【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども (ようぐそうとほうとふ)
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賢者の石
01.我が家は焼け落ちて


約束して。私を忘れないで。

私の記録が全て消えて、思い出すら曖昧になっても。

…ひょっとしたら、忘れていても思い出すかもね。

鏡に映ったみたいだもの。

ほら、可哀想に。

 

この呪いは貴方に託します。

貴方の大切なものを守れなくてごめんなさい。

其ればかりかこんなものまで押し付けて。

それでも私は呪いの連鎖を断ち切らなきゃいけない。

あなたは自らの尾をくう蛇を知ってる?私達の魔法と生まれを考えればある意味ふさわしいのかしら。

 

財産は全て貴方に預けます。

家財も屋敷も碌なものは無いけれど、好きに使ってください。

さよなら。

愛を込めて。

 

リヴェン・プリス・マクリール

 

 

 

 

羊皮紙に走り書きされた、遺書というには余りにも素っ気ない遺書をただ見つめた。

喪失感に押しつぶされた心が更に軋む。

どうして死は何もかも奪っていくんだろう。いや、この場合は死と言えるんだろうか。

彼女は遠くへ行ってしまった。詩的表現を除去しても、そういうのが正しい。いや、むしろ詩的に言うなら「彼女は死んだ。」か。

自分が決して届かないところへ行ったんだから…死んだも同然だ。

 

全てを呪いたくなるようなそんな気持ちで、その遺書のすぐそばにあるテーブルを見つめた。

彼女が呪いと呼んでいたもの。

かけられた薄い布をそっと持ち上げ、中のものを見て息を呑んだ。

それは確かに、呪いに他ならなかった。

 

 

 

…10年後…

 

 

デッカード警部は困った様子で後頭部をかいた。どうしようもないとき、いつもする癖だ。

問題の孤児は椅子の上に座り尽くし、呆然と机の上のペンを眺めていた。

孤児院の規則なのだろう。女の子なのに短い髪。艶やかな黒髪の右ほほにすこしかかる部分がちょっと焦げていた。

火事にみまわれた孤児院のたった一人の生き残り。それが彼女…サキ・シンガーだった。

孤児院の名前がそのまま苗字に使われているというのは、彼女に身寄りが一切ないことを表している。

 

悲惨だー。只ひたすらに、悲惨だ。

 

溜息をついて、ちょっとでも少女の気を引こうとペンをひょいと持ち上げ、遠くへやった。

しかし少女の視線は動くことはなかった。まるでこの世界に体だけ置き去りにしてしまったようなそんな虚ろな目で机を見続けている。

 

人形 傀儡 抜け殻 …。頭の中に少女を形容するにふさわしい単語が幾つか浮かぶ。どうやら彼女は一時的な失語症にかかってるらしい。ああ、あとついでに不感症にも。

デッカード警部は関心を引くのを諦めた。

 

 

事件が起きた日は、この子の11歳の誕生日だった。

彼女は珍しく院長からおつかいを頼まれて、ちょっと遠いスーパーマーケットへ行った。

頼まれた食材を持って帰ると、孤児院は業火に焼かれていた。

原因はバースデーケーキのロウソクの火、と出ている。なぜか本人不在のまま灯されたロウソクが、なぜか爆発的に燃え広がった…というなんとも納得しがたい報告書が出ている。

 

孤児院にいた13人は煙に巻かれて死亡した。

しかし、13人は脱出可能経路が多数残されていたにも関わらず、まるで逃げ出そうとした形跡がないのだ。

 

焼死者がいなかっただけ…と、口にしかけたがやめた。いかなる言葉もきっと少女を傷つける。いや、そもそもそれが問題ではない。

なぜ13人は魅せられたかのように煙が立ち込める広間で輪になって折り重なるように倒れていたのか、だ。

 

当時の状況を聞こうとしても、ずっとこの有様で文字通り話にならなかった。

病院のカウンセラー全員にかかってもよくなる気配はない。

反応が無いのは承知で、しぶしぶ話し始める。

「…サキちゃん。焼け跡から君のものだって分かるものだけ持ってきたよ。」

紙袋に入れられた、灰を被った彼女の数少ない持ち物。机に置いて反応を見ようか?それは負担が大きいだろうか…と考えながら袋の中をチラッと覗き見た。するとどれもこれもが煤けた紙袋の中に一つ、奇妙なものを見つけた。

消火剤や水のかけられた跡のない、ピンとした封筒。

きちんと蝋封のされたそれは火事にさらされた形跡が全くなかった。

不思議に思い、送り元を見る。

 

「…シンガー孤児院6号室 サキ・シンガーさま。ホグワーツ魔法魔術学校…より……?」

 

口にした瞬間、突然空気が割れたような感覚がした。

風を感じ、顔を上げて出口の方を見る。

そこには白い髭を生やしてローブを着た、まるで絵本に出てくるような老人が立っていた。

「ご苦労警部殿」

「ええ、どうも」

どうも変だという気にはならなかった。柔和に微笑む老人に、自然に席を譲ろうと立ち上がった。

「ああ、結構結構…」

しかしまた座りなおすのもおかしい。デッカード警部はそのまま、老人の横を抜けて出口へ向かった。

この事件はこれで終わりだ。

今まで感じていた悲壮感やら不審感がスーッと抜けてくのを感じた。病室を抜けて扉を閉める頃には、それはすっかり消え去った。

 

俺はなんで病院に来たんだっけか。ああくそ、早く署に帰らにゃならん…。

 

デッカード警部は急いで廊下をかけて行った。その途中、ナースに叱られ渋々と早足で去っていく。

 

「さてー」

老人、アルバス・ダンブルドアは人の入れ替わりに見向きもしない少女の前に座る。

「ああ…これはまた酷い状態じゃのお」

少女の纏う悲愴なオーラと対照的にのほほんとしたダンブルドアはそっとその頭に杖をあて、撫でた。

白く真っ直ぐな杖は、所々が焦げてチリチリになった髪の隙間を滑る。

「ほんの少しだけ…見ないでいいものを見てしまったのだな。ふむ…」

ダンブルドアは瞼を閉じ、こめかみから右頬にかけてまた撫でた。すると杖が梳いた部分の髪が元どおりに戻っていた。

そして、杖の先には乳白色に光る糸が蜘蛛の巣のように風に揺れてついていた。

糸を小指の先ほどしかない小瓶に詰め、コルク栓をして少女の手に握らせた。

少女の頬に一筋、思い出したように涙が溢れた。

「ぅ…」

小さな嗚咽の後に鳴き声が響いた。細い肩を震わせて泣く少女を、ダンブルドアはただ見守った。



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02.→ホグワーツ急行

ハリーはあの冷たいダーズリー一家から別れられて、清々した気持ちだった。しかし同時にこれから一人で全く知らない世界に飛び込む事になるのを実感し、思わず不安げに周りをキョロキョロ見回した。

キングスクロス駅は人でごった返している。11歳の少年の背丈ではなかなか前が見えず、不安感は増す一方だった。

 

「ねえ」

 

出し抜けに声をかけられ、思わずギョッとして声のした方向を振り返った。

「ねぇ、君さ」

自分より5センチほど高い背丈で、黒いだぼだぼのセーターを着た少年が重たそうなトランク一つを足元に置き、立っていた。

「な、なんですか?」

「でかい荷物に、でかいカート。素敵だね。ひょっとして君、道に迷ってない?」

「…別に」

不安感を見透かされたような気がして、思わずハリーはつっけんどんにしてしまう。すると相手は面食らったようにへらっと笑って足元のトランクを軽く蹴飛ばした。

「いやね、私もなんだ…。おまけにカートを忘れてこのままじゃ電車に遅れちゃう」

「…もしかして…ホグワーツの?」

ホグワーツという言葉にホッとしたように少年の表情が和らぐ。

「そうそう!君もだよね?白いフクロウ持って電車乗るやつなんているわけないもん」

同じ学校の生徒を見つけた安心感から思わずハリーも安堵し、相手への不審感が一気にとけていった。ヘドウィグのカゴを撫でながらカートがあとどれだけの重さに耐えられるか想像した。

よし、なんとかあと一つくらいは乗せられそうだ…

「彼女はヘドウィグ…。よかった、魔法使いに会えて。カートには余裕があるし、案内してもらってもいいですか?」

「んぇ?」

ハリーの言葉に少年は目を丸くする。

「え?」

思わぬリアクションにハリーも思わず間の抜けた声を出す。

数秒の間を置いてハリーと少年がほぼ同時に互いに言葉を投げかけた。

「場所、知らないの…?」

「君も新入生なの…?」

ハリーはほんのちょっとの落胆を味わいながら、ほんの少し頭を抱えて考えた。

 

一人で迷うより、マシ。

 

少年が気まずそうに頬の横に垂らした髪の束をくるくると回す。

結べるか結べないかギリギリの長さの髪がキリキリと巻かれ、やがて弾けるように元どおりに解れていく。

どうやら少年も同じ結論に達したらしい。ぽんっと両手を打ち鳴らしてハリーに提案した。

「とりあえず…9番線に一緒に行かない?」

「うん、3/4番線も行ったらすぐわかるかもしれない」

仲間ができたー。同じ新入生の、しかもどうやら魔法界のことをよく知らないらしい仲間が。

「私はサキ、サキ・シンガー。君は?」

「僕はハリー・ポッター、ハリーでいいよ」

「よろしくハリー」

「よろしく、サキ。とりあえずそのトランク乗せなよ」

その言葉で信頼感を得たらしいサキ(変わった名前だ)は笑顔でそれに応じ、重たそうに荷物の一番上へ持ち上げて紐でくくった。

「ありがと。9番線に着いたら私が押すよ」

二人は言葉少なに足早に人混みを抜けていった。色々話したいこともあるが乗車時刻ギリギリだ。しかも9番線は混んでいるし、見渡せど見渡せど9 3/4番線なんて案内は見当たらない。

「どうしよう!人に聞こうか?」

「うん…あ、いや。ちょっと待って!」

ハリーの焦った声をサキが止め、ホームにある柱のうちの一つを指差す。

「今、人があの中に入っていった!カートを持った子供が!」

「柱の中に?」

「うん、だからまず聞くならあの人たちさ!きっと魔法使いだから」

ウキウキした顔でサキは燃えるような赤毛の婦人の方へ小走りで向かった。

「あの!」

ハリーが声をかけるとかっぷくのいい婦人は振り返り、人懐っこそうな笑みを浮かべた。

「あらやだ!生徒かしら?もう発車時刻ギリギリよ」

「あの…僕たち、3/4…わからなくて!」

急いで来たせいで息が上がってしまった。サキも同じようにカートに引きずられるようにして追いついた。

「新入生ね?ロンもそうなのよ。」

赤毛の婦人は横に立っていた男の子を指し示す。同じように赤毛だ。

「簡単よ!柱に向かって行けばいいの。ロン、お手本見せてあげなさい」

「うん……OK」

ロンはちょっぴり不安げにカートに力を込め、頑丈そうな柱へ突っ込んでいった。

普通なら荷物がぶちまけられるところだが、ロンは吸い込まれるように柱の中へ消えて行く。

「わあ!」

思わず歓声をあげる二人を微笑ましそうに眺め、婦人は優しく二人の背中に手をやった。

「次はあなたたちの番よ」

サキが待ちきれないと言わんばかりにハリーの腕をひっつかみ引き寄せる。二人でカートを持ってまっすぐ柱に向かって押した。

ぐんぐんと柱が視界に広がって、カートは吸い込まれるように前へ前へと進んだ。

壁にぶつかる瞬間目をつぶったが、衝撃がない。

スピードを落としながら転がるカートの感触。そっと目を開けると人がごった返すホームの上だった。立派な蒸気機関車が停まっている。

「つ…ついたぁー!着いたよ!よかったあ!」

サキが両手を挙げて喜ぶ。カートが曲がって壁に激突した。

ついでに全ての荷物を降ろし、汽車に二人して乗り込んだ。

重い荷物をなんとか押し込み、誰も座ってないコンパートメントの荷台へ四苦八苦しながら詰め込んだ。

「はあーっ…君がいてよかったよ」

「私もだよ。たどり着けないかと思ったもん…」

二人は一息ついて窓の外を眺める。さっきの赤毛の一家がわいわいと荷物を積みながらなにか話していた。客席の窓から子供たちが身を乗り出して家族との束の間の別れを惜しんでいる。

「サキは、一人で来たの?」

「ん?そーだよ。私、家族いないから」

「えっ?!ご、ごめん」

思いもしない回答に反射的に謝ってしまう。サキが何か言う前に言葉を続けた。

「実は僕もそうなんだ」

「…そうなの?」

サキは驚いた表情でハリーを見つめてる。

「うん。親戚の家に預けられてる」

「そうだったんだ…じゃあこれからはお互いホグワーツが家だね」

ハリーはこれからはホグワーツが家、という言葉に感動しながら、これからの生活への期待をじんわり感じた。

「そうだね。あそこにはもう、絶対帰りたくないし」

「そんなにやな人たちなんだ?」

「うん!酷いんだ…。この間なんてさ」

ハリーはホグワーツ入学案内の手紙から逃げるため引越した先にハグリッドが来た話をした。サキは楽しそうに話を聞いて、ダドリーのお尻に豚のしっぽが生えたあたりで爆笑した。

サキが涙を拭いていると、遠慮深げなノックがした。

さっきの赤毛の男の子、ロンがいた。

「ここ、空いてるかな。…他がいっぱいなんだ」

「いっ…いっ…ひひっ…いいよっ…ふぐぅ…ッ」

サキはまだ笑いが収まらないらしくお腹を抱えながら引きつり笑いで答えた。そんなサキを不気味なものを見るように避け、ロンはハリーの隣に座った。

ロンがチラッとハリーの顔を見た。額のキズに視線が走った気がしたが、すぐに目をそらされてしまった。

「えっと…ありがとう。僕はロン。ロン・ウィーズリー」

「私、サキ・シンガー。」

「僕、ハリー。ハリー・ポッター」

「やっぱり君があのハリー・ポッター?」

「あの、って?」

驚き興奮した様子のロンと、なぜロンがそうなっているのかわからないサキが同時にハリーに質問する。

ハリーはちょっと困りながら、どう説明しようか迷った。

「ええっと…僕、有名らしいんだ」

「君知らないの?!彼が例のあの人を倒したんだ!生き残った男の子、聞いたことない?」

「例のあの人…?」

サキはちょっと考えるように顎に手を当てる。

「あ、あれか!読んだよ、本で。ヴォルデモートだっけ?」

「わ!!!」

ヴォルデモートの名前を出した瞬間、ロンが悲鳴をあげた。どうやら子供でもヴォルデモートの名前を恐れるらしい。烈火のごとく怒り出した。

「ダメじゃないか!その名前は口にしちゃいけないんだ!!」

「え…あ、そうだったね…ごめん」

サキは引き気味に口をつぐむ。そしてハリーを改めて見つめた。ハリーは気まずくなって思わず目をそらした。

「その人そんなに怖かったの?」

「僕はまだ赤ちゃんだったから…全然、覚えてないんだ」

「そうなんだ。…うわー」

「へー…」

自分の知名度はダイアゴン横丁で思い知らされていたつもりだったがホグワーツでもこの調子なんだろうか。

そこで突然コンパートメントの扉が叩かれた。移動販売だ。見たこともないお菓子が山のように積まれていた。

「…私はいいや」

「僕も。これあるからさ」

ロンは恥ずかしそうに包まれたサンドイッチを持ち上げた。

ハリーとしては折角もう友達ができたのにお菓子すらなくただ汽車に乗るのはごめんだった。

しかもそこにあるのは魔法のお菓子!

「全部ちょうだい!」

 

サキの隣の空いてるスペースにお菓子が山のように積み重なった。置ききれないので急遽トランクを一つおろしテーブル代わりにお菓子を並べた。

「食べようよ、みんなで」

「いいの?」

ロンが目を輝かせた。サキはどうしていいのかわからないという表情でその山を眺めてた。

「ハリー…君に今度なんかプレゼントしなきゃね」

「サキ、気にしないでよ。とにかく食べよう」

 

蛙チョコレート、百味ビーンズ、臓物キャンディ…今まで見たことないお菓子のラインナップにハリーとサキは大興奮だった。わいわいはしゃいで「これはなに?どういうの?なんで?」と聞いてくるハリーとサキにロンが一個一個そのお菓子の説明をしてやった。

百味ビーンズロシアンルーレットをしてるうちに窓の外の景色は美しい緑の平原から、色彩にかけた暗緑色の丘へ変わっていった。

三人が百味ビーンズに飽き飽きしてサキがやっと捕まえた蛙チョコレートの上半身にかぶりつき、ロンが最後に残ったゲロ味をなんとか魔法でイチゴ味にしようと杖を取り出した時、コンパートメントがノックされた。

すぐに丸顔の男の子と、気の強そうな栗色の髪の毛の女の子が入ってきた。女の子はもう制服を着てローブを羽織っていた。

「ネビルのヒキガエルが逃げちゃったの。…見かけなかった?」

ぎょっとした顔で自分の食べた蛙チョコレートが本物かどうか確かめるサキをみてハリーはちょこっと笑ってしまった。

「ごめん、見てないよ」

「そっか…」

ネビルと呼ばれた男の子は消沈した様子で俯いてしまった。

「魔法をかけるつもりだったの?見せてちょうだいよ」

女の子の方は蛙の安否にはあまり興味がないらしく、杖を持ったロンに話しかけた。

「…あー。うん、いいよ」

全然乗り気ではないロンが答えた。百味ビーンズに向かって杖を振る。

「はなげし、ひなげし。ピンクのローズ。この百味ビーンズをいちごにかえろ!」

冗談みたいな呪文を唱えるが、何も起こらない。

「クッソー。ジョージとフレッドのやつ!また適当な呪文教えたのかな」

「見た目は変わってないけどもしかしたら味変わってるかもよ?」

サキが百味ビーンズをロンに差し出す。信じられないなあという顔をしてロンがそれを口に放り込んだ途端、ウエーッと唸って吐き出した。

「正真正銘、ゲロ味!」

それを見て笑うサキとロンを女の子はふんと鼻で笑って自信たっぷりにいった。

「最高の魔法学校に入学するんだから、それなりに予習したほうがいいわ。私、教科書全部暗記したわ。それで足りるかしら…

私、ハーマイオニー・グレンジャー。あなた方は?」

「僕はロン・ウィーズリー」

「サキ・シンガー」

「ハリー・ポッター」

ハーマイオニー・グレンジャーもやはりハリーの名前を聞いて驚いた。

「本当なの?あなたの本、読んだわ」

「そんなのがあるの?」

「あるわよ。近代魔法史とか、20世紀の魔法大事件とか、細々とした論文でもあるみたい」

「すごい、ハーマイオニーって博識だね」

サキの言葉にちょっと頬を赤らめて、ハーマイオニーは咳払いした。

「とりあえず…私たちヒキガエルを探さないと。あなたたち、着替えたほうがいいわよ。もうすぐ着くはずだから」

ハーマイオニーはそう言い残すと、ネビルを連れてさっさと何処かへ行ってしまった。

「高飛車な子!僕、あいつと違う寮がいいな」

「僕はロンとサキと一緒のところがいい」

「私もー」

サキはそう笑いながら着替えを取り出そうと立ち上がった。たまたまカーブしたらしく汽車が大きく揺れた。

よたよたしながらカバンから制服を引っ張り出す。

いざ着替えようとするとまたコンパートメントがノックされ、返事する間も無く開かれた。

「のわーっ?!」

全く予想外の声がした。

しかもその主はたった今入ってきた少年、マダム・マルキンの店でハグリッドの悪口を言っていたやつだった。

何に驚いてるんだ?とその視線の先を追うと、サキがセーターを脱ぎ、ワイシャツのボタンをしめようとしてるところだった。

その隙間に見える下着に悲鳴をあげてたらしい。

…下着?

「サキ、君女の子だったの?!」

「へ?そうだけど…?」

ロンは目を覆って壁の方を向いていた。そういえば着替えようと荷物を降ろした時からロンは見えないように見せないように隅でごそごそと着替えてたっけ。

「と、と、兎に角はやくきろ!みっともない!」

入ってきた男の子は青白い顔を赤くして目を背けた。

「え、なにその反応…いやまあ元から急いでたけど」

納得いかないと言いたげにサキはきちんと制服姿になっていた。いつの間にか下も半ズボンからスカートになっている。

「サキ……もうちょっとさ…」

「えー、めんどくさいじゃないか。別に私は見られてもなにも」

男の子だと思い込んで接してた分困惑が大きい。まあ確かに見分けがつきにくいとはいえ女の子らしく目も大きくてまつげも長いし、女の子と思ってみれば女の子だった。

「ったく。がさつな女だな!」

照れてた乱入者はなんとか体裁を保とうと偉そうに言った。

少年の後ろにはえらくガタイのいい少年2人。真ん中の生意気な奴がボスだ。

「僕の名前はドラコ・マルフォイ。ダイアゴン横丁で会ったよな」

「うん…そうだったかな」

「友達は、選ぶべきだよ。ポッター君。僕でよければそれを教えてあげるよ」

サキとロンを交互に見た後、マルフォイは手を差し出してきた。

「友達くらい自分で決めるよ。どうもお世話様」

ハリーのとげとげしい言葉にドラコが怒ったのを肌で感じた。二人の間に緊張が走る。

サキは珍しいものを見るようにぼけーっとその様子を眺めていた。

「そうそう、そこの赤毛はウィーズリーの子だろ。代々血を裏切るものを輩出する純血の恥だとかいう、落ちこぼれの…」

その言葉にロンが爆発しそうになった。しかしまさにロンがキレるその瞬間に、サキが突如立ち上がった。

「ちょっと、君さあ!」

不意をつかれた形になり、ドラコは言葉を飲み込んでサキをみた。

「着替え中に入ってきたのに謝らないのはどうかと思う!」

「いま?!」

どうやらサキはずっとモヤモヤしてたらしい。いやそれにしても今言うことではないが。

「しかもガサツって!違うからね。孤児院だとこれが普通だったの…!なのにさあーガサツって!」

「わ、わる…悪かったよ…」

よくわからないキレ方をしているサキにどうすればいいかわからず、マルフォイは思わず謝った。

それで怒りは収まったらしく、ため息をついてサキは着席した。

すっかり喧嘩の空気は散ってしまった。

「チッ…行くぞクラッブ、ゴイル。こいつらといるとバカがうつりそうだからな」

「バカって…」

巻き添えを食らった気分だったが、特に何事も起きず三人が去ってくれてホッとした。

サキはまだ不服げだ。

「サキ、追っ払ってくれてありがとう」

「いいけど…ハリー。私のこと男だと思ってた?」

「ご、ごめん」

サキはにがーい顔をして残りのお菓子を摘んだ。

話をしながらお菓子を片付けていると、車内に声が響いた。

「あと5分でホグワーツに到着します」

三人揃って車窓に顔を貼り付けた。

景色は森、森、森だった。



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03.蛇の巣の中

ボートから見るホグワーツは幻想的で、まさに魔法のお城だった。

ランタンの明かりが揺らめく湖面を滑り、石造りの廊下を渡り、大勢が集う大広間に通された。

全部がまるで夢の中に居るようにふわふわとしていて、期待と不安といろいろな感情が湧いてきて思わず吐き気がするほどだった。

サキは深く息を吐いて前を見た。

たった今ハリーの組み分けが終わり、グリフィンドール生の歓声が響いてる。

並んでる間、組み分けについて話していた。ウィーズリー家はみんなグリフィンドール。スリザリンは悪の魔法使いを多く出した。自分がスリザリンになったらハリーはがっかりするだろうか。

ちら、と組み分け帽子の向こうの職員席を見る。

 

…いた……。

 

不機嫌そうで陰気そうな、黒髪の男。スリザリンの寮監であるセブルス・スネイプが。

サキは初めて自分の生家に来た時のことを思い出した。

 

あの日…。火事が起きて、何が何だかわからないうちにダンブルドアに連れられ、埃まみれの屋敷に行った。

外観はいかにも幽霊屋敷で、庭は荒廃し森と一体化していた。周りには何もなく、ただ暗い森と湿地が広がっているさみしい土地だった。

門をくぐり、屋敷の中に入ると中は思ったよりも綺麗だった。

外と違って時間の蓄積による汚れや痛みは見つからず、まるで時間が止まってしまったかのように見えた。

暗く伸びる廊下。一部屋だけ明かりが灯っていた。

導かれるようにそこに入ると、ソファの上に黒い男が座っていた。脂でべっとりした髪に、土気色の肌。

煤けた自分といい勝負の辛気臭さを纏っている。

「セブルス、ご苦労じゃった」

「…校長。彼女が?」

「そうじゃ。サキ・シンガー。サキ、こちらはセブルス・スネイプ。君の後見人じゃ」

「後見人…?」

サキは思わず聞きかえす。後見人なんて初めて聞いたし、もし本当にそうならなぜ今こうして名乗り出たのか、と。

「君がー…」

疑うような声を出し、怯えるサキにスネイプがゆっくりと話す。

「君が11才になったら名乗り出て引き取るようにと、約束させられていた」

「約束…って、誰に?」

「君の母親だ」

「母…親?」

サキは驚愕と戸惑いで思わずスネイプを凝視した。不機嫌そうな顔をしているが、優しい瞳を持っている。その瞳を見て驚愕は収まったが戸惑いは消えない。

「なんで11歳なの…?母…はどこにいるんですか?なんで後見人なんですか?」

「ホグワーツからの手紙を見ただろう。君が魔法使いとして生きていけるようになったらということだと思う。君の母親はおそらく死んだだろう」

「……魔法使い…」

サキは渦巻く様々な感情を抑えながら、ぐっと強く拳を握った。

「母も、魔法使いだったんですか?」

「そうだ。我輩は君の母親の友達だった」

「……そう、ですか」

「ここは君の母親の家で、これから君が自由に使っていい財産だ。金も…僅かだがある」

「……」

サキは口を噤んでしまう。

突然わかった自分の出自。これまでの生活が全てなくなった後にでてきた、これからの生活。

頭がガンガンする。

「セブルス、そう急に言ってもわからんじゃろう。サキ、今日は休みなさい。」

「しかし…」

「また明日改めて話してやりなさい。ついでに魔法界のことも教えてやらんとのお。」

「それは、私が…?」

「そうじゃ。後見人じゃろう」

「……わかりました」

スネイプはなんだか困ったような顔をして渋々頷く。

ダンブルドアにそっと背中を押され、サキはすぐそばにある寝室に通された。

ベッドは少しかび臭かったが疲れが勝り、サキはすぐに寝てしまった。

 

…スネイプ先生、悪い人じゃないからな。

 

あの後3日ほどスネイプ先生は屋敷に残り、魔法界のことやルール、ちょっとした魔法について教えてくれた。教科書だって買ってくれたし、料理もうまかった。

なにより後見人という、この世界で唯一の後ろ盾が寮監というのは悪くないなあと、ちょっと打算的に考えた。

「シンガー・サキ」

名前が呼ばれ、心臓が飛び出しそうなくらい脈打った。

ハリーとロンがこっちを見てるのがわかる。

帽子を持ってるマクゴナガル先生に促され、着席する。古めかしい帽子が頭の上に被さった。

「…おや?また会ったね?」

「えっ」

突然聞こえた低い声に驚き声の方へ視線を向けると、帽子のつばが見えた。

帽子が喋ってる。

「おや違ったか!今度はずいぶん難しい子だ。今年は難しい子が2人もいる…ふむふむ。問題は運命や因果を君が信じるかだ」

「運命…ってほんとにあるの?」

「あるかないかではなく、信じているかだよシンガー」

「…信じてるよ」

「そうか、それならば君はそうなる運命だったのだ。スリザリン!」

低い轟のあと、拍手がパチパチとさざ波のように聞こえてきた。帽子をしてた時は一切雑音が聞こえなかったのに、突然周りに音が戻ってきて夢から覚めたみたいな気持ちになる。

ハリーが残念そうにこちらを見ていた。

サキはちょっと微笑み返すと手招きしているスリザリン生の方へ向かった。

最後の一人、ザビニを迎え入れると机の上にごちそうが並び、たくさんの人が一斉にお祭り気分で騒ぎ始めた。

わんわんと音が頭の中で反響して、人々の温もりを肌で感じる。孤児院に戻ったみたいでちょっと安心した。

隣近所の上級生たちや新入生とこれからの学校のことを教えてもらい、魔法界の出来事や先生の噂話などを聞いていると時間はあっという間に過ぎていった。

「ハロー」

チュロスにかぶりついていると突然話しかけられた。声のする方を見ると、気の強そうな女の子がいつの間にか隣に座っていて気取った笑顔を浮かべていた。

サキは慌てて口の中のものを飲み込み、砂糖をナプキンでふく。

「やあ。よろしくね。私はサキ・シンガー」

「あたし、パンジー。パンジー・パーキンソンよ。ねえあなた、ご両親はどこにお勤め?」

挨拶の二言目がそれかよ。とサキは一瞬呆れたが努めて普通の調子で答えた。

「いないよ。死んだみたい」

「あら…ごめんなさい。じゃあ親戚の方と暮らしてるの?」

「親戚もいないよ。私孤児院育ちだし」

「孤児院?」

パンジーは露骨に眉をひそめた。その反応には慣れていたが、ハリーたちが温かく受け止めてくれたのに彼女は違うらしく、ちょっとやな気持ちになった。

「じゃああなた、穢れた血かもしれないのね?」

「なんだって?穢れた血?」

差別的な物言いに思わず棘のある聞き返しをした。パンジーがちょっと怯み、何事か言おうとすると急にデザートが消えてダンブルドアが立ち上がった。

全員が黙ったせいでパンジーも言い返すことはなかった。

注意事項を聞いてる間、校歌を口パクで聞いてる間"穢れた血"という言葉の意味を考えていた。

なんだか嫌な感じだ。一気にワクワクが消え去り不安が渦巻いてきた。

とびきり遅い葬送行進曲調の校歌が終わると、各寮の監督生たちが新入生を呼び集めていた。これから寮に向かうらしい。

グリフィンドールの方を見るが、ハリーたちの姿は見えなかった。ちょっと寂しく思いながらしゅんとして前にいる生徒の背中を追う。

見覚えのある髪型だ。プラチナブロンドで自分よりちょっと小さい背丈。その両隣にいるガタイのいい2人。

「ドラゴンくんだっけ」

「違う!ドラコだ!」

間髪入れずに前からツッコミが入った。いい反応速度だ。そういえばそんな名前だった気がする。

「あ、ごめん。同じ寮だね。汽車でのことは忘れて仲良くしようよ」

「………ああ、そうだな」

「私、サキ・シンガー」

「ドラコ、ドラコ・マルフォイ。…君、孤児院育ちなのか?」

「聞いてたの?」

さっきのパンジーとの会話を、と含ませて聞くとちょっと気まずそうに目をそらす。盗み聞きはマナー違反だという意識があるぶんマシだろうか。

「ああ、それと列車でも言ってただろう?」

「ああ…。うん、まあ。最近火事で燃えちゃって今は一人だけどね」

火事で燃えたという言葉でちょっと哀れに思われたかもしれない。哀れみなんて真っ平だが哀れまないでというのも変だ。だからサキは慌てて付け足した。

「でも、まあ後見人もいるし、母親も誰かわかったから…平気」

「そうなんだ。大変だったな。じゃあ今は母親の家で?」

「そーだよ」

「ふうん」

監督生は階段を降りてどんどん地下へ向かっている。

寮が地下だったら階段上るのがしんどいなあと内心うんざりした。

会話が途切れたので話を振ってみた。

「ねえ、穢れた血ってなに?」

「魔法使いの血が入ってない、マグル出身の魔法使いのことさ」

「マグル…?普通の人ってこと?」

「普通じゃないさ、マグルは劣ってるんだ」

「そうなの?全然変わんないと思うけど」

サキの言葉にドラコは眉をひそめる。

「じきにわかるさ。…ここではあんまりそういうこと言わないほうがいいぞ。」

サキは肩をすくめる。魔法が使えるからといって優れてるなんて言っていいんだろうか?

しかしパンジーとドラコの会話でいくつかわかった。どうやら、スリザリンの生徒は出身だとか血統だとか親の地位だとかに関心が強いらしい。

どうやら自分にはとことん厳しい環境のようだ。

自分のバックグランドなんて、ここで通用するのは母親は魔法使いだったらしいって事ぐらいじゃないか。

頭を抱えたくなった。

ここでうまくやってけるんだろうか。

「私、ここの寮向いてないみたい。母親は魔女だったみたいだけど大した血筋じゃないだろうし」

「シンガーっていうのは母親の苗字?」

「ううん。孤児院の名前。母親は確か…リヴェン…だったかなあ。姓はマクリール。」

「マクリール、ね。僕の父さんは魔法省に顔がきくんだ。いろんなところに人脈があるし、君の母親について何か知ってないか聞いてやるよ」

ドラコはちょっと自慢げに言った。

「いいの?」

「いいよ、これくらいなんてことない。サキだって知りたいだろ」

「うん!君実はいいやつだね」

「実は?」

話してるうちに薄暗い石壁がぱっかりと開き、談話室へぞろぞろと人が入っていった。

緑の明かりの灯る大理石の地下牢。深緑のランプシェード、カーテン、絨毯など調度品は黒と緑が基調となった落ち着いた談話室だ。窓ガラスからは揺蕩う水中が見える。どうやらボートで渡ったあの湖に面しているらしい。

冬場は寒そうだと思いながらもその荘厳な雰囲気は気に入った。

「じゃあまた明日」

「おやすみ」

ドラコと別れ、女子寮の入口へ入った。ふかふかのベッドが並び、荷物がそばに積みあがってる。

ぽつんと寂しく置かれた一つのトランク。そこがサキの場所らしい。

悲しいことに女子は誰も話しかけてこなかった。パンジーとのやりとりが聞かれてしまったんだろう。

まあ…いいさ。

ため息をついてベッドに潜り込んだ。ふかふかのベッドが体温で温まってくると、自然とまぶたが下りた。



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04.サキと最悪の一週間

朝早く広間に行くととびきり不機嫌そうで眠たげなサキに会った。

たまたま迷わず広間に行けたハリーとロンを見て、サキは疲れた顔で挨拶した。

まだ人がまばらな食堂で、サキはついこの間とは打って変わって沈んだ調子で言った。

「最悪だよ、ほんと」

サキはクマを浮かべた目をゴシゴシ擦り、コーヒーをすすった。

「今からでもグリフィンドールに入れたらいいのにね…」

たまに廊下ですれ違ったりするし、食事をするときに見かけるからサキのスリザリンでの様子は知っている。

女の子達からはハブられて基本一人で悠々と座っている。一見余裕があるように見えるがベッドの上に置いておいた物がなくなったり、教科書が消えたりと苦労が絶えないらしい。

「先生に相談したら?」

「ううーん…余計な心配かけたくないしさ」

「心配って…たかだか寮監なんだからさ!このままじゃサキ倒れちゃうよ」

「寝不足でね…」

ロンの提案を曖昧に受け流し、サキはくあーっと欠伸をした。

「でも授業は楽しいよね?変身術の課題できた?」

「いーや全然…ハーマイオニーはできてたよ」

「彼女らしいや」

それぞれ受けている授業の話をしているうちに人がやってきた。グリフィンドールの席に座っている二人だったが、基本的に食事は自分の寮の席で食べる。憂鬱そうな顔でスリザリンの席に戻ろうとするサキを思わず引き止めた。

「今日はここで食べてきなよ。バレやしないって」

「え?そうかなあ…」

「そうだよ。ネクタイとっちゃえばわかんないって!」

二人の提案に嬉しそうな顔をして、サキはもう一度席に着く。

「今日の魔法薬学は一緒だよね?」

「ああ…確かスリザリンの寮監、スネイプの授業だ。スリザリンばっか贔屓するって話だぜ!」

と、嫌そうなロン。

「ほんと?じゃあバクハツさせても怒られないかなぁ…私計量とか苦手なんだよね」

「ううん…爆発はさすがにどうだろうね……」

するとちょうどフクロウ郵便が届いた。今までハリーは物を受け取ったことがないが、今日は違った。ヘドウィグが意気揚々と一枚の手紙をハリーの皿の上に落っことす。

急いで破るように手紙を開けると、ハグリッドからのお茶の招待状だった。

「あ、ねえ!よかったらサキもおいでよ」

「ん?なに…、お茶のお誘い?ハグリッド!いいねー素敵じゃないか」

「もちろん僕もいいよね?」

「当たり前じゃないか」

ハリーはロンの羽ペンで返事を書き、ヘドウィグにもたせた。

憂鬱な一週間を過ごしたらしいサキを元気付けられたらと思ったが、結果的にお茶会はハリーの慰めにもなった。これから魔法薬学の授業でハリーは最悪の気分を味わうことになる。

 

 

サキは怒っていた。

まさかスネイプがあんなに意地悪な人だったなんて!たった3日の付き合いで信用しきってた自分が恥ずかしかった。

そしてそれを止められなかった自分も。

ムカムカしながら中庭で待っていたハリーたちと合流した。

三人でスネイプの悪口を言い合いながら歩いていると森のすぐそばにある小屋が見えてきた。

細い煙が立ち上っている。

ドアをノックすると中から大きな犬が出てきた!

「きゃーっ!」

「こら!やめろファング!落ち着け!」

ロンが可愛い悲鳴をあげて犬に襲われた。ハリーとサキは慌ててロンを助け起こす。

中から出てきたハグリッドがファングを引き離して無理やり家に押し込める。

ハグリッドをちゃんとみるのは入学式の時以来だった。

大きな体にモジャモジャのヒゲ。巨人みたいな人だ。まじまじ見る機会が無かったが見れば見るほど森番という仕事が似合う。

ドワーフみたいな格好なのに背丈は全然違う。

「よーきたなぁ〜ハリー。横の赤毛はウィーズリーの子だな?んでもってそっちは…スリザリンの生徒か?」

「ハグリッド、両方とも僕の友達だよ。彼はロン・ウィーズリー。彼女はサキ・シンガー」

「よ、よろしく」

「はじめましてー」

スリザリンの生徒、か。

サキはほんのちょっと落ち込む。どうして同じ寮に行けなかったんだろう、とここ最近ずっと思ってることがまた頭に浮かんだ。

「サキは他のスリザリンのやつと違っていい奴なんだ」

落ち込み気味のサキをみてハグリッドも気の毒に思ったらしい。大きな手で背中をバンバンと叩き励ましてくれた。

「はーん。なるほど。組み分け帽にも間違いってもんはある!辛かったらいつでも俺んとこにくるとええ」

「あ、ありがとハグリッド…いたい…」

「お前さんたち、学校には慣れたか?」

「まあね。すっごい楽しいよ!」

大きなマグカップを握り、雷鳴みたいなハグリッドの笑い声を聞きながら時間は過ぎてった。

ロックケーキで歯を折りかけたり、スネイプへの疑惑を話すハリーをハグリッドが宥めたりする楽しいティータイムだった。

しかしハリーが机の上にあった新聞を見て小さく声を上げた時、空気がちょっと変わった。

「グリンゴッツに強盗が入ったって!…しかも僕たちが行った日だ」

ハグリッドは視線を宙に彷徨わせていた。あからさまなノーリアクションにハリーも訝しげな顔になる。

嘘が下手な人だ。

「ねえ、あの金庫には何が入ってたの?」

話についていけず、ロンとサキは首をかしげた。ハグリッドはピシャリと

「おめえさんには関係ねえことだ!変な興味を持っちゃいかん」

と言い、それきりこっくり黙り込んでしまう。

ハリーはもっと何か聞きたげにしていたがサキがそっと袖を引っ張り止める。

お茶会はそのままお開きになり、三人は学校へ戻った。

日は沈み始め、禁じられた森がオレンジ色に照らされていた。深い深い森の色がより深い闇におちていく。

「グリンゴッツに行ったの?」

「うん、その時に…」

ハリーはグリンゴッツで見た一部始終を話した。

「あの難攻不落のグリンゴッツに入ったんだ。相当強力な魔法使いだよ」

ロンは珍しく神妙な面持ちで囁いた。

「金銀財宝があるグリンゴッツに、よくわからない包みを求めて強盗が入るの?」

グリンゴッツ銀行の堅牢さをいまいち掴みきれてないサキが首をかしげる。

「きっと…すごい価値のあるものなんじゃないかな。宝石とか…」

「宝石なんてもんじゃないよ!きっともっと…すごい…。でも…包みだっけ?謎だなあ」

「謎の財宝!」

素晴らしい言葉の響き!と言いたげにサキがワクワクした顔で繰り返す。

「なんだろう…何かヒントでもあればいいんだけど…」

三人であれやこれやと推測を話すうちにいつの間にか広間の前についていた。ちょうど夕食が始まる時間らしく、人が集まってきた。

ハグリッドのお茶をたっぷり飲んだばかりの三人はまだお腹が減ってない。お互いの寮へ帰ることになり、土日は課題を一緒にやる約束を取り付けて解散した。

サキは久々の楽しい午後にウキウキしながら、寮への道を歩いた。しかし一歩一歩進むうちに楽しい気持ちはしぼんでいった。

 

ヒソヒソ話。

消える靴。

陰口。

視線。

 

スリザリン寮にサキの居場所はなかった。とりわけ女子寮は、パンジーをはじめとする一年生ばかりか上級生にも目をつけられている。

帰りたくない。

孤児院でもいじめはあった。

孤児院ではつまらないことで序列がついた。

まず年齢。そして生みの親を知ってるか否か。

今思うと馬鹿らしいと思うが、たとえどれだけ虐げられてそこへ捨てられていても親を知っていることはステータスだったのだ。

孤児院の"シンガー"達は職員らの目の届かないところのほとんどでいじめられてた。しかし問題を起こすまいとじっと耐えていたのだ。

孤児院という居場所を失えばもう何もなかったからだ。

路上に転がり体を売るしかなくなる。そんなのは嫌だ。その一心で耐えてきた。

 

しかし、今は違う。

スリザリン寮にいないと死んでしまうわけではない…。ご飯は広間でとるし、シャワーだって寮以外にも浴びる場所はある。

なんならホグワーツ城を追い出されたって、私にはもう家がある。所有財産としての家だが。

そして魔法の力がある。

その気になればそこで生きていけるじゃないか。

我慢する必要が何処にあるんだろう。

 

その考えに至ると、頭の中が悟ったみたいにスーッと晴れていった。

キビキビした足取りで来た道を戻り、登ったことのない階段へ足をかけた。

 

 

「見つけた…!」

ハグリッドとのお茶会から土日を挟んで月曜日。

午前一番の魔法史の教室の前でサキはドラコに捕まった。

「わ、おはよう」

マスクをして咳をしながら応じるサキにドラコはため息をつく。

「なんだ風邪か?それで談話室でも見かけなかったのか?」

「違うよ…。寮には帰ってない」

「は…?」

「だから、帰ってないんだ。野宿してる」

「……は?」

「だからー、寮にいてもつまんないから家出してるんだよ。なかなかいい空き部屋が見つからなくて」

本物の馬鹿を見た。と言いたげな目でドラコが見てくる。確かに意地をはって風邪まで引くのはかっこ悪いかもしれない。

しかしあの忌々しい猫ミセス・ノリスとフィルチの追跡を逃れるためには寒い廊下でひたすら通り過ぎるのを待つ忍耐が必要だった。この風邪はその勲章でもあるのだ。

いや、説明しようとは思わないが…。

「サキ、君は本当の馬鹿だったんだな…」

「本当って何」

ドラコは深いため息をついて教室の扉を開けた。真ん中より少し後ろの席に腰掛ける。そういえば珍しく左右に控えるクラッブとゴイルはいない。

そのまま隣に行っていいものかとしばし悩んでいると、ドラコは目で隣を示し、ついでに早くしろと言わんばかりの表情をしてきた。

隣に座り、筆記用具(ボールペンと紙束)を出すと「オイオイこいつ正気かよ」と言った目でこちらを見てきた。

残念ながら羽ペンとインクと羊皮紙がこの世界の筆記用具だと入学前は知らなかったのだ。

スネイプ先生も筆記用具だとか衣服だとかの買い物には同行していなかったし。

「君の母親について、父上に聞いてみたんだ」

ドラコはカバンから上品で上質な美しい便箋を出した。

「なんか知ってたの?」

「それどころか同じ寮の3つ下の後輩だって言ってたよ。ああ、うちは代々スリザリンでね」

「そうなんだ…」

「それで、ぜひとも今度家に招待したいとさ」

ドラコからついっと便箋を渡される。蝋で封印されている。金持ちってすごいなーと思いながら慎重に蝋を破って手紙を見てみる。

当たり障りのない挨拶と、母親についての当たり障りのない褒め言葉。そして招待と歓迎の言葉。

「ドラコって上級階級だよね、ほんと」

「ふ、ふん。まあ純血として恥ずかしくない程度にはな!…君の母親も申し分ないほどに優秀だったって書いてあるじゃないか」

「ん?本当だ。へぇー首席だったんだって」

「凄いじゃないか」

「イマイチ実感わかないよ。降って湧いたように現れたお母さんだし」

「うーん…そういうもの、なのか?」

「知りたいとは思うんだ。でも、まだ整理できなくて」

「そうか。…でも、これでもう寮を出てうろつかなくていいだろう?」

「え?なんで」

「だって君はちゃんと魔法使いの血が流れてる。しかもスリザリンで首席の母親だ。バカにされる理由はないだろ?」

「なるほど!」

ドラコはそこまで考えてくれていたのか。

急にこの生意気なブロンドへの好感度が上がった。いや、別に元から嫌いではなかったけれども。

「そんなこと考えてたんだね、ありがとうドラコ」

「別に…礼を言われるようなことじゃない」

「君、実は優しいんだね」

「実は?」

ビンズ先生が黒板を通り抜けてスーッと入ってきた。

くすくす笑いを必死で抑えてドラコと顔を見合わせた。

ニコッと笑うとあっちも照れ臭そうに笑ってくれた。

それだけで風邪が治りそうなくらい嬉しかった。

 

 

「あ、でも寮出はまだ続けるよ」

「なんで!」



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05.夜と決闘と犬

夜は、すっかり寒くなった。そろそろ常にローブを着ていないと凍えてしまう。

そんな秋の夜。

消灯時間ギリギリにサキは駆け足で階段を降りていた。

天文台に登り、星を眺めていたら登ってきたはずの階段がいつの間にか消えてしまい、なんとか下り階段を見つけた頃にはもう時間がなかった。

今日こそはちゃんと寮に帰るつもりだったのに。

手すりを滑って行こうかと思ったがこの動く階段ではあまりにもリスキーだ。

しかし急がなければフィルチに出くわすかもしれない。

また階段がない!ローブの裾を翻して廊下を曲がった。

暗い廊下を走ってるうちに方向感覚が失われていく気がして、サキはいったん呼吸を落ち着けるために深く息を吸った。

よくよく周りを見ると、どうやらここは闇の魔術に対する防衛術の教室のそばらしい。壁に見覚えがある。

ということは来た方を戻らないとダメだ。

あんまりにも暗いので杖を取り出し呪文を唱える。

「ルーモス」

ぽう、と杖の先に優しい光が灯る。

本当は暗い中明かりをつけるとフィルチに見つかる確率が高まるから使いたくなかったが、今日はなぜか暗闇が不気味に思えたから仕方がない。

ねっとりとした重たい闇。

やな感じだ。でも、どうして?

急に怖気立ってきて歩調が早まった。思わず唾を飲み込むと、耳の奥の方がごとりと鳴った。

自分の血流以外に、どこからかボソボソと囁くような声が聞こえた。目を閉じ、精神を聴覚へ集中させた。

 

「…イヤでございます。………すなんて、そんな……しい!」

 

泣きじゃくりながら縋る声だ。この声は聞き覚えがある。吃りのクィレル先生だ。

あの人が精神不安定に陥るのはなんら不思議ではないが、なんで泣いてるんだろう。

クィレル先生は誰かに何かを言われてより大きな声で(それでも耳をすまさないと聞こえないくらいだが)しゃくりあげてた。

その誰かの声はいくら耳をそばだてても聞こえない。

クィレル先生が何を話しているのか気になり、声のする方へ一歩一歩近づく。

やはり闇の魔術に対する防衛術の教室の方からだ。教員の部屋と教室って隣接してるんだろうか?

 

みし、と廊下が軋んだとき、背後に気配を感じた。

「なにをー」

「ぅひっ!」

突然、声がした。

肩がびくんとはね、殆ど反射的に杖をそっちへふった。声の主はその手をがっしり掴み、サキを睨めつけた。

黒い服を着てるから全く判別付かなかったが、よくよく目を凝らすとその声の主がスネイプだったことに気づく。

「せ、せんせぇ…!」

サキの泣きそうな声にスネイプは眉をひそめ、唇に指をあてがう。静かに、と言いたげに視線をやると掴んだ手をそのまま引っ張りぐんぐんと中央階段の方まで引っ張っていった。

「こんな時間に、あそこで何をしていた?」

「それは先生もでしょ…。ちなみに私は迷子です」

「…君が寮に馴染めてないのは知ってる。だが、夜の学校をうろつくのは感心しない」

「そりゃ褒められたもんじゃないですけど…バレなければいいじゃないですか」

「そういう問題ではないのだ!…サキ、闇は常に危険だ。学校とて例外ではない」

「学校なのにですか」

「そうだ」

サキは先ほど聞いたクィレル先生の泣き声について話すか話すまいか迷った。暗い階段を下り、寮のそばに近づくにつれその迷いは薄れていった。クィレル先生の事よりも帰って同級生と顔をあわせる憂鬱が勝ってきたからだ。

スネイプはまるで迷う気配もなく地下にある寮の入り口までたどり着いた。

帰るつもりではいたが、こうやって連れてこられると帰りたくなくなるな。と身勝手なことを思いながら、チラッとスネイプの方を見る。

スネイプはいつも通りの不機嫌そうな顔だ。

「サキ…。我輩は君の後見人でしかない。しかし、君が危険に足を突っ込むのを見てられるほど無関心ではない。」

「別に薄情だなんて思ってませんよ…確かに深夜徘徊は私が悪いですね。ごめんなさい」

遠回しに心配されてるんだろうか。ちょっと申し訳なく感じて謝った。

壁の中にある石を触ると、寮への入り口が開いた。

「これからはちゃんと自分のベッドで寝たまえ。次からは減点する」

「そんなあ。寮監なんだし大目にみてくださいよ」

「ダメだ。…おやすみ」

「はあ…おやすみなさい」

寮の中へ入ったのを見届けられた。石の扉が完全に閉まるまでスネイプの視線を感じた。しかしそれは不思議と不快なものではなかった。

渋々談話室を横切り、女子寮へ入った。

珍しいものを見たと言いたげな同級生たちの視線を無視し、久々に自分のベッドに腰掛けた。

なんやかんやここが一番寝心地がいい。(勿論単なる寝具としての出来の話だが)釘も刺されてしまったことだししばらくは夜うろつくのを避けないといけない。

ベッドの上で寝巻きに着替えていると、パンジーが何か話したそうにこっちに近づいてきていた。

「なに?」

「あの、サキ…。私、あなたに謝りたくて。あなたのことよく知らないのに変なことを言ったわ」

「ああ…いいよ別に」

「ドラコから聞いたの。お母様がすごい魔女だったそうじゃない。私誤解してたわ…ごめんなさい」

やたらドラコという名前を強調しているのは引っかかったがしおらしく謝ってる相手を無下にはできない。

そもそも寮に帰らないのはパンジー個人にムカついたのではなくではなくこの寮の気質が気に入らなかっただけだ。

本当ならば謝ってもらおうが開き直られようがどうだっていい。が…

「いいよ。許す許す」

そんなこと言ってもこの子には通じないだろう。と結論付けて軽くあしらった。

パンジーはホッとした顔でおやすみなさいと言って自分のベッドに戻っていった。

ドラコがわざわざパンジーに言ってくれたようだし思いの外スリザリンは仲間に対しては優しいのかもしれない。

良く言えば仲間思い。

悪く言えば排他的。

ため息を飲み込んでベッドに潜った。

明日はグリフィンドールと一緒に飛行訓練だ。サキはゆっくり瞼を閉じた。

 

 

目をさますと、なんと三時半だった。

「なんとまあ」

久々のベッドで爆睡したらしい。楽しみにしていた飛行訓練に出損ねた。

それにしても誰も起こしてくれなかったのか。起こしてくれるような友達がいるのかと言えばそりゃ居ないのだが。

だらだらと着替えて談話室に行くと、黒い湖の分厚い水草ごしに日の光がさしてるのがわかる。

こんなにいい天気なのに寝過ごしたならいっそずっとベッドにいてもいいんじゃないか…?と頭に怠け者の悪魔の囁きが聞こえたが頬をピシャリと叩いてそれを打ち消した。

手ぶらで朝食(というか夕食)を取りに向かった。

するとあさっての方向からハリーがやってきた。

「あれ?サキじゃないか。風邪は大丈夫?」

「ハリーこそ…校庭はあっちだよ。訓練は?」

「ちょっと色々あったんだ」

「えー、聞かせてよ!ちなみに私は風邪じゃなくて寝坊しただけだよ」

「寝坊?!…なーんだ心配したよ。マルフォイがサキは風邪ですとか言うからさ」

「そーなの?気を使ってくれたのかな。」

「さあね。とにかく飛行訓練は大変だったよ…」

ハリーは大広間に行きながら飛行訓練中にあったことを話した。

ネビルが飛行訓練でしくじって骨を折ったこと。ネビルの落っことした思い出し玉をマルフォイが奪い、ハリーがそれを取り返した結果クィディッチの選手に選ばれたこと。

「一年生はなれないって聞いたよ。特例?」

「そうみたい」

「へぇー!すごい。才能あるんだねぇ。寝坊しなけりゃよかったなあ」

「ありがとう。そういう訳で今さっきまでマクゴナガルの部屋に居たんだ」

「次の試合はグリフィンドールを応援するよ。頑張ってね」

大広間について、サキとハリーはハイタッチしてから各々のテーブルへ向かった。

マルフォイがむくれた顔でハリーを睨んでるのがわかったが、ハリーは知らんぷりをした。

サキはマルフォイの正面に座る。

「おはよ。私風邪ひいてたの?」

「パンジーがサキは起きたくないらしいって言ってたからそういう事にしたんだ。…昨日は珍しく帰ってきたんだって?」

「うん。さすがに寝袋で連泊は堪えるからね」

サキはさっさとフルーツを口に運ぶ。寝起きで水分が足りない。

「ちゃんと寮で寝起きしろよ」

「わかってるよ、ドラコ」

せっかく君がパンジーに言ってくれたわけだしね。と心の中で付け加えた。

「そうだ。君のお父さんに手紙送っていい?」

「え?ああ。構わないけど」

「住所教えてくれる?」

「住所なんていらないよ。フクロウにマルフォイ邸へって伝えればいいのさ」

「フクロウは住所なしで届くの?」

「さすがにただの家には届けてくれないさ。でも学校のフクロウだったら有名どころは大体わかる。僕の家は旧家だからね。…なんなら僕のフクロウを使うか?」

「じゃあ借りていいかな。手紙書き終わったら渡すよ」

「わかった」

フクロウっていうのはサキが思ってるよりずっと賢いらしい。サキは一度もフクロウを使ったことがなかった。なんせ手紙をよこしてくれる親戚なんていなかったし、新聞も読んでないし、通信販売がこの世界にあるかも知らなかった。

フォークでスクランブルエッグを突っつきながらサキは手紙用の便箋をどう調達しようか考えを巡らせていた。

人に手紙を送るなんて今まで滅多になかったものだから、便箋をわざわざ寮生活に持っていくなんて思いつきもしなかった。

こういうときはしょうがないので後見人であるスネイプに頼るほかない。(まさかドラコに便箋を貰うことはできないし)

ドラコはご飯を食べ終わったハリーを見るや否や、スープの残りで口の中のものを一気に飲み込んだ。

「ゆっくり食べなされ」

嗜めるようなサキの言葉に返事をすることなく、ドラコはクラッブ、ゴイルを引き連れて行ってしまった。

喧嘩でも売りに行くんだろうな、と思いつつもサキに止める気は無かった。

目の前に出されたものをあらかた胃に詰め込んだと確認すると同時に席を立つ。

広間を出て視線を上げるとやっぱりドラコがハリーに喧嘩を売ってた。

「こらこらなにやってるんだい」

「サキ!ちょうどよかった。このバカをどっかにやってくれよ!」

あんまり気張らず声をかけたが、どうやらあっちはそれどころじゃなかったらしい。想像よりヒートアップしてるロンが怒り心頭でドラコを指差す。

そんなロンを鼻で笑うようにドラコは吐き捨てる。

「決闘なら今夜と言わず今やってもいいんだぞ?」

「決闘?」

「ああ!真夜中、トロフィールームで決闘だ。白黒つけようってね」

売り言葉に買い言葉という具合に、ドラコが興奮気味に言う。しかし決闘とは穏やかじゃない。

「じゃあ私審判してあげる。真夜中ね?」

「え?」

止めるでもなく宥めるわけでもない意外な提案に今まで怒りを抑えて黙っていたハリーが思わず疑問符を投げた。

「決闘って審判がいるでしょ?私なら中立だよ。どっちも友達だし」

「いやいや…サキ、それは…」

ドラコも思わず怒気を引っ込めノリノリのサキを止めにかかる。

遠巻きに見てたハーマイオニーがここぞとばかりに止めに来た。

「そもそも夜中抜け出そうなんて校則違反を嬉々としてする方に問題があるわ!」

「大丈夫。意外とばれないよ」

「そういう問題じゃないわ!」

「いいよ、サキが審判でも全力でやるからな!ね、ハリー」

「ハーマイオニーの心配も尤もだね。中断の場合の勝敗ってどうするんだろう?」

「そういう話じゃないわ!」

「一発でけりをつければいいのさ!」

ずれてく論点と勝手に盛り上がるギャラリーで、本来の当事者であるドラコとハリーは思わず顔を見合わせた。

しかしお互いひくにひけなかった。

「望むところだマルフォイ。今夜、トロフィールームで」

「吠え面かかせてやるよ、ポッター!」

ロンとサキがセコンドばりに張り切る反面、ハリーとドラコは安請け合いしたことを後悔し始めていた。

 

「何であんなこと言ったんだよ…」

ハリーたちから離れてすぐ、ドラコは呆れ気味にサキに尋ねた。

「面白そうじゃん、決闘」

「審判するなんて…。いいか、今夜トロフィールームには行くなよ?」

「え?なんで?」

「あいつらを嵌めるためだよ!」

は?という顔をしたサキだが、すぐに言いたいことはわかったらしい。つまり決闘だと言ってハリーとロンをトロフィールームに呼び出し、そこにフィルチを呼び出してとっ捕まえさせようという罠だ。

「君も悪いやつだね」

「君がでてきて台無しだけどな!」

「だって知らなかったし。でもどうする?ああなったら行くしかないよ」

「うー…」

サキとハーマイオニーのせいで周りからも随分注目されていたし、どうせドラコがいかないと言い張ってもサキは行く。ここで行かなければ決闘から逃げたと思われる。

「わかった…わかったよ!くそッ!こうなったらやってやるさ」

「その意気だよ。ドラコ」

クラッブとゴイルは肩を竦ませた。自分たちができることは何もなかった。

そして真夜中起きてる自信もなかった。

 

 

真夜中のトロフィールームで、サキとドラコはマフラーに顔を埋めてハリーたちの到着を待った。

サキは実に心得たものでそこらで拾った懐中時計(時間は完璧に狂ってる)の秒針を見ながらフィルチが通り過ぎる時間を正確に言い当て、掃除用具入れに隠れた。

ミセス・ノリスの巡回ルートや視界も把握しているらしく、全く聞こえない猫の足音を感知し唇に指を当てた。

「一回ここは通ったから一時間は安心のはずだよ。北塔だったらもっと余裕があるんだけどね」

どうやら寮出もそれなりに役に立つらしい。

「あ、ハリー!」

トロフィールームに続く廊下から人影が見えた。ハリーとロンとハーマイオニーの3人だった。

「ハーマイオニー?大丈夫こんな時間に」

「大丈夫じゃないわ!サキったら信じられない…これならまだマルフォイの罠だった方がマシだったわ」

「なんだとグレンジャー」

「お生憎様。本当はあなたはこないつもりだったんでしょう?わかってるわよ。…でもこれで校則を破ってる人が四人に増えちゃったわ!」

おかんむりのハーマイオニーにロンとハリーは肩をすくめた。

「自分も校則破ってるって忘れちゃってるよ…」

「今すぐ、戻りなさい。あなたたち」

「まあまあ…ハーマイオニー落ち着いて」

サキが紳士的にハーマイオニーの肩をそっと抱いた。ハーマイオニーは思わず怒りそうになるがサキが唇に手を当てるのを見てハッと口を閉じた。

「ここで帰っても東塔から帰ってくるフィルチに鉢合わせると思うな。あともう一回あいつをやり過ごしたほうがいい。次は西塔に行くはずだから」

「そうなの?」

確信ありげなサキの顔を見て気持ちが揺らいだらしい。ハーマイオニーは不安げにトロフィールームの外と腕を組んだり肩を鳴らしてる男の子三人を見比べて、ちょっと考えた。

「わかったわ…。でもフィルチが通り過ぎたらすぐに帰ってもらうから」

「よし。そうと決まれば決闘だね」

「よしきた。そっちの介添人はサキ?」

サキの言葉に血気盛んにロンが尋ねる。ドラコも心なしかのってきたようで、偉そうに腰に手を当てて答える。

「そうだよ。ちょうどグレンジャーがいる。万が一僕が負けるってことはないが、もしサキが戦うことになったらグレンジャーが審判だ」

「私、そんなばかなことに付き合わないわ!」

「サキと戦うなんて楽しみだな」

「ドラコ、仇は打つから」

ハリーとサキは準備体操をしながらドラコに言った。

「倒される前提かよ!ポッター、お前こそウィーズリーを殺されたくなかったらしっかり闘え」

ドラコも腕をまくり、杖を取り出した。ロンはふうっと息を吐いて興奮を抑えてるようだった。

「ほんと…男の子って……」

ハーマイオニーが呆れ切ってため息をつく。

サキは揚々と床に線を引き、決闘の舞台を整えた。

薄く埃をかぶったトロフィー棚が月の光を反射して鈍い銀色に光っていた。

ハリーとドラコが開始線についた。

「怖いか?ポッター」

「そっちこそ」

サキが神妙に2人の間に入る。

「位置について…」

2人は背を向け、お互い反対方向に数歩歩いて、振り向いた。

「1……2……」

サキが3と言い終わる前に、ドラコの杖が動くのを見た。ハリーはほとんど反射でさっき頭に叩き込んだ呪文を唱えた。

「リクタスセンプラ!」

ドラコは吹っ飛ばされて激しく棚にぶつかる。夜をぶち破るような騒音が響いた。

「はははっ!ポッターッ‼︎音を立てるなよ!はは、はははっ!ひーっ!」

くすぐりの呪文にかかったドラコは笑い転げている。

「言い終わる前にやっちゃダメだよ。無効試合だねー」

「でもマルフォイも杖が動いてたんだ」

サキはのんきにドラコの元に駆け寄りながら審判をし、ハリーは抗議した。ロンは思ったよりド派手に飛んだドラコを見て満足げだ。

そんな中ハーマイオニーだけが顔を真っ青にしていた。

「こんな大声出したらフィルチが来るわ!」

ハーマイオニーの言葉に今更のようにハッとする3人と笑いが止まらない1人。

「フィニート。やばい、確実に来てる」

サキが慌ててドラコに呪文をかけ、耳に手を当てて言う。

「どうしよう?!」

「ここから逃げよう、すぐ!」

サキが先導してトロフィールームから駆け出した。ハリーはまだ腹を抑えてるドラコを仕方なく助け起こして後に続いた。

「どうしよう!行き止まりだ」

廊下の先にロンが絶望的な声を出した。

「大丈夫、ドアだ。アロホモーラ」

サキは冷静にドアの鍵を開け、五人はそこに慌てて駆け込んだ。

「サキ、凄いのね…いつの間にそんな呪文を覚えたの?」

「夜学校を彷徨く時には必須だから…」

「シッ!フィルチが来た」

鍵穴から外を覗くハリーの言葉にみんなが息を飲んだ。

フィルチはここに鍵がかかってると思ってる。見向きもせず通り過ぎ、音のしたトロフィールームへ戻って行った。

ほっと一息つき、四人の方に振り返り微笑んだ。

が、そこで妙なものを見た。

暗闇で爛々と光る6つの金色の眼が、みんなのすぐ後ろにある。

ハリーの視線に誘われてハーマイオニーが振り向き、それにつられてロンとマルフォイ。そして最後にサキがそっちを向いた。

暗闇に目が慣れてその姿がだんだんわかってきた。黒々と光る毛並み。獣の匂い。ピンク色の舌からだらだらと流れるよだれを流す巨大な犬がいた。

頭は3つ。紛れも無い化け物だ。

ハリーはほとんど無意識でドアを開け、倒れるようにしてそこから飛び出た。残る四人もそこから雪崩のように飛び出し、一目散にトロフィールームの手前の階段に駆け出した。

「な…なにあれ!」

階段を飛ぶように下りたあと、ロンが錯乱気味に尋ねる。

「し、知るか…!」

ドラコが息も絶え絶えに応じる。

「とにかく…急いで寮に帰りましょう。フィルチが追ってくるかも」

「ああ…急ごう」

「待てよポッター。決着はどうする?」

「そんなこと言ってる場合かよ!」

「と、とにかく明日にしよう。ミセス・ノリスがどこにいるかわかんないし…」

「そうだね…とりあえず解散だ」

5人は二手に別れ、それぞれの寮へ帰った。ドラコとサキは駆け足で地下牢へ急いだ。

石壁を押して寮に入る時、ドラコが混乱気味に喚いた。

「あれはなんだったんだ?!」

「ケルベロスだと思う」

「ケルベロス?」

「冥界の番犬だよ。孤児院の本で読んだけど本当にいるんだね」

「番犬?あんなのがなんでここに…」

「番犬だしなんか守ってたんだよ。扉があったじゃん」

「扉?どこに?」

「あの子の足元にさ」

「よく見つけたな…」

真っ暗な談話室でドラコはむう、と考え込んだ。サキもちょっと思案するように首を傾げた。

あの犬が何を守っているか…。

この学校ならなんでもあり得る。考えても何もわからなかった。

「明日も早いし寝よっか…」

サキの提案にドラコは頷き、お互いおやすみを言ってベッドへ向かった。



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06.転げ落ちるハロウィン

結局あの三頭犬と扉について、誰も明確な答えを思いつかなかった。またあそこに行くほど命知らずな人はいなく、サキは仕方なく毎日出される課題をこなす日々を送っていた。

 

談話室にいると気が散るのでいつも図書館にこもっていた。図書館には大抵ハーマイオニーがいるので、たまに二人で三頭犬の守る扉についての意見を交わしたり、授業のわからないところを教えあったりした。

ハーマイオニーは恐ろしいほど本を読むのが早く、さらにどんなに分厚い本でも内容を覚えているので、読んでて面白い本を教えてくれた。

毎晩ハーマイオニーの勧めてくれた魔法史概説の本を借りて読みながら眠った。歴史の本というのは人間界、魔法界問わず睡眠効果を持つらしい。

活字の渦を最後に視界が真っ暗になって、次に目を開けたら朝だった。

この本を読んだ夜は大抵寝起きがすっきりしているので重宝している。

そうこうしているうちに秋の気候はすっかり何処かへ行って、ハロウィンが近づいてきた。

ハグリッドは人より巨大なかぼちゃをくり抜いてジャックオランタンを作り、ダンブルドアはここ三日続けてパンプキンプリンを美味しそうに食べていた。コウモリがどこからか湧いたように増えて大広間の天井にくっついている。

これにはサキもウキウキせざるを得ない。それまでなりを潜めていた夜間外出の虫が騒ぎ始めた。

ハロウィンを明日に控えた30日の夕方。サキは日が沈み始めてオレンジ色に染まる泉を眺めながら暴れ柳のそばの坂を下った。

暴れ柳の下に広がる森に小さな池がある。そこの麓に生えているキノコを採集しようとしていた。

ハロウィンのいたずら用に笑いが止まらなくなる魔法薬でも作ろうと思い、まずはスネイプを訪ねた。しかしトリックオアトリートを言い終わる前に減点されそうになり、材料をせがむとチョコレートひとかけらを手渡され追い返された。

スプラウト先生の温室は何故か異常にガードが固く、しょうがなく自分で採集することにしたのだ。

暗い森のジメジメした池のほとりにしか生えないキノコなんて、他に必要になる場面がいつ来るんだろう。

ほとんど崖みたいな坂をなんとか下り切って池を目指す。

早くしないと日が沈みきってしまう。

木々の隙間で何かが動くのを感じた。とっさに杖を上げ足を止める。

心臓が早く脈打った。

すぐに反対側から葉っぱを蹴散らす音がしてそちらを振り向く。

何もいない。

日はどんどん沈んでいき、木々の隙間に満ちる霧のような闇が急速に濃度を増していく。

ダメだ。切り上げよう…。

蜘蛛が背筋からぞくぞくと登ってくるみたいに嫌な感じだ。もっと早いうちに来ればよかった。

踵を返し坂を登る。しかし下ってきた時のようにはいかず、ローブの端を踏んづけたりしてうまく登れない。

このまま帰れなかったらどうしよう?

森の夜は学校の夜とわけが違う。

一度禁じられた森のすぐそばで野宿と洒落込もうとしたが、その時は得体の知れない視線を感じ結局校内に撤退した。魔法のお城のすぐそばにある森だ。わけのわからん生き物たちが沢山いるんだろう。

「アクシオ…!アクシオ!」

サキは飛び跳ねながら直ぐそこの岩の上に伸びてる蔦に杖を振るう。

何度呪文を唱えても蔦はこっちへ来ない。長さが限界なのか、自分の呪文が失敗してるのか。

「クッソ…」

日はすっかり沈み、空は暗い紫色から黒へ変わってきている。

サキはそこを無理やり登るのは諦め、ちょっと下ってまた上を目指した。

考えなしにショートカットするんじゃなかった。

気を抜いて脆そうな地層へ足をかけたとき、階段を踏み外した時のような浮遊感があった。

まずいと思った時にはもう遅く、サキは斜面を転がり落ちた。

 

ぐるぐる回る暗い森の景色を捉えた次の瞬間、腕のひきつるような痛みでハッと我に帰った。

薄暗くてもうもうと香が焚かれた部屋の中にいた。

「いっ…!」

起き上がると、無造作にかけられたシーツが弾みで床に落ちた。傷んだ右腕を見ると、包帯が巻かれていた。

この部屋の形と骨格標本と何を煮込んでるかわからない鍋…闇の魔術に対する防衛術の教室だった。

「き、気がついたかね。し、し、シンガー」

「く、クィレル先生」

どもりがうつっちゃった。

クィレル先生は包帯の山とガーゼを持っていた。山ほど包帯を使うほどの怪我とは思えなかったが手当て中だったらしい。

「よ、夜の森に出かけるのは、かっ感心しませんよ…本当ならま、マダム・ポンフリーに診てもらった方がいいんですが。じっ、時間が…」

「あー、一応出かけた時は夕方だったんです。」

どうやら落っこちた後に気を失ってたらしい。夜になってからクィレル先生に発見されて助けられたのか。情けない。

地味にクィレル先生は命の恩人なわけだ。

「助けていただいて本当に感謝してます。私、ハロウィン用にきのこを取りに行ったんです。そしたら森で妙な気配がして、それに気を取られてたら足を滑らせちゃって」

ちょっぴり嘘だがしおらしく言ったおかげか、クィレル先生はいたわしげな表情になり、大鍋から一杯カップに何かを注いでサキの正面に置いた。

「ハーブティーです。お、落ち着きますよ」

大鍋でお茶を淹れるなよ…と思いながらも好意を無下にはできないし喉も渇いていたのでカップを手に取った。

「いただきます」

口に運ぶとツンとした匂いが鼻を刺した。ハーブが強すぎてお茶にしては随分刺激的な香りになっている。ちょっと口をつけて飲むふりをした。

「や、夜間外出した生徒は本当ならばっ、罰則なのですが。シンガー、あな、貴方の場合事故ですから…」

「ああ、よかった。」

本当は夜間外出してるのは今日だけじゃないのだがここは大げさにありがたがった。

「し、シンガー。あ、あっ貴方の放浪癖は全体にちゅっ注意がかかるほどでしたが、何か寮で…やなことでも?」

「あ…いや…初めの頃はあんまりみんなと仲良くなれなかったんですけど、最近は…」

全体に注意がいってるって…とショックを受けてしどろもどろになってしまう。クィレル先生はそれを何か言いにくい悩みでもあると解釈したのか、優しそうな眼差しで見つめてくる。

どうやら悩み相談室を開くつもりらしい。クィレル先生はサキの真正面に腰を下ろし、真っ直ぐ目を見てきた。

「あ、貴方は孤児院育ちだとき、ききました。その時もい、家出を?」

「え?ええ。まあしょっちゅう。職員さんは良い人なんですがルームメイトに恵まれなくて」

「そ、そうでしたか。…その孤児院は…」

「失くしました。火事で」

クィレル先生はそれを聞いてなんとも言えない顔をしてサキのカップを見た。

「さ、砂糖とミルクもありますから。」

クィレル先生はサキにまだお茶が足りないと思ったらしい。砂糖の入ったツボとミルクピッチャーを魔法で机の上に出し、カタカタと震える手でティースプーンを受け皿に置いた。

その気遣いにちょっと会釈して見せ、ミルクをちょっぴり入れて勇気を出して一口だけお茶を口に含んだ。

口の中が苦味で満たされる前に急いで飲み込む。

「け、けれどもスリザリンに入れたということは、ご両親が魔法使いだったのでしょうね?」

「ああ…母親がそうみたいですよ。死んでるのでよくわからないですけど」

「は、母親のことで何か覚えていることは?」

「何も…顔も知りません」

「父親は?」

「いません。死んでるのかも」

あのお茶の苦さで味覚がやられて、頭がぼうっとして考えがまとまらない。クィレル先生の質問を聞いてはいるが理解できない。理解できないのに口が勝手にしゃべる。

「父親について何も知らない?」

「はい。」

「今はどこに身を置いてる?」

「母の家です。スネイプ先生が後見人です」

「母親の家で何か見つけたか?」

「鏡と真っ白な部屋と本の山」

「それに惹かれた?」

「いいえ。鏡は、嫌い…」

「特別な力を持ってる、と思ったことは?」

「魔法を使える」

「それ以外に」

「……ありません」

「…よろしい」

そういえばクィレル先生、どもりは治ったのかな。

ぽん、と肩を叩かれハッと現実に戻ってきたような感覚がした。

今さっき話してたことが頭から一気に消え去ったようだ。妙にすっきりしている。

カップは冷えている。それなりに長く話したはずだが時間が経った気がしなかった。

違和感が頭の隅にやどるが、すぐにクィレル先生の次の言葉に上書きされた。

「ど、どうやら疲れてしまったようですね。シンガー、もうりょ、寮に帰っては?」

「え?あ…ありゃ。もうずいぶん遅いですね…ごめんなさい、長居をして」

「いえ。せ、生徒の悩みを聞くのは教師のぎ、義務ですから。すっきりしたでしょう?」

「はい。おかげさまで。」

「そ、そ、それは、よかった。そうだ…よ、よかったらこれを」

クィレル先生は四角い箱をマントの中から取り出した。ヒエログリフの書かれたケミカルな色合いの箱だ。

「ええっと…これは?」

「えっエジプトで売っている、スカラベチョコレートです。は、ハロウィンですから」

スカラベとは即ちエジプトでいうフンコロガシのことで、そのフンコロガシを茶色いチョコレートにする神経はサキの理解の範疇を超えていた。

そもそも虫型の食べ物(しかも動く)を作る神経が理解できない。

それを生徒に手渡す教師の気持ちも全く分からなかった。

「ありがとうございます。…それじゃあクィレル先生。おやすみなさい」

しかし受け取りを拒否することもできない。

サキは促されるままに教室を出て、クィレルの手渡した燭台を片手に寮へ続く階段を下りた。なぜクィレルが森で自分を見つけたのか、なぜ母親について尋ねたのか、そんな疑問を全て置き去りにして。

 

 

「その包帯どうしたの?」

「ん?ああ、昨日転んだ」

「大丈夫?荷物持ちましょうか?」

「たいしたことないよ。ありがと」

ハロウィンと言っても渡すお菓子がないサキはトリックオアトリートを言われないように気を使っていた。

普段は一言も話そうとしないくせに朝一番で話しかけてきたゴイルには昨日クィレル先生から貰ったスカラベチョコレートをくれてやった。

そしてようやく山ほどお菓子と食べ物が出てくる夕食になって、パンジーが珍しく話しかけてきた。

話が途切れた後も何故かいつもの取り巻きの元へ戻ろうとせずサキの隣に居座っていた。

別に邪魔だとは言わないが謎だ。

「サキ。なんで今日は逃げ回ってるんだ?」

そこへカップケーキを抱えたクラッブ、ゴイルと口の端に食べカスをくっつけたドラコがやってきた。

「君の取り巻きにお菓子を強奪されないようにだよ」

両手がふさがっていてもお菓子を求めてきそうな二人を呆れながら見てドラコに答えた。

ドラコは否定するわけでもなく、肩をすくめてそのまま座った。

「あ…ドラコ、口に食べ物がついてるわ」

パンジーがサキ越しにドラコの口の端を指差した。

「おっと…」

ドラコは自分で口の周りを拭う。パンジーは乙女のように笑い、ドラコを見つめてる。

サキは若干のけぞりながらだんだん大きくなるざわめきをぼんやり聞いていた。

ダンブルドアが広間にやってきた。

「それではみな、ハロウィンパーティじゃ。存分に飲んで、食べて、騒げ!」

挨拶を皮切りにテーブルには溢れるほどの料理が出現し、人々の歓声やざわめきが爆発した。

舌鼓を打つ暇もなく、サキは夢中で料理を皿に盛り付けて片っ端から食べた。

「去年までは家でパーティをしていたの。お母様のパンプキンパイが美味しくて、今年たべれないのが残念だったけどここのもおいしいわね」

「孤児院、パーティ、ない」

そう話しかけられても食べるのの邪魔でしかなく、片言で返すほかなかった。

「パーティがなかったの?それはさみしいわね」

「ハロウィンはまあなかったね。クリスマスはあったけど…」

口に詰まったものをキャロットジュースで流し込んだ。見境なく食べてしまい、デザート分の余裕があるかないかくらいだった。

一息ついて宴会状態の周りを見回す。職員テーブルでは一人だけ葬式みたいな雰囲気のスネイプが、いつもの夕食と同じように黙々と食事をしていた。あのマクゴナガル先生ですらハグリッドと談笑してるのに。

ベリーをふんだんにあしらったヨーグルトを装った時、大きな音を立てて扉が開いた。

大広間から顔を真っ青にしたクィレル先生が息も絶え絶えに走ってきて絶叫した。

「トロールが!地下室に…!」

ダンブルドアは取り乱したクィレルの様子を見て神妙な表情になる。喧騒は一気に消え去り誰もがフォークや食べかけの料理を持ったまま固まった。

「お知らせ…しなくては…と……」

クィレルは絞り出すようにそういうと、そのまま通路の間にばったり倒れた。

一拍おいて、生徒が悲鳴をあげた。何人かが慌てて椅子と机の間から出ようとするあまりすっ転び、コップが倒れる。

サキはトロールの強さを知らないため騒ぎに加われずキョトンとしていた。他のテーブルでも何人かそういう生徒がいた。

「静まれ!!」

広間が大パニックに陥る寸前、ダンブルドアが割れるような大声で生徒の動きを止めた。

「各寮の監督生は下級生を連れて寮に帰るように。先生方はトロールを」

ダンブルドアの声のおかげでほとんどの生徒が冷静さを取り戻し、わらわらと監督生の後ろに続いた。

「トロールだって?学校の安全管理はどうなってるんだ…こんなこと父上の時代には…」

ドラコはブツブツ独り言を言って静かに取り乱していた。

「トロールってそんなに強いの?」

「あたりまえだろ!大人の魔法使いだって殺される事があるんだぞ」

「へー」

「マグル育ちはこれだから…!」

サキの危機感のなさにドラコは呆れた声を出す。列の一番後ろで周りを見回しながら寮へ行こうとすると、監督生の目を盗んでこっそり抜け出すハリーとロンを見つけた。

何やってんだあの二人は…とサキも階段の曲がり道の死角になる場所で列から外れた。

急いで二人を追いかけようとするがすっかり居なくなってしまい、どこに行ったか見当がつかない。

トロールをやっつけに行ったのか?だとしたら地下だろうか。

どうしたものかとちょっと頬に手を当てて考えてると、ぶっ倒れたクィレルがこそこそと大広間から出て行くのを目撃した。

急いで石像の陰に隠れる。クィレルは階段を滑るように登っていく。

トロールは下にいるはずなのに。

サキはこっそり後をつけた。クィレルは迷うことなく4階へ行き、例の立ち入り禁止の廊下へ向かった。

あのケルベロスがいた場所だ。

クィレル先生がなぜあの犬のところへ?

クィレルが扉を開けようとすると、扉がものすごい勢いで開かれ、髪を振り乱したスネイプが出てきた。

なんでスネイプ先生が?

サキは声が出ないように口を手で押さえながら階段の柱の陰から二人を凝視した。

「クィレル…てっきり気絶したと思っていたが、こんなところに何の用だ」

「そ、そ、そんな。た、ただ私は……こ、ここで万が一何かあったら困る、と」

「この中にあるものをあなたが守る必要はありませんな」

やっぱりここには何か守る価値のあるものがあるのだ…。

サキは唾を飲み込む。スネイプはよく見ると脚を負傷していた。あの犬に噛まれたんだろう。

「そ、そ、そうかなセブルス…そうかもしれない。な、な、なんにせよ無事で、よ、よかったです!ええ!」

クィレルが取り繕うように笑うと、スネイプは忌々しそうに顔を歪めた。脚の傷はずいぶん痛そうだ。

「ならば、トロールのところに行くのが先決では?」

スネイプはクィレルから視線を外し、こちらへ向かってきた。クィレルは青ざめた顔で後に続く。

二人ともこっちへ来る!

サキは慌てて階段を下りようと立ち上がったが、ローブの先を踏んづけてしまった。かくんと膝が折れてサキはあっという間に階段から転げ落ちた。

頭がグワングワンと痛み、身体中に鈍痛が走る。

「サキ…なぜここにいる」

上からスネイプの静かに怒った声が聞こえた。

しかしサキは答えられない。頭を打ったらしい。その様子を見てスネイプは無言でサキを担ぎ上げる。

「クィレル、今すぐトロールの元へ行け…」

クィレルはその言葉を聞いて急いで階段を駆け下りていった。

スネイプは深いため息をつくと怪我した足を引きずりながら地下へ向かった。

「先生…もう大丈夫です…」

「いいから、黙って掴まってろ」

その声は静かな怒りで満ちてる気がして、サキはそれ以上口答え出来なくなった。

黙ってスネイプの背中に張り付いていると、頭がぼーっとしてきた。

地下へ着き、スネイプの研究室に着くとそこから雑に下された。硬いソファだった。

スネイプもそばの丸椅子に一旦座り、自分の傷の具合を見てる。

「君は動くな。頭を打ってる」

サキはガンガン鐘が鳴ってるような頭を押さえてスネイプの足の怪我をみた。ずいぶんひどい咬み傷だ。

「ハープを持ってないからですよ…」

サキのつぶやきに包帯とガーゼと薬を持ってきたスネイプがギョッとした顔でサキをみた。

「知っているのか?」

「あの中にいるの、ケルベロスですよね。ケルベロスってほら…神話でオルフェウスの竪琴に聞き惚れてたじゃないですか」

「神話、か。…いつあそこへ入った。他に誰が知ってる?」

スネイプは足に薬をつけたガーゼを当てて包帯で雑に巻くと、サキの前にしゃがみ、サキの瞳を覗き込んだ。

顔を掴み、天井の光に照らすように持ち上げて傾けた。

「…わたしだけです」

サキはちょっと嘘をついた。もしハリーやドラコもいたと言ったら密告したみたいになってしまう。

髪をかきあげスネイプがコブに触れた。

「いたっ!」

「どうやらコブだけですんだようだ」

スネイプは別の瓶に入った薬をガーゼに浸し、それをコブに染み込ませるように当てる。

「クィレルを追ってきたのか」

「はあ…たまたまハリーたち…あ!」

「ポッター?」

「そうなんです!ハリーとロンが列を抜け出してるのを見て…追いかけたんだけど見つからなくて、途中でクィレル先生を追っかけたんだ」

「ポッターにウィーズリーか。」

チッと舌打ちしてスネイプはガーゼを放り投げて立ち上がる。

「すぐ寮に戻れ、サキ。あと5点減点だ」

「ぐう…」

スネイプに追い立てられるように研究室を出された。スネイプは扉にしっかり鍵を閉めるとサキの方へ向き直り、両肩をぐっと強く掴んだ。

サキは驚いてスネイプを見つめる。

「いいかサキ。クィレルには近付くな。三頭犬の事もこれ以上探ってはならん」

「え…あの犬はともかく、クィレル先生ですか?」

「そうだ。約束してほしい」

スネイプは最初に会った時より真剣な眼差しでこちらを見つめていた。サキは困惑しながらも、おずおずと頷いた。

「わかりました…。」

「よし、それではすぐ寝るように」

その言葉を聞いてスネイプは肩から手を退け、マントを翻して寮とは反対の廊下へ向かった。

サキはぽつんと独り、暗くてジメジメした石壁の廊下に立ち尽くした。

スネイプの忠告の意味。ケルベロスの守るもの。クィレル先生の目的。考えることが頭の中でぐるぐるまわっていた。



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07.冬と疑惑

今日はスリザリンとグリフィンドールがクィディッチで雌雄を決する日で、ハリーの記念すべきデビュー戦でもあった。

スリザリン生だがハリーを応援したいサキは洗濯室から拝借したグリフィンドールのネクタイを締めてこっそりグリフィンドールの観客席に紛れ込んでいた。

「あっ!サキこっちよ!」

最前列の一番いい席を取ったハーマイオニーとロン、そしてハグリッドがピョンピョン跳ねて手招きする。

目立っちゃうと一瞬心配になったが周りの熱狂を見るに飛び跳ねたり叫んだりは大して目立つ行動ではないらしい。

ただ木で組み上がった観客席という環境的に、ハグリッドはおとなしくして欲しかった。

「いやーごめんごめん。ドラコまくのに手間取っちゃった」

「もう始まっちゃうよ!」

席に座ると審判のフーチ先生が競技場の歓声を浴びながら登場した。

続いて両選手が入場し歓声はより大きく響く。

「ハリーよ!いたわ!」

「ハリー!頑張れよぉ!」

ハグリッドがドラみたいなひときわ響く大声でハリーに声援を投げた。

ハーマイオニーが指差す先にはガタイのいい上級生に囲まれたハリーがいた。小さくて痩せてるハリーはまるで何かの間違いでそこにいるようだったが、きちんとユニフォームを着て箒を掴んでる。

マクゴナガル先生からもらったとか言う…ニンバス?とかいう箒だ。

笛が鳴り、赤茶のボールが高く投げられた。

選手たちが猛禽類のように箒で空を飛び乱れてボールを追いかける。その合間を縫うように鉛色のボールがありえない軌道を描いて飛んでいく。

「うわー!すごい!」

全然ルールがわからないサキはその光景が迫力に満ちてることだけしかわからなかったが、夢中で見ているロンとハーマイオニーを見るにテクニックと妨害とファウルに富んだ試合らしい。

今までクィディッチにも箒にもつゆほど興味を持たなかったがここにきて認識が変わりそうだった。サッカーやラグビーよりよっぽどエキサイティングだ。

「あの鈍色のボールは人に当ててもいいんだね?」

「あれはブラッジャーっていうの。ビーターっていう人たち、グリフィンドールならフレッドとジョージよ。彼らが棍棒で殴って選手を守るの」

「なんと野蛮な…」

「何言ってんのさ!高度な役回りなんだぞ!」

「じゃあハリーは?ずっとみんなを眺めてるだけみたいだけど…」

「ハリーはシーカーだから、たった一つのボールを取ればいいの。スニッチっていう金色の羽の生えたボールで、取れば150点。とった時点で試合が終わるわ」

「超重要じゃん!」

「そうだよ!サキ、ルールも知らないで来たのかい?ダメだよそんなんじゃ、楽しめない…ああくそっ!」

ロンはスリザリンの選手がブラッジャーをハリーに狙いをつけて叩いたのを見て怒声を上げる。

しかしハリーは華麗にそれを避ける。

その直後からハリーの様子がおかしくなった。箒が上下左右に揺れて、まるで暴れ馬のようにハリーを振り落とそうとしている。

「お?なんか変だ」

「ほんとだ。箒が言うこと聞いてない!」

「まさか、こりゃ誰かが呪いをかけとる!」

ハグリッドは頭を抱えて怒りの声を上げた。

「呪い?誰がそんな…」

「スネイプよ!ほら、ハリーを凝視してる!」

「まさか。先生がそんなことするわけない」

「箒に呪いをかけるのはすっごく難しいの。そういう呪いをかけるときは絶対に視線を外さないわ」

「どうすればいいんだ?!」

「私、行ってくる」

ロンの声にハーマイオニーがそそくさと立ち上がる。

「私もいく」

サキもそれに続き、観客席を降りて薄布で覆われた通路を駆け足で進む。

「どうするの?」

「何とかして気をそらさせるわ。呪文を唱えるのをやめれば…いいえ、多分視線さえ外れちゃえばいいから」

「なるほど。でも本当にスネイプ先生かな…」

「スネイプはハリーを恨んでるのよ!しかもあの犬が守ってるものを狙ってるかもしれない」

「え?な、なんで?」

「足に噛み傷があったでしょう?ハロウィンの日、トロールの騒ぎに紛れてあの廊下に行ったんだわ」

「違うよ…あれは…」

サキは弁解しようとしたが職員用の観客席 の真下についてしまい、2人は口を閉じた。上の方から聞こえる怒声や悲鳴からするにハリーはまだ暴れる箒と格闘してるらしい。

ハーマイオニーがたくさんある足とローブの中からスネイプを見つけ出した。

そして小声で呪文を唱えると、小さな火がスネイプの長いローブの先についた。

「いくわよ!」

ハーマイオニーはそそくさと撤収する。サキはハラハラしながらめらめらと燃えていくローブの裾を見て身を翻した。

ちょっとの間をおいて小さな悲鳴が職員用観客席から上がった。大急ぎで通路を抜け、元の席に戻る。

「ハリーは?!」

「戻った!しかもスニッチをみつけたらしい!」

ハリーはツバメのように宙返りして何かを猛然と追い始めた。地面すれすれまで急降下し、スピードを緩めることなく飛びながら、ハリーは手を伸ばした。サキにもキラキラ光る小さなものが見えた。

「あっ!」

ハリーが箒の上に立ち、あともうほんの指先までスニッチに近づいたとき、ハリーがつんのめって箒から落下した。

観客から悲鳴が上がる中、ハリーはよろよろと立ち上がる。

ハーマイオニーは思わず両手を顔に当てながら、心配そうに身を乗り出した。

そして…ハリーはオエッとスニッチを口から吐き出した。

 

サキはその後グリフィンドールの談話室での祝勝会にしれっと参加した。

誰もサキを咎めなかったし、医務室から帰ってきたハリーは喜びのあまりサキにハグした。そしてハリーを胴上げして、お腹いっぱいになったあとサキは自分の寮へ帰った。

わくわくした気分のままお葬式モードのスリザリンに帰るのは気が引けた。しかしウロウロしていると先生に捕まってしまう。

廊下の冷たい空気を吸ってるうちに大切なことを思い出した。

ハリーの箒に魔法をかけたのは本当にスネイプ先生だろうか?

スネイプがハリーに対して並々ならぬ憎しみを抱いていることは疑いようがないが、かと言ってあんな露骨な嫌がらせを、しかも下手したら死んでしまうようなことをするとは思えなかった。

サキは地下牢へ急いだ。

仮にも後見人で、唯一の身内といってもいい人が疑われてるわけだ。

友達をいじめてるやなやつでもあるけれどそれにも理由があるんだろう。

サキはスネイプの事を何も知らないということに気づいた。

 

その疑問を抱いたまま、溜まってた課題や授業をこなすうちにいつの間にか木々が葉を落とし、雪が降り積もる季節になった。

サキはマフラーとコート以外に防寒具を持っておらず、教室から教室へ移動するときはいつも青い唇をしていた。

さらに氷のようにガチガチに固まった指先を魔法薬学の大鍋の蒸気で溶かそうとし、その蒸気が酸性であることにやけどをしてから気づいた。

「感覚がないからむしろ寒くない!」

とポジティブに素手で雪だるまを作り始めたサキに、見かねたドラコがクリスマスには手袋をプレゼントすると提案してきた。

そんなこんなで、もうクリスマス直前だった。

校内はだんだん飾り付けが増えてきて、ハグリッドの小屋に行けばいいモミの木を選定していた。

そして生徒たちはクリスマス休暇にどこへ行くかを楽しそうに話していた。

「サキ、よければ休暇の間僕の家に遊びに来ないか?」

クリスマス休暇に出された課題を休暇の前に終わらせようと談話室の隅で教科書をめくっていたサキにドラコが揚々と話しかけた。

「素敵な提案だけど、今年はいいよ。だってホグワーツのクリスマスってすごく楽しそうじゃない?」

「そうか?人も少なくて寂しいだろう。スリザリンなんて一人も残らないんじゃないか?」

「談話室を独り占めできるわけでしょ?素敵じゃん」

サキは教科書をテーブルに放り投げて伸びをした。

「どうだかね。人のいないホグワーツは不気味そうだ」

「ま、プレゼントは送るよ。私人に物を贈るのは初めて」

「初めてのプレゼント?」

「うん。楽しみにしといて」

サキの自信ありげな笑みにドラコの顔がほんの少し疑わしげにくもった。

だがサキは本当に変な物を贈るつもりはなかった。

その夜はドラコとチェスをして遊んだ。今大流行りのチェスだが、サキはこれまで遊んだことがなかったためついこの間ロンにボコボコに叩きのめされたのだった。

悔しさをバネに必死に打っているがドラコにも勝てず、その日は終わった。

飛び散った駒のかけらを拾いながらクリスマス中に壊れた駒を修理する方法を調べようと決めた。

 



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08.鏡と記憶①

ほとんどの生徒がキングスクロス駅に向けて旅立った次の日の朝、サキは誰もいない談話室のソファーで目を覚ました。

ドラコの言う通り、スリザリン生は全員帰郷してしまった。

どの寮も空っぽらしく、昨日のイヴの夕食に現れた生徒はグリフィンドールのウィーズリー兄弟とハリーだけだった。

机は一つで足りるだろうと、マクゴナガルが気を利かせて大広間の真ん中に机と椅子を6脚並べてくれた。

職員テーブルも疎らだった。寮監とクィレル先生、魔法生物学のケトルバーン先生。校医のマダム・ポンフリーとフィルチくらいしかいない。

ハグリッドは昼はちょっと遅れてきて、スリザリンに一人じゃ寂しいだろうからと小さなクリスマスツリーをサキにプレゼントしてくれた。

ソファーから体をのそのそと起こすと枕元にプレゼントが置いてあった。

包みはなんと5つもある。今まで生きてきた中で一番多い。

リボンをほどいて包装紙を破ると個性豊かなプレゼントが詰まっていた。

ハリーからはクィディッチをする選手のミニチュアフィギュア。ロンからはチェスの指南書。ハーマイオニーは羽ペンを送ってくれた。図書館でサキが羊皮紙に羽ペンでと指定されたレポートを拾ったフクロウの羽で必死に書いてたのを見てたからだろう。(あの時は結局ハーマイオニーのペンを借りた)

ドラコからは約束どおり手袋。黒色だが光に照らすと深い緑色が見える、手触りのいいシュッとした手袋だった。縁にファーが付いている。

あと一つはなんとスネイプからだった。

まさか来るとは思ってなかったが一応後見人ということもあるしプレゼントを送っておいてよかった。

スネイプの口からメリークリスマスという言葉が飛び出てくる様は想像し難かった。しかしプレゼントは素直に嬉しい。

開けてみるとシンプルな箱に銀細工の施してある小さな手鏡が入っていた。

スネイプらしくない、といえばらしくないプレゼントにはてな?と首をかしげ、同封された手紙を開ける。

 

『君の母親が昔我輩に預けたものだ。君が持っている方が相応しい』

 

メモ書きに等しい手紙を何度か読み返して手鏡をとった。

母がなぜスネイプに手鏡なんかを預けたんだろう?高価なものだったとか?

しげしげと手鏡を見るが、鏡面はくすんでいてよく見えないし、銀細工は黒ずんでいる。どう見たってただの年代物の鏡だ。

疑問に思ったがそれをプレゼントしてくれたという事実にサキは喜んだ。他のプレゼントも嬉しくて、サキは早速お礼を言いに大広間に向かった。

テーブルにはウィーズリーの双子、フレッドとジョージがいた。

「メリークリスマスお二人さん」

「おっ、サキじゃあないか。」

「ちょうどいい」

双子とはクリスマスまであまり話したことがなかったが、噂やロンの話からいたずらの王様みたいな人たちだとは聞いていた。

昨日の夕飯時も騒ぎっぱなしだったがまだ先生が前にいたせいか取り立てていたずらをするようなそぶりはなかった。

しかし午前10時の大広間に先生はいなかった。

フレッドがポケットから綺麗な青い包みを取り出し、投げ渡す。

「メリークリスマス。君にはプレゼント贈ってなかったから」

ジョージも同じようにポケットから赤い包みを出してサキの方へ投げる。

「ちょっと出遅れたけど俺たちからのプレゼント」

「わあ、ありがとう!…私からあげられるものあったかな」

「いいからいいから、ぜひ今食べてみてくれよ」

「今?」

「そう、今。」

なんか怪しいなと思いつつ、プレゼントを用意してなかった負い目があるので断れない。

青い包みから開けると、中にはどでかい真っ青なキャンディが入っていた。

一つつまみ、口に入れる。

猛烈なニンニクの匂いとなんだかよくわからない酸っぱいような苦いような味がした。

「マッズ!!マズい!これすごく不味い!」

「どうしても青は不味くなるんだよな」

「なんでかな」

「さあね。男の味ってのはそういうものなのかも」

サキはマズさに悶絶して思わず飴を吐き出した。

「ちょっとジュースとって…」

と言って伸ばした手を見ると、心なしかいつもより長い気がした。視線もなんだかちょっと高い気がする。

「あれ?」

声もほんのちょっとハスキーになった…気がする。そして頭も軽い。思わず頭に手をやると、髪の毛が急に短く硬くなっていた。

「な、なにをしたの?」

「今サキが食べたのは俺たちの考えた男になるキャンディーの試作品なんだけど…」

「んー、あんまり変わってないな。はきだしたからか?」

「いーや、サキはもともとボーイッシュだし…」

「わ、私を実験台にしたの?!」

「いやー、悪い悪い。大した魔法じゃないから、舐め終わって5分もしたら元に戻るよ。心配すんなって」

「俺たちが男になるキャンディーなんて舐めても意味ないからな。」

道理だがそんな事故が起きたら人生を左右しかねない飴をだまし討ちで食べさせるなんて…。

この双子油断ならない。

しかし呆れながらも感心する。魔法ってなんでもありだ。

「じゃあこの赤い方は私が食べても意味ないんだね」

「それは君がいたずらに使う用ってこと」

「なるほど…使う側は面白いかもね」

「いたずらは大抵そういうもんさ」

テーブルに出てきたパンを食べ終わってもまだまだ時間はある。

特段やることもないのでそのままフレッド、ジョージと雑談していた。しばらくするとロンとハリーが眠そうな顔で下りてきた。

彼らがご飯を食べ終わったら直ぐに五人で雪合戦をしに庭に出た。

魔法使いの雪合戦は明らかに年上が有利だった。自在にカーブする雪玉を避けるのは至難の技で、双子対一年生対決は一年生の惨敗となった。

そのあとはチームを変えたりルール無用で雪原を走り回った。付け焼き刃の魔法で壁を作ったり雪玉を飛ばしたりして、日が暮れる頃には全員がすっかり真っ白になって凍えていた。

「風邪ひいちゃいそうだ」

ロンが鼻をすすりながら石入りの雪玉が当たった頭をさすった。

「僕も…」

ハリーはびしょびしょになったマフラーを絞りながら疲れた声で言った。

しかしここ数日はこの不毛な雪合戦は続くはずだ。サキは明日に備えて早めに寝ることに決めた。

翌日、朝食を取りに現れたハリーの様子がおかしかった。ロンに興奮気味に何かを話している。

「どうしたの?」

「あ!サキ!良かったら君もおいでよ。僕すごいものを見つけたんだ」

「あの犬よりおとなしかったらなんでもいいよ。なに?」

「鏡だよ!僕の父さんと母さんが映るんだ」

「えっ…鏡に?」

「今朝からその話で持ちきりなんだ。僕も一緒に行く」

「へえ。不思議な鏡もあったもんだね。ぜひ私も連れてってよ」

「よし、決まりだね!夜11時ごろ、君の寮まで迎えに行くよ」

「それ、大丈夫かな。グリフィンドール塔から結構あるし、フィルチの見回りに被りそう」

「ところがどっこい」

ロンが待ってましたと言いたげにニヤッと笑った。

「ハリーがすっごいものを手に入れたんだ。ね」

「うん!今夜楽しみにしててよ」

「なんだよー、勿体つけないでよ」

ハリーとロンはふふふと楽しげに笑いあった。サキは簡単に寮の場所を教え、同じ地下にいるはずのスネイプに見つからないようにだけ念を押した。

「スネイプにだって絶対に見つからないさ。」

やけに自信満々なハリーを見て、サキは夜が待ちきれなかった。

そしてフレッド、ジョージとともに雪山からソリで狂ったように滑り、1日が終わった。

11時になってサキは欠伸を噛み殺して寮の前にしゃがみ込んでいた。寝巻き以外の服が全て洗濯に出されていたために制服を着ていた。

いったいどんな格好で二人が現れるのかいろいろ想像を巡らせた。

「サキッ!」

突然、暗闇から名前をささやかれ、肩をポンと叩かれた。

「わっ…」

思わず悲鳴を上げそうになる口を、空中からにゅっと現れた手に塞がれ、またサキはくぐもった悲鳴をあげた。

「シーッ!サキ、僕たちだよ!」

目の前に突然、ロンとハリーが現れた。

ロンはサキの口から手を離し、そのまま助け起こす。

ハリーはビロードのようにすべすべと輝いた不思議な質感の布を片手に持っていた。

「驚いた?」

「当たり前じゃん…!」

「ごめんごめん。これ、透明マントって言うんだ。」

ハリーはその布でふわっと体を覆うと、その部分が透明になる。サキは思わず手を伸ばして触れる。確かに何かを触ってる感触がある。なのにちゃんと透明だ。

「すごい…不思議な感じだね」

「これでフィルチの前を通ったって平気ってわけ。」

「さ、急ごう!」

ハリーに手を引かれるままにサキは二人の間に収まる。

ハリーが三人にマントをかけると、三人ともすっぽり収まった。なるほど、中からはちゃんと向こうが見える。

三人でぞろぞろと纏まって二階へ移動する。階段移動は特に足元がマントからはみ出てしまいそうでひやひやした。

「ここだよ」

ハリーが何の変哲も無い木の扉を指してそっとノブをひねった。

木の軋む音とともにほこりっぽい匂いが充満した。

その部屋の中心には大人の背丈より大きな古ぼけた装飾のついた鏡が置かれている。サキはそのぼんやりとした鏡面を注意深くみたが、遠目から見るとただの鏡にしか見えない。

ドアを閉め、マントを脱ぐ。

ハリーが勇み足で鏡の前に立ち、興奮気味に喋り捲る。ロンとサキはノロノロと後に続く。

「ほら、みて!僕の右横にいる人…僕のお父さんだよ。髪の毛がそっくりだもの」

ハリーの言葉に、隣に並んだロンは首をかしげる。そして何かを見つけたように目を丸くする。

「違うよ!僕が見える。何かトロフィーをもらってるよ…学年優勝杯だ!僕、ダンブルドアと握手してる!」

サキは二人の様子を見て思わず鏡から目をそらした。

なんだか不吉な予感がした。

「え?そんな、ほら。左には母さんが映ってるんだよ?」

「ううん…見えないよハリー。この鏡…人によって見え方が違うのかな」

「サキ、サキには何が見える?」

ハリーとロンは鏡から目をそらすサキを見た。サキはちょっと躊躇い、そして鏡を見た。

「私には……」

じっと鏡に映る自分を見た。鏡の中の自分と目が合うと、突然地面が傾いたような感触とともに気が遠くなり、視界いっぱいに炎が見えた。

 

「は…?」

 

口から溢れる言葉に返事するように、喉を焼くような熱が口内を蹂躙する。

何が起きたかわからなかった。

呼吸が止まり、口いっぱいに鉄の味が満ちた。手が痺れたような感触がして手を見ると、手のひらから指に火傷がある。

今まさに炎を上げているのは見覚えのある扉だった。

孤児院の食堂への扉だ。

半開きになったそれに手を伸ばすと、手の動きに呼応するようにそれが開き、中からサキの全身を舐めるように炎が噴出した。

食堂の中心には席に着いたまま燃え盛る11人の孤児がいた。

2人の職員が、篝火のように燃える子供たちと建物と違って嘘みたいに真っ白な制服を着たまま、微笑みかけた。

「11歳おめでとう!ろうそくを吹き消しましょう」

「ひっ……!」

引きつったような悲鳴が口の隙間から漏れた。

「あなたのために作ったのよ」

食事や掃除を担当していた、無愛想な職員が満面の笑みで言った。そしてサキの左腕を万力で締め上げると、口から炎が溢れ出し、絶叫と皮膚の焼ける音の混じり合ったバースデーソングを歌い始める。

そして炭化した皮膚からじくじくと液体が流れ出した時、サキは今度こそ本当に悲鳴をあげた。

そして左腕の刺すような痛みを感じると、サキは自分が埃っぽい部屋に倒れて悲鳴をあげてることに気づいた。

ハリーとロンが驚きと心配の混じった複雑な表情でサキの体を揺すっていた。

「サキ、どうしちゃったの?!ねえ!」

「ま、まずいよハリー!サキ、血が出てる…!」

サキはしばらく頭が真っ白で、言葉を紡ぐことができなかった。ただ真っ青な顔で鏡を凝視するサキをみて、泣きそうな顔でハリーとロンがサキに声をかけた。

「だい、じょうぶ。大丈夫…」

やっと出た言葉がそれだ。しかし実際大丈夫とは言えなかった。

サキは思わず、ずっと首から下げていた小さなガラス瓶を握りしめていた。孤児院の火事の記憶はこの瓶の中に閉じ込めているはずなのに。

鏡に見たのは紛れもなくあの時の孤児院で、出てきたあの炭化した子どもたちは火が消えた後にサキが目撃した仲間たちの遺体だった。

そう、あまりにも酷だとダンブルドアが処置したはずの記憶が、まるで別の誰かが見ていたかのように恣意的に記憶されて編集されていた。

あの時の感情のフラッシュバックと人間の焼ける匂いの生理的嫌悪感が一気に襲ってきた。

「マダム・ポンフリーのところに行こう。サキ、立てる?」

「大丈夫だよ、怖いものが映ってびっくりしちゃっただけだから」

「でも君、左手を怪我してるよ」

見ると、指先から血が滴っていた。さっき掴まれたところだ。

「これくらい大丈夫。それより捕まったほうがまずいよ…」

サキの言葉にハッとしたようにハリーが透明マントを三人に被せた。

そのすぐあとに誰かの足音が聞こえ、三人は思わず体を寄せ合い、息を飲んだ。

足音は廊下を進んでいった。こちらに気付いた気配はない。

「やっぱり医務室に行こうよ、サキ。様子が変だよ」

「ううん…それよりスネイプ先生のところに行こう」

「ええ?!」

ロンは驚きの声をあげてから慌てて口を塞いだ。ハリーは困った顔をしてサキの腕を自分の方に回す。

「ほら、寮監だから知らんぷりしてくれるとおもうし…夜更かししてそうだし」

「そうかなあ…夜更かししてそうだけど。」

「地下への階段まででいいからお願い」

余裕なさげなサキをみて、しぶしぶロンもサキの腕を担ぎ、マントを被った。

階段を下りる最中サキの頭にはぐるぐると考えが巡りとりとめもなく消えたり浮かんだりしていた。

何故抜き出した記憶があの鏡を見て蘇ったのか?

そもそもサキは燃え盛る孤児院は見たはずだが、中で燃えている友達や職員を見たわけではない。なのに何故あんな光景が見えたのだろう。

ハリーとロンはどうやら見てて快いものしか見てないのに何故自分はあんな悪夢のようなものしか見えなかった?

しかも視覚だけでなく触覚や嗅覚もありありと感じた。閉じ込められた体験に突如放り込まれたようなあの感覚。

自分だけがそうなった事の意味。

それを考えようとするうちに地下室へ着き、心配する二人を追いかえして階段をよろよろと下りた。止血した左手が冷たい。

あの時は大事にしたくなくてとっさにスネイプの元へ行くとは言ったものの、サキにその気はなかった。

心配させたくないとかスネイプ先生信じられないとか、そういうわけじゃない…

サキは石壁の一部をさわる。

寮への入り口が開き、人のいない部屋特有のひんやりとした空気と充満した重い沈黙が漏れ出した。

寮に人がいなくてよかった。

談話室にある大きなふかふかのソファーに倒れ込み、魔法で暖炉に火をつけた。

異常なものを見たと知られるのが、怖かった。

あの光景から醒めた時にこれはよくないことだと直感的に悟った。

まるで本能みたいに、伝える事を心が拒否している。

サキは深く息を吸いこむと、自然と落ちてくる瞼を止めることなく眠りに落ちた。



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09.鏡と記憶②

朝起きると、外は出れないほどの大雪だった。ソファーで寝ていたサキにはいつの間にか毛布がかけてあった。

きっとこの学校のしもべ妖精のおかげだろう。

彼らの姿は一度だって見たことがないがサキが野宿で飢えの余りに食べたいものをぶつぶつつぶやいていたら、いつの間にかサンドイッチの包みが置かれていたことがある。

 

パキパキに乾いた血を濡れたタオルでふき取ると、左腕の傷の原因がわかった。

よく分からない記号のような引き攣った傷が出来ていた。全く心当たりがなく、サキは首をひねって軟膏を塗った。

広間には誰もいなかった。昨日のことについてハリーとロンと話したかったが肩透かしを食らってしまった。

かと言って静まり返った談話室に戻る気にもなれず、宛てもなく極寒の校内を散歩した。

あの4階の廊下に行こうかと思ったがスネイプの忠告を思い出す。

クィレル先生と廊下には近づくな…。

そういえばクィレル先生はクリスマス休暇に行ったんだろうか。晩餐で姿を見ないということはそういうことなんだろうけど。

4階の立ち入り禁止の廊下を避けるように角を曲がると、突然目の前が真っ暗になった。

「わ?!停電?!」

思わずサキが腕を振り回すと、布が腕に絡みつく感触と同時に洗剤のいい香りがした。

「気のせいでなければ、我輩はここをうろつくなと忠告したはずだが」

腕に絡みついてるのはよくよく見るとスネイプ先生のローブだった。

サキがめちゃくちゃに腕を振り回したせいでまるでスカートめくりみたいにローブをまくってしまっている。

「あっ…先生…違いますよ!ちゃんと避けて通ろうとしてたんですよ!」

スネイプは無言でローブの裾を正し、いつも通り不機嫌そうな顔でサキを一瞥した。

「寮できちんと寝ているようだな。ここの所は」

しかし先生の機嫌は必ずしも表情と一致してない。眉間に刻まれたしわは伸ばすのが困難なだけで、浅い時は実はそこまで不機嫌ではないのだ。

「寒いですからね。あっ!そういえばプレゼントありがとうございました。」

「こちらこそオーデコロンをどうも」

あまり有難がっている様子ではないがサキはにこやかに微笑んだ。

「母、は…なんで鏡なんか預けたんですかね?」

「あれは恐らく彼女の手製だ。あの人は魔法の道具を作るのに長けていた」

「そうなんですか。器用な人だったんですね」

魔法の道具って作れるんだ。そりゃ誰かが作ったからそこにあるんだろうけど。

スネイプは母親の友達だと言っていたがどれくらい彼女のことを知っていたんだろう。

後見人になるくらいなんだからそれなりに仲が良かったはずだ。けれども屋敷に週に一度様子を見に来てくれたときも、一緒に夕食を取ったときも、母親であるリヴェン・マクリールについて話したことはない。

「母ってどんな人だったんですか?」

「優秀な魔女だった。」

「私に似てますか?」

「君はリヴェンに瓜二つだが、目つきは君の方が優しい。」

「へえー。だからですかね、初めて会った時ちょっと驚いてましたよね?」

「11歳になるまでまったく、君を見たことがなかった。正直驚いたと言わざるを得ない。まるで…」

スネイプは言葉を切って、選ぶように間を置いた。

「リヴェンと初めて会った時のようだった」

「同い年なんですか?」

「彼女が3つ上の先輩だったのだ。…そう思うと君の方が背が高いかもしれん」

「そうだったんですか。」

くしゃみが出そうになる鼻を押さえて、サキは頭の片隅で母親の姿を思い浮かべる。険しい目つきで、ちょっぴり背の低い自分。

やっぱり実感がわかない。屋敷にいる間、一度は母親の姿が気になり写真を探した。しかしいくら探しても出てこなかったのだ。

「…先生。あの、記憶をひゅーって抜くやつありますよね。あれって一度抜いたら思い出さないはずですよね?」

「いいや、そんな事はない…。だがダンブルドアが君に施した処置ならば、憂いの篩以外で思い出すようなことはない。」

「そうですか…」

そうなるとますますあの鏡は怪しい。ハリーたちにもちゃんと忠告したほうがいいかもしれない。

考え込むサキを見て、スネイプの眉間のしわがだんだん深くなっていた。

変に詮索される前にずらかろう。

「いやーそれにしても廊下は寒いですね。先生の研究室行ってもいいですか?」

「ダメだ」

取りつく島もない。

断られるのはわかっていたしここで許可されても困るのだが。

「じゃあ私は先生の出したバカみたいな量の課題をやるので失礼します」

「あの程度で根を上げるようでは今後が思いやられるな」

「ぬ…」

言い返すことができないサキをちらっと見て、スネイプは無言で横を抜けていった。

たなびくローブの端を見送りながら、ハリーたちがスネイプを疑っていることを告げようかという考えが頭をよぎった。

しかしサキは口をきゅっと閉じて昨日の鏡のある部屋へ向かった。

なぜ疑ってるのかと言われれば、ハリーたちがあの犬のことを知ってることがバレてしまう。

スネイプはハリーを目の敵にしているし、よりハリーに辛く当たる事もありえる。

しんしんと降り積もる雪が真っ白に輝いて、外は明るかった。

部屋に入るほのかな明かりが鏡を照らしている。

なるべく鏡面を見ないように、サキは急いで裏に回った。

魔法のかけられた形跡を見つける術を知っているわけではないが、もしこの鏡が特別なものならどこかに製作者の名前だとかこの鏡の名前があるはずだ。

鏡の名前はすぐわかった。鏡の枠に《みぞの鏡》とある。ついでに説明文と思われる謎の英文だ。

ただしアルファベットこそ並んではいるが知らないめちゃくちゃな単語ばかりでなんて書いてあるのかわからない。

サキはじっくり鏡の裏面を観察した。

隅から隅まで見渡すと鏡の枠に使われている木が随分古いものなのがわかる。上からなにか加工がされているらしく劣化は無いに等しい。木なのに芯からヒンヤリして、ツヤツヤした手触りだ。

しゃがみこんだら鏡の底面に署名のようなものを見つけた。

僅かに浅く掘っているらしい。光の加減でよく見えないがサキはなんとか指先で触ったり必死に頭を動かして解読した。

《ダナエ・B・マクリール》

マクリール。聞き覚えがある。母親の姓だ。

偶然の一致だろうか?

サキは恐る恐る鏡の正面に回り、なるべく鏡面を直視しないよう伏し目がちに表の枠を手でなぞった。

屋敷にあった食器やら装飾品にある家紋がどこかしらにあるかもしれない。

探すと、四隅に家紋があるのを発見した。紋様に紛れてわかりにくいが、確かにリヴェン・マクリールの屋敷にあるものと同じだ。

「おやおや…見つかってしまったようじゃの」

突然声がしてサキはギグっと振り返った。

優しそうに微笑むダンブルドアが戸を開けて立っていた。

「校長先生…あの…」

ダンブルドアは気まずそうな顔をしたサキに微笑むと鏡をそっと撫でた。

「これは魔法の鏡でな。みるものの望む姿を映すんじゃよ」

「そうじゃないかと思ってました」

サキの沈んだ声をダンブルドアはどう思っただろう?しかしサキは語気を取り繕う余裕もなく鏡から目をそらしているのを悟られないようにしていた。

「この鏡は、君のご先祖様が作ったものじゃよ」

「さっきサインを見つけました。全然実感がわかないですけど…」

「それもそうじゃろう。もうこれは何十年、何百年も前に作られたはずじゃからのう」

ダンブルドアはサキの胸中を知ってか知らずか、気楽に笑う。

「マクリール家は由緒ある家柄だが…決して表舞台に現れなかった。君のお母さんも、闇祓いから死喰い人までいろいろ勧誘があったはずじゃが、結局神秘部へ入った」

「神秘部?」

「魔法省の中の、神秘に関する研究をしている部署じゃよ。具体的なことはわしにも、だれにもわからない」

「そうだったんですか。物好きですね、母は」

「血筋じゃろう。君のおばあさま…クイン・マクリールもわしの教え子じゃった。優秀にもかかわらず、家業を継ぐためにどこにもいかなかった」

「家業ですか。商売をしていた感じはなかったですけど…」

「それもまたわしにはわからない。彼女達は全員神秘主義者でのう」

どうやらサキとは気の合わない親族たちだったらしい。サキは神秘的なことは好きだが探求だとか研究だとかは苦手だし、実学のほうが好きだった。

「じゃから、この鏡になにか別の神秘的な魔法がかかっていても不思議ではない」

ダンブルドアの言葉に思わず彼の目を見つめてしまった。優しい目がじっとサキを見つめ返す。

ダンブルドアはサキが異常なものを見たことを察したと明言しているわけではなかったが。その眼差しは何もかも知ってるようだった。

「なんで…」

うまく言葉をつなげられなかった。しかしダンブルドアはサキの思いを汲むように鏡に視線をやりながら答えた。

「普通ならば鏡の虜になるからのう。」

「先生…だとしたら何故私だけ鏡に望みが映らないんでしょうか」

「君だけだとしたら、それは血の絆のせいじゃろう」

「血…?」

「そうじゃ。血の繋がった者にしか通じ合わないなにかがあるのかもしれぬ。」

「魔法ってそういうものなんですか?」

「そういう魔法もあるんじゃよ」

煙に巻くようなことを言って、ダンブルドアはいたずらっぽく笑った。

サキにはよくわからなかった。

「さて、サキ。そろそろ夕食の時間じゃの?」

「え…もうそんな時間ですか?」

「そうじゃ。こういう雪の多い日は時間の感覚がおかしくなってしまう」

ダンブルドアはにこやかに微笑むと、サキの背中をそっと押して部屋から出した。

「わしも一緒に大広間に行こう。今夜はハグリッドが獲ってきた新鮮な豚肉でソーセージを作ったらしい。わしは茹でたソーセージが好きでのう」

「手作りですか。すごいですねえ…でもソーセージなら私は焼いた方が好きですね」

「ほほう。それではしもべ妖精たちに焼いたものも用意してもらおう」

ダンブルドアと一緒に大広間に着くと、ハリーとロンは驚いた顔をした。

「まさか昨日のことで…?」

「違うよ。まあ鏡の部屋で見つかっちゃったんだけどさ」

「それじゃあダンブルドアにばれちゃったの?」

ハリーがショックを受けた様子で尋ねる。

「ううん、君たちのことは言ってないよ。でも…あそこに行くのはもうやめたほうがいいよ」

「僕もサキと同じ意見だよ、ハリー。ハリーったらここのところ気もそぞろなんだ…」

「あの鏡は見た人の望むものを映すんだって。鏡に映るものの虜になっちゃだめだよ」

「僕はそんなんじゃない。ただ…」

ハリーの言葉はしりすぼみになっていき、最後は聞き取れなかった。

ロンがまた何か言う前に、フレッド、ジョージに尻を叩かれておかんむりのパーシーがやってきて、テーブルにご馳走があらわれた。



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10.初めての喧嘩

クリスマス休暇が終わり、冷え切った寮にまた人が溢れかえる頃。サキの夜間徘徊癖は復活の兆しを見せていた。

夕闇迫る空の下、サキは人の多い寮や図書館を避けて寒い風の吹き抜ける中庭を歩いていた。

勉強に最適な場所で、なおかつ寒くないところというと限られていた。

暖かくてテーブルのある場所を探すうちに、普通の生徒が入ることがない場所をたくさん見つけた。しもべ妖精がせわしなく働き続ける厨房や嘆きのマートルのトイレ(入ってウロウロしたら泣き言を小一時間聞かされた)。魔法生物飼育学か薬草学で使うであろうレタス食い虫の養殖場(又の名を肥溜め)。

忘れ去られた物品が山のように積み上げられた大きな部屋や使った形跡のない浴場など、ホグワーツには必要あるようなないような変な部屋がたくさんあった。

たくさんの選択肢の中でも一番暖かくて勉強ができそうで、暇も潰せるのはハグリッドの小屋とガラクタがつみあがった大きな部屋くらいで、サキはよく日が暮れるまでそこで過ごした。

 

「サキ!」

談話室に入るとドラコにみつかった。ドラコはクラッブ、ゴイルに待てでもしたらしく一人でずんずんとサキの元へ近づいてきた。

「また遅くまで出歩いてたな。時間ギリギリだぞ」

「ま、間に合ってるじゃん!」

「また君の放浪癖が出始めてる。」

その言葉は否定できず、サキはむっと黙るしかない。

ドラコはそんなサキの様子をみて、声をひそめる。

「まさか…君、あの犬のことを調べてるのか?」

「え…ああ…三頭犬ね」

ドラコがまだあの犬について関心を持ってるとは驚きだった。話題に出さないからとっくに忘れたのかと思ってた。

サキがまごつくのを見てドラコは追撃するように言った。

「君子危うきに近寄らずって言うだろう。あれがなにを守ってるのか知らないが、隠されてるなら隠されてる理由があるんだ。」

「まあそうだろうけどさ。それに、私あの廊下にはもう近付いてないよ。」

「じゃあなんで帰りが遅いんだ?」

「寮に居づらいんだもん…。ハグリッドの小屋とか、空き教室で勉強してるんだ」

「あの森番のところで?!」

「いいところだよ。ちょっと犬くさいけど」

「あんな所にいたなんて。居づらいならなんで僕に声かけないんだ」

ドラコは非難と僻みが混じったような口調だ。けれどもどこか寂しげな、拗ねたようなそんな顔をしている。

「だってドラコは…別の人といるし…」

「そんなの気にしなければいい。…それとも僕よりポッター達と仲良くしたいのか?」

「そんなことないよ!」

サキは思わず大きな声で反論した。周りがこっちを見るのを感じたが、騒ぎの中心がサキとドラコだとわかるとみんな視線を逸らした。

どうせ聞き耳は立てているんだろうけど、サキは気にせず言った。

「二人とも大事な友達だよ…比べられないくらい」

ドラコはその答えに満足いってない様子だった。ハリーとドラコは会えば喧嘩する仲だ。いわば宿敵と言える奴と仲良くするのは確かに心地の良いものではないのかもしれない。

「……いいさ、サキ。この寮が嫌いなら夜好きなだけ出歩けばいい。」

ドラコが拗ねたみたいにそっぽを向いて、クラッブとゴイルの方へ帰ってしまった。

サキは苦虫を噛み潰したような顔で、ぎゅっと縮こまる胸の痛みに耐えた。

ホグワーツに来て初めて喧嘩してしまった。

 

ドラコと話さないまま、何日も過ぎてしまった。顔をあわせると気まずくなって目をそらしてしまいなかなか仲直りのきっかけをつかめなかった。

サキはますます寮に帰るのが憂鬱になり、ここのところは宿題を終わらせた後もハグリッドからもらった木でチェスの駒を彫ったり湖のほとりで水草を集めたりしていた。

 

その日はスネイプ先生が審判をやっているクィディッチが終わったらしく、試合を見終わった生徒が続々と校舎に戻ってきた。

そんな気分になれないサキは読み終わった本を返しに図書館に向かう途中だった。

人気のない渡り廊下で、ハーマイオニーとばったり出くわした。

「あ、ハーマイオニー」

「ああサキ!よかったわ探してたの」

ハーマイオニーがサキの手を引いて、ロンとハリーのいる渡り廊下に連れて行った。ハリーはまだクィディッチのユニフォームのままで靴の泥すら払っていない。

「サキ、あの犬のこと覚えてるよね?」

「え?うん」

突然言われてびっくりしながらも返事をする。ハリーは神妙な顔をして続けた。

「あの犬の守ってるものがわかったんだ。ニコラス・フラメルは賢者の石の製作者だったんだ。」

「ニコラス…?賢者の石…?」

サキの知らないうちに三人は随分調べていたらしい。

賢者の石は聞いたことがある。石ころすら金に変え、飲めば永遠の命を授かる命の水の原料だ。

なぜそんな物が学校に置かれて守られているんだろう?

「さっき箒小屋で、スネイプがクィレルを脅してるのを聞いたんだ!スネイプはあの犬、フラッフィーを出し抜く方法を探ってる…。もしかしたら、他にもいろんな魔法がかかってるのかもしれない。スネイプはそれを知りたがってるんだよ!」

「ちょっと待って。その賢者の石をスネイプ先生が盗ろうとしてるってこと?」

「そうだよ。」

「そんな、だって先生は…」

サキは一瞬ためらった。ハリーたちはスネイプに対して懐疑的でそもそもお互い憎み合ってる。

ここで自分がスネイプに言われたことを話して信用されるだろうか?

「先生は、クィレル先生に近づくなって言ってた。ハロウィンのことを覚えてる?」

サキの言葉にロンがちょっと自慢げに言う。

「ああ、僕たちがトロールをノックアウトした夜だ」

「あの日スネイプは足に怪我してたわ」

そんなロンとは反対に慎重にハーマイオニーが答えた。

「そう、トロールの騒ぎの裏であの犬を出し抜こうとしてたんだよ!」

「違うよ。実は、私はあの日列を離れてく君たちを追いかけたんだ。でも追いつけなくって、途中でクィレル先生を見つけた。」

「クィレルが?気絶してたんじゃ…」

「さあね。とにかく、クィレルの後を追っかけたらあの人、立ち入り禁止の廊下に行ったんだよ。そこにはすでにスネイプ先生がいて、足を怪我してた」

「それはクィレルがスネイプから賢者の石を守るためだよ!」

「だとしたらおかしいよ。どうしてあんな場所で気絶したの?ましてやすぐ起き上がるなんて…」

「それはスネイプを欺くためで…」

「先生はクィレルに気をつけろって言った!私からすればあっちの方が怪しいよ。だっておかしいじゃないか、自分がトロールを見つけたのに目覚めたら真っ先に廊下に行くなんて」

「他の先生がもういってたからそうしたんだよ!」

サキの意見にハリーが反論した。ロンも何か言おうと考えていたが、2人の議論がとんとん進むのでなかなか間に入れないでいた。

ハーマイオニーは深く考え込むように腕を組み、じっとサキとハリーの言葉を反芻していた。

「私にはどっちが守り人でどっちが盗人かわからないわ。でもどっちか決めつけで行動したら、きっと賢者の石は盗まれてしまう」

ハーマイオニーの言葉にサキもハリーも黙った。

「…もしスネイプ先生が盗人だったら、クィレル先生をよくよく見てないといけないね」

落ち着いたサキの言葉にハリーもはっとして、渋々ながら言った。

「うん…クィレルが犯人なら、スネイプは絶対に口を割らないね…」

「クィレルが犯人ならむしろ石はあ、あ、安全ってこと」

ロンのモノマネに二人はプッと吹き出した。

ハーマイオニーは咎めるような視線をやったが、さっきの張り詰めた空気よりよっぽどいいと思ったらしく何もいってこなかった。

「とりあえず二人の様子には注意してよう。何か変わったことがあったらすぐに伝え合うんだ」

四人はうなずき合い、すっかり日が暮れて暗くなった渡り廊下から、暖かいご飯があるはずの寮へ帰って行った。

 

「今日はちーっと特別な茶葉を使ってみたんだが、どうだ?」

「うーん。これ、紅茶っていうか烏龍茶だね?おいしいけど」

寮の気質に馴染めないうえにドラコと喧嘩してしまったサキをハグリッドは熱い紅茶と石より硬いクッキーで迎えてくれた。

しかしなぜか熱いのに暖炉は轟々と燃え盛り、紅茶もホットだった。サキはハグリッドが我慢大会を開きたがってるのかと思ったがそういうことでもないらしい。

「ねえ…ハグリッド。この本何に使うの?」

暖炉のそばの棚に革張りの分厚い本が収められているのを見たサキは思わずそう聞いた。

ハグリッドは動揺した様子で持っていたカップをがちゃんと鳴らしてしまった。

「ちーっと…読書がしたくなってな」

「ふうん…」

どんな本か見ようと腰を上げかけたとき、ハグリッドが慌てて棚とサキを遮るように座った。

「ところでサキ。ここのところハリーたちは元気か?怪しいことはしとらんか?」

「ハリー?相変わらずだよ。ハーマイオニーは試験のせいでちょっと神経質になってるけど…どうしてそんなこと聞くの?」

「いや、俺が前のクィディッチの試合でうっかりニコラス・フラメルのことを言っちまって…」

「ニコラス・フラメル?」

サキがその名前を繰り返すとハグリッドはまたもしまった!という顔になり手で顔を覆った。

「ああ、なんで俺はいつもこううっかり言っちまうんだ。…サキ、今のは聞かなかったことにしてくれ」

「いやいや…無理だよハグリッド。それにもうあの犬の守ってるもののことはハリーたちも知ってるよ」

ハグリッドはうう、と大きな獣のようなため息をついた。

きっとハリーたちもこういう具合にハグリッドからヒントを聞いたんだろうとサキはぼんやり思った。

ハリーたちの一番の関心ごとは、間違いなくあの部屋と三頭犬だ。サキもスネイプの忠告さえなければ夢中で調べてるに違いない。

「ハグリッド、そのことについてあんまりしゃべんないほうがいいよ…。ハリーたち結構勘がいいし」

サキはちょっと考え込むように頰に手を当てた。

あの三頭犬は間違いなく学校が用意したもので、スネイプ先生をはじめとして何人かの先生が関わっている。多分ハグリッドもその一人だ。

ハリーの言った通り何者かから賢者の石を守るためにああいう犬や魔法がかかっているのだろう。

だとしたらその何者とは?

スネイプ先生の忠告をもとに考えればクィレル先生だ。しかし、ハリーたちからしてみればスネイプ先生なわけで…。

うーん、とサキは唸る。それを聞いてハグリッドが狼狽したような声で言った。

「サキ、変なこと考えないでくれ…只でさえ今…」

バチッと音を立てて暖炉の薪が爆ぜる音がした。あんまりに大きな音に振り向くと、暖炉に先日まではなかった大きな卵状の黒い石のようなものが置かれてるのに気づいた。

「…変わった置物だね?」

サキの言葉にハグリッドはびくんと肩を震わせ、テーブルをひっくり返して立ち上がった。

サキは思わず杖を掴みそうになったが、ハグリッドの目に涙が浮かんでるのに気づいた。

「頼む!このことは誰にも言わんでくれ!」

あまりの迫力に"このこと"が何なのかいまいちわからないまま、サキは曖昧に頷いた。

「う、うん…言わない、言わないよ。だから落ち着いて」

サキが必死になだめると、ハグリッドはやっと椅子に座った。

「俺の夢でもあったんだ。ちーっと危ねえ橋を渡ってるかもしれんが…。誰かに迷惑をかけるつもりなんて、さらさらない」

「うん…迷惑じゃないならまあ、いいんじゃない?」

「サキ、おめえさんは話のわかるやつだ。…ニコラス・フラメルの事もくれぐれも探ったりしちゃなんねえ」

「うん。スネイプ先生にも言われてるから調べるつもりはないよ。この暖炉の石が何なのかも聞かないよ」

なんなのかを聞かなくてもこの黒い塊はいずれ大きなトラブルを招くだろうとサキの第六感が告げていた。

どうせ近々わかるだろう、と半ば諦めの気持ち混じりで残り少ないお茶をすすった。

「ええ子だ、ええ子だ。さあもう日が暮れる。お前さんが夜うろついてたら問答無用で捕まえろって言われてるからな。早く寮に帰れ」

「えっ。そんな指示出てるの…?」

しかも以前クィレル先生に聞いた時より厳しくなっている。

サキはしょんぼりしながら寮へ帰った。

 

翌日、またハグリッドの小屋が蒸し風呂状態だったら嫌だなと思いつつ、校舎から少し離れた丘から山のほとりの様子を見てみた。

細い煙が登っているところを見るに、どうやら今日もがんがん薪を燃やしてるようだ。

「サキ!」

代わりに行く場所を決めかねていると、突然後ろから声をかけられた。

「ああ、やあ…」

おなじみの三人組だ。

「大丈夫?元気なさそう」

ハーマイオニーが気遣わしげに言った。察しの良い彼女はドラコとサキが一ヶ月経った今も喧嘩中なのをわかっている。

「ああ、まあいつも通りさ。ハグリッドの小屋に行くの?」

「うん。サキもどう?例の石のことを聞こうと思ってるんだ」

「ああ…そういうことなら行こうかなぁ。」

躊躇いがちのサキも一緒に四人はハグリッドの小屋へ続く坂道を下った。

ハリーはハグリッドの小屋の扉をノックしたが、返事がない。カーテンも閉まっている。

「あれ?いないのかな」

「ハグリッド。僕たちだよ、ロンとハリーとハーマイオニー。それとサキ!」

ロンが追い打ちをかけるようにどんどんと扉を叩くと、細い隙間が空いてハグリッドのクリクリした目が見えた。

「おめーさんたちか。」

「いれてよハグリッド。話があるんだ」

「あー…まあ、入れや」

中は昨日と変わらず暖炉が付いてて蒸し暑い。人が多いのもあって室温がさらにあがっている。サキはやっぱり…とがっかりしながらシャツをまくりロンはネクタイをむしり取った。

「ハグリッド。僕たち聞きに来たんだ…賢者の石について」

ハリーが単刀直入に切り出すと、ハグリッドは眉をぎゅっと寄せて紅茶を注いだ。

「ハリー、何回も言っとるが。あんまり関わらんほうがいい。」

差し出されたホットの紅茶を四人は曖昧に頷きながらうけとった。

「でもひょっとしたらあの石が危ないかもしれないんだ。狙われている…」

「仮に狙われてるとしても、あの石は何人もの先生が守ってる。ダンブルドアをはじめ、マクゴナガル先生、フリットウィック先生。スプラウト先生にフーチ先生。それにクィレル先生とスネイプ先生だ。」

「スネイプが?!」

「クィレルが?!」

ハリーとサキの驚きの声にハグリッドが目をパチクリさせた。

あららと言いたげなロンが説明するように付け加えた。

「えーっと…ハリーとサキはちょっと二人を疑ってて…」

「疑ってる?」

「えーっと…つまり私たち、二人のうちのどちらかが石を盗もうとしてるんじゃないかと思ってるの。色々な状況証拠があって…」

「馬鹿な!盗もうとするならどうして守る必要がある?」

ハグリッドの言うことは最もだった。しかしサキもハリーもだからと言って疑いを簡単に拭えるほど単純じゃない。

サキは肩をすくめ、また一段階シャツをまくった。

ハリーは思い切ってセーターを脱いだ。

そしてロンは暖炉で火にくべられている例の黒い石を見て目をまん丸にした。

「すごいや、ハグリッド。どこで手に入れたんだ?」

ハグリッドはバツの悪そうな顔をした。昨日サキに指摘されてたぶん覚悟はできてたんだろう。昨日みたいにごまかす事はしなかった。

「ハグリッド、それであんな本を借りてたのね?!」

ハーマイオニーは非難がましい声を上げた。

しかしハグリッドの口がちょっぴり自慢げににやけるのをハリーはしっかり見ていた。

「これなんなの?」

サキの言葉にロンが自信ありげに答えた。

「ノルウェー・リッジバック種の卵さ!ドラゴンだよドラゴン」

「そーさ。貴重なもんだ。」

「どこで手に入れたの?ドラゴンの卵の取引なんて違法のはずよ」

興奮気味の二人を諌めるようにハーマイオニーが言う。ハグリッドはハーマイオニーの口調にちょっと控えめになりながらも心の底から湧き上がるわくわくを抑えきれないようだった。

「ああ、酒場で手に入れたんだ。妙な男でな、賭けに勝ったから貰ったんだ」

「なにそれ、怪しすぎるよ!」

ハリーとハーマイオニーの忠告もハグリッドには届いてないらしい。ロンとサキはしげしげと卵を眺めた。

「すごい…いつ孵るの?」

「あと一週間もありゃ孵るだろうな。そしたら…」

「まさか飼う気なの?ハグリッド、この家は木の家なのよ!」

ハーマイオニーが信じられないと言いたげに言うがなんのそのだ。

四人はハグリッドには何を言っても無駄だと判断し、話を切り上げて暑い小屋から退散した。

「孵って一週間も経てば僕ら、ドラゴンの餌だぜ」

ロンが呆れ気味に言った。

「ハグリッド…信じられない…なんとか説得しないとマズイことになるわ」

「はやくみたいなあ。ドラゴン」

サキの呑気な発言にハーマイオニーの咎めるような視線から隠れてハリーが同意したそうな顔で頷いた。

「とにかく、近々絶対に後悔するわ。ドラゴンって本当に危険なのよ」

「チャーリーが…二番目の兄なんだけど、ドラゴンの仕事をしてるんだ。成熟したドラゴンはすごいよ。君、たまげるぜ」

「間違いなくハグリッドの小屋には入らないね」

ハリーの冗談にサキとロンが笑うとハーマイオニーが溜息をついた。

「とにかくなんとかして、ハグリッドを説得しましょう…。絶対に助長させるようなことしちゃダメよ。特にサキ」

「わかったよ」

サキは肩を竦めた。

そうこうしているうちに日はくれて、夜出歩く生徒を血眼で探しているフィルチから逃げるように四人は解散した。




誤字報告ありがとうございます。助かります。


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11.ドラゴンの夜

ハーマイオニーからマルフォイとサキが喧嘩していると聞いて、ハリーは少なからず愉快な気持ちだった。

入学してすぐはサキがスリザリンに行ってしまってやや複雑だったが、違う寮でも汽車の時となんら変わらず話しかけて一緒に遊ぶサキが好きだったし、気楽そうでいて冒険心に溢れているところを尊敬していた。

だからそんなサキがマルフォイと教科書を並べて一緒に大鍋を混ぜてるのを見たときは嫌な気持ちになった。

汽車では怒ってたくせに。

はじめに友達になったのは僕だ。

マルフォイなんてお家自慢だけが取り柄じゃないか。

マルフォイとは何かとつけて争ってきて、一度も負けたとも勝ったとも思ったことはなかった。

しかしサキと一緒に薪を割ってる今はほんの少しだけ優越感を感じる。

「あと1日って昨日も言ってたけど本当かなあ」

サキが斧を振り上げるために杖をいちいち振るのにうんざりした様子で言った。

「さあね…そもそも僕には一週間前と今の卵の違いがわからないよ。一日中暖炉の前に座ってたらわかるのかもしれないけど」

かーんと乾いた音を立てて薪が割れた。サキがついっと杖を振る。

「もっと効率的なやり方があると思わない?」

「そうだね…ハーマイオニーのやってるところ見ておけばよかった」

「そーだね。あーあ、早く孵らないかなあ」

四人は二人組になってハグリッドの説得に取り掛かったが梨の礫で、結局済し崩し的に手伝いをすることになってしまった。

しかも卵が孵化しそうになってからは四人全員で授業が終わってハグリッドの小屋に行っていた。

今日もハリーたち三人は薬草学の授業が終わってすぐハグリッドの小屋へ行き、早く来て仕入れたブランデーの箱を積んでいるサキと合流した。

ロンとハーマイオニーは茹だるような小屋の中で燃えそうな家具に片っ端から防火呪文をかけていた。ロンは呪文に自信が全くなさそうだった。

ドラゴンは生まれてから30分ごとにバケツ一杯分のブランデーを混ぜた鶏の血を飲まなければいけない。

そのために鶏の世話もしなければいけないのだが、ハリーがやる餌に群がる鶏がどのくらい生き残るか考えるとちょっぴり憂鬱だ。

「ハリー、あのさ。賢者の石のことなんだけど…」

サキが珍しく賢者の石の話題をふってきた。サキはハロウィン以来この話題を意図的に避けていた。

「あれを狙ってるのはいったい誰なのかな」

「え…?この前散々話したじゃないか。スネイプ…か、クィレルだって。」

「あのあと考えたんだけど、スネイプ先生にもクィレル先生にも石を必要とする理由がないと思うんだ」

「黄金と、命の水。ううん、確かに…二人とも黄金が欲しそうな感じでもないし死にかけてもないね」

「でしょう。だから誰かが裏にいるのかもしれないって思ったんだ。」

「裏って…」

聞こうとした時、小屋からロンが転がるように出てきた。

「二人とも早く!そろそろだ!」

慌てた様子のロンに続いて大急ぎで小屋に入ると、暖炉にある卵に真っ赤なひび割れができていた。

コツンコツンと突くような音がして、黒板を引っ掻くような甲高い嫌な音がした。

すると爆ぜるように殻が割れて、中からくしゃくしゃの蝙蝠みたいな黒い羽つきの痩せっぽちのトカゲのような醜い生き物が出てきた。

オレンジ色の体をくんと伸ばして、勢いよく鼻から火を噴き出した。

サキがびくんと身を竦めるのがわかった。

「おお…!なんて美しいんだ」

ハグリッドが愛おしげに手を伸ばすとドラゴンはがぶっと噛みついた。

「ほれみろ!誰がママちゃんかちゃーんとわかっとる!」

ハグリッドの言葉にロンが"いかれてるぜ"と言わんばかりに苦笑いした。

ハーマイオニーがちりちり音を立てて焦げ付いたテーブルを横目に、怯えながらハグリッドに何か尋ねようとした時、ハグリッドは真っ青になって立ち上がっていた。

「今誰か窓のところにいた!」

ドラゴンがびっくりしてまた火を吹いたが幸いハーマイオニーが防火呪文をかけた戸棚だった。

「誰だったの?!」

「いーや、わかんねえ。背からして子供だったと思うが…」

ハーマイオニーの問いにハグリッドは力無く首を振った。四人は顔を見合わせる。

マズイことになったぞ…。

なんて言葉をかけるか迷ったまま、四人は日暮れとともにハグリッドに追い出されてしまった。

「なんとか飼うのをやめさせないと…学校に知らされたら大変だわ」

「それができたら今頃苦労してないよ」

ロンの皮肉にハーマイオニーがムっとしてドラゴンの危険性を説きながら歩いてる間ハリーはサキとの会話をすっかり忘れて、不安な気持ちで沈みゆく夕陽を見ていた。

 

次の週、マルフォイが不敵な笑みを浮かべてハリーたちを見てるのがわかった。

窓から見ていたのはマルフォイかも知れないという不安でハリーたちはいつもソワソワしていた。

マルフォイは同じようにサキもチラチラ見ていたが未だ話すきっかけはつかめてないらしい。サキはマルフォイには何も聞かれてないと言っていた。

どうやらサキとスリザリンの女子との溝は深まる一方で、サキは授業が終わるとすぐにハグリッドの小屋でドラゴンの世話を手伝っていた。

「ロンが散々言ってたけど、クレイジーだよ」

ハリーがドラゴンの堆肥で汚れたまま来ると、サキは灰まみれの髪の毛をばさばさと振りながら大量の空っぽのバケツを小屋から出していた。

「シンデレラだね」

ハリーの冗談にサキは照れ笑いとも愛想笑いとも取れない下手くそな笑みで答えた。

「ノーバート…あのドラゴンの名前だってさ。あの子もう飛ぼうとしてるのか翼をばたつかせるんだ。おかげで灰被りだよ。」

「ドラゴンが飛べるようになるのはいつ…?」

さあね、と言いたげにサキは肩をすくめた。

「とりあえず言えるのは、このままノーバートがここで大きくなったらあの子はこの小屋ごと飛んでくね。」

「笑えないや」

ハリーの渋面にサキはクスッと笑った。

ドラゴンは日に日に大きくなり、一週間経つと羽根つきの不気味なトカゲから小さいドラゴンへ変わっていった。

ハグリッドに愛おしげにノーバートと呼ばれて火を吹く姿は遠目に見れば牧歌的だが、近くで見ると捕食者対捕食者の牽制にも見えた。

ハグリッド曰くママちゃんの見分けがついているし、自分の名前もわかっているそうだがハリーにはそうは思えなかった。ハーマイオニーたちも同じ意見だ。

ノーバートがもう抱えられるほど大きくなった頃、世話当番のロンが指をズタボロに噛まれた状態でやってきた。

「あいつほんとうにいかれてる。僕が指をミンチにされかけてるのに、それは僕がノーバートを脅かしたせいだって言うんだ」

本当にどうにかしないと来週には誰かの手から指がなくなってしまいそうだった。

「そうだ、チャーリー!」

「君までおかしくなったの?僕の名前はロンだよ」

「ちがうよ!君のお兄さん、ドラゴンの仕事をしてるんだよね?」

「うん、そうだよ。…あ、なるほど!」

「専門家にならハグリッドだって安心して任せられるさ。それにハグリッドもそろそろ限界を感じてきてるようだし」

「僕早速手紙を書くよ!」

ロンはそそくさとフクロウ小屋に向かっていった。

ハグリッドもやっと説得に応じ、チャーリーに引き取ってもらう事に同意した。土曜の真夜中に天文台の上で引き渡す約束を取り付け、ハリーたちは一安心した。

ただし、肝心のロンが噛まれた指から大量の膿を出し、発熱して倒れてしまった。

やっぱり毒があったんだ…と以前危うく指を噛まれそうになったハーマイオニーはゾッとしていた。

授業が終わり、ハリーとハーマイオニーとサキの三人は医務室へお見舞いに行った。

マダム・ポンフリーは怪我の理由を深く聞くようなことはない。ただし面会については異常に厳しかった。高熱にうなされるロンの面会に許された時間はわずか5分だった。

「やっぱりあれはろくな生き物じゃないよ…」

力なく言うロンに三人で顔を見合わせた。

「土曜は僕たち3人で行くよ」

「土曜…ああ、そうだ!」

ロンが突然思い出したように大声を出した。マダム・ポンフリーがじろりとこっちをにらんだ気がしてハリーは慌ててロンに静かに!とジェスチャーを出した。

「僕…寝てる時にマルフォイが来たんだ!その時僕の本を借りたいとかで、勝手に本を持ってったんだよ。そこにチャーリーからの手紙を挟んだままだ!」

ロンは(器用なことに)押し殺した声で叫んだ。

やっぱり窓から覗いてたのはマルフォイで、しかも真夜中にドラゴンを運ぶことを知られてしまった。

ロンは申し訳なさそうに呻いた。

「ごめんよ…あの時は朦朧としてて止められなかったんだ」

「あなたが悪いんじゃないわ」

「うん。もしかしたらドラコは私をつけてたのかも…ごめん、みんな」

サキも申し訳なさそうに謝った。

「誰のせいでもない。それより当日どうするか一度考えないとね…」

残念ながらロンが回復する見込みはなかった。

何か提案する前にマダム・ポンフリーがせかせかとやって来てハリーたちを追い払った。

医務室から戻る廊下でサキが決心したように言った。

「ドラコは私が見張るよ。土曜日も何か変なことしないか監視する」

正直、助かる提案だった。他の寮のこと、ましてやスリザリンの中の様子なんてハリーたちに知りようがなかった。

「ノーバートとのお別れができないのは残念ね」

ハーマイオニーはほんのちょっぴり寂しげに言う。半分くらいは本音なのかもしれない。

「そうだね。まあでもノーバートに私たちと餌の区別がついてるとも思えないし」

サキはこともなげに言う。そういえばサキはノーバートが孵ってそこらじゅうに火を吹くようになってからはあまり小屋の中に入らなくなった。

「それにそろそろドラコとも仲直りしたいし」

「無理して仲直りする必要ないじゃないか。サキには僕たちがいるし」

「そうもいかないよ。まあハリーたちはドラコと仲悪いからしょうがないけど」

サキは力なく笑った。

「同じ寮に一人でも友達はいた方がいいわ。それに、マルフォイならパンジー・パーキンソンとかなんかよりマシよ」

「マルフォイがマシ?」

「ええ。あの子本当にひどいわ…ノーバートの方がよっぽどいい…」

「それ言えてる」

女の子の間でしかわからない最悪さというのがあるんだろうか?パンジー・パーキンソンの意地の悪さは魔法薬学の時に垣間見る程度なのでどうしてもマルフォイの方が最悪だとしか思えなかった。

 

サキはハラハラしながら土曜の夜を迎えた。

昼間はずっと落ち着かず、ハグリッドの小屋と図書室と湖をうろうろと三周してしまった。

途中慌てふためいたネビル・ロングボトムと鉢合わせて、彼を湖に落としてしまった。

陳謝してネビルの服を乾かしてると、ドラコが今夜ハリーを捕まえると豪語しているとサキに教えてくれた。

やっぱりと思いながらネビルをなだめ、塔まで送ってやった。

ドラコを止めるのがサキの役割だが、かれこれ一ヶ月以上口もきいてないドラコに向き合うのはサキにとってはなかなか困難なことだった。

孤児院ではトラブルの種はすぐに発覚しどんなに小さなものでも罰に結びついたのでそもそも喧嘩が起きなかった。

今こうしてホグワーツで過ごしてから考えると、非常に子どもらしくない子どもたちだったと思う。

そういうわけで、時計の針が11時を指した。

天文塔にチャーリーが来るまで残り一時間。

サキは談話室の隅で本を読むふりをしながら、いつまでも暖炉の横から動かないドラコを見ていた。

クラッブとゴイルはうとうとして時折体勢を崩して暖炉に突っ込みそうになっていた。

ドラコが忌々しげに二人の尻を叩いてベッドに行かせた。

談話室にはもうドラコとサキしか残っていない。

ドラコは立ち上がり、コートを羽織った。追いかけるようにサキが立ち上がるとドラコはキッとサキを睨んだ。

「サキも行くのかい?」

「い…行かないよ。ドラコ、夜間外出はダメなんでしょ」

「君の口からそんなこと聞けるとはね!」

ドラコはスタスタと出口まで行ってしまう。サキは慌ててドラコを追い抜き、両手を広げて出口を塞ぐ。

「どけよ、サキ」

「行かせない」

「どうしてあいつらの肩を持つんだ?」

「私も共犯だからね。ドラゴンにはルーマニアでのびのび育って欲しいし」

「呆れるね!君がグリフィンドールに肩入れしてるなんて。誇り高きスリザリン失格だ。」

「寮なんてどうでもいいんだ」

興奮で青白い顔がほんのり紅潮しているドラコに、サキが静かに言った。

「私は友達を自分で選べる。ドラコもハリーも大切で、寮なんて関係無い。それだけ」

サキの言葉にドラコは呻きそうになった。しかしここまで来たらもう意地だった。

ドラコは杖を抜き、サキの足元めがけて魔法をかけた。

「グリセオ!」

サキが対応する間もなく、足元の床が突如ツルツルになりサキは無様にすっ転んだ。

「ふぐうううっ…!」

尾てい骨を強打し痛みで周りに星がまった。その隙にドラコがぴょんとサキを飛び越して慌てて出口から出て行った。

「待てー!」

サキは慌てて立ち上がりよろめきながらドラコのコートの端を必死に追いかけた。

「ロコモーター・モルティス!」

サキはとっさに足縛りの呪いをかけた。しかしドラコには当たらず閃光はその先の石壁にあたって消えた。

「まって!ドラコ!大声出すぞ!!」

サキの脅しに屈することなくドラコは一直線に天文塔へ向かって登っていく。

螺旋階段に差し掛かると、ほとんど一階上にいるドラコが見えた。

サキはやけっぱちで自分自身に浮遊呪文をかけた。

慌ててたせいか呪文をかけ損なった。

身体は一気に上昇し、あっという間にドラコを追い抜き、10メートルほどのところでぴたっと一回止まって

「やば…い!」

そのまま一気に急降下した。

ドラコの唖然とした表情が落ちる最中でもわかった。そしてドラコは必死にサキをつかもうと手を伸ばしたが、その努力もむなしく爪先をかすってサキは落ちた。

こんな形で死ぬなんて…。

そう頭の片隅で思い浮かべた瞬間、突然体が無重力になった気がしてはっと自分の体を確認した。

地面に落ちる直前で体が浮いている。

いったい何が?と混乱していると、階段の入り口から咳払いが聞こえた。

「貴方たちはこんな夜中に何をしているんです?」

寝巻きに上着を羽織り、ランプのように怒りにめらめら燃えているマクゴナガル先生だった。

 



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12.闇に蠢く

着地したサキは大慌てでマクゴナガルに駆け寄って言い訳を始めた。

「違うんです!これは…寮から逃げる私をドラコが追いかけたんです!彼は私を連れ戻そうとして…」

身振り手振りを交え有無を言わさぬ口調ででっち上げの逃走劇を語るサキ。活弁士のように流れる嘘八百に階段から駆け下りてきたドラコは口を挟む余地もない。

マクゴナガルはへの字に曲げた眉を動かすことなく、サキのでまかせを遮った。

「私にはシンガーがマルフォイを追いかけていたようにも見えましたが?」

「あ、それは…ですね。うーん。」

マクゴナガルもサキの放浪癖と寮での浮き具合は知っていたのだろう。あまり追求することなく、えへんと咳払いをして告げた。

「とにかく、どんな事情があっても夜間に出歩くのは許されていません。ミスター・マルフォイは20点減点です。…ミス・シンガー。貴方は50点です」

「んァッ?!!?」

サキは悲鳴をあげた。これにはドラコも思わず聞き返した。

「50点?!」

「ええ、そうです。二人合わせて70点の減点です。…スネイプ先生にも報告しますよ。さあいらっしゃい」

「ま、まってください!なんでサキだけ50点も?!」

「シンガーの夜間外出癖は以前から報告を受けていました。スネイプ先生からの再三の忠告にも関わらず出歩いていたのは残念でなりません」

マクゴナガルの有無も言わさぬ口調にサキはしょんぼりとうな垂れた。

ドラコもぐうの音も出ない。

サキは月明かりのさす廊下からふと空を見上げた。天文台には今頃ノーバートとハリーたちがいるはずだ。これならきっと無事に受け渡せるだろう。

サキは心の中でノーバートにさよならと呟いた。

スネイプは深夜にもかかわらずマクゴナガルがノックして数秒で扉を開けた。

サキとドラコを見るとキュッと眉根を寄せてマクゴナガル先生から事情を聞いた。

その間二人はしょんぼりうな垂れたままだった。

「ついに御用というわけだなサキ。ドラコ、君も巻き込まれて散々だったかもしれんが罰は罰だ」

「あの…どうしても減点ですか?」

「左様」

懇願しても全くもって無駄だとはっきりわかる口調でスネイプはばっさり言い捨てた。

「処罰は追って知らせる。我輩が寮まで送り届けよう。マクゴナガル先生には深夜にご迷惑をおかけしましたな」

「いいえなんてことありませんよ。けれども今後夜の廊下で鬼ごっこしようなんて思わないで欲しいものですね」

「全くもっておっしゃる通り」

ドラコは下唇を噛んでチラッとサキを見た。サキは悔しそうに口をへの字に曲げている。

元はと言えば自分がサキを振り切って逃げたからだ。

しかもマクゴナガルがいなかったらサキは下手したら死んでいたかもしれない。

マクゴナガル先生がキビキビと階段を上っていくのを見送ってからスネイプは二人を寮の入り口まで連れて行った。

「ドラコ、全くもって軽率だ…。次サキが抜け出すのを見たらまず我輩に知らせること。サキ、次は例え我輩でもスリザリンから減点せざるを得ないぞ」

「別に私はスリザリンが何点引かれようが構いません…」

サキが悔し紛れにそう言うと呆れた顔でスネイプが石壁を触った。寮の入り口が現れると二人の背中を押した。

「サキ、君の減点が寮生活にどう響くかを考えたまえ。もっと賢く立ち回るのだ」

サキは何も言い返さなかった。暗くて表情はわからなかったが、壁が閉じるまでサキはそこから動かなかった。

ドラコがいい加減談話室に戻ろうかと思った時、サキがポツリと言った。

「…ごめんね、ドラコ。」

「いや…僕の方こそ。大丈夫だったか?えーっと……ぶつけたところ」

「ああ、うん。座れないほどじゃないよ。そうじゃなくて、巻き込んで」

「いいさ。結局時間になってもポッター達はこなかったようだし」

ドラコの渋面にサキは危うく透明マントのことを言いそうになったがきゅっと口を閉じた。

「でもありがとう。結局言わないでいてくれたね。」

「あ、あそこでそんなこと言ったら変に疑われると思っただけだ。別にあいつらを庇ったわけじゃない」

「そう?でも結果的に言わないでいてくれた」

サキはやっと緊張を緩めてやっと微笑んだ。

「君、実はいい人だよね」

「実は?」

 

次の日の朝食の席で、あのあとハリーとハーマイオニーがサキの努力の及ばないところで捕まったときいた。

「君たち……」

「ごめん……」

グリフィンドールは一気に100点を失い、スリザリンも一気に70点を失った。得点でリードしていた両寮が一気に減点されたことで今年の寮対抗杯は全く先が見えないものになった。

当然、一晩で70点を失ったスリザリン生からは風当たりが強かった。ドラコは20点しか失ってない(それでも相当やばいが)のに共犯扱いでチクチク嫌味を言われてしまい、サキは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

当のサキはそんなの慣れっこで特に気にしていなかったが、ますます寮に居にくいのにまた夜間外出で捕まれば下手したら退学という二律背反に悩まされていた。

ハリーとハーマイオニーは試験勉強に没頭することで周りからの嫌味を耐えていた。回復したロンと一緒に呪文を小声で暗誦したり年号をつぶやいたりしている。

ドラコとサキも見習って、3人からちょっと離れたテーブルで黙々と教科書を読んでいた。

5人とも憂鬱な顔をしている。

今朝サキとドラコの元にスネイプがやってきて罰則が今夜、禁じられた森の中で行われることを告げたのだ。

ハリーたちにも通達されているはずだろう。

夜の森にはちょっぴり近づいたことがあるが得体の知れない動物の声や木々のざわめきが怖くてすぐに引き返した。夜の建物の数倍命の危険を感じる場所だ。

「はああ…」

ため息をついたらたまたま通りかかった司書のピンスがキッとサキを睨みつけた。サキは慌てて口をキュッと閉じて背筋を伸ばして教科書を読むふりをした。

「僕だってため息つきたい気分さ」

ピンスが通り過ぎると、ドラコがひそひそ声で話しかけた。

「だってそうだろ?夜の森なんて…生徒がやるべきじゃない」

「ね。死んだら超困る」

「死ぬことは無いだろ……流石に」

ドラコはそうは言うものの酷く不安そうだった。

結局ドラコは緊張であまりご飯を食べられず、サキは最後の晩餐のつもりでたらふく食べた。

時間が近づいたので寮を出ると、スネイプ先生が暗闇に紛れて立っていた。

「ハグリッドの小屋まで我輩が引率する」

相変わらず不機嫌そうな顔をしている。眉根を見る限り、今日は本当に不機嫌だ。

ドラコとサキはとぼとぼとスネイプの後ろをついて行った。

無言で歩くのもつまらないのでサキは試しに話しかけてみた。

「スネイプ先生。試験って筆記だけですか?」

「ほとんどの教科で実技も含まれる」

「へえー。魔法薬学もですか?何作るんですか?」

「それは教えられん。せいぜい今まで作った薬の製法を復習することだな」

「はあーい」

「あの、先生。禁じられた森はそんなに危険なんですか?人狼やトロールがいるって本当ですか」

「人狼は魔法省で把握され管理されているもの以外にも多々いるだろう。しかし我輩なら禁じられた森で隠れて生きようとは思わん。命が惜しいならば」

ドラコが不安からか不意に尋ねたが、スネイプはことも無げに答える。ドラコはぞっとして黙り込んでしまう。

「いいか、ハグリッドから離れるな。木偶でも居ないよりはマシだろう。夜の森は何が起きてもおかしくない。決して油断するな」

「……」

スネイプの脅しとも本気とも取れる発言にサキも悩むように黙った。

散々注意され脅されたにもかかわらずサキは夜間外出を繰り返していたわけだが本当に危険なものには近づかないという直感と本能があった。その本能が今森に行くのを躊躇ってる。

余計憂鬱になったが、外に出てハグリッドの小屋に着くとほんの少し落ち着いた。

ハグリッドはめらめら燃える松明を持ってファングを撫でていた。傍には弩が置いてある。

「おう、スネイプ先生。夜遅くにご苦労さんで」

「…ハグリッド。グリフィンドールの二人は?」

「そろそろフィルチが連れてくるはずなんだが…ああ、あれじゃねえか?」

ハグリッドは遠くから近づいてくるほのかなランプの明かりを指差していった。

「それでは…くれぐれも我が寮の生徒に怪我をさせないように頼む」

「どの寮の生徒も怪我させるつもりはねえ!」

どうだかね。と肩をすくめてスネイプはハリーたちが着く前にそそくさと退散していってしまった。

入れ替わりでフィルチとハリー、ハーマイオニーがやって来た。フィルチは意地悪そうな顔をしているしハリーたちは憂鬱そうだ。

どうやらこっちも脅されていたらしい。

「さて、アーガスどうもありがとう。お前たち、今日は友達としてじゃなく森番として忠告するが、夜の森は本当に危険だ。俺とファングと居れば森の奴らは襲ってはこんが…」

ハグリッドは弩を担ぎ、ランプをハリー、サキに手渡した。

「ここのところ、ユニコーンが傷つけられちょる。今日のおめえさんたちの仕事は、傷ついたユニコーンを見つけて俺に報告することだ」

「ユニコーンを傷つける?誰がそんな」

ドラコが驚いたようだった。

「わからん。だがそういう邪悪なもんが森の中にいるって事だ」

ハリーとサキはユニコーンが傷つける事の意味をいまいち理解できていない。ハーマイオニーとドラコだけが戦慄していた。

「じゃあまずは同じ寮のもん同士で組んでまわろうか。15分して再集合だ。」

サキはドラコと顔を見合わせた。二手に分かれるのでハグリッドの取り合いになるかと思ったが、意外にもハリーとハーマイオニーはファングを選んだ。

秘密の話でもあるんだろう。スネイプの忠告もあったのでサキとドラコは有難くハグリッドと一緒に森を回った。

ユニコーンの生々しい血の跡と夜の森の不気味さからか、ドラコは毒を吐くことなく渋々ながらもハグリッドとサキの会話に混ざっていた。

「そういえば…どうしてユニコーンを傷つけるのが邪悪なものなの?魔法生物とはいえ弱肉強食じゃないの?」

「ユニコーンの血は束の間の命を与えるんだ。そのユニコーンを自分のためだけに殺すのは罪なことなんだ」

ドラコの答えに補足するようにハグリッドが付け足す。

「その通りだ。しかもユニコーンを捕まえるのは簡単なことじゃない。強力な魔力を持ってねえとできないことだ」

遠くで蹄の音が聞こえた。思わず二人は身構えたがハグリッドはあまり気にした様子はない。

「そろそろ合流するか。血の跡が薄れてる。こっちにはいなさそうだ」

ゴツゴツした根を踏みしめ、湿った土に足跡をつけながら三人は元来た道を戻った。

夜目のいいサキでも来た道がわからないほど暗くて木々と下草が生い茂っている。迷うことなく進むハグリッドはさすがだ。

二手に分かれたところには松明が刺さっていたが、ハリーとハーマイオニーは戻ってなかった。

「なんかあったかもしれん」

ハグリッドは二人の入った道をずんずん進んでいく。サキとドラコも待ってるわけにいかず後を追った。

木々の隙間からランプの明かりが見えた。

ゆらゆら揺れて近づいてくる二人と、後ろに大きな影があった。馬くらいある大きな体。

いや、馬だ。しかし腰から上にあるのは人間の体だ。

馬に乗った人かと思ったがどう見ても馬と人間が一体化している。

「ケンタウルスだ…」

ドラコが呟いた。

「ああ!なんだ、お前さんかロナン…」

「こんばんは、ハグリッド。」

「ハグリッド!」

ハリーとハーマイオニーは安心した様子でハグリッドの方へ駆け寄った。

「僕ら道に迷いかけてたんだ。たった今この人に出くわして…」

「ははあ、運がいいなお前さんたちは。ロナン、すまんな。」

「通りすがっただけですけれどもね。何しろ今夜は火星がとても明るくて、その上霧が濃い」

「ああそうだな。ところで森の中で変なものを見なかったか?」

「見たことのない霧だ」

「ああ、この季節にしては濃いな。そんで、その霧の中になにかいつもと違うなんか、なかったか?」

「闇と霧は相性がいい。か弱い生き物には辛い時代だ」

「ああ…そうだな。血を流したユニコーンを見なかったか?」

「森は全てを隠す。闇と霧もだ。星は全てを見通せるわけではない」

ハグリッドはこれ以上話しても答えを得ることはできないと悟ったらしい。会話の成り立たなさに困惑している四人にちらっと目配せすると弓を担ぎ直した。

「そんじゃあ、ロナン。もしなんかあったら俺に知らせてくれると助かる。…よっし、行こう」

ハグリッドは四人を引き連れそそくさと元来た道を戻った。

「ケンタウルスなんて初めて見た。」

「私も…すごく驚いたわ」

ハリーとドラコも何も言わなかったがおそらく見るのは初めてだろう。

「あいつらはここに住んどるからな。恐ろしく賢い連中だがどうも話が通じん…」

松明のある分かれ道へ戻り、ハグリッドはちょっと悩んで組みを分けた。

「ハリーとサキ、ハーマイオニーとマルフォイで行こう。」

ドラコはギョッとした顔をし、ハーマイオニーはまるで答えられない問題に出くわした時のような顔をした。

ハリーは相性の悪い二人だな…と感じつつも自分とマルフォイが組んでも相性最悪なので特に文句は言えなかった。ただしいくらマルフォイとは言えハーマイオニーの身が心配だった。

「じゃあ僕らはファングと行こう」

「いいよ。おいでファング」

サキも特に思うところはないらしくファングに飛びつかれながら笑っていた。ハグリッドの小屋通いをしているうちにファングを手懐けていたようだ。

「…サキ、用心しろよ。」

「ドラコも喧嘩しちゃダメだよ」

ドラコとハーマイオニーは苦笑いしてお互いそっぽを向きながらハグリッドの後へついていき消えてしまった。

「行こうか」

「うん。次は迷わないようにしないと」

「パン屑でも落として行こうか?」

「はは…ケンタウルスが拾い食いしなければいいけど」

ハリーが明かりを持ちサキがファングのリードを引いて森の中を行く。ロナンは火星が明るいと言ってたが、天高く伸びる木々のせいで足元は真っ暗で1メートル先すらよく見えなかった。そんな暗闇の中でも血痕を捉えられたのは、ユニコーンの血がキラキラと銀色に輝いていたからだ。

恐らく血が流れて間もないのだろう。合流地点の血痕は乾いて灰色になっていた。

こんな輝きをその身に宿すユニコーンは嘸かし美しいのだろう。それを傷つけて血をすするなんて確かに残酷なことだ。しかし生きるために殺すことは間違っているのだろうか?

サキは考える。

サキには罪なきものを殺す事の罪を実感できなかった。

けれども命がどれだけ脆くて不安定かは知っていた。

生き物はいずれ死ぬ。

いつかわからないだけで必ず。

サキは、ついさっきまで食卓の準備をしていたはずの13人の炭化した遺体を見て記憶よりも思考に刻みつけていた。

死ぬべき時に死ねないものは惨めだ。

火に巻かれたなら火に焼かれて死ねばいいのに、13人は焼かれながら呼吸困難で死んだ。

苦しみを想像すると胸が張り裂けそうだった。鏡であの炎を見て以来、サキは肉が食べられなかった。

記憶は抜かれたはずなのに、別の視点から見たその光景がサキを刺激するのだ。

「サキ…大丈夫?」

無言のサキを気遣うようにハリーが声をかけた。

いくら森が不気味でも、こっくり黙り込んでちゃハリーが不安になってしまう。

「ごめん。怖くってさ」

サキはハッとしてごまかした。ハリーは様子のおかしいサキの言い訳に納得しかねたが今ここで理由を問いただしてもしょうがないと思ったので、そのまま空いてる左手でサキの手を握った。

「大丈夫だよ。ファングもいるし花火を打ち上げればすぐハグリッドがくる」

ハリーも少し怖かった。

蹄の他に衣擦れのような木枯らしのような木々と何かが擦れる音がさっきから聞こえてくるのだ。

サキが気づいてるかわからなかったが、それが徐々に、ユニコーンの血を辿ればたどるほどに近付いている気がしてならなかった。

「…ありがと」

「ううん…。そうだ、サキ。もしかしたらクィレルがついに折れたかもしれない」

「え?どうして…」

「泣き言を言ってるのを見たんだ。もう断りきれないって感じでしぶしぶ了解してた」

「誰かに命令されてたの?」

「正直…姿は見えなかった」

けれどもスネイプに違いないとハリーは心の中で付け加える。サキもそれがわかったのでちょっと間を置いた。

「クィレル先生が君に気づいて芝居をしてた可能性は?」

「それはないと思う。僕が通りかかったのは本当にたまたまで、会話の最後をちょっと聞いてから教室を覗いたんだ。」

「それはいつ?」

「木曜日の放課後だよ」

「放課後か…なんとも絞り込めないね」

サキはあくまでもスネイプではないと考えている。どうしてそんなにスネイプを信じるのか、憎しみでバイアスのかかったハリーにはわからなかった。

「クィレル先生が折れたとして、賢者の石を求める理由についてだけど、背後にいる第三者っていうのは…」

サキはそこでハッと息を呑んだ。また重要な話で邪魔が入ったと思い、サキの見つめる方を見た。

そこはすこし開けた場所で、大岩がまるで石板のように地面に埋まっていた。

そこにまるで生贄のように何かが横たわっている。

銀色に光るたてがみと白くて繊細な毛並みが月明かりを反射して星くずのように輝いていた。

光を失った虚ろな瞳だけが深い闇を映している。

しなやかな四肢が力無く投げ出され、胴からは命が流れ出したかのように銀色の血が流れている。

 

ユニコーンだ。

今まさに死んだんだ。

 

ハリーもその光景に思わず言葉を失った。

その凄惨な光景は美しいとすら思うほどだった。

サキはそれから目を離せなかった。

そして、そのユニコーンの背後に広がる闇からじわりと滲むように黒いマントの影が現れた。



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13.盗人は誰?

真っ白な紙の上に垂らしたインクの染みみたいだ。

と、ハリーはその異常な光景をどこか冷静に捉えていた。しかしその真っ黒な影が人の形を成し、足元に転がる死骸に唇をつけた瞬間に傷跡に鋭い痛みが走った。

あまりの痛みに悲鳴をあげて傷跡を抑える。まるで熱を持って暴れ出したみたいだ。

サキはランプを取り落とし激痛に体を捩るハリーを見て我に返り、ハリーの前に一歩出てとっさに杖を構えた。

しかしファングのリードを離してしまい、ファングはけたたましい鳴き声を上げて逃げてしまう。

「クソ!」

両者の間に広がる緊張。その後ユニコーンの血を啜る生々しい音だけがハリーの耳に響いた。

ずる、ずる、と僅かに粘性のある銀色の血を、真っ赤に裂けた口が啜り上げ、その境界は錆の色へ。

グロテスクな光景と音に遅れて、むわっと獣のような生臭いような腐敗臭のような形容しがたい臭いが漂ってくる。

視覚、痛覚、聴覚、嗅覚。そしてせり上がった胃液で感じる味覚。

痛烈な五感に意識が裂かれるような気がした。

随分長い間に思えたが、一瞬のことだったらしい。

ぐらぐらと揺れる視界の中で、その黒い影がぬうっと此方をむくのがわかった。それとほとんど同時に、サキが杖を振り上げ空中に赤い花火を打った。

樹々の間を縫って花火の明かりが真っ暗なマントを照らす。より濃くなった影に中でそれがぬら、と動いた。

杖腕を上にあげたせいで、サキの反応は一歩遅れをとった。

ずるりと伸びた腕がその腕をそのまま掴む。

ハリーの真上でサキがその黒い影の中身を見て口を大きく開けた。

絶叫が発される刹那、草陰から乱入者が現れた。

蹄の音がサキの悲鳴を打ち消し、黒い影を蹴ろうと振り上がる。

黒い影はマントを翻し、獣のような叫びをあげて走り去った。

それが遠ざかるにつれ額に走る痛みも薄らいでいき、ハリーはようやくまともに息ができた。

不気味な衣擦れの音がいやに頭に残った。

サキは地面に座り込み、突然現れたケンタウルスに何も言えないまま呆然と黒い影の消えていった木陰を見ていた。

「無事ですか?」

上から優しげな低い声が聞こえてきた。

「あ、ありがとうございます。」

ハリーは差し出された手に掴まって立ち上がった。さっきのロナンとは違うケンタウルスだ。若くて、金茶色の毛並みがキラキラ明るく光ってる。サキもぼうっとしながらもなんとか手を掴み立ち上がる。

「大丈夫?サキ」

「…うん、なんとか…でもお尻打った…」

「何を見たの?」

サキはハリーの問いかけに答えなかった。ただ青い顔をしてぶるぶると首を横に振った。

「君は、ポッター家の子だね?そっちの女の子は……」

ケンタウルスはサキをじっと見てから一呼吸置いた。

「何者だ?」

「サキ・シンガー」

どこか嫌悪を感じる口調で、ケンタウルスは射竦めるようにサキを見た。当の本人は気にせず、というかまだショックから立ち直ってない様子で答える。

「そうか…シンガー。そしてポッター。私の名はフィレンツェだ。森は危険だからハグリッドのところまで送り届けよう。」

フィレンツェは優しい瞳に戻ってサキとハリーを見た。二人の様子を見ると自分の背中に乗るように手を差し伸べた。

サキがまだ力なさげなので、ハリーは後ろから支えるようにケンタウルスのたてがみにつかまった。

ハリーは馬に乗ったことはないけど、背中の感触は筋肉質でごつごつしていて、きっと馬のそれだ。

「さっきのはなんだったの…?」

ハリーが恐る恐る尋ねるが、フィレンツェは黙々と木々の隙間を縫って進む。

突然、森の奥深くから蹄の音が聞こえた。ハリーがその方向に視線をやったのとほとんど同時に、ロナンともう1人のケンタウルスが茂みから現れた。

「フィレンツェ!」

真っ黒な毛並みのケンタウルスが咎めるようにフィレンツェに詰め寄った。汗と獣の匂いがムッと近づく。

「何をしているのです?人間を乗せるなんて…君はロバになったつもりか」

「ベイン、この子はポッター家の子ですよ。もう一人は…読めない子です」

「…なに?」

ベインもまたフィレンツェのようにサキとハリーをジロリと射すくめた。視線が二人の全身をくまなく探ると、フィレンツェに視線を戻し強い口調のまま責め立てた。

「だとして、我々ケンタウルスの誓いを忘れたのか?」

「ベイン、あのユニコーンを見なかったのですか?あの邪悪なものが何か君が読み取れていたなら若い命を救おうと動くのも不思議ではないはずですが」

ロナンは黙ってそれを見ていたがフィレンツェの言葉にベインが激昂しかけた時、やっと制するように二人の間に割って入った。

「フィレンツェ、君の言いたいことはわかりました。早く子どもたちをハグリッドの元へ連れて行きなさい。君がそれ以上ケンタウルスの誇りを失わないうちに」

ロナンがそう言い終わると、フィレンツェはさっと向きを変えて木立の中へ進んだ。フィレンツェはあまりおしゃべりではないようだったが、ようやく見覚えのあるひときわ傾いだ大木が見えてきたころ口を開いた。

「ハリー・ポッターにサキ・シンガー。ユニコーンの血が狙われる理由がわかりますか?」

「延命、ですよね」

呆然としていたはずのサキが呟くように言った。

「その通りです。ですがその代償にその血を啜ったものの生は呪われ、不完全な命を生きることになります。」

「呪われちゃうの…?」

「そう、永遠にです。…それでもなお命にしがみつく必要があるものが今この森にいるのです」

ハリーはちょっと考えた。呪われても生にしがみつくもの。

命を永らえさせる血。

「賢者の石を…それが狙ってる?」

フィレンツェは黙って頷く。

呪われてまで生きようとする、死にかけた何か。それは…

「今見たのは…ヴォ………」

「ハリー!サキ!無事か!」

来た方向からファングの鳴き声とハグリッドの呼びかけが聞こえた。

「ああ!なんちゅうこった」

ケンタウルスの背に乗せられた2人を見てハグリッドがほとんど転びながら駆け寄ってきた。ハーマイオニーとドラコも慌てて追いかけてくる。

「ぼくらは大丈夫だよ」

「ハグリッド、この奥でユニコーンが死んでる。まっすぐ行ったところです。すぐわかるでしょう」

ハリーとサキはするするとフィレンツェの背中から滑り降り、ユニコーンを確認しに行くハグリッドを見送った。

「さて。ここまで来れば安全でしょう。二人とも、幸運を祈りますよ。惑星にも見通せないものはごく稀にありますから。」

暗い木立の中に消えていくフィレンツェを見送って、四人はやっと一息ついた。

「サキ、大丈夫か?様子が変だぞ」

ドラコの言葉にサキはうーんと唸り、自分の見たものをなんとか説明しようとしていた。

「ねえ、何があったの?何か見たの?」

ハーマイオニーの質問にハリーが代わりに答えた。ドラコもいるが今見たものをなるべく記憶が鮮明なうちに全て伝えておきたかった。

それがヴォルデモートであるという確信は口には出さなかったが、ユニコーンとその血を啜る者の末路を話した。

「そんな!腕を掴まれたって?!なんともないのか?」

ドラコがちょっとしたパニックになったみたいにサキの右手を掴んだ。

「あー、大丈夫。大丈夫。…私が見たのは真っ赤に裂けた口の中。すっごい生臭くって体の底が腐ってるみたいだったよ……」

サキはげっそりした顔で答える。

「ありゃ確かに呪われてるね。…顔はわかんなかった。ごめんよハリー」

「そんな、僕こそあのときうずくまっちゃって」

「ポッター、お前サキに守られたのか。」

ドラコが嘲りと怒りの混じった声で詰った。事実なのでハリーは何も言えない。

「違うよ。ケンタウルスが私たちを助けたんだ。あのままだと2人とも死んでた」

サキはきっぱりといった。そして黒い影に掴まれた右腕をぎゅっと押さえた。

「あの影は…」

ハリーが言いかけた時、ハーマイオニーが止めるように口を挟んだ。

「今日は、もう休んだほうがいいわ。気付いてないかもしれないけどサキ、足が震えてる」

タイミングよくハグリッドが帰ってきて、なあなあになって四人はそれぞれの寮へ帰された。

サキは医務室行きを頑なに拒否し、ドラコに支えられながら階段を降りていった。

「本当にそいつに何もされなかったのか?」

暗い地下の廊下の灯りにドラコのプラチナブロンドが照らされている。いい毛並みだ。ケンタウルスも毛並みの良し悪しがあったなとサキはぼんやり思った。

「何もされなかったよ。ただ…怖かった」

「怖い?」

「うん。思うにあれは…死にかけだね。怖かったよとにかく」

珍しく弱気なサキに心配そうにドラコは寄り添った。いつも生き生きしてるくせに、今は階段を転げ落ちて死にそうだ。

力なくおやすみを告げてベッドに向かうころにはドラコもどっと疲れて何を考えるでもなくそのまま倒れこんだ。

 

その後ドラコが尋ねてもハリーが尋ねても、サキはあの夜見たものについて何も答えなかった。

しかも試験がもう目前に迫り、全員賢者の石や禁じられた森について考える余裕を失い勉強に集中した。

試験期間中はハーマイオニーはもはや錯乱の域に達し、朝食時に誰彼構わず問題を出すように強要していた。

ロンとハリーと目が合うと困った顔をさせられた。

しかしドラコも似たようなもので、自分の思い出せない年号があるとサキに正解を教えるように強要してきた。サキにとっては問題を出されるより答えを求められる方が困りものだった。

魔法史の試験が終わり、サキは晴れ晴れとした気分でずっとほったらかしにしていたチェスの駒製作を再開しようと木をもらいにハグリッドの小屋に向かった。

あの夜以来、サキの脳裏にはあの真っ赤な口内がこびりついていたが火事の記憶とごちゃごちゃになって時折夢に出てきた。

しかし悪夢には慣れっこだった。

ハグリッドの小屋へ続く坂道を下ってると、ハリーが真剣な顔で小屋からずんずん歩いてくるのが見えた。

ロンとハーマイオニーはそれを慌てて追いかけていた。

「なに?どうしたの」

「ああ、ちょっと。…サキ、ちょうどよかった」

ハリーが立ち止まって話すのすら時間が惜しいと言いたげに足を止めず歩きながら手短にいった。

「石を盗もうとしてるやつが、フラッフィーの破り方を突き止めた」

「へ?」

サキは事情が飲み込めないらしい。

ハリーは一から説明するのも面倒くさかった。このままだと賢者の石が盗まれてしまう!すぐダンブルドアに知らせなくてはいけないというのに。

「さっきハグリッドから聞いたの。ドラゴンの卵をくれた人にフラッフィーの破り方を話してしまったって。でもドラゴンの卵を飲み屋に持ってくる人なんてまずいないでしょう?だから」

「ハグリッドがみすみす罠にかかったってことか」

「そういうこと」

「おかしいと思ったんだよ。ドラゴンの卵だぜ」

ロンが付け加えるようにボヤく。道理で急いでいるわけだとサキは合点がいった。

賢者の石を盗もうとしているのが本当にヴォルデモートならばあの廊下にはもう近づきたくないし近づくべきではない。

手下がクィレルでも、スネイプでも。

サキは悩んだが結局ハリーたちについて行き、職員室のマクゴナガルを訪ねた。しかしダンブルドアは現在不在で少なくとも明日の朝までは帰らないと言う。

「そんな!どうしても急いでお伝えしないといけないことがあるんです。どうにかなりませんか?」

「それならば私が聞きますよ、ポッター。」

マクゴナガルは確かにとても強いがその分厳格だ。仕方なく賢者の石の名前を出したが結局「石は守られている」と追い返されてしまった。

「ダンブルドアが今夜いないって事は…スネイプは今夜石を盗みに来るかもしれない」

「待って、スネイプとは限らないってば」

サキの言葉に焦りで意固地になったハリーが怒って言い返した。

「どうしてそんなにあいつの肩を持つんだ?!一番怪しいのはあいつじゃないか!」

「ハリーは今意地になってるよ!よく考えてごらんよ。ヴォルデモートが石を狙ってる黒幕ならこの前クィレルを脅したのはスネイプじゃなくてヴォルデモートかもしれない!犯人を決めつけて動いちゃダメだ」

「その名前を言わないで!」

ヴォルデモートという言葉にロンがいちいち反応する。それにすらうんざりだという視線をやってハリーは怒鳴った。

「じゃあどうしろって言うんだ?」

「犯人が誰だって関係ないでしょ。問題は石がとられるか、とられないかだ」

「ヴォルデモートが黒幕なら防衛策なんて簡単に突破されちゃうよ」

「わかってるよ。けどいくら警告しても多分無駄だ。誰も信じちゃくれない。」

サキはポケットからくしゃくしゃのシールを取り出した。

「これ、盗み見防止用の封筒にはるシールなんだ。宛先人以外が開けると中の手紙が燃える、簡単な魔法だけど」

サキはそれを半分に割いてハリーに手渡した。

「欠陥品でね…誰が開けても燃えちゃうし、これが燃えると貼ってない残りも燃えちゃうんだ。」

「これを立ち入り禁止の廊下に貼るの?」

「実はもう貼ってある」

ハーマイオニーがハリーからそれを受け取り、しげしげと眺めた。サキは肯定する。

「ゾンコの商品?初めて見たけど」

「あー、私が作った」

サキはゾンコが何かわからなかったが、ロンはビックリしたようだった。

「わかった、じゃあこれが燃えたら僕は躊躇いなくあの廊下に行くからね」

ハリーは渋々ながら了解した。しかし他に安全な手はない。変に探りを入れてスネイプ(もしくはクィレル)に先手を打たれたらどうしようもない。

誰が盗人だろうと、明日ダンブルドアが帰ってくるまでに誰もあの廊下に入らなければいい話なのだ。

サキは一応は納得したらしいハリーを見てほっと微笑んだ。

そして四人は別れた。

しかしハリーは全てに納得がいっているわけではなかった。サキの姿が廊下を曲がって見えなくなってすぐ職員室の前に戻った。

「ハリー、シールを貼ったなら安心じゃないか。寮に戻ろうよ」

ロンがちょっと飽きた様子だ。

「サキはああ言ってたけどもしシールのことを見破られたら?僕、安心できないよ」

ハーマイオニーとロンは顔を見合わせる。試験が終わった解放感に早く浸りたいロンはもう帰りたそうだったがハーマイオニーはハリーの言うことも一理あると思ったらしい。

「じゃあ…ここであと少しだけ見張りましょうか。」

「ああ、じゃあ君は適当な先生を待つ振りをすればいいよ。試験の結果が知りたくてたまらないって顔してれば不審じゃないし」

ロンの嫌味にハーマイオニーはムッとしたが、確かに一番自然な言い訳だとハリーは思った。

「僕らはもう一回廊下を見てくる。マントをかぶってね。また夜談話室で」

ハリーたちもそれぞれ別れ、長い夜の帳が下りる。

 

 

サキは、森で見たユニコーンの死骸と黒い影が頭にこびりついて離れなかった。

なんと悍ましい光景だったか。

そして何より、あの匂い。

生き物が死にゆく臭い。

それはあの影がサキの腕を掴みこちらに真っ黒な陰を落とす顔を向けた時に一番強く臭った。

視界に広がる暗闇と、真っ赤な裂目みたいな口と、輪郭に沿ってこぼれ落ちる銀色の血。

そして強烈な死臭。

ハリーは額の痛みのせいかあまり印象に残らなかったようだがその臭いはしばらく鼻に残るほど強かった。

そして、どこかで嗅ぎ覚えがあった。

サキは試験中こそ忘れていたが、あの臭いをどこで嗅いだか思い出そうとしていた。

鼻がいかれていたせいでここ最近になってやっと臭いを辿ろうと鼻をひくつかせることが出来るようになった。

ハリーが散々疑っているスネイプについては真っ先に教室で確かめたが、他の薬物の匂いと混ざって判別できなかった。そのため強く無罪を主張できなかったのが悔やまれる。

多分、ハリーはまだスネイプを疑ったままだ。

スネイプがすでにフラッフィーの突破手段を知っていると言えばハリーも強硬手段に出る可能性があり、サキはそれを言えなかった。危険を加味して重ね重ねあの廊下に近づかないように警告し対策したが、それが裏目に出ないか不安でたまらなかった。

人は禁止されればされるほどやりたくなるというし。

誰だっていいけど頼むから今夜盗みに入らないでくれよ。と祈るような気持ちでいると不意に森で嗅いだ死臭が鼻孔をくすぐった。

「やあ、マクリール」

「え?」

サキが後ろを振り向いてすぐ、背中に電気が流れたような衝撃が走りその臭いが肺いっぱいに広がった。

 

 

「燃えた…!」

ハリーはクリスタルの皿の上に置いたシールが突然激しく燃え上がるのを見てベッドから飛び上がった。

ロンも大慌てで上着を羽織り、談話室へ降りていく。

ハーマイオニーは既に下に降りていて、なぜかネビルと対峙していた。

「やっぱり!ハリーたちまた夜中に出歩こうとしてたんだね?」

「ネビル、これは大事なことなの」

「ダメだよ。もう寮から減点させないぞ。…ぼく、戦うよ」

似合わないファイティングポーズをとるネビルに、ハーマイオニーが容赦なく杖を振って呪文をかけた。ネビルは硬直し、そのまま床に倒れた。

「日に日に君に逆らおうって気が無くなってくるよ」

「どうも」

ハーマイオニーはロンにおざなりにお礼を言うとちょっと得意げに杖をしまった。三人は透明マントをかぶって大急ぎで禁じられた廊下へ向かった。

真っ暗な廊下に、こそこそ隠れ回るように動く影を見つけた。

サキかと思ったが違う。曲がり角から漏れる明かりにプラチナブロンドの髪が照らされてる。

 

マルフォイだ…でも、なぜ?

 

サキを密告しに来たという雰囲気ではなく、恐る恐るといった具合に周りを慎重に見回し、禁じられた廊下のドアへ手を伸ばしている。

さっきシールが燃えたのはマルフォイのせいではないようだが、一体なぜ1人でここに居るのだろう。

ロンとハーマイオニーをみると二人とも同じく不審そうな顔だった。

しかしマルフォイをどかさない事にはあの中に入れないし、ほっといたらフラッフィーの餌になってしまう。

ハリーは仕方なくマントから出て咳払いをした。マルフォイが振り向きハリーに気づく。

「ポッター!…サキはどこだ?」

「え?君は追いかけてきたんじゃないの?」

「サキは夕方から姿が見えない」

マルフォイは苛立たしげに言う。

「サキが最後に会った時にここに近づくなって言ってたからもしかしたらここじゃないかと思ったんだ。お前たちがらみの悪だくみじゃないのか?」

「いいや…僕たちもわからない。」

「まさか何かあったのか?」

「いいや、でも…」

ハリーはそっと耳をすませた。鍵のかかったドアの向こうから微かにハープの音色が聞こえる。

「フラッフィーは眠らされた。たった今誰かが賢者の石を盗みに入ったんだ」



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14.仲直りの試練

「賢者の石だって?」

マルフォイが眉を吊り上げて聞き返す。三頭犬の守っているものについては初耳だったようだ。

マルフォイをどうしよう?

ネビルみたいに動けないようにするしかないかと思ったが、ハーマイオニーは杖をあげなかった。

なんにせよグズグズしている暇はない。

「僕はいく。賢者の石を盗られるのを見過ごせない。」

マントを脱いだハーマイオニーとロンも頷く。

「僕もいく」

「私もよ」

マルフォイは突然出てきた2人に当惑しつつも、ハリーの固い意志を宿した瞳をじっと見つめた。

ハリーはマルフォイに透明マントを押し付けた。

「君は戻れよ。このマントをかぶれば見つからずにサキを探せる」

「バカ言え!あのサキがこんな大変なことをほったらかしてふらふら散歩するわけない。サキはこの先にいるはずだ!僕も行くからな」

「君が行く?!この先何があるかわからないんだぞ。もしサキがこの先にいても僕たちが助けるさ!」

「バカにするなよポッター。サキの友達はお前達だけじゃないぞ」

ドラコは一歩も退くつもりはないらしい。透明マントを押し返すと、焦げ目のついた扉に手をかけた。怒り出しそうなハリーをハーマイオニーが制する。

「ごちゃごちゃ言ってる時間がもったいないわ。行きましょう」

 

扉は聞き見ながら開いた。

スヤスヤ寝ているフラッフィーの横に置かれた竪琴はネジの切れかけたオルゴールのように途切れ途切れに音を奏でてる。

音の感覚が長くなるほど3つの頭の寝息が小さくなっていた。

ハーマイオニーが慌ててハグリッドからもらった横笛を吹いた。

ハリー、ロン、ドラコはフラッフィーの巨大な前足をなんとか退かして仕掛け扉を引っ張った。

ぱかっと開いた扉の向こうには地下に続く縦穴が開いていた。

深さは見当もつかない。誰かが様子を見なければいけないようだ。

ハリーが飛び込もうとすると、ドラコがそれを止めた。

「まず灯りを落としてみよう」

部屋の壁にかかっていた松明を取り、その穴へ投げ入れた。

松明の灯りはどんどん小さくなり、暫くして止まった。底はあるが、かなり深いようだ。だが松明が飛び散って消えてないのを見ると地面はそこまで硬くないようだ。

「…で、誰がいく?」

ロンの言葉にハリーは黙って飛び降りた。それにドラコ、ロン、ハーマイオニーが続いた。

地面は読み通り柔らかかった。しかし妙にごつごつしている…つるだ。

湿り気のあるつると根がみっちり張っていた。

「はー、ついてるよ。この植物いったいなんなんだろう?」

ロンの言葉にハーマイオニーが悲鳴で答えた。

見ると緑色のつるが触手のようにハーマイオニーの足に絡みついていた。ハリーの足にもドラコの腕にもみるみるうちにつるが絡みついてくる。

「なんなんだこれ!」

ドラコがつるから逃れようとジタバタもがき、ハリーとロンはなんとかお互いのつるを引きはがそうと暴れるが、暴れれば暴れるほどますます素早く大量のつるが襲ってくる。

松明の明かりもじわじわとできたそのつると根の隙間に落っこちてしまい周りが暗くなる。

「動かないで!これ、悪魔の罠だわ」

「名前がわかったからなんだよ!」

「黙って!ええっと…悪魔の罠。悪魔の罠はたしか…湿気と暗闇を好む…」

「火だ!」

ハーマイオニーのつぶやきを聞いてハリーが叫んだ。

「こいつら、松明を避けた!火をつけるんだ!」

ハリーとドラコは両腕を拘束され、つるが喉まで潰しそうな勢いで這い上がってきている。

「そうだわ!でも松明は落っこちちゃったわ!」

ハーマイオニーはあわあわと周囲を見回した。ハリーは呆れて怒鳴った。

「君はそれでも魔女か!」

「あっそうだった!」

ハーマイオニーは杖を取り出し、下に落ちた松明に向かって呪文を唱えた。下からリンドウ色の炎が燃え上がりつると根を炙った。

植物は身をよじり、炎に照らされた部分から萎れていった。

四人はしおしおになったつるを振りほどき、額の汗を拭い奥へと続く道へ行く。

「落ちた衝撃でどうにかなったのかと思ったよ…」

「マグル生まれはこれだから…」

ブツブツ言うロンとドラコにハーマイオニーが肩をすくめた。

「私がいなきゃ全員死んでたでしょ」

「うん、まあその通りだけど」

ドラコは遺憾ありげだったが強くは言わず、そのまま先頭を進んでいった。

暫く行くと羽音が聞こえた。ぶぶぶという蠅のような羽音だった。そして大きく開けた天井の高いドーム状の場所に着いた。中央にはなぜか箒が4本浮いていた。出口は箒を挟んで向かい側にあり、罠がないかと警戒しながら駆け寄った。

「鳥…じゃない。なんだあれ」

「あれは…鍵じゃないか?」

ハリーのつぶやきにドラコが目を凝らして答えた。

確かによく見ると大量の羽を生やした鍵が天井いっぱいに飛んでいた。虫を思わせる羽音が耳障りだ。

「だめ、呪文がかからないわ」

「まさかあの飛んでる鍵から本物を探さなきゃいけないのか?」

ロンが何千羽もいそうな鍵の群れを見てうへえと呻いた。

「そういうことみたいね…」

「鍵穴からして…古い大きな鍵だ。相当錆び付いてると思う」

四人は目を凝らして鍵の群れを見た。ハリーはその中をふらふらと飛んでいる古くて大きな錆び付いた鍵を見つけた。どうやら羽が折れているらしい。

「あれだ、今落ちそうになってるやつ。羽が折れてる」

「どう捕まえる?」

「…箒に乗るしかなさそうね」

ハーマイオニーは渋い顔をした。箒での飛行は苦手だった。

「わかった。君は扉の前にいて」

ハリー、ロン、ドラコは中央に置かれた箒に跨った。流石にドラコは箒がうまい。ロンも浮き上がりは慣れたもので、三人はあっという間に鍵の群れの中に飛んで行った。

しかし鍵たちは想像以上にすばしっこくて時折攻撃してくる。このままじゃいつまでたっても目的の鍵が捕まえられない。

「鍵を追いたてよう。扉の鍵は飛ぶのが遅いはずだから群れからちょっとはぐれるはずだ。」

ハリーの提案にロンとドラコは素直に従った。牧羊犬のように鍵を上へ上へと追い詰める。

天井に到達しそうになったとき、羽の折れた鍵はふらふらと危なっかしく最後尾で羽ばたいていた。

そして群れの先頭が天井にぶつかり鍵たちの動きが乱れた瞬間、ハリーは一直線に羽の折れた鍵を捕まえた。

「やった!」

ハリーはその鍵を掴んですぐ反転した。

鍵たちが攻撃的な音を立てて追いかけてくるのがわかった。ドラコとロンも大慌てで地面に向かった。追いかけられてるのはハリーだけだ。

「ポッター、貸せ!」

手を伸ばしたドラコに鍵を投げ渡すと、ハリーは出口と反対方向に飛んだ。鍵の群れは地面にぶつかりがちゃがちゃと音を立てる。

その隙にドラコがハーマイオニーに鍵を渡し、ハーマイオニーは大慌てで扉を開けた。ロンがそこに箒で飛び込み、ハリーもそれに続いた。

ほとんど突っ込むように扉に飛び込むとハーマイオニーはばたんと扉を閉じた。鍵が突き刺さる音が聞こえ、四人はほっと一息つく。

しかし安心したのもつかの間。自分たちのいる場所がすでに次の罠だということにロンがいち早く気づいた。

黒と白の格子が地面いっぱいに広がり、すぐ目の前には真っ黒な石像が整然と並んでいる。

「チェス盤だ…!」

ロンが呟くと部屋に置かれた照明が一気についた。煌々と燃え上がる松明の光に照らされて、巨大な魔法使いのチェス盤が浮かび上がる。

「早く通り抜けよう」

ハリーが駒の間を縫って向かい側に行こうとすると、白い駒が行く手を遮った。

「勝って進まなきゃいけないんだよ」

「そんな…時間がないのに!」

しかし強行突破は不可能だ。この罠はおそらくマクゴナガルの仕掛けたものだろう。子どもに、しかも一年生に突破できる魔法ではないのは確かだ。

「ハリー、君はビショップの位置へ。ハーマイオニーはルーク。マルフォイはなんか適当にポーンにでもなっといてくれ。僕はナイトだ。」

「ふざけるな。お前が指揮をとるのか?」

ドラコが抗議するが、ロンは毅然といった。

「悪かったよ。それじゃあナイトかルークを頼むよ」

「ウィーズリー、お前で大丈夫なのか?」

「文句があるならキングにでもなれよ。死ぬまで安心だ」

「ロンはチェスの名手よ!私だって勝てないんだから」

ハーマイオニーの言葉にドラコはどうだかね、と言いたげに眉をひくつかせた。しかしドラコもロンがチェスにおいては誰よりも勝ることを知っていた。

サキは数ヶ月間ロンを負かすためにチェスをさし続けていたがまだ勝てないらしい。サキのチェスに付き合っていたドラコはごくたまにサキに負けていたためロンの実力はおぼろげながら掴んでいた。

ロンにふざけているつもりがないことを確認したドラコは黙ってハリーと対のビショップの位置へついた。

「よし…じゃあ始めよう…」

ロンはポーンを動かした。

本物の魔法使いのチェスが始まった。

チェスは滞りなく進行した。はじめに取られたのはナイトだった。駒はクイーンに打ち砕かれ粉々になって盤外に放りなげられた。

あやうく破片に当たりそうになったハリーを見てドラコもハーマイオニーもロンの集中を切らさないよう口を噤んだ。

チェスの駒は何の感情も持たない。粉々に砕け散り積み上がっていく駒を見て三人はいつ自分が取られるか戦々恐々とした。

途中ドラコがハリーが取られそうになるのに気づき怒鳴ったがそれ以外は滞りなく、取られた数と同じ数だけ白駒を取ることに成功した。

しかしもうポーンはほとんど残っておらず、ナイトとルークも一つずつ失った。

「…だめだ」

ロンが絶望したようにつぶやいた。

「このままやれば、犠牲なしには終われない。」

「…誰なの?」

ハリーの言葉にロンは目を伏せた。言うか言わまいか悩んでいるようだった。白のクイーンがぬうっとドラコの方を向いた。

「僕だろ?」

ドラコが自嘲気味に呟いた。ロンが頷く。

「君が犠牲になれば、その後僕がクイーンを取れる。クイーンがなくなればハーマイオニーかハリーがキングを取れる。…チェックメイトなんだ。」

「そんな…」

今までの駒の扱いを見れば大怪我をするのはわかる。ドラコがサレンダーを言い渡してもおかしくない。

そんなハリーの心配とは裏腹に、ドラコは決心したようにクイーンへ向き直る。

「ウィーズリー、お前が今まで僕らが取られないようにしてたせいで追い詰められたんだ。それくらい少しさせればわかる。」

「でも…」

「もう手はないだろ?」

ためらうロンにそれ以上は何も言わず、ドラコは斜め前へ動いた。

「ま、マルフォイ!ダメだ!」

ハリーの制止を聞かず、ドラコはクイーンの真ん前に移動した。

あっと言う間にクイーンは石の剣でドラコの横っ面を振り抜いた。

ドラコは真横に吹っ飛び、力なく盤の上にうつぶせになった。

ハーマイオニーが悲鳴をあげて駆け寄りそうになるが、ロンが大声で制した。

「動くな!まだゲームは終わってない」

ロンはクイーンの位置へナイトを移動させる。黒い馬は唸りを上げ、重たい蹄でクイーンの兜を打ち砕いた。

悪あがきのようにポーンがロンを取れる位置に移動する。しかしハリーのビショップがそれを許さなかった。

「チェックメイト」

キングの王冠が砕け、盤の上に転がった。

ようやく緊張が解けた三人は大急ぎで倒れているドラコの元へ駆け寄った。気絶しているようだった。

「生きてる…」

ロンが安心したように呟く。

「僕、マルフォイが降参すると思った」

ハリーのバツの悪そうな言葉にロンもコクリと頷いた。

「マルフォイはどうしたって嫌な奴だわ。…でもサキの友達だもの。」

ドラコの犠牲なしにはこのチェスは勝てなかった。だからこそチェスの駒たちがどいて開いた扉になんとしても進まなければいけない。

「どうしよう、進まないと」

ハリーの焦った声にロンがドラコを担ぎながら答えた。

「僕、助けを呼びにいく。君たちは先に行ってくれ」

異論はなかった。

「気をつけてね、ロン…。もしマルフォイが起きなかったら、悪魔の罠の下のスペースに明かりを置いて箒で飛んでいくといいわ。」

「すぐマクゴナガルを呼んでくれ。頼んだよロン」

「君たちこそ、必ず石を守ってくれ。サキがもし捕まってたら…頼むよ」

三人は決心したように頷きあった。

ハーマイオニーとハリーが整列した駒の間を抜けると人気のなくなったチェス盤の上の明かりが消え、静寂が訪れた。

 

そして、みぞの鏡の前にクィレルと失血で顔が真っ青になったサキが立った。

「さあ、マクリール。お前がこの罠を破るのだ」

地獄の底から響くような、低いしゃがれ声が響く。

サキはクィレルをにらみながら、血の混じった唾を乾いた床に吐き捨てた。



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15.忌まわしい血

サキはボヤけた視界にゆらゆらと紫の炎が揺れているのを見た。

炎は嫌いだ。

首がやけに痛くて手と足の先が痺れている。体が思うように動かず、口からうめき声が漏れた。呪文による拘束というよりは寧ろ毒物を飲まされたような感じだ。

あの時、廊下でマクリールと呼ばれてそれから記憶がない。

十中八九誘拐されたんだろうが、ここはどこなんだろう。

不思議な場所だった。ゆっくり回りを見回すと見覚えのあるローブの端が見えた。

「気がついたか?マクリール。」

その声に上を見上げると、何時もよりよっぽどしゃんとして堂々としたクィレルが羊皮紙を持って立っていた。

「……どもらないんですね」

サキの言葉に何が面白いのかクィレルは笑った。まるで呂律の回らないサキをあざ笑うようだったがその真意はわからない。

「くだらない論理パズルだ。スネイプめ…意表をついたつもりか?」

状況がいまいち分からなかったが、薄暗い部屋と机に並べられたたくさんの瓶と、燃え盛る扉を見てなんとなく今クィレルが石を盗みにあの扉へ入ったのだと察した。

「なんで私を?」

「保険さ、マクリール。こういう時のためのね」

「保険?」

何を言ってるのかさっぱりだった。しかしクィレルは全てを説明する気はさらさらないらしく、体の自由がきかないサキの左腕を掴み無理やり引っ張った。

「スネイプはそこまで教えなかったか?お前の母親のことなのに。…ああ、本当の名前すらないんだったな」

「サキ・シンガー以外の名前で呼ばれても困りますけどね、先生」

痛みと苛立ちで思わず喧嘩を売ってしまったがクィレルは挑発に乗る様子もなくせせら嗤ってサキの左腕を捲り、杖を押し当てた。

みぞの鏡を見た時に出血した痕だった。

「お前の一族は特殊な魔法を使う。血を媒介にした魔法だ」

クィレルが小声で魔法を唱えると、杖の先に鋭い痛みが走った。鏡を見た後と同じ様に皮膚が裂けてそこを中心にぶわっと鳥肌が立つ。

悲鳴をあげる自由すらなく、サキの喉からは絞り出したような呻き声しか出なかった。

「屋敷しもべやゴブリンに我々の魔法が通用しないように、貴様の一族の血は我々とは違った魔力を持っている。魔法使いの呪文を暴き、いとも簡単に解除する。お前の母親を捕まえるのには苦労したよ。なにせ並大抵の魔法使いでは見つけることすら叶わん」

クィレルは黙々とサキの腕から流れ出す血を瓶に入れていた。

地の底から響くような声が耳から脳へ直接入り込むように続ける。

「お前は厳密には魔法族じゃない。その体には人でなしの血が流れているのだ。お前の母親の、忌まわしい血が」

目覚めていきなりそんな難しいことを言われて、しかも血を抜かれてまともに覚えている人間なんていない。

サキはぞくぞくと背筋に這い上がる寒気と痛みと体のだるさが意識の大半を占めており、耳に入ってくる言葉のほとんどを聞き流していた。

ただなんとなく母親についてと自分の悪口を言われていることはわかった。

「じゃあ、あなたの生まれは自慢できるものなんですか」

サキは今自分と対峙しているものがなんなのかを考えず言い返した。この口撃は相手の何かを刺激したらしい。頭に重い衝撃が走り、気づいた時には額を地面に打ち付けていた。

思いっきり殴られたようだ。

頭がガンガンと割れるように痛んだ。額から流れた血が目に入り視界が霞んだ。

「御主人様…お怒りを鎮めてください。無理をすると体が…。小娘の血は集まりました」

「…よし、その血をあの黒い炎にかけろ。膜を張るようにするのだ」

サキはやっとさっきまで話していた低いしゃがれた声がクィレルではない事に気付いた。

姿は見えないが誰かもう一人いる。

いったいどこにいるんだろう?

サキの霞む視界の向こうで炎がふっと消えるのが見えた。

クィレルはサキの首根っこを掴みあげ、ぶつかるのも構わずにその扉をくぐった。

 

 

「貴方が!」

炎の扉をくぐってからハリーが目にしたのはみぞの鏡に血をべっとりとつけてもたれるサキと、その髪を掴み鏡越しにハリーを睨みつけるクィレルだった。

「ハリー…」

「ポッター、よくここまで生きてこれたな。子どもだろうとさっさと始末するべきだった」

「僕……スネイプだと思ってた。どうして?」

「スネイプ?ここまで石を盗むことができなかったのも君を殺せなかったのも全てあいつのせいだ。忌々しいコウモリめ」

クィレルは吐き捨てるように言った。

「おとなしくしてろ。この鏡さえ突破できれば石を手に入れられる」

クィレルはこん、こん、とサキの頭を鏡に打ち付けた。ハリーが思わず駆け寄ろうとすると、足元から突如ロープが出現して体を縛り上げた。

「どうしてサキを?」

「この子は全てにおいての保険だ。お前にはわかるまいよ」

ハリーはてっきりサキがクィレルを疑ったせいで捕まったと思っていた。しかしどうやら違うようだった。サキは体の自由がきかないらしく、腕を重たそうに鏡に押し付けて立つのが精一杯だった。

「さあ、早くこの鏡にかかった魔法を解け。無理やり血を絞られたいのか?それとも友達が殺されるのを見ないとやる気が出ないか?」

「うるさい…調子乗るな」

サキが減らず口を叩くと、クィレルは力一杯頭を鏡に叩きつける。

鏡にヒビが入ってそのヒビにサキの血がつうっと流れる。

「やめろ!」

ハリーが悲鳴をあげるとクィレルは愉快そうに笑った。

普段のクィレルとかけ離れた悪意に満ちた笑みにハリーはぞっとした。サキの額からは血がドロドロと流れている。

このままじゃサキが死んでしまう。

ハリーは鏡に映る痛々しいサキの姿を見て心の底から願った。

 

あれが石を手に入れるために必要なら、クィレルより先に自分が見つけなければいけない。

賢者の石はどこにある?どうやれば見つけられる?

サキの血がながれる鏡面はじわじわと錆びついていくように澱んで行く。

「ハリー…ごめん」

サキが力なく鏡越しにハリーを見つめた。

「賢者の石はもう手に入らない。永久に」

そう言うと、今までだるそうにしていたのを振り払うようにサキは思いっきり自分の拳をみぞの鏡に叩きつけた。

クィレルが止める隙もなく、鏡は爆発したように粉々に砕け散った。

破片がきらきら輝いてサキの周りに落ちた。

ぼたぼたと流れる血がその破片を汚した。

「失血したおかげで毒が抜けました。もうちょっと考えて虐待しないとダメですね」

サキが嘲るように笑うと、激昂したクィレルがサキの首を締め上げて持ち上げる。

「やめろ!」

ハリーの声に被さるように、地獄から響いてくるような低い声が轟いた。

「殺すな。その子は殺してはならん」

「しかし、御主人様…!この小娘のせいで、鏡が!石が!」

ハリーは混乱した。

クィレルの腕は誰かに無理やり押さえつけられたようにサキを離した。

気絶したサキが地面に落ちてクィレルが跪く。

「なんのための保険だ?これ以上失態を重ねるつもりなのか?あまり俺様を失望させるな」

ハリーは気付く。その声がクィレルのすぐそばから聞こえてくることに。

そう、黒幕はずっと初めからそこにいたのだ。

「ヴォルデモート…!」

ハリーの声に反応するように、残った鏡越しにハリーを見つめるクィレルが怯えた顔でターバンをはずした。

するすると布が落ちて、クィレルの後頭部に巣食う邪悪なそれが露出した。

切れ込みのような鼻に、ギラギラ光る血走った瞳。

人とは思えない悍ましい形相のヴォルデモートがハリーを睨みあげた。

「ハリー・ポッター…」

ハリーは全ての言葉を失った。

親の仇であるヴォルデモートが1年間近くにいたなんて。そして、こんな姿になってまで生きながらえてるなんて。

「この有様を見ろ。今は誰かの形を借りてやっと姿を表せる影と霞にすぎない。しかし確かに俺様は生きている。そして…石が無くなった今、俺様は仕方なくもう少し居心地のいい体に移動しようというわけだ」

「サキに取り憑く気なのか…?」

ハリーが絞り出すように言った。ヴォルデモートはせせら笑い、クィレルがパチンと指を鳴らした。ハリーの拘束が解けて周囲が炎に包まれる。

熱がハリーの顔を嬲った。逃げ道はない。

「ああ。けれどその前に、俺様の死の呪文を退けたお前には退場してもらわなければな」

にやり、とヴォルデモートとクィレルが笑った。

「捕まえろ!殺せ!」

ヴォルデモートの怒声が轟いた。業火に照らされた黒いローブがゆらりと動くと、次の瞬間にはクィレルの腕がハリーを締め上げていた。

ハリーの喉から一絞りの空気が漏れ出す。

ハリーの視界がかすんだ。

気が遠のきそうになったその時、突然クィレルの腕の力が緩んだ。

「御主人様!て、手が!手が焼ける!」

焼け爛れた手を見てクィレルが悲鳴をあげていた。

「馬鹿者!それなら杖を使え!殺すのだ」

ヴォルデモートの声に応えるようにクィレルが杖を取り出そうと残った手でローブをかき分ける。ハリーは必死にそのクィレルの顔を掴んだ。

「ぎゃあああアーーッ!」

恐ろしい悲鳴をあげてクィレルが地面をのたうちまわる。

ハリーに掴まれた部分が焼けてじゅくじゅくと皮膚から汁がにじみ出ていた。

ちりちりと肉の焼ける匂いが鼻をさし、クィレルの土気色の肌が焦げ付いて剥がれ落ちていく。

ハリーはその光景を見て理解した。

クィレルは自分に触れることはできないんだ。

クィレルは杖を取り落とした。痛みのあまり悲鳴はもはや音のように口からめちゃくちゃに吐き出されるだけだ。

後頭部のヴォルデモートの殺せ殺せという声がガンガンと頭に鳴り響いた。

クィレルが口からちろりと真っ赤な炎を出したのを皮切りに、ハリーの意識は額を突き刺す痛みの中に落ちていった。

 

 

頰から熱い液体が溢れて落ちていくのを感じて、サキは目を覚ました。

涙で霞む視界には石作りの天井が広がっている。

頰から流れ落ちたのはどうやら血液らしい。流れた痕がピキピキと乾いてひび割れる。

頰だけじゃなかった。身体中が血まみれだ。

このまま死ぬんだろうか?

サキはぼんやりと割れた鏡の破片にうつる炎を見た。

パチパチと炎の爆ぜる音がする。

他にはもう何も聞こえない。

ハリーは無事だろうか?

動けないサキには確かめようがない。

鏡を壊せば石を手に入れることはできないはずだ。

今サキの心の中にあるのは自分は精一杯やったぞという満足感とほんのちょっとの後悔だけだった。

死に損ないにしては上出来じゃないか。

サキは孤児院の火事から生き残って、ずっと心のどこかで自分は死んでいるべきだと思っていた。

だから今死んでも1年寿命が延びただけにすぎない。そう思っていた。

サバイバーズ・ギルト。

サキの一見命知らずで危険知らずな行動は生き残りの罪悪感からくるものだったのだ。

体がフワッと浮くような気持ちがして、サキは逆らうことなくそのまま眠りに落ちた。

 

 

「知らない天井だ…」

自分が死んだと思いこんでたサキはここが天国だと一瞬勘違いした。

しかし仮に天国だとしたらなぜ不機嫌そうなスネイプが自分を覗き込んでいるんだろう。

せめて天国でくらい笑ってろよと呆れたが、よくよく見ると天井も汚い。天国としてあるまじき汚さだ。

というかもろに校舎だった。

「馬鹿者が」

「起きて1番にそれですか…?」

「大馬鹿者が」

スネイプがさっと立ち上がり、サキの視界から消えた。追うように起きると自分が思っていたより重症らしいことに気づく。湿布と包帯でぐるぐるだった。

「賢者の石は」

「無事だ」

「ハリーは…?クィレル先生は捕まったんですか?」

「無事だ。クィレルは死んだ。いいから寝ていろ。じきに校長がくる」

スネイプは起き上がったサキの肩を押して無理やりベッドに寝かせる。また起き上がる気力はなかったのでおとなしく天井を見上げながらサキはスネイプに聞いた。

「っていうか…私夕方あたりから何が起きたかわかってないんですけど」

「なぜ異常を感じた時点で我輩に言わなかったのだ。そのおかげで生徒が5人も怪我をしたのだぞ。サキ、君は死んでいたかもしれない。事の重大さをわかっているのか?」

「5人?」

「ポッター、ウィーズリー、グレンジャー、…それとドラコだ」

「えぇ?なんでドラコが?!無事なんですか?」

「無事だ。今はサキ、貴様に説教をしてるんだぞ!」

スネイプの怒鳴り声にサキは慌てて口をつぐむ。

その声にマダム・ポンフリーが飛んできてスネイプをじろりと睨んだ。スネイプは眉根を寄せて声を潜めて続けた。

「自分の安全をないがしろにしすぎだ。結果的に無事だったとはいえ一歩でも遅れれば君は死んでいたぞ。ドラコ達も下手したら死んでいた」

「はい…」

まさかドラコまで危険を冒していたとは。全く予想外で驚く反面サキはちょっとだけ嬉しかった。

「サキ、君になにかあったら君の母親に顔向けできない…」

「あ、母といえば」

サキは自分があの黒い炎の部屋でヴォルデモートに言われたことを思い出す。

「あの人、母について悪口言ってたんですよね。母とどういう関係だったんでしょうか」

スネイプはその質問に答えにくそうに目をそらした。サキは一瞬だったが見逃さなかった。

例のあの人の手下である死喰い人だったような口ぶりではなかった。しかし母についてやけにわけ知り顔で説明していたし、あの口調はまるで長い付き合いかのような親しみさえあった。

「それは…」

「儂が説明しようかのう」

スネイプの後ろにいつの間にかダンブルドアが立っていた。



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16.←ホグワーツ急行

スネイプは立ち上がりダンブルドアに椅子を譲った。

「校長先生…あの…」

「たった今ハリーが目覚めて話していたんじゃ。君はもう丸2日も寝込んでおった」

ダンブルドアは机の上に置かれた暗褐色の液体の入った瓶を指で弾いた。

「ハリーは大丈夫でした?」

「ふむ。明日にはピンピンしているはずじゃよ。むしろドラコの方が重傷だったかもしれん。マクゴナガル先生のチェス駒は頑丈だからの」

「ああ…悪いことしちゃった」

サキはしゅんとしたがダンブルドアは優しく微笑んだ。

「さて…賢者の石は儂があの鏡に魔法をかけて守っておったのだが、君の魔法で粉々になってしまった。賢者の石は結果的に守られ、ヴォルデモートはひとまず去った」

「…先生、私の魔法って一体なんなんですか?母はなにものなんですか?」

「まず、君はヴォルデモートから何を聞いた?」

ダンブルドアは微笑んではいるものの真剣な目をしてサキをまっすぐ見据えている。

こうしてダンブルドアと対面するのは実に1年ぶりだ。警察署で見たのと寸分違わない深い青の瞳だ。

「ええっと…なんか我々とは違う魔力をもつ魔法がどうこうとか私は魔法族ではない、とか。」

「ふむ」

スネイプが考えありげに目を伏せるのがわかった。しかしそのあまり変化しない顔筋から真意は汲み取れなかった。

「ヴォルデモートの言ったことは概ね正しい。君の家系は代々広く使われている魔法と違う魔法を使う」

「血を使った?」

「そうじゃ」

ダンブルドアは包帯がグルグルに巻かれたサキの額をそっと撫でた。

「その魔法は、太古に多くの魔法族が使っていた魔法じゃった。しかし時代を経るにつれて杖という魔力を媒介する道具が生まれ、その方法は廃れていった。…それを脈々と受け継ぎ、洗練化していた一族が君たちマクリールの人間じゃ」

サキは何も言えなかった。なるほど確かに魔法使いと杖は鶏と卵ではないだろう。魔法使いがまずいて杖が生まれたはずだ。

「でもあの人は血をとって扉にかけただけで魔法を破りました」

「それはマクリール家の特殊性に関係している。普通の魔法使いも微量ながら血、そのものに魔力を宿しているが圧倒的に薄いのじゃ。君たちのその魔力の濃さは母親から多くの血を直接注がれることで濃さを保っている」

サキはぞっとして息を飲んだ。

「…直接、ですか」

「直接といっても、杖、魔法薬を用いた儀式だろうと推測しておる。なんせ儂にもわからんことだらけじゃからのう」

突然、嫌な感じが頭にいっぱいになる。口の中に血の味がした気がしてかぶりを振った。

ダンブルドアは儀式って言ってるじゃないか。

なのにどうしてこんなに胃液がせり上がってくるのだろう?本能が拒絶してるみたいだった。

「チョコレートをお食べ、サキ」

ダンブルドアがサキにチョコレートを持たせ、口に運ばせる。

「…でも私、いっぱい血を流しちゃいましたよ?もう魔力は無くなっちゃったんでしょうか」

「そんな事はない、サキ。それは君の血肉になっているのだから。…もっとも、当分は運動は控えたほうがいいかもしれんのう」

「しばらくベッドから起きたくないです…」

ダンブルドアは散々懲りたと言いたげな顔をしているサキにニッコリ微笑むと席を立った。

「母乳は母親の血を濾過したものじゃ。君がリヴェンの子どもだからこそ君はその力が使えるし、愛されていたからその力を手に入れたんじゃ」

サキは苦笑いのような困ったような渋い顔でもう一つのチョコレートの包みを破った。

「それじゃあ、わしらは行くかのセブルス?サキももう一眠りしなさい」

「はい…おやすみなさい」

「おやすみ、サキ」

 

マダム・ポンフリーは鬼のように厳しかった。同じ医務室にいるのにハリーとはこっそり手紙を飛ばし合う事でしか話すことが叶わなかった。

何度もなんども訪ねてきたドラコとロン、ハーマイオニーがマダム・ポンフリーに頼み込んでやっと5人は再会できた。

学校中がこの話題で持ちきりで、その冒険に参加した3人は連日質問攻めだそうだ。

ハリーとサキで鏡の前で起こったことを話し、逆にサキはロンとドラコのチェスでの活躍をハーマイオニーとハリーから聞いた。

サキは自分の魔法を内緒にして話したが、クィレルとハリーの一騎打ちの方が話的には盛り上がりなんとか突っ込まれずに済んだ。

「ドラコ、かっこいいね!君が来てくれただけでも嬉しいのに…キスしていい?」

「や、やめろバカ」

サキの冗談にドラコが本気で額を叩き、サキの頭からまた血がドバドバ出てしまいドラコはマダム・ポンフリーに叩き出されてしまった。

「まったく。でもあいつ、本当見直したぜ」

「ロンのことも見直したよ」

「サキ、今まで僕をなんだと思ってたの…?」

4人は笑いあった。

巻き直された包帯の位置を調整しながらサキは彼らに出会えて本当に良かったと思った。

自分の出生については特に、だからどうした?といった気持ちで構えていられた。

けれどもいずれその力が復活したヴォルデモートに狙われるであろうことを思うとゾッとした。

「私さ、ハリー」

「ん?」

「生きててよかったよ」

 

 

学年度末パーティーには包帯が取れないまま参加した。マダム・ポンフリーは大反対だったが無理やり押し切った。

大量のくだらないいたずらグッズを送って(全部没収された)くれたフレッド・ジョージやちょっと話しただけのグリフィンドール生、そして一部のサキを見直したと考えてるらしいスリザリン生に見舞い品のお礼をしながら、サキは席に着いた。

こんなに注目されるのは初めてでサキは緊張した。

しかしながらドラゴン騒ぎの時の深夜徘徊やその他もろもろ(のサキの失点)でスリザリンは学年優勝杯をあと一歩で逃していたのだ。

そういう意味でもジロジロ見られ、サキは居心地の悪さと嬉しさの同居する複雑な気持ちでいた。

隣にいるドラコはチェスでの活躍を周りの同級生に演説するのに忙しかったのでそうでもなさそうだ。

クラッブとゴイルのうんざりした顔を見るに3回…5回は聞かされているんだろうなと思ってサキはクスッと笑った。

「…各寮の点数は次の通りじゃ!4位、グリフィンドール。312点!3位、ハッフルパフ。352点!2位、スリザリン。382点!1位、レイブンクロー。426点!レイブンクローは真面目に点数を重ねておった。よくやったのう」

しかし、大広間には飾りつけはされていなかった。

「しかし滑り込みで加点対象のものがおるでの。決着はもう少し待っておくれ。…さて、まずは…ロナルド・ウィーズリー」

突然名前を呼ばれ、ロンが驚きのあまり椅子から跳ね上がるのが見えた。

「見事マクゴナガル先生のチェスゲームに勝利した!近年稀に見るチェスの名勝負じゃった。それを称えてグリフィンドールに50点じゃ」

グリフィンドールから歓声がきこえる。

「そして、ドラコ・マルフォイ!敵対していた者のために自ら犠牲になり、仲間を大いに前進させた。その高潔さを称えて、スリザリンに50点を与える」

スリザリンの席から歓声が上がった。ドラコの耳が真っ赤になるのが見えてサキは微笑んだ。目が合うと慌てて逸らされた。

「そしてハーマイオニー・グレンジャー!様々な罠で知識を活かし、論理的に突破したその知性をたたえ、グリフィンドールに50点じゃ」

またグリフィンドールから歓声が上がった。

「サキ・シンガー!」

突然自分まで名前を呼ばれ、驚きで思わずむせてしまう。

「強大な力の前に屈することなく、信念を持って重大な選択をした君の意志を称えて、スリザリンに50点をあたえる」

スリザリンが湧いた。周りの同級生からバンバンと肩を叩かれ祝福を言われた。

「そして、ハリー・ポッター。その完璧な精神力と並外れた勇気をたたえ、グリフィンドールに60点を与える!」

会場が湧いた。スリザリンにはまだ届かなかったが、グリフィンドールは一気に160点も加点された。

「さて…勇気にも種類がある。敵に立ち向かうのではなく友達に立ち向かうのは、それ以上に勇気がいることじゃ。そこで、わしはネビル・ロングボトムに10点を与えたいと思う」

グリフィンドールから爆発みたいな歓声が響いた。

同点だった。スリザリンとグリフィンドールの同点だ!

「さて、これ以上加点対象者が見つからないのでの…しょうがない!前例もないが飾りつけはこうじゃ!」

大きなライオンと蛇の旗が大広間を二分して飾られた。

豪華なご馳走が現れて、生徒たちはきゃあきゃあとそれを食べ始める。

サキは半年前よりよっぽどいい笑顔で、寮のみんなと笑いながらご馳走を食べた。

ただひたすらに騒いで、楽しんで。人生で一番楽しい時間を過ごした。

 

一年が終わり、発表された成績をドラコと見せっこした。

当然総合では負けているが、変身術と薬草学、呪文学においてはサキが優っており魔法薬学、闇の魔術に対する防衛術、その他の座学はドラコの圧勝だった。

「グレンジャーに負けた!!!!」

ドラコが珍しくオーバーリアクションでショックを表現していたのが面白く、ハリーたちの成績も見せてもらいに行くと、軒並み悪いロンの成績を見てドラコはほっとしながらロンをバカにした。

喧嘩になりかけそうになる2人の間でハリーとサキがこのままじゃ魔法史落第寸前であることを発見し大騒ぎになった。

当然のように学年トップをとったハーマイオニーには軽い嫌味を言うドラコだったが、あの冒険の前よりよっぽど仲よさそうに見える。

喧嘩してても、友達。

あの夜以降何となく関係性が変わった。それは、すごく居心地が良かった。

ホグワーツ特急に乗って、来た時と同じロン、ハリー、サキにハーマイオニー、ドラコを加えた5人でコンパートメントでチェスやトランプをした。

ドラコは来るときイヤイヤだったが、いざお菓子をかけて戦うとなるとなぜか鬼のように強く、ドラコが親のブラックジャックは高レートギャンブル化し、サキとハリーがカモられていた。

汽車がロンドンに着く頃、ドラコとサキはコンパートメントから出て行った。

「父上に見られたらうるさいからな。じゃあせいぜいどこにもいかない夏休みを楽しめよ、ウィーズリー」

「黙れマルフォイ!旅先で事故れ!」

「あはは。私もこのあとドラコんちでごはんいただくんだー!んじゃ手紙書くからね!」

サキは楽しそうに笑って出て行った。

ホグワーツでの一年は終わった。

人でごった返すキングスクロス駅を歩いて、1年前を思い出す。はじめて、ハリーと話した日だ。なんだかこそばゆい。

雑踏の中、荷物を引きながらふとドラコに言った。

「ねえ…ドラコ。私本当の名前がないらしいんだよね」

「本当の名前?」

「親に付けられた名前。やっぱそういうのって必要なのかなあ?」

「うーん……そんなの気にしなくていいんじゃないか?」

「どうして?」

「サキはサキだろ」

サキはふっと笑った

「そうだね。私は私だね」

春の柔らかい光の中、二人は手を繋いで人ごみを抜けていった。

もうそろそろ夏になる。

明るく照りつける太陽が二人の行く先を照らした。



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秘密の部屋
01.子どもは嫌でも親に似る


結局ダンブルドアはサキの産みの親、リヴェンとヴォルデモートの関係について明言しないままだった。

言わない理由については色々考えることができるが、ヴォルデモートの方から協力を強要したであろうことは推察できる。

だいたい、自分の生まれについてわかったところでなんとも思わない。

産みの親といっても顔すら知らないわけだし、古より伝わりし魔術の〜とか、ヴォルデモートの〜と言われても全く実感がわかないのだ。

しかし、気にはなるわけだ。

サキは夏休みの間どこか旅行に行くお金もないので広い屋敷を片っ端から探索し家系図らしきものを見つけ出していた。

サキは作り置きしたスープをすすりぼそぼそに湿気ったパンを無理やり流し込んだ。

後見人とはいえ、スネイプは毎日こんな僻地に来れるほど暇ではないらしく週に1度しかこない。

僻地ゆえに、スネイプが居ないと買い物すらままならない。

面倒臭がりのサキはスネイプに買ってきてもらった食材を片っ端から鍋に入れて煮込んでスープにして日々の糧にしていた。

もはや樹海と言える森の中の屋敷。

屋敷の周りには池やら花畑やら色々あるのだが人の手が長らくはいっていないので下草は伸び放題荒れ放題で牧歌的な光景とは言い難かった。

仕方がないのでサキはその庭園だったと思われるジャングルの伐採もしていた。

そういうわけで、日々充実。

サキは屋敷探検で手に入れた家系図をめくってみた。

恐ろしく長い紙につらつらと名前が書かれている。

下へ下へと辿っていくとリヴェンという名前があった。

しかしそれ以上何も書き足されていない。

「ん…?」

家系図というのは初めて見たがなにか妙な感じがした。

この違和感はなんだろう?ともう一度家系図を上から見ようとしたところでチャイムが鳴った。

今日は週に1度のスネイプデーだった。

「おはようございます」

「…こんばんは」

相変わらず土気色の肌が闇にまぎれていた。もうすっかり夜になっているせいでスネイプの格好は灯りのすくない屋敷の中では殆ど判別できない。

スネイプがサキに頼まれ買ってきた食材を台所に置いて、3週間近く同じ場所に置かれている鍋を見ていった。

「…サキ、まさかとは思うのだがスープしか食べていないのか?」

「え?やだなあ。パンも食べてますよ」

「…週に一度しか来られないのは悪いと思っている」

「責めてませんよ?!食にこだわりがないだけで…」

スネイプはそれでもサキの栄養状態を心配したのだろう。そのまま食材を取り出して自分で料理を始めた。

この人料理できるのか?と一瞬不安がよぎったが、よくよく考えれば独身一人暮らしのスネイプは多少料理ができなきゃ生きていけないだろうし、魔法薬を作れるってことは少なくともレシピがあれば完璧な料理が作れるはずだ。

実際実に手際よく何かを作っている。

サキはそれを隣で眺めて料理が出来上がるのを待った。

スネイプは手際よくマカロニを茹でて野菜を切ってソースを作って…あっという間にドリアを作った。

オーブンに入れて一息つくと、続いてミルクや砂糖を取り出して何かお菓子を作り出した。

お菓子を作るスネイプというギャップにサキは転がって笑いたかったがそんな事したら本当にキレられそうなのでぐっとこらえる。

そしてスネイプはあっという間に5人前のババロアを作り、冷蔵庫に寝かせた。

「夕食にしようか」

さっきまでスープとパンを食べていたサキだが、焼きあがった芳ばしいドリアの匂いに思わず舌鼓を打った。

「…サキ。何か困ったことは?」

「魔法が使えないのが嫌ですね。庭の木がもう凄くて…」

「そうか。我慢しろ」

スネイプは毎週同じことを聞く。正直ここの生活も悪くないのでそんなに悩みは出てこない。

「学校からの手紙だ。次年度の教科書リストが載っている」

「見ていいですか?」

サキの家にはなぜかフクロウが寄り付かない。屋敷から1キロ近く離れた門にマクリール家用ポストが置かれているのだが絶望的に木々が生い茂っているため毎日チェックするのは億劫で、こうして週に1度必ず門をくぐるスネイプに持ってきてもらうのを待つ形になっている。

「うわ、なんでこんなに教科書が?」

手紙にはギルデロイ・ロックハートとかいう著者の本がずらっと並んでいる。とても教科書とは思えないタイトルがたくさんあった。

「新しい先生の指定だ」

スネイプはいつも以上の渋面で答えた。

「お、お金大丈夫ですかこれ…」

「問題ない。これで買いたまえ」

スネイプはサキに教科書代よりちょっと多めに金貨の入った袋を渡した。サキもありがたく貰い受ける。

「そーだ、ドラコにダイアゴン横丁に誘われてるんです。行ってもいいですか?」

「ああ、勿論。迎えが来てくれるのか?」

「はい。だってほら、あの森徒歩で抜けようと思ったら1日前に出ないと間に合わないでしょ」

「…もし金が足りないようなら」

「たかりにいきます」

「元々君のお金だ。好きに言いたまえ。勿論無駄遣いはさせんが」

「はーい」

サキは食べ終わって2人分の食器を洗った。食べ終わるとなんとなく解散で、スネイプは泊まりこそするが特にもう干渉してこない。サキも別にべったり話し込みたいことがあるわけでもないので自室に戻り宿題を片付け始めた。

そういえば、ハリーに送った手紙の返事がこないな。

サキはこのとき知る由もなかったが、ハリーはこのとき大変な目にあっていた。

 

「サキー!」

ドラコが蔦の生い茂った門の向こうから手を振って呼びかけた。

「おはよー」

門の隅にある小さな扉をくぐって出ると、ボコボコの獣道の向こうに馬車が止まっていた。

馬車ってすごいなあと感心しながら中に入ると、見かけより広い空間が広がりそこに優雅にルシウス・マルフォイが腰かけていた。

以前会った時と変わらずきっちりした服装に気取った笑み。

サキは前回マルフォイ邸に行った時ドレスコードでもあるのかと勘違いした。今回は小間使いに見られない程度にちゃんとした服を着てきたがやはりそれでも見劣りする。

「やあ、サキ。いかがお過ごしだったかな」

「こんにちはルシウスさん。何も変わらず庭とかいじってましたよ」

「勉強の方も順調かな?」

「ぼちぼちですね」

「もっと励んだ方がいいと思うねえ。勉強だけに打ち込めるのは今だけさ。ドラコには来年は一位を取れと言ってるんだがね…」

ドラコは口をへの字に曲げた。

「順位なんてどうでもいいじゃないですか。ドラコはよくやってますよ」

その言葉にルシウスはちょっと目を丸くした。順番に頓着のないスリザリン生は稀有かもしれない。

「そうだ、サキ。ノクターン横丁に寄るんだけど君も来る?」

「どこそこ?」

「うーん。ダイアゴン横丁のそばにあるんだけど、ちょっとなんというか…暗いところ?」

「曖昧なことをおっしゃる」

「いや、いや。ドラコ。サキにはまだ早いだろう。私も野暮用があるだけですぐあんな場所は立ち去るさ。君はサキと一緒に競技用の箒を見ていなさい。すぐに戻るから」

「ほんとう?!」

ドラコは嬉しそうに目を輝かせた。箒に熱をあげる男の子の気持ちはイマイチ理解できなかった。

どうやらノクターン横丁というのはちょっと怪しい場所らしい。ついて行かされなくてよかったと内心安堵した。

ノクターン横丁との分かれ道でルシウスと別れ、二人は箒専門店へ行った。

サキにはそれぞれの箒の違いはさっぱりわからず、ドラコが興奮してニンバスの新型がどうこうとかハリーの箒がどうこうだとか早口で解説していたがあまり興味がなかった。

早さだとか性能より材質や形状については多少見分けがつくようになったが流線型の方が空気抵抗が少ないと思いきや箒に最適な速度によっては抵抗も必要だとか言われるとさっぱり何が何だかわからなくなった。

「クィディッチのチームに入るの?ドラコ」

「そのつもりさ。僕はシーカーをやりたい。ちょうどチームに空きも出たし…」

「へえー…」

「サキは箒に乗れたっけ?」

「わからない。でも股間がいたそうだから遠慮する」

「君、柄には乗らないぞ」

箒に関してまるっきり無知なサキだったが、ドラコと店を出る頃にはすっかり聞きかじりの知識が頭にいっぱい詰め込められてしまった。

ルシウスと合流すると、ルシウスは店にディスプレイされた新型の箒を買い与えた。サキにも買ってくれそうになるルシウスを必死に止めた。

箒がいらないなら代わりに洋服でも。という話におちつき、3人は教科書を買いにフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店に行くことにした。

書店はやけに混んでいた。

《ギルデロイ・ロックハート サイン会》

とでかでかと幕がかかってた。

「あのバカ高い教科書のやつじゃないか?」

黒山の人だかりの向こうで笑顔を振りまきながらサインをするイケメンが見えてその人だかりに納得した。

「ああ、こりゃ中身もまるっきりバカだね」

サキは著者近影が10ページごとに載っている『グールお化けとのクールな散策』を立ち読んで言った。

「こんな本買うより黒檀が欲しい」

「なんだそれ?」

「木だよ。チェスの駒に使いたいんだよね…」

「木ぃ?」

ドラコは理解できないと言いたげだった。そこで店の奥が突然騒がしくなった。よく見てみるとハリーがロックハートに捕まって写真を撮られていた。

「はん。書店に行くだけで新聞一面記事か。さすが有名人のポッター様だ…」

「ドラコも新聞のりたい?」

「嫌だよ!今のは皮肉だよ!」

するっと逃げるようにハリーがこっちに向かってくるのがわかった。ドラコはチャンスだと言わんばかりに階段の下を通り過ぎようとするハリーに話しかけた。

「やあ、ポッター。有名人のポッター。君の写真はいくらで売れるんだろうね?」

「ほっといてよ。ハリーが望んだわけじゃないわ」

ドラコのいつもの煽り文句に赤毛の女の子が言い返した。どこかで見覚えのある子だ。

「なんだ、マルフォイか」

後ろからロックハートの本の山を抱えたロンが出てきてサキは合点がいった。

この子は確か去年兄たちを見送りに来ていたウィーズリー家の末っ子だ。

「久しぶり。元気だった?」

呑気な声でドラコの上から挨拶するサキのおかげで場が一瞬和んだ。

「ぼちぼちさ。サキは相変わらずだね」

「まあね。ねえ、その本高すぎない?割り勘して使いまわせないかなあ?」

「貧乏くさい事するなよサキ…」

「それ名案だ!」

「授業被ってたらダメじゃないかな…」

子どもがわいわいと五人も集まれば嫌でも目立つ。

早速のっぽの赤毛のおじさんが駆け寄ってきた。

「こらこら、買ったら外に出なきゃ他の人の迷惑だろう?ん…?君は…」

どうやらロンたちの父親らしい。優しそうな目と赤毛が子供達にそっくりだ。

「二人とも、教科書は買ったか?早く出るぞ。……おや」

そこでタイミングぴったりにルシウスがドラコとサキを見つけて寄ってきてしまった。

あ、仲悪そう。

とサキはその二人の視線がかち合ってから流れた緊張で一瞬で悟った。

「おやおや、大所帯でご苦労なことですなあウィーズリー。君の薄給でこんな教科書を買うのはさぞや大変だろうに」

ルシウスはジニーの大鍋に入った教科書を取り、パラパラとめくった。

「マルフォイ、人の家計を透かし見ようなんて育ちを疑うね。それに、子供たちの教科書を買うくらい!」

アーサーの言葉にルシウスは青筋を立ててジニーの教科書を大鍋に放り込んで向き直った。

「育ちを疑う?純血の面汚しの君には言われたくないが」

サキはいつもロンとドラコが喧嘩しそうになるときはそれとなく茶々を入れていたのだが、この父親二人の間には並々ならない対立があるようで全く付け入る隙がない。

「…マルフォイ、君と私じゃ面汚しについての見解は違うようだ」

「ああそうかい。少なくとも」

ルシウスは事の成り行きをハラハラ見守っているグレンジャー夫妻をちらりと見て揶揄するようにいった。

「そんな連中と付き合ってるようじゃ、落ちぶれるとこまで落ちたってことは確かだろうね」

その言葉についにアーサーはきれてルシウスに殴りかかった。周りから悲鳴が上がり、周囲の大人が止めに入るが手がつけられない。

するとぬうっと人ごみから現れたハグリッドが2人を引き剥がした。

お互いちょっと唇が切れていたり頬が赤くなったりしていた。

「全く、何やっとるんだ?」

ルシウスは息を整えて裾を直すと肩を鳴らしてでていってしまった。

「あー、ええっと。じゃあまたホグワーツでねー!」

仕方なくサキとドラコもそれを追いかけた。

ルシウスはそれからずっとぷんぷんだった。馬車でもろくに喋らないままマルフォイ邸に招かれ、ナルシッサに気を使われて洋服をプレゼントされた。

丁重に断ろうとしたのだがナルシッサはどうも娘ができたみたいな気分らしく、サキにいろいろな服を着せてはこれがダメならこれはどうか?と問いかけてきた。

夕食の頃にはルシウスの機嫌も直り、素材の良さを極限に生かした味の薄い料理を食べた。(それでも美味しい)

「ぜひ泊まっていきたまえ」というマルフォイ夫妻のご厚意に甘えてサキは客室に通された。

サキも一応お屋敷には住んでいるのだがマルフォイ邸はインテリアも洗練されていてとても居心地がいい。だだっ広いだけのマクリールの屋敷とは違う。

キョロキョロとその優美な家具を眺めていると、ドレッサーのそばに置かれた鈴に気づいた。

ボタンがあれば押すように、鈴があれば鳴らす。

ちりんちりんと小さな鈴の音がすると、バシッと音を立てて目の前に突然小さなしわくちゃの屋敷しもべ妖精が現れた。

うおっと小さく悲鳴をあげるサキに対して、屋敷しもべは恭しくこうべを垂れた。

「何か御用でございましょうか。このドビーめになんなりとお申し付けください」

「あ、いやいや。ごめんね…君を呼び出すものとは思わなかったんだ」

「そうでございましたか、失礼いたしました」

「ううん、いいよ。君ドビーって名前なの?ドラコの家って屋敷しもべ妖精がいるんだ。いいなあ」

「ドビーめはずうっとこのお屋敷に勤めております。シンガー様。ぼっちゃまのお友達ですか?」

「そうだよ。よろしくね、ドビー」

「ああ、なんてお優しい方なんでしょう!」

ドビーはよろしくというサキの言葉を噛みしめるように大きな瞳を閉じて胸を押さえた。

ホグワーツの屋敷しもべにも言えるのだが彼らは人の親切や善意をあまり受けた事がないらしい。そしてドビーはホグワーツの彼らよりよっぽどひどい扱いを受けていそうだった。

サキからしてみれば人語を喋る以上対等であるのだが、どうも魔法族の純血は差別意識が顕著だし屋敷しもべ妖精なんてほとんど畜生扱いなんだろう。

「何か用事があったら呼ぶね。下がっていいよドビー、ありがとう」

「はい。お優しいシンガー様。おやすみなさいませ」

ドビーは来た時と同じようにバシッと消えた。

便利だなあとドビーの消えた跡を眺めながら思い出す。

屋敷しもべ妖精は違った魔力を持つために魔法使いのかけた魔法を突破できる…。

ああやって奴隷のように扱われるのは、人がその力を恐れるあまりに制約をかけたからなんだろうなとぼんやり思った。

だとすると母親が姿を消し続けていたというのも納得できる。

魔法の力は強大だ。だからこそそれを打ち破る可能性があるものは徹底的に潰さなければいかないし、逆に言えば潰してきたから魔法使いが魔法界を支配できるのだ。

サキはふかふかのベッドに横になりながら思った。

今年も何かありそうだな…と。

 



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02.正しい喧嘩は痴話喧嘩?

ホグワーツ急行をいくら探してもハリーとロンは見つからなかった。

ハーマイオニーも首をかしげるしかなく、心配で今にも汽車から飛び出しそうになるのを必死に宥めた。

「ポッターがいない?どうせ乗り遅れたんだろ」

事件、事故といった推測が飛び交う中でドラコの一言が一番的を射ていたのをサキはパーティーの翌日に知った。

「車で暴れ柳に突っ込むなんて!レジェンドだよ」

グリフィンドールの朝食の席に紛れ込むスリザリン生は上級生にとっては慣れた光景だったが新入生には異様に見える。腹を抱えて笑うサキをジニーが伏し目がちにちらちら見ていた。

「ほんとに焦ったんだよ?カートが柱にぶつかるなんてさ…」

「ああ、暴れ柳にもぶつかって車はどっかに行っちゃうし」

「車はどこに行ったの?」

「わからない。禁じられた森でたくましく生きてるんじゃないかな」

武勇伝を語るようなロンとハリーにハーマイオニーはご立腹だった。

するとフクロウたちが一斉に広間に入ってきて生徒たちに荷物や手紙を落としていった。忘れ物を届けるフクロウもいるらしく、何羽かは重たそうな荷物を持ってふらふらゆっくり滑空している。

するとがしゃーんと目の前の皿を蹴散らして、老いたフクロウが落下してきた。

「ああ…もうエロール爺さんったら」

ロンがミルクでベシャベシャのエロールの足に引っかかった手紙を見つけて息を飲むのがわかった。

「うわぁ。吠えメールだ」

ネビルがおびえた様子で呟いた。

「そんな…嘘だろ」

「開けちゃったほうがいいよ。ほっとくともっとひどいことになる…」

いつになく真剣な顔をしたネビルに促されるように、ロンは真っ赤な便箋を震える指でつまみ上げた。

「なに?吠えメールって」

ハリーが尋ねるがロンはそれどころじゃないらしい。そーっと封筒を開けると、大広間に響き渡る怒声が封筒からした。

サキは反射的に耳を塞いだがハリーは間に合わず、鼓膜がどうにかなりそうになる。

便箋から響くウィーズリー夫人の怒鳴り声に全ての音が塗りつぶされ、その爆心地であるロンは注目の的だった。みるみる小さくなってテーブルの下に引っ込んで行く。

ガンガン響く怒声がようやっと終わると、赤い封筒はぶわっと燃え上がって灰になった。

数秒間はあまりの衝撃で誰もロンを馬鹿にすることはなかったが、誰かが思い出したように笑うとまた広間にざわめきが戻ってきた。

ハーマイオニーもさすがに同情した瞳でロンを見ていた。

事情を知っているサキもロンの肩をバンバンと叩き無言で激励してからスリザリンのテーブルに帰った。

ドラコはさも愉快そうだった。

しばらくして新しい時間割通りに授業に出ようとすると、休み時間が丸々移動に潰されることがわかったりしてサキは忙しかった。

手製の地図で最短ルートを導き出したはいいが、クラッブとゴイル(特に横幅のでかいゴイル)が通れないため結局のろのろと移動する羽目になった。

「ん?」

午後の魔法史に備えて読書する本を見繕ってから中庭に出ると、ハリーがカメラを持った一年生に絡まれてるのが見えた。

「サイン入り写真?君、ロックハートみたいなことしてるのかい?」

持ち前の地獄耳で内容を聞き取ったらしいドラコは早速足早に近づいていって喧嘩を売りに行く。

やれやれとサキが付いて行くとドラコが高らかに言った。

「サキ、君も欲しいなら並べよ!ほらみんな、ポッターがサイン入り写真を配るそうだ」

「え?タダでくれるの?やったー!」

「僕、そんなことしてないぞ!サキ、頼むから並ばないでくれよ!」

ハリーが怒り心頭で言った。おそらくロックハートみたいという言葉が琴線に触れたんだろう。ロックハートは赴任して1週間も経ってないくせに早くも生徒に嫌われ始めている。

「君、やきもちやいてるんだ」

小さい一年生がドラコの後ろにいる大きな岩みたいなクラッブ達に負けじと言い返した。

「妬いてる?僕が?悪いが僕は額に傷なんて欲しくないね。それだけで特別な人間になれるとは思わない」

「マルフォイ!」

ロンが怒って折れた杖を持ち上げた。

「いいやドラコの言う通りだよ」

いつもなら止めに入るサキの思わぬ同調にロンがあんぐり口を開けてハリーは目を丸くした。ドラコですらあれ?と一瞬眉が動いた。

「額の傷なんてただの傷跡だよ。人は外見なんかより中身が一番大事ってこと…それは写真にはなかなか映らない。そういうことだよそこの君」

サキはびっくりしているコリンのカメラをひょいっと取り上げて突然コリンをバシャバシャ撮りだした。

そして置いてけぼりになってる当事者と野次馬を気にすることなくコリンの肩をポンと叩いてカメラを返した。

「君、勝手に写真を撮っちゃダメだよ。こんな風に嫌な気持ちになるでしょ」

「あ……はい。ごめんなさい」

サキはにこっと微笑むとこれにて一件落着と言いたげに去っていった。

残されたドラコは有耶無耶にされた空気の中でどうしようか考えてるようだった。

「おや、なんの騒ぎです?サイン入りの写真と聞いて飛んできたのですが」

遅れてロックハートが割り込んできた。げっと思ったのもつかの間、ロックハートは目ざとくハリーを見つけて人ごみからするっと這い寄ってきて肩を掴んだ。

「さ、ツーショットだ!クリービー君撮りたまえ。私が許可してるんだから遠慮せずね!」

コリンは慌ててカメラを構えてシャッターを切った。ドラコは困りきったハリーを見てニヤニヤ笑いながら人垣にスッと消えていった。

 

「…なんでいっつも邪魔するんだよ?」

授業が終わり、談話室でおとなしく本を読んでるサキにドラコが突っかかった。

「邪魔?」

「とぼけるな。僕がポッターに話しかけるといっつも変なこと言ってごまかして!」

「ドラコは喧嘩がしたいの?」

「喧嘩がしたいわけじゃないさ」

ドラコがケンカを売る場面というのは概ね騒ぎが起きてハリーが困るときや、反撃できない時だ。サキも薄々それをわかっていた。

「暴力沙汰になる前に止めてるんだよ」

「余計なお世話だ。ポッターの肩ばっかり持って」

「そんな事ないよ!少なくともあの場で一番悪いのはドラコじゃなくて写真を勝手に撮った一年生だからあの子を叱っただけ」

「どうだか!」

ドラコの話を聞かない態度にサキは膨れっ面になる。

「賢者の石の時はハリーたちのこと褒めてたくせに。していい喧嘩と悪い喧嘩くらい区別しなよね!」

「なんだよしていい喧嘩って!というか僕はあいつらのことなんか褒めてないぞ!」

サキとドラコの口論はそう珍しいものでもないのでスリザリン生の大半はスルーしている。

「もう怒った!絶対君のことなんか擁護してあげない!」

「望むところだね!僕がいなきゃスリザリンでぼっちのくせに!」

「うっ!」

ドラコの言葉にサキが図星をつかれて唸った。時計が10時を指した頃、ようやく二人はベッドに戻った。

しかしその後、ドラコはサキの擁護がないおかげで辛酸を舐めることになる。

ドラコがクィディッチのチーム練習に初参加する日、サキのいない中でドラコはハーマイオニーに「穢れた血」と吐き捨てた。

「ナメクジ喰らえ!」

ロンの折れた杖は呪文を双方向に噴射し、ロンとドラコは一日中ナメクジを吐き出す羽目になったのだ。

双方向に呪文がかかったおかげか、吐き出すナメクジは小さめだったがヌメヌメした粘液が口からダラーっと垂れるのは生理的に辛い光景だ。

見舞いに来たパンジーやドラコを密かに支持している女子生徒はその姿を見て医務室から足早に去っていった。

「だから言ったじゃん」

夕方にやっと見舞いに来たサキは冷たく言い放った。

「しかも穢れた血だなんて。因果応報だね」

ドラコはうえっとナメクジを吐き出して喘ぐように言った。

「なんだよ」

サキは横の椅子に座って、バケツいっぱいに堆積したナメクジを見てうひゃーと悲鳴をあげる。

「ロンのも見たけどね、君と色の違うナメクジだったよ…。何で反映されるんだろう?性格…?食べたもの?ねえ、なんかお菓子とか食べた?」

「君、一体何しに来たんだよ」

「仲直りだよ」

サキはひょいっとナプキンを渡した。ドラコはありがたくそれを受け取り口の周りを拭う。

「その、さすがにかわいそうだなって…」

「別に君は関係ないだろ」

「あるよ、両方の友人として緩衝材にならなきゃ。それにドラコも本当は…」

「僕が、うぇエッ……!なんだよ?」

「うえー。なんか特大のナメクジが出たあ……」

「いちいち言うなよ!続きはなんだよ」

ドラコの問いをはぐらかすようにサキは笑う。嘔吐感に笑ってられないドラコはかといって怒る気力もなく、仕方なく追求せずにナメクジを吐き出し続けた。

「でももう人に穢れた血なんて言っちゃダメだよ。私だって言われたけどあんまりいい気分じゃないし」

「…ああ、僕が悪かったよ。もう言わないさ……本人の前ではね」

サキはちょっと困り顔になったが、その言葉でドラコを許す気になれたらしい。その日の夕食に出てきたと思しきパンを置いて医務室を出て行った。

「食べられないって…」



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03.恋する乙女の秘密

「絶命日パーティー…ね」

サキは困った顔して繰り返した。ハリーがグリフィンドール寮のゴースト、ニックに誘われたハロウィンの時にやる死んだ日のお祝いらしい。

「君、口が上手いだろ。ニックの首が一センチ繋がってることをなんとか首無しだってことにできそうだしさ」

「彼が生きてりゃそうしてあげたさ…」

「正気じゃないよなぁ。死んだ日を祝うなんて落ち込みそうじゃないか…」

ロンの言葉にサキは激しく同意した。幽霊のパーティーに興味がないわけじゃなかったが、ハロウィンのご馳走と幽霊のご馳走を天秤にかければ当然ハロウィンの方が勝る。

そういうわけでサキは丁重にお断りする。

「そういえば、変な声はその後聞こえる?」

「え?ああ…」

ハリーはロックハートの罰則を受けた時に変な声を聞いたと言っていた。今尚深夜徘徊グセのあるサキに心当たりがないか聞いてきたのをふと思い出したのだ。

ハリーもすっかり忘れていたらしい。

「聞こえないよ。気のせいだったのかな…」

「そうだといいね。でももしかしたら幽霊の中に犯人がいるかもよ」

「物騒だしお近づきにはなりたくないな」

ハリーはちょっとばかしニックの誘いを受けたことを後悔し始めているようだったが、今更断れないだろう。3人は腹をくくって大広間から離れていった。

サキは舌鼓を打ちながら席に着いた。この時ばかりはクラッブやゴイルと話がはずむ。二人は普段何を考えてるのかいまいちわからないしあまり発言しない。しかし夕食前はどんなメニューが出るのか、とか季節の野菜と魔法界の特殊な調味料について、とかサキの知らない事を考えてるらしい。話しかけるとぺらぺら喋ってくれて面白かった。

普段から美食を求めているわけではないが、ご馳走に関して言えばサキは貪欲だった。

出されたからには全部食べようという気概で、出てきた料理をひたすら皿に盛って食べる。

去年はトロールがきたせいでデザートまで味わえなかったが今年はちゃんと最後まで食べることができた。

食べ終わってわいわいとお喋りしている生徒が出てきたあたりで、サキはやっとハリーたちのことを思い出した。

絶命日パーティー、興味がないわけじゃない。

今から行っても間に合うだろうか?腹一杯食べた今、ここに居ても特にすることは無い。

覗きに行ってみよう。

思いついたが吉日という具合にサキは席を立った。ちらほら寮に帰る生徒もいたのでそこまで目立ってない。

サキはそーっと席を抜けて人気のない廊下をそそくさ走っていく。

確か地下でやっているんだっけ?廊下をとっとこ速足で過ぎていく。

「…?」

しかし地下へ行く階段の直前で耳障りな音が聞こえサキは足を止めた。湿った肉を引き摺るようなそんな音が真上から聞こえた気がした。思わず上を見るが、天井にはその痕跡を見つけることはできない。

コンマ数秒だけ迷い、サキはとりあえず上の様子だけみようと階段に足をかけた。

ゆっくり足音を立てないように階段を上ると、踊り場のすぐ上で女の子がうずくまってるのを見つけた。

赤毛のロング。真っ青な顔をして肩を抱いてうずくまってる。

「君…ジニーだっけ?大丈夫?」

一瞬幽霊かと疑ったが、その赤毛は見慣れたロンの髪色そっくりだったためなんとか名前を思い出した。

サキが肩に触れるとジニーははたと我に返ったような目でサキを見つめた。

「あなた…サキ、さん」

「そうだよ。お腹でも痛いの?」

同じ目線になるようにしゃがみこむと、ジニーの体調が優れないのがひしひしとわかった。体は冷えて唇はムラサキ。

ハロウィンの夜に何していたんだろう?

「だ、大丈夫です」

ジニーは慌てて立ち上がるが足元がおぼつかず大きく体勢を崩した。サキはすかさず手を差し伸べて体を支える。

「大丈夫じゃないじゃん。いいからホラ」

ジニーの腰をしっかり支えてやると抵抗はなく体重を預けてくる。本当に辛かったらしい。

「医務室に行く?寮に行く?」

「寮に…行きます」

女の子に体調不良の理由を聞くのも野暮だろうと深く触れはしなかった。

話すのも辛そうな思いつめた顔をしたジニーを支えながらサキは階段を上っていった。グリフィンドール寮の立地はスリザリンより悪いかもしれない。サキは登り階段があまり好きじゃなかった。

しかもジニーはほとんど歩くのもままならなさそうで、階段を登るのなんてほとんどサキが持ち上げるも同然だった。

「そんなところで何をしているんだ!」

ようやくグリフィンドール寮のある塔にたどり着くと、鋭い声が聞こえた。

振り返るとそこにパーシーが立っていた。

「ああ、パーシー。こんばんは」

「シンガーじゃないか。それに…ジニー?どうしたんだ?」

パーシーは兄らしくジニーを見つけてすぐ駆け寄り、ジニーの肩を撫でた。

「なんか具合が悪そうだったので送りました」

「本当だ。おい、大丈夫か?」

パーシーの声にもジニーは呆然とした返事しか返せず、パーシーの顔は曇った。

「シンガー、ありがとう。ここからは僕が送るよ。君も急いで寮に帰ったほうがいい」

パーシーの切羽詰まったような深刻そうな顔にサキはおや?と思い聞いた。

「何かあったんですか?」

「事件が起こったんだ。先生方が急いで生徒は寮へ帰るようにおっしゃってる」

「事件?」

「ミセス・ノリスが誰かに石にされた」

「あらまあ」

「それだけじゃない。不気味なメッセージもあって…ああ、もう最悪さ。僕が首席の年にこんなことが起きるなんて」

「まあまあ、首席取ってからなら別に何が起きたっていいじゃないですか」

「取ってからが首席らしい振る舞いをする機会だろう?…いいからもう寮に帰りたまえ」

パーシーはちょっと呆れ気味に言った。

廊下からざわめきがきこえてきて、何かごちゃごちゃ聞かれるよりはここでトンズラしたほうがよさそうだとサキは判断した。

「じゃあジニー、お大事にね」

サキはそう挨拶すると人気のない廊下の方にさっと消えた。

急いで寮に帰ると、ドラコが興奮気味にサキを捕まえて今日廊下で起きた事件について詳しく教えてくれた。

どうやら生き物を石にするというのは一時的なものでない限り高度な闇の魔術らしい。それに加え、壁に残されたメッセージというのが生徒たちの好奇心をくすぐった。

 

《秘密の部屋は開かれたり

継承者の敵よ、気をつけよ!》

 

「秘密の部屋?継承者?」

訝しげな様子のサキにドラコが興奮気味に解説を付け加える。

「スリザリン生なのに知らないのか?サラザール・スリザリンが残した学校にある秘密の部屋だよ。伝説の化け物がそこに封印されてるんだ」

「化け物?」

ドラゴンやらケンタウルスやら馬車を引く謎の骸骨やら、孤児院で暮らしてた頃からすれば化け物と呼ぶにたるものはたくさん見てきた。

今更伝説の化け物と言われても特に恐れる気持ちは沸いてこない。

「ということは継承者っていうのはスリザリンの継承者って意味?」

「ああ、そうだろうな。秘密の部屋の継承者なんだから。…その敵、って言えば誰だかすぐわかるよな」

「え…えーっと…犬猫ってこと?」

「違う!まさかサキ、サラザール・スリザリンのこと何も知らないのか…?」

「ええっと…好きな色は緑で、蛇が好き?」

はあーっとドラコは大げさにため息をついて手を目に当てた。サキはちょっとムカついたがスリザリンのことを知らないのは事実なので何も言えない。

「ホグワーツの歴史第1巻でも読むんだな…」

なぜか優越感たっぷりのドラコに歯噛みしながらサキは噂で盛り上がる寮生をほっといて一人ベッドへ行った。

翌日もその話題で持ちきりで、秘密の部屋とは何か、ミセス・ノリスがなぜ狙われたか、犯人は誰かとみんながみんな囁きあっていた。

「第一発見者はハリー・ポッターらしい」

という言葉を聞いてサキは我が耳を疑った。

どうして彼らはいっつもトラブルに巻き込まれるんだろう?

ハリーたちに話を聞きに行くと、より仔細な様子を聞かせてくれた。

ハリーにしか聞こえない不気味な『殺してやる』という声。水音。

水たまりに反射するろうそくの明かり。

それに照らされる固まったまま逆さ吊りにされた猫。

真っ赤なメッセージ。

遭遇したらぞっとする光景だというのは彼らの話し方で伝わった。

「でもしょぼいっちゃしょぼいよね?だってミセス・ノリスだよ」

「何を言ってるの?人がやられていたら下手したら学校閉鎖よ!そうじゃなくても、闇の魔法を誰かに使おうって人がいるんだわ。危険すぎる…!」

サキの軽口にハーマイオニーが俄然抗議する。

「閉鎖は困るな…ただでさえ今ママと顔合わせたくないのに…」

吠えメールの時の心の傷がまだ癒えていないらしいロンがげっそりといった。ハリーも冗談めかすことなく真剣な表情だ。

「サキ、夜出歩いちゃダメだよ」

サキは頷いておいた。心配されなくても当分外に出る気は無かった。

先生たちがピリピリするせいで、放課後廊下で立ち話をしているだけでも尻をたたくように寮に帰されるせいでハリーたちとろくに話もできなかった。

ホグワーツの歴史は早々に貸し出されてしまい手に入らず、サキは渋々寮で宿題をこなしていた。

「あの…」

そんなピリピリした放課後、サキは図書室でジニーに話しかけられた。

「ん?」

「ハロウィンの日は…ありがとうございました」

「どういたしまして。大丈夫だった?」

「おかげさまで。これ、お礼です」

ジニーは小さなお菓子の包みをくれた。ささやかながらも几帳面なお礼にサキはにっこり微笑んだ。

「気にしないでいいのに」

「そういうわけには」

「まあそういうことなら遠慮なくいただきます」

サキは早速中に入っていた小さな飴をジニーの口にも突っ込んだ。

ビックリした顔をしながらもむぐむぐと飴玉を口の中で転がす。

「おいしい」

「ん!」

サキはジニーの持ってる本のタイトルにひっかかるものがあった。

『好きな人へのラブレター。心に残る魔女の恋文100選』

『素敵な魔女になれる10の呪文』

ここまでは女の子らしくて可愛いラインナップなのだが

『記憶の水底〜マグルの心理学に学ぶ』

というのは11歳の少女らしからぬ選書だった。というか三冊の中で異質すぎる。

ものすごく興味が湧いた。けど、多分ジニーは女の子らしい二冊について恥ずかしがって何も話してくれないだろう。

「…学校は慣れー」

世間話からふって警戒を解いてもらおうとしたら、運悪く司書のピンズが通りかかった。猫のような鋭い嗅覚でサキたちの口に入ってるものを見抜いたらしい。

「ここは図書室!飲食なんて!出てお行きなさい!」

「そんな、飴玉ですよ!本は汚れない…」

「本を汚すな!本を!」

ピンズはいつも以上に気が立った様子でサキとジニーの尻を追い立てるようにあっという間に図書室から追い出してしまった。

「なんだよ!」

「きっとミセス・ノリスがやられたせいで気が立ってるんだわ…」

「全く…ネコ好きなのはわかるけどさ。本借りたかったんだよね?ごめん」

「い、いいの。…あの、サキさん」

「ん?」

飴玉をほっぺにしまってリスみたいに膨れたサキの顔を見てジニーは一瞬決意した瞳を曇らせた。

「ええっと…サキさんってマルフォイと付き合ってるんですか?」

「へぁ?!」

サキは口をあんぐりあけた。飴玉が口からこぼれそうになる。

「まっさかぁ!友達だよ。おませさんめ!」

「じゃ、じゃあなんでマルフォイと仲良いのにハリーたちとも仲良くしてるんですか?」

サキのからかうような半笑いの返事にもジニーは強気に言い返した。

「そりゃ友達だからだよ」

ジニーは納得できないと言いたげだった。なんでジニーがサキとハリーとマルフォイとの関係を強く問いただしているのか、サキはちょっと考えて閃いた。

「わかった!君もしかして…」

その言葉にジニーはぎくりとする。

「ドラコのこと好きなんだ!」

ずこーっ!とオノマトペが出てくるくらいにジニーはずっこけた。それはもうコミックみたいに。

「ちがうわよ!そうはならないでしょ、普通!」

「あ、あれ?違った?」

「マルフォイのことなんか好きにならないわ!ハリーにいつも喧嘩を売るし、仲悪いし」

「あの二人の仲の悪さはそんなに深刻でもないと思うけどね」

サキは「はあ?」と言いたげなジニーに笑いかける。

「ハリー思いなんだね。大丈夫だよ。ドラコもそんなに悪い子じゃないし、問題が起きるような喧嘩はさせないから」

意図せずつかったハリー思いという言葉にジニーの顔が耳まで真っ赤になるのがわかった。恋愛に疎いサキでもジニーの好きな人がわかってしまった。

「ハ、ハリーの事だけじゃないです…」

「ジニー可愛いー」

「や、やめてください」

「照れ屋さんー」

まんざらでもないジニーをよいしょしまくり場を和ませジニーの顔が髪の色より真っ赤になってからサキは自分の寮に戻った。

それにしてももう付き合うとか付き合わないとか、ませてるなあとサキはしみじみ女の子の恋愛観について考えた。

ジニーがませてるのかこの年の女の子なら好きな子くらいいるのが普通なのか、疎いサキにはわからなかった。

パンジーとかを観察してみようかと思ったが

「あら、何か私に御用かしら」

視線があっただけでつんけんされるようじゃ恋する乙女の側面なんておくびにも出さないな、と判断してサキは早々に寝た。

 

翌日。全生徒がいつの間にか秘密の部屋について情報を共有していた。

しかもなぜか一部の生徒の間ではハリーが継承者扱いされている。

ドラコは面白くなさそうだった。

「スリザリンの継承者だろ…あいつなわけない」

「継承者って血縁じゃないの?」

「そうだとしてもわからないさ。スリザリンって姓はとっくの昔になくなってるし…」

「例のあの人を倒したからってことなのかな?あの人が継承者だとしたら納得だけど、倒せば継承権がうつるの?」

「僕にはわからないよ」

ドラコは肩をすくめて朝食のヨーグルトを口に運んだ。

「あーあ。継承者がいるなら全力で協力するのにな」

「んー…。人は殺したくないなあ」

「君、まだ継承者の敵がなんだかわかってないのか?」

「………ニンゲン?」

「違うよ、いいか?スリザリンは純血主義者!純血以外がホグワーツで学ぶのを反対したんだ」

「えぇ?!じゃあ私危ないじゃん!」

ドラコは今それに気づいたようだった。

サキは母親こそ魔女であると確定してるが父親は誰だか全くわからないのだ。

「スリザリンに入ってれば大丈夫じゃないか…多分。ここだけの話スリザリンにも混血は多いだろうしね」

「そうだといいけどね…」

 

 

朝食後に出来た時間でグリフィンドールの席からたったハリーたちと立ち話をして、サキより危険にさらされている人物を思い出した。

ハーマイオニーはマグル生まれだ。

「ねえ…継承者はマルフォイじゃないの?」

何度も何度も三人からそれを聞かれ、どうやら違うようだと何度も答えた。しかし三人は納得がいってないようだった。

「だって…普通継承者って血縁じゃないの?」

「スリザリンの血縁なんて今いるかわからないだろ?だとしたら、代々スリザリンにいる純血が怪しいよ」

「うーん、でもドラコじゃないと思うけど…ハロウィンの日だって隣で飯食ってたし」

「あれはその気になればハロウィンパーティーの前にだってできるし、誰かを操ってそうさせたのかも」

「2年生にそんな魔法は使えないわ」

ドラコじゃないという主張に3人は完全に納得がいったわけではないが、スリザリン生のうち誰かかもしれないというところまでは疑惑を和らげたようだった。

「…でも、今後マルフォイは協力者になるかもしれない」

サキはドラコが本当にスリザリンの継承者を見つけても協力するか断言出来なかった。

今後秘密の部屋騒ぎは人がターゲットになり、いずれ死者が出ることが予想される。なんやかんやで彼は人が死んだりする騒ぎには関わりたがらない気がする。

「…ま、注意して見ておくよ」

サキは一応そうは言ったものの、注意せずとも見つけたら教えてくれそうだなあと楽観していた。

しかしサキの楽観的態度とは裏腹に、ハリーたちのスリザリンへの猜疑心は深まるばかりで、数日後にはハーマイオニーがポリジュース薬をこっそり作ろうとしてるのを聞いた。

「ええ?私がスパイするのに…」

「僕もそういったんだけど、ハリーが頑として聞き入れないんだ。サキはスリザリンで浮いてるし知らされてないことがある!って」

「失敬な。挨拶くらいしてもらえるよ」

サキの強がりにロンが苦笑いで返す。

「そういうわけで僕ら近々トイレに缶詰になるかも。嫌になるぜ」

ゆくゆくはトイレにこもりっきりになるというのに、こうしておしゃべりする場所がじめじめした湖のほとりというのもなんだかかわいそうな気がして、サキは中庭に移動した。

ロンだけと歩くのは珍しい。

「マルフォイの調子はどう?今週末試合だろ?」

「知らないな」

「君、よっぽどクィディッチに興味ないんだね」

「まあ面白いとは思うよ。でも自分がやらないからね」

「今度一緒に練習しようよ。…僕、いつかクィディッチのチームに入りたいんだ」

「へえー!じゃあまず箒の乗り方から教えてよ」

ロンとサキがだらだら喋ってると、クィディッチの練習でくたくたに疲れたハリーが帰ってきてお開きになった。明日はついにスリザリンとグリフィンドールの対決だ。

ドラコのデビュー戦ということで、パンジーがドラコに激励していた。

もしかしてパンジーはドラコが好きなんだろうか?

サキはドラコにべったり張り付いて同じような言葉をずっと繰り返すパンジーを見てふと思った。

しかしもし同級生がみんな誰かに恋してるんだとしたら周りはこんな風に蜜を撒き散らしたみたいにべたべたしているわけで、少なくとも自分の周りはこんなにべっとりしてない。

ジニーとパンジーが特別早咲きなだけだろうと結論づけ、サキはドラコとパンジーの向かいに座ってコップに注がれたぶどうジュースをあおった。

いつもより強くコップをテーブルに叩きつけてしまい、ドラコがぎくっと固まった。



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04.仲介人は情報通

結局ドラコの初陣は散々な結果に終わった。スリザリンはスニッチを獲得できず、ドラコはキャプテンに怒られ寮はお通夜ムードだった。

話しかけられるのを拒否するドラコを見て、サキは夜はどこか別のところに逃げたいと思ったがフィルチの取り締まりが苛烈になっているので諦めた。

見事チームを勝利に導いたハリーはロックハートに骨抜き(文字通り)にされていたため医務室にいる。

秘密の部屋騒ぎをつかの間忘れさせたロックハートのやらかしだったが、翌日にはどうやらコリン・クリービー(カメラ小僧)が秘密の部屋の怪物にやられたらしい。

クィディッチのことなんて忘れたようにみんながみんな実しやかに憶測を囁きあっていた。

サキは夜間外出もままならないどころか放課後廊下をうろつくだけでも厳しく理由を聞かれるのにウンザリしていた。

「仕方ないわよ」

ストレスを溜め込んだサキに、薬を作る息抜きに図書館に来たらしいハーマイオニーが諭すように言った。

そして言いにくそうに続けた。

「ねえ、サキ…あなた、フレッドとジョージに魔法薬の材料を横流ししてるんですって?」

「…身に覚えがないな」

サキはハーマイオニーから視線をそらした。はたから見ればほとんどバレないほどの表情の変化をハーマイオニーは目敏く見つけていた。

「夏休みにフレッドとジョージ宛に荷物を送ったらしいわね。鉢植えに見せかけてたけど、あれって催眠豆の苗木よね?」

サキは苦虫を噛み潰したような顔をした。

実はマクリールの屋敷にある庭園は魔法薬に使える、ギリギリ法律に抵触しそうな植物が満載だった。

庭を掃除する途中でそれを発見し、小遣い稼ぎにフレッドとジョージに売りつけていたのだった。

その中で催眠豆は第2種魔法薬原材料に指定されており、未成年による株分けは禁止されている。

まさかそれを、よりによってハーマイオニーに嗅ぎ付けられるとは。

何故ばれたのだろう?

まさかあの二人、寮に苗木を持ってきたのか?

実はサキの読み通り、フレッドとジョージは苗木を持ち込みこっそり男子寮で栽培していたのだが、それをサキが知るのは2年後のことだ。

「それで、魔法薬学の得意な貴方は二角獣の角の粉末なんて持ってないわよね?」

「友達に脅迫されるとは…」

「言っとくけどサキ、私は友達も大事にするけど法律も大事にするわよ。…学校の規則はたまに破るけど」

「まあ別に隠してるつもりもなかったんだけどさ…二角獣だっけ」

しかし植物系以外となると魔法の道具を作るときに最後に塗る釉だとかに使うものしか持っていない。

二角獣の角の粉末は木製家具の仕上げに塗りこまれることもあるが多くの場合比較的安価なユニコーンの角が使われる。発色もユニコーンの方がよく、二角獣のものが使われるのは稀だ。

「うーん。持ってないな…通販でもめったに見かけないし」

「通販?そんなものあるの?」

「あるよ。毎月購読してる。魔法具の材料になる木とかが載ってるんだ。珍品が入荷するとダイレクトメールが来るんだよね」

「変わった趣味してるのね」

「ハーマイオニーこそ。作る気なんだね?」

まさか、ポリジュース薬?と含みを持たせると言わずともハーマイオニーはわかったらしい。

「本当にやる気なの?ドラコは絶対何も知らないよ」

「わからないわ。何か掴んでるかもしれないし…それに、ハリーと仲のいい貴方に漏してない事もきっとあるわ」

「…ハーマイオニー…もしかしてこっそり薬作るの楽しんでる?」

「否定はしないわ」

ハーマイオニーはふっと笑った。楽しんでやってるというならサキがいくら制止しても無駄だろう。

「楽しんでるなら私もまぜてよ」

「勿論よ。できれば当事者の毛を集めて欲しいの」

「毛なら全然余裕だけど、角の粉末と…多分毒ツルヘビもだよね?あれは多分スネイプ先生の薬品庫に行かなきゃ手に入らないよ」

「そうなのよね」

ハーマイオニーはふうっとため息をついた。迷いがあるようだがもうそこからちょろまかすしか道はない。

「放課後は守りが固いから、やるなら授業中ね」

「そうだね。…爆発でもさせる?」

「名案だわ」

サキとハーマイオニーは作戦(といっても爆発させてスネイプを引きつけておく時間)を決め、秘密の部屋に関しての持ってる知識を交換しあった。

「いけない!交代の時間を忘れてたわ。ロンが怒っちゃう」

ハーマイオニーは時計を見て慌てて消えていった。サキもまた本を読む気にならなかったので寮に帰った。

 

材料の窃盗は膨れ薬を作ってる時に、サキの爆発を合図に実行された。

ドラコがロンとハリーにいたずらしてる隙に、どうしたって爆発しないはずの膨れ薬を爆発させたのだ。

ハリーは飛び散る膨れ薬を避けるのに精一杯で、ハーマイオニーがふっと消えるのさえ見届けられなかった。

スネイプはサキに何をどうして爆発したのか厳しく問いただしたが、サキは白々しく「あまりにも不味そうなのでつい砂糖を入れたら…」と答えていた。スリザリンにもかかわらず罰則を食らっていたのは申し訳なかったが、膨れ薬で鼻が10倍に膨らんだドラコを見て愉快な気持ちだった。

 

「やっ」

軽薄な掛け声にジニーは飛び上がるほど驚いた。

ジニーはここのところ、自分の記憶が途切れ途切れになっていた。今も思わずぼーっとしてしまい、危うくまた知らないところに自分が来てしまっているのかと勘違いした。

「大丈夫?」

「サキさん。…どうしてそんなところに?」

「罰則でね」

階段に沿って大量にかけられた絵画。ジニー二人分くらい上の位置でサキがハシゴにまたがり埃を取っていた。

「あらら、埃かぶっちゃってる」

サキはスルスルと滑るように梯子を下りて、ジニーの肩と髪にかかった埃を払った。ごめんね、と微笑むサキに一瞬心を許しそうになったが、ゆるむ自分の心を引き締める。

「また具合悪そうだね」

「あんな事件もあったから…」

「ああ、ショックだよね。…ねえジニー」

サキがジニーの顎をそっと抑えて視線をしっかり合わせた。そらすことができない。

「ハロウィンの日にうずくまってたのは、もしかしてトイレからの帰りだったりする?」

「えっ…」

予想外の質問にジニーは口をつぐむ。その日は、丁度記憶が途切れ途切れになり始めた日だからだ。

そして、トイレというのはミセス・ノリスが石にされた廊下に最も近い嘆きのマートルのトイレのことだろう。

「わ、わかりません」

「わからない?」

しまったとジニーは視線を逸らした。サキはジニーを離して、優しく頭を撫でた。

「そっか。わからないのか。じゃあしょうがないよね」

「何でそんなことを聞くんですか?」

「いやね、あの日君がうずくまってた階段の方から何かが這いずる音が聞こえたんだよ。ひょっとしたらそれが秘密の部屋の化け物かもしれないでしょ。見なかったかなあって」

「ごめんなさい、見てません」

ジニーは早く寮に帰りたかった。

サキは、ハリーたちといると愉快なお友達然としているがこうして1人で対面するとわかる。

この人は、呆けたふりして腹の底で何を考えているか全くわからない。

ジニーはハリーと仲良くしているサキにはじめから良い印象を持っていなかったし、正直言って嫉妬していた。

だが、その負の感情がどこからくるのかわからなかった。

この人はまるで何も考えてない明るい人みたいに見えるけど、ハリーとマルフォイたちの間で多くの情報を抱え込んでいるはずだ。しかしそれを決して双方に漏らさない。

ジニーのことも、パーシー以外には漏らさない。

秘密を持ちすぎてるくせにそれをおくびにも出さないから怖いんだ。

「私、寮に帰ります」

そして私も、彼女に秘密を握られかけている。

「そう?ねえジニー」

「なんですか?」

「一度鏡を見たほうがいいよ。ほっぺたが汚れてる」

「…どうも。それじゃあ」

サキから足早に逃げていき、ジニーは寮に入る前にトイレで鏡を確認した。

自分の疲れた顔をよく見ると、頰に微量の血液が付いていた。

「うそ…」

ジニーは必死に石鹸をこすりつけて血の付いた頬を洗った。

また、記憶がない!

記憶がないのに違和感がない!

ぞくぞくと立つ鳥肌が止められなかった。

 

どうして?

どうして私の顔に血が付いているの?

まさか、またー

 

ジニーが密かに、そして静かに病んでいくのをサキだけが気がついていた。

ジニーに散々心の中で罵られたサキだが、本人は全く知らずにまたハシゴを登って絵画に積もった埃をはたき落としていた。

 

ジニーも見てないのか…てっきり口封じか何かをされてあんなに怯えてるんだと思ったのに

 

バシバシとはたきを打ち付けるせいで絵画の中から非難の声が上がるがサキは上の空だ。

 

けれどもあの頬についた血は異常だ。やっぱり事件に巻き込まれてるんじゃないか?

 

次の絵画はフィルチの腕でも届かない位置だったので、魔法を使ってはたきをかけた。

埃がはるか下の絵画までふわふわと落ちていくのがわかる。

秘密の部屋が開かれたとして…人を石にしてるのは部屋の怪物。

司令塔は誰だろう?

ジニーが脅されてると考えれば人間だが…

「こら貴様!なにをやっとるんだ!」

考えの途中でカンカンになったフィルチの声が聞こえてサキははたきがけを中断した。

「言われたことをやってるじゃないですか!」

「埃が、みろ!一階で山になってるんだぞ。それも掃除しなけりゃ罰は終わりじゃない」

「ええ?!そんなあ…」

しかし今のフィルチは猫がやられてもはや狂ってるといっていいほど攻撃的だ。サキがいくら言っても無駄だろう。

諦めてひたすら埃を払っているうちに、サキは自分の考えていることを忘れた。

 

「サキ!ちょうどいい」

ドラコが分厚い呪文集をぱたんと閉じて杖を振りながらサキを呼んだ。

「決闘の練習をさせてくれ!」

ドラコが何を言ってるか一瞬理解できなかったが、大々的に貼られた決闘クラブの告知を思い出した。

二つ返事でサキが了解し、2人はお互い呪文をかけたり避けたりした。

クラッブとゴイル相手だと避ける事もしてくれないし、呪文があまり成功しないのでこっちも避ける練習ができないらしい。

「ハリーたちも参加するって言ってたな」

サキは盾の呪文を出そうと四苦八苦しながら言った。

「当然!僕が勝つ!」

サキは去年の秋を思い出していた。ドラコがハリーたちをはめるつもりで決闘を申し込んだが、結局サキのせいで本当に決闘をする羽目になり結果的に三頭犬のいる小部屋にみんなで飛び込んでしまった。

「リベンジマッチだ」

「何言ってるんだよ。あれはポッターの反則だったろ」

「そうだっけ?」

サキはドラコが吹っ飛ばされて笑い転げてることしか覚えてなかった。

普段の授業よりよっぽど熱心に呪文をかけるドラコとサキは周りがみんなベッドに行くまで延々と転び転ばしあっていた。

 



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05.決闘クラブと噂話

決闘クラブの朝、アザだらけのサキをパンジーが不気味がっていたがサキは気にしなかった。ズボンでわからないがドラコも同じくらい膝に痣があるはずだった。

決闘クラブにはスリザリン生からも多々参加者がおり、同学年なのに一回りも大きなミリセント・ブルストロードに絡まれて困っていた。

いつも一緒にサキの陰口を叩くパンジーとダフネはいなかったが、こいつは集団よりも一人でいた方が強く出られるらしい。ぜひ私と組みなさいよと言ってるがサキはお断りだった。早々に彼女の視界から逃げてしまおうと画策しているうちにロックハートが壇上に躍り出て長々と口上を述べる。

スリザリン生の多くは早く戦わせろといいたげに苛立っていた。

「…では、私のお相手をしていただく勇敢な先生を紹介しましょう。セブルス・スネイプ先生です!」

派手派手しいマントのロックハートと対照的にいつも通りの陰気な格好と表情でスネイプが出てくる。

嫌々って感情を人間型にこねたらああいう顔をするんだろうな、とサキはぼんやり思った。

道理でこの間授業の質問をしに行った時やけに不機嫌だったわけだ。てっきり薬泥棒がばれたせいだと思ってたがタイミング的にこっちだろう。

当然周りもざわつく。あのスネイプと、いんちきロックハートの対決だ。一部の女子を除いてみんながスネイプがロックハートをこてんぱんにするのを待ち望んでいるのが伝わってくる。

「まず挨拶ですね。そして、後ろを向いてカウント!3.2.1で…」

ロックハートが指揮者みたいに杖を振り回すと、スネイプはナイフで切り込むように呪文を叩きこんだ。

武装解除呪文はロックハートの体を貫いて、杖が遠くへ弧を描きながら飛んでいく。

舞台で派手にすっ転ぶロックハートをみて悲鳴と歓声が上がる。

「は、はじめに武装解除呪文をみせるとは、いい選択ですね!」

取り繕うように言うロックハートをスネイプは冷笑した。

「生徒たちにやらせた方が決闘クラブを開いた趣旨に沿っていると思いますが?」

「ああ、おっしゃる通りだ。それじゃあみんな二人組になって!」

サキはとっさにハーマイオニーの後ろに隠れてミリセントをかわした。しかしロックハートに見つかってしまい、ハーマイオニーが組まされてしまった。

ごめん!というジェスチャーにハーマイオニーは苦笑いを返した。

ハリーは大慌てでロンと組んでしまい、それを見てがっかりしたドラコはザビニと組んでいた。

サキは取り残されたネビルと目があった。

「ネビル…よろしくね」

「ごめんよ、サキ。僕なんかで…」

「大丈夫!避けるの得意だから」

ロックハートの号令を聞いて、ネビルは自信なさそうに杖を構えた。サキはこの上なく不安だったが、少なくともロンの折れた杖相手よりマシな結果になるだろうと腹をくくる。

次の瞬間には呪文が飛び交った。と思いきやものの10秒ほどで呪文を唱える声はやんで殴打音やら悲鳴が聞こえる。

サキはいくら待ってもこないネビルの攻撃を立ったまま待った。

「やめろ!やめなさい!みなさん呪文で戦わないでどうするんですか」

見ると周りのみんなは取っ組み合いの喧嘩中で、ハーマイオニーに至ってはミリセントにチョークをかけられている。完全にプロレスだ。

数組ぐらいしかまともに呪文を飛ばし合っていない。

低学年はそりゃこうなるだろう。

「手本をお見せするのがいいかもしれませんね…ポッター!是非みんなに見せてあげましょう!君の完璧な決闘をね」

ロックハートが名案だと言わんばかりの輝かしい笑みでハリーの腕を掴んで壇上に引っ張り上げた。

マルフォイは待ってましたと言わんばかりに自分から壇上に上がろうとする。

「そいつのメガネをカチ割ってやれ!」

スリザリンからヤジが上がる。スネイプは咎めるような目でじろりと観衆を見回したが、ロックハートはハリーへのヤジも自分への声援のうちと勘違いしているらしくなぜか手を振っていた。

「さあ真剣勝負ですよ。お互いしっかり開始線について、杖を構えて!…ハリー、君なら勝てるよ」

ロックハートは器用に周りに聞こえる声でそっと囁き一歩下がった。

サキとハイタッチして壇上に自信満々に上がるドラコをハリーは睨んだ。

「…負けるのが怖いか?ポッター」

「お前こそな、マルフォイ」

ハリーとドラコはにやりと笑った。ちょうどついさっきの動きが準備運動になった。

マルフォイなんかには負けない!

ハリーはぎゅっと杖を握りしめてドラコを見つめた。

「タラントアレグラ!」

まずドラコの呪文がハリーに当たった。ハリーの足がタップダンスを踊り始めると観衆は笑い出した。

ドラコがバカにしたように笑った瞬間、ハリーはここぞとばかりに呪文を唱える。

「ブラキアビンド!」

腕縛りの呪いは見事に決まり、ドラコの腕が後ろに回って体勢が大きく崩れる。ハリーはタップダンスを踊ったまま次の呪文を繰り出そうとした。

「くっ…サーペンソーティア!」

ドラコは杖を取り落とす前に呪文を繰り出した。

しゅっと閃光が走り、閃光が蛇へと変化する。

しかしその直後ドラコに全身金縛り呪文がかかり、ドラコは硬直して倒れた。

蛇は凶悪に舌を出して威嚇する。観衆は静まった。

サキが気絶したドラコをかばうように壇上に上がった。

しかし蛇はサキを無視して観衆をじろじろ眺め、そしてジャスティンを睨みつけるとじりじりと這い寄る。

襲われる!とハリーは思った。

『やめろ!』

ハリーの叫びに蛇が振り向いた。その目はヴォルデモートを連想させて、体がぎくっと固まる。

蛇はちろちろ舌を出して値踏みするようにハリーを見ている。

僕が襲われる…

そう思った時、サキが蛇に気付かれないようにそっと近づき鎌首を擡げた蛇の頭を思いっきり殴りつけた。

周りから息を飲むような小さな悲鳴が聞こえた。

蛇はべしゃっと舞台に叩きつけられ、動かなくなる。サキはすかさずローブをかぶせた。

「捕まえた!」

サキは嬉しそうだったが、周囲はついていけなかった。

スネイプは慌ててドラコを蘇生させてサキの捕まえた蛇へ杖を向けた。

「ヴィペラ・イヴァネスカ」

蛇はローブを残して灰になって消えてしまった。

「ふざけてるつもりなのか?」

ジャスティンが思い出したように大声でハリーを非難した。

ハリーは何故自分が責められているかわからずおろおろと周りをみまわす。

「助けてもらったくせに何言ってるんだ?」

サキがそんなジャスティンに食ってかかろうとしたがスネイプが腕を掴んで止めた。しかし気が立っているせいかジャスティンはいつもの冷静さを失ってサキの方へつっかかっていく。ロックハートも慌てて止めに入り決闘クラブでまた決闘が起きそうになった。

ハリーは手招きしているロンとハーマイオニーとともに大急ぎで大広間から抜け出した。

 

「君、なんで教えてくれなかったんだ?」

ロンの言葉にハリーはただ疑問符を浮かべるだけだったが、どうやらハリーは蛇に呼びかけた時に蛇語をしゃべっていたらしい。蛇語を話せる人をパーセルマウスというが、それは魔法界でも稀有な存在だとハーマイオニーが説明を加える。

「そして…サラザール・スリザリンもパーセルタングだったの」

「嘘だろ…そんな、僕…知らない!」

「わかんないぜ。遠い遠い先祖かもしれないし…。少なくとも明日から君、噂の中心だろうな」

「笑えないよ!僕はただジャスティンを助けようとしたんだ」

「そうだったの?けしかけてるようにしか見えなかったよ」

 

ロンの予想通り、それからハリーがスリザリンの継承者だという噂は全校に広まるところとなった。話は尾ひれがついて、ハリーが蛇を出してけしかけたことになっている。

蛇を殴って撃退したサキはというと一部のハッフルパフ生から《スネークイーター》というかっこいい異名で呼ばれていた。

元からスリザリンで浮いていたサキが実は継承者の敵でハリーとは裏で戦い続けている、とレイブンクローの噂好きの女子が話しているのをみて、ハリーはうんざりした。

「蛇はね、頭を殴ればしばらく動けないんだよ。昔テレビでインドの蛇遣いがやってたんだ」

サキは喧嘩を仕掛けた罰則でまた掃除をさせられていた。大広間の天井の蜘蛛の巣取りのためにとんでもない高さのはしごから降りてきたサキは埃と蜘蛛の糸で真っ白だった。

「噂って無責任だよね」

ハリーの言葉にサキはウンウン頷く。

「また寮にいづらくなっちゃった」

「僕もだよ」

二人で話すのを遠巻きに眺めてなにやら小声で話すグリフィンドール生をチラッと見てハリーは言う。

「一緒に野宿でもする?そろそろ寒くて辛いけど…」

「いや…サキはそれ以上フィルチの反感を買わないほうがいいよ」

「…やっぱり?」

サキの掃除した箇所の床は埃まみれだった。

「掃除下手だね…」

「大味なだけだよ」

サキはやれやれとモップをバケツに入れて今度は床を掃除し始めた。ジャスティンも罰則のはずだがここにはいない。

「ジャスティンは?あー、例の件で誤解があるからちゃんと正そうと思ったんだけど」

「あっちは図書室の掃除だったかな?あの時はごめんね、なんか余計ことが大きくなっちゃうとはおもわなくって」

「いいんだ。君が怒ってくれて嬉しかったよ」

ハリーはサキに頑張れと言い残して図書室へ向かった。

ハリーがジャスティンを探してウロウロしていると、ハッフルパフ生の集団がピンズの目の届かない隅でこそこそと話していた。

ジャスティンという名前が聞こえてハリーは思わず聞き耳を立てた。

「ジャスティンのやつ、可哀想にな。ハリーに目をつけられたって…」

「でもハリー・ポッターがスリザリンの継承者って本当なの?だって例のあの人はスリザリン出身で彼はグリフィンドールじゃない」

「いーや、わからないよ。ほら…例のスリザリンの女子」

「サキ・シンガー?」

「あの子の協力者だって言ってる子もいる」

「まさか!」

「先生たちの目をかいくぐるためにハリー・ポッターを影で操ってるらしいぜ」

「おかしいよ。サキが継承者の敵でハリーを止めたって方が筋が通ってる!ハリー・ポッターはパーセルタングだ。あれってすごくレアなんだぞ?」

「あれ?そもそも蛇を出したのはマルフォイじゃなかった?」

とんでもない憶測ばかりが飛び交っており、こうして噂が作られていくと思うとハリーは気が遠のきそうだった。

思わず影からぬっと出た。噂話をしていたアーニーたちが驚き言葉を失うのがわかった。

「えーっと、やあ。僕ジャスティン・フレッチリーを探してるんだけど…」

「あいつに何の用だ?」

アーニーは恐々と言う。

「ほら、決闘クラブの時の誤解を解いておきたくって…見てたろ?蛇を止めたの」

「ああ、見てたよ。君が蛇と話してシンガーがそれをぶん殴ったのをね」

マトモじゃないぜ、と後ろでハッフルパフ生の誰かが囁いた。

「言っとくけど、あれは僕が蛇を止めたんだ!動きが止まって僕の方を睨んでただろ?サキはそれを力尽くでやっつけた。それだけだよ」

「どうだかね。なんせ僕たち蛇語はわからないもの」

なおもこちらの言うことを聞かないアーニーにハリーは苛立った。

「僕が犯人ならー」

ハリーの怒声にハッフルパフ生が悲鳴をあげて積まれた本を崩した。

「自分の寮の生徒を狙うもんか!」

マダム・ピンズが飛んでくるより早く、ハリーは怒り狂って図書室から出て行った。

 

 

「…なにしてるの?」

 

サキが教科書を取りに寮へ戻る途中、ジニーは掛けられた声に反応せずに呆然と廊下に立ち尽くしていた。

「ジニー?」

ジニーは名前を呼ばれても反応せずにじっと手元を凝視している。

暗い廊下だ。隙間風が寒い。

「君、一体なにをしてるの?」

サキは様子のおかしいジニーに再度呼びかける。

黒い四角い何かを持って一歩も動かないジニーは一言で言えば異様だ。

「何を持ってるの?」

サキは思わず駆け寄って肩をぐっと引き寄せる。ジニーが水面に揺れる影みたいにぐらっと傾いて、サキの方へ倒れ込んでいた。

手に持っていた黒い何か…手帳だ。それが落ちて転がる。

ジニーは荒い息を吐いていて実に辛そうだった。

「ジニー、ねえ…大丈夫?」

「……サキ…」

落ちた手帳に注意を払うことなく、ジニーはサキの手を振り払って明るみへのろのろと歩き出す。

「あのね、ジニー。そっちはダメだ」

「……なぜ?」

「人が倒れてる。じきに騒ぎになる」

ジニーの顔が真っ青を通り越して真っ白になるのがわかった。

「私、何してたの?」

「さあね」

弱々しいジニーの手を無理やり掴んで、サキは有無を言わせず医務室へ向かった。

マダム・ポンフリーはあまり理由を問わない人だから大丈夫。だとかボーッとしてたんだよ。とかジニーを慰めるようなことを言いながら歩いてるが、ジニーの反応は薄かった。

サキは、音を頼りにあの薄暗い廊下へたどり着いた。

湿った肉を引きずる音。

そして、声。

 

「まずは…そうですね。チョコレートミルクがあります。私は少々出かけます」

マダム・ポンフリーはジニーをベッドの一つに通すと慌ただしく上着を羽織った。

「…また、犠牲者ですか?」

サキの言葉に実に悩ましいと言いたげにため息をついた。

「そうです。犠牲者です。…貴方も早く寮へ帰りなさい。ここは安全だから」

「はい。それじゃあ…」

サキはマダム・ポンフリーに急かされるように医務室を出て、寮へ帰った。

寮へ帰るとハリー・ポッターがジャスティン・フレッチリーを石にしてついに校長に呼びだされたと話題になっていた。

興奮したパンジーまでサキに話しかけてきた。

「マグル生まれはもう安全じゃないわね。貴方のお友達も近々やられちゃうんじゃないの?」

「…さあね」

ゴーストもやられたと言う知らせはますますスリザリンの怪物を恐ろしいものにしていった。

死せるものをも殺す化け物。

その正体をみんなが予想しあった。

サキは男の子で群れてるドラコに近づくのは気が引けたので、そのまま人の少ないベッドルームへ戻った。

 

「…T・M…リドル……」

 

そして、ジニーの落とした古ぼけた黒い革の手帳の表紙をそっと撫でそこに書かれた名前を呼んで首をかしげた。

 



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06.リドルの日記

 

まず日記を触った指を舐めた。舌にじゃりっと埃がついた。

そして嗅いでみる。妙な匂いはせず、ただ古びた本特有の黴と若干の腐食と埃っぽい匂いがくしゃみを誘う。

次にサキはちろっと舌を出して本の端を舐めてみた。数秒待っても舌の痺れや本の変色、異常は見られない。

全く馬鹿げているけれどもこれで少なくとも触っただけでどうにかなる類の呪いや毒は仕込まれていないのがわかった。

次にページをめくる。

中身は50年前の日記らしからぬ真っ白いページ。

ペラペラと何ページめくっても日記には何も書かれていなかった。

「ディフィンド、裂けよ」

ページを破ろうと呪文をかけたが不思議と呪文がうまくかからずなかなかページを破れない。仕方なしに自分でも引っ張り、終いには噛みちぎってでも破いてやろうとしたがページは頑として裂けなかった。

 

真っ白な日記をこうまでして保護する理由はなんだ?

 

サキは次にろうそくの炎で炙ってみたが日記は燃えずに火の中にあった。

その時点で隣のベッドのダフネが気味が悪いからやめてくれと言ってきたので、サキは仕方なく日記をベッドの上に置いて考えた。

考えに考え、サキは日記に文字を書いてみた。

 

《あああああ…》

 

インクがじわっと白いページに染みて、そして消えた。あっと思ったのもつかの間で消えた箇所に今度はサキの筆跡とは違う綺麗な文字が浮かび上がってくる。

 

《はじめまして》

 

サキは驚いてその文字を指でなぞった。しかし浮かんできた文字はまたすぐに滲んで消えてしまう。サキは慌てて返事を書き入れた。

 

《あなたは誰?》

《僕はトム・M・リドルです。貴方の名前は?》

 

返事はすぐに来た。どうやらT・M・リドルのTはトムらしい。

サキは自身の名前を書き込もうとしてしばし悩む。この日記は明らかにジニーの異常に関係している。そんな怪しい日記帳(しかも話ができる)に自分の本名を教えていいものか。

サキは文字が消えてからちょっとして書き込む。

 

《私はサキといいます。ホグワーツの生徒です。この日記は校内で拾ったんですが、あなたは一体なんですか?》

《こんにちは、サキ。この日記は、昔ホグワーツに在籍していた僕の記憶を閉じ込めたものです》

《貴方は記憶そのものなんですか?なぜそんなあなたの日記が今校内に存在するのでしょう?》

《そうです。トム・リドルの記憶です。僕はこの日記に記されたこと以上のことは知らないので貴方の質問には答えられません。残念ですが》

サキは頭から滲んで消えていってしまう文字を目で追ってまた考える。この日記は以前の持ち主であるはずのジニーのことは言わない。こちらも落し物を拾ったていで話しかけているので変にジニーのことは言えないので話がうまく進まなくなってしまった。

《そうですか。誰かの持ち物ならその人に返そうと思っていたのですがご存知ないなら仕方がないですね》

《けれどもこの日記を落とした人はさぞかし動揺しているでしょうね》

《なぜ?》

《この日記には50年前のある真実を記してありますから》

《50年前に何があったんですか?》

《これ以上は答えられませんよ、サキ。僕は日記の記憶にすぎないけれども、だからこそ狙う人間がいる。貴方が信用できる人間か僕にはわかりません。貴方の事をもう少し教えてください》

《わかりました。いいでしょう。ただしもう遅いのでまた明日》

《もうそんな時間でしたか。僕の時計は止まってしまっているものでね。おやすみサキ》

日記は上手いことを言ってからそれ以上語りかけてくることはなかった。

サキの質問にノータイムで返答したりホイホイ情報を与えなかったりと随分人間的な日記だ。人の記憶を記したというよりもまるでその人そのものが入ってるようだ。

さすが魔法だと感心しながら、その古い日記を閉じて隅々と眺める。

ジニーについてなにか知っていても、こいつはそう簡単に吐かないだろう。こういう口の上手い奴は多くを喋るくせに大切なことは何一つ口にしないものだ。

サキは日記をカバンに放り込み、ベッドに潜った。

 

 

それからサキは自分のことを日記に書き始めた。適度に嘘を交えつつトム・リドルという人間についても聞き出していく。

ジニーは翌朝医務室から出て行ったらしいが、ジャスティンがやられた件でハリーが犯人扱いされていたり生徒全員が疑心暗鬼に陥って先生たちも殺気立ってるせいで声をかけることはできなかった。

かわいそうに、ハリーは今学校の至る所で針の筵だ。

サキはサキで何やら噂されてるらしいが元からスリザリンでは浮いてるし他の寮の生徒と関わりがないので気にならなかった。

「君が継承者の敵らしいな」

と言って肩を小突いてくる上級生に向かってそう思ってるなら夜中蛇をけしかけるぞと脅しかえしたらそいつは黙っていなくなり、翌日にはサキが真の継承者だという噂が流れていた。

バカバカしいと思いながらサキは来たるクリスマス休暇をどう過ごそうか悩んでいた。

 

「僕は今年は残るよ」

「えぇ?!」

「なんだよ、こんな面白いことが起きてるのに帰ってられないだろ?」

「今年こそお呼ばれする気だったのにな」

サキの冗談にドラコはあんまり笑ってくれなかった。純血で、代々スリザリンなのに自分が継承者だと噂されないのを愚痴っているのを前に聞いてしまったのでサキはなんとも突っ込みがたかった。

「君も残るだろう?」

ドラコの言葉にサキは迷う。先日、トム・リドルにクリスマスは実家に帰るようアドバイスされたのだ。

 

《君は自分の生まれを気にしてないようで、気にしている。家系図があるのならもう一度見て名簿と照らし合わせてはどうですか?》

 

と、自分の生い立ちと寮での立ち位置について話した時に言われたのだ。

サキは帰るついでにマルフォイ邸で美味い飯を食べる気でいたのだが思惑が外れてしまった。

「私は忘れ物があるから帰るよ」

「送ってもらえないのは不便だな…」

サキは結局荷物をまとめてクリスマス休暇へ向かうことにした。

 

「ハーマイオニー、約束のもの」

出かける前に依頼されてた品物、ポリジュース薬の仕上げに使う相手の体の一部を小さな試験管に入れて渡した。

「こっちが、クラッブ。これがゴイル。それで私のと、一応他の女子の。ミリセントだけど」

「ミリセントの毛なら私も持ってるわ」

ハーマイオニーはクスクス笑って三人の毛髪を照らしてみる。

「わあ、サキ!あなたの毛ってちょっと青いのね?」

「そうなの?」

「この髪色、濡れ羽色っていって珍しいのよ」

ハーマイオニーは試験管をカチャカチャ揺らしてカバンにしまった。

「ところで、ホグワーツに残るわよね?実行当日にクラッブとゴイルをおびき出して欲しいんだけど…」

「ああ!そのことなんだけど、今年は家に帰るんだ」

「そうなの?」

「大丈夫、ドラコは学校だから」

「じゃああなたの住所教えてもらわなきゃね。プレゼントが届かないと困るわ」

「そーね。書いて渡す」

ハーマイオニーは難なく上級魔法薬を完成させたようだ。さすがハーマイオニー。

「マルフォイから有益な情報がつかめるといいけど」

「さーね。何事も無駄ではないと思うけど…ジニーは元気?」

「最近参ってるみたい。どうして?」

「最近参ってるみたいだからさ」

ハーマイオニーは肩をすくめる。

「継承者がクリスマスくらいはお休みしたいと思ってくれればいいんだけど」

ホグワーツに残る生徒は去年と同じでほとんどいなかった。

多くの生徒が荷造りしてキングスクロス駅に着く急行へ向かう。

サキが家に着くにはまずタクシーを拾い、バスを乗り継ぎ、雪の積もった道を歩かないといけない。

荷物も少なく身軽で来たが着くのは夜だろう。

ネビルのコンパートメントに入れてもらい、いま石にされている人を治せるマンドレイクについて二人で復習した。ネビルは薬草学が好きらしく、サキは成績は良かったので話が合った。

家から密輸入した薬草群をこっそり森で栽培して販売するという密売計画について話す頃には汽車はロンドンへ着いてしまった。

 

屋敷は異常に寒かった。自室とキッチンの動線に明かりを灯してからすぐにサキは暖炉の前から動けなかった。

取りやすい場所に置いておいた家系図を引っ張り出して隅々を見る。

名前を追っていくと夏に抱いた違和感の正体が分かった。

 

マクリール家は母系制だ…

 

すべて入り婿で、家督はたとえ男が生まれていても女児が継いでいる。

記された名前を見れば一目瞭然だった。ぱっと見名前が男性名だったりするが、この家に生まれた男児は必ずジョンと名付けられているのでおそらく違う。

仮に母系出自、母系相続だとしたら古くから続く家系にも関わらず魔法界の日陰者であるのも頷ける。

ここまで偏向した女系家族は男系の出自を重視する社会では異質だ。

入り婿の名前も元の家の名前すら記述されず、男児の名前は書かれただけでその後新しく家族を作ったかもわからなかった。

他の家系図は見たことないが、一般的には枝葉が伸びるような図になるはずだ。しかしこの家系図はほとんどまっすぐ、一本の幹で出来ている。

よく見たら家督を継ぐ女性の名前もA.B.C.Dと繰り返しで付けられているではないか。

 

この家、超根暗そう

 

サキはリヴェン(R)の次に来る名前を探した。辿り辿って、最早配偶者すら記されていないほとんど名簿扱いの名前の列にようやく見つける。

 

セレン

 

セレン…いい名前とは思えない。私は歌が上手くないし。

というかあらかじめ決まっている名前があるにもかかわらず名前をつけなかった母のことを思うと益々自分の名前だったかもしれないという気持ちは薄れていく。

ふうん…と思って先祖代々の名前をざっと眺めていく。

アリス……クロエ……エリス…普通の名前もあればイリス、ミノス、ヨグなんて変わった名前もある。ハズレネームの中ではセレンはましかもしれない。

サキは手持ち無沙汰に上から下へまた家系図を見返した。

ため息が出るほど身内で完結した魔法だ。

サキはダンブルドアから聞いた以上の事は知らない。夏中家を探したけれども血の魔法に関する本も見つからなかった。

謎ばっかりだ。

 

《貴方の家がそんなに古いとは驚きました。そういえば、僕の世代にマクリールという子がいた気がします。学年は違いましたが》

《スリザリンでしたか?》

《いいえ、確かハッフルパフでした。話したことはありませんが》

 

トムの感想は面白くもなんともなかった。

トムの生い立ちと自分の生い立ちはかぶるところが多く、彼も両親を幼い頃に亡くして孤児院育ちだと言っていた。

懐柔する為の嘘かと思ったが、孤児院あるあるネタが通じたので彼もなかなか苦労人だというのは確信した。

《現実の貴方と会ってみたかったです》

《今会おうとすれば50歳年上になってしまいますからね、話は合わないでしょうけど》

《今と昔で変わらないものについてなら語れるんでしょうがね。そういうのは価値観で対立しそうですね》

 

穏やかな交流は適度な嘘と距離を保ちつつ続いた。ジニーには悪いが、トムは理想的な話し相手だった。

例えこれが無害でも、彼女に日記を返すのは惜しい。そう思っている自分がいることに気づいた。

 

 



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07.すべてゆめのなか

「あのね…ハーマイオニー。ごめんね。」

「いいわ…わかってるから」

ハーマイオニーの許可を得て、サキはやっと声を押し殺しながらも笑うことができた。

ハーマイオニーの顔は毛だらけで、おっきな耳がぴょんと生え、頭と頬から髭がピンと伸びている。

彼女のポリジュース薬に入ってたのは、ミリセントの飼い猫の毛だったのだ。

「そんなに笑わないでよ…」

「ごめん、でも可愛くて」

「ああ…尻尾が消えてくれて本当に良かった」

「パンツの中でもこもこしそうだよね」

「…もう!」

ハーマイオニーはひどく憂鬱そうにため息をついた。無理もない。

クリスマス休暇中にドラコに探りを入れるために、いつもの三人はポリジュース薬をつくり寮に潜入した。しかし得られた成果はハーマイオニー猫化というゴシップのみ。

「何か読みたい本とかあったら言ってね。持ってくるから」

「ありがとう。あの二人気が利かないから」

ハーマイオニーの病室をあとにしてサキは地下へ向かった。

寮に戻るのも一年生の頃よりは気が楽だ。

ここのところ囁かれている秘密の部屋に関する様々な噂が(ハリーには悪いが)サキの立場に有利に働いている。

 

《秘密の部屋というものをご存知ですか?》

 

ある日サキはトムの日記にそう尋ねた。

 

《その言葉をまた聞くなんて、驚きました。どうして秘密の部屋のことなんか》

《継承者が現れたらしいんです》

《それじゃあ今学校は大パニックですね》

《そうでもありません。まだ死人は出てないので》

《死人が出てない?》

《猫が一匹、石になっただけなので…それより、死人ですって?秘密の部屋が開かれると…》

そこまで書いたとき、ふいに紙面に極彩色のチラシが置かれた。

「サーキ。そんなに文字を書いてるとバカになるぜ」

「うわ、やめてよ双子…」

「俺達の名前を略すなよ…」

視線を上げると、ウィーズリーの双子が手刷りの怪しげなチラシの束を抱えていた。自習時間とはいえ、その自由さは先生の目につくのではないか…と一瞬不安が過ぎったが、いま大広間で監視役をしてるのは魔法生物飼育学のケトルバーン先生で、生徒も一種の野生動物とみなしているような節があるため何をしてようが何も言わない人だった。

「どう一口?」

「なに…賭け事?」

「ああ。今度のバレンタインデーでロックハートがもらうチョコレートの数を当てる」

「最高につまんなそう!」

「だろ?ジョーダンの発案なんだが、はじめはイカれてるって思ったけど、これが賢いんだぜ。ロックハートはアホだから、まず…」

「まって、ちょっとメモとる!」

ジョージが意気揚々とチョコレートの数を操作する方法を語り始めたとき、

「ねえ、フレッド。ジョージ。あ…」

ジニーと目があった。

ジニーは前より弱ってるように見えた。サキと目があった途端すぐに目を伏せてしまう。

「なんだよ、ジニー」

「なんでもない。あとで言うわ」

ジニーはフレッドたちの返事を待つことなく足早に立ち去ってしまった。

「あいつここんとこずーっとああだ」

「まいるぜ」

「なにかあったの?」

「クリスマス前からずーっとヒステリーなんだよ。何か仕掛けてない?私の持ち物いじった?なんて四六時中問い詰めてくるんだ。いくら俺たちとは言えレディーのバッグなんて漁らないぜ?」

「まあジニーもお年頃だからね…」

「サキはお年頃じゃないの?」

「まだかな」

ジョージとフレッドはすぐに商談に戻った。サキもしっかり賭けの必勝法をメモした。

ひとしきり悪巧みしたあと、サキは意気揚々と寮に帰った。まずは元手を作らなければいけない。

何人の宿題を代行できるか計算しつつ、先程取ったメモを見返すためにノートをめくった。

が、ノートは見事に白紙だった

「うわ、やばい!トムの日記に書いちゃった」

サキは慌ててトムに話しかける。

《さっきはごめんなさい。知り合いが話しかけてきて》

《随分悪い知り合いみたいですね》

トムの返事は早かった。

《人目のあるところでこれを書いていたんですか?》

《はい。》

トムはそれ以上何も言わなかった。

怒らせてしまったようだ。日記とは言え会話を中断されるのは腹が立つようだ。

怒ってる相手にこれ以上何を言っても火に油だろう。サキはペンをおいて一息つく。

そして今日話した必勝法を思い出そうとウンウンうなり、なんとか思い出せたものを羊皮紙の切れ端にメモして床についた。

 

 

 

 

 

見るものすべてがぼんやりとしていた。輪郭が曖昧で、風景と人物の境目がなく、色味も混ざってよくわからない。

目が掠れたんだろうか?

サキは目をこすったが相変わらず視界はぼやけたままだった。あたりをぐるりと見回すと、たった一人だけはっきりとした輪郭を持った人がいた。

黒髪に、青白い肌。鼻筋がすっと通っていて全体的に整っている。切れ長の瞳は赤く深い。

机に座って、何かを書いている。

黒い手帳…いや、日記だ。

トム・リドル…。

サキの頭の中で美少年とあの薄汚い日記が結びついた。

少年はまだ何かを手帳に書き続けている。

そこに誰かがやってきた。姿はぼやけて判別できない。

「そのインクじゃだめよ」

トムが顔を上げる。すると突然、今まで滲んだインクのシミのようにしか見えなかった人影は形を持った。

三つ編みに結わえたつややかな黒髪。細い首筋。

サキはその人物の顔をじっと見つめた。

眠たそうな瞳に、貼り付いたような笑み。青白い肌をしているのに何故か頬だけ異常に赤い。顔の作りは美しいのに何処かが歪んでいる。

「リドルくん。ダンブルドア先生がお呼びよ」

「…マクリール、君はこれがなんだかわかるのか?」

「わからない。けど、そのインクじゃだめよ。」

マクリールと呼ばれた少女はそう言うとさっさと立ち去ってしまう。

トムは手帳を閉じ、渋々立ち上がった。

 

次の瞬間、サキはトイレにいた。

暗くてジメジメしたトイレ。見覚えがある。

「やあ。サキ」

気づけば目の前にトムがいる。

突然の場面転換にもかかわらず、サキはそれが不自然なことと気づけなかった。ごく当たり前に

「ああ、トム…あのときはごめん」

と挨拶を返した。

「いや、いいんだよ。でもやっぱり君にこの日記を持っていてもらうのは得策じゃない気がしてね。お別れしようと思うんだ」

「得策じゃないって、なに?何か企んでるの?」

「まあね」

「なにを?」

「そりゃ、秘密さ」

トムが床に座り込んだ。と思ったらトムが座ったのは石で作られた玉座のような台だった。

トイレよりもっとジメジメした暗い場所だ。水滴がそこかしこに落ちてきて音を立てる。どこからか湿った肉を引きずるような音まで聞こえてくる。

壁一面になにか彫刻が掘られていて、厚い苔と蔦に覆われながら陰鬱な目でこちらを睨んでくる。

「君は随分、面白い過去を持っているみたいだね。それはとても心惹かれるけど、ちょっと手に余る」

やっぱりきれいな顔だ。それに背も高い。

12歳の私のなんて小さなことか。サキはちょっとだけ怖くなり、半歩後ずさった。

「君の家系は、正直気になってしょうがない。けれどもきっと"僕"がすでに当たってるだろうし、僕は僕のできることだけやろうと思う。」

「…トム、ここはどこ?」

「夢の中だよ。わかるだろ」

「わかるけど…」

「君に干渉していて気付いたがどうやら君にはある程度闇の魔術…いや、魔法に対する耐性、とでもいうのかな。防御が施されてるみたいだ。お陰で夢の中に出るのも一苦労だよ」

トムの声はだんだん遠ざかっていく。トンネルの中に入ったみたいにわんわんと彼の声が響いて、どんどん遠くに消えていく。

「君との薄氷を踏むような時間は楽しかった。けれども僕の目標が達成されるまで、しばらくお別れだ。あと半年もしたらきっとまた会おう。」

「待って、トム。何を企んでるの?」

「殺すんだよ」

「誰を」

「ハリー・ポッターさ」

 

 

 

 

その日の夢のことはよく覚えていない。

起きたときに漠然と嫌な夢だったという思いが頭の中に蔓延していた。

ドラコに会ってすぐに何か嫌なことでもあったかと聞かれるほどだ。よっぽど苦い顔をしていたんだろう。

その後ハリー達にも人を殺したみたいな顔をしている、と言われたのでこれ幸いとサキは医務室でサボタージュと洒落込んだ。

ハーマイオニーと雑談でもしようとしたが、彼女は全身毛だらけになってもお構いなしに勉強していた。

 

夕方までたっぷり寝て、ドラコから今日出た課題について聞いてから寮へ戻る。

そこで初めて気がついた。

 

トムの日記が消えている。



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08.思考の迷子

クリスマスプレゼントのマフラーを巻いて外に出ると、あたり一面銀世界だった。

フィルチが雪かきをサボったんだろうか?中庭はほとんど雪で埋もれてしまっている。塹壕みたいに掘られた道を生徒がぞろぞろと列をなして校舎に向かって進んでいる。

「足元が嫌だね、こういう日は」

「全くだ」

ドラコも鼻を真っ赤にしながら踏み締められて凍った道を歩く。

トムの日記が消えて以来、サキは寝ても寝ても寝た気がしなくていつもぼんやりとしていた。今も意識を必死に足元に集中させてなんとか滑らないように踏ん張っている。

「あーあ…移動教室が憂鬱だなあ」

「それまでにフィルチが雪かきしてくれることを祈るしかないな」

「この量はさばききれないかもね…おっと」

早速足を滑らせた。ドラコがすかさず首根っこを掴みなんとか尻もちは免れたが首が締まって死にかけの鶏みたいな声が出た。

クリスマスにハリーたちがしでかした事は、まだバレていない。

ドラコには申し訳ないなと思いつつ、サキはほんのちょっぴりハリーに拗ねていた。

サキがいくらドラコに聞いたところで何もわからないよと言っても聞き入れないどころか怪しげな薬まで作って実行した。

 

それってつまり…私って信用されてないってこと?

 

校則は一度破ると何度も破ってしまい、挙句破ることが快感になる。

彼らは校則破り中毒なんだろう。だから無駄だとわかっても薬を試さずにはいられなかった。

 

でもさ…結果もハーマイオニー越しに聞いたんだよ。

悪巧み仲間で友達なんだし、教えてくれたって…。

 

そんなわけでハリーとは気まずいしハーマイオニーはまだ病室だし、トムの日記もなくなってしまったしでサキの心は疲れていた。

それに加え…

 

「あらサキ。…ねえ、朝ドラコと手を繋いでなかった?」

パンジーがやたらつっかかってくるし。

「やあシンガー!チョコレートならまだはやいですよ?」

私がロックハートにチョコを送ろうとしているという悪質な噂を流された。

「いいえ…宗教的にだめなんです」

「君は冗談が上手いねえ。もし出すなら早めにしないと、フクロウが溢れて受け取れなくなってしまいますよ!そこの君も、シンガー同様乗り遅れないようにね」

ロックハートはサキをだしに誰かれ構わずチョコレートを強請っていた。

最近はハリーのようにロックハートを見るたびに逃げ出している。

 

「あー…」

 

秘密の部屋事件は目下硬直状態。

新たな犠牲者が出ることはなく、クリスマス休暇も相まってスリザリンの後継者の噂話は一段落付いた。

 

ああ、人間関係のいざこざのほうがよっぽどたちが悪いよ

いっそ誰か秘密の部屋の化物とやらにやられてしまえばいい

 

そんなひどいことを考えながら頭を抱えてうたた寝しているうちに魔法史の授業が終わった。

「ドラコ。こんな事ってない?寝ても寝ても頭がぼーっとするし、なにかが頭の隅に住んでるみたいに左側が空白なの」

「…サキ、君何か良くない呪文でも食らったんじゃないか?」

「うー…うまく伝わらない〜」

こういう雪の日、地下牢はむしろ温かい。暖炉の熱と、大鍋の蒸気ですっかり暖まった魔法薬学の教室に入ると生徒たちはほっとしながらマフラーや手袋を外す。

眼鏡をかけてる子は真っ白になったレンズを必死に擦ってた。

スネイプ先生は相変わらず不機嫌そうに現れ、ネチネチハリーに嫌がらせをしながら授業を進めていく。もう見慣れた光景だ。

最近のスネイプ先生は秘密の部屋事件のこともあってか誰に対してもだいたいあたりが強かった。

 

「先生、チョコとお花とカード、どれが欲しいですか?」

ある週末、サキがなんとなく世間話をふっただけなのに

「何か企んでいるのなら毒入りチョコレートを食べさせる」

と脅された。

 

優しくしてくれるのは機嫌のいいときのドラコくらいだ。(大体ハリーが何か失敗をした時だ)絶好の話し相手だったトムは消えてしまったし…それにしても日記はどこに行ってしまったんだろう。足でも生えたんだろうか?

あ、足の生えたお菓子ならこの世界にはたくさんある。

そう、いや違うそうじゃなくって…

サキは迷走する思考を追い払うように頭を振った。

何かがおかしい。

トムの日記について考えるといつもこうだ。勝手に思考が脱線していくような気がする。

日記が消えた日の記憶もこんがらがって、賭けの必勝法がどうしても思い出せない。

賭け…ああ、元手があればいくらだって賭けるのに。

賭け事のためにスネイプに無心に行くなんて流石にかっこ悪いよなあ…

じゃない、今は日記のことだ。

あの日の夜、誰かが盗み出した?

だとしたら一番怪しいのはパンジーだけど、一見白紙のオンボロ日記帳なんてその場でめくってすぐ戻してしまうだろう。

つまり盗み出したのはこの日記がただの日記じゃないと知ってる人物。

この日記の話は誰にもしていないから、予めあれが特別な……

 

サキの思考がそこそこ論理的にまとまってきたとき、ぼんやりしながらかき混ぜていた大鍋が突如泡を吹いた。

煮だった中の液体が金色の蒸気になって教室内に拡散した。

「混ぜ過ぎだよ!」

大慌てでドラコが火を消して、スネイプがすっ飛んでくる。

金色の蒸気を吸った人はなぜか物凄く甲高い声になって咳き込んでいた。

スネイプが杖を振ると蒸気はぱっと霧散した。

「魔法薬の調合中に他のことを考えるな、と。我輩は散々諸君らに忠告したはずだが?」

「すみません…」

「罰則だシンガー。放課後教室にくるように」

スリザリン贔屓のスネイプはいつもサキには罰則を与える。いつもなら恨みがましい目で睨みつけるところだが今のサキにはそんな気力もなかった。

スネイプはきんきん声で無理やり喋らされてるネビルと必死に笑いを堪えてるシェーマスを叱ると、何事もなかったかのように授業を再開した。

 

憂鬱な気分で残りの授業を終えてまた地下牢へ降った。

ネビルの声はまだ甲高いままでグリフィンドール生たちはここぞとばかりにネビルに世間話をふっかけては笑っていた。

ハリーがこちらに手を振ってたので、サキはちょっと微笑んでその場から逃げてしまった。

…そういえば…どうしてハリーを少し避けてるんだろう?

ポリジュース薬のことだってまあ、怒ってはいるけどそんなに根に持つことじゃないような気がする。

疑問はシャボン玉のように浮かんだ瞬間弾けてしまう。

「失礼します」

スネイプは不機嫌そうに羊皮紙の束の中でガリガリとペンを走らせていた。課題の採点中らしい。

「そこに座り給え。」

「はーい…」

よく見ると使ってる羽ペンはクリスマスプレゼントにサキが送った極楽鳥の羽根で作られたペンだった。

細くて頼りないので飾りにでもと思って送ったのだが実用しているらしい。

ちなみにスネイプからのプレゼントはクリスマスディナーの七面鳥だった。かなりの絶品なので来年も頼みたいとすら思った。

ちゃんと飾りだって言えばよかったな…と思ってると採点を終えたらしいスネイプは羽ペンを置いてサキの顔をじっと見た。

「また何かトラブルに巻き込まれているのか?」

「へ?」

「最近の君は…はっきり言おう。不審だ。まさか深夜徘徊をしてるんじゃないだろうな」

「ま、まさか!ガチガチに見張られてて無理ですよ」

「……」

スネイプはサキが嘘をついていないかを見透かそうとしているようにじっと目を見つめてくる。サキも負けじと睨み返す。

よくよく眉間のシワなどを観察すると今日のスネイプは疲れてるようだが別に不機嫌じゃなさそうだ。

「あの、本当に大丈夫です。ただなんか…ちょっと考え事にふけっちゃって」

「考え事?」

「ええ。悩める年頃でして…」

雑なごまかし方だったかとヒヤヒヤしたが、スネイプは特に突っ込んでこなかった。

「どんな内容にしろ、魔法薬の調合中までああでは困る。」

「ごめんなさい」

「もしまた寮に居づらいのだったら…」

「違うんです!ただ…ええっとなんて言えばいいんだろう。先生、思考を操作する魔法とかってあるんでしょうか?」

「なに?」

「最近考えれば考えるほど、本当に自分が考えたいところから無理やり遠ざけられちゃうというか…そんな感じがするんですよね」

「心を操る魔法は存在する。だが…」

スネイプはじっと私の頭からつま先までを見る。

「多くの場合、わざわざ思考を迷子にさせたりはしない。むしろ明確な目的を植え付けるようなものが多い。君からその気配は感じないが」

「そうですか。じゃあなんなんですかね?」

「………」

スネイプは顎に手を当て目を伏せた。

「何について考えようとしている?」

「えっと」

サキは必死に'あれ'のことを言おうとした。

あれってなんだっけ?

そうだ!夕飯は私の大好きなソテーが出るはず。一度厨房に行ってみたいな。次のクィデッチはどこが戦うんだっけ?試合前日はチームによってメニューが少し変わるんだよね。

そうじゃない。

えっと、あれだよ…なくしもの。

そういえば随分前にボールペンをなくした。珍しがられてパンジーに貸したっきりだ。

違う違う!

「ごめんなさい…なんか思い出せません」

「忘却呪文…それとも他言無用呪文か?」

「わかりません。ただ思考がとりとめなくなるんです」

「……その状態はいつから?」

「一週間くらい前です」

「なるほど。次はそれについてメモにとって我輩に見せること。今は些細な異常も見逃せん」

「秘密の部屋、ですか?」

「左様」

「ぶっちゃけ先生たちはもう見つけてたりは…」

「いいや。ダンブルドアでさえ見つけていない」

「怪物っていうのも?」

「目下捜索中だ」

それじゃあ今の学校は全然安全じゃないわけだ。スリザリン生は安全が保証されてるようなものだからみんなのほほんとしているが他の生徒たちはたまったもんじゃないだろう。

中には休暇から帰ってこない生徒もいるらしいし。

「…ねえ先生、後継者は見つかったの?」

このとき、スネイプの視線が一瞬不自然にサキに向けられた。

スネイプはすぐに平静に戻りまた机の上の羊皮紙の山に目をやった。

「それもまだだ」

「えー不安だなあ…」

サキは椅子の上にゴロンと横になる。

「あー寮戻るのめんどくさい。襲われるかもなー」

「本当に罰則を食らいたいのか?」

「ま、まさか」

ちょっと談笑でもしようとすればこれである。休暇中マクリールの屋敷にいる時なんかは結構話すようになったのだが学内ではこのとおりだ。

公私は確り分けるタイプらしい。

 

 

「先生ってあれですよね…く、クーデレ?」

「スリザリン5点減点」

「そんな!」



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09.日記の行方

まただ。また夢を見ている。

だっていま鏡に映ってる私は髪が長いし、背もとっても高い。生まれてから一度も日に当たった事がなさそうな肌の色は生気にかけていて、まるで紙みたいだ。

マダム・タッソーの蝋人形みたいにとっても人に近い何か。

鏡に写った自分そっくりの女。

未来の私?それともこれが母なんだろうか。

「夢だからね」

トムが鏡の向こうから言う。

「なんでもありさ」

「…トム。貴方なの?私の頭の中をぐちゃぐちゃにしてるのは」

「そうだよ。余計なことを喋ってほしくないからね」

「日記はもうここにないのに、どうして夢に出てくるの?」

「幽霊みたいなものさ」

幽霊という言葉で、目の前にある鏡の向こうの景色が変わった。

トイレだ。

そういえば嘆きのマートルはトイレにいるんだっけ。

「除霊できないの?いい加減迷惑だよ」

頭の中に勝手に入られるくらいなら幽霊だろうとなんだろうとぶん殴ってやりたかった。けれども夢の中でなんでもありなのに、鏡の向こうにしかいない彼には手が出せない。

「そんなに嫌かい?じゃあ今度からは得体の知れない日記になんでも書かないほうがいい」

「…ぐうの音も出ない」

トムは笑って、トイレ中央の鏡のまわりをぐるぐる回った。

「不思議な縁があるわけだし、どうだろう?夢の中だけでもまた仲良くしようじゃないか。嘘じゃない君の話が聞きたいのだけれども」

「でもトムは私に本当のこと教えてくれないんでしょう?」

「その通り。まだ無理だ」

 

 

 

ハリーは大きなため息を吐き出した。

クリスマス以降、なんとなくサキの様子がおかしい。というか避けられてるような気がする。

ハーマイオニーにこっそり相談したら、彼女は(猫になっているので判別しにくかったが)渋い顔をして言った。

「サキ、ちょっと拗ねてるのよ。やめろって言われてたのにマルフォイ達に探りを入れたでしょ?サキの言うとおりなんでもなかったじゃない」

「でもポリジュース薬作るのには協力してたじゃないか。どうして拗ねるんだ?」

「やっぱり何もなかったよ、ごめんねって言うべきだったのよ。私達」

「めんどくさいなあ、女子っていうのは」

ぼそっと漏らしたロンにハーマイオニーはまるでわかってないんだからと言いたげに尻尾をふらっと動かした。

ロンは医務室から出たあと

「サキも尻尾、普段からつけておいてくれないかな。機嫌がわかりやすくていい」

と呟いて二人はくすくす笑った。

そろそろバレンタインデーだ。

恋人たちのお祭り…ということでパーシーは双子から随分からかわれているらしくピリピリしていた。さらにロックハートはエンジンがかかってきて誰かれ構わず捕まえて自分の武勇伝を聞かせまくっている。

これにはファンガール以外の生徒、教師全員が辟易としており、フリットウィック先生すらロックハートの長いビロードのローブを見た途端踵を返して逃げていた。

 

 

 

クリスマスの夜、クラッブとゴイルになった二人はマルフォイとお菓子を食べる羽目になった。

いつも喧嘩しかしないマルフォイだが仲間に対しては優しいんじゃないかと思っていたがそんなことはなく、むしろいつも見てるより10倍くらい横柄だった。

「あーあ。せっかくクリスマスに残ったのにこう何もないんじゃ損した気分だ」

「継承者について、本当は何か知ってるんだろう?」

ゴイル(ハリー)がそう聞くとマルフォイはうんざりした様子で否定した。

「いい加減にしてくれよ。何回同じ答えを言えば覚えるんだこのウスノロ」

不思議と罵倒されてもあまり心は痛まなかった。

「他の寮生はサキかポッターじゃないかとか言ってるらしいけど、有り得ない。そうだろ?」

「ああ、ありえないね…絶対」

クラッブ(ロン)の相槌にゴイル(ハリー)もウンウンと首を縦に振った。

「だいたいマグル生まれと仲良くしてるやつが継承者なわけがないんだ。前回秘密の部屋が開かれたときは…50年前だけど、マグル生まれが一人死んでる。本当の継承者は純血でこそふさわしい、そうだろ?きっと直にマグル生まれが死ぬね」

「前に部屋を開けたのは誰なんだろう」

「さあ…お父様はなぜか全くこのことは話してくださらない。けどきっとまだアズカバンにいるだろうさ」

「アズカバン?」

「そんな事も知らずに生きてきたのか?監獄だよ、魔法使いの」

マルフォイはやれやれと頭を抱えた。

ハリーは内心ゴイルに変身して正解だったなと安心した。どれだけ頓珍漢なことを聞いてもこれなら誤魔化せそうだ。

「本当に、君は誰が裏で糸を引いているか知らないんだね?」

「だから、なんども言わせるなよ…」

 

 

確かにあのあとハーマイオニーが猫になったりで、サキにきちんと説明できなかったな。

今度ちゃんと説明して謝らないと。そうすればきっとどことなくギクシャクした感じも抜けるだろう。サキはそこらへんはさっぱりしているから…。

 

 

 

 

 

 

「孤児院はいつも陰鬱な雰囲気が漂っていた。院長も職員も悪い人ではなかったけれどもいい人でもなかった。いつも、テレビの音がした。通販番組の司会者のまくし立てるような声。底抜けに明るいのに空っぽな笑い声とか、ビートルズの曲が」

 

そこは見慣れぬ部屋だった。

古くて狭い、すぐそばに人の気配を感じる狭い部屋。パーソナルスペースといえばクローゼットくらいで、二段ベッドはカーテンで遮られてるだけ。

 

「ラジオはいつでも政見放送。どこかの港が空襲にあったとか、今日掘り進められた塹壕の距離だとか無責任な噂が流れてた。雨の日、僕らは惨めだった。建てつけが悪いせいか、足元が凍てつくように寒いんだ。帰りたくなかったよ」

 

曇った窓ガラス越しに外が見える。濃霧なんだろうか。何も見えない。

どうしてこんなところにいるんだっけ。

横目でトムを見た。二段ベッドの柵に、狭そうに腰掛けている。全然釣り合っていない。

枯れ草が足にまとわりついていた。

ボロボロのあばら家が目の前に建っている。饐えた匂いが肺いっぱいに広がる。悲しい景色だ。あばら家の向こうには豪邸が見える。きれいに刈り揃えられた庭木と、ヤブガラシに覆われた荒涼としたあばら家の庭は、両者の違いを明確に表していた。

 

「ここはどこなの?」

「さあね」

 

トムは真面目に答える気はないようだ。

夢だからどうせ忘れてしまうと思ってるんだろうか。

 

「どうせならもっと楽しい場所にいきたいよ」

「僕の時計は50年前に止まってるって言ったろ」

「じゃあここに来たことが?」

「…さあね」

 

 

サキは目を覚ました。そしてすぐに寝ぼけ眼でペンを取り、メモ帳がわりのトロールとのとろい旅の余白に今見た夢の内容を書く。

明かりをつけたらパンジーがうるさいので、まだ暗いなかぐちゃぐちゃの文字で書きなぐる。

せめてもの抵抗…そのつもりだった。

「トム…」

日記を取り戻そう。そして何とかしてあの日記を破り捨てて(もしくは焼き捨てて)しまおう。

いい加減我慢の限界だ。

 

サキは立ち上がって制服に着替える。

そして今日がバレンタインデーだったことに気付いた。

ああ、結局賭けるにも金が作れなかったな…必勝法教えてもらったのに。

あの時あわてて日記にメモを取らなければこんなことには…。フレッドとジョージを恨むのは筋違いだが。

「あ…」

サキはそこで重要なことに気がついた。

なぜこんなに重要なことをわすれることができたのだろう?

麻酔みたいだ。歯茎にぶすっとするやつ。

大切な部分だけ鈍感になって、知らない間に致命傷。

必勝法をメモしたあのとき、日記の正当な持ち主がそこにいたじゃないか。

 

「ジニーだ」

 

ジニー・ウィーズリー

 

彼女が持ってるに違いない。



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10.そして誰もいなくなる

ジニー、日記。

たった2つの単語が書かれた教科書の切れ端を握りしめ、サキはグリフィンドール寮の前でジニーを待った。

早く起きた生徒は不審な目で見てきたがそんなこと気にしてられない。

「君、スリザリンの生徒じゃないか!ってああ、シンガーか」

いつも通り監督生バッジを見せつけるみたいな歩き方でやってきたパーシーに咎められた。

「おはようございます。ジニーを待ってるんだけど」

「すぐ来るだろうけど…ジニーに何の用だ?」

「野暮だねお兄様。女の子同士秘密の話ですよ」

パーシーは眉をひそめる。

「なんにせよ寮の真ん前で待つのはやめてくれないか?寝起きにびっくりするだろう」

「急ぎなんです!」

珍しく切羽詰まったサキの様子に驚いたのか、パーシーが折れた。

「わかった…ちょっとまっててくれ」

太った婦人に合言葉を言うと、寮へ続く扉が開く。数分後、パーシーとその後ろにジニーが出てきた。

「サキ…さん。私に用ってなんですか?」

ジニーはくたびれた顔をしていた。あまり寝てないんだろうか?くまがひどい。きれいな赤毛も傷んでるような気がする。

「ちょっとね。行こう」

「あまり変なところには行くんじゃないぞ!」

パーシーがすかさず注意してくる。面倒くさいと思いながらサキは笑顔を返してジニーの手を引っ張っていく。

 

「ねえ…ジニー」

 

ハグリッドの小屋へ続く獣道の途中にある岩場で二人は立ち止まった。

朝の冷たい空気はちょうどいい目覚ましだ。陽光が二人を照らし、下草に降りた霜がきらきらと反射する。

サキの頭にまたいろんなことが浮かんでくる。

やあいい天気だね。初めての試験はどう?ハリーとは仲良くなれた?

 

「単刀直入に言うね。日記は君が持ってるんでしょう?」

 

ジニーの肩がびくんとはねた。ただでさえ血の気の引いた顔が蒼白になる。

「ジャスティンと首無しニックが石になった日、君が茫然自失で廊下に立ってたんだよ。その時持ってた日記だよ」

「どうして…」

「勝手に預かってたのはごめんね…でもあの日記のせいで私も困ってるんだよ」

「あれを返してきたのは、あなただわ」

「返す?私が?」

ジニーは恐怖で後ずさった。

「私、私それを何度か捨てようとしたの。いつの間にかなくなって、ようやく捨てれたって思って。でもあの日、あなたが持っているのを見たから、私…私…どうしてって問い詰めた。そしたら貴方が渡したんじゃない!」

「そ、そんなことしてない!」

サキはそう言いながらもあの日記を手にしたジニーがどういう状態だったかを思い出して、自然と理解した。

つまり私もジニーと同じように行動を操られたんだ。

そしてゾッとする。

濁流のように襲う意識をそらすためのいろんな考えを塗りつぶすように恐怖が頭の中を支配した。

すでに私たちはトムの手中にあるわけだ。

「ジニー、日記、今持ってる?」

「あるわ」

「貸して。今この場で焼き捨てる」

ジニーがカバンから出したヨレヨレの黒い日記帳。

サキはそれを引ったくるように掴み、地面に叩きつけた。

「インセンディオ」

日記が発火し、ページの隙間から青い炎が吹き出る。しかし紙自体は燃えていない。

「インセンディオ…インセンディオ。インセンディオ。燃えろ。燃えろ。燃えろ…ああ、もう!」

いくら呪文を唱えても日記は燃え尽きない。

下草だけが焼け焦げていく。

ジニーはそれを見て泣いている。

「どうしよう、サキ!やっぱりそれって良くないものだったんだわ」

「わかってるよ!」

あんなに火にくべたのに元通りの日記を怒りに任せて踏みつけた。

「もう先生たちに引き渡すしか…」

「やめて!」

サキの提案を遮るようにジニーが悲鳴を上げた。

「私、全然覚えてないの。でも…でも、いつも決まって覚えてない時間のあとなんだわ。ひ、ひ、秘密の部屋の犠牲者が出るのは…」

まるで言葉にした途端それが事実になってしまうのを恐れていたみたいだ。言い終わるとジニーは泣き崩れてしまう。

サキはジニーの背中をさすってやった。

「だったら尚更だよジニー。それに大丈夫、マグルの法律にも善意無過失ってやつがあるらしいし…」

サキの見当外れな慰めはまるで聞こえてないようで、ジニーは肩を震わせ泣き続けた。

悪事の片棒を無理矢理担がせ、沈黙するしかなくなる。そして深みへハマっていく。

まるで詐欺じゃないか。

「もしこれが秘密の部屋に関連したものならこれ以上犠牲者を増やす訳にはいかない。わかってよジニー」

サキは日記を拾い上げて土を払った。トム・リドル。狡猾な悪魔だ。

「…わかったわ。でも、先生たちに届ける前に一つ試したいことがあるの」

「なに?」

「来て」

ジニーはフラフラと歩きだす。

隣で支えたくなるくらい頼りない足取りで廊下を進む。気づけばもう一時間目が始まる時間だ。生徒たちの影は一つもない。

遠くでチャイムが聞こえた。

薄暗い廊下を曲がると、そこは嘆きのマートルのトイレだった。

中央にある鏡台。なんか最近見た気がするな。夢だっけ。

鏡はまだ苦手だった。

サキは鏡から目を伏せて床を見つめた。

「ジニー、こんなところで何をするの?」

「サキ」

名前を呼ばれてジニーを見た。目の前には彼女の杖先が突きつけられていた。

「なにー」

続きを言うことなく、サキの視界は暗転した。

 

 

そして

 

 

「ジニー…?」

 

 

その日の午後、嘆きのマートルのトイレの前でうつぶせに倒れて石になっているジニーが発見された。

 

 

 

 

 

 

 

サキ・シンガーの失踪とジニー・ウィーズリーの石化はすぐに全校に知れ渡った。

哀れな犠牲者として噂するものもいれば、ついに継承者が本格的にマグル生まれを虐殺するための準備に入ったんだというものも現れた。いずれにせよ久々の犠牲者と新たな失踪者によりホグワーツは蜂の巣をつっついたような騒ぎになった。

「由々しき事態です。一刻も早くサキの行方を…」

校長室にはセブルス・スネイプとダンブルドアがいた。スネイプの申告に対し、ダンブルドアは顎髭を梳きながらじっくりと考えを巡らせている。

「校長、彼女の出自をお忘れですか?秘密の部屋を開いたのがあの人の手引だとしたら、彼女は…」

「取り乱すなセブルス」

ダンブルドアは険しい声で遮る。

「まずは聞き取りじゃ。彼女と最後にあった生徒から話を聞こう」

「わかりました。その次は…」

スネイプは落ち着きなく校長室を歩き回る。

「生徒たちには申し訳ないがしばらくは大広間で寝てもらうことになりそうじゃな」

「ジニー・ウィーズリーが、なにか…」

「最近の様子を聞くに、何か知ってるやもしれん、が…こうなっては」

「クィレルのような内通者がいる可能性は」

「あり得ん。去年と違うのはギルデロイだけじゃ」

「まさかあの人本人が?」

「なおさらあり得んことじゃ。少なくとも本人は。去年のサキとの接触で何かしらを仕掛けて消えたと言うならわかるが、あらゆる呪文で調べても呪われた形跡はなかった。そもそも彼女に対して一年近く継続する呪いをかけるのは困難じゃろう。下準備や彼女の特殊な体質を考えても」

スネイプは一度立ち止まった。不死鳥のフォークスが首をもたげる。

「彼女は何かに考え事を邪魔される、と言っていました。その何かがもしかしてあの人の残した呪物なのかもしれません」

「継続的に、持ち主に影響を与える何か…か。セブルス。不思議と心当たりがあるのは儂だけかの?」

「…分霊箱?」

スネイプの言葉にダンブルドアは頷く。

「引き裂かれた魂とはいえ、ヴォルデモートなら何かしらの手段で秘密の部屋を開けるのは容易いじゃろうな。さて…頭の中を覗けるような事ができる奴じゃ。次に何をすると思う?」

「……ハリー・ポッターか校長、あなたを狙うでしょう」

「じゃろうな」

ダンブルドアはため息をついた。メガネを外し、紫色のローブのはしで拭う。

「おそらく儂はすぐに理事会から退職を迫られるじゃろう。こうなってしまった以上騒ぐのは目に見えておる。わしが消えたら次はハリーじゃ」

「ハリーを秘密の部屋の怪物に…バジリスクに殺させると?」

「いや、魂は少なくともハリーに倒される前に引き裂かれたものじゃ。今の彼のようにすぐに殺そうとは思わんじゃろう。むしろ興味を持ち、接触しようとするはずじゃ」

「校長、まさかポッターを餌に?」

「秘密の部屋を見つけなければサキの生存は絶望的じゃ。」

ダンブルドアはきっぱりと告げた。

 

 

ロンはジニーが寝かされたベッドの前で頭を抱え、ハリーとハーマイオニーは医務室の前でぼんやりと立っていた。

肉親じゃない二人は面会を許されなかった。

「サキが消えたっていうのは、攫われたってことだよね」

「そういうことになるわ」

「なんでサキが…スリザリンなのに」

「わからない。わからないけど…」

ハーマイオニーは目を閉じて、何事か思案する。

「今回の犠牲者は、継承者にとってイレギュラーだったと思うわ。サキはスリザリンでジニーは純血だし。サキが継承者なら失踪はある意味自然だけどそれはありえないもの」

「うん」

ハーマイオニーは額に手を当て、ぐるぐるとその場で歩き出した。

「ジニーはマートルのトイレの前で倒れてた。水浸しの…。フィルチの猫もそうだった。ハリーの聞いた不気味な声。…」

ブツブツとつぶやく姿はまるでドラマに出てくる探偵だった。そして突然ピタリと止まって叫んだ。

「私ー図書館に行かなきゃ!」

「は、ハーマイオニー?おかしくなっちゃったの?」

「違うわ!思いついたことがあるの。調べてくる」

そう言うやいなやハーマイオニーは図書館へ向かって走っていってしまった。

 

ハリーは一人ぼっちになってしまい、仕方なく医務室から近い中庭のベンチに座った。

もしサキが死んじゃってたらどうしよう。

継承者なんて本当にいるんだろうか。

秘密の部屋はどこにあるんだ?

サキが継承者なんてありえない。でも、もしそうだったら?

じっとしてればしてるほど不安や杞憂が頭の中に充満していく。

傾いた日が作る長い長い影法師。そこに誰かの影がかぶさった。

顔を上げると、マルフォイが立っていた。

「黄昏れてるのか?ポッター」

「こんなところで何してるんだよ、マルフォイ」

「お前こそ」

マルフォイはオールバックにしたプラチナブロンドを撫でる。撫でたはしからすぐ毛が垂れる。お疲れのようだ。そりゃそうだろう。

「ウィーズリーの妹、あいつが何か知ってるんだろう」

「わからないよ。ジニーは石になっちゃったんだから…」

「全く!とんだ校長だよ!ろくに対策もしないからこのザマだ!」

「ダンブルドアは…」

ハリーは反論しようとしたが、言葉が出てこなかった。確かにあのダンブルドアでさえいまだ秘密の部屋を見つけられていないし、犠牲者は増え続けている。ダンブルドアでさえ無理なら一体誰がサキを救えるんだろう。

ハリーは泣きそうになるのをこらえた。

「マルフォイ、君は本当に秘密の部屋について何も知らないんだね?」

「ああ。そういうお前はどうなんだ?」

「僕も、みんなと同じくらいしか知らないさ」

「…一度整理しよう。お前の言うみんなが信用できない」

余計な一言だなと思ったが、改めてマルフォイの知ってることを聞くいい機会だ。ハリーは渋々同意する。

「ここじゃ先生たちに捕まるな…」

「とりあえず、図書館にハーマイオニーがいるんだ。そっちへ向かいながら話そう」

二人は小道を抜け、廊下をほとんど走るようにして図書館へ向かった。



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11.秘密の部屋①

「ハリー!…マルフォイ?なんで二人で…」

二人はハーマイオニーと図書館の出口でばったりであった。

前代未聞のツーショットに面食らったハーマイオニーだが、すぐ本の山を抱えなおして体勢を整える。

「まあ成り行きで。そっちは何かわかった?」

「ええ。すぐに話すわ。……マルフォイも?」

「悪いか」

ハーマイオニーはちょっと黙り込み、じっとマルフォイを見た。

「…しょうがないわ。時間がないから。」

三人は大急ぎで人気の少ない場所を探した。トロフィールームまで来てやっと腰を下ろし、ハーマイオニーも抱えた本の山を床に広げる。

「いい?まず犠牲者がどんな魔法をかけられたか、だけど」

ハーマイオニーは図鑑のような本をめくる。

闇の魔術により造られた生き物図鑑。

ニッチな図鑑なのにこんなに厚さがあるというのが恐ろしい。

「これ、見て。バジリスク」

ハーマイオニーが開いたページには大きな蛇の絵が載っていた。美しい鱗の模様と長い牙を持つ大蛇が鎌首を擡げている。

「この生き物の目を見た人は死ぬの。」

「まてよ、まずどうしてこのバジリスクにたどり着いたか教えてくれよ」

マルフォイの横槍にハーマイオニーが苛立たしげに答える。

「いい?まず熟練した闇の魔法使いでもなければあんな魔法はかけられないわ。けれどそんな魔法使い、ダンブルドアが侵入を許すはずがない。じゃあ簡単よね。ずっとここに住んでるんだわ」

マルフォイはきょとんとする。ハリーも同じくだ。

「第二に、犠牲者はある共通点を持ってるわ。ミセス・ノリスは水浸しの廊下で。コリンはカメラを構えたまま。ジャスティンはニックといっしょに。ジニーが倒れてたのも水浸しの廊下よ」

「あ、わかった。みんな何か越しにバジリスクを見たんだね?」

「そう!」

次にハーマイオニーはホグワーツの歴史、建築図面という大判の本をめくり始める。

「でも決定的だったのはハリーが聞いたっていう不気味な声だったわ。私たちには聞こえない声…貴方、パーセルタングでしょう?その声の主は蛇なんじゃないかって思ったの」

ハーマイオニーはハリーがその声を聞いた廊下の図面を出す。

「みて。ここと…」

そして次に犠牲者たちが見つかった場所を示す。

「ここと、ここにも。すべてパイプが走ってる」

「バジリスクはパイプを使って移動してるのか?」

「そうに違いないわ。ホグワーツの下水管は無尽蔵に増改築されてるみたいで古い図面と、地下の調べられない部分は喪失してるの。秘密の部屋はおそらくその失われた部分にある」

 

 

 

 

冷たくて、ぬめぬめしてる。そして背中が痛い。何処かにぶつけたんだろうか?そもそも床が硬い。

サキはゆっくりと上体を起こした。

ここはどこだ?

まるで怪物が住むような洞窟の中だ。真っ暗でよく見えないが、上の方からかすかに明かりが見えた。サキの真上にまん丸の穴が空いていて、そこから月明かりに似たぼんやりとした光が見える。

サキは手を伸ばしてみる。苔だかカビだかわからないヌルヌルとザラザラが混ざった不快な感触。曲がりくねりながら上に続いているらしい穴は、鉄の管?やけに大きいが人工物だ。

ここから落とされたんだろうか。そりゃ怪我もするだろう。

「破傷風になっちゃうよ…」

サキはぼそっと不平を漏らし、慣れてきた目で今の自分を確認する。

ヒリヒリ痛い足は擦り傷だらけ。ローブはところどころひきつれができている。

持ってたカバンは近くに落ちていて、中のインクが割れてしまって教科書は台無しだった。さらに杖がなくなっていた。抜かれたんだろう。

カバンをさらに漁ると忌々しい黒い日記がでてきた。

「なんで…」

意味がないと知りつつサキはページをめくる。相変わらず真っ白だ。

トムの目的がなんにせよ、日記を私に持たせておく理由なんてないはずじゃないか。だって私はここで死ねってことで落とされたんだから。

日記に聞くのが手っ取り早いが、そんなのムカつく。罠にはめた本人に真意を聞くなんて負けじゃないか。

サキはゲジゲジと日記を踏みつけてからカバンにしまい、恐る恐る洞窟のさきに一歩踏み出した。

肉を引きずる嫌な音がする。

ポタポタとどこかしこから水が垂れる。下水だろうか?やけに臭い。

こんなところで死ぬのはゴメンだ。

一度来た道がわかるように、サキは教科書をビリビリに破って通った道に紙片を撒いていく。

幸いどの地面も湿ってるし風で飛ぶことはないだろう。

教科書もロックハートの本だし、ちぎるたびに彼の写真たちが悲鳴を上げるので賑やかだ。こう不気味な場所でたった一人進んでいくとなると、バカの悲鳴でもないよりマシだ。

こつこつと革靴の音が響く。電灯や松明があるわけではないが、天井の亀裂からなんの光ともつかない明かりが漏れてるおかげで完全な暗闇ではない。それでも壁につけた右手の感触だけが頼りだった。

もう何年も人が通ってなさそうな道をとにかく進む。とりあえず今は曲がり角を無視して進んでいるが道は曲がりくねっていま自分がどっちに向かっているのかだんだんわからなくなっていく。

ふいに右手が触れる壁の感触が変わった。目を凝らすと扉のようなものが見える。大きな丸い石の扉だ。彫刻がほどこされているが細かい図案はよく見えない。苔の浸食が激しいようだ。だが入念に触るとすべてが苔に覆われてるわけじゃないらしく、円形の溝の部分はこそげていた。

「怪しいな…」

ノブも鍵穴も見つからないので仕方なく蹴ってみた。当然何も起きない。

サキはため息をついてしゃがみ込んだ。頭が痛い。早起きしたせいで寝不足だし、擦り傷はずっとヒリヒリ痛む。

こんな不気味なところで死ぬなんて嫌だ…。

不意にこみ上げてくる不安に押し潰されるようにサキは床に寝っ転がった。

ジニーは無事だろうか。

操られて私を落としたこと、覚えてるんだろうか。

罪悪感でいっぱいになって自殺しちゃったりヤケを起こしちゃってたらやだな。

そもそも今何時くらいなんだろう。

朝ごはんくらい食べてくればよかった。

置き手紙くらいしておけばよかった。

床に突っ伏したままサキはゆっくり目を閉じた。とにかく疲れた。もう寝てしまおう。

 

 

 

「50年前の新聞だ」

マルフォイが茶色くて今にも崩れそうな新聞を持ち出してテーブルにおいた。

ロン、ハーマイオニー、ハリー、そしてマルフォイは人気のない図書館に集まっていた。

「名前が出てるわ…マートル…50年前死んだのは嘆きのマートルだったのね。早速行きましょう」

「おいおい正気かよ。もうじき外出禁止時間だ。先生たちが血眼で警備してるんだぜ」

「全くもう。ハリーの透明マントがあるでしょう」

「あのマートルのところに行くのか?」

マルフォイはゴメンだと言いたげだった。

「いいよ君は来なくて。どうせマントには4人も入れない」

「そうさせてもらうね。だいたい今更なんで話を聞きに行くんだ?」

「話を聞きに行くんじゃないわ。探しに行くのよ、入り口を」

「まさか秘密の部屋の入り口が女子トイレにあるなんて言うんじゃ」

「そのとおり」

げーっとロンが顔をしかめる。

「偶然の一致にしては出来すぎてる」

ハリーの一言で決まったようなものだ。三人は急いで荷物をまとめる。マルフォイはなにか悩んでいるようだ。

「お前たちだけで行くつもりなのか?」

「ああ、だって急がないと…」

「まず先生に知らせるべきだろう」

マルフォイが珍しく正論を言った。ハーマイオニーも今思い出したらしく、小さく唸って自分の焦りっぷりに赤面した。

「ああ、もうわかったよ。じゃあ君は先生たちに知らせてくれ。僕は行くから」

「生徒だけで行くなんて無茶よ!相手はバジリスクなのよ?」

「ああもう、わかったよ!じゃあとにかくマートルのトイレにまず行く。そこに秘密の部屋の入り口が本当にあったらすぐにマクゴナガルのところへ行く、いいね?」

4人は大慌てで図書館から出て大広間に向かった。急がないと夜間外出扱いで罰則ということもあり全速力で走っていく。

嘆きのマートルのトイレに来た。また水浸しになっている。

「妙な気配がしたら目をつぶるのよ」

ぴしゃ、と革靴が水に浸かった。水たまりに波紋がトイレのはしまで広がっていく。ちょっと遅れて

「だれ…?」

と湿っぽい声がした。

「なんで男子がいるの?…あんたたち、また何か変な薬を作りに来たわけ?」

「こんばんはマートル。違うわ、今日は探しものをしにきたの」

「探しもの?ふぅん…お間抜けなスリザリンの子じゃないでしょうね?」

「サキを見たのか?!」

マルフォイの怒鳴り声にマートルは驚いたらしい。泣きじゃくりながら奥の個室へ逃げてしまった。

「バカ!」

「ごめん、マートル。聞かせてほしいんだ。お間抜けなスリザリンの子って?」

少し気に入られてるらしいハリーが慌てて個室に近寄ってなるべく優しい声色で尋ねる。マートルは便座からちょっと顔を覗かせて恥じらう乙女のような感じで答える。

「名前は覚えてないわ…でも、お友達に落とされちゃってたわよ。そこの穴に…」

「穴?どこにあるの?」

「鏡台よ。どういう仕組みかわからないけど、何かを言うと開くみたい。…私、思い出しちゃったわ。生きてるときオリーブにいたずらされて、落とし穴に落とされたの。とっても怖かったし、痛かったわ」

マートルの恨みつらみが始まる前にハリーは慌ててお礼を言って鏡台の前に立った。

洗面台も兼ねた鏡台は古めかしく、蛇口やパイプは錆びていて鏡は曇っていた。なんの変哲もないように見えたが

「おい、ここに蛇が彫られてる」

マルフォイが指差すところを見ると銅製の蛇口の部分に引っ掻いたような蛇が彫られていた。ちょうどスリザリンのワッペンに刺繍されてるような蛇だった。

ひねっても水は出ない。

「ハリー、蛇語で喋ってみろよ」

「え…なんて?」

「開けゴマとか、そういうやつ」

「あー…うーん。ちょっと待って…」

ハリーは咳払いをしてなんとか蛇語を喋ろうとした。

「開け」

「人語じゃないか」

「黙ってろマルフォイ!ゴホン」

目の前に蛇をイメージした。そして意識を蛇に集中して口を開く。

『開け』

口の隙間から空気がシューッと抜けてくような音がした。頭ではきちんと開けと言ってるのに違うことを喋ってる。変な感じだ。

ハリーがそう言うと、鏡台は音を立てて変形し始めた。

ゴロゴロと音を立てて鏡台が奈落のように降りていく。そして大きな太いパイプがポッカリと口を開けた。

「これが…」

ロンが息を呑んだ。

パイプの中から漏れ出る不気味な気配に四人とも一歩後ずさる。

「知らせに行かないと…」

ハリーはハーマイオニーの声でやっと我に返った。

「それじゃあ…僕はここで見張ってる。」

「僕も残るよ」

ハリーの言葉にロンが続く。

「じゃあ私はマクゴナガル、マルフォイはスネイプに報告しましょう。すぐに校長に来てもらうように言うのよ。二人は間違っても先走って行動しないで」

「わかってるよ」

ハーマイオニーはそう言うとトイレからかけて行った。人選に不服があった様子のマルフォイもすぐにトイレから出ていった。

ハリーとロンはぽっかり空いた暗闇へと続くパイプを覗き込み二人して顔を見合わせた。

 

「ハッハッハーッ!ビンゴ!」

 

背後から底抜けに明るい陽気な声が聞こえた。

振り返るとロックハートがいつもの笑みを少し強張らせながらそこに立っていた。

 

 

 

 

マルフォイとハーマイオニーは大広間に慌てて飛び込んだ。

大広間には大勢の生徒が不安そうな顔で座っていた。夕食のメニューもこころなしか貧相だ。みんなはささやき声で噂している。

 

私達これからどうなるの?

もしシンガーが継承者なら…

ポッター、あいつが一番危ない 

継承者避けのおまじない

 

ハーマイオニーは急いでマクゴナガルのいる職員テーブルのそばにより、なるべく目立たないように大広間の隅に呼び出した。

「何事ですか?」

「先生…秘密の部屋を見つけました」

「なんですって?」

「すぐにダンブルドアを呼んでください!」

「ダンブルドア校長は今…」

マクゴナガルがいいかけたその時、白髪の魔法使いが壇上に上がった。

「オホン、ホグワーツの皆さん…」

高そうなローブを着た男は拡声呪文を調整しながら呼びかけた。

「本日付でダンブルドア校長は停職となりまして…仮の校長として副校長のマクゴナガル先生の指示に…」

「嘘…!」

生徒たちがざわめく。ハーマイオニーのショックはそれでは収まらなかった。

「校長にはすぐに手紙を出しましょう。それで、秘密の部屋はどこにあるのですグレンジャー」

「こっちです」

 



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12.秘密の部屋②

ロックハートは意気揚々と水浸しのトイレの中にやってきた。高そうなスラックスが濡れるのを嫌ってちょっとまくってる。

「先生、どうしてここに?」

「秘密の話はもう少し小声ですべきですよ、ハリー。でもまさか本当に秘密の部屋を見つけてしまうなんて!」

ロックハートはパイプの中を覗き込んだ。ハリーとロンは突然の乱入に驚き真意を掴みかねていた。

「さあ、それじゃあまずは…」

ロックハートは不意にロンの肩を押した。

バランスを崩したロンはパイプに真っ逆さまに落ちていく。ハリーはとっさに手を伸ばしてロンのローブの端っこを掴んだ。がくんと腕が引っ張られ、ハリーもパイプの中に吸い込まれそうになる。しかしロックハートはそんなハリーのローブを踏みつけてなんとか二人の落下を止めた。

しかし助けたわけではないようだ。

「君たちは下に降りて何もいないか確認するんだ。いいね?」

「先生、なんでこんなことを!」

「ふざけるな!」

ロンが泣きそうになりながら叫んでいる。しかしパイプの中で反響してしまうため上の方にはよく聞こえない。

「ギルデロイ・ロックハート最新作、『秘密の部屋のヒミツ』なんて馬鹿売れ間違いなしだ!けれど私は探偵でいえば安楽椅子型なんでね…君たちはいわば鵜飼の鵜ってわけです」

「すぐに先生たちが来るぞ…」

「それなら尚更都合がいい。正直秘密の部屋の怪物とは会いたくない。会うまでのスリルをしっかり体験しておいてほしい!そのための君達ですよ」

「あなたがそんな人だったなんて…散々冒険してきたのに怖いんですか?」

「言ったろう、安楽椅子型だって…。安心したまえ。先生たちが来る前に忘却術をかけますからバレることなし。来た先生によってはもしかしたらバジリスク退治も私の功績になるかもしれませんね?」

「やっぱりろくなやつじゃ無かったろ?!」

ロンが穴のそこで誰に対してかわからないがそう言った。

ロックハートはにやりと笑うとハリーのローブを離した。二人はパイプの中をすごいスピードで落ちていった。

 

 

 

 

 

「トム…」

サキが短い眠りから覚めると、すぐそばにトムが座っていた。いや、トムは日記の中にしかいないからやっぱりこれは夢なんだろう。

「よくこんなところで寝れるね」

「慣れてるから…ってそうじゃないよ。私を殺す気なんだね」

「そうだね。計画が予想以上に狂ってしまったから」

「よく本人目の前にして言えるね」

「ところで、この中には入らないの?」

「入り方がわからないんだよ」

「簡単さ。開けって言えばいい。特別な言葉でね」

「特別な言葉?」

トムは立ち上がって扉の彫刻を指でなぞる。じっと見つめられるとこんな状況でなければドキドキするくらいきれいな顔だ。流石に殺されかけているので許したりしないが、この顔できっと随分得をしただろう。

サキも立ち上がり、同じように扉に向かう。

「うーん、開けゴマとか?」

「違う違う。ほらこれ、蛇がいるじゃないか」

確かにたくさん蛇の彫刻がある。スリザリンは本当に蛇が好きだったんだなーとほのぼのしそうになったがわざわざ凝った彫刻で扉を作ったのはそれだけではないんだろう。

「スリザリンの特徴はパーセルタング…蛇語使いだ」

「私、そんなの喋ったことないよ」

「喋ろうとしたことないだろう?試すだけ試しなよ。ハリー・ポッターだって喋れるんだろう?」

サキはちょっと躊躇った。ずっと封じ込めてきた疑惑が鎌首をもたげた。知らんぷりしてた事実。

決闘クラブのあの日、けしかけられたヘビを諌めたハリーのシューッという蛇の言葉。

あれが何を言ってるか、サキは直感で理解できていた。

あのときはたまたま勘が冴えてたんだとか、状況的にああ言ってるに違いないと納得していたが…。

もしここでこの扉を開けることが出来てしまったら。

ここから先はきっと開けてはいけないパンドラの箱だ。そんな気がする。嫌な予感がする。

「トム、どうせ君は喋れるんでしょう?だったら君が開けてよ」

「僕はそれを確かめたくてしょうがないんだ。君が死ぬ前にそれだけは知っておかないと」

「どうして…」

「わからない?」

「わからない」

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

生理的嫌悪感がつま先から登ってくる。

「トム…君は誰なの?」

「ここを開けられたら教えてあげるよ」

ここまでくれば、引き金に指をかけられたようなものだった。トムはそっと導くようにサキの手を取り蛇に触れさせた。

精巧な彫刻の鱗の一枚一枚まで指先に感じる。

ただ一言言えばいい。

 

『開け』

 

 

 

 

 

ハーマイオニーがマクゴナガルに事情を説明してるのとほぼ同時にマルフォイもスネイプに秘密の部屋の場所を知らせた。

スネイプはすぐさま立ち上がり、トイレとは違う方向へ走っていく。

「先生、どこへ行くんですか」

「校長室だ。ドラコ、君はここで待ってろ。間違えてもパイプに入るな、絶対に」

おいてかれたマルフォイはかと言ってここで待っているなんてこともできずにマートルのトイレへ戻った。

しかしトイレからはハリーとロンの姿が消えていた。

「あいつら…まさか…?」

マルフォイは一瞬中に入ろうか迷った。しかしそのあまりにも暗いパイプの中を見て躊躇した。

「おーい!」

中に向かって大声を出す。わんわんと反響して、とてもどこまでも続くパイプの先に届くとは思えなかった。マートルに何があったかきこうにも、何処か別のトイレに逃げたのか全く気配がない。そうこうしているうちにそとから足音が聞こえ、ハーマイオニーとマクゴナガルが飛び込んできた。

「マルフォイ!なぜあなたがここに…」

「マルフォイにはスネイプ先生に伝えるように頼んだんです。スネイプは?」

「校長室に行った」

「セブルスが校長室に?…わかりました。直にフリットウィック先生がいらっしゃるでしょう。スプラウト先生が急ぎでフクロウ便を出しているはずです。…ポッターとウィーズリーは…」

「それが戻ってきたらいなくなっていて…」

「そんな!何かあったんだわ」

ハーマイオニーががくんと座り込む。

「これは大至急向かったほうがいいでしょうね…マルフォイ、ミスター・フィルチに大至急縄梯子を持ってくるように伝えてください」

「そんなもたもたしてられない…!」

「サキが消えて一日です。まだ余裕はあります。そしてなにより、私達にとってはあなた達も守るべき生徒です」

マクゴナガルは毅然と言った。そして杖を抜いて穴へ向かっていった。

 

 

二人は穴の底につくと、悪臭に顔を顰めながら明かりを灯す。

ぬらぬら光るトンネルがどこまでも続いている。まるで下水道だ。

「どれくらい下なんだろう?」

「わからないけど…多分ここ、湖の下じゃないかな。めちゃくちゃ湿ってるし」

「ロックハートのやつ、降りてきたら袋叩きにしてやろう」

「降りてくるかな?」

二人が話していると、ドスンと音を立ててロックハートが落下してきた。慌てて杖を構えなおして二人に向ける。

「さて…進みましょうか?」

ロックハートはトンネルの雰囲気に完全にビビってる。まさか秘密の部屋が豪華なソファ付きのものだとでも思ってたんだろうか?想像以上に頼りない味方にハリーは心の中でため息をついた。味方というか脅迫してくる敵だけど、バジリスクと遭遇したらきっと盾にもならないだろう。

曲がりくねったトンネルはどこからか肉を引きずるような音や獣の吐息が聞こえてくる。

そのたびにロックハートは降りてきたことを後悔しているんだろう。さっきから後ろにいるはずのロックハートが遅れ気味だ。

自分で降りてきて馬鹿じゃないかと思う。

ロンもすっかりロックハートに対する敵意が萎えたらしく、セロハンテープで補強した杖をしょっちゅう弄っている。

「ひっ」

ロックハートが落ちていた石を蹴飛ばして悲鳴を上げた。ロンも釣られて驚いてしまい顔を赤くしながらロックハートに怒鳴った。

「いい加減にしろよ!もう!」

「ムリもないだろう!聞こえないのか?さっきからずっと後ろに……」

ロックハートが言いかけた途端、トンネルの中にずるずるという音が響いた。今までより近い。

ハリーは無言で杖を構え直す。ロンも同様だ。

ロックハートは腰を抜かしながらも目をしっかり抑えて杖を構えている。(どうやって呪文をかけるのかわからないが)

「バジリスクかな」

「わからない…」

肉を引きずる音はそこかしこから聞こえてきたが確実に近くなってるのは間違いなかった。

ずる、ずる

ずず…

ずる

まるでジワリジワリと死神が忍び寄るように音は近づいてくる。

音が上の方からしてきた時、天井から大きめの石が落ちてきた。

「うわあああ!」

石はロックハートの足を直撃した。

それを攻撃だと思ったロックハートは突然周囲に呪文を飛ばしまくった。

「先生!違う!落石です!先生!」

パニックに陥ったロックハートの呪文は運悪く弱くなっていた壁にあたったらしい。ロックハートを止めるために襲いかかったロンとハリーの間の天井が崩れ、二人は分断されてしまった。

轟音がトンネル内に響き、土煙がもうもうと立ち込めた。

ハリーはすぐに泥の中から立ち上がって積み上がった瓦礫をなんとか崩そうとした。

「ハリー、聞こえる?」

「聞こえるよ!そっちは大丈夫?」

「ロックハートの大馬鹿、止まらないもんだから思わずチョークをかけちゃった…どうしよう、大丈夫かな?」

「息は?」

「してる」

「わかった…ロン、とりあえず僕は前に進む!君はなんとかここを崩せないかためして!きっとすぐにハーマイオニーたちが来るから」

「わかった。すぐ追いつくから!」

 

ハリーは奥へと続く闇を見据えた。

この先にサキはいる。

 

 

 

 

 

 

篝火が燃えている。冷え切った体をほんの少しでも温めようと、サキはその壁に寄りかかった。

左手に握りしめた日記を見る。

「夢…だよね?」

「そうじゃないよ」

トムが部屋の中心に立っている。主のような優雅さで。

サキの足から力が抜けていく。

「はじめは僕を倒したらしいハリー・ポッターを捕まえるつもりだった。ジニーから色々聞かされていたからね。…かの偉大なハリーは、私のことを好きになってくれたりしないわよね。だって彼は生き残った男の子だもの…。ハッ。11歳の小娘の恋バナは、なかなか退屈だったよ」

 

「悪趣味だね」

サキは座り込みながらトムの言葉をゆっくり咀嚼する。

 

「けどまさか、ジニーの手から日記を奪うやつが出てくるとは思ってなかった。しかも…こんなに魂の形がそっくりな子が」 

 

僕を倒したらしいハリー・ポッター?変な伝聞形。

 

「そこで計画は一時見直し。君と会話してくうちにちょっとずつ僕は君の魂に踏み込んでいった。不思議な気分だったよ。鏡を覗いてるような気分だった」

 

魂の形ってなんだろう。

 

「よく見たら顔立ちも…似てなくはない。どうだろう、瞳とかが似てるんじゃないか?その上蛇語が話せるなら、もう決まりさ」

 

私はあなたみたいに冷たい目をしていない。

 

「トム、君はもしかして」

 

トムは優しく微笑んだ。ゾッとするほど優しい笑みで毒のように甘ったるい声で告げた。

 

「そうだよ、サキ。僕はヴォルデモート卿の、16歳の姿だ。そして君はどうやら僕の家族みたいだね?まったく、変な気分だ」

 

 

 

 



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13.秘密の部屋③

突然そんなことを言われたって…。

サキは何を言っていいかわからなかった。

トムがヴォルデモートで、私の家族?

トム・リドルがヴォルデモートだというのは薄々察していた。しかし…

「状況証拠だけでそんな事、言わないで」

「そんな事?僕が父親なのがそんなに嫌?」

「嫌に決まってる!風評被害だよ」

トムは冷たく甲高い声で笑った。サキは全身に力が入らないながらも立ち上がり彼のそばへ行く。

「蛇語喋れるだけでそんなこと言われるなら、ハリーはなんなのさ。生き別れの兄弟とでも?」

「ハリー・ポッターについてはひとつ仮説がある、残念ながら兄弟ではないよ」

あと少しで殴りかかれる距離まで来てへたり込む。トムの冷たい視線が上から降ってくる。空腹が限界だった。

「仮に、私が娘だったとして、それでも殺すの?」

「ああ。殺すというか、その体を使わせてもらおうかと思っててね」

サキは去年のクィレルを思い出した。頭に寄生した死にかけのヴォルデモート。あんな風になってしまうのか?

ぞっとして思わず後ずさる。

「君の意識はちゃんと消え去るから安心しなよ」

バカじゃないのかと思ったが毒づく気力も無くなった。サキは床に崩れ落ち、トムの足元しか見ることができない。

 

「僕が君の魂を削りきるまで、せめていい夢を」

 

 

 

 

 

朝起きて二段ベッドの下の段を見ると、ジュリエッタはまだグースカ寝ていてイビキまでかいていた。

私は彼女の頬をひっぱたいて起こす。

孤児院の食事は味が薄いのでみんな大抵ケチャップやソースをかけるが、今日に限ってケチャップが切れてしまった。

買いだめもないというので私がおつかいを頼まれた。

いつもより遠いスーパーのものを買って来て、と言われて私はピンと来た。

わかっちゃった。

今日は私の誕生日だから、きっとみんなでパーティーの準備をするんだ。

お見通しなんだから。

でも問い詰めるような野暮なことはしない。

ケチャップを買った。

そして孤児院に戻る。

みんな揃ってテーブルについて、ろうそくに火をつけた。

バースデーソングを歌って、火を吹き消して、みんなでケーキを食べた。

満腹とまではいかないけど満足したお腹をかかえてみんながベッドに潜る。

こうやってちょっとの幸せを拾い続けながら、不幸な毎日が未来永劫続いて行く。

そして学校に行き、働いて、誰かと恋に落ちて、家族を作る。決まったレールの上を歩いて行く。

幼い私の夢だった。

涙が溢れた。

ジュリエッタが変なのと言って笑う。

なんで当たり前のことで泣くんだろう。

なんだか体が熱い。背中が酷く痛む。

涙じゃない何かが頬に落ちた気がした。

上を向くと、そこは真っ暗な広いホールのような場所だった。

「…れ?……」

サキのうなり声に誰かが答える。

耳がよく聞こえない。目も霞んでる。

高熱の日だってこんなに悪くはならないだろう。

次第に意識がはっきりして来た。しかし体が思うように動かない。首をちょっと動かしたいだけなのに鉛のように重たい。

誰かと誰かが怒鳴りあっている。

指先に何かがあたっている。ざらりとした感触。孤児院で配られた寄付された古着そっくりだ。

掴んでみる。そしてゆっくりと体を起こそうとしてみる。

重力ってこんなに重かったっけ?というかここはどこだっけ?

やっとの思いで起き上がれたと思ったら突如爆音が轟き、重たい何かが落ちてくる音と、罵声が響いた。

『あいつを殺せ!』

「サキ!そいつを見ちゃだめだ!!」

秘密の部屋に、大蛇がいる。そしてトムとハリーがそれぞれ部屋の反対側にいる。

「ハリー、助けに来てくれたの…?」

「伏せろ!そいつはバジリスクだ!目を見たら…」

ハリーが怒鳴り終わる前にバジリスクがシューっと威嚇音を出し、石が砕ける音がした。蛇が尻尾で壁をたたき壊したらしい。

夢から醒めていきなりついていけない。サキは夢の続きなのかと疑ったがとにかく伏せた。そもそももう起き上がっていられなかった。

そうだ、トムにはめられて秘密の部屋に閉じ込められてたんだっけ?

それで…なんで組み分け帽子が?

綺麗な鳥までいる。

やっぱり夢じゃないか。

 

ハリーはバジリスクの目を見ないように必死に柱を縫うように逃げた。重たい肉が何かにぶつかったり、叩きつけたりするような音が聞こえる。

「邪魔な鳥だ」

トムが吐き捨てるように言う。不死鳥フォークスはバジリスクの目を狙うように飛び、バジリスクの頭が届かない位置の鱗を鋭い鉤爪で剥いでいた。

トムとハリーが戦っている。

かなりの不利の中で。

サキは無意識に帽子の中を弄った。ピリッと指先に痛みが走り、じんわりと熱くなる。まるで刃物で切ったように血が流れていた。

細かいことは考えられなかった。

サキはその刀身を肉が切れるのも厭わず掴んだ。

 

この世のものとは思えない鳴き声が秘密の部屋にこだました。フォークスの爪がついにバジリスクの目を潰したのだ。

『匂いだ!匂いをたどれ!小僧はすぐそこにいる』

バジリスクの武器は目だけではない。その毒牙にかかればあらゆる生物は死ぬ。

バジリスクはヤケクソのように牙を剥き出しにしてハリーに噛みつきにかかった。

『そうだ、やれ!』

トムはそっちに気を取られてサキの行動に気付けなかった。

サキは組み分け帽子の中から引きずり出した血塗れの剣をトムの脳天に叩き落とした。剣はトムの右肩から心臓にかけて埋まっている。

「は……」

トムはいま幻とも実体とも言えない存在だ。触れることはできるがだからと言って血と肉でできているわけではない。ただ剣で叩き切られた勢いで体を崩して倒れ込んだ。

サキは剣を振り抜くと、そのまま剣をハリーの方へぶん投げた。

ハリーは咄嗟に避けようとして足を滑らせた。剣はバジリスクの首筋に当たってはねる。

そしてすぐに起き上がったトムによりサキは蹴り倒されてしまう。

「いったいどんな躾を受けて来たんだ?」

「この、死に損ない…」

トムの隙を逃すものか。ハリーは飛びつくように剣を掴んだ。音に反応してバジリスクが襲いかかる。

避けられない。

そう思った時ハリーは無意識に腕を差し出した。そしてバジリスクの口蓋にその剣を突き立てた。

肘から上に痛みが走り、そしてぼんやりあったかくなる。

剣の突き刺さったバジリスクは力をなくして地面に落ちる。

「なんてことだ。たかが子供一人殺すのに秘密の部屋の怪物一匹…割りに合わないな」

ハリーは突き刺さったままの牙を抜いた。猛毒は身体中に回ってしまったのだろうけど。よく戦ったと思った。

すぐに先生たちが来る。そしたらせめてサキだけは…

トムの足元でピクリとも動かないサキを見た。

フォークスが羽音を立てながらハリーの元に寄り添う。

「フォークス…ありがとう、君は素晴らしかった」

フォークスの涙が傷口におちた。するとあれだけ熱を持っていた体がすうっと冷えていくように感じた。

「ハリー・ポッター。君の臨終をしっかり見届けてあげよう。サキに取り付くのはそれからでいいさ。早く穢らわしいマグルの母親の元に行くといい」

トムが捨て台詞を吐いた時、扉の向こうでなにかが爆発するような音がした。きっとロンたちだ。助けに来てくれたんだ。

ハリーは急に元気になったような気がした。傷口を見る。すると先ほどまでバジリスクの牙が穿った穴の部分はまるで怪我なんてしてなかったみたいに綺麗な肌色をしている。

「そうか、不死鳥の涙…!」

ハリーのつぶやきにリドルの余裕が崩れた。

「なんだと?」

さらにフォークスはもう一つ土産をよこした。

黒い革の古ぼけた日記だ。

「ハリー…それを、壊して」

サキが絞りだすような声で言った。

トムの顔色が変わり、駆け寄ろうとする。

ハリーは先ほど引き抜いたバジリスクの牙を日記帳に突き立てた。

 

トム・リドルの日記から血のようにインクが溢れ出る。リドルの悲鳴はまるで空気を切り裂くようだった。

彼は身悶え、うずくまり、そして消えた。

 

後に残ったのは静寂と、扉を破ろうとしてるんだろうか?破裂音のみだった。

ハリーはよろよろとサキに近寄った。

「終わった?」

「うん、終わった」

「また助けられちゃったね」

「僕の方こそ」

どん、どん、と扉の向こうから体当たりする音が聞こえる。

「開けてあげないとかわいそう」

「うん…そうだね」

 

 

 



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14.病室で。

秘密の部屋の怪物が死んだ日。

マクゴナガル、スネイプ、フリットウィックの三人は秘密の部屋をすみからすみまで検分した。

バジリスクの毒牙は数本回収し屍骸はそのままに。落盤のあった箇所を完全に塞いでしまうということに落ち着いた。

負傷者2名はただちに医務室へ連れて行かれた。ハリーの怪我はともかくとして、サキの衰弱はマダム・ポンフリーの手に余るので聖マンゴに搬送された。

そしてサキが目を覚ましたのは救出されてから一週間もたってからだった。

病室で目覚めたサキは癒者から説明を聞くまで自分がなぜここにいるのかよくわからなかったが、順を追って説明されてようやくすべてが鮮明に思い出された。

あの時はぼんやりしてて感情が追いついてなかったが、今反芻するとたまらなく最悪な気分になる。

 

トム・リドル…ヴォルデモート卿。

 

彼は確かに自分は父親だと言った。

信じたくない。というかありえないだろう。

去年出会った、死にかけの呪われた闇の魔法使い。それが父親?

生理的に無理だ。

というか去年出会ったヴォルデモートはそれに気付いていたんだろうか?気づいててあんなに殴ってたと言うなら尚更最低じゃないか。

病室で一人になってからずっとサキは頭を抱えて悩んだ。

ハリーの親の仇。いや、もっと言えば魔法界の敵そのもののヴォルデモート。そいつの血が流れているんだ。

なんて忌まわしい血。

サキが毛布にくるまり唸っていると、扉がノックされた。

返事もなしに扉が開いて誰か入ってくる。

サキは恐る恐る布団から出る。そこには花を抱えたスネイプがいた。花とスネイプという似合わない組み合わせにちょっと笑いそうになるが苦虫を噛み潰したような顔をみると誰かから持たされたんだろう。

「サキ。しばらく」

「先生…」

スネイプは見舞いの品をテーブルにおいてベッドの脇の椅子に座った。

「癒者から大体の事は聞いただろうが…」

「あ、はい。ご迷惑をおかけしました」

「君は悪くない。今まで何人もの魔法使いや魔女があの人に誑かされているのだから。…今日はジニー・ウィーズリーについて確認しなければいけない事がある」

サキはハロウィンの夜、ジニーの様子がおかしかった時からゆっくり、思い出すように語った。ジニーの持ってた日記を奪い、自身も虜になったこと。人前で使ったせいで日記に逃げられたこと。トムと話したこと。

そして…

「あの………先生、私って似てますか?…トム・リドルに」

「何を突然」

「私、蛇語が話せるみたいなんです」

スネイプは押し黙る。まともに顔が見れないから表情はわからない。

「あの人、いったんですよね。私が…彼の…」

それ以上言葉が出なかった。口にしたら本当になってしまうような気がして言えなかった。しかしスネイプは全てを察したようだ。

「先生は、母をご存知なんですよね?じゃあ…私の父親って誰なんですか?」

「それは…わからない」

「誤魔化さないでください!後見人のくせに知らないんですか?」

「本当にわからないのだ。サキ」

スネイプは立ち上がってポットから紅茶を注いでサキの前に置く。サキはスネイプの曖昧な態度にイライラしながら紅茶を見なかったことにした。

「君の母、リヴェンが妊娠していたことさえ知らなかった。あの人が倒された日に屋敷に行ったら君が寝室にいた」

「…ヴォルデモートと母は、どういう関係だったんですか?」

「それは……」

スネイプが言葉に詰まった。サキははっきりしないスネイプに対して怒りを爆発させた。熱い紅茶が白いシーツに飛び散って、陶器の破片が床に散らばった。

「はっきりいってくださいよ!わからない今が一番気持ち悪い!」

「…君の母親は、あの人に監禁されていた」

「監禁…それは…」

サキは言葉選びに迷う。

「君の家系の特殊な魔法が必要だったからだ。我輩は彼女と親しかったこともあって監視役を仰せつかったが、あの人とリヴェン、二人の間に特別な何かがあったとは思えん」

「そりゃ、わからないじゃないですか。だって現に私はパーセルタングだし…」

「蛇語使いは一つの家系しかないわけではない。マクリールの家系に蛇語使いがいた可能性もある。何と言っても古来から続く家系だ」

スネイプは破片を拾い集め、こぼれた紅茶を拭いた。サキは両手で顔を覆って大きく息を吐き出す。

「ずるいよ。そんなの悪魔の証明だ」

怒りはしゅるしゅると萎んで、やるせなさで涙が出てくる。恥ずかしいのに止められなくてサキは顔を上げられなかった。

「サキ」

「うるさい」

スネイプは口をつぐんだ。静かな部屋にサキが鼻をすする音だけがした。

 

「怖い」

 

サキは思わず口から本音をこぼした。ヴォルデモートに関わって二度とも大怪我をして死にかけている。そのうえ二度とも体を乗っ取られかけた。

しかもこの体には得体の知れない魔法の血と、もしかしたらヴォルデモートの血が流れてるかもしれない。

「サキ…」

背中に体温を感じた。スネイプが背中にそっと手を当てている。思ってたより大きな手だった。

「これからどうなるかはわからない。けれどもいずれ闇の帝王は復活する。必ずだ。そしておそらく君は必ずあの人に狙われる。あの人の目指すところはきっと君の家系の魔法にヒントがあるからだ」

 

君が君である限り例のあの人からは逃れられない。

 

「そして…おそらくあの人も気付くだろう。君がもしかしたら血の繋がった娘かもしれないと」

 

誤魔化してもごまかしきれない。限りなく黒に近い灰色。

 

「君の事は必ず守る。君の母親との約束だ」

 

「信用できないですね。去年も今年も死にかけたし」

「面目ない」

「…ぶっちゃけスネイプ先生って母のこと好きだったんですか?」

サキは鼻をおっきく啜って布団で涙を拭いて顔を上げた。スネイプが珍しく困った表情をしていた。

「いや…尊敬していたしよく話していたが…恋愛感情は……」

「そんなマジに答えないでくださいよ」

スネイプはムッとした顔に戻って黙ってしまった。しかしサキがちょっと微笑んでるのをみて安心したようだ。

「あーあ…なんかなー。こうなると来年も絶対何かありますね」

「対策が後手に回っているのが現状だ」

「ハリーも狙われてるし、私も多分狙われるし、先生たちも大変ですね」

 

見舞いの菓子を開けて二人で食べた。ホグワーツではお祝いムードが漂っていること。試験は通常通り行われること。サキと秘密の部屋事件の被害者は試験を免除されること。など学校の現状を伝え聞いた。

「マンドレイク薬もそろそろできる。君は石になってることになってるのでそれに合わせて帰ってきてもらう」

「はあい。…あ、手紙って書かせてもらえますか?ドラコとかハリーに無事って知らせなきゃ」

「構わない。あとで送ろう」

「ありがとう」

クッキーの缶を空ける頃には日が暮れてしまった。スネイプが帰っていくのを見届けたあと定期検診でやってきた癒者と二言三言話し、サキは床につく。

 

必ず守る、か。

その言葉は嬉しかったが、結局自分が何とかするしかない。

私は呪われた子。

ずっと昔から続く忌まわしい血を継ぐもの。

最悪にはなれてる。

ちょっと規模が大きすぎるけれども、すべての苦しみは慣れが肝心だ。

生き残りの罪悪感も、鏡に映る影も、不気味な夢も。

 

そういえば秘密の部屋で、何か夢を見た気がする。

とってもいい夢だったような、悲しい夢だったような…。

いくら思い出そうとしても思い出せない。

何かいい夢だった気がするんだけど。

まあいいや。

夢なんてまた見ればいい。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 



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15.そして季節はめぐる

石になった人たちの回復祝に、ホグワーツは午後の授業を中止してパーティーを開くことになった。

大広間は色とりどりに飾られてテーブルにはたくさんの料理が並んでいる。

天井は抜けるような青空で、時折白い鳥が羽ばたいている。ジニーやコリンに混じってサキもみんなの拍手で迎えられた。

照れくさそうというよりもバツが悪そうな顔だ。

久々に見るサキはなんだか少し太ったような気がする。一ヶ月近く病院で美味しいものを食べて過ごしたんだから当然だろう。

立食会のようになっていたので、ハリーはすぐにサキを捕まえた。

「ハリー!」

「おかえり」

サキはロン、ハーマイオニーと軽くハグして次にジニーを引っ張ってきた。

「ほら、ジニーも」

「さ、サキさん!」

ジニーの顔が髪の毛よりも真っ赤になる。ロンがヒューヒューと茶化すとハーマイオニーがそれを諌める。全然変わらない光景が戻ってきた。

ハリーがジニーにハグするとジニーは息ができなくなってよろよろとベンチの方へ歩いていく。

サキは笑いながらそれを見ていた。

「大丈夫?具合」

「うん。一ヶ月の間めちゃくちゃ検査したから人生で一番健康だと思うよ」

サキはグーで殴る真似をした。ハリーは笑いながらそれを受ける。

「よかった。元通りだね」

「…そうだね」

ハリーが元通りと言った時にほんの少しの間があった。しかし疑問に思う間もなくサキは駆け出してしまう。

「ドラコにもちゃんと挨拶しないと!またね」

サキはスキップするように人混みを縫うように行ってしまった。

「あれ?何だもう行っちゃったのか」

ロンがつぶやく。

「ハリー、料理が入れ替わったよ」

「あ、うん。今行く!」

 

パーティーではフリットウィック先生率いる合唱団が発表し、軽音バンドを組んでいるハッフルパフの六年生がステージを披露したり、と学園祭の様相を呈していた。

宴もたけなわというところでダンブルドアが壇上に上がった。

「さて、諸君らはこのあとベッドに入ったらイースター休暇に入るわけだが、休暇が終わってからは学年末試験が待っておる!決してここで気を抜かないように…」

お決まりの文句が一通り並び、みんなの意識がイースター休暇に引っ張られる頃に挨拶は終わった。

秘密の部屋の怪物が倒されたことなんてみんなもう気にしてないみたいに、休暇の予定を話してベッドへ向かう。

ハリーは大広間に一番最後まで残った。人がほとんどはけてがらんとした大広間は少し寒かった。天井は青から紫、そして黒に変わり星星が瞬いている。

「ハリー、帰らないの?」

ふいに入り口の方から声をかけられた。

サキが扉の横から顔を出して広間を覗き込んでいる。

「サキ、まだか?」

ドラコの声にサキが「先行っててー」と返事する。

「ああ、うん。もう寝るよ。どうせ僕は休暇で帰らないけど」

「私もだよ」

サキはハリーをジロジロ見てなかなか出ていかないグリフィンドールの一年生が出てくのを見てから広間に入ってきた。

「人がいないと寒いね」

「うん。…大丈夫?」

「大丈夫。途中まで一緒に行こう」

フィルチが追い出したそうに箒を構えているのを目のはしで捉えた。ハリーとサキは苦笑いしながら大広間を出ていき、松明の明かりだけで照らされた薄暗い廊下を歩く。

「秘密の部屋で、トムと何喧嘩してたの?」

「え?ああ…」

ハリーは秘密の部屋での死闘を思い出す。

トム・リドルとの会話を覚えてる限り話す。サキは聞いてるのか聞いてないのかよくわからない気の抜けた相槌を打って隣をてくてく歩く。

「へー、あの人って混血だったんだね。純血主義者なのに。アドルフに告ぐみたい」

「なにそれ?」

「マンガだよ。日本のマンガ」

スリザリンの寮に続く階段まで来てしまった。しかしサキが不意に横道にそれて、二人は風が吹き抜ける渡り廊下を歩いた。

月明かりしかないような暗さだが隣にいるサキの顔ははっきり見える。

「あのね…ハリー。私、君に内緒にしていることがたくさんある」

「…なに?」

サキの珍しく深刻そうな声色に思わずドキッとする。

サキが立ち止まる。ハリーも止まって、サキの次の言葉を待った。

「私、両親がいないでしょ。それで、今スネイプ先生が後見人なの」

「え…そうだったの?」

ハリーは当然びっくりした。いままで全くそんな素振りを見せなかっただけに意外だった。

「ああ、だから去年スネイプを庇ったんだ?」

「うん…ごめん黙ってて。ハリーは先生が嫌いだからなかなか言い出せなくて」

「そんな!いいよ、気にしないで」

それに後見人にしては随分公平に扱われていたというか…身内びいきがすごいスリザリンなのに冷たくあしらわれてるようにすら見えてむしろ哀れんでいたくらいだった。

 

「それだけじゃないんだ」

 

サキはハリーの目を見た。ハリーもその目を見つめ返す。月の光でまつげの影が落ちてる。キラキラ光った2つの目。今までこんなに見つめ合ったことはなかったけれど、なぜか既視感を感じた。

 

「トムは私に、魂の形がとっても似てるって言った」

 

青白い肌。艷やかな黒髪が目にかかって影をつくる。

 

「私、蛇語が喋れるの」

 

急に強い風が吹いて、月明かりが雲に遮られた。

 

「私の父親はヴォルデモートかもしれない」

 

サキの顔は陰ってしまって表情が読み取れない。

そしてその衝撃的な発言にハリーの思考は固まってしまった。

「証拠はないけど、否定する証拠もないんだ」

「そんな事…どうして…今言うの?」

ハリーはサキを気遣う余裕なんてなく、思ったことを口にした。

「言わなきゃいけないと思ったから」

雲が通り過ぎて月明かりがもどった。サキは目を伏せてうつむき気味だ。

「ヴォルデモートは絶対戻ってくる。そしたら私、捕まると思う。まあこれは、娘とか関係なくだけど…」

「そんな、ホグワーツにいれば大丈夫だよ。ダンブルドアや、それこそスネイプだっているし…」

「でも二年連続まんまと彼にしてやられた。きっと逃げられないよ。…ううん、逃げられない前提で動くのが正しい」

「そりゃ、そうかも知れないけど」

「だからハリー、私を信じないでほしい」

「馬鹿なこと言うなよ!」

ハリーは声を荒げた。

「入学して、寮が違っても仲良くしてきた友達にそんなことを言われるなんて。悲しいよ」

「だって私勝てないよ。子どもだもん」

「それだって…君を嫌いになる理由にはならないよ……」

「…………」

サキは自分の影に視線を落とした。

ハリーも何も言えずに俯くサキの足元を見た。

サキは何も言わず後ろを向いて、地下牢の方へ去っていった。

一人残されたハリーはしばらく立ちすくんだ。寒空の下、サキの言ったことを反芻し、また胸がいたんだ。

とぼとぼと寮に帰るとハーマイオニーが心配そうに声をかけてきた。ろくに返事もしないでハリーはベッドに潜り込んだ。

 

そして、気まずいままホグワーツに夏が訪れた。

青々とした緑に包まれた森が車窓の向こうで猛スピードで流れていく。

また夏休みがやってくる。

 

 





秘密の部屋編完結


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アズカバンの囚人
01.セブルス・スネイプの回想①


まず庭で取れた唐辛子を切る。

あ、切る前に洗う。

それで…どうするんだっけ?

サキは必死にはるか昔に食べたペペロンチーノの具を思い出そうとした。赤い切れ端があったことしか思い出せない。

しょうがない。とりあえず唐辛子を切ってお湯を沸かした。パスタを適量…適量ってどれくらいなんだろう?一人前100gくらい?測りなんてないし目分量でいいだろう。

ろくに袋に書いてある文字をみず、適当に掴んで沸騰した鍋の中に入れた。

蒸気が立ち昇りサキは呼吸困難になり慌ててコンロの前から逃げ出した。

そして塩コショウを用意し、パスタが茹で上がるのを待つ。

茹で上がったらボウルに入れて塩コショウ、唐辛子と混ぜて…完成だ。

 

「味…いや、それ以前の問題だ」

 

初めて調理器具を3つ以上使った料理に挑戦した結果は酷評だった。

スネイプは茹でたパスタに唐辛子を載せただけの物体を回収し、すぐににんにくを刻んでフライパンで炒め、麺を絡めて皿にもってだしてきた。

「お、おいしい!魔法みたい!」

「なぜレシピどころか材料も見ないで作ろうと思った?」

「いやー、食べたことあるから作れると思ったんですけどね」

スネイプは典型的料理できない人間の発言に絶句した。

「魔法薬を作るときと同じで、材料と手順さえあやまらなければ人並にできるはずだが…」

「いやぁ」

なぜかサキは照れている。スネイプは本気で呆れているのに。夏休み恒例となった週に一度の訪問で、相変わらず鍋に適当に何かを放り込んだだけのものを食べ続けるサキにいい加減何か覚えたらどうかと小言を言った結果がこれだ。

魔法薬学の授業ではちゃんと作れているのに…

サキは「これなら得意ですから」とデザートのりんごを器用に剥いている。手元でりんごをくるくる回すとボールの中に連なった皮がしゅるしゅると落ちていく。

 

秘密の部屋事件の後、サキは一ヶ月に渡り様々な検査を受けた。呪文後遺症や呪物残留魔力検査や毒物検査。内臓の状態に至るまで隅々調べられてシロとでた。

しかしスネイプは彼女の精神面に不安を感じたままだ。

病室で怒りを顕にしたあの時の彼女が強く印象に残っている。今でこそ元通りおちゃらけているが、あの時見せた壊れそうなサキがまだどこかにいる気がしてならない。

「どーぞ」

手渡されたりんごは皮でうさぎの耳がつくられていた。ご丁寧に目の部分に穴が開いている。

「どうも…」

食べ終わると自由時間で、サキはだいたい自室へ戻るのだが今日は何故か椅子に座ったままだ。

「先生、明日早いですか?」

「特に予定はない」

「ああ、じゃあちょっとお願いが…」

サキに連れて行かれたのは埃っぽい書斎だった。本でほとんど埋まっているせいで二人はいるだけでもう身動きが取れない。

「魔法でこれをどかしてほしいんです」

「これは…酷いな」

「でしょ?このスペースも私がどれだけ苦労して作ったか…」

「わかった、明日やろう」

「やあ、助かります」

スネイプはマクリール邸に泊まるときは使用人室と思しきベッドと机があるだけのちいさな部屋を使う。

広い部屋は落ち着かないし、この部屋なら使い慣れているからだ。

もう15年以上前になる。リヴェン・マクリールの監視任務のときに使っていた部屋だった。あの時となんにも変わらないままだった。

スネイプはそれよりもっと昔、11歳の頃の自分を思い出した。

 

 

彼女と出会ったのはある雪の日だった。

一年生のとき、セブルス・スネイプはどん底だった。入学前から親しかったリリーと寮が離れた上、いつもボロボロの着古したセーターを着ているセブルスを同級生達は見下し気まぐれにいじめの対象にしていた。

セブルスはすっかり腐っていて、いつも人気の少ない図書館のすみや中庭のベンチで本を読んだりぼーっとしたりしていた。

雪の日の図書館は最悪だ。どこへ行っても席が埋まっているし人の息遣いとか体温でむわっとしている。そんな空気を吸うたびにセブルスは自分が歓迎されてないような気がして一人傷つくのだ。

なので、悴む手を揉みながら外のベンチで魔法史の教科書を読むことにした。

中庭では何人かが雪遊びをしていたが、ベンチからは離れていたので気にしないように教科書に没頭した。

中世の魔女狩りの項を読んでいると、ふいに頭に衝撃が走った。冷たい雪が頭からぼとりと落ちて教科書を汚す。顔を上げると、スリザリンの一年生がクスクスと笑いながらこっちを見ている。

 

いつものか…

 

セブルスはうんざりして教科書の水滴を袖口で拭き取り、読書を再開した。

こういうたぐいの悪ふざけはもう慣れたものだった。いつも決まって無視を貫き通すことにしているが止む気配はない。

バシッ

次はセブルスの座ったベンチのすぐ横に雪玉が当たる。割れた雪玉から小石が覗いてるのを見てギョッとした。自身の動揺を悟られまいと、セブルスはベンチからどこうとしなかった。

バシッ

第三投はどこに当たったかわからなかった。

上からぼとりと雪にまみれた小石が落ちてきた。その雪はなぜか赤く染まっている。

はっとして上を見ると、黒いコートを着た女子生徒が額を押さえて立っていた。

たまたま通りかかったところに雪玉が当たったらしい。

一年生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げている。

その女子生徒はスリザリンのマフラーを巻いていた。黒くて艷やかな髪が中途半端にマフラーに巻き込まれている。黒い手袋越しに真っ白な額とじわりと滲んだ赤黒い血が見える。

「大丈夫ですか…?」

セブルスが恐る恐る声をかけると、初めて人がいることに気付いたという具合に眉をピクッと動かした。

「やり返さないの?」

薄めの、やけに赤い唇からちょっと低めの声が聞こえた。

「え…」

「なるほど、いい的ね」

唇が半月型に歪み、彼女は笑った。

いたずらっぽい無邪気な笑みだった。

それがサキの母親、リヴェン・マクリールとの出会いだった。

 

その次の日、昨日セブルスに雪玉をぶつけた生徒が謝りにきた。誠心誠意謝っているわけではなく、どこか怯えた様が見え隠れする。

昨日の人が何かしたんだ…。

セブルスはそう思って彼女を探した。

なんてことはない。夕食時にスリザリンの席に座っていた。

「あの…」

セブルスが話しかけると彼女は隣をあけた。席がないと勘違いされたらしい。

セブルスはどうしようか少し迷って結局座った。

「よ、余計な事しないでください」

精一杯勇気を出してそう言うと、彼女はまるで分からないと言いたげに首を傾げた。

「誰?」

「セブルス・スネイプです。昨日、雪玉をぶつけられた…」

「ああ」

わかった。という顔をして彼女はすぐに手元の古代ルーン語の教科書に視線を戻してしまう。

「昨日のやつらに、何かしたんですか」

「別に。興味ないわ」

セブルスは拍子抜けした。突然の無礼を詫て席をたとうとするとセブルスを挟み込むように上級生が座った。その顔はセブルスもよく知っていた。首席候補と名高い監督生のルシウス・マルフォイだった。

「リヴェン。せっかく後輩が話しかけてきてるのにそう素っ気無くしてちゃかわいそうだろう」

リヴェンと呼ばれた彼女はムッとした顔をして教科書を閉じて、初めてセブルスの顔をちゃんと見つめた。

「私に先輩風吹かせる前にいじめられっ子を助けたら?ルシウス」

「いじめ?」

「ちょ…」

セブルスは顔を真っ赤にして、必死に言い訳しようとした。しかしルシウスはセブルスをじっと見ていたわしげな表情をした。そういう目で見られるのが一番の屈辱だった。

そういう状況を作り出したリヴェンは澄まし顔でそっぽを向いている。

「君は…そうだ、セブルス・スネイプだったね。何か困ってるのかい?」

「いえ…」

セブルスは逃げ出したい気分でいっぱいになって椅子の上で縮こまる。セブルスが押し黙るとリヴェンが唐突に口を開いた。

「昨日、雪玉をぶつけられてたの。流れ弾に当たったわ」

「ああ、それで怪我を?」

「そう」

「そりゃ…災難だったね」

そこでなぜかルシウスがクスクスと笑った。

「何故笑うんですか」

セブルスは自分が馬鹿にされたような気がしてルシウスをきっと睨みつけた。ルシウスは笑いをこらえながら謝って咳払いをする。

「君を笑ったわけじゃない。その、雪玉をぶつけたっていう一年生がかわいそうでね…」

「かわいそう?」

「彼女、スリザリンの中で一番怖い人だからね」

「それ、やめてって言ってるでしょう」

「どういう事ですか?」

「リヴェンは一年生の頃に上級生を天文塔から吊るしたんだよ。それで怖がられてるのさ」

思わずセブルスはリヴェンの顔を見る。リヴェンは苦い顔をしてまたそっぽを向いた。

「だから、その子達が可哀想でね。怖かったろうな」

「自業自得でしょう」

タイミングよく、テーブルに料理が現れた。

その日からなんとなくルシウスとも交流が生まれ同級生からも一目置かれるようになった。

リヴェンはルシウス繋がりでよく喋った。ルシウスは彼女をかっているらしく、よく監督生や純血の中でも特に力のあるグループの集団につまらなさそうな顔して紛れ込んでいた。

当時の世相も相まって、彼女はそのうち死喰い人にスカウトされるだろうと誰もが思っていたし、闇の魔法使いに憧れていたセブルスはゆくゆくは偉大な魔女になるであろう彼女を尊敬し徐々に交流を深めていた。

しかし、彼女は神秘部へ入省をきめた。

「あなたみたいに優秀な人が、神秘部なんて…」

「いいところよ。静かで」

「ルシウスから誘われなかったんですか?その…」

「しつこく誘われたけど断ったわ。どうでもいいもの、ヴォルデモート卿なんて」

今や誰も口にしたがらない名前を平然と言う。セブルスは彼女のマイペースさにはいつも肝を冷やしていた。

「私には家業もあるから、心底うっとおしいわ。そういうの」

「そうですか…」

自由気ままな浮草のような彼女だけれども芯はしっかりしている。きっと何かやらなきゃいけない事があるんだろうがやはり落胆を隠しきれなかった。

 

「もう二度と会うことはないだろうけど…」

卒業式の日、キングスクロス駅から去る彼女は清々したと言いたげにネクタイを解いてポケットにしまった。

「リリーと喧嘩しちゃだめよ。そのうちきっと許してくれなくなっちゃうから」

四年間彼女と付き合って初めて親身な言葉をかけられた。気恥ずかしさもあって、セブルスは怒りながらおざなりに挨拶を済ませてしまった。

そして本当にもう会うことはなかった。

例のあの人の配下となり、ある任務を仰せつかるまでは。

 

 

 

 

 



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02.セブルス・スネイプの回想②

スネイプはサキに自身がかつて母を監視していたことは告げた。しかし一番重要なところは話せずじまいだった。

神秘部に入省してからずっと行方が掴めなかった彼女は卒業後一度として連絡をよこさなかった。今思うと自身の魔法がヴォルデモート卿に悪用されることを嫌ってのことだったんだろう。

現に神秘部のエイブリーを使ってマクリールの情報を洗いざらい調べさせたらしい。しかし残念ながら彼女は氏名と学校での成績以外なんの手がかりも残さず、さらに入省以来一度も出勤してきていないということが分かった。神秘部という場所柄もあってか同僚は誰もそんなことを気にしてなかったようで大した情報はつかめなかった。

そこで白羽の矢が立ったのがセブルスをはじめとする元友人達だった。しかし残念ながら誰も彼女の消息を知らなかった。はじめからいなかったんじゃないかと疑うほど鮮やかに彼女は消え去ったのである。

しかし彼女は在学中たった一度だけセブルスに連絡をよこした。それを報告したために彼女はヴォルデモート卿に捕まえられるに至った。

 

闇の帝王の命令を受けて彼女の屋敷に行った。鬱蒼とした森の中に佇む幽霊屋敷はまるで人々から忘れられて何世紀もたった遺跡のようだった。時間がそのまま淀んで溜まって澱を成してしまったただ広いだけの屋敷に彼女は母を亡くしてずっと一人で住んでいたらしい。

 

「嵌めたわね」

 

死喰い人に囲まれながらリヴェンは笑った。

セブルスは何も言えなかった。初めてあった日、彼女の額に滲む血を見たとき感じた気まずさを思い出した。

 

その時の笑みが、サキの笑みにそっくりなのだ。

 

「先生、これほんとにあの部屋に入ってたんですか?」

本で埋まった部屋から運び出された本をがむしゃらに別室にある空の本棚に詰めながら、サキはひいひい悲鳴を上げていた。

運び出された本の量はあきらかに部屋の体積を超えておりしまえどもしまえども片付かなかった。あまりの量にスネイプもうんざりしていたところだった。

「休憩を入れよう」

スネイプの提案にサキはすぐにのっかっていそいそと台所へ向かっていった。

スネイプも魔法で埃を払い、掃除道具を軽く整理して台所へ行った。

台所にある小さなテーブルには乱雑に日刊予言者新聞やカタログ、羊皮紙の束が散らかっていたのでそれもまとめておいた。

日刊予言者新聞の一面はこうだ。

【シリウス・ブラック。アズカバンから脱獄す‼】

不快な顔が大写しでこちらに向かって何やら喚いている。

スネイプはサキが持ってきたマグカップをその顔の上においてやった。

「新聞なんて購読していたのか?」

「え?ああ、夏休みの間だけですけどね。新聞紙って荷物を包んだり窓を拭くとき便利なので」

読むためではないらしい。

 

シリウス・ブラックとリヴェンには浅からぬ交流があった。

シリウスとリヴェンが初めて喋ったのは、彼女が6年生、セブルスが3年生のときだった。

闇の魔術に詳しいことや"あの"マクリールの愛弟子扱いされていたこともありスリザリン内での立ち位置は確立されていた。しかしその分リリーとの溝は深まる一方で、さらにあの忌々しいポッター達からしばしば喧嘩をふっかけられていた。

彼女は相変わらず一人で湖畔や禁じられた森の辺りで本を読んだり何か作ったり気ままに過ごしており、セブルスは何か嫌なことがあったとき彼女に同行してぼーっと景色を眺めていた。

その時の目下の悩みはリリーとの関係の悪化だった。ぽつりぽつりと悩み事を打ち明けるセブルスにリヴェンは「へえ」「ふうん」「そう」くらいの返事しか寄越さなかったが変に干渉されるより気が楽だし日記にグチグチ書いたりするよりはまだ気が晴れた。

その日は底なし沼だと噂されている禁じられた森の沼のそばで釣りをしていた。

リヴェンは気まぐれに生き物を収集してみてそれが何に使えるかとかどんな味がするかとか、そういうのを調べるという趣味があったらしい。そのため魔法生物飼育学では先生にいたく気に入られていた。

全く変化のない濁った水面を眺めていると、背後から落ちた枝を踏む音が聞こえた。

振り返るとジェームズ・ポッターとシリウス・ブラック。そしてリーマス・ルーピンがいた。腰巾着のペティグリューは禁じられた森が怖くて逃げたんだろう。

「おやおや。デートの邪魔だったかな?スニべルス」

「失せろ、ポッター」

ぴりっとした空気が充満した。しかしリヴェンは完全に無視して水面を眺めている。

「なんだよその態度。今日ジェームズに足縛りの呪いかけたの、お前だろう」

シリウスがしゃしゃり出てきた。どうやらお礼参りにきたらしい。

はじめこそやられっぱなしだったセブルスだが最近はやられたら必ずやり返すことにしていた。それは彼らも同じで、際限ない仕返しの連鎖の真っ最中というわけだ。

「ウィンガーディアム…」

セブルスの態度が気に食わないらしいシリウスが突然杖を振った。

釣り竿を持っていたセブルスはすぐに杖を抜くことができず、あっという間に宙に浮いて沼の上で宙ぶらりんになる。

「仕返しだ!」

そしてそのまま沼に真っ逆さまに落ちてしまった。水面は大きく波打って、真っ黒い水がはねる。

セブルスは水を飲まないようにして必死に上へもがいた。

咳き込んで目をこすると、リヴェンが釣り竿をおいて三人と向かい合っていた。

今まで何も反応がなかったリヴェンが突然動き出して動揺したのか、三人は困ったような警戒したような何とも言えない顔をしていた。

「呪文をかけたのは君?」

ここからはリヴェンの表情は見えないが特別怒った感じもない普段通りの声色だった。

「僕だけど…なんです?なにか?」

シリウスはなおも挑戦的だ。

リヴェンは「へえ」と言うと三人の方へ近づく。シリウスはびっくりして半歩下がったがすぐにリヴェンを睨みつけた。杖をぎゅっと握り直す。

まさかやばい呪いでもかけるつもりじゃないだろうな。

セブルスは慌てて岸へ泳いでいく。

リヴェンは杖を抜くではなく足を振りかぶり、シリウスの向こう脛を革靴で思いっきり蹴り飛ばした。

「いっ…!」

男女とは言え3歳差。しかも成長期に入ったばかりの少年と背の高い彼女では力の差があった。魔法使いらしからぬ突然の暴力に驚いたシリウスは体勢を崩し、首根っこを捕まえられる。

そのままリヴェンは力任せに沼の方へシリウスを投げ飛ばした。(残念ながら)沼には落ちなかったが枯れ葉と腐葉土にまみれて情けなく地面に転がる。

「なにすんだよ!」

ジェームズが食ってかかろうとしたがリヴェンは杖を抜いていた。

「せっかくかかってたのに逃げちゃったじゃない」

「ふざけんな…」

「喧嘩なら勝手にやればいいわ。でも邪魔するなら私怒るわよ」

「頭おかしいんじゃないのか?!魚ぐらいで!」

「魚のほうが大事だもの」

いまいち話の通じないデンジャラスなスリザリン生を見てジェームズもシリウスもたじろいでいた。リーマスははっとした顔をしてジェームズの袖を引っ張る。

「この人、マクリールだよ!スリザリンの狂犬!」

「えっ?!」

そんな二つ名はセブルスも初耳だったがどうやら彼女の噂は他の寮で尾ひれがついて広がってるらしい。シリウスでさえ慌てて立ち上がってジェームズたちのもとへ走ってく。

捨て台詞を吐いてシリウスたちは去っていった。

リヴェンは釣り竿を拾ってまた糸を垂らした。

「…あの」

「いやよ。汚いから」

沼に落ちたセブルスを助ける気はないらしかった。しかたなく自力で這い上がり、たっぷり水を吸ったローブを絞った。

自分のために怒ったわけじゃないのは明らかで、それはそれで少し悲しかった。

それから三人組のイタズラは止むかと思いきや、今までと変わらずやられてはやり返しの繰り返しだった。

リヴェンはというと、何故かあの三人組とたまに話していた。魔法薬に使われる植物の温室の前やフィルチの没収物保管庫の前でよく見受けられた。

あの三人と仲がいいんですか?と聞くと

「どの三人?」

と返された。

この人は他人に興味がないのかもしれないと時折悩んだ。

 

今思うとあれはポッターやブラックを盗みの実行犯にしてたんだろう。彼女はだいぶ手グセが悪かった。

ふとサキが庭で世話している植物たちをみた。自生したりしない希少な魔法植物がちらほら見受けられる上に、去年より数が増えている気がする。

「親子か…」

「なにがです?」

「いいや。なんでも…」

 



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03.ドラコ・マルフォイの戸惑

パリッとした白いシャツにオーダーメイドの深緑のワンピース。美容院でセットしたらしい編み込みとアクセサリーで飾られた頭。

母、ナルシッサにトータルコーディネートされてすっかり垢抜けたサキは居心地悪そうに足をもじもじしていた。

「言った通りでしょう?とても素敵よ」

「よく似合う」

満足げな母上と褒める父上に挟まれてサキは唸り声のような返事をしていた。

ドラコはそれを見てくすりと笑った。

普段はボサボサの髪の毛によれよれでつんつこてんのシャツを着てるサキだが、きちんとした格好をすれば良家の娘さんにも見える。こういうの馬子にも衣装って言うんだっけ。

新学期が始まるまで一週間、サキを預かることになった。スネイプ先生が後見人だとは手紙で聞いていたが実際連れ立って歩いてる姿を見ると罰則に連れて行かれるように見えた。

アンバランスな組み合わせ。

でもきっと今のサキなら大臣と並んだって見劣りないだろう。普段からちゃんとした格好をしておけばいいのに。

「足がすーすーする」

とお決まりのセリフをブツブツつぶやいていた。マルフォイ一家とサキは新学期の準備のために公用車に乗ってダイアゴン横丁へ向かった。

母上はサキが来るときはいつも楽しそうだ。娘ができた気分なのかもしれない。今日も服を買うつもりらしいが、サキはちょっと困ってるみたいだった。

確かに彼女の休日の過ごし方を考えれば高くて上品な服よりもツナギや作業着のようなもののほうがいいのかもしれない。2年生の後半からサキはやたらと森や林に入り浸ってるようだったから。

それでも女という生き物はおしゃれをすると自然と楽しくなるらしい。照れてはいるもののたまにガラスに映る自分を見てニコニコしていた。

まず服飾店で採寸をし、そこから子どもと大人で別れて回ることになった。というのもサキが堆肥臭い魔法植物及び薬剤専門店に行きたがって聞かなかったからだ。

ドラコは辛抱強く待ったが耐え切れなくなって箒専門店へ逃げた。

暫くしてサキが手ぶらで帰ってきたのでフローリシュ・アンド・ブロッツ書店へ教科書を買いに行く。

怪物的な怪物の本を探してると、店の一角が見世物小屋のようになっていた。恐る恐る近づくと、本の形をした獣が檻の中でお互いの背表紙を食い千切ろうとしていた。

「うお、カワイイ」

「気が狂ってるのか?」

店員がうんざりした様子で本と本を引き剥がす。こんなの絶対に家に持ち帰りたくない。

「配達サービスはあったかな」

ドラコが店員に尋ねると店員はうんざりした顔で料金表を指差した。

「こいつらは檻とセットじゃないと他の荷物を食い荒らしちまうから、これに5ガリオン追加で承ってます」

「じゃあ…それで二冊。マルフォイ邸宛に」

「私は普通に持って帰れるけど」

「頼むからやめてくれ」

それ以外の教科書を買い揃えると父上たちとの集合時間まで少し間があった。お茶でも飲もうかと提案するとサキは嬉々として漏れ鍋に行こうとした。

「そんな所、ろくなものが無いぞ」

「いいからいいから!ドラコみたいなおぼっちゃまくんはさあ、一度ジャンクなもの食べたほうがいいんだよ」

「おぼっちゃまくんって…」

言われるがまま、小汚いドアをくぐって店内に入る。薄暗くてどこか埃っぽいというか、くすんだ印象の店内だ。新鮮といえば新鮮だが、別にいい意味で言ってるんじゃない。しかしまあ、正直興味はあった。

父上たちと一緒じゃとても入れないし、スリザリンの友達といても自分で入ろうと言い出すのは憚られた。

「とりあえずビール!」

「僕もそれで」

サキは天井に走る梁や蜘蛛の巣、天窓からモヤモヤと漂ってくる煙なんかを眺めてた。

「それにしても、あの教科書…一体なんであんなのを生徒に持たせようとしたんだ?ケトルバーンはボケちゃったのかな」

「どうだろう。何回か話したことあったけど頭はしっかりしてたよ」

サキは買ったばかりの教科書を取り出してパラパラとめくった。

「楽しみだね、新しい科目。占い学ってなにするんだろう?」

「水晶でも見るんじゃないか?…僕はむしろ退屈そうで憂鬱だ」

「魔法史よりはマシじゃない?」

「それは言えてる」

雑談してるうちにバタービールが運ばれてきた。乱暴に置かれたので泡が少しこぼれた。サキは全く気にせず「乾杯」と言ってごくごく飲む。

その後はだらだらと二人で今年のクィディッチの選抜選手について予想しあった。バタービールを飲み干した頃、ドラコは客の中から見知った顔を見つけた。

早速立ち上がりニヤニヤしながら近づいていく。

「おーや。イカレポンチのポッター、ポッティーじゃないか」

かぼちゃジュースを飲んでいたらしいポッターはその声に反応してすぐにこっちを睨み返してくる。

「マルフォイ、こんなとこに何の用だよ」

「僕がお茶してちゃおかしいか?まあ確かに、こんなボロい店趣味じゃないけど。お前にはお似合いだな」

「そう思うならすぐ出ていけばいいだろう。こっちだってお呼びじゃないね」

いつも通り、普段と変わらぬ口喧嘩。ポッターとは初めてあった時からずっと犬猿の仲だ。有名人のハリー・ポッター。ふん。

「普段なら間違ったって来ないさ。今日はサキの希望でね」

「サキ?」

ドラコがハリーに喧嘩をふっかけるのはいくつか理由があるが、その一つがサキだった。サキはハリーたちとも仲が良くっていつも肩を持つ。ドラコはそれが気に入らない。

しかも二人の喧嘩にはいつも彼女の仲裁が入り、なあなあで済まされる。

「やあ…」

今日のサキはちょっと様子が違った。気まずそうに視線を彷徨わせながらドラコの半歩後ろで突っ立っている。

いつもならどーんと隣に座って、「久しぶりじゃん!一緒に飲もうぜーカンパーイいえーい!」とアホ面でジョッキを掲げるはずなのに。

そう…。思えば秘密の部屋事件が解決してからサキはちょっと変なのだ。スリザリンの生徒とはもともとあまり交流がなかったが、ポッターたちともあまり喋らなくなった。ドラコはあまり気にしてなかったが、いざこうして現場に向き合ってみるとその奇妙さに戸惑う。

「ほら。他のお客さんに迷惑だし行こうよドラコ。邪魔してごめんね、ハリー」

「あ…いや…別にいいんだ」

まだ何か言いたそうなポッターを無視してサキに引っ張られるままに店を出た。

「ポッターと何かあったのか?」

「なんもないよ」

「嘘つけ。なんか様子が変だぞ」

「そんなこと無いよ。君こそすぐ喧嘩ふっかけるのやめなよね」

ドラコはもっとサキを問い詰めたかったが、父上たちとの約束の時間になってしまったので仕方なく待ち合わせ場所に向かった。

それからサキは母上とべったりでろくに突っ込んだ会話もできず、そのまま新学期の日が来てしまった。

駅についてようやく二人きりになれたと思ったらクラッブとゴイルが来て、吸い寄せられるようにパンジーやセオドールが集まってきてとてもじゃないけどポッターの話なんてできなかった。

 

 

「休暇はどうだった?ドラコ」

「ああ…今年はスイスの別荘に行ったんだ。サキが来てからはイギリスにある偉大な魔法使いの史跡とかを見に行った」

「私はそれ以外ずっと家にいた」

あはは、うふふ。とパンジーとサキは微笑み合う。

コンパートメントに膝を突き合わせてる二人は一見仲良さそうに見えるがサキ曰く「笑うしかない」らしい。ポッターと僕の関係とは違うが犬猿の仲なんだろうか?女の子の争いはいつも目には見えない。

「サキは家で何してるの?」

「今年はずーっと掃除してた」

「飽きないの?」

「飽き飽きしたよ。もう一生掃除したくないくらい」

そして、何故か普段はあまり絡んでこないザビニが同席していた。やたらとサキに話しかけているのが気にかかる。

「本棚の裏に積もったホコリってさ、生き物みたいにふわふわしてて可愛いんだよね。思わず掴んだらでっかい虫の繭でさ…」

「やめて!それ以上話さないで!!」

パンジーが本気で悲鳴を上げてサキの話を遮った。すると同時に列車が急に止まってしまう。何もない湖の辺りで一体どうしたんだろう?他のコンパートメントからも悲鳴や荷物が散乱する音が聞こえた。

そしてふいに照明が全て消えてあたりが真っ暗になる。パンジーが悲鳴を上げた。

雨が激しく窓に打ち付けられている。

「まさか虫の祟りかな…」

「今ふざけるなよ!」

「マジメだよ!」

やけに空気が冷たく感じて、吐く息が白くなる。窓の表面がうっすら曇って外が見えなくなった。廊下から何かが動く気配がして、ドラコは反射的に口をふさいだ。

うなじがチリチリする。サキの方からぽうっと優しい光が灯った。魔法の明かりをかざしながらしがみついているパンジーの肩をだいてやっている。

「明るくしてたら寄ってくるかな」

「寄ってくるって、何が?」

「何かが」

息を呑む音が聞こえた。耳を澄まして神経を研ぎ澄まし、ドラコも杖を構えた。緊張感が高まるなか、ふいに車内の電気が全て戻って列車が動き出した。

「一体何だったんだ?」

あんなに緊張したのに肩透かしを食らった。こういうことに敏感なパンジーは「ダフネの様子を見て来る」と言ってコンパートメントから飛び出していった。

「今年もなんかありそうだなあー」

サキがうんざりしたようにため息をついて俯いた。確かに毎年巻き込まれてる身としてはたまったもんじゃないだろう。

「絶対何かあるね。シリウス・ブラックが脱獄しただろう?」

ザビニがここぞとばかりに語りだした。

「ああ、それよく聞くね。一体誰なの?」

「大悪人さ。マグルを殺しまくってアズカバンに投獄されたんだ」

「へえ…でも別に学校にいれば安全じゃない?」

「そうとは限らないぜ。だってブラックは例のあの人の熱狂的な信者だったんだ。…そのあの人を倒したやつが学校にいるだろ?」

サキはまるで百味ビーンズ消し炭味を口いっぱい頬張ったような渋い顔をした。

「ああ…そりゃ……やべえや」

「今回ばかりはポッターもやられちゃうかもね」

「ハリーはしぶといよ。ね」

僕に同意を求められても困る。ドラコはとりあえず同意して窓の外に目をやった。雨雲は分厚くて今が何時かもわからない。

 

 

 



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04.ハーマイオニー・グレンジャーの溜息

数占いを終えて一息つく暇もなく、首にかけた砂時計のようなそれをくるっとひっくり返す。すると次私が向かうのは占い学。そうすれば同じ時間に開設された授業に出る事ができる。

ハーマイオニーは自分だけの秘密をぎゅっと握りしめた。

 

マクゴナガル先生の特別な配慮で手に入れたタイムターナーで今年は一時間に3つの授業を掛け持ちできるようになった。タイムターナーは自分が努力して一番で有り続けた証明みたいなものだから(誰にも自慢できないのが残念だけど)とても大事な宝物に思えてならない。

とは言え、人より何個も多く授業をとっているとやはり人より疲れるわけで…。

「はぁーあ」

ハーマイオニーは昼食をとりおわると大きく息を吐いて伸びをした。

「まさか勉強疲れ?」

ロンが冗談っぽく声をかけてきた。

「違うわよ。普通に疲れたの!」

「なんだ。ほら、君占い学でキレちゃったろ?僕達心配してたんだよ」

「それはどうも。でもやっぱりあんな科目が平然と運営されてるのは納得できないわ。貴方には死の運命が見えます…ふん!馬鹿らしい」

今日の占い学のことを思い出すと、思わず感情的になってしまう。あの科目はとにかく自分とは合わない…。パーバティなんかはいたく気に入ったみたいだけど、私には理解できない。

気を取り直して…次はお待ちかねのハグリッドによる魔法生物飼育学の授業だ。正直とっても不安。だってスリザリンとの合同授業だし、なによりドラゴンをペットにしようとするハグリッドの授業だ。巨大な毒蜘蛛が出てきたっておかしくない。

ついでに…

芝生を歩いてて、もう一つの心配事を発見。

マルフォイとサキだ。クラッブ、ゴイルもいるけど二人は熱心に何かを話している。

「いいかい、君ってやつはね…そう。レイシストって言うの?それなんだよ!なんで昼ごはんのシチューにライスをぶち込むだけで人でなし扱いされなきゃいけないの?」

「当たり前だろ?あんな食べ方狂ってる」

「ゴイルは美味しいって言ってた!そうやって既存の考えから脱せないから魔法界はいつまでたっても中世みたいな飯しかないんだよ。イタリア料理の本とか見たことある?」

「なんでたかが料理から魔法界を叩く流れになるんだよ!」

思ったより下らない会話でハーマイオニーはがっかりした。ハリーとロンも何とも言えない顔をしている。

特にハリー。ハーマイオニーが思うに、二人の間には絶対何かあった。秘密の部屋事件以降、サキはハリーに対して妙に距離を取ってるしハリーもサキの話になると口数が減る。ロンは気付いてないみたいだけど明らかに変だった。

色恋沙汰ではなさそうだけど…。

それとなくハリーに何かあったか聞いても全然答えてくれないし、サキはサキでいつもマルフォイといるせいでなかなか話しかけられない。

「はあ」

ハーマイオニーは溜息をついた。

怪物的な怪物の本がバタバタと大暴れしてネビルの服を切り裂いてるし、張り切るハグリッドは緊張気味だし、早くもマルフォイとハリーはピリピリしてるし…。

心配事ばっかりだわ。

 

生徒たちはハグリッドのあとについて禁じられた森の縁を歩いてく。サキは時々立ち止まって野草を引き抜いて懐にしまったりしてるのでマルフォイは先に行ってしまってる。今がチャンスだとハーマイオニーはもわもわした謎の雑草を触ってるサキに話しかけた。

「サキ、それなに?」

「ああ、ハーマイオニー!これヒカゲノカズラっていうんだ。君の猫のしっぽみたいで可愛いでしょ」

「ほんとね。そうだ、今度クルックシャンクスを見に来ない?」

「え!いいの?やったね」

「それで…その時ハリーがいても大丈夫?」

「え?…勿論さ。なんでそんなこと聞くの?」

「その…貴方たち、なんだか様子が変だから」

ハーマイオニーの言葉にサキは視線を彷徨わせた。

うん。やっぱりなんか変。

サキが嘘つくときとか何かを隠してるときとはまたちょっと違う雰囲気だ。

「なんていうかさ…うーん。気まずいんだ、一方的に。両方ともなんもしてないんだけど…」

「どういうこと?」

サキはうーんうーんと頭を抱えて悩む。持ってた怪物的な怪物の本に髪を食い千切られそうになったのをみて、慌てて叩き払った。

「例えばだけど…」

怪物の本を一発思いっきり蹴りつけて気絶させて再度縛ったあと、唐突にサキが喋り始めた。

「ハーマイオニーのお父さんが人を車で轢き殺したとするでしょう」

「えっ…ええ」

突然始まった物騒な話に驚きながらも相槌を打つ。

「その轢かれて死んだ人が…そうだね、ロンのパパとかだったらロンと普通に話せる自信ある?」

「喩えとしてはちょっと、わかりにくいというか…唐突すぎてわからないわ。でも、そうね。普通には話せないかもしれない」

「そんな感じ」

いつの間にか生徒たちはどんどん先に行ってしまってハーマイオニーとサキは最後尾だった。サキが少し早足で歩きだす。

ハーマイオニーは随分前に聞いたサキの家族、名前しか知らないという母親のことを思い出した。

「サキのお母様は死喰い人だったの?」

「いや…うん。そう、そうかも」

「でもお母様がどうだったかとか、今のサキに関係ないと思う。ハリーに対して負い目を感じる必要はないわ。それにそんなこと言ったらスリザリンの奴らの殆どは…」

「あー、違う。言い方が、悪かったな…」

ハグリッドが早く早くと手を振ってるのが見える。もう少しでサキの本音を聞けそうなのに。

「つまりさ…私の親はすんごい悪人。超悪人かもしれなくて、私も悪人になっちゃいそうで怖いって感じ」

「そんな事言わないで。貴方は…」

「おいサキ、早くしろよ」

大事なところでマルフォイが割り込んできた。空気読めないの?という意味を込めて睨んだらあっちもキッと睨み返してくる。

「グレンジャー、優等生ならあのウドの大木にしっかりついておくんだな。死人が出るぞ」

「うるさいわね。ハグリッドだってやればできるわよ。貴方たちが邪魔しなければね」

「あー、確かに早くもネビルが死にそうだね」

「ああ…もう!」

「たっく。ホグワーツも終わりだね。背表紙を撫でりゃーいい?なんでダンブルドアはあんなのを…」

「え?そんな…頬ずりしても開かなかったのに。背表紙じゃなきゃだめなのか…」

「頬ずり…?信じられない」

サキの発言にマルフォイと二人で呆気にとられてると、ロンとハリーまで寄ってきた。

「おいおいハグリッドがやきもきしてるぜ」

「ごめんごめん」

「一体どんなフリークスショーが始まるんだかね」

「あんまり言うと、お前を檻にぶちこむぞ!」

すかさずマルフォイが悪態をつく。そして合いの手のごとくロンが反撃してくる。ハーマイオニーは頭を抱えたくなった。

いつもなら加勢するサキもハリーもやっぱり気まずそうで、二人は視線を一瞬合わせてすぐに外してしまう。

もう、もどかしい。

「あー、とりあえず喧嘩するにしてもあっちでやろうよ。ね?」

サキが渋々仲裁すると、まるで号令がかかったようにぞろぞろとマルフォイはじめ5人で移動し始めた。

本当に、一体何があったんだろう?

距離をとって歩くハリーとサキの背中を見て溜息をついた。

そしてやはりハーマイオニーの心配通り事件は起こったのである。

 

 

 

ハリーがヒッポグリフに跨って空に飛んでいった。スリザリンの生徒さえ歓声を上げて天を見上げている。

「すげー…」

ゴイルまでもが思わず呟いてる。たしかにあんな大きな翼で羽ばたく姿は圧巻だ。

「…グレンジャーと何を話してたんだ?」

「ん?ああ…君と同じ用件だったよ」

「ポッターと変だって話?」

「まあね」

いい加減、はっきりしてしまえばいいのに。

前までのサキはきちんと中立だから!という態度を貫いていたからこそドラコも剣を収められていた。だけど今のサキはまるでどっちつかずのコウモリだ。

ポッターの肩を持つせいで、スリザリンではさんざん嫌な思いをしてきたはずじゃないか。

そのポッターと仲違いしたなら、もういいじゃないか。

サキは未だにスリザリンでは浮いている。秘密の部屋の怪物に襲われた、血を裏切る者として。あの日何があったかスネイプ先生からもサキからも説明は受けていたが…どうも何か隠している事実があるらしい。しかしあのスネイプ先生にそこを追及しないでほしい、とまで言われている。

けれどもこのままじゃスリザリンでの立場はきっとどんどん悪くなっていく。それがドラコには辛かった。

まるで気にしてない風のサキだが、それはポッターたちという逃げ場があったからこそ成り立つものだった。

こうしてその関係が気不味いならば

「サキ…もうポッターなんて放っておけよ。ちゃんとスリザリン生として同じ寮のやつらとつるめばいいじゃないか」

「つるんでるじゃん。ドラコと」

「そうじゃなくて、自分からもっと積極的にさ」

「……でも…スリザリンってすごい排他的じゃない?そういうの、やなんだよ」

「そんな言い方してたら一人ぼっちになるじゃないか」

「一人ぼっちか…」

サキは一瞬遠くを見るような目をした。

「そっちのほうがいいかもね…」

 

一人ぼっちの方がいい。

 

そんな言葉

 

「本気か?」

ドラコの眉が吊り上がった。サキがハッとした顔をする。しまった…と言いたげに目を逸らした。

「君がそんなふうに思ってたとはね。たしかに、秘密も話せない友達なんて要らないのかもな!」

思わず語気が荒ぶる。サキが泣きそうな顔をしたのが見えたが振り払うようにしてスリザリン生の輪の方へ歩き出した。

 

一人ぼっちの方がいいなんて

自分がいてもいなくても関係ないって?

そう言いたいのか、サキ

 

ヒッポグリフが降り立った。拍手喝采で迎えられるポッター。

生き残った男の子。毎年冒険して教授陣から崇められるポッター。サキと仲良しだったポッターが。

腹が立つ。

「なんだよ、ポッターにも出来るなんて簡単なんだな、こいつは」

ドラコはヒッポグリフのそばに近寄り、嘴をなでた。

ポッターは警戒してるみたいだ。なんだよ。サキに振られたくせに。

 

「なあそうだろ?醜いデカブツの野獣君」



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05.ロン・ウィーズリーの憂鬱

嫌いなものはたくさんある。

窓ガラスをひっかく音とか、ふんぞり返ってガミガミいう時のパーシーとか、乾燥して服にこびりついたガムとか、そういうの。

 

ついこの間、嫌いなものが一つ増えた。

マルフォイだ。

 

ハグリッドの授業をあそこまで完璧に台無しにするなんて。

バックビークの鉤爪がマルフォイの腕を切り裂き、場は騒然となった。サキが泣きそうな目で大騒ぎするドラコと慌てふためくハグリッド。興奮するバックビークを遠巻きに見ていた。

マルフォイと口論でもしたんだろうか?いつもなら真っ先に「緊急救命24時!」とかふざけながら駆け寄ってるはずなのに。(サキが血を見て泣くなんてありえない。念のため)

その日からマルフォイはいつでも真っ白い包帯を見せびらかして、皆にハグリッドの授業がいかに恐ろしいかを語ってる。

それを見かけるたびにマルフォイにムカついて、そしていつもなら止めに入るはずのサキの姿がない事を疑問に感じていた。

「この頃サキを見ないよな?」

ハリーにそう話を振ると、ハリーはいっつも気まずそうにうん、とだけ言って会話が続かなくなる。

前々からサキとハリーの様子が変だとハーマイオニーが言ってたし、ジニーまでもがあの二人何かあった?と尋ねる始末。しかしロンには何がなんだかさっぱりわからなかった。

ロンには「自分はハリーの親友だ」という自負がある。

けどサキの親友かと言われればそれは少し、わからない。正確には分からなくなった。

 

確かにサキはいいやつだ。明るいし面白いし、何より気取ってないし。けど何かとつけてマルフォイの肩を持つサキの事を良く思ったことは、正直ない。

最近は持ち前の明るさもどこか空回り気味で、まるで意味なく回り続けるネズミの滑車を思わせる。(スキャバーズが気まぐれに回してるアレだ)

 

 

合同授業の魔法薬学、サキは欠席だった。途中でやってきたマルフォイを見て、ハーマイオニーがロンにこっそり話しかける。

「ねえ…聞いた?」

「なにを?」

「サキ、あれ以来行方不明らしいの」

「えぇ?!」

思わず大きな声を出してしまい、スネイプに睨まれた。しかもマルフォイが腕を使えないからって補助役に指名された。ハーマイオニーを恨みがましく睨んでから渋々マルフォイの隣に行く。

 

「本当はもう治ってるんだろ」

「お前の目は相変わらず節穴だな、ウィーズリー。早くやれよ」

嫌味を言うと、嫌味の応酬。なんでこういう時にサキがいないんだ。

「…サキはなんでいないんだ?」

「お前に関係ないだろ」

「あるね」

ナイフで雛菊の根を刻んでく。じわっと汁が出てきて手につく。魔法薬学の何が嫌かって材料を用意するところなんだよな。

「ついに振られたのか?」

「大間抜けのウィーズリー。いいから早く刻めよ。それこそお前になんの関係もない」

だん、だん、とだんだん雛菊の根の大きさが不揃いになってく。いらいらが形になったみたいだ。

「なんだよ、関係ない関係ないって。サキは行方不明なんだろ?お前のせいだ」

「あいつは…あいつは今日も、多分…」

マルフォイが何か言いかけたとき、ぬっと黒い影が見えた。お約束のお邪魔虫、スネイプだ。

「ウィーズリー、何だその切り方は」

気づくとマルフォイの根は滅多切りになっていて、汁がそこら中に飛び散ってた。まるで殺人現場だ。

「君のと取り替え給え」

「そんな!」

悲鳴を上げてもお構いなし。スネイプはささっとマルフォイとロンの根を取り替えてしまう。マルフォイの意地悪な笑みが視界に入って頭に血が上りそうになった。しかし役目は終えたので深呼吸しながらもとの席に戻る。

 

「大丈夫だった?」

「そう見える?」

「ごめん、見えない」

ハーマイオニーが申し訳なさそうな顔をした。さっきので取り敢えず騒動は終わりと思いきや、次手伝いに指名されたのはハリーだった。危険極まりないご指名にヒヤヒヤしながらなんとか授業を乗り切った。

しかしハリーはおかんむりで、授業後から夕食までぷんぷんしながら過ごしてた。

何があったかなんて聞けない。どうせサキ絡みさ。

 

……そう、僕がサキを親友って心から思えないのは、ハリーとサキの関係のせいなのかもしれない。

僕が思うに、ハリーはサキの事が好きだった。…と思う。少なくとも去年までは。

けれども秘密の部屋事件以降はハーマイオニーいわく「変」らしいし、やっぱり何かあったんだ。

あの部屋のことはちゃんと聞いている。ちゃんと聞いているけど、ハーマイオニーはどうも納得できないところがあると言っていた。

 

「例のあの人の残した日記がハリーを選ぶのはわかるわ。でもどうしてサキが?」

 

僕にはさっぱりだ。まあでも、一年の頃もなんでかサキが狙われてたし…そういう事なんだろう。例のあの人絡みで仲違いしたなら、サキはあの人側って事になるのかな。

だったらそれは…かなり、嫌だな。

 

そんなことを考えながら珍しく一人で歩いてると、なぜかコソコソしてる双子の兄、フレッドとジョージを見つけた。

「なにやってんの?」

「おっと、兄弟…やなタイミングだな」

「受け取れよ、賄賂だ」

そう言って両手いっぱいに抱えた袋の中からお菓子の包を投げ渡してくる。一体何なんだ?

「何?お菓子泥棒?」

「いーや、どっちかというと…」

「密輸入?輸出?」

「まあとにかく、この食べ物の行き先については詮索しないでくれよ」

「はあ?」

またいつもの悪巧みか。と思ったがどうもおかしい。ただの食べ物の密輸入なんかを二人がコソコソやったりするわけない。(中身が食べ物じゃない可能性もあるけど)

「賄賂なんていいよ。別に誰にも言わない…」

「いいからいいから」

さらにもう一箱押し付けられて、ロンは黙らざるを得なかった。渋々食い下がり、シャワーでも浴びに行くかと考えてからピンときた。

 

あの食べ物、もしかしてサキに…?

 

中身が知られたくないんじゃないなら、宛先を知られたくないんだ。

行方不明中のサキはもちろん食事にも姿を現してないはずだ。そして行方を掴まれずに食べ物を入手するならしもべ妖精なんかには頼まない。彼らは喜んで食べ物を渡すけど、先生たちから命令されたらそっちに従うはずだから。

 

蛇の道は蛇とはよく言ったものだ。

フレッド、ジョージがサキの失踪の協力者だ。

そうとなっちゃ問い詰めない訳にはいかない。

ロンは談話室で二人を待ち構えることにした。ハーマイオニーやハリーに話したい気持ちをぐっと抑えて待っていると二人は手ぶらで戻ってきた。

「フレッド、ジョージ」

「なんだよロン」

「あのさ…さっきの包みだけど」

「その件ならもう終わったことだろ?しつこい男はもてないぜ」

その話はやめ、のハンドサインをして男子寮への階段へ向かおうとするジョージの袖をつかんだ。

「次、僕に運ばせてくれない?」

驚いた顔してフレッドが尋ねる。

「…宛先知ってんのか?」

「場所は知らないけど…サキだろ?」

「名探偵がいたもんだ」

感心したようにジョージが笑った。

「そ、俺達がマネージャーってわけ。で、なんでお前も共犯になろうなんて思ったんだ?」

双子はソファーにどかっと座ってロンのために間を空けた。真ん中に座れと言う事らしい。ことをうまく運びたいので黙って座る。

 

「あー、なんていうか…」

 

なんとか言葉を見つけようと、ロンは正面にある暖炉の光をみつめた。あ、ちょっと目が痛い。

 

サキと話したい理由…。フレッドとジョージに加担してまで。

たしかに僕はサキに対して…うーん。あんまりいい印象を持ってないかもしれない。けど、今のままじゃいけない気がする。

でもなんで今のままじゃいけないんだろう。

僕とサキは…

 

「ともだち…だから?」

 

ロンが捻り出した答えに双子は満足したらしい。ニヤッと笑って大きな、古ぼけた羊皮紙を渡した。

「『忍びの地図』だ。特別貸してやるよ」

 

 

 

「我、ここに誓う。我、よからぬことをたくらむものなり…」

教えられた通りに唱えて羊皮紙を叩くと、インクが滲むように学校の地図と人名が浮かび上がる。

まずロンはしもべ妖精達がひしめくキッチンから食べ物がパンパンに詰まったバッグを受け取った。彼らは理由なんて全然聞かずに喜びながらロンへもたくさん美味しいお菓子や果物を差し出してくるのでちょっといい気分になった。

そして人気のないところでこうして地図をじっくり見ている。

それにしても凄い地図だ。これを見れば学校全部丸わかりな上に、誰がどこにいるかわかる。

「ええっと…サキ、サキ・シンガー」

何枚も折り重なってる羊皮紙をめくってサキの名前を探した。

驚いたことにフィルチの飼い猫のミセス・ノリスの居所まで載ってる。道理でフレッドとジョージが捕まらないわけだ。これさえ見れば怒り狂ったフィルチも忍び寄るミセス・ノリスもかわせる。

「あったぞ…ん?」

サキの名前は地下の、それも魔法薬学の教室にあった。

スネイプに捕まったんだろうか?

いや、すぐ動き出した。早足で地上に向かってる。ロンは地図を見ながら慌てて歩き出す。

多分天文塔に向かってる。あの長い螺旋階段の入り口に入られる前に捕まえられたらいいな。あれを登るのはごめんだ。

サキの名前は天文塔の前から動かなかった。

 

日はすっかり沈んで、特に授業や星座観察のない天文塔は静まり返っている。灯りは階段に点々とある松明だけで、遠くからでは何も見えない。杖先に明かりをともし、地図を見た。

あそこにいるはずなんだけどな…

遠くから目を凝らしても無駄だと悟り、ロンは階段まで歩いていく。

すると踊り場のあたりで小さな声がした。

「あれ…ロン?」

久々に見るサキだった。

体育座りでいつになくしょぼくれているサキ。行方不明、というかプチ失踪をしている割には小綺麗だ。

「なんだよ。フレッドとジョージ、話が違うな…」

サキははー、と溜め息をついて気だるげに立ち上がった。なんというか…疲れてる?やさぐれてる?

「久しぶり。君、行方不明らしいよ」

「たった2〜3日いないだけで行方不明か。大袈裟だな」

「君は前科がたくさんあるから、皆あんまり心配してないけどね」

「そりゃ気が楽だね。野宿は楽しいよ。廊下は寝心地悪いし、夜のガラスは冬の朝みたいに冷たいし、ハグリッドの小屋も葬式みたいでハッピーさ」

ちょっと見ない間にだいぶ僻みっぽくなったみたいだ。とりあえず重たい食べ物のバッグを渡す。

「なんで帰らないの?」

「…ドラコがあんな事しでかしてさ、普通の顔でオハヨーとかできる?その前に色々喧嘩もしちゃったし、もっと前から悩んでることが雪だるま式におっきくなってて…」

サキは言葉を続けることなく口を噤んだ。そしてどこか遠くを見るように目を細めた。よく見ると目の周りが赤い。

「その悩みって、ハリーには教えた?」

「あー、うん。実を言うとそれでギクシャクしてたんだよね」

「ふうん…それって僕らには言えないこと?」

きっとハーマイオニーも言ってるんだろうな。と思いつつ尋ねた。

「そうだね…うん。知られたくないかも」

「知られたくない事をハリーには言ったんだ」

ロンは思わずそう言ってしまった。嫌味みたいに聞こえたかもしれない。サキの顔が不機嫌そうに曇ってしまう。

でも、知られたくない事をハリーに話すって、それって…

 

「よっぽどハリーのこと好きなんだね」

 

「え?いや、そういうわけじゃ…」

サキはちょっと困ったように伏し目になる。よく見ると意外とまつ毛が長い。

「んん…と…ハリーに危害が及ぶかもしれないから…そう。そうだよ」

「危害が及ぶからって自分の秘密、そう簡単に言えないな。僕なら黙ってるかも」

「例えばどういう秘密?人に話せない秘密って…」

「えっ?うーん。弱点とか?」

「…ロンの弱点は?」

「だから、秘密だよ!」

サキの顔にちょっと笑顔が戻った。ちょっと安心してロンも笑う。

「でも安心したよ」

「安心?」

普通なら行方不明で失踪継続中の未成年を見て安心しないだろう。

「僕、君がハリーを嫌いになったのかと思った。でもそうじゃなくてハリーを心配するあまり、から回ってただけなんだね」

「から回る?」

サキが動揺してるのがわかった。

「だってそうじゃない?ハリーが大切だから秘密を話して気まずくなったんだろ?」

「う、うん」

「それで避けちゃってたんだよね?」

「そういう事になるね」

「人付き合い下手なんだな、サキって」

サキは怒ればいいのか困ればいいのかわからないようで言葉に詰まった。的外れだったろうか?

いや、間違ってないだろう。

「下手…かなあ…」

ようやく出した返事はなんだか意気消沈してて、サキ自身も肩を落として座り込んでしまった。

「君の悩みのことはよくわかんないけど、今の変な関係のままのほうがよっぽどハリーの為にならないと思うけど」

ロンもすぐ下の段に座ってサキを見上げる。

「マルフォイの事も…あいつ最低だけど、サキがブレーキしてればまだマシなやつだったし」

「ドラコとも喧嘩しちゃったんだもん…」

サキはぐすぐすと鼻を啜りながら顔を埋めてしまった。そのままくぐもった湿っぽい声で続ける。

 

「悩みについては自分の中で整理がつかないんだ…私一人でどうにかなるものじゃないんだもん。でも、今のままも嫌だ。どうしたら良いかわからないんだ…」

 

「どうしたいかはわかってるじゃん。なんでそうしないの?」

 



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06.野宿のお供は犬と車

「セブルス。ちょっといいですか?」

職員会議後、マクゴナガル教頭がいつも通りの厳しい顔で話しかけてきた。会議後に個別で話しかけてくる用件なんてだいたい厄介事だ。そして残念ながら、心当たりがある。

「最近授業でシンガーの姿を見かけないのですが」

「シンガーは…家出中です」

寮監同士なのでそこまで立場に差があるわけでもないのだが、マクゴナガルを前にするとどうも学生だったときの記憶が思い出されて緊張してしまう。勿論態度には出さないようにしてるが…。

「家出中?」

「本人からしばらく家出するから心配するなと伝言が」

「何馬鹿なことを言っているんですか!」

当然の反応だろう。ぐうの音も出ない。

ドラコが魔法生物飼育学で負傷した後、夕食もろくに食わずに退席したサキは突然地下牢にやってきてそう宣言して以来帰ってきてない。

 

「先生…私、しばらく家出します」

「今は忙しい。冗談なら後にしたまえ」

「じゃあ心配しないでくださいね?」

 

今思えばちゃんと捕まえて説教すればよかったのに、あのときは冗談で流してしまった。

「セブルス、貴方は寮監でもあり、あの子の後見人でもあるんですよ?そんな事でどうするんですか」

「おっしゃるとおり」

ぐうの音も出ない。でもまさか2日も姿を見せないとは。一体どこに隠れているのだか。既にスリザリン寮つきのゴースト、血みどろ男爵には捜索願を出しているが未だ見つからないらしい。なにか良からぬことを考えてなければいいが。

マクゴナガルは何も反論せずに説教を受け、渋い顔をしているスネイプに少し同情したらしい。労るような口調で話しかけてくる。

「あの子に特別な事情があるのは重々承知ですし、あの年頃の女の子の扱いはただでさえ難しいものです。けれどもあの子が頼れる大人は貴方だけなのですよ」

マクゴナガルはサキの母親について知っているし、あの血筋の魔法についても知っている。ただサキの父親について知ってるのはスネイプとダンブルドア校長のみだ。

今回のサキの『反抗期』は去年起きた秘密の部屋事件に端を発しているのは明らかだ。サキの相談相手になれるのはスネイプしかいないというのはわかってはいるが…。

「ゴーストにも探させてる最中です。もう少々時間を頂ければ、恐らく見つかるかと」

「週末までに見つからないようなら会議にかけますからね」

ホグワーツでは度々行方不明者が出るとはいえ、吸魂鬼がいる今万が一があったら困る。しかも禁じられた森を平気で散歩しようとするサキじゃ事故が起きないほうがおかしい。

とにかく見つけ出したら説教と罰則だ。

 

「セブルス」

 

突然、リーマス・ルーピンが話しかけてきた。普段こちらが意図的に避けてるのを察してあまり近づいて来ないというのに一体何の用だ?

「その、ミス・シンガーの事だが…」

「我輩の寮の問題に嘴を突っ込んで欲しくはない」

冷たく言ってすぐ立ち去ろうとするがルーピンはしつこくついてきた。

「いや、違うんだ。その…彼女の居場所にちょっと心当たりが」

「なに?」

足を止めてルーピンを見る。相変わらず老け込んでるが、嘘をついてる様子じゃない。

「彼女が…家出、家出をした日、たまたま森のそばで見かけたんだ。その時居た場所に後日行ったら車のタイヤの跡があったんだよ」

「車…?」

車、マグルの乗り物がなぜ校内に…?

そこではっと思い浮かんだ。そう、去年ウィーズリーとポッターが暴れ柳に突っ込んだあの車。確か未だに捕獲されておらず森の中にいるはずだった。

「あのバカ娘…」

ルーピンに思わず漏らした苦々しいつぶやきを聞かれてしまったらしい。ちょっと笑ってるように見えたので睨んでおく。もう会話したくもなかったのでおざなりに礼を伝え、すぐさま森の方へ向かった。

 

月明かりに照らされて木々の影が地面に濃く落ちている。まるで質量を持ってるかのように重たく立ち込める闇と、胸の奥から凍るような冷たい空気。

夜の森は不気味だ。得体の知れないなにかが巣食っている。とはいえ、子どもだったときよりその恐怖は幾らか小さくなっている。

ルーピンの言っていた場所まで来ると、落葉の下に確かにタイヤの跡がある。

何度かここに停車したのか、周辺を探ると複数のタイヤ痕が重なっている。

しもべ妖精達にはすでに食料調達に来たら捕まえておけと命じているが引っかからない。しかし何らかの手段で物資調達してるはずだ。現に校舎のそばまで来ているわけだし、いくら野宿の常習犯とは言え、禁じられた森で自給自足なんてできっこない。

またここに現れる確率は高いわけだ。

スネイプは杖を取り出し侵入者探知呪文、追跡呪文などを周辺にかけていく。森の境界に薄い被膜のような呪文の層ができた。これでもう一度ここに来たらすぐ捕まえられる。

 

スネイプは深く深呼吸した。

さっき思わず口から溢れたバカ娘という言葉を思い出して苦笑する。自分がこんな父親みたいな気持ちになるなんて似合わないにも程がある。

 

サキの父親はヴォルデモートだという決定的証拠はない。それは前彼女に説明したとおりだ。だが父親が誰であろうと彼女は何れヴォルデモートに狙われるだろう。それは確かだ。

秘密の部屋から救出されて彼女が取り乱したのはあとにも先にも病室の一回のみで、てっきり普段通りに戻ったと思っていた。

 

「…あの年頃の女の子の扱いはただでさえ難しい事です…」

 

マクゴナガルの言葉通りだ。

女で、しかも子ども。自分とかけ離れすぎてて難しい。

それでもやはり自分には彼女を守らなければいけない義理がある。いや、ある意味贖罪とも言える。

 

 

 

「…へっぶしょい!」

サキがくしゃみをしたけど、残念ながらロンは鼻紙なんてもちあわせてなかったのでしかたなくハンカチでふく。

「野宿、体に良くないんじゃない…?」

「うーん。薄々感じてる…」

くしゃみ一つでさっきまでのシリアスな雰囲気が一気に吹っ飛んてしまった。

「そういえばなんで地下牢によったの?」

「え?」

「みたんだ、これで…」

怪訝そうな顔をしていたサキだがロンが忍びの地図を見せると納得したらしい。ちょっと言いにくそうに視線をそらす。

「まあ実はそろそろ帰ろーかなー…と。一瞬思っちゃってさ」

「なんだよ!じゃあ帰りなって!」

「でもここで折れたら意味なくない?」

「変な所で意地張るなぁ…」

「帰ろうなんて気の迷いだよ。それに…」

サキはとたんに憂鬱そうな顔に戻ってぽつりと言い足した。

「先生はわかってくれないもん」

「まあ、スネイプなんかにはオンナノコノキモチの理解は無理だろうな。絶対」

その表情の意味を理解しないままロンは冗談めかして返事する。サキはその気楽さにむしろ救われた気分になって微笑んだ。

「捕まえられるまでは続けるよ。それに最近いいもの見つけたんだ」

「いいもの?」

「そ。ロンに縁のある品だよ。見る?」

ロンはちょっと心惹かれた。けれど時計を見るともう消灯時間だ。ロンまで消えた日にはハーマイオニーあたりが大騒ぎするかもしれないので断り、また明日、同じ時間に会うことを約束した。

 

 

 

そしてサキは一人、夜の森へ戻ろうとランプを持って歩きだした。まだ雑木林とも言える森の辺りを目的地目指して歩いていく。一見わかりにくいがきちんと目印がある。ホタルグサの果実を潰して作った蛍光塗料を木の根本に塗りながら来たからだ。ヘンゼルとグレーテルみたいだけどこれなら小鳥に食べられない。

フォード・アングリアは停めた場所より少し離れたところにいた。勝手にどっかいってたんだろうか?

この野生の魔法の車は人格らしきものがあるようで、ハンドルを握ってもたまに言う事聞かずに変なところまで連れて行かれる。

ただ初めてこの車を見つけたとき、あんまりに汚いので洗車してやったせいかやけに懐いてる(気がする)。車内のクッションはふわふわだし、空調も完璧。それでも無茶な体勢で眠りが浅いせいか体がだるい。

「ただいまクルマちゃん」

声をかけるとライトがチカチカ光ってドアが開く。なかなか愛くるしいじゃないか。

そういうわけで食料袋の中のサンドイッチを食べながら、ロンと話した事をじっくり考えて夜を過ごすとしよう。

 

 

 

 

風だ。

夜の風。

下草が顔に当たる。

邪魔だ。

どけ!殺されたいのか?

今はただやつを、

やつを殺さねばならない。

そのために

そうだ。森を抜けて中へ…

違う。逃げてるのか。

そうだ、まずは柳へ…

今日は見て回るだけだ。

枝が折れる。

下で眠ってたネズミが這い出してくる

ヤツか?

いや、違う

けれども追え

腹がすいた

わたしは地を這うネズミを必死で追いかけるほどに墜ちたのか?

いや違う

腹が減ったから食う

犬ならばあたりまえ

生き物なら当然

わたしは生きている

生きている限り、やつを…

 

 

 

ロンが言ってた。どうしたいかはもうわかっている…という言葉。

私がどうしたいかって、そりゃ前みたいにハリーと話したい。遊びたい。当たり前じゃないか。

でももし私がヴォルデモートの手に落ちてハリーを追い詰めてしまったら…そう考えたら今まで通りでいられない。

私は臆病者なんだろうか。

バジリスクを前にしたってこんな風におじけづいたりしなかったのに。喪うものがハリーかもしれないと思うと途端に、手足をもがれたような気持ちになる。

 

サンドイッチの包みをぐしゃっと丸めた。さすがにポイ捨ては良くないので紙袋はまとめて薪用にとっておいている。

結構溜まったし、せっかくだから焼いてしまおう。

サキは車から降りて近場の落ち葉を払い枯れ枝も拾って紙くずを囲った。中心に呪文を放つとぼわっと火がついて辺りを優しく照らす。

 

考え事にはうってつけの長い夜になりそうだね。

 

木が爆ぜる音と闇に登って消えていく火の粉。虫と獣の鳴き声。ここに暖かなスープがあればもっと完璧なのに。

食料袋を漁ると都合よく缶詰めのスープが入っていた。早速火にくべようとする。

このまま火にかけていいんだろうか?とほんのちょっと迷い、魔法で浮かせて煮えるのを待つことにした。

封を切って火の上に浮かばせておくうちにあたりにいい匂いがたちこめる。凶暴な獣がうっかり来たら、フォード・アングリアは助けてくれるだろうか?

「パンも食べちゃおうかな」

袋の中からスライスされたフランスパンを取り出していると、すぐ近くで草を掻き分ける音がした。

ハッと振り返ると影と見間違うほど大きな黒い犬がいた。

人間くらい大きいんじゃないだろうか?耳をピンと立ててこっちを見てる。薪の音に混じって呼吸音が聞こえる。

サキは思わず車の中に入って急いでドアを閉めた。

黒い犬はサキのことなんて見向きもせず火のそばにおいたスープ缶へかけていき無我夢中でそれを舐め始めた。よっぽどお腹が空いているらしく、中身が飛び散るのも気にせずガブガブベロベロ飲んでいる。

サキは拍子抜けした。そっとドアを開けて車から出ても犬はまだスープ缶に夢中でこっちのことは無視だ。そこまでお腹が空いているなら、と先程食べようとしたパンを放った。

犬はやっとサキの事を認知したらしい。犬のつぶらな瞳とサキの視線が交差する。しばしの間があった。犬はくぅんと鳴くとパンをむしゃむしゃ食べだした。

「相当お腹減ってたんだね?」

ハムも差し出してやると犬は嬉しそうに尻尾を振ってむしゃむしゃ食べた。食べ終わるとゴロンと腹を見せたので撫でる。

サキは動物が好きなので遠慮なく撫でた。もふもふした毛を一通り楽しんで本能の赴くままに撫でた。一心不乱に撫でた。

 

薪が燃え尽きる頃になると犬もサキもすっかり満足した。

「君、ここに住んでるの?」

サキの問いかけに犬はワンと吠えて答える。なかなか人に慣れてるみたいだ。

「君の名前は?」

犬はワンワンと答える。こんな会話に意味はないけど話しかけて返事が貰えるだけでもいい。

「そっかあ。じゃあまた会うかもね。私いま家出中だから話し相手が欲しかったんだよ」

くうん。犬はまるで『どうして?』と言ってるように器用に鳴いた。もしかして言ってることがわかるんだろうか?

馬鹿みたいなこと考えてるうちにだんだん眠くなってきてしまい、サキは車の中で寝袋に包まりなから自分の悩みについてポツポツと話した。

「友達が友達と喧嘩しちゃってさ…色々煮詰まっちゃって」

犬は消えかかった薪のそばで足に顎を乗っけながらサキの方を見ていた。

「私ってどうするのが正解なのかな」

どうするかじゃなくて、どうしたいかじゃないのかな。

「よくわかんなくなっちゃった…」

 

落ちていく瞼。その向こうで黒い犬が立ち上がって何処かに消えてくのを見た。

 

 

そして目を覚ますと辺りはすっかり朝になってて白む景色に陽光が差していた。まだ朝の六時くらいだろうか。犬はいなかった。代わりに薪のそばにいたのは…

 

「おはようサキ」

「す…スネイプ先生……」

 

今までに見たことないくらい不機嫌そうな顔のスネイプ先生だった。

 

 

 



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07.ユビキリ

 

 

月曜日の朝っていうのは大体みんな憂鬱だ。ハリーも本来なら隣にいるロン同様浮かない顔してスクランブルエッグを口に詰め込んでるところだが、今週からクィディッチの練習が始まるためむしろウキウキしている。

もう10月。新学期から一ヶ月で色々あった。

まず、ハグリッドの授業が限りなくつまらないものになってしまったこと。ルーピン先生の愉快な授業。そしてサキの失踪と捕縛。

サキはマルフォイが魔法生物飼育学の授業でやらかしてから家出し、週末の日曜の朝御用となった。

それ以来ずっとスネイプの罰則を受け続けている。

夕食後即罰則。書き取り罰掃除罰等々を一月に渡りこなさなければいけないらしく話しかける暇もなかった。

そして気まずいまま、一ヶ月が過ぎた。

ハリーは自分がサキとどうしたいのかたまに考えた。答えはずっと同じだ。

 

「ねえ、ハリー?」

 

スリザリンの席をぼーっとみていたらハーマイオニーが話しかけてるのに気づかなかった。え?と間の抜けた声で返事するとハーマイオニーは露骨に顔をしかめて

「卵、溢れてるわよ」

と襟の部分を指差した。

慌てて紙ナプキンで拭き取って視線を強引に引き剥がし、パンプキンスープを一気に飲んだ。

サキが捕まってからロンがこっそり教えてくれた。ロンはお節介かもしれないけど…と前置きしてから食料を受け渡したときに話した事と、サキがとても悩んでいることを断片的に話した。

「僕、絶対サキは仲直りしたがってると思うんだけどね」

ロンは女の子ってわからないなと言いたげにそう締めくくった。

そろそろサキの罰則も終わる。そしたら話さないと。

 

 

 

 

「せんせぇ…」

「終わるまで無駄口をきくな」

「うえー」

サキは授業以外のほとんど全部の時間をスネイプの罰則で潰されていた。今日の授業後も魔法薬学で使った大釜やフラスコなどの掃除をさせられている。

今日は二年生用の解け薬の後片付けだ。解け薬を使うと何もかも解けてしまって大変便利。ただし必要のないことまで解こうとしてしまうので取扱には注意が必要。

 

「あーあ」

 

まさか駐車場所に魔法をかけられてたなんて思いもしなかった。いつ誰が見たんだろう?

先生は全然喋らないでなんだかよくわからない薬を黙々と作っている。とても嫌な匂いがするけど文句なんて言えない。

ブラシで大釜を洗い終えて、フラスコを拭く。

 

あの日は結局スネイプ先生に捕まり、地下牢で説教を食らってる途中熱で倒れて医務室へ送られた。

目を覚ましてすぐ目に入ったのはむっつり不機嫌そうに新聞を読むスネイプ先生だった。元気になる薬を飲まされたらしく、気絶してたのはほんの数十分だったようだ。まだまだ午前中で、サイドテーブルに置かれたコーヒーカップからは朝にふさわしい文明的な香りがする。

「先生…」

「大馬鹿者。20点減点と罰則だ」

「起きてそうそうそれですか…」

「当たり前だ」

スネイプは医務室いっぱいに聞こえるほど大きなため息をついた。新聞を置いて何か言いたげにこっちを睨んでくる。けれどもサキは叱られてる手前何も言えない。

「…何故家出しようと思った。よりにもよって、学内で」

「え?…えっと…学校のほうが野宿慣れしてるもので」

「そういう意味ではない」

スネイプの言いたいことはわかる。けれど自分の悩みを赤裸々に語れるような雰囲気でもないしサキは笑ってごまかそうとした。

「笑って誤魔化すな」

そんなのはお見通しだった。

「…ごめんなさい」

ただ謝ることしかできず、また重苦しい沈黙がおりてくる。

何か言いたげで、お互い何を言いたいかわかってる。でも言い出せない。そんなもどかしい空気がちょっとつめたくなってきた9月の石造りの部屋に充満していく。これがラブストーリーならば盛り上がるところだが生憎愛憎入り交じる家庭事情のせいで酷く沈んで重苦しい。

 

「君の…」

 

まずスネイプが口を開いた。

「君の頼れる大人は、我輩だけだ。と、マクゴナガル教授に言われた」

言葉を吟味するような間をおいて続ける。

「その通りだ。だから…信じて欲しい」

「…なにを?」

「君を守るという言葉を。君が何に怯えているかはわかっている。そして恐れている事も」

言葉が途切れてしまった。それとともにまた沈黙。サキは返事ができなかった。スネイプ先生を信じていないわけじゃない。

 

むしろ信じられないのは自分自身なのだ。

この肉体と、流れる血と、いま自分がここに在る意味が。

舞台装置に立ってるみたいだった。いずれ歯車が合わさって動き始める惨劇のために用意されたパーツのような。そんな不気味な予感がずっとずっとつきまとってる。

スネイプの言葉一つで吹き飛ばせるほど軽いものじゃない。

 

「……君の両親が何者であろうと、サキ。そんな事はまるで無意味だ。それは君に付随する情報に過ぎない。君がすべきはその情報を何度も意味なくかき混ぜる事ではなくて、それを知って何をするかではないかね?」

 

私が何をしたいか。

 

全く事情を知らないロンにも言われた。まさかスネイプ先生とロンが同じ事を言うなんて、ちょっと笑える。

「…先生を信じてないわけじゃないですよ?でもハリーと仲良くしてたら、いずれそれを利用される。だってヴォルデモートはまた戻ってくるんでしょ?私だったら絶対そうする」

「その前に守る、と言っているのだ。だいたい去年にしたってあの日記を早く我輩に届けていれば…」

「あーごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

小言がまた始まりそうになったので慌てて止める。『危険物はただちに持って来い』の説教はもうすでに100回は聞いているのでもう耳にタコができそうだった。もう何度も痛い目を見てるので次からは多分そうする。きっとそうすると神に誓っている。

 

「…先生のこと、信じていいんですか?」

「ああ」

「じゃあ約束してください」

スネイプの目の前に小指を突き出した。スネイプはキョトンとしている。

「ユビキリっていう誓いの儀式です。シンガー孤児院の伝統。破ったら一ヶ月、夕食のおかずを盗られるんです」

「わかった」

スネイプは渋々小指を差し出した。小指と小指を絡めて、離す。何の魔法もかかってない子ども騙しの口約束だ。

けれども今はそれを信じよう。

今までスネイプはサキの身を案じることはあっても悩みや感情にはあまり踏み込んで来なかった。けど今日はそこを踏み越えて言葉をかけてくれた。

 

「…ついでに罰則なしになったりは」

「それはない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「洗い物終わりました」

「ご苦労」

あれからはや一ヶ月、サキは罰則をこなしつつ、野宿もやめて気まずい寮生活にも耐えていた。その努力を認められてか、最近は罰則後に紅茶が一杯支給されるようになった。

ちなみにドラコとはどうなったかというと、なんの進展もなく気まずいままだった。

というのも罰則は消灯間近まで(監視の意味も込めて)続くし、夜は女子寮でチクチクされるし食事時や授業時はパンジーがここぞとばかりにドラコの介護をしてて、仲直りしたくても近付けないからである。

「今週いっぱいで罰則は終わるが…もう馬鹿なことを考えるな。シリウス・ブラックが近場で目撃されて以来、吸魂鬼が活発になっている。禁じられた森に紛れ込んでもおかしくない」

「そんなに怖いんですか。ちゃんと見たことないのでわからないんですけど…」

「とびきりボケてるロングボトムでさえ近付かんだろう」

「はあ」

カップに茶葉がプカプカ浮いてた。スネイプの茶葉はだいたい湿気てる。そもそも地下室で、常に釜からぐつぐつ蒸気が出てて蒸し暑い場所は食べ物の保管にむかない。お茶の味なんてあんまり気にならないけど、茶菓子が湿気てるのは嫌だ。

「まあ大人しくしますよ。しばらくは…」

睨まれた。

空になったカップをちゃんと洗えば罰則終了だ。

スネイプも暗い廊下に出てすぐそばの寮にサキがまっすぐ歩いていけるか見張ってる。もう慣れたもんだけど全く信用されてないのがわかる。

 

寮に戻ると談話室にはまだちらほら人がいた。課題をこなす上級生がおおい。

「おや、シンガー。今日もちゃんと帰れたみたいだな」

意地悪そうな笑みを浮かべて監督生が話しかけてきた。こいつはスネイプ先生に頼まれて私の帰宅を見張る係。

自分を信じてほしいとか言っておいて私の脱寮に関しては密告制度まで作るとはなかなかの二枚舌じゃないか。

「おかげさまで」

素っ気なく返すと監督生はくくっと笑って自分の課題に戻った。

 

罰則が終わった日はそれはそれは清々しかった。

周りは周りでクィディッチシーズンに沸き立ち、来たるハロウィンと初のホグズミード行きの張り出しに生徒みんなが浮足立っていた。

サキもルンルン気分で昼食をとりにしもべ妖精の厨房へ忍び込みランチバスケットを拵えてもらい、ハグリッドの小屋を訪ねた。

ハグリッドは鬱病みたいになっちゃっていつもより一回り二回り小さく見えるくらい落ち込んでいた。

ヒッポグリフの件は少なからずサキも責任を感じていたので毎週こうやってお昼を食べに来て慰めているのだが効果は薄いらしい。

「バックビークがなあ、飛びたい飛びたいってないちょる。でも俺はそんなことさえさせてやれねえ!」

「食べ終わったら遊びに行こう。ね」

「もともとあいつらは空を飛ぶのが好きな生き物でな…サキ、お前さんも乗せてやりたかった」

「ゴタゴタが片付いたら乗せてよ。さ、今はこれを食べようよ!珍しい食材を入れてもらったんだ。知ってる?スパムって言うんだけど」

そんな感じで続かない会話をしながらサンドイッチは次々と(主にハグリッドの)胃袋の中に消えていった。あらかた食べ終わってエスプレッソくらい濃いコーヒーを飲んでると小屋の扉がノックされた。

「ああ、すっかり忘れとった」

ハグリッドがガタガタと家具を蹴散らして扉を開ける。

「サキ、お客さんだ」

「やあ…久しぶり」

そこにはハリーが立っていた。

「ハリー…どうしたの?」

「あー、その。ちょっと散歩しない?」

ハリーは視線を泳がせて外を指差した。ハグリッドはなにか勘違いをしてるのかニコニコしていた。

サキは小屋を出てハリーと一緒に禁じられた森の辺りを歩いた。

 

「サキ…あの時話したことだけど」

「うん」

「あの時、話の途中で帰っちゃっただろ。ちゃんと続きをしなきゃって思ってて…」

「私も、最近そう思ってたよ」

チチチ…と鳥が何処かで鳴いた。昼の柔らかな木漏れ日が木の葉の隙間から届いて、風に揺らされて複雑な陰影をつくる。

「僕は、サキの親が誰だってそんな事はどうでもいいと思う。確かに君は狙われるかも知れないけど、僕だって同じだよ」

「…確かに。ハリーのほうが危ないかもね」

「でしょ?」

二人でニコッと微笑み合う。

「正直、どうしたらいいかわからなかったんだ。どうしたら誰も傷つけずにいられるかを考えてた」

「そんなの…正解なんてないよ」

「だよね。ロンにも言われちゃった。どうしたいかはわかってるんだからそうすれば?って」

「…サキはどうしたいの?」

「…仲直りしたい。君とも、ドラコとも」

「じゃあしようよ」

ハリーは右手を差し出した。

サキをそれを見てしばし躊躇う。

「僕もずっと、仲直りしたかったんだ」

じっとサキの瞳を見た。暗い暗い赤色の瞳。睫毛は長くて下向きで、瞳に影がかかってる。あった時より随分伸びた髪がそよ風に揺れる。今はもう男の子になんか間違えないだろうな。

「…ありがとう、ハリー」

サキは恐る恐る手を伸ばした。ハリーはそれを取って強く握った。同じくらい強い力でサキも握った。

「なんか照れくさいね」

はにかむサキを見てハリーは少しだけ胸が高鳴った。

二人はそのまま手を繋いでハグリッドの小屋まで戻ってく。そして思い出したようにサキの方から手を離した。

「ねえハリー、ホグズミードにはいくの?」

「ああ…それが、僕はだめなんだ」

「そっか…お使い頼みたかったのにな。まあ私も罰の一環で行けないし一緒に遊ぼうよ」

「随分厳しいね、スネイプは」

「ついに怒髪天をついちゃったみたい…そうだ!明日はロンの車見に行かない?禁じられた森で野良車やってるんだよ」

「え、あの車があるの?」

「そうそう!ウロウロしてたら見つけちゃってさ」

「…君、禁じられた森をウロウロしてたの?」

相変わらず信じられない事をやってるな、とハリーは内心スネイプに同情した。

「よく迷わないね。あんな森の中で」

「目印を落としていくのさ。ヘンゼルとグレーテルみたいにね」

「でもそっか、あの車が…僕、まだ嫌われてるかも」

「暴れ柳に突っ込んだんだっけね」

「あのときは死ぬかと思ったよ…」

二人はそのまま広間に行ってダラダラと占い学をボロクソに貶してみたり、ルーピンの授業の面白さについて話したりした。これだけダラダラしてたらロンとハーマイオニーも来るかと思ったがなかなか現れなかった。

不思議に思いつつも、おやつを食べ終わった頃にはなんとなく解散して二人は寮に戻った。

ハリーは早速ロンに車を見に行こうと誘うつもりだったが談話室に入った途端ロンの怒鳴り声がその考えをかき消した。

 

「その猫、ついにスキャバーズを殺したな!?」



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08.恋とはどんなものかしら

サキの休日はスキャバーズ事件により水泡に帰した。仲直り記念にみんなで陽気にドライブでもしようと思っていたのに、次はロンとハーマイオニーが険悪になってしまった。

スキャバーズはカバンごとクルックシャンクスに引き裂かれかけたが幸い無事だった。ただ以前より衰弱してるらしくロンはピリピリしっぱなし。ハーマイオニーも触発されてイライラしてる。

そんな二人を気軽にドライブに誘えってのも無理な話だ。

そういうわけでフレッド、ジョージとリー・ジョーダンとの届いた薬草の取引でも案の定スキャバーズの話題が出た。

 

「あのボロ雑巾みたいなネズミ、そんなに大事だったんだ」

サキの素朴な感想にフレッド、ジョージは肩をすくめた。

「ロンの初めての友達だからな」

「無理もないさ」

「長生きだね。ほんとにネズミ?」

ハーマイオニーの猫、クルックシャンクスはずっとスキャバーズを付け狙ってるらしい。もしこれからロンの機嫌が治ったとしてもまたこういう事があるかもしれないと思うと憂鬱だ。

「ロンには悪いけど、どこが可愛いかわかんないね。ネズミだぜ?病気を媒介する」

「そう言うなよ兄弟」

サキが実家で栽培してる催眠豆の苗と乾燥させた葉っぱを小銭と交換する。マグル界なら警察が寄ってくるような光景だ。

「毎度どうも」

「あ、サキ。今度のホグズミードには行く?」

「ううん。罰で行けない」

「そうか。俺たちゾンコの店に行くから欲しいものがあったら買ってくるけど」

「別に私はイタズラ好きじゃないからなあ…でもなんか面白そうなのあったら買ってきて。1ガリオン以内で」

「なんだよ、結構太っ腹じゃないか。でもそれじゃあ自分で買った方がいいよ。買い物ってのは体験だからな」

「そう、アトラクション。ま、お土産程度に買ってくるよ」

「ありがとね」

サキの持ってきた催眠豆がどのように使われるのかは神のみぞ知る。とりあえず小銭をポケットにしまって校内をフラフラ散歩する。明日はホグズミード、さらにはハロウィンパーティーということでみんなウキウキだ。

サキも武者震いが止まらない。

なぜなら明日、ドラコと仲直りしようと決めてるからだ。

 

ドラコはまだ手を吊ったままでパンジーのべったり介護をうけている。けどどこかイライラしてるみたいで嫌味っぽい。魔法薬学でサキとザビニが組んだりするとネビルに対して嫌味を言うという二次被害が続出している。

ハリーと仲直りできた日からドラコのイライラは余計酷くなっている気がする。

 

でもするんだ、仲直り。

だってそうしたいから。

 

やるぞーと気付けの意味も込めてハグリッド製の濃ゆいコーヒーを一気飲みした。頭がガンガンした。

嫌な予感がしてたがカフェインのせいでその日はなかなか寝付けず、談話室に最後まで居残る羽目になった。宿題も溜まっていたのでそれを眠くなるまでこなしていたが、だんだんやっつけ仕事になってきたのでガラス越しに湖を眺めた。

月の光も届かない真っ暗な湖。談話室の明かりに照らされた藻が揺らめいているのが辛うじてわかるくらいに光がない。

この湖には巨大イカが居るらしいが、光におびき寄せられてやって来たりしないんだろうか?

真っ暗なガラス窓からイカの姿を見つけようと眺めてるうちに眠りに落ちた。

目を覚ますとスリザリン生が起きてきて朝食をとりに向かっていた。

たしかホグズミード行きは朝食後すぐなので急いでドラコを捕まえなきゃいけない。サキは慌てて広間に向かった。

ドラコはもう起きて身なりも整え座っていた。パンジーが恭しくフォークに刺したフルーツを口元に差し出してる。なんだかとてもイライラしたのですぐそこに歩いていきドラコの口に入る前に食べてしまう。

「ちょっと!!」

パンジーが抗議するように睨んできた。ドラコは驚いた顔してこっちを見てる。

パンジーは無視してドラコを見つめた。

「ちょっと話あるんだけど」

「なんだよ…」

「ここじゃなんだし外行こうよ」

ドラコは不機嫌そうだが文句を言わず付いてきた。パンジーも付いてきそうになったがドラコが制した。

二人は大広間をでてすぐそばの中庭へ出る。昨日の夜雨が降ったようで芝生は濡れて朝日を浴びてキラキラ光っている。

 

「ドラコ、仲直りしよう」

「…仲直り?ふん。」

ドラコはやっぱりまだ怒ってて視線さえ合わせてくれない。サキは自分を奮い立たせるように半歩ドラコに近寄った。

「あの時は私どうかしてた。悩みすぎて腐ってた!それはごめん」

ドラコからの返事がないのでサキはそのまま続けるしかなかった。

「でも私やっぱりドラコと今のままは嫌だ。前みたいにまた…楽しくやりたいよ」

ヨレヨレの制服のままのサキと、パリッとした私服のドラコ。こうやって離れて見てみるといかに自分がドラコと不釣り合いかわかる。今まで仲良くしてくれてたほうが不思議だったのかもしれない。

 

「前みたいに、ポッター達とも仲良くするんだろう?」

 

ドラコはやっと口を開いた。サキはその意味を測りかねて逡巡してから答えた。

「ハリーとも、仲直りしたよ。だから元通り…」

「勝手だな、随分。自分で一人でいいとか言っておいて次は元通りなんて」

「……返す言葉もないよ」

サキはドラコの厳しい言葉に痛む胸をぎゅっと手のひらで押さえつけた。確かに自分は身勝手だ。

「本当にごめんなさい」

「……」

そしてまた沈黙。遠くからざわざわと談笑が聞こえてくる。

「ポッターと、仲良くはできない。僕は…あいつが嫌いだ」

「どうして?去年一昨年って結構仲良く…」

「それは君がいたからだよ!いっつも間に君がいた」

「だ、だからまた私が間に挟まればさ!」

「それが嫌なんだ!」

いつの間にか二人して怒鳴り合ってた。ドラコがやっと顔を上げてこっちを見てる。怒ってるせいで白い顔が仄かに赤くなっている。

 

「なんで?ドラコはそんなにハリーと喧嘩したかったの…?」

「そんなわけ無いだろう!僕は、好きなやつが嫌いなやつと仲良くしてるのが嫌なんだ!」

 

 

きゃあっ…と女子の歓声が聞こえた。

歓声?

我に返って周りを見回すといつの間にか周りに人だかりができていた。ドラコもハッとして周りを見る。

「ち、ちがう!そういう意味じゃない!」

ドラコは大慌てで訂正しようとするが逆効果で、周りを取り囲む野次馬のクスクス笑いにかき消されてしまう。ダメ押しに人混みからでてきたコリンがシャッターを切った。

「おめでとう二人とも。こっち向いて!記事にしなきゃ!」

「ふざけるなクリービー!そのカメラをよこせ!」

「わあ!やめて!助けて!」

場は乱闘直前になってその騒ぎを聞きつけたパーシーまでやってくる。

「こら、なにをやってる!」

「マルフォイ照れるなよ」

「いいからフィルムを消せー!」

その騒ぎを遠巻きに見ていたハリーとロンはあんぐり口を開けた。マルフォイとコリンとパーシーが取っ組み合いになってる横でサキもぽかんとしていた。

スリザリンの女子に肩を叩かれてやっと今何が起きてるのか理解したらしい。真っ直ぐ人混みをかき分けて逃げ出した。

たまたま通りかかったルーピン先生により三人は引き離され、軽い説教をされてるころには野次馬たちは解散した。

 

「ねえ…ハリー……どうするの?」

「えっ、どうって……」

「マルフォイがサキに告ったんだぜ?どーすんのさ!」

「こく…告ってたの?今の?!」

「そうにしか見えなかったろ!」

「わーお…」

「わーおって。いいのかよ」

「いいのかって…どうして?まあちょっとびっくりだけど…」

話が通じないなあと言いたげにロンがため息をついた。そうこうしてるうちにホグズミード行きの列車の時間になってしまったのでロンは慌てて駅へ行ってしまった。

多分列車は今の騒ぎについてで持ちきりだろう。

 

ハリーは一人残されてやっと今目の前で起きた事を整理できた。

サキが仲直りしようとしたら喧嘩がヒートアップしてマルフォイがうっかりサキに告白した。

そういう事らしい。

マルフォイがサキの事好きなんだろうと言うのはなんとなく知ってたけど…。

ええー?という感じ。

ハリーは恋愛沙汰に全く免疫がなかった。去年はパーシーをからかったりジニーに好かれたりしてたけど身近には感じなかった。

周りの友達も好きな女子がどうこうとかそういう話は一切しなかったし、今突然降り掛かったラブコメの風に戸惑うばかりだ。

あ…サキとの今日の約束、多分なかったことになるな…。

などと考えながらぼーっと歩いてると、誰かにぶつかった。

「あ、すみません」

「ああ、なんだハリーじゃないか。なにをしてる?」

「いえ…ちょっと、ぼーっとしてて」

「ホグズミードは?」

「行けないんです…許可がなくて」

「そうか。良ければわたしの部屋でお茶でもどうかな。ちょうどグリンデローが届いてね」

闇の魔術に対する防衛術の教室は去年とは打って変わってごちゃごちゃしていた。大きな水槽や瓶詰めの何か。得体のしれないものがたくさん置かれている。不気味というよりはなんだかワクワクする汚さだ。

「調子はどうだい。何か悩み事?」

「あ、いえ。大したことじゃないんです」

ルーピン先生は何かとハリーに気を使ってくれる。ティーバッグの紅茶と古くて湿気たクッキーを食べて談笑してると、ガンガン、と荒くノックされた。

ルーピン先生が立ち上がりドアを開けるといつもよりむっつり不機嫌なスネイプ先生が立っていた。

「やあ、セブルス。おっとそちらは…」

「あ、こんにちは」

サキの声が聞こえた。

驚いてスネイプの後ろの方を首を伸ばして覗いてみると、サキが肩身狭そうにスネイプのローブの影に立っていた。

「いつもありがとう。そこのデスクに置いてくれるかな」

スネイプはハリーとルーピンを交互に見て煙の立つゴブレットをデスクに置いた。サキはハリーを見つけると軽く手を挙げて微笑んだ。

「すぐ飲み給え」

「はい、はい。そうします」

「一鍋分煎じたがもっと必要とあらば…」

「多分明日また少し飲まないと。セブルス、いつもありがとう」

「礼には及ばん」

スネイプは礼には及ばんとはとても思ってなさそうなくらい苦々しい顔をしていた。ニコリともせず部屋を出ると、サキの背中を押して教室に入れた。

「お友達といろ。ルーピン教授はお暇なようだからな。我輩と違って」

「ちょっ、ちょっと。さっきの私の話聞いてました?」

サキの抗議も聞き入れずスネイプはバタンとドアを閉じて行ってしまった。

取り残されたサキは気まずそうに愛想笑いしながら立ちすくんでいた。ルーピンは微笑みながらサキに席を勧めた。

ハリーもどんな顔すればいいかわからなくてとりあえず微笑んだ。

「やあシンガー。驚いたよ。セブルスとそんなに仲のいい生徒は初めて見た」

「いや、まあ…身内なもので」

「わたしとしても出来ればもう少し彼と仲良くしたいのだけどね。…無理だろうな」

ルーピンはスネイプの持ってきたゴブレットの匂いを嗅いで鼻をクシャッとさせた。

「先生、その薬…」

ハリーが心配になって声をかけるとルーピンはなんてことなさそうに答える。

「ああ。わたしは昔から煎じるのが苦手でね…スネイプ先生に調合してもらってるんだ。酷い匂いだけど、複雑な薬でね」

「ルーピン先生が飲んでたんですね、それ。材料とかひたすら用意させられてたんですよ。罰則で」

「それはすまなかったね。じゃあシンガーに乾杯だ」

ルーピンは一口飲んで身震いした。サキがそれを見て、くすっと笑う。

 

「…じゃあ車のことチクったのルーピン先生だったんですか?」

「ああ。驚いたよ。フォード・アングリアが校内にあるんだから」

「あれ、僕達が暴れ柳に突っ込んじゃったんです」

「とんでもない事をするね」

黄昏時になるころには三人ですっかり打ち解けてサキの家出話やネビルが真似妖怪でスネイプに鷲の帽子をかぶせた話をして盛り上がっていた。

「楽しいティータイムだったね。次は宴会で会おう」

二人が教室から出る頃にはもうホグズミードに行ってた生徒たちも帰ってくる時間だった。

 

「サキは…どうするの?」

ハリーは恐る恐る聞いた。サキは神妙な顔をして

「家出」

とだけ言った。

「その…今朝のアレだけど」

「ああ…」

うんざりだと言いたげにサキは顔を両手で覆った。

「せっかく正直に話したのに、仲直りする機会を失っちゃったよ。どうしよう…」

「え?むしろ仲直りのチャンスじゃないか?」

「なんで?だってドラコすごい怒ってたよ」

「だって…君に告白したんだろ?マルフォイは」

「え?」

「えっ?」

サキは指の隙間からハリーを見た。

「告白?懺悔ってこと?」

「いや、愛の」

「嘘でしょ?」

どうやらハリー以上に色恋に関して疎い人間がいたらしい。ハリーもあれが告白だとわからなかったしもしかしたら告白なんかじゃなかった可能性すら出てきた。

二人は一緒にぎゅっと目を瞑って考え悩んだ。

「こういうときは…あれだね」

「ああ」

二人は声を揃えていった。

「ハーマイオニーに聞こう」

 

グリフィンドール塔に向かうさなか、二人は一体恋とはなにかについて哲学的論議を交わした。結論が出ないまま塔の入り口まで行くと人だかりができていた。

「ネビル!一体何の騒ぎ?」

 

「ハリー!大変なんだ。ブラックだよ。シリウス・ブラックが太った婦人を切りつけたんだ!」

 

 

 

 

 



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09.世界はそれを恋と呼ぶんだぜ

何かが解決したらまた何かトラブル。ここのところそれの連続だ。

しかし脱獄犯がホグワーツへ侵入したというのはトラブルの中で一番深刻で、全校生徒は大至急大広間に集められて今日はその場で寝ることになってしまった。

シリウス・ブラックの侵入によりみんな朝のことは忘れたかとおもったらやっぱりからかわれるしドラコは黙りこくって無反応だしで居た堪れなくなり、サキはハーマイオニーのもとへ逃げていた。

 

「シリウス・ブラックのふりしたスリザリン生かもよ?」

「そしたらピーブズがそういうさ。いくらなんでもあんな嘘はつかない」

「ホグワーツへの侵入なんて絶対に無理だわ」

「模倣犯に一票」

「じゃあ僕も」

「ふざけないで!」

 

シリウス・ブラック。彼のおかげで学校中恐怖におののきサキとドラコの痴話喧嘩は2日間くらい忘れられた。

しかし校内のどこにも彼の姿がないことがわかりまたいつも通りの日常が帰ってくるとすぐに噂が再燃して、いつの間にかサキがマルフォイにふられたことになってた。(失礼極まりない)

「そういうわけでまた家出したいのですが」

「退学になりたいのか?」

「はは…」

校舎をうろつくのすら厳しく言われるようになってからサキの逃げ場はもっぱら魔法薬学の教室だった。ここなら生徒は近寄らないしスネイプ先生は基本的に何も言わないし居心地がいい。なんならお茶だって入れられるし。

「学園生活を満喫してるようで何よりだサキ」

やたら嫌味っぽく言われサキもムッとする。

「先生にはわかんないでしょうね!恋なんてしたことないでしょ」

「…………」

無言。

踏んじゃいけない地雷でも踏んだんだろうか。スネイプ先生のオーラがチクチク刺さる。こういう時は黙ってやり過ごすのが一番だと学んでいる。

サキは読みかけの本を開いて黙々と読書を再開した。スネイプも課題の採点に戻って部屋の中にはページをめくる音と羽ペンの音、鍋が煮だつ音。篝火が爆ぜる音。何でもない日常音だけがした。

 

サキの読んでる本はマクリールの館から見つけた写本だった。とても古い本で今にも表紙が取れてしまいそうなのを大事に大事に使っている。内容は古の魔法について。何がなんだかさっぱりだが一応目を通してる。

内容が右から左に抜けてくせいで頭は別のことを考えていた。

ドラコがついに腕の封印を解いて次のクィディッチに出るらしいこと。いかれた絵画がグリフィンドール寮の入り口を担当すること。ロンのネズミがますます神経衰弱に陥り死ぬ寸前なこと。バックビークに処罰があるらしい…などなど。

新学期が始まっていろいろあったが珍しくサキに危機といった危機はない。

 

「…先生」

「…なんだ」

「クリスマスプレゼントは何がほしいですか?」

 

 

スネイプの教室から出て夕食を取りに大広間に向かった。ドラコたちはいない。多分クィディッチの練習だろう。雨の中よくやるもんだと感心する。

「あらサキ。愛しのドラコの応援に行かなくていいの?」

サキが席につくとさっそくミリセントがからかってきた。

「雨の日は外に出たくない」

ミリセントは隣のダフネとクスクス笑い合う。

「恥ずかしがらずにドラコといればいいじゃない」

「だから、誤解だってば。あれは単に仲直りしたくてね…」

無駄だとわかりつつもサキは何回もしてる弁明を繰り返す。わかってもらうのは諦めてるので一通り述べたらもう無視して食べるしかない。

黙々と飯を食ってるとクィディッチチームのメンバーがシャワー上がりの体でやってきた。

勿論ドラコも居る。

サキは慌ててジュースで食べ物を流し込んで転がるように広間から逃げた。逃げたところで談話室で鉢合わせるわけだが。

「…で。グリフィンドールに逃げてきたの?」

「そう…あのカドガン卿、ザルだよ。適当な罵声を浴びせたらどれかがアタリだもん」

ハーマイオニーがホグズミードのお土産に買ってきたバタービールを出してくれた。サキはありがたく頂戴し、一気に飲み干した。

「サキ…はっきり言って。マルフォイのことどう思ってるの?」

「そんなの……わからないよ。っていうかドラコだってそういう意味で言ったんじゃないと思うよ?」

「そうなの?でもマルフォイってどう見ても…」

ねえ?と言いたげにハーマイオニーがサキの隣に座るジニーに視線をやった。ジニーはコクコクと頷く。

「そういうのを踏まえてもう一回聞くわ。マルフォイのことどう思ってるの?」

「うーん…ジニー。好きってどんな気持ち?」

「えっ…なんで私に振るの?」

「だってジニーは恋する乙女代表だろ?」

「やめてよ!」

ジニーはすぐに顔を真っ赤にしてクッションで顔を隠してしまう。恋ってこういう状態のこと?かわいいけどサキにはきっと出来ない。

「なんでみんな恋愛にそんなに熱心なの?いい迷惑だよ!決心して話しかけたのに茶化されちゃさ…」

「まあ普通は、他人の恋愛ほど面白い話題はないから」

「人の噂もなんとやら、よ。サキ」

「二ヶ月以上も待てないよ!」

サキはガンっと頭をテーブルに叩きつけて唸り始めた。ハーマイオニーとジニーは顔を見合わせて肩をすくめた。

そこにタイミングよくフレッド、ジョージが通りすがりにからかってく。

「あれっ。サキ!マルフォイはいいの?」

「こんなとこにいたらまた乱闘だぜ」

サキは突っ伏したまま動かなくなってしまった。消灯時間も過ぎてるしもうスリザリン寮に帰れないだろう。

ハーマイオニーは毛布を取ってきてくれて、二人は暖炉の前でゴロゴロしながら話し合った。

話す話題もつきかけてきたころ、ハーマイオニーがふと意外な名前をとりあげた。

「ねえ…ルーピン先生のこと、どう思う?」

「ルーピン先生?ああ、いい先生だよね」

「そういう事じゃなくて…ううん」

「何?」

「なんでもないわ。まだ確証がないから」

ハーマイオニーのそばにクルックシャンクスが擦り寄ってきたのでサキは思う存分撫でさせてもらった。気位の高い猫なので簡単に頬ずりなんかはさせてもらえないがお腹を撫でるくらいは気を許してくれた。

「クルックシャンクス、ネズミなんか食べちゃだめだぞ。病気になっちゃうよ〜」

クルックシャンクスはにゃお、とあくび混じりに返事した。

 

 

そしてドラコとサキが磁石みたいに避けあってるうちにグリフィンドール対スリザリンの試合の日になった。その日は大雨なのにみんな競技場へ行くんだから信じられない。

サキはいったらからかわれるので図書館でおとなしく本を読んでいた。

しかし夕食になっても観客は戻ってこない。おかしいなと思い、何故かずぶ濡れで飯をかっこんでるディーンを捕まえて聞いた。

「すっげえ試合だよ。夜までもつれるんじゃないかな?」

「え…この天気で?」

「スニッチがまだ捕まってないからね…今日のマルフォイは粘り強いよ」

「ホント意味不明なスポーツだよね」

「何言ってんだよ、最高さ。サキも見に来いよ!マルフォイが余所見してくれるかも」

「お前までそんなこと言うのかー!」

机においてあった日刊予言者新聞で叩くとディーンは慌てて逃げていった。

ハリーやドラコには申し訳ないが、わざわざ濡れに行くのはゴメンだった。おとなしくほとんど人がいない談話室で読書を続けた。

もう完全に日が沈んだ頃、雷が鳴り響いて湖のそこの方まで照らされた。

箒に雷が落ちたらどうするんだろう。とか考えていると、ゴイルが慌てて談話室に駆け込んできた。

「どうしたの?」

「ドラコが…地面にぶつかって…」

「だからクィディッチはやなんだよ…医務室だね?」

ゴイルはドラコの着替えやらを取りに来たらしい。サキも手伝い、着替えやタオルをカバンに詰めてゴイルと一緒に医務室のそばまで来た。

ちょうど泥まみれのクィディッチ選手たちが病室を去るタイミングでサキは内心ほっとした。

「……ハリー、残念だけど…」

ドラコのベッドから離れたところからハーマイオニーのヒソヒソ声が聞こえてくる。ハリーまで怪我したらしい。シーカー両方怪我をしたってことはどっちが勝ったんだろう?

 

「持ってきた」

ドラコはバックビークにやられた場所と同じ場所に前回より分厚いギプスをはめて横たわってた。

「うわ、なんで居るんだ?!」

「ゴイルの道案内」

「おれはそんなに頭悪くないぞ」

「冗談だよ」

ゴイルは着替えを置くなりドラコに追い払われてしまった。サキはちょっと顎を触って思案した。

「えっと…仲直りの続きを…したくて……その。前は周りがうるさかったでしょ」

「どっちが勝ったか気にならないのか?」

ドラコはやっぱりそっぽを向いてていじけてる。けど前より怒ってる感じはしない。

「うーん。ドラコ嬉しそうだし、スリザリン?」

「そう。僕が勝ったんだ」

ドラコは折れた方の手を、もう一度スニッチの感触を思い出そうとしてるかのように握った。

「やつは気絶して落っこちたのさ。でも勝ちは勝ちだ」

「おめでとう。名誉の負傷だね」

「…」

ドラコはちょっと変だった。嬉しそうにも見えるし何かに怯えているようにも見える。2つの感情が一緒に在るみたいだ。

「どうしたの?」

「やつが…」

ドラコはふーっと長く息を吐いた。

「吸魂鬼が、そばを通った。それで上昇しそこねたんだ」

「そんなに怖いの?先生も言ってたけど…」

「怖いなんてものじゃなかった。…ああ、思い出したくもない」

サキはチョコレートを探した。あいにく持ち合わせてなかったので苦し紛れにずっと食べずにポケットのそこに眠らせておいた胡椒飴を取り出してサイドテーブルにおいた。

「…また日を改めるよ」

「いや、待ってくれ」

ドラコはサキが立ち上がろうとするのを止めた。ドラコはえらく真剣な顔をしている。

「まず…僕は君に告白をしたつもりなんて一切ない。それはいいな?」

「ああ、やっぱりそうだよね!みんなほんとに恋愛脳なんだから…」

「でも僕が君のことを好きなのは事実だ。だからポッターと仲良くしてるのを見るとムカつく。それはいいな?」

「うん。…えっ?」

「だから、ポッターと仲良くする君は嫌いだって話だ」

「え、待ってよ。好きなのに嫌い?」

「そうだよ」

「わけがわからないよ」

「君、人を好きになったことないのか?」

「恋愛的な意味で?ないよそんなの」

「だろうな」

ドラコはため息をついて寝返りを打ってしまった。呆れられたらしい。でもサキには全然ピンとこなかった。

「ドラコは私のことが好きなの?」

「そうだって言ってるじゃないか」

「わーお…」

「なんだよ他人事みたいに!」

「いやだって…こういうこと身近でなかったから…」

「そうやって君はいつも茶化して有耶無耶にするんだ」

「そんなつもりはないよ…」

こういう時どうすればいいんだろう。孤児院でよく流れてたメロドラマは過激すぎて参考にならないしラブストーリーなんて読まない。

「こういう時どうすればいいかわからないんだ。キスすればいいの?」

「君…ほんとに根本的なものがかけてる!いいか、普通は好きだって言われたら喜ぶだろ」

「私は嬉しいよ」

「…ああ、そう…そうなのか?いつも通りじゃないか?」

「そんなこと無いよ。なんかドキドキしてるし。あ、これはさっきちょっと走ったからかな…?」

「そう…」

ドラコは呆れ気味だ。

「いや、そうじゃなくて。サキ、その後はイエスかノーだろ」

「ん?つまり君は今私に告白してるの?」

「いい加減にしろ!そうだよ!」

ドラコがついにブチ切れたところでカーテンがシャッとひかれて、呆れ顔のポンフリーが入ってきた。二人を交互に見てから咳払いをしてピシャリと言った。

「若い二人の邪魔はしたくはないんですけどね…他の患者もいるんですよ」

「す、すみません」

サキはお尻をひっぱたかれて追い出された。(常連ということあってか仲がいいらしい)ドラコは同じ医務室にハリーがいることを思い出して今更気まずくなり布団に潜った。

そして返事を結局もらってないことを思い出してため息をついた。

 

そしてサキはその足で禁じられた森の中にある車の巣(家、またはガレージという方が適当か?)へ向かった。なんだか今日は帰りたくない気分だった。

人に好きだなんて言われたのは初めてだった。

フォード・アングリアは大きな岩の影に頭を突っ込んで停まっていた。ドアを開けて中に入る。

雨で濡れたローブを絞って後ろに干して寝転ぶ。

目を閉じてさっき言われたことを反芻した。そして返事をしてないことに気付いて苦笑いして寝返りを打った。狭い車内は13歳のサキにはちょうどいいけど、これから大きくなったら狭くて寝れなくなるだろう。

あの荒んだ孤児院で過ごしたときと比べて、自分のなんと恵まれたことか。ホグワーツに来てから何もかも変わった。こんな自分が好きと言われる日が来るとは思いもしなかった。

嬉しい。

そして嬉しさの裏に罪悪感が湧く。自分が幸せでいてはいけない気がする。そういう呪いをかけられたような…。

ううん、いいじゃないか。今晩くらい幸せな気持ちになったって。

サキは自分の肩を抱いて眠った。

炎の夢を見た気がした。

 



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10.クリスマス

ハリーはベッドの中で悶えていた。

あんな会話を聞かせられて正気でいられるか。胸の奥から苦いような酸っぱいような甘いような変な感情がせり上がって来る。

なにより、吸魂鬼のせいとはいえクィディッチで負けたのが悔しかった。その上箒は暴れ柳にぶつかってバラバラ。全くなんて日だろう。

風は止んだものの雨はまだしとしと降っていて窓ガラスの方はひんやりしてる。

マルフォイはサキが好き。

やっぱりそうだったんだ。

でも実際お似合いだ。なにより同じ寮だし呼吸も合うみたいだし。そう…友達として応援すべきだ。

あ、でもマルフォイはまだ返事をもらってない。

ぐるぐる考えてるうちにいつの間にかハリーは寝ていた。マダム・ポンフリーはハリーを起こしてくれず、このまま数日間安静にすべきだと力説した。ハリーは断固拒否してその日の午後医務室を出た。

マルフォイはとっくにいなくなっていた。

そしてバッグに詰まったニンバスの残骸をどうしようか悩んでる所でちょうどネビルが通りかかった。

「ハリー!具合は大丈夫?」

「ああ、全然平気」

「箒…残念だったね」

「まあ、もうどうしようもないし…」

やっぱりショックだった。思い出の詰まった品なだけあって捨てるのも忍びない。

「あ、サキに頼んでなにか加工してもらったら?サキ、そういうの得意だし」

そういえば一年の頃からなにかコツコツと木を削ってチェスの駒やらを作っていた。あれは完成したんだろうか?

「それ、いいアイディアだね」

でも今はサキとはちょっと会いたくないかも。

ハリーはそのままネビルと一緒に寮に帰って、反省会ということで改めてクィディッチチームメンバーで集まり葬式のような会議をした。今回の敗因が吸魂鬼ということで改善と対策のしようもなく、会議はそこそこで切り上げられてみんなでだらだらとお菓子を食べた。ウッドの落胆っぷりったらなかった。

 

校内は早くもクリスマスムードで、次のホグズミードで何を買うか。デートスポットはどこか、などを生徒たちが囁き合ってた。

そんな中でサキは

「もうやだ…もうやだ…」

魔法薬学の教室、地下牢に生えたカビを退治していた。延々と、一週間。

というのも医務室への見舞いの後に寮に帰ってなかったのを密告され、またしてもスネイプの罰則を食らっていたからだ。

「先生、限界です。昨日退治したところにもうカビが生えてる。こういう拷問知ってますよ私」

「罰だから当然だろう」

「畜生」

「汚い言葉を使うな」

それでもホグズミード村行きを禁じられてないだけまだ温情がある。サキは不平不満をぐっとこらえて一心不乱に壁をこすった。

「先生、吸魂鬼って殺せるんですか?」

「生きてないものを殺すことはできない」

「ふうん…じゃあなおさらどうやって脱獄したんだろう」

「シリウス・ブラックに興味を持つな」

「も、持ってないですよ」

「……」

スネイプは眉根を寄せて紙面を睨んでる。日刊予言者新聞はブラックの目撃情報を毎日三面に載せてるが、新聞に従うとブラックはイギリスの何処にでも同時刻に三人存在できることになる。

スネイプの表情はサキに怒ってるというよりシリウス・ブラックについて何か思うことがある感じだ。並々ならぬ憎悪を感じる。

「あ、今年のクリスマスはドラコの家に行ってもいいですか?」

「本邸には?」

「行く予定はないです」

「わかった」

去年一昨年と行けずじまいでようやくマルフォイ邸の、つまりセレブのクリスマスディナーを堪能できるわけだ。ついでにルシウス・マルフォイにバックビークについての圧力を緩めるようにお願いもできる。

ちなみに去年のクリスマスはマクリール邸で食糧が尽きて餓死しかけた。

 

 

 

そんなこんなでクリスマス前のホグズミードは雪が溶けてしまいそうなくらいの賑わいっぷりで足元の雪は踏みしめられてツルツルに凍っていた。

 

「すげー…」

 

魔法使いだけの村なだけあって、建物はみんな変な形で派手な花火な常時あがってたりふわふわした謎の生き物が漂ってたり、空一面にふくろうが飛び立ったりと今までに見たことが無い光景が広がっていた。

「ドラコ、あそこ行こう!生首がたくさんあるところ!」

「あそこは未成年立入禁止だ」

「あっすごい!あれは豚?豚の頭?」

「少し落ち着けって…」

サキはあちこちに目移りして道を右往左往している。そしてドラコの心配どおり氷で足を滑らせた。腕を掴んでなんとか転ぶ前に持ち直した。

「言わんこっちゃない」

「こんなのワクワクせざるを得ない!」

「だろ?」

二人はハニーデュークスを覗き、ゾンコの悪戯専門店を覗き、と有名所をまわることにした。ドラコは二回目なので美味しいお菓子や飲み物を教えてくれた。

「叫びの屋敷も見ておくか」

「そこも観光スポット?」

「ああ。君、小汚い建物が好きだろう?」

「うん、好き」

一番賑わってる通りから随分離れて雑木林を抜けると有刺鉄線が張り巡らされた雪原に出た。真っ白い誰の足跡もない敷地の向こうに黒っぽい建物が見える。

「有名な心霊スポット。叫び声が聞こえるから『叫びの屋敷』」

「いい感じに小汚そうだね」

ドラコは和やかに言いながら有刺鉄線を掴んで切ろうとするサキを慌てて止めた。

「うわ…」

するとさっき来た道から聞き覚えのある声が聞こえた。

振り向くとロンとハーマイオニーが体を縮こませて立っていた。ハリーは許可証が無いので来れないので二人きりらしい。

「ここはデートスポットじゃないぞ」

「そっちこそ住宅展示場と勘違いしてないか?いくら中古でも君の父親の給料じゃあの屋敷は買えないぞ」

「彼女ができたからって調子に乗るなよ、マルフォイ!」

アーサーとルシウスを彷彿とさせる煽り合いだった。サキは苦笑いして二人に挨拶する。ハーマイオニーも手を挙げてからかい気味にサキに話しかけた。

「デート?」

「そんなところ。でも思ったより遠くてガッカリしてた」

「近くまで行ってみない?」

「いいよ」

「やだ、冗談よ冗談」

 

有刺鉄線を揺らすサキと笑い合うハーマイオニー。そして離れた場所で不機嫌そうに突っ立つドラコとロン。

 

妙な光景だ。

と、透明マントを羽織ったハリーは寒さに震えながら出て行くタイミングを見計らっていた。

 

「そんなに怖いの?」

「知らないできたの?毎晩恐ろしい叫び声が聞こえるっていう話よ」

「えー、何が住んでるんだろう」

「おいサキ。早く何処かに行こう。ウィーズリーといると貧乏臭さがうつる」

「そうだよハーマイオニー。これ以上マルフォイと居ると色ボケしそう」

「喧嘩がしたいのか?」

「そっちこそ」

 

長引きそうだな。

と思ったハリーは透明マントの下でそっと雪玉を握り、マルフォイの背中に投げつけてやった。

「痛っ!」

マルフォイはびっくりして周りをキョロキョロ見回した。ハリーは笑い声を押し殺してまた背後に回り込んで雪玉を投げた。

「祟りじゃァ!」

サキが叫ぶとマルフォイは悲鳴を上げて来た道へ戻ってく。サキは笑いながら挨拶をして追いかけて消えてった。

「…ハリー?」

ハーマイオニーがクスクス笑いながらハリーの方を見てたので、ハリーは首だけだして声を上げて笑った。

「おっどろいたなぁ…どうやって抜け出したの?」

ハリーはフレッド、ジョージから受け継いだ忍びの地図を見せた。ロンは「僕には貸すだけだったのに」といじけ気味で、ハーマイオニーは予想通り秘密の抜け道なんかを使った校則破りに眉を顰めた。

このまま人気のないここで色々話しても良かったがやはりちゃんとホグズミードを見てみたかったのでハリーはマントを脱いで帽子を目深にかぶり誰かわからないようにマフラーを鼻まで巻いて通りに向かった。

 

「僕は別にビビったわけじゃないからな!」

ドラコの弁明を笑いながら聞き流し、サキはあたたかいバタービールをごくごくと飲み干した。

顔を真っ赤にして弁明するドラコが面白くてサキは腹筋が攣りそうになるまで笑った。

「…吸魂鬼もいるしね、怖いよ」

サキはさっきの雪玉の犯人が誰かわかってた。正面から見てたのでハーマイオニーもすぐわかったはずだ。透明マントがはためいてハリーの靴が見えていたからだ。

「物騒だよね」

ブラックの手配書はあちこちに貼られていてこちらに向かって何かを叫んでいる。

「…天気、悪くなってきたね」

「…もう戻ろうか」

雪はどんどん強くなって視界が悪くなっていく。二人ははぐれないように手を繋いで駅まで向かった。

 

 

そしてすぐにクリスマス休暇がやってくる。サキは料理雑誌をめくりながらクラッブ、ゴイルになんとかして料理を教え込もうとしていた。ドラコはそんな光景に飽きて窓の外を眺めてる。

「今年のパーティーには大臣も来るんだ」

「…ん?大臣?」

「コーネリウス・ファッジだよ。魔法省大臣」

「そんなかしこまったパーティーをするなんて聞いてないんだけど」

「僕の家では恒例行事さ。………ドレス持ってる?」

「あるわけ無いだろ!」

そんな事があってパーティー当日。サキはナルシッサの古いドレスを貸してもらい事なきを得た。金持ちの世界を舐めていた。高いヒールを履かされて竹馬で歩いてるような気分でなんとかリムジンにたどり着く。

「よかった、ぴったりね」

ナルシッサは嬉しそうに微笑む。自分の母親がこれくらい優しい人だったらいいな、となんとなく思う。母という存在はサキにとって未知数だ。

以前ドラコにそんなことを話したら「まあ母上は優しいけど、ある程度ヨソイキさ」とのこと。

パーティー会場にはいかにも上品そうな魔法使いの男女がひしめいていた。よくみると学校で見かけるスリザリン生がいる。

「純血の子?」

「ここにいるのはだいたいそうさ」

「肩身狭いな」

「なんでだ?堂々とすればいい。だって君は僕のパートナーだろ。背筋を伸ばして立ってればいいんだ」

「…この靴じゃ立ってられないかも」

サキがよろけないようにあまり動かずにいると見知った顔がやってきた。

「やあドラコ。それにシンガーじゃないか」

「ああ、セオドール」

セオドール・ノットはドラコの友達だけど純血主義なのでサキはあまり話したことがない。片親どころか孤児のサキを馬鹿にしてるフシがあるので一度だけキレてぶん殴ったことがある。

「混血がお邪魔なら立ち去るけど、どうする?ノット」

サキが煽るとノットは大袈裟に驚いて宥めるように両手を広げて笑った。

「いやいやとんでもない。話題のカップルがこんなところで見れるなんてって感心してただけさ」

嫌味っぽい気もするけれど喧嘩したってしょうがないので鉾を収める。

「今年はパーキンソンは来てないらしい。ドラコ、罪な男だな」

ノットはそう言うと歳かさの男性の方へ帰っていった。多分父親だろう。こうしてみるとスリザリン生とその親ばかり。まさに蛇の巣窟だ。

そうこうしてるうちにファッジがやってきて長々とした挨拶をはじめる。シリウス・ブラックには言及せずに末永い繁栄を…など月並みな言葉を並べていた。

合奏団やボーイもたくさんいて、なるほどこれぞまさにパーティーだった。

サキは窮屈に感じながらも口をあまり開けないようにしてひたすら食べ物を食べた。食べてくうちにクラッブ、ゴイルとちょくちょく顔を合わせておいしい料理を効率よく味見していった。

そろそろドレスがきつくなってきたなと最後のひとくちを飲み込もうとしたとき、不意にルシウスに声をかけられた。

「サキ!こちら国際魔法協力部のバーテミウス・クラウチ氏だ。ご挨拶を」

「ゴホッ…ああ、どうも。はじめまして。サキ・シンガーと申します」

サキは慌てて口の中のものを飲み込んで挨拶をした。銀行取締役のような紳士がニッコリ微笑み手を差し出した。

「君がドラコ坊っちゃんのハートを射止めたのかい」

「いや、そんな…」

「バーティがぜひ君にもクィディッチワールドカップの席をとおっしゃっていてね」

「ワールドカップ?」

「おや。ご存知ないかな。来年の夏行われるクィディッチの祭典だよ。もうチケットは売り切れているくらいに人気なんだ」

「まあ。本当ですか?嬉しい!」

さっきから聞こえてくる婦人たちの口調を真似して喜びを伝えた。サキは丁重にお礼を述べて愛想よく手を握り感謝を表現した。

クラウチ氏はさり際にサキのことを褒めていった。

「あの…ルシウスさん」

上手くやり遂げた今ならやれると思ってルシウスにバックビークのことを振ってみる。

「ハグリッドの件ってどうなってるんですか?」

「ああ…問題ない。全てうまく行ってる」

ルシウスの上手く行くはサキにとっての最悪だ。

「私、あの授業が好きなんです。ハグリッドが処罰されるのは納得行きません」

「ドラコは生徒みんなが怯えてると言っていたが…」

「そんなことありません。それに…そうですね。丁度いい息抜きになるんですよ、あの授業は」

「しかし森番が教鞭をとるのは如何なものか。サキ、ハグリッドはかつてホグワーツを追放された身なのだ。ヤツは学校すらまともに卒業してない半巨人だ」

「半巨人?しらなかった。通りでデカイわけですね…」

サキはバックビークのことを一瞬忘れてびっくりした。しかしすぐ議論に戻ろうと意識をルシウスの望むような言葉遣いをするように向けると邪魔が入る。

「あら、ミスター・マルフォイ。今半巨人と、おしゃった?」

「こんばんはミス・アンブリッジ。サキ、こちらはドローレス・アンブリッジ魔法大臣補佐官だ。一番の出世頭さ」

「こんばんは。サキ・シンガーです」

「あら、可愛らしいお嬢さん。親戚ですの?」

「いずれね」

「あらあら」

サキは内心勘弁してくれよとボヤきながらその小さいピンクのおばさんを見た。ニコニコしてるけど目は笑ってない。

「例のホグワーツの森番のお話?お坊っちゃんを傷つけたという」

「ええ…彼女もドラコと同級生でしてね」

「それはとても可哀想に。嫌よねえ、半巨人に教えられるなんて」

サキはムッとして言い返した。

「そんな事ありません。楽しければ先生が吸魂鬼だって喜んで受けます」

でもゴーストの教える魔法史は楽しくないからダメだ。サキの思わぬ反撃にアンブリッジ女史の目が攻撃的に光った。

「あら…随分懐が広いお嬢さんね。犯罪者かぶれの生まれ損ないを先生と呼べるなんて」

アンブリッジはいきなり先制パンチを食らわしてきた。サキはカッとなって右手を上げそうになった。しかしその手が腰より上に上がる前にルシウスが華麗にアンブリッジをいなした。

「全くダンブルドアは最近狂ってると言わざるを得ない。ファッジ!」

コーネリウス・ファッジを呼びつけるというファインプレーによりアンブリッジはエヘンと咳払いをして急に子猫みたいに大人しくなった。サキもこれでは動けない。

よくわからない政治の話が始まるとよろけながらそのテーブルから逃げた。

「サキ、大人気だな」

「私…社交界って向いてないと思う」

「どうした?」

ドラコと一緒にテラスに出ると凍った池を雪でできた妖精が滑っていた。氷でできたオブジェが月明かりを反射してきらきら輝いている。雪は細かくてもはや煙いと言ってもいいくらい真っ白だ。魔法がかかってなければさぞかし寒いだろう。

「あのクソババア、ハグリッドを生まれ損ないって言ったんだ。信じられる?」

「ハグリッドを?」

ドラコは眉を顰めた。ドラコはハグリッドを好いてないのは知ってるが怒りを腹にとどめておくことはできなかった。

「まあたしかにヤツは出来たやつじゃないけど…生まれ損ないは言いすぎかもな」

「ああよかったよ。君まで生まれ損ないなんていったら代わりにぶん殴ってやろうと思ってた」

ドラコは内心答えを間違わずにホッとしたようだった。

「サキ、そういう考えを持ってる人は多いよ」

「言われたことないからあんなこと言えるのさ」

サキはおっきなため息をついてから立ち上がってヒールを脱ぐ。ひんやりした感触が疲れた足裏を癒していった。

広間のほうからはダンスミュージックが流れている。

ドラコがサキに近づいて手を差し伸べてきた。

「ここで踊るの?」

「あっちがいいのか?」

「いや。足、踏まないでね」



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11.スキャバーズの逃走

今私は畜生道におちている。

アズカバンで隣の房にいた男が自身の信教について聞いてもいないのにずっと語りかけていた。

東の国では、迷いを持つ人間は死んだらまた別の世界に生まれ変わるらしい。その中にある世界の一つ、畜生道。そこでは本能のままに生きるしかなく、()()()による救済も期待できない世界らしい。

腐った食べ物をごちそうのように貪る私に相応しい。けれども誓って言える。私は罪を犯していない。人として生きるために、こうしているのだ。

数ヶ月前食べた温かいスープが懐かしい。あのときはただ食べ物の香りに誘われて周りを気にせず貪り食った。あの小さなキャンプ地にいた少女はまるで幸せだった学生時代の思い出から抜け出してきたようだった。犬の目でみた幻影だったかと思うほどに。

ああ…あと少し。あと少しだ。

そしたらあの少女のことだってわかる。

今はただ、やつを…。

幸い手助けしてくれる頼もしい相棒も手に入れた。

あともう少しでこの地獄から抜け出せる。

あと、もう少しで。

 

 

 

 

「…虫の知らせって、あるでしょう?」

ハーマイオニーが言った。

「怪しすぎるのよ、あの箒は。私は間違ったことをしたって思ってないわ」

「どっちの気持ちもわかるよ」

ハリーに届いた怪しい箒はハーマイオニーの手によりマクゴナガルが預かり検査しているらしい。それでハリーもロンも不機嫌らしくてハーマイオニーは時々こうして愚痴を言いに来てる。

サキは終わってない魔法薬学の宿題に囲まれて頭を抱えていた。

「…ねえ、いくらで手伝ってくれる?」

「マルフォイとの冬休みはどうだった?」

ハーマイオニーは絶対に勉強の不正を許してくれない。サキはうなりながら冬休みの思い出を話した。ハーマイオニーは聞き上手で、ハグリッドを悪しざまにこき下ろしたババアの話になると一緒に憤慨してくれた。

「そうだった!ハグリッドに来た手紙のこと、聞いた?」

「いや…聞いてない。なに?」

「バックビークが裁判にかけられるの」

「そんな!私…ルシウスにちゃんと抗議したのに」

ハーマイオニーは声を落としていった。

「サキ、あなたには悪いけどルシウス・マルフォイはとんでもない二枚舌よ。あなたの言う事を聞いたふりしてるだけかもしれない」

「ああ…クソ。私がもっとちゃんとしてればな…」

「貴方のせいじゃないわ。…とにかく、裁判には絶対に勝たなきゃ。その資料集めをしてるから貴方の宿題は手伝えないの」

「そういうことなら仕方ないね…」

丸め込まれた気がしてならないがサキはハーマイオニーに助けてもらうことを諦めて、なるべく字を大きく書いて羊皮紙を埋める作業に戻った。

「でも…サキのお陰でマルフォイが大人しくなってよかった。今のハグリッドを刺激したら…」

「ああ…授業中に首吊りそうだね」

そういうわけでいつも通り。学外で入手した本やら漫画やらをハッフルパフの生徒に横流ししたりフレッド、ジョージとスネイプの薬品保管庫の突破法を考えてるうちにいつの間にかグリフィンドールとレイブンクローの試合が近づいてきた。

ブラックの目撃談も落ち着いて先生たちもガミガミ言わなくなって、昼間ならいいだろうと禁じられた森を散歩するようになった。

散歩道の途中でルーナという子と友達になった。一学年下のレイブンクローの女子で、フォード・アングリアを探して森のだいぶ深いとこにまで踏み込んだ時に泣いてるのを見つけた。

はじめはついに幽霊か何かを見てしまったと思ってゾッとした。ルーナのブロンドが木の虚からぬうっと出たときに小さな悲鳴を上げて木の根から落ちてしまった。

「だれ?」

「あ、人かぁ…」

ルーナは目を真っ赤にしてた。

「あんた、知ってる。スリザリンの有名人だ」

「君は誰?こんなとこで何してるの?」

「あたしルーナ。教科書を探してたら迷っちゃった。…帰り道を思い出せなくて」

「ああ、ここの木はたまに動くんだよ」

ルーナに手を差し出すと、暖かくて小さな手が握り返して来る。穴から出してあげると、裸足の足を痛そうに擦っていた。

「なんで裸足なの?」

「みーんな何処かに行っちゃった」

いじめられてるんだろうか?去年一昨年の自分のことを考えると他人事とは思えない。

「おぶさる?」

冗談混じりに背中を差し出すとルーナはふわっと乗っかってきた。冗談の通じないタイプの子だったらしい。今更降りろと言えないので仕方なく運ぶことにした。女の子っていうのは見た目より重い。けど温かい。

「ルーナはここらへんで車を見なかった?」

「車?」

「そう。ボロボロで角ばった、空色のやつ」

「見たよ」

「ほんと?」

ルーナの指差す方向に向かっていくと本当に車があった。これで森の外までルーナを運ばなくてもよさそうだ。

「運転できるんだ」

「まあね」

アクセルを踏むと寝起きを起こされて不機嫌だといいたげに車はエンジンをふかした。ほったらかしにして怒ってるのだろうか?

そもそも車に時間の感覚はあるのか?

もちろん運転できるなんて言うのは大嘘で、車は勝手にノロノロと動き出した。

「ねえ」

「なに?」

「おっきな犬がいる」

車が急に止まった。ルーナが見てる方へ目をやると、たしかに何かいる。しかしあれは犬だろうか?遠くてわからない。

「あ、人間になったよ」

「おいおい嘘だろ」

犬と人間といえば狼人間しか思い浮かばない。禁じられた森なら狼人間がいてもおかしくない。

そして…襲われたっておかしくない。

「早くでろ!」

サキがクラクションを鳴らすと車は怒ったように走り出した。

「待って…あの人、見覚えがあるよ…」

ルーナはまだ何か言っていたがサキはお構いなしにアクセルを踏み抜いた。車は木々を避けて禁じられた森を爆速で抜けていく。

「わあ、すごい!」

窓の外を猛スピードで流れてく景色にルーナは歓声を上げている。大きな沼のそばに出ると車は減速した。

「狼人間なんてはじめてみたよ。寿命縮むぜ…」

「狼人間だったの?」

「君、見えてたんでしょ?そうじゃないの?」

「わかんない。見たことないもン」

「…確かに言えてる。さ、行こう。ここまでくればすぐだから」

サキが車から出るとルーナはすぐに背中に飛びついてきた。可愛いけど、重い。

「ねえ、ルーナ…かんたんな魔法を教えてあげる」

「なに?」

「失くしものを見つける魔法。簡単だよ。渡り廊下とかで上を見上げてみるんだ」

「そこにあるの?」

「運が良ければね。まあ要するに下ばっかり見てても見つからないってこと…説教臭かった?」

「ううん。とっても素敵な魔法だね」

ルーナを医務室に届けてから寮にもどった。そして翌日になって、グリフィンドールで大事件が起きてることを知った。

 

 

 

「スキャバーズを?食べちゃったっていうの?」

「ロンがそう言って聞かないのよ…」

ハーマイオニーは疲れ果てた様子だった。多分四六時中ロンに何か言われてるんだろう。

「死体はないんでしょ?スキャバーズを丸呑みにしたっていうわけ?」

「ロンはそう思ってるの」

「猫がそんなことできるかなあ…」

サキは解せないと言いたげに首を傾げた。朝食の席だっていうのにロンが泣きそうな目をしてたのはそういう事だったらしい。

「まったく、事件が絶えないね」

「ほんとよ…」

バックビークの裁判資料を両手に抱えながらハーマイオニーは立ち上がる。サキも一緒に連れ立って図書館を出た。

「兎に角…クルックシャンクスは猫なのよ。判断能力なんてない。そりゃロンには悪いことをしたわ…でも私にあんなに怒らなくったって」

「ロンはああいう性格だもん…しばらく待つしかないよ…」

嘆くハーマイオニーと歩いてるとドラコとばったり出くわしてしまった。

「なんだ、グレンジャーと一緒だったのか」

「そ、図書館デート」

ドラコは露骨に顔をしかめた。

「悪いわね、マルフォイ」

ハーマイオニーはくすくす笑ってグリフィンドール塔へ帰っていった。ドラコはフンと鼻を鳴らしてサキと一緒に歩いた。

「いつもいないと思ったらグレンジャーといたのか」

「図書館はハーマイオニーの家みたいなものだからね。誰かさんのせいで最近入り浸りだってさ」

「誰かさんって誰だよ?」

「もう、覚えてないの?ヒッポグリフだよ!裁判にかけられちゃうんだよ!」

「え?ああ、あの…」

ドラコは薄情なことにバックビークのことをさっぱり忘れていたらしい。

「殺されちゃうかもしれないんだよ!」

その言葉には少なからず動揺したらしい。しどろもどろになって黙ってしまった。

サキはプンプンしながら寮に戻った。

グリフィンドール対レイブンクローはファイアボルトに乗ったハリーの活躍により大勝。グリフィンドールの祝勝会にちゃっかり参加して、次のホグズミードでハリーにおごる約束をした。

その間またもシリウス・ブラックが校内に、しかも寮に侵入した。学校内は緊張ムードで至るドアにシリウス・ブラックの人相書きが貼られてこっちへ何か叫んでくるもんだから出入りのたびに気が滅入る。

ブラックはハリーを殺そうとしてるらしいとみんなが囁き合っている。

「実際どうなの?」

「やつは…両親の敵なんだ。まだ例のあの人に忠誠を誓ってる。だから僕を狙ってる」

「そんなマンガみたいな事になってたの?」

「僕は絶対負けない。もし襲われても返り討ちにしてやる」

「その覚悟だよ」

二人は目立たないように壁に向かってバタービールを飲んでいた。

時計に目をやるとドラコとの集合時間だった。ハリーもこのあとロンたちと会うので急いでジョッキの残りを飲んで解散した。

最近できた友達、ルーナにお土産のかむかむキャンディーを買ってからドラコと合流した。ドラコの最近の悩みはクィディッチ優勝杯のことで、スリザリンは次のグリフィンドール戦でハリーがボロ負けしない限り望みがない。

「あーあ。またなにか事故でも起こればな」

「吸魂鬼級のトラブルってなかなかないよ」

「やつの箒が突然雷に打たれたりさ」

「避雷針つける?」

「なんだ、それ?」

「それかハッフルパフのシーカーがめちゃくちゃ優秀なのを祈るしかないね」

「ああ、セドリック・ディゴリーはたしかに優秀だけど…箒がなあ」

そんなしょうもない会話をしながらサキはハリーに頼まれてた折れたニンバスの加工のためのニスやら彫刻刀やらを購入し、ドラコはハニーデュークスでたくさんのお菓子を買った。

「シリウス・ブラックって死喰い人なの?」

「え?ああ、多分そうじゃないか。だって現に捕まってるわけだし」

「ルシウスさんはなんて?」

「父上は…あまり直接的にそういう話はしない」

「ふうん…」

 

そんな風に過ごすうちに、ハグリッドから悲しい報せが届いた。

バックビークの処刑が決まったのだ。

これにはドラコも落ち込み、小さくゴメンとつぶやいた。

「私に言ってもしょうがないよ」

サキはドラコを引っ張ってハグリッドの家に行った。ドア越しにもわかるハグリッドの泣き声を聞いてドラコは少しひいていた。バックビークはすぐそばのかぼちゃ畑に繋がれて、自分の死が決定してるのを知らずに楽しそうにかぼちゃを突っついている。

サキが一礼して近づくとバックビークは嬉しそうに体を寄せて嘴に触れさせる。なんやかんやでハリーよりも足繁く通って仲良くなれた。

「…僕、まだ少し怖いよ」

「大丈夫。ほら」

ドラコも恐る恐る近づいて手を伸ばした。バックビークははじめは警戒して毛を逆立てたが、そっとドラコが触れると大人しく触らせ続けた。

「ね?」

サキは一番ふかふかしてる胸毛のところを堪能しながらドラコの顔を見た。ドラコは悲しそうな顔をしてバックビークの額を撫でている。あんまりにも悲痛な顔をしてるのでフォローするために冗談っぽく前から考えていた計画を話す。

「私処刑の日に車で突っ込んでさ、バックビークを逃しちゃおうと思うんだ。ドラコもやる?」

「く、車で?正気か?」

「あるんだよ車。野良車だけど…」

「…わかった、僕もやるよ」

まさか乗ってくるとは思わなかった。

ドラコは思ったより罪悪感を持っていたらしい。そうとは知らずに残酷なことをしてしまったかな…?とサキは自分を恥じた。

でも正直、ドラコと二人っきりで危険を侵すと思うとワクワクする。

「試験が終わったら、二人でドライブだね」

「そうだ!まずは試験じゃないか。君、これ以上成績を落としたらまずいぞ」

ドラコは学年二位で、今年こそはハーマイオニーに勝とうと最近はずっと机にかじりついている。

サキは大体中くらいの成績で、座学の成績だけ壊滅的だった。杖を振らない授業はどうしても意識が飛んでしまうのだ。

 

「今年は大冒険してないでしょ?物足りないよね」

「まあ去年に比べたら…ましだな。車で突っ込む!楽しみでウキウキだよ」

 

ドラコは全然楽しみじゃなさそうに投げやりに言った。

 



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12.知らない間に全てが終わる

「先輩…先輩。危ないですよ、そんなところにいたら。」

狼人間の自分が学校に通えるのは奇跡だ。ダンブルドアの配慮により暴れ柳の下の秘密の抜け穴から毎月、満月の夜に学校を抜け出して狼になった自分を閉じ込めた。

その暴れ柳のすぐそばに、マクリール先輩が佇んでいた。シリウスを蹴っ飛ばしたあのスリザリンの狂犬が。

「そうね」

先輩はそっけなく言った。そばといっても暴れ柳の枝が届かないところだけど、万が一暴れ柳が突然プッツンしたらわからない。

「これ、珍しいから欲しいなって思ってただけよ」

その柳はルーピンの秘密の象徴だった。マクリール先輩は得体がしれない。何を考えてるかわからないし何をするかわかない。そんな人に近づいてほしくなかった。

シリウスはそんなの気にしないらしく、スリザリンのアウトローということでいたくこの先輩になついて、たまにパシリをこなしてるようだ。

ジェームズは懐疑的だが博識な彼女に動物もどきのなり方を教えてもらってからは友好的だった。

「貴方もこの木、好き?」

「…好きじゃ、ない」

「ふうん」

 

 

そのマクリールの娘は母親とえらく対照的だ。よく笑い、よく怒り、恋をしてる。普通の女の子だ。とても…そう、あの先輩から生まれてきたとは思えないくらいに人間的だった。

 

「…ルーピン先生?」

 

「あ、ああ。シンガーか」

シンガーはゴブレットを持ってこちらの顔を覗き込んでいた。セブルスのお使いらしい。

セブルスが後見人とは聞いていたが、仲良くやっているようだ。ルーピン個人としては脱狼薬を生徒に持ってこさせるのはやめてほしいのだが…。

「一応ノックしたんですけど…ボーッとしてました?」

シンガーはゴブレットをいつものようにデスクへおいた。

「ああ、ちょっとね…具合が悪くて」

「追加頼みますか?」

「ああ、頼んでおいてくれるかい?」

「ひどい顔してますよ」

「ほんとに?生徒に示しがつかないな」

「じゃあまずローブを直したほうがいいですよ」

シンガーは励ますように快活に笑った。本当に母親とは似ても似つかない。

「そうだ、先生。質問があるんですけど今大丈夫ですか?」

「ああ、もちろん」

 

「あの、狼人間のことなんですけど…」

 

ルーピンは息を呑んだ。

思わずシンガーの顔をじっと見つめる。彼女は勘付いたのだろうか?自分の正体に。

しかしシンガーの表情はまるで邪気がなく、むしろ驚いた顔をしてるルーピンに不安を抱いている。

「……狼人間の、なにについてだい?」

ルーピンはゆっくり慎重に言葉を紡いだ。心臓がばくばく脈打っている。

「詳しい本とかご存知ですか?なんでもいいんです」

「なぜ狼人間について知りたいんだい」

「見たんですよ」

「…なに?」

「だから見たんですよ。禁じられた森で!」

ルーピンは脱力した。そして同時に訝しんだ。禁じられた森に狼人間はいないはずだ。魔法省により管轄されてるというのもあるし、禁じられた森はずっと狼の状態ならば生きられなくもないが人間だと厳しい。

だとしたら彼女が見たのは"狼人間らしきもの"だろうが…。

ルーピンには心当たりがあった。

「…それじゃあ、上級魔法生物学辞典を参照するといいよ。トランビック著の」

「ありがとうございます」

「シンガー!禁じられた森に一人で行くのはオススメしない。妙なものを見たなら、なおさらだ」

「以後気をつけまーす」

シンガーは悪びれずに微笑んで教室を出ていった。

シリウス…。

ルーピンは祈るように手を額の前で組んだ。

 

シリウス、君は本当にハリーを殺すつもりなのか?

犬になって、脱獄して、今禁じられた森にいるのか?

本当に君はジェームズを裏切ったのか?

 

 

 

試験は散々な出来だった。かといってサキは落ち込んだりはしない。すべて予想通りだ。

そして今日はバックビークの処刑の日でもある。サキは気持ちを引き締めた。

車で突っ込んで縄を解く。その後逃げられたら逃げて、しらばっくれる。雑な作戦をドラコに聞かせると頭を抱えられた。

「大丈夫だよ。車の全面にスモーク貼っといたから」

「…もっと頭のいい方法がある気がするんだが」

「もう時間がないよ!」

「ええい、クソ!」

ドラコとサキは私服に着替え、禁じられた森のなかに踏み入っていく。ドラコが森に入るのは一年生のとき以来だ。ビクビクしていて繋いだ手はじっとりと汗をかいている。

「ほら…あれが野良車」

「これ…ウィーズリーの車か?」

「そう!ここで自生してるんだよ」

「信じられない」

ドラコは文句を言いつつも助手席に乗り込んだ。

車はゆっくり前進した。急いでほしいのにやけにノロノロしている。

「ああ、僕今とんでもなく馬鹿なことしてるな」

ドラコはまだやすやすとサキの提案に乗った自身の軽率さを嘆いていた。サキは思わず笑った。

「バレなきゃ問題ないって」

ハグリッドの小屋の裏まで回るのに随分時間がかかってしまった。

車から降りて一度偵察しにいく。ドラコには車内で待っていてもらい、音をたてないように茂みからガボチャ畑の方を見た。じきに日が沈む。

バックビークの処刑は日没と言っていた。もう時間はない。

しかし

 

「あれ…?」

 

バックビークはいなかった。

かぼちゃに大きな斧が突き刺さり、処刑人と思しき魔法使いとハグリッドと役人らしき魔法使いが口論してる。ダンブルドアもそこにいて目を細めてかぼちゃ畑の方を見ていた。

目が合いそうになってサキは慌てて体を引っ込めて車へ戻った。

「行けそう?」

「いや…それが…」

サキは今見た光景を説明した。ドラコは拍子抜けしたように言った。

「逃げたらしい?!じゃあ僕は一体何のためにこんな車に乗ってるんだよ!」

「私にも何がなんだか…」

二人はため息をついて。とりあえず車の気の向くままに禁じられた森をドライブした。

「日もくれちゃったしな…もう少し夜が更けてからじゃないと見つかるね」

「じゃあしばらく禁じられた森をドライブって事か。ゾッとするね」

「そう?私は楽しいよ」

「変なやつ」

サキは腕時計をみてハンドルを握り直した。そろそろ校舎の方へ戻らないと監視が厳しくなる。夜と深夜の境目が実は一番監視がゆるい。

ちょうど夜の見張りと不寝番の交代の時間だからだ。

「ごめんね、つき合わせちゃって」

「いいよ。こっちもあのヒッポグリフが死んでなくて安心したし」

「丸くなったね。マルフォイなだけに」

「全然面白くないからな」

木があまり群生していない広い空き地に出ると車が少しスピードを出した。

「ひどい揺れだな!」

ドラコが楽しそうに言う。

「まだまだ!」

サキがふざけてアクセルを踏むと車はぐんとスピードを上げた。なんやかんやこの車は爆速で走るのが好きらしい。

わいわい騒ぎながら一気に坂を登ろうとすると、突然目の前に黒い影が見えた。そしてその瞬間ドンッという鈍い音がして体に衝撃が走り、車が急停止した。

「いっ……」

シートベルトが腹に食い込んで吐き気がした。ドラコもえずいてる。

「だ、大丈夫…?」

「ああ。今のはなんだ?」

ドラコがドアを開けて確認しようとした。サキは嫌な予感がして袖を掴んで引き止める。さっき見た影、あれは…

サキは慌ててギアをバックに入れてその場から後退する。

さっき轢いた生き物がゆっくり立ち上がる。

黒い、筋肉質の体。硬そうな体毛が僅かな月明かりでわかる。長いはなっつら。血走った目。

「狼人間だ…!!」

サキのささやき声にドラコが息を呑んだ。はじめて近くで見る人狼に思わず目を奪われてしまった。

狼人間がこちらを睨んだ。

「ドラコ、捕まってて」

「まさか…」

サキはドラコの言葉を遮ってクラクションを押して、同時にアクセルを踏み抜いた。

「喰らえーーッ!」

「やめろー!死にたくないー!」

ぎゃるぎゃると土を巻き上げ爆速で向かってくる車に流石に驚いたらしい。狼人間は身を翻し、木々が密集してる坂道へ逃げていく。

ブレーキを踏んで車は急停止する。

ドラコが冷や汗をかいてげっそりとした表情で車から逃げ出した。

「殺す気か!」

「まあね…」

「違う、僕をだ!」

「まさか!」

サキも降りて車の損傷度合いを見る。ボンネットがひどく凹んでしまっている。その部分をさすってもう一度車に乗り、もっと開けた場所まで戻った。まえも野営した沼のそばだ。

「あーあ。ごめんね車ちゃん…すぐ直すからね」

サキは丁重に車を撫でて、ドラコは石の上に座ってぐったりしていた。

「君といると心臓に良くない…」

「人狼はさすがに予想外だよ。ごめん」

「君の運転する車なんて絶対乗らない…僕決めたからな」

サキが丁寧にボンネットを直し、割れたガラスとヘッドライトをなんとか繋ぎ合わせて修復していると突然悪寒が走った。

ドラコも同様に何かを感じたらしい。肩をだいて上を見上げていた。

「嘘だろ…?」

吐く息が突然白くなり、木々が突然凍りだした。周りの温度が一気に下がり冷たい棺桶の中に突然落とされたみたいな絶望的な気持ちになる。前にも一度あった。

 

「吸魂鬼だ…」

 

ドラコがつぶやいた。二人は慌ててクルマに戻る。車の窓ガラスが凍っていって、思わず二人は抱き合った。黒いボロが空を覆い尽くして、沼の対岸に向かっていく。

吸魂鬼の向かう先を見ると、人が一人倒れていた。そこに誰かがかけよって必死に抵抗している。

「た、たすけなきゃ」

サキはアクセルをふもうとしたが恐怖でうまく動けない。頭のなかで蓋をした嫌な記憶が溢れ出していくような気がして手が震える。

車はピクリとも動かない。サキが車から這い出ようとするのをドラコが止めた。

サキはドラコの腕の中で動けないままその光景を見た。

黒い塊が、沼のほとりで倒れる男にどんどん群がっていった。

そして男のうちから白く輝く球体がゆっくりとでてくる。

 

吸魂鬼のキス…

 

新聞で読んだ残酷な処刑が今目の前で行われようとしていた。すると突然白い光が空間に満ちて、吸魂鬼が逃げ出していった。

 

二人が車から出られる頃にはもう元通りの、静かな夜の沼になっていた。

何が起きたか全く理解の及ばぬまま、ドラコとサキは沼の辺りで倒れている二人のそばへ恐る恐る歩いていった。

 

「嘘でしょ。ハリーだ!生きてる…?」

「それに…おどろいたな。シリウス・ブラックだ!」

 

 

 

 

文句を言うドラコをなんとか煽てて脅してボロボロのシリウス・ブラックと気絶したハリーを後部座席に詰め込んだ。

「ポッターとブラック、一緒に積んでいいのか?命を狙ってるんじゃなかった?」

「あ、そうだっけ?」

ブラックだけとりあえず腕を縛り、車は発進した。

ハグリッドの小屋の付近に出たが成人男性を運んでいくのは骨が折れるので車のまま校庭まで行ってしまう。芝生が傷んでしまってフィルチには申し訳ないが。

「な、な、何をしてるのです!シンガー?」

車を見て真っ先に駆けつけたのは今日の夜警らしいマクゴナガル先生だった。怒り心頭といった感じで歩いてくる。

サキとドラコはとりあえずハリーを引きずり出してブラックを車の中に閉じ込めた。

「マクゴナガル先生、中にシリウス・ブラックが!」

「なんですって?」

マクゴナガルが面食らっていると血だらけのスネイプ先生が走ってきた。

「サキ、ドラコ!一体お前たち…!」

「ハリーも気絶してるんです。早く運ばないと…」

スネイプは車の中を見てギョッとした、そして今まで見たことないくらい邪悪というかいやらしい笑みを浮かべた。

「すぐに隔離して、吸魂鬼を呼ばなければ」

スネイプはブツブツいってすぐに杖を構え、校舎の中に走っていった。

「全く…!どうしてポッターといいあなたといい毎年こうトラブルに巻き込まれるんです?」

「いや、今回ばっかりは私通りすがっただけですよ」

ドラコとマクゴナガルでハリーを担いで医務室へ向かう。サキも後ろをついていった。

「詳しい事情を聞かせてください。…いいですね、まず貴方たちが夜間外出した理由からです」

医務室に入るとすでにロンとハーマイオニーがベッドに寝かせられていた。

ロンは足をつっててズボンはズタボロだった。ハーマイオニーはサキとドラコの登場に驚いて駆け寄ってくる。

「サキ!…どうして?ハリーは無事なの?」

「色々あって」

「マルフォイ、ハリーに触るなよ!」

「僕らはポッターの恩人だぞ!ウィーズリー」

「ああもう、騒がしい!また貴方たちですか」

「ポッピー。大至急この子にベッドを」

マダム・ポンフリーは手早くベッドを開けてハリーを寝かせた。サキとドラコはすぐに別室に連れて行かれてマクゴナガルに事情を聞かれた。

しかし何が起きたか知りたいのはむしろサキとドラコの方だった。

「狼人間を撥ねたのですか?車で」

「いや、あっちがぶつかってきたんです。それでとどめを刺そうと思って…」

「何馬鹿なことを!」

マクゴナガルは広間に響き渡る声で怒鳴った。

「狼人間相手に車で突っ込むなんて!聞いた事ありません。言っておきますけれども、狼人間はそのくらいじゃ死にません」

「…ごめんなさい」

マクゴナガルは眉間を抑えている。よっぽど呆れてるようだ。

「しかも負傷したポッターとブラックを運んでくるなんて…今日はあまりにもいろいろなことが…」

「あの、ハリーたちはどうしてケガしてるんですか?スネイプ先生まで血まみれだったし…」

「ブラック捕獲時に負傷したようですが、私もまだきちんと把握できていないのです」

マクゴナガルはため息をついてどっこいしょと立ち上がると二人にチョコレートとココアを出してくれた。

「これを飲んだら、寮へお帰りなさい。必ずですよ」

「いただきます」

「二人共。夜間外出については重大な校則違反ですよ…けれどもポッターたちを助けてくれたのは、とても勇敢な行為でした。スリザリンに20点ずつ与えます」

ドラコとサキは顔を見合わせてニンマリ笑った。

棚からぼた餅というか漁夫の利を得たというか…偶然が重なってたまたまハリーを拾っただけなのに。

「なんか変な体験だったね」

「あとでポッターから何があったか聞いておいてくれよ」

「うん、おやすみ」

「おやすみ」



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13.素敵な一年

「先生…?」

スネイプはひどく落胆していた。その落胆ぷりといったら、サキですらふざけるのを控えるほどだ。

シリウス・ブラック逃亡後にサキが怪我をしたスネイプを案じて地下牢へ訪ねていったところ、カビが部屋を侵食してしまったのかというくらいにくらーくじめっとした空気に包まれていた。

その湿度の正体はスネイプ先生のどんよりとした沈んだオーラで、椅子に座ってるだけで内心穏やかじゃないのが手に取るようにわかる。

「お加減いかがですか」

「帰れ」

「酷いですね。人が心配してきたっていうのに」

スネイプの頭の傷についてマダム・ポンフリーに見てくるよう頼まれたのだ。酷いようなら連れてこいと。あの人はありとあらゆる怪我を自分で治療したがる性癖があるらしく、半端な治療があると気持ち悪いらしい。

スネイプはスネイプで魔法薬学のプロなのだからおそらく適切な治療をしてるだろうと思ったが、なんとガーゼを当てて包帯で固定してるだけだった。

動揺が見て取れる。

「先生、その傷消毒とかしました?」

「こんな傷大したことない」

いつもより素っ気ない、突き放すような物言いだった。

しかしサキはだいたい慣れてるのでズカズカ近づいて持たされた応急処置キットをドンとデスクに置いた。

「テキトーな治療してると禿げますよ」

「……」

「冗談ですって…」

実は無言が一番怖い。今の先生は酷く落胆していて冗談に怒ることすらできないらしい。重症だ。そんなにブラックを取り逃がしたのがショックだったんだろうか?

「ええと、私、みてもいいですか」

返事がない。ないということはまあ別にいいだろうと思って勝手に包帯を外してガーゼを剥がした。べりべりと乾いた血が剥がれる音がする。

先生の髪質のせいもあり傷口はわかりにくい。けど単なる裂傷のようで瘤とかも大したことなさそうだ。とりあえず消毒薬をかけて、次にポッピーお手製の軟膏を綿棒につけて塗る。

先生の頭を触ってるとべとべとする。髪の毛ちゃんと洗ってるんだろうか。まずそこから清潔にしないと膿んでたかもしれないぞ。

無抵抗の先生はもはや不気味だったが、とりあえずきれいなガーゼを当てなおして包帯を巻き直した。

もうガーゼを当てる必要もなさそうだったが、念のため。

「…今年は…」

うつむくスネイプ先生を見下ろしてると、なんか普段と立場が逆になった気分だ。

「今年は私が無傷で、先生が怪我しましたね。普段と逆だ」

「………ああ」

「まあ本来あるべき関係性ですね!私別になんの危機にも巻き込まれてないけど!」

「…ああ」

「そういうわけで、今年もお疲れ様でした先生。おかげさまで五体満足です」

「ああ」

サキに人を励ます才能はないらしい。賑やかすのは諦めて救急キットをしまった。

とりあえず紅茶を淹れてやって今日は退散することにする。

「先生、お大事に」

返事はないけどまあ、いいだろう。

 

 

 

「ねえ」

フォード・アングリアの前に裸足で立ってるサキがこっちに声をかけてきた。

「ねえハリー!どう?この色」

ボロボロになったジーンズと汚れたTシャツのサキは農夫みたいだ。髪をくくって汗を拭うタオルを肩にかけてる。

「前とそんなに変わらない気がする」

「それならそれでいいのさ。ムラとかない?」

サキはフォード・アングリアを塗装してやっていた。ルーピン先生を轢いた時に酷くへこんだ箇所があってそこを直すついでにきれいにしてやろうというわけだ。

「にしても驚いたよ。ブラックは無罪で、ロンのネズミは小汚いおっさんで、ルーピン先生は狼男なんだもんな」

「僕も知ったときは驚いたよ」

ハリーはあの沼の辺りに敷いたシートから立ち上がった。

昼は意外と明るくていい場所だ。初夏の空気が木々の呼吸で濾過されて涼しく感じる。そよ風に揺れる葉っぱの音が気持ちいい。

「ルーピンはスネイプのせいで退職になっちゃったけどね…」

「先生ってブラックと何かあったの?」

「ああ…同級生みたい」

ハリーは口ごもった。あんまり人に言うことじゃないだろうと思って詳しく言うのは避けた。

「先生のあの落胆ぶりは今まで見たことないよ」

「試験が終わったあとで良かった。あんなスネイプの授業…考えただけでゾッとするよ」

サキは朗らかに笑った。

フォード・アングリアは新品みたいにきれいな空色になって勝手に発進して行ってしまう。

「自由だね、あの車は」

「ずっとここで生きてくのかな?」

「さあね。飛べるなら他のとこに行くかもしれないけど…便利だからしばらくいてほしいね」

ハリーは頭の中でシリウスを乗せて飛び立ったバックビークを思い出した。

「サキ、ありがとね」

「なにが?」

「僕だけじゃなくてシリウスも運んでくれて」

「ああ。別にたまたま通りかかっただけだから。第一吸魂鬼追い払ったのは君でしょ?ほんと、ハリーはすごいね」

「そんなことないよ」

ちいちいと小鳥が鳴く声が聞こえた。

ハリーはサキの横顔を見た。会ったとき青白かった肌は焼けてて、髪はボサボサのまま。

けどもうハリーのほうが背が高い。

「今日はマルフォイはいいの?」

「ドラコはこの車で死にかけたから嫌だってさ」

ハリーは狼人間を轢いたときのドラコの顔を想像して笑った。

「サキは結局、マルフォイとその…付き合ってるの?」

「え?あ…」

サキはギョッとした顔をして口をあんぐり開けた。

「そう言えばちゃんと返事してないや」

「嘘だろ?!」

「あははは」

マルフォイからすればたまったもんじゃないだろうがサキは楽しそうに笑った。釣られてハリーも笑った。

「でも私もドラコ好きだし、いいんじゃない?」

「そっか…」

ハリーはなんとなく胸がチクっといたんだ。これがもしかして失恋の痛みなんだろうか?まだよくわからない。

「ハリー、いつかシリウス・ブラックとバックビークにあわせてね」

「うん。シリウスが落ち着いたらきっと」

サキは朗らかに笑って、ポケットから包を取り出した。

「これ、早いけど誕生日プレゼントね」

「うわ、すごい」

それは前頼んでおいたニンバスの残骸を使ったミニチュアだった。手のひらくらいのサイズのニンバスにご丁寧にロゴまで書かれている。練習中に作った傷までそのままだった。

「すごい、素敵だよ」

「専用の台座に載せると浮きます」

そう言ってご丁寧に競技用品持ち運び用のトランクのミニチュアまで別のポケットから取り出した。

「そろそろ行こ。晩餐始まっちゃう」

「僕、これ大事にするよ」

「照れますなあ」

サキは笑ってスキップするように坂を登っていった。

ハリーも弾むような足取りで、校舎に戻った。

 

 

そしてまたホグワーツ特急はロンドンへ向けて走り出す。サキはコンパートメントを半分占領してぐっすり寝た。

電車とバスを使って、昼から夜までたっぷり移動に使ってマクリール邸に帰る。

埃っぽい屋敷はあいもかわらず人気がない。

けど三日後くらいには先生が来る。まだ不機嫌だったらやだな。と思いながら炉に火をつけて、ダイニングテーブルのホコリを払ってから鍋に水をたっぷり入れて火にかける。

 

買ってきたパンを切って、野菜も適当に切って鍋に放り込む。

レコードをかけてみた。

無駄に明かりを灯してみた。

誰もいない部屋に私の影がおっきくうつる。

窓際においてあるテーブルにずっとおいてあるタイプライターを触ってみた。

錆びついてる。

 

今年の夏はクィディッチワールドカップという一大イベントがある。楽しみでしょうがない。

 

タイプライターを押して文字をうってみた。

 

『楽しみで、死んじゃいそう!』

 

来年はどんな年になるだろう。

今年みたいに知らない間に全てが終わる。そんな年でありますように。

 

 



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炎のゴブレット
01.電気羊の夢をみる


まず目についたのは熟れた桃のように真っ赤な唇だった。陶器みたいな白い肌と喪服のように黒い服から浮いた、鮮やかな唇。そして気怠そうな瞳。

カーテン越しに春の光が差し込む書斎で、彼女は突然の来客など気にも留めずに本のページをめくった。

一歩、彼女の方へ歩き出した。

 

「あなたがここに来る事はわかってた」

 

彼女は視線も向けずにそう言った。

「ならば歓迎の言葉でもかけられないのか?リヴェン・プリス・マクリール」

「歓迎してないもの」

リヴェンは読んでるページに栞をはさみ本を閉じて、初めて来訪者に視線をやった。

「トム・マールヴォロ・リドル。何か用?」

「その名はもう使ってない」

「あなたの素敵な二つ名は知ってる。でも名前になんの意味が?」

「忌々しい父親の名だ」

「人間らしいところあるのね」

リヴェンはそう言ってちょっとだけ笑う。ヴォルデモートはリヴェンという魔女を見て少なからず感心した。今までヴォルデモート卿と言葉を交わした人間の中で敵意や殺意をむき出しにするものはあれど、対等の友人のように話しかけるものはなかった。

「端的に言おう。俺様に従え」

「嫌だわ。私忙しいの」

「俺様が誰かわかっていないのか?」

「わかってるわ。でもお断り。ご存知でしょうけど私は私の家業で忙しいの」

ヴォルデモートは笑った。大昔話した彼女の母親、クイン・マクリール。素っ気なさが彼女そっくりだった。自分を前にして何も感じてなさそうな不感症っぷりもそっくりだ。

「もちろん見返りはやろう。金、名誉、地位。貴様は何を望む?」

「悪いけど、どれもこれも今で満足よ」

「今まで誰も消息がつかめなかったお前を訪ねてきた俺様に対してその態度か?」

「私は誰に対してもこうよ」

全く話が通じないところも…そっくりだ。

ヴォルデモートは右手で彼女の頬を打った。リヴェンは椅子から転がり落ちて口元に手をやった。指先に唾液でテラテラと光る真っ赤な血がつく。口紅のように真っ赤な血を見て彼女は目を丸くしていた。

自分の血が赤いことに驚いているようにも見えた。

「なるべく穏便にすまそうという気遣いが無駄になったな。残念だ」

「はじめからわかりやすく話してくれなきゃわからないわ」

殴られてまだそんなことを言う。同じ土俵に立ってないような気がしてならない。

「人でなしの一族とは聞いていたがここまで人の話が通じないのは初めてだ」

彼女の髪の毛をひっつかんで無理やり立たせた。まとめた髪が解けて散らばる。濡れた鴉のような黒髪が彼女の雰囲気をより浮世離れさせる。

暴力を振るわれてもさっきと同じ目つきでヴォルデモートをまじまじと観察している。痛みや恐怖を感じないのだろうか?まるで何百回も見た映画を見てるかのような『飽き飽きとした』顔。

「私に通じないのは冗談と、回りくどい言い回しだけ。…あなたの望みを私ははじめから知ってる。だから素直に言いなさい。それがあなた達に必要な手順でしょう?」

 

それが'マクリール'との出会いだった。

 

「私たちの魔法が、そんなふうに誤解されてるとは思いもしなかった。そのオーガスタスとかいう人は信用すべきじゃないわ」

自分の情報を売った人物に対しても特に感じるところはないらしい。彼女はいつでもタイプライターの前に座っていた。見張りにやった死喰い人だろうとヴォルデモートだろうと、誰が訪れてもそうだった。

ベラトリックスはそれが気に入らなかったらしく一時間で見張りを辞した。堪え性のない人間に彼女の相手は難しいだろう。雑談が成立しないのだから。

「ベラトリックスという魔女には人間的欠点が多すぎる。監視役には同窓がいいわ。そうね、私の古い手紙をあなたに渡した子がいい」

「セブルス・スネイプのことか?」

「そう。恨み言の一つでも言っておかなきゃ、リヴェンらしくないわ」

 

彼女たちの魔法は聞けば聞くほど当初欲していた不死の力からかけ離れていた。しかし彼女たちの魔法が産んだ副産物は役立つものが多い。マクリール手製の鍵あけナイフは魔法がうまく使えないクズでも複雑な呪文なしに鍵を開けられるし、姿をくらますキャビネット棚の行き先を簡単に特定できる。

飼い殺しておいて損はない。

そして彼女たちの一族をかけて研究し続けている魔法とやらも、いつかは役に立つだろう。魔法界を牛耳った暁には。

ヴォルデモートはこの哀れな飛べない鳥を逃がす気はなかった。屋敷に何重も魔法をかけて閉じ込めた。

「別に構わないわ。もともと私はここから出る気なんてなかった」

それを告げても、彼女はタイプライターの前から動かなかった。

気だるげに肘をついて、軽く唇に触って揉んだ。長いまつげの影が瞳にうつる。

人形みたいな不気味の谷の瞳は何も見てなかった。

「つまり、お前の命はこの俺様が握ったということだ」

「そうでもないわ」

「お前は俺様を怒らせるのが得意な女だよ」

「これでも悪気はないのよ」

ヴォルデモートは彼女がいつも触ってるタイプライターを見た。そこにはひたすら日付が打ち込んである。文章は一つもない。

「時計ごっこでもしているのか?」

「その通りよ。時間を見失いやすいの、私たちは」

 

「あなたは怒りっぽいのね。殺されたらたまらないから、少しは協力してあげる。あなたのする事の善悪には興味ない。でも見返りは、くれるのよね?」

 

 

 

そこで、目を覚ました。

カビとホコリと蜘蛛の巣がびっしりと天井を埋め尽くす、ムカつく光景。かつては美しく上品にこの部屋を彩っていたはずの調度品は年月と野蛮なマグルの手により壊されて木屑となって床に積み上がっていた。

鮮やかなペルシャ絨毯もどろどろでもとの模様もわからない。

ここはリトルハングルトンにある旧リドル邸だ。

魔法省の目を逃れるために居所を転々として行き着いた先。

偉大なる闇の帝王ヴォルデモート卿がこのざまだ。

皮肉っぽく笑いたくなる。しかしこの身体はそれすら難しいほどに弱っている。

あの女がいたらどんな顔をするだろう?

へえ、とかふうんとかで済ませてまたぼんやりあの椅子で眠るんだろうか。

今思い出しても変な女だ。もう二度と会えないが。

しかし…替えはある。

まさか娘を産んでいたとは思っても見なかったが、あの一族の遺伝子レベルで刻まれた本能には逆らえなかったのだろう。産み繋ぐ血の魔法。忌まわしい血族。

そして、高貴なるスリザリンの血の娘。

11歳の彼女はとても反抗的で荒んだ目をしていた。スリザリンでも浮いて、あのハリー・ポッターと親しくしていた。

全く親に似ていない。

顔は母親そっくりだが人間味のある娘だった。まるで普通の子女みたいに笑って、食べて走り回って…。

皮肉なものだ。

人らしくない両親から生まれた子どもがあんなに楽しそうに笑ってるなんて。

 

復活した暁には笑顔で迎えようじゃないか

名もなき我が子を

仕舞っぱなしで忘れかけていた分身を

呪われた供犠の子どもを。

 

 

 

 

…………

 

 

 

目を覚ますと下はやたら固くて、なんだか肩のあたりがめちゃくちゃいたい。ゆっくり体を起こした。どうやら真っ白でふかふかなベッドから落っこちて床に寝ていたらしい。

くあーっと欠伸をして時計を見た。もう10時。とんでもなく寝過ごしていた。

「もぉー…」

空中に向けて不満を漏らしてパジャマを脱ぎ捨てた。

そしてよそ行き用のちゃんとした服を着る。

パリッとした襟付きの白いブラウスに深い緑色のワンピース。ストッキングにヒール高めのパンプス。さらに髪の毛もセットしなきゃいけない。

なんていったって今日はクィディッチワールドカップに行く日なのだ。しかも特別貴賓席。

なんでスポーツを見に行くのにこんなちゃんとした格好で行かなきゃ行けないかさっぱりわからないけど、クラウチ氏とファッジのはからいで席を用意してもらってるわけだし適当な格好ではいけない。

ドラコにも口が酸っぱくなるほど言われてる。

出発は夕方とはいえ寝坊は焦る。

自分としては及第点な髪型になんとか取り繕ってサキは階下に降りた。

ルシウス氏が広間で誰かと話していた。ちゃんと身支度を整えてからで良かったと内心胸をなでおろす。

「ああ、サキ」

「こんにちは」

来客は見覚えのある顔だった。クラッブ、ゴイルのお父さん方だ。軽く会釈すると二人とも微笑んだ。彼ら二人は息子たちと違い饒舌なようで、サキがそそくさ庭の方へ逃げ出すとルシウスとひそひそ話を再開した。

庭に出て孔雀の小屋に行くと、ドラコがそこにいた。

「起きるの遅かったな」

「誰も起こしてくれないから」

「今日は遅くまで起きてなきゃいけないだろうし、気を使ったんだろ」

孔雀は羽を広げてのそのそ歩いてる。はじめは家に孔雀がいるなんて金持ちってすごいなあと感心したものだが、美しいだけで挙動は鶏と変わらない。

「今日も練習する?」

「やめとく。ほら、もうおめかししちゃったし」

「ああ、可愛いよ」

「まあね」

「…ちょっとは謙遜しろ」

サキはマルフォイ邸に泊まりに来てからクィディッチの練習をしていた。せっかく見に行くのに未だルールもおぼつかないし、実は箒も乗れない。

楽しむからにはまず自分がある程度知っていなきゃ…と言うことでなんとかルールは頭に叩き込んだのだが「壊滅的に才能がない」とドラコに評された。

今はなんとか浮くことができるくらいまでに成長した。

「魔法使いのイベントなんて楽しみだなあ」

「イギリスが開催地になるのは久々だからな。きっと忘れられない思い出になるよ」

「いやー、マルフォイ氏には頭が上がりませんよ」

サキはふざけて頭を垂れた。ドラコはエヘンと威張り顔。

「ロンたちも来るんだってさ。あっちで会うかもね」

「会いたくもないね」

ドラコとロンは父親同士がそうであるように犬猿の仲だ。会うたびに喧嘩しあってるけどサキからしてみればあれは彼ら流の挨拶なんだと思う。

「まだ時間もあるし出場チームのおさらいをしようか」

「そうだね」

二人は散歩しながらワールドカップの見どころをおさらいしていく。サキのにわか知識でもなんとか理解できてきた。一度ドラコの部屋に戻ってクィディッチ雑誌を持ちだして顔を確認しながらあーたこーだと試合結果を予想し合う。

「ドラコ、賭ける?」

「いいよ。もちろん僕はクラムがスニッチを取る方にかける」

「あ、ずるいや!私もそっちに賭けたい」

「それじゃ賭けにならないだろ」

ワイワイやってるうちに出かける時間になった。

 

玄関先ではナルシッサはルシウスのとなりで優しく微笑んでいる。屋敷から煙突ネットワークを使い魔法省の運営本部にある暖炉へ飛んでそのまま客席へ行くらしい。

普通の観客は周りにキャンプを張ってお祭り騒ぎで開場の時を待っているらしい。

羨ましい。サキは野宿のスペシャリストを自称しているのでこういうときこそ腕の見せ所だというのに…。

そんなことをドラコに力説したら絶対に嫌だと拒否された。

まあ数千数万のテント並びじゃきっと混雑してるだろうし野宿スキルは案外役に立たないかもしれない。

 

「悪巧みは終わりですか?」

ルシウスに冗談混じりで声をかけてみる。

「まあ楽しみにしていたまえ」

ルシウス氏はにっと笑っていつものステッキを握り直した。

 

「さあ行こうじゃないか」

 

 



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02.闇の印

人、人、人!

魔法使いってこんなにいたんだ。

スタジアム入り口はまるでイギリス中の人が集まったみたいに混雑しててどこもかしこも人だらけ。

魔法省関係者用出入り口を使うので一般入場口より空いてるだろうと思いきや関係者だけでもこの有様。

本当にドラコ様々だ。

こんな人混みの中でいつまでも待っていたら発狂してしまうだろう。

「手、離すなよ」

ドラコはよっぽどサキが馬鹿だと思ってるらしく飼い犬のリードを握るかのようにしっかり手を握っている。確かにすでに花火や空飛ぶマスコットキャラクターに見とれて二、三回はぐれかけてはいるが…。

貴賓席へあがるとすでに何人か入場していた。コーネリウス・ファッジがルシウスと何か挨拶してるのを尻目に周りをざっと見回すという自分たちの席のすぐそばにハリーたちがいるのが見えた。

「あー!ハリー!ローン!ハーマイオニー!」

サキはすかさず声をかけた。

三人はビックリして振り返って、サキを見ると笑顔で手を振った。

「サキ!オペラグラス買った?」

「買えないから作ったー!」

ロンが嬉しそうに売店で売っていた観戦用オペラグラスを振った。サキは市販のオペラグラスに魔法をかけたクィディッチ観戦用のおっきな双眼鏡もどきを出して対抗するように振った。

「これ、すっごく重いんだー!」

大声で喋ってるとドラコに後ろからひっぱたかれた。

「全く、はしゃぎすぎるなよ…恥ずかしい」

「ここではしゃがないでいつはしゃぐのさ!」

サキはすぐにハリーたちの方へ振り返って手を振った。無理やりドラコにも手を振らせようとしたが振り払われてしまった。

「おや…アーサー・ウィーズリー。よくこの席が取れたな?家でも売り払ったのかい?それじゃあ足りなさそうだな…」

サキの挨拶に誘発されて、ロンのお父さんアーサー・ウィーズリーとルシウスの喧嘩(または挨拶)が始まってしまった。

ファッジはそういうごたごたに関してだけ聞こえないようになる便利な耳を持ってるのか、二人の嫌味合戦にニコニコして会話を続けてマルフォイ一行の席までエスコートしてくれた。

「ミス・シンガーも楽しんでくれたまえ!」

「はい!あ、クラウチ氏はこちらにはいらっしゃらないんですか?私の席、手配してくれたのでお礼を言いたかったんですが…」

「彼は責任者でね、あらゆるところに引っ張りだこなのさ。なんせアイルランド人のやつら言葉が通じなくて…」

ファッジはキョロキョロ周りを見回してから、ハリーの後ろの席を指差した。

「あそこのしもべ妖精は確か、クラウチ氏のものだね。席を取らせてるってことはそのうち来ると思うよ」

「ありがとうございます」

「それじゃあまた!」

サキは指さされた屋敷しもべをみた。前マルフォイ邸にいたドビーという妖精との違いがいまいちよくわからない。しかしまあしもべがいるって事はそのうち来るのだろう。

じっと見てると屋敷しもべもこちらに気づいたらしい。目があったので会釈してみた。

屋敷しもべはびくんと震えてすぐにうやうやしく頭を垂れた。しもべ妖精はみんなビクビクしててどうも接しにくい。

そうこうしてるうちにファッジが壇上に現れ演説を始めた。観客たちは早く試合を見たくてウズウズしてる。サキも自前の双眼鏡を構えた。

そしていよいよ試合が始まった。

 

 

 

 

「すごいね!やっぱり直で見ると迫力があるね」

「やっぱりクラムだったろ!あんな華麗な動き、彼じゃなきゃできない」

ドラコとサキは興奮状態でドラコの録画したクラムの箒さばきを何度もリプレイした。観客はだんだんスタジアムから出て行って、ハリーたちもいつの間にかいなくなっていた。

「我々も行こうか」

「あっ…父上。僕達露店が見たいんですけど」

「露店?」

ナルシッサは眉を釣り上げた。彼女は息子を溺愛するあまり過保護なのでできればそんないかがわしい所に行ってほしくないのだろう。

しかしドラコにはどうやら別の目的があるようだ。

「見たらすぐに魔法省の本部へ行きます。な、サキ」

「私が見張ってます。任せてください」

サキはとりあえず乗っかっておいて信頼してもらえそうな笑顔を作っておく。

心配そうなナルシッサだったがルシウスはにやりと笑ってドラコの肩に手を置いた。

「せっかくの祭りの夜だ。好きにしなさい」

「ありがとう、父上」

「くれぐれも逸れないようにね」

ナルシッサがサキの手をぎゅと握った。今生の別れじゃあるまいし。過保護っていうのも大変だなと他人事のように思った。

ドラコとサキはごちゃごちゃしたテント村へ向かった。

「あっ!ドラコみて。綿飴だって。爆竹も安売りしてる!」

「本当に露店巡りしてどうするんだよ?」

「えっ?」

事情が飲み込めてないサキにドラコは呆れ気味にいった。

「もっと小高いところへ行こう。直に始まる」

サキはドラコに手を引かれ、テント村から少し離れた丘を目指した。

しかしその途中、背後で爆発音が響いた。爆風で体勢が崩れて手が離れてしまう。膝をついて後ろを見ると、数十メートル後ろで小屋が轟々と燃えていた。

 

爆発事故…?

 

その炎の上を白い閃光が瞬いた。魔法だ。誰かが魔法で爆発させたんだ。

人々は悲鳴を上げててんでバラバラの方向へ一斉に駆け出した。サキも慌てて立ち上がってドラコを探す。しかし暗闇と次々と上がる爆音とで誰が誰だかわからない。とにかくはじめ向かっていた丘に向かって走り出そうとした。

しかしなにかにひっかかってまた転んでしまう。

後ろから走ってきた人たちに危うく踏みつけられそうになり思わず蹲った。

しかし予想していた衝撃は来ず、サキはゆっくり顔を上げた。

どん、どんと爆音が響いていた。あちこちにランプが転がって割れたガラスが火の粉を反射してきらめいている。

そこに暗い影が落ちていた。サキの真横に、人混みからかばうように誰か立ってる。

 

「……る」

 

火が周りを囲んでいた。嫌な記憶が蓋を開けそうになる。悲鳴とテントが燃える音に混じって、横に立ってる誰かが何かを呟いていた。

サキは男を見上げた。

ボロボロの黒いコートを着た、頬のこけた男。死んだ目をしていてこんな騒ぎに気づいていないかのように茫然としている。

 

「く、……」

「だ、いじょうぶ。ですか?」

 

サキはその明らかにイッちゃってる男に恐る恐る声をかけた。

男は手を差し伸べてきた。

握り返そうか迷うサキの腕をむんずと掴み、力任せに立ち上がらせた。

そしてそのままその手に口づけをした。

「ひっ!」

思わず手を引っ込める。変態か?すぐに杖を構えようとポケットに手を伸ばす。

しかし男は動じない。虚ろな目でサキを見つめると、にやりと笑って騒ぎの中心へ頼りない足取りで一歩一歩向かっていった。

「へ、変質者…?」

思わず追いかけそうになった。しかしまた聞こえてきた悲鳴で我に返った。

サキはさっきの意味不明な状況を忘れようと頭を振って丘へと駆け出す。

丘の上の木の枝にドラコが座ってるのが見えた。人混みに必死に目を凝らしている。ドラコはサキを見つけるやいなや枝から飛び降りて駆け寄って肩をつかみ、揺さぶりながら矢継ぎ早に質問してきた。

「サキ!無事か?怪我は?変な呪文に当たらなかったか?」

心配はありがたいがこんなんじゃ舌を噛む。

「転んだけど平気。ドラコこそ大丈夫だった?」

「僕は大丈夫。…無事で良かった」

「ど派手な騒ぎだね…フーリガンってやつ?」

「いいや、ほら。みてみろよ」

ドラコの指差す方には黒いローブと不気味な仮面をかぶった一団が杖からばしばしなにかを発射させていた。

「死喰い人さ」

サキはポケットから手製の双眼鏡を取り出してじっくり眺めた。趣味の悪いドクロの仮面をつけた集団はマグルの一家を宙吊りにして甚振ってる。

「悪趣味だな」

サキがつぶやくと、すぐそばから聞き慣れた声が聞こえた。

「こんなとこで何してるんだよ」

ロンの声だ。ハリーとハーマイオニーもいる。あの騒ぎから逃げてきたらしい。

「見物さ」

ドラコが悪っぽく答える。しかしハリーは横にいるサキが転んでドロドロなのを見て食ってかかろうとするロンを諌めた。

「フレッドたちは?」

「途中ではぐれちゃったんだ」

「そっか。まあ逃げた先できっと会えるよ。ここは…」

遠くで爆発音がした。思わずみんな頭を低くする。サキは爆音にかき消されながら付け足した。

「ちょっと危ないかも」

「早く逃げた方がいいぞ。うっかりそのボサボサ頭に呪文があたるかも」

「お前の頭にはあたらないとでも?」

ロンがすかさず言い返した。

「あたりまえだろ?」

ドラコも挑戦的に返す。

「そう、私が盾になるから大丈夫」

そこでサキが恭しくドラコのそばに跪いて胸の前で手を組んだ。

「違う、やめろ。茶化すなサキ」

「夫婦漫才を聞いてる暇なんてないのよ!行きましょハリー。…サキたちも気をつけてね!」

ハーマイオニーはえらく焦ってハリーとロンを引っ張って森の奥へ消えていった。ドラコは軽くため息をついて燃え広がるテント村をざっと眺めた。

「…母上が心配してるな」

「そろそろいこうか?」

「ああ」

「私、火って苦手なんだよね。孤児院燃えたから」

「あ、そうだった。ごめん。僕…」

「ううん。早く行こう」

二人は森を抜けていった。爆発音がしなくなってしばらく経つと人がたくさん集まってる平原に出た。全員が上空を見て悲鳴を上げている。

二人は振り返って空を見た。

そこには煙のように揺らめく、大きな髑髏と蛇の模様が浮かび上がっていた。

 

 

「闇の印だ……」

 

 

誰かが呟いた。

「あの人の印だ!」

 

 

 

 

 

「………サキ。おーい」

「フゴ…」

サキはコンパートメントを占領し、新聞紙を顔の上において居眠りしていた。

「場所ないから、ここいい?」

ザビニだった。ザビニはちょくちょくサキに声をかけてくるけど、ドラコとはちょっと反りが合わない。

「いいけど…ドラコくるよ」

「構わないよ。なあ、君結局ドラコとはどうなってるの?」

「あー?そりゃもう…仲良しだよ。おかげさまでね」

「へー。じゃあ勿論ダンスパーティーもドラコと?」

「ダンスパーティー?何それ」

「あれ、聞いてないのか?」

ザビニは向かいの席にさっと座って、長い足をこっちに向けた。長いから収まりきらないんだろうか。

「三大魔法学校対抗試合の伝統だよ」

「ああ」

サキはやっと思い出した。そういえば休み中ルシウスがよく話していたっけ。なんでも別の魔法学校と競い合う魔法界の一大イベントがあるとかなんとか。クラウチ氏はワールドカップと続けて大忙しだって言ってたな。

そういえばあの日、結局クラウチ氏とは会えなかった…。

「いや…別に誘われてないけど。でも君とはゴメンだよザビニ。ファンの子に刺されちゃうからね」

「そりゃ残念だ」

そこにドラコが戻ってきた。ドアを開けてザビニがいる事にちょっと驚いて、まあいいかという顔をして買ってきたお菓子をサキに渡して着席する。

「久しぶりだな。ワールドカップは行ったのか?」

「いや、行ってない。中継は見たよ。すごい試合だったな」

「この双眼鏡でリプレイ見れるよ。見る?」

「お、いいね…これ既製品?」

「いや、オリジナル」

「へえ。器用なんだな」

わいのわいのと過ごしてるうちにドラコを訪ねてノットが来たり、ザビニ目当てにダフネが来てしばらく話していったりした。

ドラコと公認カップルみたいになってからスリザリン生からの風当たりがこころなしか弱まった。パンジーは未だに話してくれないけど女子は挨拶すれば挨拶し返してくれるしもう教科書がなくなったりはしなくなった。

そういうときは心の中でドラコ様々とつぶやいている。

スリザリン生はだいたい三大魔法学校対抗試合について事前に親から聞いてきて、みんなで今からどんな課題が出るかとか、出場制限に関する噂の真偽を議論していた。

 

新学期の挨拶はダンブルドアの演説から始まる。少々のトラブルをはさみつつ宴会は無事終了した。

ドラコは年齢制限に文句をたれてたが死人がでるようなイベントらしいしサキは妥当な処置だなと思っていた。

そりゃできるもんならお金はほしいけどね。

 

それよりもあの、マッド・アイ・ムーディだ。

あのイカした元闇祓いのする授業はどんなものだろう?サキはベッドの周りを整えてワクワクしながら眠りについた。

今年も素敵な一年になりますように!

 




いつも誤字修正ありがとうございます。


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03.ケナガイタチ

「見ろよ、サキ」

ドラコが日刊予言者新聞を見ながら嬉しそうに言うのでサキは口の中でモゴモゴしてた筋張った肉を無理やり飲み込んで紙面を覗き込んだ。

記事はウィーズリー氏とマッド・アイについて書いてあった。

「ウドの大木に加えてイカれた老いぼれが教師か。ホグワーツも落ちたもんだよな?」

「ムーディ先生がイカれてるってのはまあ同意かな」

本人に聞かれてたらまずいなと思いさっと周りを見回すとちょうどいなかった。よかった。見た目のインパクトもさることながらやらかすこともかなりイッちゃってるから目をつけられたくなかった。

「にしてもウィーズリーの家…これは本当に家か?」

ロンのお父さんが家の前で家族と並んで笑ってる写真を見てドラコがあざ笑うように言った。

「全く、君はすぐ人の家とかを馬鹿にするんだから」

「だってそうだろ?」

サキが呆れ気味に言うとドラコがムッとして言い返した。

「そういうとこ、いや」

残っていたキャロットジュースを飲み干してサキは席を立った。ドラコが慌ててついてくる気配がした。

「わかった、わかった。悪かったよ」

「なんでそんなにロンとかハリーに突っかかるの?」

「それは…あるだろ?天敵っていうか、気に食わないやつってのが」

「天敵ねえ」

サキにはいまいちわからなかった。サキに対するパンジーみたいなものだろうか?しかしわざわざ喧嘩し合ったりしないし男の子ってわからない。

一時期はスリザリン生の中にも険悪な仲の生徒が一人二人いたものだがサキがキレて一発殴ったり相手がキレて喧嘩になってからは完全に絶縁状態か逆に友達になってるかなので、ドラコやロンみたいにずーっと喧嘩し続ける仲はない。

「おっと」

噂をすればなんとやら。ハリーたち三人組に廊下でばったり出くわしてしまった。

「ああ…ウィーズリー、ちょうどお前の話をしてたんだ」

ドラコは新聞を掲げて早速煽る。

「親父さん、まともに名前も覚えてもらえないとはね…これじゃあいつまでたってもあばら家暮らしからは抜け出せないね」

「僕の父親を悪く言うな」

ロンはびしっと言い返す。虫の居所が悪いのかもうポケットの杖に手が伸びている。

 

「わかった、決着をつけよう」

 

バチバチ言い合う二人の間に入るのはもう慣れっこで、サキは審判のように片手を挙げて二人の間にずいっと割り込んだ。

また始まったわと言いたげにハーマイオニーが肩をすくめるのを尻目にサキはいかにもな調子で咳払いをして二人に距離を取らせた。

「じゃあはい。合図をしたら…」

「待って、待ってよサキ。今ここで決闘させるつもり?」

「え?そうだよ」

「これからマルフォイと顔を突き合わせるたびに決闘しなきゃいけないのか?」

「そっちのほうが白黒はっきりついてよくない?」

「いいわけないだろ!」

ロンとサキがごちゃごちゃ言い合ってるうちに人だかりができてきた。ハリーは事が大きくならないうちに逃げ出したかったが間に入る余地がない。

ドラコもその言い争いにイライラして、こっそり杖を抜いた。

 

「卑怯は許さんぞ!」

 

その瞬間、人だかりから罵声が轟いてバシッと大きな音がした。なんと人を掻き分けてマッド・アイ・ムーディがコツコツと杖と義足を鳴らして歩いてくるではないか。

そして…

「キューッ!」

ドラコが立っていたはずの場所には白いケナガイタチが怯えた鳴き声を上げて右往左往していた。

「む、ムーディ先生?!」

「決闘で、合図もなしに杖を抜くなど言語道断!」

ムーディ先生は生徒たちの動揺なんて無視してケナガイタチを空中でいたぶり始めた。

ロンとハリーは腹を抱えて笑っている。

「そ、それドラコですか?イタチにしちゃったの?!」

「そうだ!」

「やめてください!」

サキは無理やりムーディの杖腕をひっつかみ呪文をやめさせた。そしてイタチを抱き上げて庇うように睨みつける。

ムーディの魔法の目がギョロっとサキを睨んでいる。

あたりに緊張が走った。しかしハリーはサキがイタチの胸毛をもふもふしてるのに気付いた。

「ムーディ先生。これはなんの騒ぎです?」

野次馬していた生徒が呼んだらしい。マクゴナガル先生が小走りでこっちへやってきた。

「教育だ」

ムーディは端的に答え、戸惑うマクゴナガルがサキの抱いてるイタチと杖を持ったムーディを交互に見た。

サキは片手でイタチを抱きしめて、もう片手で首元をずっともふもふ撫でていた。

「まさか、それは生徒なのですか?」

「今はイタチだ」

「なんてことを!生徒に呪文をかけるなんて!」

マクゴナガルは怒り心頭だった。ハリーとロンはマルフォイをイタチのままにしておいてほしかったがマクゴナガルがすぐさまもとに戻そうとする。

「シンガー、そのイタチを離しなさい」

「いえ。このイタチは私物です」

ロンは吹き出してついに屈み込んでしまった。

「それは生徒なのでしょう?」

「あともうちょっと…」

サキはイタチを撫でるのに夢中らしい。ハーマイオニーがもう!と一声言ってサキからイタチをひったくって地面に放った。サキが「ああ!」と悲鳴を上げた。

マクゴナガルが杖を振るうとケナガイタチはドラコに戻り、ドラコはすぐに立ち上がり数歩下がった。

「よくもやったな!父上が黙ってないぞ」

「お前の父親ならよく知ってる!」

また杖を振り回そうとするムーディにビビってドラコはすぐさま逃げ出してしまった。サキは置いてけぼりだ。マクゴナガルはかんかんでムーディにたいして教育に魔法を使うことの違法性について説いていたが、ムーディはこっそり顔を背けてベロを出していた。

それを見てハリーはくすっと笑った。

 

「あーあ…一日はあのままにしてほしかったな…」

「…君、ほんとにマルフォイのガールフレンドなの?」

ギャラリーが立ち去る中サキの薄情な発言にロンが静かにツッコミを入れていた。

 

 

そして予想通りマッド・アイ・ムーディの授業はいかれてた。初っ端から許されざる呪文を実演してみせ、生徒たちはみんな空気に飲まれてしまった。

ドラコはなるべく表に出さないようにはしてきたがずっとムーディの一挙一動にビクビクしていた。

サキはドラコがまたケナガイタチにならないか期待していたのだがこれだと当分おとなしくしてるだろう。残念だ。

ふわふわした動物に触りたいという欲求が募っていたサキは魔法生物飼育学に大いに期待していたのだが、今学期扱う動物が尻尾爆発スクリュートなどというわけのわからない、しかも可愛くない生物なので落胆した。

ハーマイオニーですら「これは成長する前に踏み潰すべき」というほどだ。

占い学は相変わらず死ぬほど退屈で、サキは魔法史のときと同じように起きながらにして眠ることにした。

唯一楽しみなのは三大魔法学校対抗試合のために訪れるボーバトン、ダームストラング校の歓迎会くらいだった。

クィディッチの試合もないしOWLに向けて課題の量も増えてるしで休みはだいたいそれをこなすだけで潰れた。

 

「サキ!サキってば」

サキがフクロウ小屋でフクロウの足に注文書を括り付けてるとフレッドが後ろから声をかけてきた。

「あ、まだ追加注文間に合うけど…」

双子はいたずらグッズ開発のためにいろんな通販を駆使して材料を集めているのだった。サキも商品開発に多少関わっている。この夏完成したゲーゲー飴もより安価で量産できる材料探しを手伝った。

「いや、もっと大切なことさ。大鍋を持って厨房に来てくれ」

フレッドはそういうとさっと身を翻して消えてしまった。

サキは事態が飲み込めないまま言われたとおりに大鍋を持ってホグワーツの厨房の前にある絵画の前まで来た。

そこにはフレッド、ジョージといういつもの双子がナップザックを持って立っていた。

 

「ああ、よく来た!心の友」

「われらウィーズリー・ウィザード・ウィーズ特別顧問よ」

「一攫千金のチャンス、掴みに行こうぜ」

「え…なに?」

 

イマイチわかってないサキの両肩を双子がぽんっと叩く。

「何ボケてるんだ。一千ガリオン!三大魔法学校対抗試合だよ!」

「ああ…」

そうか、サキはハナから興味なかったけど彼らは違ったようだ。ウィーズリー兄弟は喉から手が出るほど金を欲してるし、加えて宛にしていた金脈がバックレたらしくて金欠だとボヤいていたっけ。

「でもみんな17歳になってないよね?」

「そう。で、俺達は考えた」

「年齢制限をかける魔法がどこかにかかってるはず」

「どうやってエントリーするのか本で調べた結果、ゴブレットに名前を書いた紙をいれるだけらしい」

「ってことは、だ。ゴブレット本体に年齢を見破る魔法がかかってるか、もしくは結界みたいなのがはられてるか…色んな予測がたてられる」

「でも俺たちそこで気付いちまったんだ」

「手っ取り早く17歳になればいいってな」

「…まさか老け薬?」

「ご明察!」

そんなちゃちな誤魔化しが効くんだろうか。二人は頭は回るけどそういうところには何故か考えが回らない。とにかく試してみようぜの精神なのだ。

「…わかった。いいよ」

「そう言ってくれると思った」

サキは頭の中で老け薬の材料を思い出した。スネイプの薬品庫に忍び込まなくてもなんとか揃いそうだ。

「他の学校の奴らが来るのは一週間後。選抜もその時だと思う」

「それまでに作ればいいのね?」

「頼むよ」

「くれぐれも、一年分だぜ!俺たちまだまだ青春を謳歌しきってないしね」

「まかせてよ」

「足りなかったら領収書はいつも通りウィーズリー宛で」

双子はナップザックの中に入れてた老け薬の材料をサキの大鍋に入れた。

商談もまとまったところで三人は解散した。

実のところサキは老け薬より確実でかんたんな年齢制限突破の方法を知っている。

サキの母系の血筋は特殊で、杖を使わない魔法の力が宿っている。なので自分の血を使えばだいたいの魔法は解くことができる。

流石に使わないけど…自分も参加しようと思えば参加できるのか。

金貨の中で喜ぶ自分のイメージが一瞬頭にチラついた。

しかし怒り顔のスネイプ先生がすぐにててきてその妄想をうち破った。

 

「サキ」

 

「うわ」

と思ったら本物のスネイプ先生がいた。思わずびっくりして数歩後ずさる。

「…何かやましいことでも?」

「いや、そんな…まさか」

「なぜ大鍋をもってる?」

サキは反射的に大鍋をさっと背後に隠した。

「…サキ、再三言ってるが…」

「危険なことには近寄らない!怪しいものはすぐ報告!わかってますって」

スネイプはまだ怪しんでいるようだが、鍋の中身を見たときに怪しい薬を作るような材料がないことくらいわかっただろう。あまり突っ込んでは来なかった。

サキはそのまま談話室に戻り魔法薬学の教科書をめくって老け薬の作り方を確認した。

ドラコもやってきて占い学の宿題を片付けはじめた。

 

「…ねえ、イタチになってよ」

「やめろ」



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04.炎のゴブレット

白いレースのカーテンは魔法をかけてあって、いつまで経っても日に焼かれることは無い。純白のままずっと窓辺に垂れ下がってる。

それが開いたとこを見たことはないが、ときたま風に煽られてめくれ、リヴェンの白い肌を照らした。

日差しが直に当たると彼女はゆっくり瞼をあげて、タイプライターに時刻を打ち込むのだった。

 

「一体…」

セブルスはつい話しかけた。

「何を記録してるのですか?」

セブルスは死喰い人らしい破壊活動から遠ざけられてくさくさしていた。勿論懇意にしていた先輩と再会できたことは嬉しかったが、その先輩はなにか以前とは違う。

「時間」

リヴェンはセブルスの方を見向きもせずに答えた。

「何故時間を?」

「今がいつか忘れてしまうから」

「腕時計か何か、用意しましょうか」

「バカね。打ち込むことに意味があるの」

そう言うとリヴェンはまた目を閉じてしまう。学生時代からわけのわからない人だったが輪をかけて酷くなっている。

彼女の監視任務は恐ろしく退屈だった。何と言っても彼女はほとんど動かないし、屋敷にあるのは本ばかりで、その本の殆どは古代魔法史や杖作りの指南書などセブルスの専門外のものばかりだった。やることといえば家庭菜園の水やりくらいでほとんど使用人のような仕事しかない。

しかし闇の帝王は彼女を囲っておきたいとお考えだ。

我々と違った魔法を使える、とか。

セブルスはそれしか聞いていないのでよくわからないが、あの方のお考えなら素直に従うに限る。

「セブ、あなた荒んだわ」

ふとリヴェンが口を開いた。目は閉じたまま。

「そうでしょうか」

「バカな子。忠告してあげたのに」

リリーとのことを言ってるのだろう。セブルスは心臓がぎゅっと握り潰されるような感覚にとらわれた。

「あなたは…変わりましたね」

「そう?」

前より人間味がなくなった。なんて、本人に言ったら怒るだろうか。

「……」

目をつぶったままのリヴェン。真っ赤な唇と雪のような肌。棺に入った白雪姫を連想させる。

ベラトリックス・レストレンジやルシウス曰く、彼女はいつも頬杖をついて窓のそばに座っているだけで監視役として来た死喰い人に見向きもしないらしい。

闇の帝王は信頼できる極小数の死喰い人にしか彼女の存在を教えてない。地位の高い死喰い人はだいたいプライドが高いのでどこの馬の骨とも分からないリヴェンに無視されるのが耐えられないわけだ。

リヴェンにとっては無視してるつもりすらないんだろう。

セブルスはまだマシな方だった。

「…セブ」

「はい」

「胡蝶の夢って、あるでしょう」

このように唐突にではあるが会話をしてくれる。

「夢を見るの」

「どのような?」

「未来の」

リヴェンは目を開けて、タイプライターにまた時刻を打ち込んだ。

「あなたは湖畔を歩いていた。わたしはあなたを見上げていた。水面は色とりどりの反射光で鮮やかに輝いていた」

「…美しい夢ですね」

セブルスは返答に悩んだ。突然何故夢の話なんてするんだろう。

 

「その後あなたは死ぬの」

 

リヴェンはそう言って口をつぐんだ。セブルスはやっぱりなんて答えればいいかわからない。

「たかが、夢でしょう」

彼女は今日初めてセブルスの顔をきちんと見つめた。まっすぐこちらを見つめる瞳。暗い赤。初めてあったときと同じ目だ。

「そうね」

彼女は自分で話し始めておいて、こうやって唐突に話を終わらせる。

「セブ、これが私の魔法なのよ」

「夢を見ることが?」

「いいえ」

セブルスは理解が追いつかず一瞬黙る。リヴェンはまだこっちをじっと見つめている。

「喪ってるということが」

「リヴェン、あなたの言う事はいつも唐突すぎてよくわからない」

リヴェンは困ったわ、と言いたげに頬に手を当て、そっと指先で肌を撫でている。久々に彼女の感情の表出を見た。

でもそれっきり会話は続かない。

また元のように目を閉じて、日が暮れたら立ち上がって、粗末な食事を消化して自室に戻る。

傍から見れば廃人にも見えただろう。最低限の人間味さえ捨て去ってそれでも彼女は何か目的を持って行動しているようだった。

闇の帝王はたまに訪れて、タイプライターの前に座る彼女と言葉を交わしているようだった。

二人がどんな話をしているかはわからなかったが、リヴェンは誰に対してもあの調子なのでセブルスは内心いつか殺されるのではないかと思っていた。

しかしそんな事はなく、月日は流れた。

セブルスも監視任務をこなしつつダンブルドア陣営のスパイになるべく下準備をしていた。

 

「…セブルス」

 

ある日彼女は珍しく庭に出て空を直に眺めていた。日差しの下に立つと彼女はとたんに幽霊みたいにぼやけてみえる。

セブルスは日傘を差した。それでも彼女は陽光に塗りつぶされてしまいそうなほど朧げだった。

「どんなに私が変わってしまっても忘れないで」

「どうしたんです。急に」

「あなたが私に変わったっていうから」

「気になさってたんですか?」

「ええ」

「貴方みたいな人、忘れませんよ。絶対に」

「約束よ」

彼女は右手の小指を差し出した。

そしてセブルスの小指を絡め取りすぐに離した。

赤い唇がほんの少し歪んだ。

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

サキは夢中でプロシュートを貪り食っていた。

そう、今日は三大魔法学校対抗試合の参加校歓迎パーティ!ボーバトン、ダームストラングの生徒たちが華々しく入場したあとはそれぞれの地元の名物料理がたくさん並び、まさに食卓の世界旅行。フランスのよくわからんこぢんまりした薄味の料理からケバブまでなんでもござれ。

そういうわけで食に貪欲なサキはダームストラングのガッチリしたいい男たち(とりわけクラム。あのクィディッチのスター選手)に夢中な同級生を差し置いてキャセロール(じゃがいもの料理)を皿によそった。

「これはヤンソンの誘惑。スウェーデン料理だ」

「スウェーデンうまい」

「ガレットだ。ボーバトンはブルターニュにあるのか」

「ブルターニュ最高」

クラッブとゴイルは普段意思疎通が難しいがこういう宴会のときだけは料理を通じて心が通じ合ってる気がしてならない。しかもやたら詳しいし。本を与えた成果がでてるのかもしれない。

もうお腹がはちきれそうになってお皿がピカピカになってからダンブルドアが厳かな声で告げた。

 

「時は来た。三大魔法学校対抗試合が今まさに始まろうとしておる」

 

ダンブルドアは職員テーブルのそばに立っていた二人の魔法使いを紹介した。クラウチ氏ともう一人、魔法ゲームスポーツ部のバグマン氏だった。横にいたノットがバグマン氏が昔有名なクィディッチ選手だったんだと耳打ちして来る。

みんな興奮して手のひらの皮がむけるんじゃないかってくらい拍手をした。そしていよいよ、ダンブルドアのいう『箱』が登場した。

 

宝石の散りばめられた古めかしい木の箱。みんなが身を乗り出してその中身を知りたがる。サキも必死に人の隙間からそれを見ようとした。

「これが、名誉ある代表選手を選ぶ公正なる選者…『炎のゴブレット』じゃ」

木箱からゆっくりと青白く光るゴブレットが出てきた。よく見ると炎が吹き出している。

「代表選手に名乗りを上げたいものは羊皮紙に名前と所属校を書き、ゴブレットに入れねばならぬ。」

ダンブルドアは野心に満ちた瞳をらんらんと輝かせる生徒たちににこやかに語りかける。

「くれぐれも年齢に満たないものが誘惑に駆られぬよう、周囲にはわしが年齢線を引くことにする」

サキはすぐに既にこしらえた老け薬の効能をもう一度頭の中で確認した。自分の薬でダンブルドアの年齢線を突破できるだろうか?

みんながベッドに戻る頃には広間はざわざわで満ちていてみんなして誰が立候補するか、死ぬまで降りられない試練とはなにかを興奮気味に話していた。

「クラムは絶対に選ばれるよな」

「それは確実だよね…」

サキは人混みからフレッド、ジョージが手招きしてるのに気づき、ドラコに一言詫て二人の方へ走っていった。

「いけそうか?」

「年齢線なら、多分」

サキはローブの下でさっと水筒に入れた老け薬を受け渡した。

「1歳なら試験管一本ね。その水筒まるまる飲んだらだいたい100歳くらいになるから気をつけてね」

「余っても使いどころがないのが惜しいな」

「明日の昼試すから、絶対見に来いよ」

二人は拳を合わせウィンクして去っていった。成功するかどうか自信はなかったが取り敢えずひと仕事終えてホッとした。

さて自分も帰ろうかと出口の方を向いたところ

「シンガー」

「わ」

マッド・アイが仁王立ちしてこっちを睨んでいた。

「一体何を渡してた?」

「え?あー…ジュース…です」

ムーディはお見通しだと言わんばかりにコツコツと近づいてきた。近くで見るとものすごい威圧感だ。なによりギョロギョロと動きまくる魔法の目が怖い。

「お前さんの血についてダンブルドアに言われた。呪いを破るそうだな?」

「はあ…らしいです。全然試したことは、ないですが…」

闇の魔術に対する防衛術の先生であり元闇祓いということもありダンブルドアはある程度事情を教えたらしい。

「お前さんが年齢線をうっかり破らんよう見張っとれと言われた。そんな馬鹿なことはするまいな」

やっぱりサキの思ったとおりの要件だった。わざわざ釘を刺しに来たということはそれだけ心配されてるんだろう。規則破りの前科があるとは言えちょっと悲しい。

「しません。スネイプ先生に誓って」

「やつに?ふん」

ムーディは忌々しそうに口をへの字にした。そしてろくに挨拶もせずに職員用テーブルの方へ戻っていった。

ムーディは妙にサキに対して敵対的というか、生徒と教師のそれではない距離で接してきている気がする。

授業中服従の呪文の対象にされたことは一度もない。かといって優しいわけでもなく時折魔法の目の視線を感じる。なんだかわからないが監視されてるような気さえする。

なんだか嫌だなあと憂鬱になりながら、サキはトボトボと談話室に戻りフレッドとジョージに渡さなかった老け薬の残りを16歳のスリザリン生に割高で売りさばいて寝た。

 

 

 

そしてサキの売りさばいた老け薬を飲み年齢線を飛び越えた生徒はみんな医務室行きとなった。

やっぱりだめだったかとガッカリしたけどいい小遣い稼ぎにはなった。

そういうわけでハロウィーンパーティー兼代表者選抜会場にて、サキはまたしても豪華な料理に舌鼓を打っていた。

「よくそんなに食べれるな」

「寝だめ食いだめってね」

サキはドラコが食べ切れなさそうなかぼちゃプリンを貰ってにかっと笑う。

「ダンブルドアはまだ食べ終わらない?」

「みたいね。勿体つけちゃって」

みんな代表選手の発表を待ちきれないようで広間はガヤガヤしていた。皿が机から消えるとみんな一斉に静まった。

 

「さて、いよいよゴブレットも代表選手を決めたようじゃな」

ダンブルドアは立ち上がった。そして杖をひとふりするとくり抜きかぼちゃを残してすべての明かりが消えて広間は真っ暗になった。

ゴブレットの青い炎だけがキラキラと光っている。

炎がぼっ、ぼっと不規則に噴き上がる。

すると炎が突然赤く染まり、一枚の羊皮紙を吐き出した。

「ダームストラングの代表は…ビクトール・クラム!」

大広間で歓声が上がった。拍手とともに見送られ、クラムは職員テーブルの後ろの扉に消えていく。

「ボーバトン代表は…フラー・デラクール」

レイブンクローのテーブルから花のような可憐な女子が立ち上がり、うっとりとしたため息とともにみんなに見送られた。

えらく綺麗な女の人でフラーが通った席の男子はみんな見惚れていた。

「ホグワーツの代表は…セドリック・ディゴリー」

ハッフルパフの席から大歓声があがった。セドリックは恥ずかしそうにはにかみながらハッフルパフ生の激励を浴びて退席した。

「結構結構!」

歓声がやっと収まってからダンブルドアが嬉しそうに呼びかけた。

「さて、これで代表選手は決まった。あらん限りの力を振り絞り、代表選手たちを……」

ダンブルドアが言葉を切った。その理由は誰の目から見ても明らかだ。

 

ゴブレットがもう一度赤い火を吹き、一枚の羊皮紙を吐き出した。

 

そしてダンブルドアがそれを見て、咳払いして読み上げた。

 

「ハリー・ポッター」



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05.ムーディの特別授業

その晩の混乱っぷりといったら。どの寮の席からも大ブーイング。

14歳のハリーがなぜ?不正か?真相を追及しろ!

といった怒声が響き、先生たちも何が起きたかわかってないし、仕舞にはバグマン氏がブチ切れて生徒たちを黙らせた。

意外だったのはスリザリンよりハッフルパフからの罵声が大きかったことだった。

 

「ポッターめ。一体どんな手を使ったんだ?」

ドラコもやはり怒っていた。実は参加したかったらしい。死ぬかもしれない危険な試合だというのに皆命知らずだなと思いつつ、サキの頭には不安がよぎっていた。

まさかハリーがゴブレットに名前を入れられるわけがない。誰かに頼んだ?それも違う。

ああいう古くから存在する魔法の道具は強大な魔力を持っている。不正のあった羊皮紙を受け入れるわけがないのだ。

 

誰かがいれたんだ。それも強力な魔法を使える誰かが…。

 

生徒たちの中でその真相に至ったのは恐らくハーマイオニーとサキくらいで、他の生徒たちは(ロンまでもが)ハリーに対して疑いの目を向けていた。

ハーマイオニーとロンが喧嘩するのはよくある光景でも、ハリーとロンがここまで険悪になるのは初めてでハーマイオニーも困っていた。

サキとしてはハーマイオニーがこれ以上しもべ妖精の地位向上に一生懸命にならないためにもロンとハリー両方で彼女に歯止めをかけるべく仲直りしてほしかった。

 

「シンガー。こっちへ」

選抜から二日後、闇の魔術に対する防衛術の授業が終わってムーディに呼び出された。

闇の魔術に対する防衛術の教室はルーピンの頃と違ってやたら暗くて狭くて、いろんな機材でごちゃごちゃしていた。カーテンの隙間からさす光が隠れん防止機にあたって反射してる。書き込みがたくさんある古い地図が貼ってある上に色んな人の写真が貼ってあって、何人かの顔の上には真っ赤な塗料でバツ印が入っていた。

「まあ座れ」

硬い木の椅子を進められたので素直に従った。部屋の雰囲気も相まって警戒してしまう。しかしムーディはそんなのお見通しで

「そう緊張するな。わしはただお前さんの母親に興味があるだけだ」

そういえば最近忘れてたけど、サキに近づく魔法使いはだいたい母親に興味を持ってたんだっけ。とはいえ、サキに答えられることは少ない。

「顔も知らない母親ですからお役に立てるかわかりませんが」

「顔も知らない?朝顔を洗わんのか?生き写しだぞ」

それもよく言われた。サキは歓迎の印に出されたらしいお茶を手にとって口だけつけた。昔クィレルにもお茶を勧められたがあの時と同じようなやな感じがしたからだ。

「ムーディ先生は母をご存知なんですか?」

「顔だけだ」

ムーディは言葉を切って自分のカップの中をじっと見つめた。

「窓辺に座ってるのを一瞬、カーテンがめくれたときに見た。偶々な」

「闇祓いのお仕事ですか?」

「そんなところだ」

「母ってやっぱり死喰い人って疑われてたんですか?」

「当たり前だろう。スリザリンの首席で旧家の令嬢だぞ。闇の帝王からの声がかからん訳がない」

娘としては複雑だ。スネイプ先生いわく死喰い人ではなく監禁されていただけらしいが、周りから見たら違いなんてわからないだろう。

「結局…白黒つかんまま失踪して13年か。もう生きてはおらんだろう」

「でしょうね」

実の娘にそうはっきり言えるムーディ先生はやっぱりマッドだ。まあ生きてようが死んでようが母という存在自体に実感がないのでショックも受けようがないのだが。

「それで、お前の血はどうなんだ?」

「どうって…ああ。まさかハリーの件で疑ってます?」

「疑ってるわけではない。それに血の魔法とやらで年齢線を破れても他人の名前は入れられまい」

「そうですよね。…まあでも年齢線くらいなら破れると思いますよ。試してないのでわからないんですけど」

「自分の力を試してないのか」

ムーディは驚いたようだった。そしてニヤニヤ笑って魔法の道具が積み上がってる山から一つの小箱を取り出した。

「全くもって勿体無い。シンガー、力は使ってこそ意味がある」

その小箱は鉄製で面それぞれに複雑な紋様が彫られていた。年代物らしく真っ黒でどこにも蓋らしきものはなく、鍵穴らしきものが一つあるだけだった。

「おしゃれですね。中に何が?」

「この箱の鍵がはいってる」

あまりに馬鹿げたことを言うので思わずサキはその小箱を手にとってしげしげと眺めて笑った。

「なるほど。面白いですね」

箱の鍵をしまうための箱。

六つの面に彫られているのはどうやら神の言葉らしい。ヤハウェという文字がかろうじて読み取れた。これ一つで閉じた完璧な世界ってわけだ。

「これを開けてみろ」

「…それにどんな意味があるんですか?」

「シンガー、お前さんの特別な力はいつかきっと、使わなきゃならんときが来る。それに備えろ。まずはこの小箱からだ」

「…これ、開けても呪われたりしないですよね?」

「ああ。多分な」

サキは露骨に顔をしかめた。ムーディはそれを見て愉快そうに笑った。

「授業でも常日頃言ってるだろう。油断大敵!闇の帝王が蘇ったときお前さんは丸腰でいいのか?」

ムーディはムーディの哲学に則りサキを鍛えようという魂胆らしい。確かにサキはヴォルデモートの復活を信じている。そしてその暁に自分が手中に落ち、友達を傷つける可能性を恐れている。

今この力を使えるようになれば自衛できるかもしれない。もっと自分を信じることができるかもしれない。

小箱を持つ手に力が入った。

 

「わかりました…やります」

 

そしてサキは小箱を取り敢えずじっくり観察して、彫られた文字をいちいち解読した。内容はただの聖書の一説だったので拍子抜けしたがこの小箱を作った人物の執拗な精巧さには感嘆すらする。

まずこじ開ける場所が無い。鍵穴に鍵をさす以外に開ける方法がない。ムーディに出してもらった針金を突っ込んで適当にいじっても開かない。ムーディの期待通り血で試すしかないらしい。

内心ため息をついてポケットナイフを取り出した。刃を出してそれを左手の掌に押し付けた。

ぷつ、と皮膚の中に刃が沈んでじんじんした痛みが走る。血が傷口で膨らんだ。サキは握りこぶしを作り鍵穴の上に掲げる。血がポタっと鍵穴の上に垂れた。ムーディが息を呑むのがわかった。

カチッ

と何かが開く音がした。

その瞬間小箱の彫刻からドロっとした膿のような液体が漏れた気がした。思わず小箱を放り投げそうになるがぐっと堪える。ちゃんと見ると液体なんて全然漏れてなかった。

そして冗談みたいに小箱が突然崩れた。六面すべてがバラバラにはじけ飛んで、サキの手の上には飾りっ気のかけらもない古めかしい鍵が乗っていた。

「ほう」

ムーディは床に落ちた小箱の破片を拾い、鍵とサキの手の傷を順番に見てもう一度嬉しそうに「ほほう!」と言った。

「すンばらしい」

「あの…包帯とかあります?」

「ああ」

ムーディは軟膏を取り出してサキの手の傷に丁寧に塗ってくれた。塗ったところに薄膜が張って血はすぐに止まった。

「この目で見るまで信じられんかった。お前の魔法はどうやら本当に呪文を引き裂くようだ」

「呪文を引き裂く?」

「わしらが杖でかけた魔法の構造を壊すのだ。グリンゴッツの罪人落としの滝に似ているな。ああ、血でしか使えないのが惜しい」

「へえ…それって結構ズルいんじゃないんですか?」

「大体の罠は通じんだろうな。まあ血が必要だから事前に罠があるとわかってなければ厳しいだろうが…」

「なるほど。なんか私すごい人な気がしてきましたよ」

「ああ、すごい」

ムーディはまだサキの手を握ってまじまじとその傷をなでている。

「…特別レッスンだ。シンガー、この力を使いこなせるようになれ」

サキはギクッとした。特別レッスン…つまり補習?

「放課後がなんだ、補習がなんだ?あたえられた才能を最大限に使い、生き延びる。それより肝心なことがあるか」

 

 

それからのサキは毎週金曜の放課後、ムーディ先生の楽しい特別授業を受けるハメになった。

まず血だけでどこまでの呪文を破れるかをひたすら試していき、次に血の魔法の詠唱についての考察がはじまった。

そのためにまずサキは莫大な呪文学の参考書の読書課題を課され、ハーマイオニー並に図書館に入り浸りになった。

お陰でハーマイオニーと二人で指定席みたいにいつもそこで会って、ハリーとロンの状況を逐一聞かされた。

 

ロンはすっかりいじけていて、なにかとつけて話題の的になるハリーに対してヤキモチを焼いて拗ねてるらしい。

ハリーは全校からの迫害ですっかり被害妄想に取り憑かれてるらしく、たまにハーマイオニーにもキレるそうだ。

 

 

「ハリー見てこれ」

そういうわけで死ぬほど憂鬱そうなハリーに声をかけてみた。サキは小屋から逃げた尻尾爆発スクリュートをつぶして作った花火を見せてみたが、スクリュート一匹の命の煌めきはハリーにプラスにならなかったらしい。

汚いぞポッターバッジだのセドリック応援キャンペーンだのリータ・スキーターのデタラメ記事ですっかりメンタルがやられてるようだ。

「ねえ、ロンとまだ仲直りしてないの?」

「仲直りっていうか…あっちが避けてるんだ」

「去年の私達みたいだねえ」

なんて話してると通りすがりのハッフルパフの生徒が汚いぞ、ポッターと言い捨てて去っていく。一度サキがそういう手合を捕まえて口論になり、危うく流血沙汰の喧嘩になりかけた事があった。

「ドラコにもやめろっていったんだけど、クラムを応援するってさ」

「ああ…そりゃ、どうも」

「でも私はハリーを応援するよ。だからなんでも言ってね」

「それは…嬉しいけど、マルフォイが煩いんじゃないの?」

サキはニンマリ笑って懐からドラコのサインが書かれてる誓約書を取り出した。

「見て、これ。ハリーが優勝する方にかけたの。ドラコはもちろんクラムなんだけど、ハリーが勝てばなんと最高級のニワトコの実をくれるんだ」

ニワトコの実の価値がいかほどかわからないハリーは曖昧に笑うしかなかった。けど少なくともサキは私利私欲を込みではあるがハリーの味方らしい。

「だからありとあらゆる不正に手を貸すからね!絶対優勝しようね!」

下心しかない応援でも今のハリーにはありがたかった。

過去の試合の内容を見るにだいたい命の危険があるからまずは盾の呪文を覚えよう、ということになって図書館のいつもの席で呪文集をめくった。

ハーマイオニーもやってきて分厚い本をいくつもいくつも重ねていった。

そうこうしているうちに第一の課題の日が近づいてきた。

ハリーは徐々に焦りを見せ始めて盾の呪文だけでは危機に対処しきれないと戦々恐々としていた。

 

「…サキ」

 

そんな木曜の夕飯のあと、ロンが柱の影からサキを呼びつけた。ドラコに気付かれないようにさっと人と人との合間を縫って暗がりにいるロンのもとへ滑るように近付いた。

「なに?なんで隠れてるの?」

「わかるだろ?」

ロンは気まずそうに言った。

「あのさ…ハリーは第一の課題についてなにか準備してる?」

「うーん…盾の呪文とか練習してるけど…」

「それじゃだめだ!」

「なんだ、ロンも心配なんだね」

「そりゃそうだよ。なんてったって…」

ロンは言葉を濁してしまう。

「とにかく、ハリーに伝えてほしいんだよね。明日の晩、ハグリッドの小屋に行ってほしいって」

「自分で言いなよ」

「言えないから頼んでるんだろ。去年食べ物届けたじゃないか。そのお返しだと思って…ね?」

その分のお返しはすでに薬草学のレポートでチャラになったはずだが…。まあ追及してもしょうがない。

「いいけど、私も行っていい?」

「ん…まあ、いいよ。でも透明マントは忘れずにね」

「ラッキー。任せてよ」

ロンはすまなさそうな顔してグリフィンドール塔の方へ行ってしまった。明日はムーディの特別授業の日だが、あの身内には口の軽いロンが言葉を濁す秘密の話なんてとっても気になる。見に行けるなら行くに越したことはない。

談話室に帰るとドラコが不満げにクラムが図書館通いをしてるからあまり話せないとグチっていた。

「クラムってどんな話するの?」

「実はあんまり喋らないんだ。取り巻きの話を聞くだけ」

 

そして翌日。

ハリーと約束通り中庭でおちあい、二人して透明マントを被ってハグリッドの小屋まで行く。ロンのことは話さなかった。

「ようきたな。絶対マントの外には出るなよ」

オーデコロンとワックスの匂いをプンプンさせ、どこか気もそぞろなハグリッドの向こうで真っ暗な森が口を開けている。

暖かい橙色のランプの光が木々の間を照らして獣道を示す。少し開けたところにもう一つ明かりがあった。

電灯かなにかかとおもったら、なんとボーバトンの校長がいた。

「街灯かと思ったよ」

サキがそういうとハリーが必死に笑いをこらえて口をぎゅっと抑えた。

ハグリッドのおしゃれの理由もわかって安心したところで、枝葉の向こうからオレンジと赤の閃光が見えた。同時に空気を震わせるような鳴き声も。

数メートルも近づけばすぐに正体がわかった。

 

「第一の課題は…ドラゴンなんだね?」

 

ハリーは顔を真っ青にして震える声で言った。

ドラゴンの口から吐き出される炉が溶けたような炎を見てサキは竦み上がった。

 

「僕…今回ばかりは死ぬかもしれない」



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06.ドラゴンとパーティー前夜

その日の空は目がおかしくなったのかと思うくらいにさめざめとした蒼で、地平線のそばで薄絹のような雲が散らかってるだけの秋晴れだった。

強い日差しのわりに冷たい風。そろそろセーターがないとキツイかもしれない。

サキはネクタイを締めて浮かない顔をした鏡の中の自分を見た。今日はハリーの試合、ドラゴンとの戦いの日だ。

結局ハリーは前日に呼び寄せ呪文を思いつき、ドラゴンに対して箒で挑む決意をした。

サキも練習を手伝ったが正直不安だ。

 

「どうした?浮かない顔して…」

「そりゃ下手したら友達の命日になるからね」

「はっ…ポッターがそう簡単に死ぬわけ無いだろ。一試合目は何を賭ける?」

「…そうだね、セドリックの一位抜けに晩飯のカスタードプリン」

「ポッターに賭けないのか?」

「今回は勝ち目が薄いしやめとく」

ドラコはこいつ薄情だな…と言いたげたったが別にハリーを庇ってやる義理もないので何も言わなかった。

「じゃあ僕はクラムにかける。僕が勝ったら…ダンスパーティーで踊ってくれる?」

「全然いいけど、プリンと釣り合わなくない?」

サキは全然食欲がわかないままキャロットジュースを一気に飲み干した。

試合が始まるまで気もそぞろだったが、ハリーはもっと重症でどうやら時々意識が何処かに飛んでいってしまってたようだ。サキが挨拶してもふぁん…とはっきりしない返事をよこして見当違いの廊下の角を曲がって行った。

 

サキは気を紛らわせるために校庭へ出た。そこへたまたまやけに忙しそうに早足で歩くクラウチ氏を見つけ、サキは慌てて駆け寄った。

「荷物、持ちますよ」

「ん?ああ、君は確か…」

「シンガーです。ワールドカップの時にお礼ができなかったので」

クラウチ氏はやたら重そうな30センチ四方の箱を4つも抱えて前が見えない状態だったので危なっかしく揺れてる上の2つを預かった。

「いや助かる。連絡ミスで手伝いの人間がいなくてな…まったく」

「大変ですね」

運ぶさきがそばだったらいいな。とサキは想像より重い箱を抱えて思った。

「まったく、今年はトラブルまみれだ…それでも、物事は進めなきゃいけない」

責任者という立場は大変らしい。そこから競技場そばの森の仮設テントまでクラウチ氏はずっとなにやら呪詛めいた文句をブツブツとつぶやいていた。

あまり親しくないサキに対しても漏らしてしまう自身の負の側面。どれほどの負荷がかかってるのか知らないがただならぬものを背後に感じる。

 

大人になると大変なんだな。

 

運んだお礼に今度何かお菓子でもと約束し、クラウチ氏は設営に戻っていった。

人助けをして気持ちいいなとか思ってるうちに競技場の開門時刻だ。すでにたくさんの生徒が並んでいる。サキは並ぶのが面倒だったので試合時間ギリギリまで近くのベンチで空を眺めた。

 

そういうわけで…ついに試合開始だ。

サキはクィディッチワールドカップの時に作った双眼鏡を構えた。

ドラゴンから卵を奪取する…そんな危険な課題、成人の魔法使いだって死んでしまうかもしれない。現にセドリックは火傷を負い、フラーはスカートが燃えてしまった。

サキは火を見るとどうしても孤児院の火災を思い出すのでこの試合観戦はできればパスしたかったのだが…流石に親友の命の危機に居合わせないというのもひどく不道徳な気がしてなるべく後ろの席で頑張ってみた。

ドラコはもう大興奮で手が付けられないのでしかたなく一人で見るかと思いきや、

「あ、サキだ」

夢見心地のルーナと出会い一緒に観戦することになった。

「コーネリウス・ファッジだ。あの人、吸血鬼なんだよ」

「ほんと?それにしては地黒じゃない?」

「あんた、吸血鬼を見たことないんだ。肌の色はあんまり関係ないんだよ…それか変身してるんだ」

いよいよ、ハリーの番だった。

ハンガリーホーンテールがハリーを殺さんとし、そしてハリーが呪文を唱えた。

ファイアボルトが遠い箒置き場から飛んでくる。

ハリーは見事それに飛び乗り、ドラゴンの攻撃をかわした。しかしドラゴンの力があまりにも強く、鎖がはじけ飛び高く飛ぶハリーを追いかけ空へ舞い上がった。

ドラゴンの羽ばたきは圧巻だった。突風が吹き、何トンあるかもわからない巨体が宙に浮くのだ。

それには思わず息を呑んだ。ルーナはよくわからない髪飾りが吹っ飛んで悲鳴を上げていた。

審査員たちは大騒ぎだったけど、観客は最高に湧いていた。

「戻ってこれるといいね」

「…たしかに」

しばらく会場は不安な声で満ちていて、みんなが時計を見たり空を眺めたりしてハリーを待った。

まさか場外でやられたんじゃないかとみんなが疑い始めたとき、ハリーは戻ってきた。寮に関わらずみんなが歓声をあげた。煙を上げながら戻ったハリーは無事卵を掴んだ。

鼓膜が破裂しそうなくらいの歓声が、ハリーを包み込んだ。

 

グリフィンドールはお祭り騒ぎ。もちろんサキもいた。もうおなじみの光景で突っ込む生徒は誰一人いなかった。

勝ち取った金色の卵は一体何のために使うのかさっぱりわからず、みんながとりあえず触らせてもらったりしたものの結局隅においやられた。

 

「ローンッ!」

 

隅っこの方でハリーに話しかけたそうにしてるロンの背中を叩いてハリーの前に連れてく。周りが一瞬変な空気に包まれたがみんなすぐに視線を泳がせてざわめきの中に戻っていった。

「…ハリー。無事で良かった。僕…」

「わかったろ」

二人は無言で抱き合った。

ハーマイオニーがニコッと微笑んでこっちを見たのでサキはウィンクを返しておく。

 

「サキ!どこ行ってたんだよ」

ドラコがダームストラングの校旗色に染めた頬で興奮気味に尋ねた。

談話室に戻ると人は少なく、皆眠ってしまってるようだった。

「僕ら船に招待されてたんだ。クラムの祝勝会で。すごかった…あの船で一生過ごせるんじゃないかってくらい」

「ホントに?いいなあ」

ドラコの頬に赤みが差して、まだ興奮冷めやらぬといった様子でソファーにかける。

「あれは…結膜炎の呪いだったね。クラムは的確にドラゴンの弱点をついたってわけだ」

「ああ…その点セドリックにはがっかりだったな。犬をおとりになんてトロールでも引っかからないよ」

「賭けは僕の勝ちだね?」

「うん。完敗」

「じゃあ約束通り、ダンスパーティーは僕と」

「畏まりました」

冗談めかして膝をつき、騎士のようにドラコの手を取ってキスした。ドラコはびっくりしてソファーの上で跳ねた。

サキは乙女みたいな仕草に爆笑して床を転げ回った。

 

 

第一の課題が終わってすぐ、ハリーたちは別の課題に苦しんでいるようだった。もちろんハリーだけではなく男の子たちすべてがそわそわしていた。

女の子はみんなふりふりふわふわと可愛いアクセサリーをつけて心なしか香水の匂いも濃くなった気がする。パンジー・パーキンソンもいい加減気持ちを入れ替えたのかおっきなリボンをつけてニコニコしていた。

「どうせサキはドラコとでしょ」

とミリセントがからかってくる。事実なので否定しない。サキはもう相手も決まってるし、ムーディ先生の特別課題の片付けで手一杯だった。

うんざりした顔で神代魔法史の本を本棚からごっそり抜いていつもの席に行くと、ハーマイオニーが珍しくなんの本ももたずに座ってサキを待っていた。

「ああ!サキ、話があるの」

「なに?」

どすんと本を置いてハーマイオニーの方へ顔を寄せた。ハーマイオニーは周りを窺ってからヒソヒソ声で話し始めた。

「誰にも言わないでね?」

「誓う誓う」

「クラムにダンスパーティーに誘われた」

「ぅえっ?!」

サキが驚きのあまり奇声を上げるとハーマイオニーが大慌てでサキの口を抑える。周りの目が痛かった。

「本物?本物のクラム?」

サキはヒソヒソ声で聞き返した。

「本物よ!」

「すごい!」

サキは本で壁を作り周りになるべく聞こえないようにした。

「オッケーしたの?」

「それは…その、したわ」

「うわー夢みたい」

ハーマイオニーは顔を赤くして照れてるようだった。

「それで、当日髪の毛とかをセットしたくて…サキ、手先器用でしょう?よければ手伝ってほしいの」

「まかせてよ!私のもちょっと手伝ってもらおうかな」

「ええ、一緒に着替えましょ」

「うん!楽しみだね。…どんな髪型にするの?」

ハーマイオニーは恥ずかしそうにヘアカタログを出して、あるヘアモデルの髪型を指差した。サキはしげしげとそのモデルとハーマイオニーを見比べて

「こりゃやりがいがあるね」

と呟いた。

 

ダンスパーティーが近づくにつれみんなのそわそわは頂点に達した。ロンとネビルは特に面白い事になっていた。

レースのフリルがついた古いドレスローブをおばさんが送ってきたらしい。

グリフィンドールで爆笑がおきてロンが真っ赤な顔で怒っていた。ネビルはダンスにハマったらしく、一人で鏡の前でステップを踏んでいるのがよく目撃された。シェーマスによると彼は普段ただ廊下を歩くときでさえワルツのステップを踏んでいるらしい。

ザビニはいつの間にかボーバトンの美人な女子生徒と踊る約束を取り付け、スリザリンの女子も何人かダームストラングの生徒に声をかけられたらしい。順調に交流が深まってるようで何よりだ。

サキは残念ながら声をかけられることはなかった。少し自信を失った。

最近は鏡を見る暇もなくムーディの課題をこなしたり、ちょくちょく捕まる深夜外出のせいでスネイプ先生の罰則を受けていたりと些細なことで自由時間が潰れていた。

なによりハーマイオニーをとびっきり可愛く仕上げるためにはいろんな下準備が必要だったのでそれになるべく時間を割いていた。

 

 

「ふむ、よくできてる」

ムーディはサキが必死に仕上げたレポートをさっと読んでそう評価した。一週間以上かけて仕上げても読まれるのは一瞬だと思うと泣けてくる。

「年明けまではもうないですよね?補習は…」

「ああ」

サキは両手を上げて喜んだ。

ムーディはいつものように謎の液体をグビッと飲んでから大量に積まれた書類の一番上にサキのレポートを積んだ。

「踊るのか?マルフォイのガキンチョと」

「はい!もう楽しみで楽しみで。ムーディ先生は踊りますか?」

「わしが踊れるように見えるか?」

「たしかに」

「羽目を外さんようにな」

同じセリフをついさっき、スネイプ先生にプレゼントを渡しに行ったときも言われた。そんなにはしゃいでるように見えるんだろうか?

「清々したぜ」

と捨て台詞を吐いてサキはとっとと寮に帰った。たくさんのベッドが並ぶ女子寮はみんなのドレスで華やかに彩られていて見ているぶんには楽しい。

サキも自分のドレスを取り出して、のんびりベッドに寝そべった。

横でパンジーがダフネとああでもない、こうでもないと髪型を試行錯誤していた。

 

 



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07.君とワルツを!

一晩のうちに一体何が起きたのやら、大広間は真っ白になっていた。純白の溶けない、積もらない雪が降り注ぎ空高くで何かがキラキラ輝いている。

ご飯も美味しくて、これじゃあ晩御飯は一体どれだけ美味しいものが出るんだろうと頭を抱えるほどだった。

「サキ。サキってば」

珍しく、というか今年に入って初めてパンジーがサキに話しかけてくる。

「あの、このネックレスの金具がおかしいの。みてくれない?」

「ああ…うん。ちょっと貸して」

こんなの魔法で直せばいいんじゃないのとも思ったが、この前パンジーが修復呪文でひどい失敗をしてたのを思い出した。こういう呪文はどこがどう直るべきかをはっきりさせておかないと上手くいかない。

「はい。直ったよ。つける?」

「ええお願い」

パンジーは首を差し出してくる。もしサキが何かにイライラしてたらかんたんにチョップを叩き込める。ムーディ先生は油断大敵!と笑うだろう。

「私、ノットと行くわ」

「そりゃいいね。楽しんで」

パンジーはサキがいくら素っ気なくても全然気にしないからむしろ話していて気が楽だ。

パーティー前からドラコと屯するのはなんとなく気が引けた。なんでだろう?

グリフィンドールの談話室に紛れ込んでハーマイオニーやジニーたちと一緒に暖炉の前で誰が誰と行く…とか噂話をして時間を潰した。

ジニーはネビルに誘われたらしく、ちょっと複雑な表情で

「ネビルも…悪くないわ」

といった。少なくともネビルなら何事もなく安全に過ごせそうだとハーマイオニーと一緒に太鼓判を押しておいた。

「ああ、結構長いね…8時からって言うとあと5時間近くあるじゃないか」

「そうね…なんか変な感じ」

「ハリーたちにダンスの相手はいった?」

「ううん。びっくりさせようと思って。ロンったら変な意地張るんだもの。頭にきちゃって」

「椅子から転げ落ちるくらいビビるだろうね」

サキはジニーの赤毛を弄くりながら笑った。ジニーの髪はいま三つ編みがいっぱいぶら下がってる。緩やかなウェーブの癖がつくようにその三つ編みをさらに束ねていく。

「本当に細かいことが好きなのね」

「そういうわけじゃないよ。計量はいまだに嫌いだし…」

「変なの」

ハーマイオニーの髪の毛は特に時間がかかるので、フレッド、ジョージらの雪合戦の誘いを丁重に辞して支度を始めることにした。

 

「ねえ…そろそろ行かなきゃ!始まっちゃう」

ジニーがそわそわして今にも走り出しそうに言った。

「わかってる!わかってるって」

ハーマイオニーは慌ててヒールを履いて、サキも鏡を見て急いで後れ毛を撫で付けた。

三人娘といった具合でグリフィンドール塔から大急ぎで広間の方へ向かった。

ジニーは淡いピンクとグリーンの可愛らしいドレス。まるで花の妖精みたいだ。髪はハーフアップにしてゆったりとしたウェーブを巻いている。

ハーマイオニーは紫色とピンクのレースが豪奢に使われてるドレスだ。髪の毛はサキの努力の賜物、泣いて逃げ出したくなるくらいのくしゃくしゃ髪の毛が天使の輪が出るほどキューティクルの美しいストレートヘアーに!さらにアップにして豪華さをプラス。首元にかかる毛がなんとも悩ましげで美しい。我ながら完璧な出来だとサキは心の底から満足した。

「クラムは私に感謝すべきだよ…ハーマイオニー、とってもきれい」

「サキ、あなたも素敵よ。本当にありがとう、ジニーも」

「私は何もしてないわ」

ジニーはちょっと照れた感じにはにかんだ。

「ジニーもかわいいー」

かーわーいーいーなんて三人で言い合いしてるうちに階段まで来た。

もう結構な人数が入場しているみたいで廊下でたむろしてる人は思いの外少ない。ジニーはネビルに声をかけられて行ってしまったので、サキは階段の上からドラコを探した。談話室に下る階段のそばの柱に持たれてるのを発見したのでハーマイオニーに別れを告げて駆け寄った。

「お待たせ」

「あ!君午後いっぱい一体…どこに…」

ドラコの目が丸くなった。

「どうよ!この見事な変身っぷりは。マクゴナガル先生もびっくりでしょ」

「あ…うん…」

そしてしげしげと先の頭からつま先までを見つめ、小さくきれいだと呟いた。

サキのドレスは黒くて首元から胸元にかけてレースで彩られている。上半身は恐ろしくタイトできつい。腰から下にスリットが入っていて黒い生地の下から鮮やかな緑色のレースが見える。

サキはなんとなくオオウロコフウチョウを思い出した。あの鳥も普段は真っ黒だけど踊るときに鮮やかな青を見せて雌に求愛する。

かなり締め付けられてるし足は全然大股で歩けないしで不便だ。ナルシッサいわくエレガントなパーティーで短いのは変だとのことだがサキ的には裾が短いほうが踊りやすくていい。

ドラコは英国国教会の牧師みたいな格好で、二人並ぶと真っ黒なカラスのつがいみたいだった。

サキはなんだか嬉しくて上機嫌にドラコの手を取って樫の扉をくぐり、広間に入った。

 

天井はどこまでも白く抜けていて朝と同様に雪が降り注いでる。樅の木が運び込まれて暗い緑の葉っぱの上に雪を乗っけている。赤や金の飾り玉は光を反射して輝いて、時たま動き出す人形に邪魔そうに蹴られていた。

握った手が熱かった。

やがて代表選手たちが入場し、おそらくホグワーツの同級生殆どがハーマイオニーの変身に見惚れた。ドラコでさえなんの茶々も入れられないくらいハーマイオニーは完璧だった!

サキは人混みからロンの顔を探した。残念ながら見つからない。

「まさかとは思うけど」

生徒たちも踊り始めるとドラコが心配そうに声をかけてきた。

「また僕の足を踏んだりしないよな?」

「…」

サキは意味深に微笑んで踊りの輪の中に入っていった。

 

 

音楽に合わせて熱狂の中を縫うようにステップしていく。

旋律がいつの間にか体を操る糸みたいに広間中に響く。

右足、左足、半歩下がって、左足。

そうしてくうちにみんなハイになってコマみたいにくるくる回りだす。

「踊り疲れちゃった!」

輪を外れて初めて息ができたみたいだ。顔が熱くてサキは溶けかけのシャーベットを一気に飲み干した。頭がキーンとする。

「いきなり飲むから…」

ドラコが額に手をあててくれる。体温が痛みを消してくれるような気がして和らいだ。

「踏まなかったでしょ?」

「うん。安心したよ。今日の君はヒールだし」

料理のおいてあるテーブルの方へ行くと、踊り疲れたかパートナーに逃げられたかで呆然と椅子に座っている人がチラホラといた。

その中にハリーとロンがぽつんと座ってダンスホールの方を眺めていた。

ドラコとサキが視界に入ると二人は露骨に顔をしかめていた。

「おいおいポッター、パチル姉妹に逃げられたのか?」

ドラコは早速喧嘩を売りに行く。ハリーは無視することに決めたらしい。サキはうきうきでハーマイオニーの話を持ち出した。

「どうだった?ハーマイオニー!すっごく可愛いでしょ。あれ私が…」

そこまでいって、ロンがとびきり渋い顔をしているのに気づいた。地雷を踏んでしまった?

やばいと思って別の話題をふろうとした次の瞬間、ハーマイオニーが楽しそうによってきた。

「みんな、楽しんでる?」

頬が薔薇みたいに赤くなって、とっても楽しそうだった。ロンが動揺するのがわかる。

「グレンジャー、どんな手を使って…」

ドラコがまじまじとハーマイオニーを見て言った。なんかイラッとしたのでサキはハーマイオニーにくっついて

「私の、私の作品!」

と激しく主張した。それにロンが反応する。

「サキがやったの?余計なことを!」

「余計?余計ってなんだよ!」

「ひどいわ」

「あ、いや…」

女の子二人の怒りに触れてロンはたじろぎ萎んでいった。

「あー、ロンは驚いてるんだよ。ハーマイオニー別人みたいだから」

ハリーがフォローするように褒めて、なんとか二人も鉾を納める。

「ハリー、私は?」

「サキもすごくきれいだよ」

「ポッター、お前なんかに何がわかる?」

「僕は今サキと話してるんだ」

すぐピリピリしだす三人の男子を見てハーマイオニーはちっちゃくため息をついて声をかけた当初の目的を思い出した。

「ああもう…ねえ、今ビクトールが飲み物を取りに行ってるの。よかったら…」

「ビクトール?!」

ロンが繰り返した。

「君、クラムをビクトールって呼んでるのか?」

「そうだけど…?」

「見損なった。あいつはハリーの敵だぜ?それなのに…」

「敵?もともとこの試合は魔法学校同士の友好のために催されてるのよ?それを敵なんて…」

「そりゃ試合に出てない生徒はそうさ!でもハリーにとっちゃ敵は敵だろ?」

「何馬鹿なこと言ってるの?!まさか私がハリーに不利になるようなことしてるとでも?!」

ロンとハーマイオニーの口論は段々ボリュームがでっかくなっていき、間に入り込めないくらい苛烈になってきた。仲裁上手を自称してるサキもこの勢いにぽかんとすることしかできない。

「なによ!」

二人の口論はついにフィナーレを迎え、ハーマイオニーはきれいに整えた髪を振り乱して出口の方へ行ってしまった。

ドラコもサキも、ハリーさえも二人の剣幕に何も言えずじまい。ロンは怒りと満足が入り混じった表情で去ってくハーマイオニーの姿を見ていた。

「今のは言いすぎじゃないか。男の嫉妬はみっともないぞ、ウィーズリー」

「嫉妬?あれのどこが!それにマルフォイの言えた口じゃないだろ!」

ハリーとサキは顔を見合わせてちっちゃく肩をすくめた。ロンは相変わらずだ。こんな時さえ…。

「行こ、ドラコ」

こういう時のロンはパンパンに膨らんだ風船みたいなものだ。ちょっと突けばすぐ破裂してしまう。しぼむまで遠くで見守ってる他ない。まだ戦いたがってるドラコの腕を引っ張ってどんよりしたテーブルから離れた。

「ロンって子どもだよね。せっかくハーマイオニーに楽しんでもらおうと思ったのに台無しだ」

「本当に育ちが悪いなあいつは」

ドラコが飲み物をとりに行くすきに折角なのでスネイプにもドレスを見せてやろうと思って周りを見回した。どうせ踊っちゃいないだろうとダンスホールから離れたところを探してると、案の定隅の方にむっつりしたスネイプ先生がいた。

「先生」

びしっとモデル立ちをして目の前に出ると、スネイプ先生はちょっと片眉を上げて驚きを表現した。

「よく似合ってる」

ぶっきらぼうなお世辞をいただけて満足だ。スネイプ先生の服装はいつもとあんまり変わらないけど、おそらくクリーニングに出したての清潔でパリッとしたやつなんだろう。よくみると縦縞が入っていて上品だ。

「踊らないんですか?」

「我輩はけっこうだ」

「せっかくですし私と踊ります?」

「人の話を聞け」

スネイプはこれ以上絡まれるのも面倒と思ったのか見回りだからと言い残して消えてしまった。つれない人だ。

「おお、サキ。ちょっといいかね」

ダンブルドアが踊りの中からゆっくり回転しながら現れた。ダンブルドアの手をつかむとふう、とため息をついてゆっくり椅子に座った。

「ああ、わしも年を取ったのう。目を回してしもうた」

「はめ外しちゃ駄目ですよ」

ダンブルドアはさも愉快そうに笑った。

「楽しんでいるかね?」

「とても!」

「大いに結構」

ダンブルドアは優しく微笑み、サキはドラコのもとへ帰っていった。

 

「暑いな」

「妖女シスターズの熱気がすごかった。人気なんだね」

サキは座って足をプラプラさせた。もう足が棒のようだ。広間はムーディーな音楽がかかって、カップルらしいペアがべったりくっつき合って静かに体を揺らしている。

なんだか気まずくなってきたので二人は寮に戻ることにした。

「私、今日のことしばらく忘れないと思う!」

「しばらく?えらく中途半端だな」

「もっと素敵なことがあったら忘れるかもしれないし」

階段の途中まで降りればもう音楽は聞こえない。人気のない廊下を二人して歩く。あるのはしとしととどこからか水が垂れていく音と、橙色のランプの灯りだけ。

「あー…サキ」

談話室への扉が開くと、ドラコは入らないでサキの事を見つめていた。

「何?」

「いや、ほら…」

ドラコが何か言いかけたけどなかなか続きを言わない。

「今日の…」

「わ、後ろ!後ろ!」

ついに続きを言ったと思ったら扉に挟まれかけていたのでサキは大慌てで首元を引っ掴んで引き寄せた。よろけたドラコを抱き寄せる形になってしまい慌てて離れる。

「危なかったぜ…ドラコがひき肉になっちゃうところだった!」

サキが自分で言ったことに笑ってるとドラコは肩をプルプル震わせていた。

「君…君ってやつは!」

ドラコはなぜか怒ってる。

「なに、だって挟まれたらぶちゅってなるよ」

「もっと空気を読め!バカ!」

ドラコはぷんすこしてサキを押しのけ男子寮の方に行ってしまった。なんで怒られたかわからずにサキは呆然とそれを見守った。

「お年頃かな…?」

というつぶやきが誰もが寝静まった談話室に吸い込まれていった。



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08.死喰い人

黒に近い暗緑の森の中に誰からも忘れ去られたような古ぼけた屋敷があった。自然物に溶け込みそうなほどに月日によって朽ちつつある大きな館。門は錆びていて鎖で封じられている。大きな錠前がぶら下がり、上に蔦を生やしていた。

一見廃墟にしか見えないその館の、門柱にある小さなくぼみに手をあてると蔦は地面に戻り、門がゆっくりと開く。

一度敷地に入ればその館は時間が巻き戻ったかのように蔦も苔も消え、はげかけたペンキももとに戻って見えるのだ。

 

魔法のかけられた館。闇の帝王が通う大きな秘密。

 

バーテミウス・クラウチJrはその門をくぐることは許されても、屋敷の中に入ることは決して許されなかった。

その館の主が誰なのか、知ってるものはごく一部だった。しかしバーテミウスは直感的に女だと感じ取っていた。闇の帝王に通う女ありとの噂が立てば闇祓いたちも黙ってはいないだろう。

バーテミウスはいつも通り館の前をウロウロして時間を潰した。

ふと、庭園への入り口のようなものを見つけた。

それは生い茂る緑に埋もれて目立たないが確かにアーチで、この先になにかがあることを示している。

何も考えないままバーテミウスは歩を進め、やがて庭に至った。

そこは屋敷のそばの森や藪と違ってきちんと雑草が抜かれ、調和した空間を作り上げている。マグルの雑誌に載っているイングリッシュガーデンそのものだった。

バーテミウスはなんの気なしにその庭を眺めた。

そして薔薇の植木の向こう。窓が空いた部屋を見つけた。

真っ白なカーテンが舌を出す蛇のようにチラチラと窓枠からはみ出ていて、誘うように風に揺られていた。

運命か、偶然か。春風が強く吹いた。

カーテンが翻り、部屋の中が垣間見えた。

 

バーテミウスはその光景に目を奪われた。

カーテンの向こうに座っているのは見たことがないほど美しい女だった。

 

そう、言葉を借りるならば…その美しさは骨身に応えるほどだった。

 

白骨のような、陶器のような、白百合のような鮮烈な白。

そして目を見張る唇の紅さ。

滲んだ墨の中にぽたりと落ちた鮮血のように彼女は美しかった。闇の帝王に囲われた花。

荒涼とした川辺に狂い咲くリコリスを思わせる、欲望を煽る赤。

 

その女の視線が一瞬だけ、バーテミウスと絡んだ。

 

そしてすぐ剥がれる。

なんの関心も抱かれずに。

カーテンがまた閉まった。

 

世界からすべての音が消えてしまったみたいに感じた。一瞬が永遠に引き伸ばされたかのように感じた。全てを失った後みたいな喪失感が全身を支配する。

 

少しして、心臓の鼓動が戻ってくる。

徐々に体に何かが戻って、満たされていく。

その、時間にすれば数秒にも満たない刹那がバーテミウスの人生をより狂わせる事になる。

闇の帝王に対する忠誠心。ルビーの欠片のような深窓の令嬢への恋慕がそれを煽った。

あの人に認められたい。そして、いつの日かもう一度この目で彼女を…。

 

鶏が先か、卵が先か。

闇の帝王への忠誠あっての情欲なのか、情欲あっての忠誠なのか?バーテミウスはもうとっくにわからなくなっていた。

ただ今はその輝きが自らの手にある。

その感覚だけで脳髄の奥が痺れるような気がして、バーテミウスは深く深く息を吸った。

 

 

 

 

 

……

 

 

サキは走っていた。走って、走って、走っていた。

ホグワーツの前にある湖の辺りをぐるぐると、犬のように舌を出してヘロヘロになりながら走っていた。

「カヒュッ…」

変な音が喉から出た。血がものすごい勢いで血管を疾走っていく。心臓が破裂しそうだし息をするだけで胸が痛い。脚はかじかんで感覚がない。

やっとスタート地点まで戻ってきた。サキはとうとう地面に倒れ込んだ。

「よし、今日のぶんは終わり」

ムーディ先生がストップウォッチを止めてサキを俵のように担ぎ上げた。年寄りのくせにやたら胆力がある。もうセクハラだとかふざける余裕もなくてされるがまま担がれていった。

ダームストラングの生徒たちが奇異の眼差しを向けている。

 

クリスマス休暇が開けてムーディの特別授業が再開したその日、ムーディに何故か運動着を持ってくるように言われた。言われるがままに持ってきたサキは気付いたら走らされていた。

「強い魔法使いに必要なもの。それは強い肉体だ」

サキは耳を疑ったがムーディはマジらしい。そして金曜日の放課後だけでなく水曜の放課後まで走るハメになった。

「だいぶ速くなってきとるじゃないか?え?」

「……」

サキは心の中で罵詈雑言を浴びせていたが口には出さなかった。出す気力すらなかった。

「血を使う魔法で貧血になっちゃ笑えん」とのたまってる。悔しいが理に適ってる。

サキを汚いソファーに投げ捨てるとムーディは決まって濃いコーヒーを出す。それを飲めばすぐに立ち上がれるくらい元気が出るのだが、どう考えても怪しい薬が入ってる。でもそれすら気にならない程には疲れ果てていた。

「いつまで走らされるんですか…私は…」

「今月いっぱいだな」

サキは気が遠のいてコーヒーカップを置いてまたソファーに倒れ込んだ。

「さて、禁じられた呪文について授業でやった事は覚えてるな?」

「…服従の呪文を解く方法ですか?」

「そうだ」

ムーディはまたあのよくわからない飲み物をぐいっとやってサキの向かいの椅子に座った。

「服従の呪文は他の呪文と違って継続的にかけ続ける必要があるため解くことは可能です。解くの解釈によりますが…服従状態から覚めてくる時期が来ます。痛みに慣れるように」

「そうだ。そのために術士は何に気をつけるべきか?」

「…慣れさせないこと。量を増やすことですね」

「その通り。お前の血で解けるかだが…」

「いわば状態異常ですから解けないこともないでしょうね。けれどもおそらく手続きがいります。つまり血をかける、飲ませるだけでなく呪文に相当する何かが」

「ふむ」

「磔の呪文や死の呪文は不可逆だから私の血は役に立たないでしょうね」

ソファーから身を起こしてムーディと向き合う。

「試してみるか?」

「まだ死にたくないですよ!」

「冗談だ」

ムーディが言うと笑えない。服従の呪文はともかく磔も死もごめんだ。

「さーて。もういい時間だな。とっととお家へ帰れ」

サキはケツをひっぱたかれながら追い出された。

 

「大丈夫なのか?」

ムーディの特別授業の翌日はいつも眠かった。ウトウトしてたら卵をこぼしてしまい、ドラコに呆れられた。

「今度のホグズミード行きはどうする?」

「んん…もちろん行くよ」

眠たい目を擦ってテーブルを拭いた。今日の魔法生物飼育学はまともに起きて立ってられるか不安だ。危険じゃない動物だったらいいんだけど。

そう考えながらふらふらと畦道を歩いてハグリッドの小屋までいった。しかしでてきたのはハグリッドではなく全然見たことのない先生だった。

「どうもこんにちは。私はウィルヘルミーナ・グラブリー=プランク。ハグリッドの代理だよ」

何事かと囁きあう生徒たちを尻目にグラブリー=プランクは生徒たちを森の開けたところへ連れて行った。そこには一角獣がいて、女子たちが歓声を上げた。いままで死体しか見たことがなかったけど生きてる一角獣はとても美しかった。

「ハグリッドが休んでる理由、知ってるか?」

ドラコが囁くように言った。

「リータ・スキーターだ」

「え?誰それ…」

 

サキは後で日刊予言者新聞を見せられた。そこにはハグリッドが半巨人であると悪しざまに書かれていた。

「何これ。ひどい!」

「ポッターをベタベタに褒めてたやなやつさ。最近はポッターにも飽きちゃったみたいだけど」

「駄目だよこんなの読んでちゃあ。知力が下がるよ」

サキはそれをクシャクシャに丸め暖炉に突っ込んでやった。

「去年のクリスマスのこと思い出してイライラする!ああもう」

「そういえば…君が何かと気にしてたクラウチだけど、あの人もネタにされてたな」

「どんな?」

「今君が燃やしちゃったろ」

サキは口をへの字にして机においてあったボンボンの包を開けて口に放り込む。

「ま…スキャンダルはつきものさ。ただでさえクラウチは昔色々あったから」

「昔?死喰い人だったとか?」

「いーや…逆さ。死喰い人ハンター」

ドラコもボンボンを食べたがすぐに吐き出してしまう。ニシン味に当たったらしい。

「クラウチは魔法法執行部のやつで死喰い人を何が何でも裁いてたのさ。次期魔法大臣と噂されていたけど、失脚したらしい」

「なんで?」

「息子が死喰い人だった」

ドラコは嘲笑うように続けた。

「クラウチは自分の息子をアズカバン送りにしたのさ」

「へえ。それで左遷とはやるせないね」

「しかも三大魔法学校対抗試合もトラブル続き。そりゃ問題も抱えるよな?」

ドラコは他人事みたいだ。まあそれもそうか。サキとしてもワールドカップの席を取ってくれたくらいの関係性だし、心配といえば心配だけど突っ込むほどじゃない。

「死喰い人ね…今もアズカバンに相当いるの?」

「ああ。生きてればね」

「近寄りたくないねぇ」

ふーっとサキはため息をついた。ルシウスはシャバにいるけど死喰い人だし、純血主義者の大半は元闇の陣営だったと聞く。だったら今アズカバンにいない死喰い人だって沢山いるのだろう。

そういえばスネイプ先生って母を監視してたわけだし死喰い人のはずだ。刑を食らわなかったのはなんでだろう?

「ドラコはさあ、もしヴォ…あの人が戻ってきたらどうするの?」

「そんなのありえない」

「だからもしもだって」

「………うーん…そうだな…」

ドラコはじっくり悩んだ。

「きっと…あの人に従うんじゃないかな」

「本当に?」

サキは聞き返す。

「人殺しができるの?」

「したくはないさ!でも、僕は純血の一族の長男だし」

「したくないならすんなよ!」

サキは自分で話を振っておいてイライラする自分に嫌になった。けど不安なのだ。何かがジリジリと後ろに迫ってくるようなそんな嫌な予感がする。

サキが大声を上げたせいで周りから注目されてしまった。ドラコもびっくりしてる。

「…ごめん。ムーディの補習のせいで疲れてるんだ」

「あ、いや…ゆっくり休めよ」

ドラコは気まずそうに目を背けた。サキは足早に寝室へ戻って、制服のまま寝た。

 

 

ムーディの補習は次第にきつくなっていった。というのも、ここ最近は軽い運動後に血を取られるからだ。

サキは自分のどす黒い血が管を通ってポタポタと瓶に採集されていくのをぼんやり眺めた。左腕の手首の血管からにゅるーっと冗談みたいに伸びた管。これをつけてる間は身動き取れないので暇を持て余している。

もはやここまでくるとムーディの私的な好奇心によるものな気がしてならないが、それでもサキはなんとなく従っていた。

なにより闇の魔術に対する防衛術では実質試験免除になるし、ムーディの教えてくれる魔法や呪いは興味深かった。

「お前さんの血を様々な毒薬や呪いに対して使った」

ムーディは手書きの表を記して実験結果を逐一教えてくれた。

「やはり毒薬には効かんな。呪いに関しては…子供だましの既製品にかかった呪文は難なくクリア。お前に破れない錠はないだろうよ」

「じゃあ将来は泥棒になろうかな」

「つまらん人生を選ぶな」

「グリンゴッツくらい破れるようにならんとな。あそこは流石に無理だろう。…そして闇の呪文がかかったもの。これは物によるとしかいえん」

「例えば?」

「呪物そのものか、モノに魔法がかけられてるかによる」

「んん…もっとわかりやすく言ってくださいよ」

ムーディはため息をついて棚から何かを取り出した。

「例えばこれ。この箱には産まれたばかりのユニコーンの角が7本入ってた。これは呪物そのものだ。これに対してお前の血は無意味だ。なぜなら角そのものが呪われてる」

「…なんでそんなもの持ってるんですか?」

「そしてこれ。首にかけたら持ち主の首が落ちるまで絞め続けるネックレス。これはお前の血で壊せる」

サキはおそるおそるネックレスの方だけ持ち上げてしげしげと眺めた。

「…変な話ですね」

「なにがだ?」

「便利そうで便利じゃないですよ、こんな魔法。わざわざ代々繋いでいく意味があるんですかね」

「ああ。わしもそれについては疑問に思っている。闇の帝王はこんな呪い片手間で突破するだろうよ」

「はあ…母が生きてたら色々めんどくさくなかったのに」

瓶が一杯になった。毎回結構な量を採られてる気がするが鉄ジュースを毎回毎回飲まされるおかげでなんとか倒れずにやっている。しかしほんの小さな瓶とは言えこれだけの血が抜かれてると視覚的に分かるとゾッとする。

「ポッターはどうしてる?」

「ハリーですか?うーん…卵のこと持て余してるみたいです」

ハリーにはぜひとも勝ってもらいたいのでよく課題の進捗について聞くのだが何時もはぐらかされるのだった。その立ち居振る舞いが孤児院でしょっちゅう見た『宿題をやってない生徒』そっくりなのだ。

「ふうむ」

「先生も何か賭けてるんですか?」

 

「ああ、とびっきり大事なものをな」

 

 

 





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ランキング掲載されててびっくりしました。ありがとうございます。の絵


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09.第二の課題

「ハリー、本気なの?」

サキが信じられないと言いたげにハリーの目をじっと見つめていた。

「やらなきゃいけないんだ」

「でも…だめだよ」

「どうして?」

サキはおっきなボンベを抱えてその栓を弄くりながら慎重に言った。計器やホースの部分をじっと見て何かを確かめている。

「機械は学校では動かないんだ」

「そこはサキの技術力で…」

「やったことないから間に合わないよ。あと3日でしょ?」

そう…水の中でどうやって息をするか。出てきた案の一つがこの酸素ボンベだった。魔法以外でどうにかならないかとハリーが苦し紛れに言ったらハーマイオニーが冗談めかして提案したのだ。もちろん場を和ますジョークとして。

でもいよいよ方法が見つからなくてついにわざわざ買い寄せてサキに頼った訳だが…。

「ここのさ、計器の部分。上手く調整しないとすぐ酸素切れだよ。…ていうか魔法使いの大会でボンベはヤバイよ」

「…やっぱり?」

ハリーは頭を抱えた。薄々気づいてはいたけれど、自分より非常識な相手に面と向かって言われると凹む。

「でもハーマイオニーもいい案が思い付かないのか」

「呪文集とかは手当り次第読んだんだけどなかなかいいのがなくて」

サキはボンベを抱きまくらみたいにして寝転がった。固くていたそうだけど大丈夫なのだろうか。

湖の辺りの芝生は珍しく乾いていてピクニックに適していた。ここからはダームストラングの船を眺めることができる。

「あー、薬は?魔法薬」

「それも探したけどなかった」

「あ、そうなの。なんかあった気がするけどな…材料だったかな?」

サキはウンウンと唸ってごろごろ転がり続ける。

「フレッドとジョージに頼まれて調べたときに見たんだよね…なんだっけ」

相当難産らしい。服が芝生まみれになってくのをハリーはただ見ていた。

「思い出したら教えてくれる?」

「勿論だよ。…あ!」

サキはガバっと立ち上がって背後の方を向いた。ハリーもそっちを見るとネビルが本を抱えて何かを採集していた。

「ネビルー!」

サキが大声で呼びかけるとネビルはよろよろと足に長い蔦を絡ませて近づいてきた。あと少しのところで転んだので二人は助けに行った。

「大丈夫?」

「ああ、うん。ヌスビトヤブツタに捕まっちゃった」

「こんなとこに生えてたんだ」

「うん、この湖の側はかなり薬草が生えてるから何があるか調べてたんだ。ふたりは何してたの?」

ネビルはサキが持ってるでっかいボンベを見ていった。

「そう、ネビル。薬草詳しいよね。水のなかで息ができる薬草なかったっけ?」

ハリーはネビルがそんなの思いつくだろうかと不安に思ったが、ネビルはああ、と嬉しそうな顔をして手に持っていた本を捲ってあるページを見せた。

「これ。鰓昆布とかそうじゃないかな」

「どれどれ」

ハリーは鰓昆布のスケッチと説明文を読んだ。その名の通り、食べればエラが生えてくる昆布らしい。

「現状考えうる限り一番だ!ねえ、これはホグワーツに生えてるの?」

「え…どうだろう?」

ネビルは図鑑とにらめっこした。

「うーん、チベットの方なら自生してるみたいだけど…」

「スネイプ先生の薬品保管庫ならあるかもね」

「あそこにまた忍び込むしかないのか…」

ハリーはついこの間、忍びの地図上で『バーティ・クラウチ』の名を見たことを思い返していた。あの日スネイプに見つかって以来警備は強化されてるはずだし、忍びの地図もムーディにあずけているし、かなり危険だ。

「私盗ってくるよ!」

サキが朗らかに犯行声明を出したがハリーは慌てて止めた。スネイプの警備はおそらく過去最高に盤石だろう。なにせドクツルヘビまで盗まれてるし…。

「鍵開けるの得意だからまかせて」

しかしサキはそう言って聞かない。必死に止めると渋々折れて

「じゃあもし前日までに他の策を思いつかなかったらお願いするよ」

「わかった」

という風にまとまった。

ネビルの方も他に入手しやすい植物があったら教えてくれるとハリーを励ましてくれた。

 

「ネビル、意外と詳しいのね」

鰓昆布のことを話すとハーマイオニーはううんと唸った。自分が思いつかなかった手をネビルがすぐに出してきたのが微妙に悔しいらしい。

明日はもう第二の課題の日だが、三人はまだ図書館で他の方法を探していた。

「でも私も盗みに入るのは反対だわ」

「君が言うのか?」

ロンがすかさずつっこんだ。まあね、とハーマイオニーが笑った。

「でも鰓昆布以上にいい手は思いつかないよ」

「まだ一晩あるわ…もう少し粘りましょうよ」

ハーマイオニーがうんと厚い本を棚から引っ張り出したとき、マクゴナガル先生が近づいてきた。

「グレンジャー、ウィーズリー、ちょっといいですか?」

ロンとハーマイオニーは二人揃って頭に疑問符を浮かべた。マクゴナガル先生はろくに理由も述べずに二人を引っ張っていってしまい、ハリーは薄暗い図書館に一人残されてしまった。気分も浮かないしもうサキの世話になってしまいたかった。

幸い消灯時刻はまだ先なので、サキがいそうなところを探すことにした。

まずは広間のそばのベンチ、そして中庭。彫刻の台座。今日に限ってなかなか見つからないなと思いながら地下へと続く階段を覗くとあっさり見つかった。

「最後に頼るのはやっぱり私でしょ?ハリー!」

サキは重大な校則破りを前にしてかなり嬉しそうだった。

「本当に大丈夫?」

「まかせてまかせて」

二人して地下室へこっそりおりて、スネイプの薬品庫の前まで行く。

サキはハリーはここで待っていて、といったジェスチャーをしてから忍び足で扉の前まで行った。

サキは赤い液体の入った小瓶を取り出して錠前に中身をかけようとしたが、鍵穴の部分を見て首を傾げた。

するとバシッと音がしてサキのすぐ前にしもべ妖精が現れた。

サキは悲鳴を我慢して数歩後ずさる。

「…シンガー様?」

「…君、ドビー?」

現れたのはドビーだった。ハリーも慌てて二人のそばに駆け寄る。

「おお、ハリー・ポッター!」

「シーッ!ドビー、シーッ!」

ハリーは慌てて口の前に指を当てて、ドビーを地下室からなるべく離れた場所に引っ張っていった。

「なんで君がここに?」

「ドビーらは命じられていたのです。薬品庫に近づくものがあればすぐ様現場を押さえるようにと」

「おのれ小癪な」

サキが忌々しそうにつぶやく。ハーマイオニーがいたら多分怒ってただろう。

「僕ら、どうしてもあそこに用があるんだ」

「ドビーはハリー・ポッターの味方でございます!一体どんな御用で?ドビーめに是非おまかせください」

「ちょ、ちょっと!私の役目が…」

「サキ、目的と手段が入れ替わってるよ。手に入れることが大事だろ?」

ハリーの言い分にサキは渋々引き下がった。

「鰓昆布だ。たのむよ」

ドビーは嬉しそうに頷いてまたバシッと音を立てて消えた。

「…しもべ妖精は自由自在だね」

「魔法の種類が違うからね」

ハリーは屋敷しもべの魔法について秘密の部屋の時に知ったがサキも知ってたらしい。

「ドビー、ホグワーツにいたんだね。最近厨房に行ってなかったから知らなかったよ」

「ああ、今年からみたい」

そういえばドビーはマルフォイ家のしもべだったからサキも面識があったらしい。意外なところで知り合いの輪が繋がっていたわけだ。

「あーあ。試したいことあったのに」

校則破りができなかったのがさぞかし不満らしい。サキはぶーたれて柱にもたれかかっていた。

するとまたバシッと音がしてドビーが現れた。手には鰓昆布が詰まったフラスコが握られている。

「ありがとうドビー!本当に助かった」

「ハリー・ポッターのお役に立ててドビーは幸せでございます。ご健闘をお祈りしております!」

「よし…あとは寝て備えるだけだね」

サキは立ち上がり、ドビーと握手をしてハリーの肩を叩いた。

「サキ、ありがとう」

「結果何もしてないけどね」

「いや。嬉しいよ。ロンとハーマイオニーは急に消えちゃうしさ」

「ふうん。なんで?」

「さあね」

サキはグリフィンドール塔の前まで送ってくれた。にこやかにバイバイを告げると汚いぞポッターの替歌を歌いながら帰っていった。

 

そしてついに試合の日がやってきた。生徒たちは湖上に建てられた特別観戦席に小舟で次々と向かっていく。

フレッドとジョージはバカラを開催。サキはハリーに、ドラコはクラムに賭けた。

「フラーに賭けない?今なら凄いぜ。勝てばなんと10倍」

「今回はハリーに勝ち目があるしハリーだな」

「残念だ」

コリンがたまたま観客席で隣だったのでカメラを見せてもらううちにダンブルドアの開始の合図が響き渡った。

観戦といっても生徒たちはドラゴンのときと違って水面を眺めることしかできない。はじめのうちは時たま浮かんでくるアブクにわあわあ叫んだりしてたがそのうちみんな飽きてしまった。

「マーピープルか…君見たことある?」

「あー…誰かが談話室の窓から見たって言ってたな」

「ほんとに?」

「噂だよ」

湖は灰色の空の色を映してかやっぱり灰色で、深くなるにつれ闇が濃くなっていくのがわかる。藻や水草が水面近くまで伸びていてところどころ斑に暗緑色をしていた。

ぼーっと風に波立つ水面を見てると、生徒たちから悲鳴が上がった。

慌てて双眼鏡を向けるとフラーが水中から引っ張り出されて震えていた。

「フラー・デラクールは棄権のため失格となる」

続いてダンブルドアのアナウンス。フラーは毛布をかぶってガタガタ震えてる。身体には赤い痣が沢山できている。今回の課題は1回目よりはるかに危険なようだ。

「賭けなくてよかったな」

ドラコが小さくつぶやいたので心の中で頷いておいた。

生徒たちの視線は再び水面に釘付けになった。

またも誰かが浮上してきた。セドリックだ。チョウ・チャンを連れている(付き合っていたのか)となるとクラムとハリーの人質って…。

すぐ次にクラムが上がってきた。顔が半分サメになっている。中途半端だが要するにエラさえあればいいという発想はハリーと似てる。

案の定ハーマイオニーをしっかり抱きしめていた。

「…ポッターはまだか?」

「そろそろ制限時間だ」

サキはハラハラしながら水面を見た。一度大きなあぶくが弾けたと思った瞬間、ハリーが勢い良く水面から飛び出てきた。

何故かロンともう一人、小さい女の子を掴んで。

「ねえ、飛距離は加点になるかな?」

「ならないだろ」

審査員は審議をしている模様で生徒たちのざわざわが湖上に広がった。

 

「えー、レディースアンドジェントルメン。審議の結果がでました!マーピープルの女長、マーカスが湖底で何があったのか仔細に話してくれ…」

バグマンの音量調節がなってない大声がビリビリ響き渡る。

フラーは途中で失格になったが25点。一位のセドリックは47点で、2位のクラムは45点だった。クラムの得点を聞いてドラコがクソっと呟いた。

そして肝心のハリーは人質を余計に助けたことが評価され、なんとクラムと同じ45点をもらった!これでハリーはセドリックと同率一位だ。

「ふふ…ニワトコの木材は近いな」

「まだクラムだって僅差だろ!」

 

湖底で何が起きたか生徒たちは全くわからなかったのでハリーやセドリック、人質のロンまでもが生徒たちの注目の的になった。一週間も経った頃には終わってすぐハーマイオニーから聞いた話より随分とスリリングでロマンチックな冒険劇が生徒たちの間でまことしやかに囁かれた。

「全く…どいつもこいつも」

又聞きで真相を聞いたドラコは特にロンに対して不満げだった。

「ウィーズリーが何をしたっていうんだよ。眠って、起きただけだろ」

「まあ少なくともマーピープルとは恋に落ちてないはずだよね」

サキはくすくす笑いながら、ハリーにお礼としてもらった大量のお菓子のうち一番持て余している百味ビーンズを食べた。

食べれなさそうな色のものはクラッブ、ゴイルに渡している。面白いくらい黙々と処理してくれるので助かる。しかしゲロ味だろうと土味だろうと動じず食べれるっていうのはちょっと怖い。

「ねえドラコ、これ見た?」

パンジーが甘ったるい声を出して突然やってきた。手には日刊予言者新聞を持っている。

嫌な予感がした。

案の定、例のリータ・スキーターのゴシップ記事がでかでかと載っている。

「ほら、私の名前が載ってるの」

「ハリー・ポッターの密やかな胸の痛み…ねえ」

そこにはハリーがハーマイオニーに弄ばれてるかのような文章と愛の妙薬使用疑惑(関係者筋)が面白おかしく書かれていた。

「全く不快な新聞だ」

サキはひったくって前と同じように暖炉に突っ込んでやった。

「ちょっと!私のよ!」

怒るパンジーに対してサキはピシャリと言った。

「これ以上馬鹿な噂をたてるようなら呪いをかけてやるからね」

「脅迫よ!」

「脅迫だよ」

「酷いわ。ドラコ、なんとか言ってよ」

「サキ、えーっと…取り敢えず甘草アメ食べるか?」

ドラコに手渡された杖型甘草アメをバリっと噛み砕いてパンジーから顔を背けてやった。

パンジーはまだ憤然としていたがドラコがなにやらお世辞を言って追い返してくれた。

「あ…サキ、時間大丈夫か?」

「おっと…」

時計を見るともうとっくにムーディの特別授業の時間だった。

「じゃあ行ってくらぁ」

おちゃらけて出かけていくサキをドラコは心配そうに見送った。

 

 

サキは軽やかにムーディの元へと向かおうとした。しかし誰かにがし、と腕を捕まれ阻まれた。

びっくりして腕の先を見ると闇に紛れてスネイプ先生が立っていた。先生は全身の80%は黒いので暗闇の中にいると下手したら気付かない。

「な、なんですか。まだ全然夕方ですよ!」

「サキ、我輩はこの4年間再三言ったはずだ。危険な真似はするなと」

「し、してませんよ。今年は」

「ほう。我輩の薬品庫に忍び込むのは危険ではないと?」

「げえっ!いや、私なんのことだかさっぱり」

「しらばっくれるな。薬品庫には普通の魔法使いが入れぬよう何重も呪文がかけてある」

スネイプは暗にサキの血の使用を疑ってるのだろう。

「ルミノール検査してみてくださいよ!絶対、誓って血を垂らしたりしてません!やってません!」

心の中で「やろうとしただけで」と付け加えとく。現に実行犯はドビーなのだから嘘は言ってない。

「もし嘘をついてたら…」

スネイプは蛇が威嚇するように殆ど口を開けずに言った。

「来年は一年間ずっと放課後罰則だ」

「二度と…あ、いや。誓って絶対、入りません」

スネイプはまだ疑っていたがジロっとにらんで地下牢へ戻って行った。相当疑われてるようだ。用心しなければいけない。

去年フォード・アングリアの場所が特定されたときのような手でバレたら来年、放課後の自由はない。

 

「来年か…」

 

サキは左手の手首に浮かぶ血管を見た。青い血管が肌に透けて見える。

どことなく不安だ。ずっと、なんでかわからないけど。

左手をぎゅっと握り締め、階段を登った。

廊下の明かりが切れてるせいかひどく暗かった。



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10.Comfortably Numb

妻亡き後、屋敷の中は死体みたいに冷たくて、固くて、凍ってる。バーティの感情もまた同様に凍りついていればまだ楽だったのに、生き延びてしまった息子の顔を目にすると否が応でも揺さぶられる。

禁じられた呪文を息子にかける度、後悔や憎しみや、同時に一緒に過ごしてきた時間の温もりや愛情がからからに干からびたバーティの心からじわりと滲み出て、それが体の奥底に澱のように沈殿している。

あの日、法廷で息子を裁いた日から、バーティは泥の中でひたすら足掻いてるような気持ちで生きてきた。

純血としての誇りを持つよう精一杯手塩にかけて育ててきたのに。

その結果が遺体のない空っぽの妻の墓と狂人となり死にかけた息子なのか?

 

私は一体何に尽くしてきたんだろう。

 

暗黒の時代を切り裂いて生き抜いて、ただ公に尽くし邁進してきたのに閑職に追いやられ、今ではご機嫌取り呼ばわりだ。

かつて悪事を働いていた元死喰い人が仲間を売ったその口で自分より上等なワインを飲み、座り心地のいい椅子にかけている。

私は暗い部屋の中、屋敷しもべのすすり泣きを聴きながら服従の呪文を唱え、とろんとした息子の顔を眺めている。

 

あんまりだ。

こんなの、あんまりじゃないか。

私が死ねばこの血統も絶えるだろう。

何もかもおしまいだ。

絶望。後悔。憐憫。愛情。

今まで法廷で麻痺していた感覚が一気に襲い掛かって、影のようについて回る。

 

一体私はどこで間違ったのだろう。

向けられた杖先をじっと見ていると、そういう気持ちが麻痺していく。心地よく麻痺して、そして…気づけばまたどっぷりと絶望の沼にいる。

いや、はじめからずっとそこにいたんだ。

堂々巡りの悲しみの輪の中でただ悔いている。

なぜ

どうして

あの時どうすればよかった?

 

「…あ、ぁああ…」

 

もはや今は口から出るのは泣き声未満の未分化の言葉だけ。

自身の犯した罪を悔いた。

それと同時に罰が怖かった。罪悪感と恐れがぐちゃぐちゃになって自分が内側から潰れてくように感じる。

 

懺悔しよう。

そして今度こそ法の下息子と自身を裁いてもらおう。

もう私にできるのはそれだけだ。

早く、まだ自分がどこにいるのかわかるうちに屋敷から逃げなければ。

見張りはザルだ。

まだボケてると思われてる今がチャンスだ。

服を着て、帽子を被って、そして…そして?

「ダンブルドア」

そう、彼のもとへ…

 

 

 

 

 

 

 

サキはひたすら羽根を見つめている。

口も開かず、目の前の羽根を浮かせようとしていた。ムーディの特別授業は血を採るだけから無言呪文の訓練に変わった。

本来ならば6年生にやるような内容だがムーディはそんなのお構いなし。羽根を浮かせるまでは次に進まない。

そういうわけで無言呪文の訓練が始まって3回目の今までずっとサキは黙って羽根を見てる。

「はあ…」

なんだか馬鹿らしくなってちらとムーディの方を見た。ムーディは羊皮紙とにらめっこしてる。しかし魔法の目はギョロギョロ動き回っていて、サキとがっちり目があった。

なんだか催促させられてるような気がして急いで目を逸らした。

また意識を羽根に集中させたとき、突然ムーディが立ち上がった。

「シンガー、ここで待っとれ」

「あ…はあ」

もう随分暗いんだから解散でもいいんじゃないか?と意見しようとしたがもうムーディ先生は義足をコツコツ鳴らして部屋から出ていってしまった。

急用らしい。サキに目もくれずドアも閉めずに行ってしまった。

集中力も完全に切れてしまったのでおっきく伸びをして椅子にかけて羽根で遊んだ。

イースター休暇も学校に残るし、しばらくずっと無言呪文の訓練だろう。つまらないな。

ちょうど今第三の課題が発表されてるので、何かハリーから要請があれば色々やることもできるのだが、一体どんな課題になるのだろう。

今年一年はなんやかんやで平和だった。勿論ハリーは大変だったろうけど、サキ個人としてはただただ楽しかった。だからこそ第三の課題が心配だ。友達に何かあったら楽しい一年も大ナシだ。

サキはなんの気なしに立ち上がり、ムーディが熱心に見ていた羊皮紙を見てみた。

「地図…?」

忍びの地図だ。確かフレッド、ジョージがハリーにあげたんじゃなかったか。なぜムーディが持ってるんだろう?

サキも一度かりたのだがこの地図、畳むのが大変なのですぐ使わなくなった。自分の勘で覚えたほうが早い。

「…ん?」

広げられた地図に名前がいくつかダブってるところがあった。

目がおかしくなったのか?ぐりぐりと擦ってからまた見ると、名前は一つしかなかった。

『バーティ・クラウチ』

「…具合良くなったのかな」

最近よく新聞でかきたてられてるようなので、野次馬半分でちょっとだけ心配していた。第三の課題発表の日にクラウチ氏がいるのは何らおかしいことでもない。

サキはこの時さして気にせず地図から興味を失いまた羽根を浮かせることに意識を向けた。

しばらくしてムーディが戻ってくる。

「シンガー、今日はもう帰れ」

「あ…はい。何かあったんですか?」

「クラムが何者かに襲われた」

「えっ、大事件じゃないですか」

「そうだ。だから早く帰れ」

何だか追い出したがってるようにも見えたので、余計な口を利かずに出てくことにした。気がたってる相手はだいたい触れたらキレるのでこうするのが1番だ。

地下牢に戻るとのほほんとした空気でクラッブ、ゴイルがケーキの食べ比べをしていた。そのケーキのうち一つはサキが作った鼻血がとまらなくなるヌガーが入っている。

サキはニコニコしながら二人の様子を観察した。

 

 

 

 

「クラウチが消えた?」

ハーマイオニーは屋敷しもべの資料を作りながら悩ましげにため息をついた。

「忽然とね。かなり錯乱していたらしいわ…」

「事件の匂いがするね」

「でしょう?でも公になってないしあまりにも情報が少なくて何もわからないわ」

「ふうん…」

サキは無言呪文についての本をパラパラめくって、ろくに目を通さず閉じた。忍びの地図のことはすっかり忘れていた。

「ねえ、第三の課題はなんだって?」

「迷路、らしいわ」

「燃えるね」

「だからハリーに呪文集を借りに行きなさいって何度も言ってるんだけどクラウチの事で頭がいっぱいみたい」

「そんなにクラウチはおかしかったの?」

「うーん。木をパーシーだと思って話してたらしいわ」

「ワオ、重症だね…」

辛い思いをしてきてついに壊れてしまったんだろうか?あれだけしっかりしていた人がそんなふうになっちゃショックも大きいだろう。なんだか物悲しい話だ。

「気になることを言ってたみたい」

ハーマイオニーが言うか言わないか悩むときの顔をしていた。こっちを見ないで中空を睨んで眉をハの字にしてる。

「例のあの人が…強力になったって」

「え…」

急に背筋が寒くなった。なぜクラウチ氏が突然そんなことを言い出したんだ?

そしてその直後に行方不明なんて、明らかに事件じゃないか!それでムーディも慌ててたんだろうか。

「ハリーが心配だ」

「私はあなたのことも心配よ」

ハーマイオニーが真っ直ぐサキの目を見ている。

「サキは…言わないけど、あの人のことをすごく怖がってる」

サキは思わず目を逸らしたくなるがぐっとこらえた。ハーマイオニーはサキの手をぎゅっと握った。他人の体温は温かい。

「あなたが言いたくないなら聞かないわ。でも、忘れないで欲しいの。…私達、サキの味方だからね」

「ありがとう…」

「ホグワーツにいればきっと大丈夫だわ」

ハーマイオニーはニコッと笑って手を離した。

サキはなんだか照れくさい気持ちを笑ってごまかした。

 

 

 

……

 

 

 

ハカマオニゲシの花が咲いていた。

鮮やかな朱色の花弁のなかにゾッとするほど黒い基部が見える。

「これには微量の麻薬が含まれてるの」

リヴェンはその花を眺め、手折った。珍しく外に出て庭を弄って疲れてしまったらしい。パラソルのあるベンチに座ってぼうっと手折った花を見ていた。

「母はそういうのを集めるのが趣味だった」

変な母親だったらしい。彼女の母親はとっくに亡くなっていて顔は見たことないが、きっと彼女そっくりなんだろう。なんだかそんな気がする。

「もう庭いじりは無理ね」

彼女の顔は白を通り越して青かった。椅子に座って日々を過ごす彼女にはちょっとした草むしりも堪えるらしい。冷や汗まで浮かべている。

「部屋に戻られますか」

「ええ」

支えるために取った手も冷たかった。このまま死んでしまうんじゃないかというくらいに弱々しくて影が薄い。

彼女の必要最低限の生活用品しか置かれていない。他の部屋がアンティークなどで飾られているのに対してこの部屋はあえてそれを排除したかのようにがらんどうだ。

 

「もう死ぬわ」

 

まるで寝るのと同じようにそんなことを言う。セブルスは突然で反応に困った。最近ますます彼女をわからなくなる。まるでバラバラにした物語の断片を読んでるみたいだった。

「そんな事おっしゃらないでください」

しかしセブルスも薄々彼女に死の影を感じていた。その影は拭いきれないほど濃くなってきている。

リヴェンは返事をしなかった。

「母と同じ。わかってた」

「ご病気ですか」

「いいえ」

禄に日の光も浴びず、自身を埋葬するようにこの隔離された屋敷で死ぬ。その侘しさが自分の母親と少しダブった。セブルスの母も、そうだった。

「セブルス。頼みがある。文字通り一生のお願い」

リヴェンは今まで見たことないくらい意思の宿った瞳でセブルスを見つめた。

 

「私が死んだら………」

 

 

 

………

 

 

 

 

 

「いいんですか?!」

「ああ」

サキは運営委員会の着ている黒いローブを着てくるりと一周回った。

無言呪文を成功させ、その他様々な呪いを覚えていき6月になった。

ムーディは第三の課題の迷路をプロデュースしており、その手伝いをサキに持ちかけた。手伝いと言っても選手の上げる緊急時の花火を観測して位置をメモするだけの役割だ。

しかし観客席と違って迷路の様子が見れる。双眼鏡があれば生け垣の中だってちらりと見れるし、迷路の設計図も手にはいる。ハリーに見せる事は流石にスポーツマンシップに反するのでしないが、自分だけはゴールを知ってるというのはなかなか愉快じゃないか。

「頑張ってきてよかったー」

「その代わり、正確に頼むぞ」

「はーい」

サキは嬉しくてまだローブを脱がなかった。ムーディはニヤリと笑ってまた例のジュースをぐいっとやった。

なんやかんや1年近く補習を受けてきてムーディともすっかり打ち解けた気分だ。闇祓いという仕事にも興味を惹かれたし自分の力がついた気がした。残念ながら来年は教師を辞するらしいが、生徒の大半はムーディにまだまだホグワーツで教えてほしいと思ってるだろう。

 

「補習、逃げ出さずにやってよかったですよ」

「逃げても捕まえるがな」

 

試験が終わる6月24日、いよいよ第三の課題が始まるのだった。

 

 



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11.墓場へ至る道

吹奏楽団がフリットウィック先生の指揮に合わせて音色を奏で、生徒たちがわいわい騒いで選手の入場を待っている。試験が終わった開放感からかみんな笑顔だ。

曇天の夕暮れ時にもかかわらず会場は熱気に包まれて明るく輝いて見えた。

サキは運営の黒いローブを羽織って、支給された双眼鏡を首にかけた。

「記録係か。頑張れよ」

「ばっちし記録しちゃうぜー」

ドラコは一緒に見れないのを残念がりつつも、監視席で見れるサキを羨ましがってた。サキもちょっぴり得意気にその双眼鏡を構えておちゃらけた。

そうこうしてるとムーディが遠くから手を振ってるのが見えたのでそっちへ駆け寄った。

バグマン、パーシーを始めとした運営の最後の確認らしい。パーシーはクラウチの代理で審査員になれないことに不満げだった。

「ムーディ先生の個人的な記録のため、とのことだが…くれぐれも安全に試合が終わるよう、よろしく頼むねシンガーくん」

「歴史的イベントに携われて至極光栄です」

パーシーの真似をして大げさにお辞儀してみたら結構受けが良かった。そしてそういう口上が嫌いな迷路を仕込んだ張本人、ムーディが咳払いして手短に迷路の説明とそれぞれの役割を確認した。

「特別仕込だ。心配するな…。さて、我々教師陣は迷路の外側で巡回する。勿論すぐ位置はわかるから、シンガー、お前は記録にとにかく集中しろ」

「ご自身の作った罠の出来が気になりますか?」

「そんなところだ」

マクゴナガル先生もちょっとぴりぴりしてる。危険な競技が始まるのだから無理もない。サキは手渡されたクリップボードに挟まってる地図と罠の数々を見てギョッとした。他の個体を全部殺して生き残った飛び切り強い尻尾爆発スクリュートまで設置されている。こいつが弾けたら下手したら遺体も残らない。盾の呪文を一緒に練習しててよかった。

「シンガーはあそこだ。あの一番端の櫓に登れ。お前も万が一があったら花火を打ち上げろ」

「はい」

「アラスター、本当に安全なんですね?」

マクゴナガルはサキが櫓に登るのにいい顔をしない。未成年というのもあるから慎重になってるのだろう。しかしせっかく他とは違う体験ができるチャンスをみすみす逃したくはなかった。

「ああ。そう心配するな。こいつが余計な気を起こさん限りは安全だ」

「間違っても櫓から降りませんよ」

サキが気合十分と言わんばかりにクリップボードを胸に抱くと、もう代表選手の入場時間が迫っていた。みんな慌てて持ち場につく。

「シンガー、こっちだ」

ムーディに言われて大急ぎで櫓の方まで向かった。

 

「なんかこっちまで緊張してきますね」

サキは歩きながらクリップボードを胸にだいてはやる気持を抑えた。ムーディは例のコツコツ歩きをしながらぐびぐびと例のジュースを飲んだ。

「ああ、一世一代の大勝負だ」

ムーディがやたら大げさな言い回しをするのでサキはくすっと笑ってしまった。

「私にはそうかもしれないけど、先生はもっとすごい修羅場をくぐってきたんじゃないですか?」

 

「ああ、たしかに死線は幾度かくぐってきたさ。闇祓いどもから逃亡したとき、アズカバンでポリジュース薬を飲んだとき。あのワールドカップの晩…」

「えっ?」

 

ぼちゃ、と。

ムーディの持ってる水筒から粘性の高い水音が聞こえた。急に周りの音が遠くに聞こえた。

ぱちぱちと爆ぜる篝火と遠くから聞こえる歓声。生垣がみちみちと根ごと移動する音。

 

「今、なんて」

 

夕焼けの最後の煌めきが地平線に沈んだ。揺らめく炎と火の粉だけが足元を頼りなく照らしている。

「そう、ワールドカップでお前を見つけたとき俺はまさに夢から醒めた心地だったよ。感覚がなかった全身に血がめぐるようだった。俺は目の前にあった杖をこっそり奪い取り、ついに親父の忌々しい呪文から覚めたんだ」

「…あなた、誰ですか?」

「名乗ったところでわかるまいよ」

サキはとっさに杖を握った。クリップボードが腕から滑り落ちて紙片が舞う。しかしムーディはとっくに杖を持って、サキに向けていた。

 

「ステュービファイ!」

 

 

 

……

 

屋敷の女はマクリールという姓だった。

マクリール。神話に出てくる魔法使いの名前を冠する女。

彼女の存在を知るのはごく僅かなようだ。

セブルス・スネイプが彼女の監視任務についてると聞いたときは悔しくて仕方がなかった。

聞けば学生時代に交流があったらしい。なるほどあの女にも学生時代があったのかと思うと不思議な気持ちになる。あの時間の停滞した空間に居る彼女が成長し、老いていくというのは想像しがたい。冒涜的だ。

他に監視についたのはレストレンジ夫妻くらいで、屋敷を知っていても彼女の顔を知ってるものはほとんどいないと言っていいだろう。

「あの女の話をするんじゃない」

ベラトリックスはひどく気分を害したようで、バーテミウスの顔を張り倒さんばかりに髪を振り乱した。

「あの人でなしは我が君を惑わして余計な手間をかけさせる。忌々しい女だ」

どうやらバーテミウスとは随分違う意見らしい。残念ながらこれ以上怒ったベラトリックスに話を聞くことはできなかった。それは燃え盛る篝火に油を注ぐことと同じだ。

 

「闇の帝王は…」

卑怯者のセブルス・スネイプはいった。

「彼女の存在を隠しておいでだ。ならばそのご意思に背くようなことはすべきでは無い」

あの果実の甘さを知っているくせに教える気はないらしい。ただ学生時代に知り合いだったから彼女の側近へ迎えられたくせに。

「どうしてもお近づきになりたいのなら努力するしかない。闇の帝王に気に入られるように」

しつこく付き纏うバーテミウスにセブルスは吐き捨てるように言った。

それからはどんな汚れ仕事も進んでやった。父の書類も盗み見て、情報を流した。やれることは何でもやって、あの人に身も心も捧げた。

あの人がハリー・ポッターの前に倒れても、バーテミウスは献身以外の生き方を忘れていた。

そして…あの地獄のようなアズカバンで何度も何度も望んでも手に入らないという絶望を味わわされても、あの女に一目会いたいという意志は変わらなかった。

 

服従の呪文は甘く、重く、ベッタリとしている。

抜け出すことが難しい蜜のような泥沼の中で13年も抜け殻のように生きた。自分が何に尽くしてきたのかわからなくなってきたあるとき、ウィンキーの説得でクィディッチワールドカップに連れて行かれたあの日。

イングリッシュガーデンで過ごしたあの刹那を思い出した。

深い色味の黒髪と赤い赤い唇。違ったのはその顔に浮かべる生き生きとした表情だけ。

 

「マクリール…」

 

目の前で座り込んでいる少女は怯えた顔をしていた。あの窓際の女なら決して浮かべないであろうガラス細工を内包したような繊細な表情。炎を映す瞳。

 

「マクリール…!」

 

全身が空っぽになったかと思った。封じ込められていた理性が体に巡った。その少女の手の甲に口づけしたその確かな触感に夢じゃないと確信して、自分が今成すべきことがわかった。

断片のように揺蕩っていた記憶が歯車のように合わさった。

 

そしてついに今……

 

 

………

 

 

 

霞む視界の向こうで何かがキラキラ光っていた。炎だろうか?焦点を合わそうとそれをしばらく眺めていると、額縁が見えてきた。これはどうやら鏡らしい。

サキは頭を上げて周囲の状況を確認した。

いつもお馴染み、闇の魔術に対する防衛術の教室に隣接するムーディの部屋だ。

サキの両手は椅子の後ろで拘束されていた。足も椅子の足に縛り付けられていて身動きが取れない。厳重に胴にまで幾重にも縄が巻かれている。

口も猿轡を噛まされていて発語できない。よだれがどんどん吸い込まれていくから口の中が気持ち悪い。

 

一体どのくらいたったんだ?

試合は?

あのムーディは一体誰なんだ?

 

様々な疑問が頭に浮かんだが今答えが出るはずもない。

兎に角何かしなきゃと思って体を揺らした。思いっきり揺らせばちょっとはガタつく。でもそれだけだ。

なぜ自分は捕まり、今は一人で拘束されているのか。自分一人が狙いならこうして放っておくわけないだろう。

ハリー・ポッター。考えられるのは彼しかいない。

何をするつもりかわからないけどハリーとサキときたら敵はだいたいヴォルデモートだ。

そうと決まれば早く逃げなきゃいけない。

サキはめちゃくちゃに体を動かして拘束から逃れようとした。しかし揺すっただけで解けるはずもなく、勢い余って椅子が横転してしまう。

物凄く痛いが悲鳴すら上げられない。

サキの唸り声と物音に共鳴するようにトランクから洞窟の空洞音みたいな不気味な音が聞こえた。

サキはとりあえず上を見上げた。なにか縄を切れるものがないか探したがよく見えない。

どうしたものかと正面を見ると、鏡に無様に倒れる自分の姿がうつっていた。

サキはちょっとためらったが、もはや手がないということでその鏡の方へ必死に近づいた。そして唯一自由の利く頭を思い切り仰け反らせ、頭突きした。

鏡に大きなヒビが入って額縁からこぼれた。一番大きな破片は切っ先をこちらにむけてキラキラ輝いている。

ぞわ、と鳥肌がたった。けどやらなきゃいけない。

動悸が激しくなり鼻息が強まる。

目をつぶりたくなるけどそうすれば余計怪我をする。

サキは自分の口をがっちり縛る猿轡の頬に当たってる部分をその切っ先に近づけた。

頭をガクガクとふって小さな切れ込みを必死に広げようともがく。首の筋肉が攣りそうだ。

どんなに気をつけても目の前に突きつけられるガラス片にゾッとする。

自分の虹彩がガラスいっぱいに映り、遠ざかる。自分の瞳の色を初めて意識する。

切っ先が頬を掠めて時折痛みが走るが躊躇ってはいけない。

「ぐ…」

くぐもった悲鳴が口の中で篭った。

首が痛くて位置がズレてしまった。布を貫通してざっくりと深く頬が傷ついた。

しかしおかげで猿轡がぼとりとおちた。

「げほ…」

咳き込んでしばらく首の筋肉を休めた。体温と同じ血の温度は感じないけれど流れ出して乾いて固まっていく血のパリパリと不快なこと。

「誰か」

声を出してみた。

当たり前のように返事はない。みんな三大魔法学校対抗戦をみてるのだから当たり前だ。

無駄だとわかりつつ出す悲鳴ほど虚しく響くものはないだろう。

 

「誰か!!」

 

どこか遠くで花火が上がる音が聞こえた。

 

冷たい床が痛みで熱くなる頬を冷やしてくれた。

ずっと体をよじらせていても全然縄が緩まない。

「……」

黙って床の振動を感じ取ろうと目を閉じた。

目を閉じてるうちに時間が止まったような変な気分になる。遠くに聞こえる叫び声や太鼓の音をぼんやり感じ取りながら目の前に広がる暗闇を見てると、ひょっとしたら私は一人っきりでここで死ぬんじゃないかとすら思う。

夢を見ているようだった。

夢。

ムーディ先生の姿をあなたはどんな夢を見ていたんですか。

 

 

「…!…………!!」

 

声が近くで聞こえた気がして、サキはハッと目を開けた。

椅子ごと体を揺らして叫ぶ。

「誰か!誰か!」

サキの声を聞きつけたのか、足音がドタバタと近づいてきた。

「シレンシオ」

ばん、と扉が開かれていきなり呪文をかけられる。途端に口から声が出なくなり、その人物…ムーディが椅子の足を蹴りつけガラス片の中まで飛ばされてしまう。破片が服を切り裂いて皮膚に傷がつくのがわかった。

そしてムーディはすぐにサキに透明マントを被せてしまう。

「だれが…」

ハリーの声がした。

「だれがいるんですか」

ハリー!

サキは心の中で悲鳴を上げた。

逃げて!そいつおかしいよ!

けれども届くわけもなくハリーはムーディにはぐらかされて椅子に座らされた。全身泥だらけで所々血が滲んでいる。顔面蒼白でひどく取り乱していた。

「何があった?」

ムーディはお茶を淹れてハリーに差し出した。ハリーはそれどころじゃなさそうだけど口をつける。

「あいつが…ポートキーの先にいたんです。ワームテールに抱かれて…僕、血を取られた」

「見せてみろ」

ハリーは左腕を差し出した。そこには縦に切り傷が走っておりまだ血がダラダラとたれていた。

「それで、墓には誰がいた?」

「墓には……」

ハリーは言葉を切る。

 

「僕、墓に行ったなんて言ってません」

 

そしてハリーと目があった。透明マントの魔法がサキの血で解けてしまったようだ。

「なんで…」

ハリーは頭がパンクしそうになった。

顔面血まみれの縛られたサキ。挙動のおかしいマッド・アイ・ムーディ。

そして、

「エクスペリアームス」

鋭い刃のような声とともに、ダンブルドア、スネイプ、マクゴナガルの三人が部屋に押し入った。



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12.貴方にそばにいて欲しい

グッタリとうなだれたムーディが椅子に座っている。ムーディの姿をした誰かにダンブルドアは杖を突きつけて胸ぐらを掴み上げ蘇生させた。

「お前は一体…」

「サキ!」

スネイプは転がってるサキを助け起こしてロープを切り手錠を破壊した。声が出ないらしいサキに杖を向けてなにか呪文を唱えている。

ハリーの肩にマクゴナガルの温かい手が触れていた。

ムーディは奇妙な唸り声を上げてブルブルと震えた。いや、震えてるのは体じゃなくて皮膚だ。しばらくするとムーディは低い唸り声を上げながら変形した。

みちみちと音を立てて骨が縮み、脚が生えて義足が床へ激しく打ち付けられた。

魔法の目がはじけ飛んで下から本物の目が出てくる。

そうして変身が終わるとそこにいるのはふた周りも大きいムーディのコートを着た痩せ型の目付きの鋭い男だった。

 

「ば、バーティ・クラウチ…Jr!」

 

ハリーは校長室の憂いの篩で見た男の顔を思い出した。

男はハリーの声を聞くと弾け飛ぶように立ち上がった。すかさずダンブルドアが杖を振るい、男はなすすべもなく椅子へ引き戻される。

「セブルス、真実薬を」

ダンブルドアは今まで聞いたことないぐらい険しい声で言った。スネイプは慌てて真実薬を取り出し、1瓶まるごとバーテミウスの口の中に垂らした。

「クラウチさんの息子…?死んだんじゃ…」

サキも頬の傷にスネイプから渡されたガーゼをあてて、その奇妙な変身を遂げた男を見ていた。

死んだはずの男、バーテミウス・クラウチ・Jrは椅子に拘束されてなおじっとサキを見つめていた。

その視線にサキはたじろぎ、スネイプの後ろに隠れる。

「名前は。名前を言うのだ」

「バーティ・クラウチ・Jr」

ダンブルドアの詰問にバーティはスラスラと答えた。真実薬は恐るべき効果を持つらしい。ハリーは以前スネイプに真実薬で脅された事を思い出した。

「なぜここにいる?本物のムーディ先生はどこじゃ」

バーティはちら、と先程からゴトゴトなっているトランクを見た。

マクゴナガルがさっと歩み寄ってそのトランクを開けた。

マトリョーシカの様に幾重にも箱の中に箱がいれられていた。そして最後の一つが開いたとき、部屋に獣の匂いがみちた。いや、人のにおいだ。人の老廃物の饐えた匂いだ。

底には下着姿のアラスター・ムーディが力なく横たわっていた。

「無事かアラスター」

「ああ…」

ムーディは偽ムーディより遥かに覇気がないがしっかりと返事をした。

「なるほど、セブルス。君の薬品庫に忍び込んだ犯人が見つかったようじゃな」

バーティの持っていた水筒の匂いを嗅ぐと、嗅ぎ覚えのある匂いがした。忘れるはずがない、ポリジュース薬だ。

「じゃあこの人は一年近く、一時間おきにポリジュースを飲んでいたんですか?」

「そういうことになる」

想像を絶する執念だった。死喰い人の忠誠とはここまでの物なのか。ハリーは絶句した。

「は、話が全然見えませんよ。なんでこの人は、ハリーを…。何があったんですか?」

サキは今の今まで監禁されて全く状況がつかめてないようだった。パニック気味にスネイプのローブを引っ張って不安がっている。

「サキ、説明は後回しじゃ。しばし待っていておくれ。…さて、バーティ。一体どうやってアズカバンを脱獄した?埋葬された遺体は一体誰なのじゃ」

「あれは俺のお袋さ。俺がいよいよ死にかけた時…両親は最後の面会を許された。お袋の嘆きっぷりったら、俺より先に死んでしまうんじゃないかってほどだった。お袋は泣きながら俺にポリジュース薬をさしだし、俺の抜けかけた毛を一本取った。吸魂鬼に人の区別なんてつきやしない。死にかけた人間同士が入れ替わっただけだからな」

「なんということだ…」

ダンブルドアは祈るように呟いた。

「それからどうした」

「俺は、父親と屋敷しもべと暮らした。父上は俺に服従の呪文をかけて大人しくさせた…そして13年たってやっと、俺が外に出る機会をウィンキーが作ってくれた」

ハリーがあっと声を上げた。

「お前が僕の杖を盗んで、ウィンキーに罪を被せたんだな」

「まさか杖の持ち主がハリー・ポッターだったとは思いもしなかった!俺は、あの晩ようやっと呪文に抗えた。そしてついに覚めたのさ、この悪夢から」

サキはバーティの独白に度肝を抜かれていた。思わず彼と視線を交わしてしまう。夢から覚めた、というのは呪文を破ったという意味だったらしい。

息子が逃げ出してからどれだけクラウチ氏が狼狽したことか。

 

「クラウチ氏は、お前の父親はどこにいる?」

「父さんは…」

バーティはつばを飲み込んだ。

「父さんは、あの人に服従させられた。定期的に呪文をかけてるのは下僕のワームテールだった。…術に抵抗し始めた父さんは…あの日、俺が殺した。遺体を骨に変え、丸太小屋のそばの穴に砕いて捨てた」

「なんてことを!」

ハリーが叫んだ。バーティはネジが外れたみたいに笑いだした。その笑い声にハリーもサキも心底ゾッとした。それでも大人たちは動じていない。

「…ゴブレットに細工をしたのも、優勝杯をポートキーにしたのもお前か」

「そうさ。俺がやった。闇の帝王復活のためにすべて俺がお膳立てしたのさ!そしてみごと、我が君は復活を果たした!小僧の左腕を見ろ!」

ダンブルドアはハリーの左腕を鷲掴み、袖をめくった。そしてバーティの左腕も同様に見た。バーティの左腕には黒黒と蠢く闇の印があった。

「僕…抵抗できなくて…」

ハリーが泣きそうな声を出して、バーティはますます笑った。サキは思わず一歩出て、その顔を打ちすえた。べちん、と湿った肉を叩く音がし、慌ててスネイプがサキの首根っこを掴んでバーティから引き離した。

 

「人でなし」

 

サキは震えながらはっきり言った。

「命にかえて貴方を救った母親の気持ちをなんでちょっとでも考えてやれなかったんだ。笑うな!黙ってろ!」

恐怖と怒りが混ざったぐちゃぐちゃの顔に涙と血が混ざって垂れて、シャツの襟をピンクに染めていた。

バーティはそんなサキを黙って見上げていた。

「マクリール、何故……?俺…あなたの父親を、今日、俺が…」

「そんなやつ知らない!」

サキは聞きたくないと言わんばかりに耳をふさいだ。スネイプが肩を抱えて押さえ付ける。

「セブルス、サキを地下牢へ…」

「サキ…」

「ハリー、君は校長室じゃ。サキ、すぐに行く。ミネルバ、コーネリウス・ファッジ殿をお呼びしてこの囚人を見張らねばならん」

「ええ、校長…ああ…なんてこと」

サキはスネイプに支えられ、ハリーはダンブルドアに肩を抱かれ舞台から降りた。

サキはよく見ると細かい傷だらけでまるでガラスの破片を浴びたみたいだった。

普段のサキなら「私の方が重症だね。勝ち!」とか笑うだろうけどハリーもサキも全く笑えない状況だった。

 

地下牢の硬いソファーに座らせられ、丹念に顔の血を拭き取られて肩や足の細かい傷もきちんと消毒された。

頬の横の傷は、サキはちゃんと見てないが結構深いみたいだった。スネイプが丁寧に消毒して何か薬を塗ってくれている。

「なにが…あったんですか」

「…第三の課題でセドリック・ディゴリーが殺された」

「あの人が蘇ったというのは」

「事実だ」

薬をおいて、今度は丁寧にガーゼとテープで傷を覆う。

「……いやいやいや、ちょっと。全然理解が追いつかない」

サキはがっくり肩を落として包帯まみれの手で額を押さえた。

「あんなに楽しい気持ちだったのにどうして…」

ポツリと言った本音にスネイプが少しだけ痛ましい表情をしたが、またすぐいつもの険しい顔にもどる。

「しかし事実だ。ムーディに成り代わった死喰い人が…あの人を復活させる手助けをした。そうだとも」

「気のせいってことは」

「ない」

スネイプは大きなため息を付いて左腕を見せた。

「例のあの人の印だ。今までこんなに濃くなった事はない。ついさっき、闇の帝王のお呼びが来た途端カルカロフは逃亡した」

「……ハリーの…血を使った?そう言ってましたね」

「古くからある闇の魔術だろう」

「なんだかな…嫌な気分。気持ち悪い」

スネイプは立ち上がって袖をもとに戻し、背中を向けた。サキは項垂れたまま自分の膝をじっと見つめていた。

「私が捕まったのは…」

「おそらくポッターを殺したあと闇の帝王に差し出すつもりだったのだろう。それか…」

スネイプは続きを言わなかった。何となく聞きたくなかったのでサキも聞かずにおいた。バーティ・クラウチJrの自分を見る目は常軌を逸していた。視線の刺さる場所に異様な熱を感じるほどに。

「……セドリックもほんとに死んじゃったんですか」

「ああ」

「残念です」

サキは目を閉じた。セドリックとは話したこともなかったけど兎に角死を悼んだ。

しばらく黙ってから一番気がかりなことを聞く。

「これから私、どうなるんですか」

スネイプが口を開きかけたとき、地下牢のドアがノックされた。スネイプのどうぞという返事を聞いてダンブルドアが入ってくる。

「サキ。先程はすまなかった」

「ハリーは…」

「無事じゃよ。少々心は傷ついておるが…」

「そうですか」

ダンブルドアはスネイプに目配せする。スネイプはサキの向かいに椅子をおいてからサキの後ろに立った。ダンブルドアの膝とサキの膝がコツンとぶつかる。

「さて…セブルスから大体のことは聞いたかの」

「まあ…要点は」

「聞いてのとおりじゃ。ヴォルデモート卿が復活した」

「にわかには信じがたいですけどそうみたいですね」

サキはまた頭を抱えたくなった。2年生の最後の頃の嫌な気持ちが蘇ってきて知らない間に涙が出てきそうになった。こぼれないうちにぎゅっと目頭を抑えて涙腺を止めておく。

「そして…やはりヴォルデモートも君に会いたがってるようじゃな」

「…それはどうでしょう。愛娘より仇の人だしひょっとしたらハリーが死ぬまで会いに来ないかも」

「ハリーは死なんよ」

サキはもちろん冗談ですよ。と付け加えた。3年生の頃のやさぐれた自分がリフレインしてちょっと恥ずかしい。

「…私、これからどうなるんでしょう?仮に私が彼の娘で、会いたがってるとして…拒否することってできるんですか?」

「ちょうどその話をしようと思っていたのだ。勿論君が会いたくないのならば我々不死鳥の騎士団は全力で君を守るつもりじゃ」

「不死鳥の騎士団って…」

「ヴォルデモート卿が猛威を奮っていた頃に結成された組織じゃよ。勿論セブルスもそのメンバーじゃ」

サキは思わず振り返ってスネイプを見た。ついさっき腕の入れ墨をみたばかりなので一瞬混乱した。

「…スパイ、ですか?」

「………左様」

自分の話はあまりしたくないらしい。スネイプは続きを促すような視線をダンブルドアにやった。

「セブルスはこれからヴォルデモート卿のもとに舞い戻り、情報を仕入れなければならん」

「そんなの危険です」

「いや、我輩の任務だ」

「でも…」

「セブルスが決めたことじゃ。サキ。君は交渉の材料に使われるだろう。つまり…」

「闇の帝王には、我が手中にあるが故どうぞお見逃し下さい。とお伺いを立てることになる」

「私は…手土産ですか?」

「もちろん引き渡したりはせん。しかしセブルスが信頼を取り戻す為のカードになってもらう。それが保護の条件じゃ」

条件という言葉に引っかかる。今までダンブルドアが交換条件なんて持ち出したことがあっただろうか?やさしく包み込むだけの存在だと思っていた。

「……わかりました」

違和感を拭いきれないまま、サキは脳内でチリチリと計算しながら答えた。

「元々保護してもらってる立場です。構いません」

「それは助かる…のう、セブルス」

「サキ、嫌なら言っていい。君の存在がなくても任務はこなす」

「何言ってるんですか。少しでも安全に行くようにしてください。じゃないと困るのは私ですから…あ、でも今のところ会いたくないのでそこのところはお願いしたいですけどね」

スネイプは尚も心配そうな顔をしていた。自分の身かサキの身かはわからないけれど。

「すまない…」

「謝ることないでしょう。たった一人の身内じゃないですか…」

「ふむ…それでは残念ながら今年の夏季休暇は不死鳥の騎士団の誰かの家で過ごしてもらうことになるじゃろうな」

「それは別に構いません。…もともとあそこも他人の家みたいなものですから…」

ダンブルドアの深い瞳が見透かすように見ている。サキは別に悪いことをしてないのになんだか罪悪感が湧いてくる。スネイプが危険を犯してるのは自分の為だけじゃない。もっと大きなもののためだ。それはわかってる。

けれどもやはり、漠然とした罪悪感は拭いきれない。いつまで経ってもそうだった。

「…それでは…念のためポンフリーにも診てもらおうかの?顔の傷が残ったら一大事じゃ」

「いや…大丈夫です。私、寮に戻ります」

「それではサキ、これを」

スネイプがコップに入った透明の液体を渡した。

「寝付きが良くなる。おそらく必要だろうからベッドに入ったら飲みなさい」

「ありがとうございます」

「セブルス、寮の入り口まで連れて行ってあげなさい。そしてすぐ医務室へ」

「はい」

セブルスはサキと連れ立って地下牢を出た。

なんだかまだ現実味がわかない。

二人を照らすのはオレンジ色のランプの光だけだった。湿った壁が光を反射している。

 

「…先生、怖いですか?」

「……いや。問題ない」

「本当に?」

 

サキは立ち止まった。スネイプも足を留めてサキのことを見る。包帯まみれの小さな少女。呪われた子は12歳の頃より少し背が伸びて、女の子っぽくなって、髪も長くなった。

 

「私は少し怖いですよ」

 

けれども秘密の部屋事件後の取り乱した様子はなかった。しっかりその足で立って、対等な魔法使いとしてセブルスを母親そっくりの双眸で見つめていた。

 

「だからお願い。一人にしないでください」

 

その目から一粒だけ涙がこぼれた。

 

「死なないで」

 

そう言う唇は母親と同じで真っ赤で、あの眩しい庭園の中消えてしまいそうだった青白い女を想い起こさせる。そして同時に、彼女が持ち得なかった何か尊いものがいま地面に落ちた涙に篭ってるような気がして、セブルスはただ頷いた。

頷いて、そっと頬にできた涙の轍を消してやった。

 

「死ぬわけがない。約束だ」

 

 

 



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13.僕らはきっと大丈夫

セドリックの死という結果で終わった三大魔法学校対抗試合は盛大な宴をすることもなく、翌朝しめやかにセドリックの死とハリーをそっとしておくようにというダンブルドアの話だけで終わった。

サキは包帯まみれで帰ってきたせいで奇異の眼差しで見られたがそれが打ち消されるくらいにハリーの噂でもちきりだ。けどみんなダンブルドアの言いつけ通り直接聞いたり、本人のいる場所でその話をすることはなかった。

喪ったものがあまりにもおおきかった。

サキはドラコにだけ本当のことを話した。

 

「君……それは本当なのか?」

「うーん…少なくともあっちはそう思ってるみたいだし本当なんじゃない?」

「そんな、ハッキリさせるべきだろ」

ヴォルデモートの娘かもしれないと告げるとドラコは酷く狼狽えた。父親が死喰い人なわけだし無理もないだろう。

「でも私ヴォルデモートにつく気なんかさらさらないよ。だから…今年は君んち行けないかも」

「いや。僕の家に行ける行けないの話じゃないだろ」

「私には大問題だよ!ドラコんちのご飯が楽しみだったのに…」

「サキ、ちゃんと話そう」

ドラコは混乱しながらもきちんとサキを見た。

「あの人は復活して、君を探すかもしれない」

「でも私は会いたくないし協力もしない」

「……例のあの人の娘、だぞ?本当なら凄いことだ。下手したら一気に死喰い人のトップに…」

「私にはそんな功名心ないし、人殺しなんて絶対嫌だよ」

「…だよな。すまない」

「ごめんね…」

「なんで謝るんだ?」

ドラコは不思議そうな顔をした。

「君のお父さんは…死喰い人だから」

「ああ…そんなの気にするなよ」

そしてちょっと微笑んで首の後ろをかいた。ドラコが迷ってるときによくやる仕草だ。

「それより傷は大丈夫か?」

「ああ。ただの切り傷だからね」

「よかった」

談話室の窓を大イカが横切った気がして二人して窓を見た。水草がゆったり揺れてるだけで苦笑いした。

 

「サキ」

ハグリッドの小屋の付近でうろついてると、ハグリッドが心配そうに声をかけてきた。

「あ、ハグリッド。おはよ」

「おはようさん。なにしちょる?」

ハグリッドはサキの手に握られてるスコップを見て疑問符を浮かべた。授業もない日にこんな所にいたら不思議に思われても当然だろう。

「ああ。これ、花を埋めようと思って」

「花?」

そこでハグリッドはピンときたようだ。

「クラウチの遺体なら…先日魔法省の役人が来て探しとったぞ。骨粉だから手間取ってたが…なんとか回収したみてえだ」

「そっか。どこかわかる?」

「ああ」

ハグリッドと向かったのは禁じられた森との境目くらいにあるなんてことの無い小さな穴だった。深さ50センチもないただの穴。

クラウチはここに棄てられた。

「やるせねえ話だ」

ハグリッドが穴を見てつぶやく。

「ほんと…墓まで一家離散だね」

バーティ・クラウチ・Jrはファッジの連れてきた吸魂鬼によりキスを施され、ろくな事情聴取もままならぬまま死んでしまった。

遺体は公営の墓地に埋葬されるらしい。

母の遺体はアズカバン、息子は何処ともしれない墓地。クラウチだけがたった一人、代々の墓地へいれられる。

サキは持ってきた彼岸花の種を巻いた。東の方では死者のための花と呼ばれてるらしいその花はやがて赤い赤い花をつける。いつか彼岸で家族が再会できる目印になるように、なんて。

「……」

しばらく黙祷し、立ち上がった。

「サキ。大丈夫だ」

「ん?」

「ハリーもお前さんも、わしらが守る!ダンブルドアがいる限りきっと大丈夫だ。だから笑え」

ハグリッドはばん、と背中を叩いた。あまりの強さに一瞬息が止まる。

「あ、ありがと」

背中をさすりながら笑顔を作ると、ハグリッドも安心したように笑った。

もう夏になる。湿ったぬるい風がふいて木々がざわめく。

日差しは段々強くなって、湖で泳ぎだす奴らもちらほら出てきた。

日が昇って沈むたびにセドリックがいない穴はだんだん塞がっていき、生徒たちは夏休み何をするかを話し始める。

 

「君の夏休みは…」

スネイプが憂鬱そうに言った。

「我輩の家だ」

「え…先生自宅なんてあるんですか?」

サキはすっかり元通りになった頬をさすりながら大鍋も何もない片付いた教室を歩いていた。スネイプに呼び出されて補習か何かかと怯えていたらコレだ。

「…駅からはこの住所へ向かうこと」

「はあ…」

手渡されたメモは全く聞き慣れない土地の住所がつらつら書かれていた。

「あーあ。退屈そうだなあ」

スネイプは何も言わなかった。

「…先生、私のオトーサンは元気でした?」

「…………」

サキの自虐的な発言に対する答えはなかった。スネイプが五体満足で戻ってきてる以上交渉はきっと上手くいったんだろう。なんにせよこの先大きな困難が待ち受けていることは確実だった。

「クラウチ…あ、息子の方。あの人、母を知っていたんですか?」

「そのようだ。我輩に一度母親のことをしつこく聞きに来たことがある」

「ふうん…」

サキはふと不安になってスネイプにたずねた。

「ねえ、私そんなに母に似てます?それともヴォルデモートに似てますか?」

スネイプは困った顔をして

「母親そっくりだ。顔だけは」

と苦々しく言った。あははとサキは笑う。

「いやあ、お母さんはそこそこもててるのになんで私はあんまりもてないんでしょうね?」

「君は俗すぎる」

「的確なこと言われた!」

 

 

 

 

ダンブルドアによるヴォルデモートの復活の報せは魔法界に大きな衝撃を与えた。その一方で魔法大臣ファッジは強く否定し、発言の撤回を求めた。

三大魔法学校対抗試合はホグワーツの優勝という形でおさまり、賞金はハリーの手に収まった。

「僕…」

ハリーは1千ガリオンを手放し、ウィーズリー兄弟に託したあとその足でいつもサキが水をやりにいってる小さな庭に行った。

サキは水と肥料を撒きながらハリーの話を黙って聞いていた。

「あいつに直接会ってもやっぱり戦わなきゃって思った」

「私もそう思うよ。まあまだ会ってないけどね」

あっけらかんとした様子のサキは去年ずっと思い悩んでいた頃と全然違い、なにかが吹っ切れたように見えた。

「サキはどう思ってるの?その…」

ハリーは言い淀んだ。サキはハリーの言いたいことを汲んで応えた。

「確かにヴォルデモートは私のお父さんかもしれないけど、そんなの関係ない。打倒されるべき悪ってのは、あるんだよ」

随分ドライだった。以前体に流れる血を否定したくて毎晩森を彷徨いていたサキとは大違いだったので、ハリーは少し戸惑った。

「君、随分悩んでたけど大丈夫なの?」

思わず疑問をぶつけると、サキはちょっと考えるように、言葉を選ぶように前までガーゼでおおわれてた頬をさすりながら言葉を紡いでいった。

「…クラウチJrは母親の愛で生き長らえたでしょう?」

「…うん」

「ハリーと同じじゃん」

ハリーはギョッとした。そういう解釈をするのはサキが初めてだったが、確かに言われてみればその通りだ。

子供の命を身をていして守る、母親の無償の愛。それが今回の悲劇の発端だった。

 

「なのに、あの人は間違えた。それって生まれのせいじゃないんだよ。あの人自身が間違えて、手を差し伸べてくれたのがたまたまヴォルデモートだっただけ」

サキは言葉を切ってハリーの方へしっかり向き直った。

「私は間違えない。手を差し伸べてくれる人が沢山いるから、きっと大丈夫」

そして微笑んだ。ハリーはその笑顔に心底安心した。復活の夜からずっと抱えてた不安がその言葉で救われた気がした。

 

手を差し伸べてくれる人がたくさんいる。

ハリーも同じ気持ちだ。きっと、みんながいれば大丈夫。

 

ハリーは手を差し出した。サキも同じように手を伸ばし、掴んだ。

「手紙、書くね。今年はマグルの郵便を使うから」

「電話でもいいんだよ。君なら使い方わかるよね」

「まあ間違っても怒鳴ったりはしないよ」

細くて柔らかい手は日焼けでほんのり色づいていた。

夏の日差しが二人を照らして、撒いたばかりの水がしゅわしゅわいって蒸発してく。明るい緑の葉っぱがキラキラ光ってる。

なぜかハリーは改めて去年感じた"失恋"の感覚を思い出した。

 

「サキ、マルフォイとさ…」

「ん?」

「キスってした?」

「まあスケベ。してないよ!ハリーもお年頃だねえ」

 

サキはまだまだ子どもらしい。ハーマイオニーでさえクラムとキスしたかもしれないのに。なんだかあのマルフォイが可哀想に思えてきた。

 

「それじゃあ行こうか」

二人は畦道を登っていった。旅支度をしているハグリッドに別れを告げてそれぞれの寮へ続く道に分かれていった。

 



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不死鳥の騎士団
01.スピナーズ・エンドの夏休み


その庭は一見記憶にある頃と全然変わっていなかった。庭の周囲に生い茂る森の中に突然現れる調和された空間。薔薇の茂みと踏みすぎてすり減って、つるつる光る飛び石は最近手入れされたあとがある。最近と言ってもここ一年だろうか?芝生はぼうぼうに伸びてしまっているし、置物は土埃をかぶって茶けている。

よく見ると14年前より小物の趣が変わってる気がする。リヴェンは装飾品に全然頓着しないので庭小人やベンチなどは設置してなかったはずだ。今の庭は植え込みにはカラフルな小人や動物の置物が置かれ、パステルカラーのジョウロなんかもおいてあった。庭の真ん中には木のベンチが設置されているし、真っ白なパラソルはボーダー柄にかわっている。

世の中は自分が地を這いずり回ってるうちに何もかも変わった。それに比べたらその変化のなんとささやかなことか。

屋敷は無人だった。それは承知の上で訪れた。

お供には誰も連れてこなかった。興が削がれるからだ。

あの女に対して恋情や愛情はこれっぽっちも持ってない。それでもやはり、それなりに愛着はある。

自身を復活させたあの古来の魔法だってもとはと言えば彼女の血族が発案したものだ。そう考えると妙な縁を感じてならない。

聖28一族の館よりも遥かに古い屋敷。そして膨大な資料が仕舞われてるこの屋敷は生きてる人間がいようがいまいが価値のある物には変わりない。

しかしマクリールの娘に会えないのは些か不満だった。

とは言え、彼女はダンブルドアにしっかり見張られている。接触したところで逆にダンブルドアに利用される可能性すらある。

子飼いのスパイが身柄を掴んでいるというのならば今はそのままでいいだろう。

 

セブルス・スネイプ。

臆病者の我が友はリヴェンからの信頼も厚かった。そして俺様自身も彼を信用していた。ダンブルドアのもとで働いてることに最初はひどく怒ったが、結果的にやつは戻ってきた。跪き、再び俺様に忠誠を誓った。マクリールの娘の身柄を手土産にするとはなかなか狡賢いではないか?まさか俺様が大切な子どもを傷つけないとでも?

まあいい。

つまり俺様が望めばいつだってあの子どもに会えるわけだ。俺様の力と仲間が完全に戻り、ダンブルドアの力が弱まった頃に迎えに行こうじゃないか。

 

ヴォルデモートはいつも彼女が座っていた窓辺を眺めた。当然彼女は居なかったが、あの時と変わらずタイプライターが置かれてる。

 

…それでは仕事を始めよう。

 

14年も溜まっていた仕事が山積している。

まずは同胞を呼び戻さねばならない。

 

 

 

………

 

 

一人の少女がスピナーズ・エンドにある古ぼけた埃っぽい一軒家で眠っていた。さんさんと太陽の光が降り注ぐ夏の昼間に、扇風機をかけっぱなしにしてしぶとく眠っていた。

開けっ放しの窓から風が吹き込み、カーテンが捲れた。

髪の毛は寝癖でぐちゃぐちゃ。睫毛が陽光に照らされて影を作っていた。

「うー」

光が眩しかったのだろうか、寝返りを打ってからいやいや体を起こし始めた。

上体を起こしてから数秒ぼーっとしてからやっと目を開ける。見慣れない掛け布団の柄に首をひねって数秒たってからやっと合点がいった。

サキ・シンガーは自分が後見人、セブルス・スネイプの家に寝泊まりしてることを思い出した。そして…昨日の昼ごはんのときに怠けて寝ながらご飯を食べてたらスクランブルエッグを派手に溢して急遽タンスの中からこの奇妙な柄のカバーを引っ張り出したのだった。

サキは寝ぼけ眼をこすって枕元の時計を見た。

「…げ…」

もう午前11時をまわっている。午前中のうちにスーパーとか雑貨屋に行こうと思っていたのにこれじゃあ一日の予定がぱあだ。

「最悪だあ」

もう冷蔵庫の中にはろくな食べ物がない。どちらにせよスーパーには行かなきゃいけない。今日はスネイプが食事当番だから材料がないと困るだろう。

サキは慌てて階下に降りていった。

セブルス・スネイプは不在だった。忙しい人だとは知っていたが、保護対象のはずのサキをほったらかしにして仕事三昧というのもいただけない。サキが反抗期のはねっかえりならとっくに家出してヨーロッパにでも旅行に出かけている。

なにせこのスピナーズ・エンドという土地には何もないのだ。いや、何もないどころの話ではない。倒産した工場の廃墟と下水がろくに処理されないまま垂れ流しになってる川が流れている。そのうえ窪地にあって、街に走ってる道路の殆どが行き止まりで、街から出られるルートは限られている。

初めここに来たときはよくこんなに憂鬱な土地に住めるものだと感心した。まあスネイプはせいぜい夏の間だけしかいないからいいのかもしれないけど。

キッチンに置いてあるサンドイッチを食べながら机においてある日刊予言者新聞を読んだ。サキはこんな不愉快な新聞は読むべきではないと思ってたが、スネイプは情報収集も兼ねて購読してるらしい。

こんな掃き溜めのような土地に一ヶ月以上閉じ込められていると、親友を悪しざまに扱き下ろす雑誌でもないよりマシだった。

ここの暮らしは退屈すぎる。

学校が終わってから数週間はサキも忙しかった。何故なら闇祓い局から出頭命令が郵送されてきたからだ。

 

 

 

スネイプに連れられてサキはロンドンにある小さな電話ボックスの前まで来ていた。ちなみにスネイプはいつもの裾を引きずりそうなくらい長いローブじゃなくて黒いスーツを着ている。黒ずくめという点で普段とかわり映えしない。

「…私一人ですか?」

「左様。終わったらまたここに迎えに来る」

「ええ…アナタ保護者でしょう?」

「あそこへは行きたくない」

スネイプのあんまりな言い分に呆れながら、渋々サキは了解しメモを手渡される。闇祓い局は魔法省の地下二階にあるらしい。サキの知ってる闇祓いはムーディだけで、去年九ヶ月も接してきたムーディは偽物だった。しかも本物はその後些細な音に過敏に反応し杖を構えるほどに神経質になっていたので闇祓いという職業人がどんな気質をしてるか判りかねる。

「…」

サキは恐る恐る電話を取った。

 

 

「よく一人で来れたね?」

開口一番、闇祓い局のドアをノックしてすごい勢いで飛び出てきた紫髪の魔女はいった。

「入りにくくない?あの感じって」

「あ…はあ。でも行かなきゃいけないので、来ました」

やたら人懐っこそうな魔女はニコニコしながら面会室みたいに殺風景な部屋に通して紅茶を一杯注いでくれた。

「あなたの担当…あ、キングズリー・シャックルボルトね。そろそろ来ると思うよ」

「ありがとうございます。頂きます」

「セブルスは?付き添いで来なかったんだ?」

この魔女はどうやらスネイプを知っているらしい。サキはやけに濃い紅茶を飲んでから冗談めかして答えた。

「行きたくないとか駄々をこねていたので、置いてきました」

「あはは!」

サキはこの明るい魔女を(まだ名前を知らないけど)好きになった。邪気がなくて快活だし、友達だったら楽しそう。

「トンクス!すまない、会議がおしていて…」

「キングズリー、謝るならこの子でしょう?」

「ああ…遅れてすまなかった。サキ・シンガーだね」

「はい。シンガーです」

早足で、それでも大きな音を立てずに入室してきたのは大柄の黒人魔法使いだった。やけにオリエンタルな衣装を身に着けているがどこか威厳を感じる。彼がサキに尋問する闇祓い、キングズリー・シャックルボルトらしい。

「トンクス、彼女に自己紹介したのか?」

「あ、いけない!すっかりわすれてた」

トンクスは本気で名乗るのを忘れてたらしい。しまったという顔をしてから改めてサキに手を差し出した。

「わたしはトンクス。闇祓いだよ。まだ新米だけど」

「サキ・シンガーです。ええと、生徒です。よろしく」

トンクスはサキの手をぎゅっと握ってブンブン振り回した。元気な人だ。

 

「それじゃあ悪いけど早速始めようか」

キングズリーが杖をふると書類の束が机に運ばれてきた。トンクスはするりと猫のように部屋から出ていった。キングズリーは、自動速記羽根ペンをサキにも見える場所においていよいよ聴取を始める。

「さて…アズカバンを脱獄しホグワーツの教師、アラスター・ムーディに化けて潜入していたバーテミウス・クラウチJrについて、君の知っていることを聞きたい」

サキはてっきりヴォルデモートについて聞かれると思っていたので拍子抜けした。キングズリーはそれを見透かしたかのように付け足す。

「例のあの人について魔法省は声明を出していない。だから聞けないんだ」

「変な話ですね」

キングズリーは肩をすくめた。

「ここもお役所だからね。…君はクラウチJrと特別親しくしていたそうだが」

「特別親しいかといえばわかりません。特別授業は受けていましたが…」

「その特別授業とは?」

「ええと…」

サキはどこから説明すればいいのか悩んだ。血筋にまつわる特殊な魔法について闇祓いがどこまで知ってるのか、また自分がどこまで話していいのか全く見当がつかない。

なんでこういう時にスネイプはそばにいてくれないんだろう?

「君のご実家については」

キングズリーは気遣わしげに付け足した。

「ダンブルドアから聞いているよ。特殊な魔法が使えるそうだね?」

「あ、はい。ムーディ先生…じゃないか。クラウチJrもそれが気になってたみたいです」

サキはムーディとの個人授業について大まかに話した。神代魔法史から呪文学、そして血の持つ作用について検証していったところまで行くとキングズリーはほんの少し前にかがんで、今までより集中の度合いを高めた。

「クラウチJrは君の呪文を『盗人落としの滝』に喩えたのか…なるほど」

「ええ、まあ。血をかけたからってそう簡単に解けないものもあるみたいですが」

「君の魔法は我々にとっての脅威だよ。そうか…君の先祖が代々神秘部に協力していたのも頷ける」

「代々ですか?母は神秘部に入ったってことは聞いていましたが」

「君のお母さんも、おばあさんも、曾おばあさんも出勤はしてなかったけれどね。記録に残っているよ」

キングズリーはたくさんの書類の中から三枚抜き出して見せてくれた。どれも成績証明書で、三枚とも一番上に家系図で見た名前が記されていた。

リヴェン、クイン、ペトラ。

「……」

家系図通りアルファベット順だ。サキは自分に付けられるはずだった名前を思い出して口をへの字に曲げた。サキも十分変だけど、それも変な名前だったんだよな。

「みんな優秀ですね」

月並みな感想しかでなかった。顔も知らない親族にこれ以上なんていえばいいんだろう?ちなみにサキの成績は中の上くらいだ。

「脅威とおっしゃいましたが私にはそうは思えません。むしろ『血をかけたら魔法が解ける』現象はこの魔法の本質ではないと思います」

「本質ではない?」

「ええ。ムーディ…クラウチJrとも話したのですが使い勝手が悪すぎますよね。杖でいいじゃないですか。杖じゃなくて血じゃなきゃいけないっていうのならもっとすごい事ができると思いません?こんなの何代もかけて守る必要ないと思います」

「一理あるね。そもそも魔法使いの杖の発展は魔力をいかに効率的に使えるかにおいて発展したといっても差し支えない。そこから考えると妙だ」

「ええ。たまたま杖でかけた魔法が解けるってだけで、なにか別の使い方があるんだと思います」

「なるほどね」

キングズリーは面白そうに頷いた。なんだかホグワーツにいる教師たちよりよっぽど教師が似合いそうな雰囲気だった。

「クラウチJrはその別の使い方について発見した様子は?」

「ありませんでした」

「君の採られた血っていうのは…」

「全部実験に使ったと思いますが…わかりません」

「押収したクラウチJrの私物にはそれらしきものはなかった。ふむ…」

キングズリーは自動速記羽根ペンをしまい、改めて自分でペンを取った。

 

「君のお母さんが死喰い人の疑惑をかけられていたのは知ってるね?」

「ええ」

心の中で(多分違うけど)と付け足した。

「君の使える血の魔法は、あの人には必要ないかもしれない。けれどもやはり我々にとっての脅威であることは変わりない。…例えば魔法省のセキュリティくらいなら難なく突破してしまうだろうしね。故に、闇祓い局から君に何人か護衛をつけようという案がでている」

「護衛?見張りの間違いでは?」

思わず棘のある返しをしてしまった。しかしキングズリーの言ってることはそういうことなのだ。

サキの険のある言葉を受けてキングズリーは早とちりしないでくれよ、と言って笑った。

「私もスクリムジョールにはそう言っておいたよ。それに君には不死鳥の騎士団から護衛が出てるからね」

「キングズリーさんは不死鳥の騎士団なんですか?」

「言わなくてごめんよ。まずは闇祓いとしての調書を取らなきゃいけなかったからね。…ちなみに、さっきここにいたトンクスも騎士団のメンバーだ」

道理でサキの事を知っていたわけだ。しかしこの言い方だと闇祓い局自体がダンブルドアよりの組織というわけではなさそうだ。むしろ魔法省はヴォルデモートの復活について否定的だし、ひょっとしたら敵対してる可能性まである。

「じゃあ私の父親についてもご存知ですか?」

「騎士団のごく一部は知っている。ダンブルドアとセブルス、そして私とムーディ…それくらいだ」

「そうですか…」

「君には申し訳ないけれど、この夏休みはきっと退屈なものになるだろうね」

 

そんなの夏休み初日からわかっていた。

スピナーズ・エンドにやってきて、言われた住所の家を前にした瞬間悟ったのだ。

「掃除しなきゃ住めなさそう」と。

 

 

 

そういうわけで、サキは起きてスーパーに慌ててミルクやら野菜やらを買いに行き、汗だくで帰ってきてからすぐに掃除を開始する。

スネイプの家はとにかく水回りのところのカビがすごい。帰ってないし使ってないから当然だが埃もすごい。土地のせいもあってずっとジメジメして風呂場なんてお湯も張ってないのに湿気のせいで蒸し風呂みたいになっている。

こんな家で年がら年中暮らしてたら頭がおかしくなりそうだ。屋敷の掃除は広くて大変だったがここは狭いのに同じくらい大変な気がする。

掃除は嫌いだったが他にすることもなく、結局毎年毎年掃除する羽目になってる。最悪だ。

日が暮れた頃にドアベルが鳴ってスネイプが帰ってきた。

サキがレシピ本を見て作ったシチュー(何故かグラタンの具みたいにぼてぼてになった)を出すとスネイプは黙々と食べる。

「先生、この近所って暇を潰せる場所ないんですか?」

「ない」

「毎日家の中にいるせいで気が狂いそうです。どっか連れて行ってくださいよ!」

スネイプは何かを考えてる風にシチューを咀嚼していた。しかし闇祓い局に出頭して帰ってきたサキが待ち合わせ場所に行く前にロンドン観光して来たことを思い出したのだろう。

「安全上許可しかねる」

拒否された。

確かあの日はシャーロック・ホームズ博物館とロンドン・アイに行ってからビッグベンにでも行こうかというところで捕まったのだった。当然死ぬほど怒られた。学校だったら罰則二ヶ月は食らっていたと思う。

「絶対先生から離れませんから!誓いますよ」

「……」

しかしスネイプもこの土地の退屈さはよくわかっていた。自身も学生のときのスピナーズ・エンドでの夏休みは苦痛だった。

「考えておこう。期待はすべきではないが」

「やったー!」

まだ決まったわけじゃないのにサキは大喜びする。食器を下げて洗うと居間で手紙を書き始めた。サキもスネイプもフクロウを持っていないため、自分で返事を出すときはマグルの郵便でフクロウ郵便まで送らなければいけない。以前マルフォイ邸から手紙が届いたときは返事を急かすためかフクロウがずっとサキの肩にとまって睨みつけていた。サキは面白がって返事を書かずに胸毛に顔を埋めていた。

クラウチJrによる拘束や闇の帝王の復活のせいで少しは凹むかと思っていたがその様子はない。スネイプは安心しつつも不安だった。

サキはきっとあの人の残忍さや冷酷さを実感できていないのだろう。あの人の霞や亡霊を前にしたことはあってもなんやかんや退けてきたしポッターと違い、明確な『繋がり』もない。

きっと知らないままのほうがいいのだろう。しかし知らなければいけないときは必ず来る。

彼女の血の魔法の本質についても。

 



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02.グリモールド・プレイス

腐敗する前の花が一番美しい。

 

「ぬ…」

サキは水道から流れる水の匂いに顔を顰めた。鼻が曲がりそうな匂いがする。なにやらやたら生臭い。

花瓶に水を注ぎ足そうとしたのにこれじゃあ花が枯れてしまう。それどころかこんな臭いのする水じゃ食器だって洗いたくない。

「先生、水が臭いんですが」

珍しく在宅している先生の部屋に花瓶を持って報告しに行った。

スネイプ先生はさも面倒くさそうに水道を点検して何か魔法をかけて臭いを消した。

「でも、臭いだけ消しても汚れは残るんじゃないですか?」

スネイプいわく問題ないそうだがサキは魔法をいまいち信用できず、結局花はドライフラワーにするためにまとめて自分の部屋に吊るすことにした。

サキの日々の努力により家の中はそこそこきれいになった。しかし夏休みが終わればまたカビが生えてホコリが積もっていく。そう考えると無駄な努力に思えてくる。

 

「…今日は」

 

スネイプがパンを食べながら口を開いた。

「君も出掛けなければならない。夕暮れ時までに準備をしておくように」

5年間のうち初めての事だったのでサキは驚いた。言われた通り日が傾く頃にはきちんとよそ行きの服を着た。

ナルシッサの買ってくれた深緑のワンピースだ。出かけるときはいつもこれにしてしまう。

夏休み中はマルフォイ邸に行けないので手紙でやり取りしているけど会えないのをひどく残念がってくれている。ドラコもしょっちゅうフクロウをよこすけどサキが筆無精なせいもあり寂しがっているのが文面でわかった。

サキも会いたいのは山々だが、死喰い人のルシウスと会うなんてとてもじゃないけどスネイプが許してくれない。

「支度できました」

スネイプは心底嫌そうにソファーから立ち上がった。いつも通りの神父みたいな格好だったがあの裾の長いローブは着ていなかった。

「…暑くないですか?」

夜とはいえ蒸すというのに彼はいつだってこんな格好だった。感心する。

てっきり車か何かで行くのかと思ったがどうやら『姿くらまし』していくらしい。

「慣れないだろうがこれが一番早い。コツは何も見ないことだ」

「姿くらまし!未成年なのにやっていいんですか?」

「付き添いだ。付き添いなら何もしなくていい」

「わーい」

楽しそうなサキを見てスネイプは哀れみの目をやった。サキは一体どうしてわくわくに水をさすような顔をするんだと文句をたれたが、その理由はすぐにわかった。

 

 

五感すべてをミキサーにかけたみたいな気持ち悪さに脳味噌がどっぷり浸かってなおかつ外側から揺さぶられてるみたいだ。

「すみません…」

来て早々、サキはグリモールド・プレイス12番地のトイレで吐いた。

「気にしないで。まあわたしの家じゃないけどさ」

トンクスがやや乱暴に背中をさすってくれた。

「私、二度とやりたくない」

「でも便利だよ」

ここは不死鳥の騎士団の本部として使われてる住宅で、煙突ネットワークも通ってないし普段は魔法で隠されている。全体的に古びたアパートだが中の調度品はとても高級感溢れるアンティークだった。ただし窓がほとんどなくて屋敷の中はどんよりと沈んだ雰囲気で、掃除も行き届いておらず棚にはうっすらホコリが積もっている。

トイレに駆け込んでろくに見てなかったがよく見ると照明一つとってしても古くて上品だ。ただし蛇の紋様がいたるところに彫られてるあたりで屋敷の主の趣味が知れるが。

「もう大丈夫?」

居間の入り口に黒髪の痩身の男性が立っていてサキに声をかける。無精髭が生えたワイルドな雰囲気の男だ。他の人よりラフな服装をしているしスリッパなんて履いている。彼が家主だろうか。

「ええ、全部出ましたから」

「クリーチャーに掃除させておいてよかったよ。私が誰だかわかるかい?」

「ええと…」

「おや。記憶力が悪いんだな。…母親譲りか」

そう言って男は笑った。トンクスもくすっと笑っている。何が言いたいのかよくわからず男の顔をじっと見たが少なくともあった事はない。見覚えはあるのだけれどどこで見たんだろう。

「さ…みんなお待ちかねだ。入って」

居間には長いテーブルがあり、そこに何人もの魔法使いが並んでいた。上座にはなんとダンブルドアがいた。学校外でみるダンブルドアはまるで間違って貼り付けたシールみたいな違和感がある。サキは会釈して末席にいるスネイプの隣に座った。

「久しぶりね。元気そうで良かったわ」

向かいの席にいるウィーズリー夫人がやさしく微笑みかけてくれてちょっと緊張がほぐれた。他にいるのはキングズリーと居眠りしている薄汚いおっさん。トンクスと家主、ルーピン先生とムーディ先生だけだった。

騎士団のフルメンバーというわけではなさそうだ。

「さて…ご機嫌よう諸君よ」

ダンブルドアが学校で話すときと同じようにニコッと笑いながら口を開いた。

「さて、今日お呼びしたのは不死鳥の騎士団の中でも最も信頼の置けるメンバーだと思っておる」

スネイプ先生の眉が、居眠りから飛び上がるようにして目覚めた薄汚いおっさんを見てピクッと動く。

「サキ・シンガーの保護について共有すべき事柄がでてきたので集まってもらったわけじゃ。まず、彼女の所有財産である館について」

ダンブルドアの言葉を引き継ぐようにしてウィーズリー氏が続けた。

「彼女の家系は代々神秘部に協力していましたが全容は不明です。例のあの人が滞在している可能性もありますので令状が取れ次第家宅捜索に踏み入りたいと思っています」

「か、家宅捜索?!」

「いやなに、口実だけれどもね。あの人に君の館に踏み入ってほしくないだろう?」

「まあ嫌ですけど」

サキは庭に生えてるグレーゾーンの草花たちが魔法使いの目を逃れるように祈った。

「あー、ダンブルドア?」

ふいに薄汚いおっさんが口を開いた。

「あんたに信用されてて嬉しいけどよ。俺は一体何すりゃいいんだ?」

「おお、マンダンガス。ちょうど次は君に任務を与えようと思っていたところじゃった」

マンダンガスは勘弁してくれ、と言いたげに空を仰いだ。傍から見ればチンピラにしか見えないこの男が騎士団のメンバーというのは意外だった。

「マクリール家から放出されたありとあらゆる技術と道具の入手じゃ」

「はあ。盗品集めは確かに俺の得意ですが…どうやってその、まくりれる?のモンだと判断すればいいんです?」

「彼女ら手製の品はサインが入っておる。アーサーの家宅捜索後にはもう少し絞れると思うのじゃが…」

「ああ、母親の作った手鏡があるので今度参考にお見せしましょうか?」

「ありがてえ。…お嬢ちゃん、他に屋敷でいらねえもんがあったら…」

「マンダンガス。商売の話はあとにしろ」

スネイプがピシャリと言って、マンダンガスはべっと舌を出して黙った。

「マクリール家の魔法はわかっているだけでもホグワーツの危機管理に多大な影響を与えるじゃろう」

ダンブルドアはサキを真っ直ぐ見つめていた。自分の血についてこんなに意識したのは秘密の部屋以降初めてかもしれない。そして同時にダンブルドアが血に対して非常に警戒しているのがわかった。

「クラウチJrの採取した血液がまだあった場合再度死喰い人が入ってくるやもわからぬ。魔法省による警備は期待できぬ故、トンクス、リーマス共々ホグワーツ周辺の警備はくれぐれも慎重に」

「幸い私は血の匂いには敏感だからね」

ルーピンは投げやり気味に言った。満月が近いせいか随分ナーバスになってるらしい。

「しかし罠を事前に察知することは可能なのだろうか?つまり察知不可能呪文などはそもそも魔法がかかってるとわからなければ有効では?」

「最もな意見じゃなキングズリー。しかしすでにサキは感知しておるじゃろうな」

「…なに?」

サキはぽかんとした。いつの間に呪文を突破していたんだろうか?

スネイプが渋々口を開いた。

「サキ、君が夏休みに入ってから様々な呪文を身辺にかけた。例えばあの街の小路だとか公園だとか、近づいて欲しくない場所すべてに入れないように呪文をかけた。しかし君はその道を見つけてしまった」

「なんと。じゃあ私のさんぽルートは把握されていたんですね」

「…厄介だな」

キングズリーは考えるように黙り込んでしまう。サキは我が身の事とは言え自分が無自覚に魔法を無視して行動してたことに驚いた。そして改めてその危険性を考えるとキングズリーの危惧もうなずける。

「私には、我々のセキュリティを難なく突破できる血、それだけで君の魔法が受け継がれてく意義を感じるが」

キングズリーは闇祓い局で交わした会話を踏まえてサキに言う。サキも慎重に考えながら答えた。

「そうですね…たしかにすごいことな気がしてきました」

けれどもやはり違和感は拭いきれない。杖の魔法は洗練されていき行き着いた様式だ。だとしたら太古から血の魔法ももっと洗練されて然るべきなのだ。

「でもやはり結論は出せません。私は母のことも家のことも何も知りませんので」

サキがそう言い切ると場の空気が停滞した。それを察知してか、ウィーズリー夫人が立ち上がりお茶を入れましょうと明るく提案した。スネイプはさっさと帰りたがったがサキが無理やり引き止めた。

ダンブルドアはお茶を飲む暇もないらしい。ウィーズリー夫人に丁重に詫びを入れて誰かに話しかけられる隙もみせずに退室していった。

ウィーズリー夫人はサキのカップにたっぷり紅茶を注いでくれた。家で飲む紅茶と違う他所の味がする。

「明日だったらロンたちがいたのに、残念だわ」

「え、ロンたちがここに来るんですか?」

「そうよ。家に子どもたちだけにさせてられないわ」

サキは頭の中に例の双子を思い浮かべた。

「セブルス、あなたは?」

ウィーズリー夫人はにっこり笑ってポットを掲げた。スネイプはいつも通り不機嫌そうな顔で「もう結構」と言った。慣れてるらしいウィーズリー夫人は嫌な顔もせず会話を続けた。

「びっくりしたわ。あなたまでハリーと同じように例のあの人に狙われてるだなんて。でも安心してね、騎士団は絶対にあなたを守るわ。ねえ」

ウィーズリー夫人はセブルスに視線をやりながらニッコリ微笑んだ。サキはスネイプが感情的同意を求められた時にする困った顔を見るのが好きだ。

「ああ、ホントにありがたい事です。…そういえばハリーから手紙がきました。退屈だって。ハリーはここに来ないんですか?」

「ダンブルドアがお許しにならないの」

「ああ、ひどいお人だよ」

二人の会話に例の家主が割り込んできた。

「私は彼の名付け親だっていうのに全然会えない。寂しいものさ」

「名付け親?貴方が?」

「そうだよ。名乗っていなかったね。私はシリウス・ブラック。ハリーの名付け親だ」

サキはついつい習慣でシリウスが差し出してきた手を握り返す。しかし彼の名前を聞いてやっと頭の中のピースが埋まった。

「シリウス・ブラック!小綺麗になっててわかりませんでしたよ」

「やっと気付いたね。あの時は助けてくれてありがとう」

「いやあ、当然のことをしたまでで…」

スネイプが忌々しいと言いたげな顔をしてるのを尻目にサキはシリウスとがっつり握手を交わした。

「バックビークは?」

「ああ。いるよ。会っていくかい」

「駄目だ。もう帰らねば」

ウキウキしてるサキと裏腹にスネイプは叩きつけるように言い切った。よっぽどシリウスが嫌いらしい。一秒でも早くここから立ち去りたそうだった。シリウスもカチンときたらしくなにか言い返そうと口を開いた。

「なんだ、そんなに早くベッドに入りたいのか」

なんかすごい大喧嘩になりそうな予感がしてサキは慌てて二人の間に入って話題を反らせる。

「あーでも今日は鍋をかけっぱなしでした。また今度来たときにじっくり遊びましょうかね!ねえ先生?」

スネイプは返事もせず立ち上がり玄関に向かってしまった。

「それではまた…」

スネイプが玄関の扉を乱暴に閉めてから無礼な態度にはすぐに苦言を呈したがスネイプはろくすっぽ返事もせずにサキの手を掴んで姿くらましした。

「鬼畜!」

サキはまたゲーゲー吐いた。

 

それからは週一回くらいグリモールド・プレイスに顔を見せに行くことになった。(つまり週一で姿くらましさせられる)

「歯が溶けそうですよ」

スネイプが「週イチ姿くらまし」を告げた日の夕食は粥にしてやった。物足りなさそうなスネイプを無視してサキはウィーズリー兄弟から預かった欲しい薬品のリストを整理した。ちょっとしたいたずら用の薬なら意外とマグル製で事足りるため、区別がつくサキが買い出しを頼まれているのだ。

 

そして姿くらましを3回ほどこなし、いい加減吐くことはなくなった頃、事件が起きた。

 

「サキ、出かけるから支度をしろ」

 

スネイプは受け取ったふくろう便を見るやいなやクシャクシャにしてポッケにしまってそう言った。

サキは滅多に部屋まで来ないスネイプに驚きつつ、読んでた本を閉じてパーカーを羽織った。ほぼ部屋着だがなんだか急いでるようだったのでそのまま家を出た。

 

バシッと言う音がしたらあっという間にグリモールド・プレイスだ。

「一体全体なんの騒ぎです?」

「ポッターが吸魂鬼に襲われた」

「はあ?」

吸魂鬼がハリーを襲う?魔法界から離れたマグルの家庭にいるハリーを?

「ハリーは無事なんですか?」

「守護霊で追い払ったから無事だ。しかしマグルの面前で魔法を使ったせいで魔法省がここぞとばかりに騒いでいる」

12番地の入り口が見えて玄関に入ったところでルーピンが出迎えてくれた。

「すまないね。セブルス。ああ、シンガーは上に行ってなさい。ハーマイオニーもいるから」

「あ、はあ…」

今まではスネイプがすぐ帰るからと言って上に行くことはなかった。フレッドたちとも食堂の前でぺちゃくちゃおしゃべりする程度だったのに今日は上に行けときた。

内密の話でもするんだろうか?

階段を上がると慌てた様子のハーマイオニーがサキを見たとたん飛びついて抱きしめた。

「聞いた?」

「うん。ついさっき」

「とんでもない事だわ。魔法省が管轄している吸魂鬼が住宅地で人を襲うなんて。あの人が絡んでいると思う?」

「わ、わかんない」

ハーマイオニーはとにかく言葉にして頭を整理したいらしくてどんどんいろんな事を話すからサキは面食らってしまった。

「ハーマイオニー。とりあえずサキを休ませてやろうぜ。また吐いちゃうかも」

ハーマイオニーの後ろからロンがひょいと顔を出した。ロンはサキと握手を交わしながら伸び耳を耳に当てて会議の様子を盗み聞きしていた。

「ムーディたちがハリーを迎えに行くらしい」

「ほんと?じゃあここに来るのね」

「ハリーが?」

サキは今大変なはずのハリーには悪いがちょっと嬉しかった。

「スネイプ先生が帰らないように祈んなきゃ」

「君だけ残ってくれりゃいいのにな。むしろ泊まればいいのに」

「そうしたいのもやまやまだけどね…先生、シリウス・ブラックが嫌いみたいで」

「あの二人、いつもピリピリしてるわ」

ハーマイオニーが泊まってる部屋までいって三人で腰を下ろした。そうしてるうちにジニーも来て、まるでグリフィンドールの談話室にいるような気分になった。

4人で情報交換しているうちに一階が騒がしくなり、ハリーが到着したのだとわかった。

 

「サキ…」

 

久々にあったハリーは10センチくらい背が伸びた気がする。11歳のときはサキの方が背が高かったのに今ではもう上を向かなきゃ目を見られない。

ハリーはやけに苛立った顔をしていた。

「ハーマイオニーもロンも、みんなこうしてここにいたわけ?僕があんなところに4週間も缶詰になってるときに。手紙にもかけなかったの?」

「ダンブルドアがハリーに知らせないように言ったんだよ」

サキは言い訳がましいなと思いながらも真実を述べた。サキは手紙をやり取りしてて一度だってロンとハーマイオニーの名前は出さなかった。しかしそれが余計ハリーを苛立たせたらしい。

「ダンブルドアがなんで?」

「多分、君の安全を考えて…」

「何も知らずにあんな掃き溜めにいろって?安全?じゃあなんで僕は襲われたんだ?!」

ハリーは窓がビリビリするほどの大声を出した。

「ハリー!」

ハーマイオニーが宥めようとするが逆効果だ。ハリーはますます声を大きくして怒鳴り散らす。

「僕は当事者なのに騎士団から遠ざけられて、あの退屈な通りに閉じ込められてたんだぞ!少しでも何か情報を知るためにゴミ箱まであさって、なのに手紙にも何も書きやしない」

怒りはもちろんサキにも向いた。

「僕を除け者にして笑ってたんだ。そうだろ?ここで…」

ハリーの激情に揺さぶられてか、ハーマイオニーの目には涙が溜まっていた。ロンも申し訳なさそうな顔で肩を抱いていた。

「そうだな。僕がハリーだったら多分カンカンだ」

「ごめん」

ハーマイオニーの涙に勢いを削がれてハリーは黙った。ヘドウィグの爪がきちきちととまり木を削る音だけが響いた。

 

「それで…騎士団は何を話してるんだ」

ハリーがやっと口を開いたが、答えられる人はいない。会議中は誰もあの食堂に近づけないのだ。サキも入り口前にいたけど、ドアに耳を当てても内容はよく聞こえなかったし、ムーディの魔法の目がドア越しに見張ってる気がしてあまりドアに近づけなかった。

最初の会議っきり中で何を話してるかわからない。それはこの家で寝泊まりしてるロンたちも同様だった。

「じゃあ一体君たち何をしてたんだ?」

「私は3回しか来てないか、うわっ?!」

サキが言いかけた時、バシッと音がして突如背後に双子が現れた。

「もう!いい加減やめてよ」

ジニーがプンプンしながら二人に言うが、柳のごとく受け流しぺろっと舌を出して微笑む。

「急ぎの用があってね。…ハリー、ちょっとボリューム下げてくれないか?伸び耳がいいとこまで行ってるんだ」

「伸び耳?」

聞き覚えのない単語に不思議そうな顔をするハリーに双子はおっきな耳を掲げてみせた。

「まあ聞いてみろって」

ハリーは半信半疑で耳に耳を傾けた。ボソボソとした話し声が聞こえる。

双子に促されて階段の手摺から身を乗り出して下の方を見た。糸で対の耳がぶら下げられている。これで聞き耳をたてているらしい。

「あ、クソ!」

しかしクルックシャンクスがその耳に飛びつこうと柱の影から狙いをつけてた。

「追っ払ってくるよ」

飼い主のハーマイオニーの言葉も効きやしないのでしかたなくサキが音をたてずクルックシャンクスを捕まえに行った。

ずんぐりむっくりの毛玉ちゃんはやたらすばしっこくて、捕まえてもするりと手から抜け出していく。

「はやく!」

と上からウィーズリー兄弟が急かしてくる。

「ほら、おいで〜コワクナイヨ〜」

精一杯の猫なで声で四つん這いになりながら猫に微笑みかけた。すると

「いぎゃっ」

ガンッと硬い音を立ててサキの尻にドアが当たった。

「……何をしている」

「あー、小銭落としちゃって」

サキが尻をさすりながら見上げるとスネイプが呆れ顔で見下していた。サキは慌てて落ちてる伸び耳をポケットに押し込んでへらへら笑ってごまかそうとした。

スネイプはため息をついて「帰るぞ」とだけ告げた。有無を言わさぬ口調だったのでサキはしぶしぶ従う。

階段の上の五人に「ごめん!」と口パクで伝えた。みんなは残念そうな顔して手を振っていた。(ハリーも渋々手をふっていた)

「……それで」

姿くらましでスピナーズ・エンドに戻ってきてからサキはスネイプに尋ねた。

「あの人ですか?」

「…いいや」

スネイプはいつもの頭の中で何をいうか言わないか悩んでる顔をしてからサキの問に答えた。

「今回は違うようだ」

「昔、仲間だったんですよね?」

「少なくとも我輩の知るところではまだ手を組んでいない」

玄関は真っ暗で、家の中から闇が漏れ出しているみたいだった。一人暮らしだと毎日こんな家に帰らなきゃいけないのか。孤児院からホグワーツまで人生の大半を集団生活で暮らしてきたサキにとっては恐怖に等しい。いずれあの屋敷に一人で暮らすことになるんだろうか。

母は、どんな気持ちで一人で暮らしていたんだろうか。

母がいればどんな人生を送ったんだろうか。そんなことを考えながらサキはゆっくり眠りについた。



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03.夏の終り

サキは夏休みが終わる直前の日曜日だというのにマクリール邸にいた。マクリール邸にはサキとスネイプと、闇祓いが三人ほど。そう、今日は前々から決まっていた家宅捜索の立会をしているのだ。

「結構居心地いいね」

2年近くほっとかれて雑草が生い茂り埃が厚く積もった床を見てもトンクスは動じなかった。

「無駄に広い家だ」

ムーディが魔法の目で周りをギョロギョロしながら言った。

今回の家宅捜索の目的は主に闇の魔術のかけられた物品の調査…と書面ではなっている。

しかし実際は例のあの人の滞在していた痕跡探し兼魔法による封鎖だ。例のあの人の潜伏先にならないようにというダンブルドアの意向によるもので、人が入った途端闇祓いがやってくるセキュリティがはられる。

この魔法のせいでサキは今年いっぱいはもう館に帰れなくなるので、ついでに必要なものを運び出そうというわけだ。

「じゃあわたしは庭の方を調べてくる。サキはちゃんと日暮れまでに荷物運んでね?」

「はあい」

と言ってもサキの私物は少ない。ホグワーツに持ってくトランク一つと、衣装ケース一つ分くらいだ。

今回の目玉は勿論、生えてる薬草たちの回収だ。フレッドとジョージはどうやら大金を手に入れたそうで、商品開発のためサキにも報酬付きで薬草の入荷や魔法薬の調合を発注している。それに応えるためにはこの庭に生えてるグレーな薬草たちが不可欠だ。

しかしスネイプの目が邪魔になる。

サキは注意をそらすために雑談をふった。

「ハリーの尋問…何ともなくて良かったですよね」

「ダンブルドアの力があってこそだ」

スネイプは当然と言いたげだった。庭へ出る窓のそばに座って、サキが植物たちを鉢に植え替えるのを見ている。

「それにしても無茶苦茶ですよね。大法廷で尋問したんでしょう?大袈裟すぎる」

「全く理解しがたい。大臣はダンブルドアが権力を望んでいると思ってるようだ」

魔法省は例のあの人の復活をはっきり否定し、ダンブルドアから数々の勲章を剥奪し、メディアに攻撃させている。日刊予言者新聞には毎日どこか一つの記事にハリーとダンブルドアの名前が載ってる有様だ。

「…クラウチJrの記事も出てないし、魔法省って隠蔽体質ですよね。なんでみんな信じるんでしょうか」

「信心が揺らいでいるからこそ、今こうなっている」

スネイプは頬杖をついて空を見ていた。

「あの人が徐々に力を増し始めたときも、世の中はこんなふうに疑心暗鬼に満ちながら回っていた」

「先生が子どもの頃?」

「…ずっと昔の話だ」

サキはふと気になった事を聞いてみた。

「先生ってどんな子どもだったんですか?」

スネイプは黙ってしまった。あまりいい思い出がないのかもしれない。

「私は、愚かな子どもだった。多くの若者と同じように」

「想像つかないな。先生ってそのまんま大っきくなってそうだもん」

サキの冗談にスネイプが少しだけ笑った。

ある程度植え替えが済んだら今度は葉や蜜だけ採集しなければいけない。小瓶と袋を取り出して黙々と作業を続けた。

「……母はどうだったんですか?」

「どう、とは?」

「どんな子どもでした?」

「…子どもらしくなかった。今思えばだが」

「ははん。大人っぽかったわけですね?私のごとく」

サキの冗談が受け入れられることは少ない。

「母親のことが気になるのか?」

「まあ例のあの人も復活しちゃったし、知っときたいなって思います」

スネイプは何かを考えてるようだった。

サキがオニアザミの花弁を回収し終えるとスネイプが立ち上がり、そばへ歩み寄った。

「君の母親の部屋に行こう」

「え…はあ」

スネイプは今まで母について語る事は少なかった。母の部屋も存在こそ知っていたが入ったことはなかった。

なんとなく、踏み入っちゃいけない気がして。

 

その部屋は他の部屋より大きくて扉についてるノブも他と違い銀でできている。スネイプに促されるままにノブを回すと、あっさりと開いた。

その部屋はやけにシンプルで明るかった。窓は大きく、カーテンやカーペットも白色で、他の部屋と比べると印象が随分違う。そして何より長年放置されていたにも関わらず清潔だった。

ベッドと本棚とスタンドと机しかない部屋。本棚には大量の自筆の本が詰まっていた。

ためしに一つとると、中身はおそらくドイツ語で日記が書かれていた。別のものはロシア語っぽいし、漢字やアラビア文字の日記まである。バインダーには時刻の書かれた紙が大量に挟まっていた。

 

「サキ」

スネイプが手招きしている方へ行く。スネイプの目の前にある本棚には何も収まってなかった。

スネイプがそれを押すと、本棚が回転して別の部屋への入り口が現れた。

「隠し扉なんてロマン溢れますね」

「バレバレだがな」

スネイプは当然存在を知っていたんだろう。隠し扉の向こうにある光景を見てもサキと違って驚かなかった。

「わ…すごい」

そこにあるのは作業台と、大量の医療器具と、バーナーやハンダや電動鋸といったマグルの使う工具の山だった。

「あ、鉋だ」

サキは無造作に置かれたままの鉋を手にしてしげしげと眺めた。結構大事に使われてたようだ。刃は研がれた跡がある。

家具でも作っていたのだろうかと周りを見回すと、造りかけのキャビネットが部屋の隅に積まれていた。どうやらここは作業場らしい。

「ここで何してたんでしょうね?」

壁に貼られてるのは頭蓋のレントゲン写真だろうか?その横のポスターは脳髄のイラストに細かい文字が書かれている。なんだか妙な空間だ。

「ここならマクリールの物品があるはずだ」

「ああ、マンダンガスさんに持ってかないとね」

サキは適当にガラクタのように置かれている中から時計を持ち上げた。

よく見ると裏面にヨハナ・マクリールと署名がある。いつの人かはわからないがとりあえず回収しておく。

「…君の母親は道具はあまり作らなかった。君の手鏡くらいだったはずだ」

「そうなんですか。でも私、工作スキです。遺伝だったんですね」

「ああ…これは確かリヴェンが作っていたものだ」

スネイプが手に美しい銀のナイフを持っていった。

「あ、それももらっちゃおうかな。…先生ほしい?」

「いや、君のものだ」

サキはそれもしまっておいた。

他にもないかと探してみたが、リヴェン名義のものは資料ばかりで物は少ないようだった。

「この資料も何言ってるかわからないですね…これはドイツ語でしょうか?」

「おそらく」

「あーあ。日記とか残してくれればいいのに」

スネイプはまた困った顔をしていた。

そして隠し部屋から出て一息ついた。もうそろそろ日が傾いてくる頃合いだった。

「…我輩が監視していた頃、あの人はあの部屋には、あまりいかなかった。けれども子どもの頃はよく遊んでいたと言っていた」

「そうだったんですか」

あんな部屋で遊んでたのかよ。

どうやらスネイプなりの気遣いであそこを教えてくれたらしい。今度自由に家に帰れる機会があればじっくり調べよう。

 

「ありがとうございました」

「…我輩は何もしていない」

 

結局運び出したのは大きなダンボール2つほど。そのうち半分が薬草だった。闇祓いは中身に頓着しないらしく確認もしなかった。そして全員で館を出ると入念に呪文をかけて扉を完全に封鎖した。

「……さ、解散だな」

ムーディがそう言うとみんな次々に姿くらましして消えてしまった。サキとスネイプは荷物があるので森を抜けて呼んでおいた車に乗って帰った。車に乗るスネイプ先生はなかなか新鮮だった。がたがた揺れる未舗装の田舎道だが、フォード・アングリアの森の中のドライブよりはよっぽど快適だ。

「そうだ。ドラコを監督生にしたんですね。女子は誰にしたんですか?」

「パンジー・パーキンソン」

「げえ。なんで私じゃないんですか?スリザリンのいいところって身内びいきくらいなのに!」

「サキ、胸に手を当てて考えてみろ。身内の恥を誰がわざわざ晒すのだ」

「……なるほど」

確かにサキは4年間の学校生活で300点近く減点されている。監督生になりたいわけじゃないけどやっぱりパンジーを選ぶのは間違ってると思う。

「あーあ。今年、本当に何も出来なかったな」

スネイプの返事はなかった。

スピナーズ・エンドに近づくにつれ、雨が降ってきた。憂鬱な土地は雨が降ると余計に物悲しげに沈んでいく。湖の底みたいに静かな町ともあと数日でお別れだ。

 

 

駅でドラコと落ち合う約束をした。結局夏休みは一度も会ってないのでどれくらい身長が伸びたか楽しみだ。

サキも少しは伸びたが男の子の成長速度には敵わない。目に見えた変化といえばせいぜい髪の毛が伸びたくらいだ。

サキはパンパンに中身の詰まったトランクを階下に運び終え朝食を食べていた。いつも通り朝に似合わない土気色の顔でスネイプも一緒に食卓を囲んでいた。スネイプもホグワーツ急行で行くらしい。教職員用のコンパートメントがあるそうだが同乗は拒否された。

「いざお別れとなると寂しくなりますね」

一応夏休み中を過ごした家との別れを惜しんでおいた。スネイプは実家だというのに(実家だからこそ?)なんとも思ってないようだった。

教科書類はとっくに買い揃えてあるのでキングスクロス駅に直行し、スネイプと別れた。

 

「サキ!」

名前を呼ぶ声に振り向くと小走りでかけてくるドラコを見つけた。やっぱり背が伸びていた。

「本当に夏休みいっぱい会えないなんて!」

「いやー、長かったね」

ドラコは色々話したいことがあるようだったが、早くしないとコンパートメントが埋まってしまう。サキはいそいそと列車に乗ろうとしたが、ドラコは焦ってる様子はない。

「監督生用の車両があるんだ。君も乗ればいい」

「えぇ。やだよ。パンジー苦手だし」

ドラコはまだ何か言ってたがサキはとっとと列車に乗り込む。監督生になったドラコを祝うつもりだったけど、いざ本人を前にするとなんで自分とではないのかと思ってしまう。パンジーがまたサキに対抗心を燃やしてくるんじゃないかというのも心配だ。

とりあえず列車の中で頭を冷やそう。

そう考えながら空いてるコンパートメントを探すと、運良くルーナが一人で座ってるのを見つけた。

「お、ルーナ。ここいい?」

「あ。久しぶりだね」

ルーナは極彩色のメガネをかけてクィブラーを読んでいた。お父さんが編集をしているらしいがまあいわゆるトンデモ雑誌だ。多分今かけてる眼鏡も雑誌の付録なんだろう。

確かに中身はトンデモだが、逆に言えばなんでも載ってるし多くの読者が寄稿してるらしい。

「サキ、なんだか大人っぽくなったね?」

「そうかな。ルーナはかわらないね」

「背は伸びたよ」

ルーナとは付かず離れずというか適度な距離感で2年間友達でいたわけだがその姿に全く変化は見られない。

ルーナはクィブラーを読みふけってるのでサキにかまってこない。サキもこういうマイペースな所が好きなので気にせず漫画を読むことができる。

しかし発車してすぐ外からノックの音が聞こえた。顔を上げてドアにはまったガラスを見るとハリーとジニーがいた。

「いいかな?他、あいてなくて」

「ああ。いいよねルーナ?」

ルーナは雑誌を熟読してるから返事をしなかった。しかしまあルーナなら気にしないだろう。ジニーが挨拶するとやっと反応して挨拶した。

「ジニー。サキと友達なんだ」

「そうよ。あなたこそ」

「あたしとサキはドライな関係だもン」

「ぱさぱさだよね」

ハリーは会話に入るスキがなくてちょっと困ってるようだった。サキは隣に置いた荷物をどかしてやった。

「ロン達は監督生だからさ」

「ドラコもだよ。私達余りものだね」

「やっぱり寂しい?」

「ちょっとね…。まあ無理もないよね?スリザリンが優勝杯を逃してるのってほぼ私のせいだし」

ハリーはそんなこと無いよ…と言いかけたが、サキが今まで食らっていた減点と罰則を思い出してやめた。

「ハリーもそうよね」

ジニーがフォローするとハリーは苦笑いした。同じ余りもの同士で傷を舐めあってるとコンパートメントがノックされた。扉を開けるとネビルがへろへろになって立っていた。手には大きな鉢植えが握られている。

「あ…ごめん。空いてるかと思って」

「わ、ネビルそれ!」

「えへへ…」

サキが鉢植えに激しく反応した。ネビルは嬉しそうに微笑み噛みそうな名前を淀みなく言った。

「わ、満員だな」

ぎゅうぎゅうのコンパートメントに更にお客が来た。ロンとハーマイオニーは監督生バッジを誇らしげに胸につけて見回りをしていたらしい。

「サキ、あなた監督生になるべきだったわ。…マルフォイが鼻高々で威張り散らしてるわよ」

「私のいない所ではすぐイキるんだよな」

サキはため息をついた。しかし積極的に止めに行くつもりはないらしく腰を上げたりしなかった。

ネビルは空いてるコンパートメントを探しに出ていき、ロンとハーマイオニーも見回りに戻っていった。

ハリーはルーナの持ってる雑誌を貸してもらい顔をしかめていた。

「…ねえ、闇の魔術に対する防衛術の先生って誰だと思う?」

「教科書を見るにまともそうな先生だと思う」

などと雑談を交わすうちにいつの間にか日はすっかり暮れて景色は暗緑に包まれたホグワーツ城に近づいてきた。

「そいじゃね」

サキは一足先にドラコに合流するために出ていってしまった。

 

サキはドラコと合流し、セストラルに牽かれる馬車に乗った。スリザリン生の自慢話を聞いてるうちに校門についた。ハグリッドが一年生を案内してないことについてパンジーが色んな推測を立てていたが、ドラコは意味有りげに笑っていた。

サキはそんな話に興味がなかったのでぼんやりと骨だけの不気味な馬を眺め続けていた。

そしてなんとなく、曇り空の空に不吉なものを感じ取っていた。



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04.アンブリッジという女

『シンガー孤児院で火事 職員、児童ら13名焼死』

昨夜午後6時頃ロンドン市フィンチリー地区シンガー孤児院にて火災が発生しました。職員ら含め少なくとも13名が死亡。火元は不明で放火の可能性もあり捜査が急がれる。焼死者の身元の確認は取れていない。(デイリーニュース1991.5/19)

以降続報なし。

 

『警察、またも不祥事!捜査資料消える』

フィンチリー地区の警察はまたも失態を犯した。先週8/15に職員が資料室に行くと1991年に起きた事件のファイルが全て消えていたという。フィンチリー地区ではそれ以前に役所において1980年の出生届のデータが消えており、同一犯の可能性を睨んで捜査を開始すると会見があった。一市民として個人情報を軽視する警察には疑問を抱かざるを得ない。(アイズオンロンドン1996.8/24)

 

 

 

 

 

…………

 

 

サキには無駄な時間は意識を飛ばしてすっ飛ばせるという特殊な能力が備わっている。

「要するに居眠りじゃないか?」

サキは新しい闇の魔術に対する防衛術の先生の話を聞いてるうちに眠りに落ちた。ドラコが演説が終わってから激しく肩を揺すってようやく起きた。

「いーや。これはタイムリープだね、主観的な」

「何言ってるんだか…タイムリープってなんだよ」

「ううーん…SFなんて知らないよね?魔法だとなんていうのかな」

「えすえふ?」

監督生のドラコは新入生を引き連れて地下牢へ降りていく。サキはちゃっかりパンジーを差し置いて隣を歩いていた。

サキはあの新しい、ずんぐりむっくりしたピンクの魔女にどうも見覚えがあった。しかしどこであったのかさっぱり思い出せなかった。

魔法省から出向してきた人らしいことはなんとかわかったが、途中から話を聞いてなかったのでもう推測は立てられなかった。どちらにせよ授業が始まればどんな先生かはわかる。

何故かハグリッドはいないし、帽子は警告なんて発するし、早くも新学期は不穏な空気に包まれている。

例のあの人の復活が関係してるんだろう。

サキは他人事のように思って久しぶりの寮のベッドに潜った。

スピナーズ・エンドのベッドより柔らかかった。

 

 

 

ハリーのイライラはホグワーツに来て再燃したらしい。理由はすぐわかった。

スリザリン生だけでなく学校のありとあらゆる人がハリーを見て忍び笑いをしたり噂したりしているのだった。日刊予言者新聞による印象操作の結果が如実に出ている。

授業初日でいきなりアンブリッジにキレて罰則を食らったと聞いたときは驚きを通り越して呆れた。

 

「ハーマイオニーあたりにさんざん言われてるだろうし私からは何も言わないけど、ハリー。冷静にね」

ドラコたちの嘲笑をたくさん浴びたハリーが爆発寸前なのを見てサキは囁いた。

「あとで言っとくから」

「ああ、どうも。どうせ効果はないだろうけどね」

「まあそうかも」

ドラコは監督生になってからますます調子に乗っていてまるで王子様だった。おそらく例のあの人復活も少なからず影響してるんだろう。なんせルシウスは死喰い人の中でもかなり地位が高いようだし。

サキとしては複雑な思いだった。

ヴォルデモートが父親かもしれないと告白してから、ドラコはちょっとサキに対して恭しいというか丁寧というか…とにかく変なのだ。

サキはそれがたまらなく嫌だった。

その点ハリーが以前と特に変わらない態度なのはありがたかった。

「私はちゃんと信じてる…っていうか知ってるから。ピリピリしないでよ」

「……ごめん」

ハリーはため息をついた。

サキも同じように憂鬱だ。

「君やロンたち以外にも信じてくれるって人がいたから…もうひねくれるのは、やめるよ」

「そうそう。信じる者は救われるよ」

それでもやっぱり浮かない顔なハリーは、これからアンブリッジの罰則を受けに行く。グリフィンドールのキーパーの選抜だというのに罰則を食らったせいでチームからさんざん顰蹙をかったらしい。

「ほいじゃ私は選抜見てくるかな。暇だし」

「僕の分まで楽しんでよ」

「早速ひねくれるなって!」

サキは気合を注入するようにハリーの背中をバンっと叩いて立ち上がった。中庭にいる人たちも大広間に行ったりグラウンドに行ったりと各々散り始めていた。

ハリーとサキを見て何か囁く人もいたがハリーはもうあまり気にならなかった。サキも同じらしい。二年生のときは二人でさんざん秘密の部屋について噂されていたっけ。

昨年度の騒ぎでサキがクラウチJrに監禁されていた事は隠されてるとはいえ、二人セットでいるとなんとなく不審に見えるらしい。

「じゃあまた明日ね」

サキはそう言って競技場の方へ消えていった。

 

 

アンブリッジの授業は大半の生徒がこき下ろすような内容だった。座って教科書を読むだけの授業ほどきついものはないだろう。しかも内職すらままならない。

 

「ミス・シンガー」

 

甘ったるい声で名前を呼ばれて目を開けた。

居眠りがバレたらしい。目の前にアンブリッジが立っていた。唇こそ笑みの形を作ってるが、目は全く笑っていない。

「…なんでしょう」

「13ページは読み終わった?」

「バッチリです」

「それじゃあ筆者は闇の魔術に対してどのような姿勢で臨むのが正しいと考えているかしら」

「……わかりません」

サキは幸い起きてるふりが上手いので大丈夫だろうと思ったが、何故かアンブリッジはやたらサキを当てる。何か気に入らないことをしたんだろうか?全く覚えがないのに目の敵にされてる気がする。

「居眠りはよくありませんね。次からは減点ですよ」

アンブリッジはフンと鼻を鳴らした。サキはそれでも起きて授業を受けられる自信がなかった。

教科書を読むだけなんて…。まるまる一冊一時間で読み終わることができるくらい薄いのに一体何を考えてるんだか。

 

 

ドラコでさえ談話室では文句を言っていた。

「あれが魔法省から来たやつじゃなかったら即父上に抗議してたね」

「どこから来ても糞は糞さ。なんで呪文を使わないんだろう?」

「さあね」

「これだから役人は嫌いだよ」

サキは吐き捨てるように言った。

ドラコは良くする訳知り顔をして言った。

「でもじきにあいつが権力を持つさ。…明日の朝刊が楽しみだよ」

「若者なのに反骨精神がないね、ドラコは」

「なんだ?僕が監督生なのが不満か?」

「別に。ちょっと寂しいだけ」

「め、珍しいな。そんなこと言うなんて」

「私も監督生用のお風呂に入りたかった…」

「………」

ドラコは何故かおこって男子寮へ行ってしまった。

「なんだよ、思春期か?」

「今のは君が悪いだろ…」

横で見ていたノットがボソリとつぶやいた。

 

翌朝の日刊予言者新聞にはでかでかとアンブリッジの写真が入っていた。ザビニの読んてた新聞を覗き込んてざっと見てみたが見慣れない単語が飛び交っている。

「高等…尋問官?尋問するの?」

「あ?ああ…教師陣を査察するらしいよ」

ザビニは馬鹿馬鹿しいと言いたげに笑った。

「マクゴナガルの尋問、ちょっと見てみたいよな」

「確かに」

ハーマイオニーはさぞかし憤慨してるだろうなと思いながらサキは林檎を丸齧った。

やはり自分には直接関係ないだろうと思っていた。しかしアンブリッジの査察による締付けは思わぬ事態を招くことになる。

 

 

フレッドとジョージのずる休みスナックボックスは順調に完成に近づきつつあった。鼻血ヌルヌルヌガーの止血剤に適した材料がやっと見つかったのだ。

「ほんと、血液を密輸する羽目になるかと思った」

「糞爆弾かと思って開けて、血がたっぷり入ってたらフィルチもおったまげるだろうね」

「全くだ」

双子とは人気のない場所…例えばフクロウ小屋やハグリッドの小屋へ向かう畦道から少し外れた倒木とかで会っていた。二人はハーマイオニーやドラコといった監督生のチクリを警戒している。

それ故に催眠豆の苗床に使ってる北塔の裏のちょっとした林の、狐なんかが獲物の死骸をため置く場所は三人にとってちょうどいい場所だった。

なんせ辛気臭くて湿っぽくて、それでいて校舎のすぐ裏なので生徒の心をくすぐるようなスリルもないため誰も近づきやしない。

2年生のときにあげた苗がグリフィンドール寮の男子ベッドで大繁殖をおこしベッドルームが一時期ジャングルになっていたと聞いたときは耳を疑った。本来そんなに育つ植物ではないはずだ。

繁茂する催眠豆がパーシーにバレないうちに双子はサキに泣きついた。

禁じられた森に埋めるのは気が進まなかった。なんせ催眠豆はいたずら用菓子のエッセンスにかなり適している。(双子が催眠豆で作った幻覚キャンディーはそのあまりのヤバさでお蔵入りになった)惚れ薬もどきだって簡単に作れるし手の届く場所に置きたかった。

そこでサキは今まで自分がこっそり食べるように育てていたハーブの畑を譲ったのだった。

 

思春期男子たちの熱気が苗に悪影響でも与えたんだろうか?催眠豆は今やもう手に負えないくらいに育ちまくって自身の棲息圏を畑の外まで広げつつある。

その育ちっぷりたるやサキが生態系に悪影響を与えやしないか心配になるほどだ。

 

「それで…次のホグズミードなんだけど」

「ああ。忘れてた。なんか頼む?」

フレッドが雑草を引っこ抜きながら言った。

サキはホグズミード村に私書箱を一つ持っている。こっちのほうがホグワーツに郵送するよりフィルチの目を掻い潜りやすいからだ。

「いや、それよりその日俺達と来いよ」

「いいけどなんで?」

「秘密の話さ」

「ワクワクするね。そういうの好きだよ」

ドラコと約束してたわけではないが一応断っておかなきゃならない。

サキはちょっと憂鬱になりながら寮へ帰った。ドラコはロンをからかったり高等尋問官になったアンブリッジに媚を売ったり、ここの所やたら『やなやつ』なのだ。サキがいくら諌めても聞かない。

 

「ドラコ」

「どうしたんだ?」

「次のホグズミード、フレッド達と行くね」

「なんでウィーズリーと?」

ドラコは案の定イラッとした顔をした。

「クライアントだからね」

「あの双子の馬鹿な悪巧みに君が参加するのは反対だね」

「対価は貰ってるから私は別にいいんだけどさ」

「僕が良くない。…サキ、父上も仰ってた。君のお母さんは身内も同然なんだから何か困ったことがあれば頼ってくれていいんだって」

「そうはいかないよ。他人だもん」

「他人なんかじゃないだろ」

ドラコはムッとして言い返した。誤解のある言い方だったので慌てて言い直す。

「そりゃドラコんちとは深く付き合わせてもらってるよ。でも母親は顔すら知らないもん」

母親を他人と言い切ったサキにドラコはびっくりしていた。

「どう転んでも母親は死んでるし、私は孤児だよ」

「でも……」

ドラコは何かを言い澱んだ。サキはなんとなく続きが聞きたくなくて、ワハハと陽気に笑いながらドラコの肩を叩いて言った。

「やだな。寂しくなっちゃう?ドラコはお子様だなぁ」

「バカ、違う!」

「埋め合わせはするから。ね?」

「…はあ、わかったよ。じゃあ君、くれぐれも馬鹿なことはするなよ」

「任せて」

ドラコは全然信用してなさそうな顔をしてから課題に戻った。

 

そしてフレッドジョージに連れて行かれたのはホグズミード村のハズレにある薄汚いバー、ホッグズ・ヘッドだった。

サキが来たことにロンがちょっと驚いていた。まあ当然だろう。いまホッグズ・ヘッドにいるのはグリフィンドール生が殆ど。他の寮の生徒もハリーに味方している人たちばかりで当然スリザリンは一人もいなかった。

ハーマイオニーがすかさずフォローする。

「私が呼ぶように頼んだの」

「あー…都合が悪いなら帰るけど」

「いや、いや。マルフォイがついて来てないなら大歓迎さ」

みんながオンボロのテーブルについてバタービールが運ばれてきてから、ハーマイオニーは口を開いた。

 

「ええと…こんにちは」

 

ハーマイオニーは緊張しているようでしどろもどろだった。

「みなさんなぜここに集まったか、わかっているでしょう。えー、ハリーの考えでは…そう、闇の魔術に対する防衛術の先生はあまりにも酷いわ。それで、私達自主的にやってはどうかと思いました」

ジョージがいよっと合いの手を入れた。

「どうも。…つまりね、理論だけじゃなくて本物の呪文をつかうという…」

「君はふくろう試験をパスしたいんだろ?」

ふいにマイケル・コナーが口を挟んだ。

「だったら理論だけだって大丈夫じゃないか」

「もちろんよ。でも、私たちはちゃんと呪文を使って身を守る訓練が必要だわ。……なぜなら」

ハーマイオニーは一息ついて決心したように言葉をいう。

 

「ヴォルデモート卿が復活したから」

 

生徒たちからは悲鳴が上がった。サキの眉間もほんのちょっと狭まる。しかし恐れとともにみんなの期待がぐんぐん高まってるのを肌で感じられる。

みんなはハーマイオニーと、そしてハリーにますます注目した。

「とにかく、そういう計画です。賛同してくれるならばどうやるか決めなくてはいけなくて…」

「例のあの人が復活したっていう証拠は?」

ザカリアス・スミスが口を挟んだ。

「ダンブルドアがそう言ってるわ」

ハーマイオニーがむっとして言い返す。しかしザカリアスも負けてなかった。

「ダンブルドアがそいつを信じてるってだけだろ?僕たち、なんで例のあの人が戻ってきたって言えるのか知る権利があると思うけど」

ザカリアスはハリーをチラ、と見て言った。

ハーマイオニーが慌てて議論を修正しようとしたが、ハリーはまっすぐザカリアスをみて毅然とした態度で話し始めた。

「僕がなんであの人が戻ってきたっていうのかって?簡単だ。この目でやつを見た。ダンブルドアがそのことを話したはずだ。それが信じられないならもう君に話すことはない」

「ダンブルドアが話したのはセドリックが殺されたってことだけだ」

「セドリックのことは話したくない。そのことを聞きに来たなら出てってくれないか!」

ハリーは爆発寸前だった。しかし誰も出ていくことはなかった。

 

「ねえ、守護霊を作り出せるって本当?」

その空気を払拭するようにスーザン・ボーンズが発言した。

「え?ああ、うん…」

「すげえ」

リーは感心したように漏らした。

「私見たよ!トナカイ?鹿?みたいなのだしてた」

サキもすかさず話題に乗っかる。

「うん、牡鹿のね」

「有体の守護霊を創り出すのってすっごく難しいのよ…あなた本当に凄いわ」

スーザンの賞賛にフレッド、ジョージが乗っかってく。

「去年の課題だってそうさ」

「随分儲けさせてもらったな…」

みんなが興奮気味に話しだして、ハリーはちょっと落ちついたらしい。

「みんな、ええと…僕、そんなに凄くないよ。いろんな助けがあってやってこれたんだ」

「謙遜するなよ」

「いや、そうだ。ハーマイオニーやロンの助けがなきゃ僕、とっくに死んでる。それに去年はサキやネビルがいなきゃ課題をクリアできなかった」

突然名前が出たネビルは耳を真っ赤にしてた。

「ええと、つまり、僕が言いたいのは…」

ハリーは大きく息を吸った。

「ひとりひとりが強くなって、団結しなきゃいけないってことだ。うん」

「そのために自主的に訓練しようっていうこと。…ハリーに教えてもらってね」

ハーマイオニーが付け足した。みんなから拍手が起こった。

「ハーマイオニーは?教えないの?」

アーニーが尋ねた。確かにハーマイオニーは学年イチの秀才だし教える側に回ってもいいと思うのだが…。

「いいえ、私は知ってるだけだから…」

とハーマイオニーはちょっと悲しげに言った。

「実技だったら私より適任がいるの。ね?サキ」

サキは突然名前を呼ばれて噎せてしまう。ゴホゴホと咳をしてから顔を上げるとみんなの目がこっちを見ていた。

「サキは去年ムーディに訓練させられてたでしょう?」

「えっ。うん。まあ正確にはムーディに化けた死喰い人だったわけだけど…」

「適任じゃない」

ハーマイオニーはハリーと視線を交わしてにっこり笑った。どうやら元からこういうつもりだったらしい。

「みんながよければね」

「僕は反対だね」

ザカリアスはすかさず言った。

「忘れたのか?シンガーはマルフォイの彼女だ。アンブリッジにバレないとは限らない」

「サキは去年も一昨年も、なんなら一年生のときからずっと友達だ」

ロンがザカリアスの前に出てビシッといった。

「いや、ザカリアスの意見も最もだよ」

サキは立ち上がってロンの肩を叩いた。

「でも裏切るメリットって少ないよ。だってよく考えてみなよ。私、スリザリンにドラコ以外の友達がいないのに他寮の友達を失うハメになる。その上苦労して作ったずる休みスナックボックス販売網までおじゃんになっちゃう」

ザカリアスはまだ不審そうな顔をしている。サキは注目されてるのはわかっているのでゆっくり滔々と述べた。

「成績もどうでもいいし、親もいない私にアンブリッジに媚び売る理由はないんだよ。君と違ってね」

「僕だって裏切るつもりなんかない!」

「そうそう。私もそうだよ」

サキはザカリアスの肩をどっかり組んだ。

 

「だから仲良くしようぜ。帽子の言うようにさ」

 

 

 



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05.ダンブルドア軍団

ちく、たくと時計の針が時を刻む。

人間が自分がどんな速度で老いて行くのかを測る物差し。ちく、たく、目減りしてくだけの残り時間を忘れさせないように進んでいく。

全く持って意味がない。そう、少なくともこの館の主にとってそれはネズミが壁を引っ掻く音くらい意味のないものだった。

 

「月はいつまでも変わらない」

 

と、椅子にかけた女が言う。絹を漉いたような黒髪が月明かりを反射している。折れそうな肩に薄衣を羽織り、ぼう、と満月を眺めていた。

「貴方は前より醜くなったわね」

自分に対してそんなことを言うのはもう彼女くらいだろう。だがそれにいちいち怒るのも詮無きことだ。彼女はもともと同じ土俵に立っていない。上か下かという問題でもなく、ただ違う時間に生きているという意味で別世界の人間なのだ。

「何年ぶりになる?」

「さあ」

骨のような白い肌はすぐに死を連想させた。なんとなく、この女はもう死ぬのだと予感させた。

「お前に頼みがある」

「どんな?」

「俺様の、未来を視てほしい」

「無理ね」

女は満月を見るのをやめてこちらへ視線をよこした。庭に咲くケシの花を見るときと何ら変わらない感情のこもってない目だった。

「無理だわ。私はもう死ぬから」

やっぱりかと思った。予感していた事もあって、彼女の言葉は自然と受け入れられた。そうか、死ぬのかと納得できるほど彼女の姿は精気にかけている。

「子どもが、できたんじゃないのか?」

「力を繋げたって、もう私はいなくなる」

「記憶は残る」

「それは私じゃない」

また主語のない会話をし始めた。あった時からそうだったけれど一向に治る気配はない。

「残念だわ」

「なにがだ」

「先が見られないのは」

そう言って彼女は目を閉じてしまう。目を閉じるたびに彼女は遠くなっていく。もう彼女にはその隔たりを乗り越える気力がない。だから死ぬのだ。

「どうしても死ぬのか」

「ええ」

女は有無を言わさなかった。髪はこんなにも艶があって、風にたなびき生きてるようなのに。たおやかな指の先はピンクの爪が花びらみたいにくっついているのに。唇は赤く赤く潤っているのに、それでも死ぬという。

「そうか」

「ええ」

追及はしなかったし、止めるつもりもなかった。死と戦うつもりがないのなら生きてたってしょうがない。彼女の魔法はある種の不老不死にほかならないのに、それでも死には打ち勝てないというのか。母のように。

 

「こんなの魔法じゃない」

 

心を読んだかのようにふいに女が口を開いた。

 

「これは呪いだわ」

 

 

……

 

 

夢を見た気がした。真珠貝を持って穴を掘る夢。昔読んだ本でそんな場面があった気がする。

ホグワーツに来てから小説なんかは読まなくなった。今度図書館で探してみよう。

サキは寝起きのぼんやりした頭に活を入れるようにほっぺをつねった。

着替えて談話室に行くと、掲示板にデカデカと何かが貼られていた。

 

「きょういくれい…」

 

ざっと読むと、どうやらクラブ、チーム活動をアンブリッジの承認制にするというふざけた規則が追加されたということらしい。

つまり例の自習クラブは違法な地下クラブになるわけだ。

「わくわくするね」

「なにが?」

「うお」

突然背後から声が降ってきてサキは飛び上がった。ガツンと音がしてサキの頭がその人物の顎にぶつかった。

「ッ…」

その人物…ドラコは顎をおさえてしゃがみこんでいた。

「ごめん、ごめん」

サキもクラクラ星がまってる頭をさすりながらしゃがんだ。ドラコの目には薄っすら涙まで浮かんでいて、申し訳ない気持ちになった。

そこからいくらおだててもドラコはむっつり黙り込んでいた。

朝食のデザートを食べてからようやく機嫌が治ったらしく、ようやっと口を開いた。

「ホグズミードで何をしてた?」

「ん?フツーに…遊んだ…?」

「なんで疑問形なんだよ」

「いやあ。まあ、わかるでしょ?」

サキはヘラっと笑って紅茶を飲み干した。ドラコは声をひそめて言った。

「君と僕との仲だから警告するぞ。もうグリフィンドールの連中と関わるのはよせ」

「それ何度も聞いたよ」

「今回ばかりはマジさ。いいか?」

ドラコはサキの襟をぐっと掴んで近づけると周りに聞こえないように囁いた。

「アンブリッジはホグワーツの校長になるつもりだ。ダンブルドアを追い出してな。いまあの人に逆らってみろ。下手すれば退学だぞ」

「ダンブルドアを追い出す?そんなのできっこない」

「やるんだよ、あの女は…」

「ルシウスさんが噛んでるの?」

「ああ」

サキはちょっと考えた。そもそもファッジがヴォルデモート復活を認めてなくてダンブルドアを疎んでいる。ルシウスはファッジの反ダンブルドア精神を煽っているのだろう。ダンブルドアを学校から追い出せばヴォルデモートの力は一気に強くなる。

「ドラコ…それでも私、あいつきらいだからやだ」

「だったら喜び勇んで反抗するのをやめろ」

「嫌だね!」

ガッチャンと音を立ててカップをテーブルに置いた。周りの生徒がぎょっとしてこっちを向いた。

「ヴォルデモートもファッジもクソ喰らえさ!私は偉そうなやつが嫌いなの」

ヴォルデモートの名前を聞いて周りがざわついた。育ってきた文化が違うせいで彼らの畏怖は頭でわかっても感覚で理解できない。ユダヤ人の中でキリストバンザイと言うようなものなのだろうか?

その騒ぎを聞きつけて、早速アンブリッジがやってきた。

「ェヘン。…気のせいかしら?スリザリン寮のテーブルからとんでもない言葉が聞こえてきたのですが?」

「どれの事でしょうね」

ドラコが袖を引っ張るのを振り払ってサキはアンブリッジと向き合いその四角い顔を見下ろした。

「ファッジかな?クソ喰らえかな?それともヴォルデモート?どれかわからないので張り紙しといてくれませんかね」

アンブリッジへの怒りはほとんど日々の鬱憤の八つ当たりに近かったが、鬱憤の原因の半分はアンブリッジにあるしいいだろう。

アンブリッジは怒ると目を見開いて、顔が赤くなる。

「シンガー、罰則です」

「喜んで」

周りには人だかりができていた。ついにサキがキレたぜ、と乱闘を期待してウィーズリー兄弟まで近づいてきたのを見てサキは身を翻して寮へ戻った。

 

「君、なんてことしたんだ」

ドラコはすぐに追いかけてきた。

「火に油を注いだってことさ」

「僕は君のために言ったんだぞ!」

「ドラコの気遣いはわかるよ。でも5年一緒にやってればわかるでしょ?私がああ言う手合が嫌いなの」

「そりゃわかるさ。でも大人になれよ。なんで自分が損することばっかりするのさ」

「大人?君の言う大人って誰さ」

談話室にいた下級生はヒートアップした二人の喧嘩を見て蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

「私は、損しないために立ち回る事を大人とは言えないと思う」

「…我を通すのはただの我儘だ」

「みんなわがままだよ。君だって私を勝手に抑えようとしてるじゃん」

「屁理屈だろ」

二人の間に重たい沈黙が漂った。ほとんどの生徒が授業に向かって誰もいない談話室は二人きりで湖底にあるせいで環境音がほとんどしない。

 

「……君は、やっぱり入る寮を間違えたよ」

「そうだね。でも血には抗えないってやつじゃないの」

ドラコがサキの目を見た。なんだか悲しそうな目だった。

「君…ずるいよ。自分で生まれなんかどうでもいいって言っておいて…」

 

サキは何も言えなかった。胸のうちでは自分のなかの敵意を相手に向けてしまったことを後悔していた。

 

そんな目で見ないでほしい。

「…」

何処かで始業のベルがなった。

ドラコは動かなかった。サキも同様に動けなかった。

やがてドラコが背を向けて談話室を出ていった。

サキは無言でソファーに倒れ込んで胸が潰れそうなほどの自己嫌悪を感じて声にならないうめき声をあげた。

そして誰かに見つからないうちに談話室をでて人気のない廊下に走った。

どこかで暴れたい。

こういうときはハグリッドの小屋で落ち着くのがいいのだが今は無理だ。

とにかく階段を登って上へ上へ向かった。8階まで来ると授業をやってる部屋もないのでやっと一息つけた。

 

なんて馬鹿なんだろう、と自分の短気さに嫌気が差した。

 

ドラコはいつだってサキが孤立しないようにしてくれていたのに。

サキの生まれを知っても可能な限り普通に接してくれていたのに。

その心遣いをいつも無碍にして、それでも許していてくれたのに…。

 

アンブリッジの罰なんてどうでもいい。

ドラコを傷つけてしまったことに激しく後悔した。

 

サキは思いっきり壁を殴りつけた。

「……」

殴りつけた壁はやけに軽い音がした。顔を上げて見てみるとさっきまでなかった扉が見えた。

サキは恐る恐るそのノブをひねった。

 

 

 

「そういうわけでサキがみつけてくれました」

必要の部屋、またはあったりなかったり部屋で闇の魔術に対する防衛術の自習クラブは第一回目の会合を開いた。前回ホッグズ・ヘッドに集まったメンバーは全員いる。

「俺達がこの前入ったときはただの物置だったのになあ」

フレッドとジョージはうーんとうなって部屋の内装を眺めた。

鏡張りの壁に、練習用の人形。暖炉に掲示板におしゃれな棚まであった。観葉植物まで置かれ、ホグワーツの寮の色をしたヴェールがひらひら揺れている。

「素敵ね」

ルーナはぼんやりつぶやいてる。サキは得意げにみんなの様子を眺めてた。

「…で、まず何をするんだ?」

ザカリアスがそんな気持ちに水をさす。ハーマイオニーはサキがまたプッツンするんじゃないかと思った。例の痴話喧嘩の後、サキはいっつも気が立ってる。

「ハリー、何するの?」

しかし今日はセーフらしい。サキはハリーに話を振って置いてあるクッションに夢中だった。

「あー…まずはそうだね。武装解除呪文かな」

みんな拍子抜けしたような表情を浮かべた。

しかしハリーは幾度もこの呪文で窮地を脱してきた。なにより去年ヴォルデモートの死の呪文に対抗したのがこの呪文だった。

「初歩的だからこそ大切なんだ。じゃあペアを組んで。振り方はわかるね?」

みんないそいそとペアを組んだ。案の定ネビルが余ったのでサキが組むことになる。

 

「それじゃぁ…開始」

 

部屋の中を呪文が飛び交った。

ハリーはみんなの間を縫っていっていろんなペアの様子を見まわった。ハーマイオニーは緊張して杖が何回かすっぽ抜けてしまったがロンの呪文はすべて弾いていた。

双子はなんやかんやで呪文がうまく、器用に呪文の弾き合いをしていた。

チョウ・チャンをはじめとするレイブンクロー生も流石というべきか、何回かやればすぐに成功するようになっている。(ハリーはルーナが成功しているのを見て意外だなと思ってしまった)

「ちがうちがう!腹に力を込めるんだよ!今から殴るからちゃんと力入れてね?」

そんな中でサキとネビルは何故か体幹を鍛えていた。

「えっと…」

ハリーが思わず声をかけると「呪文はまず体幹から」とサキが言ってネビルの胴を殴った。

「杖腕が安定してるか否かで成功率は5%近く変わるらしいよ」

どうやらサキがムーディ(偽)から受けた訓練はだいぶスパルタだったらしい。

しかしサキの指導のかいあってか練習終了までにネビルは呪文を3回も成功させた。

 

「ねえ、サキって本当に呪文うまいの?」

 

みんなが一息ついたときザカリアスがサキをからかうように言った。

「ネビル、腹筋なんかしてるけど僕もやらされるの?」

「ん?まあ当然やったほうがいいよ」

サキはザカリアスになんでこんなに突っかかれるのかわからず口をへのじにした。

サキはどうも信用されてないらしい。

 

「よし、じゃあこうしよう。ハリー!」

 

サキが突然大声でハリーを呼んだ。

ハリーとサキはゴニョゴニョと話し合ってからロンを呼んで全員に呼びかけた。

「あー、みんな!注目。今からデモンストレーションをする」

 

ロンの声にみんなが注目した。

向かい合う二人の周りに人だかりができる。お遊びのような決闘は幾度となく見てきたが…

 

「じゃあサキに5シックル」

「なら俺はハリーだ」

 

ハリーとサキの決闘。ハリーとドラコは多々杖を交えてきたがこの二人となると初めてだった。二年のとき『継承者候補』として噂に上がった二人の対決となればDAのみならず多くの生徒が注目するはずだ。

サキは髪を後ろで括り、腕をブンブン振り回した。ハリーも上着を脱いで深呼吸する。

「緊張するね」

「お手柔らかにね」

ハリーとサキは握手を交わし、杖を構えて背中を合わせる。

 

「…それじゃあ、杖を構えて」

 

審判のロンが号令をかける。カウントダウンが始まって心臓はますます高鳴った。

 

「5.4.3…」

 

1年生の頃ドラコとやったときはこの時先走って呪文をかけてしまった。2年のときはドラコに先手を打たれた。サキとドラコはよく呪文を掛け合って遊んでいたし、間接的にはハリーはサキに負けてるとも言える。

元来負けず嫌いなハリーがここでやすやすと転ばされちゃたまらない。

 

「2…1」

 

ハリーは振り向きざまにすぐ足縛りの呪いを放った。しかしサキの頭があるはずの場所にサキは居なかった。サキは振り向く前に屈んで前に転げすぐ立ち上がり呪文を放つ。

無言呪文だ。

何をかけられたかわからないままハリーは逆さまになって空中に浮き上がった。サキは続いて武装解除呪文をかけてくるが、かろうじて腹筋でそれをかわした。筋肉が裂けるような痛みが腹にはしった。

すぐに足にかかった縄を焼き切るが、その先を考えていなかった。

ハリーはそのまま地面に落ちて背中を硬い床に打ち付けてしまった。

「おっしゃ!」

サキがすかさずハリーの上にマウントを取り拳を振りかぶった。

「うわ!ちょっとちょっと!」

ハリーはびっくりして思わずサキを突き飛ばしてしまった。サキの体は思ったより軽くて羽根のように吹っ飛んでしまった。

「君ねえ、プロレスじゃないんだよ」

固唾を呑んで見守っていたアニーは呆れ気味に笑った。

「これ、どっちの勝ち…?」

サキが腰をさすりながら起き上がるとロンはう~んと悩んでいた。

ハリーも立ち上がり背中をさすっている。

「ハーマイオニー」

ロンがハーマイオニーに助けを求めた。

「そうね…サキのはアウトプレイだから反則負けになるのかしら」

「でも実戦なら僕の負けだね」

ハリーはサキの身のこなしに感嘆しつつ、女の子一人をこんなに動けるように仕上げてきたクラウチJrの指導力が怖かった。

死喰い人がみんなこんなふうに強かったらたまったものじゃない。

もしかしたら天賦の才なのかもしれないけれど。

「いいもの見せてもらったわ」

「男の子にはかなわなかったけどね…」

サキは女の子達に賞賛されていた。ザカリアスも拍手をしていた。一方でフレッド、ジョージは賭けの結果についてあれこれ話し合っていた。

 

第1回目は大成功だった。

参加者たちは満足げに自分の杖をしまった。

 

 

「そうだ…会の名前を決めてなかった!」

終わり際、ロンが思い出したように言った。

「そうね。何がいいかしら?」

「魔法省はみんな間抜け、MMMは?」

フレッドがすかさず提案した。

「賛成」

サキとジョージが乗っかるのを見てハーマイオニーがじろりと睨みつけた。

「ディフェンス・アソシエーションでDAなんてどうかしら」

チョウの提案に今度はジニーが賛成した。

「ダンブルドア・アーミーの頭文字にもなるし、いいと思うわ」

みんなからDAに賛成の声が集まり、会合は無事ダンブルドア軍団という名前を手に入れた。

ハリーはなんだか誇らしい気持ちと、ダンブルドアに対する不信感とで複雑な表情を浮かべた。サキがじっとこちらを見てるのがわかって、笑顔を取り繕った。

「よし…それじゃあまた次の会合で」

 

それからDAの会合はハーマイオニーの作ったレプラコーン金貨で日付を知らせることになった。(とても難しい呪文らしい)

ハリーはサキとネビルに間違って使わないようにとさんざん言い聞かせた。

 

頻繁にあったDAだが、グリフィンドール対スリザリンのクィディッチが近づくとぱったりなくなった。アンジェリーナがウッドの亡霊にとりつかれたように毎日練習すると主張し、ハリーとロンは連日泥まみれになっていたからだ。

 

「僕もう疲れたよ…」

「死にそう…」

ハリーとロンが昼休みにぐったりと湖のそばで寝っ転がりながら言った。

「スポーツに熱心になる気持ちは理解できないよ」

「同感だわ」

ハーマイオニーとサキはサンドイッチを食べながら呪文集を開いて次のDAで取り組むべき課題について議論していた。

「所詮君たちもオンナノコだな」

ロンがむくれてそう言うとハーマイオニーはプンプン怒った。サキはそれを笑いながら見ていた。

マルフォイと喧嘩して以来、サキはしょっちゅうハリーたちと一緒にいた。

3年生のときもマルフォイと喧嘩していた時期があったが、その時と違って簡単に和解できるような喧嘩じゃなかったらしい。

アンブリッジの罰則を食らったのが原因と思われるがサキは詳しくは教えてくれなかった。

しかも罰則を食らってるのに手の甲にハリーと同じ傷がない。

しかもロンはここのところダウナー気味で、いっつも憂鬱そうな顔をしていた。

というのもマルフォイはロンに対してちくちくと嫌味を行ったり嫌がらせを繰り返していたからだ。

サキもそれには呆れていた。

気にするなよとみんなが言うが、励ましはかえってロンの首を絞めているらしい。

「君は見に来ないの?」

「キョーミないの、知ってるでしょ?」

サキは本当にクィディッチに興味がないようだ。去年のワールドカップを見てなおこの態度というのは清々しい。

ハリーはどうしてもサキにドラコとのことが聞きたかった。けれどもなかなかその機会はなかった。

 

サキの顔を見た。

ヴォルデモートに似てる部分なんて全然見つからなかった。

 

「なに?顔、なんかついてる?」

 

顔を凝視されて慌ててほっぺをはらう姿も、全然あいつを感じさせない。

「いや、別に」

「ヤバイ、サキ!頭にハチがついてる!」

「うおおおお!」

ロンにからかわれて大慌てする姿を見てハリーは大笑いした。



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06.君は蛇の夢をみる

サキとハリーはDA後いつも二人で次取り上げる呪文について話し合っていた。

部屋の中は全員帰ると熱気がなくなって寒い。もう冬なんだと空気が知らせてくる。

 

いつもは楽しくさっきまでの練習はどうだったか話したり次は何をすべきかを提案しあっていたが、今日は二人共どんよりした顔で黙り込んでいた。

 

原因は先日行われたスリザリン対グリフィンドールの試合だった。

そこでハリーはマルフォイと大喧嘩してクィディッチを禁止されてしまったのだ。

 

「…そうかあ」

 

マルフォイはロンたちの親とハリーの親まで侮辱したらしい。人づてにそれを聞いたサキは悲しそうな顔をして必要の部屋に引きこもった。

しかし引きこもりを3時間で終わらせて寮に帰ったあたり3年生のときよりも成長が見られる。

ハリーはあれ以降没収されたファイアボルトがずっと頭の隅に浮かんでいてずっと憂鬱だった。

ハグリッドが戻ってきたり、クリスマスが近かったりしても心からワクワクするのはDAの時くらいだ。

「……盾の呪文はちょっと早いかも。武装解除を完璧にしてからの方がいいと思う」

サキがボソリとつぶやいた。

 

「ムーディ…じゃないか。クラウチJrも一個が完璧にできるまでずっとやらせてたし…」

「そうだね。汎用性もあるし」

「死喰い人から教わった魔法で死喰い人と戦うの笑えない?」

「あんまり笑えない」

「あははは!」

サキは笑えるらしい。

冗談のキレが悪いのも調子が悪い証拠だ。

「ま、飽きないように面白い呪いでも考えとこうか」

「そうだね。…あのさ」

「ん?」

「マルフォイと仲直りできた?」

「え…いやあ…」

サキは視線を彷徨わせた。まだ仲直りしてないのは見え見えだった。

「私、喧嘩っ早いのに仲直り苦手みたい」

「仲裁はうまいのにね」

「ハリーは去年ロンと喧嘩してたでしょ?あれ以来また喧嘩したりした?」

「いや。全然。…というか僕とロンと、君とマルフォイは違うだろ?」

「どういうこと?」

「つまり、えっと…友達以上じゃないか?」

「あ、なるほどね」

相変わらずサキに恋人とか恋愛とかいう概念がないらしい。ハリーはマルフォイが怒るのも無理ないなと思った。

「なんにせよ私が仲直りが下手なのには変わりないさ」

「ずっと気になってたんだけど…君はちゃんとマルフォイのこと好きなの?」

前にもこんな会話した気がするなと思いながらハリーはやっと聞きたかったことが聞けた。

「そりゃ…最近のドラコはちょっとやりすぎだと思うけど…」

「恋愛的な意味でだよ?」

「な、なんでそんなに聞くの」

「マルフォイがちょっと可哀想に思えてきてさ」

「うーん…」

サキは今まで見た中で一番渋い顔をした。

「ドラコと一緒にいて楽しいし大事だって思うよ。それは恋愛感情じゃないの?」

「それも大事だけどさ。もっとこう、キスしたいとかないの?」

「ド、ドラコと?!ややや、やだよ!そんなの!恥ずかしいじゃん!」

サキは大袈裟にハリーから距離を取った。顔が真っ赤になっている上にスカートがまくれてスパッツが見えている。明らかに動揺していた。

「き、キスとかそういうのはませてるよ!そういうのは結婚してからだよ!」

「サキ…君、恋愛観が幼児レベルなんだね…」

「悲しそうな顔しないでよ!え?もしかしてみんなばんばんキスとかチューとかしてるの?」

「ジニーなんてもう彼氏がいるよ」

「嘘でしょ?!」

どうやらサキは知らなかったらしい。ショックを受けて床に座り込んでため息をついた。

「孤児院育ちなせいかなあ…夫婦とか恋人同士って全然見たことないからわからないんだ。テレビも音は流れてたけど全然見たことないし」

ハリーはなんとなくマルフォイとサキが二人でホグズミードを歩いてる姿を思い出した。転びそうなサキの腕を掴んでるマルフォイとサキの暖かそうな空間を見て胃の奥がずーんと落ち込んだのまで思い出してハリーは少し凹んだ。

3年生のときからほんのりと感じてた失恋の気持ち。今それが中途半端に首をもたげている。

「んー、僕もそんなにカップルを見た事はないけど、恋愛ってどういうものかなんとなくわかるけどな」

「ハリー、恋でもしてるの?」

ハリーはしまったと思ってサキから目をそらしてしまった。それが余計サキの好奇心を煽ったらしい。サキはしつこく聞いてくる。

「まさかジニー?それともチョウ?彼女、かわいいもんね。…大穴でルーナとか?」

「違う、違うよ!今は君の話をしてるんだろ?」

「なんだよ、自分の話はしたくないわけ?」

「そういうもんだろう?」

「んー、そうかな。ダフネとかパンジーは自分の話だけしたいみたいだけど」

ハリーはやっぱり女の子と分かり合える気がしなかった。

「あーあ。どれもこれもヴォルデモートが復活したせいだよ。くたばりぞこないめ」

あんまりな言い様にハリーは苦笑いしか返せなかった。ヴォルデモートは今確実に仲間を増やしている。先日旅から帰ってきたハグリッドの話を教えるべきか迷った。

ヴォルデモートはすでに巨人を味方につけている。

あいつは水面下で動き、企て、機会を窺っている。

サキはそれについてあまり危機感を持ってないらしい。仕方がないと思いつつ、ハリーはちょっと複雑な気持ちだった。

血の繋がったサキより仇の自分のほうがよっぽどあいつとの絆が深いように見える。

かと言ってサキに年がら年中しくしくしていてほしいわけじゃない。ただ、自分の焦りや不安をもう少し誰かと分かち合えたらと思った。

 

「それじゃあ…おやすみ」

「おやすみ」

 

必要の部屋を出ると外はもう真っ暗で窓枠には真っ白な雪が降り積もっていた。

クリスマス休暇が目前に迫っているその夜に、ハリーは夢を見た。

 

蛇の、夢を。

 

 

 

 

 

「ついに…危惧していた事態が起きたということじゃな」

ダンブルドアは校長室で深いため息をついた。

「やはり、ですか」

部屋は薄暗い。窓枠に白い雪がたっぷり降り積もり日光を遮っていた。スネイプは日の当たらない部屋の隅に立っていた。

「あの人がポッターと自分の繋がりに気付いたのならば…早々に対策しなければなりません」

「その通りじゃセブルス」

ダンブルドアは珍しく苛立っていた。投げつけるような物言いだったが、スネイプは特に何も言わなかった。それよりもハリーが蛇の目でウィーズリーを襲った光景を見たという事実が深刻だ。

「やはり、ポッターにはあの人の魂が…」

「そうなる」

ダンブルドアの中で疑惑は確信へ変わったらしい。こちらに背を向けたまま机の上をじっと見ていた。

「……セブルス。ハリーに閉心術を教えるのじゃ」

「私が、ですか?」

スネイプの眉がピクリと動いた。声も刺々しくなって明らかに不快感を示しているが、ダンブルドアはきっぱりと命令した。

「そうじゃ、君が適任じゃろう」

「…」

スネイプはイエスとは言わなかったが、ダンブルドアはそんな事は気にしなかった。どうせスネイプは断れないのだから。

「……今年、サキはホグワーツに?」

「はい。ですが…」

「セブルス、君の言いたいことはわかっておる…」

「いいえ、わかっておりません。校長…彼女に真実を伝えるのは成人してからと、私は常々…」

「しかし彼女の魔法が完成すれば分霊箱がいくつあり、どこにあるのかさえ知る事ができるはずじゃ」

ヴォルデモートの魂を割った分霊箱。現在確認できているのは【日記】と【蛇】。そしてハリー・ポッターのみだ。すべてを滅ぼさない限りヴォルデモート卿は死ぬことはない。

「私は、サキには普通に生きる権利があると思っております」

「………」

ダンブルドアは黙った。

ダンブルドアはいつもマクリールの件になると口を閉ざしてしまう。スネイプも無理もない、と頭ではわかっている。

「ヴォルデモートは、聖餐がどこにあるのかは知らんのだな?」

「はい。今回の件はあくまでも予言の奪取が目的のはずです」

「……そうか、それならば…まだ言わないでも良いのかもしれぬ」

ダンブルドアはスネイプに向き直った。

 

「じゃが彼女に真実を告げる時はそう遠くないじゃろう」

「…教えなくても、いいのでは?知らずにいることのほうが幸せではないでしょうか」

「しかしリヴェン・マクリールは聖餐を残した。彼女に選択させるために」

「ですが…」

 

「儂はリヴェンの遺志を尊重する。そうでなければ彼女を解体した意味がないじゃろう?」

 

スネイプは黙った。

リヴェン・マクリールの最後の取引。そして"一生のお願い"はダンブルドアの心に深い傷をつけていたらしい。だからダンブルドアは本当はリヴェンを恨んでいる。

普段は決して表に出すことはないが、マクリールの呪われた魔法を穢らわしいとさえ、思っている。

 

「セブルス、くれぐれもサキから目を離すでない。ひょっとしたら我々も知らぬヴォルデモートの絆があるやもしれん」

「…ない、と信じきれませんか?」

「それでもじゃよ。セブルス」

「わかりました」

 

ダンブルドアはまたため息をついた。

そして憂いの篩の前に立ち、たくさん並ぶガラス瓶のうち一つを手に取った。

「わしは何度も何度も自分に問い返しておる。これでよかったのかと。詮無きこととは言え人は過去に思いを馳せることをやめられぬ」

「…彼女も同じ気持ちだったでしょう」

スネイプは目を伏せた。

頭の隅では自分の嘘の言い訳を探していた。

 

 

 

セブルスがグリモールド・プレイスにつく頃にはロンドンでも雪がうっすら積もっていた。大通りは車や通行人が踏みしめるせいで泥沼のようになっていたがシリウスの家の前はあまり人通りがないので靴が汚れずに済んだ。

この扉を見るとずんと沈んだ気持ちになる。なんといってもあの憎きシリウス・ブラックの住処だ。ワクワクするわけがないのだが。

「まあ、セブルス。メリークリスマス」

モリーは相変わらず子どもたちを見るときと同じ語調で話してくる。年はたいして違わないのに…。

「ハリーたちは主人のお見舞いに行ったわ。ケーキはいかが?作りすぎたのよ」

「結構」

子どもたちがいなくなって静かになった広間には大人の魔法使いがすでに膝をくっつけあってひそひそと話し込んでいた。

「ああ、セブルス」

ルーピンがまるで昔からの友達みたいに話しかけてきた。今も昔もルーピンのそういうところが嫌いだ。自分は共犯者ではないとでも思ってるんだろうか?

そのうえ生徒に狼人間だとバラしたというのに恨みもせずこうやって話し掛けてくる。

「遠いところすまないね」

「任務だ」

とりあえず会話を続ける気がないことを明確にしておいた。黙って席に座ると上座に座っていたキングズリーが咳払いをした。

「さて、全員揃ったな?」

「ダンブルドアはどうした?」

マンダンガスがだみ声で尋ねた。

「欠席だ」

「ああ、そうかい。ンで…」

「まずは秋に渡されたシンガーに関する任務の報告をしてもらおうか?マンダンガス」

「物品の収集だっけか?ああ、ちゃーんとやったさ」

マンダンガスは得意げに居間の隅に積まれているガラクタを指差した。ブラック家のゴミだと思ってたがどうやら勝手にあいつが物置にしてたらしい。

「シンガーにみせてもらったサインも入ってるし…まあ多分あってんじゃねえか。あー…大半は壊れてるみたいだがな」

「これ以上ゴミを増やされるのは勘弁願いたいね」

シリウスが渋い顔していった。

「リストは?」

「あー、作り忘れた」

「あとで見ておかなければならないな。やれやれ」

「フレッドとジョージが目をつけたら困るわ」

モリーが深刻そうな顔をしてそのガラクタの山に二人の興味を引くものがないか見ていた。

「さて…アーサー襲撃事件についてだが、神秘部という場所から考えるにやはりあの人は予言を狙っていると見て間違えないだろう」

「ただ気になるのはー」

ムーディが低い声で唸った。

「スタージスは利用され、アーサーは襲われたという点だ。なぜ手口が違うのか」

「やはりハリー・ポッターでしょう」

ルーピンが口を開いた。

「ハリーに見せるなら、知り合いのほうが効果的だ」

「見せてどうするの?」

トンクスは能天気そうな口調だが、それでもいつもより深刻そうだった。

「予言は関係者の手でしか持ち出せないんだ。つまり…例のあの人はハリーに予言を持ち出させようとしてるんじゃないか?」

「それだけのためにハリーに干渉するだろうか?」

シリウスが不意に口を挟んだ。

「予言なんか聞くためだけにハリーを脅かすか?」

「あわよくばダンブルドアの動向をつかむつもりなのかもしれん。ダンブルドアもそれを承知で今はポッターと距離をおいている」

「神秘部、か」

マンダンガスが突然呟いた。

「マクリールの道具も、神秘部から流れてきたもんが多かったな」

「本当か?」

「ああ、まぁ…なかにはボージンの店のモンもあるから怪しいけど」

「神秘部に入る目的は一つではないのかもしれんな」

「ダンブルドアはなんて?」

キングズリーがセブルスに話を振ってきた。もとよりダンブルドアの言伝を預かった立場だったのでセブルスも応える。

「校長はポッターと闇の帝王の繋がりを危険視している。故に我輩に閉心術を教えよ、と命令された。マクリールの件に関しては本人が動いている」

「閉心術?貴様が、ハリーにだと?」

やはりシリウスが噛み付いてきた。

「我輩とて不本意だが、校長は面倒な仕事を押し付けられる立場なものでね」

「もし、ハリーに何かしたら…どうなるかわかっているな?」

シリウスは歯をむき出しにして唸った。

家から出れない哀れな元囚人の脅し文句は子犬の威嚇くらい恐ろしい。

「シリウス、落ち着いて。セブルスがそんなことするはず無いだろう?」

ルーピンは剣呑に言うが、シリウスはまだ殺気立っているままだった。

「ああ、セブルスは優秀な閉心術師だ」

キングズリーまでそういうのでシリウスはそれ以上何も言わなかった。

「そろそろハリーたちが帰ってくるな…」

「それでは我輩は失礼する」

「私達もお暇しようか」

「あら、せっかく来たのに…」

「仕事があるのさ、悪いねモリー」

セブルスと一緒にルーピンやムーディも席を立った。

 

グリモールド・プレイスを出るとムーディ以外はすぐに姿くらましして帰ってしまった。セブルスも早く帰りたかったがムーディの魔法の目がセブルスをしっかり見ているので留まった。

 

「神秘部にはマクリールのなにがある?」

「…マクリール家の研究資料があるかもしれん」

「どういったものだ?」

「彼女の家にないものすべてでしょう」

ムーディは全くやってられないという顔をして箒に跨がった。

「なるほどな、ほとんど全てがあるわけか…厄介事が続くな。くれぐれも目を離すなよ」

 

余計なお世話だ。

 



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07.絆

クリスマス休暇の談話室は殊更寒い。

人がいないだけで3度くらい室温が下がったんじゃないだろうか?

特にスリザリンは窓の外に冷たい湖が広がってるので窓からの冷え込みは尋常じゃない。暖炉の前にいてもだんだん末端から凍ってくように冷えていってしまう。

サキは一人ぼっちの談話室に毛布を持ち込んで暖炉の前でぼんやりと誰かがおいていった朝刊を眺めていた。ホグワーツに入ってからこんなに退屈なクリスマスは初めてかもしれない。

ハリーたちは何故か朝食の席で見かけないまま休暇にでかけてしまったようだし、ハグリッドは帰ってきたらしいのにいつも小屋にいない。

サキは追い出されるかもしれないけどスネイプに会いに行こうと腰を上げた。このまま休暇を談話室でゴロゴロして過ごすなんてあんまりだ。

「せんせーメリークリスマスー」

ごんごんと扉をノックしてしばらく待つとスネイプが外套を羽織って出てきた。

「お出かけですか」

「急用だ」

「じゃあなんかおみやげ買ってきてください」

「何馬鹿なことを…」

ふう、とスネイプは大きなため息をついた。

「無駄話をしている暇はないのだ。おとなしくしていろ」

「ちぇ」

スネイプは本当に急用だったらしく、ろくに会話もしないで出かけてしまった。

そういうわけで本当に暇だった。

フレッド、ジョージに頼まれたものや課題を片付けるだけで埋められる気がしなかった。

談話室にいても気が滅入るので、必要の部屋に来た。

ここはいつだって暖かいし必要なものはすべて出てくるので本当に便利だ。野宿するくらいならこの部屋を使う。

 

今年はまだ家出(寮出)はしてないし禁じられた森へも数回しか足を運んでいないし、アンブリッジを怒らせた以外に罰則も受けていない。一時期に比べて随分お利口になったものだと我ながら思う。

サキ自身は変わったとは思ってないがハリーやロンからは大人しくなってくれてよかったとか言われるし、ハーマイオニーからもこの調子でね。なんて言われたりする。(そう言われると一発ぶちかましたくなるのだが)

 

サキは夕食に向かった。

スリザリン以外の寮の下級生が数名ずつしかいないクリスマスのディナーはそれはそれは豪華だった。

テーブルが一緒ということもあってサキは双子がじきに発売するであろうズル休みスナックボックスを売り込んでおいた。

 

翌朝、相変わらずダンブルドアはいなかったがスネイプは戻っていた。職員テーブルで美味しいご飯を美味しくなさそうに食べているのを見つけたのですぐ研究室へ行った。

「メリークリスマス」

「プレゼントはもう枕元に届けさせたはずだが」

「二重請求」

「…」

不機嫌そうな顔をしても部屋に入れてくれる先生は本当のところ不器用なだけで優しい人だと思うのだがハリーたちは日頃の恨みもあってか同意してくれない。

サキがホグズミードで買ったクッキーを開ければ何年放置してたか定かではない贈答用のチョコレートを開けてくれるくらいには優しいのに。

 

休暇中は午後にスネイプと二人でお茶をする以外にすることが無かった。

空いている時間ではドラコの事を考えた。クリスマスプレゼントは送られてきたが、手紙なんかはまだ来ない。

やはりまだ怒っているんだろうか?

 

ドラコ。

スリザリンで唯一と言っていい友達。

ずっと自分がピンチの時に心配してくれて駆けつけてくれた。(まあ実際サキのいるところまでこれたのはハリーだけだ。)

けどドラコはいつだって自分を心配してくれる情の熱いやつだ。

ドラコだってハリーたちのことが本気でにくいわけじゃないと思う。ただ、彼の父親は死喰い人で、ハリーたちの敵だ。ドラコはお父さんを尊敬しているしいつだって期待に添えるように努力していた。

そんなドラコに自分の父親について話したのは軽率だったかもしれない。

サキは自分の身勝手さを恥じた。

けれどもどう謝ればいいんだろう?

だって自分はヴォルデモートに組みするつもりなんて更々ないし母親のことだって知ったこっちゃない!

自分の歩く道なんて自分で決める。

そう決心したのだから。

でもそれはドラコと敵対するという意味にもなる。

 

「…あー」

 

悩むのに疲れたとき、DAの今後の課題について考えられるのが救いだった。

 

そうやって悶々としながら過ごすうちに休暇は終わり、授業と課題だらけの日々が戻ってくる。

 

「ねえ、あのさ…」

 

DAの後、誰もいなくなった必要の部屋でハリーがやけに深刻な顔をして話しかけてきた。

「サキは最近、何か変な夢見ない?」

「夢…?寝てるときに見るやつ?」

「そう、それ」

「んー、起きたらもう覚えてないなあ」

「そっか」

ハリーはまだ何か言いたそうだった。休暇前と様子が違う。

「なにかあった?」

サキはハリーの頬に手を当ててしっかり目を見つめた。ハリーがこんなに不安そうなのはドラゴンと戦う前日以来だった。

「クリスマスに何があったか知ってる?」

「ううん。…ああ、でもスネイプ先生が急ぎで出かけてたけど…」

ハリーは罰則を告げられたときと同じ顔をした。

 

「実は……」

 

ハリーは滔々とクリスマスに何があったかを話した。

蛇の目で見た、アーサーの苦しそうな顔。冷たい大理石の床に広がる血溜まり。チクチクと痛む額の傷。

サキは思わずその稲妻型の傷を凝視した。

「君は、どこか傷んだりなにか感じたりしない?」

「ごめん…なにも」

どうやら誰も知らないうちにヴォルデモートの影が忍び寄っていたらしい。

もしハリーがヴォルデモートによってその光景を見せられてたとしたら?ハリーの見たものもあの人に伝わってるとしたら?

サキよりハリーのほうがよっぽど危険に晒されている。

「その、傷」

サキはそっとハリーの額の傷に手を伸ばした。

「今も痛い?」

指で触れると瘡蓋のように皮膚がささくれ、ほんの少し隆起している。

「今はあんまり。でも痛む頻度が上がってる」

「そう…そうか」

サキは傷を触りながら考えた。

「ヴォルデモートは何が狙いなの?」

「わからない。でも…」

ハリーはぼんやりと蛇の夢の中で見た光景を思い出した。

「もう少しでわかりそうなんだ」

「気をつけてね。深淵をのぞくとき深淵もまた汝を…って言うでしょ」

「ハーマイオニーにもいわれた、罠かもしれないって」

「やっぱね」

サキはフンと鼻で笑った。

 

「娘を迎えに来る前にハリーと会いたがるなんて薄情だよね?」

「サキ、全然笑えないよ…」

「あはは、ごめんって」

「君…ヴォルデモートがもし目の前に現れたらどうするの?」

「パパーって駆け寄って、抱きしめて、ちゅーするよ」

「そりゃ…感動的だね」

「泣けるでしょ?」

 

サキ自身、実際にそうならなければわからないだろう。とは言え感動の再会にはなりそうにもない。

血が繋がってることを否定してくれるって言うなら喜んでキスするけれども。

「ねえ、ハリー。私ってほんとに娘かな」

「そんなの関係ないって自分で言ってたよ?」

 

「そうだけどさ。ハリーは私をどう思ってるの?あの人が復活した今となって意見は変わった?」

 

サキとハリーの視線が絡まった。

緑色の目の中に赤い目をしたサキがうつってた。

ハリー。

背が伸びて、髪の毛はよりクシャクシャになって、首も太くなったハリー。

目だけはずっと変わらない。

 

「……ううん。変わらない。君は僕の大切な友達だよ」

「私も君が大切さ」

 

ハリーもサキもほほえみあった。

「私にできることがあったら言ってね」

「そうだな…じゃあ、スネイプをもっとマシにできない?」

「残念だけど人間にはできることとできない事がある」

 

DAのおかげでハリーはめきめき元気になっていた。アンブリッジが学校の締めつけを強化しようとへっちゃらだ。スネイプの閉心術の訓練がある日以外は。

しかも傷跡がひどく痛み、また蛇の夢のときと同じように自分のものでない狂乱がハリーの心を覆った次の日の朝から事態が変わった。

アズカバンで集団脱獄が起きたのだ。

 

さらに夢の頻度も上がっていた。見るのは決まって薄暗い、黒い大理石の廊下だった。

ハリーはそれが以前垣間見た神秘部の扉だと気づいてから、ずっとその扉のことを考えていた。

しかもその前からなんだかサキのことが気になって仕方ない。3つの悩み事とそれ以外の忙しさ(主に勉強)のせいで時間はあっという間に過ぎていった。

ヴァレンタインのホグズミード行きにチョウに誘われたが、ハリーは断った。

サキはまだドラコと仲直りできてないらしいし、彼女を誘って久々に四人で遊ぼうかと思っていたのだ。

しかしロンはクィディッチの特訓のため行けないし、ハーマイオニーは誘う余地がないほど忙しく帽子を編み、勉強し、手紙をだしていた。

「いやあ。あくせくしてるよねえみんな」

「サキは勉強しなくていいの?」

「宿題だけで十分だね。自習なんてしたらかえって馬鹿になっちゃうよ」

サキはネビルに呪文で転ばされてできた膝の青あざをさすった。

ネビルはアズカバンに収容されていた両親の敵であるベラトリックスが脱獄したニュースを聞いて以来物凄い速度で上達していた。

「それで、扉は神秘部にあるやつだったんだ?」

サキともよく夢の話をしていた。

「うん。その扉の先に何があると思う?」

「神秘部…神秘部だもんなあ。異世界への扉とかすべてを見通す鏡だとか、そういうものがあるんじゃない?」

「ヴォルデモートが欲しがるようなものがあるのかな?」

「私の母親は神秘部につとめてたらしいよ。…まあ何してたかはよくわからないんだけど」

ハリーは初耳だった。サキは母親の話をするときはいつもなんとなく気まずそうな顔をしているので、いつもそこから踏み込めない。

「ところで、今度のホグズミードはマルフォイと?」

「んーん…まだ仲直りできてないから…」

サキは今度はどんより沈んだ顔をした。ハリーは逆にちょっと胸が高鳴った。

「じゃあ僕と行かない?あ、ハーマイオニーも多分いるけど…」

「ほんと?うれしいよ!ロンは?」

「ロンは練習…ヤバいんだ」

「ヤバイのかー」

サキはどうでも良さそうだった。

 

そしてホグズミードには三人で行くことになった。

ハーマイオニーがハリーにあわせたい人がいるというのでサキも一緒についていった。

三本の箒へ行くとそこにはルーナと、しおしお頭のリータ・スキーターがいた。

「誰?」

サキはどうやら顔を知らなかったらしい。紹介すると「去年インチキ記事書いてたやつか!」と怒っていたがリータから遠いルーナの隣に座らせてなんとか激突は回避させた。

ハーマイオニーはなんとハリーの告白をリータに書かせ、クィブラーに掲載してもらおうとしていたらしい。

「あんな三流雑誌に?ノーギャラで?いやざんす!!」

リータはカンカンに怒っていたがハーマイオニーはリータが隠れ動物もどきだという弱点を知っている。全く譲らず、結局リータはハリーの告白を記事にせざるを得なかった。ルーナは相変わらず夢見心地だったが、父親の雑誌が賑わうならそれで良しというスタンスらしかった。

「サキ、これ飲む?」

「いらないの?じゃあ」

「クリープだよ」

「それは飲み物じゃねえ…」

なんてやり取りをしてる間にリータは自動速記羽根ペンでハリーのインタビューをとっていた。

 

「一部あげるよ。サキが前寄稿してた記事も載るだろうし」

「ほんと?嬉しいなあ」

「何を書いたの?」

「ホグワーツに生えてるグレーな薬草群の利用方法。ブラックからホワイトまで」

「ニッチな需要に応えてきてるね…」

 

 

 



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08.密告

ケンタウルスの知性は人のそれを凌駕する。

知能が違いすぎると会話は成立しないというが、ケンタウルスと生徒たちの会話はまさにそれだった。

アンブリッジによりクビにされたトレローニーの後任は1年生の時に禁じられた森でハリーとサキを背に乗せて助けてくれたケンタウルス、フィレンツェだった。

彼の授業は香の立ち込める教室ではなく野原を模した広い教室で行われた。トレローニーの授業とは一変してえらく開放的で、なおかつより要領を得ない授業だった。

フィレンツェは生徒に何かを教えようとかやらせようという気は全くないので生徒たちは燃える火を必死に見つめて目をしぱしぱさせて終わった。

サキが挨拶をするとどうやら覚えてくれていたらしく挨拶し返してくれた。(彼らは余計なお世辞も世間話もしないのでそれ以上会話は続かなかったが)

 

サキはドラコとの仲直りをいつまでも後回しにしてしまっていた。自分の中で迷いがあるせいでなかなか踏ん切りがつかない。

それがよりDAに情熱を注ぐ結果になった。

ハリーもすべての鬱憤をDAで晴らしているらしい。

いよいよ守護霊を作り出す段階になり、みんなより一生懸命DAに打ち込んだ。

 

「幸せなことを思い浮かべるんだ」

 

ハリーは何度もそういってる。しかし、サキはなぜか一向に守護霊を作り出せなかった。

みんなが動物や毛むくじゃらのなにかを作り出す中、サキとネビルだけがもやもやした霧しか出せずにいた。

 

「僕はともかく、君ができないなんて」

ネビルはしょんぼりしながら言った。

「一応幸せなつもりなのにな…おかしいな…」

「僕も頑張ってるんだけど…」

二人してせめてなにかの形を作ろうと踏ん張ってると、なにやら扉付近で騒ぎが起きていた。

 

ハリーが真っ青な顔をして

「みんな、早く外に出ろ!帰るんだ!」

と怒鳴った。その瞬間、扉がドンドンと叩かれる音が聞こえた。

 

「アンブリッジだ!!」

 

メンバーの中に緊張が走った。みんなが慌てて裏口に走り込む。サキは扉に杖を構えてたがハリーが無理やり扉に押し込んだ。

「逃げろ!」

各々バラバラの方向に逃げて行ったが、ハリーは脚を掬われて転んでしまう。

「捕まえた!」

地面に思いっきり体を打ち付けると、今度は背中に強い衝撃がはしり、聞き覚えのある声がした。

「捕まえました、ポッターです!」

「よくやったわミスター・マルフォイ!あちらのミス・パンジーを手伝って差し上げて!」

 

 

かくして、サキにとってもハリーにとっても唯一の救いだったDAは一斉検挙された。

 

 

 

「サキ…」

サキはパンジーを呪いでやっつけたと思いきやゴイルにあっさりと捕まった。

そんなサキを見てドラコは呆れ気味に腰に手を当て、息を吐いた。

「懲りたかい」

「……黙秘する」

密告によるとサキは首謀者の一員だ。クラッブ、ゴイル二人がかりで校長室に連行されるはずだが、ドラコはすぐには運ぼうとしなかった。

「サキ、これでわかったろ?もうポッターたちとつるむのはよせよ」

「……」

「今なら僕がアンブリッジに見逃してもらえるように口添えできる。だから…」

「そんな事できないよ」

「なんでわからないんだよ、サキ。僕は君を守りたくて言ってるんだぞ?馬鹿なインタビューを受けたポッターたちと一緒に捕まれば君のスリザリンでの立場はいよいよ悪くなる。今まで通りみんなから無視されるくらいじゃ済まない」

「もとより覚悟の上だよ」

ドラコの耳が赤く染まった。サキの胸がずきりと痛む。

「ごめん……」

ようやく搾り出した謝罪に返事はなかった。

 

サキは校長室の前に連れて行かれた。しかし中で騒ぎがあったらしく気絶したキングズリーをマクゴナガルが運びだしていた。アンブリッジまで目を白黒させて柱にもたれている。

「なにが…?」

マルフォイのつぶやきに後ろ手をかけられたハリーが反応した。

「ダンブルドアが…逃げた」

「はあ?!」

「そう、そのとおりです。…さあ、あなた達はベッドにお戻り」

マクゴナガルがハリーの言葉を有無を言わさぬ口調で継いだ。混乱したドラコはそれでも突っ立っていたが、

「早く!」

マクゴナガルの怒声に尻をひっぱたかれ、回れ右してきた廊下を戻った。サキもクラッブ、ゴイルに捕まえられたまま階段を降りて寮へ向かったが、その間四人の間は一言も喋らなかった。

 

アンブリッジの尋問はその日から立て続けに行われた。羊皮紙に書かれた名前の順番でやったのでハリーの次はサキだった。サキは後で知ったのだが密告者はレイブンクローのマリエッタで、羊皮紙にかけられた呪いにより顔にひどい出来物ができたらしい。

「…ようやくきちんとお話する機会ができましたね?サキ・シンガー」

校長室と間抜けな金文字がかかったドアをくぐるとむせ返るピンクの調度品が所狭しと並んだアンブリッジの部屋だ。前にも来たがその時より圧を感じる。

「さあ、おかけ。お茶を飲みなさい」

「…いただきます」

サキはどんな尋問にも屈しない覚悟できたが、ピンクまみれの部屋にいると自分が白いシャツについたシミのような気分になってそわそわしてきた。この少女趣味に溢れた空間…なんと居心地の悪い!

よく見ると猫の皿が増えてるしフリルも三重くらい増してる。

「スリザリンの生徒がこのような活動に参加していたのは大変嘆かわしいことです」

「私、前から浮いてましたから」

「スネイプ先生はあなたに甘すぎましたね。けれども私が校長になったからにはそうはいきませんよ」

「罰則ですか?あの卑怯なペンは何故か私には効かないようですけど」

サキはハリーの手の甲に刻まれた“僕は嘘をついてはいけない”を思い出した。サキも同じペンで“私は二度と居眠りをしません”と書いたが効かなかった。

「ならば別の罰を用意するまでです。さて、それで…ダンブルドアはどこに行ったのかしら?」

「さあ」

「貴方はあの集会で生徒たちに魔法を教えていた立場でしょう?当然ダンブルドアと接触があったはずよ」

「ないですよ。私はただ教えてただけです。クラウチJrっていう死喰い人仕込みの呪文をね」

アンブリッジの小さなブルーの瞳がサキを射殺さんとばかりに見開かれた。

「ところで集団脱獄した人たちは見つかったんですかね?おたくの吸魂鬼たちは…」

「今はダンブルドア軍団の話をしているのです、シンガー!」

アンブリッジがピシャリと言った。カップがビリビリ震えるくらい強い口調だった。

「まったく、マルフォイ坊っちゃんの恋人だというから外面だけでもいいのかと思えばこんなに下品な子だとは…思いもしませんでしたわ。半巨人は庇う、ポッターとつるむ…スリザリンの面汚し…」

アンブリッジは呪詛の様にぶつぶつとサキへの恨み言を呟いていた。半巨人という物言いにサキはようやくアンブリッジに感じていた既視感の正体に気づいた。

「あ、お前一昨年のクリスマスでハグリッドをクビにしようとしてたババアだな?!」

「校長になんて口を!」

アンブリッジがやたらサキに突っかかってくる理由がようやくわかった。ついでにハグリッドに対して並々ならぬ憎悪をたぎらせてるのも納得した。

「……」

サキはカンカンの相手に油を注がないように黙った。アンブリッジは大きなため息をついてサキに罰則として一週間のドラゴンの堆肥の片付けを言い渡した。

 

「よおサキ」

堆肥の臭いをプンプンさせて温室から帰ってきたサキを双子が捕まえた。

「すっげー臭いだな」

「書き取りのほうがまだマシだったかもな」

「ホントだよ…体臭がドラゴンのうんこの匂いのままだったらどうしよう?」

「そうなりゃマルフォイと円満に別れられるぜ」

「そんなのやだよ!」

「泣かせるねぇ」

サキは双子のからかいに怒って逃げ出そうとしたが、がっちり両肩を捕まえられてかなわなかった。

「まあ落ち着けって。ちょっと手伝ってほしいことがあってさ」

「そうそう。大至急花火がいるんだ。できる限りたくさん」

「花火?ああ、まあちょうど硝石とかなら文字通り腐るほど手に入るわけだけど…」

「アンブリッジに感謝しないとな」

こうしてフレッド、ジョージの華麗なる退校計画は幕を開けた。

暴れバンバン花火の試作品を受け取ると、サキはそれを続々と増産し始めた。

 

「先生ーそのこよりとってください」

花火の増産は主として魔法薬学の教室で行われた。

「…」

スネイプはいかにも怪しげな花火の増産を黙認していた。

おそらくアンブリッジの授業参観でチクチクといやみったらしく質問攻めにされたのを根に持ってるのだろう。たまに火薬の配合に関してアドバイスをくれた。

今サキはスリザリン生から緩やかな迫害を受けているので、寮出されるよりはマシという判断なのかもしれない。(5年生は試験勉強に夢中なので物理的な被害が出てないのはありがたい)

「明日の放課後は先約があるから開けられんぞ」

「あー、あれですか。ハリーの」

「…ポッターに聞いたのか?」

「まあ」

「全く父親そっくりで口が軽い…」

「いや、知ってるのロンたちと私くらいですよ」

「ポッターはどこまで話した?」

「んーと…閉心術は全然できる気がしないって言ってましたよ」

「堪え性のないやつめ」

「先生の教え方が悪いんじゃないですか?」

サキは冗談っぽく言ったのだが、先生は本気でムカついてしまったらしい。眉間にぎゅっとシワを寄せていた。

「あいつは学ぶ気がないのだ。自分がどういう立場に置かれているのか、わかっていない」

「…やっぱり例のあの人が何かハリーにさせるために働きかけてるんですね?」

「……」

スネイプはしまったという顔を一瞬だけして、すぐ普段通りの不機嫌顔にもどった。

「扉の向こうには何があるんですか?」

「…君には、関係がない」

「ありますよ!お忘れかもしれませんが先生は私の身内で、ハリーは友達なんですよ?」

「それでもだ。サキ、君はまだ未成年で保護されてる立場なんだぞ」

「…ちぇ」

サキは舌打ちしてから花火の製作に戻った。あとやることは筒を紙で巻いたり導火線をつけるくらいだ。

スネイプの言うことは最もなので言い返すことはなかった。

「もし…ハリーが扉を開けちゃったらどうすれば?私にできることは?」

「…開けさせないようにしてくれ」

「わかりました」

 

完成した大量の花火と作り方のコツを書いた紙を渡すとフレッドとジョージは大喜びで、ズル休みスナックボックスの在庫すべてをリーとサキに預けた。

「でかい花火をブチかましたあとはこれで大いに儲けてくれよ」

「花火のお代はまた後ほど」

「楽しみで震えるよ」

リーはウキウキだった。当日、双子の箒が仕舞ってある扉の破壊はサキが請け負うことになった。特に錠前破りはサキの十八番なので(なんせ血をかけるだけでいい)快諾した。

「ふくろう試験はいいの?」

「今更詰め込んだところで無駄さ。そうでしょう?」

「それでこそ我が友さ。万が一就職し損ねても俺たちが最高の待遇で雇うよ」

それが一番楽しい将来かもしれない。

サキはズル休みスナックボックスをどう売りさばくかを考えながら過ごした。



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09.フレッド、ジョージの大脱走

心を閉ざす事は幼い時分より毎日してきたので、杖を振るよりよっぽど慣れてることだった。

朝起きてから夜寝るまで延々と続く母親の父親への呪詛。二人揃えば怒鳴り声。

窓の外からは魚が腐った匂いが立ち込めてきてそこに酒臭い父の息が混じって部屋の中はますます澱んでいく。

ずっと消えない水たまりみたいな町はちょっとした丘を越えなければ空を見ることさえ叶わない。

セブルス・スネイプはいつしか上を見上げることをやめた。

自分に魔法使いの資格があると知ったとき初めてしっかり前を見ることができた。

そしてあの大きな木の生えてる草原でリリーと出会ったとき、もっと高い場所を目指すために上を見上げることができるようになった。

 

学校に入ってからは苦難の連続だった。

組分けは残酷にもリリーとセブルスを引き裂いて、ポッターという宿敵まで現れた。

あの雪の日にリヴェンと出会ってからも溝はどんどん深くなっていった。

 

リヴェンは人と切り株の見分けがついてないんじゃないかというくらいに鈍い人だったがセブルスとリリーの関係については時々気遣ってくれた。(気遣いといえるのかはわからないが)

魔法薬学が得意なリリーは、同じく魔法薬学で天才と謳われていたリヴェンに好意を持っていた。スリザリンの中で浮いてて闇の魔術にかけらも興味を持たない優等生という肩書をものにしたリヴェンはリリーをスラグ・クラブに誘った(というか身代わりに入れた)

彼女はリリーと浅からぬ関係を持っていたにも関わらず、セブルスの持ってきた報せに驚きはしなかった。

 

セブルスはホッグズ・ヘッドでたまたま聞いてしまったのだ。

シヴィル・トレローニーの予言を。

 

「…呆れた。貴方も未来を知りたいなんていうの?じゅうぶんでしょ、その予言で」

 

セブルスが血相を変えて駆け込んできたというのにリヴェンはいつも通り全てに飽き飽きしたような顔を変えなかった。

 

「貴方の魔法でも知ることは可能なはずだ」

「なんの意味もないわ」

「意味なくなんかない!闇の帝王はこの予言を聞いて…リリーを殺すおつもりだ!」

「そうね。あの人は怖がりだから」

「どうか助けてください」

「なんで私が?」

その言葉にカッとなってセブルスは思わずリヴェンの肩を掴んで揺すぶった。声にならない嗚咽を上げるセブルスをリヴェンはやっぱりいつも通りの無感動な目で見ていた。

「お門違いよ。屋敷から出られない私にできることは限られてる」

「でも、あなたの魔法があれば…」

「あら酷いこと言うのねセブルス。あの魔法がどれだけ残酷な魔法かわかってるの?リリーの命のほうが大事なのね」

「そ、れは…」

セブルスは黙った。

リヴェンのどこまでも平坦な口調に気勢が削がれてしまい、その場にへたり込んでしまった。すっかり狼狽しきったセブルスを見てリヴェンは久々に微笑んだ。

「意地悪が過ぎたわ。でも私にはもう無理。だからダンブルドアを訪ねなさい」

「ダンブルドアに?」

「きっと力になってくれるわ」

「ダンブルドアが話を聞いてくれるとは思えない…」

「大丈夫」

リヴェンは羊皮紙になにかを書き付け、封筒にいれて蝋封をしてからセブルスに手渡した。

「ペンパルなの」

「貴方が…?」

「そう」

リヴェンはセブルスの肩をそっと押して行くように促した。

 

「急ぎなさい。時間は限られてる」

 

今思えば、彼女はあの時もうリリーの死を予期していたはずだ。彼女の言うとおりダンブルドアと出会ったものの、あえなくリリーは殺されてしまった。

そして例のあの人も共に消えた。

 

あれからもう15年。

 

「…私もなー、神秘部にヘッドハンティングされないかな」

セブルスは彼女の娘の進路指導に悩んでいる。

「そうなると古代ルーン語、数占いを新規に履修する必要がある。加えて占い学は死にものぐるいで勉強せねばならんだろう」

「ヤダ…」

「我輩はグリンゴッツを薦める。君の成績は実技が突出しているのでデスクワークより向いているだろう」

「あー、実は薄々そう思ってたんですよね!呪い破りって私向きですよね。私、あと魔法の道具とか作るのに興味があって…」

「ならば変身学、呪文学、薬草学、魔法生物飼育学は必須だ。今の成績だと最初の2つを重点的に復習すべきだ」

魔法薬学の研究室に次々訪れるスリザリンの生徒に、セブルスは丁寧に進路の相談に乗っていた。寮監を始めたばかりの頃は憂鬱だったがもう慣れてしまった。

「まあ…お金がほしいからグリンゴッツですかねえ」

「別に君は貧乏というわけでもないが」

「いやまあそうですけど、夢はでっかくですよ」

未来とか将来とかを考えられる子どもたちが羨ましかった。

夢とか希望とかはリリーが死んだときにとっくに潰えたような気がしていた。今はただリリーの残したものを守るだけ。そしてあの人を倒すためにダンブルドアの駒として働くだけ。

 

終わったその先の事なんて想像もできない。

 

「それではくれぐれもペーパーテストで手を抜かないように」

「はーい」

 

 

 

スネイプの進路指導を終えて、サキは早速双子とハリーの箒が没収されてるフィルチの倉庫へ向かった。

何重にもかけられた南京錠一つ一つに指先からちょっとの血を垂らし、手で優しく包んでやる。

小さく開け、と呟けばガチャガチャと重たい金属音を立てて錠が開く。

母の残した資料に書いてあった。

多くは脳に関する覚書だったが、紙束の中に紛れていた小さな冊子には血を使った魔法の使い方が書かれていたのだ。

とはいえ解読できたのはこれくらいだった。母親はどうやら恐ろしく字が下手だったらしく、英語ともドイツ語ともホームズの作った暗号ともとれる奇っ怪な文字で書かれていたからだ。

「さて…と」

箒につけられた錠も破壊し、扉を締めて鍵がかかってるかのようにノブに鎖を巻き直した。そして見逃さないように大急ぎでホールへかけていった。

双子の逃走劇はちょうどクライマックスだ。

二人はホールの真ん中で尋問官親衛隊とアンブリッジ、さらにはフィルチに追い詰められていた。

 

「どうやら俺たち、一足先に卒業式を迎えちまったらしい」

「そろそろだと思ってたんだよ」

「馬鹿なことを!」

 

双子は全くピンチを感じさせない笑顔で杖を振った。

「アクシオ!箒よ来い!」

ガシャーンという音を立てて箒が鎖を引きずりながら飛んできた。アンブリッジは(残念ながら)間一髪鎖を避けた。

「お引き留めなさるな。もう二度とお会いすることもないでしょうがー」

「どうしても会いたい生徒諸君はダイアゴン横丁93番地《ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ店》までお越しください」

「このクソ婆を追い出すために使うと誓ってくれた生徒には特別割引をいたします」

「二人を捕まえて!」

アンブリッジがついにブチ切れてフィルチのケツをひっぱたく。

しかし双子はすでに箒で空高く飛び上がり餞別だと言わんばかりに大量の花火をばら撒きステンドグラスを割って遠くへ飛び去った。

キラキラした色ガラスに花火の光が乱反射してあたりは一気に眩しくなった。

花火の爆発音とともに群衆の歓声が聞こえ、ウィーズリー兄弟は遥か遠くのロンドンへと逃亡を果たした。

 

フレッド、ジョージの逃亡はスリザリン生の間でも語りぐさとなり、暇になれば口々にそれを目撃した生徒が面白おかしく話を変えて事実は伝説へと変わっていった。

ついでに、スリザリンの中でも特に穏健派の生徒たちにずる休みスナックボックスがバカ売れし、サキはまたたく間に小金持ちになった。

更に穏健派へ割安で在庫を売ればサキを避けてるような生徒にまで行き渡る。ずる休みスナックボックスはもはやホグワーツ生徒の必需品と言える普及度合いとなった。

ウィーズリー成金と化した一部の仲買たちはイタズラ用品をめぐる闇市場で裏の経済戦争を繰り広げていた。

サキはねずみ講にしておけばよかったと後悔したが、気づいたときにはもう在庫ははけてしまい、限られたスナックボックスをめぐり価格競争が起きていた。暴れバンバン花火に関しても試供品に高値がつけられ毎日毎日売れるたびにアンブリッジの部屋に投げ込まれた。

 

「いやあ、ニヤニヤが止まんないね」

サキがホクホクした顔で注文リストを整理しているとハーマイオニーが呆れ顔で本の山の中から頭を出した。

「ふくろう試験はいいの?」

「ハーマイオニー、時はガリオンなり。稼げるときに稼ぐのが一番楽しいんだよ」

「呆れたわ」

「ふくろう試験でずるしたいバカ向けの商品も馬鹿売れ!ウィーズリー製品も馬鹿売れ!まさにバブルだよ今は」

「ロンを巻き込まないでね?今彼は…」

「ああ、超ナーバスだもんね」

ロンはクィディッチの試合を控えて最近ずっと沈んだ顔をしていた。なんせ優勝杯のかかった試合だ。

サキは微塵も興味なかったがわざわざ邪魔だてすることもない。

「ねえ、サキ…。最近ハリーと話した?」

「ハリーと?ううん。あんまり」

「そう…あのね、まだ見てるみたいなの」

「あの夢を?」

「そう」

「扉は開けられたのかな?」

「まだみたい。…ねえ、貴方はどう思ってる?あの夢のこと」

「多分、君と同じ。あの人に見せられてるんだと思う」

「やっぱり…そうよね」

ハーマイオニーはペンをおいて額に手を当てた。

「あの人はハリーに何をさせたいのかしら?神秘部には一体何があるの?」

「さあね」

「もう!サキ。真剣なのよ。ハリー、時々寝言であとちょっと…とか言ってるらしいの。あの執心っぷりは普通じゃないわ」

「とは言え、神秘部はロンドンにあるんだよ?ホグワーツにいる限り扉は開けようがない」

「そうだけど…」

ハーマイオニーはキスできそうなくらいにサキの方へ顔を寄せた。そしてさっきよりもうんと小さな声で囁く。

「フレッドとジョージが出てった日、アンブリッジの部屋から煙突ネットワークで本部へ行ったの」

「へ?なんでそんな危ないこと…」

「私は反対したわ!…とにかく、その気になれば抜け出しようはある」

「いいこと聞いたよ」

「茶化さないで!」

ハーマイオニーはシューッと怒声(?)をあげた。

「例のあの人の目的がハリーをあそこにおびき寄せる事だったとしたら?あの人はどんな手でも使うわ。いま学校にはダンブルドアがいないのよ」

「…そうだね。敵が入り込んできた事例はここ五年でたくさんあるわけだし…一番は閉心術を使えるようになることだけど」

「上手く行ってないみたい。…というかやってるのかも正直怪しいわ」

「私たちにできるのはハリーを物理的に外に出さないことだね。なんだっけ、ほら、シリウスに釘でも刺してもらおうよ」

「シリウスはだめ。ここだけの話、シリウスはむしろ危険を犯したがってる…」

ハーマイオニーは悩ましげだった。

サキもどうしようもなくて肩をすくめた。

そうこうしてるうちに消灯時間になり、図書館から追い出されてしまった。

ハーマイオニーはまだ談話室で勉強するといい廊下の闇に消えていった。どうやら勉強してないと不安になるらしい。

 

「神秘部か…」

 

サキは母親の遺した紙束を無理やりたたんで持ってきたのを思い出した。

一度も出勤してなかったらしいけど読めばなにかヒントがあるかもしれない。

たとえそこに書かれた文字が文字とも思えないほど崩れていても見ないよりはまあ、マシかもしれなかった。

 

クィディッチ優勝杯をかけた試合は対戦する寮の生徒以外も見に行くらしい。いつもなら混んでる図書館の自習スペースも今日はサキだけだった。

そこに持ち込んだ母親の資料。

改めて見てみると文字は細かいし汚いし紙はぼろぼろ。

行や段を無視して書かれる文章になんとなく母親の性格が垣間見えた。

書かれてるのはどうやらマーリンについてらしい。

魔法史で名前を見たことあるし、アーサー王伝説にも登場してる。

神秘部とは関係ないのですぐ脇に寄せた。

次の紙には攻城兵器について長々と書かれており、これもまた脇に避けていく。

次は人食いインディアンに関する紀行文。

その次はインカ帝国がどうとか書かれた論文だった。

そうしていくうちにどうやらこれは歴史に関する紙束だったらしいとわかってきた。

魔法史は苦手なのでそうわかるまでぐちゃぐちゃとのたくる文字を読む羽目になり、サキは読書酔いしてしまった。

結局一山を片付けるのに夕暮れまでかかってしまった。ふくろう試験の勉強も少しくらいしなければいけないのに、こんなに時間を持ってかれるなんて。

クィディッチの対戦結果についてはすぐに知ることができた。

夕食を食べに大広間にいくと赤い寮旗が翻りグリフィンドールが『ウィーズリーは我が王者』を大合唱していたからだ。

 

 



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10.ふくろう試験

ついにふくろう試験が始まった。ぶっ通しで行われる一連の試験は生徒たちの精神状態を大いに不安定にし、勤勉なもとDAのメンバー、アーニーはサキにあうたびに勉強時間を尋ねた。

「君は本当に一日二時間しかしてないのか?嘘をついちゃだめだよ。そんなの嘘に決まってる!僕は八時間だ。昨日は調子が良くて九時間やれたんだけど…本当は君もそれくらいやってるんだろう?」

「いや、ほんとにそんくらいだよ…」

「なんで嘘つくんだ?」

これに似た症状はハーマイオニーも度々出ていて、まるでサキが勉強しないとハーマイオニーの成績が下がると思ってるかのような状態だった。

スリザリンのノットやザビニも一日中机にかじりついてるし、パンジーは不安で泣き出した。

ドラコはみんなのいる場所では余裕そうにしているが、一番必死で机にかじりついてるのは彼だった。

定期テストのときもそうだったがこの学年にはハーマイオニーがいるのでトップになるには普通にやってちゃだめなのだ。

ドラコはいつだって父親の期待に応えなきゃいけないから大変だ。

サキは相変わらずドラコと仲直りができていない。

一人残って暖炉の前で教科書の年号をつぶやくドラコをチラと横目で見てからサキは頭を振って女子寮へもどった。

 

 

ふくろう試験ははじめに変身術や魔法薬学といった基礎的科目から始まり、選択科目へうつっていく。つまり本気で頑張らなきゃいけないのは試験前半だった。

スタートダッシュが肝心だ。そして取捨選択。

サキは直前の休みの殆どを基礎科目に充てて選択科目は捨てにかかった。

結果それが幸いし、実技テストはほとんど全て満点と胸をはるくらいに自信があった。(ペーパーテストについては何も言えない)

 

そしていよいよみんな試験まみれの日常に慣れてきた頃、サキは捨て教科と決めていた天文学の回答欄を何とかして埋めようとしていた。

試験は夜だったのでしっかり寝だめはしてきた…がどうしても土星の衛星の名前が思い出せない。

空を眺めるのは好きだけど…と望遠鏡のピントを合わせながら考える。

名前なんてぜんぜん、なんだっていいなあ。

めちゃくちゃな惑星名ももうネタ切れになったとき、窓際の生徒から小さく驚きの声が上がってるのに気づく。

サキと同じくまともに星の名前を覚えてない不真面目な生徒たちは試験よりそっちに気を取られた。

 

「皆さん、気持ちを集中して。あとたったの20分ですから…」

 

騒ぎはハグリッドの小屋の付近で起きているらしい。

窓の周りにいる生徒から悲鳴が上がった。外から赤い光が見えた。

「そんな!」

ハーマイオニーが試験中にもかかわらず悲鳴を上げた。

「見て!」

サキも暗闇に目を凝らした。ハグリッドの小屋の前には5人もの魔法使いが輪になってハグリッドを包囲していた。

また赤い光だ、今度は怒鳴り声まで聞こえてくる。

「やめなさい!なんということを!」

それはたしかにマクゴナガルの声だった。しかしすぐにまた赤い光が瞬き、絹を切り裂くような悲鳴があがって人影が倒れた。

「卑怯者!不意打ちだ!」

生徒たちを注意してまわってたはずの試験監督まで悲鳴を上げた。マクゴナガルがやられたらしい。

「ハグリッド!」

みんながその騒ぎの行く末を見守った。ハグリッドは失神呪文を受けながらも魔法使いたちをなぎ倒し、禁じられた森へ辛くも逃れた。

静まり返った夜の校庭をみんながぼんやり見下ろしていると、試験監督は気まずそうに

「ええと…あと五分です…」

と告げた。

 

「サキ…」

試験後、ハーマイオニーが青い顔をしてサキのローブの裾を掴んだ。

「マクゴナガルは死んだりしないよ。たとえ殺してもね」

ハーマイオニーにはサキの冗談はあんまり笑えないらしかった。ロンだけが「たしかになー」と同意してくれたが、ハリーすらも心配げに火の消えたハグリッドの小屋のあたりを見つめていた。

 

最後の試験は魔法史で、サキははなからまじめに受ける気はなかった。しかし後半に捨て科目がどっさりあったので、最後くらい自習をしてやるかと教科書に一通り目を通しておいた。

 

「いやー、終わりだねえ」

気楽そうなサキと対象的に、ダフネは憂鬱そうだった。

「まだあと一科目あるでしょう?ねえ、貴方なんでいっつもふざけてるの?」

「と、とんでもないよ」

ダフネは数少ない魔法史ファンだ。どうしてもサボりたい授業があるとのことだったのでずる休みスナックボックスと引き換えにノートを貸してもらったという深い仲だ。

その仲も今日で終わりだからとフレンドリーに接したが、ナーバスになってる彼女には逆効果だったらしい。

 

結論から言うと、回答欄を埋め次第サキは寝た。

気づけば試験は終わり、ハリーがいなかった。

 

解放感に胸踊らせる生徒たちの波に揉まれながらサキはハリーの姿を人混みから探すが見当たらない。生徒たちは次々に寮ヘ帰っていく。きっと宴会したりスポーツしたりするんだろう。

サキはドラコと仲直りするならきっと今が一番いいんだろうと考えながらもやっぱり踏ん切りがつかなかった。

「そういうわけでもうバッチリ終わりました」

スネイプは突然やってきたサキにはもう慣れたもので、特に驚いたりもせずつまらなそうに授業で提出されたと思しきアンモニア臭を放つ薬品を評価していた。

「終わったからと言って勉学を怠らないように」

「先生も月並みなこと言いますね」

なにはともあれすべてが終わってスッキリした。

あとはダンブルドアさえ戻ってくれば今まで通りの日常と言えるのに、ダンブルドアの行方は未だ掴めてないらしい。スネイプは騎士団の人間だからひょっとしたら知ってるのかもしれないけど、サキに教えてくれるわけもなかった。

「…あのさぁ、先生。母は歴史が好きだったんですか?」

「…何?」

「だから魔法史ですよ、魔法史。母の資料にやたら歴史の記述が多いんです」

「学校に持ってきていたのか?それで、あの字を読み解いたと」

「まあ暇だったので」

スネイプは暇なわけ無いだろうと言いたげだった。

「なんでそんな驚くんです?何かまずいことでも書かれてるんですか?」

「いや、そういうわけではないが…」

「…先生、前から気になってたんですけど私に何か隠してませんか?」

いつも淀みなく受け答えするスネイプ先生が一呼吸乱れた。

「否定はしない」

「なんでですか?」

「君の母親に関することは、君が成人してから言うべきだと思っている」

「なんですか、うちの母はR指定なんですか?」

最近はサキのしょうもない冗談につっこんでくれることが少ない。悲しいが飽きられてしまったのかもしれない。

ドラコと仲が悪くなってDAが潰れてから暇な時間はだいたいスネイプのところで時間を潰していたわけだし、もともとおしゃべりでないこの人といると必然的にサキばかり話すことになるので冗談のレパートリーがもう限界だ。

 

「それでさ、先生。今年の夏休みは…」

 

サキが夏休みの予定を話し始めた時、突然乱暴に扉がノックされた。

「先生、スネイプ先生。急用が」

ドラコの声だった。

スネイプがドアを開けると尋問官親衛隊バッジをつけたドラコが頬を紅潮させて立っていた。

「アンブリッジ校長がおよびです」

「…わかった。サキ、寮へ帰れ」

ドラコはスネイプ越しにサキをみた。サキは軽く会釈してから荷物をまとめて部屋から出ていった。スネイプとドラコはそそくさとアンブリッジの研究室に向かっていった。

 

さてどうしたものか。

こんな半端な時間に散歩というのも気が引けるし、かと言って寮に戻る気にもなれない。

だとしたら行くべき場所は一つ。

確実に何か騒ぎが起きてるらしいアンブリッジの研究室付近だ。

尾行するまでもない。なるべく人気の少ない廊下を選んで忍び寄る。

と、ここでアンブリッジのヒステリックな叫び声が聞こえてきたので足を止めた。

誰が何をやらかしたのやら?相当ヒートアップしているらしい。伸び耳を持ってなかったことを悔やんだ。

廊下の隅で聞き耳を立てていると、何人か部屋から出てったのがわかった。そして向こう側が静かになる。出ていったのはどうやらアンブリッジのようだった。

サキはこれ幸いと抜き足差し足でドアに忍び寄りそっと耳を当てた。

誰かが怒ってる声は聞こえるけれども内容はわからない。スネイプもいなさそうだ。

「……」

サキは意を決してノブをひねって細い隙間をつくった。細く指す光に目を凝らすと、例のピンクの部屋の中で尋問官親衛隊とロンたちがごたごたと揉めていた。

ロンとネビルはクラッブ、ゴイルにガッチリ捕まえられていて、ジニーとルーナはミリセントとパンジーに腕を掴まれている。

ドラコはアンブリッジのふかふかした椅子に深く腰掛けている。

一体どういう状況かわからないけど、ネビルは鼻血を流してるしロンは焦った様子だ。ハリーとハーマイオニーがいないのも気になる。

 

どうしたものか。

サキとて同じ寮の生徒に突然呪文をかけるのは躊躇われるのだが…

 

ジニーがドアの方を見た。ガッチリ視線が絡まって、ジニーの目がまんまるに見開く。

そして口パクでサキに向かって何かを伝えようとしている。

 

ーた、す、け、て!ー

 

直接言われちゃ助けない訳にはいかない。サキは杖をそっと抜いて、けたたましい音を立てながらドアを思いっきり開いた。

クラッブ、ゴイルは鈍いのでまずミリセントとパンジーを失神させた。

自由になったジニーが即座にドラコを失神させ、クラッブとゴイルの顔面を殴った。

 

「特殊部隊みたいだったね、ジニー」

 

サキは密かにドラコに呪文をかけなくてよかったと安心した。(結局後々恨まれそうだけど)

「サキ…どうして?」

「事件の匂いがしたもんで」

「救世主だよ。さあ、急いでハーマイオニーたちを追いかけよう」

ロンがいそいそと部屋から出ていく。みんなもすぐそれを追いかけるのでサキもついていった。

「一体何があったの?」

「ハリーがまた夢を見たんだ」

「夢?例のやつ?」

「ああ。しかもただの夢じゃない。シリウスが捕まってて…安否を確かめるためにアンブリッジの暖炉からグリモールド・プレイスに行ったんだ」

「それで捕まったのね」

「そう。それでシリウスはやっぱりそこにいなくて…」

「じゃあシリウスは…」

「神秘部だ」

「ハリーは?もう行っちゃったの?」

「それが、アンブリッジと森に行っちゃって…武器があるとかハーマイオニーがデタラメを言い出して」

「なるほど。じゃあ急がないとね」

5人は篝火が灯り始めた廊下を抜けた。真っ赤な太陽が禁じられた森を燃やすように地平線に沈んでいく。

ハグリッドの小屋へ続く畦道を駆け下りていくと、森の辺からヘロヘロになったハリーとハーマイオニーが上がってくるのか見えた。

 

「ハリー!ハーマイオニー!アンブリッジは?」

「ケンタウルスに攫われたわ」

「たまげたなあ」

「はやく魔法省へ行こう」

ハリーはいてもたってもいられない様子だった。サキがいることすら突っ込んでこない。

 

「ハリー、ハリー。魔法省には行っちゃだめだよ」

「君までそんなこと言うのか?!シリウスが、今あいつに拷問を受けてるんだぞ」

 

ハリーは怒鳴った。サキは気圧されたが冷静に言い返す。

 

「なら確実に魔法省に罠がはられてる。死喰い人たっぷりだよ」

「だからなんだっていうんだ?助けに行かなきゃ…」

「スネイプ先生は?」

「一応伝えた。伝わってるかわからない。あいつはシリウスを憎んでる…」

「先生は大丈夫だよ。…とにかく、ハリーは絶対に神秘部に行っちゃいけない」

「じゃあ君は僕に黙ってシリウスが死ぬのを待ってろっていうのか?!」

「違うよ。魔法省には私が行く。君はもう一度グリモールド・プレイスに行って騎士団の増援を呼んでから来るんだ」

「君が…?」

「そう」

ハリーだけじゃなく、先程から仲裁に入るか入らないか悩んでいたハーマイオニーも驚いていた。

「私ならまあ、殺されはしないだろうし…」

ハリーだけがその言葉の意味を理解した。サキはヴォルデモートが肉親は殺さないだろうと踏んでいるのだ。ハリーからしてみればヴォルデモートに人らしい情があるとは思えない。

「あなた一人でなんて危険だわ」

ハーマイオニーはサキの横に立った。

「私も行く」

「じゃあ僕もだな」

ロンも続いた。ハリーはやっぱりまだ納得してなかった。

「ハリーを魔法省に誘き出すためにあの人はわざわざハリーにシリウスを見せたんだわ。だからこそ、ハリーはいっちゃだめ。騎士団の力が必要よ」

「でも!」

「ハリー、議論している暇はないよ。いい?騎士団さえいれば私達がたどり着くよりはやくシリウスのもとへつく。今大切なのは君が神秘部の扉を開けないこと」

 

サキは杖を抜き出し禁じられた森に向かって振った。

「DAでタイマンしたじゃない?私の実力信じてよ」

「ぼ、僕もシリウスを助けに行くよ!」

「私も行く」

ネビルとジニーもサキに続いた。

「危険すぎる!行くなら僕一人で…」

「だからそれこそヴォルデモートの思惑通りだってば!」

ハリーは黙った。

二人はじっとお互いを見つめ合った。意志の強い緑の瞳がサキの赤い瞳に暗く反射してる。

たしかにサキとハーマイオニーの言うとおりだ。ハリーが行くということは、ライオンの巣に獲物を放り込むのと同じだ。

ハリーはサキにすっ転ばされたときのことを思い出し、一度深呼吸をしてサキをまっすぐ見た。

「たしかに、時間がもうない」

そしてついに渋々了承した。

「じゃあ…どうやってロンドンに行く?」

「箒は…取りに行くのがめんどうだな」

「セストラルがいるよ。あの子達、とっても飛ぶのが得意だもン」

ルーナがハグリッドの小屋の方を指差した。

「僕らはあれが見えないんだよ!」

ロンが悲鳴に近い声を上げた。ハーマイオニーも不安そうだ。

「大丈夫、アシはあるよ」

そんな二人にサキは微笑みかけた。

森のなかから明るいヘッドライトの光が差し込んできた。2年生のときに暴れ柳に突っ込んだアーサーおじさんのフォード・アングリアだ。

 

「それじゃあ…神秘部でまた会おう」

 

ハリーはセストラルに跨り雲の向こうへ消えてった。

サキはシートベルトをしっかり締めてアクセルを踏んだ。

「…ロン、運転する?」

「僕はやめとく。トラウマなんだ」

 

 



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11.神秘部の戦い①

暗い車内に掠れた男の歌声が響いていた。スピーカーからマグルのヒットチャートが流れている。

「ちゃんとロンドンにつくかな?」

ネビルが手すりをがっしり掴みながら不安そうに窓の外を流れる雲を見た。

「クルマちゃんを信じなさい」

サキは窓に手を掛けながらさながらベテランドライバーのごとくゆったりと構えていた。

「本当にシリウスがいると思う?」

ハーマイオニーが杖を握り締めながら言った。ロンはそんなハーマイオニーを見て気丈に振る舞う。

「さあね。でもグリモールド・プレイスに居なかったんだ。ハリーを信じていくしかないよ」

「そうそう。まあ場所はおしえてもらったしじきわかるさ」

ルーナは楽しそうに雲の下で光るどこかの明かりを眺めてる。

「サキ…巻き込む形になっちゃったけど、大丈夫?」

ハーマイオニーはこれまでのサキの事を想って言ってるのだろう。ヴォルデモートが復活した今、一年生の時のように命を狙われかねないと。

しかしサキ本人は不安より大きな感情がある。

 

「正直言ってね、ワクワクさ。去年一昨年と大騒動とは無縁だったからね…久々にみんなと冒険できて楽しいよ」

「あのなあ、命がかかってるんだぞ?」

ロンが呆れ気味に、しかしいつも通り能天気なサキに対する安堵から笑顔で返した。

「わかってるよ。やるときゃやるさ。テストと同じでね」

「ほんと…サキって変わらないわ」

ジニーもくすっと笑った。

車はロンドン上空に辿り着き、厚い雲の下からネオンの明かりが瞬いた。

 

 

 

………

 

 

「シリウス…シリウス!」

ハリーはグリモールド・プレイスのドアを殆ど蹴破るようにして開けた。シリウスがもういないのは承知だったがそれでも声をかけずにいられなかった。

まずはフィニアス・ナイジェラスの肖像画を探し、応援を呼ばなければならない。

 

「なんだ?なんの騒ぎだ?」

 

ふいに、階段の上からシリウスの声がした。

あまりの驚きでハリーは思わず構えた杖腕をおろした。

シリウスが先程見た夢の姿と似ても似つかない姿で、いつも通りのふらっとした姿で階段に立っていた。

「シリウス…?」

「ハリー!一体どうしたんだ?どうやってここに来た」

シリウスは慌てて駆け寄って、ハリーを抱きしめた。

ハリーはシリウスの温もりを感じて危うく泣きそうになった。しかし同時に自分の犯した過ちを思い知る。

「どうして!魔法省に行ったんじゃ…」

「魔法省に?いや、私はバックビークが怪我をしたから手当をしていたんだ」

「クリーチャーが嘘をついたんだ…」

「クリーチャーが?ハリー、詳しく話してくれ」

シリウスはハリーの肩を優しく手で包んで尋ねた。ハリーはパニックになる頭を必死に抑えつつ起きたことを順番に話した。

 

シリウスが神秘部で拷問を受けてる夢。

クリーチャーの高笑い。

ロンたちが魔法省に向かったこと。

至急騎士団の応援が必要なこと。

 

すべてを聞いた途端、シリウスの目に光が宿った気がした。そしてキビキビと動き出し、フィニアス・ナイジェラスを肖像画に呼び出した。

「至急騎士団に魔法省に行くように連絡してくれ。神秘部に生徒たちが向かっている。死喰い人の罠だ。私もすぐに向かう」

「シリウスはいっちゃだめだ!あいつに殺される!」

「ハリー、落ち着くんだ。あいつがそんな幻を見せたのは私を殺したいがためじゃない。君を殺すためだ」

「やだ!僕は行くぞ。僕のせいでロンやハーマイオニー…サキが危険なんだ!」

「サキ?マクリールの子までそこに?」

「そうなんだ。急いで向かわないと」

「そうか。よし、それじゃあ行こうハリー」

 

シリウスはだぼだぼした部屋着を脱ぎ捨て、外出用のホコリをかぶったローブを纏った。

 

「ほとんど一年ぶりの外出だ」

 

 

 

 

 

 

………

 

 

真っ暗で誰もいないアトリウムは見るからに不気味で、日中は美しいはずの泉の彫刻すら不気味に佇む鬼の如し。ネビルがサキのローブの裾をぎゅっと握ってるのがわかる。

「神秘部は…」

「最下層よ」

エレベーターがちぃん…と物悲しい音をたてて虚ろな口を開いた。

6人は意を決して乗り込んだ。

エレベーターは決していい乗り心地とは言えなかった。ガタガタ揺れて、吐きそうになりながら地下深くまで降りていく。

ごおんごおんとどこからか聞こえる空洞音は2年生の頃降りていったあの秘密の部屋への穴を思い出す。

 

『ー地下9階。神秘部ですー』

 

アナウンスが黒い大理石の空間に響いた。

「暗くて寒くていい感じのとこだね」

サキが場を和ませようとしてもみんな緊張していて笑い声どころか返事もなかった。

「さて…行こう」

サキが先頭を名乗り出たのでしんがりはハーマイオニーになった。

「随分入り組んでるな」

四方八方に伸びる廊下と扉にロンが心配そうに呟いた。道順はきちんとハリーから聞いたので大丈夫なはずだが、後も同じ風景が続いていると流石に不安になってくる。

「通った扉には印をつけておくわ」

ハーマイオニーがさっき締めた扉に大きくバツじるしを刻印した。

「急ぎましょう」

次の扉はどこか見覚えのあるノブをしていた。ちょっと悩んでからノブをひねって、それがマクリールの館にあるものと同じだと気づく。感触がまるっきり同じだ。

その扉の向こうは細い通路だった。しかしそこにはびっしりと図表が貼られており、マクリールの館の隠し部屋と同様に隙間にびっしりと様々な言語でメモが書かれていた。

 

「滅茶苦茶ね」

 

ハーマイオニーがその偏執的に埋められた余白を眺めて呟いた。

「はやくでよう」

ジニーの声に促され、みんなで一列になって通路を歩いた。否が応でも図表が目に入ってくる。その汚い文字は明らかに母の残した手記と同じ文字で、ぐにゃぐにゃと深淵から聞こえる声のように拗れて捻れて捩れている。

 

その文字の坩堝のような通路を抜けると、今度は墓場みたいに静かな図書室だった。

どこまでも書架が続いていく廊下。サキは四方位呪文で方角を示し、とにかくまっすぐ前へ向かうように心がけた。

「…歴史の本かしら?これは…すごいわ。題名から見るに紀元前のものみたい」

「こんなとこで読書はやめてくれよ」

「しないわよ!」

「ああ、僕今日のテストのこと思い出しちゃった…」

ネビルの情けない声色に思わず笑ってしまう。

 

「クソ、また扉だ」

 

 

次の扉を開けると、少し開けたところに出た。

円形の広場で、中央にアーチが建っている。いろんな扉がここに通じるように作られているらしく、等間隔に7つの扉が設置されていた。

「あのアーチ…」

「サキもわかる?」

サキのつぶやきにルーナが反応した。

「何か聴こえる」

やめてよ、とジニーが言ったがルーナは聞こえてないようだった。

 

アーチは薄いヴェールがかかったかのように霞んで見えてゆらゆらとその鏡面が光を放ってる。近寄りがたいのに、なぜかとても惹かれる。

たくさんの人の話し声が聞こえるとルーナは言うが、サキには聞こえなかった。ただそこに何か気配を感じる。

気のせいとかではない、明白な気配を。

 

「早く行きましょう。なんだか嫌な感じがする」

 

ジニーに背中を押されてサキはやっと入った扉と向かいの扉へ入った。微妙に真っ直ぐでなく、それでいて傾いた気分の悪くなりそうな廊下をまっすぐ進むと、ハリーの言ってた扉にたどり着いた。

 

「…開けるよ」

「ああ、いこう」

 

ハリーが開けようとした扉。それを今サキが開けた。

扉の隙間からひんやりした空気と霧が流れ出た。神聖ささえ感じる空気を吸って、一歩踏み入る。

そこは巨大な倉庫だった。

見渡す限り一面に黒い棚があり、そこに隙間なく乳白色に光る水晶玉が置かれている。地下宮殿のような回廊。その奥、97番目の棚の廊下でシリウスが拷問を受けているはずだった。

「…」

サキは無言で杖先に火を灯し前へ進む。二番手のロンも口を真一文字に結んで周りを照らした。

ハリーの見た光景が本物なら覚悟しなければいけない。つまり、そこに横たわる無残な死体なんかを。

霧が濃くなってきた。空気はますます冷たくなって肺から全身を凍らせるほどだ。

 

「……ここ?」

 

サキはハリーから伝えられた番号の棚を見つけ出した。

しかしそこには何もない。

他の廊下と同じシミ一つない白い石の床が広がってるだけだ。

「なにか痕跡は?」

ジニーが床に呪文をかけた。しかしなにも見つからない。

この廊下にははじめから何もなかったのだ。

 

「まずい」

 

ハーマイオニーが暗い廊下の陰に向かって杖を構えた。反射的に円陣を組み6人がそれぞれに杖を構える。

どこまでも続いていくぼんやりとした暗がりから人影が現れた。白くて柔らかい光に照らしだされたのは鈍色の仮面をつけた魔法使いだった。

あれは死喰い人の仮面だ。

クィディッチワールドカップで見た光景が脳裏にちらつく。

 

「おや、おや、おや…誰かと思えば…」

 

聞き覚えのあるどこか高慢さを帯びたツンとした声。

サキの目の前に現れたのは仮面をしてたってわかる、プラチナブロンドの髪を携えた死喰い人。

去年までサキににこやかに微笑みかけてくれた人、ルシウス・マルフォイだ。

 

「ここは君が来るべきところじゃないだろう、サキ」

「そうですかね。ルシウスさんこそどうしてこんなところに?お散歩ですか?」

 

いま彼の顔に浮かんでいるのはほんの少しの恐れと動揺、そして挑発的な笑みだった。恐れと動揺は思惑通りにハリーが来なかったことに対してだろう。そして笑みは、思わぬ獲物がかかったせいかもしれない。

 

 

「ポッターはどうした?」

 

底冷えしそうなほど冷淡な女の声がした。

ネビルの腕に力が入るのがわかった。

「怯えて逃げ出したか?」

 

「ベラトリックス・レストレンジ…」

ネビルが今まで聞いたことないくらい低い声で唸った。

「おや、ロングボトムの子かい?お父さん元気?」

聞く者の心を逆立てるような甲高い声で魔女、ベラトリックスは笑った。闇から次々と死喰い人が現れた。

その中には見覚えのある顔が多々あった。アズカバンから脱獄したやつだ。お尋ね人ポスターでみたことがある。

 

「肝心のハリー・ポッターがいないとはねぇルシウス。しくじったな」

「それならばプランBだな」

ルシウスは豪奢な柄のある杖を抜いた。

「すぐに騎士団が来ますよ。ハリーも来ないし、今日はお開きにしませんか」

サキは慌てて提案した。しかしそんな案をベラトリックスが飲むはずもなかった。何故か初めてあったというのに憎悪の眼差しを向けてくわっと歯を剥いて怒鳴った。

「ふざけてるのか?小娘」

「サキ、こいつらに話なんて通じない」

ロンが囁く。

「逃げよう」

ベラトリックスはその囁きを聞き漏らさず、その愚かな提案を嘲り笑った。

 

「逃げられると思ってるのか?…捕まえろ!」

 

 

 

 

……

 

「シリウス、どうしよう」

シリウスはたまたま玄関のすぐそばに停めてあったバイクに呪文をかけて、ハリーを乗せて矢のように発進した。

バイクはマグルの目にも止まらぬ速さで車間をすり抜けていく。

「僕、クリーチャーの言葉を信じたばっかりに友達を死地に追いやっちゃったよ」

「ハリー、まだ死地とは限らんさ」

ロンドンの街並みがビュンビュン過ぎ去っていき、ネオンや街灯が帯のように見えた。ビルが立ち並ぶ一角に入ればすぐに外来用入り口の電話ボックスがある。

「さあ行こう」

シリウスの背中は大きくて、骨張って、硬かった。

バイクを放り出すようにして二人は電話ボックスに入る。

「いいかハリー、失神の術は使えるな?」

「勿論」

「よし、それでこそジェームズの息子だ」

アトリウムは真っ暗だった。夜警のガード魔ンの気配もなく、不気味に静まり返っている。

騎士団の人間はまだついていないようだ。

ハリーはエレベーターに乗り込むと地下9階のボタンを押した。

扉が閉まり、エレベーターがゆっくりと下降する。地下へ行くにつれて空気がどんどん重たくなっていく気がした。

 

『ー地下9階、神秘部ですー』

 

黒い大理石の廊下に虚ろなアナウンスが響く。

ハリーとシリウスは二人して顔を見合わせた。シリウスはにっと挑戦的に笑い、杖を構えた。

「ハリー、こんな時に言うのも何だがね。私はいつも戦いたかった」

「わかってた。なんとなくだけど…閉じ込められてるのは似合わないよ」

「ああ。だから正直言ってワクワクしている」

廊下の扉には大きな刻印があった。サキたちが通った証に違いない。

急がなければ。

「行こう、ハリー」

「うん。行こうシリウス」

 



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12.神秘部の戦い②

第一印象は最悪だった。あのスニベルスと仲良くしてるのも気に食わなかったし、何より会って数分で蹴っ飛ばされた。

スリザリンの中で恐れられてる、とか。首席候補、とか。そういうところも全部気に食わなかった。

いつかやり返してやろうと思っていた矢先、シリウスは思わぬ光景を目にする。

 

時刻は夕方。日が沈み始めた頃、糞爆弾を作るためにスプラウト先生の温室に忍び込もうとした時だった。そこには温室の通気口を腕組みしながらぼうっと眺めているリヴェン・マクリールがいた。

 

なんでこいつが…

 

と思った矢先、ふいにシリウスの方を向いたマクリールと目があった。

「ああ。丁度いい」

「な、なんだよ」

「ここに立って」

「はあ?」

この間自分に何をしたのか忘れてしまったんだろうか?まるで普通の知り合いに話しかけるように彼女は手招きした。

「マクリール先輩、忘れてないですか?あんたがいったい僕に何したか…」

「?」

マクリールはちょっとだけ首を傾げてまじまじとシリウスを見た。

「ああ、セブの友達ね」

「友達?!誰があいつなんかと!」

「そんな事はいいから。手伝って」

マクリールは依然超然とした態度を崩さずに自分が立ってた場所を指差した。

「貴方も何かくすねたいものがあるんでしょう。それを取ってきてあげるから、ここで受け取ってほしい」

「…なに?あんたも何かパクるつもりだったの」

「そう。じゃあここで待ってて」

マクリールはシリウスの返事も聞かずに通気口に手をかけ、這い登っていってしまった。

 

何が欲しいかも聞かれていないし待っててやるとも言ってないのに!

なんて身勝手なんだろう?このまま帰ってしまおうかと思ったが、シリウスはその場に留まった。

 

壁の向こう側で着地する音が聞こえたと思ったら、すぐに通気口からマクリールの声が降ってくる。

「落とすわ」

シリウスの返事を待たずして麻袋に詰まった堆肥が落ちてきた。シリウスは受け取ろうと伸ばした手を慌てて引っ込めた。重たすぎる袋が地面に落ちてどすんと土煙が舞う。

「わ、わ!殺す気かよ!」

「次はちゃんと受け止めて」

そして今度はやけに軽い、クアッフルくらいの大きさの包が落ちてきた。シリウスはそれをしっかり受け止めて地面に置く。

「次も」

今度は薬草がぼとぼとと落ちてきた。

よく見ると成熟しきって干されたマンドレイクだった。流石にこれを盗むのは不味いんじゃないか?

そして通気口からにゅっと足が出てマクリールが降りてくる。

「ああ、よかった。これすごく脆いの」

シリウスが受け止めたクアッフルくらいの包を見てマクリールは嬉しそうに微笑んだ。

「これ…なに?」

「トロールの頭蓋骨」

「げ」

「特殊な薬草を育てるときにトロールの脳髄を苗床にすると育ちがいいの。あいつら元から腐ってるから」

「スプラウト先生の趣味って…」

「本当にいい植物を育てる人だわ」

「あんたも大概だな…なんでそんなものを?」

「趣味」

「やっぱりスリザリンだな。いかれた趣味してるよ」

「どうも」

多分この人は冷淡だけどツンとすました感じじゃなくて何も飾らないからこういう人なんだろうと思った。

あの時怒ったような激しさも冷たさもなく、今はただ盗みが成功して嬉しそうだった。

「それじゃあ」

と挨拶もおざなりに去ろうとするマクリールを思わず引き止めた。

「ちょっと…」

「なに?」

「いや、その…。ここにはよく忍び込んでるの?」

「ええ」

「コツとかあったら、教えてくれない?」

 

 

彼女と関われば関わるほど第一印象にあった“スリザリン生”のイメージは払拭されていった。彼女が卒業するときにはもう“ビジネスパートナー”に近い印象で、様々なイタズラの手助けをしてもらっていた。泣きみそスニベルスとマクリールはとりわけ仲が良かったようだが彼女はうまくブッキングを避けていざこざの場面に現れることはなかった。(もちろんわざわざ彼女の目の前でスニベルスに喧嘩を売るようなヘマはしない)

彼女はリリーとも面識があり、リリーも彼女を好いていた。

そんな仲のよかった先輩そっくりの少女が森の中で薪をしていたときは幻でも見たような気持ちだった。(なんせ犬だったし)

 

先輩の忘れ形見。

例のあの人の血縁。

別の魔法を使うもの。

ハリーの友達。

 

そんな彼女が今、まさに死喰い人たちの手に落ちようとしている。

 

 

 

捕まえろ!とベラトリックスが怒鳴ったと同時にジニーが棚を破壊した。ネビルは足縛りの呪いを発射し死喰い人をひとり転ばせ退路を作った。

「こっちだ!」

ドミノ式に崩壊していく棚の間をロンが抜けていく。水晶が流れ星みたいに遥か上から降り注ぎ、床に当たって砕けた。白い霧のような人影が立ち昇り喃語を喋る。

 

「さっき来た扉はー」

 

ぐるりと周囲を見回す。一つ棚の向こうの通路で黒い靄のようなマントが翻るのが見えた。流石死喰い人と言うべきか。しっちゃかめっちゃかに倒れてく棚の隙間を縫ってすぐ様逃げるサキたちを追ってきている。

 

「ステューピファイ!」

 

失神呪文が飛んできてサキのすぐ目の前をかすめて水晶に当たる。破片が後ろを走るネビルに当たった。

「クソ!」

さらに呪文が飛んできた。さっきから飛び交ってるのは人体に悪影響のある呪文ばかりだ。

「レダクト!」

こちらも応戦するが走りながら呪文を当てるのは難しい。遮蔽物にあたりそれを壊す程度だ。

ジニーの粉々呪文がまた棚の致命的な部分に命中したらしい。すぐ後ろを追いかけていた死喰い人は爆散する水晶に巻き込まれて消えた。

「やるぅ!」

「どうも!」

ガッツポーズをするロン。微笑むジニー。そんな微笑ましい風景も束の間。

倒れてくる棚と飛び交う呪文のせいで六人は散り散りになってしまう。サキは棚の支柱が真上に落ちてきたところをネビルに危うく救われた。

「どうしよう!」

ネビルが泣きそうな声で叫んだ。

「扉だー」

瓦礫を飛び越えていたら後ろからくる死喰い人から逃げ切れない。扉はさっきくぐったのと全然違うが、進む他なかった。

「ネビル、ネビルこっち!」

扉を開けてネビルを引っ張り込むと慌てて閉めて溶接した。

「…進もう」

「みんな無事かな」

「わからない」

ネビルもサキも細かい水晶の破片が服に刺さっていた。ホコリと破片を払いながら前に進む。さっき溶接した扉がどんどん叩かれている。あまり猶予はなさそうだ。

「でも僕、サキと一緒にはぐれてよかったよ」

「え?そう?」

「いつも二人で練習してたから、なんか上手くやれそう」

「そうだね。でも今回は下手したら死ぬかもしれない…」

「う…ダメだ、やっぱり自信ない」

廊下らしき洞窟のような通路の先にはまた扉がある。扉は真っ黒で一切の光を吸収してしまったように境目が見当たらなかった。

恐る恐る手探りでノブを探り当てて回した。

木が軋む音がして、ドアはアッサリと開いた。

 

冷気と、そして病院の匂いがする。

ネビルは顔をしかめた。

サキが一歩足を踏み入れると、一気に無機質な灯りがつく。白くて味気ない光は魔法界ではめったに見ない蛍光灯だ。そこはまたも病院みたいに清潔で、白い。

匂いも色彩も強烈な既視感を伴って五感を刺激する。

 

「…なに、これ」

ネビルがこわごわと壁を指差した。

 

「人…?」

 

壁一面に浮遊した瓶詰めの肉が、白い光を浴びてテラテラと光っている。液体の中に浮かぶ瑞々しい内臓と、骨と、肉。

それぞれのパーツは解剖学的正確さで分解されており、断面は美しくまるで組み立てられる前のプラモデルのパーツのようだ。

掌が入れられた瓶の横には前腕、上腕が並んでいる。まるでラムチョップのように骨付きで展示された筋肉はもはや滑稽にすら見える。

磨かれて、調度品のようになった肋骨もあった。その中には冗談みたいに肝臓や胃、腸、膵臓、乳房、腎臓といった臓器が詰められている。

人体博覧会と言えばいいんだろうか?その悪趣味な展示物はまるで誘うようにゆらゆら中の液体をたゆたせていた。

真っ白い包帯に滲んだ血痕のように、ある種の痛ましさを内包して、ガラス瓶は天井の灯りを反射した。その光景は唐突で滑稽で生々しいエロティシズムに満ち溢れている。

 

「う…」

ネビルが吐きそうになってるのを見てサキは慌てて肩を抱き、次のドアを探した。

「ヴェーディミリアス」

隠れたものを探す呪文を唱えると、本棚が音を立てて倒れた。隠し扉だ。

「とっとと行こう、ネビル…」

「うん。そうだね…」

 

次の扉を開けると眩い光で目がくらんだ。

「うわ…」

ネビルがもううんざりだと言いたげに目をこすった。

そこは全面鏡張りの迷路だった。

鏡面が歪んだ鏡や大きく傷の付いた鏡が複雑な光の反射を持ってサキとネビルを映し出している。

「ああもう本当にひどい…」

「ここ、通るの?」

「通るしかなさそうだね」

後ろでまた扉が破られそうになっている。選択肢はなかった。

左手をしっかり鏡面に当てながら二人は駆け足で進んだ。

鏡の映す世界はほんの少しずつ歪んでいて目に入れるだけで気分が悪くなってくる。とくにサキはみぞの鏡を見て以来鏡が苦手だった。いつの間にかネビルが先頭を行き四方位呪文で方角を確認しながら迷路を進んだ。

 

 

……

 

ハリーたちは紙束の迷路を抜け、どこまでも続く歴史書の図書館を抜けてようやく開けた場所に出た。

そこは吹き抜けになっていて、円形の壁には7つの扉が等間隔に配置されていた。

中央にはアーチが建っていて、ひそひそ声が聞こえてくる。

 

「シリウス、あそこに誰かいるの?」

「いいや。あれは…死だ」

「死?」

 

シリウスは7つもある扉を見て迷っている。ハリーもどの扉を選べばいいかわからなかった。焼印のある扉を探すために目を凝らすと、突然左から二番目の扉が轟音とともに開いた。

鉄砲水のような勢いで大量の水が流れ込み、最後に詰まったティッシュペーパーみたいにロンとルーナが吐き出された。

「ああ、は、ハリー?!シリウスまで!」

ロンは額にべったり張り付いた前髪をかきあげながらハリーのもとに近づいてきた。ハリーも慌てて駆け寄ってルーナを助け起こす。

「ロン、この水は?」

「ああ…さっきの部屋に金魚鉢があったんだ。死喰い人が襲ってきたもんだから慌てて呪文をかけたら間違って割っちゃって…そしたらこうだ」

「あたし死ぬかと思った。泳ぐの得意じゃないもン」

「無事で良かった。…死喰い人は?」

「別の扉に流されたんだと思う。…ってハリー、こんなところにいる場合じゃないよ!早く逃げなきゃ…」

「ロン、他の子たちは?」

シリウスの問いにロンは申し訳なさそうに答えた。

「水晶の棚が倒れてきて散り散りになっちゃったんだ。…騎士団は?」

「連絡はした。すぐに来る」

シリウスがそう言ったとほぼ同時に、今度は右端の扉からネビルとサキが出てきた。二人とも切り傷だらけだ。

「え?ハリー…」

「どうしたんだ!」

「僕ら鏡の迷路に迷っちゃって…途中でめんどくさくなって鏡を割りながら来たんだ」

型破りな攻略法だった。むしろ迷路の掟破り。

「ついでに死喰い人まで出て大変だった」

サキが扉を溶接しながら付け足した。

 

「ハーマイオニーとジニーは?」

 

ぎぃと音を立てて中央の扉が開いた。真っ暗な向こう側から足音と呼吸音が聞こえた。シリウスは真っ先に杖を構え、ハリーたちもそれに続く。

 

「杖をおろしな」

 

挑戦的な笑みを携え、ベラトリックスがゆっくりと闇から浮かび上がる。

「お友達の命が惜しければね」

ベラトリックスはハーマイオニーをしっかり捕まえ、杖をその頸に押し付けていた。

「ハーマイオニー!」

ハリーの悲鳴にベラトリックスの厚ぼったいまぶたがぴくりと上がる。

「あら、あら、あら?ポッターじゃないか!」

げらげらと下卑た笑い声が聞こえた。他の溶接されてない扉から死喰い人が出てきて、ハリーたちを囲んだ。大柄な死喰い人がジニーの髪を掴んで拘束している。ルシウスの姿は見当たらない。

「お友達が命を投げ打って助けようとしたっていうのに、泣けるねえ?わざわざ罠に飛び込んでくるとは」

「二人を離せ!」

ベラトリックスは高らかに笑った。

「ハリー、この女に話は通じない」

シリウスはハリーの耳元で囁く。そういえばベラトリックスとシリウスは従姉弟だった。

「脅しても無駄だ。すぐに騎士団が来る」

「ハッ…臆病者のシリウスが何を言ってる」

死喰い人の一人がやじを飛ばした。

「黙ってな!…二人をはなすには条件がある」

 

驚いたことにベラトリックスは交渉に乗るつもりがあるらしい。しかし次に彼女が口にした条件は受け入れがたいものだった。

 

「ハリー・ポッターとサキ・シンガーと引き換えだ」

「だめ!!」

 

ハーマイオニーがさけび、ベラトリックスはハーマイオニーの頸に杖を食い込ませた。ロンが反射的にベラトリックスに襲いかかりそうになるのをルーナが止めた。

 

「ハリーは別に行かなくてよくないですか?」

「何寝ぼけたことを!」

 

ちょっとした提案なのにサキには随分塩対応だ。何かしたっけ。

 

「じゃあまず私とジニーが交代でどうですか」

「ダメだ、サキ」

「いや、でもジニーは年下だし…」

サキは引き止めようとするシリウスの手をやんわり振りほどき、ハリーにウインクした。

サキは杖を地面に置いて両手を頭の後ろで組んでジニーを捕まえている死喰い人の前に投降する。

「ジニーを離して」

死喰い人はベラトリックスの方を見て指示を待った。ベラトリックスはサキを睨みつけてから顎をくっと振った。ジニーは死喰い人に突き飛ばされて転んでしまう。

サキの両腕を別の死喰い人が掴んだ。後ろ手に回されて身動き取れなくなってしまう。

 

「…来い、ポッター」

 

「あ、ところで」

 

不意にサキが口を開いた。

 

「女の子のスカートには夢が詰まってるらしいですよ」

「何わけのわからないことを…」

「夢と希望と花火が」

「は?」

 

死喰い人の仮面の下から丸くなった目が見えた。その青い目にぱちんとウインクしてサキは袖の内側から導火線を引きずり出して、クラッカーのひものようにそのまま引ききった。

途端破裂音が響き、ウィーズリーの暴れバンバン花火がサキのスカートの下から一斉に発射された。

「はぁあ?!」

「熱い熱い熱い!!」

サキは火花に焼かれて悶絶しながら倒れ、死喰い人は花火に足を掬われてすっ転び、ハーマイオニーを掴んでいたベラトリックスの頭めがけてロケット花火が突っ込んでいき、ハーマイオニーとベラトリックスが引き剥がされる。

 

「全員殺せ!」

 

ベラトリックスの堪忍袋の緒が切れた。

龍の形をした花火が火を拭き上げたと同時にバシッと何かが弾ける音がして死喰い人が何人か地に伏した。

 

「そこまでだ」

 

ハーマイオニーをしっかり抱きしめたルーピンが言った。

騎士団のメンバーが杖を構え、一斉に攻撃を開始した。



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13.神秘部の戦い③

ハリー・ポッターは幸福な子供時代を過ごしているとは言い難かった。髪はボサボサで、眼鏡は鼻あての部分が曲がってて、身長も小さくて痩せていた。

それでも新品の制服に身を包み目を輝かせながら天井を見る姿は他の子どもたちと何ら変わらず未来に向かって歩き出そうとしているように見えた。

彼が試練を乗り越え成長していくたびに、やがて訪れるであろう瞬間を思い、胸を痛めた。

 

ハリー・ポッターはいつの日か、ヴォルデモートの手によって殺されなければならない。

 

それによってハリーの命がどうなるかは神のみぞ知る事。なんせ前例がない。(ひょっとしたらリヴェン・マクリールは結末を知っていたかもしれないが。)

 

ダンブルドアは校長室から持ち出しておいたいくつかの瓶のうち、RPMとラベルの貼られた瓶を光に透かした。

そして白く光る記憶の糸を見て遠いあの日を思い浮かべた。

 

あれはセブルス・スネイプが寝返ってからすぐのことだった。ヴォルデモートが不死に執着し、辿り着いた1つの解答があると聞いた。

鬱蒼とした森のなか、時間の停滞した館にそれはいた。

セブルスの手引によりダンブルドアは難なく屋敷に入れた。

そしていつも彼女がいる部屋をノックし、ドアを開けた。

 

「…あなたを待っていた」

 

彼女は何かを抱いていた。

その大きな布にくるまれたものをそっとかごの中におろしてからやっとダンブルドアの方を向いた。

彼女の見かけは卒業してからほとんど変わってなかった。黒絹の様な髪と骨のような白い肌。目だけが澱み、感情をまったく失ってしまったようだった。

 

「アルバス・ダンブルドア。貴方に頼みがある」

 

ダンブルドアの返事も聞かずに彼女は続けた。

 

「私を葬ってほしいの。理由はもう、知ってるでしょう?」

 

 

憂いの篩に顔を突っ込むまでもない。忘れられなかった。

あの一族が繰り返してきた罪の一端をダンブルドアは担った。代償はないに等しい。しかし見返りも、これではないも同然だった。

 

サキ・シンガーが母親の代わりをこなせばすべてがもっと早く片付くはずだ。ハリー・ポッターに取り憑くヴォルデモートの魂の壊し方だって見つかるかも知れない。

セブルスは彼女が成人するまで選択肢があるということすら知らせたくないらしい。

 

けれども、時間はもう残り少ない。

 

リヴェン・マクリールはまるで予言者のようにダンブルドアへ呪いをかけた。

「貴方は目的を果たす前に死ぬ。だから、見返りにこれをあげる」

彼女は包みを指差した。

「ひょっとしたら運命が変わるかもしれないわ。私は変えたい運命があった。けど私じゃ変えられないから、この子に託すことにしたの。貴方も乗らない?」

その包みには、産着を着た赤ん坊が入っていた。

 

 

「私はもう死ぬ。死んだら、私の脳髄からある部位を取り出してほしい」

 

彼女の言葉にダンブルドアは一瞬呆気にとられた。

 

 

 

そして、1981年の10月31日。彼女はこの世から消えた。

 

 

 

……

 

 

ハリーは飛び交う呪文を見てDAがただのサークルだったのだと痛感した。

本物の魔法使いの戦いははじめから敵が向かい合って杖を構えて「いくぞ」なんて合図はしない。使う呪文が予めわかってたりもしないし、親切に大声で呪文を唱えたりしない。

呪文は無言、あるいはシューッとしたささやき声で唱えられ急所めがけて飛んでくる。

戦いは騎士団の有利だった。死喰い人は何人かサキやロンにやられていたせいもあってほとんど怪我をおっているし、人数でも不利だった。

 

しかし奴らは平気で粉々呪文や死の呪文を飛ばしてくる。

ハリーは身をかがめてそれを避け、避けられないものはなんとか盾の呪文で防いだ。

やられてばっかりじゃいられない。

ハリーはすぐやり返す。石化呪文は見事に死喰い人に命中し、そいつは3メートルほどふっとばされて動かなくなった。

 

「よくやった、ジェームズ!」

 

シリウスが歓声を上げ、ハリーに微笑みかけた。

ハリーもシリウスを見た。シリウスはハリーとジェームズを重ねて見ているんだと確信した。

スネイプをいじめ抜いてた高慢な父と勇敢に戦う父の姿がだぶる。

戦いの中ふと想起された、そんな迷いをーあるいは意識の隙をーベラトリックスは見逃さなかった。

「インカーセラス!」

「危ない!」

ベラトリックスが呪文を唱えたのとほぼ同時にハリーの背中がどんと押された。

ベラトリックスとハリーの間にサキが躍り出て魔法で作り出された縄に囚われる。ハリーは上体を縛られバランスを崩したサキを抱きとめようとしたが勢いに負けてハリーも倒れてしまう。

 

「ハリー!」

 

シリウスが叫んだ。

シリウスとベラトリックスの視線がハリーとサキの上で刹那交差した。二人の杖が胸の上まで挙げられる。しかしシリウスはハリーに別の死喰い人の杖が向けられたのに気づいた。

 

シリウスの注意が一瞬逸れて、そして

 

「アバダ・ケダブラ!」

 

緑の閃光がその胸を貫いた。

 

すべての音が掻き消され、時間が止まった気がした。1秒が無限に引き伸ばされてそのまま閉じてしまったみたいに、シリウスがゆっくり倒れていく。

目は見開かれて、まっすぐ正面を見ている。光がゆっくり消えていって、瞼は降りることなく濁った目が空中を無為にみつめている。

伸ばした手の先から杖が滑り落ちる。脱力した指がゆっくり開いて腕が重力に持っていかれる。

膝が折れて上体がアーチの向こう側に倒れていく。

重たい音を立てて、シリウスは地面に崩れ落ちた。

 

ハリーはサキに触れられるまで自分が絶叫していたことに気づかなかった。

青ざめた顔をしたサキが銀のナイフで縄を切り、ハリーの方を見ていた。

だんだん周囲に音が戻ってくるけど、どこか遠く隔たった場所から響いてくるようで聞き取れない。

サキが何か言ってる。

サキの向こうでにやりと笑い、扉をくぐって逃げるベラトリックスが見えた。

ハリーは思わずサキを振り払った。血が血管を駆け抜けていく音だけがする。目に見えるのはベラトリックスの翻るローブの端だけ。

 

シリウスが死んだーあいつに殺された

 

頭が痛くなるほどの絶望と憎悪がハリーの心の中を塗りつぶした。

ガシャンと大きな音を立ててエレベーターの扉が開いた。

 

「ハリー!」

 

腕を誰かに掴まれた。

息を切らして血を流したサキがハリーの左腕をしっかり掴み、一緒にエレベーターに乗っていた。エレベーターの扉はガシャンと閉まり、錆びた鉄のぶつかる音を響かせながら上昇した。

 

「ハリー…落ち着いて」

「落ち着く?」

「…杖」

「え?」

「君、杖持ってないじゃん」

 

ハリーは握りしめた右腕を開いた。

 

「ほら…落ち着かなきゃ、捕まえられないよ」

 

サキは開いた手の上にそっとハリーの杖を握らせた。

ハリーはやっと自分の五感が戻ってきた気がした。それと同時に自分が喪ったものにも気付く。

ああ、呼吸ができない。

息は浅くなり、頭が焼き切れそうなほど何かにせっつかれてる気がする。耳の中にはアーチから聞こえるささやき声が充満して、どうすればいいのかわからなくなる。自分の心の中身がどろりと溢れ出してエレベーター中に満ちていき溺れそうなくらい息苦しくなった。

 

「ハリー」

不意に体温を感じた。

サキがハリーを抱きしめて、ハリーの頭を腕の中に包み込んでいる。

 

「呼吸を合わせて」

サキの心臓はハリーと同じようにどくどくと脈打っていたが、呼吸はハリーより落ち着いていた。メトロノームのように一定のリズムで肺が膨らんでるのがわかる。汗の匂いと、女の子特有の甘ったるい匂いが混じってる。

 

「………魔法をかけるコツは…」

 

ハリーが落ち着いたのを見てサキが離れ、ハリーを見透かすように瞳を見つめた。

 

「決して乱れぬ意志と呼吸」

「ああ、そう。…そうだった、ね」

「ハリー。二人であの女を捕まえよう」

「うん。わかってる」

 

エレベーターが止まって、扉がひらいた。

アトリウムだ。

ハリーとサキは走った。

アトリウムの天井を照らす光が二人に濃い影を作る。そして暖炉がたくさん並んだ大ホールを駆け抜けるベラトリックスを見つける。

 

「エクスペリアームス!」

サキが矢のように呪文を放つ。ベラトリックスは不意を打たれて転び、杖を手放してしまった。

「グリセオ!」

這って杖を取り戻そうと立ち上がるベラトリックスはつるつる滑ってまた転び、額を激しく打ち付けた。怒りの咆哮をあげ、二人を睨みつける。

 

「いまだ」

 

サキが囁いてハリーは杖を振った。

 

 

『その女を殺せ』

 

 

呪文は知ってる。

どんな気持ちで振ればいいかも。

今なら殺せる。

このどうしようもない残忍な魔女を殺して、復讐できる。

 

「だめ!」

 

サキの悲鳴で我に返った。

自分が囚われた感情から立ち返り、ハリーの背筋に悪寒がはしった。

氷を突っ込まれたみたいな冷たさを全身で感じた。

べったりとしていてそれでいて乾ききった、矛盾した気配が濃密さを増した。

生臭い匂いがして、ぺたりと湿った肉の音が背後から響いた。

ベラトリックスはそのすきに暖炉の方へ飛び込み、エメラルド色の炎の中に消えた。

 

「ぅ」

 

サキの小さな唸り声に振り向くと、サキは震える手で暗がりへ杖を向けている。

 

「誰に杖を向けているかわかっているのか?」

 

響くのは、忘れもしないあの声。

永久に開けない冬の夜のような、永遠に融け出すことのない地底の氷のような冷淡な声。

 

「ヴォルデモート」

 

ハリーの口からその名がこぼれた。

 

白い顔が裂けて、真っ赤な口が弧を描き、笑みの形を作る。

 

「ハリー・ポッター」

 

闇の中からやつが来る。

ヴォルデモートは黒い衣をまとい、闇から滲み出るようにオレンジ色の光のもとへ現れた。

 

「エクスペリアームス」

 

突如サキが呪文を唱えた。しかし儚い羽虫のようにその呪文はヴォルデモートによって叩き落されてしまう。

「ああ、誰かと思えば…なんと健気な反撃だろう。サキ・シンガー。哀れな我が娘ではないか!」

「私に挨拶するのが先では?」

サキは小刻みに震えながらも気丈に振る舞い、なお杖を構えながらじりじりとハリーの方へ歩み寄った。

 

「そうだ、そうだったな。まずは反抗的な娘に罰を与えなければならんな」

 

サキが疑問符を口にするより先に、その手から杖が弾け飛んだ。それを目で追いかけていると突然世界がくるりと回転し、背中に衝撃が走る。

転ばされたんだ。とわかったときにはもうヴォルデモートの杖はサキの鼻先にあった。

 

「やめろ!」

 

 

ハリーが叫び、ヴォルデモートが再びハリーの方を向いた。

サキと、ヴォルデモート。

二人の赤い目がじっとハリーを見つめてる。

暗闇に浮かぶ二人の双眸は、今まで見つけられなかった共通点を文字通り浮かび上がらせた。

ぞく、と勢いを殺ぐようにまた背筋が凍る。

しかしヴォルデモートの後ろの暖炉が突如エメラルド色に燃えた。

 

「ここへ来たのは愚かじゃったな。トム」

 

黒い暖炉の中から出てきたのは白い髭を生やしてローブを着た、まるで絵本に出てくるような魔法使い。

ダンブルドアその人だった。

 

「貴様がな、ダンブルドア」

 

途端、サキとハリーは世界から閉め出される。サキはヴォルデモートに弾き飛ばされ、ハリーはダンブルドアに吹き飛ばされ二人とも暖炉に激しく頭をぶつけた。

 

二人の間に呪文の火花が飛び散る。

火花という言い方が適切かどうかはさておき、それは技巧や戦略といったものを超越した力と力のぶつかり合いだった。

 

ヴォルデモートが杖を振るうと、あっという間に炎でできた大蛇が牙を剥く。轟々と燃え盛りながらダンブルドアを噛み砕こうとする。

しかしダンブルドアは噴水の水を即座に増やし、それで大蛇をヴォルデモートごと飲み込んでしまう。

体積を増していく水はヴォルデモートをどんどん圧し潰していく。

だがヴォルデモートが水の中から杖を振ると、それは突然弾けてハリーとサキのところまで飛沫が飛んできた。

ハリーもサキも呆気に取られて動けなかった。

しかしヴォルデモートがそんな二人を見逃すわけはない。

ヴォルデモートはハリーに向けて杖を振る。それに反応してダンブルドアが盾を繰り出し、爆発したような音を立てて呪文が霧散した。

ヴォルデモートは咆哮をあげた。するとアトリウムを飾る窓ガラスが一斉に砕けて散る。

まるで星降る夜のように。

 

そしてその破片は空中で止まり、ヴォルデモートの邪悪な意思によりこちらにむけて飛ばされた。

鋭利な欠片が空を切って無数に飛来する。

ダンブルドアは盾の呪文を膜のように張った。全面に展開された呪文の層が飛来するガラス片を粉に変えてしまう。

ダンブルドアの真後ろにいたハリーはガラスの粉で真っ白だ。

 

ヴォルデモートはまだ息すら切らしてないダンブルドアを見て、不意に姿を消した。

 

「あいつは…」

 

サキがダンブルドアのそばに駆け寄る。

ダンブルドアはハリーを凝視していた。ハリーはまるでヘビのように体をよじらせ、苦しんでいた。

 

ハリーの傷跡がバックリ割れて血がざあざあ流れてる。

ハリーは苦悶に顔を歪めていて、ダンブルドアまでも青ざめた顔でハリーの方を見ていた。

「ハリー?どっか痛ー」

 

サキが駆け寄ろうとしたそのときだった。ふいに足が掬われ身動きが取れなくなる。

冷たい肌がサキの頬に触れた。蛇の腹みたいな色をした手が首筋にあてがわれてるのがわかった。

 

「さて、予言は手に入らなかったがこれで最低限だな…」

 

ヴォルデモートの言葉にダンブルドアが振り向いた。しかし苦しんでるハリーのそばを離れられない。サキは見捨てられるのか…と思いつつもやはりハリーを守るべきだと思っているので一言も声を発さなかった。

ダンブルドアのキラキラした目は真っすぐサキを見ている。意図を完全に汲み取ることはできないが、サキはゆっくり瞬きして自分が今のところは正気であることを必死に伝えようとした。

 

ヴォルデモートは捨て台詞一つ吐かずにダンブルドアを見たまま姿くらましをした。

 

サキの視界が暗転した。



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14.供犠の子ども

世界はずっと遠くまで続いているのに私の知ることのできる範囲はたったの一km四方に満たない。孤児院から学校まではほんの数百メートル、真っ直ぐ道を行くだけ。スーパーだって学校のちょっと先。

たまに遊ぶ公園も、さんざん連れて行かれた動物園も全部が孤児院からすぐのところに収まっている。それ以外の世界なんてないんじゃないかと、五歳のサキは途方に暮れていた。

どこまでもどこまでもこの灰色の四角い世界の中で私は生きていくんじゃないかしら?と思うとなんとなく悲しくなって、一番年長のフォージによくハイスクールのことを聞いた。しかしフォージもやっぱり学校と孤児院以外に世界はないと思っているらしく、サキと同様の不安を抱えていた。

シンガー孤児院にいる子どもたちはみんな似たようなことを考えていたらしく、誰かと話せば話すほど閉塞感が増していった。

ロンドンの空は真四角に切り取られてて、鳥がどこまでも遠くへ飛んでいくなんてことはできそうにもない。

街はいつでも灰色に見えて、孤児院の中はいっつもざらざらしたテレビの音と小さい子達のすすり泣きが聞こえた。

ふいにサキは自分がそんな中でどうやって生きてこれたのか不思議に思った。

ホグワーツに来てからの自分と、孤児院の自分。断絶してなお続く私自身がどれほど確かなものなのか分からない。

 

そんなことをまるで走馬灯みたいに一瞬で考え感じたせいで、サキは自分が連れてこられた場所がどこだかすぐにはわからなかった。

 

「あぁ」

 

小さくため息を漏らして黒い木の床にべったりついた唇を舐めた。土の味がする。

 

あたりを見回すと見覚えのある応接室だ。そう、たしかここはドラコの家の応接室だ。

すぐに自分がなぜここにいるかを思い出した。

 

「さて…まずなんと声をかけるべきか。他のことが忙しくて全く考えていなかったわけだが…」

 

 

サキは声のする方を見上げた。

 

「見違えたぞ。サキ・シンガー。マクリールの娘よ」

「…よくよく誘拐される運命みたいですね私は」

「それを言うならば俺様はよくよく邪魔される運命のようだな」

 

ヴォルデモートは口の端を吊り上げてはいるものも目は全く笑っていない。真っ白い肌、切れ込みのような鼻。真っ赤な瞳。尋常ならざる風体は近くから見ればますます不気味で正視に耐えられないほどの醜怪さだ。話で聞きていたよりも恐い。

 

「私を人質にでもするつもりですか?無駄ですよそんなの…」

「人質?親愛なる娘を人質などと!俺様はただゆっくり話したかっただけだ。お前とな、マクリールの忘れ形見よ」

「そんなに母に未練があるんですか?」

サキは挑発のつもりでそう言った。しかし帰ってきたのは思いもかけぬ言葉だった。

「ああ、お前の母親の肉体は確かに失くすには惜しい…」

「は…」

サキは思わずぽかんと口を開いた。

今この人、なんかとんでもなくエロいことを…?

と寒気が背中を駆け抜けた時、バシッと音がして誰かが宙空に現れ、そして地面にガクリと膝をついた。

 

随分ボロボロで着衣も乱れてるが、それは大荷物を抱えたルシウスだった。美しいブロンドの髪がクシャクシャだ。

「わ、我が君…」

ルシウスは引き攣った笑みを浮かべながら慌てて跪いた。

「ルシウス。予言の奪取は失敗だったようだな?」

「は、はい。小僧は現れませんでした…」

「わざわざ俺様が小僧の心に踏み入ってまで神秘部に行くよう仕向けたというのに…見込み違いだったな」

「ですが、ですがもう一つのものはこの通り手に入れました!」

ルシウスは縋るようにヴォルデモートを見て、ローブの中に手を突っ込んだ。

手には瓶が握られている。

透明なガラス瓶に詰められた液体と、ピンクの花弁みたいな爪がくっついた指が五本。

百合みたいに花開く美しい白い手がひとつ。

 

「リヴェン・マクリールの遺体です」

 

こと、こと、とガラス特有の固くて脆い音を立ててルシウスのローブからいくつもの瓶がだされ、ヴォルデモートの足元に並べられた。

 

神秘部にあったあの死体だ。

籠のような胸骨に納められた瑞々しい臓器たち。

心臓、腎臓、耳朶、肝左葉、子宮、何処かの筋肉、蝸牛、左手。

赤くてぷるぷるした内臓とピンクの脂肪。まるでたった今解剖されたみたいな肉体の断片が冗談みたいに一列に並べられていく。

リヴェン・マクリール。

母の体が。

 

「は…あ…」

 

空気が急に無くなったみたいに気が遠くなる。肺の上のほうがクシャクシャになってしまったのか、呼吸が辛い。紙袋がほしい。

母親の遺体だって?これがー

 

「素晴らしい。かけたピースがここにあれば晴れて任務達成だなルシウス」

 

ヴォルデモートは残酷に笑う。

 

「さあサキ・シンガー。マクリールの魔法を継ぐものよ。お前はどれを食べたい?」

 

サキは鮮烈な赤から目を離せないまま、ヴォルデモートの言ったことをそのまま繰り返した。

「どれをたべ……え?」

「マクリールの魔法を受け継ぐにはただ臍の緒で繋がり、産まれ、乳を飲み育つだけではならん」

サキは動けない。動けないまま目の前に母の左手と心臓が並んだ。

 

「母親の血肉を喰らい己がものにしなければならない」

 

喰う?

人をー母を?

 

「マクリールの忌まわしい魔法。かつては魔法使いが皆等しく使った魔法はその数を減らすにつれ血と肉で繋げていく他なかった。マクリールはその最後の家系だ。たった一つの血統が魔法を伝えるために何をしたか想像は容易いだろう」

 

そこから連想する言葉はどれも忌まわしいものばかり。

近親相姦、共食い、親殺し。

 

「お前たちの魔法の本当の力は、呪い破りなんてケチなものじゃない」

「やっぱり、そうなんですか」

「勘付いてはいたか」

 

サキは目を瞑り、一度呼吸を整えた。

 

「その程度なら貴方が母をわざわざ監禁する必要なんてありませんから」

ヴォルデモートは笑った。

「その通り。俺様くらいになればそんなもの必要ない。監禁する価値が…いや、独占する価値があった」

「……もったいぶらずに教えて下さいよ。こんな…悪趣味な光景の理由を」

サキは目の前に並べられた母の遺体だとかいう悪趣味な瓶詰めから目を逸らす。ヴォルデモートは薄ら笑いを浮かべたまま耳朶が浮かんだ瓶をそっとその長い指で撫でた。

 

「お前たちはすべての記憶を持っている。魔法の火が灯された瞬間から今までの全ての記憶を」

 

「…は?」

「お前たちの肉体は書物と同じように記憶を蓄積している。その肉を食らうことでその記憶に触れることができるのだ」

「そんなバカな事…」

「あり得ない、といえるか?」

サキは口を噤んだ。あり得ない、とは言い難い。神秘部にあった品々から見るに魔法は案外なんでもありだ。

真偽はさておき慎重に話を進めないと人を食べる羽目になる。

それも見ず知らずの母親の肉を。

 

これは何かの罰なのか?

それとも夢?

 

「じゃああなたが食べたらどうです」

「ダメだ。血が繋がっていない」

「……仮にその話が本当だとして…これは本当にリヴェン・マクリールですか?」

「ルシウス」

隅で控えていたルシウスがびくりと跳ねた。死体の運搬なんてやらされたせいか顔が青褪めている。

「間違いありません。ボードは確かに言いました。この遺体があったのは1981年に新設された部屋です。間違いありません。あらゆる資料を、マグルの資料さえ探して調べました。リヴェン・マクリールは確実に死亡していて、サキ・シンガーは確実に血縁でございます」

「…確かにこの手は見覚えがあるな。いつも窓辺で無意味にタイプライターを叩いていたあの手…」

ヴォルデモートは何かを思い出すように目を細めた。

「ま、魔法が嘘かもしれませんよ。母があなたに殺されないためについた嘘かも!」

「あの女が嘘をつけるとは思えん。…証明もした」

「証明?」

「ああ。あの女は、先祖代々が生きた過去のすべてを記憶しているだけじゃない。過去のすべてを知り得る。故に知らないことも遡って知ろうとすることも可能だ」

「何言ってるかわかんないんですが」

「ああ、まあそう思うのも当然だろう。だがその"知り得る"ことが重要なのだ」

 

ダンブルドアもそうなんだが、なぜ頭のいい人たちは人にわかるように話してくれないんだろう?いきなり母親のバラバラ死体を見せられて、あまつさえ食えという。それどころかすべての過去を知り得るだって。

 

「…ええ、じゃあその魔法が本物でこれが本当にお母さんだとしましょうか。だとしても私の答えはNOです」

「ほう?」

「吐き気がします。この…匂い」

 

薬品の、鼻をひりつかせる匂い。

母の隠し部屋の匂い。

ああ、この匂いだったのか。

 

「貴方はおかしい。人を食えだって…?そんなのは獣のすることです」

 

「お前の母も祖母もそうしてきた。お前は自分の血も否定するのか?いいか?スリザリンの末裔の俺様と、その失われたはずの始原の魔法使いの血が、お前には流れてるのだ。組分け帽子はお前をどこに入れた?蛇と話せるのはなぜだ?…娘よ、おまえのその美しい髪が、肌が、全てが母と生き写しだ。その瞳以外全て」

 

「知らない!母親の顔なんか見たことがー」

 

「顔ならば、ここに」

 

 

ヴォルデモートの言葉は、乾いたヒビだらけの土に染み込む水みたいに私の心に侵入してくる。

私が誰かの子どもであるということ。孤児院では決して実感しなかったその得体の知れないーなにか、ひどく胸を締め付けるー感情が、理性を細かくすり潰してく。

表面だけ取り繕った冷静が内側から壊れていく。

血が沸き立つ。

 

母の、私そっくりの黒絹の髪がひときわおおきな水槽の中で水草のように揺れた。

昔の映画のようだ。湖底に沈む、水死体。

その、骨より百合より遥かに白く青みがかった項がゆっくり回って、耳のところに真っ赤な穴の空いた側頭部がこっちを

 

「我が君!」

 

先生の声がした。

突然冷水をかけられたみたいに煮だった血がひいてく。

視界が真っ暗になって私はカラカラになった口の中でやけに湿った舌の味を感じる。変な話だ。なんでかな、感覚っていうのはその器官で感じる必要はないのかもしれない。

 

「我が君、どうかおやめください」

 

柔軟剤の匂い。夏に散々嗅ぎ慣れた匂いがした。

非現実的な中に突然こんな日常の匂いが紛れ込んじゃ、自分に何が起きたかよくわからなくて当然だろう。

 

スネイプ先生の手が私の視界を覆っていた。

 

ヴォルデモートと先生の息遣いを感じる。

視界がないけれども二人が交わす視線の切れ味が伝わってくる。

 

「それは…あまりに酷です」

「随分と大事にしているな、セブルス。忠実な我が友よ」

「約束しましたので」

「ふん。庇い合って結構なことだ」

「我が君、恐れながら御注進いたします。今ここにあるリヴェン・マクリールの肉を食べても、彼女は魔法に目覚めません」

「なに?それは確かか?」

ルシウスが息を呑むのが聞こえた。

「確かでございます。…生前、確かに聞きました」

「この頭には…」

「御座いません。お確かめになられてください。」

 

ガラス瓶が割れる音と、粘性のある液体が地面に飛び散る音がした。骨を砕き肉を剥がす嫌な音がする。むわっとした鉄の匂いが漂ってきた。ああ悍ましい。

 

「……………ルシウス。どうやら任務は悉く失敗したようだな」

「そんな…そんな…我が君、私は…」

「その情けない口を閉じろ!……セブルス、なぜここに脳がないと知っている?」

「…ダンブルドアは私に任務を与えました。サキ・シンガーを取り戻してこいと」

「ダンブルドアがお前を寄越した?馬鹿正直にこの娘を返してほしいと懇願させにか」

「おっしゃるとおりです。…脳髄は、ダンブルドアが持っています」

「……ほう?この俺様に交渉しようと言っているわけか」

「ダンブルドアは、人食いなぞさせるつもりはありません。底抜けの性善説論者であるがゆえの愚行としか言いようがありませんが…。手札を明かしてでも罪を犯させたくない、と私に命令したという次第です」

「俺様も随分なめられたものだな。それではいそうですかと返すとでも思ったのか?」

「思っているのでしょうな。なんせ…やつは親子の愛だとか絆を幻想的に盲信しているようですので」

「愛など!」

 

サキだって愛なんて信じちゃいない。

特に親子の愛は今は信じられそうにない。

スネイプはまだサキの目を覆ったままだ。ようやくサキの心も落ち着いてきて、吐き気を催す血の匂いもなんとか慣れてきた。

 

「ですが我が君、私がサキを取り返すことにより得られる信頼は絶大なものです。ダンブルドアの目的を知るチャンスかもしれません」

「やつが秘密裏に動いてる目的と、娘とを天秤か」

「どちらが重要かは言うまでもありません」

スネイプはスラスラと述べた。

「どちらにせよ…マクリールの魔法を継ぐためのピースはダンブルドアが持っているのです。今のサキはただの子どもです」

「ふ…」

ヴォルデモートは蔑むように笑った。

「お前はダンブルドアが聖人だと信じているのか?セブルス。目的のためなら娘に脳髄を食わす事だってしかねん男だぞ」

 

「それはわかっています。…そんなことは私がさせません」

 

「ほう?それが本音か、セブルス」

 

「……」

「いいだろう。セブルス、日々の献身に免じてお前の贖罪には目を瞑る」

「有り難き幸せです」

「ルシウス、セブルス。下がれ。娘と二人で話をする」

スネイプの手が離れた。

心配そうな顔をしたスネイプが離れていって、ルシウスと連れ立って部屋の外へ出た。

部屋の中にいるのはサキとヴォルデモートだけ。床には液体がこぼれたあとがベッタリとついている。

 

「……」

「取り乱さないのか?」

「…まあ。深呼吸できましたから…」

「つくづく似ておる。リヴェンに」

その名前を言う時、ヴォルデモートは懐かしそうな顔をする。本人は気づいてるんだろうか。愛情とかは感じないのだけれども、私の知らない母をこの人はたしかに知っているのだということがわかる。

そして、その上でバラバラになった母の遺体を使おうとしたんだ。

 

「……私を無事に返すつもりなんてないんでしょう」

 

ヴォルデモートは返事をしないまま地面に座り込んでるサキに視線を合わせるように膝をついた。サキの顎をそっと持ち上げ、まじまじと顔を眺めている。

「…つくづく厄介な母娘だ。お前の母親をどう操るか…わからないまま閉じ込める他無かった」

「………」

「あの女にはどんな交渉も無意味だった。…しかしお前になら効きそうだな、サキ」

「…どういうことですか」

「お前の立ち居振る舞いを見てわかった。…4年前と何ら変わらぬその自己犠牲の精神はもはや病的と言っていいな」

「自己犠牲…?」

「自覚がないのか?サキ・シンガー。お前が今ここにいるのは全て自分の意志によるものだと?」

「そうです。そうじゃないですか…私は…」

「お前はいつも要請されて、誰かの代わりにここにいる」

 

ハリー・ポッターの代わりにここに来て

ハリー・ポッターの代わりに攫われ

母親の代わりに保護され

母親の代わりを望まれている。

 

「生まれからしてお前は何かの代わりに用意されたに過ぎない。リヴェン・マクリールは俺様に力を貸す見返りに子供を望んだ。哀れな供儀の娘よ。お前は母親にとっても魔法を紡ぐための生贄に過ぎない」

 

魔法を継いでやがて自らの子どもに食われる生贄。

 

「それがお前だ。サキ・シンガー」

 

「違う!」

 

「いいや、お前はそう望まれて産まれ、育てられてきたのだ」

 

「……違う」

 

「さてどうかな」

 

ヴォルデモートは立ちあがり、サキに背を向けた。

 

「ダンブルドアのもとへ返してやろう。但し忘れるな。お前がもし俺様を売るようなことをしたら、ドラコ・マルフォイを殺す」

「ドラコは関係ないじゃないですか!」

「父親の失態だけでも罰するに値する。…お前が俺様に従順であれば心配いらない。そうだろう?」

 

「…死ね、くたばりぞこない」

 

「ははははは!憎まれ口すら愛おしいぞ」

 

窓の外に白い光が見えた。

きっと闇祓いたちが来たんだろう。消えたルシウスを追いかけて…

ヴォルデモートは闇の中に滲むように消えていった。

初めから誰もいなかったように部屋の中はサキ一人きり。

 

 

 

 

 

「サキ、手を握って」

 

気配を察して入ってきたスネイプがサキの腕を掴んで立たせ、掌を差し出した。

 

「帰ろう」



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15.血と肉と魔法

今までずっと空白のままだった『母』という器が突然瓶詰め死体で満たされた。母だと言われたその肢体はまだ若く、艶があって、瑞々しかった。

たった今まで生きてたみたいなその瓶詰めの肉体の破片はもう15年前に死んだはずの母親。

 

今までずっと、目を逸らしてきた。自分の今までの人生に敷かれてきた死人の轍が突然目の前に現れたみたいにー受け入れがたい現実がそこにあった。

 

マクリールの魔法…

食人により繋げてきた血の魔法。

その魔法を受け継ぐ肉体は過去全ての記憶を保有する。

 

にわかには信じがたいことだが…どうやらスネイプ先生は何かを知っているらしい。

 

姿現し先はホグワーツ駅だった。敷地内では姿現しはできないと聞いていたが、どうやら駅ならギリギリセーフらしい。

しかし駅から校門までが遠いのだが…。

森を抜ける間、スネイプもサキも終始無言だった。空は青紫色に色づいてきて、直に日が昇る。

もう一晩たったのか。

魔法省が地下だったせいもあって自分が過ごした時間を見失ってる。

ホグワーツの門をくぐる頃にはもう朝焼けが塔を照らしていた。

 

城に戻ってきて、ようやく現実感を取り戻した。やっと足が地についたような気がした。

まだみんな寝静まってるから城はやけに静かで、遠くから小鳥のさえずりが聞こえる。さっきまでの出来事が嘘みたいだ。

 

校長室は長らく閉ざしていたその扉を開け、サキとスネイプを上へ運んだ。ダンブルドアはちゃんと戻ってきたらしい。

一夜明けてアンブリッジはどうなったんだろう?

結局死喰い人たちは捕まったんだろうか。

シリウス・ブラックは…

 

 

「よう無事で戻った」

 

 

ダンブルドアは魔法省での熾烈な戦いがなかったようにニッコリ微笑んだ。

「ダンブルドア…先生。ハリーは…」

「勿論無事じゃよ」

ダンブルドアはサキに座るように促した。

 

「…さて…色んなことがあった夜じゃったな」

「……ダンブルドア先生、貴方は…あなたは、ずっと私に嘘を吐いていたんですね」

「いいや、嘘はついておらん。ただ真実を告げなかっただけじゃ」

「私にとっては同じです」

 

スネイプが何か言おうとしているのがわかった。サキは再度呼吸を整えて椅子に座った。ダンブルドアはまたニコリ、と微笑む。そのいかにも優しそうな笑みと、ヴォルデモートの言葉が重なった。

 

ー目的のためなら娘に脳髄を食わすことだってしかねん男だぞー

 

ダンブルドア。例のあの人相手に一歩も引けを取らない偉大な魔法使いが食人を容認するだろうか?

 

「まず…そうじゃな。様々な疑問が君を混乱させているじゃろうから、それを解決するはずの記憶を見せよう」

 

壁がせり出して立派な装飾の施された憂いの篩が出てきた。もやもやと色のはっきりしない液体が揺れている。棚にところせましと並んだ瓶から、ダンブルドアは赤いラベルの貼られた瓶を取り出した。

 

「これはセブルスの記憶じゃ」

「…ええ。リヴェンとの会話の記憶です」

「それに…魔法のことが?」

「そうじゃ」

 

ダンブルドアはコルクを外し、篩の中に記憶の糸を垂らした。それはまるで血のように篩の中で広がり、マーブル模様を描きながら溶けていく。

母親が居た時間の記憶。生きてる母の姿を初めて見ることになるんだ。

 

「………無理をしないでくれ」

サキがなかなか覗かないのを見て、スネイプが肩に手を当ててとめた。しかしサキは今更逃げ出すつもりはない。

「一緒に…一緒に見てください」

「……わかった」

スネイプはダンブルドアの方を見てからサキと一緒に篩に顔を突っ込んだ。

胃が前転したみたいに変な浮遊感がサキを襲った。真っ逆さまに落ちていくのかと思いきや、気づけば地面に立っていた。

 

 

薄膜がかかったような風景だが、そこは確かにマクリールの館だ。廊下は今の館よりきれいで、掛かった絵にホコリが積もってない。生活感のある館なんて新鮮だ。ふと周りを見回すと横にしかめっ面をしたスネイプ先生がいる。

 

「ここが記憶ですか?」

 

尋ねるが、答えない。おや?と思ってもう一度スネイプの顔をよく見ると今より肌に張りがある。

 

「こっちだ、サキ」

「わ、じゃあこれは記憶の先生?」

「そうだ」

 

サキは改めてまじまじと若かりし頃のスネイプを眺めた。こうして見ると年月でだいぶくたびれたんだな、先生…。

手には料理の乗ったトレーがあって、スタスタと廊下を歩き、ある部屋に入った。

サキがノブをひねろうとしたがスネイプはまっすぐ進んで壁を抜けていく。記憶には物理的な形はないようだ。なんだか幽霊にでもなった気持ち。

 

部屋の中には、ゆったりとした服で窓辺に座る女がいた。

 

黒くてつややかな黒髪に、百合のように白く、みずみずしい肌。真っ赤な唇。今にも死んでしまいそうなほど影の薄い女だった。

 

彼女は食事を運んできたスネイプに気づき、座り直した。

 

「煩わしい」

 

サキは驚いた。イライラしてるときの自分の声にそっくりだ。

「食事なんて時間の無駄だわ」

「食事は文化ですよ」

若かりしスネイプはやれやれと言いたげに机の上にトレーをおいた。リヴェンは震える手でスプーンを取ったがスープの重みで落としてしまう。スネイプはすぐ拭って、すくったスプーンを持たせた。扱いに慣れてるらしい。

 

「セブ…慣れてきたわね、仕事」

「ええ。死喰い人の仕事がまさかこんなのだとは、思いもしませんでした」

「因果応報ね。…私がなんで閉じ込められてるか、知りたい?」

「私のせいです。ええ、そうですよ、因果応報です」

「なに拗ねてるの?違うわ。この一族の魔法のこと」

「…興味がないといえば嘘になります。貴方の魔法が、どれほどの価値があるか…誰も知らない」

「ふうん」

 

そう言いながらサンドイッチを口に詰めてくリヴェン・マクリールはさんざん言われたとおりサキの生き写しだ。

若い先生が自分と話してるみたいで落ち着かない。

 

「大したことないのよ。この魔法は単なる資格。膨大な記憶へアクセスできる資格を得るに過ぎない」

「膨大な記憶?」

「そう。紀元前…魔法がまだ血を介して行使されていた時代から、杖が生まれ、数々の戦いを経て今の社会の下地ができるまで…それからずっと、私の血族が見て体験してきた記憶」

「貴方は…その、死んだ人たちの記憶を見られるんですか?」

「ええ」

「……からかっているでしょう?」

若かりしスネイプの疑わしげな顔にリヴェンは微かに口を歪めた。

「そう、見える?」

「あなたはいつも私をからかって遊ぶ」

「そうかしら?」

「そうです!」

 

最悪な気分で篩を覗き、覚悟して記憶の中の母を見たのだが…なんか普通に仲良さそうな二人がいて、サキはなんだか拍子抜けしてしまった。横にいるスネイプ先生は心なしか照れてるような恥ずかしいようなそんな顔して目をそらしている。

 

「でも本当よ。だから私は眠るたびにそのマクリールたちの人生を体験するの。記憶を追想し、追体験し、誰かの人生を眠るたびに送る。つぎ目が覚めても…それがリヴェン・マクリールのどの時間かわからない。私の時間を認識する主体はもうとっくに失われたから、目が覚めたらまたその記憶の生を生きるの」

「……眠るたびに、他の人の記憶を?」

「そう」

「……先輩…それって」

「懐かしい呼び名」

「茶化さないでください。先輩、それって…貴方は…何千年もある時間を追体験しているということでは、ないですよね」

 

「正解よセブルス。…私は時間という枷から解き放たれている。そして…私は自分の肉体が存在する時間に限って、過去をやり直すことができる」

 

「過去をやり直す…?」

「私は、私の過去の中でなら自由に過去の行動を変えられるのよ。この野菜スープをコーンポタージュにだって、まあやろうと思えばできるわ」

「つまり…過去を改竄できる、と?バカげてる…」

「馬鹿げてるわ。それにたとえ私が過去の自分の行動を変えても、変えたと認識できるのは私だけ。書き換えた瞬間世界も書き換わり、私の肉体が生きる時間まで莫大な量の情報が新たにその空白に書き込まれることになる。だから当然傷んでいくわ」

 

サキは呆気にとられていた。

今まで食って繋いだ血族の記憶をすべて保有する…ここまではいい。そればかりか過去を改竄するだって?

 

「証明できないのが残念ですね。もし本当ならば大変なことです」

「証明できるわ」

「どうやって?」

「予言するわ」

「予言、ですか」

「そう。もう私には時間の概念が無くなってしまったから、未来まで過ごして、また戻って、見たことを話すだけ」

「…どういう事ですか?」

「あら、頭のいいプリンスはどこにいったの」

「やめてください」

 

サキは横に立つ老けたスネイプを見た。若いスネイプとおなじ渋い顔をしている。

 

 

「セブルス…予言してあげるわ。貴方は大切なものを失い続ける。生きてる限り、ずっと。ずっと、ずっとよ」

 

 

リヴェンは悲しそうに笑った。花が開く瞬間みたいに赤い唇が歪んだ。

 

 

 

景色が突然ぐちゃぐちゃに滲んで消えて、瞬きした次の瞬間、サキは憂いの篩の前にいた。

 

「……リヴェン・マクリールの言ったことは真実ですか?」

「如何にも」

ダンブルドアは相変わらず穏やかだ。サキはさきほど記憶の中の母が話していた事をゆっくり整理する。

「…未来を知れるだけでなく、過去を改竄できる…確かにそばに置いておきたい魔法ですね、それは」

「その通り。ヴォルデモート自身はおそらく必要としないじゃろう。じゃがヴォルデモートの敵が手に入れた場合厄介な魔法じゃ」

「タイムターナーと何が違うんですか」

「逆転時計は確かマクリール製作の品物のはずじゃな。あれとの決定的な違いは制約がないことじゃ。逆転時計は魔法の込められた砂粒の数で逆行できる時間が変わる。しかしそもそも、君たちの魔法は逆行するという概念にすらとらわれないもののはずじゃ」

「…つまり?」

「マクリールの魔法は時の流れというもの自体から解放される。つまり、ときの流れという川からあがり、好きなように岸辺を歩き、糸をたらせる釣り人じゃ」

「それって…おかしくないですか?だって身体はちゃんとここにあって、毎秒毎時間成長していくじゃないですか?」

「だから君たちはその個々の断絶した身体を血で繋いでいるのじゃよ」

 

ダンブルドアは憂いの篩から液体を掬い上げた。とろとろした液体の中からぼやけた白い糸だけつまみ上げられ、瓶に戻される。

 

「君たちの魔法は人の手に余る。しかし、その魔法を手に入れた時点で君たちは歴史の舞台から消える。だからこそ今まで悪用もされず友好な関係を築いてこれたのじゃ」

「……なるほど?」

 

今までただひっそりと継がれていった魔法はヴォルデモートにより発見されてしまい、ダンブルドアが器と鍵を手に入れた。

その絶妙な力関係が今サキをこの場に立たせている。

 

「校長」

 

スネイプがダンブルドアとサキの間に割って入った。

「もういいでしょう。サキは疲れています」

「待ってくださいよ。それで、脳髄は一体どこにあるんですか?」

「サキ!そんな事知ったってどうにもならない。君はー」

「母が、私に遺したんでしょう?食われるために」

 

サキは止めに入ったスネイプの腕を振りほどいた。バラバラの肉の断面が脳裏に焼き付いて剥がれない。

 

「そうじゃ。儂が持っておる」

「校長!」

 

スネイプが悲痛な声で止めた。

 

「じゃがサキ、君に渡すつもりはない。少なくとも君が大人になるまでは」

「何でですか?だってそれがあれば今日、魔法省に行くのを止められる。ううん、去年ヴォルデモートが復活するのだって止められるじゃないですか!」

「止められるとも。それでも、だめじゃ」

「……何故ですか?」

ダンブルドアはスネイプを横目で見た。視線につられてサキもスネイプを見つめる。

 

「時の流れから解放されるということは…人で無くなるということだ。君の意識は数千年の記憶に晒され、変わり、どこにも居なくなる」

「……母は、いたじゃないですか」

「違う。違うんだ、サキ。君は死よりも恐ろしいことを知らない」

 

スネイプはそれ以上何も言わなかった。サキには全然わからない。数千年という時間も、時の流れとかいうものも、人が人でなくなる理由も。

もどかしい。

その魔法があれば、シリウス・ブラックを救える。

ハリーは絶対彼の死に苦しんでいる。ああ、それにドラコと喧嘩する前に戻れる。

なんならクラウチJrを捕まえて、ヴォルデモートの復活すらなかったことになるのに。

 

死よりも恐ろしいこと。

 

「死よりも残酷で、理不尽なことなんてないじゃないですか…」

 

サキは自分がどうすればいいのかわからなくて、わけもわからず泣き出したくなる気持ちになった。窓もドアもあるのに外に出れない鳥の気分だ。

 

「セブルスが君の保護者じゃ。儂は君に脳髄の在り処を話すことはできん」

「……」

「成人までの一年、よく考える事じゃ。君がこの魔法を継ぐべきか否か」

「…どうでしょうね。ヴォルデモートがそれを許さないかもしれません」

「サキ、君のよき保護者がそれを赦さんよ。セブルスを信じ、よく従いなさい」

サキはスネイプをちらっと見た。

意志の強い黒い瞳が真っ直ぐこちらを見つめ返している。

「サキ…儂はマクリールの魔法は在るべきでは無いと思っておる。それは人が扱うにはあまりに大きな力じゃ。大いなる力の代償は、君のことを大きく傷つけるじゃろう」

 

「それでも…」

 

「今決めても後悔する。そうじゃろう。さあ、今はただゆっくりと休みなさい。そしてじっくりと考えるのじゃ。時間は、若者にとっては時に苦しいくらいにたっぷりとあるのだから」

 

 

 



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16.←ホグワーツ急行

サキはあの日以来誰の前にも現れなかった。

 

魔法省が例のあの人の復活を大々的に報じ、神秘部に侵入した死喰い人を一斉逮捕した日以来、一度も。

 

ハリー・ポッターが魔法省にいた事は新聞各社の興味を激しく惹き、様々な情報が錯綜した。カストリ雑誌に情報を売る生徒もいるせいで、あの夜誰が神秘部にいたのかやホグワーツ内で何が起きたのか真偽の定かでない記事が乱発した。ついでにアンブリッジの横暴の数々も主に女性誌を騒がせ、井戸端会議に花を添えた。

 

その無責任な噂の中にはサキ・シンガーも捕まったのだ、とかもあった。

 

誰かが興味本位で噂の真偽を聞いてきても、ドラコ・マルフォイは全てに対して「わからない」としか答えようがなかった。

サキは確かに魔法省に行ったはずだ。なのに戻ってこなかった。スネイプもサキは無事だとだけ告げ、居所については何も教えてくれない。

父上は捕まり、親が死喰い人のスリザリン生は白い目を向けられるようになった。

 

…もしサキが捕まっていたとしたら…闇祓いに酷い扱いを受けてるんじゃないだろうか。

 

ドラコは歯噛みする。サキとは喧嘩して、もう半年近く喋ってない。それなのにこんなに心配しなくちゃならないなんて…

 

サキは僕じゃなくてポッターを選んだ。

 

必要の部屋から逃げ出し、サキがおとなしくお縄を頂戴したときからもう二人は袂を分かったのだと思っていた。アンブリッジの部屋に押し行ったサキの杖先が、パンジーたちの次に自分に向いていたのがわかった。

 

もう完全に、彼女と共に過ごす毎日なんてこないんだと思った。

 

それなのにどうしてまだ胸が痛いんだろう。

 

6月の終わり、終業式にさえサキは来なかった。

生徒たちの間では死亡説すら囁かれ始め、サキのベッドはいつの間にか空になったという。

 

ホグワーツ駅へ向かう生徒たちの金や茶の頭がぞろぞろと連なって、初夏の匂いのする森の中を抜けていく。

 

ドラコはほとんど最後尾で後ろ髪を引かれる思いをしながらホグワーツの城門をくぐった。

クラッブ、ゴイルもいつも通りガーゴイルみたいにのそのそと着いてくる。

駅に向かうにつれ憂鬱になった。荷物を積み込む人で溢れてるし、動物臭いし、ガヤガヤうるさい。休暇の予定を楽しそうに話すやつや、噂話に精を出すやつ。みんな新聞でしか読んでない出来事についてまことしやかに囁きあう。

うんざりだ。

 

「……やあ」

 

ふいに、人混みの中にやけにすいてる柱が見えた。その中心にいたのはサキだ。喪服みたいに真っ黒な服を着たサキが、柱にもたれて立っていた。

 

「元気してた?」

「な………」

「背、伸びた?髪切った?ちゃんと食べてる?いえーい」

サキはピースサインをしながらふらふらと寄ってきた。ドラコはかける言葉を失ってわなわな震えながらサキの顔を真正面から見た。

 

「ごめんね」

 

サキは一言謝って頭を下げた。

ドラコはなんとか言葉を絞り出す。周囲の生徒たちがこっちを見ている。

 

「許す…わけないだろ。君、僕がどんな思いで…」

「だから、ごめん。謝ってすまないならなんでもする」

「……とにかく来い。こんなところじゃ見世物だ」

 

ドラコはサキの腕を引っ掴んで荷物を乱暴に預け、空いてるコンパートメントを探した。ほとんど埋まってるので無理やり下級生を退かしてブラインドを下ろす。

ドラコは大きなため息をついて腰を下ろした。

 

「……それで。何について謝ってるんだ」

「全部だよ。私、君の気持ちを蔑ろにしてた」

 

サキを見つめる。マジマジと正面から見るのは久しぶりだった。なんだか窶れて見える。

濃い影の中に沈む春の新芽みたいに、今までサキが持ってた輝きが塗りつぶされてしまったみたいだ。

 

「他にもあるだろ。今まで何をしてたのか…とか、その…魔法省で何があったのか、とか」

「ああ。今までは、そうだね…まあ端的に言うとキャンプしてた」

「なんだって?キャンプ?」

「野宿の進化系だね。朝から晩までずーっと森にテントを張って過ごしてたよ」

「10日近く?」

「実際には一週間かな。怪我とかもしてたから数日医務室とかにいた」

「ばっかじゃないのか?!」

「いや、だってみんなの前に出るの怖くて…」

「それで駅であんなに目立っちゃ意味ないだろうが!」

「そんなに目立ってたかな…まあ結果的に顔出さないせいで余計に注目をひいちゃったみたいだね」

「本当に君って底抜けの馬鹿だな」

「酷いいいようだ…」

「僕にはそれくらい言う権利がある」

 

ドラコのいつも通りの呆れた言い方に、サキは小さく笑った。

「そうだね…ごめん」

「足りないよ、そんな言葉じゃ」

「そうだよね」

「…聞かせてくれよ、何があったんだ?……父上と会ったのか?」

サキはちょっと考えるように目を伏せて、ドラコを気絶させてからのことをイチから順に話し始めた。

神秘部の奥でルシウスら死喰い人と遭遇し、シリウス・ブラックが死んだこと。そしてベラトリックス・レストレンジを追いかけてヴォルデモートと遭遇したこと。

話してくうちに列車は蒸気を吐き出してホグワーツ駅から出て、ゴトゴトと車輪がレールを走る振動が伝わってくる。

 

「あの人に連れ去られたのか」

「うん。まあそれで、ドラコの家に久々にお邪魔しましたって感じ。そこにルシウスさんが逃げてきて…まあ色々揉めた」

「それで…?」

「スネイプ先生が来てくれて帰ってこれた」

「スネイプが…いや、だとしても君をただで返すわけ…」

「そうだよ。だから今年の夏はきっと、君の家にたくさんお邪魔することになるんだろうね。…ごめん」

 

それはつまりヴォルデモートが屋敷に訪れることを意味している。

共に逃亡したベラトリックスが母、ナルシッサの姉である以上ある意味当然の成り行きではある。

当然ダンブルドアもそれは承知のはずだ。スネイプはスパイだが、一体何を思ってサキをヴォルデモートから取り返してきたんだろうか?

サキをどうするつもりなんだろう。

 

「ダンブルドアは、君に何か?」

「よく考えなさい、ってさ」

「なんだそりゃ。どっちに付くかってことか?」

「んー。まあそういう事に、なるのかな…」

「………君、自分の置かれた立場はわかってる?」

「あー、あの人は別に、私にこれっぽっちも親子の情とかは持ってないよ?念のため。…でも、そうだね。もうハリーたちとは遊べないな…」

ハリー・ポッターの名前が出て、ドラコの眉がピクリと動いた。

 

「だから、僕のところに?」

「んー、ないとは言えない。けど一番の理由は贖罪かな」

「贖罪?」

「そう、ドラコ。これが一番謝りたいことなんだけどね…君は人質なの」

「人質?」

「私が逆らうと、君が殺される」

「…僕が?」

「咎人との息子なんて人質にうってつけじゃん?ほんと何様のつもりなんだろうねあのハゲ」

サキは力なく笑う。

「全く笑えないんだが」

ドラコはまさか自分の命がヴォルデモートの手のひらの上とは想像していなかったので、突然氷をかけられたみたいに背筋が凍った。

 

「本当にごめんね」

 

サキは深々と頭を下げて謝った。

膝頭にポタポタと水滴が落ちる。

サキのせいなんかじゃないのに、泣きながら謝った。

 

「ごめんね」

 

 

誰のためにか、謝った。

 

 

 

 

 

 

…………

 

 

「ダンブルドア、貴方は塔の上から落ちて死ぬはずだわ」

「死ぬ"筈"というのが少し気になるの」

夜の館で、主の入れたお茶を飲みながら茶請けをつまむ。二人の持つ雰囲気からはおよそかけ離れた和やかな紅茶の香りが部屋に満ちた。

「わからないのよ。私が死んだあとの記憶は改竄されるかもしれない。私という意識は知り得ない」

「…君の、時間の流れから解放される魔法にも時間の制約があると?妙な話じゃな」

「世界を時間で捉えるから混乱するのだわ。本を読む時逆から読めても別の結末は読めないでしょ」

「つまり君はパラレルワールドを観測できるわけではないのじゃな」

「あら。マグルの本も読むの?話が合いそうね…」

「お褒めに預かり光栄じゃ」

「あなたの言うとおり。1998年まで何度も繰り返したけど…結末はどれも私の望むものじゃなかった。私にはもう過去を変える力がない。私の脳は、もうだめね」

 

「…あえて聞くが、なぜ君は君の見えてる未来で満足しなかった?マクリールの一族は少なくとも、きみより永く生きて死んでいるはずじゃ。大幅に命を削ってまで変えたい未来とは、一体どういうものかの」

「あら、野暮なことを聞くわね。命をかけるに値するものなんて愛した人とか家族とか、そういうのに決まってるわ」

 

ダンブルドアはさっきまでリヴェンが抱いていたそれを見た。

バスケットにほぼモノ扱いされて放置されている産着を着た赤ん坊。すやすやと寝息を立てておとなしく眠っている。リヴェンが母としてこの子を抱く姿を先程見たというのに、とても信じられない。

それもこれも、この女がもう人とは程遠いものと知っているからなんだろう。

ダンブルドアはまじまじと彼女を見た。美しい死にかけの女。彼女が死んだら、その美しい死体を切り刻み、脳髄のある部分を取り出さなければいけない。

「その子の名前はなんというのかの」

「名前?ああ…順番だとセレンだけど…つまらないわね。そうね。考えておきましょう」

リヴェンはチラ、と赤ん坊を見てすぐ興味を失ったらしく紅茶をもう一杯ついだ。

「けれどもあなたの死はどうあがいても変えられないわ」

「なぜそう言える?」

「あなたの死は無茶をしないと変えられないわ。無理してあなたを救ったとしても脳が保たない」

「…脳?」

「あら、ダンブルドアともあろう方が脳について何も知らないなんてないでしょう」

「君たちの魔法はあまりに常識外れなものじゃからのう」

「ふうん。かんたんよ。肉体には寿命がある。脳もたくさん使えばすぐ寿命が来る。それだけ」

「じゃあ君が死ぬのも、脳の寿命で?」

「そうよ。もう限界だわ」

リヴェンは紅茶を啜る。

「……私は、リヴェン・マクリールだった。けれどももう、わからなくなってきた。私が何のために過去を変えてきたのか。だからきっともう、死ぬんだわ」

「………未来は、君の思うように変えられたかの」

「いいえ。…それはこの子に任せるわ」

「言葉で伝えなくていいのかね?遺書やそういうものは…」

「必要ないわ。私を食べればすべてわかる」

「君を食べなかったら?」

「それならばそれでいいの。だってこの魔法は呪いだもの…愛する人がいても、リヴェン・マクリールという人格はどんどん変わって、何千年もある記憶の中を彷徨い続け、体験し、何回も違う生を生きるのよ。そこに終わりなんてない」

リヴェンは遠いところを見るように目を細めた。

 

「でもようやく終わる…私は消えるわ。雨の中の涙のように」

 

言葉通り、リヴェンは死んだ。眠るように横たわる彼女は、脳だけがズタボロだった。

何かを変えようとして、それで死んだのかもしれない。けれども観測者でないダンブルドアに、彼女が何を変えたのかはわからなかった。

空っぽの部屋で、ダンブルドアは約束通り彼女の体にメスを入れ、分解し、脳髄を取り出した。

 

胎児のようなそれを瓶に詰め、上から布をかける。次に来るであろう人物のために、彼女が用意していた手紙をおいた。

 

脳髄の正当な持ち主、セブルス・スネイプのために。

 

ダンブルドアは屋敷を立ち去った。

そして、名前のないその子を孤児院のドアの前において靄の立ち込める冷たいロンドンから、ゴドリックの谷へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




不死鳥の騎士団編完


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謎のプリンス
01.Funny games


魔法省での戦いの後、サキは禁じられた森の中でキャンプをしていた。

ただ漠然と、一日の大半をハンモックの上で寝て過ごしていた。

 

合わせる顔がない。

 

結果的に魔法省ではメンバーに怪我を負わせ、騎士団にも死人が出た。全て「私が魔法省へ…」と言った結果だ。スネイプはヴォルデモートに大きな貸しを作ってしまいドラコは私の行動を縛る人質にされた。

知りたくなかった事実を知り、バラバラになった母親の肉体を食わされかけた。

 

すべてをもう一度やり直せたらー

 

そう考えてしまうのも無理ないだろう?

だって実際に過去をやり直す魔法を使う資格を備えてるのだから。

人はいつだって、失くし続けている何かを追いかけてる。

その影に囚われ続けている。

 

「…ん」

 

ハンモックがゆれた。いや、縛ってある木が揺れている。禁じられた森のなかとは言えまだまだ城に近い場所だ。危険な生き物はめったに来ないはずだが…。

サキはハンモックから降りて一応杖を構える。

地面の振動はどんどん近づいてきていた。

木々のすぐ向こうに、何か影が見えた。逞しい脚と美しい髪…ケンタウルスの群れだ。

こんな近場まで来るのは珍しい。

アンブリッジをボコしたと聞くが、その怒りがまだおさまってないんだろうか?だとしたら面倒だ。

 

「人の子よ、何故ここに」

 

案の定、群れの最後尾にいた一番精悍なケンタウルスが話しかけてきた。

 

「ええと、はじめまして。考え事があって…」

「……森は我々の縄張りだ。ホグワーツの生徒とは言え身の安全は保証できん」

「あともう少し、居させてもらえないでしょうか。居場所がちょっとなくって…」

「居場所?半径100メートルを呪文で守られていてなお居場所がないのか」

「は?呪文がかかってるんですか?ここ」

「そうだ。それで迷惑している」

「それは…申し訳ありません。知らなかったんです」

もちろんサキに呪文をかけた覚えなんかない。となるとダンブルドアかスネイプの仕業だろう。過保護にも程がある。

「お前は…見覚えが、ある。マクリールの者か?」

「……そうです。母をご存知ですか?」

「いや、お前の曾祖母を知っている。…そうか、マクリールの子ども。ケンタウルスのように星を眺めても得るものは何もない」

「はは、そうですよね」

「だから早く城に戻るのがいい。人と共にいなさい…少なくとも今、お前は人なのだから」

 

ケンタウルスはいつも煙に巻くことをいう。

だからあまり、好きじゃない。

 

 

母の姿を見てからまた鏡が嫌いになった。多分髪の毛はぐちゃぐちゃなんだろうけど森で暮らす分には苦労しなかった。しかしスピナーズ・エンドではそうはいかない。

ため息をついて鏡を覗くと、憂鬱な顔をした自分がいた。

 

またここで夏休みを過ごすことになってしまった。

しかも…

 

「ちょっと!なんで食べ終わった食器そのまんまにしてるんですか?!」

「……ああ?ああ、今やろうと…」

「うるさい!邪魔!人間の姿にならないでください」

ピーター・ペティグリューとかいう余計な同居人までいる。元スキャバーズといったほうが身近に感じられるけど、このずんぐりむっくりしたおっさんをロンが愛でてたという事実がチラつくので、ヴォルデモートに倣ってワームテールと呼ぶことにしてる。

 

「先生は?」

「さあ…」

「ちょっと、あなた曲がりなりにも監視役なんでしょ?仕事してくださいよ」

「うるさい。ぴーぴー喚くな。…だから嫌だったんだ…」

「うっさいなぁ…役立たずは通報しますよ」

はじめこそ怖がっていたのだけれども、過ごしているうちにあんまり怖くなくなってきたので最近はぞんざいに扱っている。

ワームテールは長らくねずみだったせいで文化的生活能力がなさすぎる。食器も洗わないし洗濯もできない。

水回りの掃除を頼んだら塩素ガスを発生させかけたので掃除も任せられない。

「イライラする…!」

「わ、私に当たるな!」

スネイプは相変わらずなんだか忙しそうで家にあまりいない。

 

「君は何もしなくていい」

 

スネイプはまずそう言った。

「闇の帝王が何をしろと言っても、ダンブルドアに命じられても、何もしなくていい」

「何もするな?」

「そうだ。何もするな」

「頭ごなしに言われても納得しかねます」

「……わかるだろう、サキ。君を戦いに巻き込みたくない」

「何馬鹿なことを!とっくに巻き込まれてますよ?」

「君に、母親を食わせたくなんてないんだ!」

 

サキはヴォルデモートにもダンブルドアにもマクリールの魔法を使うことを要求されている。サキが戦いに参加すると表明することはそういうことだ。

少なくともダンブルドアは成人までは参加を許さないだろう。けれども時間の問題だ。ダンブルドアはマクリールの魔法を欲している。

 

「…確かに…人肉食なんて気持ち悪いですよね…」

「……ああ。そうだ」

「……でも」

「ダメだ」

「わからずや!」

 

スネイプはどうしてもサキに魔法を受け継がせたくないらしい。サキはその理由がまだよくわからない。

サキはすることもないのでロールキャベツを黙々と作った。最近は暇なのできちんとレシピを見て作っているおかげであまり失敗はしない。

にちゃにちゃと肉を捏ねてると母のバラバラ死体が脳裏によぎる。それでも心が動かないくらいには感情が麻痺している。

 

何もするな。

そんなことできるわけないじゃないか。

先生は何もわかってない。

 

サキは袋小路の街に閉じ込められていた。

去年のハリーのように。

ハリーたちから手紙が山ほど届いてた。けれども一通も開いていない。

なんだか自分だけ別の世界に来てしまったみたいでまともに向き合えなかった。

魔法省での戦い以降ちゃんと会って話したのはドラコくらいだった。

 

「君を許すか許さないかはもう少し考えさせてくれ」

 

ホグワーツ急行を降りるとたくさんの親が子供との再会を喜んでいた。例のあの人が復活した今、我が子に会える喜びは一入だろう。

「何も憎いってわけじゃない。…ただ、考える時間がほしい」

そう言ってドラコは迎えに来たナルシッサと共に帰っていった。

 

それから一週間音沙汰がない。

 

「はあ…」

ワームテールは昼間からぐうたら寝ているし、テレビはつまらないし日刊予言者新聞もクィブラーも読んでしまった。書斎に置いてある本は去年あらかた読んでしまった。趣味の小物づくりをしようにも材料がない。

ないない尽くしだ。

ロールキャベツを作り終え、残りは冷蔵庫に入れて置く。自分で食べるぶんには気にならないのだが、心なしか味もないような気もする。

 

深夜になってもスネイプは帰ってこない。サキはぼんやりとマクリール邸から持ち出した資料をまた捲っていた。

歴史マニアなのかと思っていたけれども、記憶を引き継ぐ魔法が使えるなら実体験を書いているのかもしれない。食人族の旅行記なんかは細かく読んでいなかったけれども、この東部戦線に関する覚書と題された論文を見るに、見聞きしたことを中心に話が進み、余白に細かく史実が書かれているらしい。食人族旅行記もこの調子ならかなり面白いんじゃなかろうか。

神秘部で見た図書館の本がマクリールの一族の書いたものだとしたらかなり詳細な当時の日常が書かれてるはずだ。何冊か盗んでくるべきだった。

もう一度、マクリールの隠し部屋に行きたい。

 

ドアベルが鳴った。

 

サキは立ち上がりドアの方へ駆け寄ると、スネイプが疲れ切った顔でマットを踏みしだいていた。玄関の前の大きな水溜りに足を突っ込んだんだろう。

 

「なんか食べます?」

「…いや、なにか飲み物を」

「はあい」

 

起きてたことに突っ込まれないあたり、今日は何か大変な仕事があったんだろうと推測できる。いつもならいいから寝ろとベッドに追い払われるのに。

 

庭に自生してるハーブを使ったお茶を出した。

先生はいつも苦い顔をしているせいなのかわからないが苦いお茶が好きらしいのでとびっきり濃くして出した。

案の定口に含んだ瞬間ものすごい渋い顔をしてカップを置いた。

 

「……きつけ薬のつもりでこれを?」

「まあそうです」

「……」

「…お湯で割ってください」

サキはぞんざいにお湯の入ったポットを指差した。

なんだかいつもより反応が鈍い。ここまでくれば何かあったに違いないのだけれども先生は基本的に何も教えてくれない。

「大丈夫ですか?なんだか土気色ですよ。ってまあ先生はいつも顔色悪いですけどね!」

と探りを入れてもスルーだ。

「……ええと…」

なんとか話題をつなげようとしても駄目だった。今日やったことといえばロールキャベツと掃除と読書…もう一週間同じ話題しか提供できていない。

 

「もういいから、眠りなさい」

 

「……はい」

 

サキはおとなしく引き下がった。なんとなく自分じゃ癒せないトラブルに見舞われたんだなと思った。

自分にとって先生はたった一人の身内で、秘密の共有者だった。でも先生にとってサキはそうじゃない。こういうときはいつも、子供の頃孤児院のそばの公園に立っていた狂人を思い出す。鳩を飼いならした狂人は鳩にいっつも戦争のはなしをするのだ。当時の政権を非難する文句をずっと、ずっと鳩に聞かせている。

サキの場合、それとは逆で周りは全然変わってないのに自分だけすっかり変わってしまったみたいで居心地が悪かった。ある日突然服を着てないと気づいたアダムとイブみたいに、自分を取り囲んでいた常識だとか安全だとかが一夜にして消え去った。

 

人間は神に守られていたのではなく恐れられていたのだ。と、三文雑誌の記者はいった。

 

サキはそんな事を思いながら、汚れた窓の外、闇夜に浮かぶ廃工場の虚ろな煙突を眺めて眠りについた。

 

 

 

同じ頃、ドラコは苦境に立たされていた。

 

 

父親がいなくなった家はどこか頼りなさげで、物憂げに座り尽くす母にかける言葉もなく、ドラコはただ一人の男としてできることを見つけられなかった。

周りのすべてが変わってしまった。

叔母のベラトリックスは闇祓いに追われ屋敷の地下室に潜伏している。もとより気性が荒い女だったが閉じ込められてるぶん余計に苛立ってるようで日常会話ですら成り立たない。

 

それどころか、学校が終わって1週間しかたってないのに例のあの人からお呼びがかかった。

 

それを告げられた時の母上の悲痛な顔は今まで見たことがないほど痛ましいものだった。

 

空が深い藍色になる頃にドラコは母親とともに屋敷の広間であの人の到着を待った。死刑を待つ囚人のような気分で、扉がひらくのを待つ。

ベラトリックスは普段とは打って変わって上機嫌で首を長くしてあの人の来訪を今か今かと待っている。

 

いつか見える時が来るとは思っていた。しかしこんな形でー父上の失態のあとにー会うことになるとは思っても見なかった。

まだサキのことについて整理がついていないのに次から次へと悩ましい出来事が積み重なっていく。

 

ようやく扉が開いて、夏の夜のすこし湿った空気が流れ込んてくる。

 

 

「我が君…」

 

ベラトリックスのうっとりした声がした。

ヴォルデモート卿

初めて見る彼は氷のような冷気を纏い、冷徹な笑みを浮かべていた。それは思い描いていた闇の帝王そのもので、なんだか頭の中を覗かれたみたいな薄ら寒い気持ちになる。

 

サキの言う事が本当ならば、ドラコは彼に命を握られているに等しい。そしておそらく父の失態の責任を取らせようとするはずだ。

母上が最も恐れていることがそれで、闇の帝王はその恐れを的確に見抜いているはずだった。

 

「ああ、ドラコ。立派になったな」

 

「わ、我が君。もったいなきお言葉です」

 

声が上ずった。動揺も恐れも隠すことができない。そんな萎縮したドラコを見て闇の帝王は嗤った。

「そう緊張するな。さて…俺様は忙しい。手短にすませよう」

闇の帝王はドラコを見据える。その鋭い赤い瞳と、まともに目を合わすことができない。

ああ情けない。サキは怖くなかったんだろうか?

 

「精一杯奉公いたします。父上の名誉を挽回するためにも…」

「良い心がけだな。…さて、ドラコ。お前に重要な任務を与える。お前の父親が失敗した任務だ」

「はい」

母上がぎゅっと唇を真一文字に結ぶのが見えた。握りしめた手が震えてる。

「ダンブルドアが隠し持っているあるものを盗み出すのだ。それは俺様の計画を大いに狂わせる可能性がある」

「ダンブルドアから、盗む…?」

ドラコは耳を疑った。いくらホグワーツの生徒とは言えダンブルドアからものを盗み出すなんて正気の沙汰じゃない。不可能だ。

「ああそうだ」

「そ、そのあるものとは…」

「脳髄だ。ガラス瓶に詰められた脳…もしくはその脳の一部」

「脳?!あ、いや。かしこまりました。必ずやお持ち致します」

ヴォルデモートは冷酷に笑った。

 

ああ、この人は初めから成功するなんて思っていないんだ。

 

この人は初めから父上を許すつもりなんてない。

失敗すれば僕は殺される。

そして母上と父上は嘆き悲しむ。

サキの人質どころじゃない。死にものぐるいで頑張っても僕は…

 

 

 

青ざめた顔をしたマルフォイ親子を置いて、ヴォルデモートは夜の闇に消えた。

 

ドラコに与えた任務の成果はどっちでもいい。

失敗したらルシウスへの罰になり、仮に成功したらサキ・シンガーの利用価値が上がる。それだけのことだ。

ドラコはサキに助けを求めるだろう。しかしドラコの成功とはサキ・シンガーの自我の死を意味する。サキはほとんど間違いなくドラコの命を優先しダンブルドアから脳髄を盗み出すことに協力するはずだ。

セブルスはドラコとサキを天秤にかけざるを得ない。

 

どう転んでも愉快な結果になることは変わらない。



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02.幼年期の終わり

時間について考える時間はたっぷりあった。

なんて言うと言葉遊びみたいでいかにも頭が良さそうだが、要するにぼーっと物思いにふける時間が山ほどあったということで何か有意義な新発見があったわけでもない。

だがひとつだけいいことがあった。

マクリールの館に立ち入る許可が出たのだ。

闇祓い同伴だけれども本を持ち出すことができれば時間が潰せる。

 

「…先生。先生ってば」

「……なんだ?」

 

先生は眠そうな目を瞼の上から揉むように手を当てていた。

 

「今日、一緒に来ますよね?」

「いや、君一人で行ってくれ」

「ええ?いいんですか?超危険なことするかもしれませんよ」

「外せない用事がある」

「そんなぁ…」

 

サキはしょぼくれたが、その程度で予定を変えてくれる人ではないので無駄な駄々をこねたりはしない。

早々に支度して闇祓いとの待ち合わせ場所に行くためにバス停へ向かった。外はあいにくの雨で、乗車率はいつもより高い。ただでさえ時間通りに来ないバスは運行表を無視してノロノロと駅へ向かう。

ロンドン、キングスクロス駅。

魔法使いの待ち合わせスポットなだけあって奇抜な格好の人が多い。というのも魔法使いはどうもマグルのファッションセンスがわからないらしく、無理にマグルらしさを追求すればするほど奇妙な格好になるからだ。

そんな中で草臥れたマグルに擬態したルーピン先生を見つけるのはかえって容易だった。

草臥れてるのはもとからか。

 

「こんにちは」

「ああ、やあ。久しぶりだね」

 

ルーピンとは魔法省での戦い以来だった。

スネイプ先生がサキを一人で出かけさせたのも、同伴者がルーピンだからなのだろう。

 

「調子はどう?」

「普通ですね。ルーピン先生は?」

「はは…先生はやめてくれって。まあ峠は越えたかな」

「ああ、満月…」

 

二人連れ立って歩き、駐車場に止められた車に乗った。驚いたことにルーピンはマグルの免許を取っていて普通にマニュアル運転をこなしていた。

道の凹凸が増えてくにつれ、マクリールの館がある森に近づく。

 

ルーピンとは学校のことやふくろう試験のことを話した。魔法省での戦いのことはあえて触れなかったが、お互い気にしいだからなかなか言い出せないもどかしさが車の中に充満していった。

 

「…ところで、ハリーが会いたがっていたよ」

「そうですか」

「うん。手紙で君のことを伝えても?」

「いいですよ。…ハリー、元気ですか」

「私よりは元気さ」

 

車が目的地につく頃は、もうお昼時も過ぎていた。獣道を進むと、廃墟にしか見えない館が見える。立入禁止の看板を越えてルーピンが複雑な呪文を唱えると錠が開く。

 

「私が常に横にいなきゃいけない決まりだけど、あまり気にしないで」

「やましいことはしませんよ」

 

館は全然変わってない。でもやっぱり植物は好き勝手に伸びてるし風雨に晒された雨戸は厚い汚れの層ができている。掃除は嫌いだけどこういうゴツい汚れを落とすのは好きだ。まあ今日はそんな時間はない。

さっさと屋敷の中に入って目的の部屋へ行く。

母の部屋は相変わらず清潔だった。ルーピンが見ているのも構わず本棚の中の隠し部屋に入る。(どうせ知ってるだろうし)

脳髄のイラスト、図版、本。とにかく脳に関して書かれたものを片っ端からファイルにしまう。

「それ、検知不可能拡大呪文?」

「そうです」

サキはドヤ顔で頷いた。結構難しい呪文なのだが古い紙束は異状にかさばる為必要に駆られて習得した。

「3年生のときも思ったけれども、君は本当に呪文が上手いね。ふくろう試験の結果が楽しみだ」

「あ…その話はやめてください。めまいが」

「はは。邪魔してすまない。どうぞ続けて」

ルーピンに褒められて作業の手も早まる。閉ざされた棚の中には想定してたよりも本がたくさんあった。その中の鍵が壊れて隙間が空いた棚に手を突っ込んだ途端、指先に鋭い痛みが走った。

「痛っ!」

慌てて引っ込めると、薬指の内側に釘を引っ掛けたような傷ができていた。血がドロドロと傷口から流れている。

棚の扉を開けると、大きな釘がこちらに向けてはみ出していた。

「危ないな」

サキはムカムカしつつ、中にあったたった一冊の本を取り出してトランクに放り込んだ。

ルーピンが出してくれた絆創膏をはって作業を再開する。

夕方になって、これ以上は泊りがけになってしまうからと作業を終わらせた。

軽く庭掃除をしていたらあっという間に日が暮れた上に汗だくになってしまった。

ルーピンは帰りはスピナーズ・エンドの入り口まで送ってくれた。行きの倍以上重たいトランクを抱えてるので非常に助かる。

 

「ただいま」

 

霧越しに濁った薄明かり。玄関先のオレンジ色の防犯灯がぼうと闇に浮かんでいた。おかえり、の声はない。

スネイプは不在だった。なんだ、外せない用事がこんなに長引くとわかっていれば外で食べてきたのに。

サキはぴーぴー言いながら死ぬほど重いトランクを二階の仮住まいに運んだ。

こういうときにワームテールは顔を出さない。割り当てられた部屋で何してるんだか知らないが、面倒ごとを頼みたいときに限って沈む船から出ていくネズミみたいに姿を消すんだ。

 

りーん…

   ごーん…

 

2つのトランクを運び終えてからもう夜七時くらいなのに呼び鈴がなった。

 

「…あーもう」

 

本当ならばシャワーをすぐにでも浴びたいのに。なんてタイミングの悪い…。

とは言え、めったに来ない来客だ。ヴォルデモートの使いかダンブルドアの使いかわからないが、どっちかの何かに違いない。

 

「はいはいはーい。どうも、主人は留守ですが」

 

おざなりな文句をいいながらドアを開けると、予想外の人物が立っていた。

 

「セブルスはいないの…?」

「ナルシッサさん…」

 

サキは言葉を失った。ルシウス投獄に関しての負い目…と言ってもルシウスの自業自得なのたが…があるので気まずい。それにものすごく不機嫌そうなベラトリックスまで後ろにいるじゃないか。

 

「と、レストレンジさん。こんな素敵な夜にどうしました?」

「セブルスが居ないのなら無駄だ。帰ろう、シシー」

「セブルスは…いつ帰るの?」

「すみません。わからないんです」

 

ナルシッサは頬がこけていていつもの青白い顔は前にもまして死人に近づいていて、素人目から見ても栄養を取ってないのが見て取れる。そんな弱々しい婦人をしとしとと雨のふる悲しい袋小路に置きっぱなしにできるだろうか。

 

「上がってお茶でも飲みます?」

「シシー!」

 

ベラトリックスはシューッと威嚇音を出して拒否の意を示したが、ナルシッサは余程の決心でここに来たらしい。それでは、と上がっていつもの気取った雰囲気も置き去りにして居間の椅子に座り込んだ。

「……れ、レストレンジさんもどうぞ…」

ベラトリックスにもお茶を出したがカップの存在ごと無視された。

まあ仲良くしようって態度で来られても困るのだが。なんせ彼女はシリウス・ブラックの仇だ。

サキはシリウス・ブラックとの関わりが薄いから平静でいられるけれども、ハリーの気持ちを思うと今ここで毒殺でもしてやりたいくらいの悪人だ。

ああ、でもそんな事をしたら人質のドラコが殺される。

 

ドラコ…。ドラコはナルシッサがここにいる事を知っているのだろうか?

 

それとなく聞いてみたいが今の彼女は触れたら崩れる氷細工みたいなので変に触れられない。今はただスネイプの帰りを待つしかない。

 

祈るようにして沈痛な無言の海に浸っていると、20分程で玄関のドアが開く音が聞こえた。

スネイプが帰ってきた。サキは慌てて玄関に駆け寄り今の状況を説明した。

 

「君は部屋にいたまえ」

 

とスネイプは言ったが従う気なんてサラサラない。帰ってきた疲れ目のスネイプにナルシッサは縋り付くように跪いた。

「ああ、セブルス…どうか助けてください。ドラコ…ドラコが」

「やめな!」

ベラトリックスが怒鳴った。ドラコと聞いたらもうサキとしては下がるわけにもいかない。いくら睨まれても出ていかないぞという意味を込めてすぐそばの椅子にかけた。

「ドラコがどうしたんです?」

「…小娘、お前はあっちへ行きな!」

「私にも無関係じゃないですよ。指名手配中で表に出れない貴方よりは役に立つと思いますが」

「貴様!」

ベラトリックスは腕を振り上げてサキの頬を叩こうとする、がスネイプがそれを遮った。

「軽率でしたな、ナルシッサ…サキがいる前で」

「ごめんなさい…。サキ、私はそれでも…貴方にも協力してほしいと、考えています」

「私に協力?」

「駄目だシシー。闇の帝王はそれをお望みではない!お前は恥を上塗りする気か?」

「ドラコの為ならいくらだって恥をかきます!」

ナルシッサは怒鳴った。似てない姉妹だと思っていたけれども、罵声はなんとなく似てるかもしれない。ベラトリックスの喉が鳴った。

 

「…ドラコは、私の人質ではないんですか?」

「あなたの人質でもあり、私達の人質でもあるのです。闇の帝王は…ある任務をドラコに任せました。それが…」

「ナルシッサ、口にする前にもう一度考え給え。闇の帝王はこの任務が公になることを望んでいない」

「でもあなたはご存知でしょう?」

「…幸い、な。もし我輩の知らぬ情報だとしたらなおさら問題だ。あなたの忠誠心にも関わる…」

「あなたは闇の帝王からの信頼も厚い。だいたい、そんな事はいいのです」

ナルシッサは有無を言わせぬ口調でスネイプの目を見た。鬼気迫る母親の決死の判断。

 

「貴方に、誓ってほしいのです…」

 

 

 

 

 

先生は破れぬ誓いというものを結んだ。

ドラコが失敗したらスネイプ先生がその役目を引き継いで闇の帝王からお許しをいただくらしい。

 

「で、任務ってなんなんですか?」

 

サキは弱々しくなったナルシッサと相変わらず敵意むき出しのベラトリックスを玄関先まで送ってからスネイプに詰め寄った。

 

「とりあえず…座れ」

 

サキはさっきまでナルシッサが座ってた椅子にかけた。ちょっと温かい。

「闇の帝王はドラコにダンブルドアからあるものを盗めと命じた」

「あるもの?…あ、待ってください当てますから」

「脳髄だ」

「言おうと思ってたのに!」

「当然闇の帝王も成功するなどとは思ってないだろう。つまり…ナルシッサの心配どおりだ。このままだとドラコは殺される」

「でも…成功すれば私はお母さんを食べなきゃいけない。というトレードオフが起きてるわけですね」

「そうだ。全く度し難い」

スネイプは長い指で眉間を押さえた。表面的な言葉ではなく心から度し難いと思っていそうな渋い顔だ。

 

スネイプは私に母を食わせたくない。

私はドラコに死んでほしくない。

 

「…ヴォルデモートが例のあの人と恐れられるのもわかりますね。あの人は強いだけじゃなく残酷です」

「ああ、恐ろしい人だ」

「……私は、ドラコが殺されるくらいなら母を食べます」

「いいや。絶対にダメだ」

「もう。なんでそんなに反対するんですか?!」

「君は感情だけで決めようとしている。きちんとあの魔法のことを知るのだ。知ってから判断してほしい」

「……ダンブルドアと同じこと言ってる」

「勿論、君が知った上でも我輩は反対するだろう」

「でもどうするんですか?破れぬ誓いを結んだ以上、先生はドラコに協力せざるを得ませんよ?」

「わかっている。考えはある…が、何れにせよ時が来るまで待つしかない」

「はー、時が来れば来ればって。大人はしりませんが私たちには一週間だって永遠に感じるんですよ」

 

サキは文句を言ったが特に反論はなかった。というかスネイプは何かを考えてるのか反応が鈍い。中に浮かんだ会話を締めるようにサキは冗談を付け加える。

 

「……泥棒かぁ。慣れてるけどダンブルドアだもんなぁ…」

「慣れてる?」

「あ、失言」

 

 



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03.皆殺しの天使

サキ・シンガーは次の成績を修めた

 

天文学 落第

薬草学 優

魔法生物飼育学 可

魔法史 トロール並

呪文学 優

魔法薬学 良

闇の魔術に対する防衛術 良

変身術 良

占い学 トロール並

 

サキは成績表を見て胸をなでおろした。少なくとも落とすまいと決めた教科は落としてないし、優が2つもある!

トロール並とかいう文字は見なかったことにして、サキはるんるんで成績表を大切なもの入れにしまった。

随分明暗はっきり別れた結果となったが、まあ希望の科目は続けて受けられるし良しとしよう。

 

それにしてもノートまで借りた魔法史があんな成績だとダフネに頭を下げた意味がなくなってしまう。まあ別に過ぎたことはもういいんだけど。

 

もし母の魔法を継いでれば満点が取れてたんだろうな。だって魔法使いが生まれてからすべての記憶を受け継いでるっていうし。

それって何年くらい前なんだろう?

サキは魔法史の教科書をトランクの底から引っ張り出してめくった。…残念ながら時代を遡れば遡るほど記述は曖昧になっていく。

マクリールの館にあった本から古代に関する記述を見つけるのは困難だろう。なんといってもあの執拗に埋め尽くされたねじれた文字…読んでるだけで頭がおかしくなる。しかも時折外国語が混じっているし、あれをすべて読むには人生のすべてを捧げなければいけないだろう。

…つまり書くのにもものすごい時間がかかっているはずだ。

 

ふと閃いてサキは拡大呪文のかかったトランクから数冊の本を取り出した。

そして背表紙の焼け具合と紙質を見る。

やはり、筆致はとても良く似ているが製本された年代がかなり違う。新しく書かれたと思われる本だけだして残りはしまった。インクの色味や滲みにも僅かに違いがでていたのでそれを分類して積んでいく。

タイトルの書かれていないシンプルな革表紙の本がだいたい年代別に並べられた。

これの恐ろしい点は本棚に並べられてた時点でぐちゃぐちゃのばらばらだった点だ。こんな汚い本を整理しないで置いておいたら世界が終わるまで誰も正しいことに気づかないまま放置されてるはずだ。

みんな無頓着だったのかな。

とりあえず新しそうな本を一冊開いた。

一ページ目からいきなりびっちりと文字が書き込まれている。

…ヨーゼフからの連絡が途絶えた。彼はアフリカの何処かにいる。ペトリューシュカの記憶とは三年ほどの時差がある。(※余白より注釈…史実に基づけばむしろペトリューシュカの記憶に誤りが?リヴェン)しかしながら脱出には成功したようだ。彼の渡る先は南だろう。裁判については本誌へ記述。ヨーゼフのためにやり直すのは負荷が課題。間違いなく彼も裁判にかけられるべきだ。サンプルは国内で取り寄せることにした。

ヨハナの紀行文に追記…食人族の呪術的紋様と北米アメリカ現地部族の呪いの類似点について。(※余白より注釈…ブゥードゥ研究にも加筆。クイン←整合性に欠ける?他の要素の検討。リヴェン)ターナーに資料を請求。数回試す。大学教員を偽装した結果…

 

 

どうやら持ってきたものは日記らしい。内容的には日記というよりメモの連なりだが…。

 

時間から解放される魔術を題しているがこうしてみると順番、時間の流れは感じさせられる。誰かが書いた本文にあとから生まれた人がどんどん注釈や追記を重ねてるのだ。

出てる名前を見るにこれを書いたのはクインかペトラだろうか?

ページを捲ってくとみんなで会議した痕跡みたいになっててなんだか面白い。

 

もっと新しいもの…母の書いたものが読みたい。

 

サキは本を取り出しては開いてみた。

 

 

…近年勢力拡大を図っているヴォルデモート卿についてのレポートを一冊にまとめた(※余白より注釈…何度かやり直した結果、不本意ながら彼との接触にこぎ着けた。リヴェン)…

 

これだ。別の本にまとめてあるんだろうか?不本意ながら…というのはよくわからないが。

他の本を見るに、マクリールは一人ひとりが年代記のような仔細な日記をつけているようで、さらに後年それに加筆していき、重大事件があったら別冊を作ってたらしい。もし過去をなかったことにしたら書き直さなきゃいけなくて大変そうだが、ご先祖様は過去を変えたりしなかったんだろうか?もしサキがこれだけの文量を書き直しだと言われたら発狂して全部焚書する。

年代記は歴史家にとっては涎がでるほど面白い本になるのかもしれないがサキにとってはひたすらに退屈なだけだった。

 

けれどもサキは知らなければならない。

スネイプがこのいかにも便利な魔法をなぜそこまで否定するのか…

 

「うー」

 

サキは本を投げ捨てて寝っ転がった。

手紙の束と、紙束と、本の山。今火がついたらよく燃えそうだ。

 

 

ドラコ…

 

去年、アンブリッジとの対立であんなふうに喧嘩してしまって以来彼の名前を思い浮かべるだけで胸が痛い。

もし母の脳を食べたら、未来のこともわかってしまうのか。ドラコと仲直りできているのかな。

そもそもマクリールの魔法の理屈がいまいち、理解できない。過去の記憶を受け継ぐというのはまだ理解できるがなぜ未来がわかるのだろう?

 

「おい」

 

ノックもなしに、突然ドアが開いた。ぎゃーっと悲鳴を上げてそこにあった本を投げつけると見事侵入者に命中した。

ドアの外で涙目でうずくまってるのはワームテールだった。

「ノックをしてください、ノックを!」

サキは注意してから靴を履いてワームテールに近づく。この人から話しかけてくることは滅多にないので何か特別な用があるんだろう。

「ミセス・レストレンジがお呼びだ。すぐ行かなければ…」

「えー?今忙しいんですけど」

「ええい、私が知るか!」

ワームテールは乱暴にサキの腕を掴んで階段を降りてく。サキは引きずられるように玄関先まで連れて行かれた。

「待って待って。先生は?」

「スネイプはいない」

「ワームテールさんと二人?やなんですけど」

「私だって嫌だ!けれどもとにかくおよびなんだ」

「やーだー」

しかしワームテールは譲ろうとしない。彼が命令に逆らうわけないので渋々着いていくことにした。

それにしてもベラトリックスが何故サキを呼びつけたりするんだろう。たぶんドラコ絡みなんだろうけど、自分を明らかに嫌ってる人のもとへ行くのは気が引ける。

 

待ち合わせは意外なことに、ブリクストンの雑貨屋だった。

ネズミになったワームテールを胸ポケットにしまって公共煙突ネットワークで一番最寄りの暖炉に出る。

住所を手がかりに繁華街を抜け、ハズレにある建物の二階、【マッケンワイヤー雑貨店】のかかったドアをくぐった。

ドアを開けてすぐわかったが、そこは雑貨屋などではなく魔法使いの盛り場だ。大鍋の蒸気でやたら暑い。

ベラトリックスが待ち合わせに指定するということはイリーガルな酒場なんだろう。キョロキョロしてるとムスリムのような服を着た異国の魔法使いが煙を髭にまとわせながらサキに扉を指差した。

疑いながらドアを開けると、ベラトリックスが不機嫌そうに物置みたいな小部屋に詰まっていた。

 

「どうも…」

「早く閉めな」

 

言われるがままにドアを締めて、ワームテールを外に出してやった。ベラトリックスはテーブルにのせられたワームテールをつまみ上げてドアから投げ捨てた。

 

「つけられてないだろうね?」

「さあ…」

「ハッ!全くしっかりした小娘だよ」

「レストレンジさんこそこんな所にいて大丈夫なんですか?」

「馬鹿なことを聞くんじゃない」

「す、すみません」

 

物置部屋は水タバコの煙がどこからか入ってきてるせいかやけに煙くて臭い。

 

「シンガー、私はお前を微塵も信用していない」

「それはもう態度で伝わっています」

「スネイプもそうだ。あの狡猾なコウモリはあの方のご意思に背き、お前をダンブルドアのそばにおいている」

 

スネイプに関する話には慎重にならないといけない。サキとしてはスネイプは明らかにダンブルドア寄りだと思っている。しかしそれを悟られては今後の彼の任務に支障をきたす。

 

「でもそうするおかげでスネイプ先生はダンブルドアに重宝されてるんですよ?作戦通りってやつじゃないんですか」

「うまく行き過ぎている。あの方はスネイプを信じすぎているのだ」

「…そんなこと、私に言われてもどうしようもありませんが?」

 

サキはベラトリックスの勘の鋭さに内心ヒヤヒヤしながら素知らぬ顔で会話を続けていった。そう、ヴォルデモートは確かにスネイプ先生を信じている。だが同時にドラコという保険をチラつかせ、サキの行動を縛り、間接的にスネイプの行動をも縛っている。裏切らないのではなく裏切れないようにベットしてるのだ。

 

「お前は自分は殺されないと高をくくっているようだが…忘れるな、私はお前を殺せる。お前の魔法など、血統など関係なしに」

「…私は気高きスリザリンの末裔ですが」

「同時に人食いの生き残りだろう?」

「……貴方くらいの魔女が人を食らうことにそこまで忌避感を覚えるとは思いもしませんでしたね。純血は…ほら、近親相姦趣味の方々ばかりですから」

言った途端、脳みそががくんと揺れる感覚がして一瞬遅れて口の中に鉄の味が広がった。罵声より先に拳が飛んできた。

「我らを侮辱するな!!」

「貴方こそ私の血を穢らわしいと言うならば母と交わった闇の帝王はどうなのですか?近親相姦だけじゃなくて獣姦趣味もあるんですかね」

「貴様…」

ベラトリックスは杖をサキの脳天に突きつけた。

理性的なベラトリックスより、キレてる方がまだやりやすい。彼女はサキを殺せるとは言うがそれは大義名分があってこそ可能なはずだ。

母がそうしたように、マクリールの魔法は存在自体が交渉材料になりうる。金の卵を生む雌鳥を生む前に潰すなんてあの人が許すはずがないのだ。

 

「私を脅しても無駄です。あなたの理解しているとおり、私はあの人にとってもダンブルドアにとっても駒にすぎません。そして駒は自ら動くことはできません」

「…いいや、お前は動こうとしないだけだ。お前があの人に逆らうように動いたら…」

「私を殺す?」

「お前と、お前に関わるすべてを殺す」

「何度もそう言われてきました」

「腹の底の読めない女め。私は躊躇わないぞ。例え忠臣だろうと甥であろうと…シリウス・ブラックのように殺してやる」

「…どうしてそんなに私に釘を刺したがるんですか?」

「お前には、大義がない。あの方が一番軽んじているが…私はお前が一番危険だと思っている。お前があの方の血を引いてさえいなければ…」

「大義?」

「私はお前を見ているぞ、いつでも。お前の心が少しでも叛逆に傾けば…わかっているな」

「…十分わかりました」

 

憎悪だけは伝わった。

いよいよ雁字搦めになった我が身を思うと泣けてくる。生まれなんて気にしない、と決めた次には生まれが自分を縛り付ける。それの繰り返し。

 

ハリー。

私が誰の娘でも君は気にしないといったけど、今でもそう言える?

 

切れ掛かったネオンの下に放り出されて、家路につく。

ぼんやり歩いて公共煙突ネットワークまでたどり着いてワームテールを拾い忘れたことに気づいた。が、

「子どもじゃあるまいし一人で帰れるでしょ…」

気付かなかったことにした。

 

 

そしてとっぷり日が暮れた頃やっとスピナーズ・エンドにたどり着いた。

水タバコの匂いが服についてる気がするが…まあどうしようもない。

ドアを開けると夕食の匂いがした。

先生はドアベルを聞きつけて顔をこっちへ覗かせた。

「どこへ行ってた?」

「女子会」

「…手紙が来ていただろう」

「え?ふくろう試験の結果ならまだですが」

「わざとやっているのか?」

サキは舌を出して部屋まで試験結果を取りに行った。隠すような成績でもないし。(自慢するような成績でも無い)

成績表にでかでかと書かれたトロール並みという文字を二度見してるのがわかった。

「…まあ、思ったよりマシと言ったところか」

「優があるだけすごくないですか?」

「………」

 

ガリ勉に言っても無駄か。

 

 

 

さて、話は変わるが我々は料理を何のために食べるのだろう?もちろん栄養摂取のため。

次いで何?

 

多くの人は味わうために料理に時間と手間をかけているはずだ。食材を加工して爾来を満足させるような味をつけ、噛み砕き飲み込む。それで初めて我々は腹と心の充足を認め「おいしかった」と食器を置く。

だとしたら味のしない料理を食べて満腹になるだろうか?

 

正解はしない。

 

少なくともサキはマルフォイ邸での三者面談みたいな晩餐は、食べた気にならなかった。

 

ヴォルデモート、お前飯食うのかよ。

 

と脳内で思いつつ素知らぬ顔でソテーを食べた。いま食卓についているのはヴォルデモートをはじめとして娑婆で活動してる死喰い人たち。そしてお誕生日席には特別ゲスト。杖作りのオリバンダーだ。

ヤックスリーが魔法省の動きを報告する間、気の毒なことに料理を前に拘束され続けていた。

神秘部の任務に参加しなかった死喰い人は殆どが身を潜めて情報収集に勤しんでるらしい。報告は山ほどあった。一方でフェンリール・グレイバックら血の気の多い連中はオリバンダーをさらったりマグルの橋を壊したり…と破壊活動を繰り返している。

 

サキは離れた席に肩身の狭そうに座ってるドラコを見た。

 

「……」

 

今にも重責に押し潰れてしまいそうな顔をしてナイフを握りしめている。

ドラコに与えられた任務はほんの数人しか知らないけれども、他の死喰い人にも今ここにドラコがいる意味は十分伝わる。

 

「さて…各々が十分に仕事をしている事が知れて有意義な食事会だった」

 

ヴォルデモートが品よく口をナプキンで拭った。

 

「またこうしてお前たちと会えることを悦ばしく思う。新しい世代も迎え入れー」

全員の視線がサキとドラコに向けられた。

「素晴らしき魔法族の時代を始めよう。我々の手で」

 

締めの言葉とともに料理が消える。

ヴォルデモートは満足げに全員を見回してから消えた。ヴォルデモートの気配が消えて、みんなの緊張が解れる。

 

「マクリール嬢、神秘部の物品を欲しがっていたよな?」

 

唐突にカロー(兄)が話し掛けてきてサキは思わず飛び上がった。サキは死喰い人たちにヴォルデモートの娘だとは紹介されず、マクリールの忘れ形見として紹介された。

だからマクリール嬢。

「あ、ああ。はい。一通りあったらなあと」

「流れてたものがあったからあとで送ってやる。セブルスの家でいいのか?」

「それは助かります。ありがとう」

なんやかんやこの人たちは仲間に対して優しい。良くも悪くも仲間内では助け合い精神のもと和やかな雰囲気になったりもする。とは言え全員犯罪者なのだけれども。

「マクリール嬢、それなら私に言ってくれればよかったのに。神秘部の倉庫は随分壊されたからねえ。闇に流れるのだと原型をとどめていないものが多いだろう」

「なんだヤックスリー。廃品回収業でも始めたのか?」

「まさか。君たちじゃあるまいし」

サキの母、リヴェン・マクリールは卒業後雲隠れしたにも関わらずかなりの求心力を持っていたらしい。加えてヴォルデモートのワイルドカードというどこからか出回った噂に尾ひれがついてまわった結果、娘のサキは優遇されている。

それに対してルシウスの凋落っぷりは対照的だ。

任務をことごとく失敗し投獄された愚か者…。以前は死喰い人の頂点にいただけあってその扱いの落差は凄まじい。

ドラコの心境を思えばこのちやほやされてる状況を早く終わらせたかった。

 

「さて、オリバンダーは連れて行くよ。ここじゃいつ魔法省の査察が入るかもわからんしな」

「全く、襲撃後置いてくる間もなかったのか?」

「突然だったからよ」

オリバンダーはグレイバックに襟首を掴まれ引きずられていく。サキは母のお下がりを使ってるので彼と面識はなかったが、ロンドン唯一の杖作りがいなくなったら新入生はどこで杖を買うんだろう?

というか何故オリバンダーが攫われるんだろう。

 

「あの、なんでオリバンダーさんを?」

サキの疑問にベラトリックスの刺々しい返事が帰ってきた。

「嗅ぎ回るんじゃないよ」

「おお、厳しいこと」

グレイバックは肩をすくめて去っていく。

「詮索するな」

「…はーい」

サキは心の中で毒づきながらスネイプの顔を見た。ダンブルドアの動向を報告したあと誰と口を聞くでもなく黙っている。何か思うところでもあるのだろうか。

「サキ、今日はよかったら泊まっていって」

ナルシッサがおずおずと話しかけた。スネイプの方をチラ、と見るとスネイプも頷いていた。

「セブルスも是非」

「いや、我輩は遠慮しよう。…サキ、帰り方は?」

「わかりますよ」

「くれぐれも迷惑をかけないように」

「余計なお世話ですぅ」

「よかったわ。前使っていた部屋、そのままにしてあるから使ってちょうだい」

ナルシッサは柔らかく微笑んだ。その後ろでベラトリックスが苦虫を噛み潰したような顔をして廊下へ消えた。

「さ、ドラコ。ちょっとお茶をいれてもらってきてくれる?」

ナルシッサに促されてドラコは渋々厨房の方へ行った。

なんだか気を使われている気がする。

 

「この間は取り乱してごめんなさいね」

「いえそんな」

「わかっているのです。貴方はあの方の味方ではないと。けれども…」

「ええ、私はドラコの味方ですよ」

「ああ、サキ。お願いね。どうか…ドラコを助けてやってね」

サキは力なく肩に手を置くナルシッサの背中を撫でた。かわいそうに、以前よりも随分痩せて弱々しい。病は気からというけれどもこれじゃあ気が病だ。

扉があいてティーセットを持ったドラコが入ってきた。ナルシッサは歩み寄りそれを受け取る。

「給仕は?」

「もう眠りたがっていたので僕が」

「ありがとう」

ナルシッサはあっという間に綺麗に赤く透き通る紅茶を淹れた。

「いやー、テアニンが体に効きますね」

「それは緑茶だ…」

「こうしてゆっくりお茶を飲むなんて久しぶりね」

「こちらの紅茶は美味しくて感激しますよ。他の紅茶がしばらく飲めなくなるほどです」

「君は淹れ方が悪いんだよ。温度とか気にしてないだろ?」

「そんなので変わるの?」

「当たり前だろ」

「今度試してご覧なさい」

晩餐後とは言えヴォルデモートの圧迫感で胃が縮こまってたせいかお茶菓子もどんどん胃に入った。程々に空気がほぐれた辺りでナルシッサが「姉さんにも出してくるわ」と席を立ち、ドラコとサキだけが部屋に残った。

 

「…ど、どうだった?ふくろう試験」

 

サキは努めて明るい口調で話を振った。

 

「ああ…まあそこそこ」

「そっかーそこそこかー」

「…サキ、君は聞いてるんだろ。僕の任務を」

「あ、うん。まあね」

「ダンブルドアの私物を盗むなんて、今まで誰も成功してないよな?」

「まあ聞かないね」

「僕だってわかってる。これははじめから成功しない任務だ。それでも愚直にこなすしかない…」

ドラコは深いため息をついて額をおさえた。母親の前では普段通りに見えたけどやっぱり相当なプレッシャーを感じているらしい。

「…大丈夫。私も協力するよ」

「君が?バカ言うなよ。ポッターに嫌われるぞ」

「こういうときは人命第一でしょ」

「…人命、か」

ドラコはがっかりしたような口調で言う。

「君はいつもそうだ。いつも順番で決めてる。たまたま僕が一番上にいることが多いだけで、本当は僕の事なんてなんとも思ってないんだ」

「え…いや、そんなことないよ!私が協力するのは君が大切だからだよ」

「それじゃあ僕がこんな立場にいなかったら?君は去年ポッターを選んだ!あいつは皆から迫害されてたから」

「ち、違うよ。あれはハリーが手伝ってほしいって言うから…」

「みんなしてハリー、ハリー!うんざりだ!」

ドラコの声が窓ガラスを揺らした。沈黙が冬の空気みたいに肌をさす。

「…ドラコ」

 

サキの呼びかけに返事はなかった。

 

 

 

 



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04.二人であることの病い

ハリーはダーズリーの家で過ごさない休暇を精一杯楽しもうとした。しかしシリウスを失った悲しみは未だ癒えない。

加えてサキから音沙汰がないのも夏休みにどこか影を落としている。

神秘部の戦いのあと、ハリーとダンブルドアはメディアの包囲網から逃げ出して校長室で話をした。あのときは取り乱して随分暴れてしまった。一年間ダンブルドアに抱いていたわだかまりをぶつけて少しだけ楽になれた。しかしサキの安否はすぐにはわからず不安でいっぱいだった。

自分とヴォルデモートの予言を聞いてなおさら不安が募った。

連れ去られたサキが無事でいられる保証はない。

サキはなぜか殺されない自信を持っていたがそんなのアテにならない。スネイプが助けに向かったと聞いても、翌朝無事だと教えられても信じられなかった。

 

メディアはサキについての情報を掴んでいなかった。三流ゴシップ誌にはいくつかサキについて触れているものもあったがどれもハリーの友達という扱いだった。

学内ではもちろんかなり噂されていたが、いつしか「怪我が重いんだろう」という予測が主流になった。

 

シリウスが死んで、サキは音信不通。

 

ハリーはどこか空虚な気持ちでなんの気なしにヘドウィグが運んできた封筒を開けた。

 

「え…」

 

便箋を見て驚く。封筒をよく見るとサキからだった。

 

 

ハリーへ

連絡しないでごめんね。そういう気持ちになれなくて。夏はいかがお過ごしですか?

私は元気だよ。スネイプ先生が良くしてくれてる。(ハリーは嫌ってるけど、いい人だよ。これ、五年言い続けてるけど無駄っぽいね)

新学期に会おうね。

 

 

素っ気ない文章だった。

ハリーはなんだかとてもがっかりして手紙を持ってきたヘドウィグを二度見したがヘドウィグはきょとんとして餌のネズミをくわえたままハリーを見つめ返した。

ダンブルドアとともにスラグホーンに会いに行ったり、グリモールド・プレイスを相続したりいろんな動きがあったけれども、中途半端に喉に何かがつっかえたまま過ごしてる。そんな夏だった。

 

ノクターン横丁でマルフォイを追いかけていた時も、サキの不在が気になった。

いかにもあやしい動きをするマルフォイ。いつもならハリーの隣かマルフォイの隣にサキが立っているはずなのにいない。

 

あまりに目立つ空白、サキ・シンガー

 

だからコンパートメントでサキとばったり出会ったとき、ハリーは思わずサキを抱きしめてしまった。

 

きゃーっ!と乙女の様な滑稽な悲鳴を上げてサキはハリーを抱きしめ返した。

「ハリー、映画みたいな抱擁だねえ。思わずときめいちゃったよ!」

「連絡しないほうが悪いよ。無事で良かった。僕、ずっと君が本当は拷問されてるんじゃないかって思ってたんだよ!」

「あははは。まさかあ」

久々に会うサキは髪がちょっと伸びていて邪魔そうだった。長すぎる前髪のせいか、どことなくいつもの明るい表情に影がさしてるようにも見えた。

「ハリーが大変なときに余計な心配かけてごめんね。もう大丈夫」

「とりあえずコンパートメントを探そう。色々話を聞きたいし…」

「あー、ごめん。駄目なんだ。待ち合わせがあって…」

サキの目が泳いだ。

サキはデタラメを言って相手を混乱させるのは得意だが、嘘をつくのは下手くそだ。そして今のはあからさまに嘘だ。

 

「そっか…」

 

怪しみつつもハリーは引き下がった。

どこか憂鬱そうなサキはハリーを追い越して先頭車両の方へふらふらと歩いていってしまった。

ハリーはネビルのいたコンパートメントに滑り込んだが、先程のサキの様子が気になって仕方がなかった。

 

マルフォイといるのだろうか?

ノクターン横丁であいつが何を見ていたのか、サキはしってるだろうか?

連れ去られて何があったんだろうか?

サキの挙動はそういう疑問全てに意味深な憶測を付け足すくらいに変だった。

 

ハリーはルーナやネビルと話してるあいだじゅう気になってしょうがなくなった。

そしてついに、マルフォイの様子がおかしいと漏らしたロンの言葉に後押しされるようにして先頭車両へ向かった。もちろん、透明マントを持って。

 

 

スリザリン生が固まって乗っている車両にサキはいた。食堂車のようにボックス席がたくさん設置された車両の端にマルフォイと向かい合って座っていた。

いつもの楽しそうな浮ついた雰囲気は削ぎ落とされ、二人の間には葬式のような沈黙が降り立っていた。

ハリーはゴイルが派手に飲み物をこぼしマルフォイの視線がそれた時に思い切って網棚に体を滑り込ませた。

「…馬鹿だなあ、アレ相当べたつくよ」

「気にしないだろ、あいつなら」

「確かにね」

マルフォイはふん、と自嘲気味に鼻で笑った。

「あいつらは気楽でいいよ」

「まあクラッブもゴイルも親が捕まってるんだしもっと深刻になったほうがいいよね」

「…それ僕に言う?」

テンションは低いけど概ねいつも通りの会話内容な気がする…がよくよく考えるとマルフォイとサキのプライベートな会話は聞いたことがなかった。

「だって君、いくら口説いても信じてくれないし。嫌味くらい言いたくなるよ」

「…別に信じてないわけじゃないよ。ただ僕一人でやり遂げたいってだけだ」

「ドアをくぐれるかどうかだってわからないのに」

「君の特異体質だってそうだろ」

「勝算はあるよ?」

「くどいぞサキ」

何やら意味深な会話をしている。

マルフォイがやり遂げたいことがなんなのか、二人の会話からは読み取れない。

「君は僕の味方だって言うけど、僕が任務を成功させることを願ってるわけじゃない。僕が死なないためならポッターにだって助けを求める。そうだろ?」

「助けを求めるならハリーじゃなくてもっと大人に頼むけど」

「そういう問題じゃないんだ。これは」

「…ドラコ」

二人の間にはまた重苦しい空気が立ち込めた。マルフォイははっきりと任務といった。そしてどうやらそれは命に関わることらしいと。

「…私は、ただもっと考えれば別の解決があるかもって思ってるだけだよ…」

「そんなものあるもんか」

サキは悲しそうな顔をした。マルフォイは声を潜めて、まるで歯止めが効かなくなったみたいにサキに恨み言をぶつけてく。

「君は僕と違って期待されてる。あの人の娘だって感づいてるやつもいる…カロー兄妹なんかはその手合だ」

「それにしちゃお粗末なごまの擦り方をしていたよ。勘がいいのか悪いのかわからないね」

「権力の臭いに敏感なのさ、今アズカバンにいない連中はみんなそうだ」

 

やはりサキは死喰い人と接触していたんだ…。

覚悟はしていたし、当然の流れではあるがハリーはショックを受けた。それもサキはかなり優遇されてるような話しぶりだ。

 

「そうか。じゃあいいように使えるうちに色々頼んじゃおうかな。…一角獣の双頭の奇形ってのがあってさ…すごく高いんだけどもう美しいのなんの。加工の必要がないくらいにキレイなんだけど、その双頭を使って二角獣を作った職人がいてね…」

サキが長々と趣味の話を始めたところで窓の外で汽笛がなった。

ホグワーツまであと三分もない。

「君の心が逞しいところだけは見習いたいよ」

「そんな事ないよ。ドラコに信じてもらえなくて、とってもブルーだもん」

「…はあ。調子が狂う」

「行かないの?」

「少し一人で考えたいんだ。ちょっと先行っててくれよ」

「私のこと信じてくれる気になったってこと?」

「それを考えるんだ。…ああもう!早く行けよ」

「はいはい。ロンドンまで戻されちゃわないようにね」

サキはやれやれと呆れながら席を立った。マルフォイはまだ立ち上がろうとすらしない。マルフォイが出ていかないとハリーも出ていけない。

マルフォイは駅のホームの人が疎らになってきた頃にようやく立ち上がり、何故かすべてのブラインドを降ろした。

そしていよいよ何かしだすのかと思えば突然、ハリーのいる網棚に向かって杖を振り上げた。

 

「ペトリフィカス・トタルス!」

 

ハリーは完全に不意をつかれた。結果カチコチの石になって荷台から落ちて床に体を打ち付けた。痛みに悲鳴を上げることすらできない。

ハリーは窮屈そうな格好のまま透明マントを下敷きにして金縛りされてしまった。

「やっぱりな。盗み聞きとはいい趣味してるじゃないかポッター」

マルフォイは勝ち誇ったように笑った。

「聞いたとおりだ。サキは…死喰い人に歓迎されてるのさ。もう関わるな」

ハリーは顔がかっと熱くなるのを感じた。しかし実際にはぽかんとした表情のまま固まってるのだろう。マルフォイはせせら笑い、動けないハリーに思いっきり蹴りを入れた。

ハリーの頭にガツンと衝撃が走り、くらくらするような熱が鼻の部分にともった。

「これは父上のぶんだ」

マルフォイは吐き捨てるように言ってハリーの下敷きになった透明マントを引っ張りだし、そのままハリーに被せた。

「ロンドンで見つけてもらえるといいな。…それとも一生このままかな?」

ハリーは頭が沸騰しそうなほどの怒りを感じながら、視界の端へ消えていくドラコの革靴を見た。

 

 

 

 

サキは遅れてきたドラコのために席を開けてやりながらポタージュをひたすら飲んでいた。

「なんかあったの?遅かったけど」

「いや、別に?」

更に遅れてハリーが入ってきた。何故か私服のままで、その上血まみれだった。マルフォイがからかうようなポーズをして周りを笑かしていた。

ドラコと喧嘩でもしたんだろうか?

それにしては一方的にボコボコ、って感じだ。

食べ物がなくなってお皿がキラキラした頃、ようやくダンブルドアの演説が始まった。

「おい…あれ」

ザビニが囁いた。

「ダンブルドアの手、変じゃないか?」

ダンブルドアの右手がまるでミイラみたいに黒ずんでいた。拍手と同時に周りにささやき声が広がる。

思わずドラコの方を見ると目があった。

あれなに?さあ?

といった視線の応酬の間も演説は続いた。

 

ダンブルドアは職員テーブルに座る恰幅の良い、セイウチみたいな魔法使いを指して紹介した。

「………さて、今年は新しい先生をお迎えしておる。ホラス・スラグホーン先生じゃ!わしと同期ですでに引退されていたが魔法薬学の教師として復職なさることになった」

 

魔法薬学ー?

生徒たちの間に動揺が広がった。

 

「闇の魔術に対する防衛術の後任はスネイプ先生におまかせすることになった」

 

嘘だろ?!と声が上がって生徒たちは一斉に話しだした。ダンブルドアはなぜそんな騒いでるのかわからないと言った風にあたりを見回してから咳払いをして続けた。

 

「さて…去年は魔法使いにとって最悪の日がまた更新されてしまった。いたる所に闇の魔法使いが跋扈しておる。当然学校の防衛策も強化されておるので…危険な場所には近づかんように」

 

「ついに念願かなったってわけだな」

「えーどうしよう。良でも受けられるかな、防衛術」

「基本的には去年の基準より上にはならないだろ」

寮へ帰る中みんながわいわいと話し出して廊下はコンサート会場みたいにうるさい。

サキは人混みに飲まれながらぼーっと吹き抜けの階段に浮かぶゴーストたちを眺めていた。

 

スリザリン生たちからの迫害は特にない。禊は終えたらしい。

ザビニは相変わらずよく話しかけてくる。スラグホーンのランチ会についてずっと自慢してくるのだが、サキはあんまり興味がなかった。今はただ、母の残した本を読みたい。

女の子達の寝室は真っ白なベッドに次々とカラフルな小物や布が飾られてやっと個性を取り戻す。そんな華やかな寝室の中でサキの寝床だけが真っ白だった。

サイドテーブルに埃っぽい本を山ほど置くと、すぐ隣のパンジーが抗議してくる。サキは賄賂に夏休みにたっぷり送られてきたウィーズリー製品を渡した。

 

 

 

サキはハリーへの態度を決め兼ねていた。

ハリーは友達。けれども親は仇。3年生の時にそのジレンマは克服したはずなのに、また悩まなければいけなくなった。

いや、サキの取るべき立場はもうとっくに決められてる。ドラコの命を優先する他ないのだから。

 

だから、ハリーに呼び出されて北塔の裏庭の畑で去年起きたことを話してる間中サキは憂鬱だった。

 

当然本当のことは言えない。

「母親の脳みそをダンブルドアから盗んで食べなきゃいけないんだよねー」なんて相談された側も困るだろうし。

神秘部から連れ去られ、マルフォイ邸にいたこと。

自分はやっぱりあいつの娘で、母親は特殊な魔法が使えたから監禁されていたことだけ話した。母のばらばら死体があったことや脳髄をダンブルドアが所持していることは言えない。

 

「…それでまあ、釘を刺されちゃったって感じ?」

 

とまとめると、ハリーはじっくり考えるポーズをした。

昨晩の雨で畑は濡れて泥濘んで靴底がぐちゃぐちゃいう。

「他には…?」

長い思案の末やっと出てきたのは探りを入れるような言い方だった。おや、とおもいサキも慎重になる。

「例えば?」

「ベラトリックスとか、あいつの仲間はどうしたの?」

「ああ…ごめん。わからない。それ以降は会ってないんだ」

サキは嘘をついた。ハリーの眉が引き攣るのがわかった。

「私も複雑な立場でさあ。ハリー、君の力になりたいけど、無理なんだ」

「どうして?…マルフォイのため?」

「……なんで?」

「ごめん、実は僕聞いちゃったんだ。君とマルフォイの列車での会話」

サキは透明マントのことを失念していた。あの時何を話したんだっけ?公共の場所では具体的な会話は慎んでる、とは言えこの探りの入れ方的にハリーはドラコをーひいてはサキをー疑っている。

「謝らなくていいよ。そうだね、ドラコのために君には協力できない」

「マルフォイは何をしようとしているの?」

「さあね」

ハリーは苛立っているのか、爪先で泥をえぐっている。サキだって本当ならヴォルデモートの肩を持ちたくなんてない。けれどもドラコのために、そして『破れぬ誓い』を結んだスネイプ先生のために、望まれた役を演じなければいけない。

 

「一つだけ言えるのは…私は自由に動けないって事。勝手な行動をすると後々面倒なことになるんだ」

「君は、あの人に脅されてるんだね?」

「秘密」

「君の助けになりたい」

 

ハリーの気持ちは嬉しい。けれども私達はまだ子どもで、敵はあまりにも大きくて強い。

守りたい者を守るには正しいだけでいられない。

 

「ありがとう」

 

だからそれだけ言って、サキはその場から立ち去ろうとした。

しかしハリーはサキの腕をつかんで離さなかった。

 

「…痛い」

「離さないぞ。ちゃんと理由を聞かなきゃ納得できない」

「私は大丈夫だって。スネイプ先生もいるし…」

「スネイプなんて信用できない!サキ、僕は君にあっち側に行ってほしくないんだ」

「あっちって?」

「ヴォルデモートの側に」

「ハリー、私はあいつのやり方に賛成したりなんかしないよ。でも今は私はどっちかなんて選べる立場じゃない。尊いものを守るために結果的にどっちにいるか、私にもわからないよ」

 

それは事実上の敵対宣言に他ならなかった。

ハリーは去年自分を抱きしめてくれた強い女の子が、たったひと夏で羽をむしられた小鳥のようにか弱くなってしまったのに気づいた。

乾いた血のような沈んだサキの赤い瞳を見た。

3年生のときとは違う、4年生のときとも違う。

「…そんなに、マルフォイが大切?」

「うん。ドラコも先生も。みんなのためにこうする」

「僕は…大切じゃないの?」

「大切だよ!大切だから君とは一緒にいれない」

ハリーの手に込められた力が抜けた。

「…ごめん」

サキは一言謝って、手を振り払った。ハリーはひどく悲しげな顔をして逃げるように去ってくサキの背中を見送った。

 

 

 



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05.ブルジョワジーの秘かな愉しみ

サキは取れる授業はすべて取ることにした。

魔法生物飼育学も可だったので当然取ることにした。グリンゴッツ勤務を視野に入れるならば必要だし、取っておいて損はない。

 

いつも通りハグリッドの小屋へ行くと、ハグリッドがワクワクした顔でサキを出迎えた。

 

「サキ!よーきたよーきた」

 

神秘部の戦いの後、ハグリッドはよく野営中のサキのところにコーヒーをデリバリーしてくれていた。その時からずっとなんの授業をしようか考えていたらしく、お披露目するのが楽しみでしょうがないらしい。

「他の生徒は?」

「スリザリンは私だけだよ」

「…ハリーたちが来ない…」

「とらないのかな…?」

「………」

ハグリッドは感情がすぐ顔に出る。さっきまであんなにキラキラしていたのに、スイッチが切り替わるように悲しげな顔に変わった。

 

「は、ハグリッド…しょうがないよ!ほら、私がいるじゃん!」

「ああ…そうだな…一人でも大事な、生徒…」

 

ハグリッドは鼻をすすりながらうつむいてしまった。サキは岩山みたいな背中をさすりながら第一回目の魔法生物飼育学の授業を終えた。猛獣使いになったような気分だった。

 

 

サキは先日のハリーとの言い争いを思い出して憂鬱になった。ドラコは何をしようとしてるか一向に教えてくれず、ハーマイオニーとロンもハリーとともに行動しているから話す機会がない。

しかし実際これが一番いいんだ。

一人でいれば誰も人質に取られないし、誰かを傷つけたりしない。

 

北塔の裏庭は催眠豆の繁殖も収まり、今はすっかり他の植物たちと共生している。

廃材置き場の材木から作った手製のベンチやテーブルも置いて、このジメジメした空間はすっかりサキにとって落ち着く場所になった。

 

「おや。こりゃ驚いた」

 

と、すっかり気を抜いていた所に誰かがやってきた。全く予想外の人物、スラグホーン先生が大きな袋を持って畑の端を横切っていた。

 

「あ…こんにちは」

「やあやあ。シンガー!こんなところで何を?」

 

先生こそ。と言いたかったが大きな袋をさっと背中に隠したところを見ると何かやましい事でもあるのかもしれない。

「ここ、私の畑なんです」

「ほっほー。秘密の畑かな?どれどれ」

「あ、いや!たまたま生えてきちゃった植物も多々あるっていうか…!」

免許がないと栽培できない植物がたくさん生えてる以上教師には見られたくなかった。けどスラグホーンは罰するでもなくただ楽しそうに笑ってジギタリスの花弁を摘んだ。

「いやあ。お母さんそっくりだ。彼女も秘密の畑を持っていたよ」

「母をご存知なんですか?」

サキは目を丸くした。

「ああ。私自慢の生徒の一人だった」

「あ…そっか。スリザリンの寮監…」

「そうとも」

恰幅のいいセイウチみたいな先生は断りもなくベンチに座ってサキに笑いかける。

「魔法薬学だけじゃなくてすべてにおいて素晴らしい子だった。…と言っても、本人は才能を活かそうとはしなかったが」

「神秘部にはキャリアもなにもありませんもんね」

「その通り。残念だよ」

「あの、なんで私がマクリールの家の者だとわかったんですか?苗字が違うのに」

「一目見てわかるさ!生き写しだ」

何度も何度も言われた。スネイプの記憶で見た限り、確かに似ていると認めざるを得ない。

「私、母にあったことが無いんです。先生…あ、スネイプ先生も全然母のことを教えてくれなくて。母はどんな人でしたか?」

「セブルスとリヴェンはとりわけ仲が良かった。ああ、娘の君も仲がいいのだね。よかった。セブルスは昔からああだから」

「子どもの頃の先生なんて想像できないな」

「今とあんまり変わらんよ」

スラグホーンは懐かしむように目を細めて微笑んだ。思っていたより話しやすくて人懐っこいおじさんだ。

「君のお母さんはとてもクールだったけれども、いつも周りに人がいたよ。いろいろな問題を抱えている子だったが…セブルスと友達になってくれて本当に安心した」

「母も問題児だったんですか?」

「君は問題児なのかね?」

「まあ自慢じゃありませんが」

スラグホーンは大受けだった。ますます上機嫌になって話し始める。

「彼女は4年生の頃母親が事故で亡くなってね。それ以来ふさぎ込んでしまっていた」

「…4年生の頃?」

「ああ。それ以来人が変わってしまった。…まあ、その結果寮でも存在感が増していたような気もするが、それでもやっぱりどこか可哀想に思ってしまう」

「そうだったんですか」

「彼女の魔法薬の知識と勘はピカイチだった。セブルスも天賦の才を持っていたが彼女も引けを取らなかったな」

「ふうん。娘の私がこんなんじゃ先祖に申し訳が立ちませんね」

「いやいや、君も勘はいいよ。まあ、薬草学のほうが得意みたいだが…」

スラグホーンは有毒食虫蔓の葉を摘んで愛おしそうに撫でた。勿論この植物を無断で栽培するのは違法である。

「よろしければどうぞ。勝手に生えてるものなので。ええ、これは自生してるんです」

「本当かね?いや、なに自生してるものなら許可はいらんのだろうが」

はっはっはっ。と二人でから笑いをした。

さすがスリザリンの元寮監。話がわかる。

 

「ここであえてよかった。シンガー、よければ私のクラブに参加しないかい?優秀な生徒を集めて食事会をね、開いているんだ」

「食事会。いいですねえ」

「ぜひおいで」

 

スラグホーンは有毒食虫蔓の葉をたんまり採集して懐にしまい、サキと握手をしてゆうゆうと城に帰っていった。スプラウト先生の温室に忍び込むつもりだったんだなあとしみじみ思いながら、サキは芽をだした見慣れない花の名前を図鑑で調べた。

 

その花を摘んで唇ではさみ、蜜を吸いながら寮へ帰った。

蜜を吸い尽くした頃談話室にかえるとドラコはいなかった。

ザビニがしつこく話しかけてくるので渋々付き合ってるうちにいい時間になったのでベッドに戻った。

 

 

 

サキがザビニと雑談に興じている時、ハリーはダンブルドアとの特別講義のために校長室に来ていた。

 

「先生、聞きたいことがあります」

 

ハリーは、しなびた黒い手にはまった指輪を撫ぜるダンブルドアにおずおずと尋ねた。

 

「先生はサキについて、どうお考えですか?」

「君と同様、大切な我が校の生徒じゃ。という月並みな解答を期待してはおらんだろうな」

「はい。先生は当然ご存知ですよね。彼女は、あいつの…」

「そう、血縁じゃ。しかしながら奴は彼女を軽視しておる」

「サキに危険はないのでしょうか?」

「わしは今のところはないと思っておる。彼女の振る舞い次第じゃがな」

「…マルフォイが、何かを企んでいます。サキはそれを手助けしようとしている」

「確たる証拠は?」

ハリーはたじろいだ。会話と雰囲気で辿り着いた結論なので証拠はない。

「ハリー、サキの目的はなんであれ…彼女は父親のように冷酷な人間ではない。愛に溢れた女性じゃ。母親と同じようにの」

「けれども…」

「サキのことはスネイプ先生に任せておる。心配はいらんよ」

ハリーはスネイプを信じていない。ダンブルドアもサキもずっとスネイプを信頼しているけれども、彼らがスネイプを引き合いに出すたびに不安になるのだ。

ダンブルドアの善意で踏み固められた道を踏み外す人間だっているはずだ。サキがそうとは言わない。けれども、誰かのために脱落する可能性は十分高い。

サキは優しすぎる。自分勝手に振る舞ってるように見えていつも誰かのために何かを犠牲にし続けている。

ハリーは、ヴォルデモートのために傷つくサキを見たくない。

 

「君は今、それよりも重要な授業がある。君の予言にも関わることじゃ」

ダンブルドアは憂いの篩を指差した。

 

「さて、出かけようかの。ヴォルデモートに関わる記憶の小道を辿る旅へ」

 

 

 

 

 

………

 

 

 

『憂いの篩 ペンシーブの一般普及化のために』

著 アーベルジュ・ストンボロー・オリバンダー 

 

憂いの篩の主たる目的は記憶の保管と完璧な再現である。ホグワーツ建設時発見された憂いの篩をより簡易化し道具化することを目的とする。発掘された憂いの篩を形作る素材は主に黒曜石であり土台は岩の切り出しと思われる。質感からツンドラ気候の場所のものと思われる。正確な年代は不明。ホグワーツが建つ以前に住んでいたものはなくどこから現れたのか記憶を遡ってもわからない。モノリスのような底面には紋様が掘られており、死の秘宝に登場する『死』の象徴が描かれているのがわかる。ペベレルの子孫は既に秘宝も伝承も失っているためこれ以上の調査は中止した。

憂いの篩に満ちる液体の調合法については共同研究者、イリス・マクリールの研究誌に任せるとして、これらを構成する素材それぞれにかかった魔法、薬品の同定にかからなければいけない。我々はまずフランツ・ブラックの古道具から片メガネを借りなければならなかった。

ブラックの片メガネは組成を見通せる。マグルの言う顕微鏡のようなもので、イリスの息子、ジョン・マクリールが婿入りした際贈られたものだ。故にイリスを通せば簡単に使えるはずなのだが、イリスは懶な魔女で姻戚関係にも関わらずブラック家と不仲だった。イリスは直に家督を娘に譲る。その前になんとか借りてきてほしいものだが期待したところで無駄だろう。

 

 

 

……

 

 

ヴォルデモートの足跡とは即ち、死人の轍だ。

ハリーは哀れなメローピーの運命を考えるとひどく憂鬱になった。なぜだかこういうとき、無性にサキと話したくなる。しかし、サキはもうハリーの味方ではない。

ハリーは口論した日からいつも彼女を目で追っていた。

こういう、多分色恋に関する相談をロンに持ちかけるのは気が引けた。なんとなくだけど、ロン向きじゃない。結局ハリーはサキとの会話とマルフォイへの疑惑も含め、ハーマイオニーに相談する他なかった。

 

「なんでずっと黙っていたの?」

 

サキがあの人の娘だと言ったとき、ハーマイオニーは怒ったような声色でいった。

「プライベートなことだから…」

「ショックだわ。私だって親友なのに。そうでしょ?」

「まあね…」

「わかってるわ。それくらい重要な事って。……まあこれでいろいろ合点がいったわ。前々から予想はしていたけれども」

「さすがハーマイオニー。それで、口論になっちゃって…話しかけられなくて」

ハーマイオニーはパイを食べ終えると、口元をナプキンで拭いながらじっくり考えた。顎に当てた手を離すとすぐに本を抱えて立ち上がってしまうのでハリーも慌ててついていく。

ハーマイオニーはつかつかと歩きながらちょっと苛立たしげに言う。

 

「ハリー、貴方って一年生の頃からずっと鈍いのね。サキが好きなら告白しちゃったほうがいいわ。そのほうが白黒はっきりつくじゃない」

「ちょ、ちょっと待ってよ。僕そんな話してないよ!マルフォイが何か企んでて…それでサキが…」

「マルフォイが何をしようとしているのかは別問題。今貴方がモヤモヤしてるのってそういう事でしょ」

バッサリと問題を片付けられて、ハリーは唖然とした。しかし言い返せない。

「僕…どうすれば?」

「そんなの自分で考えてよ!」

ハーマイオニーは忙しそうにスタスタ図書室へ行ってしまう。ハリーは頭を抱えたくなって、廊下に立ち尽くした。

「ハリー、選抜のことだけど…」

更にケイティが追い打ちをかけてきて、ハリーは3つほど問題を抱えながらグリフィンドール塔へ戻っていった。

 

 

 

ドラコは大見得切って誰の助けもいらないと宣言したことを後悔し始めていた。校長室への侵入なんて前代未聞。どこにも成功譚なんて転がっていないし校長室の間取り図すら遥か数百年前のものしか残っておらず、図書室にいくら篭っていても解決しない。

 

校長室へ入り、脳髄を盗み出す。

 

闇の帝王が与えた任務はあまりに荒唐無稽で、曖昧だった。

ドラコは脳髄なんて何に使うのか知らないし、どこにしまってあるかも知らない。

余程の幸運に恵まれない限り成功しないだろう。そしてそのチャンスはみすみすポッターに掠め取られてしまった。

 

「ねえ知ってる?ザビニがサキを狙ってるらしいわよ」

 

そんな中パンジーが持ってきた知らせは余計なお世話にほかならず、ただただ気分を憂鬱にさせるものだった。

「何で君がそんなことを?」

「見ればわかるわ。ドラコ、結局サキと別れたんでしょ?」

「いや…別れてはいないけど」

かと言って仲直りをしたわけではないのだ。サキは謝ってくれた。でも二人の間にはもう痴話喧嘩では済まない大問題が横たわってる。命とか家名とかプライドとか…初めてあった時と違って二人とも随分余計なものを身に着けてきてしまった。

何も考えてなかった一年生の頃、ポッターたちと指したチェス。禁じられた森の夜。決闘のあとの高揚感。すべてがもう、都市に沈む夕日のように遠い。

 

「サキがザビニに構うとは思えないね」

「でもスラグホーンの食事会に一緒に行くらしいわよ」

 

スラグホーン。蒐集家のセイウチ親父。僕はお眼鏡に適わなかったってか?

 

「別に、サキが誰とどこへ行こうと…」

「噂話警察だ!」

唐突に首筋にふわっとしたものが触れた。思わず飛び上がって後ろを見ると、サキがフクロウの抜けた羽と袋から溢れそうな羊毛を持って立っていた。

「ゲッ。サキ…あなた授業じゃないの?」

パンジーが気まずそうにつぶやいた。

「そ。魔法生物飼育学。これは羽毛と羊毛。…ところで誰の悪口?混ぜて混ぜてー」

「なんでもないわ。ってサキ、あなた獣くさいわよ…」

「そりゃそうだよ。さっき羊を絞めたばっかりだし」

なんでこいつはいつも通りなんだろう…。ある意味羨ましい。ドラコが眉間にシワを寄せてため息をついてるのを見てサキは慌てて逃げ出していった。

 

「ねえ、本当にあんなのが好きなの?」

「…あんなのって言うな」

 

 

 

サキは学校に来た途端スイッチを切り替えたみたいに普段通り好き勝手色んなところをふらついていた。寮にいる時間は少なく、いつも小さなバッグ片手に何処かへ行ってしまう。手助けのお誘いは一度やめることにしたらしい。

このあいだ湖の辺りで本を読んでるのを見たが、話しかけそびれてしまった。

サキはポッターとも喋っていないようだった。

 

ホグズミード行きまでに何かを試しておきたい。

まず校長室がどうなってるのかを知りたい。そのために目の代わりになるようなものがほしい。まずは校長室へ何かを持ち込ませるのがいいだろう。

ドラコはボージンの店で買ったネックレスのことを思い出した。万が一に備えて色々買い込んだが、どれもこれも盗みという隠匿行為にはイマイチなものばかり。ネックレスも暗殺ならまだしも盗みとなると役に立たない。

 

コマドリの鳴き声が聞こえた。秋の実りを分かちに来たんだろうか。

 

そういえばもうすぐハロウィンだった。

 

物思いに耽っていると時間はあっという間に去っていく。ドラコは校長室への侵入ルートを考えつかないままホグズミード行きの日をむかえた。

 

「ドラコ、ちょっといい?」

 

朝食後、珍しくサキが話しかけてきた。人気のない廊下まで引っ張られて行くと、声を落として囁いた。

「ハリーが疑ってる。列車での会話を聞かれたみたい」

「ああ。その事か」

ドラコも当然承知だ。その場で叩きのめしてやったわけだし、あれだけの会話じゃ目的なんて知られっこない。ポッターが嗅ぎ回ってくるのは鬱陶しいが、あいつだってどうしようもないだろう。ドラコは自虐的に笑った。

「大丈夫だろ。目的を知られたとしてもあいつにだってどうしようもない」

「あのねえ君…ハリーが疑ってるってことはダンブルドアにも伝わってるって事だよ?」

「だからどうした。どうせ初めから無理な任務なんだ。99%無理だったのが99.9%無理になっただけさ」

「もーなんでそんな捨てばちなの?」

「ヤケにもなるさ」

サキにはきっとわからないよ。と心の中で付け加えた。

サキは少しだけ悲しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

…我々の用いる魔法(以下血の魔法)は現在多数を占める杖を使う魔法と根源を同じくして原理は全く異なる。ヒトは自分を定義するとき多くが肉と魂を分けて考え、それらを統合するものとしての自我を打ち出している。これらの議論が正しいかはさておき、血の魔法と杖の魔法はこれと似たような考え方をすればいい。血の魔法は性質上、肉と密接に関係している。同族の減少に伴い我々が獣にも劣る継承法を選んだのは血の魔法があまりに物質的性質を持つからであり、好んで同胞の肉を食っているわけではない事を書き加えておく。近年マグルの研究で明らかになりつつある遺伝子…これは親の形質を子に伝える物質であるが…に似た目に見えない何らかが我々の血の魔法を発現させている。記憶の継承についても、その見えない何かが構造体となり集積し、その構造体を溜め込んだ肉を摂ることにより起きている。筆者はこの何らかの構造体がとりわけ脳に集積することを突き止めた。とりわけ脳の記憶領域と呼ばれている箇所にそれは溜まりやすい。…



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06.ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

………

 

セブへ

 

心配をかけてごめんなさい。もう大丈夫。

父は無事母と同じ墓へ弔いました。何度経験しても死には慣れないものです。

禄に家にいなかった人を墓に閉じ込めるのはなんだか悪い気がする。庭の花は案の定枯れていました。貴方のくれた花も枯れていました。

夏の間にきれいにしようと思う。

あなたのお母様もお体に気をつけて。

 

また夏の終りに会いましょう。

 

リヴェン

 

 

………

 

 

 

ホグズミード行きの列車を不安な気持ちで見送ってから、サキはスネイプの研究室に行った。去年から暇つぶしといえばもっぱらここ。先生も文句を言うのを諦めている。

闇の魔術に対する防衛術の職にようやっとありつけた先生は魔法薬学の棚の横を増設し、趣味の悪い物品を陳列していた。授業内容は思いの外(ある意味予想通りではあるが)普通だった。

「先生、これどう発音するんですか」

「…ミオクローヌス」

「ああ」

「さっきから何を?」

「母の書いた論文を読んでます」

サキは目をしょぼしょぼさせながら紙束を顔から離した。うねうね捻くれてく文字は相変わらず読んでくうちに頭がおかしくなりそうなくらい網膜の裏で踊ってはねてしっちゃかめっちゃかだ。これを理解しようとするとなると傍らにメモを用意して拾える単語をひたすら書き付けていくしかない。

「頭痛い〜」

「相変わらずひどい字だ…」

スネイプは呆れ気味に散らかった論文を拾い上げ眺めた。

「内容は?」

「脳の病気についてです」

「脳?」

案の定スネイプの顔が曇る。

「脳機能障害について調べていたみたいですね」

「リヴェンが?聞いたことがないが」

「断片ですが、ほら。ページ数的にはもっと研究していたはずです」

サキが書き文字に埋もれたノンブルを示すとスネイプはまじまじとそれを見て、続いて内容にも目を通す。

「マグルの病理学について…」

「もうさっぱりですよ。読んではいるけど理解が追い付かないです。あ、でもこれは面白いですよ!」

サキは別にまとめられたファイルを取り出してそっちを手渡した。

「食人族紀行シリーズ!実録!なんとアステカ文明のみならずニューギニア、インディアン…そればかりかインドのごく一部の信徒の風習までを収録した読み応えのある一冊です」

その本はマクリールの家にあった中で一番面白くてストーリーらしきものもあるものだった。マクリールの手からなる一連の書物はどの世代の書いたものにしろ感情が一切書かれていないが、このスリリングな冒険譚はそれを抜きにして面白い。スネイプもぜひ読んで感想を教えてほしいくらいだ。

「……食人、か」

しかし先生の反応は芳しくなかった。やはりサキが置かれている状況を思うと、保護者としては笑えないんだろう。

「そう渋い顔しないでくださいよ。まだ新学期は始まったばかりじゃないですか」

「…ホグズミードにはいかないのか?」

「ええ。取り立てて用事もありませんから。ドラコったらなんにも教えてくれないんですよ」

「今ドラコは意固地になっている。とはいえ、いまのままでは何か無茶をやらかすかもしれん」

「でも、全然信じてくれないんです。私と先生に対して敵愾心を燃やしてるというか…。ねえ、私ドラコに嫌われちゃったんですかね?」

「我輩に恋愛相談をするな」

「確かに」 

サキは大きく伸びをして天井に貼られた星図を眺めた。

 

「実際問題…先生、どうするつもりなんですか?破れぬ誓いを結んだ以上、先生は脳髄を盗まざるを得ませんよ」

「いや、そうとは限らん。あの誓いは『ドラコが脳髄を盗み出すことを手助けする』ものではなく、『ドラコの命を守る』という誓いだ」

「先生のあまーい声でヴォルデモートを口説き落とすとでも?私のときみたいに」

「いや。闇の帝王はドラコの命を天秤にかけて我輩の忠誠心を試しておいでだ。期待にそうには…脳髄かそれ以上の成果を持ち帰ればいい」

「脳髄以上の成果ってなんでしょう」

「……まだ時間はある」

「そういうの先送りって言うんですよね?」

「君は心配しなくていい」

「またそんなこと言う」

 

時間は遅々として、それでいて確実に進んでいる。

人間は時計の針を止めることはできない。魔法使いでも手の及ばぬ領域だ。

 

「数千年分の記憶を継ぐということは、人格すら変容させる。少なくとも、今の君は変わってしまうだろう」

「母が魔法を継いだのは4年生のとき、ですよね?先生は見たんですか?母の変わり様を…」

「我輩が知ってる彼女はおそらく、既に魔法を継いだ彼女だ。しかし、晩年の彼女は明らかに…正気を失っていた」

「どんな風に?」

「時間を、ひたすら確認していた。それが終わると抜け殻のように椅子に座っていた。話す内容もだんだん取り留めがなくなって、手の震えも止まらなくなっていた」

「…なんか悲しいですね」

「まるで急に萎れていく花のようだった」

 

スネイプは言葉を濁す。あまり言葉にしたくないようだった。

 

「…母は自分の死ぬときを知っていたんですよね?予知、できたんですから」

「ああ」

「死の恐怖でおかしくなったとは?」

「そうは見えなかった。あれは、形容し難いが…諦念に近かった。燃え尽きたとでも言うべきか」

 

サキはう~んと唸って考えた。

過去をやり直せる母がなぜ諦念に支配されそのまま萎れていってしまったのかそれがわからない。と同時になぜ死んだのかもわからない。過去改変に肉体的な負荷がかかることはさんざん聞いた。だとしたら母はどれだけ過去を書き換えたのだろう。

 

と、そこでノック。誰かがスネイプ先生!と扉越しに呼びかける。小さなグリフィンドールの新入生がビクビクしながら「マクゴナガル先生がおよびです」と告げた。

サキは半ば追い出される形で研究室を出て、仕方なく図書室へ向かった。

 

図書室で勉強しているうちに真っ暗な冬の夜空に雪がチラついてるのが見えた。もうそんなに寒くなったなんて気づかなかった。最近は野宿をしたりしないから気候に対して鈍感になっている。

 

「あ…サキ?」

 

ぼーっと窓の外を眺めていたら遠慮がちに声をかけられた。そこにいたのは相変わらず本を山ほど抱えたハーマイオニーだ。サキがいる棚までくるのは首席候補のスタディホリックなレイブンクロー生と彼女くらいだ。(なにせ並んでいる本はほとんどマグル用の、やたらニッチな本のみだ。例えば『マイクロソフト社のスーパーエグゼクティブ経営術』や『寿司写真集』『主婦の節制術1978年度最新版』などなど)

「こんな棚の前で何してるの?」

「ここなら人がさ、来ないから」

「確かに。6年図書館通いをしてるけどここに人が居るのなんて珍しいわ」

「そのわりにボイラー用のパイプが走ってるからあたたかいんだよね」

「そうそう。隣いい?」

「どうぞ」

 

ハーマイオニーが抱えているのは魔法薬の本だった。どうやらハリーにフェリックス・フェリシスを掠め取られたのが相当悔しかったらしい。

 

「ホグズミードはどうだった?」

「特に変化なし。スラグホーンにクリスマスパーティーに誘われたわ」

「ああ。私も。行く?」

「サキがいるなら行こうかしら。ハリーもいるし」

「ロンは誘うの?」

「そのつもりだけど、貴方は?」

「私はロンは誘わないよ!」

「ロンじゃなくて、マルフォイよ」

サキはとびっきり渋い顔をしたらしい。ハーマイオニーが苦笑いする。

「貴方、まだマルフォイと仲直りしてないの?」

「うーん、喋ってはいるけどさ…前より冷たいっていうか…遠いっていうか」

「私、マルフォイにはずっと同情してた。あなたの態度は…そうね。まるで兄弟だったし」

「…兄弟いないからわからない」

「だから同情してたの」

「ちえ。なんだよ。ハーマイオニーだってクラムとはどうだったの?」

「ビクトールとは…いい思い出よ」

「ずるいや!自分のことになると黙秘かぁ?!」

サキが冗談半分でハーマイオニーの脇腹をくすぐり、ハーマイオニーは必死に笑いをこらえてサキにくすぐり返した。本棚の隙間から眉間にシワを寄せたレイブンクローの7年生が睨んできたので、二人は咳払いして座り直した。

 

「あのね…ハリーが悩んでるの」

「え…な、なにでですか」

「貴方のこととマルフォイのことで」

「あー」

その話題か。どう返すべきだろう。サキが頭の中で色々考えているうちにハーマイオニーは話をすすめる。

「夏の間、何があったかは聞かないわ。私はあなたを信じてるもの」

「ありがとう…」

「でもハリーは気になるみたい。マルフォイは列車に乗る前にボージンの店に行ってたの。知ってる?」

「え、何買ったの?」

「わからないわ。それもあって疑ってる」

「へえ…まあ、ムリもないよね」

「でも私が思うにね、ハリーが本当に悩んでるのはそこじゃない。ねえ、サキ。貴方ハリーのことどう思ってるの?」

「え?なんで話がそうなるの?」

サキは混乱した。混乱して思わず体の向きを変えて本の山を崩してしまった。

「マルフォイを疑ってるのとハリーが調子悪いのは別問題なのよ」

「う、うー?わからん!ハーマイオニーが何を言いたいかわからん!」

「ハリーはあなたが好きなのよ」

「それは流石に嘘だ!」

「もう。本当だってば」

ハーマイオニーは大きなため息をついた。

「…でも今の私を見たら好きって気持ちも腐っちゃいそうだけどな」

「どうして?」

「だって…私はヴォルデモートの娘だもん」

ハーマイオニーは黙った。リアクションを見るに、やっぱりハリーから聞いてるんだろう。

「ハーマイオニー。私だってハリーを助けたいよ。でも、駄目なんだ。私は人でなしだね」

「そんなこと無いわ」

「そんな事あるよ。だって…だって私は、ハリーの為にできることはたくさんあるのにできないもん。自分の目的のために友達を蔑ろにしてる」

「そんなの普通じゃない。サキらしくないわ」

「はは…ナーバスになってるのかな…」

「そうよ。ねえ、今度ジニーやルーナも一緒にランチでもとりましょうよ。前みたいにみんなでピクニックで」

「…いいね」

「約束よ」

 

ハーマイオニーは優しく微笑んだ。なんだか気持ちだけは救われた。それがつかの間の錯覚でも、サキにとってはありがたかった。

女子会はクィディッチの試合のあとにやることになった。ジニーは練習で忙しくていつも飛び回っている。ルーナはふくろう試験の勉強をしてるんだかしてないんだか。たまに図書館に顔を出してサキの隣で本を読んでいた。

「ルーナ、その本逆じゃない?」

「これでいいんだよ」

「ふうん」

サキも試しに母の論文を逆さまにしてみた。読みにくい字がより読みにくくなっただけだった。

 

それなりに楽しみにしていた女子会は、残念ながらとてつもなく深刻な語り場となってしまった。

 

というのもロンに彼女が爆誕してしまったからだ。

 

「エイプリルフールはまだ先だよ?」

「嘘に見える?」

「…見えない」

ハーマイオニーの顔が能面になっていた。

薄々感づきつつも「まさかね」と頭の中で保留しておいたのだが、やっぱりハーマイオニーはロンが好きだったらしい。

「まね妖怪でもないんだ?」

ルーナもしれっと酷いことを尋ねたが、ジニーは首を横に振る。

サキが持ってきたハーブティーとスコーンの山にバターやジャムを塗ったりしつつ、4人は顔を突き合わせながら葬式みたいにぼそぼそと話し込む。

「ラベンダーってどんな子?」

「ほら、ブロンドの…占い学が好きな子」

「わからん」

「バカよ、バカ」

ハーマイオニーがぴしゃりと言った。

「別に、ロンがどんなおバカさんと付き合ってもいいの。いいのよ。ただ節度を守ってほしいものだわ」

「ああ、あたし見たよ。廊下でべったり抱き合ってた」

「ルーナ。ちょっとスコーン食べてて」

追い打ちをかけるようなルーナの口をスコーンで塞いでジニーがため息をつく。

「みんな恋愛沙汰で大変だねえ」

「サキに言われたくないんだけど…」

「ジニーもうまく行ってないんだよね。誰だっけ?でぃ…しぇ…シェーン?」

「ルーナ、お願いだから少し黙ってて」

女子会は当初想定していた空気よりも遥かに重い話題で持ちきりだった。ラベンダーをこき下ろした次は男はいかに女の気持ちを理解できないかをジニーが実例を交えて熱弁した。その次はサキの話題だった。

「サキはロンたちを悪く言う資格はないわ」

「唐突に槍玉に挙げられた!」

「あのねえ、やっぱりマルフォイとはいえ可哀想だわ。喧嘩の理由はなんにせよ、あんまりにも恋人らしくないもの」

「君とディーンみたいにベタベタしろってこと?」

「そういうわけじゃないけど」

「キスしたいとか手を繋ぎたいとかそういう気持ち無いの?」

「あたしは無いな。でもサキとはよく繋ぐよ」

ルーナの無意識な横やりにはもう誰も突っ込まなかった。

「待って待って、愛って相手を慈しみ尊重する感情でしょ?それなら私、十分愛してるよ!愛人だね!」

「愛の前に恋でしょうが」

「ハーマイオニーもロンとキスしたい?」

「……否定しないわ」

「みんな進みすぎだよ。ルーナはキスなんて考えたことないよね?」

「ない」

「16歳でその恋愛観ははっきり言ってヤバイわよ」

ハーマイオニーは呆れ気味で、ジニーは頭を抱えていた。

「ていうかみんな突然発情期みたいに浮かれ過ぎなんだよ。いくら例のあの人が帰ってきたからってさあ」

「確かにブームっていうのはあるかもしれないわね」

「私は違うわ。ロンは確実にそうだけど」

ハーマイオニーはロンへの怒りが再燃したらしい。

「もしかして…惚れ薬を売ればかなり儲かるのでは。仕入れなきゃ」

「問屋ごっこはおいといて、サキ。ちゃんとしないとマルフォイに捨てられちゃうわよ」

「蒸し返さないで…」

 

サキはさんざんアドバイスを受けたがあまり参考にはならなさそうだった。

とにかく手を繋げという結論にたどり着く頃にはあたりはすっかり暗くなって、4人は凍えながら大広間へ向かった。

 

「私に恋は早かったのかな…」

「これからこれから」

「ジニーなんて1年生の頃から恋してるのにね」

「……うん。そうね。ずっと恋してるかも」

そういうジニーはどこか懐かしそうな、それでいて切なそうな顔をしていた。

その理由はサキにはまだわからなかった。

 

ドラコと真剣に向き合おう。そう思った。

 

 

………

 

 

 

1968.11.19 失敗

1970.04.11 失敗

1973.06.19 失敗

1978.06.23 失敗

1980.05.12 失敗

1998.05.02 失敗

1998.05.01 失敗

1997.06.30 失敗

1995.05.30 失敗

1980.03.21 失敗

1979.07.22 失敗

1981.04.17 もう、思い出せない。もう戻れない。もう最悪の未来にしかたどり着かない。もう何も感じない。

 

 

………

 



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07.仮面の告白

「ドラコークリスマス暇?」

「暇なわけ無いだろう」

サキの仲直り計画はたった二言目でたち消えた。ジニーとハーマイオニーが綿密に組み上げたデート計画はクリスマスに一緒に過ごすことが前提だった。

どうしたものかと頭を抱えてるサキにザビニがスラグホーンのパーティーの誘いを引っ掛けてやってきた。

「君、晩餐にも全然出てないだろ?いい加減出ないと見限られるぜ」

「あー、そうだね…ドラコにも振られちゃったし出ようかな」

「振られた?ついに?」

「違う!誘いを断られただけ」

「なーんだつまらないの」

ザビニを筆頭にスリザリン生の殆どが二人の大喧嘩以降のグダグダした関係を面白がっている。傍から見れば面白いらしいがサキとしては笑えない。

「私らの繊細でふかーい関係は君にはわからないよ」

「男女の関係なんて深いぶん薄くてあっさり切れちゃうもんだぜ」

「プレーボーイは言うことが違いますな」

「まあね。それで、もしスラグホーンのパーティーに行くなら一緒に行かないか?」

「はー?きみと?」

「別におかしかないだろ。同じ寮で仲良くやってきたじゃないか」

「仲良くした記憶ってのが少ないんだけど」

「悲しいこと言うねえ。3年生の頃からずっとアプローチしてるっていうのに」

「え?そうなの?」

「マジ?わあ、こりゃドラコもキレてしょうがないな」

ザビニは両手を上げて降参のポーズをとった。サキは耳にタコができるほどそのセリフを聞いて、半ばうんざりしながら応対した。

「ちえ。なんだよみんなして…愛してるとか好きだとか、一挙手一投足つぶさに伝えてるの?」

「あたりまえだろ。言葉にしなきゃ伝わらない」

「その割にはみんな言葉にしたがらないじゃないか」

「言葉にした瞬間壊れる関係があるからさ」

「私とザビニは言葉にしたってずっと友達だよ」

「キツイね。じゃあドラコとはどうなんだよ。このまま喧嘩しっぱなしで卒業まで過ごす気?」

「そんなわけなかろうて。でもきっかけが全然掴めないんだよ」

「きっかけねえ」

ザビニは端正な顔を歪ませて、悪巧みをする時の顔をする。(ウィーズリー商品の闇市場を仕切ってたときよくしてた顔だ。ちなみに今は、サキを仲介して試作品のモニターのマネジメントをしている)

「じゃあ尚更君は僕とデートすべきさ。そしたらドラコもしびれを切らして君に何かをいうよ」

「騙されないぞ…そんなの余計怒らせて終わりじゃん!」

 

サキがクリスマスパーティーに行くか行かないか悩んでるとき、同じくスラグクラブのメンバーのハーマイオニーもハリーも相手に悩んでいたらしい。ロンは頑なに出席を拒みラベンダーとべったり。ハーマイオニーは報復に別の人を誘った。

「誰?」

「コーマック。コーマック・マクラーゲン」

ハーマイオニーは悪い顔をしていた。

「ハリーにさそわれた?」

「ううん。ザビニには誘われたけど」

「ああ。やっとモテ期が来たのね」

「ハーマイオニーこそ」

ハーマイオニーがコーマックに好かれているとジニーから聞いてはいたが、まさかそいつをパーティーに誘うとは思わなかった。ハーマイオニーはサキと違って鈍くないから駆け引きの一環なんだろうけど、ロンが好きなのに他の男を誘うというのはあまりに高度な気がした。

「私はなー、ドラコ以外とは踊れないな」

「そういうのを本人に言うのよ」

ごもっともだ。

 

 

 

さて閑話休題。暇な時間すべてをマクリールの手記に注ぎ込んた結果をサキはスネイプに見せた。マクリールの魔法について一番知ってるはずだから…と助言を期待してのことだったが、残念ながらスネイプも初めて知ることが多いようだった。

「彼女は記憶で見た通り、散文で会話してるような人だった」

「ああ。なんか聞いた感じあんまりお話は得意じゃなさそうですよね…」

 

手記は大まかに

①過去数千年に渡る記憶の、時系列の定まらないメモ書き

②記憶のうち歴史的出来事についての仔細な記録

③事物に関する研究

の3つのジャンルにわけられる。食人族紀行シリーズなんかは後年付け足された余白のメモ書きのせいで①と③の入り交じるものになっているが大体は別々にまとめられている。

リヴェンが書いたものはほとんどが①②への付け足しばかりだ。その中で唯一彼女直筆のものが③の事物に関する研究だった。とりわけ脳に関して彼女は関心を寄せていたらしい。

 

「海馬を巡る脳の領域の問題、ウェンディゴ憑きの伝承の傍証、クールー病患者の脳解剖記録、癲狂院におけるロボトミー手術の実態…等々。もう私やになっちゃいますよ」

「どれ、貸して見せろ」

スネイプに癲狂院のレポートを渡してやった。(それが一番強烈だった。)スネイプは目を細めてぐちゃぐちゃの文字を数行拾い読みした。

「いつの間にこんなところに行ったのだろう」

「さあ。でも癲狂院なんて呼び方は大昔のことですし、祖先の誰かの記憶をもとに書いたのかもしれません」

「…脳、か。代々脳を食ってきたにしては関心を持つのが遅い気もしなくはない」

「あー、どうやら食人習慣はかなり前からあったようですが、脳だけ食べることにしたのは最近みたいです。食人族紀行シリーズでノア・マクリールが書いてました」

「ノア…Nということは百五十年ほど前の人物か?」

「ちょうどそんくらいですねー。でもノアさんも、宣教師がバンバン海を渡る時代の記憶を参照して書いていますし、原体験は恐らく18世紀とかのものかと。ヨハンナと書かれているので、結構前の人ですね」

「何百年も前の人物の記憶を書いているのか」

「元来このマクリールの魔法の目的は歴史と記憶のアーカイブ化と、繰り返す歴史にみられるパターン分析から魔法の源を探すもの、だったようです。母の研究以外はすべてそこに着地していきましたから」

スネイプは食人族紀行シリーズや攻城戦での魔法使いの役割や、過去現れた闇の魔法使いの精神分析の論文を見た。確かに多くの論文は「辿り着くにはまだ足りない」と締め括られていた。

「つまり、過去の改竄や予知…という呼び方が適切かはさておき、それはイレギュラーな使い方なのだな?」

「そうです。そもそも歴史の改ざんなんてあっちゃいけないんですよ。この魔法は起きたことすべてのアーカイブと分析のためにのみ、今日まで紡がれてきたわけですからね」

「なぜリヴェンはその魔法を交渉のカードにしていたんだ?そもそも闇の帝王に協力せざるをえなかったのなら、その事実を改変することも可能だったはずだが」

「そうなんですよね。私達が思ってるより万能な魔法ではないようです」

二人してうーんと考え込んだ。考え込んだところで答えは出ないのでサキはため息をついて立ち上がり、お湯を沸かし始めた。

 

「…ドラコは」

「思い詰めてます」

「そうか」

「デートも断られました」

「なにをしようとしてるかもわからないのか」

「わからないです。避けられてて悲しいです」

「君なら頑ななドラコも言うことを聞くと思っていたのだが」

「そうはいかないようですね」

サキは蒸気を目頭に当てようと手で仰いだ。しかし何故か目がツンとして涙が止まらなくなってしまった。

「とにかく今はクリスマスパーティーに出席しない言い訳を探さないといけないんですよね」

「罰則でも受ければいい」

「あ!そういえば今年はまだ誰の罰も受けてない!褒めますか?」

「それが普通だ」

 

……

 

 

誰かにとっての普通が誰かにとっての特別なようにサキにとってドラコは特別だ。パーティーに誘う最後のチャンス、前日の放課後に人目を避けるように談話室から出ていくドラコのあとを追いかけた。

「ねえ」

サキが声をかけるとドラコは飛び上がった。

「どこ行くの?」

「…別に」

「ドラコ、あのね…明日のパーティーなんだけど」

「言ったろ、暇じゃないんだ」

「うー、パーティーは口実。君に伝えたいことがあって」

「なんだ?」

ドラコは余裕がなさそうだった。いつもはきれいに整ってる前髪が一筋乱れて額にかかっている。

「あのね、OKだよ」

「は?」

「だからOK。君、3年生のとき箒から落ちて医務室に運ばれたの、覚えてる?」

「え?ああ。覚えてるけど」

「あの時ちゃんと返事してなかったから」

「……は?え?待ってくれよ」

ドラコは必死に時計の針を戻している。しばらく頭をかしげてからようやく合点がいったらしい。

「そうだよ!君、ちゃんと返事してないじゃないか」

「うん。最近言葉にして伝えろって言われ続けてたから言った」

「言われなきゃ返事しないままでいるつもりだったのか…?」

「そういうわけじゃない!伝わってたじゃん。伝わってると思ってたんだよ」

「…まあ僕も気づいてなかったから何も言えないけどさ…それにしても」

「そうだよね。いや、てっきり私の愛はまるまる伝わってるもんだと…」

ドラコは拍子抜けしそうだった。今までの緊迫した関係がまるで他愛のない痴話喧嘩みたいなものに見えてくる。愛なんて口にするサキに本当ならばキスの一つでもすべきなのかもしれない。しかし、ドラコを取り巻く環境はそれを許さないのだ。

「僕も君がずっと好きだ。あまり伝わってない気がするけど」

「伝わってるよ」

「いや、多分3分の1も伝わってないよ」

「む、奇妙な既視感が」

サキは何故かこめかみをおさえた。

「私は本当にドラコに悪いことをしたと思ってる。アンブリッジへの反抗心と私情を混ぜて、君に酷いことをした。本当にごめん」

「ああ。いいよ、そのことはもう…」

 

ハリー・ポッターをめぐる対立はもう何度もしてきたし、最終的にサキはドラコの肩を持つ。その最終的に、という所にドラコがうまく折り合いをつけられなかった。わかっている。わかっていた。

 

「それ以外もずっと、君の好意に甘えてわがまま放題だったでしょ。君を好きって言ったのに、無責任だった」

「責任、か」

「あ、それ以外にも何か怒ってるんだったら言って。反省するし、ちゃんと謝るから」

 

 

ドラコは1年生のころハリー・ポッターに敵愾心を燃やしていた。たまたま生き残った。それだけで注目の的のポッターは期待はずれの痩せっぽっち。偉大な魔法使いになろうという意思もない、ただの子どもだった。

 

「僕は…」

 

ポッターは、与えられたものを最大限に使って上へ行くという、ドラコが毎日言われてきた骨に沁みた教えに背いて、それでもドラコよりも有名で持ち上げられていた。

努力に見合うものが与えられないドラコと、努力せずにそれを持ってるポッター。

そしてあの人の娘という絶対的な生まれの優位を持つサキ。

それでいてそれにあぐらをかくでも無く、鼻にかけるでもなく、我を通す勇気がある。

竹を割ったようにさっぱりしたスリザリンらしくない生粋のスリザリン生。

親に与えられた責任もないのに自分自身で道を見つけてあるいてく姿を見ると、自分が首輪付きの犬になった気がしていた。

 

「僕は、君になりたかったんだと思う」

 

ドラコは今の一言で全てが伝わるとは思ってない。

けれども唐突なその言葉を聞いて、サキは微笑んだ。

 

「ドラコは十分頑張ってるよ。私は背伸びし続ける君が好き。上品で厭味ったらしい君と軽口を叩く時間を尊いと思うし、闘争心にもえてる君をからかうのは何よりの快感だし、努力を見せない君を尊敬しているよ。だから私は君に死んでほしくなんかない」

ドラコの返事がないのでサキはちょっと悩んで冗談っぽく付け足した。

「まあ、私にはならない方がいいよ。もれなく火事で家族が死んじゃうから」

「……ああ、火事は嫌だな」

ドラコは返事を絞り出した。

サキは本当に昔から変わらない。はじめは、本当に単純に屈託のないその笑顔が好きだった。

「いままでごめんね」

「気付くのが遅すぎるんだよ」

「返す言葉もない」

 

 

 

 

黒い宝石。落ちない垢で鈍い色が染み付いたリングの彫り留め部分は今までその指輪を手にした何人もの主が嵌った石を撫ぜていたのがわかるほどに黒黒と艶めいている。

ダンブルドアの萎びた指に嵌った指輪はまるでその右手から生気を吸い取ったかのようだった。

その妖しく美しい輝きが誘うようにハリーの目に入った。

 

「先生はースネイプ先生を信じていらっしゃるんですね?」

「そうとも。ハリー」

「僕、聞いてしまったんです。スネイプが…」

「スネイプ先生、じゃよ」

「あ、スネイプ先生がー」

ハリーは内心いやいや言い直す。

「クリスマスパーティーの時にサキと話していたんです。校長室への侵入りかたについて」

「ほう。さすが冒険家を志すだけあるようじゃな。良きかな良きかな」

「全然良くありません!サキはマルフォイと何かを企んでいます」

「ハリー、証拠もないのに疑うのはよろしくない。サキは君の友達じゃろう」

「サキは大切な友達です。でも付き合いが長いぶんわかりやすいんです。彼女は脅されて、あいつのために動いている」

「確かにサキはヴォルデモート卿の接触を受けている。しかし彼女は自分の身の振り方を心得ているはずじゃ。さらに言えばスネイプ先生がしっかり守って下さっている」

ハリーはそのスネイプが信用できないのに…その感覚はどうもダンブルドア(とハーマイオニー)には通じないらしい。クリスマス休暇中にリーマスに話しても、スネイプが見ているなら干渉しないという判断を下していた。

理由はダンブルドアが信じているから。

ハリーを長年苛むジレンマはダンブルドアとサキの信用でもまだ解消されていなかった。

「それに、サキに校長室への侵入の手立てが思いつくとは到底思えんのう。わしでさえ未だ、合言葉を忘れてしまったら最後。入ることができんのじゃから」

ダンブルドアはいたずらっぽく微笑むと杖をちょいっと振って憂いの篩を呼び出した。

 

「さて、今宵も記憶の旅へ出かけようか。今日はホグワーツでのリドルの記憶じゃ」

 

 



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08.さよならを教えて

ハリーから離れて過ごす毎日は辛かった。初めてできた魔法使いの友達だったけど、ドラコのために今は離れていなければいけない。ただでさえハリーはドラコを疑っている。サキも当然疑われているだろう。

何より二人で話した際ハッキリと味方はできないことを告げてしまった。

敵…とは思わないけれども、ダンブルドアから脳髄を盗み出す際にハリーは障害となりうる。

 

「本当にいいのか?ポッターは…」

「ん?ああ。まあね…」

天文塔の屋根裏、鐘の接合部のあたりには毛布が敷かれていてそこそこ暖かい。けれども隙間風は防ぎきれず二人は厚着して双眼鏡やらなんやらを眺めながらぼうっとしている。真っ暗な夜空は深い藍色で、誰しもが寝静まった校舎からは松明の爆ぜる音くらいしか聞こえない。禁じられた森からは時折何かの鳴き声が聞こえる。

「私達の対象はあくまでダンブルドアの持ってる脳髄だし、別に敵ってわけじゃないでしょ」

「君のやけに割り切った善悪観はたまに不安になるよ」

「なに、君心配してくれてるの」

「そりゃまあね。3年生の時みたくへこたれられるとやり辛いから」

「流石にもうそのジレンマは乗り越えたよ」

サキはおっきく欠伸して鉄ジュースを飲み干した。何度飲んでもなれない喉越しだ。

「ダンブルドアは…」

「まだ帰ってきてないみたいだ」

「はー…やってらんねー」

「ダンブルドアは学外で一体何をしてるんだか」

「…さあね。まあでも外出時間はまちまちだけどある程度パターンは見えてきたよね」

「ああ。多分今晩はモノの日だ」

ドラコとサキは天文塔でずっと観測を続けている。ダンブルドアの外出が前年度にも増して多いことをドラコは突き止めた。校長室へ侵入するなら当然主がいない時に限る。サキが手を貸す前までに、ドラコはダンブルドアがホグズミード村に現れた場合にコインを使い伝令させる連絡網を作り上げていた。さらに忍びの地図の類似品を制作し、ホグワーツ城内全てとはいかないが校長室付近で人の有無を確認することまでできていた。

忍びの地図の精度はイマイチで足跡くらいしか表示することはできなかったが、今はそれで十分だ。

サキがたまにハリーから借りて使ってるのを見ただけでよくここまで作ったものだと感心する。

ハーマイオニーが異常なせいで霞んでいるが、彼は学年2位だ。

 

「作り方教えて。量産したら売れるかも…フィルチの足跡だけうつるようにしてさ。課金すると見れる足跡が増えてく」

「バカ。今それどころじゃないだろ」

 

サキの商魂には恐れ入る。その商魂が目標達成に向けられた時、ドラコは改めてサキの成績に反映されない小器用さと几帳面さに驚いた。

ドラコのマメな記録により、二人はダンブルドアの外出時間、帰宅時間から①おそらく人にあってるであろう比較的早く、短い外出と②遠くに出かけて疲れて一杯やりたくなるような外出の二パターンがあることがわかった。

 

まずサキは検知されない魔法(血を使った、彼女にしかできない魔法)で学校の壁という壁にかけられた防衛呪文を検知し全ての魔法の種類を地図に書きつけた。さらにその魔法に触れるものがあるか否かを感知する魔法をかけてきたらしく、何度か吸魂鬼の来訪や狼男たちの巡回を嗅ぎつけた。

そればかりか近辺に現れる闇祓いもわかるらしい。

「ダンブルドアの外出は闇祓いも知らないみたいだね」

サキは貧血気味の青白い顔で、唇をむにむに揉みながら細かい文字の書かれた地図に新しく呪文を書き足した。

「弱い部分はどんどん継ぎ足しで魔法がかけられている。ダンブルドアはまず確実に校内で姿くらましをしてるはずなんだけど…痕跡が見当たらないね」

「そもそも校内では姿あらわしもくらましもできないはずだ」

「抜け穴があるのかな」

「君の魔法では検知できないのか?」

「今使ってる魔法はもともとかかってる魔法に付け足すものだからね。かかってない部分はどうしようもないし、どんな魔法がかかってるかわからないと手のつけようがない」

「…もう少しわかり易く」

「えーと、ドラコはアラビア語読める?」

「アラビア語?いや…」

「でも文章にアラビア文字が混じってても割と読めるよね?」

「まあ文字の形が違うから飛ばせばいいだけだし」

「私の使える魔法は杖で使う魔法と違うんだけど、魔法であることは変わらないのね。血を使って魔法を解くっていうのは、文章を全部アラビア語にしちゃうみたいなこと。今回やってるのはそうじゃなくてアラビア語混じりの文章の拡散かな」

「つまり君は悪い魔法を振りまいてるわけだ。えーっと…癌みたいに?」

「癌なんて知ってるの」

「まあ癒師志望だから」

「だいたいそんな感じだよ。魔法がアクティブになると自動的に私の混ぜた異種の魔法が別の魔法へどんどんうつってく。癌っていうかウイルスだよねもはや」

魔法の構文を壊すことと、魔法に別言語の文字を紛れさせること。クイン・マクリールの書いたものは主に血の魔法の便利な裏技集でこれが一番重宝した。

ダンブルドアの監視網は毛細血管のように張り巡らされ、あとは現場を押さえて外出したその瞬間を知ることができればやっと脳髄を盗み出す足がかりになる。

「私は硬い床には慣れてるけど、ドラコは辛いでしょ」

「僕だって男だ。大丈夫だよ」

「膝乗る?」

「…遠慮しておく」

ドラコはサキの一世一代の告白後も踏み込んでは来ない。

「娘はやらん!とかないから大丈夫だよ」

「君の全く笑えない冗談はどうにかならないのか?」

「はっはっは」

 

 

世界の枠組みを理解しようとする試みはマグルも魔法使いと同様に何年も何年も行われてきた。マグルの世界でも名だたる哲学者は、だいたい魔法界にも名を残す偉人なのだけれども。

リヴェン・マクリールの手記によると、この世は猥雑さに満ちた秩序正しい世界らしい。サキはその文を読んだとき、全く矛盾していると思ったのだがどうやら彼女の理論では成立するらしい。

猥雑で、煩雑で、無造作。何の繋がりもない点と点に何らかの秩序を見いだせるほどにそれは取り留めもないらしい。壁のシミに人の顔が見えるようなものだ。とリヴェンは〆ている。

 

ここ一年近く母と向き合って唯一読んでない本がある。革表紙の、日焼けしてない真っ白な本。

釘のはみ出した棚にあったやつだ。

何も書かれていない本だからと放っておいたその本はどこか禍々しい雰囲気を放っていて、ずっとトランクの下に忘れられていた。

この本に似たものを、見たことがある。

忘れもしない『いっぱい食わされた』苦々しい記憶。トム・リドルの日記とそっくりなのだ。

 

「…あ」

考え事をしていたら、ばったりハリーと鉢合わせてしまった。

「あ、やあ…」

「スラグホーン?」

「ああ、うん。そうだよ…サキは?」

「考えながら歩いてたらこんなところまで来てた」

本当は天文塔の見張り台から降りて寮に帰る途中だったのだが、サキは思わずごまかしてしまった。

男子3日会わざるはなんとやら。しばらく避けてるうちにハリーはゴツくなった気がする。

「最近パーティには?」

「行かない行かない!性に合わないんだよああいうのは」

「だと思った」

「ハリーはお気に入りだし、誘いはしつこいだろうね。私はもう飽きられちゃったみたい」

とはいえサキの畑には時々顔を出すのだが。

「…マルフォイとは、どう?」

「校内新聞にすっぱ抜かれたとおりだよ」

コリンの作った学内新聞部は現在学内のゴシップのみならず、授業のテスト範囲から世間に流れるあの人の噂まで様々な話題を提供し流通している。ここ最近人気のゴシップはサキとドラコの復縁とチョウの新しい彼氏についてだった。

「あの新聞、明らかに風紀を乱してると思わない?」

「それは同感。…仲直りできたんだ」

「おかげさまでね」

「…やっぱり、君は」

ハリーは続きを言いにくそうにしていた。言いたいことはわかっている。

「私は…君を友達だと思ってるよ。でも話はちょっと複雑でね」

「複雑なもんか!サキ、校長室で君たちは何をするつもりなんだ?あいつはマルフォイに何を命じているの?」

「あれ。知ってるの?結構バレバレなもんだなあ」

「茶化さないでくれ」

ハリーはいつになく真剣な眼差しだ。頭の中でサキを信用するかどうか考えてるんだろう。けれども、夏から答えは決まってるのだ。

ハリーにはダンブルドアも不死鳥の騎士団も、一緒に冒険する仲間もいる。

ドラコはこのままじゃ殺される。

「秘密」

「…君の事を、敵だと思いたくなんかないんだ」

「私もだよ。でもこうなった以上ハッキリしといたほうがいいね」

サキは今まで見たことのないくらいの無表情で告げた。

 

「私は君の敵だよ。こう言ったほうがお互いのためだね。私は絶対やると言ったことはやる」

 

死刑を言い渡すように。いや、ギロチンのロープを切り落とすようにサキは言い切る。数ヶ月前の弱々しい彼女は消え去って、いまは脆く鋭いガラスの獣のようにハリーに対峙していた。

 

「……サキ、僕は…君のことが好きだった。ずっと」

「ありがと」

 

サキは記憶の中のトム・リドルそっくりの、柔和で温かい笑みを浮かべた。冷徹さの上からかぶせた仮面が不気味に歪んでいる。ハリーは地面が崩れていくような絶望が溢れ出ないように必死に拳を握り締めた。

 

「どうしてこんな風になったんだろうね」

 

サキはぽつりとつぶやき、昔禁じられた森の辺りでそうしたように踵を返してハリーのもとから去って行った。

どこかで小鳥が鳴いている。もうすぐ春がやってくる。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

1996.06.17?158回目

特筆すべき事項。前述ダンブルドアの企みについて手助けした結果、またも同じ結末へ。これで彼の死は干渉の有無に関わらないことがわかった。けれども自身で手を下したときのみ1998の壁を超えることができた。とは言えヴォルデモートの圧政化で彼が生き長らえるはずはない。即座に改竄。この記述は改竄によりまた消える。書くことに意味を感じなくなってきた。

 

1980.01.2?16?回目?

失敗した。トム・リドルに一度関心を向けられるともう逃げ切る結末はあり得ない。恐ろしい男。こうなればもういつも通りの結末。やり直す。

 

1980.06.30.20?回目

また、失敗した。

 

1980.04.17.?回目

窓辺でカーテンがめくれた。ごく稀に庭に入り込んでくる、黒髪の青年を見た。彼が私を垣間見る世界は、ほとんどの場合最悪の結末。

 

 

 

 

 

 

1981.10.31

私がくちばしを突っ込んだ結果、大幅な書き換えにより1998年まで戻れなくなってしまった。私の脳がついに駄目になったらしい。もう過去へ戻れない。未来も見えない。変えられない。私は失敗した。失敗した。失敗した。失敗したんだ。私は失敗した。彼を救えなかった。

 

1980.05.28

娘が生まれた。哀れな子。

私は、ダンブルドアに頼んだ。未来は変わっただろうか。私はもう、わからない。過去に、りたい。足、震?る。手がつかれた。

 

1981.10.29

最後に、過去へいく。そしたらもう、のうはもたない。それでも、ひとめでも、貴方にあいたい。さようなら。×してる。ずっと、わたしがもう私じゃなくてもずっと。

さような、



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09.絶望の神が支配する

ハリーはサキと敵対しただけでなく、スラグホーンの記憶集めにも難航していた。ホークラックスという忌まわしき闇の魔術について、彼の口を割らせるにはまだ何かが足りない。加えてロンとハーマイオニーは未だ喧嘩中で、最近三人で一緒にいた記憶がない。

ロンが惚れ薬入りのチョコレートにやられておかしくなったとき…あの時こそスラグホーンを口説き落とす最後のチャンスだったのかもしれない。

 

ダンブルドアに見せられた記憶は、トム・リドルの母親に関するもの、幼少期、学生時代ときて今度は成人後だった。そして哀れなしもべ妖精ホキーの記憶を見て、ついにヴォルデモートが何をしようとしていたのかがわかった。

ホークラックス、分霊箱による魂の保存。

ハリーからすれば荒唐無稽に等しい、殺人により成す魔法。

あいつは自分のために一体何人の人を殺してきたのだろう。そう考えるだけで背筋が凍りそうになる。

 

「理に抗う魔法が肉体にどのような負荷をかけるかはよくわかったじゃろう」

ホグワーツにやってきた見るも無残なトム・リドルの記憶を見たあとに、ダンブルドアは静かに言った。

魂を引き裂いてまで不死を求める気持ちは理解しがたい。しかし、現に分霊箱のおかげで彼は今ここにいる。

 

さらに、サキの動向が全くつかめないのもハリーの焦燥を煽っていた。

 

「ドビーめらはドラコぼっちゃまを必死に追い続けましたのです!けれども、シンガー様と合流した途端、見失うのです」

ドビーは自傷でボコボコになった頭をハーマイオニーに治療されながらキーキー喚いた。横でクリーチャーがうんざりした顔をして頭を振っていた。

「サキの魔法かな」

「ううぅぅん…断言できないわ」

ハーマイオニーははっきりしないことはなかなか口にしない。ハリーとサキが決別してからも、ハーマイオニーはサキとよく話していた。とは言え、ほとんどが雑談のようだが。

 

「何かしようとしてるのはもう確実だよね?」

「それは、そうね。でもスネイプもマルフォイたちとグルだっていうのは論理の飛躍だわ。サキの保護者なのよ?もしかしたらサキたちを止めようとしているのかも」

「そうかもしれないけど…」

 

不信は募るばかりで一向に解消しなかった。再度開いた失恋の傷口は、更に深く抉れて膿んでしまった。

ハリーはずっと憂鬱だった。誰に何を言われても心の何処かで重しがかかってるように親友(と初恋)を失った痛みがついて回る。

 

そんなハリーがいかにも怪しげに授業時間に廊下を歩くサキをみて追いかけたのは、ある意味必然だった。

 

「あ、先生。よかった。例のブツは」

「ああ。…しかし何故今こんなものを?」

 

サキの声とスネイプの低い声が天文台へ続く階段の上から聞こえてくる。ハリーは透明マントを被って、床の隙間からこっそり二人を見た。位置が悪かったら危うくスカートの中を覗き見てしまうところだった。

サキはガラス瓶を受け取っていた。中に入ってるのは…なんだろう。かなり大きい。

「スクレピーに罹った羊の脳。間違いないですね」

サキがそれをしげしげと眺めながらハリーの疑問を見透かしたようなことを言うのでハリーは思わずドキッとした。

「ほんとに海綿状になってる」

サキはどこか恍惚とした声で言った。隙間からはよく見えない。しかしなんで家畜の脳みそなんてわざわざスネイプに頼んだんだろう。

「…母の脳と、似ていますか?」

「……サキ、これはどういう事だ?」

「先生、薄々勘付いていたんでしょう?母は病気だった。この羊と同じプリオン病です」

ハリーはサキとスネイプの会話に全神経を傾けた。母親の話をしているサキなんていままで見たことがない。

「確かに、リヴェンは何かを患っていたと思うが、プリオン病の事がわからん。マグルの病名か?」

「魔法使いでもなりますよ。プリオン蛋白質というものの異常により引き起こされる、重篤な中枢神経障害群です。発病率こそ低いですが、治療法はありません。この病気の厄介なのは異常がどんどん伝達していくという点です」

「リヴェンがそれだったと?」

「ええ。母の残した研究論文はその事ばかりです。クールー病はわかりますか?」

「食人により発症する、パプアニューギニアの風土病…」

 

食人という聞きなれない言葉にハリーはぎょっとして思わず口を抑えた。スネイプの声は怖れを含んだようだった。対してサキはまるで用意してきた原稿を読んでるような平坦さで続ける。

 

「主たる症状は体の震え、認知障害です。これらの厄介なところは潜伏期間が長い割には発病して一、二年であっという間に死んでしまう点です」

「…リヴェンが発病し、その後過去を改竄すれば…」

「何年遡るかわかりませんが脳が負荷に耐えられなくて改竄自体できるかできないかわかりませんね」

サキは大きなため息をつき、羊の脳詰めを撫で回すのをやめてスネイプの方へ一歩歩み寄った。

「過去の改竄は…母の記述に拠ると…過去へ跳んで、それから事実を改竄する。その後起きた事実が現在の脳に書き込まれます。ですが母は改ざんのし過ぎで本来生きてるはずの未来まで死で上書きしてしまったようですね」

「事象はリヴェンの脳に書き込まれた時点で確定する、のか」

「そして書き込まれれば書き込まれるほどプリオン蛋白質の異常は伝達し、脳が変質していきます」

「それで死んだと?」

 

スネイプは絶望的な声色で呟いた。ハリーはあまりに多くの情報が耳に入ってくるせいで混乱状態だった。穏やかじゃない会話だというのは二人の間に流れる空気でわかる。

 

「全く。マクリールの家系の特殊性が招いた悲劇ですね。魔法のために罪を犯した天罰ですかね?」

サキは淡々と言った。極めて冷静に、淡白に。

「どの段階で異常プリオン蛋白質が血に混じったのかはわかりませんが、ただ一つ言えるのは異常なプリオンを摂取すれば、ほぼ確実にその異常は伝播するということです」

「……だとすれば、君は脳を食べたら…」

「母と同じ病気になりますね」

「何ということだ」

「いや、すぐ死ぬわけじゃないですよ?母の論文には潜伏期間は中央値で14年って書いてありましたし、長ければ40年くらい症状は出ない例もありますから。ってまあそこまで生きる前に食べられなきゃいけなかったわけですが」

 

…脳を食べる?サキが?

ハリーは耳を疑った。聞き間違いではないようだった。なんでかわからないが、サキは脳を食べようとしている。そしてー食べれば死ぬらしい。

 

「君は、それでも脳髄を盗み出すつもりなのか?」

 

脳髄ーサキが盗み出そうとしてるのは脳髄なのか。

 

「ええ。ドラコが殺されるよりかはマシでしょう?」

「マシな訳がない!」

スネイプは怒鳴った。スネイプの怒鳴り声は閉心術のとき以来聞いたことがなかった。

「君が死ぬことを、彼女が望むはずがない」

「でも、母はダンブルドアに頼んだ」

「君が犠牲になることを誰も望んでいない」

「でもドラコが殺されれば先生も死んじゃいますよ?」

「私は、君に生きていてほしい」

「私もですよ。先生は大事な家族です」

二人の会話は平行線だった。

サキはドラコとスネイプ、二人の命と自分を天秤にかけているらしい。そして、自分を犠牲にしようとしている。

 

「本当なら、私は火事で死ぬはずでした。だからいいんです」

 

スネイプはその言葉を聞いて言葉を失った。呼吸が早くなるのが、階段下にいるハリーにすらわかった。

 

「ずっと罪悪感を懐き続けていたのか?6年前のあの日から、ずっと。自分はあの時死ぬべきだったと思って過ごしていたのか?」

 

「そうですよ」

 

木漏れ日も、灯りも、

燭台のぼんやりとした光の中で

凍えるような霜降る夜も

べたつく梅雨の昼も

薄暗い森の中で迎える朝も

天国へ迎えられなかった

十字路の死者のように

死に焦がれて抱かれていた。

 

 

「私は死に損ないです。気づかないふりしてたけど…あの火事は、もしかしたら…」

「そんなことはない。君は本当にたまたま生き残った。全ては偶然だ」

「だとしても、先生の命は私のささやかな余生より重要なはずです。貴方はダンブルドアの懐刀。去年、私を取り返したせいで先生はヴォルデモートの不信を買っています。それを取り返すにはー」

「違う、あれは私の不手際だ」

「私は、ハリーたちなんか放っておいて寮でゴロゴロしてればよかったんです。そしたら…」

「そんな議論は無意味だ。サキ、こっちを見ろ」

 

また、沈黙。

ハリーの中では様々な感情が渦巻いては消えていった。漠然とある、取り返しのつかないような喪失感と罪悪感だけが早まる心臓の音で浮き彫りになる。

 

「私は君の母親に誓った。闇の帝王に彼女を差し出した償いに君を必ず守ると。何に替えても」

「貴方の償いは貴方の償いとして、私は私でドラコのために脳髄を盗むしかないのです。私は、目的のためなら手段を選びません」

サキの決意は固いようだった。いや、むしろ病的にすら思えるほどに誰かの犠牲になる事を自分に課しているようにすら見える。ハリーは今までそんなサキの一面に気づかなかった。

 

「……手段を選ばないなら……他にも道はある」

 

スネイプは沈黙のあと、絞り出すように言った。

 

 

「ダンブルドアをーー」

 

 

と、そこでけたたましく鐘がなった。なんていうタイミングだろう。天文台の真上にある大きな鐘が授業終了時刻を告げていた。スネイプが何を言ったか聞き取れない。ハリーは思わず身を乗り出したが、サキはやたら地獄耳だ。ハリーがちょっと足元のバケツに足を引っ掛けた途端、こちらを見た。

透明マントを見透かす力はないはずだ。けれどもハリーはゾッとして固まった。

 

「………次、魔法生物飼育学なんですよ」

ふいにサキがいつも通りの声色で言った。

「アラゴグ…ハグリッドの友達の、アクロマンチュラが死にそうなんです」

「…あれは希少な生き物だ」

「毒液、要りますか?」

「必要ない」

「…考えさせてください、もう少し」

「君は心配しなくてもいい。もうそうする他ないのだから」

 

サキは、ハリーにそうしたようにスネイプの元から去って行った。スネイプはしばらく天文台から見える森を眺めて、大きなため息を吐いてから立ち去った。

ハリーは取り残されたまま呆然と、二人が去ったあと天文台でぼうっとしていた。

そしてたった今盗み聞きした事実をどう受け止めるか考えて考えて、ついに結論は出なかった。

 

 

……

 

 

灰色の雲がゆっくりと湖の端から端へ流れていく。水面は青と灰の斑で底に生える水草が時々濁った緑色を見せる。

何年も見てきた風景だがその変わらない風景の中に美しさがあるのかもしれない。死を前にして、ダンブルドアは改めて自分の人生の殆どを過ごした校舎を見回した。石は何年もそこにあって、雨風で削れながら日々違った顔を見せる。

マールヴォロの指輪をはめてから世界はより一層美しく見えた。死が近づくにつれ、光は強くなり、影を濃くした。

 

アリアナ…

 

たった一つの失敗は、周りにどす黒い欲望の穴を穿ち、いくつもの罪を重ねていく。

ダンブルドアはセブルスからの報告を聞いて、目を瞑り彼女の顔を思い出した。

「脳髄より価値のあるものとは何かと考えれば、自ずと答えは絞られる」

セブルスは黙った。

初めからそう決まっていたかのように運命的に、死にかけの命がここにある。

「わしの命を、かわりに差し出すがいい」

セブルスは黙っている。

もとより一年と保たない命だ。どう考えてもそれしかない。だから、何も言わない。

「ただし、必ず君が終わらせるのじゃ。わしは痛いのは嫌じゃからのう」

「心得ております」

セブルスには辛い仕打ちばかりしてきてしまった。彼に課してきた任務は全て危険で、残酷だった。しかし彼は傷を負う覚悟をもっていて、傷に耐えうる強さを持っていた。

これからいう最後の任務は一番彼の心を傷つけるだろう。けれども伝えなければならない。

 

『貴方は目的を果たす前に死ぬ』

 

リヴェンの呪いがダンブルドアのすぐ後ろまで来ている。

 

「よいか、セブルス。ハリー・ポッターの中にある奴の魂は…」

 

 

 

 



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10.屠畜場5号

「なんですって?脳を?」

 

ハリーは先程の天文台でのスネイプとサキの会話をハーマイオニーに聞かせた。

 

サキはダンブルドアから脳髄を盗み出そうとしていること。

その脳髄はどうやら母親のものらしいこと。

それは汚染されていて、食べれば死ぬらしいということ。

 

「食べる、らしい。でもプリオン?とかいうのが汚染されているらしくて…えーっと…なんだったかな。羊がどうとか…」

「待って、待ってハリー。話がしっちゃかめっちゃかで理解が追いつかないわ」

ハーマイオニーはこめかみを押さえた。

今は深夜2時で、談話室にはもうハーマイオニーとハリーしかいない。

「貴方、知ってたの…?」

「知らないよ。知ってたらこんなに焦ってるわけ無いよ!」

ハーマイオニーは頭の中の図書館をひっくり返して心当たりを探してるらしい。ちょっと間をおいてからハッとして手元の本を探した。残念ながらカバンに目当ての本はなかったらしい。

「プリオン病は、最近マグルの間で話題になってたわ。狂牛病がヒトにも見つかったの、知ってる?」

「え…狂牛病?」

「夏の間おじさんの家にいたんでしょう?」

「悪いけどダドリーの家だとマグルのニュースもろくに見れないんだ」

「脳がスカスカになっちゃう病気よ。家畜の病気だと思われてたんだけど、人にも感染が確認されたの。大騒ぎだったんだけど…」

「聞いたことない。…けど、本当にある病気なんだね?」

ハーマイオニーは日刊予言者新聞だけではなくマグルの新聞も購読してるのだろうか?毎日そんな文字に囲まれててよく時間が作れるものだ。

「ええ。それで…サキのお母さんが、その病気だったと」

ハーマイオニーの表情が曇った。

「でもにわかには信じがたいわ。脳を食べて継承する、そんな魔法があるなんて…」

「スネイプは真剣だった。サキに脳を食べさせないために、ダンブルドアをどうにかしようとしている」

「悪い癖が出てるわ。どうにかしようとしてるって、ちゃんと聞いたの?」

「いや、でも…」

「まだわからないのにスネイプを疑うのは良くないわ。それに、少なくともスネイプはサキを守ろうとしてるんでしょう?」

「でもサキはマルフォイを守ろうとしてるんだ」

ハリーの言葉にハーマイオニーはハッとした。

「待って、マルフォイはこの事知ってるの…?」

「それは…あー、わからない」

マルフォイが知ってたらサキを何とかして止めようとするはずだ。あいつは小心者で見栄っ張りだけど、喜んで恋人を身代わりにしようなんて事はしない。それにサキの性格からして話してるとは考えにくい。

「明日朝イチで図書館に行かなきゃ」

ハーマイオニーは立ち上がり、青白い顔をしてつぶやいた。ハリーもいい加減頭が回らなくなってきたので寝ることにし、2人はベッドへ行った。

頭の中で、サキが死をほのめかしたときのスネイプの表情がずっと浮かんでいた。

閉心術の授業のときに垣間見た、記憶の中の痩せこけた少年が母親、リリーに「スニベルス」と詰られたときと同じ顔をしていた。

 

 

 

 

「ぎゃーっ!」

 

パンジーの悲鳴で目が覚めた。

サキはまだ眠ってる脳みそを揺さぶり起こす様にぐるぐると首を回して隣でベッドからころげ落ち腰を抜かしているパンジーを見下ろした。

「もーうるさいなあ…」

「サ、サキ。貴方それ!枕元の!」

サキは昨日の寝る前の記憶を必死に思い出した。そうだ、遅く帰ってきてからスネイプから受け取ったスクレイピー羊の脳詰めをサイドテーブルに置いて寝てしまったんだった。

横を見るとスカスカになった羊の脳がテラテラとした液体の中で光っている。

「あー、しまい忘れてた…」

「気持ち悪すぎるわ!はやくしまってよ!」

パンジーだけじゃなく他の女子まで悲鳴をあげて泣き出したので、サキは慌ててカバンの中に突っ込んだ。朝から悪いことをしてしまった。

 

実のところサキは憂鬱で眠れなかった。

いくら誰かのためとはいえ自分の脳がこんなふうになってしまうと考えるとゾッとする。

死にたいと思ったことはない。

死にたくないとも思わない。

でも、だからと言って自ら進んで『震える羊』になりたいわけでもない。

けれどもサキの頭の中にはもう他に選択肢が浮かばなかった。スネイプの提案を聞いてもその思いは変わらない。

 

「ダンブルドアを、殺せばいい」

 

と、スネイプは言った。

サキは自分の耳がおかしくなったのかと思ったが違った。考えなかったわけではない。しかし、スネイプがこの選択肢を提示してくるとは思っても見なかった。

 

あの時はチャイムがなってしまったし色々整理がつかなかったので時間をおいて話すことになったが、未だ衝撃が抜けない。

スネイプがダンブルドアの死を提示した理由…それはサキとドラコの死を回避したいがためではない。いや、目的はそれだろうけれども、背中を押すような何かがなければスネイプはあんな無茶なことは言わないはずだ。

けれども校長室にあるかもわからない脳髄を盗みに入るよりもダンブルドアの殺害のほうが、遥かに難易度が低いように思えた。

アクロマンチュラの抜けた体毛を集めながら、サキはダンブルドアについて考えていた。

アクロマンチュラの体毛には毒があり、分厚い革の手袋をしないと棘のような毛が刺さり二日間は腫れ続ける。たった毛一本で物凄い毒性を持つばかりでなく体自体も大きく、重い。足一本でサキ一人分くらいあるんじゃないだろうか?その蜘蛛の王も今や虫の息。寿命には逆らえないらしい。しかしアラゴグは死を恐れるでもなく、ただ自然と眠るように末期の時を過ごしている。

「ハグリッド。そろそろ時間だから行くね」

「ああ…ぐすっ、行ってくれ、すまんなあサキ」

「気にしないで」

ハグリッドはアラゴグに付きっきりでずっと泣いている。この蜘蛛はホグワーツを退学になったきっかけらしいが、ハグリッドはそれでも愛情を持ってずっと交流を続けていただけに最後まで寄り添いたいそうだ。なかなか泣ける光景だが、アラゴグの子どもたちが常にハサミをチャキチャキ鳴らしていてとてもじゃないが泣けない。

 

体毛は今日とったぶんで半ガリオンと言ったところか。残念ながら毒液の方はアラゴグが死んでからじゃないと手に入らないだろう。

もう夕暮れだ。今日は朝から晩まで禁じられた森とハグリッドの小屋を往復してたのでひどく疲れてしまった。サキは天文塔の即席見張り台ですぐに眠りについた。

 

過去の改竄について完全に仕組みを理解できたわけではない。しかし、改竄は体、主として脳にダメージを与える。

プリオン蛋白質の異常…一般的に知られているのは羊のスクレイピーという病気や狂牛病…過去の改竄はその伝達を早め、脳細胞を次々に汚染していき海綿状に変異させていく。

それは遺伝性のものもあるが、異常プリオンを持つものを食べても発病する。

マクリールは血を濃くするために共食いを繰り返し特異性を保とうとした。しかしどこかの世代が異常プリオンを摂取し、死に至る病すら継承していく羽目になった。

なんとも皮肉な話だ。リヴェンは遺伝性のものではないかと推察しているが、仮にそうだとしてもマクリールの家長はほぼ40代で娘に食われるために死ぬため、発病する前に死亡している可能性もある。プリオン病は症状が現れないかぎり診断はできない。

 

マクリールの魔法は有限の肉から解き放たれるためのものなのに、皮肉にもその肉が魂を蝕んでいく。

母はそれを知ってて尚命を削った。

命を賭すに足る何かが母にはあったのだ。

 

サキはドラコとダンブルドアの暗殺について話し合った。しかしドラコは殺人という選択を酷く嫌がった。無理もない。

ダンブルドアの外出時間はおおよそだが把握できるようになった。あとは校長室への侵入ルートだが…

 

「まず…合言葉を盗もう」

 

サキは不意に提案した。

前々からハリーがダンブルドアに結構な頻度で呼び出されてるのはわかっていた。ハリーは一人で螺旋階段までやってきて合言葉を言い登っていく。

「だから、ハリーに虫をつける」

「虫?」

「盗聴器だよ」

サキは小さなボタンのような機械を取り出した。

「マグルの機械は使えないはずだぞ」

「ドラコ、誰に物を言ってるのさ。私はウィーズリーいたずら専門店特別技術顧問だぞ」

なんなら先祖に魔法道具職人がいる。サキにとってはマグル製品の改造なんてお茶の子さいさいだった。盗聴器はリータ・スキーターのお陰で思いついた。彼女はコガネムシの未登録動物もどきで、ハーマイオニーに正体を暴かれて以来ずっと脅されている。

彼女は今ハリー・ポッター独占インタビューがきっかけで大手雑誌の記者に返り咲いた。(ちなみに今の彼女のターゲットはマグルの官僚三人を手玉に取った大物魔女だ。)

「問題は脳髄がどこにしまわれてるかだな」

「何回か侵入するしかないかな」

「気が滅入る…」

今日は談話室の隅で二人して晩酌中だ。もううるさい上級生もいないのでこうして自由に振る舞える。

サキはドラコの顔をじっと見た。

「僕の顔に何かついてる?」

「いや。大っきくなったなって思って」

「君もだろう」

「全体的に縦に伸びたね。一年生の頃はコロコロしてたのに」

「君もリスみたいだったのに、今は…うーん。なんだろう。アライグマみたいだ」

「アライグマぁ?」

二人は気分よくケタケタ笑った。

「なんで?私、きれい好きでもないよ」

「いや、結構潔癖だと思うよ。よく掃除してるじゃないか」

「必要に駆られたときだけだよ。あと罰則。本当は嫌いだよ、掃除なんて…」

こうして落ち着いてまたドラコと話せるとは数ヶ月前の自分には考えられなかった。今こうしてここにいられることに感謝しよう。もし母を食べるハメになっても…記憶の海を何度も行き来ができるのならこの時間を何度も繰り返したっていい。

時間はあんまりないかもしれないけど、きっとそう悪いものではない。

 

 

 

ドラコはダンブルドアから脳髄を盗み出す希望が見えてきて、ほんの少し安心していた。なによりサキがそばにいてくれるのが有難かった。

サキの魔法はとにかく強力で、学内にかけられた魔法を蝕んでいった。サキは魔法がかかる仕組みを物質的に解釈しているらしく、言葉の端々にやけにマグルの例え話が出てくる。魔法に対してラジカルな見解をもつのは家系のせいだろうか?ドラコは化学だとか医学はマグルの妄想だと思っている。しかしサキはそうじゃないらしい。

 

「耳の聞こえない人しかいない島ではね、独自の踊りの言語があるんだって。マグルと魔法使いでは語りのコードが違うだけだよ」

 

サキは微笑みながらいった。

 

 

「舞踏病ってわかる?タレント・アレグラみたいになるらしいよ」

「かけてやろうか?」

「冗談!」

 

サキは最近やたらと明るい。明るい上に穏やかで、時々不気味だ。

サキの今の姿を見ると二人がもっと幼かった頃をよく思い出す。あの頃は二人とも何もなくて、それでいて不思議と満たされていた。今は心の何処かにいつもせっつくなにかがいるみたいに焦ってるし、その焦りの正体がわからなくてヒリヒリする。サキは「感情を持ち過ぎたんだよ」なんて言うけれども、本当のところはどうなんだろう?

本当に僕たちは何かを得ているんだろうか。

漠然と穴があるような気がする。僕らの足元に。

 

ドラコは天文塔に登ろうとして、一つ余計に足音が聞こえることに気づいた。階段を登る音が違う。ゴム底の擦れる音だ。

ハッとして振り向くが、背後には誰もいなかった。

ドラコは懐から杖を取り出し、すぐ振れるよう胸に当てて感覚を研ぎ澄ました。

 

ドビーともう一匹のしもべ妖精が見張ってるとはサキに聞いていた。どうやってまくのか聞くと

「簡単だよ。別のしもべ妖精にドビーたちを見張らせてるのさ」

それは盲点だった。教員たちに伝わらないのかと聞いたところ、しもべ妖精は魔法生物飼育学の教員に対してまず報告義務があり、魔法生物飼育学の教員が判断した場合と緊急時に校長や寮監へ報告するらしい。

「優先度の低いしもべ妖精同士の密告はまず魔法生物飼育学…つまりハグリッドのところにいくんだけど、ハグリッドは忙しいからいもりクラスの生徒に投げてるんだよね。そんで、いま受講してるのは私だけ」

ポッターたちからすれば灯台下暗しもいいところだ。たしかに屋敷しもべ妖精は役所でも一応魔法生物規制管理部の管轄だ。

 

誰の気配もしない。

だがポッターなら透明マントを被っててもおかしくない。まだあそこには地図や防衛呪文のリストが置いてある。天文塔へ向かうのは得策ではない。どうしたものかと考えてすぐにある場所が浮かんだ。

 

ドラコはすぐにトイレに向かった。

そして洗面台の蛇口を杖で壊した。すべての蛇口から水が吹き出し、あたりは水浸しになる。いくら目に見えなくても、ポッターはそこにいる。

目を凝らせばすぐに水たまりに浮かぶ波紋と不自然な光の屈折がわかる。

 

「コソコソしないで出てこい、ポッター」

ここまで舞台を整えてやって出てこられないほど臆病者じゃないだろう?ポッター。

 

案の定マントを脱ぎ捨て、杖を構えたポッターが現れた。

「マルフォイ、あそこで何するつもりだったんだ」

「僕が校内を歩いてるのが不満か?」

「ああ、はっきりいって不満だね」

ポッターと面と向かって話すのは列車以来だ。ずっとコソコソ嗅ぎ回られて不愉快だった。

「君が何をしようとしてるか知ってるぞ」

「へえ?証拠があるのかい?それとも勝手な思い込みで触れ回っているのかな。生き残った男の子様は虚言癖をお持ちのようだから」

ポッターは挑発には動じなかった。当初の予想より遥かに落ち着いている。確たる証拠を掴んでいるー?いや、それもちがう。それならばわざわざドラコの前に単身で現れるはずがない。

 

「サキとスネイプの会話を聞いた」

 

「じゃあスネイプを問い詰めろ。お門違いだ」

「…やっぱり君は知らないんだね?」

「一体何の話をしているんだ?」

「君が盗もうとしてるのは脳なんだろう?」

ドラコは一瞬言葉に詰まった。誤魔化しの文句が頭の中を駆け巡ったが、ポッターの確信を持った目を見てすぐにやめた。

「さあね」

「それを盗んだらどうなるかわかっててそんなことを言ってるのか?」

「どうなるかだって?」

ドラコは頭に血が上って喚き散らしたくなった。盗んだら僕の命が助かる。それだけじゃないか。

「それこそさあね、さ!僕がそんなもの欲しがるとでも思ったのか?」

 

「あいつは母親の脳みそをサキに食わせる気なんだぞ」

 

ドラコは今度こそ本当に言葉に詰まって、そして絶句した。

脳みそを、食う?

意味がわからない。荒唐無稽もいいところだが、ポッターは冗談を言ってる様子ではない。

「僕はサキが話してるのを聞いたんだ。サキは君を救うために自分を差し出すつもりだ」

「何、馬鹿なことを言って…」

「嘘だと思うか?」

ドラコは頭の中で3つ、数を数えた。

呼吸を整えてゆっくり息を吐く。吸って、吐く。

そしてポッターをじっくり見た。

二人共壊れた水道管に晒されて水浸しだ。

 

サキが脳を食う。

それを承知で、自分の命を救うために…?

 

いや、確かにサキならあり得る。あいつは去年逃げられるにもかかわらず義理のためにお縄を頂戴し、アンブリッジに肥溜めの中にぶち込まれた。

秘密の部屋事件のときも、ジニー・ウィーズリーなんかのために口を固く閉ざし、自分の父親の秘密についてもあの人が復活するまで何も言わなかった。

彼女は秘密主義で、自分の困ってることは周りにとって必要なときにしか漏らさない。

 

「脳を食ったらサキがどうなるか、わかってるのか?」

 

ポッターは続ける。緑色の瞳がこっちを見据えている。

 

「サキは、それを食べたら死ぬんだ」

 

ドラコは血が上ったばっかりに、耳の中の神経が切れてしまったのかと思った。不意に訪れた無音、そして目の前が真っ暗になるほどの衝撃に、思わず杖を上げる手が下がった。

 

サキが、死ぬ。

脳を食べたら。

僕が、脳を盗んだら。

それでもサキは僕を助けるために、あんなに楽しそうに盗むことを計画していたっていうのか?

 

 

「……、……………だとしたら…」

 

ドラコがからからの口から絞り出したのは、怒りと絶望と、いろんな感情の出がらしだった。

 

「だとしたら、ポッター。お前が、お前さえ、あの日神秘部に行かなければ」

 

ポッター。

お前が、全ての運命の賽を振ってるんだ。

お前さえ、お前さえもっとしっかりしていたら。サキは例のあの人に連れ去られなかった。お前が冷静だったら、父上たちは待ちぼうけするだけですんだ。

お前が、なんでよりによってお前だけがいつもサキの秘密に一歩近いんだ?

なぜ僕は、いつも蚊帳の外で、人質で、利用されてばかりなんだ?

 

「お前が彼女を巻き込むせいだ!」

 

感情が爆ぜると同時に、ドラコは杖腕を振り上げた。

 

「ステューピファイ!」

 

赤い閃光がハリーがさっきまで立っていた位置にあった鏡を粉々にした。ハリーは間一髪避けて手洗い場の影に隠れる。

マルフォイは容赦なく呪文を発射してくる。

ハリーも応戦した。

 

マルフォイ、君こそなんでそばにいるのに気付いてやれなかった?誰よりそばにいるくせに。

馬鹿じゃないのか。何が恋人だ、笑わせる。初めてサキにあったのは、僕だ。

ずっとずっと深い絆で繋がれてるつもりなのに。

なんでお前が守ってやれないんだ?

ずっと抱えていたもやもややいらだちが、吹き出す水に煽られてどんどん心の中をパンパンに膨らませていく。嫉妬で割れた感情の破片がついにハリーを破裂させ、プリンスの教科書に載っていた呪文を彼に口走らせた。

 

「セクタムセンプラ!!」

 

刹那、マルフォイの白いシャツがズタボロになり、次いで真っ赤な水がそこから流れ出した。

 

ハリーはさっきまでの激情が嘘みたいに消えていくのがわかった。

血まみれのマルフォイ。水の中でかすかな嗚咽を漏らしながら、真っ赤に染まってくマルフォイ…。

 

「………なに、これ?」

 

 

トイレの入り口に、サキが立っていた。



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11.匣の中の失楽

ドラコとハリーがやりあう少し前、サキは図書館でハーマイオニーに捕まっていた。

 

「ちゃんと聞かせて」

 

油断していた。まさかハリーが盗み聞きしているとは思わなかった。いや、羊の脳に意識を割かれていたせいで注意を怠った。

サキは自身の大失態に歯噛みし、どう切り抜けようか考えを巡らせた。

 

「あなたのしようとしてること…」

 

ああ、本当にこういうときに魔法が使えたらと思う。(とは言っても使えば使うほど寿命が縮まるんだけど)

ハーマイオニーはとても冗談じゃすまないほど思い詰めた顔をしている。本人より周りの方がよっぽど真剣で深刻だ。

「言えないよ。言いたくないんじゃなくて、言えない」

「じゃあハリーが聞いたことが本当かどうかだけ教えて」

サキはしかたなく首を縦に振った。

「どうして相談してくれなかったの?」

「…はじめのうちはまさかこんなふうになるとは思ってなかったんだよ。脳みそを食べるくらいならまあ、ちょっと我慢すればむしろ便利だなーって」

「あなたってホント…本当に…」

「わ、頼むから怒らないで!ここのところみんなから怒られっぱなしなんだ」

サキは本当にいつも通りにふざけてるように大げさに体を庇った。ハーマイオニーはそれを見て何とも言えない顔を浮かべ、一度深呼吸した。

「ハーマイオニー。ハリーにも言ったけど…私は…」

「いいの。言わないで。わかってるから」

「ほんとに?」

「あなた、昔っから頑固だから言っても無駄だってわかってるわ」

「ハーマイオニーは昔から物分りがいいから好きだよ」

「スネイプはグルなの?」

「まさか。先生こそむしろ私の最大の障害だよ」

「…わかったわ」

ハーマイオニーはだからといって邪魔をしてこないわけじゃない。だがサキからしてみれば無駄な説得をされるより全然楽だ。

さらに言えば彼女のほうがこの任務の難易度を正確に理解しているかもしれない。サキはなんとなく行けそうという根拠のない自信と血の魔法の未知数の可能性にかけているが、ハーマイオニーにはその未知数は測れないだろう。だからこそ強く止めない。どうせ無理だと思われているから。

 

「まあ楽しみにしててよ。成功したら偉業だよ、偉業」

「もう!なんでそこで冗談を言えるの?!」

ハーマイオニーは怒りながらもほんの少しだけ笑った。サキもくすっと笑う。

「ねえ、ハーマイオニー…ロンとちゃんと話した?」

「え?ううん…全然」

「私はドラコと話したよ。次はハーマイオニーだね」

「やめてよ。そんな、遺言みたいなこと」

「遺言ならもっといいこと言うよ。痴話喧嘩やめろーなんてかっこ悪い」

「あなた達の喧嘩よりまだ短いわ」

サキとハーマイオニーは微笑みあった。しかし、すぐに平穏な時間は終わった。サキが突然あさっての方向を向いて目を丸くしていた。

「どうしたの?」

「なんか…なんだろう?ちょっと…」

ハーマイオニーは突然駆け出したサキを追いかけた。一体どうしたっていうのだろう?そしてサキは何度か遠回りをしてから、男子トイレに辿り着いた。何故か廊下まで水浸しで、一体何かと一歩踏み出した途端鉄の匂いが充満した。ハーマイオニーがゾッとして杖を取り出すと、サキが小さな声でつぶやいた。

 

「………なに、これ?」

 

 

スネイプがすぐに駆けつけ、ドラコを治療した。ハリーは自分のしでかした事の重大さに顔を青褪め、わなわなと震えていた。ここ一年心の救いだったプリンスの魔法が、まさかこんな結果を招くなんて。

 

サキはアパシーに陥ってしまったように倒れたドラコを見て動かなくなってしまった。スネイプが来てドラコを運び出して、ハーマイオニーが肩を叩いてサキも医務室へ連れて行った。ハリーは残れと命じられたので、一人で水浸しのまま取り残されてしまった。

ドラコの返り血がまだべったりと頬についてる気がして、何度も拭った。

 

 

 

 

サキは気絶して起きないドラコを前にして自分の失態が、思ってたより大事に繋がるらしいことを知った。

蝶の羽ばたきが大嵐を巻き起こすように…ほんの少しの油断や情や選択が取り返しの付かないことに辿り着くのだとわかった。

母はその永遠の袋小路に迷い込み絡め取られ、あの絶望に満ちた手記を書いた。

 

私は馬鹿だ。人の心を動かしてしまうような秘密をうっかり漏らした。そればかりでなく敵対する二人をみすみす引き合わせ、結果的に双方深い傷を心身に負った。

私のせいだ。

私がすべてを黙ってこなしていれば…もうドラコのためにしか動かないと決めたくせにまだ半端な立ち位置にいようとした報いだ。

 

私はとんでもない甘ったれだった。

早く、やらないと。

母の脳髄を盗み出し、食う。

即座に実行すればこんな事にはならなかった。

さらに、脳髄を食えば過去だってやり直せる。

全部なかったことにできる。

私がやるんだ。

 

……

 

「ドラコ、気がついたか」

「スネイプ……先生」

ドラコは目を開けて一番に血色の悪いスネイプの顔が飛び込んできたせいで酷く気分が落ち込んだ。

が、おぼろげな記憶の中で彼に手当してもらったのを覚えていたので文句は言わなかった。

「バカなことをしたな。ポッターと決闘などと…」

「貴方には関係ない」

「確かに、色恋沙汰は我輩の知るところではないが…君の安全が我輩の命に直結していることを忘れないでいてもらいたい」

ドラコは起き上がり、切り裂かれたはずの頬を触って確かめた。傷口はすっかり消えているようで、あれだけ血まみれだったのが嘘のようだった。

「サキは?」

「彼女は無事だ。今はハグリッドとアクロマンチュアを看取っている」

ドラコはスネイプを睨んだ。スネイプはサキが脳を食べたらどうなるかを知っているはずだ。ポッターに言われたことが頭の中でぐるぐる回っている。

 

「脳髄を盗むのは、サキに食わせるためなんですか?」

 

スネイプは静かに頷いた。そして周囲に聞いたことのない呪文をかけるとゆっくり話し始めた。

「左様。脳髄を盗み出すことに成功すれば、ほぼ確実に闇の帝王はそれをサキに食わせる。その結果、サキの寿命は縮まるが強力な魔法を使えるようになる」

「何故黙っていた」

「必要がないと思っていたからだ」

「必要ないだって?!お前は、サキの命をなんだと…!」

「我輩とてサキにそのような選択をして欲しくはない。…しかし知っての通り彼女は恐ろしく頑固だ。君の軽率な行動で彼女はもはや聞く耳を持たない」

ドラコは黙ってスネイプを睨んだ。

「だから説得はやめた。サキの魔法と、我輩の信頼、そして君の命と釣り合う価値のあるものを先に成果としてあの方に捧げることにした」

「…釣り合う価値のあるもの…?」

ドラコは嫌な予感がした。サキがこの間提示した恐ろしい提案を思い出す。

 

ダンブルドアの暗殺

 

「その顔は心当たりがあるようだな。そうだ」

「それを、サキに黙ってやると?」

「そうだ。どうせサキの事だ。ダンブルドアと自分の寿命じゃ釣り合わないと反対する」

 

「………先生、本当はどっちの味方、なんですか?」

 

ドラコは無表情に言うスネイプを見て慎重に尋ねた。今までずっとスネイプのコウモリっぷりには疑問を感じていたが、ここに来て本当にどちらの味方かわからなくなった。

 

「我輩は、君の味方だ」

 

 

 

 

 

……

 

 

ハリーが罰則を命じられどん底に落ちてるさなかにアラゴグが死んだ。

もう時間がない。ダンブルドアに命じられた仕事…スラグホーンの記憶を手に入れる最後のチャンスだ。

 

「フェリックスフィリシス。君、あれ僕に使ってないんだろ?今しかないだろ」

ラベンダーと円満に別れたロンは、ハーマイオニーをヨイショしながら提案した。

「アクロマンチュアの毒は希少だわ。スラグホーンなら喉から手が出るほど欲しがるはずよ」

「あー、そうなの?蜘蛛の毒液なんか?」

「サキが言ってたわ。北塔の裏の畑でよく取引してるらしいから行ってみたら?」

ハリーはキラキラした液体の入った小瓶の封を開けた。

そして震える手で、それを飲み干した。

 

 

 

……

 

 

 

 

アクロマンチュアの埋葬の夜、ハリーは校長室の前へかけてきた。

サキは虫に耳を当てて、合言葉を聞いた。

そして医務室にいるドラコが起きないことを確認してから白い手袋を嵌め、血の詰まった小瓶と大ぶりの解体用ハンマーをベルトに差した。

ダンブルドアは部屋にいない。急な外出は今までなかったのでどれくらいで帰ってくるのかわからない。けれども今や慎重に事を運ぶ時間はない。必要もない。

 

「ゲーゲートローチ」

 

サキはガーゴイルに合言葉を告げた。

ああ、なんと簡単なことか。私一人なら、なんだってできる気がする。危険だって全部自己責任だもの。どう暴れようが罰を受けるのはサキだ。

ドラコと一緒にあとのことを考えながらやるとしたら証拠を残さず慎重に事を運ぶ必要がある。

しかしそれすら今日は必要ない。

ばったり鉢合わせたっていい。

ダンブルドアは、サキが脳髄を食べるのをむしろ心の何処かで望んでいる節さえある。

その場で懇願するか、はたまた襲いかかればいいだけの話だ。

うまく行けば、ダンブルドアがすべてを丸く収めてくれるかもしれない。

止めてくれるかもしれない。

 

夜の空気はもう冷たくなくて、どこか生ぬるくて湿ってる。いつの間にか冬は終わって、春をこし、夏の顔がのぞいてる。

星星の明かりも冬の冴え冴えとした輝きは消えてシェードのような柔らかい光になっている。

サキは入ってそうそう、肖像画たちに目くらまし呪文をかけ、額縁を壁側へ裏返して粘着呪文をかけた。

肖像画たちは額縁から出られないのと視界を奪われたことで動揺し喚き立てている。

校長室は雑貨屋のようにごちゃごちゃしていたが、どれもこれも魅力的な品々ばかりで目移りしてしまう。だが品定めしている暇はない。

サキはまず呼び寄せ呪文を試したが当然失敗した。しかたなく椅子のすぐそばの机の棚を片っ端からさらった。

鍵は問答無用で血を使い開けた。それでもあかないものはハンマーで叩き壊した。

「……」

無言で、ひたすら。

不死鳥のフォークスは黙ってそれを見ていた。

黙々と作業をしても、まだ半分くらいしか改められていない。仕方が無いので端の方は諦め、ダンブルドアの手の届きそうな場所だけを重点的に開けていった。

見つけた闇の魔術の痕跡がある品だけ机に置いていく。

驚いたことに穴の空いたリドルの日記が一番開けるのに手間の掛かった引き出しの中に仕舞われていた。懐かしさに思わず手に取りじっくり眺めてしまった。

あの時、組分け帽から剣が出てきて九死に一生を得たのだった。サキは懐かしさにかられて帽子を探した。

椅子から見て正面の壁の上の方に帽子はいた。

サキは台を使って帽子を持ち上げた。彼はふと居眠りから覚めたような口調で布地の裂け目から優しげな声を出した。

「おやおや。マクリールの子じゃないか」

「…こんばんわ。起こすつもりはなかったんですが」

「いや気にせんでいいよ。どうしたんだね?ホグワーツの生徒がわしに興味を示すのは、入学式のときだけなんだがね」

「懐かしさに駆られまして。あなたのお陰で散々でしたよ、6年間。次はハッフルパフに入りたいな…」

「おやおや、不満だったのかい?けれども君が運命を信じている限り、またスリザリンに入るじゃろう」

「…帽子さんはご存知なのですか?私の血筋を」

「母親の方はね」

「あなた、本当はもっといろんなことを知ってるんじゃないの?」

「そりゃそうじゃ。わしを作ったのはダナエ・マクリールじゃからな。すこしは力が宿っているのかもしれぬ」

「あらま。親近感わくなあ」

サキはもっとお喋りをしていたかったが、肖像画たちがいよいよ怒り出し、異常を知らせる文句を叫びだしたので慌てた。

「ダナエ・マクリールの好でお伺いします。ダンブルドアはマクリール縁の品を他にもお持ちでは?」

「ああ。そこだよ、わしのすぐ下の棚にある」

思ったよりあっさりと、それは見つかった。

しかし棚の中にあったのは脳の瓶詰めではない。

 

それは記憶のはいった小瓶だった。

 

まるでサキを待っていたかのように、憂いの篩が重たい音を立ててせり出してきた。

 

 

 

………

 

 

赤毛の少女が微笑んでいた。

まるで恋でもしてるようなバラ色の頬をした少女がこっちをみて笑っている。

その少女以外の風景は不気味に歪んでいて、色も滅茶苦茶だ。劣化しきったフィルムみたいにザラついて、退色し、所々が溶け合わさっている。

後ろに広がる青空のお陰で辛うじてそこが屋外だとわかった。

 

「せんぱいは、本当に✕×が好きな、ね!」

「    」

「もう、自分の気持ちなのにき かな、。で…か?」

少女の発する声はボリュームがめちゃくちゃで何を言ってるのか聞き取れない。

目の前に大きく彼女の頭が映る。肩にもたれかかってきたらしい。顔が見えなくなったせいか私は少し安心する。

 

「私、せ×ぱいの事も、セ。る…の事  きよ」

「    」

「でもね、私はせんぱそ繝な人こそ、✕せになるべ、?と励◆縺ョ」

「     」

 

サキは、それが記憶であることを一瞬忘れていた。そして思い出した瞬間、均衡が崩れた鏡像は歪み、溶けていく。

 

「セ′∽サ・以外�蜿矩#友達を∩縺、見つけ縺ェ!繧当薙※びっ∵悽たの蠖」励◆縺ョ。で繧二ゅ€∽コ見ててヲ九※縺たわ▼縺ァって本縲√にてそ繝ちょっと悶嫉r螳ぐ医▲ね、ヲ縺ゅせんぱい£縺ヲ守って縺ュ窶げてヲ」

女の子はそう言って私に笑いかけた。私も笑って、その子の髪をなでた。朝焼け色の髪。私は彼女の髪の毛が好きだった。緑のくりくりした目も可愛らしくて素敵だった。私の髪の毛はまるで鴉の羽のようだったし、乾き始めた血のような目はなんだか不気味だった。正反対の彼女が羨ましい。

 

「リリー」

 

突然、誰かが背景から紛れ込んできた。抽象的な影がはっきり形を持って歩いてくる。

 

「先輩と僕の悪口を?」

「セまさ輔°!√意識過ォ螳ウだ繧ら」

「先輩も、リリーに変なこと教えないでくださいよ」

「    」

「ああ、もう!やめろってば!」

 

少年は顔を赤くして私を叩いた。

三人は微笑み合って、景色はパレットの上の絵の具みたいに掻き消えた。そして次はまばゆい光の中に放り込まれる。光の雨の中、遠くで誰かが立っている。

しかし人影はすぐに水面に映る影のように崩れて消えていった。

 

そこでまた、サキはこのとてつもなく主観的な記憶が誰かによって執拗に塗り重ねられた嘘だと気づいた。おそらく元の記憶は酷く損傷しており、記憶の持ち主が必死に補強したのだろう。

 

記憶の修正は高度な技術を要するが、この記憶は修正されたというよりもでっち上げられたと言っていいくらいに歪だった。

 

何もかもが印象派の絵画みたいにぼやけてめちゃくちゃで歪んでいてなにがなんだかわからなかったが、あの少年だけはなぜか、直感的に誰だかわかった。スネイプ先生だ。

 

……

 

 

突然胸ポケットにしまったコインが発熱した。気づけばサキは憂いの篩の前で立ち尽くしていた。

まさかと思い見ると、ドラコが冬に仕込んだホグズミードの探知網にダンブルドアがかかったらしい。

 

嫌な予感がする。

この記憶をみたあとだとなおさら混乱する。

なぜスネイプのうつる記憶が保管されているのか。あの禍々しい歪な思い出は何を示しているんだ?

母は、一体どうしてこんなものを残したんだろう。

 

スネイプ…彼はサキに脳髄を食べさせまいとしている。

ドラコ…彼は医務室で寝ているはず。

 

この焦燥感は一体何だ?

 

人生の残り時間。

ダンブルドアの暗殺。

ヴォルデモートの命令と意図。

 

ドラコの命。

先生の信頼。

 

サキの頭で幾つかの単語が結びついた。その言葉がたち導くのは至極単純な結末だ。

 

サキは慌てて地図を広げた。こういうときにダンブルドアが姿あらわしする地点は天文塔かハグリッドの小屋付近だ。

 

サキは二択で悩み、天文塔へ向かうことにした。

階段を全速力で駆け上がると心臓がばくばくして少ない血が全身をめぐる。血が足りない足りないと体が喚き立てて、脳が酸欠で気絶しそうだ。

 

サキが息も絶え絶えで駆けつけると、ダンブルドアを追い詰めたスネイプとドラコがそこにいた。

 

「エクスペリアームス!」

 

サキはほとんど反射で、ドラコがダンブルドアへ向けている杖を取り上げた。

驚きも感嘆もないただただ冷たく重たい沈黙がその場に下りていた。



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12.はばたいて鳥は消える

真っ黒な感情がゆっくりサキの中で蠢いた。

丸腰のダンブルドアの顔面は蒼白で、手が震えている。はじめはスネイプかドラコの呪文を受けたのかと思ったがそうではなさそうだ。ダンブルドアはすでに深手を負い、衣服の端々が切れて焦げ付いている。

 

「よくここがわかったな」

 

「…女の…勘ってやつですかね」

 

サキはセブルスを睨みつけた。

 

「とんだ道化を演じさせてくれましたね、先生」

「全てはなるべくしてなった」

「私なんかのためにダンブルドアを殺すのはおかしい」

「おかしくなんかない」

ドラコが大きく、力強い声で言った。固い決意が語気から伝わってくる。サキは彼の瞳を見た。ドラコはゆっくりまばたきし、まるで自分に言い聞かせるように言う。

 

「これしかないんだ」

 

4人の間に沈黙がおりた。サキが貧血からめまいを起こして座り込むと、ダンブルドアが懇願するように声を絞り出した。

 

「……セブルス。頼む」

 

力のない声は、今まで見てきたダンブルドアという人間から出たとは思えないほど弱々しくて、年相応の衰えを感じさせた。

サキは霞む視界でダンブルドアを見つめた。

どう考えてもサキの命よりダンブルドアの命のほうが重い。彼を失うことは魔法界の痛手だ。

しかしサキがやめてと叫ぶより先に、スネイプの杖腕が空を切った。

 

「…アバダ・ケダブラ」

 

緑の閃光がダンブルドアの胸を貫いた。

妨害する暇もなく、ダンブルドアは糸の切れた人形のように塔から崩れ落ちた。

サキは頭の片隅でシリウス・ブラックの死の瞬間を思い出した。

長い長い悲鳴が聞こえた気がして、呆然としていた意識がはっと帰ってくる。

 

「行くぞ」

 

腕が引っ張られた。ドラコががたがた震える手でサキの二の腕を掴みあげて肩に回した。

 

「逃げるんだ…はやく」

 

サキはまだ自分の目の前で起きたことが信じられなかった。

天文塔の階段を駆け下りてる時も、扉をくぐって庭に出たときも、頭の中では崩れ落ちるダンブルドアの姿が何度も何度も繰り返されていた。

骨が割れ、肉の飛び散る音が窓の向こう、遥か下から聞こえたのも夢じゃない。

ダンブルドアの熟した脳が天文塔の真下にある石畳の中庭にぶち撒けられたのは、まごう事無き現実だ。

スネイプが、殺した。

 

「ステューピファイ!」

 

ハグリッドの小屋に差し掛かったとき、後ろからスネイプめがけて矢のような呪文が飛んできた。

殺気に満ちた声に振り返るとハリーが般若のような顔をして立っていた。

 

「ダンブルドアはあなたを信じていた!」

 

それを見て初めて、サキはまた自分が取り返しの付かない失敗をしたと実感した。

スネイプは蚊をはたき落とすようにハリーの呪文をはじいた。ハリーはそれでも追撃をやめずに杖を振るう。

「ドラコ、先に向かってろ」

ドラコはスネイプに促されてサキを引きずるように森の方へ向かう。

「セクタムセンプラ!」

 

ハリーは剣を振るように呪文を放った。しかしハリーの呪文は簡単に防がれて、スネイプにより数メートルほど吹き飛ばされた。地面で唸るハリーに、スネイプは告げた。

 

「よもや呪文の制作主に杖を向けるとはな、ポッター。我輩が半純血のプリンスだ」

 

 

 

 

………

 

二人は先程から起きている非現実的な出来事をゆっくり噛みしだきながら禁じられた森の中をまっすぐ進んだ。

サキはやっとドラコの肩から腕をどかし、自分で森を歩いた。木の葉の隙間から見える空は白み始め、お互いの表情がだんだん見えるようになってきた。

 

「ドラコ…君、私を嵌めたね」

「君こそ、僕に大切なことを黙っていただろう」

「おあいこって?馬鹿言わないでよ。ダンブルドアを殺すなんて正気の沙汰じゃない」

「君だって一時期本気でダンブルドアを殺そうとしただろう?」

「君の命がかかってたからだよ」

「僕も同じさ」

 

ドラコは走ったせいか額に汗を浮かべていた。いつもより顔が青白い気がする。

繋いだ手は震えていた。どっちの震えかわからなかった。

 

「…これであの人が許してくれればいいけど」

「大手柄さ。ヒーローだね、僕らは」

ドラコは全然楽しくなさそうに、むしろやけっぱちで言った。

「どう考えても釣り合わない…」

「僕には釣り合う。サキ、一つ覚えておいてほしい」

ドラコは立ち止まってサキの顔をしっかり見つめた。

 

「僕は君の犠牲なんかちっとも嬉しくない。正直、君が何も言わなかったことに腹を立ててる」

「…逆に聞くけど、打ち明けられる?こんな事」

「ああ。それもわかる。だから怒らない。…けれど、自分を棚に上げるのはやめろ。君がやろうとしていた事は、これと同じだ」

サキはぐうの音も出なかった。

結局、誰かが死ななければいけない運命だったんだ。サキはサキが死ぬのを選び、スネイプとドラコはダンブルドアが死ぬのを選んだ。それだけ。

 

「…これで、いよいよ光は潰えたね」

「いいじゃないか。暗闇の中でも、生きようと思えばどこでだって生きていける」

「随分前向きになったもんだね」

「君が突然後ろ向きになるからだ」

「私は前を見なくても歩けるんだよ」

 

森の奥にはポートキーがある。

ドラコが万が一に備えて作ったものだ。

二人はそれの前に立ち、スネイプを待った。

焦燥した顔のスネイプが草を掻き分け出てきたので、三人はそれに手を合わせた。

 

 

 

………

 

ダンブルドアは死の呪文により速やかに死亡。塔から落ちた遺体は硬い地面に打ち据えられて挽肉。しかし、痛みは感じなかっただろう。

魔法省大臣ルーファス・スクリムジョールは速やかに声明を発表した。

 

ヴォルデモートは諸手を挙げて喜び、三人を讃えた。

 

「これで、脳髄の件は…」

「いいだろう。抜け目のない友よ、お前は大変良い働きをした」

 

ヴォルデモートは全くリスクを背負わずに最大のリターンを得たわけだ。

セブルスは大きな代償を払い、自身の信用の回復とちっぽけなサキの行く末を手にした。

 

「さて、ドラコ。結果的にお前の任務は成功しなかったがセブルスの計画に大きく貢献したそうだな」

「はい。結果的に任務を果たせなかったことを深く反省しております」

「恐れながら申し上げます。ドラコの綿密な下調べなくしては成功しませんでした。襲撃の際も大いに役に立ってくれました」

「わかっておる。何も責めようというわけではない。よくやったドラコ」

ヴォルデモートは満足げに微笑んだ。そしてドラコの横で不貞腐れているサキに視線をやった。

「難を逃れたな、サキ」

「どこがです?」

サキの声は刺々しく、反抗的な態度にそばに控えていたベラトリックスが歯をむき出すのがわかった。それでもサキは気にしないで続けた。

 

「私は貴方のばかな命令を遂行するために努力したっていうのに、手柄は全部持ってかれちゃったんですから。骨折り損のくたびれ儲けですよ」

「ほう?不満なのか」

「はっきり言って不満ですね。さんざん脅されて悩んであくせく血を流した結果がこうですから。拗ねたくもなりますよ」

「随分不遜な物言いができるようになったじゃないか、サキ。この一年でものの見方が変わったか?」

 

「ええ。私はここ一年ずっと誰かの命を天秤にかけていました。ですが最近わかってしまったんです。いくら私が悩んだところで、皿の上のものは誰かに掻っ攫われる」

 

ドラコはサキの強気な態度を不安に思い、御前にも関わらずサキの横顔を見た。貧血気味の、百合の花びらのような肌の色をしたサキはほのかに頬を赤くしてヴォルデモートを見据えていた。

「だったらもう、私も皿の上に乗ってしまったほうが楽なのです。私の無駄な努力を聞いたかわかりませんが、私が今使える魔法は誰かさんの過去のすべてを見通す魔法よりも役に立ちます」

セブルスがサキを睨みつけた。

視線を集めてなお、サキは演説を止めなかった。

 

「どうでしょう。一先ず、私を使ってみるというのは?」

 

「サキっ…!」

セブルスがほとんど悲鳴みたいにサキを呼んだ。しかしサキはヴォルデモートだけを見つめていた。

ヴォルデモートは2、3秒思案した。

サキが一体何を考えているのかわからない。ただ、この娘は忠誠から申し出ているのではないのは明らかだった。

 

疑わしい。

 

だが、ヴォルデモートはそれ以上に若さゆえの蛮勇を愛していた。身を焦がすほどの衝動が持ち主を焼き尽くすのを見るのがたまらなく好きだった。

野心を抱いて朽ちていくこの娘を見たい。

絶望して最後にはその首を差し出し、母親同様翼をもがれた小鳥のように座り尽くすこの娘を見てみたい。

そんな残酷な感情がヴォルデモートに一つ、過ちを犯させる。

 

「いいだろう、サキ。教育は親の努めだからな」

「私に親はいませんが」

 

ヴォルデモートはサキの頬をぶっ叩いた。ばちーんと音がしてサキがよろめいた。

 

「親にぶたれた!」

「親はぶつものだ」

「孤児のくせに知ったかぶってる!」

 

ヴォルデモートはもう一発、今度は反対側を叩いた。

セブルスはもはや心配を通り越して呆れた顔をしていた。

「お前が何を企んでいるのかは知らないが…俺様のもとで働きたいのならまず自分で手柄を立てて這い上がることだな」

「…言われなくてもそのつもりですよ。…私は母のように閉じ込められるよりあなたの手足になったほうがマシと思っただけです」

「ほう?ならばハリー・ポッターを殺せと言われたら?お前は自分のために殺すのか?友人なんだろう?」

サキは真っ赤に腫れた頬を白い両手で包み込んだ。

そのうっとりしたようにすら見えるポーズでにっこり笑った。

 

「ええ。貴方がハリーより価値のあるものを私から奪うのならば、それもやむなしですよね」

 

 

 

 

ヴォルデモートはまたどこかへ旅に出てしまった。

セブルスはマクリールの館に潜伏することになったので、サキとともに姿くらましをした。

薄闇に沈む館の前に出ると、セブルスはすぐにサキの肩を掴み、揺さぶった。

 

「なぜ、あんな事を…!」

「だってそっちのほうが動きやすいじゃないですか」

「動きやすいだと?何馬鹿なことを」

「先生はせいぜい悩んでください。私はもう欲望のままに生きるのです」

べちーんと音がして、すでに腫れてるサキの頬にセブルスの掌が叩きつけられた。サキは悲鳴を上げて悶絶してからセブルスを睨みつけた。

「先生が悪いんですよ!黙って決めて、勝手にやって!」

「当然だ。脳髄を食べたら君の頭もあっという間に穴だらけだ。そんなこと誰も望んでない」

「こんな事になるなら、私は死んだほうがマシだった。私は嘘をついて、ドラコを傷つけないように頑張った。先生のために死んでも良いと思った。でも全部だめだった」

サキは手に絡みついた草をちぎってセブルスに向かって投げつけた。草は風に負けて届くことなくサキのローブに纏わりつく。

 

「過去に戻れば…全部なかったことにできる」

 

自分がすべてを変えられる。

なのにできない。それを選べない。自分の弱さが嫌になる。

焦げ付くような胸の痛みが全身の脱力感へ変わって行く。

全てが自分の思い通りにならない。

 

「なんで先生は、私の邪魔をするんてすか」

「君の母親との、約束だ」

「矛盾してるじゃないですか!」

「人の感情と行動は得てして一致しない」

「あなたに、母の何がわかるんですか」

「……リヴェンは言った」

 

震える指とままならない声帯。

1981年の秋も深まる頃、リヴェン・マクリールの症状は顕著に出始めていた。

言葉がうまく出ない。思い出が、消えていく。

 

『私を忘れないで』

 

思い出せない。

夢ばかり見る。

それも過去にあったことなのか、あるいは本当に夢なのかわからない。

 

「彼女は苦しんでいた。今思えば脳機能障害もあったのだろうが…忘れるのが怖いとしきりに言っていた」

「忘れる…?記憶をすべて思い出せる魔法なのに?」

「出来事に伴う本当の感情を忘れていく、と。彼女の涙を見たのはあれっきりだった」

 

サキはあの日記に書かれた一文を思い出した。

 

"悲しみも、喜びも、輝きも

全てが褪せた手紙のように

私の感情が再生できない。思い出せない。

もう何も感じない"

 

 

「君があんな風になってしまったら、私はもう耐えられない」

 

あの、釘のはみ出た棚にしまわれた革の本。

リドルの日記のような妖気を放つ本はリヴェンの絶望が詰まっていた。

母は最後の瞬間も絶望に包まれて死んだんだろうか。

ダンブルドアの持っていたあの輝かしい黄昏の記憶が、彼女の心を覆う闇をより濃くしていた。

 

「最後に残るのは絶望だとは限りません。パンドラの匣だって、最後に出てきたのは希望なんですよ」

「君がリヴェンにとっての希望だったんだ」

「……みんな勝手だ。人にいろんな事を期待しすぎてる」

 

サキは門柱により掛かり、手袋を外して指先を傷つけた。

 

「なんにせよ…先生。脳髄はダンブルドアの死を切っ掛けに失われた…そうですね?」

「ああ、その通り」

「そして…私が思うに、ヴォルデモートを殺すには…ただあの人の息の根を止めるわけにはいかないのでしょう?」

 

その血が地面におちた途端、門から先を覆っていた魔法がまるでシャボン玉が弾けるように霧散した。

 

「ダンブルドアはあいつを殺す方法をハリーに教えていた。そうなんですよね?」

「…なぜ?」

「ちょっと考えればわかります。いくら希代の闇の魔法使いとはいえ、肉体を持つものならば殺せるはずなのです。でも彼は…肉体を失って尚復活を遂げた。どうやってやるのかはさっぱりですが、ハリーしかそれを殺す方法をしらない。だったら私のできることはハリーたちの邪魔をしないことです」

 

「…君は、ダンブルドアを殺した私を信用しているのか?闇の帝王側の人間だと思わないのか?」

「先生、ずっと私に言っていたこと忘れちゃったんですか?あなたは私の味方なんでしょう?だからダンブルドアを殺すしかなかった」

「ああ。そうだ」

「私はずーっとあの人が大嫌い!先生が私の味方なら、先生も道連れであの人の敵。そうでしょ?」

 

セブルスは呆れるように目をつむり、そしてほんの少しだけ口角を上げてサキを見た。

門をくぐり、呪文が全て消え失せ顕になった荒れ果てた洋館の扉を開ける。

 

「君の、足し算みたいな正義感は…時々正しいんじゃないかと思わせるな」

「私は性善説を信じてるので。先生みたいな根暗コウモリでも信じることのできる、広い心を持ってるのです」

「……君は性悪だな」

「はっはっはっ」

 

 

 

脳髄の在り処はダンブルドアが文字通り墓まで持っていってしまった。校長室をひっくり返さない限り見つけるのは不可能だろう。

任務は失敗し、不死鳥の騎士団はいよいよ追い詰められる。

あの人は莫大な力を得るだろう。

けれども、まだ何もかもが終わったわけじゃない。むしろこれからが始まりだ。

 

日は昇った。

 

朝と夜の中間に星が一つ、落ちていく。

 





謎のプリンス完


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死の秘宝
01.宵闇に蛇が這う


人気のない村の袋小路で、二人の黒いマントを羽織った男が杖を向けあっていた。

時代錯誤のその姿は見る者にとっては滑稽だったが、残念ながら畜産を主として営むこの村にはもう起きてる人間はいない。

二人は杖をしまうと、連れ立って夜道を駆けた。

背の高い男、ヤックスリーが不意に尋ねた。

「情報は?」

「上々だ」

鷲鼻の男、セブルス・スネイプは不機嫌そうな低い声で答える。

二人は下草が伸びっぱなしのここ5年は誰も踏み入っていなさそうな森の中へ入っていく。

「今回の情報はあの方の重大な関心ごとだ。少しの遅刻くらい大目に見てくれるだろう」

木立は闇に沈み、月明かりを遮っていた。二人がしばし歩くと影は突然途切れた。

馬車道だ。

馬車道の先には大きな鉄門があり、凝った紋様に蔦が絡みついている。

セブルスはその門の前で杖を振り、そのまま前に進んだ。

侵入者を阻む鉄門は砂のように霧散し、セブルスだけを通した。続いてヤックスリーも同じようにして入ってくる。

その先には些か手入れの行き届いてない、無駄に広い庭園が広がっている。噴水の水際に浮かんだ苔が、家主の忙しさを象徴しているようだった。

瀟洒な館からは僅かに明かりが漏れている。

二人は滑るように庭園を抜け、玄関へ向かった。二人の来訪を予期していたように、扉は勝手に開いた。

贅沢な調度品で飾られた玄関ホールを抜けがっしりした木の扉の前につくと、二人は襟元を正してノブをひねった。

 

客間の長テーブルには真っ黒な服を着た魔法使いたちが肩を寄せ合い座っていた。

 

「セブルス、ヤックスリー。ギリギリだな」

 

上座に座る、死神のような男はいった。

「席は空けてる。はじめよう」

骨を切り出したような真っ白な毛のない頭。窪みからこちらを見据える赤い瞳。蛇のような鼻腔。

ヴォルデモート卿だ。

 

長テーブルの上には、天井すれすれで一人の女が浮かべられていた。汚れたブロンドが青白い顔をしたドラコ・マルフォイの真上にたれていて、ドラコは何分かおきに上をチラチラと確認していた。

 

セブルスはヴォルデモートのすぐ右手に座った。

セブルスの隣に座る少女ー成人しているのでもう女性というべきかーはセブルスにだけわかるようにウインクをした。

 

「それで?」

 

ヴォルデモートはさっそくセブルスに尋ねる。

 

「来る土曜の日暮れ、実行されます」

「お待ちください」

ヤックスリーが横槍を入れる。

「私が掴んだ情報ですと、ポッターは成人するまで…つまり30日の夜中まで動かないはずですが」

「情報源は?」

「闇祓いのドーリッシュです」

セブルスはせせら笑った。

「錯乱されていたのだろう。闇祓いはもはや騎士団とは関わりがない。やつらは我々の手が魔法省にまで及んでいると考えている」

「その通りじゃないか!」

ドロホフが咳をするように笑うと、周りにも笑いが伝播していった。ヤックスリーはプライドを傷つけられムキになっていたが、ヴォルデモートは相手にせずセブルスに続きを促した。

「それで、やつはどこにうつされる?」

「騎士団の誰かの家です。考えうる限り最大の防衛策を施しているはずですので、一度はいられたら奪還は不可能かと。土曜日を前にして魔法省を手中に収めれば、破るのも容易でしょうが」

「ほう?どうなんだヤックスリー。土曜までにできそうか?」

ヴォルデモートはヤックスリーを見る。ヤックスリーは震えつつも、自信有りげに立ち上がった。

「それに関してはいい知らせがございます。パイアス・シックネスを服従させました」

「ほう?だがまだ一人ではないか。暗殺となるとまだ手数が足りんな」

ヤックスリーはしゅんとして座った。

その間をついて、マルシベールが口を挟んだ。

「マクリール嬢、あなたなら呪文を破れるんだし、輸送後に襲撃するのも可能では?」

話を振られたマクリール嬢ことサキ・シンガーはやれやれと言いたげにテーブルに肘をついて、言い飽きたと言わんばかりの不遜さで言う。

「いつまでたっても私の魔法をお手軽な呪文破りだと勘違いしている方が多くて困りますね。確かに子供騙しの防衛呪文ならすぐ見破れるし突破できます。どんなに堅牢で広大な範囲も、時間をかければ泡を割るように突破できます。が…」

サキはほんの一ヶ月で随分装いを変えた。スネイプのような黒い詰め襟の服をきて、伸びすぎた髪を後ろで一つにゆっている。垂れた毛先が時折物憂げに項の上で揺れている。目にはくまがくっきりと浮かんでいて、顔色も良くない。

しかし態度はデカかった。

「私の魔法は地味で地道なんです。仮に潜伏先がわかっても、日々強化されるであろう呪文を破るのは無理ですよ。あっちは四六時中目で見張ってて私の姿が見えた途端に攻撃してくる」

「となると、やはり移送中か」

「我が君、煙突ネットワークなどの移動手段はすでに抑えてあります。やつが現れればすぐに捕まえられるでしょう」

「騎士団もそれは承知のはずだ。小僧はおおっぴらに、体を晒して逃げるしかないわけか」

箒や動物、意外なところで絨毯といった個人単位で使える乗り物は限られている。しかし確実な手段だ。

ヴォルデモートは愉快そうだった。

「あやつは生きたまま捕まえるのだ。俺様が直々に手を下す」

テーブルに並んだ誰もが、不穏な空気を感じ取り、密かに視線を交わした。

「さて、やつを確実に殺すために…誰か俺様に杖を進んで差し出すものは?」

誰も手を挙げなかった。

ヴォルデモートは楽しそうな笑みを浮かべてルシウスの名を呼んだ。

「ルシウス、お前はもう杖を持っている必要はないな?」

「わ、我が君…」

ルシウスはアズカバンを経て随分やつれ、みすぼらしくなった。カタカタ震える手で杖を取り出し、ヴォルデモートに献上した。

「ルシウス、そう青い顔をされては、俺様が何か悪いことをしているようではないか?俺様がこうして再び戻るのが不満なのか?」

「とんでもありません!私はずっと、それを望んでいました。貴方様の、栄光を…」

ヴォルデモートは必死な顔のルシウスを鼻で笑った。ベラトリックスが大慌てでフォローに入る。彼女は少しでもヴォルデモートに嫌われたくないのだ。

「貴方様が再び君臨し、この屋敷にご滞在され、私は喜びのあまり身が震えます。我が君。この上ない喜びを私は感じております!」

「喜びか。そうだベラ、お前の姪に狼人間と結婚した魔女がおるらしいじゃないか。それも嬉しいか?」

ベラトリックスの表情が凍りつき、すぐに怒りで燃え上がる。周りはゲラゲラと笑い、ベラトリックスの怒りはますます燃え上がった

「そんな面汚し…私が必ず殺してご覧に入れます!」

「全く野蛮ですねえ」

突然サキが煽るように口を挟むと、ベラトリックスは身を乗り出してサキの方を見た。

サキは馬鹿にするように笑った。

「そんな顔してちゃあかちゃん狼人間でもぐずりますよ、レストレンジさん」

げらげらげらと下卑た笑い声に包まれ、ベラトリックスは顔を赤くして今にもサキを八つ裂きにしたいという表情をした。

「さて諸君、談笑もそこまでだ」

ヴォルデモートは笑い声を止め、宙に浮いた女性を指した。

 

「ゲストの紹介を忘れていたな。こちら、マグル学の教師を長年お務めになっていたチャリティ・バーベッジ先生だ。先生はマグルと我々の混血を推奨してらした」

 

周りからやじが飛ぶ。口汚い罵りが、哀れな魔女に浴びせられる。

乾ききった喉で、魔女は懇願する。

 

「セブルス…お願い、助けて……」

 

サキはそれを横目で見て、すぐに関心をなくしたようにそっぽを向いた。

 

「お願い、死にたくない。たす」 

 

バーベッジ女史がすべてを言い終わる前に、死の呪文が彼女を貫いた。

事切れた彼女が、泥の詰まった袋みたいに長テーブルに落ちた。

 

「さあ、ナギニ。夕食だ」

 

 

バーベッジ女史が大口開けた蛇に食われると、そこそこ盛り上がっていた席も一気に醒める。あまり気持ちのいい光景ではない。

蛇は顎を外して大口を開け、ゆっくりゆっくり獲物を丸呑みする。いくら大きな蛇とはいえ人間大のものを飲み込むには時間がかかる。さらに消化にはもっと時間がかかるししばらくはテーブルから動かない。

会がお開きとなり死喰い人たちが去ってもナギニは長テーブルでじっとしていた。

サキはずっと同じ席に座ってナギニを眺めていた。蛇の長い体の真ん中がバーベッジ女史の形に膨れている。ツチノコみたいな滑稽な形をしているが、先程より膨らみが小さくなった気もしないでもない。ちゃんと消化してるようだ。

 

『素朴な疑問なのだけれども』

 

サキの問いかけにナギニはピクリと目を動かした。

『美味しい?味、ありますか?』

『いいや。ただ腹は膨れる。満足だ』

 

ナギニとはたまに二言三言話す。彼女はヴォルデモートに溺愛され、また彼女も溺愛していたが、話し相手には不自由していたようだ。

 

『私、最近味を感じなくて』

『味付けなど。ヒトは不便だな』

『ヘビはいいですね。それだけでかいもん食えばしばらく食べなくていいし』

『しばらく動けない。我が君はお忙しい。ついていけないのはいやだ』

『…すぐ動くとお腹が痛くなりますよ』

 

話せるとは言え種族が違うので、残念ながら価値観は合わない。

 

サキはダンブルドア殺害の翌日からすぐに仕事を任された。

仕事というよりは雑用だが、お得意の呪文破りだ。アズカバンは反旗を翻した吸魂鬼のかわりにガード魔ンが警備している。当然魔法省法執行部により防衛呪文(防いでいるのは内からか、外からかわからないが)がかかっている。

幸いヤックスリーが法執行部の職員なのでかかってる呪文のリストはすぐに手に入った。

 

呪文がわかれば破るのは容易だ。

以前サキはドラコに血の魔法について例え話をした。

杖の魔法が英語なら、血の魔法はアラビア語だと。

書かれている言葉がわかればすぐに書き換え破壊できるが、複雑な魔法は何が書かれているかわからないのでまずそれを読み解くことから始める。幾重にもヴェールのかけられた呪文を探るにはまずそのヴェールの隙間を見つけ、血を垂らし、その血が触れた部分の魔法の断片を解読し…という地味な作業がいる。

それが省ければマクリールの館にかかった呪文を解くように簡単に突破できる。

 

サキはカロー兄妹と共にアズカバンに赴きいとも簡単に牢を破った。

 

オーバーパワーにも程があるが、やはり欠点がある。

一番の欠点は、荷物が嵩張ること。万年貧血になるせいで鉄ジュースが手放せない。

そのせいで死喰い人の何人かはサキが吸血鬼なんじゃないかと噂している。

 

「サキ…」

 

ドラコが一人客間に残るサキに声をかけた。

 

「眠らないのか?」

「眠くない」

「君、顔が真っ青だ」

 

ドラコはナイフを弄るサキの手を握った。彼女の手は夏なのに冷たい。

 

「死人みたいだ」

「大丈夫。生きてるよ」

 

サキは何かに憑かれたように働いている。ドラコは何度か止めようとしたが、サキは今度こそ誰の言うことも聞かなかった。

 

「君、学校へは行くの?」

「行かないよ。意味がないからね」

「そうか…」

 

ナギニがそばにいるので迂闊なことは喋れない。

 

「おりゃ!」

 

サキは突然手をドラコの首筋に当てた。あまりの冷たさに鳥肌が立つ。思わず口から悲鳴が漏れかけたがなんとかこらえた。

「あったかーい」

「温まったらどけてくれ」

 

サキとセブルスはマクリール邸かマルフォイ邸を行き来している。こういう会の日はたいてい泊まっていくが、サキはいつも明け方まで起きている。

ダンブルドアの殺害に成功したセブルスは今やヴォルデモートの右腕といえる立ち位置だ。対象的にルシウスはドラコの献身に免じて許されはしたが扱いは以前より遥かにぞんざいだ。

サキは「手柄を立てて這い上がれ」の言葉通り、手柄を立てて立てて立てまくった。

闇祓いの調べあげた死喰い人の極秘資料を収容したキャビネットを焼き、護りが施された要人のベッドのサイドテーブルから秘密の合言葉を抜き出し、煙突ネットワークを利用する敵がいれば煙突を塞ぎ、隠れ家を暴き床下の財産を根こそぎ奪った。

 

ベラトリックスは当然そんなサキを好ましく思っておらず常日頃見張っているようだった。なにしろサキは頑なに殺人だけは拒み、酷いときは任務をばっくれた。

 

しかしそれでもサキは少なくとも今のところ反旗を翻す気はない。

 

ハリーが夏休みの間過ごすプリベット通りは幾重も呪文が張り巡らされ、近づくことすら叶わなかった。サキは呪文は破れても人の目に映らなくなるようにはできない。

 

サキは何度も何度もハナハッカを塗るせいでボコボコになった掌を見た。血を流すたびにどんどん皮膚は固くなっていき、痛覚を失っていく。

 

罪悪感も傷跡と同じように鈍麻していく。

 

サキはヴォルデモートの味方をするつもりなんて全くない。ただ、彼の側にいたほうが得るものが大きいと判断したに過ぎない。

少なくともドラコは危険に晒されないし、セブルスの信用も揺るがない。

 

セブルスは最初こそサキの動きを止めようとしたが諦めた。

「何回言っても辞めないならせめて我輩の言うことを聞いてくれ」

セブルスはいつになく真剣な顔で言った。

「我輩は今年ホグワーツの校長に就任する」

「え、大出世ですね?パーティーとかやりますか」

「やらん。故に闇の帝王の動向を掴みきれん。ハリー・ポッターの動向もだ」

「全くわからないんですか」

「そうだ。サキ、君は我輩の味方だな?」

 

サキは笑って、セブルスの手に自分の傷だらけの手を重ねた。

 

「この血に誓って」

 

セブルスはその手を握り囁くように言った。

 

「君を信頼している」

「私もですよ。先生」

 

 

 

 



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02.ハリー・ポッター移送作戦

アルバス・ダンブルドアの死以降ヴォルデモートの勢力は一気に拡大し、魔法省はほとんど手中に落ち、闇祓いさえすでに数名犠牲になっている。

マグルの世界は死喰い人の破壊活動から恐慌に見舞われた。

ハリーの護送に際し騎士団の主力メンバーは家主のいなくなったダーズリー邸で久々に顔を合わせた。

 

「気配は」

 

マッドアイが相変わらずの険しい口調でキングズリーに尋ねた。

「ない。下っ端だけだ。今のところは」

「シンガーに強行突破されてはたまらんからな」

 

サキ・シンガーはスネイプの離反により敵の手に落ちた。彼女の魔法は想像以上に脅威だった。ホグワーツの防衛呪文はいつの間にか抜け穴だらけにされ、ダイアゴン横丁にかけられた呪文は幾つも機能不全に陥っており、修復は困難。場所が割れてる要人の家は尽く死喰い人の襲撃を受けた。

「あいつの魔法は手続きが圧倒的に少ない。わしらは常に呪文をかけ続け、あいつを監視することで難を逃れてはいるが時間の問題だろう」

「やはり彼女をスネイプに任せたのは間違いでしたな」

「マクリールめ。とんだ忘れ形見を遺していったもんだな。ふん…」

「我々の状況はたしかに苦しい。が、まだ希望がある。現にシンガーはこの家の護りを突破できなかった。主要メンバーの家も無事だ」

ルーピンが帽子を外していった。

「それに、彼女も本心から我々と敵対したいと願っているわけじゃないさ」

「リーマス、情に浸ってると痛い目を見るぞ。たっく!」

ムーディはうんざりした様子だった。ルーピンとアーサーは顔を見合わせちょっと笑った。

久々の再会は全員笑顔で、緊張の中でもわずかながら和やかな時間が流れる。

 

ハリーは笑顔でいる全員を見て不安にかられた。

 

この任務が終わって、また同じようにみんなが顔を合わせて笑い合うことができるだろうか?

ダンブルドアと手に入れたスリザリンのロケットは偽物だった。確かな達成感と喪失、そして失望。

偽物のロケットのためにダンブルドアはスネイプに殺された。大切な友達だったサキは敵になった。

失うものが多すぎる。

それが戦いなのだというのなら、ハリーは戦場から降りたい。

けれども運命はそれを赦さない。

ヴォルデモートの分霊箱を破壊できるのは自分だけだ。

そう信じて、儚い糸を手繰り寄せていくしかないのだ。

 

「ハリー、大丈夫?」

ロンが気遣わしげに声をかけた。

「ああ」

「サキは来るかな?」

「わからない。…どう移動するかわからないけど、サキは箒に乗れないから来ないかも」

「確かにな」

 

ロンとハーマイオニーはサキが今死喰い人の味方をしていることについて触れてこない。サキの魔法は強すぎた。彼女を信じる気持ちはあれど、騎士団のメンバーの親戚や友達はもう何人か捕まって冷たく寒いアズカバンの中にいる。その何件かは彼女が関わっている。

 

サキはスネイプを止めようとしていた。

彼女の悲鳴は金縛り呪文をかけられた耳にも確かに届いた。しかし今はどちらの味方なのかハリーももうよくわからない。

ただ結局彼女とはこうなるしか無かったのかもしれないなという諦めと、ぼんやりとした懐かしさだけが心に満ちていく。

 

マッド・アイがどこからかとりだした水筒を持って言った。

 

「さて…そろそろ始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

ハリーの動向を掴み、先回りして死喰い人たちを遠ざける。

 

そういう思惑で動いてはいるものの、現状ハリーが今何をしているかわからない。

事実上敵対関係だし、ダンブルドア殺害の場面に居合わせた以上申し開きをするつもりもないが、サキはハリーを傷つけようとは一度だって思ったことがない。

 

人生の残り時間はいずれゼロになる。

形あるものはゼロへ向かってゆくけれども、脳髄を食うのならば焦ることはない。しばしの間、死したダンブルドアに手向けておこう。

家探しは自分がスネイプより偉くなってからだ。…どうせ過去に戻れる。待つことに意味はない。

さて、ハリーの移送襲撃は血の気の多い連中が請負ったのでサキはいつものように裏方だ。しかも今回はスクリムジョール魔法省大臣の暗殺のため魔法省に行かなければならない。

指名手配されてないサキはまだ公共機関を利用できる。

故にサキが闇祓い局に"清掃業者"として呼ばれたとしてもまるで不審な点はない。

服従の呪文にかかったパイアス・シックネスは夢見心地でサキを案内した。

主力メンバーはほとんど不死鳥の騎士団としてハリーの護衛にあたっている。今この局に残っているのは協力者と服従の呪文にかかったものだけだ。

「じゃあ端から順に整理していきます」

「よろしく」

ふんわりしたシックネスは柔和に微笑みながら部屋から出ていった。

魔法省では大幅な組織改革が開始され、闇祓い局は縮小し、魔法法執行部が大きくなる。そのため部屋をあけなければならないので、こうしてサキが呼ばれた。

 

「掃除、掃除、掃除。ここまで来ても掃除させられるとは…」

 

もちろん闇祓い局ともなれば危険な品物に極秘資料ばかり。(当然、本当に重要な書類はすでに騎士団の誰かが持ち出した)見分けがつく人がやるのが手っ取り早く、適任はサキだけだった。

「失礼、この書類はどこにサインをすれば?」

「見りゃわかりません?」

突然声をかけられたものだから不機嫌に返したが、振り返ってみるとよく知る人物だった。

「あ、パーシー?」

「驚いた。シンガー?」

随分役人ヅラになったパーシーがバッチリ襟元までノリの付いたスーツで立っていた。そういえば最近出世したらしい。

「久しぶり。なんか家出したって聞いたけど。元気?」

「ああ。まあね。…君は?なんでつなぎなんてきてる?」

「えーっと…就職した」

サキは嘘をつく他なかった。パーシーは訝しげな顔をしていたが他に何といえばいいかわからなかった。

「サインは終わったら貰いに行きますので」

「ああ。ご苦労様…ってそうじゃなくて」

パーシーは周りを気にしながらそっとサキの方へ近づき、囁いた。

 

「ロンたちは?無事か?」

「ええ。今のところ」

 

パーシーはほっと胸をなでおろす。

騎士団に関係する人物は次々と殺されるか投獄されるかしている。

当然ウィーズリー一家も対象で、双子のいたずら専門店は最近襲撃にあった。アーサーの職場は取り潰され統合され、今のところ彼の職場は存在しない。事実上のクビだ。

「君は仕事できたのか?」

「見ての通り汚れ仕事中です」

パーシーは判断がつかないといった表情でサキを見つめ、書類の挟まったバインダーを持って戻って行ってしまった。

サキもとりあえず闇祓い局の汚い物品庫を整理し、重要そうに見えるものだけを取り出してゴミとして梱包し持ち帰る。労力に見合った成果を得られているとは思えない。

「シンガー」

パーシーがタイミングを見計らったかのように書類を持って現れた。

「ゴミはこちらが処分しますので、そうそう、そこにサインを」

「ああ…これでよし。このゴミ以外の処分、頼める?」

パーシーの持ってきた書類はほんの少しだけ厚くなっていた。サキはああ、と頷く。

「ええ。ちゃんと分別して捨てておきます」

「そうか。じゃあよろしく」

パーシーはふうと一息ついてにこっと微笑んだ。

「おまかせあれ」

 

 

パーシーはサキを取り敢えず騎士団側の人間だと思ったらしい。バインダーに挟んで渡してきたのは家族への手紙だった。

中身を読むなんて野暮なことはしないが、届けるのは難しい。

ハリーの襲撃は失敗に終わり、騎士団の人間の家の防衛呪文を突破することが急務となった。サキの呪文破りは相当警戒されているようで、サキが近づこうとすればたちどころに迷子になるよう呪文がはられていくのがわかる。

闇祓いレベルの錯乱呪文、迷わせ呪文となればサキも破るのが困難だった。常に血まみれていれば突破できるかもしれないが、あからさまに攻め入ってもサキ一人じゃかんたんに御用になってしまう。

故にサキは閑職に追いやられている。代わりに破壊活動が増え、ベラトリックスは忙しそうだ。

マルフォイ邸はマクリールの屋敷の数倍居心地が良かった。(何もしなくても飯が出てくるという点で)ここには幾人かの重要人物が地下牢に閉じ込められている。

オリバンダーなんてもう一年近く監禁されている。大変気の毒な様子で、ご飯を届けても最近はよく残しているらしい。

サキのやることにいちいちケチをつける人はいないので、当面オリバンダーの世話をすることにした。

 

「日の光を浴びませんか?」

 

拘束付きではあるが、オリバンダーは久々の陽光に眩しそうに目を細めた。

 

「あの人たちは捕虜に対する健康意識がなってませんよね。マグルでさえ捕虜に関して法律があるのに」

「奴らにとって、私の命なんて全く価値がないんだろうな」

オリバンダーはすっかり萎れていた。

「ありがとう。マクリールの娘さん」

サキはオリバンダーとはマルフォイ邸でしか会ったことがない。杖は母親のお下がりなのでお店も外から覗いた程度だ。

「君の杖…」

オリバンダーがつぶやくので、サキは杖をベルトから取り外して見せた。暗い色をした真っ直ぐな杖だ。

「ああ。懐かしい…綺麗に使ってくれているんだね」

「あ、もしかして母を知ってるんですか?」

「よく知っているよ。君の曾祖父が私の弟だからね」

「…ん?えーっと、曽祖父の時代だから…ペトラさんですか?」

「そう。ペトリューシュカは杖も作っていた」

「親戚だったんですか」

「ああ。純血は多かれ少なかれそうだが、マクリールの家と姻戚関係を続けていたのはうちくらいだ。だから君とはずっと話したいと思っていたよ」

サキはオリバンダーをじっくり見た。自分と似てる部分はかけらも見つからないけど奇妙な気持ちになる。

 

「早く言ってくれればよかったのに」

「地下牢ではね…他の目もあったから」

オリバンダーは疲れ切っていた。日に当たることすら辛いのか、深く呼吸をして目をつむりゆっくりと話す。

「君がこうして生きててくれて良かった。クインもリヴェンも早く死んでしまったから」

「……生きてても、こうやって汚れ仕事をしているわけです。先祖は泣きますよ」

「そんな事はない」

オリバンダーは魔法のことを知っているのだろうか。サキのことを見る目は優しい。そんな目で見ないで欲しかった。

「杖を見せてくれるかい?」

サキは素直に杖を手渡した。

オリバンダーが杖を触る手は花を慈しむように優しく、懐かしさからか目を細めて微笑んでるように見えた。

「ああ。弟の手によるものだ。君の一族は特殊だから、特製の杖がいるんだ。これはクインが生まれたときに作ったものだね」

杖先からふわ、と煙が浮かんだ。

「ありがとう。大事にしてくれて」

「いえ」

サキは受けとると改めて最近使う機会の少ない杖を撫ぜた。

「君たち一族は本当によく似ている。どんな血が混じっても、やがて君になるんだね」

「呪いですね。濃すぎるのでしょう、血が」

オリバンダーは悲しげに微笑んだ。

「そうだ。けれども私は信念に殉じた彼女たちを尊く思うよ」

「信念に殉ずるか…」

サキは、自分が信じてきたものがいつの間にかすげ変わってることに気付いた。

自分は自分で、生まれなんて関係ないと思っていたのに今はそれと真逆の道を進んでいる。手を差し伸べられてもそれを振り払い、他人が望む道を歩んでいる。

 

おかしいな。こんな筈じゃなかったのに。

 

掌は黒い手袋で覆われている。布の下の皮膚はボコボコ。いつも血の匂いがして、人を平気で傷つけなきゃやってられない。

セブルスの為と言い訳をして、心の痛みを避けている。

また罪悪感が全身を覆い尽くす。何度も味わった苦い鉄サビの味。

 

「サキ」

 

そこまで考えていたら、建物の方からドラコが歩いて来るのが見えた。影法師がいつの間にか伸びて、日が傾いていることに気づいた。

「スネイプが来た。君を呼んでる」

「ああ、ありがとう」

「オリバンダーは僕が送るよ」

そう言ってドラコはオリバンダーの肩を支え、労しげに彼を誘導した。

サキは屋敷へ走っていくと、書斎でセブルスが待っていた。

「首尾は」

「上々ですよ」

サキは手袋をした手をひらひら振った。

「先生は?」

「マッドアイが死んだ」

「…そうですか」

「ハリー・ポッターは逃げおおせた。おそらく、隠れ穴だろう」

「隠れ穴といえばですけど」

サキは今日パーシーに会い、手紙を受け取ったことを話した。セブルスは残念ながら渡すことはほぼ不可能だろうと言った。

「残念ながら、君も我輩も要注意人物扱いだ」

「先生はともかく私もですか」

「君の血を使った魔法は防ぎようがない」

「大したことないのに」

サキはため息をつき、パーシーから貰った手紙と魔法省の暖炉の路線図(というのが適切かは疑問だが、各暖炉の行き先と最寄りの暖炉が線で結ばれた地図)を取り出す。

「暖炉にはロンドン市内での不審な動きをつかめるように魔法がかかっています。魔法省全体でやり始めた杖改めも幸いして登録してないものは暖炉を通るたびに職質行きですね。お気の毒に」

「ふむ…」

「魔法省の職員はもうほとんど服従させられています。スクリムジョールの寿命もあと僅かでしょう」

「大臣はダンブルドアの遺品をポッターたちに届けるはずだ」

「なるほど。隠れ穴の場所がわかりますね」

「大臣が遺品を届ける前に死なれると困る」

「調整しておきます」

「頼む」

魔法省での隠密活動はヤックスリーの領域だが、ヤックスリーはサキに対して好意的である程度融通がきく。サキもそれなりの礼や協力をしているのでパイプは太い。

「顔が青いが」

「え?ああ。先生もですよ」

「……今度は我輩が鉄ジュースを作って持ってこよう。君の配合は心配だから」

「やだな。それくらい普通に作れますって」

「…………」

セブルスは残念ながらサキの魔法薬学の成績には不満があるらしかった。ふくろう試験に受かったんだからそんなに心配しないでもいいと思うのだが。

 

「…じきにポッターも動き出す。そこからが我々の本番だ」

「ええ。楽しみですね」

 

 

実際のところ憂鬱が胸を食い荒らしていた。

サキはため息を吐いてあの記憶を再生する。

 

ダンブルドアが残した母親の記憶に、脳髄の在処のヒントがないかずっと探していた。

残念ながら何度見ても眩い光につつまれた歪な情景でしかなく、明確な形があるのは自分の目から見える自分と誰かの強い眼差しくらいだった。

母の記憶は他の人が作る記憶の糸とは違っている。ペンシーブ…憂いの篩は記憶を空間的事象として三次元的に再現する。しかしこの記憶は一人称で主観的な解釈により大きく映像が歪み音すら変化する。

場所や時間は曖昧だけどやけにどうでもいいところだけ鮮明に覚えていたりするあれだ。通りすがりの大道芸人のボタンが取れかかっていたとか、そういうやつ。

 

唯一サキが感じ取れたのは美しい光景の中に広がる寂寞とした後味だけだった。



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03.魔法省陥落す

……

 

雪の日、一人のいじめられっこが泣いていた。

雪玉をぶつけられたせいで本はぐしゃぐしゃ。

下級生が馬鹿な遊びをしているんだ。巣から落ちた雛鳥を助けるようなやつはこの寮にはいない。

黒いコートを着た陰鬱な顔をした少女が雪玉から彼をかばった。そして投げてきた生徒に呪文を使って雪壁をこさえ、閉じ込めてしまう。

突然の乱入者に驚き、いじめられっこは泣くのをやめて尋ねる。

 

ーだれですか

ー涙が凍るわよ

 

少女はくしゃくしゃのハンカチを渡した。いじめられっこの少年はそれで鼻をかみ、少女に返す。

 

ー洗って返すのが礼儀でしょう

ーごめんなさい

 

いじめられっこはまた泣いた。

 

……

 

 

隠れ穴での日々は例年通り穏やかに…とは行かなかった。

ビルとフラーの結婚式を控えて慌ただしいのもあったし、分霊箱に関して新しい情報が一切得られないという焦りからハリーは常にイライラしていた。

 

そんなハリーの話し相手になっていたのはジニーだった。

 

「サキはここに来ると思う?」

「わからないわ。お祝い事は好きだし、招待したらきっと喜んでくると思うけど」

「確かに」

 

ジニーはサキが死喰い人側にいった事に対して怒っていなかった。ちなみにロンはカンカンで、ハーマイオニーは涙ぐむほどに悲しがっていた。

「僕、サキが信じられないんだ。サキはダンブルドアを殺さなかった。けど…結果的にダンブルドアは死んだ。サキは悪くないってわかってるのに心の何処かで彼女が敵だと思ってるんだ」

「サキが敵になったっていうのは行き過ぎよ」

「どうして?」

「だってサキってどっちにいたってあんまり変わらないわ。つまり…サキはサキよ」

 

弱音を吐いたハリーに、ジニーは今まであまり語らなかった秘密の部屋事件のことを話してくれた。

「サキは私のしたことに気付いていても誰にも言わずにいたわ。昔っからずっと大切なことは全然言わない」

「大切なこと、僕にだけは言ってくれてると思ってた。…でも違った」

「そうね。口が固いところは好き。でもかたすぎるわ」

「…サキは、誰かのために自分を蔑ろにしすぎる」

「秘密の部屋事件のときもそうだったわ」

 

サキは育った孤児院を火事で失くした。彼女の心の底に穿たれた傷は今までずっとそこにあったのに見えなかった。そればかりか、その傷をまんまと利用されている。

性格的にサキがヴォルデモートに心から追従することはないだろう。けれどもヴォルデモートは去年と同じように誰かの命と引き換えに残酷な選択を迫ることはできるはずだ。

ヴォルデモートの中でサキの魔法の価値がなくなった瞬間、それは訪れる。

 

「私はサキはサキで何か企んで動いてるんだと思う。サキは悪いことができる人じゃないわ。詐欺とかいたずら以外だけど」

「そう、だね。…うん。ありがとう、話を聞いてくれて」

 

毎日がゆっくり、じわじわと過ぎていく。ハリーは誕生日を迎えるまで学外で魔法を使えない。結婚式の日はちょうどハリーの誕生日と同じなので二人の門出を祝わなければ自由に行動できないわけだ。

そうしている間にも騎士団のメンバーは徐々に死喰い人に追い詰められていた。

 

ダンブルドアを殺したセブルス・スネイプも依然行方がつかめない。

スネイプは確かにダンブルドアを殺した。憎い仇敵だ。けれどもその恨みや憎しみはどうもすっきりしない。

スネイプはサキのためにダンブルドアを殺したのだ。

そのサキに対する彼の愛がハリーが彼を心から憎むのに邪魔になる。いっそスネイプが心からの悪者だったら楽だったのに。

ずっと曇り空のように心がもやもやしていた。

 

そんな中で魔法大臣スクリムジョールがダンブルドアの遺品を携え、たった一人で隠れ穴にやってきた。

 

ダンブルドアが三人に遺したのは火消しライター。吟遊詩人ビードルの物語。そして、最初の試合で手にしたスニッチだった。

 

 

 

 

……

 

セブルスはサキが心配でならなかった。今の彼女はまるで漕ぐのをやめたら倒れる一輪車だ。ダンブルドアの死を目撃して以来、彼女はダンブルドアの命に見合う働きをしようとしている。

セブルスはダンブルドアの計画すべてを知っているわけではない。分霊箱があといくつあり、ハリー・ポッターがそれをどこまで把握しているのかも知らない。

サキの魔法はセブルスよりよっぽど役に立つ。彼女のお陰で騎士団のメンバーの行方を死喰い人より先回りして察知し、追跡を混乱させることができる。

肝心のポッターの行方についても、ポッター自身がヘマをしない限りは同様に錯乱させ続けられるだろう。

しかしその代償は大きかった。サキは追跡呪文のメンテナンスと常にやってくる守護の呪文破りの依頼のせいで年中貧血で座っている。その姿は母親そっくりで、彼女もまた死んでしまうんじゃないかと錯覚させた。

 

「サキ」

 

うーん。とサキは唸った。

「…まだ6時じゃないですか。深夜だ」

「いや、朝だ。我輩はホグワーツに行かねばならん」

「あー。じゃあ、定時巡回でまた」

サキは起きる気はないらしい。座ったまま器用に眠り続ける。セブルスは少し寂しいような気もしたが疲れている彼女を無理やり起こすのも気が引けた。

「ドラコもホグワーツへ行くが」

「犬猫じゃあるまいし…一人で行けるでしょうが」

「ああ」

サキはつい先日隠れ穴で散々血を使いアーサーやモリー、ウィーズリー家の人々の痕跡を探させられた。サキからしてみれば全く無駄なことに思えたが命じられるがままに防衛呪文をリストアップし、再度この地に足を踏み入れるものがいれば即座に感知するように魔法をかけた。

「あーあ。こんなんならハリーたちの味方に付けばよかったー」

サキは冗談めかしてそういう。セブルスとしては、どちらのほうがマシだったかわからない。けれどもやっぱり、自分のそばにいてくれてよかったと思う。

 

ダンブルドアの命令に従い、彼を殺した。

今まで守ってきた味方に憎まれる役を演じている。それはそれで仕方のないことだと割り切っているが、やはり辛いことには変わりない。

経緯を知っていて尚口をつぐみ寄り添ってくれるサキは救いだった。

「景色が黄色い」

サキは寝ぼけ眼でトマトジュースを飲み干してぐちゃぐちゃ髪のまま外へ出た。

「あ、と思ったらちょっとだけ葉っぱの色味が変わってるのかな?もう夏も終わりですね」

「ああ。じき冬だ」

「最近季節がめぐるの早いんだよなー」

「年を取ればもっと早くなる」

「うわ。先生それおっさんくさいですよ」

 

彼女の笑みは母親がごく稀に見せた笑顔とそっくりだった。何かを堪えてるような、大きなヒビを隠したような笑顔。それを見るたびにセブルスの胸はチクリといたんだ。

 

……

 

ルーファス・スクリムジョールの暗殺により魔法省は陥落した。

パイアスが大臣となり、ヤックスリーはめでたく局長へ。ドローレス・アンブリッジも返り咲き、魔法省はまさに悪魔たちの坩堝だ。

魔法省の杖改はマグル生まれ狩りとして機能し、順調にアズカバンの人口を増やしていった。

パーシーは吸魂鬼のひしめく大法廷で、ひたすら裁判ではない何かの記録を取っていた。

 

シンガーは何回か清掃業者、若しくはアルバイターとしてやってきてパーシーに手紙をジニーに送ったことを告げた。ドラコを通して渡した手紙がいつ届くかはさっぱりだがサキが持ってるよりはまだ可能性は高い。

 

サキは神秘部に頻繁に出入りし、山ほどのダンボールを抱えて帰っていく。

パーシーはその幾つかに魔法省が次どこで検問をやるか、摘発をするかのリストを混ぜた。サキはいつも明確なことは言わないが、騎士団のメンバーは今のところ誰も捕まっていない。

「今後ともご贔屓に」

と言って帽子をちょいと上げて去っていくつなぎ姿はやけに様になっている。

初めこそ半信半疑だったが、彼女は明らかに騎士団側の人間だ。

 

パーシーは明らかに何処かのネジが外れ狂っている魔法省からはとっととおさらばしたかった。しかし今職を離れれば確実に殺される。

スクリムジョールがどう殺されたか、パーシーは知っていた。

彼はただ死の呪文を受けたのではなく拷問され、泉の像に磔にされた。遺体は辱められ、噴水は彼の血を吹き出していた。あの光景はまさに悪逆非道の極みだったが、すぐに"清掃業者"により片付けられ、新しい銅像が建てられた。

 

誰かの惨たらしい死体の上に建てられた像に、誰が祈りを捧げるんだろう。夥しい数の無辜のものが今も監獄で衰弱死している。

こんなことをするために役人になったわけじゃない。

だから、ハリー・ポッターが魔法省へ侵入した際パーシーは何もしなかった。

 

 

 

「ヤックスリー。一体これはどういうことだ?」

 

 

怒り心頭のヴォルデモートが、ばらけて重傷のヤックスリーに磔の呪文をかけながら言う。

悲鳴がずっと響いていた。

サキはただぼうっとそれを眺めていた。

一際大きな泣き声が地下牢にこだますると、ベラトリックスは楽しそうに笑った。死喰い人達は統括と言う名の吊し上げのために狭い地下牢に押し合いへし合い拷問ショーに付き合わせられてる。

 

「は、は、ハリー・ポッターは…グリモールド・プレイスに潜伏しておりました」

「わかっておる。そこで何をしていたのか聞いたんだ!」

また悲鳴。サキはうんざりして口を挟んだ。

「家宅捜索しましたが、これといった痕跡は見つけられませんでした。屋敷しもべも行方しれずですがこちらも追跡不能です」

「我が君、私はやつの足を掴んだのです!捕まえ、掴んで…」

「掴んでまんまと取り逃がしたのだろうが!」

ヤックスリーは限界だった。皮が裂ける音がして事切れたように倒れるとそのまま動かなかった。息はしているが当分再起不能だろう。

ヴォルデモートは肩を激しく上下させながら怒りをコントロールしようとしている。

 

ヴォルデモートの情緒は不安定だった。元から激情家だとは思っていたが、激しい怒りにとらわれると手のつけようがない。

「…サキ。ポッターはどこにいる?」

「それがわかれば誰もこんな怪我せずに済むんですけどね」

「今の俺様に軽口を叩くなよ」

「じゃあだまります」

ヴォルデモートは苛立ちながら観衆へ視線をやった。

 

「それよりドローレス・アンブリッジです。彼女がなぜ狙われたのかを考えるべきでしょう」

まだ冷静なノットが言った。

「彼女はポッターの恨みを随分と買っていた」

とセブルス。

「我々の間でも鼻つまみ者だ。昔からね」

アンブリッジと同窓のものはせせら嗤った。

「あのヒキガエルから何か報告を受けたか?」

「いや…我々にはきていない」

「プライドが高いからな」

ワイワイと言い合う死喰い人達からぴょこっと手を上げてサキは前へ躍り出る。

「調書をとるべきでしょう。私が承ります。あの人に随分罰を受けていたのでやり返すチャンスを狙っていました」

「おまえが?」

ベラトリックスは早速噛み付く。しかし彼女は新政権になってからお尋ね者ではなくなったものの、魔法省に堂々と出入りするのは目を引いてしまう。

かと言ってアンブリッジとわざわざ話したいものなどおらず、結局サキが任される。みんな面倒くさがりなのだ。

「いいか?絶対にポッターは生きたまま捕まえろ」

ヴォルデモートはそう言って姿くらましして消えた。

彼が立ち去った後、サキは肩をすくめてからセブルスに愚痴る。

「ああ、本当に彼って慈悲深いですよね」

「……真実薬は?」

「ほしいです。取りに行っても?」

二人は姿くらまししてホグワーツへ移動した。城門は高く、防衛呪文は分厚い。セブルスが杖をふると霧のように消え、二人がくぐってからまた鉄門へ変わる。

久々のホグワーツはどんよりとした空気に包まれてまるでずっと葬式でもしているようだった。

 

「で、先生はなんでハリーたちが魔法省なんかに来たか見当がついてるんですよね?」

「さっぱりだ。だがアンブリッジを尋問すればすぐにわかるだろう」

「あのババアは一筋縄ではいきませんよ」

 

サキは城門をくぐり冷たい石畳をカツカツと進む。数名の生徒とすれ違うが、誰もサキをみてひそひそ話をしなかった。

監視体制が強すぎて廊下では私語もままならないらしい。思春期にかわいそうに。

 

ガーゴイルをパスすると、黒檀の美しい棚が円形に置かれた校長室だ。サキがさんざん荒らしたあとはきちんと補修したらしい。

「そういえば…結局脳髄は見つかりましたか?」

「いいや」

セブルスは遠慮がちに増設された薬品棚のなかから一番小さな瓶を寄越した。

「…まだ私、諦めてませんから。過去をやり直すの」

「馬鹿をいうな。させはしない」

「肖像画は知ってるかな」

サキは壁にかかったダンブルドアの肖像画を見た。すやすやと気持ち良さそうに眠っている。あくまで魔法の肖像画で記憶を受け継いでいたりするわけはないのだが、こうして気持ち良さそうな寝顔を見るとなんだかそこに救いを見いだせるような気がした。

気休めだけれども。

「…あ、あれ。シリウスさんの家にもありませんでした?」

サキはダンブルドアの2つ隣にいる肖像画を指差した。

「フィニアス・ナイジェラス。ブラックの曾祖父にあたる人だ」

「さすが純血。顔もどぎついですねえ」

「…さっきから黙って聞いていれば、部外者が一体何だ」

「うお、喋った!」

「校長、一体何者なんですかね、この無礼な子どもは」

「彼女はサキ・シンガー。我輩の…協力者だ」

「どうも。最近あなたのお家にお邪魔しましたよ」

「シリウスが帰ってきてから、よそ者ばかりが入ってくる。由緒正しきブラックの屋敷だぞ、あそこは…」

フィニアスは悩ましげにため息をついた。

残念ながらブラックの屋敷は廃墟同然だった。掃除する人間が誰一人としていない…廃絶した家系の辛いところだ。

掃除、ああ掃除。サキは結局ブラック家も掃除した。本当に腹立たしい。

「…って、そうだ。あなたの肖像画、家宅捜索したときにはなかったんですけど。闇市にだされてるなんてことは」

 

フィニアスはセブルスに視線をやった。

しかしセブルスはムスッとしたままだ。秘密の事だったんだろうか。

「サキ、それは上に報告したか?」

「いいえ。私が責任者ですから!えへん」

「そうか。次からは我輩に必ず報告すること」

「へーい」

「へいではなく」

「へいへい」

「……」

 

 

 




今日(投稿日)はスネイプ先生の誕生日です。おめでとうございます。
いつも誤字修正ありがとうございます。


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04.さらば、愛の言葉よ

「それで…ハリーたちはなぜあなたに?」

 

頑なに口を閉ざしたアンブリッジは少なくともサキの前ではメッキが剥がれていた。突然尋問官として現れたサキを見るとすまし顔は急に真顔になり、次に瞳に猜疑と怒りが灯った。

しかし現在はなんとか、彼女の固い口は開いている。

99%は真実薬の功績だが1%くらいはサキの話術だと信じたい。

「わかりません」

アンブリッジが狙われた理由について、彼女に心当たりは無いらしい。あれだけの暴虐を働いて全く心当たりがないというのもぞっとするが。

「それじゃあハリーたちは何しに来たんですか?わざわざあなたをぶん殴りに来たわけないでしょう」

「ポッターは、私のロケットを奪いました」

「ロケット?えー…つまり装飾品?」

「そう、そうです」

真実薬のおかげで随分スムーズに会話が進んでいるが、飲ませる前までは殴り合い一歩手前なくらい二人の会話は噛み合っていなかった。本当に薬というものは偉大だ。

「どんな形のです?」

「スリザリンの紋章が入っていましたわ」

「スリザリンの?ふうん。…家宝とか?」

アンブリッジは死ぬほど苦い薬を飲まされた顔をして

「いいえ」

といった。

「じゃあどこで買ったんです?」

「買ったのではありません。違法露店から没収しました」

「なぜそんな物を?」

「それは…権威が、血筋が、重要だからですわ」

「へえー耳が痛いや。マグル生まれ狩りなんてするくらいですもんね。ひょっとしてあなたの血にも何かやましいことが?」

「私は、半純血です!」

突然怒り出すアンブリッジにサキはすこし臆し、手錠で動けないことを思い出して一呼吸おいた。

「あなたの生まれはどうだっていい。そのブローチは誰から買ったんです。名前は?身なりは?」

「名前は…わかりません。薄汚い小男でしたわ。どこにでもいるような…」

「ふうん。全然伝わらない説明をどうも。じゃあ記憶をここに入れてください」

サキはフラスコを取り出し、杖も渡してやった。

アンブリッジは従順に記憶の糸をフラスコへ入れる。うんうん。いい気味。

「盗品では身分は保証されませんよ。ミス・アンブリッジ。あらためてマグルかどうか調べてからの復職ですね」

「シンガー…」

アンブリッジはできることなら今ここでサキの首を絞めたいといった顔をしていた。

「だめですよ、嘘をついちゃ」

勝ち誇ったようにサキは笑い、玄関ホールから堂々と出ていった。

 

サキ・シンガー。

新体制の旗頭。つなぎさん。かっこいい二つ名がつき始めた頃にはもう冬も深まり、クリスマスが近づいていた。そんなときにヴォルデモートからお呼びがかかった。

 

死の秘宝、ニワトコの杖を求める旅は容易ではない。それこそマクリールの魔法の出番だと思ったが、彼女の家に残された書物を探すには時間が足りないしサキに目的を知られたくなかった。

ヴォルデモートは魔法省制圧やホグワーツ陥落をすべて部下に任せ、ひたすら旅をしていた。

杖作りのオリバンダーからグレゴロビッチにたどりついた。しかし肝心のグレゴロビッチはどこの馬の骨とも分からない若者に杖を盗まれていた。

 

「全くままならぬ」

 

マクリールの屋敷の庭は以前訪れたときより整備され、雑草や埃ははらわれていた。しかしそれ以上は手を付けられていないのか、植木たちは自然の赴くままに歪に繁茂している。

 

「貴方も疲れを感じるんですか?」

 

サキ・シンガーはいつもより背筋を伸ばして、まるで呼び出しを受けた生徒のように緊張気味に向かいに座っていた。

「何故疲れていると?」

「なんとなく」

「俺様とて人間だ。眠りもすれば疲れもする」

「そのジョーク、ウケますね」

サキはいくら頬を張り飛ばしてもくだらない冗談を続ける。もうそういう性癖なのかもしれない。

「あの、どうして今日は私を?」

サキはおずおずと切り出した。個人的に呼び出されたことで警戒しているようだ。

「娘と話すのに用がなければいけないか?」

「急に父親ヅラされても困ります」

「はっ!母親そっくりだな」

「よく言われます」

サキはそれでもいつもの調子で紅茶を出す。彼女の紅茶は苦すぎてとても不味い。

「本当に、そっくりだ」

「一つ疑問に思っていました。貴方は母をどう思ってるんですか?つまり…その。わかるでしょ?私が生まれた」

「くだらんな。愛情でも抱いているとでも?リヴェンはリヴェンの血統を遺せて、俺様のスリザリンの血も遺す。利害の一致だ」

「そうですか。安心しました」

「安心?」

「愛されてなくて、よかった」

「愛について…ダンブルドアなんかは妄信的に善なるものとしていたが、お前は違うようだな」

「愛は尊いものですよ。けれども、あなたの愛なんてごめんです。愛されずに育ったあなたの愛なんてね」

「お前とて同じだ。母親は死に、俺様にははじめから棄てられている」

「ええ。だから私たちは、神様から嫌われている。子どもにとって親は神様です。親のいない私たちはずっと奈落の底」

「面白い解釈だな」

ヴォルデモートはやけに噛み付いてくるサキをじっくりと見た。前より鋭く尖ったガラスの破片。

しかしサキは突然鉾を収め、仕事の話へ戻る。

「アンブリッジ他魔法省でハリーと接触した人たちに話を聞きました。ハリーたちが大法廷に現れたのは偶然かと。ハリーが化けていたランコーンは執行部のものでしたから」

「アンブリッジはただその場にいたから襲われた、と?」

「ロ…ウィーズリーが化けていたカターモールの妻がちょうど尋問にかけられていました。余計な情でも感じたのでは?」

「そもそもなぜ魔法省へ来たのだ」

「さあ。化けた三人の共通点は通勤時間が同じことくらい。一か八かにしては無謀すぎますよね」

「もう少し、調べておけ」

ヴォルデモートはじっくり考え込むように顎を撫ぜた。

「ダンブルドアに何を命じられたのか…ダンブルドアは何をしようとしていた?」

ぶつぶつと独り言を言い出すのを見て、サキは紅茶のカップを下げに台所へ行った。戻ってくる頃にはもうヴォルデモートはいなかった。

挨拶もなしかよ。

サキはため息をついてさっきまでヴォルデモートが座っていた椅子に座る。ほんの少し温かい。

 

ドラコもセブルスもいない一人きりの屋敷で、サキはじっくり思案した。

スリザリンのロケット。

ハリーが危険を犯してまで奪ったものの価値を。

 

 

ジニーはマルフォイから手紙を渡されて驚いた。内容を見て更に驚いた。

マルフォイはホグワーツに戻ってきて、スリザリン寮を統率している。当然ジニーたちグリフィンドール生とは敵対する立場なのだが、どうも違ったようだ。

 

「そこで何をしている?」

 

ジニーが校長室のガーゴイル前でクソ爆弾を仕掛けていると、後ろから気取った声が聞こえた。ネビルたちが入念にカローやフィルチを引き付けたのに、まさか見つかるなんて。ジニーが振り向くとそこにはドラコが立っていた。

ジニーは複雑な心境で彼を見た。

ダンブルドア殺しに協力した…ただし、サキのために。

「なんでもないわ」

「用がないならとっとと失せるんだなウィーズリー。馬鹿な兄貴たちから何も教わらなかったのか?」

ドラコはまるで張り付いたガムを見てるように吐き捨てる。ジニーはかっとなって思わずポケットの上から杖を触った。

「あなたこそここで何してるの」

「お前には関係ない」

ドラコは不意にポケットを弄った。ジニーは反射的に杖を構えた。それを見てドラコは呆れた顔をした。

「ここがどこかいまいちわかってないようだな。お前の家族は標的なんだぞ。口実があればお前をしょっぴいて人質にする」

「望むところよ」

「お前の両親がそれを望まないだろうよ」

ドラコは杖も構えずジニーの方へずんずんと寄った。ジニーは杖で撃退しようとしたが躊躇ってしまう。なぜドラコが杖を持たないのか…その理由を考えてしまったからだ。ドラコが杖の代わりに持っていたのは手紙だった。

「もうここには近づくな」

それをジニーに押し付けると、ドラコは話はこれで終わりだと言わんばかりに肩を怒らせて来た方向と同じ方向に帰っていった。

 

ジニーは押し付けられた手紙を見て罠かと思ったが違った。パーシーから家族へあてた手紙だった。

 

なぜマルフォイが持っているのか、ジニーにわざわざ届けたのか。マルフォイと直接話せない以上すべてを知る由もなかったが、ジニーは直感的にサキが関わってるのだと思った。

 

新体制のホグワーツは準アズカバンと言っても良かった。生徒たちに自由はなく、常に監視され、統率されていた。教えられる内容は純血主義への讃歌と差別思想。体罰は当たり前で、フィルチ待望の鞭打ちも復活した。

特に最悪なのはカロー兄妹で、残忍性をここぞとばかりに発揮していた。スネイプは校長に就任したがほとんど姿を見せなかったのでまだ無害だった。

 

 

………

 

 

セブルスはサキが入手したアンブリッジの記憶を数回見て、ハリーが奪取したロケットが分霊箱であると断定した。ダンブルドアの肖像に報告すると、フィニアス・ナイジェラスに密に連絡を入れさせろと命令が出た。

分霊箱の破壊のため、サキにはゴドリック・グリフィンドールの剣の本物を預けてある。近々それを使うときが来るらしい。ちなみにベラトリックスの金庫にある贋作は神秘部にあったマクリールの物品倉庫から似たものを選び出し、サキが無理やり加工したものだ。

ゴブリン製の鋼を再現する研究なんてものもしていたらしい。あの一族は揃いも揃って職人気質のようだ。

サキは自分の加工に納得がいかないらしく、なかなか手放そうとしなかったが素人目にはわからないだろう。

「一応ヴォ…あの人には嘘つきましたよ」

とサキ。

「上々だ」

セブルスの褒め言葉ににこっと微笑む。

「ドラコは元気ですか?」

「…わからない。我輩はあまり校長室から出ない」

「えー。会っていっていいですか?」

「ダメだ」

 

緊張感がないのも考えものだと、昔と同じようにため息をつきたい気持ちになった。

 

「そうだ、先生。赤毛の女の子って知ってます?」

「ウィーズリーか?」

「そーじゃなくて、先生の同級生とかに。もしくは母の友人に」

セブルスは眉をひくっと動かした。心当たりはあるようだが、みるみるうちに表情が沈んでいくのがわかる。

先生はいつも不機嫌で無愛想だが実はかなり表情豊かでよーく見てればわかりやすいのだ。

 

「それはおそらくリリー・エバンズだ」

「ふうん?誰ですか。今どこにいます?」

「死んだ」

 

セブルスは見たことないくらい悲しい顔で言った。

それ以上は話さなかった。

 

 

 

ナギニが傷ついて戻ってくると、ヴォルデモートは半狂乱でマクネアに詰め寄り魔法生物用の治療薬を持ってこさせ、数日マルフォイ邸の一番豪華な客間に篭った。

クリスマス休暇で戻ったドラコは真っ青な顔で休みを過ごす羽目になった。生きた心地がしないとはこのことで、気が立ったヴォルデモートを少しでも避けようと二人はハリーとハーマイオニーが現れたゴドリックの谷へ向かった。

現場となったバチルダ・バグショットの家は粉々に吹き飛んでいて、遠目に見るとガス爆発でも起きたかのようだ。

ゴドリックの谷はグリフィンドールの生まれた土地であり、ダンブルドアの育った土地だ。

「それでハリーの生まれ故郷でもある、と」

サキは焦げ付いた絨毯の上に積もった雪を払い除けて慎重に残留物を探した。

「何もないけど、静かでいいところだな」

「将来はこういうとこで暮らしたいもんだよ。スピナーズ・エンドは下水に住んだほうがマシなくらいだったし、マクリールの屋敷は森しかない」

「僕の家もまあ静かっちゃ静かだ」

「あれは十分不便だよ。私は徒歩10分圏内にスーパーマーケットがない場所なんて、本当はゴメンだね。ここは雑貨屋があるからセーフ」

「悪かったな、田舎で」

ドラコもサキに付き合って地面にある木の破片を寄せ集めた。すでにマルシベールたちが検分したあとだが、サキは結果に満足していない。ハリーの着ていた布の繊維くらいは残ってるはずだと強固に主張し探し回ると、ようやく納得しそうな痕跡を発見した。

「これ、杖の破片かな」

「どれどれ」

サキはドラコがつまみ上げた他の家具と色味が違う爪くらいのかけらを見て満足そうにシャーレの中にしまった。

「杖だね、これは。大手柄」

「なぜわかる?」

「まず断面が木のくせに美しい。光沢からして手垢もついてるし、ほら…ここの内側の溝に動物の毛っぽい繊維がある」

「ふうん…誰の杖だ?」

「そこまでは…ね。でも幸い君んちにはオリバンダーがいるからすぐわかるでしょ」

「確かに」

ドラコはまだ付き合ってくれた。指先からどんどん凍ってしまいそうなくらいに寒いけど、とれてしまうまえには撤収した。

爆発と死喰い人の来襲のせいで住民の目は冷たい。しかしもうサキはそんなことを気にしない。

 

手配書に書かれた家のドアノブを開けて、ノブに吊るされた死体を見た。

キャビネットに閉じこもり、そのまま焼かれた死体を対のキャビネットから取り出した。

凍死した囚人の腹の中から鍵を取り出した。

と畜場のような有様のグレイバックの食事の後片付けもした。

死喰い人のやりたがらない仕事を全てやってやった。だから今更、人の目なんてどうだっていい。

 

でもまだ足りない。

ダンブルドアの命とまだ釣り合わない。

ヴォルデモートを殺すために奥まで飲み込んで貰わなければいけない。彼の喉元に刃を突き立てるまであとどれくらい手を汚せばいいんだろう。

母の過去を取り戻す魔法が欲しかった。

いくらでもいい。死んだっていい。

 

「サキ?」

「…ん?」

「今、何考えてた?」

「特に何も」

「本当に?凄く真剣な顔をしていたけど」

「今君とキスしたらいい思い出になるかなって考えてたのさ」

「嘘で言ってるなら許さないぞ」

「とんでもないよ。ほら。雪景色、二人きり、教会が微かに見える廃屋の下。ロマンチックじゃない?」

「相変わらず小汚い場所が好きなんだな」

ドラコは呆れて笑って一歩近づいた。

サキが思ってたより暖かい体温が指先を溶かしていった。皮膚の薄い部分から、血の熱さがわかる。

凪のような時間が過ぎた。

冷え切った体の中で唇と頬と心臓だけが熱かった。

 

 

……

 

 

私たちは神に愛されなかったとサキ・シンガーは言った。

ヴォルデモートはその言葉を聞いて以来、墓すらない自分の母親の事がずっと頭の何処かにちらついているせいで不安定だった。大切な土台が引っこ抜かれたようにグラグラ揺れる。

愛などと馬鹿なことを口走るのは逃げだ。生の闘争から逃げる口実だ。

 

「心配しなくても、生得的に備わっているものだわ」

 

と、リヴェンが話していたのを思い出す。

あれは彼女の取引が終わったあとの会話だった。

「お前のような冷たい人間が親になるなどお笑い草だな」

ヴォルデモートのからかいに対する答えがそれだった。

相変わらず通じているようで通じていない返答だったが、もう慣れてしまっていた。

「最も…私ができる親らしい事は血肉を分け与えることくらい」

「死ぬからか?」

「そう」

「お前の死はどんなものだ?俺様に殺されるのか?」

「生憎だけど、私は私によって殺されるの。あなたには絶対にわからない」

「今殺せば俺様が正しいということになるが?」

「あなたはそんな事しないわ」

リヴェンは愛情からそんなことを言うんじゃない。信頼からそんなことを言うんじゃない。ただそれを知ってるだけだ。親しげに見えるのだって、人間らしく見えるのだって全て彼女が人の心から遠いからだ。

「私は、空っぽになるから死ぬのよ」

「空?」

「貴方は、どうするの?」

「相変わらず会話をする気がないようだな」

「あるわ。あなたとの会話はいつだって有意義」

彼女はあからさまな嘘をつき、それ以上語ることはなかった。

 

永遠の命を望んでいた。

強さを求めてここまできた。

行く手を阻むものは、もうポッターのみ。

あの小僧を殺せばリヴェンの言っていたことがわかる気がした。

彼女を蝕む空虚はなんだったんだろう。

 

サキ・シンガーはリヴェンの脳を食えば、それを理解できる。

トムがそれを食べても絶対にわからない。

サキがほんの少し、羨ましく思えた。

 

そんなかすかな過去への憐憫を味わって、ヴォルデモートはついに杖作りのグレゴロビッチからニワトコの杖を奪ったこそ泥の正体を突き止めた。

 

ゲラート・グリンデルバルド。

 

アルバス・ダンブルドアの最初の仇敵が、すべての鍵を握っているはずだ。

 

 

 

 

 



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05.Big Brother is watching you!

オリバンダーにバチルダ・バグショット宅で採集した杖の破片を見せたところ、ハリー・ポッターの杖だと断言した。

オリバンダーは伸び切った白髪を撫で付けながらその破片を愛おしそうに眺めている。杖作りにとっては我が子の亡骸でも見るような気持ちなのかもしれない。

「杖が折れた魔法使いはこれからどうするんですか?新しいのを買おうにもあなたは居ないし…」

「そうだね。誰かの杖の忠誠心を勝ち取るしかないだろう」

「杖の忠誠心?」

ドラコが不思議そうに言った。

「そうだとも。杖は自分で決めた主に従う。盗んだ杖の動作不良を訴えてきて捕まったやつは何人もいるよ」

「お間抜けな話ですね」

「ああ本当に」

「忠誠心を勝ち取るというのは?」

ドラコが興味深そうに尋ねると、オリバンダーは饒舌になる。

「杖の忠誠心を勝ち取りたい場合、決闘や戦いの場で相手から杖を奪うのが主流だ。大昔には持ち主の寝首をかいて奪うようなやつもいたが…まあ要するに相手に優ればいいのさ」

「じゃあ私とドラコがここで決闘すれば杖は私のもの?」

「なんで君が勝つ前提なんだ」

オリバンダーはくすりと笑って付け足す。

「マクリールの家系は杖の所有権を得られないんだよ。決闘で勝ち取ったところで使えないだろう」

「え?じゃあこの杖って」

「特別製さ。その杖は忠誠心も何も持たない代わりに君たちの家系しか使えない」

「じゃあ僕が君を負かしても使えないのか」

「そうだね。まあそういうのは稀さ」

「そういえば決闘の勝敗も杖を奪ったらで決めるし、あの形式って筋は通ってるんだな」

「あー、じゃあ例のあの人がルシウスさんの杖で失敗したのは忠誠心を勝ち取れてなかったから?」

「恐らくそうだろうね」

「面白いですねー杖作り」

地下牢の中はいくらかは快適になった。オンボロだがソファーも置いてあるし、毛布もある。囚人は今のところオリバンダーだけなので事足りる。

「ご協力ありがとうございます。それじゃあまた」

オリバンダーは話し相手ができたことで前よりは生きる気力を取り戻している。だが老体に1年以上の獄中生活だ。蓄積した疲労は彼の寿命をじわじわ削っているだろう。

 

ドラコは休暇が終わるとホグワーツへ帰った。

サキは相変わらず下請け業者として魔法省へ出入りしてパーシーから文書を受け取った。

しかしマグル狩りもいよいよ大詰め…というか虱潰しの段階に入り、人さらいと呼ばれる連中が事前報告もなしにイギリス全土を彷徨い歩いて見つけ次第検挙してくるものだからコントロールの仕様もない。

せいぜい逮捕者、獄死者の名前がズラッとかかれたリストを忍ばせるくらいしかすることが無い。

 

それらのリストはラジオ局へ送られた。

ラジオはどんどん長くなっていくリストに毎回文句をつけていた。

ラジオを聞いている限り、誰もハリーの行方を知らない。

魔法省内はもはや隠しだてなく死喰い人の統治下にある。

主要ポストは純血が占め、そうでないものは窓際に追いやられた。そしてアズカバン行きのサインをし続ける仕事をさせられる。友達も親戚も、時には自身の家族さえも地獄に追いやるやな仕事だ。

 

ヴォルデモートの統治は恐怖による圧政だった。

徹底した監視社会はハリーが捕まるまで続くだろう。今や隣人さえ貴方の書く手紙の中身を知っている。(Big Brother is watching you!)

 

 

……

 

恐怖政治が学校でも勢力を振るい始めジニーは校内でできる精一杯のことを試そうと思い、ネビルやルーナとともに作戦を練っていた。

ハリー達がいなくなってから、ネビルはDAの頼れるリーダーとなっていた。

 

ジニーは校長室に侵入するために周辺を探っていた。勿論かなり監視の目が厳しい上に何故か呪文が効かなくなる場所があるせいで校長室に続く階段にすら近づけなかった。

その階段のそばで、もう会えないと思っていた人物とばったりあった。

「え…サキ…?」

「おわ、ジニー!元気ー?」

「ええ、ってそうじゃなくて…何しに来たの?」

「定時巡回みたいな。ホグワーツ警備の下請けの下請けなんだ」

「あの人のもとで働いてるのね…」

「ううん。スネイプ先生が上司だよ」

サキは拍子抜けするほどいつも通りで、変わったところといえば外見くらいだった。

「何か用事?取り次ぐ?」

「馬鹿言わないでよ。…サキ、今話せる?」

「そうだね…10分待って。必要の部屋わかる?」

「わかった。そこで待ってるわ」

 

サキは微笑むと校長室の方へ上がっていった。

ジニーは必要の部屋を開けた。そこは以前プリンスの教科書を捨てた巨大な物置だった。今のジニーに必要なのは物置らしい。よくわからない。

ハリーはマルフォイに怪我を負わせてやっとあの教科書を捨てる決心をした。ハーマイオニーの推薦でジニーとともにここに来て、捨てた。その思い出がジニーにとって必要なのかもしれない。

ジニーはずっとハリーが好きだった。けど、ハリーはずっとサキが好きだった。

諦めたつもりでいたけれど、やっぱりハリーが好きという気持ちは変わらない。

サキが敵対して、本当のところジニーはホッとしたのかもしれない。もうこれでハリーが叶わぬ恋に悩むことはないと。サキのことを好きじゃなくなるかもしれないと。

 

扉が軋む音を立てながら開いた。

「待った?」

「いいえ。大丈夫」

サキは死喰い人のように黒ずくめで、手入れをしてない髪はボサボサで乱暴に一つにまとめていた。ヒールのある靴で危なっかしく歩み寄ってくる姿はなんだかとっても病的だ。

「でもジニー、大丈夫?私が敵ならここで殺されても文句は言えないよ」

「サキこそ、敵なら私にやっつけられちゃうわよ」

「あは。ジニーの血の気の多さにはかなわないね」

サキはそこらへんに倒れている椅子を立ててすぐ座り水筒から錆色の液体を喉に流し込んだ。

「それで、秘密の話?」

「ええ。まず、パーシーからの手紙だけど…あなたがマルフォイに託したの?」

「そうそう。届けてくれたんだ。よかった」

「ええ。ありがとう…パーシーに会ったの?」

「魔法省はご存知の通りだから実質フリーパスでね。元気そうだった」

「……そう」

手紙にはビルとフラーの結婚を祝う言葉と、今までの自分に対する反省、無事を願う言葉ばかりがしたためられていた。

サキは、少なくとも気持ちの上では騎士団側のはずだ。ずっとそう思っていたけど今のサキはなんだかとっても不安定で、見ていてかなり不安になってくる。

「ハリーはどこに行ったか、わかる?」

ジニーはそんな何気ない質問に身構えた。実際ハリーの行方はわからないが隠れ穴が周到に調べ上げられ、今なおウィーズリーの全員に監視がついてるのを知っている。

「わからない」

「あは、身構えないでよ…」

サキは嘘っぽく笑った。

「悲しいな。そんな目で見られると。まあいいや。なんか困ったことある?できる限りは支援するよ」

「そうね…カロー兄妹を何とかしてくれれば、悩みは八割方解決するわ」

「あー、そりゃ無理だね。言葉が通じる相手じゃないし…」

「たしかにね」

サキはかんらからと笑った。

「会えてよかったよ。まあ、程々にね。私もいつまでこうしてられるかわからないし…」

「ねえ、サキ!」

ジニーは出ていこうとするサキを引き止めた。

サキは歩みを止めて振り返る。

「私、あなたの事信じてるわ」

サキは優しく微笑んだ。

 

「信頼に足りうるよう、尽くすよ」

 

 

「シンガー、シンガー!」

グレイバックが人さらいことマグル生まれ管理局実務部長に採用されたおかげで、臨時事務職員のサキはいつも紙の山に埋もれていた。

「うちのやつらが今どこらへんにいるかわかるか?」

「さあね。どっかの森じゃない?ところでホウレンソウ知ってます?」

「野菜なんてクソ喰らえだ。チ…使えねえな」

「使えないのはお宅の部下です!現地のマグルのご家庭の泥棒まで頼んだ覚えはありませんが?あんたたちのせいで魔法事故巻き戻し局の人に何回頭を下げてると…」

「そんなの職員にやらせておけよ」

「職員にやらせられないくらいの悪行をするから私がここに居るんですぅ」

サキはブチ切れる寸前だった。

人さらいたちは街の薄暗いところにあるゴミを人形にこねて杖をもたせたってくらいのゴロツキ共で、やることなすことすべてがトラブルだった。暴行、泥棒は当たりまえ。強姦だってするやつはするし、マグルはいたずらで半殺しにする。最近は誘拐ビジネスまで始めたらしく、クレーム処理が限界でついにサキが動員された。

「せめて発覚しないようにやってくださいよ。特に誘拐!これは絶対バレるからやめて」

「あーわかったわかった。じゃあこれで最後にしてやるよ」

そう言ってグレイバックはサキがやっつけで作った誘拐届(もうこんな書式を作らざるを得ないほどなのだ)を出した。丸めてグチャグチャな上に血のシミがついている。字も汚い。

ため息つきながら字を読むと

「ルーナ…ルーナ・ラブグッド?」

「ああ。イカれた父親がポッター派だからな」

「どこに連れてくんです?誰が捕まえたんですか?」

「書いてあるだろうが」

「ああもう!」

サキは痺れを切らして立ち上がった。

「グレイバックさん、ここ座って」

「なんで俺が」

「いいから、ステイ。5分だけ!」

サキは懐からガリオン金貨を何枚か出して机に叩きつけた。文句を言うグレイバックを置いて、ルーナを捕まえている人さらいどもが居るはずのアジトに一番近い暖炉に飛び込んだ。

5分で戻る気なんてさらさらなかった。

 

グッシャグシャの書類に書かれていたのは何処ともしれない田舎町のちょっとした屋敷だった。姿あらわしして乗り込むと、ルーナがぐるぐるに縛られて椅子に座らされていた。

周りにいた人さらいは一斉に杖を向けたがサキの顔を見ると慌てて杖を下げた。

サキはルーナを担ぎ上げ、ガリオン金貨を程々に投げつけてマルフォイ邸に姿くらましした。

「はー…大丈夫?ルーナ」

「あっという間でなにがなんだかわかんなかった。…サキ、痩せた?」

「ルーナは二年生の頃より重くなったね」

「当たり前だよ」

ルーナを地面におろして縄を切った。ちょっと汚れているけど怪我はなさそうだ。

「こんなことして大丈夫なの?」

「大丈夫。私結構偉いから」

実際はやりたがらない仕事なんでもやります屋さんというか、便利に使われてるだけなのだけど。まあ人さらいから女の子を一人奪ったくらいで揺らぐ地位ではない。

「えーっと…とりあえずここ、ドラコんち。さっきのとこよりは安全だから」

「おっきな家だね」

「地下牢だってあるんだよ。すごいよね」

「あたし、地下は嫌いだな。暗いもン」

ルーナは誘拐されたにも関わらず普段通りで安心する。とはいえいつも通りなのは会話の中身だけで、挙動の端々に怯えが見て取れる。

 

オリバンダーは客人を歓迎した。サキは一旦ルーナを預けてラブグッド宅へ訪れ事情説明した後に正式な報告書を上げて事を収めようとした。が、ベラトリックス・レストレンジはそれを許さなかった。

 

「おや、忘れちまったのかい?その娘は神秘部であたしらに杖を向けた」

残念ながらベラトリックスの方が立場は上だし、なにより暴力を躊躇いなくふるえるというのが恐ろしい。

「でも手続き踏んでないし…」

「今更何寝ぼけたことを!お前はいつから法律家になったんだ?」

「貴方こそちんけな身代金で何買うつもりですか」

ベラトリックスはすかさず右手を振り上げたが彼女の直情的体罰はもう慣れたのでちゃんとガードする。

「ハリー・ポッターの友人だ。野放しにするわけにも行くまい」

「ホグワーツに入れておけばいいじゃないですか。あそこはあなた方の庭でしょう」

「いいや、ダメだ。生温い。あの小僧が探索で見つからないのなら出てくるように工夫すべきだ」

 

 

事態はサキが裏で手を回すくらいじゃとてもカバーできない段階になってきた。

汚れ仕事だってそろそろゴロツキ共の出番で闇の帝王に賛同するものがどんどん集まってくる。

もうサキにできることは少ない。

そんな中人さらいがもたらせた報せは状況をガラリと変えた。

 

ハリー・ポッターと思しき人物を山中で捕獲したというのだ。

 

半信半疑のベラトリックスとルシウスがドアを開けて入ってくる一団を舐めるように見た。

つま先から額まで、じっくり視線を這わす。

 

「………」

 

サキは離れた椅子で座って連れてこられた三人を見た。もう言い逃れられないくらいにハーマイオニー、ロン、そして…顔はボコボコだったが…ハリーが立っていた。

 

……

 

 

スリザリンのロケットを破壊し、ロンが戻り、ようやくこれからという時に人さらいなんかに捕まってしまった。

ハリーは自分の犯したミスを移動中ずっと後悔していたが、もうここまで来たら後悔先立たず(文字通り)。マルフォイ邸の門扉が開いたとき、ロンとハーマイオニーと視線を合わせ、唾を飲み込んだ。

イースターの日だというのに、マルフォイ邸は静まり返っていた。

陰鬱な石造りの玄関ホールを抜けると客間に連れて行かれる。

スカビオールと呼ばれた人さらいはハリーの首根っこを捕まえ自慢げに言った。

「旦那、こいつはハリー・ポッターですぜ!」

「何?」

ハリーという言葉が聞こえてすぐに窓のそばの椅子から誰かが立ち上がった。

随分痩せて老けた気のするルシウス・マルフォイが興奮した様子で駆け寄ってくる。

「本当にポッターなのか?」

「サキがいます。確認させましょう…間違いだったら大変ですわ」

そばに控えていたナルシッサは淡々と言った。ハリーたちのそばには近づこうともしない。

サキという名前を聞いてハリーは心臓がひっくり返りそうなくらい跳ね上がるのがわかった。

彼女とはダンブルドアが死んで以来会っていない。

ナルシッサが上に上がったあと、ドタバタ音がして誰かが駆け下りてきた。伸びた髪を適当にまとめ、パジャマ同然の格好をした眠たそうなサキだった。

場違いな格好に気まずそうな顔をしている。

人さらいたちはサキを見るとへこへこ頭を下げていた。無断の誘拐がどうこう、書式がどうこうと言い争っているとしびれを切らしたルシウスがやや怒り気味に声をかけた。

「サキ、確認してくれ。大切なことなんだ。こいつは…ハリー・ポッターか?間違いないな?」

サキは前より白くなった顔をしかめながらハリーの目と鼻の先まで顔を近づけた。

「ハチ刺しの呪い?」

「俺達が捕まえる前に、そこの娘が呪文をかけたんだ!」

「呪文を解けないのか?」

ルシウスの問いかけにサキはうんざりしたように答える。

「再三言ってますけど、血の魔法はなんでもできる便利なものじゃありません。ハチ刺しの呪いは解けません。ハチに刺された状態を治すには血でなく薬が必要です」

そしてサキはハリーの顔に手を当ててまじまじと観察した。表情が変わらないせいで何を考えているかわからない。

「そこの、横の二人は?」

次いでサキはロンとハーマイオニーを見た。ロンとハーマイオニーは唇を噛んでサキを見つめた。

「ハリーにおっぱいはついてないし、赤毛ではないことは確かですが」

「サキ、反抗的な態度をとったらどうなるかわかってるの?」

「そうだ、もしこれが本当にポッターなら…我々の地位もきっとまた…」

ほとんど掠れたルシウスの悲鳴のような言葉はまたもバタバタと階段をおりてくる人物により遮られた。

「なんの騒ぎだ?」

ベラトリックス・レストレンジだ。

捕まえられた三人を見ると目を見開き、ずんずん寄ってくる。

そしてハリーの顎をつかむと髪の毛をひっつかみ、伸びて薄くなった額の傷跡を確認した。

「……あー、じゃあ私は…薬がないか探してきましょうかね?」

「ああとっとと出ておいき!…さあて、これは面白いことになった」

サキは相当ベラトリックスが苦手らしい。ハリーたちのすがるような視線からするりと抜け出して階段を駆け上ってしまう。

ハリーは絶望的な気持ちになって、ベラトリックスを見た。シリウスを殺したときと同じ、残酷な笑みを浮かべている。

 

 

 

「なんだ?」

 

大慌てで二階へ上がってきたサキにドラコが尋ねた。

サキはパジャマのボタンを慌てて外しながら部屋に飛び込み、すぐにワンピースを羽織って出てくる。

「ハリーが捕まった」

「は?」

「だから、ハリーが人さらいに捕まった。今下にいる」

「あいつは馬鹿なのか?人さらいなんかに捕まるなんて…」

「流石に私も擁護できない」

サキはドラコに伸び耳を手渡すと、慌ててストッキングを上まで引き上げた。

 

 

「私の金庫から剣を盗んだな?!」

 

「えらく怒ってるな。…剣だって?」

「剣、剣か。ああ」

サキは心当たりがあるらしい。

まずいな、と呟いてすぐにスカートを翻して外に行こうとする。

「待て、僕は何をすればいい?」

「ええと、これ!こっち…」

サキは自室にドラコを連れ込むと、部屋の中央に適当に置かれたキャビネットを指差した。

「これ、ここ入って、入ったら開けて、ハリーの居所を伝えてほしい」

「なんでキャビネットなんかに…」

「説明はあと!入ったらわかるから」

そう言ってサキは走って消えていく。

ドラコは仕方なくキャビネットを開け、薄暗いその中に入った。

 

 

 

 

 

 

 



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06.BRAIN DEAD

ドラコはキャビネットの扉を閉めてほんの少し待った。ごとりと外で何かが動く音がしたあと恐る恐るまた扉を開けた。

「ここは…」

広大な物置が広がっていた。高い天井までぎっちりとガラクタが積み上がっている。ピクシーたちの羽ばたきがどこかから聞こえてきた。

「……必要の部屋、か?」

キャビネットから出てあたりを見回した。去年校長室の侵入のために使えるものがないかと入って以来だ。このキャビネットも、そういえば見たことがある。姿をくらますキャビネット棚がいつからサキの部屋にあったのかわからないが、最近ホグワーツに行く頻度が上がっていた理由がようやくわかった。どうやらサキのものぐさが意外な形で巧をなしたらしい。

 

突然バシッという音がした。

ハッとして音の方を見ると、しもべ妖精が立っていた。

「お前…ドビーか?」

「ド、ド、ドラコぼっちゃま?!」

ドビーはドラコを見て目をまんまるにして物陰に隠れた。元しもべの好だが、ドラコはこのしもべ妖精に関心を示したことはほとんど無かったしまともに扱ったことはない。

「なぜここに」

「ど、ドビーめはシンガー様に頼まれていたのです。ここに誰かがきたら直ちに向かうようにと…」

「サキが?…そうか。じゃあ伝言だ。ポッターが今うちにいる」

「は、ハリー・ポッターがでございますか?!」

「そうだ。お前に言って何とかなるとは思わないが…サキは何を考えてるんだ」

「ああ、ぼっちゃまありがとうございます。ドビーめは今すぐ、ハリー・ポッターを助けに参ります!」

ドビーは言うやいなや指を鳴らして現れたときと同じようにバシッと消えてしまった。唖然としてドビーの消えたあとを眺め、キャビネットに戻った。

しかし開け閉めしても必要の部屋から出られなかった。

「しまった。二、三時間は使えないんだった…」

ドラコはまんまとサキに嵌められた。

 

その嵌めたサキはというと剣を見て逆上したベラトリックスとハーマイオニーの間に立ちはだかっていた。

 

「なんの、つもりだい?」

 

ベラトリックスは殺意を抑えながら一語一語をゆっくり発音した。

サキはがたがた震えつつもはっきりと返す。

「彼女は私の友達です」

「だからなんだ?こいつは、剣を持ってるんだぞ。セブルスが私の金庫に送った大切な剣だ!盗人を尋問して何が悪い」

「あなたのは拷問でしょう」

サキは上げた両手をおろし、慎重にベラトリックスに歩み寄る。ハーマイオニーがぜえぜえと荒い吐息を繰り返し首を擦った。

「グリフィンドールの剣は…ゴブリン製です。ちょうど地下にゴブリンがいますし、まず真贋を確かめましょう」

 

サキは極めて理性的に、余裕があるように見せながら提案した。ナルシッサもルシウスも口を挟まない。挟めなかった。

ベラトリックスは感情的な人間であったが、立場の上下には敏感だった。今ここでハーマイオニーに手を出せばまるで自分が追い詰められているようじゃないか。

ベラトリックスは唇を舐めた。

万が一グリフィンドールの剣が本物だとしたらベラトリックスはヴォルデモートの託した大切な任務をしくじったということになる。

あの方の信頼を失くせばどのような扱いが待っているか、ルシウスが証明している。

 

「いいだろう…」

ベラトリックスはひと呼吸ついていった。

「ゴブリンを連れてこい」

サキは地下へ続く階段をおりた。獣の匂いと生暖かい湿った空気が沈殿している。

足音に気づいてルーナが声をかけた。

「サキ?」

「グリップフックさん、ちょっといいですか」

ルーナは懐中電灯をつけた。

ハリーはハチさしの呪いが溶け掛かって中途半端に顔が膨れていた。もういても立ってもいられなさそうなロンに睨まれてサキはちょっと竦んだ。

「サキ、ハーマイオニーは…」

「ごめん、ちょっと怪我した。にしても君たちなんでここに来ちゃったの?」

サキはグリップフックを助け起こしながらきく。

「事故なんだ。…ここから出れない?」

「大丈夫、じきに…」

そこでとてつもなく大きなマッチをする音がしてちょっと煙が立った。

音のした方を見ると、ドビーが立っていた。

「シンガー様、ハリー・ポッター!ドビーは助けに参りました」

「ドビー!サキが呼んだの?」

「ドビーめはドラコぼっちゃまから連絡を受けてまいりました。ドビーの独断で助けに参りましたのです」

ハリーはドラコの名前が出てきてドキッとしたが、とにかく救いの手には違いなかった。ベラトリックスが早くしろ!と上から怒鳴りつけてきてサキは肩をすくめた。

「とりあえず…こうなったらルーナたちも逃げちゃいな。あてはある?」

「貝殻の家に行って。ビルとフラーがいるはずだ」

ロンの言葉にドビーはうなずき、ルーナとオリバンダーの手を握って、来たときと同じばしっという音を出して消えた。

「お願いです、グリップフックさん。あの剣を贋作だと言って」

サキは自分の杖をハリーに渡して頷いた。

グリップフックはイエスともノーとも言わずにサキとともに上へ行ってしまう。

 

「答えろゴブリン。これはグリフィンドールの剣だな…?」

「……いいえ」

グリップフックは剣を持ち上げながら、じっと目を凝らしていった。サキは心の中でホッと一息つく。

 

「それではあの方をお呼びしよう」

 

が、一息ついてる場合じゃなかった。サキは反射的に腰に指したナイフを抜き、ベラトリックスのこめかみに向けた。 ナルシッサが息を呑む音が聞こえた。

 

「なんのつもりだ?」

 

ベラトリックスの問いに答えられない。

ただ少なくともハーマイオニーの両腕が自由にならない限り、ヴォルデモートを呼ばせてはいけない。

 

「…杖を下ろしてください」

「は…決まりだな。やはりお前はそういうやつだよ。ポッターたちに味方するつもりか、今になって」

「私ははじめからあなた達の味方になったつもりはありませんが。幸い今は人質もいないので短気になれるんです」

「…ドラコをどこへやった?」

「遠くに」

サキとベラトリックスの間に広がる緊張感を叩き壊すように武装解除呪文がベラトリックスの手に命中した。

闇の印にあてがわれそうだった杖が吹き飛び、ベラトリックスの意識が呪文を飛ばした人物へ向けられる。サキはすぐにナイフをハーマイオニーに向けて縄を切った。

 

起き上がれないハーマイオニーの背中を蹴っ飛ばし、ハリーたちの側へ転がし、ついでナイフをベラトリックスの方へ向ける。

しかし、そのナイフを突き刺すべき胴体はそこになかった。

ベラトリックスもサキと同様にナイフを構え、サキのすぐ目の先に刃先を据える。

ナルシッサの杖がハリーたちに向いているのがわかった。

 

「動くな!シシー、ルシウスの印を使え!」

「やめろ!」

ハリーたちの静止に耳を貸さず、ルシウスは左腕の印を差し出した。

ハーマイオニーが立ち上がろうとするとベラトリックスがサキの顔面を蹴り上げた。ナイフが落ちる音がして、ついで石と骨がぶつかるやな音がした。

「動くんじゃない!動いたらシンガーを殺す」

サキは鼻血まみれで髪を掴まれ、喉元にナイフを突き立てられていた。

「ああクソ…歯が抜けた!」

「黙れ!」

サキが抜けた歯を血の混じった唾液と一緒に吐き出した。それと同時にハリーの頭に割れんばかりの痛みが走る。

あいつの考えが脳に流れ込んで、ハリーはパニックを起こしかける。

しかしサキの血の色を見て、なんとか踏みとどまった。すぐ逃げなければ、やつが来る。

 

「チェックメイトだなポッター」

 

ベラトリックスが勝ち誇ったように言った。

 

「…まだ終わりじゃない」

「この屋敷からは出れないぞ。お前はここでー」

 

ここでどうなるのかベラトリックスが言い終わる前に、頭上のシャンデリアがやな音を立てた。

そしてその音に気づいた瞬間、シャンデリアが音を立てて落下してきた。ベラトリックスはサキからほとんど引き剥がされるように転がった。

 

「わお、お怪我はございませんか?」

 

シャンデリアを落とした人物を見てベラトリックスたちは仰天した。

「ドビー!貴様、主人を殺す気か?!」

「ドビーは何にも仕えておりません。それに、人も殺しません!大きく傷つけようとしただけでございます」

ドビーは小さな体で堂々と立っていた。まるでサキを庇うように。

 

「はやく…行って」

サキはそばに寄り添うハーマイオニーとロンに耳打ちした。

「あいつが来るー」

 

サキは口いっぱいに溜まった血をハワイの火吹きみたいに霧状に吹き出した。

その血はそのままオレンジ色に発火して目くらましになる。子供だましのドッキリだが、一瞬の隙を作るには十分だった。ドビーはくるりと身を翻し、ハリーたちのもとへ飛び込んでくる。

 

ハリーはサキに手を伸ばした。一緒に連れて行かないと、と精一杯。

しかしサキはちらとそれを横目で見てから立ち上がり、火の向こうでナイフを振りかぶったベラトリックスに対峙した。

 

ベラトリックスがドビーめがけてナイフを投げる。

その軌道をサキの左手が遮った。

 

そして視界は暗転し、背中に衝撃が走り、続いて湿った砂が肌にべシャリと付着した。

姿あらわしに成功したらしい。魔法使いのそれとは具合が異なるようで、例えるならば組んでる右手と左手の上下を入れ替えたような変な感覚に包まれる。

ハリーは周囲を確認した。

ロンもハーマイオニーも近場に転がっている。

そこより少し離れた場所でドビーも立っていて、ハリーを見て飛びついてきた。

 

「ああ!ハリー・ポッター…無事でなによりです」

「ドビー、ありがとう…ほんとうに。サキは…」

「シンガー様はあちらにお残りになりました」

ドビーは申し訳なさそうな顔をした。

「シンガー様は自分を助けるために勝手なことをするなとお申し付けになりました。ですのでドビーは助けに行けません」

「君とサキはいったいどこで…」

「ハリー!」

話を続けようとしたが、ロンとハーマイオニーが遠くに立ってる家を指差して叫んだ。

「とにかく貝殻の家へはいろうぜ!オリバンダーたちもきっといる」

「わかった」

ハリーは全身砂まみれなのを払って、海岸線上に見える小さな家を目指して歩いた。

 

貝殻の家の周りは何もなく、真っ白い海岸線がどこまでもどこまでも続いていた。砂浜と、ちょっとの植物。こんな素敵な場所ならいくらでもいられるのに。寒い森の中なんかじゃなく…。

「ハーマイオニー、血が」

ロンがハーマイオニーの頬を拭った。

「私の血じゃない」

ハーマイオニーは涙ぐんでいた。

「サキ、無事かしら」

「大丈夫だよ。サキのことだ、口先八丁でのりきるさ」

ロンは励ましながらも陰った表情でハーマイオニーの肩を支えた。

 

サキは、ハリーたちの味方をした。

 

貝殻の家から駆け出して迎えに来てくれたルーナはキョロキョロと周りを見た。いつもの夢見心地を捨て去って、必死の形相でハリーに縋り付いた。

「なんでサキがいないの?」

「サキは残った」

「嘘。だってあたしが逃げたりしたらサキが拷問されるって言ってたんだよ。ねえ!なんでサキを連れてこなかったの?」

ハリーは黙った。何も言葉を発せなかった。

 

ここ一年サキのことを敵かもしれないと思って行動していた。現に魔法省内で幅を利かせ様々な騎士団の検挙や地下組織の摘発に関わっていた。

ダンブルドアの殺害にも直接関係している。

けれどもこう身を呈してかばわれて真意を感じ取れないほどハリーは鈍くなかった。

「…サキはサキで、上手くやる。僕らは僕らでやらなきゃいけない」

ハリーは誰に向けてでもなく、自分に向けて言い聞かせた。

 

「あいつはついに杖を見つけた。次の分霊箱を、壊さないと」

 

「場所は?わかるのか?」

「ああ。グリンゴッツ。あそこに違いないよ」

 

 

 

 

……

 

 

サキは左手に深々と刺さったナイフを見てから痛みを感じた。いくら表皮は麻痺してるとはいえ、このサイズの刃が肉を貫き反対側に切っ先を覗かせたらトロールだって痛みを感じる。

バシッと音がして、ベラトリックスが怒りの咆哮をあげた。

サキは悲鳴と笑い声の中間みたいな鳴き声を上げてナイフを引き抜く。そしてすぐ、その怒りを発散させるであろうベラトリックスをみた。

勿論彼女は怒り狂い、バロールのごとくサキを睨みつけ、そして飛びかかってきた。

 

「貴様、貴様が、貴様さえ!」

「やめて!ベラ!死んでしまうわ!」

 

聞くに耐えない怒号が拳とともにサキに降り注いだ。恨みの三段活用。人はこれだけ血が煮立っても、自分の拳まで剥けても殴ることを続けることができる。

嬌声に似た二人の女の叫び声は、客間の扉が閉まる音が響いてようやく止んだ。

 

「なんの騒ぎだ?」

 

ヴォルデモートが立っていた。

いつものようにゆったりとした黒衣をたなびかせ、転がり殴り合う二人を呆れた様子で見ていた。

もう一時間以上殴り合っていたと思ったが、せいぜい10秒ほどだったらしい。

サキは上にのしかかるベラトリックスに血まじりの唾を吐きつけた。

ベラトリックスはまたサキの顔を殴ろうとしたが、ヴォルデモートがいることを思い出して既のところで留まった。

 

「我が君…」

 

ルシウスが震え声で言った。

「たったぃ…今、ハリー・ポッターが、ここに…」

「なに?!」

「小娘が!この女がポッターの逃亡を手助けしたのです!しもべ妖精を差し向け、囚人もろとも逃したのです!」

ヴォルデモートは冷たい怒りに満ちた目でサキをみた。

「本当か?」

「そうですよ。ざまーみろバーカ」

サキはにやっと、腫れて見えなくなった目でヴォルデモートを見つめ返す。

ヴォルデモートは嘲笑うように口のはしを歪めてゆっくりサキに歩み寄り、力なく横たわる頭を足で踏みつけた。

「堪え性のない、クソガキが」

ヴォルデモートはナイフを魔法で拾い上げ、すぐさま左腕にもう一度突き刺す。肉を割いて進む刃の感触で全身が悍けだった。ヴォルデモートはさらに刃を傷口の中で回転させる。吐きそうなくらいにめちゃくちゃな痛みがはしる。

自分が上げてるのか、悲鳴なのか叫び声なのかよくわからなかった。けれども口の中が血の味でいっぱい。気道にまで流れ込んできて咳き込んで苦しくなる。血と一緒にゲロまで吐く。口の中はもうめちゃくちゃだ。

 

「母親が見たら泣くだろうな。サキ、お前ほど愚かな魔女は他にいないだろう。肉親だから殺さないとでも?そんなのは幻想だ」

 

「はじめからあんたに期待なんてしない。今日の私の頑張りは、ただ私の命とハリーたちの命が釣り合うと思ったからです」

 

「お前の天秤はどうやら狂ってるらしいな。まあいい、俺様が目的を果たしたあとにやらかした事に感謝するんだな。次歯向かったら…母親と同じようにバラバラに詰めてやる」

 

ベラトリックスが喜びの歓声を上げた。

 

「この汚いものをホグワーツへ送れ。厳重に閉じ込めろ。セブルスによく言っておけ」

 

ヴォルデモートは足裏にべっとりついたサキの血と吐瀉物を彼女のワンピースで拭った。

深緑のお気に入りのワンピースは血に濡れて真っ黒だ。

 

サキは起き上がる気力もなく失血により意識を失った。

 

 



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07.乙女の祈り

サキ・シンガーの失脚は死喰い人たちの間でまたたく間に広まり、全員が彼女の書式地獄から解放されたことに安堵した。シンガーはホグワーツに送られ、ほとんど幽閉状態だ。(一体何が闇の帝王の怒りをかったのかは明らかにされていないが、噂ではハリー・ポッターのために資料を横流しにしていたらしい)魔法省内部ではシンガーのかけた呪文や担った仕事の洗い出しが行われている。親シンガー派は手のひらを返し、今必死にシンガーのしてきたことを調べている。

 

パーシーはサキのしてきた仕事を見て愕然とした。

サキはすべてを記録して本にして棚に納めていた。彼女のデスクは神秘部入り口にある掃除用具入れだったが、その床は人一人分が立つスペースを除いてすべて資料で埋まっていた。

マグル生まれ管理局から魔法法執行部刑務室、魔法生物管理局まで幅広くパシリに使われてた彼女は縦割り行政の壁を超え、死喰い人たちの悪行を記録として網羅していた。

マグル一家殺害の現場写真。使われた魔法と杖の所有者。事故を装って殺されたダンブルドア派の役人の不都合な遺書。純血を名乗る人々の修正された家系図の原本。賄賂の行き先。焼かれたはずの闇祓いの資料。掘られた墓穴の数。

パーシーはこれを見て、即座に掃除用具入れを塞いだ。そして一緒にいた死喰い人派の同僚に忘却術をかけ、マクリールの罠にやられたと報告して聖マンゴ送りにした。

いつの日か闇が晴れたとき、この資料は奴らの罪を裁くのに絶対に必要だ。

パーシーはシンガーに渡されたコインを握った。

"stay here"と書かれたまま、冷たく眠るレプラコーン金貨を。

 

 

「いっ……」

サキは傷口に沁みるアルコールに悲鳴を上げかけた。

前の持ち主の時は地球儀とか秤が置かれていた机の上には消毒薬や包帯が置かれて手術台のようになっている。

セブルスはむっつりと黙り込んでサキの顔の切り傷に脱脂綿を押し付けている。呪文でできた傷ではないが、ここまでよく拳だけでボロボロにできたものだと感心してしまうほどだ。

消毒してから慎重にハナハッカを塗り込み、指で揉んだ。そうして一つ一つの傷跡を消していく。

左手の傷は残念ながら処置が遅れたせいで完全には治らない。断裂した筋が元通りになるかは神のみぞ知る所。仮にうまく行っても指先は動くだろうが、感覚は二度と戻らないだろう。

「無茶をしたな」

「……ハリーのせいだ」

「ポッターは剣を持っていたのだな?」

「ええ。ちゃんと本物の方を」

「次はどこへ行くと?」

「貝殻の家。その次はわかりません」

「そうか」

「…そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?ハリーたちは何をしてるのか」

セブルスは手を止めて黙り、口元にできた大きな裂傷に薬を塗るため顎をぐっと固定した。

サキの抜けてしまった前歯にぐっと歯の種を押し込み、口内に無理やり綿棒を突っ込んで薬を塗り込んだ。

サキは抗議したげにセブルスの指を噛んだが仕返しに強く傷口を押してやるとおとなしくなった。

綿棒を口からぬくと、サキはおえーっと言って喉をさすった。

口をゆすぐ用の水をだしてやると、サキはそれを飲み干して口の周りをふいた。

 

「もう大詰めです。あの人は用事が終わってお暇みたいですから、自分で動き出しますよ?」

「…ダンブルドアは、我輩にもすべてを話していない」

「ほんと年寄りって嫌ですねえ。秘密を抱えたまま死ぬなんて!まあ先生が殺したんですけどね!」

「すまんのう年寄りで」

サキは突然聞こえてきた声にぎょっとして思わず脱脂綿を食べかけてしまった。

肖像画のダンブルドアが珍しく起きていて、にこにこと生前と変わらない笑顔で語りかけていた。

「セブルス、ちょっと外してくれないかの?」

「……わかりました」

セブルスはすぐに手に持ったピンセットを置きサキをひと睨みしてから出ていってしまう。

サキは肖像画と面談するのは初めてなのでちょっと緊張してしまう。

 

「…さて、サキ。随分頑張っておるようじゃな」

「まあそこそこ」

「机の一番上の棚を開けてご覧なさい」

 

サキは言われたとおりに引き出しを開けた。そこには飾り石のない指輪とリドルの日記があった。

 

「その日記はトム・リドルの魂の容れ物じゃった」

「…なんですって?」

「それらは分霊箱といって、引き裂いた魂を永劫に保管している。自分を守るためにその日記は君を誘惑し、殺しかけた」

「ガチガチの闇の魔術じゃないですか」

「そうとも。ハリーたちは今分霊箱を破壊するために動いておる」

「…あの人はそれに気づいているんですか?」

「まだじゃ。指輪と日記は元の魂から離れすぎていた故に気づかれることはなかったが、他の分霊箱はそうではないだろう。いずれ気づく」

「魂を引き裂く、ねえ」

サキは大きな穴の空いた日記帳の革表紙をそっと指先で触った。埃のザラザラした感触がした。懐かしい。今までであったトラブルの中で唯一サキがしてやられたと思ったのがこの日記だった。こいつは単なるおしゃべり好きの日記じゃない。ヴォルデモートの魂入りの闇の魔術の結晶だった。

ありえない話ではない。なんていったってサキ自身に流れる血がそういう理に反した魔法でできているわけだ。

 

サキは日記の横にある鈍い光を反射する指輪を持ちあげる。表面は鱗のような細かい彫りが刻まれていて、手入れされてないせいか間に汚れがつまっている。

「それは本来君のものになるはずじゃった。すべてが終わったら君に譲ろう」

「私に?」

「それはトム・リドルの祖父、マールヴォロの指輪じゃ。はめても問題ない。もう呪いはわしがうけた」

サキは大ぶりのそれをとりあえず左手の親指に嵌めた。左手なら感覚がないし指輪をはめていても違和感がないかな、と思っての事だった。指輪はサイズが随分違うのにはめた途端しっくりと馴染んだ。飾り石がないせいで見た目は滑稽だが、ものは悪くない。なにか代わりの石を見つけておこう。

「って…呪いっていいました?先生、呪われてたんですか?」

「そうじゃ。君にはもっと早く伝えるべきじゃった。しかし任務の性質上今の今ままで言うことができんかった」

 

肖像画は人格が宿るわけじゃない。そこには主体が存在せず生前の人物の言動と思考をトレースして動く虚像に過ぎない。けれどもダンブルドアはまるで生きてるときと同じようにつぶらな瞳を伏せ、気遣わしげにいった。

 

「わしはセブルスに殺されるまでもなく、その呪いによって死ぬ運命じゃった」

 

けれども、サキにとって自分の命と引き換えに死んでいった人物の告白は心に幾ばくかの安堵を産んだ。それが幻想に過ぎないと知りつつも、感情がだくだくと嵩を増して心から溢れそうになる。

 

「君が苦しむ必要はない。むしろ憐れむべきは、セブルスなのじゃ。彼の心はわしを殺したことと、君が傷つくことをやめないせいで引き裂かれている」

 

サキは息を呑んで、ゆっくり肺から残りを吐き出した。

 

「君が彼を助けてやってほしい。母上がそう望まれたように」

 

ふいに去年の校長室での出来事が蘇った。

箱を壊し鍵を開け、棚をひっくり返してでてきた記憶の糸。

誰かが必死につくった不揃いの記憶。

赤毛の少女が言った言葉。

 

 

赤毛の少女が微笑んでいた。

まるで恋でもしてるようなバラ色の頬をした少女が笑っている。

日が傾きかけた湖の辺りで、膝に広げた本を読まずにアリスのように微笑んだ。

 

「せんぱいは、本当にセブが好きなのね!」

「そんなことないわ」

「もう、自分の気持ちなのに気づかないの?」

彼女はいたずらっぽく笑って肩にもたれかかってきた。

 

「私、せんぱいの事もセブルスの事も好きよ」

「それはどうも」

素っ気ない態度には慣れているらしく、気にせず続けた。

「私ね、せんぱいみたいな人こそ幸せになるべきだと思うわ」

「別に不幸じゃないわ」

彼女はお構いなしに話を続ける。

「セブが私以外の友達をみつけるなんて!私、本当にびっくりしたの。でも、二人を見てて気づいたわ。二人ってとっても似てる。ちょっと嫉妬しちゃうくらいにね。ねえせんぱい、スリザリンでセブを守ってあげてね」

 

女の子はそう言ってまたほがらかに笑った。私も笑って、その子の髪をなでた。朝焼け色の髪を。

 

 

 

 

「え?」

サキは目から流れる涙を拭った。

「見たのじゃろう?棚にあったリヴェンの記憶を」

「…でもあれは作られた記憶ですよね」

サキの質問にダンブルドアは首をふる。

「いいや、あの記憶は確かにあった。彼女の繰り返した時間の中に」

「母は…先生を助けるために、何度も過去をやり直したんですか?死ぬとわかっていて?」

「そうじゃ。セブルスは彼女の試した1000通り以上の世界全てで必ず殺される。リヴェンはその運命から逃れるために努力したが…失敗した」

 

母の手記に込められた絶望の意味がやっとわかった。

 

1981.04.17 もう、思い出せない。もう戻れない。もう最悪の未来にしかたどり着かない。もう何も感じない。

 

1981.10.31

私がくちばしを突っ込んだ結果、大幅な書き換えにより1998年まで戻れなくなってしまった。私の脳がついに駄目になったらしい。もう過去へ戻れない。未来も見えない。変えられない。私は失敗した。失敗した。失敗した。失敗したんだ。私は失敗した。彼を救えなかった。

 

『私を、忘れないで』

 

何も思い出せなくなる恐怖。

自分の中にしかない思い出。

必ず訪れる死。

 

サキは消え入りそうなか細い声で尋ねた。

「スネイプ先生はそれを知っているんですか?」

「いいや知らない。わしがしれたのも、彼女が朦朧とする意識の中たまたま口を滑らせたからじゃ」

サキは震える手ではめた指輪を外し、机の上に置いた。

校長室のフカフカの椅子に座り込み、がんがん痛む頭を手のひらで包み込むようにしておさえた。

こうしないと頭が何処かに吹っ飛んでいきそうだった。

 

「母は、死に際も絶望していましたか」

「ああ。彼女はほとんどすべてを諦めていた」

 

サキは黙った。リヴェンが死に際にどれほど絶望していたのか、知る由もない。(瓶詰めになった彼女がもうそれに悩まされないことだけは確実だ)

ほとんどすべて諦めた彼女が何故サキに脳髄を遺したか。

それはつまり、脳髄を託すことが最後に彼女が縋った希望だったということだ。

 

「脳髄…は…」

「サキ、それは言えんよ。わしは肖像画で、ダンブルドアではないのだから」

 

こんな時だけ肖像画を強調するだなんて、老人って本当に狡賢い。現に知らないのだろうけど。

むっとしているサキを放っておいて、ダンブルドアは言う。

 

「ハリー・ポッターは分霊箱を一つ破壊し、今もう一つを奪取しにむかっておるはずじゃ。残る分霊箱はナギニと、2つ」

「…どこにあるんですか」

「1つはここじゃ。サキ、ハリーは必ずここに来る。そのときは…」

「わかってますよ。ええ…当たり前じゃないですか」

サキは頬をバシッと叩いて立ち上がった。

「あいつは何人の人生を破壊すれば気がすむんだよ」

「サキ、時間は迫っている。やつとの決着をつけるために備えるのじゃ。…セブルスを呼んでおくれ。あんまり待たせていたら申し訳ないからのう」

 

 

 

 

 

サキ・シンガーがホグワーツに戻されたことは全校に知れ渡った。

というのも、帰ってきてすぐ朝礼の席で突如教職員席の前に仁王立ちになって演説を始めたからだった。

 

「みなさんこんにちは。私はサキ・シンガー。ヴォルデモートの娘です。この度はハリー・ポッターを取り逃がした罰の一環でホグワーツに戻ってきました。私は愚かな娘です。愚か故に過ちを繰り返します。みなさん!この学校はおかしい。狂ってる。葬式みたいな顔をして食う飯がうまいはずがない。思い出してみましょう。いつだって若者は大きなものに立ち向かってきました。ハリー・ポッターは今も戦っている!私達も戦うべきだ。そしてこのクソッタレな死喰い人どもをブタ箱に送り返しましょう!」

 

サキの演説は途中でカロー兄妹により止められた。

はじめこそ彼らは手を上げるのをためらい、縄で縛り付けるのみだった。しかしサキがしつこく演説を続けようとしてるので口をふさがざるを得なかった。

サキの演説は生徒たちに波紋を広げた。

今まで死喰い人側だと言われていたサキがハリー・ポッターの生存を知らせ、死喰い人に殴られている。

 

まず立ち上がったのはDAのメンバーたちだった。

 

ネビルの活躍は目覚ましかった。前々からカロー兄妹に対して反抗し度々拷問を食らっていたが、今回はスネイプにまで暴れバンバン花火を投げつけて、フクロウを暴れさせ朝食を糞まみれにした。

ウィーズリーの双子の亡霊が取り付いたかのようにピーブズも暴れた。おかげでフィルチは脳の血管が切れそうだった。

アンブリッジ体制よりも過激ないたずらと罰の応酬がはじまり、戦えない学生たちは死喰い人たちの暴力に対し無言の抵抗を試みた。なんの罪も犯していない生徒が出頭し自ら罰を受けに来た。非暴力による無言の抗議は列をなし、フィルチの地下牢の許容量を超えた。

ダンブルドア軍団はサキ・シンガーの血の魔法の手助けもあり飛躍的に活動範囲を広げた。

サキは演説以降地下牢に閉じ込められていたがジニー、ネビルの手助けもあり脱獄に成功し、スリザリン寮を襲撃したあとにドラコ・マルフォイを人質にして必要の部屋に立て籠もっている。

ちなみにドラコ誘拐はすべて杖無しで、サキの単純な暴力により行われた。

 

「サキ。傷、消えてよかった」

ルーナがサキを抱きしめたまま言った。もう30分くらい抱きつかれている。ジニーはもう引き剥がすのを諦めていたので隣でアバーフォースから受け取った缶詰を分配している。

「歯も生えてきたしね」

左手は上手く動かせないので以前のように細かい木彫りはできないかもしれない。

「…あのなあ、抜けても生やせるからってまた殴られに行くのはやめろよ」

ドラコが呆れ気味に忍びの地図の贋作をたたみながらいった。ルーナが抱きつきつづけているせいで機嫌が悪いのだ。

「さすがにベラトリックスの拳は痛すぎるからもうしない」

サキの顔は治療のかいあってきれいに治った。とはいえまだ前歯に隙間があるが。

サキとドラコは思いの外あっさりと受け入れられた。ドラコは秋からずっとホグワーツ内で情報を回していたし、サキも頻繁に校内に現れてはカロー兄妹の時間を取らせて授業を潰していた。そういった地道な貢献が役立ったらしい。アーニーなんかドラコと肩を組んで歓迎した。(ドラコは嫌がっていた)

 

「奴ら、そろそろ本格的に潰しに来るな。スネイプがたまに巡回に来てる」

「3日しかたってないよ?」

ドラコに意見できるくらいにネビルは強くなった、が意見したあとは必ず睨まれてびびる。

「騎士団の残りが動き出してる。味方が来る前に潰されたら元も子もない」

「先手を打つか?」

「無理よ。ここにいるのは殆ど未成年なのよ」

必要の部屋は大きな談話室のようになっていて、ハンモックがたくさんある。

反抗しすぎて拷問されそうな生徒が寮を捨てて集まってきているのだ。

 

「君の目的はどう?」

とネビル。

「ああ…上々さ」

「僕達も手助けできればいいんだけど…」

「ああ、じゃあ献血とかしてくれる?」

ネビルは丁寧に辞退した。

 

成果らしい成果といえばバジリスクの死骸から牙を採集したくらいだ。かなりの値段で売れるはずなのだが、残念ながら買い手はいない。

 

サキは多数の味方にドラコの作ったレプラコーン金貨を送りつけ様々な抜け道を用意していた。とはいえ適切な場所は見つからず、今できたのはアリアナの肖像画からホッグズ・ヘッドに抜ける穴とマルフォイ邸から棄てられてマグルの村の古道具屋に置かれているキャビネット棚だけだ。

あとはスイッチを的確なタイミングで押さなければならない。

反撃の狼煙をあげる一番ベストなタイミングはダンブルドアが教えてくれた。

 

 

 

 

「大変だ!」

 

そこで、無線傍受係のディーンが叫んだ。

 

「グリンゴッツが破られたって!犯人が誰かは明かされてないけど、きっとハリーだ!」

「音を大きくしてくれよ」

無線機の周りに人だかりができた。

公営ラジオは賊侵入のニュースを大した事ではないと思わせたいらしく、一言触れるのみに留まったが、有志の放送しているラジオでは魔法事故巻き戻し局がロンドンを駆けずり回ってドラゴンが東へ飛んでく事実を消してまわってるといっている。

「ドラゴンの背中!想像できる?あれに乗って空を飛ぶなんて」

コリンは感激しきった様子でいった。

「ああ、できるね。乗り物酔いで真っ青だ」

ドラコがせせら笑うと、みんながワイワイ言ってドラゴンの乗り心地について議論し始めた。

 

サキはそんな喧騒からドラコを連れ出して、囁いた。

 

「私はこれから先生のところへ行く。ドラコは、ハリーを助けてあげて」

「あいつはなにをするつもりなんだ」

「わからない」

「ふん。手助けしようがないな」

「多分何か探してるんだけど…それが何かはわかんない」

「捜し物しにこんなところに来るのか。羨ましいねえお気楽で」

「うん…ごめんね」

「なんで謝るんだ?」

「ルシウスさんやナルシッサさんのこと、心配でしょ?」

「ああ。胸が張り裂けそうなほど。でも僕だってもう子どもじゃない。僕は僕のすべきことをするだけだ」

「変わったね、ドラコ」

「変わるさ、そりゃ」

 

サキは目を瞑ってドラコの手を握った。

 

「私、ずっと誰かのために死ななきゃいけないと思ってた。孤児院の友達に償うために苦しんで苦しんで、それから死ななきゃって」

「馬鹿だな。君が死んだって誰のためにもならない」

「そうだよね。本当に馬鹿みたい」

 

握り返したドラコの手を口元まで寄せて、サキは唇を当てた。

 

「でも今は違う。私は誰かのために生きたいと思う。…例えば君とか」

 

ドラコは息ができなくなったみたいに顔を赤くした。そして何度か言葉を発しかけて大きく息を吐いた。

「…用意してきた?」

「まあね。殺し文句ってやつ。心臓は動いてる?」

「めちゃくちゃに動いてる。僕だって君のためなら死ねるさ」

「おお、言うね。ドラコこそ用意してたでしょ?」

「あたり」

そう言って二人は笑いあった。

ドラコはポケットから金貨を取り出し、高く放り投げた。

 

「狼煙をあげよう」

 

 

 

 

 



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08.開戦前の数時間

 

私達の屋敷がある森はいつも暗くて地面まで陽がささない。

私達の肌が白いのはそのせいよ、と母はよく言った。

唇が赤いのも、ご先祖様が森のりんごを食べ過ぎたせいだって。

今思うと、馬鹿げているわね。

でも私は信じたの。

だって母は、全てを知ってる筈なのだから。

 

……

 

「サキ」

 

校長室のガーゴイル君の裏の階段を登ってくとセブルスが待っていたようにこちらを向いて立っていた。

必要の部屋の抜け道はいよいよ目視による監視が増えたので抜け出すのにかなり、苦労した。まず必要の部屋に走るパイプに降り、適当なトイレにたどり着くまで這いずり回った。

「先生…グリンゴッツが襲撃されました」

「聞き及んでいる」

「いよいよ始まりますね」

「ああ」

 

サキがダンブルドアの肖像画に母の目的を教えられたあと、セブルスも交え三人で今後のことを話した。

おそらく今回のグリンゴッツ破りでヴォルデモートはハリーたちが今まで何をしてきたのかを知り、ハリーたちが次破壊するであろう最後の分霊箱の在り処へ向かう。

 

 

サキがマルフォイ邸からホグワーツへ送り返されダンブルドアに諭されたあと、廊下で待っていたセブルスが入室し、肖像画に向かって二人が話しかけるという奇妙な会議がはじまった。

 

「本当に校内にあるんでしょうか?」

「不明だ。あるとしても我々には感じ取れない」

サキの疑問にセブルスが答える。

「じゃあハリーを安全に入れて探させる、しかないんですね」

「そうじゃ。当然奴も来るじゃろう。ここが最終決戦の場になる」

まるで生きているようにダンブルドアが粛々と告げる。けれどもやっぱり、これは影に過ぎない。

「でもまだ分霊箱はあるんですよね?」

「そうじゃ。やつが蛇を…ナギニを護りはじめたらいよいよ大詰めじゃな。ハリーがここに来て分霊箱を探すまで時間稼ぎをしなければならん」

「騎士団を呼びます?」

「言わなくてもかけつけてくるじゃろう。さらにホグワーツにはすでに勇敢な魔法使いがたくさんいて戦っておる」

「…ロングボトム達だ」

セブルスが付け足した。

「君が来ればいよいよ本格的に暴れだすかもしれん」

「それくらいの方がいいでしょう。私が暴れれば注意を引く。ハリーたちが動きやすくなると思います」

「危険だぞ。わかっているのか?」

「当然先生がカバーしてくれますよね」

セブルスはそんなことだと思ったと言いたげにじとっとした目で睨んだ。

ダンブルドアは意味有りげに、意識があるかのように額縁の中で微笑んだ。

 

 

そして、ついにハリーがホグワーツにくる。

「先生はどうします?ドカンと行きます?」

「いや、ポッターが失敗した場合を考えると我輩はまだスパイの任務を解くわけにはいかん」

サキはこの間まで引きつった傷跡があった唇の横を指で揉んだ。傷は消えたけどちょっと違和感がある。左手はやっぱり上手く利かないのでこのままだと少し不安だ。

「じゃあ先生はここにはいられませんね。どうします?」

「適当に戦って逃げて、どこかに潜伏する」

「緻密な作戦ですこと。じゃあ頃合いを見て呼びます。はいこれ」

サキはポケベルを投げ渡す。ポケベル…セブルスは彼女がホグワーツに突然来るときに何度か使ったが仕組みがよくわからないし、数字だけだと複雑なメッセージは解読できない。しかし守護霊を作れない、そもそも杖がないサキはマグル式に頼るしかないらしい。

「いつも通り555で緊急事態ですから。杖がないもんでね、許してください」

「ああ。…ポッターはもうホグワーツに?」

「先程ホグズミードから連絡が。すぐに来ますよ」

「そうか。全校生徒を一度集める。…いいか、まずカロー兄妹の杖を取り上げるのだ。そしてマクゴナガルに引き渡しなさい。保護呪文は…」

「一度破っとく。わかってますよ」

サキはそのために消費する血の量を思い出して貧血を起こしかけた。一度にだせば致死量だが、近代魔法医療は血液の増産を可能にする。しかしそろそろ体にがたが来そうだった。

サキはじっとセブルスを見つめた。母がなんで彼のために時間を繰り返したのかはよくわからない。恋だとか愛だとか深読みすることは可能だが、セブルスから聞く母は全くその素振りがない。

 

「先生、最後になるかもしれないので聞いておきたいんですけど」

「なんだ?」

「母のこと、好きでした?」

「こんな時にふざけるのはよせ」

「真剣ですよ」

 

だって母は

 

「我輩は…彼女には良くしてもらった。尊敬しているし感謝している。そして後悔もしている」

 

多分あなたの事を

 

「しかし恋情を抱いたことはない」

 

「…そう、ですか」

 

サキは言葉を一度切る。

「いやね!ほら、まさかの三角関係が戦場のドタバタに響くかなぁって危惧してたんですよ」

「馬鹿を言え。君は次闇の帝王に会ったら殺されるぞ」

「あは、やっぱりそうですか?激おこってやつですか」

サキは真剣な空気を打ち消そうとするように陽気に笑った。

「だから絶対死喰い人には捕まるな」

「もし万が一、何もかも失敗したらどうします?一緒にアラスカにでも逃げますか?」

「最悪だ。寒いのは嫌いだ」

「実は私も」

 

セブルスは笑った。その笑顔を見てサキも微笑んだ。

母のしてきたことについて、今は言うべき時ではない。

 

 

……

 

ハリー・ポッターがホグズミードに現れたので全校生徒が夜中にも関わらず大広間に召集された。

アミカス・カローはまっさきにスネイプから教員全員を叩き起こす仕事を仰せつかった。

 

あいつはサキ・シンガーの失態を取り戻そうとして必死なんだな、とカローは考える。

スネイプはシンガーの後見人だった。あのお方が帰ってきても変わらず仲睦まじく影のように行動していた。だからこそホグワーツに来ればおとなしくなると思ったのだが、どうやら彼女は反抗期だったらしい。

彼女が突然降って湧いたときはカローは兄妹揃ってシンガーをどう扱えばいいのかわからなかったが、今はわかる。仇なすものはむち打ちだ。

 

「おい、早くしろ。フクロウは飛んでこなかったのか?」

 

カローは乱暴にマクゴナガルのドアを叩いた。

そしてノブをガチャガチャ捻り回すと慌てた様子で正装に着替えたマクゴナガルがでてくる。カローが文句を言おうとした瞬間、頭に火花が走った。

突然足をすくわれたような無重力感が頭の上からスーッと抜けていって…そしてカローは床に倒れた。

 

「し、シンガー!」

マクゴナガルは扉を開けたら突然倒れてきたカローを間一髪躱して廊下に立っているサキを見た。彼女は魔法薬学で使う大鍋を持ってカローの頭めがけて思いっきり振り抜いたのだった。

マクゴナガルは思わずカローの脈を確認した。生きてはいる。

「先生、ハリーが来ます。援護しなくては」

「ホグズミードに現れたのでしょう?」

「ええ。だからここに来ますよ。さあ急いで」

サキは大鍋を投げ捨てた。廊下にくわんという不思議な金属音が鳴り響いた。

「学校にかけられた侵入防止呪文はすべて解きました。騎士団のメンバーがつき次第新しくかけ直してくださいね」

「シンガー、あなたは何をするつもりです?」

二人は廊下を素早く歩く。マクゴナガルは杖を持ってないサキの代わりに篝火に火をともしていった。

「任務を続行中です。ハリーがすることを全力で手伝うために…まずホグワーツの安全を速やかに確保します」

「誰に与えられた任務ですか?」

「それは極秘です」

サキはいたずらっぽく笑った。マクゴナガルはサキが従っているのがスネイプだろうとほとんど確信していたが、言葉にはしなかった。

言葉にしないことが大切だ。もし彼が本当の意味でダンブルドアに忠実なのだとしたら…多分言葉にした瞬間それは全く意味のないものになる。

 

「あ」

 

サキが胸ポケットからだした金貨を見て小さくつぶやいた。

「ハリーが来ました」

「ポッターが、今どこに?」

「必要の部屋です。…もう大広間に向かってるかも」

サキは着ていたローブを脱いで小さくたたみ始める。階段の下では大勢の生徒が大広間に吸い込まれていくのが影でわかった。

「私は生徒に紛れてます。まずカロー妹を捕縛してください」

「その後は」

「ドンパチですよ!決まってるじゃありませんか!」

 

 

……

 

 

グリンゴッツへの侵入はグリップフックの手を借りて成功した。(結果的に裏切り者の卑劣なゴブリンだったわけだが)

ハリーは辛くもヴォルデモートの手を逃れ、ハッフルパフのカップを奪取した。

白いドラゴンの背中に乗っている瞬間、今まで生きていた中で一番の快感を味わった。しかしグリンゴッツ破りにより、ヴォルデモートはハリーたちの目的に気づいたらしい。

激しい怒りに身体が引き裂かれそうになって全身の血が引いた。

冷たい湖の凍りかけた水が高揚感を洗い流し、悪寒が全身を襲った。

「剣が…奪われた」

ロンが絶望的に呟いた。

しかしハリーはそれよりも…やつの考えと同調した自分の心に魂を奪われていた。

 

 

 

 

血まみれのグリンゴッツの大理石の床を歩く。

冷たい床と生暖かい血が奇妙に足裏で混ざり合う。

怒りと恐怖が足元から亡者のすがりつく手のひらのようにぺたぺたと這い上がってくる。

ハリー・ポッターが今まで何をしていたのか、ようやくわかった。

自身が最も忌避していた死が、冬の朝の凍えるような冷たさのようにじりじりと迫っているのを感じる。

ルシウスに預けた日記が破壊されたのは随分前からわかっていた。ただし破壊されたときは何も感じなかった。あれは余りに長く離れていたからだろうか?じゃあ他の分霊箱は?

罠の張り巡らされた洞窟、目を背けたくなるようなあばら家…そして手元にいるナギニ。ホグワーツに眠る誰も形を知る由もない宝。

わかるはずがない。しかし、確かめねばならない。

やることが決まれば怒りは熱みたいに冷めていく。

 

全ての分霊箱の無事を確認したら、ホグワーツだ。

サキ・シンガー。泣いても喚いてももうおしまいだ。

校長室をすべて洗い出し、脳髄を食わせてやる。

記憶を継がせたらもう二度と外へは出さぬ。ひたすら追憶の中で飼い殺しだ。

 

ベラトリックスもルシウスも俺様の信用をことごとく踏みにじった。サキへの期待もきっと無駄なことだ。

娘だから、親だから。

全く持って無意味。血の繋がりなんて水より薄い。

 

ナギニをそっと撫でて、ヴォルデモートは姿くらましした。

 

 

 

 

 

ハリーはヴォルデモートの感情の混入がおさまってやっと呼吸を思い出した。心に反して体が熱くなっていく。

ホグワーツだ。

「最後の分霊箱はホグワーツにある」

 

 

濡れた鴉のような深い黒の髪は出会ったときより数十センチも伸びていて、風呂にも入らず立て籠もってるせいかやけにしっとりしていて、いつもよりよっぽど整って見える。

赤い瞳は前よりも暗く澄んでいて、肌は前より青白く、ガラスみたいに儚く見えた。

しかしマクゴナガルによりスネイプが撃退されたあと、彼女は悠然と群衆の前に立ち、パチンと指を鳴らした。

するとシャボン玉が割れたような微かな気配がして大広間の扉が開き煌々と灯る篝火の下に騎士団の面々が立っていた。

やや演出過剰だが、役者と舞台は整ったわけだ。

 

「美味しいところは全部持っていくよね」

ネビルがやや呆れ気味に騎士団の先頭でつぶやいた。

「2年の頃から晴れ舞台と無縁だったからね。目立ちたいのさ」

サキはネビルの隣でどこか気まずそうなドラコにウインクした。

高揚もつかの間、突然小さなハッフルパフの生徒が悲鳴を上げた。

それを切片に並んでいる生徒たちの列の中から次々に悲鳴が上がり、突然頭の中にヴォルデモートの囁くような声が木霊した。

 

「ハリー・ポッターを差し出せ。そうすれば誰も傷つけん。学校にも手を出さない…犠牲は少なくてすむ。真夜中までだ」

 

何人かの生徒はパニックに陥り、サキは自分より演出過剰なヴォルデモートにムカついていた。

スリザリン生からハリーを捕まえろと怒号が上がったがマクゴナガルがピシャリと言った。

 

「スリザリン生を地下牢へ保護して差し上げなさい!アーガス!」

 

ハリーの帰還に人々は歓声を上げた。

 

ハリーはサキに真っ先に抱きついた。

サキもハリーをしっかり抱きしめる。ドラコの視線が痛かったが、ハリーはあえて無視をした。

「君に、杖を返さなきゃ」

「ああそれ。大事なものなんだ」

サキはいつものようにいたずらっぽく笑う。

 

「まず謝らせてくれ。僕、ずっと君が…」

「言わなくてもわかるよ。わかるとも。それに謝るにはまだ早い。君はやることがあってここに来たんでしょ?」

「ああ、僕…レイブンクローに関する品を探しているんだ」

「だってさ。聞いた?」

サキはドラコに視線をやる。ドラコは渋々リアクションして肩をすくめる。

「馬鹿言うよなほんと。突然宝探しときたもんだ」

「ここにあるはずなんだ。レイブンクローの…何か、縁の品はないのか?」

「髪飾り」

ルーナがぽん、とポップコーンみたいにふいに思いついた。

「髪飾り?あれは失われてるはずだ」

「でも実在したよ。嘘だと思うなら聞いてみるといいよ」

「聞くって誰に?」

「もちろん、最後の持ち主にだよ」

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

リリーは何故か私になついていた。

スラグホーンの入れ知恵?彼はそうやって自分のコレクションを増やしていくことに無常の喜びを感じている。

私は残念ながら彼の期待には添えない。

意識が遠のくたびに見る記憶は私に現在を疎かにさせる。数千年という莫大な量の記憶は体感するにはあまりにも永い。

母親、クイン・マクリールの早逝により14歳というめまぐるしい時期に私の時間は止まってしまった。

ずっと薄氷を踏むような気分だった。だって私はたしかに私なのに、眠るたびに私は全然知らない土地を歩いて知らない人のために死ぬ。

マクリールたちの最後の光景は大抵全裸で台上に寝そべり、娘に祝詞を上げてから薬を飲む。そこで暗転して、次はさっきまで私だった母の体にメスを入れる私になる。

こんな『人生』を繰り返して、どうやって正気でいればいい?

友達は当然できなかった。だからセブルスが初めて私に話しかけてきたときもはじめは誰だかわからなかった。

 

ーハンカチを返したいんです

 

彼はそう言ってアイロンがけされたハンカチを渡した。

私にとってはもう何年も前の思い出だ。あくまで他人の記憶だけれども、私という意識は記憶で過ごす日々で老いていく。誰とも会話がうまく成り立たない。いつしか私は人と話すために数秒この人が誰だか思い出すために黙る癖がついた。

思い出せなかったら、しかたがないから適当なことを言う。

そうしているうちに周りの人は私を変人扱いして、適度な壁がーあるいは溝がーできた。

 

私はあなたの照れたような恥ずかしいような顔を見て、私は本当に羨ましいと思った。だって私は照れも恥も忘れていたから。あなたが何度も懲りずに話しかけてくれて、私は本当はとっても嬉しかった。あなたはリヴェンの人生で初めて私に興味を持ってくれた人だから。

 

いじめられた彼を助けた私は、どうやら彼を通じてリリーにも良く伝わり、私はリリーと友達になった。私を通じてセブルスはルシウス・マルフォイと仲良くなり、寮内での立場を安定させた。

いつの間にか目を覚ませばいつも後ろにセブルスがひっついていた。

 

また君?久しぶり。

大きくなったわね。…昨日あったばかり?そう。やっぱり大きくなったじゃない。

 

個人は誰かの心の中に鏡像を持たない限り、そこにいないのと同じ。私は多分、どこにもいなかった。あなたが居てくれるから、私はやっと私を見つけられたんだよ。

 

セブルスは…リリーが私になついたのもあったんだろうけど、私を本当に慕ってくれていた。

ジェームズ・ポッターの高慢ちきは私がセブルスを庇うたびに治まってきて、リリーはだんだん彼に惹かれていった。

セブルスははじめの方こそ嫉妬からジェームズを攻撃していたが、私が諌めた。

そうしているうちに彼が隣にいるのが普通になって、目覚めれば彼がいないと私はまるで私の時間を失ったような気がしてならなかった。

 

私は本当に私?

その顔、髪、体。私をからかう指先。すべてがあなただ。

 

そう言ってくれるあなたがいなければ私は私として息ができない。

あなたは私の初恋なのだと思う。あなたへの想いより強い感情をとこしえの記憶の中で感じたことがない。この焦げ付く、身を焼く情動が私が私であるという証明に思えた。

これより強い想いをもう抱くことはないのだと、暮れゆく夕陽に照らされたあなたを見て思った。

私の主観の中の時間はあなたと全然違うけど、私はあなたを毎日想ってる。

 

ずっと、何年も、きっと永遠に。

 




大広間のくだりは原作と映画が微妙に混ざってます。


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09.The point of no return

バジリスクの毒牙をちょうどよく持ち合わせていたサキは、そのままカップの破壊に居合わせた。売ればものすごい額になるが、買い取り手がいなければただのガラクタなので快く差し出した。

ハーマイオニーとサキは二人で誰もいないからの教室でカップと対峙していた。金色の小さな盃は窓の外から見える魔法の光をキラキラ反射している。

 

ロン、ドラコ、ハリーはレイブンクローの髪飾りを求め、灰色のレディを探しに行った。

 

「ロンたちうまく行くと思う?」

「ロンの豊かな女性経験を信じよう」

「ああ、もうやめてよ!」

 

ハーマイオニーは緊張した面持ちを崩して笑みを浮かべた。

 

「…本当に私が壊してもいいのかしら?」

「当たり前だよ。この一年散々手こずったでしょ?一発食らわしてやろう」

「でも…サキ、ヴォ、ヴォルデモートは…」

「お父さん。でもただ血が繋がってるだけ。なんなら私は次あったら殺されると思う」

「あー…踏ん切りがついたわ」

ハーマイオニーは牙を持ち、カップに向けて一歩歩み寄った。

 

 

 

騎士団の面々の到着に遅れて、パーシーは一人大広間の扉を開けた。

シンガーから渡された金貨は突如発熱し『ホグワーツへ』と言う文字を記した。

パーシーはグリンゴッツ破りへの問い合わせ窓口業務を放棄し、速やかに暖炉に飛び込んだ。

久々に訪れるホグワーツは前より小さく見えて、そして暗く沈んでいた。しかし大広間の扉を開けて中にいる人たちの精気に圧倒された。中には、ウッドやアンジェリーナといった卒業生もいて、数人がパーシーに気づいて握手した。

 

「嘘だろう?」

 

ちょっと奥へ進むと赤毛の集団が目に飛び込んできた。その中の背の高い一人…ジョージが(会わなくったってフレッドかどっちかわかる)ポツリとつぶやき、全員がパーシーに注目した。

 

「僕…」

 

パーシーが何か言う前にジニーが胸に飛び込んできた。現役クィディッチ選手の強烈なタックルにひょろひょろのパーシーは危うく転倒しかけたが、倒れるのを支えるようにフレッド、ジョージが抱きついてきた。

 

「この、魔法省好きの、家族を捨てた大馬鹿!」

「つのぶちめがね、高級スーツのバカ兄貴だ」

双子の悪口に怒れないのは人生で初めてだった。パーシーは苦笑いした。

「手紙、受け取ったわ」

ジニーが抱きついたまま言う。

アーサーとモリーも近づき、自由になったパーシーをもう一度しっかり抱きしめる。

「ようやくお前を堂々と抱きしめられる」

「ごめん…父さん、母さん」

「いいのよ。無事でいてくれることが何よりの喜びよ」

パーシーは流れてきそうな涙を必死にこらえた。つのぶちめがねが上手いこと隠してくれてればいいのだけど。

「情報をありがとう」

「あ、ああ…良かった、役に立ってましたか」

ルーピンが握手しながら礼をいうのでしどろもどろになってしまう。あの最悪な場所で何もできなかったと思っていたパーシーにとってその言葉は家族との再会並みに嬉しくてまた涙が溢れてきそうだった。

「それで全部の過去が帳消しになるわけじゃないぜ!」

フレッドが水をさした。

「わかってる。わかってるよ…」

パーシーはそう言い終えて、ようやく目から涙を流した。

 

 

 

ハリー、ロン、ドラコは三人で灰色のレディの居場所を探した。

あのゴーストがレイブンクローの娘だとルーナが知っていたのは僥倖だった。ルーナは変な友達が多い。

灰色のレディことヘレナ・レイブンクローは誰もいなくなった吹き抜けの階段の中空で1人静かに浮かんでいた。

物憂げな顔はゴーストだからというだけではなさそうで、いかにも話しかけ難い。

「誰が行く?」

ハリーの提案にロンが呆れながら返した。

「正気か?僕が憂鬱そうな女の人を怒らせるのさんざん見てきただろ?」

「どう考えてもお前が適任だろ。ポッター」

ロンに文句を言われ、ドラコに尻を蹴っ飛ばされ、ハリーは階段を登ってレディにおずおずと話しかけた。

 

 

 

ハーマイオニーがカップを破壊した瞬間、体の中を良くないものが通り過ぎたような嫌な感じがした。ハーマイオニーも同じらしく、ひどく後味の悪い顔をして焦げついたカップを見下ろしていた。

「気分のいいものじゃないわね」

「同感」

サキはカップをハーマイオニーの差し出した袋につまみいれた。

「ハリーたちと合流しなきゃね」

「ええ。行きましょう」

二人は忍びの地図を見てハリーたちのいる場所へ走った。

 

「サキ、スネイプは一体どっちの味方なの?」

ハーマイオニーは尋ねた。

「先生は、いつだってダンブルドアの忠実な部下だよ!」

サキは笑顔でいった。

「それでいてずっと、私の味方!」

 

ハーマイオニーはサキとスネイプの信頼関係をよく知っていて、ダンブルドア殺害以降も二人を信じていた。

ハリーもロンもまだ半信半疑だが、こうしてサキが傷跡もなくピンピンしていること自体がスネイプを信じるに足る理由だとハーマイオニーは思った。

 

ハリーも本当はわかってるはずだ。

 

「あ」

 

サキが目に入った美しい光景を見て立ち止まった。

 

湖に打ち上がる魔法の光…緑、赤、黄色、青。様々な光線が空を覆い尽くしていた。

湖に浮かぶ複雑な波紋がそれを反射して宝石のように瞬いている。

 

「綺麗」

「ええ。とっても」

「ハーマイオニー今まで私を信じてくれてありがとね」

「突然どうしたの?サキ。なんだか不吉だわ」

「いや、なんか今言っておかなきゃいけない気がして」

「雰囲気に流されないでよね。あなたって昔っからそう」

「私がロンなら多分キスしてた」

「嘘つき、マルフォイともろくにキスしたことないくせに」

「…」

「えっ?嘘、まさか」

 

サキは意味深に沈黙して地図に視線を落とした。ハリーたち三人は必要の部屋の前で足跡をたった。

 

サキとハーマイオニーは急ぎ駆けつけ、ドアを開けた。ここは高い天井のせいで空気が上で冷やされてゆっくり下に降りてくる。いくら暖房をつけても室温が上がらない、乾燥した部屋だ。たくさんの古本や古道具に溢れているのでよく燃えそうだ。

 

「この中の…どこにいると思う?」

「さあね。とりあえず進もう」

 

とりあえずまっすぐ進んだ。ガラクタの山で通路ができているのだが、神秘部の通路と同様に絶妙に曲がり、いつしかどこが出口からわからなくなるようにできている。まあ万が一迷ってもハーマイオニーがいるから大丈夫だ。

 

「あなたは分霊箱を感じないの?」

「んーん。何も感じない」

「…ハリーは感じ取るの。どういう意味だと思う?」

「感じ取るっていうのは、場所とか存在をってこと?」

「そうよ。壊すといつも痛みを堪えてるような顔をするの」

ハーマイオニーはすごく真剣な顔でサキの横顔を見つめている。

ヴォルデモートの魂を感じ取る。その意味を彼女は悟っていた。

サキもまた、ハーマイオニーの言葉を受け同じ結論に達した。

 

「まさか…ハリーには…」

 

サキが言い切る前に燦々としたオレンジ色の炎が二人の行く手を阻んだ。

 

「悪霊の火だわ」

 

ハーマイオニーが手で顔を庇いながら叫んだ。上空から本が崩れ落ちてきて二人は危うく下敷きになりかける。

「どこのバカが火をつけた?!」

サキは必死に呪文で火を消そうとしているが闇の魔術でできた炎はすべてを焼き尽くすまで決して消えない。

 

「こっちよ!」

ハーマイオニーがサキの手を掴んで駆け出した。

火はガラクタの山でできた通路をなめつくし、あっという間に二人を囲んでしまう。ガラクタの山の上に登っていくと、部屋全体が地獄のように燃え滾っていた。

「まさかここまで来て火事で死ぬことになるとは…」

サキはお手上げだと言わんばかりに天を仰いだ。

「あ、あれ!」

そこでハーマイオニーが天井を飛ぶ三つの箒に気づいた。

 

「つかまれ!」

 

ハリーたちだった。

サキとハーマイオニーは何とか箒の後ろに乗り出口をめがけて矢のように飛んでいった。

「一体何がどうしたの?」

サキの怒鳴り声にロンが怒鳴り返した。

「カローが火をつけた!僕らを捕まえようとして無茶をしやがったのさ!」

カロー(おそらく兄だろう)は杖を取り上げられていたはずだ。捕縛から逃れ、生徒の誰かから力ずくで杖を奪ったんだろう。悪霊の火は強力な闇の魔術だ。高度な呪文を忠誠心を勝ち取ってない杖でかけるなんてたしかに無茶だ。

「無茶苦茶だわ!分霊箱は?!」

「ここに!」

ハリーが左手に掴んだ髪飾りを見せた。青いくすんだ宝石が光っている。

3つの箒は出口めがけて突っ込んだ。

扉から炎が追いかけるように出てくる。

「中に投げ込め!」

ハリーは炉のようになった部屋にレイブンクローの髪飾りを投げた。

髪飾りが炎に舐め尽くされ黒炭と化した瞬間、ハリーが悲鳴を上げて倒れた。

 

「…ああ……」

 

サキはため息を漏らした。

ハリーの苦しみ方はまるで自分が今あの業火に焼かれてるようだった。ヴォルデモートの魂の入ったあの忌々しい分霊箱が燃え尽きると同時に、ハリーはひゅーっとチェーンストークスじみた呼吸をしてぐったりと地面に寝そべった。

 

ハリーが苦しみ終わったあと数秒して閃光がまたたいた。あまりの眩しさに奥まった廊下でさえ影ができた。慌てて外の渡り廊下に走ると外の魔法の殻が燃え落ちていくのが見えた。

 

防護呪文が破られたんだ。一撃で。

 

サキはハリーの額に浮かぶ汗と怯えた瞳を見て嫌な予感で背筋が寒くなる。

 

ハリーの中にあるものがなんなのか、早急に確認しなければいけない。

 

サキはちょっと焦げた後ろ髪を確認してるドラコの耳元で囁いた。

「ドラコ、みんなをよろしく。スリザリン生もできれば避難させてあげて」

「待って、君はどこに行くつもりだ」

「緊急事態発生中なの!」

「危険すぎる。僕も」

「だめ!極秘!」

サキはドラコが止めるのを振り切って、セブルスがいるはずの森の中へ駆け出した。

 

春の夜はまだ冬の名残をとどめている。けれども5月ももう終わる。空気はいつの間にか湿り気を帯びていて、森は再び緑に艶めいていた。呪文や火薬が弾ける明かりが爆音とともに森を抜けていった。

花火大会ってきっとこんな感じなんだろうな、とサキは思った。

孤児院にいたときたった一度だけ花火大会というものを見たことがある。三千くらいあるチャンネルの一つがたまたま遠い国の花火大会を中継していたのだ。マグルがいろんな火薬を詰めて咲かした花は川にきれいに反射していた。

こんな時に思い出せる美しい記憶がテレビでみた花火?

サキは自分の能天気さに呆れて曇ったブラウン管のことを頭から振り払った。

ポケベルで555と送ったがちゃんとセブルスはサキを探してくれているだろうか?

落ちた枝を踏みつけてバランスを崩し、立ち止まる。随分奥まで来てしまった。まだ湖の辺りだけれど、校舎はもう遠い。

 

気配を感じて、湖の方を見た。炎を映す水際に青白い牝鹿が立っていた。セブルスの守護霊だ。

サキはそれに導かれ、さっき通った道を戻った。するとセブルスも藪の中から背の高い草をかき分けてでてくる。

「サキ…分霊箱は?」

「カップももう一つも破壊しました。先生、ハリーは」

サキの言葉を遮るようにセブルスは袖をめくり闇の印を見せた。

「あの方がお呼びだ。すぐ行かなければ」

「だめ!待って先生」

今すぐにもどこかに行ってしまいそうなセブルスの袖を引っつかんで止めた。

 

「ハリーは、分霊箱なんですか?」

「……なぜそれを…」

「ちょっと考えればわかります。今更秘密もクソもないでしょう?なんで言ってくれなかったんですか!」

「ポッターが知るのは…あの蛇以外の分霊箱すべてが滅んだあとでないといけない。つまり、いまだ」

セブルスは冷静な面持ちを崩さない。まるでずっと覚悟していたみたいに落ち着いていた。いつから知っていたのだろうか。セブルスはまるで傷が痛むみたいに苦しい顔をしている。

 

「ハリー・ポッターは、あの人に殺されなければならない」

 

「そんなの…」

「間違っていると?我々が他の方法を探さなかったと思うか?!確実な方法はそれしかなかった。誰が好き好んで彼を死地へ送る」

セブルスはーほとんど初めて見る顔だったー激高した。

遠くでどおんと何かが爆発した。

赤い火花が散って、燃えカスみたいなものが湖に雪のように落ちていき、沈んで溶けた。

 

「……やだ…」

「ダメだ。こうしなければ闇の帝王は滅びない」

「だめだ、そんなの…おかしい。間違ってます」

 

サキは湖の前で立ち尽くした。

口で言ってるのとは逆に、心は深く静かに納得していた。ここ二年ほどずっと誰かの命や安全を秤にかけてきた。学校で戦ってる生徒たちや、今もホグワーツに向かってきている正義に燃えた人々。正しきことをしようとしている人たちの命とハリーの命の価値。どちらの皿が重いかは明白だ。

事実は時に矛盾した性質を持つ。セブルスの選択は間違っているけど、正しい。

 

「先生…脳髄を出してください」

「ダメだ。絶対に渡さない」

「やっぱり先生が持ってたんですね」

サキは笑って、セブルスは黙った。ちょっと考えればわかる、とサキは付け足す。

 

大切なもののために大切なものを差し出す勇気。

自分の命を張って誰かを救う行為。

正しさのために間違いを犯す決意。

 

セブルスはサキが持ってなかったいろんなことを教えてくれる。7年間、サキはセブルスに守られっぱなしだ。

セブルスの沈黙に守られた唇は言葉にならない苦しみで歪んでいる。サキはその唇がどれほど言葉を噤んできたか想像がつかなかった。

 

「先生は…とても大人ですね」

「ああ、そうだ…」

 

セブルスは歩き出した。

あの人の待つボート小屋に向かって。

 

「君はあの人に見つからないように隠れていろ。万が一我輩に何かあったら君がポッターを導くのだ」

「私…」

「約束してくれ」

セブルスはサキをじっと見た。黒い瞳が濡れてキラキラ輝いていた。

サキはその目を見て悲しいほどに重たい意志を感じた。セブルスの意志はとっくの昔に固まっていて、サキみたいな子どもが想像できない時間葛藤したんだろう。

サキの知ってる彼はたったの7年ぶん。

 

母はきっと…セブルスのこういうところが好きだったんだろう。

確証はないけれど、サキはそう思った。

 

「誓います。私が…必ず成功させます」

 

サキはセブルスの目を見つめ返し、ゆっくりまばたきをした。

 

色とりどりの光の雨が降り注ぐなか、二人は静かにボート小屋に続く畦道を進んでいく。

 

 

 



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10.We will meet again

サキは柄にもなく緊張していた。

当然だろう。だって今ここにいるのは自分を見た瞬間殺してきそうなヴォルデモートなんだから。

 

激戦の繰り広げられるホグワーツ城の崖を降りて、湖面にぽつんと佇む忘れられたボート小屋。湖に反射する閃光から遥かに遅れて爆音が響くとまるで常世と現世の間に落ちてしまったような気分になる。

サキは息を潜め、対峙する二人を曇りガラス越しに見ていた。

ヴォルデモートはすでに殆どの分霊箱を失っていることに気づいたらしい。いつも余裕そうな喋りの端々に焦りが見える。

サキの僅かな呼吸には気付いていないようだ。サキは念のため血を流し、聞き耳防止呪文や隠者防止呪文がかからないようにしている。

 

「さて、セブルス。お前は常に俺様に従い、よく働いた。サキに関して言えばお前は貧乏くじをひいたと同情すらしている」

「確かに、手のつけられない跳ねっ返りでした」

「俺様の血をひいてるとは思えんよ」

ヴォルデモートは暗く笑った。そして前置きもせず本題に移る。

「お前は俺様が杖に満足してないことをよく知っているな?」

「はい。存じ上げております。しかしそのニワトコの杖でしたら…」

「そう!最強の杖のはずだ。なのにどうもしっくりこないのだ」

ヴォルデモートは大げさに両手を広げ、不気味に笑った。セブルスは慎重に言葉を選ぶ。

「しっくり、ですか?」

「セブルス、お前は物語を読むか?」

「最近はめっきり読みません」

「なら教えてやろう。この杖は様々な持ち主を渡り歩いてきた。最強の杖を欲する者たちの戦いの末、常に勝者の手に渡ってきた」

「まことにあなた様にふさわしい杖でございます」

「そうか?そう思うのか、セブルス」

「はい。心より…」

セブルスはヴォルデモートの不穏な会話の流れに体を強張らせた。

 

「残念ながら、俺様は勝利していない。ダンブルドアは俺様に殺されたのではないのだから」

 

セブルスが息を呑むのがわかった。

ヴォルデモートは杖を握った。

それを見てサキは杖を構えた。

 

「お前が、ダンブルドアを殺したのだったな?」

 

サキは杖を突き出し無言でガラスを割った。ヴォルデモートの目がやっとサキに向く。

割られたガラス片はかつて魔法省のアトリウムでヴォルデモートがそうしたように宙に浮きヴォルデモートに向けて今にも飛んでいきそうになっている。

セブルスはサキを見て明らかに狼狽した表情を浮かべ、ヴォルデモートは残酷に笑った。

 

「サキ!死にに来たのか?」

「ちょっと通りすがっただけです」

 

サキは杖をヴォルデモートに向けたままゆっくりとガラス枠をくぐった。

ヴォルデモートは全くサキを恐れていない。

 

「サキ!馬鹿、どうして…!」

「黙ってみていられると思います?」

 

 

ガラス片はきちきちと引っ掻いたような音を立ててヴォルデモートとサキの中間でどちらにも鋭い切っ先を向けていた。

ヴォルデモートは杖も使わずこちらにガラスを押し返しているのだ。やはり地力が違う。迅速に事態を収拾しなければあっという間に細切れだ。なけなしの交渉スキルをフルに使って切り抜けなければならない。

 

「杖なんかなくても貴方はとても強い。そんな棒っキレのために有能な右腕を失うのは損では?」

「はっ…腕は2本で充分だ。ましてや他人の腕など。他人を信用するとどれだけ失望するかわかったからな」

だがヴォルデモートは聞く耳なんてハナから持ち合わせてないようだった。

サキは自分のガラス片が押し返されているのがわかった。サキはそのガラスが最悪自分を貫いても構わない。本命は別にある。

サキはガラスを目に見える範囲にのみ浮かせ、残りは床で散らばったままナギニを狙っていた。

最悪刺し違えてでも殺すつもりで体を出してみたものの、いざ臨戦状態のヴォルデモートとナギニを見たらそれも叶わない気がした。

じゃあセブルスを見殺しにする?そんなの有り得ない。

 

「そう焦らずともじき城は落ちます。戦いが終わってから所有権についてじっくり調べればいいのでは」

「諄いぞ。ハリー・ポッターを万全の状態で仕留めるのだ。やつは何度も俺様の手を逃れた。次こそ最後だ」

 

サキは床に落ちた破片に意識を集中させた。浮かんだガラス片が圧されてひびが入った。

パキ、と一番大きな破片が音を鳴らした瞬間だった。

突然ナギニがサキの脚に向かって飛びかかってくる。

サキは咄嗟にナギニの頭目掛けて脚を振り上げた。しかしそれを振り抜く前にナギニが軸足に絡みつく。

「ッ…!」

蛇はあっという間に足を絡め取り、サキを転ばせた。ナギニの頭突きで手から杖が叩き落とされる。

視界が反転して、次の瞬間にはボート小屋の天井を仰いでいた。

サキは完全に先手を打たれた。

 

「本当に呆れ返るほど馬鹿な娘だな。お前がたった一人でこの俺様に太刀打ちできるとでも?」

宙に浮いていたガラス片は支配権を完全に奪われ、今はサキの目の前いっぱいに浮かべられていた。ヴォルデモートから見れば鋭い切っ先がキラキラとサキの瞳に反射しているはずだ。

「馬鹿はひょっとしたら遺伝かも」

「次は命はないと言ったな?」

サキは心の中で必死にセブルスに逃げてと唱えていた。もうこうなったらセブルスが生き残るには、ヴォルデモートが私に気を取られてるうちに逃げるしかない。

 

ヴォルデモートが杖の支配権ごときの為にセブルスを殺すとは思ってなかった。分霊箱を失ったヴォルデモートの焦りは彼の動揺と冷静の欠如を産んだものの、焦りからセブルスを殺そうとしている。

想定外…いや、思慮が足りなかった。

 

「おやめください、我が君。私の命ならば喜んで差し上げます。どうか、どうか情けを」

「…ほう?」

「なんで逃げてないの先生!」

サキは視界の外から慈悲をこうセブルスへ怒鳴った。しかしそんなサキへセブルスはいつもどおり冷静な声で返す。

 

「何度も言っているだろう。必ず君を守ると」

 

「っ…違う!違うよ先生、母はー」

「セブルス、お前が喜んで命を差し出すというのならばそれもまた良いだろう!最もお前の命がこの哀れなバカ娘の命と釣り合うとは思えんがな」

「いいえ、我が君の…ご栄光のため。そしてリヴェンとの約束のために死ねるのならば本望です」

 

やめて、と心の中で何度も何度も叫ぶ。母はセブルスを守りたかったのに。何故願えば願うほど、その願いは夜へとけていくのだろう。

 

「よし。では誇り高き殉教者らしく自ら杖を折れ。礼儀作法は守らねばならん」

「はい我が君、仰せのままに」

 

どうして、救われて然るべき人間ほど救われずにいるのだろう。

 

セブルスは自ら杖をおった。木の折れる乾いた音を聞き、ヴォルデモートはひどく醜悪な笑みを浮かべ、その杖先をサキからセブルスへ向けた。

 

「やめろぉおおおお!」

 

絶望と恥と後悔と懺悔とが脳髄をめちゃくちゃにする。その衝動に任せて、地面のガラス片すべてを自分に巻き付くナギニに向けて飛ばした。

 

ナギニはサキの地面からの攻撃を予想していなかったらしく驚き、胴にガラス片をモロに受けた。痛みで強烈にその肉が締まり、サキの肉体を締め潰す。

 

サキは下半身を襲う痛みで頭が真っ白になり、自らの上空に浮かべられたガラス片を一瞬忘れてしまっていた。

 

ガラス片は、ひときわ大きく尖ったそれは、突然糸が切れたようにふつりと中空から墜ちた。

 

すべてが一瞬のことだった。

 

目の前にガラス片がいっぱいに広がって、そして…

そして、何も起こらなかった。

痛みも苦痛もない。

温かい。温かい液体が、びしゃびしゃとサキの頬にかかった。

 

「あ…」

 

嗅ぎ慣れた鉄サビの臭いで胃がムッとした。

おそるおそる目を開けた。

サキの目の前を覆っているのは、見慣れた土気色の顔をしたセブルスだった。

 

「サキ…」

「せ、んせい」

 

サキが無事なのを見るとセブルスは柔らかな笑みを浮かべ、重力に負けて倒れ込んだ。

自分に墜ちてきたセブルスを見てサキは背筋が凍った。セブルスが仰向けに倒れたサキの上に覆いかぶさり、全ての破片をその背中で受け止めていたのだった。

 

「あ…あぁ…そんな…」

 

 

ナギニはヴォルデモートのもとへ戻り、ガラスの刺さった胴をかばうようにしながらサキへ威嚇した。

ヴォルデモートは地面に伏したセブルスと絶句したサキを見て満足げに微笑んだ。

 

「セブルスの死に免じてお前を赦そう、サキ。感謝するのだな。その呆れるほどに忠実な男に…」

そしてヴォルデモートはナギニを労しげに撫でると残酷な笑みを浮かべて姿くらましした。

 

サキは上体を起こしてセブルスの傷を震える手で確認した。

ガラスが、無数の大きなガラス片が彼の身体を貫いている。一際大きな破片は的確に背後から彼の首を裂いていた。他の破片も、まるで一つ一つが悪意に満ちているかのように骨の隙間を縫って内臓に突き刺さっている。

ガラス片を押しのけて吹き出す血飛沫をサキは手で押さえる。それが意味があるのかわからないくらいに、血が流れ出している。

 

嘘だ

 

サキは自分が発声しているのかなんだかわからないままうわ言のように頭の中でそれを繰り返した。

 

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ…

 

先生の真っ赤に染まる頸に必死に私の手を重ねた。でも血は全然おさまらないで指の隙間からどくどくと流れ出していく。温かい。そしてだんだん冷たくなっていく。

 

先生が口を開けて何かを言おうとしていた。でも声は出ないで喉の傷からひゅうと掠れた音を出すだけだ。

サキは多分何かを言った。自分ではわからない。

ただ頭の中に自分を罵倒する言葉が満ちていき、身体が押しつぶされそうなくらいの絶望がふくらんだ。

 

先生の目から涙が一筋流れ落ちた。

先生はそれを指差し、とれと言った。

 

サキは言われるがままに自分の血をしまっていた瓶を開けて採集する。

 

セブルスはそれを見て安心したように微笑み、サキを見つめた。

 

よかった。

 

と、言われた気がした。

 

サキは喪われていく瞳の煌きを呆然と見送ることしかできなかった。

 

 

気づけば一人ぼっちで座り尽くしていた。

 

粉々のガラスが血溜まりに浮いて宝石細工みたいに錆色を彩っている。

 

 

私がー私のせい?

いや、もとよりあの人は先生を殺すつもりだった。

もっとうまいやり方があった。

絶対的に強いあの人に対して何ができた?

先生の血が乾いてきて気持ち悪い。

ガラスなんかを使った私のせい?

ナギニをすぐに殺しておけば…

気持ち悪くなんかない。

私が出ていかなければ…

出ていかなくても、殺されていた。

私が盾になれば。

先生は盾になる私を庇う。

ナギニに気を取られなければ。

取られたところで変わらない?

小屋に行かせなければ。

今後の任務のことを考えればそれは不可能だ

私が彼を止めれば

騎士団に捕まえてもらえばよかった

校長室に閉じ込めておけば

ハリーたちより先に分霊箱を私が探し出せば?

ニワトコの杖なんか先回りして壊しておけば…

ダンブルドアを私が殺していれば…

 

 

私が、私が…私がもっと賢ければ…強ければなにか変わった?

 

「先生…」

 

先生はもう、息をしていなかった。

 

 

 

 

サキはしばらくそこから動けなかった。

爆風で波立つ水面がボートにあたりちゃぽりとマヌケな音をだす。水面に反射した色とりどりの呪文の閃光が動かないセブルスと座り尽くすサキを照らした。

セブルスの血の池の中で、サキは涙を流しながら感覚のない左手を思いっきり地面に叩きつけた。

 

痛くない。痛くない。痛いのは、心だ。

絶叫。

頭の中に浮かんでくるいろんな出来事を塗りつぶすように叫んだ。

声が枯れ、頭が空っぽになってからサキは血の気の失せたセブルスの頬を撫ぜた。こんなに顔を近くで見たのは初めてかもしれない。真っ白な肌は明らかに栄養失調だし、髪の毛も相変わらずべとべと。もう、二度と動かない。

その死に顔は安らかにも見えるけど、多分そうであってほしいという願いがサキにそうみせている。

 

サキはそのままずっと座り尽くしていた。そしてヴォルデモートの最終勧告がきてから暫くしてようやく立ち上がった。

地面に打ち付けた拳はセブルスの血と自分の剥がれた皮膚でボロボロだ。それでも痛くはなかった。その手で小屋の隅に飛んでいった杖を拾った。

 

「…約束…」

 

セブルスが出来なかった最後の任務を遂行しなければならない。

サキはハリー・ポッターに死にに行けと、伝えなければいけなかった。

 

 

 

 

 

……

 

セブルス。あなたは不死鳥の騎士団に入って諜報任務中に死ぬ。

騎士団に入ろうとするあなたを止められても、やがて死喰い人が私を求めてやってくる。

死喰い人の仲間になればハリー・ポッターをめぐる争いに巻き込まれて死ぬ。

ハリー・ポッターを殺してもトムはダンブルドアにあなたを殺させる。

どこへ逃げてもあなたは死ぬ。

運命は、あなたの死へ収束していく。

トムを殺すために分霊箱を壊そうとしても、ダンブルドアが生き残れば結局同じ。貴方は彼の手駒になって死ぬか、トムの逆鱗に触れて殺される。

どんな運命を選んでも、あなたは私をおいて死んでしまう。

あなたの死を見るたびに私は繰り返す。

何年も何度でも遡ってやり直す。

パターンを調べ、分岐するであろう時間へ跳ぶ。失敗を記録し変化した過去を分析し、そうしていくうちに背後に潜む病が首を擡げる。

プリオンの異常は過去の改ざんにより記憶領域に負荷がかかることで加速する。因果関係についてはまだわからない。私達の魔法はおそらく近い未来マグルの医療で解明するだろう。魔法界の医学は対処療法的で発展性にかけている。

けれども私はこんな呪いを繋ぐ気はない。何もかもが虚しい。繰り返される歴史が、時間が教えてくれるのは、何もかもがただ無意味だということだけ。

 

過去へ行く。目が醒める。あなたが死ぬ。

それを繰り返してくうちに私自身の思い出はテロメアのように失われていく。

 

指先が言うことを効かなくなってきた頃、あなたがまたダンブルドアに頸動脈を切り裂かれ、物言わぬ躯になり禁じられた森へ打ち捨てられたと聞いたとき、私はようやくわかった。

 

彼は私といる限り必ず無残に殺される運命なのだ。と。

 

だから私はあの雪の降る中庭まで戻った。

私があなたにハンカチを渡さない未来、あなたと打ち解けない未来を選んだ。

私と共に過ごす未来が消えてもいい。私はただ、あなたに生きていてほしかった。

それだけだった。

 

でもあなたは死ぬ。

リリー・ポッターのために何度も死ぬ。

彼女をかばって死ななくても、どうでもいい生き残った男の子を守って死ぬ。

私はトムに捕まって、二度と屋敷から出られない。

 

ダンブルドアの手を借りようとしても、彼はあなたを利用して使い捨てる。リリーを忘れられないあなたは、彼に危険な任務を割り当てられ、トムに殺される。あるいはベラトリックス・レストレンジに。またある時はシリウス・ブラックに。またはアラスター・ムーディ。またある時は、バーティ・クラウチJrに。

 

何通りも試した。トムも殺して、ダンブルドアも殺して、ベラもアラスターもJrもシリウスもハリー・ポッターさえも殺した。けれどもなにをしても、あなたは死んだ。

 

トムに捕まった私は、それを屋敷の部屋で知る。

あなたは結局、私の手の及ばないところで死ぬ。

 

私はあなたを救えなかった。

全てにおいて失敗した。

あなたを救うと決めた、1998年12月22日に戻れなくなってようやくわかった。

 

私は運命から逃れられないのだ、と。

 

そう悟った瞬間、私の中で何かの糸が切れた。

そして私は紡ぐまいと決めた呪いの糸を繋ぐことを決意した。

 

 



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11.最後の戦い

サキは震える膝を支えながら長い石階段をのぼる。上へ行けば行くほど城に出た被害がわかってきた。建物は崩れ、そこら中に何かの燃えカスや破片が散乱している。中庭まで来るともっと酷い。

血の匂いといろんな人の汗と息の匂いがした。

 

大広間は怪我人と死人が混じり合い横たわっていた。むせ返るような生き物の匂いに消毒液と薬品の匂いが加わる。

サキは死人にも生者にも目もくれずハリーを探した。

 

「サキッ…無事で良かった…」

 

ドラコがサキを見つけ真っ先に駆け寄ってきた。

血塗れのサキを抱きしめ、怪我がないか聞く。

「ドラコ…」

様子の違うサキにドラコは焦った。

ドラコも怪我をしていた。前髪の一部が焦げて顔の半分に小さい切り傷がたくさんある。服にもたくさんほつれができていて、肘から擦過傷が見えた。

「先生が死んだ」

「スネイプが…?」

「ハリーに会わなきゃ。伝えないと」

「…わかった」

ドラコは頷くと手に持っていた医療品をそばにいたハッフルパフの三年生にわたし、サキの肩を抱きながら歩いていく。

広間にいる人々の顔は暗かった。机と椅子の間に横たわる死者の周りでは人が泣いていて、そこにはたくさんの未成年の生徒たちがいる。

包帯を巻いた生者たちはみんな赤く染まっていくそれを見て沈んだ面持ちでさすり、死人と自分が今どれだけ差があるかを考えているようだった。

 

大広間を抜けて階段を登った先にハリーたちがいた。

 

「サキ…?」

 

「ハリー」

 

ハリーも傷だらけだった。あのあと死喰い人たちと戦ったんだろう。

ロンとハーマイオニーもお互いの体を支え合って寄り添っていた。学校全体に敗北の色が漂っている中、サキを見つめる二人の眼差しもどこか諦念のようなものを含んでいた。

 

「一緒に来てほしい」

「…わかった」

「ハリー!」

 

ロンがハリーを止めようとした。しかしドラコが制するようにロンの前に立つ。

「サキを、信じてやってくれ」

「…」

ロンはドラコの真摯な態度に面食らった。

「信じてないわけじゃない。ただ…」

「ロン、僕は大丈夫」

ロンとハリーは数秒見つめ合った。ロンはハリーの穏やかな表情と、何かを決断したような静かな瞳を見て頷いた。

「わかった。サキ、ハリーを頼んだよ」

「…まかせて」

サキは悲しそうに笑った。

 

「グレンジャー、ハナハッカを貸してくれ。アーニーの血が止まらないらしい」

「ええ…」

ハーマイオニーはサキが何を告げるか薄々わかっているようだった。ハーマイオニーの賢さにはいつも助けられている。

サキはハーマイオニーに微笑みかけてからハリーと一緒に大広間を避けて外に出た。

 

夜闇は炎でほのかにオレンジ色に染まり、破壊された校舎が大きな影をゆらゆらと踊らせた。

星星は周りが明るいせいかよく見えない。禁じられた森は深淵のように暗く、深い。11歳のころ初めてこの森に入ったときのことがふと思い出された。森はあの時と変わらないけど二人はすっかり変わったし、変わり続ける。

「スネイプ先生は死んだ」

「スネイプが?なんで…」

「あの人に殺された。ハリー、私は先生に仕事を頼まれた」

サキは泣きそうな顔をしていた。肺を握り潰されたように苦しそうにサキは続ける。

 

「ハリー…薄々わかってるかもしれないけど…分霊箱はナギニの他に、もう一つある」

ハリーはドキッとした。しかし心の奥底は冬の沼の底のように静かだった。

「ああ。旅が進むたびに感じてた。…僕はあいつと、近すぎる。あいつの魂が壊された痛みやあいつの怒りを敏感に感じるのは」

ハリーは大きく息を吸って、吐いた。

 

「僕に…あいつの魂の欠片があるからなんだね?」

 

「その通り。だから君は殺されなくちゃならない」

「僕、痛いのは嫌だな」

「違うよ、ハリー。私じゃだめ。先生は、必ずあいつに殺させろって命令した」

二人は音すら届かない森の奥へ来た。いつもはいろんな音で満ちている森だけど、今は獣の声もしない。

死んでるような森の中で二人は向き合っていた。

 

「ハリー…先生は、ずっと私達の味方だったんだよ」

 

「………わかってたよ」

 

ハリーは苦々しくつぶやいた。スネイプとは繰り返し繰り返し憎み合ってきた仲だった。

現にスネイプはハリーに対して優しさのかけらも見せたことはない。ダンブルドアを無慈悲に殺し、監獄のようなホグワーツに君臨していた。

しかし去年の時計塔で垣間見たサキに対する表情は、ハリーが尊敬する人すべてが皆共通して持っている愛というものを持った顔だった。

かつて恋したサキ・シンガーという人間が今ここに無事で立っているのは彼のおかげだ。ドラコがホグワーツでロンたちとともに戦っているのも、騎士団全員が生き延びてここに集まれたのも、すべてはスネイプが彼女を手助けしたおかげだ。

 

ハリーを導いているのは運命と、勇気ある人々の揺るぎない意志だ。

 

「私は、先生を守れなかった。そればっかりか、君に死ねって言ってるんだ」

「いいんだ」

「なのに私は生きてる」

サキは今度こそ本当に泣いた。

ハリーはサキの手を握ってスニッチを持たせた。

そしてそのスニッチに口づけをすると、それが開いて中から黒い小さな石が出てくる。

 

「サキ…僕は君のお陰でいろんなことを知れたよ。恋とか友情もだけど、傷つくことや疑うことも」

ハリーはそれをサキに握らせた。サキの小さな手はハリーの手にすっぽりおさまる。

すると周りに影のように微かな気配を感じた。

形は見えないけど、たしかにそこに何かがいる。あの神秘部のアーチで感じた気配だけど、遥かに濃厚だ。

「僕は君に会えてよかった。君のおかげで今の僕がある。あの日、僕に話しかけてくれてありがとう」

「ハリー…」

「君も、同じように思ってくれていたら嬉しい」

死の秘宝、蘇りの石はサキの血まみれの手の中でどんなふうに輝いてるんだろう。

 

「ハリー。あのね…駅で声かけたとき、本当はすごく怖かったんだ。だって君、フクロウなんか連れてるんだもん。やばいやつかもって」

「あー、それはお互い様だよ。僕も君のこと変なやつだと思ってたし」

ハリーは少しだけ笑った。サキは涙を拭いながら聞いた。

「怖い?」

「わからない…けど、僕はみんなに助けられてここに来たんだ。やり遂げなきゃいけない」

「ハリー…」

「もう行こう。君はみんなを助けてあげて。あとのことは頼んだ」

「ハリー、私も君に会えてよかった。必ずまた会おう。そこが天国でも地獄でも」

ハリーとサキはがっしりと抱き合うと、それぞれ背を向けて戦いの場所へ向かった。

 

死人は帰らない。

けど、死んだらそこに何もなくなるわけじゃない。確かにそばにいる。姿形が見えなくても。

ハリーは肩にそっと手を置かれた気がして振り返った。

誰もいなかったけど自分は一人ではない。そんな気がした。

 

森の奥深く、濃い闇の中であいつは待っていた。

 

 

 

サキは一人で泣きながら校舎へ帰った。まるで迷子の子どものように、親のない子どものように泣いた。

冷たい木々の間に泣き声は吸い込まれていき、涙は下草に落ちて夜露となった。

暗闇はどこまでも続いていて、脚で踏む凸凹した地面と、握った黒い石の凹凸だけがはっきりしていた。

堰を切ったように流れていた涙は校舎につく頃にはすっかり出尽くしていて、目の周りを真っ赤にしたサキを飛び出してきたドラコが真っ先に抱きしめた。

 

「ハリーは…」

「あの人のところへ行った」

 

なんで止めなかったんだとは、誰も言わなかった。

不死鳥の騎士団の犠牲者は奇跡的にいなかったが、ホグワーツの生徒や正義感から駆けつけた市民は多く犠牲になった。朝焼けが空を彩る頃、ようやくすべての死者を並べ終わった。

サキはルーピンに簡潔にいままで何をしてきたかを話した。

 

「君の勇気ある行動は、様々な人を救った。ハリーのことも…セブルスのことも、君はできることを精一杯やった」

 

慰めと励ましの言葉はまるで意味を持たなかった。あるのは虚ろな喪失感だけだった。

けれどもそれに浸ってる暇もなく、騎士団を始めとした成人した魔法使いたちによる会議が行われた。

 

「ハリー・ポッターが死んだとしても、我々は戦わなければならない」

 

キングズリーは厳かに宣言した。

ルーピンが考案した即興の奇襲作戦は至ってシンプルだ。

 

誰かが気を引き、ナギニを殺し、ヴォルデモートを殺す。

 

作戦と言うにはあまりにもお粗末だが、魔法使いは軍隊なんかじゃない。

己の力を最大限に使い、目的を果たす。それが魔法使いの戦い方だ。

 

「僕が囮をやる」

と、作戦会議の最中にネビルが真っ先に手を上げた。

「お前が?囮に?」

ドラコはついうっかり口を挟んだが、不死鳥の騎士団のメンバーに囲まれてることに気づいて咳払いした。

「うん。僕、呪文当てるのは下手だから」

「そんな事はない。さっきの戦いでの君は素晴らしかった」

「今は褒めあっている場合ではありません。ロングボトム、これはあまりに危険な役割です」

ネビルを褒めそやすアーサーを窘めるようにマクゴナガルが言った。

「僕はベラトリックス・レストレンジとは因縁がある。それにあいつらには一言言ってやりたい」

「よしきた。名誉一番乗りだな」

ダラダラした会議が苦手なフレッドが早めに議論を打ち切った。

「俺達は…そうだな。あいつらの退路を断つよ」

「ああ、いいね。背後からの騙し討ちは実に愉快だ」

ジョージがフレッドとハイタッチしながらいう。

「山ほど爆弾がいるね。スプラウト先生、肥料はある?」

「まだまだ山ほどあるよ!」

スプラウト先生まで愉快そうだった。ジョージとフレッドは手すきの魔法使いたちを連れてすぐに爆弾づくりに向かっていく。

「相変わらずフットワーク軽いなあ」

ロンが悩ましげにつぶやく。

「さて、じゃあヴォルデモート班とナギニ班にわかれようか」

「ヴォルデモート、は…我々大人の領分だ」

キングズリーは有無を言わさぬ口調で言った。

「トンクス、君はナギニだ」

「嫌よ。私はあなたと一緒がいい」

ルーピンとトンクスは揉めていたが、結局はトンクスの主張が通った。既に夫婦間の力関係は決まりつつあるらしい。

 

「…さて、分霊箱であるナギニですが」

サキはキングズリーから司会を引き継ぎ、ナギニ班の面々の前で咳払いして話し始める。

「生物なので殺せば死にます。壊れます。しかしながらあれは魔法で作られた生物なので…ただの蛇を殺すようには行きません。その上ヴォルデモートの魔法に守られています」

ロン、ハーマイオニー、ジニー、DAのメンバーとドラコやハッフルパフの7年生がじっと注目しているのでサキはなんだか気恥ずかしくなってくる。

「そこで、まずナギニを守る呪文を私が破りますが、当然ヴォルデモートもそれを警戒するでしょう」

「わかった、ナギニをヴォルデモートから引き離すのね」

ハーマイオニーが授業で手を上げるときみたいに素早く補足をしてくれた。

「そう、その通り。あいつは多分、私を見たらもうカンカンだろうから蛇から注意が逸れるはず」

「そうなりゃ蛇一匹ちょちょいのちょいだ」

ロンが軽口を叩くがハーマイオニー、ドラコ他いろんな人から睨まれた。

「…えーっと、バジリスクの牙は残り4本しかない。ロン、ハーマイオニー。私とドラコで持とうと思うんだけど…」

文句が出るかと思ったがなかった。

ドラコはサキが思っていたよりはるかにみんなに受け入れられていて、なんだか変な気分だった。だってあのドラコ・マルフォイがDAに混じって神妙な面持ちで牙を持っているんだから。

 

「一年生の頃を思い出すわ」

ハーマイオニーがぼそっと呟いた。

「サキはいなかったけど、僕らそりゃもう仲良く君を助けに行ったさ」

ロンが皮肉混じりでいうと、ドラコが挑戦的に笑った。

「今回はチェスじゃないぞ」

「わかってるさ」

「えーっと…まあどうせ作戦なんて立てたってうまくいきっこないさ。みんな、とにかく安全第一でいこう!」

サキの運動会の前みたいな気の抜けた挨拶でナギニ班は解散した。

 

 

 

 

罪をすべて自白した罪人のような気持ちでサキは中庭で空を見ていた。

空が暁に染まっていく。星星の輝きが太陽で眩んでいき、朝日が地平線から顔を覗かせた。

ドラコはずっと寄り添ってくれていて、サキの痛みを幾らか和らげてくれていた。

ドラコだって本当は不安でいっぱいのはずだ。ルシウスたちは敵陣で、今もキリキリあの人に痛めつけられてるかもしれない。ひょっとしたら殺されているかもしれないのに、ドラコはホグワーツで戦うことを選んでくれた。

 

自分はなんて尊いものを手に入れたのだろう。

けれども、喪ったものも多すぎた。

広間に横たわるセブルスの遺体を見るのが辛くてしょうがなくて、サキは寒くてもずっと外にいる。彼の遺体はマクゴナガル、フリットウィックが担架に乗せてみんなと同じところに並べてくれた。しかしその心遣いが逆に辛かった。

 

母が命をかけてまで救おうとしたセブルスは、サキの浅はかな策略により死んだ。

いや、もしかしたらサキがいてもいなくても運命は変わらなかったのかもしれない。

それでも、あまりにも救いがなさすぎる。

 

ハリーは殺されただろうか?

サキには魂の繋がりなんてないからわからなかった。

ただ、聞こえてきたざわめきと悲鳴がハリーが死んだという事実を物語っていた。

 

悲鳴を聞いたサキとドラコが門へ駆けつけると、死喰い人が葬列みたいに玄関前にならんでいた。そして中央には縄で繋がれたハグリッドが大きなものを抱えて泣いていた。

ジニーが悲鳴を上げて泣き崩れ、死喰い人たちは残酷に笑った。

 

「ハリー・ポッターは」

 

ヴォルデモートが高らかに宣言した。

 

「死んだ」

 

ホグワーツの人々の間に動揺が走った。ハグリッドの抱いているのがハリー・ポッターの遺骸だとわかると群衆のあちこちから息を呑む音が聞こえ、死喰い人達からは下卑た笑いがあがる。

 

全員の間に失望と、諦めが広がった。

しかしまだ絶望に至るにははやすぎる。

 

サキはドラコを見つめた。ドラコもサキを見つめていた。

 

「愛しているよ」

「君、こんな時に…」

ドラコが言い終わる前にサキはキスをした。

 

二人はわかれて、それぞれバジリスクの牙を握った。

ロンとハーマイオニーにもすでに配っている。

おそらくヴォルデモートの演説が続くさなかにルーピンやキングズリーといった騎士団のメンバーは戦闘配置につくだろう。

 

 

そしてついにその作戦とも言えない作戦が開始される。

 

ネビルが案の定何かしらのパフォーマンスを始めたヴォルデモートに対して立ち向かっていく。奴は全員に投降を呼びかけたようだが、今出ていくものは誰もいないだろう。

 

サキは目を瞑り、今かけられている魔法の種類を慎重に感じ取ろうとした。

目を瞑ると音が鮮明に聞こえてくる。血が血管を流れる音や心臓の鼓動。風の音。人々の逸る呼吸や息を呑む音。

 

朝のさめざめとした空気が肺を満たした。

息を吸う。吐く。

私は生きている。

 

「僕達が戦うのは、ハリーのためじゃない」

 

ネビルの声が人々の静寂を裂いて聞こえてきた。

 

「もっと大きなもののためだ」

 

次の瞬間、異様などよめきの後に歓声がきこえた。

サキは目をあけて、ヴォルデモートとネビルの方を見た。

二人の間にはハグリッドに抱かれていたはずのハリーが転がっていて、そして起き上がった。

 

「ハリーが生きてた!」

 

誰かが叫んだ。それが開戦の合図だった。

 

ヴォルデモートは雄叫びをあげたが、すぐに背後の橋の爆発音でかき消される。ベラトリックスも怒り狂って何かを喚いていた。

ハリーは周辺を爆破しながら文字通り死喰い人たちを煙に巻き、校舎の中へ走っていく。援護射撃がホグワーツからビュンビュン飛び、何名かの死喰い人が吹き飛んだ。

ヴォルデモートも当然それを追う。ナギニも校舎の中についていく。

校舎の方はハーマイオニー達のほうが近い。合流しなければ。

サキは渡り廊下をかけて行く。人々が杖を振り、目の前をビュンビュン呪文が飛び交っていった。

フェンシングのように突き出してくる杖を踊るように交わし、サキも校舎の中に駆け込んだ。

 

「マクリール、そいつを殺せ!」

 

グレイバックが通りすがりのサキに叫んだ。

 

「お断りだね!」

 

サキは返事代わりに呪文を浴びせてやった。

グレイバックはふっとんで、まだ無事だった肖像画を突き破る。

「シンガー!蛇は北塔へ向かった!」

グレイバックに殺されかけてたビルが叫んだのでサキは頷き北塔へ走った。

サキは自分の掌にナイフを突き立てた。やっぱり痛くない。いや、多分高揚感から痛覚が麻痺してるんだろう。

どうだっていい。

 

『ナギニ!』

 

ヴォルデモートから離れたナギニは螺旋階段を登っていた。飼い主同様頭に血が上って自分がいま罠にはめられたことに気付いていないんだ。

彼女を目にしてサキは叫んだ。

蛇語だったかもしれないし、そうでもなかったかもしれない。これもどうだっていい。

ナギニはサキの声に振り向き牙をむき出しにした。

『よく顔を出せたな、裏切り者』

『仲間だった覚えはないよ』

サキは杖をナギニに向けた。

ナギニは全身を使ってサキの方へ飛びかかってくる。今度は喉元を狙って。

しかし一度跳んでしまえばそうやすやすと着地点は変えられない。だからサキは杖を顔の目の前に突き出した。

ナギニは自分の狙いの直線状に杖先があるせいでほんの少し狙いをそらす。無茶な方向転換は体勢にほんの少しの乱れを生んだ。ナギニが首を下に振った。腹を狙うのかもしれない。だがその方向にはサキの血に染まったナイフが待っていた。

ナイフは狙い通り、ナギニを守る魔法をきれいに切り裂き消滅させた。ナギニは動揺し、噛み付くこともできずにサキの胴体に突っ込んだ。蛇の突進をもろに食らったサキは階段を転げ落ちる。

 

ナギニが自分の守りが消えたことと、サキにとどめを刺すことと2つの選択肢に考え悩んだ。その間に階段で待ち伏せしていたロンが牙を振りかぶりその胴目掛けて突き立てた。

しかしナギニは間一髪それをかわす。

「ロン…!」

ナギニに今にも噛み砕かれそうなロンにハーマイオニーが駆け寄る。

「ダメだ、グレンジャーそいつを見ろっ!」

ドラコが叫んだ。蛇は狙いをハーマイオニーに変えている。

「セクタムセンプラ!」

ロンの呪文がナギニの厚い皮を引き裂くが致命傷ではない。

 

「かがめ!」

 

サキがナイフをダメ元で投げようとしたとき、鋭い声がそれを制した。

サキは声のした方向を見上げた。ネビルがグリフィンドールの剣を振りかぶり、ロンを飛び越えナギニの首元に振り下ろした。

 

金属が床に当たる心地のいい音がして、ナギニの首が牡丹のように地に落ちた。

 

ナギニは血の代わりに断末魔と灰のような黒いものをだして煙が溶けるように消えた。

 

「ネビル…」

 

途端、頭がガンガンくるような声が聞こえた気がした。

違う。ヴォルデモートの声だ。

 

叫び声。いや、泣き声に近い。

もう彼に残りの魂はない。

 

「ハリーはどこ?!」

 

ハーマイオニーの言葉にロンが慌てて忍びの地図を広げながら言った。

「天文塔…いや、北塔?すごい速さで移動している!」

「とにかくみんなに加勢しよう」

ネビルがそう言うと、全員が頷いて慌てて階段を降りていった。

「立てるか?」

ドラコがサキの手を引っ張って起こした。

「どうもね。さあ急ごう」

 

サキとドラコもロンたちに続いて走った。

どこもかしこも大乱闘だ。城は粉々、そこかしこに血痕がある。

血煙や土埃は人間を最高にハイにさせる。

ハイになった頭は時間を飛び越えてサキにいろんな考えを巡らせた。

 

ヴォルデモートの欲したニワトコの杖の所有権。

杖の所有権は剥奪された時点で奪われる。

旧来は杖を失うとはほとんど死を表していたが現代では魔法使いはそう簡単に死を選ばない。杖の所有権は武装解除の時点でうつるのだ。

 

ダンブルドアを武装解除したのはドラコだ。そして…ドラコを武装解除したのはサキだった。

その後サキはハリーに杖を信託している。

 

先ほどのボート小屋で、サキは結局ナギニにより無力化されていたが敗北し杖を手放したわけではない。

サキたちマクリールと杖の関係はやや複雑で、所有に関してはオリバンダーですらわからないことがある。サキたちは魔法族用の杖は使えない。ひょっとしたら所有権自体を持てない可能性がある。

 

どちらにせよ、サキもハリーもヴォルデモートにより杖を奪われたことがないのだ。現在のところニワトコの杖の所有権は少なくともヴォルデモートにはない。

 

「上だ!」

ドラコがサキの頭をかばい前へ飛び出した。

転んで見上げるとさっきまでいたところに天井が落ちていて、さらにその先にハリーとヴォルデモートがいた。

 

「ハリー!」

サキは叫んだ。

 

「あとはそいつだけだ!」

 

ハリーの失神術がヴォルデモートの死の呪文と反発しあった。

「いくぞ!」

キングズリーが顔面から血を流しながら叫んだ。雄叫びとともに全員がヴォルデモートの足元に向けて呪文を放った。

「コンフリンゴ!」

不死鳥の騎士団が唱和すると石の床が粉々に砕け、ヴォルデモートは体勢を崩しかける。そして砕け散った石がヴォルデモートを背後から飲み込もうとする。ヴォルデモートの呪文が少しおされた。

 

「我が君に触れるな!」

ベラトリックスががむしゃらに杖を振り死の呪文を乱射した。しかしモリーが即座に応戦する。他の生き残りの死喰い人が介入する前に、サキは自分の麻痺した左手にもう一度深く、縦にナイフを突き立てた。

血が溢れ、母の作った銀のナイフは錆色に染まる。サキはそれを真っ直ぐヴォルデモート目掛けて投げた。

あらゆる魔法に干渉されない銀のナイフを。

 

「ハリーに触るな!」

 

サキのナイフに気を取られてか、はたまた飛び散った血がかかったせいか。ヴォルデモートの目の前をそのナイフ通り過ぎたとき、杖同士の繋がりがプツンと切れた。

緑の閃光が制御を失った刹那、サキはヴォルデモートと目があった気がした。

 

 

 

「君は僕と似ているね」

 

 

延々と雨垂れを眺めた窓。灰色のロンドンの空。

トム・リドルの日記で話したいろんな思い出が不意に記憶の彼方から戻ってきた。頭の中で忘れ去られた、消し去られたはずの記憶が溢れてきた。

走馬灯みたいだ。でも私のじゃない。

小さい頃のトムは私に似ていた。何かが足りなくて、どうしようもなくてイライラしてた。

親のない子どもは愛を知らない。愛を与えられなかったから、愛することができない。

 

「そうかもね。でも私は君じゃない」

 

今のサキならトムにそう言える。

けど、もう何もかも手遅れだ。

 

 

 

サキを見つめていた真っ赤な切れ長の瞳孔がカッと開いた。

跳ね返った死の呪文が、ヴォルデモートの胸を突き抜けた。

 

ヴォルデモートは糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちた。

 

 

視線があった刹那にみたあの薄暗い思い出はどこまでも冷たく、鈍色だった。

 

ヴォルデモートは跳ね返った死の呪文にあたるというありふれた死を迎えた。

そして、狂喜が城を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

………

 

「お前はなぜいつも何も感じていないように座り尽くしている?」

 

彼女は眩しそうに目を細めて向かいに座るヴォルデモートを見た。長いまつ毛が強い日差しで影を作っている。ゆりの花びらみたいな肌色が陽光で仄かに色づき、細めた目は微笑んでるかのように見える。

「これでも色々考えてるわ。生まれてくる子どもの髪の色とか、瞳の色とか」

「ふ…」

リヴェンが人間らしいことを言うとヴォルデモートはかならず笑った。彼女は笑わせるつもりでやってるのか素なのかよくわからないが、笑ってるヴォルデモートを見るとほんの少しだけ嬉しそうにも見える。

「まだわからないだろう」

「そうね。でも母も、祖母も、みんな子どもにはそうやって期待していたから私もそうしている」

「お前は記憶の中で母になり、娘になり、妻になるのか」

「ええ。私はもう何にもなれないけど、記憶の中では何かになれる」

また諦念。

リヴェンはもう死に取り憑かれているように悲観的でそれを隠しもしないし治そうともしない。現に彼女には死相がでている。最近始まった手の震えがどんどん酷くなっていて、二人がたまにしていたティータイムは彼女がカップを持てなくなったのでなくなっていた。

「お前は他人の人生によく感情移入ができるな」

「せざるを得ないのよ。記憶は感情を伴うから」

「ほう?それならば俺様との会話はどういう感情を伴うと思う?」

「そうね…」

リヴェンは今日初めてヴォルデモートをじっくりと見た。

 

「愛と憎しみ」

 

ヴォルデモートは声を上げて笑った。

「傑作だな!リヴェン、お前が愛憎とは…そんな激しい感情を持っていたのか?」

「私はいつもそれに苛まれている。…あなたが憎いわ。本当に憎い。でももう、慣れてしまった。あなたが憎いことすら私は愛おしい。それが私の存在の証明だから」

「その能面が愛おしいと思ってる女の顔か?」

「私の気持ちなんてわからないでしょう。あなたじゃ、一生わからない。絶対にわからないわ」

ヴォルデモートはぴくりと眉を顰め、無表情のリヴェンを見つめた。

その瞳は暗く、静かに燃えている。なぜだかその瞳に強烈な既視感を覚えた。直感的に彼女が繰り返しているのだと思った。

「お前は…繰り返しているのか?」

「ええ。でももうやめたわ。諦めたの」

「何のために」

「愛よ」

 

ヴォルデモートは吐き気がした。ダンブルドアや善人を気取った豚どもが決まって吐くセリフ、愛。弱者お得意の解決法がまさかこの女の口から出てくるなんて。

 

「愛は美しいものではないわ。私の愛は、もう澱んで腐っている。だからあなたを選んだのよ」

「腐ってるのはお前の頭だ」

「そうよ。私の脳はもう腐っている」

またリヴェンの会話のドッジボールが始まってしまう。もう慣れっこだがヴォルデモートは苛立ちを隠せなかった。

リヴェンは唐突にヴォルデモートの手を握った。

凍土のような雰囲気によらず煮えるような熱い手をしていた。けれども自分を見つめる瞳はとこしえの夜の色。

 

「あなたは、必死に穴を覆い隠そうとしている。でも無駄よ。その穴はいくら上に何かを被せたってずっとそこにあるんだから。あなたの穴は一生埋まらないわ。私に空いてる穴のように」

「言葉遊びがしたいなら、セブルスとでもやっていろ」

ヴォルデモートは吐き捨てるように言った。彼女の手を振り払い、椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がり、扉へ向かう。

「そうね」

リヴェンは引き止めもしない。

いつもそうだ。

彼女は自分がここに来るから、自分が欲するからそれに応えるだけ。彼女から何かを求めたのは、与えたのは一度しかない。

 

「一つ答えろ。お前の言う愛は、一体誰から教えられた?」

「生得的に備わってるのよ。痛みや快楽と同じように」

 

リヴェンは唇のはしを歪めた。その笑みは言葉を尽くしてもふさわしい比喩が見つからない。

ただただ背筋が凍った。

 

 



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12.失われた君を求めて

「なにしてる?」

 

サキがヴォルデモートの首筋にそっと手を当てているのを見てドラコはぎょっとした。あまりにも絵になっていたからだ。

ヴォルデモートの遺体は他の犠牲者とは離れた講堂に安置され、サキ以外誰も近づいていない。

悪魔の遺体の置かれたテーブルのそばに寄り添い顔をそっと撫でる黒髪の乙女なんて絵画そのものじゃないか。

「いや、ちゃんと死んでるのかなって思って」

しかしそんな一瞬の美はサキのとぼけた声で消え失せた。

「大丈夫。ちゃんと死んでるよ」

「みたいだね」

サキはヴォルデモートの首から手を離して二度と開かない瞳を見つめていた。愛や絆はなかったがそれでも親子だ。何か思うところがあるのだろう。

「そろそろこっちへ来たら?みんな君と握手したがってる」

「えー。手、怪我してるんだけど」

「それも治療しなきゃ。ほら…」

渋るサキをひっぱって講堂を離れた。

ドラコとしてはできればあんな所にいて欲しくなかった。死を悼むより、今はただ生き延びた喜びを味わってほしい。サキにはそれが必要だと思った。

 

大広間は寮の垣根が取り払われ、いろんな人が好きなところでお互いの勇姿を讃え、友の死を悼んでいた。

死喰い人の大半はヴォルデモートの敗北を悟るとすぐに姿くらましして逃亡した。しかしベラトリックスをはじめとする狂信者たちは燃え尽きる篝火の如く捨て身で猛攻し甚大な被害をもたらした。特にベラトリックスとキングズリーの一騎討ちは語りぐさになるほどに激しかった。

パーシーは大怪我をして顔中包帯まみれだし、ジョージは危うく両耳なしになるところだった。

ルーピンはサキにやられてカンカンのグレイバックと死闘を繰り広げ二度噛みされ眼球を一個無くした。トンクスが大慌てで病院へ連れて行ったせいで今はいない。

果敢に戦った生徒たちも何人か重傷重体だ。

 

サキを見て何人かの魔法使いが集まって肩を叩いたり手を握ったりキスしようとしたりした。(ドラコがとめた)しかしサキはその歓迎を受け付けられなかった。

人々の歓喜の渦のなか、サキはぽつんと取り残されたような気分だった。ぽっかりと穴が空いたみたいに喜ぼうとした瞬間に心がそこへ落ちていく。

 

「君は影の英雄だよ」

 

とキングズリーがサキに言った。サキはそこで限界をむかえた。

 

「違います。ここにいるべきなのは私じゃない。先生だ。セブルス・スネイプだ」

 

セブルス・スネイプこそが英雄だった。

彼は戦う理由を語ることなく、沈黙したまま任務を完遂した。

サキを守り、ハリー・ポッターの手助けをし、死喰い人から学校を守っていた。

 

賞賛されるべきは彼だ。

彼こそがここに立っているべきだった。

 

サキはぽろぽろと大粒の涙をこぼして恥も外聞もなくまた泣いてしまった。

喜びを伝える相手が、守りたい相手が一人いなくなった。その涙をいつも拭っていた手はもう冷たい。

 

そして、リヴェン・マクリールの試みはまたも失敗に終わったのだ。

 

 

 

 

 

ヴォルデモート卿の犯罪行為に対する諸裁判はかなりの長期に渡った。死喰い人たちはもちろん協力者も全員法廷に呼び出され尋問を受けた。傍聴席には長蛇の列ができ、メディアは日々魔法省前に詰めかけたが、利敵行為を働いた攻撃的メディアが摘発されるといたずらに騒ぎ立てるものも少なくなった。

それでもドローレス・アンブリッジやルシウス・マルフォイといった著名人の公判には数百人がたった数席の傍聴席を求め抽選に参加した。

人さらいを始めとした小物たちも過去の余罪を含めてたっぷりと刑罰を食らった。

故バーティ・クラウチ・シニアのときのスピード優先裁判は禍根を残すという考えから、裁判は一つ一つじっくりと行われた。パーシー・ウィーズリーが隠匿したサキ・シンガーのスクラップは彼らの犯罪を網羅しており、裁判のスピードを上げ、量刑の決定に大きな影響を与えた。

 

ベラトリックス・レストレンジやフェンリール・グレイバックといったもとよりアズカバンに囚われていた凶悪犯の殆どがホグワーツの戦いで死亡した。数えるほどの生き残り、アレクト・カローやピーター・ペティグリューは依然逃亡中だ。

 

裁判はやがてセブルス・スネイプやサキ・シンガーといった内通者を対象にした。

最も彼らの名誉はすでに回復されており、ほとんど形式上のものに過ぎなかった。

セブルス・スネイプの公判では彼の肖像画を特別に学校に飾ることが決まり、サキ・シンガーの公判では彼女の証言をもとに更なる戦争犯罪人の検挙が始まった。

 

 

裁判がようやく一段落ついたのはもう紅葉も終わり雪がちらつく冬になってからだった。

 

サキは枯葉だらけの庭で放ったらかしになったせいで根枯れしてしまった植物たちを眺めていた。

サキはほとんどすべての裁判で証言台に立たされた。連日の裁判は身体に堪えたが、それでもまだ忙しさで頭をいっぱいにできたのでよかった。

暇になると急にまた心にぽっかり穴が空いた気がした。

 

母の残したたった一つの記憶…あの黄昏の記憶が忘れられなった。

母は目的を果たせなかった。

セブルス・スネイプを助けるために寿命を縮めた母の心境を思うと、彼を失った痛みも相まってなんだかいても立ってもいられなくなるのだ。胸の奥から亡者が這い上がってくるように悲しみが込み上げてくる。

でもその亡者はどこにもいけない。サキの心臓より深い場所で蠢くだけだ。

 

母は、セブルスを愛していたのだろうか?

 

サキはリヴェンを他人の記憶の中でしか知らない。本当の気持ちを知るにはあまりにも断片的なリヴェン・マクリールという人間は、彼女を知るものすべての死によりまるではじめから鏡に写った影だったみたいに消えてしまった。

 

闘いの高揚のあとに残るのは虚ろな喪失感だけだった。

そんな空虚に苛まれてる中、サキはようやくセブルス・スネイプが残した記憶を見る機会を得た。

 

 

灰色の空は頭のすぐ真上まで迫ってきているようで気分を暗くさせた。

サキはドラコと並んですっかり賑わいを取り戻したホグズミードの門をくぐった。

クリスマスに湧いている村はピカピカ電飾で彩られ、ウィーズリーいたずら専門店の新規出店祝で入る人全員にキャンディーが配られた。

「久々だな」

「ほんとにね」

初めてデートしたのもホグズミードだった。(大半のホグワーツ生カップルはそうだけど)思えば確かに全然恋人らしい事をしていなかった。13歳なんて多感な時期に申し訳ないことをしてしまったなあとサキは今更後悔した。

 

ホグズミード駅からは列車ですぐだ。

 

今日はマクゴナガル…正確にはダンブルドアの肖像画に招かれてわざわざ子どもたちでいっぱいのホグズミードまでやってきた。

ホグワーツでの戦い以降ずっと上の空のサキをドラコは気遣ってくれているが、サキは元気の出し方を思い出せないままだった。大幅に改修工事がなされたホグワーツの門をくぐってもやっぱり思い出せないでいた。

 

「よくいらっしゃいましたね」

 

マクゴナガルは校長としてホグワーツをしっかり再建し、去年戦いで修学できなかった生徒たちへもしっかりケアをしていた。そういうわけでマクゴナガルの横には7年生をやっているハーマイオニーがいた。

「久しぶり。痩せた?」

「ちょっとね」

「ハリーたちももうすぐつくはずだわ」

ハリーという名前を聞いてドラコは顔を顰めた。

「内緒にしてたんだよ。ついてきてくれないと思って」

「言われても付いていくけど…こういうサプライズは今後はよせよ」

「これがほんとのハリー・クリスマス。なんちゃって!」

「君はつくづくユーモアのセンスがないな」

二人の夫婦漫才にマクゴナガルがくすっと笑っていると後ろから慌ただしい足音が聞こえた。

 

「僕、生徒たちに捕まっちゃって」

ハリーがメガネの位置を直しながら走って登場した。ハリーとは秋口に法廷であったばかりなので特に変わったところもなかった。

「英雄気取りも程々にしろよ」

「気取ったつもりはない!」

ドラコは相変わらず喧嘩腰だが、もうサキが仲裁する必要はない。

「校長室はこの通り開けてあります。いいですか?くれぐれも破損、汚損、窃盗などは…」

「いやだな、そんなことしませんって」

マクゴナガルはサキが校長室を破壊したことを未だ根に持っている。疑わしい視線を投げかけ中に入るように促した。

ハリーとサキが上がっていくのをハーマイオニー、ドラコが見送った。

 

「うちにペンシーブがないもんでね…」

「一家に一台はちょっと無理だもんね。…まあ僕も君に用があったし、いろいろ終わって本当にいいタイミングだった」

「渡したいものだっけ?」

「そう」

 

階段を登りきると、懐かしの校長室だ。

マクゴナガルの私物が増えているがダンブルドアの収集品もたくさん残っていて、変わった感じがしなかった。

 

「ようきたのう。かけたまえ」

 

肖像画のダンブルドアは生前と変わらない調子で二人に微笑みかけた。

 

「さて…まずサキ。約束通り指輪を受け取っておくれ」

机にはマクゴナガルが用意して置いた指輪のケースがあった。サキはそれを手にし、ハリーから手渡された石を改めて嵌め込んだ。やっぱり石があったほうがしっくりくる。

 

「その石は死の秘宝の一つ、蘇りの石じゃ」

「…私には、何も見えなかった」

「君には見えんじゃろうと思っていた」

「きっとそれでいいんでしょう」

サキの言葉にダンブルドアは微笑み返した。

サキはもう、肖像画へ語ることはなかった。言いたいことはすべて湖の小島に佇む墓前で報告した。

 

次はハリーの番だ。ハリーはお墓に聞くよりは肖像画と話したほうがいい。事実について伝えるだけならば、心は必要ない。

「ハリー、まず謝らせておくれ。わしは重要な事柄を君に話さんままでいた」

「そんな…必要なことだと理解しています」

「君の勇敢さにかけてよかった」

「僕一人じゃきっとできませんでした。先生、肖像画の先生に言ってもしょうがないのかもしれませんが、僕は夢であなたに会いました」

「ほう?どういう夢じゃね。聞かせておくれ」

ハリーは死の呪文を受けたときに見たという白い光に包まれたキングスクロス駅の話をした。

その清浄な世界で、ハリーはヴォルデモートの魂が滅ぶのを見た。

「夢でもあなたに会えてよかった」

「わしもじゃよ、ハリー」

ハリーはそれ以上何も言えなかった。ハリーもきっと大切なことはきちんと伝え終わったんだろう。

サキは二人のしんみりした空気に対抗するように咳払いし、ひらひら手を振りながら言った。このままじゃキャンバスにカビが生えてしまう。

「あの、それで私に渡したいものって?」

「ああ!そうだった。…ええっと…」

 

ハリーは鞄の中を探った。そして少し何かを考え、サキに慎重に前置きした。

「これはスネイプの私物から出てきたものなんだ。闇祓い局が家宅捜索して見つけて、僕に預けた。だから遺品ではないけど…多分これは、君のものだから」

「私のもの?」

ハリーは薄布にくるまれた瓶を出し、机の上においた。その上にさらに封書を置く。だいぶ古い紙だ。

封書には開けられた形跡がなかった。むしろ綴じ目がない。

おそらく誰にも読まれないように魔法で封筒の継ぎ目を消してしまったのだろう。

 

封筒には【娘へ】と書かれていた。

 

サキは驚き、思わずハリーの方を見た。ハリーは促すように封書に目をやった。

手が震え、意志に関わらず心臓が高鳴った。サキは大きく深呼吸をして封を破った。

 

 

 

 

 

あなたがこの手紙を読んでいるということは、セブルスが死んでいる世界に辿り着いたということでしょう。彼は人の手紙を覗き見るほど野暮じゃないし、娘に脳みそを食わせようなんて考えないはずだもの。

私の計画はまた失敗したのね。

あなたは私の脳髄を前にして悩んでいるのでしょう。それは汚染されている。脳に蓄積した異常プリオンにより海綿状に変異し、あなたの体内に入り次第健常な脳を蝕んでいく。世代を重ねるにつれ、私達の家系にはプリオン病の遺伝が起きるようになった。あなたも例外では無い。私を食べれば過去の記憶を手に入れられるばかりでなく、過去の改竄も可能になる(理論については書架169.R15に詳細を載せてある)。しかし改竄を繰り返せば繰り返すほどにプリオンの異常は伝達していき、ほぼ確実にクールー病を発症してあなたの脳は私のように使い物にならなくなる。あなたに死ねと言っているようなもの。

 

それを承知であなたに私を食べてほしい。

娘のあなたに業を背負わすのを私はずっと躊躇っていた。それでも私は彼を救いたい。

あなたに私の狂おしいほどの妄執を語ろうとは思いません。それを見せることはあなたから選択の自由を完璧にもぎとることになる。父親が誰でも、私はあなたからそれまで奪うほど冷酷にはなれない。

私はセブルスを救うためだけに何度も彼の死ぬ1998年までをやり直した。けれどもどう足掻いても私はトムに捕まり、屋敷の中で彼の死を知る。セブルスを救えない運命は、私の手の及ばない部分でしか変えることができない。私は運命から逃れられなかった。

私は全てにおいて失敗した。

最後の手段として、私は私の代わりにセブルスを救う器をつくることにした。それがあなた。

 

どうか願わくば、この手紙が彼の机の奥底で朽ちてしまいますように。

セブルスが生き残り、セブルスの幸せを見つけられますように。

私の罪を許してくれますように。

輝きはもう、私の記憶の中にしかない。そしてそれもいずれ消える。私はその輝きを忘れたときに死ぬ。

 

娘へ。

あなたがあなたの人生を生きて幸せを見つけられますように。そして、欠けた穴の中に落ちてしまわないように祈っています。

あなたにあてがわれた名前はセレンだけど、あなたはマクリールとして生きる必要はない。だから私はあなたに名前をつけようと思う。

あなたの名前は、サキ。東洋の言葉で未来を意味する言葉。私の好きな詩人のペンネームでもある。もとは猿の名前らしいけど、まあまあ愛嬌のある猿だったわ。

 

さようなら。サキ。

 

愛をこめて

リヴェン・プリス・マクリール

 

 

 

サキは文章を読みながら、目眩のような悲しみに襲われた。

 

母は、やっぱりセブルスの命を救うためだけに全てをかけたのだ。

私に自分を食べさせるつもりでこれをしたためた。

 

リヴェンは諦めていた。どうせセブルスを救えない、と。けれども可能性を捨てた訳ではなかったんだ。これを託したセブルスの取るであろう行動を読んだ上で脳髄を遺した。

 

すべてが失敗したあとでも、自分の代わりにサキがやり直せるように。

 

苦いツバを飲み込んだ。

そして薄布にくるまれた。【それ】を見つめる。

 

「サキ…僕はそれを墓に入れてもらうために持ってきたんだ。あるべき所に納まるように」

ハリーがたしなめる様に言った。サキが食べたらどうなるか知っている以上、その忠告もやむなしだろう。

「わかってる…わかってるよ」

サキはつぶやき、伸ばそうとした手を胸に当てた。

「わかってる…けど…あまりにも…」

 

 

リヴェン・マクリールが報われない。

 

 

「机の中にチョコレートがある」

ダンブルドアの肖像画はマクゴナガルのおやつの場所まで知っていた。ハリーはごく普通の板チョコを割ってサキに渡したがいまいち反応が鈍く、一欠片だけ食べてサキは大きく息を吐いた。

 

「…うん。そうだね…母の遺体で残ってるのはこれだけだもんね…」

「そうだよ。ちゃんと納めてあげないと可哀相だ」

母の瓶詰めの遺体は未だに見つからない。どの死喰い人に聞いても所在がわからないためヴォルデモートがどこかに隠したのだとされている。ということはもう誰にも見つけられない。

サキは包を開けなかった。

 

そして代わりに自分のバッグから美しい白い記憶の糸が入った瓶を取り出した。

 

「私の番だね。ダンブルドア先生、憂いの篩をかりますよ」

「どうぞ。もちろんミネルバの許可もある」

 

 

ダンブルドアがそう言うと憂いの篩が壁から迫り出してきて展開した。ぼんやりした液体の揺蕩いが天井に反射する。

 

「…どんな記憶か、わかる?」

「わからない。…けど、伝えたいから残したんだよ」

「僕が見てもいいのかな」

「ハリー、先生は私だけじゃない、君を守るためにも戦ってたんだよ。君は見るべきだ」

 

サキはハリーの肩をばん、と叩いて活を入れた。(本当に活がほしいのはサキだったが)

 

サキは向き合うのが怖かった。

一人では怖かったけどハリーがいれば少しは気が休まる。

 

「大丈夫」

 

ハリーが落ち着いた低い声で言った。

いつだかサキがハリーにいったように、優しく揺るぎなく。

 

 

セブルスの記憶は黒いマーブルを描き篩の中に溶けていった。

 

 

……

 

オレンジ色の夕焼けが目にしみるほど輝いている。沈む直前の瞬きに草でできた小さな鳥を飛ばし、赤毛の少女と黒髪の少年は笑った。

 

場面は夕暮れとともに移り変わる。

 

「僕はスリザリンに入りたい。偉大な魔法使いになるんだ」

車窓を流れ行く光景はホグワーツにはお馴染みの景色で、コンパートメントもまたそうで記憶の中の過去の光景にもかかわらず幼きセブルスが今そこに生きてるような気さえした。

「スリザリンだって?!あそこは悪人が行くところさ!」

コンパートメントの扉の隙間からくしゃくしゃ髪の少年が茶々を入れてきた。

赤毛の少女が馬鹿にされたことに怒って真っ赤になる。

 

またすぐに場面が変わった。

ホグワーツの大広間で組分け帽子をかぶる少女。リリー・エバンズ。スリザリンの席に座るセブルスはグリフィンドールに行く彼女を目で追っていた。

 

同じ光景のまま、憂鬱な雰囲気の女の子にセブルスが話しかけた。女の子はセブルスより年上で気だるそうだった。

「誰?」

「セブルス・スネイプです。昨日、雪玉をぶつけられた…」

「ああ」

女の子は二言三言セブルスと言葉を交わした。後ろから美しいブロンドの男が割り込んできて、窘めるように言った。

「リヴェン。せっかく後輩が話しかけてきてるのにそう素っ気無くしてちゃかわいそうだろう」

「私に先輩風吹かせる前にいじめられっ子を助けたら?ルシウス」

ルシウスはやれやれという顔をして、リヴェンはちょっとムッとしていた。

そしてまた目まぐるしく場面が変わる。

リヴェンがリリーと話していた。

湖の辺りでリリーが必死に話しかけているが、リヴェンはまるで聞いちゃいなかった。セブルスはそれを少し離れたところで見ていた。リリーは結局怒って立ち去ってしまう。

 

「素敵な人だと思ってたのに、セブ。あんな人と友達だったなんて!」

「彼女は何を言ったの?」

「あの人、怖いわ。私の死に方を予言したのよ」

「先輩は誰にだってそういうことを言うんだ」

「貴方もされたの?」

「うん。ああいう人なんだよ」

「セブ…悪いけど、私スリザリンの人たちと仲良くなれる気がしないわ。あなたと仲のいいマルシベールも、最低よ」

 

景色が歪む。

 

「セブ、先輩にこの本を返しておいて」

「ああ、うん…仲直りしたんだ?」

「そう。ふふ、面白いこと聞いちゃったわ」

「どんなこと?」

「セブには内緒!絶対内緒よ」

 

リリーは薔薇のように微笑んだ。

さっきとは打って変わってリヴェンに好意を示している。女の子の気まぐれにセブルスは頭を傾げた。

傾げた頭がもとに戻るとき、景色は一変する。

人でごった返すキングスクロス駅にリヴェンが立っていた。

若きセブルスは泣きそうな目で彼女と向かい合っていた。

「もう二度と会うことはないだろうけど…」

リヴェンは清々したと言いたげにネクタイを解いてポケットにしまった。

「リリーと喧嘩しちゃだめよ。そのうちきっと許してくれなくなっちゃうから」

 

また景色が歪んだ。これはハリーにも見覚えがある。セブルス最悪の日の記憶だった。灰色のパンツを晒された彼は、リリーに穢れた血と言ってしまう。

ハリーは今やっとなぜセブルスがこの記憶を見られて狼狽したかがわかった。

 

恥辱で景色が真っ赤に染まった。赤みが消えると、今度は夏の日差しの下でリヴェンがいつもの椅子に座って何かを書いている。

「あなたは大切なものを失い続ける…」

リヴェンの声がわんわんと響き、突然景色は夜闇に包まれた。

 

今にも叫び出したくなるような顔をして、リヴェンはセブルスに言った。

「なんの意味もないわ」

「意味なくなんかない!闇の帝王はこの予言を聞いて…リリーを殺すおつもりだ!」

「そうね。あの人は怖がりだから」

「どうか助けてください」

「なんで私が?」

その言葉にカッとなってセブルスは思わずリヴェンの肩を掴んで揺すぶった。声にならない嗚咽を上げるセブルスをリヴェンはやっぱりいつも通りの無感動な目で見ていた。

「お門違いよ。屋敷から出られない私にできることは限られてる」

「でも、あなたの魔法があれば…」

「あら酷いこと言うのねセブルス。あの魔法がどれだけ残酷な魔法かわかってるの?リリーの命のほうが大事なのね」

「そ、れは…」

セブルスは黙った。

 

リヴェンの顔が無表情のまま凍る。

そして景色は別の夜へと変わる。

 

セブルス・スネイプはリリーの危険を察知し、夜をかけていた。家々の明かりがどんどん横へ流れていき、煙を上げ崩落した家に駆け込む。

家は荒らされていてハロウィンの飾りが無残に踏み壊されている。

ジェームズの遺骸には目もくれず、セブルスは寝室へ向かった。

セブルスはリリーを抱きしめて泣き叫んだ。

 

慟哭に引き裂かれ、景色はまたマクリールの屋敷へうつる。

そして、空っぽの屋敷で彼は脳髄を見つけた。

 

 

 

そこで何かが倒れる音がしてハリーははっと現実へ戻った。

サキは憂いの篩の前でしゃがみこんでいた。

 

「サキ…」

 

ハリーはしゃがんで震えているサキの肩を擦る。

サキは頭を抱えて見るものも聞こえるものも拒絶していた。

 

「せんせい…」

 

絞り出した声はか細すぎて誰にも届かなかった。

ハリーはセブルス・スネイプの誰にも見せなかった愛を知り、サキはリヴェンの絶対に報われない願いを知ってしまった。

 

「サキ…ほら、座って」

ハリーは椅子を勧めた。沈んだサキへどんな言葉をかけるべきか悩み、そして言葉は無意味だと悟った。

 

「僕…ドラコを呼んでくるよ。適役だろうから」

 

ハリーはそう言ってサキの肩に手を置いて去った。

 

 

サキの頭には、セブルスにリリーを助けてほしいと請われたときのリヴェンの顔が焼き付いていた。ダンブルドアに託された黄昏の記憶の愛に満ちたリヴェンの表情は無残に打ち砕かれ、もうもとの形に戻らないほど粉々になっていた。

もはや存在しない記憶に縋ってすべてを失ったリヴェンがあまりにも報われない。

リリーはセブルスの想いを知らずに死に、セブルスはリヴェンの想いを知らずに死んだ。リヴェンは何も得られないまま、誰の記憶にも思い出を残さずに脳髄だけになってしまった。

 

サキは顔を上げ、ハリーが完全に校長室から出たのを確認してから脳髄の入った瓶を包む布を剥いだ。

衝動的に剥ぎ取ったせいで勢い余って瓶が転げ砕けて中身が飛び散った。

「あ…」

瓶の中にあったのは海馬だった。

胎児のような形をしたそれは人間の記憶を司る器官だ。リヴェンの論文にも繰り返し載っていた。

 

「あ、あ…まずい」

 

海馬は液体にたっぷりとつかっていた。おそらく保存液だが、覆水盆にかえらず。代わりの保存液なんて当然持ち合わせていない。このままじゃ海馬がだめになってしまう。

 

サキは慌てて海馬をすくい上げた。その生々しい感触におえっと吐き気がこみ上げる。マクゴナガルに心の中で謝りつつ、机の上のゴブレットにいれた。

 

しかしこのまま放っておけば海馬の組織はどんどん腐っていく…もしかしたら過去を改ざんできる魔法も継げなくなるかもしれない。

サキの頭に、何度も過ぎったある考えが再び浮かんだ。

なんどもどころじゃない。ずっと考えていた。

 

この脳髄を食べれば、過去をやり直せる。

セブルス・スネイプを救える。

 

サキは唾を飲んだ。ごとりと喉がなり、不思議と唾液が湧いてくる。

自分の呼吸音だけが聞こえる。あと心臓の音と…血管を流れる血の音だけ。

 

リヴェン・マクリールの記憶は毒だった。

 

サキはゴブレットを手に取り、その中に浮かぶ掌くらいのリヴェンのすべてを見つめる。

今取り出されたばかりのように艶めく脳髄。毛細血管はまるでさっきまで血が通っていたようだ。てらてらと光る不気味な灰色の脳細胞。死に至る病をたっぷり内包したその不気味な肉塊を、サキはー

 

 

食べる

食べない

 




脳髄を食べる/食べないで違った結末になります。

次話を押すと食べなかった終わりへ行きます。


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13.同じ時間、君の隣

ゴブレットに唇が触れた瞬間、チキ…と硬い音がしてサキはハッと我に返った。机の上においたままの指輪から石が外れて落ちてしまった音だった。

 

「あ…」

 

張り詰めた糸がぷっつりと切れてしまった。サキはゴブレットを取り落とし、震える手でそのまま顔を覆った。中に入っていた海馬はべシャリと床に落ちて崩れた。崩れた灰色の脳細胞からじわじわと組織液、または髄液が床に滲んでいく。

取り返しの付かない喪失よりも、サキは自分が今何をしようとしていたかを思い出し体の奥から震え上がった。

自らの腕で両肩を抱き、俯く。

 

「できない…」

 

サキのつぶやきを聞いて、肖像画のダンブルドアは優しく微笑みながら目を伏せた。

サキはふらふらと椅子に這い登り落ちたゴブレットとその中身を見た。

 

「私は…みんなと同じ時間を生きたい」

 

海馬を目の前にしてやっとわかった。

何かの為に死ぬよりも、何かのために生きたい。誰かとともに生きたい。

リヴェンの絶望を前にしてなぜ自分が誰かのために死にたかったのか言葉になった。

 

私は自分の存在に理由が欲しかった。価値が欲しかった。

 

孤児院に沈殿した子どもたちの満たされない承認欲求と行き場所のない欲望。焼け跡に転がる躯の伸ばした手の先には何もない。何者にもなれずに忘れ去られる子どもたち。私もそうなるはずだった。

私は私の中にある空っぽな穴をどうにかして埋めたかったのだ。

 

「サキ、どうしたんだ?!」

 

ドラコが慌てて階段を登ってきた。

散らばった瓶の破片と濡れた床、落ちた不気味な肉塊にギョッとしながらサキのそばへ駆け寄り肩を抱いた。

後ろからハリーも顔を覗かせ心配そうにこっちを見ている。

 

「ドラコ…」

 

サキはドラコの顔をみた。

プラチナブロンドの髪は慌てるとすぐに乱れてしまう。慌てたせいで一筋垂れた髪束をそっと撫でた。

きれいな額の下に凛々しい眉毛。彫りのせいで険があるように見えるけれども優しげな青い瞳。

すっとした鼻筋に、笑うと実は可愛らしい口元。

 

大切な人。

 

私は母の愛を取り戻すためにやり直すことができた。けれども自分で見つけた愛を手放す事はできない。私は身勝手で、子どもで、そして一人の人間だ。どう生きるか、誰のために生きるかは自分で決めなくちゃいけない。

 

リヴェンがセブルスのために何回もやり直したというのなら、サキはドラコのためにやり直さない。

ドラコ・マルフォイ。

私は彼の隣で生きたい。

 

「結婚してくれる?」

「はぁ?!」

 

サキの突然のプロポーズにドラコは思わず気取ることも忘れて驚いた。柱の影で聞いていたハリーさえずっこけた。しかしサキは真剣そのものだった。ドラコの手を握りまっすぐ瞳をみつめている。

 

「君が見捨てずそばにいてくれたから私はここまで来れた。私、最後まで君と一緒にいたい」

 

「……参ったな…」

ドラコは困ったような照れたような複雑な顔をしてから、耳まで真っ赤になって咳払いしてからサキの方を改めて見つめた。

「本当に僕は君のやることなすことに振り回されっぱなしだ。僕から言うつもりだったのに」

「ごめん」

「慣れたさ」

ドラコはサキの手をそっと握りかえした。

「謹んでお受けするよ。…でも指輪は僕から贈るからな」

「楽しみ」

二人してへらっと笑い抱き合った。サキはその温もりが逃げていかないように強く強く抱き締めた。

 

キスまでしそうになった時に、コンコンと棚を叩く音がして二人ははっとその方向を向いた。気まずそうなハリーが咳払いしながら二人に申し訳なさそうに言った。

「あの…そろそろいいかな?」

「あー…その。そうだな。すまない」

ドラコが初めてハリーに謝った瞬間だった。

 

サキはマクゴナガルに床とゴブレットを汚した事を詫びた。マクゴナガルはこの程度で済んで良かったと思ってるようで気楽に許してくれた。

「あなたの事は他の寮の生徒ではありましたが、心配していました」

「はあ。もう大丈夫です」

「そのようですね。セブルスの肖像画がかかったらまたおいでなさい」

「ええ。その時は勝手に食べちゃったチョコ、弁償します」

「まさか、ダンブルドアが?」

サキが頷くとマクゴナガルはちょっと照れながら目を手で覆った。サキはクスクス笑った。

 

サキはプロポーズに成功したが、結婚するのは多分お互い生活が安定してからになるだろう。ドラコは癒師になるために勉強漬けだし、サキはまだ裁判に顔をださなきゃいけない。そのあと仕事も探さなきゃいけないし大忙しだ。

 

 

サキは短く切った自分の髪の具合を鏡で確認してにっと笑った。

母にそっくりな黒髪。父にそっくりな目。貧血気味の青白い顔。なぜか唇だけは血色がいい。

 

「よし、及第点だな」

「君はいつでも、ちゃんとしてれば綺麗だよ」

 

ベッドの中で余計な一言を言ってまた眠ろうとするドラコに脱いだパジャマを投げつけてやった。

「私が就職しないと当分ご飯は猫の餌になるよ」

「そりゃ大変だ。じゃあ僕は実家に帰らなきゃな」

「んー。それはそれで寂しい」

ドラコはベッドから出てサキを見送ってくれた。

サキは慌ただしく煙突飛行粉を掴み、ドラコにキスをした。

 

「いってくるよ。鍵はいつものところにね」

「うん。いってらっしゃい」

 

 

 

屋敷を囲む森林は、春の面影を残して次第に夏の様相を呈してくる。草はますます青くなって、足元を彩る花たちも入れ替わっていく。

瓦解したグリンゴッツはあっという間に元通りになり営業を再開。シャッター街だったダイアゴン横丁も今じゃ以前より活気を増している。

ホグワーツ魔法魔術学校は新任教師を迎えつつ、今日も学舎として役目を果たしている。

空の色は毎日違って、星星は今日も瞬く。

私はその下で、ちょっとずつ変わりながら、前と変わらず息をし続ける。

 

リヴェンの輝きは消えた。死者は二度と蘇らないし、時計の針は戻らない。失敗は失敗のままだし、傷跡はいつまでも残る。私の左手はもう前のように動かない。

でもそれが、生きていくということなんだ。

失い続けながらも前を向き、いつか来る死に向かって歩き続ける。

死者たちの囁きに時々足を止めながらも、ゆっくりと誰かとともに終わりへ辿り着く。

 

それが私の…サキ・シンガーの望む幸せ。

 

 

 

 

これが私の、ハッピーエンド。

 

 

 

 

 

………19年後………

 

 

 

「お母様!お母様起きてよ!なんで今日に限って徹夜なんてしちゃうの?」

遮光カーテンで真っ暗な部屋に小さな男の子がどたばた音を立てて入ってきた。ベッドに向かって怒鳴りながらカーテンを開けると柔らかい日差しが差し込む。

ベッドで寝ていた女はぎゃーっと悲鳴を上げて転げ落ち、日陰になったベッドの横で目をこすり、乱入者をじろりと睨んだ。

「いくら息子でも、女性の部屋に立ち入るのは感心しないね」

「起きないお母様が悪いんだ。今日がなんの日かわかってるの?」

「今日?」

その女は短い髪を後ろになでつけ雑に寝相を直しながら「はて?」と首をひねった。そして男の子がイライラしだした頃ようやく今日がなんの日かを思い出したらしい。慌てて立ち上がりワーワー言いながら髪の毛をセットしだす。

「徹夜する前に忠告してよ!」

「それは無理だよ!だってどうしたって僕のほうが先に寝てしまうんだから!」

「確かに。賢いねスコーピウス…でもね、本当に賢いなら母さんがパジャマを脱ぎだす前に部屋から出て!」

「起こしに来てあげたのに!」

こんなドタバタは慣れっこだと言いたげに、特に機嫌を崩すことなくスコーピウスは階段を降りて玄関へ向かった。もうすでに父親、ドラコは身なりを整えて時間を持て余していた。

 

「やっぱり寝てた!」

「まさかとは思ったが…」

ドラコは呆れ気味に額に手を当て苦笑いした。スコーピウスはそんな父を見て笑う。

「母さんは早着替えのプロだからね。心配しないで」

ドラコは優しく微笑み、自分そっくりの息子の頭をなでた。

「ねえ、お父様…」

「なんだ?」

「僕、どの寮に入ると思う?」

「お祖父様もお祖母様も父さんも母さんも、一族全員スリザリンだからきっとスリザリンだろう」

「不安なんだ…みんな、スリザリンは悪いやつのいくところだって言うでしょう?」

「そんなことない!寮なんかでいいやつか悪いやつかなんて決まらないよ。帽子は案外当てにならないのさ。母さんを見てみろ。全然スリザリンらしさのかけらもないけどスリザリン生なんだから」

スコーピウスはそれを聞いてもまだ不安そうだった。言いにくそうに言葉を濁しながらドラコを上目遣いで見て言った。

「でも僕…知ってるんだ。お母様は…呪われてるって」

「…母さんのお父さんのこと?」

ドラコの表情に陰がさし、スコーピウスは不安になる。

「うん。……僕、不安なんだ。もしかしたら学校で…その…」

「心配するな、スコーピウス。もしお前の血筋をからかうやつがいたらこう言ってやれ」

ドラコはスコーピウスの目線までしゃがみ、しっかりと目を見て言った。

「お母さんは30人の死喰い人と70人の人さらいを捕まえたって。それにね、スコーピウス。誰の子どもかじゃなくて、どんな子どもかで何もかも決まるんだ」

ドラコの表情は柔らかく、愛に満ちていた。スコーピウスの不安すべてを包み込むようにドラコの大きな両手がスコーピウスの頬を覆う。スコーピウスが何かを言おうとしたとき、すっかり美しく着飾ったサキが降りてきた。

「お待たせ。いやー、参った参った」

「全く…ちゃんと財布は持ってるかい?」

「勿論!スコーピウスの入学祝いを買うんだもの。全財産入れてるさ」

「じゃあ財布、とっても重いね」

「これくらいへでもないさ。スコーピウス、あなたの荷物は大丈夫?」

「当たり前だよ!何百回もチェックしたんだから」

「忘れ物があったら超特急で送るからね」

サキはスコーピウスのおでこにキスし、るんるんと玄関を開けて先にリムジンに乗ってしまう。

ドラコとスコーピウスはやれやれと微笑み合いながら目を見合わせて遅れて乗り込んだ。

 

キングスクロス駅はあいも変わらず人だらけ。

マグル、魔法使いが入り乱れてホームに向かっていく。スコーピウスは緊張してサキの手をぎゅっと握っている。

サキはその小さくて可愛らしい手を握り返した。

 

「さ、あの柱に向かって行くんだ」

 

魔法使いたちがひしめく9と3/4線はいろんな人たちの話し声と動物の鳴き声で喧しい。スコーピウスが空気にのまれてるのが手に取るようにわかる。だってサキもそうだった。

赤い塗装の列車。

ここでかけがえの無い生涯の絆をたくさん得た。

スコーピウスにとってもそうだといい。

 

ドラコがスコーピウスの荷物を載せに行ってる間、サキとスコーピウスは蒸気をもくもく上げる列車をじっくり眺めていた。

サキは懐かしさにかられながら、おそるおそる列車に触れてみた。

うん、あの頃となにも変わらない。

一人で勝手にしんみりしているとスコーピウスが不安そうにサキの袖を引っ張った。

 

「お母様、みんなが見てるよ」

「触っちゃだめだったかな?」

「違うよ。僕とお母様を見てるんだ」

「ああ、私はそこそこ有名だからね。良かった化粧してきて」

サキの脳天気っぷりは19年たっても健在だった。でもスコーピウスの拭いきれない不安に気づけないほど鈍くもなかった。スコーピウスの肩を抱き、どうしたの?と尋ねる。

「ママ…あ、お母様。…僕、大丈夫かなあ」

息子の抱いてる不安はわかっていた。

サキも同じことで何度も何度も悩んだ。

「大丈夫」

サキは繰り返しそう言ってきた。

「私をみて、スコーピウス。母さんはどう見える?」

「うーん…すちゃらか」

「貴方に流れてるのは残念ながら高貴なスリザリンの血なんかじゃなくてすちゃらかの血だよ」

サキはそう言ってスコーピウスの頭をぎゅっと抱きしめて左右に振った。スコーピウスはやめてよ!と抵抗しながら照れ笑いし、サキの瞳を見つめた。

ドラコに似た優しいブルーの目。自分の血が混じってるか不安になるくらいにドラコにそっくりな私の子ども。小さくてふわふわした雛鳥は今サキの両手から羽ばたこうとしている。

 

「友達、できるかな…」

「出来るよ!母さんだってね、ホグワーツ急行で大事な友達を見つけたんだから」

「ほんとに?」

「うん。だからね、怖がって躊躇っちゃいけない。とにかく話をしてご覧。いろんな人と話して、喧嘩して…そうやってればいつかきっと大切なものが見つかるよ」

「お母様にとってのお父様みたいな?」

「そう。そして貴方みたいな愛しい息子が」

スコーピウスはそれを聞いてにっこり微笑んだ。サキも笑いかけ、もう一度スコーピウスを抱きしめた。

 

大切なものは19年のうちにどんどん増えていった。

夫、息子、旧友、仕事、新しい友達、友達の子ども。

今私が生きるこの世界。

 

 

先生。

私は母の望みを叶えられなかった。けど、先生の望みは一応叶えられたと思う。

先生は私に生きていてほしいと言ってくれた。

ほら、ちゃんと生きているでしょう?

選べたはずの選択肢を時々思い出すけれど、影に囚われたりなんてしない。

 

 

 

今なら胸を張って言える。

私は幸せだよ。

 

 

 

 

 

 

end

 

 

 

登場人物のその後

 

ハリー・ポッター…ジニーに告白され、そのまま結婚。三人の子供に恵まれる。闇祓い局長として逃亡したピーターの行方を追っている。

ハーマイオニー・グレンジャー…ロンと結婚後入省。しもべ妖精の待遇を劇的に改善する。多すぎる親戚に悩んでいる。

ロン・ウィーズリー…ハーマイオニーと結婚後いたずら専門店の営業としてアイルランドへ行き、クラムと和解した。ヨーロッパ支店長に指名されるが家族を尊重し留まる。

ジニー・ウィーズリー…ハリーへの恋が成就。女性誌のライターとして活躍。サキとハーマイオニーとの女子会ではネタを拾えない。

フレッド&ジョージ・ウィーズリー…ヨーロッパ、アメリカと支店を出し、舞台はついに世界へ。

ネビル・ロングボトム…世界を旅したあとに薬草学の教授に。ルーナ・ラブグッドと結婚。

ドビー…史上初めて魔法省に雇われたしもべ妖精に。ハーマイオニーの元で主人を失ったしもべ妖精の再就職を支援する。

 

 

ルシウス・マルフォイ…司法取引により無罪放免。今は田舎に土地を買い養蜂所を経営している。最近新種のハチを見つけた。

ドラコ・マルフォイ…癒師としてキャリアを積んでく一方サキが発病するかもしれない遺伝性クロイツフェルト・ヤコブ病の研究をはじめる。マグルの医学に苦戦中。

サキ・シンガー…闇祓いとして悪人を捕まえるために駆けずり回る日々。自分の血の魔法を最大限に利用している。いけると思ってMI6に応募したが落ちた。

 

 

 

 

 

 

リリー・エバンスの日記#1556(抜粋)

 

 

1972.3/8

マクリール先輩に私は例のあの人に殺されると予言された。あの人、とっても怖い。まるで死に取り憑かれてるみたいに薄気味悪い人だわ。スリザリンの人ってみんなああなのかしら。セブが心配。

 

1972.3/10

マクリール先輩に謝られた。私、勘づいちゃった。きっと先輩はセブが好きなんだわ!だから私に酷いことを言ったんだと思う。そう思うと、あんなに恐ろしく見えた人が急に可愛らしく見えてきちゃうから不思議よね。

 

1972.10/12

先輩とだいぶ仲良くなったけど、先輩ってやっぱり変な人。話そうとしてる内容とかも全部知ってるし、これから起こる事がわかってるみたいなことを言うの。もしかして先輩は予言者なのかも!

 

1975.6/29

先輩はセブととっても懇意にしていたけど、告白とかはしなかったみたい。私も相談されたわけじゃないから突っ込んで聞けなかったわ。でもセブはちょっと寂しそう。

 

1975.11/6

先輩のおかげで寄り付かなかった死喰い人のお友達がセブにいいよってるのを見て不安になった。ポッターたちも先輩がいなくなっていたずらを加速させてる。もうやめてほしいわ。私達もう16になるのに。

 

1976.6/12

セブと喧嘩しちゃった。セブはひょっとしたら死喰い人になるつもりなのかも。そんなの嫌よ。

 

1978.6/30

7年間色々あったけど、最後の年であんなにいがみ合ってたジェームズと付き合うことになるとは思わなかった。なんでだろう。腐れ縁っていうのかな?なんにせよ彼の悪ガキっぷりが収まらなければこうはなってなかったけどね。

シリウスなんて毎日ガールフレンドをとっかえひっかえしてるくせに私達をからかうの。本当に参るわ。彼が本命を見つけたら、思いっきりからかおう。

セブとはあれ以降話せなかった。とても残念だわ。彼は一体何になるんだろう。もしかしたら、先輩のところに行くのかな。ジェームズはあんなやつ!と怒るから言わないけど、私はいつかまた彼と笑ってお喋りできるようにと毎日祈っている。

その時は、あなたの隣に誰か素敵な人がいたら最高ね。

 

 





【挿絵表示】

サキの幸せに満足してくださった方とはここでお別れです。ご愛読ありがとうございました。
感想、評価にはたいへん励まされました。ありがとうございます。誤字報告をしてくださった方にいたっては感謝の言葉だけでは足りません。重ね重ねお礼申し上げます。

次話は脳髄を食べた場合の話です。
97話から分離した、いわゆる別ルート、別エンディングとなります。サキのハッピーエンドとは後味が大いに異なります。続けて読む方はご注意ください。


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供犠の子ども
01.We Are What We Are


本編は 97話で脳髄を食べた未来にあたります。
食べないを選んだ方はこちらへ。
供犠の子ども編は残酷な描写と原作キャラの死亡描写が過分に増えます。


母親の食感はどんなものか。

 

母の美しい頭蓋を割り、脳髄にメスを入れ内側から引きずり出した海馬の味を想像したことは?

サキは発狂しそうなほど拒否感を示す喉をむりやりねじ伏せ、口の中からそれを押し戻そうとする胃液を押しとどめた。

 

ああ。なんて、なんておぞましい食感。

舌の上に乗るデロデロとしたババロアのような肉が、不思議としょっぱい味とやけに生暖かい感覚を味蕾に届けて脳みそがそれを受取拒否して涙を流させる。顔中の穴という穴から汁が出そう。

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い…!

けれどももう口に入れた以上飲み込まなきゃいけない。サキはゆっくりと上顎と下顎、奥歯でそれを潰した。

ぶちゅ、と中身が口いっぱいに広がり今度こそ胃液の逆流を防げないなと思った。

うっとえずくと喉に空洞ができて、そこへするりと脳髄の破片が喉の奥へ流れていった。

喉を通る生暖かい海馬の感触に脳が痺れたとき、まるで栓が抜けた浴槽の中の水みたいに脳髄はサキの胃へ落ちていった。

 

食べた…

 

私はついに、脳髄を食べたのだ。

失われたはずのそれはリヴェンの描く計画通りに、望み通りに私の胃へ落ちていった。

知覚した途端、初めて姿くらましをした時のように脳みそがしっちゃかめっちゃかな五感の異常を訴える。景色が溶けたと思いきや、手足がどこまでも伸びていくような感覚に囚われ、再び訪れる強烈な吐き気と拒否感が脊髄から全身へ広がっていく。

 

それが全身に広がったあとにはさざ波のような快感が抜けていく。

 

体から何かが剥がれ落ちていくようだった。どんどん軽くなっていく。消えていく。

そしてー

 

 

「ああ!来てくれたのね」

 

陽光。

麦色の草原に新築の城が聳えている。周りの森はまだ若く、城の外苑には苗木がたくさん植えられていた。

目の前でおおらかに微笑むのはくるくるとしたカールの優しそうな老魔女で、旧くからの友を歓迎するように両腕を広げた。

彼女の招くままに城を進むと、三人の魔法使いが大広間の真ん中で顔を突き合わせていた。

"私"はゆっくり礼をしてから箱に入れられた帽子を四人へ差し出した。

「開校の祝の品でございます。あなた方がふさわしい生徒を迎え入れられますよう、魔法をかけ縫い上げました」

ボサボサ髪の男がそれを手に取りびっくり眺める。

「さすが千年に一度の大職人ダナエ!なかなかいい。私の普段使いにしたいくらいだね」

「あなたはそうやって彼女から何個物をせしめたか。私はきちんと覚えていてよ」

青い髪飾りをつけた女性がたしなめるように言った。

「きちんと選別できるか見ものだね。入学式が楽しみだ」

青白い顔の男は挑戦的に笑っていった。

「この帽子は必ずやご期待に沿う働きをするでしょう」

「さあさあ、まだ前前前夜くらいだけど、ともに祝おうじゃあないか!魔法族が千年栄えますように!」

老魔女はそう言って魔法でグラスを出現させ、天高く掲げた。

 

突然、そんななんでもない日々を思い出した。

思い出したとしか言いようがない、ダナエと呼ばれる魔女の記憶。

いろいろな光景が体験した出来事のように、まさに自分がその場にいたように脳裏によぎる。朧げで不確かな虚像と鮮烈な懐かしさがサキの心の中いっぱいに広がった。

息をつく間もなく、気づけば"私"は監獄にいた。

 

 

「面会?時間外だぜ」

「今何時?」

「はっ…」

 

看守は帷子の下で嘲り笑った。

ここは…そうだ、バスティーユだ。

 

看守を気絶させ、鉄門の錠をあけ、魔法で目的のものを見つける。

汚物の堆積した廊下をかけていくと誰も人のいない房を見つけた。囚人がいなくてよかった。ベッドと壁の隙間から汚い巻紙を見つけて懐にしまい、それをぼんやり格子の隙間からみていた薄汚い男の記憶を消して姿くらましする。

 

姿くらましした先はまた監獄。ここは正確に言えば監獄ではない。牢獄だ。

ある男が敵対者を閉じ込めておくためだけに作った場所…ヌルメンガード。

「それでオフィーリア?引きこもりがはるばる遠くまでご苦労なことだな。入居希望か?」

目の前の精悍な老人は快活に笑った。"私"も彼に合わせて笑う。私は彼の大胆不敵さが好きだった。

「バカねえ。今度娘があとを継ぐからわざわざ知らせに来たのよ。ここ、郵便が届かないんだもの」

「わざわざこんな地の果までそれを言いに?律儀なものだな」

「今生の別れだもの。友達の顔を見に行くのは不自然じゃないでしょうに」

「嘘をつくなよ。どうせ買い物がてらだろう?」

「正解。今のうちに孫にね、買っておくの」

「はっ、ははは!全く人は変わるものだな」

グリンデルバルドはそんな"私"を見てけたけた笑った。

 

濁流のように炎が体を包んだ建物は篝火より激しく燃え盛り、踊るように人々が悶絶する。

魔法使いは焼夷弾の火では焼けないし、地雷を踏んだって大丈夫。

「バカ、ペトラ!バカ!やめろよ!帰ろうよ!」

泣きべそかきながらジョンが言う。"私"はジョンを馬鹿にしながら火の中に突っ込んで遊んだ。

私は火の中で溺れた。あぶく玉呪文が口の周りを覆って、ぼこりと気泡を作り上げて水面へ浮かんでいく。弾けた。爆弾だ。近頃のインディアンは爆弾なんて持ってるのか?とガイドに尋ねるとベトナム戦争のゲリラたちから安く買ったのかもと言う。バカを言え。ここはアマゾンだぞ…もっと別のところから買うだろうに。早く帰りたい。熱くて、寒い。ここはどこだろう?

記憶は渦を描き、混じり合っていく。様々な彩りの記憶はやがて黒に成る。

 

 

 

夜ー。

灼けつくような日照りが突然消えて、あたりは沈黙の帳が降りていた。生暖かい風が頬をなぜ、髪をたなびかせる。久々に動いたせいか、酷く息が上がっている。いや、そのせいではない。

私の全身を嫌な予感が掛けていく。項がぞくぞくする。

 

「リヴェン。一体どうやってここに?」

「姿をくらますキャビネット棚をドラコが修理したのよ」

トムに監禁されていたにもかかわらずここに来れたのは全てドラコのおかげだった。あの壊れたキャビネット棚が私を今この瞬間へ繋いでくれた。

私は天文塔でダンブルドアと対峙していた。ダンブルドアは手負いだった。私は…いや、リヴェンは焦りを隠したまま微笑んだ。

「セブルスはどこ?」

心の中に渦巻くのは焦りと不安。

 

「リヴェン、彼を救いたかったのならもう一時間は早くつくべきじゃったな…」

 

「またあなたが殺したのね」

頭の中に憎しみが湧いた。制御できないほどの負の感情で頭がパンクしそうになる。

「おお、やはり繰り返しておるのじゃな?果たして君は何回繰り返した?それで、セブルスは何度死んだ」

リヴェンは無言で杖を振った。ダンブルドアの両肩に鋭い切り傷ができ、腱が切れたのかだらりと垂れ下がり、大量の血を吹き出した。

「なんであなたは私からセブルスを奪うの」

リヴェンは心の中で煮えたぎるような憎悪を抱えながら無表情で問う。ダンブルドアは冷や汗をかきながら失血し死に至る我が身を見ていた。

「リヴェン…リヴェン・マクリール。仕方がなかった。わしが生き残るためには彼を犠牲にするしか…」

 

 

たくさんの記憶が、サキの頭に一斉に流れ込んで来た。割れそうなほど頭が痛い。はちきれんばかりの思い出は記憶や触感、感情を伴いサキの小さな心に無理やり入り込んでくる。

「あ…う…」

サキは思わず嗚咽をあげた。

耳に聞こえる声を上げてようやく、自分の立っている場所がどこかわかった。

 

ここは…校長室の入り口だ。

 

「う…げっ」

 

サキはゲロをぶちまけた。床に未消化のかぼちゃスープとパンがベチャベチャと落ちる。饐えた臭いが喉から鼻腔へ登ってきてその匂いにまた吐き気を催す。

ゲロで濡れた唇を撫ぜるのは生暖かい風だ。今は冬のはず…

サキはひとしきり吐き終わったあとに頭痛で歪む景色を眺める。

そして思い出した。

 

今は1997年6月30日…

 

ダンブルドアがハリーとともに出かけ、サキが校長室に侵入したあの日。今日はダンブルドアの…命日だ。

 

サキは自分に何が起きたのか、ガンガンと痛む頭と吐き気できちんと把握できなかった。ただ一つはっきりしているのは、いま自分は「過去をやり直している」と言う事だ。

 

ここは自分が最も強く願った改竄したい過去だ。

「う……」

 

またひどい頭痛に見舞われる。いつ気絶してもおかしくないくらいに痛い。

その痛みがなおさら現実と幻想の境目を曖昧にしていく。

サキは頼りない足取りで天文塔へ向かった。

先程のたくさんの記憶のうち、一番最後に見たリヴェンの煮え滾る憎悪の余韻がまだ全身に残っている。

視界が赤い。手が、震える。これは武者震い?それとも…

 

セブルスはダンブルドアを殺害したからヴォルデモートに殺された。

ニワトコの杖の所有権が彼にあるとヴォルデモートが信じたせいで殺されるのだ。それ以外はすべて計画通りだった。

 

つまりセブルスにダンブルドアを殺させてはいけない。

 

結末までにどのような経路をたどるにしてもセブルスがダンブルドアを殺害すれば、ヴォルデモートはいつかセブルスを殺すはずだ。たとえ武装解除による譲渡を説得してもおそらく殺す手間と武装解除する手間は変わらない、と殺すだろう。

 

リヴェンはそれを何度も見た。

 

リヴェン・マクリールは絶対にセブルスを救えない…1000を超える繰り返しが、分析が導き出したリヴェンの絶望。それは記憶を受け継いだサキにも十分わかった。

魂の抜けたシリウスを見たときよりも血まみれのドラコを見たときよりも濃密で重たい何かが胸の中で暴れだす。体中から感覚が消えていくあの感覚。

 

記憶は感情を伴う。サキが今感じているのはリヴェンの憎悪と殺意だった。

 

階段の一番上まで来て、サキはまた吐いた。

感情か体調かわからないけど胸がムカムカする。

 

どうせほっといてもダンブルドアは呪いで死ぬ。それがきっかけでヴォルデモートは分霊箱について勘づくかもしれない。そうするとこのあと起こること全てが変わってしまう。

 

 

リヴェンはヴォルデモートに捕まった時点でほぼすべての事象に介入不可能になり、ダンブルドアの殺害にも関われなかった。彼に捕まらない未来でダンブルドアを殺害した場合はヴォルデモートからハリー・ポッターを守るために命を落とす。

最良の選択肢。それは私が経験したおそらく最も成功に近かったハリーの生き残る未来となるべく違わぬ筋書きをなぞりつつ、巧妙にセブルスが生き残る抜け穴を作ることだ。

すなわち、セブルスの死の原因である杖の所有権の誤解を起こさず、私はあいつに今度こそ本当に重宝され信頼されねばならない。私の人質としてセブルスが利用されることのないように。

だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

柱にもたれているうちに、バシッと音がして天文塔に二人の人影が表れた。

サキはハリーが自分が誰かわかる前に呪文をかけた。

無言でかけられた金縛り術にハリーはまるで気付かず、ロケットを手にした高揚冷めやらぬ表情のまま固まった。

ダンブルドアは突然固まったハリーを見て目を丸くし、そして暗闇からゆっくりでてくるサキを見て笑った。

 

「おや、サキ。こんばんは」

「ダンブルドア…」

 

この憎悪は、殺意は私のものではない。

セブルスを毎回惨殺するのは、あくまでリヴェンの記憶の中のダンブルドアだ。今の彼は既に呪いを体に受けて死にかけている。

合理的選択として彼の殺害を遂行すべきだ。

殺意は、私のものじゃない。

 

セブルスの喉を掻っ切るダンブルドア。セブルスに死の呪文をあてるダンブルドア。いともたやすく杖を取り上げ、塔の下へ落ちていくのを助けなかったダンブルドア。リヴェンを庇ったセブルスの腹部に致命傷を与えるダンブルドア。アズカバンに送り吸魂鬼のキスをさせるダンブルドア。

無茶な命令を与えセブルスを死地に追いやるダンブルドア。敵の勢力を見誤りかばわれるダンブルドア。罠にセブルスを送り込むダンブルドア。指輪の呪いを彼に受けさせるダンブルドア。

 

違う。違う。違う。これは私の記憶じゃない。今のダンブルドアはセブルスを、少なくとも今の今まで生かしてる。死にかけの体をサキのために捧げようとしている。

 

 

「ダンブルドア。貴方は、私が脳髄を食べたらきっと自分を死の運命から救い出すと思っていますか?」

 

サキの唐突な質問にダンブルドアは眉を顰めた。

 

「君が何を望むかじゃよ、サキ」

 

「そうですか。…そう、ですね」

 

サキは杖を降ろさなかった。

どうすればいいのかわからなかった。ただ脳裏に浮かんだのは、ダンブルドアが生存する未来でもセブルスはヴォルデモートに殺されるという記憶だけ。

ダンブルドアを救えば…セブルスはヴォルデモートに殺される。ヴォルデモートの味方につけば、ダンブルドアに殺される。

それがリヴェン・マクリールが抜け出せなかった運命。

脳が焦げ付く。強すぎる感情は己の身を焼き尽くす。たとえそれが愛でも、憎しみでも。

 

「…ダンブルドア先生」

 

サキはフラフラと歩み寄り、動じないダンブルドアの胸元へもたれた。ダンブルドアは拒絶しなかった。ふわふわの白い髭に顔が埋まり、老いた軽い体の心臓の音を聞いた。

 

「私は、母を食べました」

 

ダンブルドアにだけ聞こえる声で囁いた。

ダンブルドアの心臓はほんの少し早く脈打ち、またすぐにもとに戻った。

「…もし失敗したら、また会いましょう」

「そうか。サキ…幸運を祈るよ」

 

ダンブルドアはサキがこの結論に至るのをはじめから知っていたようだった。

まるでこの天文塔で死ぬと決めていたかのように、ダンブルドアの体はサキが軽く押しただけで境界を越えていく。

ダンブルドアの薄紫のローブがふわりと宙に漂い月の灯を透かした。サキは突き出した手越しに彼の最後の微笑を見た。その刹那の視線の交差の後、彼は塔の下へと墜ちた。

 

ぐしゃ、とスイカを叩き割ったような音が聞こえてきて、サキはハリーの金縛りを解いた。ハリーはダンブルドアが落ちた窓を見て、信じられないと言うようにサキを見た。

 

「どうして…サキ!君がこんなことをするなんて!」

 

すぐに攻撃に移らないのがハリーの甘さだ。

優しいハリー。いつも真っ直ぐなハリー。

ついさっきまで気遣わしげにサキの肩をなでたハリーは消えた。ここから先に起きることはすべてサキの記憶の中だけの事になってしまった。

 

 

私は、過去を改ざんした。

 

ハリーの頭のすぐ横に呪文が飛んできた。

ハリーはさっと身を翻し遮蔽物に隠れる。

 

「サキ…まさか…」

 

ドラコの声がした。

 

「まさか、君がダンブルドアを…」

 

 

 

「ああ。私が殺した」

 

 

 



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02.MEDEE

途端、目眩がサキを襲った。

地面が突然消えたような浮遊感と共に脳みそを握り潰されそうなくらいの鈍痛が走った。

 

息を大きく吸った。肺が膨らんで血管に大量の血が流れてく。それと同期するように突然視界が開けた。

 

白いシーツだ。

かび臭い。

 

 

ハッとして体を起こすと、そこは馴染み深いマルフォイ邸のゲストルームだった。

「ふ…」

鼻の穴からふいに熱い何かがたれてきた。

指で拭ったはしからみるみる溢れてきて袖口まで真っ赤に染まる。鼻血だ。

血のシミを見て連鎖反応が起きるように今日まであった出来事を思い出す。

 

ダンブルドアの殺害後に起きた様々な出来事…これはサキが実際に体験した出来事とそう変わらない。おそらくは。記憶が混濁していてよくわからなくなってくる。魔法省襲撃…ナギニの怪我…もしかして、全てが夢だったのか?

サキは枕元にある日付が書かれたメモを見た。

今日はどうやら1998年4月9日のようだ。メモは日付がつらつらと書かれており、1から8までは真っ黒なインクで塗りつぶされていた。

イースターは12日で、確かその日にハリーたちが人さらいに捕まってマルフォイ邸に来る。それはなんとしても防ぎたい。(またベラトリックスにタコ殴りにされるのは嫌だ)

サキはパジャマを脱いでシワ一つない黒いスーツに着替えた。

長い髪を後ろにまとめ、鏡を見た。

貧血で真っ青な顔に、血潮のように赤い唇。黒髪は栄養失調のせいか少しぱさついている。

確かにサキだ。自分はサキ・シンガー…。

しかし脳裏には記憶の中でみかけたたくさんのマクリールの鏡像が浮かぶ。

先祖たちの顔はぼやけて重なり、モンタージュ写真のようないびつな偶像としてサキの網膜に現れる。いま姿見に映る自分がどのマクリールにも似てるような気がするし、似てないような気もする。気が狂いそうだ。

まだ鼻の下にこびりついている鼻血を拭い、サキは魔法省へ姿くらましした。

 

分霊箱はハリーたちに任せよう。

果実にはもぎ穫られる最良の時期がある。

万事がうまく行くように、計画的に立ち回らなければならない。

 

サキは魔法省でかなり…というか記憶と全く異なると確信できるほど畏敬されていた。

受付も顔パスだしやたらと挨拶される。こんなに偉くなったのはなぜだっけ?と疑問に思う前に思い出す。そう、サキはバーティ・クラウチ・シニアよりも過激に迅速にマグル生まれをアズカバンにぶちこみ、反乱者を摘発したんだった。

 

ああ…

 

思い出した。

サキ・セレン・マクリール魔法大臣付補佐官。私の役職。(ちなみに魔法省襲撃事件後アズカバン送りにされたドローレス・アンブリッジの後釜だ)独裁主義故にいつ首をはねられるかわかったものじゃないが、かなり高い位だ。

 

「ああ!マクリール…マクリール、これは一体なんの用で」

パイアス・シックネス魔法大臣がヘラヘラしながら寄ってきた。彼は服従の呪文にかかって以降いつもひどく下手だ。彼はヤックスリーがハリーを取り逃がしてヴォルデモートにボコボコにされたあと、呪文をかける必要もなく思想的に矯正された。

結局服従の呪文なんてドーピングのようなもので、いっときの麻薬にすぎない。麻痺のあとに襲ってくる理性の逆襲についてはクラウチ親子で十分学んでいた。

マクリールが提案したのは拷問による思想矯正、すなわち洗脳だった。

呪文に頼らない洗脳はマグルの得意分野で、幸いそういう専門書は山ほど残されている。マクリールはそれをちょっとこずるい死喰い人に渡してやっただけだ。成果は上々だ。

シックネスはもとから打たれ弱い人間だったのもあってか頭の中身はすっかり選民思想と純血崇拝、力への欲望に書き換えられている。馬鹿な神託をまともに飲み込むとどうなるかという見本になっていた。

 

哀れだと思う。けれどもすぐにサキの脳にある先人たちの経験がそれを打ち消した。マクリールの綴る暴力の歴史はマグルも魔法使いも見境なく地続きだった。彼一人に同情したところで大局は変わらないし、セブルスは助からない。

 

「シックネス。先月は検挙数が少なかったね」

「ああ…逃亡しているマグル生まれも随分減ったので」

「母数なんてどうだっていいんだよ。アズカバンはまだ空きがある」

「し、しかし捜索にも限度がありましてね…人手が足りんのです。イギリス全土をカバーするには、あの無法者だけではあまりにも…」

「あいつらにしっかり言ってやったほうがいいね。明日は我が身、と。くだらん副業に性を出す屑どもの為にもアズカバンは門戸を開いている」

サキの口ぶりにシックネスの体がこわばるのがわかった。

「すぐに全員今どこで何をしているか報告を挙げさせます」

「頼むよ」

 

偉いというのは気分がいいなと思いつつ、いつから自分はこんなに冷酷になったのか思い出そうとした。余計な記憶はたくさん浮かんでくるのに、それだけはどうしても思い出せなかった。

そもそもいつ…という概念がよくわからなくなってきた。

物語のページを飛ばして読んでる気分になる。そこにある状況は理解できるしどう感じているかもわかる。たしかに私は喜んだり悲しんだりしている。

けれどもこの悲しみは私の感じたものだろうか。それとも記憶を通して書き込まれた別の誰かのものだろうか。実感と体感は違う。けれども区別することすら馬鹿馬鹿しく思えるほどの沢山の体験してないはずの思い出が脳裏を過る。

 

これが過去のすべてを知る魔法。

その言葉に伴うキラキラしたオカルティックな幻想は全くの見当違いだった。

今サキは砂を噛むような現実とも過去とも記憶とも取れないよくわからない感覚にとらわれている。

 

どこまでもどこまでも続く記憶の螺旋。サキは時間の十字路に閉じ込められた。

 

 

 

「この間は悪かったわね」

私は心にもない事を言った。そんなこと全然思ってない。私は彼女を傷つけようと思って衝動的にーその衝動が私にとってどれだけ貴重な感情だったかーひどい言葉を口走ったのだ。

突然話しかけたせいでリリーはすっかり驚いて恐縮していた。

「あの…私…」

私と彼女は3歳差、怖がるのも無理はないだろう。

「謝りたいの。酷いことを言ったわ」

私は手を差し出した。不安そうな彼女を見て、自分が暴言を吐いた記憶にちゃんと戻ってこれたか不安になった。何回も同じ過去をやり直してると時々どの思い出が実現し、どの思い出が消え去ったのか正確なものかわからなくなる。さらに改竄すると時間が大幅に飛んだり飛ばなかったり、体感時間が普段よりめちゃくちゃになるので私はすっかり混乱してしまうのだ。

「私もあのときは、その…失礼な事をしたかもしれないので…」

 

どうやら正解だったらしい。

 

「いいえ。私が一方的に悪いわ。セブルスが大切な友人を紹介したいなんて言うから、私思わず身構えちゃったのね」

いろんな記憶で見た、付き合い上手の人間たちの顔を真似る。私は不細工なマネキン。

でもリリーには効果覿面だったらしい。

「私も、マクリール先輩のことはセブに大切な先輩だって言われました」

「本当?嬉しいわ。…私ってこう見えてとっても子どもなの。だから貴方には不快な思いをさせたわ。ごめんなさい」

正直で誠実な女の子にはストレートに謝ったほうがいい。時代を問わずに言える真実。

案の定リリーはあっさり私を許した。何度も何度も…。

 

 

「セブルスは必死だった?」

 

乾いた口のなかでやけに粘り気のある唾が湧いていた。ダンブルドアはたおやかな指先で私が落として拾えないでいた肩掛けを拾い、肩にかけてくれた。

「ああ、それはもう…ああも狼狽する彼は初めて見たのう」

「そう」

私の中に、形容しがたい思いが沸き立ってくる。口の中がものすごく苦い。

「美しいわね。ガラスのような愛…」

「君はそれでよいのか?」

「あら、どうして」

「わしが思うに、君は随分セブルスの事をすいておったが」

「年寄りは嫌ね」

私は返事を濁した。どうせこのダンブルドアという老人は私の言葉なんか聞いちゃいない。彼は何においても自分が正しいと確信を持っている。反論しても無駄だし、事実を誤魔化してもなんの意味もない。彼にも致命傷になる弱点はあるが、私の手の及ばないところだ。

「さて…君の言う取引について改めて話すとするかの」

「ええ。私は目的を持って行動しているわ。…座ったままね。あなた無くしては成功しないから取引をしたいの」

私の最後の試み。

セブルスが生存するためのたった一つの冴えたやり方は、①私と結ばれず②ダンブルドア側にいて③トムに信頼されており④ト厶、ダンブルドア両名が死亡する。の4つの条件が必要だと考えられる。少なくともこれまで失敗した1500回ほどの過去にこの全てを満たすものはなかった。

またトムの死は私の運命の輪とは別にハリー・ポッターの生死に直結しているのでトムの死はハリー・ポッターの生存を示すわけだが…私にとってあの子の生死は別にどうだっていい。

「娘をあげるわ。好きにしてちょうだい」

「赤ん坊を猫の子のようにはもらえんのう。わしのメリットは一体なんじゃ?君は代わりに何を差し出す」

「この子がメリットそのものよ。過去を改竄する力…あなた、手が出るほどほしいはずよ」

「儂の過去を変えられるわけではない。君たちが変えられる過去は魔法行使者が生存している時代でなければならんのじゃろう」

「あら、あなたほどの大魔法使いが改竄したい過去を持ってるなんてね。違うわよ。貴方の死ぬ未来の話」

ダンブルドアはめずらしく痛いところをつかれたように眉を顰めた。私は彼が変えたい過去を知っているが、それはおくびにも出さない。

「この子をうまく調教すればいい。きっと助けてくれるわ」

「おお、リヴェン。何も知らない子どもに人食いの罪を犯させ、更に君の言う呪いの中に突き落とせと?」

「そうよ。あなたはそれが出来るくらい残酷だわ」

 

セブルスを殺した。何百回も。私はあなたが憎い。憎い憎い憎い。

 

だから呪った。

貴方の心を言葉で縛った。あなたの振りかざす愛とか正義とかいう不確かでどうしようもない言い訳があなたを縛る枷になる。

 

娘に私を食べさせればー貴方は人でなしだわ。

娘に私を食べさせなければー貴方は死ぬわ。

 

ダンブルドア。想像もしてなかったでしょうね。

私があなたを憎んでいたなんて。ましてや死を願っているなんて。

私にとって、セブルス以外の世界のすべてはどうだっていい。

どうしてセブルスを死地に追いやるの?

ねえ、どうして私がセブルスとの時間を捨て去ってからも彼を奪うの?

あと何千回繰り返せば、あなたは私から何も奪わないでいてくれる?

 

ダンブルドア。

 

あなたの割れた頭の中身をぐちゃぐちゃに踏み潰してやりたい。

ザクロのように弾けた顔面を蹴っ飛ばしてやりたい。

セブルスを失ってくうちに私の中で彼を失った悲しみはいつの間にかこんな残忍な欲望にすり替わっていった。

でもどうしたって私はセブルスの涙の中に立ちかえる。彼の死に帰結する。

まるでウロボロスのように私は己の命を喰らいながらあなたの死の運命を廻り続ける。

もう私にはあなたの死を覆すという目的以外に何もなくなった。

 

 

私の気持ちが、わからない?サキ。

わかるはずよね。感じるんだもの。

 

 

 

「ひ……ッ」

 

サキは引きつけを起こして起き上がった。また白いシーツの上だ。

バクバク脈打つ心臓をどうにか落ち着けようとするが上手くいかない。呼吸も早くなりすぎて苦しい。

 

「サキ…?」

 

ドラコがドアを開けて入ってきた。

 

「な、んで。ドラコ…」

「そろそろ夕食だから…どうしたんだ?」

「なんでも…なんでもないよ。…今日は何日だっけ?何年?」

「何馬鹿なこと言ってるんだ?4月9日だよ。夕方に帰ってくるっていったろ?」

 

サキはそれを聞いて絶句した。サキはほんの少し、10分か15分ほど居眠りしただけだったのにあれだけの密度の記憶を見せられた。母のどろどろとした暗く、重たく、生暖かい感情がまだ全身にへばりついてるような気がしてサキは身震いした。

サキ自身が本当に感じてるように、生々しい殺意と憎しみが脳髄の細胞の隙間に入り込みその指を食い込ませたみたいだ。

 

自分のものなのかリヴェンのものなのか(はたまた別の祖先のものなのか)わからない渦を描く怨念。

ほんの少し眠っただけで記憶はサキの理性を蝕んでいる。

 

怖い。

 

サキは肩を抱く。心配したドラコが背中を擦ってくれた。

でもその体温が届かないほどに心が冷え切っていた。まるで心臓の奥から凍りついているようだ。

 

眠ってはいけない…正しい判断ができなくなる。

 

サキは頭を振り、立ち上がった。

「さて夕ご飯だっけね。すっかりお待ちかねだよ」

突然スイッチが切り替わったサキにドラコは驚いたようだったが、サキのなかで何が蠢いているのか彼には知りようがなかった。

 

睡魔との戦いは熾烈を極めた。はじめの方こそカフェインときつけ薬でなんとか意識を保っていたものの、38時間を越すとちょっとでも気を抜くとすぐに何処かへ飛んでいき(文字通り、サキの意識は遠い過去の記憶へ飛んでいる)気付けば戦場や地下牢、石壁の工房などにいたマクリールの記憶を漂っていた。

断続した睡眠は再生される記憶を細切れにし、起きている間の意識からも現実感を削ぎ落とした。

 

とりわけリヴェンの記憶がサキの正気を削っていた。彼女の記憶はこれまでのどのマクリールより鮮烈な感情で彩られている。

 

まだ魔法を継いでないリヴェンの一番最後の思い出は赤かった。リヴェンは突発的な母親の自殺に当惑していた。母は到底自殺するような人格ではなかったし、その自殺というのもピストルで脳を破壊するなんていう魔法使いとしてあるまじき方法だったからだ。

幸運にも(あるいは不幸にも)弾丸は海馬を逸れていた。発砲音を聞きつけた父はすぐに母の遺体を新鮮なままになるように家に伝わる保存液をふりまいた。今思えば、その冷静な行動それ自体が父が母を愛していないという証明だった。

 

「どうする?このままにはできない…ああ…酷い匂いだ」

知らせを受けて駆けつける頃には頭以外がどんどん腐り始めていた。血の巡らない肉体は急速に朽ちていく。

「なぜ俺がいるときに自殺なんか…ああ、クソ」

 

父はスクイブで、魔法薬を煎じることは出来るが杖を使う魔法はできない。魔法界の鼻つまみ者同士ひっそり暮らすために利害が一致して結婚したのだとよく言っていた。…じゃなきゃ誰があんなサイコパスと結婚する?…父は酔いながらよく言っていた。

 

「おい!お前んちの問題だろうが!」

私は誰にも愛されていなかった。両親にさえも。

脳髄を食べれば自分の存在に理由が見つかる気がした。いいや、それしかなかったんだと思う。母親の脳髄を食べれば、母親の感情をしれたはずだから。もしかしたら欠片だけでも愛が拾えるかもしれない。だから食べた。跪きゲロを吐く父を差し置いてザクロのように開いた母の頭蓋に口づけした。

 

頭の中には憎しみがいっぱい。

 

私は学校でもいじめられてた。出来損ないのスクイブの子どもだし、なんだか怪しい家系の出だし、なにより母親クインを知る同級生の親たちは子どもに警告を発してるに違いなかった。

気が狂った女の子ども。危ない子ども。

レッテルが私を埋め尽くしていき、私はどこでも息ができなくなっていた。

 

私は醜くて小さくて汚い出来損ない。卵の中で腐った雛。

 

「おい、久々に帰った父親に何も言うことがないのか?」

「ここにあった鉢植えはどこ?」

「邪魔だから外に出しておいた。土を入れるなよ、家に」

「あれはこの季節、中に入れておくものなのよ」

 

セブルスにもらった鉢植えは父に枯らされていた。

私はその時クインの…拳銃で頭を撃ち抜いたときの母の感情を思い出した。

 

その時私ははじめて人を殺したいと思った。

これほど強い殺意は、父親と…そしてリリーにしか抱いたことがない。

 

 

「お父さん。カンタレラを知ってる?」

「なに?」

 

 

 

 

サキは父がー正確には祖父になるのかー呼吸困難で青黒くなった顔でこちらを見たところで目を覚ました。

ルシウスがグリンゴッツにハリーたちが訪れたというニュースを運んできたおかげで父親の死体をあれ以上見ずにはすんだが、できればもう少し早く目覚めたかった。

目覚めは最悪だ。

ダンブルドアを殺したときと同じ、胸の奥に鉛の塊をぶら下げているような気分だ。

 

「……今、何時…」

「午後3時。ずっと寝ていたのか?」

 

ルシウスはドラコが任務を果たしても相変わらずいじめられる運命にある。分霊箱であるトムの日記を私欲のために使ったのだから当然だろう。しかしこの時間軸のサキは上手くやってたらしい。前見たときよりは血色がいい。

「多分二時間くらい寝てたと思う。…で、ハリーが?」

「グリンゴッツに侵入しようとし、失敗した。ロビーに入るまでもなかった」

「そうか…グリップフックと会ってないから…」

「グリップフック?」

「こっちの話です。そう…ベラ、ベラトリックスは?」

「彼女なら今ちょうど下に」

「会いたいから待たせておいてくれますか?」

「ああ」

ルシウスは返事をしたが、出ていかずにサキを変な目で上から下まで見た。サキが何?と言いたげに視線をやるとまるで幽霊でも見たかのような顔をして出ていく。

サキはゆっくり自分の状況を整理しながら着替えた。この服はいつからきているんだっけ?着たばっかりの気もする。どうでもいい記憶はすぐに混ざってしまう…サキはもともと服に関心がなかった。

サキは深緑色のワンピースを脱ぎ黒いスカートを履く。ノロノロと着替えてから降りていくと案の定ベラトリックスはイライラと足を組み替えながら待っていた。

 

「こんにちは」

「なんの用だ」

相変わらずサキには攻撃的だ。リヴェンの記憶はすべて見れていないのだが、いくつか好意的なベラトリックスと話した記憶がある。今となっては誰も覚えてないサキ、いや。リヴェンだけの思い出だ。

 

「ハリー・ポッターがグリンゴッツに現れたって聞きましたか?」

「ああ。それが?」

「いえね、ちょっとあなたは心配なんじゃないかと。…あなたの金庫にあるものについてですが」

「貴様…」

ベラトリックスは一気に警戒心を顕にする。しかし彼女の心が棘で覆われる前に私は優しく囁くのだ。

「大丈夫。金庫を確認しに行くなら私を連れて行けば余計な詮索はされずにすみます。なんてったって管轄だから」

ほしいものをはじめに提示すれば、そしてノーと言わせる前にイエスを前提とした話を進めればいい。案の定ベラトリックスはサキの提案にすぐに乗った。

ベラトリックスはフラフラした足取りでノクターン横丁を横切る。その横にはサキ。ヴォルデモートの両手の花が連れ立って歩いているせいでひどく人目を引く。しかしベラトリックスと目があった瞬間死のリスクが高まるため人々はちらちら横目でサキ越しに彼女を盗み見ている。

 

「なぜお前が金庫の中身を知っている」

「剣の贋作を作った覚えがありまして」

この世界ではないけれどもダンブルドアの事だ。セブルスに作らせ保管させているに違いない。

「誰に依頼された」

「ダンブルドアです」

「お前はそれを黙っていたと?」

「忘れていただけですよ。いやだな…そうカリカリしないで。まだ私が信じられませんか?」

「ああ、そうだ」

 

グリンゴッツの入り口にはこれみよがしにガード魔ンが立っていて通行人を威嚇している。ロビー内もどこか張り詰めた雰囲気で金貨のぶつかり合う音と紙束をめくる音くらいしか雑音がしない。もとよりおしゃべり好きではないゴブリンたちですらやりにくそうだ。

 

「私の金庫を確認させろ」

 

ベラトリックスはそう言って杖をデスクに叩きつけた。

「レストレンジ様…マクリール様まで」

「お前たちの警備は信用できん」

「悪いね忙しいところ。マダムは心配性で…」

「ご心配ももっともですが金庫への侵入は何人にも許しておりません」

ゴブリンは不機嫌そうなベラトリックスを見て震え上がっている。ブルブル震える手で杖を見聞しているゴブリンに苛立ってベラトリックスは怒鳴る。

「早く!」

「か、かしこまりました。担当のボグロッドを連れてまいります」

受付はほとんど転げ落ちるようにして椅子から飛び降り、大きな金属音のする革袋を取り出して扉へ向かった。

ホールから奥へ続く扉は分厚く、閉まると外部からの音を完全に遮断した。空気があるか心配になるほどの無音のなかを小鬼と魔女二人が歩いていく。やがて錆びついたレールとトロッコに行き当たり、ボグロッドはキビキビと運転席についた。

「これ、嫌いだ」

「…ここに来たことはないと言っていたはずだぞ」

サキの小さなつぶやきにベラトリックスが敏感に反応した。

トロッコはガタゴト揺れながら鍾乳洞をくぐり抜け、コウモリの糞だらけの壁を抜けて地中へと降っていく。

「昔から乗り物酔いしやすくて」

「トロッコ酔い、とでも?」

サキの誤魔化しにベラトリックスは眉を顰めた。彼女の鋭敏な猜疑心は僅かな扠さくれも見逃さない。

ずっと地下まで行くと大きな空間があった。

ボグロッドはトロッコを止めると金属音のする革袋を振り耳障りな音を立てながら迷いなく進んだ。

美しい石柱と石畳が広がるホールの中央に老いたドラゴンがいる。ドラゴンは音に怯えて隅に縮こまっていた。よく調教されている。

 

「お待たせいたしました」

 

ボグロッドが手を扉に押し当てると、扉は霧のように消えた。

ベラトリックスが深呼吸をして金庫に一歩踏み入れた。

 

財宝の数々はベラトリックスのボロみたいな衣装とは不釣り合いの輝きを放っていた。(彼女のファッションセンスはアズカバンでおかしくなった)人々が金銀財宝と聞いて思い浮かべるすべての物がその中にあるようだった。

ベラトリックスの様子を見ていれば、サキが探しているものはすぐにわかる。

彼女がまず手に取ったのは剣ではなく、小さな金のカップだった。

 

「インペリオ」

 

サキはボグロッドの耳元で囁いた。

ボグロッドは不意に食らった呪文になんの抵抗もなくかかり、溶けそうな白目をだらんと剥けた。

 

ベラトリックスはカップを置くと棚の上に鎖と混じって置かれたグリフィンドールの剣を手に取りじっくり眺めた。

 

「ゴブリン…ハリー・ポッターはほんとうに」

 

ベラトリックスが何を確認したかったのかはわからなかった。

というのも彼女が続きを言う機会は永遠に失われたからだ。

ベラトリックスは呼ばれて近づいてきたボグロッドをまるで警戒していなかった。小鬼は古来より危険視される存在だが、彼らは彼らの利益がない限りは人間に対しては不干渉だった。だからこそベラトリックスは小鬼のたった一人の意味なき反逆なんて頭の片隅にもなかっただろう。

最もボグロッドがベラトリックスの腹部に深くナイフを差し込んだのはサキの服従の呪文によるものだが。

 

「く」

 

それでもベラトリックスは反射的に魔法でボグロッドの首を刎ね落とした。

ボグロッドは首無のままよろよろと力が抜け、ナイフを握りしめたまま床に倒れた。

 

「ああああああ!」

ベラトリックスが野獣のように叫んだ。サキはそれをただ見ていた。

 

「シンガー!シンガー!血止めをよこせ!」

 

血は固まることなく裂傷から吹き出している。刃に塗られた薬は鼻血ヌルヌルヌガーにも使われている手に入れやすいものだ。

「エクスペリアームス」

サキはベラトリックスの杖をとりあげた。ベラトリックスはぽかんとした顔でサキを見た。

サキはベラトリックスが取り落とした剣を拾い、振り上げる。

「きさ」

ベラトリックスが呪詛を投げかける前に、彼女の右肩にそれを振り落とした。

悲鳴を上げてなお襲い掛かってくる彼女を無視してサキはカップを杖の先に引っ掛けた。ベラトリックスはまだ動く左手でサキから杖を奪おうとした。火事場の馬鹿力というのだろうか。とんでもない力で倒された。彼女とボグロッドの血の池に落ちる。血脂は金庫の床へ拡がり続けている。

「おおおおおまえ、あの方の愛を、独占するつもりで」

見当外れの呪詛を投げかけるベラトリックスはサキに馬乗りになって落ちているナイフを拾い上げた。

サキは冷静に彼女のぶら下がって千切れそうな右腕を引っ張った。普通に生きていたら経験したことがない痛みでベラトリックスの目が見開かれる。その痛みで真っ白になった脳に、サキは杖を突き刺した。

杖は眼球を突き抜けて頭蓋にまで達した。骨を突き抜けると杖は突然抵抗を無くし、まるで泥の中に突っ込んだかのようにぐちょり、と湿った感触を伝えた。杖先は脳幹を破壊し、眼窩から髄液や血や涙やいろんな液体を零した。

 

「…はあ…」

 

サキの肺いっぱいに血なまぐさい空気が巡る。

気づけば随分呼吸を荒げていたらしく、体が熱い。

 

やり遂げた。

ベラトリックスはここで殺しておかないとホグワーツに甚大な被害をもたらす。そして一番重要なのはこのハッフルパフのカップ。これはハリーたちがグリンゴッツに入れない以上サキが回収する他ない。

ヴォルデモートに分霊箱が壊されていると知られるまで前より猶予が生まれた。

万事滞りない。

サキはベラトリックスの死体をどかし、急ぎボグロッドの手を切り落とした。

ゴブリンの手がないとトロッコを運転できない。

鳴子を奪い、サキは血脂に足を取られながらカップを杖先に引っ掛けて金庫を脱出した。

 

かつて無いほど血塗れだ。けど、盗人落としの滝が血を洗い流してくれるだろう。

 

サキはトロッコにボグロッドの手を押し付け、スピードを出し過ぎながらなんとか帰還した。

仕舞に洞窟の深い深い穴の中に手を落としてしまえば証拠隠滅完了だ。数日は稼げるだろう。

 

無音の洞穴を上がっていくとロビーにたどり着く。サキは振り向くことはなかった。

 

「おや、マクリール様のみですか」

「レストレンジさんは金庫の整理をしたいらしいからね。人の金庫の中身をジロジロ見ていても失礼だから」

「左様ですか…」

「ありゃ数日かかるかもね。…イライラしてたし、私は先にお暇させてもらったよ」

「旧い金庫です。かなりの手間でしょうね」

ゴブリンはベラトリックスの顔をしばらく見なくても良さそうなのでホッとした顔をした。もう二度と見なくて済むと知ったら小躍りするんじゃないか。

 

「じゃあ失礼するよ」

「はい。またのご利用をお待ちしています」

 



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03.Les Crimes de l'amour

セブルスは私がいじめっ子を懲らしめて以来私のそばにいつもひっついていた。

彼は私に強い魔法使いの幻想を持っていたようだけれど、たった11歳の彼に孤高と孤独の違いがわかるわけはない。私は孤独で、彼の思うような孤高の気高き魔法使いなんかじゃなかった。

だけど、彼だけが私の断続する時間に根気よく付き合ってくれた。いつしか、どんな人生から目覚めても彼を道標に私の時間に帰ってくることができるようになった。

 

「先輩は力の行使の仕方を心得ているんですね。だからいつも凛々しくて、皆から尊敬されている」

「避けられてるだけだわ」

「そんな事ありませんよ。僕みたいに気安く話しかけてるのが珍しいんだ」

 

私は、セブルス。あなたの思っているような人間じゃない。

 

「さっきリリーとどんな話をしていたんですか」

「恋バナ」

「え…先輩が?」

「そう。貴方が好きだって話をしていた」

「せ、先輩が、僕をですか?」

 

セブルスは私に渡す卒業式の花束を持ってギョッとしていた。全く予想外だったらしい。

生徒たちは式が終わってから各々思い出を語らい、後輩と抱き合ったり友達とキスしたりしてお祭り騒ぎだった。

 

「多分そうだと思う。わからないから聞いてみたら、それは好きって事だと教えてくれたわ」

「先輩が僕を…」

セブルスはこれがたちの悪いイタズラだと思ったらしく周りをキョロキョロ見回した。

「私は貴方がずっとリリーが好きなのを知ってる。その一途さに恋をしたのかもしれないわね」

「なんでそんなに他人事でいられるんですか?」

セブルスはだんだん顔を赤くしていった。私は彼の感情の移り変わりを見ていると不思議と笑いたくなっていく。彼の不器用さ、一途さ、真摯さ、純粋さ。全てが好きだった。何もかもが目まぐるしく変わっていく子ども時代、たった11歳の頃から彼を見てきた。けれど彼はたった一つの願いを抱いて不器用に、それでも真っ直ぐと成長しようとしていた。

花や木が太陽に向かって葉を広げるように、凛と。

私にはもうできない。

 

「恋をしたことがないからどうすればいいかわからなくて。言えてよかった」

「僕、突然過ぎて…その…」

「私はもう卒業する。あなたに会えなくなるのが辛いわ」

「僕も、僕もですよ。リヴェン…あの、すごく嬉しい。先輩は高嶺の花だと思っていたから」

 

私は花ですらない。咲くことはない。

 

「僕はまだ、先輩に返事ができません。僕が卒業したら、返事をします」

「そう。気長に待つわ」

 

その頃までに、私は私でいられるだろうか。

 

セブルスはいたずらっぽく笑って、涙を拭きながら私に花束を渡した。

 

「僕のこと、忘れないでくださいね」

「……忘れないわ」

 

忘れたくない。

 

 

 

 

 

「っ…」

サキは身悶えするほどに軋む胸を押さえ、自分がほんのちょっとの移動時間に寝ていたことに気づいた。

ナイトバスは急ブレーキをかけてホグズミード村の入り口で止まった。

「マクリールさんよ、着きましたぜ」

車掌は厄介な客を捕まえて後悔したように嫌々お辞儀をして出口を指した。サキはおざなりに礼を言いふらふらと門をくぐった。みゃあみゃあと警報が鳴り響き、死喰い人が慌ててすっ飛んでくる。しかしいかにも不機嫌そうな顔のサキを見てすぐに退散していった。

もう日もとっぷり暮れて家々から漏れる光だけがサキの行く手を照らしている。

 

サキはガンガンと痛む頭を手で包み込み、ホッグズ・ヘッドへ向かった。

 

ホグズミード村の店は軒並み開店休業だ。ハリー・ポッター探知網は強化され、戒厳令が出ているのかと勘違いするくらいに誰も表へ姿を見せなくなった。

ホッグズ・ヘッドはもともとボロボロでみすぼらしい店だったが今はテーブルや椅子すら片付けられ、扉をしばらく開けてないせいでノブにホコリが積もっている。

サキは魔法で扉を破った。

ドアについた鐘がけたたましく鳴る。

ばん、と音を立てて奥のドアが開いた。杖を後ろ手に忍ばせた老人…アバーフォースが警戒した様子でサキをまじまじと見つめた。

 

「こんばんは」

 

「お前……」

アバーフォースは絶句した。サキの顔はさんざん新聞で見ただろう。顔にみるみる疑念が浮かび、警戒心が彼の杖先へ登っていくのがわかる。

「アバーフォース。記憶にあるより随分老けたようだけれど、元気そうですね」

「…マクリール…オフィーリアの記憶か?」

「ええ。ところで、もう少し温かいところへ行きたいのですが」

話は中で、と心で付け足すとアバーフォースはしばし悩み、結局渋々中へ招き入れた。

彼はいつもダンブルドアの影に隠れているが普通の人より遥かに察しがいい優秀な人だ。

「その魔法は潰えたと思っていた」

「今から数ヶ月後に私の手に渡りましてね」

「は…変な会話だな。つまりお前さんは未来を知ってて運命を変えようとしていると?」

「ええ。往くべき未来へ辿り着くためにここに来ました」

サキは金のカップを小汚い長机にだした。

「ここから先の筋書きは、ハリーたちがホグワーツに来なければ始まりません。貴方に役を用意しました。協力してください」

「気の早いお嬢さんだ。俺はまだイエスとはいっとらん」

アバーフォースは乱暴にさっきまで磨いていたジョッキを置いた。

「まず、俺はあんたがみたという未来の話を信じないだろう。そして、俺はすでに戦いを降りた。今更表に出るのはゴメンだ」

「やはりあなたは用心深い。だからこそあなたにしか頼めない。…まずそのカップ、それはハリー・ポッターが…」

「おいおい、待て待て。人の話を聞け」

「聞いてます。そのカップは彼がグリンゴッツから盗みたかったものです。そしてこれは彼の持つ剣で破壊しなければならない」

話をどんどん進めてくサキにアバーフォースは怒りとも呆れとも取れない顔をする。

「私が持ってちゃだめなんです。これをドビーに渡し速やかに彼に届けさせてください。あなたは鏡を持っているから彼がどこにいるか断片的に知っているはず」

私が現時点では知り得ない情報。ドビーとアバーフォースの関係と鏡の存在…どちらもすべてが終わったあとに裁判で明らかになったことだった。

「……どうやら未来から来たのは本当らしいな。ふん…だがやはり答えはノーだ」

「ならカップはここへ置いていきます。私が持つよりはここにあったほうがいい」

「馬鹿言うな!どんな品物かわからんものを置いていくな」

「あなたは私にとってハリーと学校をつなぐアリアドネの糸です。ハリーは必ず学校へ着かなければならない。それしか勝ち筋はない。いや、もしかしたらあるかもしれない…私はまだ十分に試していないから」

「……サキ・マクリール、お前は二年前と随分変わったな」

「二年前?」

サキはちょっと思い出す時間を取った。そうだ、5年生のときにハーマイオニーがDA設立のために大勢の生徒をここに呼んだんだ。

「ああ。そういえば大勢でお邪魔しましたね」

「…そうか、そんなところまで同じになってしまうのか」

「誤解しないでください。あなたのことはよく知ってますが私はオフィーリアではない」

「わかってる。わかってるが…皮肉なものだな。運命とは」

サキは返事をしなかった。

「頼みますよ。もしあなたが死んだら私、やり直すのもやぶさかではありません」

「嘘をつけ」

 

そう。私は嘘つき。

 

「アブ。食べ物を与えたってこのままじゃ子どもたちは皆アズカバン行きだわ。あそこはとても寒い」

「…まさかお前の未来でも俺はあいつらに食事を?」

「ええ、ご馳走様でした」

「俺も甘いな」

「もう少し甘くなってくれませんか?」

「いいや、無理だ。だいたいハリー・ポッターだって来たくてもここには来まい」

「いいえ。来ます。絶対に」

サキは立ち上がった。

ハッフルパフのカップを置いたままドアをくぐった。アバーフォースは追うことも声をかけることもしなかった。

 

「万が一すべてが取り返しがつかなくなったらまた来ます。そうなったらそれはセブルスに渡してください」

「そうならんことを祈る」

「私もです」

 

 

 

……

 

頭痛はどんどん酷くなっていく。過去の改ざんによる負荷なのか不眠からくるものなのか区別できない。ただ無限に湧き上がってくる不快感と浮遊感が全身を支配する。泥濘の中を永遠彷徨っているようだ。

「…あれ?」

サキは自分がいつのまにかホグワーツの門を抜けているのに気づいた。おかしいなと思って自分の手を見ると、ベラトリックスの返り血がついていた。

ギョッとして思わずその血痕を拭うと、手に汚れなんてなく、校長室の前にいた。

「え…あ……」

「どうかしたのか?」

今度は目の前にセブルスがいた。

サキは今自分の身に起きていることを整理できず、思わずセブルスの腕を掴んだ。多分現実だと思う。わからない。

傷跡は過去が確かに存在したという証だ。けれども私の左手にはもう傷跡なんてない。初めからなかったことになった。

セブルスの顔は、記憶よりずっと老けてるような気もする。土気色の肌はあんまり変わらないし、服装も髪質も全然昔と変わらない。昔ってどのくらい昔だっけ?7年前、とかそれくらい?

一番最近見たのはリヴェンの記憶のセブルスだからわからない。

 

「先生…ダンブルドアを殺したのは私ですよね?」

「一体どうした」

「答えて」

「君だ」

「ああ…よかった…」

「サキ、まさか…」

 

セブルスの顔が一気に青褪めた。

だから敏い人は嫌なんだ。私は馬鹿だから誤魔化し方をいつも間違える。いつかは悟られると思っていたが案外早かった。

 

「君は…脳髄を食べたのか?」

 

「……ええまあ」

セブルスのこんなに狼狽した顔は初めて見たかもしれない。ちなみにリリーを失ったときは狼狽と言うより錯乱、もしくは恐慌だった。

「なぜ…なぜ…そんな…」

「仕方なかったんです」

「我輩は任務に失敗したのか」

「いえ、成功しました。あの人は完全に死んでハリーは生きていました」

「じゃあ何故!」

「あなたが死にました。…先生、私はあなたを死なせない為に今ここにいるんです」

 

セブルスは絶句し、椅子に座り込んだ。

俯き、取り返し用のない事実に対して何かしら心の整理をしているんだろう。何を考えてるのかわからないけれどもその悲しみにより深く刻まれた皺がサキの心にも傷を作る。その傷はひどく愛おしい。その痛ましい甘さがどこからくるのかわからない。

 

「なぜ私なんかのために…君は、君が何をしたのかわかっているのか?」

「体感していますよ。はっきり言って生きることは死ぬより辛い」

 

セブルスの顔がまた歪んだ。

そう、その顔。

リヴェンが本当に見たかったのはその顔だ。

 

「母の遺志が私を導きました。先生、あなたが死の運命から逃れられない限り私はきっと時を繰り返します。母と同じように」

「リヴェンと同じ…?」

「そうですよ。先生。母はー貴方のためだけにすべてを投げ打ち、私を産みました。私はあなたを救うための生贄。供犠の子ども」

 

母を灼いた恋情の炎は地獄の火のように消えることがなかった。彼女の黒くて生暖かい渦の中のような執念はサキのすべてを飲み込んで喰らい尽くしていく。心は、もう脳髄を食べる前みたいにいろんな事を感じることができない。

欲望と不快感と絶望が、鈍麻してく心と入れ替わっていく。

「だから貴方には生きてもらわなきゃ困るんです。やり直すのは…すごく疲れますからね」

「ああ…そんな…」

 

セブルスは神に祈るように手を組み顔を伏せた。彼の涙が流れるのを見て、私は何故か救われたような気持ちになる。

この気持ちは誰のものだろう。

意識が睡魔に襲われて、サキはしゃがみ込んだ。

 

「まだ仕事は終わってない…先生、大至急爆薬がいるんです。それも山ほど」

 

秘密の部屋に眠る骸に用がある。

ハリーたちが来る前にレイブンクローの髪飾りと破壊手段を確保しなければいけない。

 

「先生?」

 

セブルスの返事がなかったので心配になって促すと、セブルスはまるで小さな男の子のように儚げに言った。いつもより小さく見える落ち込んだ肩に手をおくとそれに促されるようにセブルスはポツリとつぶやいた。

 

「…リヴェンはなぜ、私を…それだけは教えてくれ」

「話すと長いのですべてが終わってからでいいですか?」

「だめだ。簡潔にでもいいから教えてくれ」

「簡潔に…うーん…」

 

サキは悩んだ。ダンブルドアの肖像画が悲しげな目で見てるのに気づいて閃いた。

 

「愛故に」

 

 

 

 

セブルスはサキの告げた自身の死の運命よりも、彼女が脳髄を食べたという事実に打ちひしがれた。

自分の死は昔から覚悟していた。

リリーが死に、リヴェンまで死んでしまってからセブルスの生きる理由は彼女たちの忘れ形見を守ることだけだった。

なのにサキはリヴェンと同じとこしえの時間を生きることになってしまった。リヴェンが死んだ理由が"愛"であると聞いたとき、セブルスは叫び出したくなるような衝動に駆られ口をつぐむ他なかった。

リヴェンの気持ちに何一つ気づかないまま彼女を逝かせてしまった。彼女の想いに報いることなくそればかりか最後に残ったサキまでも同じ地獄に突き落としたのだ。

 

「私を忘れないで」

 

その言葉にどれだけの意味が込められていたのか今ようやくわかった。

自分がどれだけ残酷な事をしてきたか、懺悔と狂いそうなほどの後悔が心を砕いていく。

 

あの血の魔法についてセブルスはすべてを知っているわけではない。彼女たちは眠るたびに何十年という他人の人生を体感する。だとしたら彼女がダンブルドアを殺して10ヶ月の間に彼女は一体何年セブルスと違う時間を体感したんだろうか。

もうサキはセブルスの知っているサキではない。

むしろその精神はリヴェンに近いのかもしれない。最近の彼女の立ち居振る舞いはリヴェンに似ている。ちょっとした杖の扱い、文字の書き方…経験や体験がつくる無意識下の体の動き。それが瓜二つだ。

 

「先生が死んだらやり直しなんですからね。絶対絶対死なないでくださいよ!」

 

サキ・シンガーの口調で、サキ・マクリールは言う。

無理して作った笑い。

彼女は分岐をやり直す。失敗した未来から戻り、改竄し、改ざんした結果現れた新たな未来からまたやり直す。そうやって毒を蓄積していく。

サキをこれ以上苦しみの中にいさせない為にも、セブルスは決して死んではならない。

 

………

 

サキは秘密の部屋への侵入を阻む石の壁を発破でなんとか崩し、魔法で壊せるくらいまでは削ることに成功した。久々にくる秘密の部屋はなんだか記憶とだいぶ違うしやけに空気が冷たかった。

秘密の部屋の中央に転がる躯はもう骨だけしか残っていない。抜けかけた牙をもぎ取ってさっさと撤収した。

残念なことにあの偉大な蛇の王は跡形もなく朽ち果てており軟骨まで削がれたバラバラの骨が散らばっているだけだった。頭蓋骨だけがゴロンと転がる地下の聖堂。秘密の部屋という名前にある意味一番ふさわしい主かもしれない。

 

サキはトイレの手洗い場に穿たれた底なしの闇から這い上がるとメチルフェニデートを噛み砕いた。

マートルすら嘆くのをやめるほどに冷たく暗い学校はますますサキの気分を憂鬱にさせる。

 

ぶつぶつと頭の奥から囁きが聞こえてくる。そう思ったら自分の下顎ががくがく震えていることに気づいた。私が喋っていたらしい。行ったこともない異国の言葉だ。

 

「落ち着け落ち着け落ち着け…まだ発病するには早い…」

 

サキは自分にそう言い聞かす。ただ不安はそう簡単には振り払えない。人間は自分がいつだって死なないと楽観的でいられることができる一方で「終わり」を予感した途端自分は今すぐに死ぬと確信してしまう。呆れるほどの痛がりだ。

大丈夫。息を吸って確かめる。…私は生きている。

肉体なんていくら傷んでもいい。

大切なのは、意識や魂とか言う形のないもの。

 

「そう。…決して乱れぬ意志と呼吸」

 

サキは足を一歩踏み出して階段を駆け上がる。踊りと見間違えるほど軽やかな足取りで。

 

「さて…問題は必要の部屋だな」

 

現在必要の部屋はDAが占拠している。学校の不当な支配に対する反乱はカロー兄妹を苛つかせ、他の大人しく日和見な生徒たちへの圧力を強めている。

 

彼らを全員追い出さない限りレイブンクローの髪飾りがある部屋へはいけない。姿を現すキャビネット棚で入ることはできても部屋を出ることはできない。

そのために彼らが思わず出てきてしまうような理由が必要だった。

サキはそれをずっと待っていた。

 

少し目をつぶると、すぐ眠りに落ちてしまう。

校長室に置いた小さなソファーに座るといつの間にかサキは星空の下にいた。

だだっ広い草原に寝っ転がっていて草が頬をひっかく。短く切った髪がおでこをくすぐる。

 

「どんな気分?」

頭の上の方から声がかかった。

「サイコーさ!」

起き上がって声のした方を向いて笑った。

「眠るたびに何十年分も記憶を見るんだろ?それって、辛くない?」

「辛い?そんなことはないさ。いいかい、僕はね…」

私は立ち上がり、声をかけた若々しいボサボサ髪の男に説教するように言った。

「僕は偉大なる魔法を継いだんだ。普通の人が知り得ない遥か過去を体験し、時間の中に埋もれた秘密を暴くことができる。こんなに素晴らしいことはないよ」

私の自信満々な言葉に男は面食らって苦笑いする。彼はボサボサ髪をぐしゃぐしゃとかいてから質問を続けた。

「そうかな…僕らと体感時間が違っちゃうだろ。それって辛そうだけど」

「人によるだろうね。それに僕らはそういう風になっても大丈夫なように教育されてきたんだ。ずっと、代々ね」

「そんなの、まるで洗脳じゃないか」

「どこに違いがあるんだい」

私は快活に笑う。

「確かに辛いかもしれない。けれども僕の好奇心や探究心はそれ以上の悦びに震えているよ」

私は星星を指差した。深い深い藍色の空。私の髪の色と同じ。どこまでも染み込んでいく深い闇に瞬く星星はいくら箒で飛んでも届かない場所にある。けれどもその光は数千年以上前の記憶と同じようにちゃんとそこに在る。

「大地と空と"私"さえあれば僕らはどこでだって、いつだって生きていける。僕らの肉体はあっという間に朽ちていくけどね、記憶は永遠に存在し続ける。この星星が瞬いている間はきっと」

「僕は…君が変わってしまうのかと思うと何だかとってもたまらなくなるよ」

「おやゴドリック。君の自信過剰っぷりはどうしたんだい」

「何事においても不敵だと思ってた?僕だって色々怖いのさ。この前知り合った、サラザール。あいつのことも少し怖いし…」

「勇猛果敢の肩書が泣いてるぜ。今の君は子猫みたいだ」

「初恋のお姉さんが結婚する日くらいがっくり来るさ!ダナエ。本当に嫁に行くの?」

「馬鹿だな。婿が来るのさ。僕んちは母系だからね」

ゴドリックと呼ばれた男は立ち上がり、手を差し出した。星しか明かりがないせいか彼の表情ははっきり見えない。

「君は僕の目標だった。でもこれから僕はきっときみの記憶の中でも霞まないような偉大な魔法使いになる。君に絶対に忘れられないような魔法使いに」

「…ああ、それはすごく…すごく素敵だ。ゴドリック、僕に君を忘れさせないでね」

 

 

私は、今まで彼以外の多くの恋人や友人、愛すべき人々を得てきたけれども、セブルス。私のこの気持ちはきっとそのどれとも違う。

 

私はリリーが許せなかった。

だから絶対に彼女を助けない。何度も何度も救えるはずだったけど、私は絶対に彼女を助けない。

 

あなたを愛していた。あなたも私を愛していたはずなのに、今ではもう私の記憶の中にしかない。

その輝かしい未来はいつもあなたの死で終わる。私はそんなこと耐えられない。

私は何人もの死をただ見てきた。時に死を早め、自分で手を下した。けれども本当の意味で私が殺したのはリリーだけ。

私だったら彼女のことは容易に助けられる。けれども私はあなたのすべてを持っていったあの娘を許せなかった。

 

あなたのためだけに私は生きてきた。今私の胸を満たすこれは愛とは呼べない感情だ。もっと醜く腐った気持ちの悪いなにか。でも私はあなたを愛していると言い続けよう。形骸化した愛という言葉でしか私の想いの強さは表し難い。

 

こんなにもあなたのことを想っていても、私は二度とあなたに愛されることはないのだ。すべての歯車は狂ったまま私の脳はじきに機能を停止する。

 

あなたに愛された記憶だけが私を突き動かすたったひとつの理由だった。在りし日のあなたの思い出が、私の身を焦がし破滅させる。

生きていて、何千年もの記憶に晒されても、尽きることのないあなたへの妄執。これほど苦しいものならば、あなたに恋なんてしなければよかった。この世界のあなたも同じ炎に灼かれているのでしょうね。

忘れないで、セブルス。あなたの抱いた痛みは私の痛みと同じのはず。私はあなたを愛してる。ずっと。ずっと。永遠に、追憶の中でも私はあなたを恋い焦がれる。

 

あなたの手なんて振り払えばよかった。

あなたを救おうと思わなければよかった。

あなたに会わなければよかった。

生まれてこなければよかった。

 

私を、忘れないで。

 



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04.Goodbye Cruel World

「…う」

 

吐き気がした。

意識は記憶の合間を彷徨い歪んでいく。私は…サキはどんな風に笑っていたんだっけ。

リヴェンの怨念にも似た想いがどんどん自分を蝕んでいく。まるで病気のようにサキを覆い尽くしていく。

 

「…泣いているのか?」

セブルスの声がしてサキの肩はびくんと跳ねた。

声のした方へ振り向くと校長室の入り口にセブルスが立っていた。

「まさか…これはつわりです」

「だ、誰の子供だ?!まさかドラ…」

「わ、違うよ馬鹿だな!冗談に決まってるでしょう!」

「君の冗談は本当に全く笑えない…」

束の間だけどまたいつものセブルスに戻ってくれた。

「…で、慌ててどうしたんです?」

「ああ。ポッターがどうやらホグズミード村に現れたようだ」

「それはいい知らせですね」

サキは大きく深呼吸した。先程見た記憶の余韻がまだ抜けない。

けれども何時までもフラフラしていては目的を果たせない。サキは気合を入れて立ち上がった。

 

「先生…ハリーはあの人の死の呪文を受けても絶命しません。だからこそ彼が死んでいると偽装しなければいけない」

「我輩が引き受けよう」

「ええ、ハリーをあの人のもとへ送り届けるのもあなたの仕事です」

「…承知した」

「ついて行ってくれるようには説得しますけどあなたが何故彼を守ったのかは言いません。ご自身で説明すべきです」

セブルスはしかめっ面をした。サキはなんとか笑顔を作る。

「私は未来を見てきてお見通しなんですからね。あなたが何のために戦ってきたのか知ってます」

 

あなたは、リリー・エバンスのために戦ってきた。わかってるよ。

 

「奇妙な気分だ。本当に…。だが君はこのあとどうする?あの人は…」

「私は投降して髪飾りを渡します。その後は…まあどうなるかわかりませんが、うまく行かなかったらやり直しますよ」

「くれぐれも危険なことはするなよ。君が死んだら全てが終わりだ」

「あなたが生きてればそれでいい」

「いいや。お願いだ。これ以上私に罪を重ねさせないでくれ」

「…たしかに。これ以上は先生がかわいそうですね」

 

サキは杖を抜いた。

サキが一番懸念しているのはニワトコの杖の所有権についてヴォルデモートが誤解し殺しに来ることだった。

サキ・シンガーにとっての元の世界では、恐らくニワトコの杖の所有権はハリーにあった。

というのもマクリールの血筋は杖と相性が悪い。感情らしきもののある杖では従わせることができないので空っぽの器が必要だった。だからこそ、魔法界で暮らしていくためにオリバンダーたちとだけは交流を続けていた。

サキは所有していても忠誠を勝ち取ることはできない。故に前回は信託したハリーに所有権がうつっていたはずだ。

今回は違う。ダンブルドアは杖を抱いたまま落下死したのだ。確かにサキが彼の体を押した。しかし死因はあくまでも墜落。この場合所有権は誰に移るのだろう。ちゃんとオリバンダーに聞いておけばよかった。死人にくちなし、後悔先立たず。

 

サキが嘘をつき続ければニワトコの杖の主の座は恐らく誰にもわからないまま永遠に埋まることはないだろう。

 

あの人はそれを聞いたらどうなるだろうか?

ベラトリックスの殺害もさすがにもう知るところだろうし、もしかしたら今度こそ本当に殺されるかもしれない。それならそれでいい。

ただし私は死ぬ前に…死んだあとでも成し遂げなければならない。セブルスを死の運命から救う…それだけのために繰り返してきたのだから。

 

「サキ?」

「…はい」

「本当にポッターは呪文を受けても死なないのだな」

「あの人の魂が代わりに壊れます。ただし二度目はもうありませんよ」

「ああ。今から全校集会を開く。ポッターは君の予測のとおりならばそこに必ず現れる」

「その間に私は必要の部屋へ。あそこが空にならないと分霊箱を取り出せませんからね…先生は一時撤退し校長室に潜伏する。困ったときは私の血を使ってください」

「わかった。幸運を」

「ええ。あなたにも」

仮に女神が微笑まなくても、私が必ずあなたを救うから。

 

 

 

私は果たしてどこまで私の意思で動いているんだろう?セブルスは大切な家族だと思っていた。死の運命から助けられるというのならば助けたい。失いたくない。

けれどもリヴェンの記憶を見るたびにどんどん何がなんだかわからなくなっていく。

彼女の記憶は元々サキが感じたはずの感情へコーヒーに垂らしたミルクのように斑に混じり合っていく。彼女の何度も繰り返した記憶は襞のように折り重なり、重厚な怨嗟を成していく。数多の先祖の負の記憶が引き寄せ呪文に掛かったように連鎖的に蘇り、サキの心はいつの間にか永遠に明けない記憶の夜の中に閉じ込められた。

 

 

……

 

 

 

マクゴナガルがカロー兄妹を破りセブルス・スネイプを追い詰めた時、周囲にウィーズリー製インスタント煙幕がたかれた。

黒煙が収まる頃にはステンドグラスの前に立っていたはずのスネイプは跡形もなく消え去り、代わりに丸腰で頭にティアラを乗っけたなんとも見当違いな格好をしたサキ・セレン・マクリールが立っていた。

反射的にフリットウィックが武装解除呪文をかけるが、サキは武装をしていなかった。

鷹揚に両手を上げて自分を見渡す群衆を一切無視し、ハリーだけを見つめていた。

 

「サキ…」

 

「やあハリー。プレゼントは受け取ってくれた?」

 

久々に見るサキはまるで時間が凍りついてしまったように今まで通りのサキだった。

不自然なぐらい脳天気に、まるで寝過ごした日に慌てて教室に滑り込んできたみたいに笑っている。ダンブルドア殺しの実行犯、サキ・セレン・マクリール。

 

「実のところ、私は君にもう一つプレゼントがあってね」

 

サキがヒールを鳴らして一歩近づく。マクゴナガルたちはサキから杖先を逸らさなかった。真っ直ぐ彼女に向けたまま、しかし非武装の彼女をどう扱うべきか悩んでいるようだった。

 

「君はきっとわかるよね。私の頭がおしゃれでこうなってるわけじゃないって」

「それはレイブンクローの髪飾りか?」

 

ハリーの問いかけに周囲がざわめいた。サキはまるで心得てるかのようにざわめきが収まりだしたときに返事をする。

「そう、失われた髪飾りだ」

「それが本物だって保証はないぞ!」

ロンが横から割り込んできた。その杖先はしっかりサキに向いている。サキは苦笑いしてそれを片手で取り外しハリーに向かって投げ渡した。

髪飾りは床を転がり、ハリーの足にあたって止まる。

「好きにしてよ。私はトムを殺しに来た。それだけ信じてくれればいい…」

「なんですって?」

マクゴナガルがサキの言葉に反応する。

「私はトムを個人的な理由で殺さなきゃいけないんだ。ダンブルドアと同じようにね」

サキの言葉に一気に動揺が広がった。ハリーはそう言い切るサキを見て背筋が寒くなった。彼女の目は据わってて今まで見たことないくらいに険しい。なのに口元にはべったり笑みが張り付いている。

 

「ハリー。君は私の魔法について知ってるはずだよ。…私は未来を見てきた」

 

「ま…さか………」

 

ハーマイオニーは絶句する。ハリーも息を呑んだ。

 

「私はこれからされるであろうヴォルデモートの要求を君にのんでほしい。これしか勝ち筋はないんだ」

「ヴォルデモートの要求…」

ハリーが続きを促そうとしたとき、大広間に並ぶ生徒の中から悲鳴が続々と上がる。

何が起きたかわからないうちにハリーたちにも理由がわかった。頭蓋の中を揺らす大音量であいつのおぞましい声が聞こえてきた。

 

「ハリー・ポッターを差し出せば城には手を出さない…なんて妄言を信じるバカが今ここにいるかはさておき。やあみなさん、私があのバカ親父の娘です」

 

サキ・マクリールはすっかりハイな様子で袖口から出したピルケースから錠剤を口に放り込み、ショーの一環だと言っても信じてしまいそうなほど大袈裟に群衆へ手を振る。

 

「聞いた通りです。でもあいつはそんなつもりありません。未成年は逃げなさい。幸いにもホグワーツには抜け穴が多々ありますから」

「待て、そいつの言う事を信じるのか?!」

ザガリアスが鋭い声で叫んだ。

「あの人の腹心だぞ!罠かもしれない」

「だったらここで死ねばいい」

サキはどうでもよさそうにバッサリ言い捨てた。

「ハリー、君はきっと…予感していただろう。聡明なハーマイオニーだって。その髪飾りを壊せば確信に変わるだろうね」

「シンガー…一体何を言っているのですか?」

「マクゴナガル先生。杖をおろしてくれますか?ハリーと二人で話さなきゃいけないことがあるんだ」

「…許可しかねます」

マクゴナガルを始め教諭陣は警戒を解いていない。サキはちょっと困ってしまう。前回とは随分勝手が違うようだ。ダンブルドアを殺したせいだろうか。

「マクゴナガル先生、大丈夫です」

ハリーはサキへ一歩歩み寄った。そして彼女の目を真っ直ぐ見つめる。

 

「僕も君と話さなきゃいけない気がしてたんだ」

 

サキはマクゴナガルに組み伏せられた。かなり痛そうに関節が軋む音がしたがサキは痛覚なんて置き去りにしてきたようにハリーを見て笑っていた。

 

 

「私はずいぶん怖がられてるんだね」

 

マクゴナガル、スプラウトに両脇を押さえられながらサキは言った。

「そう、だね…君はよく新聞に載ってたからみんな知ってるんだ」

「ハリーとどっちが有名かな」

「もしかしたら君かも」

「あっはっは。サイン要る?」

「いや。それより君は…どうして未来から?あいつは、僕はどうなるの?」

「まず第一に、未来から来たという言い方は適切ではないね。私は母親の願いのためにここにいるんだ。そして気になる私が見た結末だけどあいつは死に、君は生きている」

「君のお母さんの願いって?」

「セブルスの無事。詳しいことは話すと長くなるから言わないけど…それがとっても難しいみたいなんだ」

「スネイプが死ぬ?一体どうして」

「多分この世界では死なないよ。死なせるものか」

サキの顔は真剣だった。

「安心してよ。私が殺さなきゃいけないのはダンブルドアとヴォルデモートだけだから」

 

サキは冗談めかしてそういう。

セブルス・スネイプと通じているサキはガーゴイルに合言葉を言った。

ハリーはたった一人で階段を登っていく。

ロンは最後まで止めた。しかしハーマイオニーが諌めた。

ハーマイオニーはサキの善に賭けている。ハリーもだ。

サキは突然カップを送ってきたり髪飾りを持って現れたり、意味の分からない行動ばかり。ロンの不安と最もだろう。

しかしハリーはサキを信じたい。脳髄を食べた、それほどの覚悟を背負ったサキを親友が信じてやれなくてどうする。彼女と僕は味方と敵を行き来するが本当はいつだって彼女は僕と同じところにいるんだ。少なくとも、ハリーはそう思う。

 

階段を登りきると、校長室の例のフカフカの椅子の横に黒いマントの人影が立っていた。思わずハリーは杖をその人物に向けた。

 

「スネイプ…」

「ポッター…」

 

スネイプはなんだか噛みしめるように名前を口にする。

 

「我輩は杖を持ってない」

 

スネイプはゆっくりと両手を上に上げた。ハリーは呼吸を落ち着けるために深く息を吸った。

「必要なら調べてもいい。我輩は君に告げなければならない事がある」

セブルス・スネイプはサキがダンブルドアを殺してドラコと逃げて以降ホグワーツの支配権を獲得し、ヴォルデモートによる魔法界統治の片翼を担っていた。魔法省で他の死喰い人たちと足を引っ張り合うサキと比べ、彼は安定してその権力を振るっていた。故に騎士団からはサキ・マクリールよりもセブルス・スネイプをヴォルデモート卿に親しいものとして警戒していた。

 

ハリー個人としては学生生活での恨みとは別の感情を持っていた。

サキを助けようとして失敗した。スネイプの中にはそういう負い目も確かにあるはずだった。

学校内のスネイプの振る舞いはどう見たってヴォルデモート卿の意向に沿っていたし、サキ・マクリールは冷酷に騎士団の首を絞めていった。

 

それでも…スネイプは一人の女の子を守ろうとしていた。ハリーはそれを知っている。

 

その女の子は結果的に守れなかった。

 

「まず…ポッター。髪飾りは破壊したのだな?」

「いえ。まだです」

「あの人はすでに分霊箱の奪取に気付いている。もう時間がない。…ダンブルドアは君に分霊箱について話しただろう。しかし校長はすべてを話し終わっていない」

スネイプとこうして一対一になるのは5年のときの閉心術の授業以来だ。あの時勝手に憂いの篩を覗いてしまってスネイプはひどく取り乱していた。彼の瞳に揺れる激情。今改めて向き合うとその光と似たものが暗い瞳に宿っているのがわかった。

 

「スネイプ、先生。その前に聞かせてください。貴方はサキが今何をしているかわかっているんですか?」

「…わかっている。我輩は……失敗した。だからポッター、君のことは失敗できない」

 

スネイプはこわごわと一歩踏み出した。

 

「僕も旅が進むにつれ薄々感づいていた。僕とあいつの間には説明の付かない絆があることに」

「その通り。その絆について話す時がきた」

 

ダンブルドアの肖像はこんな時でも安らかに寝息を立てている。校長室の高い天井には外より遥かに穏やかな星空が投影されており、今までの戦いが嘘のように静かだ。

 

「君はヴォルデモート卿が意図せず作った分霊箱だ。君の中にはあいつの魂の欠片がある」

「つまり…僕が死なないとあいつも死なない?」

「その通り。しかし、サキの見てきた未来によると君はヴォルデモート卿の死の呪文を受けても死なない。代わりに彼の魂の欠片が死ぬのだ。ポッター、君は絶対に例のあの人自身の手にかかり殺される必要がある」

「っ…」

 

ハリーは心の何処かで覚悟していたにも関わらず動揺した。サキに命を保証されていても一度あいつと相まみえ、そして呪文を受けなければいけない。ゾッとする。

けれども動揺はすぐに静かな覚悟へ変わっていった。

 

「わかりました」

 

サキはきっと躊躇わない。

 

「我輩が君を連れて行く。不測の事態があれば守る」

「スネイプ先生、あなたはずっとダンブルドアの味方だったんですね?」

「…ポッター、手短に言うが我輩は君の母親とは古い馴染みだった。彼女の遺した君を必ず助ける。だから…無茶なことを言っているのはわかっている。ともに来てほしい」

「母さんとスネイプが…?」

確かにジェームズとスネイプは犬猿の仲だったし母リリー・エバンスとも同級生だったはずだ。しかしあの最悪の記憶の中で登場したきりでスネイプと接点があったとは寝耳に水だった。そのうえ息子である自分を守るほどの縁、となると相当深い絆だろう。

今までそんな素振りが一切なかったがゆえにハリーは本当に驚いて言葉を失ってしまった。

 

「猶予はもうないな。ポッター、我輩との今までの関係を思えば癪かもしれん。信じられんかもしれんが…」

「そうですね。僕らはかなり…嫌い合っていた」

「左様」

「魔法薬を捨てられたし、滅茶苦茶な理由で減点されたし、罰則もやたらキツかったし…」

スネイプは気まずそうな顔をした。

「厭味ったらしいし僕にばかりきつく当たるし正直敵になってせいせいした。けど、ずっと…サキは貴方を信じてた」

「…」

「サキは変わった。けど僕は少なくとも、今まであなたを信じていたサキを信じている」

ハリーの言葉を聞いてスネイプは目を丸くしていた。そして次に、初めて見るくらい柔らかく、優しく微笑んだ。

 

「そうだな…我輩も彼女を信じている」

 

 

 

 

 

ドラコはスネイプのかわりに現れたサキを見て絶句した。そしてすぐに彼女に駆け寄ろうとしたが叶わなかった。ヴォルデモートの呼びかけとそれに伴う生徒たちの混乱のせいでスリザリン生は地下牢へ連れて行かれそうになり、ドラコは暴れて逃げ出してきた。

そして脇目も振らずにサキのあとを追いかけると、ハーマイオニー・グレンジャーとロン・ウィーズリーによって捕獲されてしまった。

「マルフォイ。貴方サキがああなってるって知ってたの?」

「知らなかった」

ドラコはロンに組み伏せられたまま苦々しく言った。

「彼女は…確かにちょっと変だった。けど…まさかやり直してるだなんて…」

言葉にしてくうちに瞳に涙が溜まっていく。

何故気づけなかったんだろう。けれども気づけたとして自分に何ができた?

 

「なあ、僕は…何をするべき、なんだ…?」

 

ドラコの問いに答えるものはいなかった。

 

そして、当の本人は校長室と廊下をつなぐ階段で蹲っていた。眠気と頭痛が間断なく襲ってくる。さらに順当に未来を書き換えていってるせいか様々な記憶が濁流のように脳を駆け巡り現在の状況が果たしてどの未来なのかーリヴェンの経験済みの過去なのか自分自身の今なのかわからなくなっていた。

 

サキ・シンガーの振る舞いだけしていればこの脳内の混乱は悟られまい。しかしこうもたち眩んでいては平静を装うのもそろそろ困難だ。

「…ふ、はは」

脳髄を食べてから主観は、つまりサキ・シンガーの意識は飛び飛びで現在と過去の区別がいまいちつかなくなってきている。

すっかり変わってしまった。

「ッ……」

胸に鋭い痛みが走った。

リヴェン・マクリールの終わらない悪夢。

私は彼女じゃないけれど私の心は彼女と同じように痛む。

 

私はどこまで私でいれるのだろうか?

混じり合い溶けていく心が、地獄の中で麻痺していく。

 

ドラコ。あなたの唇の感触をよく思い出せない。

 

私は…母の願いを叶えたい。私ならそれができる。

けれども、叶えてそれで何が報われるんだろう?

 

涙が一筋溢れた。

 

「サキ…」

 

その涙を温かい指が拭った。不意に感じた体温に驚くと、ドラコが目の前にいた。

 

「ドラコ…久しぶり」

 

サキ・マクリールは微笑んだ。紙みたいな顔色は一年前から改善していないし、眉根に刻まれた皺は伸びる気配がないけど精一杯笑っていた。

その笑みをドラコは思いっきり張り倒した。

 

「えぇ?!嘘ォ?!」

「なんで…言ってくれなかったんだ」

「た、タイミングが…」

「そういう話じゃない!」

 

ドラコはそう言って乱暴にサキを抱きしめた。

あたたかい。体温と、篝火の熱が混じり合う。

 

「ああ…そうだ…」

 

前にも似たような光景を目にした。そのときはもうセブルスは死んでいたけど今回はまだ生きている。

そう、生きているのだ。未来は、運命は変わり始めている。

 

 

ハーマイオニーとロンはハリーが生還した場合の全面戦争に備えて騎士団のメンバーと打ち合わせをしている。できうる限りの最大防衛策を施すらしく、城内は避難する人、戦いに備える人が慌ただしく走り回っている。

そのどちらでもないサキはドラコと共に一室に監禁される。

 

やり直すとしたらどこからだろう。ダンブルドアを殺して…その後。やっぱりセブルスを力尽くで拘束して棚か何かにしまっておくべきだったのかもしれない。だめならやり直せるとは言え彼の死骸をまた見るのはあまりに辛い。いくらルーチンになっているとはいえ…。

 

「サキ?」

「………え?」

「ああ…」

 

ドラコは今にも涙がこぼれそうだった。そんな顔をしないでほしい。私が選んだことなのだから、後悔はしていない。確かにここは地獄で、私はもう感じている心のどこまでが私かわからないし、貴方と過ごした日々はもうこの世界に存在しないけれども。

 

「ごめんね」

 

自分が何に謝ってるのかもうわからない。

多分謝ってもどうしようもないことだけど、伝え方がわからなかった。

君だけを愛していたよ。けれどもその言葉は口にする前に嘘になってしまった。

私は醜く歪んでしまった妄執の残滓。

ドラコ、私を許さないで。愛してる。

 



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05.The Only Neat Thing to Do

グリンゴッツからベラトリックスの死体が発見された時、ヴォルデモートはサキ・マクリールの叛逆を悟った。そして同時に彼女がおそらく脳髄を手にし未来を知ったことも判った。

そうでなければまずベラトリックスを殺害するなんて思いつかないはずだ。彼女は悪逆非道の政策を顔色一つ変えずに打ち出すことは何度もしてきたが今までそういった行為を正当化することはあれど隠匿することはなかった。

なぜ今になって突然?静かな焦燥感に焦げ付く。

ベラトリックスは肩口を刃物で切り裂かれ肩が皮一枚でつながっていた。目には何かが刺さり、眼窩から青白い眼球がごろりと転がり落ちていた。腐敗を通り越して干からび始めた眼球は弾性すら失い始めていた。乾ききった血を舐めるネズミを踏み潰し、小鬼たちを殺戮したあと、ヴォルデモートはふとサキの祖母クイン・マクリールはこういう死体が好きだったことを思い出した。

 

 

「母は小動物の剥製を作るのが好きだったの」

 

リヴェンはいつも、ぼうっとしたまま唐突に昔話をした。ヴォルデモートはいくら場違いでもそれを聞いてやった。曖昧になっていく彼女の意識の中にある確かな思い出というやつはとても退屈だったが、それを話すときの彼女はいつもより安らかで見ていてとても…適切な言葉が見つからない。けれども何か、言葉にしようのない何かが溢れてきそうになる。

 

「リスなんかがお気に入りなの。尻尾をよくくれたわ。正直困ったけど…母からもらった中で一番マシなプレゼントだったかもしれない」

「獣の尻尾よりひどいプレゼントがあるのか?」

「ええ。そうね…肝臓なんかを貰ったときは困ったわ」

リヴェンはここのところ庭に出る気力もないらしい。セブルスに任せてるという庭は前と同じように整理されてはいるが、リヴェンの作る庭とは少し違う。

ヴォルデモートはどちらかというと彼女の庭のほうが好きだった。容赦なく剪定され、死の直前の張り詰めた花は無作為にはびこる花よりも美しかったし、蔦の位置さえ決めてあった。

 

「母親らしくない人だった…私もきっとそうね」

「記憶の中での先祖たちはどうなんだ。お前たちが母親らしく振る舞うとは全く想像できん」

「確かにほとんど母性に溢れた人はいない。でも母親らしさってなにかしら?」

「それは…俺様に聞くな」

「それもそうね」

リヴェンは珍しく挑発するように笑った。

「可哀想なトム。でもなんてことないわ。母親なんてなくても人は勝手に育つもの」

「いいや、運次第だ」

「じゃああなたは運が悪かったわね」

「お前は俺様を怒らせるのが好きらしい」

「そう。好きよ」

でもそれももう終わりね。

彼女はいつもそう付け足しているんだろう。彼女が何回も時間を繰り返しているのは知っている。しかしなんの為かは頑なに教えようとしない。

彼女に開心術は効かない。彼女の心は閉ざされているばかりでなく数千年という記憶のせいで複雑な層をなしている。端的に言えば人と心の構造が違いすぎる。

ヴォルデモートはリヴェンの心を知ることはできない。絶対に。その事実がほんの少しだけ悲しい。悲しいと思えた。

 

「ねえ。トム」

「その名で呼ぶな」

 

彼女はいつも通り椅子に座りっぱなしで差し込む陽光に目を細めながら笑う。

 

「嫌よ。トム」

 

その笑みはリヴェンだけのものだと思っていた。

 

けれども娘のサキ・マクリールはまるで母親の鏡像のように笑ってる。

自分の面影をほのかに感じさせる、警戒心を解きほぐすような柔らかい唇のライン。母親譲りのすうっと通る鼻筋と、赤い唇。そして以前より冷たく暗い眼差し。

 

以前、魔法省の役職を授けるときにヴォルデモートは彼女に話しかけた。

「サキ。お前は随分変わったな」

「男子3日会わざればなんとやら。女子もそうです。子どもの成長はあっという間ですよ」

口調は以前と変わらない。しかしその中身は殆ど別物ではないかと感じさせるほど無機質だった。

「これでお前はかつての仲間を追い詰める立場となったわけだ」

「私が選んだことです。後悔はしてません」

 

リヴェンと同じように、嘘の下手な娘だ。

若しくは自分と同じように…

そんな感傷を抱くなんて自分らしくもない。どうもリヴェンに関してはトムはトムらしくない妙な思考回路に陥るらしい。

やけに卑屈になる。

それでは駄目だ。

 

彼女はとんでもないカリスマ性と冷酷さでヴォルデモート政権樹立に貢献した。その苛烈さは今までの彼女に垣間見えていた魅力の一つで、自分の血筋さえ感じたものだった。

しかしながらベラトリックスを殺し消息を立ったサキは、もう生かしておくには危険すぎる。リヴェンと同じになったというのならば、もう飼い殺しなんて甘いことは言ってられない。

 

「サキの行方は」

「まだ何も…」

 

苛立った声に周りはすっかり怯えている。そればかりかベラトリックス殺害のせいで死喰い人はみな疑心暗鬼に陥っていた。サキは敢えて離反しなさそうな死喰い人達に毒を撒き散らしていたらしい。そのせいでただでさえ薄い連携が蜘蛛の糸より儚いものになっている。

サキの人物像はダンブルドア殺害以降急速にぼやけ、今や跡形もない。

元の彼女はヴォルデモートが旅に出ている間に霞のように消えた。

 

「セブルスは!まだ戻らないのか?」

 

セブルスの裏切りが一瞬頭によぎる。セブルスはサキに肩入れしていた。しかしサキがダンブルドアを殺害して以降はサキがセブルスから離れて没交渉気味だったはずだ。とはいえあの二人の絆は実の親子よりよっぽど深い。

 

「クソ…忌々しい女め…」

 

自分が疎かにしてきた内政を恥じた。秘宝に気を取られ、気づけばサキの牙はすっかり喉元に食い込んでいた。彼女が人命を一切度外視しドラコすら最悪死んでもいいように動くのは予想外だった。

孤立し誰にも縛られない。たった一人で自分に楯突くとは。

見せしめにドラコを吊るしてしまおうか?

しかしドラコはまだ校内にいる。ハリー・ポッターが投降したらすぐに捕まえて見せしめに殺してやる。いや、投降しなくても殺す。

サキ・マクリール。

お前が選んだ道を後悔させてやる。

 

 

ヴォルデモートはようやく手に入れたニワトコの杖を指揮棒のように振るった。

今まさに張り巡らされてる防護呪文へ向けて。

 

……

 

スネイプとハリーは人目を偲ぶように校長室からでた。ロンたちから離れ、どこからか怒鳴り声が聞こえてくる人気がない廊下をゆく。

スネイプと二人で歩くなんて昔なら考えられない。先程は和解したけど予想通り二人きりだと気まずかった。それにやっぱりスネイプは無愛想だ。ジェームズに瓜二つなせいだろうか。

 

「あ、そうだ」

ハリーは不意にダンブルドアから託されたスニッチを思い出した。

「なんだ…」

スネイプはハリーが唐突にスニッチに口づけしているのを見てぎょっとした。

「あ、いや違くて!スニッチの肉の記憶のせいで…」

スニッチはすべてが終わるときに開くという文字を見せ、外郭を開いた。中にはなんの変哲もなさそうな黒い飾り石が納められていた。

 

「まさかこれが…蘇りの石?」

 

ハリーのつぶやきにスネイプは目を丸くした。

その黒い石を、ハリーはそのまましまってしまう。

「やっぱりまだ…その時じゃない気がする」

「…ああ」

スネイプはその石で誰に会いたいんだろう。やはりリリーなんだろうか。

 

「ヴォルデモートはどこに?」

「橋の先だろう。ポッター、一度縄で拘束させてもらう」

「あー、キツくしないで…」

言い終わる前にスネイプは魔法で縛り終えていた。しかも結構きつく。この人、本当に自分を守ってたんだろうか。

「それで」

ボート小屋へ続く階段のある獣道を二人並んで歩いた。本当に変な感じだ。

「髪飾りはロンたちが破壊した。僕は、あの人に魂を破壊させる。残るナギニは?」

「騎士団がやるだろう。我輩は…あの人だ」

「サキは先生を助けるために…」

「わかっている」

スネイプの顔は険しかった。

「我輩は死ぬわけにはいない。彼女の命をこれ以上削らないためにも…」

「僕も、サキが辛いのは嫌です」

 

学校を覆う防護呪文から出ると、急に全身に鳥肌が立った。橋の石畳と続く地面。材質の違いより何より、自分を守るものが何一つないというむき出しの恐怖があった。

 

「ポッター」

「はい?」

 

スネイプはハリーの緑色の目をじっと見た。ハリーはなんだかよくわからないけど目を逸らしたら負けな気がしてスネイプの黒い瞳を見返した。

スネイプの目が一瞬優しく閉じ、そして「なんでもない」とつぶやき上を見上げた。

 

黒い煙のようなものが遠くの丘から飛んできた。

あいつだ。

 

額のキズがずきりといたんだ。

 

黒い靄は地面とぶつかるとすぐに人型になり、薄煙を辺りに撒き散らした後消えていく。靄が晴れたあとに佇むのは、あいつだった。

対峙するのは2年ぶり。サキを魔法省から攫ったとき以来だが、ハリーはまるで鏡を見ているような気分になった。

魂で繋がった奇妙な関係。すべての冒険、旅は今日この日のためにあった。

 

「我が君」

 

ギラギラと光る赤い瞳。切れ込みのような鼻の穴。骨のように真っ白で生気のない肌。薄い唇の向こうにのぞく汚れた歯と血のように赤い舌。

 

「セブルス」

「ハリー・ポッターは投降に応じました」

「はっ…」

 

ヴォルデモートは嘲笑った。ハリーはその邪悪な顔を睨みつける。

「約束を守る気はあるのか」

「威勢がいいのはここまでだろうなポッター」

ヴォルデモートは捕まったハリーを見て爛々と目を輝かせた。興奮で僅かに頬が赤く染まる。

「サキは」

「サキは…」

セブルスは一瞬言い淀んだ。サキは自分を敵だと言ってくれと話していたし事実その通りなのだが、危険が及ぶのを危惧したのだろう。

「彼女は校内で騎士団に拘束されています」

「ベラを殺したのはヤツか?」

「…彼女が、そんなことを?」

「ふん。愚かな娘よ。母親と同じだ」

スネイプは返事をしなかった。ハリーを前にして余裕があるように見せているヴォルデモートだが実際は違う。脳の奥からしびれるような歓びを感じているはずだった。ハリーにはわかる。

「なんにせよご苦労だったなセブルス」

「いえ、このあと待ち構える貴方様の栄光を考えればさしたる苦労ではございません」

「全く口が達者だ」

ヴォルデモートは満足そうに微笑んだ。ハリーは網膜に焼き付けるようにヴォルデモートを睨む。いくらサキのお墨付きとはいえ、本当に死んでしまいそうなくらいやつは力に満ち溢れてる。

 

「さて…お前はこれから残酷な死を迎えるわけだが何か言い残すことはあるか?ハリー・ポッター」

「みんなの安全を保証しろ。誓え!」

「ハッ!自分の置かれた状況をいまいちわかってないようだな。お前は何かを要求できる立場ではない。俺様の慈悲を請うべきだろう?泣き喚きながらな」

ニワトコの杖が空を切った。途端にハリーは体の中をぐちゃぐちゃに握りつぶされたような苦痛を感じ蹲る。

 

「痛いか?苦しいか?よく味わっておけ、お前が感じる最後の苦痛を」

 

自分が何を考えてるのかわからなくなるくらいの痛みの中であいつの声だけが聞こえてくる。非現実的な感覚の中に放り出されると本当に最後な気がしてくる。

スネイプが自分も磔の呪いを受けてるかのような顔をしてこちらを見ている。

 

そしてヴォルデモートは再び杖を振った。

 

「アバタケタブラ」

 

 

 

……

 

「時間だ」

 

そう言うとサキは立ち上がり徐に手のひらを噛み切り、血がぼたぼたと垂れる手で錠前を弄くり回しはじめた。

「何やってるんだ」

ドラコは止めに入るがもう既に錠は開いていた。

 

「ドラコ。…私は、本当に君が好きだったんだ。本当だよ。君がいたから私はきっとこれまでの日々を美しいと思えるんだ」

「なんで突然そんな事を?」

サキが返事をすることはなかった。意味有りげに微笑む彼女の肩を掴んで揺すぶった。

 

「何をするつもりだ?!」

「やり直しだよ。次こそ必ず成功させる」

ドラコは頭から氷水を被ったような悪寒に襲われた。その言い方じゃまるで…

「繰り返してるのか?サキ!君の命を縮めるんだぞ!」

「そうだね。出来れば残りの人生、君のために使いたかったよ」

そう言ってサキはキスをした。

ドラコにとってのファーストキスだった。彼女の唇は鉄の味がした。

「なんで…」

まるでドラコの瞬きのタイミングまですべてを知っているかのようにサキはドラコの脚を払い、転んだすきにするりとドアの隙間から逃げ出し外から鍵をかけた。

 

ドラコは慌ててノブを揺するが扉には鍵だけでなく木の板まで立てかけられていた。

足音が遠ざかるのが聞こえる。ドラコは叫んだ。その叫び声を聞き届けるものは誰もいなかった。

 

 

 

 

 

ホグワーツ特急の車窓から見える景色は何もかも特別輝いて見えた。今思い出してもドキドキする。はじめて自分から人に声をかけて、一緒に好きなだけお菓子を食べた。

私は本当に本当に嬉しくて、その日ロンが着ていた服の柄まで覚えている。

ドラコはまだちんちくりんで、ハリーの髪の毛はまだ癖が出てなくて、ロンのそばかすは今より多くて、ハーマイオニーは逆にくしゃくしゃ毛だった。

私はまだ何も知らなくて、身勝手な自責の念に苛まれてた。

 

全てが手遅れになる前にやり直せる。でもやり直したいと思えなくなるなんて、その時の私は考えつかなかった。

 

全てはもう過ぎたこと。

 

これで終わりだ。何もかも。

 

 

ハリー・ポッターを運んだヴォルデモートは投降を呼びかける。セブルスの偽装のおかげで彼はまるで死骸そのものだ。

ここからは何度も繰り返した。考えなくても体が覚えている。47回繰り返す羽目になった光景。

 

ヴォルデモートは私を容赦するつもりは全くない。

まず、私を見たヴォルデモートが左手を上げて命令をする。それに応じたルシウスは三歩目で瓦礫にひっかかる。すぐに姿くらましして篝火を蹴飛ばし火を放つ。

ハリーが起きてセブルスの腕の中から転げ落ちる。

ヴォルデモートはそれを見て怒り狂って呪文を乱射し、騎士団は一斉に攻撃を始める。

 

沸き立つ群衆を盾にしながら、サキは何度も何度も通った道をまっすぐ進む。私の前にたまたま立ったコリンが倒れた。それでも私はまっすぐ進む。

杖も持たず、ナイフすら持たず、ただ手に持っているのはボロボロの古びた帽子だけ。

誰の目にもとまらない最短ルート。誰かが瞬きをした瞬間。意識の隙間を縫うように進む。

終わりに向けて。

 

「サキ…」

「トム」

 

ハリー・ポッターを殺すために振り上げた腕を攻撃を掻い潜ってきたサキの方へ向ける。あなたがどこを狙うか私はもうすでに知っている。

 

ハリーを庇うセブは即座にヴォルデモートの注意が逸れたのを察して武装解除呪文を放つ。でもそれは当たらない。トムの怒りの矛先が私より断然強いあなたに向く前に、私は古びた帽子の中に手を突っ込んだ。

 

さっきは失敗してあなたばかりかハリーまで殺された。その前はあなただけ、その前はハリーが逃げ出した直後。でも私がこうして身を出し彼の注意を引きづづける限り大丈夫。

 

古びた帽子の中からひと振りの剣がでてくる。バジリスクと体面した時と同じようにサキの手でルビーの柄が光った。

 

「サキ、サキ・シンガーッ!」

 

ハリーの放った武装解除呪文がヴォルデモートの頬を掠めた。続けて何発も彼に向けて呪文が放たれる。私と彼の間にはまるで光の雨が降っているようだった。

 

ヴォルデモートの怒気を切り裂くように、私は剣を彼の腕に斬りつける。遠心力とほんの少しの抵抗感が私の腕に伝わり、彼の手が杖ごと地面に落ちて血潮が鮮やかなアーチを描いた。

光の雨は消え、私とあなたの瞳のみが輝く。

 

サキの血を、魔法を引き裂く力を吸収したゴブリン製の鋼。魔法でできた彼の肉体にどう効くのか定かではないが、どちらにせよ今この瞬間からバジリスクの毒が彼の傷口から命を蝕み始める。

ヴォルデモートは予想外の出来事に目を丸くした。続いて自分がこのまま返す刀の錆となる未来が見えたのか慟哭し、まだある左手で落ちる腕を拾おうとする。

ここまでももう経験済みだ。

 

私は躊躇わない。

親殺しは、子どもの役目だ。

 

かつて日記のトムにそうしたように、サキは刀身を屈んだ彼の肩口に叩きつけた。

私の力じゃ真っ二つにはできない。けれどもバジリスクの毒を帯びた剣は彼の胴に深く埋まった。

 

初めて勝利を確信した。

 

「り…」

 

トムは、ヴォルデモートは自分の敗北がまるで信じられない様子だった。けれども瞳は徐々に光を失い、血溜まりはサキの足元にまで広がっていた。

 

「リヴェン」

「…なに?」

「お前を、」

 

私を、どうしたいかは聞きそびれた。

彼は言い終える前に膝を折り、自分の血溜まりの中へ崩れ落ちた。

 

「クルーシオ!」

 

感傷に浸る間もなく、私は暴徒と化した死喰い人の呪文を受けて失神した。

磔の呪いは私の罪への正当な罰とすら思えて、苦しみの中に救いを求める信徒のような清らかな気持ちを齎した。

痛みで脳が焼き切れて、私は眠った。

深い深い眠りに落ちた。

 

意識が落ちる刹那、セブルスが駆け寄ってくるのが見えた。

彼は生きてる。きっとハリーも。

トムは死んで、ダンブルドアも死んだ。

他にもきっとたくさん死んだし、傷ついた。

 

けれどもきっとこれが、リヴェン・マクリールにとってはじめての成功だ。

 

 

お母さん。

眠りに落ちたらあなたの夢をみたい。この運命を歩まなかった私達を。

 

すべき事は成した。

おやすみなさい。

 

 



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- Gone to the Rapture -

新調したコートに枯れ葉が一枚風にのって落ちてきた。茶色でカラカラの葉っぱはちょっと力を込めるとクシャリと砕ける。もうすっかり冬の気候だ。今朝はバケツに氷が張っていたし水道も凍っている。寒さに弱い植物たちは避難させた。

セブルスは冷える指先を息で温めながら玄関先に積もった落ち葉を魔法で退けて客人がきても呆れられないように掃除した。

マクリール邸の周りは樹海さながらの森なので掃いても掃いても切りがない。

 

ずっと着ていた黒い牧師のような服を脱いで、普通のシャツとズボンを着るなんて想像もつかなかった。これじゃあまるで普通のつまらない中年魔法使いだ。なにげなく時計を見ると、もう朝食の時間だった。

セブルスは家の中に戻り、途中までできた料理の仕上げをしてワゴンに載せた。

美しくて寂しい屋敷。その一番奥の部屋まで行ってノックし、返事も待たずに開ける。

その部屋はどの家具も白くてなんだかまぶしい。上品な白いカーテンが陽光を白く柔らかい光に緩和していた。

「……朝?」

「ああ。朝食は?」

「勿論」

部屋の主、サキは目をこすりながら上体を起こした。

セブルスが持ってきたトマトの挟まったサンドイッチを見てしかめっ面をした。

「……私、トマト嫌い」

「君に好き嫌いはなかった」

「あったよ。言わないだけで」

 

サキはホグワーツでの戦いでヴォルデモートを殺害した後、死喰い人らから集中砲火を受けた。彼らは疲弊していたので死の呪文を飛ばす余力がなかったのは幸いだった。しかし失神呪文を始めとした様々な攻撃呪文を受けた結果、彼女は一ヶ月以上病院の集中治療室に閉じ込められた。体質もあって受けた呪文の数よりかは軽症らしいが、それでもはじめは目を覆いたくなるようなほどの傷を負っていた。

見かけだけでも元通り、というわけには行かなかった。彼女の服の下にはまだ火傷のような傷跡がびっしりと残っている。

 

その後は裁判、裁判、裁判…。

当然セブルスも法廷に立った。結果的にセブルスは無罪を勝ち得たうえ賞賛される結果となったがサキはそうはいかなかった。

ヴォルデモートによる政界掌握に貢献した上、人権を無視したアズカバン管理をし、ベラトリックスを殺害した。

彼女は実質ヴォルデモートを倒したが、彼女の罪はそれと打ち消せるかどうか裁判で長い時間議論するに足るほど重かった。

サキはすべての裁判で黙秘した。

 

 

 

サキは聖マンゴの病室で長い眠りから目を覚ましたあとにセブルスを見て同じように微笑んだ。

「夢じゃないみたいだね。痛いから」

「ああ、ちゃんと生きている」

「やっと成功した」

 

サキの髪の毛は一部が焼け焦げていたのでセブルスが病室で切った。初めてあったときと同じくらい短く切ってくれとの事だったので、嫌がおうにも彼女との出会いを思い出した。

初めて会ったときの彼女はリヴェンの亡霊がいるのかと見まごうほど似ていた。悲痛な面持ちとすべてを失ったばかりの虚脱感はリヴェンのまとっていた空気そのものだった。年を経るにつれ彼女は前を向きリヴェンとは全く違う笑顔を見せていた。なのに、病室で目覚めた彼女はそんなこと全てなかったかのように亡霊へ逆戻りしていた。

 

夏の間、彼女への面会を許されたのは魔法省の高官とハリー・ポッターのみだった。ハリー・ポッターはサキとの面会後、スピナーズエンドで謹慎中のスネイプの元へ透明マントを羽織りやってきた。

ポリジュース薬が欲しいとの事だったので事情を聞くと、どうやらドラコのためらしい。

いつの間にかコンタクトをとっていたらしく、ポッターは少し気まずそうにセブルスに頭を下げ、同じく気まずい空気になんだか笑いそうになりながら請け負った。

 

ポリジュース薬でハリーになったドラコはなんとも言えない渋い顔をして鏡を見ていた。

「うわ…ゾッとする」

「効果は約一時間だ」

幸い聖マンゴは裁判所や魔法省ほどセキュリティに厳しくない。危険物さえ持ち込まなければ病室まで行くのは簡単だ。

ドアを開けて真っ先に飛び込んできたのは下着姿のサキだった。傷の具合を見ていたらしい。

 

「あれ?どうしたの二人して…」

「ふ、服をきろ!」

「はー、ガキじゃあるまいし慌てるなって」

 

そういうサキは普段通りに見えたが、一瞬目に飛び込んできた彼女の裸体は酷いものだった。服の下全てにミミズ腫れや引き攣れ、変色し隆起した皮膚は血が滲んでいた。

セブルスは息を呑んで、目を伏せた。ドラコもだった。

サキはシャツをしっかり羽織りボタンをしめて向き直る。

「久しぶりドラコ。ルシウスの裁判以来だね」

「ああ、あのときは全然話せなかったから」

セブルスはそっと席を外した。二人っきりになってドラコはまじまじとサキを見た。ホグワーツでの戦いの日よりはるかに落ち着いているし表情も柔らかい。けれどもなにかが欠けている気がした。

 

「あの時はごめんね。君がいるとヴォルデモートに殺されちゃうからああするしかなかったんだ」

「じゃあ僕は実は何度か死んでる?」

「そうだね…片手じゃ足りないくらい」

「そうか…不思議な感じだ」

「流石にキツかったよ」

ホグワーツの戦いでの死者はかなりの数に上った。ヴォルデモートは戦闘開始後直ぐにサキによって殺されたが、ナギニを倒すためにリーマスが犠牲になった。さらに頭を失った死喰い人たちはヤケを起こし手当り次第に校舎を破壊し、結果的に呪文による死亡者より建物倒壊による死者が多く出たのだ。

その犠牲者の中にはホグワーツの生徒が多い。

「助けられた命はあったよ。…けれどももうやり直さない。もしまた君が殺されたら、今度こそ私はおかしくなっちゃう」

「サキ…何回繰り返したんだ?君は一体あと何年…」

「神のみぞ知る、さ。ドラコ」

サキはドラコの目を真っ直ぐ見た。

 

「今までそばにいてくれてありがとうね」

「これからだってそばにいるよ…」

「いいや無理だ。ドラコ、君の知ってるサキはもうどこにもいないんだ」

「そんな事言わないでくれ。君はちゃんとここにいる」

「私は確かにサキだよ。でも君の知らない時間をもう千年分は過ごしたんだ。考え方も感じ方も全て、君たちの一年前とは違ってる。ダンブルドアを殺した日から私はもう、君と違う道を進んでしまった」

子どもに言い聞かせるような優しい低い声でサキはドラコを諭す。

 

ドラコは長く一緒に過ごしてきたからこそ、ずっと好きだったからこそわかった。サキが変わってしまったという事を肌で感じた。芯の通った明るさは落ち着きに代わり、年相応の情緒は消え去り、凪のように静謐な心はドラコの知ってるサキ・シンガーから遠い。

彼女の中に降り積もる永い永い歳月が二度と溶けない雪のように彼女の時間を凍らせ、変えてしまった。

 

「だから…私を忘れてね。身勝手な話だけど、私は君に無様な死に方を見せたくない」

以前と変わらない冷えた指先がドラコの頬をなぞった。ドラコはその手を包み込んだ。前と変わらず小さな手を。

「そんなこと、できるわけ無いだろ?サキ」

「ワガママ言うとオブリビエイトしちゃうぞ」

「君の冗談は本当に…笑えないよ…」

サキはサキだ。

でもそれはサキの思い出を有しているだけに過ぎない。今の彼女の中にはドラコの知らない沢山の記憶があって、それが夜ごと彼女をドラコの知らない彼女へ変えていく。河の中を流れ削られていく石のように。或いは、潮風に削られる岩のように。

 

ドラコはサキが退院し禁錮になってからも何度か手紙をくれ、ときに見舞いに来てくれた。そのたびにセブルスは表の玄関を掃除した。ドラコはいつも悲しそうな顔を必死に笑顔に取り繕ってドアをくぐっていく。

ハリーやハーマイオニーからも手紙は届いていた。しかしウィーズリー家の人間からは届かなかった。まだ家族を失った傷が癒えないのだろう。

サキが過去をやり直せるのは裁判で明らかになった。そのせいで彼女は遺族の恨みを多く買っている。脅迫めいた手紙は予めセブルスが除けているが毎日途絶えることはない。

彼女の判決はまだ出ないままだ。

 

 

「今日は…何日だっけ」

「1998年、12月22日」

「ああ…そうか。今日だよ。脳髄を食べたのは」

 

セブルスの持っていた脳髄は瓶から消えていた。

不思議なことに、鍵付きの箱の中に入れ厳重に封をした瓶の中身は初めからそこに何もなかったように空だった。

「今日からは私の知らない未来だ」

「そうか。じゃあプレゼントの中身はまだわからないわけか」

「そもそも先生死んでたし」

「…感謝、しないとな」

サキは柔らかく微笑んだ。

彼女の持つフォークは小刻みに震えていた。

 

「昨日はどんな記憶を見たんだ?」

「丁度…今までの人生18年分。だからはっきり思い出した。先生、やっぱ老けたね」

「…変にやり直したりしていないな?」

「勿論。…火事の起きた日、私は出かけないという選択肢を選べた。けどそうはしなかった。きっとそうしたらあなたと出会うことも無くあそこで焼け死んで私の人生は終わってた」

「それを選ばなくてよかった。じゃないと私はリヴェンに酷いことをしたままだ」

「馬鹿だな先生は。すべてはリヴェンの勝手な事情だよ?むしろ迷惑じゃない?」

「そんなふうに思えるほど彼女との縁はあさくない」

「うん。知ってる」

 

サキは一時期の消耗から回復したように見える。しかしやっぱりダンブルドア殺害以前の彼女とは変わってしまった。前は荒波の中を藻掻くようにしていたが、今はただ穏やかで過ぎゆく時間に身を委ね受け入れている。

 

「リヴェンはあなたを死ぬほど愛していた。けど、その痕跡はこの世界には残ってない。だからあなたは私たちのことなんて忘れていいんだよ」

「そんなこと…できる訳がない」

サキはその言葉を聞いてとても悲しそうな笑みを浮かべた。セブルスは自分がきっと情けない顔をしてるんだろうなと思った。脳髄にそえられたリヴェンの娘に宛てた遺書を読んだ。羊皮紙にあったものと違って何度も何度も書き直したんだろう。字が、いつもより綺麗だった。

 

彼女の妄執すべてを知ることはできない。

けれどもセブルスはきっと、リリーのためにハリーを守ったようにこれからの人生はリヴェンのためにサキを守って生きていくのだろうと思う。

 

サキの手からフォークが落ちた。

ブルブル震える手を見てサキは呆然としている。サキは言い訳っぽく付け足す。

「ああ、これは、寒くて」

「きっと薬を見つける」

セブルスの言葉にサキは曖昧に笑うだけだった。

 

「私が死んでも、忘れてね」

「忘れるわけがない」

「ドラコもハリーもみんなそういってた」

でも本当に忘れてほしい。と、彼女はいつも言ってる。

「だってもう、私の見てる世界はみんなと違うんだもん。ここは私にとって数千年分のうちの僅かだ」

「私にとって、君たちは人生の半分以上だ。リヴェンが勝手に私の命を救ったように、私も勝手に君を見守り続ける」

「墓守りでもするつもり?このままずっと」

「ああ。リヴェンはきっとそれを望んでいた。そうだろう?」

「ハリーが悲しむよ」

「彼はもう、自分一人で歩いていける。私の役目は終わった」

「…嫌だねえ老けちゃって」

 

サキはどこまでサキで、どこまでリヴェンなんだろう。最早そんなことを超越してしまったんだろうか。絶対に追いつけない時間差のなかで、彼女は今日もセブルスの知らない過去を生きている。

 

 

「先生…」

「どうした?」

「幸せになってね」

 

きっと無理だ。

愛しい人をなくして、自分を愛してくれた人をなくして、どうやってその穴を埋めればいい?これから先どんなに幸福な人生を手にしたってずっと罪悪感に苛まれるだろう。

死は何もかも私から奪っていく。大切なものを欠いてなお人生の車輪を漕ぎ続けなければならないというのなら、生きることは罰なのだ。

リヴェン、きっと私は君と同じ苦しみを味わっているのだろう。もう一度君にあったなら、今度こそ君の口から言葉を聞きたい。でもそれは決して叶わない。

 

セブルスは絶望に打ちひしがれながら、萎えていく心を隠してサキを悲しませないように、いつも笑って答える。

 

「ああ、きっと…」

 

 

 

 

……

 

 

私は母親を食い、父親を殺し、赤の他人を殺し、好きだった男の子を裏切り、友人を捨てた。

けれどもそれが将来的に見れば一番いい。この肉体はあと数年もたたないうちに脳がスカスカになって死に至る。数十回のやり直しは想定以上に脳を傷めつけた。意識は次第に混濁し、手の震えはますます酷くなり、自律神経すらまともに働かなくなり、正気すら失う。

そんな光景をドラコに見せたくなかった。これ以上彼を傷つけたくない。

どうせ立ち去るのならば、あとを濁さず。私のように死者の影に囚われることのないように。

 

今サキの中にあるのは、母が必死に作った歪な黄昏の光景だった。あの穏やかな夕暮れ時に知った、セブルスへの恋心。報われない初恋をした瞬間にこれからの運命すべてが決まっていたのだ。

 

 

 

愛してるよ。あなたを、永久に。

 

あなたの気持ちと私の気持ちが噛み合うことはもう二度と起こり得ないけど、あなたがリリーを思い続けたのと同じくらいに清らかな気持ちで、あなたを愛している。
この美しい言葉を授けてくれたあなた自身がどれだけ美しいか、知っているのはきっと世界で私だけ。

 

私は確かにサキだ。しかしサキであると同時に何十人ものマクリールでもある。数千年という膨大な記憶と心から溢れるほどの様々な感情はどうやったって今までの意識を拡張していく。サキという人格にもはや明確な途切れ目はない。

 

リヴェンの願いは成就した。

けれども、彼女の呪いは解けることはなく私を食い尽くした。私の身体を満たすこのどろどろとした生臭い感情。抑えがたい恋情が煮えたぎる。

 

「私を忘れてね」

サキは繰り返し言ったその言葉がセブルスにとってなによりの呪いになることを知っていた。

 

私を忘れてね。あなたの為にすべてを捧げた私を、絶対に忘れてね。置き去りにして、幸せになってね。

 

 

セブルスがそんな事をできる人だったら、私はこんなに苦しまずにすんだ。
あなたは優しい。残酷なほど優しい。
私はあなたの優しさを狂おしいほど愛してる。

だから呪う。あなたは一生、私の墓の前で私の死を嘆き続ける。
私はサキ・シンガーの死によって、あなたの心に、リリーより深い傷を刻める。
病めるときも健やかなるときも死するときも、あなたは私という疵と添い遂げるの。

 

幾千年の記憶の中で、これ程まで身を焦がす恋はなかった。人という存在は絶対に他人の心に触れることは出来ない。私は積み上げてきたすべてのものを投げ打ってそれに触れる事ができた。

数千年と古の記憶を受け継ぐ血筋。降り積もった時間と比べれば、つまらない終わり方かもしれない。

けれどもこの血筋ももうこれからの時代には必要ない。すべてのものはやがて滅び、新しいなにかがその死体の上に立つ。魔法族もいずれこの血のように古い地層に成っていく。生き物はそうやって世界の一部になる。

 

私は世界にとって意味のある存在じゃなかった。けれども誰かにとっての意味のある存在にはなれたと思う。

もし人を愛するということが世界の何にも変え難いほど尊いものならば、私は人生をかけて世界のすべてを勝ち得たと言えるだろう。

愛を手にした瞬間、私達のとこしえの呪いはついに解かれるのだ。

 

私はあなたのおかげで愛を知れた。
痛みも苦しみも悲しみも、全てあなたが教えてくれた。
父にも母にも愛されてなかった私を、呪われた私を、あなたが見つけてくれたんだよ。
私は、あなたに生きていてほしかった。
その願いはかなった。

 

 

愛してる。本当に、愛してるよ。セブルス。

ずっと、愛してる。
愛してる…。

私を、忘れないで。

あなたを愛した私を、忘れないでね。

 

 

私はあなたの側ならば、きっと美しく終われる。

 

私は幸せだよ。

 

 

 

 

 

 

end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主要登場人物の安否

 

不死鳥の騎士団の死亡者

リーマス・ルーピン

ニンファドーラ・ルーピン

アーサー・ウィーズリー

パーシー・ウィーズリー(魔法省襲撃事件後アズカバンにて獄死)

 

ホグワーツの死亡者

ネビル・ロングボトム

ディーン・トーマス

コリン・クリービー

ラベンダー・ブラウン

アーニー・マクミラン

オリバー・ウッド

 

一般人の死亡者

ギャリック・オリバンダー…マルフォイ邸地下牢にて衰弱死

 

死喰い人の死亡者

ヤックスリー(魔法省襲撃事件後ヴォルデモートにより私刑)

フェンリール・グレイバック(逮捕後史実上最後の吸魂鬼のキス執行)

アミカス・カロー

アントニン・ドロホフ

多数の人さらいたち

 

戦争犯罪人

ピーター・ペティグリュー…逃亡

アレクト・カロー…逃亡

パイアス・シックネス…心神喪失が認められ医療刑務所へ

ドローレス・アンブリッジ…様々な罪状により懲役30年

ルシウス・マルフォイ…司法取引により無罪

サキ・マクリール…司法取引により無罪

 

トム・マールヴォロ・リドルの遺体…リドルの墓に埋葬される。

リヴェン・マクリールの遺骸断片…火葬後マクリール家の墓へ埋葬される。

 

 

ハリー・ポッター…ジニー・ウィーズリーと結婚後闇祓いへ

ハーマイオニー・グレンジャー…魔法法執行部へ入省後ロン・ウィーズリーと結婚

ロン・ウィーズリー…ハーマイオニーと結婚後魔法生物管理局へ入省

ドラコ・マルフォイ…癒師試験通過後聖マンゴ病院に就職し結婚

 

セブルス・スネイプ…以降表舞台に出ることなく静かに余生を過ごす。

 

サキ・マクリール…2000年に出所したロドルファス・レストレンジにより殺害される。

 

 

 

 

 

 

リリー・エバンスの日記#1(抜粋)

 

1971.12/20

リヴェン先輩という素敵な先輩と知り合った。彼女はスリザリンで、セブのはじめてのお友達らしい。セブを助けてくれた優しい人!たまに、ううん。ちょくちょく私の事を忘れるけど、何回も挨拶したら覚えてくれた。変だけどとっても大人っぽくって素敵。勉強もできて、本当に素敵!

 

1972.9/18

セブが先輩のおかげで寮にたくさんお友達ができたと言っててよかった。そういえばびっくりしたんだけど、ポッター軍団と先輩が話してるのを見ちゃった。意外。あのジェームズ・ポッターと先輩の反りが合うはずないのに。

 

1973.10/31

セブが大怪我したと聞いて、先輩は怒ってジェームズをタコ殴りにして謹慎になった。なんでそんな馬鹿なことをしたの?と聞いても理由を教えてくれない。ピーターに聞けばわかるかな。

 

1975.6/30

先輩は卒業する前に、とても素敵な秘密を私に教えてくれた。それを聞いて、正直ショックだった。だって先輩はセブに恋してるんだもの。先輩も普通の女の子だったんだと安心する反面、幼馴染としては少し複雑。セブは嬉しそうだけどね。

 

1976.5/26

セブはふくろう試験に本気になっている。ポッター軍団ときたら毎日遊び呆けてるっていうのに、本当に対照的。私も結構忙しい。首席になりたいわけじゃないけど、やっぱりやるからには本気でやりたい。

 

1976.11/7

セブが私に相談事を持ちかけた。誕生日の贈り物だって。信じられる?きっと先輩への贈り物なんだわ。セブが幸せそうで嬉しいけど、私だけ置き去りにされた気分。なんで私にはジェームズみたいな人しかアプローチが来ないの?あーあ。先輩が男の人だったらいいのに!それが理想かもね。

 

1978.6/30

ジェームズとシリウスったら卒業後は不死鳥の騎士団に入るんだって意気込んでる。でもそれは就職先じゃないわよ。闇祓いになるには数年勉強が必要だし、しばらくは私が頑張らないとね。リーマスは就職に苦労してる。気の毒だけど、彼ほど優秀な魔法使いを雇わないなんて社会の損失よね。

7年間いろんな事があった。

何より驚いたのは、セブに告白されたこと。勿論ジェームズには秘密だけど。セブは恋を成就させるために告白したんじゃなかった。けじめを付けたかったんだって。男の子って勝手に自分の中で決着をつけちゃうんだから。でも、セブも大人になったのね。あの梢の下の美しい光景は思い出となって私達の胸に大切にしまっておくね。

あんな美人さんじゃ苦難が多いだろうけれども、セブならきっと大丈夫。あなたの良いところってあなたが気づいてないだけでたくさんあるんだから。

あなたはきっと、素晴らしい魔法使いになれる。

セブ、どうかリヴェン先輩と幸せにね。

 

 

 

 

 




脳髄を食べた後の物語は、リヴェンの願いの成就で完結です。
長い間お付き合い頂きありがとうございました。


書き始めた頃はこれより悲惨な終わりの予定でした。そうならなかったのはやはり感想欄などでいろいろ意見を聞かせてもらえたからだと思います。楽しかったです。
詳しい振り返りは活動報告に譲るとして、ひとまずはおわり。

読んでくれた皆様、評価をくださった方、感想を書いてくださった方、そしてなによりものすごく膨大な誤字修正をしてくださった方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。


2021 12 10 追加
未だに感想をいただけて嬉しいです。
創作の糧になっています。
本当にありがとうございます。

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番外編
おしまいの日


食べたルートの番外編というか後日談というか、アナザーエンディングです。
孤児院の火事について、私の構成の失敗もあって曖昧になったので書き足しました。本来ボツになっものを再利用したものです。救いがないのであくまでイフです。
これでおそらくスネイプ先生の20周忌以外での更新はしません。改めてご愛読ありがとうございました。


膨大な記憶の中で自分の思い出に出会えた時というのは酷く感動する。しかし、自分の記憶を見ている場合は私は私の意志で行動することができる。つまり、下手したら今ある事を改竄してしまう。ようやく手にしたハッピーエンドが消えてしまうから慎重にならざるを得ない。

と言っても、母の脳髄を食べてから私が今まで何をして何をしなかったかと言うのを思い出す事は容易なので、大きな過ちは犯さないだろう。

 

バタフライ・エフェクトというものがある。蝶のはばたきが地球の反対側で嵐を引き起こす事。つまり、ちょっとした出来事がのちの結果に大きな影響を与えるという考え方なのだが、この言葉は過ちだ。少なくとも、私の認識しうる世界はある結末に至ることが確定したカオスに満ちていない世界だ。母、リヴェンは「選択肢は無限だが、至る結末は片手に収まる程度しかないだろう。無限の中で私達の認識が及ぶものが、たったそれだけという意味だ」と書き残していた。

 

「サキー、昼寝なんてしてたら怒られるよ」

 

子供の高い声で私は目を覚まし、辺りを見回した。懐かしの百年ものなんじゃないの?ってくらいに古い二段ベッドの木枠が眼前に広がっていた。

 

「…アンナ…?」

「駄目だよ。今日は…」

9歳くらいの少女はハッとして口を塞いだ。

「まだ内緒だったんだ!」

「聞かなかったことにするよ」

私は自分の体を確認した。ぺたんこな胸、きれいなハリのある肌。

思い出した。今日は私の誕生日。そして孤児院が燃えた日だった。

 

「サキ、サキ!あんたって子は、どうしていつも居眠りばかり…」

「春うららかだったもんで…」

「言い訳ならもっとマシな事をおいい」

院長は呆れつつ、帳面をつける作業に戻った。私はこの日起きたことをちゃんと覚えていない。ダンブルドアが抜き出した記憶は何処かへ行ってしまった。不思議なことに、脳髄を食べる以前に抜き出された記憶は思い出せないようだった。

 

私は足元が突然崖になってしまったかのように不安になる。もししくじったら、また私はセブルスを失うのだ。

ただ一つはっきりしているのは、買い物を頼まれたら断ってはいけないという事だった。

 

「おーぅい。サキぃ、何怒られてたんだよ?」

「寝るなって。無茶言うよね」

 

エリックは一番としかさで、みんなの面倒をよく見てくれた。

 

「あー、サキ。今日は誰かの部屋に行くなら必ずノックしてよね?あんたなら分かってるだろうけど、サプライズパーティは驚かす人たちが楽しむもんなんだからね」

「相変わらず身も蓋もないなぁ」

 

ジェーンはシンガー院長の娘で、17歳。去年の秋から職員として働き始めた。どことなく目元が私と似ているせいか、妹のようにかわいがってくれた。

 

アンナの他に年下は三人。みんなかわいくて、私もみんなが好きだった。

孤児院が好きだった。

火事がーもし火事がなくて、みんな無事だったら、私の進学についてどう思っただろうか?喜んでくれただろうか。

抑えがたい郷愁の念は、すぐに私がすでに失くしてしまった闘争の日々の苦しみに上書きされた。

私は…やっぱりそれでもあの未来が欲しい。セブルスが生きている、リヴェンの望んだ未来が。やり直すことはやっぱり出来ないのだった。だからこれは、まごうことなき夢なのだ。夢でなければいけない。

 

「そーだ。ねえサキ。あんた邪魔だからさぁ、ケチャップ買ってきて。イーストストリートモールのちょっといいやつ」

「露骨な厄介払い!」

「いーからいーから。…ね?」

「うーん…わかった。わかったけどもう少しだけ待って」

 

私は小銭をポケットにしまうと、家事の火元になるはずの食堂をすみからすみまで眺めた。陰鬱な色合いの壁紙。玄関から一番遠く、奥まった食堂。気密性が高い、防火について無頓着な100年前の建築。みんなは出口があるにも関わらず、ここで死んだ。いや、死ぬ。

 

なぜみんなは火から逃げなかったんだろうか。

 

私は周囲をくまなく探索した。しつくしてようやくみんなの脱出経路となりうる場所がわかった。地面を這いつくばる私を院長がしかり、一つ上のフィリップが尻を蹴飛ばしたが、なんとか見つけた。

キッチンにある小窓、ここが最も煙から逃れるのに適している。

 

むしろなぜみんなはここから逃げなかったのだろうか?

 

私は思案する。

運命について考えるとき、その世界の閉じざまについて必ず頭に入れておかねばならない。この素朴な道筋、つまり「かえる場所がなくなり、セブルスと出会う」こと。これをこなさない限り、セブルスの生き残る世界へ移ることはできないだろう。

「選択肢は無限だが、至る結末は片手に収まる程度しかないだろう。」母の言葉通り、私の片手にはすでに十分すぎる結末が乗っかっている。

セブルスが死ぬ、ハリーが死ぬ、ドラコが死ぬ、みんな死ぬ、セブルスが生きる。

至ってシンプルな世界。これに至るために私がどれだけの代償を払ったかはもう回想するまでもない。

 

もし、私がここで孤児院の無事を選び取ってしまったら?

6本目の道を見つけてしまったら?

改竄する世界の情報量は確実に私の脳を破壊するだろう。

13人。私の望む世界に要らない13人の大切な命。

 

私はキッチンの小窓の前で佇んだ。

 

この小窓を開けてれば、誰かがここから煙が外に流れ出てくのに気づき、みんな生き残るかもしれない。みんなじゃなくても、数人は。孤児院だけ焼けて、結局セブルスと出会えるかもしれない。…けれどもやはり脳の上書きはなされ、私は“みんなの生き残った世界”の1998年に死亡する。その世界にセブルスが生きているか、私にはわからない。

狂いそうなほどの絶望が私の心の中で暴れだした。深呼吸してなんとか鼓動を整える。セブルスが死んでるかもしれない世界を選ぶなんてあり得なかった。私のすべてがなんの意味もなくなってしまう。

 

「あー、まだいた!」

 

ジェーンがプンスカ怒って私の頭を引っ叩いた。そして私の顔を笑顔でのぞき込む。

「な、なに。サキ、泣いてるの…?痛かった?」

ジェーンはとても動揺して、私の頬をぎゅっと両手で包んだ。その暖かさは過去に感じたことはなかった。

「泣いてないってば。もう行くから、ちゃんと間に合わせてよ」

「なによ。変な子。気をつけてね」

 

このぬくもりが蝶の羽ばたきになりません様に。

信じていない神様に祈りながら、私は孤児院を出た。そして孤児院の、窓という窓、ドアというドアに呪文をかける。

 

誰もここから出ることがないように。

突然炎が燃え上がるように。

窒息ではなく、突然全てが焼き尽くされるように呪いをかけた。せめて苦しまないように、青白い炎を心に描いた。

 

私が、私の望む世界に辿り着くために。

世界が閉じたままであるように願いながら。

 

私はそういう理に支配された残酷な世界を、憎いと思ったり愛おしいと思ったりする。

その全てが私を生かし、存在せしめている。愛しいものを生かしている。

 

脳髄を食べた時点で私はすべての時間軸で脳髄を食べた状態の自分になれる。だとしたら、私が本来経験した孤児院の火事の原因はきっと私だ。

因果は閉じている。この世界は閉じ切っている。

私が脳髄を食べるという未来が実現した瞬間、過去と未来の因果関係が繋がった。私達は時間の旅人。過去と今を、自由に行き来する。

リヴェンが私を産もうと決意したのも、多分そのせいだ。

リヴェンが恋をした瞬間、報われない未来が確定した。

世界はそういうふうに出来ている。どこまでもどこまでも、主観的な閉ざされた世界だ。

 

絶望したくなる。

私の罪悪感は間違ってはいなかったのだから。

けれども、その罪を全て背負っても価値のある人生だった。

 

私は目を開けた。

目の前には、ロドルファス・レストレンジの醜く歪んだ顔があった。

 

「走馬灯は見終わったか」

「ええ。…いい夢だった。ありがとう」

 

白い月明かりが差し込むベッド。庭の様子を見るために開け放っていた窓からやってきた復讐者。私は、薄々彼の来訪を予感してきた。

 

「よくもベラを殺したな」

「ごめんなさい」

「そんな言葉で、足りると思うか?」

「いいや。足りない。けれども、相応しい言葉はこれしかないと思う。ロドルファス。私は、たくさんの人を殺した」

「そうだ。お前は…ひ、人殺しだ。ベラを…どうしてベラを殺した?そんな必要があったか?あいつは、あいつは確かに大罪人だよ。けれどもようやく、ようやく俺たちの子供を妊娠していたのに」

 

ロドルファスは泣いた。自分だってたくさんの人を殺したり、盗んだり、傷つけたりしたくせに、ロクに構ってもくれない妻ベラトリックスのためにさめざめと泣いている。その涙は月明かりを受けて宝石のように光って、私の白いパジャマにシミをつくった。

彼の涙は、きっと私の涙だ。だからこんなに美しく感じるんだろう。

 

「そう。じゃあこれで17人。地獄に落ちるには充分だね」

「そうだ、地獄に落ちろ。そして地獄で、ベラに謝れ」

 

私の震える首筋にロドルファスの節くれだった手が覆いかぶさった。私の体はもうまともに動かないのでその手をどうにかしたくてもできなかった。震えはもう、止まらない。最近はまともでいる時間のほうが少ない。用すら足せなくなった。もう頃合いだろう。

 

「…死ぬには、悪くない月だ」

 

闘病の末空っぽになって死ぬなんてあまりに未練がましい。

私は愛に生き、愛に死ぬ。こんなに美しい終わりはないだろう。

せめてもの救いに死ぬ前の一瞬、セブルスの、今まで愛した人たちの顔を思い出す時間があることを祈ろう。

 

窓の向こうの月が陰った。

ロドルファスの両手に、力が籠もった。

 

 



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君のいない世界

半純血のプリンスへ


 11歳の少女という生物は毎年見ているけれど、どれもこれも意味不明な思考回路をもつ、自分とは全く違ったルーツを持つイキモノだと思っていた。

 だからリヴェンに託された娘を引き取る時期が近づくにつれ、セブルスはどんどん憂鬱になっていた。ここ一年は特に悩んでいたし、学期末試験の問題を考えるのも手間取っていた。しかし、5月末日に突然ダンブルドアが報せを持ってきた。

 

 サキ・シンガーの孤児院が全焼した。

 

 腹を決めかねるまま、あの森の中の冷たい棺のような屋敷に足を踏み入れ出会ったのは、全く違うイキモノでも普通の十一歳の子供でもなく、リヴェン・マクリールの生き人形だった。

 

 生き人形…実際の人間の素材を用いて作られた人形のこと。髪、爪等は本物が使われ、人形ならば必要のない性器などを備えた生きているかのような人形…。それ以上相応しい喩えはない気がした。

 生気を欠いた白い肌とやけに赤い唇、火事のせいで少し先端が焦げているがしっとりとした黒髪。ガラス玉のような瞳。何処をとっても彼女のものだった。写真一枚残さずにバラバラに解体されてしまったリヴェン・マクリールに。

 

 サキ・シンガーはひどく傷心していた。今まで過ごしていた場所と友達と保護者を失ったのだ。当然だろう。だが聞かれた質問には答えるし、魔法界のアレコレについての最低限のルールもすぐに理解した。話しているうちに、サキがリヴェンに似てる箇所は少しずつ消えていった。

 まず、サキはリヴェンより会話がうまい。(変な話だ。)自分の好き勝手喋る彼女と違って理路整然と会話を進めていけるようだった。

 そして、食事に好き嫌いがある。サキは夕飯に出されたブロッコリーを見てものすごく顔を顰めて皿から弾いて残した。(一応たしなめたらこちらを睨みながらなんとか飲み込んでいた)

 あと、所作が雑だった。リヴェンもリヴェンで自分のどうでもいい事にまるで関心を払わなかったが、サキはどうやら大雑把な性格らしい。四角いところを丸く掃いていた。これも注意するとこちらを睨みながら四隅を掃除していた。

 

 生き人形といったが、蓋を開けてみればサキのほうがよっぽど人間らしかった。

 

「あの、これ超深刻な問題なんですけれど…あの…いいですか?」

「何か」

「もしかしてなんですけど、パパって呼んだほうがいいんですか?」

「……………先生と呼べ。どうせ9月にはそうなる」

「あ〜よかった。悩んでいたんです、パパってツラじゃないよなあって思ってたので」

 

 人間らしい…いや、子どもらしい慇懃無礼さはすくなくともリヴェンは持ち合わせていなかった。

 

 マクリール邸に3日滞在してから学校に戻り授業をこなし、夜行けそうな日はできる限り様子を見に行くようにしていた。しかしそれでも家族を失ったばかりの子どもにとって充分なケアとは言えないとはわかっている。

 なんの関わりのない子どもならばともかく、あれだけ世話になり、そして…どのような末路を辿ったか知っている人の子どもともなれは話は別だ。

 

 サキは自分が来ると明るい表情を浮かべる。だが、本当に明るい気持ちならば、自分が来るまで食堂の小さな電灯一つで買い与えた教科書の同じページを開きっぱなしにしているよりも相応しい待ち方があるはずだった。

 

「今日も来てくれるとは思いませんでした」

 

 そう言ってサキはドアを開け、赤い目を隠すように俯く。まるで襟元が気になるんだという演技をしながら生活スペースにしているキッチンまで歩いていく。

 

「テレビがほしいです。せっかく自由になったし一日中ダラダラ見ていたいな」

「…買ってもいい、がここで電波が入るかどうか」

「えっ。テレビってどこでもうつるんじゃないんですか?!」

「ここは魔法がかけられていて、マグルの干渉は届かない。電波であろうと」

「へえー…つまらないですね」

 

 まあホントはテレビって嫌いです。と小さな声でつぶやく。自分相手に雑談なんてわざわざ振らなくてもいいのだが、気遣いのつもりかなるべく飽きさせないようにしているように感じる。

 きちんと食べているのだろうか。作り置きの料理以外に調理している形跡は無かった。

 日中は何しているのだろうか。足りないものはないだろうか。

 

 11歳の少女の面倒を見ると言う事がいかに神経を削るかわかっていればリヴェンからの頼みだろうと断ったかもしれない。わがままで奔放でないのはありがたいが、ちょっとしたことで砕けてしまいそうな危なっかしさを覚える。

 

 翌日は休みなのでマクリール邸に泊まることにした。十年前も使っていた狭い使用人室。この屋敷は時が止まったままだ。

 庭は荒れていた。よく見ると少しだけ雑草が抜かれている場所もある。サキが掃除したのだろうか。リヴェンの愛した庭だけは…きちんと十年の歳月を経て朽ち果てていた。そう思うと、何だかやるせなくなる。

 

 

 

「リリーから手紙が届いた」

 

 

 リヴェンはいつも通り庭を眺めながら言った。

 

「結婚したって。写真付き。欲しい?」

「……何馬鹿なことを」

 

 自分も風の噂に聞いていた。リリーがついにポッターと結婚したと。前々からわかっていた。もうリリーの人生に自分は関わることはなく、自分から遥か遠く離れたところであの忌々しいポッターと幸せに一生を過ごすのだと。

 そう考えると、頭が煮立つように痛んだ。結婚したという事実はその痛みを掻き消すほどの目眩をもたらした。そんなところを見せないように取り繕っては来たが、リヴェンがそのような演技を見破れないはずがない。

 黙り込む私にリヴェンはなにもかもお見通しのような眼差しを向けた。

 

「要らないなら捨てるわ」

「…いり、ません」

「あら、いいの?見納めかもしれないわよ」

「いりませんったら!」

 

 監禁するまでもなく家に閉じこもっていたリヴェンは見張りに来た私やルシウスをからかうのが趣味で、特に私に対しては意地悪だった。彼女が私に送った手紙が原因で闇の帝王はこの屋敷の場所を探し出したのだ。だからこの意地悪は彼女のささやかな復讐なのだ。

 

「本当に素敵な笑顔をしてるわよ。私にはできない。あらゆる幸福から締め出されているから」

 

 私は怒っていて彼女の独白に似た会話に返事をしなかった。今思えば、何か言葉をかけてやるべきだったと思う。だが何もかも後の祭り。手遅れだった。

 

「あのー、先生…おねがいが…」

 

 物思いに耽ってると遠慮がちなノックの音がして、続いて小さな頭が扉の向こうから覗いていた。 

 ベッドから立ち上がりサキの案内する方へ向かうと、錆びついた芝刈り機が転がっている場所へ連れて行かれた。

 

「芝を、ガーって刈っちゃいたいんです。夏いっぱいで庭を完璧にするんで!」

「しかし…ここまで来たらこれは芝刈り機ではなく鉄屑だな」

「つまり手でやれと?」

「次の休みにダイアゴン横丁へ買いに行く」

「お、棚ぼた棚ぼた」

 

 サキは外出が決まって嬉しそうだった。やはり屋敷に缶詰では飽きるだろう。面倒くさいが半分と申し訳なさが半分だ。11歳の女の子に数カ月付き合うだけで一生分の気遣いをしたような気がする。やはり子供を育てるなど自分には無理だ。

 

 リヴェンが生きていたらどのような会話をするんだろうか。彼女が子供を育てる姿を全く想像できない。

 リリー。

 また唐突に彼女のことを思い出した。リリーは子供を産んだが、育てることはなかった。

 彼女の子供は、今年からホグワーツに通うことになる。ハリー・ポッター。リリーが命を投げ打ち守った男の子が。奇しくもサキと同じ学年だ。

 

「先生?」

 

 急な悲しみに襲われた私を不思議そうな顔でサキが見ている。なんでもない。とつぶやいてから、目に見える雑草を呪文で一気に抜いた。

 

「…悔しくて死にそう」

 

 次来るときまでに除草剤を作ってきてやろうと思った。

 

 

 

 自分にはリリーしかいないと思っていた。彼女が私の全てだった。その彼女を失って、世界は終わったと思った。自分の目の前にあるものが不意に失くなり、真っ暗闇に一人きり。どろどろとした感情が喉を締め上げ、肺を潰し、心臓をずたずたに切り裂いていく。それでも体は生きている。

 リリーを救うと約束して救えなかったダンブルドアを殺して自分も死のうとさえ思った。いや、私がダンブルドアを殺せるわけがないので正確に言うならば、ダンブルドアに殺してもらいたかった。

 しかし、ダンブルドアが提示したのはリリーの遺した希望と、その子に将来迫る危機だった。

 心はもうとっくに冷たくなっているのに、ダンブルドアは死を許さなかった。逃げることを決して許さなかった。そして許されない事に、ほんの少しだけ救われた。

 

 月日が立つにつれて、悲しみは以前より致命的なものではなくなってきた。日々生徒たちの悪戯や信じられない調合ミスに苛立たされながら、マクゴナガルにどやされたり、スプラウトのおせっかいを受けたりしながら過ごしている内に、私の悲しみは鈍化していき、平穏な日常に埋没していった。

 

 それを罪悪感に思うときがある。

 先ほどサキの前で起きた悲しみの発作が多分それだろう。

 なぜ私は生きているのだろう。

 リリーの遺したものを守るため。

 リリーが過ごすはずだった日常を守るため。

 そこに私がいてもいいんだろうか。たまに、そう思う。

 

 

 

 芝刈り機を乗り回し汗だくになったサキが黄昏時の日を背にして手を振っている。

 

 私は渋々手を振り返し、3日後にホグワーツに来るはずのハリー・ポッターについて思いを巡らせた。彼に待ち受ける困難について。そしてやがて始まる闇の魔術との攻防について。

 

「魔法の道具ってすごい!もうガーデニングマスターですよ今日の私は。芝刈りロデオガールと言ってもいいですね!見ました?私の芝刈り機捌きを!」

 

 そして、この子の背後に付き纏う忌まわしいあの魔法についても。

 シャワーを浴びたサキは薄い肉付きの骨ばった体をしていて、しなやかな体躯をこれでもかというくらいに伸び伸びと動かしている。見た目は母親とそっくりなくせして性格は正反対だ。

 

「…楽しいか。今」

「え?」

 

 サキは目を丸くして、唐突で漠然とした質問にほんのちょっとだけ悩む。

 

「先生がいてくれるので楽しいですよ!」

 

 それと芝刈り機も。と付け加えてサキは笑った。リヴェンにはできなかった笑顔で。

 

 

 

 

 

「多分ね…今いる場所が地獄だと、まるで世界全てが地獄のような気がするのよ。幸せって地獄以外の何処かにあるんだろうけど、私はここから出られないんだもの。ないのと同じだわ」

「…それじゃあ、何処かに逃げますか」

 

 闇の帝王がリリーを殺すかもしれない。そうわかったあとの会話だった。リヴェンはもうサキを孤児院に預けていて、死を予期していた。彼女も私も、幸せから一番遠い場所にいた。

 

「誰も居なくて、何もない、天国でも地獄でもない所に」

「………あら、連れてってくれるの?」

「ええ。いや、どうだろう。連れて行ってほしいのかもしれない」

「……あなたには、無理よ。ここから逃げ出すなんてきっとできない。ましてや、私なんかとは…」

 

 リヴェンは震える声で言った。彼女を苛む何らかの病。震える舌で、朦朧とし始めた意識のせいで瞳はいつも涙で濡れている。神経までも震えだし、何もかも制御がつかなくなった体を抱えたリヴェン。

 

「あなたは、リリーを見捨てることなんてできないわ。もし彼女が死んでも、きっとあなたは一生彼女に囚われ続けるのよ。どこにいっても、いつになっても。だから、あなたはずっとそのままなんだわ」

 

 リヴェンには全てお見通しのようだった。

 

 けれども、十年経ってその呪いのような言葉はいささか効力を失った。確かに心にはいつも彼女がいる。だが、リリー以外に自分の世界にはもう少し人が増えてきた気がする。ホグワーツの騒がしくて幼稚な日常や、同僚の厳しさ。やがて訪れる戦いでの使命。

 どれもこれも傍から見れば価値がないかもしれないし、リヴェンに言ったらめちゃくちゃに論破され叩き潰されるだろう。

 けれども、多分そういうものだ。生きると言う事はいろんなものが積み重なったり、削り取られたり。その繰り返し。

 今いる場所が全てではなくなる時が来る。

 

 サキ。君を守るということもきっと今自分が生きている意味なんだろう。絶望から救えなかった君の母親へのせめてもの手向けだ。

 スピナーズエンドの書斎に隠した彼女の脳を思い浮かべる。

 瓶に入った海馬があのまま家とともに朽ちていきますように。そして、サキ・シンガーが母親の手に入れられなかった幸福をつかめますように。

 

 柄にもなく天に祈ってから、いつも泊まっている使用人室へ帰った。

 時の止まった部屋に。

 私だけが生きている今に。

 

 ハリー・ポッターを守りきって、サキ・シンガーが幸福を掴んだら、自分の役目はおしまいだ。

 あと何年かわからないけれども、自分は死ぬまで生きている。

 そして、ここではない何処かで息をし続けるのだろう。



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幸福

 汽笛が鳴った。

 

 キングスクロス駅、9 と3/4線にに列車が到着した。蒸気が天井にあたって、ホーム中に立ち込める。すぐに霧散する煙にセブルス・スネイプのローブの裾が巻き上げられた。

 相変わらずの全身黒の服装だが、頭にはいく筋か白髪が混じっていた。

 

 ホグワーツ特急をこんなに早い時間から待っているものは少ない。ホームにいるのはセブルス一人だった。

 

 待ち合わせは発車時刻の20分前。あと一時間はある。けれども、セブルスはこの誰もいないホームに止まる列車を見たかった。見ていたかった。

 

 すべての魔法使いにとって、このホームがすべての始まりだろう。セブルスにとっても例外じゃなかった。リリーと一緒に乗り込んだこの列車。記憶にある姿と全く同じだ。

 

 世界のすべてが輝いていた在りし日の風景。リヴェンの言う、黄昏の記憶。

 これからやってくる生徒たちすべてにとって、“今”がセブルスにとっての黄昏の記憶になるのかもしれない。

 

 

 

硝子が流れ出す夜を、私たちは知っているんだ

 

 

 

いつしかサキがそういった。

 

 

硝子はゆっくりゆっくり流れてるの。人間の時間じゃわからないくらいゆっくり。

でもね、何千年も記憶を受け継ぐ私達にはそれがわかる。…受け売りなんだけどね。

 

私は、それを見たよ。セブルス

 

 

 

 

 人間の途方もなく長い人生を更に重ねた途方もない時間。

 美しい光景が何層も何層も重なって紡がれる、この世界。

 サキ。君が見た光景は…この子達がこれからゆっくり歩んでいく道のその先にあるものなんだ。

 サキ。その道が何本も何本も繋がって、硝子の流れる夜へ、君が好きだった雨の匂いのする風を運んでいるんだ。

 

サキ。

 

 最近は君を思い出すことが、だんだん減ってきている。

 

 

 

 

 

「スネイプ先生!」

 

 

 ホグワーツ生とその保護者でごった返すホーム。その人混みをかき分けて、一人の青年がヒョイっと目の前に飛び出してきた。

 いや、もう青年という年でもないか。彼にはもう子供が三人もいて、末っ子が今年ホグワーツに入学するのだから。

 

「ポッター。ここは待ち合わせには不適格だったな」

「確かに待ち合わせはだめでしたね。…でも、僕はここが好きなんです」

 

 セブルスはハリーの手をとって立ち上がった。最近、体の節々の調子が悪い。全く老いとは情けないものだ。

 

「ああ!ハリー…もう、急に走り出すなんていい年なんだからやめてほしいわ…」

 

 ハリーがやってきた方向からジニー・ポッターがやってきた。セブルスを見ると握手をし、微笑んだ。その後ろでは生意気そうな表情を浮かべたジェームズが末っ子のアルバスにちょっかいをかけていた。

「リリーは?」

「友達見つけてもう乗っちゃったよ!」

「もう!…ジェームズ、これ届けてあげて!急いで」

「ええー…?!」

 名は体を表す…というか、やたらとスネイプのよく知るジェームズに似ていた。ジェームズはジニーにカートを引かれつつ、妹リリーの忘れ物のポーチをぶら下げて行ってしまった。

 

「セブルスおじさん!またね」

 

 ハリーはセブルスの隣に立って、同じようにホグワーツ特急を眺めた。

 

「何度来ても、初めてこれに乗ったときのことを思い出してしまいます。…あのときはサキとホームにたどり着けるかで焦りましたよ。サキったら生意気そうなのに、全然頼りにならなくて」

「ああ。わりと適当なことを言うからな、彼女は」

「コンパートメントで脱ぎだしてドラコに下着を見られて平気な顔してたし」

「そう。いまいち恥じらいがない…」

「はははは!…ほんとうに…楽しい人だった」

 

 ハリーのそばにいるアルバスは二人の会話を不思議そうに聞いていた。どこか悲しそうで楽しそうな、不思議な会話を。

 

「初めて言うんですけど…僕、彼女が好きでした」

「ふん。我輩にはお見通しだったぞ」

「えっ…それは……は、はずかしいですね」

「ふん」

 

 セブルスが笑ったのを見て、ハリーはとても優しい目で彼をじっと見つめた。リリー譲りの緑の目で。セブルスもそれと、ほんの数秒視線を交わす。それだけで十分だった。

 

「ハリー!」

 

 少し離れたところで声が聞こえた。多分ロン・ウィーズリーだろう。ハリーは「ちょっと失礼」というと声のした方へ行ってしまった。

 

 ふと横を見ると、アルバスがまだセブルスから少し離れたところに立っていた。置いてけぼりにされたかと思いきや、どうやら自分の意思で残ったらしい。

 セブルスの方をじっと見つめている。

 

「どうした?父親のところへ行かなくていいのか?」

「……あの…セブルスおじさんは…スリザリン出身だったんですよね」

「いかにも」

「僕…スリザリンに組分けされるんじゃないかって不安なんです。スリザリンはほんとに闇の魔法使いばかりなんですか?怖い、所ですか?」

「…なるほど。アルバス・ネビル・ポッター。自分がどこに行くかなんて気にする必要はない」

「でも…父も母も、兄弟も…みんなグリフィンドールだし」

「君が恐れているのは、それだ。スリザリンが怖いのではない。違うことが怖いのだ。…アルバス」

 

 セブルスはかがんで、アルバスの目線に合わせた。緑色の瞳をした、気の弱そうな少年。これからたくさんの世界を見聞きして、人生を歩み出す魔法使い。

 

「君を愛する人は、世界にたくさんいる。そしてこれから、増えていく。愛される理由は、君がどの寮にいるかじゃない。君が、君だからだ。君が君でいれば、違いなんて些細な問題だ」

 

「…僕、そんなに強くなれる気がしない」

「なれなければ困るな。アルバスという名は、この世で最も偉大な魔法使いの名前だ。そしてネビルは、最も勇気ある魔法使いの名だ。…大丈夫。それに」

 セブルスは声を落とし、アルバスに耳打ちした。

「スリザリン寮にある秘密のベルを教えてやろう。それを鳴らせばしもべ妖精がお菓子をくれる。子供なんてものは賄賂で簡単になびくからな」

 

 それを聞いてアルバスはようやく笑った。列車がベルを鳴らし、発車を知らせる。アルバスは手を降って、列車に乗り込んでいった。

 

「セブルスおじさん!ありがとうっ」

 

 親たちは手を振って、子どもたちにお別れを言う。しばしの別れの狂騒は、祭りのパレードのように賑わって、そしてはしから泡のように霧散した。

 

 セブルスはホームで、過去の自分に縁のある人物と何度か会釈した。そしてホームががらんどうになって、端から闇に染まり、明かりがついてようやく家路についた。

 

 

 マクリールの屋敷は今もなお鬱蒼としげる緑に侵食されつつあった。セブルスの健闘もあり、五分の状態をキープしている。

 

 ドアを開けた。誰もいない。

 空っぽの屋敷にみちる、肺を芯から冷やす空気。

 これが、私のホームだ。

 

 サキがいっつも何かを煮込んでいた台所。そこで簡単に夕食をつくる。

 わざわざダイニングに運ぶのが面倒だと、二人して並んで食べた小さなテーブルで、一人分の夕食を食べた。

 

 軽やかな足取りで、楽しそうな足音を響かせてサキが走っていた廊下。そこをすすんで、リヴェンが使っていた一階の寝室へいく。

 

 窓からバラの生け垣と、森の木々が見えるとてもいい部屋だ。彼女が立ち上がれなくなる前、よくここで本を読んでいた。

 彼女が読んでいたなかで、一冊だけ彼女の趣味に似つかわしくない本があったのでよく覚えていた。

確か、『星の王子さま』だった。

 サキは「よくわかんなーい」と投げていた。

 

 スネイプは椅子に座り、窓から月を見た。そうして、ただ過去に思いを馳せているといつの間にか夢うつつになってくる。

 

 

 

 

 夢の中で、サキは外を走っていた。いや、サキなんだろうか?リヴェンかもしれない。セブルスはそれを眺めていた。横にも誰かが。きっとこっちはリヴェンだ。ああ、とても心地よい。

 なにか声をかけられた気がした。言葉も交わした気がした。

 

 

 でも、これは夢だ。

 

 

 目を覚ますと、あたりは植物すら沈黙するような深い深い夜だった。

 そして、セブルスは一人。

 

 

 リリーを救えなかった私

 サキを救えなかった私

 おめおめと生きている私

 

 私は、それでもまだ息をしている…。

 生きている。

 

 

 

 セブルスは書斎を改造した部屋で床についた。自分が死ぬまで、きっとここに寝るだろう。

 眠りにつくと、また夢を見た。

 

 

 

 サキが立っていた。ホグワーツの大広間の前で、自分を呼んでいる。セブルスが小走りでかけていくと、サキはいたずらっぽく笑って逃げてしまう。

 

 

 

 

「私を、忘れてね」

 

 

 

彼女の声がまだ耳に残ってる。

 

死の直前の彼女は

 

どんどん細くなっていく枯れた花のような腕で

白を通り越して空気に溶けそうな肌の色で

砂のような、頼りない偶然で形作られているような儚い体で

少しずつ光が失われていく瞳で

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

「私を…」

 

どうして、すべてが手遅れになってから気づくのだろう?

どうして、大切なものほど私の手を離れていくのだろう?

どうして、真実は嘘より残酷に響くのだろう?

 

誓えば誓うほど、誠実から遠ざかっていく。

決意はいつも真逆の結果を呼び寄せて、私を打ち砕く。

戦うために選んだ道は、罠と悪意で踏みしめられたかのようだ。

重荷を背負って歩き出しても、もっと大きな苦しみを抱えた誰かを救えない。

 

 

 

 サキ。

 いや、君はリヴェンなのか?

 君の無邪気な微笑みは、無垢な天使のそれよりもはるかに美しい。

 

 夢の中のホグワーツにはたくさん人の気配がした。けれども姿が見えるのはサキだけだ。サキは動き始めた階段にひょいと飛び乗り舌を出した。

 

 

 

「幸せになってよ」

 

 

君は、悲しい嘘をつくときに眉をへの字にしながら笑う。

脳裏に浮かぶ君はいつもその顔だ。

でもはたして、こんな顔だったか。

リリーの微笑みも、サキの微笑みも、もうとっくに私が勝手に作り出した幻想に成り代わってるのかもしれない。

 

 

塔を登って、寄り道して、二人はどんどんホグワーツを探検していく。必要の部屋を開けてなかから組分け帽を取り出すと、セブルスに向かって笑った。また何かを言うけど、セブルスにはわからない。

 

「サキ…」

 

 帽子を放り投げたサキは天文塔にある大きな歯車にぶら下がって笑っていた。

 

「今年も、キングスクロスに行ったよ。全員、相変わらずだった」

 

 そしてどんどん階段を降りて中庭についた。そこにあった誰かがおいてったゴブストーンをサキは間違って蹴っ飛ばしてしまい、慌ててもとに戻した。

 

「サキ。私も年をとってしまったな…」

 

 ハグリッドの小屋のそばに落ちていた大きな枝をブンブン振り回しサキは微笑んだ。あの、悲しいほほ笑みを。

 

「毎年毎年、たくさんの子供が一歩を踏み出している」

 

 サキは枝を捨てて、黙ってこっちを見ていた。悲しいんだか、嬉しいんだかよくわからない切ない笑みを浮かべて。

 

「私の命の、私の一歩のなんと小さきことか。そんなことを思った」

 

 続けて?と言わんばかりの顔で、サキはセブルスを見ている。風がとてもやさしい。夕暮れが、若草を金色に染め上げている。

 

「ポッターの息子…アルバスが、新しい一歩を怖がっていた」

 

 美しい黄昏だ。私の夢に過ぎないけど、たしかに私の中にある光景。サキはその中心で、ただ優しく微笑んでいる。

 

「私なんかが励ませるわけがない…と思ったが…彼は私にお礼まで言って、列車に乗った」

 

風の匂いだ。わずかに湿り気のある、森の風。ホグワーツに年がら年中吹く風。サキ、君が持ち帰りたいなとぼやいていた風だ。

 

 

「些細なことだけど、嬉しかったよ」

 

 

こんな私を…受け入れてくれる世界があった

私にも、まだなにか与えられるものがあった

 

わかったんだ

 

失ったものはもう元に戻せない。

それでも人は、何かを与えることができる。

自分が奪ったもの、壊したもの、失くしたもの。それを全て背負って、それでもなお、人は誰かに何かを与えることができるんだよ。

 

 

 

「サキ」

 

「幸せになってよ」

 

サキ、君の嘘を真に受けてしまったら…君は悲しむだろうか。

 

 

「サキ……なにか、喋ってくれ………私は…君を……置いて行こうとしているんだ」

 

サキはくすっと笑った。昔。本当に昔…。出会ったときの頃見せていた純粋な笑顔で。

 

 

ばかだなぁ、先生は。いいにきまってるのに!

 

 

 

 

 

 

 

 目が、覚めた。

 起き上がると、瞳から涙が溢れた。

 

 

 

「サキッ……」

 

 気づけば何粒もの涙がシーツに落ちてシミを作った。止めようとしても止まらなかった。後悔と、懺悔と、哀しみと、どうしようもないほどの愛情が溢れて止まらなかった。

 

 

君たちのことを忘れない。絶対に。

 

 

幸せに、なるよ。

なってはいけないと思っていたけれど。

まだ、ちゃんとなれるかもわからないけれど。

だって、サキ…君のところに行ったとき、たくさん話すことがないと、君は退屈してしまうだろうから。

 

私はこれからも、息をし続ける。

生き続ける。歩き続ける。

君が迎えに来るまで。

そうしたら話してやろう。

君の知らない、世界の話を。

 

 

 

 

 




誕生日、おめでとう


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