捻くれた少年と海色に輝く少女達 AZALEA 編 (ローリング・ビートル)
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プロローグ



  思いつきで書きました。
  のんびり更新していきます。


「ヒッキー。元気でね…………」

「ああ…………」

 千葉駅には、俺の家族と由比ヶ浜、一色、戸塚、材木座、川崎、平塚先生等の、関わる機会の多かった人間や、意外にも、葉山グループのメンバーまで来ていた。

「せんぱ~い…………」

「だから泣くなっての」

「だって~…………」

 こんな時まであざとい奴かと思ったが、割と涙の量が多いので、慌ててしまう。

 困っていると、戸塚が近寄ってきて、手を握ってくる。

「八幡、向こうに行っても連絡してね。僕からもするから」

「もちろんだ。毎晩してやる」

 何ならモーニングコールも追加してやる。

「は、八幡よ。何なら我も…………」

「ああ、それつまんね」

 こいつも相変わらずである。泣くなよ。絶対だぞ。

「そういや…………」

 一応を周囲を確認する。

「あ、ゆきのんは…………」

「そっか…………」

 雪ノ下も家の事でトラブルを抱えている。それが何なのかまではよくわからずじまいだった。そして、それが気がかりだった。

「ヒッキー、心配しないで!」

 由比ヶ浜は拳をぐっと握り、胸の高さまで上げる。

「ゆきのんの事はあたしが何とかする!だからヒッキーは自分の家族の事だけ考えてればいいんだよ!」

「悪い…………」

 由比ヶ浜の強さに甘える形になったのを申し訳なく思いながら、既に電車に乗り込んだ家族の事を思う。

『すまん』

 家族に申し訳なさそうに謝る父の姿。別に俺達に謝る必要などないのに。

 ざっくり説明するなら、親父は左遷された。

 上司の大きなミスの責任を押しつけられる形での左遷。

 あんだけ社畜として頑張っていたのにこの仕打ち。やっぱり仕事なんてするもんじゃねーな。

 そんな事を考えている内に、何かしてやれないか、とか柄にも無いことを考えてしまった。

 結果が、親父の単身赴任ではなく、家族総出の引っ越しだ。俺が何か言い出す前に、母ちゃんと小町も同じ事を考えていた。意外な所で家族とは似るものである。悪くない。

「まあ、色々あるだろうが、新天地でも頑張りたまえ」

 平塚先生が頭をポンポンと叩いてくる。

「いや、何もないでしょう。3年だから受験勉強やるだけですよ」

「しかし、君だからなぁ」

 嫌な信頼である。

「君の事だから、また転校先でも誰かを変えていくのかもな」

「買い被りすぎだっての。じゃ、時間だしそろそろ行くわ」

「じゃあね、ヒッキー」

「八幡、夏休みにでも遊びに行くから」

「ぐす…………はち…………まん…………」

「先輩、富士山登りに行くついでに見に行ってあげますから」

「…………ありがとな」

 その場にいた全員に、しっかりと頭を下げた。

 そして、振り返る事はしなかった。

 

「お兄ちゃん、海綺麗だよ!」

「ま、千葉にも負けてないんじゃないか」

 MAXコーヒーを飲みながら、窓の外に目を向ける。

 さっきからずっと海は見えていたが、静岡県内にはいってから見ると、どこか違った輝きを放っているように見える。

「泳ぎ行こーよ」

「いや、死ぬから。死んじゃうから」

「ダイビングショップもあるみたいだよ」

「聞いてねぇ…………」

 しかし本当に緑も多く、気持ち良さそうだ。

 降りたら真っ先に深呼吸をしよう。

 

「千歌ちゃん。どうしたの?」

「あの人達、引っ越してきたのかな?」

「う~ん…………そうみたいだね!」

「この街のいい所…………いっぱい見つけて欲しいなぁ」

   

 

  






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プロローグ2


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「ふう…………」

 一軒家に、荷物を詰め込み、あらかた片づけてしまう。一家総出の頑張りで掃除もあっという間に終わった。あとは蕎麦でも食うだけか。

 ふと気づく。そういや、駅で色々あって本を買い忘れていた。少し疲れはあるが、まだ日も沈んでいないし、本屋の場所を確かめておくのもいいかもしれん。

 それと、自販機にMAXコーヒーがあるかを確かめておかないとね!

 Amazonさんで注文はできるが、自販機でいつでも買える安心感というのは、やっぱりありがたいもんな。

「あれ?お兄ちゃん出かけるの?」

「ああ」

「じゃあ、小町も行こーっと♪」

「車に気をつけるんだよ-!」

 母ちゃんの言葉を背に受け、小町と二人乗りで出発した。

 

「へー、さっきはあまり見れなかったけど、駅の周辺は割と都会なんだねー」

「ま、家の周りはあれだからな」

 新居の周りは、2、3軒家があるだけて、あとは結構な自然に囲まれている。

 ここに来る途中、最初は車もほとんど通らなかった。

 改めて引っ越したんだなぁ、としみじみ思う。

「そういや、お前、総武…………」

「お兄ちゃん」

 強めのトーンに発言を遮られる。

「私さ、雪乃さんも結衣さんも好きだよ。でもね…………」

 小町が手を握ってくる。

「家族が世界でいっちばん大事」

「…………俺もだよ」

 寂しさはある。多分数日、数カ月と時間が経つと共に、千葉との違いを見つけ、そして適応していくんだろう。

 けれど、家族の為なら何て事はない。

 

「いらっしゃいませー」

 本屋の中に入ると、人の数はまばらで、J-POPだけが騒がしく響いていた。

 とりあえず、一般小説のコーナーへ行く。

「ここを曲がって…………」

 案内図に従い、突き当たりを右へ曲がると、何かを踏んだ。

「って!?」

 踏んだものにローラーが付いていたのか、ずるっと滑り、尻餅をつく。

「ずらっ!?」

 女の子の声が聞こえた。…………今なんて言ったんだ?

「ご、ごめんなさいずら!オ、オラ…………」

「いや、大丈夫だ」

 少し尻が痛いだけで、特にケガはしていない。それよりさっきから気になる事が…………。

「ほ、本当に大丈夫ずらか?」

「…………ずら?」

「ずらっ!」

 その少し長めの茶色い髪が特徴の、小柄な女の子は口元を押さえ、自分の言葉を飲み込もうとしていた。

「ち、違っ、オ、オラ…………」

 この辺りはこういう方言なのだろうか。まあ、いい。

 少し離れた所へ転がっていった台車を彼女の前へと移動させる。

「あ、ありがとうず…………ございます」

 方言を隠しながらのお礼を言われる。多分、年齢は小町くらいか。

「あ、ああ…………そっちはケガはないか?」

 まあ、俺が一人で転んだだけだが。

「あ、はい大丈夫…………です」

「お兄ちゃーん!」

 小町から呼ばれたので、俺は軽く会釈をして、その場を去った。





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プロローグ3


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「あと3日か…………」

 あと3日で新天地での学校生活が始まる。おかしいな。3ヶ月足りない気が…………。ちなみに親父達は既に新しい社畜生活に突入している。ったく、あと3日間ぐらいゆっくり休めっての。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 小町が隣りに座ってくる。…………うわ、何か頼み事をしてくる時の態度だ。

 俺は沼津の共学校に、小町は浦の星女学院に編入が決まっている。小町の方はかなりぎりぎりまで悩んだらしいが、高校は千葉の時と違い、俺とは別の高校を選んだ。今回の事で、何か思うところがあったのだろうか。べ、別に寂しいわけじゃないんだからね!

「学校への道を確認しとかないと」

「そうか。いってらっしゃい」

「お兄ちゃんも行かなければいけないのです」

「まあ、まだ慣れていないしな」

 可愛い妹がまだ慣れない土地で迷子になるのも、かわいそうだ。仕方なく、外出の準備をする。

「つーか、お前の行くとこ女子校だろ?俺が行っちゃ、まずいんじゃねーの?」

「大丈夫だって!…………多分」

「おい、そこは絶対って言ってくれよ…………」

 

 バスに乗って、窓の外に目を向けると、青く澄み渡る空と、静かにたゆたう海が流れていく。その二つが水平線を溶かして合わさってしまいそうに調和しているのを見つめていると、あっという間に目的地に到着した。

「バス停からそんなに遠くはないな。これなら、大丈夫だろ」

「そだね♪じゃ、校舎探検しよ!」

「いや、しねーから」

 引っ越して1週間も経たない内にそんなドキがムネムネするようなスリルは味わいたくない。

「じゃあ、せめて校門まで!」

「へいへい」

 

「ふ~ん、結構グラウンド大きいね」

「ああ」

 返事をしながらも、視線は海へ向けている。だって陸上部とかが割と露出度高めでアレなんだもん。

「ちょっと飲み物買ってくるわ」

 

 曲がり角の辺りにある自販機前で財布を出していると、何かぶつかってきた。

「うおっ」

「ぴぎぃっ」

 やけに甲高い声で、その小動物じみた女子は呻く。

「だ、大丈夫か?」

 鼻を押さえている少女に声をかける。

「あ、はい…………こちらこそ、ごめんなさ…………」

 少女は俺を見て固まる。まるで時が止まったようだ。

 赤みがかったツインテールも、子犬のような庇護欲をそそられる瞳も、ほんのりと桃色の唇も全て停止していた。しかし、よく見たら額の辺りが青ざめているような気がする。

「お、おい、どうした?」

 片手で軽く肩をゆすった。

 しかし、それがスイッチとなったのか、少女の顔がどんどん赤くなる。そして、限界に達した瞬間…………

「ぴぎゃああああ!!!!」

 その小さな体からは想像もつかないくらいの大音量をぶっ放してきた。思わず耳を押さえてしまう。

 …………てゆーかこれ、ピンチではないでしょうか。

 あたふたしていると、背後から、凛とした声が聞こえる。

「あなた…………わたくしの妹に何をしてますの?」

 この時、確かに思った。

 悪い予感ほどよく当たる。





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プロローグ4



  何でユーフォニアムの三年生トリオはあんなに可愛いのでしょうか!

  それでは今回もよろしくお願いします。


「え、いや、その…………」

 上手い言い訳を考えながら振り向くと、思わず息を飲んだ。

 まず印象的だったのは、その長い黒髪。腰まで届く長さのそれは、純和風の淑やかな色気があり、ある人物を連想させる。次に目に入った真っ白な肌は、季節はずれの雪のように儚げな美しさを放ち、俺を睨みつける勝ち気な瞳は、揺らぐ事なく俺を捉えていた。

「もう一度聞きますわよ、そこの貴方。私の妹に何をしているのかしら?」

「…………」

 こちらに距離を詰めてくるその凛とした姿に、危うく目を奪われかけるが、我に返り反論する。

「いや、何もしてないじょ…………」

 こんな時に噛むんじゃねえよ、俺。

 案の定、顔を顰められる。

「やっぱり怪しいわね」

 黒髪の美人は俺のパーソナルスペースに入るか入らないかの距離まで接近していた。妹と同系統ながらも、少し甘さ控え目な香りが漂ってくる。ピンチなはずなのにいらん思考が脳内を飛び交っていた。

「その腐った目…………どう考えても怪しいですわ!」

 こちらが対応できていないせいか、少しずつ黒髪がヒートアップしてきている。

 しかし、初対面の人間に腐った目と言われる筋合いはない。そういう人間に対して言う事は決まっている。

「…………この清楚系ビッチめ」

「なっ…………!」

 俺の言葉に反応して、黒髪は顔を真っ赤にした。

「だ、だ、誰がビッチですってーーーー!!!」

 ビッチという言葉が辺りにこだまする。しかし黒髪はそんな事はお構いなしで俺に詰め寄ってきた。

「その腐りきった目には、わたくしがちゃんと見えていないようですわね!」

「初対面の相手の目を腐ってるなんて言う奴にはビッチで十分だろ」

「何ですって~~~!」

 お互いにまた言い合おうとすると、二つの小さな影が乱入した。

「お、お姉ちゃん、違うの!この人は」

「お兄ちゃん、何やってんの?」

「…………」

「…………」

 そう。二人の妹が間に入る事で、その場は収まった。

 何の気なしに空を見上げると、この馬鹿騒ぎを眺めるように鳥が旋回しながら青空を漂っていた。

 

「「ごめんなさい…………」」

 とりあえず入った喫茶店にて、二人して頭をテーブルに付きそうなくらい下げる。店内にかかっているジャズがやけに物哀しく聞こえてくる。

 裁判長である小町に、ひとまずYOU達両方謝っちゃいなよ!との判決が下された。

「お兄ちゃん。女の子にビッチなんて言っちゃダメじゃん。しかもこんな綺麗な人に…………」

「いえ、そんな、わたくしなど…………」

 小町の言葉に黒髪は頬を染めながら俯く。

 …………しかし、どこかあざとい。一瞬ニヤッとしましたよね?

「あの…………」

「ん?」

「ぴぎぃっ!」

 声のした方を振り向くと、さっきまでいたはずのツインテールがいない。

「こらルビィ。そんなところに隠れてないで、あなたも謝りなさい」

「うぅ…………」

 ひょっこりとテーブルの下からツインテールが顔を出し、こちらを潤んだ目で窺ってくる。な、何だ…………この可愛い生き物は…………。

 しかし警戒されているのか、目を合わせようともしない。

「ごめんなさい。この子ったら、お父様以外の殿方と話した事がないもので…………」

「ああ、なるほどね…………」

 話した事がない理由などはともかく、男に慣れていない状態で、目つきの悪い男に話しかけられたら、そりゃあ怖がるだろう。俺も苦手なタイプの人間ならいる。リア充とかリア充とかリア充とか。

「まあ、その、やっぱり俺も悪かった…………」

「何がですの?」

 黒髪はキョトンとした顔になる。

「さっきの…………」

「ああ、もう気にしてませんわ。そもそも私が言いがかりをつけたのですし。それに、さっきお互いに謝ったじゃありませんか」

 口元に優雅な微笑みを浮かべる。感情的になりやすいかもしれないが、決して引きずるタイプではないらしい。

「そういえばさっきルビィって言ってましたけど、名前なんですか?」

 小町が興味津々な様子で黒髪に聞く。

「あ、自己紹介がまだでしたわね。私は黒澤ダイヤ。こちらが妹のルビィですわ」

「ル、ルビィです…………」

「私は比企谷小町です!これが兄の…………」

「比企谷八幡だ」

「小町さんと八幡さんね」

 自然な流れでファーストネームを呼ばれた事に動揺しかけるが、何とか持ちこたえる。戸塚戸塚戸塚戸塚戸塚…………。

「小町さんが浦の星に入学、ということはルビィと同じクラスですわね」

「え!?クラスまでわかるんですか?」

 驚いた小町に、黒澤姉は少し物憂げに目を伏せながら言った。

「浦の星は年々入学者が減って、今年の1年生はクラスが一つしかありません」






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プロローグ5

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「そっかぁ~。入学者そんなに少ないんだ~」

 黒澤姉妹と別れた帰り道、隣りをとぼとぼ歩く小町がぼそっと呟く。

「俺なら喜んでるな」

「はいはい。ゴミぃちゃんゴミぃちゃん」

 人が少ない方が、その分トラブルも少ないと思うの。To LOVEるは一男子としては大歓迎だが。

「まあ、東京の学校でも廃校になる事があるんだ。人の少ない地域ならなおさらだろ」

「そりゃそうなんだけど、やっぱり寂しいよね」

「そういうもんか」

「そういうもんなの!さ、商店街でお買い物して帰ろっか」

 

 学生は春休みだが世間は平日。そんなわけで商店街の人通りは寂しいものがある。そう思いながらも決して嫌いではないのだが。人ごみ嫌いだし。

 そして、こんな場所に来ると何となく本屋を探してしまう自分がいる。お、さっそく発見。

「お兄ちゃん、スーパーはあっちだよ」

「ああ、少しだけ」

「もう、しょうがないなぁ。十分だけだかんね!」

「へいへい」

 小町のお許しをいただき、本屋の前まで行くと、俺に反応するより先に開いた自動ドアから、何かがそこそこの勢いで飛び出してきた。

「うおっ!」

 その小さな何かは、どすっと腹の辺りに突っ込んでくる。

「きゃっ!」

 突然の衝撃に耐えられず、背中から転んでしまう。咄嗟にその何かを庇うような形になった。

「つつ…………」

「うぅ…………」

「お兄ちゃん、大丈夫!?」

 小町が駆け寄ってくる。

「ああ、何とか」

 頭は打っていないようだ。むしろ腹の方が痛い。

「ご、ごめんなさい」

 謝る声が聞こえてくる。

 その声でようやく、ぶつかってきたのが女だと理解した。そして、その響きは幼い。

 上半身だけよろよろと起こし、確認しようと顔を声の方へ向けると、驚きで変な声が出そうになった。

「…………」

 その少女(?)はマスクとサングラスで顔を完全武装していた。はっきり言って間近で見ると怖い…………。

 とりあえず人目気になるので、そろそろどいていただきたいところだ。

「あの…………」

「…………」

 声をかけても少女の方はピクリともせず、そのままの姿勢を保っている。サングラスの下の目がこちらに向けられているように思えるのは、気のせいではないだろう。

「……………………い」

「?」

 何か言ったようだが、マスクに閉じこめられた声はこちらまで届かない。

 ひとまず様子を窺っていると、サングラスがストンとずれて、ぱっちりとしたきれいな眼が露わになる。サングラスとマスクに気を取られ、気づかずにいたのだが、長い黒髪も先程の黒澤姉に引けをとらないくらい綺麗だし、お団子の部分もなんか懐かしい。お団子で由比ヶ浜を思い出してしまうからか。まだ引っ越して間もないけど。

 その二つの瞳は俺と目を合わせたまま固まっている。

 やがて俺の方が堪えきれずに目を逸らすと、少女が持っていたらしい紙袋から、ハードカバーの本が飛び出している。

「…………黒魔術?」

「え?あっ!」

 俺の上からどいた少女は慌てて本を拾い上げ、その場から逃げるように走り去っていった。

「「…………」」

 俺と小町はその背中を唖然として見送る事しかできなかった。

 

「ハァ……ハァ……」

 あの眼…………。

「ハァ……ハァ……」

 …………滅茶苦茶カッコイイ!!

「我が主…………いえ、あの人どこの学校なのかしら?」

 いや、それよりも先に自分の堕天使を捨てるのが先だ。こんな自分では絶対に引かれてしまう。一刻も早く変わらねば…………そして…………

「リア充に…………私はなる!」

 そう。浦の星女学院で私は生まれ変わる!

「…………この本、どうしよう」

 ま、まあ、持っててもいいわよね!

 




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プロローグ6


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「お兄ちゃん、早く早く~!」

 小町に手を引かれながら、今日も晴天の下をたったかたったか小走りで目的地まで急ぐ。

「な、なあ、小町ちゃん。何も開店と同時に行かなくても…………」

「何いってんの!やっぱり一番乗りでやりたいじゃん!並ぶ必要もないし」

「…………」

 正直その心配はないと思う。

 そこまでの人通りはない。

 まあ、これはこれで落ち着くんだけど。ついでにリア充もいないと助かる。

「いらっしゃいませ-!」

 考えている内に目的地に到着していたようだ。元気のいい女性店員の声が響く。

 その声の方に目を向けると、ポニーテールの女性が奥から出てきた。年は割と近そうだ。ポニーテールなんて川何とかさん以来!さすがにパンツからの登場はしないけど!

「あの…………どうかしました?」

 怪訝そうな目を向けられる。いかん。こっちが変なインパクトを与えてしまうところだった。

「ごめんなさ~い。お兄ちゃんったら、すぐ美人に見とれちゃうから」

 小町がフォローにならないフォローをしてくる。

「ふふっ。ありがとうございます!」

「あ、実はダイビング初めてなんですけど」

「じゃあ、こちらへどうぞ」

 

 受け付けやら準備やら、小町の代わりにしっかり話を聞き、ようやく潜る事になる。

 海中は自分が思ったよりずっと透き通っていた。

 水面という確かな境界線があり、その下ではまったく別の世界の営みがあった。

 その世界の広がりに心を奪われてしまった。

 

「どうでした?」

「ああ、楽しかったです…………」

「すごかったです!こう、ばぁ~っと青くて!」

 小町のアホっぽい感想に頭を抱えていると、隣ではそれ以上に悩ましい光景が広がっていた。

「ふう…………」

 ポニーテールさんはウエットスーツのジッパーを下ろし、上半身は水着だけになる。豊満な胸の谷間も、くっきりとしたくびれも、青空と海に映えていた。

 また見過ぎないように顔を逸らす。

「お二人は旅行で来られたんですか?」

「いえいえ、小町達は最近引っ越してきたんですよ!」

「へえ、どちらから?」

「「千葉」」

「もう、ここには慣れました?」

「ぼちぼちですね」

 千葉愛が深いもので。

「学校はこの辺り?」

「私は浦の星女学院の1年生になります」

「そっか。じゃあ私の後輩だね」

「え、てことは…………」

「今年度から浦の星女学院3年になります松浦果南です。よろしくね比企谷さん」

「あ、はい!改めまして比企谷小町です!こちらは兄の…………」

「比企谷八幡だ」

「お兄さんの学年は?」

「兄は果南さんと同じですよ~」

「そっか。よろしくね」

「あ、ああ…………」

「先日生徒会長とも偶然出逢ったんですよ♪」

「生徒会長…………ダイヤ?」

「はい!お知り合いなんですか?」

「小っちゃい頃からの親友だよ」

 一瞬表情が翳った気がするのは何故だろうか。

「お二人に学校で会えるの楽しみだなぁ~」

「あ、実は今休学中なんだ」

「え?どうしてですか?」

「おい、小町」

「あ、お父さんがケガしてるだけだよ。それでお店手伝ってるの」

 さすがに踏み込みすぎかと思い、小町を制するが、松浦はあっさり答える。

「そうか」

「あ、何ならうちの兄を使ってくれていいですよ!どーせヒマだし」

 確かに本当の事なんだけどね。いや、いいんだけどさ。

「え?わ、悪いよ。大した給料出せないし」

「いえいえ、果南さんみたいな美人と働けるならお兄ちゃんも気にしないと思います」

「おいおい」

 小町に抗議しようとすると、突然の大音量に遮られた。

「果南ちゃ~ん!」

 声のする方を見てみると、ボートから女子が二人手をぶんぶん振っていた。

 

 

 





 ダイビングに関しては後で調べて加筆修正します!

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プロローグ7

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「やっほ~!果南ちゃん!」

「ヨーソロー!」

 松浦の知り合いと思われる二人がボートを降り、こちらへ駆け寄ってくる。蜜柑色がかった短めの髪の少女は手をぶんぶん振り、薄目の茶色が印象的なショートボブの少女は敬礼しながら、という賑やかな挨拶スタイルだ。

「今日も二人して元気だね」

「もっちろん!新学期始まったらやりたい事始めるからね!景気づけに潜りに来たよ!」

「そちらの二人は、お客さん?」

 ヨーソロー(仮)の視線がこちらに向く。

「うん。この前引っ越してきたんだって。こっちの子は千歌達の後輩になるよ」

「え、そうなの!?」

「初めまして比企谷小町です!こっちが兄の…………」

「比企谷八幡だ」

「私は高海千歌です!浦の星女学院の2年生!」

 元気いいなー。でも少し声のボリュームを落としていただけると助かります。

「ヨーソロー!初めまして。渡辺曜です!」

 つられて敬礼をしそうになった。軽く手を上げて応え、それをごまかす。片や小町はビシッと敬礼を返している。適応力高すぎである。

「ヨーソロー!私の事は小町って呼んでください、先輩♪」

「よろしくね、小町ちゃん!お兄さんも!」

「お、おう…………」

 唐突な距離の詰め方に一歩引いてしまう。こちらが男だという事はあまり意識していないようだ。男の勘違い製造機である。

「お兄さんはどこの高校に通うんですか?」

 渡辺が隣にすとんと腰かけてくる。こちらは普通の距離感で助かる。

「沼津の共学だ」

「へえ、結構大きな高校ですよね。あ、二人はどちらから引っ越してきたんですか?」

「「千葉!」」

「「…………」」

 あ、やべ。千葉愛が爆発してドン引きさせてしまった。高海と渡辺は顔を見合わせている。

「千葉って…………どこだっけ?」

「東京の下だよ、千歌ちゃん」

「くっ。これが千葉のイメージなのか…………!」

「お兄ちゃん、ファイトだよ!お兄ちゃんが千葉の良さを広めていけばいいんだよ!」

「ああ、そうだな…………」

「よ、曜ちゃん。私、何かいけない事言っちゃったかな?」

「多分…………」

「あはは…………」

 意外と東京の下という表現も傷つくのだがあえて口には出すまい。さて、MAXコーヒーはどこかな?そこの自販機には…………ない。

「ねえ、皆で一緒に潜らない!?」

「お近づきの印にって事で!」

「いいね、やろう!」

「ほら、お兄ちゃん!」

「あ、ああ…………」

 幾つもの歯車がギシギシと音を立て、静かに回り出す。どの歯車がどの歯車と噛み合うのか、それは誰にもわからない。

 

「ここで…………海の音が聞けるのかな?」

 

「フフッ、ようやく戻って来れたワ。待っててね果南、ダイヤ!」

 

 こうして物語の続きが紡がれていく。




 次回から個別に入ります。最初は果たして…………。

 読んでくれた方々、ありがとうございます!

 


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青春の影 国木田花丸編
青春の影


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 活動報告にて今後についての報告を上げてます!

 それでは今回もよろしくお願いします!

 


「…………比企谷八幡です。よろしくお願いします」

 新天地での初日は、予想していたより何もなかった。別に女子に囲まれ、質問攻めにされるのを想像していた訳ではない。ただ、教室の前に立った時に『この時期に転校生?』みたいな事を言っているのが聞こえたから、うわ~、面倒くさい事聞かれちゃったらどうしよう♪なんて思っていたくらいだ。しかしありがたい事にこちらに興味を示す者は全くいない。…………まあ、そりゃそうか。転校のドタバタですっかり忘れていたが、今年は長く苦しい受験勉強の年だった。転校生の一人や二人、別にどうでもいいか。

「受験……か……」

 時期的に、あまり先延ばしにはできない問題ではある。が、しかしまだ何も考えたくはない。

 小町は…………おそらく大丈夫だろう。黒澤姉妹と知り合いになっていたし、対人スキルは俺より遙かに高い。

 …………違う事を考えても、結局は同じ場所に戻ってきそうだ。

 自然と足が、時間を潰せそうな場所へと向かう。

 

「ぴぎゃっ…………」

「?」

 何やら小動物の鳴き声のようなものが聞こえてきたので、音のする方へ目を向けた。

「ぴぎっ」

「…………」

 黒澤妹があらわれた!

 仲間になりたくなさそうな目でこちらを見ている。

 …………一応自己紹介はしたし、顔見知りくらいにはなっているのだが、人通りの多い場所でハットリシンゾウ君ばりに泣き叫ばれては、入学早々大ダメージを受けてしまう。社会的に。

 ここは軽く挨拶してさっさとどっか行こう。

「…………うす」

「ルビィちゃん!どうかしたの?」

 会釈しながら立ち去ろうとすると、もう一人小動物チックな女子があらわれた!

「知り合い?…………あ」

 その女子はこちらを見て、口をもごもごさせ、何か言おうとしている。…………誰だったっけ?申し訳ないが、黒レースのパンツを見せるくらいのインパクトがないとね!

 ひとまず、気持ち悪いと言われるのを承知で、その女子の顔をしっかりと見てみる。顔は…………間違いなく美少女に分類されるだろう。だがクラスのトップカーストといった派手なタイプではなく、陰でこっそりと『あの子可愛い』と妄想に耽るタイプの可愛さだ。くりくりした目も、形が非常に良く整った鼻も、ぷるんとした唇も、バランスのいい美しさを保っていた。

 春風にそよぐ柔らかそうな栗色の髪は、優しく甘い香りを静かにまき散らしている。…………さすがに観察しすぎだろう。

「あ、あの……」

 案の定、引かれてしまった。君の瞳に困憊!である。

「二人共~!どしたの?あ、お兄ちゃん!」

 さらにもう一人、小動物チックな天使があらわれた!…………と思ったら小町だった。

「お兄ちゃん、学校どうだった?」

「まあ、いつも通りだよ」

「うわ、転校早々ぼっちなの?さすがに引いちゃうんだけど…………」

「ほっとけ」

「小町ちゃんのお兄さんですか?」

「ああ」

「あれ?二人はもう知り合いなの?」

「いや、今会ったばかりだが…………」

「あはは……や、やっぱり覚えてないずらね」

「?」

「花丸ちゃん?」

「…………むむむ!」

 小町は俺とクラスメイトらしき女子を見比べ、ピコーン!と何か閃いたような顔をする。

「どした?」

「お兄ちゃん!紹介するね。この子は国木田花丸ちゃん!ルビィちゃんとは中学時代からの友達だよ!」

 突然の紹介に面食らう。ていうか小町ちゃん。お友達もキョトンとしてますよ?

「く、国木田花丸です…………よろしくお願いします」

「あ、ああ…………」

 小町はお前も自己紹介しろ!とばかりに俺を睨みつけて、顎をしゃくって促してくる。

「こ、小町の兄の、比企谷八幡だ」

 何故かさっきの自己紹介よりどもってしまう。

「よろしくずら……お願いします」

 国木田が小さい体をさらに縮こまらせて、頭を下げてくる。

 この気まずい空気の出会いが俺の人生において、家族と同じくらい大事な出会いになるとは思いもしなかった。

 多分、そんな未来の事なんて神さましか知らない。

 




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青春の影 ♯2


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 それでは今回もよろしくお願いします!


 

 小町の提案で、俺達はこの前の喫茶店に行く事にした。正直、『男一人だから気まずいな~』とか『はやくお家に帰りたいな~』なんて考えてしまったが、小町の視線が怖かったので、黙って従っておいた。

 1メートル程先を行く小柄な三人は、楽しそうにお喋りしながらてくてく歩いている。小町が入学初日から学校に馴染んでいるようで何よりだ。まあ俺とは違い、コミュ力高いからあまり心配してなかったけど。

 …………改めて見ると三人共小っちぇな。平均的な身長の俺から見てもかなり小柄だと思う。ドラクエのパーティーだとしたら…………天使や妖精なんて職業はあったっけ?

「…………あの」

「…………」

「…………あのあの!」

「っ!びっくりしたぁ……」

 いつの間にか隣りに並んでいた国木田に声をかけられ、体が跳ね上がってしまう。こやつ、出来る……。

「あ、ごめんなさい……」

「い、いや、こっちもぼーっとしてた」

「あの……先輩が住んでた千葉ってどんな所ず……ですか?」

 おお。小町にも聞ける事をわざわざ聞いてくるあたり、俺が会話から外れていたのを気にかけてくれたのだろうか。中々の神対応である。いや、今風に言うなら神ってるというべきか、どうでもいいか。とりあえず天使だ。

 俺は軽く伸びをして、千葉の素晴らしさを語る事にした。

「千葉は日本の首都と言っても過言はない都市でな……」

 

「す、すごいずら!未来ずら!デスティニーランド行ってみたいずら!」

 喫茶店に入ってからも続いた『比企谷八幡の千葉語り』は続いたが、国木田は意外な程に聴き入っていた。

 ちなみに小町と黒澤妹は引いている。

 しかし、今気になったのは…………

「……ずら?」

「はっ!…………すごいです!オラ、千葉に行ってみたいです!」

「オラ……」

 今度は小町が反応した。

「はっ!あう…………」

「花丸ちゃん、そんなに隠さなくてもいいんじゃないかな?」

 何やら落ち込んでいる国木田の頭を、黒澤妹がよしよしと撫でながら慰めている。それを見て、俺と小町は目を見合わせた。

「あの……花丸ちゃん、方言で喋るんですけど、それを気にしすぎてて……」

「うう……だって、恥ずかしいずら」

 国木田はこちらを窺うようにチラリと見た。

「…………別に気にしない」

 実際に気にならない。なんせ、材木座や玉縄と話した事があるんだから。あの二人のインパクトの強い……むしろインパクトしかない喋りに比べたら、方言など気にもならない。むしろ微笑ましいまである。

「ほ、本当ずらか?」

 にぱぁっと花が咲いたような笑顔を向けられ、つい目を逸らしてしまう。

「花丸ちゃん、全然恥ずかしくないよ!むしろ毎週プリキュア見てるお兄ちゃんの方が恥ずかしいよ!」

「おい」

「あはは……」

 何でそんな事言っちゃうの?ほら、黒澤妹引いてるじゃん。

 しかし、そこで聞き逃せない一言が聞こえた。

「……プリキュアって何ずら?」

「あれ?花丸ちゃん知らないの?」

「テ、テレビ見ないから……ずら」

「しゃあねえな」

 俺はこの後、一時間かけてプリキュアの素晴らしさを存分に語ったが、その場のスマイルは小さくなり、ハートキャッチは出来なかった。





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青春の影 ♯3


 皆さん、良いお年を!!!

 それでは今回もよろしくお願いします!


 

「ひ、比企谷先輩……さすが都会から来た人ずら……ですね」

 まだ方言を使うのが恥ずかしいのか、国木田が語尾を言い直して褒めてくれた。ちなみに表情は固い。プリキュアの話は満足していただけなかったようだ。

「花丸ちゃん。無理しなくていいんだよ。小町もゴミぃちゃんがこんなにゴミぃちゃんだって知らなかったから。それと都会の人全員がプリキュア見てるわけじゃないよ」

「おい」

「あはは……」

 小町の罵倒に黒澤妹が苦笑いをする。おかしいな。黒澤妹とかプリキュア好きそう、というかプリキュアに出演してそうな外見してるんだが…………。

「先輩。ルビィちゃんで変な想像したらだめ……ずら」

「断じてしてない」

「本当ずら?」

 ふぅ、やれやれだぜ。俺が出会って間もない女子に頭の中でプリキュアのコスプレなど着させる訳がない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。さ、話題を変えよう。

「そ、そういや、三人は部活とか入るのか?」

「話を逸らそうとしてませんか?」

「そりゃあ、大事だからな部活。部活最高」

「また心にもない事を…………」

「オラは図書委員の仕事があるから部活は……」

「ルビィもやらないです」

「私も兄の世話があるので……」

 三者三様の答えが返ってきた。どれも話題の広げようがない。会話を断ち切りたい時のような答えである。

「そっか……」

「せ、先輩は何かやってたずら……やってましたか?」

 今度は国木田から質問される。あーよかった。お前とは会話したくないって遠回しに言われてるかと思ったわ-。

 しかし、質問されるのは予想外だった為、言い淀んでしまう。

「…………奉仕部」

「奉仕部?」

「ボランティア、ですか?」

「まあ、似たようなもんだ」

 ふと頭に浮かんだのは、ついこの前まで一緒にいた総武高校の面々。戸塚は元気だろうか。心配でたまらない。…………それと、あの二人も。ついでに生徒会長とか。

「悩んでいる人の手助けをするんだよ」

「おぉ、すごいずら!」

「いや、すごいとかじゃねえよ。強制入部だったし」

 本当に凄いのは、俺が入部する前からも一人でやっていたあいつだろう。

「これがそのきっかけになった作文だよ♪」

「…………は?」

 何でそんなのスマホに保存してんの?もっと有意義なものが沢山あるだろう。可愛い生き物とか。可愛い戸塚の写真とか。

「…………」

「…………寂しい」

「ほっとけ」

「ぴぎゃっ!ごめんなさい!」

「あ、いや、怒ってるわけじゃなくて…………」

 薄々感づいてはいたのだが、黒澤妹は見た目に反して、思った事を素直に言うタイプのようだ。綺麗な薔薇には何とやらってやつだろうか。

「むぅ……」

「国木田?」

 国木田はまだ作文とにらめっこをしている。

 どうやら読み直しているようだ。

「そんな大した事は書いてないぞ」

「オラ…………この作文、嫌いじゃないずら」

「…………」

 俺はその言葉に驚きながら、作文を読む国木田の真面目な表情をしばらく観察してしまった。  





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青春の影 ♯4

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 それでは今回もよろしくお願いします!


 夕方5時半を過ぎた頃、俺達は喫茶店の前で別れる事にした。

「じゃあ二人共、また明日ね!」

「バイバイ、小町ちゃん!……比企谷先輩」

「おう」

 まだ黒澤妹は俺に対しては声をかけづらそうだ。まあ、仕方ない。黒澤姉曰く、男と話した事がなかったのどから。黒澤妹は俺の声に頷くと、自分より僅かに背の低い国木田の後ろに隠れてしまった。

「小町ちゃん、また明日。比企谷先輩、また作品読ませてくださいね」

「いや、作品とかじゃないから……」

 あの文章のどこに文学的な、もしくは娯楽的な要素があったのだろうか。教師に見られたら、うっかり部活に強制入部させられるレベルである。しかし、国木田のほんわかするような笑顔を見ていると、案外あの作文も捨てたもんじゃないような気がしてくる。

「う~ん、どうしたものか。花丸ちゃん、ケータイ持ってないからなぁ……」

 小町が一人でうんうん唸るのを横目に、国木田にも別れの挨拶をする事にした。

「じゃ、気をつけてな」

「はい、それでは」

「ちょ~っと待った~!!」

 いきなりど真ん中に小町が割り込む。おい、今黒澤妹がめっちゃ飛び跳ねたぞ。

「花丸ちゃん、ルビィちゃん。今度のお休み、一緒にお出かけしない?」

 突然割り込んだにしては普通の話題だった為、すきま風に晒されたような寒い沈黙が訪れたが、二人は笑顔を返してくれた。

「うん!いいよ!」

「オラも大丈夫ずら」

「じゃ、そろそろ行くか」

 小町に友達が出来た事を心の中で喜びながら、自宅の方角へ体を向けると、小町がジト目でこちらを見ていた。

「何他人事みたいな顔してんの、お兄ちゃん。お兄ちゃんも一緒に行くんだよ」

「…………え?」

「お兄ちゃんは荷物持ち!」

「いや、俺受験勉強が……」

「最近、家ではずっと読書してばっかじゃん」

「ぐ…………」

「ど、読書も勉強ですよね?」

 国木田のナイスフォローが入るが、俺が勉強をサボっているのは事実だ。ここ最近ドタバタしていたから、というのは言い訳にもならない。両親は引っ越してからもしっかり働いている。

「それに、気晴らしも大事だよ?」

「…………」

「ルビィちゃん、こんなに可愛いよ?」

「ぴぎゃっ!」

 隠れちゃって姿が見えないんですが…………ていうか、怖がられてんじゃねえか。

「花丸ちゃんみたいな可愛い文学少女もいるよ?」

「オ、オラ、比企谷先輩の別の作品読みたいずら!」

「……もしかして食べたいとか?」

「な、何言ってるずら!…………オラは確かに食いしん坊だけど」

「わ、悪い……」

 うっかり会う度に物語を書く羽目になるかと思った。

「よし決まり!ルビィちゃん、花丸ちゃん、また明日!」

 小町の言葉を合図に解散する。特に振り返る事はなく、遠ざかる足音だけが微かに聞こえていた。

 まあ、どうせ荷物持ちだけだし、マネキンみたいに突っ立っとけばいいか。

 …………そう思っていた時期が私にもありました。

 

「…………」

「すぅ……すぅ……」

 当日の朝。

 俺の隣で国木田がすやすや寝息をたてていた。




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青春の影 ♯5


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 確かに国木田花丸そのものだ。あどけない寝顔は、年より幼く感じる。小さく開かれた口からは、規則正しい呼吸音が聞こえ、俺の鼻先をくすぐってくる。

「すぅ……すぅ……もう……食べられないずら……」

「…………」

 そんな寝言を言う奴は初めて見たぞ。いや、それより…………はあぁぁぁ!?

 眠気が一気に消し飛び、目の前にある顔から離れようとする……だがしかし……

「ん~♪」

 思いっきり体にしがみつかれた。

「お、おい!……!」

 俺の胸の辺りに、むにゅむにゅっと柔らかいものが当たっている。しかし、このボリュームは……まじか。おそらくは由比ヶ浜と同じくらい……とか言ってる場合か!

 バストトゥバストを数秒間堪能(わざとではない)して、何とか逃れた。

「ふぅ……」

 一息ついたところでドアが勢いよく開く。

「お兄ちゃん、せっかく花丸ちゃんに起こしてもらってるのに、まだ起きないの?」

「し、失礼します……」

 二人は俺と国木田を見て、その表情を凍りつかせる。

「「「…………」」」

 その時間が止まったような瞬間を真っ先に破ったのは小町だ。

「お、お、お兄ちゃんが、花丸ちゃんを無理矢理……」

「いや、起きたら国木田が布団の中に……」

「お兄ちゃん、言い訳しない!」

「小町ちゃん、落ち着いて。ほら、まんま肉まん上げるから」

「ありがと、にいに!……じゃないよ!そんなんでごまかされないからね、お兄ちゃん!」

「は、花丸ちゃんが……大人に……ぴぎぃ……」

 黒澤妹は目に涙を浮かべ、へなへなとへたり込む。

「おい、落ち着け」

 内心、テンパり気味である。このままじゃ捕まっちゃうよ!

 どう説明したものかと思っていると、隣で何か動く気配があった。

「ん~よく寝たずら~♪」

 この場の空気をじんわりと弛緩させていくような呑気な声と共に、国木田が目を覚まし、伸びをしていた。その際に胸が強調され、ちょっとアレな事になっているので、慌てて目を逸らす。

「あれ?皆、どうしたずら?」

「「「…………」」」

 

 国木田は、俺を起こそうとしていたら、布団の誘惑に勝てなかったらしい。本人がそう言うなら、そういう事なんだろう。ただ、俺のようなエリートボッチじゃなかったら、勘違いしちゃうので自重して欲しいところだ。

「もう、花丸ちゃん。驚かさないでよ。お兄ちゃんが犯罪者になったかと思ったじゃん。ま、小町は信じてたけどね♪」

「いや、お前全く信用してなかったじゃん」

 俺の言葉に、小町はてへっ♪とウインクした。ったく、可愛くねえ天使だな。

「比企谷先輩、ごめんずら」

 国木田は申し訳なさそうに謝ってくる。

「もう大丈夫だ……」

 別に損はしていないし?胸おおきかったし?柔らかかったし?まあ、いいだろう。それより……

「花丸ちゃんが……大人に……」

 まずは黒澤妹を正気に戻さなければならない。

 どうやら朝から忙しい日になりそうだ。





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青春の影 ♯6

 

 オ、オラ……なんてはしたない事を……。

 顔がほんのりと熱を持っている。

 きっとそれは朝陽のせいじゃなくて……。

 本当に眠かっただけなんです。

 今日は朝四時からお寺の掃除をしていて、そのあと朝御飯を沢山食べたから……かな?

 そして小町ちゃんに頼まれて先輩を起こしに行ったら、先輩が気持ちよく眠っていて……。

 さらに、先輩の隣がちょうどいいくらいに空いていて……。

「花丸ちゃん、どうしたの?」

「な、何でもないずら!」

 軽く手を振り、何でもないと伝える。

 あの後、五分くらいで正気に戻ったルビィちゃんは、いつもの穏やかで少しオドオドした可愛い女の子に戻っている。やっぱり男の人にはまだ緊張するみたい。

 ルビィちゃんが言いづらそうに口を開く。

「あ、あの……」

「?」

「花丸ちゃんって比企谷先輩と結婚するの?」

「ずら?……………………えぇぇぇぇ!?」

 思わず大きな声が出てしまう。

 先輩や小町ちゃんを含む他の乗客の目がこちらに向いた。皆一様に驚いた顔をして、何があったのかと探る目つきをしている。

「ご、ごめんなさい……」

 頭を下げると、すぐに何事もなかったように、バスのエンジン音だけが聞こえてくる。

「花丸ちゃん、どうかしたの?」

 前の席の小町ちゃんが、ひょこっと頭だけ出して、心配そうな目を向けてくる。先輩の方は座り直したので、こっちからは見えない。

「いきなり大声出すからびっくりしたよ」

「あ、ごめん!ルビィが変な事聞いたから……」

「変な事?」

「な、何でもない何でもない!」

「そっか、わかった!」

 小町ちゃんは納得したのか、座り直す。

「ご、ごめんね……」

「いきなり何を言い出すの?」

「だって……一緒に寝るって事は夫婦じゃないの?」

「あ、あれはたまたまずら!」

「…………」

 ルビィちゃんが疑わしげな視線を向けてくる。……確かに無理がありすぎるずら。こうなったら……

「すぅ……すぅ……」

「あ、花丸ちゃん、ずるい!」

 

 つい最近オープンしたばかりというデパートは、開店セールをしているからか、かなりの人口密度になっている。

「わあ~、未来ずら~♪」

 国木田は目をぱあっと輝かせ、新しく出来たばかりの広い店内を眺め回している。

 さて、本屋はどこかなっと……。

「ん~」

 気がつくと、国木田も一生懸命にフロアマップを見ていた。

「……何か探してんのか?」

「あ、はい。本屋さんを……」

「……五階みたいだな」

「あ、ありがとうございます」

「いや、いい。どうせ俺も行くところだったし」

「そうなんですか?」

「ああ、こういう場所に来るとつい……」

「あはは……実は私も……」

 何だ?吸血鬼なのか?んなわけないか。

 国木田は洋服より本派らしい。

「じゃあ、私達はアクセサリーとか見てくるから、お兄ちゃんは花丸ちゃんをよろしくね♪」

「あわわ……」

 小町はそう言うと、俺の返事も聞かずに、黒澤妹の手を引き、奥の方へと行った。黒澤妹はされるがままに、小町に誘導されていく。

「……行っちゃったずら」

「ああ……」

 しばし顔を見合わせた後、とりあえず本屋まで向かう事にした。

 

「わあ~♪」

「結構広いな」

 見た感じ、フロアの四分の三くらいは様々なジャンルの本で埋め尽くされているようだ。そして、残りはCDやDVDの売り場になっている。

「せ、先輩……」

「どした?」

「こ、これは……」

「ああ、本が検索できるんだよ」

 書籍名と作者名を入れると、画面にはその本の詳細とどの棚にあるかが表示される。

 国木田は目をぱちくりとさせた。

「み、未来ずら!未来ずらよ~!」

 本屋でここまで感情表現豊かになるやつも珍しい。

 その様子は微笑ましくもあり、同時に人目を引くので恥ずかしくもあった。





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青春の影 ♯7

 Aqoursのライブビューイング最高でした!

 それでは今回もよろしくお願いします。


「ごめんなさい、ずら……」

「お、おう……」

 申し訳なさそうに頭を下げる国木田は、小さい体をさらに小さくしているように見える。

 『未来ずら!未来ずらよ~!』という国木田の叫び声は店内の視線を集め、俺達は逃げるようにその場を去った。

 ショッピングモールに来て数分で、俺達は本屋という居場所……ホームグラウンドとも呼べる場所を失った。

「マル……ああいう物にあんまり触れた事がなくて……」

「ああ……」

 まあ、俺もリア充っぽい事をやったら、うっかりテンパっちゃいそうだ。何もしてなくても挙動不審な時もあるが。悲しすぎる。

「比企谷先輩は……やっぱり都会から来た人だから、ああいう物には慣れてるずら……ですか?」

「…………」

 お前が慣れてなさすぎでは……というツッコミは飲み込んだ。

「……そこそこな」

「やっぱり千葉は都会なんですね」

 お、千葉の評価が高い。これは千葉について色々と教えてやらねば。

「ああ、実は日本の首都といっても過言じゃないくらいだ」

「そ、そうずらか!オ、オラやっぱり千葉に行ってみたいずら!」

 国木田は目をキラキラ輝かせ、俺の顔を見上げてくる。あれ?胸の辺りがチクチクする。病気かな?決して罪悪感じゃない……はず……。

「先輩!千葉の話色々聞きたいずら……です!」

「あ、ああ、いつか……その内な……てか喋り方……」

「え?あ!……やっぱり、『ずら』が出ちゃうずら」

「いや、別に直さなくても……」

「きょ、今日は人が多い場所だから……」

「そっか」

 本人が気にして直そうとしているなら、無理に止める必要もない。材木座の奴がこういう所を見習えばいいと思う。あいつは直すべき箇所が多すぎるがな!人の事は言えないが。

 どこで時間を潰そうか考えていると、いきなりチラシを差し出された。

「ただいま、カップル限定のキャンペーンを行っています!いかがですか~!」

「?」

「ずら?」

 俺達が不思議そうにしていると、従業員のお姉さんがハキハキ喋る。

「現在、そちらのチラシに記載されている店舗がカップル限定のメニューを特別価格で提供していますので、お二人で行けば……」

「「っ!?」」

 俺達の驚き声に、店員さんが驚く。

「い、いや……」

「マ、マル達は……」

 つい隣に目をやってしまう。

 国木田は向こうを向いていて、顔色は窺えない。

 店員さんは俺達を見て、なるほど!という感じで手を叩いた。

「お付き合いを始める前でも大丈夫ですよ!」

「「は?」」

 いかん。この店員さん、このまま押し切る気だ。

「今なら、スペシャルドリンクとラブラブのっぽパンもついてきますよ!」

 のっぽパンという聞き慣れない単語を聞こえないふりして立ち去ろうとすると……

「わあ……」

 国木田はまたまた目を輝かせていた。




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青春の影 ♯8


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 結局、俺達は店員に押し切られ、中に入る事になった。店内には、想像していた通りに若いカップルで溢れ、正直居心地の悪さを感じる。オシャレなインテリアも大きな窓から見える見晴らしのいい景色も、何故かその気持ちを増幅させた。一方、国木田は……

「未来ずら~♪」

「……おーい、国木田……」

「比企谷先輩!天井でプロペラが回ってるずら!未来ずらよ!」

 シールズファンの事だろうか。確かに金持ちの家ってイメージはあるが……。

「はっ……マ、マルったら、また……ごめんなさい」

「気にすんな……」

 はしゃぐ国木田はこの上なく浮いていたが、店内の客はお互いの相手に夢中で、冷たい視線も特に感じなかった。

 しかし、俺と国木田は同じ時代を生きてるはずなんだかな……。

 

「お待たせしました。カップル限定スペシャルドリンクです!」

 女性店員さんが元気よく持ってきた飲み物には、やはり一つの洒落たグラスに、二つの大きなストローがささっていた。

 国木田はそのグラスをポカンと見つめている。幼い子供みたいな表情は、この状況じゃなければ頬を緩められそうだ。

 やがて彼女は小さな桜色の唇を開く。

「え~と、これ……なんですか?」

「あー……カップル限定スペシャルドリンクだ」

 国木田の問いに単純な答えを返す。

 最初は上手く状況を飲み込めていなかった彼女も、グラスに聳え立つ二つのストローの意味に気づき、頬を一瞬で真っ赤にさせる。

「こ、こ、これは……この前読んだ……図書館で人気の恋愛小説に……あわわ……」

 こいつ……のっぽパンに気を取られて、何も考えてなかったな……。

「ああ……まあ、これはお前が飲んでも……」

「そ、それは駄目ずら!」

「?」

「こ、これも何かの巡り合わせ……神様のお導きずら……」

「……なんか大袈裟すぎないか?」

「予想しない事が起こるのが人生ずら……さ、さあ、先輩も、どうぞ……」

 そう言って、ストローを咥え、真っ直ぐな眼差しを向けてくる。どう考えてもおかしな展開でしかないのだが、無駄に真剣な表情の国木田を見ると、それもつっこみづらい。

 ……つーか傍から見れば、男の俺が尻込みしているようにしか見えない。何これ、ハチマン、イミワカンナイ!

 半分くらいやけくそ気味にストローを咥え、中のひんやりした液体を吸い上げる。

 国木田も同じように、やたらと勢いよく吸い上げたため、あっという間に飲み干してしまった。

「お、美味しかったずら……」

「あ、ああ……」

 顔が熱いのをごまかすように、窓の景色に目をやる。その自然豊かな景色に思いを馳せ……る間もなく第二陣がやってきた。

「お待たせしました!ラブラブのっぽパンです!」

「「!」」

 俺と国木田はただただ驚愕した。





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青春の影 ♯9


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「……ふぅ……」

「す、凄かったずら……」

 ラブラブのっぽパン……想像以上の破壊力だったぜ……。どのくらいかといえば、ギャラクティカファントムぐらいの威力。ぱないの。

 店を出て、近くのソファで休憩していると、国木田が、心配そうに顔を覗き込んでくる。

「せ、先輩、その……オラのせいで……」

「いや、気にすんな。あの名前からして、何となく想像がついてた」

「甘すぎて、オラでもびっくりしたずら」

「俺は甘さより量がな……ありゃ、カップルサイズどころじゃねえだろ」

「先輩、さりげなく沢山わけてくれて……まるは感激ですっ!」

 実際のところ、量が多すぎて、国木田食べてくれないかなぁ、なんて考えて分けただけである。いや、ほら……国木田小さいし、成長の為でもあるんだよ?

 そして、国木田は小柄な割に、無駄にでかいのっぽパンをパクパクと平らげてしまった。

「でも、いいずらか?奢って貰っちゃって……」

「ああ……別に言う程高いもんでもないしな」

「じゃ、じゃあ、お礼に……」

「?」

 国木田は目を閉じ、頭の中から何かを引っ張り出そうとしている。何といういじらしさ。奢ってもらって当たり前、などという態度は微塵も見せない。天使かよ。

 やがて、国木田は顔を上げた。ややドヤ顔をしている。

「お礼に……今度のっぽパンをあげるずら」

「……お、おう」

 

「やっほー!お兄ちゃん、お待たせ~」

「お、お待たせしました……」

 しばらくしてから、小町と黒澤妹と合流する。黒澤妹のこちらを窺う瞳に、まだ超えられない壁を感じるが、小町とはもうそこそこ仲良くなったようだ。

「二人は何してたの?」

 小町が問いかけると、黒澤妹もうんうんと頷く。親友の動向が気になったのだろうか。

 国木田はすかさず答える。

「カップル限定のラブラブのっぽパンを食べてきたずら」

「「へ?」」

 状況説明にしばしの時間を必要とした。

 

 帰りのバスの窓から、行く時と比べ、何の変化もない景色を眺めていると、小町が小声で話しかけてくる。

「どう、少しは仲良くなれた?」

「……さあな。まあ、俺のコミュ力は知ってんだろ?」

「うぅ、そうだよね……ゴミぃちゃんだもんね。でも、お兄ちゃん学校でまだ誰とも碌に話してなさそうだし」

「……おい、お前、いつうちの学校に忍び込んだんだよ」

「うわ……当たっちゃってるし……ま、まあ、それは置いといて……花丸ちゃん、いい子でしょ?」

「……あ、虹」

「ご、ごまかした……」

 

「先輩……友達が、いない……?じゃあ、お、オラが……」

 





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青春の影 ♯10


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 転校してから2週間も経てば、さすがにある程度クラス内での立ち位置も周囲により勝手に決められてくる。俺は相も変わらず絶好のボッチポジションを確保していた。必要最低限の干渉しかしないのは、これまでと変わらずで居心地がいい。

 しかし、最近変化が起こった。

 今日も真っ直ぐ帰宅すべく、校門を出て、自転車に跨り、自転車を少し走らせていると……

「比企谷先輩!」

「?」

 声のした方を振り返ると、そこには国木田がいた。

 鞄の肩紐の部分を両手でぎゅっと握り締め、小走りでこちらに駆け寄ってきた。

 そう。ここ最近は、2、3日に1回は国木田と帰り道に遭遇する。そして、そのまま彼女が利用するバス停まで、並んで歩くようになった。

 その間、国木田は以前ショッピングモールへ一緒に行った時よりも、自分から積極的に話し、こちらの学校の事を頻りに聞いてくる。

 傍から見れば、知り合い同士が偶然出会い、一緒に途中まで歩いているだけだ。

 だが、腑に落ちない点がある。

 そもそも、国木田の帰る方角とは真逆に俺の通っている学校がある。しかも国木田の家は、真っ直ぐ帰宅したとしても、結構な距離があるらしい。本屋の場所も特に近いわけではない。

 仮に自惚れてみて、それを好意と受け取るにしても、理由がなさ過ぎる。出会って1ヶ月も経っていないし、一目惚れされるタイプでもない。

「先輩?どうかしたずらか?」

「いや、何でもない。それで……なんだっけ?」

「聞いていなかったずら!むぅ……」

「悪い。ぼーっとしてた。もう1回聞いていいか?」

「マルのクラスの話ずら。善子ちゃんっていうオラの幼馴染みが、入学式の次の日に色々あって、学校に来なくなったずら」

「……それは早すぎないか?」

 入学式翌日とか、せいぜい自己紹介するくらいだろ。よほど中学時代の人間関係を引きずっているなら話は別だが、そういう奴は大概、人間関係をリセットすべく、少し離れたレベルの高い高校へ通う。ソースは俺。

 国木田は何かを思い出すように遠くを見て、逡巡する

素振りを見せたが、やがて、 ぽつりと呟いた。

「実は善子ちゃん……」

「…………」

「自分の事を堕天使だと思ってるずら」

「そうか……へ?」

 今、会話の内容にそぐわない単語が出てきたような……

「自己紹介の時に、『貴方も堕天してみない?』なんて言い残して、教室から出て行ったずら。それきり……」

「…………」

 マジか。材木座の女版みたいなのがいるのか。

 いや、あいつがしっかり学校に通っているのだから、その善子ちゃんとやらも、何かきっかけがあれば……しかし、国木田に材木座の話なんぞ振るのは……そもそも、何で国木田は……。

 頭の中を幾つもの考え事でごっちゃにさせながら、今日もバス停にバスが来るまで、だらだらと話し込んだ。

 

「な、何でずら丸が私の番となるべきサタンと……いえ、私の愛しい人と……てゆーか、これってストーカーみたいじゃない!でもあと10分だけ……うふふ……」




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青春の影 ♯11


 Aqoursで一番の名曲は『待ってて愛のうた』と思っているのは自分だけではないはず……!

 それでは今回もよろしくお願いします。


 

「ねえ、お兄ちゃん」

「どした?」

 自室で読書に耽っていると、小町が少しだけ真面目そうな表情で入ってきた。何かお兄ちゃんにお願いだろうか。財布の中には300円しか入っていないのだが。

「お兄ちゃんってさ……花丸ちゃんと付き合ってるの?」

「…………は?」

「いや、だから、お兄ちゃんは花丸ちゃんと付き合ってるんですか?」

「いや、付き合っていない」

 つい脊髄反射的に答えていたが、ようやく小町の言った事を理解した。

 ……俺と国木田が?

 だが、付き合ってるという事実に心当たりはないが、そう誤解される行動には心当たりがある。

「実は……」

 小町は学校での出来事を語り始めた。

『ねえねえ、国木田さんって彼氏いるの!?』

『ずらっ!?あ、いや、な、何の話?』

『昨日、他校の男子と並んで歩いてたでしょう?私達、みちゃったんだ!』

『多分、年上だよね?』

『何かこう……目は恐いけど、まあそこそこいい感じの人!』

『え?えーと、あの……』

『なになに?私も聞きたい!』

『国木田さんカレシいたんだ!可愛いもんね~!』

『そ、そんな……オラ……私は……』

『花丸ちゃん、昨日はウチの兄に忘れ物届けてくれてありがとう!』

『え?小町ちゃんの?』

『小町ちゃん、お兄ちゃんいたの?』

『うん、それで色々あって花丸ちゃんとも顔見知りだったから、忘れ物届けてもらってたの。私、用事があったから』

『何故放課後……』

『家で渡せば……』

『花丸ちゃん、ありがと~!!』

「お、お前……無理ありすぎんだろ……」

 妹の言い訳の下手さに涙が出ちゃう。だってお兄ちゃんなんだもん……。

「ごまかせたんだから文句言わないの。小町としては、二人が仲良くなるのは嬉しいけど、花丸ちゃんがああいう状況に慣れてないんだよね。」

「俺も慣れてないんだけど」

「お兄ちゃんは慣れてるじゃん。もっとひどい冷たい視線とかにも」

「お、おう……」

 妹としてそれは胸が痛まないのか。

「じゃあ、お兄ちゃん。後はよろしくね」

「おう……悪かったな」

「いいよ。それじゃ、おやすみ~♪」

 小町がドアを閉めてから、改めて考える。

 そんな広い町ではないし、確かに誰かに見られていてもおかしくはない。自分達がどう思っていようが、周りは勝手に判断するだろう。新天地で気が緩みすぎていたのかもしれない。

 去年の夏頃、似たような事があった。

 あの時は泣かせてしまった……。

 明かりを消して、ベッドに寝転がり、天井を見つめながら、俺は国木田に伝えるべき言葉を探した。





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青春の影 ♯12


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 それでは今回もよろしくお願いします。


「比企谷せんぱ~い!」

 今日も校門を過ぎ、少し歩いたところで、国木田がトコトコと駆け寄ってきた。栗色の柔らかそうな髪が春風にさらさら揺れ、近くに来ただけで控え目な甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「はあ……はあ……」

「おう……てか前から思ってたんだが、お前体力が……」

「ずらっ!」

 国木田はしぃ~っと言いたそうに、人差し指を唇に当てた。

「わかった。悪かったな……」

 謝ると、国木田は笑顔に戻り、鞄を漁りだした。

「あ、あのあの、先輩……今日は面白い本を持ってきたんだけど……」

「それより国木田、ちょっといいか?」

「はい?」

 

 俺は国木田を海沿いの道のベンチに誘った。

 比較的人通りが少なく、近くに自動販売機もあるので、話し合いにもってこいの場所だ。

 すぐそこに見える海は今日も穏やかに揺れ、視界の端を船が進み、やがて米粒くらいの小ささになった。

「あの、先輩……話って何ずら?」

「あー、あれだ……その……」

 俺は昨日考えた言葉を頭の奥から引き出す。

「……無理してここには来なくていい」

「え?」

 国木田は一瞬、何を言われたのかわからないような表情をしていたが、すぐにはっとして、俯きがちに口を開いた。

「オ、オラは、無理してなんか……」

 予想していた言葉が返ってきた。

 ここからは、以前と同じ過ちを犯さないように、しっかりと言葉を選んだ言葉を、それでいて噓偽りのない本音を告げる。

「俺は別に一人でいる事を嫌だなんて思っていない。むしろ気が楽なくらいだ。だから、無理に自分の時間を使ってまで来る必要はない」

「…………」

「多分……バスの中での小町との会話を聞いたんだろ?」

「オラ……」

「それと……ありがとな」

「え?」

「まあ、その……俺達は前に言ったようにこの町は初めてで知り合いもいなかったからな。俺は一人は慣れてるが、やっぱり兄としては小町の事が心配だったんだ。だから、小町と仲良くしてくれる奴がいるのは嬉しい。だから……ありがとう」

「そんな……お礼なんて……」

「それと……俺みたいな奴に気を遣ってくれるのも、やっぱり、嬉しい……だから、ありがとう」

「せ、先輩……」

「だからこそ……無理には来なくていい。お前が来たい時だけでいい。そんでたまに……」

 俺は国木田が膝に置いた本を手に取る。

「……本、貸してくれると助かる」

「…………はい!」

 一気に喋ったせいか、急に気恥ずかしくなった。

「……なんか飲むか?」

「あ、じゃあお汁粉飲みたいずら!」

 結局、二人して本の話をしている内に、帰りは今までで一番遅くなった。

 

 翌日。

「せんぱ~い!これ読むずら!」

「……そんなに?」

 




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青春の影 ♯13


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 

「スクールアイドル?」

「ずら。ルビィちゃんと一緒にスクールアイドルのライブを観に行くから、それで先輩も……」

「黒澤妹も……」

「ピギィッ!」

 俺が茂みの方に目をやると、さっきまで少し顔を出していた黒澤妹は、あっという間に引っ込んでしまった。まだ慣れてない奴に対してはこうなるらしい。他人事ながら心配だ。

 ちなみにスクールアイドルとはテレビまあ普通にアイドル部だ。ラブライブという甲子園みたいなものを目指す部活で、5年くらい前に人気が沸騰した。きっかけは確か、μ’sとA-RISEだったか。

「高海千歌さんっていう先輩方が、最近作った部活……といっても、まだ承認はされていないみたいですけど」

「高海?」

「知ってるずらか?」

「ああ、知ってるっつーか、ダイビングショップで1回会ったことがあるだけだ」

「そうずらか。じゃあ、お知り合い同士ということで、先輩も一緒に行くずら!ね、ルビィちゃん?」

「う、うん!」

「悪い。その日は用事が……」

「じゃあ、大丈夫ずらね」

「……ちょっと待て。なんか色々おかしい」

 納得している国木田に抗議の声を上げると、彼女と黒澤妹は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「小町ちゃんが言ってたずら」

「せ、先輩が……」

「用事があるって即答する時は、用事なんてない時だって」

「ぐっ……」

 小町ちゃん。お兄ちゃんの癖を人に話すのは止めようね。

「嫌……でしたか?」

「うゆ……」

 いかにスクールアイドルに興味がなかろうと、この二人のこんな切ない視線(片方は茂みの影から)を浴びたら、大抵の日本男子は頼みを聞いてしまいそうな気がする。

 まあ、『大抵の』だがな……俺はそこから余裕ではみ出すことのできるボッチ力を持っている。

「悪い。俺はあまり……」

「ずら……」

「うゆ……」

「はぁ…………わかった。行くっての」

 

「くっ……ずら丸以外にもう一人!私のサタン……私と赤い糸で結ばれた彼にまとわりついてるなんて……」

 

 ライブ当日。

 生憎の雨で客足が遠のく心配はあるが、体育館での開催なので、ライブそのものに影響はない。

 国木田と黒澤妹は先に到着していた。

「あ、比企谷先輩!おはようございます」

「……お、お、おはようございます」

「おう……」

 俺は黒澤妹が国木田の背後に隠れるだけなのに感動しながら、体育館へと向かったところで……

「あ、あのあの!」

 いきなり背後から声をかけられ、振り向くとそこには、サングラスにマスク着用のあからさまに怪しい奴がいた。





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青春の影 ♯14


 ラブライブ!サンシャイン!!もそろそろ最終回……いや、さらなる展開に期待します!!

 それでは今回もよろしくお願いします。


「「「………」」」

「あの……わ、私……」

 とりあえず国木田と黒澤妹を背に庇い、相手の様子を窺う。

 てゆーか、何この人!滅茶苦茶恐いんですけど!!

 女子っぽいが、ハアハア息を荒げて、ガクガク体を震わせ、変な構えをとっている。さて、どうしたものか。

「ずらぁ……」

「ピギィ……」

 国木田と黒澤妹の震えを感じ取り、なんとか目の前の怪しい奴を睨みつける。あと黒澤妹よ、背中に爪が食い込んですごく痛いんですけど……。

「はうっ……!」

 何故か怪しい奴は変な叫び声を上げ、片膝をついた。

 何かの発作だろうか。

「お、おい……」

「だめっ、来ないで!」

「ああ……」

 どうやら大丈夫そうだ。色々と疑問は増えていく一方だが。もう無視して通り過ぎてもいいんじゃなかろうか。

「……や、やっぱり、素敵な目……」

「どうした?」

「見ないで!この身を焦がしてしまうから!」

「悪い……」 

 謝ってしまったが、俺が謝る理由などないはず。

 やるせない気持ちになっていると、俺の背後から顔を出した国木田が、不審人物に声をかけた。

「もしかして、その声……」

「げっ、ずら丸!い、いつもいつも、何でこの人と!」

 不審人物は国木田を指差し、何やら抗議をしたが……ずら丸?

「ずらっ!?」

「はっ、離脱!!」

 こちらが誰一人動けないでいると、不審人物は素早くこちらに背を向け、雨の中を駆け抜けて行った。

「国木田……知り合いか?」

「いえ、気のせいずら」

「ならいいが……」

 絶対に何かを隠しているが、国木田はにぱっと笑顔でごまかした。

「それより早くいきましょう、先輩♪」

「始まっちゃいますよ」

「……そうだな」

 いまいち釈然としない気持ちのまま、俺達は先を急いだ。

 

 薄暗い体育館内へと足を踏み入れると、我が妹が駆け寄ってきた。

「お兄ちゃん!花丸ちゃんにルビィちゃんも!」

「……おう」

 小町は一足早く体育館へ向かい、準備に参加していたらしい……妹とのコミュ力の差に泣いちゃう!だってお兄ちゃんなんだもん……まあ、それはさておき……

「結構、人いるんだな」

 見たところ、客は俺達を含めて10人から20人くらい。無名のスクールアイドルのライブにしては上出来ではなかろうか。

 しかし、小町のリアクションは少し暗めだった。

「あはは……そうなんだけどね。実は……」

 

「「体育館……」」

「満員……」

 結成して間もないAqoursの初ライブに課せられたノルマは、この体育館を満員にする事。

 しかし、さすがに無謀すぎる。

 そもそも体育館は全校生徒が入っても余裕ができるものだ。それを満員とか……。さらに、浦の星は生徒数も減少している。

 悪い条件を挙げればきりが無い。

「つーか、なんでそんなノルマを……」

「それは、できると思っているからデース!!」

 突然背後から聞こえたよく通る声。

 振り向くと、日本人離れした美しい金髪の女子生徒がそこにいた。





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青春の影 ♯15


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 

「あ、理事長!」

「……理事長?」

 小町が制服姿の金髪女子を理事長と呼んだ事に、つい反応してしまう。

 すると、その金髪女子がずいっと距離を詰めてきた。

「あなたが小町のお兄さん?」

「え?あ、ああ……」

 近い近い近い近い!あとめっちゃいい匂い!なんか高級感溢れるといいますか……。

「……ずら」

 何故か視界の端で国木田から睨まれているように感じるが、多分気のせいだろう。

「初めまして!理事長兼浦の星女学院3年の小原鞠莉デース!」

「……理事長兼生徒?」

「その通り!いわばカレー牛丼みたいなものネ!」

「い、いや、違うと思う……」

「えー!?おっかしいなー。誰も共感してくれまセ~ン」

 そりゃそうだろ。

「鞠莉さんはね、小原財閥の娘なんだよ。丘の辺りにおっきなホテルあったでしょ?」

「ああ……」

 確か日本どころか、世界的に有名な高級ホテルチェーンだったはずだ。

「浦の星女学院への寄付金も一番多いんだって」

「……なるほどな」

 しかし、それで理事長就任とか、どんだけ学校好きなんだよ……。

 考えていると、小原さんはまた距離を詰めてきた。

「あんまり目元は似てマセンね~」

「ほ、ほっといてくれ……」

「でも、これはこれでキュートかも」

「いや、んな事は……」

「ふふっ、じゃあ今日は楽しんでいってくだサイ♪」

「……どうも」

 ウインクをした彼女は身を翻し、あっという間に風のように去って行った。油断できない奴だ。すごいいい匂いするし。

「先輩、鼻の下が伸びてるずら」

「……どうした?」

「知らないずらよ~」

「は、花丸ちゃん。目が恐い……」

「く、国木田?」

 そんなやり取りをしている内に、やがて館内は暗転し、ライブの開始を告げた。

 

「楽しかったね!」

「ずら!」

「……ああ」

 終演後の館内からやっと外に出ることができ、まだ土砂降りの帰り道をのろのろと駄弁りながら歩く。

 短いライブだったが、トラブルやら何やらで、想定よりだいぶ長くなった。

 突然の停電。

 高海の開演時間間違いにより、途中から参加した大勢の観客。

 黒澤姉が突きつけた現実。

 そして何より、スクールアイドル3人の渾身のパフォーマンス。

 何だか夢でも見ていたかのような輝かしくもふわふわした時間が、意識に妙な浮遊感を与えている。

 バス停まで到着すると、国木田が隣に並んできた。

「先輩、楽しかったずらか?」

「……結構、楽しかった」

「あの、実は……」

「?」

 彼女は急に真顔になると、声をひそめて先を続けた。

「オラとルビィちゃん、高海先輩からスクールアイドルに誘われているずら……それで、相談があります……」

 

 





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青春の影 ♯16


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 それでは今回もよろしくお願いします。


「相談?」

「はい……あの……」

「どうかしたの?」

「あ、ううん。何でもないよ」

 国木田は黒澤妹に首を振った後、こちらを向き、こくりと小さく頷いた。おそらく、また後でという意味だろう。目ーとー目ーでー通じ合うー、みたいなやり取りだ。色っぽさはあまりないけど。

 黒澤妹と話ながら、時折窓の外に目を向ける国木田の横顔は、さっきより少しだけ凛としていて、瞳には決意の色が宿っているように思えた。

 

 翌日……。

「お、お、お邪魔します……」

「……なあ、国木田」

「何ずらか?」

「日曜日の朝9時に起こすのは、立派な睡眠妨害にあたると思うんだが……」

「先輩……朝9時はそんなに早くないずらよ?」

「いや、日曜日だから……」

「オラは朝5時に起きたずら」

「その話を聞いただけで眠くなってくるんだが……」

「先輩……怠惰ずら」

 そんな『あなた……怠惰ですね』みたいなノリで言われても……。

「まあ、その辺に座ってくれ」

「は、はい……ずら」

 例の相談の為、朝早くから比企谷家を訪ねてきた国木田。本来なら、俺の部屋などに通すべきではないのだが、またもや起こしてもらうという不覚。のどかな自然が、千葉での緊張感を失わせるのだろうか、なんて言い訳しておこう。

 国木田は正座をしているものの、落ち着きがなく、キョロキョロと部屋の中を見回している。話し合い、出来るのだろうか?

「……場所変えるか」

「だ、大丈夫ずら!ここでいいです!」

「そうか……それで、黒澤妹のことだっけ?」

「ル、ルビィちゃんが 泊まりに来たずらか?」

「落ち着け、国木田。とんでもない事を口走ってるぞ」

「ずらっ!」

「……すぐ用意するから、ちょっと待ってろ」

 結局、近くの喫茶店を利用することにした。

 

 開店したばかりの喫茶店には俺達以外の客はおらず、穏やかなジャズピアノの旋律が店内のぽっかりした空白を満たしていた。

 注文を済ませると、国木田はぽつぽつと自分の視点から見た現状を話してくれた。

「黒澤姉に気を遣ってる……か」

「はい。でも、やっぱり……ルビィちゃんには、自分のやりたいこと、やって欲しいずら」

 黒澤妹は、どうやらスクールアイドル嫌いな姉に気を遣って、スクールアイドルを始めることを躊躇しているらしい。

 ただ、あの二人の仲は良好というか、黒澤姉はむしろシスコンの気があるように思える。同族の匂いというか何というか……それと……

「黒澤姉って、本当にスクールアイドル嫌いなのか?この前、高海達にスクールアイドルの実績がどうとか言っていたが……」

「それは、マルもそう思うずら。ただ、そこは二人だけの事情もあると思うから……」

「まあ、それもそうか」

「それで、マルは……ルビィちゃんをスクールアイドルに誘おうと思ってます」

「……そうか」

「あのあの、先輩に相談っていうのはここからずら!」

「お、おう……」

「あっ……ごめんなさい」

 急に身を乗り出した国木田ははっとして、すぐに着席する。

 そして、深呼吸して、再び口を開いた。

「先輩……マルをスクールアイドルにしてください!」

「ああ…………は?」




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青春の影 ♯17


 ラブライブ!サンシャイン!!最終回!!!!!&劇場版制作決定!!!!!
 
 それでは今回もよろしくお願いします。


『プロデューサー、スクールアイドルずらよっ!スクールアイドル!』

『ああ』

『ラブライブずらよっ!ラブライブ!』

『そうだな』

「先輩?」

「いや、何でもない……」

 いかん、俺としたことが妄想の世界に浸っていた。うっかりプラチナステージに上がっちゃってたぜ。

 いや、それより今は、国木田の突拍子もない発言についてだ。

「今、俺にスクールアイドルにしてくださいって言ったか?」

「はい」

 俺の疑問に、国木田は何の迷いも見せずに頷いた。

「……色々と意味がわからないんだが」

「そ、そうずらか?」

「そうだ。アイドルの事なら、親友の黒澤妹に頼めばいいだろ」

 俺の関わる余地など、どこにもない気がするのだが……。

「その……マルは体力に自信がないから、少し体力をつけてからにしたくて……それとアイドルの曲もあまり知らないし……」

「それこそ黒澤妹の出番だろ。俺はスクールアイドルを殆ど知らない」

「ルビィちゃんは、お姉さんに気を遣ってる部分もあるから」

「…………」

 黒澤姉の事情は今はさておき、まずは彼女に悟られないよう、こっそり始めたいという事だろうか。

「それと……これはマルの勝手なんですけど……」

「?」

「先輩となら頑張れそうな気がするずら……」

「…………」

 国木田は何度も目が合っては逸らしを繰り返す。小柄な体格も相まって、人を怖がる小動物のようにも見える。

 そんな頼りない様子を見ていると、何故か頭の中に、あの部室の何も依頼が来ていない時の他愛ないやり取りが、穏やかな時間が浮かんできた。

「……ダメですか?」

「……お前がスクールアイドル始めるまでなら」

「本当ですか!?」

 了承したことに、内心自分でも「おいおい」と声をかけたくなったが、見切り発車は止まる事を知らなかった。

「ああ、ただ俺は魚の捕り方を教えるだけだ。それ以外はお前自身でやってくれ」

「魚の……捕り方?」

「ああ」

「……面白い例えずらね」

「他人の受け売りだけどな」

 俺の口元が緩むのに合わせるように、国木田も微笑んだ。

「ふふっ、では、明日からよろしくお願いするずら」

「ちょっと待った」

「はい?」

「せめて何をやるかは今日中に決めといた方がいいだろ」

「ずらっ!」

 別に、ここで奉仕部活動をやろうってわけではない。

 やり残してきたことの代わりなんかじゃない。

 ただ、何かの縁で辿り着いたこの街で、偶然出会った少女のために、してあげられることがあればいいなんて柄にもなく思ってしまっただけだ。

「先輩……」

「どした?」

「まず、何から始めればいいずらか?」

 ……少し……いや、かなり前途多難だが。

 

 翌朝。

「……早いな」

「ずらっ。早起きは得意ずら!」

「じゃあ、さっそくだが……走るか」

「ずらっ!」

 スクールアイドルの練習などを検索した結果、ひとまず、付け焼き刃ではあるが、体力はつけておこうという話になった。

 つーか、μ'sの練習スケジュールをネットで探してみたが、何だよあの殺人スケジュール。遠泳10キロとかランニング10キロとか、ワンパンマンにでもなる気かよ。

 しかし、空気が綺麗な場所だからか、走るのも少し気持ちいい。爽やかな風にふわりと包まれて、自然と次の一歩が……

「はっ……はっ……ずらぁ」

「…………」

 マジか。

 まだ500メートルも走ってないと思うのだが……。

 自信がないとは言っていたが、まさかこれほどとは。

「国木田、大丈夫か?」

「だ、だ、大丈夫……ずら……」

「無理すんな、少し……休むか?」

「まだ、いける……ずら……」

「そっか……」

 体力はないものの、国木田はしっかり前を見据えて、確実に一歩ずつ進んでいた。今はそれでいいはずだ。

 俺は隣に並び、ゆっくり景色を楽しむことにした。

 

「あれは……花丸さんと八幡さん?」





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青春の影 ♯18


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 

「はあ……はあ……ずらぁ」

「お疲れ」

 

 ゴール地点にしているベンチの前に到着した国木田にタオルを渡す。彼女はそれを首にかけ、息を整えながら、のろのろと汗を拭った。

 

「はあ……はあ……全然、駄目ずら……」

「……何もしないよりはいいだろ。あの時やっときゃよかったなんて思わなくて済む」

「はあ……はあ……そう、ずらね……」

 

 始めて三日でそう簡単に体力などつくはずもなく、国木田はやや落ち込み気味だが、とりあえずは身体を動かす事に慣れるのが先決だろう。あとは……

 

「国木田。今日の放課後、時間大丈夫か?」

「もちろんずらっ!はあ……はあ……」

「今日はスクールアイドルの楽曲を片っ端から聴こうと思うんだが……」

「はあ……はあ……了解ずら!先輩……じゃなくてプロデューサー!」

「おう……」

 

 何故国木田が俺のことをプロデューサーと呼んでるかって?無論、形から入るのも大事だからである。決してふしだらな理由などない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 

「じゃあ、もう少し休んでから行くか」

「そう、ずらね」

 

 二人してベンチに腰かけ、何の言葉も交わす事なく、突き抜けるような青空と今日も静かにたゆたう海を見ていた。

 それは日常から切り離されたような不思議な感覚のする癒しだった。

 

 *******

 

「ちょっといいかしら?」

「お、おう……」

 

 国木田との待ち合わせ場所に向かう途中、まさかの黒澤姉から声をかけられる。手には何か紙切れが握られていて、普段の凛とした佇まいとは違い、どこか挙動不審な感じが見て取れる。

 

「あの……これ……」

「…………」

 

 彼女は綺麗に折り畳まれた紙切れをこちらに差し出し、そっぽを向く。これはまさか……

 

「いや、そういうドッキリは勘弁してもらいたいんだが……」

「はぁ?何を言っていますの?」

 

 俺の言葉に黒澤姉は首を傾げるが、すぐに気づき、顔を真っ赤にした。

 

「おだまらっしゃい!!私はそのような真似は致しませんわ!!」

「……だろうな」

「か、からかっているんですの!?いえ、それよりもあなた、考え方が後ろ向きすぎではありませんの?」

「まあ、あれだ。自己防衛本能が強いんだよ」

「……まあ、いいですわ。これを花丸さんと一緒に読んでください。参考になりますわ」

「?」

 

 黒澤姉から渡された紙切れには、びっしりとスクールアイドルのグループ名と楽曲名が書かれていた。

 あれ?そういや……

 ふと沸いた疑問に顔を上げると、黒澤姉の顔がすぐそこにあった。

 そして、威圧感たっぷりに口を開く。

 

「くれぐれもこの事は内密に……!」

「…………」

「い・い・で・す・わ・ね!」

「わ、わかった……」

 

 こちらに質問をする時間など与えず、彼女はくるりと背を向け、声をかけてきた時とは違い、凛とした後ろ姿で去って行った。 

 

 

 





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 それでは、今日はAqoursのファンミーティングに行ってきます!



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青春の影 ♯19


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 

 待ち合わせ場所に行くと、もう国木田が到着していた。ベンチにちょこんと座り、赤く注ぐ夕陽を浴びながら、静かにたゆたう海を眺めるその姿は様になっていて、一枚の絵画を見ているかのようだった。

 しかし、その横顔は……優しすぎる瞳は、少し寂しさを滲ませていた。

 声をかけるタイミングを窺っていると、彼女がこちらに気づいた。

 

「あ、先輩。こんにちは」

「……おう。悪い、待たせた」

「マルも今来たから大丈夫ずら」

「じゃ、行くか」

「はい、今日もよろしくお願いします!プロデューサーさん!」

 

 *******

 

「♪~~~~」

「…………」

 

 国木田が鼻唄を口ずさむのを聴きながら、ゆっくりと小説を読む。そこだけ取り上げると心休まる癒やしの時間に思えるが、今は少し……ほんの少しだけ緊張している。

 現在、俺達二人がいるのは比企谷家の……俺の部屋だ。

 国木田の家が遠いのと、自由に音楽を流せる場所が思いつかなかったので、こうしている訳だが……

 

「先輩、マルはこの曲好きずら!」

「そっか」

 

 曲を聴き終えた国木田が、やたらと明るい笑顔を向けてきたので、内心を悟られないように頷く。

 さほど広くはない部屋に男女二人。しかも、家族は誰もいない。いや、それだけなら俺ほどの精神力があれば動じることなどない。問題は……

 

「むむっ、先輩……泉鏡花好きとは……オラも好きずら!」

「お、おう……」

「じゃ、じゃあ、マルはお茶のおかわり入れてくるずら!」

「……俺が入れとくからとりあえず落ち着け」

「ずらっ!」

 

 そう。国木田の方が無駄に緊張していて、一曲聴き終える度に、わたわたと忙しなく部屋の中を動き回り、その緊張感が、こちらにも伝染してしまうという負のスパイラルが誕生していた。まあ、曲はしっかり聴いているから、目的は果たしているのだが……。

 ひとまず急須から日本茶を湯飲みに注ぎ、国木田に差し出す。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 緊張を飲み下すように茶を啜る姿を微笑ましく思いながら、俺は気になったことを口にした。

 

「……そういやお前、歌上手いんだな」

 

 今日一番の驚き。

 国木田は歌が上手い。いや、本当に。

 彼女がスクールアイドルの楽曲に合わせて、何の気なしにメロディーをその口から奏でた瞬間、心を捕らえられた気がした。DAN DAN心魅かれてく感覚がした。

 今は遠慮して声量を押さえているが、声が透き通るような美しさで、耳から心に反響していく。もっと聴きたいと思えた。

 俺の言葉に、国木田は顔をさらに紅くし、小さな身体をさらに小さく縮こませた。

 

「実は、マルは幼稚園の頃から聖歌隊に入ってるずら。最近は週に1回だけですけど……」

「おお……すげえな」

「いえいえ、そんなことは……」

 

 国木田は謙遜しているが、それだけ歌えるなら立派な特技といえるだろう。

 

「じゃあ、歌の方は心配しなくていいな」

「そ、そうずらか?」

「専門的なことはわからんが、今は高海達みたいに歌って踊れるのが、第一目標だろ。なら残りの時間は体力作りとか別のことに集中すればいい」

「わかりました。じゃあ、次は……」

「次の曲は……」

 

 こうして着々と黒澤姉のおすすめ曲を聴きながら、国木田の鼻唄を聴くという少し贅沢な時間を過ごした。

 

「やっぱり……緊張するずら」





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青春の影 ♯20


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「ほっ……よっ……ととっ……ずらっ!」

 

 脚をもつれさせた国木田は盛大にずっこけ、派手に砂を巻き上げる。そして、顔が砂まみれになった。春の潮風に砂埃が舞うその様子は、まるで彼女の挑戦をあざ笑うかのように見え、つい彼女に駆け寄った。

 

「大丈夫か?」

 

 声をかけると、国木田は弱々しくも気丈な笑顔を見せた。

 

「は、はい!もう1回お願いします」

 

 今日は土曜日なので、近くの砂浜を使い、朝からダンスレッスンを行っている。これまた黒澤姉から、初心者におすすめの練習が紹介されている動画を教えてもらい、国木田がそれをスマホで確認しながらの作業だ。

 ぶっちゃけると、俺がやっているのはスマホの操作くらいで、何の役にも立っていないのだが……いや、今は考えるのは止めとこう。それこそ何の役にも立たない。

 

「あれ?比企谷君?」

「…………ああ」

 

 突然名前を呼ばれたので振り返ると、ジャージ姿の松……何とかさんがいた。名前をはっきり覚えていないのは、まだそんなに面識がないからであって、千葉にいるポニーテールの誰かと重ねたわけではない。彼女はジョギング中だったのだろうか、頬には僅かに汗が輝き、前髪が濡れ、額に貼りついている。それでも爽やかさが少しも損なわれないのは、彼女のハキハキとした立ち振る舞いのお陰だろうか。

 俺の表情から何を読んだのか、彼女は苦笑しながら隣に腰を下ろした。

 

「何?もう忘れちゃったの?」

「いや、そんなことはない。ただ、名前がすぐに出てこないだけだ」

「それは世間では忘れたっていうんだよ?まったく……まあ、1回しか会ってないから仕方ないけどね」

「ああ、ダイビングショップで会ったのは覚えてる」

「はいはい、ありがとう。あと、私の名前は松浦果南ね。今度は覚えるように、比企谷八幡君?」

「あ、ああ……」

「むぅ~」

 

 国木田が頬を膨らませてこっちを見ている。拗ねた表情の練習だろうか。まだステップを踏むのもやっとだというのに、表情をつくる練習までするとか、どんだけ向上心の塊なんだよ。

 松浦は国木田とこちらを不思議そうに交互に見た。

 

「彼女は?もう一人妹さんいたの?」

「いや、妹の友達だ」

「へえ……それで、小町ちゃんの友達のダンスを見て上げてるの?」

「見てるっつーか、俺は素人だからな。とりあえず初心者の練習用の動画を探しただけだ」

「ふ~ん……なんか懐かしいな」

「?」

「あ、いや、何でもない」

「……そっか」

 

 何でもないって言った奴が何でもなさそうなのは、何処でも一緒なのだろう。そして、それを聞かない方がよさそうなのも。

 

「先輩……さっきからオラをほったらかしずらぁ」

「うおっ!……びっくりしたぁ」

 

 いつの間にか、国木田の顔が目の前にあった。くりくりした目からは少し責めるようなものを感じ、たじろいでしまう。

 

「……ふんっ」

「く、国木田?どうかしたのか?」

「何でもないずらよ~」

 

 ……こっちもかよ。いや、まあ見とかなかった俺が悪いんだけどね?

 松浦はそんな俺達二人の様子を見て、くすりと笑い、口を開く。

 

「じゃあ、邪魔者は退散するとしますかね。二人共、頑張りなよ」

「……おう」

「あ、はい!」

 

 こうして、残りの時間は全てダンスの基礎に当てた。 





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青春の影 ♯21


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 日曜日も同じような練習をしていたが、前日に比べると、素人が見てもわかるくらいに、国木田の動きが良くなっていた。まだ少し足がもつれそうになる部分はあるものの、そこは高海達との練習で直していけばいい。

 

「はあ……はあ……」

「ほら……飲み物」

 

 砂浜に大の字になり、寝そべっている国木田に、あらかじめ用意しておいたスポーツドリンクを手渡す。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 彼女は起き上がり、のろのろと口をつける。「んく、んく」と喉を潤していく姿が小動物っぽくてつい頬が緩んでしまった。

 

「よしっ、練習続けるずらっ!」

「もう少し休んだほうがいいだろ」

「全然、平気……ずらっ!?」

「!」

 

 国木田は盛大に足を滑らせ、前方に座っている俺の方へと転んだ。

 背中から抱きつくようにしがみつかれ、その際に、背中に柔らかな感触が押しつけられる。

 その感触は彼女の小さな身体には不釣り合いなくらいの豊かさを誇り、その圧倒的な存在感をむにゅむにゅと俺の背中で主張していた。

 いや、薄々気づいてはいたのだ。

 ジョギング中……何か揺れてんなぁ、とか。

 ダンスレッスン中……何か揺れてんなぁ、とか。

 しかし、頑張っている女子にそんな不謹慎極まりない下劣な視線を送るなんて、世界平和を願う俺にはできない。魂が汚れるからな。なので、気づかないふりをしていたのだが……。

 

「……おぅ」

「せ、先輩、大丈夫ずらか!?」

「ああ……大丈夫全然平気」

 

 やばい。はやく離れないと、これはやばい!だって男の子なんだもん!

 

「国木田……そろそろ立てそうか」

「あ、はい……」

 

 国木田が立ち上がるのに合わせて俺も立ち上がり、今日も静かにたゆたう沼津の海を数秒間眺め、澱みのない新鮮な空気を肺に取り込み、身体の毒素を全て吐き出し、3回ジャンプして筋肉をほぐし、何事もなかったかのように、国木田に向き直った。

 

「ごめんなさい……ずら」

「さっきも言ったが、ケガしたわけでもないから大丈夫だ。むしろ、そっちが心配なんだが……」

「あ、マルは大丈夫ずら。先輩がいた、から……」

「……国木田?」

 

 国木田はみるみるうちに顔を真っ赤にして、普段からは想像もつかない速度で駆け出した。

 

「オラは、オラは……なんてはしたないことを!」

「お、おい、国木田!そっちは……!」

 

 国木田はジャージ姿のまま海へと突撃し、それを助けに行った俺もずぶ濡れになった。

 こうして1週間の国木田花丸プロデュース(?)は終了した。

 

 *******

 

「ルビィちゃん、話があるずら」

「?」

 





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青春の影 ♯22


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 ……何故だろう。落ち着かない。

 授業中も昼休みも帰りのホームルームも本屋への寄り道の間も、ずっとそわそわしてしまっている。

 今日、国木田は黒澤妹を誘い、スクールアイドル部に入部する予定だ。果たしてどうなっているのか、いや心配とかじゃなく気になると言いますか……。

 

「何をしていますの?」

「……ああ、黒澤姉か」

「失礼な反応ですわね。しかも、黒澤姉って呼び方……どうにかなりませんの?」

「……善処する」

「それはする気のない者の言葉ですわね……話が逸れましたわ。こんな所でキョロキョロと落ち着きがないと、不審者に見られますわよ」

「……そんなに不審者に見えたか」

「はい」

 

 そこまできっぱりと肯定されると、思春期男子の心は傷つくのだが……。

 何か言い返してやろうと、思いついたことを口にした。

 

「今日は手紙ならいらんぞ。人に見られたら誤解されるからな」

「……あ、あなたは私をからかっていますの!?」

「い、いや、悪い。冗談だ……」

 

 俺はからかい上手な比企谷君にはなれないらしい。

 

「そういや……ありがとな。色々教えてもらって、助かった」

「礼には及びませんわ。私がしたいようにしただけですもの」

「……そうか」

「花丸さんの方はどうですの?」

「まあ、何もしないよりはマシだったんじゃねえの?専門的な事はよくわからん」

「そうですの……」

 

 黒澤妹のことを言わないように注意しながら、黒澤姉の様子を窺う。彼女は腰まである長い黒髪を風にさらさらと靡かせ、機嫌よさそうに微笑んだ。その大人びた微笑みの前には、俺と国木田の秘密なんてあっさり見透かされている気がした。

 

「ふふっ、あなたは意外と優しいのですね」

「……意外は余計だ。てか、その言葉はそっくりそのまま返す」

「……私が何故このような回りくどい事をしているのか、理由は聞きませんの?」

「俺は意外と優しいらしいからな。聞かれたくない事は聞かない」

「そう……じゃあ、先日の御礼に飲み物でも奢ってもらおうかしら」

「……ちょっと待て。会話が繋がっていないんだが」

「あら、私の珠玉のスクールアイドル情報ですわよ?本来なら、もっと高値がついてもおかしくありませんわ」

「いや、まあいいんだけど……」

 

 悪戯っぽく笑う黒澤姉が自動販売機の前で飲み物を選ぶのを見ながら、俺はまた国木田の事が気がかりになった。

 ……夜、小町に自宅に電話してもらうか。

 

 *******

 

「花丸ちゃん、大丈夫?」

「はぁ……はぁ……大丈夫、ずら」

 

 数歩先を走るルビィちゃんがこちらを気遣い、振り向いて心配そうな顔を向けてくれる。やっぱり、1週間じゃ……いや、やっていなければ、まだきつかったはずずら!

 スクールアイドル入部初日。マル達は千歌先輩達と共に、学校の周辺を走っていた。曜先輩曰く、「スクールアイドルは体力づくりから!」らしく、先輩の言っていたことと同じずら。

 ……今度、お礼をしなくちゃ、ずら。

 でも、この感覚は何だろう?

 オラだって、究極の人見知りのルビィちゃんほどじゃないけど、自分の身内以外の男の人とはあまりお話ししたことはないのに。でも、あの人にはつい話しかけてしまうずら。

 それに、あの人……比企谷先輩が他の女の人と話していると、妙に胸がざわつき、荒波のような何かが心に巻き起こり、自分が自分じゃないみたいな感覚がする。

 もしかしてこれは……

 い、いやいや!多分、違うずら!現実はそんな簡単に恋に落ちたりしないずら!それにマルにはまだ早いというか……。

 自分の思考を打ち消すようにかぶりを振り、前方に視線を向けると、視界の隅にいるベンチに座った二人組に目が止まる。いや、離せなくなる。

 

「はあ……はあ……え?」

 

 こちらから見えるのは後ろ姿だけ。でも、見間違えるはずもない。

 そこで並んで座っていたのは、ルビィちゃんのお姉さんのダイヤさんと……比企谷先輩だった。





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青春の影 ♯23


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 それでは今回もよろしくお願いします。


「もう、電話くらい恥ずかしがらないで自分ですればいいのに……」

「いや、ほら……夜だから」

「はいはい、中学時代のお兄ちゃんに聞かせてあげたいよ」

「さり気なくお兄ちゃんのトラウマ抉るの止めてくんない?」

 

 まあ、確かに高校3年の兄が、妹の友達の様子を窺うために電話してもらう姿はみっともないが……。

 小町は、数秒してから電話に出た国木田の家族らしき人と話し、彼女に取り次いでもらい……

 

「ほい」

 

 その流れで俺の手に受話器を握らせる。

 

「……は?」

「大丈夫、お兄ちゃん!ファイトだよ!」

「いや、お前……」

 

 どっかで聞いたことあるような無いような励ましの言葉を残し、小町は自室へと逃げていった。

 このまま無言で切るわけにもいかないので、落ち着いて話しかけてみる。

 

「…………あー、もしもし?」

「え!?あの、こ、小町ちゃんじゃないずら!?」

「……悪い、俺だ。つーか、用があったのは俺の方なんだが……」

 

 ここまできてしょうもない嘘をついても仕方ないので、正直に白状する。

 

「そうずらか……」

「……まあ、その、あれだ。今日……どうだった?」

「あ、はい……入部して、もう練習も始めてます」

「そうか……」

 

 声のトーンが沈んでいる気がするが、どうかしたのだろうか。あまり考えたくはないが、上手くいかなかったのか……いや、まだ初日だろ。

 

「……どうだった?」

「えっと……その……ランニングの時は少し遅れ気味だったんですけど、ダンスは意外と早く覚えられて、褒められたりしました」

 

 褒められた、という言葉に安堵の息を吐く。小町を心配する時のような感覚になっているのは気のせいだろうか……。

 

「あの……」

「?」

 

 国木田の少し重たい声が受話器から聞こえてきて、俺はつい居住まいを正した。

 

「その……」

「…………」

「や、やっぱりいいです!お休みなさい!」

 

 唐突に挨拶と共に電話を切られ、俺はしばらくその場に立ち尽くし、窓の外の真っ暗な景色を眺めていた。

 それは、道路を走る自転車のライトがやけに目立つくらいに、暗く塗りつぶされた街並みだった。

 

 *******

 

「「あ」」

 

 翌日。

 珍しく眠れずにいたので、明け方の海でも見ようかと砂浜へ行くと、国木田が一人でポツンと座っていた。

 何でこんな朝早くから?と聞こうとすると、彼女の方が先に口を開いた。小さな身体を精一杯折り畳むその姿はいつもより小動物らしく見えた。

 

「お、おはようございます、先輩」

「……おう」

 

 制服姿なので、練習をしていたわけではないようだ。彼女が早朝からここにいる理由を黙考していると、国木田がいきなり頭を下げた。

 

「昨日はごめんなさいずら!」

「……へ?」

 

 急な謝罪に対し、何の事かと考えていると、すぐに思い至った。

 

「もしかして電話の事か?」

「あ、はい……本来なら真っ先に先輩に報告すべきなのに、オラは……」

「……ああ、そっちか。いや、別に……謝る必要は……」

「それでも……ごめんなさい」

「……じゃあ、受け取っとく」

「……はい。それと……ありがとうございます。先輩のお陰で、ルビィちゃんの後押しが出来たずら」

 

 親友を想う真っ直ぐな双眸が優しく細められ、その儚げな雰囲気に、ほんの一瞬だけ胸が高鳴る。波音が遠のいた気がした。

 結局俺は、その姿から目を逸らし、彼女に祝いの言葉をかける。

 

「その、何だ。よかったな」

「は、はい……そういえば先輩」

「どした?」

「……き、昨日、ダイヤさんといましたか?あの海岸沿いの道路にあるベンチで……」

「あ、ああ……偶然会ってな」

「そうですか……」

「…………」

「…………」

 

 突然やってきた何ともいえない気まずい沈黙。

 別にやましい事など何もない。それ以前に、俺と国木田は付き合っているわけでは……何考えてんだよ、俺。

 心の中の防衛センサーが発動し、強制的に話題を変えた。

 

「練習、あまり無理すんなよ」

「……むぅ」

 

 国木田はどこか不満顔に見えるが、それはきっと陽が昇りきっていないので、彼女の顔がそこまでよく見えていないからだろう。そうに違いない。

 

「……そろそろ行くか」

「あ、はい……」

 

 ぐぅ~。

 間の抜けた音が鳴り、緊張の糸があっという間に緩む。

 国木田はお腹を押さえ、見る見るうちに赤くなる顔を、昇り始めた朝焼けがはっきりと照らしていた。

 

「……朝飯は?」

「うぅ……今日は食べてないずら」

「……うちで食ってくか?」

「ずらっ!いいんですか?」

「……むしろ小町は喜ぶと思うぞ」

「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」

 

 国木田は柔らかく微笑みながら、隣に並んでくる。

 砂浜に刻まれる足跡が、来た時は一人分だったのが、帰る時は二人分になっている。そんな些細な出来事が、何だかとても不思議なことに思えた。





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青春の影 ♯24


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 

「小町ちゃんの作るごはん、美味しかったずら~」

「……ならよかった」

 

 満足そうにお腹をさする国木田に、つい頬が緩んでしまう。

 朝から三杯もおかわりする元気があるなら、スクールアイドルの練習も耐えられるだろう。

 

「今日も頑張るずらよ~」

「……黒澤妹の方はどうなんだ?」

「ルビィちゃんは大丈夫ずらよ。本人は運動とかは苦手なんて言ってるけど、練習にもついていけてるずら」

「そっか」

「……これでマルの目的も果たしたずら」

「?」

 

 国木田のぽそりとした呟きは、何といっているのかはわからなかったが、寂しげな響きだけが、風に流されていった。

 

 *******

 

「ふぅ……」

 

 お昼休み。

 ルビィちゃんから借りたスクールアイドルの雑誌から顔を上げると、途端に現実に引き戻されたかのように、図書室の静寂がマルを包み込む。

 最近、このページを見ては溜息を吐いてしまう。

 『星空凛』。

 彼女がドレスを着て微笑むその姿が、マルの心をきゅうっと締めつけてくるのです。

 それはきっと……手が届かないから。

 マルにはこんなキラキラ輝いた舞台に立つことなんて……。

 比企谷先輩には何だか申し訳ないずら。あんなに手伝ってもらったのに……。

 オラは静かに雑誌を閉じ、引き出しに仕舞い、図書室を後にした。

 

 *******

 

「チャオ~♪」

「……ど、どなたでしょうか?」

 

 はて、こんなテンションの高い金髪美人が俺の知り合いにいたかしら?

 俺の首を傾げる姿が不満だったのか、金髪美人は頬を膨らませ、ずんずん距離を詰めてきた。

 

「マリーだよぉ!浦の星の理事長!」

「あ、ああ……」

 

 近い近い!心臓に悪い!ふわりといい香りが弾け、鼻腔を優しくくすぐる。

 そういや、Aqoursのライブで会ったな。いや、覚えてたよ?本当だよ?

 

「八幡は今帰り?」

「……見ての通りだ」

 

 いきなりの名前呼びに、何故か顔が熱くなる。本名を呼ばれているので、『そんな恥ずかしい名前の人は知らない』なんて誤魔化して逃げることもできない。いや、別に逃げたりはしないけど。

 

「じゃあ、ちょっと付き合わナイ?」

「……いや、ちょっと用事が」

「八幡がそういう時は用事がない時だと小町が言ってたヨ?」

「…………」

 

 既に退路は断たれていたようだ。

 この押しの強さは千葉にいる誰かさんに通じるものがある。つまり、逆らうだけ無駄ということだろう。

 

「……まあ、いいけど……小原の家は真逆じゃないのか?」

「マリーだよぉ!」

「……お、小原の家は真逆じゃないのか?」

「も~、意地っぱりなんだから。まあ、今回はそれで良しとシマス」

「てか、どこ行くんだ?」

「ふふふ、行ってからのお楽しみデース♪」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、こちらにウインクしてくる小原を見ながら、やはりこいつは油断ならないと、首筋をかいた。

 

 *******

 

「あれは……」

「ふふっ、毎日一生懸命に頑張って感心感心♪」

 

 小原に連れてこられた喫茶店の窓から見えたのは、階段を昇るAqoursの姿。そして、何より目を引きつけたのは、高海達よりかなり下を、時折休みながら昇る国木田と、彼女を気遣うように一定の距離を保つ黒澤妹だ。普段とは違う役割になっていて、国木田の小さな背中は、より小さく見えた。

 そんな彼女の様子を見て、やはりと思いながらも、言いようのない何かが胸の中に湧き上がる。砂糖やミルクを十分に入れたはずのコーヒーも全然甘く感じない。

 

「彼女、悩んでるみたいデス」

「…………」

 

 ぽつりと洩らす小原に、俺は沈黙で続きを促した。

 

「八幡は花丸とステディな関係でしょ?」

「ぶはぁっ!!げほっ!げほっ!」

 

 急すぎる話題転換に、コーヒーを吹き出して、思いきり咽せる。

 小原はきょとんとしていた。

 

「違うの?」

「……ち、違うっての……」

「そっかぁ、よく二人でいるところを見たから、てっきり……ソーリー♪」

「……いや、つーかそんな話するために、声かけてきたのか?」

「さあ?私は小町のお兄さんがどんな人か気になっただけだよ♪それと……」

 

 彼女は再び、窓の外に目をやる。その眼差しは何故か寂しげに揺れ、遠いどこかを見ているようだった。

 

「彼女と仲の良いあなたに、彼女がシャイニーしてるとこ、見せたかったのかも」

「…………」

 

 何かはぐらかされたような気しかしないが、今はどうでもよかった。

 小原と別れ、家に帰ってからも、あの小さな背中が頭の中で、ゆっくりと階段を昇っていた。

 時折休みながら、でも確かに昇っていた。





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青春の影 ♯25


 最近、pixivにて『捻くれた少年と恥ずかしがり屋の少女』のイラストを見つけました。かなりテンション上がりました!

 それでは今回もよろしくお願いします。


 国木田が黒澤妹と共にスクールアイドル活動を始めて早一週間。まるで最初から決めていたかのようなタイミングで、国木田から会いたいと連絡がきた。

 夕暮れに赤く染め上げられる砂浜。

 穏やかに寄せては返す波が、不規則なリズムで唄い、そこを突き抜けるように、バスや車の音が通過していく。

 彼女はそんな賑やかでもの哀しい砂浜に一人で座り、何やら歌を口ずさんでいた。

 

「……国木田」

 

 その歌を途切れさせていいかわからず、それでも恐る恐る声をかけると、彼女は振り向き、笑顔をみせた。

 

「先輩……」

「おう……」

「…………」

「…………」

 

 沈黙が訪れたのは、彼女の言うことがわかっていて、そのことを彼女も気づいているからだろうか。

 微笑みは切なさを滲ませ、絡みあう視線は言葉を発するタイミングを窺っていた。

 そして、のろのろと走る!車の音が遠ざかった時、彼女の唇が動いた。

 

「先輩……」

「…………」

「ルビィちゃんは無事にスクールアイドルを始められたずら」

「……そっか」

「これで、マルは満足です。一週間だけど……とても……楽しかったずら」

「…………」

「……先輩、ごめんなさい……マルはもう、スクールアイドルは終わりにします」

「いや……俺に謝る必要は……つーか、最初からそのつもりだったんだろ?」

「……はい」

 

 国木田は心底申し訳なさそうに俯く。

 波音が沈黙を縫うように一際大きく響き、話の続きを促すように消えていった。

 

「オラ……この一週間、夢の中にいたんです」

「…………」

「マルには手が届かない、とてもキラキラして、輝きに満ちた夢……そんな素敵な場所に一週間もいれたから、マルはもう、満足なんです」

 

 こちらを見る国木田の瞳が潤み、潮風が優しく髪を揺らした。

 ……満足ならそんな顔見せんじゃねーよ。

 俺が国木田に対して、してやれる事などたかが知れている。彼女が一発で前向きになるような魔法の言葉など持ち合わせていない。

 だけど、今の気持ちを……短いスクールアイドル活動が残した痕跡を知っていて欲しい。

 俺は頭をなるべく空っぽにして、口を開いた。

 

「国木田……」

「はい?」

「……ありがとな」

 

 国木田はきょとんとして、自分が何を言われたかもわからないような顔をしていた。

 それでも続ける。

 

「なんつーか、お前が頑張ってんの見たら……元気でた。多分、いきなり色々あって転校になって……少し落ち込んでたんだろうな」

「ずらっ?」

「その……この前、偶然だが、お前の走ってるの見てたらな」

「み、見てたずらか?」

「ああ……黙ってて悪かった。まあ、あれだ……」

「?」

「すごく……キラキラしてた……」

「え……」

「お前が自分自身のことをどう思ってるかはわからんし、それを俺がどうこうできるわけじゃない……ただ……」

「…………」

「俺にはお前が……キラキラして見える。誰かを元気にするくらいには……」

「先輩……」

「辞める辞めないはともかく……そんなに自分を卑下することはないと思うぞ……お前は、すごいと、思う」

 

 何の考えもないただの本音を言い終え、奉仕部の部室での事を思い出す。あの日もこんな夕暮れの時間だった。

 国木田は、はっとした表情から、ゆっくりと笑みを結ぶ。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 夕焼けがまた一段と海を朱く染め上げ、水平線と触れ合う。

 彼女のやわらかな笑顔を撫でる一滴も、夕焼け色に染まり、そこから目を離すことができなかった。

 

 *******

 

 翌日。学校に到着したところで、着信がきた。

 

「あ、あの……もすもす?」

「……国木田か?」

「はいっ……あの……今、大丈夫ですか?」

 

 校舎裏の人目につきにくい場所に移動し、携帯から漏れてくる声に意識を集中する。

 

「先輩……マルは……Aqoursに加入します」

「……そっか」

「そ、それで、先輩にお願いがあるずら!」

「?」

「あの……マルの……ファンになってください!」

 

 突然の申し出に、電話越しだというのに顔が熱くなる。中学時代なら告白と勘違いして、舞い上がり、叩き落とされていたことだろう。

 咳払いして、気持ちを落ち着ける。

 

「……まあ、別に、応援するぐらいなら」

「本当ずらか!?」

「……その内、な……」

「今がいいずら~!」

 

 背後にはメンバーがいるのか、「花丸ちゃん誰と話してるの?」「千歌ちゃん、聞くのは野暮だよ」とか。賑やかそうで何よりだ。べ、別に羨ましくなんてないんだからね!

 俺は電話越しの国木田の笑顔を思い浮かべながら、今日も晴天の沼津の空を仰いだ。

 

 *******

 

「では、また逢いましょう。我がリトルデーモン達」

 

 少女は高らかに告げ、部屋に灯された蝋燭の火を消す。

 そして、すぐにベッドに飛び込んだ。

 

「またやってしまった~~~~~~~~!!」

 

 少女は自分の行いを恥じ、枕を顔に押しつけ、転がった勢いでベッドから落ちた。

 

「い、痛い……いえ、それより!変わるのよ、私!そして、サタン……じゃなくて、あの人とリア充ライフを!ウフフフフ……」

 

 少女の笑い声は、母親に注意されるまで室内に響き渡った。





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青春の影 ♯26


 最近、お土産にMAXコーヒーをもらいました。甘い!
 ……福岡でも販売して欲しいです。

 それでは今回もよろしくお願いします。


「先輩……相談があります」

「……どした?」

 

 放課後。ボッチらしく、いつものように真っ直ぐ帰宅していると、国木田に捕まった。Aqoursに加入してからは、帰り道に遭遇することはもうないと思っていたのだが。

 とことこ歩く彼女に案内されるまま、いつものベンチに腰を下ろす。

 一息ついたところで隣を見ると、彼女の表情には不安の色が見られた。スクールアイドル関連でまた何か悩みがあるのだろうか。

 黙って待っていると、やがて彼女の唇が小さく動いた。

 

「実は、最近……誰かに見られている気がして……」

「…………」

 

 予想だにしない悩みに、つい膝の上で強く拳を握ってしまう。ここは田舎とはいえ、怪しい奴が全くいないわけじゃない。はっきり言って、国木田はかなり見た目はいいし、その上本人はどこか抜けているというか、無防備に見られる部分もあるように思える。最近はスクールアイドルを始め、動画を上げているので、熱烈なファンや、あまり考えたくはないが、ストーカーじみた奴がいても、おかしくはない。

 ピリピリとした緊張を何とか押し殺し、ひとまず国木田の現状を確認する。

 

「周りの奴は知ってるのか?」

「いえ、まだ誰にも……勘違いかもしれませんし……」

「……とりあえず、今日は家まで送る」

「あ、ありがとうございま……「ちょっと待ったぁーーーーーーーー!!!」ずらっ!?」

 

 突然会話に割り込んできた大声に、二人して慌てて振り向く。

 するとそこには、水色のコートにサングラスを着用した、いかにもな不審者が仁王立ちしている。サングラスの下から、鋭い眼光を向けられた気がした。

 

「……ずら?」

「あ、おい……!」

 

 警察に電話するべきか、国木田を連れて逃げるべきか考えていると、あろうことか、国木田は不審者と距離を詰め、じぃ~っと凝視し始めた。

 

「国木田っ「善子ちゃん?」……?」

「善子じゃなくてヨハネっ!」

 

 国木田から親しげに名前を呼ばれ、反論する不審者。

 つーか今さらだが、こいつ何処かで見たことあるような……。

 不審者(?)は、サングラスとマスクを外し、その素顔を見せた。

 

「ずら丸っ!私の愛しい人から離れなさい!」

「どうしたの?学校で皆待ってるずらよ」

「あ、明日から行くわよ……ってそうじゃな~い!!」

「ずらっ!」

 

 善子と呼ばれたその少女は「元気いいねえ、何か良いことあったの?」なんて聞きたくなるくらい大きな声で、国木田を威嚇する。さっきまでのシリアスな空気は何だったんだ……いや、別にいいんだけど……うん、問題解決。

 

「なあ……」

「は、はいっ」

「とりあえず……場所変えないか?ここだと人目につく」

「は、はいっ、喜んで♪」

 

 何故にこの女子は、こんなに満面の笑みを向けてくるのだろうか……。

 

「むっ……」

 

 *******

 

「……あー、一応確認しておくが……国木田と津島は、幼稚園以来の再会を果たした幼馴染みで間違いないんだな」

「そうずらよ」

「それで、津島は最近国木田の後をつけてた奴なのか?」

「ええ……それより私のことは名前で呼んでもいいのよ?」

「…………」

 

 隣にいる津島が、妖艶に細めた目を向けてくる。国木田と同い年の割には、妙な色気がある。自分の魅力の使い方をわかっているというか……顔も、さっきまでの残念な言動がなければ、普通に美人に分類できるくらいに整っている。

 だが、何かおかしい……。

 まず、この位置関係。俺と国木田はテーブルに向かい合うように座り、津島は何故か俺の隣に座っていた。ちなみに、国木田の隣には鞄が3つ置かれている。

 

「善子ちゃん、先輩に失礼ずらよ。それと、マルに何か用があったずらか?」

「あなたの名前、教えて戴けないかしら」

「聞いてないずら……」

「……比企谷、八幡」

「それでは、八幡さん。念の為、私と連絡先を交換していただけませんか?」

「八幡さん?」

「……え?あ……」

 

 今、さらっとファーストネームで呼ばれたんだが、何この子……俺の事好きなの?

 

「善子ちゃん、何で、はち……先輩と連絡先を交換する必要があるずら?」

「ね、念の為よ念の為!」

「念の為?じぃ~……」

「な、何よ!ずら丸はこの人の何なの!?」

「……アイドルとプロデューサーずら」

「嘘だ!」

「嘘じゃないずら~」

「じゃあ、私もプロデュースしてもらうもん!」

 

 やめて!仲良くして!あと作品が変わっちゃうから、プロデューサーのくだりもやめて!

 

「ギラン」

「ずらん」

 

 国木田と津島が睨み合う。今、国木田は俺を何と呼ぼうとしたが気になるが、まずはこの二人をどうにかしなければならない。

 

「あ、すいますん。はしたなかったですね。うふふ」

 

 ふと肩が接触した津島から、ふわりと甘い香りが漂う。国木田のようにほのかに香るのではなく、トロンと甘い、女の子らしさみたいなのを強調してくる感じがする。

 

「先輩、何デレデレしてるずら」

「……い、いや、し、してねーし」

「違うわよ、ずら丸。これは、彼が堕天使の……私の魅力に靡こうとしているのよ!」

「明日から学校に来るずら」

「聞きなさいよ!あっ、もうこんな時間!八幡さん、ずら丸、失礼するわ!」

 

 時計を見て驚愕した彼女は近くのバス停へと、全速力で走っていった。

 嵐のように訪れ、去っていった彼女の背中を、俺と国木田はポカンと見送り、どちらからともなく目を合わせた。

 

「……帰るか」

「……はい」

 

 店を出た俺と国木田は、とぼとぼと並んで歩き出す。

 道中、横顔に国木田の視線が何度かチクチク刺さった気がした。





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青春の影 ♯27

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 それでは今回もよろしくお願いします。


「そっか~、津島さんに会ったんだね」

「ああ」

「私もまだ1回しか会ったことないからな~、しかも、全然話せてないし」

 

 小町がまだあまり知らないクラスメートに思いを馳せる。こうして登校時間を共にするのはかなり久しぶりだ。まだ千葉ほど馴染んではいないが、それでも前より、小町の背後に内浦の海が広がっている風景は、俺の日常になっていた。

 懐かしい風景を、ふと記憶から探り出そうとしてしまう自分にかぶりを振って、鞄を背負い直す。

 

「あ、花丸ちゃん!ルビィちゃん!」

 

 小町の声に反応し、前を向くと、国木田と黒澤妹がこちらに向かって手を振っている。

 

「おはようずら!」

「お、おはようございます……」

 

 国木田はいつも通りぺこりと頭を下げ、黒澤妹は少しだけ前よりおどおどした感じが抜けていた。さらに俺を見かける度、国木田の背中に隠れなくなった。

 

「今日は朝練休みなの?」

「ずらっ。千歌ちゃんが旅館の手伝いで、曜ちゃんが水泳部の朝練ずら」

「……結構忙しいんだな」

「お兄ちゃんも見習わなきゃね」

「ばっか、お前。俺めっちゃ忙しくしてんだろうが」

 

 ラノベを読み、アニメを観て、小説を読み、日本文化の知識を日々深めているというのに。

 

「先輩、それじゃあマルとお寺で……」

「ああ、いつかその内な」

「まだ全部言ってないずら~」

 

 国木田は今日は至って普通のテンションだ。昨日、不機嫌に思えたのは、やはり気のせいらしい。彼女は隣に並び、控え目な笑顔を向けてきた。

 

「じゃ、じゃあ、今度本屋に「ちょっと待ったぁーーーーーーーー!!!」ずらっ!?」

 

 昨日と同じような登場で津島善子があらわれた!

 

「あの、八幡さん?私の登場シーンの描写、薄くないかしら?」

「……地の文読むんじゃねえよ」

 

 間違いなく余所行きのテンションになっている津島に、小町がにぱっと笑顔を向けた。

 

「お~!津島さん、久しぶり!」

「あ、あら?あなたはクラスの……」

「比企谷小町だよ。こっちが兄の……」

「妹!!?」

 

 くわっと目を見開いた津島は、すぐさま小町に詰め寄る。

 

「妹!?今、妹って言った!?」

「わわっ!どうしたの!?」

「ピギィっ!」

 

 余りの剣幕に、隣にいた黒澤妹までもが怯えていた。

 

「はっ…………うふふ、そうだったの?お兄さんとは先日、運命の……偶然の出会いで、知り合ったばかりだけど、とても良くしてもらってるわ。改めて、よろしくね」

「とても良くしてるずらか?」

「いや、何もしてない」

 

 したのは挨拶くらいだ。あとストーカー扱い。何より、昨日がほぼ初対面みたいなものだ。

 どう対応したものかと逡巡していると、国木田が先に話しかけた。

 

「善子ちゃん」

「善子じゃなくてヨハネっ!」

「ようやく学校来たずらね」

「……な、何よ。当たり前でしょ!今日から私のリア充ライフが始まるのよ!……フォローお願い」

「任せるずら」

「さあ、八幡さん行きましょうか」

「いや、俺は……」

「はち……先輩は浦の星の生徒じゃないから諦めるずら、善子ちゃん」

 

 さすがに女子4人に混ざって登校できるほどリア充への耐性がついていないので、適当な場所で別れを告げ、いつも通りのボッチ登校へと切り替えた。

 

 *******

 

「……そっか、津島が」

「はい……」

 

 その日の夜に国木田から告げられた、やや衝撃のニュース。

 なんと津島がAqoursに加入したらしい。これはキュアエース登場くらいの衝撃だ。いや、キュアムーンライトくらいか。わかる人だけにわかればいい。

 彼女の堕天使キャラに目をつけた高海がスカウトした事がきっかけらしい。いや、それより……

 

「堕天使……」

 

 何かを彷彿とさせるワードだが、もしや……

 

「善子ちゃんは幼稚園の頃から、自分の事を堕天使だと言ってるずら」

「……そ、そうか」

 

 薄々感づいてはいたのだ。

 「善子じゃなくてヨハネっ!」などと反論していたり、なんか日常会話に、無理矢理良い子ぶったような違和感があったり……。

 しかし、まさかあの材木座と同じ属性とは……いや、俺も中二病の時期はあったが……。

 何故か知らないが、急に奴の顔が思い浮かんだ。

『おい、材木座』

『材木座じゃなくて剣豪将軍っ!』

「ぐあっ……」

「ど、どうしたずら?」

「いや、何でもない……一瞬悪魔が見えただけだ」

「何だか非常事態ずら!」

 

 くだらんものをイメージしてしまった。まあ、あれだ。ヨハネという名前はダークフレイムマスターや、邪王心眼。モリサマーみたいな愛称(?)だと思えばいい。

 このあと、続くと思っていた津島の話は割とすぐに打ち切られ、あとは30分くらい晩御飯のおかずについての話をした。




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青春の影 ♯28


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 下校中、Aqoursの一年生組に捕まり、いつものベンチに連れて行かれた。まじか、捕まりすぎだろ、俺。コラッタやポッポ並みかもしれん。

 そして、見せられているのは……。

 

「私と一緒に~~~~……堕天しない?」

「「「「「しない?」」」」」

 

「……な、何だこれは……」

「新しいPVずら♪」

「…………」

 

 津島が加入してから新しく制作したらしいPVには、堕天使っぽいコスプレをしたAqoursのメンバーがポーズを決めてカメラに笑顔を向けていた。何だろう、この背後の五人の無理しちゃってる感。桜内は苦笑いになっちゃってるよ。

 てゆーか、津島はあれほどやめたがっていた堕天使のコスプレを結局やっちゃうのかよ。錆びついたマシンガンで今を撃ち抜くくらいの勇気だと思うんだが……。

 

「ルビィちゃんがとっても人気ずら!」

「そ、そうか……」

 

 コメント欄を見ると、確かに黒澤妹へのコメントが一番多いように見える。

 

「スカートが短くて恥ずかしかったけど、頑張ったずら」

「……おう」

 

 よく見ると確かに短い。あ、ワカメちゃんほどじゃないよ?なんというか、踊ったら見えちゃうんじゃないかって短さだ。丈は制服と同じぐらいなのに、何だろう、この感じ。高海とか脚が……

 

「先輩、なんかいやらしいずら」

「いや、そんなんじゃない。何というか、あれだ。衣装の完成度が素晴らしいな。ああ、いい感じだ」

「……口先だけで褒めてるように思えるずら」

「ま、まあ、ランキングは上がったからよかっただろ」

「あ、はい!よかったずら!」

「ぬが~~~~~!!あんた達!二人だけで話を進めないでよ!!」

 

 津島がいきなり奇声を発し、国木田をゆっさゆっさと揺さぶる。

 

「善子ちゃ~ん。痛いずら~」

「お、落ち着いて……」

 

 黒澤妹が控え目に止めに入るが、津島はまだ国木田を揺さぶっていた。

 

「アンタ、約束は忘れてないわよね!」

「もちろんずら~」

「約束?」

「あ、こっちの話ですよ、八幡さん」

「……そ、そうか」

 

 まあ、仲良き事は美しき哉ってやつか。

 

 *******

 

 数時間前、昼休みにオラは善子ちゃんから、屋上に呼び出されました。

 彼女は憂いを帯びた瞳を、海の彼方へと向けていて、風に舞う漆黒の髪をかき分けるその姿は、とても魅力的で、そんなにひと目を気にせずとも、ありのままでいればいいのに、と思えてしまう。

 オラが隣まで行くと、彼女はさっそく話し始めた。

 

「で、どうなのよ?」

「どうなのって?」

「ずら丸……あの人の事……好きなの?」

「……はい?あの人って?」

「八幡さんよ、八幡さん!ずら丸、いつも一緒にいるじゃない!」

「…………え~~~~~~~~!!?」

 

 予想だにしなかった質問に驚き、顔が熱くなり、頭の中が思うように働かなくなる。

 

「な、な、何言ってるずら~」

「当たり前のことよ」

「どこが当たり前ずら!何でそんなこと聞くずら~!」

「決まってるじゃない!私はあの人の事が好きだからよ!」

「ずらっ?」

 

 善子ちゃんの突然の告白に、今度は頭の中がこんがらがり、訳がわからなくなりました。

 

「す、す、好き?」

「何、顔真っ赤にしてんのよ!アンタも高校生なんだから、1回くらい誰かを好きになったことあるでしょ?」

「マ、マルは……」

 

 何とか記憶の糸を手繰り寄せてはみたけど……ないずら。

 そもそもこれまでの学生生活は、方言や引っ込み思案な性格から、図書室に籠もりがちだった為、本の世界での恋愛しか知らないのです……。

 考えていると少し落ち着いてきて、疑問を自然と疑問を口にしました。

 

「あの……善子ちゃんは先輩のどこが好きずらか?」

「え?何よ、いきなり……」

「その……マルが比企谷先輩を好きか、と聞かれたら、まだマルにはそういうのはよくわからないずら。だから……気になって……」

「……わからないわ。一目惚れね!」

「一目、惚れ?」

 

 あまりに早い返答に、ついオウム返しをしてしまう。

 善子ちゃんは腕を組んで、自信満々に答える。

 

「そうよ!恋愛に理由なんてないのよ!恋は…………ハリケーンなんだから!」

 

 最後に何か付け足したのは余計だった気がするけど、自信を持って誰かを好きと言えるのは、素敵なことだと思います。

 でも、このモヤモヤは何でしょうか?

 

「……ずら丸。じゃあ、アンタは私のライバルね!」

「……え?ライバルって……何の?」

 

 聞き返すと、善子ちゃんはいつものポーズを取り、声を低くして、喋り始めた。

 

「ククク、堕天使ヨハネとお前のどちらが、あの方と番になるのに相応しいか、心ゆくまで競い合おうぞ」

「ずらっ?」

「それとも……私の不戦勝ということで……」

「よ、よくわからないけど、わかったずら!」

 

 ……こんな感じで、私と善子ちゃんの不思議な契約関係が始まったずら。

 オラはまだ自分の気持ちすらよくわかっていないけど、それでも初めて出会った時よりずっと……あの人の隣に居心地の良さを感じているから……今はただ……。





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青春の影 ♯29


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「あ……」

「……おう」

 

 小町に頼まれた買い物を終え、帰路についたところで、津島と正面からばったり遭遇する。

 

「我が主……いえ、は、八幡さん!あ、その……」

「とりあえず落ち着け。キャラ崩壊しかけてんぞ」

「うぐぅ……」

 

 最後は天使になってるし……。一体どうしたというのだろうか。

 津島は俯き、首をブンブン振った後、何かを吹っ切ったように、俺の隣に並んだ。

 

「さ、行きましょう!」

「…………」

 

 確認もせずに言う津島に、つい頷いてしまう。この辺りの押しの弱さに定評のある俺としては、そのまま歩き始めてしまった。

 

「……今日は練習休みだったのか?」

「え!?あ、その……」

 

 何の気なしに聞いてみただけだが、彼女は急に慌てふためく。

 やがて、それも収まり、ぽつりと口を開く。

 

「私……Aqours辞めたの」

「…………」

「驚かないんですね」

「いや、少しは驚いてる……」

 

 昨日まであんなにノリノリだった奴が、いきなり辞めるとか、余程の事だろう。

 彼女はしばし瞑目した後、夕焼けに染まる海を見つめ、囁くように言った。

 

「堕天使なんて……いないのよ。それを……改めて思い知っただけ……」

「……そっか」

 

 一応、中二病にかかっていた俺にも、その感覚はわかる。ありもしない力を信じたり、この世界のどこかに自分をスカウトしにくる組織があると信じてみたり、そして……そんなのはただの幻想・妄想だという事に気づいたり……多分、津島もその境目で揺れているのか。

 彼女は寂しげに笑った後、歩道の縁石に飛び乗り、振り返った。

 

「だから、もう堕天使はおしまい!明日からは、普通の女子高生!だから、改めて……よろしく、ね?」

「……いいのか?」

 

 俺の問いに、彼女は一瞬だけはっと目を見開き、それをなかったことにするように、かぶりを振った。

 

「あ、当ったり前でしょ?八幡さん、私はこれからリア充になるんですよ」

「お、おう……」

「あっ、いけない!バス来ちゃう!また明日!あとこれ、私の連絡先です!」

 

 駆け出した彼女の背中にかける言葉もなく、俺はしばらくメモを片手に、その場に立ち尽くしていた。

 

 *******

 

「あの……もしもし、八幡さん」

「……おう」

 

 その日の夜に国木田から電話がかかってきた。まあ、実際予想はしていた。とはいえ、何ができるというわけでもないが。

 

「実は……善子ちゃんが、Aqoursを辞めちゃったずら」

「ああ……実は……」

 

 津島に直接聞いたことを話す。

 国木田は小さな相槌を打ち、話を聞き終えると、独り言のように呟いた。

 

「何だか、わかる気がするずら……」

「…………」

「……比企谷先輩、マルは善子ちゃんに辞めて欲しくないずら」

「……引き留めるのを津島が望んでいないとしてもか……」

 

 俺の言葉に、国木田が少し考えるような間が訪れる。

 

「はい……オラ、善子ちゃんにAqoursで自分らしくいて欲しいずら」

「そっか……じゃあ、俺も手伝う」

 

 *******

 

 翌朝、千歌ちゃん達と一緒に、よく先輩と待ち合わせをするベンチまで行きました。

 すると、そこには善子ちゃんが一人で座っていて、オラ達を見ると、驚いて立ち上がったずら。

 

「あ、あんた達……」

 

 自分がどうして呼び出されたのかに気づき、すぐに逃げ出した彼女を皆で追いかける。

 

「何でここにいるのよ~!!」

「待つずら~」

 

 足の遅いオラはすぐに皆から離され、道に迷いそうになったずら。

 すると、見慣れた人影が、マルの進むべき道を教えてくれていました。

 

「……津島達なら、そこを右に曲がって行ったぞ」

「あ、ありがとうずら!」

 

 八幡さ……比企谷先輩に頭を下げ、一生懸命走ると、皆が立ち止まっていました。

 マルが到着すると、善子ちゃんは何ともいえない表情を向け、目を逸らしてしまいました。

 

「よ、善子ちゃん……」

「ずら丸……」

「善子ちゃん、マルにライバルって言ったのに……」

「べ、別にAqoursのメンバーじゃなくても勝負は……」

「そんな事ないずら。善子ちゃんが辞めたら……マルが……取っちゃうずら」

 

 自分で自分の言ったことが信じられず、顔が熱くなり、胸がどくんと高鳴り、手が震える。

 そんなオラに、善子ちゃんはキッと視線を鋭くしました。

 

「なっ……何を……!」

「……堕天使でもいいから……」

「…………」

「堕天使のままでもいいから、Aqoursにいてほしいずら……」

「そうだよ!善子ちゃんは堕天使のままでいいんだよ!」

「善子ちゃんの『好き』を善子ちゃんなりに表現できればそれが一番なんじゃないかな?」

「私達は堕天使にはなれないけど」

「うゆ!」

 

 皆からの言葉に善子ちゃんの目が潤み、また俯く。朝の風は、涙に濡れた頬をそっと撫でていった。

 

「…………ありがとう」

 

 そう言って顔を上げた善子ちゃんは、幼い頃のような無邪気な笑みを浮かべ、マルを指差してきた。

 

「Aqoursには入るわ!でも、勝負に手は抜かないからね!」

「ずらっ!?」

「クックックッ、下等な人間が私を本気にさせた事を後悔するがいい」

「な~に?勝負って、私にも関係あるの?」

「千歌ちゃんにはまだ早いから、ねっ?」

「そうそう、早く練習しましょう?」

「え~!なんかバカにされてる~!」

「あはは……花丸ちゃん、がんばルビィしなきゃね」

「ル、ルビィちゃんまで……あ」

 

 皆の驚いた声を背に受け、オラはすぐに走り出した。今ならまだこの近くにいるかもしれないから。

 真っ先にお礼を言いたいから。

 自分の本当気持ちの、名前を知りたいから。

 来た道を戻ると、すぐにその背中は見つかりました。

 そして、マルはいつもより大きな声で呼んでみました。

 

「せっ、先輩…………八幡さん!」

 

 慣れない呼ばれ方なのか、驚いて立ち止まり、ゆっくりと振り返る姿に、マルの頬はつい緩んでしまいました。





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青春の影 ♯30


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「マジか」

「うん……マジだよ」

 

 夕食中に小町から告げられた衝撃のニュース。

 

「生徒が集まらなかったら、来年度に浦の星は沼津の高校と統廃合するんだって」

「…………」

 

 このご時世、きっと珍しい話ではないのだろう。現に浦の星の一年は一クラスしかないらしいし、来年度からいきなり生徒が増える見込みも、おそらくほとんどないだろう。

 しかし、統廃合か……その頃俺は何事もなければ卒業しているだろうから、小町に俺みたいな兄がいるとバレる心配はない。しかし、共学になるとしたら、目を光らせないといかんし……。

 

「Aqoursの皆は統廃合阻止の為に何かするらしいよ」

「……そんなのできんのか?」

「μ'sが5年前にやったんだって」

 

 小町の言葉に、内心すごく驚いてしまう。

 そんな夢みたいな話が実在すんのか。

 部活動で統廃合阻止とか。

 

「花丸ちゃんは最初『未来ずら~』って言ってたよ。可愛かった」

「…………」

 

 いつか千葉に連れていってやりたい。切実に。

 

 *******

 

「あ、八幡さん!」

「……おう」

 

 学校帰りに本屋に寄って行こうと、商店街に足を踏み入れると、商店街の入り口付近にジャージ姿の国木田が、というかAqoursのメンバーが固まり、何やらわちゃわちゃしている。

 

「今、学校のPVを作ってるずら!」

「……学校の?」

「浦の星女学院と内浦の良いところを撮影して、入学希望者をまるっと増やすずら」

「そっか……まあ、頑張れよ」

 

 我ながらスマートな立ち振る舞いでその場を去ろうとしたら、両脇から拘束される。

 右腕は国木田に、左腕はいつの間にか隣にいた津島に、がっちりホールドされていた。

 

「お、おい……」

 

 そうやって思春期男子のピュアな精神を刺激するのはやめてくれませんかね……なんか柔らかいし、いい匂いがするし……国木田の……何だ、このやわらか……

 

「千歌ちゃん。最近、引っ越してきた八幡さんを確保したずら」

「八幡さん、どう?この後、私と……」

「え!?インタビュー受けてもらえるんですか!?」

「邪魔しないでよ!」

 

 高海がマイクを持ってぐいぐい寄ってくる。そのすぐ後ろで、渡辺がこちらにカメラを向けていた。

 

「じゃあ、最近引っ越してきたという比企谷さん!内浦に住んでよかったと思うところを1つ!」

「え?あー、あれだ……千葉より人が少ないから、静かでいい」

「「「「「「…………」」」」」」

 

 急に暗闇に閉じ込められたような重い沈黙が訪れ、6人からジト目を向けられていた。

 

「……何だよ」

「も~っ、それじゃあ内浦が寂しい場所みたいじゃん!」

「千歌ちゃんもさっき『何もないです!』って言ってたような……でも、比企谷さん。もっとPRになるようなの、お願いします」

「言いたいことはわからなくもないけど……言い方の問題ですね」

「うゆ……先輩、がんばルビィ……」

「八幡さん……」

「やっぱり捻くれてるずら」

 

 おい、やめろ。女子6人から一斉射撃とか、雪ノ下の毒舌に鍛えられていなかったら、うっかり死んじゃってたよ?何故か黒澤妹からは慰められてるし……あと、国木田。俺は捻くれ……てるな。うん、そこは間違っていない。

 

「つーか、引っ越してきた奴なら、小町でもいいんじゃねえの」

「小町ちゃんは、生徒会活動で放課後声をかける機会がなかったずら」

「…………」

 

 我が妹の出世ぶりに、少し目が潤みそうになっていると、高海が再びマイクを向けてきた。

 

「じゃあ、比企谷さん!テイク2!」

 

 この後、テイク7でようやくOKがでた。

 PV撮影、難易度高すぎだろ。

 

 *******

 

「は、八幡さん!お待たせずら!」

「いや、そんなに待ってない……大丈夫か?」

「だ、大丈夫ずら……」

 

 とことこ走ってきた国木田がはあはあ息を切らし、膝に手をつく。こりゃあ、ガチで急いで来たな。てか、国木田が遅刻というのも珍しいが、まあそこは言わないの方がいいのか。

 

「もう少し休んでていいぞ」

「は、はい……」

 

 土曜日の昼、何故わざわざ待ち合わせをして、遊びに行っているかというと、先日の一件が原因である。

 要するに、内浦のいいところについて勉強しろ、ということだ。

 まあ、受験勉強のリフレッシュも兼ねて、大いに勉強……結局勉強じゃねえか。

 国木田はやっと息が整ったのか、ぐっと拳を握り、力強く宣言した。

 

「じゃあ、八幡さん!今日はマルに任せるずら!」

「わ、わかった……そういや、津島は?」

「善子ちゃんは最初学校行ってなかった分の補習ずら」

 

 *******

 

「何でこうなるのよ~~~~!!」

 

 *******

 

「あー、なるほど……」

「今日はオラ一人で我慢して欲しいずら」

「いや、そんなんじゃねえよ。なんつーか、こうして二人になるのが久々な気がしてな……」

「そうかもしれないです……」

「…………」

「…………」

 

 何故かその場で見つめ合ってしまう。

 くりくりした瞳でこちらを見上げられると、時が止まったような錯覚に陥り、言うべき言葉はどこか遠くに飛んで行ってしまった。

 

「「えーと……っ!」」

 

 今度は二人して同じタイミングで話そうとして、ハモってしまう。

 だが、一応年上として、この程度の事でいつまでも狼狽えているわけにはいかない。

 

「……い、行くか」

「ずら……」

 

 こうして、国木田による内浦案内が始まった。





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青春の影 ♯31

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「…………」

「…………」

 

 穏やかな陽の光が窓から射し込む静謐な空間。パラッ……パラッ……とページを繰る音だけが規則的に響いていた。そうする度に、意識はどこか別の世界にいる誰かと重なり、俺の知らなかった世界へと一歩一歩足を踏み入れていく感覚が……

 

「なあ……」

「はい?」

「そろそろ行くか……」

「……はい」

 

 内浦の観光をするはずの俺達は、何故か真っ先に図書館へと来てしまった。どうしてこうなった……。

 いや、本当に不思議で仕方がない。どちらからともなく足が勝手に向かうなんて……。

 図書館から出て、爽やかな風を全身に浴び、気を取り直すべく、二人同時に深呼吸をする。

 

「なあ、国木田……」

「はい」

「一応、聞いておくが……お前は観光案内とか、できそうか?」

「……も、もちろんずら。お寺とか……」

「そうか」

「そうずら」

「…………」

「だ、大丈夫ずら!目的は内浦の良いところずらよ!マルは生まれも育ちも内浦ずら!ま、任せてください!」

「お、おう……」

 

 おっと、これは心配なパターンですよ?さて、どうしたものか。いきなり躓いた感丸出しの状況、とりあえず、次に高海から内浦の良いところを聞かれたら、図書館が過ごしやすかったと言おうか……駄目か?駄目だな。

 重い腰を上げ、行き先を考えていると、国木田がちょこんと正面に立ち、おずおずと口を開く。

 

「八幡さん……お腹空いてないずらか?」

「……いや、そんなに」

 

 朝御飯はしっかり食ってきたし、まだ昼には早い気が……。

 

「空いて、ないずらか?」

 

 そんな『マルの気持ち、わかってくれるよね?』みたいな顔されても……。

 

「あー、少し小腹が空いてきたな」

「ずらっ!」

 

 あっさりと空腹になっちゃう俺。なんて優しいのだろう。まあ千葉にいた時から優しさには定評がある。なんといっても、材木座の書いた作品を読んじゃうし。

 

「じゃあ……ラーメンでも行くか」

「ずららっ!」

 

 俺の何の気なしの提案に、国木田は固まった。

 瞬時に嫌な予感がした俺は……額につうっと汗を垂らし、腕が硬直し、足がガクガク震え、背中に刃物を突きつけられたような悪寒を感じ、それでもありったけの勇気を振り絞り、彼女に尋ねた。

 

「も、も、もしかして国木田……ラーメン、苦手か……?」

 

 すると、彼女は俺の様子に驚きながらも、こくりと頷いた。

 

「は、はい……ラーメン、というか、麺類が苦手ずら……」

「……何……だと……何……だと……」

 

 思わず2回繰り返してしまった。

 ラーメンが嫌い?そんな事ってあるのか?

 一人で食べても美味いのがラーメン。誰かと食べても上手いのがラーメン。家で食べても店で食べても美味いのがラーメン。独身のアラサー女教師がドライブがてらに食べても美味いのがラーメン。あざとい女子が慣れない場所で食べても美味いのがラーメン。

 世界一美味い食べ物はラーメン。異論は認めん。

 ラーメンの素晴らしさについて、こってりしたイメージを思い浮かべていると、国木田が申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「は、八幡さん……ラーメン大好きずらか?だったら……」

 

 俺が声をかけようとすると、彼女は顔を上げ、ぱあっと笑顔になった。

 

「じゃあ、マルはお供するずら。今日は先輩のためのお出かけずら」 

 

 くっ……目がすごいキラキラしている。こんな純真無垢な奴を、蔑ろにして、自分だけラーメンを……いくら俺が小泉さんばりにラーメン好きだとしても……!

 まあ、解決法ならあっさり見つかるのだが……。

 

「国木田」

「はい?」

「炒飯と餃子を奢ってやる」

「……はいっ」

 

 何だか、当初の目的が宇宙よりも遠い場所へすっ飛んでいるような気がするが、休日は自由に過ごすべきだから、これはこれでいいのだろう。

 ちなみに、国木田が「おかわりずらっ」と言った瞬間、奢ると言ったのを少し後悔しました。

 

 *******

 

 店を出ると、国木田は満足そうにお腹をさすっていた。

 

「お腹いっぱいずら~」

「……ならよかった」

「でも、本当によかったずらか?オラの分まで出してもらって……」

「まあ、あれだ。入部、祝い?でいいや」

 

 適当な理由をでっち上げ、国木田を促し、のんびり歩き出す。

 腹も膨らしたことだし、そろそろ帰るのが吉かもしれない。

 そこで、国木田がぽんと手を打った。

 

「八幡さん、いい場所があるずら」

 

 

 




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青春の影 ♯32


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「未来ずら~」

「そ、そうか……」

 

 俺達は水族館へと来ていた。最初は人が多そうなので躊躇していたが、うん、やっぱり多かった。まあ、休日だしね!これで人がいない方が、八幡心配になっちゃうよ!

 色とりどりの魚が気ままに泳ぐ水槽は、見ているだけで癒されると共に、過去を鮮明に引きずり出した。

 

『なんか花火みたいだね』

『私は……』

 

「っ!」

「八幡さん……?」

「……いや、何でもない……!」

 

 ひんやりとした小さな手が、俺の手を優しく包んだ。

 

「大丈夫、ずらか?」

「あ、ああ……」

「少し休憩するずら」

「……そうだな」

 

 国木田が手をさらにぎゅっと握ってきて、心音が聞こえそうなくらい胸が高鳴ったが、不思議とその温もりには居心地の良さがあった。

 

 *******

 

「はい、どうぞ」

「……ありがとう」

 

 軽食等を販売している売店がある休憩所で、国木田からソフトクリームを手渡される。

 

「美味しいずら~、疲れた時には甘い物が一番ずら~」

「…………」

 

 ここまで幸せそうにクリームを頬張る姿を見ていると、お前が食べたかっただけだろ、と思わなくもないが、まあありがたくいただくとしよう。奢りだし。タダで食うのが、一番美味いし。あと……

 

「どうしたずら?」

「いや……」

 

 なんかこう……落ち着く。

 

「八幡さん」

「?」

「クリーム、ついてるずらよ」

 

 国木田は、俺の口元を指で拭い、その指を自分の口まで持っていった。

 

「…………」

「ずら?」

 

 この子、今自然な流れでとんでもない事をしましたよ。俺みたいに鍛えた奴じゃなかったら、一発で落ちてただろう。しかも、当の本人は「甘いずら~」なんて言って、全然気にしていない。

 

「あれ、花丸ちゃん?」

「あ、曜ちゃん」

 

 振り返ると、スタッフの恰好をした渡辺がいた。

 

「それに、比企谷さんも。ヨーソロー!」

「ヨーソローずら!」

「お、おう……」

 

 ビシッと敬礼を決めてくる渡辺に、少し気圧されながら会釈する。危うく、つられて敬礼するところだったぜ……。

 渡辺は気を悪くした風もなく、了解をとってから、俺と国木田が使っているテーブルまで椅子を運んできて、腰かけた。

 

「曜ちゃんはどうしてここに?」

「バイトだよ。たまにここでやってるんだぁ♪今、休憩に入ったところ」

 

 渡辺は俺と国木田を見比べ、何か意味ありげに笑った。

 

「お二人は……デート?」

「ずらっ!?」

「いや、観光案内だ」

「ああ、なるほどね。この前、全然内浦の良いとこ言えなかったですもんね」

「いや、言っただろ……俺にとって最高の良いところを」

「あれは……ちょっと……」

 

 苦笑いした後、彼女はこちらに身を乗り出し、自分の口元に手を添え、ヒソヒソ声で話しかけてきた。

 

「あの……比企谷さん、本当に付き合ってないんですか?」

「嘘言う理由もないだろ」

「まあそうだけど……」

「ふぅん……」

 

 てか近いっての、何なの、Aqoursのメンバーって男を死地に追いやる精鋭が揃ってるの?安全圏は桜内と黒澤妹だけか。いや、黒澤妹は慣れてくれるまでのリアクションは、別の意味で死地に追いやられる。

 

「むぅ……」

 

 国木田は急にハイスピードでコーンをかりかり削り出した。そのリズムは不機嫌さを表している気がするんだが……。

 

「あっ、花丸ちゃん……ごめんね?」

「別にいいずら」

「今度のっぽパンあげるね」

「ありがとうずら!」

 

 あっさり懐柔された……。

 俺も国木田が不機嫌になったらやろう。

 

「あ、そうだ!内浦のいいところなら、伝統行事とかどうですか?」

「へえ、どんなのがあるんだ?」

「そうずらね。ここは海があるから……」

「おふねひき、か」

「違うずら」

「違います」

 

 だよね。今のところ、エナがある人に出会ってないからね!

 こうして、しばらく3人で内浦と千葉についての深イイ話をした。

 

 

 




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青春の影 ♯33

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 休憩を終えた渡辺と別れた後は、俺達も水族館を出て、海沿いの歩道を歩いていた。別に人混みに耐えられなくなったわけではない。例えば……

『おい、見ろよ。あの子めっちゃ可愛い』

『アイドルばりじゃね?』

『あんな可愛い子連れやがって……ボッチの癖に』

 とか言われたりはしてない。おい、最後の奴何なんだよ。

 

「八幡さん、どうかしたずらか?」

「いや、あれだ……まあ、楽しかった」

「ほ、本当ずらか!?」

 

 国木田は目をキラキラさせ、こちらを見上げてくる。その本当に嬉しそうな表情に、つい頬が緩み、ちらついた過去の映像が呼び覚ました痛みを遠ざけた気がした。

 

「あ、あの……八幡さん」

「どした?」

「お願いがあるずら……」

「?」

 

 国木田はそわそわして、しかし、それを悟られまいとしているのか、上着の裾をぎゅっと握りしめ、またしっかりと俺の目を見据えてきた。

 

「あの……その……また、オラに案内させて欲しいずら……今度は、もっと調べますから」

「あ、ああ……」

「それで……!例えば、今日みたいに人が多い場所に行くと、国木田って呼んでもわかりにくいと思うずら……ほら、国木田って名字、多いから……」

「……多いか?」

 

 俺が知ってる国木田は、小説家とお前だけなんだが……。

 

「多いずら多いずら!だから……」

 

 彼女はまた目を伏して、言葉を溜めた。意外なくらい長い睫毛が、普段幼く見えるその容姿から、女性を意識させてきて、つい魅入ってしまう。

 やがて彼女は顔を上げた。

 

「オラのことは…………名前で呼んで欲しいずら」

「…………」

「……駄目ですか?」

「……わかった」

「本当ずらか!?」

 

 すんなり了承した自分に対し、これもここでの出会いがもたらした変化なのか、なんて思いながら、国木田をじっと見てしまう。

 その視線がこそばゆかったのか、国木田……彼女は歩き出した。

 

「じゃ、じゃあ行くずら!八幡さん」

「ああ、国木田……」

「…………」

 

 そんな捨てられた子犬みたいな目はやめて欲しいんですが……。うっかり拾ってお世話始めちゃったらどうすんだ。

 まあ、とにかくここで落ち込んだ顔を見るのも、いい気分はしないので、意を決して口を開いた。

 

「……は、はなまりゅ」

「…………」

「…………」

 

 慣れないことはするもんじゃない。

 軽率な行動をとった自分を心中で戒めていると、国木田はクスクス笑いながら、自分の口元に人差し指を当て、ウインクして、アイドルみたいなポーズをとりながら言った。

 

「やり直し、ずら♪」

「……国木田」

「そこからじゃないずら~!」

「……………………花丸」

「……はいっ!」

 

 彼女は……花丸は名前の通りにぱあっと笑顔を咲かせ、俺の隣に並んできた。

 赤く沈み行く夕焼けが二つの影を長く伸ばし、じんわり溶け合わせ、しばらくそのまま進み続けた。




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青春の影 ♯34

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 それでは今回もよろしくお願いします。


 携帯のアラーム音がいつもより大きく鳴り響く。

 目を覚まし、アラームを切るが、カーテン越しに朝の光は見えず、まだ深夜と思える暗さだ。

 身支度をのろのろと整えると、小町から声がかかる。

 

「あ、お兄ちゃん。おはよ~」

「おう、おはよう」

 

 小町は俺よりも早く目を覚ましたのか、既にシャキッとした表情で、この早起きも全然へっちゃらのようだ。

 爽やかな笑顔でこちらに手招きをしてくる。

 

「ほら、早く行こ」

「へいへい」

 

 つい最近まで、遅刻しそうになったら、自転車の後ろに乗っけてやってた妹とは別人のような姿に、嬉しさ半分寂しさ半分の苦笑を送り、その背中を追って家を出た。

 

 *******

 

 夏が近くなると、内浦では海開きの為にゴミ拾いを行うらしい。

 もうじき6月とはいえ、まだ夜明け前の風はひんやりとしていて、頬を撫でていく度に、目が冴えていくのを感じた。

 

「わあ、かなり集まってるね」

「……ああ」

 

 砂浜まで到着すると、既に多くの人がゴミ拾いをしていた。学校指定のジャージを着ている者や、普段着のようなラフな恰好をしている者までいて、その中に見知った奴を何人か見つけた。

 

「あ、小町ちゃん、八幡さん!」

「やっはろ~」

「おう」

 

 こちらに気づいた花丸と挨拶を交わし、俺と小町もゴミ拾いに参加する。

 

「じゃあ、俺はあっちの方を……」

「八幡さんはこっちずら」

 

 さりげなく皆から離れた場所を担当し、さりげなくフェードアウトするという華麗な作戦だったのだが、花丸はあっさり見破った。見破ったか偶然かは知らんが。

 

「なあ、花丸……」

「どうしたずらか?」

「……いや、何でもない」

 

 やはり本人に直接呼びかけるとなると、慣れてないので違和感がある。ていうか違和感しかない。

 

「八幡さん」

「?」

「ゆっくり慣れてくれればいいずらよ」

「……そうか」

「そうずら」

 

 とりあえずまだ名前呼びに緊張しているのは許して貰えたようだ。てっきり「まだまだずら」とか言われると思っちゃったよ……。

 

「は~な~ま~る~!?」

 

 そこで、やたら鳥の羽ばかり集めていた津島が割り込んできた。こいつは何かの素材集めでもしていたのだろうか。

 

「善子ちゃん、どうしたずら?」

「善子じゃなくてヨハネ!何でちゃっかり名前で呼ばれてんのよ!八幡さん、私は!?」

「ああ、ヨハネ」

「ヨハァ……ってなんか軽っ!?てゆーか、ヨハネじゃなくて善子!あれ?でも私は……あれ?」

「善子ちゃん……混乱してる」

 

 ……何とか誤魔化した。我ながら好プレーだ。

 《バックスクリーンに直撃のホームラン!ただし始球式!》みたいな。全然好プレーじゃなかった。

 とりあえずゴミ拾いを再会することにした。

 

「わわっ」

「っ!」

 

 前方不注意のせいで花丸にぶつかる。しかも、足場の悪い砂浜で足がもつれ、花丸を巻き込んでこけた。

 何とか花丸にのしかからぬよう、なけなしの反射神経で砂浜に両手をつく。

 

「ずらっ!?」

「わ、悪い……」

 

 何とかセーフ……

 

「ず、ずら丸!あなた……!」

「ピギィッ!花丸ちゃん……」

「あれ、二人共どうしたの?」

「こ、これは床ドン……いや、砂ドン」

「あわわ……!いきなり過ぎるよ……」

「あ、あなた達!何をしてらっしゃいますの!?」

「あらら~、これは責任とらなきゃ、かな?」

「Oh~!やっぱり二人はステディな関係なのネ~!」

「きゃ~、大胆~!」

「ひゅー、ひゅー♪」

「いいなぁ~」

「チカ」

「あら~、朝から大胆ね~」

「わ、私だって彼氏の一人や二人……」

 

 俺は花丸を砂浜に押し倒すような態勢になっていた。

 そのことに気づくと、ちょっとした賑わいが徐々に周りに拡がっていき、さっきまで静かだった砂浜が謎の歓声に包まれる。

 ただ、それもどこか他人事のように思えた。

 

「…………」

「……ずら」

 

 仰向けに倒れた花丸がキョトンとした顔でこちらを見ている。くりくりした目が、何が起こったのかわからないような顔をしていて、豊満な胸が呼吸に合わせ、浅く上下していた。

 

「……わ、悪い!」

 

 我に返り、慌てて飛び退く。オラ、すげぇドキドキすっぞ……。

 

「だ、大丈夫ずら……」

 

 そっと手を差し出すと、その手をじっと見つめた花丸は控え目に手を握り、立ち上がった。その表情はまだ驚きから醒めきってない気がした。

 

「…………」

「…………」

 

 数秒間、目を合わせたり逸らしたりを繰り返す。朝焼けにさっきより温められた風が、ひゅるりと吹き抜けていった。

 

「……作業、続けるか」

「……ず、ずら」

 

 気を取り直した俺達は、二人して好奇の視線に晒されながら、せっせとゴミを拾った。

 その後、作業中は彼女の顔を見ることができなかった。




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青春の影 ♯35

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「はあ……」

 

 お布団の上に寝転がり、天井を見上げる。いつもと同じ眺めのはずなのに、まったく違って見えます。どういうことでしょうか?

 帰り道、マルはずっとぽーっとしたままで、あまり記憶がないのです。

 ルビィちゃんと何かを話していたとは思うのですが……頭の中ではずっと……あわわわ!

 あの時の光景、感触、匂い、表情を思い出すだけで頭の奥からぽかぽかして、顔が真っ赤になっていくような感覚がする。一体……どうしたずらか?

 さらに、差し伸べられた手を握った時のことがまだはっきりと頭の中に残っていて、とくん、とくんと胸が高鳴る。他のことが考えられそうもありません。

 オラ……まさか……。

 

 *******

 

「スカイランタン?」

「そうよ、サタン」

「うゆ……」

「…………」

 

 朝、何故かわざわざ迎えに来たAqours1年生トリオに聞かされたPVのアイディア。内浦の皆さんが協力して、大量のスカイランタンを空に飛ばすらしい。だが、今はそれよりも……

 

「……!」

 

 花丸の方を見ると、さっと目を逸らされた。

 さっきからずっとこんな感じである。

 やはり先日のことが……。

 とはいえ、今ここで蒸し返しても仕方ないので、後でもう一度謝っておこう。

 

「……ずら丸、あなたからも例の件、お願いしときなさいよ」

 

 津島が溜息混じりに、花丸に声をかけ、彼女は肩を跳ねさせた。

 そして、彼女はおっかなびっくりといった様子で、ゆっくりと俺の隣に移動する。背中にうっすらと汗をかいているのは、きっと夏が近いせいだけではないのだろう。

 やがて、彼女はぽつぽつ話し始めた。

 

「あ、あの……八幡さんにも、スカイランタンを一つ……作って欲しいずら……作り方は、マルが教えますから……」

「……お、おう、わかった」

「…………」

「…………」

 

 どちらも目を合わせては逸らし、朝っぱらから居心地の悪い空気を作りながら、別れるまでの道のりをてくてく歩いた。

 

 *******

 

 昼休み。

 沼津でもベストプレイスの確保に成功した俺は、サッカーをしている生徒を眺めながら、昼飯を……邪魔されていた。

 

「ほふん、八幡よ!そろそろ貴様に我の新作を送ろうと思っているのだが……」

「いや、いらんわ」

 

 俺に送ってないで、出版社に送れっての。それかネットに晒しゃいいのに……久々に話しても、やはり材木座は材木座だった。つーか、こんな時間に電話すんな。

 

「え?八幡と話しているの?」

 

 あれ、今天使のような声が……

 

「八幡!僕だよ、覚えてる?」

「……毎朝、俺の味噌汁作ってくれ……」

「あはは、何言ってるの?」

 

 よし、昼休みはもうどうでもいいや。なんなら午後の授業もサボる所存であります!

 

「八幡、そっちはどう?楽しい?」

「あー……まあ、ぼちぼちだ」

「また一人で頑張り過ぎてない?」

「……いや、受験はさすがに俺自身がどうにかしなきゃな」

「そうじゃなくて。そっちでも奉仕部みたいなことしてるんじゃない?」

「……いや、別に」

「そっか……何かあったら言ってね」

「むしろそっちが言ってくれ。いつでもウェルカムだ」

「ふふっ、ありがと。じゃ、またね」

「ああ」

 

 ……そういや、材木座の奴。本当に小説送ってくんのかな?




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青春の影 ♯36

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 いつも通り真っ直ぐ家に帰り、勉強を始めてから2時間くらいでチャイムが鳴った。

 出迎えに玄関のドアを開けると、立っていたのは花丸一人だけだった。小柄な彼女はぽつんと立っていて、普段よりさらに小さく見えた。

 

「こ、こんにちは……」

「おう……あの二人は?」

 

 尋ねると、彼女はもじもじしながら答えた。

 

「善子ちゃんは数学の補習ずら。ルビィちゃんは昨日の宿題の作文ができてなくて居残りずら」

「そ、そうか……」

「ずら」

「…………」

「…………」

 

 小町もまだ帰ってこない。もちろん、親父と母ちゃんは絶賛社畜中だ。つまり……このままでは花丸と二人っきりになってしまう。

 昨日からの気まずい空気は取り払われてない上に、彼女からも緊張が見て取れるので、今日はもうやめておいた方が……。

 そこで花丸が口を開いた。

 

「あ、あの……!」

「?」

「じ、実は、今日スカイランタンを作る予定だったずらが、学校で先生達も乗り気になって……」

「……もしかして全部作った、とか?」

「ずら……授業も中断して、皆夢中になってたずら」

「…………」

 

 まあ、最終的には大人からのチェックが必要なので、効率よく終わったといえばそれまでなのだが、何だこの肩透かし喰らった感じ……いや、別にいいんだけどさ。

 まあ、何はともあれ今日は解散ということで……。

 こちらが口を開こうとすると、花丸が割り込んでくる。

 

「あ、あのあの……!」

「どした?」

「こ、小町ちゃんからの伝言がありまして……」

 

 彼女は制服の裾をぎゅっと握り締め、言いづらそうに続ける。

 

「今日はクラスメイトのお家に呼ばれてくるから、遅くなるそうです。帰りは送ってもらえるとか……」

「おう……そうか」

「な、なので……!」

 

 一度俯いた花丸は、いきなり腹を据えたような表情になり、身を乗り出してきた。

 

「その……マルが八幡さんの晩御飯を作る、ずら!」

「……いや、晩飯は別にカップラーメンでも……」

「カップラーメン……未来ずら~♪じゃなくてダメずら!」

「い、今、食べたそうにしてなかったか?」

「してないずら、してないずら!八幡さんには栄養のあるものを食べて欲しいずら!」

「つっても、俺の家事能力は小学6年生レベルだぞ」

「オラが作るって言ったずら~……」

「…………」

「な、何ずらか?その疑わしそうな目は?オラは料理できるずらよ」

「……食べ専かと思ってた」

「ひどいずら~!おばあちゃん直伝の太巻きやおいなりさんは自信あるずらよ!」

「そ、そうか……」

「今日は別の物を作るけど、楽しみにしてて欲しいずら」

「……手伝いは?」

「いらないずらよ~。八幡さんは勉強してるずら。そ、それでは、お邪魔します……」

「あ、ああ……」

 

 こうして、なし崩し的に花丸の手料理を御馳走になることになった。一抹の不安は残るものの、あそこまで自信満々なら……だ、大丈夫なはず!

 

 




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青春の影 ♯37

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 比企谷八幡は驚愕していた。

 

「……美味い」

「本当ずらか!?」

「ああ……」

 

 お世辞抜きにして、花丸の作った料理は本当に美味い。小町に勝るとも劣らないレベル。ジャガイモに出汁の味がじんわり染みこんだ肉じゃがは、不思議なくらいご飯がすすみ、豆腐と油揚げのお味噌汁は祖母から作ってもらったものを彷彿とさせる。おばあちゃん直伝の腕前は確かなようだ。

 

「お口に合ってよかったずら~」

 

 安堵の息を吐いた花丸は味噌汁を啜り、白米を頬張る。

 そのほんわかした表情を見て、自然と声をかけてしまった。

 

「……スクールアイドル、頑張ってんだな」

「ずらっ?」

 

 花丸は、んくっと白米を嚥下し、くりくりした目を驚きに見開いた。

 

「い、いきなりどうしたずらか?」

「いや、何となく……元プロデューサーとして、そう思っただけだ」

「は、八幡さん」

「?」

「これが小町ちゃんの言ってた捻デレずらか?」

「いや違うから。捻デレとかないから」

「ふふっ、でも気にしてもらえて嬉しいです。八幡さんには……しっかり見ていて欲しいずら」

「…………」

 

 そこまで真っ直ぐに微笑まれると、こちらも反応に困ってしまう。

 しかし、そこで今朝の気まずさがいつの間にか雲散霧消していることに気づいた。花丸の表情には、ちょっと前までの緊張感はない。食事中だからかもしれんが。

 二人だけの食事は、ほんのりと温かみのある時間となった。

 

 *******

 

「片づけは俺がやっとく」

「いえ、マルにやらせて欲しいずら!」

 

 せめて洗い物くらいはと申し出ると、花丸は胸を張り、ふんす!と立ち上がった。カスタネットがあれば、うんたん、うんたんとはしゃぎそうな勢いだ。あと、この子は自分の胸の大きさに関して、無自覚すぎやしませんかねえ。

 このまま何もしないのも、かえって落ち着かないので、とりあえず妥協案を出してみることにした。

 

「じゃあ、俺も手伝う」

「了解ずら。オラ、ワクワクすっぞ!」

「いや、落ち着け……作品変わってるから……」

 

 大した量はないので、二人でやればすぐに終わるだろう。

 しかし、この後悲劇が訪れるとは思ってなかった……。

 

 数分後……

 

「なあ、国木田……泡、多くないか?」

「綺麗に洗えるように洗剤全部入れたずら♪」

 

 かしこ~い♪とは、もちろんならない。

 何だ、あの料理スキルからこの洗い物スキル……エンジェルフォールばりの落差じゃねえか。どうなってんだ、これ。

 シンクには泡がブクブクと溢れ、食器も何も見えない。

 しかし、それでも花丸は泡に手を突っ込み、せっせと動かしている。君は洗うのが好きなフレンズなんだね!すご~い、ありがと~。

 

「花丸」

「ずら?」

「……休んでていいぞ」

「ずらぁ!?」

 

 俺はしばらく泡と闘う羽目になった。




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青春の影 ♯38

 

「わぁ……」

 

 人混みの中に響く誰のものとも知れない感嘆の声。

 それが伝染していくように広がり、やがて大きな歓声となった。

 皆一様に空を見上げ、暗闇を照らす蛍のようなスカイランタンを見送っている。生まれて初めて見る光景のはずなのに、これにはどこか懐かしさがあり、つい感傷に浸ってしまいそうになる。

 それを押しとどめてくれるように、優しいメロディーが響いていた。

 今、浦の星学園の屋上では、Aqoursの6人が新曲を歌っている。

 浦の星存続への願い、内浦の良いところを伝えたいという想いが結ばれた歌が、スピーカー越しに、グラウンドに流れ、誰もが耳を澄ませていた。

 

 *******

 

 この数日間……マルはずっと悩んでいました。

 自分の胸の奥にある小さな温かい何かについて。

 それは触れようとしても触れられず、見つめようとしても隠れてしまう、とてもあやふやなものでした。

 でも、マルは決めました。

 この気持ちと向き合うことを。

 この気持ちの名前を知ることを。

 

 *******

 

「東京?」

「そうずら!未来ずらよ!未来ずらよ!未来ずらよ!」

「ずら丸、落ち着きなさい。田舎者と思われるわよ」

「そうだよ、花丸ちゃん。地下鉄とかが走ってて、スカイツリーがあるだけだよ」

「もんげ~~」

「また作品変わってるぞ」

 

 Aqoursは先日撮影したPVがかなりの再生数となり、それがきっかけで、東京で行われるスクールアイドルのイベントに呼ばれたそうだ。楽曲はもちろん、スカイランタンの演出も好評価のようだ。

 朝っぱらからテンションの高い3人に、柄にもなくエールを送りたくなってしまった。

 

「まあ、あれだ……応援する」

「……はいっ」

「…………」

「…………」

 

 視線を一番エンカウント率の高い花丸に合わせていたせいか、そのまま見つめ合う。くりくりした目はいつもと同じはずなのに、どこか違う何かに揺れている気がした。そして、彼女は微笑みは何だか大人びて見えて、その変化が何なのか、確かめたい衝動に駆られる。

 

「あぁ~~~~~もうっ!何よ二人して!!朝っぱらから!」

「善子ちゃん?」

「…………」

 

 津島が割り込んだことで、今が登校中だということを思い出す。いかん、何を考えてんだよ、俺は。

 もう一度花丸の方を見やると、その頬を薄紅色に染め、俯いた。

 その様子に一瞬、ほんの一瞬だけ胸が高鳴り、それを誤魔化すように、しばらくの間は今日も静かにたゆたう海を見ていた。

 

「……花丸ちゃん、もしかして……」

 



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青春の影 ♯39

 

 沼津駅は休日で、天気は晴れということもあり、多くの人が行き交っている。

 俺は小町と共に、Aqoursを見送るためにこの場にいた。津島がさっきまで堕天使の恰好で周囲の視線を独り占めしていたこと以外は、温かな時間が流れた。

 

「じゃあ、行ってくるずら」

「ククク、我が堕天の時を内浦の地より、しっかりその目に焼き付けるがいい!」

「お、おう……気をつけてな」

 

 二人の独特な挨拶には、あまり緊張の色が見られない。花丸は東京に行くのが初めてらしいので、不安がっているかと思いきや、その心配は杞憂だったようだ。仲間が一緒だからか。

 すると、彼女はヒソヒソ声で話しかけてきた。 

 

「八幡さん」

「?」

「渋谷に谷はないずらよ」

「…………」

 

 心配だ。

 

 *******

 

「花丸ちゃん」

「どうしたの?ルビィちゃん」

「花丸ちゃんってやっぱり……」

「?」

「ううん、何でもないよ。じゃあ、東京でもがんばルビィしようね」

「うん!がんばルビィずら」

「アンタ達、早く行くわよ!」

 

 *******

 

「だいぶ距離が縮まったかも」

「どした?」

「いや、何でもないよ。早く帰ろ、お兄ちゃん♪」

 

 *******

 

「は、八幡さん。こんばんは」

「おう……そっちはどうだ?谷はあったか?」

「……意地悪ずら」

「今度、のっぽパンやるから」

「ありがとうずら♪……はっ、何だか丸め込まれている気がするずら」

「……花丸だけに、か」

「全然上手くないずら~!自信なさそうに言うから聞いてるこっちが恥ずかしいずら!」

「……悪い。つーか、初めての東京はどうだったんだ?」

「未来ずら~♪」

「ああ、聞く前からわかってた」

「八幡さんにも見せてあげたいずら」

「いや、もう間に合ってる……明日は大丈夫そうか?」

「ずらっ、マルは大丈夫ずら!」

「そっか、それじゃあそろそろ切るわ」

「あ、はい!おやすみなさい」

「ああ……じゃあな」

 

 翌日になり、パソコンでライブの生中継を見ると、ある1点が気になった。

 Aqoursへの反応があまりにも薄い。批評や悪口などではない。何もないのだ。

 トップバッターのSaint Snowという二人組がパワフルなパフォーマンスで、強烈なインパクトを残したのが印象的過ぎたからかもしれない。あの再生数は、PVによる後押しも大きかった。

 そこで、専門家でもない自分があれこれ考えても仕方ないと気づく。彼女達のパフォーマンスは、贔屓目なしに見ても、すごかったのだから。

 俺はパソコンを閉じ、勉強に戻ることにした。



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青春の影 ♯40

 

 すっかり夜の帳が降りた内浦の街を、花丸と並んで歩く。たまに頬を撫でていく風は生温かさを滲ませ、季節がすっかり変わったことを教えてくれていた。

 二週間後に行われる祭りの為に、電柱や民家の塀などの至るところに取り付けられた提灯は、帰り道をぼんやりと照らし、不揃いの影を見つめていた。

 足音の雑なリズムに耳を澄ませていると、花丸が独り言のように口を開いた。

 

「ルビィちゃんがあんなに泣くところ、初めて見たずら」

「……そっか」

 

 一時間程前、花丸を含むAqoursのメンバーは帰ってきた。

 彼女達の同級生は頻りに声をかけるが、メンバーは皆一様に浮かない笑顔で返し、姉の姿を見つけた黒澤妹は泣き出してしまった。

 その後、黒澤姉から何やら昔の話を聞いたらしい花丸と合流して、こうして歩いて帰っている。

 東京で何があったか、想像に難くなかった。

 彼女の沈んだ横顔がすべてを物語っていた。

 

「八幡さん。オラ、こんなに悔しいって思ったのは生まれて初めてずら」

「…………」

「……見ててください。マルは、もっと、頑張りますから……」

「……わかった」

「だから……今だけ……」

「…………」

 

 花丸の方を見て頷くと、彼女は小さな両手で顔を覆った。

 そして、そこからは悔しさの滲む嗚咽がしばらく漏れていた。

 

 *******

 

「……ほら、これ」

 

 途中で見かけた自販機でジュースを買い、彼女に手渡す。

 もうだいぶ彼女の家も近かったが、小さなことでも何かしてあげたいという気持ちがあったのだと思う。

 彼女は涙の残る目を笑顔に細め、小さく「ありがとうございます」と告げた。

 

「みっともないところをお見せして、申し訳ないずら」

「……みっともなくねえだろ。あれでみっともないとか言ってたら、恥ずかしくて外出歩けねえ奴が大量発生する」

「ふふっ、それは言い過ぎずら」

「……もう遅いから、さっさと行くぞ」

「はい……ありがとうございます」

 

 実際、花丸の家はすぐそこに見えていた。

 何故わかったかというと、彼女の家はお寺だからだ。

 それらしき威厳のある建物と、そこへ続く長い石段が見えて来たところで、花丸は俺に向き直り、ぺこりと頭を下げた。

 

「ここで大丈夫ずら。送っていただき、ありがとうございます」

「おう、お疲れさん」

「あら、マルちゃん。おかえりなさい」

 

 花丸の後方から、優しい声が届く。

 目を向けると、穏やかな笑顔を浮かべる老婦人が立っていた。

 

「あ、おばあちゃん」

「帰って来たんだね。それで……そちらの男の子は?」



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青春の影 ♯41

 

 俺が「どうも」と頭を下げると、花丸は、俺を自分の祖母に紹介した。

 

「あの、おばあちゃん。この人は比企谷八幡さんって言って、マルのクラスメイトのお兄さんずら」

「ああ、そうかい、そうかい……」

 

 おばあさんは花丸と俺ににこやかな笑顔を向けてきた。

 

「マルちゃんにも恋人ができたんだねえ」

「っ!」

「なっ!?こ、こ、こ……」

 

 おばあさんのいきなりな発言に、俺は呆気にとられ、花丸は「あわわ……」と言いながら、手をあたふたさせた。

 

「おばあちゃん、何言ってるずら~。こ、この人は小町ちゃんのお兄ちゃんで、マルのプロデューサーもやってくれた人で……」

「ああ~わかってるよ」

 

 おばあさんはうんうんと頷き、さっきと変わらぬ笑顔のまま口を開く。

 

「マルちゃんにも恋人ができたんだねえ。青春だねえ」

「だから違うずら~!」

 

 *******

 

 そのまま帰るつもりだったのが、なし崩し的に花丸の家にお邪魔することになった俺は、国木田家の純和風というか、和そのものの住居内をキョロキョロと見回した。

 

「何か珍しい物でもあるずらか?」

「いや、落ち着くなって……」

 

 花丸から出されたお茶を、礼を言って受け取り、ひと息に飲み干す。

 

「その、いきなりごめんなさいずら」

「何がだ?」

「……そ、その……おばあちゃんが、先輩とオラのこと……」

 

 花丸の言わんとすることがわかり、頬をかいて誤魔化す……ことなどできるはずもなく、その場には何とも言えない静寂が訪れた。

 外からは虫の声が幾重にも重なって響いているのに、それすらも遠かった。

 先に沈黙を破ったのは花丸だ。

 

「あ、あの……八幡さん」

「?」

「八幡さんは……」

「比企谷君、今日はマルちゃんを送ってくれてありがとうね」

「ずらっ!?」

「っ!?」

 

 うおお……驚きすぎて変な声が出そうになったわ……いつの間に入ってきたんだよ、この人……。

 

「び、びっくりしたずら……」

「ああ……」

「お菓子持ってきたよ」

「あ、ありがとうずら!」

 

 皿に盛られたお菓子は、小さな鳥をかたどった饅頭のようだ。あれ、これどっかで見たことあるような……。

 

「東京名物、バックトゥザぴよこ万十ずら♪八幡さんにも食べて欲しいずら♪」

「……食うの久しぶりだな」

 

 確か親父か母ちゃんが土産で買ってきた時に食って以来だな。

 花丸のおばあちゃんにもお礼を言ってから、少しの間だけ、東京であった楽しい出来事の話を聞いた。

 

 *******

 

 外に出ると、さっきより夜は暗く深まり、街灯がなければ歩くのも困難になりそうだった。

 

「あの、今日はありがとうございました……」

「……いや、なんつーか……元プロデューサーだからな」

「ふふっ、マルは……あの時より少しは成長できてますか、元プロデューサーさん?」

「……ああ、少しじゃなくてずっと、だと思う。つーか、俺が批評することでもないが」

「でも、そう言ってもらえて嬉しいずら。その、八幡さんにはマルに夢中になってもらえるように……あ、いえ、今のはそういう意味ではなく!スクールアイドルとしてずら!」

「…………」

「ずらぁ……し、失礼しますずら~!」

 

 花丸は俺に背を向け、猛スピードで自宅へと戻っていった。

 その様子に呆気にとられた俺は、彼女が玄関の扉を閉めるのを確認してから、のろのろと帰路についた。



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青春の影 ♯42

「沼津の花火大会?」

「ずら。この辺りでは一番人が集まるイベントずら」

「うゆ」

「ふっ、我がリトルデーモンが集う闇の祭典……」

「よ、善子ちゃん、キャラが中二さんに戻ってるよー」

 

 場の空気に流され、花丸、黒澤妹、津島、そして我が妹・小町を含めた5人で登校していると、無言で殿を務めていた俺に、花丸が話しかけてきた。

 

「Aqoursもステージで歌うから、八幡さんにもぜひ来て欲しいずら。その……受験勉強の息抜きに……」

 

 なるほど。それを言いたくて、やたら引き留められていたのか。おまけに口実まで用意しているとか……。

 上目遣いでちらちら見てくる後輩に、あっという間に観念させられ、黙って首肯した。

 

「……わかった。じゃあステージだけでも観に行くわ」

「そ、そうずらか……あの……」

 

 花丸は再び俯き、手をもじもじさせている。視界の端にいる小町が溜息を吐いた気がした。

 

「お兄ちゃん。どうせ息抜きするなら、とことん息抜きしないとだよ!小町達と一緒に色々見て回ろうよ!ほら、女の子達だけだと、色々アレだし!」

「お、おう……わかった……」

 

 勢いで押しきられた気もするが、可愛い妹や後輩がナンパされないよう、目を光らせておく立場の人間は確かに必要かもしれない。息抜きをする時はとことん息抜きをする、という意見も一理ある。

 ……もう、こっちに来てから夏祭りを迎えるぐらい時間が経ったのか。

 

 *******

 

「けぷこん、けぷこん。この作品で今年の終わりに冬コミデビューを飾りたいのだが……」

「……今週までには読んでおくわ」

「てか中二、こんなことしてて大丈夫なの?夏は受験生にとって大事な時期でしょ?」

「笑止!!我は貴様と違い、自分の行きたい大学に行くぐらいの知力は兼ね備えておるわ!!」

「なっ!?うっさい!あたしはゆきのんに習うから大丈夫だし!てか、最近そんなにバカじゃないし!」

「二人共……少し静かにしてもらえるかしら」

「「はい」」

「あはは……でも、雪ノ下さんが元気になってくれて良かったよ。八幡も心配してたから」

「……そうね。彼には心配をかけたわ」

「今度、久しぶりにメールしとくよ!色々報告しときたいし!」

「あぁ、報告なら私が先輩に直接しときます」

「え?いろはちゃん。今何て?」

「私、今度家族旅行で沼津に行くんですよ♪」

 

 *******

 

 自転車に乗り、自分の学校へと通う先輩の後ろ姿を見つめていると、この前の事もあり、胸の奥がきゅうっと締めつけられます。

 夏祭り……物語の世界みたいなら、何かが変わるきっかけになることもありますが、マルは何かを変えられるのでしょうか?

 スクールアイドル活動に、生まれて初めての恋。

 オラの今年の夏は、この二つだけで、これまでのどの夏より色濃く彩られることになりました。



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青春の影 ♯43

 夏祭りが近づくにつれ、Aqoursを巡る状況が一変した。

 過去のわだかまりを乗り越えた、黒澤姉・松浦・小原の三人が、Aqoursに加入したらしい。まあ、その辺りの細かい事情に関しては、部外者の俺は知る必要がないことだ。黒澤姉がさり気なくメンバーを誘導していた事実を花丸から聞いた時は、つい吹き出してしてしまったが……。

 その花丸を含めた数人で夏祭りに行くという約束も、気がつけばすぐそこまで来ていた。

 

 *******

 

 夏祭り当日。

 9人になって初めてのライブは、祭りの主催者側からの気の利いた演出もあり、花火目当ての観光客も見入ってしまうような素晴らしいものになった。まさか演出の為に花火を打ち上げてくれるとは……。

 小町と並んで観ていた俺も、しばらくその場から動けずにいたくらいだ。自然と花丸に目が引きつけられてしまったが。

 そして、今は待ち合わせ場所に選んだ休憩所で、小町と並んで座っている。

 

「お兄ちゃん……すごかったね」

「……ああ」

「花丸ちゃんとはもう付き合ってるの?」

「おい」

 

 何、その話題転換。急すぎて、付き合ってると突き合ってるのどっちかわからなかったわー。

 しかし、わかったところで小町の望む答えが出てくるわけではないが……。

 

「付き合ってないけど……」

「ふむふむ。気にはなっている、と」

「小町ちゃん。話聞いてた?あとお兄ちゃん、受験生なんだけど」

「あ、そだね。お兄ちゃん、もう受ける大学決めたんだよね」

「……ああ」

「は、八幡さん!」

 

 振り向くと、可愛らしい緑色の浴衣に身を包んだ花丸が立っていた。

 

「わぁ、花丸ちゃん可愛い~♪」

 

 花丸を褒めながらちらちら視線を向けてくる小町に睨まれ、俺は花丸に向き直る。

 

「……その、あれだ……似合ってるんじゃないか」

「あ、ありがとうございます……」

 

 花丸は両手で頬を押さえながら、少しだけ俯く。

 思わず頬が緩んでしまいそうな仕草を見ていると、黒澤姉妹が浴衣姿で現れた。

 

「お、お待たせしました……」

「今日はよろしくお願いしますね。小町さん、八幡さん」

「二人共、こっちこっち~♪」

 

 珍しく一年生組の津島ではなく、黒澤姉が登場した。

 そのことに関して花丸に聞こうかと思ったが、花丸の少し沈んだ表情を見て、飲み込んでしまった。

 

「じゃ、行こっか!」

 

 小町の言葉に皆で頷き、ゆっくりと賑わいの中に混ざっていった。

 

 *******

 

「おいしいずら~♪」

「……太るぞ」

「大丈夫ずら!」

 

 花丸は右手にチョコバナナ。左手にたこ焼きの入ったトレーを持ちながら、自信満々に言い放った。いや、その自信はどこから来るんだよ。胸に全部栄養行くんですかね、ガ浜さんみたいに。最高かよ。

 それと、当たり前のようにいなくなった三人。忍者かよ。

 

「八幡さんも食べてみるずら!」

 

 花丸がたこ焼きを一つ、爪楊枝に突き刺して、こちらに差し出してきた。

 

「え、えーと、これは……」

「早く食べないと落ちちゃうずら~……」

「ああ、悪い……」

 

 こんな場面が前にもあったような……なんて考えながら、たこ焼きを頬張る。

 少し熱いが、それも構わないくらいに美味しい。

 たが、やはり……

 

「ほえ~」

「あわわ……」

「ち、千歌ちゃん!ほら、たこ焼きだよ!梨子ちゃんもしっかりして!」

「…………」

「ずらっ!マ、マルは……その……!」

 

 こういう事態は想定しておいた方がいいと思うの。



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青春の影 ♯44

「ずらぁ……明日会ったら、何言われるかわからないずら……」

「……まあ、頑張れ」

「むぅ……他人事みたいずら」

「いや、俺は会う機会が少ないからな」

「ずるいずらよ~……」

 

 何とか二年生組から逃げた俺達は、花火を見るのに良い場所取りを考えながら、何ともいえない空気を味わっていた。

 この手の事に関しては、鈍感どころか敏感だ。だからこそ人より早く意識してしまったり、意識しないよう距離をとったりもする。

 ところが今はどうだ。

 花丸といると、ついそんな壁を取っ払われてしまっている。

 あの無邪気さの前には、俺でなくてもそうなりそうだが……うっかり材木座の中二病も治っちゃいそう。無理か。無理だな。

 そんな事を考えていると、ポケットのスマホが震えた。

 画面を確認すると……知らんアドレスだ。しかも画像付き。

 誰かがアドレスを変えたのかと思い、とりあえず開いてみると、とんでもないものが表示された。

 

「ぶふぉっ!……げほっ、げほっ!」

「は、八幡さん!?どうしたずら!?」

「いや、何でも……っ!」

 

 咽せて咳き込んだせいか、手を滑らせ、スマホが地面に落ち、花丸の足元へと滑っていく。

 彼女はそれをすぐに拾い上げた。

 

「あ、八幡さん!こ……れ……」

 

 花丸は表情が中途半端な笑顔で固まり、その視線はただひたすらスマホの画面に注がれる。

 数十秒経ってから、その口が小さく開き、そこに書かれた文章を読み上げた。

 

「お久しぶりです、先輩。懐かしい写真を見つけたので送っちゃいます♪……一色いろは」

 

 そう。メールの送り主は総武高校生徒会長・一色いろは。

 そして、メールに添付されていた画像は、彼女のデートのシミュレーションだか何だかで立ち寄った喫茶店にて撮影したツーショット写真だった。

 

「……ああ、それは、あれだ。千葉で後輩と撮ったやつだ」

 

 何だろう……。

 一色とは全然そういう関係じゃないし、やましい事など一切ないのだが、何故か言い訳してるような気分になる。

 花丸は矯めつ眇めつ画面を見た後、そっとスマホを返してきた。

 そして、いきなりぎゅっと手を繋いできた。

 突然のひんやりした小さな手の感触に驚いていると、彼女は上目遣いで切なげな瞳を向けてくる。

 

「マルは……今の八幡さんを見ているから」

「……あ、ああ」

 

 そのあまりに儚げな雰囲気に何も言えずにいると、突如ジト目に変わり、別の意味で何も言えなくなる。

 

「ちなみに、この綺麗な人とはどのような関係かお聞かせ願えますでしょうか?」

「マルさん?口調が変わっている気がするんですが」

「そんな事ないずらよ~」

「マルさん、さっきから爪が食い込んで手が痛いんですけど」

「気のせいずらよ~」

 

 ていうか聞くのかよ。別にいいんだけどさ……。

 結局、花火大会が始まるまで、俺は花丸に千葉でのことを事細かに話す羽目になった。



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青春の影 ♯45

 八幡さんのあの写真を見て、マルの胸の中は、ひどくざわついていました。

 八幡さんの話は信じられるのですが、胸の奥では何かがくすぶり続けていました。

 今まで感じたことのない気持ち。

 自分が……特別に想われたいという願い。

 彼が自分を見てくれているのか、という不安。

 そこには、抑えられない何かがありました。

 そして、それはマルに一つの決心をさせました。

 

 *******

 

 花火は定刻通りに上がり始め、夜空に綺麗な彩りを添えていた。やけに広く感じる沼津の夜空を見上げながら、時折、花丸の横顔を盗み見た。

 その横顔は、出店のほんのりとしたオレンジの灯りや、花火の鮮やかな輝きに照らされ、普段よりずっと大人びて見えた。

 

「……八幡さん?」

「いや、何でもない」

 

 ……思わず見とれてしまっていた。

 小町と同い年なこともあり、ついつい妹のように接してしまう時もあるけど。

 当たり前のことだがら、やっぱり妹ではなく……。

 

「綺麗ずら~」

「あ、ああ……」

 

 無邪気な声と共に、彼女のくりくりした瞳がこちらを向く。

 今度は何も聞かれることはなく、声と同じような無邪気な瞳を向けられた。

 

「「…………」」

 

 そのまま花火の音とざわつく人の声をBGMに、じっと見つめ合う。

 視線を逸らせなかったのは、ただ動けないだけじゃない気がした。

 花丸は自分の胸に手を当て、ゆっくりと口を開いた。

 

「八幡さん」

「……どした?」

「ちょっと耳を貸して欲しいずら。このままだと聞こえづらいと思うから」

 

 声なら今でもしっかりと聞こえているが、黙って従うことにした。

 小柄な彼女に耳を寄せるため、身をかがめる。

 そして、彼女の顔が近づく気配を感じ、何を言われるのかと身構えていると……

 

「…………ん」

「っ!」

 

 頬に触れた柔らかな感触。

 ふわりと包み込むような甘い香り。

 慌てて顔を離し、花丸を見ると、彼女は何事もなかったかのように、花火を見上げていた。

 ……気のせい、じゃないよな?

 右の頬に手を当てる。

 もちろん、そこには何も残ってはいないが、確かな感触だけは刻まれていた。

 

 *******

 

 人波の流れに乗り、帰り道を彼女と並んで歩く。

 花火が終わったら、途端に周りのざわめきも遠くなった気がする。

 そう思える原因は、他にもあるのだが……

 

「……今日はありがとうございます」

「いや、案内してもらったのは俺だから……」

「…………」

「…………」

 

 花丸は、今さらながら顔を赤くしていた。

 それは、先程の甘やかな感触が何だったのかを遠回しに告げていた。

 さっきから続いていた胸の高鳴りは、激しさを増していく。

 気がつけば、周りの人波はかなり減っていて、俺達の周りはぽっかりと空いていた。

 

「あの、八幡さん……」

「?」

「オラ……マルは、その内聞いて欲しいことが……」

「あっ、先輩見~つけた♪」

 

 突然響いてきた聞き覚えのある声。

 可愛いさを意識したトーンの、あざと可愛い声。

 もしやと思い、振り向くとそこには……

 

「一色……」

 

 半年前より伸びた亜麻色の髪。

 背はそんなに変わって見えないが、身に纏う雰囲気は、どこか自信ありげに見える。

 総武高校生徒会長・一色いろは。彼女は、俺と……隣にいる花丸を交互に見て、何とも言えない表情を見せた。

 

 

 

 

 

 



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青春の影 ♯46

「ど~も~……」

 

 彼女は俺と花丸を交互に見比べながら、距離を詰めてくる。特に、花丸を見るときには、ぱっちりした目をさらに見開いていた。

 花丸も、その視線を受け止めながら、時折こちらに視線を向けた。

 その視線の意味するところを心の何処かで理解しながら、俺は一色に声をかけた。

 

「一色……だよな?」

 

 あまりに意味のない問いかけに、彼女はジト目を向けてきた。

 

「他に誰に見えるんですか?それとも、海の綺麗な街の暮らしで、千葉のことはすっかり忘れちゃいましたか?」

「バッカ、お前。俺の千葉愛舐めんなよ。千葉の凄さを内浦に広めてるぐらいだ」

「ふ~ん、そうですか…………それで」

 

 俺の言葉には興味なさげに頷いた一色は、俺の耳元に艶々した唇を寄せてきた。

 

「あの可愛い子は誰ですか?もしかして~先輩の新しい彼女さんですかぁ~?」

 

 いつかのような、あからさまな怖い声を作ってはあえないが、それでもあざとい声の向こうに威圧感のようなものを感じる。

 どっちにしろ怖っ!いろはす怖っ!

 

「……むぅ」

 

 視界の端では、花丸がこちらを見ているのがわかる。

 こちらからも言いようのない圧を感じた。

 とりあえず一色から距離をとり、二人の間に立ち、紹介するべく口を開く。

 

「新しい彼女も何も、彼女がいたことねえよ……ああ、あれだ。こっちが俺が通ってた学校の後輩で生徒会長の一色いろはで、こっちが小町と同じ学校で同じクラスの国木田花丸だ」

「「初めまして」」

 

 二人共、まったく同じタイミングで頭を下げる。声もまったく同じトーンだ。どことなく険を感じるのは気のせいのはず。みんな仲良し!

 

「先輩もやりますねぇ~静岡に引っ越して数ヶ月でこんな可愛いお友達ができるなんて♪」

「か、可愛いだなんて、オラ……」

「オラ?」

「ずらっ!あわわ……」

「先輩、この子超可愛いんですけど」

「そ、そうか……てか、いつ来たんだ?」

「今日ですよ。家族旅行で来ました」

「え?お前、家族旅行とか参加するタイプなの?」

「参加しないタイプがあるのを今初めて知ったんですけど……」

「八幡さん……」

 

 今度は二人して、俺に呆れたような眼差しを向けてきた。何だよ、いきなり。これが女の連帯感なのか。困るね、先輩。とても……。

 このやりとりで多少は緊張がほぐれたのか、花丸は意を決したように、一色に話しかけた。

 

「あの……一色さんは、家族旅行で先輩に会いに来たずらか?」

「え?や、やだなあ!そんなわけないじゃないですか~!先輩に会いに来たのはついでですよ、ついで!」

 

 ついでの部分を強調しながら、こちらをチラチラ見た。いや、わかってるからね?

 そして、気を取り直すようにかぶりを振った一色は、少しだけ真面目な顔になった。

 

「先輩。伝言です」

 

 誰から、なんて聞くまでもなかった。

 

「『私はもう大丈夫だから。ありがとう』だそうです」

「……そっか」

 

 その言葉に、心の中でずっと沈んでいた何かが、何処かへ飛んで行った気がした。

 思わぬタイミングで聞けた、思いがけない言葉。

 自然と口元は緩んでいた。

 

「……次はあいつらと来いよ。ここ、結構いい街だから、案内してやる」

「……はい。じゃあ、そろそろ行きますね。花丸ちゃんも、またね」

「あ、はい!」

 

 少し離れた所にいる家族と合流する一色を見送り、ゆっくり歩き出すと、花丸に服の裾を掴まれた。

 

「どした?」

「……あの、何て言えばいいのかわからないずら……でも……お疲れ様です」

「……ああ、ありがとな」

 

 帰り道、祭りの熱気から遠ざかるにつれ、夜風は涼しくなった。

 



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青春の影 ♯47

 

 千葉県のとあるファミレスにて……。

 

「あっ、いろはちゃん来た!やっはろ~」

「こんにちは~♪」

「家族旅行、楽しかった?」

「はい!沼津もいいところでしたし♪先輩にも会えましたよ」

「ヒッキーどうだった?元気だった?」

「う~ん、相変わらずでした」

「あはは……想像つくなぁ」

「まあ、彼だもの……」

「あっ、でも……」

「「?」」

「すごく可愛い女の子と仲良くなっていました」

「「…………」」

 

 *******

 

 

「……くしゅっ」

「八幡さん、どうかしたずらか?」

「いや、何でもない。それより……なんだ、その恰好?」

 

 花丸はタオルを体に巻きつけ、しっかりと手で押さえている。決して離してなるものかという決意のようなものが、ぎゅっと握られた手から透けて見えていた。

 彼女はにぱっと不自然な笑顔で、それを誤魔化した。

 

「いえ、お気になさらず。それより朝早くから来てくれて、ありがとうございます」

「ああ、まあ気にすんな。どうせ家の近くだしな。てか、誰も他に来てないのかよ」

「あはは……皆寝坊したみたいで……」

 

 朝四時過ぎ、俺と花丸は海の家の前のベンチに腰かけている。俺は今さっき連絡をもらって来たばかりだが。

 どうやら集合時間になっても、他のメンバーが来ないらしい。

 まあ、朝四時集合とか普通に無理だ。津島とかはバス使わなきゃ、ここまで来れないし。いや、今はそれより……

 

「何でタオルなんか巻いてんだ?」

「八幡さん。いやらしいずらよ」

「言いがかりも甚だしいんだが……」

 

 まさか下に何も着ていないことはないだろうし……まあ、今いる場所から考えて……。

 

「……いや、悪い」

「ど、どうしたずらか?何で謝るずら?」

「いや、何つーか……タオルの下、水着なんだろ?」

「ずらっ!?は、八幡さん、タオルの下が見えてるずらか!?透けて見えるずらか!?」

「そんな超能力持ってねえよ。まあ、お前の性格からして恥ずかしがるのはわかるからな……」

 

 花丸は頬に手を当て、小さな体をさらに縮こまらせる。

 

「あうぅ…………あ、あの……八幡さんは、オラの水着姿でも……見たいと思いますか?」

「…………」

 

 見たい。

 いや、どちらかと言えばね?そりゃ、俺だって年頃の男の子だし?昨日は参考書とずっとにらめっこしてたし?何か癒しが欲しいし?

 それに、見たくないなどと言うのは彼女に失礼だろう。

 

「……八幡さん?」

「いや、まあ、あれだ……見たいといえば見たいような……」

「はっきりしないずら……」

 

 そう言いながら、一人で力強く頷いた花丸は、タオルをはらりと砂浜に落とし、俺の前に立った。

 

「どう、ですか?」

「…………」

 

 僅かに頬を朱に染めた花丸は、可愛らしい緑のワンピースみたいな水着を着用していた。肌の露出を極力抑えているのは彼女らしい。

 しかし、制服や私服の時よりも、胸の膨らみはずっと強調されていて、油断していると、つい視線が固定されそうだ。

 

「あの……八幡さん?」

「……い、いいんじゃないか?」

「ずらっ!……あ、ありがとうございます……」

 

 花丸は顔をさらに紅潮させ、手をもじもじと落ち着かなく動かしている。多分、しばらく目を見れそうにない。

 五時頃になり、松浦と高海と桜内が到着するまで、俺と花丸は目を合わせないまま、ぽつぽつと途切れ途切れの会話を交わした。

 

 



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青春の影 ♯48

「あっ、比企谷さんだー♪」

 

 高海が朝の光に目を細めながら、こちらにてとてとと駆け寄ってくる。この雰囲気は何というか、あざとさのない一色という感じだ。

 

「今日は手伝ってくれるんですか?」

「いや、一人で寂しそうな花丸の話し相手をしてただけだ。だからそろそろ……」

「え……帰っちゃうずらか?」

 

 水着姿の花丸が、やや距離を詰め、上目遣いに見つめてくる。あらやだ、どこでそんなの覚えて来たんでしょうね、この子は……。

 そんな目で見られたら、帰るに帰れないんだが……。

 

「あれ?なんか花丸ちゃん、雰囲気違わない?」

「千歌ちゃん。いい子だから、そっとしてあげようね」

「え~!?またその扱い~!?」

「あははっ、まあ千歌にはまだ早いかな」

「果南ちゃんまで~!?」

 

 子供扱いされすぎだろ……千歌ちゃん、ファイトだよ!

 

「八幡さん……」

 

 その瞳の色が何を意味するのか、わからぬままに花丸に返事をする。

 

「わ、わかった、重いもん持つのだけ手伝って、午後から客として行く……」

「ありがとうずら♪」

 

 ぱあっと笑顔になる花丸が、ようやく普段の調子に戻ってきたのを感じ、つい頬が緩んだ。

 そこで松浦が手をぱんっと叩き、こちらに合図をした。

 

「じゃ、比企谷君も手伝ってくれるみたいだし、千歌の家から、用意しておいた食材運ぼっか」

 

 *******

 

 手伝いを終え、一旦家に帰り、午後に海の家へ戻ると、既にそこは多くの人で賑わっていた。

 ここから見える範囲に、明らかに若者受けを狙った、小洒落た外観の海の家が見えるが、そちらにも負けてないくらいだ。

 2つの海の家を見比べていると、中から声をかけられる。

 

「いらっしゃいませ~、あ、比企谷君来たね」

「お、おう……」

 

 店から偶々顔を出した松浦が出てきたのだが……。

 

「どうかしたの?」

「……い、いや……」

 

 松浦はグリーンのビキニを着用しているのだが、さっき見た花丸のと比べると、肌の露出がやたら多く、とにかく目のやり場に困る。

 さらに、本人はそんなことは特に気にもしていないようで……。

 

「ほらほら、早く入りなよ。花丸ちゃんもいるから」

「あ、ああ……」

 

 松浦にぐいぐい背中を押され、中に入ると、花丸はちょうど焼きそばを客のテーブルに運ぼうとしていた。

 てかあれ……載せすぎじゃないか?

 数秒後の状況があっさりイメージ出来たので、さり気なく彼女の傍へ向かう。

 

「いらっしゃいま……あ、八幡さん!っあわわ……!」

「っと……」

 

 バランスが崩れかけたお盆を抑え、ほっと安堵の息を吐く。ここまで予想通りとは……この腐り目にもヴィジョンアイが宿ったのかもしれない。

 

「ご、ごめんなさいずら……」

「載せすぎなんだよ。上2つだけ運んどく」

「え?でも……」

「いいから」

 

 焼きそばを運び、空いている席に座ると、花丸が申し訳なさそうな顔で、トコトコ歩いてきた。

 

「八幡さん。さっきはありがとうございます。これ食べるずら♪」

「ああ……何だ、それ?」

「朝手伝ってくれたお礼ずら。曜ちゃん特製『ヨキソバ』、善子ちゃん特製『堕天使の涙』鞠莉ちゃん特製『シャイ煮』ずらよ」

「…………」

 

 ヨキソバ以外、何だかやばい。何がやばいって、やばそうでやばい。

 

「なあ、これ……大丈夫なのか?」

「み、見た目はあれですけど、美味しいずらよ!……多分」

「……多分って言わなかったか?」

「知らないずらよ~。ささっ、どうぞ」

「…………」

 

 ……まあ、飲食店で出してる物だし、食えないわけないだろ。

 俺はいつぞやの木炭クッキーを食う時の気分でタコ焼きを口に含んだ。

 

「ん……………………っっ~~~!!!!!」

 

 つ、津島……何を入れた……!?

 舌を焼き尽くすような恐ろしい辛さに、俺はMAXコーヒーの甘さが心から恋しくなった。

 



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青春の影 ♯49

「あ~、辛かった……」

「あはは……ごめんなさいずら……」

 

 花丸に水をもらい、何度も喉を潤したのだが、まだヒリヒリする。ここまでダメージを受けたのは久々だ。おい、津島。厨房から決めポーズすんな。ドヤ顔すんな。

 

「……なあ、これって試食したのか?」

「善子ちゃんは美味しそうに何個も食べてたずらよ」

「……お前は?」

「え…………あっ、そろそろ仕事に戻るずら」

「待て」

 

 俺は花丸の肩をそっと掴み、そうはいかないとばかりに、席に座らせる。

 

「な、何でしょうか?ずら……」

「まあ、あれだ……お前も朝早くから起きてて眠たいだろうから、眠気覚ましに1個くらい食べていけよ」

「マ、マルはお腹いっぱいだから、今は遠慮するずら……あはは……」

「いやいや、お前の胃袋ならまだ全然余裕だろ」

「いやいや、マルはまだ仕事中の身。お客様のお食事に手をつけるなんて、とてもとても……」

 

 そう言いながら席を立とうとする花丸の肩を、しっかりホールドする。

 すると、1つの影が割り込んできた。

 目を向けると、黄色いワンピースタイプの水着を着た高海だった。お願いだから、水着姿で不用意に距離を縮めるのは止めようね。それ一枚の布だからね。

 

「え、本当に食べていいんですか!?ラッキー♪」

 

 こいつの恐ろしさを知らない高海は、躊躇など欠片も見せずに、堕天使の涙を一口で頬張る。よくこの見た目を躊躇わずにいけるな……しかも、あんな笑顔で……

 

「ん~♪…………ん?んん!?」

 

 どうやら辛さがきたみたいだ。

 数秒後、顔を真っ赤にしながら辛さに悶えていた。

 

 *******

 

 あの後、見た目通りに美味しいヨキソバと、見た目の割に美味しいシャイ煮を平らげ、一旦家に帰り、黙々と受験勉強に勤しんだ。

 そして、夕飯後に再び砂浜へと足を運んだ。特に理由もなく、自然とそうしていた。

 夜になると、砂浜はいつものように賑わいを失い、ただ波音が響くだけになる。

 千葉以外の場所で過ごす初めての夏休みは慌ただしく、それでいて優しい時間が流れていた。受験勉強と思いがけない出会いのせいに違いないが。

 そして、その出会いがもたらした温もりは、いつか何処かで感じたのと少し似ていて、少し違った。

 

「八幡さん」

 

 振り返ると、パジャマ姿の花丸がいた。髪はおさげにしていて、雰囲気がいつもと違う。

 

「……どした?」

「今日はありがとうございます。おかげでお店も繁盛しました」

「いや、俺は荷物運んだだけだし、繁盛とは何の関係も……まあ、今日はお疲れさん」

「ふふっ、そういう反応が八幡さんらしいって、小町ちゃんが言ってたずら」

「まあな」

 

 一応得意げに返事をすると、花丸は頬を緩めながら、隣に腰を下ろす。それと同時にふわりとシャンプーの香りが漂い、鼻腔を優しくくすぐる。普段とは違う香りに、何かがドクンと脈打った。

 

「八幡さん……あの……」

「?」

「こ、この前の事なんですけど……」

「…………」

 

 何の事かなんて、聞かなくてもわかる。

 この前は一色との再会で有耶無耶になったが、まだ右の頬には、あの日の熱が確かに刻まれていた。

 お互い視線を海に向けたまま、波音の合間を縫うように言葉を紡ぐ。

 

「お話があるって言ったこと、覚えてますか?」

「……ああ」

「その……もうちょっと待って欲しいずら……あの……今度の大会が終わるまで……」

「……わかった」

 

 花丸は立ち上がり、軽快にステップを踏み、Aqoursの曲のダンスを、少しだけなぞり、笑顔を見せる。

 

「マルの本気、見て欲しいずら」

「…………あ、ああ」

 

 彼女以外の何もかもが一瞬で遠ざかった。

 つい見とれてしまっていた。少し口を動かすのもやっとだった。

 月明かりにぼんやり照らされた笑顔も、波音が飾る優しい声も、どちらも確かな感触と共に、心の奥に深く刻まれた。



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青春の影 ♯50

 

「も、もすもす……八幡さん……」

「……おう。まだ慣れてないみたいだな」

「うぅ……だって電話はまだ緊張するずら~」

「そっか……てか、どうした?明日地区大会決勝だろ?朝早いんじゃないのか?」

「あ、はい。そうなんですけど……」

「?」

「その……オラ、今までの人生でこんなことなかったんですけど、気持ちが昂ぶっていまして……よかったら、眠くなるまで、お話しに付き合って欲しいずら……」

「…………」

「ダメ、ですか?」

「……いや、いいぞ。こっちも眠れなかったし」

「ふふっ」

「どした?」

「オラ、八幡さんのそういうところ好きずらよ。いつもさり気なく気遣ってくれて」

「バッカ、お前、ほ、本当に眠れなかったんだよ」

「わかりました。ありがとうございます」

「……それよか、予選突破してから注目度凄いことになってんな」

「いえ、それほどでも……」

「ウチの学校にも、サイン貰ったって喜んでる奴いたぞ」

「あはは……なんか照れちゃうずら。最近、ステージの上に立つのは慣れてきたんですけど」

「……別に冷たい視線に晒されてるわけじゃないからいいんじゃないか。女子に告白して、次の日にそれをクラスの全員が知ってたとかより全然マシだろ」

「な、何だかよくわからないけど、すごく物哀しい光景が目に浮かんだずら」

「そうか……なんか悪いな。ああ、それと東京土産ありがとな」

「いえいえ。八幡さんにも、『バック・トゥ・ぴよこ万十』をもっと愛して欲しいずら」

「……まあ、甘いもん好きだし……MAXコーヒーの次くらいには……」

「ふふっ……それはそうと八幡さん。この前、八幡さんのパソコンでSaint Snowの動画がいっぱい再生されていたのは何故ですか?特に、姉の聖良さんを中心に……」

「……気のせいだろ」

「気のせいじゃないずら」

「いや、ほら、あれだ……やっぱり元プロデューサーとしては、ライバルグループは気になるからな。一応調べておいたんだよ」

「そ、そうずらか……疑ってごめんなさい」

「いや、いい」

「二人共、ダンス上手ずら」

「ああ」

「歌も上手ずら」

「ああ」

「聖良さん、胸大っきいずら」

「ああ…………そうか?」

「今、誤魔化そうとしたずらね」

「……明日、早いんだろ?そろそろ寝た方がいいんじゃないのか?」

「むむむ……でも、八幡さんと話してたら、少し眠たくなってきたずら」

「話がつまらなくて悪かったな」

「ち、違うずら!そういう意味じゃないずらよ!」

「冗談だ。じゃあ、そろそろ寝たほうがいいぞ」

「あ、はい。ありがとうございました」

「……ああ……明日、応援しに行くから、楽しみにしてる」

「…………はい!楽しみにしててくださいずら!」

「それじゃあ……」

「はい、おやすみなさい」

 

 

 

 



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青春の影 ♯51

 愛知県にある会場に到着すると、さすがに予備予選の時とは会場のスケールが違い、思わず目を見開いてしまう。まあ、決勝はアキバドームで開催されるから、妥当な規模かもしれないが。

 ちなみに、浦の星女学院の生徒は皆応援に来ているらしい。小町は俺よりはやく家を出ていたので、もう会場内にいるだろう。俺はとりあえず、少し離れた場所に座っとけばいい。

 人波をかき分けるように歩きながら、俺は会場内へ足を踏み入れた。

 ……一応、到着のメールくらい送っとこう。

 

 *******

 

「ずらっ♪」

「どうしたの、花丸ちゃん?」

「えっ、あ、お、お祖母ちゃん達が、会場に着いたずら!さ、ルビィちゃん。着替えるずらよ!」

 

 *******

 

 会場内に足を踏み入れると、ざわざわと開演を待ちわびる空気に満ち溢れていた。正直、空席を見つけるのが難しいくらいだ。

 

「おやおや、比企谷君かい?」

「え?あ、こんにちは……」

 

 小さいながらもよく通る声に振り向くと、花丸の祖母がちょこんと椅子に座っていた。まだ二度目ましてだが、その姿ははっきり覚えていた。

 ニコニコ笑顔を浮かべながら手招きするその姿に、自然と隣に腰を下ろしてしまう。

 

「ありがとうね。マルちゃんの……皆の応援に来てくれたんだろう?」

「ええ、まあ……」

「国木田さん。その男の子は?」

 

 花丸の祖母の隣から、今度はやけに綺麗な……つーか、どっかで見覚えがある顔立ちの女性が顔を見せる。もしかして、津島の……?

 

「この子はね、ウチのマルちゃんの恋人の比企谷君」

「あらあら、花丸ちゃんったら奥手そうに見えて案外やるわね」

「いや、あの……俺はそんなんじゃ……」

 

 何やら勝手に恋人認定されかけているので否定すると、前に座っている女子生徒が振り返った。

 

「比企谷……あ、もしかして小町ちゃんのお兄さんですか!?」

「……いや、違う」

 

 小町に自分のような兄がいると知られるのはあまりプラスにならないので、ここは誤魔化しておく。

 すると、その女子の前の席にいた小町が振り返る。

 

「ああ、お兄ちゃん。別に誤魔化さなくていいから。この人が私のお兄ちゃんの八幡ね」

 

 小町が笑顔で友達に俺の紹介をする。てか、そこにいたのかよ。見えなかったとはいえ、何たる不覚……。

 まあ、それはさておき、こうして紹介された以上、しらを切り通すわけにもいかない。俺は観念して、軽い会釈をした。

  

「……どうも」

「初めまして!」

「シャイで捻くれてるけど、優しいんだよ♪」

「あ~、わかる!優しそう~」

「…………」

 

 小町が友達に俺を紹介するのが意外すぎて、ついポカンとしてしまう。最近どことなく大人びてきたし、こいつはこいつで、こっちに来てから色々あったんだろう。生徒会に入ってるから、黒澤姉の影響もあるかもしれない。髪も伸ばそうとしてるし。

 可愛い妹の成長はしみじみと感動していると、何人かの女子が振り返り、好奇心いっぱいな視線を向けられる。

 

「小町ちゃんのお兄さん!?わあ、あんま似てないね!ウケる!」

 

 いや、ウケないから。てか、どっかで聞いたことある響きが……似てるだけだけど。

 

 

 *******

 

 開演の時間になり、司会が挨拶を終えると、メンバーが登場し、演劇風の演出で過去を振り返る。最初は場内全体がどよめいたが、やがて誰もが真剣な表情で聞き入っていた。

 そして、花丸の順番が来て、彼女にスポットライトが当てられる。

 彼女は俯いたまま、ゆっくりと喋りだした

 

「オラ……マルは運動苦手ずら……です。でも……」

 

 その時、彼女の視線がこっちを向いた気がした。

 彼女は俺がどこに座ってるのかなんて知らないはずだから、気のせいなんだろうけど。

 そのまま彼女は、普段よりはっきりした声音で喋りだす。

 

「背中を押してくれた人がいるから……」

 

 言い終えると、スポットライトは彼女から黒澤妹に移った。

 ほんの数秒間の事だった。

 しかし、その言葉は胸の奥の鐘を鳴らすように、真っ直ぐに届いた。

 やがて締めの言葉と共に、メンバーが定位置につき、曲が始まる。

 希望に満ちたメロディーに、熱の篭もったパフォーマンスに、俺はただ身を委ねていた。



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青春の影 ♯52

 ラブライブの予選を終えた翌日の夜。

 いきなり花丸から電話で呼び出され、俺はすぐに海岸へ向かった。ぶっちゃけ、心配するから先に連絡して欲しいんだが……。

 できる限り早く砂浜に到着すると、定位置ともいえる場所に花丸は腰を下ろしていた。

 その小さな背中が、いつもよりさらに小さく見えるのは気のせいではないのだろう。

 俺は無言で彼女の隣に腰を下ろす。砂浜は意外なくらいひんやりしていた。

 

「こんばんは……」

 

 彼女は消え入りそうな声で呟く。

 俺は黙ったまま、彼女と同じ方向を、真っ暗な海を眺めた。夜空と海の境目はわかりづらく、どこまでも夜の闇が続いている。

 やがて、彼女から口を開いた。

 

「あの……いきなり、夜遅くにごめんなさいずら」

「……俺は大丈夫だ。てか、そっちが大丈夫か?」

「あ、はい……一応……」

「まあ、その……次からは先に連絡してくれ。運動がてら、そっちに行くから」

「……はい。ありがとうございます」

 

 少し説教くさい事を言ってしまった自分に、何ともいえない気分になったが、彼女は弱々しい笑顔を見せ、頷いてくれた。

 そして、その唇が再び動き始めた。

 

「八幡さん……ごめんなさい。勝てませんでした」

「……いや、俺に謝ることなんかねえだろ。かなり惜しかったし」

 

 そう。Aqoursはラブライブ決勝進出を惜しくも逃した。

 パフォーマンスをミスしたわけでもない。歌詞が飛んだわけでもない。単純な力負けということだろう。

 花丸はようやくこちらを向いたが、その瞳は濡れていた。

 

「前にも言いましたけど、オラ……こんなに悔しいって思ったの、スクールアイドルが初めてで……」

「……そっか」

「そ、それにそれに!もう一つごめんなさいしなきゃいけなくて……」

「?」

「オラ……マルは……」

 

 花丸は一旦自分の膝に顔を埋め、しばらく溜めてから顔を上げ、こちらを向いた。

 

「マルは……八幡さんに……恋をしています」

「…………」

「あなたの事が好きです」

 

 真っ直ぐな告白。それは心の何処かで予感めいたものがあった。

 しかし、改めて言葉にされると、息が止まるかのような緊張感が胸を刺した。

 しかし、それは次第に温かい何かへと姿を変えていった。

 

「でも……」

 

 花丸は目を伏せ、さらに言葉を紡ぐ。それと同時に風がそよそよと彼女の髪を揺らした。

 

「マルは……こういうの初めてで……それに、今はスクールアイドルの活動もあって……でも、八幡さんが誰かにとられるのは嫌で……」

「…………」

「オラ……ずるいんです。どっちも欲しくて……どっちも大事で……だから、もう一つのごめんなさいを……」

「……そっか」

 

 自分の意思より先に体が動いていた。

 俺は花丸の頭をそっと撫でていた。

 

「は、八幡さん……」

「……俺も……お前が、好きだ」

「ずらっ!」

 

 花丸は口元を押さえ、信じられないと言いたげな表情をする。

 

「……ど、どした?もしかして、い、嫌だったか?」

「違うずら!違うずらよ……う、嬉しいです……で、でも……八幡さんから言ってくれるなんて……」

「いや、さすがに女子の方にあんだけ言わせといて、男が何も言わないってのはな……」

「八幡さん……」

「まあ、その……なんつーか、俺もお前が好きだから心配しなくていい。それに、俺はモテないからとられたりとかしない」

「そ、そんなことないずらよ!善子ちゃんは諦めたって言ってるけど、時々八幡さんの方をじっと見てますし、この前、お祭りの時にいた一色さんも八幡さんと親しげでしたし、最近は金髪でポニーテールの綺麗なお姉さんが八幡さんに見とれてたずら!」

「お、おう、そうか……ま、まあ、とにかく……焦らずに今はスクールアイドルに集中してていいんじゃないか?」

 

 わしゃわしゃと乱暴に撫でると、花丸は子犬みたいに目を細めた。その小動物的な可愛らしさに、つい頬が緩んでしまう。

 

「あの、八幡さん……」

「?」

 

 花丸は俺の正面に立ち、懇願するような目を向けてきた。

 

「マ、マルを……ぎゅってしてもらえませんか?」

 

 俺は立ち上がり、花丸の頭をぎゅっと掴んでみた。髪のさらさらした感触が気持ちいい。

 ……もちろん睨まれた。

 

「そっちじゃないずら~……」

「……悪い」

 

 気を取り直して、彼女の小さな体をそっと抱き寄せる。腕の中にすっぽり収まった彼女の体は、柔らかくて、頼りなくて、温かい。いつから彼女に惹かれていたのだろう。

 次第に、ほんのり甘い香りが鼻腔をくすぐりだし、幸せが心を満たしていく。

 

「ん…………」

「…………」

 

 今度は花丸が背中に腕を回してきた。

 二つの温もりがさらに深く混ざり合う。

 生まれて初めての感覚。きっとこれを『恋』と呼ぶのだろう。 

 素直な気持ちをさらけ出す二人を、ふんわりと優しく包む夜風は、さっきよりやわらかかった。



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青春の影 ♯53

 

 結局、あの後はすぐに花丸を自宅へ送り届けた。彼女の祖母は、謝る彼女の頭を撫で、こう言った。

 

「マルちゃん、チューした?」

「ずらっ!?」

「…………」

 

 まあ、何はともあれ、花丸との関係に確かな変化が訪れる事にはなったものの、俺は受験勉強に、彼女はスクールアイドルに集中するため、しばらくはお互いゆっくりとこれまでの関係から変化していくことになると思っていたのだが……

 

「すぅ……すぅ……」

「…………」

 

 昨日告白してきた彼女が、もう俺の隣で寝ている!!

 彼女は練習着で俺の隣に寝転がり、すやすやと安らかな寝息を立て、時折「もう……食べられないずらぁ~」と呟いた。ギャグ漫画のキャラかよ。可愛いな、オイ。

 寝ぼけ眼をこすりながら起き上がった俺は、彼女の体をそっと揺する。

 

「お、おい、花丸……」

 

 彼女は可愛らしく口元をもにょもにょさせながら、長い睫毛を揺らし、うっすら目を開いた。

 

「ん……んん……はちまんさん、おはようずらぁ……」

「いや、どうした急に。し、心臓飛び出るかと思ったぞ……」

「……お、起こしに来ました」

「寝てんじゃねえかよ……」

「あはは……気持ちよさそうに眠ってる八幡さんを見たらつい……」

 

 花丸は頬を紅く染めながら、照れ笑いを見せる。起こせてはいないが、目覚めとしては悪くない。いや、むしろポイント高いですよ、これ。

 ただ、恋人未満の状態で隣で眠るのは、色々とプルスウルトラしすぎだと思うの。

 

「八幡さん?」

「いや、大丈夫だ。ただあんまり無防備なのは気をつけとけよ。うっかりそのまま……変なことことしそうになる」

 

 俺の言葉に彼女は顔をさらに紅潮させ、聞き取れないくらいに小さな声でぼそぼそと何事か呟く。

 

「…………少しくらい、なら」

「どした?」

「な、何でもないずら!じゃ、じゃあ、マルは練習に行ってくるずら!八幡さんもお勉強頑張るずら!」

「お、おう……ありがとな」

 

 花丸は振り返ることなく、あっという間に出て行ってしまった。

 

 *******

 

「はぁ……はぁ……」

「花丸ちゃん、はい」

「ありがとうずら」

 

 ルビィちゃんが飲み物を手渡してくれる。今日はいつもより体が軽くて、まだ踊り足りない気分です。

 

「何かいいこと、あったの?」

 

 ルビィちゃんが小首を傾げ、尋ねてくる。でも、昨晩のことはどう説明すればいいのか……オラの優柔不断さもあって、中途半端な状況に……でも、言ってもらえたずら。『好き』って……。

 生まれて初めての体験。

 正直に言うと、昨日の夜から口元が緩むのを堪えるのに必死です。どうしよう、少し浮かれすぎかもしれないずら……。

 

「ふっふっふっ……」

 

 そこで、千歌ちゃんが不適な笑みを浮かべ、ジリジリと近寄ってきた。

 

「花丸ちゃん、比企谷さんと何かあったんでしょ!?私にもそれくらいわかるよ!」

「え、えっと……」

「ち、千歌ちゃん……まだ千歌ちゃんにはまだ早いような……」

「ル、ルビィちゃんまで!?」

 

 ルビィちゃんからの指摘にショックを受ける千歌ちゃんを、マルは苦笑しながら見ていました。

 



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青春の影 ♯54

「アンタ、バカァ!?」

「ずらっ……」

 

 どこかで聞いたような言葉でマルを叱るのは善子ちゃん。二人っきりになった時、告白のことを話したら、何故かいきなり怒り出しました。

 彼女はマルの肩をガクガク揺さぶりながら、謎の怒りをぶつけてくる。

 

「さっさと既成事実を作りなさいよ!」

「…………」

 

 善子ちゃんは八幡さん絡みの事となると、やっはりどこかおかしくなるずら。

 そ、それに、き、き、既成事実だなんて……!

 

「善子ちゃん、破廉恥ずら」

「私は堕天使よ!まったく……せめてキスくらい済ませなさいよ!例えばこんな感じで……」

 

 *******

 

「ねえ、八幡……目、閉じて」

「善子……」

「んっ……もう、不意打ちなんてずるいわ……私からしようと思ってたのに……」

「悪いな。でも、俺からしておきたかったから」

「じゃ、じゃあ、次は私から……ん」

 

 *******

 

「何で相手が善子ちゃんになってるずら~!」

「おっといけないわ。でも、こっちの方が……」

「善子ちゃん……」

「わ、わかったわよ!じゃあ、こんなのはどう?」

 

 *******

 

「うゆ……「ストップずら。今度はルビィちゃんになってるずら」

「つい試したくなったの」

「むぅ~……」

「と、とにかく!友達以上恋人未満なんて、甘っちょろいこと言ってないで、キチンとくっつきなさいって事よ!……じゃなきゃ、私が諦めた意味ないじゃない」

「……善子ちゃん」

 

 善子ちゃんは、夏祭りの前の夜にマルを呼び出して、『アンタら早くくっつきなさいよ!』と言い、それ以来、八幡さんへのアプローチを止めました。理由を聞いたりはできなかったけど、マルは黙って頷き、善子ちゃんを抱きしめました。

 

「ああ、もう!そんな回想はいいから、ほら、そろそろ練習再開するわよ!」

「あ、うん」

 

 前を歩く善子ちゃんの背中に、マルは心の中で「ありがとう」と呟きました。

 

 *******

 

 今日やる予定だった範囲まで終えると、スマホを起動させ、花丸に電話をかける。自分が日課のように誰かに電話する日が来るなんて、思いもしなかった。

 そんなことを考えていると、すぐにその声は聞こえてきた。

 

「あ、えと、八幡さん、こんばんは……」

「……おう、なんかテンパってるな」

「ずらっ……きょ、今日はお腹の調子が……」

「…………」

 

 明らかに嘘っぽい響きがして、ツッコんでいいものかどうか迷ってしまう。

 ……いや、迷ってても仕方ないか。

 

「それで……どうしたんだ?」

「うぅ……やっぱり、バレてるずら」

「いや、別に無理には聞かないが、まあ、言って楽になることもあるらしいぞ」

「八幡さん……」

 

 しばしの沈黙。やわらかな吐息の音が、電話越しに耳をくすぐってくるのが心地良くて、この空白も意味あるものに思えてしまう。

 やがて、前置きのような咳払いの音が聞こえ、彼女が言葉を紡いだ。

 

「……わかりました……八幡さん」

「…………」

「マ、マルに……キスしてください」

「……………………は?」



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青春の影 ♯55

 翌日の朝……。

 

「き、昨日はいきなりごめんなさい、ずら……」

「あ、ああ……」

 

 顔を真っ赤にして謝る花丸に、こちらもただ苦笑で返していた。そりゃあ、いきなりあんな事を言われたら、誰だって驚くだろう。こちとらしばらく胸が高鳴り続け、変な個性が発現したと思ったくらいだ。

 

「善子ちゃんから、早く既成事実を作るように言われて……」

「…………」

 

 アイツは何を言ってんだ……いや、まあいいんだけどさ……。

 

「まあ、その……焦るのはよくないずらね。まだオラ達、碌にデートもしてないですし……」

「……ああ。それに、お互いやることあるしな」

「あはは……あっ」

 

 突然、花丸が何かに反応する。

 彼女の視線を追うと、ボールがコロコロとこちらに転がって来ていた。

 

「ごめんなさーい!」

 

 そして、背の高い水着姿の少女がこちらに駆け寄ってくる。いかん。花丸ばかり見て、周りに人がいることに気づかなかったとは、注意せねば。

 俺はボールを拾い、彼女にパスした。

 

「ありがとうございます!」

 

 ハキハキした爽やかな声で礼を言われ、反射的に会釈してしまう。少し離れた場所で、小麦色の小柄な女子が、ペコリとこちらに頭を下げていたので、そちらにも会釈を返す。ちなみにこちらも水着姿だ。

 

「よしっ!この調子で行くよ、鬼コーチ!」

「鬼コーチは止めてよぉ……」

 

 二人のやりとりに、微笑ましい気分になりながら、再び花丸の隣に腰を下ろすと、いきなり彼女が立ち上がった。

 

「八幡さん、ちょっと場所を変えるずら」

「どした?」

「変えるずら」

「お、おう……」

 

 有無を言わさぬその態度に、俺は頷くことしかできなかった。

 …………ぶっちゃけ、割と怖い。

 

 *******

 

 あわわ……オラは何をやってるずら!?

 あのぐらいで、し、嫉妬したりして……!

 いや、でも……八幡さんも思春期特有のいやらしい視線を向けてたかもしれないし……いや、そういうのは全てマルに向けて欲しいずら。いや、まだマルは高校生なのに、何をはしたないことを……。

 

「うぅ……」

「どした?大丈夫か?」

「気にしないで欲しいずら。マルはちょっとアイデンティティ崩壊してるずら」

「……こ、小町に聞いたのか?そうなのか?」

「何の話ずら?」

「いや、何でもない……」

 

 八幡さんも戸惑っているずらね。このままではいけない気がします……。

 マルは一度深呼吸をして、八幡さんに向き直った。

 

「は、八幡さん、今から……その、お時間ありますか?」

「ああ、あるけど……」

「じゃ、じゃあ、マルとデートしましょう……ずら」

「……わかった」

 

 いつも通りのぶっきらぼうな声。それでも、その頬にほんのりと赤色が差し込むのを見ると、マルの口元は自然と緩んでしまいました。



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青春の影 ♯56

 夏休みも終盤に差し掛かり、早朝や夕暮れにふと涼しさを感じるようになり、過ごしやすい秋が待ち遠しくなる頃。

 そんな夏の終わりのある一日に、俺は小町セレクトの服を着て、沼津駅の前に佇んでいた。

 時刻は十一時。さすがに沼津となると、人通りを多く、普段の俺なら上昇する気温と人の多さで心が折れ、帰宅しているところだ。

 しかし、今日は……

 

「は、八幡さん!」

 

 やわらかな声が真っ直ぐにこちらに飛んでくる。

 心なしか、その声はいつもより弾んで聞こえた。

 目を向けると、花丸がこちらへとたったか駆け寄ってくるのが見えた。

 息と声以外に体の一部分が弾んでるのは気のせいじゃないよね!

 花丸はピンクのリボンを揺らしながら俺の前でピタリと立ち止まり、汗で額に貼りついた前髪を気にしながら、控え目な笑顔を向けてくる。

 

「お、お待たせしました……ずら」

「……あ、ああ。いや、今来たところだから」

 

 つい定番の台詞を口にしながら、視線を彼女の瞳に合わせる。緊張しているだけだ。決して胸を見ていたわけじゃない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 

「えっと……きょ、今日はよろしくお願いします、ずら」

「……こっちこそ。まあ、あれだ……お互いあまり気張らないほうが良くないか?」

「あはは……そ、それもそうずらね」

「…………」

「…………」

 

 周りの音がやけに強調されるような沈黙が訪れる。いかん。自分で思ったよりもずっと緊張している。多分、彼女もそんな感じなんだと、不思議な確信があった。

 とはいえ、このまま日に焼かれていても仕方ないので、俺は覚悟を決める。

 

「……行こう」

 

 そっと手を差し出す。

 すると花丸は目をぱちくりさせ、不思議そうにその手を見つめる。あれ、意味わかってない?

 一瞬焦ったが、その心配は杞憂だったようで、彼女は優しく俺の手を握ってきた。

 

「ずらっ♪じゃ、じゃあ、今日はよろしくお願いするずらっ」

「……こちらこそ」

 

 *******

 

 ぎこちなく手を繋いだまま、のんびりと沼津の商店街を歩く。

 普段よりもさらに言葉は少なめだが、いざこうしてみると、何だか居心地がいい。 

 

「は、八幡さん」

「……どした?」

「マ、マル達……周りから見て……恋人同士に見えるずらか?」

「あー、どうだろうな……まぁ、その……………………か」

「え?き、聞こえなかったずらよ」

「……じゃあ、飯でも食いに行くか」

「むぅ、誤魔化したずら……」

 

 照れくさい話題を華麗に躱し、もうお昼時ということもあり、どこかで飯を食おうという話になったのだが……

 

「そちらのカップルさん!よろしければどうぞ~!」

「「……ん?」」

 

 いきなりの呼びかけに、ついつい二人して疑問符を浮かべてしまった。

 目を向けると、西欧風のオシャレな外観のカフェがあり、その入り口の前にいる店員さんは、明らかにこちらを見ている。しかし、どちらもカップルと言われることに慣れてなさすぎて、どう反応すればいいか迷ってしまった。

 そんな俺達の様子などお構いなしに、店員さんはぐいぐい接近してくる。

 

「今、カップル限定のキャンペーンをやってるので、お時間あるならぜひ!」

「カ、カップル……」

「限定、ずらか?」

「はい!くじ引きで選んだゲームに挑戦していただき、それをクリアすれば、お食事代が半分になります!」

「……あー、俺らそういうのは「やってみたいずら!」……お、おう」

 

 花丸は、子供のような笑みを浮かべ、店員さんが差し出した箱の中に手を突っ込む。多分、くじ引きがしたかっただけじゃないのか……いや、いいんだけどさ……。

 花丸は手探りで箱の中身を吟味してから、ゆっくりと一枚の折れ曲がった紙切れを取り出す。

 そして、店員さんがそれを受け取り、中を確認すると、何故かやたら笑顔になった。

 

「お~!これは……確実にクリアできるやつですね!」

 

 えっ、本当に?

 店員さんの言葉に、花丸は得意げな笑みを向けてくる。うん、よくやった。

 

「それでは、お二人に挑戦していただくのはポッキーゲームで~す!」

 

 店員さんがにぱっと爽やかな笑顔を向けてきた。

 あー、何だ。確かに勝ち負けとかじゃねえな。ポッキーゲームって……ん?ポッキーゲーム?

 

「「……え?」」



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青春の影 #57

 俺は花丸の手を引き、商店街から逃げ出していた。

 

「は、八幡さん!?どうしたずらか!?」

「……後で話す。今はついて来てくれ」

「りょ、了解ずら!」

 

 多分、花丸のリアクションからして、ポッキーゲームが何なのかすらわかっていないだろう。

 店員さんも人は良さそうだったが、ここだけは譲れない。あとで普通に飯食いに行くから許して欲しい。

 あれこれ考えている内に、商店街を抜け、海が見晴らせる場所まで来ていた。人の数もまばらで、落ち着いて話をするには丁度よかった。

 適当なベンチに花丸を座らせ、自分もその隣に腰を下ろす。

 

「……いきなり悪い」

 

 開口一番謝ると、彼女は首をふるふる振って、ニコッと笑顔を見せた。

 

「だ、大丈夫ずらよ。八幡さんにとって、ポッキーゲームとは、それほど恐ろしいものだとわかったずら」

「いや、恐怖っつーか……あれだ……」

「?」

「俺はああいう頭の悪い大学生が酔った勢いでやるようなアホなゲームが大嫌いなんだよ」

「…………はあ」

 

 おっといけない。ついガチな本音がダダ漏れしてしまった。

 俺の様子に、花丸はきょとんと首を傾げていた。

 

「あ、あの、八幡さん。ポッキーゲームって一体……」

「ああ、すまん。説明する」

 

 *******

 

「さ、最後は……あわわ……ずら~……」

 

 ポッキーゲームの内容を聞いた花丸は、顔を真っ赤にして、プスプスと白い煙でも出てきそうなくらいだった。

 やはり彼女には刺激か強かったらしい。

 彼女はしばらく頭を抱え、あたふたした後、恥じらうような弱々しい目をこちらに向けてきた。

 

「で、でも……オラ……八幡さんとなら……」

「……っ」

 

 意外すぎる言葉に胸がどくんと高鳴り、顔が赤くなるのを感じる。

 くりくりした目が、澄んだ瞳が潤んで、甘ったるい空気が周りを取り囲むのを感じた……けれど……

 

「……俺が嫌なんだよ……」

「え?」

 

 深呼吸し、気持ちを落ち着け、彼女の手をそっと握る。

 一瞬だけピクリと驚いた小さな手は、すぐに俺の手を握り返してきた。

 そのことに背中を押され、自然と口が動く。

 

「その……あれだ……するなら自分のタイミングでしたい」

「…………あわわっ!」

 

 花丸は数秒遅れて俺の言葉を理解し、また慌てだす。

 

「いや、さっきお前も結構大胆なこと言ってたからね?」

「あ、あのあの……その……マ、マルはその……は、八幡さんから、そういうことを言って貰えたのが嬉しくて……」

「……そっか」

「…………」

「…………」

 

 二人して見つめ合ったまま、何も言えなくなる。

 いや、言う必要がないのか……静寂がこんなに心地いいのだから。

 この後何をすべきかなんて俺にもわかる。

 その淡いイメージをなぞるように、彼女の肩に手を置き、ゆっくり引き寄せる。

 たったそれだけで、彼女もこの流れを理解し、目を閉じた。

 小さな薄紅色の唇が、微かに震えながら、触れ合う瞬間を待っている。

 そこで風がやわらかく吹き抜け、心地よい涼しさが体を駆け抜けていった。

 顔の火照りを感じながら、彼女の吐息が次第に近くなっていき……やがて……

 

「あ~!!このカップル、チューしようとしてる~!!」

「「っ!!」」

 

 突然の声に慌てて体を離す。

 すると、すぐ後ろに4、5歳くらいの子供がいて、こちらを指差していた。

 

「こらっ、ダメでしょ!?ごめんなさい……じゃ、じゃあ、ごゆっくり……」

 

 子供を叱りつけながら謝るお母さんは、頬を赤らめながら、そそくさと立ち去った。

 そのことにハッとした俺達は、辺りを見回す。

 すると、中学生くらいの女子グループや、老夫婦や、家族連れがこっちをチラ見していた。

 ……や、やべえ……すっかり忘れてた。

 普段ステルスヒッキーだの何だの言って、人目につかないことを得意とする俺がこんなミスを……。

 

「は、八幡さん、その……」

「いや、俺が悪かった……」

 

 お互いに苦笑し、ゆっくり立ち上がると、偶然同じタイミングでお腹が鳴る。

 

「…………」

「…………ふふっ」

 

 花丸が吹き出したのにつられ、俺もくっ、くっ、と吹き出してしまう。

 ……多分、彼女と一緒にいたくなるのは、この穏やかな時間が好きだからだろう。

 なら、俺も焦ることはない。 

 

「……飯食いに行くか」

「…………ずらっ♪」

 

 今度は同じタイミングで手を出し合う。今度は微笑みが漏れた。

 こうして自然と手を繋ぐ二人は、きっと間違いなく恋人なのだろう。

 その慣れない感覚をくすぐったく感じながら、俺は彼女の手を握りしめた。

 混ざり合う優しい温もりに、確かな繋がりを感じながら……。



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青春の影 #58

 やがて夏休みは終わり、二学期をを迎えた。去年は総武高校で文化祭や体育祭や、クリスマスのイベントに終われていたが、今年は夏休みと変わらず受験勉強をやるだけだ。

 そんな代わり映えのしない二学期初日の夜、まさかの事実を知った。

 

「統廃合が決定?」

「うん」

 

 夕食中、珍しく真面目なテンションで切り出した小町が、残念そうに頷く。どうやら浦の星女学院の統廃合が濃厚になっているそうだ。

 俺はすぐに彼女の顔を思い浮かべた。

 Aqoursがあれだけ廃校阻止に向けて頑張っていたことを考えれば、どれだけショックかは容易に想像がつく。

 

「お兄ちゃん?」

「……いや、何でも」

「そう……花丸ちゃん、落ち込んでると思うから励ましてあげてね」

 

 何この妹!あっさりマインドスキャンしちゃったよ!ここまで来たらもう逆らえなくなるよね、罰ゲームされちゃうもん!

 高校生活初の二学期に迎えた可愛い妹の、小さな成長を目の当たりにしながら、俺は花丸に会う時の事を考えた。

 そんな事情も優しく包むように、内浦の夜は今日も穏やかに流れていた。

 

 *******

 

「マル達は諦めないずら!」

 

 夕食後、彼女に電話したら、開口一番そんな言葉が返ってきた。もし俺じゃなかったら、どうするつもりだったんですかね。もしかして、こっちはヴィジョンアイでも習得したのだろうか。マジかよ、もしかしたら黒澤妹や津島まで特殊能力持ちなんじゃねえの?どんなキセキの世代だよ……。

 

「あっ、いきなりごめんなさいずら……」

「いや、大丈夫だ……意外と元気そうだな」

「はいっ、落ち込んでる場合じゃないずら」

 

 こちとら、慣れない励ましの言葉を送るべく、授業そっちのけで百通りは頭の中でシミュレーションしたんだが……ちなみに、どれもポカンとした表情をされた。やはり日頃の積み重ねって大事だと思うの。

 そして、花丸はいつもより弾んだ声で話を続けた。

 

「千歌ちゃん達と決めたから……絶対に奇跡を起こそうって」

「……そっか」

「八幡さん。見ててください!」

「ああ……応援してる」

 

 どうやら俺が心配することなど、何もなさそうだ。とはいえ彼氏の立場上、このまま通話を終えるのも寂しいものがある。

 その電話越しにもわかる曇りのない笑顔に、俺は伝えるべき言葉を探した。

 そして、不思議とその言葉は浮かんできた。

 

「まあ、あれだ……お前、普段の行いが良さそうだから、奇跡くらい起きるんじゃねえの?そ、その……」

「?」

「俺みたいに大して普段の行いが良くない奴が……お、お前と……出会えたわけだし……」

「…………」

 

 夏の夜風が緩やかに沈黙を撫でていく。

 あれ?もしかして滑った?いや、ウケとか狙ってないからね?てか、思いつくまま喋ったら、すごい恥ずかしい事言ってるんだけど!穴があったら入りたい!

 羞恥のあまり、汗が噴き出すのを感じていると、向こうからも反応があった。

 

「あわわ……あ、あの、八幡さん……いきなり、そんなこと言われたら……照れちゃうずら……」

「そうか……悪い」

「いえ、謝らないでほしいずら……嬉しかったですし」

 

 胸の奥に温かい光が灯るような幸せが湧き上がる。

 口元がにやつくのを、頑張って耐えるので精一杯だった。

 

「じゃあ……は、八幡さん。マルも聞いてほしい事があります……」

「……どうかしたのか?」

 

 聞き返すと、彼女は深呼吸してから、そっと言葉を紡いだ。

 

「えっと…………あの……あのあの…………大好き、です」

 

 心を何かが貫く音がした。胸の高鳴りが、彼女に聞こえるんじゃないかと、心配になった。

 そして、危うく脳が蕩けそうになるのを必死でこらえた。

 

「い、いきなり、そんなこと言われたら照れるんだが……」

「ふふっ、仕返しずらよ~」

「そっか……なら仕方ないな」

「…………」

「…………」

 

 再び沈黙が訪れる。しかし、そこに気まずさはなく、少しくすぐったい居心地の良さがある。

 数秒間、それをじっくり味わった後、彼女の方から口を開いた。

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

「……おう、それじゃあ」

 

 通話を終えると、ぱっと入れ替わるかのように静寂が訪れる。しかし、耳元にはしばらくの間、じんわりと熱が残っていた。

 俺は頬の火照りを冷ますべく、窓を開け、夜風を浴びた。

 

 *******

 

「……あわわ、か、顔が熱いずら~!」



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青春の影 #59

「ねぇ、花丸ちゃんは最近比企谷さんと……どう、なの?」

「ずらっ!?」

 

 ルビィちゃんからのいきなりな質問に驚きを隠せない。

 その表情を確認すると、教室で少女漫画を読んで、きゅんとした表情をしていた子にそっくりだった。

 

「どうしたずらか?い、いきなり……」

「えっと……あのね?作詞とかの参考になるかもって……」

「作詞……ずらか」

「うん。とにかく、この空気を何とかしないと……」

「そ、そうずらね」

 

 黒澤家の空き部屋を満たすピリピリした空気。

 その空気の原因は、他ならないマル達にありました。

 千歌ちゃん達だけに曲作りの負担はかけられない、というわけで、一年生と三年生で曲作りを始めたのですが、テーマを決める段階から話が噛み合わずに、マル達の間には険悪な雰囲気が漂っています。

 それで何とかしようとしているのですが……

 

「でも、マルと八幡さんの事を話したって……のろけにしかならないずら」

「……のろけちゃうくらい仲良いんだね。花丸ちゃん……大人」

「そ、そういう意味じゃないずら~!」

 

 どうやらルビィちゃんの頭の中のほうが、マルよりずっと大人ずら……。

 

「でも、確かに気になるかな」

「ずらっ?」

 

 いつの間にか、果南さんがすぐ傍に来て、好奇心たっぷりの眼差しを向けてきます。

 

「スイートな話を聞けたら、作詞もはかどるかも♪」

 

 鞠莉さんも……す、すっごくニヤニヤしてるずら!

 

「ま、まあ、私といたしましては、人様の恋愛事情を根掘り葉掘り聞くような無粋な真似はしたくないのですが、曲作りの為とあらば、致し方ありませんわ」

 

 ダ、ダイヤさん……最もらしいことを言いながら、一番目が血走ってるずら……あと近いずら。

 

「落ち着きなさい、リトルデーモン達!」

 

 善子ちゃんが割って入ってくれる。さすが善子ちゃん、同じ人を好きになった同士ずら!

 

「まだ色々聞くのは早いわよ!何故ならまだ、この堕天使ヨハネにも逆転のチャンスがあるもの!」

「引っ込むずら~!」

 

 この前の感動は何だったのでしょうか。

 いや、でもオラも気をつけないといけないずら。この前、八幡さんと歩いていたら、金髪の綺麗な人が八幡さんを見てたし、ロケに来た銀髪のアイドルさんも八幡をじっと見て頬を染めてたし、道路を走っている戦車から八幡を見下ろしている金髪の女の子もいました。むむむ……

 

「は、花丸ちゃん?」

「目が怖いですわ……」

 

 *******

 

「それで、曲作りは進まなかったのか」

「ずらっ。でも、明日こそはテーマを決めるずら」

「そっか」

「はい……あの……」

 

 花丸はそっと手を差し出してくる。最近、人通りが少なくなってくると、手を繋いで歩くのが習慣になった。まだ汗ばむ季節といえども、彼女の手の温もりは、優しく心を包んでくれる。

 風が彼女の頬を撫で、茶色がかった髪を揺らしたその時、何故だかいつもより大人びて見えた。

 

「どうかしたずらか?」

「いや、な、何でもない」

 

 別に疚しい事などないのに、つい噛んでしまう。

 そして、彼女はそれを聞き逃さなかった。

 

「怪しいずら~。ほ、本当は……」

「……本当は?」

「その……えと……うぅ……八幡さんはいやらしいずらっ」

「い、いきなりどうした……?」

 

 俺、何も言ってないんだけど……まあ、はずれとは言わないが。

 花丸は頬を赤く染め、チラチラとこっちを窺い……

 

「ずらっ」

「っ!」

 

 いきなりがしっと腕にしがみついてきた。

 肘の辺りに、豊満な膨らみが惜しみなく押しつけられ、なんかメーターみたいなのが頭の中で振りきりそうなイメージが沸く。

 すると、彼女はすぐに離れ、両頬を抑えうずくまった。

 

「あわわ……やっぱりこっちはまだ恥ずかしいずらぁ……」

「…………」

 

 多分、彼女なりに関係を進めてくれようとしているのだろう。今日、周りから聞かれて、色々考えたのかもしれない。

 その健気さがたまらなく愛しくなり、そっと彼女の髪を撫でる。

 

「あ……」

「…………」

 

 さらさらの髪から淡く甘い香りが漂い、このままいつまでもこうしていたくなる。これも恋とかいうあやふやな感情なのかもしれない。

 彼女はうずくまったまま、こちらを見上げてくる。その様子が、何だか子犬みたいで頬が緩んだ。

 しばらくして、俺達は再び手を繋ぎ、夏の名残のような温かい夕暮れの中を歩いた。

 



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青春の影 #60

「それで……俺達に今からデートをしろと?」

「そうですわ!やはり近くで恋人同士が愛し合うところを見ることにより、インスピレーションを得られるはずですわ!」

「やっぱりアイドルといえばラブソングですから」

「はあ……」

 

 俺は現在、黒澤姉の部屋で花丸と並べて座らされている。

 そして、その正面にはAqoursの三年と一年が正座している。女子比率高すぎて、はっきり言って居心地悪い。

 自分に視線が集中しているのが落ち着かないのか、花丸は隣でもじもじしながら俯いている。

 誰かに見られながらのデート……さて、どうしたものか。

 こちらが逡巡していると、花丸はばっと顔を上げ、はっきり告げた。

 

「オ、オラ、やります!やりたいずら!」

「花丸ちゃん……」

「八幡さん、大丈夫ずらか?」

「……まあ、お前がいいなら別に構わん」

 

 実際のところ、俺達はただデートすればいいだけみたいだし、それでAqoursの、 花丸の役に立つのなら俺としても嬉しくはある。ただ……

 

「どこに行けばいいんだ?」

「…………」

 

 皆の視線がこちらに集まる。え、何?何なの?

 

「八幡さん……いつも、あなた達二人が行くところでいいですわ」

「……いつも、ねぇ」

「ずら……」

 

 *******

 

「「…………」」

 

 正直困った展開になった。

 俺も花丸も、はっきり言ってインドア派だ。それに、こんな平日の放課後からのデートだと行ける場所も限られてくる。

 というわけで、ひとまず俺と花丸は手を繋ぎ、ただただのんびり歩いていた。

 

「……これでいいんでしょうか?」

「さすがにあれだから、今から甘いもんでも食いに行くか」

「ずらっ、本当ですか!?」

 

 花丸がやたら目をキラキラさせ、顔を寄せてくる。あっ、これもう本来の目的忘れちゃってますね、間違いない。

 

「……ど、どうせ俺も甘いもん食って、受験勉強に集中したかったからな」

 

 恋人同士とはいえ、清く正しい男女交際を心がけている俺としては、この顔の近さはかなり緊張する。何ならさっきからずっと緊張気味だった。

 

 *******

 

「まだどちらも照れが残ってますわね」

「う~ん、これって……ときめくものなのかなぁ?」

「果南はこういうの疎いから。どちらもシャイなのよ」

「ぐぬぬ……や、やっぱりまだ複雑な気分だわ……!」

「よ、善子ちゃん……」

 

 *******

 

 背後からすごく視線を感じる。こう、何かを期待されているような……。

 しかし、期待を裏切るどころか、期待されないことに定評のある俺としては、その視線は重たく感じるんですが。

 

「オラは宇治金時が食べたいずら♪」

「…………」

 

 ……こっちはこっちで緊張感なさすぎな件。

 

 *******

 

 とりあえずAqoursのメンバーもよく立ち寄る喫茶店に入り、甘い物を頼む。

 落ち着いたところで、店の奥から小さな犬が、たったかと駆け寄ってくる。

 愛くるしい瞳がこちらを見上げてきて、つい頬が緩む。

 

「マル、好きずらよ」

「ん?お前も犬、好きなのか?」

「違うずら。犬も好きですけど、八幡さんのさっきの表情ずらよ。こう……ぶっきらぼうだけど優しくて……でも、そこが……あうぅ……」

 

 花丸は湯気が出そうなくらい顔を赤くしている。それに応じるように、こちらの頬も火照っていた。

 それを誤魔化すように水を口に含むと、見計らったかのようなタイミングでケーキとどら焼きが運ばれてきた。

 

「お待たせしました~。ふふっ、ごゆっくり♪」

 

 店員さんは、意味ありげな笑みを俺達に向け、奥へと戻っていく。

 多分、その視線は誤解とかではないのだろうが、色々気恥ずかしい。

 しかし、目の前にいる彼女は、既にそれどころではないようだ。

 

「わぁ♪いただきま~す」

「お、おう……」

 

 花丸は幸せそうにどら焼きにぱくつき始める。何だかこう、小動物感満載で可愛い。まあ、いつもの事なんだが……。

 

「は、八幡さん……そんなに見られたら恥ずかしいずら」

「わ、悪い……なんか、あれだ……ケーキ少し食うか?」

「えっ?いいんですか!?えっと……じゃあ……」

 

 花丸は小さな口を可愛らしく開ける。

 ……別にカービィみたいに吸い込もうとしているわけじゃないようだ。いや、わかってるんだけどね?

 

「…………」

 

 俺はフォークでイチゴを刺し、生クリームをたっぷりつけ、彼女の口の中に押し込んだ。

 まさかイチゴを貰えるとは思ったのか、花丸は驚きながら、口をもごもご動かす。

 

「ふぉいふぃぃふあ~」

「おーい、食ってから喋ろうな」

 

 彼女はんぐっと飲み込んでから、ほわぁっと幸せそうな笑顔を浮かべた。

 

「おいしいずら~」

「……ならよかった」

「じゃ、じゃあ、オラからも……」

 

 花丸は、どら焼きを大きめに千切り、こちらに身を乗り出してきた。

 

「は、はい、あ~ん……」

「……花丸さん?お行儀が悪いですよ?」

「うぅ……恥ずかしいから早く食べるずら~!」

「…………」

 

 そう言われては仕方ないので、どら焼きを口に含む。

 微かに彼女のひんやりした細い指先が唇に触れ、どきりと胸が高鳴った。

 そして、同じタイミングで控えめな甘さが口の中に広がっていく。

 花丸は人差し指を胸の辺りで包み込み、こちらをじっと見ている。

 

「……どうですか?」

「……美味い」

「よかったずらぁ♪」

 

 ……まあ、あれだ。

 たまにはこういうのも……悪くない。

 

「よ、善子ちゃん!ダメだよ、邪魔しちゃ!」

「離して!や、やっぱり私も!」

「あ~ん、て食べさせるだなんて……ハ、ハレンチですわ……」

「ちょっ、ダイヤ!?しっかり!」

 

 まあ、できれば二人きりだけの時がいいが……思いきり声聞こえてるんだけど……。

 

 *******

 

「まだまだシャイニーしきってないデスネェ。となると、これはマリーが一肌脱ぐしかアリマセンネ!フフッ♪」

 

 



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青春の影 #61

 花丸と他愛ない会話をしながらのんびり歩いていると、茂みの方から「送信っ!!」という声が聞こえ、彼女の携帯が鳴り出した。いや、どうせ近くにいるんだから直接言いにくればいいんじゃないですかねえ……。

 

「えっと、鞠莉さんからメールが来たずら」

「……そ、そうか」

 

 ぶっちゃけ嫌な予感しかしない。

 かといってスルーしてしまったら、わざわざ公開デートをしている意味がなくなってしまう。

 覚悟を決めた俺は、花丸の目を見て頷いた。

 

「えっと……ホテルオハラに近くにある温泉に行くようにって指示が来たずら」

「……そうか」

 

 何があるというのだろうか……てか、何故温泉?俺の入浴シーンでも見ようというのだろうか。何それ、恥ずかしいんだけど。

 

「八幡さん、どうかしたずらか?」

「いや、何でもない」

「温泉、楽しみずら~。久しぶりずら~」

「……そっか。ならよかった」

 

 どうやらこの子は本来の目的を忘れているようで、すっかりお楽しみモードである。

 その様子に頬を緩めると、彼女はこちらに手を差し出してきた。

 

「は、早く行きましょう!……ずら」

「……おう」

 

 ……まあ、リラックスするのは悪いことじゃない、か。

 俺は小さな手をしっかりと握りしめ、それを合図に二人は並んで歩きだした。

 

 *******

 

「鞠莉さん、二人に何を連絡しましたの?」

「ふっふっふ~、それは着いてからのお楽しみでデース!」

 

 *******

 

 スライドドアを開け、一歩足を踏み入れると、そこは特に変わったところもない普通の温泉だった。強いて言うなら、サウナな打たせ湯、電気風呂などがしっかり整えられていて、結構広いことぐらいか。

 俺は一旦汗を流してから、すぐに中央の一番大きな風呂に体を沈めた。じんわりと心地よい温かさが体を芯から温める感覚に、心の底から満たされていく。

 

「ふぅ……」

 

 思わず溜め息が漏れてしまうあたり、公開デートで中々緊張しているのだろう。てか、あいつらもうちょっと気配を消す努力をして欲しいんだが……。

 考えていると、近くで誰かがちゃぽんと湯船に足を踏み入れる音が聞こえた。まあ、さすがに貸し切りとはいかない……か?

 

「……は?」

「……ずら?」

 

 時間が止まったかのような感覚。

 視線は目の前の人物に釘付けになり、微動だにできない。ただお湯が注がれる音だけが絶え間なく響き、これは現実なんだと教えてくれていた。

 俺は顔にお湯をぶっかけ、もう一度目を凝らして見る。

 ……そこにいたのは、タオルで前を隠しただけの花丸だった。

 

 *******

 

「こ、ここ、混浴~~~!?鞠莉さん、あなた何を考えていますの!?破廉恥な!!」

「これぞ裸の付き合いでラブラブ作戦デース♪これで二人ももっと仲良くなりマス!」

「なんか目的変わってるような……しかも、これじゃ私達見れないし」

「「あ……」」 



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青春の影 #62

「「…………」」

 

 オーケー。状況を整理しよう。

 まず小原の指示で、ホテルオハラが経営する温泉施設にやってきた。

 そして、男女別々かと思いきや、何故かタオル一枚の花丸と遭遇。

 特に整理するまでもなかった……わかりやすく嵌められてんじゃねえか。

 目の前にいる花丸は、タオル一枚で頼りなく前を隠し、口をぱくぱくさせている。こいつは多分、俺以上に驚いているのだろう。まあ、仕方ないといえば仕方な「ずらぁっ!」

 花丸は慌てて湯船に体を沈める。や、やばい!今、タオルがずれて色々見えそうだったぞ……!

 

「は、八幡さん、どうしているずらか!?も、もしかして、そんなにマルの……」

「いや、その、まあ落ち着け……どうやら小原に嵌められたらしい」

「ええ!?ま、鞠莉さぁん……」

 

 羞恥に頬を染めた花丸は、鼻から上だけお湯から顔を出し、しばらくブクブクさせていた。

 やがて、少しは落ち着いたのか、口を開いた。

 

「ううぅ……は、八幡さん?」

「……どした?」

「その……見た、すらか?」

「……何を?」

「さっき……マ、マルの裸を……」

「…………見てない」

「い、今の間はな、なんずらか!?」

 

 何を言われようと、見てないったら見てない。もちもちしてそうな白い肌とか、やっぱり大きな胸とか、タオルに隠れていてまったく見えない……ホントだよ?ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 しかし、花丸はこちらをじ~っと穴が空くように見つめていた。

 

「八幡さん、目つきがいやらしいずら」

「……いや、待て。ほんのちょっと見たのは悪かったが、俺は悪くない。それにだな……」

 

 しどろもどろになりながら言い訳を試みると、花丸はクスッと笑い、距離を詰め、肩をピタリとくっつけてきた。

 火照った彼女の体温と柔らかさが直に伝わり、そこにしか意識がいかなくなる。

 そして、俺の耳に温い吐息がふわりとかかった。

 

「……オラ、とっても恥ずかしかったけど、八幡さんになら見られてもいいずら。だから……マルの事、お嫁さんにしてくださいね?」

「っ…………あ、ああ」

 

 こいつは俺の理性を崩壊させようとしているのだろうか。

 目を向けると、とろんとした瞳が真っ直ぐに俺を見ている。

 

「…………」

「…………」

 

 再び沈黙が訪れるが、そこには気まずさなどどこにもなかった。

 俺は手探りで、お湯の中の彼女の手を握りしめた。

 

「……花丸」

「……はい」

 

 そっと俺の手を握り返す花丸の頬は紅くなり……あれ?ちょっと紅すぎるような……この子、もしかして……

 

「……お前、のぼせてないか?」

「そ、そんなことないずらよ~。さあ、背中を流してあげるずら~」

「いや、そのテンションっておい、今いきなり立ったら……!」

 

 その瞬間、すべての時が止まった気がした。

 のぼせて思考が混乱しているのか、花丸は勢いよく立ち上がった。

 そして、俺は言葉を失い、呆然と彼女の一糸纏わぬ姿に見とれていた。

 

「…………」

「八幡さん、どうしたんですか?……ん?えっ……ずらあぁぁ~~~~~!!!」

 

 



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青春の影 #63

「……すまん」

「…………」

 

 花丸は向こうを向いたまま何も答えてくれない。

 ……やばい。いや、本当に。

 さっき見た彼女の柔肌が脳裏に焼き付いて離れない。それどころじゃないのはわかっているのだが、まだ胸がどくんどくんと脈打っている。

 

「これは……気まずいかもねえ」

「鞠莉さんっ、何とかしませんと……!」

「ウェイト!まだ様子を見てみるデース!」

 

 あいつら、もう隠れる気なんて欠片もねえな……いや、今はそれどころじゃない。

 俺はこれ以上ないくらい綺麗な土下座をかました……まあ、花丸はあっちを向いてるけど……。

 

「花丸……「八幡さん」?」

 

 おそるおそる顔を上げると、花丸は緊張気味の表情で俺を見下ろしていた。その頬はまだはっきり紅い。

 そんな彼女の火照った唇は、微かに震えながら、やがてぽつぽつ言葉を紡いでいく。

 

「さ、さっきの約束……忘れないでくださいね?」

「……あ、ああ」

 

 健気な言葉に頷くと、彼女は小指をこちらに向けた。 

 

「じゃあ……ゆびきり、ずら」

「……わかった」

 

 俺達は小指をそっと絡ませ、それを軽く揺らす。

 手は何度も繋いだことがあるのに、その白く細い小指は、やけに胸を締めつけた。

 すると、彼女がようやく……いつものように笑った。

 

「ふふっ、じゃあ……のっぽパン5本で許してあげるずら」

「……一人で食えるのか?」

「食べられるけど、1本あげます♪一緒に食べるずらっ」

「……了解。じゃ、行くか」

「ずらっ」

 

 俺は彼女の手を引き、のっぽパンが売ってるスーパーの場所を頭の中で確認した。

 

「ふぅ……雨降って地固まる、ですわね」

「フッフッフッ~、やはり私の狙い通りデース!」

「絶対嘘でしょ……」

「あ、あのっ、お姉ちゃん!」

「どうしたのですか?ルビィ……」

「もう……今日は十分じゃないかなっ?」

「でも……」

「それもそうね。色んなとこ行ったし……足も疲れたし」

「……そうですわね。あとは二人っきりにしてあげましょうか」

「何だかインスピレーションが湧いてキマシタ!」

「あははっ。じゃあ、どこかで甘いものでも食べて帰ろっか」

 

 *******

 

 のっぽパンを購入し、スーパーを出ると、他のAqoursメンバーはもういなくなっている事に気づいた。今日はもういいということだろうか。

 空は夕焼けに焦がされ、内浦の海はほんのり赤く染まっていた。

 帰る時間を考えれば、そろそろ花丸を送り届けたほうがいいだろう。

 

「……じゃあ、俺達も帰るか」

「ずらっ?……そ、そうですね」

「どうかしたのか?」

「……な、何でもないずらよ~」

「そっか」

 

 やがて到着したバスに、俺達はゆっくり乗り込んだ。

 

 *******

 

 花丸と会話しながらバスに揺られていると、携帯が震えだす。

 画面を開くと、小町からだった。そんなにお兄ちゃんが恋しかったか。このブラコンめ。なるべく早く帰るとするか。

 しかし、書いてる内容はあっさりしたものだった。

 

『今日、お父さんもお母さんも会社に泊まり込みだって。私も友達の家に泊まるから、お兄ちゃんも花丸ちゃんの家に泊まってきたら(笑)』

 

 …………マジか。

 

「どうかしたずらか?」

「ああ、今日は皆泊まりで家に誰もいないそうだ」

「だ、だったら!」

 

 いきなり花丸が顔を近づけてきて、真剣な眼差しを向けてくる。

 

「は、八幡さんも……マルの家に泊まりませんか?」

「…………は?」

 

 花丸の言葉を正しく理解するのに、俺はしばらく時間が必要だった。

 

 *******

 

「なあ、花丸。本当にいいのか?」

「もちろんずらっ。おばあちゃんもいいって言ったずら」

「……そっか」

 

 おばあちゃんがいいって行ったなら、きっといいのだろう。ああ、きっとそうだ。

 隣の花丸の表情は何だか楽しそうに見える。

 さっきの大胆な発言など、まるで気にも留めていないかのようだ。

 やわらかそうな髪の毛が風に泳ぐのを見ていると、つい触れたくなってしまう。

 俺は彼女の頭に手を置き、その髪を撫でてみた。

 

「どうしましたか?……は、恥ずかしいずら~」

「いや、まあ、何となく……」

「ふふっ、でも何だか落ち着くずら。もう少し……このまま……」

「……わかった」

 

 そのまま歩いていると、やがて彼女の家に到着した。

 花丸はガラリと玄関の戸を開け、俺を手招きする。

 

「おばあちゃん、ただいま~。あれ?」

「……どうかしたか?」

「いえ、誰もいない気が……ずら?」

 

 花丸が何かを拾い上げる。どうやら書き置きのようで、彼女は二つ折りのそれを開いた。

 

「え~と……『マルちゃんへ。おばあちゃんは今晩友達の家に泊まってきます。二人で仲良くね』……ええっ!?おばあちゃんっ!?」

「…………」

 

 こうして、二人きりのお泊まり(IN国木田家)が決定した。

 

 



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青春の影 #64

「…………」

「…………」

 

 ひとまず二人してお茶を啜って気持ちを落ち着けている。

 まあ、慌てることなど何一つない。

 だってこれはただのお泊まりなのだから。

 花丸と一つ屋根の下で、一晩一緒にいるだけなのだから……やっぱ緊張半端ない!!だって男の子だもん!!

 さっき裸を見てしまったのも関係しているのかもしれない。とにかく気を引き締めねば……。

 無理矢理心を落ち着けるように彼女の方を向くと、ちょうど目が合ってしまった。

 

「「…………」」

 

 そのままどちらも微動だにできなくなる。

 二人の息遣いや虫の声、風の吹き抜ける音がやけに強調されていた。

 その感覚に慣れてきた頃、俺はようやく口を動かせた。

 

「……飯でも作るか」

 

 その一言に彼女はぱあっと顔を綻ばせた。

 

「……ずらっ♪」

 

 *******

 

 決して二人とも上手とはいえない腕前だったが、和食中心の夕飯は割と旨かった。

 そして、二人で並んで料理や洗い物をしているうちに、彼女は無意識だったのか、ぽつりと一言呟いた。

 

「何だか……こうしていると新婚さんみたいずら」

「…………」

 

 俺は口元が緩みかけるのを必死で抑えながら、皿洗いに意識を集中させた。

 

 *******

 

 その後しばらくの間勉強してから、きりのいいところまで終えると、花丸から提案があった。

 

「あの、八幡さん。縁側でお話しませんか?今日は星が綺麗ですよ」

「……わかった」

 

 縁側はだいぶ涼しく、季節の変わり目を直に感じることができた。

 そして、風が彼女の髪をさらさらと揺らす度に、甘い香りが淡く優しく鼻腔をくすぐってきた。

 もう外はすっかり暗いが、ちらほら明かりの灯った家が夜の町を形作っていて、それは見ているだけで心を優しくさせた。

 

「……なんかいい眺めだな」

「ずら。マルもこの眺めは大好きずらよ」

「だろうな。できれば働かずにここで毎日ぼんやり茶を啜っていたくなるくらいだ」

「オ、オラはそんなことは考えていないずら。でも……」

「?」

「おじいちゃんやおばあちゃんになっても、二人でこうしていられたらいいですね」

「……ああ」

 

 未来を見つめる彼女の瞳はやけに輝いていて見えて、その煌めきは胸をどくんと大きく高鳴らせた。

 無意識のうちに、その頬に手が伸びてしまう。

 彼女は優しくそれに応じ、そっと目を閉じた。

 

「…………」

「…………ん」

 

 重なった唇から彼女の気持ちが流れ込んでくる気がした。

 いつからかはわからないが、長い間ずっと探していたものを見つけたような……そんな甘やかな気持ちが胸の中を満たしていった。

 

「八幡さん。……もう一回」

「……ああ」

 

 夜の帳が下りた町には、いつの間にかまんまるい月がぼんやりと光っていた。



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青春の影 #65

 やわらかな朝の陽射しが瞼を照らし、穏やかに目が覚めていく。

 すると、真っ先に視界を埋めたのは、花丸の寝顔だった。

 すやすやと安らかな寝息をたてる唇に、ついつい目を奪われてしまうと、昨夜の出来事を思い出してしまう。

 まだ唇には彼女の唇の感触が残っていた。

 ……やばい。朝っぱらからにやけそうになる。

 さらに、目の前には可愛い寝顔があり、それだけで胸が高鳴る。

 

「すぅ……すぅ……はちまんさぁん」

「っ!」

 

 やばい。

 可愛すぎるだろ……。

 ひとまず頬をつついてみる。

 

「ん~……はちまんさぁん、マルは食べられないずらよ~」

「…………」

 

 やはり眠っていようが、花丸は花丸だった。

 ていうか、こいつはどんな夢見てんだ?

 俺が花丸を食べてるとか……もしかして、いやらしい夢を見てるんじゃないんですか!?

 

「ん……はちまんさぁん、マルはのっぽパンじゃないずらぁ……」

 

 夢の中の俺、ちょっと馬鹿すぎやしませんかね?

 そろそろ起こすか……。

 

「……花丸。朝だぞ」

「…………ん?八幡、さん……あれ?ま、まだ夢ずらか?」

「いや、夢じゃないから、そろそろ起きろ。たしか今日も朝から曲作りするんだろ?」

 

 花丸はぼーっとした顔のまま、ゆっくり体を起こし、可愛らしい欠伸をしてみせた。

 そんなのを見せられたら、こちらとしても頭を撫でるしかなくなる。

 

「ずらぁ……落ち着くずらぁ。八幡さんの手、ひんやりして気持ちいいです」

「……落ち着くのもいいけどそろそろ準備するか」

「はいっ……あっ、八幡さん」

「?」

「あの……おはようございます」

「……おはよう」

 

 何度も交わした挨拶が、何だかいつもとは違う響きをもっていた。

 それから二人で朝食を摂り、浦の星の近くまで二人で歩いた。

 

 *******

 

 それから二日後……

 

「は?曲が完成した?」

「ずら。今度のライブ、楽しみにしてて欲しいずら♪」

「あ、ああ」

 

 一昨日はまったく進んでいないように見えたんだけど……昨日何かあったのだろうか。

 ……まあ何にせよ、完成したのならいい。

 

 

「まあ、その……お疲れさん」

「ずら。八幡さんも協力してくれたおかげです。皆が今度お礼するって言ってましたよ」

「……そ、そうか」

 

 この前のデート企画のパワーアップバージョンとかになりそうなので、遠慮しておきたい。

 ……まあ、いいものは見れたけど。

 

「八幡さん」

「はい」

「……何となくいやらしいずら」

「はい……いや、何の事でしょう?」

 

 どういうわけか、花丸の背後には少しだけ黒いオーラが見える。おかしい……しかも何の証拠もないのに、つい畏まって謝りかけたぞ。

 そんな俺の様子に、花丸は吹き出した。

 

「あははっ、でも八幡さんならいいずら……でも……」

 

 彼女は精一杯背伸びして、そっと耳打ちしてきた。

 

「い、いつも……マルのことだけ見てて欲しいです」

「…………」

 

 優しく吹き込まれた甘い囁きは、じわっと頭の中を蕩けさせた。

 

「そういや、もう遅刻だぞ」

「ずらぁ~っ!?」

 

 そして、そんなふわふわした時間もすぐに過ぎ去り、また1日が始まる。

 ライブまであと一週間、早くライブを観たい気持ちと、ゆっくり彼女と日々を送りたい気持ちが混ざり合い、それを宥めるように大きく伸びをした。

 



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青春の影 #66

 ライブ当日の朝、電話で何か励ましの言葉をと思ったのだが、花丸達は準備の為、かなり早い時間に集合らしいのでメールを送っておいた。

 

『応援してる。』

 

 ……我ながら気の利かない文章に呆れてしまう。おい、総武高校学年三位の文系脳はどうした?故障中か?

 まあ、その、あれだ。ただの知り合いとかなら、それらしい定型文を脳内から引っ張ってくるのだが、彼女に対してはそんな事ができない。

 それで、あれこれ考えてたら、何を書けばいいのかわからなくなり、こんなあっさりしすぎな文章になってしまった。

 頭を抱え、もし小町が読んだらポイント全部引かれるだろうなとか考えていると、すぐに彼女から返信がきた。

 

『ありがとうございます。ライブ会場で待ってます。きっと観に来てくださいね』

 

 ……危うくひだまり荘に向かうとこだったじゃねえか。

 

 *******

 

 会場内は開演前から既に熱気に満ちていた。おそらくライブが始まったら、さらにすごい事になるのだろう。

 すると、小町が肩をとんとん叩いてきた。

 

「ねえ、お兄ちゃん!今のうちに思いきり叫ばなくていいの?」

「何をだよ」

「愛をだよ!」

 

 うわぁ……ウチの妹が、なんかアホな事言ってる。

 

「叫ばねえよ。ここ千葉じゃないし」

「千葉だったら叫ぶの?」

「叫ばんな。きっと」

 

 いくら世界の中心・千葉にいたとしても、人前で愛を叫んだりしない。その辺の大和撫子より慎ましい俺がそんな事をするはずがない。

 

「大体今叫んだら、本番始まった時に本気で盛り上がれないだろうが」

「お、お兄ちゃんが本気で盛り上がるってプリキュア以外で初めて見るかも……」

 

 小町の発言に否定できずに苦笑していると、まだ空いていた隣の席に誰かが座った。

 

「あら、偶然ね」

「……どうも」

 

 金髪のポニーテールが特徴的なその女性は、この前道を尋ねてきた人だった。まさか、スクールアイドルのライブ会場で会うとは……身内でも出場しているのだろうか?

 

「…………」

「…………」

 

 ……何かめっちゃ見られてるんですけど!確かに会場内は女子の割合が高いが、そんなに浮いているだろうか。

 すると、金髪美人は首をぶんぶん振って、気合いを入れるように両頬を叩いた。えっ、何?怖いんだけど……。

 

「いけないわ、絵里。あなたは今回はモブなのよ。自重しなさい。しばらくしたらアフターストーリーが更新されるから」

「…………」

 

 何を言っているのだろう……俺にはさっぱりわからないが、あまり気にしないほうがいいと直感が告げている。

 

「ほら、お兄ちゃん。そろそろ始まるよ」

「あ、ああ……」

 

 小町がそう言うと同時に会場内が暗転し、スポットライトに照らされながら、司会者がステージに登場した。

 俺は自分の事のように緊張しながら、少しだけ背筋を伸ばした。

 

 *******

 

 ライブが始まろうとしています。

 マル達の出番は先だけど、それでも緊張せずにはいれません。

 でも大丈夫。皆が見守ってくれているから。

 八幡さんが見てくれてるから。

 マルは目を瞑り、皆で育てた大事な曲を、絶対に届けると誓いました。

 

 



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青春の影 #67

 時間の流れが早くも遅くも感じれる不思議な感覚。

 彼女達の出番が来るまでの時間のほうが落ち着かない気分だった。

 それでも、時間は淀みなく流れていき、アナウンスと共に彼女達が……Aqoursがステージに上がった。

 着物をアレンジしたような美しく可愛らしい和風の衣装に、会場内が息を飲んだ。

 そして、その期待値の高さを表すかのように、歓声が響き渡る。

 

「千歌~、頑張って~!」

「曜ちゃ~ん、ファイト~!」

「梨子ちゃん、大好き~!」

「ルビィちゃん、今日も可愛い~!」

「花丸……」

「ヨハネ様~!」

「ダイヤさ~ん!こっち向いて~!」

「果南さん、素敵~!」

「マリー理事長最高~!」

 

 凄まじいまでの熱いエールにまぎれ、できるだけ大声で彼女の名前を呼ぼうとするが、もうしばらく大声をだしていないのと、照れなんかもあり、あまり声は出なかった。

 だが、彼女は真っ直ぐにこっちを見た……気がした。

 きっと、ただこっちに目を向けただけだろう。しかし……そんなただの偶然が、とても素晴らしい意味を持っているように思えてならなかった。

 

「よろしくお願いします!!」

 

 そして、高海の挨拶を合図にメンバーが頭を下げ、それぞれスタンバイする。

 衣装とよくマッチした和風なイントロが響き始めると、そこに歌声が乗り、一つの曲となり、しっとりした雰囲気が漂い始めた……かと思えば、急にテンポが速くなり、メンバーがステージ上を舞う。

 普段より厳かな雰囲気ながらも、アイドルらしい可愛らしさは遺憾なく発揮されていた。

 そして、途中で激しい想いを叩きつけるようなギターソロが入っていたりと、和だけではなく、様々な要素が調和していた。

 贔屓目なしに、これまでで最高のパフォーマンスのように思えた、そんな時間だった。

 

「ありがとうございました!」

 

 曲が終わると、割れんばかりの拍手が会場内を包み込んだ。

 

 *******

 

 会場の外に出ると、焦燥感がこみ上げてくる。

 果たして次のライブに間に合うのだろうか?

 まあ、ライブの目的は新入生の勧誘なので、俺が見る必要はないのだが、それでも見たかった。

 限りある時間の中で懸命に活動する彼女達のパフォーマンスを、一瞬でも多く心に焼き付けたかった。

 

「あっ、大丈夫だよ、お兄ちゃん。お母さんがすぐ来るから」

「はぁ?確か今日仕事じゃ……」

「そうだけど、お兄ちゃんの彼女のためって言ったら、絶対に行くだって」

「…………」

 

 心遣いは非常にありがたいが、果たしてどう紹介すればいいのだろうか?

 長年のボッチ生活で、そんな事もわからない俺は、本当に来た母ちゃんの車に気まずい気分で乗り込んだ。

 途中、窓の外に目を向けると、ミカン畑をトロッコがやたら速く駆け抜けていた。

 

 *******

 

 浦の星に到着すると、ちょうど彼女達がステージに上がった頃だった。てか、あいつらどこを通ってきたんだ?まあ、間に合ってるならいいんだけど。

 衣装もさっきとは打って変わって、青空に映える明るい衣装になっていた。

 だからだろうか。

 俺は隣にいる母ちゃんや小町が驚くくらい大きな声で、彼女の名前を呼んだ。

 

「お、お兄ちゃん!皆こっち見てるよ!」

「…………」

 

 ……慣れないことはするもんじゃないな。

 

 *******

 

 陽もだいぶ傾いた頃、海を見ていると、ようやく花丸が来るのに気づいた。

 

「お疲れ」

 

 労いの言葉をかけると、彼女はぱあっと明かりが灯るような笑顔を見せた。

 

「ありがとうございます。今回も八幡さんに見てもらえたから、最後まで頑張れました」

「……いや、俺は何もしてねえよ。あと曲もすげえよかったぞ」

「ずらっ。一生懸命、皆で作ったからだと思います」

「まさか曲作りの参考でデートする事になるとは思わなかったけどな」

 

 色々思い出していると、つい吹き出してしまう。

 

「ふふっ、そうずらね。マルは楽しかったけど」

「……次は……」

「?」

「次は普通にデートしてみるか……その、今日……いいもん見せてもらったからな」

「…………」

「」

「……はいっ、楽しみにしてます、ずらっ」

 

 互いに笑顔を交わしてから、自然と手を繋いで歩き出す。

 まるでそれが当たり前のように感じられた。

 そんな繋がりが嬉しくて、少しくすぐったくて、照れくさくて、俺は彼女の手をより一層強く握りしめた。

 

「そういえば八幡さん、あんなに大きな声が出たんですね。マルはびっくりしたずら」

「ぐっ……わ、忘れてくれ」

「ふふっ、ずっと覚えてます♪」

 

 そう言って笑う彼女の横顔は、どこか満足そうだった。

 

 

 

 



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青春の影 #68

「活動資金の為にバイト?」

「ずらっ。皆で働いて衣装代を稼ぐことにしました」

 

 順調に活動を続けているAqoursだが、ここにきて活動資金が尽きたらしい。元から少ない部費に、高校生の小遣いでは、さすがに限界がきたようだ。

 それで、自分達で衣装代を稼ぐ事にしたらしいが……

 

「バイトのほうは見つかったのか?」

「はい。曜ちゃんの紹介で、皆で水族館でバイトずら。八幡さんにも来て欲しいずら♪」

「……まあ、少しくらいなら」

 

 自分の彼女がどんな制服でバイトするのかは、そりゃあ気になるよな。うん。まあ、その……今後の為にね!

 花丸はぐっと両拳を握り、やたら気合いを入れていた。 

 

「ふふっ、マルは頑張るずらっ。あっ、八幡さん、アルバイトに対する心構えを教えて欲しいずら」

「……押してダメなら引いてみろ、だな」

「何だか後ろ向きずら……」

「いや、まあ、あれだ……諦めが肝心な時もあんだよ。まあ、よかったら、俺がバイトした時のエピソードを……」

「そ、それはまたの機会に……ずら」

 

 何故か彼女は話の続きを語らせてはくれなかった。

 おかしいな、色々役に立つエピソードのはずなんだが。

 

 *******

 

 そして迎えた日曜日。

 とりあえず花丸のアルバイト姿を見に水族館へと向かったが、家族連れやカップルなどで賑わっていて、思っていたよりも人が多い。はて……一体どこで仕事しているのだろうか?

 すると、背後から声がかかった。

 

「あっ、八幡さんずら~」

「……おう」

 

 とてとてと駆け寄ってきた花丸は、可愛らしい制服に身を包み、いつもより少し活発に見えた。

 ……なるほど、悪くない。むしろいい。ぶっちゃけ待ち受けにしたいくらいの可愛らしさだ。何故こんなに可愛いのか……いや、落ち着け、俺。

 

「い、今から仕事なのか?」

「はいっ、頑張るずら……あっ、頑張ります!」

 

 花丸は慌てて言い直し、ピシッと背筋を伸ばした。気合いは十分のようだ。空回りしないといいんだが……。

 

「……大丈夫か?」

「も、もちろんずら!初めてのアルバイトだから、緊張はしてますけど……」

「まあ、あれだ。バックレる時は言ってくれ。一応慣れてるからな」

「そ、そんな事しないずらよ~」

「そうか……まあ、こっそり見守っとくわ」

「普通に見てほしいずら」

「さすがにそれは……ほら、ストーカーに間違われたら、ね」

「こっそり見守るほうがよっぽど疑われるずら~」

「……たしかに」

 

 花丸は呆れたように笑い、他のメンバーの元へ、来たときと同じようにとてとてと駆けていった。

 さてと……まあ久々の水族館だし、しばらくは一人で色々見てみますかね。

 

 *******

 

「あっ、比企谷さん……」

「……おう」

 

 いきなり誰かと思えば、Aqoursのマスコット的存在、黒澤妹だった。

 最初はだいぶ警戒、というか怖がられていたが、最近は慣れてくれたようだ。花丸と付き合い始めたからだろうか。

 彼女はやけに興味津々といった感じの瞳を向けてきた。

 

「あのっ、花丸ちゃんに会いに来たんですか?」

「あー……まあそんなとこだ」

「うゆ!二人が仲良しさんで、ルビィも嬉しいです!」

 

 黒澤妹は、にぱーっと笑顔を見せた。付き合ってるとはいえ、仲良しさんっていわれると、なんだか照れてしまうのは何故でしょうか……。

 

「じぃ~……」

 

 ん?……今どこからか視線を感じた気がするんだが。

 

 *******

 

「おお……我がマスターよ!」

「お、おう」

 

 津島が、一人堕天使風にアレンジした衣装を見せつけるように近寄ってきた

 相変わらず堕天使は健在だと考えていると、彼女ははっとした表情になった。

 

「くっ……我が身に沸き上がる熱い感情!静まりなさい!静まるのです!さあ、はやく!」

「…………」

 

 うん。通常運転だな。俺もうっかり中学時代のあれこれが出てこないように気をつけとこう。

 結局彼女は、同じフロア担当の渡辺が来るまで、堕天使を発動させていた。

 そして、また背中に視線を感じた……気がした。

 

 *******

 

 半分くらい回ったところで、今度は黒澤姉と遭遇した。今度は偶然ではなく、俺に用事があったのか、目が合うと、こちらに駆け寄ってきた。

 

「あの、八幡さん。ちょっといいかしら」

「おう、どうかしたか?」

「いきなりで申し訳ないのですが……今からバイトできます?」

「……バイト?」

「ええ。花丸さんが、何が原因かはさっぱりわかりませんけど、緊張しすぎて空回りしてるようなので、貴方がいればフォローできるかと」

「そうか……別に構わんけど」

「……まさか即答していただけるとは」

「まあ、たまには体を動かしたほうが、勉強も集中できるしな」

 

 黒澤姉はこう言っているが、本当に言いたい事はとりあえずわかった。

 まあ、あれだ。要約すると、お前がいると花丸が集中しないから、一緒に働いて仕事に集中させろ、という事だ。多分。

 さっきから視線は感じていたが、まさか本当に花丸からだったとは。

 

「じゃあ、事務室に案内するので、こちらへ」

「……わかった」

 

 こうして、飛び込みの日雇いアルバイトが決定した。

 

 

 

 

 

 



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青春の影 #69

 仕事着に着替えて、更衣室から出ると、花丸がぱあっと笑顔を見せた。

 

「八幡さん、似合ってるずら!」

「そ、そうか……それで、まずは何からやればいいんだ?」

「八幡さんはマルと一緒に皿洗いずら!」

「了解。それじゃあよろしくな」

「ずらっ。ここでは先輩なので、頼ってください!」

 

 キャリアには数時間の差しかない気がするが、そこはあえてツッコまないでおこう。

 ……てか、バイトとか久しぶりなんだが、脊髄反射的に引き受けたけど、本当に大丈夫だろうか。

 

「どうかしたずらか?急に渋い顔になりましたけど」

「ああ、いや、ちょっと非常口の位置を確認してた」

「逃げる気満々ずら!だ、大丈夫!大船に乗ったつもりでいてください!」

「……心配すんな。船が壊れたら泳げばいいだけだ」

「さりげなくひどいずらっ!?」

 

 *******

 

 二時間後……。

 

「お、お疲れ様……ずら」

「……おう。なんつーか、意外と客多いな」

「あはは……」 

 

 他のメンバーと交代し、休憩室の椅子に腰かけると、花丸は机に突っ伏し、力ない笑顔を見せた。パンがふやけたアンパンマンだって、

 ……やべえ。ぶっちゃけ舐めてた。

 最近、内浦の穏やかさに慣れすぎていたせいか、こうも慌ただしいのに、スイッチが切り替わるのにだいぶ時間がかかった。

 皿洗い・テーブル拭き・ホール清掃と、作業そのものが単純だったのがせめてもの救いだった。

 午前中だけでもこれとか、午後はさらにやばいんじゃなかろうか……いや、深くは考えないでおこう。単純作業なので、ひたすら機械のように無心でやっていればいい。

 

「とりあえず飯食うか……ほら、これもらってきておいたから」

「ありがとうございます、ずらぁ」

 

 職場からもらった弁当を花丸の前に置くと、彼女はむくりと起き上がり、さっきより幾分てきぱきした速さで蓋を開けた。さすがだ。

 

「いただきます」

 

 そう言って美味しそうに白米を頬張る彼女を見ていると、自然と頬が緩んでいくのがわかった。何かを食べ始めると可愛さが増すの凄くない?未体験HORIZON見えてきたんだけど……胸があっついんだけど……。

 すると、俺の視線に気づいたのか、花丸は恥ずかしそうな笑顔を見せた。

 

「た、食べてるところをそんなに見られたら、恥ずかしいです……」

「……悪い。なんつーか、美味そうに食うなと思って」

「美味しいずらよ。あっ……は、八幡さん……」

「?」

 

 彼女は何かを思いついた表情で卵焼きを箸で切り、片方を俺に差し出してきた。

 口元は何かを企むような笑顔だが、頬が赤く火照っている。

 

「あ、あ~ん」

「…………」

 

 一応周りを確認して、卵焼きを口に含むと、ほどよい甘味が口の中に広がった。

 その様子を見届けた花丸は、何か秘密を共有する子供のような表情を見せた。

 

「ど、どうですかっ?」

「…………美味い」

 

 これまでなら「さむい」と切り捨てた事をやっちゃうあたり、自分が少し不甲斐なくも思えるが、まあ仕方ない。可愛いは正義。もういくらでもやってやる。

 

「八幡さん?どうかしたずらか?目が怖いですよ」

「……何でもない」

 

 もちろん常識の範囲内でね!ここがバイト先の事務所だってこと忘れちゃってたよ!八幡のバカ!

 

 *******

 

「どうかしたの、千歌ちゃん?」

「あはは……なんか入りづらい」

 

 *******

 

 昼休みを終え、再び仕事に戻ると、予想に反して客足は落ち着いていた。なんかよくわからんが助かった。

 ……と思いきや、今度は幼稚園児の集団が来て、辺りはかなりにぎやかになっていた。

 先生の言うことなど聞かずにあちこち走り回る園児。

 スタッフルームに入ろうとするのを桜内に止められる園児。

 津島が注意したら泣き出す園児。

 つられて泣き出す黒澤妹。なんでだよ。

 俺と目を合わせたら泣き出す園児。いや、なんでだよ。

 さらに……俺と目が合ったら、やたらにっこりと笑みを向けてくる金髪のポニーテール。いや、誰だよ。

 午前中とは別の騒がしさに、Aqoursメンバーも慌てていた。

 

「あわわわ……」

 

 花丸も突然の事態に困惑していた。だが……

 

「みんな、先生の言うこと聞かなきゃダメずら……ダメだよ」

 

 すぐに冷静になった彼女は、やんわりと注意していた。ナイス花丸。あとついでに俺と目が合っただけで泣いた子のフォローお願い!

 すると、数人の子供達が彼女に近づき……

 

「ねえ、お姉ちゃん。あの怖いお兄ちゃんと付き合ってるの?」

「ずらっ?」

「チューとかするの?」

「ずらっ!?」

 

 どうやら最近の子供は俺の想像よりずっとませているようだ

 そろそろ助けにはいるべきか、だがまた泣いてしまったら……。

 こちらが逡巡していると、花丸は優しい笑みを見せ、子供達を自分の近くに集めた。

 何を始めるのかと思いながら、こちらには聞こえない音量でぼそぼそと話していた。時折聞こえてくる色めきたった声と、ちらちら向けられる視線が気になる。

 ……よくわからんが、まあ任せておいてよさそうだ。

 そして、最終的には黒澤姉が素晴らしい統率力で、その場をまとめあげたのだった。

 

 *******

 

 帰り道、他のAqoursのメンバーと別れた俺達は、いつも歩く道を、力なくとぼとぼと歩いていた。

 

「疲れたずらぁ……」

「マジで疲れたんだが……」

 

 とはいえ、動いてからいい感じに頭が冴えてるので、これなら帰ってからの勉強も捗りそうだ。

 そんな事を考えていると、花丸がそっと手を重ねてきた。

 

「でもでも……これって、初めての共同作業って感じがして、嬉しかったです!」

「…………そうか」

 

 いきなりそういう破壊力高めの台詞吐くのやめてね……。

 次どんなタイミングで言われてもいいように、俺もそっと小さな手を、確かな温もりを握り返した。

 

「そういや、あのチビッ子達に何言ってたんだ?」

「禁則事項ずらよ~♪」

 

 



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青春の影 #70

「そういや八幡、あんた大学どこ受けるか決めたの?」

 

 夕食中、何でもないことのように呟かれた母親の言葉。まあ時期も時期だし、聞くのは当たり前か。そもそも親父の転勤があったので、先延ばしになってた感はある。

 進路そのものに関しては進学と家を出る以外は特に決まっていなかったので、変更点が少ないということもあり、ある時期から俺の意志は固まっていた。

 あとはそれを口にするだけだった。

 

「ああ、俺……」

 

 *******

 

 放課後、図書室でしばらく自習してから校門を出ると、周りの生徒が少しざわついていることに気づいた。

 何だ?有名人でも来てんのか?

 すると、その視線の先にはよく見知った人物がいた。

 

「……花丸?」

「おい、見ろよ。あの子」

「めっちゃ可愛い」

「なんか見たことあるような……」

 

 よりにもよって一番人目につきそうな位置に立つとは……実は何かの修行でもしているのだろうか。

 とりあえず近づいてみると、彼女はこちらに気づき、勢いよく手を振った。

 

「八幡さ~ん!こっちず……こっちで~す!」

「…………」

 

 ぎりぎりのところで気づいたな。まあ別にいつもの喋り方でもいいんだが。可愛いし。もう一度言うが、可愛いし。

 すると、今度はこちらに視線がいくつか突き刺さった。

 

「え?ヒキタニ君?」

「あんなの、ウチの学校にいたっけ?」

「ちっ、ボッチの癖に!」

 

 本当にお前はどこにでも現れるな。

 さっと目を向けたが、やはりそれらしいのは見当たらなかった。

 

 *******

 

「それで善子ちゃんったら、慌てて教室を飛び出しちゃったんですよ」

「ほーん、まあ気持ちはわからなくはないが」

「わ、わかるんですか!?」

「そりゃあな。思春期だし」

「じ、じゃあ、八幡さんもたまに……」

「いや、やらないけどな。そういや、今日は何か用でもあったのか?」

「むむっ!」

 

 俺の言葉に、花丸はぷくっと膨らませた。あれ?どした?

 

「ど、どうかしたか?」

「理由がなきゃ会いに来ちゃだめずらか?こ、恋仲なのに……」

「…………いや、そんなことはない」

 

 恋仲という言い方がいかにも花丸らしいと思いながら、ふと彼女の左手が少しだけ強めに振られていることに気づく。

 俺はそっとその手を取り、その小さな温もりを、包み込むように握りしめた。

 

「あ…………」

「い、嫌だったか?」

「そ、そそ、そんなことないずらよ!……ただ、嬉しくて」

「……そっか」

「だって、マルはこんなにも安らいで、それでいて胸の奥がときめく温もりがこの世界にあることを知らなかったずら。それを、あなたはこんな簡単に教えてくれるから……」

「……お、大げさじゃないか?」

「全然ずらよ」

 

 そう言って笑みを見せた彼女に、俺は今朝家族に話したことを自然と口にしていた。

 

「俺、静岡市の方の大学受けることにしたから」

「ずら?」

「まあ、将来的にはまたこっちに帰ってくる予定なんだが……一応大学からは家を出ることにはなってるからな。いや、受かる前から色々言っててもあれか」

「……千葉じゃなくてもいいずらか?」

「行こうと思えばいつでも行けるからな。まあ、受験が終わったら、知り合いに顔見せくらいはしとこうと思う……できれば一緒に」

「……はい」

 

 夕陽に照らされながら、深く頷く花丸は、どこか大人びて見えた。

 俺だって知らなかった。

 こんな儚くも力強い美しさが、すぐ傍にあるなんて。

 

 

 



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青春の影 #71

 ラブライブ地区予選決勝。

 すべてのアイドルがパフォーマンスを終え、結果発表を今か今かと待ちわびていた。

 だが観客席の反応を見る限り、全国大会進出は……

 

「さあ、それでは発表させていただきます!全国大会に駒を進めるスクールアイドルは……」

「…………」

「Aqoursです!」

 

 一気に会場が沸いた。

 正直、パフォーマンス後の拍手の大きさや、周りの反応から、予想はついていた。別に後だしじゃないよ?ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 スクリーンに映った花丸の笑顔は、先程圧巻のパフォーマンスを見せつけていたとは思えないくらい、ほんわかした笑顔を見せていた。

 

 *******

 

 帰り道、すっかり暗くなった坂道を歩きながら、どのタイミングで手を繋ごうかと思案していると、彼女のほうからそっと手を握ってきた。

 そこからさらに体をすり寄せてくる。どうやら今は甘えたい気分らしい。

 

「……どした?」

「ほっとしたら力が抜けたずら……ふぅ」

「そっか……まあ、お疲れ。あとおめでと」

「ふふっ、八幡さんそれさっきも言ってたずらよ」

「つい、な。自分でも不思議なくらいテンション上がってる」

「そうずらか。それはマルも嬉しいです」

「これなら入学希望者も集まるんじゃないか」

「ずら。……明日に期待するずらよ!」

「?」

 

 今何か言い淀んだ気がしたが……いや、疲れてるだけかもしれんし。

 その日は彼女を家まで送り届けて、そのまま帰った。

 

 *******

 

 家に帰り、家族で食卓を囲んでいると、小町から驚きの事実を聞いた。

 

「タイムリミット?」

「うん。あと3日で100名に達しなかったら廃校が確定するんだって」

「…………」

 

 あの時のあの表情はそれが理由だったか。

 タイムリミットに関しては、まあ時期的には妥当なところだろうが、彼女達からしたら圧倒的に時間が足りないだろう。

 ……果たして目標達成できるだろうか。

 

 *******

 

 食後に色々と気になった俺は、花丸に電話してみることにした。

 

「はい、国木田です」

「……もしもし、今大丈夫か?」

「八幡さん……もちろんずら!」

 

 声のトーンから、おそらく空元気だろう。

 勢いで電話をかけたので、どう話そうかとか全然考えていなかった。

 それでも何か喋らなければと思うと、自然と言葉は出てきた。

 

「……あー、今日割と星が綺麗に見えるな」

「ずら?……そう、ずらね」

 

 しまった。

 緊張からか、いきなりわけのわからんことを言ってしまった。

 だが今から訂正するのは恥ずかしい。

 とりあえずこの方向で話を進めるしかない。

 

「あー……花丸は、この先の進路とかは考えてるのか?」

「進路、ですか」

 

 親かよ、と思わずセルフツッコミをしそうになった。やっぱり一、二年人と関わるようになっただけでは、コミュ力は改善したりしないものである

 

「実は……まだあんまり考えたことがないずら。今はスクールアイドルと読書と……で頭がいっぱいずら」

「ん?最後のほう、何て?」

「な、何でもないずら!」

「そ、そうか……」

「は、八幡さんこそ……なりたいものとかないずらか?」

「……専業主夫」

「聞こえないずらよ~」

「……いや、俺も実際まだ考えていないからな……」

「そうずらか。それじゃあ今度マルと一緒に考えませんか?」

「おお、いいな。それ」

「ずら。あ、それと八幡さん……気を遣ってくれて、ありがとうございます、ずら」

「い、いや、気を遣って、つーか……まあ、その、どういたしまして。じゃあ、俺もう寝るわ」

「はい、おやすみなさい」

「おう、おやすみ」

 

 通話が途切れ、名残惜しさと静寂が同時にやってきたので、誤魔化すように寝転がる。

 小さく響く鈴虫の音色に耳を傾けていると、いつの間にか眠りについていた。



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青春の影 #72

 三日後の早朝。

 俺と小町はパソコンの前に陣取って、画面を食い入るように見つめていた。

 

「……増えないね」

「そりゃあそうだろうな。時間が時間だし……」

「お兄ちゃん、ドライなセリフと表情が合ってないよ」

「…………」

 

 正直まだ信じている。

 あれだけのパフォーマンスを見せたのだ。もっと興味を持たれてもいいはずだ。

 時計に目をやると、タイムリミットまであと3分を切っていた。

 

「う~、あと少しなのに~」

「…………」

 

 じたばたする小町の隣で祈るも、無情にも時間は過ぎて、やがてタイムリミットを迎えた。

 

「……ダメ、だったね」

「……ああ」

「……私、部屋戻るね」

「……ああ」

 

 小町がぱたぱたと自分の部屋に駆け足で戻ると、あとはただただ静かになった。

 真っ先に浮かんできたのは、彼女の……彼女達の後ろ姿だった。

 

 *******

 

 それからその日は勉強をしていたはずだが、正直あまり覚えていない。ただ机に向かい、ぼんやりとしていただけに思える。

 俺はもう一度時計を確認し、すぐに出かける準備を始めた。

 そして、玄関で靴を履いていると、小町から声をかけられた。

 

「あれ、お兄ちゃん出かけるの?……あ、そうか。うん、気をつけてね」

「おう」

 

 さっきより元気が出たみたいで何より。

 あえて顔を確認するような真似はせず、俺は自転車を走らせた。

 

 *******

 

 花丸は、まだ帰路の途中だったようだ。

 ぼんやり浜辺に座り、一人で海を見つめる姿は、まるで絵画のようだが、彼氏としては心配にもなる。

 

「……隣、いいか?」

「えっ?あ、は、八幡さん……」

「てかもうだいぶ暗いからな。悪いが拒否権はなしで」

 

 有無を言わさない感じで隣に座ると、花丸はこちらにぴったりと寄り添ってきた。

 優しい体温が少し肌寒くなってきた秋の夕暮れに心地よく、このままこうしていたくなる。

 だが、本来の目的を思い出し、俺はなるべく言葉を選びながら口を開いた。

 

「……残念、だったな」

「……はい」

「あー……いや、悪い。さすがにこういう時何言えばいいかわからん。何か俺にして欲しいことあるか?」

「もう少し、ここで一緒にいてください、ずら」

 

 意外と即答だったことに驚き、目を向けると、彼女は目に涙を溜めていた。

 それを気に留めることなく、彼女は口を開いた。

 

「そうすれば……また、前を向けるから……」

「……わかった。付き合う」

 

 それから、しばらく彼女は泣いた。

 波音にまぎれ、かき消されてしまうくらいに小さく泣いた。

 俺はその声を黙って聞きながら、いつの間にか現れていた一番星を見ていた。

 

 

 



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青春の影 #73

「は?ぶっちぎって優勝する?」

「ずら。Aqoursはどんな相手でも、ぶっちぎって優勝しますずら」

「お、おう、そうか」

 

 ぶっちぎってという花丸らしからぬ言葉につい驚いたが、とりあえずもう大丈夫らしい。

 その事に安堵すると、はやく彼女の笑顔が見たくなってきた。

 

「まあ、あれだ。大丈夫そうならよかった」

「ふふっ、先日はご迷惑をおかけしましたずら……」

「迷惑なんて思ってねえよ。むしろ一人で悩まれるほうが心配だしな」

 

 そう言うと花丸がくすくす笑うのが聞こえてきた。

 

「どした?」

「やっぱり八幡さんは優しいずら。マルの目に狂いはなかったずら」

「……そりゃどうも。だが……」

「?」

「お前以外にはここまではしない」

「は、八幡さん、なんかかっこいいずら……」

「いや、悪い。カッコつけすぎた。なるべくはやく忘れて?」

「ふふふ、無理ずら。マルの頭の中にしっかり保存されたずら」

「マジか……そういや、全国大会はいつからなんだ?」

「来年になってからずら。だからその間にしっかり練習頑張るずら!あ、それと……」

「それと?」

「今度北海道に行くことになったずら」

「……おお、いきなりだな」

「はい。全国決勝に進出したお祝いに、北海道の地方決勝の観覧チケットを貰ったずら」

「そっか。まあ、気をつけてな」

「あ、あの……」

「?」

「……い、いつか、八幡さんと二人きりで北海道に行きたいです……ずら」

「……だな。あー、じゅ、受験が終わってから、二人でどっか行くか?泊まりで」

「っ!?そ、それは、つまり……」

「どした?」

「だ、大丈夫ずら!大丈夫ずら!い、今から心の準備をしておきます!それじゃあ、おやすみなさいずら!」

「あ、ああ、おやすみ……」

 

 最後のほうは謎のテンションだったが、まあとりあえず元気ならそれでいい。

 通話を終えてから、しばらくその声の余韻に浸っていると、小町からはやく風呂に入るように催促された。

 

 *******

 

 それから一週間後。

 

「……なんで俺は受験前なのに北海道にいるんだろうな」

「しょうがないでしょ?ダイヤさんに頼まれたんだから。それにタダで北海道に来れたんだから、リフレッシュと思えばいいじゃん」

「……まあ、そうだな。てか、やっぱりさみぃ……」

 

 すたすた先を歩く小町が言ったとおり、俺達が北海道にいるのは、黒澤姉に頼まれたからだ。そしてその理由とは……

 

「でも、三人とも何やってるんだろうねえ……」

「…………見当もつかん。俺も詳しいことは聞けなかった」

 

 そう、黒澤妹、津島、そして花丸が北海道でやることがあると言って、三人で残ったので、その様子をこっそり見てきて欲しいと頼まれたからだ。ちなみに移動は小原家のプライベートジェットで、めちゃくちゃ快適だった。

 三人は現在北海道のスクールアイドル、Saint snowのメンバーの家に滞在しているらしい。

 だがSaint snowは地方大会の決勝で、痛恨のミスを犯し、残念ながら敗退してしまった。

 一体どういう事情があるのだろうか……っ!?

 

「って!?」

「ああ、お兄ちゃん大丈夫~?」

 

 考え事をしていたら、うっかり足を滑らせてしまった。

 思ったより鈍い痛みに顔をしかめていると、駆け寄ってくる小町より先に目の前で誰かが手を差しのべてくれた。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

 

 



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青春の影 #74

 優しい声のするほうに目を向けると、同年代くらいの少女がこちらに手を差し伸べていた。

 だが、さすがに手をとるのは気が引けたので、自分でゆっくりと立ち上がり、軽く会釈した。

 

「だ、大丈夫、です。どうも……」

「そうですか。慣れてない人は特に滑りやすいので気をつけてくださいね」

 

 そう言って大人びた笑みを見せた。この人、どっかで見たような気が……。

 すると、小町が慌てた表情で駆け寄ってきた。

 

「ごめんなさい、うちの兄が~」

「いえ、いいんですよ。たまたま通りかかっただけですから」

「……むっ?」

 

 小町が目を細めて目の前の少女を見る。もしかしたら俺と同じことを考えたのかもしれない。

 

「どうかされましたか?」

「あ、いえ、何でも~!それより、この辺りにこういう名前の喫茶店ありますかね?」

「えっ?」

 

 小町がメモを見せると、その少女はやや驚いた反応を見せた。

 だが、すぐに元の穏やかな笑顔に戻った。

 

「ああ、ここならよく知っていますよ。案内しますのでついてきてください」

 

 マジか。どんだけ親切なんだ、この人。初対面なのに変な人に騙されないか心配になっちゃう!

 

「そういえば、この喫茶店にはどんな用事で?」

「友達がいるんですよ~」

「なるほど……そういうことですか」

「?」

 

 何か意味ありげに頷いた彼女はそれきり特には触れてこなかった。

 そのまま少し歩くと、それらしいこぢんまりとした、それでいて風情のある和風の建物が見えてきた。

 

「ここですよ。いらっしゃいませ」

「え?」

 

 意外な言葉に目を向けると、少女はにっこりと笑みを見せた。

 

「ここの店員さんなんですか?」

「ええ、黙っててごめんなさい。途中から気づいてはいたんですが……」

「……もしかして、Saint Snowの……」

 

 ふと思い出した名前を口にすると、彼女は……鹿角聖良はにっこりと微笑んだ。

 

「はい。ちなみに、あなた方はAqoursの皆さんとはどういうご関係なんですか?」

 

 小町が俺と花丸の関係は伏せて、鹿角姉の質問に答えると、ふむふむと納得したように頷いた。その目元は、ステージの時とは違い、やわらかな印象を受ける。

 

「なるほど。あ、寒い中すいません。どうぞ入ってください。皆さん、沼津からお友達がいらっしゃいましたよ」

 

 扉を開けながらの鹿角姉の言葉に反応するように、8つの瞳がこちらを向く。

 

「?」

「むむっ」

「え?」

「んぐっ……は、八幡さん?」

 

 花丸は4人掛けのテーブルで他のメンバーと向かい合いながら、白玉ぜんざいをぱくぱく食べていた。



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君想い 松浦果南編
君想い


 海の中は、これまで見た事のない神秘に満ちた世界だった。

 地球の7割は海だというが、ここがその一部だと思うと、とてつもなく広い場所にポツンと投げ出されたかのような、頼りない感じがする。

 時折鈍い光をちらつかせる魚も、自然が作り出した風景も、一つ一つが目を奪った。

 そして、海面に顔を出すと、現実に戻ってきた安心感が胸を満たした。

 ぼーっと辺りを見回すと、隣にいる彼女と目が合う。

 彼女はニコッと笑顔を見せた。

 

「どう?沼津の海は気に入った?」

「……ああ」

 

 答えは言うまでもなかった。

 

 *******

 

 始業式、特に何事もなく、何の感慨も沸かずに終わったことに安堵しながら、真っ直ぐに自転車を漕いでいると、前方に、見覚えのある長いポニーテールが、ぴょこぴょこ揺れていた。

 あれは……

 こちらがはっきりとその名前を思い出す前に、彼女は振り向き、こちらに気づいた。

 

「おっ、比企谷君じゃん。今帰り?」

「ああ。てか、そっちは休みなのか」

「私はケガしたお父さんの代わりに仕事してるの。治るまであと少し時間かかりそうだから」

「……そっか」

 

 俺は彼女が持っている袋に、自然と手を伸ばしていた。さすが俺!いろはすにパシリとして鍛えられただけあるわー。

 彼女は最初俺の手を見てキョトンとしていたが、すぐにその意味に気づき、片方の袋を俺に渡してくる。

 

「ありがと。優しいんだね」

「……別に。前の学校での部活動のクセが出ただけだ」

「へえ、もしかして何かスポーツでもやってたの?」

「いや、奉仕部」

「奉仕部?何、それ」

「……あー、困ってる人間に対して、魚を与えるんじゃなくて、魚の捕り方を教える部活」

「ふふっ、なんか小難しいね。でも楽しそう」

「そうでも……いや、まあ、何でもない」

「?」

 

 俺の様子に松浦が首を傾げる。まあ、まだ色々と思い出してしまうのは仕方ない。

 それを遮断するように、まだ見慣れない町並みに目を向ける。

 そうすることで、少しはここに……今いる場所に馴染むことができる気がした。

 絡まった思考回路を解すように、俺は何の気なしに松浦に尋ねた。

 

「……そういや、この前手伝いがどうとか」

「ああ、あれ?気にしなくていいよ。お父さんの怪我もあと少しで治るし、比企谷君も受験勉強あるでしょ?」

「……別に短い期間なら、やってもいい」

「…………」

 

 自分で何を言ってるのか、よくわからなかった。

 こんな柄でもないことを……。

 でも、間違いなく言っていた。

 それは過去の埋め合わせなのかもしれない。ただの自己満足なのは間違いない。

 

「……そっかぁ」

 

 それに対し彼女は……この前と同じ笑顔を見せた。

 

「お願いしてもいい、かな?」

 

 



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君想い ♯2

 松浦に申し出てはみたものの、平日はあまり客もいないので、土日だけでもいいとのことだったので、それまでは受験勉強をして過ごしていた。

 そして数日後……。

 俺は、指定された時間に間に合うよう、早めに家を出た。

 まだ朝陽が昇りきらない内浦の町は、建物の輪郭もぼんやりしていて、夢の中を走っているような不思議な気持ちになる。

 ほどなくしてダイビングショップに到着し、ドアをノックする。

 すると、松浦がひょこっと出てきた。

 

「おはよ、比企谷君。本当に来てくれたんだ」

「……まあ、嘘つく理由もないからな」

「あはは、確かに。じゃ、入って。まあ、今日はあんまりやることもないけど」

「……へ、平日もなかった気がするんだが……大丈夫なのか?」

「まあ、何とかね」

 

 何とかなっていると言っているのなら俺が口を出すことではない。実際何ができるわけでもないのだけど。

 松浦に促され、中に入りると、紺色のエプロンを渡された。

 

「……これだけでいいのか?」

「うん。さすがにダイビングのアシスタントとかは無理だから、掃除とか力仕事お願いしたいんだ。そういえば、バイトの経験とかはあるの?」

「……まあ、なくはない」

「…………」

 

 松浦は苦笑いを浮かべている。これだけで察してくれるとはありがたい。

 

「そういや、その……挨拶とかしなくていいのか?」

「挨拶?」

「いや、お前の親とかに……」

「え?ああ、大丈夫大丈夫。もうお母さん達には言ってあるから」

「そっか」

「それより……いいの?本当に無給で手伝いなんて……」

「まあ、そんな大したことはできんからな」

 

 松浦の父親はあと二週間くらいで復帰できるらしいので、俺ができることなど本当に少ない。というわけで、ボランティア扱いにしてもらった。

 あと、これは単純に自分のためなのかもしれない。

 ここで誰かのために、という大義名分を掲げて動くことで、千葉でやり残したことの埋め合わせをしようと……

 

「どうかしたの?」

「いや……それよか、そっちこそよく許可したよな。引っ越してきたばかりのどこの馬の骨ともわからん奴に……」

「ああ、最初は戸惑ってたけど、私がごり押ししといたからね」

「そ、そうか……」

「何でって顔してるね」

 

 松浦は、やけに大人びた微笑みを向けてきた。しかも、それが様になっている。

 危うく見とれそうだったので目を逸らすと、彼女は話を続けた。

 

「私って、大事なことは直感で決めるようにしてるんだ」

「…………」

「それで、私の直感では比企谷君はいい人だと思ったから。それでごり押ししてみたの」

「……それだけなのか?」

「そう、それだけ」

 

 つい苦笑いをしてしまいそうになるが、何とか堪えた。まあ理由は何でもいい。

 彼女は俺のリアクションは気にも留めず、奥の方へ向かった。

 

「私、着替えてくるね」

「ああ」

 

 すると、ひょっこり顔だけ見せた。

 

「……言っとくけど、覗いちゃダメだからね」

「いや、覗かないから」

 

 こうして、内浦での奉仕部活動……みたいなものが幕を開けた。



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君想い #3

「比企谷君、これをあっちに持って行ってくれる?」

「……おう」

 

「次は掃除お願いね」

「……了解」

 

 働き始めて早3日。

 平日の早朝に仕事とか、将来専業主夫を目指している俺からしたら、信じられないことではあるが、まあ何とかやっていけている。

 そうこうしているうちに、今日の奉仕活動も終了した。

 

「お疲れ様。今日もありがとね」

「ああ、てかお前……あの作業の後によく走りに行けるな」

「いつもは最初に走るんだけどね~。今は手伝いがあるから」

「いや、順番の問題じゃ……まあ、いいけど」

「あっ、それなら比企谷君も一緒に走る?朝のランニングは気持ちいいよ!」

「いや、やらない。てかそんなのやってたら遅刻するから」

「あははっ、たしかに」

「じゃあ、今日はもう上がるわ」

「うんっ、ありがと。明日は休みだから」

「おう。じゃあな」

 

 まあ、こんな感じで内浦での日常はゆっくり回り始めていた。

 

 *******

 

 今日も爽やかな風が頬を撫でていく。

 そんな中、私は遠ざかっていく後ろ姿を眺めていた。

 最近引っ越してきたばかりの、ちょっと暗めの雰囲気の……でも、優しい人。

 

「ふふっ、ホント変わってるなぁ」

 

 気づけば自然と頬が緩んでいた 

 なんかこういう感じ、懐かしいかも。

 

 *******

 

 その日の夕方、おつかいを頼まれ、スーパーに歩いていると、見覚えのあるポニーテールが風に揺れていた。

 そして、そのポニーテールの女子……松浦は立ち止まり、こちらに向けて声をかけてきた。

 

「あっ、比企谷君じゃん!今朝ぶりだね」

「……おう」

 

 まあ、家も割と近いし、こうして遭遇するのは全然不思議な事ではないのだが、やはり同年代の顔見知りの女子と、町中で偶然遭遇するというイベントに対して妙に構えてしまうのは何なんですかね?

 ちなみに松浦の方からは、そういったのはまったく感じられない。当たり前だが。

 

「比企谷君も買い物?」

「ああ、小町から頼まれてな」

「ふぅ~ん、意外と優しいお兄ちゃんやってるんだね」

「別に優しいとかじゃねえよ。普段家事やってくれてるからな。こういう時には黙って言うこと聞いてるだけだ」

「あははっ、なんか君らしいね」

 

 俺らしいとは……まあいいけど。

 

「それよか、そっちも買い物か?」

「うん。ちょっとお母さんに頼まれて。あと明日の分のスポーツドリンク買っておきたくて」

「……そっか」

 

 どうやら彼女も同じ目的らしい。

 彼女とスポーツドリンクの組み合わせが、やけに似合うと考えながら、俺は再び歩き始めた。

 すると、彼女も隣に並んで歩きだす。

 あまりに自然なその動作に、特に意識することもせずにすんだのだが……。

 ただ、薄暗い夕焼けが照らす横顔が、ほんのりと淡く赤く、それでいて彼女の白さが際立っているのが、少しだけ胸を締めつけた。

 

 *******

 

 スーパーの中は人の姿はまばらで、軽快なJ-POPが控えめに響いていた。

 さて、さっさとアイスを買って帰りますかね。アイス売り場は……

 

「あっ、比企谷。そこのジャガイモとって」

「お、おう」

「じゃあ次はそっちの玉ねぎ、お願いね」

「へいへい」

「え~と、次は何だったっけ?」

「おい」

「何?」

「いや、なんかいつの間にか一緒に買い物する流れになってるんだけど……」

「ん?……あっ、ごめんごめん。そうだった、そうだった」

 

 不思議そうに首を傾げた松浦だったが、すぐに気づいて苦笑いをする。どうやら朝の作業のノリになっていたようだ。

 まあ別にいいんだけど。

 

「それで、次はどれなんだ?」

「えっ?」

「……どうせ急ぎの用事でもないからな。まあ、その……手伝う」

「……ふふっ、ありがと。これが捻デレってやつ?」

「何だよ、捻デレって……」

 

 その単語、内浦にまで浸透してたのかよ。来年あたり流行語大賞とっちゃうんじゃなかろうか。ないか。

 

「あら、果南ちゃんじゃない!」

 

 そこで、聞き覚えのない声が割って入ってきた。

 振り向くと、知らないおばさんがニコニコ顔で立っていた。松浦の知り合いらしいが。

 松浦のほうは、にこやかに応じていた。

 

「あっ、おばさ~ん。おばさんも今買い物ですか?」

 

 そこからは他愛のない世間話に突入したので、俺は少し離れた場所の商品をテキトーに見ていた。

 食器用の洗剤と甘いものだったな……まあ、ブラックサンダーでも買っときゃいいだろ。ゴールデン置いてるし。

 

 

「果南ちゃん。もしかして、あの男の子……あなたの恋人?」

「え?」

「っ!」

 

 いきなりすぎる質問に吹き出しそうになってしまう。このおばさん、何をどう見たらそう見えるのだろうか。

 松浦を横目で窺うと、特に気にした風もなく、けらけら笑っていた。

 

「やだな~、おばさんったら。彼は今、うちの店を手伝ってくれてるの」

「あら、そうなの~。何だか、とってもお似合いだったから!」

「あははっ、もう……」

「…………」

 

 どうやら全然気にしてないっぽい。うわ、何これ、超恥ずかしいんですけど!

 誰も気にしてないのに妙に気まずい思いを抱きながら、俺は残りの買い物を黙々と手伝った。

 

 *******

 

 外に出ると、もうだいぶ暗くなっていた。

 つい話し込んじゃったからなぁ……早く帰らないと心配するかも。

 そんな事を考えながら比企谷君に目を向けると、彼はさっきと違い、少し前を歩いていた。

 ……さっきの気にしてるのかな?別に気にしなくていいのに。

 恋人なんて……ねぇ?考えたこともないし……お似合い、だなんて……。

 私は笑い飛ばすように、でも何故かゆっくりと彼に話しかけた。

 

 

 



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君想い #4

 日曜日、いつものように店に行くと、その日は珍しく開店前から客が待っていた。

 そして、それは見覚えのある人物だった。

 彼女は親しげな笑みをこちらに向けた。

 

「あっ、この前の……」

「……おう」

 

 少し茶色がかった髪を揺らしながら……確か高海だったか……彼女もこちらの名前を思い出したようで、「あっ」と声を漏らした。

 

「えっと……ヒキタニさん、ですよねっ!」

「…………」

 

 あれー?おかしいなー?名前の漢字は知らないはずなのに、ヒキタニ君とか呼んでるよー?もしかしてこの子、戸部ってんのかなー?テンション高めだし……。

 とはいえ面倒なので、そのままにそのままにしておこうかと考えていると、建物の陰から、もう一人の女子が姿を現した。

 

「えっと、ヒキタニさんじゃなくて、たしかヒキガヤさんだよ、千歌ちゃん」

「あっ、すいません!ヒキガヤさん!」

「……まあ、気にすんな」

 

 この暗めの茶髪の女子も以前見たはずだ。名前は……渡辺だったか。訂正ご苦労。あとで八万ポイント進呈しよう。

 なんて考えていると、その背後から、さらにもう一人顔を出した。

 

「あの、二人の……知り合い?」

「うん。この前ここで初めて会ったんだぁ。あっ、そういえば比企谷さんも最近千葉から引っ越してきたんだよ!」

「へえ、そうなんですか。あっ、初めまして。私、桜内梨子っていいます。この前、東京から引っ越してきました」

「……あ、ああ、どうも」

 

 腰くらいまでの長い髪を、朝の爽やかな風に揺らしながら、桜内はぺこりとお辞儀した。その立ち振舞いからは、どことなく気品が感じられ、彼女の育ちの良さが窺えた。

 ……ていうさ、朝から美少女3人とか、割と心臓に悪いんだが……よし、さっさと仕事するか。

 しかし、そうはさせないと言わんばかりに……思ってもないだろうが……高海は話を続けた。

 

「比企谷さんもダイビングしに来たんですか?」

「……いや、ここの仕事を手伝いにきただけだ」

「手伝い、ですか?」

 

 高海が俺の言葉に首をかしげたところで、松浦が店内からひょっこり顔を出した。

 

「おはよう~。あれ?千歌達も来てたんだ」

「うんっ、それよりびっくりだよ~。まさか比企谷さんがここで働いてるなんて」

「うん、私もびっくりだよ。まさか手伝ってくれるなんて思わなかったもん」

 

 いかん、俺の話題になりそうだ。さっきから、渡辺もこっち見てるし……。

 とりあえずこの場から離脱しよう。

 

「……じゃあ、俺はその辺片付けてくるわ」

「あ、うんっ。今日もよろしくね。」

 

 俺は女子4人に背を向け、事務室へと向かった。

 

 *******

 

 やる事を終え、外に出ると、女子4人はいつの間にかウェットスーツに着替えていた。ラッキースケベを期待していた読者の皆さん、すまんな。

 ……だが、これはこれでいいものだ。

 そんな思春期なら当たり前の感情を押し殺し、俺は至って冷静に、松浦に声をかけた。

 

「……片付け終わったぞ」

「あ、うん。ありがと。私、今から千歌達についてあげるから」

「そっか。まあ、雨は降らないらしいけど、曇ってるから、一応……気をつけてな」

「…………」

「……何だよ」

 

 本当になんだよ。ツチノコでも発見したかのような驚き顔見せやがって。

 すると、彼女はクスリと笑みを雫した。

 

「ふふっ、何でもない。じゃ、行ってくるね」

「……おう」

 

 何だったんだ、一体……。

 

 *******

 

 しばらくしてから、彼女達は戻ってきた。そして、その間は予定調和のように誰も来なかった。おかげで受験勉強がはかどったぜ……。

 ボートからぞろぞろと降りてくる彼女達を出迎えると、その表情は満ち足りて見えた。

 

「ただいま~」

「……おかえり」

「あははっ、何だか新婚さんみたいだね」

「はっ?」

「……千歌、いきなり何言ってんの?」

「か、果南ちゃん?」

 

 こちらからはよく見えないが、松浦の顔を見た高海がビクッと肩を跳ねさせた。えっ、そんなに嫌だった?

 

「それにしても、途中から晴れてきてよかったね」

「うんっ、きっと普段の行いがいいからだよ!」

「高海さんが?いい行い?」

「え~っ、どういう意味~!?」

「ふぅ……まったく千歌は」

 

 ブツブツ呟きながら、松浦がウェットスーツをはだけさせ、水着だけを着用した上半身を露にする。

 程よく鍛えられながらも、柔らかな曲線を残したそのスタイルは、思わず目を吸い寄せられてしまう。ていうかこいつ意外と……

 

「はぁ~楽しかった」

「できれば毎日来たいよね!」

「ふふっ、今日はありがとう。二人のおかげで、しっかり海の音が聴けたよ」

 

 松浦に倣い、他の3人も同じように上半身を露にする。

 ……あの、男子がここにいる事を忘れないでね。

 俺は建前のように、心の中で呟いた。

 ちなみに順番は……松浦、渡辺、高海、桜内といったところだろうか。何がとは言わないけど。

 

 *******

 

「…………」

 

 ……比企谷君、いやらしい目をしてる。

 これだから男子は……まあ、仕方ないかもしれないけど、なんかこう……うん。

 私は立ち上がり、比企谷君の手首を掴んだ。

 

「さ、そろそろ仕事に戻ろっか」

「おう……てか、その、手……」

「いいの。さ、仕事仕事」

 

 ふと視線を感じ、振り向くと、千歌達がポカンとこっちを見ていた。 



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君想い #5

「はっ……はっ……」

「はっ……はっ……」

 

 朝焼けに染まる道。海沿いの歩道を、俺は松浦について走っていた。

 足音を一定のリズムで鳴らし、ポニーテールを軽快に揺らしながら、彼女はこちらに笑いかけた。

 

「比企谷君、やるじゃん」

「はっ……はっ……あ、ああ……そうか……」

 

 ……ぶっちゃけ、正直かなりきつい。ぶっちゃけと正直が続けて出てくるくらいきつい。帰りたい。

 なんでこの子ペース落ちないの?チートなの?

 そもそも何故俺が朝っぱらから松浦とジョギングをしているか……。

 その理由は昨日の事件にある。

 

 *******

 

「あ、比企谷君おはよー!」

「……おう。なんか今日はいつもよりごちゃごちゃしてるんだが……」

「そりゃあ、今日は朝から予約が入ってるからね。急いで準備しなきゃ」

「そっか」

 

 まあ客が来るのはいい事だ。あんま客がいないと俺の給料も……あ、そういやボランティアでした。てへっ!

 いつもよりさらに張り切っている松浦は、なんだか微笑ましく見えた。

 

「じゃあ私着替えてくるから。今日もよろしくね」

「……了解」

 

 さて、じゃあいつも通り掃除しますかね。

 慣れてからは朝早く起きるのもそこまで苦痛ではなくなり、この作業自体も割と好きになっていた。

 あと、この店の窓から見える海の眺めも気に入っていた。

 特に変化があるわけでもないのに、ずっと見ていられる。

 こうやって徐々にこの町に慣れていくのか……。

 少しだけ千葉に思いを馳せていると、奥の方でガタンと物音がした。

 ……なんだ?あいつ、何か倒したのか?

 まあ見に行ったりはしないけどね!

 ここでうっかり見に行って、うっかり着替えを覗いちゃうなんてベタな展開、この俺には起こらない。残念だったな。

 とりあえず、色んな道具を出しておこうと倉庫に向かい扉を開けると、ありえない事が起こった。

 

「え?」

「は?」

 

 扉を開けて真っ先に目に入ったのは、更衣室にいるとばかり思っていた松浦だった。

 下は先程と同じジーンズだが、上は布切れ1枚着けてない綺麗な背中が綺麗に剥き出しになっている。

 彼女は俺を振り返り、ぽかんと固まっていた。普段のしゃきっとした表情とは違い、こんな状況なのに可愛らしく思えてきた。

 

「「…………」」

 

 しばしの沈黙。

 何だかこの時間が永遠に……いや、続いたりはしないけど、てかやばいやばいやばいやばい!!

 俺の心情を裏付けるように、松浦はゆっくりと動いた。まるで死を宣告するように。

 よく見ると、その頬は赤く染まっていた。

 

「もう……」

 

 彼女は近くに置いていたゴーグルを掴む。よかった、タンクじゃなくて!

 

「バカ~っ!!」

 

 真っ直ぐに彼女の手から放たれたそれは、俺の額へとクリーンヒットした。

 そんな中でも、俺の脳裏には彼女の背中の綺麗な肌色が焼き付いていた。

 

 ******* 

 

「……ごめん」

「……いや、いい」

 

 数分後、松浦はしゅんとして頭を下げてきた。

 まだその頬は赤く、時折自分の掌を当てていて、それだけで先程の出来事を思い出し、鼓動が跳ねた。

 

「でも、比企谷君もいけないんだよ?い、いきなり入ってくるから……」

「いや、あれを予想するのは無理っつーか……なんで更衣室使ってないんだよ」

「それは……着替える前にちょっと道具の確認してたら、ついここで着替えようってなっちゃって……」

「…………」

 

 その様子を想像していると、彼女はまた気まずそうに頭を下げた。

 

「……ごめん」

「いや、その……俺も見たのは悪かった。まあ、その……その分は俺にできる事ならなんでもする」

 

 自分が悪かった分の埋め合わせをしようとすると、松浦はあたふたと手を振った。

 

「……そ、そこまでしなくてもいいって!元はといえば私が悪いんだし!……あ、そうだ!こうしない?」

「……何だ?」

「お互いができる範囲で相手の言う事を聞くっていうのでどう?」

「……まあ、その……そっちがそれでいいなら」

「それじゃあね~……一緒に運動しよっ」

「…………」

 

 今いやらしい事を一瞬でも考えた人、怒らないから手を挙げなさい。

 

 *******

 

 てなわけで朝早くからジョギングに勤しんでいる。てかこいつ、本当にどんだけ体力あんだよ。ペース落ちないしむしろ早くなってるし差が開いてる気がするしもう背中見えないしやばい……。

 語彙力が徐々に崩壊しながら、長い階段をなんとか登りきると、彼女は気持ちよさそうに空を仰いでいた。

 頬を伝う汗がキラキラと輝いて、陽の光の眩しさに目を細める。

 彼女は登ってきた俺に気づくと、優しい微笑みを見せた。

 

「おっ、やっと着いたね。もしかして運動不足?」

「……ああ、運動部とかじゃ……ないからな……」

「じゃあ、明日から日課にする?」

「……え、遠慮する」

「まあ、無理にとは言わないけどさ。はい、お疲れ」

「……おう、ありがと」

「本当にこれだけでよかったの?」

「ちょうど……よかった……っ!」

 

 冷えたペットボトルを頬に当てられる。

 ひんやりした刺激が脳を刺激し、疲れが少しだけ癒された気がした。

 

「びっくりした?」

「そりゃあ、まあ……」

 

 松浦はポニーテールを風に靡かせながら、してやったりと言わんばかりに「へへっ」と笑った。

 その笑顔にほんの少し胸が高鳴った気がするが、まあ気のせいだろう。

 

「じゃあ、そろそろ戻ろっか。帰りは少し本気出してくよ」

「……あれ本気じゃなかったのかよ」

「う~ん、まだ2割くらいかな」

「…………」

 

 敵がまだ変身を残してると聞いた時の主人公の気分がわかった気がするぞ……わかりたくもないけど。

 

「どうしたの比企谷君?ほら、競走するよ!よーい、どん!」

 

 彼女の背中を見ながら、俺は苦笑と共に疲れた足を精一杯動かした。

 そして、それを後押しするように風が頬を撫で、爽やかな朝焼けのような気持ちにさせた。



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君想い #6

 早朝の内浦の町。

 まだ陽が昇り始めたばかりで、風は少し肌寒いくらいだが、そんな町中を二人分の人影が走っていく。片方は軽快に、もう片方はやたら必死に……

 

「はっ……はっ……」

「はぁ……はぁ……ああ、やべ……」

「あはは、喋ると余計疲れちゃうよ?」

「はぁ……そういう……はぁ……お前は……はぁ……疲れて……はぁ……なさそうだな……はぁ……」

「器用な喋り方だねえ。その分なら、もう少しスピードあげてもいいかな?」

「っ!?」

 

 そう言って、松浦は少しずつペースを上げ始めた。まるで、まだ余力はたっぷりあると言いたげに。

 ……なんだこの、敵が変身を何段階か残していると知った時のような気分……。

 前を走る彼女のポニーテールが元気に跳ねるのを見ながら、俺は何とか足を動かした。

 

 *******

 

「はい、お疲れ」

「……どうも」

「もう、初日から無理しすぎだよ。疲れてるなら疲れてるって、言ってくれればいいのに……」

「…………」

 

 やたら長い階段を上がり、頂上まで登ったところで、俺は地面にへたりこんでいた。

 こちらを見下ろしている松浦の呆れた表情を見ていると、割と悲惨な状況らしい。

 ……ていうか、こいつはなんで全然疲れてないんだよ。

 

「……ていうか、こいつはなんで全然疲れてないんだよって顔してるねぇ」

「……エスパーかよ」

「だって、そんな顔してるよ?まあ、私も全然疲れてないわけじゃないんだけどね。でも慣れてるから。比企谷君もすぐに慣れるよ」

「すぐには無理だろ……」

「大丈夫大丈夫っ。ほら、そろそろ戻らないと。仕事の時間になっちゃう!」

「…………あ」

 

 そうだった。当たり前の話だが、今からこの道を戻らなきゃいけない。すっかり忘れてたわ……。

 俺はなけなしの気合いを入れて立ち上がり、松浦に続いて、来た道を戻り始めた。

 

 *******

 

 それから、くたくたのまま何とか仕事をこなし、学校に行く為通学路を歩いていると、前から誰かが歩いてくるのが見えた。

 それだけなら別に普通の事なのだが、その人物は見覚えのある奴で、なおかつその視線がこちらに固定されているものだから、つい立ち止まってしまう。

 艶やかな長い黒髪を風に泳がせながら、彼女は……黒澤姉は俺の前で立ち止まり、しっかりと目を合わせてきた。

 

「おはようございます。八幡さん」

「……お、おう、おはよう……」

 

 割と近い距離に来られて、つい噛んでしまう。ATフィールド、あっさり破られてんだが……。

 しかし、彼女はそんなことお構いなしに、その桜色の唇を動かした。

 

「今、果南さんの所で働いてるそうですわね」

「まあ、働いてるっつーか、ちょっとした手伝いだ。そんな大層なもんじゃない」

「そうですか……果南さんの事、是非よろしくお願いしますね。彼女、無理しすぎるところがありますから」

「?……わかった」

 

 何故よろしくお願いされたかはわからないが、そうやって頭を下げられると、こちらも頷くしかない。

 

「……足引っ張らない程度には真面目にやるつもりだ」

「ふふっ、小町さんの言ったとおりですわね。それじゃあ、今の言葉忘れないでくださいね」

「あ、ああ」

 

 果たして小町が何を言ったのかはわからないが、こちらとしては決めた事をやるだけだ。

 その瞬間、あの部室の中の穏やかな風景が、はっきりと甦り、胸の奥を確かに揺らした。

 

 *******

 

 翌日。

 

「比企谷君ってさ、進路とか決めてる?」

「…………ん?」

「ん?じゃないよ~。ぼーっとしてたな?」

「いや、作業に集中してただけだ。てかどうしたんだ、いきなり?」

「別にただ聞いてみただけだよ。答えたくないなら無理に聞かないけど」

 

 唐突な質問すぎるが、とりあえず今の考えをそのまま口にした。

 

「……まあ、進学だな。つっても、どこにするかは決めてない。そもそも引っ越しは予定外だったからな」

「そっか。……千葉に戻りたいの?」

「まったく考えないわけじゃないが、一応家出るつもりだったし……てか、そっちはどうなんだよ」

 

 同じ質問を返すと、松浦は眉を曲げ、やたら真剣に悩み始めた。

 

「ん~~、私もまださっぱり……その、やりたいことがないわけじゃないんだけど……」

「……そっか」

 

 やりたいことが気になったが、デリケートな内容なので、頷くだけにしておくと、彼女は頭をかき、立ち上がった。

 

「あ~だめだ!考えすぎたらウズウズしてきた!よしっ、私泳いでくる!!」

「はっ?いや、まだ4月なんだが……」

「大丈夫っ、慣れてる!」

「えっ、いや、だから、ちょっ、おまっ!」

 

 止める間もなく、彼女はそのまま店を出て、綺麗なフォームで海に飛び込んだ。

 そして、つい見とれるくらい鮮やかに水飛沫をあげて、しばらくしてから水面に姿をあらわす。

 

「あははっ、比企谷君もどう?」

「…………」

 

 きっとこの時の俺はどうかしていたのだろう。

 彼女のあまりに輝いた笑顔を見ていると、すごく気持ちよさそうで、つい自分も飛び込んでしまっていた。

 綺麗なフォームとは無縁だし、あんな笑顔はできそうもないけど……

 

「ふふっ、感想は?」

「……寒っ」

 

 

 

 

 



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君想い #7

 放課後、帰宅途中にダイビングショップの前を通ると、ボートの前で松浦が誰かと話しているのが見えた。

 その女の人は、年は同じくらいか年上だろうか?鮮やかな金髪と、華やかな雰囲気が、自然と目を惹きつける。

 だが、二人の間にある空気は、やけに冷ややかというか、ぎこちない気がした。

 

「…………」

 

 そして、そこにはやすやすと踏み込めない何かを感じ、俺は再び自転車を漕ぎ始めた。

 

 *******

 

「「ライブ?」」

「そうだよっ!今度体育館使ってやることになったから、二人も是非よろしくお願いします!!」

 

 早朝の手伝い中にやって来た高海は、俺と松浦にライブ告知のポスターを見せびらかしていた。

 その可愛らしいポスターを見て、松浦は素直に感心していた。

 

「わあ……早いね。もうライブするんだ」

「うんっ!新しく理事長になった人が、体育館を使わせてくれたんだぁ!まあ、色々条件はあるけど……あ、でも凄いんだよ、新しい理事長さん!金髪で、スタイルよくて、ヘリで登場してきて、それで生徒でもあるんだよ!」

 

 なんだ、そのアニメキャラみたいな奴。属性欲張りすぎだろ。

 内心すごく驚愕していると、松浦は何故か浮かない表情で頷いた。 

 

「……そう」

 

 あの表情……さっき金髪がどうこう言っていたが、もしかして……いや、俺がそこまで気にしても仕方ないか。

 そう考えた後でも、しばらく松浦の遠くを見るような目が気になってしまった。

 

 *******

 

「よしっ!掃除終わり!」

「…………」

「ん?どしたの、比企谷君?じ~っとこっち見て……あ、もしバイト代欲しくなったなら、私のお小遣い半分で手を打ってくれると助かるかな」

「いや、いらないから。これ奉仕部の活動だから。それよか……いや、まあいい……」

「何それ?余計気になるんだけど……」

 

 確かに。今のは俺のミスだ。ここでの奉仕活動といい、柄にもないことをしたから、調子が狂っているのだろうか。

 誤魔化す事を諦めた俺は、首筋に手を当てながら、昨日からのあれこれを松浦に話す事にした。

 

「昨日、帰る途中にボートの近くで、お前と金髪の女が話してるのが見えてな。それで、さっき高海の話を聞いてからのお前の反応を見て……」

「そっかぁ、見られてたかぁ~」

 

 松浦はこちらの言葉を遮るように呟いてから、たはーっと溜め息を吐いた。

 そして、いつもの溌剌とした笑顔とは違う、なんだか申し訳なさそうな笑顔をこちらに向けてきた。

 

「まあ、その……割と長い付き合いというか、何というか……」

「いや、別に無理に答えなくてもいいぞ。てか、そろそろ予約してる客来るんだろ」

「あ、そうだった!比企谷君、今日はおじいちゃん来るから、もう上がっていいよ!」

「……おう、お疲れ」

 

 お互い都合のいい口実を見つけたとばかりに、会話を打ち切った。

 だが、そこに生まれた沈黙は、あまり何とも形容しがたい感覚で、松浦の横顔は誰かの横顔を思い出させた。

 

 *******

 

 今日も静かな通学路。

 ここを通る度に思うのは、この快適さは間違いなく自分向きだということだ。今とかうっかり思い出し笑いしても誰にも気持ち悪がられることもないし……

 

「チャオ♪」

「うおっ!!」

 

 いきなり背後から声をかけられ、肩が跳ねると同時に、変な声が出てしまった。

 振り向くと、先日見かけた金髪さんが、にっこりと笑みを浮かべて立っていた。

 

「ソーリー、驚かせちゃったみたいね」

「あ、ああ……」

 

 確かこいつは、先日松浦と話していた……。

 こちらがあれこれ考えているうちに、彼女は俺をジロジロ見て、うんうん頷いていた。

 

「まさか、あの果南にボーイフレンドができるなんて~」

「は?いや、そういうんじゃないから……」

 

 彼氏どころか、友達かどうかすら怪しいんだが。ただ店手伝ってるだけだし。

 しかし、目の前の金髪女子は、こちらの様子はお構いなしのようで、距離を詰めて、何故か腕の辺りを品定めするように見ていた。

 

「果南って、もう少しゴツゴツした感じが好みだと思ったんだけど、恋愛とはわからないものデス」

「いや、だから違うんで……」

 

 え、何?この人、俺の話を聞く気ない?あと近い近いいい匂い近い近い……。

 爽やかで透き通るような松浦のそれとはある意味真逆の、甘く濃厚な香りに緊張していると、ようやく彼女が離れた。

 

「そのシャイな所、すごくキュートデスネ~♪」

「そ、そうすか……」

 

 マジでなんなんだ、この金髪……。

 すると、彼女は真面目な表情になり、真っ直ぐに俺の瞳を見据え、口を開いた。

 

「果南に言っておいてくれる?私は絶対に諦めないからって」

「…………」

 

 その言葉に黙って頷くと、彼女は立ち去ろうと……したのだが、すぐに振り返り、また無邪気な笑顔を見せた。

 

「あ、自己紹介が遅れマシタ。私の名前は小原鞠莉。気軽にマリーって呼んでね♪」

「あ、ああ……」

 

 それから彼女はひらひらと手を振り、今度こそ去っていった。

 彼女の背中を見ていると、これから何かがまた変わり始めるような曖昧な予感が、脳内を掠めていった。

 

 



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君想い #8

 朝。

 それは一日の始まりの時間であり、この時間に早くから活動すると、三文くらいは得するとか言われている。

 そう言われると、今すぐにでも起きて、何かしたほうがいいんじゃないかと思えてくる。

 だが待ってくれ。

 その得とやらは人それぞれではなかろうか。

 朝早くから仕事したり、勉強したりするのを得と考える人もいれば、睡眠をとり、来るべき時に備えるのが得と考える人間もいるだろう。

 つまり、俺がこうして二度寝をしようとしているのは、ただ惰眠を貪っているわけではなく、積極的に得を獲りにいっているという事だ。

 前置きが長くなってしまったが、とにかく俺は眠……

 

「おはよう!!」

「…………は?」

 

 ありえないはずの声に振り向くと、そこにはいるはずのない人物が立っていた。

 

「……なんでいんの?」

 

 俺が頭に浮かんだ疑問をそのまま口にすると、黒髪ポニーテールが印象的な少女・松浦果南は、寝起きには眩しすぎる爽やかな笑顔を見せた。

 

「せっかくの休日だから、一緒に走らない?」

「……その前に色々質問があるんだが、なんでお前、俺ん家知ってんの?」

「ん?テキトーに歩いてたら、比企谷って表札が目について、家から出てきた小町ちゃんが上がってくださいって言うから」

「……なるほど……そうか……おやすみ」

「はいはい、二度寝禁止」

 

 布団を被ろうとしたが、あっさりと引き剥がされてしまう。おそらくこのままねばったとしても無駄な労力にしかならないだろう。

 諦めて、いつもより勢いよく起き上がると、あら不思議……松浦の顔が目の前にあった。

 

「え?」

「っ!」

「…………」

「…………」

 

 ただひたすらに気まずい沈黙。

 ぱっちりと大きく開かれた目がこちらを驚いたように見ている。白い頬は、思わず手を伸ばしてみたくなるくらいに滑らかだ。てか、こいつ何で朝からこんないい香りすんだよ。いや、朝関係ないですね……。

 あれこれ認識すると、次第に胸が高鳴るのを感じた。

 だが、松浦がその沈黙を自ら引き裂いた。

 

「い、いきなり起き上がらないでよ!びっくりするじゃんか!」

「いや、まさかそんなとこに顔があるとは……てか、お前がいることに既に俺がびっくりしてんだが……」

「……まあ、その気持ちはわかるけど。あはは。何て言うか、まさか寝起きの比企谷君を見る日が来るとは思わなかったよ」

「そんな大したもんじゃないけどな」

「そう?比企谷君って、あんまり人に隙とか見せたがらなそうなタイプだし、結構貴重な気がするんだけどなあ」

「す、隙見せるほど人付き合いがないだけだ…………とりあえず、顔洗ってくる」

 

 朝からだいぶ調子を狂わされているが、不思議と嫌な気分にはなっていない自分がいた。

 なんとなく振り返ると、窓から射し込む陽射しのせいか、少し頬を赤くした松浦が、顔の辺りを手でぱたぱたと扇いでいた。

 

 *******

 

 とりあえず海に行くことになり、俺と松浦は家を出た。

 今日も爽やかな青空をぽつぽつと白い雲が泳いでいて、見ているだけで穏やかな気分になってくる。ふわりと頬を撫でる風が、そんな気持ちを倍増させてくれてるようだ。

 隣では松浦が「う~ん」と大きく伸びをしていた。

 その際、引き締まった体の割に豊満な胸が強調され、思わず視線が吸い寄せられ、慌てて目を逸らす。

 

「ん~~、やっぱり晴れた日は海が一番♪」

「家じゃなくて?」

「寒い日はそうかもだけど……比企谷君って、千葉にいた時は休日何してたの?」

「まあ……本読んだり、ゲームしたり、飯食ったりだな」

「…………あ、水平線」

「おい、話の逸らし方雑すぎじゃね?そこまで気を遣われることでもないと思うんだが……」

「あはは、ごめんごめん。でも、それが比企谷君のルーティンだもんね」

「いや、そこまで大袈裟なもんでもないが……何なら真似してみればいい」

「遠慮しとく」

「そっか」

 

 松浦は、波が足にかかるかかからないかのギリギリの位置に立って、こちらを振り向いた。

 

「ねえ……」

「いや、泳がないから」

「まだ何も言ってないんだけど~」

「なんとなく予想ついた」

「あはは、当たってる……」

「いや、つーか服で海に入るのに、少しくらい躊躇いを持てよ。魚人かよ」

「魚人……半分くらい当たってるかも」

「え、マジで?」

「いや、そんな本気に受け取らなくても……ただ、ちっちゃい頃からずっと海と触れ合ってきたから、もう一つの故郷といっていいかもって、思っただけ」

「ほーん、まあ俺のボッチ生活と同じようなもんか」

「ち、違う気がするな……それより、どっちが速いか勝負しない?」

「えぇ……お互い私服だし、ここ砂浜じゃん……」

「ほら、行くよ~、位置について、よーい、どん!!」

「っ!」

 

 なんだかんだ言いつつも、スタートを切ってしまう自分に内心苦笑しながら、俺は砂浜を一歩ずつしっかりと踏みしめた。

 

 *******

 

「あれは……果南さんと……たしか、八幡さんかしら?何故朝から砂浜で走っているのかしら。ふふっ。果南さんったら、なんだかあの頃みたいですわね……」

 

 



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君想い #9

 今日は朝から降りしきる雨が、窓から見える景色をどんよりとしたものに変えていた。

 

「…………」

 

 松浦は先程から心配そうに外をちらちらと見ていた。理由は今日行われるライブだろう。

 あれから、スクールアイドルについて話したりとかはしていないが、彼女が後輩を気にかけているのはわかる。

 とはいえ、こいつは自分からそれを表には出さないだろう何となくわかる。

 じゃあ、俺が言うべきは……

 

「……あー、気になるなら行けばいいんじゃねえの?」

「べ、別に……」

「もうやることは大体覚えたからこっちは一人でもいい」

「う……でも、いいの?」

「まあ、わからなかったら、誰かに電話して聞く。てか、早く行かないと場所取りできなくなるぞ」

「……わかった!じゃあ、お願いね!」

 

 決心すると同時に、彼女は傘を持ち、店を飛び出して行った。

 

 *******

 

「あー、気を遣わせたかな……」

 

 学校までの道のりを駆け足で、ひたすら急ぎながら、比企谷君に心の中で謝る。

 彼は私と鞠莉の間に何かがあったことに気づきながら、あえて聞かずにいてくれた。

 比企谷君の事だから、面倒くさいだけかもしれないけど。ほんと変わり者だと思う。

 後でお礼しなきゃな。でも今は……

 

「あと少し……!」

 

 私は体育館へ向け、さらに足を加速させた。

 早く雨が上がればいいと、心から願った。

 

 *******

 

「これで終わりっと……」

 

 頼まれた掃除はこれで終わった。あとは松浦の家族にバトンタッチすればいいだけだ。

 ……あいつはもう学校には到着しただろうか。

 正直自分が背中を押したのが、良いことだったのかはわからない。

 ただ、時計を巻き戻しても同じ判断をしたと思う。そんな気がした。

 すると、入り口のドアが開く音がした。

 

「おはよう、比企谷君」

「……おはようございます」

 

 入り口に立ち、いきなり声をかけてきたその女性は松浦母だ。髪を下ろしているところ意外は、松浦と本当によく似ている。年いくつだよ、と言いたくなるくらいにスラリとして若々しい。これが血筋か……世界とは改めて不平等である。

 

「あら、果南は?」

「ちょっと用事があるみたいで……もう片付けも終わるんで」

「そう。じゃあ、後でいっか」

 

 そう言って近くにある椅子に腰かける。こういうさばさばしたところも似ている。

 

「比企谷君、いつもありがとう」

「いえ、自分から言い出したことなんで」

「確かに驚いたわね。引っ越してきたばかりの男の子が、いきなり手伝わせてくれなんて言うんだもの。それで、どうなの?」

「はい?」

「あの子との仲は進展してる?」

「…………」

 

 どんな勘違い……いや、端から見れば、そう取られても仕方ないか。俺が親の立場でも、そういう勘繰りをしてしまうだろう。

 

「まあ、あの子ってああ見えて抜けてるところがあるから、できれば引っ張っていくタイプのほうが上手くいくと思うんだけど……」

「そ、そうすか。てか俺は……」

「じゃ、私はもう出かけなきゃだから、果南によろしく言っといて。もうおじいちゃんも来るから」

 

 あ、この人割と人の話聞かないタイプだ。

 言うだけ言って、去ったかと思いきや、再び顔をこちらに覗かせた。どうしたのだろうか。

 

「あの子の事、よく見てあげてね。あれで割と抱え込んじゃうから」

「……うす」

 

 その優しい眼差しに、俺は先程の否定の言葉を忘れてしまっていた。 

 

 *******

 

 結果だけでいえば、千歌達のライブは成功に終わった。

 最初は観客もほとんどいなかったし、停電のトラブルもあったけど、遅れてきた町の皆や、ダイヤの機転により、想像以上の盛り上がりを見せた。

 もちろん千歌達も、実力が生んだ結果じゃないことは気づいている。

 むしろ、大変なのはこれからだ。

 これからスクールアイドルとして、嫌でも周りから比べられるのだから……。

 そこで私は無理矢理思考を断ち切った。

 

「……何考えてるんだろうね」

 

 こんなこと今さら考えても意味がない。

 そう、私はもう諦めたんだから。



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君想い #10

「松浦」

「はー……」

「……松浦」

「えっ!?あ、なんだ、比企谷君かぁ」

「これ、どこに仕舞えばいい?」

「あ、ああ、それね。たしか……きゃっ!」

 

 松浦が足元にあった荷物に躓いた。

 だが、倒れた先は偶然にも俺の胸元だった。

 ポニーテールが跳ねるのに合わせたように、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 普段のエネルギッシュな姿からは想像もつかない華奢さに、何故か胸が高鳴るが、何とかそれを悟られぬように、目を窓の外に向けながら、小さく声をかけた。

 

「……何かあったのか?」

「え?」

 

 驚いた顔を見せた松浦を見て「しまった」と思った。

 本来なら「大丈夫か?」と聞く予定だったのだが、彼女の沈んだ顔を見たからか、つい踏み込んでしまった。

 もう一度目を向けると、松浦は顔をぱたぱたと手であおぎながら、俺から少し離れ、一息ついてから口を開いた。

 

「ちょっとね……色々思い出しちゃって」

「……そっか」

 

 松浦の目線はこちらに向いているが、その目に映っているのは俺ではない気がした。

 大した返しもできずに、そのまま突っ立っていると、松浦が「そうだ!」と手を叩いた。

 

「ねえ、比企谷君。今日空いてる?」

「……は?あ、ああ、まあ、別に空いてるけど」

 

 いきなりな質問に、少々たじろぎながら答えると、松浦はやたらとにっこり笑った。

 

「じゃ、決まりね。じゃあこの後12時にバス停に来て」

「いや、今から行くんじゃないのかよ」

「用意があるの。もう、デリカシーないなー」

「わ、悪い。じゃあ……また後で」

 

 トントン拍子に話が進み、ようやく実感がわいた。

 ……マジか。今日一緒に出かけるのか。ゆっくり読書でもしようかと思ったんだが。

 こうして、午後からの予定が決まってしまった。

 

 *******

 

 待ち合わせ時間の15分前に到着し、ぼんやりと松浦を待っていると、改めてこの町の穏やかさに気づく。

 もうこのまま一人で日向ぼっこするだけでもいいんじゃなかろうか。いや、誰かから日向ボッチと言われるだけか。

 そんなくだらないことを考えていると、前の方から白いワンピースを着た髪の長い女性がこちらに歩いてくるのが見えた。

 その女性はまるで俺に用があるかのように目の前で立ち止まり、笑みを見せる。

 

「あ、いたいた。ごめんね、待った?」

「……え?あ、いや、人違いじゃないれすか?」

 

 いきなり美人に声をかけられ、ついつい噛んでしまう。うわ、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど!

 すると、目の前の美女は呆れたような笑みを見せた。

 

「ちょっと~、髪型変えただけで忘れるなんてひどいんじゃない?」

「は?…………ああ、なんだ松浦か」

「なんだとは何よ。ていうか、そんなに違うかなぁ?髪下ろしただけなんだけど」

「…………」

 

 よく見ると、顔は当たり前に松浦なんだが、やはり雰囲気がだいぶ違う。女子ってこわい!

 目を慣れさせるために何度か瞬きしていると、松浦はクスッと笑みを見せた。

 

「ふふっ、じゃあ行こっか。今日は色々と付き合ってもらうからね」

「……おう」

 

 今日はもうなんだか、ひたすら慌ただしくなりそうな気がしていた。

 

 

 



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君想い #11

「そういや、まだ聞いてないんだが、今日はどこ行くんだ?」

「ふっふっふ。私に任せて。今日で君は内浦マニアになるから」

「いや、そこまでなりたくはないんだが……」

「まあまあ、遠慮しなくていいから。さ、行くよ!」

 

 遠慮など一切してないんだが……。俺の千葉愛なめんなよ。

 だが、松浦がすたすた歩き出したので、とりあえずついていくことにした。

 何の気なしに空を見上げると、雲一つない青空だった。

 

 ********

 

「まずはここ!」

「……おお」

 

 まず案内されたのはお洒落な外観の喫茶店。海の近くというのがまたいい。

 だがそれだけではなく……

 

「わんっ」

 

 もちろん店員が吠えたわけではない。店に入ると、足元には小さな犬がこちらをくりくりした目で見上げていた。

 

「……かわいい」

「でしょ?この子目当てに来るお客さんもいるんだよ。お~よしよし」

 

 松浦が優しく頭を撫でると、犬は嬉しそうに目を細める。

 すると、奥からぱたぱたと足音が聞こえてきた。

 

「いらっしゃいませ~。あら、果南ちゃん珍しい……もしかして、彼氏?」

「違いますよ~」

「…………」

 

 ちょっと前にもこんなことがあったような……。

 どこをどう見たらそうなるのか。変なこと考えちゃいそうになるからやめてね。

 

「彼は最近引っ越してきたんです。今日は町の案内を……」

「なるほど、じゃあサービスしなくちゃね」

 

 二十代後半くらいの店員さんは、こちらに向かってウィンクした。これは「次回もサービス、サービス♪」の伏線だろうか。

 くだらないことを考えていると、再び犬がくりくりした瞳でこちらを見上げている。

 

「ね?いい雰囲気でしょ」

「かわいい……」

「えっ!?」

 

 そっと犬を愛でていると、松浦が驚いた表情をしていた。

 

「どした?」

「え?あ、いや……な、何でもないから!……まぎらわしいなぁ、もう」

 

 いきなり何だろうか。

 だが、すぐにコーヒーが運ばれてきて、この謎は謎のままだった。

 

 ********

 

 喫茶店を出ると、松浦は「う~ん」と大きく伸びをした。

 

「よし、次は運動しよっかな」

「……は?」

 

 町案内のはずが運動?この体力おばけに付き合って運動なぞしていたら、俺の身体は『はちまん、こわれる』みたいになっちゃうんだが。スペアとかねえんだぞ。

 

「あはは、冗談だよ冗談。それはまた今度しっかり付き合ってもらうから」

「そ、そうか」

 

 どっちにしろ運動はさせられるらしい。まあ、最近体力ついてきたのでいいんだけど。

 

「さ、行こ。まだまだ付き合ってもらうからね」

「……おう」

 

 ********

 

「ち、千歌ちゃん!あれ!」

「え?……あっ」

 

 



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