私だけのお星様。 (神凪響姫)
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序章
序章1 満月の日の出来事


元々にじファンにて掲載していた作品を若干修正し、タイトルを変更して投稿させて頂いております。ご了承ください(にじファンにあったものは削除済みです

少々読みづらい作風かもしれませんが、読んで頂けたらなと思っております

では、始まります。


その前に、


     注意書き

・当小説は異世界から漂着したオリ主を中心とした物語となります。過度な期待は禁物です。
・基本的に主人公は無双しません。ハーレム形成も致しません。ご理解くださいませ
・各種設定が原作と異なる場合が御座いますので、その点予めご確認下さい
・時折キャラクターが物理法則を無視した動きをしたり、質量保存則を華麗にスルーする場合が御座いますが、その場合大きな声で「フィクション!フィクション!」と叫ぶと解決するやもしれません。尚、この行動による結果につきまして、当方一切責任を負いかねますので、ご了承ください



 

 

 

 

 

 地獄と言っても過言ではなかった。

 今まで何気なく存在していたものがことごとく燃え盛り、異常なまでに人の叫ぶ声が響き渡り、それを押し潰すかのような燃え盛る音が耳に残る。

 周りには誰もいない。否、誰かがいた。いた、と思う。

 人の姿は無い。

 煙に満ち、炎に満たされたロビーには、赤と黒の色だけがある。

 それは、人の形をしていた。

 炎は絶えず、いずれ焦土と化すまで燃え続け、人の歴史に名を残すだろう。人の記憶に絶望を刻みのだろう。人が自然に、神に逆らえぬ証と言わんばかりに。

 

 少女はさまよい続けていた。父を、姉を、誰かを探すために。

 人の声のする場所を求めて、歩いていた。

 柱が倒れて砕け、天井が崩れ落ち、やがて歩く場所すら失うだろう。

 それでも、歩き続けた。

 助かりたい一心で、決して歩みを止めなかった。

 

 だけど。

 

「あ……」

 

 横手から殴りつける熱風に晒され、熱気に意識をさらわれそうになった。

 押しとどめるも、代わりに足から力が抜けた。極度の緊張と、不意な出来事に対する恐怖と不安が、幼い少女を蝕んでいた。

 倒れ伏せる。

 立ち上がることは、できなかった。

 無力だ、と心のどこかで自分が泣いて叫んでいる。けれども、口からもれたのは、己の力の無さを嘆くものではなく、ただひとえに、

 

「お姉……ちゃん…………、おとう……さ…ん……」

 

 自分を愛し、育て、絆を育んだ家族の名前。

 どこかおぼろげに映る視界の中で、何かが動いた。基盤が崩壊した柱が悲鳴を上げ、倒れようとしている。

 少女に向かって。

 裁きを下す鉄槌が如く。

 少女に何の罪があるというのだろう。まだ年端もいかぬ少女の命が、消えようとしていた。

 それでも、少女は生きたいと思った。

 思っていた。

 もう一度会いたい、と思い、ああそれも無理なのか、とどこか達観している自分がいた。

 

 でも、

 できることなら、

 

「もっと………………」

 

 声は届かない。

 唸る炎に、軋む鉄の音が、少女から最後の願いすらも奪う。

 無慈悲な一撃が、下されようとした。

 

 しかし、

 

 

 

 奇跡は、ごく稀に起こる。

 思わぬ形で、思わぬときに。

 

 

 

「―――!」

 

 横から飛来した光が、斜に傾いた柱を全力で吹き飛ばした。

 破片が飛び散る。その一つさえ、少女に当たることは無い。

 ややあって、少女は眼球の動きだけで事態を把握する。頭すら動かない、死を直前に控えた事態を打ち砕いたのは、一体何だったのか―――

 が、それを少女が見ることは叶わなかった。視界の隅を金色に輝く何かが映ったと思うが、アレは金属が燃える光景なのだろう。霞がかった視界は半分ほど暗がり、瞼が徐々に下されつつある。

 

 やがてその破砕音を聞きつけたのか、或いは先ほどの少女の願いが叶ったのか、茶色い髪を結わえた少女が駆け付ける。破片が飛び散る辺りを見渡し、ややあってから、倒れ伏す少女の姿を確認した。

 すぐさま近寄り、抱え上げた。

 意識が朦朧としているが、息をしている。

 生きている。

 

「良かった……」

 

 抱き上げられる感触に気づいたのか、眼を閉ざしかけていた少女が顔を上げる。

 茶髪の少女は優しく微笑む。

 もう大丈夫だと、語るように。

 

 それが伝わったのか、やがて少女は安心したかのように小さく頷き、小さな手で服を掴んだ。

 茶髪の少女は杖のようなものを掲げ上げ、前方を指す。

 直後、桃色の閃光が赤の色を消し飛ばした。

 闇を切り裂く光。先ほどのそれとは異なる轟音が響き、文字通り活路を開いた。

 ようやく見えた頭上の漆黒。星々の輝きが映える、美しい空だった。

 

 ああ、と最後に少女は思う。

 曇りなき空はこんなにも、美しいのかと―――

 

「さぁ、ここから出よう。掴まっててね」

 

 その力強い笑顔を見て、また視界が歪んだ。

 頬を熱い何かが伝う。言葉にできない思いが、疲れた心から湧きあがる。

 優しい笑み。暖かい腕の感触。心を満たす喜び。

 ああ、これが本当の―――魔法なのか。

 

 少女を抱え、茶髪の少女は空へと舞い上がる。

 こんな悪夢を見せまいと、抱き抱えたまま。

 小さな命一つだって、こぼれ落とさないようにと。

 確かに『少女』はしっかりと、握り締めていた。

 

 

 

 

 

 

 後には赤で満たされた世界が残る。

 そこには、

 

「…………白い悪魔、か」

 

 金色が僅かに一筋、窺え、そして炎の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから四年後―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次元世界ミッドチルダに、春が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ミッドチルダ北部、廃棄都市

 

 大地を覆うように張られたものがある。

 結界だ。

 通常、一般人が誰も立ち入ることのない空間。世界と隔離され、一種の異界と化したそこで、時折爆音と破砕音が生じ、それに混じって悲鳴と怒号が轟く。

 老朽化し、崩落した残骸は容易く砕き割れ、また叫ぶ声は寒々とした空に冷たく響き渡る。断続的に聞こえるのは破砕音と爆音、時折生じるのは人の声だ。

 結界が張られた理由は、人々に害を為すとある存在を抹殺するためだ。

 とは言っても、それは人間どころか生物ですらない。

 ガジェットドローンと呼ばれる、ある科学者が作り上げた兵器だ。

 

 本来、人為的に張られた結界内部には限られた者、そして敵対するモノしか存在しない。前者は武力を持った、管理局の者がそれである。

 だが現在、そこには多少なりとも多くの人の姿がある。

 廃棄都市に住んでいた、不法住民たちだ。

 

 ミッドチルダとて完全平和平等な世界ではない。貧富の差は確実に存在し、そのしわ寄せがここでも生じていた。居住権を持たぬゆえ、陸戦隊員が調査を怠ったのだ。不法者ならば、見捨てても構わないと。

 ゆえに、結界内は阿鼻叫喚の巷と化し、不法住民らは悲鳴を上げつつ、安全な場所を求めて蜘蛛の子を散らすが如く逃げ惑う。

 その結界の一角で、一際派手な衝撃を生む存在があった。

 戦場を己の衣装の赤で彩る、小柄な体躯の少女。その手には金属製のハンマーが握られ、地上・空中と敵の場所を限らず振るい、次々に敵機を破壊する。時折飛翔し、空の機械を振り回す鉄槌が鉄クズへと変える。

 

 既に破砕の音は三桁に達している。

 それでもまだなお、湯水の如く湧いては破壊を繰り返す。

 

 鉄槌を手の中で回していた少女・ヴィータは、乱れてきた息を整え、小さく息をつく。

 

「クソッ、次から次へと面倒くせぇ。おいザフィーラ、そっちはどうだ?」

『なんとかと言ったところだ。人を導くのもなかなかどうして、難しいものだ』

「オメェ盾の守護獣だろうが。いざとなったら壁になるくらいの器量見せろよ」

『これは耳が痛いな。その名に恥じぬ働きと結果を見せよう』

「ついでにさっきいた泣いてるガキのお守でもすんだな」

『鋭意努力しよう』

 

 念話を切り、再び距離を縮めてきたガジェットを粉砕する。

 

 最早数を数えるのも面倒になってきた。

 敵戦力を削り取る手ごたえはある。しかし満足するだけの歯ごたえがない。不謹慎な話ではあるが、むしろ戦う意欲が湧くのでいいか、と思わなくもない。

 

 ともあれ、延々と現れるガジェットを潰す単純労働じみた所業にも些か飽きが生じ始め、手持無沙汰に周囲を見渡す。仕事と割り切り気合いを入れるはいいが、あまりに余裕なのでヴィータとしても物足りなさを感じてしまう。油断することはないが、しかしまぁ、こうも味気ないやり取りが続くと退屈というもの。

 辺りのガジェットは一掃した。残りも僅かとなっている。

 仕方ない、とっとと終わらせて帰ろう。

 

 もうひと踏ん張りだ、と心機一転、最後のひと仕事に取り掛かろうとした。が、その時。空の向こうからガジェットの機影が飛来するのが見えた。

 

「新手か……?」

 

 カプセルの形状をしたガジェットの中、明らかに色彩が異なるモノが複数見られる。従来のガジェットは、索敵センサーと思しき黒い点を4つ持ち、青の機体正面中央部に熱線を照射する黄色いセンサーが付属しているのが特徴だ。

 だがガジェットの群れの中にて異彩を放つそれは、黒い装甲を持ち、五つの黄色い索敵センサーがあり、ケーブルを吐き出す側面には円筒系の物体が二つ付属している。熱線を吐き出さないのか、索敵のそれ以外にセンサーはなかった。

 サポート型か、と判断を下し、ともあれ全て撃墜する。気合十分、意気込んだ勢いをそのまま打撃力に変える。

 

「アイゼン!」

《You'd better stay on your guard》

 

 油断をするな、とアイゼンは警告する。無論、ヴィータの中に慢心は無く、余裕も見せない。

 ただ容赦なく、無慈悲な鉄槌を下す。それに変わりはない。

 

 振り下ろす。

 新型は大した抵抗も見せず、アイゼンの前に平伏す。

 一撃粉砕。新型と言えどもこの程度か、と拍子抜けした。

 

 だが、

 

「ぅぷ……っ!? なんだ!?」

 

 違和感を抱きつつもぶち抜いた瞬間、内部から凄まじい勢いで白いガスが放出された。瞬く間に周囲へ広がり、ヴィータの周囲を包んだ。

 嫌な予感がする。

 すぐさま後退、しかし僅かに口から肺へと侵入を許してしまう。舌打ちした直後、自分の体に異常が起きたことを知る。ほんの少しだが、小刻みに震え始めたのだ。

 

《Paralysis smoke》

「チッ……! 猪口才なヤツだ!」

 

 好機を得たと踏んだか、ガジェットが殺到し始める。事実、忌々しく思いながらアイゼンを振るうヴィータは、その四肢から徐々に力が抜けていくのを感じている。致死性の毒ではないことが幸いと言えばそうだが、しかしこの即効性は危険だ。効果時間はそこまで長くはないだろうが、その分効き目が異常に早い。

 五体砕いたところで動きが止まる。もうアイゼンを握っているか否か定かでないし、視界も微妙に揺れている。触角と視覚が異常をきたし、やがてヴィータはその場に跪いてしまう。

 まさしく罠に飛び込んだ獲物と化した少女を取り囲む。それでもなお動く腕を盾に、気丈にも鉄槌を振るおうとする。が、それも熱線の一射ではたき落され、徒労に終わった。からん、と転がる相棒に手を伸ばそうにも、ガジェットがそれを許さない。そもそも、揺らぐ視界の中では自分の手の感覚すら怪しかった。

 センサーが輝きを得る。熱線を一斉に吐き出しトドメを指す心積もりか。

 くそっ、と舌打ちもできたのか定かでない。腕で防御をとろうにも微塵も動かない。アイゼンの声がどこか遠い世界の出来事のように感じられる。終わりかよ、と歯噛みしながら、夜空を仰ぎ見る。

 

 と。

 夜空の向こう、ビルの陰から、それは現れた。

 

 

 

 

 

(なんだ、ありゃあ……?)

 

 ヴィータが視界に映るその光景を訝しむのも、無理はなかった。

 それは人の形をしていた。徐々に近づくにつれ、輪郭が明確なものになる。夜空の染み程度だった影はやがて外見に金と黒の色を持つのが分かる。長く三つ編みにした金髪をなびかせ、黒い衣装で身を覆い、そして、青空を連想させる青の双眸が強く印象に残る。

 

 女か、と思うが、身の動かし方から、男だ、と判定。

 それも、ヴィータと同じ程度の背丈の、少年である。

 

 しかしそれより気になるのは、少年の動き方だ。飛行魔法らしい直線的な動きではなく、ビルを迂回するように弧を描く軌道である。それは当然だ、何故なら少年は飛行魔法で空中を飛んでいるのではなく―――細いワイヤーで、空中を移動しているのだから。

 右腕の上腕部、そこから伸びたワイヤーを、グローブ付きの右手で巧みに操っている。アクション映画を彷彿とさせる動きだ。

 やがて少年の全貌がガジェットに視認されるに至る。同時、迎撃の構えを取る彼らを目前に控えた少年は、僅かに右腕を動かすと、長く伸びたワイヤーが瞬時に少年の元へ戻っていく。後は慣性の力任せに進むだけだ。

 

 身体が空中に浮く。着地までのその間、数えて四秒程度だが、それで十分だったのだろう。

 腰元辺りから拳銃を一つ取り出す。銀色の装飾と黒鉄の銃身を持つ、無骨な武装。

 あれは、とヴィータが眉根を寄せるのと同時、

 

「―――!」

 

 ガジェットが熱線を吐くより早く、力を解き放った。

 ヴィータの眼をもってしても視認できない、否、それは不可視の弾丸だったのだろう。強烈な衝撃と激烈な威力を孕んだ破壊の力が頭上から降り注ぎ、ガジェットの装甲を紙細工のように切り裂き打ち砕く。少年に最も近かったガジェットと、その付近にいた同類もろとも、見えない力に押し潰された。

 

 AMFなど関係なかった。

 

 放り投げられる軌道で空中を進む少年。その着地先に控えていたガジェットを一掃し、矢継ぎ早に繰り出される熱線を身の捻り一つでかわし、身体を丸め、背中から地面に激突した。

 バウンドする。しかしその勢いはほとんど横方向からのもので重力落下の衝撃は差ほどでもない。すぐさま身体を開き、武器を無い空手の方の腕を使って側転を入れる。

 勢いを殺すためだ。

 

 二回行い、そしてバック転。着地して、尚もしつこく残るスピードを地面を削りながら完全に消し去った。

 ため息をつく間もなく、ガジェットが瞬間、襲いかかる。

 

「……!」

 

 無論、少年とて戦場に自ら飛び込んだ身だ。集中砲火に晒されることは予測の範囲内だったのだろう。

 すぐさま身を伏せる。虚空を貫く熱線を尻目に、少年は走り出した。

 

 前方へ一発、やや遅れて後ろへも一発。やはり目に見えない衝撃だけの弾丸を吐き出し、群がるガジェットを破壊する。新型と思しき黒いガジェットも含まれ、噴射されたガスは衝撃によって押し退けられ、或いは辺りに拡散する頃には少年は前へと行く。

 一斉掃射。

 力を湯水が如く消費する勢いで射出される弾丸は、見事一つの例外もなくガジェットを粉砕し、急激にその数を減らす。一射が非常に的確で、一発で敵を三機は撃墜している。弾切れを起こす前にかたをつける腹積もりか。

 

 されど、ガジェットとて無能ではない。魔導師を苦しめるのはAMFだけではない。数の暴力すらも戦術のうち。すぐさま包囲網を作り、集中砲火の構えに入る。未だ満足に動けないヴィータを放置してまで。

 優先順位が高く設定されたモノを確実に排除するためか。

 見れば、少年の背後から音もなくガジェットが忍び寄っていた。熱線による遠距離攻撃は回避されると踏んだのか、ケーブルを左右から吐きだし、捕獲しようという魂胆だろう。或いは死なばもろとも、自爆するつもりか。

 

 危ねぇぞ、と叫ぼうとした。

 だがそれも杞憂に終わる。

 

 少年は、後ろに目が付いているかのような動きで即座に反応した。

 

「…………っ!」

 

 無手だった左手には、引き抜かれた警棒らしき物体があった。

 振り向きざまに叩きつける。しかし、魔法による強化を伴っておらず、細身の少年の腕では大した威力を見込めない。反応速度こそ見上げたものだが、ガジェットは反撃を予知してらしく、ケーブルは少年の五体にではなく警棒へと殺到する。

 絡め取られる。

 攻撃は封じられ、身動きが一瞬止まる。

 

 しかし、それも束の間のこと。

 カチ、と地雷を踏んだような音がした。

 

 直後、ケーブルを通じてガジェットが電撃に見舞われる。

 

「―――ッ」

 

 辺りを青白く染める発光現象は一瞬、ケーブルは焼かれ、回路を破損したガジェットは己の身をスパークさせ、やがて爆散する。

 至近距離で爆発を受けた少年はただではすまい。

 

 ……などと早計な判断に至る者は、最早この場において存在しない。

 

 爆煙が立ち込め、視界を塞ぐ。包囲網を形成していたがゆえに少年は輪の外に出れない。しかしガジェットは囲む輪を徐々に小さくしていたがため、爆風の煽りをもろに受ける。

 

 隙が生じた。

 それを誰が見過ごすだろう。

 

 風に押されて身じろぎするガジェットを、虚空から伸びた細いワイヤーが締めつける。少年が先程移動に利用していたそれは細く、しかしそれでいて頑丈で、鋼鉄の装甲が削られ、聞くに堪えない金属音を奏でる。

 熱線で断ち切る判断を下すよりも早く、ワイヤーが一気に収納される。それに伴い、ガジェットは爆煙の中へ引きずり込まれようとした。

 直後。少年の腕だけが現れる。

 その手には既に警棒が握られ、上から振り下ろす軌道に入っていた。

 避けられない。

 

 装甲を歪ませ、ガジェットは抵抗も叶わず破砕した。

 再び爆音。

 そして拳銃が放つ破壊の力によって、より大きな音が生じた。

 両手には武器。その身は無傷。熱線もケーブルは足音にすら届かず、数の暴力など何処へいったのやら、右往左往する彼らガジェットは哀しいかな、ただの動く的でしかない。

 後の展開は、語るまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 音が止んだ。

 砕かれる音が最後に響き、残るは大量に転がる機械の欠片と、ようやく再起したヴィータ。そして、相も変わらず無言で佇む少年。

 

「―――何モンだ、オメー」

 

 ヴィータは傍から見れば助太刀に入ったと思えなくもない少年を見、問うた。

 その目は剣呑としている。彼女とて、窮地を救われたとなれば恩義の一つも感じなくもない。だが、この少年、明らかにおかしい。

 それは、彼の手にする物体が、

 

(やっぱり、質量兵器か……!?)

 

 彼が手にする拳銃、腕から発射されたワイヤー、スパークを放った警棒。どれも魔力依存の武器ではなく、他者を傷つけるための兵器だった。

 加え。

 背中側、腰元にベルトで固定された、一振りの刀剣と巨大な銃。

 一度も行使されてはいないが、いずれもアームドデバイスだ。

 

(あのデバイス……どっかで見たような)

 

 それも最近、何かの事件のデータを閲覧した際に、だ。

 数秒考え、思い出した。

 

(デバイス強奪事件の……!)

 

 盗まれたものと、酷似している。近頃、巷を騒がせている事件の犯人。それがまさか、この少年なのだろうか。

 

 廃棄都市、不法住民、盗品、そして、デバイス所持にも関わらずの未使用。

 考えてみればみるほど、この少年には不審点が多い。突如乱入しておきながらこちらを一瞥もせず、彼はその場に佇んだまま、何か思考に耽っているようで、動こうとしない。或いは再びガジェットが出現するのではと警戒しているのか。

 しかし待てどもガジェットは現れない。

 

 少年は武器を収めると、その場から立ち去ろうと踵を返す。

 

 が、

 

「おい」

 

 ヴィータの声に、歩きだそうとした少年は止まる。

 

「オメェ、そのデバイス、盗んだものか……?」

「―――」

 

 少年は答えない。

 ただ、視線で応えた。

 無言で睨みつけ、構えをとる。答えることは何もないと、暗にそう応えているかのように。

 

「あ? んだよ、アタシに喧嘩売ろうってのか?」

 

 面白い。

 

「……いいぜ、かかってこいよ。力づくで聞いてやらぁ……!」

 

 直後、ヴィータは動き出した。

 

 

 

 

 

「行くぞアイゼン! まずは――」

 

 柄を握り締め、ハンマーフォルムのまま振り上げる。

 

「こいつを食らいな!」

《Schwalbefliegen》

 

 虚空から鉄球が現れる。付加する力は飛翔・誘導・貫通・炸裂の四つ。直進する相手が回避するも良し、防御するも良し。いずれにせよ確実に魔法面からぶち当たり、常人ならば卒倒する。

 初手から全力。フルスイングを解き放ち、ハンマーヘッドが激突した。

 

 鉄球のサイズは砲丸並み。複数発射も可能だが、この方が衝突の際の威力も増す。

 それこそ弾丸並みの速度をもって、鉄球は飛翔する。少年はそれを見、何を思うのか。だが直進中の今、回避行動に移ろうと避けた先に鉄球は誘導される。上に飛んだとしたらそれはなお良し、《Todlichschlag》――命中・防御を一切無視した打撃をお見舞いすればいい。

 

 前を見る。少年はこちらへと走り出している。鉄球に気づいても、前へと進むその勢いをどうにかせねば回避できない。慌てて回避か防御を行うのが関の山だ。

 どう出るか。

 

 と、そこで気づく。

 

「あ―――!?」

 

 少年は怯みもせず、むしろ加速を強めた。身体を前へ倒し、ヴィータを睨みつけたまま。

 馬鹿が、と内心驚き混じりに笑った。どれだけ防御に自信あるか知らねぇが、容易く受け止められるほどショボくねぇんだぜ、と。

 

 やがて衝突寸前というところで、防御の意思を見せない少年にヴィータは焦りを抱いた。非殺傷設定と言えど、それ相応の精神ダメージを受けるし、何より顔面に直撃だ。後々トラウマにならないとも言い切れない。そうするとはやてが慈悲の心はないのかと文句を言いそうだ。どうだっていいと言えばそうだが。

 勢いを緩めるか。一瞬思い、そこでヴィータは眼を見開く。

 

 少年は鼻先数十センチというところで、身体の軸を僅かにずらした。身体を右に傾け、それでも側頭部にぶつかるという位置に。

 被弾は免れない。故に鉄球はコースを変えず、数瞬先に待つ悲惨な光景を生むべく直進を続け、

 

「何……!?」

 

 そのまま通過した。

 ありえねぇ。ヴィータはほんの僅かに思考が驚愕で満たされる。

 

 避けられたことに、ではない。

 あの少年の避け方に、だ。

 

 少年が行ったのは簡単なことだ。眼前にまで引き付け、衝突寸前に頭を前へ振ったのだ。それも、数センチほど斜め左に。

 自分から飛びこむ勢いと、鉄球の速度。相対速度が誘導性を勝り、結果として、鉄球は目標へ軌道を変更することが叶わず、結果として、側頭部の髪の毛数本を掠める程度に終わり、回避された。

 

 正気じゃない。わざわざ敵の攻撃に飛びこむような命知らずな真似できる奴がいるとは。

 されど、

 

「うらぁああああああ!」

 

 その程度で怯むほど、騎士は生温くは無い。

 

 気合いと共に放たれる怒声。しっかと両手で握り締めたハンマーを振るい立たせ、迎撃を用意する。

 少年は直進を続ける。この野郎真正面から来る気か。ヴィータは心中で呆れ、同時に喜悦に近い感情を得た。

 

 面白い。ベルカの騎士に正々堂々勝負を挑むとは、見上げた根性だ。シグナム辺りが気に入りそうだ。

 

 敵を見る。少年は素手のまま、小さく身構える。と、その両手にはいつの間にか、警棒のような黒い棒が握られている。先程スパークを放ったアレはデバイス……ではない。ヴィータはすでに見抜いている。ただの護身具だ。

 

 しかしその程度の武装でガジェットを退けたのも、厳然たる事実である。

 例え質量兵器を使ったとしても、その力量は警戒に値する。

 

「しっ……!」

 

 少年の小さな声。円弧を描き、大きく振るった右手の一撃。上から振り下ろすそれとは遅れ、刺突の構えを取る左手。わざと大振りな攻撃で隙を見せ、油断を生じさせるつもりか。

 

 甘ぇ、とヴィータはアイゼンから片手を離し、前へ突き出す。

 

「シールド!」

《Panzerhindernis》

 

 三角形をした、幾何学的文様を描く魔法陣が展開される。

 高い防御性能を誇る盾となる魔法が遺憾なく効果を発揮する。改造を施したとはいえ、たかが護身具程度で砕けるものではない。

 光が迸り、上からの攻撃が弾かれる。次いで放たれた刺突の二撃目も、ヴィータのすぐ横を突き抜ける。結果として、少年は両手を前へ突き出すこととなる。

 

 その腕と腕の間に、小柄な体躯を捻じ込んだ。

 

 狙うは至近距離から放つ、掬い上げるような一撃。

 少年は防御できない。前へ伸ばしきった腕はすぐには戻せず、何かアクションを起こすよりも早く、アイゼンが意識を刈り取るだろう。

 

 全身全霊でブチ抜く。

 全力を込めたスイングを今まさに放たんとした。

 

 瞬間、

 

《Danger!》

「あ!? ―――ぱグッ!!」

 

 警告も間に合わず、頭頂部に凄まじい衝撃が走り、一瞬世界が明滅した。

 何が起きたのか。ヴィータは手放しかけた意識を抱きしめ、両目を大きく開く。

 

 少年が行ったのは、簡単なことだ。両手を動かせず、足を振り上げようにも、前へとかけていた体重のせいで上手くバランスを保てない。

 なら、一つしかない。

 

 文字通り、『頭』を使えばいい。

 

 だから叩きつけた。眼前にある、ヴィータの頭に。

 

 攻撃態勢をとっていたせいか、アイゼンの防御に先制をかけるよう、一度頭を引いて勢いをつけず、そのまま一気に下ろしたわけだ。

 

 結果は見ての通り。

 額を強かに打ちつけた少年もまた、鈍い痛みに目を細め、しかしヘッドバットの反動で上半身が仰け反ろうとする。前進の勢いも殺してある。後は腕を引くだけで次の攻撃へ移行できる。

 

 それをヴィータは自分の眼で捉えられない。だが、気配と行動の流れで把握する。自分は今、アイゼンの攻撃を中止せざるを得ない状況に追い込まれ、尚且つ下を向いてしまっている。少年はこの行動で再度攻撃をかける余裕を得た。予期せぬ事態と鈍痛に動きが鈍るヴィータと、想定内の痛みに耐える少年とでは、動きに差が出る。

 

 このまま下がらせるわけにはいかない。

 

 させるか。ヴィータはアイゼンから意識を別の場所へ向ける――

 

「だりゃぁーっ!!」

 

 ――己の頭に。

 

 だん、と力強く踏み込み、細い足が大地を離れる。僅かな飛翔、その先には、まだ構えをとっていない少年の顔がある。ヴィータから顔は見えないが、そこには驚愕が広がっている。

 ロケットよろしく飛びあがり、直後、鐘を鉄器で殴りつけたような音が響き渡った。

 

 二連続で脳を振動させたこと、また慣れない原始的攻撃にヴィータも涙目になっていた。これで背が永遠に伸びなくなったらこいつ絶対死なす。守護騎士だから成長することはないが。

 

 だが効果は覿面だ。向こうも予想外の反撃法に対処できず、顎を押さえてフラついていた。下手をすると脳震盪を起こしているかもしれない。ヴィータは内心笑った。ザマァ見ろ、やられたらやり返す。これは古代ベルカの常識だ。多分。

 

 隙ができた。

 好機。

 

「行くぞアイゼン!」

《Form Zwei.Raketenform》

 

 ハンマーヘッドが変形する。片方が推進噴射口に、反対側は鋭利な輝きを放つスパイクへ。爆発的な勢いで魔力が噴射され、瞬間的な加速をもって爆進。回転による遠心力を加え、更に速度を上昇、防御の一切を打ち砕かんと振るう。

 必倒を確約する一撃が放たれる。

 

「ラケーテン……ハンマぁあああぁぁぁあアアアーッ!」

 

 腹部を狙い、スパイクの先端が少年の五体に突き刺さる。

 直撃した。

 

 錐揉み状態で吹き飛んだ少年は地面を大きくバウンドし、何メートルも横転し、やがて回転が止まる。

 少年は動かなかった。

 

 

 

 

 

「……もう終わりかよ」

 

 あまりに呆気ない幕引きに、ヴィータは落胆の念を禁じ得なかった。ぐるり、と一回転したアイゼンの柄の先端が地面に突き刺さる。

 

 少年の力量は、先程までのガジェットへの猛攻で推測できた。昨今、魔導師の脅威として広く知られるガジェット、それをいとも簡単に葬ったとなれば、相応の実力も期待できた、はずだが……

 

 あてが外れたかな。頭を掻きつつヴィータは嘆息する。シグナムだったら一目で解っただろうが、自分はあそこまで突き抜けられない。

 ともあれ、任務は完了だ。あとはシャマルに連絡して皆と合流すればいい。踵を返し、一度連絡を取ろうと少年から意識を離した。

 

 ピピッ、と電子音が聞こえた。

 

「―――ッ!」

 

 ヴィータは振り向く。その視界の中で、倒れていたはずの少年が起き上がるのを確認し、自分の失態に舌打ちしたくなった。

 

 しかし何故、と疑念が湧く。確かにアイゼンは少年へ直撃した。腹部を強かに打ちつけ、バリアジャケットも無い状態では非殺傷と言えど尋常ではないダメージを相手に与えるに至った、はずだ。

 

 と、そこでヴィータは見る。少年の腹部に、何か包帯のようなものが巻かれているのを。腹部全体に巻きつくそれは、何の変哲もないただの包帯……とは思えない。薄らぼんやりと、見たことのない黒い文字がところどころに描かれ、それが淡い光を放っていた。

 原理は不明。しかし結果は明瞭。渾身の一撃は、ロクなダメージを与えるに至らず、自分は隙だらけの背中を晒している。

 

 少年は上体のみを起こし、左手をこちらへ伸ばしていた。

 無論、そこには拳銃が握られている。

 

 銃口がこちらに向いている。ガジェットのAMFを容易く貫通し、その装甲を砕いた弾丸を思い出し、ヴィータは戦慄する。

 

 トリガーが引かれる。

 

「く……ッ!?」と眼を見開いた。

 

 やはり弾丸が、見えない。

 否、それは見えない弾丸だった。銃口から発射されたものは、不可視が常であり、それこそが彼の持つ拳銃の真価である。

 弾丸自体は見えない。しかし、それが引き起こす結果は、この目で拝むことができた。

 

(空気が……!)

 

 文字通り、押し潰されていた。

 

 まるで見えない重圧に押し潰されるが如く、また強い力が地面を削り進んでいるかのように、その弾丸は、円形に空気を押し潰し、前方へと突き進んでいる。

 それは、巨大な空気の弾丸が触れた物を圧迫するべく直進しているかのようだった。

 

 正体は分からない。パンツァーヒンダネス、と叫びかけ、しかし、脳裏に自分が押し潰される光景が浮かび、防御を捨てた。戦いの場では楽観視できない。あの威力を考慮すれば安全策をとるべきだ。

 回避した方がいい。

 足のバネを使い、地面を全力で蹴りつける。大地もろとも削って直進する空気の壁は、虚空を突き抜け、やや後方まで飛ぶとその勢いを緩め、目に見えて威力を落とした。その結果から、射程距離は長くて20メートルほど、距離を伸ばせば伸ばすほど威力は落ちると考察する。ガジェットを引き裂いた

 それでも無力なコンクリの壁程度なら容易に撃ち抜ける模様。

 

 だが、とヴィータは勝機を見出す。

 しかしその心の余裕も、ピピッ、という続けて聞こえた電子音に打ち消される。

 

(連射できるのか!)

 

 あれだけ暴力的な威力を孕む攻撃をそう連発されてはたまらない。たちまち防戦一方へ追い込まれるヴィータを、見えない攻撃が執拗に追い回す。

 息が乱れる。未知の攻撃に加え、必要以上の回避行動が体力を奪っている。ヴィータは正確な攻撃範囲が解らないため、弾丸の軌道上から大きく飛び出して回避している。無駄な行動ではない、ないが、しかし余分な体力を浪費しているかと思うと苛立ちも募ろう。

 

 そんな中でも、ヴィータは好機を逃すまいと視線を少年へと向けつつ、思考をフル稼働させる。

 どんな手品かは知らないが、永久機関というわけでもあるまい。あれだけ高威力の弾丸を連射していれば、必ず弾切れを起こすはずだ。

 

 だが、それも確実な策とはいえない。本当に弾切れなど引き起こすのか? 疑心暗鬼になるかけるも、立ち込める不安の暗雲を振り払う。

 

 待つのは性に合わない。

 突撃あるのみ。

 

「……ッ!」

 

 アイゼンを握りこみ、己を鼓舞するように、気合を入れる。

 行け。ヴィータは自分の撃鉄を叩き下ろした。

 

 横へ大きく跳ぶことで回避していたのを、斜め前方へ行くことで避ける。距離を縮める反面、危険性は上がる。

 だからどうした、と言わんばかりに敢行する。急激な攻勢への転換。それは無策にも蛮勇にも見えるが、しかしそれは確かな反撃の狼煙にも窺えよう。

 ふと、聞こえてきた小さな音声が耳朶を打った。

 

「……へぇ」

 

 初めて耳にした少年の声は、僅かな感嘆と喜悦が混じり合い、こちらを値踏みするかのようなもので、ヴィータはひやりとし、途端、少年が単調なテンポで連射していた拳銃を即座に仕舞い、それこそ弾丸並みの速度で突っ込んできた。

 速い、と戦慄するのも束の間、走りながら警棒を引き抜いた少年の五体が視界いっぱいに映る。先程の前進速度を遥かに上回るスピード。こいつ手を抜いてやがったのか。驚く思考とは裏腹に、歴戦の兵と化した肉体は瞬時に反応、防御より迎撃を優先し、アイゼンの先端を振りかざされる警棒目がけて叩きつける。

 

 両者の武器が激突し、金属同士が身を削り合う音が一瞬し、接触したのを切っ掛けに激しい火花が散る。手元で操作しているのではなく、内部の信管で作動しているのか。いずれにせよ、お互いの視界を潰しかねない光量に、目を細める。目前にまで迫った幼い容貌からは、不釣り合いなほど不敵な笑みが僅かに浮かんでいた。そんな風な戦い方をする者がいるとは、と感嘆し、同時に敬意を抱いたかのように。

 力任せに鉄槌を押す。純粋な力ではヴィータが勝り、徐々に押し退けられていく少年の警棒。歯を剥いて拮抗の力を放出するヴィータとは対照的に、少年の顔はどこまでも冷ややかだ。真っ向勝負は分が悪いと冷静に判断し、力任せに腕を押し、その力で後ろへと飛んだ。

 

 距離をとられてはかなわない。

 

「させるかよ……ッ!」

 

 離れた分だけ、ヴィータは踏み込む。

 

 だが、

 少年の空いた右手が、素早く拳銃を引き抜くのを見て、絶句した。

 

 次の行動へ移る際のタイムラグがなさすぎる。まるで全てを想定していたかのようだ。

 撃たれる。追撃に出たヴィータに最早回避する術はない。今から行動を起こしても無意味。ただ為す術もなく撃ち抜かれるのか。

 

 思考は一瞬。躊躇は無かった。

 

「……!」

 

 ヴィータは少年同様、片手でアイゼンを手にし、少年へと伸ばす。ともすれば必死な足掻きに見えるその行動、しかしそれも届かない。あとほんの僅かというところで、僅差で射撃が勝る。

 誰がどう見ても明らかだった。

 

 ……ヴィータが少年を狙っていたならば。

 

 アイゼンは第二形態に移行したままだ。ハンマーヘッドはスパイクへと変形している。

 通常より、ほんの少しだけ――リーチが伸びている。

 

 だから、

 

「―――ッ!?」

 

 身体よりも前へと出した腕の先、手の中に収まる拳銃の銃口を跳ね上げるくらい、わけなかった。

 一瞬遅れて電子音。直後、頭上へと弾丸が放たれる。空気を突き抜ける音が、頭の上から降って来た。

 

 しかし、音だけだ。

 

 かち上げられた腕の下に潜り込むように、身を捻りながら飛び込む。警棒で迎撃する間も与えない。一瞬背を向け、ぐるりと大きく回転、再び目線が合わさった時、手の中には再度変形を遂げた、アイゼンがある。

 既にハンマーフォルムへ移行してある。パワーダウンともとれるその行動の意味、それは直後、判明する。

 

「デカいの一発行くぜ……!」

 

 虚空から巨大な砲丸が出現する。丁度、少年の腹部にあたる高さに浮かび、今まさに振りかぶる鉄槌の描く弧の最先端にある。

 轟音一つ。ハンマーの先端が球体表面を強かに打ち鳴らす。砲弾は猛烈な勢いで少年の腹部に激突し、五体を軽々しく撥ね飛ばした。空気を吐き出す苦悶の声を引きずり、そのまま後ろへと飛んでいく。

 まだ終わらない。片手を上げ、指の間に挟んだ小さな球体を全て前方へ投げ捨てる。先程の鉄球よりも小さいが、今度は数を増やした。全部で四つ、どれも誘導型だ、避けられまい。

 

 全てを打った。

 

 未だ体勢を整えられない無防備な少年に鉄球が殺到する。上からの一発が頭を殴り落とし、横合いから迫る二発がそれぞれ拳銃と警棒を持つ手を穿ち、下からホップした最後の一発が顎を大きくかち上げた。腹部衝撃、頭部への二連続打撃、そして武装を取り零した状態に追い込む。

 

(このまま……!)

 

 衝撃で空中へ飛び上がった少年へヴィータは猛進する。度重なるダメージで最早意識は朦朧としているはず。あと一撃、あと一撃叩き込めれば勝敗はつく。間近に見える華奢な肉体。ヴィータが攻撃の準備に取り掛かり、トドメとばかりに構える。

 

 少年の顔が僅かに動いたのは、その時だった。

 

「こいつ……!」

 

 何をするつもりだ、と内心問うと、同時、

 

 

 

 

 

 少年の右の瞳が、赤く光った。

 

 

 

 

 

 一瞬のことだから、見間違いかもしれない。

 

 だが、眼前で引き起こされる事象は、決して嘘偽りのものではない。

 

 虚空へ突き出された右腕。既に武器は失っている。だがそこに、不可視の力が収束していく気配がする。おぼろげながらも、だんだんと青白い光が集っていく。しかし、見慣れた魔法陣の影も形も無い。ただ未知なる力の集合を、ヴィータの直感が伝えている。

 

 ゾクッ、と背筋が凍る。

 この感じ、かつて体験したことがある。

 

 そう、かつて敵対していた、白い少女の砲撃魔法―――

 

 

 

 

 

 

「―――『Nova-Strike』」

 

 

 

 

 

 

 瞬間、力が暴力となって吹き荒れた。

 

 眩い青の閃光が視界を埋め尽くし、一体どれほどの力を注ぎ込んだのか、紫電の瞬くような音と共に、空気を引き裂く音と共に、凄まじい勢いで青い光の砲撃が照射された。

 その収束具合、威圧感、共に脅威に値するとヴィータは判断。防御の意思を瞬時に投げ捨て、回避だけを頭に残し、全身を稼働させる。

 

 間に合え。冷や汗を流しながらも、ヴィータは横へ飛んだ。

 横の空間を、光の激流が切り裂き通過する。

 

「ぐ……ああぁあぁぁあアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 直撃は避けた。

 

 しかし、横の空間を突き抜けた衝撃は筆舌に尽くし難く、暴風のような衝撃が襲ってきた。それ相応の防御力を持つ騎士服がズタズタに引き裂かれていく。

 かすめただけでこの威力。

 防御していたら、確実に砕かれていたことだろう。激流に巻き込まれれば小さな壁など一飲みにし、十秒と持たずに決壊していたことだろう。そう思うと、鳥肌が治まらない。さしものヴィータも凄まじい威力に絶句し、得体の知れない少年の底力にいよいよ本気で恐怖を抱き始めた。

 

 少年とてダメージは大きく、前後する頭を片手で押さえながら、地面に両足を突き出している。満身創痍、しかし向こうはまだ未知の力を抱えている。こちらも全力を出しているわけではないが、分が悪いと判じた。あの砲撃は尋常ではない。あれを拳銃と同じく連射されればひとたまりもない。少なくとも、確実に仕留め得る策を持たねば勝機はひたすら遠い。

 どうする、と焦りが生まれ、この正体不明な少年に不安と僅かな恐怖を抱き始めるヴィータ。本当に、こいつは『ただの』違法住民なのか? デバイスを他者から強奪し、砲撃手としては秀逸すぎる腕前を持つ自分の知人に匹敵するであろう砲撃を放つ少年。それが魔法なら納得もいく。だが、騎士服とて無能ではない。非殺傷設定ならばある程度の防御力を持つし、殺傷設定であろうと魔法であると瞬時に見抜けた。

 

 だから、

 今のは、魔法ではなかった。

 

 正真正銘、相手を『殺す』力を持った、未知の力による純粋なる暴力だった。

 

 じわじわと恐怖心が沸く。だがもし本当にデバイス強奪犯ならば、見過ごすわけにはいかない。

 確実に仕留めねば。今、ここで。

 

 どうする、と今一度自問するヴィータ。生唾を飲み込み、構えを正し、相手が再び動き出すまで静観しようと思った。

 

 

 

 ―――頭の横から、白い兎がこぼれ落ちるまでは。

 

 

 

「……ッ! アイゼンッ!!」

 

 瞬間、頭の中が沸騰した。

 

 それでもどこか冷静な思考が、相棒の名を叫ぶに至らせる。ぶちのめす、という憤怒の感情と、叩き潰す、という破壊の意志が、顔の表面で如実に表現される。

 

 少年は何故ヴィータが怒りを露わにしたのか分からないせいか、どこか眉根を顰め疑問に思っていたようだが、尋常ならざる様子に、警戒態勢をとった。

 

 だが、そんなのはどうでも良かった。

 ただこの男に、裁きの鉄槌を下す。

 それだけだ。

 

「おぉぉおぉおおおおおおおッ! 焼き尽くせぇええぇえええっ!!」

《Flammeschlag》

 

 滾る怒りが口から怒声となって現れ、喉を潰す勢いで咆哮する。

 

 ガキン、と金属音が鳴り響く。魔力を込めたカートリッジ、それが空になって排出される。

 魔力が吹き荒れる。唸り轟くような気迫に、少年は身構える。

 

 だが、

 

「うらぁッ!!」

 

 ヴィータは振り下ろす。

 

 地面に向かって。

 

 瞬間、大地が炎獄と化した。

 

「…………!?」

 

 炎が大地を駆ける。着弾地点を中心に、四方へ広がる炎。それは少年の場所も例外ではなく、前方より壁となって襲いかかった。

 

 しかし彼とて無策ではなかった。地面に転がる拳銃をすぐに拾い上げ、正面へと一発、遅れてもう一発続けて発射する。巨大な空気の壁が前面へ押し出され、迫り来る炎と対峙。炎は放たれた見えない弾丸に空間ごと押し潰され、しかし回り込むようにやって来る炎と二発目が再度激突する。

 水を掻いても無意味なように、炎を引き裂いても一見無意味。だが、放った弾丸は確かに大気をかき乱し、炎の動きに大きな揺らぎを作った。

 役目を終えた弾丸に続くように、少年は発進する。その手には再び警棒が握られ、ヴィータが鉄槌を振るったと思しき場所へ疾走する。その疾走を炎が遮ることはなかった。あらかじめ予定された箇所を通過するかのように、炎が決して素肌に触れることはない。

 

 前方で炎が不自然に揺らぐ。そこにいると踏み、地面を蹴った。

 全力で左の警棒を振る。首をはね飛ばす勢いでいった。

 

「―――?」

 

 が、いない。

 

 大地を打撃した結果か、地面が大きく爆ぜたように荒れ、盛り上がった土が人影に見えたようだ。

 

 ヴィータはいない。

 

 付近を探る。しかし気配を感じない。辺りには障害物もある。あれだけ怒りを前面に出していた少女が撤退するとは思い難いが、しかしあの状態で姿を見せないならば、未知の武器と力に臆して引き下がったのも止むを得まい。猪突するかと思えば、なかなかどうして、冷静なところもあるものだ。

 

 逃げたか、と少年は武器を下しかけ――

 

「……行くぞアイゼン!」

「―――ッ!?」

 

 ――己の失策を知る。

 

 声は頭上から届いた。

 

 仰ぎ、見る。

 

 闇夜を切り裂き、月をバックに、果たして少女はそこにいた。

 

 見れば彼女が振り回していた鉄槌は、その形を変化させている。細く小槌に似ていたハンマーは、少女の身の丈ほどもある巨大な金属塊へと変貌を遂げていた。薄紫と金色に輝く鋼鉄の武装。これこそが鉄槌の騎士が誇る最大級の一撃。敵の防御もろとも一切合切粉砕する無慈悲なる鉄槌。

 

 少年は瞬時に理解する。先ほどの一撃、アレは自分に対する威嚇でも牽制でもなく、己の位置をくらまし、次の必殺の一撃へと繋ぐための、時間稼ぎだったのだと。

 

 そして、

 魔導師は空を飛ぶ。

 当たり前の事実を、少年は忘れていた。

 

 ガキン、と再びコッキングする音がした。

 それがどうにも、死神の死刑宣告のように聞こえた。

 

「轟天爆砕……ッ!」

 

 回避を、と思うも、巨大化する鉄槌から逃れることは、不可能だった。

 だから少年は最後の足掻きをすべく、構えを取り、直後、

 

「ギガントシュラァアァァアアアアアア―――クッ!!!」

 

 巨大な鉄槌が、地面を強かに打ち鳴らす。

 《Gigantschlag》。

 文字通り、巨人族の振りかざす打撃を彷彿とさせる、その名に恥じぬ一撃だった。

 

 

 

 

 




以上で終了とさせていただきます。ありがとうございました。



……アイゼンの発言に英語とドイツ語混じってるのはスルーして下さいまし(汗


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序章2 人それぞれの事情

 

     ●   ●   ●

 

 

 某所にて。

 

「―――そして偏に、私たちが一丸となって目標に向かうこと。即ち無辜の人々を守ること。それが使命だと私は思っています。数々の苦難に屈せぬよう、理不尽に立ち伏さない強固な意志を持ち、揺らぐことのない信念を胸に、今、この瞬間から、『古代遺物管理部機動六課』を始めたいと思います」

 

 新たな組織の設立、それに伴う部隊長の挨拶が行われていた。

 見慣れた顔、懐かしい顔、新しい顔。ここから全てを一望できる。これが上に立つ者が見る光景。ここにあるモノを守るのが責務。これこそが自分が望んで止まなかった夢への第一歩。それを肌で実感できる。

 

 全てはここから。ここがようやく来れた、私たちのスタート地点だと思いながら。

 

「それでは、長い挨拶も嫌われるんで、ここまでとします」

 

 拍手喝采が上がり、小さな笑みを浮かべた少女は、一つ頭を下げると、裏手へ引き下がる。若干二十歳にも満たぬ、それこそ世間ではうら若き少女と呼ばれても差し支えない年頃の女の子。彼女を中心に、この組織は立ち上がる。

 それぞれが異なる夢を抱いて、けれど、同じ方向を向いて歩きだす。

 

 こうして、機動六課と呼ばれる組織は始まった。

 

 

 

 それから数日経って。

 

 

 

 ところ変わり、機動六課の一室にて。

 

 頂点に立つ少女の使う隊長室にて待機していた、茶髪をポニーテールにして束ねた女性。もう一人はテーブル越しに座り、髪を肩の辺りで切り揃えた女性。そして最後に、白金色の髪を散らした女性だ。

 

「……で、新設部隊・機動六課の部隊長さんは、一体どう思ってるのかな?」

 

 その女性、高町なのはがいたずらっぽく笑いながら言うと、もう一人の女性、八神はやては口元を小さく歪め、苦笑に近い笑みを浮かべる。

 

「そやねぇ。正直なところなぁ教導官様、私かて話全部鵜呑みにしたわけちゃうけど……」

 

 手元の紙を引き寄せる。

 そこには一人の少年のデータが大まかに書かれてあり、大部分は推定となっている。

 ただ一つだけ、目を引く確定事項がある。

 

「このデータ見る限り、感想は『ホンマかぁ?』の一言に尽きるなあ」

 

 新設したばかりの六課へ早々に舞い込んだ、一つの厄介事に、はやてはため息をつきたくなる。

 

 ……ここ数カ月、ガジェットの事件と併発して起きていた出来事。あまり知名度は高くないため、また犯罪者のみに対象が絞られていたせいか、一般人にはあまり浸透しておらず、管理局も差ほど対応を急いでいるわけではなかった。

 それが、デバイス強奪事件、である。

 どういう情報網からは知らないが、管理局が尻尾を掴む前に勝手に犯罪者を無力化して放置していくので、事後処理がとても楽だから少々眼をつぶってもやろう、というのが実情だったりする。

 

 恥ずべき事実だが、ともあれ、結果オーライということで流そう。

 あまり深々考えても過ぎたことだ。いざとなったら上の責任だ、こっちは知らない。

 

 その事件の犯人と思しき人物を、ヴィータが『保護』したという。

 で、本人が偶然所持していた保険証らしき身分を証明する物体などを強奪……もとい、拝借したところ、色々と信じ難い事実が次々と判明した。一部が意図的な情報隠蔽か、それとも事故のためか、黒ずんでいて把握できなかったが、以下の事柄は無事表記されていた。

 

 

 

●ダイスケ・ヒズミ

出身:『ブルー・マリナー』(管理外世界)

生年月日:AB0000年12月25日

職業:一般学生

年齢:――(恐らく十歳程度と判定)

魔力判定(推定):B-

デバイス強奪事件の犯人と思しき人物。

犯罪者からとはいえデバイスの強奪、及び質量兵器による器物破損の嫌疑がかけられている。

 

追記事項1:異能文明や科学文明は相応に発達していたが、魔法の概念が存在しない国の模様

追記事項2:ミッドチルダへ辿り着いてから廃棄都市や貧民街などに滞在していた模様(推定)

 

 

 

「加えて身元証明品から判断するに、元々一般人で、戦闘経験はほぼ皆無ぅ? ハッ、そんな輩が犯罪者からデバイスをパクッていました? 奪われた連中全員アホちゃうか? 頭のネジグロスが単位で抜けとるんか? 子供に負けるなんて大人の面子もクソもあらへんでホンマ」

 

 かなり毒を吐いていた。「はやてちゃん……」と嘆いている白金色の女性、シャマル。なのははもう苦笑するしかない。

 しかし、彼女の言うことにも一理ある。

 

「魔法を知らず、質量兵器を使ったとはいえ、ヴィータちゃんと互角に戦った……」

 

 それも、たった十歳程度の子供が。

 

 ヴィータは新たに誕生したリィンフォース・ツヴァイを除き守護騎士で最も幼い設定で、外見から判断すると十歳前後とかなり小柄。お世辞にも大人とは言い難い性分で結構喧嘩っ早いところもある。

 それでも、彼女は鉄槌の騎士である。ベルカ騎士としては珍しい遠距離近距離どちらでも戦える万能型、対物理攻撃・対魔法攻撃共に驚異的な力を発揮し、四人の守護騎士随一の防衛力を持つ。かつてなのは達と激戦を繰り広げ、今まで同じ目標に向かって共に戦ってきた仲だからこそ言える。決して子供だからと手を抜き、油断するような人じゃないと。

 

 だからこそ、解らない。

 あの少年は、一体何者なのか。

 

「ヴィータのラケーテン喰らっても後でぶっ倒れたとは言え平気な顔して立ち上がったとか言うとったしなぁ。使用デバイスも無し、特殊な技能も特に無し。これが一般人なら魔導師って何なん? 誰でも使える神秘を引き起こす現代の奇跡こそが魔法じゃないんですか? って子供に笑われてまうで」

「そんな子供いて欲しくないなぁ……」

 

 とはいえ、事実は事実。なのはもはやて同様、件の少年がデバイス強奪事件の犯人と見なしている。犯人と言っても、彼は過去犯罪者を捕えている。その点を考慮すると、罪人と断定するのは些か早計な気がしないでもない。

 今後どうなるかは、あの少年次第だろう。

 

「まだ分からんことだらけやな……ちょっとこらヴィータ、いつまでも黙っとらんで、何か言ったらどや?」

 

 視線を若干下げる。

 

 あえてなのはやシャマルが目を向けなかった、部屋の中央、そこにヴィータはいた。

 というか、座っていた。

 正座である。

 しかも青々とした竹の上に。ちょうど足首と膝のところと二本ある。

 トドメに膝には百枚単位で積まれた紙束。紐で縛ってある。

 

「はやてぇー……もう勘弁してくれよぅ……」

 

 いつもの勝ち気な様子はどこへ行ったのか、今にも泣きそうな顔でじっと上目遣い。瞳がうるんでいる。というか、もう泣いていた。ガチ泣きだった。

 

 はぁ、と嘆息一つ。

 

 はやてがこのような処置を施したのは、昨日のことだ。廃棄都市にてガジェット反応を捉え、守護騎士四名に出撃を要請した。結界内部に敵を封じ込め、しかし視察不十分で人が多く残ってしまい、止むを得ずシャマルにはサポートを、ザフィーラには人々の誘導と護衛を、シグナムとヴィータは敵の撃退と、それぞれ役割を分担させた。シャマルの指示の元、事態は着実に落ち着きつつあった。

 ところが突如、ヴィータが新型を発見。すぐさま交戦し、その最中ガス攻撃を受ける。そして油断した瞬間、突然少年が現れ、新型を一掃。しかしヴィータが所持品からデバイス強奪事件の犯人と推測、その時点をもって少年に嫌疑をかけ、呼びかけを行うも無視、同時に武器を構え、攻撃を仕掛けてきた。ヴィータはこれに応じ、見事倒した。

 

 ……というのは、後で話を総括したものであり、実際は、事態が終結した後に集合していた守護騎士三人の元へ、傷を負ったヴィータが見知らぬ少年の襟首を掴んで引きずりつつ現れ、開口一番『はぁースッキリしたぁ!』と爽やかな笑みを浮かべたのであった。

 これをシャマルからの報告で聞いたはやては、鬼もマッハで逃げ出す凄惨な笑みを携え、ヴィータを暖かく迎えた。具体的にはジャーマンスープレックスで。俗に言う原爆固めである。

 

 今は事情を全て把握しているので、怒りも大分治まってきているのだが、

 

「あのなぁヴィータ。私かて理不尽に怒ることはないし、理由をちゃんと話してくれたら労うくらいはしたで。でも何の説明も無しに傷だらけ状態で子供引っ張ってきてスッキリしたって、誰がどう考えてもガジェットに不意打ち喰らった憂さ晴らしとしか思わんやろ」

「うぅ……悪かったよー……」

 

 足が痺れてきたのか、だーと滝のように涙を流しながら謝罪するヴィータ。

 

 そんな彼女の全身至るところに、包帯が巻かれている。昨日の戦闘で負った負傷の治療痕だ。哀れに思ったシャマルが治癒をかけるのをはやてが制止し、そのままでええ、と慈悲無き判決を下したためである。

 

 ヴィータの話では、少年が放った謎の攻撃によって負傷したらしい。

 その映像はクラーフアイゼンから貰っている。

 

(にわかに信じ難い話やな)

 

 自分の家族を心から信頼しているはやては、その力量を正確に捉えている。……そう、あくまで力量の話だ。それ以外は、まぁそれはそれこれはこれということで。

 この件も後で問い正そう。はやてはひとまず置いておくことにした。

 

「シャマル。あの子が持ってた武器はどないしたん?」

「所持していた質量兵器は全部没収したけど……」

 

 歯切れが悪い。ややあってから、

 

「どれもこれも、見たことのない技術がふんだんに使われてたの。シャーリーが眼を輝かせて興奮して解析してたんだけど、下手に分解すると危険だって解ったらしょげてたわ」

「危険……? なしてや?」

「どうも銃や警棒は、中の空間に外見以上の体積を持つ物体を無理なく押し込んでるみたいで、外装を少しでもはがすと中のモノが外へ出ようと殺到しちゃうみたい。だから特別な機器がないと分解できないだろう、って」

「……つまり圧縮空間っちゅうことか?」

 

 脳裏に青狸が変な効果音を生みつつドラヤキを頬張っている光景が過る。

 気のせいか、と頭を振り、邪念を排除。

 

「空間ごと超圧縮なんて、超科学を誇るミッドチルダでもできんはずなんやけどな」

 

 それこそ、オーバーテクノロジーだ。少年の故郷は、恐らく管理外世界においてもトップクラスの科学技術を持っていただろう。

 

「お腹に巻いていた包帯も回収して検査してけれど、ヴィータちゃんが言ってたような文字は消えていて何も解らなかったわ」

「そっちは解らず仕舞いか……」

 

 不明な点が多すぎる。まるでパンドラの箱だ。藪を突けば未知の事実が溢れんばかりに飛び出してくる。

 

「そして、トドメにヴィータへ向けて放ったという、砲撃……」

 

 実際この目で直に見たわけではないが、ヴィータの証言とアイゼンの映像からして、魔法ではないようだ。

 魔法ではない、そしてなのはの砲撃魔法に匹敵する技を持つ。

 

 明らかに、危険だ。

 野放しにするわけにはいかない。

 

「できれば本人の口から説明聞きたかったんやけど、二・三日は意識を取り戻さんだろうし。話聞けるんはそれからかいな」

 

 それまで、このモヤモヤした感じと向き合い続けるのか。

 やれやれ、と言いたげにため息一つ。この件については保留で起きてから続きかいな。はやてが話題に終止符を打とうとした。

 そんな時だった。

 

「……それはねぇと思うぞ」

 

 ぼそり、と。

 沈黙を保っていたヴィータが、唐突に口を開いた。

 

「ん? なしてそう思うんや?」

「アイツ、最後に防御魔法使いやがった。チラッとしか見てねぇけど、多分ラウンドシールドだ。すぐに目を覚ますはずだ」

 

 はやての眉根が寄った。

 

「……あの子、デバイス使えんとちゃうか?」

「知るかよ。途中まで一回も魔法使わなかったし、ギガントでぶっ潰そうとした時だから、見間違いかもしんねぇ」

 

 けどよ、と前置きを入れてから、

 

「アイツ、耐えたんだよな」

 

 忌々しげに、どこか居心地悪そうに、舌打ちをこぼした。

 彼女にも騎士としても誇りがある。己の技に、磨き上げた技の数々に、長年の思い入れと培った経験と戦績からくる自信もあった。それを魔法を知らぬ子供に防がれたとなっては、やはり面白く思わないだろう。

 シャマルもそれを理解しているのか、困ったようにしつつ、はやてとヴィータの間で視線を行き来させている。なのはもこの場の二人ほどではないが、真っ直ぐな性分のヴィータの心境が如何なものか。多少は推察できたので、やはり苦笑するのだった。

 

 そんな三人の様子に、今日一番のため息をつくはやてである。

 

「……まぁ、ここで本人おらんのに憶測並べるのも時間の浪費やな。ともあれ、本人が眼を覚ますまで―――」

「し、失礼します!」

 

 突然、扉を豪快に開けて入って来たのは、眼鏡をかけた少女だった。肩で息をし、今にも倒れそうなほど足元をフラつかせながらも、はやての座る机へと向かう。しかしその顔が爽やかな笑顔なので部屋の一同は全員引いた。

 シャリオ・フィニーノ。通信主任兼メカニック担当の少女で、先程の少年の所持品を検査していた人物だ。なお、変質者じみた笑みを浮かべているがこれはもう生来の病気なので突っ込まないことが肝要である。

 

「なんやシャーリー、そないに嬉しげな顔して息切らしおってからに」

「ええ! お陰さまでテンションが今までダダ下がりでしたよ! でも一瞬で天元突破しかねないこの若さゆえの溢れるパワー! 今RPGだと数値割れ起こすくらいMPが湧きあがってる気がしますが、コレどうすればいいんですかね!? レッツマダンテ!」

「今すぐ黙れば下がると思うよ?」

「―――0.1くらいな」

「い、嫌ですねはやてさん! どうしてそんなに私のこと詳しいんですか!?」

 

 否定しないのか、と思いつつ、はやてはあしらうように手を振る。

 

「で、結局なんなんや?」

 

 そうでした、と正気を取り戻したシャーリーは、本題を告げる。

 

「あの子が目を覚ましたんです!」

 

 そうして、ようやく話が進むのだった。

 

 

 

 

 

 

     ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 

 魔法が世界的に公表された異世界、ミッドチルダ。

 その魔法による高度な文明社会を築き上げた、次元世界の一つ。

 数多くの人間が暮らし、数多の異世界人たちがそこに集う。

 時折ダイスケのように突発的な事故により流れ着いた者を、次元漂流者と呼ぶ。

 魔力を介さず破壊行為に及ぶ兵器を質量兵器と呼び、全面的に禁止している。

 行政を為し治安維持を努める存在は、ここでは総括され時空管理局と呼ばれている。

 近年、とある犯罪者が開発した機械兵器、ガジェットドローンなるモノが巷を騒がせている。

 その人間の名は―――

 

「―――ジェイル=スカリエッティと、そう言われているの」

 

 

 

 あれから一日が経った。はやてらの推測よりも早く意識を回復した少年は、取調室にて異世界の事情を改めて聞いていた。

 

 その光景を、監視カメラ越しに見ていた人物がいる。数は三つ。どれも濃い茶の色彩で目立つスーツ姿である。そのうちの一人、なのはは、落ち着いた様子で椅子に座っている少年の顔を眺めていた。既に病人用の衣装から着替え、元々着込んでいた黒いライダージャケットとカーゴパンツで整え、長い金髪は元通り三つ編みにして後ろに流している。その横顔は常に無表情、微塵も動揺した様子は無い。

 

(やけに落ち着いてるね)

 

 若干十歳程度の少年とは思えぬ冷静な言動に、なのはは内心驚きを隠せない。

 

 次元漂流者と一口に言っても、その大半が魔法とは縁遠い、むしろ架空上の存在だと認識している者が多い。その概念は世界によって異なるも、いずれも『異能』に近い位置付けだ。

 つまり、ありえてはいけないモノと同義である。

 ミッドチルダでも主流な魔法はなのはの世界でも言い伝えられていた神秘的なものとは異なり、高度な技術により変化が生じた科学の一種である。要は、なんでもかんでもアリ、というわけではない。

 

 が、それでも端から見れば、摩訶不思議な現象の一つでしかないわけである。

 魔法と出会った時、右も左も分からず取り乱していた自分を思うと、なんだか少し悔しい気持ちになる。

 あの時の自分と同い年くらいの少年は、今までの話を脳内でまとめあげ、噛み砕いて嚥下しているようで、ふんふんと小さく頷いている。

 利口そうな子だ、となんとなく思った。

 しかし経歴を見るに、彼は長期間、ミッドチルダの廃棄都市や貧民街で生活していたとのことだ。その間に魔法に触れる機会は決して無いとは言い切れないし、デバイスを(強奪したとはいえ)所持していたのだ。魔法を使用した疑いもある。

 

 ともあれ、理解が早くて助かる。本来、このプロセスに結構な時間を要するのだ。理解がある分、手順も短く、次へと移りやすい。

 

「高町なのは一等空尉、彼の少年についてどう思う?」

 

 不意に、隣から真剣味を帯びた声が届いた。

 

「……聞く限り、彼なりの事情があったと推測されます。次元漂流者である彼は犯罪者を捕えることで町の安全を確保し、またデバイスも違法なルートで売買したわけでもなく、彼の住処に隠されているとフェイト執務官が窺っています。デバイス目的で襲撃をかけたとも言えますが、見方を変えれば、彼は犯罪者からデバイスを取り上げることで、我々に代わって誅罰を下したとも言えます」

「とはいえ、罪は罪。他者を傷つけ、所持品を奪う犯罪行為は許されざるものだとしても?」

「逆に問いますが、子供がナイフを振り回していたら取り上げて説教するのが大人の役目では?」

「なのはちゃんからすれば犯罪者も子供かいな」

「私からすれば、人を傷つけるためだけにデバイスを振るうのが一番ダメだと思うの」

 

 若干堅い空気も、ほんの数秒程度。すぐに数年来の友人同士のやり取りになる。

 上司と部下という立場になろうと、根本的なところは変わらない。

 

 彼女らは分かっている。人を傷つける悲しみを。意志無き刃は心身共に痛めつける。それは自他を問わない。だからこそ無作為に災いをもたらす質量兵器が禁止されているのだ。

 如何な魔法とて、非殺傷設定を解けば質量兵器となんら変わりない凶器である。犯罪者がデバイスを振るう恐ろしさは、ミッドチルダに住む人には若干が湧かないかもしれない。だが、命を危めるモノの危険性は、言わずとも承知できるだろう。 

 

「そういう点じゃ、あの子を評価したいところなんやけど……」

 

 毒をもって毒を制す、ということわざがある。悪を制するには他の悪を用いるというが、成程、確かに少年は見事悪の道をすすんでやってのけたというわけだ。

 

 感心してる場合じゃない。はやては思考を切り替える。

 

「しっかし、フェイトちゃんも子供好きやなぁ。もうすっかり保母さんキャラが板についてきたみたいやで? 見てみなのはちゃん、あの説明を求められた時の嬉しそうな顔を」

「こないだもフェイトちゃん、新人の子を連れてきた時も、嬉しそうにしてたしね。六課に入るって聞いた時も心配そうにはしてたけど、やっぱり自分と近い場所にいてくれるのは有り難いことだよ」

 

 なのはは遠くを眺めるように、懐かしむような口調だった。その視線の先に、故郷・地球にて待つ家族の姿があるのかもしれない。

 距離はあれども、家族と共に在れるというのは、それだけでも幸いだ。

 

「……あ、ひと段落したみたいだよ」

 

 やがて説明を終えたのか、フェイトが一瞬視線をカメラへ寄こした。

 

「うし。なら私らも行くで」

「どうするの?」

 

 決まってる。

 

「いい子か悪い子かは、話聞いてからのお楽しみや」

 

 

 

 

 

 その件の少年、ダイスケは、フェイト・T・ハラオウンと名乗った女性から、一通りミッドチルダの魔法文明、政治体系、歴史事情などを聞き、頭の中で整理している。途中、古代ベルカやらロストロギアやらよく知らない単語が出てきた際には尋ね、その都度フェイトは親切にも答えてあげている。

 魔法に関してある程度詳しい情報を掌握していたが、あくまで技術に関してのみで、起源やそれに伴う社会の変動などをほとんど知らなかった。世間的には常識とされることくらい知っていれば、特別困るようなことはなかったためである。

 三十分ほど時間をもらい、粗方ミッドチルダの情報を掌握した。

 

「どう? 大分理解できた?」

 

 優しく、まるで教師のような問いに、少年は相も変わらず無表情で、

 

「ええ、なんとかといったところです」

 

 さも理解するのに一苦労、といった具合で答えた。

 

 端から見ればざわとらしいことこの上ない。その仕草も、フェイトからすれば、大人びた子だ、の一言で済んでしまうのか、どこか嬉しそうな笑みが浮かんでいる。婦警さん、という単語が脳内を掠める。その言葉が一番しっくりきた。

 そんな少年の心中も、穏やかかと言われれば実はそうでもない。

 何せ、目を覚ましたら知らない天井だったのだ。ああ、自分は逮捕されたのか。そう思いながら身を起こそうとすると、息を荒くした眼鏡の少女が顔を覗き込んできたので思わず鳥肌を立てつつブン殴ってしまった。その件について未だ言及が来ないのは謎である。そしてそれを知っているはずのこの金髪の女性が苦笑いして黙認したのもまた謎である。

 起きてまず、自分の現状を把握すべく、控えていた白金の髪の女性に問うた。

 返って来た答えは、予想とは少し異なるものだった。

 

(機動六課……新設部隊、か)

 

 管理局と言っても部署は数多く存在し、地上と海と、大まかに分ければ二つに分類される。ここはミッドチルダの中央の湾岸区域に存在し、ダイスケが寝ていたのはその六課の医務室で、先日の戦闘で意識を失った後、ここに移送されたそうだ。

 そこまで聞かされ、ふと、自分の両手、そして足元を視る。

 拘束具が無い。

 自分と相対した少女は、明確な敵意を持っていた。管理局の者だと解り、自分の持つデバイスを発見されたからには、こちらの正体を見抜いたはずだ。解らずとも、犯罪者の所持品の精査くらい行うはず。ならば、デバイスの多くが盗品であると見抜いたはず。ご丁寧に腰にブラ下げていたのが仇となったか。

 

 しかし、何故逮捕しないのか。

 不思議に思いつつ、後にダイスケは検査を行い、その足で取調室へ移動した。受けたダメージは非殺傷設定のお陰で肉体的な損傷はなく、加えて『対策』も万全だったので、立ち上がっても大した異常は見受けられない。ただ、一度分不相応な攻撃を行ったせいで、少々倦怠感を抱いたが、些細な問題だった。

 待つこと数十分。金髪の女性が入り、この世界の詳細を知る。

 そこでようやく、落ち着いて考える余裕ができた。

 

(少なくとも、即処刑とかそういうオチはなさそうだ)

 

 後に本部に移送され本格的な尋問でも行うのかと暫し戦々恐々としていたものだ。本局に直接連行されなかったことは、素直に幸運だったと思う。自白剤の投与は勘弁願いたかったので、部屋に連行されてからは自分の犯行をただちに認めた。証拠品の数々は自分の武器もろとも押収されている。見苦しく言い訳を考える必要はない。

 誰かの到着を待っているのか、フェイトは「もう少し待ってね」と言い、先程から世間話に花を咲かせている。なんでもダイスケと同じ年頃の子どもがおり、やれ二人のことが心配だの、やれ二人の将来はどうしようだの、最近自分を頼ってくれない反抗期だだのと、それこそどうでもいい話を延々と聞き続けていた。

 そんなダイスケの心中はというと、

 

(俺と同じ年くらいの子供がいるって……)

 

 この人一体何歳? 二十代半ばには到底見えないが……。

 フェイトの紛らわしい言い方が招いた誤解は、暫くの間とけることはなかった。

 

 そんな時だった。

 

「ちょっと失礼」

 

 扉が開かれる。

 傍らに茶髪の少女と白金の髪の女性を従えて、凛然とした表情をした少女が入って来た。

 

「あ、はやて……いえ、八神部隊長」

 

 フェイトは突然入室した少女に、少々驚きの顔を作った。

 彼女の上司だろうか、それにしては年に大差ない少女とも言える風貌。だがその若さで高い地位に昇りつめたとなれば、油断ならない人物だ。一切の感情を浮かべないその鉄面皮からは、先程まで感じなかった事の重さを強調し、嫌でも自覚させる。

 はやてと呼ばれた少女は無言のまま、フェイトを一瞥し、つかつかとテーブルへと歩み寄り、数秒の空白を作ってから、手でテーブルの表面を叩いた。乗せてあった紙が浮かび上がり、フェイトが悲鳴を上げかける。

 全員の眼が向けられる。

 ややあって、叩きつけた己の手を上げて、

 

 

 

 

 

「おっしゃ、蚊潰したで!」

 

 

 

 

 

 全員コケた。

 

「? なんやみんなして。気でも抜けたんか? もうちょっとシャキッとせなアカンで。私みたいにな!」

 

 約三名から白い目線を送られ、居住まいを直したはやて。ゴホン、とわざとらしく咳をし、ついでにもう一回いらんほど大きなものをし、もう一つおまけに咳払い。

 

 さっきまでの引き締まった顔は忘れたようだ。

 

 こちらを驚異的な物を見る眼で見ていた少年に向き直る。

 

「初めまして。八神はやてと言います」

「……ダイスケ・ヒズミです」

 

 先ほどの出来事で若干緊張と警戒が薄れていたが、やはりというべきか、まだこちらを窺うような気配がある。それでも不満や恐怖を言葉や態度から感じられない、落ち着き払った態度。まるで成人した男性と向き合っているかのようだ。大人しそうな顔立ちに似合わず、鋭い光を放つ、含みのない眼。

 ヴィータと互角に戦ったという話に、多少なりとも信憑性が出てきた。

 

「とりあえず、先に謝ることがあります。今回、私どもの不手際であなた方へ多大な迷惑をおかけしたこと、この場をお借りして謝罪の意を示したいと思います」

「……別に構いませんよ。僕は自分たちの身を守るために戦ったわけですから」

「それでも、です。迷惑は迷惑、不手際は不手際。結果として、君らに甚大な被害はなかったけれども、命の危険に晒したことは事実ですし、」

 

 視線を一度、後ろに向ける。

 

「仲間が勘違いを起こして、戦闘に及んでしまったのも、問題と言えば問題なので」

「僕らは市民権を認められておりません。そのため陸士部隊の到着が遅れ、誘導の時間を弄し、また不審者が現れたなら迎撃を果たすのは、別段おかしな話じゃないと思います」

「でも、町の人々を守るのが、私たちの使命だから」

「けど、僕らは町の人々に、含まれていませんよ」

 

 それに、とはやてが反論する前に、ダイスケは言った。

 

「僕はこの世界の住人じゃない。だから殺されても、文句を言えないし、その人が罪に問われてる危険も低いと思います」

 

(賢しい子供やなぁ……)

 

 無駄に知恵が回るというか、言葉巧みというか。こちらの痛いところを突いてくる。

 確かに、廃棄都市に住む人間は、町の中に住む権利を与えられてない違法遊民や不法滞在者であり、本来なら罰せられる立場であり、守られる立場ではない。そのため、先行した陸士部隊の誘導に不備が生じ、また到着まで時間を必要としたのも、はやては重々理解していた。

 

 元々、機動六課設立に至った理由の一つに、地上部隊の『対応力の無さ』をはやてが問題視したからだ。元々、真偽の程は定かでない防衛長官レジアス・ゲイズ中将のクーデター対策とやらのせいで、本局側が行った措置で人員を減らされている地上は、その巨大組織故に俊敏性に欠いており、以前頻発していたデバイス強奪事件も、一年以上捜索を続けているにも関わらず、今日まで捕獲どころか犯人像すら捉えられなかったのだ。これもまた、はやてが六課設立を急いだ理由の一つだと言える。人員不足により組織的な欠陥だと分かってはいても、はやての言葉で言うなら、不手際は不手際である。

 彼らとて人間だ。できることとできないことくらい、区別できる。数々の功績を残したレジアス中将と言えど、組織の末端にまでその影響力が及んでいるとは言い難く、如何に彼のような傑物でも一大組織を纏め上げるには至らない。同じ地上部隊員から英雄視されされる彼を面白く思わない者も、いないと言い切れない。

 気に入らぬ上司からの指示、守るべき『ではない』違法滞在者の誘導。どちらも彼らからすれば、不快なものだし、不本意なものだろう。魔法を使えるという一種の優越感からくる傲慢、それもまた拍車をかけている。

 

 世界は不平等だ。

 

 外見をいくら取り繕っても、蓋を開ければこの程度。管理局の信用度が昨今落ち気味なのは、致しかたない話といえよう。

 

「……まぁ、君が次元漂流者なんは質量兵器使うとるとこ見れば分かるし、こっちでも確認とれたからええけんどな」

 

 手の中にあるカードの数々を見せる。全て少年の所持品だ。明らかに視線を強める少年に、はやては何か言われる前に片手で制した。

 

「スマンけど、色々お借りしたで。あ、こっちは後で返すから安心してな?」

「どうも」

「せやけど、返す前に少しこっちの質問に答えてもらうで」

 

 頷きを確認し、まずはやてが問うたのは、

 

「家族は? おらんの?」

 

 その問いに、ダイスケはすぐ返事をしなかった。

 ややあってから、静かに、重たく口を開く。

 

「実は、五年くらい前に突然、こう書置きを残していなくなりました―――」

 

 重い話になると踏んだのか、彼女らの雰囲気がやや暗くなり、

 

「―――金山を求めて旅に出る、と」

 

 一瞬で瓦解した。

 

「冗談ですよ?」

 

 屈託のない無表情とはまさにこのことか。しれっと嘘を吐くダイスケに、はやては、侮れん……、と少々ベクトルがズレた感想を抱いた。

 

「正直に言いますと、僕もよく覚えてないんです。四歳の時に突然戦争が始まるといなくなって、それきりです。唯一の肉親だった姉も三年前から消息不明ですので」

「親戚はおらんのか?」

「こういうのはあまり言いたくないんですが、僕の一族は長生きしないんです。大抵戦死や病死が原因で大人が相次いで亡くなるのが長年続いたせいか、僕と同じ血を引くのは僕の家族だけですよ」

 

 つまり、天涯孤独も同然。

 だからこそ、彼はしっかりとした自我を保っているのかもしれない。

 

「さよか」

 

 口にした言葉は短くとも、それに込められた想いは如何ばかりか。守護騎士らが現れるまで一人孤独に生きていたはやてだからこそ、その境遇に何か思わずにはいられない。それは傍らのなのはやフェイトも同じ思いだろう。お互いに、誰もが平凡とも言い切れない家族や境遇で育ってきた。異なる事情を抱えて戦ってきた。

 それでもここにいる、生きている。

 少年も、同じ風に生き抜いてきたのか。

 辛い現実と向き合いながらも。

 

「ほんなら次、君の持ってたモンについてなんやけど、ええか?」

 

 努めて明るく言うはやての意志を尊重したのか、控えていたシャマルが袋のようなものを出した。透明なビニールパックのようなそれの中に、ダイスケが持っていた拳銃や警棒などが収まっている。証拠品として取り上げられたものだ。

 

「これについて、ちょっと聞きたいんやけどな」

 

 テーブルに置かれた拳銃を指で示す。

 

「衝破銃のことですか」

 

 衝破銃? と、聞きなれぬ単語に、はやてはその名称をオウム返しした。

 

「僕らの世界にあった、現存する兵器の中でも一般人が持てるものでは最高威力の武装です。グリップ内部から取り込んで超圧縮した空気を、特殊な溝を彫った銃口から放射します。溝を通り螺旋回転しながら発射された圧縮空気は、銃口から出た瞬間に空間ごと押し広げながら直進するので、大抵の物質を文字通り押し潰します。空間を押し広げる効果は僅か一瞬ほどですけど、押された空気が衝撃となって前方に押し寄せるので、射程は30メートルといったところです。至近距離で発射すれば危険度が高いのですが、遠距離攻撃としては些か物足りない物です」

「……つまり、空気の弾丸を発射する銃、ってこと?」

「簡単に言うと、そうです」

 

 あっさりと自分の武器の詳細をつらつらと語る少年の知識もさることながら、はやてが驚かされたのは、その技術力の高さだ。はやての想像を遥かに上回っている。加えて、彼のような子供が簡単に扱えている。

 銃弾が必要無い。つまり、弾切れの心配がない。それだけでも十分恐ろしいのに、この有用性。

 

(この子の世界は、それだけ危険な場所やったちゅうことか……)

 

 それとも、それだけ荒廃していたとでもいうのか。

 戦争で両親が行方不明になった、と彼は言う。このような兵器が平然と使用されるならば、言い方は悪いが巻き込まれるのもおかしな話ではないだろう。

 

 成程、と平静を装いつつ、はやては視線を少年へ戻す。

 

「もう一つ、君の持ってた警棒にも、似たような技術が使われとるんか?」

「あれは元々女性が痴漢対策として使うために一般販売されていたものを改造しただけです」

 

 そうは言うが、あの警棒だって相当なものだ。ここに来る前、試しにシャーリーが魔法のステッキ感覚で振り回していたら突然スパークして、部屋から出てきたら黒こげになっていた。その目が嫌に輝いていたのも記憶に新しい。

 

 とっとと忘れよう。

 

「ミッドチルダに来たんはいつか分かる?」

「……半年ほど前ですかね」

 

 ふむ、と頷き一つ。返答までに僅かな間があったが、それは思い出すのに要した分だろうか。

 あまりミッドチルダに来てから時間は経っていないらしい。

 

「来た原因とか、分かる?」

「………………」

 

 俯く。無言を貫く姿勢ではなく、思い起こそうと思考を海に飛びこんでいる様子。

 

「……分かりません。いきなり意識がなくなったかと思えば、気が付いたらここにいたので。ただ一つ―――」

 

 これは恐らく正直な答えだ。ダイスケとて望んでここに来たわけではない。本当に、突然、唐突に、全ては起き、始まったのだと。

 ただ、

 

「―――世界を救って、と。そういう声が聞こえた気がします」

 

 何かを託されているかのように、はやてには見えた。

 

 

 

 

 

 

「世界を救って、かぁ……」

 

 大層な言葉を吐いてくれる。素直に抱いた感想はそれに尽きた。

 まるで神の指令を帯びたかのようではないか。

 

 馬鹿らしい。神など存在するなら理不尽が蔓延る世が少しは改善されるというもの。

 神は人じゃない。ゆえに、人の痛みと苦しみを理解できない。

 

(でなければ……)

 

 何故私たちは今まで、普通で在れなかったのか。

 

 ……思考を振り払う。ここ最近、マイナス方向へ考えが偏りすぎている。六課設立における懸念事項が多く、不安と緊張で夜の安眠もままならず、どころか食事も平時より大分喉を通らなくなった。それを心配したシャマルが『はやてちゃん! ご飯をちゃんと食べないなんていけませんよ! こうなったら私が食欲を煽るようなご馳走を』とまで言ったところで無理矢理食べたらその後三日は胃痛と戦う羽目になった。

 健康とはすばらしいな。大分ズレた結論が出て、はやては一息。

 

「そこら辺に詳しいのはどっちかと言うとカリム辺りやなぁ」

 

 まぁ、あの少年の気のせいという線もあり得る。まだ幼い子供だ。精神面は大人に匹敵するが、それは貧民街での生活のためだろう。本来なら夢見がちなお年頃だ。

 

 これはあまり深く考えなくていいだろう。

 今のところは。

 

「ていうかはやてちゃん、勧誘するのもいいけど、その誘い文句が『入ったらええことあるで?』はないと思うよ」

 

 なのはの苦笑交じりの言葉に、はやては照れたように頭を掻いた。

 

「いやぁ、実はようやっと新組織が完成したと思うとテンション上がってもうてなぁ。昨日からずっとこ考えとって、なのはちゃんやフェイトちゃんとかと一緒に破廉恥パーティと洒落こもうとしとったんやけど、流石に初対面の子の前で口にするんは度胸いるなぁ」

「はやてちゃん、羞恥心って言葉知ってる?」

「ははは、何を言うとるんやなのはちゃん。人間、恥を忘れたら終わりやで?」

「あはは、つまりはやてちゃんは病気なんだね?」

「……なぁシャマル。最近なのはちゃんの応答がわりとガチなんやけど、これってつまりアレかいな? ―――倦怠期?」

「全然違います」

 

 最近自分に対する反応がハードすぎやしないだろうか。自業自得という言葉が浮かばないはやては、ううむ、とそれっぽい唸り声を上げ、とりあえず話題を変えようとする。

 

 が、先に機先を制するかのように口を開いた者がいた。

 なのはだった。

 

「で、はやてちゃん。どういうつもりなの?」

 

 問い質す声には、疑念の他に鋭い怒気が混じっている。非常に冷たい空気が漂うのは、今の問いがそれだけ真剣だということだ。はやても居住まいを直し、向き直る。

 

「どう、とは?」

「確かにあの技術力の高さと映像から判断できる本人の戦闘力は目を見張るものがあるけど、仮定するメリットとほぼ確実なデメリットを考えると、安易な勧誘行動は慎むべきじゃなかったかな?」

「なのは……幾らなんでも言いすぎじゃ」

 

 窘めるようなフェイトの声に、なのはは首を振る。

 

「フェイトちゃん、今までみたいに、自分の行動のツケは自分で払うのなら、別に私は文句を言うことはないよ。それが当たり前だからね。でも、今回は違うよ? 私もフェイトちゃんも、責任感が伴う立場だし、はやてちゃんはもっと顕著でしょ? 確かにあの子は見た感じ有能そうだし、多分望んで犯罪行為をしたわけじゃないと思うの。けど、無責任に勧誘して周りに迷惑かけてからじゃ、ダメなんだよ?」

 

 なのはとて、本心で語っているわけではあるまい。立場上、語気を強めてでも発言しなければならないのは、それだけ自分たちの安全を思い、同時に少年のことでさえ気遣っているからだ。

 はやてにはそれが解る。

 だから、せやなぁ、と言ってから、清々しい顔をして、

 

「――ぶっちゃけそこまで考えとらんかったわ」

「……まさかはやてちゃん、何も考えず反射神経だけで言ってない?」

 

 はやてはニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる。

 

 

 

「私には私の考えがあると思っとるんか?」

 

 

 

 …………。

 

「いや、そんなどや顔で言われても」

 

 凄まじい台詞を堂々と言ってのけるはやてに戦慄した。大丈夫なのかなぁ、と心配するなのはは、ともあれ、あとであの子と話をしてみようと思った。なかなか頭の良い子みたいだし、きっと悪い子じゃない、と根拠もなく思うのだから、なのはも甘いのだった。

 

 

 

 

 

 

     ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 

 思いだされるのは、数十分前の会話。

 

「君も知っての通り、機動六課は新設部隊。発足の理由はもう察しとると思うけど、管理局の対応力の無さに痺れを切らし、幾人かのお偉いさんの助力を得てこの組織を私らが立ち上げた」

「……事件への対応力の無さ加減は、僕も承知してますよ」

「だからこそ後手に回ることも多く、一部で不信に思われるんも頷ける話や」

「それを正そうとする犯罪者が増加し、管理局が粛正する……イタチごっこですね」

「今、私たちは慢性的な人手不足に困らされている。かと言って、中途半端な戦力は逆に足手まとい。士官学校を卒業した者を積極的に受け入れているとはいえ、心強い味方とは断言しかねる」

 

 ゆえに、

 

「私らは、魔法への対処法を熟知し、これから来るであろう未知の敵への対応性に富んだ逸材が欲しい。例えそれが、異世界の住人であろうとも」

「……つまり?」

 

 はやてはそこで、ニッと、力強くも明るい笑みを携え、

 

「仲間にならんか? なったらええことあるで?」

 

 

 

 

 

 良いこと、とは具体的に何か問うても、それは後のお楽しみ、とはぐらかされてしまった。後でまた話し合いの場を設けるとは言ってはいたが、それまで時間が空いた。

 その間、隊舎内を自由に見学してても良い。そう言い渡され、ダイスケは手持無沙汰に一人廊下を歩いている。新組織と言われるからには染み一つ無い潔白な建物を想像していたが、少々期待外れで他の部署辺りが使用していたのか、築十年は経過している雰囲気がある。それでも真新しげな気配が漂うのは、建物全体に充満する、隊員達から放たれるものだろう。

 新進気鋭、期待と緊張とが混ぜこぜになったような、まるで入学式を迎えた子供のような感じ。

 微笑ましい、とでも言うのだろうか。

 

 しかし、当然だがダイスケはそこに含まれないので、一人無表情のまま、どこか明確な目的を持たないまま、依然として浮ついた空気の中を歩いていく。

 歩きつつ、先程までの会話を思い出す。

 

 最初に会った金髪の女性は、職務で対話を行っているというより、純粋にこちらを心配しているように窺えた。性分ゆえか、それとも過去の経緯ゆえかは本人のみぞ知ることだが、親身になって話してくれた。そういう人は素直に有難いと思う。法律で保護されない、身元が定かでない、犯罪行為を行ったと、まったく人聞きの宜しくない三拍子が揃った子供にああも優しく接するのは並大抵のものではない。

 お陰で色々分かったこともあったし、理解が深まった。

 そして、後に登場した、この六課という組織で頂点に立つという女性。

 八神はやて。

 第一印象は生真面目そうな女性ということだったが、それも五秒で崩れ去った。これだけある種期待はずれな人間は久しぶりだ。

 

 まぁ、あの少女は腹に一物抱えたような人物ではあったが、少なくとも欲にまみれた俗物とは違う。何らかの明確な目的があって、それにダイスケの力が必要と踏んだから勧誘したのだろう。把羅剔抉、いつの時代でも優秀な人材は引く手数多とされる。

 無論、理由はそれだけに留まらない。

 

 恐らく、監視下に置くためだ。

 

 ダイスケが持ち込んだ質量兵器は、どれも現行の管理局の法律下では使用できず、またこの世界の現代技術を持ってしても容易く量産できるレベルではない。空間圧縮、そして、もうひとつの技術。特に後者は、飛行魔法が希少価値を持つミッドチルダでは垂涎の品となる。圧縮技術によって、それまでガソリンや水素を主体としたエネルギー機関は蒸気圧縮を用いた環境に良いモノへと移り変わり、『あの』技術は人々がかねてより望んでいたものに直結した。政府の重鎮でも技術者でもない、一般人のダイスケに守秘義務などないが、口軽くベラベラ話して良いかと問われれば、答えは当然否である。そもそもこういった技術は軍事転用と直結している。漏洩は即ち人の世の混乱と破滅の可能性を意味すると言っても過言でない。

 管理局は対応力の問題こそ槍玉に挙げられるが、一応多くの人々から支持を受け、数々の危機を救った実績もある。デメリットもあるがメリットもある、それ相応の正当性がある、はずだ。

 

 組織とは一種の独立意志を持つ偏倚的生物だ。正義と自称してもそれはあくま所属する者、或いは上層部に居座る人間独自の考えに基づくものである。

 要は、大を尊び小をおざなりにするのだ。大組織である以上必然なのだが、安易に身を預けたとしても、危機的状況に陥った際、その切り捨て対象に指名されてはたまらない。体よく使い潰されるか、危険度の高い任務を割り当てられるか、解ったものではない。だからこそ、ダイスケは異世界から来てすぐに管理局へ行かなかった。

 そんなダイスケを、野放しにするのは危険と見なしたのだろう。八神と名乗った女性は、一見人のよさそうな笑みを携え、仲間にならないかと勧誘してきた。しかしその腹はどうか。自分を利用するため、或いは新組織の基盤を確かなものにするため、恩を売ろうと上層部に明け渡すつもりではないだろうか。異世界人だからと、使い捨ての駒にするつもりではなかろうか。

 

「……嫌だなぁ、もう」

 

 何故こうも悪い方向へ捉えたがるのか。人を信じようにも、長年の経験とそれによる憶測が邪魔をしてしまう。純粋な好意が、邪悪な意思に感じてしまう。

 相手が好意をもって接してくれているとは考えられないのか。

 

(周囲が外道ばかりだと俺まで精神汚染が……!)

 

 否、そこは常識人としての力で拮抗をだな、と深々考え込んでいたのがいけなかったのか、

 

 

 

「あいたぁ~~~ッ!」

 

 

 

 誰かと衝突したのか、悲鳴を上げる声がした。

 だがそれにしては衝撃がほとんどなかった。というより、全く感じなかった。加えて、人の足音も聞こえなかった、気がする。

 一体誰、と思いつつ、前を見る。

 いた。

 

「いたたぁ……もう、どこ見て歩いてるんですか! 損害賠償を要求するですよ!」

 

 変な妖精がいた。

 全長は目視で30センチほどだろうか。人間年齢でおおよそ10歳、いやそれより年下か、そんな外見の少女がこちらを見て睨んでいる。睨む、と言っても気迫を全く察知できず、むしろプンスカという効果音が今にも聞こえてきそうな、端的に述べると可愛い仕草をしつつこちらを見ている。

 窺っている、と言ってもいい。

 というより、観察だろうか。

 むしろこっちが観察したい気分。

 

「何コレ」

 

 思わず言ってしまった今日この頃。

 

 当然ながら、相手はひどく御立腹な様子。

 ぶつかっておきながらコレ扱いされれば誰でも怒る。

 

「む、ぶつかっておきながら謝罪もせずコレ扱いした貴方こそ何ですか! 機動六課のマスk……アイドルたるリィンつまりリインフォース・ツヴァイを知らない貴方はもしや!」

 

 ピシッ、と指先を突き付けられる。

 余談だが今マスコットと自分で言おうとしてなかったか。

 

「不審者ですね?」

「…………見学者なんだけど」

 

 一応口にしてみるも、見慣れぬ人物が歩いていたらそう思うかもしれない、と思った。

 疑われても文句は言えない。

 

 が、

 

「そうなんですか~? なら納得ですー」

 

 信じちゃったよ。

 ひょっとしてここの人はスゴくいい人ばかりなのかもしれない。

 

「では改めまして。リインフォース・ツヴァイと言いますー」

「ダイスケ・ヒズミです」

 

 成程、とリインは鷹揚に頷き、

 

「ではダイスケさん、こう言うのはなんですけど、レディにぶつかったら潔く頭を下げるのが紳士の有り様というものですよ?」

 

 人差し指を振りつつそんなことを言う。

 れでぃー? 思いっきり語尾上がりで叫ぼうとしたのを寸でのところで踏み止まる。前方不注意だったのは確かだし、それに、あまり騒ぎを起こしたくは無い。

 

「……すいません」

 

 素直に下げると、リインは満足したのか、

 

「素直で宜しい!」と頭に乗っかった。

 

 何してんの? と目線で問えば、

 

「見学者さんを案内してあげるですよー。リインは先輩さんですからねー」

 

 と、鼻歌でも歌いだしそうな呑気な口調で言う。

 仕事しろよ。どこからかそんな声が聞こえてきた、気がする。

 

 しかしまぁ、ガイドがつくに越したことは無い。広すぎるとも言えないが、子供が自力で隊舎内を把握するには少々骨が折れる。

 

「宜しくおねがいしますよ」

 

 ため息が出る。

 すると幸せが逃げるというなら、一体どれだけの幸福がこの世界に来てから失われたのか。そんな益体のないことを考えてしまう辺り、ダイスケは案外、ここでの生活に期待しているのかもしれない。

 

 

 

 




誤字など御座いましたらご一報願います


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序章3 在るべき心を胸に

正直、自分でもかなり強引な展開だと思いますが、長く書きだすとプロローグだけで一体どれだけかかるのか分からないのでこれくらいで勘弁して下さい(?


 賑やかな声が聞こえてきたのは、それから一時間ほど経った頃だ。その頃になるとリインが『案内するのも楽じゃないですー』と言って頭の上で丸くなって寝始めた。こいつホントに公務員なんかと職務怠慢気味な妖精に戦々恐々しつつ、広々としたロビーの椅子で寛いでいると、若手と呼ぶには若すぎる年頃の少女たちが姿を現した。見る限り、ダイスケと近い年代、十代半ばが二人と、十代になって間もない程度の子供が二人。それぞれ和気藹々とした雰囲気で、どこか楽しげだ。

「ん……?」と、一人の少女がこちらを目ざとく発見した。

 あまり好意的とは言い難い視線。というのは、まぁもっともな話。見慣れぬ少年が一人忽然と座っていればおかしいと思うのも、無理は無い。見咎めるものではなく、疑問に思うがゆえの目線が、ダイスケを射貫いている。

 

 しかし、あまり良い心地はしないので、軽く会釈をすると、その隣を歩いていた少女がこちらへと足を向け、それに続いて他の者も続く。

 

「こんにちは。どうしたの? こんなところで」

 

 快活な笑みを携え、青い髪の少女が声をかける。

 

「ちょっと隊舎の中を案内してもらってたの。今は休憩中」

 

 ふぅん、と興味深げに覗き込んでくる青髪の少女。後ろで二人の子供が同じような目でこちらを見ている。

 

「で、ええと……そっちは、」

 

 なんて呼べばいいのか迷ったのを察した少女は、真っ先に手を上げて言った。

 

「私は、スバル・ナカジマ! よろしくねっ!」

 と、青い髪の人懐っこい笑みを浮かべた少女が片手をあげ、

「ティアナ・ランスター。階級は二等陸士よ」

 と、橙色の髪をツインテールにした勝ち気そうな少女が名乗り、

「エリオ・モンディアル三等陸士です!」

 濃い赤の髪を持つダイスケと同年代と思しき少年が敬礼し、

「キ、キャロ・ル・ルシエ三等陸士、です……」

 桃色の髪をした控えめそうな少女が静かに答えた。

 

 四人とも若手の部類だろう。十代半ば、うち二人は初等部に通っている年代のはず。

 こんな子供まで働かせているのか。

 が、昨今少年兵など珍しくもないので、ダイスケは深く考えるのを止め、本人たちに詮索、或いは追求するのを控えようと決めた。どうせ想像以下の理由だろう。

 

「どうも。ダイスケ・ヒズミ、次元漂流者です」

 

 サラッと答えると、向こうは大いに驚いたのか、え、とか、嘘、という言葉が聞こえた。

 はて、そんなに珍しいものなのか。

 ともあれ、そこは本人からすればさして重要ではない。肝心なのは今後のことだ。追求を避けるべく先に口を開いた。

 

「異世界から来たんだけど、居場所がないもんでね。保護してもらうか、居場所を得るために労働をすべきか。どうするか決めあぐねているところなんだよ」

「元の世界に帰らないの?」と、スバルの問いに、

「帰れないからここにいるんだけど?」肩をすくめるダイスケ。

 

 皮肉交じりになってしまったのは、長年滞在して何の手がかりも得られなかったことからくる諦観の念ゆえだ。管理局を頼れない以上、自力で帰還するしか方法はなかった。結果は、現状がすべてだが。

 そもそも、力を取り戻せねば意味がない。

 帰ったところで、犬死がいいところだ。

 

「家族の人が心配してるんじゃ……」

 

 これは純粋な疑問か、割と常套句となる問いかけを放つエリオ。

 一瞬躊躇し、少し考えてから、ダイスケは答える。

 

「心配ないよ。『そういう問題』は平気」

 

 はぐらかすことにした。

 雰囲気を暗くしてはいけない。話題を変えよう。

 

「ところで、四人はアレなの? 機動六課に入る新人さん、ってこと?」

「うん、そうなんだよ! 私とティアは前に受けたBランク試験に落っこっちゃってうわーやばいギン姉に怒られるよどうしようってマジで悩んでたら、なのはさんにお誘い受けてね! 災い転じて何とやらだよ!」

「うふふ、スバル、アンタ自分たちの恥ずべき過去を堂々と言いふらしてんじゃないわよ」

 

 後ろから天罰が落ちた。涙目で頭を抱えて転げまわるスバルをティアナは無視した。

 

「言葉を持って生まれたんだからせめて話し合う努力をしてもいいんじゃない?」

「言葉を持って生まれても分かり合えないこともあると知っておく必要もあるわ」

「難儀な話だね」

「世知辛いわね」

 

 はぁ、と揃ってため息をついた。

 さておき。

 

「そっちも勧誘受けたクチ?」

 

 視線をエリオへと移す。外見から判断するに、今のダイスケと同い年に近い彼は、どこかあどけない表情を作っている。まだ年端もいかない少年少女を酷使する管理局の噂は確かなものとなったが、しかし彼の意志はどうか。

 

「僕は、今までお世話になった人がいて、それで、少しでも恩を返せたらなって、そう思ったから」

「傍で力添えしようって?」

 

 無言で力強くうなずく少年に、そう、とだけ返した。

 

(本当に大丈夫なのか……)

 

 無表情の下で、管理局の雇用制度のずさんさを疑る。戦いの場に赴くには、あまりに若く純粋すぎやしないか。そのうち現実の重圧に押し負けて潰されないかが不安だが、それはそれ、ダイスケが心配することではない。

 

 そっちの子はどうだろう、と視線を小柄な少女に向ける。が、肩を震わせた少女・キャロは、素早い動きでエリオの後ろへと引っ込んでしまう。目を丸くしてその光景を見ていた他三人も少なからず驚いたようだ。非常に内向的なのか、それともただ単に初対面の人間相手だから恥ずかしがっているのか。

 

 大丈夫なのか、と目線でティアナに尋ねると、首を振られた。

 もうなんかダメなのかもしれない。

 

「こんなところに入って俺大丈夫なんかな……」

 

 だからだろうか。

 不意に、そんな言葉が漏れたのは。

 

「えっ、まさかアンタも?」

 

 若干懐疑的なニュアンスを含んだティアナの声。

 どこか嫌そうな声に聞こえたのは気のせいだと思いたい。

 

「一応、誘いは受けたよ。そっちと大分事情が違うけど、八神とかいうアレな人に『入ったらええことあるで?』とか変な顔で聞かれた」

「ず、随分な言い方だね……」

「正直が美徳というのが信条なんで」

 

 口の端を引き攣らせるスバルに、しれっとした顔で答える。

 と、今まで頭の上で寝転がっていたリインが開口。

 

「確かにはやてちゃんは最近言動に異常というか奇態がかってきているのは事実ですけど、これから上司になるかもしれない人に対して陰口はいけないですよー」

「! リイン空曹長……」

 

 ダイスケの頭に鎮座するリインに気づいたのか、ティアナは遅ればせながらも敬礼する。スバルも慌てたように同じ構えを取る。

 

 ダイスケは聞きなれない単語に眉根を寄せ、彼女らの階位の程を察し、そしてその意味を理解した。

 

「空曹長……?」

「そうですよー。リインは空曹長、みなさんの上司なのですー。あなたよりもずっとずっと偉いんですよー」

 

 空曹長、という単語に聞き覚えはない。が、要は軍隊の階級制度と同様で、曹長と同クラスの地位なのだろう。彼ら四人をまとめる上司的存在といったところか。

 なので、ダイスケは大きく頷いてから、

 

「ふーん、そうなんだ。へぇー」

「……実は理解してませんね貴方?」

「何言ってんの、理解したと言ってるじゃないか。頭の固い上司はこれだから困る……」

「ぜ、絶対理解してないですね!?」

「サー、イエッサー」

「なんでそこだけ従順になるんですか!」

「まぁそれはおいといて」

 

 上の方で小さいのが騒いでいたが羽虫の囁きだと脳が処理した。

 

「しかし、三人の有名人、数多くの実力者、期待を背負う新人と。よくもまぁそれだけの人員を確保できたもんだ」

 

 それに、

 

「君らも、よく入る気が起きたね」

 

 聞き様によっては、嘲笑うかのように聞こえるその言葉に、四人は一様に眉を寄せる。

 

「それは、どういう意味の問い?」

「利益があるのかな、ってことだよ」

 

 過程を飛ばし、結論だけを口にした。スバルは分かってないのか首を傾げ、他の年少組二人も同様。ただしティアナだけは、ふぅん、と不敵な笑みを浮かべている。

 どうやら言いたいことが分かったらしい。

 

「……聞いたかどうかは知らないけど、フェイト・T・ハラオウンさんは執務官、いわゆるエリート職に就いてるわ。こっちのスバルの憧れ、高町なのはさんは幼少時から管理局に所属して数々の功績を残した、エースオブエースの異名を持つ才女よ」

「成程。得るものは多様、失うものは大きくは無し、と。逆に怪しいね」

「新組織だもの。それくらいビッグネームがあった方が多くの人に印象付けられるでしょ?」

「人は英雄を求めるって?」

「看板は目立ってナンボよ」

 

 僅か十歳程度の少年と十六歳の新属の少女、どちらも含みのある笑みを浮かべて、出来立てほやほやの組織に関しクリティカルな会話を行っている光景は、傍から見るとかなりシュールだった。

 というか、不気味だった。

 若干三名が引くぐらいには。

 小さな上司が額を押さえるくらいには。

 

「成程成程。機動六課に入りたくなる理由が一つ増えたよ」

「ええ。私も明日を楽しみに思える理由が一つ増えそうね」

 

 周囲を放ってけぼりで意気投合する二人であった。

 

 

 

 

 

 それから暫しの間、年相応な談笑で盛り上がっていたが、リインフォースが訓練時間が迫っている旨を告げると、四人は顔を青ざめさせる。

 なんだか申し訳ないことをした気分。

 

「じゃあ行くけど、アンタ、あんまり気軽に考えない方がいいわよ。仕事は遊びじゃないんだから」

「ティアはああ言ってるけど、私はいつでも歓迎するよ!」

 

 二人の後に続き、エリオとキャロも会釈して、先を行く二人に続いた。訓練場に向かうらしい。ここで時間を消費したからか、大分急ぎ足になっていた。

 

「随分と元気いっぱいな新人ですこと」

 

 思わず主婦口調になってしまった今日この頃。

 

「それではリィンも、ちょっと新人さんたちの面倒を見に行きますので、後はごゆっくりどうぞー」

 

 身を浮かべ、リインもそれに続くように飛んで行った。

 あんまり急ぐとまたぶつかるぞー。心中で呟きながら、ダイスケは手を振って見送った。

 まるで嵐が過ぎ去ったように静まり返る廊下。六課はそう大所帯ではないようで、こうしてベンチに座り込んでいても、とんと人影を見掛けない。少数精鋭という話を聞いてはいたが、こうも人の気配が少ないと物寂しい光景も相まって、誰もいないような錯覚さえしてくる。

 というか、ここ警戒が薄すぎではなかろうか……? つとそんなことを考え、すぐに警戒心丸出しになる自分を少し恥じる。

 

 ふと、横から近づいてくる足音が聞こえた。

 

「ん? 貴様は……」

 

 見れば、明らかに他の者とは雰囲気が異なる人がいた。

 切れ目に刃物のような雰囲気。落ち着きのある佇まい、スーツが似合う長身。

 彼女こそまさに中世の騎士を彷彿とさせる存在。現世に再び現れた一人の兵。

 果たしてその正体とは……!

 

 (こいつ……間違いなく、できる!)

 

 次回、『謎の女騎士現る! ~先生、それは巨峰じゃなくて巨砲です~』ご期待下さい。

 

 

 

「―――おい、壁に向かって何をしゃべってるんだ」

 

 背後から鋭い声。

 

「いや、やっておかないといけないような気がして」

「真面目そうな顔してふざけたことを言う……」

 

 ふと、そこで何事か思い至ったのか、目を細め、

 

「ところで見かけない顔だが、新入りか?」

「いいえ、ただの物見遊山を楽しむ若者です」

「そうか。新入りか」

 

 人の話を聞いてるようで聞いてなかった。

 

「貴様のような若者が前線に赴き、常々命の危険に晒されるなど言語道断。とはいえ、遺憾な話だが、我々管理局は人手が常に足らぬ状態、猫の手も借りたいほどだ。如何に優秀な実力を持つ逸材だろうと、死と隣り合わせ、一瞬の油断が己への、周囲への被害をもたらすことは、今のうちに見知りおけ」

「あのーちょっと、聞いてますか?」

「だが案ずるな。この烈火の将シグナム、若輩者の後塵を拝するわけにはいかぬ」

「ねぇ聞いてる? 俺と同じ世界を見てる?」

「同志諸兄の、そして我が主の命……、この魂果てるまで守り通してみせようぞ」

「おい、人の話聞けよ」

 

 一通り言い終えると、満足げな笑みを浮かべて女性は立ち去った。豪快な笑い声付きで。

 

 何だったんだアレ。ダイスケはその後ろ姿をどこか不気味に思いつつ、ふと、こちらを見る視線を感じた。振り向くと、そこには黒い毛並みが美しい、ところどころに白いフサフサの毛が生えた、大型犬がいた。

 なんでこんなところに、と思うも、番犬がいてもおかしくはないか、と適当な結論を付けた。あんな変な人が長を務め今も奇妙な女性が闊歩していたような隊舎だ、常識が通用しないのは最早当り前。妖精もいたし。

 どこか達観したような、人間味を感じる眼。寂しさと優しさを兼ね合わせた、不思議な雰囲気を漂わせている。

 

 話しかけてみよう。

 

「やぁ」

 

 基本、動物は従順で素直だ。こちらが害を与えず敵意を抱かなければ、向こうも真摯に接してくれるというもの。ダイスケは高めの声で手を上げると、向こうも警戒心を緩め、のしのしと近づいてきた。

 頭を上げ、何か言いたげな視線を送ってくる。

 

 撫でてもいいのかな? ダイスケは迷ったが、やや逡巡してから、手をそっと伸ばして、喉の辺りを撫でる。

 柔らかい。

 そして暖かい。

 これは素晴らしい毛並み。さぞ気高い血筋を引く名犬に違いない。

 

「うーん、もふもふ」

 

 眼を細めてされるがままにしている犬。

 堪能したので手を引くと、犬はその場に座り込んだ。

 

「…………」

「ここって変わった人が多いね」

 

 ウォフ、と首肯する声。

 

「俺、仮にここでやってけるのか、ちょっと今から心配」

「…………」

「まぁでも、決めるのは俺次第なんだよねー……」

「…………」

「あ、ごめん。愚痴言っても解らないよね」

「…………」

 

 ふぅ、とため息。沈黙が続く。

 

 と。

 

「少年、強く生きろ」

「うん。ありがとね」

 

 犬はウォフ、と小さく声を上げ、どこか頼りがいのある勇ましい足取りで去っていく。先程の女性よりも余程頼りがいのある後ろ姿だった。

 それを見送り、ややあってから、

 

「……ん?」

 

 犬って喋れたっけ? ダイスケは今更そんなことを思うのだった。

 

 

 

 

 

 とまぁ、そんな不思議体験をしたところで、腹が栄養を欲し始めた。そういえばここ最近まともな食事を摂っていなかった。廊下でいつまでも立ち往生しているわけにもいかず、とりあえず食堂辺りで何か口にしたいと思い、リィンフォースの案内を思い出しつつ目的地へ急ぐ。

 

 食堂と言っても一般的なもので、キッチンの窺えるカウンターや自動券売機が設置された白いフロアが展開し、局員と思しき人が思い思いにテーブルで食事を摂っている。休憩時間なのだろう。適当に予想しつつ、券売機で食券を購入し、カウンターへ。少々不安に思っていたが、案の定カウンターに背が届かず多少なりとも背伸びせざるを得なかった。カウンターから顔だけ出ている状態になったはいいが、中のおばちゃんにすこぶる驚かれた。

 

(なんだろう、この敗北感……!)

 

 まぁいい、と気にしない方向で済ませ、盆を両手に空いてるスペースへ。設置されたテレビが見える場所を陣取り、両手を合わせて軽く一礼。ミッドチルダにこういう習慣があるのか定かではないが、先日まで食事を摂ることもままならない状況だったことを思えば、やはりこういう感謝の念は大事だと再認識。

 箸を手に取り、食事を開始。箸は異文化の一つとして知られ、ここではあまり馴染みのない食器らしく、フォークやスプーンが主流だ。廃棄都市に住んでいた頃はなんでもフォークで済ませていたものだ。思いだすのは以前、知人に納豆を食わせようとした時のこと。あまりのネバネバ感に『こいつぁ淫獣の使者に違いないね!』と言って窓から捨てようとしたので背後からタックルをかまして一緒に落下させた。食べ物を粗末にしてはいけないと身を持って教えたのはいいが、戻って来た時には言葉には形容し難い姿で最誕したのでまた突き落としたものだ。他の者は静かに食事を進めていたのは印象強い光景である。

 その時、皆は確かフォークでかき混ぜていた。あまりのシュールさ加減に額を押さえたものである。懐かしい記憶が蘇り、まあどうでもいいことだと即座に投げ捨て、久々の調理された食事に舌鼓を打つ。

 

 水を飲んで一息つくと、テレビのチャンネルが変わり、司会者二人が何かについて語っている映像が流れる。聞き流すかと視線を下げようとしたが、右下に出たテロップに、ダイスケの手が止まった。

 

 違法住民、犯罪と密接した関係

 

 思わず箸を握りつぶしかねない勢いで掴み、ややあって、手の力を緩める。その気も知らず、司会者はやけに尊大な口調で話している。

 

『―――違法住民の人権にも関わる問題ですので、そうも簡単に結論が出るものではありませんが、管理局の迅速かつ的確な処断を求められております』

『近頃、地上部隊の尽力にも関わらず、事件が多発し犯罪件数は下降する気配が見られません。ガジェット然り、あまり触れられてはおりませんが、デバイス強奪事件の犯人も違法住民の可能性が高いと報じられております。高い検挙率を誇る地上の方々もこれらの件には常々手を焼かされており、違法住民たちに対する立ち退き要請が下されるのも時間の問題とされています』

『一部の住民からは、あまりに非人道的な対応や同じ人間に対し酷な仕打ちは控えるようにと、反対意見が出ておりますが』

『しかしながら、元を正せば違法な者が存在するからこそ犯罪は増加するのであり、そういった一部の者が規律を乱せば波紋を生み、社会に亀裂を作るという見方もできます。私自身、全ての者が悪と判じたわけではありませんが、』

『そうならないためにも、管理局の対応を求めたいところですね』

『無論、慈悲の心を持たぬ犯罪者と違い、管理局は自省が見られる者に対しては寛容です。近いうち、大規模な立ち退き作戦が決行されることでしょう。我々市民が静かに平穏な毎日を送れる、そんな日常が少しでも早く訪れるよう願っております』

 

 一区切りついたのか、会話を行っていた司会者二人が息をついた。

 それを見つめるダイスケは半目で、視線はどこまでも冷ややかだった。上から目線で語るわけではないが、真実の表面すら知らぬ者がえも知り顔に口をきくのは、鼻につく。操作された情報に踊らされる姿を端から眺めるのは、滑稽というよりいっそ哀れであった。

 必要以上の悪が蔓延るのは、形成された社会がそれ以上に腐敗しているからだ。

 別段、優れた指導者などおらずとも、人は生きていける。秩序を保てず平穏を維持できなくても、独力で、或いは他者の力を利用して生き長らえる。秩序も権利も捨てた人々が最後に縋りつく柱とするのは、結局自分だ。自分という確かな『個』を持ってさえいれば、生きられる。

 そう、ダイスケのような『子供』が、生きてこられたように。

 しかし、結局は矛盾だ。他の悪を否定しておきながら、自分の悪を肯定している。褒められざる行いと知りつつ、止めようとしない。本当の『正義の味方』とやらが存在するならば、ダイスケも管理局も同じ様に見えるはずだ。

 管理局もダイスケも、根本的には同じなのかもしれない。デバイスを強奪し、少なからず他者を不幸に追い遣った張本人、なんと否定しようが、その事実は永劫つきまとう。目的はどうあれ、法を乱す存在は皆一様に悪の烙印を押される。

 今、こうして一時でも平和な場所で己の時間を満喫できるのは、それこそ六課の部隊長の―――もとい、管理局の温情というものか。そういえばデバイスを強奪した件に関してノータッチだったが、何故だろう。自分らの不手際を露見するのを恐れたからか、と想像して嘲笑が浮かびそうになり、慌てて消した。

 

『さて、続いては、近頃話題に上がる、黒死の鮫と言われ―――』

 

 暗い話題が続くようで、テレビから視線を離すと、無意識に動かしていた腕の動きも止まる。今後の予定のことも考えれば、なおさらそうなった。この後どうしよう。多少考える猶予をもらったはいいが、いつまでも隊舎内をうろついていれば不審な目で見られるだろう。が、やっぱり入りますと軽々しく結論を出していいものではないし……と唸りつつ、悩み悩んで思考に没頭していたダイスケは、「隣、いいかな?」というすぐ隣から届いた声に、一瞬飛びあがりかけた。

 動揺を決して表に出さず、視線を声の方向へ向ける。人の良さそうな笑みを携えた、茶髪をポニーテールにした女性がいた。そういえば、先程会話してはいないが、八神という女性の側にいたことを思い出す。背格好と外見年齢から察するに、八神はやてと近しい位置かもしれない。

 

 その表情に悪意めいた感情は無いと判断したダイスケは、どうぞ、と応じると、軽く礼を言って正面に座る。食堂は依然として喧騒に包まれているが、この一角だけ大分ボリュームが落ちる。一瞬目を向けると、話しかけるタイミングを見計らっているようだ。ダイスケとしては特別聞くことも無いので、黙々と手と口だけを動かす。暫くは、ただ食事を進ませる音だけだった。

 何しに来たんだろう。ダイスケは目を上げる。目線は合わさないようにした。

 なので、自然と目が下へ行く。

 

(む。……意外と大きいな)

 

 背丈のことだ。やましいことなど何もない。

 

「どうしたの?」

 

 目線が合った。ああ、とダイスケは一瞬目を逸らし、

 

「こうして話すのは、初めてでしたね」

「ああ、そうだったね」

 

 ひどく今更なことに、二人は揃って苦笑する。

 もっとも、ダイスケはほぼ無表情だが。

 

「改めまして、高町なのはです。ここでは教導官として勤務してます。よろしくね」

「どうも」軽く会釈。「俺も名乗った方がよろしいですか?」

「いいよ。堅苦しいのは苦手だもの」

 

 予想とは少々異なる返答に面喰ったダイスケに、なのはは苦笑。公務員という役職柄、お堅い人間だと思っていた予想が、ここ数時間で悉く裏切られている。

 

 噂に聞く管理局は、本局と地上とでかなりの軋轢が生じ、それが長年続いているため、お互い緊張感に満ちた関係を構築しているとか。設立時にも少々面倒な手続きやら交渉やらが行われたのは想像に難くない。機動六課もその多分に漏れず、蓋を開ければ対抗意識を燃やした教官と敵愾心を抱く若者の、色彩的にはダークグレーな雰囲気なのか、などと貧民街にいた頃は想像していたが、拍子抜けするくらい平穏である。

 新組織だからか、それとも設立の理由が異なるからか。

 或いは部隊長がアレな人だからかな、と一番しっくりくる理由で結論付け、とりあえず流しておくことに。細かいことを気にするなかれ。肝心なのは落ち着きを持つことだ。つまりもっと寛容な人間になれ。そう言った人間は他者の行いに寛容になりすぎて胃痛を起こしてばかりいたが。 

 

「ね。君の世界は、どんなところだった?」

 

 話題に窮したのか、目線を泳がせてから、そんなことを聞いてきた。

 

「どんなって……別に、普通ですよ。狭い世界で生きてきたので、あまり外のことも知りませんでしたし」

「私の普通と君の普通は違うと思うなぁ」

 

 言外で、話してほしい、と物語っている。

 まるで子供が学校の話をするのを楽しげに待つ母のようだ。教導官だと名乗ったが、成程、確かに年下相手に親しげな態度と柔らかな物腰、案外彼女の天職なのかもしれない。淡白な反応しか返さないダイスケにしつこく食い下がって来る。

 しかし、そう易々と口にして良いものか。

 暫し逡巡してから、少しだけ話すことにした。

 

「魔法なんて概念は存在しませんでした。古き時代から受け継がれた神秘性を孕む超能力じみた力を主軸にした異能文明と、即物的な科学に走った人たちが生み出した機械文明。二つの勢力に分割され、いずれも主義主張が相容れることもなく、間もなく戦争が始まりました……」

 

 後は、永遠に続くと思われた戦乱の世。子供は夢を見ることを許されず明日の無事を祈り、大人は現実を生き抜くのに懸命となりただ勝利を求めていた。大地の上で、世界に縛られ続ける人類は、広大な星の外へ旅立つことも考えず、狭い檻の中で、自分たちこそが上に立つに相応しい者と主張し合い、ともすれば互いの民全てが憎悪と悲観に染まり上がるまで激戦は続くかと思われた。

 故に、ダイスケが生まれて五年後。和平交渉が行われた時、誰もが安堵の息を吐いたという。

 

 実際は、一部の者のみが敵意を抱き人々を扇動していただけのことで、多くの者は、憎しみと悲しみしか生まない戦争を嫌い、終わることを願っていた。

 人は言うほど愚かではない。

 かと言って、救い難いとも言えるが。

 

「だから、こんな風に落ち着いていられる世界というのは、なんだか新鮮です」

「君のお気に召したかな?」

「どうでしょうね。長く貧民街で生活していると、基準がよく分からなくなりますよ。魔法と言う非現実的な要素が、新鮮味を強めている気がしますが」

 

 苦笑。

 実際、あの場所での生活は、思ったほどの苦難はなかった。それ以前に滞在していた場所こそが地獄そのものだったせいか、雨露を凌ぐ屋根と最低限の心配りができる人間が多く存在するあそこは、まだ楽園のようだった。人と人が苦しみを分かち合えるだけの品位を残していた。もし他者を陥れ憎み合う環境であったならば、人を信じるという最低限のことさえできなかったに違いない。

 

「まぁ、ここの人たちは魔法が在るのが常識になってるから。初めて目にしたら、驚くよね」

「貴方だって、ここで生まれたのでは?」

 

 問いに、なのはもまた苦笑を返す。

 

「実を言うとね、私、ここの人間じゃないの」

「……異世界人、なんですか?」

 

 そうなるね。なのははそう言って首肯する。

 

「ここじゃない、地球っていう星で生まれたの。海鳴市っていう街でね、そこじゃ魔法なんてなかった。特別なことはなにもないけど、平和で暖かで、それこそどこにでもあるような世界だった」

「……過去形?」

「え?」一瞬呆けるも、慌てて否定。「ああ、違うよ? 今でも平和だから! 勘違いさせちゃったね」

「いえ」

 

 苦笑が浮かびそうになった。随分落ち着きのある大人の女性とばかり考えていたが、少女らしい一面を垣間見た。ここにいる女性は表情がコロコロと変わるな。そんな呑気な感想を抱いた。

 

「元々、魔法なんて無い世界だったけど、ある日ちょっとしたことがきっかけで、魔法と出会って、戦うことになって……今じゃ後悔してないけど、当時は迷ってばかりで、悩んでばかりで、いっつも躊躇いばかりが前に出ちゃって。空を飛ぶのにも慣れないから、すごく大変な思いをしたなぁ」

「空を飛べない者からすれば、心底羨ましい話です」

「私も魔法と出会うまで、空を飛べたらって何度も思ってた。空を舞う術を得た今ではもう遠い昔のように思える」

 

 けれど、

 

「たまに、私はこの地面につけず空を飛ぶことが、本当に正しいのかなって思う時があるの」

「正しい、ですか……?」

 

 あまり耳慣れない表現だった。

 

「空を飛ぶと人は重力を感じなくなる。地に足がついていないから、人が重力に永遠に縛られたまま生きていることを忘れてしまう。大地の上で生まれて育ったのに、まるで束縛を嫌うかのように空を飛ぶことを目指すのは、ちょっと人間、おこがましいと思わない?」

「空を飛ぶことは、人の永遠の夢だと言いますが」

「けど、夢を見たままの方が良かったかもしれない。そうしなければ、必要以上に辛い想いをしなくて済むんだから……」

「失礼を承知で言いますけど、若干メルヘン混じってませんか?」

「もう、真面目に話してるのに」

 

 頬を膨らませて怒った顔をするなのは。勿論、本気で怒っているわけではないのは、出会って数分のダイスケにも解る。大人びた容姿、どこか幼さを残した言動。ちぐはぐな要素が絡み合い、一つ二つと魅力を引き出している。

 

「――ありがとうね」

 

 突然の謝辞に、ダイスケは困惑した。

 

「あの日、君がいなければ、多くの人が怪我をしていたかもしれない。君が犯罪者を未然に捕えてくれなければ、知らず知らずのうちに多くの人が泣く羽目になったかもしれない。もしかすると、君は管理局よりも正義の味方然としているのかも」

「そんな……考えすぎですよ。礼を言われるようなことなんてしてません」

 

 人に礼を言われるほどの善行を積んだ覚えはない。自分が行ったことは、お世辞にも誉められるようなものではなかった。自分の正しいと思う行いをただひたすら押し通してきた。法に裁かれようと、人に後ろ指をさされようと、それでも貫く。結果として弱者を救う立場にいようと、所詮ここの社会通念的には、断じて模範的ではない、正しくない行いであることに違いないのだから。

 それを解っていて言っているのか。それを認めるというならば、犯罪者の凶行でさえ正義と化してしまう。

 絵に描いたお題目でも、誰もが踏み込みたがらない禁忌でも、やるしかないなら、やるだけ。人が敢えて通る道を、自分の意志で踏み込んだだけなのだ。

 

 しかし、なのはは、

 

「それでも、だよ」

 

 と言い、自分の発言を撤回することをしなかった。

 

「私にできること、君にできること。それはどっちも、同じくらい大事で、方向は違くても、どちらもなくてはならない行いなんじゃないかな」

「そう……でしょうか」

 

 一方だけが成り立つ世界など存在しない。必要悪と必要善があるからこそ、唐突な繁栄も突然の滅亡もない。いずれかに天秤が傾きかけた時、もう一方がバランスを保とうと動く。

 だから、変わろうにも変われない。

 それが、この世の理。世界を平定する、一種のシステムだ。

 

「けど、一方的に片方が悪いって決めつけられるのは、仕方ないとはいえ悲しい話だよね。どっちも、人が善く在ろうとする心から始まったのに」

「善く在ろうとする心……?」

 

 小さく頷き、なのはは静かに語りだす。

 どこか懐かしむような、思い出のページの一つを、大事そうに開くように。

 

「例えばね? 昔、ある女の子がいたの。その子は一生懸命、ある人のお手伝いをしたくて、それは自分から望んだことで、それをするのが大変だと思っても、それを正しい行いと思って続けていた。その行いこそが、誰かの幸せに繋がるなら、それでいいって。

 けれど、そこに立ち塞がる子がいた。その子にとって、求める物を手に入れることだけが望みだったの。その子にとっての正しいことは、もう一人の子にとっては迷惑極まりないことで、その子が為すことは、いずれ相対した子だけでなく多くの人を悲しませることに繋がると知った。だからそうして、話し合いでは分かり合えなくて」

 

 相容れることなく、刃を交えた。

 

「その子は、本当は母が求めたからこそ戦っていた。だから決して引けなかったの。けれどそれはもう一人の子も同じ。ただ良いことを為したい、善く在りたいと願っただけなのにね」

「……それは果たして、いずれもエゴというものではないですか? 同じ人間なら理解し合えるというのも、些か短慮では」

 

 そうかもしれない、となのはは哀しげに首を振る。

 

「けれども、理解する心を失えば、それは人で在ろうとする努力を怠ってしまったことになる。理想論だって切り捨てたら、一生拾い戻せない。努力をせず諦めてしまえば、いつか必ず後悔しちゃう。あなたがもし誰か大事な人と相対することになって、それでも分かり合いたいと願うのは、それもエゴだと思う?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる。そんなの、解らない。ともすればナンセンスな、答えのない問いに、ダイスケは何も言えなかった。何と言えばいいのか、解らなかった。

 

 大事な人。

 一人の少女の姿が、脳裏に浮かんで、消えた。

 

 一体何だ、今の感覚は。刹那に垣間見た人の幻影は、間違いなく記憶に存在しない人物だった。気のせいなのか、と思っていると、なのはは申し訳な下げに眉根を伏せた。

 

「意地悪な質問だったね」

「いえ……」

 

 暗転するダイスケの表情に、なのはも言いすぎたと思ったのか。会話によって和らいでいた空気が重くなる。空気に色があるなら、今まさに灰色で漂っていることだろう。

 気まずい雰囲気。

 今度は、ダイスケから口を開いた。

 

「悲しいことですね。同じ平和を望む心があるのに、同じ方向を向いているはずなのに。手を取り合うことどころか、話し合う機会すら否定するのは」

「……そうだね」

 

 人は正しく在ろうとする。それは正しい行い。けれど、それが他者から正義と判じるに値する思いか否かは、当人に知る由はないし、誰かがそれ悪と判じて裁くこともきっとできない。ならばきっと、人を裁くことができるのは、人とは異なる領域で見守る逸脱した存在のみだろう。

 愚かでも。悪でも。

 正しく在ろうとする心に、陰りなどきっと、ない。それが例え、自分だけにしか向いていないものだとしても。

 だから正義は潰えることはなく、悪が滅びることはない。どちらも強固な意志と不屈の想いを委ねられ、育み、抱いているのだから。

 

 分かり合えるというのは、偉大な所業であり、単純なことで、しかし困難なことなのだ。人に想いをさらすことのなんと難しいことだろう。他者と共に同じ道を行くことは、さらになお遠く険しい。途方もない規模を誇る世界の中で、人の『個』は絶望的なまでに孤独だ。

 それでも、人は生きられる強さを持っている。

 心に。魂に。

 

「人を信じる心があって、人を好きになる思いがあれば、誰でも人と深く繋がれる。けれど、私たちは物事を深く捉えて考えてしまいがちになる。解ろうにも正確に相手の心を把握することなんてできない。察して解った気になってしまう傲慢な人もいるけど、それはそれで、理解しようとした結果なのかもしれない。私たちに真にできることは、話し合って、分かり合う努力を続けることと、せめて誰かが悲しい思いをしないよう教え導くのを続けることだけ。それが一番の近道だと信じているし、教える子たちの夢の第一歩を手助けできるなら、私もそれがいいと思う」

「……耳に優しい言葉ですね。教導官や政治家よりむしろ教師に向いてますよ」

「あ、それいいね。もし機会があったら、そっちも考えてみようかな」

 

 明らかな皮肉にも、なのはは笑顔で返す。逆に肩すかしを喰らった気分である。

 

「だからもし、今君が話せないことがあっても、いつか分かり合えたのなら、お話してくれるんだって、私は信じてる」

「―――何故、」

 

 続けようとした口を無理矢理閉じる。感情任せに動きかけた心を鎮め、理性が押し退けて表に顔を出す。ともすれば怒鳴り散らしかねない自分の感情を心に留め、ダイスケはいつもの表情を変えなかった。

 

「……そんなこと、できるかどうかなんて保証しかねますよ」

 

 できるよ、と。

 虚を突かれた思い出見つめるダイスケの前で、なのは優しく微笑み、

 

「こうして君と話している。私は貴方と、いつか分かり合える」

 

 そう思うから、と、彼女は静かに瞼を下した。

 その言葉が、どこか自分の深いところに染み入った。

 

 

 

 

 

     ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 陽が傾いていた。

 隊舎は黄昏に染まり、室内を満たしていた喧騒も今では音量を落としている。

 隊舎の外、芝生の上で座り込んでいたダイスケは、黄昏に染まる空を見上げていた。もうすぐ陽も完全に沈み、群青色の空が上がり、虫たちの騒がしい声も聞こえ出す。こうして考えると、東に窺える星空の中に、一体どれだけ人が住めるだけのセカイがあるのだろうか。

 

 人など星にしがみつく生物の一つでしかない。自然の無慈悲さに何度も泣く思いをした身となれば、その言葉に納得せざるを得ない。広大な海を見た時よりも、遥かに膨大なスケールを前にして、ようやく理解できたのは、記憶に新しい。

 やがて月が上がって来る。満月を過ぎ、欠けて行く運命にある青白い月が。

 

「そんなとこで何やってるの?」

 

 ふと。

 背後から、風に乗って優しい声音が響いた。見咎めるような鋭いものではなく、どこか楽しげを含んだもの。聞き覚えのある声、振り向けば、やはりそこには、昼間出会った少女がいた。

 青い髪。健康的な肌。穏やかな双眸。確かスバル・ナカジマ、といっただろうか。外見が年下であり初対面だったダイスケにも、割りと親しげに話しかけてきた人だ。

 

「……そっちこそ。さっきまで模擬戦で随分しごかれて、足腰立たず疲労困憊といった感じだったのに」

「あはは、いやはや、お恥ずかしい……」

 

 照れたように頬を掻く。二時間ほど前、訓練施設を見学した際、ちょうど彼女らフォワード陣営が教導官と模擬戦を行っているのを目撃したのだ。今後の参考になると思い、彼女らの戦術パターンや魔法形式などを実際目の辺りにし、抱いた感想は、まだまだ世界は広い、というものだった。如何な子供とはいえ、才能豊かな逸材であることに相違ない。この目で見て、成程、将来は明るいのだな、と感慨深く頷いてしまった。

 特に目を引いたのは、この少女だろう。

 特別な何かを持っているとは見えないが、動きが実に生き生きとしている。瞳に強く明確な意志が宿り、技の一つ一つが同年代の者の動きに比べ随分冴え渡っている。あそこまで辿り着くのに生半可な覚悟と努力では至れまい。

 まだ子供であろうと、前線にて力を振るい将来を担う精鋭の一人。期待に満ちた目をし、多くの人から期待を一身に受けている。

 

 眩しいな、とダイスケは目を逸らす。

 

「……俺のいた廃棄都市が見えるかと思ってね」

 

 半分は本当だ。『長い年月』をそこで過ごしたのだ。薄汚く町の住民から軽蔑視されるそこも、長年居を構えていれば愛着の一つは湧くものだ。住めば都、というやつだ。住居・食料の確保は幾分面倒だったが、今思えばなかなかどうして、無茶をやらかしたものだ。 

 

「さすがにここからじゃ、ちょっと見えないね。あっちの方、暗いし」

「こっちは明るすぎるよ。ピカピカ光って、星がちっとも綺麗に映らない」

 

 ミッドチルダは都会だ。高層ビル群が立ち並び、白亜の建物が幾つも地面から生えている。自然の緑も少なく、活気は溢れているが、その分心安らぐ憩いの場が少ない気がした。街の発展に伴い自然が減少するのは、幾らかは仕方のない話だ。

 そうやって、納得していくしかない。

 

「……なんで貧富の差なんてできるんだろうね。あ、嫌味じゃないよ?」

「人が不平等なのは優越感を得たい本能的欲求が尽きないからだよ」

「……君、本当に子供?」

 

 さてね、と肩をすくめるダイスケ。どう見ても子供の所作ではない。

 子供でも、大人でも関係ない。結局、生きられるか否かの問題だ。親に捨てられ、大人たちと共に汚い場所で運良く生き長らえ、精神が摩耗し歪んだ心を得てもなおこの世に在り続ける子は、例外なく外見年齢とは大いにズレた思考と精神を持ち合わせている。現に、数は多くはなかったが、ダイスケの周囲にもそういう子供はいた。先程出会ったエリオやキャロのように、真っ直ぐな目をした子は、いない。皆平等に疲れ果て枯れたような目をして、『現実とはそういうものだ』と達観した目つきでこの世の行く末を見届ける。広い視野を持ち驚嘆すべき思考を持つがゆえに、彼らはもう二度と、普通で在れなくなった。

 人は平等ではない。いつしか自分の故郷である友人が、呆然自失といった表情で呟いていた。

 

「人が貧富の差を作り、よりよい生活を約束する科学というものを生み出したのなら、それに伴う人の争う心や環境を破壊する科学を作り上げたのもまた人間で、その人間がもし神の作りたもうた存在であるなら、しからば人間が生み出す負の連鎖や星の破壊も、神の望むものである、か……」

「? どういうこと?」

「自業自得ってことだよ」

 

 もし仮に人類が滅んだとしても、それは身から出た錆、自分で為した所業、自然から生まれ落ちた存在であるならば、自然の掟に従い世界から消えるのも、当然の帰結だろう。

 だから生きるために文明を築き上げ、社会を形成し、富を得、繁栄を手にするために力を欲した。その一端に、魔法という存在がある。科学の極致、利便性を追求し人が求めた理想のカタチ、その一つ。理想、と口で言えば何と軽いことか。

 文明と社会の庇護下にいない人類の脆さをあの場所で、いや、それより昔に思い知った。かような苛烈極まる自然の中で人と言う生命が誕生したことすら奇跡かと疑り、実際それは理不尽が織りなす不幸の一つかもしれなかった。水をすすり、他の生命を奪い殺して生き長らえ、死ぬその瞬間まで自分を苦しめる思いを抱えて。それでも生きるのは、立ち止まった瞬間に、その理不尽に屈し永遠の敗北が刻まれると本能が知っているからだ。

 だから歩くのだろう。立ち止まらないのだろう。膝をつけば二度と立ち上がれないと、他ならぬ自分の本能が、魂が叫んでいるから。

 

「もし」感傷的になった自分が、ふと何かを零した。「本当に神様なんてのがいれば、人が事故で死ぬことも、病気や怪我で苦しむこともなく、悲しみで涙を流すこともないだろうにね」

 

 神だなんて、そんな『一般人からすれば』抽象的な存在、口にすればどんな目で見られることやら。言ってからちょっと後悔したが、スバルは別のところに反応していた。

 

「事故? あー、うん。そうだね……」

 

 ふと、口を濁すスバル。

 疑問に思い、顔を向けると、ばつが悪そうに頬を掻くスバルがいた。いやね、と前置きを入れてから、ぽつぽつと語りだす。

 

「北の廃棄都市区画の側にある、ううん、今はもう閉鎖されちゃったけど、臨界第8空港っていうのがあったんだ」

「ああ……」

 

 その事件なら、嫌というほど知っている。

 何せ、何度もこの目で見てきたのだから。

 事件の惨状を。今も残る深い傷跡を。

 

「今はもう廃棄されてるけど、飛行場で火災に見舞われた時、お姉ちゃんやお父さんとはぐれて、会いたい一心でさまよい続けて、けれど、会えなくて。もうダメなんじゃないかなって思ったら、いきなり爆音がして、なのはさんが助けに来てくれて」

 

 一度区切り、ややあってから、

 

「私、元々そんな戦いとか、人助けとか、そんなやりたいとは思ってなかった。けど、ギン姉……あ、私の姉さんなんだけど、なのはさんに助けられてから、ちょっとでもあの人に追い付けたらって思って、陸士訓練校に入って、色々なことをギン姉から教わって。ようやく私、夢に近づくことができた。厳しいことが多くて、辛いこともいっぱいあるだろうけど、それでも、一度志した道だから、最後まで行きたい。できれば、ここまで出会った人、ティアやみんなと一緒だったら、もっといいなって」

 

 そして、

 

「君とも、仲良くなれたらいいなって思って」

 

 だから声をかけたの、と。ちょっと照れたように微笑むスバル。

 だが、ダイスケは、彼女の台詞に違和感を抱いていた。何かが引っ掛かった。しかし、何がだろうか。解らない。けど、確かに感じた。

 

(飛行場……? 『あの時』の?)

 

 ダイスケは改めて少女の顔を凝視する。その横顔、どこかで見た記憶がある。どこだっただろう、いつだっただろうか。四年前。飛行場。青い髪の少女。与えられた単語から断片的な記憶の欠片が湧いてくる。燃え盛る飛行場を彷徨う人影、倒れ伏したその上から無慈悲に落ち崩れる柱。

 視界の隅に映る、青い髪。

 倒れ伏した人影。

 夜空へと飛翔する少女に抱かれた、幼い子供。

 

 

 

「……そうか。君が」

 

 

 

 呆然とした様子のダイスケの声に気づかず、スバルは星空を仰ぎ見ている。思わず、見惚れた。息を呑んでしまった。吸い込まれるようなその瞳に。見上げる無邪気な横顔に。

 

 声をかけようかと思い、……止めることにした。彼女の横顔が、あまりに眩しく、触れてしまえば、自分の穢れが移ってしまいそうで。だから、邪魔をするのは無粋かと思い、同じ風に空を見上げる。

 こうして空を真っ直ぐな気持ちで見上げるのは、一体何年ぶりだろう。

 貧民街でも空を見たことはあった気がする。でも、こうも美しい茜色に染まる空も、星の輝きが映える空も。少なくともミッドチルダに来てから、いや、それよりも以前に見たものが色褪せて見えるくらい、まるで今ある景色がこの世のすべてであるかのように感じた。

 

 ああ、とダイスケは思う。

 曇りなき空は――こんなに、綺麗なのか。

 

 そうして、彼女の眩しい笑みを見て。剥き身の若さを一身に感じて。

 ダイスケは、かつての自分を想起するのだった。

 

「…………は」

 

 そうだ。

 もっと単純な話でいいのだ。

 何を複雑に捉えていたのだろう。

 

 悩むのなら、一度立ち止まってみればいい。忘れたなら、思い出せばいい。

 そんな当たり前のことを忘れるくらい、知らず知らずのうち、心のゆとりを失っていたようだ。

 自分に向けられる優しい笑み。この暖かい雰囲気。心を満たす歓喜。人が人で在れるこの有難み。

 

 本当に、救われる。

 

 ああ、これが本当の―――魔法なのか。

 

 それこそが、自分が本当に望んで、欲してやまないものだった。

 

 歩き出そう。止まりかけていた足を、また一歩、前へ進めよう。

 だって、俺は生きている。

 死ぬその瞬間まで、前を向いて生きていこう。

 今度は、間違えないから。

 

 

 

 もう、迷いなんて、なかった。

 

 

 

「俺、六課に入るよ」

 

 決意を新たに、自分の行く道を思い描きながら、少年は、少女と肩を並べる道を選んだ。

 もう、迷いたくないから。強くなれるのなら。君のように、いつか抱いた純粋な心を持つことは、多分もう二度とできないけれど、その美しい志と瞳の奥に秘めた想いの根源は、きっと自分も同じように、持っていると思うから。

 また、立ち上がろうと思う。ほんのちょっとだけ、勇気を持つよ。

 

「そう」

 

 短い応え。彼女は問答することはなかった。少年が何故、今ここで決意を胸に、宣言したのか。それはどうでもいいことだった。

 仲間になるというのなら、

 

「なら、これからよろしくね!」

 

 ただ笑って迎えようと、思っていたか。

 スバルは嬉しそうに、笑ってダイスケに手を差し出した。

 その手を握り返しながら、

 

「ああ」

 

 一つ言うべきことがあった。

 

「それと俺、こう見えても―――19歳だから」

 

 

 

 絶叫が響いた。

 

 

 



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第一章
第1話 単純な日々は遠く


 

 ―――感情が貴方を支配する。

 

               ~とある少女の独白より~

 

 

 

     ○   ○   ○

 

 

 

 さて、六課に所属することが確定し、これからの衣食住に困らなくなったと現実的な結論に至ったダイスケであるが、その反面、幾多の面倒事を抱えることになる。

 まず組織に身を置く以上、団体行動・公務員の責務・上下関係……と、数え始めると頭が痛くなるが、これまでダイスケが行っていた、個人の意思や利益を重視した行動及び発言は極力控えなければならなくなる。元々、誰かと協力するのもやぶさかではないと考えていたダイスケにとって『頼もしい』仲間ができるのはそこまで問題ではない。

 重要なのは、管理局という、本来権利を分散させるべき権力を局所集中させた存在の一員となることだ。

 

 ダイスケは一通り、聞ける範囲で管理局という枠について理解を示している。本来、立法・司法・行政の三種は近代国家に多大な影響を与えるほど確立されたもので、それぞれがお互い出すぎた真似をせぬよう牽制し、諌める構図となっている。

 だがこの管理局、あまりに強大すぎるせいか、その行いを咎める抑止力が存在しない。他の世界にまで手を伸ばし、犯罪行為を見咎め、時には崩壊から救い、人々を助ける。成程、立派な行いだ。それはまさしく公務員のあるべき姿であり、為すべきことだろう。

 

 それだけが全て、ならば。

 

 組織の構成上、上層部の意思が末端にまで確実に浸透することは無い。かつてダイスケがいた世界にも、多大な影響力を誇り、他の世界を統べるに相応しい権力者を頂点に据えた組織や国家は確かにあった。だがどれも例外なく、内部の腐敗や分裂、或いは民の反逆によって悲惨な末路を辿っている。理由は様々だが、大概組織側に問題があるがゆえに滅びを迎える。

 

 その例の一つとして、権力集中による独裁の横行、というものがある。

 

 昔話をしよう。とある国家を統治していた王が、歴史上稀に見る稀代の天才であったがため、家臣の手を借りずとも、国の運営を行えるだけの才覚に恵まれた。民に信奉され、部下に恵まれ、新設当初は至高の王と謳われ、数十年にわたって世界最大級の帝国を築き上げたという。

 無論、それも長続きすることはなかった。一人の意思による統治とは即ち国の命運を左右する権利を持つのはその『王』だけということ。つまり、彼の臣下はただのおまけであり、いてもいなくても『関係ない』存在だったのだ。そこで彼らはようやく思い至るのだ。もし彼が敵に回れば、恐ろしい事態になると。

 

 だから、臣下は王を殺害した。

 いつしかその脅威が自分たちに及ぶと危惧したがための、最悪の結論だった。

 彼の王は決して己を驕ることのない人格者ではなかったが、民や部下を信頼せず己だけを信じ、独裁を敢行し反感を買うほどに、独裁者であった。

 

 管理局は、その話を彷彿とさせる体系を維持していた。

 確証に至ったのは、最高評議会の継続だ。

 聞けば旧暦時代から世界の平定に努め、黎明期を支えた三提督と同様、いやそれ以上の活躍で、優れた指導者であったと書物に記されている。 

 だがそんな彼らこそが、現状の管理局を生み出したとするならば、やはり人は月日の流れと共に歪みを得てしまうということだろう。

 

 というか、人の寿命を超越した人生を送っておいて、死亡報告がどこにもないのなら、どこかで生きているのだろう。不老化や長寿改造の話は聞いていない。クローン技術も欠陥が発見され未完成だと聞く。ダイスケの世界でも、とある理由で全面禁止されていた。

 

 何だか妙なところに配属されることになったもんだ。ダイスケは心の中でため息をついた。

 ともあれ。

 管理局に、正確には機動六課に所属すると決めたならば、その一員として、恥ずべき行いはせず、これから平和な世を築き上げる一員として、ただただ精進していけばいいだけの話だ。

 

 未来は人々の手によって作られる。

 それは、世界が異なろうと、変わることはない。

 

 

 

 

 

「――――――おい、現実逃避はそんくらいにしとけ」

 

 スカーン、と良い音を立ててアイゼンで頭を殴られた。

 頭が揺れる。灰色の脳みそがぐわんぐわんと揺れている。

 

「嘘つけ、脳みそ三グラムくらいしかなさそうな頭しやがって」

「なんで人の考えが分かるん……ですか」

 

 一応、上司ということになったので、立場上、ダイスケは言葉を改めた。

 が、ヴィータは口を尖らせ、

 

「敬語はいい。そんなキャラじゃねぇだろ。つーか、そっちはどうでもいいんだよ。オメェこれから何すっかちゃんと理解してんのか?」

「理解してるから現実逃避してるって分からない?」

「ちゃんと目の前の事実と向き合わねぇと成長できねぇぞ」

「向き合っても物理的に成長できてない人に言われぐあっ!」

 

 二発目が入った。

 

 ……機動六課に入隊を決意した、次の日のこと。

 

 

 

 

 

 

   第一話 単純な日々は遠く

 

 

 

 

 

 

「にゃはは……。そんな気構え無くてもいいのに」

 

 六課の制服ではなく、白いバリアジャケットを身に纏い、紅い宝石が眩しい杖を構えた少女、高町なのはは、苦笑しつつ、言う。

 

 だがその目は真剣である。真剣と書いてマジである。

 どうやらヴィータと戦った少年の実力に興味を示したのか、それとも教導官として心動かされたのか、模擬戦が提案された際、口を開こうとしたシグナムよりも早く、彼女はこう言ったのだ。

 

「じゃあ、私と模擬戦、やってみない?」

 

 殺ってみない? と聞こえたのは、恐らく精霊の囁きが原因だろう。

 視線を動かし、窺い見る。

 やる気満々である。

 やる気その気大好きなんてレベルを遥かに超越している、清々しい笑顔だった。

 

 ……まぁ、実際のところ、力量が明確化されていない少年を唐突に戦力としてカウントすると宣言しても、隊長以下部隊員全てが納得するとは到底思えないので、ここで役立つことを証明しろ、ということだ。異世界の住民であるダイスケは士官学校に通うことも出来ず、そのため正式な隊員としては数えられない。あくまで民間協力者という立場になるのだが、それが十歳前後の少年ともなれば疑わしく思うのも無理なき話だ。

 

 とまぁそんな事情もあって、模擬戦と相成ったわけである。

 

「おっちゃんトイレ」

「おっちゃん待てよ。実力を見るいい機会なんだ、ちゃんとやれ」

 

 おっちゃん泣きたい……。顔は鉄面皮、心は号泣、そんなダイスケの心境を悟ったのか、同情的視線がフェイトから送られてきた。どうでもいいから苦笑してないで親友を諌めて欲しい。そう願うのは厚かましいだろうか。そしてその隣に佇むシグナムは舌打ちでもかましそうな顔でこちらを、より正確に言うとなのはを睨んでいた。アレは新人を撃ち落とさないかという不安からくる怒りの表情ではなく、獲物を横取りされて忌々しく思う狩人のそれと近かった。味方がいねぇ。

 それでも、それでも八神さんならなんとかしてくれる……! 期待を込めて、若干離れた位置で見守っていたはやてを見ると、彼女は天使もかくやというスマイルを浮かべ、表情でこう語っていた。

 

『人生楽ありゃ苦もあるっちゅうことやな』

 

 ダメだこりゃ。

 ちなみにリインははやての頭の上でふんぞり返っていた。どうやら数時間前の会話をまだ根に持っているらしい。身内に厳しく時に激しく。これが六課の掟だそうだ。どこの軍隊だ。

 顔色の悪いダイスケに見かねたのか、なのはは安心させるように微笑む。

 

「大丈夫だよ。『能力限定』って言ってね、私やフェイトちゃん、シグナムさんやヴィータちゃんには出力リミッターが設けられていて、今の私はAAランクくらいにまで魔力が落ちてるの。接近戦が主体のダイスケには厳しいかもしれないけど、ちゃんと手加減するから。ね? レイジングハート」

《OK.I will destroy your fack'in fantasy.(はい。あなたのふざけた幻想、この私がぶち壊してみせましょう)》

「……え、何? い、今なんて!?」

《No problem,master.It's a joke.Let's battle,hurry.(問題ありませんよ、ええ。冗談です。さぁ、早くしましょう)》

「……これは、アレですね。言外で『死ね』と言ってるようなものですね」

「……なのは。一応仲間で新人なんだから、開始二秒で撃墜とか止めろよ?」

「高町は時折我々が引くくらい華麗に見事にかますからな……」

「大丈夫だよ! な、なのはだってそれくらい考え、て、る……よね?」

 

 同僚からも凄まじい意見が飛び交っていた。誰もフォローに回らない辺り、それぞれ胸に否定しがたい要素を抱えているようだった。

 さすがに不憫に思ったのか、肩を落とすなのはの後ろから、はやてがそっと歩み寄り、肩を叩いた。

 

「なのはちゃん……。世界はな? いつだって理不尽なんやで?」

「はやてちゃん、それ違う人のセリフだよ……」

 

 もういいよ、と手を振り払い、歩き始めるなのは。

 とにかく、結局やる羽目になったしまった以上、出せる実力を全て出し切り、良いところを見せるしかない。

 ……最初から勝利を目指さない辺り、彼我の力量を正確に捉えていた。

 

「じゃあ、行ってきます」

「ああ、せいぜい即刻退場なんてならねーよう気をつけろよ」

 

 先行するなのはについていくダイスケ。その背中が、どこか特攻を控えた兵士のそれと見えたのは、きっと疲れているせいだと、一同は暖かい眼で見守るのだった。

 

 

 

 やがて二人が立ち止まった頃。

 

「意外だな」

「あ? 何がだよ、シグナム」

「お前が他人に、それも会って間もない人間に対し気にかけるとは。そんなにあの少年はお前の興味を引くに値するのか?」

「バッカ、ちげぇーよ。そんなんじゃねぇ。ただなんつーか……アレなんだよ」

「ほう? 何だ」

 

 問われ、ヴィータは視線を逸らし、考え始める。

 んー、と腕を組みつつ唸り、上を向き、下を見て、ややあってから、

 

「わかんねぇ」

「……お前、もう少し考えてからしゃべるようにしたらどうだ?」

 

 そーだなー、と気の抜けた返事をしつつ、視線を訓練場の中へと向ける。

 既に観戦モードに入ったらしい。会話はそこで終わった。

 

(……騎士としてではなく、一戦士として、興味を抱いた、か)

 

 見ればフェイトも、手を拳にして静かに見つめている。

 片や魔力ランクAAにまで落ちているとは言えど、十年近くにわたり戦い続け、数々の功績を残した、エースオブエースの名を頂く魔道師。

 片や貧民街にて育ち、魔法なしでもガジェットを破壊する脅威の戦闘能力を誇る、しかし常人並みの魔力しか持たぬ少年。

 結果は差ほど重要ではないとは言えども、やはりシグナムも、この模擬戦の過程と結果は大いに気になるところ。

 

「どうなることやら……」

 

 ため息をつくと同時、視界の中で二人は動いた。

 

 

 

 既にある程度、自分の上司の能力や戦闘スタイルを把握していたダイスケ。だからこそ、彼は嘆息を禁じ得ない。

 魔力値が低いダイスケは、魔法を連発することができない。無論、あまり上手くもない飛行魔法もそれに含まれる。基本的に知略を巡らし懐に突っ込み、アームドデバイスによる近距離攻撃を行う。『今の』ダイスケには、それくらいしか能がない。魔法以外の力が使えないとなれば、尚更勝機は限られる。

 一方、なのはは噂に名高い砲撃魔道師だ。ダイスケの手が届かない範囲から膨大な魔力任せの連続射撃を叩きこまれればひとたまりもない。

 無論、ダイスケとて魔法射撃や砲撃ができないわけではない。何度か自作のアームドデバイスで活路を開いた時もあった。

 

 だが、使わないに越したことは無い。

 理由は幾つかあるが、一番の理由は、不確定要素に頼りたくないというものだ。

 ダイスケのデバイスは正規のものではなく、彼自身が改良を施したものだ。安全を考慮し非殺傷設定は解除されておらず、威力や射程、消費魔力も彼に合わせたセッティングを行ってある。一度これらの武器は検査され、プロテクトを用意し精査を少々誤魔化したと言えど、どういった改造が施されているか見抜かれているはずだ。相手とて素人ではない。

 今まで連続使用した記憶もなく、ある一点を重視した特化型となっている。

 

 だからこそ、使うのを躊躇う。

 これは模擬戦だ。相手を殲滅する戦いでもないし、命と魂を賭けた決闘でもない。

 無茶な力は身を滅ぼしかねない。ダイスケとて、その事実は身をもって知っている。

 しかしまぁ、それを向こうが分かって使っても良いと言うからには、相手が相応の実力を持っているからか、それとも、

 

(単にこのデバイスの真価を見届けたいからなのか……)

 

 どちらも、というのが正解だろうか。自他共に『そこまで』傷つけるモノではないと踏んだからかもしれないが。

 デバイス自身の非殺傷設定は健在だ。全力で相手をぶっ飛ばしても死なない。素晴らしいことだ。もっとも、全力でぶっ飛ばされる可能性が大いに高いのは、間違いなく気のせいではない。 

 

「あ、言っておくけど、魔法が使えるのは知ってるから。使いたければどんどん使っていいからね?」

 

 ニコニコと嬉しげに話すなのは。

 この野郎上等じゃねぇか……。心中で何故か乱暴な口調になるダイスケ。

 まぁいい。

 

「んじゃ、諦めてやるとしますか」

 

 

「それじゃあ始めるよ? レディ…………ゴー!」

 

 

 

     ●   ●   ●

 

 

 

 開始の声と共に、ダイスケは全力で後退した。

 射撃、誘導。撃ち合いになれば確実に被弾、それこそ何もできぬまま撃墜で終わる。

 空を飛ばれても厄介だ。広い視野を維持されては更に被弾の危険が増す。

 そのため、市街戦というその土地を大いに利用し、相手のアドバンテージを極力減らす方針を立てた。

 もっとも、それは相手も承知しているはずだ。

 だから、

 

「う……っ!」

 

 悪寒が全身を襲う。背中から冷たい空気が流れ込んでくる。

 全身のバネをフルで動員。なりふり構わず、建物同士の隙間、路地の中へと飛び込んだ。

 

 直後、桃色の弾丸が足元の大地を抉り取る。

 アクセルシューター。誘導付きの射撃魔法としては初歩的なものだ。

 だが、

 

「……一発でも喰らったら即終わりだ」

 

 手加減とはよく言う。相手を確実に卒倒させる程度の威力を孕んでいた。

 速射砲並みの発動速度。全力で動いたにも関わらず追尾する誘導性能。一撃必倒を掲げるだけの威力。

 どれもこれも、現状では脅威でしかない。

 

 ……などと考えていたのも束の間、ん? と顔を顰めたダイスケは、一秒ほど硬直し、やや沈黙してから、顔を青ざめさせ、すぐに路地の奥へと走り出す。

 直後、建物の壁が悉く爆砕した。

 

「貫通力が桁違いだ……!」

 

 自分もある程度、砲撃魔法や射撃魔法を使える。過去に相対した犯罪者も同じ系統の魔法を行使していた。

 それとは比較にならない。

 アレでは人間砲台の名を頂いても見劣りすまい。

 効率など無視。壁があるならブチ抜けばいい。そんな声が聞こえた気がする。

 

「無茶苦茶やってくれる……!」

 

 走りを緩めず、ダイスケは口の端を歪めながら、反撃の糸口を掴もうとしていた。

 

 

 

 その光景を見ていたなのはは、少なからず驚嘆していた。

 

「ふぅん、これくらいは避けるんだ……」

 

 手ごたえを感じず、なのはは全く落胆した様子もなく呟いた。

 ガジェットを無傷で破壊できるほどの腕だ、この程度で落ちるとは思っていない。が、AAランクの技を手加減で数発ほどしか同時発射してないとはいえ、誘導性はそのまま、威力も差ほど低めていない。加え、魔法を行使したわけでもなく、直感で貫通攻撃を避けた。これは評価に値する。

 とはいえ、まだ始まったばかり。まだまだ戦いは続く。

 

「さーて、あの子はどう反撃するのかな?」

 

 若干の期待を込めて、なのはは歌うように呟いた。

 

 

 

 射撃魔法……威力が低く軌道が直線的だ。

 砲撃魔法……発動に時間を要するうえ限度がある。

 接近戦に持ち込む……あの鬼のような連射を掻い潜って?

 

 物陰でじっと身を潜めながら、ダイスケは思考の海に飛び込んでいた。目を閉ざし、外界の情報を一切排除、瞬きほどの間に己との質疑応答を幾度も繰り返す。

 相手は飛行魔法を行使できる。既に空の上からダイスケの行動を観察しているかもしれない。いや、既にこちらへ向かっているはずだ。魔法が飛んで来ないのは、居場所を把握している最中なのか、それともこちらを試しているのか。

 

「……戦地では己に最悪の手を施策されると仮定すべし。戦場で思考にふけるのは死を得る最善手と断定すべし」

 

 下手の考え休むに似たり。

 ダイスケは思考を一旦止め、閉ざしていた眼を開いた。黙々と考え込んでいた時間は十数秒だが、この間に初っ端の射撃からくる緊張と恐怖は消え失せていた。

 

「どうせ模擬戦なんだ、別に負けたって――」

 

 どうでもいいし、と言おうとしたところで、

 

「―――、はぁ」

 

 止めた。

 何をいきなり後ろ向き発言しているんだ。相手が格上? 空を飛べない? 攻撃が届かない?

 そんなの、『いつもの』ことだ。

 

「伊達や酔狂で、あんな劣悪な環境で育ったわけじゃないってね」

 

 フッ、と息を吐き出し、心機一転。

 勝てる見込みは薄い。空を飛ばれたら困難。己の速度、射撃力、砲撃可能回数、近接攻撃の射程範囲。敵の回避性能、デバイスの反応速度、最大砲撃可能範囲、誘導性能、魔力量、相手の心理状況。

 何もかも使い、勝利を収める。

 この世の正義はただ一つ。

 勝て。

 

「久々だ。これほど命の危険がなく、しかし緊張感ある戦いは」

 

 なら、

 

「どうせなら―――清々しく勝利したいもんだなぁ」

 

 言い終えてから、ダイスケは立ち上がった。

 

 

 

 一方。なのはは案の定、地上から十数メートルほどの場所で待機していた。

 既に相手の居場所は突き止めている。ビルとビルの間、路地で立ち止まったまま動かないのを知り、なのははその時点で停止した。

 ビルごと撃ち抜くのは容易い。それは先ほど身を以って教えたはずだ。

 考える程度の時間と猶予は与えた。

 

「どう出る……?」

 

 まだ動かないなら、問答無用でビルごと粉砕するのも手かな。さらっと恐ろしいことを考えたなのはは、レイジングハートを槍よろしく構えようとした。

 瞬間、

 

《――Protection》

 

 ビルが倒壊した。

 内側から突き崩すように発射された青い弾丸が、ビルの外壁をぶち抜き、空目がけ飛んで行った。

 しかし比較的強固なラウンドシールドを張らず、防御力の低いプロテクションをレイジングハートが展開したのは、理由がある。

 

「……誤射、かな? それともこっちの位置を把握するため、かな」

《I don't know》

 

 青い弾丸は、なのはとは別方向へと飛んで行った。それも、見当違いの方向へ。

 結果として、弾丸の勢いに乗せられ空へと舞ったビルの破片がなのはの方へ飛んできた。プロテクションが展開されたのはそのためだ。

 どういうことかな、と疑問に思うと同時、再び弾丸が発射される。粉塵のカーテンを突き破り、青い閃光が一直線に走る。

 今度の狙いは正確だった。

 

「そんな攻撃が……!」

 

 当たるわけがない。

 防御すら行わず、軽く右へ身をかわすに留める。彼我の距離は三十メートルほどか。これだけの距離があれば目視してからでも十分回避できる。

 弾速がやや遅いことも、回避を容易にする原因の一つだろう。

 次が来た。

 

「今度は……!」

 

 連続で二発。一直線に一発、やや発射元がズレたのか、斜め下からもう一発。

 避けられる。そう思い、上へ逃れようとした。

 しかしそれを読んでいたが如く、先に発射された弾丸が上へとホップした。誘導性任せの軌道ではなく、最初から読んでいたかのような動き。

 操作しているの? 疑問に思うも、行動は既に完成している。左手にミッド式特有の、円形内部に正方形が描かれた魔法陣が出現、今度はラウンドシールドを展開する。

 確実な防御を行った。

 光が弾ける。威力は低く、ぶつかった瞬間砕け散った。

 しかし、

 

「―――ん?」

 

 それさえも読んでいたのか。もう一発は誘導性に優れていたらしく、あまり鋭くなく、しかし確実に直撃する緩やかなカーブを描いて飛来する。その際速度が急激に上がり、先の一撃に遅れること僅か一秒。

 時間差攻撃だ。

 だが、

 

《Next》

「問題ないよ」

 

 片手でしか防御できないと踏んでいたのか。だとしたら、甘い。

 下へかざした右手が、ホップする弾丸を弾く。無論、シールドは完璧だ。疑る余地は無い。

 表情一つ変えず受け切ったなのはは、発射元を見る。まだ煙は晴れないが、向こうは次の攻撃を用意しているのか、次弾が飛んでくることはなかった。

 諦めたのかな、と小首を傾げ、

 何かが爆砕する音が聞こえ、同時、

 

「な……っ!」

 

 巨大な砲撃が襲ってきた。

 

 先ほどの人間の頭部程度の大きさの弾丸とは比べ物にならない、それこそなのはのディバインバスターを彷彿とさせるような一撃だ。

 人間を軽く包み消し飛ばす膨大な光量。

 驚愕は一瞬、しかしすぐさま気を取り直し、シールド。

 

 今度は若干押された。が、それも僅か、ほとんど後退させることなく、またシールドを打ち砕くこともなく、砲撃は目的を果たせず潰える。構築していた魔力が分散され、僅かな驚きを見せるなのはの顔が窺える。

 先程の二連続の射撃から、今回の次弾発射までに要した時間は、たったの五秒。

 威力こそ外見ほどではないが、威嚇と牽制には大いに役立つだろう。

 

「やるね……」

 

 しかし、それだけで終わりなのか。

 言外にそう含みを持たせ、しかしどこか楽しむような口ぶりだった。

 

 

 

 一方、ダイスケは大いに唖然としていた。

 

「……化けモンかあの人」

 

 今しがたダイスケが放った砲撃は、現状、彼自身の出せる最高の威力を誇る砲撃魔法だ。収束度、魔力量、速度、全てを三年間調整し続け、適当な具合に仕上げた。あまり魔力を持たないダイスケは、射撃による連射掃討や砲撃による制圧を不得意としている。湯水のように魔力を消費すれば、瞬く間に魔力切れを起こしてしまう。

 だから彼は無駄撃ちができない。先の攻撃、あれはいずれも相手の反射速度や防御性能を確かめるためのものだが、最後の一射は、あわよくばと思い撃ち放ったものである。

 

 それを容易く防御されたとなっては、悪態の一つでもつきたくなるというもの。

 ラウンドシールドを貫通できるとは思ってはいない。それでも後退させ、運が良ければ回避行動に走るのでは、と淡い期待を抱いていたが、甘い幻想だった。

 余裕を僅かでも見せればやられる。ダイスケは今一度、相対する者の実力を認めざるを得なかった。今の自分が全力を出せたとしても、ほぼ間違いなく勝てないと。

 

 しかしながら、まだ敗北が確定したわけじゃない。

 

 煙を上げる銃身を下げる。

 今撃ったのは、ダイスケが常々腰元から引き下げているビームライフルだ。『未完成』のカートリッジシステムを搭載し、一発に通常の砲撃魔法と同等の威力を引き出せるよう調整を施してある。端から聞くと垂涎物ではあるが、無論、これは一般市場に出回るようなデバイスではない。

 

 何せ、このアームドデバイス、ダイスケが違法改造を施したものなのだ。

 

 より効率よく破壊し、より手際よく装填し、そしてより都合よく完遂する。それを叶える武器が、これだ。

 

 それも、相手には効かない。

 犯罪者連中とはわけが違う。あの驚異の反応速度だ、例え死角から放ったとしても反射神経だけで回避しそうだし、そもライフル弾が直撃したところで撃墜に至るかも怪しい。それだけ本人の能力も高く、またデバイスも秀逸だ。無駄に金がかかるインテリジェントデバイスを伊達や酔狂で相棒としているわけではない。

 実質二対一で戦ってると考えてもよさそうだ。

 

 刀身型のアームドデバイスが一丁。

 今しがた撃ったばかりのビームマグナムが一丁。

 武器ではないが、鋼鉄の車輪のような物体が二つ。

 

(どうする……)

 

 自問自答する間も与えられず、内心歯噛みするダイスケ。

 

 

 

 

 

 

 ―――話は2時間前に遡る。

 

 

 

 

 

 

「当然のことやけど、君の持っとった兵器はほとんどが没収されるで」

「……え?」

「『え……?』やないで。君、まさか違法武器をブラ下げて街中練り歩くつもりか?」

「衝破銃も? 伸縮警棒WPEも? RWJ腕時計とか、高密度炭素繊維防刃服とか、MLOA-ロングワイヤースティングも?」

「名称は知らんが、武器は厳禁やな。人を傷つける可能性のあるモノは基本禁止と思ってええ。ここでは魔法が基礎概念やし」

「大人はそうやって子供から全てを奪う……!」

 

 魔力を介さない装備はほぼ全て法に抵触する、ということだ。

 武器は勿論のこと、他の補助品も含まれる恐れがある。

 

「君の所持品はほとんど解析できんかったからどうとも言えんけど、多分、銃と警棒の没収は確実。腕時計は……まぁええやろ。服は新しく制服とバリアジャケット一式が用意されるから安心せえ」

「ワイヤーも?」

「腕につけとったアレか? アレはまぁ……せやな、刃をどうにかすれば使えんこともないで」

 

 うーん、とダイスケは唸る。

 武器は今後デバイスが中心となる。防護もバリアジャケットと魔法でカバーできるし、攻防の面では恐らく安泰だろう。

 問題は機動性だ。

 ダイスケは飛行魔法をほとんど使えない。飛べても地上数メートルを浮遊する程度のもので、狙い撃ちされるのが関の山だ。近距離戦闘に特化するのであれば、飛行能力を持つガジェットと交戦する際、確実に飛翔力が必須となる。

 ならば、

 

「二つだけ、所持する許可をもらいたいものがあるんですけど」

「どれや?」

 

 

 

「AGGブーツと、ロングワイヤースティングです」

 

 

 

 

 

 

 ―――ダイスケの世界は科学と異能が同時発達を遂げ、そのうち科学は絶対法則に抵触する領域まで至っていた。

 

 即ち、重力と空間だ。

 衝破銃もAGGブーツも、いずれもその恩恵を受けたものだ。

 AGGブーツとは、正式名称アンチグラビティ・ギヤブーツと言い、ダイスケの世界では既に『流行遅れ』とされる、骨董品レベルの装備だった。

 AGGドライブという、重力を自在に操作し空中を飛翔するのに必須とされる反重力場発生機関が開発されてから、大きくかさばり、反重力場を精製する反重力ジェネレーターなる重要機関が無防備に晒されるギヤブーツは自然と廃れ、またその利便性から軍事転用が検討されていた。

 

 ダイスケとて、AGGドライブを優先的に製作していたものの、彼の知識と持ちこんだ部品では到底作ることは叶わず、運良く反重力ジェネレーターを一つ所持していたため、持ち得る限りの手を尽くし、ようやく完成した。

 それがAGGブーツ―――空間を自在に飛翔するアイテムである。

 左右のブーツの外側面に鋼鉄の車輪のようなものが付着している。これが空間座標を演算する機械であり、その中心部にジェネレーターが装備されている。

 起動時には車輪がブーツから離れ、車輪間に反重力場を形成する。後は体重移動でブーツ底面に取り付けられたセンサーと車輪の機器とが連携して動き、空中を自在に動き回れる、という仕組みだ。

 

 問題は、そのジェネレーターを保護するモノが何もない、ということだ。

 

 車輪は足元の空中に浮かんでいる。それがなくなってしまうと、片方の車輪だけでは反重力場が上手く形成できなくなり、飛行が不可能になる。ホバリングか降下がやっとといった具合だ。

 これを破壊されると、抵抗もできず墜落するしかない。

 

 さらにここで問題として加わるのが空間圧縮技術だ。このギヤブーツにもその技術が活用されており、車輪が破壊されれば圧縮空間が崩壊する。その際、圧縮されていた物質や炎が一瞬にして元の状態に戻る。

 結果だけを語ると、小規模な爆発を引き起こす。

 懸念すべきはそこだ。下手をすれば自分を巻き込みかねない。

 

 だが、使わねばなるまい。

 危険は承知。そもそも多少のデメリットを覚悟せねば、勝利を掴みとれない。

 

 だから、行こう。

 大いなる空へ。

 

 

 

 

 

 

 そうして、全ての者の視線をくぎ付けにした。

 

 

 

「な……!?」

 

 突如、未だに残る煙を突きぬけてきた物体を目にしたなのはは、一瞬思考が停止した。

 少年が魔法を行使する、というのは、既にヴィータから聞き及んでいる。なのはも先の戦闘記録には目を通し、彼の戦闘パターンをある程度は把握している。

 加えて、彼が飛行魔法を使えないというのも知っていた。使えるならば、登場した時に使わない理由がない。ワイヤーでの動きに比べればデメリットなど皆無に等しい。

 だから、驚かされた。

 

 魔法も使わず、空へと舞い上がった少年の姿を目にして。

 

「飛行魔法もナシに飛べるなんて……!」

 

 なのはは見た。ダイスケの足元、両足の側面から少し離れた位置に、銀色の車輪が浮かんでいる。あれが恐らく、彼に飛行能力を付加する存在だろう。

 あれを撃ち抜けば、とレイジングハートを即座に構える。

 

 させるか。ダイスケはすかさずビームマグナムを構えた。

 

 ―――ともすれば、空中を自在に飛び回る術を得たダイスケが互角に渡り合えるようになった、と思えなくもない。

 だが、ここに至るまでダイスケが使用しなかったのは、無論、極力秘密に留めておきたかったというのもあるが、AGGブーツの機動力にもあった。 

 自在に飛び回ることを約束する飛行魔法と異なり、AGGブーツは空中を飛びまわることができない。

 

 何故なら、弱点を思いっきり晒した状態で飛翔しているからだ。

 

 ただ飛翔するだけならば問題はない。だが、今は戦闘中だ。明らかに重要機関と思しき物体が無防備に晒されていれば、誰でもそこを叩きにかかるだろう。

 現になのはは、既に虚空に浮く銀色の車輪が飛行を可能にしていると見抜き、破壊すべく動いている。

 ゆえに、ダイスケは自分と車輪を同時に守らねばならなくなった。

 そのため、一度防戦に回れば、確実に詰むと悟っている。

 

 だったら、

 先にこちらが撃ち落とすしかない。

 

「カートリッジ、装填」

 

 がぎがぎ、がぎがぎがぎ、がぎん

 と、不協和音に近い、カートリッジの装填音が連続して響く。

 

「―――!?」

 

 明らかに無理を行ったその行為に、誰かが目を剥き驚愕する気配が伝わって来る。

 これで言及される要素がまた一つ増えた。

 

 だが、構わない。

 

「Fire all the――」

 

 銃身を上げ、目標を定める。

 

「――Flare Napalm bullets!!」

 

 銃口が火を噴いた。

 

 後部リボルバーが回転し、撃鉄が叩き落とされては回転し、次弾が装填される。

 一射ごとに凄まじい衝撃が生じ、それはダイスケの身体も容赦なく揺るがすが、彼は無視した。

 

 撃ち続ける。

 

 フレアナパームは燃費の悪い砲撃魔法だ。一射のみと限定することはできず、一定以上の魔力を消費せねば行使できない。しかも、内容は単純明快で、『高威力の砲撃を連発する』だけだ。

 つまり、一度使うと、複数個のカートリッジを消耗するので、たちどころに魔力切れが生じてしまう。

 加え。

 この威力でこの衝撃。撃ちどころを考えねば、隙を晒すだけに終わる。

 

 だから、この交戦で決める。

 

「く……っ!」

 

 苦悶の声は、なのはから聞こえた。最初の一撃を受け止めたなのはだが、しかし予想を遥かに超える衝撃に耐えかね、後続の連射を受け切るには至らず、やがて回避行動に移る。降り注ぐ赤い流星の間隙を縫うように移動する姿は、まだどこか余裕を残しているように窺える。

 

 ならば、と更にカートリッジをロード。人間の頭程度のサイズだったフレアナパームだが、魔力追加を施すと威力は向上する。

 一際大きいナパーム弾が空を切り裂き、飛んだ。

 皮一枚のところで回避される。

 

 だが、それも計算のうちだ。

 

 なのはの左右から、光弾が迫る。

 

「―――!?」

 

 驚愕するなのはの気配が伝わって来る。それはそうだろう、と内心ほくそ笑んだ。

 何せ、つい先程まで『見えなかった』のだから。

 原理は単純だ。光の屈折角を少々弄り、人の可視領域から外れさせた。デバイスが察知する可能性も考慮し、直前まで意識を別の方へ逸らした。

 だから、このフレアナパームは有効なのだ。

 

 防御態勢に入る。一度守りに入られるとダイスケの通常射撃では貫通に至らない。

 続くフレアナパームが唸りあげた。

 もう残る魔力は底を尽きかけている。早く、早くと内心焦りながらも、その時を待っていた。

 

「く……!」

 

 一度体勢を整えるためか、なのはは大きく後退し、ビルの側面を大きく迂回し、こちらからは死角になる位置へと降り立った。

 地面に降りた。

 好機。

 

「……!」

 

 瞬時にビームマグナムを下したダイスケは、ビルの方向へ飛翔した。AGGブーツの出力を最大に上げ、息をつく暇すら与えんとばかりに直進する。

 ビルの角へ着くと同時、ブーツの電源を切った。

 地面へ降り立つ。

 

 予想より大いに魔力を消費したためか、僅かに立ちくらみに似た現象が襲う。

 だが、それにかかずらう暇すら惜しい。

 

「は―――!」

 

 熱を吐き出し、その手に刀剣型デバイスを持って、ダイスケは走り出す。

 

 

 

 なのははダイスケが視界の端で降り立つのを見た。

 

(これが狙いなの……!?)

 

 空戦を行える自分と違い、ダイスケは空を自在に飛べない。だから地上に下ろす方が勝率も高くなる。そう踏んだのか。

 しかし、その決断は甘いと言わざるを得ない。自分の得意分野は当然のことながら、不得意とされる近距離戦を想定していないと思ったか。そもそも、なのはは別段近距離戦闘を苦手とはしていない。ただ単純に、スタイルが砲撃系ゆえ、得意ではないだけだ。

 ゆえに、他者から弱点と思われている近距離にまで踏み込まれても、冷静に対処できる。そも教導官に就くにあたり、あらゆるケースを想定した模擬戦を数多くこなしたなのはだ。この程度の事態で心を乱すはずもない。

 

 そう、だからこそ、近づく少年を迎撃することも、容易いと考えていた

 

 だが、

 

「―――え?」

 

 なのはは自分の感覚を疑った。

 

 

 

 見えている。

 だが、解らないのだ。

 

 

 

 視界の中、ダイスケは自分に向かって直進している。前へ前へと走りこむ姿を捉えている。

 しかし、その事実が脳へ正確に伝達されても、返って来る答えはただ『解らない』の一つのみだった。

 認識できない。

 例えるなら、そう、

 

 ズレているのだ。

 

 視覚でも、聴覚でも、その他全ての感覚でも、ダイスケの存在を知覚できない。目の前にまで迫る少年という存在を、自分は全く認識できていない。

 どういうこと、と焦るなのはは、決断を迫られる。

 

 

 

 ――己の中に突如として生じた焦燥と困惑を表に出さないなのはの姿に、ダイスケは正直感嘆していた。

 人間、理解の外にある事態と直面した際、大抵の人間は目に見えて狼狽する。その点、彼女は自分の焦りを決して晒さず、冷静を保つべく身構えている。流石だ、という感服の念を抱き、ダイスケは緊張を高める。

 

 別段、ダイスケが行ったのは特殊な能力じみた行いではなく、ただ純粋な体術のよるものだ。 

 人間が無意識に放つ知覚の網、例えば五感などがそれに当たるが、そこに僅かなズレを生じさせる。一つ一つは違和感を抱く程度だが、それが数を重ねることで大きな波紋となり、波は一つの異常を引き起こす。

 認識から逃れる。

 

 それがこの、『歩法』と呼ばれる体術の正体。

 

 相手が自分を捉えようと集中すればするほど、知覚は鋭敏化し、それと同時、網は狭まり、結果として逃れやすくなる。

 無論、この技は完璧とは言い難い。使い手の熟練度如何によるが、この技はあくまで相手の認識から逃れるものだ。つまり、相手の感覚に依存した力。人それぞれ感覚の程度には個人差と言うものがあり、例え親兄弟であろうと大いに異なる。その人の感じ方や物の捉え方を、一朝一夕で把握できるほどダイスケは熟練した腕前を持つわけでも、他者への観察眼に優れているわけでもない。 

 

 だから、この歩法は未完成であり、未熟だ。

 

 自分の感覚に絶対の自信を持つ者であればあるほど、この歩法によって生じる驚愕と困惑の度合いは大きい。しかし、このカラクリに気づけば、誰であろうとすぐ看破できる。要は今の自分の感覚を掌握されたようなものなのだから、一度息を止めるなり目を閉じるなりして、自分の感覚を『変えれ』ばいい。戦闘慣れした者でも、戦いの場において隙を晒すその行為にすぐ及ぶ者はいない。

 されど、相手は魔導師、そして熟練者。自分との力量差は歴然としている。

 同じ技で作れる隙は一度きり。二度は無い。対策を練られてしまう前に倒す。

 

 走れ。行け。

 一秒でも一瞬でも疾く、あそこに辿りつけ。

 既にライフルは投げ捨て、手には刀剣型デバイスを握り締めている。AIたるレイジングハートは反応するかもしれないが、薄いプロテクション程度ならば一振りで砕いてみせよう。そして二振りで防御を切り崩し、三振り目で終わりだ。

 

 勝てる、と僅かな慢心が覗かせたのが原因だったのかもしれない。

 

 ダイスケは、その時信じられないものを見た。

 

(―――何!?)

 

 なのはが、こちらを見ていた。

 こちらの方向、ではない。間違いなくあの目の焦点は自分に合わさっている。

 

 歩法が、見破られている。

 

 どういうことだ、と焦燥する彼は、そして、答えを知った。

 リラックスすること。

 自分の感覚を一度カットし、今一度設定を改める。肩の力を抜き、大きく吐息することで、歩法から逃れたのだ。

 

(自分に、リセットかけたのか!)

 

 この土壇場においてその度胸。幾多の戦場を駆け抜けた猛者だからこそできる、その気概。

 最早先程までの知覚の網はリセットをかけたことで消え失せ、そこから逃れていたダイスケは、新たな知覚の網に見事に引っ掛かっていた。

 なのはの目には、驚きに染まるダイスケの表情一つさえ、明確に映っていた。

 

(ちくしょう……!)

 

 舌打ちを零す間もなく、速射された桃色の弾丸が五体を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

「この馬鹿野郎」

 

 模擬戦が無事終了するなり、待っていたのはジト目のヴィータによる罵倒だった。

 

「……いきなり何?」

「お前なぁ、持久戦に持ち込むのか短期決戦したいのかどっちなんだよ! 最初すぐに回避行動とったのはいい。射撃で様子見したのはまぁいい。だがそっからカリカリ回転上げやがって、ヤケにでもなったのかと思ったじゃねーか! カートリッジ全部ブチ込んでぶっ放してなのは引きずり降ろして特攻なんざ自殺願望か! どういう作戦ってか頭使ってんのかー!」

 

 むきー、とでも言い出しそうな勢いで歯を剥き額に青筋を浮かべて怒る少女。最後が支離滅裂なのはそれほど怒り心頭らしい。

 とりあえず、ここは謝るべきか。

 

「どうどう」

 

 腹に蹴りを受けた。理不尽……。

 ひとまず落ち着くまでシグナムが背後から羽交い締めにして確保。意外と常識人寄りな人のように窺えるが、いかんせん初日のインパクトが強すぎて普通に見えると驚きが生じるのであった。

 ともあれ、

 

「さて、反省会しようか」

「全面的に俺が悪いということで終わりにしません?」

 

 ダメ、と笑顔で拒否された。

 残念、魔王様からは逃れられない……!

 効果音が聞こえてきそうだったが気のせいだった。

 

「まずは順繰りに考察していこうか。まずは最初だね。牽制に何発か撃ったけど、よく避けられました。様子見ってことでそこまで威力も速度も出してなかったけど、反応速度は十分みたいだね」

「どうも」

 

 素直に称賛を受け取ることにした。

 

「その後建物の陰に隠れたけれど、……一射目になんで建物ごと撃ったの? 土煙で煙幕ってだけじゃないよね?」

「理由は幾らかありますけど、最たる理由は―――」

 

 理由は? と尋ねるなのは。

 

「―――試し撃ちですね」

 

 向こうで幼女が叫んでいたがダイスケは無視した。

 

 当然だが、冗談である。……三割ほどは。

 最初に建物を崩した理由は、なのはが語った通り土煙で居場所をある程度くらますためだ。もっとも、魔法を使えばすぐに居場所など把握される。だから続けざまに弾丸を放った。

 もう一つは、地上に引き摺り下ろした後の展開を予測したからだ。建物の破片は障害物になり得る。頭を伏せて身を低くすることで極力目視を回避する。それは一定距離まで近づくには適した環境を作るのに一役買ってくれたが、至近距離までに接近する際、自分にとっては邪魔物でしかなく、飛行可能な相手からすればただの路傍の石でしかない。

 そうさせないために、相手が飛ぼうとする瞬間に歩法を発動させた。

 結局、欲しい結果は得られなかったが。

 

「まぁ、自分の弱点を再確認できただけでも十分収穫がありましたし、格上の人と相対する貴重な体験もできたので、有益なことだったと思います」

 

 ありがとうございました、と頭を下げ、そそくさと去ろうとする。少しはしゃぎすぎただろうか。あまり自分を見せびらかす真似は控えたいと考えていた矢先にこれでは先が思いやられる。今更になって後悔していた。

 

 が、

 

「おい」

 

 自室に戻ろうとしたダイスケを、ヴィータは止めた。

 

「ん、何? ひょっとしてまだ怒ってる?」

「それもあっけど、そうじゃねぇ」

 

 まだ怒っているのか、ヴィータは眉間に皺ができていた。

 

 

 

「いいから、ちょっと服を脱げ」

 

 

 

 …………。

 いや、そんなサラっと言われても。

 凄まじい発言になのはやフェイトが口を開けて固まっている。何故かシグナムは興味深そうに「ほぅ……」とヴィータを見て声を漏らした。なんだそのしたり顔。

 しかし一方で、はやては笑っている。というか、爆笑していた。何が面白いのだろうか。まったく分からないし分かりたくもない。

 

 困惑するダイスケや周囲の空気からようやく察したヴィータは、慌てて言葉を追加する。

 

「右肩だ。そこを見せればいい」

 

 拒否すると今にも飛びかかってきそうな真剣なお顔だったので、渋々肩元をはだけることにした。

 肩幅を狭め、流し眼で見つつ、

 

「ちょっとだけよ?」

 

 アイゼンを構えたので急いで裾をまくり、右半身を露出させる。

 

 全員が息をのんだ。

 

 ダイスケの右腕の付け根辺りが、青紫色に変色していた。内出血が激しく、肩の関節に異常が出ているのか、どこか左右の肩の形が異なっている。見ただけでおかしいと、誰もが思うくらいに。

 ダイスケは平然としている。痛みなど忘れたように。

 

「それ、最後の連射のせいか?」

「……まぁ、ね」

 

 躊躇いがちに肯定すると、盛大にため息をつかれた。

 

「まるで欠陥だらけの大砲だな。ビームマグナムだっけか? アレ、一発撃つだけでも相当な負担かかるだろ。オメェのそれも最後のだけが原因じゃねぇな?」

「……よくもまぁ」

 

 ほとんど見抜かれていた。

 思わず感心してしまうくらいの観察眼だった。

 

「……もう行っていいぞ。後でまた色々聞くだろうが、とりあえず今はその肩をシャマルに治してもらえ」

「そーする」

 

 服を直し、ダイスケは何事もなかったかのように立ち去った。

 

「……なのはちゃんと似とるな」

 

 唐突に、はやては呟いた。

 なんで? と言いたげな周囲の空気を読み、キッパリ言った。

 

「痛いクセにやせ我慢してそれがモロバレなところが特に」

 

 本人から猛烈な抗議が来たが、他の者は否定できず俯いたという。

 

 

 

 

 



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第2話 今から、これから

今回は戦闘は無しです。


 

 

 訓練後、自室に戻ると、ダイスケは大きく息をついた。

 

「……ふぅ」

 

 傍目にも披露に満ちているのが分かる。実際、機動六課の訓練は生半可なものではなかった。軍隊の訓練ほど殺伐かつ厳格めいた雰囲気はないが、内容はかなりハード極まりない。同じ練習を積んだ他のフォワードのメンバーは皆一様に、訓練後には肩で息をして汗水を垂らして文句の一つでも言えない有様だった。あれだけ修練を重ねていれば嫌でも実力は高まるだろう。

 ダイスケとて、初日から身体の節々が痛くなる程度には、疲労が身体を蝕んでいる。

 

「けれど……」

 

 眉根を伏せ、拳を作る。

 

 身体が鈍りまくっている。

 これではいつ命を削る思いをするか分からない。明日実戦となった場合、本気で身の危険を考える必要も出てきそうだ。

 

 もっとも、全力を出せたとして、それで何かが変わるとも思えないが。

 

 部屋を見渡す。ダイスケに割り当てられた部屋は、個人で使用するには広く感じる。公務員ともなればそれなりに高給取りなのだろう。給料が貰えるかどうかは知らないが、少なくともこの環境を満喫しても罰は当たるまい。それに、一つの部屋を一人に割り当てられるのは、他の面子と隔離することや監視することも含まれているはずだ。

 どちらにせよ、お互い都合がいい状況だ。

 今のうちに、十分楽しんでおこう。

 

 ベッドに身体を横たえる。思えばベッドを使うのは久しぶりだ。柔らかな弾力も、全身を優しく包み込む温かみも、じわりと身体を侵食する心地良い疲労感も。全てが懐かしく、久しく感じえなかった感覚に身を委ねる。ベッドというものが、如何に人間に安らぎを与えてくれるか、今更のように思った。

 やがて夜の帳が降りるように、意識が暗く沈んでいく。部屋の施錠はしていないが、問題ないだろうと思い、静かに寝息を立て始める。

 

 一体何年ぶりだろう。

 こんなにも、安心して寝られるのは。

 何かに怯えず、怖れずにいられるのは。

 

 

 

 

 

 

      第2話 今から、これから。

 

 

 

 

 

 

「どういうことなの!?」

 

 困惑交じりの怒声が、隊長室に響き渡る。荒げる声の主は、珍しいことに、温厚で人の良い笑みを絶やさない女性、フェイト・T・ハラオウンである。眉目秀麗な彼女の表情はいつになく強張り、眉根は逆立ち、今にも歯を剥き出して飛びかからんばかりの勢いで、相対する人物へ言及する。

 対し、机を挟んで反対側にて顔色一つ変えずに嘆息するのは、六課の総隊長たる八神はやてである。この二人、言わずと知れた十年来の親友同士であるが、性分の差と言うべきか、時折衝突することがある。もう一人の親友・高町なのはも含め、互いに強い絆を育んだ三人である。しかし、仲良こよしのままでいられたのは、世界の有り様を知るまでだった。いち早く現実の過酷さと人間の愚かさを目の当たりにしたはやては、誰よりも早く精神的に熟し、世の中の理を掴んだ。達観した物言いが多少増えたのはそのせいだとフェイトも知っている。そのフェイトは、出生の問題や育った境遇も関係してか、誰よりも優しく、ともすれば甘いと切り捨てられがちな性分だった。長年孤独に苛まされてきた彼女だからこそ、誰かに優しくする心を大事にし、今日まで温厚な自分を形成してきた。

 

 そしてそんな彼女だからこそ、今、眼前で吐いた親友の言葉が信じられず、怒りを抱くには十分だった。

 

「はっきり言わなアカンか? ……ダイスケのしたことがバレたら、((あいつ|・・・))を切り捨てるって」

「正気なの!? まだ子供なんだよ!」

「たとえ子供だろうと、罪は罪。それは、フェイトちゃんだってよく知っとるはずや」

 

 言葉に詰まる。はやては鉄面皮を保っているが、内心、謝罪の念で満ちている。互いに、深い罪悪感と罪の意識と長年戦ってきた者同士、思うところがある。 

 それでも言わねばならない。特に、まだ内面の甘さが抜けきらない、彼女には。

 

「あの子をまだ完全に信じたわけやない。確かに戦闘能力や分析能力は目を見張るもんがある……犯罪者という点を差っぴいて考えても、な」

「確かにそうだけど、それなら私たちだって!」

「フェイトちゃんは母のため、ウチらと守護騎士は闇の書による呪いのせいで、という言い訳がつく。けどあの子は自分の意志で犯罪行為を働いた。本人の承諾も得とる」

「そんなの本当に言い訳じゃない! 引きこんでおいて、結局保身のために切り捨てるなんて……」

「分かっとる。分かってるんよ、フェイトちゃん」

 

 落ち着かせるようにはやては言う。怒り心頭のフェイトとは対照的に、はやてはどこまでいっても冷静だった。その態度が余計フェイトを刺激したのか、踵を返し、失礼します、と叩きつけるように出ていってしまう。

 残されたのは、大きな息を吐いたはやてと、

 

「やれやれ。上司ってのは面倒事とのお付き合いばっかでしょうがないなぁグリフィス君」

「割と自業自得な気がしますが」

 

 無言で佇んでいた、グリフィスだった。

 八神はやての副官を担う眼鏡の青年の名は、グリフィス・ロウラン。指揮官補佐の地位を任されており、高い指揮能力を買われ六課ロングアーチ所属と相成った。かつてはやてが世話になったレティ・ロウラン提督の子息でもあり、母親に似て落ち着き払った雰囲気と割と生真面目な風貌である。手腕を期待され副官の役職を授けたのははやてだろうが、実際はこうしてはやての正真正銘、補佐をするのが主な仕事となっている。色々な意味で。

 

 額を押さえるはやてが口を開きかける前に、抱いた懸念を断定するような口調でグリフィスは言う。

 

「恐らく、レジアス中将は既に掴んでいるでしょうね。言及してこないのは、設立して間もない頃に潰すより後々、事件発生時に失態を犯した際、まとめて公開することで追い詰めるためか」

「或いは犯罪者の溜まり場と化した六課を一網打尽にする策略を練ってる真っ最中だから、とか」

 

 グリフィスは答えない。その可能性も無い、とは断言できない。妄想も過ぎると看過もできない。何故ならそれだけ、彼我の間にある溝は大きく深い。少なくとも両者のトップが和解して握手すれば終わり、という簡単な話ではない。人間は難解なようで単純な生物だ。僅かな差が妬みや憎しみを駆りたてる。容姿の差や才能の有無、意見のすれ違い、ただそれだけのことで争いを生む。だから上下関係にこだわる。かつて地球で生じた種族差別問題、それが最終的に大虐殺やテロの多発に連鎖したのも、全ては人が人と分かり合う努力を怠ったから、というより、分かり合うのが到底不可能に近いからだ。どれだけ美辞麗句で塗り固めようと、偽善の心を抱き綺麗事を並べようと、誰もが心の底では理解しているのだ。全ての人と平等にいられる世界は、互いに手を取り合って平和に生きられる世界は、理想のままでしか存在できないと。

 ゆえに、平行線を辿る人々は、やがて妥協を図る。互いの主張が重なる場所、境界線上を探して。

 本局と地上とが表面上は何事も問題を起こさず平和に過ごしているように見えるのもそのためだ。上手く線引きができているからこそ、仮初でも平穏な毎日が続いている。しかし、それも長くは続かないのは誰が見ても明らかだ。

 

 六課は必要以上に問題視される存在を抱えている。

 かつて次元震を引き起こしかけ、重罪を言い渡されたプレシアの娘、フェイト。

 闇の書の主たるはやて、過去蒐集行為を重ねてきた守護騎士たち。

 管理局員として貢献することで恩赦を得ている彼女らは、確かな実力も手伝って若くして高い地位を得ている。一部では尊敬の念を一手に引き受ける彼女らも、当然だが全ての者から好意的な目で見られているわけではない。事情を知る者ははやてやフェイトに侮蔑の視線を送ることもある。覚悟の上でも、実際直面すれば辛いだろう。

 フェイトも知っているはずだ。執務官試験に二度も落ちた。何故、と顧みる機会は十分にあった。生真面目で努力を怠らない少女が立ち続けに失敗した理由。立ち会った者の私情が含まれているか否か、それははやてに知る由は無い。疑え始めればきりがないものの、多かれ少なかれ、管理局内でも敵は多いと判断できよう。

 

 ダイスケを抱え込むのは、わざわざ敵を増やすようなものだ。

 口には出さないものの、グリフィスは視線ではやてに語る。当然、はやては承知の上であったが。

 

「しかし、実際会ったことがないので理解しかねますが、本当にあの少年は危険分子たり得るのですか? 精神面は大人と同程度とも窺ってますが、流石にそれは……」

「魔法を知り、高度な科学を誇る世界と思しき場所からやって来た。赤子でも容易に振り回せるおもちゃみたいな武器を所持し、十歳では通常有り得ない頭脳と精神を持っている。……これだけ要素揃ってると実は『見た目は子供、頭脳は大人』とか言い出したくなるなぁ」

「その続きは永遠に控えて下さい」

 

 はやての顔は険しい。真偽の程は明確だ。半信半疑ではあるが、その目で確かめた彼女が断言するならば、最早グリフィスに疑問も反論も挟む余地は無い。

 

「しかし、自分の撒いた種とはいえ、これほどとは」

 

 デバイス強奪事件の知名度は低いものの、幾らかの情報は地上本部や設立間近だった六課にまで届いていた。

 

 突然消息を絶ち、同時期に腕の立つ新戦力が加入したとなれば、六課の存在を面白く思わない地上は疑問を抱くかもしれない。考えすぎだ、と一蹴するのは楽だ。しかしはやては目の敵にされているレジアス中将の辣腕と慧眼を過小評価したことはない。快くは思っておらずとも、因縁の相手には私情抜きに敬意を抱いている。隙あらばPT事件の中心にいたフェイトや、闇の書事件に深く関係するはやてや守護騎士らを言及してくる可能性は決して低くは無い。そこに加え、新たに犯罪者を迎え入れたことが露見すれば、六課の立場は瞬く間に瓦解する。その危険を、フェイトとて予想すらしていなかったというわけでもあるまい。考えたくなかった、という可能性はあるだろうが。

 

 だからはやては、秘密裏に決断をした。

 

 もし仮に、あの少年が再び犯罪行為にはしったならば、或いは過去の所業が公になった場合、『執行猶予期間』を剥奪し、即座に緊急逮捕する。

 逆に、あの少年が己の行いを悔い改め、今後身を粉にして人々の安全のために尽力し、尚且つ事件が迷宮入りしたならば、六課は全力で彼を守る。

 

 分の悪い賭けだ、少年にとっては。六課がダイスケの安全を確保してくれるかどうかなど彼に知る由はないし、いつ露呈するかなどはやてにも分からない。あくまで部外者として、民間協力者として六課を支援するならば、少しは話も変わってくるだろう。だが、そうしなかった。ダイスケに提案し、首を横に振られたというわけではなく、これははやての独断によるものだ。

 

 はやては、あの少年に力を貸してあげたかった。

 

 個人的な感情。人々の上に立つ者としてあるまじき行い。けれど、独りなのだ。誰も味方がおらず、一人きりで生き抜いてきた。それは確かな話だろう。あの幼い身体でどれだけの無理をしてきたことか。腕前は高くないとはいえ、魔導師からデバイスを奪う危険度を知らないわけではあるまい。知りつつ断行するだけの理由が、彼にはあったのだろう。

 

 生きるために。

 死なないために。

 

 世界にはどれだけ悲しみが溢れているのか、どれだけ不幸が満ちているのか。いちいち足元に転がる小さな不幸一つ一つに目をかけてやれるほどはやてはお人好しではない。時には非情な判断もしよう。時には他者に不幸を押し付けよう。しかし、今ここにいられるのは、二本の足で立っていられるのは、誰かの小さな親切による賜物であることを、決して忘れてはいない。不幸もあった、悲しみもあった。けどそれすら抱き留め、誰かによって支えられ、後押しされ、引っ張られて、今の自分はここにある。

 

 忘れてはいけない。

 人は一人で生きていけるけど、独りでは何もできない。

 車椅子から眺めた世界よりも、立ち上がった世界の方が、ずっと広くて、美しい。

 

 あの子も、立ち上がったくれるといい。そうすれば、きっと見えてくるものがある。ほんのちょっとの期待と、僅かなおせっかい。気紛れな行いは、けどそれが、いつか誰かを少しだけ、幸せにしてくれるならいい。こんな腐敗しきった世の中を変えてくれるなら、いいと思う。

 口には出せない想い。お世話焼きな親友や、頑固で一途な親友よりも、ずっと不器用で、けれども心優しい少女は、頑張ろうな、と心の中で呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。ダイスケは本局へと足を運んでいた。

 

 本局へ単身乗り込むのは、民間協力者の立場といえど不可能だが、『新人の案内』という名目があるなら少しばかり話が異なる。管理局……正確には機動六課だが、ダイスケを勧誘し、エリオやキャロなど幼い子供を打ちに抱えることから解る通り、有能であれば年齢性別を問わない。あの勇名轟く高町なのはも、十歳の時には管理局に所属する者として数々の武勲を立てたという。

 

 そのなのはに頼み、本局の案内を頼んだ。

 なので、ダイスケがウロチョロしても怪しい目で見られはするが、見咎める者はいない。どころか、割と同情的な目で見る者も少なくなく、女性局員は親しげに声をかけてくる。認められてはいるが、子供の局員は珍しいのだろう。正確には違うのだが、いちいち否定して話をややこしくするのも面倒なので言わないでおいた。

 

 同行と案内役を買って出てくれたなのははというと、少々外せない用事が入っているらしく、案内はその後でと謝られた。

 こちらとしても有り難い話なので、中央センターを集合場所にし、ダイスケの行きたい場所を告げ、いったん別行動することに。

 真っ先にダイスケが行き先として選んだのは、本局内にある超をつけても良いほどの巨大なデータベース。

 無限書庫だ。

 

 管理局に入るにあたって利点となったのは、無限書庫の利用が可能になったことだ。この世の全てを網羅したとさえ言わしめる情報の海。

 ある程度の知識を得たとはいえ、まだこの世界についての情報が不足しているのが現状だ。なので、次元世界最高峰とも言えるこの場所で、知識の蒐集をしようというのである。

 

 正しい知識は、正しい歴史から生まれる。つまりはそういうことだ。 

 

 ……が、あまりに膨大すぎて、ダイスケは一時間かけても目的の物を探し出せず四苦八苦していた。こんなところで働く者はどういう神経しているんだと辟易していると、その職場の人間と思しき青年が、奥の方から漂ってきた。

 眼鏡をかけた、知的な雰囲気のする、どこか幼さを残した風貌。見るからにデスクワーク派な彼は、ダイスケに気づくと、意外そうに小首を傾げた。

 

「おや、こんなところに子供とは珍しいね。探し物かい?」

 

 高めの声を聞き、ようやくその人物が、ダイスケですら知る管理局の有名人だと気づいた。

 

 ユーノ・スクライア司書長。

 

 この莫大な量の情報を僅か一代で掌握し、己の物とした偉才の持ち主。

 同年代のなのはやフェイトほどではないにしろ、弱冠十代半ば程度の子供が乱雑としていた書庫の整理を完了させたというのだから、その非才極まる達眼は本物だろう。

 

「一応、ある程度は少し前に片付いたとはいえ、ここで調べ物をするのは時間がかかるよ。探査魔法を教えてあげるから、使ってみて」

「どうも。助かります」

 

 親切な人なのだろう。あまり魔法を得意としないダイスケにも丁寧に教えてくれた。

 礼を言い、目的のモノを探しに移動しようとした……したのだが、どうしたことか、ユーノは仕事に戻らず、興味深げにダイスケを見ている。微妙に居心地が悪い。

 

「あの……何か御用ですか?」

「あ、ごめんね。子供なのに、熱心だなって思って。それに、ここは無重力状態だから移動に手間取る人もいるんだけど……」

 

 平気そうだね、とユーノは苦笑する。

 ダイスケは空中で胡坐をかいて、膝の上に本を載せて頬づえをつきながら本を読んでいる。慣れているというより、無重力下での行動が常習化しているような人間の行いである。

 

「僕の世界だと、宇宙空間での生活も行われていましたので。無重力下での行動も割と簡単ですよ」

「へぇ……。違う次元世界から来たの?」

「ええ、まぁ」

 

 言いすぎたか、と内心舌打ちし、話をズラす。

 

「司書長は、機動六課をご存知ですか?」

「うん? 古代遺物管理部の、機動六課? 勿論知ってるよ。僕の知り合いもそこにいるからね」

「知り合い……ですか? もしかして、高町教導官とか?」

「あれ? よく分かったね」

 

 驚いたようにユーノは言うが、ダイスケもかなり驚かされた。

 世間とは狭いものだと言うが、狭すぎる気もする。

 

「僕は一応、そこに所属しています。今、高町教官もここに来ていますので、宜しければお会いしてはどうです?」

「なのはが……」

 

 その横顔は、幼くも世間の酸いも甘いも噛み分けた大人のそれだ。一瞬で切り替わる表情の変化は、まだ子供と大人の境に立つ者特有のもの。

 

 予想よりかは親しい関係らしい。なのはの浮いた話の一つも聞かないとなると、友人以上恋人未満といったところか。

 

「うーん、そうしたいのは山々だけれど、色々仕事が山積みだからね。この後奥の方の整理もしないといけないし」

 

 まだやり足りないのか、と驚異的な物を見る眼を向けるダイスケに、ユーノは気づかない。

 

「大変ですね、司書長ともなれば」

「しょうがないね。お互い立場ってものができちゃったから。大人ってのは面倒なものだよ」

 

 乾いた笑みが、どこか彼の薄幸さ加減を強調しているように見えた。世間からすれば若輩者と称されてもおかしくない年頃だというのに、この疲れっぷりは普通ではなかった。まだ若いのに、司書長という立場を与えられ日々ハードワークに追いやられる彼の心中や如何に。

 

 あまり無理を言わせるのもどうかと思い、二、三言葉を交わし、再び元の場所へ戻っていく。

 

「ん……?」

 

 ダイスケがそれを発見したのは、十分後のことだった。

 

「……第97管理外世界調査書。太陽系と呼ばれる9つの惑星・準惑星が存在し、太陽の周囲を公転する。魔法が存在しない世界で、極稀に希少な能力を持つ者が現れたり、才能豊かな人材が出現することもある。過去にPT事件や闇の書事件が発生したことから、近年では魔法と密接な関係にあると噂され、魔導師が存在する可能性もあるという説も浮上している。

 また、千年に一度、各惑星と太陽が一直線に並ぶ『惑星直列』と呼ばれる現象が起き、その際に各惑星から膨大な力が放出される現象が確認されている」

 

 地球、と口の中で言葉を転がす。

 ダイスケにとって、訪れたことのない世界。だが、聞き覚えのある言葉がある。

 

 かつて友人が、地球出身だと言っていた。そこでは科学の発展に伴い環境が悪化し、崩壊寸前にまで追い込まれるも、自分たちの世界を失い世界の垣根を越えて移転してきた異世界人によって半ば支配され、後に再度発生した消滅の危機を逃れ、今も存在し続けているという。

 その話と照らし合わせて見るに、どうにも同じ世界の話とは思い難い。何事もなく平穏そのもの。

 

「並行世界、か……」

 

 一種のパラレルワールドというやつだ。

 あまり例を見ないが、時折同じ世界なのに二つの次元に分断され、それぞれ異なる現象が起こり、異なる歴史が刻まれるという。

 

 実際は、地球と言う星を持つ、同じ名前の世界が存在しているだけなのかもしれないが、こうも歴史が違うと別物としか思えない。

 

「……こっちの地球は、まだ健在なのか。それならきっと、同じ道を辿ることはないかな」

 

 そう、信じたかった。

 

 

 

 

 

 

      ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 訓練場を一つ借り、ダイスケとエリオが模擬戦を行っていた。

 

 実際は、模擬戦というより組み手に近い。互いに手にするのは持ち前のデバイスだが、エリオはカートリッジどころか魔法をほとんど行使しておらず、ダイスケは遠距離攻撃用の銃器型デバイスを持っておらず、一般的なアームドデバイスを振り回している。

 同性で、同い年の子供が入ったのが純粋に嬉しいのだろう、暇を持て余していたダイスケに話しかけてきたのがきっかけだ。

 フォワード陣もなのはとの模擬戦を目にしていたせいか、幼いながらも比較的戦える部類に入る少年に興味を持ったのだろう。他三名も遠巻きに矛を交えるその様子を窺っている。

 

 二度三度と矛を交え、激しい火花を散らす。純粋な技術と力量を測るために魔法をあまり使用していないが、主にブーストを得て急加速することにより驚異的なスピードで肉薄、突撃を行うのがエリオの戦い方だ。槍という、刺突より斬り払いに適した武器を持つ彼は、リーチの長さを生かした戦闘を行わず、ヒットアンドアウェイを念頭にした動きを見せる。

 確かに動きの鋭さは過酷な訓練の賜物で、魔法無しでも彼の機動性は高い。しかしどこか今一つ物足りない感が漂うのは、単に武器の特徴を最大限生かした戦法をとっていないのと、普段得意とする戦術をとれていないからだ。斬り払いによる広範囲攻撃もできず、得意の高速戦闘もできない。それでも懸命に連撃を叩き込むエリオは、端から見れば年相応以上の力を持ち、尚且つライトニング隊の一員として恥じない振舞いを見せつける。

 

 それと相対する少年は、先日入隊したばかりの新人であり、素性も戦闘力も一切が不明の少年だ。

 

 ヴィータとなのはが相対したことから、力量の程は多少割れている。

 ヴィータは彼を『未完成な点を完成に近い技量と知識で「ギリギリ」補っている』と評し、なのはは『あの年であれだけの動きができるのは天才の領域』と素直に称賛した。

 お世辞にも彼の魔力量は高くは無いし、歴戦の強者たるなのはやヴィータからすれば荒削りな点も多く見受けられる。しかしそれを補うだけの長所が少年にはあった。

 

 まず第一に、非常に冷静であること。

 今もエリオのスピードを生かした連撃に防戦一方で、防御に徹するダイスケだが、焦りは微塵も無く、開始から十分ほど火花を散らす攻防を繰り広げているにも関わらず、汗一つかいていない。これは、相手が速度重視の戦闘を行うことをいち早く見抜き、魔法を行使しないならば体力勝負になると踏み、ペース配分を徹底しているからだ。

 彼は決して速くない。動きもエリオほど鋭くない。訓練も差ほど積んではいない。

 けれど、慣れた動きで回避を行い、自由な動きで迎撃するその姿は、他者を驚嘆させるだけの底力を感じさせる。

 

 エリオが息を吐き、身体の力が僅かに抜けた瞬間、その手の刀剣が煌き、一閃。

 慌ててエリオが一歩引き、そこへすかさず追撃を放つも、エリオが更に大きく後退すると、追撃の手を緩めた。

 

 第二に、今の動きから分かる通り、非常に慣れていること。

 相手を翻弄する、というべきか。とにかく相手の土俵で踊らず、ひたすら好機を窺い、数少ない隙を的確に突いている。そして必要以上の結果を求めない。あまり貪欲に勝利を求めると確実に身を滅ぼす。あれ以上踏み込んでいたら冷静を取り戻したエリオがカウンターを放っていたはずだ。

 

 素質や才能で言えば、恐らくエリオの方があると言える。

 けれど、その差を覆すだけの力を……経験とでも言うべきものを、ダイスケは確かに持っていた。

 

「すごいなぁ……」

 

 素直に感心した様子で、ふぅ、と息をつくのはフェイト。

 彼女とて、若干十歳程度で管理局入りを果たし、若き執務官として名を馳せ、将来を有望視される若者の一人である。幼い頃から戦いのノウハウを一身に叩き込まれたフェイトさえも、かつての自分があれほど機敏な動きを再現できるだろうか、と思ってしまう。

 魔導師は通常、魔力量で力量を判定される。多ければ良いとは言わないが、例え力量が劣っていても、魔力量が多い方が有利な点は多い。圧倒的な力による蹂躙は、経験則や細かい知略をまとめて粉砕する。かつて魔法に関して初心者だったなのはが、数年にわたり修業を積んだフェイトに勝利を収めたのは、奇跡でも偶然でもない。

 

 世の中、ルールは複雑なようでいて実にシンプルだ。

 強ければ勝ち、弱ければ負ける。

 

 何千年経とうと、それだけは変わらない。絶対不動のシステム。

 

 もしそれを覆せる何かがあるとすれば、それは恐らく、奇跡や執念の賜物と言えるのではなかろうか。

 

「とはいえ……」

 

 まだ、幼く小さい。どちらも。

 だから、いつか砕け消え行く命を捨て置くのは、勿体ないし可哀そうだ。

 

 一区切りついたのか、二人は動きを止め、何かを話し合っている。同性でもあることもそうだが、(少なくとも外見上は)同年代なせいか、エリオは割とダイスケに気さくに接している。出生の問題で他者へ容易に心を開けないエリオが、ああも積極的に話しかけている光景を見ると、助けてあげられて良かったと心底思えるフェイトだった。

 親馬鹿と言われても仕方ない話だが、心優しいフェイトは、自分の子と断言しても差し支えない少年と、行き場所も無くどこか寂しげな印象が漂う少年が仲睦まじく競い合う姿に、笑みがこぼれた。

 

「……よしっ!」

 

 小さく拳を作り、フェイトは何事かを決意した表情を浮かべる。

 

 後に、それが面倒くさい出来事を引き起こすとは、当人にも余人にも想像もつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 訓練後。

 

 ひとしきり汗を流し、午後の訓練に精を出すまで時間を持て余したため、適当にその辺をふらついていた時のこと。

 

「ん……?」

 

 視線を感じる。耳を澄ませると、小さな足音が聞こえてきた。

 横手から歩いてきた青年は、「ああ、こんなところにいたのかい」と言い、ダイスケの元へゆっくりと歩み寄って来た。眼鏡をかけた知的な青年は、見覚えが無い。訝しげに見つめるダイスケの前で、青年は背筋を伸ばし、直立する。

 

「初めまして、になるかな。グリフィス・ロウラン。君の上司・八神はやて総隊長の副官だよ。覚えておいてくれ」

「どうも、ご丁寧に」

 

 手を差し伸べそうになったが、ここは管理局の一端。対等な関係でもない相手に友好を示すより、態度で示すべきだろう。伸ばしかけた手を額に添え、敬礼。

 警戒されてるのだろうな。実直な人間なのだろう、或いは組織内に不協和音を生みたくないのか。どちらもかもしれないが、必要以上の警戒を買いたくはない。

 

「君のアドバイザー、とでも言うのかな。色々勝手が分からないだろうから、今後君に協力してくれと総隊長から窺っているよ」

「え、協力してくれるんですか? 俺の代わりに2倍働いてくれるとか?」

「それはもう協力の範疇を大いに逸脱してるね」

 

 はぁ、と大きく嘆息する。そんなに溜息をつくと幸せが消し飛びますよと忠告しようとしたが、止めておいた。どうせあの上司の側近ならば苦労は何もせずとも倍増しだろう。

 

「事情は聞いてる。ミッドチルダに来てそれなりに経つらしいけど、まだ知らないことも多いだろう? 僕で良ければ力になるさ」

「助かります」

 

 再度、敬礼。シャワーでも浴びようと思いながら立ち去ろうとしたが、グリフィスは「ああ、それと」と思いだしたかのように続ける。

 

「君の所持((兵器|・・))は没収したはいいけれど、君の武器はほとんど無いだろう?」

「俺の武器なら、ブレードとビームマグナムが……」

「それについてだけど」くい、と眼鏡を指先で持ち上げる。「高町隊長から改造指示が出てね。暫くは使用を控えろとのことだ」

「何故ですか?」

「あのね……模擬戦の後で指摘されていただろう? あんな使い手に過負荷を与える危険な代物を部下に扱わせる上司がどこにいるんだい?」

 

 ここにいるんですが、と思わず減らず口を叩きそうになった。

 

「詳しい説明はシャリオ・フィニーノという女性から聞くといい。もう知っているとは思うが、デバイス担当の者だ」

「了解しました。わざわざご丁寧にどうもありがとうございます」

 

 いいよ、と短い返答を聞き届けてから、今度こそダイスケは立ち去る。

 

「……ああしてみると、普通の子供にしか見えないが」

 

 最後にそんな呟きがこぼれたが、聞こえはしなかったのだろう。ダイスケは一度も振り向かなかった。

 

 

 

 

 

 

      ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 

 水の流れる音がする。

 

 訓練後を汗を流すため、スバルとティアナはシャワールームを訪れていた。訓練後、時間に余裕がない隊員や職務に追われ軽く汗を流したい職員が主に使用する場所で、鎖骨の辺りから太腿下までを隠すよう仕切り板が設けられ、横に十ほど個室が並んでいる。午前の訓練後ということでスバルたちが足を運んでいるが、他の者の姿はない。流石に陽が昇りきる前から使う職員は多くないのだろう。

 ノズルから噴き出す程良い温度の水を浴びながら、ティアナは息をつく。普段頭の両側でまとめている髪は解かれ、後ろへ流している。彼女の身体的特徴は年齢以上のものだが、今は整った体躯も相まってぐっと大人びた印象を見る者に植え付けるだろう。髪型一つでこうも漂う雰囲気が変わるのは、妙齢の女性特有と言える。肩から滑り落ちる雫を手で拭い、強張る身体をよくほぐす。近頃肩がよく凝るようになったと思う。その原因は見下ろす先にある物体のせいだろう。そう考えると自分の相方は更にひどいのではなかろうか、と隣へ目を向ける。

 

 機嫌が良いのだろう、小さく鼻歌を奏でながら、わざわざ持ってきた愛用のシャンプーで髪を丁寧に洗うスバルがいる。両手が頭を擦る間、無防備にさらけ出された肢体をなんとはなしに眺める。特別化粧を施していないのに張りのある肌、怪我をすることが多い職務だというのに艶のある長く細い手。大きく張り出た乳房もくびれのある腹部も安定感がある臀部も太めではあるが決して無駄な脂肪がない脚部も、恐らく同年代の中ではかなり上位レベルなのではと疑いようのない結論を抱く。それとは反比例するように子供っぽい性分なので、人から好かれやすいが異性としてそこまで人気があったかどうか微妙である。

 ざっと水を引っ被り、猫のように身震いする。

 もう少し丁寧にやれと思わなくもないが、結構大雑把なのだ、この女は。

 

 左側を見る。いつの間にか、キャロはシャワーを終えて姿を消していた。あの年頃だと見た目に気を使わないので、簡単な洗髪で済んだのだろう。

 

「あれ? キャロはどうしたの?」

「もう上がったみたいよ。あんたも早くなさい」

 

 シャワールームを使うということは、次の予定が立て込んでいるということだ。 悠長にしていられる時間は無いので、話しながらもティアナの手は止まらない。

 

 ふと、思い出したかのように、スバルが顔を上げる。

 

「あ、そうだ。ねぇ、ティア」

「何よ。言っとくけどこの後ミーティングあるんだからゆっくりしてらんないのよ」

 

 壁に引っかけておいたタオルで頭を拭く。撫でるように、或いは軽く挟んで揉むようにして水分をとっていく。

 

 いやね、とスバルは言い置き、

 

「大人っぽい子供って、どう思う?」

 

 手の動きが止まった。

 問いに、ティアナは少しの間逡巡して、ややあってから、答えた。

 

「……その問いに対する私の返答はこうよ。―――重症ね」

「ティア。最近過程スッ飛ばして答えだけ言うようになったね」

 

 そうかしら、ととぼけるようにティアナは言う。

 

「まぁあんたが何言いたいかなんとなく分かるわよ。ダイスケのことでしょ?」

「え、なんで分かったの?」

「分かりやすいのよあんたは。さっきの訓練中もチラチラあいつのこと見てたじゃない」

 

 う、と息を詰まらせるスバル。

 エリオとダイスケが刃を交わらせるのを遠目に見ていたのは、共にコンビネーションの完成を目指し特訓していたティアナも知っている。当然ながら、余所見をしていたのでなのはに撃ち抜かれそうになっていたが。

 ティアナはあまり認めたがらないが、深く長い付き合いなので、お互いの事はよく知っている。色々事情がある、と前置きを貰って入隊してきたダイスケを単純に気にかけているのだとは思うが、それにしては少々言動がおかしい。目線が合えば逸らすということはないので、ティアナの悪い懸念は外れているようだが、しかし何かが気になっているようで、時折考え込む仕草を目にする機会が、ここ数日急に増えた。

 

 なんだというのだろう。窺うようなティアナに気づいたのか、スバルは慌てた様子で言った。

 

「そ、そういえばティアはよく、((彼|・))と話すよね?」

「今明らかに無理のある話の逸らし方したわね……。まぁ、割と合理的な考え方できるしね。理解もある方だし」

 

 16歳の少女が10歳程度の少年と生真面目な顔で語らう姿はどこかシュールだが、本人たちにとって割と気兼ねなく語らえる貴重な機会だとのことで、意見を交わす光景は珍しくない。

 

「射撃系の武器使ってたって言うし。それに、精神的に落ち着いてるせいか、同年代と話してる感じがするのよね」

「そ、そうなんだ?」

「あとどっかの誰かさんと違って一回の説明でちゃんと理解を示してくれるし」

「その言い方はひどいんじゃないかな!?」

 

 ……もっとも、スバルも訓練校を首席で卒業した秀才なので、頭の出来自体はそう悪くはないのだが、いかんせん天然気質なので、普段から少々抜けた言動が見られてしまう。書面上は優秀でも、日々の言動を顧みると、相棒たるティアナは無言で首を振るしかない。

 何事も外見が所見では優先される。覆しようの無い事実であった。

 

 ふと、ティアナは顔を上げる。訝しげな目線がスバルを射抜いている。

 

「な、何? どうしたのティア」

「……ん。ちょっとね」

 

 ティアナとスバルは、片や腐れ縁と称し、片や最高の相棒と称する、六課でもそれなりに有名な新人コンビであり、六課に所属する以前、訓練校時代からの親交がある。約三年にもわたる賑やかなタッグを続けてきただけあって、ティアナは表面上認めたがらないが、他者よりも相方の異変には敏感だ。

 スバルは通常、人を呼ぶ時には姓名のうち名で呼ぶ。二人称を行使する場合、年下ならば、あの子、と年下らしい扱いをする。だからエリオを呼ぶ時は名が分からぬうちは『あの子』と呼び、互いに背を預け合う関係となった今では『エリオ』ときちんと名で呼んでいる。

 が、ダイスケはどうだろう。今、確かにスバルはダイスケを『彼』と呼んだ。ほぼ同年代に対し使う二人称、何故それをあの少年に使う? ほんの小さな些細な疑問ではあるが、前述の疑問もあって妙に気になったティアナは「スバル。あんた何か隠してない?」とストレートにぶつけた。

 

 案の定、スバルは大きく肩を震わせ、あからさまに眼を泳がせた。

 

「ななな何のこと? ティアは変なこと聞くねぇアハハハハ」

「キャラが崩れかかってるじゃないの」

 

 これはいよいよ怪しくなってきた。別段、自分に隠し事をするのは、まぁ、致し方ないことではあるが、こうも露骨にやられると気になって仕方ない。普段隠し事など滅多にしないだけに余計疑心に拍車をかける。半目で見つめているせいか、スバルはだらだらと汗を流し始めた。あれはシャワーの水などではないだろう。しまいには口笛を吹き始めそうなスバルを見、ティアナは沈黙を保っていたが、やがて結論を出した。

 

 実力行使。

 

「ま、待ってティア落ち着いて! 私はダイスケのことなんて何も知らないよっ!」

「へぇ。ダイスケのことで何か知ってるのね」

 

 墓穴を掘ったスバルは『やってもうた』と言わんばかりの顔で引け腰になった。

 

 すり足で後退し始めるスバル。ティアナは妙に優しい顔になり、諭すように言った。

 

「話せば分かる」

 

 何事も挑戦だ。後悔など知らん。

 うむ、と大きく首肯したティアナは、タオルを後方へブン投げ、仕切りの下から突撃を仕掛けた。普段なら冷静なティアナがこのような愚行にはしることはまずないのだが、心身共に温まっていたこと、相方が珍しく隠し事をしていたことが災いした。

 

 わぁ、と悲鳴を上げて逃避し始めたスバルは、背中を見せて走り出そうとする。

 逃がすか。ティアナはタイルの上に置いてあった石鹸を取り出し、手中に収めると、思いっきり握り締めた。すると手のひらを滑った石鹸は勢いよく射出され、スバルの後頭部に激突した。

 

 一瞬よろめくスバルを見逃さない。

 

「さぁ、全てを白日の下へ晒すのよ……!」

「うわぁティアの眼が輝いてる……!?」

 

 飛びかからんばかりの勢いで肉薄してきたティアナをどうすべきか、スバルは思考した。

 

 

 

 

 

 だが、賑やかな空気を断ち切るように鳴り響くアラートが、全てを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

「こ、これって……!?」

「一級警戒態勢?」

 

 慌てていたところに更なる事態が飛び込み驚愕するスバルに対し、ティアナは驚きつつも素早く踵を返し、タオルを拾い上げる。歩きながら身体を拭い、脱衣所へと出る。訓練校時代に早着替えのコツは掴んでいる。下着をつけ、丁寧に折りたたんでおいた制服を無駄な動作一つなく着込む。

 

 一分とかからず着替えを終え、同時、急いで出てきたスバルが隣へ立った。

 

「どうしたんだろ!? 今までこんなことなかったよね?」

「だから警報が鳴ったんでしょうが。……とにかく、急いで行くわよ」

 

 うん、と頷きながら、ティアナと共に外へ出ようとする。

 

 そこで唐突にティアナが足を止めた。

 

「スバル」

「な、何!?」

「とりあえず、服を着なさい」

 

 

 

 

 

 

 ―――遡ること十分。

 

 

 

 

 

 

 一方で、デバイス管理庫。

 

 デバイス関連の一切を任されているというシャリオ・フィニーノから、武器に関する手ほどきを受けていた。

 

「ダイスケ君、一応分かってると思うけど、念のためもう一回、説明しておくね。短時間で君の要望通りにするには、ちょっと時間が足りなかったから、今回渡す武装は二つ。一つは君の持ち物……というか、持ってたやつね。亀裂が入ってたから修復はしておいたよ。あと一つは、君のご希望の品だね」

 

 テーブルに置かれたデバイスは二つ。元々彼が持ち歩いていた片刃の長い刀剣型アームドデバイスと、ハンドガンタイプの中距離射撃を主体とするストレージデバイス。金銭的、及び時間的な問題もあって、後に彼に支給されるであろうインテリジェントデバイスは、大まかな概要と彼の戦術スタイルに合うタイプを説明、或いは確定するに留まった。これは、ダイスケ自身が望んだことだ。高度なAIを搭載したインテリジェントデバイスは魔導師の意志とは別の人格を保有するがゆえに、優秀すぎるデバイスに力量の劣る魔導師が振り回されることも多い。現に、ダイスケの周囲にいる使い手は皆高い魔力資質を持ち兼ね、生まれつき特殊な能力を持つ者がほとんどだ。その場その場において自ら判断し、危機的状況には率先して防御を代行してくれるなど、利点は多いものの、他者より資質の低いダイスケには到底扱える代物とは思えなかった。

 

 そのため、目先のことを考えれば、扱いやすく耐久性に富んだデバイスを使うのが好ましい。前述のアームドデバイスはそれなりに利便性ある代物なので変更するつもりはなかったが、しかしここで一つ問題が浮上した。ヴィータの指摘した、危険極まりないビームマグナムである。質量兵器を除けば唯一の遠距離攻撃が可能な武装は、しかし前日の模擬戦で欠陥が白日の下に晒され、部下の身を案じたなのはが強く訴え、改造のため、シャリオに提出してしまった。このため、現在彼には近距離戦しか行えない。スターズ隊・ライトニング隊共に接近戦を得意とする魔導師と、それをサポートする魔導師とバランス良く成り立っている状態のそこに捻じ込むと、上手いこと戦力バランスがとれなくなる……というダイスケの少々我がままな意見を押し通したところ、見覚えのないストレージデバイスが用意された。

 

 かつてティアナ・ランスターが愛用していた拳銃型ストレージデバイス……とまったく同じ外見である。

 

 かつてティアナはインテリジェントデバイスが支給されるまで酷使し、動作不良を起こすようになったという。その予備品は、手に取らずとも、銃身もグリップも、そして傍に鎮座するカートリッジ一つさえも、新品同様の輝きを放っている。

 

「元々、完成が間に合わなかった場合を想定した急ごしらえの武器よ。銃身の下にアンカー射出機構も付属してるから。ヴィータ副隊長から聞いたんだけど、ワイヤーを使った移動術も使うのよね? なら丁度いいかなって」

 

 成程、と無言で頷く。ロングワイヤースティングは人を傷つける可能性があるが、このアンカーガンならばそれも無いだろう。まぁ、殺傷力が消えたというだけで物理攻撃性能が皆無とは言わないが、それは御愛嬌の一言で済まそう。

 ビームマグナムを下げていたホルスターを調整し、新たに配給されたハンドガン用のポケットに突っ込む。左利きのダイスケは、迷う事無く右の腿へ取り付ける。刀剣は背中に斜め掛けしている。腰元に下げていると移動の際に邪魔になるから……というより、基本デバイスを持っている時は座ることなどないものの、六課は移動手段をヘリや車に頼っている。そのため、腰の裏側に下げているとどうしようもなく邪魔だから、という身も蓋も無い意見が出たため、背部へ回した。刀剣を振り回すのは両腕だが、引き抜くのは左手だ。牽制を撃つことも考えると、右腕で射撃を行った方がいいだろう。

 

 魔法とは質量兵器による攻撃とまったく考え方が異なる。このハンドガンタイプのデバイスにはトリガーも撃鉄も用意されているが、指で引いて射撃、その都度撃鉄を引く必要がある、というわけではない。あくまでカートリッジの装填に必要なもので、クリティカルな意見を言うと、照準を相手に合わせる必要すらない。そのため、近距離用のデバイスでない限り、利き腕で持つ理由はないのだ。

 

 ……という点を元々の持ち主に指摘したところ、頬を染めて「……当てればいいのよ当てれば」となんだかトンチンカンな答えが返って来たので、本人がやり易ければそれが吉なのだろう。

 

「最後に一つ」

 

 ダイスケと目線を合わせ、シャリオは眉を落として言う。

 

「まだあなたは魔法に慣れていないんだよね? 魔法は確かに便利な力だけど……それと同じだけ、危険なんだよ。あなただけに言えることじゃないけど、無理はしないでね」

 

 戦いに慣れてはいるようだと皆は言う。だが、((お互い|・・・))が魔法で凌ぎ合う戦場に身を投じるのは、ほぼ初めて。訓練とは大いに異なる、ピリピリと張りつめたあの独特の空気。まだ幼い子供が肌で感じるには早すぎると案じているのだろう。逆にこちらが不安になってしまいそうで、小さく苦笑した。

 

「了解」

 

 半ばぶっきらぼうに答えると、もう、とでも言いたげにため息をついて、けれども肩にあった重しが軽くなったのか、彼女も同じように苦笑を零していた。

 

 直後、警報が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 そして、最初の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 ファースト・ラン

オリ主の物語でもありますので、主人公視点が多くなりがちですね。

原作に存在しないキャラクターですので、どうしても中心になってしまうのは仕方ないことなのでしょうか。

ともあれ、そういうものだと考え、皆様にご了承頂きつつ、本編を再開したいと思います。




 

 

 

 

『聖王教会より機動六課出撃要請が下されました! 総員、戦闘態勢をとれ!』

 

『ガジェット反応多数確認! 航空型、及び新型、現地観測体を補足! 進路確定……目標、リニアレールです!』

 

 ヘリにて輸送中、数多くの声がモニター越しに飛び交う。慌ただしい雰囲気が漂う向こう側に対し、ヘリ内部は緊張感一色に染まっている。ヘリを操作するヴァイス・グランセニックと、歴戦の魔導師たる高町なのはは差ほど緊迫した面持ちではないが、新人であるフォワード陣営は事情が異なる。初の実戦に、各々が緊張を隠せない。普段は冷静沈着なティアナでさえ、どこか落ち着きなく外の様子を眺めたりデバイスの不備が無いがチェックしたりしている。張りつめた空気を肌で感じ、得難い感覚だ、とどこか遠い世界の出来事でも眺めるようにダイスケは思う。否、実際遠くまで来たように思えた。つい一週間ほど前まで明日をも知れぬ生活をしていた。それが一転してこの状況。世の中何が起こるか分からないという格言は、成程、道理である。居心地が悪くとも今の環境をそこまで悪くはないと考えているのは、いよいよ本格的に六課の空気に毒されてきているのかもしれない。

 身を包む制服の感触も慣れてきた。新しい場所に赴くと落ち着かないと言うが、もう適応しているのだから、人間の環境適応能力は馬鹿にならない。

 

 ほどほどの緊張感を維持しつつ、自分の装備を確認する。

 

 手に馴染む感覚がどこか懐かしい刀剣型デバイスと、不慣れな感覚にとにかく慣れるべく手中で持て余すハンドガン型デバイス。

 

 ダイスケは他のフォワード陣営と長い時間共に研鑽を積んだわけではない。連携も不完全、共同作業といった協調性を必要とする任務は不得意。ぶっつけ本番で出陣させるには些か不安要素が多いだろうが、実戦に慣れなれけばいつまで経っても戦力にカンウトされない。そもそも、半ば即戦力という形で勧誘を受けたのだ、役立たずの烙印を押されてはたまったものではない。

 入念に装備をチェックする。これは訓練ではない、実戦だ。僅かな失敗も許されない。他の隊長が傍にいるとは言っても、基本、自力で解決しなければならない。

 

 無論、必要以上に気張ることはないが。

 

「あれ? それってもしかして……」

 

 最初に気がついたのは、元々の持ち主ではなく、長年そのデバイスを傍で見続けたスバルであった。ダイスケの右腿に装着したホルスターに収まっている銀色の銃身と茶色いグリップが、彼女の視界に映ったようだ。

 

「あ、これ? ティアナのアンカーガンの予備品。クロスミラージュ……だっけ? それが支給される前に故障した場合に備えて用意されていたんだけど、完成が間に合ったからお蔵入りしていたのをもらったんだよ」

「へぇ……」

 

 感嘆する声を上げたのはスバルだが、そこにもう一つ小さな吐息が混ざったのを聞き逃さなかった。軽く眼を向けると、ティアナがこちらを凝視している。風穴が空きそうな勢いだった。自分の相棒が他人に扱われる彼女の心中や如何に。

 ぶっつけ本番というのは些か心許ないが、長年ティアナが愛用していただけのことはある。最大装填数が2発と少ないものの、様々な用途に応じた活躍が見込めるのは間違いなかった。

 

「んで、そっちのそれは……」

「あ、分かる? 新しいデバイスなんだ! マッハキャリバーって言うの!」

『Hello.』

 

 青いクリスタルが輝く。今まで彼女が肌身離さず使い込んでいたローラーブーツは過度な訓練に耐えかね、破損したらしく、両足に新品の輝きを放つインテリジェントデバイスが装着されている。

 

 ティアナの方はどうだろう。小首を傾げながら、振り向く。ティアナのホルスターに収まっている、銀色の拳銃。「クロスミラージュよ」と短い答えの後、『……』と沈黙する気配が続いた。寡黙なのだろうか、持ち主同様、多くを語らず態度で物語る。そういうタイプなのだろうか。インテリジェントデバイスにもそれぞれ個性と言うものがあるのだな、と当たり前の話を思い出した。

 

 

 

 

 

 そうこうしている間に、やがて輸送ヘリは、作戦ポイントへ接近する。

 目標到達点は、リニアレールだ。

 

 その周囲を取り巻くガジェットの群れを、空戦能力を持つ隊長二人が担当する。まだ実戦経験のないフォワード陣営は、肝心のリニアレールの停止を担当する運びとなった。それでも既に到着しているガジェットを排除する役目も与えられた。油断はできない。

 

「さて。それじゃあ、私は先に降りるね」

 

 任務前の緊張などなんのその、といった具合になのはが悠々と立ち上がり、準備を整える。

 輸送ヘリの後部ハッチが開かれる。途端、荒々しい風が内部を席巻する。強風に煽られ、緊張気味な部下の顔が一層引き締まる。新たな武器を支給されたとはいえ、初の実戦だ、身も堅くなるだろうし心から余裕も消え失せよう。とりわけスバルとエリオは肩に力が入りすぎているようで、動きもどこかぎこちない。最初はこんなものかな、と内心苦笑するなのはは、次にティアナを見る。最年長で一番落ち着きのあるティアナは現場でのリーダーを任されている。目を向けると、僅かに緊張を孕み、しかしそれを覆い隠すだけの自信と冷静を保った視線が返って来る。頷かれ、頷きを返し、最後に残る二人を見た。

 

 その二人……キャロとダイスケは、少し離れたところに座っている。

 

「いやぁ、実戦って初めてだから緊張するね。ところで顔色悪いけど平気? 乗り物酔いしやすいとか」

「だ、大丈夫、です……」

「まぁエリオと一緒だし、フリードもついてるから問題ないかな」

「キュー」

 

 片や緊張のあまり顔色を悪くし、片や緊張など何のその、といった具合で談笑している。こうまでされると緊張感を持てと言いたくなるが、下手に肩肘に力を込めていると失態を犯す可能性も出てくる。半分近くの隊員の動きが堅いのが気になるが、そこは今後慣れていってもらうしかない。

 それに、

 皆一様に、やる気をみなぎらせ、気合は十分だという空気が流れている。

 これ以上言葉を投げる必要はないだろう。

 

「手筈通り、ティアナとスバルは内部制圧、エリオとキャロは外部の、特に後方の敵を一掃。ダイスケは低空飛行するガジェットの掃討と増援の迎撃だけど、まぁ、今回は援護に徹して欲しいかな」

 

 了解、と、五つ分の返答を聞き届け、満足げになのはは首肯する。

 振り返らず、なのはは大空へと身を投げ出す。最早心配する必要はなくなったと言わんばかりに。

 

 さぁ、行こう。新たな仲間と共に戦場を駆ける喜びに満ち、どこか今までと違う風を全身で感じながら、空へ身を投げ出す。虚空を突き抜ける感触を、確かめながら。

 

 それが正しい感覚なのか、分からないけれど。

 今、私は空を行ける翼を持って、皆の先へと行く。

 

「レイジングハート!」

『OK.Stand by.Ready.』

 

 光が溢れる。

 

 いつか見上げた空を、自由に駆ける翼を解き放って。

 高町なのはは、飛翔する。

 

 

 

 

 

 数分後。

 

 スバルとティアナの投下から僅かに間を置き、リニアレールの中間近くにまで到達した。

 

「んじゃ、お仕事といきますかね」

 

 ダイスケの役目は単純。リニアレール周辺にいるガジェットの排除、及び上空からやって来る増援の撃退だ。エリオとキャロでも十分戦果は挙げられるだろうが、上司命令が下っている。赤毛の少女から、いざとなったら手助けしてやれ、というお言葉を頂戴した。そういう心配なら直接言えばいいし、そも話しかける相手自身への配慮というか励みの言葉一つないのかと素直に言ったらうるせぇバカヤローと一蹴されてしまった。物理的にも。話しやすい分話をしてくれない上司である。

 しかし数日の間とはいえ、同じ訓練を乗り越えた仲だ。怪我を負うことなど想定内の出来事だし、危険が伴うのは本人だって理解している。全てを前提にした上で、彼はフェイトの役に立ちたいと己を鼓舞して毎日修練を積み、傍目にも健気な事にフェイトの心配げな問いに胸を張って大丈夫と答えている。そんな彼に手を差し伸べるのは容易いが、代価に彼の面子やプライドを潰すこととなり得る。気持ちばかりが先行していては怪我の元だろうが、そこまで心配する義理はないだろう。

 

 余程のことが無い限り、自分に集中して問題ないはずだ。キャロの様子が気がかりではあるが、ダイスケとて自分のことで手いっぱいになる可能性だってある。何せ、魔法だけしか使えない実戦は、初めてなのだから。

 

「あの、ダイスケ」

「ん?」

 

 ハッチに手をかけたところで、振り向く。

 エリオが心配げに眉を伏せている。先に降りるダイスケを気遣っているのだろう。しかし自分よりも他人を心配するとは、なかなか良い子だな、と呑気な感想を抱く。

 

「気をつけてね」

「……エリオもね」

 

 ふっと笑みをこぼす。たった一言、それだけで、こうも気分が高揚するとは。自分も大概、単純なのかもしれない。思いつつ、縁へ足を踏み出す。

 

 心が軽い。

 浮き立つ足を、空へと突きだす。空へ落ちていく感覚を受け止めながら、

 

「ミドル1、ダイスケ・ヒズミ!」

 

 力を込める。

 

「―――出ます!」

 

 飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

      第三話 ファースト・ラン

 

 

 

 

 

 

 

 

「好調みたいやな」

 

 モニターに映る光景を目にし、はやては若干満足げに頷く。

 

 映る画像は4つ。上空で連鎖して生じる爆発の中、余裕の窺える表情でガジェットを一掃するなのは。列車上部に固まっていた敵機と相対するエリオとキャロ。少々離れた位置で増援の気配を探るダイスケ。内部に侵入を果たし敵戦力を削るティアナとスバル。いずれも順調な動きで各々の役目を果たし、懸念していた新人たちの堅さも良い具合にほぐれている。与えられたばかりの新型デバイスを既に使いこなしている。元々彼女ら専用として開発が進められ、度重なる調整と精査を繰り返した代物だ。初物とはいえ、手に馴染む感覚はなかなかのものだろう。

 今のところ、任務は順調だ。安堵を抱きつつも、はやては視線を鋭くし、表情を変えない。危険から遠い場所とはいえ、上に立つ者として微塵も油断は許されない。

 

 もっとも、キャロとエリオが列車から飛び降りた時は、理由が分かっているとはいえ、鉄面皮を保ちつつも冷や汗をかいたものだが。

 

 スバルとティアナの動きも良い。普段から連携と数多くの訓練をこなした功績だった。直球一本槍でパワー型のスバルを、視野が広く冷静を保って対処できるティアナがサポートする。一種の理想と言えるコンビネーションを遺憾無く発揮し、二人はガジェットの防御陣を突破して行く。少々スバルが飛び出しすぎな嫌いもあるが、それをカバーするのが後衛のティアナの役目だ。

 

 頷き一つ。と、ここで最後の新人に目を向ける。

 

「グリフィス君、ミドル1の動き見て、率直な感想を述べてくれんか」

 

 敢えて自分の口から言わず、すぐ隣に直立するグリフィスに問うた。彼も同様の念を抱いていたらしく、若干眉根を寄せ気味に答える。

 

「動きは悪くはありません。ガジェットと戦っていただけのことはありますが……」

「なんだか戸惑っとるようやな」

 

 モニター越しにも動きがぎこちないのが見て取れる。彼の実戦における戦闘データはヴィータとの一戦のみだが、それと比較しても遜色の目立つ立ち回りだ。緊張が身体を不自由にしている、とは思わない。あれだけ感情を荒立たせることの少ない冷静な少年がこれしきのことで動揺するものだろうか。ある種信頼とも呼べる感情を胸に秘めつつ、肘掛けを指でノックする。計算外の出来事ではあるが、想定の範囲内ではある。どこか困惑気味の周囲と異なり、はやては別段驚きも焦りも抱いていない。

 それに、彼の動きがぎこちない理由は察している。今までと全く異なる戦い方を強いられているのだ。質量兵器とデバイスは扱いも能力も根本からして違う。

 

「魔法は自由度が高いが、しかしそれがあの子を拘束する羽目になる」

 

 されど、その程度を乗り越えられねば、生き残れまい。

 

 

 

 

 

 事実、ダイスケは未だ無傷であり余裕を保ちながらも、辛酸を舐め額に皺を寄せていた。吹きつける風の壁がにじみ出る汗を流し、だんだんと火照る身体を覚ましていく。息を乱さずペースを整え、デバイス内部に残った最後のカートリッジを炸裂させる。

 

 五体目を粉砕したところで、ようやく息をつく。

 

 疲労は大きくない。むしろ思った以上に少ないと言える。バリアジャケットの調子も良好だ。前々から愛用していたジャケットをモデルに新調したもので、刀剣型デバイスの柄を改造し、バリアジャケット構成のオプションを装着している。防御力は向上し、無駄を省いて機動性もぐっと上昇した。

 装備は万全と言ってもいい。

 だが、それでも少年の顔は晴れない。

 

 理由は本人も承知の上だ。

 だから止めないし、止まらない。

 

 再度、爆発が生じた。

 

 列車は常に稼働しており、迂闊に大きく飛翔もできやしない。屋根の上に足がついている間は慣性の運動に拘束されているため、転げ落ちない限り吹き飛ぶ可能性は無い。更に、狭い屋根の上では回避運動も限られ、前方からの攻撃は左右に身を振って避けるか、シールドを張って耐えるかの二択しかない。

 

 ……というのは、魔導師の正攻法だろう。

 

 熱線が飛び交う中、射線を軽々『跳んで』避けつつ、銀色のガジェットに肉薄する。AMFは魔導師にとって脅威だが、質量兵器を武器に戦い続けたダイスケは限られた攻撃法の中で、既に弱点を見抜いている。ティアナたちと訓練の中で行った考察に基づいた結果、それは、ガジェットのAMFは魔法効果を打ち消すが、発生した現象そのものにまでは干渉できないということ。高い収束率を誇る魔法は完全に相殺し切れないこと。

 

 そして、

 

「うらぁッ!」

 

 物理攻撃には、見た目程度の耐久力しかないこと。

 

 無茶な反撃を予想だにしていなかったであろうガジェットは錐揉み回転しながら遠のき、一瞬後、飛来した光弾で砕け散った。

 

 上司に後で怒られること請け合いな戦い方だが、有効ではある。現に訓練時、スバルのリボルバーナックルの一打でガジェットは玩具のように破壊されている。その際、彼女にかけてあった補助魔法の一切が消滅していたが、慣性の後押しを得た打撃力まではどうしようもない。シールドではなくあくまでフィールドだ、威力を持続させれば貫徹できる。足場さえ確保し、負荷を与え続ければ、突破もできよう。

 

 矢継ぎ早に繰り出される熱線を潜り、跳躍も含めて前進する。

 

 一概に跳ぶ、と言ってもただ無作為にジャンプしているわけではない。走行中の列車から墜ちてはたまらず、かと言ってAGGブーツで飛翔するほどの余裕はない。そこで空間の移動に役立つのがアンカーガンである。スイッチを水平にし、トリガーを引く。すると銃口からアンカーが射出され、飛翔するガジェットの一機に撒きついた。嫌そうに身を振る間に、巻き取られていくアンカー。瞬く間に接近したダイスケは、空いた手で構えた刀剣を一閃する。火花を散らし始めるガジェットを尻目に、次の標的へアンカーを飛ばす。

 

 後はそれの繰り返しだ。

 

 邪魔なガジェットを蹴り飛ばし、アンカーで絡め取って斬り落とし、カートリッジの残数に気を配りながら射撃する。

 

 攻防の応酬は続く。敵の攻撃は旧型は熱線とワイヤー、新型はガス散布。前者は直線的な動きのため軌道を見切るのは容易で、後者は受動的な攻撃なので対策は幾らでもとれる。

 

 それでも、顔色は一向に暗いままだった。

 

「ち……ッ!」

 

 銃身の横、丸型のボタンを押し、薬莢を排出する。銃身の先端が頭を垂れ、がら空きになった内部にカートリッジを叩き込む。すかさず熱線を撃ち込んできたガジェットに見向きもせず、半歩身を揺らすことで避け、手首のスナップ一つで銃口を跳ね上げリロードを完遂。同時、背後から迫って来た黒い新型と距離をとるべく、前へ跳ぶ。空中で身を捻り、振り向きざまに一射。

 魔法陣が浮かぶのは一瞬、光弾が飛び、黒いガジェットは煙を撒き散らしながら爆散した。

 

 AMFは銀色の旧型にのみ装備されているのか、黒いガジェットは無防備にも身を晒すだけで、虚空を漂っている。確かに空中に散在していたら障害物になり得るだろうが、正体が分かっていればどうということはない。近接武器で旧型を切り裂き、新型は離れたところからの射撃で撃ち落とす。

 

「くそ……やっぱりか」

 

 悪態をつきたくなる衝動を押さえる。前々から思いつつも、自分の扱う改造デバイスだけがそうなのかと考えていた。が、実際は管理局で正式採用されているインテリジェントデバイスの具合から察するに、凡そ間違ってはいないだろう。

 

 魔法というものは、あまりにも非効率的なのだ。

 

 魔法とは穿った言い方をすれば、才能の有無に大きく左右される。魔力量の大小如何によって発動できる魔法の回数や規模が異なる。戦闘になれば制空権の掌握に必要な飛翔のスキルも関与してくる。加え、詠唱速度の程度や絶対必須のデバイスの存在。これらを全て統括して考えてみると、質量兵器がいかに利便性に富んだ物であり、極限まで汎用性の高さと生産性、効率性を重視しているか分かってくる。才能やら魔力量やらという抽象的なモノで力量が千差万別となるのは、一歩間違えれば選民思想に達しかねない。事実、局内はそういう風潮になっている。空を制する者と、地べたを這うずる者。魔法に依存する世界だからこそ、魔法が全ての基準となってしまっている。

 魔力というエネルギーを同量用いて魔法を発動したとして、例えばダイスケとなのはがまったく同じ魔法を果たして発動できるかと問われれば、十中八九否と答えられる。ミッドチルダ、ひいては数々の次元世界で多用される『魔法』は、科学の延長上に存在する一種の擬似的な奇跡の産物だ。偶発的な事象の中に確たる理論と綿密な情報がふんだんに練り込まれている。長い歴史を経て連綿と進化を続け進歩を繰り返し、今の魔法体系が完成した。

 

 近頃ミッド式にも採用が図られているカートリッジシステムも、瞬間的な爆発力を追求した代物だからか、高威力の魔法を行使するにあたっては必須と言えるが、魅力ある話には眉に唾を塗らねばならない。収納された魔力を瞬間放出する危険度もそうだし、長時間にわたって戦闘する継戦能力を考慮すると、このカートリッジの存在は短期決戦を目的としているように思える。人間の集中力などたかが知れているので、長期戦を考えるよりも、高い魔力で圧倒した方が良いのだろうが。

 

 生まれつきの才能に、決して努力で変えられないモノに依存した、魔法。

 

 そう考えれば、高い殺傷性を誇りなおかつ子供でもいとも容易く他者を殺めることも可能な質量兵器が全面規制されるのも頷ける。

 もっとも、それですべてに納得がいくわけがないのだが。

 

 銃口を上げる。カートリッジは予備を含めると8つほど。以前の衝破銃のように連射して牽制することもできない。しかし、悪く言えば相手は雑魚、雑兵の類だ。上には頼りになる上司も控えているので、差ほど危険度は高くあるまい。とはいえ、実戦慣れしてないフォワード陣や、魔法を上手く扱いこなせないダイスケに、直接肌で触れてもらうのが今回の任務を回された意図の一つだろう。

 

 ならば、と心機一転。

 

「敵を殲滅する……!」

 

 力試しをさせて頂く。

 

 全力で撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

      ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 最初の任務から数日が経ったある日。

 

「―――それで。近頃ご機嫌なのは、憧れのなのはさんと同じ職場に就けたのと、相方のランスターさんとまた一緒に戦えるのと、新しいデバイスが手に入ったのと、良いことが続いたから?」

「さっすがギン姉! お見通しだね!」

 

 単にアンタが分かりやすいからでしょうが、と小さく呟くティアナの突っ込みも届かず、スバルは今にも身を乗り出しそうな勢いで話す。日差しの暖かい午後の陽気の中、公園の片隅、白い円形テーブルに着席するのは、スバルとティアナ、そしてもう一人、スバルと似た色彩を持つ女性が座っている。スバルとは対照的に、長く腰元まで伸びた藍色の髪、そして彼女同様、強く印象付ける年頃の女らしい体躯。明朗快活なスバルよりも大人びた風貌と物静かな雰囲気を保ちながら、それでいて同じ柔らかな笑みを浮かべられる女性。

 彼女はギンガ・ナカジマと言い、名前の通り、スバルの姉である。二人の父、ゲンヤ・ナカジマの娘で、ギンガは父が隊長を務める陸上警備隊第108部隊に身を置いている。スバルにとっては姉ではあるが同時に母親代わりとも言える女性で、そして格闘技術の師匠である。 

 

 父の元へ赴く前に迎えに来た姉と久々の再会……であるが、一般的な家族との感動の対面とは少々趣が異なるのがナカジマ家の有り様であり、二人の少女は出会って早々、

 

「せいっ!」

「しっ!」

 

 鋭いストレートを飛ばした。それも二発。

 

 互いの渾身のパンチは空を切り裂く音を置き去りに、的確な位置を狙って突っ走る。日々の鍛錬を怠らないスバルの拳は素早く鋭いが、その上をいくのがギンガだった。ほぼ同時に着弾する一歩手前の位置で停止した拳を睨み、やがてフッと表情を和らげたギンガは、そこでようやっと肩の力を抜いた。

 

「随分鍛えているみたいね、スバル」

「まぁね! ギン姉も相変わらずスゴいなぁ!」

 

 どこがどう凄いのかは端から唖然と見つめる者にはまったく知りようもない領域の話だった。

 

 訓練校時代からの付き合いのスバルとティアナは、何度かこうして休日を利用して家族と再会するスバルに連れられ、ギンガと対話したことがある。外見から判断すると妹とは似ても似つかないほど大人の魅力溢れる女性なのだが、一度興味を抱いた事柄にはとことんまで追求する性分なのか、以前ティアナは答える暇も与えられない質問攻めにあったことがある。この妹にしてこの姉あり、と言ったところだろうか。

 

 妹の修練の積み具合を直に確かめ満足したのか、ギンガとスバル、ティアナの三人は公園の隅にあったテーブルを確保した。近くには赤いボディカラーの車が鎮座しており、側面を切り開くように展開された狭い台が顔を出している。唾液腺を刺激する甘い香りが鼻腔を撫で、設置された看板に描かれたホップアートが人々の関心を惹きつける。

 アイスクリームの移動販売を行っているらしい。

 そういえば今日は休日だったな。道行く人の数が多く家族連れが散見される公園の状況に今更になって気づいたティアナがぼんかり考えていると、アイスを買いに行っていたナカジマ姉妹が戻って来た。笑顔で差しだされる二段のアイスを礼を言ってから受け取り、口に含もうとしたところで、止まった。

 

 スバルはタワーと化したアイスを上手い具合に揺らすことで落っことし、口に放り込んでは舌鼓を打っている。ギンガは衆人環視を気にしたのか、妹のように挑戦者精神を無駄に発揮することはなかったものの、両手いっぱいに抱えたアイスのコーンを大事そうに眺めて、どれから食べようかと目を輝かせている。

 

 あんたら……と額を抱えたくなった。近くを通り過ぎる大人や子供が目を剥いているのはきっと気のせいじゃない。一緒のテーブルについたことをこの上なく後悔ティアナの苦悩は、二人が完食するまで続いた。

 

 落ち着いたところで、ギンガは口に付着した汚れを拭き取りつつ、妹とその親友に訪ねた。

 

「ところで、最近どう? 近頃物騒だけど、何か変わったことない?」

 

 瞳に真剣みを帯びたギンガが唐突に問うた。何事と思いつつ、ティアナは静かに目線をギンガに向けようとして……吹きだしそうになり慌ててそっぽを向いた。口の端にレインボーなアートが完成している。真面目な顔とのギャップが激しく笑いだしそうになるのを懸命に堪えた。

 

 ややあって、自分の惨状に気づいたギンガが急いで口元を拭い、赤面しつつ咳払い。

 なお、スバルは口の端も射程圏内だったようで綺麗に舐め取っていた。どれだけ意地汚いのだろうか。

 

「あ、そういえば六課に新しい子が入ったんだよ」

「ん? 新組織なのに、今の時期に補充要員?」

 

 怪訝そうな声。順当な疑問と言えばそうだ。ただでさえ過剰戦力と噂される六課の陣営、そこへ今更追加で参入する者がいるとは。本局の力の入れ具合も窺えようものだが、それにしては少々おかしいと思うギンガの心情も分からなくもない。ティアナとて、彼が何故突然六課に現れたのか知らない。エリオやキャロのように、フェイトに保護されていたというならば、話が変わる。しかしあの少年は突然現れ突然入隊したのだ。全てが予定調和だというかのように、出会って数日後には、自分らと肩を並べてきた。

 

 ティアナたちフォワード陣は知る由もない。ダイスケが元犯罪者で、巷を騒がせていたデバイス強奪事件の中心人物だということを。隊長陣営などの重役以外に彼の過去の経歴の一切が話されていないのは、いずれ判明するやもしれぬ事実であろうと、余計な波風を立てたくない六課隊長のはやてによる配慮だった。

 

「よっぽど腕が立つのかしら……なのはさんみたいな腕の立つ人が異動になったら有名だと思うけど」

「うーん。魔力量は大分低いけど、戦い方が上手いって感じかなぁ、ダイスケは」

「ん? ダイスケ? その子、男の子なの?」

「えっと、勿論、お、男……だけど?」

「へぇ……そうなの」

 

 にこにこと擬音がつきそうな笑みを浮かべるギンガ。

 

 余談だが、男の子、と言おうとしたところで踏みとどまったのは本人のみぞ知る話である。

 

「会ったことないけれど、どういう子なの?」

「えっと、最近入ったばかりでね。けど魔法に造詣が深いみたいで、何事にも冷静に対処できてて、なんだか頼りがいのある感じかなぁ」

「へぇ、そうなんだ」

 

 バキッ、と何かが壊れる音が聞こえた。

 

 たちまち冷や汗が吹き出したティアナは、眼だけを動かして、見た。テーブルの上にある、ギンガが握り締めるスチール缶が変形している。具体的に言うと、彼女の右手がスチール缶にめり込んでいる。というか、握ったらへこんでしまいましたみたいなオブジェと化しているが、アルミ缶と違いスチール缶は常人の握力ではそう容易くへこむまい。妹以上のパワーキャラであることを失念していたティアナは体が震え始める。

 顔を上げる。ギンガは笑っている。嬉しそうに微笑んでいる。でも何故黒々としたオーラを放っているのだろうか。

 

「あ、あの、ギンガさん。何か勘違いしてる気がするんですが、ダイスケは精神年齢は高いだけの子供でして」

「ティアナさん。ちょっと黙っててくれるかな」

 

 ひと睨みされただけでティアナは竦んで動けなくなってしまった。

 

「それでね。入ったばかりの頃は結構無口な人なのかなって思ってたんだけど、意外とそうでもなくて―――」

「へぇー……」

 

 スバルが愉しげに話せば話すほど、ギンガの温度が下がっていく。何も言えなくなったティアナは肩をすぼめて小さくなるしかない。目線を忙しなく動かし、何か救いになってくれるものは無いかと懸命に探すも、時計の針はかちこちと一分一秒を正確に刻んでいる。ちょっとダイスケ、あんた一体何したのよ。隊舎にいるであろう少年に恨み事を呟きながら、一刻も早くこの地獄じみた状況から解放されることを切に願うティアナであった。

 

 ギンガ・ナカジマ。

 妹に甘く、優しく、そして厳しく、それ以上に過保護気味な女性である。

 

 ……また話がややこしくなったのは言うまでも無いことだった。

 

 

 

 

 

     ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 最初の任務が終わった。

 

 とは言え、だからどうというわけでもなく、今まで通り日夜訓練に励む毎日が舞い戻って来ただけのこと。フォワード陣は勝って兜の緒を締めよと言うべきか、士気が高まったようで、一層訓練に励むようになり、少なからず六課の雰囲気に変化が生じた。特にいまいち覇気に欠けていたキャロは愉しげに笑むことが多くなり、どこか以前より活発な面が顔を見せるようになった。前回の任務で思うところがあったのだろう、エリオとよく何事かを語り合っている。年頃の子どもにしては笑顔が少ないと思っていたので、良い兆候だろう。

 後に失態を犯して後悔するより、ずっといい。

 

 さて、任務が終わって訓練、と思ったところで、意外なことに休暇が数日与えられた。あくまで表面上は出張だが、実質休暇だろう。戦闘要員のほとんどが外へ出ることとなり、僅かな間ではあるが、静かな平和を満喫できそうだ。

 

「おみやげは雷○の里あたりでー」

「うっせぇとっとと失せろバカヤロー」

 

 などと気軽な挨拶を交わし、ヴィータら守護騎士は主であるはやてと共に、地球へと帰って行った。なんでも高町なのはとフェイト・T・ハラオウン、八神はやての三人は地球出身らしく、ほぼ十年来の付き合いで、今でも家族ぐるみの付き合いだそうだ。家族に事情は話しているらしく、時折長めの休暇があると帰省してこちらのお土産話を語っているとのこと。今回はエリオとキャロも、保護責任者となったフェイトに連れられて、地球へ渡っている。ティアナとスバルはクラナガンにいる、陸上警備隊に所属する家族と会う約束があるらしく、早朝から出かけて行った。これも訓練の一環とか言い訳が聞こえたがどう考えても違うだろう。もっとも、ダイスケは知る由もない話だが、スバルの姉・ギンガは、スバルに戦い方のノウハウを伝授した師匠のような存在であり、その彼女との再会が何を意味するかは、知る者からすれば苦笑モノであるものの、そんなことはダイスケには天地がひっくり返っても知りようのない話だしどうでもいいことであった。

 

 そういえば、なのはら三人が故郷へ帰るということで、六課の一部男性陣が色めき立っていたが、何だったのだろうか。見目麗しい彼女らをデートにでも誘うつもりだったのだろうか。そういえばあの三人は見た目的にも内面的にも特別欠点は見受けられないのにどうして浮いた話の一つや二つ無いのだろうもしかして噂通り同性愛者なのだろうか聞けば高町教官とハラオウン執務官は八神総隊長よりも深い付き合いと聞いてるのであながち間違いと言い切れないがしかしそう考えるのは早計だろう幾ら何でも飛躍しすぎだでも家族ぐるみという話はもしかして一族納得済みという驚異的な状況でありあれもしかしてエリオとキャロを引き取ったのはある意味養子とするためと同性婚に漕ぎつける為の策略の一つなんじゃ―――

 

 憶測で物事を語るのはよくないな。ダイスケは頷きつつ、このあいだ激写したなのは&フェイトのツーショット写真を焼き増ししておこう、と誓った。ヴァイス陸曹辺りに売ってみよう。

 

「青少年。随分とお疲れのようだが、何か悩み事でも?」

 

 意識を戻し、不意に顔を上げると、グラスを磨いていたバーテンダーと目が合った。

 

 いや、と短く答え、寝ぼけた頭を動かしながら、グラスを手にした。溶けた氷が水面上に広がっているのは、それだけの間呆けていたということか。ウイスキーを炭酸飲料で割った差ほどアルコールも高くない代物だが、久方ぶりの酒が気苦労の絶えない身体に染み入ったのだろう。ぐいと強く煽れば、久しく感じなかった舌の痺れる感覚とチリチリと喉を焼く感覚。端から見れば背伸びも大概な光景ではあるが、本人からすればこの程度で俗世を忘却する刹那のひと時を満喫できる大人が羨ましく思える。

 

 カウンター席にはダイスケの他に泥酔した中年の男性が一人静かにグラスを煽っており、とても小声の囁く声が耳に入る状態ではないし、そもそも店内を流れるビートの効いた旋律が小さな雑音を押し潰している。テーブル席で騒ぐ男たちの喧騒も遠く感じるカウンターの隅で、ダイスケは浸るように座っている。見咎められてもおかしくない年頃の少年が居座っても口出しする者はいない。瓶ビールを片手にテーブルを占領する若者は明らかに成人前だし、平然と煙草をふかしている。着崩した格好の男がテーブルに突っ伏し、手の中のハンカチを握り締めている。頭上を旋回するプロペラが充満する濃い空気を撹乱してはいるが、酒とも煙草とも違う粘つくような異臭は、人を終わらせる薬のものだった。

 荒廃的ではあるが、大半の連中はミッドチルダの企業の重鎮だったり、将来を有望視される若者だったりする。常日頃から外面を良く見せようとする分、プライベートでは乱れは激しいとはどこでも聞くが、それにしては随分行きすぎている。例えここが『廃棄都市』に近いからとはいえ、管理局が目にすれば即刻摘発されかねない現状であった。

 

 子供が居ようと関係ない、自分がこの世を謳歌できればそれでいい。他者への口出しを禁ず――それがこの小ぢんまりとしたバーの掟だ。

 

 もっともその唯一の例外がこのバーテンダーたる店主で、無法地帯も等しい混沌とした店を一人で切り盛りしている。揉め事一つさえ独力で乗り越える気概は大したもので、彼が感情を動かしているのを見たことがない。ダイスケが最初に訪れた時も、十歳程度の少年を見て眉ひとつ動かさなかった。肝が据わってるとは思うが、それにしたって落ち着き払い過ぎだろう。

 

「顔を合わすのは数日ぶりだが、少々顔つきが変わったな。男子三日会わざればと言うが、言い得ている」

「そう?」

「ああ」

 

 言葉のやり取りは短い。そも和気藹々と対話するような雰囲気は無い。どこか空疎な音楽の旋律が遠く聞こえる。頭がぼぅっとしてくるのは、アルコールが頭にまで回ってきた証拠か。頬を撫でる頭上からの冷気を心地良く思いつつ、このままうたた寝してしまうかと眼を閉じかけたところで、店主が思い出したかのように口を開いた。

 

「ところで、管理局に籍を置いたそうじゃないか」

「……今日はやけに深入りしてくるな」

 

 目線が鋭くなる。言葉に棘が含まれ、僅かに怒気が滲み出た。店主はさらりと受け流し、「お友達が心配していた」と目もくれず言う。お友達? と疑問符を浮かべ、ここが一体どこに近いのかを思い起こすと、すぐに心当たりが浮かんだ。

 

「考え直すつもりはないのか、だそうだ。管理局が如何様な組織か知らないわけではないだろう? 」

「言葉に私情が紛れてないか」

「はて、何のことやら。ともあれ、言伝は以上だ。後は直接文句を言うといい」

「正義のヒーローに憧れる年頃なんだよ」

 

 苦笑も返ってこない。冗談だと思われたのか、素で受け止められたのか。

 当然の話だが、そんな俗な理由で魔導師を志したわけではない。昔、忘れかけた想いを取り戻そうと、少しだけ前を見ていようと思っただけだ。あの頃から根本は何も変わっていない。だがどうにも数日ぶりの感覚が、どこか自分を歪めている気がしてならない。今更真人間を名乗る気は微塵もないが、しかしこの感じは何だろう。数日前まで我が物顔で座っていた場所に自分が入り浸っているのに、どうしようもなく言い様のない嫌悪感がこみ上げる。当たり前だと思っていた自分の日常が大きく変わり、認識が改善されたとでも言うのか。それこそ失笑モノだ。心構えの一つ二つで人間が大きく変われるものか。確かに『あの時』の決意は未だ確固たるものだし、今後変えようと思わない。けれども自分が善人面できる人間じゃないのは重々承知していた。

 人間は待つことに慣れてしまい、やがて停滞した時の中で偽りの安寧に身を浸す感覚を忘れられなくなってしまう。刺激を忘れず進歩を求める者は少数派だ。誰も戦いなど望まない、それはもっともな話だ。だから変化を恐れて足を止めてしまう。今を満喫できればそれでいい。そういった考え方をする輩が、今ここに集っている。そうなりたくないと思ったからこそ、新しい場所で新しい生活を送っているのだ。

 

 自分を変えられる人間は簡単に分けて二種類に分類される生き物だと判断できる。善人と悪人だとか、大人と子供とか、ありがちではあるが周囲に納得させる持論を展開できず説き伏せられない者もいるが、皆一様に首肯することはない。本当は、認められるために努力し何かを成し遂げる者と、成し遂げねばならない目的があって結果的に周囲が認めざるを得ない者の二者択一。どちらにも当て嵌まらない人間はいない。生きるために誰もが努力をどこかで行っている。機動六課という組織は前者側だが、例えば中心人物たる八神はやてという女性は後者の人間だろう。こと大事な局面において重大な決断を下す判断力に欠ける前者と異なり、後者は必要とあらば何事にも冷淡に対処し私情も良心も押し殺す切り替えができる。そういった者はいつの時代も流れの最先端に立って物事を変え続けている。力ある人間は歴史を変えるが、意志ある人間は世界を変えるという。

 

 全ては意志なり。

 意志とは心なり。

 心とは感情なり。

 

 感情が人を支配する、と言った人がいる。いつだって人間は心が地べたから離れられない。だから自力で空を飛べる術を持てない。魔法という素晴らしい力を得た今でも、自由な空の向こうへ羽ばたく者さえ限られる。自由を得たい、という願望。誰だって望んでいる。けれど、本当に自由に生きられる人間は、そういない。もし誰でも自由に生きられるというなら、『彼女』は何故ここにいないのだろう。あの、氷のような瞳に、炎のような意志を灯した、黒い少女は―――

 

 ピピッ、という電子音が、酒が見せた幻想に浸っていた意識を現実に戻す。通信が入ったようだ。ここにいるのはまずいと判断したダイスケは、店主に目で謝罪してから、席を外す。外へ出ると、荒廃した建物の残骸や舗装されていない大地が広がっている。生温かく身の毛をよだつ空気が流れているのは、大気さえも汚染されかけている証拠に他ならない。

 

 店内の涼しい空気を懐かしく思いながら、廃ビルの間に身をねじ込み、通信回線を開いた。

 

「はい、こちら駅前交番。迷子ですか?」

『そうなんよー。もう歳やから帰り道もよう分からんようになってもうて……って誰が歳やねんな!』

 

 ノリがいいなぁ、と画面から顔を離す。あまり顔を離しすぎると背後側の光景が映ってしまうので、極力明るい方へと足を向けず、薄汚れた廃ビルの壁面に背中を押しつける。

 

「どうしたんですか。休暇中、もとい、出張中に突然」

『いやなぁ? 帰って挨拶回りに出とったらヴィータがいきなり出かけおってなぁ、何しよるんかなぁと思ってつけとったら、意外なことに地元の名産品とかお土産とかを眺めて唸っておったんよ。ほほうこれはこれはと思ったんやけど、どう思う?』

「答え分かってるんで素直に言いますけど……自分用では?」

 

 画面の向こうから怒鳴り声が聞こえてきたが雑音だと思って無視した。

 

『まぁ帰ったらぎょうさんお土産あげたるわ。んで、そっちは何しとったん?』

 

 顔赤いで、と指摘され、暗がりでも見えるものだな、と少々空回り気味な頭で思う。

 

「ちょっと野暮用で出かけていまして。これから帰るところだったんですよ」

『へぇ。もしかして家に帰ってたとか?』

「それ、本気で言ってるんですか」

 

 数秒あって、ごめん、と割と真剣な謝罪が返って来た。

 

「まぁいいですけど。あんまり調子に乗らないで下さいね。八神さん、ただでさえ六課内での評価低いのにこれ以上下げたら地を這うレベルになりますよ」

『総隊長である私への尊敬度ってそんなレベル!?』

「ははは、何言ってるんですか。俺は貴女を尊敬してますよ」

『さ、さよか? せやろなぁなんてったって私、六課で一番のお偉いさんやもんなぁハハハ』

「でも女性局員の人気投票では迷わずハラオウン執務官に入れましたけどね」

『うっわこの子幼いナリして金髪巨乳狙い撃ちとか……! フェイトちゃーん、子供の教育間違うたらこんなムッツリオッパイ県民が量産されてまうでー!』

 

 横合いから張り手が飛んできてはやてがフェードアウトした。

 

 ややあって、爽やかな笑みを浮かべたフェイトが現れる。

 何故か息切れしているのは突っ込むまい。

 

『あ、ああダイスケ、ごめんね。はやてったら突然お腹が痛くなったみたいでね?』

「多分腹じゃなくて頭抱えてるんじゃ……ああ、なんでもないです。だから泣くのは勘弁して下さいな。お大事にとでも言っておいて下さい」

『うん。……あ、そうだ。ダイスケ、ちょっと話したいことあるんだけど、いいかな?』

「ええ、それは勿論―――」

 

 言いかけたところで、ふと、視線を逸らす。遠く、離れたところから、声が聞こえた。

 こちらに近づいている。この音量と足音、あと十数秒でこの近くを通る。複数人だろう、何事かを楽しげに語らう声が響き渡る。

 

「すいません。ちょっと今は忙しいので、後じゃダメですか?」

『あ、そうなんだ。できれば今が良かったんだけど』

 

 すいません、と今一度謝罪。

 画面の向こうでフェイトは首を振る。

 

『いいよ。それじゃ、帰ったらまた改めて話すよ』

「はい。お願いします」

『それじゃ、また後でね』

 

 通信が切れると、再び辺りが暗くなる。同時、先ほどよりも会話する声が鮮明に聞こえる。男のものと、女が数人。日が沈んでまだ一時間と経っていないが、こんな人気のない場所で大声を出すとは、どういう神経をしているのか。

 

 路地から身を乗り出す。

 隠れる必要は、ないだろう。

 

 案の定、歩いてきたのは、一人の男と二人の女だった。まだ若く夜遊びを満喫したい年頃なのか、三人とも肌を小麦色に焦がし、着崩した格好の男は明らかに染めた金髪をなびかせ、口の端に煙草を咥えている。女二人はやけに扇情的な姿で、まだ夏も遠いのに肩まで露出したタンクトップやら切り裂いたようなデニムやら太腿が丸見えのミニスカートやらで、今時こんな若者が外を闊歩しているものかと感心してしまうくらいカジュアルな格好だ。

 

 路地から出てきたダイスケを目ざとく見つけた男が足を止め、腕を組んでいた女二人も同じく立ち止まる。品定めするような目線が肌にまとわりつく。この辺りに子供にしては身なりが整っている、その点が彼らの気を引いたのか、それとも自分たちより年下であることが決定打となったのか、質の悪い粘着質な笑みを携えながら、近づいてきた。

 

「おうガキ、こんな夜遅くに出歩いてっと危ねぇぞ」

「へぇ、こんな可愛い子がゴミ捨て場みたいなとこにいるんだぁ」

「ちょっとやだぁ、アンタこういう子がいいわけ?」

「ああ? テメェそういう趣味だったのかよ」

 

 身体から温度が抜けていくのが分かる。あの目は間違いない、檻の中の見世物を嘲笑う類のものだ。頭の悪い会話内容に耳を傾け、この連中はゴミ捨て場に群生する異生物のような存在なのだと思う。

 

 こういった連中が足を踏み入れるのは一度や二度の出来事ではない。好奇心を完全に押し殺せる人間は少ない。未知のモノへ興味を抱くのは人として当然だが、しかし好奇心は猫をも殺す、という言葉をこの連中は知らないのか、と考え、それもないのだろうな、と自問自答する。こんな平和ボケした世界の中では危機的状況に陥るのは管理局に属さぬ者には縁遠い話である。市民は守られるべき存在だが、自己意識が必要不可欠である。そうでなければ、先日の不法住民の一件、あの時の避難はもっと上手くいっていたはずだ。

 

 男の下卑た笑い声と女の気に障る黄色い声に、いよいよ酔いが冷めてきた。こんな連中に少しでも助けてやろうと思った自分が情けない。六課に入ったことで偽善者に一歩近づいたとでもいうのか。自分でも吐き気がこみ上げる。偽物でも本物でも、やはり善意は善人の善行でしか許容できない。

 やはり慣れないことはするもんじゃない。首を振り、けれど最後まで意志は一貫すべきだろう、ため息をつきつつ、言った。

 

「運がないね」

「は?」

「ここの先は廃棄都市じゃないんだよ。早く帰った方がいい」

 

 淡々と語る少年の異様さに気づかず、男たちは顔を見合わせる。何言ってんだこいつ、と言わんばかりの反応。それは正しい反応だ。だがそんな鈍い頭では、今後社会に出てから通用しないし、そもそも、恐らくやって来るであろう『新たな時代』を生き残れない。

 

 忠告はした。だが、男らは急にダイスケを見る目を変えた。興味を失ったのだろう、「ねぇもっと奥行ってみようよ~」「そうだな、ここら辺くっせぇしよー」と大声で喋りながら、立ち去った。

 奥の方へと、先へと進んでいってしまう。

 

 馬鹿な連中だ、と無機質な目を向け、周囲を探る。サーチャーを使わずとも分かった。息を潜める気配がする。常人ならば違和感に気づかず通り過ぎてしまうくらい、小動物ほどの気配も感じない。敵意はなく、関心は外からのお客様にあるようで、次第に男たちに引っ張られるように移動して行った。ご愁傷様、運が無いね。心中で呟き合掌してから、踵を返して立ち退いた。

 空を見上げる。曇り空の向こうでは、星の輝きが今も絶えることなく瞬いていることだろう。こんな日は、星の光を浴びていたい、そう願うことさえ、傲慢なのだろうか。感傷めいた思いを抱きつつ、光の見える場所を目指し、街の方角へ足を向ける。

 

「そういえば……」

 

 店の中で、何かを思い出しかけたような気がしたが、あれは酒の魔力が魅せる幻だったのだろうか。首を振り、街に着くまでに醒めるといいなと思い、姿を消した。

 

 

 

 五分後。遥か後方から悲鳴が上がったが、曇り夜空に吸い込まれ、誰にも届くこと無く、やがて途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャンクヤード、と呼ばれる場所がある。

 誰もが侮蔑をこめて呼び、或いは誰もが目を逸らす、世界に見捨てられた場所。

 

 そこには人の温かみなどなく、あるのはとことんまで剥き出しにされた、人間らしいモノの有り様だけだった。

 

 

 

 

 

 

 




ファーストアラートの内容は原作とほぼ同じなのでほぼ端折りました。

ここら辺は大きく変わることがないのがオリ主存在の二次創作の常といったところでしょうか。

また、今後ちょいちょいオリ設定が加わっていくかと思われますので、その点もご了承頂きたいです。


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第4話 忘れられた思い出

今回はシリアスっぽいところはほとんどないと言っても過言ではないような気がします(え

まだ序盤の穏やかな感じが抜けきっていない様子を描きたかったのですが……かなり難航してしまいました。


ともあれ、少し間のあいてしまった第4話、始めたいと思います。



 

 

 

 

 忘れてきた過去がある。

 置いてきた過去がある。

 

 そんな取り戻したくもない思い出が、時折ふと、蘇る。

 現実ではないおぼろげな景色。夢の中だからこそ許される幻。

 

 いつか消え行く記憶の欠片が、唐突に湧き上がった。

 

 

 

 

 土袋を蹴りつけるような音が響き渡る。

 

「ぐ……っ!」

 

 夢の中を泳いでいた意識が完全に覚醒する。汚い地面に横たわっていた自分の五体が強かに蹴りつけられた音だと知る前に、口から洩れた唾液が顔を穢した。不快に思うより、腹の底から湧き上がる鈍痛が表情を歪める。それでも痛む腹部を決して意識せぬよう努め、平常を装いつつ立ち上がることを優先したのは、針で刺すような視線を頭上からまだ感じたからだ。

 

「雨で感覚が鈍ったか」

 

 聞き取れる声は、女性のもの。否、それはまだ年端もいかぬうら若き少女のものだった。

 いつの間にか、目の前に少女が一人、立っている。近づき気配も感じなければ、今そこに佇む人間一つの存在感も捉えられない。細身でしなやかな体躯は小柄で、しかし、放つ威圧感は男性のものより遥かに膨大。

 

 身をすぐさま起こす。眼は女性から決して背けず、耳を外へ傾ける。突然の出来事も大きく関与しているだろうが、湿気で手のひらが汗ばんでいた。確かに大地をしとどに濡らすざぁざぁという音が、雨の訪れを教えた。これだけの音量ならば眼が覚めてもおかしくないというのに。

 

「どこを見ている」

「ぅぎ……っ!」

 

 堅い物体が頬を打ち付ける。それがブーツの爪先と分かる暇も無かった。頬骨が砕けんばかりの衝撃に耐えかね、身体が横へ吹き飛ぶ。転々と冷たい床を転がり、やがて壁に背中からぶつかる。強かに背面を打ち付けた痛みに顔が歪み、しまった、と後悔するも、直後に無防備になった腹へ鋭い蹴りが再び放たれた。

 ご、と息を吐く情けない声が漏れ、酸味のある液体が喉までせり上がる。止めようがなかった。苦味が口腔に広がるのを堪え切れず、たまらず吐き出した。

 

「何故苦しいか分かるか」

 

 唐突な問い。

 すぐに答えなければ、痛覚と吐血が待っている。なら分からずとも思いついた考えをすぐさま口にせねばならない。

 

「それは、人間だから……」

 

 無言で腹を蹴り上げられる。執拗に同じ個所を狙うのは、相手の心を痛めつけるには効果が覿面だった。

 

「そんな哲学な問答をしたわけではない」

 

 どこか呆れたように息をつく。

 

「お前が生きているからだ」

 

 確信めいた自身の窺える断言だった。

 

「生きていれば次があるなどと甘言で己を誤魔化す者もいる。だが、相手が貴様の命を欲する者ならどうだ? お前が見過ごした過小な存在がいずれ貴様を脅かすと考えないのか?」

 

 地べたを這う少年は答えられず、無言で睨み返す。少女の反感を買いそうな態度ではあるが、気に留めた様子は無い。むしろ少女は気弱な気配が臭いでもしたら即座に蹴りを放つだろう。気丈に振舞わねばどうなるかは、先程のやり取りで十分身体が理解していた。

 

「命など軽い」

 

 蹴られる。

 

「言葉など必要無い」

 

 蹴られる。

 

「感情を強くコントロールしろ。でなければ大事なモノなど何一つ守れないし―――」

 

 人も殺せない。

 少女はそう言い、ほんの僅かに、口の端を釣り上げる。

 

 大事なモノ――人それぞれだが、結局は答えは一つだけ。

 自分の命。

 それを守れるようになれと、少女は言っている。

 

 何故なら、それさえあれば、人は何だってできるのだから。

 

 そう、何だって。

 

 

 

 

 

 あれから2年。

 もう、最後に笑ったのがいつのことかさえ、思い出せない。

 

 雨が降り続いている。

 止まることなき、雨が。

 

 

 

 

 

 

 

 

     第4話 忘れられた思い出

 

 

 

 

 

 

 

 

 寝汗がひどい。

 

 直前まで悪夢に近い光景を直視し続けていたダイスケは、意識の覚醒と同時に布団を跳ね除け半身を起き上がらせる。

 

 外から明かりが差しこんでいる。眩しい、と余計感じるのは、頭上で煌々と照らす人工のライトによる照明が原因だった。部屋に居る時はほぼつけっ放しの明かりを消し、カーテンを開いて窓を開ければ、朝方特有の程良く冷えた新鮮な空気が肺を満たし、遠くから聞こえる潮の音と香りが新鮮味を加速させる。

 

 うん、と背伸びをすれば、最悪だった寝起き直後の機嫌も直る。

 数分前までの悪夢も、もう思い出せない。昔の記憶なのだろうか、と近頃心当たりのない出来事や光景を思い出すことに疑問に思うが、どうせそれも時間が全て押し流してしまうはずだ。

 

 男の一人部屋は大概整理が行われていないだとか不潔だとか言われるが、それは人の性格に依存するだろう。基本的に私物を多く持たず几帳面な気質のダイスケは、支給された制服は市販の脱臭剤を拭きかけハンガーに吊るし、数少ない必需品のデバイスは枕元の壁に立てかけてある、あまり生活臭が漂わないのは部屋を使い始めて間もないこともそうだが、極端に私物が少ないことも一因だろう。元々満足な生活が送れない環境下で暮していれば自然とそうなりもする。あれも欲しいこれも欲しいという満足感を得るための欲求がないので、室内にはデバイスと衣類の他は、身だしなみを整える道具くらいのものだ。例えテレビやらゲームやらを持ち込んでも遊びに興じる余裕がないという実情もあるが。

 

 身体に目覚めを促すために肩を動かしつつ、バスルームに直行。洗面台の鏡を見る。いつもは長く三つ編みにしている金髪も、就寝の時は解いて後ろに流している。髪が傷むのはまずいと考え、手入れは割りとこまめに行っている。ブラシで整えようとしたところで、まだ午前の訓練まで大分時間があることを思い出す。なら、この不快な汗の残滓を取り除くのも悪くない。

 男の湯あみに要する時間は短い。15分ほどで汗を流し終え、念入りな洗髪や身体の手入れは後回しにする。かつては風呂に入る水どころか暖かい湯さえ確保できず、一週間に一度は入れれば良いくらいだった。それを思えば、今の生活のなんと恵まれていることか。かと言って、これだけ整った設備を使わない手はないので、ここ最近は一日に三度の湯あみが密かな楽しみになってきている。娯楽が少ないとはいえ、なんだか考えが女性に近いのは男としてどうだろう、と髪を乾かしながら部屋に戻ると、通信機のランプが明滅していた。メッセージを受信したらしく、立体画面を開くと、一通のメールが届いていた。 

 

『話があるので、後で部隊長オフィスに来て下さい   フェイト』

 

 そういえば先日、話があると言っていたな。一体何だろうと思いつつ、ともあれ、あの時の話しぶりからしてそれなりに大事な要件だろう。素早く制服を手に取り、ふと、半分乾きのままで少し濡れ髪をどうするか、迷い、考えた末、止むを得ずそのまま飛び出した。

 

 

 

 

 

「……誰?」

 

 部屋へノックし返事を待ってから入室すると、怪訝な声を漏らすはやてと対面した。

 

 急いで来たはいいが、室内にフェイトの姿は見当たらない。まだ8時を過ぎて間もない頃合いだが、はやては既に身嗜みを整えデスク前で書類を眺めていた。やはり重役ともなれば頭脳労働が主となり書類整理も山積みなのだろう。しかし技術発達の目覚ましい昨今、今時アナログ頼りとは。データと違って奪われねば漏洩の危険が少ないのは長所だろうか。

 傍らに常に控えているリインフォースⅡやグリフィスの姿もなく、早く来すぎたか、とため息をつき、そのまま踵を返そうかと肩の力を抜いた。

 

「誰とはとんだ御挨拶ですね、八神総隊長」

「………………え、ちょっと待って。何コレ、ちょっとどういうこと?」

 

 何故か激しく動揺するはやてを完全に無視して、ダイスケは白い目ではやてを見つめている。

 

「どういうこともこういうことも、つまりそういうことですね」

「その言い草は間違いなくダイスケなんやけど……あらまぁ、髪型がちゃうとこうも雰囲気変わりよるんやなぁ」

 

 ほぅ、と素直に感嘆の息をつくはやて。ジロジロと不躾な目線が送られるが、不快感は無い。単純に珍しいからだろう、どこか眼が生気と興味と好奇心とその他色々で満ちている。さしものダイスケも居心地悪げに目線を逸らす。シャワーで体温が上がった素肌は赤みを帯びていて、本人はそうでなくとも端からすれば照れて赤面しているように見えないことも無い。

 

 やがてはやては何事か思いついたのか、ポン、と手を打った。

 

「そや。なぁ、ダイスケ。ちょ―――」

「嫌です」

 

 隔壁を降ろすような断言だった。

 

 開きかけた口が停止したはやては、一瞬間をおいてから、慌てて言う。

 

「や、せめて最後まで話は聞こうや?」

「その悪戯を思いついた子供みたいな笑みがなければ考えます」

「嫌やなぁ。天使みたいな純粋無垢な笑顔やろ?」

「嫌ですね。悪魔みたいな極悪非道な笑顔ですよ」

「ほほう、言うやないか。総隊長相手に朝からトバすその性分、嫌いじゃないで?」

「ええ。僕も気負うことなくお話できる八神隊長の人柄は実に好ましく思ってます」

 

 ははは、と乾いた笑い声が朝のオフィスに木霊する。

 

 直後、ダイスケは脱兎のごとく振り向き走り出す。はやては腕を動かし、机の下で何事か行うと、扉の上からシャッターが降りてきた。どんな構造だ。

 更に魔法陣が浮かび上がり、完全に外との行き来がシャットアウトされる。何だこの無駄な高性能。

 

 くっ、と歯噛みすると、肩を軽く叩かれる。見なくても分かる。瞬間移動でもしたのか、かつて無いほど爽やかな笑みを携え、はやては諭すような優しい口調で言った。

 

「覚悟はええか?」

 

 答えは聞いてなかった。

 

 

 

 

 

 陽が程良い位置について人々の活気を後押ししている頃、一人の女性が六課を訪れていた。

 

 青い長髪の女性、ギンガ・ナカジマは、妹よりも公的立場に身を置く時間が長かったこともあってか、元の性分も手伝って礼儀作法に厳しく、上下関係には徹底していた。管理局は年功序列ではなく実力主義が伝統だが、もし仮に目上の人間が年下であろうと愚直なまでに忠実な部下に徹することも厭わない。逆に言えば、年上だろうと上司だろうと、間違いと判断すれば慇懃な態度を崩さず進言し、諌めの言葉を口にするだけの意志の強さもあった。良く言えば素直でストレートな人間性を、悪く言えば人の悪しき有り様を断じて許容できない愚直さを持っている。

 

 陸士108部隊から機動六課へ出向する形となったギンガは、途中ですれ違ったフォワードメンバーと軽く挨拶を交わし、総隊長である八神はやての居るオフィスへ向かっていた。

 

 今日からここで世話になるのだ。先輩方への挨拶回りは欠かせない。

 

 異動に関して、特にギンガは異論を唱えなかった。レリック捜査のための、密輸物ルートの調査依頼を受け取ったゲンヤ・ナカジマ三佐が、六課に対し捜査の全面的な協力を受諾し、ギンガの派遣を受理したというのもあるが、知人友人の多い六課への一時的な移転を、ギンガはむしろ心待ちにしていた。あくまでギンガは外来のメンバーであるので、正規のメンバーとは少々扱いが異なるものの、他の組織に比べ仲間内での団結する力に重きを置く六課では些末事だった。

 

 傍らを飛翔するリインフォースⅡの案内に従い、一路はやての元へ足を動かすギンガ。案内をやんわりと断り、真っ直ぐに隊長オフィスへ向かう。

 

「それじゃあ、施設の案内はしなくて良いのですか?」

「お心遣い痛み入ります。ですがご心配無く。土地勘はある方ですし、六課の職員の人たちは皆、親切な方ばかりですもの。いざとなればどうにでもなります」

「他所よりもどこか和気藹々とした雰囲気がするので、まだできて間もないからというのもあるかもです」

「そうですね。けど、活気に溢れているのは良いことだと思います」

 

 事実、資金や物資、戦力の問題に苛まれる陸上警備隊は、負荷を背負い茨の道を歩み続けた結果、表面上の功績や頂点に立つ人物の英雄度とは裏腹に、内部は生存競争の激しい独自の環境が生まれていた。全ての部署がそうだと決めつけるわけではないが、本局との対立もあって、若干空気が堅く張り詰めている感は否めない。若い者は過剰労働と分不相応な激務という辛苦を味わい、上は数少ない戦力で治安維持を務め、なおかつ本局との摩擦による金銭問題も人員不足も自力で乗り越え、かろうじて形成して来たクラナガンの守護者の地位を保たねばならない。若輩であるギンガも多忙な身ではあるが、何事にも例外はつきものだ。個人的な交友があるはやてとゲンヤの関係を考えれば、答えは自然と導き出されるであろうが。

 

 自分のいた場所は決して悪いところではなかったが、思わず、良い場所だ、とギンガがなんとはなしに思うほどには、機動六課は心安らぐ環境だった。

 

「何か質問などがあったら、今のうちに答えるですよー」

「質問、ですか……」

 

 考え込む。真っ先に思い浮かぶのは、自分の妹のこと、そして、妹の周囲に関することだ。職務を全うするにあたって必要な知識は事前にあらかた入手済みだ。さしあたっての問題は、スケジュール内容に関してがほとんどで、それははやてとの対談が済んでからでも遅くはない。ならば懸念すべき事柄を今の段階で解消しておきべきではなかろうか。私情が混ざっている? そんなことはない。多分。

 

 迷いは数瞬。ひとまずギンガは直接的な質問は避け、遠まわし気味に問うた。

 

「近頃、妹の様子はどうですか?」

「妹さんというと、スバル二等陸士のことですか? フォワード陣の中では特に頑張っている様子が窺えますですよー」

 

 そういうことが聞きたいわけではないのだが、特別妹の態度に変化は見られないらしい。

 しかし先日の様子が気になる。

 

 直接切りこむか。ギンガは決断を下した。

 

「そういえば、最後に入った子に関してよく知らないのですけど、どうです?」

「えっと、最後に入ったというと、ダイスケですね?」

「はい。そう窺っておりますが、優秀な魔導師なのですか?」

「うーん、確かに腕は立つですけど……」

 

 言葉を濁すリインの様子に眉を潜めたギンガは、思い切って問いただしてみた。

 

 するとどうだろう、やれリインに反抗的だわ、やれヴィータにタメ口をきいてるだわ、やれはやてと夫婦漫才みたいなことを繰り広げているだわ、少々耳を疑うような話がホイホイ出てくるではないか。

 素行不良、という言葉が浮かぶが、それとは少し違う気がする。

 

 ともあれ、問題が目立つ『男』なのは間違いあるまい。

 

「でも結構面倒見がいいみたいで、エリオ三等陸士やキャロ三等陸士の世話を焼いたり、ティアナ二等陸士と作戦行動のプランを相談したりとか……」

 

 どこか楽しげに語るリインの言葉も届かず、ギンガは腕組みして思案する。六課に入隊できるならば、腕前は確かなことは疑いようもない。けれども、内面の問題は書類では判別できまい。しかし正確に難が見られる男を何故捨て置くのか。疑問はますます深まるばかりである。

 

 やはり、自分の眼で見極めねばならない。

 必要ならば、自分の拳をもって。

 

 

 

 

 

 ギンガが熱血気味な決意を新たにしている頃。

 

「うはははは! ほ、ほんま似合っとるなぁこらまた予想外けど予想通りやわぁははは!」

「よくもまぁ、こんな服をとっておいたものですね……」

 

 心底呆れた風に大きな溜め息を隠しもせず、ダイスケは自分の姿を再確認する。化粧用に持ち込んだ鏡を見れば、いつもと違う自分が映っている。困惑しているのだろう、はやては心底愉快だと言わんばかりに腹を抱えて笑った。

 

 子供であることを加味しても中性的な顔立ち、力強さは同年代以上だがそれを予想させない細身の身体。姿形を整えれば、西洋人形もかくやという出で立ちの少女が完成するだろう。否、事実はやての前にいるのは一人の可憐な少女だった。普段三つ編みにしている長い金髪は頭の両側頭部で纏められ、黒いリボンを経由して下へ垂れている。衣服も黒いジャケットは剥ぎ取られ、裾にフリルがあしらわれたスカイブルーのポロワンピースを着ている。靴ばかりはいつもと変わりない運動用のスニーカーだが、足元より上の嫌でも人目を惹くに値する格好と容姿の前では些細なことだった。

 

 こうして見ると、どことなくフェイトに似ている気がする。はやては漠然とそう思った。

 

 以前フェイトが着ていた衣装だが、細身の体格ということもあって、ダイスケの身体に見事合致した。素晴らしい逸材だ、将来は期待できそうだ。何にだと言われても答えは知らん。

 しかし、違和感が無さ過ぎて逆に面白くない気がするのは何故だろう。ここで羞恥に頬を染めてくれたら更に面白かったのだが、本人はどうでもよさげに突っ立っている。気に入ったのか興味が無いのか。いずれにせよ、何か普段とは違うリアクションを期待していたはやてはがっかりしたように肩を落とした。欲望というか駆られる衝動に素直な少女である。

 

「しかしええなー、やっぱ素材ええと完成度も高いわぁー。なぁなぁ、なんかフェイトちゃんっぽく言ってみてくれへん?」

「チェケラ」

「そんな台詞間違ごうても言わんわっ!」

 

 しかも無表情に言いおった。

 

「しかし外見そこまで似とらんのになんでかフェイトちゃん彷彿とさせるなぁ。やっぱ金髪だからか? ほんならちょっと外出歩いて他の職員に聞いてみよか?」

「みよか、じゃないですよ。何考えてるんですか貴女。まさか何も考えてないとか言わないですよね?」

「そんなことあらへんよ。……あ、女装だとバレてゲラ馬鹿にされる姿見たいとか考えておらんよ? おらんからな?」

「そうなった場合……果たして俺の真摯な発言と八神隊長の言い分、どちらが信憑性が高いでしょうかね」

「すいませんやっぱここにいて下さい」

 

 自分でも情けないくらいの低姿勢だった。

 

「もう満足したでしょう? 着替えてもいいですよね?」

「えー勿体無いなぁ。もうちょっとその格好でいてくれたってええやん。減るもんなんてあらへんやろ」

「俺のSAN値が大いに減りますが……こんな格好を他人に見られたら色々終わりますよ普通」

「けどそこまで嫌そうにしとらんっちゅうことは満更でもないんやろ? どや、せっかくやし、その可愛らしい姿を後世に残すため写真撮影なんぞを」

「申し訳ないですが親友の服を大事に保管しているような変態の要望はNG」

「なんでやぁっ!」

 

 なんでもクソもなかった。

 

 と、扉がノックされる音が室内に響き渡った。続いて、「はやてちゃん、お客様をお連れしたです」と高い声が扉越しに聞こえた。客人の出迎えに出していたリインが戻って来たのだ。恐らくは、はやての予想通りの人物を傍らに連れて。我に返ったはやては肩を大きく振るわせるも、すぐに落ち着きを取り戻す。が、ここで問題が浮上した。目線を動かすと、硬直しているダイスケと視線が合致した。思考はこの時、間違いなく通じあっただろう。

 

((こいつを犠牲にして時間を稼ぐか……?))

 

 はやてとしては、この少年をそのまま衆人環視に晒して後で笑いの種にするのも大変宜しいと頭のおかしなことを考えていたりするのだが、時と場所がまずかった。ギンガとは知り合い関係ではあるが、なのはやフェイトほど深い交流があるわけでもない。赤の他人以上親友以下といった間柄だ。冗談が通じる相手ではないだろうし、彼女から『八神はやては部下を女装して愉しむ残念な人だ』というレッテルを貼られたら明日からどういう顔をして接すればいいというか死ぬしかない。ダイスケは言うまでもない。初対面の相手に女装癖があると勘違いされたら彼とて人生終了に王手がかかりそうだ。

 

 ならばここはお互い協力し、先程までのお着替えイベントを隠蔽するしかあるまい。

 

 すぐさま扉を塞ぐべくダッシュをかけようとし……ドアノブが傾いたことで中止せざるを得なかった。

 タックルをかますわけにもいかない。後に言及された時、なんと言い訳すればいいのだろうか。NFLを目指し特訓をしていましたハハハと言ったらそれこそ変人コースへダイブする羽目になるというかそんなパワー系と思われたくない。

 

 ならば、と踵を返し、はやては散らかった衣服を拾い上げる。狙うは観葉植物の陰だ。拾いながら服を丸めこみ、鉢の裏側に向かって放り投げる。本棚との隙間にすっぽり入り込むのを確認し、ダイスケはと見れば、入口から死角になる位置に身体を丸めて滑り込ませていた。確かに入室者には見えないが、振り返ったら一目瞭然ではなかろうか。

 しかし背に腹は代えられまい。既にドアノブは完全に下ろされ、扉は開きかかっている。一瞬で表情を改め、にこやかな笑みを浮かべ、来客の登場を出迎えた。

 

「はやてちゃん、ギンガさんが来ましたですよー」

「さよか」

「……?」

 

 若干堅いはやての表情に違和感を抱いたのか、ギンガが小首を傾げている。平静を装ったつもりだが、必要以上に堅くなりすぎたか。

 

 全身の力を抜き、意識をギンガたちに向ける。二人を挟んで反対側、壁のすぐ傍で息を潜めるダイスケ。さすがに元犯罪者、気配を殺す技術はなかなかのもので、リインもギンガも斜め後方に居る少年の存在に気づいていない。

 

「まぁはるばるよく来てくれはったな。ゆっくりしたってなぁ」

 

 人の良さげな笑みを浮かべ、左手をあげる。

 

 それが合図となった。

 

 すぅ、と静かに立ち上がったダイスケは、二人に気づかれぬよう、抜き足差し足で扉へと近づく。見事と言わざるを得ない無音の流動にはやても内心舌を巻く。こんなところで無駄に活用するのはどうかと思うが。

 

 扉までもう少し。ドアの開閉音さえなんとかすればなるだろう。

 

 しかしそう都合良くはいかなかった。

 

 物音はせずとも、空気の流れでも感じ取ったのか、こめかみをピクリと動かしたギンガの表情が強張った。ついでにはやても。

 何事、とリインが横を振り向くよりも早く、背後で蠢く気配を敏感に察知したギンガは、前振りもなく攻撃態勢に入った。

 

「曲者っ!」

 

 古典的な台詞と共に後ろへ跳び、振り向きざまの回し蹴りを放つ。

 

 風を切る音が聞こえ、眼を剥いたダイスケは慌ててバックステップで回避する……が、狭い部屋で、しかも壁の傍とあらば、満足な距離もとれない。回転の勢いを殺さず反転したギンガは構えを取りながら、拳を抜き放とうとしたところで、ようやく止まった。

 

 背中側からでは見えないが、恐る恐る見上げるダイスケの眼には、至近距離で睨むギンガの顔が映っていることだろう。何故こんな行動に出たのか知る由はないが、彼女の琴線を刺激する何かがあったのか。

 

 事態がどう左右するのか、固唾をのんで見守っていると、

 

「…………か、」

 

 何事か呟いたギンガの声に、はやてとリインは耳を傾ける。

 

 

 

 

「可愛いーっ!!」

 

 

 

 

 はやては頭をデスクに打ちつけた。

 

 全力で飛びつき抱き上げるギンガ。初対面の人間に突然抱き上げられ混乱するダイスケ。そして「???」と首を傾げまくっているリイン。額を押さえて俯くはやて。

 

 カオスな状況とはまさにこれのことか。

 

「何この子すっごく可愛いーしかもフェイトさんみたい! はやてさんこんな子いつ誘拐してきたんですか!?」

「誘拐やのうて勧誘やな」

 

 いや、実際ヴィータが引き摺って来たからあってるのかも……などと考え、頬擦りされて辟易としている少年と目線が合致した。あれは誰がどう見ても助けを求めている目だ。事の発端ははやてのせいでもあるし、流石に捨て置くのは可哀そうだ。

 

「あー」と気まずげな声を出したはやては、「その子が最後の新入り、ダイスケ・ヒズミや」

 

 指摘に、歓喜に満ちていたギンガの身動きが止まる。「男……?」と疑問符を浮かべるギンガに、はやては大きく頷いた。信じられない物を見たかのように驚いた様子のギンガは、腕の中でもがき苦しむ金髪の少女、もとい少年を見る。

 

「な、なんですか……?」

 

 ともすれば泣きだす寸前のような不安げな表情。人を疑うことを知らない年頃の少年特有の瞳の輝き。乱暴さとは縁遠い細身の肢体。それら全てを考慮したのか、ギンガは一度少年を抱く腕から放す。

 

 ポン、と肩を軽く叩き、ギンガは言った。

 

「可愛いから許すっ!」

 

 天使を彷彿とさせる極上の笑みに誰もが思った。ああ、この人も変人なんだなぁ、と。

 

 再度抱き締められるダイスケを視界に入れないようにして、はやてはため息をついた。あの二人の間に仲裁するだけの度胸は無いのか、それともそれは自分の仕事でないと判断したのか、リインが虚空を漂いこちらに流れてきた。

 

「はやてちゃん、一体何をしていたんですか……」

「いやなぁ、これにはマリアナ海溝より深くウチの家系問題並みに込み入った事情があるかもしれない気配が漂わないような気がすると断言できないわけで」

「要するにはやてちゃんが全部悪いんですね」

 

 九年来の相棒はジト目で言いたいことを看破した。この妖精、幼いくせに言いよるわ……と現実逃避の感想を抱いていると、扉が唐突にノックされた。脊髄反射の勢いで居住まいを正したはやては、「はい!」と大きく返事をしてしまったところで、氷結した。いつもの調子で返答してしまったことを悔いるはやてと咎める目つきを向けるリインとは無縁の世界から、扉を開けた人物が顔を覗かせる。

 

 長い金髪が見えた。

 

 あ、面倒な展開の予感。一瞬で今後の事態を予測したはやては、どうにでもなれとばかりに思考を放棄した。

 

「ごめんなさい! ちょっとエリオたちと話し込んでしまって、て……」

 

 語尾が小さくなっていく。

 

 入室のために扉を開けたまま、足を踏み込んだところで時間が凍結するフェイト。揉みくちゃにされるダイスケとこの上ない喜びを感じていたギンガの身動きが止まる。それを遠巻きに眺めていたはやては、あれ、この状況どう説明すればええんかな、と考えた。

 

 第三者には理解に苦しむ状況だろう。

 

 が、被害者の少年は天からの救いと見紛うのもむべなるかな。六課では比較的常識人に近い存在を発見し、いいところに来てくれた、と一縷の救いを見出したダイスケは、咄嗟に手を伸ばした。

 

「た、助けて下さいっ」

 

 呆然と佇むフェイトに思わず助けを求める。

 

 しかしそれがいけなかった。

 

「…………あ、」

 

 声にもならないような呟きが漏れる。俯き加減にフェイトは肩を震わせ、何か嫌な予感を直感で察したらしいダイスケは、新たに背を流れる冷や汗を止める術を持たなかった。

 

 が、はやては違う意味で汗を流していた。今のダイスケの姿は、聞き及ぶ限りのフェイトの姉・アリシアを彷彿とさせる恰好だ。瞳の色も服装も、髪のリボンも何一つ類似点は無いが、今の彼からはどこかはやての親友と似た雰囲気を漂わせている。

 

 フェイトを刺激してしまわないだろうか。下手をすれば、彼女のトラウマを大いに刺激する羽目に―――

 

 

 

 

「アリシアみたいーっ!!」

 

 

 

 

 はやては椅子から転げ落ちた。

 

 轟、と残像が生じる速度でギンガに肉薄したフェイトは光の速度でダイスケを奪い取って力いっぱい抱擁した。十年で随分とふくよかな体型に育った彼女の豊満な乳房に埋もれるダイスケの頭。年頃の男児ならば赤面して悦ぶところかもしれないが、息苦しげな様子とフェイトの異様なオーラにはやてとリインは少年に揃って合掌する。

 

 というか、私の心配は何だったの? はやてはもう何も言えなかった。

 

 一方、腕の中から大事なものを奪い取られたギンガは黙っちゃおけねぇとばかりに叫んだ。

 

「ちょっとフェイトさん! その子私が見つけたんですよ盗らないで下さい!」

「何言ってるの! 私が先に目をつけたんだから私のですーっ!」

 

 お互いが腕を掴んで放さない。この状態は耐えかねるのか、ダイスケは苦悶の表情を作る。両側から凄まじい力で引っ張られれば誰も悲鳴を上げたくなる。

 

 このままだと大岡裂きに発展しかねない。

 

 いい加減助けてあげよう。見かねたはやては助け船を出すことにした。

 

「そういえばフェイトちゃん、何か用事があったんとちゃうか?」

 

 ハッ、と我に返ったフェイトは一瞬で手を放す。突然拮抗していた力がなくなり、ギンガがバランスを崩す。後ろに倒れ込もうとする彼女に引き摺られる形でダイスケは転びかけたが、人外の速度で手を伸ばしたフェイトに回収される。ソニックフォームもお役御免なスピードであった。

 

「そうだそうだ思い出したんだよダイスケ!」

 

 ガシッ、と力強く肩を掴むフェイト。指が肩に大きくめり込んでいる。万力もかくやという握力であった。蕩けたような先程の彼女の表情とは打って変わって、ずっと真剣なものだったが、

 

「ウチの子にならない!?」

 

 鼻息荒く言ってのけるフェイトの言動は、どこまでも不審者のそれでしかなかった。

 

 

 

 

 

     ●   ●   ●

 

 

 

 

 

『―――おおまかではありますが、今後の予定をそちらへ転送しました。アインヘルヤルの製造段階も佳境を迎え、準備も整ってきています』

 

 薄暗い部屋に浮かぶ立体映像の中で薄く微笑む女性の顔は、端的に述べるとあまり目立たない風貌だった。艶のあるセミロングのブロンドは陽の光を受けて柔らかな光を放ち、吊り眼の双眸は今は弓を描き、一筋走る薄桃色のルージュは色気よりも健康的な面を強調している。

 しかし、一般的な女性よりも醜悪で歪んだ眼光を放つ瞳の奥底には、得体の知れない不気味な感情を他者に与える何かが蠢いており、さながら欲望の二文字を知らぬ奈落の沼を彷彿とさせる。魔貌とはまさにこのことか。

 

「そうか。ご苦労だったね。引き続き調査を頼むよ、近いうちに何か動きがあるだろうからね」

 

 言葉を受け取ったのは、背の高い男性だった。濃紺の髪を頂く男性の眼は金色。人の感性を直接揺るがす笑みを携え、鷹揚に頷いた。藍色のスーツの上から無地白色の白衣を着込み、左右に展開されたディスプレイに目を通す。公にはされない地上本部の金銭事情、局員の配置、重役の個人情報などが羅列してある。差ほど気に留めた様子も無く情報を提示する女性も大概だが、目にして御苦労の一言で泰然と流す男も落ち着きぶりは同程度だった。

 

 その身は決して鍛え上げたものでもなく、日陰の下で育った華奢とも言える体躯の男は、言い様のない雰囲気を漂わせる。強いて一言で判ずるならば、この男―――ジェイル・スカリエッティほど、『正体不明』の言葉を授かるに相応しい存在はいないだろう。

 

『六課に関しては前回とほぼ相違ありません。新たな報告に関しても、一週間後に控えた警護任務くらいでしょうか』

「ホテル・アグスタだったかな。あそこはもののついでみたいなものだから、今回は別段重視してないけれども、まぁ折角だ。手が空いている者でどうにかよう」

『以前、新たな実験サンプルを入手したと窺っておりますが、そちらの具合は如何ですか?』

「あれはじゃじゃ馬すぎて手に負えないよ。今もどこかで勝手気ままに遊んでいるだろうさ」

 

 苦笑。まったく困った様子も見えないスカリエッティに、女性も苦笑を返した。

 

『ともあれ、ドクターもご健勝で何よりです。前回はデータの送信だけでしたので、モニター越しにでもお会いできて幸いです』

「ナンバーズも数が増えたよ。今じゃ君も知らない子達の方が多いかもね」

『そうですか。では直接会える日を首を長くして待っております』

 

 では、と言い残し、通信を終えた。

 

 後に残るのは、空調の効いた閉ざされた空間の中で響き渡る機械の音と、それに呼応する水の音。そして、遠くから近づいてくる、床を打つ硬い音だ。

 

「ドクター」

 

 闇の中で機を窺っていた長髪の女性が、静かな足取りで歩み寄る。波打つ薄紫の髪、スカリエッティと似た金の輝きを放つ眼を持った女性・ウーノは、息を吐きつつ傍に立った。

 

「おやウーノ、私の頼んだ案件はもう終わったのかい?」

「さして苦労せずに。……しかし宜しいのですか? このまま捨て置いても」

 

 窺うようにウーノは問うた。不安材料を徹底して排し、全てを完璧に近づける。スカリエッティの理解者であり側近でもあるウーノは、科学者気質ゆえに作戦指揮や情報戦を『多少』苦手とするスカリエッティに代わる同胞たちの司令塔だ。いつ何時でも己の主人を優先する彼女だからこそ、懸念事項に必要以上の心配を抱いていた。不確定な要素は極力手放したいところであるが、スカリエッティの意向に逆らうほど彼女は愚かでは無かった。

 

 ただ進言だけはしておくウーノに、対してスカリエッティはやはりというべきか、差ほど案じた様子もなく、

 

「いいさ。何事も完璧というのは恐ろしい。幾らか不確定要素があった方が後々修正も容易だ。それに……」

「それに?」とオウム返しするウーノ。

「人生に刺激は必要不可欠だ。予定調和など面白くない……そう思わないか?」

 

 穢れを知らぬ無邪気な子供とも、酸いも甘いも噛み分けた老人ともとれる笑みを浮かべ、スカリエッティは喉を鳴らして笑う。

 

 欲望に忠実。スカリエッティの行動理念は、突きつめればそれに尽きた。何事も己の興味が赴き先にしか向かず、他者が目をくれようと自分が関心を抱かなければ路傍の石に等しい。言ってしまえば興味のベクトルが自分の感情が揺り動く方向しか指し示さず、それ以外は一切無視する。複雑なようでいて、スカリエッティの行動は割と単純だ。

 近年彼が数々の作品を完成させ、数多の世界で名を轟かせるのは、それが必要なプロセスだからだ。一見無目的に見えても、彼の行動にはある種一貫性がある。それが管理局に伝わっているか定かではないが、結局、目的がバレていようがいまいが、為すべきことは如何様にしても必ず成し遂げるのが彼の生き様であった。

 

 これまで幾度もウーノにしてみれば不可解な行動をとったスカリエッティは、

 

「仔細は無いよ。単純に興味があったからさ」

 

 これと言って理由もなく、ただこの一言だけで、全ての言及を流すのだ。事実それ以上の理由は存在しないのだから、彼としてはこう答えるしかないものの、気が向いたからというのと同じレベルの発言に周囲が頭を痛めることは一度や二度の騒ぎではないのは明白だった。

 

 溜息をつかれ、ウーノはその話題を一度置いておくことに。

 

「あと、これは別件ですが、例の子が……」

「うん? プレジェクトFの残滓かい?」

「いえ、そちらではなく」

「ああ。確か六課に新しい子が入ったとかなんとか」

 

 まったく興味を抱かなかった風に言う。記憶の奥底から引き摺りだした情報を頭に思い描きつつ、再度映し出された少年の姿に目を向ける。が、すぐに他へと関心を抱き、目は図屋グラフの描かれた他のウインドウに移ってしまう。

 ウーノも、少し前までは目を引く要素も無い有象無象の一つを判断していた。確かに、デバイス強奪事件の張本人である確率は大いに高く、戦闘能力もなかなか侮れない。が、それだけだ。六課には他に直視せねばならない存在が多数おり、Sランクを超える隊長やベルカの騎士である副隊長の存在が大きい。今更B程度の低ランク魔導師もどきが入ったところでどうだと言うのか。

 

 しかし、その辺りの事情も、ほんの五分前までのことだった。

 

「ええ。しかし一つ、気になることが……」

 

 スカリエッティの反応を見てから、ウーノは気になった点を口にする。すると今まで視線だけしか向けていなかったスカリエッティは、初めて興味を持ったのか、身体ごとディスプレイに向き直ると、表面に触れ、何事かを調べ始める。「ドクター?」と問うても、反応が無い。熱中すると周囲が見えなくなる。主たる男の数少ない欠点だった。

 

 ややあって、唐突に指の動きが止まる。

 

「確かに……ウーノの言う通りのようだね」

「さしたる問題と言うわけでもありませんが、如何なさいますか」

 

 問われ、ふむ、と頷きを返す。

 

「別段、どうもしないよ。ただ、もし機会があれば……」

 

 彼と話してみたいね。

 

 獰猛な爬虫類のような笑みを浮かべ、さも愉快気な笑い声を響かせる。

 

 

 

 

 

 とりあえず逃げてきた。

 

 六課を飛び出してから延々と走ること十数分。ここまで追って来るまい、とようやく息をつき、額の汗をぬぐった。追いかけようとする瞬間の二人の表情を思い出し、身震いしつつ四方を確認。気配を感じず、足の動くペースを落とす。

 

 逃亡に使用した方法は簡単で、フェイトとギンガが口論している隙に、腕の関節を外してフェイトの拘束から逃れると、窓へ向かって一気に直進。体勢を整えつつ関節を戻し、窓を蹴破って脱出した。当然約二名ほど追尾に身を乗り出すどころかセットアップを図る人物がいたが、すかさずはやてが待ったをかけて説教を未だに続けているのはダイスケには知りようの無い話であった。半ば徒労になりつつも、ようやく足が自然とスピードを落とせるくらいに心の余裕が舞い戻って来たのであった。

 

 久方ぶりに恐怖を味わった。最早覚えていないが、今朝方見た夢よりも遥かに恐ろしかった気がする。

 

「大体、『ウチの子にならない!?』ってなんだよ……」

 

 しかも嫌に目が輝いていた。いや、あれはただの脳の病気かもしれないが、もしかして先日話があると言っていたことがそれなのか。もし万が一、自分の与り知らぬところで話が完結していたらと思うと違う意味で背筋が粟立つ。明日からフェイトを母とでも呼べばいいというのか。もしそれを強いられた場合は迷うことなく廃棄都市へユーターンしているかもしれない、と割と真剣に考え始め、ふと自分がどこを歩いているか、ようやく認識した。

 

 広い公園だった。銀色のコンクリートジャングルが広域にわたって展開されるクラナガンでは数少ない、緑生い茂る自然公園だった。草木の香りが漂い、まだ肌を温める日差しが心地良い今の時期ならば、整えられた芝生の上は最上の敷布団にもなろう。平日昼間ということで、人数は少ないが、皆無ということもなく、午後のひと時を満喫する子連れの母親の姿が散見され、見回りと思しき局員の姿も遠くに窺えた。

 ミッドは近年、大規模な犯罪が激減した影響もあって、治安も大分安定してきている。なんだかんだで管理局の影響力は多大であり、人々の安心と笑顔を維持している地上本部の力は偉大である。さんざん自分らを脅かしてきた管理局の『陸』は、一応味方となれば幾分心強く感じる。それが錯覚と思いつつも、こうして敵に怯えず昼間から大手を広げて街中を闊歩できるのは、やはり素晴らしいことなのだなと再認識する。

 

 どこもかしこも家族連ればかり。もう少し静かに座れる場所はないものかと探して歩くと、空いているベンチがあった。ただし、隅の方に青年が一人、腰かけている。見覚えのある制服は、陸上本部所属を指すものだ。一瞬警戒心を露わにするも、よく考えれば今は怯える必要のない立場であるので、身構えることはない。しかしこんな時間から一体何をしているのだろうか。見回り途中とは見えないが……。

 

 他に場所はない。仕方なく、そこへ座ることにした。

 

「隣、よろしいですか?」

 

 顔を上げた青年は、まだ入って間もないのか、制服からは糊の効いた真新しい布地が見え、少し服に着られている感が漂う。驚くその表情も若々しい。新人、という言葉が浮かび、自分のような子供が同じ管理局員だと思わないだろうな、と苦笑する。

 

 声の主が年端もいかない子供と分かり、青年は「あ、ああ……」と慌てて返答する。僅かに距離をとって腰かけ、気分転換に話しかけてみた。

 

「陸上警備隊の人、ですよね?」

「ああ、そうだが……」

 

 分かるのかい? と言いたげな目線に、小さく首肯する。管理局は、他の次元世界で言うところの警察機構や行政機関そのものだ。法を敷く存在は子供の中でも常識に等しい。疑った様子もなく、青年は、そうか、と納得の息を吐いた。

 

「この辺じゃ、あまり見かけない顔だな。家族とお出かけかい?」

 

 何気ない問い。ダイスケは少し迷ってから、素直に「ええ。観光、みたいなものです」と答える。驚いたように目を丸くし、青年は心持ち頬を緩めた。

 

「熱心なお嬢さんだ。こんなところ、別に見るものなんてないだろうにな」

「いえ。次元世界は多く広いのですから、見るだけでも十分新鮮です」

「へぇ、わざわざ遠くから来たのかい」

 

 鳥たちのさえずる声に背を向け、青年は感嘆の息を吐く。疲労の色濃い青年の容貌は、どこか達観しているように見えた。まだ立ち上がらない様子を見て、時間はあるみたいだと踏んだダイスケは、もう少し、話してみることにした。

 

「ずっと、この街に住んでいるのですか?」

「ああ。生まれも育ちもこのクラナガンさ。親父もお袋も、その先祖も、ずっとこのミッドチルダで生きて死んだ。誰ひとり戦死なんてせず、天寿を全うして布団の上で安らかだった。管理局に所属してると、戦で命を落とす魔道師なんてそれなりにいるが……」

 

 言ってから、子供に聞かすような話ではないと思い至った青年は、悪い、と謝罪する。首を振って否定したダイスケは、先を促すように頷いた。

 

「ここも随分変わったよ。昔は過労死寸前まで働かされて、安い給料でこき使われて、犯罪者が暴れていると高くない魔道師ランクの奴まで駆り出されて、結局若い奴は辞めていく。レジアス中将が上に就いてからは随分楽になったとは聞いていたが、親父から暗黒期を聞かされ続けた俺みたいな若造は、昔に比べたら、なんて思っていても、結局辛い職場で毎日訓練して、深夜まで働いて朝早くから働くの繰り返し。もっと才能があれば、なんて無いモノ強請りをするほど子供じゃないが、」

 

 遠く、公園の外に並び立つ高層ビルの壁面、そこに取り付けられた大型モニターに視線を向ける。茶髪の女性と、金髪の女性。どこかで見た顔がインタビューを受けている。まるでアイドルのような扱いに、青年は見惚れるような眼でもなく、ただ羨望の視線を向けた。

 

「空を飛べる力があれば、なんて思う時もある。そりゃ、あの人たちだって苦労続きの毎日なのは俺でも分かる。けど、地べたに這いつくばって毎日走り続けて、それでも称賛の一つさえ得られないような人生ってのは、なかなか身に堪えるよ」

「レジアス中将は、それをご存知なのでは?」

「分かってても変えようのないものってのは、世の中には幾らでもある。現にホラ、近頃有名な違法住人とかだってそうだ。彼らもきっと、好きであんな生活を強いられてるわけじゃないのに、人からは好かれず、汚いモノを見る目を向けられてる。そういった人の意識は、簡単に変えられないだろ」

 

 意志は正しくとも、それはマクロの中のミクロ。遥か以前に敷かれたレールから大きく外れることはできない。「……なんだか、難しい話ですね」と呟く声に、苦笑が答えた。「頭の良い子だな」と青年は言い、大きく頷く。

 

「まぁ、仕方ないさ。そいつにはそいつの生き方がある、ってことだ。人間、どんなに頑張っても無理なことなんざ腐るほどあるんだ、いちいち嘆いていたら何も始まらないって。ま、正義の味方なんて性に合わないことしてるけど、お嬢さんみたいな子を守るのが使命なんだって思えば、ちっとはやる気も出てくるってもんだ」

 

 だから応援よろしくな、と片目を閉じてウインクする。ベンチに背を預け気だるげに話す様は、子供目にも正義の使者然としているかどうかいまいち納得し難い姿ではあるが、傍目にも慣れていない仕草に苦笑が誘われた。

 

「正義、か……」

 

 なんと小綺麗で気高い言葉で、しかしなんと安っぽく聞こえる言葉か。

 

 絵本の中の正義の使者ならば、人と人とを区別することもせず、人が安心して眠る毎日を約束し、笑顔を決して絶やさぬ街を築き上げだろう。それが理想と判じ、現実を直視せざるを得なくなったのは、結局誰もが先へ進む歩みを止めてしまったからだろう。

 

 人々が手にして当たり前の生活を守る存在が、守られるべき人をおざなりにし、助ける人を区別する。かつて子供が憧れた正義の味方とやらは、どうやら絵に描いたお題目程度の存在らしい。理想の中で威風堂々肩で風を切る守護者の姿は、現実では大いに劣化を遂げた姿と似ても似つかない。人の命は平等と謳いながら、結局人の下に人を置く管理局の矛盾。現実はこうも歪んでいる。それがまかり通ってはいけないと、誰もが分かっているはずなのに。

 見て見ぬふりをする大人と、それを見て成長する子供。延々と繰り返され、腐敗が世界の果てまで蔓延する。誰もが手にするべき幸せを踏みにじる存在を看過できない。そう思ったからこそ、少年は一人戦い続けた。犯罪者の烙印を押されても、のさばる悪を見逃せず、踏み潰される花のような小さき命一つさえ守りたいと願ったから。

 

 何が間違いなのだろう。

 何が正しいのだろう。

 

「けど」ぽつりと呟く。「今まであった辛い歴史や不動とされたレールを乗り越えて、今の管理局の姿があるんです。きっと、ちょっと前までには考えられなかった形が、後の未来には待ってるかもしれませんよ? 二つの力が、いずれ一つになって、新しいシステムが生まれて。やがて一つの可能性を示す……そういう夢のある話を考えるのも、素敵でしょう?」

 

 生きてさえいれば、可能性は無限にある。そこから何を選んで、何を感じていくか。それが人生の醍醐味というやつだろう。後々後悔する羽目になるかもしれない。けれど、人は正しい選択をしたと真に思えるのは、振り返ってみた時に、間違いなんかじゃなかったと心の底から喜びの念を抱き締めた瞬間だけだろう。

 

 生きている。

 それだけで、十分だろう。

 

 死ねば全て終わってしまう。

 だから、今は、頑張って生きてみたらいいと思う。

 

 全ての人が変われるかは分からないけれど、希望を持って生きられるなら、或いは……。

 

 では、と短く礼をして、その場を後にする。青年がどんな顔をしているか少し気になったが、振り向くことはせず、一直線に出口へ向かう。

 

 夢、なんて言葉が自分の口から出るとは。

 

 現実ばかり見据えているくせに、たまに口を開けば理想な話。

 

 結局、自分が一番、何も分かってないのかもしれない。皮肉げに笑い、やがて沈む陽の明かりを眩しげに見つめ、小さな手を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、服をはやての部屋に置いてきてしまったので、止むを得ず真正面の玄関から堂々帰還したダイスケの姿に誰もが驚愕したのは、言うまでも無い話である。

 

 

 

 

 

 




なんだか微妙な出来になってしまいました。
戦闘が入らないと延々と変な語りばっかになってしまう気がします。

恐らく後日修正するかと思いますので、ご了承ください。


さて、次からようやく話が変わり始めます。


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第5話 死は逃れられない

ちょっと間があいてしまいましたが、続きです。

なんだか前回の話は不評だったみたいですが、どう考えても今後ああいう雰囲気にはなれないだろうと判断しましたので、無理やりねじ込んでみました。

今後は原作的にもシリアスな話や戦闘が多くなっていくと思われます。


それと、始める前に注意書きを。



※注意

今回から『なのは』とは無関係な作品のキャラがごく少数ながらも登場します。非常にマイナーな作品のキャラですので元ネタとして追加は致しませんが、後々タグを増やす予定です。単純に作者の趣味で出す人物ですので、特に深い意味はございません。ご了承ください。



 

 

 光が瞬いている。

 

 まだ星の散らばる夜も深い頃。隊舎からそう遠くない林の中で、光が踊るように跳び回っている。小川で瞬く蛍の光を連想させる小さなそれは、誘導型の魔力弾だ。恣意的な動きで空中を漂うターゲットスフィアの間を掻い潜るように滑り、鋭角を描いて機動を為す。暫くは接触することなく飛翔を続けていたが、やがて一発、また一発と、無駄の少ない機動に明らかな疲労感が漂い始めた挙句、魔力弾とスフィアが激突する。

 それでも再び動き出すスフィア。再度虚空に生じた魔力弾は、掻い潜るような軌道を描き始める。

 

 かれこれ三時間は経った頃だろうか、不意に光が消え失せ、嘆息する気配が生じる。

 

 ふぅ、と肩で息を吐いた少女・ティアナは、額ににじんだ汗を拭う。直立不動のままとはいえ、大いに集中力を必要とする訓練には心身共に多大な負荷をかける。どっと湧いて出る疲労に一身に受けながら、背中の木に体重を預ける。

 

 今日の訓練は既に終了している。日が暮れてからも一人訓練を続けていたティアナは、どこか暗雲漂う表情を浮かべる。

 上司が用意したトレーニングメニューに不満は無い。無いが、物足りなさを感じる。成長期も終盤に差し掛かった今、鍛えて大いに伸びる時期も終わりが見えてきている。現在の訓練内容は常人からすればハードなものだが、まだ若いフォワード陣の身体を壊さぬよう最低限の配慮はされている。そのため、昼に過度な特訓を行った際は、十分な休息を与えられる。今日も昼間に体力自慢のスバルさえ音を上げる辛い時間を過ごしている。ティアナとて仏頂面を保っていはいるが、内面かなり限界が近づいている。ベッドに横たわれば三秒で意識を手放すだろう。

 

 それでも彼女は落ちかける瞼を跳ね上げ、身を委ねたくなる眠気を吹き飛ばし、肩をほぐしつつ立ち上がる。

 

 強くなりたい、という欲求が、彼女を突き動かす。

 劣等感という深く強い衝動が、ティアナ・ランスターの心を加速させる。

 

 自分の腕前は自分がよく知っている。頭脳も身体能力も魔力も、全てが秀逸というわけではない。訓練校は首席で卒業した。相方ほどではないがそれなりに体力に自信はある。だが彼女に自信をつけるには多すぎる要素が壁として立ちはだかっている。士官学校も空隊も落ちた。高い魔力資質を持つ上司。才能豊かな同僚。自分の腕が大いに劣っているとは決して認めないが、資質や才能の有無で見れば、明らかに自分にはそれが欠如していると認めざるを得ない。真っ直ぐな力を持つスバルや、今後伸びているエリオとキャロ。数か月にも満たない出会いから続けてきた訓練で、お互いの力量は知り尽くしている。だからこそ、ティアナは歯噛みする。

 加え、新たに入ってきたダイスケも、同年代どころかスバルにさえ匹敵する完成された機動力を持つ。魔力値も低く、見ていて要領が良く才能があるとはお世辞にも言えない。けれども持ち前の経験から導き出されたような最善を尽くす戦い方は、ティアナが目指す先にあるものだ。それをあの年齢で身につけるには如何様な手段を用いたのか。極めつけに、自分がかつて愛用していたデバイスを巧みに操る腕の高さ。数年使い続けた相方がいとも簡単に他者に扱われる、この言い様の無い感情。嫉妬と不満と怒りを混ぜこぜになった黒い何かがこみ上げてくる。お前の努力など小さなものだと陰で嘲笑されていると後ろ向きに考えてしまう。皆が前を向いて走り続けているのに、自分だけ追いつけず俯いてしまっている。

 

 いつからだろう。こうして皆に隠れて訓練をするようになったのは。

 

 ティアナは面に出さないだけで、感受性が強く感情の起伏が大きい。今の冷静沈着な人格が形成されたのは、偏に兄の影響だと言える。

 

 正確に言えば、兄が逝去したその結末、だろうか。

 

 両親が物心つく前に死去したため、唯一の肉親だった、ティアナの兄、ティーダ・ランスター。首都航空隊に就く彼はティアナとは違い才能に恵まれたようで、努力の甲斐あってエリートコースを着々と進んでいた。親のいない環境でも真っ直ぐに育ったのか、性格も歪まず温厚で人を惹きつける存在だった。ティ-ダもまた、唯一の肉親であるティアナを愛し、親の代わりを懸命に務めた。そんな彼をティアナも親のように慕い、誇りに思っていた。

 

 しかしそんな幸せな思い出も六年前、唐突に終わりを告げた。

 

 逃走違法魔導師の追跡任務に従事し、魔導師と交戦し殉職。まだ十歳のティアナに淡々と告げた管理局員の冷めた顔を未だに思い起こせる。兄は死して任務を全うしようと試みたものの、あえなく敗北を喫し、結果は無残なものとなった。それだけならば我慢できた。兄は立派な局員であったと胸を張って言えた。死んでしまったことは悔しいけれど、最後まで真面目で強くて、優しい人だったと言えた。

 だがそれも、遺体を埋葬した直後に耳にした一言で、瓦礫のように崩れた。

 

『無能』

 

 言葉の意味を知らぬ彼女も、侮蔑を込めた上司と思しき男の表情で全てを察した。子供は他者の感情に敏感だ。大人の言動を目にし耳にし成長する。あの日の言葉が幼いティアナの心に亀裂を入れた瞬間、彼女の行く先が決定的に変わった。

 兄は死んだ。それは決して変えようのない事実。でも私は生きている。ならば生きる私が彼にできることは何? 兄の分まで生きること? 兄の分まで幸せになること? 否、断じて否。兄の汚名を晴らすまで幸福を享受することはできない。兄の屈辱を晴らすまで歩みを止めることは許されない。苦しくても辛くても、死した兄は二度と感情を得ることはできない。死者は何も思わないし何もできない。生きているからこそできることがある。きっと自分には、何かができる。そう思い、願い、支えにして、励みにして、今まで生き続けてきた。最早理不尽に涙するだけの弱い自分はいない。例えどんな困難に苛まれようと、私は絶対に膝を屈しない。

 

 だからティアナ・ランスターは、心でどれだけ泣こうと、その顔はいつも冷静であり続ける。泣いて俯いてしまえば、手を伸ばせば届くものすら見えないのだから。

 

 もう汗は引いている。火照った身体に夜の涼しい空気が染みて心地良い。

 

「……」

 

 視線を動かす。隊舎の向こう、寝静まる寮の一室に、明かりが灯っている。前々から気づいていた。新入りの少年の部屋は、夜中だろうと朝方だろうと、陽が完全に昇りきらないうちは絶対に明かりを消さない。理由は分からないが、自分がこうして訓練に汗を流している間も、彼は室内で陰に隠れて鍛えているのではと思うと、焦りが一層強く浮き出る。

 

 まだ時間はある。もう少し続けようとティアナは再び訓練に没頭する。

 

 誰にも負けられない。もっと強くなりたいと、願いながら。

 

 

 

 

 

 ティアナは知らない。決して明かりの絶えない部屋の中で、少年が何をしているのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

   第5話 死は逃れられない

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の任務が決まった。

 

 ホテル・アグスタという名の知れたホテルで行われる骨董品関係のオークション、それの警護任務だった。クラナガン南東部に位置し、周囲を森林に囲まれており、探査魔法を行使すれば、ある程度立地に恵まれていると言える。ガジェットの襲来は凡そ予想がついており、事前に戦力を配備できるのも利点だった。特に今回は、六課の全戦力をもって警備にあたる。普段共に仕事する機会のないフェイトやシグナム、後方支援が主になっていたシャマルやザフィーラも、フォワード5名と共に立つ。普段肩を並べる機会に恵まれない者も参加するこの任務は、蓋を開けてみればただの護衛と警備で、ガジェットの襲撃も予想はされるが、数は少ないだろうとのこと。ガジェット製作者・スカリエッティの目的とはほとんど接点がないイベントだからだそうだ。

 

 出展される品々を目的に遠路はるばる足を運ぶ正解のお偉いさん方は多く、。潔癖なレジアス中将率いる地上本部とはやてが対立しているのは有名だ。にも関わらず、地上本部が今回仕事を回した理由は、人手不足の煽りをもろに受けている地上には無い六課の過剰とも言える強大な戦力をあてにしたからなのか、それとも人命保護と骨董品の守衛という状況によっては二者択一になりかねない事態に陥った場合の失態を期待してのことなのか。有力な二説が浮上するも、いずれにせよ拒否する権限などなく、第一『その程度』を臆して何が為せるというのか、というのがはやての語りである。

 苦難が待ち構えているのは百も承知、それを乗り越えてみせてこその機動六課。何者かに試されているならば、鼻歌でも吹かせて易々と突破してみせよう。

 

 はやては今回、別の任務にあたらせている他の隊長・副隊長を全て呼び戻し、持て得るだけの戦力を注ぎ込んだ。やりすぎではないかと疑られかねない全力投球であるが、オークションにはロストロギアやそれに準ずる物が多数出品される。仕事の達成効率が落ちるのも止むなしということで、新人も含め全てが結集することとなる。

 ゆえに、今回の任務は気が抜けず、手を抜くなどもってのほかだ。

 

「―――だというのに、俺の新装備が完成してないというのはどういうことなんですか説明して下さい今すぐに」

 

 苛立たしげな声に、口の端を引き攣らせるシャリオ。

 

「いや、あのね? 落ち着いて聞いて欲しいんだけれど、実はなのはさんから使用禁止令が出てて……」

「だから貴女に改造するよう指示してたじゃないですかなのに渡せないって一体全体どういうことなんですか説明を要求します」

 

 次第に壁際へと追い詰めていく。ダイスケ用に開発されているインテリジェントデバイスは、部品の特異性や要望に叶う完成形が見通せず、完成が大幅に遅れることが予測され、そのため、以前提出していたアームドデバイスの改造を急いでもらった。明日に控えるホテル・アグスタ警護任務にあたって、ガジェットの襲来も懸念されたからだ。

 

 現状、装備には不服は無い。アンカーガンも有効活用できている。ただ、新しい武器よりも、長年使い続けた武器の方が扱いやすいのは当然の話である。改造されようが、大本は変わらないはずなので、改造するならば早くして欲しいと急かしに急かしたのだが、結果は芳しくなかった。

 翌日にまで迫った今日になって、開発ルームへ顔を出すと、焦燥気味のシャリオがおり、あまりに色濃い疲労感から物怖じしたものの、待ちきれなくなって問い質した。

 

 沈黙が漂う。ややあってから、嘆息したシャリオは、テーブルの上に何かを置いた。ダイスケが所持していたビームライフル……ではなく、三つの短い黒の砲身が三つ取り付けられた、三連砲塔の小型バルカンである。小型と言ってもやけに重量感溢れるフォルムで、実に重々しい空気が漂う。

 

 当たり前だが、初見の武器に違いない。

 ついでに言うと、見た目がほとんど質量兵器である。

 

「結構無茶苦茶な改造を施していたから、パーツの大半に過負荷が生じてて、術者に余分なダメージを与えるようになっていたの。こないだの内出血はそのせい。だからなのはさんと話し合って、まず術者の安全性を確保しようって結論に至ったの」

「ふむ。それで?」

「だから負担を減らすため、そしてエネルギー効率を重視したら、六連カートリッジのロードができなくなって」

「ふむ?」

「単発の発射が内部機構に損傷を与える可能性も微量に残ったから懸念事項を統括して考慮した結果、三連砲塔のバルカン式になってカートリッジは最大5発までになって軽量化が図られたから腕に取り付けられる分威力が低下したけど連射による牽制ができるようになって……」

「つまり?」

「原型留めなくなっちゃいました。ごめんね」

 

 合掌された。否、謝罪された。

 

 笑顔だったら蹴り倒していたところだが、心底済まなそうに謝られては何も言えない。加え、四の五言ったところで結果は変わらない。元を正せばダイスケが無茶な注文を発したせいでもあるし、ならばこれで我慢するしかないのか、とやや前向きに考える。考えるが、この質量兵器そのままな物体を抱えて戦うのかと思うと、大分モチベーションが低下しそうだ。以前のビームマグナムは性能全てに納得した上で行使していたから良いものの、この先行き不安な雰囲気漂う武器を頼りにしてよいものだろうか……。

 

 ダイスケの意向とはズレた武装が用意された背景には、仲間同士の連携向上や、個人の万能性よりも仲間同士の総合力を重視したいという上司の意図も絡んでいるのだろうが、それにしては本人に了解の一つでもとって頂きたいものである。

 

 そもそも、

 

「実際見てないのでどうとも言えませんけど、これ、AMF下でも使えるんですか?」

「う……」

「そもそもガジェットの装甲貫通するのに十分な収束力を捻りだす腕が今の俺にはないのでそこら辺をカバーする武器がないと接近戦しかできませんし」

「うぅ……」

「貴重なカートリッジ消耗して散弾ばら撒いたところでガジェットは止められても破壊できないと意味無いしアンカーガンの方が使い勝手よさそうだしそもそも腕に取り付けたら機動力落ちるし……」

「ごめん私が悪かったから勘弁してちょうだい」

 

 再度謝罪が入った。女性に平謝りさせる趣味もないので、「いいですよ」と肩を落として答えた。まぁ、実際使ってみないことには何も言えない。せっかくなので手にとってみようと軽く手を伸ばしてみた。ついでに装着してみた。

 

「ごつっ」

 

 思わず呟くくらい大きい。身体の横幅半分くらいの高さがある。小型化が行われてこの外見というのはどうだろう。しかし見た目に反して非情に軽い。実際の重量に換算するとおおよそ辞典一冊分程度だろうか。それでも重さを感じるが、この程度ならば長期戦にならない限り足を引っ張るまい。訓練で鍛えた甲斐があるというものだ。そもそもビームライフルと重量はさほど変わらない。

 今のところ、実用性を見出せない。しかし視界の隅で肩をすぼめて申し訳なさげに佇む同僚を見ると、このままつっ返す気も失せてくる。

 

 軽く腕を上げてみる。こんなものを年中ぶら下げていたら職務質問を受けそうだと思い、よく考えたらその管理局の一員であることを失念していたと苦笑が漏れた。

 

 ともあれ、まずは試してみよう。

 

「よろしく」

 

 答えなどない。けれども命を預ける新しい同志に、彼なりの礼儀を持って接するのだった。

 

 

 

 

 

 

      ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 

 森林地帯の真ん中にそびえ立つ建造物。それがホテル・アグスタである。

 

 薄暗闇が広がる夜の森は暗く広い。一切明かりという概念が存在しない無音の世界。一歩踏み込めば光明の差さない深い闇がどこまでも続いている。唯一光を放つのは、高く伸びる人工のオブジェ。そびえ立つ摩天楼はライトアップが施され、寒々しい色彩を浮き上がらせている。

「しっかし、こんなところまで出張らなくてもいいと思うんだけどねぇ」

「無駄口叩いてねぇで、ちゃんと持ち場守ってろよ」

 

 今回、このホテル内で行われる骨董品関係のオークションに出品されるロストロギア、それを狙うガジェットを排除することが六課の、もとい、外部警備を任されたフォワード陣と、そのフォローに回る守護騎士たちの目的だ。隊長三人はというと、表面上はオークションに参加する形で警備にあたる手筈となった。招待されたからなぁ仕方ないなぁ、などとはやては言っていたが、どう見てもウキウキ気分であったのは間違いない。ついでに高そうなドレスを購入していたのも間違いない。

 

 何故こんな面倒な任務を、と思うダイスケであるが、六課の正式名称『古代遺物管理部機動六課』が示すように、元々この組織はロストロギアとある意味密接な関係にある。そも六課は地上に位置する組織の末端、地上本部から直接得た指令は拒否できない。そういった上下関係のしがらみを忘れ、行使混交を避け腸に煮えたぎる想いを抑えてまで怨敵と表面上は和やかな会話を交わさないといけないのは、やはり組織の面倒事というものか。そういうのが性に合わないとしか言えないのは、自分がどこまでいっても子供だからなのか。

 

「一応あたしらも外で警戒してっけど、いつ何が起きるか分からねぇ。今のうちに準備は万全にしとけ」

 

 いつになく真剣な面持ちで、ヴィータは言う。警戒し過ぎではなかろうかと思うも、結局ガジェットの襲撃する可能性は皆無と言えないのだ。確かに任務に手を抜く気質ではないが、しかしそこまで身構える必要はあるのだろうか。新人であるフォワードたちならばともかく、戦い慣れているヴィータが険しい顔をする理由があるとは思い難い。

 

「なんか嫌な予感すんだよな。何かを忘れてるっつーか、見落としてるっつーか……」

「忘れ物でもしてきたんじゃないの?」

「あーそうだそれかハンカチ忘れちまってた後ではやてに怒られ……オメェも怒られたいか?」

 

 青筋を浮かべて拳を振り上げるヴィータにすり足で後退するダイスケ。余計な口を開くから怒られるということを自覚しておきながら言わずにはいられない悲しき人間の性である。

 

「わざわざ遠くから来てこんな辺鄙な場所で古びた物品に家の一つ二つ建つ大金投げ捨てるとは、お偉いさんの考えることは小市民には理解しかねるよ」

「小市民は銃ぶっぱなさねぇし魔法使わねぇよ」

「何、まだこないだのこと根に持ってんの? 意外と執念深いね。自分をフッた男は徹底的に潰さないと気が済まないタイプとか?」

「どんだけ病んだ女だよそれ。別になんとも思ってねぇよ。つーか、オメェ余裕面してる立場じゃねぇだろ。ただでさえ武器使えなくなって戦闘力下がってんのによ」

「おっと耳が痛い発言だね。Cランクくらいしか魔力がない今の俺じゃそっちの足を引っ張るのが関の山かな。こうなると地上の人たちの助力一つさえ頼もしく思えるよ」

 

 少し前まで目の敵にしていたというのに。言外に込めた意に自嘲気味な笑みが浮かぶ。ヴィータは「まぁ、今回はアタシらだけだけどな」と断言した。

 

「何で? さんざん総隊長が批判してた地上本部にも、優秀な魔導師とやらはいるはず。スカリエッティとかいう奴の行動パターンくらい向こうも把握できてるだろうし、もし襲撃の可能性が大いに高いと判じたなら、六課に応援を寄こすことだってあるんじゃないの?」

「地上本部はそこまで臨機応変な対応とれねぇよ。警備に回せる戦力は限られるし、ガジェット襲撃を十分考えられるってのに、多少程度の魔導師を置いたところで無駄な壁にしかなんねぇ。数少ない実力のある連中は片っ端から重要任務に回されてっから、期待するだけ無意味なんだよ」

 

 それに向こうの連中には嫌われてるしな、という小さな声は、敢えて聞き流した。

 

「あー。それじゃ少数精鋭の六課は考え方によっては適任なんだね」

「風の便りじゃ、新兵器の製造に手間取っててかかりっきりだとかいう話だしな」

「新兵器……?」

 

 耳を疑う発言だった。

 戦争は技術を躍進させ国を芳醇させる術の一つだが、その先には明確な目標が存在する。兵器を生む理由は、敵対する存在の根絶しかない。ならば地上にとっての敵とはまさか……。

 

「信憑性に欠ける領域を出ねぇけどな。近々大規模な作戦に入るって噂もあるくらいだしよ」

「作戦って?」

 

 知らねぇよ、と肩を竦めてヴィータは立ち上がった。

 

「近頃はクラナガンも物騒だしな。例の『鮫』の件で地上も振り回されてんだろーさ」

「鮫? それって……」

 

 問いかけたところで、ヴィータの向こうにいる人物が目に入った。橙色の髪が映える少女。抜けきらない緊張の混じった身体を解くためか、腕を組んでぼぅっと突っ立っている。公私を分け仕事に気を抜かない彼女にしては珍しい姿だった。どこか横顔に疲れが窺え、

 

 ここ数日、ティアナはああして時折何かを考え込むようになった。決まって一人の時、誰も見てないような環境で、ああして深く熟考するかのように固まっている。訓練時に異変は見られない。集中できてないという様子でもなく、逆に集中しすぎてしまっているように見える。直属の上司であるなのはが口を出さない時点で差ほど重大な問題が起きているわけではなさそうだが、ああも頻繁に隙だらけの仕草をされると指摘してやるべきかと思う。プライドの高い彼女に真正面から言ってのけるのは少々度胸が要りそうだが。

 

 しかし。

 

「ん? どした」

「いや……」

 

 言葉を濁す。態度の異変など後で気づいただけだ。一番気になったのは別のこと。彼女の周辺を漂う雰囲気が、前よりも暗く淀んで見える。複雑怪奇で思考と感情の奔流を乱され渦を為す人間の空気。フォワードでは、他の三人に比べ感情の起伏が割と小さいティアナの表情から拾い上げられる情報は少ない。ただ、強い感情は周囲の空気に触れた他者に伝達される。正にしろ負にしろ、人の想いというやつは伝えようと思えば簡単に伝わってしまうものなのだ。

 任務前の緊張から生じる感情の重みでもない。記憶が確かならば、もっと前から生まれる感情の歪み。任務に支障をきたすから、とか、傍で辛気臭い顔をしてると気が滅入る、とか、言い訳が浮かぶも、気になった点が多すぎた。特に何故か分からない『疑問』を解消できればと思いつつ、ヴィータに一言入れてから、ティアナの元へ行く。

 

「ティアナ。大丈夫?」

 

 声をかける。ティアナはいつも通りの無表情で、けれどもどこか普段よりも鋭い目線を向けた。言い様のない不安が湧き上がり、やはり自分の疑念は正しいものだと直感する。ティアナは何故かダイスケに敵意に近い感情を抱いている。今日になって自分に対する黒い感情がより一層強まっている気がした。自意識過剰ではないことは確かだ。現に今、一瞬だけ、強い視線を送られた。理由も分からず僅かにたじろぎ、瞬き一つの間にティアナは平常を取り戻していた。

 

「平気よ。ちょっと寝不足気味なだけ」

 

 それ以上何も言うべきことはないと言わんばかりに、周辺の警戒を続けるティアナ。敢えてダイスケから背を向け離れたのは、遠まわしな拒絶か。

 ここ数日、彼女の様子がおかしいのは気づいていた。訓練内容も徐々にハードなものへ移り変わり、個人の能力別に特化した特訓も時間を増やして行われている。それだけ今後の激戦が予想されるのか、ともかく日が沈む頃には全身が悲鳴を上げるような状態が毎日続いている。健康優良児然としたスバルさえ別れる時は眠たげな顔をしていたのだから、ティアナはそれ以上の疲れを感じているはずだ。

 

 スバルに尋ねると、どうやらティアナは夜中こっそり林の中で個人練習を行っているらしい。元気があり余っているわけではなく、単純に練習量不足を感じて不満だからか、それとも実力不足を感じて躍起になっているのか。どちらにしても、褒められるべき行いではない。上司の出した特訓メニューはそれぞれの能力を考慮して決定されたものだ。過剰な運動は肉体を破壊し、心身共に余分な圧力をかける。

 未発達な身体を酷使すればどうなるか、知らぬティアナではあるまい。知っていてなお半ば無謀な挑戦を続けるティアナを、スバルは止めなかったそうだ。長年付き合い続けた相棒の熱意は、誰よりも知っているから。何もしなくて後で後悔するより、今やるべきことを全てやって後悔した方がいいと思うから、と。

 

 それを聞いて、特別ダイスケは動かない。ティアナの事情は彼女の問題だ、仲は良い方だが刎頸の交わりというほどでもないし、そもそも良き友人とも言えるほどの間柄でもない。ただ話が合う仲間くらいのものだ。訓練しようが体調を崩そうが知ったことではない。

 が、仲間としてすべき心配くらいは当然する。あの様子だと、いつか重圧に耐えかね壊れてしまいかねない。会って間もないダイスケがそう思うくらいなのだ、他の面子ならば思うことはそれ以上だろう。

 

 視線を動かす。立ち退くティアナの背中を追う人物がいる。スバルだ。こちらと視線が合い、眉根の寄った顔がホテルの明かりで浮かびあがる。心配なのが丸分かりな表情に向かって小さく頷けば、解き放たれたようにティアナの後を追った。見送り、ややあってから、ダイスケはゆっくり立ち上がった。

 反対側へ。ヴィータの元へ向かう。カートリッジを数えていた少女は、怪訝な顔を上げる。

 

「ヴィータ。ちょっといい?」

「あ? なんだよ」

「飴あげるから頼み聞いてほしがフッ! な、なんで殴るの……」

「うっせぇ子供扱いすんじゃねぇ馬鹿野郎! 用があんならさっさと言え!」

 

 プンスカ怒るヴィータに、息を整えてから、ダイスケは言う。

 

「割と簡単なことなんだけど、実は―――」

 

 

 

 

 

 

 それから二時間後。周囲の森林地帯からガジェットが出現。ホテル・アグスタへと殺到した。

 

 概ねはやての予想通り、ガジェットの襲撃に伴い、六課のフォワード及び副隊長らは迎撃行動に入る。予め想定されていたものと同様、セオリー通りの動きしかしないガジェットは、新人でも幾分余裕を持って撃墜することができた。気が抜けないのは確かだが、初任務時に比べれば、大分落ち着きを持って臨むことができた。副隊長二人も感心しつつ、素早くガジェットの一掃を努めた。

 最前線で活躍するシグナムとヴィータ、数に物を言わせ二人の攻撃範囲から逃れたガジェットを一つ残さず破壊するスバル、ティアナ、エリオ、キャロ、ダイスケの五人。訓練で培った知識と経験を生かし、実戦という緊張を振り払い、理想の動きを体現する。一人も負傷することなく撃墜を続け、誰かが不安を安堵に切り替えた。

 

「まぁシグナムやヴィータもおるんやし、新人たちもどうにかできるやろ」

 

 何も心配することはないと。はやては作戦を変更することなく、オークションに専念していた。

 それが過ちだと気づくのは、五分後のことだった。

 

 

 

 

 

 はやては幾つか失態を犯していた。

 

 一つは仲間の実力を信じて疑わなかったこと。一つは味方の配置を真逆にしたことだ。

 企業の重鎮も顔を覗かせるこのイベント会場内に、六課が誇る最大戦力を三人も投入したのは、確かに本丸とも言えるホテルの最終防衛ラインとして用意するためで、そもそも彼女らの出番はほぼ無いとはやては確信の領域に至っていた。事実、未熟とはいえ潜在能力の高いフォワード陣と、並大抵の敵ならば余裕で葬り去るだけの実力と長く多くの経験を兼ね揃えた守護騎士四人が外で控えている。はやてからの信頼も厚い守護騎士ヴォルケンリッターは、周囲の認識通り、それぞれが高い能力を誇り、四人揃えば一騎当千の力となろう。疑う者など誰ひとりおらず、彼女ら自身も、心のどこかで安心していたはずだ。

 

 心に隙が生じた理由として、敵と認識する次元犯罪者スカリエッティは、過去にロストロギアを求めて数多くの事件を引き起こしている。更に言えば、レリックというロストロギア或いはそれに類する物が関わる事件の犯罪者、だ。

 今回のオークションはレリックは一切関係していない。可能性は低いが、出品された物の中にスカリエッティが求める何かがあるかもしれないと仮説を立て、全ての戦力を集結させたわけだが、結論からすれば、その認識は間違いだったと言わざるを得なかった。

 

 今までそうだったからと言って、これからもそうだとは、限らない。

 

 それでも守護騎士の力添えもあるのだ、新人たちなら乗り越えられるだろう。結界内部に閉じ込められたはやては、不安になる同僚を励ましながら待っていた。幾ら大群が押し寄せようと、皆なら平気だと、心のどこかで思っていたのだ。

 

 だから、少しも考えなかったのだ。

 

 味方が苦戦している、という可能性を。 

 

 

 

 

 

 

 最初は全てが上手くいっていたかのように見えた。

 

 異変を察知したのは、最前線で猛攻を続けるヴィータとシグナムである。両者はホテルから少々離れた森の入口に近いところで戦っていた。まだ二度目の実戦ということで不安があるフォワードを気遣ったがための位置取りではあるが、裏目に出たとは言わないまでも、事態の悪化に思わず舌打ちを零したくなったのはどちらも同じだった。

 ガジェットは基本、四種類存在する。カプセル状のⅠ型、飛行機に似た形状のⅡ型、巨大な質量を誇るⅢ型、ガス攻撃を行う黒いⅠ型の改良タイプ。ガジェットは単純な動作指示を得て行動しているのか、或いは遠隔操作で動いているのか、あまり人の意志を感じられる所作は見られず、機械的な動きばかりで、実戦慣れした副隊長二人からすれば、ガジェットの脅威は数の暴力であり、それがなければただの雑魚、という認識である。AMFは魔導師殺しとされる技術だが、対策を練ればどうということはない。アイゼンの一撃が、レヴァンティンの一閃が、ガジェットをことごとく無残な瓦礫へと変貌させていく。

 

 ところが、戦闘が始まって十分と経たないうち、劇的な変化が生じた。銀色の鉛玉を穿ったヴィータは、でかいだけが取り柄のⅢ型のアームユニットに攻撃が全て弾かれるのを見た。これにはさしものヴィータも瞠目せざるを得ない。一瞬硬直する身体を引き下げ、叩きつけられるアームの射程から逃れる。

 着地の瞬間、鳥肌が立った。第六感を頼りにアイゼンを振るえば、至近距離まで接近していたⅠ型を粉砕し、反対側の手でシールドを展開。すると吸い込まれるように飛んできた熱線が二度、三度と衝突し、光を散らして消滅した。

 

 攻撃のスピードが格段に上がった。直感は正しく、視界の隅でシグナムが斬撃を放つと大きく後退しているのが窺えた。一瞬だけ見たが、ヴィータ同様Ⅲ型に攻撃を弾かれていた。

 今までいとも容易く粉砕していた敵が突然動きを変えた。より正確に、より強靭に。その事実に、焦りを露わにしたヴィータは、それでも、と思いつつアイゼンを振るう。一打で一撃粉砕を完遂させていたというのに、今では空ぶることも増えた。まるで誰かの意志が介入しているかのように。

 

 何故、と考える暇もなく、頭の中に誰かの声が割り込んできた。

 

『ヴィータちゃん、聞こえてる?』

「あ!? なんだよこっちは取り込み中だ!」

『防衛ラインを下げるわ。ガジェットに変化が起きてる。一応警戒して……ホテル正面まで下がって頂戴』

 

 シャマルの念話は短かった。すぐに向こうから断絶され、反論する暇もなかった。向こうがそれだけ切迫した状況とは思えないが、予想外の事態が六課メンバーに混乱と焦燥をもたらしているのは確かだった。相も変わらず通信機器は動作不良をきたし、唯一会話が行える念話も余程強いラインを形成しない限り繋がらない。

 

 シグナムを見やる。長い付き合いだ、目線を一つくれてやれば、意図を察し前傾体勢を解く。後ろに控える新人たちが心配だ。ガジェットを知り尽くしたヴィータたちならまだしも、まだ数カ月程度の彼らでは些か不安になりもする。そこまでやわな育て方をした覚えはない、きっと大丈夫。自分に言い聞かせ、決して焦りの判断ミスを起こさぬよう、慎重に後退する機会を窺いながら、動き続けるのだが、

 

「ちっ……!」

 

 引き下がろうにも、させじとガジェットが一丸となって襲いかかる。半ば自爆特攻に近い襲撃に舌打ちをしつつ、振り落とす。防御を無視して突撃されると、普段なら敵とも思わぬⅠ型さえ厄介に思える。

 

 

 

 

 

 ホテル正面でも激戦は続いている。

 

 むしろ周辺から押し寄せるガジェットが局所集中しているせいか、副隊長二人のところよりも敵機の数は多く、銀と黒の機影が森から湯水の如く湧いて出る。

 

 不幸中の幸いは、ここに来てフォワード5名の連携が上手く機能していることだろう。上空のⅡ型をキャロとフリードが火球で撃墜し、迂闊に破壊できないⅠ型改をダイスケがバルカンで押し戻しながら他を削り落し、低空のⅠ型およびⅠ型改を的確な射撃でティアナが撃ち抜き、厄介なⅢ型はスバルとエリオが高い機動力をもって撹乱しつつ一撃を確実に与え、すぐさま離脱を図る。強固な壁も幾度も集中して攻撃すれば必ず倒せる――咄嗟に出したティアナの戦術プラン通りの役割分担は、明確な結果を残していた。

 彼らからすれば、ガジェット一機さえ自分を脅かす敵である。だから心に僅かな隙も無い。一度の実戦を見事成功させたがための慢心は、幸か不幸か今の彼らには無い。目の前の敵は、強いと判ずるだけのことはある。特に最近姿を露わした黒いⅠ型の改造版は、情報も少なく対策も取り辛い。迂闊に破壊すれば神経ガスが放出され、かと言って放置すれば他のガジェットの周囲を漂いこちらの行動を制限する。そのため、着実に敵を殲滅するには、Ⅰ型改を遠ざけ、残るⅠ型とⅡ型を集中攻撃し、割と鈍重なⅢ型は最後に回さねばならなかった。

 

 フリードは広範囲にわたって攻撃ができるが、Ⅰ型改のガス攻撃だけはどうしようもない。翼の羽ばたき一つで押し返せるが、風の流れは気紛れだ。地上を滑走するスバルとエリオの元へ少しでも流れれば動きを鈍くしてしまう。そのため、キャロとフリードは仮にも飛翔する力を持つダイスケと協力してⅠ型改とⅡ型を率先して迎撃することとなった。AGGブーツで重力を遮断し、飛翔とまではいかないまでも、空中を移動できる術は、実戦では『ないよりはマシ』レベルの代物であった。

 新装備のハンドバルカンは、彼の予想通り威力は低く、牽制程度の扱いしかされていないものの、現状その役割は大きい。黒い装甲を叩いて群れから押し出し、左手のアンカーガンで一射。爆散を目にする時間も惜しく、次の標的を狙い撃つ。近づいてくる敵も広範囲にばら撒く光弾でどうにか一か所に集めると、フリードの火炎が灰塵に帰す。

 

 ティアナは上手くⅠ型改が排除されたガジェットの群れを標的にし、クロスミラージュを構える。接近戦を度外視し、射撃体勢に入っている。無論、味方全ての動きが見える位置を確保し、背後にも気を使っている。流れ込むガジェットたちを視界に捉えながら、撃鉄を叩き落とす。途端、橙色の弾丸が空を切り、一つの撃ち漏らしさえなく爆発が起きた。

 

「スバル、エリオ! そっちにデカいのいったわよ!」

「了解!」

 

 一方、スバルとエリオも役目を見事果たしている。Ⅲ型は以前よりも強化が施されたのか、装甲が異様に硬くなっており、防御行動も無駄が省かれている。攻めに移行すればアームが伸び、懐に入り込めば装甲に弾かれる、という工程を最初こそ繰り返したものの、徐々に弱所を見抜いてきた二人は、それぞれが長所を生かして攻勢に転じた。速度に長けるエリオが背後から迫り、装甲を削る。断じて非力ではない彼の力をもってしても、Ⅲ型を一度や二度ではストラーダの矛先を突き入れるには至らない。すぐさま伸びてくるアームを敢えてゆっくり避けると、スバルが一直線に突っ込んでくる。その腕のリボルバーを唸らせながら、

 

「うぉおおおりゃあああああッ!」

 

 フォワード随一のパワーと魔力が襲いかかる。既に数度打撃を叩き込まれた装甲は軋みを上げ、やがて全体に亀裂を入れたⅢ型は大きく膨らんだかと思うと、スパークを散らして爆発した。その頃には二人は離脱し、次へと狙いを定める。

 

 と、不意に、視界が暗くなった。巨体を生かし、頭上から迫ったⅢ型が、丸いフォルムを地面へ叩きつけるように降下している。無論、その先にはスバルの姿がある。

 

 上から押しつぶすつもりか。

 

 が、横殴りの光弾の雨がそれを遮る。小さくとも数多の衝撃を一身に受け、遂にはガジェットの攻撃軌道をずらした。かろうじてスバルは打撃を回避し、すぐさま反転、強く拳を握りしめ、一撃でガジェットを装甲をかち割った。

 

「ごめん、助かった!」

 

 援護に入ったダイスケに礼を言い、すぐに新たな目標へと足を向け、マッハキャリバーを唸らせる。

 それとは対照的に、援護を為したダイスケの顔は晴れない。

 理由は単純かつ明確。腕のバルカンを続けざまに連射しつつ、

 

「使いづらっ!」

 

 思わず叫んでしまった。長年染み付いた戦い方はそう容易く身体は忘れない。衝破銃で掃射、或いは誘導し、混乱を突いて肉薄した後に刀剣で切り裂き、残った敵をビームマグナムで焼き払う。割と大雑把かつ大味な戦い方ではあるが、単純ゆえに奇襲からの猛攻は効果的であり、現にダイスケはガジェットの群れを撃退し、デバイス無しでも魔導師に打ち勝ってきた。以前とは全く違う戦い方。力の配分を考え、立ち位置も考慮し、そして味方の動向も窺う。誰かと協力することが、これほどまでに不自由だとは。メリットよりもデメリットが目立つ気がしてならず、残るカートリッジの数に焦りを得た。

 

 ……と、考えたところで、はたと思い至る。狙いを低空飛行するガジェットに定め、バルカンの砲身を向ける。カートリッジをロードし、銃口に光が灯った直後、ドラムを叩くような音が連続して轟いた。高速回転するバルカン砲が唸りを上げ、同時、持ち込んだAGGブーツの出力を上昇させる。黒い装甲に弾かれる弾丸を見つつ、上から接近。間近に迫ったところで、アンカーガンを仕舞い、腰元から刀剣を引っこ抜いた。

 

 一閃。

 迷いはない。直後に起こる結果など想定内と言わんばかりに、カプセル型のガジェットを真っ二つにした。

 途端、ガスが周囲にまき散らされる。当然、ダイスケは煙の中にいる。端から見れば自爆特攻にも見える光景にキャロが息を呑み、ガジェットの動きが僅かに止まった。

 

 途端、煙幕を突き破って飛び出す影があった。その影――ダイスケは、瞬く間に煙の包囲網から完全に脱し、進行方向に群がるⅠ型ガジェットを粉砕しつつ、一息つける場所まで離れた。そこでようやく大きな息を吐き出す。ガスが放出されると分かっているなら、吸い込まなければ良いだけの話だ。

 肌から侵入するタイプのものだったならば、もしかしたら全身が麻痺して動けなくなったかもしれない。それに、戦場で呼吸を我慢するのはなかなか堪えるが、しかし危険に見合うだけの結果は得られた。

 

(やっぱりか……)

 

 ガジェットの動きに意志が見られる。僅かではあるが、何者かによる指示を受けている。でなければ、唐突な行動に身動きを止めやしない。機械は一つの目的に対し最速かつ効率的な行動をとる。ならば無駄な反応を見せることはないはずだ。

 誰かが操っているのか。思うも、周囲には森林地帯が広がり、発見できたとしても、これらのガジェットをどうにかしない限り次の行動に移れない。増援のガジェットが絶たれるまで延々といたちごっこを続ける必要がある。

 

 ならばやるだけだ。

 とことんまでやってやる。

 

 再びキャロと共にガジェットを撃ち抜いていく。その顔に、他者とは異なる表情が浮かんでいる。不安も焦燥も何もなく、敵を倒していく感触を受け止め、確かな結果を残すことに少しの喜びを得た顔。自分の力に自信を持ち、決して屈することなき意志を持ったその姿を、静かに見ていた人物がいることに、ダイスケは終ぞ気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「鎮圧されたか」

 

 光の差さない森の奥、ホテル・アグスタから数キロは離れている木々の陰で、男は小さく呟いた。暗がりに溶け込む黒い長衣で身を包み、厳格な空気を漂わせる長身。痩せこけた頬は人としての最盛期の終焉を如実に表してはいるが、しかし数々の修羅場をくぐり抜けた兵の風格と立ち込める威容は、紛れも無い本物である。

 

 そこから遠くない位置で、一人の少女が佇んでいる。足元に魔法陣を浮かべ、目を閉ざしている。西洋人形を彷彿とさせる衣装は、長い紫色の髪と相まって、ますます人形らしい繊細な印象を強める。触れれば壊れてしまう幻想とさえ見紛うその雰囲気にすれ違う者は例外無く振り向くことを強要されるものだが、しかし深い森の奥にて立ち尽くす光景は実にミスマッチであった。

 やがて瞼を開いた少女は、か細い声を上げた。

 

「ガジェット、壊れちゃった」

 

 落胆したようにも聞こえる声とは裏腹に、少女の顔色は変わらない。

 

「退くぞ、ルーテシア。いずれ管理局がここまで来るかもしれん」

 

 距離をとってはいるが、森の中で魔法を行使すればいずれこちらの位置が把握される。地上の鈍重さ加減は知っての通りだが、配備されたのは新進気鋭の機動六課なる組織である。実力の伴わない地上の局員ならいざ知らず、名高い隊長陣と交戦した際、彼我の実力如何によっては思わぬ手傷を負う可能性もある。

 今回は様子見でしかない。男がわざわざ足を運んだのも、ルーテシアと呼んだ少女が珍しく作戦への参加要請に首肯したからである。業腹ではあるが、要請した男に逆らえぬ立場である限り、ただただ従順であり続けなければならない。それでも構わないと感情を押し込め、男は踵を返す。

 

 そこに、問いが一つ投げかけられた。

 

「いいの?」

「何がだ」

「まだ敵、いっぱいいる」

 

 無表情にルーテシアは指をさす。その先に、遠く離れた場所に、煙の上がるホテル・アグスタの姿がある。

 

「倒さなきゃ」

 

 きっぱりと言う。敵を倒す、その言葉を口にする少女の顔には感情が無い。発した台詞にどれだけの意味が込められているか、全くの無自覚だからだ。年頃の少女が抱く喜怒哀楽全てが欠如した表の顔。

 男には痛々しくも物悲しくも思える姿に心を痛め、それが偽善だと判じながら、少女の頭を優しく撫でる。

 

「その必要は無い」

 

 多くを語らず、男その場を後にする。少女も暫しの間小首を傾げていたが、納得しないまでも後ろに続く。親につきまとう子供のように。

 

 男は振り向かず、ただ一度だけ、遠く離れたところにある、都市の風景を捉える。

 

(奴が来る前に)

 

 細く開かれた双眸、その先にあるミッドチルダの街並み。普段と変わりなく見える景色の中で、黒々とした気配が湧き上がるのを感じ、ゼストは遅れがちなルーテシアを促しながら、やがて姿を消した。

 

 願わくば、誰も死す結末のないよう。

 

 決して善人とは言えない己のどの口がそう言えるのか。自嘲気味な彼の心中を誰も察する術はなく、事態は次の災厄をもたらす。

 

 

 

 

 

 ガジェットの急激な変化に混乱が生じ、それがようやっと沈静化したことで一段落と思っていた六課司令部にとって、突然鳴り響くアラートはまさに青天の霹靂とも言えた。切り裂く悲鳴じみた警報に真っ先に飛びついたグリフィスは、「状況確認、急げ!」と鋭い一声を放った。再び怒号が飛び交い出す室内に、一度は消え去った不安と焦燥がぶり返す。

 

「未確認飛行物体、急速接近!」

「またガジェットか!?」

 

 援軍か、という悪い予測は当たらなかった。

 

 代わりに、「いえ……」と言い淀むオペレーターの言葉が、より最悪の現実を突き付けることとなった。

 

「魔力反応有り! 上空120メートル地点を高速移動中! ……空戦魔導師です!」

 

 すぐにモニターが切り替わる。クラナガンの端、間もなくビル群が消滅し、南東の森林地帯に差しかかろうという領空に、黒い染みが一つ浮かんでいる。ビルの陰に隠れるように進んでいたそれは、やがて街並みから全身を飛びださせ、広々とした空にその全貌を晒した。

 

「あれは……!」

 

 全身が粟立つ。垣間見えた黒と青の色彩、そして、独特の白い模様。高度な文明を築き上げてもなお人類にとって獰猛で危険な生物として知られる、海を統べるモノ――死を突き詰める黒き鮫。人が『黒死の鮫』と畏怖する残影に、グリフィスは唇を噛みしめた。

 

 

 

 

 

 その黒とも青とも言える色彩を持った影は、瞠目せざるを得ない速度で空中を飛翔し、瞬く間にホテル・アグスタ方面へと急いでいた。ビル群の中を敢えて通り、側面を蹴りつけて勢いを殺して方向転換、下から見上げる者が一様に絶句して凝視するその鮮やかな飛び方。それは、本人からすれば最速かつ最短のルートをとっている。無駄なエネルギーを抑えた、自分なりの最高のルートを進む。

 上空を堂々駆け抜けるのも可能、しかしそれでは管理局に五体全てひけらかすようなものだ。広く民衆に見せつけるのはまだしも、そちらは寛容し難い。そういう契約を仮にも交わした身だ。真面目に遵守するつもりはないが、必要以上に目立つのは避けるつもりだった。しかし事態が終結しつつある今、一刻も早く行かねばという焦燥に近い感情が身を駆り立てていた。ビルの間を跳ねるように飛べば、多少なりとも追尾を困難なものにできる。その人の形をした影は、何者にも妨げられない空を一人、往く。

 

 悠々と、黒紫の色を大気に晒し、鮫をモチーフにした紋様を描いたバリアジャケットをはためかせ、やがてその全貌を明らかにした目的地を視認し、影の口元が三日月を描く。笑みが浮かび、そびえ立つ建物が未だ喧騒に包まれ、鎮圧されて間もないことを知る。

 

 運がいい、と。まだ獲物はあそこにわんさかいると、男は歓喜する。

 

 ならば急げ。俺が行くまで逃げるんじゃないとでも言うかのように、黒い鮫が一際強く光を放つ。災厄を告げるように、黒死病を振りまく死神のように。ビルの間を飛び出して、相棒Bシャークを携え、男は――(デビル)・スリンガーは嗤った。

 

 

 

 




ちょっと長くなってしまいましたので、話を半分で切りました。


続きはもう少々お待ち下さい。


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第6話 恐れるものはない

えー、一か月以上も放置してしまったことを深くお詫び申し上げます。

理由と致しましては、

・原稿描いてた
・友人の同人誌の表紙描いてた
・データぶっぱしてあばばばb(ry
・『魔法少女が許されるのは15歳までだと思うのだが』を改稿してた

とか色々ありますが、結局自分の手際の悪さが目立つ言い訳でしかないような気がしますので、お待ちいただいていた方々に謝罪の意を示すと同時、今後は極力早めの更新を心がけるようこの場を借りて誓いたいと思います。

しかし私、途中で投げ出すことは致しません。なんだかんだで小説を書くのが一番好きですので、未完で終えてしまったら他のことだって満足にできないかと。


……さて、関係無い話はここまでにしまして、本編に行きたいと思います。

遅れてしまった分、いつも以上に長くなってしまいましたが、どうかお付き合い下さいまし。

相変わらず独自解釈が多く見られるかと思いますが、ご了承ください。




 

 

 敵影の出現に遅ればせながらも気づいたエリオとキャロは、直後の反応に差が出た。我先にと勇猛果敢に挑もうとストラーダを構えたエリオとは対照的に、それを無謀と判断したキャロは即座に留めにかかった。直接相対せずとも、刃を一度も交えずとも、明らかな敵意を持つ外敵の力量は、肌を焦がすような感覚が教えてくれる。

 今すぐ飛び出そうとエリオは足を踏み出し、同時に伸びてきたキャロの細腕が、運良くエリオの服の裾を掴むことに成功する。

 

「む、無理だよエリオ君……! わたしたちじゃどうしようもないよっ」

「キャロ! でも、僕らだって戦わないと!」

「だったらなおさらだよ! 助けを呼びに行かないと、みんな死んじゃうよ!?」

 

 悲痛な叫びに、エリオの思考が停止する。死、と彼女は言った。子供が軽々しく口にしていい言葉じゃない。ごくりと喉を鳴らす。口の中が次第に乾いてゆく。衝突する音が頭上で鳴り響き、視線がそちらに向く。火花を散らして交わされる刃の残光が、強く脳裏にこびりついた。

 

 それが自分に直撃し、血反吐を撒き散らして墜落する光景を一瞬想像し、あまりにリアルな錯覚に寒気と吐き気を催した。己の弱さが見せる幻かもしれない。冷汗が背筋を中心ににじみ出し、生を実感させる鼓動が必要以上に轟きだす。実戦でしか感じ得ない不可視の感触に身体をよじった。歯が噛みあわず、かちかちと硬い音を奏でる。ぶるりと背を中心に震えが生じ、最早先程までの戦意が削がれていることに遅ればせながらも気づいた。

 

 キャロの言う通り、助けを呼びに行く方がいいのかもしれない。

 

 けれど。このまま皆を残して行っていいのか? 孤軍奮闘する仲間に背を向け、援軍を呼びに行くためとはいえ、見捨てるような真似をする。理屈では懸命な判断だと理解できる、だが周囲がどう言おうが、エリオは心のどこかで躊躇いを抱いている。今まで培った戦う力を発揮せず、上司を呼びに行くだけの作業じみた行為。

 

 歯を食いしばり、振りほどいて飛び出したい衝動を必死に押さえて、息を整える。

 

「……、分かった。急いでフェイトさんたちを呼びに行こう」

 

 後ろ髪引かれながらも、エリオは英断を下した。

 結果的に、キャロの懸念は正しかった。彼らが選択したのは、激戦が続き疲労気味のシグナム副隊長を呼びに出るよりも、ホテル内部にいるであろう隊長らと合流を図ること。その判断は彼らにとっては正しく、運良く途中でヴィータと邂逅し、ホテルのホ-ルに現れたはやてらに正確な状況を伝えることができた。隊長らはすぐさま戦闘態勢に入り、介入するべくフェイトとなのはが先行する運びとなった。時間にして僅か数十秒ほどの誤差ではあるが、結果としてその差が味方を救うことになる。

 後にホテル地下から飛び出してきたシグナム共々、森林地帯で戦闘を継続していたヴィータの元へ急行。姿の見えないスバルたちを案じながら、キャロとエリオはホテル前で皆の帰りを待ち続けた。

 

 戦いが終わったのは、それから五分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

     第6話 恐れるものはない

 

 

 

 

 

 

 現場にいた者の中でいち早く敵の接近に気づいたのは、不快な何かを察知したダイスケだった。

 

(何か来る……?)

 

 それも、強大な気配を伴う何かが。得体の知れない不気味な感覚に背筋が震え、同時に自分らの状況に危機感を抱いた。ここにいると的になる。空戦が可能な人材はヴィータくらいなものだが、生憎他の場所でガジェットの一掃に励んでいる。そもそも、状況がひと段落したことで、他の面子は一様に気が緩み、腰を下しかけている。結界も消え、ガジェットの残機が少なく、増援の気配が絶たれた今、誰もが警戒心を薄れさせている。ここに来て警戒を強める要因があるとは思えない。

 隊長らもすぐにホテルから飛び出してくることだろう。だがそれよりも早く、空の向こうから黒い影が現れた。誰かが空を指差し、味方か、とか、今更来たの、とざわめき立つのが窺える。誰も分からないのか。ここまで明確な悪意の波動を感じないというのか。

 

 ならば、とバルカンを構える。傍らで驚いたように身体を震わせるスバルを無視し、空の向こうへと照準を合わせる。

 

 だが、

 

「……ッ!?」

 

 トリガーを引いても、砲身が空転するだけで弾は発射されない。からからと空しく響く光の灯らぬバルカン砲。

 何故、と焦りを帯びたダイスケの表情が、原因の判明に至ると更に強張った。カートリッジ式の弾薬庫が空になっている。ガジェットの一掃に全て使い果たしてしまっていた。

 

「しまった……!」

 

 予備のカートリッジはない。あるのは近接用の刀剣型デバイス一本のみ。それも長年使い込んだ手に馴染む一品だが、些か心もとなく思うのは、敵戦力が未知のものであり、なおかつ終息しつつあるこの状況下で単身乗り込む敵の気概と意気込みは、己の持つ実力と自信を微塵も疑っていない証左に他ならない。こちらは戦闘後であり、体力も随分と消耗している。

 確かな力を持つのは、遠く離れたところに立つダイスケにも十分伝わって来る。間違いなく六課隊長格だ。

 

 すぐさま上司の指示を仰ぐべく、スターズ副隊長であるヴィータに念話を飛ばす。

 

 しかし、

 

「通信が……!?」

 

 できない。

 ジャミングを施されたかのように、不鮮明な声がするだけで、上手く聞き取れない。既に結界もなく、先程まで良好だったというのに。

 

 嵌められたか、と思うのも束の間、やがて空の染み程度の大きさだった敵の影は大きくなり、飛ばされる敵意もまた、それに応じて強くなった。黒いバリアジャケットを翻し、空中で一回転したその影は、その手に何かを握り締めている。

 

 危険だ。

 

 すぐさまAGGブーツの電源を入れ、重力を遮断する。ブーツの側部に付属していた銀色の車輪が輝きを放ち、亀裂が入って拡張する。徐々にだが、自分にかかる星の重みが軽減していくのが分かる。地面に縛り付けられていた五体がふわりと浮き上がり、束縛から解き放たれた身体が虚空で舞う。

 

「ダイスケ、何を……」

 

 気づいたティアナの声も無視し、その手に一本の刀剣だけを抱えて飛んだ。急激に飛び上がると空気の壁が強く身を叩き、それを突き抜け大気の中へ身を躍らせる。鋭角で飛び、下から急上昇をかける。黒い男は自分に近づく小さな影を視認すると、体勢を変え、何かを握り締めていた右手を動かす。手にしていたのは、小さな警棒に似た物体だった。

 

 あれは、と思うのと同時、片端から光る刃が生じた。

 光学系のデバイス――ミッドチルダにおいてお目にかかる機会の少ない武器に瞠目しつつ、全身全霊をもって、ブレードを振り下ろす。男は迎え入れるように光刃で受け止めた。

 

 火花が飛び散った。両腕を用いた力で押すダイスケに対し、黒い男は片手の光刃で易々と受け止める。子供と大人、彼我の力量差は明確ではあったが、真正面から堂々斬りかかって来た少年の無謀ともとれる勇気に応えるよう、男は歯を剥いて笑った。

 

「ほう……小僧、俺に気づいたか!」

 

 主語を飛ばし、少々喜悦を交えた声を飛ばした。低く耳に届く声音は三十代ほどのものだろうか。押し返す力の具合は最盛期を過ぎたものとは思えない。近くに来れば、筋骨整う男の体躯が見て取れる。頭を覆うテンガロンハット、その下から長く伸びる紫色の頭髪が衝撃になびいた。

 

「何しに来たんだよ、アンタは!」

「知れたこと……傭兵が戦うのは、決まって戦のためだ!」

 

 力任せに腕を振る。小柄なダイスケは半ば吹き飛ばされるように後退し、舌打ちを零す間もなく肉薄して来た男にぞっとした。衝撃で五体のバランスがとれない状態に追撃をかけ、勢いづいた右の爪先が弾丸の如く突き刺さった。バリアジャケット越しとは言えど、大人の放つ全力の蹴撃は尋常ならざる威力を孕んでおり、ある程度の力を拡散させつつも、大部分は腹の中身を強かに揺らした。激しくこみ上げる嘔吐感に顔を顰めながらも、押さえ込んで上へ。下へ飛べば流れ弾が味方に当たる可能性もある。位置を考慮せねば次に男が向かうのはどこか、それは容易に想像できる。

 男はすぐさま飛翔し、追い打ちの用意を整える。思った以上に動きが早いと感じるのは、空間を自在に飛行可能な空戦魔導師だからか。それともただ単純に、自分が遅いからなのか。魔法を『まともに』使い始めて日が浅いから、という理由は言い訳にも届かない。

 

 上からの重力任せに刀剣を振るう。当然の如く避けられる。その事実に少なからず瞠目した。何故避けられる? この至近距離で外すなど通常有り得ない。どんな動体視力をしているんだ。お返しとばかりに突き出される刃を身の捻り一つでかわす。皮一枚で避けたため、頬の表面に軽度の火傷が生じる。鈍い痛みに、非殺傷設定が既に解除済みであることを知る。殺す気で刃を振るっているのか。殺意よりも悦楽と興奮を乗せ、輝く害意が襲い来る。

 

(こいつ……!)

 

 慣れぬ空の戦いとは言え、訓練で見た上司以上に自在な飛行を成し遂げ、実戦に適した動きを見せる男。一体何者だ、と心中で焦りを帯びた思考を生みつつ、攻防の入れ替わる戦いを継続する。

 

 

 

 

 

 はやてたちは解かれた結界から逃れ、一秒でも早く外へ向かうべく弾かれたように走り出していた。イベント用の衣装は既に取り替えられ、いつもの茶色いスーツを身に纏っている。窓を突き破って外へ飛び出したい衝動に駆られながら、窓越しに見える空中で飛び散る火花と衝撃波を横目に窺う。上空で時折黒い影同士が交錯しているが、片方は見知った顔だろう。しかし、もう一方は誰だ? 敵であることに間違いは無いだろうが……。

 

「あれ、もしかして……スリンガー? 黒死の鮫っていう……」

 

 外で繰り広げられる戦いの音に反応し、フェイトが開口する。大人のものと思しき陰影は、彼女の記憶が確かならば、近頃世間を騒がせる次元犯罪者のものだ。その話は枚挙に遑がない。数多の犯罪行為が横行している昨今、人々の記憶に強く残るのは、やはりというべきか、魔法が強く関係する犯罪、それも、死傷沙汰にまで発展したものだ。とりわけ同一人物による連続殺人などは大きく報道されており、近年ミッドチルダにまで行動範囲を広げていることから、その独特な姿形と行動パターンは、縁の無いフェイトでさえ小耳に挟んでいる。

 

「何か知っとるんか? フェイトちゃん」

 

足を止めずとも、怪訝な顔で問うたはやてに、フェイトは神妙な顔をしたまま、語った。

 

「今から三年前、管理内世界にあった、次元管理局の研究所を強襲して、当時発掘されたばかりで唯一のサンプルだった特殊なデバイスを強奪したって。すぐさま追撃隊が組まれたけれど、間もなく全滅したって聞いてる」

 

 つられるようにはやては目を向ける。外で続行する金と黒の激突を遠目に窺いながら。

 

「出生・素性も全て不明、ただ判明しているのは、敵と見なした者には容赦しない、古代ベルカ式の使い手……」

 

それが、

 

古代(エンシェント)ベルカの亡霊、(デビル)・スリンガー」

 

 

 

 

 

 剣戟はなおも続いている。自在に飛翔するだけの力を持たないダイスケは、圧倒的に不利と判断しつつも接近戦を選ばざるを得なかった。空中を思うがままに飛翔できる相手に対し距離を取れば、近距離戦主体のスリンガーは有効打を失う。しかしそれはダイスケも同様だ。加え、下手に放されれば地上へ行かれることもあり得るし、それに追いつく術は無い。激しく交叉する刃に照らされ、苦汁を呑むダイスケと口端を釣り上げるスリンガーの表情が浮かんだ。

 

 勝ち筋の見えない火花散る攻防も、やがて終わりが近づきかけていた。戦い慣れていると言えど、所詮子供の範疇を超えぬ体力しか持たないダイスケと、成人男性として平均以上の膂力を持つスリンガーでは、地力に大きな差が出る。仮に互角の実力だったとしても、ガジェットとの戦闘後では分が悪く、そも互角では勝利は掴めない。鍔迫り合いを繰り返し、薄皮一枚の位置を通過する光る刃をかわしながら、かすかな光明を見出さんと待ち続ける。

 空中戦は地上戦と異なり、不動の足場が存在せず、広い角度を警戒する必要がある。普段ならものともしない小さな風一つさえ姿勢制御を困難なものにし、接触時の衝撃を逃がす術を持たなければ枯れ葉の如く吹き飛ばされる。頭上をとられれば重力を上乗せした手痛い一撃が襲い、下に回られれば回避しづらい刺突が叩き込まれる。今の自分より体格で勝り有利な状態の敵に対し、全てで劣るダイスケの勝算は限りなく低い。

 

 だが、退かない。

 何故なら退けば、そこで失うものがあるからだ。

 

 例えば、敵ならば排除せねばという義務感だったり、眼下で未だ立ち尽くす味方の存在だったり、己のちっぽけなプライドであったり。

 

 一組織の人間として、新人というカテゴリから逸脱しないならば、上司の到着を素直に待つのが最良の選択だろう。敵の実力以上に、身内の実力如何は把握している。彼女らがこの男に劣るとは思い難い。だが、スリンガーの刃は肉を裂き骨を断つ。魔力ダメージを与える生易しい代物とは大いに異なる。触れれば致命傷は間違いなく、到着した暁にバトンタッチして全てを委ねるのは気が引けた。

 しかし自分ではこの男に防戦一方であり、勝利できる可能性が低いのは前述の通りである。今は自分の至らなさを嘆きつつも、増援の到来を今か今かと待つほかない。

 

 ……無論、ただ時間稼ぎの戦いに準じているわけではない。

 

「小僧、やる気がないならとっとと帰ったらどうだ!?」

 

 守りに徹してばかりのダイスケに腹を立てたか、苛立たしげな声を上げる。舌打ちし、だったら、と前を気を入れてから、張り合うように叫んだ。

 

「そんなにやりたいなら……やってやるよ!」

 

 意気込んだ勢いでスリンガーを押し返し、そのままやや上方へ飛ぶ。動きにぎこちなさが目立つダイスケに対し、即座に踏み込み前進するスリンガーの動きのなんと流暢なことか。つられて身体に無理強いし、小刻みのステップを踏むスリンガー目がけて刀剣を大きく払い、続けざまに縦断。軽やかな動きで避けられ、それでもとばかりに突きこむ。

 

 しかしただでさえ劣勢のダイスケに更なる追い打ちをかけるような事態が発生した。バチバチと散る火花の音に紛れ、不協和音が足元から聞こえた。何かと思えば、足元で浮遊する銀色の車輪が赤いランプを灯らせている。過負荷に耐え切れずオーバーヒートを起こしているらしい。出力を無理に上げすぎたツケが回って来た。いずれ重力を遮断し切れず落下し始める。その前に状況を打破せねばならない。

 

 やや顔色を変えたダイスケを見て何を思ったか、三歩分の距離を置いて停止するスリンガー。バレたか、と思うも、例えこちらに後が無いことを知られようがやるべきことは変わらない。

 

(時間がないなら……!)

 

 刀剣を腰だめに構え、大きく虚空を踏み込み前進。その意気や良しとばかりに獰猛に声無く笑い、同じく前進。ダイスケ以上の踏み込みで加速し、刃を振りかざされるよりも早く左腕を伸ばしてくる。

 

 させない。襟首を掴もうと伸ばされた左腕を絶好の獲物と断定し、決行した。

 

「何……!?」

 

 不意に襲った衝撃と痛みに、スリンガーの動きが停止した。せざるを得なかった。利き腕の左だけで刀剣を構え、受け側に回っていたダイスケは、前進する直前に右手であるモノを引き抜いていた。

 

 黒く長い、革製のベルトだ。

 

 ジャケットの腰回りを押さえる役目の担う一つを逆手で引っこ抜き、先端の金具部分を遠心力の助力も借りて叩きつけた。いかにマルチタスクを持ち合わす強者と言えど、視界の隅での行為一つに思考を割くほど戦いは悠長ではない。鍛えていようが金属の硬度で殴打すれば痛みの一つでも生じよう。不覚にもスリンガーは鈍い痛みと予想外の攻撃に身動きを止める。

 

 すかさずダイスケは攻勢に出る。消耗戦を続けていてはいずれ破れるのは明らかだ。ならば今のうちに多少強引にでも主導権を握らねばならない。迎撃の暇も無く、構えた状態から刺突を放つ。威力は低かろうと活路を開いてくれれば、と淡い期待を抱きつつ打ち込まんと腕を伸ばす。

 

 だが、

 

「くぁ……っ!」

 

 切っ先が届く直前、苦痛に顔が歪んだ。

 

 左手を伸ばしきったダイスケの左脇腹、そこに黒いブーツが食い込んでいる。反射神経任せに繰り出された咄嗟の一発だったのだろうが、大人ゆえの長いリーチを誇る脚撃が見事にヒットした。上体を逸らしたことでやや彼我の距離差が生じ、そのため剣が届くよりも、腕を伸ばすことで生まれた死角を突いた蹴りが早く着弾した。不意を突かれ、肋骨がひどい軋みを訴え、これにはたまらずダイスケの動きが数秒止まる。

 

 隙が生まれた。

 直後、轟風つきの光剣が振りかざされる。

 

「……!」

 

 避けられない。

 頭部から真っ二つに一刀の下、両断する軌道。眉間に冷たい空気が流れ込む。。走馬灯すら過らぬ一刹那の間に、視界いっぱいに映る光の刃がゆっくりと迫り―――

 

 その直前、割り込んで来た赤い影に弾かれた。小柄な身体を彼我の間に捻じ込み、その手に掴んだ鉄槌を大きく振るう。虚しくも空を切った鉄槌を軽く回し、剣よろしくその手で構えた。

 

「ったく、勝手に突っ走りやがって……」

 

 ぶつくさ文句を言いつつも、少女は―――ヴィータは、息を吐いてダイスケの無事に安堵した。

 

 遅ればせながらも到来した援軍の存在に息をつき、まだ敵が健在だから気を抜いてはいけないと言い聞かせる。敵の手前であり、頭を下げて礼を言うと、再び飛びかかろうと力を入れる。

 挑みかかろうと前へ身体を押し出したところで、背後から襟首を掴まれた。前倒しになりかけたのを必死に留め、勢い良く振り向く。止めろ、と仏頂面でこちらを睨む少女の有無を言わさぬ眼光に、ダイスケは全身から熱を奪われ強張っていくのを感じた。

 

「ヴィータ副隊長、けど俺は……」

「いいから、オメェはもう下がってろ!」

 

 怒声が飛ぶ。なおもしつこく食い下がろうとしたダイスケは、次の言葉で凍りついた。

 

「邪魔なんだよ!」

 

 雷で打たれたように身動きを止めたダイスケを残し、やり取りを遠くで眺めていたスリンガーの元へヴィータは直進する。振り返ることもせず、半ば呆然としたままの少年は、やがて遥か遠くから聞こえてくる剣戟の音も届かない風に佇んでいる。

 

 どうすることもできず、ただ、眺めたまま。

 

 その手に力はない。

 力が無い。

 

 

 

 

 

 巷で流れる噂の信憑性など、たかが知れたものだ。だが、上空にて展開される騎士同士による攻防は、近代で流行する魔導師同士がお互いの熱意と誇りをかけて凌ぎ合うスポーツじみたものではなく、旧き時代から何一つ変わらない、敵意と生命をかけて刃を交わす死闘である。一秒の猶予もなく、一瞬の躊躇が血肉を削る。かつて争乱の絶えぬ古のベルカで戦いを繰り広げてきた守護騎士の一人、ヴィータは、記憶の底に埋没していた血の香り漂う戦場の空気を肌で感じていた。

 

(これが……スリンガー。『黒死の鮫』……)

 

 敵の素性を、ヴィータは初見で看破した。D・スリンガーは、ミッドチルダにおいてはスカリエッティと並ぶ凶悪な犯罪者だ。無作為に被害をもたらすほどの狂人ではなく、何かしら信条を抱えているのか、時として重犯罪者を手にかける善人のような行動も見られるが、彼の前に立ちはだかった管理局員を皆殺しにした事例もある。犯罪行為に規則性は無く、ただ一貫しているのが、敵対したものは必ず殺害している、ということだ。無論、非殺傷設定など軽々しく無視しているのだろう。扱う魔法はヴィータ同様、ベルカ式。それも、正真正銘、純正の古代ベルカだ。

 しかし古代ベルカとは、その名の通り古き時代の産物であり、最早歴史上の名しか存在しえないモノだ。守護騎士として数百年間生き長らえるヴィータたちと異なり、人間であるスリンガーが、何故古代ベルカの力を使えるのか。

 

 ただ単純に、魔法術式が古代ベルカ式というならば、納得もいく。はやての知人にも古代ベルカ式の使い手はいる。珍しいというだけで皆無ではないのだ。

 

 だがこの男の振るう刃は違う。尋常ではない。戦を求め、血を一身に浴び続け、古き争乱の時代を生き長らえた、猛者たる武人特有の臭い。あのデバイスは近年製造された近代ベルカのそれではなく、長い年月を経て魔剣へと変貌を遂げた、正当なるベルカの力――!

 

 新人には任せられない相手だ。他の者より実戦慣れしているダイスケならば抗える力はあるだろう。だが見たところ、彼は全ての弾を撃ち尽くし、カートリッジも使い果たしている。残弾を持て余していたならば牽制に使わぬ道理は無い。それに加え、彼本来の実力を出し切れないのが現状だ。質量兵器を主体に戦っていたダイスケは魔法主体の戦闘に不慣れである。対し、スリンガーは魔法を刃に数々の罪状を生みだした男だ。如何に戦闘慣れしていようと実力が伴わなければ意味が無いし、力を発揮できねば経験も知恵も何も役に立たない。

 

 だから、自分がいくしかないと悟った。辛辣でもはっきり言わねば伝わらない。短い時間の中では十分に言葉を話交わすことができないため、お互いの認識に齟齬が生じたことを理解できないまま、ヴィータはスリンガーに飛びかかる。身の丈ほどの鉄塊を振り回す少女に物怖じせず、スリンガーも刃をもって受け止めた。

 

「ほう……さっきの子供といいお前さんといい、近頃のガキは出来がいいな!」

「ガキじゃねぇ! あたしは鉄槌の騎士、ヴィータだ……ッ!」

 

 余裕を浮かべる面が気に入らない、とばかりにヴィータは力任せに鉄槌を押し、振るう。スリンガーは軽く避けてみせ、「ほぉう」と感嘆の息を吐く。喜悦を含む呟きに、ヴィータは寒気の身震いが止まらなかった。他の次元犯罪者とは決定的に違う何かを、本能で感じ取った。

 

「俺様に名乗るか、ええ? お嬢ちゃんよぉ!」

 

 刃が来る。大きな挙動を好機と判断、しかし相手の土俵である接近戦よりも、ヴィータは後退を選ぶ。虚空を横に切り裂いたスリンガー目がけ、銀色の鉄球を放つ。即座に放つため、速射を重視し誘導性を付加しない一発は、体勢を崩したままのスリンガー目がけて飛来し、 

 

「おっと」

 

 軽々しい口調と共に身体を斜に構え、額すれすれの位置を通過する鉄球を見送った。避けた、と軽く驚きつつ、息つく暇すら与えんと次なる一撃を放つ。

 

 歯を剥き連撃を絶やさぬヴィータとは対照的に、涼しげな顔で受け流し続けるスリンガーは、「いいことを教えてやる」とひたすらなまでに余裕な態度を崩さない。

 

「本気で戦うなら、殺す気でかかるのが俺のモットーだ……ッ!」

 

 途端、受け手に回っていたスリンガーの光剣が閃いた。出力を上げた光剣が、ヴィータのアイゼンを軽々撥ね飛ばす。カートリッジを使用していないとはいえ、片手で跳ね除けられたことに軽い驚きを得つつ、即座に半歩ほど身を退き、左手に鉄球を生みだした。数は四、間髪いれずに投げ捨て、急いで引き戻したアイゼンで穿つ。

 一斉発射。至近にいたスリンガーは瞬時に後退、五メートルほど距離をとり、その場で鉄球を全て撃ち落とした。炸裂する鉄球の爆炎にスリンガーは呑まれるが、あの程度で果たして手傷を負うものだろうか。否、とすぐさま追撃の用意を整え、同時、煙幕を突き抜けて突進して来た黒影を捉えた。

 

「はやてが来る前に終わらせてやる……いくぞアイゼン!」

《Jawohl.》

 

 応答の後、すぐさま意を察したアイゼンは形態移行を開始する。ハンマーヘッドが形状を変え、片側を鋭い錐形へ、反対側を三つの噴射口へと姿を変える。赤々と吹きだす魔力の奔流、急加速して発進するヴィータを目にし、さしものスリンガーも顔色をやや変える。溢れ出る魔力を警戒したのか、制動をかけ、背を向けず斜め上方へと身を下げる。

 させじとヴィータは進路を変更、アイゼンの噴射口をほぼ真下へ向け、退路を妨げるべく回り込む。真正面から突撃してくる少女と目線を交わし、上空への退避を諦め下へ向かう。踵を返したヴィータはしめたとばかりに大きく身を振り、同時にアイゼンが更なる爆発を轟かせる。重力降下と倍増しとなった噴射力任せに垂直降下する流星と化したヴィータは、圧倒的加速をもって打撃を放った。

 

 直撃を恐れ、初めてスリンガーが防御態勢をとる。見慣れた三角形のシールドは、魔法攻撃の防御に優れる『パンツァーシルト』だろう。ベルカと縁あるヴィータは即座に見抜き、術者よりも早く敵の失策に気づいた。

 ギリギリと不協和音を奏で、次第に亀裂を生むシールド。ヴィータのラケーテンハンマーはバリア破壊能力に長けている。知る由がないとは言えど、地上へと降下しながら、スリンガーは次第に割れ砕けていく光の壁に目を細めていた。

 

 地上が見えてくる。暗い森の中へと落ちていく。奈落の底へ叩きつけるように、ヴィータは気合いと根性任せに押し出した。

 

「ぶち抜けぇえぇえええええええええッ!!」

 

 衝突寸前、シールドが粉々に砕けた。対抗馬を失ったハンマーヘッドが解き放たれ、がら空きの腹部目がけて突進する。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 同時刻。

 

 ホテル前で、ティアナとスバルは待機していた。独断で迎撃にあたったダイスケを案じ、すぐに駆けつけたヴィータに事情を話し、待機していろと仰せつかってから、律儀に二人は待ち続けている。所在なさげに左右を見渡すスバルは今にも駆けだしそうなほど落ち着きが無い。逆にティアナは腕組みして沈黙している。目を閉じ、何事か思案しているような雰囲気だった。

 

 頭上を見る。時折黒いバリアジャケットが身を捻るのが窺える。赤い影が熾烈な猛攻を続けている。離れた場所に立つ自分の肌にも伝わる魔力の鼓動、激突の度に空を揺るがす弾けるような力。

 やはりと言うべきか、隊長陣の実力は格が違う。地べたから離れられず空を見上げるしか術を持たぬ自分など、舞台に上がる資格さえ無いというのか。妬ましい。怒る筋合いのない話であると理性が懸命に声を上げても、胸の底にあるわだかまりが渦を巻き、歯噛みするティアナは理性の抑止力を振り切って感情に身を委ねた。

 

 否、と頭を振る。力不足など百も承知、それでも何か為すべきことがあると自分に言い聞かせ、落ち着きかけていた腰を上げる。

 

「……スバル。まだ動ける?」

 

 え? と驚くスバルを尻目に、答えを聞く暇も惜しんでティアナは歩き出す。上司の命令に逆らうティアナの真意が分からず、しかし有無を言わさぬ雰囲気に圧倒され、スバルは先を行くティアナについて行くほかなかった。

 

「助太刀に行くわよ」

 

 

 

 

 

 未知の敵の力量如何を初見で推し量るのは難しい。それが、腕の立つ武人であらば、尚更だった。

 

 肩で息をするヴィータ。周囲は粉塵が立ち込め、黒い視界を白く染め上げている。視界の悪し様に変化はないが、これならば空気の僅かな流れも感知できよう。もっとも、あれほど殺意迸る男の位置を見失うなど、五感を掻かない限り有り得ないが。

 アイゼンが煙を吐き出す。飛び出した薬莢が地面を叩き、空気の抜ける音を解き放った。柳眉が逆立ち、耳を澄ませて前方を警戒したまま、ヴィータは身構えを解かない。

 

 案の定と言うべきか、白いカーテンの向こうから、やがて人影が近づいてきた。

 

「驚いたな」割と平坦な声が聞こえてきた。「受け手に回る性分じゃねぇから、バリア張るなんざ久々だ」

 

 やるじゃねぇか、と褒め称えるような声には、幾分余裕が舞い戻ってきているようにも窺える。

 

「そりゃこっちのセリフだ」

 

 唾でも吐き捨てそうな発言だった。

 

 ヴィータの放ったラケーテンハンマー、シールドを粉砕して必殺を確約するはずだった一撃は、スリンガーに確かに当たりはした。

 手応えを感じていれば、なお良かったが。

 衝突寸前、ヴィータはその目で見ていた。振り下ろされるアイゼンの矛先に、懐から取り出した銃のような物体をぶち当てる光景を。

 

 引き抜かれた物体によって攻撃は阻まれ、背中から大地に激突しそうになる寸前、蹴りあげた足でアイゼンの柄を弾き、軌道からズレた。あれではほとんどダメージを負ってはいまい。少々息に乱れがあるのは、単純にそれなりの体力消耗と驚きによる動悸があったからだろう。

 

「お陰で、ウチの相棒も守るってことをすっかり忘れちまってたみてぇだな」

《Schuldigung.(申し訳ありません)》

 

 電子音声。

 白い中で瞬いた紫色の光芒。やがてその全貌を惜しげも無く晒したスリンガーは、今まで見たことの無い武器を片手に添えていた。

 

「改めて言おうか。俺の名前はD・スリンガー、そしてこいつは……」

 

 光剣しか握られていなかったスリンガーの右手、その反対側、空いた左手に収まる、一丁の黒い装飾銃。今まで一度も使われることの無かったそれは、紫色の宝石を埋め込み、長く伸びる二つの銃身が特徴だった。

 

「B・シャーク。今となっちゃあ骨董品モノの、古代ベルカのデバイスだとよ」

《Guten tag.(ごきげんよう)》

 

 古代ベルカ。

 その言葉に、スリンガーのデバイスを目視したヴィータの中で強烈な違和感が芽生える。ベルカ、特に古代となれば、シグナムやヴィータ同様、近接戦を想定し、それに特化した武装を主体とするのが常識だった。武器や徒手空拳を好んで使い、それらに魔力を流し込んで力と為す、遠距離戦闘や複数戦闘を度外視した、対人特化の戦術。あくまで基本であるため、ヴィータの知らぬタイプの騎士が実在したとしてもおかしくは無い。無いが、近代ベルカ式が広く知れ渡った今日においても、銃型タイプの使い手は非常に珍しい。フォワードのティアナや、現在ヘリの操縦士を担うヴァイス・グランセニックなどは稀有な存在である。いずれもミッド式の使い手ではある、が。

 

 考え込むのを止める。幾ら推測を立てても、何だと言うのだ。敵ならば倒す、考え事は後でもできる。渦巻く疑問の数々を、深く物事を追求するのは柄じゃない、と一時頭の片隅に追いやる。

 

「いい眼だ。久々に血が滾る。近頃骨のねぇ腰抜け連中ばかりで退屈してたんだ、愉しませてくれよ」

 

 右手に光剣、左手に銃器。

 騎士の武装としては異例の組み合わせ。一般論のベルカの騎士たる者の志とは大いにかけ離れた有り様だが、実力の程は負けずとも劣らない。

 

「スリンガー十ヶ条その1、名乗りあった相手とはどちらかが倒れるまで戦うべし。名乗ったなら、最後まで付き合ってもらおうか……!」

 

 信条を明かし、

 

「さぁ、牙の餌食になりやがれ!」

 

 撃った。

 

 

 

 

 

 はやてが外へ出る頃には、既に戦場は森の中へと移っていた。

 

 無数の残骸が広がる、物音一つ無い静かなホテル前。尚も続く剣戟と銃声の音が轟く森林地帯。両者を見、すぐさまはやては「周囲を警戒、残存するガジェットがいたら即排除」と指示を飛ばす。機影は見当たらないが、油断はできない。もう、できない。

 頷き二つ。なのはとフェイトはすぐさまセットアップを行い、別々の方向へ飛び立とうとした。

 

 しかしその直前、はたと思い至ったかのように、フェイトが言った。

 

「……ティアナとスバルは?」

 

 一瞬問いかけに首を傾げ、周囲を見渡してから目を剥いた。

 

 いない。ティアナもスバルも、どこを見ても見当たらない。

 アンノウンが出現するまで健在であり、待機していたはずの二人が何故いない? エリオとキャロに目を向けるも、二人は揃えて首を振る。確かにさっきまでここにいたと、語らずとも目で教えてくれた。

 

 ならば何故、と眉根を寄せて、そこではやては更に頭を悩ます事実を発見した。

 

 ここにいるのはエリオとキャロの二人だけ。いないのはティアナとスバル。

 だが、フォワードは五人だ。

 

 ならば、もう一人は、

 

「まさか……!」

 

 

 

 

 

 銃撃一つで木々が薙ぎ倒され、お返しとばかりに穿った鉄球が大地を抉る。

 

《Schwalbe fliegen.》

《Gespenst Kugel.》

 

 銀色の弾丸が飛び出し、紫色の光弾が放たれた。前者は障害の一切をことごとく粉砕して突き進み、後者は丁寧に障害さえ盾にして円を描きつつ前進する。

 

 鼓動するかのように不自然に瞬き、木々の隙間を縫うように旋回して飛来するそスリンガーの弾丸は、さながら墓地を彷徨う人魂のようでもあった。暗闇で薄らぼんやり瞬く光を迎えうつべく構えるが、それが複雑怪奇な軌道を辿り始めたことで誤算が生じた。速すぎる、というほどではない。だが矢継ぎ早に連射される光弾を全て撃ち落とせる自信はない。

 ならば、と大振りな迎撃で撃ち落とし、敢えて自ら隙を見せることで攻撃を誘導する。

 

 案の定、暫しの間は意図的に作られた隙を突くよう射撃が飛んできたが、ややあってからは不規則に乱れ飛ぶようになった。

 

(野郎……思ったよりも冷静じゃねーか)

 

 ヴィータは驚き半分、苛立ち半分に判じた。戦場は上空から森林地帯へと移っている。辺りは障害物でしかない木々が立ち、光さえ届かない夜の帳が視界を黒く染め上げている。常人ならば一寸先さえ拝めない暗闇の中、ヴィータとスリンガーは何一つ傷害にさえならぬとばかりに火花を散らして幾度も交錯する。敵の居場所と木の立つ場所が分かるのは、偏に敵の溢れる殺意を肌で読み取り、互いの技の衝突時に生まれる閃光が刹那の間に辺りを照らしているからだ。

 戦闘において、ヴィータはあらゆる距離で戦うことを想定した戦術スタイルをとっている。近年ミッドチルダ式が主流となり、射撃や砲撃を行う魔導師が爆発的に増えた昨今、近距離戦闘を主体とするベルカの使い手には逆風を受ける御時世ではある。が、それを補うだけの技量と能力を持ち揃えるからこその騎士である。第一、完全に遠距離戦を度外視しているわけでもない。刀剣を扱うシグナムとて高威力を誇る射撃魔法・シュツルムファルケンを持ち、はやては少々例外だが広域殲滅魔法を行使している。あくまで特筆すべき点の一つが接近戦と世間一般で評されているだけの話だ。

 

 ゆえに、雨あられと降り注ぐ銃弾を前に、舌打ちしつつも動揺を抱かず、ただ黙々と飛来する光弾を撃ち返すことができる。同じ隊に才能と素質の塊である砲撃魔導師がいるのだ、それと比較すれば、滝の激流と鳩の豆鉄砲ほどの差はあろう。

 とはいえ、延々と撃ちこまれる弾を弾き、或いは叩き落とし、単純作業と化したその工程を数分は続けただろうか。だんだん膠着した状況にいら立ち始めたヴィータであるが、いかんせん敵の攻撃の手が止まず、なおかつ威力は脅威と呼べるほどではないにしろ、得体の知れない敵の攻撃である。一発でも受け取るわけにはいかない。

 

 勝負に執着している生粋の戦闘狂、だが愚直に突っ込むだけが能の馬鹿ではない。如何に戦いを有利にして進めるか逐次計算し、周囲の状況を的確に把握している。光の届かぬ深海に潜み、虎視眈々と獲物に狙いを澄まし、獰猛な牙を剥き捕食する――鮫の有り様を連想させた。

 

 だが敵もいつまでもいたちごっこに付き合うつもりはないだろう。障害物を粉砕し続けるヴィータに対し、スリンガーは静かに移動と射撃を繰り返している。このまま森が破壊し尽くされるまで続けるつもりか。

 

 やがて周囲数十メートルにわたり切り開かれた平野が生まれた頃、新たな動きがあった。

 

(……来たか!)

 

 物陰に隠れるのを止め、機を得たとばかりに猛進してくる。何か奇策でも立てたか、一直線に突撃を仕掛けてきた。

 

 ならば小細工ごと押し潰すまで。

 

「これでも喰らっとけ!」

 

 大きく後ろへ振り上げ、スイングフォームをとる。ゴルフのワンショットを彷彿とさせる動きで、足元に転がっていた物体をバッティングした。

 

 身の丈三倍はゆうにある、巨大な大木である。

 

 大きく軋みを上げ、しかし横からの打撃に打ち上げられた大樹は、走り込んで来るスリンガーに向かった飛んだ。さしものヴィータも手が痺れ、スイングした勢いでくるりと半回転し―――そのまま回転を止めず、更に一回転。意図を汲んだアイゼンが《Schwalbe fliegen.》と声を上げる。すれ違うことなく意志を合致させたヴィータは、第二波をフルスイングでぶっ飛ばした。

 大木を盾に、鉄球は直進する。誘導性を高めた砲弾は先程までのそれとは段違いの追尾力を持つ。大木を避けるも良し受け流すも良し、いずれにせよ球弾はスリンガーに殺到する手筈だ。一度は回避できても二度も続くまい。

 

 案の定、スリンガーは大木を一刀の下、切り捨てた。ブォン、と大気を焼く音がし、大の男一人なら余裕で押し潰す大木が割り箸のように真っ二つになった。が、そこに後続の鉄球が飛び込んでくる。刃を戻して受け流すこともできず、装飾銃で受ければその瞬間爆発する。

 

 勝った、とヴィータはすぐ目の前に浮かぶ勝利の余韻を抱き止めようとし、

 その寸前、果たしてスリンガーは信じられない機動をした。

 

「何ッ!?」

 

 思わずヴィータは大きく眼を見開く。

 

 スリンガーは回避しなかった。

 否、正確には、逃げて避けることを選ばなかった。

 

 前進する速度を僅かたりとも落とさず、獰猛な笑みさえ浮かべながら、眼前にまで鉄球が迫ったところで、見た。右の肩をぐいと持ち上げ、身体の主軸を中心に反時計回りに一回転。俗に言うバレルロールと呼ばれる、空中で行った横の回転一つで、放った鉄球はスリンガーの衣服を荒々しく削り取るに留まり、銀の砲弾はくるりと踊るような機動をとっただけで軽々回避された。

 言うは容易い。しかし破壊力、誘導性に富んだ魔法を間近に見ても決して物怖じしない胆力。恐怖を意図的に忘れ去った狂人だからこそできる芸当、というより、戦という荒事に長年身を置き続けた根っからの戦闘狂だからこそ見出せる最小限の行動パターン。実際目にしたからこそ分かる、この異常な咄嗟の判断力。

 

 まるで全てを想定した戦いを演じているかのようだ。

 

 そう、

 さながら、あの少年のように―――。

 

「……っ!」

 

 尋常ではない、人が為すには困難極まる芸当に、即座の判断が遅れた。しかし迎撃を忘れるまでには至らない。回転しながら振り下ろした光刃は、迎え撃つヴィータの鉄槌に阻まれる。光が弾け、続けざまに放たれる光の軌跡を、一つの例外も無くヴィータは撃ち返した。間断なく叩き込むスリンガーの攻撃はお世辞にも丁寧な軌道をなぞらず、荒く雑で読みやすいものだ。愚直とも感情的とも言える一直線な斬撃ではあるが、それが恐ろしく速く鋭ければ、弾け飛ぶ火花も激しくなるだろう。

 攻防は続く。華奢な肉体に秘められた豪力と精神力に、たまらずスリンガーは口笛を吹く。戦いがもたらす独特の味覚に酔いしれながらも、剣戟はより鋭さを増し、うち下ろされる剣の衝撃もより重くなっていく。快楽という麻薬が彼を加速させている。人の道から外れかかった人間の歪んだ気迫に呑まれて身体が強張り、ヴィータは背筋を粟立たせた。

 

 それがいけなかった。

 

 光剣が絡まるようにアイゼンの柄に差し込まれ、手首を返してそのままかち上げる。しまった、と口までせり上がった言葉が吐き出されるのは、スリンガーの拳が無防備に晒される胴体に着弾するよりも遅かった。強かに撃ち込まれた打撃が肺の空気を全て吐き出させ、苦悶に歪むヴィータに拳の雨が降り注ぐ。騎士服の上からでも伝わる苛烈な衝撃が小さな体を風に煽られる柳の如く揺らし、トドメとばかりに最後の一発が放たれる。

 五体が飛ぶ。それでも意識を手放さず、懸命に姿勢を制御しようと空中で回転し、身構えようとしたヴィータは―――すぐ目の前にまで来ていた紫色の光弾を避ける術を持たなかった。

 

《Gute reise.(良い旅を)》

 

 Bシャークの電子音声。さながら強敵への手向けとでも謳うかのように。

 

 直撃した。

 

 

 

 

 

 煙の尾を引き、赤い少女は派手に飛んで行った。渾身の力を込めた大きな弾丸は直撃し、確実に意識を揺らしたはずだ。地面を盛大に転がる様子からして、仮に意識を保っていようが最早立ち上がることさえできまい。

 

 とはいえ、敵対したならばしっかりトドメを指すのが流儀。久方ぶりの心躍る戦いに終止符を打つべく、前へ足を踏み出した。

 

「ん……?」

 

 怪訝な声が漏れる。直後、飛来した光弾を、スリンガーは何の躊躇もなく叩き伏せた。橙色の光弾、それはヴィータの放ったものではない。魔力光の違いに気づいたスリンガーは、柳眉を逆立て言葉を震わせる。

 

「邪魔をすんじゃねぇ……!」

 

 心底怒りに満ちたスリンガー。踵を返し、森林地帯へ再び足を踏み入れ、木々の間に人影を確認するや否や、激怒を隠そうともせず肉薄し、袈裟掛けに切り裂いた。

 が、斬った相手が突然揺らいだかと思うと、姿を歪ませ消滅する。それが幻影魔法だと気づくのに一拍ほどの間を要し、剣を握る手に力がこもる。剥き出しになった歯が軋みを上げ、苛立ち交じりに横に振った光る刃が木の幹を両断する。猪口才な、とこぼし、静かに足を動かし出す。

 

 折角良い気分だったというのに。興ざめも良いところだ。Bシャークを片手に、もう片手に光剣を握り締め、新たに出現した少女の姿へ狙いを定める。

 

 人の気分を害したならば、それ相応の仕打ちをせねばなるまい。

 

 

 

 

 

 至近を突き抜ける紫色の閃光が肌を焼くたび、思わず震え上がりそうになるのを、ティアナは強く握り締めた左手で引きとめ、懸命に射線から外れるコースをなぞりながら、敵の背部を狙う。

 スリンガーはこちらに気づいていない。なのはでさえ初見では看破できなかった幻影魔法は、確かな効果を発揮している。自分の幻影に向かって攻撃を仕掛けるのを見、スバルの残影に気を取られるのを確かめ、ようやく発揮された己の修業の成果に手ごたえを感じる。敵は虚空を突き抜ける剣と拳の感触にいら立ちつつ、新たな幻影に殺意を飛ばす。その先端に自分がいないと分かりつつも、肌を伝う汗は止め処なく流れ続けている。

 

 敵が非殺傷設定を切っているのは目に見えている。でなければ腹を立てたスリンガーが自分の幻影を木ごと真っ二つに切り裂いている光景など絶対にあり得ない。轟音を立てて倒れる木の有り様に鳥肌が立つ。

 実戦は二度目だが、人と相対するのはこれが初めてだし、何より敵意と殺意をこうも露骨に叩きつけられるのは生まれて初めてだった。自分だけではなく、周囲を圧殺しかねない見えないプレッシャー。訓練では実感できない感覚に、内心喜びさえ感じていた。緊急事態の土壇場でなければ発揮されない力を行使できれば、着実に力をつけていると確かめられる。

 

 照準は一寸たりともズレておらず、ピタリとスリンガーの背を捉えている。

 

 見えもしないティアナの位置を探っているスリンガーの背中、そこに一発叩き込むだけでいい。

 簡単な工程だ、問題無い。幾ら実力が上回る相手とはいえ、無防備な背後から全身全霊を込めた一撃を撃てば致命打になるだろう。

 

 大丈夫。訓練の時間なら誰よりも費やした。内容も質を求め足りない分は自主練で補った。才能で劣っても努力でカバーできる、自分の至らなさをきちんと理解でき、認めることができるからこそ、今すべき最善を模索し、最短の道を選択できる。今走る道を振り返る。そこには間違いなく無駄などなかったし、きっとこれが最良の道だと信じている。だからいける。どんな相手でも勝てるとまではいかないまでも、上手く立ち回り翻弄するだけの腕を磨いてきた。平気だ、スバルもいるんだから、負けるなんてことはない。

 

 はぁ、と吐息し、いざ収束した魔力弾を放たんと構えた、その時だった。

 

 ぎら、と。猛禽類を思わせる視線を向けられた。

 

 それだけで、ティアナは本能的に、殺される、と思ってしまった。

 

「……ッ!?」

 

 冷たい汗が流れる。何故自分の居場所がバレた? 問いに答えが出ることはなく、急な方向転換を行ったスリンガーが一直線に突っ込んでくる。直に切り捨てる腹積もりか。

 ガジェットと対峙した時とは比べ物にならない危機感、それを悠に上回る絶望的な波が自分に押し寄せる。未だかつて殺意というものを、特に自分だけに向けられる強い感情を体感したことのないティアナは、敵の接近に対する反撃や退避という初歩的な行動さえとれず、クロスミラージュの警告音声を聞き逃した。

 かろうじて残っていた魔力を消費し、独自の判断で防衛行動をとったクラスミラージュが魔力弾を牽制に放つ。僅かな時間を稼げればと主を気遣っての行動は、スリンガーの怒りを煽るだけに終わった。身の捻り一つでかわされ、ますますもって怒気を強めたのか、歯を剥いて地面を蹴りつける。

 

 足が動かない。恐怖で縛りあげられたティアナは棒立ちのまま、一歩たりとも動くことができない。金縛りにでもあったとでもいうかのように、手足が言うことを聞かない。肩を小刻みに揺らし、次第に迫って来る敵を怯えながら待つしかない。

 

 と、

 

「ティアッ!!」

 

 横手から飛び込んできたスバルが、拳を構えて突撃を敢行する。Ⅲ型の装甲さえ突き破る右の鉄拳、しかしそれも、かち上げた左腕に横から弾かれ、振り上げた右足に脇腹を蹴りつけられる。一切の容赦と対応への思考を省いた、幼子を戯れに翻弄する大人さながらの対応だった。

 ティアナが足を動かす暇さえ与えられない。一連の行動は一呼吸の間に終わっていた。スバルは地面を削りながら派手に横転し、そちらは捨て置き再度走って来るスリンガー。空気が震える音がし、それが自分に突き立てられるであろう光の刃を発生させるものだと他人事のように思う。闇の中で一際眩しい光がスリンガーの激怒の相貌を照らしだし、余計に身を竦ませる結果となってしまった。

 

 恐い。

 

 歯ががちがちと噛み合わず派手な音を鳴らす。ヴィータはこんな相手と直接刃を交えたというのか。真正面から挑んだというのか。こんな身も凍る殺意の波動を受け止め、勇猛果敢に戦ったのか。

 

 無理だ、と冷静な自分が諦観の念を示す。こんなの無理だよ、どうにもできない。抗うことさえせず、ただの一度も本当の意味で『戦う』ことができぬまま、やがて瞳の端に浮かんだ涙が落ちた。鉄面皮が壊れ、固めた感情の殻が剥がれていく。相棒のクロスミラージュは応えず、降り落ちる主の雫を無言で受け止める。

 

 死ぬのか、こんなところで。

 

 志半ば倒れ消える運命。

 数秒先の死に屈して何もかも無駄にしてしまうのか、私は。

 

 まだ何も、一度だって成し遂げてさえいないのに―――

 

「え……!?」

 

 射線上に割り込んできた影が、自分に背を向けスリンガーと対峙する。

 

 反射的にクロスミラージュを握る力が抜け、思考が空転した。眼前で翻る長い金色の髪が、唖然とするティアナの頬を軽く撫でた。

 

 だが邪魔物が介入しようと、スリンガーは止まらない。邪魔立てするならば何人たりとも容赦しないとばかりに、出力を最大にまで上げた光剣が振りかざされる。二人まとめて袈裟掛けに切り捨てる軌道。

 無手のまま割り込んだ影は、棒立ちのまま佇んでいる。直撃は避けられない、ならば迫る刃を避けるか受けるかするだろう、と誰もがそう踏み―――

 

 

 

 

 

 避けなかった。

 

 そして、受け止めなかった。

 

 

 

 

 

「あ……?」

 

 呆けた声が漏れたのは、ティアナだけではなかった。起き上がり遠くから猛スピードでやって来るスバルも、ひょっとしたら自らの攻撃を自信を持って放ったスリンガーさえも。事の結末を理解できず、或いはしたいと思えず、呆けた声がどこかで聞こえた。

 血飛沫が舞い上がり、肩に光剣が大きく食い込む。肉を切り裂き傷口を焼く音がし、光熱に血肉が蒸発する煙がのぼった。深々と振り下ろされた刃は肩部の切断に至らなかったが、大きく血肉を引き裂いた刃は大きな深手を与えた。

 

 苦悶の声が聞こえた。拷問に等しい激痛が襲っているだろう。

 

 それでも、目の前にある背中は決して倒れようとしない。文字通り、身を引き裂かれるような激痛を懸命に堪えて―――ダイスケは右手を動かし、見慣れたデバイスを素早くホルスターから引き抜いた。

 

「この距離なら外さない……!」

 

 決死の覚悟を込めたダイスケの声が聞こえた。直後、カートリッジの装填音が小さく響く。瞬き一つの間に全てを把握したスリンガーは光剣を手放してまで後退を選んだが、覚悟の上で動いたダイスケの行動が上回った。右手で素早くホルスターから引き抜いた、ティアナのアンカーガン。装填されていたなけなしのカートリッジを瞬時に装填することで、刹那の滞りもなく工程は完了した。

 

光弾(ライトバウンド)!」

 

 解き放つ。

 

 魔法陣は一瞬。瞬間、虚空に出現した魔力弾五発全てがスリンガーに襲いかかる。シールドを張る暇さえ与えない。ジャケット越しに炸裂する魔力弾は強かに肉体を打ち鳴らし、五度の衝撃音を轟かせ、スリンガーの身体を大きく後ろへ吹き飛ばす。木々の隙間を通り抜けて、地面を削りながら回転して行くのを見届けることもできず、血を垂れ流しながらダイスケは姿勢を崩した。

 ようやっと我に返ったティアナは、小柄な身体が地面に落ちる前に後ろから支えた。自分より小さな身体、しかしそこに力がほとんど無く、紙粘土でできているかのように軽い。今も止め処なく溢れ出る血が地面に大きな水溜りを作り続けている。我に返り、血相を変えたティアナは急いでシャマルと連絡をとろうとするが、鼓膜にまで確かに届いた草の音に、中断を余儀なくされた。

 

 ダイスケ渾身の一撃は確かに直撃した。端から見ても凄まじい衝撃だった。……だというのに、さして気に留めた様子もなく、スリンガーは音静かに立ち上がっていた。動きが僅かに鈍いことを除けば、彼は間違いなく健在の二文字を体現している。やせ我慢でも何でも無く、ただスリンガーの芯まで響く一撃では無かった。ただそれだけのことだった。

 

 化け物……ただそれしか表現しようもない。今度こそ、ティアナは死を覚悟した。情けなくとも、血の海に沈む少年の頭を抱え、せめて守ろうと庇う姿勢をとった。

 

 だがスリンガーは、苛々とした様子でそれを見、頭を掻いた。

 

「チッ、ちっとは骨があると思ったんだが、ハズレか? 俺の勘も鈍ったか」

 

 先程まで立ち込めていた怒気や殺気は消え、ただ落胆したような雰囲気が漂っている。こちらの動向など気にも留めていない。呟いたスリンガーは、突然視線を明後日の方角へ向け、直後に額を押さえて一人ごちた。

 

「む、デカい力が来る……二人か? 何、帰還しろだと? フン、言われずとも分かっているさ」

 

 鼻を鳴らし、手に握りしめていた光剣と装飾銃を仕舞う。地面を削る音がし、立ち直ったスバルがやって来ても、やはり視線さえも向けない。スバルはティアナの無事を確かめ頬を緩め、しかし深手を負ったダイスケを見るや否や、表情を一変させて拳を構えた。

 

「この……ッ!」

 

 仲間を傷つけられ、激怒したスバルが飛びかかろうとする。敵意に反応したスリンガーが足を止める。が、それと同時、「止めなさいっ!」と叱責する声が響いた。ティアナが内心驚いてしまうくらい、自分の口から鋭い一声が飛んでいた。今まで怯えていただけの少女のものとは、思えないくらいに。

 

 呼びとめられたスバルは眉根を寄せつつも、睨みを効かせるスリンガーに対して引かない姿勢を取る。しかしそれも彼のお眼鏡にかなわなかったようで、吐息を残して踵を返した。

 追いすがろうとするスバルに牽制するかのよに、ため息交じりの声が。

 

「スリンガー十ヶ条その7、弱いヤツを殺すのは俺のプライドが許さない……もうちっとまともな強さを手に入れてから出直しな」

 

 弱いヤツ、という言葉が突き刺さる。知らず手のうちに力が溜まる。弱ければ抗うこともできず、弱ければ敵と見なされもしない。俯き唇を噛みしめるティアナに最早目もくれず、スリンガーは木々の中へと身を隠すように立ち去った。

 

 

 

 

 

「敵勢力の消滅を確認。魔力反応……消失。転送した模様です」

「追跡準備。難しいとは思うけど、解析を進めといてな」

 

 返答を得て、はやては浮かしかけた腰を沈めた。背もたれに体重を預け、大きく息をつく。額に溜まっていた汗を拭い、喧騒に包まれたままの司令室を一望する。

 まだ二度目の実戦と言うことで、皆の挙動にも幾分余裕が戻っていたように思う。気を抜くのは宜しくないが、肩の力を程よく抜くのは良い。もっとも、それも新たな敵の出現が確認されるまでのことだが。

 

 幸いホテルの客人に負傷者はおらず、残ったガジェットも隊長らが全て一掃した。事後処理は概ね順調、後は皆の帰還を待つばかりだ。

 

 はやての顔色はお世辞にもよろしくはない。まだ二度目だというのに、不安要素がそこかしこに転がっている。

 

「けど……」

 

 ティアナが独断専行をし、フォローに入ったダイスケが重傷を負った。その結果に驚かなかったのかと問われれば、嘘になる。冷静沈着なティアナが判断を誤るとは思わなかったし、身を呈してまでダイスケが助けに入るとは夢にも思わなかった。

 

 己を必死に押し留め、ふとした拍子に窺えるティアナの暗い影。それに気づいていたはやては、以前一度だけ、なのはに問うたことがある。けれどもなのはは首を振り、「話す意志があればいつか話してくれる」と笑っていた。彼女は必要以上に直接干渉せず、相手が打ち明けてくれるのを待っている。長い教導隊での教訓から生じたスタイルではあるが、しかし親友の想いとは裏腹に、ティアナは硬い殻の中に閉じこもっていた。話していれば、このような事態に発展することはなかったかもしれない。後の祭りでこそあるが、けれどもこの件でティアナも学ぶべき点が見つかったはずだ。

 犠牲はあった。だがそこから何かを学び取り今後に生かしきれるか、それが肝要なのだ。

 

「一度くらい、みんなで一緒に腹を割って話した方がええかもなぁ」

 

 部下の顔色を窺い気を配る義務も、上司にはあるだろう。やたらと胃の痛む業務が山積みされる明日以降のスケジュールに捻じ込まれるであろう面倒なイベントを想像し、今から溜め息の尽きない思いでモニターを見る。木々の中からスバルに担ぎ運ばれ、駆けつけたシャマルに治癒を施される少年がいる。肩を切り裂かれ、致死量の赤い血を流し、意識を失い倒れ伏す姿。

 

 それがティアナであったら、と身震いし、ダイスケもまた仲間なのだと遅れて思い起こし、心のどこかで彼を仲間と言う枠の外側に追いやっていた自分を恥じた。

 

 すまん、と小さく呟く。本心はどうあれ、彼は間違いなくティアナを助けようと動いた。出生や育ちがどうあれ、ダイスケは確かに、機動六課の一員として出来得る限りのことを為した。

 

 真っ先に損得勘定で動く自分の頭に嫌気がさす。いつからこんな穢れを帯びたのだろう。取捨選択を行い、損得勘定で動き、理想を求めて夢の実現を切望している奴こそが、現実を盾に理不尽を振りかざす。それが大人だと知り、いつしかその実態が自分の生き様と重なるようになった時、鏡に映る少女はどういう顔をしていただろう。

 

「私は……」

 

 昔とは変わったのだろうか。変わってしまったのだろうか。

 

 問いに答えはなく、ただはやては見えない運命の圧迫をひしひしと感じ、それに屈した時、自分は敗北するのだなと、虚空を眺めてぼんやりと考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

     ●   ●   ●

 

 

 

 

 

 

 

 

「初陣にしてこの結果……どう言い逃れするおつもりですか?」

 

 冷ややかな声が狭い室内に響く。咎めを含んだそれに対し、まさしく余裕の態度でテーブルに足を乗せるスリンガーは、相も変わらず不敵な笑みを携えたまま、真正面に立つ女性へ目を向ける。

 長身を美しく見せる紺碧のスーツ、波打つ長い濃紺の髪。細い切れ目から放たれる怜悧な目線は、静かな怒りを含んでいる。傍目からも怒り心頭であることは容易に察することはできるものだが、しかしてこのスリンガーという男は、口笛でも吹かんばかりの気分で見返している。どころか開き直った態度を決して崩さない。余裕綽々、という言葉を表している男に、女性は呆れを混ぜた怒りを露わにする。

 

「何が言いたいんだ。ウーノ」

「とぼけているつもりですか? 本来の作戦プランから大いに逸脱した行動、管理局に目を付けられ、敵方に対し声高々に名を上げ、非殺傷設定を無視し攻撃……今日一日だけでも目に余る行動は両の手で数え切れないほどですが、これに対し何か言い訳の一つでも?」

 

 ともすれば身震いの一つでもしかねない怒気を隠そうともしない女性。眉間に寄った皺が、彼女の怒りの程度を如実に体現している。会った当初からそれなりに敵対心を抱かれていると思ってはいたが、今回の件で大幅な軌道修正を必要としたためか、実に虫の居所が悪い模様。しかし先程まで一方的な殺戮を興じてきた男と相対しても全く怯みもしない。さすがはナンバーズの司令塔――十二人の頂点、ウーノとでも言うべきか。

 

「なぁに、何事にも予想外の出来事はつきものさ。いいじゃねぇか、多少予定が早まった、それだけのことだろう」

 

 いけしゃあしゃあと言うスリンガーに、鉄面皮のウーノも怒声を上げかける。実力で言えばスリンガーの足元にも及ばぬウーノではあるが、新参者にこうも知ったような口を効かれては鼻につく。彼が指示を無視し管理局員と交戦しているとの知らせを聞いた時には、他の姉妹も揃って不平不満をぶちまけたものだ。眼鏡をかけた妹なんぞはモニターに対し中指を突き立て罵声を吐いていた。口にしないだけで、全員が全員、今回の出来事にはそれぞれ同じ感情を抱いている。

 

 彼のせいで不要なガジェットを消耗し、後々必要なスリンガーという鬼札が知られたのも額を押さえる要因だ。巷で騒がれる『黒死の鮫』――その正体こそがスリンガーであり、彼の者がガジェットを裏で操る存在と結託していると伝わってしまっている。これだけ言及される要素が揃いも揃っているならば、常人ならば少しは悪びれようものだが、生憎とこの男、人を手にかけても平然としている程度の神経であるため、謝罪の一つも期待できない。

 ここは一度、手足に枷の一つでも設けるべきかと真剣に悩みつつあるウーノであったが、扉が静かに開くのを察知すると、表情を元に戻し、居住まいを正した。

 

 ウーノの顔色が変わり、スリンガーの眼つきも変わる。目は細まり、三日月を描いていた口の形は水平線になり、ほんの僅かに苛立つ気配が漂う。それでも足は崩さないが。

 部屋に飛び込んできたのは、白の色彩。穢れの無い純白の白衣を着こみ、スリンガーのそれより深く歪な笑みを携えた男は、やけに愉しげな眼で部屋を見渡してから、足を踏み入れる。ウーノよりも薄い紫の髪をかき上げ、舐めるような目線がスリンガーの五体を捉える。

 

「やぁ、スリンガー。随分と好き勝手暴れたようだね。気分はどうだい?」

「なかなか良かったぞ。貴様の顔を拝むまではな」

 

 これには我慢の許容量を超えたのか、ウーノが僅かに身を前に乗り出すが、それを片手で制した白衣の男―――ジェイル・スカリエッティは、笑みも態度も崩さず、「それは結構」の一言で流した。

 

「君の言動にいちいち口出しするのは契約内容を逸脱する行為だが、こちらにもこちらの都合がある。帳尻を合わせる身にもなってみたまえ」

「それは申し訳ないが、あの程度の誤差で貴様がいちいち頭を悩ますとは思えんが」

「小さくとも不確定要素は省きたいのだよ。自分にとって気に喰わぬ類であれば尚更さ」

「それを愉快だの面白いだのと評する貴様がか」

 

 答えは無い。ただくつくつと笑みを携えるスカリエッティの態度が答えだった。

 

 殺人者スリンガーの心身を震撼させるような雰囲気とも異なる、彼の威圧と存在感に決して劣らぬ何かを放つスカリエッティ。いずれも人の常道から大いに逸脱した異常者であるが、どちらも全く方向性が異なる。感情が剥き出しである分、スリンガーの方が分かりやすい。しかしスカリエッティは筆舌に尽くし難い黒々とした混沌を孕んでいる。人が不快感を自然と抱き、無意識にも苦手な感情を抱く……いつの世にも現れる、いわゆる『極悪人』、それが最も相応しい言葉だろうか。

 

 何かがズレ、何かが歪んでしまった、時代の生み出した悪意の根源。そこから零れ落ちた一つの欠片。ならば人あらざるソレを、人の常識で推し量る術などあるまい。

 

 心底愉快な表情を作るスカリエッティは、「ああ、そうだね」と肯定し、迎え入れるかのように両手を広げ、酔いしれるかのように言った。

 

「決して己の都合に沿わず進まない。けれど悲しいかな、その現実こそが我々の世界なのだよ。―――それがたまらなく面白い」

 

 くつくつと喉を鳴らし、心底愉快げに哂うスカリエッティ。さながら物を見る目を向けていたスリンガーは、何も言わずに帽子の唾を引き下げた。

 

 

 

 

 




以上となります。

結局ほぼオリキャラですので、初登場はまぁこんなもんかなぁと。

誤字脱字やおかしなところがございましたら、遠慮なく言って下さいまし。


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第7話 背け合う心の在処

あけましておめでとうございます。


コメディばっかり書いてて近頃シリアスノータッチだったので上手く書けない気がする今日このごろでございます。


 

 

 

 気がつけば、夕日が傾き烏の鳴き声が耳に届いた。

 

 哀愁の念が漂う夕暮れの街。土地開発の及ばぬ緑残る住宅街の一角、公園の中で、ティアナは目を覚ました。

 

 正確には、眠ったままだ。

 ああ、これは夢なんだなと、夢中特有の漂う意識がぼんやりと答えを教えてくれる。

 

 だって、その証拠に、目の前には。

 

『ティアナちゃん、ばいばい!』

『また明日ねー!』

 

 幼い少女と戯れ、日が暮れるまでその日を満喫した顔で手を振り返す、

 

『うん! また明日ねー!』

 

 未だ幼く、ひまわりのような笑顔が眩しい、ティアナ=ランスターがいたからだ。

 

 苦笑。一体どれだけ遊び呆けたのか、あちこち擦り傷が窺え、頬に土の汚れが見えている。この頃は活発で男女の境も無く走りまわっていた。懐かしいものだ、と年寄りのような感想を抱く。

 

 だがその輝かしい笑顔も、やがて小さな歪みを生む。親しい友達が返る時、傍らには母親の姿があった。我が子の手を引き、今日一日の出来事などを語らいながら、影を伸ばして帰路に着く後ろ姿を、ティアナはずっと眺めている。皆そうやって、母と手を繋いで、さっきまでのものとは違う笑みを浮かべている。遠くでも鮮明に見える横顔に、複雑な想いを抱きながら、人気の無くなった公園の片隅、無人となったブランコに腰かける。

 鉄の擦れる音が虚しく響き渡る。夕暮れが寂しげな雰囲気に拍車をかけ、今にも泣き出しそうな漂い出すも、幼いティアナは辛抱強く何かを待ち続けた。

 

 やがて、足音が近づいてきた。

 

『―――ティアナ』

 

 声に、はっと頭を上げたティアナは、息を切らしながらやって来る人物に目を向ける。

 ティアナは呟き、そして叫んだ。

 

 

 

「『お兄ちゃん』」

 

 

 

 顔を輝かせ、一直線に向かう。行く先へと視線を向けずとも分かった。青年が一人、疲れたような笑みを零しながら立っている。懐かしい情景と忘れられない人の姿に胸を痛める眼前で、幼いティアナは青年―――兄であるティーダ・ランスターへと飛びついた。

 困ったように笑うティーダは、ティアナの手をとると、導くように引きながら歩き出す。疲労の色濃い横顔を、妹の無邪気な笑みが癒やしていた。仕事が遅くなったこと、友達と遊んだこと、今度遠出するから暫く留守にしなければならないこと、友達の家に泊まりに行くこと。何気ない日常会話を続け、ゆったりとした足取りで進む二人の影が、ティアナの足元まで伸びている。

 

 兄さん、と小声でつぶやく。囁き声に似た妹の声は、数寸先に映る兄の背に届くことは無い。彼は夢想の中でしか生きられない。過去の記憶の産物でしかない。現在を生きるティアナは、ただただ幸せだったあの頃の光景に憧憬を抱き、じっと眺めるしか術は無い。

 あの『ティアナ』も、いずれ兄の死去と上司の誹謗中傷で心を歪め、当たり前だった笑顔が浮かべられなくなっていくことだろう。墓石の前で悲観しては涙を流し、云われなき雑言に激情を抱き、それらを全て抱き留め無情の仮面で覆い隠す。

 

 強くなりたいと、最初にティアナは願った。

 兄のかたき討ちを考えた。夢半ばに倒れた兄の志を受け継ぐことも選択肢の一つ。しかしそれらの道筋を辿るよりも前に、ティアナはひたすら力を渇望した。

 

 力が無ければ何もできない。

 理不尽に抗うことも、不条理を打ち払うことも。

 

 才能が無いと判じられ、分不相応な魔法に手を伸ばしてでも、それでも彼女は諦めない。幾度失敗しようと、必ず立ち上がる。

 何故なら、醜かろうが無様だろうが、懸命に足掻くことでしか、強さを得られないと知っているからだ。

 

 願望は絶えない。己の実力不足を再度知り、仲間の秀逸さ加減を見せつけられた時。心の奥で黒い感情が沸き上がる。嫉妬、と言われれば、認めたくはないが首肯しよう。誰よりも現実を知り、事実を許容しながら成長して来たティアナ。妬まれることは少ないが、妬む機会は片手で数え切れまい。

 あの時だってそうだ。金髪の少年が奮戦していた時も、何故彼が、と思わなかったわけではない。年相応とは言い難い実力、新人でありながら高い汎用性を誇る戦闘力、年下であれども成人男性さながらの落ち着き払いぶりを感じさせられ、やがて溜まった鬱憤が爆発する。

 

 己の判断がミスだったとは思わない。

 倒せる、と踏んだからこそ挑んだ。真正面から挑んでも勝てないだろうから、相棒と一緒に搦め手を用いて不意を突いた。練習通りにやればなんとかなると、思っていた。

 

 結果が全て、と言われれば否定はできないが。

 

 少年にはできた。ティアナにはできない。

 しゃにむに挑む彼と、敗北の色濃さに臆した自分との差なのかと。

 

 現実を目の前に叩きつけられたようで、ティアナは夕暮れの中、肩を震わせ俯いた。

 

 最早背中すら見えないというのに、兄と妹の笑い声が、頭の中で響き回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 日差しが眩しい。

 

「…………」

 

 窓辺から差しこむ暖かな光。空いた窓から入り込む風がカーテンを揺らしている。白亜の壁と天井の色。自分の部屋ではない。かと言って、医務室でもない。

 

 どこだろう、と身をゆっくり起こし、見渡してみる。

 殺風景な部屋だった。生活に必要な物だけを取り揃えた空間、と呼ぶのが相応しい。元々置いてあったクローゼットや本棚、テーブルや椅子を除けば、他にはハンガーに引っ下げられた衣服が一着とテーブル上の私物数点。

 一体誰のものだろう、と未だぼやける頭を動かし、外の景色を拝む。

 

 鳥たちが鳴いている。まだ陽が昇りきらない時間帯なのか、程良い温さの空気が肌を温める。

 

「……そうか。私は」

 

 思いだす。新たな敵を倒すべく、反対するスバルを強引に引き連れ、共に森林地帯へ足を踏み込んだ。自信はあった。覚悟もあった。シュミレーション通りに事態は動くとは思わないものの、ある程度の応用は効く作戦を立てた。なんだかんだで自分のわがままに付き合ってくれる友人の人の良さに感謝しつつ、危険な役目を押し付け、彼女の思いを無駄にしないとばかりに、機会を窺っていた。

 

 全ては完璧だった。

 スリンガーに気づかれるまでは。

 

 ぶるい、と身体が震える。視線だけで畏怖を植え付ける鋭い眼光、相対するだけで凡夫ならば腰を抜かしていよう明確な殺意。一身に受けたティアナは、思い出すだけで肩を震わせた。

 身動き一つできなかった。蘇る恐怖の中で、己に対する羞恥と叱咤が胸中で暴れる。どうして、と。何故あんな醜態を晒した、と。それを笑う者はいないだろう。ミッドチルダに住む者にとって、死と隣り合わせになる機会は数えるほどにも無い。次元犯罪者クラスとの衝突ともなれば命の危険もぐっと増すだろうが、新人のティアナからは縁遠い話だった。

 

 舌打ちしたくもなる。偉そうな口を叩いた結果がこれでは、兄に顔向けできない。

 

 大きく吐息。実力不足は、遺憾な話ではあるが再認識できた。

 

 足りないならば、もっと努力せねば。

 今までの鍛錬でも物足りない。

 

 少なくとも、あの少年のように、圧倒される殺意の中でも平然と立ち向かうだけの心を持たねばならな――

 

「―――あ」

 

 ようやく思い至る。急に身体の痛みが増した。冷やりとした空気が肩を撫でる。自分が受け止めるはずだった斬撃を、あの少年が代わりに受けていた。肉を焼き、ひょっとしたら骨さえ溶かした光の残影。背筋が震え、血染めの五体を幻視して、吐き気がこみ上げてきた。

 彼は無事なのか。上司は怒っているのだろうか。同僚は心配しているだろうか。憶測と不安がない交ぜになり、そのうちティアナは考えるのを止めた。 

 

「後で、謝らないと……」

 

 言いつつ、どこかやる気の萎えた溜め息をつきながら、目線をついと逸らす。

 

「…………」

 

 目を閉じ、耳をすませる。

 

 遠く、波の音が聞こえてくる。

 もうすぐ夏。日差しの鬱陶しい季節だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   第7話 背け合う心の在処

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段より重々しい空気が漂っている。

 

 机の前で腕組みするはやての面持ちは険しい。隣に控えるリインフォースは事の顛末を知るだけに迂闊なことを言えず、少々声をかけづらい空気を和らげることもできない。こういう時に限って他の守護騎士も仕事で外出しており、肝心の当事者らは負傷や事務が理由でまだ揃っていない。

 出だしから躓いている感が漂っている、リインはなんとなく思い、憂鬱になった。

 

 はやてが考えているのは分かる。先日起きたガジェットとスリンガーなる人物によるホテル・アグスタ襲撃の折り、ティアナが独断専行し、僅かな油断から仲間一人に重傷を負わせる結果を生んだ。経過を窺えば、負傷者の行動にも問題が見られるが、それはある種別問題。

 重要なのは、新人のミスで仲間が負傷した、という点……でもあるが、真に重要なのは、皆に指示を出す冷静な立場から不動であるべき人物が私情に駆られた挙句失態を犯したこと、だ。余人なれば差ほど気に留めない些細なことであろうとも、はやては割と深く受け止めている。己の観察眼が間違いだったとは言うまい。はやてだけでなく、なのはやフェイトのお眼鏡にかなったからこそ、ティアナとスバルは機動六課の新進気鋭のメンバーとして名を連ねるに至ったのだから。

 

 ティアナの件をもっとも懸念しているのは、副官であるグリフィスであった。不確定要素の多いティアナを抱え込んで良いものか、と彼はストレートな意見をはやてにぶつけた。即時対応、それが六課のスタンスである。少しでも素早い対応を行うにあたって、不安要素は極力省いておきたい。もう何度確認したか分からない、はやての方針。

 無駄なことが多い、なんて思いたくはない。ティアナを手放そうとは考えていないのも、ダイスケを引き入れたことも、全部はやての個人的な意見、つまり我ままに近い。人の上に立つ者にしては、随分と甘い。若さを考慮しても、非情に徹し切れないのは自分でも十分分かっているはずだ。

 

 それでもリインからすれば、一見大人になって打って変わってしまったはやてに残る、あの頃の優しさを垣間見れて、嬉しさを感じずにはいられない。

 

 反面、事態は不穏な気配を漂わせている。たかが新人のひと悶着がひと波乱を余ぼ起こすとは思い難い。ただそれが、六課の重役に多大な影響を及ぼしているのは、確かな事実なのだった。

 

「……ティアナのお兄さんは、任務中に殉職して、その失態を上司に咎められたことがあるの」

 

 原因を突き止め、後にティアナが頑なに強さを求める理由を察したなのはは、感情を押し殺すような声で言った。

 肉親がおらず、任務の最中殉職したというティーダ・ランスターに関しては、はやても少々事前に情報を掴んでいた。だが、それはあくまで書類上の情報。確たる証拠のない噂や死後の扱いなどは記されていない。今更聞いたところで何が解決するという話でもないが、少なくとも配慮の一つくらいはやてにもできたはずだ。

 

 結局はやてが下した判断は、ティアナとダイスケに対し厳重注意、後者は回復するまで安静とのこと。甘くはないか、とグリフィスに指摘されても、今後の精進に期待する、と涼しい顔ではやては意志を曲げない。公的立場からすれば注意で済まされるものではないだろうが、少なからずティアナの人となりを知る者は、今後は同じ失態を繰り返さないだろうと判断し、この件に関しては過ぎたことだと思い、事を済ませた。

 

 そして、もう一つ。

 

「鎖骨下動脈破裂、鎖骨間靱帯及び肋鎖靱帯断裂、その他靱帯複数が断裂。左胸骨一番から三番まで破壊。光剣の焼熱も考慮し、通常ならば致命傷どころか左腕が動かなくなるレベルの傷だというのに、シャマルが下した診断結果は、たったの『全治三週間』。健康の一言で済ませられる程度じゃない」

 

 診察結果が医務室から送られてきていた。身体が丈夫だとか、バリアジャケットのお陰とか、様々な憶測が脳裏を過るが、とても不自然な結果に疑問が尽きない。

 

 回復が見込めたのは朗報だろう。しかしそれでいて、あまりに異常な治癒力に不安が沸き上がる。

 

 例えば骨が完全に折れる事態に陥ったとする。若いうちならば高い再生力で早ければ一月、遅くとも二月ほどで完治できる。しかし骨の切断はそれとは比較にならない重症だ。更に加えて、筋組織も大分破壊し尽くされている。発見時には、左腕が身体を離れていないのが不思議なほどだった。

 

 無論、魔法と言う恩恵があればこそ、と判ずることもできよう。

 だがそれならば、シャマルも小首を傾げて言うまい。

 

 ―――あの子、私が応急処置を施した時点で、大分出血がおさまってたわ。

 

 シャマルの腕前は折り紙つきだ。伊達に約十年間、管理局で多くの者の怪我を見てきたわけではない。

 

 人造魔導師、という単語が浮かぶ。人間でありながら精巧な作りと高い資質を持つ、人間の紛い物。違法研究に分類され、神の真似事を仕出かす者は後を絶たず、人の世に貢献するといつか期待されていた技術は、現在凍結しているはず。それを額面通り受け止めているはやてではないが、知人に似た存在がいる以上、全面的に否定することもできない。

 それに、仮に彼が人造魔導師と仮定したとしても、最初の身体検査の時点でシャマルが気づかぬはずもない。彼女の目を欺くほど精巧に作られているとすれば話は別だが。

 

「……嫌な予感と予想は的中するもんやな」

 

 呟き、はやては背もたれに体重を預ける。心配げな目を向けるリインフォース。大丈夫ですよ、と言いたくても、根拠の無い励ましなどを送ったところで、はやては笑顔を見せてはくれないだろう。きっと力の無い笑みを見せて、大丈夫や、と言うだけだ。

 言いたくても言えない。もどかしい想いを抱え、リインは事の早期解決を切に願うのだった。

 

 

 

 

 

     ○   ○   ○

 

 

 

 

 

 時々、自分は何がしたいんだろうと考えることがある。

 

 ふとした時、今まで歩んだ短い人生を振り返り、はたと思い至る。

 

 今まで少しずつと思っていた矢先、夢への道筋に光明が差し込み、小さな一歩が、やがて大きな一歩へと変わっていた。

 

 追い風を受けて、私はどんどん加速する。

 

 次第に歩みが走りになり、隣を見知った顔が並んでいる。

 

 いつかはと、ずっと先になるだろうからと、遠くに見出していた何かが、私の眼先にまで迫っていた。

 

 思いだす。

 

 辿り着いた時、私は本当に満足なんだろうか―――

 

 

 

 

 

「―――どうしたの? こんなところで」

 

 珍しく談話室で時間を潰そうと立ち寄ったティアナと遭遇したのは、これまた数奇なことにダイスケだった。

 

 ベンチの一つを占領し、横手に本を数冊山にして置いている。どれも小難しい文字ばかりの書籍で、一般書店で販売されているものの中でも割りと高価なものだ。歴史や雑学、現代技術の基礎や経済事情の読本など、ジャンルは様々。次元漂流者と自称していたが、成程、こうして勉強しているのだなと少しばかり感心した。

 

 ダイスケは口数は多いが感情の起伏があまりなく、普段何をしているのかティアナも知らない。特に興味も湧かなかったからだが、姿を見ない間は勉強しているのか。ならば年上であるティアナと同レベルの思考回路を持っていても不思議ではない。

 

 そんな彼も、ティアナの訪問には軽い驚きを得たようで、眠たそうな眼をちょっと大きめに開いていた。

 

「……別に。暇つぶしよ。アンタこそ、こんなとこで読書?」

「部屋にいるより他の場所で読む方がはかどるかもしれないと思ってね。まぁ、こっちも息抜きみたいなものだよ」

 

 肩を竦める仕草が嫌に似合っていた。よく自分は大人びていると評価されるが、これは幾ら何でも例外すぎるだろう。彼が手にしている哲学の本は、子供にとって子守唄レベルだというのに。

 

「そんなの読んで役に立つのかしら……」

「存外馬鹿にしたもんでもないよ? ちょっとした雑学は人生を豊かにしてくれるよ」

 

 例えば? と問うと、ダイスケは少し思い出すように考えてから、

 

「『人生に分岐路が無限に存在する。一つの選択が過ちであるかは誰にも分からないが、正しき答えであったと気づくのは、振り返って正しいと思えた時である。』」

「……それ、何の受け売り?」

「どっかの偉い教授が書いた本のフレーズ。中身はただの愚痴と自己満足だったからつまんなくて投げたけど、そこだけはすごい気に入ってるんだ」

「ふぅん。まぁ、人生に失敗した男の教訓としてはなかなかじゃない?」

「前々から思ってたけど、ティアナって割と容赦ないよね」

「今更気づいたの?」

「結構知ってた」

 

 笑みを零す少年に、悪意はない。

 

 小気味の良い会話に、肩の力が自然と抜ける。気楽に感じたせいか、ちょっと話をしてみようと珍しく気が向いた。

 

「容赦ないって言えば、そっちこそ。エリオが訓練の時いい悲鳴上げてわよ、隙あらば連射してくるから近づき辛いって」

「俺射撃苦手」

「嘘つきなさいよ。なのはさんと模擬戦した時もバシバシ撃ってたじゃない」

「そんな過去の出来事など私はまったく記憶しておりません」

「なんでそんな無意味な誤魔化しするのよ……。ところで、アンカーガンの使い勝手どう?」

「思った以上に手に馴染む感じ。お手製にしては完成度高いね。あ、これ褒め言葉だから」

「最後のがなければ素直に受け取ってたわよ」

「あらら、余計だったかな」

「いいえ、ありがたく頂戴するわ」

 

 笑い返すと、ばつが悪そうにダイスケは口をとがらせる。

 我ながら意地の悪い笑みを浮かべたものだと感心する。

 

 ダイスケは息を吐くと本を閉じ、ベンチの下から小さな鞄を引っ張り出す。中身を漁り、手のひらサイズの箱を取り出した。

 

 ティアナに差しだす。何コレ、と無言で問うと、買ってきた、と短い返答。

 

「最近、疲れ気味みたいだから。これ食べて元気出してと」

 

 ティアナの動きが僅かに止まる。

 

「……そう? まぁ、近頃訓練の内容も大分濃くなってきてるしね。」

「誰かさんが夜な夜な部屋を抜け出して夜遊びに呆けているとのことなので、心配した善良なる市民・Sさんは止めようとしたのですが、あの年頃の子には色々あるんですよと諭され、優しく見守ることにしたのです」

 

 本当のことを耳元で叫んでクロスミラージュをぶっ放してやろうか真面目に悩んだが、大人げないことこの上ないので控えておいた。

 

「まぁ俺はそこまででもないけど、一応仲間だから。あんまり友達に心配かけないようにね」

 

 何事もほどほどに、と結論を出し、こちらの手に箱を押し付けると、ダイスケは荷物を片づけ立ち上がる。引きとめようにも、彼は小さく笑って振り返り、じゃあね、と言ってそのまま立ち退いた。

 後に残されたティアナは呆然としつつ、ひとまずこの箱の中身は何だと思い、蓋を開けた。

 

「あ……」

 

 手作りと思しきチョコレートケーキと、一枚の紙。丁寧に作られ、形の整ったそれを眺めつつ、折りたたまれていた紙を開く。書かれている文字は少なく、ただそこに、自分への励ましの一言が、誰が何を書いたか丸分かりの書き方で記載されている。四人分のメッセージ。頑張って、とか、身体に気をつけてねとか、短くても、彼らが伝えたいことを簡潔にまとめている。

 

 熱いものがこみ上げてくる。単純だなぁと思いつつ、ティアナは顔が綻ぶのを止められない。

 

 知らないうちに、皆に心配をかけていたのか。

 

 後でお礼を言おう。素直に言えるかどうか分からないけれど、とりあえず、部屋に戻ったらゆっくり味わおう。立ち上がったティアナは、来た時よりも軽い足取りで立ち去った。

 

 

 

 余談だがケーキの中にはカラシが混入されており、口から火を噴いたティアナが怒り心頭で某少年をクロスミラージュ片手に追い回しているのが後ほど目撃された。

 

 

 

 

 

 目指す山の頂を見据え、手段は確かに手元にある。

 

 けれども、そこへ至る道には、色んなものがある。

 

 友人もいる。仲間もいる。尊敬する上司もいる。

 

 気がつけば、一人で歩いていた道には、大勢の人がいた。

 

 恵まれていると思う。救われていたと思う。

 

 認めよう。一人で強がっても、結局人である以上、孤独には打ち勝てない。

 

 誰かと生きる喜びを知った。助けられるありがたみを知った。

 

 多くの大切な物を見つけられた。大事な物を見つけられた。

 

 幸せなんだろう、今の人生は。

 

 

 

 ―――けれど、

 

 

 

 優しく居心地の良い世界の中で生きていて、ふとした拍子に浮かぶのは、決してぬぐい去れない過去。

 

 いつか、立ち止まって考える。

 

 未来の現実は変わるだろう。しかし、過去の現実は変わらない。

 

 忘れてこの世を謳歌するのも、人並みの幸せを掴むのも、ひょっとしたら、ありなのかもしれない。

 

 でも、何かに背中を引かれて、私はそれを振りほどけない。

 

 後悔や意志を振り払うだけの強さは、なかった。

 

 願わくば、

 

 一度だけ、心を満たす何かが欲しい。

 

 きっかけでもいい。些細なことでも構わない。

 

 私が大きな一歩を踏み出し、本当に在るべき姿を手に入れる術が、あるならば。

 

 私はきっと、何かができる人になれるはずだ。

 

 

 

 そう、信じて。

 

 ティアナ・ランスターは、夜明けの訪れを待ち続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼下の光景を眺めていた青年、ヴァイス・グランセニックは、痛々しげに眉根を寄せ、静観に徹していた。

 

 かれこれ四時間は経過しただろうか。ティアナは一心不乱に銃を構えてはトリガーを引き続け、鬼気迫る表情で訓練を続けている。まるで何かに突き動かされるように、立ち止まって休む暇などないかと物語るように。

 

「……あいつ、今にブッ倒れるんじゃないかね」

 

 傍目にも過剰すぎる運動と訓練に、ほとんど交流のないヴァイスでさえ心配になってくる。彼女を含むフォワード達が、昼夜を問わず過酷な訓練に励んでいるのは知っている。自分が彼らと同じ十代の頃は、もっと年相応の遊びを満喫していたものだ。それに比べれば、ティアナたちの奮起ぶりは目を見張るものがある。やはり目標の明確化と具体的な方針があると成長の幅も違うものだろうか。

 自分はどうだったろう。ヘリのパイロットに憧れ、魔導師としてそれなりの活躍はしてきた。六課にシグナムの推薦で入るまで、割りと普通の人生だった気がする。

 

 妹の件が人生の分岐路だったように、今では思う。あれさえなければ自分は一般魔導師らしい、ごくごくありふれた生活の中に埋没していた。

 今でも鮮明に思い出せる、忌まわしい出来事。何が悪いか、と問われれば、自分以外の何物でもない。だから簡単には割り切れない。自分だけの問題ではないから、尚更。

 

 意識を戻し、ティアナの横顔を見る。

 何かに囚われたように、彼女は動き続けている。

 

 

 ―――お前は何に囚われているんだ?

 

 

 ふと、上司だった人の鋭い指摘を思い出す。

 

 かつての自分も、あんな顔を四六時中していたのか。だとすれば、相当辛気臭いものだったろう。

 

 しかしだとすれば、ティアナに何も言うことはできないし、言う資格もない。資格くらいはあるかもしれないが、言ったところで本人が乗り越えられねば意味はない。

 

 声をかけるだけでも少しは違うだろう。実際そう思い、実行したはいいが、ティアナはヴァイスの気遣いをやんわりと受け止め、また自主訓練に戻ってしまった。同僚として少なからず彼女の人格を悟った彼はその場からスタコラ逃げ出した。

 

 最早何も届くまい。上っ面だけの言葉では、きっと彼女は変われない。

 変われるとしたら、それは、本当の意味で『魔法』と呼べる奇跡。

 自分で変わろうと強く願うか、誰かの優しさに直に触れるしかない。

 

 ティアナの奥底には強い力がある。苦難を乗り越え、困難を糧に次へ活かすために己に成長を促せる強い目。彼女にはそれがある。観念論でもなく、ただの厳然たる事実。客観的に自分を見つめても何も分からずとも、諦めず懸命に足掻く姿に何かを感じる者は必ずいる。目立たずとも揺るがぬ意志と確たる想いを抱える人間。恐らく今それを伝えても、彼女には決して届くまい。今、ティアナは自分の行く先を見据え続け、立ち止まって顧みる機会を失っている。自分が如何に多くの人に想われ、どれだけの力が根付いているか解らなくなっている。状況に呑みこまれ、ともすれば立ち止まりかける足を叱咤し走り続ける。

 本当に大切なことは何なのか、見失っているのではなかろうか。

 所詮個人の力量は差ほど大局を左右しない。けれどもその中で何かを変えられる。広く知れ渡ることで、何かが残される。育んだ想いが意志の繋がりとなり、暗雲に満ちた世界を闇の縁から引き上げることだってできるだろう。

 

 魔法とは、人々の救いの象徴でもあるのだから。

 

 迷走するティアナの周囲に立ち塞がる闇の帳は深く長いだろう。でも、無限に続きはしない。走り続けていれば、いつか抜け出せる。絶対に諦めない心を彼女がまだ持ち続けていられるのであれば、或いは彼女を大きく成長させる何かが見つかれば……。

 

「悩めよ少女。自分が何を求めているのか、今何をすべきなのか。そうやって立ち止まって考えてみる時間も、今のお前には必要だろうさ」

 

 それこそが、

 

「まだ光さす世界で生きられる、お前の特権なんだから」

 

 寂しげに笑い、遠い少女の背中を見つめるのだった。

 

 

 

 

 

     ○   ○   ○

 

 

 

 

 

「―――で、結局ティアナとスバルの独断専行は、隊長どのの恩情により厳重注意で済み、ダイスケの行動も仲間の救援行為ということで処理されることになったわけか」

 

 半ば不服そうに眉を歪め、椅子の上であぐらをかくヴィータは言う。

 

 普段の言動を見ていると分からないが、彼女は割と実直な人柄で、個人の感情で多少態度に変化があっても、公私はきちんと分けて考えられる人だ。先程も立場上上司となるなのはに敬語を使っている場面を目撃し、それなりに驚いたものだ。

 

 そんな彼女も、今回の件には随分お冠なようで、ホテル・アグスタ事件から数日が経った今でも時折愚痴を零している。新人のフォワードを見守る立場でありながら、役目を果たせなかった後ろめたさがあるのかもしれない。なんだかんだで部下想いな少女である。

 

「……それはいいんだけど、何で包帯グルグル巻きにされた挙句手足縛られてんの俺?」

「オメェアタシが『話がある』つった瞬間逃げ出したじゃねーか!」

「えっ、やだ……だってそんな。恥ずかしい……」

 

 恥じらっていたら頭をぶっ叩かれた。

 

 ダイスケの怪我は的確な治療を施され、意外なことに僅か数日でほぼ完治した。治療を担当したシャマルも驚く再生能力だったそうだ。それでも暫くは安静にしていろと軽い注意を受けている。当然の話であるが、筋肉を焼かれ骨まで達するほど右肩を切り裂かれた人間が数日で完治など有り得ない。あくまで外見はほぼ完治の領域であるものの、一度破壊された体組織はすぐ再生し切ることは無い。まず表面を取り繕い、中身を時間をかけて癒やしていく。動けば鈍痛が半身の動きを束縛するが、腕の繋がっている証拠だと思えば安いものだった。

 

 本人は魔法のお陰、とのたまっているが、その高すぎる再生力が上司に疑られる要因となっていると露とも思わなかった。

 

 壁に背を預けて二人のやり取りを聞き流していたシグナムは、閉じていた眼を開いた。

 

「しかしスリンガーと言ったか。噂は耳にしていたが、それ以上に危険な男だな」

「まさか非殺傷設定解除済みで挑んでくるとは思いませんでしたよ」

「社会で敷かれたルールに背いてる時点で我々の常識は通用しないだろう。次元犯罪者とはそういうものだ。こちらが平和的交渉をもって接したところで、相手が正直に応じてくれる可能性など皆無に等しい」

「それでもこちらは穏便に事を運ぶために手を尽くす、ね……。管理局って結構甘くないですか?」

「否定はしない」

 

 というより、六課の存在が異例すぎる気がするのは、まぁ今更始まった話でもないわけだが。

 

 身だしなみを整える。暫くは訓練の見送りが決定し、完治するまでの間、時間の浪費はできない。戦力を期待されて入隊したのに、足手まといではいられない。

 

「意外だったな」

「はい?」

「お前がランスターを助けに入ったことも、ランスターが無理に突撃したことも」

「一応俺、仲間なんですけどね……」

「言葉で示しても態度で示せる者は多くはない。ましてや命がけとなれば尚更だ。……そんな顔するな。私はお前の勇気ある行動を評価しているぞ」

 

 だが、と言葉を濁す。上司の間でも、ティアナの行動には憶測を呼んだらしい。

 

 なのはは知っているのだろうか。自分の直属の部下とも呼べる、あの少女の異変を。

 もし知っているならば、何故何もしないのだろう。教導官ならば、何かしらのリアクションがあったしかるべきだろうが……。

 

「ったく。いつも通りのアイツならまともな行動とれただろうによ、なんだってあん時だけ出しゃばったんだか……」

 

 まだ苛立ちが治まらないのか、ヴィータは頭を掻きながらブツクサ文句を言う。シグナムも同意見なのか、何も語らない。

 確かに、上司からすればダイスケやティアナの行動は許し難いものだ。命令を無視して独走した挙句、負傷。扱いの困る部下にほとほと手を焼いている様子。陰口のような言葉が漏れても、別段おかしくはない。

 

 だが、

 

『邪魔なんだよ!』

 

 本人は、無意識のうちに発しただけの何気ない言葉かもしれない。だが、言葉の刃は確実に人の心を切り刻む。言葉の暴力、というものがあるように、人は暴力や権力を振るわずとも他者を不幸に陥れることができる。ただ対面に立って、いわれなき誹謗中傷や心無いの否定の言葉を投げつけるだけでいい。人を傷つけるのに悪意は決して必要なわけではない。その人の受け取り方一つで、ただの言葉が人を死に追いやることさえある。

 外へ感情が出ない分、内向的な性分なティアナは、湧き上がる衝動や御し切れない感動を内側で処理してしまう。もしかしたらティアナは、言葉の一つにさえ過敏に感じ取ってしまい、心の内に吐き出しきれない感情を抱え過ぎてしまっているのかもしれない。ならば普段の言動の変化や態度の変貌にも説明がつく。一つ一つは小さな出来事でも、積み重なって圧しかかれば、塵も積もって山となった重圧に耐えかね、心の芯が歪んでしまう。

 

 ……聞けばティアナの兄、ティーダ・ランスターは、任務不達成と誤認した任務内容から謂われなき誹謗中傷を受けたという。その煽りを受けた唯一の肉親であるティアナ。慕っていた肉親の全てを否定された幼少の彼女の心中は如何ばかりか。

 

 しかし成程、ティアナが必要以上に力を渇望する理由は分かった。公私混同は御法度だが、まだ子供の彼女には己の感情を律するだけの精神の強さが足りていない。だから上司の心遣いも届かないし、仲間の気遣いも聞き入れない。意固地になっている、というよりは、自分の目的のために躍起になっていて周囲にまで気が回らないのだろう。

 

 ……などと偉そうに考察している自分があまりに滑稽だと気づき、人のこと言えないな、と内心苦笑した。

 

「俺はティアナの気持ち、分かるよ」

 

 呟く声は、ヴィータとシグナムにも届いていた。

 怪訝な顔が二つ向く。彼女らには分からないのか。弱者の気持ちが。

 

「役立たずのままでいるなんて、できないんだよ」

 

 例え足元にも及ばぬ強敵の前でも、挑まずにはいられない。

 

 決して引けない時だって、あるはずだ。

 

 誰にでも。

 

 ヴィータが眉を歪め、どういうことだと問い質そうとした。

 

「た、大変よっ!」

 

 突如、扉を全力で開いて突入して来たシャマルの一声に、その場の全員が視線を向けた。

 

「どうしたんですかシャマル先生。二か月ぶりくらいに月ものが来たような声を出して」

「そうなのよもう歳なのに……んなわけないでしょうが!」

 

 律儀に突っ込むシャマルを、まぁまぁと落ち着かせるシグナム。

 しかし何が起きたのか。焦燥気味のシャマルの顔に、一同は緊張を高めた。

 

「―――何? 高町とランスターが?」

 

 事情を聞き終えたシグナムはすぐさま現場へと向かおうとする。ヴィータも苛立たしげに舌打ちをしてから、立ち上がった。

 

「ったく、アイツ子供か!? いちいち面倒事おこしやがって……!」

「あんたに言われたくないと思うよ」

 

 ゴスッ

 

「おら、とっとと訓練場に行くぞ」

「そうれふね」

「……ダイスケ、鼻血でてるぞ」

 

 シグナムが心配げな目を向けてきた。

 この人意外と優しいな。呑気にダイスケはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 既に事態は深刻化していたらしい。

 

 訓練場に辿り着いた時には、棒立ちするなのはに向かってスバルが突撃を敢行し、ティアナがダガーモードに切り替えたクロスミラージュを突き立てていた。傍目にも見事なコンビネーションであったが、どうやら無理を効かせた作戦になのはは怒りを抱いたようで、素手で攻撃を掴みとっていた。白刃取り、というにはあまりにお粗末な受け止め方。手は傷つき赤い血が滴り落ちている。だが顔を俯かせたなのはは気に留めた様子もなく、口を真一文字に結んで沈黙している。

 

 ややあって、なのはは下向き加減のまま、言った。

 

『―――おかしいな。二人とも、どうしちゃったのかな?』

 

 スピーカーから聞こえてきた声。あまりに無機質で感情を欠落させた声音に、耳を傾けていた者は一様に驚いた。ぞっと背筋を凍らせる、あの暖かな笑みを浮かべた女性のものとは思えないもの。近くに立つフェイトでさえ、口元を押さえて驚愕している。

 

『頑張ってるのは分かるけど、模擬戦は喧嘩じゃないんだよ? 練習の時だけ言うことを聞いてるふりで、本番でこんな危険な無茶をするなら、練習の意味、ないじゃない』

 

 ねえ、私の言ってること、間違ってるかな?

 

 尋ねるような台詞。だがそれは、下手な脅しや恐喝よりも怖ろしい。平坦すぎる彼女の言葉一つ一つは、聞く者に胸を掻きむしりたくなるような不安を抱かせた。

 

『―――少し、頭冷やそうか』

 

 やめて、と誰かが叫んだ。

 

 それが聞き届けられるよりも前に、光が溢れた。

 

 

 

 

 

 違和感を抱いたのは、模擬戦が始まって間もなくのことだ。

 

 スバルとティアナ、二人のコンビネーション力の高さは既知のものだ。Bランクの試験時、直に目撃したからこそ分かる、長年の信頼関係から来る、息の合ったフォーメーション。六課に異動してからも幾度も感嘆させられる思いで、彼女らの成長を見守っていた。

 

 だが今回のは今までのと違う。スバルが荒々しく攻撃を繰り出し、隙を突いたティアナの精密射撃が襲いかかる。記憶にあるパターンと同様、彼女らのスタンダードな戦法。そこに、スバルが半ば自暴自棄気味の猛攻が加えられ、防御を明らかに軽視した突撃を仕掛ける。これにはなのはも瞠目する。何だこれは、自分はこんなものを教えてはいない。己が身を削り、勝利を貪欲に求める戦い方など、私が一番忌避するものだ。幾度となく戒めてきたというのに、どうして今になって。

 何故こんなことをする? 問いかけるも、スバルは応えず、力強い打撃を間断なく撃ち込む。無視している、というより、意図的にこちらの発言を聞き流している。

 

 スバルは特攻めいた攻撃をする人間ではない。

 ならば、と視線を一瞬、視界の隅に立つ少女を捉える。

 

 ティアナの指示なのか? こんな、自身を省みない戦法を強いているのは。

 

 疑念が頭を占めていく。回らない頭が答えのない問いかけを解決しようと蠢き、けれども納得のいくものは見当たらない。

 

 思考が身体を束縛する。普段より切羽詰まった攻防、長く続けばスバルも危うい。ならば早い段階で切り上げさせる必要がある。

 

「どうして……」

 

 歯噛みするなのはが、躊躇いながらもカートリッジを消耗しようとした。

 だが、動きの鈍い上司の隙を一部たりとも逃さんと観察していた冷静な銃士は、致命的な隙を絶対に見逃さなかった。

 

 動きが生じる。カートリッジを消費し、貫徹力を上げたスバルの拳が、一瞬遅れて反応したなのはのシールドを打ち鳴らす。火花が散り、初めてなのはが苦渋に満ちた顔で防御に専念する。がむしゃらな攻撃はなのはを焦燥させるだけの効き目はあった。それと同時、なのはの中で何かが大きく膨れ上がる。言い様のない何かが、口元までせり上がり、弾けそうになる。

 いけない、と自制をかけるも、ティアナの接近が思考を吹き飛ばす。

 

 視線が合う。

 冷ややかな目。自分の想いを無言で否定している。

 

 緩やかになる時間の中で、ああ、となのはは思った。

 

 なんだ、ティアナは初めから―――

 

 

 

 

 

「レイジングハート。モード・リリース」

 

 

 

 

 

 ―――私の言うことを、何も聞いてなんて、いなかったんだ。

 

 瞬間、自分の思考が切り替わる。今まで焦りで満ちていた心が瞬く間に凍てついてゆく。乱れていた呼吸が整えられていく。眼を見開くスバルを無視。ティアナの方へ意識を飛ばす。

 

 目が一瞬閉ざされ、感情に溢れていた瞳が姿を消す。

 

 そして今一度開かれた時、そこには人としての温かみが一切省略されていた。

 

 優しい教官から、歴戦の戦士へ。

 

 不安は悲しみに、焦燥は怒りに。

 

 そして、混乱は混沌へ。

 

 感情を投げ捨て、機械のように肉体が再起動する。

 

 反面、ティアナは目に見えて混乱していた。デバイスを待機状態に戻したなのはは、あろうことか、ティアナのクロスミラージュを素手で掴んだのだ。防御のために、シールドを展開するならば分かる。だが、形成された魔力の刃を、手のひらで受け止めている。直に触れた彼女の柔肌は切り裂かれ、徐々に橙色の刃を鮮血で彩ってゆく。

 

 今に至り、ようやく彼女は平静を取り戻したのか。

 けれども、それよりも早く。

 

 なのはは冷徹を取り戻していた。

 

「クロスファイアー―――」

 

 指先に魔力が集う。呆けていたティアナは慌てて後退するも、空中を自在に飛べぬ彼女にとって、数秒の思考停止は致命的だった。

 

「ティ、ティア! 逃げ……ッ!」

 

 スバルの悲鳴のような叫びと同時、

 

「―――シュート」

 

 死刑宣告に近い、無情の断罪。

 

 桃色の光弾がティアナを滅多撃ちにし、小規模な爆発が上がる。衝撃がこちらにも届き、絶望が飛び出したスバルの顔を撫でる。

 

 粉塵が舞う。地面へと落下したティアナは意識を失ったのか、身動き一つしていない。既に原型を留めなくなったバリアジャケットが痛々しく、なのはが放った魔力弾の威力を物語っている。意識を刈り取るだけの力を孕んでいた。

 少なからず後悔している。けれども一度冷え切った感情が熱を持つことはなく、湧いた動揺も後悔もすぐに冷却される。

 

「……模擬戦はここまで。二人とも撃墜されて終わり」

 

 しかし、

 

「ところで、君は何しに来たのかな?」

 

 振り向けば、金色の少年が、虚空に佇んでいる。

 

 

 

 

 

 止めるつもりはなかった。

 

 どちらの言い分も正しいし、どちらの意見ももっともだと頷ける。互いの立場を尊重して考えれば、いずれの答えも納得のいく結果だろう。人々を教え導くなのはとて人間だ。時に過ちを犯すだろうし、納得のいかぬ事態に腹を立てることだってある。まだ経験の浅いティアナは無理を押し通し、やがて破滅しかねないと表面上は理解していても、やがて直面した時後悔しないとは言い切れない。

 難点があるとすれば、お互いのコンセンサスがとれていなかったことだろうが。互いに上司と部下以上の信頼関係が結べず、胸の内に抱えた感情諸々を吐き出すことができていれば、或いはこのような事態に発展することはなかったかもしれない。

 

 

 ―――人を信じる心があって、人を好きになる思いがあれば、誰でも人と深く繋がれる。

 

 ―――けれど、私たちは物事を深く捉えて考えてしまいがちになる。解ろうにも正確に相手の心を把握することなんてできない。

 

 ―――私たちに真にできることは、話し合って、分かり合う努力を続けることと、せめて誰かが悲しい思いをしないよう教え導くのを続けることだけ。それが一番の近道だと信じているし、教える子たちの夢の第一歩を手助けできるなら、私もそれがいいと思う。

 

 ―――だからもし、今君が話せないことがあっても、いつか分かり合えたのなら、お話してくれるんだって、私は信じてる。

 

 

 空を見上げながら、ダイスケは思う。なぁ、高町さん。あんたが何を努力していたか、俺は知らない。ティアナを案じて何を思ったのか、彼女のために何をしていたのか、知らない。貴女は信じることが大事だって言っていた。敢えて何もせずに見守っているのも、それはそれで一つの手なのかもしれない。

 

 それでも。

 

 なのはは上に立つ者として、やってはいけないことをした。

 教え導く者として、他の者より長く生きる先輩として。

 

 対話することを諦めてしまった。

 

 それは最終手段だ。人は獣と違う。言葉で意志疎通を図り、互いに譲歩し合うことで平和な関係を築き上げることだってできるはずだ。話し合いが無駄だと判ずる愚か者がいるならば、数千年もかけて発展し続けた言語によるコミュニケーションを根本的に否定することに他ならない。

 

 話すことは無駄じゃない。

 

 ただそれを、自分が口にして良いとは決して思わない。

 何故なら、力こそ全てにおいて優先される世界で、彼は生きていたのだから。

 

 けど、

 彼女たちは違う。

 

 まだ、何も手遅れになっていない。

 道を踏み外しかけているだけで、まだ手遅れになってはいない。

 

 だから。

 

 今ここで、正さねばならない。

 

 そんな資格がないとしても。

 

 貴女は間違っていると、そう言った。なのはの整った顔が歪む。既に瓦解しかけた心の亀裂が広がる。普段の彼女ならば聞き流すその発言も、醜い感情が露わになった今となっては、否定一つさえ挑発になる。

 

 一触即発の空気が再び舞い戻る。

 なのはが先に口を開いた。

 

「……お話、しようか?」

 

 直後、両者は動いた。

 

 

 

 



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第8話 僕は何も知らない

あまりにも先が長すぎて……アニメ本編から始めたのは失敗だったかな。

ううむ。



 

 

 ティアナは倒れ伏した後も、意識を失ってはいなかった。

 

 

 意識が揺らぐ。痛みが全身から伝わって来る。

 

 なのはから受けた射撃は尋常ではないダメージをティアナに与えた。それでも意識を保っているのは、偏にクロスミラージュの優秀さに尽きる。咄嗟の判断で防壁を張り、かろうじてダメージを軽減させた。

 

 もっとも、圧倒的火力の前では薄皮一枚程度に過ぎなかったが。

 

 

 むしろ気を失わなかったことで、ティアナは痛みによって意識を覚醒させられ、押し寄せる後悔と落胆の念に呑みこまれそうになった。

 

 反発してしまった挙句、上司へ刃を向けてしまったという後悔。凡人の自分では勝つどころか抗う事さえできなかったという、目を逸らせない現実への落胆。

 

 

 何をしていたんだろう。ティアナは暗闇の中で思考する。一生懸命に走り続け、がむしゃらになってしがみついて来た。

 

 自分の全てを投げ捨てるつもりで、己の夢へと駆け抜けてきた。

 

 その志半ば、ここで潰えようとしている。

 

 全てを台無しにしてしまった。ただ一度きりの人生で、とんでもない間違いを犯した。

 

 

 私のしてきたことは、無駄だったんだろうか。

 

 

 遂にはティアナは闇に身を委ねようと、意識を手放しかけた。

 

 このまま眠ってしまえば、楽になれる。後で目が覚めた時、きっと私はまた何かを思うだろうが、少なくともその時まで、何も考えることなく静かに過ごせる。

 

 その方が、ずっと楽だから。

 

 

 すぅ、と意識が薄れていく。深い闇の奥底へと沈んでいく。このまま目を覚まさずにいるのも悪くないなんて思った、その時だった。

 

 

『無駄なんかじゃありません』

 

 

 声が聞こえる。

 聞き覚えのない、幼い少女のもの。強い意志を感じられる、芯の通った透き通る声音に、ティアナの意識が引っ張られる。

 

 

 一体誰だろう?

 

 この、どこか聞き覚えのある声は。

 

 思わず目を向けてしまうような、力強さを感じる声は――

 

 

『さぁ、起きて下さい。そして見てきて下さい、貴女が「想い」が、人を変えるその瞬間を』

 

 

 声が遠のいて行く。

 

 待ってくれ、と思わず手を伸ばす。貴女が誰だか分からないけれど、その凛とした声はどこかで―――

 

 

 

 瞬間、ティアナは覚醒する。

 

 倒れ伏したままの状態。地べたにうつ伏せになったまま、握り締めたままのクロスミラージュを眺める。

 

 意識を失っても、手放してはいなかった。

 心はまだ、折れていなかった。

 

 

 空を見る。

 そこに、金色の光芒がある。

 

 

 星の輝きを彷彿とさせる、美しい光が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     第8話 僕は何も知らない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空間戦闘は通常の陸上戦闘と異なる。上下左右あらゆる方向から攻撃が飛来するのだ。

 

 人間の視野は狭い。前方180度を見渡せる目を持ちながら、実際脳へ伝達される情報の大半はほぼ真正面だけであり、斜め左右になればあやふやな映像データが送られてくる。進化の過程で頭脳や複雑な動きへ特化していった反面、野生としての本能や牙を次第に欠いていったためか、動きを察知することはできても、全てを把握することはできない。

 当然のことだが、人間は後ろを見ることができない。一度振り返らねば視覚で捉えることができず、そのため背後の守りが薄くなる。如何に優れた魔導師でも、背後は絶対の死角であるため、サポートするデバイスの存在が必要不可欠となる。

 

 空戦魔導師が希少であり、その中でも優秀と太鼓判を押せるのが数えられる程度という時点で、実力の高い空戦魔導師がいかに困難な道のりを辿ってきたのかが窺える。

 そして高町なのはは、幼少の頃から高い空戦の資質と莫大な魔力をもって数々の苦難を打ち破り、後に数年にわたってミッドチルダで訓練を行い、空戦のエキスパートとなった才女だ。砲撃・飛行・防御etc……優れている点を挙げればキリがない。かつてダイスケが一打すら与えられず敗退したことからも、その鉄壁と呼べる防御能力に僅かな隙も窺えないことが分かるだろう。

 

 

 空戦では通常、死角とされる背後からの攻撃に加え、日常生活ではほとんど気にかけることのない真下からの攻撃も念頭に入れねばならない。

 ダイスケは空戦経験がある。しかし、空戦を主体とする魔導師からすれば、彼の動きは止まって見えるだろう。ほぼ一直線にしか動けず、自由自在に飛び回れない空の敵など、良い的とされてもおかしくはない。

 

 とにかく慣性運動を数秒以上行うと、敵からすれば止まっていると見做され横殴りの攻撃が止め処なく撃ち込まれるのが関の山だ。

 なので、自分の体に負荷を強いることになろうと、規則性のないジグザグ飛行をするしかなく、それでも高い誘導性を誇るなのはの光弾を回避し切るには、一発一発を懸命に受けるか紙一重で避けるしかなかった。

 

 

 なのはのアクセルシュートは、模擬戦の時とは比べようもないほど誘導性が高く、以前のヴィータとの交戦で見た弾丸と同じ対応をとることはできない。

 至近距離での回避を行おうにも、なのはは僅かな誤差さえ見逃さない。射撃に長ける魔導師ゆえの精密な射撃は、確実にダイスケから希望を奪っていく。

 そのため、射撃させない戦い方をとろうとした。

 が、先制を許した時点で彼女に主導権を握られている。否、空中を戦場と認定した時点で、高町なのはという空戦のエキスパートに敵う道筋はほとんど消失している。

 

 以前、模擬戦という名目で相対した際、為す術もなかったのを思い出す。滅多撃ちにされた記憶は新しい。圧倒的な勝負結果は、下手をすれば敗者にトラウマの一つでも植えかねない。

 

 加えて、懸念事項が一つ。

 

(く……!)

 

 左肩の鈍痛が酷い。身体を小さく左右に振るだけで苦悶の声を上げそうになる。全治三週間さえ早期回復と診断された身体を酷使するのは、重労働など生ぬるいレベルだった。

 

 それでも、懸命に動き続ける。

 なけなしの体力を使い、一歩たりとも留まらない。

 

 僅かな勝利の光さえ見逃すまいと、己の力を信じて。

 

 

 ―――オメェはとにかく魔力量も多くねぇんだし、空も得意じゃねぇんだろ? だったら、立ち止まったら死ぬと思え。

 

 ―――攻撃するのは二の次だ。動いて動いて、自分の周囲を観察しろ。そうすりゃ多分、見たいものが見えてくるだろーよ。

 

 

 かつて上司である赤毛の少女から授かった知恵を、自分の仲間との戦いで披露することになるというのは、皮肉もいいところだった。

 

 

 ダイスケは飛び続ける。飛来する弾丸を時に斬り払い、時に射撃を返して相殺することで、被弾を極力避けている。

 防戦に徹することができているのは、なのはが主力となる砲撃を一切行っていないからだ。彼女が本気になった時――つまり砲撃の発射体勢に入った時、それが戦いの終焉だろう。

 

「どうして……」

 

 動き続ける中、なのはは歯を剥き出しにして叫んだ。

 

「私は……自分の無茶な行いが、どれだけ人に迷惑をかけるのか、どれだけ後悔することになるのか、知ってもらいたかっただけ! だから私は理解して欲しかった! 誰だって痛いことや辛いことは嫌なはずだから……それの一体何が悪いって言うの!?」

 

 語気の強さと同調して、飛び交う弾丸の数が増えていく。

 

 なのははダイスケに対して言っている……ようには見えなかった。あれは恐らく、長い間溜め続けていた負の感情の発露だ。常日頃微笑を携えているなのはとて人間、簡単なことで腹を立てたり、小さなことで悲しんだりする。ティアナの反抗的な態度に不満を抱いてもおかしくはないし、わざわざ乗り込んで来て武器を構えるダイスケに苛立ちを覚えても不思議ではない。

 

 不満、悲しみ、怒り、焦燥。

 溜めに溜めた小さな感情。それがこの場で、溢れだした。

 

 溢れた想いが飛び出して、感情の渦が巻き起こる。

 

 

 なおも彼女は叩きつけるように言葉を作る。

 

「ティアナに危険なことして欲しくない、皆私の言うこと聞いてくれれば、危ない目に遭わないんだって教えてあげてるのに、どうしてみんな分からないの!? 怪我をしてからじゃ遅いのに、誰かが泣く思いをしてからじゃ間に合わないのに!」

 

 

 射撃は絶えず、四方八方から押し寄せる。感情を込めた、怒声のような叫びと共に。

 

 ダイスケは無言で回避を続ける。言葉を返す余裕なんて無いに等しい。降り注ぐ精密射撃の雨を、どうにか防ぐので精いっぱいだった。

 

 

 反論する言葉は用意してある。自分が辛い想いをしたからって、自分のエゴを他人に押しつけていいわけがない。自分の主義主張を上下関係任せに押し付けて良いものだろうか。単純な上司と部下ならいざ知らず、なのはがどういう思いを抱えて仲間と接しているかを少しでも知るダイスケは、思わずにはいられない。

 

 もっと上手く解決できたんじゃないのか。

 ティアナを理解してあげられたんじゃないのか。

 

 もし、とか、たら、とか。そういう言葉が脳裏に浮かんでは次々に消えていった。何故ならダイスケとて知っていたからだ。ティアナが身を削るような思いで励んでいる光景を。なのはがどこか辛そうなモノを押し殺した笑みを携えているのを。どちらも知り、どちらも理解できているからこそ、彼は苦悩している。彼我の主張を分かってしまったからこそ、何を言うべきか迷っている。

 

 

 それに、

 今、平静を失っている彼女に叩きつけたところで、何も響くまい。ただ我を通すやり方を変えないなのはに逆らったところで、必死な否定を続け、力づくで上から反論を押し潰すだけ。下手に芯が強い分、手折るのにそれ相応の力と意志が必要になる。

 

 ダイスケでは、きっと届かない。

 それは、痛いほどに理解していた。

 

 この分からず屋、と叫びたくなる衝動を抑え、滲み出そうな怒りの力を回避にあてる。次第に射撃の正確さが鋭くなってきた。ダイスケが回避するパターンを予測し、動いた先へと光撃が叩き込まれている。間もなく疲弊しつつあるダイスケに致命打が撃ち込まれる頃合いだろう。誰もがそう予測してしまう展開、それは彼とて承知の上だ。

 

 承知の上で、ここにいる。

 

 

 だから。

 

 だからその前に、これだけは問うておきたかった。

 

 

「本当に?」

 

 

 ダイスケの小さな呟きが、風の音に乗ってなのはに届く。

 

 

「貴女は、それで正しいと思っているの?」

 

 

 その声音は、平静そのもの。怒りも悲しみも何もなく、純粋な疑問を突きつけるように、問うた。

 

 

 なのはの攻撃が止まる。

 

 たった一言、ただ一度だけの問いかけに、なのはは一瞬だが、呆然と眼を見開いていた。

 何気ない一言が、彼女の心を確かに揺さぶった。

 

 

「私は……」

 

 レイジングハートの先端が下がる。

 

 なのはの半ば呆然気味の声が聞こえた。もしかして、今、冷静にかえってくれているのだろうか? 今までの自分を省みて、自分の意志で腕を止めてくれたのであれば、希望はある。

 

 まだ、話し合う余地がある。

 声が届いているならば。

 

 

「お願い……だから、―――」

 

 

 俯き加減に何事かを呟いた。聞こえなかったが、肩に入っていた力が抜けていき、徐々に敵意が薄れていくのが伝わって来る。

 

 

 分かり合える。彼女はそう望んでいたはずだ。かつて最初に出会った時、分かり合えたと微笑んでくれた彼女なら。必死に投げた言葉をきちんと噛み砕いて嚥下し、本来あるべき自分の有り様を思い出してくれたら。

 大丈夫、まだ彼女は最後の一線を越え切っていない。ティアナに後できちんと謝って、考え方を改めてくれれば、なんとかなるはずだ――。

 

 

 未だ躊躇う彼女の理性に、ダイスケは一縷の望みを託し、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――私を理解(わか)ってよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、呆気なく潰えた。

 

 

 劇的な変化は起こらなかった。ただ彼女の中で留め金となっていた何かが弾けた。

 

 ダイスケが最後の一歩を後押ししてしまったことを悔いるよりも早く、コッキングする音が響き渡る。数にして三。カートリッジを消耗する音に、目を剥いたダイスケが慌てて後退を選択する。

 しかし機先を制するように発動した桃色の呪縛が彼の動きを全て奪い取った。両手と関節から自由を奪うバインド、無詠唱で放つには異常とも言える驚異的な速度と精度に、見守る者は例外なく息を呑む。

 

 瞬く間に指先一つ動かせぬ状況に追いやられたダイスケは、無駄な足掻きと思いつつも抗おうとする。しかしそれも徒労であり、発射された二発の弾丸が足元を通過して爆発を引き起こしたことで、抵抗の意志も消え失せた。

 唯一彼が空間を飛翔できる術――AGGドライブが、完膚無きまでに粉砕されていた。粉々に砕かれ、パラパラと散っていく銀色の破片。なんだかんだで今まで使い続けた相棒の終焉としては、ひどく呆気なく、物悲しい結末だった。

 

 眼前で静かにデバイスを構えるなのはを見る。俯き加減に佇む姿は、触れれば壊れる硝子細工のように見え、同時に間もなく爆発する核弾頭にも見える。薄暗く窺えない目元からは表情は見えずとも、きゅっと硬く結ばれた唇の形が、今にも吐き出しそうな剥き出しの感情を必死に押し留めているのが分かる。

 

 否、それはもう既に、決壊していた。

 

 きつく握り締められたレイジングハート。射撃形態に移行し、先端部に膨大な魔力が収束していく。人一人を葬り去るには十分すぎる砲撃が放たれようとしていた。遠くで叫びが上がるが、なのはの耳には届くまい。届いたところで、聞こうとする意志は無いだろう。煌々と輝きだす桃色の光に、拒絶の灯が宿る。

 

 悲鳴が聞こえる。怒声が届いた。

 駄目、と呼ぶ声。止めろ、と叫ぶ声。

 そのどれもが、最早遠い世界の出来事でしかなかった。

 

「どうして……」

 

 歯が砕けんばかりに食いしばるなのはの顔。微動だにできないからこそ眼で追って捉えることができた彼女の素顔は、あの日見た大人の女性らしい余裕と包容力溢れる笑顔ではなく、ただただ純粋で馬鹿正直な感情を剥き出しにした少女のそれだった。

 

 

 光が一際強く輝く。

 

 弾ける寸前、なのははそれを解き放った。

 

 

「どうして誰も、分かってくれないのッ!!」

 

 

 ああ、とようやく思い至る。

 

 彼女も、人間だった。

 

 たった、それだけのことなのだ。

 それだけのことだったのだ。

 

 

 

 

 

(……予想していなかったわけやないけど、ここまでとは)

 

 はやては事態を静観しつつも、内心焦燥に満ちていた。

 

 なのはが精神的に参ってきているのは薄々感づいていた。それでも彼女なら、と思い留まったのは、単純に長年の付き合いからくる信頼と、教導官という地位、良識ある大人ならば、という至極真っ当な思考からだ。一時の感情に流されるほど彼女は短慮ではない、そう信じて疑わなかった。

 けれども、如何ななのはといえど一人間。些細なことで怒りもするし、悲しみもする。聖人君子ではない、ただの一人の人間なのだ。

 

 そんな当たり前のことさえ、自分は見落としていたのだろうか。

 

 上司であるがゆえ、個人的な干渉ができず、友達であるがために、強く言い聞かせることもできない。仲間を信頼し、部下を信用し過ぎたがゆえの失態。はやては迷うことなく己のミスと判じた。采配を間違える、成り上がりの指揮官にはキツい蹴躓きだった。

 

 大きく吐息。思考は後回しだ、今は騒ぐ周囲を落ち着かせ、事態の収拾を急がねばならない。部下の行きすぎた行動、同僚の過剰攻撃、いずれも無かったことにできる領分ではない。何らかの決断を下さねば、はやての後々の評価に繋がるやもしれない、なんて不意に考えてしまう自分に、反吐が出そうだった。

 

 

 重い腰を立ち上げる。ともあれシャマルを呼ぼうと口を開きかけた、その時。

 

 

「ん……?」

「ど、どうしたんですか? はやてちゃん……?」

「いや、今確か―――」

 

 

 視界の隅で、何かが光ったような……?

 

 

 

 

 

 空を引き裂いた桃色の光芒は、やがて収束していく。

 通り過ぎたところには、何も残っていない。探せばボロ雑巾のようになってうち捨てられた少年が転がっていることだろう。

 

 正真正銘、本気の一撃だった。

 敵でない者に対して放って良い攻撃では無かった。少なくとも、仲間に放つべきものではなかった。

 

 

 沈黙したままのレイジングハートを下ろし、息も絶え絶えのなのはは、怒りの感情を顔から消した。

 

 

 悲しい思いをしたくない。

 悲しい思いをさせたくない。

 

 偏に人のため。例え見知らぬ他人であろうと心痛める不幸など誰が喜ぶものか。誰も不幸になって欲しくない。ただその一心で、人々に教えを説き、身を守る術を伝授し、やがて人のために尽くせる立派な魔導師になれるよう経験を積み上げさせた。

 そこに驕りはなく、その人を純粋に想い、心配し、決して不幸な道へと踏み出さぬよう導いて来た。

 

 それの何が間違ってるんだ。

 それの何が悪いというんだ。

 

 

 私は何も、悪くない。

 何も悪くないんだ。

 

 

「……二人とも撃墜されて終わり。後は―――」

 

 

 踵を返す。後ではやてに怒られるかもしれないし、下手をすれば問題を起こしたことで責任追及なんてことになるかもしれない。

 

 でも、もう、どうでもいい。

 やってしまったことへの贖罪は、後でしよう。

 今はただ、何も考えたくない。

 

 沈む気持ちを隠そうと努めながら、なのははダイスケ達を回収すべく地上へ降りようとした。

 

 だが、

 

 

「え……?」

 

 

 煙が晴れる。視界が澄み渡る。

 空があるべき姿を取り戻す。

 

 

 そこに、彼女が望んだ結末は無かった。

 

 世界で一番、ひどい裏切りを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が頬を撫でている。

 

 春のような心地よい風、人肌に優しい日差し。さんさんと降り注ぐ太陽光に、思わず眼を細めた。午後の陽だまりの中でのんびりとくつろいでいると、時間の流れも忘れてしまう。芝生の感触を感じ、いつまでも空を眺めているだけで、不思議とささくれ立つ心が洗われてゆく。

 ごろりと横になる。ちょうど木陰に隠れ、太陽の光が遮られる。眩しかった陽光が木の葉の隙間から差しこみ、それが丁度良い温かみを分けてくれる。

 

「―――こんなところで、何をしているのですか?」

 

 背後から、声。急に現れた人の気配に、少年は思わず飛び上がりかける。高鳴る胸の音などいざ知らず、少女のものと思しき声の主は、芝生を踏み、こちらへと近づいてくる。

 

「う、ううん。なんでもないよ」

 

 照れたように頬を染め、見られぬよう急いでそっぽを向いた。

 

 後ろに立っているのは、茶髪の少女だった。青々とした瞳は無感情に揺らがず、しかし少年の姿を捉えて頬は緩み、細い唇は弧を描いて、柔和な微笑をつくっている。背丈は少年と同程度だが、落ち着いた雰囲気と言葉遣いがどこかちぐはぐであった。

 少年が着込んでいるのは簡素な白いTシャツと藍色の短パンである。対し、少女は鮮明な黒のドレスのような姿だった。長いロングスカートが風に揺れ、なびく前髪が眼を覆った。

 

 片手で髪をはらい、無言のまま、少年の傍にまでやって来ると、すぐ隣に腰を下ろした。肩と肩が触れ合う距離、年頃の少年にとっては心音が高鳴る距離感だった。ますます強張る身体を悟られまいとするあまり、少年もまた無言になってしまう。

 静かな空気、そこに緊張はなかった。物静かな雰囲気が漂う今の情景こそが、彼らの普段の姿なのだった。

 

 その時、頭上から音声が聞こえた。

 

『シーケンス:天候-晴天、気温-23度、人口密度:低』

 

 女性……というより、幼い少女の声が響き渡る。淡々と事実を語る口調、それが聞こえると同時、付近から人の声が聞こえ始めた。今まで人の気配一つ無かった空間を満たす音の数々。次第に喧騒に包まれる辺りの空気が、穏やかな午後の時間を見事に再現していた。

 

 

 ―――ここが地下空間とは、初見の人間には到底見抜けまい。

 

 

 ドーム状に展開された地下空間。仰ぎ見た頭上、目線の遥か先に、突き抜けるような青空が広がっている。心地良い風が時折吹き、雲が少しずつ流れていくのが見える。

 

 当然のことながら、本物ではない。厚さ数メートルはある壁面は住民に癒やしを与えるためか、スクリーンになっている。今日は青空、先日は曇り、その前は雨と、最適な環境を構築するために気候は常に変化し続けている。

 ドーム内部の環境維持システムは今日も正常に稼働している。一昨日までの雨雲はなりを潜め、からっとした晴れ模様が研究所を照らし出している。ここでは三百六十五日全ての環境を機械が調節し、管理している。そのため、地下空間内にいる人間の肉体的、精神的健康を維持するべく、日々最適な状況を形成していた。

 道を行く者、立ち話をする者、急ぎ足になる者……そのほとんどが、立体映像である。ざわめき声も機械任せの人工物であり、人の気配がなくとも人のいるという感触は確かに感じられる。

 

 人工の箱庭。全てが管理された有限の世界。そこは偽りの平和で満たされている。環境が整えば人の心も荒まない。心が病まねば肉も絶えない。人と人とが諍い合う根源を全て絶ったこの空間は、自然の中で生きる物からすれば檻の中と同義かもしれないが、少なくともここに住まう者にとってはこの上ない理想郷だった。

 ここから出たことは無い。少年も少女も、生まれた時からこの箱庭にいた。外部の世界を情報として知る二人は、荒廃し人の憎悪と激情をぶつけ合う醜い世界を敬遠し、争うことなき世界で暮らしている。

 

 どうして争いは絶えないのだろう。モニター越しに眺める遠い世界の出来事。自分とは無縁なセカイは、哀れで虚しいモノだった。

 

 感情があるから、憎しみ合う心があるから、そうなってしまうのだろうかと、呟いた。人も獣も、世界の中で生きる一つの生命であるならば、その命は平等に絶えて行くべきだ。なのに人間はこうして生態系の頂点に立ったつもりで、限りある自然を破壊していく。それがどうも傲慢で、同じ人である身を呪いたくなる、それが少年の感傷だった。

 

 けれども、隣の少女は異なる見方をしていた。

 

「感情とは、心を持つ生き物にだけ許される神の贈り物です。人と獣は違うのです、だからその死は、決して無碍であってはならないのです。ゆえに、自らを律し、尊厳を取り戻さねばならないのです。―――かつて人々が伝えてきた希望を、残すために」

「……何言ってるかわかんないよ」

 

 苦笑する。彼女の話は抽象的すぎて分からない。小難しい物言いに頭を悩ませる。

 

 けれども、そんな彼女が好きだった。

 いつも無表情だけど、たまに見せてくれる微笑みも、暖かい手のひらの感触も、何もかも。

 

 

 無言が続く。居心地の良い空気を、突然少女の放った声が吹き飛ばした。

 

「『―――』、よく聞いて下さい」

 

 誰かの名前を呟いた。少年は顔を上げる。それが少年の名前なのかは、分からなかった。

 

「そろそろ、貴方の居場所へ戻る時間です。本来貴方が生きるべき居場所へ」

「え……?」

 

 戸惑う少年の手に、少女の手が触れる。少年の手を掴む、少女の細い手。優しさと暖かさを伝える、人のもの。

 

「お行きなさい、貴方の心の赴くままに。正しさが人を救うとは限りません。けれども正しき心を持ち、人が人たる想いを携え、前を見据えていれば、明日への活路を見いだせることでしょう。信じて下さい、貴方の心が選んだ人たちを。さすれば自ずと夜天の星々が導いてくれることでしょう」

「何を……」

「――、ごめんなさい」

 

 唐突に、少女は眉根を伏せ、謝罪した。

 

「何もかも忘れ、辛い過去を振り返ることなく、新たな人生を謳歌して欲しいと願うのも、私の偽りようの無い本心です。けれども時折、こうして私を思い出してくれることを、嬉しく思うのは、私の自己満足なのでしょうか」

 

 何か言い返そうと口を開く。しかしそこから声は出ず、明確になっていた意識が急に遠のいて行く。それがこの世界からの帰還であるとなんとなく気づいた少年は、血相を変えて手を伸ばす。

 待ってくれ、まだ聞きたいことがあるんだ、貴女は誰だ、ここはどこ? どうしてそんな悲しそうな顔をしているの? どうして僕は何も分からないの? 僕は――

 

 

 僕は一体、誰なんだ?

 

 

「今は何も思い出せなくても良いのです。けれども、これだけは覚えておいて下さい」

 

 やがて光の中へと消えて行く寸前、少女は口を開く。無感情な眼を優しさで満たし、精いっぱいの笑みを浮かべて、愛しき子を見送るように、微笑んだ。

 

 

 

「私は、――貴方の幸せを、心から願っています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――メモリ再起動。

 

 改竄部をカット。深層領域よりサルベージ完遂致しました。

 感情の力……想念力の増大を確認。始動キーを確保。

 

 Error……Error……Error……

 

 Access……Code enter:『Astel』

 

 ―――Clear。System all green.

 

 システム展開。発動を了承しました。

 

 プログラム名称『U-D』、再起動しました。

 これにより、術式の発動を承認致します。

 

 

 Sensibility OverUtilization,Limited blaster

 

 解き放て、鳥籠の中の感情。

 いざ行こう、新たなる世界の境地へ。

 

 

 ようこそ、貴方が望んだ力の故郷へ。

 

 

 さぁ、行きなさい。

 正しき空で、自由を体現なさい。

 

 

 ―――世界を照らす、お星様(・・・)の光のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なのはが帰還しようと眼を閉ざそうとした、その時。

 

 視界の隅を、影がよぎった。

 

 

「―――ッ!?」

 

 

 急いで回頭、しかしそこに人影は無い。空気をかき乱した痕跡だけが残り、今度は背後で何かが通過するのを感知する。何か自分の到底予測もできない事態が眼前にまで迫っている。言い知れぬ不安が急に湧いてくる感覚を、なのはは吐息と共に捨て去った。

 

 危機感が急に湧いてきたなのはは、すぐさまレイジングハートに目を向ける。しかし彼女の期待とは裏腹に、相棒は何一つ応えない。敵性反応ならば即時自己判断で動くレイジングハートだが、不気味な沈黙を貫いたままだった。

 

 眉を潜めるも、なのはは深く考えず、先程視界に映った影を探し出す。気のせい、と楽観視はしない。自分の第六感的なモノが警鐘を鳴らしている。見過ごしてはならないんだと、長年戦いの場に身を置いていた感覚が警告していた。

 急に湧きたったこの感覚の正体は、何だ? なのはは目線を忙しなく動かす中、事態は急変する。

 

 背中から衝撃が来た。

 

「ぐっ……!?」

 

 予想外の一撃に意識が飛びかける。重い一撃、強かな衝撃に、混乱が生じる。

 魔力反応が無かった。そのため、反応が遅れ、被弾した。ただそれだけのことなのに、なのはの不安と焦燥は急激に加速し出す。

 

「……ッ!」

 

 僅かな気配を察知し、身体ごと大きく振り返る。

 

 視線の向かう先、虚空に佇む影がある。一振りの刀剣を持ち、空中にて留まる人影。黒いバリアジャケットはところどころ破け落ち、窺える素肌には負傷の形跡が見られる。それでも、まったく息の乱れる仕草もなく、ただただ空を足場に直立している姿に、なのはの方が身構えずにはいられない。

 

 

 彼は……ダイスケは静かに、なのはを見下ろしている。

 

 

 

 ―――その瞳に、赤い光を携えて。

 

 

 

 

 



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