるー!」

「……仕方ないですね……」

 今日は、一人が良かったんだけど。

 でもこの無邪気な少女の屈託ない笑顔を曇らせるのは嫌だし。

 しょうがないので、連れていくことにした。

 

 

 

 

 

 

「ラプンツェル、あの物体は見ちゃいけません。アレは魔女と同じく邪悪なものです」

「んー? 亜夜、何にも見えないよー? 何がいるのー?」

「……出会い頭にナチュラルなその扱い、ひどくね?」

「黙れ変態。殺すよ?」

「アレだけやってまだ足りないってか、このバカ頭巾め……。僕が違う性別になるところだっただろうが」

「あン……?」

「いえ、何でもありません……」

 朝早くだったが、近くの街へ買い物に来た。

 私は素早く着替えてきたラプンツェルと手を繋いで歩いていたら、先ほどの眼鏡と赤ずきんコンビを発見。何だ、生きていたのか。

 ラプンツェルの目隠しをしつつ、睨みつけると悲しそうな顔をされた。

 知るか、ラプンツェルの毒になるなら早く消えて欲しい。

 隣にいる赤ずきんは、よく見たら隠し持っているケダモノの脇腹にナイフを突きつけて、怪訝そうに脅していた。

 途端に竦み上がるケダモノ。

「職員さんもお買い物?」

「ええ。そちらも?」

 赤ずきんは嫌そうに直立不動の狼を睨みあげて言った。

「そうそう。ちょっとおばあちゃんの差し入れに、ワインを買いに。……年齢確認と見張りでこのケダモノまで連れてくる羽目になったけど。ねぇ、なんで生きてるのあんた。マジものの人狼か何かじゃないの?」

「とうとう人間扱いさえされなくなった……」

 こんな人狼、人に紛れることすら不可能だ。

 ある意味的を射ている発言だけど。

「亜夜ー? 何がいるのー?」

 ラプンツェルは大人しくしているが、見てみたいのかちょっとせがんでいる。

 こんな喋る邪悪を……見たい?

 ダメです、見せません。

「ダメだよ、目を開けちゃ。あたしの近くには悪い狼がいるの。こいつケダモノだから、君も襲われちゃうよ」

「しねえよっ!? 僕ぁロリコンじゃねーよ!?」

 ヘタレは直ぐ様反論するが、

「……あン?」

「あ、いえ……。何でもございません……」

 ケダモノ、完全に赤ずきんに負けていた。

 童話とは真逆の立場になっているから、多分この子は安心安全確実であろう。

「……ろりこん?」

 意味わからないラプンツェルに簡潔に教えておく。

「こいつの事ですよ、ラプンツェル。怖いモノなので、近づいちゃいけません」

「ちげえよ!! 何サラっと子供に間違った知識教えてんの!」

 喧しいラプンツェルの天敵のくせに。

「……あぁン?」

「ひぃっ!? 痛、ちょ、先が刺さってる……!」

 赤ずきんの恫喝とぷすっと刺さるナイフの先端がケダモノのツッコミをかき消す。

「刺してんのよ」

「さ、さいですか……」

「潰すよ? 何処とは言わないけど」

「やめて下さい、本当に死んでしまいます」

 死ねばいいのにこんな奴。

「一ノ瀬からもなんとか言ってやってよ……。僕は何もしてないのに」

 めそめそし出すヘタレ狼。私はあえてトドメを入れた。

「存在がセクハラになっている奴の言うセリフじゃないです」

「……いい加減、泣きたい……」

 メンタルもそろそろ限界か。

 仕方なく、ラプンツェルの目隠しを取る。

 ぱっちりと目を開けて、そいつを見上げる。

「おぉー……。亜夜ー。これなあに?」

 思っていた以上の異物にある種の感動すらしつつ、私に問うラプンツェル。

 堂々と、私は答える。

「ロリコンです」

「ろりこんって言うのには、ラプンツェルは近づいちゃいけないの?」

「いけません」

「わかった!」

 サッ、と私の背後に回って隠れる。

 完全に避けられていた。敵意や悪意成しの子供特有のイジメ。

「……おう、もう……」

 眼鏡は項垂れて沈む。

「あぁンッ……?」

「ひぃっ!?」

 あ、ナイフの切っ先が下にむいた。

 途端にまた直立不動になる。

「やめて、もう本当にあれだけはマジでやめて! 男の尊厳が無くなる!」

「知らないよそんな汚いの。っつーか、次はないってあたし言ったよねぇ? なに、忘れてた?」

「忘れてない、忘れてないッ!!」

「どうだかね……。もっかい刺されたい? 焼かれたい? 撃たれたい?」

「嫌です。絶対、嫌です」

 おお、見事な躾。狼が言うこと聞いてるよ。赤ずきん凄い。

 っていうか今まで何してきたんだあの狼に。

「じゃあ何、さっきの態度。あたしに喧嘩売ってんの?」

「売ってねえよ!?」

「……」

 その態度が気に入らないようで、赤ずきんは無言でナイフを下に進めていく。

 私はラプンツェルと一緒に、移動開始。

 目に猛毒だ。

「さーラプンツェル。今日はケーキでも一緒に食べましょうか」

「ケーキ!? うん、食べる食べるー!」

 よし、これで気は逸れた。

 その後を追うように、狼と少女もついてくる。

「やめて、そのナイフを何処に突き刺すおつもりですか!」

「……」

「言わなくていい、言わなくてもわかったから! 無言の威圧やめて!」

「…………」

「何で止めないの!? 僕、嫌がってんじゃん!!」

「………………」

「あの、調子に乗りました。申し訳ございません、許してくださいお願いします」

「……今回は、見逃したげるよ。次こそ、無いからね? 何処とは言わないけど」

「ひぃぃぃぃ……!!」

 何してんだあの二人。

 よくわからないけど、赤ずきんの物語は100%安心だ。

 だって狼、勝ち目ない。完全に手中に収められている。

 あれじゃただの飼い犬だ。威厳もへったくれもない。

 ざまあみろ、と内心笑った。

 ラプンツェルがそんな時、突然言い出した。

 それは、私の心臓を止めるような一言、だった。

 

 

 

「……ねえ、亜夜。……何であの人と同じニオイがするの?」

 

 

 直球な質問。手を繋いだまま、硬直する私。

 あの人……? あの人って誰だ。

 

 

 

「凄く、変なニオイがするよ? 怖いニオイ……。どうして?」

 

 

 

 怖いニオイ。ラプンツェルの物語。

 まさか、彼女の言う『あの人』って……。

 

 

 

「どうして、亜夜から魔女のニオイがするの……?」

 

 

 

 ――嗅ぎつけられた。

 まさか、よりによってラプンツェルに。

 

 

 

「亜夜……何か、されたの……?」

 

 

 純粋な心配が、私の心肺を止めるかのような錯覚。

 何も言わずに、私はなんでもないとすぐに答えた。

 聞かなかったことにしよう。うん、それがいい。

「……そう?」

「ええ、そうですよ。心配してくれてありがとう、ラプンツェル」

 ……予感がしてなかったわけじゃなかった。

 この子だけは、家族として魔女と接していた過去がある。

 だから、わかるんだろう。ニオイという表現をする何かが。

 まずい……。このままじゃ、まずい。

 彼女が他の子に知らせてしまえば、私は……破滅する。

 今までの努力が、全部パーになる。

 どうしよう。どうすればいい。

 口止めなんてできないだろう。

 相手は子供だぞ。どうすればいい。

(ああ、もう……)

 自分の甘さが招いたことだ。

 ラプンツェルは悪くない。悪いのは油断していた私。

 何とかこの時はやり過ごした。

 だが、私の不安は……徐々に膨れつつあった。



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ひずみ、疑い、堕ちる

 

 

 

 

 

 

 ラプンツェルの事を甘く見ていたつもりはない。

 ……あの子は、時折鋭くて怖い。

 いきなり核心に迫る質問を投げてくるなんて、思わなかった。

 純粋な心配が、私のの隠し事をする良心を酷く痛みつける。

 私は、幸せにするはずのあの子達に、隠し事しないといけない。

 無論、それが悪いことじゃないことは分かる。

 誰だって全てをオープンにすることは不可能だ。

 みんな、一つや二つ、隠し事ぐらいはするもの。

 ……それは、わかってるんだけど。

 今世話をしているあの子の中で、私の知っている物語として終結しているのは、グレーテル。

 この世界では恐らく過去、経験という形で進められる事柄。

 お兄さんの犠牲によって逃げ延びたグレーテルは物語として終了している。

 アリスのことは、知らされている部分を聞く限り、私の知る不思議の国と同じ結末。

 進んだストーリーは違えど、結末が同じならば大丈夫、かな?

 私が知ってる不思議の国のアリスは大量に分岐がある上、その全てが結末が違う。

 伊達に有名じゃない。

 鏡の国のアリスなる続編まであるらしいからたまったもんじゃない。

 あのアリスは、何処の御伽噺のアリスなのだろう……?

 確実なのは、現実世界として機能するこの世界に帰ってきているから終結後であるということ。

 エンディング後のアフターストーリーで私と出会っているという解釈であっているはずだ。

 対して、ラプンツェルとマーチはハッピーエンドとバッドエンドの結末を迎えていない。

 マーチは死亡して、ラプンツェルは王子様と結ばれて終わり。

 ……よく考えてみれば私にはこれ、無理じゃないか?

 マーチは絶対死なせない。意地でも認めるものか。

 ラプンツェルと結ばれるのは同性だから無理。

 女の子同士だから子供もできない。

 方法は多分無いことはないだろうが、途方もない手間がかかる。

 既に童話としての夢が欠落しているただのリアルだ。

 私じゃ無理じゃないか。

 男だったら遠慮なくラプンツェルを嫁にしてるんだけど。

 残念ながら私は女の子なので無理でした。そっちの趣味にはなりたくない。

 マーチとも仲良くして、結末を引っ繰り返しているのに。

 じゃあ二人とはストーリー自体が変わっているんだろうか。

 ……考えるようになったことがある。

 それは、私が無意識に考えないようにしていた、いうなれば目を背けていた現実。

 私のできるハッピーエンドとはなんだ?

 そもそも私が幸運を呼ぶとしても、その後にまた絶望を与えるのではないか?

 私は自分の世界に帰る。

 それは、この世界に彼女たちを置いていくという前提があるからだ。

 グレーテルは言った。私の存在は、彼女たちにとっても重い意味があると。

 おいてけぼりにされた彼女達は、また不幸になるのでは?

 連れていくことなんて当然出来ない。

 世界の壁は、越えることはできない。

 だってここは、夢の中なのだから。

 童話の世界なのだから。

 私達はこの場所以外で、交わることなんて出来やしないんだ。

 私は読者であっても、登場人物(キャラクター)じゃない。

 それが、現実だ。

 私は、私の世界の日常が好きだ。

 あの何気ない世界に今でも帰りたい。

 呪いなんていらない。魔法なんていらない。

 ファンタジーなんてどうでもいい。

 異世界も冒険も無双も最強も転生も必要ない。

 私は他の連中とは違うんだ。

 あの何もかも満たされた世界に不満なんてない。

 お父さん、お母さんのいる世界に帰りたい。

 顔を見て話をしたい。

 失わなくてもその大切さを知っている。

 失っている今は、とても恋しい。

 願うことなら、すぐにでも帰りたい。

 ……いや、叶うんじゃないだろうか?

 私がそもそも、帰れない理由はなんだ?

 この翼のせいだ。この体質のせいだ。

 これは幸せにすれば、解ける。

 呪いは幸福を嫌う。

 幸福になれれば、呪いは無くなる。

 だけど。

 

 

 

 ――幸福って、なんだ。

 

 

 

 マーチは私をお姉さんみたいに思っている。

 ラプンツェルは私を信じてくれている。

 アリスは友達として認めてくれている。

 グレーテルはそれとなく、仲良くしてくれている。

 それは、あの世界で友達の少なかった私にとっては幸福じゃないのか?

 今でも、あの世界と同等に満足してるんじゃないのか?

 不満のないこの状況が、幸せと言うんじゃないのか?

 じゃあ何で、私の呪いは止まらない。

 じゃあ何で、私の翼は無くならない。

 どうしてだ。本当に、呪いは幸福で消えるのか?

 あの子達は幸せになれば、満たされれば呪いから解放されるのか?

 そもそも、だ。

 

 

 

 ――ライムさんの言うことを、私は何で疑わずに信じているんだ。

 

 

 

 あの人は、あの人たちは私や他の人を強引に連れてきて、働かせているんだぞ。

 帰りたいなら言う事聞けと、命令しているんだぞ。強制しているんだぞ。

 自分たちが何もできないからって、何の関係もなかった私達を巻き込んで。

 挙句には脅し上げて無理強いをさせているんだぞ。

 そんな連中の言うことを……なぜ私は信じていたんだ?

 連中が利用するために嘘をついていないとなぜ言い切れる。

 未だ、私は利用されているんだろう? なら嘘を言うのが寧ろ当然だ。

 そう考えるほうが余程納得がいく。信じる相手を、間違えたんだ。

 あいつらは、嘘をついている。

 だから消えないんだ。

 だから、みんな不幸なんだ。

 証拠ならある。

 私の呪いは、私が幸福になっているのに消えていない。

 私が満たされているのに、この翼はまだ消えない。

 私自身が、その証拠。

 

「……」

 

 あの子達の呪いはどうすれば解ける。

 どうすれば、あの子達はこの厄介な隣人から解放される?

 ……私は、自力で呪いを解ける術を持っている。

 唯一と言っていいほど、私にしか出来ない方法で、あの子達を救う術がある。

 私が、あの子達を……呪いから解放すればいいんだ。

 その上で、自分の呪いも壊せばいい。

 元々が私の呪いは世界から受けた呪いだ。

 呪いをかけた張本人は、魔女じゃない。世界そのもの。

 異界人という異なる異物に対して、皆が受けている平等な枷。

 根本が違うなら、対処法だって違うのは自明の理。

 

 

「…………」

 

 

 私にしかできない方法。

 私だけが持っている才能。

 私だけしか使えない解決策。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 あの子達さえ、救えれば。

 私があの世界に、帰れさえすれば。

 それでいい。それだけで、いい。

 私が幸福を上げても、あの子達には一過性のモノに過ぎない。

 私とあの子達では生きる世界が違う。

 私は幸福以上の不幸を最後に与えてしまう。

 それが、現実。それが、未来。

 私が作り出してしまう、来るべき最悪の結末(バッドエンド)

 どう足掻いても、どう分岐を変えても行き着く先はひとつだけ。

 だったら。それしか、ないなら。

 

 

 

 ――私は、進んで魔道に堕ちるよ。

 

 

 ――皆が本当の意味で幸せになるために。

 

 

 ――私が本当の意味で幸せになるために。

 

 

 

 ――私は、魔女になろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私を食え。私に宿れ。

 好きなだけ栄養をくれてやる。

 好きなだけ餌を与えてやるよ。

 さぁ、どんどん食べろ。どんどん吸え。

 遠慮なんていらない。好きなだけ暴れろ、私に宿る『青い鳥』。

 お前は確かに幸せを運んできたよ。

 私の幸せは、あの子達との時間だったんだね。

 あの子達と一緒にいるあの瞬間は、幸せだった。

 だけどさ、最終的にどうなるかを私は思い出したんだ。

 私はいなくなるんだ。あの子達と、お別れしてしまうんだ。

 避けられない決別が必ず来るんだ。

 それはきっと、新たな不幸になるだけだよね。

 だったら、こうするしか方法なんてなかったんだ。

 あの子達の幸せはどこだ。どこにあるんだ?

 探しても探しても、どこにもないよ。見つからないよ。

 見つからないなら、それでいいよ。別のやり方、見つけたんだ。

 先ずは……幸せにならないといけない理由を取り払おう。

 みんなの呪いなんて、私一人で解いて見せるよ。

 決めたんだ。あの子達を幸せにするって。

 本当の幸せを見つける為にも、邪魔になる呪いを外してやる。

 私はどうせ人をやめているんだ。今更、別物に変異したって怖くない。

 最期は自分の呪いだって解除するんだ。何なら怪物になったって構わない。

 さぁ。言うことを聞け、『青い鳥』。

 私は人じゃない。魔女だ!

 お前は人を呪うけど、魔女は呪いの全てを知っている。

 お前のことを知っているということになるんだ。

 お前の全てを掌握するということなんだ。

 抗うな。呪いの分際で魔女に刃向かうな。

 お前は私のものだ。お前の幸福は私のものだ。

 明け渡せ、お前の全てを。

 奪われたくないならその前に、大人しく言うことを聞け。

 

 

 

 

 

 ――これは……お前を宿す魔女からの、命令だッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――あははははははははははっ!!』

 あの巨大な翼は、私の意思一つで出たり消えたりする。

 翼がもう一つの私の腕のように、軽々と扱える。

 すごい。凄すぎるよ、この力。

 最高の気分だっ!!

 これが呪いを掌握するってことか。

 これが呪いに精通するってことか。

 これが『魔女』になるってことか!

 見た目だって、人に戻れた。翼のない、ただの人の姿に戻れた。

 呪いは私に屈服した。私を主と認めて、その全てを明け渡した。

 決して、解けたわけじゃない。

 言うことを聞くようになっただけで、まだ私の中には存在する。

 解けるけど、まだ解かないよ。それは全部終わってからの話だ。

 『青い鳥』の呪いの全容は、鳥になる呪いでありながら幸福を齎す。

 絶望すればするほど、進めば進むだけ、齎される幸福も小さくなるという原理。

 まぁ、相反するモノを呼び込むんだから当然だね。よくわかる。

 これが私を蝕んでいた呪いの正体。しっかりと、理解した。

 やっぱり、あの人たちは全容を教えてくれたわけじゃない。

 あいつらは、私を利用していただけだったのだ。

 夜が明ける。私は部屋の中で一人、腹を抱えて笑い出す。

 

 

「……亜夜、さん……? 一体、何を……? 何を、したんですかっ!?」

 

 

 笑い声に気がついて、明け方に私を部屋を他の職員が駆けつけてきた。

 その中には、件のライムさんもいて、私を見た第一声がそれだった。

『……何を? そっちこそ、何を言っているんです? 私に元々その素質があると言ったのは誰ですか? 私の事を良いように利用していた連中の言うこととは思えませんね』

「な、何を言って……!?」

 恍ける気か。

 この腐れ外道共め。

 呪ってやりたいけどそんな暇はない。

『恍けるなら大いに結構。ですが、糾弾される覚えはありません。異界の連中を利用しているクソッタレが、何様のおつもりで? 私は誰かを呪うためにこんな姿になったんじゃない。ただ、あの子達の呪いを解く為だけに堕ちたんです。言いましたよね、魔女に呪いは効かないと。その通りでした。私の呪いはどうやら、私の言うことを聞くようになったみたいです。これじゃあ聞くわけありませんよ。負けを認めて、従っているんですから。今の私は……皆さんがとても怖くて竦み上がる、とても大嫌いな、魔女です』

 私はあの老婆から貰った杖をついて、入口で戦慄する奴らに向かって不敵に笑う。

 何だろう、この気持ち。

 この言いようのない昂り、高揚感。

 テンション上がってきた。

 無意味に叫びたい気分。

『怖いでしょうね? 見てのとおり、終わらせるために余計なものを全部捨てました。もういいです。呪いを解くために一々宛にもならない連中の言うとおりになんてしません。私は私の方法で、あの子達の呪いを解くと決めました。邪魔するなら、こうしますよ』

 火花が飛び交う、掌。見せつけるように、差し出した。

 驚愕の目で見られている。私は、告げた。

『お陰様で、どうやら魔法は使えたまま変異できたようです。はは、これで呪いをするまでもありませんね。邪魔するなら、その場で即、焼き殺します。私は他の魔女のようにねちっこくも無ければ時間を与えるほど優しくありません。阻む壁はぶち抜きます。阻む奴はぶち殺します。何人死のうが知ったことじゃなくなりました。裁けるもんならどうぞ。魔女は問答無用に狩るんでしょう? だったら何をしようが殺されるなら、いっそ開き直るのが常ってものですよね? 私の作る童話は、ハッピーエンドですけど同時に残酷で残虐で、修正不可能なのであしからず』

 理不尽で構わない。

 意味不明な理由で呪ったりしない分、まだマシだ。

 私の邪魔をするなら、焼き殺すまでだ。

 何人死にたい奴が出てくるかなぁ。

 あははっ、愉しみだよ……。

「……亜夜さん……。そこまでしなくても……」

 ライムさんは私を見て、悲痛に顔を歪める。

 同情でもするのか。したければすればいい。

『そこまでしないと幸せは呼べません。あの子達の幸福のために、私という不幸があるように見えるなら大間違いです。不幸などではありません。私も最終的には幸せになります。そのための魔道に堕ちた』

 あの満たされた世界に帰る。

 私の最後はそこなのだから。

『何も言わなくても今日もお仕事致します。今まで通り。それで文句はありませんよね? 不利益を被ることもなく、やることさえしていれば、関係ないでしょう? 違いますか?』

「……」

『じゃあ、朝礼に行きましょう。ふふっ。邪魔をしたらそのままウェルダンですけどね?』

 バサリと、現出させた翼を見せる。

 綺麗な蒼。一枚指先に挟んで弄ぶ。

 魔女ってのも、案外悪くなかった。

 今までと同じことをしていればいいだけだ。

 私がみんなの呪いを解く、その日まで。

「……ふふふっ」

 こんな楽しかったっけこの仕事?

 ま、いいや。

 でも……あんなに怯えてしまって……。なんて可愛い表情だろう。

 もっと追い詰めて苦しめてあげればあの顔、してくれるかなぁ?

 ふふふっ。もっとその顔、見てみたい。

「さ、行きましょう。お仕事ですよ?」

 歪んだ表情をしている職員に微笑みかけると我先に逃げていく。

 たまらない……。あの形振り構わないで逃げる不格好さが。

 追いかけたら、もっと無様に逃げてくれるかなぁ?

 もっともっと、あいつらを見てみたい。

 今は、人になっている。全部引っ込めている。

 これで、あの子達に悟られずに済むね。

 だって私、魔女だもの。上手にできる。

 ライムさんも結局逃げていってしまった。

 どうせ、後で……イヤでも出会うのだけど。

 それじゃあ気合入れて始めよう、今日のお仕事。

 愉しみだなぁ……。



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間違う優しさ

 

 

 

 

 

 

 墜ちた理由は、第一に自分よりもあの子達の為。

 解こうと思えば、きっとすぐにでも解放できる。

 でも、あの子達は抵抗する。嫌がる。

 だから、バレないように……こっそりとやろう。

 それで相手がどう思っていようが、もう魔女には関係ない。

 結果的に幸せになればいいのだ。それだけで、いいのだ。

 絆よりも、愛よりも早く、彼女達を幸福にするために。

 幸福とは、呪いがなくなること。本当の幸福を探せること。

 それが身近にある青い鳥(しあわせ)の正体。

 優しさを間違えて、独善へと成り果てた彼女は、そのためなら……茨の道でも進む。

 

 

 

 

 

 

「ふふふっ……。逃げられると思いましたか? 愚かな猫……」

「あなたのような存在に言われる謂れはございませんがね」

 それはサナトリウムの裏手。

 ゴミ捨てを行なっていた魔女の前に、一匹の長靴をはいた猫が通り過ぎる。

 彼女は、それを見つけるや突然猫を追いかけ始めた。

 猫は驚いて、当然逃げる。が、翼を持つ魔女から逃げられるわけもなく。

 猫は呆気なく捕まり、猫掴みされたまま、目線まで持ち上げられている。

 猫が喋ることにツッコミを入れずに、爛々と目を輝かせて幼い魔女は卑しく嗤った。

「賢しいだけの猫が偉そうによく言いますねェ」

「猫が賢しくて悪いですか? 魔女が人の中に紛れる滑稽さに比べれば幾分マシというもの」

 魔女相手でも怯むことなく、立派な毛並みの猫は口答えをする。

 それを嬉しそうに、愛おしそうに表情を歪める。

「ふふふっ。良い啖呵です。それだけ魔女相手に言えるなら、そのふてぶてしさにも納得がいきます」

「……あなたは一体何なのですか? 何がしたいんですか?」

 怪訝そうに問う猫。危害を加える気はないようだが……意図が読めない。

 魔女はずっと、仮面を付けるように表情を変えない。卑しく嗤う。

「教えてください、賢しい猫さん。あなたの主は怠惰ですか? あなたの主は、愚かですか? あなたの主は、幸せですか?」

「……」

 何が言いたいのだろうか?

 猫にはその真意が見えない。

 答えられる範囲は、最後の質問だけだ。

 捕まっている手前、大人しく答えておこう。

「……ええ。主は間違いなく、幸せでしょう」

「与えられた幸せを、甘受していると?」

 魔女は首を傾げて、歪んだ笑みのまま聞いてくる。

 何気ない仕草に、ぶわりと毛が逆立った猫。

 怒りじゃない、これは本能で恐ろしいと思ったからだ。

 良くないことを考えていると、漸くそれが一瞬垣間見えた。

「……何を言いたいのか理解しかねますが、恐らくは」

「そうですか……。それだけでいいです。どうもありがとう」

 猫を足元に落とすと、魔女はそのまま立ち去っていく。

 猫は呆然と見送るしかなかった。

 結局、何もしてこなかった。

 右手で翼を軽く流しながら、若き魔女は施設へと戻っていく。

 

 

 

 

 

 ガラスの靴を手に入れて、舞踏会に行って踊って、王子様と出逢い、幸せになる。

 平凡な女の子が、王子様と出会って幸せになる、王道の原点。

 シンデレラ、と俗にいう言われているストーリー。

 でも……本当にそれだけ? それで彼女は満たされた?

 愛する人がいる。共にいられる日々がある。

 それは確かに、幸せのひとつの形であることは否定しない。

 だけど……それだけだけでいいのだろうか。

 以前の惨めな自分を苦しめていた連中に、シンデレラは何も感じていないと?

 誰がそう、言い切れる?

「いいんじゃないですか? 復讐したって、誰もあなたを責めませんよ?」

「…………」

 違う日に呪いの一件で、サナトリウムを訪ねてきていたお姫様は、どうしても忘れられないことがあるという。

 ずっと前に、継母に陰湿な嫌がらせを受けていた日々。

 幸せの意味がわからなかったあと時とは違い、もう彼女は知っている。

 知っているが故に、あんな仕打ちが到底許せないと改めて思うと告げる。

 何故、その相談を魔女が受けたかと言えば、嫁のイライラに手を焼いていた旦那様が、誰か早急に解決して欲しいと金を積んででも懇願してきたからだった。

 愛する人がこんな姿になったのは、誰かのせいだと思いたい。そんな表情だった。

 ふらりと廊下で出会ったお姫様は、職員と思われる小さな女の子に、アドバイスを貰っていた。

「許せないんでしょう。幸福な日々をいまだ蝕む過去の鎖が。断ち切りたいのに誰も理解してくれないで、一人孤独になっていくのが辛いんでしょう?」

「…………」

 俯くお姫様。鳩のように嗤う少女は、上機嫌だった。

 指摘通り、誰にも助けてもらえない現実にいい加減疲れていた。

 それを、この少女だけは、しっかりと理解してくれた。

「なら、心が思うままに行動したらどうです? 仮にも一国の姫君にまで上り詰めたのなら、隠蔽工作だってお手の物でしょう? ……それに、身内同士の事に、他人が首を突っ込むと思いますか? いいんですよ、復讐したって。それで、あなたが解放されるなら……実行するべきです。ただ、許せない、苦しいという感情だけは、しっかりと旦那様に伝えるべきです。思っているだけじゃダメ。行動するだけじゃダメ。その双方をしっかりと、伝えなければあなたの幸福は霞となり彼方に消える。わかりますね?」

「…………」

 顔を上げて、頷く。それにしても、不思議な少女だった。

 嘗て出会った魔法使いのように、導いてくれる。

 姫君となった彼女を、どうすればいいか光を教えてくれる。

「……支え合う嬉しさを知っているなら、安心しました。幸せを阻むなら復讐することも必要な時がある。ですが、一人じゃなくてもいいじゃないですか。旦那様と一緒にやってみては? 愛しているんでしょう?」

 肯定。お姫様は深く愛している。

「旦那様も愛してくれているなら、手を貸してくれるのではありませんかね。夫婦は大きなハサミだとも言います。時にはバラバラに動いていたとしても、中にはいる愚か者は共に刃を向け、容赦なく切り刻む」

 少女は邪悪に微笑んだ。

 紅く紅く、淡く淡く。その瞳はまるで鮮血のように。

 魔法のように、彼女を導く。

「家族だろうと、あなたを苦しめるなら……敵です。殺める必要はありません。ただ、同じ苦しみを与えてやればきっとあなたのココロも落ち着くでしょう。あなたは、誰に、何を望んでいるんですか、お姫様」

 お姫様はそれだけ言われると、決意したようにドレスの裾を上げて、廊下を走っていった。

 あの方向は、旦那のきている応接間の方だ。成程、早速実行するらしい。

 アレが彼女の幸せの向こうにあるもっと強い幸せの証。

 見送る少女は、バサリと蒼い翼を羽ばたかせて、自分の仕事に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 人にはそれぞれ、幸福の形がある。

 それを求めるにはそれなりの環境というものが前提として必要。

 でもここには、そんなものすら満足に用意できない子供達が殆ど。

 だったら……他の人がやるしかない。

 邪魔なものだけとっぱらって、ハッピーエンドにしてしまおうじゃないか。

 それをするために、魔道へと堕ちたのだから。

「ねえ、亜夜。どうかしたの?」

「……何がです?」

「最近の亜夜、怖いわ。雰囲気」

 アリスの勉強を見ているときに、怖いと言われてしまう。

 正体を知っている連中は、恐れて何も言わないのに。

 この子は、もう気付きかけていた。鋭い子。

「ふふふっ。怖い? 私が、怖い……?」

 隣に座ながら同じノートを見下ろす形。

 アリスは眉を顰めた。

「あんたは……。その笑い方が怖いって言ってんの。それに、何か頭撫でたりとか良くするし。何かあったの?」

「いえ別に」

 アリスの頭を撫でながら正解を褒めて、笑う亜夜。

 前よりも笑う回数が増えているけれど、その雰囲気は近寄りがたい気がする。

 アリスはそう感じた。でも、その雰囲気の割にはアリスたちには友好的というか。

 何とも言えない、説明しにくい状況というか……。

「なによ……。あ、あたしがわざわざ心配してるのに。こんなこと滅多にないわよ。わかってんの?」

 膨れるアリスを可愛がるように、亜夜は撫で続ける。

 優しいのに、何処か恐ろしい、そんな笑顔で。

「ありがとうアリス。私は、嬉しいですよ」

 誤魔化しているのは知っている。

 アリスだって馬鹿じゃない。

 あの不思議の国で起きた経験を乗り越えていない。

 今の亜夜は、まるであの猫だ。

 ニヤニヤ笑って、肝心なことだけ何も掴ませない。

 亜夜は無理をしているわけじゃないが、何か隠している。

 いい加減それぐらいの機微を感じる程度にはなってきた。

 伊達に心を許している数少ない人じゃない。

 帽子屋とか兎みたいになってないだけよかったけれど。

「ふふっ。アリスは可愛いですね」

「亜夜、ちょっと怖いそのセリフ」

 愛おしそうに撫でられるのは嫌いじゃない。寧ろ嬉しい。

 なのに、撫でているその人の表情はどうしてこんな風に空っぽに見えるのだろう。

「アリスは人と別れるの、特に嫌ですものね。いっそこのまま誘拐してしまいたい」

「……亜夜?」

 また悩んでいる?

 その割には、迷いというより違う感情が見えそう。

 これは……もどかしさ?

「アリスの望みはなんですか? 私はそれが知りたいです」

「またそれ? だから、あたしは現状に満足してるってば。これでいいでしょ」

 亜夜はこれを頻りに聞いてくる。

 前から幸せにしてみせるーと意気込んでいたが最近は輪をかけて酷い。

 恥ずかしいけど本音で言ってるけど、亜夜はどうも違うニュアンスで聞いてる。

「現状が何時までも続くわけないでしょう? 違いますか?」

「……」

 何か、遠くに行ってしまいそうなことも言う。

 その度不安になる。

 そんなことないと考えてバランスはとっているけど、拭いきれない。

「亜夜は、あたし置いてどっかに行くの?」

「何時までもここにいる、というのは無理でしょうね。でもそれは誰だって生きてる限り同じです。出会いも別れも繰り返すのが常です」

「そうだけどさ……。おいてけぼりはやだよ?」

 アリスの嫌なのは置いて行かれること。

 何も言わずにいなくなられること。それが一番、怖い。

 嘗ての友がそうだったように。それは裏切りに近いと、今でも思う。

 亜夜はそんなこと、絶対しないと信じているけど。

「アリスの嫌がることは、私も何となくわかるんですけどね。その逆となるとよくわかりません。アリスが喜ぶことってなんでしょう?」

「…………ずっと一緒にいてくれる、こと…………」

 望んでいること、で良いなら。

 ずっと一緒にいてくれること。独りぼっちにしないこと。

 アリスの望みは、それだけだった。

 小声で望みを言うと、亜夜は初めて笑みを消した。

 困ったような、そんな顔になる。

「そうしたいのは山々なのですが……」

 分かってる。早々できないことであることぐらい。

 努めない限り、儚く消えることぐらい知っている。

 呪いが無くなれば、サナトリウムには居られない。

 実家に帰されて、また虚無な日常に逆戻り。

 何もない、空っぽな生き方に戻る。

 友達もいない、家族とも分かり合えない。

 異常者扱いを一度でもされれば、忌避される現実を知った。

 そんなのは、たまらなく嫌だった。

 異常が異常じゃない、この空間でしか今は生きたくない。

 アリスのココロは叫んでいる。

 帰りたくない。独りきりは嫌。誰か一緒にいて。

 幸せは、今ココにある。

 正にアリスの言うとおり、現状満足がカタチだった。

 それでも尚語るのならば、永遠に傍にいてくれる友達。

 それが、欲しい。不可能だと分かっていても。

「……分かりました」

 難しい。でも、できないこともない。

 二人の望みを、架け橋で繋ぐことは不可能じゃない。

 多少、妥協してもらうことにはなるだろう。

「えっ?」

「なんとかしてみましょう」

 だけどそれがアリスの欲するものならば。

 やろう。亜夜は小さく嗤った。

 ビクッと、アリスは怯えた。

 一人目。アリスの望み。

 強引に呪いを解くのは、一番最後だ。

 アリスの算段はついた。次は……マーチの幸福を聞いてみよう。



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未払いの代償

 

 

 

 

 賢しい猫は教えてくれた。

 与えられた幸福。それを甘受する飼い主。

 ガラスの靴を履いた王女は教えてくれた。

 幸福の先にある過去に縛られた未来。

 ああ、何て愛おしい。

 あの子達の為なら、私は喜んで果たそう。

 現実なんて、やり方次第でどんなことでも叶えられる。

 犠牲。代償。そんなもの知ったことか。

 他人にいくらでもそれを強いてやる。死ねばいい。苦しめばいい。

 その上に、あの子達の幸福は成り立つんだ。

 やっぱり私は悪しき魔女。

 勝手な理由で災厄を振りまく。

 

 

 

 

 はははははははははは!!!!

 

 

 

 

 ――上等だ。私は、あの子達だけの幸せの為だけにこんなのになったんだ。

 私は悪者? そう、私はとっても悪い悪い魔女。

 かまどで殺せる? いいえ無理。私は家ごとその子を捕まえる。

 王子を追いかける? いいえ違う。私は王子をさっさと殺す。

 そして二人を私の下で幸せにするの。あの子達がどう言おうとも。

 呪いなんて生ぬるい。全部壊して、全部殺して。

 

 

 

 ――幸福を。

 血塗れの幸福を!!

 

 

 

 知られなければいいんだ。たとえ知られてもいいさ。

 私はどんなになじられようが、どんなに軽蔑されようが構わない。

 私は魔女。

 魔女はいつだって理不尽で喋る災禍。

 禍根を残したっていい。

 ただ愚者のように求めるの。

 幸せを、幸福を、笑顔を、日常を!

 もっともッとモットもっト!!

 あの子達が呪いから解放される未来を! 

 いい、私がどんなに血に汚れたって、あの子達にさえ届かなければ。

 私は、どうなったって最後にはシアワセになれる。

 でも、あの子達は誰かが何とかしないと先に進めない。

 私だ。あの子達の手を引くのは私なんだ。

 幸福の為に犠牲が、血が必要ならいくらでも支払ってやる。

 私でもいい、誰でもいい。

 あの子達を護るのも、救うのも、私だけでいいんだ。

 

 

 

「ごほっ……!!」

 

 

 

 ――私は最近、よく吐血する。

 深夜の一人だけの部屋、蒼い羽毛に埋もれながら。

 一部を、紅く染め上げる。

 何なの、この吐血……?

 私の身体が魔女になってから、更に弱くなったの?

 人間の頃よりも、もっと脆くなってる気がする。

 魔女化したせいで、私の身体が限界でも迎えているってこと?

 急激な変化に、堪えられないっていうの?

 ……だからどうしたって話なのだけど。

 まだだ。まだ、私にはやりたいこととやるべきことがある。

 職員である以上、一度世話をするなら死ぬまでやる。死ぬつもりはないけど。

 死ねるか。倒れるか。私は……まだ……。

 みんなを……笑顔に出来てないのに……。

(堪えなさい……青い鳥。鳥籠の中で鳴いてるだけじゃないでしょう……?)

 青い鳥。世界からの呪い。私の言うことを聞け。

 もっと呼びなさい、幸福を。もっとハッキリと招け、幸せを。

 口を押さえた掌が真っ赤になっている。鉄臭い。

 肺でもやられた? 痛みが鈍いからよくわからない。

 何もかもわからない。自分が何が起きてるかも。

 聞けないし、聞かない。あいつらは人だ、私は魔女だ。

 もう別の世界の存在なんだ。相容れない敵同士なんだ。

 私一人だけで、未来を変えるんだ。

 全員の未来に光を灯すために……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝、目が覚めた。

 違和感に気がついた。

 

 

 

 

 ――足が、動かせない。

 

 

 

 

 どうして、動けないの?

 どうして、動かないの?

(……何で?)

 足が……全く、動かない?

 今まで、杖さえついていれば歩けた。

 弱々しくても動いていたのに。

 どうして……?

 足が、全然動かないよ?

(あれ……?)

 私の足、どうなっているの?

 ねえ、どうして動かないの?

 これじゃ何もできない。

 これじゃ何も変えられない。

 ねえ、私の足でしょ。

 動いて、動いてよ、動け、動きなさいッ!!

 何で黙っているの、何で固まっているのッ!

 私の身体でしょう!? 私の言うことを聞きなさい!

「動け……ッ!! 動け、動けェッ!!」

 立ち上がることすらできない。

 ハンモックから落ちた。

 無様に転がり、足は倒れたまま。

 俯せに横たわる私。

 踏ん張ろうとしてるのに、力は入らない。

 繋がっているのか、この足はッ!!

 なんで私に刃向かうんだ私自身が!

 言うことを聞け、私の足だろう!?

「動けええええええええッ!!」

 叫んでも、足は沈黙し微動だにしない。

 なんで、なんでなの。

 こんな時に。大切なこの時に。

 足が、動かなくなるの。

 数分、無駄な時間を過ごす。

 結局、何をしてもダメ。やるせない。

 魔女でも、自分の身体が動かなくなると何もできない。

 ……足が私に愛想を尽かして反逆するなんて。

 骨に異常があっても、杖をついて共に生きてきたのに。

 でもこの足は、私にはもうついていけないと言いたいわけだ。

 ……役立たずめ。動かない足なんて、飾り以下だ。

 役に立たないなら、あるだけ邪魔だよ。

「……」

 相当、私は苛立っていたんだと思う。

 後から冷静に考えれば、幾らなんでもこれはおかしい。

 でも、ふと思ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 ――立ちふさがるものは全て破壊する――

 

 

 

 

 

 私は自分で決めたそのルールに従い、ニヤリと嗤った私。

 自らの足を、その日……破壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああぁああああぁぁあああああっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………私って奴は本当に何をしてるんだろうか?

 まさか、自分までこんなことするなんて思ってもみなかった。

 必要なこととはいえ、これじゃあ何もできないじゃない。

 一応格好だけでもぶら下げておいたほうがいいのに。

「ダメですね……。治療のしようがありません。右足の大半の機能が使い物にならない状態です」

 絶叫に気付いた他の職員に捕獲されて、医者に担ぎ込まれて、気が付いたらこのざまだ。

 我ながら呆れる。ま、動かないなら意味なんてないからいいけど。

「何をしたんですか、一ノ瀬さん?」

 誰が答えるか。

 ただ魔法で焼いただけだ。

 焼き切ろうとして失敗した。

 使えない身体のパーツを捨てようとした。それだけの話。

 使えない足なんていらない。動かない足なんていらない。

 だから、雷で焼き切ろうとした。失敗した。

 痛みがひどくて、諦めた。

「それだけじゃありません。一ノ瀬さんの身体は不自然に衰弱しているんですよ?」

 知るか。

 そんなもの、私が知りたいよ。

 私の身体は酷く消耗しているようで、既に動いてるのが不思議なほど弱っているらしい。

 死にかけの人間といったところのようだ。

 なぜ平気なのか、なぜ動けるのか。

 医者に私が聞きたいぐらいなのに。

 原因は不明。治療は延命のみ。

「最早一刻の猶予もない。仕事をやめていただきます。これは医者としての警告です」

 毅然とした態度で、医者は私に言った。

 言うと思った。だから、警告し返す。

「殺しますよ」

「殺したければどうぞ。医者として、このような人間に働かせるわけにはいきません」

 そう。あくまで、邪魔をすると。

 そういうんだ。

 じゃあいいよ。こうするまでだ。

『うるさい黙れ、退いて』

「ッ!?」

 診察室、看護師や医者はまだ数名いる。

 この程度で私を止められると思ったのか。

 私は、魔女だぞ。うっさいから、呪ってあげる。

 医者は不意に表情を強ばらせると、ゆっくりとぎこちなく動き出す。

 私の言うとおり、退いた。

 奴だけじゃなく、室内にいた全員だ。

 私は車椅子を動かして、出ていった。

 邪魔するならこうするまでだ。

 殺さないのは気まぐれ。殺す価値もない。

 それよりも、あのこたちのところへ急ごう。

 さっさと私は診察室を後にした。

 

 

 

 

 

 右足は焼け焦げて、見るも無残な外見。

 包帯でグルグル巻きになっている。そんでもって車椅子だ。

 全く、これじゃあ満足に世話できやしない。

 まぁ、するけど。

 部屋に向かい、いつもどおりに仕事をする。

 彼女達は私を見て、一番最初に目を逸らした。

 ……どうして?

 我慢するようにしっかりと私に向き直る。

 悲痛そうにアリスは見る。

 マーチは泣きそう。

 ラプンツェルは怖がって。

 グレーテルは……無表情?

 私、何か悪いことでもしたんだろうか?

「どうして見るたびに、あんたはそうやっておかしくなっていくのよ……?」

 堪えるように私に聞くアリス。

 おかしくなる……? 私が?

 何か、おかしいの今?

 私は最初から何も変わっていない。

 みんなの幸せを求める。私も最後には幸せになる。

 そのスタンスを曲げた覚えはないのに。

 何で、アリスは嘆いているの?

「呪いが進行した次は……。足が……動かないですって?」

「ええ、まぁ」

 簡単に事情を説明すると、あの子達は全員愕然としていた。

 何で? 何でそんな反応されるの?

 私には理解できない。おかしいことなんて、していないのに。

「…………アリス、もう言うだけ無駄だよ。亜夜さん、多分手遅れ」

 グレーテルはアリスが何か言おうとするのを制止する。

 きょとんとする私。

「あれ程、言ったのに……」

 哀れむように、グレーテルは言う。

 私は首を傾げるばかりだ。

 そういえば、彼女は気付いていると思っていたけど……。

「結局、なるべくしてなったってことかな……」

 彼女はそう言って、自分のベッドに戻っていった。

「私、何か変ですか?」

「……亜夜、さん……」

 驚いたようにマーチも私を見る。

 えっ……?

 何が、そこまで変なの……?

「……苦しくないの?」

「苦しい?」

 ラプンツェルに聞かれる。

 私が苦しい? 何が?

 みんなのために行動する私の何が苦しいの?

「別に……普段通りですよ、私?」

 確かに魔女のことは隠しているけど、それ以外は至って普通にしている。

 足だって動かないなら、車椅子で出来る範囲をするだけだし。

 最悪、翔いていれば問題ない。

 三人して、私のことを……悲しそうに見ている。

 私は何かいけないことをしてしまったんだろうか?

 三人に聞いても、首を振るだけで教えてくれない。

 一体、何だというのだろうか……?

 私はよくわからないまま、仕事を続けていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(……亜夜さん、やっぱり魔女と何かあったのかな……?)

 

 

 

 



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奪われる幸せ 前編

 

 

 

 

 

 

 突然、彼女は失った。

 とても大切なものを奪われた。

 だから凄く怒った。怒って、取り返しに行った。

 たった一人、満足に歩くことすらできない子供が。

 自分の大切なものは、自分の手で護る。

 彼女も、そのまま数日行方不明になるのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サナトリウムにこれまでにない、大事件が起こった。

 前例ない出来事に医者や看護師などの職員は、右往左往していて何も出来ずにいる。

 そうこうしている間にも時間は無情にも進んでいく。

 どうすれば、どうすればと慌てていた。

 何が起きたかというと。

 

 

 

 

 

 ――サナトリウムに入所する一部の子供が、行方不明になってしまったのだ。

 

 

 

 

 本当になぜこうなったのか分からない。

 職員がいない間に無断外出していることもそうだが、なぜ帰ってこないのかも。

 対応が後手に周り、行方不明になった子供の所在もわからない。

 いつ、出ていったのかさえ現状把握も出来ていない。

 その中に、彼女――亜夜の大切な少女たちも含まれていた。

 マーチ、アリス、ラプンツェル、グレーテル。

 四人とも、消えてしまった。一人遺された亜夜。

 彼女は、とても落ち着いていた。

 静かに怒り狂いながらも、決して表にそれを出さない。

 手掛かりを探して独自に動き、そして突き止めた。

 残っていた子供たちによると、深夜不思議な笛の音を聞いたという。

 そして、フラフラと居なくなった子達は、一人でに出ていってしまったとか。

 職員をそれを話そうとしても、無下にされるだけで聞いてもらえない。

 パニックになっている連中は足元の情報を見落として、どう責任を負わない方にするかばかりを考える。保身優先、子供たちの安否なんてどうでもいい。

 それが透けて見えている。サナトリウムが、聞いて呆れる。

 亜夜は笑顔で、教えてくれた子達に言う。

 笛の音が聞こえたら、その音色をかき消すぐらい馬鹿騒ぎをして相殺しろと。

 耳をふさいでもきっとそれは無駄だと悟る。

 だったら、聞こえないぐらいの音で潰してしまったほうがいい。

「大丈夫。私が何とかしましょう」

 友達が帰ってこないと嘆いている幼い少女に、車椅子の職員は頼もしく言った。

 そして本当に、数時間後にはその友達を連れて帰ってきた。

 彼女は独自に動いて、揉めている連中を放置して次々と子供達を連れて帰ってくる。

 子供たちはバラバラだった。

 近くの街にいる子もいれば、人知れない湖やら山やら海やらに佇んでいる子もいた。

 彼女にとってはついでのコトだった。

 自分の幸福を取り戻すために動いているなら一緒に出来ることもしようという、まだ残っていた彼女の優しさ。

 だが、探せど探せど本当に戻って欲しい少女たちの情報は出てこない。

 が、彼女は生憎とそういうことに関しては諦めが悪い。

 数日かかって、漸く方針が固まって、職員たちが子供達にその意識を向ける頃には、既に亜夜担当の四人以外は全員戻ってきていた。

 全て、亜夜一人で音も無く個人で特定して連れ戻していたのだ。

 彼女だけは、初めての出来事へのパニックに陥る事はなかった。

 あの子達が居なくなっていたから、連れ戻すということだけを考えていたため、他の考えは一切頭に入っていない。

 遺された子供達に更に聞き込みで情報を集めると信じられないことが教えられていた。

 何とあの四人のうちアリスとグレーテルの二人は、音色に誘われたのではなく、皆を止めるためにわざと居なくなってしまっていたようだった。

 なぜなのかは、よく分からない。

 人の為に何かする子達ではないのに、なぜこの時だけはそうしたのか。

 子供たちは、なぜか強烈に惹かれるものがあって、気がついたらそこに居た、と言う。

 つまりは移動しているときの意識はなく、道中何があっても自覚できないということ。何をされているのか、分からない。

 他の職員が謝罪とお礼を言っても亜夜は聞いてなかった。

 全自動で動く機械のごとく、自分の中で決めていた命令に従い行動する。

 誰が何を言っても無視される。

 一部の職員は魔女のやることは理解できないと口走る。

 亜夜にとっては、入所する子供の方が重要で、大人達の下らない責任問題などどうでもいい。

 子供たちのことを蔑ろにする大半の職員や、パニックを起こして行動しなかった職員の代わりに、尻拭いをしていただけ。

 彼女は不眠不休で、数日限界まで動いていた。

 そしてとうとう限界がきて、倒れた。

 部屋の中で蒼い羽に埋もれて、気を失っていた。

 その光景をみたライム。今まで、殆ど仕事以外で会話をすることはなかった。

 が、この時ばかりは彼女に再び近づいた。

 助けようと思ったのだ。彼女も恐慌状態になっていて何もできなかった一人。

 何が起きたのか、原因究明のために今更行動している。

 彼女は決して独断で先走ったのではない。

 いち早く、きっと分かっていたのだと今頃気付く。

 ライムは後悔する。彼女の事を魔女の事を告げるべきではなかったと。

 誤った道の可能性を教えるべきではなかったと。

 自己犠牲になったとしても尽くそうとする彼女は子供たちの味方。

 だけど、亜夜は既に魔女であり、人の敵。

 そして彼女の言動はこちらの要求通りで、利用するにはなんの阻害もない。

 最低なことをしている、と自覚していた。

 こんな弱い女の子に生命を預けて背負わせて。

 それでも尚、これすら使って思惑通りに動かそうとしている自分たちはクズだ。

 彼女は賢明に努力して、間違えて。それでも茨の道を突き進む。

 進むを知りて退くを知らず、後ろを顧みない破滅の方法でも。

 彼女は、きっと……最期まで、変わらない。

 子供たちの、ひいてはアリス達だけの味方で有り続ける。

 魔女になっても、彼女の優しさの対象は変わらず、言動はいつも同じ。

 幸せにしてみせる、というその一点。

 滅びを招く魔女に墜ちても、彼女は笑顔を求めている。

 今は、何も言うまい。ただ、思う存分行動できるようにせめて出来ることを。

 罪滅しじゃないけれど、出来ることで償いをしたかった。

 困らないようにと金銭と、そして食料や医療品を用意して、部屋にそっと置いておく。

 これで亜夜にやらせたことがチャラになるとは思わない。

 だから、これからも影から彼女を手伝おう。

 それしか、ライムにはもう出来ないから……。

 

 

 

「すみません、助かりました」

 

 

 

 部屋を黙って出ていこうとした際、蒼い羽毛の中からそう魔女の声が聞こえる。

 それは礼を述べているようだった。

 驚いて振り返ってもそこにあるのは不思議に宙を漂う蒼い羽があるだけ。

 ……一応、やれることはした。後はこちらの問題だ。

 残された四人は、彼女に任せればきっと戻ってくる。

 その後ろに屍ができたとしても、それだけは必ず亜夜はやる。

 だって、彼女は。

 

 

 サナトリウムの職員であり、そして優しき魔女なのだから……。

 

 

 

 早朝にもならない、朝と夜の間。蒼の翼は、夜天に翔く。

 人の乗らない車椅子と蒼い羽根、羽音を残して彼女も突然いなくなった。

 情報はまだ確定じゃない。でも、暫定的に何処に行ったかまで絞れた。

 だからそこに行く。あとは実地でなんとかする。

 随分と遅くなってしまった。

 待たせた分、甘やかしてあげたい。

 ワガママいくらでも聞いてあげたい。

 迎えに行くと決意する蒼の魔女は夜の空に消えていく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は数日前の夜に遡る。

 サナトリウムの中に、不思議な笛の音が響き渡った。

「耳が……っ」

「痛い、痛い!」

「やめ……て……」

「ううううーーー!」

 職員の変化に心配しながら眠っていた四人は、その音に飛び起きた。

 両手で耳を塞ぐが手を貫通して音は耳腔に届き、頭を揺さぶる。

「なによ、この音ッ……!?」

「笛、にしては……殺人的……過ぎる……!」

 アリスとグレーテルがベッドから降りてくる。

 マーチはベッドの上で呻き、ラプンツェルに至っては悲鳴を上げていた。

 辛うじて平気なのは、二人だけ。

 至近距離で、声を出せば何とか会話はできそうだった。

「……アリス、これは……?」

「知らないわよ……。あたしに、聞かないで」

 ずっと続く不愉快な耳鳴り。

 甲高い金属音が断続的に頭を攻撃してくる。

 音源は間違いなく部屋の外。

「何事だってのよ。もう」

「見に、行こうか」

 フラフラしながら部屋の外に。

 廊下に顔を出すと、そこには他の部屋から出てきたであろう子供が、何処かに向かって寝巻きに裸足の状態で向かっている光景だった。

「!?」

「なに……?」

 アリスは硬直し、グレーテルは廊下に出て、目の前を通っていく子供に声をかける。

 無反応。無理やり止めようとしても止まらない。

 虚ろな瞳で虚空を見上げて、口を半開きにしていた。ただ事じゃない。

(……亜夜さん、呼ばなきゃ)

 まずい、と思った。これは本当にやばい。

 過去に経験したことと似たレベルの身の危険。

 本能がやかましく警鐘を鳴らしている。

 グレーテルは亜夜を頼ろうと反射的に呼びに行こうとした。

 その時だった。

「……っ! グレーテル、後ろ!」

「えっ」

 アリスが鋭く叫ぶ。

 反応の遅れたグレーテル。

 背後にいた謎の影に首を押さえられて捕まった。逃げ損ねてしまう。

「くっ……!?」

『動くんじゃないよ。動いたら、お前の首を切り落としてやる』

「!?」

 若者とは思えない、嗄れた声。

 首を取られて、しかもナイフらしき冷たいものが触っている。

 抵抗できなかった。したら、殺される。

「グレーテ」

『そっちの小娘。お前も大人しくしておき。此奴を殺す前に死にたいかい』

「うっ……!」

 アリスは騒ぐことすらできずに黙る。

 そしてこの声……まさか。グレーテルは戦慄する。

『やれやれ、ハーメルン。自慢の笛の音、全然こいつらには効いてないじゃないか』

「そんなわけあるまい。ご覧のとおり、殆どの子供には聞いている」

 首を押さえているのは多分、ここの子供だ。

 だが声の主は違う。予想は、魔女。

 魔女がこの子供の身体を遠隔で操っている。

 隣に立つのが旅人の吟遊詩人のような格好をしている背の高い男。

 手には、長い笛を持っている。

「ハーメルン……? まさか、誘拐犯の……」

「おやお嬢さん。僕のことを知っているのかな?」

 グレーテルは知っている。

 とある地方の初夏で起きた、子供の大量失踪事件。

 その犯人と言われている男の通り名が『ハーメルン』。

 笛だけを使い、子供達をどこかへと連れ去る誘拐犯。

「誘拐犯の変態のことなら、知ってるよ……!」

「変態とは失礼な。僕は立派な芸術家だよ?」

 吟遊詩人は自分がそうじゃないとは言わなかった。

 悔しさで歯噛みするグレーテル。

 こんな犯罪者がここに来るなんて、夢にも思わなかった。

 亜夜を呼びに行く前に捕まってしまった事が、最大の失態。

「何が芸術家よ! 巫山戯んじゃないわよ!」

「おっと、お嬢さん。夜中に叫ぶのはやめてもらおうか。さもないと、君たちも僕の美しい笛の音の虜になってもらうよ?」

 激昂するも、ハーメルンが唇に笛を当てると、態度を一変させる。

 グレーテルが今まで見たことのない、アリスの表情だった。

 怒りを通り越して、憎しみ一色に染まっていた。

「……やれるもんならね、ド変態。そっちのババアも、クソ野郎もグレーテルに傷一つでもつけてみなさい。あたしはイカレた奴らの扱いは生憎と慣れてるのよ。そんときはあんたらをぶった斬ってお茶請けにしてやる」

 啀み合っていたアリスがグレーテルを気遣ったのではない。

 グレーテルとは一応でも同盟状態。亜夜という架け橋を保つために必要。

 それは最終的に自分にもつながる。だから、こういう時は……遠慮なく使う。

 二度と使うまいと思っていた、夢の国の忘れ物を。

「あんたが笛を吹くよりも早くあたしは殺すわよ、クソ野郎。ただの変態が、あたしに勝てると思ってんのならすぐに証明してあげる」

「……何が言いたいのかな」

 ハーメルンは訝しげに、アリスを見る、

 アリスは、不意に寝巻きのポケットに手を突っ込んだ。

 首を押さえている操られている子供の口から、老婆の声。

 低く、警戒する声色だった。

『……おい、ハーメルン。あの小娘を挑発するのはやめな』

「なんだよ。あの子供の何が怖いんだい?」

『あの娘……何か、得体の知れないものを取り出そうとしてる。不味いだろう、せっかくここまで来たんだ。最悪、あんたもワシも切り殺すぐらいの事ができる何かを出されたら全部水の泡だ』

 老婆は警告している。

 笛吹きは、怪訝そうに横目で見る。

「……あんたがそういうんだ。余程不味いものなのか?」

『恐らくバケモノ殺しの逸話のある武器。あんた、笛さえなければただの人だろ。殺されちまうよ?』

「ふんっ、振るう使い手が子供じゃ意味が」

 笛吹きはそう言って嘲笑う。

 その刹那、笛吹きは吹っ飛んだ。

 笛が廊下に乾いた音を立てて落ちた。

 背後の壁に激突して倒れる。

 グレーテルは目を見開く。

 今、何が起きたのか脳が追い付かない。

「がぁ!?」

 何とか立ち上がる笛吹きを見下ろして、舌打ちするアリス。

「チッ……。やっぱり長い間使ってないと感覚が麻痺るわね」

 彼女は一見すると何も持っていない。

 ただ、その手は筒を持つかのように開かれている。

『はっ、言わんこっちゃない……。小娘、こいつがどうなってもいいのかい』

「グレーテル、死んだらごめん。あたし、そいつまず殺すから」

 聞いていない。アリスはハーメルンに近づく。何かを振り上げるような仕草。

「ちょ、困るアリス! 私を勝手に見捨てないで!」

 焦るグレーテル。

 死にたくないのは当然だが、必要経費で殺されるのは心外。

『……命乞いにしたって、もう少しましな言い方ないのかい』

 どこかバカにした言い方をされるが、グレーテルは必死だった。

 このままではアリスのせいで死ぬことになる。

「アリス、聞いて! そいつはどうでもいいから!」

「煩いわねグレーテル。手元狂うでしょ、黙ってて」

「黙らない! そいつはただの誘拐犯、人間だよ! 殺人で捕まる!」

 殺人罪のことを言うと、ぽかんとするアリス。

「……え? こいつ、人間なの?」

 変な力持ってるからアリスは魔女の使い魔的なものかと思っていた。

 今までの話を聞いてなかったので、そのまま葬り去るつもりだったのだが。

『……ハーメルン、もういくよ。こいつらも連れていけばいいだろう。人質がいることを忘れんじゃないよ、小娘』

「クソ……分かったよ、従えばいいんだろう?」

 忌々しそうに立ち上がる笛吹きは笛を拾い上げる。

 老婆はこのまま、グレーテルを人質に取るつもりと見たアリス。

『因みにこのガキの身体も人質さ。お前は二人分の生命を奪えるのかい?』

「……」

 迷うアリス。殺せると言われたら殺せる。

 でも、それは……。

「アリス、本当にやめて。亜夜さんが悲しむ」

 グレーテルに制止されて、渋々諦めた。

 亜夜まで引き合いに出されたら、抵抗しようがない。

『おとなしくして付いてくるなら殺しゃしないし、道中手出しもしないよ』

 老婆もハーメルンに文句を言いながら、妥協する。

 人質がいなければこの子供は本当に殺しに来ると肌で感じた。

 運悪く、その時様子を見に、クッションを持ってグズグズ泣いているラプンツェルと偏頭痛を起こしているマーチまで出てきてしまった。

「……従おう。私達の負けみたいだもの」

「癪だけど、いいわ。その代わり、ちょっかい出したら、今のあたしは殺すわよ」

 諦めるグレーテルに付き添い、アリスもまた誘拐される。

 マーチはグレーテルが人質になっているのを見るとあまりのことで失神。

 ラプンツェルは泣き出しそうになっているのを解放されたグレーテルが嫌々宥める。

 彼女たちも捕まってしまった。得体の知れない変態笛吹きと、魔女によって。

 深夜、集団失踪した子供にまぎれて、意識のあった彼女たちも誘拐された。

 だが犯人二人は知らなかった。人質にしたグレーテルという少女のことを。

 彼女は、一度似たようなことを経験している。布石はしっかりと準備しておいた。

 それは、ラプンツェルの持ってきたアリスのクッション。

 あの優しくてお人好しで、辛そうになっていく職員からの贈り物。

 アリスはとても嫌そうだったが、最終的にはグレーテルの案にのった。

(大丈夫……。今度は、上手くいく)

 前回はパンだったから、食べられてしまって途中で無くなってしまった。

 だが今回は大丈夫。あの特徴的な蒼い羽根。

 風に飛ばされないように、建物や標識の合間に突き刺してある。

 亜夜の、蒼い羽根。きっと、亜夜は……助けに来てくれる。

 ラプンツェルも、マーチも、グレーテルの言うことを聞いてくれた。

 終わるその瞬間まで、信じると決めた。

 何もできない囚われの姫君達を救いに来てくれる少女。

 カッコイイ王子様の代わりに追ってくるであろう翼の魔女を、絶対に。



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奪われる幸せ 後編

 

 

 

 夜明けの時刻。

 徐々に明るくなる空に、蒼の翼は力強く翔いている。

 猛禽類の如き逞しい大翼。

 それを持つのは猛禽ではなく、人間。

 眼下に広がる己の標を追いかけて、彼女はただ突き進む。

 情報では、北方の森に向かって怪しい集団が移動していたという情報を得ていた。

 丁度北方には魔女の住む森があると聞いたことがある。

 あとは盗賊の根城もあるとか。

 多分、そこにみんなはいる。

 そこに誘拐されたんだ。

 目撃者の証言では、エプロンドレスを着た女の子と金色毛玉、あとは寒そうにしている女の子と手を引かれている女の子と謎の男と女? がいたと。

 早い段階で、彼女は見つけていた。

 己の分身、蒼の羽根。

 それが点々と、標識や街道のあちこちに突き刺さっていた。

 きっと、あの子だ。あの子が、助けに来てくれると信じて残していったのだ。

 グレーテルが恐らくは誰かの手元にあった羽根を隠しながら落として手掛かりを。

(必ず、助けます)

 足が動かないからなんだ。

 彼女――亜夜には翼がある。

 呪いを掌握し、自由自在に操る術をもうもっている。

 彼女達はきっと希望を見出していた、亜夜に。

 冷静に考えれば、追いかけてきたとしても戦う方法がない。

 共倒れの可能性の方が高いと。それでも、信じてくれたのだ。

 予感はしている。今回で、自分が悪しき魔女であることがきっとバレる。

 ……だからなんだというのだろう。それであの子達が護れるならそれでいい。

 自分が魔女でも、いや魔女に堕ちてでも護りたいと思ったのは誰だ。

(私のことをどう思ってもいい。護らせてください。笑顔にさせてください)

 自分がいながら、誘拐されてしまった不甲斐なさ。

 自分が意気込んでおきながらのうのうとさせてしまった絶望感。

 だが、まだ間に合う。自分の手で取り返せる。

(魔道に墜ちてもいい。嫌われたって、避けられたっていい。私は、皆の為だけに幸せを……)

 彼女はどう扱われても、ただ真摯に皆のことだけを考えていた。

 亜夜は気付けなかった。それが兄、ヘンゼルと変わらない自己犠牲であると。

 他者の為に破滅を覚悟してしまう危うさを。

 

 

 

 

 

 ――そんなもの、誰も望んでいないことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんなは、待っている。

 亜夜が助けに来てくれると、信じている。

 この瞬間に殺されてしまうかもしれない。

 この瞬間に食べられてしまうかもしれない。

 怖くない訳がない。恐ろしくない訳がない。

 そのせいで呪いが加速して、それぞれに酷いダメージを与えているとしても。

 希望があるから、まだ生きていられた。

 反抗できていた。諦めないでいられた。

「何時までこいつらを連れて行くんだい? いい加減、殺してしまってもいいだろう?」

 ここは魔女の住む隠れ家。

 深い深い雪に包まれた森の中にある、小さな家の中。

 周りから見えないようにカモフラージュされていて、普通の人なら気付けない。

 家の隅っこで皆で固まって小さくなっているのを眺めた笛吹きが吐き捨てるように言う。

「魔女ってのは子供を殺して食うんだろう?」

「馬鹿いってんじゃないよ笛吹き。お前は知らないだろうけどね、子供ってのは食う以外にも使い道はあるんだよ。取り分け、この子供らは特別だ。中々面白いからね。とっ捕まえておくには丁度いいのさ。色々なことに使えそうだ」

 奥から出てきた、魔女というには不自然に若い女が出てくる。

 紫のロングヘアに、まだ20代でも通じそうな美貌。

 全身真っ黒の服装は下はロングスカート、上は長袖というよくいる格好だ。

 口にレトロな煙管を銜えながら、煙を吐き出して子供たちを見る。

「とくのそこの寒そうな奴がもってたマッチは最高だ。名品をひと箱丸々持っていたよ。それに免じてまだお前ら、生かしておいてやる」

 どうやらマーチが反射的に持ってきてたお守り代わりのマッチを奪って、悦に浸っているよう。

 満足そうに煙管を堪能している。

 気紛れで生かされてると知ると、怖さが一段階上がる。

 これが、魔女。想像とは違う若々しく、腕っ節も強そうな女。

 グレーテルもアリスも、これには太刀打ちする勇気すらわかない。

 グレーテルは前回は兄が言い出して、手伝うカタチでかまどに放り込んだ。

 それでも死なないで、兄を巻き込んでそこから先は知らない。でも、きっと……。

 だがそれは相手が老婆であったからの話。

 完全に成熟している大人相手に、呪われた彼女達が勝てる確率はかなり低い。

「理解できないね……。まあいいさ。で、報酬は?」

「ほれ、これでも持ってきな。人間の方がワシには理解できんよ」

 笛吹きに無造作に投げられた革袋。そこには大量の金貨が入っている。

 中身を確認して満足そうに北叟笑む。

「毎度あり。契約は完了だ」

「ったく、そんなモンの何がいいのかねえ」

「金が全てさ、人の世界はね。それじゃあ、また何かあったら頼むよ」

 ハーメルンはそのまま、軽く手を振って去っていった。

 この魔女がサナトリウムを襲った理由は身勝手なもの。

 若返りの秘薬を作るために、大量の子供の血液が必要だったのだ。

 しかもただの子供ではなく、適正のある子供の血が。

 ハーメルンの操る笛の音には特別な力があり、聴覚から入り脳に作用する。

 そうして人を操れる秘術なのだそうで。魔女とも、魔法使いとも別系譜の。

 今回は傭兵稼業をしているハーメルンに金を払ってやらせた。

 そこで適正を絞り込んで、フラフラ付いてきたあの子供たちから血を必要なだけ抜き取りあとは放置。死のうが生きようが知ったことじゃない。

 そしてこの四人は、適性こそあるようだったが全く笛の秘術が効いていない。

 特異体質とも思ったが、ただ魔女の呪いを受けているだけの人間だった。

 ならなぜ、適正のもつのに秘術が効かないのか。

 それに興味をもった魔女は、これから解剖をして研究しようと思っている。

 最期は結局、皆も死んでしまう。魔女の好奇心の犠牲になる。

(亜夜、さん……わたし、信じてます……)

(あやぁ……助けて……)

(亜夜さんなら、きっと来てくれる……)

(早く来なさいよね、待ってるんだから……)

 マーチも、ラプンツェルも、グレーテルも、アリスも只管希望を信じている。

 目をギュッと閉じて、みんなで集まって職員のことだけを一途に。

「……」

 魔女はそれが酷く気に入らない。

 普通なら魔女と聞くだけで逃げるか、襲ってくるかの二択。

 だがあの子供達は堪えている。恐怖に堪えながら、何かを祈っている。

 まるで神様にでも祈っているようで、酷く苛立つ。

 煙管を吸い終わると、気分が変わった。

 目障りなので、すぐに終わらせよう。

「悪いが、さっき言ったことは撤回するよ。今すぐ、お前らを殺してやる」

 それを聞くと、目を開いて驚く少女たち。

 魔女はそちらに向き直る。

 絶望が浮かぶが、それでもすぐに違う何かが顔を出す。

 苛立つ魔女。一体、この子供は何を信じているのか。

 絶望せず、希望を捨てずに何を待っているのか。

 よくわからないが、殺してしまえば同じこと。

「先ずはお前だよ、生意気な小娘」

 そう言って、近くにあった包丁を手にするや、アリスに近づいた。

 アリスも応戦しようとするが魔女に睨まれて硬直する。

 庇おうとするマーチやラプンツェルを無視して、目の前で刺し殺そうと思う。

 そうすれば少しは満足のいく顔をするだろう。

「あたしは……負けないわよ……。魔女なんかに……負けない……!」

 睨み返して、啖呵を切るアリス。

「ふんっ。口だけは達者だね。だがお前に何ができるってんだい? 何もできずにビビっているだけのお前が、何を?」

 嘲笑う魔女に、真っ向からアリスは言い返した。

「祈ることもできるし、信じることだって出来るわ。あんたには理解できないでしょうけど、あたし達人間はそうやって繋がってる! 奪うだけのあんた達には何も分からない繋がりがあるんだから!」

 堂々と反論し、皆が頷いて睨み返す。

「ほざくじゃないか、小娘が。まずそう言う前に、少しは抗ってみたらどうだい? 口だけの子供は癇癪と同じだよ」

 包丁を進める手を止めて嗤う魔女。

 壁際に追い詰められている彼女達。

 そこに対峙する魔女には、見えなかった。

 

 

 

 

 ――今まさに、彼女達が信じる希望が。

 一緒にいたいと願える幸福な相手が。

 差し込んだ朝日とともに窓の外に見えた気がした。

 

 

 

 

「本当にそう思うのなら、所詮魔女は魔女でしかないってことだよ」

 グレーテルがまっ先にそれを発見した。皮肉げに笑い返し、挑発する。

「……なに?」

 魔女はぎろりとグレーテルに矛先を変えた。

 全身の産毛が総立ちした。それでも、口だけは、心だけは負けない。

「あの時の私はお兄ちゃんに言われるがまま、逃げるしか出来なかった。今だって、信じることしか出来なかった。でも、無力な私でも道標を残すことぐらいはできたよ」

「何を言ってるんだお前は……?」

 過去がデジャヴする。兄は魔女と共に死んでしまったんだろう。

 二度と会うことはできなかった。

 死に際に与えられた呪いが、グレーテルを蝕んで。

 何度も嘆いて、恨んで、悲しんで。

 全部諦めた色褪せる世界で出会った、一人の女の子。

 彼女が新しい色を与えてくれた。諦めないという光を見せてくれた。

 幸福を司る蒼を持ってきてくれた。

 だからグレーテルは今、信じることができた。

「一つ教えてあげるわ、魔女。あんたが思っている以上にね、あたし達は諦めが悪いの。一度信じると決めたら、死ぬ前まで信じ続ける。あんたにはバカみたいに見えても、あたし達はそれでいいの。それがあたし達の望みなのよ。そして、あたし達が信じているあいつは……どんなことをしてでも、必ずここに来る。あたし達を助けに来てくれるッ!!」

 アリスが叫ぶ。魔女の背後にある窓。

 そこには、朝の日差しを遮るほどの大量の蒼い羽毛が舞い上がっていた。

「な、なんな……!?」

 魔女が今頃気付いて振り返り。

 

 

 

 

 

 突然入口が轟音と共に爆ぜ、吹き飛んできた扉に激突して、視界から消えた。

 みんなは明るい表情になった。

 扉からも差し込む光。

 それは彼女達に希望が、願いが叶った事を教える優しい日差し。

 

 

 

 

 

「――青天の霹靂、ってご存知ですか、クソ女」

 

 

 

 

 口汚く罵りながら、敵意丸出しでフラフラと立ち上がっている女の子。

 動かない足のかわりに、大きな宝石の入った杖をついてバランスをとっている。

 とても頼りない姿をしている、けれども誰よりも望んでいた彼女達のたった一人の最後の希望。

 

 

 

「遅くなってしまって、ごめんなさい。お待たせしました、お迎えにきましたよ」

 

 

 

 遠くまで彼女たちだけの為に単身で助けに来てくれた女の子。

 優しい笑顔で、みんなを安心させてくれる絶対の味方。

 

 

 

 

 ――彼女達の希望、亜夜の到着だった。

 

 

 

 

「亜夜、さん……っ!」

「あやーーーーー!!」

「亜夜さんっ!!」

「遅いわよ、バカ!」

 皆は立ち上がり、彼女に駆け寄った。

 泣きそうな顔をしていた。いや、もう泣いていた。

 ふらついているのを支える。

 酷く消耗しているようで、そこら中薄汚れていた。

 呼吸は荒く、目の焦点が定まっていない。

 それでも、彼女はここまで来てくれた。

 それが、どれ程嬉しいことか。みんな泣きながら亜夜に飛びついた。

「……亜夜、あんたボロボロじゃない!? どうしたの!?」

「すみませんでした、アリス。変態とちょっと小競り合いしてきまして。結構やられましたが、なんとかします」

 亜夜は既にボロボロだった。

 顔に細かい傷も出来ている。

 それでも戦意は失っていない。

「亜夜さん、無理をしないで……。これ以上魔法を使ったら、死んでしまう」

「まだ、平気ですグレーテル。それよりも、羽根の手掛かりをありがとうございました。おかげで見つけることができましたよ」

「……ううん、いいの。助けに来てくれただけで……」

 グレーテルの心配されながら、亜夜は礼を言う。

「あや……こわかったよぉ……」

「いいんですよ、ラプンツェル。私が何があっても必ず護りますから」

 泣きじゃくるラプンツェルを抱きしめて、優しく髪の毛を撫でる。

「あ、ぁゃさ……」

「マーチ、後は任せてください」

 背後に隠れるマーチに首だけ振り返り、そう言う。

 限界は近いだろうに、それでも気丈に振舞う亜夜。

 吹っ飛んだ魔女は、ゆっくりと起き上がって乱入者を見た。

「いきなり、人様の家をぶっ壊して入ってくるとは、いい度胸してるね……」

「いきなり、人様の聖域を土足で踏み荒らしていくとは、いい度胸してますね」

 言い返す亜夜を見て、魔女は目を丸くした。

 そして怪訝そうに、目を細める。

 見たことのない異物を見るかのように。

「……お前、何なんだ?」

 敢えて問う。どんな古い文献にも載っていない珍妙な生き物がいる。

 明らかに混ざってはいけない、混ざって存在するはずのないそれが目の前に。

「馬鹿らしい。同類ですよ、見ればわかるでしょう」

 亜夜はそれを肯定する。

 アリスとマーチが驚いて見て、ラプンツェルとグレーテルは予感していたので納得していた。

 憎いと思っていた魔女に、亜夜はなっていた。

 ……複雑な気分ではある。でも、亜夜は決して敵じゃない。

 酷いことはしないし、呪ったりもしない。

 亜夜は、魔女以前に亜夜でしかない。

 お人好しで、ダダ甘で、自己犠牲の激しい優しすぎる亜夜でしかない。

 だから、もういい。魔女は嫌い。憎い。でも、亜夜はいい。

 身に染みて、知っているから。この人の優しさを。

 グレーテルはそう割り切る。亜夜は亜夜。それだけの話だと。

 ラプンツェルも似たようなものだ。

 亜夜には変わらないから、区別なんてどうでもいいと受け入れた。

 魔女は自分で結論を出して、渋い顔をした。

 他の魔女の持ち物だったらしい、あの子供達は。

 通りで絶望しないわけだ。

 何故なら自分たちには、主がいるから。

 必ず来ると信じているの意味はこれだったのだ。

 同時に、魔女同士の諍いほど互いに面倒くさいことはない。

 基本的に損しかない争いになるのは目に見えている。

 しかもあれは世にも珍しい混ざりものの魔女と見た。

 随分と奇天烈というか不気味は姿をしているものだ。

 先程のは魔女では扱えない魔法。恐らくは雷。

 他にも厄介な能力を持っていると見ていいだろう。 

「私の大切な子達を何にしようとしていたかは知りません。ですが、許すつもりなどありませんから。お前も、外のアイツと同じようになってもらいます」

「外……?」

「ハーメルン、とか言いましたかあの笛吹き。残念ですけど、二度と笛は吹けません。そういう体にしてやりました」

 ……あの男、どうやら魔女の邪魔をしたようである。命知らずな男だ。

 呪いよりも手っ取り早い方法があるから、この魔女は殺しに行った、ということか。

「……気持ち悪い奴だね。おぞましい……」

「黙りなさい。家畜のクソにも勝らない分際で」

 互いに互いを吐き捨てる。

 気に入らない者同士、眼光を交える。

「亜夜……。あんた……」

「詳しいことは後で。今は、殺すか逃げるかしましょう」

「……アリス、今は問いただしてる場合じゃないよ」

 アリスが何か言いたそうだったが、小声でそう耳打ちされて渋々今は黙る。

 グレーテルも、ラプンツェルも大して驚いていないようだった。

 マーチは魔女だったことのショックよりも、助けに来てくれた嬉しさの方がまさり、魔女だからどうしたと言わんばかりに亜夜に抱きつく。

「……あぁ、もう! あたしがおかしいみたいになってるじゃない。いいわよ、亜夜。あんたが魔女でもなんでも。どうせ、言動は変わらないんでしょ?」

「アリスが望みを叶えるまでは私は死ねません」

「案の定じゃない……」

 ああ、変わってない。亜夜は亜夜のまま。

 皆のためだけに、が基本スタンス。

 魔女は半分いちゃついているようにしか見えない彼女たちを見て言った。

「…………はぁ。気持ち悪いからとっとと出てってくれないかい。ここはワシの家だ。お前さんみたいな混ざりものがいられると気分が悪いよ」

 嫌気がするように言った。

 あちらにはこれ以上かかわり合いにはなりたくないという空気が出ている。

 亜夜の気が収まっていないようだが、無駄な争い事をするのも避けたい。

「あたし早く帰りたいんだけど」

「亜夜、さん……。戻りましょう?」

「もうはやく帰ろうよ……」

「亜夜さん、無駄なことはしないで」

 言われてしまい、亜夜も仕方なく、鉾を引っ込める。

 出ていくとき、振り返ってドスの効いた声で言った。

「今回は、この子達の言い分を聞いて大人しくしましょう。ですが、次同じことをしたら……殺しますよ?」

「はいはい、二度としないよお前さんみたいなのと関わるのなんて。縁起でもない。穢れが移るよ」

 警告するも追い払うように出口を促される。

 というか、本当にこれで終わりのようだ。

 汚物を見る目で亜夜が見られているのをアリスは見た。

 そうして感じる。亜夜は魔女側(むこう)からも嫌われている。

 つまり、生粋の魔女じゃない。魔女のようなにかであって異なるもの。

 強いて言うなら亜夜という個体。それが結論。

 なら、忌避することはないし、亜夜ならば何でもいい。

 どうせ根っこは大きさ差はないようだし。

 家を出て、支えながら皆で雪の中を歩いていく。

 周囲は蒼い羽根だらけで、如何に彼女が急いできたが分かった。

 途中、雪の大地に大の字で倒れている変態笛吹き(ハーメルン)がいた。

 痙攣しているから、生きてはいる。亜夜がやったらしい。

 自慢の笛はへし折られて墓標のように雪に突き刺さっていた。

「さっきはああ言いましたが、ちょっとビリっとやっただけです。痺れているだけですからご安心を」

 ぶくぶく白目で泡を吹いているハーメルンには似合いの結末だった。

 森の中を歩きながら、亜夜は窶れた笑顔で、皆にこういった。

「さて。じゃあ、みんなで帰りましょうか。私たちの家(サナトリウム)に」

 傷つきながらも助けに来た彼女を支えながら、連れ去られたお姫様たちは、頷いて帰っていった……。



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みんなといっしょ

 

 

 

 

 サナトリウムに帰るまでの間。

 雪の森の中を歩く一行。

 ぽつり、ぽつりと亜夜は語りだす。

「グレーテルもラプンツェルも薄々、分かっていたんでしょう。私が魔女だということを」

「……予感は、あったかな」

 もしかして、という考えはあった。

 でもそれを否定していた。

 だってそれは、亜夜が敵になるということを意味していると思っていた。

 魔女は天敵。人類史のアンチテーゼ。似て非なる異物。

 そんなのに、この人がなるなんて思いたくなかった。

 魔女だということは、言動が全て嘘だと思っていた。

 だけど、現実は違っていた。

「……うん、わかってたの。ラプンツェルの知ってる怖いニオイがするから……」

 もしかして、とは思っていた。

 でもそれを認めたくなかった。

 だってそれは、亜夜もあんな風に畏怖する存在だということだから。

 魔女は怖い。ラプンツェルの育ての親。母親とは別のもの。

 そんなのに、この人がなるなんて思いたくなかった。

 魔女だということは、信じられなくなると思っていた。

 だけど、現実は違っていた。

「私は……元々、魔女としての素質があったんだそうです。それがこの間の魔女との出会いによって覚醒してしまった……。それが、全ての始まりです」

 亜夜は言う。

 自分は魔法使いとしての才能がありながら、同時に禁忌の素質を内包する人間。

 反するものを包みながら、今まで過ごしていた。

 だがあの魔女との出会いにより、魔女としての才能が開花。

 その時までは、まだ半分程度で済んでいたのだそうだ。

「ですが……。私は、自ら魔女になりました」

 そこからは信じられなかった。

 辛うじてバランスを取っていた均衡を彼女は自分で乗り越えた。

 魔女して、憎まれる方としての方向に傾いた。

 結果、魔女として完全覚醒したはいいが今でも魔法は使える。

 人の敵でありながら、魔女には穢れと呼ばれる混ざりもの。

 半端にいる、唯一人の存在。

「なんで……。なん、でそんなことしたのよ?」

「そう、ですよ……。自分から、だなんて……」

 マーチもアリスも声に出しておいて、ハッとする。

 この人の言動の根本は、全て変わっていない。

 魔女は呪いに精通している。常識だ。

 まさか、この人。全部リスクを承知の上で行なったということか。

 道を外れて、人をやめてまでして。

「決まってるじゃないですか。みんなのためですよ」

 あっけらかんと亜夜は言った。

 みんなのためだった。自分のことは後回しだった。

 ……やっぱりだった。この人は、自分を必要以上に傷つけている。

 魔女になれば、幸せになる前に呪いが解ける。

 手っ取り早く、確実に進めていける。

 今まで少しずつ、彼女達の呪いを秘密裏に解いていたと説明する。

 確かにここ最近、ふと振り返ると前よりも幾分楽になっていた気がしていた。

 亜夜のおかげとは思っていた。最近は明るい気持ちで満ち溢れていたから。

 然し現実は、実は彼女は裏でも糸を引いていたのだ。

 グレーテルはお菓子の味を感じにくくなり、アリスの精神状態は安定し、ラプンツェルの髪の毛は伸びる量が減って、マーチは温かさを感じやすくなった。

「もう少しです。もう少しで、完全に解くことはできるようになります。何分、同時に進めていたせいで遅々としていたことは申し訳ないと思います。ですが暫し待ってもらえれば……」

 代償として、彼女はどんどん消耗していく。

 足が動かなくなり酷い火傷を負って、吐血までする。自分よりも愛しい人達の為に。

「私がやればいい。私が呪いを解いて、それで本当の幸せを求められる日々を……」

 彼女は呟く。

 自己暗示、あるいは壊れた機械の命令。

 

 

 

 

 ……何時からだったのだろう。

 

 

 

 

 亜夜が既に目的が混同していた事を、今みんなは気付いた。

 

 

 

 

 亜夜は幸せにすることと、呪いを解くことを何時の間にか一緒にしてしまっていた。

 

 

 

 

 呪いが解ければいい。呪いを解くために魔女の道へ。

 幸せにしたい。そのためにもっともっと代償を。

 彼女にはもう、どっちがどっちだか区別が見えない。

 呪いを解ける=シアワセになれるという方程式が出来上がっている。

 誰も、望んでいないのに勝手にそう解釈して、進めてきていた。

 幸せになれば、それだけで呪いは解けるのに。

 彼女は焦っていた。

 何時までも変わらない現実に嫌気がさして、誰も信用しなくなり、自分で確実な方法を探して見つけて行なって自滅した。

 根本は四人のためだ。

 それだけはいくら混ざっていても確立している。

 絶対に、ぶれない部分は揺るがず周りはぐちゃぐちゃ。

 

 

 

 

 

 一人で誰かの為だけに必死になった結果がこれだ。亜夜は、真面目すぎたのだ。

 一人で全員を護ろうとしている。救おうとしている。

 一人の限界がきてしまったから、その許容を増やすために人をやめた。

 それでも足りなくて、引き換えをし続けて今ここにいる。

 

 

 

 

「亜夜……」

 初めて、アリスはこの人が哀れに見えた。

 言い方は悪いけれど、哀れとしか言いようがない。

 どうして、こんなに悲しいんだろう。

 亜夜は頑張ってくれている。

 でも、一人で全部を背負う必要はどこにもない。

 誰かに頼ればよかったのに。誰かに寄りかかればよかったのに。

 そのやり方を思いつかず、自分だけでなんとかしようとして。

 大きい代価を支払った。亜夜はもう限界に達しつつある。

 もう支払う余裕はないのに、そのうち自分というモノまで支払おうとする。

 支える人がいない。支えてもらおうとも思わない。

 もう自滅の道を進むしかないんだと思う。

 魔女という恨まれ避けられる運命を作り出してでも。

 回帰するのは、皆のために。

 怖くないどころか、とても悲しい……。

 

 

 

 

「亜夜、もういいわ」

「……はい?」

 

 

 

 アリスはたまらず声をかけた。

 そんなやり方しなくたって、いくらでも方法はある。

 堪えられない。自分が彼女を圧潰す存在である訳にはいかない。

 少なくても、アリスにとっても亜夜は失いたくない大切な人。

 一瞥すると、言いたいことは顔でわかったんだろう。

 グレーテルも、ラプンツェルも、マーチも頷いた。 

 この自滅系自己犠牲型職員を諌めるためには、言葉ではもう遅い。

 だから、こうする。

 

 

 

 

「亜夜。あんた、あたし達と一緒の部屋で生活しましょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――どうしてこうなったんだろう?

 私が聞きたい。

「亜夜!? ちょっと、酷いじゃないこの右足! 化膿してるわよ!?」

「ああ……。最近手入れしてませんでしたから」

「グレーテル、綺麗な水! ラプンツェル、消毒液と薬! マーチは包帯!」

 誰か説明してくれ。何でこうなった。

「亜夜さん、歩けないなら無理しないで。自分のことは自分でする」

「あの……。仕事を取られるのは困るというか……」

「いいから、休んでいて」

「えぇ……」

 仕事がない。というか世話される方になっている。

「亜夜、さん……。よければ、お茶でも、どうです、か?」

「そうですね、ご一緒します」

 仕事させて欲しい。お茶してる場合じゃないのに。

「あーやーあそぼー!」

「はいはい、遊びましょうね」

 ここだけは通常でよかった。

 だが、私は……何をしているんだ。

 誰か、私に教えてくれ。

 私は何を間違えたんだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 簡単に言うと、私は今皆と同じ部屋に暮らしている。

 あのあと。サナトリウムに帰った私達は散々な目にあった。

 検査、検査、検査。

 私含めて全員無事か確認されて、無事だとわかると解放された。

 戻るだけで丸一日かかったから、相当な距離を移動していたんだろう。

 馬車を乗り継いできたのだから、長い道のりだったようだ。

 自分で飛んでいる時は自覚しなかったけど。

 で、無断欠勤と無断外出の私の処分は特になし。

 寧ろ、偉い人に頭を下げられた。

 謝罪と、お礼。今まで異物扱いしてくれていて、すまなかったと。

 いや……実際異物。私は魔女でしかない。なのにこの対応。

 単体で魔女のところまで救出しに向かい、無傷で全員戻ってきた。

 それが彼らには英雄視されるようなものだったようだ。

 無論、嫌がる人はまだいる。然しながら私は人の味方であり子供の味方。

 身体を張って証明したと思われているようである。

 私は邪険にしてきた人達に逆に謝られるという居心地の悪さを感じている。

 体裁ばかりを気にして肝心のことを忘れていた。そう言われた。

 ここはサナトリウム。未来無き子供たちの最後の家。

 それすら失うところだったのだ。

 私を処分するのは、お門違いらしい。

 で、自分の部屋に戻ると待っていたライムさんにも謝られた。

 私の言うとおり、好き勝手理不尽を押し付けておいて、烏滸がましいけれどまだお願いしたいと土下座までされる。

 別にいい。私は最後までやり通すまで。

 言われるまでもなく、続けていく。

 ライムさんにその旨を伝えて、丁度私の部屋を訪ねてきた皆に誘拐された。

 もう私もろくすっぽ動けない身体だ。足が動かず、動きを制限されている。

 だから、それも踏まえて一緒の部屋で共同生活するぞーみたいな流れができた。

 前代未聞な、職員と子供の同居。

 異例とも言える対策に、あっさりとオーケー出された。

 私は実際そんなのだし、仕事を続けていく上でそっちのほうがいいと判断された。

 なので今はみんなと同じ部屋で暮らしている。

 お互いが世話をするので、職員という立場が危うくなっている。

 私までお世話されるなんて……。正直言うと、複雑。

「やっぱしいいわね、亜夜の羽根」

「うん、この肌さわり最高……」

「すー……すー……」

「あった、かい……」

 夜は部屋の中心で、机を退かしてみんなベッドから布団を降ろして並べて寝る。

 そう広くない室内。私は羽根を消して普段通り寝ている。

 魔女になってから、反射的に翼は出しっぱなしだったがここにきてから引っ込めて普通に寝ている。

 職員の部屋が羽毛だらけにしていたのはだしっぱにしていた影響だ。

「で……毎回、なぜこうなんです?」

 私の寝る布団にくっつけて、掛ふとんまで繋げてまるで一緒に寝ているかの如く。

 私は困惑する日々の連続。

「亜夜は一人にするとろくなことしないから、仕方なくよ」

「……心配してるんだよ」

「一人は、ダメです……よ?」

 口を酸っぱくしてみんなにそう言われる。

 一人はダメ。……一人になってた気はしないんだけど。

 左にはラプンツェルとアリス、右にはグレーテルとマーチ。

 寄り添うように、共に眠る。

「亜夜さ。あたしも頼ってよ。あたしは、頼られたいの」

 頼れとも言われる。それはどうなのかと毎度反論はしてる。

「一応、私は職員なのですが……」

「今更立場とかどうでもいいでしょ。あたし達の仲じゃない」

 あの誘拐以来、急接近してきた気がする皆との仲。

 頻りに私を頼るのは嬉しい反面、私にも同じことを要求する。

 私は一人でどうとでもなるのに。

 でも、前に比べて格段に笑顔が増えてくれている。

 それは、良いことだと思う。

「亜夜さんは真面目すぎる。私達のことを一人で背負うから、大変な思いをする。みんなで背負えば軽くて済むのに」

「職員って、そういうもんじゃ……」

「反論、却下。私達の為に魔女になった人の言うセリフじゃない」

 グレーテルにはもう少し肩の力を抜いてと言われるし。

「ぁゃ……」

 しがみついて眠るラプンツェルは寝言で私の名前を呼ぶ。

 甘えられているのかなと思う。

「亜夜、さん……。少し、休みましょう……?」

 頑張りすぎだとマーチには休憩に誘われる。

 纏めると、みんなはこう言いたいようだ。

 頑張りすぎ。それよりももっと一緒にいて。

 あれ。私気張りすぎた? もっとみんなと一緒にいるべきだった?

 ……そう言われたら、私はそうするしかないじゃないか。

 一緒にいますよ、ええ頼まれたらそうするのが私って生き物ですもの。

 あれからずっと、私達は同じ部屋で生活している。

 悪くないと思うのは。

 もっと前よりも沢山の発見があって、笑顔になっている自分がいるのは、どうしてなのだろう?

 笑い会えることが本当に嬉しいって思えるのは……どうしてなのだろうか……?

 今の私には、それがよくわからなかった。



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アリスと魔女と喋る猫

 

 

 

 

 結末は、どっちのほうが好き?

 みんなが笑顔の、ハッピーエンド?

 みんなが泣き顔の、バッドエンド?

 どちらが好きかと言われてたら、私はハッピーエンドを迷わず選ぶ。

 救いのない結末は、登場人部にもよるが好まない。

 極悪人ならまだしも、平凡な主人公が死ぬエンドとか最悪だと思う。

 それが物語に例え必要だったとしても、私は認めない。

 そういう意味では、マッチ売りの少女で主人公を殺す必要があったのか。

 上流階級の人々が貧民に手を差し伸べない皮肉のためとも言われているらしいが、そんなもののために彼女は雪の中想いだけを満たされて死んでしまうのか。

 あんな形だけの幸福で、たとえ彼女が満たされていたとしても私は許せない。

 死ぬことは幸せなことがあるのは知ってる。

 だけどアレは、絶対に違う。満たされた死なんかじゃない。

 生きる方法はいくらでもあったハズなのに、敢えて殺したとしか思えない。

 教訓にするための生贄のような最期なんてそんな悲しいこと、させるものか。

 有名な童話作家に喧嘩を売るようで申し訳ないが、一番のバットエンドであるマーチに同じエンディングを迎えさせるわけにはいかない。私は納得できないので。

 なので、彼女の最後は死ではなく、生に書き換えさせていただく。

 それが職員である私の譲れないプライドだ。

 結局私という女は、あの子達が激しく大好きだということだけは漸く自覚した。

 もう、何というかシスコンの領域に行っている。

 妹みたいに可愛がって、誰か一人でもその聖域に足を突っ込むと怒り狂うらしい。

 血の繋がりとかどうでもいい。家族でなくてもいい。

 兎に角みんなが可愛すぎて、面倒みたくてたまらない。

 魔女にはなるわ、ボロボロになるわで自分のことを顧みないのがいい証拠。

 そして私は。

 

 

 

「亜夜、ちょっと買い物」

「いいですよー。どこいきますか?」

「無駄に反応が早いわね……」

 

 

 

「亜夜さん、掃除を」

「一緒に掃除しましょうか」

「一緒にやる前提なんだ……」

 

 

 

「亜夜、さん……あの……」

「なんです? 遠慮なんかしないで何でも言ってくださいね」

「は、はい……!」

 

 

 

「あーーーやーーーー!」

「ラプンツェル、何して遊びます?」

「えーとね、えーとねぇ」

 

 

 

 

 

 見事なダメお姉ちゃんになっていた。

 頼られるとホイホイついていく。

 みんなも助けてくれるので、ついつい甘えるようになってしまった。

 もう職員の立場は形無し。気が付けばこんなことに。

 立場崩壊、公私混同。

 真面目にやってるのに周りの職員が、苦笑いとか生暖かい目で見るようになった。

「亜夜さん……。一体何をしてるんです?」

 何時ぞやぶりにあったライムさんが怪訝そうに私を見ていた。

 車椅子にフル装備の私は、見上げて言う。

「あの子達と今晩の夕飯は料理するんで、材料を購入しようと思いまして。今帰ってきたところです」

「……あの。それはもう仕事の範囲超えてますよ?」

「私が好きでやってること。ですのでお気になさらず」

 基本私たち職員は最低限の世話をすればいい。

 勉強を見たり周りの雑務をしたり、そういう系統。

 自立させることの度合いは各自に任せているという感じだ。

 だが私の場合は自立させつつ、自分まで一緒に楽しんでやっている。

 混ざってる混ざってる。目的と手段を同一視してる。

「前と違って、強迫観念のようにしているわけじゃないですよね?」

 以前の私はまるで憑き物がいるかのようだったと後になって聞いた。

 そんなに酷かったのか、とも思う。ただ私は必死になっていただけ。

 焦っていたかもしれない、それは認める。

 だけどそれは苦しいものではなく、寧ろ私が求めていたことだ。

 決して、私は後悔していない。こうなったのも私のやったことだから。

 もしも、狂っているかのように振舞っていたとしたら、狂っていた。

 狂う覚悟くらいなければ、誰も幸せにすることなんてできないのだから。

「……」

 私は何も答えない。

 聞かれても、返すべき答えはない。

 今もあの時も、変わってないつもりだ。

「まぁ、危険なことさえしなければ……兎や角言うつもりはないので」

 肩を竦めて、ライムさんはそう告げる。

 私が行なったことを、否定する気はないということ?

 意図は見えないけれど……。

「頑張ってください」

 最後にそう言って、彼女も戻っていった。

 私も見送って、すぐに向かう。

 そんなこと考える時間は惜しい。

 今は早くあの子達のところへ行こう。

 

 

 

 

 

 

 

(やれやれ……。亜夜ってば本当に世話焼けるわよねー)

 ゴミの片付けをするため、サナトリウムの裏手にあるゴミ捨て場までゴミを持って移動するアリス。

 今日は共に夕飯を作る約束をしている。久々だ、誰かと共に調理するのは。

 アリスは自覚していないが、当初のトゲトゲしさは全く無くなっている。

 たまに突っつかれて怒る程度で今ではすっかり仲良しである。

 協調性も出てきてワガママも減って、自発的に何かをしようとするようにもなった。

 これも全て亜夜のおかげだと思っている。

 今までは何もかも思い通りにならなくて周りを不信だったけれどもう違う。

 亜夜がいる。亜夜だけは、全幅の信頼を寄せている。あの人は絶対に裏切らない。

 見捨てないし、置いていかないし、いなくならない。そう信じたから。

 亜夜のおかげで、自分の世界は間違いなく広がった。苦しかった過去とは決別できたと思う。

「ふふっ」

 一人でに笑う。亜夜と一緒にいるのは間違いなく幸せだ。

 今がずっと続けばいいのに。出来る訳がないと分かっている。

 だけど、それを続けるために努力は惜しまないつもりだ。

 そうすれば、望む限りはこれがずっと続いて……。

 

 

 

 

 

「やぁ、何年ぶりかな。僕達の永遠の盟友(とも)よ」

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 

 焼却炉の後ろにある石塀の上。若い男の声がする。

 聞き覚えのあるその声に、訝しげに眉を顰めた。

 顔を上げると、そこには……。

 

 

 

 

「久しいね、永遠の盟友。僕のコト、覚えていてくれたかな?」

 

 

 

 

 不気味にニヤニヤと笑っている薄紫の猫が座っている。

 大きな猫だ。人間のように豊かな表情をしている。

 その正体を、アリスは過去不思議の国で何度も見ていた。

 奴の本性は意味の無い問答。答えのないなぞなぞ。成り立たない会話。

 話すだけ、時間の無駄。

 子供の頃には分からなかったが、結局こいつはそういう存在だと後で定義付けている。

 数年ぶりに見たその顔を見ているのに、沸き上がる感情は不愉快さだった。

 なので、アリスは存在を無視する。気分が悪くなるが、仕方ない。

 黙って焼却炉にゴミを放り投げて、不機嫌になりながら乱暴に蓋をして、戻る。

「そう邪険にしないでくれよ。僕たちの仲じゃないか」

「……」

 ウザい、鬱陶しい、煩わしい。

 視界を遮るように消えたり出たりを繰り返して、構って欲しそうに何度もする。

 我慢、我慢とアリスは自分に言い聞かせる。分かりきったことだろう。

 こいつの言葉を鵜呑みにしたから裏切られたんじゃないか。

 猫の言うことは全部、嘘とか出任せと思うほうがいい。

 出処がそもそも怪しいやつなんだから。

 言葉は空虚、心は霞。 

 そこに居ながらそこにいない。

 掴めるはずが掴めない。

 この猫の事を真面目に考えるだけ、アリスには苦痛でしかない。

「約束を忘れてしまったのかい? 僕達は永遠の盟友(ともだち)だと言ったよ?」

 嘘だ。お前は嘘をついている。

 何故ならアリスは夢の国の住人ではなく、鏡の国の住人でもない。

 現実の国の住人なのだ。交わることのない世界で、永遠などあり得るはずがない。

「君は僕たちのことを忘れて、大人になってしまうの? 僕たちは置いてけぼり?」

 この言い分には、さすがに腹が立った。

 自分が被害者のように言っているこの言い分には反論がある。

 アリスの我慢の限界だった。

「っ……!」

 とうとうキレてしまったアリス。許せない。本当の被害者はこっちの方だ。

 幼い自分を騙すようなことをしておいて、挙句置いてけぼり?

 置いて行かれていたのはどっちだと思っているんだこのクソ猫。

 口から思うことを全てぶちまけようと大きく息を吸う。その時。

 

 

 

 

「アリスのピンチな気なので殴りします」

 

 

 

 何か、凄いことが起きた。

 裏口から入った辺りで宙に浮かぶ猫に振り返り、怒鳴ろうとしたアリス。

 丁度向き合えったアリスの背から、声。そんでもって、回転する花瓶が突然飛んできた。

「ぶぎゅっ!?」

 猫、真ん前だったがアリスの死角から出てきたその一撃を、顔面で受けた。

 消える前に直撃、のめり込む花瓶を慌ててアリスが落ちる前に掴む。

「……亜夜、そこにいたの?」

 首だけ動かすと、車椅子に座る女の子が微笑んでいる。

「はい、いましたよ。アリスのことが気になってきました」

 そこには職員の姿があって、悶える猫に向かって笑ったまま、告げる。

 冷たい冷気を孕む、彼女の猫に似た瞳は……笑ってなどいなかった。

「チェシャ猫。アリスに中身のない話を振って構ってもらおうなどと思わないように。アリスは、今こちら側にいるんです。いるのか居ないのか、あるのかないのかすら曖昧で不安定な動物が、確固たる存在であるアリスにちょっかいを出すなど烏滸がましい。今のは警告。これ以上アリスに関わると、毛皮をひっぺがして三味線にしてやります。それとも猫の丸焼きがいいですか? 私は泡沫だろうが霞相手だろうが、焼き尽くすだけの力がありますけど?」

 悶えていた猫は痛みが引いたのかニタニタとまた笑い出して、亜夜に言った。

「おやおや、なんと恐ろしい。そう言う君は、魔女じゃないか。人を呪う悪しき存在が、アリスの事を護ろうというのかい? ナンセンスな話もあったものだね。本当の敵は目の前にいるというのに」

「ええ。いますね、本当の敵が。私はアリスの為の魔女ですよ? アリスが嫌がってるのにストーカーする発情期のバカネコを去勢するぐらいどうということはないです」

「怖い怖い。そういう君は、僕達と大した違いはどないんだろう? なのに護ると言い切っていいのかい?」

「ええ。私は諦めたり投げ出したりしませんので。毛皮を毟られる前に、失せなさい。そこにいてそこにいない虚空の化け猫。シュレーディンガーのアレでもあるまいに、明確な答えのない奴に用事はありません」

「言い切るね、流石は魔女だ。違う理の話をして、アリスが知られたら不味いとは思わないのかい?」

「いいえ、別に? 知られたらなんです? 不可能なら不可能なりにアプローチを変えるだけ。生憎と、こっちにも色々未練ができているんです。天秤にかけるべきじゃないなら、最初から乗せなければいいだけの話。両立できないなら出来るように工夫すればいいだけの話。本当に諦めるのは自分の手を尽くしてからでも間に合う。まぁ、猫に言ったところで本質的には無理なんでしょうけどね」

 肩を竦める亜夜はそうして猫とよく分からない会話をしている。

 ダメだ、これ以上こいつと話をすると危険だと経験で知っている。

 中身のない会話をして、こちらを混乱させるのがチェシャ猫のやり方だ。

「亜夜……こいつに付き合ってると危ないわよ。頭がおかしくなる」

「ええ、知ってます。では、失礼しますよチェシャ猫。このサナトリウムは私の空間です。長居すると曖昧な存在をこの手で本当に抹消しますよ」

 亜夜の車椅子を掴んで、半回転。

 逃げるように、連れていく。急ぎ足でその場を離れる。

「あはは、フラれてしまったか。仕方ない、また僕は彼女のことを見ているだけにするかな……」

 猫は首だけになって浮遊しながら見送っていたが、最後に寂しそうに独り言を言って、虚空に戻っていく。

 誰も猫の気持ちは、わからないまま。猫は語らず、魔女は言わせず何処かに消えていくのだった……。

 

 

 

 

 

 廊下を車椅子が移動する。

 アリスは不意に、亜夜に訊ねる。

 それは先ほどのことだった。

「ねえ……亜夜。何であいつのこと知ってるの?」

 名前を知っていた。

 名乗ったわけでも、アリスが教えたわけでもない。

 自然と、彼女は猫の名前を言い当てた。

「私はあの猫とよく似た猫を知っています。その延長線上で、たまたま知りました。シュレーディンガーの猫と言う、曖昧な存在の猫と結局は同じでしょう」

 亜夜は別の猫を知っていて、そのついでに知ったと説明する。

 さっきも猫との会話で出てきた名前。チェシャもしっているようで意味は通じていた。

 会話にならない会話をしていて、亜夜は別に苦痛ではなかったようだ。平然としている。

 今のアリスには堪えられないであろうアレを、追い払ってくれたのだ。

「あ、ありがとう亜夜……。助かったわ」

「いえ。また何かあったら、言ってください」

 ちょっと赤くなった顔を隠しながら礼を言うと、車椅子の彼女は柔らかく微笑むだけだった。

 アリスは知らない。

 猫は意味の無い会話が多い。

 それは言うとおりだし、大抵常人には理解できないコトばかり選んで言う。

 だが、時として猫は真実を見抜く。見抜いて、本人に指摘する。

 嘘とアリスが断定しているそれは一目見た時の考えに過ぎず、本当に真実を告げているときもあった。

 先程の会話は、猫と魔女には意味があった。中身の通じている会話だった。

 亜夜は異界の者。異なる理の世界の住人。嘗てのアリスと猫のように。

 交わることは不可能と猫は指摘するが、魔女は笑って言い返す。

 夢の中なら何度でも夢の中にこよう。夢は眠れば大抵見れる。

 夢と現実。それを長い別れの理由にする気はない、と。

 アリスが求める限り、方法を模索し、思案し、実行する。

 本当に諦めるのは万策尽きた時のみ。

 魔女に言い返されて、猫は負けを認めた。

 この魔女は言うだけあって実行する。

 言外に、猫は悟っていた。

 今のアリスは、この魔女の方を選んでいるのだ、と。

 魔女と共にいる方がきっとアリスは幸せになれるだろう。

 猫がそう思っていたことは、二人とも知らない。

 アリスの選択してたのは……今目の前にいる、亜夜なのだから。



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魔女と音楽隊と、寒がりの少女

 その日は、アリスもラプンツェルもグレーテルも検診でいなかった。

 その時私は丁度、遠くの街にマーチと共に出かけていた。

 簡単に言うと日帰りの旅行。

 年末も近くなり、あまり良い思い出のなくて落ち込み気味の彼女を気にして私が連れ出した。

 そういえばあの話はクリスマスだか大晦日だかが舞台だったハズ。

 温泉でも行こうと誘い、みんなには渋い顔をされたけど後でツケを払うことを約束して許してもらった。

 年末は忙しそうだ……。

 馬車に揺られながら、温泉道具を一式持った私達はとある山道を進んでいた。

 珍しく楽しそうに饒舌に喋るマーチと共に、雪景色を眺めている時だった。

 

 

 

「――オラァ! 荷物置いていきやがれェッ!!」

 

 

 

 邪魔が入ってきたのだ。

 武器を持ち、馬車を遮るように立ちはだかった、山賊の一味。

 そんなものまでいるのかこの世界。

 馬車は立ち往生、私達はなし崩し的に巻き込まれる。

 客の安全を護るために、運転手は当然抵抗。

 馬車の中から窓越しで盗み見ると果敢に戦ってるようだった。

 あんな七福神みたいな体格の中年が自衛の為の剣で戦えるほうが驚いた。

「あ、ぁやさ……!?」

「はいはい、大丈夫ですから。ちょっと痛い目を見せてやりますかね」

 仕方なく、私はでしゃばることにする。

 パニックになる彼女を宥めて、私を信じきったマーチは深呼吸して落ち着く。

「良い子にして下さい、マーチ。もう……一々取り乱したりして。私を誰だと思ってるんです?」

 優しく頭を撫で耳元で囁くと、熱に浮かれたようにぽー……っとし始める。

 なんだろう、このホステスが女の子口説くみたいな流れ。

 私も女の子なのに。魔女の囁きってこんなんだったか。

「私がマーチだけは必ず、護ります。この生命に誓って。だから、怖くありませんね?」

「はい……。亜夜、さんを……信じ、ます……」

 流石魔女。口先だけでころっと騙しちゃった。

 何というか、恍惚としている表情のマーチ。危ない気がする。

 さっさと外のどんちゃん騒ぎを終わらせよう。

 私は窓を開けて、身を乗り出し、外でつば競り合いをしている連中に声をかける。

 ちょっと呪ってやるとする。

 

 

 ――トマレ――

 

 

「なっ……?」

「あ、アニキ!?」

「なんだぁ!?」

 数名の蛮族達は、顔の出した私の囁きによって、動きを急に止めた。

 そして私の方を見る。

 私はというと、当然魔女の状態に移行している。

 目は真紅に、呼吸は紫煙を伴い、見るからに人じゃない。

「ま、魔女ッ!?」

 運転手にもみられる。見るからな畏怖が浮かんでいる。

 私の呪いは範囲攻撃。

 無差別に襲ってしまうので、少々運転手にも被害が出たようだ。

「運転手さん、怪我はありませんか? 私はそいつらを追い払いますので、馬を宥めてください」

 そう声をかけてから、返答を無視してもう一度、言葉を紡ぐ。

 

 

 

 ――カエレ――

 

 

 

 軽く脅すと、血相を変えて連中は背を向けて逃げ出した。

 呪いがそうさせたのだ。帰れと命じた一過性とは言え、呪いをかけた。

 雪道に足跡を残して山賊は消えた。

「……」

 助けた私を見て、運転手は目を疑っている。

 当然か。魔女は人類史の天敵。

 味方することなどまずないだろうし。

 馬は振り返り、私を見ても怯えていない。

 なんでも魔女は一律、大体の生物に怯えられると聞いている。

 そのことも割と常識らしいから、不信感が募るのは当たり前。

「お、お嬢さん……。あんた、魔女……なのか?」

 馬の反応もおかしそうに首を傾げて運転手は問う。

「ええ、まぁ。純血ではなく混ざりものですが、有り体にいえばそうなりますね。未熟の半端モノで、呪いなんてあんなのしか使えませんけれど」

 ここで否定すると、かえって悪くなる。

 誤魔化すところを間違えてはいけない。

 もっと強い呪いはかけられるけど、弱小というイメージでいい。

 実際、私はこの人をどうこうする気はない。

 嫌われ者の魔女だからこそ、こういう時以外は基本的に大人しくしておきたい。

「……俺を、呪ったり食わないのか?」

「人なんて食べられませんよ。私、半分程度ですけれど、一応は人間なんです」

 怪訝そうに聞いてくるので、そう朗らかに答える。

 敵意はないのは見ればわかる。

 が、何せ助けたと言え私は魔女だ。

 何かの弾みで襲われないとも限らない。

 無論、襲ってきたら迷わず呪ってやるが。

 暫し、運転手は私を見ている。

 私はただ微笑んでいる。心配そうに、マーチ寄ってがくるので軽く頭を撫でながら出方を待つ。

 軈て、運転手は頷いた。

「…………。よし、決めた。あんたのことは周りには黙っているよ。俺や馬達(こいつら)を助けてくれたしな」

「ありがとうございます」

 理解ある方のようだった。

 気にしない、と言って再び運転席に乗り込む。

「礼には及ばないさ。ああいうのは商売敵でな。警戒してるんだが時々ああして襲ってくるんだ。でも、助かったよお嬢さん。誰も怪我していないし、何も奪われていない。言うことなしじゃないか。恩人に感謝こそしても、何で殺さないといけないんだ?」

 魔女狩り。魔女は見つけ次第殺す。

 そういう法律はある。でも、私は半分別物。

 グレーな存在故、私という女の扱いは面倒臭い。

 というか私に何かあったらサナトリウムが黙っていないだろうし。

 一応、異界人だから。

「助かります。私も荒事にはしたくないので」

「気にしないでいいよ。お互い様さ」

 運転手は商売を、私は身の安全を。

 等価交換で済ませておく。

 私達は、運転手の気遣いのおかげで無事に、目的地へと向かうのだった……。

 

 

 

 

 

 

 訂正する。

 これでは移動できない。

「うわぁ……」

 マーチが感動したように漏らす。

 そういう場合じゃないんだけど、可愛いから許してしまおう。

 見上げるは雪の壁。軽く五メートルはありそう。

 崩れたら、私たちは生き埋めになるかも。

 馬車の停留所の前まではいけた。

 が、目的地である山村に続くただ一つの道が雪の壁が出来上がっていて進めない。

 誰もいないので、翼を出して飛翔。

 上空から確認すると、道自体が雪に埋もれている。

 何処までも広がる白、白、白。

 冷たい風が表面の細かいのを交えて雪風になっていた。

 物理的に遮断されている。着地して、車椅子に再び座る私。

「どうしますか? これでは凍えてしまいます」

 一番近い村まで歩いて数時間はかかる。

 私も流石にこの荷物の重量を背負って飛ぶのはきつい。

 というか日が暮れる。そうすると、マーチが辛い。

 どう足掻いても無理がある。

 次の馬車までは相当間があるので、やはり寒い。

「どう、しましょうか……?」

「……。しょうがない。取り敢えず、戻りながら様子を見ましょう」

 どこの豪雪地帯だこれは。聞いていた話じゃこんなに雪降ってないはずだろうに。

 出来ることなら、本当は大人しくしておくのがいいのかもしれない。

 だがここには、暖房がない。私はいいが、マーチは寒さが倍増する。

 それだけは避けなければ。温まるために来たのに凍えさせてどうするというのだ。

 まだ日は高い。急げば、まだ間に合うだろうか?

 最悪、適当な家屋を探して、休ませてもらおう。

 お金だって支払うしなんとかして見せよう。

「行きましょうか」

「は、はい……」

 私達は雪に残る轍を沿うように、もう一度来た道を戻るのだった……。

 

 

 一時間ほど経過して、マーチは存外早く限界を迎えた。

 顔色が青白くなって、歯がぶつかって音を立てているほど、寒いようだった。

 これでは満足に進むこともできない。

 足元はフラフラ、あっちに行ったりこっちに来たり。

「……無理はしないでください」

 私も人目がないのを確認して片翼を広げて包む込む。

 車椅子は自分で動かすことにする。滑るけど転ばなければどうでもいい。

「あ、ありがとう……ございます……」

 蒼い翼はそれなりに温かい。寒さを遮断して、マーチを護る。

 丁度、近くに家屋を発見した。平屋の、屋根の大雪で潰れそうな感じの家だった。

 誰か住んでいるなら、助けてもらおう。

 私達は避難するように、その家に向かう。

 だが突破するにも、除雪していない家の前の雪の壁邪魔だった。

 距離を離し、ある程度出力を絞った雷で吹っ飛ばして爆散。

 凄まじい爆音を立てて、雪は蒸発した。出来上がる見事な道。但し雑な仕様だ。

「わぁぁ……」

 凄いものを見たかのように、マーチは感嘆の声を上げる。

「ふぅ」

 久々の雷撃。少々体力を持っていったか。

 突き出していた右手を引っ込める。帯電しているからか、静電気が酷かった。

 家の前まで荒っぽいやり方で除雪をして、玄関の扉を叩く。

 声をかけるが、誰も出てこない。静まり返っている。

 おかしい。家の中に、微かな物音がするのに。周りが雪なので、室内の音が良く響く。

「?」

 まさか、居留守か?

 それにしては、方法があるだろうに。

 こんなマネをしてまで客人を追い返すというのか。

 その時だった。

「ひっ!?」

 マーチが悲鳴を上げる。戦慄した声だった。

 私の目の前、磨ガラスの扉のむこう。

 ……バケモノのシルエットが浮かんでいた。

 得体の知れない影だ。複数の動物が融合したかのような不気味な形。

 それが背中に逆光を浴びて、脅すかのように威嚇してきている。

「……」

 ああ、そういうことか。私は知っている。知識として、この展開を。

 こいつら、そういう態度に出るのか。上等じゃないか。

 背後のマーチに下がってと言って、私も負けじと思い切り翼を広げた。

 私の翼は人を飛翔させるに相応しいサイズがある。

 下手な猛禽よりも巨大で逞しい。思い切り震わせて、音も出す。

 すると、相手の影は途端に瓦解した。四つのパーツに分裂して、崩れたのだ。そして千々になっていく。

「えっ……?」

 ほうけるマーチ。

「見ていてください」

 私は翼を閉じて、もう一度ノックする。

 自分達は湯治客で、雪で立ち往生しているから、少し休ませて欲しいと要件を簡潔に述べる。

 大体展開読めた。多分彼らは私達を泥棒と勘違いしたんだろう。

 あれだけ派手に除雪したんだ。強盗だと思われても仕方ない。

 数秒後、解錠されたような音がして、横に扉が開く。

 そこにいたのは……。

 

 

 

 

「すみませんね、突然押しかけてきて」

「いやいや、こちらこそ申し訳ない」

 私達はうってかわって歓迎されていた。

 家屋の中、質素なリビングに彼らはいた。

「わぁ……あったかい……」

 暖炉に火を焼べながら、私は礼を言うと彼らは謝った。

「うぉ、この姉ちゃん超冷てぇ!? なんだ、極北の監獄帰りか!?」

 マーチに抱きしめられている誰かの声。

 そう、ここは彼らが山賊から奪った彼らの城。

 年老いたロバに、居場所を無くした猫に犬、そしてニワトリ達が住む家だった。

 彼らは嘗て高名な音楽隊を目指したが、旅の途中で野宿する際に発見した山賊たちの家を強奪。

 そして自分たちで居場所を作って音楽を奏で、楽しく暮らしたという……。

 私は、そんな話があることを知っている。タイトルは、『ブレーメンの音楽隊』。

 動物たちが目指す居場所は音楽隊ではなく、自分たちで奪い、護った一件の家の中だったという話だ。

 現在、猫はマーチに抱きしめられて暖房のかわりにされている。

「おい、魔女の姉ちゃん!? これ死ぬぞ、マジでこっちの姉ちゃん死ぬぞ!?」

 抱きしめられている巨大な白い餅――じゃなくて珍しいオッドアイの大きなオス猫が叫ぶ。

 私が半端ものの魔女だと説明しても、この喋る動物たちは大して驚いていなかった。

 曰く、自分たちも喋る事ができる半端な動物だから、とのこと。そういうもんらしい。

「死にませんよ。かなり寒かったのは否定しませんが。そのために湯治に来たんです」

 私はマーチの持っていたマッチを暖炉に放り投げて火の勢いを強めて言う。

「お嬢さん、無礼を承知で聞くが、魔女の呪いを受けているのか?」

 冷静そうに中型犬が問う。犬種は……なんで柴犬?

「えっ……ぇ、と……」

 困惑するマーチ。そうだろう、プライベートなことになるから。

 ちょっと踏み込んだ質問過ぎやしないかそれは。

「おっと、失礼。やはり聞かなかったことにしてくれ」

 そう言って彼は暖炉の前でリラックスして座り込む。

 顔を上げて、私を見上げて私にも問いかける。

「貴方は、無闇に誰かを呪うことをしないんだな」

「こんなんでも半分は人。見境はありますからね」

 返答に犬は満足したのか、そのまま暖炉の前で眠ってしまう。

「ごめんなさいね、こいつら全員こんなんばっかりで」

「いいえ。本当に助かりましたよ。危うく羽根付き雪達磨になるところでしたから」

 私に紅一点らしいニワトリが言ってくれた。

 彼女は止まり木に止まって、外を見る。

 外ではまたしんしんと雪が降っていた。

 私達が脅されたのは、やはり山賊が奪い返しに来たと思ったからだと聞いた。

 脅し返してやれば懲りるだろうと思ったが、相手も翼をもつ人というバケモノ。

 度肝を抜かれて崩れ、要件を告げるとそれならと入れてくれたのだ。

 尚、彼らは私の影には相当驚いたようだった。

「然し、災難でしたな。今あの村では、想定外の大雪で村民も孤立状態だったんですぞ」

 年老いたロバがそう教えてくれる。ロバはあの村で時々買い物をするのだそうだ。

 ロバなのに怪しまれないとかそんなツッコミはなしで。童話にはつきものだ。

「雪が多いとありそうなことではありますけどね」

 苦笑して、マキを暖炉に追加する。

 私は休ませてもらう料金としてお金に渡すが、彼らは貰えないと断ってきた。

 だがこちらとしても、譲れない一線。ある程度の金銭は受け取ってもらった。

 それぐらいしないと私の気が済まない。助けてもらったのだ、当然だ。

「ほっほっほ。この雪ですじゃ。今晩は止まっていくといい」

 また降り始めた雪は未明まで続き、まだ豪雪をもたらすと新聞には書いてある、と言われる。

 足止め食らって、挙句に日帰りから宿泊することになってしまった。

 これはもう、小旅行になっている。後でみんなに何を言われるか分かったもんじゃない。

 仕方ないので、なぜかあった電話を借りてサナトリウムに連絡する。

 ライムさんが事務をやっている時に丁度出て、事情は話しておくと言ってくれた。

 有難いので、ご好意に甘えるとして今夜はここでお泊まりをすることにした。

 動物たちは夕飯を振舞ってくれ、夜に子守唄と称して、優しい歌も聞かせてくれた。

 流石に音楽隊を目指すだけあってとても上手だった。

 翌日に彼らにお礼を言って見送りを受けて出発し、馬車に乗ってサナトリウムに帰った。

 帰った途端に怒られた。あの子達に散々心配をかけてしまった。

 今度はアリス、ラプンツェル、グレーテルの順番で小旅行を約束する羽目になったのだった……。



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虚像の人狼、偽りの狼

 クリスマスが訪れるサナトリウム。

 それぞれ入所する子供達は担当の職員とカタチなりの祝杯をあげて、それで終わり。

 元々淡白な、事務的な接し合いが多い彼ら。それが当然といえば当然。

 が、盛大に仲良くお祝いをしている連中もいる。クリスマスに良い思い出のない過去でありながら。

 蒼い翼を持つ魔女が面倒を見ている少女たちだった。

 一人は母親変わりの魔女に放置されて育ちクリスマスの意味を知らず。

 一人は孤独ゆえ祝い事の空気すらダメで逃げるように閉じこもっていた。

 一人は今は亡き兄との辛い思い出が重なり、どうしても楽しめかった。

 一人はそもそも、下手をしたらクリスマスの夜に死んでいたかもしれなくて。

 辛い過去があった。でも、今はそれを受け入れて笑いあえる。

 それもこれも、一人の魔女が齎した蒼い羽根の幸せ。彼女が何ふり構わず求めた幸福。

 こんなにも簡単に手に入るのに、忘れてしまっていた大切なもの。

 五人はこっそりと職員が持ってきた酒まで飲んで馬鹿騒ぎをしながら、夜遅くまで起きていた。

 プレゼントも全員もらえた。職員は自分の給与で購入してきた彼女たちの喜びそうな品を。

 彼女達は、いつ倒れてもおかしくない彼女を支えるために出来ることをしようと伝えた。

 こうして互いに支え合い、生きていくことを幸福というのだと、改めて知った。

 否、思い出した。聖なる夜は、笑い合う夜なのだ。

 楽しむためのものであって悲しみに濡れるものじゃない。

 職員――亜夜と一緒なら、生きていける。そう、強くみんなは思えるようになってきていた。

 その頃からだろうか? 目に見えて、彼女らに変化があった。

 

 

 ――呪いが、消えつつあったのだ――

 

 

 それは、亜夜が身を滅ぼす覚悟で欲していた未来。

 気が付いたら、自分達が普通の人間に戻りつつあることを年の瀬が迫る中、自覚した。

 そして同時に、目を背けていた現実も……少しずつ覚悟を、決めようと思い始めた。

 避けようのない、絶対的なお別れの時を。

 そんな中に訪れる、年の瀬。新しい年号を共に迎えるサナトリウムの住人たち。

 祝い事が連続する年末年始。

 職員は忙しそうにしている働いている中。

 その空気をぶち壊すトラブルというか、アクシデントがまた、彼らに直撃するのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

「雅堂さん、正直に白状してください。今ならまだ、引渡しは免除しますから。……貴方が犯人ですよね?」

「違いますよっ!? 何度説明すりゃいいんですかね!?」

 緊急の職員会議が某所で開かれていた年始の昼時。

 このクソ忙しい中に託けて、性犯罪を行いし愚かな職員の処罰を決めていた。

 容疑者の名前は雅堂。呪いの所有者であり、職員の立場を使った性犯罪の容疑がかかっている。

 勤めている多くの職員が懐疑的視線を向けており、容疑者(がどう)は全力で容疑を否認。

 その中には当然、魔女もいるわけで。

 サナトリウムも大事にはしたくないので、譲歩しているにもかかわらずまだ認めない。

 尋問中のライムが渋い顔で、ファイルに目撃証言などを整理しながら詰問している。

「だからその時間帯、僕はバカ頭巾に監禁されて、包丁で去勢させられそうになってました!! 脅されて危うくニューハーフになるかと思いましたよこんちくしょう! 何ならあいつに証言とってきてくださいよッ!」

「そういうと思って、一応とってきました。記憶にはあるそうですが、それは悪い夢の中の話であって、ご本人は本件に関与していないそうです」

「あの野郎、分かってて見捨てやがったー!」

 まぁ、本人は社会的にして物理的な生命の危険ともなればみっともなく騒ぐ騒ぐ。

 ツッコミなのか絶叫なのかよくわからないが、絶対に認めないと言っている。

「だから違いますよ!! 何で僕なんですか大体が!」

 本人が寧ろ納得いっていないのはそこらしい。

 そこにはざわつく周囲。言うまでもないのだが、代わりに人混みに隠れる魔女が口をはさむ。

「そんなの見た目と言動が一致しているからに決まっているでしょう、腐れロリコン外道」

「その声は一ノ瀬ェッ!! 何の恨みがあって僕を追い詰めてんだゴルァ!!」

 周囲を血走った目で探すが見当たらず、悔しそうに吼える雅堂。

 何が今この男に迫っているかというと。

 簡単に説明すると、こうなる。

 

 ――人狼のような生物がサナトリウムに夜な夜な侵入し、幼い女の子たちを狙っている――

 

 という訴え、及び目撃証言が多発していたのだ。

 で、特定の女の子からリアルケダモノに視えるこの男が速攻捕まって尋問されているわけである。

 どうも幼女を見つけ出して、お持ち帰りしようとしている様子だったらしい。

 よからぬことをしようとしているのは明白で、そんな性犯罪者を野放しには出来ない。

 最初に目撃したのは入所する男の子で、そいつは名指しで雅堂だったと証言している。

 そして次々、似たような生物が目撃されているのだ。

「違うんです、本当に違うんですッ!! ぼかぁ事実無根なんですよォッ!!」

 雅堂は何ふり構わず全力で無実を訴える。最早取り乱しているようだった。

 何か、みてて可哀想になってきた。

 皆、ヘタレ腰抜けが幼女が幼女に手を出せる根性がある訳がないと思い始めた。

 確かに普段の言動は節操なしなどと赤ずきんが言ってはいるが、実際この男は性犯罪に手をだしたことはない。

 今は容疑であり、証拠はまだないのも事実だった。

 一部の子供達が(殆どが女の子)が、こいつが犯人だと決めつけて騒いでいるだけで。

 監視カメラなども一応チェックしてもらったらしいが、犯人こそ映っているが薄闇ゆえ雅堂なのか誰かまでは判別できにくい。

「然しですねえ……」

 困っているライム。土下座までして無実だと縋るこの態度。

 プライドなんてありゃあしないんだろうが、無様極まる。

 魔女こと、亜夜は隅っこでそれを眺めていた。

 亜夜は雅堂が生理的に無理だ。寄られるだけで焼くか呪うかは絶対にすると思う。

 理由なんてない。キッチンの黒い疾風に人間が理由なしで怖気が走ると同義だと思っている。

 埒があかないので、ライムは雅堂に一週間の謹慎を言い渡した。

 部屋から出るなと命じられて給与は減るものの身の潔白になればと、何処かホッとしていた眼鏡。

 人手が減るのは困るがこの歩く卑猥生物が野放しにされていても子供たちのストレスになるだろう。

 現状ではまだ動けないので容疑者確保でやむ無し、ということで今回の職員会議はお開きになった。

 それがまた、余計な事態を引き起こすことになろうとは誰も思っていなかった……。

 

 

 ――ドスッ!

 

「ひぃっ!?」

 雅堂の部屋。

 キチンと整理されていて、まるでモデルハウスのような生活感の薄い室内。

 カーペットの上で正座する雅堂の前に、柄が激しく前後して揺れる包丁が突き刺さる。

「……言いたいことは、わかるでしょ?」

 ガタガタ震える雅堂の前に立つ、般若顔の赤ずきんが脅しで突き刺した。

 目がヤンデレみたいな状態の彼女の後ろには、上下関係に呆れている魔女の姿もあった。

 ついでに四人の姿もあった。各々、大きめのカッターに木刀、マッチにフォークで武装している。

「今回ばかりは仕方ないから、身の潔白を証明するためにあたしも手を貸してあげる。だけどそれはあんたの為じゃない。あたしの身の危険が増してるから、仕方なしに手を貸してやるだけ」

 包丁をゆっくりと引っこ抜いて、下半身の一部分に切っ先を向けた。

 青ざめて庇うように前屈みになる雅堂。完全に怯えていた。

「あたしだけじゃ不安だから、職員さんも手を貸してくれるって。ついでにアリスたちも、ね。みんなにはあんたが怪しい行動した途端に殺していいって言ってあるから。狼の餌にされたくなきゃ、働け。いいわね?」

「は、はい……。承知致しました……」

 容疑者Gは、赤ずきんに脅されて竦み上がりながら、見回りをすることを決められていた。

 勝手な判断だ。赤ずきんが、要するに変態の世話が嫌だから、遠ざけたいだけ。

 それをたまたま見てしまった亜夜も一枚噛むことにした。無論、ライムには報告してある。

 ライムも多分、万が一、一応は雅堂が犯人ではないと思っているらしい。

 真犯人が捕まればそれでいいので、無茶しない程度によろしくと言われた。

 目を瞑ってくれるらしく、雅堂は泣きながら感謝していた。

「あたし、暫くは他の職員さんにあれこれしてもらうよ。あんたは早く自首するかその真犯人とやらを捕まえな」

「了解しました……」

 赤ずきんは解決しなかった場合は犯人に仕立て上げて粛清するとまで言い切った。本気だと思われる。

 目が死んでいる雅堂は、早速今晩から行動を開始すると決めた。

 亜夜も手伝ってくれる様子なので、きっと大丈夫だろうと思いたい。

 それまで、自分の生命と性別が生きていることを願いながら。

 

 

 

「亜夜に指一本でも触ったら、刻んでやるわよ。覚悟してなさい」

「亜夜さんにちょっかい出したらすぐに暖炉に放り込むから」

「っていうか亜夜に近づくな、ろりこん!」

「亜夜、さんに……何かしたら……許しませんから……!」

 皆さんに言いたい放題、警告という手前の罵倒を散々言われて、双眸の光が喪失していた雅堂。

 夜、付き添いに車椅子の亜夜を連れて、馬の被り物で変装した雅堂はトボトボ見回りをしている。

 クリスマスの時に余っていたそれを仕方なくかぶせている。変質者には間違いないだろうが仕方ない。

 他に何も無かったのだから、妥協して雅堂も諦めることにした。

 アリスたちは就寝。ついていくとせがんでいたが、亜夜が軽く説得するとホイホイ大人しくなった。

 あれが魔女の囁きというものだと、雅堂は感心したものだ。直後にアレだったが。

 一応謹慎中なので、バレたら面倒になる。

 そこは子供から絶大な信用をされている亜夜を連れていけば、誤魔化しは大丈夫。

「何で僕が……」

「信用の差ですよ」

 声が完全に泣いていた。

 得物を持っている雅堂は自分が疑われている現状に相当ショックを受けている。

 然し、既に亜夜は疑っていなかった。必要がないのだ。

 この男には、性犯罪をする前に日々己の下の生命を狙ってくる赤ずきんとの死闘がある。

 下手にコトを起こせば、相手に付け入る隙を与える。

 欲望直結のドマゾでもない限りはそうしないだろう。

 その可能性もまぁ、完全にないとは言い切れないが……。

「正直、私も反吐が出るほど雅堂が嫌いです。然し、ラプンツェルのこともありますので、利害の一致で手を貸してあげますよ。感謝しなさい」

「へーへー……」

 相当口が悪いこの同期。しかも偉そうだった。

 本人目の前にして、悪びれずにそんなことを言える神経が理解できない。

 不貞腐れた雅堂は、相槌だけうって周囲を警戒する。

 魔女となった同期は欠伸をしながら、

「まぁ、恐らくは本当にそのエロ狼はいるんでしょう。もしかしたら、部屋のドアを破壊する可能性があります。雅堂、間違いなく荒事になります。不抜けた態度はやめなさい」

 物騒なことを言い出した。その単語は、聞き逃せない。

「……どういう意味だ?」

 雅堂は真顔に戻り、魔女に問う。

 傍らを見れば、既に薄暗い廊下の中でもハッキリ見える程、その双眸は紅く紅く妖しい光を放っている。

 亜夜は、魔女の状態にとっくに移行していたのだ。相方は、臨戦態勢にもう入っている。

 ギュッと、持ってきた木刀の柄を力強く握った。

「私が他の子に聞いてきた話だと、どうやらそのエロ狼は一部の……本当の一部の女の子だけを執拗に狙っているようです。その女の子たちは三姉妹で、それぞれワラ、木材、レンガで出来た飾りをドアに飾っている」

「……?」

 何が言いたいのか、分からない。

 察しの悪い雅堂を放置して、亜夜は更に続けていく。

「もっと言えば、あの最初の目撃証言からして、怪しいとは思いませんか? あの子は男の子ですよ。雅堂の呪いは『女の子から狼に見える』だけ。……貴方が、狼に見える訳がないんですよ」

「それは……」

 漸く、言いたいことを理解し始めた。

 先入観は怖い。雅堂=ケダモノ。

 それが安直に性犯罪者という発想に行き着く。

 つまり亜夜はこう言いたいのだ。

 この一件、二つの偶然が重なっていると。

 そしてその二つには、共通点がある。

 亜夜は周囲に人気がないのを確認して、雅堂に告げる。

 それこそが、来度の答えだったのだ。

「知っているでしょう? お互い『外』の人間ですからね。もうお分かりでしょう? これは、童話です。一つ目は『嘘をついた子供』。またの名を『狼少年』とも言いますね。そしてもう一つが『三匹の子豚』。……女の子を子豚扱いするのはどうかと思いますが、恐らくはこの二つが今サナトリウムで、重なって起きています」

「……」

 彼女の推理は納得出来る。

 最初の目撃者である少年の原典は何度も嘘をついて最終的に人に信じてもらえなくなる童話。

 もう一つは三匹の子豚が織り成す知恵と工夫の物語。

 彼は嘘をついたのだ。雅堂の呪いを知っていて、からかうつもりで無邪気な嘘を。

 魔女は苦笑して、虚像の人狼に説明する。

「さっき、本人に確認してきましたよ。……やはり、嘘だそうです。最初は、雅堂をおもちゃにしていただけだったそうなのですが、嘘から出た何とやらで、本当に狼と思われる生物が紛れ込んでいた。それのせいで、言い出しにくくなってしまって、黙っていたんだそうです」

「マジかよ……」

 何という早い仕事。亜夜の動きに脱帽した。

 独断でいち早くそのことに気がついて、解決に向けて平和的に行なった手腕。

 子供に信じてもらえる最大の訳は、きっとこういうところなのだろうと納得した。

 彼女はずっと味方でしかないと、みんな知っているのだ。

「ちょっと苦言を呈しておきました。反省してくれているので、もう大丈夫だと思いますよ」

 無闇に怒らないし、丁寧に接して常に視線を子供達に向いているなら、道理で好かれる訳である。

「それは兎も角。もう一つの方が問題ですよ。わかりますよね?」

「……あぁ」

 その童話は知っている内容だ。

 三匹の子豚のうち、二人は狼に一度喰われる。この場合は……考えたくもない。

 家の代わりに、部屋のドアを鼻息で粉砕する可能性がある。

「息吹で粉砕はしなくても、確実に壊しに行くでしょう。……あの子達の貞操を護るため、たまには狼から紳士になったらどうです?」

 試すように言われて、驚きで乱れる呼吸を慣れた手順で、素早く整える。

「言われなくてもそうするさ。僕はこう見えて……剣の道には自信があるんでね」

 そう。こう見えて、雅堂は剣道を長い間続けている。

 こちらの世界では赤ずきんに生命を狙われ続けているのに生きている理由に、対刃物に慣れていることも一因だった。

 因みに現実世界での腕前はちょっとしたバケモノ級で、余りの強さに剣道部を破門されていたりする。

 こいつは以前、上級者と試合して、過去に相手を意図せず卒倒させてしまったことがあった。

 そんなこともあり、今は自主鍛錬のみではあるが、腕前は衰えていない。

「でしょうね。雅堂、時々足回りが剣道部の人に似ていましたから」

 動じることもなく、亜夜は言う。よく見ている。

 特有の足さばきをするとよく言われるが、ほどんと染み付いたクセのようなもの。

 無意識にまで叩き込んだ剣の道。早々抜けることはない。

「今宵もどうせ現れるでしょうから、すぐにケリをつけましょう」

 魔女と共に、サナトリウムの治安を守るため、木刀を手に狼は紳士となる。

 

 

 

 

 

 

 目的の部屋の前で、不振な人影を発見した。

 頭に狼の被り物をしている大柄な男と思われる。

 手には……恐らくシルエットからして、斧でも持っている。

 まさか、アレでドアを破壊する魂胆ではないだろうか。

 そのまさかだった。斧を振り上げ、ドアに叩きつけようとしている。

「させるかっ……!!」

 先手をうったのは雅堂。

 袋から木刀を取り出すや、構えて人影目掛けて走っていく。

「!!」

 人影は、足音で突貫してくる雅堂に気が付いた。

「婦女子を狙う狼藉者、覚悟ォッ!!」

 裂帛の気合で周囲の職員に知らせるために叫ぶ。

 姿勢を低くして眼前で急停止。

 腰だめに構えていた木刀を逆袈裟に振るう。

「ぬぅっ!?」

 人影が持っていたそれで木刀を防ぐ。

 一撃で終わるとは思っていない。

 踏みとどまり、連撃を叩き込む。その尽くを、先読みして防御された。

 その間に、背後にいた魔女が廊下の電気を付ける。

 明るく照らされる廊下。そこに居たのは……。

「や、夜間に馬とな!?」

「黙らっしゃい狼!!」

 木刀と斧で激しい剣戟のやり取りをしている、馬の職員と狼の不審者。

「おおおおおおぉぉぉぉぉおおっ!!!!」

 凄まじい殺気をまき散らす眼鏡。

 疾風怒濤。魔女が加勢を忘れるほど、鬼気迫る勢いで連撃を叩き込む程。

 今、彼の視界は眼前の生物一つに絞られ、防衛の二文字しか頭にはなかった。

 倒さねばなるまい。こいつは危険なのだと知ったからには見過ごすわけにはいかない。

 それは今まで生きてきた人生を裏切る行為だったから。

 誰かの窮地を無視できるほど、雅堂という男は非情にはなれない。

 況してや、職員という立場は護る立場であり、奪う立場ではない。

 勇敢にならなければ、出来ないというのならば。

 怯んでいる場合ではない。今こそ、磨いてきた剣の道を示す時なのだ。

「ぬぅッ、やるな小僧ッ!」

 偉そうに狼は褒める。

 犯人は、この界隈では有名なド変態の変質者だった。

 こんな世界だ。身を守る術程度は嗜んでいる。

 狼は腕に自信があるが、この小僧は相当な手練と見た。

 純粋な腕前から立ち回りまで、侮れない。

 斧という分厚く重い得物は速度は出ないが威力はある。

 それを木刀で衝撃を殺され、返す刀で胴体を狙う一撃が走る。

 ギロチンのように降り下ろされる斧の刃を回避して、馬は怒鳴る。

「あんたは……あんたは自分が何をしてるか、分かってんのかッ!! ここは……サナトリウムなんだぞ!!」

 最期の居場所(サナトリウム)。確かにそんな名前で呼ばれている。

 だが、欲望に正直に生きるこの変態には関係ない。

 エロ目的に幼女がいればどこにだって侵入して好き放題する。

 だから指名手配されているのだ。だからどうした、愚問である。

「ふぅんっ、だからどうした?」

 悪びれず、傲慢に言い返す。

 豪快に横一線に振るわれる斧。屈んで避ける馬。

 壁にのめり込む手前で停止。

 隙を見て喉元目掛ける突きを片手で押さえるが、掴まれた途端に蹴りが飛んできて、慌てて投げ捨てる。

 身体ごと大きく投げられた馬は、空中で一回転して華麗に着地。

「……」

 立ち上がり俯いて、ギリギリと木刀を持つ手に筋が浮かぶ。怒りを堪えているような様子だった。

「拙者、ここの幼女をぺろぺろしたいだけ。それの何が問題がある!!」

 斧を床に突き立て、腕を組んで、実に堂々と変態発言を宣った。

 反省もしてなければ、改める気もサラサラないようだった。

 そして、それが馬の逆鱗に触れた。

 

「貴様は……クズだ。クズは生きていてはいけない。ここで僕が僕の手で始末(ころ)してやる」

 

 ぷっつん、と馬の良心の呵責を振り切った。

 ヘタレなりの暴力への罪悪感が未だにあった。

 故に、何処かに手心を加えてしまったんだろう。

 この害獣を野放しにすることは、サナトリウムにとって、ひいては世の女性や子供に対する害となる。

 ならば……いっそここで憂いを絶つのも必要になるのではないか。

 いや、絶対に必要だ。許すまじ、変態許すまじ慈悲はない。

「むっ?」

 狼は異変を感じる。相手から放たれる異様な空気。間違いなく、一段階強くなったようだ。

 手練故、相手をする時間が惜しい。周りには人が多くなってきていた。

 騒ぎに気がついて警戒していた職員が駆けつけて、対峙する馬と狼を見て目を丸くしたり絶句する中。

 剣鬼と化した馬が、邪魔なように乱暴に被り物を脱ぎ捨てる。

 こめかみや額にに青筋が浮かんでおり、先程とは別人のような表情だった。

 そして左手の中指で、ズレた眼鏡の位置を直す。

「貴様だけは、僕は許せん。幼子を自らの快楽の道具にする生物のクズは血の海に沈めてくれるわ」

 バキッ! と派手な音がして持っていた木刀を握り潰した雅堂。

 目が完全にイッている。ブチギレて、暴走状態に入ったと見た。

 余りの怒りに、自分が今どうゆう状況なのかも脳内から吹っ飛んだ。

「覚悟しろ、狼。貴様は僕の手で、ここで引導を渡すッ!」

「フッ、やってみるがいい小僧ォッ!!」

 ブチギレたメガネと変態の最終決戦。

 もう童話じゃない。バトル漫画だ。

 部屋の中で何かうるさいとターゲットの女の子が目を覚ましていた。

 いざ、雌雄を決する決戦は始ま……。

 

 

 ――ウ、ゴ、ク、ナ――

 

「!?」

「!!」

 背後から、怖気の走るような冷たい声。

 途端、硬直して自由が利かなくなる身体。

 戦慄するエロ狼と、我に帰るマジギレ馬。

「熱くなっているところ失礼ですけど、犯人はそちらの方ですよね? お覚悟を」

 ばさり、と本当に恐ろしい生き物が舞い上がる。

 狼は漸く、気が付いた。馬の背後にいた女。

「私の聖域を犯す可能性があるので、ちょっと痛い目にあってもらいます。精々後悔しなさい」

 真紅の瞳でこちらを射抜く、蒼い翼を持つ者。

 見ているだけで本能が逃げ出す事を迷わないあの生き物は。

「ま……魔女、だと……ッ!?」

 まさか、サナトリウムに魔女がいるなんて。

 羽ばたきながら近づいてくる年若い魔女。

 逃げようとしても身体が動かない。狼は藻掻く。

 静電気を帯びながら、冷酷に告げた。

「無駄なことを。種馬共々、痛みを知りなさい」

「何で僕まで!? ってか種馬ってどういう意味だゴルァ!」

 さり気無く酷い言われようだった。魔女は鼻で笑った。

「無駄に熱くなっている馬など種馬で十分です。お疲れ様」

 そして、最後に魔女が終わらせた。

 二人に、激しい電撃が襲いかかるのだった……。

 

 

「ぎゃあああああああああああーーーーーーーーーす!!!!」

 

 



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姫が流した魔女の鮮血

 エロウルフ騒ぎから一週間ほど経過した頃。

 新年早々、サナトリウムに厄介な少女達が担ぎ込まれた。

「私に?」

 新たな使命を与えられたのは、サナトリウムにいる虚弱な魔女。

 送り込まれたのはこの世界の亡国の王族末裔と、王国の王族だったのだ。

 昼ごろ、突然ライムに裏口に呼ばれた彼女が目にしたのは、大きな二つの柩。

「……この後に及んで、本当に申し訳ないです、亜夜さん。新しい負担を、貴方に強いることになります」

「…………」

 その場には、二人しかいない。

 担架で運び込まれた柩を見下ろして、車椅子の魔女は無表情で問うた。

「この子達は、『眠り姫』と、『白雪姫』ですか?」

「……そうです。ご存知ですよね、やはり」

「ええ。童話の世界では三大プリンセスと言われている物語ですもの」

 亜夜に課せられた新しい使命。世界に帰るまでの縛り付ける枷。

 それは……柩で眠りし二人の王女を目覚めさせること、だったのだから……。

 

 

 

 

 

 

 サナトリウムに新しく担ぎ込まれた少女達は、長い間眠っている。

 正確に言うなら殆ど死んでいると言っても同義だ。

 遠い過去に滅びし王国の姫君と、嫉妬で人生を狂わされた姫君。

 サナトリウムの子供達は、皆を顰めた。

 自分も何時かあんな風になるかもしれないという未来が見えた気がした。

 棺に入れられて、誰の世話も必要としない、半死人。

 王族だろうが少女だろうが、死ねばみんな同じただの人間。

 結末は、あんな風なのではないかと不安になった。

 その棺を担当することになったのは、あの魔女だった。

 担当する二人の部屋に安置されている大きな棺。

 一つは、透き通る水晶そのもの。

 中には、それはそれは美しい女の子が胸に手を合わせて眠っている。

 一つは、黒い十字架が刻まれて荊が伝っている不気味な柩。

 中には、遠い歴史に埋もれた国の一人娘が安らかに眠っている。

 童話『白雪姫』、『眠り姫』の主人公たちだった。

 亜夜に課せられた目的は、何とかして目を覚まさせること。

 王子のキス程度では最早目覚めない。それはもう確定済み。

 二人とも、魔女によってその人生を壊された被害者だ。

 『仮死状態になる』呪いに、『永い時を眠る』呪い。

 この世界では二人に降りかかった不幸はこう解釈されている。

 そもそも眠り姫は荊の伝う樹海に遺されていた、王城の遺跡の中から発見されて、死んでるのか生きてるのかもよく分からない。

 取り敢えず、行動あるのみ。

 魔女である亜夜なら、呪いを解除することは可能だ。

 現在、唯一敵意のない魔女なので、二人の呪いを解いてくれと。

 そう、サナトリウムの運営をする上層部から直々に指名があった。

 大人の事情で、ライムも逆らうことができず、泣く泣く彼女に託した。

 託された亜夜だったが、今は四人のことで手一杯。

 寝ているだけの連中に割く時間は無いと断言できる。

 なので、放置することにした。

 そもそも、四人以外には甲斐甲斐しく世話をする気はない。

 子供の味方ではあるがそれは生きているからであって、半死人を救うほどお人好しでもない。

「亜夜……あんた、大丈夫?」

「大丈夫に見えますか」

「ごめん、そんなわけないわよね」

 夜寝る前、事情を聞いて慰めてくれるみんなに甘えながら、亜夜はボヤく。

 並んで四人は、天井を見上げながら亜夜と話す。

「柩、は……怖い……です……」

「同感。私達も何時か死ぬけど……ああはなりたくない」

 呪いには様々な種類がある。

 それは知っているが、あの極めつけの嫌がらせは最悪だ。

 死という明確な終焉がない呪いは、亜夜の鳥になる呪いを思い出す。

 亜夜は反則的な方法で呪いを打破したが、普通の人にはあれが結末。

 抗いようがないまま、永い時をああして過ごすのは堪えられない。

 みんな、口を揃えて言う。

 唯一、ラプンツェルは幼さゆえ重大さを理解できずに能天気に暮らしている。

「一応、上の命令ですので……。適当に呪いに関して調べてみます」

 逆らえない職員という立場だから、言われたとおりにしておけばいい。

 今のところは、忙しさを理由に放置していると伝えてある。

 連中には連中の思惑があるようだ。

 亜夜の知ったことじゃないが、やっておけというなら無理しない程度にやっておく。

「やばいときは言ってね。あたし達、すぐに助けるから」

 アリスにそう言われて軽く頷いて、その日は眠った。

 次の日には、そろそろ取り掛からないと不味いので少しやってみようと亜夜は決めた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 最低限の準備をしてから、亜夜は柩のある部屋に入る。

 こちらにも、最低限の家具などの設置は終わっている。

 亜夜は部屋の中央に鎮座する二つの棺を見て、一気に終わらせることにした。

 魔女の状態に以降、鮮やかな紅に変化した瞳で棺を観察する。

 実際触ってみたり、あれこれ調べること数分。違和感に気がついた。

(……何、これ?)

 ……おかしい。何で、呪いがない。

 二人のうち、白雪姫はまだ呪いが解けていないようだった。

 呪いを解くには、どうやら彼女を心から心配する人間の口付けなり想いなりが必要なようだ。

 それが分かれば、後はライムを通じて伝えればいい。亜夜には解除できない。したくない。

 それはいいとして。問題は、眠り姫の方だった。……既に呪いらしきモノは、存在しない。

 何度調べてみても、柩にも、開けていないが本人にも恐らくは呪いはもうないだろう。

 なのに、何でこの姫君は眠っている? あるいは、本当に死んでいるのか。

 死体を運び込んだとなればそれも問題だ。早く伝えなければいけない。

 結果は変わらないと結論づけて、亜夜が背を向けて出ていこうとする。

 

 

 

 ――その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……魔女?」

 

 

 

 

 

 

 小さな声が聞こえた。

 訝しげに振り返る、亜夜の視界に。

 

 影が。

 

 映り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とても大きな音がする。

 それは安置されている棺の部屋から。

 寝坊していたグレーテルやマーチはその盛大な爆発音に飛び起きる。

 ラプンツェルは深い眠りに落ちているので眠っていた。

「っ……!?」

 背後から突然襲ってきた何か。

 亜夜は無防備な所を全身を絞め上げられている。

 首まで締め付けられて、息ができない。

 油断していたせいで、成す術なくそのまま持ち上げられる。

「こんなに近くに、魔女がいるなんて……ここはどこ? 今はいつ?」

 独り言を言っている豪華な黒のイブニングドレスを着用する女の子が、魔女の亜夜に似た(くれない)の目で見上げている。

 血の色をしたバラの髪飾りを這わせるは、アリスに近い金髪ンロングヘア。

 まだ年は15、16と言ったあたりの同年代。

 ギリギリとフタが壊された柩の内部から伸びている無数の太い荊の蔦。

 どうやら、凄い音がしたのは柩の蓋が粉砕された音のようだ。

 それを操るように、左右の人差し指にはめている指輪が光っている。

 宝石が自ら発光している。確認するように目をやっている。

 棘が亜夜の全身に食い込み、寝巻きに血を滲ませた。

(ま、まさか100年後に自分で目覚める方だった……? 油断、した……)

 眠り姫には幾つかパターンがあるが、その中に自分で目を覚ます展開がある。

 どうやらこの眠り姫はそのパターンだったようだ。

 道理で呪いが見当たらない。

 何故ならそれは、効果が自然消滅しており、今日という日が100年後の最後の日。

 天文学的数字の不幸が亜夜を襲っていた。わかる訳がない、こんな展開。

「魔女は……やっぱり、殺さないとダメよね」

 淡々と、彼女は行動していく。

 亜夜を締め付ける力を強くされる。

 抵抗しようにも、頭に血液が流れず、意識が朦朧とし始めた。

 視界が霞んできている。呼吸は出来ず、意識も混濁してきている。

(死ぬの……? 私……?)

 人生で初めてかもしれない。死、というものを自覚するのは。

 これが死ぬという感覚か。走馬灯が見えると聞くが、何にも見えない。

 死にたくないという想いだけが、空振りしているだけだった。

 暴れようにも全身を縛られているから無理。それでも、意識だけは敵対する。

 睨み付けると、睨み返される。

「ねぇ、魔女。得意の呪いで何とかしてみれば? させないけどね」

 彼女――眠り姫は本気だ。魔女である、亜夜を殺そうとしている。

 魔女狩りの法律に則り、当然の行いとして。

「このまま絞め殺せば、少しは憂さ晴らし出来るかな。個人的な恨みはないけど、魔女だから。死んで」

 魔女だから殺す。魔女だから何しても許される。

 そんな事を言いたげな顔をして、眠り姫は仕上げに入る。

 流れる血が、蔦を伝って床に滴る。

 元々身体は弱い亜夜。こんな強い力で締め付けられたら、簡単に壊れてしまう。

(……勝て、ない……?)

 普段から冷静な思考が、あっさりと降参、降伏への選択肢を選びそうになる。

 全てのパターンから考えて、自分は詰んでいると理解してしまった。

 魔法はこのままでは使えず、呪いは封じられている。

 発動する前に条件を潰されれば、亜夜とてただの無力な人間だ。

 抵抗したい。でも、抵抗する前の状態で先手で王手を取られた。

 魔女の状態だったとしても、言葉を紡がないと呪いは使えない。

 首を絞められているから、意識がはっきりせず魔法も使えない。

 完全なチェックメイト。勝ち目は、ない。

「抵抗しないんだ。そう、諦めがいいのね。じゃあ、さっさと殺してあげる」

 嫌な音がして、棘が更に食い込んでくる。骨が軋み始めた。

「あぁ……っ!?」

 辛うじて漏れ出した言葉は苦悶の声。懇願も聞かず、命乞いなんて以ての外。

 潰されておしまいだろうか。このまま、生肉にされて亜夜の人生は……終わってしまうんだろうか?

 

 

 

 

 ――違うッ!!

 

 

 

(みんなを残して……死ねない……!)

 

 

 

 嫌だ。死にたくない。

 こんなところで死ぬのは嫌だ。

 みんなを幸せにしていないのに!!

 中途半端で投げ出すなんて絶対に嫌だ!

 誰が、こんな奴に殺されてやるものか!!

 亜夜の生命は、皆の為に使う!!

 誰にも奪わせるつもりなんて、ないッ!!

 

 

 

 

「あ……ぐッ……!」

「……?」

 まだだ。

 まだ、一ノ瀬亜夜という職員の役目は終わっていない。

 その使命は幸福を呼ぶ蒼い鳥。みんなの笑顔を見たい。笑顔にしたい。

 そのためならば、自分が傷ついたとしても。相手を殺したとしても。

 何が何でも、生き残る!

「へぇ、流石にしぶとい……ねっ!」

 眠り姫は抵抗の意思を見せた亜夜を、振り回した。

 視界がぐるぐると回転し、勢いで棘が更に食い込む。

 血がもっと流れた。だから、どうした。

 床に叩きつけられようが、壁に打ち付けられようが。

 もう諦めるものか。もう、逃げるものか。

 一瞬でもそう思った自分が恥ずかしい。

 亜夜は死なない。死にたくない。

 だって、まだ……この世界に! 元の世界に!

 誰よりも、未練があるんだからッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あたしの亜夜に何してんだぁあああああああーーーーーーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怒号。怒り一色の人の声。

 亜夜の闘志に答えるように。

 窮地の亜夜に、一人助けにきた子供がいた。

 

 

 

「亜夜にさわンなぁあアアアアアッ!!!!」

 

 

 

 怒り狂う雄叫びを上げて、ドアが爆ぜた。否、粉々に……切断された。

 恰も爆発したかのように、ドアを破壊して誰かが飛び込んでくる。

「!?」

 眠り姫が突然の乱入者に戦慄する。

 入ってきた人影は、亜夜を絞め上げていた荊の蔦を簡単に切断。

 落ちてきた血塗れの亜夜を片手で受け止め抱き寄せる。

「くっ!」

 眠り姫が我に帰り、追撃の荊を伸ばすが、その人物は全て切り伏せた。

 そして踵を返して、走り出す。

 逃げ出して、亜夜を護らないといけない。

 早く治療を。早く、早く。

 その想いだけが、足を前へ前へと進めさせた。

「……?」

 虚弱な身体を痛み付けられて、意識が失いそうになっている。

 血を流しすぎて、急がないと失血死しそうな弱い魔女。

「亜夜、あやぁ……! 亜夜が死んじゃうよぉ、そんなのいやだぁ……っ!!」

 助けに来てくれた少女は取り乱していた。泣きながら医療室を目指して走る。

 必死になって、追撃してくる追っ手のことなど構わずに、ただただ死んでほしくなくて。

(……アリス?)

 その声はアリスのように聞こえた。

 でも、頑張っていた意識はここで途切れた。

 亜夜の覚えている限りは、ここまでだった。

 そこから先のことは……よく、覚えていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 取り乱したアリスが朝早く、起きていた医者に血塗れになった職員を連れてきた。

 返り血で汚れて運び込まれたのは人類相手には無敵と思われていた魔女だった。

 想像できない事態に、パニックを起こす医者。

 ライムが騒ぎに気がついて慌てて室内に飛び込む。

 血達磨になって死にかけている亜夜を直ぐ様集中治療室に押し込んだ。

 追っ手である亜夜の鮮血滴る蔦を従えた王女様は、亜夜を探して建物内を徘徊している事を、目撃した子供達に内線で知らされる。

 皆がパニックを起こしていた。

 見知らぬ若者が、魔法らしきモノで蔦を操り人を襲った。

 また先日の侵入者のようなコトなのか。

 職員の中で数少ない武芸経験者の雅堂が駆り出された。姫君を止めてこいと無謀なことをさせられた。

 得物に何故かこの世界の自警団が使っているという木刀を渡されて。

「…………魔法使い相手にどうしろってんだよ……?」

 ボヤきながら、赤ずきんにもどうもかしろと言われた手前、押さえるしかあるまい。

 やったことのない未知の相手だが、出来るだけやるしかない。

 雅堂は多少うろつき、不審者よろしく徘徊する王女様を発見した。

「……あぁ、ちょうど良かった。すみません、そこの眼鏡のお兄さん」

 向こうから声をかけてきた。背後には無数の荊。

 魔女を見かけていないか、と彼女に問われる。

「……悪いけど事情あってね。そいつを殺すのはダメなんだ」

 平和的に解決しようと、懇切丁寧に説明する雅堂。

 然し、王女様は。

「そうですか。どうでもいいです。面倒臭いので、邪魔をするなら寄ってぶった斬るまでです」

 真顔で話し合いには応じるつもりはないと言った。

 パァンッ! といきなりの宣戦布告。蔦で一閃、雅堂を殺しに来た。

 最早人だろうが何だろうが、魔女の味方は皆殺しにする気とみた。

「……。そっちがその気なら、女の子相手でも戦う。一応でも知り合いをやられた時点で、俺は君は許せない」

 真顔で、心底底冷えする声を出す雅堂。

 先程の不意打ちも、蔦の先を木刀で叩き落とした。

「へぇ、やりますね。王国騎士団だって、そこまで剣を使える人はいませんでした」

 褒めているのか皮肉なのか、表情を変えずに、人と知ってて迷わず攻撃する王女。

 木刀の眼鏡剣士VS凶暴なお姫様の第二ラウンドが始まった。

 王女の後ろで発生する踊り狂う棘の蔦が何本も伸びて、雅堂を狙う。

 雅堂は摺足で移動して全て避けきり、間合いを詰めて彼女に木刀で切りかかる。

「それっ!」

 袈裟懸けに斬られるのを、木刀ゆえか白刃どり。

 だが、その防御の方法がまずかった。

 雅堂は足腰に力をいれて、掴んだままの少女を軽々と持ち上げた。

「……それってアリですか、お兄さん」

「魔法使いに言われたくないな」

 持ち上がったまま聞いてくる彼女を、木刀ごと振るう。

 仕方なく離した王女様は吹っ飛び、離れていくときも攻撃してくる蔦を剣戟と拳で迎撃する。

 着地した王女様は少しだけ驚いたような表情をしていた。

「一風変わった剣術ですね。足回りがとても独特で、凄く興味が出てきました」

「…………極東に古くから伝わる剣術なんだよ」

 童話の主人公が魔法使いというのも驚きだが、まさか剣道を説明する日がこようとは。

 雅堂が簡単に説明すると、

「極東!? ではお兄さんは、極東の出身ということですか!?」

 王女様は突然、目を輝かせて嬉しそうに手を合わせた。何やら感動している様子だ。

「……まぁ」

 一応、肯定する。王女様、凄い勢いで食いついてきた。

「わたくし、とてもお兄さんに興味が出てきましたっ! 昔、父上に東方の果てには島国があり、そこは黄金の都であると伺いましたが、それは本当ですかっ!?」

 キラキラした目で雅堂を見る王女様。教えてもいいが、このままでは戦いは収まらない。

 仮にも彼女は、魔女を半殺しにした犯人なのだ。

 そこで思いつく眼鏡。交換条件、というのでどうだろうか。

 一つ提案してみようと思い、ダメ元で言ってみた。

 すると、

「分かりました。お兄さんの同僚だと言うなら、仕方ありません。この知識欲だけは抑える自信がないので、勝負に負けたら襲うのは諦めます。でも、勝ったら詳しいお話を教えてくださいね?」

「……お、おぅ」

 雅堂が勝ったら亜夜襲撃を阻止。

 王女様が勝ったら、極東の島のことを話す。

 どっちに転がっても多分大丈夫だとは思う。追撃の心配は無くなった。

 勝たなければ意味がないのだが。相手は本気で勝ちをもぎ取りに来る。

「では、行きますよお兄さん……お覚悟を!」

 遠い時代の忘れ物であるお姫様は自分の欲のため、目の前の敵を潰すことを決めた。

 この時点で彼女の中から魔女はもう消えた。どうでもいい。兎に角知りたいのでそちら優先。

 新年早々、荒事がまたも発生。サナトリウムの平穏は、一体どこに消えてしまったのだろうか……?



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古き王女は現世の敵

「……」

 職員になってから、どれぐらいの時が経っただろうか。

 私は一度たりとも、医者の世話にはなるまいと振舞ってきた。

 自分が壊れているのも知らずに突っ走ってきたツケが回ってきたの?

 ……巫山戯るな。私が倒れていいと思っているのか。

 やりたいことも、やらなければいけないこともしないで倒れてて。

 

 

 ――亜夜、あんたの恨みはアタシは晴らすから。だから、今はゆっくり休んでて……。

 

 

 誰かの声が聞こえる。この声は……。

 

 

 ――心配しないで、亜夜さん。私達は、自分たちで出来ることはするから。

 

 ――亜夜……。あやぁ……。

 

 ――亜夜、さん……。わたしも……出来ることは、します、から……。

 

(……みんな?)

 

 大切なあの子達の声……?

 アリス、グレーテル、ラプンツェル、マーチ。

 みんな、休んでいてという。

 身体を癒し、回復したらまた一緒にと。

 でも、何であんな悲しそうな声をで言うんだろう。

 私がせいなの? でも、無理をしたら悲しませるのかな。

 どうすればいいのかわからない。寝ていればいいか、無理をして強がるべきか。

 見えないよ、何もかも。自分の答えが、自分の結論が。

 ……然し、と。改めて現状を見てみる。

 つくづくダメなおねえちゃんだと自分でも思う。

 どうしてこう、あの子達に心配ばかりかけさせるんだろう。

 姉役としてなら、手本にならなきゃダメだろう。

 私はダメな部分だけを常に見せている気がする。

 情けないと言うか、何というか。

 無理をすればまたあの子達に心労をかけるだけかも。

 だったら、大人しくしておくか……。今は少し、眠りたい。

 私はご好意に甘えて、少しだけ休ませてもらうことにした……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔女が襲撃され、半殺しのち集中治療室に運び込まれてから数日経過。

 襲撃した犯人、即ち眠り姫は完全に覚醒していた。

 彼女の名はタリーア。

 100年前、いばらの森と呼ばれる樹海で栄えた秘境の王国の一人娘。

 そして今は、このサナトリウムで唯一人、自然に呪いを打破している。

 既に彼女の呪いは消滅し、彼女は本来この場には相応しくない。

 だが100年後の世界に単身放り出されて居場所もない。

 故に一時サナトリウムで引き取ることになったと伝えられた。

 だが、入所する子供達は彼女を忌避した。

 優しき魔女を一方的に傷つけて平然としているタリーアは直ぐに孤立した。

 そしてその理由が、彼女には分からない。

 自分は正しいことをしたのに、何故避けられるのか。

「お兄さん。何故わたくしは……皆に、避けられるのでしょうか……?」

 担当が雅堂に決まり、赤ずきんにすら面向かって嫌がられたタリーアはかなり傷ついていた。

 赤ずきんも魔女には良いイメージはないが、亜夜は魔女である前に単なる職員だ。

 それを魔法まで使って血塗れにした女を拒絶するのは当然の反応。

 外の世界では魔女狩りをしたタリーアは正しいのであろう。褒められるべき事案である。

 だが、ここはサナトリウム。最後の居場所となる、閉ざされた箱庭の中。

 この庭の中ではたった一人の魔女は、子供達の味方であり、人類の敵ではない。

 子供達と仲良くしていたお姉さん的な職員を殺そうとしたとなれば、嫌がるのが当たり前。

 でも100年前の認識で止まり、世間を知らないお姫様はなぜこうなるのかが理解できない。

 いや、理解こそ漸くしているが納得できない。自分は正しいと信じている。

「……こればかりはタリーア、お前が悪い」

 カバーできない。避けているのは子供だけではない。

 大半の同じ職員ですら、タリーアを恐れている。

 一度その魔法を人である雅堂に向けたということは、人に敵対する可能性が出てきている。

 そういう風に解釈されてしまった。

「なぜです? 魔女狩りは法律で決められた民衆の義務ではありませんか」

「ここではそうじゃないって言ってるんだ」

 タリーアは憤る。間違っているのはこの場所の人間たちであり、自分だけが正義を執行したのだと。

 魔女に騙されているのかとも思っていたが、違った。自分の意思で、魔女の味方をしている。

 あの魔女はここで働いている職員。だがそれ以前に、人類の天敵には変わらない。

 意固地になって、亜夜を魔女だという色眼鏡で見ているから、それ以外の認識にいかない。

「納得できません。ならば、間違っているのは他の皆、全てです。お兄さんもそうなのですね」

「…………」

 そう、外の世界ではタリーアが正しい。

 でも、ここは内の世界だから、タリーアが間違っている。

 人の認識なんてものはいい加減で、常に数の多いほうが優先され、少数意見は数で圧殺される。

 亜夜という魔女は、ここでは大切な職員。魔女だけど、その前に職員でしかない。

 タリーアは職員である前に、魔女でしかない。

 認識、立場の違い。譲歩しない限りは分かり合えない。

 タリーアは数日でもう独りぼっちだった。

 周囲と孤立し、100年後の世界で孤独を味わうことになったのだった。

 唯一の味方である雅堂も説得を諦めて、何も言わなくなった。

 それが、彼女を凶行へと走らせる最後のひと押しになったとは、彼はまだ思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に数日経過した、とある日の夜。

 タリーアは部屋を抜け出し、真っ暗な集中治療室へと忍び込んだ。

 未だ治療中の、魔女に引導を渡すためだ。

 毎日毎日、人殺しだの人でなしだのと言われ続け、とうとう我慢の限界だった。

 何がそんなに気に入らないのか知らないが、いい加減しつこくて辟易していた。

 原因たる魔女が死ねば、もうそれでいい。こいつが生きているから、文句を言われるのだ。

 別に、殺してしまえばいいんだろう。魔女は悪だ。絶対悪だと誰だって知っている。

 ここの場所の連中は皆、気が狂っているのだ。正しいのはタリーア。間違っているのは周囲。

 そう、考えを結局改めなかった。

 タチが悪い事に、タリーアには確かに正義があり、それが肯定される場所があるのが厄介だった。

 如何せん世間知らずで、郷に入れば郷に従えという言葉を知らず、我を通り過ぎた結果がこれだ。

 デリケートな問題を臨機応変で対応するには、タリーアは幼く、若かった。

 だから進むことしか知らず、曲がることも止まることもせずにぶつかってしまった。

 そして、最悪の事態を引き起こす。

 眠る傷だらけの魔女は、口に生命維持をするという得体の知れない金属を接続されている。

 まだ生きている。悔しそうに舌打ちするタリーア。

 亜夜の世界で言う、医療器具なのだが認識が遅れているタリーアには奇っ怪な物体にしか見えない。

 扱い方なんて知らないし、首を絞めて殺してやると安直な方法を取った。

 もっと簡単なやり方を合ったが、ここで致命的なミスを犯した。

 亜夜の首に手を伸ばす、その時だった。

 

 

「やっぱり来たわね、予想通りよ」

「その人に触ったら、殺してやる」

 

 

 背後で、冷えきった声。

 同時に、後ろに人の気配。

「っ!?」

 振り返ると、そこには二人の少女が寝巻き姿で立っている。

 険しい顔で、タリーアを睨んでいた。何かを持っている。

 見つかってしまった。騒がれて、人を呼ばれたら不味い。

 失敗した、と逃げようとするタリーアだが、出口に向かうには位置が悪い。

 奥の方に自分がいるせいで、摺り抜けていかないと脱出できない。

「逃がすと思う? 亜夜をあんな目に合わせた奴を」

「騒ぎはしないよ。お前を殺すのは私達だからね」

 皮肉げに言う二人は、黙って廊下に出ろと脅す。

 さもなくば、殺害未遂を上に報告すると。

 いくらタリーアでも、この場所を追い出された宛もないことは分かっている。

 仕方なく、苦渋の決断で従った。

 二人は亜夜からタリーアを遠ざけて、廊下に追い出した。

 見つかった手前、逃げても無駄と悟って壁に寄りかかる。

 非常灯の明かりだけが不気味に照らす無機質な長い廊下。

 そこで、三人は対峙する。

「……なにかわたくしに言いたいことでも?」

 口喧嘩の火蓋を切ったのは、タリーア。

 ぶっきらぼうな態度で急かすと、対峙する二人は言った。

 これ以上ないほどに、シンプルに。

「あんた殺す」

「うん、殺す」

 得物を構えて、一言告げた。

 タリーアもわかる。これは……殺し合いの空気だ。

 相手の目は、色がない。罪もへったくれもない。

 ただ、冷たく燃え盛る何かが見え隠れしているだけで。

「そう。じゃあ、憂さ晴らしにわたくしも殺すわ」

 苛立ちもあって、何もかも自棄になっていた。

 面倒臭いのは嫌いだ。何もかもどうでもいい。

 全部壊して楽になれるなら、もうそれがいい。

 相手が乗り気ならこっちだって乗ってやる。

 指輪は持ってきていた。

 最悪、もう居場所なんてなくなってもいい。

 どうせ自分が悪いと言われる世界だ。

 もうここにだって居ても居なくても、辛いだけだ。

 だったら自分から捨ててやる。

 いらない、こんな世界なんて。

「纏めて片付けて、今度こそ魔女を仕留める」

 魔法を発動。両腕を広げる。

 足元に大きな魔法陣が出来上がり、そこから荊の蔦が生えてくる。

 何の武器か知らないが、あの眼鏡でもない限り、捌ききるのは無理なぐらい大量に現出させる。

魔女(あいつ)みたいに、穴だらけにしてあげるわ」

 自棄糞に嗜虐的な笑みを浮かべて、指を伸ばす。

 蔦が、勢い良く飛んでいく。その一撃は例えるなら無数の投げ槍。

 素人では見切ることなど出来ぬ速度と威力を持つ『点』の攻撃が集まる『面』の襲撃。

 貫いて、オシマイ。傲慢に、タリーアは鼻で笑う。

 荊の魔法は、主が生きている限り停止しなければ無限に再生する。

 出現した荊を切り払おうが焼き尽くそうが、勝手に動いて攻撃する。

 二人に迫る荊の壁となった大群。

 一人は、軽く腕を振るった。

 一人は、得物の柄で床を叩いた。

 それだけだった。回避も、防御も、何もしない。

 タリーアは見てしまった。

 迫っていたはずの荊が、見えない刃で刻まれるのを。

 進んでいたはずの荊が、突然燃やされていくのを。

「なっ……!?」

 言葉を失った。

 棒立ちする二人の前に、荊はぶつ切りにされて床に落ち、灰となって消えていった。

「……舐めんじゃないわよ。子供の時ならいざしらず、今のあたしに扱えない訳がないのよ」

 樹液が滴る半透明の得物を持った、金髪の女は吐き捨てるように言う。

「大切な人を傷つけられた人間がどういう行動に出るかとか、考えたことなんてないでしょ」

 癖っ毛の茶髪の女が持っていたのは、宝石の装飾がある大きな杖だった。

 タリーアはただ激情に任せて突撃してきただけと思っていた。

 だが、それは違う。彼女の思考はとても甘かった。

 だって、彼女達は間違いなく、魔女の世話していた少女たちだったから。

 常に亜夜に護られて、己の無力さを悔いて悔いて、変わるために力を求めた。

 亜夜のように苛烈な力でなくていい。ただ、護れるだけの力でいい。

 もう、亜夜に護られるだけの自分たちじゃ嫌だ。護りたい、そう思うようになった。

 か弱い、無力なだけの自分たちじゃなく、彼女を支えるだけの存在になりたい。

 その結果が……。

「王女だかなんだか知らないけど、あたしの亜夜殺そうとしただけで動機は十分じゃない」

 少女、アリスは持っていたそれを振るう。

 余りにも薄く、透明なパーツで作られたその得物は、樹液が滴り漸く全体像が見えた。

 薄氷で作ったかのような儚いそれは、大きな(つるぎ)だった。

 銘を、ヴォーパルソード。アリスが幼少時、不思議の国に旅立ったときに偶然手に入れた業物。

 決して死なぬと言われたバケモノを一刀両断し、絶命させたバケモノ殺しの逸話がある西洋剣。

 この剣をもってして、子供の頃のアリスはバケモノを倒している。

 ピンチになったとき半狂乱になりながら剣を振るい、不思議の国の住人を刻んできた。

 それ以来、その切れ味と罪悪感に堪えられず、二度と使うまいと心に誓っていた。

 10年近くもの間、何があろうとも使わなかったそれを迷わず取ろうと思ったのは亜夜がいたからだ。

 変態笛吹きの時だって、亜夜に関係したから再び握ろうと決めたのだ。

 そして今も、亜夜の為ならヴォーパルソードを使うことに躊躇いは微塵もない。

 必要なら、もう一度血の池でも作ってやるとアリスは覚悟を決めている。

「もう、いいよ。大切な人を失う辛さなんて、味わいたくない。出来るなら、何だってする」

 少女、グレーテルは持っていたそれを構え直す。

 それはどこかで見たことのあるような杖で、それもそのはず。

 その杖は、亜夜が時々使っている魔女から貰ったという魔具の杖だった。

 グレーテルは散々後悔した。また、兄のように大切な人が死んでしまうかもしれない。

 逃げるだけの自分をやめたと思っていたのに、また間に合わなかった。

 それもこれも、自分が弱かったからだと悟った。今度こそ、意地でも行動を起こす。

 出来ることを賢明に探して、自分にも何と魔法を扱える素質があることが判明した。

 亜夜のようになりたい。魔法を使えればと必死になって隠れて練習した。

 その流れで亜夜の杖を拝借し、死物狂いでやった結果、火の魔法だけ何とかカタチになった。

 まだ暴走するかもしれないし、失敗すれば自分が火達磨になって死ぬ。

 リスク程度なら許容範囲。それで亜夜が護れるなら、安いものだ。

「……ふんっ。そんなもので、無限に再生する荊をどうにか出来ると思ってるの?」

 仕掛けが分かればタリーアにも怖くない。彼女は邪悪に嘲笑う。

 要するに同じ魔法と雅堂と同じ剣術に過ぎないのだ。

 人間の体力や魔力には限界がある。対して、荊は自動生成されるが故に、燃費がいい。

 持久戦になれば、タリーアに勝ち目がある。

「そんなものって思ってる時点で、あんたは二流以下ってことね」

「敵、侮るなかれ。油断してるなら、首をスッ飛ばしてあげるよ」

 二人して、口だけは一丁前に言ってくれる。

「じゃあ、やってみてよ」

 口だけの存在に負ける訳がない。

 タリーアは王族の一員。

 その素質は魔法使いとして一流なのだから。

 もう一度、蔦を発生させて射出。

 倍増した量を、倍加させた速度を、生身でどうにかできるのなら。

「やってやるわよ」

「やればいいんでしょ」

 それは雅堂がよく言う、フラグというやつだった。

 出来るもんならやってみろ。そう言うと大抵、本当にやってくれやがるのだ。

 アリスは数度ヴォーパルソードで片っ端から切り捨てる。

 グレーテルは杖で今度は壁を殴った。

 見えない刃が植物を刻みまくり、壁を這う茜色の炎が蔦だけを燃やしていく。

 結果、蔦はまた同じことの繰り返し。無事な二人はゆっくりと、歩き出した。

「嘘、でしょ……!?」

 一歩、後ろに下がるタリーア。

 夢でも見ているのか。蔦の魔法が、全く通用しない。

 鞭のように振り回そうが、塊にして投げつける。

 然し、攻撃方法を変えても通用しやしない。

 撓った一撃は根元から刈り取られ、塊は到達する前に灰となる。

 後退を続けるタリーアを、

「なによ、口だけなのはそっちじゃない」

「この程度なら、簡単に終わりそうだね」

 復讐者となった二人は、そう告げてゆっくりと追いかける。

 その歩みを止めるための植物は全て通用しない。

 剣と炎を乗り越えることはなく、眼前で阻止させる。

「くっ……!」

 不利なのは理解できた。脂汗を滲ませながら、タリーアは決断する。

 ここはプライドよりも先に確実な勝利の為の布石に回れ右をして、戦略的撤退を開始。

 一度戻り、正面よりも手段を変えてやれば勝てるはずだ。

 判断は今度は戦術的に、間違いではなかった。

 予想外の出来事をしっかり吟味していれば、の話であったが。

 どんっ! とタリーアは余所見をしていたせいで何かにぶつかった。

 それは小柄な何かで、吃驚した彼女が目線を戻す。

「……え゛ッ!?」

「な、何で!?」

 追撃者も何故か驚いていた。その理由はとても単純なもので、

 

 

 

 

 

「人が寝ている間に、何をしているんです?」

 

 

 

 

 

 ――病室で意識なく寝ているはずの、魔女がそこにはいたのだから。

 

 

 

「な、何故魔女がここにっ……!」

 慌てて距離を離す。こう見ると車椅子に座っている少女は只の人間にしか見えない。

 タリーアはそこで不意に、強い痺れを感じた。膝から崩れ落ちる。

 辛うじて倒れることは防いだが、言うことを聞かない身体。

 魔法に意識がいかなくなり、魔法の蔦は霧散した。

 片膝のタリーアを冷たく見下ろし、車椅子は越えて駆け寄る二人の元へと。

「亜夜さんっ!?」

「大丈夫なの!?」

 アリスとグレーテルは慌てて亜夜に近づいた。

 ケロッとして、亜夜は車椅子の上にいる。

「ゆっくり休めたからか、動くだけならもう大丈夫なようで」

 安心させるために無理をしているのか、と思ったが亜夜の見るからに我慢はしていない。

 その程度の機微は、二人にだって分かる。散々無理をしている部分を見てきた。

 ホッとする二人に微笑む亜夜。思考が混乱しているタリーアが、痺れを堪えて立ち上がった。

 壁に手をついているので精一杯。膝が笑っている。

 もう逃げることも、戦うことも最早出来ない。

「なに、これ……? どうして、魔女が魔法を……使えるの……?」

 通常、呪いしか使えない魔女なのに、今のこれは呪いではない。

 呪いはもっと強制力が強いはず。これはただの痺れ。

 だとすればこの現象は……魔法になるはずなのだ。

 だがそれは定義を外れている。一体、なぜ。

「私は純血じゃなく、半分は人だからです。魔法だって使えますよ。当然……呪いも」

 呆気なく、解答を言う魔女。それを聞いて、愕然とする。

 つまりは、この人は魔女でありながら人でもある。

 首だけで後ろを見る半端ものと自虐的に言う彼女は、クールに告げる。

「私は魔女狩りの対象じゃありません。残念ですけど、殺せばそれは殺人になりますよ」

 人に害をなさないから、扱いは人。呪いが使えるだけで、敵対した事は皆無。

 呪いを解除するために協力関係にあると本人に言われた。

 そして、身に染みて解する。魔女ではあるが、魔法を使える混ざりもの。

 グレーの存在は、ここでは白なのだと。

(そんな……。じゃあ、わたくしは一体何を……)

 自分が信じていた正義が、完璧に壊された。

 相手は、人である。

 人は、殺してはいけない。誰だって知っている常識。

 彼女は魔女ではなく、人間なのだと嫌でも知らされる。

「魔女だと勝手に断定して、まだ私を殺そうとしたんですって?」

 事情を聞いていた亜夜は困ったように言う。

「タリーアとか言いましたか。勘弁してください。なんもしてないのに殺されるとか、濡れ衣もいいところかじゃないですか」

「……」

 何も言わない。たった今、間違えたところなのだ。

 言えた口じゃないし、それに……タリーアは自覚した。

 単純に、自分はこの人がどうやら苦手なようだと。

「私は無闇に呪いを振りまきません。理由ない限り、人の敵になることはありませんよ」

 噛み付こうとしているアリスたちを制止して、穏やかに告げる。

 タリーアは麻痺が回復した。つい、憎まれ口を叩く。

「……理由があればするってことですよね、それは」

「否定はしません。誰あろうが大切なら護る。当然でしょう?」

 道理は彼女の言うとおりだった。大切であれば庇うのは当たり前。

 亜夜は殺されかけたことを怒ってはいなかった。ただ、困っていただけだった。

「私は、ただの子供です。サナトリウムに勤めている職員」

「……」

「憎みたいならどうぞお好きに。魔女の一面があるのも事実。ただ、それで私の世界を壊そうとするなら、次は私も反撃します。最悪死んでも、私は後悔なんてしません」

 亜夜は表情を変えずに言い終わると、そのまままた病室に二人に押し込まれた。

 付き添いで二人も消えていく。取り残されたターリア。

 自分の行いが未遂で済んでよかった、と思う。

 あのまま行けば、意識が回復した彼女に本当に殺されていただろう。

 逆を言えばやはり半分は魔女。一面はあるのだ。

 ここで生きていくには妥協しなければダメなのかもしれない。

 そう、考えを漸く改めるのだった……。



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御伽噺のバレンタイン

 私が無事に仕事に復帰できるようになるまでの間、あの子達に大変な思いをさせていたようだった。

 グレーテルは私の魔女の杖に手を伸ばし、魔法を会得。

 然し、才能あってもしっかりと指導されたわけでもなく、独学で手探りにしていた結果、かなり身体に負担を強していたことが判明。医者に、ゆっくり休むように言われていた。

 幸い、生命に関わる消耗ではなかったのがよかった。

 アリスは元々、武器を隠し持っていたらしい。透明な剣、ヴォーパルソード……か。

 確か鏡の国のアリスで出てきた、ジャバウォックを仕留めた魔剣。

 この世界だと不思議の国で使ったようだった。

 あの魔剣を彼女、持ち帰ってきてしまったようだった。

 本人曰く、自分から離れることができず、どうこうしようもない。

 そこにあって、そこにない。

 欲する時は、ポケットに手を突っ込むだけで物理方式を無視して出てくると。

 チェシャ猫と同じようなもんだと私は思う。

 彼女達に、暴力を選ばせたのは私が負けたからだ。 

 必要のない力を求めさせてしまったのは、私の失態。

 これ以上は、あの子達に争い事へ巻き込まないと誓った。

 痛い思いをするのは、私一人でいい。あの子達が血を流す必要なんてない。

 苦しいのは私だけ。辛いのも私だけ。あの子達は、絶対に守る。

 ……って。

 そんなことをいうと、怒るんだろうなぁ。二人とも、後悔はしてないって言っていた。

 護られるだけじゃない、護りたいと言われてしまった。

 無力な自分じゃ嫌だ。力になりたい、支えたい。互いに生きていこう、って。

 ……私もいい加減、学習した。自分一人で人を守りきるのは、魔女でも無理だ。

 人をやめてもなお、立ち塞がったり襲い来る脅威から庇いきるのはできないのだ。

 だったら、一緒に行くしかないじゃないか。一人では全方位を見切れない。

 アリスとグレーテルに、背中を任せても……いいんじゃないのか。

 私が彼女達の前を守る。二人が、私の背中を守ってくれる。

 互いにやっていくなら、それでいいのだ。

 もう頑張りすぎで痛い思いをするのは嫌だ。みんなを遺して死ぬのはもっと嫌だ。

 なのでちょっとだけ、みんなを頼ることにする。

 ダメなお姉ちゃんだけど、一人で何でも出来るほど私は器用じゃない。

 もう、妹達を頼ろう。無理っす、もう背負いすぎて潰れそうです。死にかけてよくわかった。

 イチャイチャしながら楽しく優しく生きていけるだけでいい。

 それが幸せなら、それでいいじゃないか。その内に来る別れだろうが、なんとかするし。

 そんな感じで、私はまた一つ一つ学習した。

 みんなと一緒に頑張りましょう、ということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年が明けて、気が付いたら一ヶ月ほど経過していた。

 怒涛の一ヶ月だった。新年早々死にかけて担ぎ込まれて、回復した頃には月末だった。

 数日の間を空けて、仕事復帰していたら二月だった。

 二月には大イベントがある。そう、野郎共の阿鼻叫喚を生み出すバレンタイン。

 この日はバレンタイン。サナトリウムでもちょっとしたイベントがあった。

 バレンタインのチョコを作り、互いに労いもかねて交換しようっていう『職員』同士のイベントが。

 重要なのは職員同士であって、子供達はそもそも知らない子も多いので、巻き込めない。

 私も当然、参加することになった。贈る相手なんてライムさんぐらいしかいないけど。

 当日の、職員の詰所にて。

「……私に期待しても何もあげませんよ」

 何か言われる前に一応釘を刺しておく。こいつは論外だ。

「僕が一ノ瀬に何を期待すると!?」

 知り合いの職員、雅堂には死んでもあげない。

 義理でも絶対嫌だ。渡すぐらいなら私は死を選ぶ。

 誰がこんなド変態ロリコンウルフにチョコを渡すか。

「失礼極まりない発言してんじゃねえよっ!」

 おっと、言葉に出ていたらしい。

 ヘタレ眼鏡は蛇蝎のごとく女子に嫌われているせいで、この手のイベントにはどうやら消極的な様子。

 女性職員は微妙な目で雅堂を見ている。理由は先日の例の騒ぎ。

 容疑者にされたことがまだ引き摺っている。チョコ欲しさにやりかねない、みたいな疑いの眼差しが……。

 実直な男だが如何せん扱いはヘタレで腰抜けでメガネで道化なので、これは妥当である。

「眼鏡は関係ねえだろうがっ!」

 失礼、また言葉に出ていたようだ。

 神経が尖っている雅堂はいつもよりキレキレなツッコミを入れてくる。

「……ったく、なんで僕がこんな目に……」

 あれ、ブツブツ小言を言ってる割には腕の中には何から赤い包みがいくつかある。

 まさか、貰えたのかこいつの分際で。

 そんなバカな。天と地が今、知らぬ間に引っ繰り返っていたのか!?

「雅堂、チョコをまさか、貰えたんですか? 嘘ですよね? 雅堂が実は人間だった並みに笑えませんよ」

 私が横目で見あげると、軽くキレた顔で言い返す雅堂。

「ぼかぁ最初から人間だっての!! なんだと思ってたんだお前はッ!!」

「眼鏡装備の人狼型ヒューマノイドですけど何か?」

「一ノ瀬には人に見えてんだろうがァッ!!」

 あっ、地団駄踏み始めた。からかわれて、相当怒ってる。ざまあみろ。

 雅堂の分際でチョコなんて貰うからだ。生意気な。

「で、誰からです?」

 こいつに送る奇特な女は誰だろうと好奇心か聞いてみると、刹那にヤンデレみたいな目になる雅堂。

「…………バカ頭巾」

「……さいですか」

 大体察した。彼女か。

 浮かれた雅堂を毒殺するために情報を仕入れていたんだろう。

 何か仕込んだチョコを普段のお礼と言って手渡したらしい。

 バレバレだが、このヘタレは贈り物を断るなんて真似はできない。

 結局、毒薬を受け取ったわけだ。

「僕は自分の担当する奴に殺されるのか……」

 そういうことか。だから不機嫌そうに尖っていたのだ。

 捨てるにも良心の呵責があって出来ないし、だからって食べると多分死ぬ。

「もう一つはタリーアだったよ。あの子は多分、本当に感謝なんだろうけど」

「……」

 そういえば、目覚めた彼女の担当は雅堂だったっけ。

 私を半殺しにした彼女は反省しているようで、後でこっそりと謝罪しにきた。

 周りに避けられている彼女の味方は、今の所こいつしかいないし、確かに感謝もされるだろう。

「ただ、タリーア……料理、致命的にできないんだ……」

「あぁ……」

 撤回、こいつのバレンタインに救いはない。

 完全に終わった。初めての手作りときたか。

 それでもって、案の定失敗したんだろう。

 王族で家事なんてしたことあるかも分からないし、そもそも100年前にバレンタインはあったのか。

 知らぬ文化に染められるように、周りに合わせてやったんだろうけど。

「僕は……明日、生きてるかどうか分からない。せめて死ぬなら、今日死ぬよ」

 遠い目で窓の外を見ている雅堂。フラグ回収してはよ死ねばいいのに。

「頑張ってください。墓標にはしっかりと本体を引っ掛けておいてあげますから」

「引っ掛けるってなに!? 本体は墓ン中だぞ!?」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、職員の詰所を後にして、みんなの所に向かう。

 取り敢えず、明日見かけたら赤ずきんに報告して去勢してもらうことにした。

 

 

 

 

 

 

「亜夜、これあげるわ。お茶会もするから、顔貸して」

「はいっ?」

 部屋に入り、早々に声をかけられた。

 アリスが照れくさそうに顔を赤くしてそっぽをむき、ぶっきらぼうに渡してきたのは……チョコ?

「亜夜さん、これあげる」

 グレーテルもそういって差し出してくる。これもチョコ?

「あの……亜夜、さん……。これ……」

 おずおずとマーチまでくれた。これもまさかチョコ?

「あやぁ、これ美味しいよぉ!」

 ボリボリ口の周りを汚して無邪気に笑い、ラプンツェルは既にチョコを貪っていた。

「ラプンツェル、それ亜夜にあげるチョコ……ああ!? 全部ない!?」

 アリスが慌ててラプンツェルを止めるが遅かった。

 どうやらあの子は、渡すようのチョコを食べてしまったようだった。

「ラプンツェル、それおやつじゃないから」

「えー? 違うの?」

 グレーテルが呆れているが、ラプンツェルは何のことかわかってない。

 マーチは苦笑して、アリスは言葉を失っていた。

「みんな、これはなんです?」

 いきなり渡された三つのチョコ。これは、何だ。

 アリスがほうける私に、切り出した。

「今日って、『ばんあれんたいん』とかいうやつなんでしょ? 日頃の感謝を込めてチョコ渡すって言うから、みんなでこっそり作ってたのよ」

「……」

 アリスは偉そうに言うが、まさかグレーテルまでチョコ作りに手を貸しているとは思わなかった。

 だって……お菓子は、彼女にとっては辛い記憶の象徴だったはずではないのか。

「気にしないで、亜夜さん。私は大丈夫みたいだから」

 グレーテルは視線を動かした私に、そう言い切った。

 彼女は何処か、受け入れているような穏やかな顔だった。

「お兄ちゃんのことを思い出しそうになって、今までお菓子とか、ほかの人との食事とか、避けてきたんだけど、一歩前に踏み出してみたら、案外怖いものじゃないんだね。食わず嫌いっていうのかな。思っていた程、辛くなかった。怖がりすぎていたみたい、私。向き合ったら、頑張れたよ。ありがとう、亜夜さん。全部、亜夜さんのおかげだと思う」

「……グレーテル……」

 グレーテルは、受け入れることができたのかもしれない。

 癒すことは、まだ出来ていない。それが出来るのは時間だけだ。

 でも、グレーテルは自分で一歩前に、踏み出した。歩き出せたのだ。

 ヘンゼルさんとの辛い記憶。

 今となっては遠い過去になってしまった、あの時を胸に仕舞い込んで。

「……そうですか。頑張りましたね、グレーテル。私も、嬉しいですよ」

 私は自然に笑っていた。

 力になれたのだ。彼女がこうして、前に進める手伝いが出来たことが一番嬉しい。

 無力と一度は呪いを進めるほど打ちひしがれるあの時の想いが、報われた気がした。

 私にも、出来ることがあったのだ。それが成就した。嬉しいに決まってる。

 感動に包まれている、そんな時だった。余韻は、髪長姫にぶち壊された。

「オヤツまだー?」

 ……。ラプンツェルの空気の読まない一言で全部台無し。

 一気に力が抜けた。どっと脱力する私達は、待たせても悪いので苦笑いしながらお茶会にすることにした。

 今日のお茶請けは……慣れていないチョコ作りで失敗して出来上がったチョコの山だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆で座って、雑談しながら飲み食いをする。それだけのお茶会。

 この一時は、本当に幸せだ。

「えっ? ……ばれんたいん?」

「ええ、バレンタイン」

 先ほどアリスはバンアレンとか言っていたがそれは、確か地球を取り巻く磁気の帯だったはず。

 言い間違いを訂正すると、やはり聞き慣れない言葉のようだった。イントネーションが変だった。

「ふーん、そういうもんなの……。変な文化もあるもんね」

 机に肘をついてアリスはそう言う。

 アリスの時代にはバレンタイン、無かったんだろうか?

 この世界にはバレンタインはないようだったが。

「そう、ですね……。変な、文化です……」

 マーチも頷いてお茶をすする。

 相変わらず温かいを通り越して熱いお茶だった。

 このへんはもうマーチの好みの問題かもしれない。

「チョコを労いに交換するなんて、変わった事をしたがるよね」

 グレーテルもチョコを食べながら、ちょっと顔を顰める。

 食事がお菓子の味になることは、もう殆ど無いと本人が言っていた。

 つまり、私が呪いをいまだに解いているので、効果は出てきている。

 それを聞いて、安心する。目に見えて出てきた効果。もう少しで呪いから解放される。

「…………」

 ラプンツェルは無言で只管チョコを貪っている。

 ハムスターのように頬を膨らませて、纏めて飲み込む。

 口の周りはチョコだらけで、私が軽く拭いてあげる。

 あれだけ食べると糖分の過剰摂取で毛細血管とか死にそうだけど大丈夫かな。

 髪に栄養をまだ持っていかれているみたいだし、平気だとは思うけど。

「然し、亜夜とグレーテルは何飲んでるのよ、それ。あったかい泥水?」

 アリスが聞いてきたのは、私とグレーテルが飲んでいるもの。

 泥水って酷いなそれは。歴とした飲料だぞ。

「ぶっ!」

 グレーテルが吃驚して詰まらせた。咳き込むのを、マーチが背中をさすっている。

 さ、流石はアリス。英国出身の童話は伊達じゃない。

 こんな時でも、アリスのお茶は無糖の紅茶。

 マーチは紅茶のほうが好きなようで、ミルクティーにしていた。

 いつも紅茶ばかり飲んでいるし、まるで英国貴族みたい。

「……アリス、これは泥水じゃなくて、コーヒー。前も泥水っていったけど、知らないの?」

「コーヒー? ああ、そんなのあったわね」

 あまり興味がないようで、私達のマグに入れたそれを見て、首を傾げる。

「何がそんなにいいの? 前に一回貰ったけど、苦いだけじゃない」

「……」

 苦いだけ、ねえ。

 まぁ英国の人は紅茶大好きらしいから、仕方ないか。

 それこそ、文化の違いだ。私はコーヒーのほうが好きだ。

 特に酸味よりも苦味の強いほうが。

 そういえば、雅堂もコーヒー好きだと言っていたのを思い出す。

 赤ずきんにコーヒーブレイク中に襲撃されて、ブラックの中にレッドを追加したとかなんとか言ってたけど。

 どんなオチかは聞くまでもない。よくアレで毎回生きているとは思う。

「ミルク入れてみる? ミルクティーみたいになるよ。飲みやすいと思うけど」

 グレーテルがそばにあった粉ミルクを取り出す。私が持ち込んだやつだ。

「んー……元々、あたしはそのコーヒーってのに馴染みがないから、ダメかも知んないけどやってみるわ」

 アリスも挑戦してみた、コーヒーだったが。

 結果は、酷いものだった。大量に粉ミルク入れて、砂糖を山のように入れて……。

「うぇ」

 甘すぎて、顔を顰めるアリス。加減を知らないから、激甘カフェオレの出来上がりだった。

 チョコのお供にはちょっとキツイ。私も胃もたれしそうな甘さだった。

 因みに出来上がったそれは、ラプンツェルの胃の中に消えていく。

 あの子の甘さ耐性は半端じゃないようであった。

 バレンタインの本当の意味は、みんなは知らなくてもいいものだ。

 だって私には相手がいないし、今はそれよりも彼女たちとの時間が大切だから。

 今は、このままでいいのだ。このままで……。

 

 

 

 

 

 

 

 ――追記として、翌日とある職員が食中毒を起こして発見され、救急搬送された。

 原因はチョコの中に入っていた謎の異物Xと、紅いナニかが検出されたらしい。

 集中治療室のお世話になって、一週間ほど生死をさ迷ったのは極めてどうでもいいので割愛しておこう。



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生命を賭けた泡沫の夢

 昔々。昔というほど昔じゃないけれど、とあるところに、とても平和な国がありました。

 海の底にあるというその国は、人魚と呼ばれる種族が住まう王国です。

 そこは人魚の女王様が治めており、王女様たちは15際の誕生日を迎えると海上に上がることを許されます。

 ある日の嵐の夜の日、15歳を迎えた末娘のお姫様が海上に出ると、そこには難破した大きな船がありました。

 乗組員は沢山、冷たい海に投げ出され溺れていました。その数は数え切れませんでした。

 心優しい王女様は、異なる種族にも関わらず、自分一人でもと賢明に救助したのです。

 掟で、余程の事がない限り海底から海上に上がることは禁じられていました。

 この時いたのは王女様一人だけ。彼女は助けられるだけの人々を助けました。

 人魚の王女様は、然し気がつきました。救助をしていたのは、自分だけではないことに。

 もう一人、嵐の中で救助用ボートにたった一人で乗っている若い男性が、同じく救助していたのです。

 王女様は決して人間には声をかけてはいけないと言われながらも、その男性に声をかけました。

 最初こそ驚いた男性でしたが、自分は難破した船の所有国の王子であると名乗るのです。

 王子様は王女様に救援を求め、王女様は了解し共に乗組員を助け続けました。

 数時間にも及ぶ救助活動の結果、乗組員は全員助かりました。

 王子様は王女様に丁寧にお礼を行って、国に帰っていきました。

 その時王女様は自覚するのです。ああ、これが一目惚れというのだと。

 王女様も国に戻り、母である女王様にこっ酷く叱られ、罰としてお城に閉じ込められてしまいました。

 ですが王女様はもう一度だけ、王子様の顔が見たいと願っていました。

 そしてとうとう、王女様は決意しました。

 人魚の証である尾鰭を捨て、人の両足を手に入れ王子様に逢いに行くと。

 そのために王国にいる魔女にお願いして魔法をかけてもらい、陸に上がります。

 然し、その魔法には大きな代償が二つ、ありました。

 それは陸に行くため失った尾鰭。

 足を手に入れるための対価の清らかな声。

 そして……彼女自身の未来だったのです。

 王子様がもし、王女様に振り返ってくれなかったときは……王女様は海の泡になり消えてしまう。

 そう、それはまさに命懸けの夢。もしも、覚えていてくれなかったら。

 その時は王女様は泡となり消えてしまいます。王女様は覚悟を決めました。

 魔女は不気味に笑うと、王女様を人間に変えました。

 王女様はそうして陸にあがり、王子様に逢いに行きました。

 然し、陸に上がった途端、慣れない歩行に足が動かず、倒れてしまいます。

 あまりの激痛に意識を失った王女様。王女様は、人知れない浜辺で気を失ってしまいました。

 そして、意識を取り戻し何とか歩きだし、近くの街に行くのです。

 そこでは何やら盛大な祝杯を上げているではありませんか。

 何事かと近くにいた商人に訪ねてみると、この国の王子様の結婚祝いのパレードが始まるというのです。

 嫌な予感が王女様の頭を過ぎります。王女様はまだ大丈夫、と自分に言い聞かせながら見物を始めます。

 そして、その時がやってきました。

 

 人魚の王女様が、その目に見たものは。

 

 幸せそうに、違う人をお嫁さんにして微笑んでいる、王子様の姿でした。

 

 王女様は、最後まで見ていることができませんでした。

 生命を賭した初めての恋は、呆気なく潰えてしまったのです。

 溢れる涙を拭おうともせず、全力で彼女は逃げてしまいました。

 思いを告げることもできず、想いを自覚しただけで王女様の初恋は終わってしまいました。

 とても苦い、初恋の想い出。そして王女様は恋を知るには……まだ、若かったのです。

 当然、未来を代価に差し出した結果が訪れます。

 王女様は海に向かうとき、自分がどんどん自分で無くなっていく感覚を味わいました。

 腕を見れば、人の肌から白い泡が浮き出て、透き通っていく自らの腕。

 泡になる。それはつまり、死ぬということだと自覚したのはこの時でした。

 リアリティのある死ぬという現実に、王女様はとても怖くなりました。

 生命を賭けると軽々しく魔女に差し出してしまった三つの大切なものは、差し出すべきものではありませんでした。

 魔女はそれを知っていて助言することなく、王女様を唆したのです。

 一度失ってしまえば取り戻せない未来。

 二度と歌うことができなくなった声。

 尾鰭を失った事で戻れなくなってしまった居場所。

 沢山のモノを、王女様は差し出してしまいました。

 王女様は沢山のものを失って、漸く分かったのです。

 自分が選んでしまった、現実というものを。

 若さゆえの過ちと、貴方はそれを嘲笑しますか?

 迂闊ゆえの愚鈍さだと、貴方をそれを見下しますか?

 因果応報。自業自得だと、貴方はそれを蔑みますか?

 王女様は反省しました。王女様は後悔しました。

 もっと生きたいと、喪ってしまった声無き声で叫びました。

 死にたくない、消えたくないと海に向かって泣きました。

 涙を流しながら、彼女は悔いているではありませんか。

 自らの行いには責任を。

 それは確かに、何処の世界でも常識でありましょう。

 だからと言って、過剰な罰を与えてよいものでしょうか?

 無知故の責任と言うのは簡単です。然し、これは余りにも惨たらしい。

 声を失い、居場所を失い、未来さえ失いました。

 言葉一つで片付けるのは簡単なのです。

 ですが、過ちを学ばせ、教訓とすることも与えないとするならば、それは最早悲恋ですらない。

 

 ――ただの悲劇にしかならないのですから――

 

 童話、『人魚姫』。無知な王女の、泡沫の恋慕の物語。

 この世界での彼女の物語もまた、『死』という終結を持って補完されるのです。

 

 

 

 

 

 

 ――その、ハズでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日はグレーテルと共に、久々に出かけていた。

 血のバレンタイン事件で軽く死にかけ未だ入院中の某エロ狼。

 奴にお見舞いの品でもと、仕事を増やしてくれた奴に皮肉と情けと嫌味と嘲笑を込めて鉢植えを買うためだ。

 私の世界ではこれは縁起が悪いという意味で、やってはいけないコトなのだが別世界なら別にいいだろう。

 というか、意味知っててやってるし。

 長引け苦しめ早く社会的に死ね、という暗喩である。要するに遠まわしな嫌がらせ。

「何であの人に贈り物なんてするの?」

「贈り物なんてしませんよ。単なる嫌がらせです」

 グレーテルが不満そうに、この世界では珍しい業務用スーパーに入る私に聞いた。

 適当に理由を付けて説明すると、

「そうだったんだ。じゃあとびっきりのお花でも贈ってやろうよ」

「良いですね。サイネリアでも贈ってやりましょうか」

 私がとびっきりの嫌がらせで贈ることにした花は、日本じゃ災いや死をイメージさせる。

 縁起が悪いので忌避されるべきものなのだがだからどうした。

 私には奴に心配する義理など一切ない。

 知らなかったで白を切ればいい。

 目的の花を確認、速やかに購入する。あと適当に食品やら何やらを購入。

 買い物を終えて店を出る。表通りでは王族の結婚祝いを祝して何かしているらしい。

 私達にはどうでもいい。他人の幸福を祝えるほど、こちらには余裕はない。

 妬みや僻みが入る前に、居なくなろう。相応しくない空気というものがあるものだ。

「亜夜さん。……私、海を見に行きたい」

 ラフな格好のグレーテルが、祝賀ムードを嫌がるように私に言ってくる。

 そうだよね。サナトリウムの人間に必要なのは自らの幸福であって、他人の見せつける幸せじゃない。

 気にしたり、比べたりするのは仕方ないことだと思う。

「ええ、行きましょうか」

 私は笑って言った。

 車椅子を移動させて、海の方を示す看板を示す街道を進んでいく。

 私も誰かの結婚とか、素直に祝福できるほど大人じゃない。

 結婚……か。童話じゃ、よくハッピーエンドの象徴として描かれる。

 当人が幸せなら私には文句はない。ラプンツェルだって最後は結婚するし。

 が、それを私が祝うかと言われたら私は祝うつもりはない。

 元々そういう性格だ。余程の間柄でもない限り、私は冠婚葬祭には行かない。

 葬式だって、たとえ親戚のモノは場合によってはいかないレベルだ。

 どんだけ相手に恩があろうが、私が覚えていない限りは知ったことじゃない。

 小さい頃の事を言われても覚えていないなら関係ないのだ。

 こんなんだから、私も常識がないと言われる。行く行かないは、私の自由のはずだ。

 非情で結構。無情で結構。その代わり、私が死ぬときは誰もこなくていい。

 私が結婚したときは誰も祝わなくていい。そもそも結婚の予定はないが。

「……亜夜さん?」

「何でもないですよ」

 伺うように荷物を持つグレーテルが聞くので誤魔化す。

 まぁ、死ぬ気はない。みんなを泣かせるつもりはないから。

 私がもし、男だったらとふと思った。

 間違いなくみんなを掻っ攫て、自分の嫁にしてる。問答無用で。

 女でよかった。うん、本当に女でよかった。

 雅堂レベルの変態にはなりたくないし、同性でなければ私ってば危険な奴だったかもしれない。

 海に向かう道を進み、土を盛り上げてできた防波堤の上に道を辿って移動する。

 ここからなら、よく見えるかもしれない。この世界の海か。そういえば、初めて見る。

 私とグレーテルは頂上に到着。そのまま、良く晴れた二月の寒空の中で腰を下ろして海を見る。

 眼前に広がる大海は、私の世界の海と変わらない、大きくて広い、私の翼と同じ蒼一色だった。

「……」

「……」

 グレーテルは気分転換のように海を眺め、時折吹く潮風で靡く癖っ毛を直している。

 私はというと、黙って食事中。何というか、空気が読めないものでお腹がすいた。

 さっき買ってきたコッペパンを貪る。

「……亜夜さん、これは何?」

「?」

 隣で腰かけるグレーテルに問われて、私は首を傾げた。

 彼女は私が缶コーヒー片手に食べているそれを見ていた。

 あれ、コッペパン知らないのかな。一つ袋から出して見せる。

「こっぺ……パン? これは、パンの一種なの?」

「んぐっ……。はい、知りませんか?」

「知らない。こんなものが世の中にはあるんだね……」

 ああ、そうか。コッペパンはそういえば日本発祥だったっけ。

 戦時中に確か、給食のパンがどうとかこうとか。詳しいことは知らないけど。

 この万能パンを知らないなんて、ある意味勿体ない。美味しいのに。

 一つ食べてみると言った彼女に、仕事中のオヤツにしようと思っていたコロッケを挟んだそれを手渡す。

 袋を開けて、早速二人して貪る。中々シュールな光景だった。

「……あれ、お菓子じゃないんだ。甘くないね?」

「お菓子みたいなものにもなりますし、食事にもなります」

 コロッケが馬鈴薯の加工物であると教えると、じゃがいもの万能性にもグレーテルは戦慄していた。

 彼女の認識では馬鈴薯は良くてちょっとしたオカズ程度だったようだ。

 主食にしている地域だってあるんだそうだが。

 私は一番の好物であるアンコとマーガリンのコッペパンだ。

 うん美味しい。この混ざり合った甘さがコーヒーに合うね。

 と、二人して話しながらコッペパンを食べている、その時だった。

 

 

 

 

 グレーテルが、何かに気がついた。

 

 

 

 

 

「……あっ!? あ、亜夜さん!! 人が、人が倒れてる!」

「!?」

 グレーテルが口の周りにソースをつけたまま、浜辺に向かって指差した。

 その方向を見ると、確かに街娘みたいな格好の人が一人、俯せに倒れている。

 しかも……何だあれは?

 気泡、なのかは知らないが白いそれが弾けており本当に薄いけれど、シルエットが……透けている。

「な、何がどうなって……!?」

 気泡を出しながら、浜辺で倒れている女性。グレーテルも流石に気が動転する。

 海。気泡。女性。そしてここは、童話の世界。

 ……まさかっ!

(童話の終末に出会したってことですか!?)

 嫌な予感がする。この予感が正しいと、このまま放っておいたら……今倒れている彼女は、多分死ぬ。

 私の知っている形とはかなり違う。自ら選んだ死ではなく、野垂れ死にしているようにも見える。

 兎に角、私の行動次第で人一人の命運がかかっていると言っても過言ではなかった。

「……」

 腕を組んで考える。

 どうする? 確実に厄介事になるだろう。

 何せあれは恐らく王族。しかも人間とは違う。完全に異種の存在だ。

 ゴタゴタになるのは間違いない。魔女と同じ、人間ではないものを助けてどうにかできるか?

「グレーテル、少しだけ待ってください」

 慌てている彼女に一言言うと、グレーテルはすぐに黙った。

 私の行動に任せる、と言いたげな顔だった。

 もしも童話の彼女だったとしたら、悲恋の結末であるのだろう。

 本人は確か、悲恋の結末を受け入れた上で、陸に上がったハズだ。

 つまり、最終的にはこうなる結末を知っていたということだった。

 自業自得、因果応報。自分で行なった結果だ。知っているなら、私に助ける義理はない。

 放っておけばいい。事勿れ主義、私には関係ないで立ち去れば。

 私がリスクを抱え込むことはない。関係ないんだから。

 

 ――なんてスッパリ言い切れたら、私は魔女だったのかもしれない。

 

 だが、私は所詮ハンパ者だ。

 目の前で死にそうになっている子を、見捨てられるほど非常に離れなかった。

 自分の行動で、誰かが死ぬっていうのはそいつの生命に関わったことになる。

 結局、出会した時点で私は巻き込まれているだけで、無関係では居られない。

 だったら、リスク程度がなんだ。失うよりは護る方が余程良い。

 無くすのは正直、嫌だから。仕方ない、なんとかしてみる。

 諦めるのはできることをしてからだ。

「はぁ……」

 溜息がでてきた。また厄介事か。

 助けるしかないなら、出来ることをしてやる。然し何で私ばかりが……。

 車椅子を押し込んで、浜辺に降りる道に向かう。

 グレーテルは何も言わずとも、意図を理解してくれた。

 私の後を追いかけて、追い抜いて先に行く。

 見ている先で倒れている女性はどんどん気泡を出しながら薄くなっていく。

 先に駆けつけたグレーテルが、脈などを調べているところに到着。

「大丈夫、まだ生きてる……。けど、これは何?」

 呼吸、脈拍はまだある、と。

 然しこの不可解な事は一般の人には理解できないだろう。

 もしかしたら私にも無理かもしれない。だが、私は半分別物だから。

 私に出来る範囲のことをしてみよう。

「グレーテル。ちょっと見せてください」

 私は周りに人がいないことだけ確認してもらい、大丈夫と判断して一気に解放する。

 グレーテルが一瞬だけ、ビクッと反応する。

 忽ち変身する私。紫煙を吐き出す、紅い瞳の魔女へと。

 魔女になれば、きっと視える。これが、それ(、、)なら。

 すぐに私は理解した。これは……酷い。

「呪い……?」

「えっ?」

 私は呟いたのを、グレーテルは聞いていた。

 顔を上げて私を見てくる。

 そう、これは間違いない。かなり珍しい形をしていたが。

 私にも、何とか出来る範囲のことだ。応用さえできれば、きっと。

「これは、代価を支払ったカタチの呪いです。一種の契約とでもいいましょうか」

「……呪いなのに、対価を?」

 呪いは通常、一方的だ。理不尽と言われる所以はそこにある。

 だが彼女はどうやら、進んで魔女の呪いを受けているようだった。

 理解できないとグレーテルは顔を顰める。それもそうだろう。

 尚更、救う価値などない。事情が知れると、顔にそう書いてある。

「グレーテル。言いたいことは分かります。だからって……見捨てたら、人殺しと同義です」

「…………」

 見殺し、という言葉は結局出来ることをしなかった奴を罵る言葉だ。

 つまりそれは面と向かって人殺しと避難されているのと大差ない。

「私も利己的な奴ですが、人殺しと罵られるのは如何せん不愉快です。ですので、まあ形だけでも助けておこうと思います。出来ることをして死なせたのと、何もしなかったでは天と地の差がありますので」

 建前だ、こんなもの。自分だって理由は分からない。

 だた、死なせたら何か嫌だ。それだけだ。

「……亜夜さん。言い訳言わなくても、亜夜さんがそうだと決めたら私は文句ないよ」

 グレーテルは表情を崩した。苦笑い、そんな感じに。

 バレていたか。言い分がないと行動しないの私についてきてくれる。

「……ありがとう。じゃあ、ささっと呪いを解除してしまいましょうかね」

 私も呪い解除を四人分、長い間やっていたわけじゃない。

 自分のも含めて、ある程度ならできると思う。多分。

 やったことのないタイプだったが……ダメ元でやってみる。

 私が目を閉じて意識を集中させると、グレーテルは見張りをしてくると離れていった。

 こうなるともう、動けなくなるから人払いしてもらわないといけない。

 グレーテルはよくわかってくれている。良い子だ。

 私はその分、気合入れて一気に進めてしまおう。

 何時の間にか、私まであのロリコンエロメガネの影響を受けていたようだ。

 ……帰ったら憂さ晴らしに呪ってやる。

 そう誓いながら、私は彼女――『人魚姫』の呪いを解くために意識を掻き集めていく……。



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泡沫の夢から最期の場所へ

 

 

 

 人魚(ウンディーネ)。この世界では、魔女並みに忌避される存在。

 その魔性の歌声は海を行く船を沈め、その肉を喰らえば生物をやめる。

 下半身は魚、上半身は女の姿をしており数を増やせぬ彼女らは転生を繰り返し、尽きぬ生命を続けていく。

 要するに、バケモノだ。半魚人と言える女系の種族。

 人を意味も無く操る歌声は呪いと大差なく、訳がないだけ、魔女よりもタチが悪い。

 一般的に人魚は、バケモノとされる。魔女は見つけ次第狩り出せと言われている。

 では彼女達はどうなるのか。

 無論、殺される対象となる。

 船乗りの天敵と言えるこいつらを生かす理由はない。

 人魚もまた、人類史のアンチテーゼ。

 人を怖がらせる対象にすぎず、数で負けて狩られるからこそ海の底にいたのだから。

 それを私は助けてしまった、と。人の天敵である、人魚を。

 まぁ、最初は人だと思っていたと誤魔化しておいたからサナトリウムの人達には信じてもらえた。

 だが……。

「……まさか『人魚姫』の結末まで変えてしまうなんて……」

「軽率な行動をして、すいませんでした」

 外を感知できるライムさんに困ったように言われた。

 人魚なんてバケモノまで連れ込んでいたら、サナトリウムは終わりかもしれない。

 タダでさえ、魔女という私がいるのにこれ以上の火種を抱え込むことになった。

「あの子はどうしてるんですか?」

「呪いを解除して、今は外の生簀に放り込んであります」

「……生簀?」

 サナトリウムには裏手にゴミ捨て場があり、その近くに今は使われていない大きな水槽が廃棄されている。

 まだ綺麗だったのが幸いして、軽く水洗いしてから使っている。

 昔、サナトリウムで飼われていたピラルクを入れておいた特大の水槽だという。

 軽く人が泳げるサイズがある。

 そこに淡水で悪いが水を入れて、回復したらしたで困った彼女を放り込んでおいた。

 無論、サナトリウムに連れて帰ったはいいが手を借りなくてはいけなかったので、不気味がって嫌がる他の職員には無理強いできないので、彼女に手伝ってもらえた。

「……以前のお詫びです。これで貸し借りナシですから」

 それは眠り姫、タリーア。荊の魔法で対処に困る人魚姫を回収して、水の張った水槽に放り込んでくれた。

 洗浄にも手を貸してくれたので、意外に早く終わった。

 グレーテルには部屋に先に戻らせた。あの子は怯えるというよりは驚いていた。

 ウンディーネというのはそこまで珍しい種族のようだったし。

 説明すると、ライムさんは納得したように頷いた。

「確かに足を失えば、陸上で逃げることができませんからね」

 そう。私は呪いを悪戦苦闘しながら解除することに成功した。

 ただやはり童話通り、解除したらしたで今度は足が尾鰭に戻り、失った声も元通り。

 泡になることも阻止できたが、今はあの子は危険だ。歌声で操られる可能性がある。

「……少し、彼女と話してみます」

「亜夜さんがですか?」

 私がそう切り出すと、ライムさんは一度渋る。

 危険なのは変わらない、だが私は半分人じゃない。

「私は半分魔女です。それに異形同士、きっと話してくれるかと。最悪、私が仕留めます」

 そう。これは私の責任だ。私が選んだコトなのだから、私が決着をつける。

 もしも、人やここの子供達に危害を加えるなら。

 私は職員として、そして魔女としてあの子を呪い殺す。

 その程度の分別はついている。人に近いだけのバケモノ殺しだってやってやる。

「……分かりました。上層部には、わたしから話を通しておきましょう」

「助かります。迷惑をかけた分、面倒は私が受けますので」

 私が変えた結末をは最期をもってして、結末とするかもしれない。

 やるだけだ。当然のことを。

 責任を果たすとは、時として非情にならないとダメなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……んぅっ?)

 気が付いたら、自分は知らないところにいた。

 意識が回復した彼女の目に入ったのは、水の中から見上げる美しいお月様だった。

 時刻は既に夜に差し掛かっていた。

 ハッとして、周囲を見回す。自分は、水槽らしき中にいる。つまりは、囚われていた。

 どうやら人間に捕まってしまったらしい。死にかけていた浜辺とは全然知らない場所だった。

 逃げようとしても、周りは陸地。水槽から出たら、逃げ切れない。

 だが、そこでふと彼女は気がついた。……声が出るのだ。

 それに、消えそうだった身体が……ちゃんと存在している。

 尾鰭も足から元に戻ってるし、一体何があったのか。

 もう人にはなれないだろうが、本来の姿に戻れた。

 これは……なぜだ?

『目が覚めたようですね』

 狼狽する人魚姫に水槽の外から、声。

 吃驚してそちらを見ると、セミロングの茶髪をして車輪の付いた椅子に座る少女が近づいてきている。

『私の声が聞こえますか?』

(…………誰?)

 ……人、なのだろうか。

 人間、だとしたらなぜ人魚を見ても怯えない?

 聞いた話では、人間は人魚を敵対視している連中で見つけたら干物にしたり焼き殺したりすると聞いた。

 なのに、この状況……。生かされれている理由が見えない。

『おっと。不意打ちで歌声で私を操るなどと考えないように』

 女の子は、そう先んじて言った。そして、刹那。

 茶色だった瞳が、真紅の不気味な妖しげな光を放つ瞳へと変化する。

 同時に、口元から薄紫の湯気みたいなものまで出てくる。

 更には……彼女はばさりと音を立てて浮遊した。

 何事かと思ったら、椅子から浮かび上がっているではないか。

 背中には大きな翼がある。月明かりを反射する蒼が綺麗だった。

 目を丸くした人魚姫が生まれて初めて見た陸の少女は、人じゃなかった。

『私は魔女です。歌声を届かせる前に、呪われて死にたいですか?』

 相手も臨戦態勢だった。ただ、話に来ただけで態度次第では悪いようにはしないと告げられた。

 魔女は知っている。陸にいるという人間の天敵。好き放題しているという悪い連中だと。

 口先だけで約束を守ろうとなんてしないと、母である女王から聞いている。

 人魚姫は関係なしに、歌で操ろうとした。王女の歌声は人を幻覚に落とす魔性の歌。

 聞いてしまえば、耳を塞いだとしても脳みそをダメにする。

『折角、泡になって消えそうになったのを助けてあげたのに』

 その言葉を聞いたとき、思わず硬直した。

 なんで知っている。なんで死にそうになっていたのを。

 まさか、と思った。怖いと思った。この翼の魔女の言いたいことが。

 助けたのは……魔女だというのか?

 声、尾鰭、未来を代償にした陸への浮上を取り消したのは、この魔女と?

『落ち着いてください。先ずは、名乗りましょう。私は、亜夜。貴方は?』

(……リタ。リタって言います)

 声を取り戻したことでまた喋ることができる。

 話し合いを求めるならば、最低限の礼儀は通そうと思う。

 仮にも、あの言葉が本当なのだとしたら、この魔女は恩人だということになる。

 無論、嘘かもしれない。でも、そうならその時点で何かしらしてくる。

 きっと、もう殺されていてもおかしくない。

 人魚姫――リタにも、それぐらいは分かっている。

『リタさん、ですか。よろしくお願いします。尤も、その声は人間に聞こえているのか怪しいですが』

(えっ!)

 その発言には驚いた。リタは普通に語りかけている。

 なのに……人間には聞こえない? どうして?

『すみませんね。私、生粋の魔女じゃないんですよ。混ざりものなので、さっき何か言っていたようですが、リタさんの声が聞こえませんでした。今は魔女の状態に移行しているから聞こえているだけです』

(混ざりもの……?)

 よく分からない。

 リタの声は、確かに美しく透き通った美声だとよく褒められた。

 聞こえないはずがないのに。だが、それは同種が向けた褒め言葉。

 異種には、違うのだろうか。リタは実際、歌えるけれど人に危害を加えたことはない。

 助けたことはあっても、そんなことはしないし、あの時は王子様には声が通じていたのに。

『どうやら一度、声を完全に無くしたことによる弊害のようですね。すいません、しっかりとしていれば元通りになったんでしょうけど』

 声を失っていたことを知っている。

 この魔女は、こちらの事情を何処から仕入れたんだろうか。

 警戒するリタに、彼女はフランクに切り出した。

『リタさんの事は知っていますよ。人魚達の住む国の王族で、年齢は15歳。恋に生命を賭けて、そして破れ、泡となり消えそうになった事も。代償として声、尾鰭、未来を差し出してしまったことも。大体知ってます』

(……どうして……)

 不気味な女の子だ。怖い。

 敵意はないのに、スラスラと自分の事の様にリタのことを語る。

 ますます怖がるリタに、笑って亜夜という魔女は言う。

『まぁ、話を聞いてください。混乱するでしょうが、現状を説明します』

 そう言って、宥めるように魔女は事細かに説明していく。

 ここは魔女の呪いを受けている人間の治療するための施設で、特に未来に乏しい子供たちを集めた場所。

 魔女はそこの職員で、たまたま出先で死にかけているリタを発見して、呪いを解除して連れてきた。

 大まかに説明してこういうことか。やっぱり助けてくれたのはこの魔女なのだ。

(……呪い? リタ、そんなの受けてないよ?)

 然し呪いなんて受けたつもりはない。呪われてなんかいないし。

 と思っていたのだが。

『リタさんが知らないだけですよ。かなり特殊なタイプのようですが、リタさんの受けたのは呪いです。代価を受け取り、内部変容を起こして別の生き物に変える強力な呪いでした』

(……?)

 亜夜が説明する。彼女が王国で受けた陸に上がるための条件。

 それを提示したのは、魔女だったのだと。

(え……。オババ様は魔女だったの……?)

 リタの知っている老婆は、優しい賢人というイメージだった。

 相談してそうすればいけると言われて、そうした結果がこれだ。

『それは知りませんが自分から持ちかけておいて死にそうになってる時点で、自分が悪いんでしょうけどね』

 辛辣に言われて落ち込むリタ。

 後先考えずに突撃していったら死にそうになったのは事実。

 言い返すことは出来なかった。

『私が居なければ死んでいましたよ。無論、契約のようなカタチで呪いを受け取ったとき、説明しなかったその魔女も悪いですが元を言えば欲を出したリタさんも悪いです』

(……リタが、間違っていたのかなぁ……)

 魔女はしれっと言う。

 陸に上がったとしれば、きっと女王は許さない。

 二度と帰ってこないと勘当同然で逃げ出したリタだ。

 自分の都合で、おめおめと帰ることなんて出来ない。

『そのへんは自分で考えてください。知ってると思いますが、人魚は人の敵。魔女も敵ですが、私はここでは人間の味方です。みんなに敵になるなら、仕留めますが』

(……リタ、居場所はもうないんかなぁ)

 声は取り戻せた。尾鰭も戻ってきた。取り戻してもらった。

 でも、居場所と未来は……陸にはなかった。

 海にも、もう多分ない。これからどうしよう。

 途方に暮れるリタ。水の中で綺麗な長い銀髪が海草のように揺らめく。

 幼い顔立ちのリタを見た亜夜は、不憫そうにしていた。

『そして、何故私が知ってるかと言えば。私は魔女なので、ちょっとしたことで人のことを知ることができる。それだけの話です』

 亜夜は翔いて浮かんだまま、肩を竦める。

 魔女っていうのを詳しく知らないけれどそういうもんらしい。

 投げ遣りな思考のリタは放棄して、身の振り方を考えている。

『正直な話、とっとと実家に帰ってもらいたいのですが』

(……無理だと思う。逃げてきたんだし。もし、帰ったら……)

『……よくて国外追放ですか。迂闊なことをするからそうなるんですよ』

 説教される始末だった。

 完全に路頭に迷い、このまま居ても殺されるか放浪の二択。

 リタは人魚だ。それはもう変えられない。

 亜夜も足を生やす呪いは使えないしそんな魔法も無理だ。

 では、どうするか。人生経験の浅いリタには思いつかない。

 そこで、亜夜は妥協した。

 条件を出して、それを呑めば暫くはここに居てもいいように交渉してやる、と。

 一つ、決して人を操らない。

 一つ、決して誰かに危害を加えない。

 一つ、自分の立場をわきまえる。

 その三つだけだった。

 それさえ呑めば、衣食住程度の最低限のモノは助けてくれるという。

『居場所がないのは全部、自分のせいです。ですが、情状酌量の余地はあります。一度間違えただけで全てを失うなど、理不尽と言われた魔女でも酷すぎると言えますからね』

 仕方ない、と苦笑する少女は優しかった。

 途方に暮れるリタに、提示してくれている方法。

 リタは二つ返事で縋る思いでお願いした。

 今は、彼女に任せるしかないのだ。

『私が出来る範囲のことをしましょう。これに懲りたら、一目惚れした男に逢いに行くなどという世迷言を実行しないように。恋は盲目、しかし先ずは誰かに相談しましょう』

 右手で人差し指を当てて、ウインクして彼女は言った。

 何度も涙ぐんでお礼を言うリタに、彼女は微笑む。

『まぁ、いいでしょう。今夜はここにいてください。脱走とかしないでくださいよ。大変ですから』

 あとはこっちに任せろと、恩人はそう言って再び椅子に腰掛けると、去っていった。

 死にたくないと縋った事で、どうやらリタは九死に一生を得たようだった。

 今は、取り敢えず眠りたい。酷く、疲れた。

 安心して眠れる場所を作ってくれたあの人に感謝しながら、リタは静かに水の中で眠りについた。

 ……サナトリウムに人外の住人が出来上がる日まで、そう遠くはなかったのだった……。



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ドロドロの愛情と復讐の笛吹き男 甘ったるい大好きを乗せて

 ――魔女が救い、魔女が連れた人魚姫。

 彼女の居場所は、サナトリウムに新しく出来上がった。

 上層部は、バケモノを飼い慣らすコトを、なぜ了解したかと言えば。

 亜夜が大きな嘘をついたからだ。

 この人魚は、歌うことができず、魔女の言いなりになっている……と。

 事実、人魚――リタは、亜夜の言うことをしっかり聞いている。

 亜夜が説明したとおりのことしかせず、それ以上悪意ある行動をしなかったから。

 言ってしまえば捕虜のような扱いだとしても、居場所は最早ここにしかない。

 それが唯一生きる方法なら、リタは生きたい。 

 喩え、転生を繰り返すウンディーネだとしても。

 今は、生きていることに変わりはないから。

 信用を勝ち取っている亜夜の嘘がバレないように遵守すると誓った。

 子供達は、亜夜が近づくなと言うと殆どリタのいる場所には近寄らなくなった。

 現在、リタは古くなった物置の一角に水槽を鎮座され、その中で生活している。

 亜夜に毎日、世話をされている身だ。

 時々、彼女の雑用を手伝う程度のこともしている。

 一応王族とはいえ、ウンディーネに違いはなく、人並みの知性も理性もある。

 ただ飯を食らうわけにはいかない。

 これから、どうするか考えても思い浮かばない。一人で独立し海で生きていくか。

 故郷には帰れないし行く宛なんてない。今だけは、ここにいたい。

 我侭だとしても、魔女は許してくれた。

 人々に取り合ってくれた。おかげで、死なずに済んだ。リタは二度、命を救われたのだ。

 恩返しとはまではいかないけど、せめて出来ることをしないといけないと思う。

 だからリタは、様々なウンディーネとして知っていることを亜夜に教えた。

 種族間の知識の差は激しいようで、魔女は勤勉だった。

 人魚には当たり前のことでも、人では当たり前ではない。

 人には当たり前のことでも、人魚には当たり前ではない。

 知れば互いに驚くことばかりだった。そうしている間に、日々は過ぎていく。

 そして再び、サナトリウムに危機が訪れてしまったのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂が包む深夜のサナトリウム。

 そこに、耳を劈く金属音がまたも鳴り響く。

 一早くそれに気がついたのは、子供達だった。

 気がついて飛び起きた子供達が目にしたのは、何時ぞやの繰り返し。

 虚ろになった同室の住人が、ふらふらと何処かに向かいだした。

 止めようとしても足を止めず振り払われる。

 一度経験していれば、対処の仕方は聞いている。

 耳腔にへばりつく音をかき消すほど騒ぎ立てろ。

 それが魔女が言っていた対処の仕方。

 耳を塞いだとしても音は貫通する。音は音で相殺するしかない。

 魔女を信じた子供達は、兎に角滅茶苦茶に騒ぎ出した。

 そうすることで、寝静まっていたサナトリウムは俄に喧騒に包まれる。

 必然的にやかましくて目を覚ます子供、職員が増える。

 亜夜の言ったとおりにした結果、事態に前回よりも格段に早く気が付いた。

 然し、気がついただけで前回とは内容が違っていた。

 虚ろな子供達はふらふらと歩き、止める職員を……攻撃し始めたのだ。

 手にはそれぞれ日常にある、武器になりそうなものを持って。

 カッター、ハサミなどの刃物から尖った小物まで、滅茶苦茶に振り回して理性なく暴れだす。

「おい、やめろバカッ! 僕の話を聞いて」

「――」

「うぉぉっ!?」

 とある部屋では、慌てる雅堂に襲いかかる寝巻き姿の赤ずきんの姿があった。

 彼女は得物である包丁を無秩序に振り回して、切り殺そうとする。

 雅堂はそれを白刃取りして必死に呼びかけるが、無反応。

 虚空を見つめる赤ずきんに、普段の活気はなかった。

「お兄さんっ、言ってもダメ。わたくしに任せて下さい」

 一人部屋で過ごしている豪勢なイブニングドレスのタリーアが騒ぎに駆けつけて、荊の魔法を発動。

 瞬く間に室内を埋め尽くす荊が、暴れる赤ずきんを壁に縫いつけた。

 無言で抵抗する赤ずきんに、荊の刺が食い込んでいく。

「タリーア!」

 叫ぶ雅堂。動きを止めてもこれでは赤ずきんが無事ではすまない。

「ごめんなさい。でも、その性質上、荊は抵抗するだけ身体に食い込み傷つける。意識さえ無ければ……」

 本位ではないタリーアも、悲痛そうに顔を伏せる。

 もう、人は傷つけたくない。

 然し相手が襲ってくるなら、自衛しないといけない。その葛藤に苦しむ。

「……クソ、やりたくねえけど!」

 雅堂も腹をくくる。普段の殺し合いとは違う、冗談の範囲を超えている。

 本気で相手は、自我がないまま操られてると見た。

 口は半開きで、ヨダレを垂らしている状態だ。

 婦女子に手を挙げるなど、人の道に反する。だが、場合にもよる。

 判断を誤れば、苦しむのは自分ではない。彼女なのだ。

 時として、自分が泥をかぶる覚悟がなければ。

 何時か、剣道の先生に教えられたことがある。

 『強くなければ、優しくいる権利はない』。

 優しさを持つならば、常に己は強くあれ。

 強さのない優しさとは時として暴力になる。『優しい』の意味は広く、多岐に渡る。

 その都度選び、非道と言われる事でも選択する強さがなければならない。

 本当の『優しさ』とは、人の数だけ存在するのだから。

 この場合、雅堂が選ぶべき『優しさ』とは。相手のことを第一に考え、護る強さとは。

「ごめんっ! 後で殴るなり蹴るなり好きにしてくれていいから!」

 謝って拳を握り、磔にされている赤ずきんの鳩尾に一撃、叩き込む。

 バタバタ暴れていた赤ずきんは、その一撃を貰って意識を落とした。

 がっくりと項垂れて、痛みで失神した少女。抵抗しなくなり、これ以上の怪我をしなくなった。

 そう。『優しさ』は場合によっては必要悪になることもある。

 傷つけないために傷つけて、矛盾している行動もしなければならぬことも。

 それを受け入れる覚悟という強さがなければ、もっと酷いことになるかもしれない。

「……ごめん。暫く休んでいてくれ」

 気絶した赤ずきんを見上げて、済まなさそうに呟く雅堂。

 職員として最善の行動をとったまでだ。男としては、最低の行動だったけれど。

「行きましょう、お兄さん。他にもまだいるかもしれない」

 タリーアに連れられ、雅堂は部屋を出た。

 何が起きているか、だいたいわかってる。

 また誰かに子供達が操られている。

 廊下に出ると、案の定だった。入所する子供に襲われる職員たち。

 逃げたり止めたりの阿鼻叫喚の地獄となったサナトリウム。

 対処の方法は、対象の意識を強引に落とすしかない。

 道中、襲われる雅堂を庇い、蔦を振り回してタリーアが汚れ仕事を引き受けると言った。

 嫌われている自分には今更のことで、大して苦ではないと言う彼女。

「タリーアは平気なのか?」

「わたくしに呪いは効きませんから」

 自力で呪いを克服した彼女には、この手のモノは通用しないようだ。

 絶対の味方であるタリーアを連れて、事態の沈静化に前回は行動できなかった雅堂も独自に動き出した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、その頃。

 とある魔女は再び、死にかけていた。

「あ、亜夜……お願いだから、早く逃げて……!」

「亜夜さん! 早く、もう……私、もたない……」

「あゃ、さん……!! いや、いやぁ……!!」

 寝込みを襲われて、大切な少女達に押さえつけられて首を絞められていた。

 アリス、グレーテル、マーチ。

 三人の少女は姉のように慕う少女を押し倒している。

 一人は伸し掛り、下半身を押さえつけた。

 一人は上半身押さえつけ、最後の一人が両手で首を絞めていた。

 みんな、意識だけは完全に残っていた。だが、身体が自分の言うことを聞かない。

 誰かに操り人形にされているかのように、勝手に嫌がる意思を無視して動き、亜夜を殺そうとする。

 口や表情だけが自分の言うことを聞くのに、他は何も言うことを聞かない。

 亜夜は場違いに神妙な顔をしているが青ざめており、呼吸ができずに本当に殺されかけている。

 抵抗らしきものは一切しない。ただ、彼女達にやらせたいようにさせていた。

 一人だけ、ラプンツェルはその光景を見てだけで驚愕のあまり失神した。

 布団の上でバッタリ倒れており唯一被害を免れている。

 身に覚えのある皆は泣きながら嫌がっている。必死に抵抗し、身体の自由を取り戻そうとする。

 知っている。この手段は、何時ぞやのあの男だ。

 外も騒がしい。また、全域で似たようなことが起きているようだった。

 前回と違うのは、子供が職員を襲っていることぐらいだろうか。

「亜夜……あんた、聞いてるの!? あたし達どうにかして、逃げなさいよぉ……!」

「……」

 亜夜の首を絞めているのは、アリスだった。

 両手で殺意篭る力で、亜夜を絞め上げる。

 真顔で、亜夜は涙を流して懇願するアリスを見上げている。

 一切、亜夜は何もしなかった。呪いも使わず、魔法も使わず。抵抗しない。

 逃げろと言っても無理な話だろう。そもそも亜夜は自力では足が動かず歩けない。

 しかも力も弱く、女の子とはいえ人を退かす事もできない。

 だけど亜夜は魔女だ。魔法も使えて呪いも使えて、どうにでも出来る状況なのに。

 何で、何もしないのか。理由が、全くわからない。

「亜夜さん、このままじゃ……本当に死んじゃうよ! 私達の事よりも、自分を守ってお願いだからっ!!」

「…………」

 上半身を押さえているグレーテルに叫ばれても、何もしない。

 亜夜は、視線を動かしただけだった。

「いや……いやぁっ!!」

 必死に呪縛から逃れようとするマーチの泣き叫ぶ声が悲しく木霊する。

 徐々に強くなる力。無帝侯の亜夜もそろそろ、限界らしい。

 次第に目が虚ろになり、焦点がさ迷い始めた。流石に苦悶の表情を浮かべる。

「亜夜ッ!! あんた、巫山戯んじゃないよ!? あたし達に、あんたを殺せっていうの!?」

「させないで……お願いだからッ!! 亜夜さんを殺したくなんてないッ!!」

「亜夜、さんっ!! いやあああああ!!」

 みんなは叫ぶ。見下ろすアリスの、グレーテルの、マーチの涙を亜夜は受けた。

 亜夜は、漸く軽く顎を引いた。そして呼吸が出来ず喋れない口に変わって、目を見て要件を伝えた。

 

 ――すみません、増援は無理なようなので、私がやります。

 

 どうやら、他の職員の誰かが対処するのを待っていたようだが、誰も何もしないので自分がやることにしたようだった。

 亜夜は苦悶の表情から一点、真顔に戻る。

 漸く抵抗らしい抵抗を始める。状況を確認、腕こそ押さえているが手首から先が自由だと分かる。

 先ず、右手の手首の動く範囲に落ちていた枕を片手で持ち上げ、グレーテルの顔に投げつけた。

 不意打ちで一瞬怯み、力が抜ける。その一瞬に片腕を解放される。

 空いた右手でアリスの頬を軽くビンタ。アリスも叩かれ驚いて、手を離してしまった。

 顔なので傷を付けない程度の、本当にじゃれ合いの範囲だったのだが亜夜に叩かれたことのないアリスにとっては絶大な威力があった。

 亜夜に叩かれた。亜夜に手を出された。

 アリスは散々亜夜に甘やかされてきたせいで、かなりのショックを受けていた。

 反射的にビクッとしてしまい、拘束の取れた首で今度は顔が近くにあったグレーテルに頭突きをかます。

「に゛ゃっ!?」

 変な悲鳴を上げて、グレーテルは仰け反った。亜夜の頭が、鼻っ面に直撃。

 鼻を押さえて悶える。かなり痛い。鼻血は出ていなかったけど。

 上半身がフリーになり、上半身を起こす亜夜。

 再度首を絞めに狙ってくるアリスに、チョップを入れる。

 アリスの伸ばした手よりも早く鋭い一撃は、威力は軽く相変わらずない。

「めっ!」

 ついでにちょっと怒った。睨みつけて小さく怒鳴ると、またも硬直するアリス。

 内面に与えるダメージは絶大だった。

 チョップが額に直撃し、停止する身体。痛くはない。

 アリスは亜夜に怒られる、叩かれるというシチュは今まで皆無で亜夜が怒るという事が初めて。

 叱られることが無かったアリスにとって、亜夜が怒るということはそれだけ大きなこと。

 怒られるのは愛想を尽かされるかもしれないという恐怖感に変わって、アリスの身体を強ばらせた。

 自分でも知らないうちに、亜夜にかなり依存していたアリス。

 殺しかけ軽く叱咤される程度だったとしても、アリスにはとてもダメージが入った。

 そのショックが、操られている身体を止めた。

「マーチ、こっちにきなさい」

 頭を抱えて、子犬のように怯え出したアリスを無視して、ドスの効いた声でマーチに声をかける。

「!!」

 冷えきった声は魔女の時よりも余程恐ろしく、マーチの忘れたい記憶(トラウマ)を刺激した。

 飲んだくれの父親を彷彿とさせる声で、然し顔だけ極上の笑顔で嗤いかける。

「マーチ。……きなさい」

 命令系で、初めて高圧的に言われるマーチ。無意識で飛び上がって距離を離した。

 身体に染み付いた防衛本能。誰かにああ言われる時は、殴られる。蹴られる。

 長年の経験で知っている条件反射。操られていたとしても、身を守るために動く。

 ただ、亜夜が怖い。何かされるのではないかという信頼を失う勢いで、怖かった。

 アリスもまた、見捨てられるんじゃないとビクビクし始めた。

 亜夜も居なくなるんじゃないかと、気が動転して誰かの命令よりも、恐怖という本能を優先する。

 グレーテルだけが何とか復活して、またも狙う……が。

 絞殺しようとしてきた彼女の手を引き、優しく抱き寄せてきた。

「っ!?」

「大丈夫ですよ、グレーテル」

 腕を回避し、逆に抱きしめてしまう。

 胸の中に抱きしめられたグレーテルは大人しく、抱きしめられていた。

 温かい。亜夜のニオイがして、とても落ち着く。心がとても安らいでいく。

 ぎゅーっとされているうちに、不思議なことに……身体の自由が元に戻る。

 亜夜の抱擁で、グレーテルがまず自由になった。

「アリス……大丈夫ですよ。私は見捨てませんから」

 振り返り、ビクビクしているアリスに不格好にはいよって、起き上がるとまた抱きしめる。

 優しく頭を撫でて、怯える少女の耳元で囁いた。

「ごめんなさいね、怒ったりして」

 自分よりも身長のあるアリスを抱き締める。随分と見た目は悪いけれど。

 亜夜の優しさ、蜂蜜のような甘ったるい想いがアリスにもよく伝わった。

 というか、伝わりすぎた。ダダ甘の糖度が高すぎて、数秒で拘束が解けた。

「……ん。わかってるわよ、バカ」

 憎まれ口を叩くアリスは、照れくさそうに抱きしめ返す。

 甘えるようにぐりぐりと亜夜の胸元に額を押し付けて、堪能した。

「何か、抱きしめられたら元に戻ってるんだけど……」

 ボソッと解放されてから呟くアリス。

 何という照れくさい洗脳解除。亜夜の残り香が染み付いた気がする。

「私の甘ったるい愛のパワーですから」

 恥ずかしがることもなく、堂々と亜夜は言い切った。

 グレーテルに助けられて、部屋の隅っこまで逃げたマーチも同じように繰り返す。

 こちらは少々時間が掛かったが、それでも1分も必要としなかった。

 暴力を振るう気なんてサラサラなく、ただ凄んで呼んだだけ。

 結果、マーチもたっぷり甘やかされて我に帰る。

 散々頭を下げて謝る二人に、笑って許す亜夜。

「私がみんなになんかするわけないじゃないですか。お姉ちゃんを舐めたらいけません。喩え殺されかけても私が本気で暴力を振るうなどということはありませんから」

 そう言って、三人を改めて抱きしめる。

 この次元にまで行くとシスコンを通り越した何かだ。

 本当に実践してくれたバカ姉は、殺されかけても怒らない。

 何故かと言えば、みんなだから。みんなが大好きだから。

 死にかけても、大好きなみんなだから許す。

 きっと、亜夜は殺されても許すだろう。

 究極の彼女の愛情。みんななら、何もしても受け入れる。

 端的にいえばそういうこと。

 亜夜は馬鹿だ。特大の馬鹿としか言いようがない。

 だけど、救いがたい大がつく馬鹿者だからこそ。

 分かりやすく大好きだと、大切だと言ってくれる。

 言動から漏れ出す尽きぬ愛情が、みんなにも伝わった。

「さて、みんな。……いいですね?」

 そして、亜夜はここにきて初めて怒りを表に出した。

 その怒りとは、三人共通の怒りであり。確認するまでもなかった。

「そうだね。潰しに行こうか」

「よくもあたし達に亜夜を殺させようとしたわね……」

「……許しません」

 犯人をぶっ潰しに行くとする。

 普段はおとなしいマーチですら目に見えて怒っていた。

 久々にプッツンしてしまった亜夜。またも、聖域にいる彼女達にちょっかいを出された。

 無論どうなるかというと、言うまでもなく油の注がれた怒りは燃え盛る。

 車椅子に乗った亜夜と、怒髪天の三人は、廊下に向かった。怒気を撒き散らしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 件の騒ぎの犯人は、分かっている。

 一度魔女と共にサナトリウムに忍び込んだ、何時ぞやの誘拐犯。

 亜夜にビリっとやられて負けた笛吹き男(ハーメルン)だった。

 再び、吟遊詩人は魔女と対峙する。

 今度は、サナトリウムの廊下だった。

 ハーメルンの近くには、未だ操られている子供たちが立っている。

 最後の目標は、三人の女の子を携えて車椅子に座っていた。

「まだ生きていたのか、貴様……」

 笛を握る手に青筋が浮かぶ。魔女を見た途端、殺気立つ。

 彼女に負けてプライドをズタズタにされた彼は、復讐を誓った。

 もっと修行を積んで、この笛の音で魔女に復讐すると。

 そして魔女に味方するこの忌々しいサナトリウムを滅ぼすと。

 結果として単身乗り込んで笛で子供を操り、サナトリウムを壊滅させようとしたが失敗。

 木の棒を持ったメガネと荊の魔法を使う少女に阻まれた。

 操る子供は尽く気絶させられ、犠牲者はゼロ。誰も死ななかった。

 それでは気が済まないハーメルンは音色の波長を変えて、もう一度子供たちを操り、魔女だけでも殺すことにした。

 調べたから知っている。

 あの魔女の弱点は、大切にしているここの子供達。絶対に手出しはしないと聞いている。

 操り殺させれば、抵抗できないと踏んでいたが……。

「ええ、生きていますよクソッタレ。もう一度笛をへし折ってやります」

 平然としている魔女。然し、首には紅く絞められた跡が残っている。

 つまりは途中で何かしらしたということか。

「貴様もやはり所詮は魔女だな。どんなに大切にしていると公言する子供でも反撃したんだろう?」

「……」

 あの三人は既に支配下を脱している。

 つまり正気になって、言うことを聞いている。

 各々、武装しているあたり実力行使をするようだ。

 反撃して、一度失神でもさせたか。身を守るために、わざわざ暴力に頼る。

 所詮魔女はその程度。口先だけの卑怯者なのだ。

「だが残念だったな。今の僕の音色は、たとえ耐性のある子供でも操ることができるのだ」

 そう言って、笛を口元に持っていく。

 あの子供たちは耐性があるようだったが、今度はそうもいかない。

 一度出来たのだから、もう一度かけ直せばいいだけの話。

 笛の音が響き渡る。あの子供達を操る、専用の強い波長のやつを。

 然し……。いくら旋律を紡いでも、子供達は言うことを聞かない。

 ただ、こちらを睨みつけてくる。焦り出すハーメルン。

 今度はなんで通じない。今度は何で効果がない?

 原因が見えない。意識があれば、聞こえていれば、忽ち言うことを聞くようになるのに。

 微動だにしない三人を見て、奏でるのをやめてハーメルンは叫んだ。

「バカな……!? バカな、そんなバカなッ!! なぜだ、なぜその子供たちは平然としていられる!? この旋律はどんなことをしてでも言うことを聞かせることができる音なのに!!」

 まさか、耳が聞こえないのか? そんな状態にまでしたというのか?

 ハーメルンが取り乱す。そんな中、魔女はゆっくりと口を開いた。

「最近、新しい方法を学びましてね。一種の契約とでもいいましょうか。そういうやり方があることを知ったんですよ」

 突然何を言い出すかと思えば。片指で、示すように動かす。

 すると、女の子たちは無言で動き出した。指示に従うように。

 そこまではいい。だが、魔女はこう続けた。

「音が聞こえる限り、意識がある限り、音色からは逃れられない。音は音で相殺したくても、出来ない場合はどうするべきか。分かりますか?」

 問うてくる。嘲笑を交えて、聞いてくる。

 答えられるものあら答えてみろと。

 必死に思考を巡らせるハーメルン。効かない理由。それはなんだ?

 堂々巡りに陥る中、彼女は解答を教えた。それは、彼の範疇を超えていた内容だった。

 

 

 

 

「――答えは……『呪い』、ですよ。今、みんなは私と契約という形で一過性の呪いを受けてくれました。現在を求めた私に、未来を代価にして、手を貸してくれているんですよ」

 

 

 

 

 

 ――信じられなかった。不敵に笑う紅き目の魔女。

 魔女は、大切にしている少女たちを呪っていた。

 だから、効かないのだ。

 ハーメルンの音色は所詮、人の業。だが呪いは魔女の所業。

 業の深さの桁が違うのだ。呪いとは、強制力が半端ではない。

 呪いを受けている最中には、ハーメルンの音色とて追い付かない。

 亜夜は先んじて呪うことで、ハーメルンの音色から守っていた。

 毒を以て毒を制す。そんな諸刃のやり方で。

「そういうことよ。今のあたし達は、亜夜の為に戦うのよ。今度こそ斬り殺すわ、このド変態」

「残念だったね。もう、私達には効かない。火葬して灰にしてあげるよ」

「報い、を……受けてもらい、ます……!」

 魔女を守るように剣を、杖を、何故かマッチを構える。

 一歩怯むハーメルン。まさか、そんな禁忌に近い方法で打破してくるとは。

 言ってしまえば反則技。先入観をぶち壊して、魔女は身内を守っている。

 更に状況は悪くなった。

「……よぉ、クソ野郎。こんな夜更けに、よくも下らない事をしてくれたな……?」

「磔にして、永遠に眠らせてあげるわ。指名手配の犯罪者」

 奥から、凄まじい覇気を出す眼鏡が、本体を中指で直しながら登場した。

 その傍らには知らぬ少女が、荊を引き連れ現れる。

「なん、だと……!?」

 自力で笛の音が効かない少女がもうひとりいたとは。

 愉快そうに、魔女は嘲笑う。ハーメルンには人質がいるが、そんなものが何の役に立つ。

 万が一、楯にしようものなら……あの二人の職員に間違いなく殺されるだろう。

 それぐらい、殺意が漏れているではないか。

「因みに呪った内容は『助けて』です。互いに同意の上なので、一定の効力しか持ちません。私の言うことしか、みんなは聞きませんのであしからず」

 しれっと内容をバラした。助けるために契約し、亜夜の為に全力を尽くす三人。

 元々、その気持ちは同じだったから、何の問題もないし寧ろ戦えるならと喜んで呪いを受けた。

 互いを守るための束縛。みんなは進んでうける。

 だってそれが、『好き』という感情だから。

 大好きな人を護るために戦えるなら、呪いだって構わない。

 一緒にいたい。一緒に生きたい。その気持ちは嘘じゃないのだから!

「斬ってお茶請けにしてやる、変態」

「かまどで焼き殺してやる、変態」

「雪の中で、凍死、しちゃえ変態」

 ……四面楚歌。正直、甘く見ていた。これでは復讐するつもりが地雷を踏んだようだった。

 完全に負ける。負け以外、ないだろう。

 逃げても追ってくるであろうあの連中から逃げ切れる気がしない。

 ハーメルンはそれでも復讐できるなら、する。伊達に犯罪者じゃない。

 ここで捕まっても本望だ。やりきる戦いに出来るならば。

 子供たちを操作し、突撃させていく。これが最後なのだから、覚悟をしていく。

 武器を持った子供たちとの不毛な争いが、幕を上げたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 追記として、変態笛吹きは半殺しにされて逮捕された。

 事件解決をした亜夜、及び役に立った雅堂は褒められたそうだ。

 然し、暴力を振るわれたと知った赤ずきんに逆上された。

 股間にゴルフクラブでフルスイングを叩き込まれたのは言うまでもない。

 軽くあの世にホールインワンしかけたのは何時ものことなので、割愛しておこう……。



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親衛隊と東方のモノノフ

 

 

 

 変態は出すべきところに突き出した。

 無事、子供達の安全を確保された。

 功労者である魔女と眼鏡とそのお供は、平穏な暮らしを手に入れた、ハズだった。

 そんなわけがなかったのだが……。

 サナトリウムはどうやら、その一件でお上の人にまで色々情報が流れてしまったらしい。

 厄介な話が伝わってしまった。魔女のことを秘匿しておくと、必然的に担ぎ出されるのは眼鏡。

 幻とされる極東出身の、豪傑だと思われてしまったようだ。

 サナトリウムがある国の騎士団の一人が是非手合わせ願いたいと申し出でてくる始末。

 しかも親衛隊ときた。剣の腕前は言うまでもない。賊がいるような世界である。

 王族を護るために特別な訓練を受けている女性騎士らしい。

 この世界の剣術には興味があるが、眼鏡は恐縮してヘタレていた。

「いやいやいやいや!! 親衛隊の人と非公式とはいえ試合とかマジで無理っす!!」

 今回は個人的なものなので、公にはしないで、お忍びで訪れるとか。

 全力で嫌がる雅堂は、土下座までして丁重にお断りしたかったのだが、大人の事情で却下された。

 相手は国であるし、下手に無下にすると後が怖い。ここは必要な犠牲として人柱になることなった。

「のおおおおぉー!?」

 三々五々、光栄なことなのにビビる雅堂を見て呆れる職員たちが出ていく中。

 事務所で頭を抱えて悶える雅堂。情けないにも程がある。

 権力にビビるその姿を、本当の功労者は冷たい視線で見つめている。

「…………ふんっ。所詮はヘタレ腰抜けの節操なしですか。存在がシモのくせに生意気な」

「おおい、最後のは違うだろうがァ!!」

 車椅子の職員の独り言に耳聰く反応した雅堂。

 ツッコミを入れるついでに復活する。謂れのない罵倒だった。

「誰の存在がシモだとコラ!? 毎度毎度、言いたい放題言いやがって!! 何の恨みがあるんだ!」

 雅堂が怒ると、

「……はぁ。言わないと分かりませんか?」

 絶対零度の目で、魔女は敢えて問う。

 彼女が言いたいこと。それは、入所する子供達の目線。

 もっと言うと、女の子たちの視線から話。

 つまり?

「だから僕のこれは呪いだって言ってんだろうがァッ!!」

 直訳、狼のくせに。意訳、死ね。

 スッパァンッ! 

 数ヶ月にわたり、魔女の罵倒に堪えかねた雅堂の厚紙で作られたハリセンによる一撃が亜夜の脳天に炸裂。

 無論、手加減はした。が、雅堂は忘れていた。魔女は、口こそ達者だが本来は虚弱な少女。

「きゅぅ……」

 亜夜は車椅子の上で、脳震盪を起こして一発で気絶した。

「嘘ぉっ!?」

 まさかの一撃で失神した。音は派手だが、重たくもない一撃で。

 肩を揺するが、無反応。頭から煙を出して目をバッテンにしている。

 グッタリしている亜夜を起こそうとしている、その時だった。

 雅堂に更なる不幸が襲いかかる。

「すいません、今派手な音がしたんですけど……」

 訝しげな声で、事務所に入ってきたのはライムだった。

 厚紙のハリセンを持って、魔女に暴力を振るう外道の姿を目の当たりにしてしまった。

「げ、ライムさん……」

 青くなって言い訳をしようと口を開く前に、ライムは一瞬で目を細めた。

 凄く怖い声で、聞いてくる。

「……雅堂さん、亜夜さんに何をしたんですか?」

「こ、これはですね」

「そのハリセンで、亜夜さんを殴った……などと言うことはありませんよね?」

「いや、これには理由があって」

「理由があれば、自分よりもか弱い女性に暴力を振るっていいということにはなりませんよ」

「ですから、僕の話を」

「ええ、聞きましょうか。……言い逃れは職員会議で、続けてください」

 ガシッ! と呆然とする雅堂の手を引っ張って、統括する上の人のところに連れていく。

「い、嫌だぁあああああーーーーー!!」

 思わず叫ぶ雅堂。死亡フラグ見事にへし折ってしまいました。

 サナトリウムの職員の上の人は部下の失態には非常に厳しい。

 雅堂は未遂で毎回何かしらあるたびに名前が挙がる筆頭であり、今回のことは間違いない。

 身内のじゃれ合いですらこれだ。いい歳こいて遊ぶからこうなるのである。

「キッチリと部長のところで、反省してください。亜夜さんはああ見えて弱い女の子なんです。ツッコミで手をだしていいという理由にはなりません。男の子なら罵倒ぐらい我慢してください」

 ライムは亜夜の肩を持つので、基本味方ではない。やっぱり雅堂のせいにされた。

「無理言わんでくださいッ!! 僕にストレスで死ねってんですか!」

「ストレスで死ぬようなブラックな職場ではありません。人間関係の不器用な雅堂さんが悪いんです」

「またか!! またこのオチか!! 誰の悪意だコンチキショー!!」

 今回ばかりは痛み分け。ライムも亜夜に怒ったので、両成敗。

 雅堂には権力の鉄槌が下り、亜夜にも長い間に言いまくった罵倒への罰が下った。

 取り敢えず部長にチョークスリーパーを喰らってあの世に逝きかけた雅堂。

 眼鏡(ほんたい)が無事だったので、付属品も何とか無事なのは幸いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王族親衛隊の一人がきたのは、二月の終わり。

 お忍びで一人で訪れていた。雅堂との試合をずっと楽しみにしていたようだった。

「本当に楽しみです。どんな剣客の方なのでしょうか……?」

 スラッとした体型のまだ若い少女だった。

 曰く新進気鋭の凄腕騎士で、賊の撃退数が騎士団で上位だとか。

 余程、修羅場を潜ってきた手練なのだろう。

 そんな少女がゲームの対戦相手を探すかのようにワクワクして案内されて、雅堂を探していく。

「ひぃぃぃぃぃ!」

 無邪気な少女の態度に竦み上がる雅堂。

 何が嫌だって、試合で女性相手するのが怖いだけ。

 剣道とは基本同性相手で、女子相手は慣れていない。

 しかも同意しているとはいえ、女性相手には凄い抵抗があった。

 頭から毛布をかぶって、部屋に閉じこもって出てこなくなった。

 ヘタレもここまで行くと立派なもんである。

「……あんた、情けないとは思わないの?」

「お兄さん……」

 合鍵で忍び込んだ赤ずきんとタリーアが呆れた顔で勝手にビビるヘタレを見ている。

 タリーアは漸く、魔女と和解しているのが知られて、多少周りとの軋轢も減ってきた。

 赤ずきんも魔女が気にしないならと、刺こそ残っているが話し相手ぐらいにはなってくれていた。

「はぁ。チキンもここまで行くと哀れだわ……」

「……あれだけ凄いのに、メンタル脆いのね、お兄さん」

 哀れみの目に余計にビビる腰抜け。相手はもう来ちゃってるのに、出てこない。

 探して来いと言われた魔女がお連れと共に駆り出されて、嫌々雅堂の部屋を訪れる。

「すいません、バカ狼はここにいますか?」

 部屋を開けてもらって、亜夜が不機嫌な顔で様子を見に来た。

 背後には連れが万が一ということで、武装しながらついてきている。

 苦笑いをする対応している赤ずきん。部屋の中を示し、引き篭っていると説明。

「相手がまだかまだかと待ってます。無理矢理、引きずり出してきて貰えますか」

 不本意で働かされている彼女は、隠そうともしないトゲのある声で言った。

「了解……。ちょと待ってて。汚い悲鳴聞こえてくると思うけど、ごめんね?」

 赤ずきんはそうやって言って、扉を閉めた。

 数秒後。

「あっ、やめ、ちょ……!」

「いい加減にしなさい、このバカッ!!」

 暴れるような物音と、赤ずきんの怒鳴り声。

 どんがらがっしゃんとモノの崩れる雪崩の音が鳴り響く。

「いや、やめて、お願いだから!! あっ、アーーーーーーーーーーーッ!!」

 極めつけはバカの裏返った絶叫。

 驚いて目が点になるマーチ。

 ラプンツェルの耳は亜夜が塞いでいた。

 アリスとグレーテルは自分で耳を塞ぐ。

 白々しい静寂が続く。やがて、ゆっくりとドアが開いた。

「おぅ、おぅ……」

 真っ青な顔をした雅堂が、内股の不格好な歩き方をして出てきた。

 眼鏡がズレて、ぷるぷる痙攣しながらだ。何があったのだろうか。

「……死にかけてませんか?」

 大体想像がつくが、出てきた赤ずきんが肩を竦める。

「無理やりで良かったんでしょ。一発キツいの入れといたから、これで今日一日は言う事聞くわ」

 得物であろう、木刀を杖のようにして老人のように歩く雅堂。

 ……試合をする前に死にかけていた。

「ほら、キリキリ歩け!」

「ひぃっ!?」

 後ろからついていく赤ずきんに蹴飛ばされて、突然元気に歩き出す。

 みんなはその光景を、唖然としてみている。アレが二人の通常らしい。

「……嫌なものを見たわ……」

 部屋のなかでげんなりするタリーアの言葉は、聞こえないことにした。

 

 

 

 

 

 

「お手合わせ、よろしくお願いしますねっ!」

「よ、よろしくお願いします……」

 元気の良い女の子と対峙する緊張しているヘタレ眼鏡。

 軽装の鎧を身に纏い、ヘタレは防刃道着に着替えていた。

 何と試合は本気を出したいという相手方の要望で、真剣勝負になった。

 尚、控えには怪我をした時用に回復の魔法を使える魔法使いも急遽、相手が手配して連れてきた。

 怪我をしてもこれで大丈夫らしい。一応降参か戦闘不能になったら負け。

 正々堂々と戦うことを誓い合って軽く準備運動。

 雅堂の武器は脇差。サナトリウムに保管されていたものを拝借している。

「おぉー! それが東方の剣、『カタナ』という奴なのですか! 楽しみですねェ!」

 本当に嬉しそうにはしゃぐ相手。

 右手にはレイピア、左手にはギザギザの波打つ妙な短剣を持つ二刀使い。

 見覚えのない左手の得物に、頭を切り替えた雅堂は観察する。

(なんだあれ……?)

 武器、にしては特異すぎる外見。用途は何だ?

 その時、後ろから声。振り返ると、魔女がちょいちょいと手招きする。

 近づくと、彼女はシンプルに左手の剣についての情報を与えてくれた。

 魔女らしく、どうやら入れ知恵をしてくれるようである。

「見たことがないでしょう、あの左手の武器。アレは『ソードブレイカー』。西洋の剣で、相手の剣を絡めとって、テコの原理でへし折る防御用のナイフです」

 カッコイイ名前だが、なるほどそういうことらしい。

 左手は護りか。それさえ知れれば対処はある。

「尚、壊せるのはレイピアなどの刺突の同系統のみです。刀には通用しません。ですが、つば競り合いなどすれば刃こぼれを起こすと思うので、くれぐれもご注意を」

 防御用の二刀とはまた厄介な。眼鏡を中指で直す彼は、呼吸を整える。

 魔女は人が怪我するのを少女たちに見せたくないので、早く片付けろと命じる。

「腕前は知ってますよ。さっさと片付けてくださいね、モンスター」

 案の定自分勝手な理由だった。騒がしいのはもう嫌と見た。

「ほざけ魔女。僕の本気を見て度肝を抜かされるなよ」

「ふんっ、生意気ですね」

 吐き捨てる魔女が戻っていく。

 相手は真剣なのだ。当然、本気を出そう。

 怪我をさせても試合だ。挑まれたら全力が礼儀。

 死合にならないことだけを祈ろう。止まれる自信はない。

 冷える殺気を出しながら、得物を構える。

 いざ本番になれば、鬼のように強い男である。

 ヘタレなのはそこに至るまでの過程に過ぎない。

「……おっ?」

 相手の騎士も、雰囲気が変わったのを分かった。

 それはいうなれば、今の彼は魔女に似ていた。

 言いようのない寒気。然しこの少女は戦闘狂のような一面があった。

 戦うのは楽しいことだと思っている彼女のココロに火を灯した。

 対面する二人を、固唾を呑んで見守る職員や興味があって見に来た子供たち。

「えへへっ、楽しくなりそうです。……では、始めましょうか!」

「はい。よろしくお願いします」

 改めて背筋を伸ばし、礼をする雅堂。

 相手も一礼し、そして。

 真剣勝負が幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の戦術は先手必勝。

 鍛えに鍛えた脚力を武器に、一気に距離を詰めて右手のレイピアで喉を一撃。

 それが普段の彼女の戦法だった。

 兎のように飛び跳ね、跳躍。懐に飛び込み、突き上げるように狙った。

 何時も通りの流れ。相手は反応できずに一撃で意識を持っていかれて彼女の勝ち。

 が、それはできないと期待している自分がいた。

 絶対に打破される。目の前のこの剣客は、流れを変えてくるに違いない。

 予感があった。戦いが面白くなる予感が。

 飛び込んだまでは、よかった。

 その瞬間、彼女は自分の時間の流れがスローになっている錯覚に陥る。

 自分の高機動に相手が反応できず、一方的に倒してしまう。

 言ってしまえば、自分よりも強い人がいなかった。騎士団では、一番彼女が強かった。

 突き上げる右手のレイピア。然し、この男は……しっかりと目で動きを追っていた。

 棒立ちは変わらない。捉えているにもかかわらず、何もしない。

 動くのは後手なのだろうと、わざと何時もどおりのやり方をしてみる。

 動きが見たい。どういう対処をするのか。ワクワクが止まらなかった。

 彼は、スローの時の中、ギリギリまで刃を待っていた。

 少女も分かっている。目が、刃を追う瞳が尋常ではない。

 これは対策を知っている目だ。きっと、一撃を逆に貰うだろう。

 その一撃の重さが今から楽しみで仕方ない。

 ここのところ、殴られる事も斬られることもなかった少女の期待。

 痛い目を望んでいた。

 対等な、あるいは負けでいいから勝負をしたいという願いがあった。

 見事、雅堂は反応する。

 突き上げる鋭い一撃を、彼は難なくそれ以上の速度で身を翻し、避けてみせた。

(凄い!! 凄い凄い凄いこの人!! 半端じゃない、凄い反射速度だ!)

 体温が沸騰する。テンションが上がる。確信が持てた。

 この人は、間違いなく強いッ!

 それだけではなく、得物を持っていない左手を使った。

 背後に回るように独特の足回りで移動し、手刀を作るや首筋に叩き込む。

「うっ!」

 首に痛み。重く、身体に響く。

 常人には何が起きたか、追いつけなかった。

 女の子が飛びかかったと思ったら、次の瞬間倒れていた。

 雅堂は一撃貰ったかのように見えたが、無傷で立って見下ろしている。

「……」

 魔女の時の亜夜のような目。追撃はせず、立ち上がるのを待っている。

「いたたたた……。凄いですねえ、今の移動は魔法ですか?」

 手放した得物を握り直して、ゆっくりと立ち上がる。

 後手でありながら、先手の先を行く速度。

 音速、いや神速と言えばしっくりくるか。 

「いいえ、ただの初歩です」

 一言、解答をする雅堂。

 目が笑っていない。隙を見せたら、殺しに来ている。

 ゾクゾクするその目が、少女の闘争本能を刺激する。

 立ち上がるまで丁寧に待っていてくれた。

 本物の戦場ならば、少女は死んでいただろう。

「……じゃ、これはどうですか!」

 最早この速度の前では威力など無用。

 手数で攻める。刺突に特化したレイピアで突きを連続で放つ。

 殺すつもりで、殺せる点のみ絞って放つが、一発も当たらない。

 というか、掠りもしない。全部、回避されるわ防御されるわ。

 突きの雨あられを平然としている。よく見れば、足が動いていない。

 その場に立ったまま、上半身の動きだけの最低限の動きで対処していた。

「ば、バケモノですね本物の! ですが、どうして攻撃しないのですかッ!?」

 異次元のバケモノだと少女は思う。成す術が見いだせない相手は初めてだ。

 足を狙うが、鞘にいれたままの刀で弾かれた。硬い金属で鞘が出来ているようだった。

 まさか、切っ先鋭いレイピアを弾けるなんて思ってもみなかった。

 これが極東のツルギ。自分の知らない世界の剣客。

 面白かった。あの手この手の手段が尽く潰れるのが、それはそれは面白い。

 勝てる気がしない絶望なのに、何で気分がこんなに高揚するのだろうか。

「……僕の剣術は、基本を避けることと防ぐことを常とします」

 淡々と、攻撃を避け続ける東方の剣客は語りだす。

「攻撃の極意とは、一撃必殺。無用な力を振るわぬために一撃を持って、必殺とせよ。そう教えられています」

「成程! そのような考えもあるのですね!」

 少女の剣術とはあくまで護衛。

 対象を守るために、最低限の武力で追い払うことが基礎だが、少女は攻撃的なため、護りに走りがちな騎士団の中では特攻隊長のような役目をしていた。

 殺すための剣術ではなく、護るための剣術。

 が、少女は殺すための剣術が好きだった。

 傷つかない戦いは戦いではなく、生命を削りながら相手を倒せば護ることにも結果的につながる。

 攻撃とは最大の防御。それを信じてやまない血気盛んな親衛隊だったりする。

 だが、この剣客は騎士団と人たちと同じ基本が護り重視の剣術。

 ただ、護るだけではなく、避けることも視野に入れているから強い。

 根本がきっと違うんだろうなぁ、と薄々気付いていた。

 これは護衛するための戦い方じゃない。一撃を持って相手を屠るための下準備だ。

 研ぎ澄まされた一撃。なんかすごくかっこいい。ハイテンションになっている彼女はまたも期待する。

 攻めるとき一気に攻める。ある意味、少女の夢想する理想の剣術だった。

「ど、どのような形でイチゲキヒッサツというのを行うのですか!?」

 知りたい。イチゲキヒッサツ、その全容が。

「相手をまずは疲弊させます。持久戦を行えば、隙が見いだせるでしょう?」

 猛攻する少女は確かに疲れていた。体力に自信があるが、相手は全く息が乱れていない。

 必要のない動きがないから、疲れない。次第に焦れていく相手が焦れば尚更いい。

「そして全力を叩き込む刹那を見つけ、自らの全てを刀に伝え、相手にぶつける。それだけの話です」

「簡単なようで、凄く難しい気がしますね……!」

 既にぜーぜー荒い息の少女。

 我武者羅に怯まず攻める気概は凄まじいが、短期戦しか出来ない。

 雅堂も、焦れず一定の攻撃を続ける心意気に正直、顔には出さないがかなり焦っていた。

 彼女は凄い。全く相手のペースに巻き込まれない。動揺というものがないらしい。

 ビビらないというか、楽しんでいるからか。

 面白がって攻撃したいように滅茶苦茶に攻撃してくる。

 遊びたくて仕方ない猛獣を相手している気分だった。油断したら、多分血祭りにされる。

 防御用のブレイカーまで武器にして乱舞してくるのを避けるのは冷や汗ものだ。

 最早勝つ負けるの勝負ではなく、痛い目を見るかみないかの問題。

 キラキラした目でこっち見てくる彼女が相手したことのない人種で怖い。

 一応刃物振り回しているのだが……。

「じゃあ、もうちょっと行きますよー!」

 大はしゃぎで乱舞乱舞、大乱舞。

 刃物二刀流がこんなに恐ろしいと思うのは何故だろう。

 殺しにきているのは分かっているが、異様に期待されているような気もする。

 過大評価といえばわかりやすいだろうか?

 本気で挑んでも打ち負かされることも分かっているゆえに、無謀に突撃ノーガード。

 面白いから。それだけしか見えていないと雅堂は思う。

(……おっかない子だなぁ……)

 そこまで楽しいのか、これは。

 冷静に見ると、ちょっと軽く頭がイっちゃってるとしか思えない。

 仕方ないので、本当に一発入れて終わらせよう。

 周りもそろそろ冷や汗を流している。魔女は欠伸をしながら眺めていた。

 乱舞の隙は、見えている。彼女の呼吸、息継ぎの刹那猛撃が一度だけ止まる。

 神経を研ぎ澄ます。集中し目を、耳を、肌を全て使う。……見えた。

 呼吸を整えるその一瞬。コンマの世界で、雅堂が抜剣する。

 すらりと抜ける銀色の刀身。真横に一閃、鎧の上から彼女を切り裂く。

「!!」

 ……何と彼女。速度に自信のある雅堂の抜剣に反応した。

 満面の笑みで嬉しそうに、左手のソードブレイカーを一閃を防ごうとする。

 だが、全力と告げていたとおり、力負けして刃をへし折られた。

 一瞬。一瞬で、勝負はついた。速度に加えて殺しきれなかった威力に地力と性別の差。

 様々な要因が重なって、大きく吹っ飛んだ。

 フルスイングされたバットで打たれたボールのように、彼女はくの字で吹っ飛ぶ。

 サナトリウムの玄関のガラスに突っ込んで破壊。ガシャーンッ! と派手にぶち壊した。

「…………」

 抜剣したままの雅堂、言葉を失った。

 その光景に、観客も言葉が出なかった。

 ……やばい、本気出しすぎた。多分死んだかも。

 慌てて、連れの魔法使いが助けに行った。

 呆然とする雅堂。ゆっくりと鞘に戻して、寄ってくる魔女の一言に硬直する。

「誰があそこまでやれと言いましたか」

「……いや、すんません……」

 何時の間にか、心が乱れていたようだ。知らぬ間に相手のペースに巻き込まれていたとは情けない。

「あはははははははははははっ!! すんごくいたいですけど、面白かったですよ! ありがとうございましたぁ!!」

 彼女は血塗れだったが無事だった。

 大笑いして壊れた短剣を投げ捨ててお礼を言う。

 形式上、頭を下げる雅堂。やりすぎた。間違いなかった。

 治癒魔法をするお連れに怒られながら、最後にこう告げた。

「狼みたいな見た目してるのも、東方の何かの極意ですか?」

 ……やっぱり狼に見えていたようだった。それは無関係であるとのちに説明しておいた。

 こうして雅堂の試合は彼の圧勝。勝てるわけがないのに飛び掛った女の子の惨敗だった。

 尚、ぶち壊されたガラスの代金は雅堂の給与から天引きされた。数万程。

 ライムが女の子に怪我をさせた責任だと言って譲らなかった結果だ。

 雅堂はこの結果に、

「理不尽だぁああああああああーーーーー!!」

 と、叫んだそうだ。ざまあみろ、と魔女が笑ったのは言うまでもない。



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みんなとお風呂

 

 

 

 

 眼鏡の理不尽デイズは日々続いている。

 赤ずきんに何処とは言わないが踏まれ切られ叩かれ潰され。

 そろそろ男の人生終了のお知らせの予感が見え隠れしている職員と子供の激闘。

 うって変わって、私のところは至って平穏だった。

 サナトリウムを移動してちょっと行ったところにある温泉施設。

 リニューアルしたということで、気になるから行きたいとアリスが言う。

  ただ……私は気乗りしない。

 理由として、人が多い。前回のマーチのように秘湯というわけでもない。

 そこは水着着用で入れたから良かったのだ。

 人が少ないならいいが、私はこのような身体だ。

 知らぬ人に裸を見せる、ということには抵抗がある。しかも、足が動かない。

 自由に動けない私は邪魔になるだろう。

「……やめとく?」

「ラプンツェルはどっちでもいいよー」

「わたしも……どちら、でも……」

「私は亜夜さんが気乗りしないなら、行かない」

 皆はアリスと相談。私はぶっちゃけ遠慮したい。

 アリスは温泉というのをあまり知らない様子だった。

 興味があるのはわかるんだけど……。

 普段は、一人だ。

 ラプンツェルの髪の毛を洗うなどの手伝いはしているが、自分の入浴は一番最後。

 何せ時間かかりすぎる。足が動かないから、不格好に移動してはそこらじゅうをぶつけながらあれこれする。

 上半身さえ動けば、移動には困るがそれ以外には不自由はない。

 私の足はもう飾りだ。

 筋肉は固まらないように毎日リハビリしてもらっているけど、今でも動かない。

 もう、慣れた。これが代価なのだ。

 みんなの為に支払った、私の愚行だと言うなら言えばいい。

 後悔なんて微塵もない。私は私が求めた方法で最善を出した。

 今があるなら、それでいい。

 それに……愚行だと言うなら、この右足。

 完治したとはいえ、見ていて気持ちいいものじゃない。

 これを見せるわけにはいかないので、意地でも一緒に入るわけにはいかない……。

「ねぇ。亜夜っていつも何で一人でお風呂に入るのよ?」

 前から何度か聞かれている。

 足が不自由なのに、どうしてここまでは絶対に手伝ってもらおうとしないのか。

 そこ以外は何でも共有するのに、何故皆のように一緒に入ったりしない?

「……」

 皆には、傷口を何度か見られている。

 右足は、苛立った時の八つ当たりのように、自分の雷撃で焼き切ろうとした。

 その時の後遺症で、右足は太腿から脛当たりまで見るも無残な火傷の跡が残ってる。

 よくそれで無事だったと思うが、無事じゃないのだ。

 のちの治療で、無理矢理機能を回復させてしまったサナトリウムの人達には感謝している。

 医学に関しては現実世界よりも発達しているようだったし、今じゃ足としての役目は回復している。

 然し、やけどの傷跡までは消すことはできなかった。治療で出来た傷跡もある。

 正直、この子達に見る度に悲痛な表情をさせる足を見せたくはない。

 私の新しいコンプレックスとでも言おうか。惨たらしい右足。

 この足をこの子達に見せたくないから、一人で入浴する。治っていても痛々しいから。

「アリス」

「…………」

 グレーテルが苦い顔で指摘する。

 視線は、私の足に行っていた。

 そういうことだ。見せたくない。

 アリスはやれやれと肩を竦めて、黙る私に言った。

「亜夜ってさ、変に気を遣うよね。アレから結構経ってるじゃない」

「そうですが……」

 見れば、私を見る目は何というか……なにこの表情。

 妙に甘えたそうな顔をしているのはなぜだ。

「ねー亜夜。そういうことも遠慮しないで。一人で大変なの知ってるんだから。そういうことも手伝わせてよ」

「……ですが」

「なによ。あたしのお願い聞いてくれないの?」

 傷が目立つ。だからどうした。

 それだって結局はみんなのためにしたこと。

 アリスはこう言いたいのだ。そんなこと言わないで手伝わせて欲しい。

 最早家族同然の私達に、淋しいことは言わないで、と。

 くっ!

 拒否されているからって、甘えて落とそうとするなんて……何て姑息な!

 悪い子になってしまった私のアリスが!

「ラプンツェルも一緒にお風呂入りたいよー?」

 ああ、無邪気に援軍に入りやがったラプンツェル!

 やめて、そんな甘えたそうな顔で言わないで!!

 私の心が悲鳴を上げてしまう!!

「亜夜さん。観念したほうがいいって。負けだよ」

 グレーテル直々の降伏勧告だと!?

 負けを認めろというのか、お姉ちゃんである私に!?

「……」

 マーチは何というか、無言の圧力。

 お願いします、みたいな視線で見てくる。

 ぐああああああーーーーーーーー!!

 死ぬ、私の心が死ぬッ!! 萌え死ぬ!!

 なんて可愛いことを言うんだこの子達は!!

 こうなったらいいだろう、陥落してやろうではないか。

 私の負けを認め、それであの子達が喜ぶなら私は負けを選ぶ!

 私のシスコン舐めるなァ!!

「……分かりました。観念しますよ」

 してくれるんなら、それでいいよもう。

 どうせ気にしたって無駄なんだろうし。

 みんながいいなら私もいいです、そうしてください。

 呆気なく負けた。どうせ私なんて……。

「そ。あたしは亜夜の全部、知りたいの。あたしも頼って、頼るから」

「……はいはい」

 甘え上手め。私を手篭にしてどうする気だ。どうもしないか。

 こうして私はみんなと初めて、お風呂を同席することになった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わーい! 亜夜とお風呂だあー!」

 ラプンツェルのあのはしゃぎよう。

 何時もは私は服を着て、頭を洗うだけだものね。

 あくまで手伝いだけだったし、最近はみんなもやってくれていた。

 おけの中にタオルだ着替えだを入れた袋を突っ込んで、サナトリウムの中を移動開始。

 外は無理でも大浴場なら別にいい。今の時間は誰も使ってないし、清掃も終わっているだろう。

 ということで、夕方に一度目のお風呂のお時間になりました。

 夕飯後はみんな各自の部屋以外の広いお風呂を求めて入ってくるから、時間が半端なほうがいい。

「部屋のでもいいんだけど、狭いもんね」

「そうよね……。亜夜、毎回ぶつけて入ってたんでしょ?」

「まぁ、そうなりますね」

「大丈夫、だったんですか……?」

 ラプンツェルを追いかけるようについていく私達。

 一番奥にある大浴場まで向かう道中、逢いたくない奴に出会った。

「……あの子はしゃいでるけど、何してんだ?」

 廊下の掃除をしていたエロ狼だった。

 いけない、お風呂を覗かれる可能性が出てきてしまった。こいつなら有り得る。

 阻止せねばならない。立ち止まり、指示。

「アリス」

「ええ」

 私が呼ぶと、アリスは懐から内線の子機を取り出した。

 対エロ狼用最終兵器を使う時が来た。

 アリスはとある番号を押して、耳に当てる。

『もしもし、この番号はアリス? どうしたの?』

 ワンコールで出たのは赤ずきん。彼女への直接通じる非常用コールだ。

「ごめん、あんたんところの担当が、あたしらのお風呂覗こうとしてるんだけど」

「!?」

 アリスの捏造に、目を見開く狼。

 悪い可能性は摘み取るべきなのだ。

 可能性に覗かれるなんて、冗談ではない!

『……そ。分かったわ、一分でそっち行くから待ってて』

 クールを通り越してドライな声で、赤ずきんは電話を切る。

 途端、慌てふためく眼鏡こと雅堂。ここで出会ったのが運の尽き。

「ちょ、何してくれてんのいきなりッ!?」

「……」

 仕方ないではないか。

 身を守るためには、可能性のケダモノは排除しないといけないのだ。

 じゃないと怖いもの。色々な意味で男として信用してないし。

「言いたいことは分かったけどそれ捏造だよね、濡れ衣だよね! またこのオチ!?」

 そうか、それが遺言か。

 雅堂の後ろには真っ赤な頭巾をかぶる死神が包丁構えて目から真紅の変な光を放って立ってるよ。

「こっちにこないで変態。死ねばいいのに」

「というか死になさいよエロ狼」

「……」

 三人とも嫌いだし。睨んでいる私達は悪くない。

 この結末は不可避ということで死ね雅堂。

「ちょっと、何してんのあんた」

「ひぃっ!?」

 うなじをつかんだ赤ずきんが冷える声で聞いた。

 硬直する眼鏡。いいぞそのまま居なくなれ。

「何、覗き? 仕事中に発情とかあんたは盛りきてる猫ってわけ?」

「ち、ちが……」

「血が? 血が何よ? 血を流したいならそうしてあげるけど?」

 死神が行っていいと合図を送る。そのまま私達は行かせてもらおう。

 背後で人でなしと罵られたが、バカめ。死期を早めたな。

「要は血を流したい、と。いい加減にしなさいよこのド変態」

「違いますッ!!」

「血がいますっ? 血が目の前にいるの? だけど残念、それはあんたの血よ!」 

 何か潰される音がした。

「ぎゃアーーーーーーーーッ!!」

 よし死んだ。ざまあみろ。これで狼は排除した。

 安心してお風呂に入れるね。さて、と気を取り直して大浴場に向かっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 脱衣所に到着する。

 やはり誰もいなかった。時間的に半端だから当然だろう。

 で、脱衣カゴに入れずに服を脱ぎ散らかして突撃していったラプンツェルの服を私が片付ける。

 ハイテンションだなぁ……。

 念の為、風呂場には使用中の札を下げて施錠した。

 あのバカ狼が来た場合、速攻で通報してやる為念入りに即興で鳴子も作った。

 これで安全だ。それでも何かしたら私は呪殺してやろう。

 私は車椅子を停止して、一番低い所にあるカゴに座ったまま服を脱ぐ。

 アリスやグレーテルもさっさと服を脱いで、ハンドタオルで前を隠す。

「お、女同士でも流石に恥ずかしいし」

「羞恥心は大切だよね……」

 二人して、あっちの方向を見ていた。着替えを見るのは確かに失礼である。

 マーチは厚着していた分、時間が掛かったが終わるとまっててくれた。

 私が一番手間がかかる。なんとか座ったまま全裸になって、荷物を用意。

「すいません、お願いします」

「オッケー」

 足が動かないから、普段なら椅子から前のめりに墜落して這いずって移動するのだ。

 まぁ、汚くなるのは仕方ない。車椅子をギリギリまで距離を詰めているから、そこまで濡れない。

 二人に手伝ってもらって、浴室まで運んでもらった。マーチには荷物を頼んだ。

 誰かしらと入ったほうが早い早い。何か立場が逆な気がするけど。

 浴室は滑りやすいため、椅子に腰掛けそのまま無理矢理引き摺って移動。行儀悪いな私って。

「にゃはははははははは!! 広いひろい!!」

 ラプンツェルってば大きいお風呂だからって、愉しそうに泳いでる。

 あーあー、髪の毛が水吸って海藻みたいに広がってる。

 身体を流して、私達も湯船に入る。

「あまり遊ばないでくださいね、ラプンツェル」

「やれやれ……。お子様はいいわねえ……」

 無色透明のお風呂は多分効能などはない。単なるお湯だ。

 私のそばに寄ってきたみんなは、件の足を見下ろす。

 私の足は、特有の傷跡になっている。ケロイド、というやつだ。

 見ていて痛々しさだけが広範囲に残っている。人前には、出せないだろう。

 私のやったことの証がこれだ。ま、今があるからそこまで悲観的になるのをやめよう。

「うー……」

 やっぱ広いお風呂はいい。日々の疲れが癒される。

 みんな溶けたような顔してる。あー、幸せ。

 ……今思えば、こっちに来てから結構経つ。

 現実世界のお父さん、お母さんは元気だろうか。

 久しく会ってないから、寂しいなぁ……。

 ここは夢の中で、現実の私は自覚なく動いているという話だった。

 つまりは現実の世界では現実の世界で、進んでいるということか。

 こちらの時間経過がどの程度か知らないけど、大事があれば何か知らせてくれるだろう。

 家族の話も、私はしてない。みんな、家族のことはあまり話したくないだろうし。

 私にも兄妹はいないし、仲の良い友人もいない。

 ああ、でもあの子は元気にしてるだろうか。

 私を先輩先輩って、無邪気に懐いていてくれた後輩。

 無愛想に対応しても子犬のようにじゃれてきた子がいる。

 私も次第に、なし崩し的に先輩面するようになったっけ。

 懐かしい。全部、懐かしい。あの世界はどうなっているんだろうか。

 そろそろ、本腰入れるか……。この居心地の良い生活もいいけど。

 もう、終わりも近いんだろうし。最終地点が見えてきたんだ。

 だから、頑張ろう。私の幸せも視野にいれた、私たちの幸せの為に。



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壊れてしまった主人公

 

 

 

 

「…………」

 ――呼吸を整える。ゆっくりと、目を開ける。

 ……やった。とうとう、やった。

 私は……成し遂げたのだ。これで、終わった。先ずは、一人目。

 漸く、一人目だ。解除……完了。

 四つの課せられた使命のうち、一つ目を終わらせた。

 不思議の国で辛い経験をした迷い子の女の子。

 成長してからもずっとずっと苦しんでいた彼女は、こうして無事に救われました。

 私に出来る、命懸けの精一杯をしたつもりだ。

 これで、もう……苦しまずに済む。

 彼女(アリス)は……『ふつうの女の子』になったのだ。

 

 

 

 

 この日。

 

 

 

 『不思議の国のアリス』は、完結した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。魔女は、何時まで経っても中々目覚めなかった。

 不審に思った同居人が調べると、酷い高熱を出していた。

 慌てて介抱し、医者を連れてきた。

 検査の結果、とても消耗していたせいで、風邪をひいたということだった。

 風邪薬を飲んで寝ていれば治るとのこと。

「……どうしたの?」

 ここのところ、無理をしていたのを見ていないのに。

 アリスが不思議そうに聞くと、何処か嬉しそうに魔女はアリスを見ていた。

 そして、こう切り出した。検査を受けてきて、と。

 検査とは呪いの検査のこと。定期検査は確かにその日だった。

 首を傾げつつ、アリスは予定通り検査に向かった。

 そして、彼女が嬉しそうにしていた理由を知る。

 

 

 

 

 ――アリスの『呪い』が、完全に消滅していることに。

 

 

 

 担当の女医は思わずアリスを抱きしめるほど大喜びした。

 とうとう、アリスを長年苦しめた『呪い』が消滅したのだ。

 それを喜ばずしていつ喜ぶのか。

 アリスは抱きしめられる間、実感がわかなかった。

 呪いが消えた。それは、喜ばしいことだ。

 誰もが待ち望んでいることだったのだ。

 でも最近は、ずっと安定していたから……特に気にしてなかった。

 一時期はあれ程苦悩していたのに……。

 気が付いたら、それ自体が無かったことになっていた。

 アリスの精神はずっと一定を保っていたから。

 症状は治まり、もうこれでサナトリウムにいる必要もなくなった。

 自宅に戻ってももう大丈夫。そのための手続きを始める。

 その言葉だけは、呆然としていたアリスにも聞こえた。

 

 サナトリウムにいる必要がない?

 

 サナトリウムから、出て行け?

 

 亜夜と、離れ離れになる……?

 

 

 呪いは消えた。サナトリウムは呪いがないと居られない。

 ここから居なくなれ。唯一の居場所が無くなった。

 亜夜と離れ離れになる。帰りたくない場所に送還される。

 

 

 

 

 ――呪いが消えたのは嬉しいのに、どうして苦しいの?

 ――もうここにはいちゃいけないってこと?

 ――じゃあ結局、これからどこに行けばいいの?

 

 

 

 

 ――アリス(あたし)の居場所は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ぁ、ああ……っ? あ、うああああああああああぁあああああぁあああぁあああああっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――アリスが、壊れた。目を背けていた現実に、精神の均衡が派手な音をさせて崩れていく。

 心の拠り所にしていたサナトリウムという場所を追い出されそうになったこと。

 家族に蔑ろにされた過去、帰りたくないという想い。

 何よりも。一緒にいたいとあれ程願い続けた亜夜への依存、執着心。

 その全てを、医者たちに奪われそうになった。壊されそうになった。

 頭を抱えて絶叫する。呪い以前に、ずっとアリスの心を支えていた柱がへし折れたのだ。

 錯乱したアリスは、壊れた。部屋から飛び出して、逃げ出した。

 ハイライトを失い、瞳孔が開く。生気が、消えた。

 どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてッ!?

 いやだ。

 いやだいやダイヤだイヤダ嫌だイやだいヤダ嫌だッ!!

 亜夜から離れるのだけは嫌だ。

 離れたくない離れたくない。

 ずっと一緒ずっと一緒ズット一緒いっしょイッショいっショ。

 何でみんな離れるの!?

 何でみんな居なくなるの!?

 何でみんなあたしが悪いっていうの!?

 何でみんなあたしがおかしいっていうの!?

 何でみんな連れていってくれないの!?

 何でみんなあたしが狂っているっていうの!?

 誰を信じればいいの!? 誰を頼ればいいの!?

 嘘ダウソダウソダウソだ嘘だうそだうそだうそだ!!

 呪いが消えたなんて嘘だ! まだ残ってる!!

 こんなにあたしは苦しんでいるのに!!

 勝手なこと言ってるんだ! 嘘をついてあたしを追い出そうとしているんだ!!

 あたしが邪魔だから迫害しようとしてるんだ!! あいつらが、あいつらが!!

 

 

 

 

 

 

 ――あいつらが、あたしから亜夜を奪おうとするんだッ!!

 ――奪われるくらいなら、あのバケモノみたいに殺してやるッ!! 

 ――亜夜は、あたしの……あたしの。

 

 

 

 

 ――あたしの、たった一つの望みなんだからァッ!!

 

 

 

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊急事態が発生した。入所している子供が一人、暴れ出した。

 見えない刃で職員や医者を無差別に襲いかかっている。

 その通報を受けたとき、部屋にいた彼女らは戦慄した。

 ……今度は内部の反応だった。誰かが暴れている。

 外は危険だと、解熱剤で熱を下げていた亜夜が起き上がる。

 今、外にはアリスがいる。助けにいかなければ。

 誰だか知らないが、アリスに危害を加える可能性がある。

 フラフラしているのに、亜夜は出ていこうとする。

「亜夜さん、無理はしないで!」

「大丈夫です。薬は効いていますから」

 グレーテルが必死に止めても、聞きやしない。

 みんな平等に扱うから、危機が迫れば飛んでいく。

 戻ってくるまで決して部屋から出るなと言いつけて、亜夜は車椅子に乗っかって飛び出していった。

 まだ熱っぽいし、頭は重い。無理をしすぎたせいで、身体が消耗している。

 でも、アリスが漸く救われたのだ。こんなところで、死なせるわけにはいかない。

(まだ……持ってくださいよ、私の身体……)

 壊れそうなバランスで生きているのだ。動けるうちは負けじゃない。

 亜夜は大騒ぎのサナトリウムの中、一人でアリスのいる病室に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 ――どうして、みんなであたしをいじめるの?

 ただ、あたしは亜夜と一緒にいたいだけなの。

 追い出されたくないだけなの。家に帰りたくないだけなの。

 あたしは正常なの。あたしは狂ってなんかいないの。

 ただ、ここにいたいの。居場所が欲しいだけなの。

 邪魔しないでよ。あたしは、あたしの敵を排除する。

 あたしの事を貶めようとした連中を、始末するよ?

「やめろ、やめるんだアリスッ!!」

 なんでやめるのよ。五月蝿い狼ね。

 そいつらはあたしを騙して……追い出そうとしたの。

 加害者はそいつらよ。あたしは被害者じゃない。

 何で反撃しちゃいけないのよ。あたしがいけないみたいなこと言わないでよ。

 何処が悪いわけ? あたしの何が間違ってるっていいたいの?

 あたしを騙そうとしたのはそっち。あたしは騙されない。

 あたしの『呪い』はこうしてまだ、存在しているじゃない。

 あたしはここにいてもいいんじゃない。

「そんな、検査では呪いの反応なんて出ていないのに……。どうしてこんなコトを……」

 ライムとかいう看護師が何か言ってる。

 知らないわよそんなこと。あたしは間違ってないわ。

「あたしは……まだ、呪われているじゃない。何で、帰らないといけないのよ?」

 狼が何か叫んでいる。あたしは、間違ってないのに。

「だから……お前の呪いはもうないんだよ!! わからないのか!?」

「わからないわ。じゃあどうして、今あたしは苦しいの」

「それこそ僕が聞きたいよ! どうしたって言うんだ、アリス!?」

「……ウソツキ。あんただって、やっぱりあたしを追い出そうとする」

 みんな敵だ。亜夜をあたしから奪おうとするんだ。

 あたしは、こんなに苦しいのに。助けてくれもしない。

 仕事だって言うなら、助けてよ。あたし、まだ平気じゃないわ。

 あたしは苦しいのに、みんなであたしを追い詰めてるのはどうして。

 みんな、チェシャ猫みたいに……あたしを惑わそうというの?

 なら、上等じゃない。あたしは、負けない。

 全部、あたしの敵は殺してやる。殺して、あたしはここにいるんだ。

 追い出されてたまるか。ここしかあたしにはもう残ってない。

 あたしの居場所はもう……ここしかないんだから!!

「邪魔しないでよォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何を、してるんですか」

 私が見た光景は、悲惨なものだった。廊下、だった。私が見た場所は。

 アリスを探して、アリスを護るために私は急いだはずなのに。

 ……アリスがどうして倒れているんだ。

 私の予想を大きく超えた惨劇が目の前にあるんだ。

「一ノ瀬……?」

 アリスが倒れている。血塗れで。ぐったり項垂れて、壁に寄りかかって。

 どうして? アリスが、どうしてそんなに血塗れなのですか?

 アリスの目の前には、血の滴る刀を持った雅堂がいる。

 アリスはいつも着ているエプロンドレスを真っ赤に染めている。

 袈裟懸けに、紅いシミは広がっていた。

「一ノ瀬聞いてくれ、アリスが」

 雅堂が、やったのか……?

 この男が、アリスを……?

 アリスを、傷つけたのか?

「アリスに、何をしたんですか」

 嗚呼。折角、私は頑張ったのに。

 どうして、こんなことになっているの?

 アリス。私の愛しいアリス。

 最初は素っ気なかったけれど、優しかったあの子が。

 打ち解けて、恥ずかしそうに私を頼ってくれたあの子が。

 私と共にいたいと照れくさそうに言ってくれたあの子が。

 血塗れに、チマミレニ。血達磨に、チダルマニ。

 血の池に、血の海に、沈んでいる。

 ……死んじゃった? アリス、死んじゃったの……?

 私は護れなかったのか? 私は、何も出来なかったのか?

 

 

 ……………………誰だ。

 

 

 誰だ、私のアリスをこんな目に合わせたのは。

「……一ノ瀬、僕の話を聴いてるか?」

 こいつか。こいつだというのか?

 こいつが、アリスを……。

 

 

 私のアリスを!!

 アリスを、殺したのかッ!!

 

 

 

「ガドオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッ!!!!」

 

 

 

 ゆるせない。ユルセナイ。許せないッ!!

 私のアリスを!! 私をアリスを、あんな目に!!

 アリスを返せッ!! お前だけは許さない雅堂ォ!!

 どんなことをしてでも、殺すッ!!

 アリスを奪ったお前だけは殺すッ!!

 

 

 

 

 

 

 ――殺してやるッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔女までもが、本当に災厄となった。

 アリスが突如錯乱し、医者を襲撃。

 ガラスの剣で、医者は看護師を次々切り殺そうとするも得物を持った雅堂が乱入。

 寸前で事なきを得たが、雅堂の説得虚しく壮絶な殺し合いに発展。止む無く、防戦一方だった雅堂が反撃。

 力加減をまたも間違えて、アリスは負傷。

 然し痛みを感じないのか、全く怯まないため雅堂は応戦した。

 その結果、鍛えていた雅堂相手にアリスが勝てるわけもなく撃退。

 斬撃が直撃したアリスは、漸く沈黙をした。

 そして、間が悪い状態で担当の魔女が現場を目撃。

 雅堂がアリスを殺したと早合点して、護るかのように攻撃を開始した。

 簡潔に纏めれば、こういうことだ。

 アリスの呪いは消えていたはず。

 今になり精神の均衡がなぜ崩れたのか、医者には理解出来なかった。

 常常、アリスは言っていた。

 離れたくない。置いてけぼりは嫌だ。

 ずっと一緒がいい。今が、一番幸せだと。

 それを知らなかった医者が、全てを踏み躙るようにアリスを追い詰めた。

 悲劇が重なってしまったのだ。結果、アリスは発狂。

 ヤケクソになり、暴力という最後の手段を用いて必死に居場所を守ろうとした。

 撃退されて、激痛と失血で意識が混濁する中、辛うじてアリスは覚醒し重たい瞼を上げた。

「ガァァァアアドォォォオオオオオオッ!!」

「一ノ瀬、話を聞け!! アリスが」

「死ィねぇええェエェエッ!!」

「クソッ、こっちもダメかよ!?」

 怒り狂う魔女が翼を広げて、雷撃で敵対者を殺そうとしていた。

 その背中を見つめ、アリスは悟る。ああ、やはり来てくれた。

 どんな時でも、亜夜だけは味方でいてくれる。助けに来てくれたんだ。

 アリスも、亜夜を護る。護られるだけじゃない。助け、ないと……。

 まだ、アリスは……戦える。

「ぁ……や……」

 もう、熱と麻痺で意識なんて薄れている。

 動ければいい。あと一度、一度だけでもあいつを攻撃出来れば。

 亜夜なら、倒してくれる。加勢、しなければ。

「アリス……? アリスッ!!」

 微かな呻き声に気がついて、攻撃をやめて亜夜はアリスに駆け寄った。

 倒れるアリスに、着地できずに墜落しながら、血の池を這いずって。

「アリス、大丈夫ですかッ!? 意識をしっかり持ってください!」

 全身、二人とも鉄臭いニオイが染み付いた。

 床の赤さに負けない妖しい紅の目は、涙すら浮かべている。

「ごめんなさい……私が間に合わないばかりにこんなことに……。私が死んでも、アリスだけは守りますから!」

 アリスを抱きしめて号泣する亜夜。人をやめてまで護ろうとした愛しい少女。

 それが、同じ職員によって奪われるという油断。

 早く助けたい。だけれど、敵がいる。敵に止めを刺されるまえに、早く殺さないと。

 怒りは憎しみとなり、魔女を滾らせ災禍を呼ぶ。

「雅堂ォッ! よくも、よくもアリスをォ……!」

 もうこうなると、亜夜も話を聞かない。

 以前より、愛しい彼女達に危害を加えられると烈火の如く怒りを表していた。

 普段こそ、愛しい少女達には無償の愛を見せていた亜夜。

 他の人と言えば、子供達には優しいお姉さん、職員には子供馬鹿と言った風にしか見られなかった。

 どちらかというと知的で理性的で、余裕が常にあるような雰囲気だった。

 亜夜の秘めている狂愛、狂熱を誰も垣間見たことがなかったのだ。

 連れ去られたとき。笛吹きのとき。怒り狂う彼女は常に人のいないところでしか怒らなかった。

 見せたことのあるのは、みなの為に魔女になったとき。知らず知らず、彼女は壊れていった。

 それでも、対象はあくまで彼女達。職員を脅してはいたが、結局何もしなかった。

 それが今、初めて。溜め込んでいた生の感情を全開にした。

 周りが思っていた以上に、亜夜はみなを愛していた。

 少なくても生命を賭けて、理性を崩して狂い、顧みないで進むほどには。

「一ノ瀬……」

 何故だか、雅堂は憎悪で狂う魔女を見て、悲しくなった。

 あいつは、子供たちの味方だった。

 どんな時でも、子供達を第一としてきた。

 ……と。雅堂も含めて周囲は、勘違いしていたのだ。

 今、悟った。理解してしまった。

 あいつの本当は、あの子達だけの味方だった。

 アリス、グレーテル、ラプンツェル、マーチ。

 あの四人だけを優先して、そのついでに周りも救っていただけ。

 彼女の心の中には、あの子達しかいない。

 子供達の味方? それはただの副産物。

 亜夜は……魔女は。混ざりものだったとしても魔女でしか無かった。

 皆のために、今まで築いてきた全てをぶち壊しても厭わず迷わない思考回路。

「お前は……」

 勝ち目なんてないことも分かっていないだろう。

 冷静さを失った彼女は呪いを紡ぐこともしない。

 闇雲に電撃を放ち、ただ護ろうとしているだけだ。

 それが消耗を加速させていて、既に彼女はフラフラだった。

 薬が効いていても高熱を出している状態には変わらない。

 狂っている。亜夜は、狂っている。狂ったまま今まで生きてきた。

 それに気がつかなかったのは彼女がその一面を見せなかったからに過ぎない。

 分かったからには、言う言葉はない。

「いいさ、言ってダメなら。続けようか。僕が悪者でいい。でも死ぬぞ、お前」

「死んでもいいです。アリスが助かるなら、私は喜んで死にます」

 折角考えが変わってきていたのに、また逆戻り。

 破滅と引き換えの救済。滅びと引き換えの守護。

 口から流れ出ている。吐血した亜夜は、咳き込み睨んでくる。

 目線が安定せず、泳いでいるのに敵意は勢いを増していくばかり。

 アリスも本質は同じだったのか。

 袈裟懸けにばっさりと切られているのに、立ち上がった。

「クソ、狼……。亜夜を……殺させ……なぃゎ……」

 失血死していてもおかしくない量の血を流しているのに、気力だけで剣を構えた。

 傷口から更なる出血があるのに、なぜ立てるんだ。手負いの獣程、手に負えないモノはない。

 疲弊している魔女と死にかけの狂人。殺意に迷いはない。

 雅堂の方が気迫で負けていた。

 知り合いを切り殺すのに躊躇いを覚えるぐらいには彼はまともだった。

 ライムはとっくに避難している。雅堂一人で、二人を相手できるのか。

「いいよ、どうせ。恨まれ役、買ってやる。ほら、憎いんだろ? 殺しに来いよ! じゃないと殺すぞ!」

 脅し上げて、早めに終わらせよう。それが唯一、彼のできる慈悲だから。

 刀を構えて、もう一度。せめて楽にして今は眠らせてみせよう。

 雅堂は、瀕死のボロボロの二人に……決意の刃を、振り下ろしたのだった……。



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堕落アリスの未来予想図

 

 

 ――とある少女の、過去話をしよう。

 これは、語られないこの世界の『不思議の国のアリス』の物語の始まり。

 アリスは良家に次女として生まれた。ごくごく普通の女の子だった。

 アリスには年の離れた、良く出来た姉がいた。

 何をやらせても人並み以上にしてしまう、俗な言い方をすると天才だった。

 対してアリスは凡才以下で、いつも出来の良い姉と比べられて肩身が狭かった。

 姉の真似をしても大抵が失敗で、姉や両親はアリスのそんな不器用なところを見て溜息ばかり。

 小さな頃から、英才教育とやらをされたがアリスは才能のない人間でしかない。

 姉と同じやり方で賢くなれるわけがなかった。アリスと姉は違うのだ。

 その過程をすっ飛ばして結果だけを与えて出来る姉とは根本が異なる。

 両親はそれが分からなかった。姉はできた。なのに何故(アリス)は出来ないのか?

 だってアリスと姉は、そもそも別人だ。血が繋がっているだけで、違う人間なのだ。

 何でそんな簡単なことがわからないのか。

 諦めた両親は姉ばかりを優先するようになった。

 そんな頃には、アリスは既に『居場所』が無かった。

 アリスなんて居なくていい。

 アリスなんて必要ない。

 アリスは、出来損ないの失敗作。

 母親が嘆いているところを何度も見た。

 父親はアリスを何処かにやる方法まで考えていた。

 二人に必要なのは姉だけで、アリスは厄介もの。

 見ているその度、自分の何が悪いのか分からないまま辛くなった。

 アリスはそんな時、不思議な時計を持つ兎を見つけて追いかける。

 ……これが全ての不幸の始まりだった。

 そこからは広く知られているアリスの物語。

 ただ、途中で鏡の世界が混じったり、アリスが幼少時に経験してしまう壮絶な出来事が含まれているが。

 結局最後はアリスはハートの女王に殺されそうになり、トランプの兵隊を相手に孤軍奮闘した。

 大きくなれるキノコなんて便利なアイテムはなく、ガラスの剣でただ切り捨てていった。

 死にたくない、その思いだけで何枚のトランプ兵を殺したのか。

 ……皆殺しにしたときには、返り血を浴びた幼いアリスは泣きじゃくり、鉄臭い池の中央に突っ立っていた。

 ワガママな女王は尚も刺客を仕向けて、嫌になったアリスが逃げ出して、散々逃げ回ったが最終的に殺される寸前で彼女は目を覚ました。

 夢オチだった。なら、良かった。だが彼女の物語は夢ではなかった。

 彼女は現実世界では行方不明になっていた。

 しかも彼女が見つかったところには大きな血のシミが出来上がっていた。

 上から虐殺し、その血をバケツか何かに入れて盛大にぶちまけたかのような大きなシミのど真ん中。

 そこで幼いアリスは頭から血塗れで、眠るように横たわっていたのだ。

 当然、大騒ぎになる。両親は疲れたような顔で、何度も警察の事情聴取を受けた。

 アリスも何があったのか、必死に覚えている限りを説明した。

 無論、信憑性は皆無。信じてもらえる訳がない。

 だが、同時にあの多量の血痕も説明できない。

 結局事件は迷宮入り。幼いアリスは異常者扱いされて、家に戻された。

 戻されても、誰もアリスの事を聞いてくれなくなった。

 アリスは家族から見放されて、形だけの家族となって遠くに追いやられた。

 孤立、孤独を長い間受け続けたアリスは人を信じることができなくなっていった。

 みんな裏切る。みんな見捨てる。みんな置いていく。

 みんなアリスが悪いっていう。アリスが狂ってるっていう。

 アリスの自我の許容範囲はあっさり限界を超えた。

 その頃からだった。アリスの情緒不安定が加速化し、癇癪を起こすようになったのは。

 堪えかねた両親が検査をしたら案の定、何処からか魔女の呪いを拾ってきて受けている。

 これ幸いと、アリスの両親は小さい頃のアリスを現在のサナトリウムにぶち込んだのだ。

 厄介払い出来たと大喜びして、両親の晴れやかな顔を見たとき小さなアリスは悟った。

 

 そっか、アリスは何処にも居ちゃいけないんだ。

 

 悲しい、現実だった。アリスの居場所は、最初から無かったに等しい。

 サナトリウムの中に入所する子供の中で、アリスは古株だ。

 人生の半分以上をここにいる。ここでないと、もう生きられない。

 何年も家族の顔なんて見ていない。面会? 来る訳がないのだ。

 成長したアリスにとって、亜夜に出会う前までの人生は悪夢そのものだった。

 小さい頃のトラウマをもう一度味わうのは嫌だった。

 だから周囲に攻撃して人を寄せ付けず、自分が傷つくことを避けていた。

 そうすることでしか、身の守り方を分からなかった。

(亜夜……ごめんなさい。あたし、とんでもないことしちゃった……)

 自分で自分の居場所を壊してしまった。

 錯乱し、医者を殺そうとした。

 振り返るように自分の過去を眺める夢を見た。

 見返してみればろくな人生じゃない。親はいても勘当もいいところ。

 姉はどうせ今頃幸せに暮らしているんだろう。

 自分だけが除け者にされて、愛されることも愛することも知らずに育って、この様だ。

(何か……生きるの、嫌になっちゃった……)

 もう、やっちゃあいけないことまで仕出かしたんだ。

 どうせ、追い出されるだろう。人殺し未遂までしたんだ。

 突き出すところに突き出されて、冷たい牢獄行きか。

 どの道、亜夜とは離れ離れ。だったら……もうこの世界に、未練はない。

 

 

 

 

 

 ――死のうかしら。

 

 

 

 

 

 生きるのに疲れた。生きる理由も生きる場所もない。

 だったら、全部投げ出して楽になろう。それがいい気がする。

 何で何時までも生きることに縋るんだろう。

 どうせ、もう何も残ってない。ならば生きる理由がない。

 自分の言動で全部失ったんだ。最期に、自分も失ってしまおうか。

 楽になりたい。苦しいのは嫌。もう何もかも投げ出したい。

(…………死ねば、楽になれるのよね…………)

 これからの未来なんて、もう考えるのも面倒くさい。

 亜夜のいない世界に、価値はない。

 唯一愛してくれた亜夜がいないならもうどうでもいい。

 このまま……消えて、しまおうか。

 アリスは立体映像のように流れる自分の走馬灯を一人孤独にお茶会をしながら眺めていた。

 誰もいない空席の、寂しいお茶会に一人だけ、アリスは座っていた。

 暖かい紅茶も、美味しそうなクッキーも、誰も分かち合えずに一人で楽しめと言われたみたい。

 退屈そうな顔で頬杖をしたアリスが見ている、客観視した自分の姿。

 下らない。本当に下らない。生きるって、くだらない。

 生きる価値なんて最初からアリスにはなかったんだ。

 生きる場所なんて何処にもアリスにはなかったんだ。

 もう、いいよね? 諦めて、死んでも……。

 救いを求めても、いいよね……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ダメですいやです却下です受け付けませんッ!!

 ――そんなこと、私は絶対に認めませんよアリスッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死んだような目で紅茶を飲み終えたアリスが、白い椅子から立ち上がろうとする。

 その手を、何時の間にか隣にいた誰かが掴んで引っ張った。

「えっ……?」

 吃驚したアリスがその方向を見る。

 そこに座る、自分よりも儚く弱そうな少女がいた。

 強気の表情で、ニヤッと紅い瞳で彼女を見上げ微笑んでいた。

「勝手に死ぬとか、お姉ちゃんが許しません。私がアリスのお姉ちゃんです。お姉ちゃんの許可を得てからにしてください。それでもって、認めませんのであしからず」

「……!」

 本当の姉の顔は、もう思い出せない。

 姉、と呼ばれて思い出せるその顔は……。

「誰が何と言おうと私が、私だけがアリスの姉です。血縁とか知りません。どうせ必要のないアリスの生命、だったら私が全部掻っ攫って強奪してやりましょう」

 ほの暗い声で、実の家族から少女を奪おうとしている、邪悪な人類史のアンチテーゼ。

「望めば、私はいくらでも足掻きますよ。アリスが欲するなら、結末だって書き換えますよ。だって私、魔女ですもの。悪い悪い、邪悪で歪んでいる、自己中心的で災いを撒き散らす魔女ですもの」

 そこにいたのは、亜夜だった。

 ボロボロの姿になりながら、紅い瞳でアリスを見上げ、紫煙を吐き出し蒼い翼を折りたたみ座る。

「……亜夜……。どうして、ここに?」

 これは夢のはずだ。夢なら、求めている亜夜が出てきてもおかしくない。

 でもこの掴まれた腕の感触は、亜夜が本当にここにいると直感させる。

 亜夜は、アリスを引っ張り無理矢理着席させた。二人きりのお茶会は、まだ続くのだから。

「ここはアリスの呪いの根本。夢だと思っているようですけど」

「……えっ?」

 よく分からない事を残っていたクッキーを貪りながら亜夜は説明する。

「アリス、取り敢えず紅茶のおかわりください。疲れたのでのどが渇いたんです」

「……いや、何であんたがここにいるのか答えなさいよ」

「私が魔女だからですよ?」

「意味わかんないし!!」

 とか言いつつ、紅茶のお代わりを注ぐ。

 亜夜は能天気に、熱湯のような紅茶を一気飲みした。

「……魔女は呪いの全てを知ってます。つまり、アリスの呪いだって当然知っているわけですよ。思っていた以上に厄介なようですけどね」

「あっ……」

 それが回答だった。亜夜は半分魔女。

 魔女は呪いを掌握できる。だから、アリスの呪いに干渉できる。

 ここが亜夜の言うとおりなら、今亜夜は外でアリスの中に入ってきている。

「亜夜、あたし……ッ!」

 そうだった。アリスは呪いのせいで錯乱し、暴れて人を……!

 事情を説明しないと、とアリスが慌てて立ち上がる。それを、亜夜は手で制する。

「大丈夫です。そのへんはバカ狼がフォローしてくれました。あと、奴から言伝です。『怪我をさせてごめんなさい。バカずきんにバツとして真面目に去勢されそうなってるから、本当に許してくださいお願いします』だそうです。泣きながら叫んでましたよ。激昂した包丁持った赤ずきんに追い回されてましたし」

「……なんで、あいつが謝るのよ?」

 あいつは正しいことをしたのだ。

 冷静に考えてみれば、医者の安全を護るためにアリスを撃退するのは正しいことだ。

 が、あいつは納得できなかったようである。亜夜は肩を竦めた。

「曰くやろうと思えば、私が駆けつけるまで抑え込み、説得することはできたそうです。実力ではあいつの方が上ですからね。それに、アリスに何かあれば確実に私は来ます。時間さえ稼げればどうとでもなったんです。それをあいつは、事態の収拾に焦り反撃し、アリスに負傷させ挙句には過剰防衛で半殺しにしやがり、私にそれを目撃されついでと言わんばかりに私まで半殺しにして病室送りにしてくれました。判断をミスしたのは奴の仕業。その責は雅堂にあります」

 人のせいにしている。

 アリスのことを雅堂のせいにして、アリスを擁護しているのだ。

「よーするにあいつに責任を押し付けたってわけ……?」

「本人は自分のミスだと言ってましたよ。力加減は間違えるわ、気圧されて手を出してしまっただわ、土下座して謝ってきましたからね。……お人好しにも程があるので、利用させてもらいました。ホントの外道は、私ですよ」

「……ドゲザ?」

「私の地方に伝わる、最大の誠意のある態度です。プライドを捨てて謝罪することですよ」

 分かっているうえで利用した。自覚した上でのことだと、亜夜は言った。

「医師達もそうです。安易に呪いが解けた、などと……」

 苦笑する亜夜に、アリスは呟いた。それが全ての始まりだった。

 呪いは解けてないのに解けたと言われて、自分が壊れて発狂した。

「……そうなの。あたし、まだ……」

「違いますよアリス。貴方の呪いはもう本当に解けているんですよ……さっきまでは、ね」

「……え? 嘘、よね……?」

「いいえ、残念ながら事実です」

 亜夜は、呪いを解いたと告げた。

 何度問い返しても、答えは変わらない。

 含みのある言い方をして、そして続ける。

「一度はこの手で解きました。ですが、再発した。いえ、再生といった方がしっくりくるかと。恐らくは、追い詰められた貴方の精神によって」

「……どういうこと?」

 一度解いているのに、また呪われた?

 魔女はいない。呪う相手がいないのに、何故……?

「アリス。貴方は呪いによって、精神(こころ)を支えられているようでした。呪いと精神の結びつきが強すぎて、一体化しているんじゃないでしょうか。完全に呪いを消去したと思っていた、私の油断です。もう一度調べてみてよくわかりました。アリスの呪いは、魔女をもってしても完全な摘出は不可能。取り除くには心を壊して廃人になるしかないです。私でも手に負えません」

 衝撃的なことを言われた。アリスの心の均衡は、呪いが支えている。

 呪いが、精神に溶け込んでアリスそのものの心を形成している。 

 そう、呪いをかける加害者たる、魔女から宣告されたのだ。

 がちゃん、と持っていたマグカップを落とした。

 落ちた先で、紅茶を零して割れる白いマグ。

 震える指先で、口を押さえた。

「……ちょっと待って。あたしは、じゃあ……」

 つまりは、何か。アリスは、もう。手遅れだったということか?

「ええ。呪いが末期に進んでいます。とっくにアリスは手遅れだったんです。心が強くならない限りは、助かりません」

「…………」

 何時か、呪いから解放される日は来るとは思っていた。

 ずっと苦しかった。ずっと辛かった。

 でも実際、解放されてみたら欠落した精神は壊れて発狂した。

 その理由は、呪いも心……精神の一部だから。

 亜夜が呪いを解いたのは魔女から視える絡まっていた部分であり、根っこの部分は心の領域に入っている。

 そこに手を突っ込むのは、アリスの人格に確実に影響が出る。出来ないこともないが、亜夜はしたくない。

 心の死が分かってるのに誰がそんなことをすると思う?

 医者達は今まで一度も暴れたことのないアリスを心配し、念の為再検査した。

 案の定呪いは消えていなかった。今度はしっかりと結果は異常ありと検出された。

 彼らはどうやら、器具の故障だと思っているようだが、亜夜にはハッキリ見えている。

 アリスの根本的な治療は、不可能だと。

「どうしますか? 多分、精神が成長しない限りは貴方は呪いと向き合って生きていかないといけませんよ」

「…………」

 呪いと共に生きる。弱い心が成長しなければ、ずっとこのまま。

 つまりは別れを、トラウマを乗り越えるくらいの気概がなければダメなのか。

 そんなの……。

「……無理に決まってんでしょ。あたし、色々な人に否定されて、狂ってるって言われて、見捨てられて。それの繰り返しだったの。それで強くなれって、前見て進めって……。他人事だと思って気軽に、酷いこと言わないでよ」

 ……無理だ。挑む前から分かってる。

 結局亜夜一人に執着してこの様だ。こんな奴が、強くなれたらなっている。

 後ろ向きでいい。どうせ、アリスは前向きになれない女だ。

 現実の方はどうやら狼のおかげでフォローされ、医者たちの落ち度を認めてアリスの責任は問われない。

 これで、問題の先延ばしは出来たし、アリスはまだここにいてもいいという判断をくだされた。

 だけれど、アリスの未来は……真っ暗なままだった。

「あたしはどうせ、最後はひとりぼっちよッ!! 家族に捨てられて、友達に捨てられて、あたしのそばには誰もいないッ!! あたしは、あたしはどうせ、狂った帽子屋(マッドハッター)と同じなんでしょ!?」

 ヒステリーを起こして泣いて叫ぶ。それが、アリスの本音。

 どうせこんな面倒な女のところには、誰もいない。

 アリスは、結局、独りぼっち。

 アリスは、誰とも、仲良くできない。

 だってアリスは、頭がおかしいから。一人孤独で、生きていく。

「困りますねェ。そんな連中と一緒にされては」

 ただ『狂っている』この一点という意味なら、この女も負けてはいない。

「……えっ?」

「狂っている? えぇ、その通りです。私も大変、頭のおかしい奴ですけれども何か?」

 アリスが泣き腫らした目で見ると、邪悪な魔女はしれっと言った。

「類は友を呼ぶ、という格言があります。似た人間には似た奴が集まってくるんですよ。例えば、私とか」

 自分を指さして、彼女は言い切った。

「私もまた、狂人と呼ばれる存在なのでしょう。性格的な意味なら、私は一度護ると決めたのなら己を擲ってでも護りますよ。だってそれが私の精神構造ですから」

 彼女は証明している。

 みんなのために人をやめ魔女になり、生命を削り、半身不随になり、右足を焼いた。

 そこまでする破滅の奉仕の理由は、ただ好きになったから。それだけという事で、自分の存在を軽視して。

「保身なんてありません。私は、私の思うままにやった。そしたら、イカレていると雅堂に言われました。ライムさんには異常の極めつけだと指摘されました。その通りですよ。私の内面なんて、みんなの為以外に動いた試しなんてないんです。ついでで何かをしても、最後に帰るのはみんなのところ。ほらアリス、私も狂ってますよ」

「…………」

「狂ってる同士、いいじゃないですか。アリスには私がいます」

 アリスが恐れたのは、亜夜との乖離。亜夜とまで一緒にいたい。

 最初は、純粋だったのに。今では、血腥い想いになってしまった。

 亜夜は何も否定しなかった。アリスを受け入れ、肯定した。

「未来なんてどうでもいいです。先のことは、変わるときに変わるように生きていけばいい。一緒にいられるなら毎日努力して、毎日一緒にいるために工夫して、そんでもってダメなら……別の形を探す。そんなもんですよ、生きていることなんて」

「亜夜……」

 先のことは後で考えればいい。

 毎日毎日、続くように行動すれば意外にどうにかなる。

 自分で自分を追い詰めず、気楽に行こうと亜夜はいう。

 強くなれとも、克服しろとも、何も言わない。

 現状が現状ならそれでいい。別に、困ることもない。

「いざとなったら、私がアリスを誘拐して、眷属にでもしてみましょう。誰も必要としないなら、別に私が貰ってしまってもいいんでしょう?」

 ケラケラ笑って、それはそれで恐ろしいことを言う。せっかくいいコトいっていたのに。

 眷属、魔女の身内。それを良いと少しでも思ってしまったアリスはこの時点で末期だ。

「やめてよ、そんなプロポーズみたいなこと! あたしは人間辞めたくないわよ!?」

 身の危険を感じた。アリスは羞恥と怒りで怒って顔を真っ赤にする。

 愉快そうに、亜夜は笑い続ける。

「頑張ればそういう未来もある、ということです。努力さえしていれば、形を問わなければ、一緒にいるなんてことは存外難しいことでもないってことですよ」

「……」

 言いたいことはわかる。

 亜夜は、一緒でも構わないと言ってくれているのだ。

 ついてくるなら、努力をしてさえいれば受け入れる。

 魔女の眷属。居場所がないのなら、そういう生き方もありかもしれない。

 人として間違った選択肢かもしれない。でも、アリスにはそれが正解でいい。

 魔女というのは人を貶める。だから人類史の天敵。

 アリスは望み喜んで、亜夜の甘い毒に引き寄せられていく。

 アリスにはそれがいい。魔女の毒に犯されて、ただ共にあることも。

 強いて言うなら、魔女のものになりたいと思うのもまた、狂っている証。

 どうせ失うものなんて殆どない人生だ。

 まともに生きられたら、アリスはこんなところにはいない。

 落ちぶれていくというなら、トコトン堕ちていくのもまた一興。

 堕落させられているのを知りながら、アリスは魔女に絆されていく。

「そうね……。あたしには、そういう選択肢もあるってことよね」

 少しだけ、気が楽になった。人として最低だとしたらそれがどうした。

 もう、アリスの周りにいるのは亜夜だけだ。

 一緒にいるみんなだって、きっとそのうちアリスに愛想を尽かす。

 そうしたら、そうしただ。悲しいけど、どうにもできないだろうから。

 アリスには、亜夜がいればそれでいい。友達が出来たら、それもそれでいい。

 今は、それだけ分かれば満足だった。

「未来に、怯えないでいいんですよ。明日は何が何でも来るんです。どんなことをしていようとも」

「そんなもんか……。まぁ、いいわ。呪い持ちなら、呪いと一緒に生きていけばいい。あたしはそれしか多分、出来ないから」

「そんなものです。自分から魔女と一緒にいたいっていう時点で、アリス。貴方は普通じゃないんですよ?」

 蛇のような紅い双眸で亜夜は満足そうに、アリスを見て北叟笑む。

「上等じゃない。どうせあたし、あいつらからすれば狂った(マッド)アリスだもの。ラプンツェルとかグレーテルとか、マーチとは違う。マトモなまま、亜夜と一緒にいたいって想えないならこのままでいい。それがあたしの生き方にすることにしたわ」

 受け入れるっていうのは一つじゃない。

 狂ったものを矯正しないまま、自分はこういう生物だと認識して生きる。

 それを開き直りというのだが、開き直ると人間、ふてぶてしくなるものである。

 アリスのココロは、悪い意味で前向きになった。

「そうですか。じゃあ、もう暴れたりしませんね?」

「しないわよ、なるべくね。狂ってるから分かんないけど」

「頼みますよホント。死にかけの身体に鞭打ってきたんですから」

 互いにダメな職員とダメな子供は、そうしてまた現実世界に帰っていく。

 方法なんて探せばどうにだってなる。それは、魔女の言うとおり。

 アリスが立ち直るのなら、無理強いはしない。

 間違った優しさなのだろう。

 正すことが優しさだとしても亜夜は選ばない。

 だって亜夜は甘い毒をもってみんなを愛する、狂った魔女だから……。



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一の悪人、十の善人

 

 

 

 

 然し、漸く一人目だ。

 随分と時間が掛かってしまった気がする。

 一つ学習したことだが、ただ呪いを解除していけばいいというわけでもなさそうだ。

 アリスのように、精神と一体化していると流石に魔女でもサジを投げるしかないというか。

 無理矢理引き剥がせば心が裂けてしまう。廃人となってしまう。誰がするかそんなこと。

 つまりアリスの呪いは解除できない。でも、物語は終結した。

 何故か? だって、アリスの本当の望みを知ったのだ。

 

 永きに渡り、共にいること。

 

 それがアリスの心からの願い。私との共存。私との共生。

 ……可愛いことを想ってくれる。あの子は本当に可愛い。光栄だよ、アリス。

 そこまで貪欲に求められなんて、頑張ってきた甲斐があったというものだ。

 普通の人間ならばアリスのこの欲望は危険だと、暴走とでも言うんだろう。

 だが生憎と、思考回路がイカレているのが私の本質とでも言える。

 今になって納得する。道理で、私に魔女の素質があるわけだ。

 私は知らずに、こんな狂おしい感情を抱いていたのだ。

 それが魔女の素質としてこの世界で発露した。私は元々、危険な人間だったということだ。

 いいよ、いいんだよアリス。狂うなら一緒に狂おう?

 私も、アリスのこと大好きだから。アリスの一緒に生きたいよ。

 私は否定しない。アリスの心も、アリスの呪いも、アリスの願いも。

 私がどうしてもこの世界に欲しいというなら。

 私は、もう一人の私を作ってでも(、、、、、、、、、、、、)、アリスと一緒にいるから。

 一度ライムさんにでも相談してみるか。私は向こうの世界には、今でも帰りたい。

 でも……少しだけ、心変わりをしてきた。この世界も、悪くない。

 少なくてもここにも、私が欲しいと呪いを再生させるほど狂う女の子がいる。

 この世界で生きるのも……悪くないかな。

 少しだけ、結末を変えてみよう。

 魔女だって、大団円(ハッピーエンド)ぐらい作れる。

 ……まぁ? それが、果たして読者にハッピーエンドと捉えられるかどうかは、さて置きとして。

 でも、私たちは幸せになるよ。

 だから、アリス。私も、一緒にいるために足掻きます。

 世界の垣根を越えて、存在し続ける為に。

 その目で見ていてください。私の作る、エンディングを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 事の顛末をまとめよう。どうせ、暇なのだ。

 先日の出来事は、責任は医者と雅堂に押し付けられた。

 まず医者達の責任。

 真相を知らぬ彼らは、機器の不具合によって呪い状態のアリスを刺激し錯乱させた。

 次に雅堂の責任。言ってしまえば彼は正しい事をした。ただ、正しさだけでは救えなかった。

 彼は対応の不手際に不甲斐なさを感じて、私たちのケガは自らの失態だと発言し、私たちを庇った。

 いや、少し語弊があるか。

 本人は本当に自分の落ち度だと思っているようだったので、私が利用した。

 隠れ蓑として使わせてもらい、私の怪我とアリスの負傷をこいつのせいにした。

 私の暴走は間が悪かったと言い訳をした。普段の言動から、私の言い分には説得力があった。

 私は雅堂がアリスを殺そうとしていた勘違いし、防衛するために襲いかかった。

 その言い分を上層部は、納得したようだった。

 責任を取って雅堂は減給処分を受けて、私たちは無罪放免。

 これぞ、正直者が馬鹿を見る。私達の勝ちだ。

 ……魔女らしいあくどい下衆なやり方だ。何て卑怯なんだろう。

 とか言いながら、実は後悔はしていないくせに。

 私はあの子達を守るためなら本当に手段を選ばない。同僚を貶めるぐらい、どうということはない。

 これが魔女の、私の流儀だ。私は悪なのだ。狂っている魔女が、善な訳がない。

 私とあいつは、本当の真逆なのだ。熟熟、そう思った。

 みんなという一を護る悪である私。

 他人という十を護る善である雅堂。

 利己的な私と、お人好しの雅堂。

 対局的な職員であることは間違いない。

 本当に人として、職員として律した彼が罰せられるのは理不尽である。

 ……でも、幾ら私が悪でも、人並みの恩情程度は感じている。

 彼を踏み潰し、嘲笑するレベルにまでは狂っているつもりはない。

 言えばこれは借りだ。私は、あいつに大きな借りができた。

 だから、私はあいつに返さなければいけないのだ。

 あいつの意図せぬ善意で助けられた半分残っている、人として。

 まだ私とアリスは復帰できない。

 サナトリウムの優れた医療でも、流石に短期間で傷を癒すことはできない。

 アリスは絶対安静一週間、私も絶対安静を約十日。

 なにせ胸に裂傷を与えられたアリスと、肋にヒビを入れられた私だ。

 あの野郎、峰打ちとか言いながら容赦なくぶち込んできやがった。

 殺意があった。絶対にあった。だから大怪我してしまったのだ。

 こっちは女の子で、二人ともか弱いというのに何という暴虐。

 信じられない。手加減って言葉を知らないのかあのヘタレ。

 赤ずきんが当然激怒し、数日かけてオシオキを敢行。

 今までで一番男の尊厳がピンチになる危機があったようだが知らない。

 真っ青になった雅堂が眼鏡のレンズにヒビをいれながら挙動不審になっていたとか。

 ……怪我をさせられた時点でおあいこのような気もするが、それでは私の気が済まない。

 あんなロリコンの変態ドマゾ狼に借りがあると思うだけで死にたくなる。

 早めに返しておくことに越したことはない。

 絶対安静と強い薬と栄養のある食事のおかげで虚弱な私も見る見る回復していく。

 サナトリウムの医療技術は本当にすごい。

 私の世界とは比べ物にならないくらい発達していた。

 数日で、上半身を起こせるほどに回復しているのだから。

 世話ができない私のかわりにライムさんに世話されるみんなはアリスと同室で入院中の私たちを毎日見舞いに来てくれた。

 今日は、ちょっと運が悪かったけど。

「……加害者がノコノコ現れて、何の用なの?」

「帰って、ください……!」

「ろりこんは死んじゃえ!」

「入ってきて早々ボロクソかよ!」

 私が呼んだヘタレを見るや、仇敵を見るかのように敵意の視線と罵倒が飛ぶ。

 アリスは罪悪感があるので兎も角、三人は私を殺そうとしたと思っているようで、雅堂に対する嫌悪は以前の比ではない。本気で嫌がっている。

 出て行けと出口を指さし、口を揃えて言うのだが、

「ごめんなさい、みんな。ちょっと外に行っていて貰っていいですか?」

 私がやんわりと口をはさむ。これ以上あいつのメンタルを削られては困るのだ。

 あいつに次こそ殺されてしまうと本人の目の前で言って、私を説得するが、私も話がある。

「アリスはもう動けますよね。ちょっと、お願いします」

「ええ」

 アリスはひと足早く傷が回復している。

 みんなに連れられて、リハビリを兼ねたお散歩をお願いした。

 出ていく間際一度だけ、雅堂に頭を下げた。

 お礼と、謝罪。アリスは真相を知っているから、彼には申し訳ない気持ちがあるんだろう。

「ひでえ……。何で僕がこんな目に……」

 反省しているのに被害者一味から追撃が、日々彼の胃痛を加速させる。

 気の毒だと思うけど、利用したやつの言うことじゃあない。

「すいませんね。誤解があるようですが、みんなに言っても藪蛇でしょう」

 言外に諦めろというと、落ち込んでいた。

 流石にやりすぎたっていう自覚があるから……余計に。

「で、一ノ瀬。僕に話ってのは?」

 気を取り直し病室の椅子に腰掛けて、雅堂は私に切り出す。

 私も単刀直入に切り込ませてもらおう。

「雅堂に、先日の借りを返そうと思いましてね」

「……借り? 僕、お前に貸しなんて作ったっけ?」

 この様だ。自分の失態で庇ったという自覚がないから出てくる発言。

 当然の振る舞いをしたのだ、と言いたげな態度がムカつく。

 無自覚に人に干渉するその鈍感さが。

「……これだから、眼鏡は困りますよ。善意のバーゲンセールをしてる自覚すらないとは」

 やれやれ、哀れな男だ。

 だから私にも利用されるのだ。

 鼻で笑い、失笑する。

「眼鏡は関係ないよなぁ!? 喧嘩売ってんのかお前も!」

「どうぞ、お好きに受け取ってください」

 腕を組んで、奥歯を噛み締め悔しそうに唸る雅堂。

 肩を竦める私は、続けた。

「呆れて言葉も出てきませんね。正直な善意は利用されるだけ。もう少し振る舞いを気を付けないと、また利用しますよ」

 隠さずそう指摘すると、

「言ってろよ、自称狂った魔女。僕は利用されたとは思わない。アレは完全に僕の失態だ。正直、今でも後悔だってしてる。もう少し冷静に行動を変えていれば、この現状は変わっていたはずなんだ。だから、責任はあるだろ」

 そこだけは譲れないように断言する。

 あくまで自分に非があると言いたいようだ。

「バカもここまで行けばある意味、立派ですねぇ。自分のせい? 寝言を言うなら寝てからにしてください。いいですか、雅堂。加害者は私達です。それが変えようのない事実。それまでフォローして何の意味がありますか? あの時あの瞬間の、雅堂の判断は間違いなく英断でした。何故なら雅堂、貴方は職員として最善、最良の選択肢を選び行動したからです」

「……何が言いたい?」

 私が珍しく雅堂を褒めると、不審そうに私を見る。

 意味が分からないなら、こいつもある意味狂っている。

 その正しさだけでよく生きてこれたものだ。少しは悪意というものを知ったほうがいい。

「なぜ、加害者まで庇うんですか? 間違っているのは私、正しいのは貴方。明白でしょう?」

 常識的に考えてそういうことだ。どう見たって早とちりした私が悪い。

 だが、彼は言い返す。

「なぁ、一ノ瀬。正しいとか、間違ってるとか。そんなものは、もうどうでもいいんだ。終わってしまったことはどうしようもないだろ。確かに一ノ瀬の言うとおり、僕は大馬鹿野郎だと思う。だけどね、僕はそれ以前の問題だと思ってる。即ち、僕が僕を許せるか許せないかの、小さな問題だ。一ノ瀬には借りとか思うかもしれないけど、僕はそんな覚えはない。結果論だろう、それこそ」

 自分で自分を許せない。

 だから、自分の納得できる行動をしたらたまたま、私たちを庇った?

 ……成程、そう返すか。確かにそれなら私は納得する。

 なにせ私と根本は同じだと今、こいつは言い切った。

「……エゴですよ、それは」

「そう、これは僕のエゴだ。善意なんかじゃない。エゴを押し通したら、偶然が重なった。これを借りだというなら一ノ瀬、その認識こそが間違っている」

 エゴであることも、認めた上でか。

 大した男だ。正直舐めていた。自分に厳しすぎないか、こいつ。

「堂々と言い切りますね。魔女である私相手に」

「ふん、半分は人間のくせに。理解はできるだろ?」

 にやっと笑う雅堂。

 つまり、そんなつもりはないからお前も気にするなと言いたいらしい。

 ……だが然し、私にも私なりの理屈がある。

「そうですか。だからなんです。五月蝿い、お礼させなさいエロメガネ」

「押し付けかよ!?」

 気にするなと言っても気にする。私はこいつに助けられた。

 お礼をするのは当然であり、結果論だろうが知ったことか。

 驚く雅堂に、私もまた邪悪に嗤い断言する。

「この世界の魔女は得てして、理不尽なモノですよ。悪意がないだけ有難いと思って、逃げずに受けなさい。さもなくば、某アイドルユニットのマスコットキャラに聞こえて視える呪いをかけますよ」

 やさぐれた顔の変な声で鳴く翠の猫にみえるように呪いかけてやる。

 昨日テレビをみんなで見ていたときに映っていたあいつの方が、見た目は狼より幾分マシだろう。

 ……赤ずきんはかなり嫌がっていたようだったが。顔と目付きが怖いらしい。

「あの酒みたいな名前のあいつにするだと!? やめろ、今より酷い! 言葉が通じなくなるだろうが!!」

 やっぱり知っていたか。

 赤ずきんの部屋で包丁突き刺さる、ズタボロにされた縫いぐるみを一度拝見している。

 そこには『エロ狼殺すべし』と書かれた御札が張られていたし。

「見た目は可愛いですよ。不細工ですけど。眼鏡の模様もオプションでつけてあげますが」

「ファンに謝れや! 僕のそれとか、誰得だよ!!」

 誰得もない。狙いはそこじゃないし。

「彼女のヘイト稼ぐにはピッタリですよね」

「……? ちょ、おい! つまり死ねってことか!! お礼受け取らない=死ねってお前悪魔か!」

「魔女です」

 一瞬意味が分からないようだったが、ハッとして自覚する。

 お礼を受け取るか、赤ずきんの手で死ぬか、好きな方を選ばせてあげる。

「クソ、マジ性格最悪だこの女!! 下衆、魔女、人でなし!」

 罵る雅堂が逃げようとするので、少しビリっと魔法発動。

「びにゃぁあああああ~!?」

 直撃して痺れ、情けない悲鳴を上げて転がった。

「何とでも言うがいいです下郎。さて、お礼に少しばかり勃たなくしてやりますかね」

 冗談で、嗜虐的な顔でいうと面白いように動揺する。

「それの何処がお礼だ!! いやだ、まだ不能になりたくないやめてーー!!」

 うつ伏せになってひぃひぃ言い出す。みっともないというか見苦しいというか……。

「無様ですねェ……。プライドはないんですか?」

「それで回避できるなら苦労しないわ!」

 言い返すとは生意気な。

「生意気言うとホントに不能にしますよ」

「ひぃっ!? 僕にどうしろって言うんだお前は!?」

「大人しくしてなさい」

 脅すと素直に大人しくなったが、ガタガタ震え出した。うわぁ、情けない。

 アレだけの実力ありながら、負けた相手にこのざまとか腰抜けの極みだ。

「写真撮って拡散してやりましょうか」

 ぼそっと素直な感想が漏れてしまった。

「一ノ瀬の血は何色だ!? 血も涙もないのか!!」

「……」

 血も涙もない、か。ま、ないけどね。

 狂人にそんなもの求めてどうするって言うんだ。

 そろそろ本題に入るか。十分遊んだし。

「ほら、行きますよ。逃げたら本気で不能にしますから」

 諦めて降参した情けない狼相手に、魔女の状態に移行する。

 さて、私に出来る範囲でタメになると言えば、これしかない。

「暫くかかります。少しでも動いたら……シモがどうなるか、わかってますね?」

 念の為愚息を人質にとって脅しておく。雅堂はしくしく泣いていた。

「何でこんな目に……」

 善人は何時だって馬鹿を見る。でも時々は良い目を見たっていいだろう。

 アレなことばかり言っているが、ちゃんとお礼はする。

 私は目を閉じて集中。

 人生最後になるであろう、狼をしっかりと捉えた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分でそれは終わった。

 思っていたよりも、割と簡単でよかった。

 手元の内線で赤ずきんを病室に呼び出す。

 彼女は不思議そうに私の部屋を訪ねてきた。

「こんにちはー……。職員さん、どうかしたの?」

 扉を開けて、私服姿の赤ずきんをかぶる彼女が入ってくる。

「あたし、これからちょっと出かけようと思ってたんだけど……用事?」

「ええ」

 と言って、私は隣にいる人物を指差した。

 彼女は首を傾げながらその人物を見上げ、私に訪ねた。

「見ない顔だけど、新しい職員さん? あたしの担当になったの?」

「…………ごめんなさい、質問を返して。本当に、知らない顔ですか?」

「うん……。見覚えないけど、誰この人?」

 ……よし。どうやら、上手くいったようだった。

 怪訝そうにその人物を見ている赤ずきん。

 どうやら、知らない人間として見えているようである。つまりは、成功。

「いいですよ、喋って」

「……いいのか?」

 私が許可すると喋る眼鏡の男。

 その瞬間、ギョッとした赤ずきんが部屋の隅にまで逃げた。

 信じられないという表情を浮かべていた。

「……うそ、あんた……。まさか、エロ狼!?」

「いや今は人だからね!?」

 そう、赤ずきんの知らない顔の男。

 それはそうだろう。今まではしゃべるケダモノとして認識していたのだ。

 今はちゃんと優男の眼鏡に見えているはずだ。

 そう、赤ずきんに見えているこいつは呪いの解けた雅堂その人だ。

 私のお礼とは、彼の呪いを解除すること。これで貸し借りなしだ。

「奴が、人間ですって……!? そんな馬鹿な!?」

「お前は今まで何だと思ってたんだオイ!」

 頭を抱えて苦悩する赤ずきん。こいつのこと、本当に人間だと思ってなかったらしい。

「あんたまさか……! 力ずくで職員さんを打ち倒したのに飽き足らず、押し掛けて弱みを握り強引に……?」

「してねえよ!? どんなクズなの僕!? いや、本当にそれは濡れ衣!! マジで誤解!!」

 持ってきていたバスケットから得物を取り出し凄まれている雅堂。

 振り返った雅堂は切羽詰まり助け舟を求められたので、仕方なしに助言。

「今回のはこの間、助けてもらったお礼ですよ。ですので、特に何もされてないです」

「……無理やりじゃないの?」

 聞き直す彼女に、苦笑して軽口を言った。

「無理やりにやらせて実行させた、という設定でもいいですよ?」

「やめて死ぬ!! 今度こそ殺される!!」

 焦る雅堂は、冷や汗を滝のように流していた。

 目を細めて、無言で数度包丁をチラつかせて脅す赤ずきん。

 直立不動に姿勢を正す彼に、品定めするように見た。

「そう。今度は、しっかりと礼儀守ったんだね。今回は許してあげるよ」

「ほっ……」

 安堵している雅堂。見た目狼から人に戻れたのだ。

 これで女性陣にエロウルフだの送り狼だの言われずに済む。

「うん、エロメガネにしては上等だったね」

 訳がなかった。

 新しいあだ名『エロメガネ』の名付けられる瞬間である。

「不名誉な渾名やめて!?」

「うっさい。自分の言動思い出せ」

 酷い言われよう。折角戻してもこれじゃあ意味なかったかな。

「雅堂。ちゃんと、返しましたからね」

「……ああ、ありがとう一ノ瀬」

 赤ずきんに耳を引っ張られて回収される彼にさり際言っておく。

 彼はお礼を言って、部屋から出ていった。

 それから、みんなが戻ってきた。

 アリスには、お詫びもかけてお礼をしておいたと言っておいた。

 みんなにはやはり恨まれているようだが、まあどうでもいい。

 騒ぐほど問題じゃないし、今は傷を癒すことが最優先だ。

 私は私の出来ることをした。そして、次の日に備える。

 そろそろクライマックス。エンディングを、私色に染めてあげてみせよう。



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何処までも、何時までも

 

 

 

 ――とある少女の身の上話を語ろう。

 のちにこれが平凡な少女が、誰も信じられなくなったキッカケになる。

 彼女には年上の兄がいた。

 敬愛する兄は、とても妹に優しかった。

 家は貧しく、兄妹はそんな中でも仲良く暮らしていた。

 ある日、両親に出かけないかと言われた兄妹はとある森に向かった。

 最初は散策か何かかと思っていたが、気が付けば両親の姿が消えていた。

 実はそれは口減らし。兄妹は魔女がいると噂される捨てられたのだ。

 挙句、持たされていた食料はどうやら毒が入ってたようで見るからに食べられない。

 帰り道に迷子にならないように目印にしておいたら鳥に食われてしまっている。

 その鳥も死んでしまったが、そんなものが目印になるわけもなく。

 兄妹は森で迷子になり、空腹に耐えながらさ迷っているとどこからか甘い匂いがしてきた。

 それを辿ると、なんと森の中にお菓子で出来た大きな一軒家を発見。

 飢餓で苦しんでいた二人は、藁にも縋る思いでその家に齧り付いた。

 それが件の魔女の自宅だと知らず、異変に気がついた魔女に捕まってしまう。

 その魔女は人を食うと言われており、二人もまたかまどで煮られて食べられそうになった。

 兄が決死の思いで、妹を庇い煮え滾る巨大鍋の中に魔女と共に落ちてしまった。

 泣き叫ぶ妹を逃がすため、兄は命懸けの行動をしたのだ。

 お菓子の家を飛び出す妹。然し、魔女は煮えたぎる鍋の中で妹に呪詛を与えていた。

 食事が全て甘いお菓子になる、忌まわしい呪いを。

 兄との事がトラウマになると読んだ上での呪いが、長年彼女を苦しめることになる。

 行き場を失い孤児となった彼女は、知らぬ大人たちに連れて行かれて気がついたらここにいた。

 それが……今の居場所、サナトリウム。

 彼女にとっても、ここは最期の場所となっている。

 食事、お菓子に強い嫌悪を抱くようになった成長した妹。

 家族に捨てられ、最愛の兄を失い、捻くれた女の子になってしまった。

 その少女を救い、導き、護っているのは彼女が憎んでいたはずの魔女だった。

 何という皮肉だろうか。

 あれ程魔女を憎み、世界に嘆き、諦めていた女の子を守るのは、大切なものを奪った魔女だったのだ。

 女の子だってそれを知っている。あの人は間違いなく魔女なのだろう。

 だが、魔女という色眼鏡を使う前に、彼女は一人の姉に等しい人だった。

 自分を捨てた両親、庇って死んでしまった兄。

 誰も居なくなった彼女の、たった一人の『家族』になってくれた人だった。

 自分の無力さを苦しみながら人をやめ、幸せにするため働いてくれている。

 ……そんな人を魔女だからという区別で切り捨てていいのか?

 苦悩はした。でも、すぐに迷いは晴れた。

 そんなことは最早どうでもいい。だって、女の子にはもう一人だけなのだ。

 あの人は魔女である前に、あの人でしかないでしかなかった。

 身を挺して何度も助けてくれたあの人は、今は誰もいない世界で一人だけの家族。

 喩え世界から嫌われていようとも。喩え世界から見放されているとしても。

 女の子――グレーテルは、あの人の家族で有りたい。そう、強く願っている。

「……私、決めたよ亜夜さん」

 もう帰る場所がないなら、身の振り方はこれしかない。

 自分も被害者だったから、気持ちは複雑だ。

 でも、それ以上に大切な人を失いたくない。

「何をですか?」

 このか弱い姉を、護られるのではなく護りたい。

 いっぱい愛してもらった。沢山可愛がってもらえた。

 兄に負けないぐらい、今はこの人が好きだ。離れたくない。

 だから、グレーテルは人として最大の禁忌を犯す。

 

 

 

「私、これからも亜夜さんと一緒に生きてこうと思うんだ。サナトリウム出ていくなら、私もついていくから。この世の果てだとしても、私も何処までも一緒に行くよ」

「……はっ?」

 

 

 

 この日、グレーテルは亜夜の『家族』になることを決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は耳を疑った。正直戸惑った。

 漸く仕事に復帰したと思ったら、グレーテルが突然そんなことを言い出した。

 ……どういうこと?

 彼女は真剣な表情で、私に告げた。

 それはこれからの身の振り方。将来への計画。そして、……禁断の選択。

 

「私、亜夜さんと一緒に行く。どんな形でもいい。ただ、私はついていく。辛くても、苦しくても、私は亜夜さんの『家族』になりたい」

 

 ……言葉が出ない。

 つまり……グレーテル。

 貴方も、アリスと同じ選択肢を取るの?

「……グレーテル。何を言っているか、分かっているんですか?」

 二人きりの部屋の中。皆、それぞれ用事で出払っているとき。

 病み上がりで簡単な仕事を終えて休む私に、グレーテルは真剣な顔で突然切り出したのだ。

 私は問う。その選択は、愚の骨頂であることを分かっているのか。

「分かってるよ。人として生きていく未来を諦めるんでしょ?」

 私は魔女だ。魔女についていくということは、真っ当な生き方をできなくなる。

 人から排斥され、隠れるように生きていかないといけない。

 魔女とはそういうものであり、況してや彼女は……。

「家族を魔女で失っておきながら、私についてくると?」

 誰もいないことをいいことに、避けていたことを告げた。

 兄を、ヘンゼルさんを魔女との一件で死なせてしまっているのに。

 その気持ち、知らないわけでもあるまいに。

「父さんや母さんのことは、貧困で捨てられた。しょうがないよ。でも……お兄ちゃんのことは、そうだね。複雑な胸中では、あるよ。今でも」

 対面して座るグレーテルは、癖っ毛を指先で弄びながら視線を逸らす。

「魔女は、今でも嫌い。憎いし、悔しい。……でもそれと、亜夜さんが魔女だって言うのは別のことだよ」

 ……私は私であり、魔女であろうが人であろうが関係ない。

 ヘンゼルさんの事はもう変わらないし、後悔したって……悲しみは癒えない。

 好きになった人が、護ってくれる人が魔女であった。

 魔女だけど、私は私のまま変わらない。

 私なら、魔女でも人でもバケモノでもいいってこと。

 ……強くなったんだと、私は思う。

 グレーテルはその真実に気がついて、辛いながらも受け入れたんだ。

「私とて半分は同じですよ」

「半分は私と同じでしょ?」

 まぁ、分かっているなら……それでもいい。

 来るものは拒まない。私は一向に構わない。

 もう、一人ぐらい増えたって問題はない。

 ライムさんと時間のある時に相談しておいたから、私の結末は既に決まっている。

 流石のライムさんも予想外の展開に随分と驚いていた。

 私という狂った魔女の作るエンディングは、誰もがシアワセになれるようにはするさ。

 だけどそれは人としてじゃない。彼女達個人の幸せだけ。

 他人から見ればトチ狂っているようには見えないことだ。

 他の人は自分の世界に帰ってそのまま終了。それが普通の終わり方。

 だけど私は生憎と貪欲なんだ。帰るのは当然だ。それ以上に実現できる全てを欲する。

 両方捨てない。両方叶える。

 二兎を追う者は一兎をも得ずというなら、ウサギなんていらない。

 ウサギの代わりになりそうな別の二つを探して捕まえる。

 選べと言っても選ばない。想定を変えて、満足できる現実を作る。

 突きつけられた二つなんて知ったことか。選ぶものから自分で持ってくる。

 それだけの話だ。方法は思いつく限り実行する。

 それが本当の諦めないっていうことなんだと私は考える。

「構いませんよ、グレーテル。魔女の家族になりたいなら、私は受け入れましょう」

 否定されると思っていたのか、拍子抜けをするグレーテル。

「……ありがとう」

 と言うが、一発オッケーされるなんて思ってなかったようだ。理由を尋ねられた。

「言わないとわかりませんか?」

 逆に笑って問い返すと、イジワルと言われてそっぽを向かれた。

 横顔から視える頬は、赤かった。

「必ず幸せにすると、言ったでしょう?」

 私がそういうと、小声でグレーテルは言った。

「……もう、私は幸せだけどね」

 聞こえてるよ、グレーテル。

 そっか。幸せになれたんだね。思い残すことはない? 

 じゃあ、本格的に本腰に入れるか。

 彼女の呪いも、そろそろ終わりだ。

 みんなの本当の幸せを手に入れないと、結局は意味なんてない。

 それが何となく、見えた気がする。

 何度も間違えたし、何度も失敗したし、そのツケが毎度私を壊していった。

 私は雅堂みたいに真っ直ぐな人間じゃない。正しさを抱いて生きていけない。

 私はそこまで、強くはない。

 清廉潔白。高潔な精神を持っていれば、王道な物語を紡げたんだろう。

 だけど、私は汚く澱んでいる泥みたいなドス黒いお話しか語れない。

 弱いから、他人を切り捨ててでも大切な子達を幸せにすることは間違いなのだろうか。

 まぁ、今更な話だ。誰がどう言おうが私は愚直に進むだけ。

 狂っているっていうのはきっと理解できないからそう言われるんだろう。

 理解されないし、される必要もないと思う。

 私は正義の味方でもなければ、お姫様を救う王子様じゃない。

 誰かを貶める魔女であり、理不尽を振り撒く災禍なのだ。

 真逆の存在が主人公やってる童話なんて聞いたことがない。

 だけど……。だけど、だからこそなの。

 魔女だからと言って、誰も幸せにできないなんてことはないの。

 私だって、大切な彼女達を幸福にすることぐらいはできるの。

 方法なんて間違いでいい、邪悪でいい。

 私達個人が、幸福だと感じられる。それこそが一番大切でしょう?

 家族を笑顔にできない奴が、ほかの誰を幸せにできるっていうの?

 私はイカレていると言われたって、事実その生き方をしている。

「そろそろ、さ。私、呼び方変えたいんだけど」

 グレーテルは先のことを決めたので、私の呼び方を変えたいと言い出した。

 他人行儀な名前呼びではなく、もっと親しげな肉親の呼び方。

 好きに呼んでいい、と言うと。

「……これからは、亜夜さんのことを『姉さん』って呼ばせて欲しいかな」

 ああ、とうとう直接呼びきちゃったよ。お姉ちゃんが本当にお姉ちゃんになりました。

「はい。姉さんは歓迎しますよ」

 これで、心置きなくグレーテルの呪いも解除できる。

 この子は自分から言い出した手前、暴走することはないと思う。

 グレーテルは笑顔で、こう言った。

「ありがと。じゃあ、出ていく時はいつでも言って。私は、何処までも姉さんについていくよ」

 これで、二人目。二人目の幸せを私は招くことに、成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ハズだったと亜夜は勘違いしていた。

 この時、気がついていればよかった。

 こっそりと、この話を聞いていた一人が目を点にして隠れていたことに。

 同じ選択をしている彼女は、当然受け入れるだろうか?

 それはそれで、当事者同士の問題ということで……。

「グレーテル、ちょっと面貸して」

 翌日、亜夜が仕事中に不機嫌な顔でアリスはグレーテルを呼び出した。

「……なに?」

 不穏な空気を感じてグレーテルも不機嫌になりながら人気ないところまでついて行く。

 アリスが連れてきたのはサナトリウムの裏手。ゴミ捨て場がある所だった。

 黙って付いてきたグレーテルに、アリスはストレートに言葉を投げかけた。

「……あんた、サナトリウム以外に行く当てないの?」

 そろそろ亜夜との別れを意識し始めていた二人。

 互いの過去はあまり知らない。アリスの家族との分離や、グレーテルが捨て子だということも。

 別れとは即ち、ここから亜夜か自分たちか、どちらかがいなくなる。

 ちょっとの心配と、多分の警戒。アリスの目は、そういう色だった。

 少しは同居人に対する感情は柔らかくなった。

 でも、それ以上にアリスからライバルに対する闘争心が見え隠れする。

 言い方は悪いが、いうなればペットの猫同士の威嚇。

 ご主人様は自分のだと言い張っているような。

 グレーテルもアリスも動物に例えるなら猫だ。

 アリスはプライドが高いくせに、ガードが甘くすぐに懐くチョロい猫。

 グレーテルは攻撃的な分、心を開けば一番主を心配してくれる優しい猫。

 ご主人様(あや)の取り合いの予感をさせる構図だった。

「ないよ。アリスだってそうなんじゃないの?」

 誤魔化しは不要と、グレーテルもハッキリ言う。

 この間の彼女の暴走だって、きっと何か追い詰められることがあったのだと推測する。

 二人として、本当のことは聞かないし聞いたらいけないと分かっている。

 長い間同居していない。彼女が亜夜に執着しているぐらい、気がついている。

「そうよ。あたしだって、ないわ。だから、あたしはここ追い出されたら亜夜について行く」

「……やっぱし、そうだよね」

 腕を組んで堂々と言い切ったアリスにグレーテルも肩を竦める。

 そうだと思っていた。どうも、別れとかそういうのを毛嫌いしている様子だったし。

 こいつなら、何が何でもついていく予感があった。

 その先にある困難なんて、置いて行かれる辛さに比べたらどうってことない。

「私も姉さんに付いていくつもりだよ。無論、了承もらってる」

「あんたもか……。やっぱ、亜夜は連れていくつもり満々よね……」

 二人して、ため息。性格に差異あれど、やってることが全く同じ。

 どこか似た者同士なのかもしれない。

 呼び方が変わっている時点でアリスは、同類であることは察していた。

 だが、アリスもグレーテルも、これだけは譲れない。

「最初に言っとくけど。亜夜はあたしの姉だからね。あんたはあたしの妹で十分よ」

「違う、私の姉さんだよ。アリスこそ、私の妹で十分でしょ」

 やっぱり、亜夜の姉主張権で揉めた。

 あーだこーだ不毛に言い合って、自分が最初の妹――即ち次女であると譲らない。

 実際の年齢は同じ。誕生日はグレーテルの方が少し遅い。

 誕生日で言えばアリスが次女、グレーテルが末っ子。

 だが、グレーテルは納得しないし、アリスが姉などという荒唐無稽な話は屈辱だ。

「なによ、あたしとやろうっての!?」

「上等だよ! 実力で奪い取るまで!」

 結局こういう風に発展するわけだ。

 睨み合い、取っ組み合いの喧嘩が始まる。

 キーキー喚きながら子供みたいに暴れて、自分が姉だと主張する。

 だが何というか……どこか微笑ましいと思うのはどうしてだろうか。

 どっちでもいいというのが二人の本音。亜夜の器は大きい。

 二人一緒なら溢れることはないし、独占しても意味ないし。

「み゛ィーーーーーー!!」

「ふかーーーーーーっ!!」

 毛を逆立てて怒る猫よろしくの声を出して煙を出してバトル中。何してんだこいつら。

「……」

 居ないことに気がついて、様子を見に来たラプンツェルが、亜夜に貰った団子を銜えながら部屋に戻っていく。

 よくわからないが、報告。利権争いが勃発していることを亜夜にチクった。

(……早速、姉妹喧嘩ですか。世話の焼ける子達ですねえ……)

 そんでもって筆頭のダメ姉はニタニタ気持ち悪い笑みを浮かべて仲裁に向かった。

 その頃にはもっとエスカレートしていた。いや、被害が。

「んぎゃあああああああああああーーーーーーッス!?」

 混じっているはずのない野郎の野太い声。

「!?」

 亜夜は慌てて煙玉に近づいていく。

 レンズにクモの巣状のヒビが入る眼鏡が転がっていた。

 大体察した。止めに入って巻き込まれたバカが一名いるようだった。

「邪魔するならこうしてやるんだからっ!!」

「痛い痛いッ!! 首を引っ掻くな! 今度こそ殺す気かお前は!」

「退いてって言ってんでしょ、変態!」

「ぐふぇッ!? 僕が何をしたよ!? やめろそこは蹴るな死ぬ!」

 二人して、何かに飛びかかっているようだった。

 お人好しが空気を読まずに仲裁するから、こうなるのだ。

「二人ともー。雅堂仕留めるなら早めにお願いしますねー」

 緩衝材がいるならそれでいい。好きなだけ憂さ晴らしさせてあげよう。

「……」

「……」

 亜夜が声をかけると途端に静まる暴力の雨。

 背中に乗られて下敷きにされている本体を奪われてよく見えず動けない雅堂が現れる。

「な、なんぞ……?」

 眼鏡を探すが見当たらず、二人は笑顔で手を振る亜夜に気がついて、互いを一度見る。

 一時休戦。喧嘩をしてる場合じゃない。今は亜夜に仕留めていいと言われた。

 つまり?

(あ、嫌な予感)

 死期を悟った雅堂。この展開は知っている。

「終わりよ!!」

「死ねえっ!!」

 二人は一致団結。動けぬ雅堂に襲いかかるッ!

 意味なんてない。八つ当たりに兎に角襲う、襲う!

「ぎゃあああああああーーーーーーーーー!?」

 何時もの安定の扱いであった。

 魔女の身内候補だけあり何時でも理不尽である。

 雅堂の尊い犠牲で、姉妹喧嘩を止まり、彼は立派に夜空のお星様になるのであった……。

 オシマイオシマイ。



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変態の王、現る

 変態が来た。

 

 

 

 

 繰り返す、変態が来た。

 

 

 

 

 

 

 

(きゃあああああーーーーーー!?)

 魔女の妹が悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去最大。サナトリウムの危機が訪れた。

 変態の王が、施設内を闊歩しているではないか!

 端的に言うとこれだ。そう、これ以外に何をいえと。

 変態の王が、施設内を視察中。でっぷり太った中年のおっさんが。

 王冠を被り、パンツ一丁の裸マント状態で偉そうにふんぞり返って、臣下達に何か説明させている。

 その後ろで恐縮しまくっているライムや、どうやらお偉いさんも総出でお迎えしている様子。

 ……何が起きているっていうのだ。

 子供達や職員は実に堂々としている威厳ある露出狂に怯えて、部屋に閉じこもってしまった。

 活気の失せたサナトリウム。静まり返る中、変態の道は開かれた。

 実はあの裸王は、何時ぞや雅堂が半殺しにした親衛隊の女の子が護っている王族。

 親衛隊の女の子が、サナトリウムの話を軽くしたら王様も視察しに来ちゃったのだ。

 いい迷惑である。臣下達は、王の迷走がまた始まったが諦観の境地にて、案内している次第。

 つまり、一国の王様。変態だけど。繰り返す、変態だけど。

「殺す、変態コロスッ!」

 そんでもって喩え相手が王族だろうが神様だろうが、妹を泣かせる奴は絶対ぶち殺すを信条とする魔女がいきり立って本当に殺そうと突撃するのを皆で阻止していた。

「お、落ち着いて亜夜!! あたしは大丈夫、大丈夫だからッ!! あんたちょっと冷静になって!」

「処刑されちゃうよ! 姉さん、部屋に閉じこもっていれば平気だから! ね!?」

「亜夜、さん……。ラプンツェルは、寝ちゃってるから……。わたしも、我慢……する……」

 既に魔女化しており、鼻息が荒かった。っていうか目が血走ってる。

 車椅子をフルブーストさせて突撃、死なば諸共上等だと言わんばかりに殺気立つ。

 相手は本物の王様。権力も当然あるし、魔女だとバレたら速攻で殺されてしまう。

 三人がかりで宥めている。というか、最早取り押さえている。

「変態は、駆逐するべきですッ! 見つけましたよ世界の歪みッ!! 性犯罪幇助と断定して、私が駆逐するんですぅー!!」

 駄々っ子のように暴れだす亜夜。珍しく我侭だった。

 そこまであの中年の変態がおぞましいようで、その比は雅堂が児戯に等しいレベル。

 車椅子をパージして、テケテケのように移動してまで進もうとする。

「いや、世界の歪みは多分あたし達の方じゃないの……?」

「絶対こっちだよね」

「うん……」

 室内の意識ある三人は、割と落ち着いていた。

 ラプンツェルが変態を最初に目撃し、理解の範疇を越えショックを受け、脳が精神を守るため失神。

 そのままあまりのことで、睡眠している。魘されているようだが。

 無菌培養で性教育もまともに出来ていない彼女に、あの次元の変態はレベルが高すぎた。

 アリスは変態を殺したいのは同じだが、相手は王様。

 タリーアの時と違い現存するものなので、下手なことはできない。

 グレーテルは何も考えないことにした。思考放棄してしまえば、大体がどうでもいい。

 変態に関わるとこっちまで変態の発芽をしそうで怖い。可能性がないと言い切れない姉なので。

 マーチは……何というか、世の中広いので変態はいるものだと受け入れた。

 一つ、大人になった、つもりでいる。一応。

 魔女と苦楽を共にすることを選んだ二人としては、世界の歪みは自分たちだと自覚しているのであまりあの手の相手をして欲しくない。

 関わるとろくなことにはならないだろうから。

「くっ! 貞操観念の法則が乱れているのに、私は何も出来ないんですか……!」

「ちょっと亜夜、あんた本当に錯乱してない……?」

 ぐったりして沈静化した亜夜は悔しそうに意味不明なことを言っていた。

 アリスの言うとおり、亜夜は少々混乱しているようだった。

 見たことのない変質者を見つけて、動揺している。

 あの歪みすぎてぶれなかった亜夜が、暴走しない程度に精神的に追い詰められている。

 非常に稀なことだった。見ていて、凄く新鮮な気分になる。

 害はあまりなさそうだし、少し見てみたいと思う不謹慎な妹達。

 普段は無敵にして絶対悪のような利己的な姉が、一人の変態に惑わされるなんて意外だった。

 妹達の奮闘のおかげで、こちらはまだ大丈夫だった。

 

 

 

 

 

 

 で、一方その頃違うところでは。

 ドスっ!!

「ひぃっ!?」

 ……何時もどおりの光景だった。

「正直に白状しなさい、眼鏡。あんた、この国の王様に何を吹き込んだの?」

「無実ですっ!!」

 赤ずきんによる、容疑者尋問が行われていた。

 手足を縛られ仰向けに床に転がされた雅堂の股間に包丁が突き刺さりそうになった。

 慌てて横に回転して逃げる彼を追う、目元に陰りが堕ちた赤ずきん。

「さぁ、優しくしてるうちに言いなさい。国家転覆させるテロリストに慈悲をかけているのよ?」

「そんなだいそれたことできる根性僕にはないよ!?」

 竦み上がる雅堂が王様に変な知識を吹き込んで国家を壊そうとするテロリストだと赤ずきんは思った。

 こいつは良く出来た善人だが、同時に救い難い超変態でもある。

 究極の理性と欲望が同居する危険な男。やりかねないと思う。

 彼の扱いは上昇傾向にこそあるが、やっぱり変態だと思われている部分は変わらない。

 以前なら問答無用で一撃だったが、今はこうして言い分を聞く程度には軟化していた。

「タリーア。『ごるふくらぶ』っての、持ってきておいて」

「……」

 傍で且坐で助けを乞うている情けない職員を眺めているタリーア。

 赤ずきんに処刑道具を要求されるが、まだ動かない。困惑の色が、少女の真紅の瞳には浮かんでいた。

「……あの。お兄さんは、そんなことしないとおもうけど……」

 やんわりと味方するが、

「ダメよ。男は理性があろうが、器用に振る舞える便利な生き物なの。特に……シモの欲望には忠実に、ね」

「ひぃっ!?」

 ギロリとゴミを見る目で下半身を睨まれて身を丸める雅堂。

 狼の呪いは抜けても、上下関係に影響などなかった。勝てぬものは勝てぬ。

「ち、違います僕じゃありません……!」

 必死に無実を説明する雅堂。なぜ赤ずきんがこんなことばかり普段しているか、だが。

 先ず彼女、男はケダモノという前提で生きている。男とは、エロのみであらゆることをする。

 エロとは男の数だけ存在し、多種多様な変態性を持っている。

 真っ当な生き方をしている男でも、巧みに隠しながら社会に潜伏しているものだ。

 そう、それは魔女のように。男は全てシモで始まり、シモで終わる。

 女性に対するものだけじゃない。変態の同志を増やすこともまた、エロである。

 そういう意味で、雅堂の嗜好はヤバイ次元に達している筆舌に尽くしがたい変態であると思われていた。

 シモの事件の犯人はまず、この男のせいであると公言していた狼時代の赤ずきんの流布により、一部の女子から未だにこいつは蛇蝎のごとく嫌われていた。

 善人であることはある程度、周知は分かっている。

 が、油断してるとテイクアウトの兆しが見えたりすると、専らの噂だ。

 良い奴だが、どうしようもないシモ野郎というのが現在の立ち位置である。

「根拠は?」

「あの王様はここにいる時点でパンツ一丁でした。僕に入れ知恵する手段はありません!」

 当然の言い分である。だが然し、雅堂は甘い。

 その程度で論破されるほど、この女は愚かではない。

「……ふぅん。ま、外部協力者って線もあるか。あんた、変態仲間とかいるんでしょ?」

「なんでさ……」

 適当な可能性で言い分を潰してくる。

 何を言っても信じてもらえない。本当に男やめないとダメなんだろうか。

「お兄さん……。わたくしは、その……信じてますから」

「タリーア……ありがとう」

 一途に信じてくれている眠り姫は優しかった。この子だけが雅堂の女子の味方。

 魔女は利害の一致の時以外は信用できない、アリスはちょっと微妙。他三人はマジで恨まれている。

「じゃあ、仕方ない。……優しくしても白状しないし、何時も通り尋問で問い質すか」

 結局こうなる。赤ずきんによる尋問(物理)敢行。

「い、いやーーーーーーー!!」

 人、それを拷問という。

 執拗にシモを狙って攻撃してくる男性はみな内股になりそうな地獄の折檻フルコース。

 一発でも直撃すると、恐らく一般人ならショック死する。

「……」

 タリーアはもうこうすると、止められないのを知っているのでそっと目線を逸らした。

 言われたとおり、ゴルフクラブを処刑人に渡す。

「サンキュ、タリーア」

 不敵に笑い、ギロチンのように降り下ろされるであろう金属の一撃。

 涙を滝のように流して無様にのたうち回り悲鳴を上げる雅堂に、一言。

「強く、生きてね……。お兄さん」

 それは事実上の離反だった。タリーアは彼を、今日も見捨てていく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏返った男の断末魔が響き渡るサナトリウム。

 そんな中、魔女にお呼びがかかった。理由は、その変態の王の一件だった。

 血走った目で寝ているラプンツェルをおいて、お連れを引き連れ彼女が向かう。

 そこには別室で困り果てる家臣達がいたのだった。

 どうやら、亜夜の事をサナトリウムの上層部が内容を変えて話してしまったようだ。

 彼女は、呪いを解除できる特別な魔法使いなのだとライムが説明あると小声で耳打ち。

 行政に存在がバレたと青ざめる三人に事情を軽く言って、安心させる。

 王様にかかった呪いを解除して欲しいと家臣たちは懇願してきた。

「……どういう意味です?」

 怪訝そうに聞き返すと、王様は変な魔法使いに呪いらしきモノをかけられているのだとか。

 本人は悦に浸ってあの様子だが、本人の感覚では本当に鎧を着こんでいると錯覚している。

 つまり、本人の精神に異常をきたしている状態。

 家臣は王様に畏れ多くて何も言えず、黙って従っているだけだったという。

 指摘した身内や親衛隊も、王様と揉めてちょっとした痛い目をみて被害が出ている。

 一国の王があれでは外交にも問題が出る。

 変態がおさめる国など相手されなくなるかもしれない。

 国民への世間体にも悪いし、早く何とかしてくれと泣きつかれた。

「……はぁ」

 まさか、王様まで救うことになるとは。

 本当にどいつもこいつも、魔女に頼りすぎる。

 だが、この状態が本当ならばサナトリウムとしても大きな利益につながる。

 顔を見たことがなかった上層部は亜夜を一瞥する。

 ――サナトリウムの為にやってくれるな? という意思。

 利権が関わると大人は汚くなる。不敵に笑い返す一職員の彼女。

 全く異界の者をまだこき使うつもりらしい。まぁ、いいだろう。

 金回りが良くなれば給料も良くなるし、この子達にももっといい思いができる。

 自分の為に王族に恩を売っておけば便利になる。

 ライムが上の人に堂々と渡り歩く彼女を見て、引きつった顔をした。

「私は一国民に過ぎません。確証はしかねます。ですが、尽力いたします」

 家臣たちは車椅子の少女に、泣いて感謝した。

 このままでは国として成り立たなくなる可能性もあったのだ。

 国家の危機に、女の子はこう言った。

「ただ。それを行う手前、私にもリスクがあります。ですので、条件があります」

 まるで悪女のように、ニヤリと顔を歪めて嗤った少女。

 その条件とは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬっ? 何事であるか?」

 満足気に姿見の前でポーズを決めていた王様。

 なんだか、呪いを受けた影響か賢王だったこの人はナルシストのド変態に変貌していると嘆く家臣。

 連れてこられた車椅子の少女を見て、何事かを問う。

 畏まった臣下は、見えない服が見えるという少女を連れてきたという。

 どうやら、魔法使いらしい。

「ほう?」

 それには興味があるようで申してみよ、と亜夜は言われる。

 今の王様には着ているモノの話題は禁句だ。

 下手に言うと逆鱗に触れる。故に、一種のこれは博打だった。

 何せ誰にも見えない、本人だけが認知できる虚無の服。

 適当なことを言うと、国外追放される可能性だってあった。

 王も周りが馬鹿なことばかり言っていて、なぜ見えないのか不信感があった。

 だが目の前のこのか弱い子供の目は、とても自信に満ち溢れている。

 試してみるのも一興と思うほどには。気紛れでどんな服を身に纏うか説明させる。

「それは服、じゃありませんね」

 瞬間、その場にいた全ての人間が凍りつく。

 王様ですら、一瞬怖気が走り素っ裸の上半身が鳥肌が立った。

 少女の目は、血のように鮮やかな紅をしていた。その双眸が、王様を捉える。

 少女は王様を見つめて、説明するように言葉をゆっくりと紡ぐ。

「……あの。それは、暑くないんですか? というか、動きにくいとは思いませんか?」

 無礼ととも取れる態度。別のことで、彼女は大変困惑している。

 臣下達が口をはさむが、王様がそれをかき消すように一喝した。

 その言葉に王様は目を見開て、静かに、王様は言った。

「……これは驚いたな。其方、確かにこの自慢の鎧が見えているようだな」

「はい。この目でしっかりと。ですが……君主たるお方が、そのような格好でよろしいのですか?」

「はっはっは。まあ、そう言うな。魔法使いよ、これでも一級の品なのだぞ?」

 元来、この国の王は気さくな方であり、国民にも人気のある名君。

 久々に君主は話の通じる人間に出会い、上機嫌で身に纏うそれを自慢する。

「ご立派なフルプレートアーマーです。けれど、煌びやかな白銀では、戦場では目立つのではないのですか?」

「余はこう見えて、騎士団の団長を務めていたのだ。腕は衰えてはいないつもりである」

「重装備を敢えて身に付けているのは、鍛錬……ということですか?」

「その通り。日々常に変化する国を動かすとは、玉座に座って命じていれば良いわけでもないのだよ」

「感服いたしました……」

 ぎこちない口調にハラハラしている周囲。

 国王相手には、流石に亜夜も緊張しているようだが、上機嫌の国王は気にしないと言った。

 どうやら今、君主が着ているつもりなのはフルプレートのアーマーらしい。

 見えていない彼らには素っ裸にしか見えない。

 然し彼女の目には……しっかりと重厚な鈍い銀色の甲冑が見えている。

 国旗を左胸にあしらえた、とても立派な甲冑だ。

 兜の開閉部分からこちらを見て、満足げに王は笑っている。

「家臣達は皆、余が裸だと言うのだ。だが見てみろ。若き魔法使いには見えているではないか!」

 自分が正しいというように、家臣たちに言う国王。

 ここからが問題だ。

 取り敢えず、信用は勝ちとった。見えるということは証明したわけだが。

 次の手は、どう出る。

 家臣と国王が軽く言い合いをしている間、亜夜は思考を巡らせる。

 荒っぽい手だが、強引に行くことにした。

 下手なことをすると処刑されそうだが、やるしかない。

 亜夜は言葉巧みに騙すことはできなさそうだ。

 呪いで言うことを聞かせるわけにもいかない。

 なので、周りに先んじて言っていたとおり荒っぽく行く。

「…………国王様」

 そう切り出した亜夜は、国王に恐縮ながら握手をしたいと命知らずなことをお願いした。

 家臣がまたも顔色が悪くなる。アリスもグレーテルも、不安でたまらない。

 マーチに至ってはふらっと倒れて気絶した。

「構わぬよ」

 気前良く王様は何かの仕草をして、片膝を付いて右手を差し出した。

 亜夜にはガントレットを外しているように見える。

 亜夜はゆっくりと、その手を両手で掴ませてもらい、

「国王、本当に申し訳ございません」

 一言、詫びを入れてから魔法を使った。

「ぬぉぉっ!?」

 国王は失神するほどの強さの電撃を浴びて、気絶した。

 倒れる国王を慌てて側近が介抱した。

「すみません、やはり話は通じないようです。ですので、かなり荒いやり方をしてしまいました」

 周囲に謝って、案の定呪いらしきものが見えると説明。

 どうすればいいとパニックを家臣達は一斉に起こす。

 魔法使いお墨付きにされている以上、この国の信用が窮地に陥っている。

「私がこの場で今すぐ、呪いを迅速に解除します。ただ、人がいると失敗する確率が高くなります。国王と私の指定した人物以外、退出願います」

 人払いをしないと集中できない。というか、呪いを解除しているのを見られたら不味い。

 国王に何かあったらすぐに知らせるように、サナトリウム側がライムに監視するように命じた。

 家臣達は信じて、ぞろぞろと隣の部屋で終わるまで待つ。

 万が一ということもあるので、兵士が部屋の前で二人ほど待機している。

 他は全員、退室だ。マーチは部屋に連れていってもらった。

 亜夜が指定したのはアリス、グレーテルに、監視役のライム。

 ぶっ倒れる国王はソファーに横たわって、目をぐるぐる回している。

 バタンと閉まるドア。途端、緊張が抜けるアリスとグレーテル。

「あんた、危なっかしいにも程があるわよ?」

「みてて冷や冷やしたよ……」

 まさか君主に魔法使って気絶させるなんて蛮行をするとは。

 特例の場合除いて処刑されても文句は言えない。躊躇いなくそれをやったのだ。

 心配している二人に微笑む亜夜。後悔なんてしていない顔だった。

「亜夜さん。それで、本当に国王様は……?」

「はい、間違いありません。これは呪いです。アリスのと同じ、五感操作に加えて幻惑効果。ま、今の私なら解除できますよ。アリスので慣れてますから」

 国王に近づき、国家転覆を狙った魔女の仕業。危うく滅びかけていたようだった。

 国王がこなければ、そのうち外交問題や不信感からのクーデターで破滅していたかもしれない。

 事情を知る三人は、ホッとした。ライムは実態で何とかなることに。

 二人は亜夜が殺されずに済む方向だということに。

 呪いを解除するかわりに、国相手に一機関が要求したこと。

 国王を救うかわりに、もっと沢山の税金を投入して金を寄越せ。

 上層部の欲していた金だった。

 即物的かもしれないが、連中がそう言う顔をしていたので要求したのだ。

 上層部はしてやったりとほくそ笑み、苦い顔で然し背に腹はかえられない彼らは約束した。

 予想外の収入アップだ。亜夜は本当によく働いてくれる。稀に見る逸材であった。

「サクっと解除しましょう。何時までも良い人とはいえ、君主が変態でいられても困りますから」

 国王相手でも言いたい放題。アリスとグレーテルは苦笑い。

 ライムは聞こえていないか周囲を慌てて見回している。

 悪びれない罵倒にしながら、目を閉じて王様のでっぷりした腹に手をかざす。

 固唾を呑んで見守る彼女たちの前で、国王と魔女から発せられる紅い光が部屋の中をゆっくりと照らしていった。

 

 

 

 

 

 

 顛末から言うと、呪いは解除された。

 意識の回復した国王は、なぜこんな格好をしているのかよくわかっていなかった。

 その時の記憶は霞んで思い出せないようであった。

 幻惑で遮断されていた素っ裸による寒さで風邪をひきそうになりながら、呪いを受けていた事を周りに教えられて、唖然としつつ恩人である少女のもとに来る。

 今度はしっかりと国王らしい格好で。

「来度は、余は其方に救われたそうだな。礼を言う」

「英断をしたのは王様の側近の方々です。私は、微力に協力させていただいた程度ですので」

 控えめに微笑み、彼女は連れを可愛がりながらそう言った。

 褒美をとらせると言われても、個人的には亜夜は欲しいものはもう手の中にある。丁重にお断りした。

「みんな、何か欲しいものはありますか?」

 家族と思われる少女たちに問うが、みんな一斉に首を振る。欲しいものは、何もない。

「……其方らは、無欲なのだな」

「いいえ。私達は、もう満たされているんです。今が幸せですから」

 普通なら、王から賜ると聞けば、皆栄誉なり金品なりを求めるものだ。

 だが、彼女達は何も求めずにいた、久方に見る人種だった。

「お金とか、そういうのはあまりこだわりがありません。名誉には、興味ありません。今は、みんながいるだけで幸福です」

「……そうか」

 穏やかに笑う彼女の顔は満たされていた。答えは、そこにあった。

 国王は最低限の礼儀として、サナトリウムに個人的な報酬を支払った。

 静かに迫っていた国家の危機は回避された。

 犯人探しをすると同時に、関係者たちは何度も頭を下げて帰っていった。

 上層部は亜夜に特別手当を出して、みんなはそれぞれ、美味しいものを食べたりする。

 そんな日々。亜夜は魔女と自分を言いながら何時の間にか、国すら救っていた……。



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未来の話

 

 

 

 

 両親の顔なんて知らない。お父さんとお母さんとは何?

 家族とは、何? それは美味しいもの?

 何も教えてもらえなかった。何が正しいのか、何がいけないことなのか。

 隔絶された世界の中で長い間生きてきたラプンツェルは、世間どころか常識知らずだから。

 なぜ彼女がサナトリウムにいるのか。それは、彼女と理由がかぶっていた

 

 

 

 父親は人でなしと言われる人種だった。

 酒飲みでろくに働かず、娘の収入を横取りしては、親の勤めなんて果たしやしない。

 自分の愉快ばかり優先して、機嫌を損ねると暴力を振るう。そんな父親だった。

 母親はとっくに男を作って逃げている。本当はその時、連れていってもらえれば。

 然し母からも不必要と言われてしまえば行き場はない。結局、今はマーチはここにいる。

 その理由は、髪長姫と被っていた。

 

 

 ――二人して、死にかけていたのだ。

 ラプンツェルは飢餓で、マーチは寒さで。

 サナトリウムの職員がたまたま発見して保護、そのまま世話を始めた次第。

 調べてみれば、彼女達は呪い持ちで入所することが決まった。

 四人の中で二人は若輩者だ。特にマーチは来てからまだ一年弱。

 その間に担当した職員が反吐が出る悪意を持つ男で、皆は散々苦しめられた。

 因みにそいつはあまりの勤務態度にクビにされた。

 挙句、数ヶ月後に、詳細を知った魔女がプッツンして秘密裏に出かけて、精神を壊して帰ってきた。

 恐らく、サナトリウムの認知外で亜夜が人を壊したのはその時初めてだ。

 本当に、必要とあれば難なく行動を起こす彼女がおかしくない訳がない。

 報いを受けさせる。法律も倫理も知ったことじゃない。

 亜夜は過去だろうが今だろうが、皆を傷つけたら即、反撃に出る。

 相手がなんだろうがお構いなしだ。人間だろうが魔女だろうが王様だろうがバケモノだろうが。

 それで負けても、必要ならば同じことをまたやる。そういう女だ。

 狂ってるとか、悪人だとか外道だとか自分を言うがその通り。

 ……あの時は、まだ亜夜はここまで狂ってなかった。

 まだ、少しは躊躇する程度の良心は残っていただろう。

 現在の亜夜の病み具合は最早、底に到達している。

 家族の為に世界を敵にまわそうが、きっと彼女は躊躇わない。

 そういう女に愛されると、常人ならばきっと気味が悪くて逃げ出すか、メンタルが壊れる。

 理解の範疇を大きく越える、ベクトルがおかしい濃厚な愛情。

 例えるなら、沸騰し湯気を出す真っ黒な汚泥だ。

 腐臭を放つそんなものでも、亜夜からすれば愛情に変わりはない。

 普通の人間にそんなものを注げば、気持ち悪さと熱で傷ついてしまう。

 でも……その対象は、誰一人明確な『家族』なんてものを知らない。

 親に捨てられ兄を失い、家族に異常とされて突き放され、魔女に無垢なまま育てられて、虐待を受けて暗い感情しか向けられなかった。

 そんな彼女達を護るようにして、向けられている目に見える愛情。

 ……嬉しくない訳がない。誰かに愛される事の嬉しさ、温かさ、優しさ。

 どれだけ熱量を持っていても。触れて火傷し飲み込まれたとしても。

 不器用でも、歪だったとしても。それは紛れも無く本当の『愛』なのだ。

 彼女が身を削り、紡いでくれる魔の手という汚く醜い愛情。

 家族が分からない(マーチ)

 家族を知らない(ラプンツェル)

 家族なんて忘れてしまった(アリス)

 家族ごと消えてしまった(グレーテル)

 彼女たちだからこそ、濃密な煮えている腐った愛情を受けても、求めてることができた。

 みんな、マトモに生きられる過去じゃなかった。

 普通とは何? まともとは何? 

 人の悪意、闇しか知らずに生きてきた彼女達には、もうこの人ぐらいしかいないかった。

 真逆の感情が澱んでいても、欲しいものは欲しい。愛されたいし、愛したい。

 数ヶ月もそんな愛情に満たされて来てしまえば、徐々に彼女達も戻れなくなっていく。

 腐って爛れたエンディング。

 底無しの愛情の泥の中でみんなで沈んで溺れ、自分たちだけの幸福に満たされて、眠るように生きる。

 ……最初は、亜夜はそう考えていた。

 それが亜夜が一番最初に描いた終わりだった。

 だが今はそうじゃない。

 今は、個々の望むエンディングが欲しかった。

 自分の幸せがイコールでみなの幸せとは限らない。

 グレーテルの呪いが無くなり、祝福を受ける中。

 亜夜はそっと、部屋の中で一人考えている。

 サナトリウムに次の移住が決まるまでいてもいい。

 グレーテルの行き先は決まっている。アリスと共に亜夜と生きる。

 魔女の家族になり、世界に背いて人を欺いて生きていく。

 では、残された二人はどうする?

 マーチは。

 漠然とだが、独り立ちすることを考えていた。

 亜夜に守られてるだけじゃ、きっと将来一人で生きていけなくなる。

 魔女の寵愛は嬉しいが、人としてダメになりそうな気がしてならない。

 唯一、働く厳しさを知っている彼女は、現実味のある未来を思い描いていた。

 ラプンツェルはそもそも、その次元にまで精神が追いついていない。

 実年齢と精神年齢がアンバランスな彼女は、サナトリウムでしばらく厄介になるほうが得策だ。

 誰かがいないと、あの子はまだ何もできない。

 だからと言って、亜夜以外の魔女をいまだ怖がるのなら、本質が同じである魔女について来ないほうがいい。

 ラプンツェルに、未来を決められるほどの精神的成長は果たされていないのだ。

 幼稚園児にこれからどうするべきかを決めろという理屈がどうかしている。

 ラプンツェルは、ここで生きて欲しいと思うのは亜夜の高慢か。

 亜夜はある日二人に、改めて問うた。

「二人はこれから先、どうしたいですか?」

 アリスとグレーテルをそばに置いて、聞いた。

 将来、二人はどうしたいのか。どうやって生きていくのか。

 10代の考えることではない命題だが、家族がいない皆には死活問題だった。

「……んー。わかんない」

 ラプンツェルは案の定、分かっていなかった。

 彼女がこういうものだと分かっていたが、意思を汲みたくもこれではお話にならない。

 連れていきたいのは山々なのだが、アリスやグレーテルと違って、物事の判断基準が幼すぎる。

 もうあと数年、成長してくれれば話は別なのだろうが……。

「わ、わたしは……」

 マーチは何度か詰まりながら、自分の意思を伝えた。

 働きたい。今度は、ちゃんと。自分で働いて、自分の力で生きていきたい。

 自分に何ができるか、自分に何をしたいか。それを探していきながら、自立したいと。

「……そうですか」

 姉として、マーチの選択は応援したいと思う。

 彼女は人として、生きていくことを選んだのだ。

 マーチが選ぶその道を、亜夜は尊重する。

「分かりました。私に出来ることは、しておきます」

「あ、ありがとう、ございます……」

 先ずはライムにこの子のことを相談しておこう。

 ラプンツェルに関しては一人の決断で決定するには、亜夜も幼い。

 子供に子供を育てろと言っているようなものだ。流石に無理がある。

 もう話題に飽きたのか、ラプンツェルはお昼寝するといって、布団の上に転がると数秒で寝てしまった。

 ……話すだけ、難しかったかもしれない。

「二人は、……どうするんですか……?」

 マーチが、黙って聞いていたアリスとグレーテルに問うた。

 二人は即答である。

「亜夜についていくわよ」

「姉さんと一緒に行く」

 決意を浮かべる表情は、全てのリスクと覚悟を決めた表情だ。

 人に嫌われても、人に疎まれても、彼女達は亜夜を『家族』として見ている。

 亜夜が魔女としてこの世界に生きるならそれでいい。

 逆に人として生きたとしても、それでいい。

 最悪死んだって後を追って死ぬだけだ。

 依存、執着、妄執。何とでも言えばいい。

 二人はそうすると決めた以上、人生を亜夜に捧げる。

 イカレた、狂ったと揶揄されても二人の生き様はそうする。

「あたしは亜夜と一緒なら、過去だって捨てるわ。倫理なんて知らないし、人間の人生やめろって言うなら、喜んでやめてやるだけ。全部、承知してるんだから」

「アリスと一緒ってのは癪だけど、私もそう。姉さんと家族になるんだもの。姉さんの行くところ、私の行くところだよ。魔女でも人間でも、何だっていい」

 トンデモなく重たい選択肢を、亜夜は背負っている。

 人生二人分の重荷。だが、亜夜はニコニコ笑っている。

「因みに私は、今の所魔女としてひっそりと生きるのもありかなー、とかも思ってます。決定じゃありませんけどね。やっぱり、本性を隠して生きていくのは面倒くさいし、疲れるんですよ。どうせ取り繕ってもついてくる負債です、だったら利用したほうが利口な生き方じゃないですか」

「…………」

 マーチは、決定的に選んだ未来が違うことを理解する。

 マーチは人として、亜夜達は魔女として生きるかもしれない。

 決別するとしても、それは亜夜なりの最後の愛情なのだと知る。

 少しだけ、寂しい。

「まぁ、ここにいる限りは私はみんなのお姉ちゃんです。頼ってくれてもいいですよ。ですが、マーチ」

 不意に、表情を引き締めて亜夜はマーチに言う。

 吃驚して背筋を伸ばしてしまった。

「マーチのような人が一人で生きるということは、並大抵のことじゃないんです。責任も、苦しみも、全部自分で背負う。……覚悟だけはしておいてくださいね。貴方には、頼るべきところはありませんから」

「……はい」

 頼るべき親はいない。サナトリウムは一時の宿。

 独り立ちした子供を助けるようなところじゃない。

 そもそも、独り立ち出来る子供の方が珍しい。

 大抵は……そのまま、心が堪え切れずに崩壊して、廃人になる。

 あるいは、呪いが最終段階に侵食してそれぞれの結末になる。

 サナトリウムとは本来、そういうところだ。

 亜夜がきて、子供達の雰囲気も全体的に明るくなったけれど……誤魔化しきれない部分は必ずある。

 最近は死人は出ていないようだったが、以前は凄い勢いで死んでいく子供たちが大勢いた。

 いざとなったとき、頼りになるのは自分だけ。マーチは亜夜にそれを教えられた。

「……でも、これも忘れないでください」

 厳しさを教えながら、最後に優しい微笑みを浮かべて、亜夜は締めくくる。

「私は何時だってマーチの姉。人外の力をどうしても借りたい時は、知らせてくださいね。……魔女でも、妹は助けられるんですから」

「……はい」

 しっかりと、覚えた。亜夜は、味方でいてくれる。

 分かれ道の先にいても、それだけは変わらない。

「あんたはあんたの人生、歩みなさい。あたし達の真似なんてする必要はないわ」

「代償は大きいからね。オススメはしない、というか選ばないほうが無難だよ」

 二人は辛い道を選んだとしても望んだことなので、上等だと言わんばかり。

 言外に、間違っている事をしているのだからマーチまで魔道に堕ちないでという二人の想い。

「それでも……二人は……?」

 愚問であろう。それでも聞いてしまうのは、同居人としての心配。

「そうよ。それでも、あたしはついていくの。どんな形になっても、亜夜と一緒がいいから」

「私達にはもう……失うものは、自分の生命ぐらいしかないから。だからなんにも怖くない」

 過去はいらない。未来は捨てる。今だけはあれば、それでいい。

 家族の思い出も、先への希望も、全部ドブに投げ捨てていく。

 二人の詳しいことは知らないけど本当に大切な一つの為に、他の全てを犠牲にするつもりなのだ。

 そういう生き方を否定できるほど、マーチは高尚な人生じゃない。

 正しい選択なのかすらわからない世界で、マーチの生き方が何処まで通用するのか。

 不透明な将来だけど、出来る限り足掻いていきたい。

「ふふふっ……。いいじゃないですか、どんな生き方でも。光だけが、希望だけが全ての世の中じゃありません。闇だけが、絶望だけが世の中ではないように。私は歪んで生きていきます。直しませんし、そのつもりもありません。私は誰かのために生きてるわけじゃない。家族の為に、幸せを招くだけですから」

 魔女は妖しく微笑んでいる。傍らに、妹達を連れて。

 二人とも、それぞれそっぽを向いていたり苦笑いしていたりする。

 マーチには、何だかそんな不格好な円形が、とても幸せそうに見えた。

 幸福の形は人それぞれ。

 型枠に入らない、人の不幸を撒き散らして家族だけを幸福にする蒼い鳥。

 これが亜夜の一。一の悪人としての幸せを招くやり方。

 十の善人に否定されても突き進んだ彼女の流儀。誰にも理解されない魔女の描く未来。

(……羨ましい、のかな……)

 自分はあの中に混ざれるほど、失ってもいいものはない。まだ、大切にしていきたいものは沢山あった。

 マーチはマーチの歩幅で、亜夜とは別の歩みで、見えない明日へと進んでいく……。



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カブとりんごと燃える毒

 ある日、サナトリウムにとある日雇いのバイトみたいな話が流れてきた。

 ……末期患者にバイトなんて出来るのか。と思ったら職員対象だった。

 しかも、上の人がどうやら持ってきたらしい。

 一日出勤扱いしておくから希望者は手伝いしに行って来いと言われた。

 仕事の内容は農作業。 

 何でも上層部のお得意様がやってる畑でえらいものが取れてしまったらしく、急遽人手が必要になったのこと。

「……で、なぜに私なのですか?」

「僕もちょっと困るというか……」

 直々にお声がかけられた。一番野良仕事に不向きであろう、私。

 そしてパワーだけなら一級品、不器用で失敗多いと自称の雅堂。

 当日、出向く一員に決まってしまった。強制で。

「いえ……何か、見たことのないモノが多数存在するとかで。異界代表の雅堂さん、魔女の見解として亜夜さんが選出されました」

 困ったようについていくライムさんも資料をチェックしつつ、首を傾げる。

 異界出身の職員は当日、私と雅堂以外、休暇だったり備品購入のため遠出していたりして留守。

 当日空いているのが私達だけということか。

「どーやら……この世界の植物じゃないものが紛れ込んでいるようですね。出来れば知識を貸していただきたいらしいです」

 頭下げられたら、無論行くしかないんだろうが……。

 何故に異界のモノが紛れ込んだのだろう?

「文字通り、外来種ですか」

「僕は植物、あまり詳しくありませんよ?」

 雅堂は基本ストイックのスポ根馬鹿だし、私も興味本位で調べた以外は対して知らない。

「大丈夫です。資料はサナトリウムのモノを使っていただければ。ただ、資料だけでは現物と見比べることができないので、お願いしたいんです」

「成程」

 資料だけではわからない部分を補って欲しいということか。

「うーん……まぁ、僕で良ければ」

「私も構いません」

 拒否したところで給料が出るならそれでいい。

 私は突如、野良仕事に駆り出されることとなった。

 みんなに説明すると、案の定ついてくると言い出した。

 ライムさんに掛け合ってもらったところ、人手は多いほうがいいので大歓迎された。

 但し面倒は私が見る。あとみんなはボランティア扱い。

 当日の昼飯が出る程度しか報酬はない。

 まぁ、そんなものが目的じゃないだろうし、いい経験になるだろう。

 ……まさか、あんなものがあろうとは思わなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当日の早朝。迎えに馬車数台が到着。

 サナトリウムからは私達以外にも雅堂と赤ずきん、タリーア。

 未だに困惑するライムさんにその他暇してるのと希望した連中が多数。

 全員、馬車に乗り込んだ。私達とライムさんで一台占拠する。

「畑仕事なんてやったことあるの、亜夜?」

 ワクワクして騒いでるラプンツェルと、職業体験みたいなことができると張り切るマーチ。

 無言で窓の外を見ているグレーテルの隣に座るアリスは、汚れてもいいというエプロンドレスを着て、私に聞いた。

「あるわけないじゃないですか。こんな足ですよ?」

「そうよね……」

 私は向こうの世界にいた時だって農作業はしていない。

 見物していたり、ちょっと荷物を運ぶのを手伝ったくらいだ。

 今回も私はあくまで知識を貸すだけで、作業はあいつがすればいい。

「あたしは、何を手伝えばいいの?」

「頼まれた資料の運搬などをお願いします」

「分かったわ」

 裏方を任されたアリスは気合を入れて、私もそこそこ馬車に揺られながら道中、資料を読むことにした。

 隣に座って、覗き込むように一緒に読むアリス。

「……なにこれ?」

「簡単に言うと食べちゃいけない、動植物の図鑑ですよ」

「へえ。毒があるとか?」

「大体はそうですね。場合によってはサナトリウムの医療機器でもコロっと死にます」

「ひええ……」

 中身がチンプンカンプンな彼女に、簡単に説明する。アリスは戦慄している。

 私もこの世界の生態系は知らないが、私の世界と大差はないようで大体同じだ。

 危険なモノは常識の範囲で知っている。アリスは知らないようだ。

 そんな感じで、数時間揺られていく。

 ライムさんも同じく黙々と資料に目を通して、時々目を点にしていた。

 やはり外を認知できる彼女でも、知らないものは多いようで。

 尚、読んでいる資料は私の世界のものもある。無論、日本語だ。

 それはアリスたちは文字が読めないために解読できない。

 こちらの世界の文字や言語は、異世界補正で私達異界人には問題なく読み書きできる。

 逆はどうやらダメなようである。

「よくそんな学者が好きそうな専門書読めるね、姉さん」

「そうでもないですよ」

 グレーテルが変わっていく景色から目を離して、私に言った。

 移動が長すぎて疲れたラプンツェルとマーチは寝落ち。

 アリスも船を漕ぎ始めていた。寝不足で出来るんだろうか。

 私は夜ふかし徹夜は慣れている。不眠でも一日程度なら大丈夫だ。

「無理を言ってついてきたから、仕事はきっちりこなす。何かあったら言って」

「そうしてもらえると助かります」

 グレーテルも野良仕事は経験がないと言っていたが、まぁ手伝い程度の気軽さで行けばいい。

 ……と、思っていたのだ。その時まで。そう、その時まで……現物を見るまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 馬車が到着。

 ビニールハウスが広がる、田舎の風景。

 見渡す限り畑が広がる、長閑な光景だった。

 あの子達は無邪気に、畦道に降りて周りを見て新鮮な気分を味わっていた。

 ……ある一点を除いて、平和だろう。平和じゃない部分に私と雅堂はいた。

「雅堂。……愚問だと思いますが、敢えて問います。アレは、なんだと思います?」

「いやなんだって言われても……えっ? ちょ、ちょっと待……はぁっ!?」

 私達二人は、一早くそれを発見した。

 お互い見解が正しいことを確認して、唖然とする。

 己の目を疑ったのは久しぶりだった。

「……想像以上ですね……」

 ライムさんもポカンとしていた。いや、何だアレは。

 私達が見つめる先では……遠目ですら、巨大と分かる畑に刺さる野菜を綱引きのように引っ張っている、タンクトップ一枚で汗だくの屈強な大男達の姿だった。

 漸く三月で暖かくなってきたのだが、あの格好ではまだ寒いだろう。

 が、全身から湯気を出しているあたり相当働いているだろう。呼吸も荒い。

 で、その引っ張っているのが……巨大化した野菜たち。

 なんだあの大きさ。何処かで品種改良でもしたっていうのか?

 責任者が応援が来たと連中に知らせている間に、ポカーンとしていた私たちにも事情が説明される。

 細かいことは省略するが、話を掻い摘む。

 無農薬で育てていた野菜たちがこの一ヶ月の間に急成長してちょっと笑えないレベルにまで巨大化して、畑の土の栄養を文字通り根刮ぎ奪っている。大慌ててで旬ではないものまで、回収しなければいけない。

 あまりにデカくなりすぎてビニールハウスが倒壊したらしい。

「…………」

 あれ、どっかであったなこの童話。というか、確かロシアの民話か。

 『おおきなカブ』とかいう常識外のサイズになったカブを引っこ抜く話だった。

 ……うん、あるねカブ。明らかに軽トラサイズにまで成長して、悪戦苦闘しながら抜かれているそいつが。

「これ、全部抜くんですか……?」

 説明している畑の持ち主に雅堂が聞いた。青ざめていた。

 そっか、こいつは抜く方だってライムさんが決めていたっけ、今さっき。

「そうだが? まぁ、坊主は若いから大丈夫だろ!」

「……」

 ワイルドに笑う筋肉モリモリマッチョマンのおっさん。またタンクトップだけの上半身。

 日焼けサロンでも行ったかのように焼けている筋骨隆々の身体を見せつけてくれる。

 一瞬で、死んだ魚のような目をして脱力する雅堂。

「わ、わたくしも魔法でお手伝いいたしますので……お兄さん、気を落とさず」

 タリーアが慰めるように必死になって説得していた。

「情けないわねー。あんたなら一本釣りみたいに景気よく抜けるでしょ?」

 赤ずきんの発破に、嫌々をしながら雅堂が軍手をはめて準備する。

「そっちのお嬢ちゃんは?」

 おっさんは車椅子の私を見て、聞いてくる。そうだろう。私は見るからに作業できない。

「私は裏方です。得体のしれないものが混入してしまったと聞いています。ですので、食用かどうかを見たいと思います」

「おお、そうかそうか、助かるぜ! 畑のものはいいんだが、畦に変なもんまで生え始めてなぁ! もう何が食えるのか食えないのかわからんのだよ!」

 豪快に笑うその人は何となく良さそうな人だった。

 腕を組んで、笑ってライムさんと予定の確認。

 その後、瞳孔開いた目の雅堂の首根っこを引っ掴んで、作業に戻ると連れていく。

 慌ててそのあとをタリーアと赤ずきんが追いかけていった。

「亜夜さんはその畦に生えた奇妙な植物などの判別をお願いします」

「了解しました」

 私達はそちらの裏方に徹していればいい。ライムさんは全体の指揮に行くそうだ。

 適材適所、図鑑を持って私はみんなを呼び戻して引き連れ、移動を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一時間程があっという間に経過。

 私も私で大騒ぎだった。

(……ひ、彼岸花……? なんで今の時期に?)

 先ず、あらゆる時期の有毒植物が畑の畦道に自生していた。

 何でまだ三月なのに彼岸花の絨毯が広がってるんだ……。

 真っ赤な光景は、見ていて気分のいいものじゃない。

「亜夜ー。なにこれー?」

 ラプンツェルが一本それを手折り、観察している。

 確かに綺麗だけど……演技も悪いし実際危ない。

「それは彼岸花というお花です。有毒植物ですので、食べると死にます」

 実際は食べることもできなくもない、程度。

 が……土壌汚染でもされてない限り、気候無視のこの現状はおかしい。

 近所に住む魔女か魔法使いが怪しい薬でも散布したんじゃないのかこれ。

 片っ端から有毒植物を図鑑で調べて、掲載されているものと現物が同じものだと確認して手の空いている方々に手伝ってもらい、回収。

 狙ったかのように毒のある草花ばかりが生えている。何だこの嫌がらせ。

 私が毒物だと判断したモノを回収すると、畦道が綺麗になっていく。

 広大な土地を車椅子で移動しながら作業するとこれはこれで疲れる。

「広いわねぇ……」

「そうだね……」

 辟易した様子でアリスとグレーテルは私の身の回りの手伝いをしていた。

 ラプンツェルはついてきて、これは何? と聞いてくるので名称を教えている。

 その行動が作業をしている人達にも名前が伝わり、ヤバイものだと認識してもらえる。

 マーチは実際ちょこちょことお手伝いをしてお礼を言われている。照れたようで笑っているのが可愛い。

「――びにゃあああーーーーー!?」

 遠くで雅堂の猫型マスコットみたいな絶叫。何かと思えば、何とあの野郎。

 軽トラサイズのカブを一人で抜いていた。信じられない、なんてパワーだ本当。

 そんでもって勢い良く引っこ抜いたカブの下敷きにされている。

 タリーアが直ぐ様駆け寄って荊でそれを持ち上げて、呆れた赤ずきんが頭を掴んで救出。

 何やってんだあいつ……。いや、ツッコミはそこじゃない。

 それ以前に鍛えた身体の作業員が苦労して抜いている作物を優男のあいつが一人で抜けるって……。

 あいつは、人間か……? 

 真面目にヒューマノイドか何かじゃないか失敗してるけど。

「……」

 身をもって体験したアリスも同意見のようで、微妙な目で見ている。

「何だ、死んでなかったんだ。残念」

「死ねばよかったのに」

 冷たい目で雅堂を見ているグレーテルやラプンツェルの言葉は変わらず辛辣だ。

 それは置いておくとして。

 畑の畦道担当の私達は、有毒なものを一ヶ所に集めて焼却処分する。

 燃やしてもいいように、ある程度山にしてからマーチがマッチで火をつける。

 しかし水分を含んで、燻っているようだったので、私が軽目に雷撃で一撃加えた。

「す、すげぇ!」

 作業員たちが私の魔法を見て拍手してくれた。よくわからないが凄かったようだ。

 山になった有毒植物は盛大に燃え上がる。キャンプファイヤーのように暖をとるには丁度いい。

 その頃には正午、具合良く昼時になった。

 折角引っこ抜いた野菜たちを処分するにも勿体ないので、採れたてを食すことになった。

 マーチに手伝ってくれたと一緒に作業したマッチョマン達が気さくに話しかけてくる。

 ちょっとオドオドしていたが、私が近くにいればそこそこ会話は弾んでいる様子。

 楽しそうにしているなら、それでいい。

 ラプンツェルは、一部のマッチョマンたちに人気があるようで、ワイワイしている。

 何だ、連中雅堂と同じロリコンか? 無警戒だからって変なことしたら殺す。

 今の所お触りなどはないようだが、何かされたらすぐ言うようにラプンツェルに言いつける。

 念の為、グレーテルが様子を見に行き、グループのように少し離れて別行動になる。

 ま、目の届く範囲にみんないるしそれはそれでいい。

「坊主すげえなぁ! 見た目によらずにガッツがあるじゃねえか!」

「あ、あはは……そりゃどうも……」

 アリスと共に、近くにいた雅堂と合流。

 おっさんたちに囲まれ、バシバシ背中を叩かれ恐縮しまくっている。

 タリーア達は後ろで巨大化したメロンを既に頂いている。

 切り分けられているにはしては随分と大きいけど美味しいのだろうか、あれ……。

「よし、頑張ってくれた坊主に俺達渾身の一品を食わせてやるよ! そっちのお嬢さんたちも一緒にどうだい?」

 私達にも振舞ってくれるようなので、遠慮せずに頂くことにした。

 マッチョマンたちの自信作、それは……。

「これはなぁ、新しい穀物の可能性を模索するために丹精込めて開発した品種なんだ。ユニって奴が、世界一甘くて美味いコーンを夢見て作った自信の試作品でな。開発者の名前を込めて、商品名は『ユニコーン』にしようと思ってるんだ!」

 どっかで聞いたことのあるフレーズだった。

 手渡されたのは見事に身の詰まった立派なトウモロコシ。

 やっぱりでかい。しかも……重い! 何キロあるんだこれは!?

 マッチョマンが肩に担いで持ってきたけど受け取ったはいいが、重すぎて車椅子が傾きそうだ。

「あ、亜夜ちょっと待って!」

 慌ててアリスがトウモロコシを受け取る。

 が、重さがありすぎてコケそうになった。

「お、重た!? 何キロあるのよこのトウモロコシ!」

 抱きかかえるようにして漸く持てる。

 ポップコーンをこれで作るとか、正気の沙汰かユニさんという人は。

「なに、10キロぐらいだ」

「一本で10キロ!?」

 なんて重さだ。通常の何倍身が詰まってるんだこれ。

 アリスも唖然とするそのサイズ。お味の方が大変気になる。

 サイズがこれだと大味だとなりそうな気がする。取り敢えずこのサイズで爆裂させるのは勘弁して欲しい。

 アリスが抱きかかえたそれを、マッチョマンはこれまた規格外のサイズの大鍋に豪快に放り込んで茹でてくれた。

 地獄の窯よろしくの巨大なべ。どこから持参したのか特大のカセットボンベまで完備していた。

 青空の下、畑のど真ん中で取れたての野菜を食べるなんて贅沢だ。

 生でもいけるらしいが、茹でたときに本当の味がわかるとか。

 茹で終えたトウモロコシが机に横たわる。湯気がすごい。

 抱きかかえて食べるのは無理なので、剥ぎ取って皿に乗っけて食べてみる。

「頂きます」

 早速、大粒のそれを食す。途端、口の中に優しい甘さが広がった。

 甘いものでも食べているような味わい。これ……トウモロコシだよね?

「ど、どうだ?」

 マッチョマンは不安そうに聞いてくる。

 私は何度も頷いた。間違いなく美味しい。

 安い表現だが、今まで食べたもろこしの概念が覆った。

 言葉で私が言い表せない程、ただただ美味しい。

 私の反応が満足できるものだったらしく、おっさんは穏やかな顔をしていた。

「こ、これが……可能性の穀物……!」

 雅堂に至っては鳥肌を立っていた。

 愕然と、茹でたてのトウモロコシを見下ろしている。

 夢中になるように、私も雅堂も兎に角、貪り出す。

 冷める前に食べ終えないとこれは勿体ない。美味しいうちに、熱いうちに食べないと!

「みっともないわねぇ、亜夜」

「とか言いながら既に食べ終えているくせに何言いますか」

 アリスが苦笑して言うが、既に彼女は食べ終えている。つまりは美味しいということの証明である。

「確かにすごく美味しい。あたし、こんな美味しいトウモロコシ初めて食べた気がする」

 料理しても絶対美味しいと思うのは私も同感。

 雅堂は既に10キロのもろこしを一人で食べてしまった。

 もう一本手を伸ばして、無謀にもそのまま齧り付く。

 かなりの速度でがっつくのは……最早言うまでもないか。

「……嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。ここまで苦労した甲斐があったってもんだぜ……!」

 私達の態度に、感涙でむせび泣くおっさん。

 タリーアが後ろで恐る恐るそのもろこしを一粒食べて、味に感動して続けて食べている。

 目を輝かせて、ゆっくりとではあるが。赤ずきんは大きなトマトにかぶりつく。

 兎に角、みんな美味しい。もっと欲しいと求める手が止まらない。

 お昼はとても美味しい、可能性の穀物『ユニコーン』を食べることに夢中になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み。食い足りない私はアリスとグレーテルを連れて、そのへんをうろついていた。

 他にも危険物がないか見ているのだ。

「これも美味しいわよ亜夜、サイズの割に」

「品質は一流だと思いますここの畑」

 歩きながら腕に抱えている拳大のイチゴを食べてアリスは私に言う。

 例の異常成長した奴のアレである。一個もらって食べたが凄く上品な甘さで美味い。

「こっちも美味しいよ姉さん、食べる?」

「はい、貰います」

 私はグレーテルに揚げてもらったフライドポテトを一緒に食べる。

 ラプンツェルと仲良くしている、グレーテル曰く危険性のない紳士たちは現在彼女と果物の食べ放題を体験中。

 マーチはマーチで、作業員とお茶をしながら仕事のノウハウを熱心にメモしているのが見える。

 あの子もあの子で明るくなりつつあると感じながら、見回りを続けていると……。

「ん?」

 向こうでタリーアと赤ずきんが何か叫んでいた。

 こちらを見て、指差して叫んでいる。何事かと思って行ってみたら、

「大きなリンゴがあるんだけど、アレって毒あるのかな?」

 どうやら畑の隅っこで木になっている蒼いリンゴを発見したようだ。

 赤ずきんが聞いてくる。

「……やめてください、あれは毒ありです」

 見るからに普通よりも大玉。しかも私の翼のように蒼い。

 何と、童話の天然危険物を発見してしまった。

 白雪姫に出てきた蒼い毒リンゴ。まさか普通になってるとか誰が思う。

 ライムさんを無線でよびだして、危険物発見の報告をする。

 一応確認を取ってもらったがこのリンゴの木は畑の者ではなく、ここ数ヶ月で勝手に生えてるものらしい。

 土地の所有者はあの人たちらしいので伐採も提案しておく。

 調べるまでもなく、食べたら危ないものである。

 念の為人気がないのを確認して、私は魔女の状態で確認してみた。

 ……案の定、果実内部に魔女の呪い付きだ。食べたら仮死状態に陥るように作られている。

 みんな嫌そうにする。当然だろう、魔女の代物だ。

 これもライムさんに報告。直ぐ様飛んできたライムさんとおっさんが、どうするべきか話し合う。

 私達は二人と別れて、移動する。他にも危ないものがないか探していると。

 今度は……ラプンツェル達の畦道で集団が盛り上がっている。

 何事だ?

「亜夜ー!! 美味しそうなキノコ見つけたよー!」

 無邪気に言ってくるラプンツェル。

 作業員たちも焼いて食えるかどうか私に聞こうと考えていたようだが……。

 私は、遠目でそれを見て絶句した。というか、背筋が凍った。

 ギョッとした私を見て、不思議そうに二人が聞いてきた。

「亜夜……?」

「どうしたの、姉さん?」

 ラプンツェルがこっちに向かって駆け寄ってくる。

 作業員たちが取り囲んでいたのは大きなキノコ。

 多分異常成長したであろう、特大のキノコだ。

 それはいい。だが……そのキノコ達は……。

 私はたまらず叫んでいた。

 

「雅堂ォーー! 出番、出番ですからッ!! 早く来て下さいッ!!」

 

 アレは不味い。食える食えない以前の問題だ。

 触れただけでも非常にヤバイ。というか、なんでこの世界に存在するんだ!?

 聞いていないよ、あんな生物兵器!!

「えっ?」

「ね、姉さん?」

「亜夜?」

 三人に訝しげに見られても知るものか。

 アレだけは、私の世界の超レアな天然危険物なのだから。

「な、何事だ、一ノ瀬っ!?」

 何故かネギを手にした雅堂が駆け付けた。

 グレーテルとラプンツェルが顔を顰めるが、それどころじゃない。本当にあれは危険なんだ。

「雅堂ッ!! 今すぐあれを吹っ飛ばしなさい!!」

「あれ……?」

 私が指差すそれを見て、流石のこいつも知っていたようで血相を変えた。

 今にも、作業員の人が触ろうとしているではないか!!

 やばい、すぐに止めないと医者行きになる。

 目配せすると、雅堂は思い切り息を吸った。非常事態だ。

「そのキノコ、ちょっと待ったぁぁぁぁーーーーーー!!」

 流石にこの距離を走っていたでは間に合わない。

 雅堂が絶叫すると同時に、持っていた長ネギを振り上げる。

 大声に吃驚した作業員はこちらを見る。

 目に入るは、血走った眼鏡が自慢の長ネギを振り上げる光景。

 何と、走っても間に合わないと判断した雅堂は、生ものである長ネギを刀の代わりにする気だ。

「みんな、耳を塞いで下さい!」

 私は素早く言うと、普段より言うことを聞くみんなは耳をすぐに塞いだ。

「どおおおおぉぉぉりゃぁあああああっ!!」

 裂帛の気合で、長ネギを地面に叩きつける。

 すると。

 

 

 

 

 ――ドオオオオオオオオオオンッ!!

 

 

 

 ……彼が長ネギで叩いた先から放射状に、衝撃波が駆けたではないか!

 雷鳴の如き音と衝撃は、振り上げた途端に気合にビビって逃げ出した作業員のいた場所に直撃。

 爆音と粉塵を立てて爆ぜた。何だなんだと遠くで休んでいた人達がこっちに来る。

「やばっ……!」

 そんな雅堂の焦りのつぶやき。また力加減間違えたか……。

 煙が風で流される頃には、地面が扇状に伸びて抉られ、キノコを徹底的に破壊していた。

 その距離、約30メートル。その距離を、威力を保ったまま遠距離攻撃で爆砕させた。長ネギで。

 振るわれた長ネギは摩擦熱で真っ黒に焦げていた。

 おい、何が起きたんだこれは。私もビックリしたが、長ネギってあんなことできるのか。

 出来る訳がない。全部この人外の仕業だ。

「!?」

「……」

「――」

 アリス、言葉を失った。

 グレーテル、ハイライトが消えた。

 ラプンツェル、現実逃避でアリスからイチゴを奪って食べた。

 私、雅堂を褒めた。

「今回ばかりはナイスです、雅堂」

 あれまで壊されれば多分大丈夫だろう。一先ずの心配はなくなった。

 然し、何であんな生物兵器がここにあるんだ……。

「こ、これでよかったんだ……よな?」

「ええ。役所に連絡しても遅いですからね」

 だから、力ずくで粉砕した。それだけだ。

 雅堂はホッとした様子で尻餅を付いて、安堵している。

「な、なんじゃいまの音は!?」

「どうしましたか!?」

 おっさんとライムさんも、野次馬と共にこっちに来た。

 さて……説明しないといけないなこれは。

 何故雅堂を呼んだかというと……アレを美味そうと言った、ラプンツェルと作業員に問題があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言おう。

 連中が美味そうといったのは極めて気持ち悪い外見をしている。

 一言で言うなら、燃え盛る炎。あるいは、紅くなった人間の手。

 兎に角禍々しく異形な姿をしているそれは、分類はキノコだ。

 名前を、

「……カエンタケ、ですか……?」

 という。この世界ではかなりレアなものなのだろう。

 ライムさんですら知らなかった、図鑑にも乗っていない珍種。

 私の世界に稀に生えている、身近にあったら即役所か保健所に通報ものの、天然危険物である。

 カエンタケ。知ってる人は知っているが、触れてもヤバイ、食べるなんて論外の超毒性の強い毒キノコ。

 というかキノコと疑いたくなる外見をしており、普通食べようと思わない。

 人を殺すのに必要なグラム数はたったの3。3gあれば余裕で仕留めることができる。

 食べたら10分で症状がでて、あらゆる所をぶち壊して殺す最悪の兵器。

 大雑把に説明するだけでこれだ。触ってもダメ、食ったら論外。仮に生き延びても後遺症で人生台無し。

 良いことは何もない、最悪のキノコなのだ。発生する条件が難しくあまり見かけないらしいのに。

 何で一メートルもありそうなものまで成長してるんだここは。ナラ枯れとか起こしている様子はないのに……。

「ラプンツェル、触ってないですね?」

「う、うん……」

 みな、触れる前に雅堂が粉砕してくれたので間に合った。

 危険だと知らなかった彼らに、最強クラスの毒物であると何度も言った。

 あと知らないキノコは見つけても迂闊に食わないようにとも厳重注意しておく。

 因みにこれ、兵器というのは間違いじゃない。

 カエンタケの毒の成分はカビ毒だという。

 何処かの戦争の化学兵器に似たような成分を使われた歴史があるらしい。

 私も専門的には知らないけれど、言い切れるのはこいつだけは見ても触っても食ってもダメ。

 通報するところにして、自分は何もしないのが一番。

 こっちは対処する側なので今回ばかりは仕方ないけど……。

 よくよく調べてみれば、カエンタケの群生地みたいになってるところがいくつか発見。

 さっきの彼岸花の真っ赤とは違う意味で真っ赤になっている。

「遠慮しないでぶち壊しなさい! 徹底的に!!」

 燃やすことも触れないなら、この場で衝撃波で粉々にするしかない。

 正しい対処法なんて誰も知らないし、皆と相談して土に還すことにした。

 劇物といえど一応自然のもの。壊せば問題あるまい。ということで、人間兵器の出番である。

 発見して、矢面に立たされた奴はノリノリである。

「オッケー! こういうことなら僕に任せろ!」

 雅堂の一撃が地面をえぐり、大穴を拵え、土埃が注を舞い、クレーターを作成する。

 一帯ごと粉砕爆砕して始末する。こうするしかない。後は立入禁止で区別するとか。

 尚、得物がない彼はまたも食べられない長ネギを用いている。勿体ない気がするが……。

「……あいつって、人間なのかしら……?」

「多分、オバケかバケモノだと思うよ……」

 安全地帯でそれを眺めるアリスとグレーテルの会話。

 周りの心境は同じだろう。何で出来るんだあんなこと。

 私も驚きしかないが、出来るならやってもらおう。

 そんな感じで、毒物処理は最終的に雅堂にやってもらった。

 平和でよかった。……あれ、平和ってなんだっけ?

 後日、彼に作業員にならないかというお誘いがあったらしいが、その話は割愛しておこう……。



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鉄臭い頭巾を被って

 少女は、名前をシャルという。気の強く、家族想いの少女である。

 彼女は紅い頭巾をいつも被っている。理由は、祖母から貰った宝物だから。

 祖母は今でも、森の奥にひっそりと暮らしている。

 その森は、狼が沢山いることで有名な『ケダモノの森』と揶揄される樹海だった。

 ……本当に狼が沢山いるわけじゃない。確かに獣の狼もそれなりに居る。

 でも、ここで言うのは……蛮族達のことだ。女に飢えている、男たちのことだ。

 赤ずきん、シャルが男をケダモノだと豪語するようになったのは……。

 

 ――見るに耐えない、女性たちの嫌な現実を見続けた結果だった。

 

 何が起きていたかと言えば、筆舌に尽くしがたい悪行の数々だ。

 若き女性たちの人権を踏み躙る行為がこの森では日常的に日々行われていた。

 それを、訪ねていく度に一度は見ていたシャル。

 祖母が心配で、一人で暮らしている彼女は危険地帯に入るしかなかった。

 何時しか男は皆、そういう物だと思い込むようになった。

 自分が狙われたことだって何度もある。でも、彼女は決して負けなかった。

 純潔を守り続けた。それは、シャルが……強かったからだ。

 自衛の為に武器を持ち歩く癖をつけて、襲われるたびに賊を殺していた。

 殆ど知られてはいないが……シャルは、サナトリウムで唯一の殺人経験者だった。

 法で裁かれないのは、匿われているから。

 知っているのが前職員及び、現職員の雅堂。

 前の職員は……死んでしまった。キッカケは、シャルだったが。

 でもその人も最期には、狼に食われてしまったのだ。

 だから、今は現場で知っているのは雅堂。

 サナトリウム上層部の一部も認知している。そこには、ライムも入っている。

 サナトリウムが彼女を引き取っているのは、彼女は男を誰も信じていないのも大きい。

 無論、彼女も呪われている一人であり、このままでは外にはでられない。

 極度の、洗脳に近い性嫌悪、とでも言おうか。

 彼女は少しでも成人男性がその手のことを言動に表すと身を守るために殺しに行く。

 被害妄想的に、自分も襲われると思い込んでいる。

 日々、雅堂が襲撃されている最大の理由は、赤ずきんの言動だった。

 現にあの善人は何もしていない。なのに、彼女に何かあるたびに襲われて殺されかける。

 それでも何故生きているかと言えば、主に雅堂の常人離れした身体能力と危機察知能力。

 更にこれも修行だと考えを切り替え、マトモに相手して根気良く説得したこともあった。

 ……漸く、雅堂が信用に値する男だと理解し始めたところだ。

 過剰防衛だとしても、そうしなければ次も狙われる。

 無法者に、法を守りながら戦うのは若い女性のシャルには無理があった。

 生命も身も護るために相手を殺すしかなかった。

 ケダモノの森に住む祖母はこうなる前から、この森に住んでいる。

 つい最近までは至って普通の平和な森だったのに。

 賊が隠れ家として住み着くようになってからというもの、現在のような状態に陥った。

 なにせ、ここを拠点とする悪党が多過ぎる。警備隊も突撃しようにも結託されて返り討ちにされる。

 そんな地雷原を一人で歩いていれば、狙ってくれと言っているようなもの。

 幼少時より身の危険と男への不信感が隣合せだったシャルは、何時しか病み始めてしまった。

 それが魔女の呪いを呼び込んだのだろう。彼女もまた、呪われてしまった。

 『男への強制攻撃本能』。それが赤ずきんの呪いだった。

 彼女の琴線に触れる男を見ると、シャルは殺しに行く。そして本当に殺してしまう。

 悪気なんてない。本人も必死なのだ。汚い生物に襲われたくない一心なだけ。

 以前、魔女がまだ魔女になりたての頃。一度、祖母のお見舞いにその森に入った。

 当時の彼らの中は、新しい職員と担当される子供、ということであまりよろしくなかった。

 そこらじゅうで耳を劈く悲鳴が聞こえて、雅堂は初めてついて行って気が狂いそうになった。

 何事かと周囲を探るが、シャルがそれを止める。

「……気にしないほうがいいよ。ここじゃあ、いつものことだから」

「いつものことって……」

 唖然とする雅堂に、シャルは生気が欠落した双眸で見上げて告げた。

「言ったでしょ。ここは、狼の巣なんだって」

「……」

 ある程度、概要は聞いていた。

 有り得ないと思っていた。雅堂とて外の世界の出身だ。

 そんな人権を無視した無法地帯がある訳がないと甘く見ていた。

 だが、現実はこれだ。ケダモノの巣。つまりは、迂闊に入ればこういうことになる。

 慣れている様子で、歩き出す

 手にしたお土産のワインを届けに行くために。

 言葉を失いながらついて行く雅堂。耳を塞ぎたくなるような、木霊する絶叫の樹海。

 深く、薄暗い森の中の苔むした街道を歩く二人。

 道中、盛りついた薄着の顔が紅潮した男が数名、シャルを見つけて襲おうとした。

 手には斧や剣など武器を持っている。雅堂が防衛しようとしたその時だった。

「……」

 ダーツのように、シャルがナイフを取り出すや腕を一閃。表情はなかった。

 数本の煌めきが、立ち塞がった男たちの眉間に突き刺さり、呻き声を上げて倒れる。

「お前……!?」

「いいのよ、ここは。そういうところだから。通りたければ殺していくのが習わし」

 突然、目の前で行われた殺人。雅堂が驚いて責めるも、シャルはただ真っ直ぐに進む。

 倒れて死んでいる死体に目もくれない。

 混乱する彼に、帰りにはどうせ死体も消えていると説明。

 死人が当たり前に出るこの樹海では、

「理性があれば苦労しないわよ。……男は皆、こうなんだ。あんたも、あたしに何かしたら殺すからね」

「…………」

 殺意の篭った目で振り返って睨み付けるシャル。

 人殺しが殺すと脅すほど、シンプルで効果的な脅しはない。

 歩き続けるシャル。数分もしないうちに、背後から忍び寄ってきた発情した賊に雅堂も気が付いた。

 これ以上彼女に殺人をさせるわけにもいかない。相手が外道でも、殺すことをしたら同類になる。

 ……この善人に、悪いことを実行する度胸はない。ただ、結果的にいつも被害が拡大してしまうのだ。

 身に付けた絶大な能力を扱いきれない彼は、誤って落ちていた木の棒で賊を叩きのめしてしまった。

 明らかに骨格をへし折ってしまった感触が、手に残る。

「しまっ……!」

 加減を間違えてしまった、否。動揺して加減できなかった。

 当時の彼の無意識で取り付けたリミッターだけは何とか発動し、殺さずには済んだ。

 シミターを持って切りかかる相手を反射的に弾き飛ばし、袈裟懸けに殴った。

 木の棒が折れて、相手は吹っ飛んだ。

 相手の腕が、真逆の方向に曲がっている。

 転がって呻く賊は、憎しみの目で雅堂を睨め上げた。

「ありがとう。あんたは、あたしを助けてくれるのね」

 彼は、シャルの思っている男とは、違うようだった。

 例を述べるぐらいには感謝した。

 立ち止まり、彼の呆然とする前に進み、膝をおる。

 倒れた賊の近くで冷たく見下ろし、徐ろにバスケットに入っていた包丁を取り出しや、

「シャル、やめろッ!!」

 制止されたにも関わらず、彼女は容赦なく心臓に向かってそれを突き刺した。

 耳障りな悲鳴を上げて、賊は死んだ。

 深々と突き刺さる包丁を引っこ抜いて、吹き出す血の間欠泉の出来上がり。

 頭からその血を浴びた赤ずきんこと、シャル。

 でも頭巾をかぶっていたおかげで、血に濡れたのは彼女の顔だけだった。

「あんた。名前確か雅堂、とか言ったっけ?」

「……」

 顔だけで後ろを見るシャル。

 悲しそうな表情で、真っ赤な雫を頬から垂らし、黒くなった穴がこちらを見る。

「あたしさ、男って信用できないんだ。そのせいで、あたし呪われてるんだって」

 名を問われて、辛うじて肯定した雅堂が見たのは、呪いの本懐。

 魔女の呪いとその成り立ち故の性分によって、彼女は男に対して常に容赦ない。

 殺しても、自分の身を守るため。その大義名分で、実際ここではそのために人を殺す。

「ねえ、あんた職員なんでしょ? だったら、あたしを守ってよ。そうすれば……半殺し程度にしておいてあげる」

 そう言うシャルは、雅堂に言った。彼女なりに、妥協した結論。

 見た目は彼自身の呪いのせいで、まだ狼に見えている。

 でも、言動はまだマシだった。味方をしてくれるなら、半殺しで我慢する。

 以前の、シャルを護って勝利した男はもういなかった。

 後ろから疑心のシャルに刺され、狼に襲われて殉職した。

 シャルに淡い恋心を抱いていたせいで、疑われて背中を刺された。

 彼を殺したきかっけは、シャルの疑心暗鬼だった。

「この色、いいでしょ? 貰ったときは、真っ白だったんだけどね。……ここに来るたびに、真っ赤になるから。目障りになって、自分で紅く染めちゃったのよ」

 シャルの頭巾は、言うとおり最初は純白だった。

 だが繰り返し訪れる度、返り血で染まっていく。

 やがて変色して黒ずんでいくのを嫌がったシャルは自分で紅い染料で染め上げた。

 返り血よりも鮮やかな真紅で。これで、目立たない。これで、大丈夫。

「シャル……」

「ねぇ、返事は? あんたも、あたしに殺されたいの?」

 俯いて、奥歯を噛み締める雅堂に、空気を読まずにまた現れる賊が横合いから襲いかかった。

 本当に狼だらけの樹海。ケダモノの巣窟。身をもって知った、この世界の地獄の一つ。

 人の悪意、人の欲望が樹海という底に溜まって腐食した結果がこれだというのか。

 雅堂は善人だ。のちに、一の悪人(いちのせあや)に十の善人と皮肉られるほどの、お人好し。

 そんな彼には、ここは堪え難い地獄そのものだった。

 近づいてきた男に包丁を構えて、射殺す体勢に入るシャル。

 だが、雅堂が動いた。男の手斧をギリギリの距離で難なく避けた。

 その瞬間、普段は心掛けている剣の道を、捨てた。漠然とした悪意に何かに対する怒り、憎しみ。

 それが、彼の本能のリミッターまで解除する。眼鏡が、勢いで外れる。

 空振りをして、よろける男の首根っこを片手で掴み、近くにあった樹齢の長そうな大樹の幹に叩きつけた。

「ぐぇッ!?」

 絞め上げられて、苦悶の声を上げている男。

 その男の見下ろす先では、魔女に匹敵する殺気を出すおぞましい何かがいた。

「貴様……貴様らは、一体何だ。これだけは教えろ。貴様らは、一体何だ?」

 五本の指が、首に食い込む。強烈な圧迫感。

 濃厚な、堪えきれない殺意の篭った指が、男の呼吸を制限している。

「……」

 シャルのココロに、雅堂の態度が疑心の中に疑問を浮かべて、行動を一度停止させる。

 様子を見ることにした。

「貴様は婦女子を、道具とでも思っているのか? 己の下劣な欲望を処理するための、道具だと?」

「ぐっ……、がッ……!?」

 なんの話だと、顔が言っている。

 女は性欲を持て余している蛮族達の格好の餌。

 無法地帯ならば、女の行き着く先は大抵そんなもの。

 当たり前のことで怒りを表す雅堂を馬鹿を見る目で見ている。

 その視線が、答えだった。

「貴様ァッ!!」

 この時、雅堂というお人好しの理性のタガが外れた。俗に言う、キレた。

 普段こそ、良い行いを目指し、正しく生きていくことを務めている。

 だがこの時ばかりは、道を外れてもいいと本気で思ってしまった。

 正しようのない、絶対的な悪を見つけた気分になった。

 絞めてきた首ごと振り回して、放り投げ、苔むす街道の石畳に思い切り叩きつけた。

「ギャアアアアアア!!」

 無様な絶叫が女の悲鳴と嬌声に混ざって響く。

 石畳が爆音を奏で、陥没。男を叩きつけたことによる、純粋な勢いで数メートルの穴が開けた。

 穴に飛び込み、倒れる男の胸ぐらを掴んで罵倒する。

「やっていいことと悪いことの区別もつかないのか外道共ッ! それでも貴様は人か、人の姿をした悪魔かッ!? 痛みがわからないというのなら、今此処で知れッ!! これが貴様の陵辱してきた、女性たちの万分の一の痛みだッ!!」

 そのまま後ろに投げ捨てて、墜落して激痛で泣き出し不格好に逃げようとする男を追いかける。

「逃がすかァ……ッ!」

 宛ら、日本でいう鬼。シャルは黙って眺めている。

 鬼気迫る雅堂は、眼鏡のないせいで霞む視界の中でも、逃げようとする卑怯者のクズはしっかりと捉えていた。

 男の声に気がついて、近くの草むらから次々賊が現れてくる。

 殺されかけていた仲間をみつけて、得物を手に雅堂に怒り、襲いかかる。

 相手が悪いことを、奴らは自覚していなかった。

 気配を察知して、掃除しないといけないゴミが増えた。

 これは正義の鉄槌だ。

 肉欲に溺れ、人権と尊厳を軽んじた愚者達に与えれるべき、裁きの一撃。

「報いを受けろ、クズ共ォッ!!」

 正しき怒りと吐き出したい憎悪を纏い、雅堂はこの時……暴力を選んでしまった。

 彼は一人で、十数人は居るであろう賊を相手に殺し合いを挑まれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さっきの答えだけど。僕で良ければ、シャルのこと守るよ。今度ここに来たときも、僕が安全を約束する」

 我に帰った雅堂が見たのは……瀕死の重傷を負っている男たちの死屍累々。

 痙攣しているから生きているんだろうが、周りは負けない真っ赤な地獄絵図。

 自分の拳は……肘まで両腕が、血に塗れている。

 転がる自分が叩きのめした連中を見下ろして、静かに彼は返答した。

「ふぅん。……まぁ、あたしの為に身を挺してくれたんだ。殺すのは勘弁してあげる」

 行動を持ってして返答する彼にシャルは了解。彼は信用に値する。

 但し、それはあくまで暫定的な信用であって、信頼ではない。職員として、一時的にだ。

 もしも何かすれば、容赦なくその時は、半殺しにするだけ。

「まだ、先は長いよ」

「分かった。もう、いい。僕も次にここに来るときは、心を捨てるよ。地獄に良心は必要ない」

 祖母の家まではまだまだ先だ。

 街道に出来上がった瀕死の男共なんて自業自得。捨て置けばよいのだ。

 ここに理性を持ち込めば、気が狂う。雅堂は決めた。ここにくるときは、こちらも鬼になろう。

 鬼でなければ地獄は闊歩できない。人のままでは、ここにいるのは不可能だと判断する。

「早く行こう……。僕はここに長居したくない」

「同感よ。あたしも、ここにいたらどんどん人を殺しそう」

 二人はまた、街道を歩き出す。ここは悪い意味で特別な場所。

 早く出たいと心底思う。数十分かけてたどり着いた彼女の祖母の家。

 念の為聞いていると、ここの賊は害獣と同じ。殺しても誰も責めないと祖母は朗らかに笑う。

 人を殺すという話題なのに、お祖母さんは気にしていなかった。

 これが、ここで生きるということの意味。人と相手が見ないならこっちも見ないという理屈。

 赤ずきん――シャルの言動の謎がこの時、雅堂は知った。

 以来、うかつなことはしないようにしているが、結果として毎度巻き込まれてしまった。

 サナトリウムに戻れば、何時も通り二人は馬鹿騒ぎをしながら過ごしていく。

 だがここにくれば、シャルは人を殺すし、雅堂は心捨てて鬼となる。

「……」

 嫌な夢を見るものだ。夜、人気ない自室の布団の上で、彼は目を覚ました。

 脂汗を滲ませながら、彼は悪夢を振り払うように頭を振った。

「クソッ……」

 後悔しているんだ。自分は相変わらず、心が弱い。

 あのときから数度、樹海を訪れているが、シャルに人殺しをさせないために雅堂が暴力を振るっている。

 説得は不可能。言葉で通じないともう目を見ればすぐにわかった。

 連中は浅ましいケダモノだ。野生の支配する人間は、畜生と同じだとイヤでも解する。

 だから、力ずくで屈服させていつも進んでいる。

 あんな所を小さな頃からずっと行き来していれば、彼女が――シャルが壊れてしまうのも納得できる。

 現状、同行してシャルの行動を制限するしか自分にはできない。

 きっと、魔女なら。あの悪人と自称する魔女なら、違うやり方をしているんだろう。

 例えば、あの森にいる人間全てを呪って自滅させたり。

 あるいは焼き殺して火葬してしまったりとか。

 あいつなら、やりかねない。いや、思い至ればやるだろう。

 血で血を洗う生臭いやり方を。だが、雅堂はそれを選べない。

 最善ではないと知っている。だが、最悪な現実をいつまでも甘んじている。

 どっちを選んでも、どっちが正しいのかわからなくなる。

 あのメンタルが自分にあれば、変わることができたのだろうか?

 シャルの運命を、変えることが。

「……」

 所詮、無い物ねだりだ。自分は物理的に強いだけのただの高校生。

 彼女のように人を捨ててまで目的に迫れる心の強さはない。

 少しだけ、羨望があるのは秘密だ。魔女は、自分にない強さがある。

 人では到達できない次元を大小を支払い簡単に到達した。

 後悔もせずにひた走るあの図太さは大したものだ。

 彼女の呪いを解くには相当努力が必要だ。魔女とは違い、進展に乏しいと思う。

 努力あるのみの実直な男は、寝直した。下手に起きていると明日に響く。

 出来ることをやるだけというバカ正直を体現した雅堂は、心を静めて眠る……。



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酸っぱい鯛焼きと落ちた今川焼き

 三月も中頃。そろそろ暖かくなってくる今日この頃。

 休日に私は、近所の商店街に来ていた。

「なぁ……一体、僕に何を奢らせるつもりだ?」

「黙らっしゃい変態。今考えてるんですよ」

「変態言うな!」

 連れに優男を連れてきた。暇してるだからいいだろうが。

 なぜこいつを連れてきたかと言えば、主に話し相手。

 偶然、赤ずきん――今頃本名がシャルというらしい彼女に追われて逃げ場を探していた彼を捕獲して、一日食事を奢ることを条件に匿ってやった。

 泣く泣く食事代だけで股間が死にかけるのを免れるならと、付いてきた。

 やった、思わぬ収入。ご飯代浮いた。これで後でみんなにお土産でも買おう。

 今日はみんな、それぞれ用事で居なかった。

 なので、お供にこの男を連れていく。

 最早、こいつに私相手に何かしてくる度胸はない。

 バレたらシャルに引き渡して引導を渡してもらうだけだ。

「ほれ。アレを私に奢るのです、雅堂」

 移動式の屋台を発見。車椅子を押させる雅堂に命令する。

「くそぅ……。人の弱みにつけこむとか、悪魔かこいつは……」

「魔女です」

 財布を取り出し小言を言いながらホットサンドを購入させる。

 今日は一日、こいつの財布から捻出して食べ歩きを計画している。

「おう、何だよ兄ちゃん。彼女に奢るくらいで、文句いってんじゃねえよケチ臭ぇ」

 屋台のおっさんにからかわれて、カップルと間違えられた。

 やっぱそう見えるよね。車椅子を引っ張る男女二人だもの。

 間違えたおっさんに罪はない。私も無罪。全部雅堂が悪い。

「ほれ雅堂。間違えられたお詫びとしてそっちも奢るのですよ」

「理不尽ですよねェ!? 否定したいのは僕も同じですよ!?」

 とか言いながら奢らせる。文句を言うと、フラグになるのに。

「口答えすると後で怖いですよ?」

「こ、この外道めぇ……!」

 余程シャルが怖いらしい。咄嗟に内股になっている。

 こいつが玉無しになるのはそう遠くないかもしれない。

 ギリギリ歯ぎしりさせながら、私にたい焼きを奢る。

 さて、人の奢りで食べられるたい焼きだ。二つの意味で美味しい。

 紙袋から取り出して食べる私と、ムスっと不貞腐れた顔で車椅子を押す雅堂。

 こいつは人に頼まれる、集られるなどをされると断りきれず逃げ切れず、押されるままにされる。

 本当に利用価値があるので、魔女らしく存分に使わせてもらおう。

 人の良い奴は便利だね。好き放題できるよ。そこまで酷いことはしないけど。

「一ノ瀬、それ僕の鯛焼きじゃ!?」

「んあ?」

 彼が止めたのは最後の一個の鯛焼き。

 私が口を開けて食べようとしてたのだが、どうやらこれは自分の分だったらしい。

 ちょっと休憩しようと、街道脇に設置されていたベンチに腰かける。

 私は彼の隣で車椅子を停止した。

「ちょ、食べないでよ! お腹すいてるからこれから食べようと思ってたのに!」

「…………」

 ふぅん、お腹すいてたんだ。だからどうした。

「いただきまーす」

「言うとるそばから食べようとすな!」

 両手で尻尾をつかんで食す私を妨害する雅堂。

 横からひったくろうとして腕を伸ばす。

 何とか奴に渡すまいと抵抗して、死守する。

「このっ! だから僕のだってんだろうが!」

「知りませんよそんなこと! 私が食べるんです!」

「お前はどこまで外道なのさ!?」

 下手に私に触るとセクハラがどうとか言われてチクられ、後でシャルに襲われる。

 迂闊に動けない奴を尻目に、私は何とか最後の一匹を抱きかかえて守り通す。

 そんな攻防を繰り返すこと、数分。

「……もういい。それあげるから食べなよ……」

 雅堂はたい焼きを諦めた。私に刃向かうからこうなるんだ。

 ドヤ顔で勝ち誇る私に、渋い顔で雅堂は腕を組んで唸っている。

「べ、別にいいしな。どうしても食べたかったわけじゃないし。そのたい焼きは酸っぱい味がするんだ。食べなくて寧ろよかったよ」

「フッ、負け惜しみを……」

 無様な敗者のやっかみが心地いい。

 そうやって自分が食べようと思っていた、たい焼きが食べられるところを指をくわえて眺めているがいい。

 見せつけるようにしていると、ますます渋い顔をされた。ざまあ。

 負け惜しみまで言っている。酸っぱいたい焼きなんてあるわけないだろうに。

 あったら私がさっきのおっさんを呪っているところだ。

 甘い味を期待して、頭から豪快に齧り付く。

 途端、

「!?」

 口の中に、刺激的な味が広がった。

「びにゃッ!?」

 何だこの味!? 

「ファッ!?」

 悲鳴を上げてたい焼きを反射的に飲み込んだ私を見る雅堂。

 奴も奴でコッペパンをさっき一緒に購入しており、それを食べていて、驚いてのどに詰まらせた。

 私も、強烈な酸味がするたい焼きの頭を丸呑みして、喉に詰まった。

 二人して悶え苦しむ。私は飲み物を欲して、雅堂は酸素を欲して。

 雅堂がジェスチャーで飲むものを買ってくるとダッシュして行く。

 私は私で胸を叩いて押し込むが無駄な抵抗。酸味が喉を焼く。

 魚を頭から丸呑みするってペンギンでもあるまいに。奴らなら上手くいくが私が無理だ。

 お茶を購入してきた雅堂が猛ダッシュで戻ってきて、私に手渡して自分も一気飲み。

「んぐっ……んぐっ……」

 一度残った鯛焼きの胴体を紙袋の上に置いて、私も兎に角流し込む。

 何とか押し込むと、大きく息を吸い込んだ。

 し、死ぬかと思った……。何だいったい、ばちでもあたったか。

「……?」

 恐る恐る勝ち取った、たい焼きを見る。

 見た目は普通のたい焼きだった。ニオイが……なんか変だ。酸っぱい匂いがする。

 もう一度少しだけ齧ってみると。

「みぎゅぅ」

 思わず、眉を顰めて変な声が出るような味だった。

 何というか……葡萄にレモンの酸味を加えて濃縮したかのようなキツイ味。

「一ノ瀬……。だから、酸っぱい味がするって言っただろ……。それ、濃縮激スッパ葡萄味だぞ?」

「どんな味を注文してんですか貴方は……!」

 鯛焼きの色物チョイスしてやがったこの野郎。

 むせながら、互いに涙目になっていた。

 怖いもの見たさで注文して、私が奪って負け惜しみとか思ったら本当に酸っぱいじゃないか!

 もういらない。食べられるかこんな劇物! あのおっさん、次あったらマジ呪う。

「……尻尾の方、食べます? 中身まだ入ってますけど」

「お、おう……。食べられる可能性に僕は賭けてみたい」

 まだ興味があるようで、勇気ある蛮行を行う雅堂。

 間接キスとか死にたくなるので、残った胴体をちぎって、彼に渡す。

 少しの部分はお茶で流し込んで私が食べた。やっぱり酸っぱすぎてキツイ。

「ぉぉぉぉおぉおおお!?」

 思い切って全部口に入れるや、ベンチから転がり落ちる。

 フッ、馬鹿な男。可能性(さんみ)に殺されたか……。

 それでも吐き出さないのは意地ということにしておいてやろう。

 結局勝つのは正義ではない。最後の最後で勝利するのは、悪なのだ。

 存分に苦しむがいい。それが雅堂の挑んだ可能性という名の酸味だ。

 口の中を蹂躙し、辛味ではないのに著しく痛い強すぎる酸っぱさ。

 私は際物枠には挑戦しない。無難でいい。無難にしてください。

 取り敢えず、落ち着く前で10分ほど要したのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ食べ歩きは続ける。

「次はもっとまともなものを食おう、な? 一ノ瀬」

「くっ。今回はしてやられましたが、次は負けません」

「何か勝負してたっけ!?」

 負け惜しみなんかじゃない。

 私はお茶ありで飲み込んだのを自力で飲み込んだこいつに負けた気がするなんて思ってない。

 こいつが人間じゃないだけだ。

 そうだ、こいつは人間じゃないんだ。

 ……私も半分人間じゃないけど。

 再び商店街を歩く。まだだ、まだ終わらない。口直しにまだ奢らせてやる。

「アレを奢りやがるのですよ」

「お前は……」

 今度は今川焼きを発見。焼きたてのようなので屋台に行く。

 彼は苦笑いして私に聞いてくる。

「何だ、回転焼きが食いたいのか?」

「?」

 今何か、聞き覚えのない単語を言った?

 何だ回転焼って。

「回転焼き? ……今川焼きですよ?」

「えっ?」

 私が問い返すと雅堂も驚いてた。

「い、今川焼き? それって焼き物の陶器じゃないのか?」

「……いえ、アレのことです」

 私が指差して、今川焼きを示す。すると雅堂は、

「いや、アレは回転焼きだぞ?」

 ……おや。どうやら、認識の差があるようだった。

 ちょっと整理してみよう。

 私はあの物体を『今川焼き』と言っている。

 それは元いた世界でそういう風に周りが言っていたからだ。

 ゆえに、私にとって『今川焼き』はイコールであの物体のことを言う。

 然し、この眼鏡はあの物体を『回転焼き』と言っている。

 ……つまり? 

「イラッときました。アレは今川焼きです。それ以外ありえません。間違っているのは雅堂です」

「ちょっと待て、何で張り合う気満々なのさ!」

 うるさい、私があの美味しいものを違う名称で呼ばれるのが嫌なだけだ。

 私は譲らないぞ。私は間違ってない。私が正しい。

 つまり!

「私が悪です。雅堂は正義です。従いなさい、正義が正しいとは限らない」

「分かったわかった! もうそれでいいから!!」

 私がそう言うならそういうんだ。 

 五月蝿い反抗するなシャルに言いつけるぞ。

「何でこんな下らないことで言い合ってるのかねぇ……」

 私もなんでこんなことで熱くなってんだろうか。

 まぁどうでもいいので、早く奢らせる。

 屋台の前で痴話喧嘩をしていると思われたのか、屋台のおじさんが生暖かい目でこちらを見ていた。

「…………」

「いてえ!? 何すんだオイ!!」

 こんな男のせいで、公衆面前で酷い辱めを受けた。恨み返しに背中をグーで殴った。

 後でチクってやるんだから……覚えてろ。

「なして殴ったし……?」

 雅堂はボヤきながら、今川焼きを幾つか購入。

 数がやたら多いのはなんでだ?

「一ノ瀬、お土産分まで食べるなよ。先に言ったからな?」

「了解です」

 なんだお土産のぶんか。仕方ない、我慢しよう。

 がさがさと受け取った今川焼きを持って移動。

 肩を竦める雅堂に連れられ、また適当に座れそうなところに向かう。

 そうするはいいが……。

 どんっ!

「うおっ!?」

 雅堂に後ろから誰かにぶつかって、つんのめる。

「わぁ!?」

 食べようと思っていた今川焼きが衝撃で、私の手からすっぽ抜ける。

 手から滑り落ちた円形のあいつは、転がって……。

「あぁ……!」

 近くにあった、水の入って飾られたままの商店の大きなツボにドボン。

 水の中に……私の今川焼きが沈んでいく……。

 私の……今川焼きが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、大丈夫か?」

 心配した雅堂が振り返って問うと、小柄な黒髪の少女がいた。

「……」

 俯いているが、恐らく雅堂と同年代の女の子。

 日本人のように長髪の黒髪。何故か漆黒のエプロンドレスを着ている。

「……?」

 あれ、と雅堂は首を傾げる。この子、どこかで見たことのあるような。

 だが、女の子は何も言わずに走り去っていった。

 あの様子なら怪我をしていることもないだろう。

 呆然とツボを見て死んだ目をしている亜夜の横を通りすぎる。

 去っていく後ろ姿を見送る雅堂。多分、大丈夫だとは思う。

 亜夜のその瞬間、ほんの刹那だけ、瞳が真紅に染まった、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(……アリス?)

 いや、違う。あの子は今ここにはいない。

 カラスみたいな真っ黒な姿は私のアリスじゃない。

 あんな澱んだ姿はしていない。他人の空似だ。

 なのに……たった今通り過ぎた少女の残り香が、私の気を引く。

 鼻腔を擦るこのニオイは、アリスと……同じ?

「一ノ瀬、お前は大丈夫か?」

「……………………」

 なんだあの子。

 一瞬だけ、脇を走り抜けていくときに私のことを見た。

 目があった。私の目を見て、ニヤリと私のように口を釣り上げて邪悪に嗤った。

 アリスに良く似ていた。まるで、髪の毛を染めて服を着替えたあの子そのもの。

 あの黒い瞳は、何だ? 私を知っているかのように、何かを言っていった。

 一秒にも満たないコンマの世界で、通り過ぎたあの子は……何といった?

「……」

 また、今度。また今度……か?

 また今度、何だって言うんだ?

「あなたが落としたのは、この金のクリーム大判焼きですか? それとも銀のチーズ大判焼きですか?」

「あんた誰ェ!?」

 ……それに、私の態度も気になる。

 意識していないのに、いきなり魔女の状態になりかけた。

 通常、私は自分の意思でなければ魔女にはならない。

 なのに、先ほど無意識で権限しかけた。それは……何故?

「ええと、一ノ瀬はどっち落として……。聞いてねえ……」

「で、どっちを落としたんですか? 正直に言わないとわたし、両方食べちゃいますよ?」

「おい待て! それはお前のじゃねえから!! 一ノ瀬のだから!!」

 …………。

 また今度、という言葉。あの不気味な笑顔。

 ……アリスに、また何かが起きている?

 あの子だけは呪いが特別だ。 

 心と呪いが一体化しているから、私でも解除できない。

 あの子に何かあれば、私がどうにかしないと。

「っていうか何でツボから人出てくるの!?」

「わたしは人ではありません。ツボの中にいる女神です」

「神様だと!? 回転焼き持ってる神様ってなに!?」

「さぁ……?」

 確か、サナトリウムに電話は通じる。

 アリスに何かあったかもしれない。連絡しないと。

「あむ……。うん、蕩ける甘さがベストマッチ。美味しいですねぇ」

「オメーって女神は!! 金返せ! 人のもの勝手に目の前で食うな!!」

「え? お金ですか? ……だってほら、わたし女神ですし。ありません」

「巫山戯んなァ! 神様だからってフリーダムが通じると思うなよ!!」

「彼女が選ばないから両方食べちゃったんです! 選べっていうのに選ばないはイコールでわたしのです!」

「横暴も大概にしとけ女神様! 買った人間のもんだろうが!!」

「最初に言ったじゃないですか、選ばないと食べちゃうって!」

「いえば許されると思うか普通!? そこは待ってるか僕に聞けよ!」

「じゃあお兄さんが選んでください! 落としたのは食べかけのどっちですか!」

「両方いらんわ! 二つとも食べやがって!! 持ってけチクチョウ!」

「正直に答えてくださったので、これどうぞ」

「いやまず謝ろうな!? どうぞじゃなくて!」

「黄金の今川焼き、白銀の回転焼き、鉄臭い大判焼きです」

「話を聞け、そして最後の最悪だ!! 鉄臭いってそれアウト、アウトォ!」

「そ、それでは失礼しますね。御馳走様でしたー」

「待てやァ!! クソ、食い逃げかこの盗人女神ィィィイィィ!!」

 周りがうるさいけど、電話の向こうで困惑してるのがしっかり聞こえた。

 軽く説明したけど、曰くアリスには異常なし。だけど……。

『亜夜、あたしそっくりの奴を見たの?』

「ええ」

 電話を変わったアリスが神妙な声で言った。

『マリスな訳、ないわよね……。あいつはもう二十歳越えてるし……』

「マリス?」

『前話したでしょ。あたしの姉よ』

 そういえばアリスには出来の良い姉がいたとか言ってた。

 年離れているというし、私のことを知っている訳がないから有り得ない。

『もう一人のあたし? ……そんな、あたしはあたしよ?』

「そうです、アリスは一人しかいません」

 そうだ。アリスは一人だけのアリスだ。

 私のアリスは世界に一人。それは絶対だ。

『……また、あたしの呪い?』

「いいえ。それは無関係です」

 呪いが本人と分離して自立するなんてナンセンスだ。

 況してや、なぜアリスとそっくりな姿をしている。

 説明ができない。

『……亜夜、早めに帰ってきて。詳しく教えて欲しいわ』

「はい」

 ここでは何もできないし、雅堂だって目撃している。

 早めに戻ってちょっと話をしなければ……。

「雅堂?」

 電話を切ると、水の入ったツボ相手に彼は叫んでいた。

「テメェ許さねえからな、覚えてろよ!!」

「……?」

 何を怒ってるんだこいつは。

 それに何だあの金ぴかと銀ピカと血みどろの今川焼き。

 私の今川焼きは……あ、ツボに落ちたっけ。

 それで怒ってるならツボじゃなくて店主だろうに。

 いや一番悪いのはあのアリスもどきだけど。

 仕方ない、それは後で自腹だ。お土産買って早く帰ろう。

 その日は、謎のアリスとすれ違うという不安が残る一日となった……。



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黒アリス 前編

 以前サナトリウムに現れたチェシャ猫は知っていた。

 実は、もう一つ。アリスが屠るべきバケモノが不思議の国にはいたことを。

 嘗て、アリスが不思議の国で殺したバケモノの名は『ジャバウォック』。

 魔獣の二つ名を持つ不死の怪物で、魔剣ヴォーパルソードで屠られた。

 そしてあの世界にはもう一体、怪物と称されながら知られていなかった怪物がいた。

 極めて凶暴でありながら、その知性は人間の比ではない。

 その怪物は魔獣と違い、ハッキリとした自我があり、上手に隠れて生きてきた。

 だが、長い寿命を持つバケモノは流石にその世界の中だけで生きていくのを退屈と思っていた。

 新しい世界がみたい。もっと未知の場所へ行ってみたい。その欲望が、バケモノに新しい力を与えた。

 もともとバケモノは『無形の異形』と言われていた、姿なきバケモノだった。

 固定された姿はなく、人によっては狼に見えたり、人に見えたり、猛禽に見えたり魚に見えたりする。

 確実なのは、必ず見た対象の畏れるモノになることだった。

 ひっしりと生きることを謳歌していたバケモノだったが、退屈だけは嫌いだった。

 バケモノはこの能力と引換えに、新しい世界に行くための姿を手に入れた。

 嘗て不思議の国で大暴れし、多量の虐殺を行なった大罪人、アリス。

 その姿を、形なき姿を固定化することで模倣したのだ。

『……これが人っていうやつなのね。悪くないわ』

 彼女の残された記録を奪い真似し、衣装までそっくりに作り替えた。

 漆黒の長髪、黒いエプロンドレスに、黒い瞳。

 小さな子供では不便だから、少しばかり成長させてみた。

 こうすれば、違う概念の世界にも順応できるだろう。

『待ってなさい、新世界。アタシを楽しませてみなさいな!』

 バケモノは、不思議の国を後にする。

 世界から出る方法は簡単だ。あの猫を脅して、無理やり外側に行けばいい。

 バケモノはアリスの姿をコピーして、外の世界に飛び出した。

 その時はまだ、新世界を楽しむという純粋な目的のためだった。

 だが、バケモノは知ってしまった。

 旅立った先の新世界で、成長したバケモノ殺しの大罪人を見つけてしまったのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論、私と雅堂が見たアリスは他人の空似。……と、言えればよかったんだけど。

 雅堂もハッキリ見たわけじゃないようだし、でもアリスに似てる気がしたとは言っていた。

 私はなんだか胸騒ぎを感じてしまう。一体、なんなのだこの嫌なモヤモヤは。

 説明しにくいし、とても怖い。

 私は、その日大人しく眠った。なんだこの感覚は。

 誰か説明して。アリスに、何が起ころうとしているの。

 アリスも何も分からないと言っていた。魔女の私でも追いつけないことなの? 

 私には、どうにもできないというの……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 夜中、アリスは目を覚ます。

 不穏な空気を感じていた。この感覚を、幼少時からアリスは知っている。

「…………」

 絡みつくような気配。自分が、狙いか。

 何処からか、上半身を起こしたアリスを見つめている。

 予感がある。肌を不自然にピリピリする。あの化け物を殺した時と同じ。

 強い、殺意の色だった。空気を通して、突き刺す嫌な感覚。

 仕掛けてくる様子はまだ、ないけれど。

 ここにいては皆を巻き込む。場所を変えよう。

 足音を殺して、アリスは移動を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 取り敢えず、人気ない正面玄関を抜けて、正門近くに来た。

 ここは以前、雅堂と親衛隊がやりあった場所で、そこそこの広さがある。

 月明かりが照らす広い広場。そこに、アリスは着替えてここにいる。

 お気に入りの蒼いエプロンドレス。いつも着て何着も微妙にデザインの違うものを持っている。

 一人佇み、月を見上げる。綺麗な、まん丸の満月だった。

「……」

 誰か、来る?

 正門の方から、足音がする。

 規則正しい足音は、月明かりで照らされる広場の中で、止まる。

 アリスが顔を見下ろしてその人物を、よく見る。

『こんばんわ、アタシ』

「こんばんわ、あたし」

 ……アリスにそっくりな女の子だった。

 不敵に笑う表情は、自分には浮かべることはできないだろう。

 髪の毛は殆ど同じ長さ。違うのは、エプロンドレスと瞳が蒼か黒か。

 金髪のアリスに、黒髪の彼女はこう言った。

『っていうのは、冗談よ。初めまして、かしら?』

「……誰よ。あんた?」

 アリスは知らない。自分の嘗ての姉はここまで似ていない。

 年だって離れている。こんな奴、アリスは……知らない。

 呆気なく、黒アリスはその正体を明かす。

『アタシ? アタシは『バンダースナッチ』。アンタが随分と前にぶっ殺してくれたあいつと同類って奴かしら』

「……ッ!?」

 バンダー、スナッチ……?

 名前を聞いて身が強ばった。名前だけは知っている。

 存在が不確かだった、もう一つのバケモノ。

 不思議の国の住人ということなのだ。何故、こちらの世界にこいつが来ているのだ。

 アリスは戦慄していた。名を伏せたあいつの名前は、ジャバウォック。

 不死と謳われた最強の一角である、魔獣。アリスがあの世界で泣きながら殺した、最初の人外。

 チェシャ猫もそうだったが、何故夢の世界であるあいつらがこっちにこれる。

 それと同類ってことは……まさか。過去の経験がデジャヴする。

『まぁ、そう警戒しないで。アタシは面白ければ、それでいいの。この姿だって、たまたま使えそうだったから使ってるに過ぎないし、戦う理由はないはずでしょ』

 ケラケラ笑って、黒いアリス……バンダースナッチは言った。

 敵意はないが、殺すつもりはある。そういう意味だとアリスは受け取った。

 面白いと思えばアリスを殺す理由にはなり得ると。

「……サナトリウム(ここ)に、何の用事があるのよ?」

 バンダースナッチは、またも簡単に目的を語る。

『昼間、ちょっと街をふらついていたら面白い奴を見かけたのよ。魔女って言うらしいわね。ハートの女王みたいな、見るからに危険なニオイがする奴がいたから、暇潰しに追ってきただけ。そしたら、もう一人のアタシ(オリジナル)も居たから見ていたのよ』

「……つまり、ただの……」

『そ。ただのこっちの世界に来たついでの暇潰し』

 こいつがこの世界に来たのは、不思議の国に飽きてきたから。

 面白いことを探しに、姿を得て冒険の真似事をしてきていただけ。

 いうなれば、バンダースナッチ――黒アリスにとっては、旅行みたいなもんだった。

 ネタバレしておくと、チェシャ猫という案内人がいて、姿さえあれば次元なんて簡単に越える。

 面白そうなことを探しに、黒アリスはこうしてフラフラしているだけのこと。

『で、さぁ。もう一人のアタシ。お願い、なんだけど』

「何よ?」

 気さくに話しかける黒アリス。本性は凶暴だと聞いているが、話は通じる。

 知っている知識とだいぶ違うのだが、その場で対応するしかない。

 だが、本性はやはりバケモノだった。

 

『あの魔女。殺していい?』

 

 耐え難い質問を投げかけてきた。

 面白そうだから、殺す。面白そうだから、壊す。

 そういう性根は、変わらない。バケモノは結局それだ。

「……。亜夜は、殺させない」

 禁句に等しいことを言われた。

 亜夜を殺す。殺すつもりなら、アリスの敵だ。

 アリスは、亜夜を護る。家族を奪う相手は、殺す。

『……じゃあ。あんたが代わりに……死んでくれる?』

 アリスの顔をして、嬉しそうに無邪気に喜ぶ黒アリス。

 手を振るい、虚空から何かを取り出した。

 それは無骨な大きな剣(クレイモア)。赤黒い刀身で、凄く鉄臭い。

 片手で持ち上げて、邪悪に嗤って肩に担ぐ。

「やらせるもんか……」

 アリスも、ポケットからヴォーパルソードを引き抜いて構える。

 薄いガラスの剣が、月光を跳ね返して煌めく。

『へー。それがアタシを殺せる唯一の武器ってわけ? いいじゃん、嫌いじゃないけど?』

 楽しそうに、黒いアリスは挑発する。

 相手は愉悦のために家族を殺そうとする怪物。

 強さは言うまでもないだろう。

 人外相手で最悪、雅堂の時と同じ結果になるかもしれない。

 それでも、戦う以外に道はない。

 剣と剣。互いに構えて夜天の下で、戦争を始める。

「殺してやる」

『やってみな』

 怒るアリスと嗤うアリスの、殺し合いの剣戟が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスは正直、剣の使い方など知らない。

 我流で、動きなんて本能でやっている。

 ヴォーパルソードだけを扱えるように何故か、なった。

 強いか弱いか。雅堂のように使い方を知っている相手には勝ち目はない。

 そして、もう一つ。本能を持つ理性ある生き物にも、勝ち目は薄い。

『あははははははッ!! どうしたのよ、ねえオリジナル!! アタシ殺すんでしょう!?』

 大剣とは思えない軌道で襲い来る刃。それは最早斬るではなく、潰すだ。

 質量をもってして叩き潰す。そういうやり方をする武器。

「くっ!?」

 力任せに叩きつけられる一撃を横に転がって回避。

 地面に食い込んだ刀身を持ち上げて、追撃で振り回される。

 横凪ぎ一閃。下手に防ぐと骨を持って行かれる。

 素早く起き上がって、軸線から逃げる。

 何てパワーと速度だ。段違いの強さだ。

 舌打ちしながら、距離を離して、

「ッ!」

 呼吸を整え、大胆に懐に飛び込み突き刺す。

 あの大きさなら、懐は空いている。目論見通り、黒アリスに突き刺さる。

 が。

『効かないっての、こんなもん!』

 血反吐を流して笑って、紅く濡れる刀身を捕まれる。

「!?」

 痛みが麻痺しているのか、殺し合いを楽しんでいるのか。

 こいつは、切っても刺しても怯みやしない。

 しまったと思った。得物を掴まれた。これではソードが動かない。

 アリスは焦って、自分と同じ顔を蹴飛ばした。

 大剣を持ち上げて、ミンチにしようとしていた黒アリス。

『ぬぁ!?』

 足底が顔面に叩き込む。

 漸く怯む、というか驚いて手を離した黒アリス。

 距離をあけて、再び切りかかる。こいつに刺突は禁物だ。カウンターされる。

 こうなったら、滅多切りにするしかない。切れ味だけなら、ヴォーパルソードは一級品だ。

『遅いんだってば!』

 戦闘中によくもお喋りできる余裕があるもんだ。

 アリスは集中してそんな余裕はありはしない。

 切りかかったのを全部先回りして防御して、最低限のダメージで済ませて反撃される。

 袈裟懸けに、真横に、縦に、殺すつもりで剣を走らせる。

 楽しそうに、黒アリスは火花を散らして剣で受け止める。

 得物が大きいおかげで、動作が大きくて見てもギリギリの回避が間に合う。

 夜の正門に、剣と綺麗な火の花が重なっていく。

 地面が大剣が殴る度に、刳れる。そこらじゅう穴だらけだ。

「はぁ……はぁ……」

 体力という目に見えたハンデがある。

 バケモノは黒い衣装で分かりにくいが、傷だらけになっているのに平然としている。

 次第に動きの激しいアリスは消耗し、刻まれている死なないバケモノに有利になる。

『どうしたのー? アタシを殺すなら、しっかりやらないとダメだって知ってるくせに』

「わかってるわよ……」

 遊んでいるのだ。余計な追撃をせず、休ませているのは一撃で屠れるから。

 アリスは舌打ちする。やっぱり根本が違いすぎる。

 肩に担いで、黒アリスは余裕綽々だった。

 理性のないジャバウォックなら、首を飛ばして終わりだった。

 だが知性あるバンダースナッチは、即死の攻撃を全て塞ぎきる知恵がある。

 体力、身体能力。その差は、即死の武器を持っていても埋めがたい。

 どうしよう。このままでは、攻勢に出たあいつに殺される。

 勝てる確率はない。助けを呼びに行けば後を追ってくる。

 万事休す。アリスでは、遊んでいる格上相手に足止めしか出来ない。

 諦めるつもりはないし、死ぬ気もない。

『こっちから行ってもいいけどそれだと死んじゃうから、待っててあげる』

「そりゃ……どうも、気を遣って貰って悪いわね……」

 やっぱり、戦えればそれでいい。あいつは傷ついても死なない身体。

 この殺し合いという最高の遊戯を楽しむために、相手を嬲ってくる。

(……どうしよう)

 いっそ、雅堂を呼ぶか。

 あの人外をぶつければ、もしくは。

 勝ち目なくても、追い返すことはできるかもしれない。

 プライドがどうとか、言っている場合じゃない。

 提案という形で持ちかけて、呼びに行くのを妥協させてみるか?

 あいつがそれに乗ってくれれば、だが……。

『……?』

 アリスが、必死に打開策を練っている時だった。

 黒アリスが何かに気がついた。

 背後で、音がした。それは、対峙する黒アリスが見ている建物の方角だった。

 耳に届いたのは、まるで玄関を開けるかのような、小さな音で。

「えっ?」

 

 ――偽物が、殺しますよ?

 

 氷を頬に当てられたような冷たさの、よく知る女の声だった。

 続き、凄まじい光と轟音が上からアリスの目の前に疾走する。

『きゃあッ!?』

 見知った雷撃の一撃を、大剣を構えて受け止める黒アリス。

 あの雷鳴の速度にすら追いつけて、反応できる。

 咄嗟のコトなのだろうが、それにしたって雅堂レベルの反応だ。

『お待たせしました、アリス』

 ……護るべき相手が、戦場に出てきてしまった。

 蒼い翼を広げて、月をバックに翔いて、浮いている。

『昼間見た、アリスの偽物ですか。得体の知れない怪物が調子に乗ってアリスに手を出すなど、万死に値します』

 見た目だけがそっくりな黒アリスを偽物と断定し、容赦なく攻撃する。

 助けに来たのは……騒ぎを聞きつけた亜夜その人だった。

『怖い怖い。それがアンタの本性ってことよね、魔女さん。また今度言っておいてすぐに来てごめんなさい』

 犬歯を見せて笑う黒アリス。剣を構え直し、夜天の魔女に切っ先を向ける。

『そんなわけで、魔女さん。アンタ、死んでくれる?』

『お断りですよ。死ぬなら勝手に死になさい、バンダースナッチ』

 一発で正体を見抜き、名前を言い当てた。

 それに驚く黒アリスに、亜夜は知っているように告げた。

『ジャバウォックの親戚モドキが、アリスそっくりになろうが私の気持ちは揺るぎませんよ。寧ろ火に燃料を注ぐだけ。自滅しましたね。殺しますから、たとえ死ななくても』

『……うわぁー。意味わかった。これ、呪いか……』

 黒アリスに言った亜夜は、呪いを既に使っていた。

 ぎこちなくなる動き。黒アリスは、嫌そうに表情を歪めていた。

 呪いにより、バカみたいな身体能力は強制的に下方修正されていた。

『これでハンデは無くなりました。アリスと私、そしてもう一人を相手して勝てるならどうぞ』

 もう一人、と言って増援はまたも来る。

「昼間の……アリスのそっくりさんか」

 訝しげに出てきたのは、寝惚けている雅堂だった。

 だが、相手が武器を持っているのを知るや、

「……大体分かった。倒せばいいんだろ一ノ瀬」

『ええ。アレはバケモノです。アリスそっくりなだけですから存分に』

 引き締めた顔で、すらりと脇差を引き抜いて構えた。

「アリス、援護する」

「わかってるわよ。ありがとう」

 アリスの隣に立つ雅堂。サナトリウムに置ける人外が揃った。

『面白くなりそう。魔女にもう一人のアタシに、只者じゃない剣客。ハハハッ、上等よ!』

 ハイテンションで、黒アリスは続けるつもりだった。心底楽しそうに叫んでいた。

 翼の魔女に鬼の剣客、迷い込んだ主人公(アリス)

 夜のサナトリウム。その前で、アリスそっくりの怪物相手に、不思議の国の悪夢が再来する……。



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黒アリス 後編

 ――最初、違和感に気がついたのは偶然に等しい。

 亜夜は不意に尿意を催し、トイレに行こうと目を覚ました。

 そうしたら、何故かアリスが居なかった。

(?)

 何事かとみんなを起こさぬように這いずって移動し、探す。

 乱暴に脱ぎ捨てられた寝間着を発見し、まさかと思いクローゼットをあさる。

 案の定、普段の服が一着消えている。

(まさか……あの子)

 それは嫌な予感から、嫌な確信へと昇華する。

 あの子は何かを感じて一人で解決しに行った。迷惑をかけたくなかったのだろうか。

「……」

 昼間の黒アリス。該当するのはそれだけだ。

 亜夜は直ぐ様行動した。彼女を危険に晒すのは嫌だった。

 車椅子に乗っかるや、部屋を出て雅堂の部屋に向かう。

 アリスが危ない。身を挺して庇っているなら、姉も当然戦う。

 部屋をノックして、寝ぼけた目を擦りながら出てきた。

「一ノ瀬? なんだこんな時間に」

「アリスが殺されそうです。手を貸しなさい」

「!?」

 ギョッとする雅堂に、亜夜は端的に伝えた。

 このまま行けば、アリスが死ぬ。その可能性は否定できない。

 真夜中に叩き起されて、眠気に抗い雅堂は頷いた。

「分かった。ちょっと待ってろ、タリーアも」

「他は巻き込めません。荒事に対応出来る私達だけでやりますよ」

 眠り姫まで巻き込むわけにはいかない。言葉を遮った。

 今回は、相手はおそらくアリスの関係にあるモノ。

 子供達まで引っ張り出すわけにもいかないのだ。

「了解。アリスを見つけたら呼んでくれ」

「はい」

 亜夜はそこで一度別れた。

 アリスがどこにいるのかわからないので、まず館内を探し回る。

 大事になったら不味い。下手に刺激されたらパニックに陥るだろう。

 行ったり来たりを繰り返し、二階にエレベーターであがり、また探す。

 夜勤に何か言っても対応できないだろうし、自力で続ける。

 やがて。二階の――正面玄関に近いほうで、金属音が連続しているのが聞こえた。

(……もう始めている!?)

 慌てて亜夜は、そちらの方向に向かった。

 廊下からサナトリウムの玄関上にあるベランダ。

 そこに繋がる窓ガラスをあけて、見つけた。

 月明かりに照らされている蒼いアリスと黒いアリスの殺し合い。

 大剣とガラスの剣が火花を散らしぶつかり合う光景を。

 あの黒いアリスは、よく見えないが昼間見ている。

 嗤いながら、必死になっているアリスを弄んでいた。

 亜夜は一瞬で激昂しかけたが、だが分かった。

 アリスが力負けする相手は、雅堂含めて殆どが人外。

 タリーアとやりあったときも勝っていたと言っていたし、あの子はそれなりに強い。

 だが現実、彼女は負けている。つまりアレは……バケモノ。

 アリスの過去を、呪いの中で見ている亜夜。思い出す、アリスが首を飛ばしたバケモノの名前。

 不死たる魔獣、ジャバウォック。

 そして、アリスの物語に出てくる死なないバケモノは、そいつ以外にはもう一つしかない。

(そもそも……姿がないはずじゃ……?)

 名前は知ってる。でも、姿は亜夜も知らない。

 凶暴で、手懐けるのは雲を掴むと同義さえ言われる怪物。

 そんなのが相手だというのか。それとアリスと戦っていたのだ。

 最早後先を考える余裕はない。亜夜も、全力で相手をする。

 殺されるものか。アリスは亜夜の妹だ。勝手に触ることなど許さない。

 亜夜は一気に覚醒する。瞳は紅く、息を腐らせ、蒼き翼は夜天に舞う。

 車椅子を吹き飛ばし、翔いて雷鳴を呼び覚ます。

 殺してやる。化け物なら遠慮しない。今出せる最大出力で、呪いを放ってやる。

 

 死ね。

 死ねっ。

 死ねッ! 

 死ねェッ!!

 

 殺すつもりで放った雷撃は防がれた。

 だが、丁度良く雅堂も駆けつける。

 ここからが本番だ。息を整え、見下ろす。

 亜夜は負けない。負けてはいけない。

 前哨戦はもうおしまいにして、手早く奴を殺してしまおう。

 そう、亜夜は考えていた。多分、長くは……戦えないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アリス。貴方は、少し休んでいてください』

 亜夜は突然、そんなことを言い出した。

「……えっ?」

 一緒に戦うと意気込んでいたのに亜夜は、それをダメと言った。

 見上げる先で、亜夜は……この時点で、誰の目から見ても、疲弊していた。

 目が何時もよりも妖しく、揺らいでいる。

 腐る吐息は濃度を増して、なのに翼の羽ばたきは弱々しい。力を抜けば、墜落しそう。

「一ノ瀬、お前……」

『黙りなさい、雅堂。言われなくても、わかってます』

 雅堂も亜夜の異変に気がついていた。不愉快そうに、亜夜は言い返した。

 対して、黒アリス(バンダースナッチ)は愉快そうに、腹を抱えて嘲笑う。

『あはははははっ。そうよね。人を即死させるような濃度の呪い、そんな儚い身体で放っていたら反動も当然くるわよね? 早くしないと自滅しちゃうわよ魔女さん? そんななのに、もう一人のアタシを引っ込めていいのぉ?』

「!」

 亜夜は既に無理をしていた。弱い身体を痛みつけて、死なない化け物を無理矢理呪い殺そうとしているのだ。

 人なら一秒持たずに死んでいる。今まで加減していたが、今回は全力で呪詛を吐き出し続けている。

 無論、半端な亜夜の消耗も激しく、長い間は持つまい。自覚はあった。

 だが、相手は人でもない。生命力が同じバケモノの人魚(ウンディーネ)の数倍はある。

 即死させるレベルの呪いでも、出来ることは黒アリスの馬鹿げた身体能力を戒める程度。

 全力の呪いをかけて、人外二人かかりでまともにやり合える次元に下がった。

 基盤の部分が人かバケモノか。魔女とて、バケモノから見れば人の分類にしかならない。

『私は職員です。そして、あの子の家族。護るのは当たり前のこと』

 亜夜は自分が守るとあくまで、言い張っている。

 アリスが何か言おうとすると、手で雅堂が無言のまま制した。

『魔女さんの呪いだって、アタシを漸く縛り付ける程度でしょ? 辛いだけなんだから、このままアタシに殺されればいいじゃない』

『ご生憎様。可愛くもないパチモンに殺されるほど、私は安い生命ではないので』

 皮肉には嫌味で返す、言葉の牽制。

 黒アリスは大剣を構えて、雅堂にも言う。なんだか怪訝そうな顔だった。

『で、そっちのアンタは……。ええと、何? 人、じゃないよね?』

「いや、人ですけど……」

 バンダースナッチにすら、雅堂は人に見えないらしい。

 完全に異物を見る目だった。唖然とする雅堂。人扱いされていない。

『無理言わないでよ。アンタの何処が人なの?』

 サラっとあっちと同類扱いだった。

 この際、気にしない。もう気にする余裕はない。

 既にアリスはかなり疲れている。冷静に考えて納得した。

 確かに、今この二人に加勢しても、足を引っ張るだけだ。

 亜夜は魔女、雅堂は……人に似た超生物(なにか)

 人外同士の殺し合いに入り込む余地はない。

『待っててあげてもいいよ? ほら、準備しなさいよ』

 ご丁寧に遊びの延長線の感覚で、黒アリスは呪われている状態のまま待機。

 舐め腐っているとしか思えない態度だが、使わない手はない。

「これ、使って。あいつにはこれじゃないと効果ないから」

 アリスが黒アリスの血で汚れたヴォーパルソードを手渡した。

「あ、ありが……重たっ!?」

 アリスが軽々と渡したガラスの剣。

 見た目は薄く頼りないが、怖々柄を持ってみると冷たく、重たい。

 ガラスのような見た目をしているが、かなりの質量を持っている。

 普段手にしている刀とは趣がまるで違う。

「それ、あたしの剣だからね。砕かないでよ」

「砕けるのかこの重さで……?」

 必殺であると聞いたことがあるが、使い方は同じでいいんだろうか?

 些か疑問が残るが、まあいい。相手はバケモノと見た。

 人には全力を出したくない。が、それが妖怪、物の怪の類なら話は別だ。

 女だろうが知り合いの顔だろうが、雅堂は全力を出せる。

『まぁ、いいわ。準備できたなら、行くけど?』

 得物の感度を確かめる雅堂は、亜夜の視線に頷いて、向きかえる。

「ああ、いいぞ。……なぁ一ノ瀬。別にあいつを殺してもいいんだよな?」

『いいえ。別じゃなくても、殺しなさい』

 命令系。殺せ、と言われてしまえばにべもない。

 眼鏡をしっかりと乗せて、深呼吸して、

「了解だ。どうせ最後は霧散するんだろうし、久々に加減ナシで行かせてもらおうかな」

『職員としての義務、果たさせてもらいます』

 ……加減もへったくれもない。相手は桃太郎の鬼と同じ、理不尽の塊なのだから。

 日本の昔話よろしく、物の怪退治と行かせてもらおう。

 借り物の得物の切れ味、試してみるか。

『はん。得体の知れない奴が、アタシを殺せるものなら殺して』

 黒アリスは相も変わらず、よく喋る舌を持っていた。

 相手を人と見下し、嘲笑していたからだった。

 それが最大の油断慢心という弱点だと、すぐに思い知る。

 言葉の途中で、既に眼前から……雅堂の姿は、掻き消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――ッ!?』

 能力を制限されているとはいえ、流石の理性あるバケモノ。

 同じ不死でも野生しかなかったジャバウォックなら、死んでいた。

 黒アリスの遥か、後方。

 浮遊する亜夜から見て、正門を突き抜けた一直線の道路の中心に、雅堂はいた。

 片手でヴォーパルソードを構え、足腰を力を込め、地面を陥没させて突貫。

 背後からかなりの距離をその力だけで跳躍し、詰めてくる。

 気配だけを頼りに、大剣を刺突と身体の間に無理矢理挟み込む。

 鈍い音がして、弾かれた勢いで一瞬光る刃。

 突撃した刃が既に反転し、更にもう一撃大剣にぶち込まれた。

 不意打ちに近い二撃で、防御した黒アリスの身体が安安と空中にかち上がる。

『がふっ……!?』

 防ぎきった。なのに、痛い。衝撃が、確実に伝わってきた。

 あの少女の殺意が蚊の一撃なら、こっちの殺意はスズメバチの一撃だ。

 アリスの時とは重さの桁が違う。

 異性だから? 違う。年齢が違うから? 違う。

 こいつは根本からして、何かが絶対的に違っている。

 待ってましたと言わんばかりに、雷撃が何発も走る。

 うち上がった身体を防ぐ暇も無く焼き貫く。

『ああああああああっ!?』

 黒アリスが初めて、痛みで悲鳴を上げた。

「!?」

 アリスの目には、何も見えない。

 呆然と突っ立っていたのが、悲鳴で我に帰る。

 黒アリスが音と衝撃と共にぶち上がり、亜夜が雷を何発も打ち込んでいく。

 地上では、地面に大穴をあけて何かが飛翔。

 焼かれて焦げた臭いをさせる彼女を、思い切り叩きつける。

 墜落、追撃の雷撃が直ぐ様後を追う。更には影が突撃し、倒れている彼女を襲った。

(な、何が起きてるの……!?)

 地面の穴がどんどん大きくなる。周囲が加速して騒がしくなる。

 剣戟と雷撃の二重奏が、黒アリスを痛みつけていることだけ教えてくれた。

 回避して転がる黒アリス。今倒れていた場所は粉塵と砕けた石が舞い上がる。

『くっ……!? 一体なんなのよ、これ!?』

 理解不能。起き上がり、目の前のそれに大剣を振るうが難なく弾かれ一撃貰った。

 鮮血が吹き上がり、相手の顔に散った。 

「よく動く舌だ」

 目の前に、一言告げる男がいた。

 借り物の得物の力を120%、本来の使い手よりも引き出している男が。

 斬られた黒アリスの傷口を左手で一発腹を殴り、衝撃が逃げる前に二発、三発と打撃を加えていく。

 一方的にされるがままの黒アリス。悲鳴も、言葉も、呼吸すらさせる時間を与えられない。

 上に浮き上がる寸前で、男は足を引っ掴んで思い切り地面に叩きつける。

 衝撃が強すぎて、粉砕された地面が舞い上がる。

『このっ……!』

 足を掴まれて、頭に来た黒アリスも自由な足を使って蹴り返す。

 男の腕に直撃。重さはバケモノの膂力だ。人ならば骨ごと砕かれている。

 後方に吹っ飛び、何度かバウントしてアリスの近くまで転がり、サナトリウムの外壁に背中から突っ込んだ。

 派手な音がして砂煙が上がる。

「ちょ……!?」

 明らかに死ぬ一撃を貰っている。

 慌てて駆け寄ろうとするも、黒アリスがトドメに眼前に現れていた。

 黒い服でも分かるほど血塗れで、不敵に笑い大きく振りかぶった大剣を両手で叩き込もうとする。

「大丈夫だアリス。これぐらいで動じるな」

『そいつがこの程度で死ぬと思いますか?』

 が、牽制で飛んできた雷で遮られ、飛び起きた男の両足の蹴りが腹部に当たり、仰け反る。

 正門近くまで砲弾のような音をさせて黒アリスがぶっ飛んで、飛び起きる。

 こちらには、地上近くまで降下してきた魔女と、左腕に血が滲んでいる眼鏡。

 悔しそうに舌打ちするバンダースナッチ。

 中々攻勢に出られない。アリスとは、次元が異なるのはよくわかる。

『で、無事ですか?』

「左腕の肘に違和感がある。折れてはいないけど、捻挫したかな」

『じゃあ問題ないですね。続けますよ』

「応よ。で、そっちはまだいける?」

『当然です。私を誰だと思ってるんですか』

「狂ってる魔女だったな。今更か」

 朗らかに笑っている雅堂と、不機嫌顔の亜夜。

 汚れてはいるが、何処か雅堂は嬉しそうで、亜夜はアリスの心配をしてくれている。

「い、一体どうなってんの……?」

 アリスには激しく戦っていることしか見えない。

 何故雅堂が腕を負傷して喜んでいるのかも、なぜ亜夜がこいつと息を合わせて戦えるのかも分からない。

『前衛をこいつに任せて、私が呪いをかけて枷を続ける。隙を見せたら援護する。そういう手筈です』

「嘘こけ。即興のタッグだろうに」

 しれっとこんな時でも嘘を言う。

 ツッコミを入れつつ、眼鏡は怪我した左腕で眼鏡のズレを直す。

『はい、嘘です。そういえば、共闘したのは初めてでしたね』

「だな。もっと言うと、互いに本気を出しているのも初めてじゃないか?」

『ええ。尤も、本気を出すに値する相手がいなかったですからね』

「それは同感だ。思いっきり殴って死なない奴を、僕は初めて見た」

 二人が話している間に、バンダースナッチが今度は動く。

 一気に走り加速。雅堂は狙うだけ無駄だと悟り、この状況に影響している亜夜を狙った。

 枷をはめているのは魔女であり、消耗しているのも魔女だ。狙うとすれば前衛よりも後衛。

 こいつさえ仕留めれば、こっちに流れが来る。

 メインディッシュをいきなり狙うのは好きじゃないが、形振り構わず突っ込んだ。

 突っ走ってくるのがアリスにも見えた。

「あ、亜夜!」

 警告する頃には、突貫してきたバンダースナッチが、接近していた。

 近くにいたアリスごと斬り殺そうと、大剣を水平に振るう。

 余程怒っているのか、バンダースナッチは二人を睨んでいるのが見えた。

 それをつまらなそうに見ている亜夜。雅堂ももう動いている。

 振るわれた大剣に、ヴォーパルソードを割り込ませるように叩きつけて強引に停止させる。

 受け止めた衝撃で、アリスは尻餅を付いた。

『また……ッ!?』

 呆気なく防御されて、眉を顰める黒アリス。亜夜は動じず、雅堂は言う。

「そんなバカデカいモノ、力任せに振るうからだろうが」

『で、反撃でこうなる訳です。アリス、あっち向いて下さい』

 右手の掌を突き出して、閃光。嫌な予感がして、アリスは背中を見せる。

 それはかなりの出力の雷だった。雅堂ごと、黒アリスに電撃が打ち込まれて大爆発。

 爆風で地面を転がるアリス。あちこちぶつけて痛かった。

 起き上がり、どうなったかを見る。煙が剣戟で切り払われており、まだ彼らが続けているのが分かる。

 火花が連続して飛び散り、その合間に雷撃も走る。

『な、なんでよ!? アタシの力が、何で通じないの!?』

 苛立ちと困惑の黒アリスの声。

 滅茶苦茶な軌道の大剣を身を翻し避け、弾き、切り返す。

 今度はヴォーパルソードが真価を発揮している。相手は確実にダメージを負っていた。

 先ほどのアリスとの立場が逆転している。喚き散らすバンダースナッチ。

『雅堂、呪いを解いてもいいですか? いい加減、疲れました』

「オッケー。これなら、僕の許容範囲だと思うから」

 亜夜を狙って抜けようとするバンダースナッチを妨害し、強引に自分に釘付けにする雅堂。

 そろそろ最大出力で呪いを続けるには厳しくなり、雅堂に提案。

 案外あっさりと了承し、バンダースナッチが巫山戯るなと怒鳴るのを無視する。

『じゃあ、代わりに援護が激しくなりますよ。巻き込まれて死なないでくださいね』

「おいおい一ノ瀬、誰に向かってモノを言ってるんだ?」

 さっきのからかいのお返しをされて、不貞腐れる亜夜。

 呪いを解くと、バンダースナッチの本来の身体能力に直ぐ様戻る。

『こンのッ! アタシを馬鹿にすんじゃないわよッ!!』

 アリス同様、キレて暴れだすバケモノ。凶暴性が前面に押し出し、本領発揮。

 途端に激しく、速くなる斬撃の速度。

 だが案外に、雅堂も増した重さと速さに対応できていた。

 増した速度にも威力にも、追いついて相殺できるぐらいにはまだ余裕がある。

『なっ……!?』

「これで本気か? ったく、冗談じゃないぜ」

 呆れたように、一言呟く雅堂。

 亜夜の援護が過激になり、雷撃は着弾すると爆発をするようになった。

 射線から身を引いて、雅堂の背中から爆弾が飛んでくる。

 爆発する一撃を警戒してバンダースナッチは一度後退。

 合わせていた雅堂が攻勢に出る。

「一ノ瀬、倍はいいか?」

『はいはい、倍ですね』

 何か注文をしたかと思うと、バンダースナッチは置いていかれた。

 雅堂の動きが突然、……とても速くなった。目で追えない。

『えっ……?』

 連射される爆撃を避けながらバックステップで後退しているバンダースナッチ。

 それを脇に逸れながら走って追い抜き、背後に回られた。

『!?』

 振り返る、がその時には迫った拳が項に叩き込まれていた。

 流石のバケモノでも、背骨を殴られると衝撃が全身に広がる。

 人の形こそしているからこそ、基本的な人体急所は同じ。

 力が一瞬、全身から抜ける。容赦なく、雅堂はヴォーパルソードで斬り付けてきた。

 連斬と言えばいいのか。抵抗させる時間を与えない、必殺を誇る数の暴力。

 刻まれるがままにされるわけにいかない。向き返り反撃しようにも脱力していればダメだ。

 回避しようとするものの、速度が格段に上がった見えにくい刃は避けられない。

 苦戦するバンダースナッチ。彼は軽く溜息をついている。

「まだ動けるとなると、耐久力だけは確かに上だな」

『総合で、雅堂に負けてますけどね』

 援護が止んだ。爆撃が静まり、後は純粋な近接戦闘。

 本性を剥き出しにするバンダースナッチに、雅堂はアリスから借りた剣で押していく。

 相手の手数が増えて、防げる数が減っていく。小さな傷が、増えていく。

「……昼間、無意識で魔女の力が解放されそうになった理由が分かりましたよ」

 亜夜は限界を迎えて、通常の状態へと戻った。

 車椅子を二階に置いてきて、アリスに庇われながら亜夜は腰を抜かしてしまった。

 騒がしくなって少数ながら様子を見に来た野次馬が絶句していた。

 周りは爆撃されたかのように穴だらけで、空襲の後のようになっている。

 その中で戦争をしている黒いアリスと雅堂の二人。

 然し入口近くでグッタリしている亜夜を庇うアリスを見て、周りは混乱していた。

 そんな中、亜夜はアリスに思い至った理由を話す。

「えっ?」

「だってあいつは、どう見ても私達家族の敵でしょう。私の力ですもの、魔女の力は。本能的に、害するものだと察知したんでしょう。だから、反射的に排除しようとして無意識で顕在化しそうになったような気がします」

 亜夜の推測は確かに納得できるものであり、そもそもがあの化け物はこの世界の産物ではない。

 そういう異物に対して、過剰な反応を起こしてもおかしくはない。

「私の感じていた嫌な予感はきっと、あのバケモノがアリスを狙っているから、自分で戦おうとしていたんだと思います。魔女だって、家族は大切に思いますよ」

「亜夜……」

 魔女にだって家族愛はあるものだ。

 アリスの為に、亜夜の魔女しての本能が先に動いてたと推察した。

 バンダースナッチは、喚きながら雅堂に飛びかかる。

 雅堂の動きには迷いがなく、というか人の状態の亜夜には何をしているか見えていない。

 金属音が連続するだけで、彼らの姿は視界から消えている。

 魔女の時は辛うじて見えていたが、人の視界ではこんなもののようだ。

 規格外の戦いとはこういうものなのだ。常人に入ってこれる理由はない。

「な、何ですかこれは……?」

 今頃ライムも駆けつけて、アリスが二人いることに驚いて亜夜に問う。

 事情を簡単に説明すると、ライムは雅堂に向かって叫んだ。

 多分、彼女にも斬り合う雅堂と黒アリスの姿は見えていないだろう。

「雅堂さんっ! それはここの子供どころか、この世界の住人ですらありません! 害をなすものは、雅堂さんの手で決着を付けてください! 責任はサナトリウムで取りますからっ!!」

「了解しましたッ!!」

 ライムのお墨付きだ。偽物確定、躊躇う必要はどこにもない。

『こんなの、こんなの有り得ないわッ!! アタシは、アタシは不死身のバンダースナッチよッ!?』

「自身が不死身だとタカをくくっているから、貴様は負けるんだよバンダースナッチ!」

 錯乱して喚き散らす黒アリス。既に満身創痍なのに対して、雅堂は腕を一本持っていかれただけ。

 しかもその腕も、両手持ちをしている時点でダメージは回復しているに等しい。

 距離をあけて、とうとう片膝を付いた。刃こぼれを起こしている大剣は、もう使い物にもなるまい。

「生憎とここは、バケモノの居ていい世界じゃない。バケモノは、バケモノの世界に帰るんだ」

 静かに告げる雅堂は、乱れた呼吸を整えて、ヴォーパルソードの切っ先を突きつけて言った。

「今なら、殺さずに戻してやる。ここから居なくなれ。そして、サナトリウムに二度と来るな」

『クソッ……!! こんな、人間に。人間、風情に……アタシが、負けるなんて……!!』

 性根は甘い男で、こんな奴でも慈悲をくれる。

 だが、それがバンダースナッチのプライドを逆なでする。

『アタシを……魔獣を、舐めるなァァァッ!!』

 残った力を振り絞って、折れた大剣を持って尚も殺そうと牙を剥く。

 不格好に、それこそケダモノののように。そこに、主人公(アリス)の面影は皆無。

 所詮バケモノは人とは相容れない。アリスが危ない、という前に。

 残念そうに目を閉じた雅堂は、無情になり最期の一撃を振るう。

 真正面から突っ込んできた彼女に、縦一閃。ヴォーパルソードで撫でるように。

 切れ味が抜群に鋭いガラスの剣は、突っ込んできたバケモノを真っ二つに切り捨てた。

『そ……そんな……!』

 頭から斬られて倒れるバンダースナッチは、切断面が下になっていた。

 悔しそうに、そして信じられないという表情で、雅堂を見上げる。

「人間風情に。そうやって見下しているから、お前は何時までもバケモノなんだよ」

 悲しそうにそう言った雅堂は、倒した相手に背を向けて歩き出す。

 致命的な一撃を受けたバンダースナッチ。

 黒いアリスはつま先から身体が砂になって、流されていく。

 アリスを見つめて、亜夜を見つめて。最後に、去っていく雅堂を見送り。

『……バケモノ……って……どう……考えても……アンタ……じゃん……』

 理不尽な相手をしたかのように、最期にそう言い残して……黒いアリスは塵になった。

 戻る雅堂は、何も言わなかった。

「ごめん、終わったよ。大丈夫か、一ノ瀬もアリスも」

 剣を返して、戻ってきた彼はホッとした様子で問う。

 腕を怪我した。でも痛そうにしていない。っていうかバケモノに最後は一人で普通に勝った。

 アリスが聞きたいことは、一つだけだった。

「……あんた、本当に人間?」

 真夜中の激闘は、こうして幕を閉じたのだった。

 サナトリウムには、数名の人外がいる。

 一人目は狂った魔女、一ノ瀬亜夜。

 そしてもう一人は得体の知れない元狼男、雅堂。

 どっちかが怖いか何て、両方怖いに決まってる。

 この日以来、雅堂も人外のカテゴリーに入れられて、本人は不名誉だと言っているのだった……。



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始めよう。魔女の作るエンディングを

 

 

 予想外のアクシデントはよくあることだ。

 それを予想しろと言われても、大抵ただ生きているだけの人間には不可能に近くて。

 私にだって出来ないことは多いし、今回の黒アリスのことだってそうだった。

 間に合わなければ危うく、アリスを失うところだった。

 でも、私達はこうして生きている。誰であろうと、私たちの絆を断ち切ることなどできやしない。

 夢でも、現実でも。次元の壁でも、私は越える。私達の、幸福を手にしている今を守る。

 さぁ、始めよう? ここからは最終章。みんなが歩いていく未来のお話。

 魔女が語った『幸せの青い鳥』。幸せは違う世界でも、遠い未来でもない。

 今、ここにある世界。皆で生きている、この世界。私が紡いだ、私だけの童話。

 歪んで腐って澱みながら、泥の中で終結させていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラプンツェル、サナトリウム(ここ)に残るよ。亜夜が迎えに来るまで、待ってる」

 彼女が一番の問題だと思っていたけど、この子は私が思っているほど子供ではない。

 何だかんだ、私も彼女のことをまだまだ知っていなかったようだ。

「……ラプンツェル」

 三月も終わりに近づいた月末。後腐れの消えた私は、最後の仕上げに入った。

 アリスもグレーテルも、マーチもう未来が決まっている。

 そのための手筈も整えておいてある。

 マーチは、ここを出ても一人でやっていけるように本人の希望も入れて、住み込みの仕事を探してもらった。

 ライムさん曰く、彼女は気弱で落ち込みやすい気質であるが、意外と手先が器用で細かい作業にはむいている。

 ちょっと頑張れば、多分それなりには稼げる職を探せるとのこと。後は任せておけばいい。

 無事に回復して、サナトリウムを出所出来るのは、ごく一部。

 大抵は、心が死んで壊れるか、呪いの最終段階になり……そこから先は考えたくないが、そういう結末だ。

 最期の居場所。

 その名前は伊達ではないし、私がいたから入所する子供達は元気になっていると言われてしまった。

 私は近々ここを退職すると言うと、ライムさんは後ろ髪を引かれるようだったが、了解してくれた。

 前提として、そういう契約だ。終えたら、元の世界に戻っていい。今の私はそれすら書き換えているけれど。

 ただまぁ、最後に面倒な仕事が残っているから、それだけ何とか片付けないと。

 話がズレたが、マーチの呪いも既に解除済み。

 彼女の就職先が決まるまでは、私の後釜にマーチがつくことになっている。

 流石にタリーアのように完全に居場所がないわけでもない限りは、ただ飯はダメのようだ。

 その幼さゆえに言っても徒労になると思っていたラプンツェル。

 この子の呪いもしっかりと、完璧に解いておいた。

 元々一気に、一辺に終わるような量しかもうこの時には残っていなかった。

 今までかなりの時間が掛かってしまったが、漸く私のこの世界での仕事は全部終わったわけだ。

 ラプンツェルも、自分の呪いが消失したことは理解している。彼女なりに、未来を考えていた。

 そして、私に言ったのだ。大人になったら、自分を連れていってくれ……と。

「何年先になるか、わかんない。でも、その時には大人になってるよ! ラプンツェル、今は子供だから……。ついていったら、亜夜のこと大変にしちゃうと思う」

「……」

 自分が、子供だということを彼女がしっかりと自覚していた。

 私達三人についていくには、何もかも足りない。

 だから、サナトリウムでもう少し生きて、自分が大人になったら私達に迎えに来いと。

 そういうことのようだった。

「だから……亜夜」

 ラプンツェルは、今まで見た中で一番大人びた顔で、私に言うのだ。

 ラプンツェルの王子様に、亜夜がなって欲しい。そう告げた。

「分かりました。然し少なくても、年単位はかかります。成長はそんなに早くありませんよ」

「うんっ!」

 笑顔で私も答えた。一緒がいいなら、何処までも。何時だって私は迎えに行くよ。

 身体は一応中学生レベル。が、中身はよくて小学生低学年。

 そんなアンバランスが、月単位で成長する訳がない。

 彼女はただ待っている。塔の上の髪長姫は、さらってくれる魔女の迎えを待ち続けることを選んだ。

「了解しました。約束します。大人になったら、私がラプンツェルを迎えに行きましょう」

 アリスも、グレーテルもこの子が来ることを拒むことはなかった。

 良い妹分が出来るのが歓迎してくれる。私達全員の結末を、最高の形で終わらせる。

 これで、全員。皆が、解放された。私が何度も死にかけて手に入れた、最高のエンディング。

 アリス。グレーテル。マーチ。ラプンツェル。みんな、私の可愛い大事な大事な妹達。

 それぞれが狂おしいほど愛おしい。どんな道を選んだとしても、私はそれを祝福しよう。

 間違っている? 狂っている? それでも進めば幸せになれるんだ。

 誰が万人受けするハッピーエンドなんて作るものか。

 私の童話は、結末を『主人公(みんな)が望むもの』にする。

 本当の幸せは、本人にとって幸福ならそれだけでいいんだ。

 人に理解されなくても。人に軽蔑されても。私達が幸せなら、それでいいでしょう?

 これがみんなが、心から願う結末だと信じて。私は私の、最後の仕事を果たそう。

 この世界の……最後の一仕事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんなが寝静まった夜。私は、ライムさんと人気のないサナトリウムの屋上で話していた。

 私は車椅子で、ライムさんは何時ぞやの看護服を着用して、書類らしきモノを持っている。

「……本当にそれでいいんですか、亜夜さん? 後悔は……ありませんか?」

 私を見下ろして、覚悟を問うライムさん。間違いなく人に文句を言われることをしているのだ。

 当然のことだろうとは思うけれど。私は、全部欲しい。

「ありませんよ。自分で迫ったことです。二つとも捨てません。二つとも諦めません。魔女らしく、強欲に奪います」

 即答する私に、ライムさんは呆れたような、苦笑いしたような微妙な顔をする。

「わたしが知っている限り、そこまで何もかも欲している異界の人は初めてです。皆さん、帰れればそれでホッとしているんです。ホント亜夜さんって、型破りですね」

「業界初、異物混じりの魔女ですので」

 異界人の癖に魔女で、人のくせに呪いが使えて、魔女のくせに魔法が使える。

 何もかも中途半端な分際で、全部求めて恥知らずなことだってする。

 色々な人に迷惑をかけまくり、利用して踏み台にしておいて悪びれない。

 厚顔無恥な外道の子供。上等だ。私は、以前の私では最早ない。あの頃とは、もう別人なのだから。

「……もう一度確認します」

 ライムさんは書類に目を落として、私に言う。

 それは、私が予々相談していた私の身の振り方。マーチに以前少しだけ語った事の詳細。

「……夢の世界と、現実世界を自由に行き来できるようにしろとのことですけど、本当にいいのですか? それはつまり、主軸を現実から夢に切り替えること。言い換えれば、この世界を主に生きていくということになりますが」

「はい、構いません」

 またも、即答。私には、一抹の迷いすら存在しない。

 

 私の結末。

 それはこの世界を軸にして生きながら、現実世界にも顔を出せるようにしておくという欲張りなコトだった。

 

「普通なら、上層部もこの言い分には難癖をつけるでしょう。ですが、亜夜さんの場合はサナトリウムに齎した幸福は色々差し引いても、大きなプラスとなりました。一応ながらですが、渋々了承してくれましたよ」

「当然です。テロリストの言うことを聞いてやったんですから、謝礼ぐらいさせないと気が済みません」

 私がこの世界で生きている限り、現実世界の私をこちらの私は認知できず、自動で生活している。

 私は仕事を全て終えた。後は帰るだけ、と言いたいところだがそうするとアリスたちを置き去りにしてしまう。

 だったら逆転の発想をすればよかった。

 みんなは次元の壁を越えられないなら、私がこっちに残ればいい。

 私はこっちに残ることも選択肢のひとつだったし、現実を捨てて夢に生きるのも悪くなかった。

 だが生憎と両方捨てたくない欲張りな魔女としては、現実を4割、夢6割で生きたい訳です。

 なので、次元の壁を自分の意思で超えられるようにしろと上層部に持ち出した。

 異界の人間を管理しているのは連中だ。無論、かなりごねていたようだ。

 然し忘れないで欲しい。私は魔女なのだ、人に味方している。

 誰のおかげで王族の治療やら大事やらを解決できたと思っている。

 多量の資金を要求してやったのは誰だと思っているんだ。

 着服だのどうなのは興味がないが、何度も大事を内密に解決していた私に連中が強く出られる訳がない。

 私の働きによってサナトリウムに落ちてきた恩恵はそれ程多大なものだったのだ。

 私のワガママに、かなり時間をかけて悩んでいたようだが……最終的には連中は承諾。

 奴らの『時空魔法』という高度な魔法を教えられ、時間制限があるが現実世界に単体で戻ることが出来るようになった。

 然し、現実世界に戻っても一日も居られないし、連発すると疲弊して倒れるし、最悪魔力枯渇で死ぬ。

 それは注意しろと言われた。言われなくても連発なんてしないよ。

 週一ぐらいで帰ればいいんだ。感覚的にはひと足早い自立。

 時々実家に両親の顔を見に帰りつつ、普段は自動で生活してもらう。

 実際夢に傾きつつ、両方捨てる気がない私は傾いたまま、現実も夢も天秤に乗っけて持っていく。

 私は今はこの時空魔法と雷の魔法、二つを使うことができるのだ。

 だから私はこの世界と現実世界、二つの世界で生きる。

 こうすれば、みんなと離れることもなく、お父さんとお母さんと離れることもなく生きていける。

 私が作る、私が望んだ最高の幸福の形だ。

 不意に、ライムさんは私に神妙な顔つきで言った。

「……ただ、わかってると思いますけど」

「はい。連中もただじゃあ、ないですよね?」

 連中は私と同じで強欲だ。予想はしていた。

 私が無理を言った分、契約に反する幸福を追加で寄越せと言っているようだ。

 サナトリウムという鳥かごに入っている鳥が自由に飛び立つのを妨害して、絞れるだけ羽を毟る魂胆。

 性根が同じだから、理解できないこともないけれど。

 でも、邪魔をするなら私とて、鳥から魔女に変わるだけだ。容赦はしない。

「最後、まで、ご迷惑をおかけします」

「大丈夫です。わたしに任せてください。腐っている全員とっぱらって、風通しを良くするいい機会です」

 ライムさんも、今の上層部に反感があるようで、がめつい連中を全員排除する準備を狙っていたようだ。

 この人は私に味方してくれる人だった。最後まで、たくさんお世話になりっぱなし。

 もう顔を合わせる事も少なくなるだろうし、最後に一言、忘れる前に言っておいた。

「何時ぞやは、生意気な口を聞いてすいませんでした」

 魔女になりたての頃、疑って酷いことをなんども言った。

 そのことを謝っていなかったので、謝る。頭を下げて、謝罪する。

「お気になさらず。こちらこそ、ありがとうございました。亜夜さんのおかげで、四人の女の子は救われました」

 ライムさんもまた、私に頭を下げてお礼を言った。優しく笑いながら、ありがとうと。

「ここから先のアフターストーリーは、ぞれぞれが紡いでいく物語。わたしが出来るのは、一頁に出てくる脇役程度で、亜夜さんのような主人公にはなれません」

 ライムさんは、そう言って車椅子を引いて室内に帰る道を辿る。

 主人公、か。私は主人公なんかじゃない。本当の主人公は、私風情じゃ務まる訳がない。

「二つほど、違うことがありますよライムさん」

「……はい?」

 二つほど訂正して欲しい。まず、一つ。

「ライムさんは、脇役なんかじゃありません。主人公達を導いてくれる妖精です」

 それは、とある物語に出てくる妖精のこと。主人公を導く少年と、傍らにいる妖精。

 ライムさんはあの妖精と同じな気がするのは気のせいじゃない。

 彼女を脇役というには、少々無理がある。彼女は立派な主人公一行の一人だ。

「……もう一つとは?」

 私の言いたいことを分かってくれた彼女は、苦笑していた。

 過大評価、だとても言いたい表情で。それは、私も同じだと思う。

「もう一つは、私は童話の主人公ではありません。私は、単なる魔女です」

 そう。これがもう一つの訂正。私は、魔女だ。童話に出てくる悪い魔女。

「あの子達を堕落させ、苦しめない代わりに間違った世界へといざなう邪悪な魔女。そんな悪役が、主人公を務めてることができると思いますか?」

 私は単なる悪役だ。理不尽を振りまき、人を不幸にして、主人公を苦しめていく魔女。

 所詮、私が作る物語は悪役が語っただけの夢を壊す童話だ。

「……。出来るんじゃないでしょうか。わたしは、そんな気がします」

 ライムさんは私が主人公だと思っているようだった。まぁ、童話の解釈なんて人の数だけ存在する。

 そういう風に思ってくれる人もいた。それだけの話だ。

「……それはどうも」

 褒め言葉として受け取っておこう。私が主人公に相応しいかどうかは分からない。

 それでも幸せにすることはできたんだ。やろうとおもえば、頑張れば何とかなる。

 私は、最後の難関が残されている。ライムさんに後を託して、私は鳥籠の鳥をやめるんだ。

 ……始めよう。青い鳥として、サナトリウムの魔女として最後の仕事を。



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最後の仕事 前編

 その本質において、魔女というものは災害と大して変わらない。

 魔女は個人レベルの抗いがたい事象であり、集団で初めて対処できる。

 鳥籠で飼い慣らしているつもりだった上層部は、見事に裏切られることになる。

 何せ、本来彼女は幸福を呼ぶ青い鳥である以前に、一人の魔女だ。

 恩も仇で返すし、他の人間を見捨てる。そういう女だったことを忘れていた。

 利害の一致があったから手を貸していたに過ぎない相手を信用しすぎた彼らの負けだった。

 勝ち目など、最初から無かったのだから。

 

 

 

 

 最後の仕事は、一つにして二つ。

 大きく纏めるとサナトリウムを離れる為の下準備。

 詳細にいえば、自分が拾ってきた人魚(ウンディーネ)の後始末。

 そして、未だカゴノトリにしようとしているサナトリウム上層部の排除。

 こっそりと、魔女は結局をつけるために、行動を開始する。

 

 

 

 

 

「私を助けてください、雅堂」

 彼にとって、それは唐突だった。

「……は?」

「ですから、助けてください」

 サナトリウムの対の人外、雅堂に接触してきた車椅子の魔女。

 休日を満喫していた雅堂の部屋を訪ねてきた彼女は、近々自分がサナトリウムを辞職するということを伝えた。

 そこに、雅堂は違和感を覚える。何故、退職ではなく……辞職という言い方をするのか。

 『退職』なら、円満に終わりそうなのに『辞職』だと自分から、面倒なことを起に行くような感じがする。

「そ、そっか……それは、おめでとう」

「ありがとうございます」

 一先ず、祝福。然し、救援を求められる理由はなんだろうと考える。

 部屋の中に招き入れて、詳細を聞く。

 人前で聞かれるのは恐らく、不味いことになるだろうから。

「で、詳しく説明をしてくれ。なんで、辞めるお前が……僕の助けを必要とする?」

 どっかりと座布団に腰を下ろして、彼は聞いた。

 相手がたとえ魔女だろうが、この善人は救いを求められたら誰であろうが平等に救う。

 性根がそこにある限り、この男には損得勘定もなければ利害の一致もない。

 ただ、人として当然の行い。人助けに理由はいらない。善意の塊だから、見返りも求めない。

「最初に言っておきます。今回は、貴方を利用するためでも、命令するわけでも、騙すつもりでもありません。拒否権があることを忘れないでください」

「……」

 わざわざ妙な前置きをする。しおらしい彼女に何か裏があると分かった雅堂は、苦笑い。

「今更何を言ってるんだ? 一ノ瀬が僕に殊勝な態度をとるなんてらしくないよ。最後だからって、しおらしくしなくても僕は助けるさ。何せ、一ノ瀬の言うバカ正直な善人だからな。力になれるなら、喜んで手を貸すよ」

「……皮肉で言ったつもりなのですが」

「案外間違いでもなかった。僕はどうやら、損をする気質らしい」

 ちょっと困った顔をする亜夜に、雅堂は肩を竦める。

 皮肉なのだろうが、実際その通りで、彼はその生き方を存外気に入っている。

 馬鹿なら馬鹿でいい。損をするならそれでいい。自分が損をしても、人が助かるなら出来ることをする。

「善意を嘲笑いながら、いざとなったらその善意に甘える。私は性根から悪党だったということですか……」

 自嘲的に呟く亜夜を見て、訝しげに見つめる雅堂。

 今日の魔女は、いつもの堂々とした開き直りが見えず、とても弱々しくしていた。

「……頼み込むからには私の事を少しだけ、説明しないといけませんね」

 亜夜は先ず、自分のこれからの予定を説明する。

 この世界で魔女として生きつつ、現実世界にも往復しながら生活すること。

 そこにアリスとグレーテルを連れて、この世界では魔女らしく人を襲う道を選ぶこと。

 災禍として、この世界に留まることを含めて二つを選んだと。

「……成程。両手を上げて祝うことはできない。けど、それが一ノ瀬の選んだことなら……僕は阻まないよ」

「未来の悪をこの場で放っておくのですか?」

 伺うように問うてくる亜夜に、腕を組んで不敵に雅堂は笑う。

 試しているのはわかった。だが、善悪だけで世界は語れない。

 絶対悪はない。そして、絶対の正義もないのが世界だと雅堂は思う。

 対極の位置にいる一の悪人と、十の善人。

 反対だからこそ、敢えて交わることを避けることもできる。

「悪の定義はそれぞれさ。僕にとっての悪は、少なくても今の一ノ瀬じゃない。……お前ほどの魔女が、人を自分から理由なく襲うとは思わない。精々山賊、強盗を狙って襲撃するぐらいだろ。お前はそこまで狂っていない。それは、必要悪と言うんだよ」

「ものは言いようですね。それに、私を過大評価しすぎです」

 苦笑いを亜夜も浮かべていた。互いに内面は少しは知っている。

 真逆の人間で、何度かぶつかったが互いに否定できるほど、高尚な生き方をしていない。

 正しい生き方なんて雅堂も亜夜も知らないし、間違ってないと言えるのは過去に対してだけだ。

 不確定な未来に対して、絞ることはできても断定は出来るハズがない。未来とは、そういうものだ。

「それで?」

 先を促すと、亜夜は二つの要件を切り出した。

 一つ、自分で回収してきた人魚姫の解放。二つ、鳥のカゴに入れようとする上層部の物理排除。

 亜夜は、そこでタネを明かした。彼女は、サナトリウムから夜逃げする気だったのだ。

 亜夜を逃がすまいと、逃げる準備をしている上層部をぶちのめしてでも、実力行使で。

 現場の甘さが散々指摘されてきたこの施設の改革を望む職員も多く、然し汚職で腐敗しきった上層部は何も手を打たない。

 言ってもダメ、何をしてもダメ。残されたら手段は、内戦状態にするしかない。

 奴らは暴力で訴えるつもり満々なのだ。そんな相手に話し合いをするだけ、無駄。

 ゆえに亜夜の脱走ついでの排除には皆賛成だという。彼女は魔女だが、少しは職員にも好かれていた。

 それよりも見るからにおぞましく、腐っている邪悪が目の前にいる。

 上の連中にも副産物で幸福をもたらした青い鳥の翼を切り落として、飼い殺す魂胆なのだ。

 改革派の筆頭にライムがあがり、彼女達は外部にも協力者を募り、上層部を王国に突き出して牢屋にぶち込むつもりだと聞かされる。

 汚職の証拠は既に手中にある。後は行動を起こした連中を言葉ではなく暴力で叩き伏せて、とっ捕まえる。

 連中も柄の悪いのを雇い、亜夜を無理矢理留まらせるつもりがあるようだ。

 血腥く、童話らしさを失った現実的な真っ黒な大人の世界。彼女はそれが嫌なのだ。

 十分、幸運は降り注いだ。それでも求める欲望の権化。結局、大人は金と権力だけを優先する強欲な生き物。

 子供のように夢を見ることもなければ、純粋さの欠片もない。

 亜夜は、その二つを手伝ってくれないかと頼み込んできた。危険な仕事である事は言うまでもない。

「私に助力してくれませんか?」

「分かった。その頼み、確かに引き受けたよ」

 だが、この男は即答だった。雅堂は神妙な顔で、しっかりと頷く。迷いなんて浮かびもしなかった。

 同期がちゃんと筋を通してやめようとしているのに、それを邪魔するなんてブラック以上の連中だ。

 しかも恐らく、勝ち目がないからといって賊を使って荒事にする気なのだろう。

 それは、いまだ亜夜を婦女子という分類をしている雅堂の道に反する。魔女だろうがまだ若い少女。

 それを蛮族を使い、押し込めるなど許されざる蛮行。

「僕も是非手伝わせてくれ。一ノ瀬の道は、僕が切り開こう」

 拍手を求めると、手を握られた。彼女に驚いた様子はない。

 寧ろ、納得しているというか……予想していた反応のようだった。

「……迷いがないですね。いいんですか?」

 覚悟があるのか、確かめるニュアンスで聞き返される。

 雅堂は分かりきっている。これは自分の性格で、困った人を見捨てることはしたくない。

「いいさ。自分のやっていることを正しいと思ってるから」

 悪事に手を貸すわけじゃない。善行だと信じて、行うだけ。

 言い切っている彼に亜夜は、深々と頭を下げた。

「……ありがとうございます。この恩は忘れません」

 今まで聞いたことのない、ストレートな感謝の言葉だった。

「気にしないで欲しいな。僕は、僕の在り方を変えられない。一ノ瀬がそうであるように、僕は僕の心のままに生きている。困ったときはお互い様、だろ?」

 本当に、感謝されることはない。感謝が目的じゃない。

 ただ、自分の思うままに行動したいだけ。そんなものなのだ。

「最初はただのヘタレ眼鏡かと思っていたんですけど……通るものが一本、通っていますね」

「うるせえよ。僕ぁヘタレし、眼鏡だよ。だけどね……譲れない一線ってものも、確かにあるんだぜ」

 今頃、評価が上方修正されても遅い。互いに笑い合う。

 譲れないものは、彼の言うとおりあった。

 例えば、亜夜にとってのみんなだったり。

 例えば、雅堂にとっての人助けだったり。

 それぞれ譲れない、譲りたくないことがある。

「……なら、私も最後くらい人として当然の行いをしておきましょうか」

 亜夜はそう切り出した。内容は、彼も驚くことだった。

 彼女は、何処か別れを惜しむように、寂しそうに微笑んでいた。

 ここでの馬鹿騒ぎも、正直言えば嫌いではなかった。それなりに、楽しんでいた。

 出会いと別れの季節だけれど……せめて、長いお別れする前に。

「今まで助けられたのに、お礼も言わずに踏み倒すのは癪です。……私も、雅堂にやりたいと思うことをさせてください」

 彼女はそうやって、行動を起こすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 サナトリウムの裏手にある物置き。

 そこに鎮座するピラルクの水槽。中には、自分の未来を今までずっと探していた人魚姫が住んでいる。

 雅堂は物置の入口に寄りかかり、彼女を管理をしていた魔女の姿を後ろから眺めている。

 何やら紅い瞳になった亜夜と、水槽の中の人魚が話し合いをしているようだ。

 拾ってきて以来、時間を見ては熱心に世話をしていた魔女だ。

 自分が去る事を含めて伝えると、人魚姫も一緒にここを去ると告げた。決心はついたようだった。

 ただ海には戻らず、山奥の大きな湖に行きたいらしく、そこでひっそりと、人里離れた場所で暮らしたいと言われてしまった。

「海育ちのあの子って、淡水平気なのか?」

「平気ですよ。今だって淡水ですから」

 亜夜が言うので、ならば平気なのだろう。

 地図で確認すると、ここからざっと片道43キロの道のり。

 あの目立つ姿を運ぶにしたって、中々に重労働だ。

 見つかり次第、殺されてしまうのは見えている。

 どうやって運ぶか、亜夜と相談。

 サナトリウムも、人魚が居なくなる分は別に関与しないと既に言質をとっている。

 いや、居ない方が絶対に歓迎されているようにも見える。

「フルマラソンと同等か……」

 道のりとしては大半が街道や峠道のようだが、舗装はされているだろう。

「アスファルトじゃないですよ? よくて石畳、下手すると踏み固められているだけかもしれません」

 亜夜が距離を縮めるために獣道まで地図で探しだす雅堂に警告する。

「いや、慣れてるよ。体力は劣ってないと思うし」

 体力作りでサナトリウムに来てからもジョギングはしていた。

 荷物運んで走るぐらいなら何とかなりそうだ。

「うーん……あの子、肺呼吸はできる?」

「ある程度は出来ますよ。水陸両用とは言っているので」

 人魚姫の声は、雅堂にはモスキートノイズにしか聞こえないが、亜夜にはしっかりと聞こえている。

 普通の人には全く無音なのに、この男はモスキートノイズとはいえ捉えている当たり、やはり人外である。

 方法をみなで考えているうちに、雅堂はある結論に至った。

「じゃあ、長時間シェイクされるのは大丈夫そう?」

「……は?」

 亜夜も顔色を変える、世にも恐ろしい提案を白面で抜かした男。

 それが一番安全で手っ取り早いということで実行されるまで、そう時間は必要なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の早朝。日の出よりも少しだけ遅い時間。

 蒼い翼を広げて街道の上を翔く魔女と、その下で樽を肩に担いで走っている男の姿があった。

 互いに耳に無線連絡できるイヤホンマイクを装備しており、互いに愚痴っている。

「……実際している、今でも信じられませんよ」

「それは方法が?」

「いえ、雅堂の生態が。何処のネクタイしてるゴリラですか貴方は」

「あんまり否定できないのが悲しいかな……」

 亜夜の心底呆れ返った声が聞こえる。

 自分でもできるとは思ってなかったが、いざやってみたら余裕だった。

 人魚姫を無事に湖まで届ける方法。宅配便もなければ、誰かに託すわけにもいかない。

 至った結論。それは、雅堂が自分で持っていくという原始的な方法だった。

 余りにも無謀な手段だ。何せフルマラソンの往復距離を一日で距離を移動するのだ。

 荷物となった人魚姫は、新鮮な水と一緒に樽詰めされて、今激しくシェイクされている。

 本人はジェットコースターよりもひどい水中で泣きそうな顔で、然し我慢しながら終わるのを待っている。

 雅堂の背中には交換用の水を入れた樽が背負われており、肩に担ぐ荷物入りの樽。

 どう考えても、同時に合わせて人間の持てる重量ではない。が、この男は平然と持ち上げて、剰え走っている。

 提案したのは自分自身で、これが秘密裏に出来て一番いいのではないかと。

 こうすれば、樽に入った荷物を持って移動するという奇異な目で見られても、中身までは調べられない。

 背中の中身はただの水だ。怪しいのは担いでいる方だが、空気穴から飛び出す呼吸用の筒以外普通の樽。

 しかも、鍛錬とでも説明しておけば、ただの馬鹿にしか見えない。事実方法はバカバカしい。

 何よりも早朝という時間と、ショートカット用に獣道を選んでいるせいで行商人にも出会わない。

 空から魔女が見張って、襲撃されても雅堂と魔女の腕っ節なら負けるわけもない。確実に運搬できる。

 尚、亜夜も翔いて移動する分には以前、誘拐されたときも随分と遠くに単身突撃していったこともあり、体力は消耗するものの、休憩を入れておけば可能な範囲だった。

「そろそろ山道に入りますよ」

「あいよ!」

 揺れないようにはしているけど、やっぱり足場の悪い道に入ると激しく前後してしまう。

 短縮できる山道を突っ走り、木々の上を魔女は飛行する。道中、順調というわけにもいかず、

「おるぁ! 死にたくなきゃ荷物置いて――へぶぅ!?」

「あっ……やべ。ごめんなさい!」

 野盗が豪快に啖呵を切って飛び出してきておいて、雅堂の反射の飛び蹴りで吹っ飛ばされたりした。

 魔女が事前に上から見張っているから、襲撃は予知できていた。

 休憩入れて、約半日。本当にフルマラソンのと同等の距離を、重たい荷物を運んで無事に到着した。

 目的地の山奥の綺麗で大きな湖。静寂に包まれる湖に、ヘロヘロになって出てきた人魚姫は放流される。

 乗り物酔いに似た状態のようで、涙目で恨めしく雅堂を見上げてきた。

 亜夜が理由を説明しておいたが、やはり辛いものがあったようだった。

「ごめん、ホントごめんな?」

 手を合わせて謝る雅堂。数分後、無事回復。

 笑顔で何度も振り返り手を振りながら、何かを伝えて最後に気泡を残して水に消えていった。

「ここまでありがとうございました、だそうです」

「そっか。よかった」

 亜夜が優しく笑って通訳し、彼も腕を組んで満足そうに見送る。

 帰り道も馬車がこない奥地に来ているため、麓までは自力で下山する。

 波打ち際の大きな石に腰掛け休憩しながら、雅堂はふらついて大きな樽の上に着地した亜夜に言う。

「一ノ瀬にも礼を言わないとな。ありがとう。おかげで、僕もあっちの世界に帰れる目処が立ったよ」

「どういたしまして」

 亜夜は昨日、説明した後に彼の担当である赤ずきん――シャルの部屋を訪れた。

 そして、彼女の呪いもその場で解いた。驚いていたシャルに、彼女は何も言わなかった。

 今まで、ある程度の段階までしか進んでいなかった呪いの解除は、亜夜のおかげで無事に解決した。

 何かと勘違いしたシャルの何時も通りの光景を見ながら、誤解を解かずにそのまま雅堂を見捨てていった。

 そのへんは、本人のがんばり次第で、何とか難を逃れた。

 亜夜は来度の一件のお礼として、シャルの呪い解除と雅堂への現世帰還保証を提示した。

 シャルが自由になれば、彼もこの世界に留まる理由がなくなる。

 何だかんだで心配していた彼も、独り立ちするには問題のない彼女ならば、もう安心していい。

 後腐れなく、帰還することができた。

「困ったときはお互い様だというなら、私が何かしてもいいでしょう?」

「言ってくれるぜ」

 亜夜はそんなことを言う。

 最後だからか彼女はフレンドリーだった。今までの辛辣さは微塵も見えない。

 雅堂は朗らかな態度の亜夜を見て、ある憶測を立てた。

(きっと、あいつも……背負っていたものが無くなったから、解放されたんだろうな)

 以前の、強迫観念に似た幸福への願望。幸せへの渇望は、全て家族と称する四人のため。

 その四人が満たされ、呪いが消え、解き放たれた今、亜夜を縛る使命は何もない。

 彼女もまた、柵から解放されて自由になったのだ。

 知らず知らずに縛っていた鎖の消えている彼女の笑い方は、魔女とは思えない無邪気で可愛らしいものだった。

 雅堂も、この笑顔を見せてもらえたのなら、もう一つの仕事にも気合が入る。

 折角彼女達が必死になって手に入れた笑顔を、私欲の為に曇らせる奴らを野放しにする気はない。

(任せておけよ、一ノ瀬)

 誰かの笑顔を護れるというのなら、それ程誇らしいことはない。

「じゃあ、そろそろ戻ろう」

「そうですね」

 バサリと蒼い羽根を撒き散らして飛翔する亜夜。

 立ち上がり、空っぽになった樽を再び背負って担ぐ雅堂。

 ひらひらと目の前を、翼から抜け落ちた羽根が舞い落ちる。

 綺麗な蒼。まるで穏やかな海、あるいは群青の空を彷彿とさせた。

 良い色だ。見ていて癒される混じり気のない純粋な蒼で心が安らぐ。

 帰り道も、踏ん張って行こうと思った。

 彼女とのお別れも近い。選んだ魔女の道を、せめて見送るぐらいはしよう。

 雅堂は、同僚として……もしかしたら、友として。その蒼の翼を見送りたいと思った。



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最後の仕事 後編

 

 

 ――私は誰かの道具じゃない。誰かの都合で、生かされるつもりもない。

 思い知るだろう。私をカゴノトリにできるというならしてみるがいい。

 だが、すぐに後悔する。させてやる。私は、魔女だ。何時までも優しくすると思うな。

 これで全部終わらせる。ライムさんと私は、入念に打ち合わせを繰り返した。

 そして、とうとう実行に移すのだ。私は夜逃げする。このサナトリウムから。

 連中にわざと情報を流して、業を煮やして追いかけてきたところを賊ごとぶちのめす。

 その間に、後ろにいるであろう本人達をライムさんたちがとっ捕まえる。

 私達は雇われたならず者を始末するだけ。どうせ同類なら、共食いなのだから気にしない。

 退職届けを出したが案の定、突っ撥ねられた。分かっていたよ、私が欲しいんでしょ?

 だけど残念でした。私はカゴの中で鳴いているだけの鳥じゃない。

 知っている? 童話でも昔話でも、強欲な人間は、必ず破滅するの。

 それは永遠のお約束。悪は滅びるの、ヒーローが居る限り。

 私はヒーローじゃないし、正義の味方気取りの偽善者でもない。

 それでも、お約束には代わりはないでしょう?

 邪悪な魔女に逆らった人間に、本来の摂理を教えてあげるだけ。

 災禍としての、最初で最後の大一番。私の、私達の未来と明日(あす)への布石。

 しっかり、見ていてね……みんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供達は寝静まり、夜の帳が支配するサナトリウム。

 シンプルに身支度を整えた私達は、残る二人に静まり返った正門の前で見送られている。

「……本当に、行っちゃうの?」

「ラプンツェル、ダメ」

 ラプンツェルが逃げるようなお別れの仕方に、悲しそうに表情を歪める。

 追い縋るように手を伸ばすのを、マーチが嗜める。でも、彼女も悲しそうだった。

 ごめんね、ラプンツェル。マーチ。私も本当は堂々と笑顔で、お別れしたかった。

 でも……それすらも、あいつらのせいで台無しにされちゃった。

 だから、今はこう告げることしかできない。

「ラプンツェル。私は、約束を守ります。だから、今はさよならは言いません」

 彼女も、私の家族だ。一度は大人になるために離れるけれど、大人になったら私が迎えに行く。

 だから、今だけは見送って欲しい。

「待っていてください。……ちゃんと、迎えにきますから」

 こうしないと、私はここで奴らに幸福を搾取される道具にされる。

 そんなのはゴメンだ。鳥籠(サナトリウム)を壊したくないし、私が逃げるしかないのだ。

 ラプンツェルは渋っていたが……軈て、納得してくれた。約束を守る。その言葉を信じて。

 涙は流していたけれど、決して声を出して泣かなかった。

 涙と鼻水でくしゃくしゃになった笑顔で、しっかりと私に抱きついて、見送ってくれる。

「亜夜、さん…………」

「マーチ。長い間、お疲れ様でした。そして、私に笑顔をくれて、ありがとう。今まで私は、とても幸せです。良い仕事、見つかることを遠くで祈っています」

 マーチの場合は、ここでお別れだった。ここから先は、私達は道を違える。

 でも彼女も私の可愛い妹だ。何時でも訪ねていてもいい。

 共に行きたいと言うのなら、私はいつでも歓迎する。

「辛くなったら、逃げてきていいですよ。人をやめたくなったら、こっちに来てください。一緒に堕ちる所まで、堕落しましょう? 私のいる場所がマーチの帰る場所(おうち)です。そして、私がマーチの家族ですから」

 私は『家族』なのだ。何時でも帰ってきていい。私達は、離れていても想いは一つ。

 グズグズになるラプンツェルの長い金髪を手櫛で梳いて、最後にマーチも抱き締める。

「私はどこにいても、マーチの姉です。それを、忘れないで」

「……はいっ!」

 大丈夫。この子なら、一人でもやっていける。堕ちてきたら……それはそれでどうにでもなる。

 抱擁をして、別れを済ませる。私はいいけれど……二人は?

「元気にやってね、マーチ。あんたなら出来るわ。ラプンツェル、あんたはもう少し大人になったら妹にしてあげるから」

 アリスは背負った巨大なリュックを調整しながら、二人に言っている。

 彼女は強がっているけど、別れは辛いようだった。私にも分かる。あれは取り繕っている顔だ。

 お気に入りのエプロンドレスを着て、旅人が被るような帽子をかぶっている。

 ワンポイントに、私の蒼い羽根をくっつけて。

「そっちの心配はしなくていいはと思う。……けど一応、気を付けて二人とも。ライムさんが後始末するようなこと言ってたけど、連中が全員ブタ箱にぶち込まれるまでは、油断しないように。永遠の別れじゃないから、そんなに悲しまないで。また逢えるよ、私達が互いに望みさえすれば」

 グレーテルは手元の明かりを灯して、地図に目を通してから顔を上げて、二人に言う。

 その手元には、何時か私のプレゼントした蒼い羽ペンを持って。

 グレーテルは愛しいお兄さんを亡くしているから、別れというものに耐性がある。

 死ぬわけじゃない。逢えないわけじゃない。寂しいけれど、我慢出来る。

「ああ、そうだ。最後に二人とも、これを」

 私は懐から二枚の蒼いお守りを取り出した。それを二人に、差し出す。

 受け取った中身は私の羽根だ。二人は、キョトンとしていた。

 最後の贈り物、と思われているようだ。事実そうだが、これは特別性の羽根だ。

「このお守りは、呪われています」

 私の言葉に、ギョッとする二人。いきなり呪いを封じ込めた羽根を渡されたら怖い。

 そんな怯えなくてもいい。お守りは、暫し逢えない私の代わりだ。

「少しでも二人に幸運を呼べるように、私の呪いを封じ込めてあります。お守りに使ってください」

 私の呪いは、既に自分の『青い鳥』の呪いを掌握している。

 これがないと私は翼を現出することができなくなり、移動ができないので完全な解除はしない。

 呪いを逆に増幅させて、その一部をこのお守りの中にある、私の一部だった羽根に封じ込めた。

 どうやら呪いは、道具にも封じ込めることができるようなので、応用でやってみたが上手くいった。

 この呪いは、持っている人間に幸運を呼ぶ。

 但し、強烈な激運は呼べないのでちょっとした開運アイテムレベル……だと思う。

 呪いのアイテムがラッキーアイテムなので、どの程度のものなのか分からない。

「亜夜……」

「亜夜、さん……」

 ギュッとお守りを握る二人。これが、私の最後の贈り物。

 私の代わって、二人を守る。何時か、また再び交わるその時まで。

 私を見る目が、潤んでいく。言いようのない別れの悲しみ。

 私だって、名残惜しいよ。でも。

「それじゃ、そろそろ行くわよ亜夜」

「姉さん、準備して」

 時間は無情だ。何時までもこうしていたいのに、止まることはない。

 私も、手荷物を腕から下げて、蒼い翼を広げて飛翔する。

 そろそろ、行かなきゃ。ここにいたら……捕まってしまう。

 二人は、別れは済ませた。私を選んだあの子達は、私さえいれば迷わない。

 背を向けて、宛もなく歩き出す。暫くは旅の日々だ。

 退職金はライムさんが餞別として用意してくれた。上層部が溜めていた裏金をパクってきたらしい。

 それも元々は、私の行動で入ってきたお金だ。私だって少しぐらいは貰っていってもいい。

 後は野盗とが強盗を襲撃して金品でも奪おう。普通の人に手を出すのは、気が引けるし。

 まぁ……魔女狩りをあっちがしてくるなら、逆襲して身ぐるみひっぺがすけれど。

 物品は行商人に売りさばいて、お金にすればいい。

 この世界は細かいことを気にしないから助かる。アウトローでもある程度、生きていける。

「……それでは。マーチ、お元気で。ラプンツェル、良い子に待っていてください」

 涙で見上げる二人に送られながら、私は背を向けて、闇の中を出発する。

 二人は、泣きながら大きく手を振って……送り出してくれた。

 さようならは言わない。私達は、何処にいても何をしていても、『家族』だ。

 泣くものか。私はお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは妹の手本になるべきだ。

 だから、泣かない。まだ……終わってないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サナトリウムに残った手を貸してくれるライムさんから連絡が入る。

 案の定、私とアリス達が居なくなって……というか、逃げ出したことで連中、動き出したようだ。

 使える職員たちを掻き集めて、そこら中探させているらしい。既にそこに居ないのに。

 それはあくまでパフォーマンスであって、本命は逃げた私達を追ってきている。

 私達の逃亡の手助けをしてくれるのは、最強の助っ人だった。

「僕達の見送りは、連中を蹴散らしながらでいいかい?」

「職員さんやるじゃん! あたし、そういう未来への逃避行とか好きだよ!」

「お兄さんのお手伝いついででよければ、助けます」

 雅堂、シャル、タリーアの三人。人外に凶暴な赤ずきん、荊の魔法使い。

 何とも頼もしい人達が来てくれた。

「ありがとうございます」

 手配しておいて良かった。やはり、こいつは頼りになる。

 最初は嫌いだったけれど、今はそうでもない。寧ろ、感謝してる。雅堂は恩人だ。

 何だかんだ、最後だからか素直になって頼っている自分がいた。

 私の下でアリス達が、二人を三角形で囲むように三人が走る。

 雅堂の超人的な聴覚によると、背後にやはり馬車を使って追いかけてくる集団がいるとのこと。

 私達はサナトリウムに向かう道を走り抜けて、夜の街道に飛び出した。

 周囲は整備された街道と、ランプで照らす街灯。それに周囲は原っぱだった。

 よく通る道とはいえ、何処かで迎撃しないといけない。

 何せ、私を捕まえるため金で雇った全戦力をこっちに投入しているのだ。

「こっちだ!」

 雅堂が先導する。向こうの方は……そうか、開けた場所がある。

 確か、街へ向かう道と森林地帯の方向。

 森の中に入る前に、少し道を外れると大きな広場があった。

 手入れされずに荒れ放題になっているから、何かあっても多分迷惑にはなるまい。

 そこに向かおうと提案される。そこなら派手に暴れても、問題はないだろう。

 私達はそこに向かって、走り出す。荷物を持っているアリスとグレーテルは消耗が早い。

「荷物を貸してくれ!」

「あたしも持つよ!」

 雅堂が大半、シャルが一部を受け持って突っ走る。

 凄いな、雅堂。バックパッカーみたいな重量で上からじゃあいつが見えないのに走り方がぶれない。

 勢いも続いているし。あれ、そういえば結局あいつの正体ってなんだったんだろう。

 人間ではないとバンダースナッチも言っていたし、どっかのハゲのヒーロー的なのでいいんだろうか。

 詳しい検査、してもらえば良かった。

 私達は馬車に追いつかれることを見越して、最終決戦をする、その場所に駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 酷い土地だ。栄養がない地面はまるで荒野。

 植物は軒並み枯れ果てて、除草剤でも散布されているんだろうか。

 そんな中を、私達は休憩を兼ねて追っ手が追いつくのを待っていた。

「姉さん、加減はどうする?」

「殺さない程度なら、何をしてもいいですよ」

「じゃあ八つ裂きにしていいわけね?」

「相手はならず者。死ななければ何してもいいです。身ぐるみひっぺがしても」

 私の宝玉入り杖を構えるグレーテル、月夜に輝くヴォーパルソードを抜き放つアリス。

 車椅子を残してきた私は、山積みにされた荷物の上に翼を出してバランスをとって腰掛けている。

 未だに半身不随。足が動かないから、固定砲台がいいところか。

 どうせ相手は呪いを封じてくるために私を狙うだろう。魔法主体で行けばいい。

 ついでに時空魔法の応用の練習にもなってもらおうか。

「どっちが蛮族だよお前らは……」

 雅堂がそんな私達を見て呆れている。

 木刀を持ち出した彼は、軽く振るって準備運動。

「いいじゃん。襲ってくるほうが悪い。そうでしょ、タリーア」

「…………」

「あ、聞いてないわこいつ」

 シャルとタリーアは言うまでもない。

 刃物と魔法を使う二人だ。タリーアは以前借りを全部返しているから、私の手伝いには消極的。

 以前、殺し合いをした相手に逃がすというのは複雑なのだろう。

 そんな中。馬車が乱暴に止まる音がしたと思ったら、追っ手がぞろぞろと現れる。

 世紀末なモヒカンとか、騎士団かぶれの鎧を身に纏っている奴とか。

 剣やら槍やら弓やら、派手に武装してくれている。殺る気は十分のようだった。

 私一人に、ここまで過剰に投入されるとは……。魔女が離反したのがそんなに怖いか。

「よォ。テメェか、裏切り者の翼の魔女ってのは?」

「…………」

 私を想定して、狩人らしい格好をするクロスボウを持った筋骨隆々の巨漢に問われる。

 親分、とかいう単語が聞こえてくるからあいつがリーダーってことか。

 顔に真横に走る大きな傷跡があるのが、強そうだ。

「こっちは仕事で来てるんでな。人違いだと問題があるんだが……その蒼い翼。成程、テメェが魔女か」

 聞くまでもない、とシニカルに笑う男は、腕に装備したクロスボウを私に構える。

 格好の獲物を見つけたような顔。へぇ、じゃああいつが私を相手するってことか?

 私は、犬歯を見せつけて笑い返す。そして。

 

「あは……あはははっ。あはははは、アハハハハハハハハハハハハハハハハッハッ!!!!」

 

 壊れたように、思いっきり嗤った。手を叩いて、愉快そうに。

 みんながこっちを振り返る。こんな連中で、私を連れ戻そうというのなら、それこそお笑い種だ。

 さぁて。じゃあ、こっちも戦闘態勢に入ろうか。瞳を紅く、吐き出す吐息を腐らせて、蒼い翼を羽ばたかせて。

 

『その通りです。私がサナトリウムの魔女。蒼い翼を持つ、今は単なる魔女ですよ』

 

 私が挑発的に言うと、男は睨みつけてくる。

 容赦ない侮蔑の目線で、こう告げた。

「おぞましい姿だな。自分で動けないから、翼を使って飛ぶらしいが、それがどうした? 鷹や梟だって空を飛ぶ。そんなもの、狩猟と大した違いはない。的が大きいだけ、当てやすいだけだ」

『ええ、仰るとおり。ですが、猛禽は呪いを使いますか? 人の言葉を話しますか? いいえ違います。何故なら、私は魔女。人が決して叶わない、災禍そのもの』

 私はあくまで、人を見下す。そうだ。私はサナトリウムの外ではこうして生きる。

 これが本来の魔女の生き方。魔女としての存在理由。

 他人は私達、家族の贄。供物。ただの搾取されるだけの家畜。

 金を、時間を、幸福を。人権を全て剥奪した存在として、徹底的に私は見下す。

「人に紛れた幼い魔女が、減らず口を……!」

『ふふふっ。そうですとも、何を言おうとも私は否定しません。狩りたければ狩ってみなさい。だけれど、摂理は真逆ですよ。食われるだけの家畜(ブタ)は、人に早々勝てません。事故でもない限りは、ね。狩られる側が随分と大きく出ましたけど、私に殺される覚悟があるならどうぞ? お好きにかかってきてください』

 私は挑発する。

 カウンターすれば、数の有利さをひっくり返せる。

 雅堂のような人外がいれば楽勝だろうが、こちらとて荷物を守らなければいけない。

 これは命綱なので、死守しなければ。なので内容は防衛戦に近い。

 攻めるより護る方が優先である。手招きして、余裕を見せる。

 足元では、みんなが待ち構えている中。

「……かかれェッ!!」

 クロスボウ男の号令と共に、大勢が私たち目掛けて突撃してきた。

 雄叫びを上げて、武器を振り上げ、迫ってくる。最後の戦いを始めるために。

 じゃあ、割愛する為早めに終わらせよう。戦いは面倒だし疲れるので、容赦はしない。

『アリス、グレーテル。……半殺しまでは、いいですよ』

 手加減無用。大怪我でもなんでもさせてやる。襲ってくるほうが悪い。

「了解。手足バラバラにしてやるわね」

「かまどで焼けてようにしてあげようっと」

 嗜虐的な顔で、二人も邪悪に嗤う。仮にも一童話の主人公が。

 わお、私の妹まで私みたいに笑ってるんですけど。いつの間に真似るようになったんだろうか。

 私達の未来への最後の戦いが、今幕を上げる……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サクっと勝った。当たり前だ。手加減なんて何もしてない。

 バケモノとまともにやり合える私と雅堂がいるのだから、あっけない幕切れが当然。

「く、クソォ……!」

 地面に倒れる死屍累々。悔しそうに呻きながら、現在アリスとグレーテルに金品を奪取されている。

 私は一歩を動かず、雷で焼き貫き、時空魔法の応用で物体を自在に飛ばすテレポートまがいの戦法で圧勝。

 上機嫌で鼻歌を歌いながら、二人で転がるけが人相手蹴飛ばして殴って、奪えるものは奪う。

「……あのさ。退職する前に詳しく検査しない? ね、しましょ? したほうがいいわよ、絶対」

「シャル、何でそんなに必死になって検査勧めるのさ!?」

「あんたの身体能力が信じられないからでしょ!?」

「……お兄さんは、その……。わたくしよりも遥か(いにしえ)に伝わる秘薬とか飲んでませんか? 文献で見たことがあります。人の姿のまま、到達できない高次元に達してしまったとある怪物の物語を……」

「タリーア、なして悲しそうにそんなことを言うの! 僕人間! ただの人間!!」

 あっちでは、雅堂一人で有り得ない行動を見た二人が原因を聞いている。

 あいつホント何だったんだ。木刀振るうだけで突風起きたんだけど。

 しかも突風だけじゃなくて鎌鼬だの、旋風だの何でもありだ。

 挙句には地面叩いて衝撃波出して一帯薙ぎ払った。最後まであいつは人間じゃない。

「亜夜ー。使えそうなもの全部奪ってきたわよー」

「姉さん、お金は姉さんが預かってるんだっけ?」

 アリス達が戻ってきた。山のような荷物がまた増える。

 これは最初に、馬車を拾って早めに定住先を見つけないと辛いな。

 あの量を持って旅をするのは正直しんどいだろうから。

 そそくさと荷物に加えるアリス。

 いるのはお金になりそうなものだって言ってるのに、何で食べ物を持ってくるのだろうか。

 グレーテルは革袋の中に硬貨を流し込んで、取り戻しに這いずってきた一人の頭を踏みつけた。

 うん、中々悪党っぷりだよ。相手も傭兵みたいな連中だと分かったけど。

 ゴロツキ相手だ。殺さないだけ、慈悲があると思っていただきたい。

 丁度、準備を終える頃。最後の通信がサナトリウムから届く。

 息が荒いライムさんが伝えてくる。

 あちら側の人たちが、上層部たちをとっ捕まえ通報して、引渡しに成功したとの知らせだった。

 内部告発という形で自滅し、上層部達は反乱を起こされて呆気なく逮捕。

 証拠の書類なども纏めて提出したという。良かった。クーデターは成功したようだった。

 これで……終わったんだ。私の全てが。本当に、全部完結したのだ。

『それでは、亜夜さん。お達者で』

「はい。ライムさんも何時までも、お元気で」

 あの人との最後のお別れも済ませた。

 通信越しで、声が湿っていたけれど……それは、私も同じだった。

 ブツッと音がして、通信が切れる。私は泣いている自覚があった。

 恩人との別れは、いつでも辛い。また、逢える。

 そう割り切って涙を袖で拭う。二人の為にも、泣いていられない。

「亜夜、あっちも終わったのね?」

 アリスに聞かれて、頷いた。

「そっか。姉さん、お疲れ様」

 グレーテルがそう労ってくれた。

 それが何よりも嬉しかった。報われたよ、何もかも。

「さて……僕達も戻ろうか、二人とも」

 雅堂も軽く伸びをして、二人に言った。

 使えそうなものは本当に傭兵相手に何もかも奪っておいた。

 こいつらは金で雇われただけ。戦場で、死んでないだけ儲け物である。

「あんたは戻ったらすぐに精密に検査するからね」

「だからなんで!?」

「お兄さん、魔女に改造されてないですよね?」

「されてねえから!!」

 酷い言われようだったが、それが彼らの日常だ。

 ここで、最後のお見送り。再び背負って準備をする私達。

 不意に、私を見上げながら雅堂はいたずらっぽく笑って告げた。

向こうの世界(あっち)でもしも会ったら、そんときはよろしくな、一ノ瀬」

 そっか……。互いに異界人であることは最後まで秘密だ。

 だから、こっちでお別れでも私も自分で向こうに戻れる。

 逢える可能性は、ないこともない。

 向こうで、重すぎる荷物に苦戦するアリスを手伝うみんなを見ながら、彼は言った。

 向こうの世界の、簡単な住所だった。

「因みに僕は……に住んでるけど、お前は?」

「奇遇ですね。私も同じ地域ですよ」

 そして知った。意外と私達は近場に住んでいた。

 詳しい住所を言い合うと、なんと電車数本で行ける距離だった。

「……じゃあ、もしもよければ、向こうに戻ったら飯でも食わないか? 奢るよ」

 何と、あちらの世界で私相手にデートのお誘いがきた。

 狂っているとか言いながら、変り身の速さは脱帽ですよ。

「いーですよー。ですけど、私はなびきませんし、落とせませんから。私の嫁は既にあそこにいますからね」

「誰も期待してねえよ。お前の変態レベルのシスコンにはお腹一杯だぜ」

 騒いでいる彼女たちを指さして、笑い合い言った。

 まぁこれを機会に、互いに仲良くなるのも悪くない。

 だが私は攻略されないぞ。私は妹達にぞっこんなのだから!

 今までが散々アレだったが、もう喧嘩する程でもないし、お誘いに乗ることにした。

 向こうの世界じゃ、友達なんてあまりいないし私。

 これが友達になるってことのようだった。やっぱり、友達作るのって難しい。

 雅堂でもない限り、私とは友達できないだろうし。

「じゃ、あっちに戻ったら何時でも連絡くれよ」

 向こうの世界でも助けてくれると言った雅堂。

 見た目は凡人だけど魂は結構、イケてるメンズだ。見た目かっこよければ完璧だったんだけどなぁ……。

「どうも、私達はお別れとかしなくてもよさそうですね。とにかく、ありがとうございました」

「どういたしまして。じゃあ、こういう場合は……また今度、でいいかな?」

「ええ。また今度、奢りで」

「最後ので台無しだよ……」

 私達は、互いの連れが戻ってきたのを確認した。

 そして私達は挨拶をそこそこそして旅立ち、雅堂達がその背中を小さく手を振り見送ってくれた。

 何度も私達は振り返って、手を振りながら夜の道を歩いて、飛んでいく。

 見えなくなる頃、二人に聞かれた。これからどうするのか、ということを。

 これから、どう生きようか。先ずは……今日一日をどう過ごすか、考えよう。

 それが積み重なって日々になり、それが一週間、一ヶ月、一年と続いて未来となり、過去となる。

「取り敢えず、宿でも見つけて安全を確保しつつ、のんびり行きましょうかねぇ」

 考える時間はたくさんある。もう私達を縛る使命も、過去も、運命もない。

 私達は、幸せに生きるって、決めたの。幸せを続けながら、この世界で生き続けてみせるよ。

「そうねぇ。焦ることのない旅だし。ゆっくり、色々と世界を見て回ってみるのもいいかもね。あたしは、亜夜さえいれば、幸せだから」

 アリスは私を見上げて、最高の笑顔でそう言った。

「私もそうだね……。アリスに賛成。自由気ままな放浪の旅もいいけど、姉さんはずっと一緒にいてね」

 グレーテルも、幸せだと言って笑ってくれた。

「はい。何処までも、何時までも。私はずっと、ずっとずっと一緒にいますよ。何せ、私は……お姉ちゃんで、とっても悪い魔女ですから」

 そうして私は生きていくのだ。この世界の家族と共に。

 この世知辛い、魔女のいる世界を舞台に、魔女として。

 時々、あっちの世界に帰りながら。お父さん、お母さんの顔を見て。

 離れたところにいる二人と、近くにいる二人の家族の笑顔を、護りながら。

 二つの幸せを手に入れて、私自身が消えるまで……ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――こうして、魔女の紡いだ青い鳥の物語は、歪んだ幸福の結末(ハッピーエンド)を手に入れた。

 彼女の家族のために狂い、家族の為に破滅を進み、周りの声を受け入れ、滅亡寸前を進みながら語った物語。

 皆さんは、ここまで読み進めて、どうだっただろうか?

 こんなお話は童話ではない? こんな幸せは幸せじゃない?

 色々な意見があると思う。だけど、これも一つの結末。

 彼女が作れた物語ではこれが一番の幸福の形だったということ。

 こんな童話の形もあった。

 貴方のいつか童話を語る時が来たら、どうか主人公たちが幸せになれたかどうか、考えてみて欲しい。

 幸せの形は人それぞれ。間違い、腐り、歪み、爛れている結末も……当人には、本物の幸福なのだから。

 童話らしさを失っているかもしれない。人によっては邪道と思うかもしれない。

 彼女が作った物語は決して誇れるものではなく、語り継がれるには修正がいくつも必要になっている。

 でも、少女たちは確かに幸福になれたし、それぞれの願いは叶えられた 

 

 『家族』。

 

 彼女達が求めていたのはシンプルなもので、簡単にはなれないものだった。

 でも、姉という『家族』を手に入れた少女達は、この世界で生きることを選んだ。

 絶望に浸っていた彼女達に生きる希望を与えたという意味で、魔女は立派に主人公を務められた。

 そう思いながら、ここに彼女の物語の大筋を綴り終えたいと思う。

 でもあと一話だけ。

 一話だけ、エピローグを語らせてもらえないだろうか?

 それからの後日談を、少しだけ語りたい。それが最後になるつもりだ。

 彼女が魔女として生き続けて、この世界に馴染んだ数年後の未来。

 約束を果たすため、数年ぶりにサナトリウムを訪れた、蒼い翼の魔女の最後のお話を……。



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エピローグ 果たされた約束、と思っていたらやっぱり最後まで魔女だった

 すっかり季節は春になった。

 あの日から、サナトリウムは生まれ変わった。

 腐敗した上層部は軒並み一掃されて、現在の運営体制になっている。

 サナトリウムに続く道には沢山の桜が植えられて、今では春になると桜並木が出来上がる。

 もう、数年か。あっという間に気が付いたら、過ぎていた。

(……みんな元気に、してるかな……?)

 風に乗って、ピンク色が舞い踊る春の一日。

 それを、正面玄関で荷物を運ぶとき、手を止めて眺めていた。

 春になるたび、思い出す。この場所から居なくなってしまった綺麗な蒼の色。

 家族たちがサナトリウムから去っていく背中を見送った夜から、三年が経過していた。

 今頃、あの人たちはどこで何をしているんだろうか。音信不通状態がずっと続いているけれど。

 さて、と気を取り直す。ぼーっとしている場合ではない。

 今日も元気に働こう。それが、あの人の後を継いだ自分の役目だと思うから。

「マーチさーん! ジャックが豆の木から降りられないって泣いてますー!」

 遠くで自分を必要としてくれる子供達が、困ったように女性を呼ぶ。

「はーい! すぐに行きますー!」

 名前を呼ばれた彼女は……桜を見ながら仕事へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三年前まで、この場所には魔女が住んでいたという。

 蒼い翼を持つ魔女で、魔女でありながら魔法と呪いを使い、幸運を呼び込び、子供達を大切にしていた。

 彼女は、とても家族思いで自分の世話をしていた女の子たちを幸せにするために頑張り続けた。

 何度も何度も、危ない目にあいながらも、彼女は見事みんな幸せにすることができた。

 だけど、その力に目を付けた悪い人たちによって、サナトリウムにいることができなくなり、旅に出た。

 四人いたうちの二人は魔女の旅についていき、残りの二人はサナトリウムで今も生活している。

 ……という御伽噺がこのサナトリウムには伝わっている。子供達に優しい魔女のお話。

 かなり脚色しているし、余計な部分は全部カットして都合の良いところだけ抽出して語っている。

 これを聞いた小さな子供達には好評で、その魔女にあってみたいと皆が言う。

 魔女にひどい目に合わされながら、逢いたいと思う理由。

 彼女のことを語る女性職員の顔は、何時も嬉しそうで、誇らしそうに見えるから。

 語り手の名前は、マーチ。そのお話の中の魔女に幸福にしてもらった一人。

 今ではすっかり、サナトリウムにも馴染んで、日々忙しく働いている。

 その表情は笑顔に満ちており、如何に充実している毎日を送っているかよくわかる。

 あの時、働いてた魔女を見ていたマーチは……そのまま、サナトリウムに就職した。

 理由はシンプルで彼女のような仕事をしたいと、つなぎで働いていると次第に思うようになったからだった。

 誰かのために頑張ることは、自分に合っている。救われたからこそ、今度は手助けする方になりたい。

 自分の夢とも言えるものを、この三年でしっかり見出していた。

 ライムの勧めもあって、今ではサナトリウムの顔とも言える程、若いながら立派に育っている。

 外見も、恩人であり家族である姉を少しでも近づこうと、外見は魔女によく似ている。

 美しい街娘に成長した彼女は、髪型も嘗ての姉と同じくセミロングにまで伸ばしていた。

 彼女の中で、姉は理想の職員だった。子供たちへ常に目線を向けて、第一にみんなのことを考える。

 時として反逆してでも、子供達の為になるなら働く。

 本当は、あの人の中にいたのが自分たち家族だけだとしても。

 確かにあの人はついでだろうが子供たちのことを見ていた。そして好かれていた。

 今のマーチは目立つ美しさはないけれど、歳相応の成長した美貌というものも発露していた。

 時々、街に出るとナンパされる。でも、その尽くをマーチは丁重にお断りしていた。

 今は……恋とか、恋愛とかそういうのに興味はない。

 それに、愛する人ならカテゴリーは違うけど、もういる。

 毎日毎日、大変なことばかりが起こる。ちょっとした騒ぎなら日常茶飯事。

 でも以前と違い、サナトリウムから家に戻れる子供達も圧倒的に増えた。

 それは、この場所が明るい雰囲気になり、皆が協力して幸福を齎すことが出来ている証拠。

 蒼い翼の魔女の存在は、サナトリウムそのものに幸福を呼び寄せていたのだ。

「マーチさん、忙殺されてるようですけど大丈夫ですか?」

 まだ、職員を統括している仕事をしているライムに聞かれてマーチは頷く。

 姉のようには、やはり上手くはいかないけれど、苦しくはない。楽しんでやっている。

 あのときから引き続いて異世界のものを呼び込み、働いてもらっているのでライムもずっとここにいる。

 この人は外見が変わらないなぁ……と思いながら、詰め所で休憩しているマーチは見上げる。

 いつも着ている作業服を、豆の木から墜落して泥だらけになり、今は上下ジャージ姿だった。

 壁際の椅子に座って寄りかかり、コーヒーを飲んでいる。これも、姉の真似だった。

 姉はコーヒーが好きだったようだし、自分もあの人のようになりたいがためにマーチは意識している以上に、姉の模倣をよくしていている。

 自分が就職したこの場所は、天職だと思う。これ以上、自分にあっている職業はないと思っている。

 だからこそ、多少の無理は押してでも働きたい。子供たちが待っているのだ。

「……大丈夫です。まだ、出来ますから」

 話し方まで魔女と同じとなり、誰相手でも丁寧に話すマーチにライムは苦笑していた。

「勤務態度まで、亜夜さんを真似なくていいんですよ。あの人は、ずっと働きすぎでしたからね」

 過剰にあらゆるものを背負わされて、それに潰されそうになりながら足掻いていた。

 亜夜の仕事とは、増えていく負債を只管に片付けていく苦行だっただろうと、乗せていた方のライムは後悔している。

 最初は四人だけだったのに、何時の間にか魔女として利用され続けた彼女の内心は想像するまでもなかった。

「マーチさんも、働きすぎです。人気者はつらいでしょうけど。ペースも考えて休んでくださいね」

 子供達に異様に好かれているマーチはそこらじゅうに引っ張りだこで、余計な仕事まで行なっている節がある。

 それはあの頃の亜夜と同じで、そのうち倒れてしまう。それは防ぎたいので、新しく異界から呼び出した新人を配置して、分担させている。

 マーチにも専属で一人、世話をしているのだが既にその子は世話を必要としていない。

 むしろ、率先してマーチを手伝っていた。同じ立場の子供なのだが。

「失礼します。マーチ、いますか?」

 ノックしてから入ってきた少女が、少々疲れ気味のマーチを発見して、呆れたように言った。

「いたいた……って。マーチ、また顔色悪いぞ。もしかして、無理してるの? 僕がなんとかするから、少し休んだほうがいいと思うな」

 金髪のロングヘアをみつあみにして垂らし、休んでいるマーチを見ている年頃の少女。

 学校の運動服に似た服装で、黒いシンプルなデザインの眼鏡をして、首元にはお守りらしきものを下げたネックレス。

 体付きも、正直成長したマーチよりもメリハリがある。要するに、プロポーションは抜群だ。

 時々、マーチは彼女を見ていて何が違ったのか知りたいと思う。経過した時間は同じはずなのに……。

 眼鏡の位置を直しながら少女は、持ってきた書類をライムに渡す。

「今月の器物破損を纏めた一覧です。ジャックが最近、雪達磨に変身する魔法を使っているらしくて、みんなから苦情きてますよ。どうしますか?」

「あの子は……。何を使って変身しているんですか?」

 ライムが軽い頭痛を覚えつつ、現在のサナトリウム一のいたずら小僧の対処に手を焼いている。

 得体の知れない豆の木を裏手のゴミ捨て場に勝手に植える、雪達磨に変身する魔法の道具を拾ってくるなどやりたい放題。

 然し悪意もないので、叱りにくい。悪いことをしている自覚がないし、被害も基本的に地味。

 モノが濡れただの、凍りついただの、変な豆のスープを作って食し、自分でお腹を壊すなどなど。

「ええと、ここの資料によると……革製の、ベルトらしいです」

「ベルトって……」

 本人はテレビで放送しているヒーローのマネをしているらしい。

 その副産物で、春だというのに周囲が雪まみれになって、裏手はかまくらが出来ているのである。

 雪の好きな子供たちが擁護しているので、へたに出られない。

「弱りましたね。僕が言っても、多分喧嘩になるだけなんでしょうけど……」

 そう言って、書類に目を落とす女の子。彼女の名前を、マーチが呼ぶ。

「ラプンツェル、大丈夫ですよ。わたしが、何とかしますから」

「スタミナ切れのマーチは休んでろ。いいから」

 横目でマーチを逆に諌めるのは、魔女の帰りを約束されている、ラプンツェルだった。

 たった三年で、周囲の反応を水が砂を吸収するような速度で吸い込んで急成長。

 アレだけアンバランスだった精神は既に、同年代よりも寧ろ年上にすら見えるほどになっていた。

 見違える成長っぷりは背伸びしているわけではなく、自分の意思で一歩ずつ進んでいった地道な結果。

 甘えん坊から、ぶっきらぼうな男口調になったのもそのあらわれかもしれないとマーチは感じている。

「ラプンツェル、報告ありがとう。ほかの子達の様子はどうですか?」

 ライムが、対処の方法を相談しておくとして、この意見はオッケー。

「悪くないですかね。みんな、喧嘩しないで仲良くやってます。あ、そうだ。シャルさんがまた、猪差し入れで届けてくれましたよ。裏口に一緒に今も転がってます。腐る前に、猪鍋でも作りますか? なんなら、僕捌きますけど」

 サラっと恐ろしいことを言いながら、ラプンツェルは現像した写真を見せる。

 そこには、バカデカい猪が全身に包丁が突き刺さった状態で、転がっているスプラッタ写真。

 滅多差しにされて血の池に沈むそれだけ見ると、何かの事件のようだ。

「あの巨大猪はシャルさんでしたか……」

 ライムの頭痛が増えた。

 時々、裏手に何事かのように動物が殺されて放置されていることが今でも続いている。

 これの原因は、三年前に独り立ちしたシャルという女の子が、生業にしている猟師の仕事で仕留めた獲物をずっと恩返しとして、サナトリウムに長いこと届けてくれている。

 お断りしても、どうやら彼女は譲れないので、なし崩し的にサナトリウムも受け入れている。

 因みに届けに来ている時のシャルはとても怖いらしく、入所している子供達は怪物か何かかと思っているようだった。

 それを避けるため、夜中に勝手に獲物を放置して、置き手紙だけして立ち去るシャルに合わせてラプンツェルが、あれこれ始末をしているのだ。

 その過程で、ラプンツェルは魚から鳥獣まで捌ける腕前の獲得しており、早くも苦労人としてスキルが発芽している。

「わ、わたしは流石に……」

「マーチはグロいの、ダメだからな。僕に任せておけ。あんなもの、一時間もあれば捌ける。後片付けもしておくけど、他の子を近づけないでよ。また人殺しとか言われたら、たまんないよ」

 マーチはグロいのダメなので、ジビエ料理も獲得しつつあるラプンツェルに任せてたほうがいいだろう。

 前回はうっかり一人が目撃して人殺し扱いされてしまった。夕飯に出た肉料理の為にやっていただけなのに。

 書類を机に置いて、眼鏡の位置を直したラプンツェルにライムは言った。

「そうですか。じゃあ、またお願いしてもいいですか?」

「はい。僕がやっときますから。ライムさんは、他の職員にマーチの分を分担させてあげてください」

 自分から率先して雑用をこなすラプンツェルが今のマーチが専属で世話をしている子供だ。

 だが、あの頃と同じように職員と子供の立場が逆転していた。

 年齢も同じぐらいになったラプンツェルの性格はどこか亜夜に似て、冷静沈着になりつつあった。

「僕は僕で、やることやっとく。倒れる前に休んでおいてよマーチ。姉さまみたいになられたら、僕が困るんだ」

 亜夜の事を今でも待っているラプンツェル。何時の間にか、『姉さま』と呼ぶようになっていた。

 自分が大人だとはまだ思えないが、あの約束とこの託されたお守りがある。

 二人とも、今でもお守りを大切にしている。亜夜の羽根が仕舞われたそれを、ラプンツェルは肌身離さず着用し、マーチは自室に下げてある。

 何か、辛いことがあるとマーチはお守りを抱き締める。

 お守りに触れると亜夜が抱きしめてくれるように、心が落ち着いていく。

 大丈夫、マーチはしっかりやっていると褒めてくれる気がした。

「……はい。分かりました」

 マーチは、ある程度早めに仕事を切り上げて、自室で休むことにした。

 本当に、立派になったラプンツェル。あの子はもう大人だと思う。もしかしたら、自分以上に。

 世話をする子供に、心配させては意味がない。

 ライムもこちらで雑務を引き受けると言ってくれたので、ご好意に甘えることにする。

「じゃあ、失礼しました。マーチ、早めにな」

 みつあみを揺らして、そう残した彼女は部屋を出ていった。

 マーチも休憩を終えて、手早く準備して、次の作業へと向かう。

 忙しくなっている毎日をすごしながら、マーチは幸せな日々を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 何だか、外が騒がしい。何事だろうか。

 ラプンツェルは、詰め所を出て訝しげにその方向を見る。

 見れば、正面玄関の方で誰かが怒鳴っている。

(何だ……?)

 取り敢えず、様子を見に行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 正面玄関で、柄の悪いスーツ姿の連中が何やら困惑する職員相手に喚いている。

 何事か彼女が野次馬に聞くと買い物にいっていた職員が街で連中に因縁を付けられて、無視してきたら、ここまで付いてきてしまったという。

 責任者を出せとか訳の分からないことを言いながら、胸ぐらを掴んで揺さぶっている。

 品のよい連中とは言えないし、どう見てもこれは言いがかりだ。

「……やれやれ」

 ラプンツェルは仕方なく、頭をかきながらでしゃばることにした。

 姉なら間違いなく相手を攻撃してでも止めようとするし、見て見ぬふりをするなんてこともしない。

 あの人は、誰が相手だろうと常に堂々として、幼かったラプンツェルを護ってくれた。

 今度は、自分が誰かを護りたいと背中を見てきたラプンツェルは思う。

 他の職員は久々の荒事になりそうな予感に、戸惑っているだけだ。

 三年前じゃ、馬鹿騒ぎなんて珍しいことじゃない。寧ろ、ここ三年で治安は良くなった。

 然し、どんな時代にもあの手のチンピラはいるのだと、亜夜より教えられている。

 そういう類には、言うだけ無駄だということを嫌というほど知っている。

 ライムに知らせに行く子供たちがいる中、ラプンツェルは前に出る。

 職員を助けるのも、まあ一種の仕事みたいなものだ。割り切ることにする。

「おい、いい加減にしてくれないか。なんなんだ、お前ら。突然病院に押しかけてきて」

 声をかけながら、近づいていく。

 振り回される女性職員は危ないから下がっていろという。

 連中は歩み寄るラプンツェルを見て、怒鳴る。その程度で怯む訳がない。

 もう、自分は護られるだけの三年前じゃない。今は、誰かの助けになれる。

「ここは病院だ。騒ぐなら他所でやってくれ。はっきり言うと迷惑だ。これ以上騒ぐと、通報するぞ」

 一通り、考えられる範囲の警告はしたが、まあ案の定聞いていない。

 逆ギレされて、罵りながら殴りかかってくる。そんなことだろうとは思っていた。

 予想範囲内ではある。桜舞い散る道で、何が良くて大の大人相手に喧嘩なんてしなきゃいけない。

 こういう事もあろうかと、自衛の手段も学んでいる。

「……痛い目を見るのは自分のせいだからな」

 自衛の為だ。仕方なく、殴りかかってくる男の拳を身を翻して難なく回避。

 無防備な背中を、掌で軽く押した。途端、バチッ! と静電気の爆ぜる音。

「あぎゃっ!?」

 男が絶叫して、バッタリと倒れて痙攣する。

 何事かと驚く男たちに、腕を組んでぶっきらぼうにラプンツェルは言う。

「ちょっとした魔法だ。ビリっと痺れているだけだから、死んではいない」

 掌を押し付けて、零距離で魔法の電撃を浴びせた。

 ラプンツェルは姉を目標にして魔法を学んでいる。

 姉と共に旅立った二人のように見えない剣を振り回したり、独学で炎の魔法を習得できるほどの器用さはない。

 まだ不器用でうまくでないが、電撃魔法を習得しつつある。

 今はこれで精一杯。掌で触れた物体に流すことしかできない。

 時間稼ぎできればそれでいい。今頃、誰かが通報しているだろうし、連中をここに止めていく。

 求められたのはそれだけなのだが……。

「……おいおい。女一人に男が、しかも集団でそんなものまで使うか……?」

 予想外の出来事。ラプンツェルの行動に激昂した連中は、懐からナイフを取り出してこちらに向ける。

 冷や汗が出てきた。精々、一人やられたら頭を冷やして大人しくなるかと思ったのだが。

 ラプンツェルはまだまだ、思慮が浅いと痛感する。相手は卑怯なことをする。

 集団で、ラプンツェル一人に刃物を持ち出して殺そうとしてきている。

 完全に頭に血が上っている。これでは不味い。

 逃げるにも周りには展開に逃げ惑う野次馬がいる。

 職員が暴漢相手するための配備されたさすまたを持ち出してきたが持ってる本人は逃げ腰だ。

(しくったか……。僕じゃ姉さまのようには、上手くいかないか……)

 迂闊な行動を後悔した。やはり、中途半端な気持ちで前に出る時点で、まだ自分は子供だった。

 こういう展開を予見できていれば、対処はできたんだろうが。

 冷静な頭は詰んだから速く逃げようという結論に至った。

 姉のように、魔女だったら……圧倒することなど造作もないことなのに。

 弱い自分では、これでは足を引っ張るだけ。三年前と何も変わらない。

 じりじりと後退し、狙われているラプンツェルは建物の中には逃げ込めない。

 ならば、相手を戦うしかない。だが、手段はない。魔法もほかもラプンツェルは半端だ。

 マーチは荒事には向いていない。彼女はあくまで、普通の職員だ。

 どうするか、考えている中に果敢に男の職員たちがさすまたを持って、男たちに突撃。

 乱戦が始まった。刃物を振り回している黒スーツたちと、職員の久々の大事に発展する。

 火付け役になってしまった自覚があるラプンツェル。舌打ちして己の浅はかさを悔いても遅い。

 彼女も狙われている。防戦しながら、逃げ回る。

 大人相手に喧嘩できるほどラプンツェルは慣れていない。

 野次馬は避難完了しており、それは一安心だったが、それが油断を生む。

「わっ!?」

 ギリギリの距離を屈んで避ける。長めの髪の毛の先を切り払われた。

 然し、避けたはいいがそこで、長いみつあみを乱暴に掴まれてしまった。

「痛ッ!?」

 嘗ては呪いによって際限なく伸びていた金髪は、今では常人と変わらない。

 ただ、長い髪の毛は姉が手櫛で梳いてくれる。その感触が好きで、伸ばしていたのだが。

 それがアダとなって、引っ張られて捕まり、喉元にナイフを突きつけられた。

 ラプンツェルは、いつかのように囚われの身になってしまった。

 大声で人質をとったと脅し上げる男たち。職員たちが、しまったとこちらを見る。

「くっ……」

 ……まただ。また、ラプンツェルは足を引っ張る。誰かの足手纏いになる。

 あの時も、思い返せば姉に迷惑ばかりをかけていた自分が、こうして繰り返し迷惑をかける。

 やるせなさを感じて、抵抗はしなかった。俯いて、沈黙。

(馬鹿か僕は……。これじゃあ、何時まで経っても姉さまは迎えにきてくれない……)

 今でも待っている姉の帰還。でも、それに相応しいかと言われたら疑問符を残す。

 ナイフの切っ先が喉の薄皮一枚を突き刺し鮮血がひとしずく、流れる。

 抵抗をしても、無駄だと分かりきった。

 嫌な部分だけ大人になって、肝心な部分は相変わらずで、死にたくなる。

 何でこう、自分はいつまでも誰かの世話ばかりされるんだろうか。

(姉さまなら……。亜夜姉さまはきっと、うまくやったんだろうな……)

 そう考える間にライムと男たちの間に、交渉が始まる。

 どうやら男達は、因縁をつけて金を搾取するための相手を探していたようだった。

 ライムはラプンツェル解放と引き換えに、金を用意してきた。手際の良さは、流石というところ。

 それはいいとして。ラプンツェルは、まだ誰かに迷惑をかけている。その現実が、彼女の胸に突き刺さる。

(僕は……。ラプンツェルは、成長してないのかなぁ……?)

 ふと、三年前の口調が戻りそうになる。ごくたまに、今でもその一人称を使いそうになる。

 それは、彼女にとっては認めたくないコトだった。だって、自分で子供のままだと態度で示している。

 それでは、何時までも連れていってもらえない。大人になる。条件を出したのは三年前の自分だ。

 自分の言った言葉を反故にするのはそれこそ子供。絶対にしたくなかった。

「……」

 グッタリしているラプンツェル。やっぱり、自分はまだ子供なのだと痛感する。

 速く姉に逢いたいのに、現実ができないと言っている。悲しかった。

(亜夜……あやぁ。逢いたいよぉ……)

 情けなさと、切なさと、寂しさと、悲しさからだろうか。

 あの頃に、気持ちが戻ったような気がする。

 自然と涙が溢れてきた。視界が潤んでいく。

 俯いた顔から、キラキラした雫が何粒も溢れる。

 溢れる涙は止められない。

 

 例えば誰かが、彼女の涙を拭うとするなら。

 それは、世界でたった一人しか存在しない。

 

 ひらひらと舞い散る、桜の花びら。

 薄紅色が、男達とライムの間を抜けていく。

「……?」

 最初に違和感に気がついたのは、大慌てで駆け付けたマーチだった。

 緊迫する現場。息も絶え絶えで、何とか顔を上げる。

 誰も、交渉の現場に人々に集中していて、背景として目に映る花びらになど目もくれていないのだろう。

 薄紅色の花びらのなかに……一枚、二枚。

 少しずつ……違う色が混ざり始める。

 それは大きな海のような、澄み切った空のような色で。

 薄紅に、徐々に蒼が混じり合う。花びらのように舞い散るそれは……薄い羽根達。

(…………え?)

 部屋に戻っていたマーチは、咄嗟にお守りをギュッと握っていた。

 どうか、誰も傷つきませんように。どうか、誰も苦しみませんように。

 そう願いながら、手の中にあるお守りが……今、とても暖かく感じる。

 春の陽気じゃない。これは、羽根の中から発せられている暖かさ。

 姉は言っていた。この羽根は、呪われている。持ち主に幸運を呼ぶ。

(……?)

 首元で、ラプンツェルも暖かさを感じた。仄かに感じる、この感覚は。

 知っている。三年前、散々堪能したこの熱を、ラプンツェルは覚えている。

 顎を、目線を、少しだけ上げる。

 目の前には春を知らせる桜の花弁と。

 そして、彼女を知らせる蒼い羽根が舞っていた。

 

 

 

 

 

『――遅くなりましたね。約束通り、お迎えにきましたよ――』

 

 

 

 

 

 風に乗って、遠くからそんな声が聞こえてきた。

 三年ぶりに聞いた優しい声は、記憶の中の声と全く同じで。

「えっ……?」

「!!」

 マーチは呆然と、ラプンツェルはしっかりと顔を上げる。

 その反応に、彼女を捕まえていた男は、ラプンツェルが暴れ出したと思ったのだろう。

 反射的に、押さえつけるマネをした。それが、地雷となった。

 

 ――サナトリウムの正門から、雷鳴が響いた。

 

 耳を劈く音量で、桜の花びらを避けるように通る。

 ラプンツェルを捕まえていた男に雷撃は直撃し、器用に男だけを焼いて、焦がした。

「がぁ……!?」

 力なく、断末魔を残して男は崩れる。身体から焦げるような白煙を上げていた。

 呆然とする男達と、今頃蒼い羽根に気が付いたライム。

 白々しい静寂を破り、足音が近づいてくる。同時に、何かが羽ばたく音も。

 その姿を、潤んだ視界の中でも……ラプンツェルは、しっかりと見えていた。

 一人は、太腿あたりまで伸びた金髪の美女で、豪勢な装飾の蒼いドレスを着ていた。

 眉を釣り上げて、碧眼は不機嫌そうにこちらを見つめて、大きなガラスの剣を持っている。

 一人は癖っ毛で茶髪の、内巻きのボブカットのをしている、黒いローブを着ている女の人。

 同じく顔は不機嫌そうで、先端に宝石の入った大きな杖を掲げている。

 そして、その二人の間に挟まれている小柄な少女。

 大きな蒼い翼を羽ばたかせて、羽を撒き散らし、血を彷彿とさせる紅い瞳。

 薄紫の吐息を吐き出して、帯電させた腕を下げていた。

 セーラー服のようなものを着ている茶髪のロングヘアの女の子。

 ハッキリと、遠目でも分かる。皆、その姿を見た瞬間、悪寒が背筋を走る。

 寒くない春のはずが、真冬に逆戻りしたような錯覚。二人には、懐かしい感覚。

「久々に帰ってきてみれば何なのよ、この体たらく。平和になったんじゃなったの?」

「今回は運が悪いだけじゃないかな。少なくても、前に比べたら格段に平和だと思うよ」

 まるで、この場所を知っているように、二人の女性は我が物顔でこちらに向かってくる。

 そして、そんな二人を愛おしそうに見上げる真ん中の女の子。

『まぁまぁ、久しぶりに戻ってきたんです。少し、無粋な連中を懲らしめて速く挨拶しに行きましょう』

 三年前とまるで変わらないで、記憶の中の彼女のそのままの姿でここにいた。

 驚いて、目を見開くラプンツェル。二人の女性は、気さくに笑顔になって手を振ってくる。

 涙を袖で拭い、何事かと目を疑った。だが、何度確認しても、本当に彼女はここにいる。

 マーチも、まさかの展開に絶句する。あの人が……帰ってきた。帰ってきてくれた。

『アリス、グレーテル。子供達の手前、派手なことはせずに蹴散らして追い払いなさいッ!!』

 指をさして、傍らの二人に命令する。

「オッケー!! あたしの実力、久々に見ててね、亜夜!」

「分かった。じゃあ、軽く捻って放り出すとするね、姉さん」

 二人は動いた。駆け出して、一人が突っ込んでくる。もう一人は杖を構えて目を閉じる。

 ドレスの女性は持っていたガラスの剣で我に帰り応戦する男たちを紙くずのように吹き飛ばす。

 掃き掃除でもしているかのように、ポンポン成人の男が宙を舞う。

 後方の女性は雷撃、風刃、火炎、氷柱、地鳴りといくつもの魔法を使って支援する。

 その一つ一つが、普通の魔法使いとは桁が違う規模で、よくあれだけの火力で殺さないでいられると逆に感心するほどの腕前だった。

 呆然とするラプンツェルとマーチ含めた野次馬。何が起きているんだこれは。

 女性二人によって、呆気なく黒スーツたちは打ち倒されて、地面に転がった。

「殺さないだけ、有難く思ってよね」

「無様だね。早く消えてくれない?」

 剣を鞘に仕舞い込む剣士の女性に、宝石を布で拭き取る魔法使いの女性。

『はいはい、馬鹿はとっとと帰ってくださいね。自分のいる場所に』

 トドメに、ゆっくりと翔いて近づいてきていた彼女が指を一度鳴らす。

 すると、突然ボロボロの男たちは立ち上がり、ロボットのような動きで回れ右。

 正門から隊列を組んで、歩いていく。

 ぎゃあぎゃあ何か言っているが、身体が言うことを聞いていないと見える。

「呪い……?」

 誰かがそれを呟いたとたん、野次馬たちは大体正体を見抜いた。

 蒼い翼を持つ、ここにはいない女の子。紅い瞳を持って、腐敗の吐息をするという。

「……ね、姉さま……?」

 震える声で、その人をよ呼ぶ。

 ラプンツェルの窮地を察したかのように現れて、助け出した魔女が目の前にいる。

 これは夢でもなければ、幻想でもない。紛れもない、現実だった。

 紅い瞳は茶色に戻り、蒼い翼で翔いて浮いている女の子が嬉しそうに言った。

「……お久しぶりですね、ラプンツェル。暫く見ない間に可愛くなりましたね。約束を果たそうと思って、立ち寄りました」

 優しく微笑み、自分よりも大きくなった少女の頭を手を伸ばして愛おしそうに撫でる。

 三年前の夜別れたはずの姉。帰ってきた、サナトリウムの魔女だった。

「あ、亜夜さん!?」

 人ごみをかき分けて、マーチが駆け出してきた。

 突然、何の連絡も無く三年ぶりに姉が戻ってきたのだ。驚きもするだろう。

「お久しぶりですねマーチ。聞きましたよ、サナトリウムに就職したんですって? おめでとうございます」

 朗らかに笑って、彼女――一ノ瀬亜夜は、変わらず姿のままで呆然とするマーチを抱きしめた。

 姉についていった美女二人は……まさかと思って、もう一度よく見る。

「マーチ、あんた三年で人の顔忘れたの?」

 偉そうにしているのは変わらず、目に止まる美しさを手に入れているこの人は、アリス。

「久しぶり。詳しいことは、聞いているからだいじょぶだよ」

 随分と丸くなったような態度で、まだアリスに比べたら面影のあるこの人は、グレーテル。

 あの時の二人だった。では今、こそばゆく抱きしめているこの人は本物の姉……亜夜だ。

「おひさ……ってあんたラプンツェルよね? ちょっと見たい間に随分と大きくなったわね」

「突然帰ってきたアリスに言われたくないけどな。お陰様で、見た目だけは成長したよ」

「……誰に似たのよあんた、その口調?」

 久々の邂逅で、アリスに言われるラプンツェル。

 確かに三年前とは別人になっているが、思っても言わないだろうに。

「アリス、うっさい。ちょっと静かにしてよ」

「グレーテルも、久しぶり。元気そうでなによりだ」

「お久しぶり。姉さんが寂しがっていたよ、逢いたいって」

 グレーテルが嗜めながらラプンツェルと握手をしていた。

 亜夜はというと、バサバサ羽根を撒き散らして一帯を蒼く染めながらマーチを抱きしめていた。

「ホント逢いたかったですよー! 何度帰ろうかと迷ったことか!」

「あ……あははは……」

 この人は相変わらずだった。マーチが苦笑いで圧倒されているのを初めて見る今のサナトリウムの子供達。

 アレが、いつもマーチが御伽噺で語っている蒼い翼の魔女。……思ったよりも子供だった。

 でも、優しそうに見えるのは見て納得する。

「亜夜さん、お久しぶりです。……また、突然帰ってきましたね」

 ライムまで似たような顔で、集まっている四人の輪に入る。

「あ、どうもライムさん。その節はありがとうございました」

「いえいえ」

 ライムとも一度再会の握手をして、ライムはついて行った二人にも挨拶する。

 二人は会釈して、ラプンツェルとの話に戻る。

 久しぶりにこっちに戻ってきたので顔を出しに来たらなんかいたので追い払ったとのこと。

 マイペースに、亜夜は説明して再会を堪能する。

 見てる子供たちのことなど気にせずに、目をハートマークにしてラプンツェルにも抱きついて羽根を撒き散らす。困惑するラプンツェルは受け止めて、問うた。

「姉さま、いきなり戻ってきて、どうしたの? さっき、約束を守るって聞こえて」

「あ、ラプンツェル引き取りに来ました。この子持って帰りますので、回収していいですか?」

「……」

 あれ。この人、話聞いていない。しかも連れていくとか言ってる。

 アリス達が溜息をついて二人にあれこれ説明する。

 亜夜はあれから、旅にでて世界中を旅行気分で見て回っていたのだそうだ。

 その過程で、サナトリウムを出て一人でやっているタリーアやシャルとも再び出逢い、サナトリウムの話を聞いていたらしい。特にシャルは今、活動拠点にしてる近くで漁師をしているので、よく顔を合わせるのだとか。

 三年も旅していると、戦場やら揉め事やらによく巻き込まれて、気が付いたら魔女というよりは翼の傭兵扱いされて、三人は今ではそっち系の生計を立てられる次元に行っちゃったのだとか……。

 魔女としてひっそりと生きるはずが傭兵にクラスチェンジ。今ではある種伝説になってる。

 シャルは因みに今日ここに来ることを知っていて祝杯用に猪を提供しているのだ。黙っていたが。

「え? 僕、ついていっていいの?」

 約束では大人になったら迎えに来ると言っていた。

 あの体たらくで、大人とは言い難いと反論する前に。

「ごめんラプンツェル。いいから兎に角一緒に来て。そろそろ亜夜が我慢の限界来て、発狂するわ」

「これ以上お預けすると、姉さんキレて、マジモノの魔女になってサナトリウムを襲撃しだすよ?」

 ああ、この変態姉は既に自分が我慢できないから連れていきたいらしい。

 成長してないどころか、離れたことにより姉の方が全力で完全に悪化していた。

 何年経っても、この人のシスコンっぷりは改善されていなかった。呆れるラプンツェル。

 思い出せばこの人、愛が変態の次元に言っているような気がしていたけど、これは危ない。

 ライムが渋っている。ラプンツェルが抜けるとマーチの仕事がやばくなる。

 だからってマーチまで誘拐されると、仕事が追いつかなくなりサナトリウム危機が再び。

 誘拐、誘拐と何度も繰り返す亜夜。目が死んでいる。

「わたし、亜夜さんに誘拐されるんですかね……?」

 ボソッと小声で言うと、三人は見ればわかると顎で亜夜を示す。

「マーチを、マーチを私に返してください……。ライムさん……お願いですから……」

「あの、亜夜さん!? 目が、目が死んでるんですけど!? ここで魔女にならないでくださいね!?」

 薬の禁断症状よろしく、目がイっている。

 顔を合わせたことで、我慢のメーターが振り切れて邪魔をすると呪いをしてきそうな雰囲気だった。

「……ええと、なら……復職しますか?」

 埒があかないと見たライムが、逆の発想でこっちに誘ってみることにした。

 アリス達はそれでもいいので、姉に判断を任せると。

「しますっ!! させてくださいお願いしますッ!!」

 二つ返事で了承した。凄い食いつきっぷりだった。

 迷いとか自制心があったら、ここにはいない。

「姉さま……」

 ラプンツェルは心底呆れた。馬鹿だこの人、速く医者に見せないと。それで治るんだろうか……?

 心の何処かでわかっちゃいたけど、家族のことになると本当にダメなことばかりする。

「亜夜さん……」

 マーチももう何も言わないことにする。戻ってきたことは純粋に嬉しいので。

 綾は年単位のお預けが余程精神にキていたので我慢できない。

 もう旅せずにサナトリウムに復職するということで急遽決定。

 アリスたちも異論はない。

「っていうか、今まで行き当たりばったりが大半だし。いい加減なれてるわよ。家族何年やってると思ってんの?」

「そうそう。姉さんは無鉄砲で無計画だから、私たちが支えてあげないとすぐに自滅しちゃよ」

 妹二人にそう言われている、マーチとラプンツェルにフガフガと、ニオイを堪能するアホな魔女がいる。

 見ていた子供たちも、口を半開きで目を点にする。

 イメージ崩壊。優しくて頼れる魔女ではないらしい。

 子供達にも、あの魔女の本質ははただの変態だとよくわかった。

 変態という言い方がぴったりの全力でダメな魔女だった。

「じゃあ手続きしますから……思い出話も混じえて、どうぞ」

 ライムの呆れた顔をされて手引きされて、三人はサナトリウムの職員として、この場所に帰ってきた。

 既に亜夜の居場所としてここは問題なく機能する。

 ラプンツェルとしては、連れて行かれる約束がすり替わって戻ってくるという顛末に、ツッコミを入れたかった。

 マーチとしては、魔女として生きていた姉でも、根っこは姉なのでやっぱりこうなるのかと納得していた。

 ラプンツェルは改めて思う。受け入れるマーチもマーチで、姉の暴走を止めて欲しいのに。

 アリス? グレーテル? 言うまでもなく変態の妹だ。

 この二人も、ほら見ろ。亜夜を甘やかして、ダメな人にしてるじゃないか。

 ラプンツェルは、和気藹々と戻っていく皆を見て、声を大にしてこう言いたい。

 

 

 

 

(うちの家族は、変態しかいないのか!)

 

 

 

 

 と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナーサリー・ライム 童話の休む場所 おしまい。



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