戦国†恋姫~織田の美丈夫~ (玄猫)
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墨俣の一夜城 - 詩乃調略編
1話 久遠の自慢


一作目が終盤に差し掛かりましたので、予告をかねて次の作品を書き始めてます!

勿論、一作目の完走が先ですので、終わるまでこちらはゆっくり更新になりますのであしからず。


 織田信長には、自慢するものが三つある。

 

 第一に奥州から献上された白斑の鷹。

 第二に青の鳥。

 そして。

 

「お蘭!朝駆けに行くぞ!共をせい!」

「はいっ!」

 

 久遠が起きるよりも前から既に準備を済ませていた、森成利。通称は蘭丸。母や姉とは違い、信長……久遠と同じ艶やかな黒髪を前は綺麗に切り揃えていて、後ろは解けば腰ほどまである長さのそれをつむじの辺りで纏めている。見た目では女童と間違われることも多いが、歴とした男である。第三に久遠が挙げた自慢が、蘭丸であった。

 

 

 どれほどの距離、馬を走らせただろうか。久遠と蘭丸は城から離れた山の山頂に到着していた。

 

「見よ、お蘭。綺麗な日出であるな!」

「はいっ!久遠さまのほうがもっとお綺麗ですが……朝日に映える久遠さまは、日の本一と私は思います」

 

 心の底から久遠を慕っている蘭丸の口からは普通であれば恥ずかしくなる台詞がよく飛び出す。

 

「ふふ、お蘭は相変わらず大袈裟であるな。……お蘭も可愛いのだから、もっと自信を持て」

 

 そう言って蘭丸の頬を優しくなでる。頬を染めて俯く蘭丸の姿は誰がどう見ようと少女のそれであるが。

 

「く、久遠さま、お戯れを。……それよりも早く戻らないと結菜さまや壬月さまに怒られてしまいます」

 

 慌てて話題を変える蘭丸を微笑ましく見て久遠は頷く。

 

「うむ。久々にお蘭と二人で戯れることが出来たことだ。今日も一日頑張るとしよう!」

「はいっ!……ですが、その前に少々お時間をとらせることになりそうです」

 

 そう言った蘭丸の視線の先に、薄汚い服装の男たちが十人ほど現れる。

 

「へへへ、お頭。なかなかに上物ですぜ」

「あぁ、見たところ二人ともいいところの娘みたいだしよ。色々と楽しめそうだ」

 

 下卑た笑みで二人と見てくる男たちに不快な表情を隠すこともない蘭丸と、逆に哀れんだような表情を浮かべる久遠。

 

「……成る程な。お蘭、任せるがあまり派手にやるなよ?」

「久遠さまの命とあらば」

「へへ、お蘭と久遠っていうのか。俺たちが楽しませ……」

 

 そこまで言った男の言葉が途切れる。怪訝に思い振り返った仲間が見たのは、額に苦無が刺さり倒れる姿だった。

 

「なっ!?」

「貴様たちが久遠さまのお姿を見るだけでなく、名前までも穢すとは……許しません!」

「てめぇ!おい、たかが女二人だ!まとめてやって……」

 

 頭と呼ばれていた男が仲間に指示を出そうとした瞬間、周囲で人の倒れる音が続けて聞こえる。

 

「はぁ、お前たちも不運であったな。我に……いや、お蘭の逆鱗に触れてしまうとは」

 

 既に男の仲間は誰一人として地面に立っていない。その全てが的確に急所をつかれ絶命している。

 

「何なんだよ、お前ら……っ!?」

 

 頭と呼ばれた男の首に刀が当てられている。その刀身は蘭丸の身長ほどもあるだろうか、どう考えても身の丈に合わない刀のように見えてしまうのは蘭丸が小柄だからと言うわけではあるまい。

 

「人攫いに名乗る名などない。……ですが、ひとつだけ冥土の土産に教えておきます。森一家に手を出した自分の不運を呪いなさい」

「森……!?ま、まさかあのっ!」

 

 そこまで言った男の首と胴は二つに分かれる……ところであったが。

 

「お蘭、もう良い」

「……久遠さま、ですが」

「お蘭」

「……はい」

 

 渋々、といったところであったが蘭丸が刀を引く。

 

「お蘭、我はお前が血に濡れる姿が見たい訳ではない。折角の清々しい朝駆けなのだからな」

「……はいっ!」

 

 久遠の言葉に一瞬で不機嫌そうな表情が満面の笑みへと変わる。頭の男は腰が抜けたのか、ほうほうのていで逃げていく。そんな姿を一瞥して。

 

「帰るぞ、お蘭」

「久遠さま、今日のご予定は決まっておりますか?」

「任せる。……だが、前のように全部お蘭がやっては駄目だぞ?」

「ふふ、分かっております。壬月さまにも麦穂さまにも怒られます」

 

 微笑ましく笑いあいながら馬に乗り立ち去る二人。それを木陰から先ほどの男が見る。

 

「くそ……まさか森の関係者とは……おっかねぇもんに引っかかっちまった」

「そうだなぁ。確かに運が悪い」

「へへ、お蘭に手ぇ出すとか気狂ってんな、こいつ」

 

 そんな男の背後から聞こえる声。生物としての本能か、男の頭が警鐘を鳴らすが既に遅い。

 

「ワシの大事なガキに手出そうとしたんだ、覚悟は出来ておろうな?」

「人の妹に手出そうとしてんじゃねぇよボケェ!」

 

 ……山に響いた絶叫は、誰にも届くことはなかったという。

 

 

「殿っ!また勝手に城を抜け出したのですか!」

 

 城へ帰った蘭丸と久遠を待っていたのは、宿老である丹羽長秀……麦穂からの小言であった。

 

「申し訳ありません、麦穂さま!久遠さまをお連れしたのは蘭ですので、お叱りは私に」

「蘭ちゃん……蘭ちゃん、駄目ですよ。久遠さまを甘やかしては、どんどん駄目になっちゃいます」

「む、麦穂よ。一応、我は目の前にいるのだが」

「いいえ、今日という今日は、しっかりと聞いていただきます!」

「まぁ待て麦穂よ」

 

 そういって麦穂の後ろから現れたのはもう一人の宿老である柴田勝家、壬月である。

 

「壬月さま!壬月さまからも言ってください」

「蘭丸。前にも言ったが、しっかりと書置きなどをおいて置けば我らとて心配はしても何処にいるかは分かるのだ。殿も殿です、行くのであれば我らにしっかりと伝えていただければ……」

「……護衛などおってはのんびり出来ん」

「はぁ……ですから、場所によっては蘭丸だけでもいいかも知れないではありませぬか」

 

 そこまで言って蘭丸を見た壬月が首を傾げる。

 

「どうしたのだ?」

「……いえ、一応三若に書置きをおいていたはずなのですが……申し訳ありません。私の間違いでした」

「……三若ぁっ!!!」

 

 城内を壬月の怒号が響き渡った。

 

 

「久遠さま、本日の予定は以上になります」

「そうか。いつもすまんな、お蘭」

「いえ!久遠さまとご一緒できるのが私にとっての幸せですので」

「嬉しいことを言ってくれるな。……そうだ、お蘭。結菜が会いたがっていたぞ、最近なかなか屋敷に来てくれない、とな」

 

 久遠が少し結菜の真似をして言う。結菜は斉藤帰蝶、通称を結菜といい久遠の妻である。

 

「ふふ、そう言う事ならお会いに行かなくてはいけませんね。久遠さま、結菜さまのご都合がいい日を教えて……」

「今日だ」

「……え?」

「だから、今日だと言っておる。結菜もお蘭の食事を準備して待っておるぞ」

「……まさか、予定通りですか?」

「ふふ、そうだ」

 

 悪戯が成功して喜ぶ子供のような笑顔を見せる久遠に蘭丸も笑顔になる。

 

「分かりました。では、お邪魔させて頂きます」

 

 

「蘭ちゃん!やっと来てくれたのね」

「ご無沙汰しております、結菜さま」

「全く、久遠ったら自分だけ蘭ちゃんに毎日会うからって私に会わせてくれないのよ」

「そ、そんなことはないぞ?我も一緒に屋敷に住めばいいと思っているのだが……」

「嬉しいお誘いですが、家を長く空けては……各務さんに迷惑がかかります」

 

 各務……各務元正は森一家の裏のまとめ役であり、蘭丸にとっては姉のように慕っている相手である。猛将ではあるが、正直あまり管理らしい管理を行うものが少ない森家にとって中心となっている存在だ。

 

「ふふ、分かってるわよ。それで今日は泊まれるのよね?」

「は、はい!各務さんには伝えてもらうようにしてますので大丈夫です」

「うむ!……結菜、飯は出来ているのか?」

「あぁ、はいはい。ちょっと待ってね。……蘭ちゃんのほうが落ち着いているわよ、久遠」

「むぅ……お蘭もお腹、すいたよな?」

「勿論です!結菜さまの食事は絶品ですから早く食べたいです!」

「もう、褒めても何も出ませんよ~」

 

 そんなことを言いながら鼻歌交じりで厨房へ向かう結菜。その日の食事が蘭丸の好物ばかりだったのは偶然ではないだろう。

 

 

「すみません、わざわざお湯まで頂いてしまって……」

「いいのよ。私たちも入ったんだから。それにしても……」

 

 久遠、結菜と同じく白い襦袢姿の蘭丸。就寝前なので髪を下ろしているのだが、その姿は女の久遠や結菜から見ても何故かドキリとさせるものだった。

 

「相変わらず綺麗な髪ね。女として嫉妬しちゃうわ」

「そんな……結菜さまの髪もお綺麗ですよ。私、憧れちゃいます」

「そう?ありがと。それにしてもしっかり手入れされてるわね……桐琴……違うわね。小夜叉……もないわ。各務さん?」

「はい。家に帰っているときはいつも髪を梳いてくれるんです。城に泊まるときは麦穂さんが一緒だと」

「むむ、麦穂の奴……なんて羨ましいことを」

 

 久遠がぼそりといった一言は結菜にしか聞こえなかったようで、蘭丸は首をかしげ結菜は軽く頷き同意する。

 

「それじゃあ今日は私が梳かせて貰うわ」

「いいんですか?」

「いいの。私がやりたいんだから。久遠はどうする?」

「……わ、我もしていいか?」

「はい!」

 

 

 そして、就寝のとき。

 

「久遠、今日は私が真ん中でいいかしら?」

「むぅ……我も真ん中がいいんだが……」

「わ、私は何処でも……」

「それじゃ、間を取って蘭ちゃんが真ん中ね」

 

 そういって、三つの布団をくっ付ける結菜。蘭丸は緊張したように身体を強張らせている。

 

「あら、蘭ちゃん緊張してる?」

「は、はい」

「ふふ、お蘭も立派に男なのだな」

 

 言葉ではそういいながらも、二人とも蘭丸に対して異性の感情を持っていない。むしろ、本当は女なのではないかと感じる瞬間が多いのも事実だ。恐らくは、織田家中の多くはそう思っているだろう。

 

「我は構わんぞ?何なら我の夫になるか?」

「あ、久遠。自分だけずるいわよ」

「お、お二人とも喧嘩は……」

 

 夜にも関わらず明るい声が久遠の屋敷から響いていた。

 

 

「人間五十年」

 

 襖を締め切り、蝋燭の明かりのみの部屋の中に久遠の声が響く。部屋には久遠のほかに蘭丸しかいない。

 

「化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」

 

 久遠が出陣の前に好んで舞う幸若舞『敦盛』。

 

「一度生を享け滅せぬもののあるべきか」

 

 久遠の考え、思いが込められたその舞が蘭丸は好きだった。

 

「死のうは一定、しのび草はなにをしよぞ、一定かたりをこすのよ」

 

 最後にそう唄い、舞を終える。

 

「お蘭よ。我は愚かと思うか?」

「いえ。誰がそう言おうと蘭はそうは思いませぬ」

 

 久遠の問いに即答する。

 

「これから、今川の軍勢に奇襲を掛ける。恐らくは誰もがそれを愚かな行為と思うであろう」

「久遠さまの考えは私たちの思いもよらないものが多いです。ですが、だからこそ久遠さまであれば可能だと思わせる力があると思います」

 

 心の底から信頼を感じる視線に久遠は頷く。

 

「お蘭、我が道を間違えたときは遠慮なく我を叱責してくれ。我を止めるのはお蘭の仕事だ」

「はい、私の命に代えても」

「うむ、頼む。……誰かある!」

 

 久遠の声に駆けつけた家臣に告げる。

 

「これより今川に田楽狭間にて奇襲を掛ける!出陣の準備を!」

 

 

 後の世に田楽狭間……桶狭間の戦いと呼ばれるその戦が始まろうとしている。




いかがだったでしょうか?
この作品では、久遠たちは少し男慣れしているように写ってしまうかも知れませんね。
とはいえ、蘭丸に対して、ですが……。

史実でも色々な伝説のある蘭丸ですが、そういったエピソードも盛り込んでいこうと思っておりますのでお楽しみに!

それでは、また次回をお楽しみに!


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2話 田楽狭間と天人

乗ってるときに勢いで書くのは大切ですよね。
こちらの作品もプロットは完成しておりますので、完走頑張ります!


 上洛を目的とした今川の軍勢は総勢一万五千。現在は田楽狭間の付近へと差し掛かっていた。対する織田の軍勢はわずかに二千弱。織田にとっての最高戦力でもある森一家の参戦もないということもあり、戦となれば泥沼化……いや、圧倒的な差によって織田が蹂躙される未来を世の雀たちは囀っていた。うつけが何か愚かなことをしようとしている、程度にしか人々は考えていなかったのだ。

 

 

「申し上げます!」

「許す!」

「今川の軍勢は、田楽狭間にて小休止を取っております。全軍が昼弁当を使っております!」

「デアルカ。大義」

 

 頭を下げて下がる使い番を見送った後、久遠が不敵に笑う。

 

「お蘭の言った通りになったな。どうしてこの辺りで小休止を入れると予想できた?」

「はい。今川の居城……駿府よりの道のりや動向を調べ、最も可能性の高い場所が此処でした。……雨が降るという僥倖にも恵まれましたが、これは久遠さまのお力かと」

「我に雨を降らせる力はないのだがな」

「常識的に考えれば、あの大軍に奇襲を掛けるのは自殺行為かと思いますが」

 

 壬月が渋い顔で苦言を呈する。

 

「おけい。今やるべきことは合戦である。説教は義元を討った後に聞いてやる。麦穂とともに持ち場につけ」

「はっ!」

「お蘭、お前も打って出て良いのだぞ?」

「いえ、私は久遠さまのお傍に。それとも私も出たほうが宜しいですか?」

 

 久遠は少し考え首を振る。

 

「……いや、今回は他の者たちに活躍の場を譲ってやってくれ。お蘭には我の一世一代の大博打を最後まで見届けて貰いたい」

「はいっ!私も久遠さまに全てを捧げます!」

 

 

 結果、奇襲は成功。すぐさま討ち取った場所へと久遠と蘭丸は駆け、首を取った久遠の馬廻り組組長の毛利新介と服部小平太の元へと向かった。

 

「新介、小平太、大義であった!名乗れぃ!」

「はいっ!……織田上総介久遠信長馬廻り組組長、毛利新介!」

「同じく服部小平太!」

「東海一の弓取り、今川殿、討ち取ったりーっ!!」

 

 名乗りと同時にザワリと動揺する今川の兵たちであったが、一部は。

 

「殿が……っ!?えぇい、殿の、殿の仇を討てい!!」

 

 そんな声と共に多くの殺気が久遠や名乗りを上げた二人へと向けられる。

 

「ひぃ!」

「ちょっと小平太!し、しっかりしなさい!」

 

 そう言いながらも迫りくる今川の兵の数に圧倒される新介。そんな中、自然な動作で二人の前に立つ影。

 

「あ……」

「新介、小平太。殿を頼みます」

 

 スラリと刀を抜き放ちながら二人へと告げるのは蘭丸。

 

「は、はいっ!」

 

 二人が久遠を守るように立ったのを確認して、前方から迫り来る兵を見る。

 

「この場は、織田久遠信長が小姓、森蘭丸成利がお預かりします!三途を渡る覚悟のある者だけかかってきなさい!」

「えぇい、かかれかかれぇ!!」

 

 ひるむことなく突撃してくる今川の兵たちに向かって静かに刀を振るう。まだ圧倒的に距離が足りないはずなのに蘭丸が振るった刀によって兵が一人、また一人と切り捨てられていく。

 

「な……っ!?」

「ひぃぃ!ば、化け物っ!!」

 

 次々に倒れていく仲間に戦々恐々となった今川の足軽たちは散り散りに逃げていく。

 

「な、と、殿の仇を討たぬかぁっ!!」

「それは、貴方自身でやられてはいかがですか?」

 

 指揮をする立場であろう男に接近していた蘭丸はそんな言葉と共に男を両断する。至近距離で切り捨てたにも関わらず、蘭丸には血が一滴もかかっていない。

 

「す、凄い……」

「あれが……森家の戦姫……」

 

 澄ました顔で久遠の元へと歩いて帰ってくるその姿は、まさに森家に相応しいものだった。

 

「久遠さま、壬月さまが到着され残党の討伐を開始するようです」

「うむ、お蘭も大義であったぞ。壬月も機を見るに敏であるな。今こそ好機なり!織田の勇士たちよ!これより敵を……」

 

 そのときだった。今までに聞いたことのない音が周囲に響き渡る。常人よりも圧倒的に耳のいい蘭丸は瞬時に場所に気付き、まさかと天を仰ぎ見る。蘭丸の視界に入ってきたのは、天から落ちて来る光の玉。それは明滅するように地上へと近づいてくる。一際強い光を放ち、蘭丸が久遠の前に立ちはだかるが特に何か衝撃がくるわけでもない。

 

「消えた……?」

「……お蘭よ。あやつは……誰だ?」

 

 久遠の視線の先。そこにいたのは。

 

 久遠と同じ年頃だろうか、見たこともない衣装に身を包んだ少年であった。

 

 

「く、久遠さま!いけません!」

「何故だ。我が大丈夫といっておるのだ、構わんだろう?」

「構います!何故久遠さまがあのようにわけわからずな存在の元へ行くのですか!」

 

 ここ数日、久遠と蘭丸の間で行われている恒例行事のようになっている掛け合いだ。近くを通りかかった女中も苦笑いで通り過ぎていく。

 

「むぅ、お蘭が反抗期だ……」

「く・お・ん・さ・ま!」

「分かった分かった。今日のところは諦める。だからお蘭も機嫌を直せ」

 

 そういって蘭丸の頭を撫でるところまでが日課のようになっている。……これで機嫌を直してしまう蘭丸も蘭丸だが。

 

「しかし、久遠さま。あの男をどうするおつもりなのですか?」

「分からん。直接目を見て話してみなければ、相手の人となりは分からんからな」

 

 こういうことを言うときの久遠は大抵ある程度自分の中で答えを出している。蘭丸はそう感じるが、久遠が決めたことならば基本的には従うのだ。

 

「久遠さまであれば間違われることはないと思いますが……」

「なら、行っても良いか?」

「だ・め・で・す!」

 

 久遠の手をとって評定の間へと向かう蘭丸。

 

「お、おい!分かったから手を引くのをやめよ!」

「いいえ!ちゃんと評定の間に着くまでは放しません!」

 

 今川義元を討ったことによって大勢に影響が現れるのも時間の問題だろう。そういったことについて家中で話し合いを行うことになっているのだ。結局、評定の間の中まで手をつないだ状態であったが、まぁいつものことかと特に声が上がることもなかったという。

 

 

「それで、だ。我の小姓であるお蘭……蘭丸にも隊を与えようと考えている」

「……え?」

 

 久遠の傍に控えていた蘭丸であったが、話し合いの最中にまさか自分の名前が挙がると思っておらず、しかも内容が内容だけに声をあげてしまう。

 

「ふふ、聞こえなかったか?お蘭に部隊を与えると言っている」

「く、久遠さま……もう私は必要ないのですか……?」

 

 悪戯が成功したと嬉しそうにしていた久遠だったが、蘭丸が泣きそうな顔になり慌てて弁解する。

 

「ち、違うぞお蘭!我はお蘭の今後を考えてお蘭が独自に動かせる人員をと思ってだな!」

「くくっ!殿も蘭丸の前では相変わらずですな」

「壬月!そのようなことを言ってる場合か!麦穂もお蘭になんとか言ってやってくれ!」

「蘭ちゃん、久遠さまが貴方のことを要らないなんていう筈ありませんよね?」

「……はい」

「大丈夫です。蘭ちゃんがこれから一城の主となったり、一軍を率いていく練習として考えられているのです。……そうですよね、久遠さま?」

「うむ!」

 

 麦穂と久遠の言葉に目をぱちぱちとさせる蘭丸。

 

「……それでは、私は今まで通り久遠さまのお傍に仕えてよろしいのですか?」

「勿論であろう!むしろ、お蘭がいないと我が困るぞ。結菜にも怒られてしまう」

「は、はい!そういうことでしたら蘭は喜んでお受けします!」

 

 評定の間の中でほっとため息をつく声が上がる。基本的に織田の家中は蘭丸に優しい。むしろ甘いと言ってもいいほどだろう。元々久遠が重用している森一家であり、その中でも礼節に通じ、なおかつ女童と見紛うほどの美貌なのだ。男であれ、女であれ基本的には好意的に見ている。

 

「それで、だ。お蘭の部隊に先日義元の首級を挙げた二人……新介と小平太、それと猿……木下藤吉郎ひよ子秀吉の三人をつける。……あと、お蘭が良いと言うのであれば……」

 

 そこまで言って久遠は言葉を切る。

 

「久遠さま?」

「……うむ。人となりを確認した上で問題ないと判断した場合には、あの天人を任せる……かも知れん」

 

 

 そして、数日後。目を覚ました少年と久遠がなにやら話をしたらしく。

 

「久遠さまっ!!何故私たちに相談もなくそのような決定をなさるのですか!!」

「お、落ち着けお蘭。我もしっかりと……」

「いいえ!今回という今回は……」

「蘭丸、気持ちは分かるが落ち着け。……殿もそこまで仰るのなら、大丈夫だという理由がおありなのですな?」

「勿論だ。瞳の色、瞳の奥に力強い意志が見て取れた。だから我は信じた」

「い、意味が分かりませんよ、久遠さま」

 

 久遠の言葉に困った表情を浮かべる麦穂。

 

「蘭ちゃんの言うとおりよ、久遠!私に何の相談もせずに不審な者を近づけるなんて!久遠もそうだけど蘭ちゃんにも何かあったらどうするのよ!」

「ふむぅ……何故貴様らには分からんのか……。骨のある男と見ているのだが……」

「あのように意味の分からぬ現れ方をした者を簡単に信用できぬ我らの気持ちも分かっていただきたい」

「私も織田家の家老として、壬月さまのご意見に賛成ですわ」

 

 壬月と麦穂の言葉に唸る久遠。

 

「ならば貴様らの目でとくと検分すれば良かろう」

 

 

「麦穂、私が合図をしたら襖を開け放ってくれ。抜き打ちをかける。蘭丸は殿と結菜さまを何かあったときの為に守ってくれ」

「はい!」

「了解です。では……」

「三、二、一……今だっ!」

 

 合図と共に開け放たれた襖。同時に裂帛の気合と共に振り下ろされる刀。

 

「やれやれ、危ないなぁ。寝込みに抜き打ちとか、完全に殺す気じゃないか」

 

 飄々とした声が聞こえる。麦穂が咄嗟に刀を抜き、横殴りに振る。それを男は潜り抜け、麦穂の手首をひねりあげ、畳に押し付ける。

 

「痛っ……!」

 

 麦穂の声を聞いて蘭丸が苦無を構えるのを久遠が無言で止める。

 

「ごめんね。だけど俺も死にたくないからちょっとだけ我慢してね」

 

 蘭丸と壬月を警戒しながらそんなことを言う少年。

 

「はっはっはっ!やるではないか剣丞」

 

 そんな久遠の言葉でこの攻防は終わりを迎えた。

 

 

「で、だ。お蘭よ。お前から見てどうであった?」

「……腕は確かかと。草のような身のこなし、武者のような体裁き。正直、私には判断できませんが、久遠さまが仰るとおり人材としては光るものを持っているとは思います。……思いますが……」

「ふふ、ならば我の言ったとおり、蘭丸。剣丞の世話はお前がするのだ」

「……えっ?」

「ちょ、久遠!?あなた、何言ってるか分かってる!?」

「うむ、だからお蘭に剣丞の世話を……」

 

 なにやらぎゃーぎゃーともめ始める二人を横目に、新田剣丞と名乗った少年は蘭丸と向かい合う。

 

「えっと、よろしく、でいいのかな?」

「……はい。不本意ではありますが、よろしくお願いします。私は久遠さまの小姓を務めてます森蘭丸成利と申します。一応、私の部隊に配属されるそうですが、私は基本的に久遠さまのお傍に控えておりますので」

「あはは……やっぱり俺って歓迎されてない?」

 

 剣丞の言葉に無言で返してまだ揉めている久遠と結菜を見る。

 

「……久遠さまがお決めになられたことです。久遠さまが歓迎するのであれば、私も歓迎するのべきなのですが……」

「いいんじゃない?まだ俺とえっと」

「蘭丸です。好きに呼んでください」

「うん、それじゃ。蘭丸ちゃんが俺のことを少しずつ知って、その上で認めてくれたらいいと思うよ。俺も認めてもらえるように努力はするつもりだよ」

 

 剣丞の言葉に少し驚く蘭丸。

 

「……後で貴方の部屋へ案内します。他の隊員とも顔合わせになる予定ですので、心構えはしておいてください」

 

 蘭丸の言葉に頷く剣丞。

 

 

 天人・新田剣丞。彼がこの場に現れたことで日の本の命運は大きく変わっていくことになる。だが、それを知るものはまだだれもいない。




二作品同時に更新しておりますので、誤字脱字や文章的におかしな場所などはメッセージなどでもお願いします!

感想、評価などお待ちしております!


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3話 鬼と家族と久遠の屋敷

こちらの作品は一作目と比べるとかなり長くなる予定です。
プロット段階でも倍近いので……。


 鬼。古来より人を襲う化け物として色々な書物に出てくる存在が、今市井を騒がしていた。夜、出歩くと何処からともなく現れ食べる(・・・)。人を食う化け物が闊歩する世になったのだ。

 

「いい加減に機嫌を直せ、お蘭。あぁ、もう!結菜もなんとか言ってやれ!」

「私だって反対なんだけど?」

「ならば、結菜よ。彼奴は我の命を狙う悪党だと思うか?」

「……正直、そこまで危険とは思ってないけれど」

「お蘭はどうだ?」

「……もしそうだとしても蘭が守ります故。ですが、危険な人物には感じませんでした……」

 

 蘭丸は先ほど少し言葉を交わした男のことを思い浮かべる。どこか軽い印象も受けたが、自分のことや周囲のことを客観的に判断でき、壬月の一撃を読み麦穂の刀を避け逆に腕を捻り上げる……。そんなことが可能な程度には鍛えているということだろう。

 

「デアルカ。我の人を見る目、蝮の娘である結菜もそして我の信頼するお蘭も危険を感じないのであれば、あの者が危険ではないという証明であろう」

「はぁ、全く。そういうとこ、パッと分かっちゃうのは流石よね」

「はい、流石は久遠さまです」

「ふふ、分かってもらえたようで何よりだ。それに、もし織田に不利益をもたらすと判断できたときには」

 

 蘭丸を久遠が見る。

 

「はい。私のほうで処分致します」

「うむ。だが、決して我の意見を聞かずに判断しては駄目だからな?お蘭は我の為を思ってのことだと思うが、時折先走ることがあるからな」

「かしこまりました。剣丞さまには私の部隊で面倒を見れるように計らいます」

 

 

 蘭丸は、周囲の散策に出かけた剣丞を迎えに行くことになった。既に壬月と麦穂が向かっていると聞いたが蘭丸自身ももっと剣丞のことを知る必要があると感じたからだ。

 

「……あそこですか」

 

 遠くで微かに聞こえる音と動く人影。時折煌くのは刀か。

 

「!まさか……っ!」

 

 咄嗟に刀に手を掛け、駆け出そうとするのをすっと手が出て静止する。

 

「壬月さま!」

「静かに。今はあの孺子の実力を確認する好機だ」

「ですが、久遠さまは……」

「蘭ちゃん、危険と判断したらすぐに助けに入ると壬月さまには伝えてるから、安心していいのですよ」

 

 麦穂にも言われ、鞘に掛けた手を離す。

 

「……分かりました。確かに鬼程度も相手に出来ないのであれば久遠さまの傍に仕える者として相応しくはありませんから」

「そういうことだ」

 

 そんな会話をしている間も剣丞と鬼との攻防は続く。恐らくは初めて会ったであろう鬼との戦いでありながら、大きな隙を作らず且つ相手の隙や癖を見つけようと動いているのが分かる。しかし、既に一撃を受けた後なのか、少し精彩に欠ける動きであった。

 

「あっ……!」

 

 鬼の一撃を刀で受けながらも、その圧倒的な膂力で背中を強かに打ちつける剣丞を見て、蘭丸は駆け出す。

 

「おい、蘭丸……!」

 

 壬月が止めるよりも早く、麦穂が動くよりも早くに駆け出した蘭丸は刀を抜き放つ。それと同時に鬼の咆哮が周囲に響き渡る。それに答えるように響く声が二つ。

 

「剣丞さま!」

「な、蘭ちゃん!?危険だから逃げ……」

 

 剣丞と鬼の間に立ちはだかる蘭丸は腰を低く刀を構える。三匹に増えた鬼はジリジリと二人へと近づいてくる。蘭丸の刀に月光が反射し、それがゆらりと動く。そのときだった。

 

「ひゃっはーっ!!」

 

 静寂を切り裂くように響く高い声。蘭丸と剣丞の前に吹き荒れるのは黄金の旋風。

 

「汚物は全殺しだぁっ!!」

 

 槍を一振り、二振りと振るう毎に鬼が倒れる。

 

「お、おんな……のこ?」

 

 剣丞が心底驚いた様子で仁王立ちする少女を見つめている。

 

「ぁんだよ。手応えねぇなぁ」

 

 不満げな声を上げながら、攻撃を避けた一匹の鬼めがけて再度槍を振るう。

 

「ガアアア!!」

 

 咆哮と共に後ろに跳び退きながら攻撃を避けた鬼が身を翻して駆け出す。

 

「あ、待ちやがれっ!」

 

 鬼を追おうとする少女。

 

「気ぃ抜きすぎだぞ、クソガキ」

「母っ!!」

「それと……戦場で後ろを向く奴ぁ死あるのみだっ!!」

 

 少女の一閃とは更に次元が違うと分かる一撃によって逃げ出した鬼は『叩き潰された』。槍を振るったはずにも関わらず、叩き潰されたのだ。今しがた鬼を瞬殺した二人が蘭丸と剣丞のほうへと向き直る。剣丞はビクリと身体を震わせながらも蘭丸を庇おうと立ち上がるが。

 

「……母さま!姉さま!!」

「おぉ!お蘭じゃねぇか!元気にしてっか?」

「はい!姉さまもお元気そうで」

「おうよ!」

「おぅ、お蘭。お前に部隊を預けると殿が言っておったが……ん、なんだ、その孺子」

 

 

 後から追いついてきた壬月や麦穂と共に蘭丸は剣丞について説明をする。

 

「ふん、殿がのぉ。ならワシらがとやかく言うことではないな」

「そうだなー。お蘭も一応は認めてんならオレも文句はねーよ」

「やれやれ、森も賛成という訳か」

 

 壬月が頭を抑えながら言う。

 

「そういうこった。クソガキ、興が削がれた!帰って酒だ!」

「応よ、付き合うぜ母ぁ!……あ、お蘭、たまには帰って来いよー?」

「はい!」

 

 ぷらぷらと手を振りながら立ち去る二人を呆然と見送る剣丞。

 

「……貴様でも呆けることがあるんだな」

「いやいや、あれは流石に……。一体何者?」

 

 壬月に言われ、剣丞が慌てて答える。

 

「あれは森家の当主、森三左衛門可成どのと娘の森長可ちゃんですよ」

「まさかとは思うけど」

 

 剣丞が蘭丸に視線を向ける。その視線を受けて蘭丸は嬉しそうに笑顔を浮かべ。

 

「はい、私の自慢の母さまと姉さまです」

「……信じられんことに事実だ」

 

 嬉しそうな蘭丸と、先ほどまで以上に頭が痛そうな表情の壬月。剣丞は苦笑いで乾いた笑いをするしかなかった。

 

 

「明日の評定で家中の者にお披露目をするそうです。剣丞さまもその覚悟を持ってしっかりと臨まれますように」

 

 城へと無事帰り着き、剣丞を部屋へと案内しているときに蘭丸は伝える。

 

「そういえば、他の隊員の人と会うって話は?」

「……剣丞さまの散策が思ったよりも長くなってしまいましたので、明日のお披露目の後ということになりました。そのときに隊の長屋へ移動しましょう」

「あはは……ごめんなさい。……それと、蘭ちゃん。俺のことは剣丞って呼び捨てで構わないよ。むしろ俺が敬語使わないとかな?蘭ちゃんが隊長だし」

 

 剣丞が笑いながら言うが、蘭丸は首を振る。

 

「いえ、剣丞さまは確かに私の隊に配属されますが、あくまで貴方は田楽狭間に降り立った天人です。私なんかよりずっと尊いお方なのですから自信を持ってください」

「俺はそんなに大層な存在じゃないよ」

「それでも、です。……そうですね、私が貴方のことを本当の意味で信頼に足る人物だと認めたときには呼ばせてもらいます」

「うん、じゃあそれで。……それよりも評定って?」

 

 剣丞の言葉に絶句する蘭丸。剣丞に一つ一つ説明していく。分からないことが多すぎる気はするが、飲み込みは悪くない。一度いえばしっかりと理解することを考えればむしろ物覚えはいいほうであろう。いくつかの注意点や、明日の予定内容を説明した後に蘭丸は剣丞の部屋から去る。向かうのは久遠の屋敷。連日ではあるが、結菜から直々にお誘いがあったのだった。

 

 

「お蘭!剣丞はどうであった?」

「……それなりといったところでしょうか。初めての鬼に対してもしっかりと対応していたことを考えれば及第点は上げられます。……そのほかは分かりません」

「むぅ、お蘭は手ごわいな……」

「なーにが手ごわいな、ですか。ついさっきまでお蘭怒ってないかな~、機嫌直してくれないかな~ってずーっと言ってたじゃない」

 

 結菜の言葉に蘭丸がきょとんとする。

 

「ゆ、結菜!?それは言わない約束ではなかったか!?」

「知りません。あ、蘭ちゃん、ご飯運ぶの手伝ってくれる?」

「はいっ!久遠さま、もう少しお待ちくださいね!」

「ち、違うのだぞ?いや、違わなくもないのだが」

 

 慌てて変な言葉になっている久遠を苦笑いで見ながら蘭丸と一緒に結菜は膳を並べていく。

 

「久遠、早く席について。ご飯いらないならいいけど」

「た、食べるぞ!」

「わぁ、結菜さま!今日もとってもおいしそうです!」

「ふふ、ありがと。でも、久々に蘭ちゃんのご飯も食べたいわね」

「確かに。……でも今日は結菜のご飯だ」

 

 嬉しそうな久遠に結菜もつられて嬉しそうな笑顔になる。

 

「それじゃ、いただきましょうか」

 

 

 昨晩と同じように布団を並べて寝る前に三人は話をしていた。

 

「はじめはな、剣丞を我の夫とすることを考えたんだ」

「なっ!!い、いけません!!たとえ神や仏が許してもこの蘭が許しません!」

「落ち着け、お蘭!はじめは、と言ったであろう。……正直、虫除けにはよいかとも思ったのだが」

「私は絶対反対よ。確かに危険ではないとは認めますけど、それとこれとは別。久遠の夫ってことは、私にとっても夫のようなもの。そう簡単に認めるわけにはいかないわ」

 

 久遠は結菜の言葉に頷く。

 

「とはいえ、手放して他の勢力に味方されるというのも厄介だ。で、あれば好待遇で家中に迎えるのが一番だろうと」

「本当に?本当は蘭ちゃんがいるから夫にするのはやめたんじゃないの?」

 

 じと目で久遠を見る結菜。

 

「ちちち、違うぞ!?確かにお蘭が怒るかも……とは思ったが、それだけではないからな?本当だぞ!」

「久遠さま……私は、久遠さまがお決めになられるのであればそれについていくだけです。勿論、反対はしますが……それでも私は常に久遠さまの味方です」

「お蘭……」

「こほん。ちょっと二人とも、私は除け者?」

「す、すみません、結菜さま!私は結菜さまのこともお慕いしております!」

 

 蘭丸の言葉に満足そうに頷く結菜。

 

「あれ、久遠は?言ってくれないの?」

「わ、我も結菜のことは大事に思っておるぞ」

「それだけ?」

「む……」

「あーあ。そっかー。それだけなのかー。それじゃ、私は今日から蘭ちゃんの嫁になろうかしらねー」

 

 そういって蘭丸に抱きつく結菜。蘭丸は顔を赤く染める。

 

「なっ!!ゆ、結菜、離れろ!!」

「いやですー!蘭ちゃんなら私を大事にしてくれるんだけどなー。ね、蘭ちゃん?」

「は、はい!!」

「お蘭も何を言っておる!……あぁ、もう!我は結菜のこと好きだ!これでいいか!」

「なんだか投げやりね。でもいいわ、今回は許してあげる」

 

 結菜が笑顔でそういうのを聞いて久遠はほっとした表情を浮かべる。

 

「じゃあ、今日は私が真ん中でいいかしら?」

「うむ、我は構わんぞ」

「はい、私も構いません」

「やった!それじゃ、寝ましょ」

 

 久遠と蘭丸の腕を取って布団へと誘う結菜。

 

 

 今日も尾張の夜は静かに更けていく……。




物語が長くなるのは、各キャラクターとの物語を掘り下げて描きたいなと思っているからです。
通常の部分でも、閑話でも……各キャラの魅力を引き出せる様に頑張ります!

あれ、こっちは更新少し遅くなるとか言っていた気が……。


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4話 部隊の顔合わせと忘れがちな事実

間が少し開いてしまいましたね……。


 久遠の屋敷で一晩を過ごした蘭丸は、城へと上がり剣丞を迎えに来ていた。

 

「剣丞さま、失礼します」

 

 剣丞が泊まっている部屋へと声をかけて入る蘭丸。その目の前にはぐーすかと眠りこける剣丞がいた。

 

「……はぁ。剣丞さま、剣丞さま?」

 

 軽く身体を揺すって声をかける蘭丸。うーなどと声を上げながらも剣丞が起きる気配はない。

 

「困りましたね。……うわっ!?」

 

 ぐいっと腕を引かれ、布団の上にぽすんと倒れこむ蘭丸。

 

「ちょ、ちょっと剣丞さま!?」

「ぐー……」

「ね、寝てる……。起きてください、剣丞さま!このような場所、他の方に見られたら……って、力意外と強いっ!」

「蘭ちゃん、剣丞は起きたのかしら……!?」

「ゆ、結菜さま」

 

 部屋を覗き込んだ結菜が固まる。それはそうだろう、目の前に広がる光景。剣丞に腕をつかまれ、布団に引き込まれるようになっている蘭丸。少し暴れたからだろうか、服にも若干の乱れがある。指をさした状態でわなわなと震える結菜。

 

「結菜さま、これは……」

「ん……?あれ、蘭ちゃん?って、うわっ!?ご、ごめ……」

「何やってるのよ、アンター!!!!」

 

 結菜の怒号が城に響き渡った。

 

 

「ご、ごめん、蘭ちゃん!」

「いえ、私も不用意に近づいてしまいました」

「ホントにもう!蘭ちゃん、気をつけないと駄目よ?男は野獣なんだから!」

「あはは……ごめんなさい」

 

 平身低頭といった様子の剣丞を見て蘭丸がくすりと笑う。

 

「気をつけてくださいね?部隊は女の子ばかりなんですから」

「はい、気をつけます」

「あ、蘭ちゃん。私は先に帰るわね?」

「はい、結菜さまありがとうございました!」

 

 

「剣丞さま、これより織田家家臣団の面々とお会いすることになります。皆様とてもお優しい方々ですが、剣丞さまをはじめから認めるといったことにはならないと思われます」

「そうだよねぇ。俺も逆の立場なら怪しむからなぁ」

 

 頭を掻きながらいう剣丞に蘭丸が微笑みかける。

 

「ですが、先ほどもいいましたが皆様とてもお優しい方々ですのでしっかりと『力を示すことが出来れば』認めてくださいますよ」

「……へ?」

 

 

 蘭丸の手によって開かれた評定の間。そこには剣丞が見知った顔も、知らない顔も合わせているが、そのほとんどはあまり好意的ではない視線であった。

 

「……頑張ってくださいね」

 

 剣丞にだけ聞こえる小さな声で蘭丸は言うと、久遠の後ろのほうで静かに座る。

 

「どうした剣丞。そんなところに突っ立っておらず、こちらに来い」

 

 久遠が剣丞を自分の隣辺りをぽんぽんと叩きながら呼ぶ。

 

「失礼します」

 

 剣丞は少し困ったような反応だったが、無視するわけにもいかず久遠に言われるがままにその場所に座る。

 

「皆の者。こやつが先ほど話したお蘭……蘭丸の部隊の副隊長をやってもらう予定の新田剣丞だ。存分に引き回してやってくれ」

 

 久遠の紹介に不満そうな雰囲気が場を包む。

 

「ほれ、貴様も何か言わんか」

「あ、えー……新田剣丞です。天から落ちてきて久遠に保護されました。何の因果か蘭ちゃ……蘭丸さんの部隊で副隊長をすることが決まりましたので、今後ともよろ……」

 

 剣丞がそこまで言ったところで、ダン!と大きな音を立て一人の少女が立ち上がる。

 

「ふざけるなぁーっ!!」

 

 赤い髪の少女は不満を隠すことなく剣丞を睨みつける。

 

「殿が認めてもボクは認めないぞ!!」

「控えよ、和奏。御前であるぞ」

 

 壬月が静かに和奏と呼ばれた少女を諌める。

 

「でも壬月さま!いきなり出てきたこんな奴が、なんで蘭丸の部隊に!」

「……その件については後にしろ」

「まぁ、確かに佐々殿の意見も分かりますよー。雛も同じ意見ですしー」

 

 和奏の言葉に同意するように雛と名乗る少女も立ち上がる。

 

「佐々殿、滝川殿の意見に犬子……こほん、前田又左衛門も同意見だよ!」

 

 続けてもう一人の少女、犬子も立ち上がった。

 

「犬子ちゃん、無理して言葉遣いを直さなくていいですからね?」

 

 やさしく麦穂が犬子に言う。えへへーと笑う犬子に場が一瞬和む。

 

「というわけで、我ら三若は反対の立場ってことでー」

「さっすが、二人は分かってるな!で、蘭丸はどうなんだよ!」

「……私、ですか?」

 

 場の全ての視線が次は蘭丸に向けられる。

 

「……この場では私に発言権はありませんので」

「我が許す。お蘭」

 

 久遠の言葉に一度頭を下げると蘭丸は口を開く。

 

「僭越ながら、私は久遠さまに仕える小姓として。そして側近として剣丞さまをお傍に置くことは反対致しました。ですが、それが私の部隊であれば私自身が直接見定めることも出来る。また、剣丞さまからは悪意を感じませんので他家へと渡るくらいであれば、自分の傍に置いておくほうが久遠さまのためになると判断致しました」

 

 蘭丸の言葉にほう、と間に納得のため息のようなものが連鎖する。

 

「で、でも!それじゃ蘭丸が危ないじゃんか!」

「そうだそうだー。雛たちと遊べなくなるしー」

「うー!犬子も嫌ですー!」

「……というのが家中の意見ですが」

 

 最後に三若が反対したのを聞いて壬月が久遠に言う。

 

「ふむ、まぁそうなるだろうとは思っていたが。……おい、和奏。どうすればこやつを認める?」

「ボクより強ければ認めてやります!」

「え、結局それなの、和奏ぁ~?」

「まぁ、和奏だし」

 

 いつもそうなのだろうか、和奏の言葉に犬子と雛が苦笑いを浮かべる。

 

「強ければ、か。ならば簡単だな。剣丞、和奏と立ち合え」

 

 

 ……結果として、織田家の主戦力にあたる五人と戦った剣丞。麦穂との戦いは勝ちといっていいのかどうかはわからないが、それでも圧倒的に不利な状況下で剣丞はやれるだけのことをやった……と、蘭丸は評価している。壬月の一撃によって瞬殺されてしまったが、あの一撃で致命傷を避けるように動けたのは素晴らしい。

 

「新田剣丞。田楽狭間に降り立った天人……か。私が思っているよりも立派な方、なのかな?」

「あ、あのぉ……」

 

 部屋の襖の向こう側からこちらを伺うように声が聞こえてくる。

 

「?どうしました。入っていいですよ」

「し、失礼します!」

 

 そういって入ってきたのは橙色の髪をした元気そうな少女。

 

「あの私!木下藤吉郎ひよ子秀吉と言います!お殿様より成利さまと剣丞さまのお世話を命じられました!今後ともよろしくお願いします!」

 

 元気に挨拶をするひよ子に笑顔を返す。

 

「はい、こちらこそ。私のことはご存知のようですが、改めて。森成利。通称は蘭丸です。お蘭や蘭と呼ばれることが多いです。えっと、ひよ子……」

「いえいえ!成利さまは私の主になるので、ひよと呼び捨てになさってください!」

「なら、ひよ。私のことも通称で呼んでもらえませんか?」

「えぇ!?お、恐れ多いですよぉ!」

 

 両手を前に出してぶんぶんと振る。その仕草が可愛らしく、蘭丸はくすくすと笑う。

 

「私が言っているんですからいいんです」

「え、えっと……ら、蘭丸……さん?」

「ふふ、それでお願いします。実はここだけの話」

 

 蘭丸がちょっと真剣な表情でひよに向き合う。

 

「ここだけの話……?」

 

 ゴクリと唾を飲み込むひよ子。

 

「私、成利って呼ばれなれてなくて、たまに呼ばれても気付かないときがあるんです」

 

 まじめな顔でそんなことを言う蘭丸に一瞬驚き、数度目を瞬かせたひよ子は我慢できずに噴出してしまう。

 

「そ、そんなことありませんよ~!」

「うん、ひよはその笑顔のほうがいいですよ」

「あ、あの、タイミングが悪いみたいだけど、おはよう……で、いいのかな?」

 

 剣丞が気まずそうに起き上がりながら二人に声をかける。そこから再度、互いの自己紹介を行う。

 

 

「さて、ほかにも紹介しなくてはいけない人がいますが、また後で合流する予定ですのでそのときでいいでしょう。ひよには剣丞さまのお世話もお願いすることになると思いますが、大丈夫ですか?」

「はいっ!剣丞さまの力に慣れるよう全力を尽くします!」

 

 拳を握り締めながら言うひよ子に蘭丸は頷く。

 

「明日、再び登城して部隊としてのこれからの行動についてのお下知をいただきます。その前に剣丞さまやひよ、他の二人と私は時々になると思いますが……私たちの隊の長屋に向かいましょう」

「えっ!?もう長屋とかあるんですか!?」

 

 ひよ子が本気で驚いて蘭丸にたずねる。

 

「えぇ。久遠さまが私の部隊を作るとお決めになった際に壬月さまや麦穂さまが協力して作っていただいたとお聞きしてます」

「長屋……って、もう家建てたってこと!?」

 

 剣丞も驚いているようだが、蘭丸は特に驚いた様子もない。

 

「そうですね。場所も私の屋敷から近いですし……あら、どうしました?」

「ら、蘭丸さんって凄いんですね……お屋敷って御自身のなんですよね?」

「はい。まぁ、あまり使ってないんですけどね」

 

 基本的には城に詰めているか、森の屋敷に帰っているか、最近では久遠の屋敷も多いこともあり、あまり自分の屋敷を使うことはない。久遠の命で近くを警邏や屋敷の維持をするために住み込みの女中などはいるのだが。

 

 

 三人が歩いて少し経った頃、ばたばたと旗がはためく音が聞こえてくる。見えてきた旗には森の鶴丸……森家の旗印だ。

 

「あ!蘭丸さまだ!おい、新介!蘭丸さまが来たぞ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい小平太!!ら、蘭丸さまっ!!」

 

 三人の姿を見て駆け寄ってくる二人の少女。元は久遠の馬廻り……親衛隊のような立場だったのだが、先日の今川義元を討ち果たした功を称え与えられた褒賞として蘭丸の隊に加わった服部小平太と毛利新介だ。

 

「小平太に新介。長屋の掃除などまかせっきりですみません」

「いえっ!蘭丸さまの為とあらばこの毛利新介、どれほどでも!」

 

 目をきらきらと輝かせながら言う新介にやさしく微笑み、後ろで唖然としている剣丞とひよ子に視線を向ける。

 

「中に入りましょう。剣丞さまとひよにも二人を紹介します」

 

 

 自己紹介を再び終えて後。

 

「でも……本当に綺麗にしてくれてありがとう。大変だったでしょう?」

「先ほども言いましたが、蘭丸さまのためならっ!」

「新介、私のことは別に様付けしなくても……」

「はは、蘭ちゃんに心酔してるみたいだね」

 

 剣丞が苦笑いで言うと小平太が耳元で。

 

「そうなんだよ、ボクたちが今川殿を討った後で助けてもらって以来ずっとあんな感じで」

「森の戦姫、ね。言い得て妙といった感じかな?」

 

 剣丞が蘭丸の戦いを見たことはない。だが、多くの『姉』たちと同じような雰囲気を持つ蘭丸は、きっと同じように強いのだろうとそう考えていた。

 

「剣丞さまはこの部隊にとって、いつかは肝となる存在だと私は思っています。私が久遠さまのお傍に仕えることが多い以上、部隊運営は剣丞さまを中心に行っていただくことになります」

「が、頑張るよ」

「それを三人で支えてください。勿論、私も出来る限りの協力はしますが限界はありますから」

「「「はいっ!!」」」

 

 三人の声に蘭丸は頷く。

 

「私たちの部隊は森の鶴丸紋を掲げます。それに加え、剣丞さま……新田の家紋である大中黒紋を持つことになります。いずれはこの家紋が日の本に大きな意味を持つものと知らしめることこそが、私たちの使命……ひよ、新介、小平太。そして剣丞さま。私に力を貸してください」

 

 三つ指をついて、丁寧に頭を下げる蘭丸。

 

「勿論、俺たちに出来ることは全力でやらせてもらうよ!……でも、そんな頭の下げ方だと、まるで嫁に行くみたいだ」

 

 冗談めかして剣丞が笑いながら言う。

 

「ちょ、剣丞さま!?な、なんてこと言うんですか!!」

 

 新介が怒ったように言うが、蘭丸は不思議そうに剣丞を見ている。

 

「え、何か俺、間違ったこと言った?」

「……私は、お嫁には行きませんよ?」

「あはは、もののたとえだって。まだ結婚する年齢じゃ……」

「いえ、そういうことではなく……」

 

 次の言葉に場にいた全員が固まる。

 

「だって、私、男ですから」




三つ指をつく、には複数個の意味があったりします。

武士の礼にもいつでも刀を抜ける状態での三つ指があったり(小指、薬指、親指)。
嫁入り前の娘がやるイメージの奴があったり(親指、人差し指、中指)。
実は軽い礼の意味合いのものがあったり(人差し指、中指、薬指)。

同じ礼でも色々な種類があるのは面白いですよね!


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5話 ひよ子の友、転子

もう一つの作品が本編完結しましたので、こちらをメインで書いていきます!
お待ちの方(?)はお待たせしました!


 蘭丸の言葉に絶句した剣丞をはじめとした蘭丸隊の面々。そんな四人の様子を苦笑いで見る。

 

「もしかして、剣丞さまたちも私のことを女童と思っていたのですか?」

「あー……はい、何かごめん」

 

 剣丞がぺこりと頭を下げる。

 

「ふふ、初めてではありませんので別に構いませんよ。それに、久遠さまのお傍に仕えることになった切欠のひとつでもありますので、私にとっては自慢のようなものです」

「あ、あの、蘭丸さまは本当に男、なんですか?」

 

 新介が恐る恐るたずねる。

 

「えぇ。嘘をついても私に何の利もありません」

 

 剣丞はそう言う蘭丸を見る。確かに男性風な服装ではあるが、小柄な身長、体型もどう見ても女の子にしか見えない。……確かに胸は全くないが。

 

「どこをみてるんですか」

 

 そう言って自分の身体を抱きしめるように隠す蘭丸の姿は誰がどう見ようと女性の仕草だろう。

 

「蘭丸さまが男……」

「どうしたんだよ、新介?」

「女同士でも……と思っていたけど蘭丸さまの美しさで男……!」

 

 なにやらぶつぶつと独り言を言う新介を見た小平太は寒気を覚える。……長い付き合いだが、こんな感じを受けたのは初めてだ。

 

「まぁ、私のことは好きに呼んでください。それで、隊のことですが基本的に剣丞さまには私の代わりに代表として行動していただくことがあります。評定などでは私は久遠さまより意見を伺われない限り、発言することはありませんので隊の意思決定は剣丞さまに一任致します」

「え、蘭ちゃん……あー」

「構いません、続けてください」

「うん、蘭ちゃんがそれでいいのであれば俺はかまわないけど……ひよを連れて行ってもいいかな?」

「評定に、ですか?」

 

 本来、評定にあがるのは御目見得以上の身分である。この場にいる中では小姓である蘭丸や立場上、隊の長代理である剣丞、元々御目見得以上である新介や小平太ならば可能であるが、ひよ子には御目見得以上ではないため本来であれば評定にあがるのは不可能だ。

 

「うん。駄目なの?」

「わ、私は御目見得の身分じゃありませんので!」

「……いえ、分かりました。久遠さまには私のほうからお願いしています」

 

 

「ほう?猿を評定に、か?」

「はい。御目見得の身分ではないのは存じておりますが、剣丞さまはまだ天より降りたばかりで世情には疎く、常識もまた不足しているご様子。私は小姓として参加させていただきたいので、剣丞さまを補佐する者としてひよ……藤吉郎を上げたく」

 

 蘭丸の言葉に頷く久遠。

 

「それに、久遠さまが以前仰っていた身分を越えた意見を集めることが出来る場として評定を使っていく……その第一歩にもなるかと思われます」

「ふむ……流石はお蘭。我を納得させる材料をしっかりと提示するな」

 

 嬉しそうに蘭丸を褒めながら優しく微笑む久遠。

 

「よかろう、我が許す。お蘭は我と共に来い」

「はっ!」

 

 

「まずは状況を整理する。五郎左、言え」

「はっ。……先ほど、墨俣の地に出城を築くべく、現地に出向いていた佐久間様の部隊が壊滅し、敗走してくるという早馬が到着しました」

「ふむ、築城するのはかなりの困難が予想されていたが……」

「はい。まさかこれほどまでに早く、佐久間様の部隊が壊滅するとは……」

 

 ざわつく評定の間。剣丞は何かを思い出したかのように頤に手を当て考えながらちらと蘭丸を見る。他の者たちと違い、特に動揺した様子を見せずに静かに瞑目している。

 

「ひよ、佐久間様って凄いの?」

「凄いなんてものじゃないですよ!森家当主の森可成様と同じく古くから織田に仕えておられる方で、殿を多く務めておられたことで退き佐久間と呼ばれているんですよ!」

「へぇ~……」

 

 ひよ子からの説明を受けて再度考え込む剣丞。

 

「困難なことは分かる。しかし、美濃攻略のためには、是が非でも墨俣に城を築かねばならん」

「しかし殿……」

 

 壬月が久遠へ苦言を呈しようとするが。

 

「言うな。……蝮から託された美濃を、いつまでもあのうつけの龍興に任せておくなど許せんことなのだ」

「佐久間のおばちゃんが失敗したってのは良いけどさー。じゃあ次は誰がやるんだろ?」

 

 犬子が疑問を呈する。それはそうだろう、家臣団の中では森、柴田、丹羽と並ぶ家臣である佐久間が失敗した後を……というのはかなりの重圧だろう。

 

「雛は築城とか、あんまり得意じゃないから無理ー」

「築城、となれば麦穂さまの出番だけどなぁ」

 

 攻めであれば森と柴田、守りの丹羽、退きの佐久間。本来であれば麦穂が適任ではあるのだが。

 

「いや、麦穂は出せん。未だ膠着状態にある今川や小うるさい長島にも備えんとならんからな」

「ですよねぇ。じゃあ他に誰が?」

「和奏がやれば?」

「ボクが出来る訳ないだろー!」

 

 犬子の言葉に和奏が即否定する。

 

「あー……あのさ。ちょっといい?」

「どうした、剣丞。何か意見があるのか?」

 

 恐る恐る手を上げた剣丞に久遠がたずねる。

 

「意見っつーかなんつーか。……その墨俣の城、俺が……俺たちがやってみようか?」

「……ほぅ?」

「阿呆。素人が何をぬかす。貴様が考えているよりも、遥かに困難な任務なのだぞ?」

 

 壬月が少し呆れ顔で言う。それはそうだろう、築城というのは一日二日の知識で出来るものではないし、刻一刻と変化する状況に適応していかなくてはいけない。

 

「……お蘭よ、意見を聞かせろ」

「はっ。……剣丞さまのお考えは分かりませぬが……浅学非才の身ではありますが、私も築城の心得は御座います。他に手を挙げられる方がいらっしゃらないのであれば、久遠さまの為に蘭は墨俣の城を建てられるよう全力を尽くさせて頂きます」

 

 蘭丸の言葉に満足そうに頷く久遠。

 

「デアルカ。ならばお蘭、剣丞よ。見事、墨俣の地に城を築け」

「はっ」

「了解。頑張るよ」

 

 

 評定の場を出た蘭丸と剣丞、ひよ子は早速城下町へと出て軽い打ち合わせを始める。

 

「それで、剣丞さまのご意見から伺いましょうか」

「うん、えっと。ひよに質問なんだけど、墨俣周辺の地理に詳しい知り合いとかいるんじゃない?」

 

 剣丞の言葉にひよ子はう~んと考え込む。

 

「あ!一人います、幼なじみなんですけど」

「名前はなんていうの?」

「蜂須賀小六正勝。通称は転子っていいます。野武士を率いて尾張と美濃の小競り合いに横入りして、陣稼ぎをしている子です」

 

 ひよ子の言葉に剣丞が納得したかのように頷く。

 

「よし……んじゃ、その子に協力を要請……していいかな?」

 

 そこまで言って剣丞は蘭丸にたずねる。

 

「そう、ですね。まずは私も会ってみて、話をしてみないことにはなんとも。ひよの友であれば無条件で認めたい気持ちもあるのですが、今回は一つの失敗も出来ませんので」

「だね。っていうわけだから、一応要請する方向でいいかな?」

「構いません。どちらにせよ、人では必要になると思うので。……剣丞さま、織田の兵を使わない方向で進める、ということでよろしいですね?」

 

 蘭丸の言葉に剣丞は少し驚いた表情を浮かべる。

 

「よく分かったね」

「いえ、久遠さまが多くの草を美濃に放っておりますので、それはお互いであろうと」

「はは……蘭ちゃんなら見つけて始末してしまいそうだけど」

「……あまりに久遠さまに近づきすぎなければ始末はしません。逆に警戒をさせてしまいますので」

 

 蘭丸の言葉に、あ、やっぱり始末するのね……と呟きながら剣丞はひよ子に向き直る。

 

「あれ、どうしたのひよ?」

「いえ、どうして剣丞さまは私ところちゃんが知り合いだって知ってたんです?」

「ふふ、それは内緒」

 

 剣丞の言葉に首を傾げる蘭丸とひよ子であった。

 

 

 転子のところへと向かっている最中、少し前方で楽しそうに会話をしている剣丞とひよ子を見ながら蘭丸は考える。

 

「……剣丞さまは何かを知っている……?それが天の知識で、久遠さまが欲した力……?」

 

 底が見えない。初めて現れたときの出現もそうだが、壬月の一撃を避けたり今回のように何故知っているか分からないような知識など……あらゆる事柄に満遍なく知識があるところが不思議でならない。

 

「今のところは大丈夫ですが、何かあれば……」

 

 心の中で再度覚悟を決めなおした蘭丸はひよ子の友人である転子の元へと到着するのであった。

 

 

「ふぅ~……」

 

 薪割りをしていた少女がため息をつきながら薪の数を指折り数える。

 

「はぁ、最近稼ぎが悪いから薪も残り少ないなぁ……戦がないから稼ぎも悪いし……。やっぱりどこかに仕官しないとマズイかなぁ。でも堅苦しいのはいやだし……」

「ころちゃーーーーん!!」

 

 手を振りながら駆け寄ってくるひよ子を見て驚きの表情を浮かべるころちゃんと呼ばれた少女。どうやら彼女がひよ子の幼なじみである蜂須賀小六正勝であるらしい。

 

「ひよ!?うわーっ、久しぶりー!」

「えへへー!調子はどう?風邪とか引いてない?」

 

 喜びながら手を取り合う二人を蘭丸は微笑ましく見ている。少し前にいる剣丞も同じような反応だ。

 

「大丈夫!健康そのもの、何だけどねぇ」

「ほぇ?元気ないねぇ。どうしたの?」

 

 ひよ子の言葉にはぁとため息をつき。

 

「最近、稼ぎが少なくて……はぁ、織田も斉藤も、もっと派手に戦してくれれば良いのに」

「あはは……」

 

 とり方によっては不敬ともとられる言葉ではあるが、野武士としては当たり前の考えだろう。ちらっと剣丞が蘭丸を見たのは、その言葉で気分を害していないかを確認したのだろうか。

 

「それで、ひよは今何してるの?」

「今は清洲の織田さまにお仕えしてるの!昔、言ってた夢……武士になって功を立てて、おっかあたちを養うって夢が少しだけ実現できたんだよ!」

「そうなのっ!?すごいじゃん!」

「へへー……♪」

 

 嬉しそうに笑うひよ子に転子が微笑みかけた後、視線を蘭丸と剣丞へと移す。

 

「で、そちらの方々は同僚さん?」

「違うよ!あのね、こちらは私のお頭で、織田上総介さまの小姓……ううん、懐刀として有名な森成利さまと、田楽狭間に現れた天人の新田剣丞さまだよ!」

 

 ひよ子の言葉に蘭丸たちを見ていた転子の表情が固まる。

 

「……え?」

「あれ、聞こえなかった?」

「えーーーーっ!?」

 

 近くにいたひよ子がビクリと身体を跳ねさせるほどの大音量で転子が叫ぶ。

 

「うわっ!びっくりしたぁ!」

「びびび、びっくりしたのはこっちだよ、ひよ!?」

 

 そう言って地面に跪こうとする転子。

 

「ちょ、いや別にそんなことしなくて良いよ!?」

「し、しかし……!」

 

 剣丞の言葉に転子は困ったような表情を蘭丸に向ける。

 

「私も構いませんよ。ひよの友ということですし、私のことは通称である蘭丸で呼んでください」

「うん、俺も同じだよ。ただひよの上司で蘭ちゃんの代理を務めるってだけだし……」

「は、はぁ……」

「えへへ。蘭丸さんも剣丞さまもすっごくお優しい方なんだよ!」

「や、優しいというか……変わってるように感じるんだけど……って!!」

 

 剣丞を見て驚愕する。

 

「で、田楽狭間で織田に勝利をもたらすため、天が織田に贈ったと言われる、田楽狭間の天人!ご無礼致しました!私、この辺りを仕切っている、蜂須賀小六転子正勝と申します!」

 

 まくし立てるように転子が言うのを見て剣丞が慌てる。それを見て蘭丸がクスクスと笑う。

 

「ちょ、ちょっと蘭ちゃん!?笑ってるんじゃなくて止めるのを手伝って!!」

「ふふ、はい」

 

 

 なんとか転子を宥め、落ち着かせた一同は墨俣の築城に関して協力を仰ぐことにする。

 

「手伝う、ですか?」

「そう。これから墨俣に城を築くことになったんだけど……その手伝いをして欲しくてね」

 

 剣丞の言葉に転子の目がきらりと光る。

 

「……なるほど。野武士を纏めている私の力が必要、そういうことですね」

「流石は川並衆のまとめ役。戦略上重要な土地はしっかりと調べがついているようですね」

 

 蘭丸が満足そうに頷く。これならば協力を仰いでも大丈夫と安心したのだろう。

 

「お待ちを。ここで立ち話をするような案件ではありません。荒ら屋ではございますが、どうぞ中へ……」

 

 四人は家の中へと入っていく。

 

「さて、二人は大丈夫かしら……」

 

 家に入る寸前に蘭丸は背後……遠方にあるであろう墨俣方面へと視線を向ける。蘭丸の指示を受けて、既に下調べを始めている新介と小平太の無事を願いながら……。




ぎりぎり一週間以内に更新できました!計画通り(ぉぃ

こちらの作品では新介や小平太などをはじめ、原作で陰の薄かった子たちも
どんどんだしていきたいです!

もう一作品では松平中心だったので、違った楽しみ方が出来るように頑張ります!

感想、お気に入りなどお待ちしております!


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6話 剣丞の案と美濃の麒麟児

「私と剣丞さま、ひよの三人で蜂須賀どのにお会いしてきます。その間にお二人にはお願いしたいことが……」

 

 

「おぉ~い、新介ぇ。ちょっと休憩しようぜ」

「駄目よ!蘭丸さまからの密命をまだ終わらせてないでしょ!」

「でもさ、まだ期間はあるわけだし……」

「相手は美濃の麒麟児よ。どれだけの時間がかかるか分からない以上、少しでも早く動かないと駄目でしょ!?」

 

 新介が蘭丸から密命を帯びてからずっとこれだ。相棒でもある小平太が疲れ気味なのも仕方ないだろう。

 

「でもさ、蘭丸さまも無理するなーって言ってたじゃん。急いてはことを仕損じるっていうし」

「う……で、でも」

「大丈夫だって!ちゃんとボクが新介は頑張ってたって言ったげるから」

「べ、別にそんなことの為にやるわけじゃないわよ?!でも言ってくれるっていうのなら……」

 

 分かりやす……と苦笑いを浮かべながらも小平太は地面にへたり込むように木陰に座り込む。ここまで強行軍で来た為、かなり疲れた。体力には自信がある小平太ではあったが。

 

「疲れたぁ~」

「はぁ……ほら」

 

 そういって新介は自分の水筒を差し出す。

 

「お、ありがと。……ぷはぁ!生き返る~!」

「全く。……それで、再確認だけど私たちの任務は」

「美濃の麒麟児……竹中半兵衛重治の人となりを確認、場合によっては織田に引き込めないか、と。それと、斉藤家での立場の確認と敵対しそうな相手の確認……だったっけ」

 

 小平太が特に迷うことなく言ったことに新介は少し驚く。

 

「へぇ、ちゃんと覚えてるじゃない」

「当たり前だろ!……それよりも新介、どうやって接触するか決めてるの?」

「……この書状をお渡しするようにと蘭丸さまから伺っているわ」

 

 新介が差し出した書状が宛てられた相手が想像していた以上に大物で驚きの声をあげる。

 

「ふ、不破光治って……西美濃四人衆の!?」

 

 斉藤家を支える忠臣でもある安藤、稲葉、氏家の美濃三人衆に加え、今名前のあがった不破を含めて小平太が言った西美濃四人衆とも呼ばれる人物である。

 

「先代で殿様のことを高く評価していた斉藤道三、それよりも以前の土岐氏の代から美濃を支えてきた方と聞いているわ」

「へぇ~。……でも何でそんな人が殿様、蘭丸さまと内通みたいなことを?」

「さぁ?でも、先代の時代に殿様と関係があったんじゃない?」

 

 まぁ、予想したところであまり意味はないか~と、小平太は欠伸をしながら考える。

 

「さ、十分休んだでしょ。そろそろ行くわよ」

「うぇ!?もうちょっと……」

「小平太のもうちょっとは長いのよ!さ、行くわよ!」

 

 無理やりに腕を引っ張られ立たされる小平太。このままの勢いで一気に美濃の……斉藤の家中へと突撃してしまうのだろうかと不安になるほどの力強さ。

 普段なら逆なんだけどなぁ、と小平太は考えながら新介に引きずられていくのであった。

 

 

 場所は変わって転子の家の中。お茶を出してもらいながら会話を続けていた。

 

「清洲織田の殿様が、墨俣の地に城を築こうとしているという噂は耳にしておりました」

 

 ことり、と蘭丸、剣丞、ひよ子の順にお茶を置いていく。最後に自分の分も注ぎ終わると腰を下ろす。

 

「それに先日、家老である佐久間様の部隊が、築城に失敗して敗走を余儀なくされた、との情報も」

「ふわー。さすが野武士の棟梁だね、ころちゃん」

 

 感心したようにひよ子が驚く。

 

「ふふ、ひよ。野武士にとって情報というのはそれだけの価値があるということです。どちらにつくべきか、どちらのほうが褒美の羽振りがよさそうか。自分たちの命に直結するものですからね」

「はい、蘭丸さまの仰るとおりです。それで、剣丞さま。私たち野武士の力が必要ということですが……美濃衆と戦でもされるのですか?」

「戦をするつもりはないよ。勿論、襲ってくるだろうから少しは戦いになるだろうけど……」

 

 ちらとひよ子に目配せする剣丞。ひよ子は頷くと、久遠から預かっていた地図を取り出す。

 

「今回はまず、築城をする場所をこの川の中州の部分にしようと思う。つまりはこの作戦の肝になるのは」

「長良川、ですね」

 

 地図を見て転子が頤に手を当てながら言う。

 

「そう。佐久間さんの失敗について、色々と事情を聞いたところ、築城の下準備中に美濃勢に襲い掛かられて……って流れらしいんだ」

 

 それは蘭丸も聞いており、頷く。勿論、襲われる可能性を考えて準備はしていただろうが、土地の勢力としてはどちらかというと斉藤よりの土地であるだけに相手のほうが強い。更には築城にも多くの人員が割かれてしまう以上はじめから分かっていた結果といえばそうだった。

 

「だから俺は、こういう手を考えてるんだ」

 

 

「先に築城の準備を終えた状態にしておき、長良川を一気に下り中州部分で防御用の柵などで陣地を作って堀を掘って応戦準備を整える、ですか」

 

 蘭丸と転子が同時に考える。恐らくは作戦自体が可能かどうか、そして成功する確率などを瞬時に考えているのだろう。

 

「なるほど!剣丞さま凄いです!!」

 

 ひよ子は手放しに褒めているが、それだけに危険も伴う。作戦の決行が天候にされてしまうことや、堀を掘る速度がどれだけ手早く終わらせることが出来るかなど……。だが、奇襲という点で考えれば悪い手ではないだろう。

 

「……うん。こんな築城の仕方、初めて見るけど、これだったら何とかなるかも……」

「……そうですね。私もころと同意見です。剣丞さま、お見それしました」

「蘭ちゃんも賛成みたいでよかった。それで協力してくれるかな?」

「準備と報酬、その両方で結構な銭が必要になりますが、その辺りは?」

「大丈夫。基本的には言い値を飲む……でいいよね?」

 

 自分で決定してしまいそうになったことに気付いて剣丞が蘭丸に問う。

 

「はい、構いませんよ。ですが、少しはおまけしてくださると助かります」

「あはは、分かりました。でも仕事の危険度から考えればある程度、値が張ってしまうのは仕方ありません。そこはご理解ください」

「勿論です。……それに、今回は私も出ますので。それで、人の手配などを考えると……七日ほどでしょうか?」

 

 蘭丸の言葉に転子は頷く。

 

「そう、ですね。そのくらいあれば渡りもつけられます。でも凄いですね、蘭丸さまって野武士の行動もお詳しいようで」

「ふふ、久遠さまのお傍に仕えるにはそれくらいの教養はなければなりませんからね。ひよ、私たちは資材の準備ということになりますが」

「はい!資材も七日もあれば十分です!じゃあ七日後に決行、ですか?」

「いや、流石にそれは無謀だよ。あとは組み立てるだけって状態まで加工しておかないと。それに動き方の訓練なんかもしておいたほうがいいよね?」

「そうですね。今回は剣丞さまの案を中心に動きますので、剣丞さまに指揮をとっていただきましょう。決行はいつにしますか?」

「……二週間。上流に資材を運んで隠したり、っていうことも考えないとだからね。それにそれ以上かかると嗅ぎ付けられる危険が出てくるし」

 

 剣丞の言葉に満足そうに頷く蘭丸。

 

「お見事な判断です。……それではひよ、ころ。どれほどの金子が必要になるか、分かり次第私に教えてください。久遠さまにお願いするところと私の私財から出すところで分けますので」

「えぇっ!?蘭丸さんが御自身で出されるんですか!?」

「何かおかしいですか?久遠さまから全額頂くわけにもいかないでしょう?」

 

 何がおかしいのか分からないといった様子の蘭丸ではあるが、部隊としての給金や土地を貰っていない時点で自腹を切るというのはなかなか出来る判断ではない。

 

「そういえば、ころはどれくらいの野武士を動かせるんです?」

「そうですね……この一帯から全て集めて二千ほどかと」

「二千!?ころって凄いんだな」

「えへへ~。自慢の幼なじみです!」

「ちょっとひよ!恥ずかしいよ!」

「とはいえ二千人ですか。ぱっと計算するのは難しそうですね」

 

 蘭丸が頤に手を当て考えている隣でひよ子が指折り何かを数えている。

 

「どうしました、ひよ?」

「あ、この作戦に掛かる費用の計算をしてたんです!私、計算だけは得意ですから!」

「なら、部隊の資金運用や今回の作戦の費用計算などはひよにお任せしていいですか?」

「はいっ!お任せください!」

「それでは、私は先に失礼させていただきますね。ころ、お茶おいしかったです」

 

 ニコリと微笑み席を立つ蘭丸。

 

「あ、お送りします!」

「大丈夫です。それよりも久々にひよと会ったのでしょう?日数にも若干の余裕を持たせてくださっているようですし、今日くらいはゆっくりとしてください」

 

 そう言って転子の手をとる。

 

「それでは、ひよのことと剣丞さまのことはお願いしますね?」

「あ、は、はい!」

 

 ぽーっと蘭丸を見送る転子。はっと気がつくと手に小さな袋が。

 

「これって……こ、小粒金!?」

 

 

「お断りします。お帰りください」

 

 素気無く追い返されるのは新介と小平太。

 

「……なぁ新介」

「言わないで」

「これ、無理じゃね?」

「言わないでっていってるでしょ」

 

 斉藤家に仕える不破に渡りをつけ、流れの客将として潜入したところまではよかったのだが。

 

「あれが美濃の麒麟児ねぇ。なんか変な奴だなーってくらいしかボクには感じな印だけど」

「まさか勧誘どころか、話すら出来ないのは予想外ね」

 

 そう、家中で見かけた麒麟児・竹中半兵衛には事実上接触すら出来ていないような状態だった。

 

「不破どのの仰っていたことがよく分かったわ。……あれは変わり者よ」

「いや、それは見れば分かるって」

 

 分かりきったことを……と小平太は思ったが、正直新介の意見には同意である。

 

「それに、斉藤家中での評判も立場も分かったわね」

「そうだなぁ。……まさか織田を何度も追い返していたのがあんな小娘だとは思わなかったな」

「私たちとそんなに変わらないでしょ。小娘って」

 

 呆れたように新介が言う。

 

「まぁそうだけどな。……織田を追い返しているのは斉藤の強兵だーって本気で思ってるみたいだしなぁ。正直、あいつ以外にそこまで凄い奴いないよな?」

「どうかしらね。でも蘭丸さまや柴田さまなんかに勝てそうな人材はいない……かな?」

 

 明らかに怪しい二人に対しても兵たちは何も言わない。むしろ興味がなさそうだ。ただ一つ厄介そうなのが。

 

「……あれだな。なんだっけあの……」

「斉藤飛騨?」

「そう!あいつだけは気をつけないと……絡まれたらバレそう」

 

 斉藤飛騨。家中での評価、最悪。人間性、最悪。それが龍興の威を借って威張り散らしているのだから性質が悪い。

 

「そうね。……下手に使われても面倒だし、それに不破どのに迷惑が掛かるのも避けたいしね」

「だなー。……やばっ!新介、隠れて!!」

 

 避けようとしても勝手にやってくるのが厄介ごと。歩く厄介ごと扱いされているのは勿論斉藤飛騨。今日も我が物顔で城内を歩いていた。

 

「……行った?」

「みたいだな。ふ~……って、何でボクたちが隠れるんだ」

「あんたが隠れろって言ったんでしょ!……まぁ、正しい対応だと思うけど」

「……斬っていいなら楽なんだけどなぁ」

「あんたじゃ無理でしょ。ああいう手合いは基本的にしぶといのよ。それよりも!」

 

 半兵衛の屋敷は確か城下にもあったはず。

 

「次は屋敷に行って見ましょうか。もしかしたら此処だと他の目があるからかもしれないし」

「無駄だと思うけどなぁ……」

 

 二人はそんな話をしながら城下へと立ち去っていった。

 

 

「……やれやれ、やっと行きましたか」

 

 読んでいた本をパタンと閉じ軽くため息をつくのは竹中半兵衛。通称を詩乃と言う彼女こそ、美濃の麒麟児である。

 

「しかし、どうして織田方の者が城内に……?いや、恐らくはそれすらも気付かないほどに斉藤家も落ちたということですか。……しかしその割にはあの二人から害意は感じない……また機会があるようなら少し話をする程度なら良いかも知れませんね」

 

 一人呟きながら考え込む詩乃。

 

 

 新介と小平太が彼女と言葉を交わす日はそう遠くない。




原作とはところどころ違いが出始めますのでお楽しみに!


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7話 墨俣の戦い

「して、剣丞の案はどうであった?」

 

 評定の間ではなく、久遠の屋敷で結菜に膝枕をされた久遠が蘭丸に問いかける。この光景はいつものことなので、蘭丸は特に驚いた様子はない。

 

「剣丞さまの策は……」

「あぁ、内容は全て終わってから聞かせてもらう。そっちのほうが面白そうであるからな。で、我に何か頼みがあるのか?」

「はい。……資金が必要となります」

「ふむ。良いぞ、蘭丸が必要だと言うのであればそうなのだろう。必要な金額を明日、麦穂に伝えよ」

「はい!」

「ねぇ、久遠。蘭ちゃんのことだから、久遠に負担をかけすぎたら駄目だ~とか考えて自分のお金とか使うんじゃない?」

 

 ジト目で蘭丸を見る結菜。

 

「む、そうなのか?お蘭」

「い、いえ」

「お蘭?」

 

 じっと久遠に見つめられ蘭丸が頭を下げる。

 

「申し訳御座いません!蘭の勝手な判断でそうしようかと考えておりました!」

「ほら、やっぱり。……蘭ちゃん、蘭ちゃんの気持ちは有難いし久遠だって分かってると想うけど、その為に蘭ちゃんが自分の身を削ることを久遠も私も願ってはいないわ」

「うむ。お蘭、織田のための活動なのだから構わんのだ。お前のお金はお前のために使え。それが我の願いだ」

 

 諭すように結菜と久遠が蘭丸に言う。

 

「はいっ!……で、ですが、私は久遠さまの為に使いたいのです!!どうすれば……!」

「う、うむ。それは……困ったな」

 

 心底困ったといった感じで久遠が考え込む。膝枕から起き上がりむむむ、と唸り始める。

 

「ふふ、久遠も蘭ちゃんも考えすぎよ。一緒に何処か買い物にでも出掛けたらいいじゃない。蘭ちゃんもそのときに何か久遠に買ってあげれば?」

「「!!」」

 

 二人が気付かなかった!といった表情を浮かべるのをやれやれと呆れた風に首を振る結菜。

 

「流石は結菜さまです!」

「うむ、結菜は我の自慢の妻であるからな!」

「な~に自慢げに言ってるのよ、久遠ったら。……そうだ、蘭ちゃんも来なさいな」

 

 ポンポンと自分の膝を叩く結菜。

 

「で、ですが、私はまだ湯浴みを済ませておりませんので……」

「あら、蘭ちゃんなら別にいいんだけど……じゃあ先に入って来なさいな」

「は、はい!」

 

 急いで風呂場へと向かう蘭丸を二人で見送る。

 

「ふふ、急いでいきおって。そんなに結菜の膝枕が嬉しいのか」

「あら、久遠は嫌?」

「む、それは……嫌ではないが」

「嫌ではないだけなら、今度からは蘭ちゃんだけにしようかしら」

「ま、待て待て!それは困る!」

 

 夜の屋敷は、今日も賑やかに過ぎていく……。

 

 

 それから、剣丞を中心に築城の準備は進められた。金の工面に加え、織田の本軍を囮として出陣させることも決まり連日というわけには行かないが、蘭丸も参加し築城の材料の確認や部隊の調練などを行った。そして、二週間という期間はあっという間に過ぎていった。

 

 

「……驚きました。この『しゃべる』というものを作り出すとは……」

「剣丞さまは発明家さんなんですね!!」

「本当に。これのおかげですっごく早く穴が掘れます!」

 

 手放しで褒める三人に剣丞は苦笑いを浮かべる。

 

「はは……でも、これは部隊の皆以外には絶対に教えないように」

 

 最終確認も終えたひよ子と転子が蘭丸と剣丞に合図を送る。

 

「それでは、行きましょうか。……剣丞さま、お手並み拝見させていただきます」

 

「我らも出る!東口より北進し、美濃勢の動きに合わせるぞ!」

 

 

 それから少しの時間、墨俣の地に降り立つ。

 

「上陸ー!みんな駆け足ー!」

 

 ひよ子の元気な声が響き渡る。剣丞の指示に従い、柵や堀を作っていき、転子が足軽の指揮を取る。

 

「剣丞さま、あの、北と東に物見を放ちたいんですけど……」

「あ、そりゃそうだ。ごめん、その辺りは実戦経験豊富なころに任せていい?」

「はいっ!」

「二人とも情報共有は出来るだけ密に頼む。……何かあったら指示は俺が出すから、そのときは今の作業を中断し、すぐに従って。……で、どうかな、蘭ちゃん?」

 

 じっと剣丞の後ろで指示や行動を見守っていた蘭丸を振り返る剣丞。蘭丸は静かにニコリと微笑む。

 

 

 及第点、といったところかしら。蘭丸は内心で剣丞に点数をつける。剣丞の言葉を信じるならば、戦場は初めて。その中で己の不得手とする事柄には下の者に頼る、間違いを正せるだけの判断も出来るようだ。

 

「……やはり、久遠さまの目は確かですね」

 

 

「殿!前方に美濃勢を発見!」

 

 先陣を切っていた壬月が久遠に伝える。

 

「旗はどうだ?誰が率いている?」

「あの旗は美濃の長井ですな。他に丸に九枚笹などが見受けられますが」

 

 その言葉に若干渋い顔をする織田の面々。

 

「……美濃の麒麟児・竹中殿ですか。前の戦では散々に打ち破られてしまいましたからね」

「長井、か……」

 

 久遠が苦しそうな表情を浮かべる。美濃の長井は、久遠にとっては母同然に慕っていた相手でもある美濃の蝮……斉藤道三の仇である。

 

「殿、抑えてください」

「分かっておる、壬月。……蝮の仇とて、今は自重する。……壬月、麦穂、展開せい」

「「はっ」」

 

 軽く礼をした後、壬月が口を開く。

 

「三若ぁ!前に出ぃ!」

 

 

 微かに東の方向から聞こえる鉄砲の音。

 

「この音は……和奏?」

「始まったみたいだね。皆急ごう!美濃の人たちがこっちにも押し寄せてくるぞ!」

「ころちゃん、物見の報告は?」

「まだ来てないよ!もしかしたらまだ気付いてないんじゃ?」

 

 転子の言葉に剣丞は頷き、ひよ子に視線を向ける。

 

「堀と柵は?」

「両方とも準備完了です!蜂須賀衆には柵内に入って敵襲に備えてもらってます!」

「完璧!これで多少の戦力差なら耐えられるな。……あとはどうやって敵を追い払うか。……敵を壊滅させるなんて無理だからなぁ」

 

 う~んと悩む剣丞を見て蘭丸が口を開く。

 

「剣丞さま。その段階まで達しましたら、私の領域です。お任せを」

「えっ!?兵数に違いがあるでしょうから、援軍を待つんじゃ……」

 

 転子の言葉に蘭丸は頷く。

 

「そうですね。ですが……私も森一家ですので」

 

 ニコリと微笑む蘭丸に、何か恐怖を感じる一同であった。

 

 

「……ふむ。数を揃えて討ち入ってきた割に、尾張衆の動きが鈍いように感じますね……どう思います、新介、小平太?」

 

 独り言のように隣にいる二人に声をかけるのは美濃の麒麟児・詩乃である。

 

「えっ!?ぼ、ボクは分からないなぁ?」

「……」

「はぁ。ここは新介のように無言でいる方が賢いと思いますよ、小平太」

 

 やれやれ、と詩乃がため息をつく。

 

「ともあれ。そうなるとこれは陽動、ですかね。……なるほど。墨俣ですか」

 

 チラと視線を向けるのは墨俣のある方向。

 

「すげぇ!詩乃すぐに見抜いてる!」

「アンタのせいでしょ!……まぁ、どっちにしても気付いてそうだけど」

「なかなか上手い手です。ですが……ふむい、私はどうすべきでしょうか……」

 

 そこまで言って一瞬考える。

 

「……止めておきましょう。例えこの推測を告げたとて、稲葉山の愚人たちは否定し、あざ笑うだけでしょう」

「な!?そんなわけないだろ!?詩乃、凄い気付きじゃん!」

「ちょ、ちょっと小平太!?」

「ふふ、そんなに織田を……貴方の主人を追い込みたいのですか?……いいのですよ、ちょうどそろそろ……動くべきときですので」

「……ちょっと詩乃。アナタ何を考えて……」

 

 驚く新介に軽く笑みを送り、空を見上げる詩乃。

 

「……鷺山殿が愛した美濃も、枝折れ根腐り、見る影もなし……無念です」

 

 

「北方に美濃衆の旗を発見しましたぜー!」

 

 物見の足軽から報告が来る。

 

「距離は?」

「ざっと見て、五里向こうってとこでしょうかね」

 

 剣丞の問いに物見が答える。

 

「すぐそこまで来てるってことか。……ひよ、ころ!こっちに来てくれ!」

「「はーい!」」

「敵が来たよ。迎撃準備を整えよう」

「は、はひっ!」

 

 ひよ子もはじめての戦だからか、緊張が顔に出ている。

 

「大丈夫。ひよ、落ち着いて」

 

 蘭丸が優しく語りかけ、肩に手を置く。

 

「で、でも私……腕っ節には全然自信が無くてぇ……」

「大丈夫です。ひよは私が守りますから」

「俺もそうだよ。こんな集団戦は生まれて初めてだし、実戦だって初めてなんだ。だから正直、自信なんてないけど……適材適所に人を配置して、皆が一丸となって事に当たれば……乗り越えられる!」

 

 剣丞はそこまで言うと周囲の全員を見渡す。

 

「俺はひよを、ころを……蘭ちゃんを信じる。信じるからこそ全力で戦えるんだ。だから皆、俺を信じてくれ。そして……この戦いを共に乗り越えよう!」

 

 おぉー!とあがる声。それを蘭丸は満足そうに見ると静かに目を閉じる。

 

「蘭ちゃ……」

「あ、剣丞さま!戦いの前には蘭丸さん、精神統一するそうなんです。特にこのようなときには……」

「そっか。なら、迎撃は集団戦の経験があるのはころちゃんだけだから、前線は任せていいかな?」

「私たち野武士はそれが生業ですからね。敵の数が気になりますけど……やってみます」

「ありがとう、頼むよ。……で、ひよはころちゃんの後方から弓の援護を頼みたい」

「はいっ!」

「それじゃ、俺は伏兵を……。ころちゃん、百人ほど人を借りていいかな?」

「は、はい!それくらいなら」

 

 

 どれくらいの時間、目を閉じていたのだろう。既に柵をはさんでの攻防が始まっている。こちらを小勢と侮ってか、兵数は四千といったところだろうか。柵を壊せずに足止めされていた。その背後を突くように剣丞率いる伏兵が突撃をかける。

 

「……さて、そろそろ私も働きましょう。……この勝利、この城は全て久遠さまの為に」

 

 目を開き立ち上がった蘭丸の瞳には炎が灯っている。それは、蘭丸が愛する家族……母や姉と同じ『修羅』の炎だ。

 

 

 鏑矢をうち、動揺している敵部隊の中でも動揺せずに剣丞たち伏兵へと突撃をかけようとする一団があった。その違和感を感じ咄嗟に指示を出す剣丞だったが、敵兵の突撃もまた到達してしまうかに見えた。

 

「この戦、私が貰い受けます」

 

 ゆらりと残像を残すように蘭丸が剣丞たちと敵兵の間に現れる。

 

「ら、蘭ちゃん!?」

「剣丞さまは迷わず突き進んでください。貴方の選択は間違っていません」

 

 凛とした声が剣丞の耳に届く。

 

「貴方が間違わねば、私が道を作ります。貴方が敵でなければ、私が守ります。……さぁ、斉藤の愚か者たちよ」

 

 蘭丸が腰を低く落とし、鞘に入ったままの刀を構える。

 

「蹂躙です」

 

 

「ば、化け物ぉ~!?」

「ひぃ~!?」

 

 伏兵にも動じずに攻撃に反転した部隊までもが恐れおののき逃げ惑う。その背後に立つのは蘭丸ただ一人。

 

「深追いはしませんが、少しでも打撃は与えておくべき……お覚悟を」

 

 剣丞は既に柵の向こうへと撤退を完了している。だが、蘭丸は続けて刀を振るう。

 

「ひ、ひけぇ!!」

 

 斉藤の将だろうか、一人の少女が撤退の命令を出し逃げようとするのが見える。

 

「将を取れば……」

 

 少女と目が合う。その瞳に映るのは恐怖。森一家が普段から向けられている視線だ。

 

「……」

 

 まるで蛇に睨まれた蛙、といったところか。蘭丸と目が合った少女はその場から動くことが出来なくなっているようだ。膝は震えている。

 

「……ふぅ、行きなさい」

「へ……?」

「今はまだ時ではありません。……だから」

 

 ひゅん、と刀を一度振り鞘に収める。

 

「去りなさい。そして貴女の飼い主に伝えるのです。この地は、織田の……天が遣わした新田剣丞が制圧した、と」




いつの間にか詩乃と仲良くなってる新介・小平太コンビ。
この辺りの話もまた書こうと思ってます!


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8話 生命の価値

遅くなりました!

ギリギリ一週間ですね……。


「それで、被害のほうはどうかな?」

「さっき確認しましたけど、負傷者は五十名ほど。討ち死が十名ほどですね」

 

 戦いが終わった後、剣丞の確認に対してひよ子が答える。

 

「相手との戦力差を考えれば完勝と言っても良い戦果ですよ!剣丞さま、凄いです!」

 

 嬉しそうにそう言う転子とその言葉を聞いても表情を曇らせている剣丞。蘭丸は三人の会話を見ながら刀の手入れをしている。

 

「そっか。十人、討ち死してしまったのか……」

 

 ポツリと呟く剣丞をチラと見る蘭丸。

 

「あの、剣丞さまぁ?」

「あ、何?」

「次の御下知を頂きたいです!」

「その前に、剣丞さまよろしいでしょうか」

 

 蘭丸が立ち上がり、剣丞の目の前まで移動してくる。

 

「剣丞さまにとって、命の価値は一緒なのですか?」

「蘭ちゃん?……そうだね。一度袖すり合った以上は……」

「……剣丞さまのいた、天の世界には戦はないのですか?」

「いや、あったけど……うん、俺が住んでた場所ではなかったね。テレビの向こう……俺にとっては現実身のない話だったから」

「幸せな世界だったのですね。……ですが、今剣丞さまがいらっしゃるこの世界は天の世界ではありません」

 

 剣丞を諭すように、だが力強く蘭丸が言う。

 

「それに、生命の価値も同等ではありません。……私やひよは、剣丞さま。貴方の生命が危険に晒されたときには身代わりとなって死ぬ覚悟もあります」

 

 蘭丸の言葉にはっとする剣丞。

 

「私にとって最も価値のある方は久遠さま、久遠さまの奥様である結菜さま。勿論、母さまや姉さまもですが……人は平等ではありません」

「蘭ちゃん……」

「……ですが、そのお気持ちはきっと先に逝った英霊たちにも届いているでしょう。……剣丞さまは少しお休みください。戦後の処理は私たちでやっておきます」

「……うん、助かる」

 

 少し落ち込んだように陣の中へと下がる剣丞を心配そうに見送るひよ子と転子。

 

「……大丈夫でしょうか?」

「これは何れは超えていかなくてはならない、剣丞さまにとっての壁でしょう。今はまだ無理でも……いつか久遠さまの天下を見るためには必要なことです。それまでは、私たちが助けていきましょう。さぁ、ひよ、ころ。築城を急がせましょう。……それと、討ち死した者たちを探し尾張に帰して上げられるようにしましょう」

「「はいっ!!」」

 

 

「これが、この世界の常識、か……」

 

 一人、陣の傍にあった巨木の根元に腰を下ろした剣丞が一人呟く。

 

「やっていけるのかよ……」

 

 ため息をつきながら頭を軽く抑える。

 

「剣丞さま」

「蘭ちゃん?」

「お隣、失礼しますね」

 

 ふわりと剣丞の隣に腰を下ろす蘭丸。

 

「……先ほどはあのようなことを言いましたが、私もはじめから今のように考えられたわけではありません」

 

 空を見上げながら蘭丸が呟く。

 

「あれは、私がはじめて久遠さまにお会いしたときのことです」

 

 

「ほぅ、おぬしが桐琴の娘か」

「はっはっはっ!殿、お蘭はこう見えて男ですぞ」

 

 桐琴の言葉に目を丸くする久遠。

 

「女子の服を着ておるように見えるのだが」

「似合うておりましょう?」

「……うむ、確かに」

 

 この頃の蘭丸は、まだ母離れが出来ておらず桐琴の陰に隠れるように腰衣を掴んでいるような状態であった。

 

「利発そうな子だ。桐琴の子とは思えんな」

「殿もよう仰いますな!ワシよりは夫に似ておるのやも知れませぬ」

「ふむ、お蘭よ」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 ビクリと身体を震わせながらも答えようとするが、その声は裏返っている。久遠は苦笑いを浮かべながらも腰を屈め、蘭丸と視線を合わせる。

 

「そんなに緊張せずともよい。お蘭、我のことは久遠と呼べ」

「は、はい!く、久遠……さま」

「うむ!……桐琴よ」

「全て言わずとも。……お蘭、今日より久遠さまにお仕えしろ」

「えっ!?」

 

 桐琴の言葉に驚き、動揺する蘭丸は視線を周囲にウロウロと移している。

 

「しっかりせんか!お前も森一家の一員なんだぞ!」

「ひぅ!」

 

 桐琴の一喝でしゅんとする蘭丸を久遠が頭を撫でる。

 

「桐琴よ、少しずつ我に慣れさせる。そう急がんでもいい」

「……では、殿に任せるとしましょう」

 

 そう言って蘭丸が手を伸ばすのを無視するように桐琴が歩き出す。

 

「あ……」

「お蘭。……お前もワシのガキだ。立派な武者になれ」

 

 そのまま立ち去る桐琴を見送りながらため息をつく久遠。

 

「……全く、不器用な奴だ。……お蘭よ」

「は、はい!」

「これから貴様は我の小姓として仕えることになる。……お蘭には我の夢を教えておく」

 

 視線を合わせた久遠が蘭丸に向けていた優しい表情を真剣なものに変える。

 

「我は、いずれはこの日の本を七徳の武を持って一つに纏め上げる。つまりは」

「天下を、天下を取ると仰るのですか?」

 

 七徳の武とは、暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするの七つを意味する。

 

「うむ。何、既に我は尾張の大うつけと呼ばれておるのだ。このようなことを言っても皆、うつけが妄想を語っておるとしか受け取らん。……お蘭、貴様はどう思う?」

 

 久遠の瞳をじっと見つめる蘭丸。その視線には先ほどまでの怯えたような色は全くなく、まるで心の奥底までを見抜くような……そういった感じを受けさせるものだった。

 

「……いえ。久遠さまは、きっとその夢を成し遂げられると思います。母さまも、だから私を置いていったのだと……思います」

「ふふ、そうか。お蘭はよい目をしているな。我もお蘭のことが気に入ったぞ」

 

 

「信じられますか?尾張の大うつけと呼ばれていた人とはじめて会った私に夢を語り……しかもその夢は天下統一」

「でも、何でその話を俺に?」

「実は、そのときまで私は人を斬ったことも無かったですし……まぁ、母さまや姉さまから話は聞いていましたが戦というものが自分に関係のあるものとは思っていなかったんです。……各務さんがそういった類のものを私に近づけないようにしてくださっていたというのも、後でお聞きしましたが」

 

 ふふ、と笑いながら蘭丸は言う。

 

「……ですが、久遠さまと出逢い、その夢に触れ……それを成し遂げる為に微力ではあっても私の力を振るいたい。そう思うのはすぐでした。……剣丞さまにとって、切欠になるのが何なのか。それは私にも分かりません……ですが、それまでは味方である限り私がお傍にいます」

「蘭ちゃん……」

「ゆっくりで構いません。共に久遠さまの天下の為に……力を貸してください」

 

 ふぅ、と剣丞が息を吐き自分の顔を軽く叩く。

 

「よしっ!蘭ちゃん、ありがとう。俺やってみるよ。正直、この世界に慣れることが出来るか分からないけど……」

「ふふ、その意気です。……お疲れのようですし、ゆっくりしてくださいね」

 

 

 次に剣丞が陣から出ると、既に立派な城が出来上がっていた。

 

「ふふ、実はひよの策なんですが……長良から見れば完成しているように見えるのですが、実ははりぼてなんです」

 

 こっそりと蘭丸が剣丞に耳打ちする。遠くでひよ子も楽しそうな笑顔を浮かべている。

 

「はは……流石は豊臣秀吉、ってことか……」

 

 笑いながら言う剣丞。その少し後に久遠が手配した部隊が到着し、城を無事に引き渡すことに成功するのであった。

 

 

「ええいっ!!一体何者なんだ、あの女は!!」

 

 斉藤の本拠である稲葉山城。そこに響く怒号の主は斉藤飛騨。斉藤龍興の人望を下げている原因と陰で噂されている人物だ。

 

「あの鬼のような強さ……しかし、鬼柴田ではない……誰か知らぬのかっ!!」

「お、恐れ入りますが、織田の家中にそれほどの武者が居りますれば有名になるかと……他に特徴などは……」

「何だ!私が嘘を申しているというのかっ!?」

 

 わめき散らす飛騨を蔑むように部屋の外から一瞬だけ視線を巡らせた詩乃はため息をつきながら通り過ぎる。

 

 

「……やれやれ。遂に敵のことを調べる知能すら無くしましたか」

 

 部屋に戻った詩乃の第一声はそんなものだった。

 

「はは、そういう詩乃は誰か予想ついてんの?」

「……そうですね。聞いたところ、見目麗しい女子であったと。それでいて鬼のような強さ……可能性が高いのは、織田の麒麟児、森の戦姫と呼ばれている森成利どの、でしょうか」

「(やばいよ新介!詩乃やっぱり気付いてるって!)」

「(落ち着きなさい!動揺したらそれこそバレちゃうでしょ!)」

「ふふ、二人とも落ち着いてください。……とはいえ、信長の懐刀が動いたということですか。厄介なことになりそうですが……その前に動くしかありませんね。新介、小平太。一度織田に戻ったほうがいいかと思います」

 

 詩乃の言葉に二人は息を呑む。

 

「まさか、詩乃……」

「えぇ。……ことを起こすのは今です。まもなく私は動きます。貴女たちを巻き込むつもりはありませんよ」

「新介……」

「……小平太。アンタは戻って蘭丸さまにお伝えして」

「新介!?」

「私は残る。私たちのことを友と呼んでくれた詩乃のことを置いていったら、それこそ蘭丸さまに顔向けできないわ」

「ならボクだって……!」

「蘭丸さまへ伝えることも大切よ。……だから」

 

 二人の会話に一瞬呆けるような様子を見せた詩乃であったが。

 

「はぁ、全く。貴女たちも……馬鹿ですね」

「馬鹿で結構。……詩乃が織田に来るっていうなら話は早いんだけど」

「……それは出来ません。私はこの美濃を愛していますから」

「……新介、詩乃を頼む!」

「えぇ。蘭丸さまに宜しく言っておいてね」

 

 

「それで、詩乃。これから何をするのよ」

「……一度、龍興さまに諌言申し上げます。そしてもし、受け入れられないようなら」

 

 前髪で隠れた目に、本気の色を浮かべながら詩乃が呟いた言葉に新介は絶句する。

 

「い、稲葉山城の……乗っ取り!?」




こちらの作品はゆったりと書いているので進みが遅いですね……。
もう少し早くしたほうがいいかな?


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9話 褒美と屋敷と宴

オリキャラ(名前は原作にも出てきてます)登場します。
苦手な方はご注意を!


 次の日、蘭丸と剣丞は久遠に評定の間に呼ばれる。中に入るや否や、久遠は蘭丸に抱きつく。

 

「お蘭!よくぞ……よくぞやってのけてくれた!」

「く、久遠さまっ!?」

 

 久遠に抱きしめられて動揺する蘭丸を剣丞が少し面白そうに眺める。……内心に若干うらやましいという気持ちがあったのは男であるから仕方がないことであろう。

 

「あはは……久遠、嬉しいのは分かるけどそのままじゃ蘭ちゃんが倒れちゃいそうだから一度放してあげたら?」

「む、そうか?」

 

 剣丞に言われ、渋々といった様子ではあるが久遠が蘭丸を解放する。放された蘭丸はほっとしたような残念なようななんとも言えない表情であった。

 

「……久遠さま、今回の功は剣丞さまにあります。私は最後に少しお手伝いをしただけで……」

「いや、蘭ちゃんがいなかったら俺だって無事で帰ってこれたかどうかは分からないし、ひよやころちゃんがいなかったら……」

「いや、二人とも無事に帰ってきてくれて嬉しいぞ。なんと感謝すれば良いのか、我は言葉が思い浮かばん。……とにかくありがとうだ、二人とも」

「これはみんなの力を合わせた結果だよ。それに……討ち死するまで戦ってくれた十人の人たちの、ね」

 

 剣丞の表情が曇る。それをちらと見た蘭丸が。

 

「……久遠さま、失礼な願いかもしれませんが……」

「うむ。我に任せておけ」

「え……?」

 

 全てを語らずに蘭丸の言いたいことを理解した久遠が力強く頷く。

 

「討ち死した者たちの供養と遺族に褒美を、ということであろう?……お蘭がそういったことを頼んでくるのは珍しいが。……剣丞、全て我に任せておけ」

 

 気が抜けたのか、一瞬ふらつく剣丞を蘭丸が支える。

 

「大丈夫ですか?」

「う、うん。ちょっと緊張が解けたみたいで」

「無理もない。剣丞にとっては初陣であろう?」

 

 初陣。久遠からそういわれてはは、と頭をかく。

 

「言われてみたらそうだ。……これで俺も織田家の一員になるのかなって」

「ふふ、剣丞さまは既に織田の一員ですよ」

「うむ。……お蘭にも認められたようで安心だな。……今後は、お蘭の部隊をお蘭の留守中、守っていくように頼むぞ剣丞」

「あぁ。俺に出来ることは全力でさせてもらうよ」

「久遠さま、ころ……蜂須賀のことですが」

「それならすでに使者を出して本人に伝えてある。今回の褒美の一部だ、これで祝ってやれ」

 

 そういって久遠は小袋を蘭丸に渡す。

 

「ありがとうございます。……それでは」

「うむ。……あ、お蘭。近いうちにまた屋敷に来い。結菜が待っているぞ」

「はいっ!」

 

 

「あ!蘭丸さーん!」

「剣丞さまも!」

 

 前から手を振りながら走ってくるのはひよ子と転子の二人。

 

「おはようございます。ひよ、ころ。……ころ、織田家への仕官、おめでとうございます。余計なことではありませんでしたか?」

「いえっ、そんな!!久遠さまより、蘭丸さまと剣丞さまのお二人から進言があったと聞いて……どのようにお礼をしたら良いか……!」

「お礼なんていらないよ。俺も蘭ちゃんも、ころはそれだけのことをやってくれたと思ったからそうしただけだよ」

「えぇ。……ふふ、それにしてもひよは自分のことのように喜んでいるのですね」

「えへへ、これでころちゃんといつも一緒に居られるから……」

 

 本当に嬉しそうに笑うひよ子を見て、蘭丸は優しく微笑む。

 

「え、一緒??」

「はい!久遠さまからのご命令で、正式に蘭丸隊に所属することになったんです!」

「そうだったの!?……あれ、その顔、蘭ちゃん知ってたの?」

「ふふ、はい。剣丞さまをびっくりさせようと思いまして」

「知らなかったの俺だけ!?」

 

 剣丞の反応に笑う三人。

 

「だから、ころちゃんも長屋に引っ越してきたんです!これでころちゃんのお鍋が食べ放題ぃ~……じゅるる」

「あははっ、いつでも作ってあげるけど、ひよもちゃんと手伝ってよ?」

「勿論!……あの、蘭丸さま!これからころちゃんのためにお祝いとか……しませんか!」

「えぇ、私は構いません」

「いいね!じゃあどこかで豪勢にパーッとやりますか!」

「あぅぅ、豪勢にパーッとやりたいのは山々なんですけどぉ……そこまでおぜぜがありません~」

「おぜぜ?お小遣いならさっき久遠から貰ったよね?」

「えぇ。……私は必要ありませんので、ひよところと剣丞さまとで分けてください」

 

 そういって小袋を受け取ったときのままひよ子に差し出す。

 

「……ひぃぃぃ!?」

 

 小袋を覗いたひよ子が悲鳴を上げる。

 

「ど、どうした!?何か変なものでも入ってた!?」

「こ、ころちゃ……」

「何?巾着の中身がどうかし……ひぃぃ!?」

 

 剣丞も小袋の中を覗き込む。その中には多くの小粒金が。

 

「?久遠さまはいつも褒美に下さるのですが……今回はいつもよりちょっと奮発してますね」

「ちょっと!?さ、流石は織田家……」

「これってどれくらいあるの?」

「小粒金一粒で、たぶん一月ぐらいは余裕で飲み食いできちゃいます」

「……そんなにか」

 

 ひよ子の説明に少し驚いた様子の剣丞。

 

「……ふむ。蘭ちゃんは俺たち三人でって言ってたけど、そういうことなら俺からのプレゼント……ご祝儀ってことで二人にあげるよ」

「えぇっ!?」

「さ、さすがにこんなのもらえませんよぉ~」

「でも俺が持ってても使い道が無いしなぁ」

「ふふ、どうしても貰うのが……と思うのであれば、隊の共有財産にしておきましょう。管理はひよ、お任せしますね?」

「わ、分かりました!」

「うん、ひよ任せた!」

「ちょ、ちょっと剣丞さま!いい加減すぎです!」

「いやぁ、分からないことを考えても、分からないんだから仕方ないよ、ははは」

 

 そんな剣丞を見て三人は苦笑いを浮かべる。

 

「はぁ……剣丞さまがお頭だったら、私たちまで貧乏になっちゃうところでした」

「あら、蘭丸隊のお頭代理は剣丞さまですよ?」

「……こ、ころちゃん!私たちがしっかりしないと!」

「だ、だね!」

「ちょっと皆ひどくない!?」

 

 

「ふふふ……再び新たな外史が開かれた、か」

 

 かつて、この地の支配を目論んだ数多の者たちの一人。ある外史では北郷の血を引く者に破れ。またある外史では水野の荒武者によって討ち滅ぼされたその者は再び己が野望を果たす為に動き始める。

 

「此度は朕も容赦はせぬぞ、荒加賀が裔よ。あらゆる策謀を巡らせ、追い込んでゆくぞ」

 

 だが、吉野の方と呼ばれるこの男は気付いていない。この外史にも新田剣丞と同じく……天敵と為り得る存在がいるということを……。

 

 

「そうだ、今日のお祝いは私の屋敷でやりませんか?」

 

 ぽん、と手を叩き蘭丸が提案する。

 

「蘭丸さまのお屋敷ですか!?」

「ふふ、ころも仲間になったのですからもっと気軽に私のことを呼んでくれていいんですよ?」

「えっ!?……え、えっと、ら、蘭丸……さん」

「初めはそれでいいですよ。いつかはもっと気軽に呼んでくださいね」

 

 

 そして、蘭丸の屋敷を訪れた剣丞たち。……目前に現れた大きな屋敷にポカンと口をあけてしまっていた。

 

「?どうしました?」

「は、はは。蘭ちゃんってホントに凄かったんだなって思って」

「おっきなお屋敷です~!」

「流石は森家のお嬢様……あれ、お嬢様じゃないか」

 

 わいわいと話しながら屋敷に入る。門をくぐった先で、割烹着を着た女性が箒を手に地面を掃いていた。長い黒髪を頭の天辺で纏めており、優しげな表情を浮かべている。その女性は蘭丸を見ると優しい微笑を浮かべる。

 

「お帰りなさい、蘭ちゃん」

春香(はるか)さん!お久しぶりです!」

 

 各務元正。通称を春香という。見た目は大和撫子を体現したかのような女性であるが、その実森一家に相応しい人物だったりする。周囲から避けられている森一家の中でも数少ない……蘭丸を除けば唯一といってもいいまともな存在でもある。森一家の実質的な雑務の全てや蘭丸の屋敷の手入れなど……恐ろしい業務量を一人で行える優秀な人であるが、可愛いものに目が無く(特に蘭丸)育て方について桐琴と争った……と嘘か真か分からない噂がある。……実際に蘭丸の教育については大きく関わっていることから、事実っぽいというのは壬月や麦穂の言だ。お陰で常識を持った子として育ったわけだが。

 

「あら、そちらの方々は……」

「紹介しますね!」

 

 蘭丸から一人ひとり紹介された後、春香は丁寧に頭を下げ。

 

「はじめまして、蘭ちゃん……成利どのがお世話になっております。私は森一家の一員で各務元正と申します。通称は春香ですので、お気軽に春香とお呼びください」

「よろしく、春香さん」

 

 剣丞が手を差し出し、握手を交わす。

 

「貴方が天人、新田剣丞どのですか。……ふふ、桐琴さんが興味を持ったのも少し分かる気がします」

「え……!?け、剣丞さま、森一家に気に入られているんですか……?」

 

 ひよ子と転子が若干距離をとる。

 

「ちょっと!?春香さんも蘭ちゃんも森一家なんだけど!?」

「蘭丸さんはいいんです!」

「ふふ、盛り上がっているところ悪いんだけど……もうすぐ、桐琴さんたちが来ますよ?」

「「「えっ」」」

 

 

「ははっ!クソども!今日はお蘭が功を挙げた祝いじゃ!好きに騒げぃ!」

「「おぉっ!!」」

「ひゃっはー!!食べ尽くせぇ!」

「ふふ、母さまも姉さまも楽しそう」

「……うん、まぁ楽しそう、だね」

「うぅ……ころちゃん、この空気怖いよ……」

「安心して、ひよ。私も結構びびってるから」

 

 騒ぐ森一家を微笑ましく見ている蘭丸と、頬を引き攣らせている剣丞、ひよ子、転子の三人。

 

「「お嬢!!御勤めご苦労様です!!」」

「皆も元気そうでなによりです」

 

 数人の男が蘭丸の元へ挨拶に来る。剣丞は昔こんな光景、テレビで見たなーなどと遠い目をしている。

 

「あんたらがお嬢の部下か?」

「「ひぃっ!!」」

「は、はい!俺、新田……」

 

 ずいっと剣丞に顔を近づける男。傷だらけの顔の迫力に押される剣丞。

 

「……お嬢を頼むぞ。もしお嬢を傷物にでもしてみろ。……そのときは……」

 

 腹巻のようなものの中からすっと小刀のようなものを取り出そうとして。

 

「あら、何をやっているのかしら?」

 

 春香が声をかけるとびくりと背中を震わせる。

 

「い、いえっ!!失礼いたしやした!!」

 

 たった一言で男は大急ぎで逃げ出す様に立ち去った。

 

「は、春香さん凄い……!」

「うん、凄いね!」

 

 そんな光景に羨望の目を向けるひよ子と転子。よほど怖かったのか、抱き合うような形になっていた。

 

「ふふ、でも。……本当に蘭ちゃんのこと、お願いしますね。あの子は優秀なんですけれど……殿の為であれば自らを省みないことも多いので」

「はい、俺に出来る限りのことはするつもりです」

「お願いします。……何かあれば私に一報いただけると。後」

 

 チラッと剣丞を見る春香。剣丞は軽く小首をかしげる。

 

「お二人のこと、頼みますね」

「は?」

 

 春香のこの言葉の意味を理解するのはそう遠くない未来の話であった。




各務さん登場でした!
通称の春香は元正さんの戒名である鐡梅長春禅定門の中の春の文字と合わせて作りました。
他の文字からあまりいいものが思い浮かばなかったので……。

各務さんはちょこちょこと登場しますので宜しくお願いします!


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10話 松平への訪問

オリジナル展開です。
美濃攻め前に少し旅行(!?)します。


 森一家との合同宴より数週間後、蘭丸は松平の居城である岡崎城へと向かっていた。

 

 

「お蘭。少し頼みたいことがあるのだが」

「はい、久遠さま。何でしょうか」

「うむ。お蘭は葵を覚えておるか?」

「葵さまですか?松平元康さまですよね?」

 

 蘭丸の言葉に久遠が頷く。

 

「あぁ。……お蘭よ。これより使者としていくつかの国を回ってもらいたい。その一つ目が松平だ」

 

 久遠に差し出された書状は松平、武田、長尾……近隣の有力大名たちの名が書かれていた。

 

「これは……」

「ふふ、まだ内容は秘密だ。……だが、今後の我の目標に必要なものだ」

「分かりました。必ずや使者の命、完遂して見せます!」

「うむ。……お蘭、一つだけ約束してくれ」

「はい」

「……無事に帰って来い」

「……はいっ!」

 

 

「それにしても、蘭丸さん。私なんかがついてきて良かったんですか?」

「ふふ、今動ける蘭丸隊の中で私以外に荒事や雑務、使者としての活動などを可能な人材は貴女しかいないですよ」

「そ、そんな……」

 

 照れたように少し頬を染める転子。

 

「もうすぐ岡崎城です」

「松平元康さまって、どんな方なんですか?」

「そうですね……私がお会いしたときの印象ですとお優しい方であり、遥か未来まで見通す慧眼を持った方です。人を惹きつける魅力を持っていて三河武士は心酔している……といったところでしょうか?」

「三河……というと、東国無双と謂われる本多忠勝殿がいるんですね」

「ふふ、そうですね。綾那……忠勝どのは凄いですよ」

 

 転子と話をしながら視界に入ってきた岡崎城を見る。

 

「お元気でしょうか、葵さま」

 

 

「おやおや、これはこれは。信長公の寵愛を受けておられる成利さまではありませぬか」

「悠季さん、ご無沙汰しております」

 

 蘭丸は悠季に対して丁寧な礼をする。

 

「……そちらは相変わらずのようですなぁ。それで、此度はどのような用件で?」

「久遠さまより葵さまへの書状をお預かりしております」

「ふむ。それならばまずは某が……」

「悠季、待ちなさい。……久しぶりね、蘭丸」

「葵さま!お元気そうで何よりです」

 

 書状を受け取ろうとしていた悠季の前に現れたのは葵。つまりは松平元康だった。優しい笑顔で蘭丸に歩み寄ると書状を直接受け取る。

 

「久遠姉さまは……」

「お元気です。葵さまにお会いできる日を楽しみにしていると伝えてくれ、。そう言伝も頼まれています」

「ふふ、久遠姉さまらしいわね。……悠季、蘭丸と……ご同行の方を部屋にご案内して」

「ははっ。……ではこちらへ」

 

 

「ら、蘭丸さん。あの悠季さんって方は……」

「あの方は本多正信さんです。葵さまの側近で三河の頭脳といっても過言ではない方ですよ」

「凄くいやみみたいなこと言われてましたけど……」

「ふふ、あれはいつものことですよ。あの方は一人で大きな外部交渉を行っていますから……常日頃から隙のないように心がけられているのですよ」

「あはは……元々の性格じゃないかなーって思っちゃいますけど……それで、此処にはどれくらい滞在する予定なんですか?」

「葵さまから返答の文を頂いて……それと次向かう予定の武田への書状を準備されるそうですので……一週程度かと」

 

 蘭丸がそこまで言ったところで、部屋の外が少し騒がしくなる。バタバタと誰かが走ってくる気配を感じ、転子が蘭丸の前へと立つ。

 

「ふふ、大丈夫ですよ。おそらく、これは……」

「蘭丸ー!!」

 

 バン!と大きな音を立てて襖が開かれ飛び込んできたのは鹿角の頭巾をかぶった少女。野武士としての経験か、その少女の異常なまでの強さを転子は感じ、身体を震わせる。

 

「お久しぶりです、綾那」

「久しぶりなのです!歌夜~、本物の蘭丸なのです!」

「当たり前でしょ!それよりも勝手に入らないの!……ご無沙汰しております、蘭丸さん」

「歌夜もお久しぶりです」

「蘭丸!暇なら綾那と死合うですよ!あ、手加減はするのです!」

「それは構いませんが……それよりも先に、紹介したいのですが」

 

 ぽかんと見ていた転子を二人に紹介する。

 

「蘭丸の部下です?よろしくです!綾那は本多忠勝、通称は綾那って言います!」

「本多……あの!?」

「おぉ?綾那有名になったです?」

「ふふ、よかったわね。綾那。私は榊原康政、通称は歌夜といいます。宜しくお願いしますね」

 

 

「さぁ!蘭丸かかってくるです!!」

 

 槍をくるくると頭上で回し、構えた綾那がそう言う。

 

「歌夜、判定をお願いしていいですか?」

「はい。……ころさん、でよかったですか?」

「は、はいっ!?」

「ころさんもよろしければもう少し近くで見てはどうですか?」

 

 何故か少し離れたところから見ていた転子を歌夜が呼び寄せる。

 

「し、失礼します!」

「そんなに緊張しなくていいですよ。……そういえば、ころさんは蘭丸さんの戦いを見たことがあるんですか?」

「は、はい。先日の戦で……」

「そうですか。これから見られる光景はきっと価値のあるものですよ。綾那は剛。蘭丸さんは柔。滅多に見ることの出来ない達人同士の戦いです」

 

 

 歌夜の合図を皮切りにまず動いたのは綾那だった。だん、と地面を蹴り一気に蘭丸との距離をつめる。突き出された槍を蘭丸が身体をずらし避ける。次々と突き出される槍の全てを避けながら少しずつ綾那へと接近していく蘭丸。その刀はまだ抜かれていない。

 

「やるですね!もう少し上げていくです!!」

 

 接近しようとする蘭丸をけん制するように槍の速度を上げていく綾那。だがそのどれも蘭丸にあたることはない。まるでそこに居ないかのように全ての攻撃をかわし、刀へと手を伸ばす。それを見て、綾那が鋭く力強い一撃を突き出す。

 

「っ!?」

 

 一瞬、目を見開く綾那。突き出した槍の穂先に蘭丸が立っている。槍をタン、と蹴り少し沈む槍と逆に宙へと舞い上がる蘭丸。

 

「お覚悟を」

 

 明らかに綾那との距離は離れているにも関わらず、蘭丸は刀を抜き放つ。飛ぶ斬撃が綾那に襲い掛かるが、それを難なく綾那は避ける。一瞬手から離れたはずの槍はいつの間にか綾那の手に握られており、宙から降りてくる蘭丸を目掛けて突き出す。明らかに直撃するであろうその攻撃を前にしても蘭丸の表情は変わらない。槍が蘭丸の身体に触れようかと、したその瞬間。

 

「なっ?!」

 

 見ていた転子は目を疑う。人差し指と中指の二本の指で槍の穂先を挟み取り、そのままふわりと地面に降り立ったのだ。

 

「むぅ……相変わらず全然あたらないのです」

「いえ、綾那が加減してくれているからですよ」

「加減!?これで加減してる!?」

「そうですね。蘭丸さんもですが、綾那もまだ遊んでいる程度ですね。……とはいえ、ある程度で止めないと綾那は歯止めが効かなくなりますからね」

 

 歌夜が呟いている間にも二人の攻防は激しさを増していく。綾那の数少ない隙を突くように蘭丸は攻撃を繰り出すが、それを悉く受ける、避ける綾那。逆に蘭丸は綾那の攻撃を受けずに全て流す。

 

「蘭丸、次で決めるです!」

「分かりました」

 

 そこではじめて蘭丸が鞘に再度収めた刀に手を添えた状態で構えを取る。

 

「いくですっ!!」

 

 闘気を漲らせた綾那がこれまでで最高の槍の突きを放つ。その突きに合わせるように蘭丸の刀が抜き放たれる。

 

「……参りました」

「ふっふっふ~!綾那の勝ちなのです!」

 

 交差するように通り過ぎた二人の間に蘭丸の刀の折れた先が落ちてくる。

 

「か、刀が……」

「ふぅ、やはり綾那の槍相手では普通の刀は無理ですね」

「です!」

「はぁ、綾那。蜻蛉切使ったって知られたら葵さまに怒られるわよ?」

「わわ!ら、蘭丸、内緒、内緒です!」

 

 慌てて蘭丸に言わないようにバタバタしながら伝える綾那。

 

「ふふ、分かりました。でも、予備の刀がなくなってしまったので……」

「すみません、蘭丸さん。私のほうで明日届けますね」

「助かります。……どうしました、ころ?」

「あっ……ら、蘭丸さん、これっ!」

 

 準備していたのであろうか、水の入った筒と手拭いを差し出す。

 

「ありがとうございます。……んっ」

 

 受け取った水を飲む蘭丸をぽーっと見つめる転子。

 

「どうしました?」

「い、いえっ!」

 

 ふぅ、と一息ついて蘭丸は手拭いで汗を拭く。綾那も水分補給を終えて満足げに地面に座り込んでいる。

 

「ころも得物は刀でしたよね?」

「は、はいっ!でも、蘭丸さんみたいに強くはありません……」

「ふふ、では今度から私と一緒に修行しますか?朝の素振りや身体作りもよろしければ」

「は、はいっ!!是非!!」

 

 両手を握り締めて力強く頷く転子に優しく微笑みを返す。

 

 

 夜の食事を綾那たちと共に済ませた蘭丸たちは湯浴みを終え、部屋でゆっくりとしていた。

 

「ころ、そういえば貴女に聞いてみたいことがあったのですが」

「はい、何ですか?」

 

 小首をかしげる転子。

 

「ころは剣丞さまのことをどう評価しているのか、教えていただけますか?」

「剣丞さまですか?……そうですね、本来であれば私なんかが近づくことの出来ない尊いお方……そして私たちが思いもよらない方法や考え方を持っている……凄い方だと思います」

 

 転子の言葉に蘭丸は頷く。蘭丸も似たようなことを感じていたからだ。

 

「私は剣丞さまのお目付的な意味合いもあって部隊を率いています。……ころ、私はもし剣丞さまが織田に害をなす可能性があるとみなした場合には……」

「まさか……」

「……剣丞さまには消えていただくことに為ります。……ですが」

 

 部屋の外の月を見上げる。

 

「……そんな日はきっと来ない。いいえ、来て欲しくは無いと思っている私が居るのです。……私にとって、最も大切なものは久遠さま。それは変わりませんが……」

「いいんじゃないですか?」

「……ころ?」

「蘭丸さんが、剣丞さまと仲良くなって……私だって、もしひよと殺しあいなさいって言われてもいやですし……剣丞さまのことを、友としたいと蘭丸さんは思ってるんじゃないですか?」

「友、ですか。……そう、なのかも知れないですね」

 

 蘭丸に友人と呼べる存在は少ない。特に同性になれば皆無である。

 

「……ころ。もし私が何か道を間違えるようなことがあれば、貴女が止めてください。これから先、どのようなことがあるのか分かりませんが……久遠さまの創る未来の為、そういった選択をしなければならないこともあるでしょう。そのときには貴女のような存在が必要です」

「……分かりました。私でお力になれるのなら!」

「ありがとうございます。……それでは、そろそろ寝るとしましょうか」

「はい!」

 

 

 ……布団に入った後。

 

「……あ、そういえば蘭丸さんと二人きり……」

 

 そんなことに気付いた転子の寝つきが非常に悪かったのは仕方の無いことなのかもしれない。




最近、恋姫小説が増えてきて嬉しいです!
私の小説が切欠なら嬉しいと思うのですが(ぉぃ

この作品ではころちゃんは活躍の場が増える予定です。
可愛いのにひよとセットですからね……。


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11話 躑躅ヶ崎館への道中

「え、じゃあ蘭丸ところは武田にいくです?」

 

 次の日、また遊びに来た綾那にたずねられて今回の予定を伝えたときの反応だ。……綾那は部屋でゴロゴロしているだけなのだが。

 

「えぇ。晴信公とお会いするのは初めてですので少し緊張しますが……」

「ふふ、蘭丸さんならすぐに気に入られるのではありませんか?葵さまともすぐに仲良くなられましたよね?」

「葵さまはとてもお優しい方ですから。それに、久遠さまの妹分というのもあったのではないですか?」

 

 蘭丸と歌夜が楽しそうに話す。はー、大和撫子っていうのはこういう方たちを言うんだろうなぁ、などとよく分からないことを転子はぼーっと考えていた。

 

「でも、武田は強いから敵対はしないほうがいいって誰か言ってたです」

「そうですね。武田の強兵については有名ですし……」

「あ、私も知っています!風林火山の旗印を見ただけで逃げていくって」

 

 転子が言うのを聞いて蘭丸が頷く。

 

「武田は、恐らく現状で日の本一、二を争う大勢力です。純粋な強さで言えば目的地の一つでもある長尾もそうですね。……敵に回すのは危険と久遠さまも判断しているようです。……かなり変わった方だと伺ってますが」

「うぅ……蘭丸さん、不安になること言わないでくださいよぉ」

「ふふ、大丈夫ですよ。ころは絶対に無事に連れて帰るとひよとも約束しましたから」

 

 そう言って転子の頭を軽く撫でる蘭丸。少しくすぐったそうにする姿にはっと手を離す。

 

「あ、すみません。お坊……妹の相手をしているときの癖で……」

「い、いえっ!少し驚いただけで嫌ではなかったというか、むしろ嬉しかったというか……」

 

 しどろもどろになりながら言う転子を優しく微笑んで見る歌夜。それと逆に不満そうに頬を膨らませた綾那。

 

「蘭丸、もっと綾那とも遊ぶです!また一時遊べないですから!」

「ふふ、何をしたいんですか、綾那は」

「勿論……」

 

 

「それで、綾那と遊んでくれていたのね?……礼を言うわ、蘭丸」

「いえ、私も楽しかったです」

「ふふ、相変わらずなのね。……悠季、蘭丸に例のものを」

「はっ。……成利どの、こちらが葵さまから信長公への返答の文、そしてこちらが晴信公に宛てた紹介状です」

「私も直接お会いしたことはありませんが……義元公の下へ身を寄せていた際に信繁どのとはお会いしたことがあるので、少しは話が通ると思います」

「何から何まで……感謝いたします、葵さま」

 

 優しく微笑んでいた葵が真剣な表情に変わる。

 

「……晴信公も、景虎公も……一筋縄ではいかない相手です。草の質も高く、暗殺なども考慮に入れて動かなくてはならないと思います。……蘭丸は久遠姉さまにとっても大事な存在。今後の織田と松平の同盟を発展させていく上でも大切な方になっていくと私は思っているわ。だから、無事に帰ってくるように」

 

 

「次は……」

「次は武田晴信公の居城……いえ、屋形といったほうが正しいのでしょうか、躑躅ヶ崎館ですね」

 

 親子での戦いなどは戦国の常ではあるが、武田晴信もそれに倣ったように姉妹で親を追放したという。

 

「凄い方ですね……」

「そうですね。ですが、母であり先代である信虎公は悪政を敷いていたと聞きます。……民のことを考えれば善政を敷いているという晴信公と比べてどちらがいいのかと考えると……言葉にするまでもないですね」

「そうですね。……でも、織田としては……」

「えぇ、まぁ正直大変ですね。久遠さまも田楽狭間の戦いの前には武田への対策で頭を悩ませていましたから。……その頃、ですかね。景虎公の名が轟き始めたのは」

「そうなんですか。織田にとって幸か不幸か、といったところですか」

「結果から言えば、間違いなく幸ですね。田楽狭間で今川とことを構えることが出来たのも、間違いなく結果として武田を長尾が抑えてくれたからというのが大きいですから」

 

 

「それにしても、遠いですねぇ」

「山間にありますからね。……あそこに茶屋がありますね、少し休んでいきましょう、ころ」

 

 二人が立ち寄った茶屋は辺鄙な場所であるにも関わらず、客足は少なくないようだ。蘭丸と転子はお茶と団子を注文し、椅子に腰を下ろしていた。

 

「うわぁ、こんなところにお店があるなんて運がいいですね、蘭丸さん!」

「そうですね。……此処であればいい情報も集めやすい、とか何かあるのかもしれませんね」

 

 周囲の人をちらと見た蘭丸がボソリと呟くが、その声は転子には届いていないようだった。

 

「うわっ、蘭丸さん!すっごくおいしいですよこのお団子!近くならひよにも教えてあげたかったなぁ」

「機会があれば、ひよも連れてきてあげましょう。今度は新介や小平太も剣丞さまも一緒に。……本当においしい」

 

 出来れば久遠さまにも……と考える蘭丸であったが、お忍びでも久遠が此処まで来ることは非常に難しいだろう。

 

「お二人はこの辺りの人ではないでやがりますか?」

 

 突然声をかけられた二人は声の主へと視線を向ける。そこにいたのは小柄な少女。少し変わった喋り方をしているが、蘭丸も転子も只者ではないという感想を抱いていた。

 

「そうですね、私たちは諸国を行脚している最中でして」

「そ、そうなんです!」

「そうでやがりますか。それで、次はどちらに行く予定でやがりますか?」

「躑躅ヶ崎館ですね。武田晴信公の屋敷を少し見てみたくて。まぁ中に入れずともどのくらい大きいのか見てみたいですよね?」

 

 少女と蘭丸は互いに何かを探るように言葉を交わしていく。転子は何か失敗をしてはいけない、と二人の様子を伺うことにしたようだ。

 

「ふふ、面白いでやがりますね。……とはいえ、晴信公はきっと『客人』を歓迎するでやがりますよ。夕霧は、夕霧っていいやがります」

「私は蘭丸。こちらは……」

「えっと……転子です!」

「ふむ、それでは蘭丸どのに転子どの。よかったら夕霧とご一緒しやがりますか?」

「私は構いませんよ。それで、夕霧さんは一体どちらに向かわれるのですか?」

 

 蘭丸の問いかけにニヤリと笑う夕霧。

 

「……気付いていながらよく言うでやがります。……勿論、躑躅ヶ崎館でやがります」

 

 

「ら、蘭丸さん、さっきの会話……」

「あぁ、そうでした。よく私に合わせて通称を名乗ってくれましたね、ころ」

「ひ、必死でしたから気付くの遅れちゃいましたけど。……やっぱり結果として」

「えぇ。彼女は武田に何かしらの関係がある方のようですね。風格からすれば恐らく縁者か……」

「蘭丸どの~、転子どの~!そちらは準備できてやがりますかー!」

「こちらは大丈夫です!……ふふ、変わった言葉遣いですが親しみやすい感じがしますね」

「そ、そうですか?」

 

 蘭丸の言葉に転子が苦笑いを浮かべる。相手の立場が分からないということもあってか、元野武士の転子は戦々恐々としているようだ。

 

「互いに通称以外を名乗っていない以上、身分など無いも同然ですよ。恐らくは夕霧さんもそれを考えているはず。……まぁ、こちらの情報はある程度ご存知と思っておいて正しいと思います」

 

 武田の情報網の広さと速さは驚異的なものであるというのは久遠から聞いている。歩き巫女という存在を使っての各地の情報収集もそうだが、戦場においても情報の重要性を特に重視していると聞く。そんな武田が蘭丸たちが訪れるこの時期に二人の動向を調べていないとは考えにくかった。……その結果、誰かを迎えのようにそれとなく送り込んできたのは若干予想外ではあったのだが。

 

「どうしたでやがります?」

「いえ、夕霧さんとは仲良くしたいですね、ところと話をしていたところで」

「夕霧のほうこそお願いするでやがりますよ。躑躅ヶ崎館まではまだ少し距離があるでやがりますから、その間に親交を深めるとするでやがります」

 

 

「……流石は武田の馬術……といったところですかね。大丈夫ですか、ころ?」

「は、はい。なんとか……でも蘭丸さん、よくあの速度で平気ですね」

「いえ、私もギリギリですよ。……武田騎馬の恐ろしさを感じました」

 

 夕霧を含めた三人は一緒に馬で移動をしていたのだが……夕霧の馬の速度は蘭丸と転子にとっては驚くべき速度であったのだ。

 

「ふふふ、武田の武者の生活は常に馬と共にあるでやがりますからな。人馬一体とはよくいったものでやがります」

 

 そういいながら馬を優しく撫でる夕霧は何処か自慢げでもあった。

 

「えぇ、本当にそれは身に染みました。馬の質もいいとは聞いていましたが……本当に素晴らしい馬ですね」

 

巧みな乗馬術もさることながら、馬自体の質の高さも蘭丸にとっては知識の上でしかなかったのもであったが、実際に自身の目で見ることで大きく評価を上げる。

 

「明日にはつくでやがりますから、今日はしっかりと身体を休めるでやがります。……ふふ、姉上も蘭丸どのであればきっと気に入るでやがりますなぁ」

 

 後半の言葉は蘭丸に届いては居なかったが、夕霧としては確信を持っていた。……このときはまだ、まさか自身も含めてあのような未来が待っているとは露にも思っていなかった。

 

 それは、蘭丸が最もそうなのだろうが。




仕事が忙しいですが、何とか一週間に一話更新のペースは落とさないようにします!


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12話 武田家の面々

仕事が忙しく更新が滞っております!
申し訳ございません!


「ここが躑躅ヶ崎館でやがります」

 

 夕霧に案内されたのは躑躅ヶ崎館の表側だろうか、まだ少し距離があるが誰かが待ち構えているのが見える。近づいてきて見えた女性は只者ではない風格を放っていた。桃色の鮮やかな髪を頭頂部で結んでおり、手には煙管を持っている。

 

「……何者でしょうか……あの雰囲気は名のある将でしょうが……」

「おぉ、春日でやがりますか!」

「典厩さま、お戻りをお待ちしておりましたぞ」

 

 春日と呼ばれた女性は夕霧に対して丁寧に礼をすると視線を蘭丸たちに向ける。

 

「ようこそいらっしゃいました、織田家のお二方。拙は馬場信房、通称は春日と申す者」

「貴女が不死身の鬼美濃と名高い……私は」

「存じ上げておりますぞ。織田三郎殿の懐刀、森家の戦姫……森成利どのでありますな。それと最近成利どのの部隊に所属された蜂須賀正勝どの……合っておりますかな?それと拙のことは通称の春日で構いませぬ」

「ふふ、よく見える目とよく聞こえる耳をお持ちのようで。私は蘭丸とお呼びください、春日どの」

「わ、私も転子と呼んでください!」

「ふふ、それでは宜しく頼みますぞ、蘭丸どの、転子どの」

 

 

「それにしても、まさか武田信繁どのだったとは……」

「すまんでやがります。流石に初めから教えてはいけないと姉上に言われてたでやがりますよ」

「姉上……というと晴信公ですか」

「そうでやがります。姉上も蘭丸どのが来るのを楽しみにしてやがりましたよ。既に姉上には報告が行っているでやがりますから、すぐに会う準備は出来るでやがります」

 

 そんな話をしながら夕霧が案内してくれた部屋に入る。

 

「準備が出来次第人を寄越すでやがりますからそれまでゆっくり休むでやがりますよ」

 

 

「晴信公、ですか。あの、蘭丸さん。私もお会いするんですか?」

「そうですね……ころはこれからも私と一緒に行動することが多くなると思いますから、少しでもこういった場に慣れて貰いたいとは思いますが……晴信公の判断になりますね」

 

 部屋で待っている間、転子と状況の確認や部屋の中の確認、蘭丸は部屋を見張る忍の位置なども調べながら時間をつぶしていた。

 

「……まさか、忍が部屋を見張っていないとは思いませんでした」

「そ、そうなんですか?信頼されているのか……」

「それとも、自信があるのか、ですね」

 

 恐らく後者だろうと蘭丸も転子も考える。仮に蘭丸や転子が何かを仕掛けたとしても止めるだけの自信があると。

 

「まだお会いしたのは鬼美濃……春日どのだけですが、間違いなく壬月さまや麦穂さまと同等か……そのくらいの力をお持ちのようですね」

「武田といえば四天王……春日どのと同じくらいの方が四人も居るってことですか……うぅ、言葉で聞くのと直接見るのとでは違いますね」

「ふふ、今は敵ではなく私たちは使者として来ているのですから落ち着いてください。……ころ、一つお願いしておきたいことがあります」

 

 

 結果として、武田晴信と会うのは蘭丸だけとなった。

 

「……」

 

 時間にしてどれくらいだろうか、このように長い時間を待つことは使者として幾度と無く蘭丸は経験していた。相手を待たせることで立場の違いを理解させる……一つの通過儀礼のようなものになっている。待っている間は瞑想するように静かに目を閉じている蘭丸を周囲の武田の家臣は興味深く眺めていた。

 

「へぇ……ここ、あいつ中々いい気を放ってるんだぜ!」

「こなちゃん、静かにしないと春日さんに怒られちゃうよ?でも、本当に綺麗な雰囲気だね」

「兎々はどう思うんだぜ?」

「それは兎々じゃなくてお屋形さまがきめるのら」

「……ふ。思った以上の人材のようだな。これほど澄んだ気をこのような場でも放つことが出来るとは」

 

 武田が誇る四天王は総じて蘭丸を内心高く評価する。そのほかの家臣からは間逆の視線も少なくは無いが。

 

「者共、控えい!お屋形様のおなりである!」

 

 春日の凛とした声が響き、蘭丸を含め間の全員が頭を下げる。静かに入ってきた晴信の声が間に響く。

 

「皆の者、顔を上げなさい」

 

 何処か優しさを感じさせるその声に蘭丸は顔を上げる。目の前に座る少女は蘭丸とそう年齢も離れていないだろうか、表情などに威厳を蘭丸は感じた。

 

「森成利どの、よく参られました。私が武田家棟梁、武田晴信です」

「お初にお目にかかります。私は織田家当主織田信長の名代としてまいりました、森成利と申します」

「それで、織田どのからの文があるとお聞きしていますが」

「はい。……ですが、その前に不躾ながらご質問をよろしいでしょうか?」

 

 蘭丸の言葉に一瞬のざわつきと鋭い視線が向けられる。

 

「静まりなさい。……なんでしょう?」

「……本当の(・・・)晴信どのにお会いしたいのですが」

「「!!!」」

 

 驚いた様子の武田衆を見て蘭丸は微笑む。

 

「先ほどから晴信どの……とお呼びしておきますが、入ってこられた場所から覗いている方がいらっしゃいますよね?……それに、武田家の棟梁としては、些か優しそうに感じましたので」

「……」

「薫、もういい」

「お姉ちゃん……」

 

 間に入ってきたのは覗いていた少女……目の前にいる晴信と瓜二つであるが、少し年齢は上だろうか。

 

「……武田晴信。通称は光璃」

「晴信どの、よろしくお願い……」

「光璃」

「……は?」

「光璃でいい。妹の薫」

 

 自分のことを通称で呼べという光璃は蘭丸の言葉を待たずに隣に座る妹……影武者をしていた薫を紹介する。

 

「さっきはごめんなさい。私は武田信廉っていいます。通称はお姉ちゃんがいったとおり薫です」

 

 先ほどまでとは変わって笑顔で自己紹介をする薫に微笑を返す。

 

「宜しくお願いします、光璃どの、薫どの」

「全く、影武者をしている薫を会ったことのない蘭丸どのが見破るとはどういうことでやがりますか?」

「ふふ、私は久遠さまの懐刀ですよ?」

「分かるような、分からないような……。で、姉上。こうなった以上この場は一度解散してもいいでやがりますか?」

「……任せる」

「了解でやがります。……春日、粉雪、心、兎々は残り他は解散するでやがります!」

 

 

「……蘭丸、でいい?」

「はい。構いませんよ」

「……春日たちも」

「はっ!……拙はご存知かとは思いますが今一度。馬場信房、通称は春日と申す者。……次、粉雪!」

「おう!あたいは山県昌景!通称は粉雪だぜ!ヨロシクなんだぜ!」

「次、心!」

「はいっ!私は内藤昌秀、通称は心と言います。よろしくお願いします、蘭丸さん」

「次、兎々!」

「はいなのら!兎々は高坂昌信、通称は兎々なのら!」

 

 武田が誇る四天王の自己紹介が終わり、蘭丸は光璃に文を渡す。久遠と葵、二人から預かった分だ。

 

「……確かに受け取った。返答は後日。今日はゆっくりするといい」

「宴の準備もしてるから、夜になったら誰かが呼びに行くと思うからあけておいてね!」

 

 光璃の言葉に続けて薫が満面の笑みで伝えてくる。

 

「はい。……ふふ、それにしても薫さんは今の話し方が普通なんですね?」

「そうだよ!……おかしい、かな?」

「いえ、とても似合っていると思います」

 

 そんな会話をしている蘭丸と薫を見ながら夕霧は苦笑いを浮かべる。

 

「薫は蘭丸どののことを気に入ったようでやがりますね」

「……夕霧は?」

「……嫌いではないでやがりますよ。織田との関係がどうなるのか分からない以上……」

「……大丈夫。薫も武家の人間。……それに、織田と敵対はしない」

「そうでやがりますか?」

「……予定」

「今回、織田と松平の両家が送ってきた文次第、といったところですな」

 

 光璃と夕霧の会話に春日が呟く。それを聞いて頷く光璃。

 

「……田楽狭間に降り立った天人、その天人を部隊に加えた蘭丸。……後は、鬼の出現」

「……織田の周囲を中心に広がりつつあるという異形の者、でしたか」

「まだ、知っている者は少ない。でも、時間の問題。恐らく、もう少しすれば美空も勘付く」

「アレは獣の嗅覚を持っているでやがりますからなぁ」

「……出来ることなら、蘭丸が長尾に行くのは防ぐように」

「ふむ……越後の龍がどんな手に出るか分からないですからな。……拙らが何とか出来るようにやってみましょう」

 

 

「ら、蘭丸さん、それじゃあ影武者見破っちゃったんですか」

「えぇ。まぁ、明らかに私を試しているようだったので。夜に宴の準備をしてくださっているようなので、そのときに会うことになりますよ」

 

 緊張するなぁ、と少し戸惑う転子に微笑みかける。その後少し話をしたあたりで。

 

「蘭丸ちゃん!入っていいかな?」

 

 部屋の外から薫の声が聞こえる。

 

「構いませんよ」

 

 そういって入ってきたのは薫と心の二人だった。

 

「お邪魔するね。……あ、蜂須賀さん……だっけ?」

「転子で構いません!えっと」

「あ、私も薫でいいよ!」

「薫さん?」

「うん!」

「私も心で構いませんよ」

「心さん……ですね」

 

 確認するように言う転子に頷く心。

 

「……それで、どうされたんですか?」

「蘭丸ちゃんにいくつか聞いておきたいことがあって……心ちゃんと来ちゃったの」

「蘭丸さん、お料理できるなら……尾張の料理を教えてもらえませんか?」

 

 

「蘭丸ちゃん、料理も出来るんだ」

「えぇ。森家では料理を出来るのは私と各務さんだけでしたから」

「そ、それは大変そうですね」

「ふふ、母さまや姉さまに任せると丸焼きしか出てきませんから。時々生ですし」

「す、凄いお母さんだね」

 

 流石の薫も心も苦笑いで蘭丸の言葉を聞く。

 

「ですが、私の部隊には料理が私以上に上手な方がいるんですよ」

「もしかして……」

 

 薫と心の視線が転子に集まる。

 

「わ、私ですかっ!?」

「そうですよ。ひよもころちゃんの料理は最高だって言ってたじゃありませんか」

「そ、それはひよが!」

「それに、私もころの料理、好きですよ?」

「っ!」

 

 顔を真っ赤にする転子を優しい表情で見守る三人。

 

「それじゃあ、転子先生お願いします!」

「ちょ、心さん!?」

「ふふふ、お願いしますね、転子先生」




出来る限り早く更新はしていきますが一週間が難しい場合が出てきました……。

お待ちの方々は申し訳御座いません!


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13話 宴の席にて

「……それでは、蘭丸どのと転子どのの来訪を祝して……乾杯!」

「「乾杯!!」」

 

 蘭丸を歓迎する宴は滞りなく開催されることになった。武田の主要な面々だけでなく、この間に入れなかった足軽たち、更には町の住人たちにも少しではあるが食事を提供したらしく、城下でもお祭り騒ぎになっているそうだ。

 

「これほど大きな宴を開いていただいて……ありがとうございます、光璃どの」

「……構わない。織田も蘭丸も、武田にとって重要」

 

 礼を言う蘭丸に対して首を振りながら気にするなという光璃。

 

「薫どのや心さんにも気を遣っていただいたようで……おかげさまでころも楽しそうです」

「……私は何もしていない。薫と心を褒めて」

 

 それだけ言うと用意された食事に箸を運ぶ。それを見て軽く微笑むと蘭丸も食事を口に運ぶ。

 

「……流石はころ。おいしい食事ですね。それに少し教えてもらっただけでここまでの料理を作れる心さんも……」

「へっへー!あたいのここは凄いんだぜ!」

「もう、こなちゃんったら……ほら、またご飯ほっぺたについてるよ」

 

 そういいながら何処か嬉しそうに粉雪の頬についた米粒をとる心。

 

「本当においしいですよ。粉雪さんが自慢したくなる気持ちも分かります」

「蘭丸はよく分かってるぜ!」

「ちょっとこなちゃん!……すみません、蘭丸さん」

「いえいえ。武田が誇る赤備えの粉雪さんと仲良くなる機会なんて普通はありませんから」

「蘭丸は色々と詳しいんだぜ」

「これからの戦において、情報というのはとても重要なものだと久遠さまも仰っていますから。自分が向かう相手方の重要な方々はしっかりと頭に入れてます」

「中々に見所(みろころ)があるやつなのら。お屋形さまと同じことをいっているのら」

 

 粉雪、心と話をしているときに入ってきたのは兎々。

 

「ふふ、光璃どのも情報の重要性を理解されているのですね。流石は甲斐の虎と謳われる方ですね」

「ふふん!そうなのら!それが分かる蘭丸はやっぱり見所(みろころ)があるのら!」

「……初めてで兎々の言葉に戸惑わない奴は珍しいんだぜ」

「何を言っているのら?」

 

 感心する粉雪とその様子を理解できずに首を傾げる兎々。

 

「ねね、蘭丸ちゃん!」

「何ですか、薫どの?」

「……むぅ、蘭丸ちゃんには薫って呼んで欲しいな」

「それは……呼び捨てで、ということですか?」

「うん!……折角出来た年の近い友達だし……」

「薫の望むとおりにしてやって欲しいでやがりますよ」

「夕霧どの」

「夕霧も呼び捨てで構わんでやがりますよ。それに、薫は普段は姉上の影武者として動いていることが多いから此処にいる者たち以外はほとんど……それこそ存在すら知らないでやがります。……だから」

 

 恐らくは夕霧も、そして言葉にはしていないが光璃も武田のために身を捧げている薫に対して思うところがあったのだろう。薫の申し出を了承して欲しいと蘭丸に言う。

 

「分かりました。……それでは、改めて薫。どうしたのですか?」

「う、うん!実はね、ころちゃんから少しは聞いたんだけど……田楽狭間の天人……剣丞殿について聞いてみたいの!」

「剣丞さまについて……ですか?」

「私も知っていることは……お教えしたんですけど」

 

 蘭丸にだけ聞こえるように「勿論、大丈夫なことだけです!」とささやく転子に軽く頷く。

 

「そうですね……」

 

 そこまで言って周囲を軽く見渡す。その場に居るほぼ全員が蘭丸の言葉を待つように様子を伺っているのが分かり、苦笑いを浮かべる。

 

「……折角の酒の席です。酒のつまみになるかは分かりませんがお話させていただきますね」

 

 

「……しかし、本当に奇妙な奴でやがりますな。天人とは」

「……これからの時代は、天人を中心に動いていく」

 

 宴も終わり、光璃と夕霧、春日の三人は話をしていた。

 

「ふむ、それは先ほども言っておられましたな。蘭丸どのもあそこまで場を盛り上げる為とはいえ、剣丞どのの情報を話してくれるとは……」

「……あの程度の情報であれば痛手ではないということ。……それと、武田の情報網であればこの程度のことは知っているであろう、という牽制」

「蘭丸どのがそこまでやりやがると、姉上は思っているでやがりますか?」

「……やる。それが、織田久遠信長の為になるのであれば必ず。……蘭丸の思想は危険」

「我ら武田や、主君に対する忠誠が強いといわれる三河者……まさか」

「……それ以上。もし、織田から武田を滅ぼせと言われていればやってしまう」

 

 光璃の言葉に息を呑む二人。

 

「それほどの人望を持っているでやがりますか、織田信長は」

「……蘭丸だけは異常。……だからこそ、美空には会わせられない」

「こだわりますな、お屋形様」

「……美空は嫌い」

「……ま、まぁ、厄介ごとになるのは間違いないでやがりますね」

「……蘭丸の力を知りたい。教養も、好みも」

「どのような男が好みなのか、もですかな?」

「男に靡くようには見えないでやがりますが……」

「……夕霧も、春日も、違う」

「「え?」」

 

 光璃の言葉に首を傾げる夕霧と春日。

 

「蘭丸は、男の子」

 

 いつぞやの剣丞たちと同じように硬直する二人。声を上げなかったのは流石といったところだろうか。

 

 

 翌日。蘭丸はまだ眠っている転子をそのままに庭へと出て木の前で刀を構えていた。目を閉じ静かに立つ蘭丸の前にひらりと木の葉が舞い散る。

 

「……ふっ!」

 

 鋭い呼気と共に刀を一閃、二閃と振る。空中でその葉は綺麗に四等分され地面に落ちる。パチパチパチと手を鳴らす音が聞こえ、蘭丸は目を開けると視線を向ける。

 

「いやはや、素晴らしい太刀筋ですな蘭丸どの」

「春日どの。まだまだ私なぞ達人の域には達していませんよ」

「いやいや。それほどの腕前、かつて戦場で見えた秀綱殿を彷彿とさせますな」

「春日どのは信綱さまをご存知でしたか」

「……まさか」

「はい。少しの間ですが、ご指南いただきました。私の刀の師は各務さんと信綱さま……剣豪、上泉信綱さまです」

 

 

「いやはや、驚きましたぞ。あの剣豪が師とは」

「本当に少しの間だけですから」

「今はどうされているので?」

「柳生に向かうと仰っていました。新しい弟子の方が柳生を治めていると文が届きましたから……きっとあちらでも楽しく刀か、鍬を振るっていると思いますよ」

 

 そういって笑う蘭丸を見て春日は感心する。

 

「しかしそれほどの太刀……武田でも振るえるものはおらんでしょう。我らもまだまだ鍛錬せねばなりませぬな」

 

 そんなことを言いながら春日は服をはだける。

 

「か、春日どのっ!?」

「ん?どうされた?」

「ど、どうされたって……いえ、春日どのこそ……」

「あぁ、乾布摩擦を毎日やっておりましてな。どうです、蘭丸どのも」

 

 そういって差し出された手拭いを反射的に受け取った蘭丸。

 

「ありがとうございます……で、ではなくて!春日どの、私は」

「男で御座いましょう?ははは、拙の裸など特別なものではありませぬからな。気になさらなくて結構ですぞ」

 

 剛毅に笑いながら乾布摩擦を始める春日。若干頬を染めた蘭丸であったが、ため息をつくと春日のほうを見ないようにしながら上着をはだけ、同じように乾布摩擦を始める。

 

「……ほう、蘭丸どのの肌はとても綺麗ですな」

「ふふ、春日どのもお綺麗ですよ」

 

 少しは動揺も落ち着いた蘭丸が春日の言葉に返す。

 

「男ということは聞いておりますが……言葉だけでは信じられぬほどですぞ」

「ありがとうございます……でいいんでしょうか?」

「はっはっはっ!男に言っても喜ばれる話ではありませんでしたな」

「ふふ、そうですね。ですが、私は母にも姉にも娘、妹として育てられましたので……正直嫌な気持ちはありませんよ」

 

 蘭丸をちらと見て、春日は心の中で納得する。下手な女の子よりもきっと可愛らしい娘(男だが)だったのだろうと。

 

「おはようございます、蘭丸さん……春日どの……ってっ!?」

 

 まだ少し眠かったのだろうか、転子が目をこすりながら蘭丸たちの下へと向かっていたのだが、二人の様子を見た瞬間に飛び跳ねるように声を上げる。

 

「ら、蘭丸さんっ!?何やってるんですかっ!」

「……乾布摩擦ですが?」

「ちゃんと隠してください!嫁入り前なのにそんな格好をしたら駄目です!!」

「こ、ころ?落ちついて?私は嫁には……」

「春日どのも春日どのです!!蘭丸さんがこんな格好をしているところを見られたらどうなるか考えてください!」

「う、うむ。すまない……?」

 

 何故怒られているのか分からない春日であったが、転子の謎の剣幕に押され謝罪する。

 

「ほら、蘭丸さん!部屋に戻って身だしなみを整えますよ!」

「ちょ、ちょっところ?まだ寝ぼけてません?」

「起きてます!!」

 

 引きずられるように連れて行かれる蘭丸を見送った春日は、切り替えるように再び乾布摩擦を始めるのだった。

 

 

「すみませんでしたっ!!」

「ふふ、構いませんよ」

 

 正気(?)を取り戻した転子が全力で謝罪するのを優しく宥める蘭丸。

 

「ころは私を心配してあのように言ってくれたんでしょう?それなら私は感謝しても怒ることはないですよ」

「で、ですが!」

「ころ。私がいいと言っているんですから。……それよりも心配をかけたようですし、何か私がお詫びをしたほうがいいかもしれないですね」

 

 あわあわと慌てる転子にクスクスと笑いながらそう伝える。

 

「そんなっ!?」

「どこかへお出かけ?ひよや剣丞さまにお土産を一緒に買いに行くとか……ころは何か欲しいものとかある?」

「い、いえっ!蘭丸さんと一緒に出掛けられるならどこでもいいっていうか……」

「それじゃ、こちらを離れる前にどこかに一緒に出掛けましょう。それくらいなら余裕もあると思うから」

「はいっ!」

 

 笑顔になった転子を見て蘭丸も嬉しそうに笑顔を浮かべる。そのとき部屋の前から足音が聞こえてくる。

 

「失礼するのら!」

 

 特徴的な言葉遣いですぐに誰か分かる。

 

「兎々さん。どうかされましたか?」

「お屋形さまがお召しなのら!得物を持って庭に集合するのら!」




本来、蘭丸が上泉信綱と会う可能性は限りなく低いですが、刀の師匠にあたる人物が欲しかったので使わせていただきました。
とはいえ、奈良にまで訪れているので織田に寄った可能性はありますから……。

信綱については今のところ本編登場予定はありません。
回想程度ではあるかもしれませんが……。

いつも感想ありがとうございます!
これからも感想、評価、お気に入りお待ちしています♪


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14話 川中島の戦い?

非常に長くお待たせしました!

体調不良からある程度回復し、自宅療養期間に入りましたので復帰します!


 兎々の案内によって連れて行かれた庭には既に武田の主要な面々が揃っていた。中にはなにやら興味深そうに蘭丸と転子を見る女性と、眼帯をつけた少女もいる。

 

「お屋形様!お連れしたのら!」

「苦労。……今朝方、長尾に送っていた草から文が届いた」

 

 ザワリと緊張が走る。武田からすれば宿敵とも言える長尾に潜んでいる草からの文だ。これだけの人数が集められているのだから緊張が走るのも仕方の無いことだろう。

 

「静まれっ!」

 

 春日の一喝で場は静まり、光璃は続ける。

 

「結論から言う。長尾が飯山城へ兵を集結させる動きを見せている。武田はこれより信濃を守るべく出陣する」

 

 そこまで言って光璃はじっと蘭丸を見つめる。

 

「……一緒に来て」

「私も、ですか」

 

 確かに現状では長尾に久遠からの文を届けることは困難であろう。既に幾度か川中島にて対峙した両軍ではあるが、今回も同じように痛みわけで澄むのかどうかも予想は出来ない。

 

「美空に確実に会う好機。……あわせたくはないけど」

「ふふ、分かりました」

「ら、蘭丸さん!いいんですか!?」

 

 慌てた様子で転子が蘭丸にたずねる。

 

「悩みどころではありますが……久遠さまからの命である文を渡すのであれば確実に会えるところに向かうというのはおかしなことではありませんよね?」

「いや、おかしいですって!戦場の真ん中で文を渡すとか聞いたことありませんよ!?」

「……大丈夫。暴れていたら美空のほうから近づいてくる」

「ま、まさかの戦闘狂!?」

「大丈夫でやがりますよ。いつもどおりであれば何度か衝突すれば互いに引き下がることになりやがりますから。それに……」

「今回は、拙ら四天王に加え一二三と湖衣も出るとあれば安全は増すだろう」

 

 そう言う春日の視線の先には蘭丸たちの知らない二人が立っている。

 

「あの方が?」

「はじめまして、織田の懐刀森成利どの。私は武藤昌幸、通称は一二三。よろしくお願いするよ」

「私は山本晴幸、通称は湖衣と申します。以後お見知りおきを」

 

 互いに軽く自己紹介を交わす。

 

「……蘭丸と転子は夕霧、一二三、湖衣の三人と臨機応変に部隊を動かしてもらいたい」

「ふむ、承りました。お屋形さま、『好きに』してよろしいのですな?」

「……任せる」

 

 

 それから十日ほど後。蘭丸たちは海津城に陣を張り長尾勢と対峙していた。武田勢一万五千。対する長尾勢は八千。通常であれば武田に軍配が上がると思われるだろうが。

 

「御家流、ですか」

「お屋形さまの御家流も凄いですけど、景虎どのの尾家流もかなり……」

 

 蘭丸と湖衣が言葉を交わしているのを見て一二三が何か感心するような態度を見せる。

 

「どうかされました?」

 

 それに気付いた転子が一二三にたずねる。

 

「いやいや、ああ見えて湖衣は人見知りが激しくてね。特に男性に対しては極端なほどに拒否反応を見せるのだけれど……」

「あはは……蘭丸さんは下手な女子よりも女子らしいですからね」

「おや、そんなことを言ってもいいのかい?」

「蘭丸さんは気にしていませんよ。それどころか、久遠さまのお傍に仕えることが出来るのなら迷わず女子になってしまいそうで」

「……意外と難儀な性格をしているんだね」

 

 他愛ない話をしながらも四人は地図に目を落とす。これ以上の睨み合いは軍全体の士気に関わってくる。光璃はそう判断し、長尾攻めの作戦立案をするように指示を出してきたのだ。

 

「私は客将の身分ですので……まずは湖衣さんの意見をお聞きしたいです」

「はい。……まずは部隊を大きく二つにわけ、一つは妻女山を攻める部隊、もう一つは山の麓……平野部に潜ませる本隊」

「つまりは、山を攻める部隊が勝っても負けても平野部に降りてくることを見越しての挟撃作戦……ということですか」

 

 蘭丸の言葉に湖衣は頷く。

 

「確かに効果的な作戦のように感じますね。このまま膠着状態が続いてもどうしようもありませんし……」

 

 転子も湖衣の作戦に賛成のようだが、一二三がなにやら考え込むような様子を見せる。

 

「一二三さん?」

「……ふむ、湖衣の作戦は非常に素晴らしいと思うよ。ただ、あの越後の龍がこの策を見破る可能性を考えなくてはいけない。もし全兵力を本隊に対して向けられた場合……耐え切れるように何か追加で策を練らなければ、ね」

「後の先をつかれた場合を考える、ということですか。……それであれば、私に案が」

 

 ニコリと微笑む蘭丸の口から出た言葉に一二三と湖衣、転子はきょとんとした顔を浮かべ、一二三は笑い出す。

 

「あはは、まさか蘭丸どのからそんな言葉が飛び出すとは思いもしなかったよ。いやぁ、流石はあの森の戦姫といったところか」

「ちょ、ちょっと一二三ちゃん!?笑い事じゃないよ!」

「そ、そうですよ!蘭丸さんも自分が何を言っているのか分かってるんですか!?」

「勿論ですよ、ころ。……これも久遠さまの御為となるのであれば私も……」

 

 

「本気を出せます」

 

 

「何、海津城に動き?」

「はっ。炊煙が多く立ち上っている、と」

 

 報告を受けた長尾景虎……美空は訝しげな表情を浮かべる。

 

「あの光璃がそんなに分かりやすいことをするかしら。……とはいえ」

「御大将!そろそろ出撃っすか!?」

「柘榴も我慢の限界っぽいしねぇ。……ふふ、なら乗ってあげようじゃない。松葉!本陣は任せるわ。誰が来るのか分からないけど足止めしておきなさい」

「了解。絶対に通さない」

「秋子は部隊の指示。柘榴は私と来なさい!」

「了解っす!」

「ちょ、ちょっと御大将!?まさかとは思いますが……」

「えぇ、そのまさかよ。たぶん明日あいつらが動くからちょーっと挨拶してくるわ」

 

 

 翌日。春日と兎々を中心とした奇襲部隊が長尾本陣を攻め込んでいる頃、本隊に突撃してくる部隊があった。

 

「あっはっはっ!!吹き飛べっす!!」

 

 長尾家の特攻隊長、柿崎景家、柘榴である。槍を振るたびに周囲の足軽が吹き飛んでいく。

 

「ちょ、あんなところに何で柿崎がいるんだぜ!?」

「こなちゃん、とにかく止めないと!!」

「おう!!」

 

 柘榴に向かって粉雪が突撃する。

 

「あ、山県っす」

「あたいが相手だぜーっ!!」

 

 二人が衝突するのと同時に一陣の白風が間を縫うように走る。

 

「ま、まさかっ!?」

 

 心が驚くのも無理はない。……そう、本陣に突撃してきたのは長尾景虎本人だったのだから。

 

 

「ま、まさか読まれていたなんて……」

「ここは流石は軍神と言っておくべきだろうね。……さて湖衣、こうなった以上次なる一手を考えなくてはいけないね。……転子どのはどうお考えで?」

「わ、私ですかっ!?……そうですね、とにかく混乱する部隊を纏めて山から引き返してくる春日どのと挟撃をする……しかないのでは?」

「そうだね。とはいえ、本陣のお屋形さまが無事なことが前提になるけれど……転子どのの主はどれほどの強さなのかな?」

「えっと……これは剣丞さま……副将を務められている方から聞いた話になるんですけど」

 

 

「あ?お蘭の強さじゃと?」

 

 昼間から相変わらず酒を飲んでいる桐琴に剣丞はたずねていた。

 

「うん。まぁ間違いなく俺よりも強いのは分かってるんだけど……結構不透明だなって思って」

「ふん、孺子。お蘭とワシやガキはどちらが強いと思う?」

「う~ん……桐琴さんたちのほうが強い、かな?」

「そうじゃな。『槍』での戦いであればワシらのほうが強い。じゃが、ワシらの次には強いだろう」

 

 桐琴の言葉に首を傾げる。

 

「お蘭はワシらよりも『刀』での戦いであれば強かろう。『斧』で戦わせてもまぁ壬月の次程度には強かろうて。『弓』を使わせれば家中では一番だろうがな」

「……それって」

 

 剣丞の顔を汗が流れる。それを見て桐琴はニヤリと笑う。

 

「家中においてお蘭より『何かの分野に関して』強いものは居る。だが総合的に見ればお蘭にかなうものは居らんだろうて」

「ん、お蘭の話か?」

 

 返り血を浴びている小夜叉が帰ってくる。剣丞は既に慣れたもので特にそれに対して反応をしない。

 

「おう、孺子がお蘭の強さを知りたいと言ってな」

「あー、お蘭なぁ。お蘭はすげぇぞ、各務の次くらいに家中を纏めるのうめぇしな」

「そうじゃな。困ったときはお蘭と各務に丸投げしておけば大抵安泰だしな」

 

 かっかっかっ、と笑いながら酒を煽る桐琴。

 

「そういや、お蘭が森家の御家流覚えたのっていつだっけ?」

「ん、確か……五つくらいの頃じゃな」

「……え、御家流ってそんな年で覚えるものなの?」

「馬鹿いえ。クソガキに限ってはまだ使えんぞ」

「う、うるせぇ!オレは自分の御家流あるからいいんだよ!!」

「はっ!お蘭に教えて覚えられた癖によく言うわ!!」

「あぁっ!?やんのか!?」

「おう、買ってやるわ、その喧嘩!!」

 

 いつものように死合をはじめる二人を苦笑いで見る剣丞。

 

「……蘭ちゃんって凄いんだなぁ」

 

 そんな言葉を呟きながら目の前の喧嘩をどうやって止めるかを思案するのであった。

 

 

「な、なんなのよコイツ!?」

 

 動揺する美空。それはそうだろう、美空について来ていた兵は悉くが現在地に伏している。

 

「安心してください、峰打ちです」

 

 ニコリと美空に微笑みかける蘭丸。

 

「アンタ、武田の将じゃないわね?」

「はい。私は織田久遠信長さまに仕える森成利と申します。長尾景虎どのとお見受けしますが」

「……そうよ。てか、よく戦場で自己紹介する余裕があるわね」

「景虎どのであればお話を聞いてくださると思っておりましたので」

「……ふん。それで織田の将が何の用かしら?私たちと戦でもしたいのかしら?」

「いえ。久遠さまからの文を届けるために参加させていただきました」

「……は?」

 

 蘭丸の言葉に驚く美空。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。アンタもしかして私に文を渡す為だけにこの戦に参戦したってこと!?」

「はい」

 

 まるで当たり前といった様子の蘭丸を見て肩を震わせる美空。

 

「っ、あははっ!!面白いじゃない!その胆力立派なものね!私は長尾景虎、通称は美空。特別に美空と呼ぶことを許可してあげる」

「ありがとうございます。私は蘭丸と申します」

「そう。なら蘭丸、手紙を受け取ることはやぶさかではないわ。でもその前に」

 

 刀を抜き蘭丸に向ける。

 

「光璃を出しなさい」

「もう居る」

 

 すっと現れた光璃を見て顔をしかめる美空。

 

「アンタ、この子を私とあわせないようにしようとしてたでしょ」

「……知らない」

「この期に及んでばれてないとでも思っているのかしら?」

「……美空は信用ならない」

「っ!アンタねぇ!?」

 

 突然言い合いをはじめる二人を見て蘭丸が笑う。

 

「ふふ、お二人は仲がいいんですね」

「「よくない(わよ!)」」

 

 光璃と美空の言葉が重なる。

 

「はぁ、もう気が抜けたわ。今回は退いてあげる。本当なら一人か二人、首とってかえるつもりだったんだけれど」

「それはこっちの台詞」

「それで、蘭丸文というのは?」

「はい、こちらになります」

 

 文を手渡す蘭丸。……一応ではあるが、此処は矢の飛び交う戦場でありまだ二人の指示がないため兵たちは戦っている中である。

 

「……へぇ」

 

 呟いた後、ちらりと蘭丸を見てその視線をそのまま光璃に向ける。

 

「やっぱりアンタ、私に会わせないようにしてたでしょ」

 

 無視する光璃にため息をつきながら美空は文をたたむ。

 

「……分かったわ。返答の文は織田に送るわ」

「ありがとうございます。……それはそうと」

 

 周囲を見渡した蘭丸は目の前の二人に伝える。

 

「……戦を止めなくてよろしいのですか?」




リハビリ更新ですので違和感等ありましたら気軽にお願いします!


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15話 尾張への帰還

 川中島での戦いから数日。蘭丸と転子は尾張への帰路についていた。

 

「蘭丸さんが長尾の将と戦い始めたときは肝を冷やしましたよ……」

「ふふ、ごめんなさいね、ころ」

 

 ……光璃と美空が戦の終了の合図をした後に合流した柘榴と何故か蘭丸が戦い始めたのだ。

 

「柘榴さんが『勝負っす!そこのちんまいの!』って攻撃してきたので仕方なく、ですよ」

「う~……絶対あのとき蘭丸さんノリノリでしたよ……」

「ふふ、私も森一家ですからね」

 

 勿論、途中で美空に止められる形で終わったのだがやけに蘭丸が柘榴に気に入られていたのが転子は気になっていたりする。

 

「でも、蘭丸さん。久遠さまの文って一体なんだったんでしょうね?」

「そうですね。私も内容は分かりませんが……久遠さまのことですから、きっとこれからの未来を見据えたものだと思いますよ」

「あはは……蘭丸さんは久遠さまのことを本当に信頼しているんですね」

「勿論です。久遠さまの仰ることに間違いなんてありえませんよ」

 

 自信満々で言う蘭丸を苦笑いで見る転子。心酔……というのはこのことを言うんだろうなと思いながらも、一抹の不安も覚える。確かに久遠は素晴らしい当主だろう。だが、その性格は苛烈でありもし何かしらの理由で暴走することがあれば……。恐らく蘭丸はそれに気付いても久遠に従い続けるだろう。周りの全てが久遠の敵となっても……。

 

「……うん、私がしっかりしないと」

「?どうかしましたか、ころ?」

「いえっ!あ、蘭丸さん、途中でひよにお土産買っていいですか?」

「えぇ。私も結局久遠さまへのお土産を買いそびれてますし、いい場所を探しましょう」

 

 強さでは守れない。むしろ転子のほうが守ってもらうことになるだろう。それでも、蘭丸を守れるように出来ることをやっていこう。そう思う転子なのだった。

 

 

 場所は変わって稲葉山城。

 

「おや、竹中殿?このような夜更けに如何なされた?」

 

 門番は丁寧な言葉遣いで詩乃に尋ねる。しかし、その目は明らかに蔑むようなものが含まれている。それを見て何か言いたそうな新介を詩乃は制する。

 

「いえ、城内にいる私の妹が病に掛かったと聞いたので薬師を連れてきたのです」

 

 詩乃の言葉に門番はちらと新介を見るがすぐに興味をなくす。

 

「ふむ、痩せ武士殿のご姉妹も同じように……もう少し武士らしくするべきではありませんかな?……まぁ、私ごときには関係ないことですが」

「……」

 

 詩乃は無言で答える。それを見て軽く鼻を鳴らすと門を開ける。それを通り抜けた詩乃たちであったが、新介が立腹して詩乃に呟く。

 

「何よあの門番の態度!詩乃のこと馬鹿にしすぎじゃない!?」

「……いいのですよ。あの程度の言葉を気にしていては万事を為すことは出来ませんから。……ですが、新介が怒ってくれていることには感謝しますよ」

「べ、別に感謝して欲しくて怒ったわけじゃない、わよ」

「ふふ。……さぁ、ここからが本番です。既に安藤殿も準備を整えていますから……新介、力を貸してください」

 

 刀を抜く詩乃に頷き返す新介。

 

「勿論よ。……蘭丸隊の力、見せてあげるわ!」

 

 

 それから数刻の後、稲葉山城からほうほうのていで逃げ出す龍興の姿があった。

 

「……ねぇ、詩乃」

「言わないでください。……ここまで美濃の力が落ちていたとは……」

 

 稲葉山城の乗っ取りはあっという間に終わることとなる。龍興はわざと逃がしたが、まさかこれほどの速さで乗っ取りが終わるとは流石の詩乃も思っても見なかったのだ。

 

「それで、目標は達成されたの?」

「……半分、といったところでしょうか。佞臣の多くは討ち取りましたが、それでもまだ……」

「そういえば、あの飛騨とかいう厄介な奴はいなかったわね」

「そうですね。とはいえ、これだけ掃除が終われば後は……」

 

 詩乃がまるで未来を見るかのように虚空を見つめる。

 

「……ふぅ、織田の動きを見て……その後に城を返還する、でしょうか」

「織田の動き……殿様がすぐに動くと?」

「えぇ。織田殿であれば間違いなく動くでしょう。……そして、きっと美濃の未来はそこで決まります。……いえ、きっともう決まっているのでしょうけど」

 

 

 久々に帰ってきた尾張。蘭丸と転子は一直線に城へと向かっていた。城への道すがらで蘭丸が子供たちに囲まれたりとひと悶着あったのだが、特に大きな問題もなく評定の間へと通される。蘭丸たちが座ってまもなくバタバタと音を立てながら襖を勢いよく開けて久遠が入ってきた。

 

「お蘭!無事であったか!怪我はないか?身体を悪くしてはいないか?」

「く、久遠さま。私は大丈夫です……ひゃ!そんなところ触らないでくださいっ!?」

 

 身体中を撫で回すように確認する久遠とくすぐったそうに身をよじる蘭丸。……剣丞が見れば恐らく違った意味で動揺したことだろう。数分の確認で満足したのか、我に返ったのか、久遠は一つ咳払いをすると何事も無かったかのように上座に座る。

 

「はぁはぁ……」

「だ、大丈夫ですか?」

 

 まだ少し荒い息をしている蘭丸の服は少し乱れ、女の転子から見てもどこか色気を感じさせるものだった。……男性としての色気ではないのは仕方ないとして。

 

「……まずはお蘭、転子は大義であった」

「「はっ!」」

 

 久遠の言葉に二人は平伏する。

 

「おもてをあげい。……既に松平より書状は返ってきておる。二人のおかげで無事にことは進みそうだ。……それで、武田と長尾はどうであった?」

「はい。まずは武田ですが、文への反応はまずまずといったところかと。軍備などについては……」

 

 蘭丸の言葉に転子は驚く。確かに転子も共に調べてはいたが、蘭丸の口から出てくる情報は転子が知るものよりも細かく、むしろ全く調べのつかなかったことまでに至っていた。兵数、練度などをはじめ街の規模やおおよその石高などあらゆる情報を調べていた。蘭丸が久遠に伝えている以上、この情報の信頼度はかなり高いものだろう。

 

「……そうか。やはり武田、長尾との戦は避けるべきであるな」

「はい。我ら織田が劣るとは思いませんが……それでも苦戦、大きな被害は覚悟する必要があると」

「ふむ。それを避けるべく今回の文を届けてもらった。お蘭に出向いてもらったのは正解であったな」

 

 満足そうに頷く久遠。

 

「細かな内容については後ほど報告書で纏めて麦穂に渡してくれ。以上だ」

「はっ!」

「……お蘭は後ほど我の屋敷に来い。結菜も会いたがっておるぞ」

「はいっ!」

 

 久遠の言葉にぱぁっと花の開いたような笑顔を浮かべる蘭丸。もし尻尾が生えていたなら元気よくぶんぶんと振っていたであろう。

 

 

 久遠の元を辞した二人は、蘭丸隊の屋敷へと向かっていた。

 

「あっ!!蘭丸さーん!ころちゃーん!!」

 

 二人を見つけ嬉しそうに駆け寄ってくるのはひよ子だ。

 

「ひよー!久しぶりー!」

「うんうん!蘭丸さんもご無事そうで!」

「ふふ、ひよも元気そうで何よりね。……剣丞さまは?」

「剣丞さまなら小夜叉ちゃんと鬼退治に向かわれました……」

「姉さまと?……少し心配ですが姉さまと一緒なら大丈夫ですね」

 

 そういって屋敷に入っていく三人。

 

「ころちゃん、武田と長尾ってどうだった?」

「う~ん……一言で言うならすごかった、になるかなぁ?」

「えぇ!何がどう凄かったのか気になるよ、それ」

「ふふ、お土産もありますからお茶を飲みながらその辺りは話をしましょうか」

 

 

「し、死ぬかと思った。ただいまぁ……って、蘭ちゃんにころ!」

「お帰りなさい、剣丞さま。姉さまは?」

「小夜叉だったら森の屋敷に帰ったよ。不完全燃焼だーって言ってたけど」

「ふふ、姉さまらしいですね」

「剣丞さま、いつの間にか結構お強くなったみたいですね」

「毎日のように桐琴さんか小夜叉に連れられて鬼退治してたら嫌でも、ね」

 

 苦笑いを浮かべながら座る剣丞にひよ子がお茶を差し出す。

 

「ありがと。……それで、蘭ちゃんところはどうだったの?」

「その辺りの話を先ほどまでひよにしていたんですよ」

「うわ、俺仲間はずれ?」

「違いますよぉ!ちゃんともう一度お話しますって、ねぇころちゃん!」

「はい!ホントに凄かったんですからね!」

 

 

 夕刻。蘭丸は久遠の屋敷に向かっていた。手には今回の旅の土産を持ち、少し足早になっているのは久遠や結菜とのひと時を楽しみに思っているからだろうか。ようやく見えてきた屋敷の入り口には既に結菜の姿があった。

 

「蘭ちゃん!」

 

 昼間の久遠と同じように駆け寄ると同時に身体中を確認するように撫でまわす。

 

「結菜さまっ!あの、くすぐったいです……っ!」

 

 蘭丸の言葉が聞こえていないかのように結菜は一時の間さわり、満足したように頷く。

 

「……うん、大丈夫そうね。おかえりなさい、蘭ちゃん」

「はい、ただいま戻りました。結菜さまもお元気そうでよかったです」

「ふふ、久遠もそうだけど心配してたのよ?さ、中に入って」

 

 

 結菜に手を引かれて向かった部屋には既に膳の準備も終わっており、久遠も座って待っている状態であった。

 

「おぉ、お蘭!準備は出来ているぞ!」

「すみません、お待たせしました」

「いいのよ。久遠ったら料理できる前から既に座ってそわそわしてたんだから」

「ちょ、結菜!?それは言わん約束ではないか!?」

 

 あわあわと否定する久遠。蘭丸はいつもの自分の場所に座る。

 

「はいはい。久遠は落ち着きなさいな。まずはご飯を食べてからにしましょう」

「むぅ……」

 

 

 食後、蘭丸の土産を食べながら三人はお茶を飲んでいた。

 

「ほぅ、うまいな!」

「ほんと、おいしいわね」

 

 蘭丸が買ってきた羊羹を食べながら満足そうに久遠と結菜が言う。

 

「気に入ってもらえたようでよかったです」

「うむ。蘭丸は今日泊まっていくよな?」

「はい、ご迷惑でなければ」

「迷惑なわけないでしょ。蘭ちゃんが来るのを久遠も私も楽しみにしてたんだから」

 

 上機嫌な結菜が言うと久遠も頷きを返す。

 

「あ、湯の準備も出来てるから、一緒に入りましょ」

「「えっ?」」

 

 結菜の言葉に硬直する久遠と蘭丸。そんな二人を見てニコニコと結菜は微笑んでいた。

 

 

「ふぅ~……気持ちいいわねぇ」

 

 湯に浸かった結菜は身体を隠すことなく大きく伸びをしている。それを見て頬を染めながらも視線をそらす蘭丸。

 

「うむ、やはり湯はいいな」

 

 久遠も部屋で話していたときには恥ずかしげな様子であったのだが、今では手拭いで前を隠しただけの状態で湯に浸かっている。

 

「蘭ちゃん、もしかして緊張してる?」

「は、はい……」

「そんなに緊張しなくてもいいのに。ねぇ、久遠?」

「ゆ、結菜は慣れすぎではないか?」

 

 結菜の様子に苦笑いを浮かべる久遠の頬が赤いのは湯に浸かっているからか、はたまた気恥ずかしさからか。

 

「ねぇ、蘭ちゃん。蘭ちゃんは久遠のこと、どう思ってるの?」

「久遠さま、ですか?」

 

 結菜の言葉に蘭丸が視線を久遠に向ける。手拭いでは隠し切れない女性らしい線に再度頬を染め、視線をそらしながら。

 

「……お慕い、しております」

「うん、そうだと思うけど……女性として、どう思ってるか聞きたいの」

「ちょ、結菜!?」

 

 結菜の言葉に蘭丸以上に動揺する久遠。わたわたと手を動かすことで手拭いが落ちそうになるのが視界に入ってしまうのは仕方が無いことだろう。

 

「女性として……と、とても、魅力的だと思います!!」

「お、お蘭……」

 

 顔を真っ赤にして目をつぶりながら声を大に言う蘭丸を目を見開きながら久遠は見る。驚きに満ちたその目はすぐに優しい色を浮かべる。

 

「じゃあ、私は?」

「結菜さまも大好きです……」

「ふふ、そっか。今はそれでいいわ、ねぇ久遠?」

「……ふふ、そうだな」

「?」

 

 二人の会話の意味はよくわからないが、久遠と結菜が満足そうなことは伝わってきた。……その後、久遠と結菜が蘭丸の身体を奪い合うように洗ったり、二人の背中を流したりと色々あったのだが、その時間は穏やかに過ぎていった。

 

 

 翌朝、部屋の布団から抜け出し蘭丸は日課になっている素振りを行っていた。松平、武田、長尾。各家の名将、猛将とふれあい自らの力不足を感じた。勿論、簡単に負けるつもりはないし、久遠の動き次第で敵となるか味方となるかはわからない。更には鬼という未知の存在との戦いもあるかもしれない。その中で久遠を守り通すことが出来るだけの力をつけなければならない、蘭丸はそう考えていた。

 

「っ!」

 

 一振り一振りに気合を込め、鋭い太刀筋で空を切る。舞を舞うかの如きその動きは戦場であっても他を魅了する、そんな動きだった。

 

「まだ、まだこの程度では……」

 

 頭に浮かぶのは東国無双と名高い綾那。その動きを想像して自ら刃を交わしていく。一合、二合と打ち合うにつれ押されていく。新陰流の極意でもある後の先……綾那の繰り出す槍に合わせて太刀を振るう。

 

「……」

 

 何も無い空間のはずなのに、まるで槍に弾かれたかのように刀は蘭丸の手を離れる。

 

「……はぁ、やっぱり綾那は強いですね」

 

 苦笑いを浮かべながら刀を拾い、鞘に収める。そろそろ結菜が起きて朝食の準備をはじめる時間だろうか。蘭丸は結菜に合流するべく、片付けをはじめるのであった。

 

 

 次なる出会い、次なる戦いはもう目の前まで来ていた。




次回から本編に戻ります!

感想、評価、お気に入りなどお待ちしております♪


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16話 救援

前日の21時ごろにも更新しておりますので、読まれていない方はそちらもどうぞ♪


 あくる日の朝、城にて久遠と蘭丸が今日の予定について話をしていたときであった。

 

「久遠さま、どうやら早馬が……あれは小平太?」

「む?確かお蘭の指示で美濃に送り込んでいたはずだな」

「はい。……何かしらの異変があったのかもしれません」

 

 バタバタとあわただしい足音と共に現れた小平太は大急ぎできたのだろう、疲労を隠せずにいた。

 

「小平太、大丈夫ですか?」

「蘭丸さまっ!あの、大変なんですっ!!」

「小平太、落ち着いて。久遠さまの御前ですよ」

 

 蘭丸の言葉にはっとした小平太が慌てて平伏する。

 

「いや、よい。危急の用ということはわかる。……して、小平太何事だ?」

「はっ!蘭丸さまの命で斉藤家の詩乃……竹中重治どのと会い、行動を共にしていたのですが……竹中どのが稲葉山をのっとるべく行動を開始する、と」

「……ほう、堅牢な稲葉山を、な。して、どれほどの兵で攻めるつもりなのだ」

「それが……」

 

 

「にわかには信じられませぬな」

 

 評定の間。久遠によって集められた織田の面々は小平太の持ち帰った情報の吟味をしていた。小平太は屋敷にて休むように蘭丸から命じられて既に下がっている。

 

「うむ、壬月の言葉も最もである。……だが、お蘭が信頼して出した小平太の言だ。一概に間違いとも思えん」

「はい。私もそれほど長い期間共にいるわけではありませんが、小平太の言葉に偽りはないかと」

「……とはいえ、壬月さまの仰るとおり、現実味のないことというのは間違いようがありませんね」

 

 久遠と蘭丸の言葉に麦穂が返す。

 

「ねぇねぇ、和奏は十人くらいで稲葉山落とせる?」

「犬子!馬鹿言うなよ!流石の私でもそんなの無理だって!」

「だよねぇ。雛も無理~」

 

 三若の言葉に壬月がこめかみをひくつかせるが、内容は間違えていない為何も言わない。

 

「……小平太の言が事実であれば、こちらからどのような手に出るべきか意見を聞きたい」

「竹中どのに城の明け渡しを申し出てみては?」

「ふむ、斉藤家であれば美濃三人衆を調略するのもよいやも知れぬ」

 

 壬月と麦穂を中心に意見が集まる中、久遠の傍に控えている蘭丸は目を閉じ一人思案する。

 

「……お蘭よ、そなたはどう思う?」

「はっ。恐れながら、私は……竹中どのを助けに向かいたいと思います」

「ほぅ……詳しく話せ」

「恐らくですが、竹中どのが城を明け渡すことはないでしょう。どのような条件においても」

 

 蘭丸の言葉に間の全員が静まる。

 

「まぁ、三人衆は分かりませんが……そして、竹中どの、三人衆の面々に文を送れば……竹中どのは龍興どのに城を返還するのではないか、と」

「どうしてそう思う?」

「……竹中どのは、きっと美濃を心の底から愛している……そう感じたからです。織田に幾度と無く辛酸を舐めさせたあの今孔明を味方にすることが出来れば、きっと久遠さまの道の救いとなる、そう確信しております」

「でも蘭ちゃん、そこまで美濃を愛している竹中どのが織田に味方するかしら?」

「きっとしないでしょう。……ですが、確実に龍興どのは竹中どのに刺客を送るはず」

「ふむ、確かにあの馬鹿者であればあり得る話だな。蝮の血を継いでいるとは思えんが」

 

 久遠も蘭丸の意見に賛同する。

 

「……竹中どのの心を変えることができるかどうかはわかりません。ですが、是非私に説得させて欲しい……そう思います」

「……分かった。お蘭がそこまで言うのであればやってみよ」

「はいっ!」

「とはいえ、まずは事実確認が先だ。その後、事実であれば竹中、三人衆への城明け渡しの文を送る。それと同時にお蘭は隊を率いて竹中の救出に向かう、という形で行く。異論はないな?」

 

 全員が頷くのを見て久遠も頷く。

 

「ならば、その後に訪れるであろう決戦に備え軍備を整えよ。以上だ」

 

 

 仕事が終わり、蘭丸が屋敷に戻ったときまだ小平太は眠っているようであった。

 

「かなり疲れてたみたいだね。部屋に入るなり倒れるように寝ちゃったよ」

 

 剣丞が苦笑いで言う。心配で隊員が交代で見守っていたらしい。

 

「剣丞さまも姉さまと遊びに行ってお疲れでしょう?ここは私が代わりますので先にお休みになられていいですよ」

「遊び……はは、森一家としては遊びみたいなもんか」

「ふふ、そうですね。ですが、大事な仕事でもあります。……鬼を倒すことは民を守ることと同義ですから」

 

 蘭丸の言葉に頷く剣丞。森一家は楽しんで鬼を狩っているようにしか見えないが、それは民を守るため……結果としては民のためになっている。決して楽しむためだけに行っているわけではない、はずだ。

 

「ん~……じゃあここは任せちゃっていいかな?」

「はい、お任せください」

「それじゃ、おやすみ蘭ちゃん」

 

 そういって立ち去っていく剣丞を微笑みながら見送った蘭丸はその視線を小平太に向ける。

 

「……よく頑張ってくれましたね」

 

 小平太が持って帰った情報は確かに混乱を誘うものではあったが、一足先に状況を知ることが出来たのは好機である。特に美濃を攻める上で竹中重治……詩乃の存在というのはとても大きなものだ。斉藤家家中は信じないらしいが、詩乃がいなければとうの昔に稲葉山は落ちていただろう。

 

「新介はあちらに残っているという話でしたね。大丈夫でしょうか……」

 

 小平太と共に美濃に向かっていた新介の無事を祈る蘭丸の前で、小平太が身をよじる。

 

「う……ん」

「起こしてしまいましたか?」

 

 薄っすらと目を開けた小平太の頭を優しくなでながら蘭丸が声をかける。

 

「らん……まるさま?……っ!」

 

 今の状況に気づいた小平太は飛び起きると、自分の髪の毛を慌てて整えるように撫でる。

 

「ふふ、大丈夫ですよ。それよりも、ゆっくりと休めましたか?」

「は、はい!おかげさまで……蘭丸さま、どうなったんですか?」

 

 内心では新介のことも心配であろう小平太が蘭丸にたずねる。

 

「今のところは様子見になります。ですが、私たちはすぐにでも美濃へ向かうことが出来るように準備を進めます。……新介のことは心配でしょうが、私に力を貸してください、小平太」

「は、はい!って言っても、ボクが役に立つことなんてあるか分からないですけど……」

「小平太は立派に美濃での役割を果たしてくれたでしょう?もっと自分に自信を持ってください。……今回の件が片付いたら久遠さまにお願いして小平太と新介に褒美をもらえるようにしないといけませんね」

「えぇっ!?い、いいですってそんなこと!」

「いいえ、もう決めました」

 

 蘭丸が悪戯っぽく笑いながら小平太に言う。

 

「……新介のことも心配ですが、今は私たちに出来ることをしっかりとやっていきましょう」

「はい!」

「私のほうでも打てる手は打っておかないといけませんしね」

「?蘭丸さま何かするんですか?」

「えぇ。……竹中どのへ、恋文でもしたためようかと」

「……え?」

 

 

 数日後、再び久遠の元に美濃に潜ませていた草からの情報で、稲葉山落城の知らせが届いた。そこからの動きは前もって情報を手に入れていたこともあり迅速であった。久遠はすぐさま西美濃三人衆と詩乃へ早馬を送り、稲葉山城を売れといった。

 

「それで、返答は?」

「私利私欲で城を奪った訳ではない。自分はまだ美濃斉藤家の家臣である。だから売れんと言ってきた」

「殿と蘭ちゃんの予想通りというわけですね」

 

 壬月の言葉に久遠が答え、麦穂が納得したように頷く。

 

「だがな、その竹中からの文が届いた次の日、再び美濃から使者が来たのだ」

「……まさか」

 

 ありえないとは思いながらも蘭丸の口から漏れ出た言葉に久遠が頷き。

 

「西美濃三人衆、安藤、氏家、稲葉からの連名の書簡でな、高値で売ってやるから買えと。……お蘭の予想が正しいならば、まもなく竹中は城を龍興に明け渡し自らは野に下るだろう。……お蘭、いけるな?」

「はい、蘭丸隊すぐにでも」

「……しかし、今回に限っては兵を動かすことはまかり為らん。それでもいけるな?」

「勿論です。私と剣丞さま、ひよ子、転子、小平太。以上の五名で成し遂げて参りましょう」

「……うむ。無理はするでないぞ。他の者は直ちに戦の準備を急がせよ!」

 

 

「剣丞さま、出立の準備は出来ていますか?」

「勿論。ちょっとした道具も作ってみたから道中説明するよ」

 

 剣丞の言葉に首を傾げながらも頷く蘭丸。

 

「蘭丸さーん!馬の準備も整いました!」

 

 ひよ子の元気な声に頷き蘭丸は前を向く。

 

「急ぎましょう。どれほど時間に猶予があるか分かりませんから」

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「大丈夫、詩乃!?」

 

 新介が手を引くように詩乃と森の中を駆ける。

 

「誤算、でしたね。まさかこんなに早く追っ手が掛かるとは……」

「確かに。……後悔してる?」

「……いえ、私は間違ったことはしていません。武士としての誇りを穢されたのならば、その恥を濯ぐ。それが武士ですから」

「そうね。なら今は全力で走る!」

「新介……貴女は先にいってもいいんですよ?元々貴女は織田の……」

「それ以上言ったら怒るわよ!?蘭丸さまにだって詩乃を連れて行くって約束してるし、こんなところで……と、友達を見捨てられるわけないでしょ!」

 

 長い距離を走ったからではない頬の染まりは照れくさかったからだろうか。詩乃は驚きと共にふふっと噴出す。

 

「……そうですね。……成利どのからの文……まだ返事を返していませんから」

「詩乃、大事そうにしてたけど何て書いてあったの?」

「……秘密です」

 

 新介にそういいながら文の内容を頭の中で反芻する。

 

「……私もまだまだ小才子ですね。あんな言葉を頼りに思ってしまうなんて」

「もう!いいから詩乃、今は少しでも遠くまで逃げるわよ!」

 

 二人の逃避行は続く……。

 

 

「……話を纏めると、既に竹中どのは斉藤家を辞して逃げたけれど、追っ手が掛けられている……ということでしょうか」

 

 蘭丸が顎に手を沿えながらつぶやく。

 

「そう見たいですね。追っ手は長井どの一派の飛騨守……少なくない数が出ているみたいです」

 

 転子が情報を補足するように伝える。

 

「ひよ、竹中どのの在所は?」

「はい、不破郡の菩提城……ここから西方の関ヶ原近くです!」

「西方……情報とも合致するね。しっかし、龍興って人は本当に嫌われてるだなぁ……」

「恐らくは美濃譲り状の話などが民の間でも伝わっているからでしょう。……そういえば、剣丞さま。その筒はなんでしょう?」

「あぁ、そうだった。これ簡易の信号弾……っていっても分からないか。玉薬を使って作ってみたんだけど、その紐のところを引いたら音と光で危急を知らせることが出来るんだ。ただし、もちろん使えば敵にも見つかるから注意してくれ」

「こんなものを作れるなんて……流石は剣丞さまですね」

 

 蘭丸の言葉に少し照れくさそうにする剣丞。

 

「では、これを持って手分けして竹中どのを探しましょう。見つけたら信号弾……を上げて知らせるように」

 

 

「竹中殿。あれほど大それたことをしでかしておいて、更に逃げようとするとは、何たる恥知らず。さすがは美濃の痩せ武士。風上から風に吹かれて、遥か風下に着地していらっしゃる」

 

 馬鹿にしたように詩乃に言うのは斉藤飛騨。詩乃からすれば美濃を、斉藤家を貶めた相手である。詩乃を庇うように新介が刀を構えて飛騨とその取り巻きを牽制する。

 

「武士の風下に私が居るとしたら佞臣として主君に道を誤らせる武士は更に風下にいることでしょうね。滑稽極まりないことです」

 

 負けじと返す詩乃に舌打ちをする飛騨。

 

「ふんっ、好きに宣うが宜しかろう。私は龍興様より上意を受けているのですから」

「上意、ねぇ」

 

 詩乃と飛騨の言葉を聞きながら新介は周囲を見渡す。

 

「(……この数の敵を前に逃げ切るのは困難、か。とはいえ、私一人じゃどこまでやれるか……)」

「竹中どの。お腹を召して頂くか、それともこの私に頸を刎ねられるか。好きなほうをお選び頂きましょう」

「選べ、と?相手に選択させることは、その上意は本当に龍興さまからの上意なのでしょうか?」

 

 詩乃と飛騨の弁論は詩乃が圧倒的に有利な状況で進んでいる。……だが、この状況下では火に油を注ぐ行為でもある。相手が冷静さを欠くことで隙が生まれる可能性はあるが。

 

「語るに落ちたり竹中重治!すでに織田と内通しているとみた!私はそう見た!ここに居る全ての者が証人であるぞ!」

「愚者の相手は疲れますね。……もし内通していたのだとしたら、稲葉山城を君に返上せず、そのまま織田に奔っていたでしょうに」

「ええいっ!うるさい!皆の者、やれ!」

「おうっ!!」

 

 飛騨の言葉に答えた足軽たちが詩乃と新介に殺到する。

 

「詩乃!踏ん張りなさいよ!」

「くっ……!」

 

 詩乃は元々武の心得があるわけではない。書見などによる軍を率いる立場としての才覚に優れているのである。新介も奮闘していたが、多勢に無勢、少しずつ劣勢に追いやられていく。

 

「新介、私を置いて逃げてください!貴女一人であれば逃げ切れます!」

「馬鹿っ!さっきも言ったでしょう!?詩乃を置いていくなんて……」

「私は私を友と言ってくれた相手を無駄に死なせたくはありません!ここで最期になるのならば、愚者の手など借りず!雑兵に討たれる辱めを受けるのならば……自らの手で!」

「立ち腹など切らすな!さっさと殺せ!!」

「詩乃っ!!」

 

 飛騨の言葉と新介の悲鳴のような声。そして、詩乃に迫り来る足軽の槍。詩乃は全てがまるで時間がとまったかのような感覚に襲われる。あぁ、自分はここで死ぬのか、と。恐らくは自らの手で腹を切るよりも槍が身体を貫くほうが早いだろう。

 

 ……せめて、願わくば。

 自分のことを友と言ってくれた、新介の無事を……。

 

「ぐっ……」

 

 迫り来る衝撃は訪れず。くぐもった声とドサリと何かが倒れる音に詩乃は無意識に閉じていた目を開く。

 

「あ、あなたは……!?」

「遅くなりました。初めまして、竹中重治どの……詳しい話は後で」

 

 詩乃の腕を優しく掴み自害を防いだ蘭丸は優しく詩乃を抱きとめるような形をとっている。

 

「新介も無事でなにより。さてそれでは」

 

 信号弾の紐を引き、剣丞たちへの合図を送り呆然としている飛騨の兵へと視線を向ける。

 

「覚悟は、よろしいですね?」




書いていたら新介が格好良くなった気がします(ぉぃ

あの二人、立ち絵あるのになんで攻略キャラじゃなかったんだろう……。


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17話 我が身、我が才

本日二度目の更新です。

読まれていない方は前話からどうぞ!


―――詩乃語り―――

 

 ある日届いた私宛の文は、新介と小平太の所属する部隊の隊長であり織田信長の懐刀と呼ばれている小姓、森成利からのものでした。新介や小平太から聞いていた人と為りは、確かに信頼に値する相手ではある、というのが私の評価でした。……だからと言って、私が成利どのに仕えるということは考えてはいません。届けられた文を開き、内容を読んで私は驚く。

 

「貴女が欲しい」

 

 と、真っ直ぐに書かれていたのです。これまで、誰かに私を欲しいなどといわれたことはなく、むしろ痩せ武士とあざ笑われていた私からすればはじめての経験。……書物の中でしか知らなかったこの文は私の頬を染めることには効果的でした。異変に気づいた新介に驚かれましたが、うまくごまかせた……と思います。

 

 城を返上し、新介と共に逃げ出したところまではよかったのですが、予想以上に早く追っ手を掛けられました。……やれやれ、といったところですが相手はあの飛騨。美濃斉藤家を

ここまで貶めた元凶の一人。私の手で葬りたい気持ちはありますが、私の腕では不可能でしょう。しかし、このままでは新介まで巻き込んでしまう。一人で逃げるように言った私に対して『友達は見捨てられない』などと、言って逃げずに飛騨と対峙しています。

 ここまで言ってくれた友を巻き込んで、こんな場所で殺されるくらいならば私が死に新介の逃げる時間を……!

 

 そのときでした。光を反射しキラキラと輝く黒い髪、刃を自分に向けていた私の腕をそっと優しく添えるように止める手。視線を向けたその顔は凛々しくも美しい……。

 

 これが、私と蘭丸さまの出会い。

 

 

「蘭丸さまっ!!」

 

 新介は飛騨たちを警戒しながらも蘭丸のほうへと近づいてくる。

 

「今、合図を送りました。すぐにでも剣丞さまたちもこちらに向かってくるでしょう」

「……」

 

 蘭丸の腕の中で固まったままの詩乃に蘭丸は視線を向ける。頬を上気させて目を見開くように蘭丸を見つめている詩乃に優しく微笑みかけると鋭い視線を飛騨たちに向ける。

 

「何奴!我らを美濃国主・斉藤龍興さまの臣と知っての狼藉か!」

「勿論、知っていますよ。ですが、私たちは通りすがりの山賊です。竹中さんは私のものにしますから、頂いてきますね」

「な、何を!貴様のような身奇麗な山賊が居てたまるかっ!」

 

 飛騨の言葉に頸を傾げた蘭丸。

 

「あぁ、言われてみれば。意外と知能はあるのですね」

「ば、馬鹿にしているのかっ!!えぇい、殺せっ!!」

 

 飛騨が叫ぶと同時に足軽たちが蘭丸たちに槍を突き出す。

 

「竹中さん、少し待っていてくださいね」

 

 そういって、詩乃を抱きとめていた腕を放し新介の前まで躍り出る。

 

「新介、下がって竹中さんを守ってください」

「は、はいっ!」

 

 悠然と新介にそういって足軽の突き出してきた槍をひらりとかわす。ギラリと蘭丸の瞳が輝いたかと思うと、足軽の頸が一瞬で刎ね飛ばされる。

 

「なっ!?」

「さぁ、死にたい方だけ進み出なさい」

 

 蘭丸から放たれる強烈な殺気に兵たちは戦慄する。中には戦場の経験もあるものも少なくなかったが、その経験すら全く意味が無いと感じるほどの殺気。間違いなくあの刀の間合いに入ってしまえば死ぬ。

 

「くっ……えぇい!たった三人を前に何をしておる!さっさと取り囲んで殺せっ!」

 

 飛騨の言葉に兵は周囲を囲むように動き出す。が、悲鳴と同時に後ろに回り込もうとしていた兵が倒れる。

 

「たった三人じゃないんだな、これが」

「まだ仲間がいたかっ!?」

 

 現れたのは剣丞、ひよ子、転子、小平太の四人。

 

「小平太っ!」

「新介!無事でよかった!」

「増えたとはいえたかが七人程度。早く討ち取れ!」

「人数を恃んで囲むことしか出来ない弱者に、私たちが後れをとるとでも?」

 

 

「ひぃ!は、話が違う!小娘をなぶれるって聞いたから、わざわざ来たっていうのに!」

「に、逃げろっ!アレは化け物だっ!!」

 

 槍を突き出せば槍ごと切り捨てられ、近づけば胴と頸が永遠に別れることになる。その状況に飛騨の兵は既に戦意を喪失していく。

 

「な、何をやっておるのだ!たかが山賊に後れを取るなど、日の本最強である美濃八千騎の名の穢れであるぞ!」

「日の本最強?竹中さんの策が無ければ有象無象に過ぎない彼方たちが?」

「ちっ!……あれを出せ!」

 

 飛騨の言葉に下がった兵が連れてきたのは鉄砲を持った足軽だ。

 

「て、鉄砲だー!」

 

 ひよ子が動揺して叫ぶ。

 

「まずいですよ、蘭丸さん!すぐに退かないと!」

「蘭ちゃん、俺が殿を務めるから早く……」

 

 慌てる剣丞たちを見て飛騨がしてやったりとした笑みをこぼす。

 

「ふははははっ!貴様ら盗賊など、鉄砲一丁あれば皆殺しに出来るのだ!我ら美濃武士に逆らったことを死んで後悔するがいい!」

「ひよ、ころ。竹中さんを守りながら後退してください。剣丞さまと新介、小平太は私の傍に」

「は、はいっ!」

「竹中どの、こっちです!」

 

 ひよ子と転子が詩乃の手を引いて後退していく。剣丞たちは蘭丸の傍に寄る。

 

「ら、蘭ちゃん、何か手があるのか?」

「勿論です」

「ふん、今も鉄砲が狙っているというのに、山賊の分際で余裕だな」

 

 鼻を鳴らして飛騨が言う。

 

「そうですね。その程度の飛び道具で私と倒せると思っているのであれば勘違いも甚だしいですね」

 

 刀を鞘に戻し、腰を深く落としていく。

 

「くっ!さっさと撃ち殺せ!!」

「はっ!」

 

 飛騨の下知を受けて、足軽は蘭丸に狙いをつけ鉄砲を撃つ。それと同時にしゅっ、と蘭丸が鋭い呼気と共に刀を抜き放つ。

 

「な……」

 

 言葉を吐いたのは誰だったのか。目の前の状況をすぐに理解できたのは蘭丸以外にはいなかっただろう。鉄砲を撃ったはずの足軽の身体だけでなく銃身までもが見事に真っ二つになっていたのだ。蘭丸と鉄砲足軽との距離はかなりの距離があり、蘭丸の位置から到底切り捨てることが出来るものではなかった。

 

「ききき、貴様は一体何者なのだっ!?そんな腕の山賊など聞いたこともないっ!」

 

 動揺し、後ずさる飛騨に追い討ちをかけるかのように鏑矢の音が響き渡る。

 

「か、鏑矢の音だと!?何だっ!?」

「じょ、上使様!あ、あれをっ!!」

 

 飛騨たちの視線の先に見えたのは二つ雁金と鶴丸紋……壬月と桐琴の旗だった。

 

「ひっ!?柴田衆と森一家っ!?」

「に、逃げろっ!皆殺しにされるぞっ!?」

「くっ、貴様、やはり織田の手の者であったか!」

「さぁ、どうでしょう?私が仕える相手は織田家ではありませんので」

 

 蘭丸の言葉に舌打ちする飛騨。

 

「一端退くぞ!竹中半兵衛重治、謀反!織田の手引きにより遁走!そう伝える!貴様が証人だ、いいな!」

「はっ!」

 

 近くに居た足軽に言うとすぐさま撤退を開始する。

 

「貴様、次は戦場でそのそっ首、たたき落としてくれる!覚えておれ!」

「覚える価値があるようでしたら、覚えておきます」

 

 

「蘭丸さま、どうして飛騨を逃がしたんですか?」

 

 戦いが終わって新介が蘭丸に問いかける。

 

「そうですね、いくつか理由はありますが……今後訪れる戦の際にあの飛騨という者がいたほうが、織田にとって組しやすくなる、と思ったからですよ」

「へ……?」

「恐らくですが、ああいった手合いは不利になればすぐさま自分の傍に仕える兵を連れ逃げます。……そうなれば士気も下がり、兵数も減り。更には今回の戦いを経験している兵であれば、私たちを見たときにそれだけで恐怖することでしょう。だから逃がしたんですよ」

「さっすが蘭丸さま!ボクじゃそんなことまで頭回らなかったです!飛騨の奴、すぐにでも切り殺したかったですもん!」

 

 小平太が力説するのを見て蘭丸は微笑む。

 

「おう、お蘭。無事じゃな?」

「母さま!援軍に来ていただけるとは思ってもみませんでした」

「はは、殿が心配してすぐに向かうようにと下知が与えられてな。まぁ壬月とワシが来れば平気だろうとな」

「……いやぁ、明らかに過剰戦力だよね、これ」

 

 剣丞が苦笑いを浮かべながら嬉しそうに話す森一家を見る。

 

「私もそう言ったのだがな。全く、殿は蘭丸が絡むと甘いから困る」

「はははっ!そんなことを言って壬月もお蘭を心配してかなり速度を上げておったではないか!」

「……森の。それはお前も同じだろう」

「蘭丸さーん!剣丞さまー!!」

「お二人ともご無事ですか!」

 

 先に逃げていたひよ子と転子、詩乃も安全を確認したのか蘭丸たちに駆け寄ってくる。

 

「お二人とも、ご無事でなによりです」

「ううー、怖かったですー、怖かったですよぉ!」

「あはは、ひよ、逃げてる間も怖がってたもんね」

 

 半泣きの状態で涙を浮かべるひよ子の頭を蘭丸は優しく撫でる。

 

「ううー、だって荒事は苦手なんだもん……」

「ひよはそれで良いと思いますよ。人には向き、不向きがありますから。ひよは自分の得意なことをしっかりとやっていればいいんです」

「それはそうと、お蘭よ。目的は果たせたのか?」

 

 桐琴の言葉に蘭丸は視線をひよ子と転子の後方……少しだけ離れた場所からこちらを伺っている詩乃へと向ける。蘭丸の視線を受け、静かに近づいてくる詩乃。

 

「無事でよかったです。怪我はありませんか?」

「お蔭様で、大事ありません」

「よかったです。竹中さんがご無事で」

 

 蘭丸が微笑みかけると顔を赤くして俯く。

 

「……あの、私は、攫われるのですか?」

「えぇ。文に書いたとおり、私は貴女の智と才が欲しいのです。我が主……織田久遠信長さまを支える為にも」

 

 蘭丸の言葉に詩乃が顔を上げる。

 

「私と共に行きましょう。美濃からも、昔のしがらみからも。全て私が断ち切ります。ですから、共に歩いていきましょう」

 

 そういって差し出された蘭丸の手をおずおずと取る。

 

「己が、こうも求められるとは、思ってもみなかったもので、少し驚いています」

「周囲には見る目の無い人しかいなかったのですね」

 

 蘭丸の言葉にふふっと笑みをこぼす詩乃。

 

「あなた様は森成利様で在らせられる」

「えぇ。通称は蘭丸と言います」

「織田久遠信長より天人新田剣丞と部隊を与えられた織田の懐刀にして、森の戦姫……」

 

 確認するように呟く詩乃。

 

「……一緒に来てくれますね?」

「はい。我が身、我が魂の全てをもって、あなた様にお仕え致しましょう。我が名は竹中半兵衛重治。通称、詩乃。……蘭丸さまに我が才の全てを捧げます」

「ありがとうございます。……ですが、私ではなく……」

「はい。わかっておりますよ。織田久遠さまにも間接的に我が才を捧げましょう」

「はっはっはっ!お蘭よ、流石はワシの子じゃ!」

「ちょ、ちょっと母さま!?あのね、詩乃。私じゃなく……」

 

 珍しく慌てた様子の蘭丸をそれを見て笑う一同。

 

 

 この日、竹中半兵衛重治は織田家に……蘭丸に仕えることになる。




少し短めですが切が良いのでここまでにします。

閑話をはさんで再び本編となります!


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幕間
幕間1 織田家の問題児


※ 前回更新は昨日の22時29分となっております。
  間隔が短いのでご注意ください。

今回の幕間は短めになっております。
甘々成分が多めですので、苦手な方はご注意ください!


「なぁ新介~」

「何よ、小平太」

 

 刀を研いでいた新介にゴロゴロしながら小平太が声をかける。

 

「蘭丸さまってさ、久遠さまのこと好きだよな」

「そうね。大好きじゃないかしら」

 

 興味なさそうに刀をいじる新介。

 

「いやいや、蘭丸さまの久遠さま好きは異常だって!」

「何よ、久遠さまだって立派な殿様なんだから、蘭丸さまが惚れ込むのもおかしくないでしょ」

「ん~、そうだけどさぁ。なんていうか、どうやったらあそこまで好きになれるのかなーって」

「あれ、新介さんに小平太さん。何の話ですか-?」

 

 洗濯物を取り込んだのだろうか、手に服の入った籠を持ったひよ子が通りかかる。

 

「あ、ひよー。いや、蘭丸さまって久遠さまのことが好きじゃん。なんであんなに好きなのかなって」

「う~ん、そうですねぇ。前に蘭丸さまに久遠さまのどこが好きか聞いたら数分間ずーっと語り続けてましたよ」

 

 苦笑いを浮かべながらひよ子が言う。蘭丸の久遠好きは筋金入りらしい。

 

「でもさ、蘭丸さまってああ見えて男じゃん?久遠さまのこと異性としてどう思ってるんだろうなぁ」

「!……異性として……?」

 

 今まで大して反応を見せなかった新介が何故か反応する。

 

「ん、うん。久遠さまがどう思っているのかも分かんないけどさ。蘭丸さまが男としてどう思っているのか気にならない?」

「言われてみればどうなんでしょうね」

 

 うーんと首を傾げながらひよ子が考える。

 

 

「むぅ、また婚姻の誘いか……」

 

 壬月から差し出された文を鬱陶しそうに放る久遠。

 

「……殿、お気持ちは分かりますが、一応目を通していただくべきかと」

「いらん。訳からずな男と婚姻などする気はない」

「はぁ……そうは申しますが、殿も何れは……」

「えぇい、今はその気はないと言っておる!」

 

 眉間を押さえながら壬月はため息をつく。また代わりに断りの文を……麦穂に書いてもらうしかないかと。この件に関しては蘭丸を間には挟めない。それは久遠の意志であり……織田家の総意でもあった。

 

 

「織田三郎信長殿にお取次ぎ願いたい!」

「信長さまに何用でしょうか」

「……なんだ娘。女中に用はないぞ」

 

 蘭丸に一瞬見惚れた伝令の武士は咳払いを一つすると、蘭丸に言い放つ。

 

「私は織田三郎信長さまに仕える小姓、森成利と申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

 

 明らかに失礼な物言いの使者に対して丁寧に返答する。

 

「お、おぉ、これはこれは。かの有名な成利どのでしたか。いやはや、お噂以上の美しさ、某勘違いをしてしまいました」

「いえ、慣れておりますので。……それで、信長さまに御用とは?」

「はい、出来ることならば直接と思っておりましたが……成利どのであれば問題ありますまい。……恐れながら我が主は織田三郎信長殿と婚姻を結びたい、と」

 

 使者の言葉にピクリと蘭丸の眉が動く。それはあまりに微かな変化で恐らく家族や久遠などでしか気付けないものである。

 

「……く、久遠さまと、ですか……?」

 

 表には出していないが、蘭丸が動揺しているのが分かる。

 

「えぇ。織田と我らが手を結べば天下も夢ではありませぬ。共に天下を……」

「失礼ですが」

 

 微笑みを浮かべた蘭丸が口を開く。

 

 

 ……織田家が本当に恐れている事態はすぐ目の前まで来ていた。

 

 

「し、失礼するっ!!まさかこんなに無礼なことを言われるとは思っても見なかったっ!!」

 

 壬月が久遠のもとを辞して門の傍を通りかかったとき、大声が耳に入ってきた。何事かと足早に見に行くと、そこにはどこかからの使者らしき姿と蘭丸の姿が。一瞬唖然とした壬月であったが、すぐに状況を察し。

 

「さ、三若っ!」

「「「はいっ!!」」」

「すぐに今走り去った使者を連れ戻せ!」

 

 三若が奔っていったのを見て久遠のときと同じくこめかみを押さえて蘭丸へと歩み寄る。

 

「あー……蘭丸。なんとなく予想はついているが、先ほどの男は何者だ?」

「はい、恐れ多くも久遠さまと婚姻を結びたいと、そう言っておられましたので少し質問をしただけなのですが……」

 

 不思議そうに小首をかしげる蘭丸。……またか、と壬月は思いながらどうしたものかと思案する。壬月の苦労はまだ増えるようだ。

 

 

「お蘭、また使者を追い返してくれたそうだな!」

 

 満面の笑みで蘭丸に言うのは勿論久遠だ。今日も今日とて蘭丸は久遠の屋敷に泊まりだ。

 

「申し訳ありません。ただ普通に質問してただけのつもりだったのですが……」

 

 少し困ったような表情で蘭丸が言うと結菜が苦笑いを浮かべながら二人の前に膳を並べていく。

 

「蘭ちゃん、また壬月に怒られるわよ」

「はい、怒られてしまいました。……ですが、久遠さまに相応しい相手なのかどうかを見極めるのも私の仕事ですから」

「うむ、お蘭に任せておけば大丈夫だな」

「……まぁ、久遠と蘭ちゃんがそれでいいのならいいんだけど」

 

 意味深なことを言いながら結菜も自分の膳を置き座る。

 

「蘭ちゃんは久遠のこと異性としてどう思ってるのかしら?」

「……異性として、ですか?」

「そうよ。久遠のことを慕ってるっていうのは分かるんだけど、蘭ちゃんも男じゃない?」

「く、久遠さまはとても魅力的で、あの……」

 

 頬を染め、もじもじとする姿は女子のそれである。

 

「な、何か我まで照れるな……」

「あら、いいじゃない。異性としても久遠のこと好きって言ってくれてるみたいだし」

「う、うむ。お蘭、わ、我もその、好きだぞ?」

「あ、ありがとうございますっ!!」

「はいはい、ご馳走様。……で、蘭ちゃん。私は?」

「勿論大好きです!」

「ふふ、ありがと。でもやっぱり久遠にはかなわないかぁ」

「ふふん、我とお蘭であるからな!」

 

 

「……うん、きっと蘭丸さんは久遠さまを異性としても好きだと思います!」

 

 一時考え込んでいたひよ子が言う。

 

「そうだよなぁ。……久遠さまも蘭丸さまのこと好きだろうし……ってことは、いつかは蘭丸さまって織田家のお殿様になるのかも!?」

「何馬鹿なこといってんのよ。そんなこと言ってるの誰かに聞かれたら怒られるわよ」

「えー……でもさ、そうなったらもしかするとボクたちも大出世するかも!?」

「も、もし蘭丸さんに求められたら……」

 

 ボソリとひよ子が呟くのを聞いた新介と小平太が顔を赤くする。

 

「そそそ、そんなことあるわけないでしょ!?ひよったら変なことばっかり!」

「ごご、ごめんなさい!」

「……へへ」

「ちょっと小平太!何変な想像してるの!?」

 

 きゃいきゃいと騒ぐ三人。

 

「あら、どうしました?なにやら楽しそうですね」

「っ!?ら、蘭丸さん!?」

「どうしたの、ひよ。そんなに慌てて」

 

 そこに現れたのはたくさんの野菜をはじめとした食材を持った蘭丸と転子。

 

「ら、蘭丸さま!そのような荷物私が……」

「ふふ、いいんですよ。ころと二人で買出しにいったらおまけを沢山頂いてしまいまして」

「あはは、私もびっくりしました」

 

 蘭丸と転子が笑いあいながらそういう。ひよ子たちはぽかんとした表情で二人を見る。

 

「?どうかした、ひよ」

「い、いやぁ、なんでもないよ!」

「おかしなひよ。蘭丸さん、早く昼餉の準備をしましょう」

「そうですね。出来たら呼びますからすぐに食べられるようにしておいてくださいね」

「「「はぁい」」」

 

 蘭丸と転子が立ち去った後、しばしの沈黙が続く。

 

「なぁ、ひよ。もしかしてさ、ころって意外な伏兵だったりする?」

「あはは……二人で任務に行ってからすっごく仲良くなってますよねぇ」

「……むぅ」

 

 苦笑いのひよ子と少し悔しそうな新介。そんな二人を見て小平太はため息をつく。

 

「蘭丸さまみたいな人のことを人誑しっていうのかなぁ」

 

 

「剣丞~、これ運んでくれる~?」

「了解!……って、何で俺が一発屋手伝ってるんだよ」

「それはボクの台詞だよ!」

「アンタたちがいくら言っても騒ぐからでしょ!いいからちゃっちゃと働く!それにしても剣丞は結構筋がいいねぇ」

「う~……後は剣丞くんに任せて雛は帰ろうかな~……とか思っちゃったり……」

「犬子も……」

「何か言ったかしら?」

「「「「いえっ!!」」」」

「宜しい。……まったく、あんたらは……」

 

 もう一人の人誑しもしっかりと三若やきよと親交を深めていたりする。




剣丞隊の中では詩乃、転子が好きな作者です(ぉぃ
本編だとひよ子と転子はセット扱いでしたからねぇ……

転子、可愛いと思うんだけどなぁ……


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幕間2 詩乃の仲間入り

―――詩乃語り―――

 

 私が美濃から尾張へやってきて数日が経過した。蘭丸隊の屋敷につれて来られ、命の危険を感じずにゆっくりと眠ることの出来る日々。私にとってはそれだけでも驚くべきものでした。未だに織田久遠さまへのお目通りも済んでいないことも、また自分が裏切る可能性を考えているのだろう、と捉えていた。

 

「……」

 

 今日も無事に目が覚めた。いつ命をとられるか分からない状況。それでも蘭丸さまに命を奪われるのであれば本望と私は考えていた。

 

「また、無事におきてしまいました」

 

 一人ポツリと言葉を零す。微かに香ってくる味噌の香り。これもまたここ数日体験していることになる。

 

「詩乃、起きてますか?」

「は、はい!」

 

 襖を開けて入ってきたのは割烹着姿の蘭丸さま。……この姿も似合っているな、と思ってしまう。

 

「もうすぐ朝餉の時間ですよ。顔を洗ってきてください」

「はい」

 

 

「あ、起きたんですね、竹中さん!」

「おはようございます、竹中さん」

 

 元気に声をかけてくれるのはひよ子と転子の二人。二人とも蘭丸さまの手伝いをしていたのだろう。両手にお盆にのせた膳を運んでいる最中でした。

 

「おはよう……ございます」

「お、起きたんだね。竹中さん、おはよう」

 

 こちらの方が、田楽狭間に降り立った天人、新田剣丞さま。いつも笑っていて何を考えているのかちょっと分からない……変な方。ですが、蘭丸さまも信頼しているようですので、悪い方ではないようです。

 

「ちょっと、小平太!早く来なさいって!」

「ふぁぁ……眠い……」

 

 少し怒りながら入ってきたのが新介。本人は隠しているつもりのようですが、蘭丸さまのことを慕っているようです。慕っているという意味では全員がそうかもしれませんが。眠そうに目をこすりながら入ってきたのは小平太。口調は男子のようですが、新介いわく、かなりのへたれである、とのこと。とはいえ、今川どのを討ったのは新介と小平太の二人らしいので、きっと武勇に優れてはいるのでしょう。……今の姿からは想像もつかないですが。

 

「全員揃っているようですね。……あら、小平太。眠いのでしたら貴女の分は皆で分けて食べましょうか?」

「いぃっ!?ら、蘭丸さま!それはないですよ!?お、おきてますっ!」

「ふふ、それならいいんですけど」

 

 ああ、蘭丸さまから笑みを直接受けている小平太が羨ましく思えます。

 

「それでは、頂きましょう」

 

 

 食事の後、蘭丸さまが私に声をかけてくださいました。

 

「あぁ、詩乃。体調は大丈夫ですか?」

「はい、お蔭様で。……背中をきにせずに眠れる環境とはありがたいものだと幸せをかみ締めておりました」

「ふふふ、詩乃は大袈裟ね。でも、もう安心していいですよ。それと久遠さまとお会いする準備も整いましたので」

 

―――終―――

 

 

 蘭丸と詩乃は清洲の城へと足を踏み入れる。詩乃が目の前から歩いてくる人物に驚く素振りを見せる。

 

「おう、蘭丸ではないか。今日は殿につく日ではなかったはずだが?」

「はい、今日は詩乃を久遠さまと顔合わせにと思いまして」

「久遠さまなら……多分、庭のほうにいたと思いますけど……その子が竹中半兵衛さんですか?」

「詩乃、壬月さまは知っていますよね?こちらが」

「私は丹羽五郎左衛門尉長秀。通称は麦穂と申します」

「丹羽の……米五郎左どのですか」

「えぇ。知っていただけているなら光栄です。よろしくお願いします、半兵衛さん」

 

 こくりと頷く詩乃が蘭丸の後ろに隠れる。

 

「……あの、もしかして私、嫌われてますか?」

「少し人見知りする子ですから。慣れてくれたら平気だと思いますよ」

 

 そう言いながら詩乃の頭を優しく撫でる。

 

「……だ、そうだ。そのせいか私には近寄りもせん」

「それはほら、壬月さまは鬼柴田ですし」

「鬼五郎左にだけはいわれとうないわ」

 

 麦穂を睨むように言う姿に詩乃がびくりと振るえる。

 

「ふふ、壬月さま。あまり威圧すると詩乃が驚いてしまいますから」

「むぅ……」

 

 腑に落ちない、といった様子の壬月。

 

「ですが、新加納の竹中どのがこちらの陣に加わってくれるなら、心強いですね」

「うむ」

「新加納……私は参戦しておりませんでしたが、壬月さまは確か参加されてましたよね?」

 

 蘭丸がたずねると壬月が頷く。

 

「うむ。あのときはしてやられたわ。もっともあのときの敵方の将が、よもやこのような小娘だったとは意外だったがな」

「……っ!」

 

 壬月の言葉に怯えたように詩乃が蘭丸の後ろに隠れる。……蘭丸も小柄な為、完全に隠れているわけではないが。

 

「……そんなに私が怖いか?」

「今のは壬月さまが悪いですよ。……とにかく詩乃、これからよろしくお願いしますね?」

 

 

 そんな麦穂の言葉にも詩乃は無言で頷くだけだった。

 

 

「さて、久遠さまはこの辺りにいるはずなんですが……」

「……」

 

 蘭丸は無言で後をついてきていた詩乃を振り返り。

 

「詩乃、大丈夫ですか?疲れたなら少し休みましょうか?」

「平気……です」

「む、お蘭ではないか」

「久遠さま!ちょうどお探ししていたのです!」

 

 ぱぁっと花開く笑顔で蘭丸が振り返る。そこにいたのは探していた久遠だ。

 

「そうか、そういえば今日は竹中半兵衛をつれてくるという話だったな」

「あなたが……織田三郎殿ですか?」

「うむ」

 

 どこか、探るような視線を詩乃が久遠に向ける。

 

「久遠さま、改めてこちらが竹中半兵衛重治どのです」

「通称、詩乃と申します。……よろしくお引き回しのほどを」

「我は織田三郎信長。久遠でよい」

 

 何故か場に緊張が走る。

 

「壬月から聞いているぞ。我には才の一部のみ捧げるそうだな?」

「久遠さま、その件ですが……」

「……はい」

 

 蘭丸の言葉さえぎるように詩乃が肯定する。

 

「……」

「……」

 

 無言で久遠と詩乃の視線が絡み合う。

 

「ふふ、よかろう。蘭丸の力となれ。励めよ」

「我が才の全てを捧げて」

「ははは。正直な奴だ」

 

 少し不安そうに見ていた蘭丸は安堵した表情を浮かべる。なにやら久遠と詩乃の間では話がついたようだ。

 

「……お蘭、此度の働きも見事であった。これで美濃攻略へ大きく一歩踏み出したことになる」

「はっ!」

「正式な褒美は美濃攻略後となるが……期待しておけ」

「久遠さまからお褒めの言葉を頂いた。それでお蘭は十分で御座います」

「はは、気持ちは嬉しいが剣丞たちを養うのに禄は必要であろう。しっかりと受け取れ」

「はい!」

 

 

「蘭丸さまは……」

 

 久遠の元を辞して二人で街を歩く。その最中、詩乃が呟くように蘭丸に声をかける。

 

「蘭丸さまは、久遠さまのことが……お好きなのですね」

「勿論です。久遠さまの為であれば命を賭けることも厭いません」

 

 蘭丸の言葉に静かに頷く詩乃。

 

「……新加納のこと、蘭丸さまが心を砕いてくださったのですか?」

「新加納ですか?」

「はい。城の皆様が、新加納の件に一切遺恨を持っていないようでしたので。……あの鬼柴田殿でさえ……」

「元々、誰も気にしてなどいなかったですよ」

「……え?」

「ひよもころも。新介も小平太も。誰も気にしてなどいなかったでしょう?」

「それは、蘭丸さまのご指示があったからでは……?」

「いいえ、私は何も指示はしていませんよ」

「では……どうして、久遠さまとの顔合わせに時間がかかったのですか?」

「詩乃も大変だったでしょうから、しばらく休んだほうがいいと思ったのですが……逆に心配させてしまったようですね。すみません」

「い、いえ!謝罪などなさらないでください!……刺客の刃に怯えずに眠ることが出来ただけでも幸せでしたので」

 

 そういう詩乃の頭をそっと撫でる蘭丸。

 

「あ……」

「これからは安心していいんですよ。尾張と美濃は違います、詩乃を傷つけようとするような場所ではありません」

「はい。……あの、もうひとつよろしいですか?……蘭丸隊の方々は、どうして私に親切にしてくださるのでしょうか?蘭丸さまのご指示だったにしても、それ以上の親切があるように感じます」

 

 不思議そうに言う詩乃に苦笑いを浮かべる蘭丸。

 

「分かりませんか?」

「はい……私のような変人と交流を持って、得になることなど何もないと思いますが。……ひよさんのように得に愛想がいいわけでもありませんし」

「詩乃は頭がいいけれど、頭が良すぎるみたいですね」

「……自分がまだまだ不勉強とは常に肝に銘じてますが……」

「そういう意味じゃありませんよ。……そうですね、きっと私と一緒で……詩乃と仲良くなりたいだけですよ」

 

 蘭丸がそういって微笑みかけると詩乃の頬が朱に染まる。

 

「こ、こんなに愛想が悪いのに……ですか?」

「詩乃は人見知りなだけでしょう。私とはこんなに喋ってくれるようになりましたし、ひよ達とも少しずつ話せるようになっているでしょう?」

「……」

「ですから、帰ったらひよところ、新介と小平太に挨拶してあげてください」

「挨拶、ですか?」

「えぇ。挨拶です。簡単でしょう?」

「本当にそれだけでいいのでしょうか……?」

「戦術と同じですよ。一番基本の策こそが奥義に近い策、ですからね」

 

 そういって蘭丸が詩乃の手をとる。

 

「っ!」

「これも、仲良くなるための方法、ですよ」

「はい……っ」

 

 頬を染めながらもどこか嬉しそうに蘭丸の手を握り返す詩乃は、微笑を湛えていた。

 

 

「あ、お帰りなさい!蘭丸さん、竹中さん!」

「お昼ご飯の支度、出来てますよ。みんなで食べましょう」

 

 ひよ子と転子が出迎えてくれる。

 

「あ、蘭丸さまだー!おかえりなさい!」

「蘭丸さまっ!部屋の掃除などはすんでますっ!」

 

 屋敷のほうから小平太と新介も出迎えに出てくる。

 

「あれ、蘭ちゃんと詩乃、手つないでる?仲良くなったみたいだね」

 

 同じく屋敷から出てきた剣丞が二人を見て言う。

 

「あーっ!ホントだー!竹中さん、蘭丸さんと手つないでる!いいなー」

「ふふ、反対の手でよければあいてますよ」

「いいんですかっ!?」

 

 蘭丸が詩乃と繋いでいない左手を差し出すと、ひよ子は嬉しそうに手に飛びつく。

 

「あ、いいなーひよ。蘭丸さん……」

 

 恨めしそうに転子が蘭丸を見つめるのを困ったような笑顔で返す蘭丸。

 

「じゃ、ころちゃん。私と一緒に!」

「……いいですか、蘭丸さん?」

「私は構いませんよ」

「いいなぁ……って新介?」

「うぅ……出遅れた……」

 

 ちょっと悔しそうに呟く新介。

 

「……あの」

 

 蘭丸の手を握る詩乃の力が強くなったのは自らを奮い立たせる為だろうか。

 

「ん?」

 

 転子が首をかしげて詩乃に視線を向ける。

 

「……詩乃で。……皆様、詩乃で構いません」

「……分かった。私もころでいいから」

「私もひよでいいよ」

「小平太でいいぜ!」

「……新介でいいわ」

「俺は……」

「剣丞さまは大丈夫ですよ」

「うわっ!蘭ちゃん俺だけ仲間はずれじゃん!?」

 

 剣丞の反応に皆が笑う。

 

「それじゃ改めて……おかえりなさい、詩乃ちゃん」

「……た、ただいま帰りました!」

 

 こうして、蘭丸隊に新たな仲間が加わることとなった。




通称はある人とない人がいる設定で。
剣丞がないこともそこまで大きな反応がなかったので……新介、小平太には通称なしにしております。
ただでさえ、出番の少なかった子たちですので(ぉぃ

感想など励みになりますのでお待ちしております♪


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美濃攻略 - 上洛への道
18話 模擬戦準備と重大な話


書いている最中でIMEの辞書がバグって大変なことに……。
誤字脱字があったらごめんなさい!


「あー!むかつく!!何で詩乃のことを売国奴みたいな言い方するのよ!」

 

 一発屋での食事中、新介が怒ったように言う。

 

「仕方がありませんよ。美濃の調略に私が手を貸しているのを見れば、そう感じてしまう人がいるのは自明の理ですから」

 

 ゆっくりと食事を口に運ぶ詩乃がそういいながら魚をつつく。

 

「でもさ、詩乃は無理に参加しなくてもいいって蘭丸さま言ってたじゃん。ボクもそう思うんだけど……」

「いいえ。私は自分の意思で手伝うと決めたんです。蘭丸さまの為……残念ながら、ひいては美濃のためにもなると思いますので」

「……詩乃がいいんならいいんだけど。まぁ、蘭丸さまがなんとかするって仰ってたし」

「なら大丈夫だろうなぁって思う反面、ちょっと怖いよな」

 

 そういいながら小平太は肉にかぶりつく。

 

「てか、朝からそんなに重いものよく食べられるわね……太るわよ」

「ボク育ち盛りだから。それに太らない体質だし」

「喧嘩売ってるなら買うわよ」

 

 じと目で小平太を見る新介が食べているのは新鮮な野菜を炒めたもの。勿論、味付けは薄めにしてもらっていたりする。

 

「別にそんなんじゃないって!……それはそうと、今日はあれだろ?織田家総出で模擬戦!」

「そうですね。……恐らくは斉藤家の反応を見る目的もあるかと思いますが」

「え、そうだったの!?……ボクそれ知らなかった」

「……怒られるわよ、小平太」

「ら、蘭丸さまはそんな程度で怒らないし!……たぶん」

「そうですね。呆れられたとしても怒りはしないでしょう」

「うぇ!?呆れられるのは嫌だなぁ……」

 

 

「お蘭よ、そろそろ蘭丸隊の二人が戻る頃か?」

「そうですね。昼前には戻る予定と聞いてますので……戻り次第、伝令を送るようには剣丞さまにお願いしております」

「うむ。……して、お蘭。予定している模擬戦であるがお蘭ならばどう分ける?」

「そうですね……赤軍、白軍の二つに分け、壬月さま、佐々、前田。もう一つが麦穂さま、滝川……そして私たちといったところでしょうか」

 

 蘭丸の言葉に久遠が頷く。

 

「最終的な宰領は壬月に任せるが、恐らくは同じ結論に行き着くだろうな。……お蘭よ、演習前に重要な話がある。……よいな?」

「?はい」

 

 久遠の言葉に首を傾げながらも頷く蘭丸。

 

「失礼致します」

「許す」

「美濃より秀吉さま、正勝さまがお戻りになられました」

「苦労。……お蘭、きっと二人ともお前に会いたがっているだろう、行ってやれ。一刻ほど後に全員の招集をかける」

「はい、ありがとう御座います」

 

 

「あ、蘭丸さーんっ!!」

 

 蘭丸が屋敷に戻ると庭で汗をぬぐっていたのだろうか、濡れた手拭いを持ったひよ子が抱きついてくる。

 

「おっと。ふふ、おかえりなさい、ひよ」

「わーん!お会いしたかったです~!」

「二週間ほどでしたか?大変だったでしょう?」

「えへへ……でも、蘭丸さん分吸収したから元気になりました!」

「詩乃ちゃんの紹介状から西美濃三人衆と稲葉山の柱を何本か抜くことに成功しました。……あと、ひよずるい!」

「ほえ?」

「私だって蘭丸さんに癒されたいのに!抜け駆けするなんてひどい!早く交代!」

「あははっ、はーい」

 

 笑いながら、ひよ子がすっと蘭丸から離れると転子が代わって胸に飛び込んでくる。そして、蘭丸に何かを求めるように上目遣いで見つめる。

 

「ころもお疲れ様です。斉藤家の切り崩し、よくやってくれましたね」

 

 そういいながら蘭丸は転子のクセ毛を労わるようにやさしく撫でる。

 

「……あはは、満足です!」

 

 転子が離れるのを待っていたかのようにこほんと一つ咳払いをして詩乃が現れる。

 

「それでは、お二人も落ち着いたようですし情報交換と参りましょう」

 

 

「それでは、美濃のほうでも演習を行う噂が流れていた、と?」

「うん。尾張の弱兵ごときがそんなことをしても何も変わらないって馬鹿にされてたけど」

 

 ひよ子が苦笑いで言う。

 

「自分で言うのもなんですが、東海一の弱兵と言われてますからね。……上方に並ぶかも知れないですね」

「で、ですが蘭丸さま!織田には泣く子も黙る鬼柴田さまや蘭丸さま方森一家も……」

「ふふ、そうですね。ただ母さまと姉さまにそれを言うと怒るので気をつけてくださいね」

「蘭丸さま、それでは演習の準備は……」

「えぇ。剣丞さまは現地の下見がしたいと先に行ってしまいましたので、詩乃に一任します」

「えぇっ!?大丈夫なんですか!」

「新介と小平太をつけてますから、よほどのことが無い限りは大丈夫と思いますよ。……ついでに稲葉山城を見てこようかなーと仰っていたのは流石に止めましたが」

「……剣丞さまは己の価値を分かっておられないのですか?」

 

 詩乃が少し呆れたように言う。

 

「そうですね……ご自身の価値は低く見ている傾向はあるかもしれません。ですが、仲間を守ろうとする気持ちは確かです。詩乃も信用していいと思いますよ」

「……蘭丸さまがそう仰るなら」

「それでは、私は久遠さまの元に。ひよところは皆様に報告もかねて城に上がるようにとのことですのでお願いしますね」

「は、はい!」

「う~……緊張するよぉ、ころちゃん」

 

 

「皆、揃っているか」

「はっ。御前に揃っておりまする」

 

 久遠の言葉に壬月が代表して応える。蘭丸はいつものように久遠の傍に控えている。

 

「デアルカ」

 

 下座に座る家臣たちを見渡し、ちらと蘭丸に視線を向け久遠がゆっくりと口を開く。

 

「先日の稲葉山城制圧。その首謀者である竹中半兵衛重治をお蘭が説得し、我が織田家中に加わったことは、皆知っているであろう。稲葉山城は現在、龍興が起居している。……だが、先日の事件で美濃の内部は動揺している」

 

 そこで言葉を切り、下座の全員を見渡す。

 

「ここが切所。蝮より受け継いだ譲り状を現実のものとするべき時が来た」

「しかし殿。美濃は国人衆八千騎と言われ、強き武士の多き国。……大して尾張は東海一の弱兵と蔑まれるほど、兵の質は悪うございます。果たして……」

「うむ。麦穂の懸念も当然のことであろう。……お蘭、報告せい」

 

 久遠の言葉に静かに頷く蘭丸。

 

「今回の調略活動はひよところに一任しておりましたので、二人から説明をしてもらいます」

「ひゃ、ひゃいっ!!」

「おおお、落ち着いてひよ!」

 

 ガチガチに緊張している二人を見て全員苦笑いを浮かべる。

 

「二人とも、そこまで緊張しなくても大丈夫ですよ」

「そうそう!別にそんな緊張するもんでもないし」

「和奏の言うとおりだよー!」

「気楽に気楽にー。雛みたいにのんびり気楽にしてればいいんだよー」

「貴様はのんびりしすぎだがな」

「あいたー。藪から蛇が出てきたー」

「誰が蛇だ。……が、まぁ概ね三若の言うとおりだ。気楽に報告せい」

 

 これまでの流れで緊張が少しは取れたのだろう。二人が報告を始める。

 

 

「……よし。美濃のことはひとまずおけ。今はこれより行う演習に集中する。壬月、お前が宰領せい」

「御意。では各々方にお伝えいたす。演習は赤組、白組に分かれて行う。赤組は不肖、勝家が指揮を執らせて頂く。白組の指揮は丹羽五郎左。また赤組には佐々、前田を配置。白組には滝川、森……蘭丸。以上だ。何か質問はあるか?」

 

 久遠がにやりと笑って蘭丸に囁く。

 

「お蘭の言ったとおりになったな」

 

 ニコリと微笑む蘭丸。

 

「墨俣近辺まで出張ってやるって話ですけど、稲葉山の連中は大丈夫なんですかね?」

「演習中に横槍とかなったら、まずいかもー」

「それを試す思惑もある」

「どういうことですかー?」

「稲葉山の近くで、堂々と演習をする織田の軍勢に対し、手を出すか否かで、稲葉山の士気がある程度見えてくるということですよ、犬子ちゃん」

「ほわー!なるほどー!」

 

 犬子が感心したように手をたたく。

 

「各々方は稲葉山の横槍が入ることを前提に動け。……敵が来たら迎え撃つからな」

「げっ!てことはガチ装備での演習かよっ!?」

「真剣にやらんと演習にならん。当たり前だ」

「人数はそれぞれ三千。それぞれ大将がいる本陣を制圧するか、大将の馬印を奪えば勝利とします」

「制限時間は二刻だ。……それで勝負がつかんかったら、勝負がつくまでやるから、覚悟せい」

「……マジッすか?」

 

 壬月の言葉に顔を引き攣らせて和奏が尋ねる。

 

「冗談だと思いたいならば思うがいい」

「……了解でーす……」

「各々、良いな?では解散する。すぐに準備に取りかかれ」

 

 

「お蘭よ、ちょっと良いか?」

「はい、何でしょう?」

「結菜にも関係する話だ。屋敷に向かうぞ」

 

 久遠とともに屋敷に向かう蘭丸。

 

「今、帰った」

「お帰りなさいませ」

 

 久遠につれられて屋敷に戻った蘭丸を出迎えた結菜はいつもの笑顔と違い、三つ指をついて楚々とした姿をしていた。

 

「結菜さま……?」

「……」

「お蘭よ、とりあえず部屋へ向かうぞ」

「は、はい」

 

 部屋へと向かい、久遠にすすめられるまま久遠の前に座る蘭丸。

 

「お茶をお持ちしました」

 

 そこへお茶を持って結菜が部屋へと入ってくる。

 

「うむ。苦労。そこに控えておれ」

「はい」

 

 それぞれの前にお茶を出したあと、結菜は久遠の斜め後ろ……普段、客人が来たときに蘭丸が座っているあたりに座り、姿勢を正した。

 

「こほん……お蘭よ。これは前々より考えていたことではあったのだがな……」

 

 少し頬を染めた久遠が蘭丸をまっすぐと見つめ。

 

「お蘭よ、我の妻……ではなかった、夫となれ!」

「……」

 

 ぽかんとした表情になった蘭丸と苦笑いを浮かべる結菜。

 

「久遠ったら、緊張しすぎて大事なところ間違えちゃって……」

「ゆ、結菜!余計なことは言わんでいい!それよりもお前からも言うことがあるだろう!」

「織田久遠が妻、結菜。本日より蘭丸さまの側室としてご奉公させて頂くこととなりました」

「……」

 

 さらに唖然とした様子の蘭丸。さすがの蘭丸も状況がつかめず呆然としているようだった。

 

「ど、どうしたお蘭よ。もしかして……我との婚姻がそんなに嫌か!?」

「……もしかして、久遠。蘭ちゃん……」

 

 座っていた場所から立ち上がると蘭丸の傍へと結菜は寄り。

 

「……気、失ってない?」

「……お蘭っ!?」




どこで結婚させるか悩んでいましたがこのタイミングになりました!
とはいえ、夫婦らしいことはもうちょっと後になります。
まぁ、すでに家族的な雰囲気がある三人ではありますが。


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19話 久遠と蘭丸、主君と家臣

「っ!」

「お、おぉ、お蘭大丈夫か!?」

 

 一瞬意識を失うような状態になっていた蘭丸が意識と取り戻す。

 

「は、はい。申し訳ございません」

「いや、無事ならよいのだ」

「久遠ったら大げさなんだから。でも、大丈夫?」

「大丈夫です。……ですが、久遠さま。本当に……その」

「……うむ。これは前々から考えていたことだ」

「……ですが、私と久遠さまでは格が違いすぎます。それでは久遠さまの格を下げてしまうことに……」

「はぁ……お蘭よ。お前は自分の評価が低すぎるぞ」

「……そうですか?」

 

 珍しく久遠に反発するような態度の蘭丸に久遠が少し動揺する。

 

「む……」

「ふふ、蘭ちゃんは久遠のことが心配なのよ。家中や他家から何か言われないかって」

「結菜さま!……ですが、概ねはそのとおりです。……もちろん、私は心の底から久遠さまのことをお慕いしておりますが……ですがそれで久遠さまを貶めることになるのは耐えられません」

「お蘭……」

 

 久遠が驚いた顔をした後、真剣な表情で蘭丸に向き直る。

 

「……お蘭、気持ちは嬉しい。……が、これは我が決めたことだ。誰にも文句は言わせん!だからな、お蘭。天下を取るぞ」

「天下……」

「うむ。何か言うものがいるのであれば何もいえないようにすればよいのだ。家中で反対の意見を言うものはいないだろうしな」

「そういうことだから、蘭ちゃん。久遠とは婚約ってことで私は側室として娶ってもらえるかしら?あ、側室になるのだから蘭丸さまって呼んだほうがいいかしら……」

「ゆ、結菜さまっ!?おやめください!」

「ふふ、我らが夫婦となってもあまり変化はなさそうだな」

 

 

「あ、蘭丸さんおかえりなさい!」

 

 演習の準備をしていたひよ子が笑顔で出迎える。

 

「ただいま戻りました」

「あれ、蘭丸さん何かいいことありました?」

「え?」

「何か嬉しそうだなーって」

「おや、蘭丸さま。久遠さまと……結菜さまと婚姻でも結ばれましたか。おめでとうございます」

 

 詩乃がそういうとひよ子が固まる。

 

「……えーっ!?じゃ、じゃあ蘭丸さんはお屋形さまになるんですかっ!?と、殿さまですか!?」

「ちょっとひよ落ち着いて!久遠さまと婚約を……」

「おめでとうございますっ!」

 

 ひよ子はまるで自分のことのように嬉しそうな笑顔で蘭丸に言う。

 

「ありがとうございます」

 

 そんなひよ子の笑顔に蘭丸も笑顔になる。

 

「久遠さまとの婚姻はすべて……日の本の平和を勝ち得た後になりますから」

「それは……遠い未来の話になりそうですね」

「えぇ。ですが、久遠さまの天下を見るために力を貸してください」

「もとより。我が身、我が才。すべては蘭丸さまの為に」

「もちろんですよぉ!」

 

 

「久遠さまと蘭丸さまが婚約……しかも結菜さまとも……!?」

「えぇ。結菜さまは側室として嫁いだそうです」

「あはは!新介、さすがに結菜さまが相手じゃ敵わない……いひゃいいひゃい!?」

 

 何か言おうとした小平太の頬を思いきり引っ張る新介。

 

「でも、蘭丸さんがまた手の届かないところに行った感じがしますね……」

 

 転子がつぶやく。

 

「ですが、考え方によっては結ばれる可能性を高めることができる、とも」

 

 詩乃の言葉に全員が反応する。

 

「どういうこと、詩乃ちゃん?」

「いずれは織田の……天下人の夫となられるのであれば多くの側室や愛妾を持つことも当たり前……私はお傍に置いていただけるのなら伽係でもかまわないですから。……私のような貧弱な身体を求めていただけるなら……ですが」

「そうよ!はじめから正妻なんて無理だって思ってたんだから愛妾でもいいじゃない!」

「うわ、新介開き直った!」

「あはは……でも蘭丸さんの愛妾かぁ……」

「あれ、ひよも狙ってるの?」

「そういうころちゃんこそ、頬が緩んでるよ!」

「む……敵が多いわね……」

「新介、そこは一人ではなく全員でという方法もありますよ」

「!さすがは軍師ね、いい考えだわ」

「……どんどんボクの知らない新介になっていく気がする」

 

 きゃいきゃいと盛り上がる女性陣。少し離れたところで蘭丸と剣丞も準備を進めていた。

 

「下見はどうでした、剣丞さま」

「うん。まぁある程度確認は済んだよ。……というか、女性陣楽しそうだな、何の話してるんだろ」

「さぁ?でも仲がいいのはいいことですからね」

「そうだね。……それはそうと、久遠と結菜と婚約したんだって?おめでとう」

「ありがとうございます」

「って言っても、三人なら今までと何も変わらなさそうだよね」

「そうですね。私にとっては久遠さまは久遠さまですし、結菜さまも久遠さまの奥方ということには変わりありませんから。……正直、どのようにすればいいのか分かりません」

 

 蘭丸の言葉に剣丞が笑う。

 

「あはは、蘭ちゃんは蘭ちゃんらしくしてたらいいんじゃないかな?難しいことは考えずに、さ」

「そう、ですね。ふふ、私らしく……ですか。……さ、剣丞さま、早く準備を整えて久遠さまのところへいきましょう」

「蘭ちゃんらしいね」

 

 

 蘭丸隊総勢百人を引き連れて演習予定地である墨俣近くの平野に集結していた。

 

「おー……さすがにこれだけの人数集まると壮観だねぇ」

「ふふ、剣丞さまが前に経験されたのは墨俣のときでしたか」

「うん。これだけの軍勢は初めて見るよ」

 

 蘭丸隊の側に三千。離れたところに壬月を中心とした軍勢が三千。総勢六千もの人数が集まっている。

 

「蘭丸隊もいつのまにか人数増えましたけど、ちゃんと指揮が出来るかなぁ」

「詩乃ちゃんの引き抜きのご褒美として、大幅加増されたからねー。しかも一気に三千石も!」

「しかし知行が増えれば軍役も増える。……本来ならば六十人程度で良かったのですが、それを百人も雇うとは、剣丞さま、些かやりすぎではありませんか?」

「みんなのお給金もちゃんと出してるんだし、大丈夫大丈夫」

「しかし、剣丞さま。ご自身の蓄えも重要ですがお分かりですか?」

「大丈夫だよ。ご飯も食べられるし、みんなに奢ることだって出来るし。……それで充分だよ、俺は」

「……無欲なのですね、剣丞さまは」

「そう?実は欲塗れだよ俺。おいしい物を食べたいし、たまには色々買ってみたいものもある。でもそれを充分賄えるだけのお金はあるし。あとは皆が活躍して功を上げられるように、態勢を整えることに専念すりゃいいさ」

「剣丞さまはお優しいですね。もしものときは私が何とかしますから安心してください、詩乃」

「うう、蘭丸さんも剣丞さまもお優しいですぅ~……私、頑張ってもっと手柄を立てますね!」

「だね。私たちが頑張れば蘭丸さんだって出世するんだし」

「もちろんです!槍働きは私や小平太にお任せくださいっ!」

「はは……蘭丸さまのほうが圧倒的に強いけど頑張ります……」

「ふふっ、なにやら楽しそうですね、蘭丸隊は」

「蘭丸隊だったらいつものことですよー」

 

 そういって現れたのは麦穂と雛の二人。

 

「麦穂さまに雛!こちらから出向こうと思っていたのですが……お待たせしてしまいましたか?」

「いいのよ。わざわざ本陣に来てもらうよりも、手っ取り早いですから」

「すみません、気を遣わせてしまったようで」

 

 

「それで、麦穂さま。作戦は決まってますか?」

「そうですね……赤組は壬月さまを筆頭に、和奏ちゃんに犬子ちゃんという、家中きっての武闘派揃い。隊の性質からいっても、正面衝突は避けるべき……というのが私と雛ちゃんの共通見解です」

 

 麦穂の言葉に蘭丸はうなずく。

 

「しかも今回の演習場所は平野ですから、兵を伏せることも出来ない。ですが壬月さまと真正面の戦いというのは、さすがに厳しいですから、何か策はないかと蘭ちゃんと剣丞どのに聞きにきた次第です」

「そうですね……ちなみに雛は何かありますか?」

「うーん……雛、こういうだだっ広いところで戦うの、あまり好きじゃないから、なんともかなー」

「雛は甲賀の出ですからね」

「そだよー。忍者のお里、甲賀出身で、しかも甲賀二十一家の一番下が雛のお家!って自称してるんだよ」

「自称かよ」

 

 雛の言葉に剣丞が突っ込みを入れる。

 

「だって雛、母さんの代のこと、よく知らないし、別に興味ないしー。まぁ知らなくても死なないからそれでいいんだよ」

「ふふ、雛らしいですね」

「雛ちゃんはいつもこんな調子ですからね。……それで尾張一の軍師殿を家臣に持つ、蘭ちゃんに相談に来たのよ」

「詩乃、どうですか?」

「策、ですか。ふむ……この演習では、足軽たちの戦闘力と、それを指揮する者の統率力が勝敗を分かつ重要な要素となるでしょう。伏兵なども使えないとなると、最重要な点はどうやって相手の備えを崩すか。そしてどうやって相手の意気を消沈させるか。この二点となるでしょう」

「でも突進させたら家中有数の、突進馬鹿たちだよー?先に雛たちの備えが崩されると思うなー」

「然り。ですから相手の裏をかくのです」

 

 

「ふふ、さすがは詩乃ですね。将の癖をしっかりと見ていますね」

「とはいえ、あの二人は特に分かりやすいからねー」

「そうね。詩乃の策は実際に織田に対して猛威を奮っていましたからね」

 

 麦穂が苦笑いでつぶやく。

 

「……それはそうと、蘭ちゃんは剣丞どのたちと一緒にいなくていいのかしら?」

「はい。……いずれは剣丞さまに部隊を率いていっていただきたいと思っておりますので、いい練習かと」

「あら、蘭丸隊の子たち怒るかもしれないですよ?」

「?そうですか?」

「ふふ、あの子達も大変ね」

「麦穂さまー。蘭丸くんと仲良くするのもいいですけどー、そろそろ始まるみたいですよー」

「あら、そう見たいね。……それじゃ、蘭ちゃんは私と一緒に壬月さまを抑えましょうか」

「はい。久々に壬月さまに胸を借りるとします」




壬月に胸を借りる……変な意味ではありませんよ(ぉぃ


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20話 戦の狼煙

「麦穂さま、前方から来る壬月さまは私にお任せください」

「あら、一人で大丈夫?」

「はい。久々に壬月さまとの真剣勝負ですので。部隊戦はお任せします」

 

 蘭丸の言葉に麦穂がうなずく。それと同じくして模擬戦開始の陣太鼓が響き渡る。

 

「さぁ、行きましょう」

 

 

 赤組と白組の衝突から少しして剣丞と雛があっという間に犬子と和奏を討ち取る。

 

「……流石は剣丞さまと雛ですね。それでは、私もそろそろですね」

「今です!皆の者、押し返せー!」

「えい、おう!えい、おう!」

 

 麦穂の一声で防戦一方だった足軽たちが盛大な武者押しの声と共に、赤組を大きく押し返していく。壬月率いる柴田衆の猛攻を八陣の法を駆使して翻弄する麦穂率いる丹羽衆。織田筆頭の武将の間近で見ることが出来る。それだけでこの戦いの価値はあるだろう。

 

「見つけました」

 

 影のようにゆらりと動いていた蘭丸が壬月の姿を捉える。まるで忍のように背後に回り込み、刀を振るう。

 

「そう簡単にはいかんぞ、蘭丸よ」

「ふふ、流石は壬月さま」

 

 蘭丸の刀を軽々と受け止めた壬月とふわりと距離をとる蘭丸。

 

「此度の模擬戦は我らの負けだな。……あの馬鹿共を抑えられんかった私に責任はあるが」

「まだお二人は手柄がほしくてたまらないのでしょうね。……ですが、それは私も同じこと。……久遠さまに褒めていただくために手柄がほしいので」

「はぁ、相変わらず殿中心だな。……だが、私とてこのまま負けるわけにはいかん」

 

 愛斧を手に闘気を漲らせる壬月。

 

「部隊戦での負けを個人で取り替えさせてもらうぞ、蘭丸」

「今回は私が勝たせていただきます、壬月さま」

 

 

「終わりましたね」

「え、麦穂さん今なんて?」

「この模擬戦は終わりです。後は、蘭ちゃんと壬月さまの一騎打ちを見ることになりますね」

「ええっ!?ら、蘭丸さん、壬月さまと一騎打ちするんですかっ!?」

 

 ひよ子が驚いているのも無理はないだろう。泣く子も黙る鬼柴田が相手なのだ。

 

「蘭ちゃんなら大丈夫よ。……だって、蘭ちゃんも森一家よ?」

 

 

「おおおおっ!!」

 

 裂帛の気合と共に振るわれる斧は周囲に突風を巻き起こす。斧を受け止めるのではなく受け流しながら蘭丸は身軽に立ち回る。

 

「疾っ!」

 

 鋭い呼気と共に放たれる一撃を壬月は紙一重で避ける。互いに触れれば即、死が待っているような攻撃を放ちあう。

 

 

「や、やばすぎるだろ、あれ」

 

 剣丞の記憶にある姉たちとかぶる戦い方。

 

「ほ、本当に大丈夫でしょうか、剣丞さま」

「落ち着いて、ころ。……大丈夫だよ、たぶん」

 

 自信なさそうにではあるが、剣丞が転子を元気付けるように言う。

 

「……でも、こんな戦い。めったに見る機会ないよなぁ」

「そうね。……私たちもいつかあの強さを手に入れないと……」

 

 小平太と新介も戦いから目を離さずに言う。それだけ高次元での戦いを繰り広げているのだ。

 

 

「腕を上げたな、蘭丸!」

「壬月さまも腕を落としていないようで安心しました。……ではそろそろ終わりにしましょうか」

 

 腰を落とし、刀を鞘に納める。

 

「私もちょうど、そう思っていたところだ」

 

 斧を振り上げ闘気をさらに漲らせていく。二人の闘気が目に見える。炎のように紅に染まる壬月の闘気と、蒼く立ち上る闘気。二つが重なる瞬間、二人は同時に動く。

 

「五臓六腑を……!」

「森家御家流」

「ぶちまけろっ!!」

「森羅万勝!!」

 

 壬月が斧を振り下ろし、蘭丸が刀を地面に突き刺す。共に地を割き、相手へと向かって衝撃が突き進む。ぶつかり合ったその衝撃で周囲にいた足軽ごと吹き飛ばす。

 

 

「……何コレ」

「や、やばすきますよぉ……」

「あ、あはは……これから私たちってあんな戦いをしていかないといけないんですかね……」

 

 ひよ子がガクガクと震えながら転子に抱きつく。転子も少し顔色が悪いのはあまりの状況に驚いているからだろう。

 

「あのお二人は特殊ですよ。……とはいえ、日の本を探せば何人もいるでしょうけど」

 

 あんなのが何人もいたら困る、と剣丞は思いながらも自分の姉たちを思うと否定できなくなる。

 

「……何か懐かしい感じもするなぁ」

「え?剣丞さま、何かおっしゃいました?」

「い、いや。何でも……っ!?」

 

 ぼんやりと、剣丞の持つ刀が光を放つ。

 

「嘘だろ、おい……!」

 

 

「も、申し上げますっ!!」

「許す」

「はっ!美濃稲葉山方面より鬼の軍勢がこちらに向かっておりますっ!そ、その数およそ千!!」

 

 報告を受けた久遠が眉を顰める。

 

「……鬼が徒党を組んでいる、と?」

「い、いえ……偶発的に現れたにしては数が多く、徒党を組んでいるというには動きが乱雑であり……」

「よい。下がれ」

「はっ!」

 

 一瞬、目を閉じて考える久遠であったが、目を開け詩乃へと視線を向ける。

 

「……詩乃よ。そなたの智、借りてよいか?」

 

 

「槍隊前へ!」

 

 麦穂の号令で部隊が動く。

 

「柴田どのと森どののところまで前進するのです!二人の後方へ弓矢隊撃てっ!」

 

 一騎打ちをしていた二人が孤立する形で鬼の軍勢が現れた。そのため、麦穂がすぐさま指揮をとり二人の下へと向かおうとしている状況だ。

 

「剣丞さま、突出しないでくださいっ!」

「ごめん!でも早く二人のところにいかないと!」

「気持ちは分かりますが、剣丞さま落ち着いてください!」

 

 ひよ子と転子が剣丞を諌める。

 

「剣丞さま!この部隊は私たち以外はそこまで練度も高いわけでもありません!私たちが離れればそれだけで部隊は壊滅する可能性もあるんですよ!」

 

 新介の言葉にはっとする剣丞。

 

「っていうか、鬼増えてない!?」

 

 小平太の言葉で全員が周囲を確認する。倒れては煙のように消えていく鬼。だが、その数が減っているようには確かに見えない。

 

「うわああ!?」

 

 足軽の一人が鬼に押し倒されるような形になる。鬼の牙が届くよりも先に剣丞の刀が鬼を消滅させる。

 

「大丈夫か!」

「あ、ありがとうごぜえやす!」

 

 剣丞に手を借り起き上がる足軽。剣丞は周囲を再度見渡すと、少し離れた場所……久遠がいた本陣付近だろうか、そこから土煙が上がっているのが見える。

 

「っ!久遠が動いた……?もしかして詩乃の采配か?」

 

 

「壬月さま、まだいけますか!」

「当たり前だ!蘭丸こそまだ大丈夫だな?」

「はいっ!……ですが、なかなか合流できませんね」

 

 互いに一騎打ちの状況から打って変わって二人で鬼を相手に大立ち回りを見せる蘭丸と壬月であるが、殺到する鬼の数にその場からほとんど動くことが出来ずにいた。

 

「しかし、何なんでしょうね。これほどの数の鬼、隠れていたとも思えません」

「確かにな。だが、今は考えている場合ではなかろう。……む、殿が動いたか?」

「っ!壬月さま、早く行きましょう!」

「……はぁ。相変わらずだな、蘭丸は」

 

 

「……ふむ、鬼の動きは変わらず、と。やはり何かの狙いがあるようには考えられませんが……もし鬼を動かすものがいるとすれば……?」

「詩乃、何か分かったか?」

「はい。鬼の動きはすべて『剣丞さまを中心に』動いている……つまりは剣丞さまを動かせば鬼も動く可能性が高い。そう考えられます」

 

 詩乃の言葉と、今の状況を確認した久遠がうなずく。

 

「ならば、剣丞を動かしまずは事態の収拾をつけることを最優先で行う」

 

 

「やっぱり、俺の刀に鬼が近づいてきてる……!」

「くっ、このままじゃやばいって!新介、孤立しかけてる!」

「分かってるわよ!っ、ひよ、ころ!踏ん張りなさいよ!」

「は、はいぃ!!」

「皆も頑張って!」

「「応っ!!」」

 

 蘭丸隊にはほかの場所に比べて圧倒的に鬼が寄ってくる量が多く少しずつ麦穂たちから離れていっていた。麦穂もそれに気づき部隊を動かしてはいたが、同時に蘭丸たちのほうへも進んでいたため少しずつ押されている。そのときだった。遠方から聞こえる奇声のような叫び声。

 

「ひゃっはーっ!!」

 

 そんな普通であれば驚くような声も、今の状況では救いの声だった。

 

 

「……ふふ、流石は森一家だな。鬼の臭いを嗅いできおったか」

「……私は蘭丸さましか詳しくは存じ上げませぬが、森一家は鬼の臭いが分かるのですか?」

「鬼というよりは戦や血の臭いといったほうが正しいやもしれんな。それで詩乃、策に変更はあるか?」

「……もはや策など不要……ではありませんか?」

 

 

「おう、お蘭に壬月ではないか。何だ何だ二人で楽しみおって」

「母さま!」

「……森の。礼は言わんぞ」

「はっはっはっ!まさか鬼柴田どのがこの程度でくたばるとは思うておらんわ!しかし何事だ、この鬼の数は」

「分かりません。……ですが、鬼の動きから察するに」

「あの孺子か。面白い奴じゃな!」

 

 笑いながら鬼を切り殺す桐琴に苦笑いの壬月。

 

「ちぃ、クソガキが一人で楽しんでおるわ。ワシもあっちへ行く。お蘭は……殿のところへ行け」

「はい!」

「はぁぁ……まぁいいか。蘭丸、私は麦穂と合流する。殿のことは任せたぞ」

 

 

「お蘭!無事であったか!」

「はいっ!久遠さまもご無事でなによりです!」

「……」

「詩乃、部隊を動かしてくれたのは貴女ですね?ありがとう」

「いえ、私は自分に出来ることをやったまでです。蘭丸さま、今回の鬼の狙いは何だとお考えですか?」

「正直わかりません。……ですが、偶然というにはあまりに数が多すぎる。鬼についてもっと調べなくてはいけないかもしれません」

「そうだな。……こんなに数がいるのであれば、尾張での夜間の外出は今以上に強化して禁止せねばならんだろう。……しかし、圧巻だな」

 

 森家が鬼との戦いに乱入して一刻も経たない間に殲滅されていく鬼たち。

 

「……しかし妙ですね。どうして今鬼は減っているのでしょう」

 

 蘭丸が言うと久遠も怪訝な顔を浮かべる。

 

「……ふむ、先ほどまでは鬼が減らなかった、ということか?」

「はい、壬月さまと私が戦っている間での感覚ですが……恐らくは間違いないと思います」

「確かに。戦場を此処から見ておりましたが、鬼の数の変動が少なくおかしくは思っておりました。……蘭丸さま、ほかに戦っている中で何か異変などは感じられませんでしたか?」

「……そうですね、ほかには……鬼が弱く、感じました」

「弱く、ですか。それは……私には分かりかねる感覚ですね」

「えぇ。なんというか……そう、劣化した刀のような弱い印象を」

「……ふむ、鬼にも種類がいる、可能性がある?……いえ、ですが……」

 

 ぶつぶつと独り言のように考え込む詩乃。

 

「……おけい。今はとにかく一旦、尾張まで引き上げることとする。お蘭、もう少し詩乃の力を借りるぞ」

「はい、久遠さまの御心のままに」

 

 

「……ふむ、力をつける前の織田であればこの程度の軍勢でも狩れるやもしれぬと思ったが……この程度では荒加賀が裔の力を削ぐには至らないか」

 

 くくっ、と含み笑いのような声を漏らしながら男がつぶやく。

 

「……此度は朕にも考えがある。……荒加賀が裔にはもう少し踊ってもらうとしよう。……狙いは」

 

 ぼんやりと男の前に浮かび上がるのは蘭丸と詩乃の姿。

 

「荒加賀が裔の武と智と成り得る者を奪わせてもらうぞ……くくくっ……はっはっはっ!!」

 

 男の嗤いに反応するように周囲の鬼がざわめく。

 

 

 男の野望は未だ潰えない。




この男はほかの世界線の記憶を微妙にですが持っています。
なので原作や私の過去作よりも厄介な相手になることでしょう。

誰なんだろう、この男は(ぉぃ


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21話 稲葉山城攻略戦(前編)

感想でタイトル変更の声もありましたが、現状は変更なしで書かせていただきます。


「失礼いたします」

 

 そんな声と共に入ってきたのは演習後すぐに美濃へと城やそのほかの状況を確認すべく送り込んだ忍であった。

 

「報告を」

 

 久遠ではなく蘭丸がそういうと忍が口を開く。

 

「はっ。恐れながら、稲葉山の確認を行いましたが特に変化はありませんでした。周囲の村も共に確認いたしましたが、鬼の姿かたちもなく平穏といったところです」

「そうですか。引き続き調査の続行を」

「はっ」

 

 返事と共に忍が姿を消す。

 

「ふむ……お蘭よ、どう考える?」

「……確証はありませんが、やはり鬼の襲撃は何者かの陰謀の可能性があると」

 

 蘭丸の言葉に静かに目を閉じる久遠。

 

「……今までには考えられんかった話ではあるが……鬼という存在自体が不明(わけわからず)なモノであるからな。否定はできまい」

「はい。……ですが、現時点では論ずる意味はあまりないかと。結果として美濃は無事……といっていいのか分かりませんが鬼の影響はなさそうです」

「うむ。良かったのか悪かったのかは難しいところであるな。……ふむ」

 

 再び久遠がなにやら考え込む素振りを見せる。蘭丸がそれを見て一瞬だけ何かを考える顔をしたが、久遠はそれに気づくことはなかった。

 

 

「何、殿が出陣されるやもしれんと?」

「それは……蘭ちゃんが言うのならあり得る話かもしれませんね」

 

 久遠のもとを辞してからすぐに蘭丸は壬月と麦穂のところへと向かっていた。

 

「はい。……恐らく、ですが早ければ今夜にでも出陣される可能性もあるかと」

「はぁ……まったく、私や麦穂はほとんど準備は済んではいるが……三バカは遅れるかもしれんな」

「そうですね……先ほど確認したところ準備は八割といったところでしたね」

「勿論、私たちの部隊の準備は終わっています」

「あの馬鹿どもにも見習わせたいものだな」

「ふふ、うちには軍師もいますからね。……此度の戦、私と新介、小平太の三人は久遠さまのお傍に仕えておく予定ですので……」

「えぇ。剣丞どのたちのことは任せて置いてください」

「うむ。……恐らく森の……桐琴も出張ってくるだろうからその必要があるかどうか分からんがな」

 

 

「……よし!」

 

 日も沈み、夜の足音が聞こえてくる時間。久遠がパシンと座っていた足を叩き立ち上がる。

 

「久遠さま、ご出陣ですか?」

「うむ!機は熟した。……準備は出来ておろう?」

「はい。久遠さまの具足などもこちらに」

 

 既に準備万端の蘭丸の言葉に満足そうに頷く久遠。蘭丸が刀を久遠に手渡し、具足を取り付ける。二人で共に城の正面の門へと向かう。

 

「殿に蘭丸さま!?こ、このような時間に一体……」

「今より久遠さまと共に出陣します。陣触れの陣貝(かい)を!」

「は、はいっ!?」

「新介、小平太!」

「「ここに!」」

 

 蘭丸の声に答え、新介が久遠の、小平太が蘭丸の馬を引いてくる。

 

「出陣します。供を。新介は馬廻りへの指示をお願いします」

「はいっ!」

「いつでも!」

「……よし、それでは行くぞ!」

「「「はっ!!」」」

 

 

「わわっ!?ほ、ホントに陣触れの陣貝ですよぉ、剣丞さま!!」

「マジか……さすがは蘭ちゃんだなぁ」

「剣丞さま、感心してる場合じゃありませんよ!」

「剣丞さまはご自身のしたいようにしてくださって結構ですよ」

「詩乃ちゃん!?」

 

 剣丞に詩乃が言う。

 

「剣丞さまには自由にさせるようにと蘭丸さまからご指示を頂いておりますので。……蘭丸隊の準備も済んでおりますが、剣丞さまはどうなさいますか?」

 

 詩乃の言葉に一瞬目を閉じ何かを考えるが、すぐに目を開くとまっすぐに詩乃を見る。

 

「……俺にも準備のことを教えてほしい。時間に余裕があるわけでもないことは分かってる。でも……」

「……分かりました。それでは剣丞さまはころと兵糧の最終準備を。出陣して後、蘭丸さまとは別行動になりますのでその際にご説明させていただきます」

「ありがとう!」

「剣丞さま、こちらへ!」

 

 剣丞と転子が一緒に走っていくのを見たあと、ひよ子が詩乃をじっと見つめる。

 

「……何か?」

「今のも蘭丸さんからの指示?」

「……内緒です」

 

 

「久遠さま。まもなく稲葉山城が見えてくるころです。……このあたりで」

「うむ。後続を待つとしよう」

「はい。小平太、後方よりついてきている新介たちにも一度止まるよう伝えてきてください」

「分かりましたっ!」

 

 小平太が離れた後、蘭丸が久遠へと視線を向ける。

 

「久遠さま、また壬月さまと麦穂さまに怒られますね」

「ふふ、お蘭も一緒なら我は大丈夫だぞ?それに前もって近く出陣する旨は伝えておったであろう。……それに、お蘭のことだ。壬月あたりには伝えておるだろう?」

「流石は久遠さま。お見通しですか」

「……しかし、正直あまり時間はかけられぬな」

「はい。内応の約束をした将たちも我らが不利となれば迷わず約束を反故にするでしょう。……城を囲んでからあまり時間はないと見たほうがいいですね」

「デアルカ。……さて、そうなるとどれだけ早く門を破れるかが重要であるな」

「殿ぉー!」

 

 久遠と蘭丸の会話に割り込むように後方から声が聞こえてくる。

 

「壬月か。苦労」

「苦労、ではありません!いつもいつも突然のご出陣、それだけは勘弁してくださいと言っているでしょう!」

「まごついておれば時機を逃す。……さっさと動かん貴様らが悪い。それにお蘭から話は聞いていただろう?」

「相変わらずの仰りようですねぇ……。たしかに蘭ちゃんから伺ってはいましたが、少しは後ろを追いかける者の身にもなってください」

「気が向いたらな。……それで、兵は?」

「私と麦穂、二人の衆が先行し、これが千。その後ろに蘭丸隊の百」

 

 壬月が言う。

 

「その後ろに三千ほど。更にその後続に三千。ついで二千と荷駄といったところでしょう」

「九千前後か。ふむ、予想以上に来て居るな」

「蘭ちゃんからの言葉もですが、近々陣触れがあることは予想しておりましたからね。……母衣衆は一番後ろをついてきておりますが」

「……あの馬鹿どもは……」

 

 しかめっ面で髪を掻き揚げる壬月を見て蘭丸がクスクスと笑う。

 

「待っている時間が惜しい。壬月は我と共に先行せよ。麦穂は後続を纏めておけ」

「「御意」」

「蘭ちゃん!」

 

 剣丞、ひよ子、転子、詩乃の四人が馬で駆け寄ってくる。

 

「剣丞さま!これより私は新介、小平太と共に久遠さまにつきます。詩乃から聞いているとは思いますが……」

「うん、部隊は俺たちに任せて。あと、ひとつ案があるんだけど」

「案、ですか?」

 

 

「……成程。侵入できる経路、か」

「剣丞さま、それは流石に危険すぎます!」

「うん、危険だとは思う。だけど、戦況を考えて最も有効な手段になると思う」

 

 考える久遠と危険と言う蘭丸に剣丞が力強く説明する。

 

「……お蘭よ、どうする?」

「久遠さまの決定に従います」

「分かった。ならば剣丞よ、見事その役、果たして見せよ!」

「あぁ!任せてくれ!」

「……良かったのですか、殿。これで孺子が死んでしまっては元も子もないと思いますが」

「奴も覚悟を持って決断したことであろう。ならば我は信じてやるだけだ。……お蘭は不満か?」

「……いえ。いずれは剣丞さまにも命を賭けるときが来るとは思っていましたので」

「殿、少し不満そうですぞ。後で機嫌をとっておいてくだされ。……蘭丸と殿が喧嘩をされては家中が割れますぞ」

「わ、分かっておるわっ!……お、お蘭はそんなに怒ってそうか?」

 

 少しだけ動揺を見せる久遠に苦笑いの壬月。

 

「……そこまででは。殿からやさしい言葉をかけていただければすぐに落ち着くかと。……しかし相も変わらず蘭丸は殿の弱点ですな」

「……煩いわ」

 

 

「……お蘭、まずは井之口を制圧した後、建物を焼き払おうと思う」

「はっ。既に町の代表への話は通してあります。あとで補償する旨も伝え、協力もしていただけるとのことです」

「流石はお蘭だな。我の考えることはお見通しか」

「ふふ、稲葉山を落とすだけで久遠さまの足が止まるとは思えませんから。少しでも被害を減らすのであればそれが優良な選択かと思いましたので」

「西濃衆、稲葉様より伝令!斉藤龍興は織田の動きの早さに恐れをなし、稲葉山城に籠もることを選択したとのこと!また美濃各地と、飛騨、越前に援軍を乞う早馬を出した由!お気を付けられたし、とのことです!」

「苦労!」

 

 伝令の言葉を聴いた久遠がねぎらいの言葉をかけ、視線を蘭丸と壬月へと向ける。

 

「予想通りの展開ですな」

「うむ。援軍の要請に果たして誰が答えるのか……。共々、急ぐぞ!」

 

 途中で小豪族を吸収しながら軍の人数を増やしつつ稲葉山城へと向かう久遠たち。更に後続の部隊も合流し、井之口の焼き払いも無事に進み、仮屋の建設も着々と進んでいた。

 

「久遠さま、後続の麦穂さま方も到着されました」

「うむ。お蘭、すぐに軍議を始める。主だった者を集めてくれ」

「はっ!」

 

 

「知っての通り、稲葉山城は天下に名だたる堅城だ。包囲したからといってすぐには落ちんだろう」

「先々代・利政さまが築城の粋を注ぎ込んで造ったのが、あの稲葉山城ですもの。厳しい戦いになるでしょう」

 

 久遠の言葉に続けるように麦穂が言う。

 

「殿、調略が行き届いていない各地の豪族がいつ背後を襲うか分からない状況です。……いつまでも包囲を続けることは出来ますまい」

「その通りだ。……よって今回は強攻する」

「なんと……」

 

 壬月の言葉に答えた久遠に驚きの声が上がる。

 

「しかし強攻したからとて、城が落ちるはずもございません。(いたずら)に消耗しては……」

「麦穂の意見も(もっと)もである。が……剣丞」

「ほいよ。ころ、地図を広げて」

「はいっ!」

 

 剣丞の作戦は、稲葉山城の裏手から侵入し三の丸を直接開ける……というものであった。道は獣道で、既に蘭丸隊の数人を派遣して場所の確認もしているとのことだった。

 

「……確かに剣丞どのの仰るように事態が進めば、稲葉山城は落ちたも同然となります。しかし……私は賛成できません。危険すぎます」

 

 麦穂が反対意見をあげる。

 

「……うむ。危険なのは我も重々承知している。だが剣丞と話し……我は剣丞にすべてを託そうを思った。これには蘭丸も同意してくれている」

 

 その言葉に何かを言おうとした麦穂も黙り込む。

 

「ありがとう、麦穂さん。だけど大丈夫。きっとやり遂げてみせるから」

「……決まったな。蘭丸隊以外の者どもは、まず七曲口より部隊を移動し鬨の声を上げ続けよ」

「注意がそっちに向いている間に、俺たちが三の丸の西門を開ける、ってのが流れかな

「そうだ。丹羽衆は、百曲口が開門したと同時に内部に突入し、二の丸を落とすべく火のように攻め立てよ」

「お任せください!蘭ちゃんとの約束……剣丞どののお働きを無駄にせぬように、必ずや二の丸を落としてご覧に入れましょう!」

「気合を入れすぎて、察知されんようにな」

「うっ、気をつけます……」

「ではこれにて軍議を終了する。……各々、励め」

 

 こうして、稲葉山城攻略戦は始まる。




続きも早めに上げられるように頑張ります!


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22話 稲葉山城攻略戦(後編)

「しかし、先ほどは予想外であったな」

「麦穂さまが先陣を立候補されたことですか?」

「うむ。あれほど力強く麦穂が出るとは思わなかったからな」

 

 剣丞たちが出発してから壬月が先陣を和奏と犬子に任せようとしたところ、麦穂が異議を申し立てたのだ。最終的には和奏と犬子が先陣を切ることにはなったのだが。

 

「恐らくですが、私が麦穂さまに剣丞さまたちをお願いしますとお伝えしたからかと思われます」

「ほぅ……麦穂が、な。……ふむ」

「それはそうと……そろそろ三の丸に和奏たちが寄せるころですね」

「で、あるな。……あとは剣丞たちの動きが重要になるな」

「大丈夫ですよ、剣丞さまたちなら」

「ふふ、お蘭もあの男を信頼するようになったようだな」

「……はい。剣丞さまは信頼に値する方に成長されています。あのすべてに精通するだけの才を持っているのはすばらしいと思います」

「まるでお蘭のようであるな」

「私はそれほどでもありませんよ。……この気配……」

 

 戦場より後方から恐ろしいほどの勢いで迫り来る気配。織田において最も恐ろしく頼もしい存在。

 

「ほぅ、もう向かっておるのか」

「そのようです。ふふ、母さまも姉さまも張り切っているようですね。……それに」

 

 門のほうから合図の煙が上がる。

 

「剣丞の奴……やりおったか!」

「そのようですね。本丸のほうには壬月さまが向かわれているようですし……」

「ふむ、であれば我らも動くときであるな」

「はい!久遠さま、ご指示をお願いします!」

「時は来た!美濃の蝮、斉藤山城より受けた国譲り状を今こそ現実にするときだ!」

 

 久遠の言葉に本陣の兵はごくりと息をのむ。

 

「勝負は二度あらじ!皆、奮えっ!!」

「「おーっ!!」」

「皆のもの、出陣です!」

 

 

 本陣が動くのと同時刻。

 

「おらぁ!みんな黒母衣衆の意地を見せろぉ!」

「赤母衣のみんなも黒母衣に負けるなー!」

「滝川衆、あまり前に出ると母衣衆の邪魔だから、遠巻きにして鉄砲戦でもしておこー」

「掛かれ掛かれ!共々、掛かれ!」

 

壬月と三若が最後の城門に対して攻勢をかけていた。門の前は壮絶な戦いが繰り広げられているが、どう見ても斉藤側の士気は低い。それでも簡単に落ちないのは流石は天下の堅城といったところか。

 

「壬月さん!俺たちにも何か協力することないかな?」

「孺子か。こういったことは我ら武闘派に任せておけ。蘭丸隊は一部を除いて荒事にはむかんだろう」

「分かってるんだけど……」

「阿呆。人には向き不向きがある。壬月の言うとおり、ここはワシらに任せておけや」

「そうそう。人の稼ぎ場を荒らすんじゃねーよ」

「母さま、姉さまの仰るとおりですよ、剣丞さま。久遠さまからも下がって休んでおくようにとのご指示です」

「ほお、森の。……戦の臭いで重い腰を上げたか」

 

 壬月が桐琴に声をかける。

 

「ぼんくらの龍興の相手なんぞ、気が進まんかったが、そのぼんくらに手こずる三バカを見ていたら、イライラしてきたからな」

「あいつら、あんなんでマジで母衣を背負ってんのか?オレらにかかりゃ、瞬殺だぞあんなの」

「ふふ、母さま姉さまを基準で考えてしまってはいけませんよ。それに部隊の指示などは春香さんにお任せしているんですから」

「蘭ちゃんまで……もしかして久遠の指示?」

「はい。久々に母さまと姉さまと馬を並べて来い、とのお言葉を頂きました」

「……蘭丸まで合流しおったか。まったく殿は何を考えているのやら……」

 

 壬月がため息をつきながら頭を押さえる。

 

「というわけだ。……この戦場は森一家が仕切る。異論はあるまいな?」

「やれやれ。……だが、このままではラチが明かんのも事実か。……任せよう」

「おう、素直な奴は好きだぞ壬月ぃ。……おいガキ」

「おお!オレに任せとけや、母!お蘭もしっかり見とけよ!」

「はい、姉さま!」

 

 そういうと小夜叉はズカズカと門のほうへと歩いていく。

 

「おらぁ!三バカぁ!てめぇら門の前からさっさとどけやーっ!」

「誰が三バカだぁ!ボクらは織田の三若だぁ!」

「げーっ!和奏、旗!旗見て旗!」

 

 小夜叉の言葉に反射的に言い返した和奏に対して犬子が顔を青くして言う。

 

「うわぁ……森の鶴丸紋が出てきちゃったよ。滝川衆、後退後退ー!すぐに後退しないと殺られちゃうよー!」

 

 顔を引き攣らせながら雛が指示を出す。

 

「赤母衣も一端下がるよ!和奏、早く!」

「くっそー!ボクらがどうして森のガキに命令されないとならないんだよぉ!」

「今はとにかく後ろに下がろうって!じゃないと味方に頸をもがれちゃうよ!」

「むー……分かったよ!てめぇらに一番乗りの功は譲ってやる!感謝しろ!」

 

 和奏が負け惜しみの言葉を放つと呆れたように桐琴が前に出る。

 

「何を偉そうに。貴様らがぬるいのが悪い。さっさと退かんとてめぇの頸も刈ってやんぞ?あ?」

「むぐっ……。森の姐さん、よろしく頼みます……」

 

 桐琴に気圧されるように和奏が下がる。

 

「最初から素直にそう言えや。……ガキぃ!」

「応よーっ!森の鶴紋なびかせて、尾張が一の悪ざむらい!森一家たぁ、オレらのことだ!」

 

 小夜叉の名乗りが周囲に響き渡る。

 

「森の一家の目前にあるは、刈る頸、刈る耳、刈る武功!荒稼ぎの邪魔するやつぁ、味方といえどもぶっ殺す!森の戦ぁ、その目でとくと拝みやがれ!……お蘭!」

 

 桐琴も名乗りを上げて蘭丸に言葉を渡す。

 

「久遠さまの御為に。一家の皆さん、存分に槍働きを」

「「おぉーっ!!」」

「……ったく、何でお蘭のときだけヤル気出してやがんだ、若い衆は。……とはいえ」

 

 ニヤリと口角を上げる桐琴。それを見て小夜叉が口を開く。

 

「ひゃっはーっ!皆殺しだぁーーーーっ!!」

 

 

「は、はは。鬼退治で少しは知ってたつもりだったけど……」

「孺子、死にたくなかったら、あまり絡まないようにしておけ。蘭丸の部隊である以上無理だとは思うがな」

 

 壬月の言葉に頬を引き攣らせている蘭丸隊の面々。

 

「三若に経験を積ませるために、様子を見ていたが……時を過ごしすぎた。ここは森に任せ、私は別の仕事に向かうとしよう」

「……一応だけど、蘭ちゃんはあのままで大丈夫なんだよね?」

「……あれでも蘭丸も森一家だからな。大丈夫だ」

「そっか。……それで別の仕事って?」

「稲葉山城周辺の征圧に向かう。おっとり刀で駆けつける敵の援軍を追い払うためにもな」

「あ、そっか。……いってらっしゃい、壬月さん」

「うむ。殿がいらっしゃるまで、名代としてここの指揮を貴様に任せる。恐らく各務も来るだろうから後は頼んだぞ」

「えっ!?俺!?」

「門が開いたぞーっ!」

 

 壬月の言葉に剣丞が驚いている間に門が開いたという声が響く。

 

「マジかよ!早っ!!」

「壬月さん、後は私と剣丞どのにお任せください」

「応。各務、後は任せる」

 

 いつの間にか剣丞の隣に立っていた春香が壬月に声をかける。

 

「は、春香さん!?いつの間に」

「つい先ほどですよ。剣丞どの、あとは城内の掃除が終わるまで、桐琴さんたちの好きにさせておいてかまいません。その後の事後処理についてご説明しますね。……よろしければ竹中さんにもお伝えしておきたいので」

「私、ですか?」

「えぇ。蘭ちゃんの軍師になったと聞いておりますので。公私共に支えていただきたいと思いますから」

「!は、はい!」

「ひよさんところさんもお願いしますね」

「「は、はいっ!!」」

 

 

 そのころ、城内では森一家を中心にもはや蹂躙といってもおかしくない状況になっていた。

 

「おい、黒母衣連中!龍興を探せ龍興を!あいつの頸以外、用はネェ!」

「赤母衣のみんなも、黒母衣に負けてられないよー!兜頸、ジャンジャン狩り取っちゃおう!」

「滝川衆はほどほどに。あまり先走っちゃ駄目だよー。それにみんな、城内で森一家に鉢合わせしたら、槍の穂先は下に向けて、蘭丸くん以外は目を合わせないように」

「ちょっとでも逆らったら、すぐに殺されちゃうから、森一家を見かけたらすぐに逃げること!」

「黒母衣も分かったな!」

 

 三若の言葉に返事をする兵たち。……はたから見ればよく分からない状況である。

 

「それじゃ、森一家に目を付けられないように注意しつつ動くよー」

「手に入れろ!龍興の頸♪」

「日の本イットー、武功な奇跡~♪」

「……歌いながら人の頸を狩りに行くって、母衣衆も森一家も怖いわー……」

 

 雛はボソリと独り言をつぶやく。

 

 

「おぉ、剣丞に春香ではないか。ここで名代をしておったのか?」

「久遠。下は大丈夫なの?」

「あぁ。麦穂に二の丸で拠点を作っている。奴に任せておけば万事うまくいくからな。……で?」

「壬月さんは周囲の制圧に向かわれました。剣丞どのと詩乃さんは私とお勉強です」

「ほぅ。……うむ、春香であれば問題ないか。ではこのまま此処の名代は任せるとしよう」

「かしこまりました。……久遠さまは如何なされるのですか?」

「お蘭の戻りを待ちながらここで貴様たちを見ているとしよう」

「ふふ、かしこまりました」

 

 

「……お蘭、何を考えておる?」

「母さま。……私は利政さまのことを存じ上げません。久遠さまが心を許し、結菜さまの母さまでもあらせられる。その方の城を落とす……久遠さまのお気持ちを」

「お蘭。お前が気に病む必要はなかろう。美濃を譲りうけたのは殿だ。そして織田の宿願でもある。殿も結菜さまもお蘭には感謝せど何も思うまいよ。それに、殿や結菜さまが何かを思うのであればそれは本人の自由であろう。……そんな顔をするな。かわいい顔が台無しだぞ」

 

 笑いながら蘭丸の頬をぐいぐいと上げる桐琴。

 

「母さま……。はい」

 

 そんな家族での談話をしながらも襲いくる斉藤の足軽を片手で叩き伏せていたりするのだが。

 

「おい、母にお蘭!そんなのんびりしてたら全部オレが頸はもらっちまうぜ!?」

「チッ!ガキぃ!調子に乗るな!」

 

 城が完全に落ちるのも時間の問題となった。城の外にいる久遠と中にいる蘭丸が思うことはひとつであった。

 

 

「久遠さまが目指す、天下布武への道」

「我が目指す、天下布武への道」

 

 二人がポツリとつぶやいたそのときに、聞こえてくる勝ち鬨の声。

 

 

 久遠の思い描く天下布武への大きな第一歩。それを支える蘭丸にとっても大きな試練が待ち構えて異様とはこのときはまだ知る由もなかった。




これにて稲葉山城攻略は終わります。

ここからオリジナル展開も増えていきますのでお楽しみに!


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23話 いざ、堺

 無事に稲葉山城に入城した久遠は、稲葉山城を岐阜城と改名した。天下の堅城として名高い城の改名には天下統一の願をかけられていたりする。そしてついに久遠の口から家臣団へ目標を告げられることになる。

 

「我が目指すもの……それは天下布武への道」

 

 久遠の言葉に皆が沈黙する。意味を考えているのだろうか、蘭丸だけはその想いを知っている為、ついに久遠の天下統一への道がはじまったと強く感じたのだろう、力強く頷く。

 岐阜という名を表明したときよりも大きな反応が評定の間を包んだ。

 

 そして、久遠の天下布武の表明は国外へも伝わっていく。

 

 ある者は、天下を武によって治めようとは言語道断である、所詮は尾張のうつけか、と。

 またある者は、天下の覇を唱える敵が生まれたか、と。

 

 反応はさまざまであったが、久遠の本心を理解しているものがどれほどいるだろうか。

 

 

「お蘭!」

 

 早朝。まだ日が昇るよりも前の時間。久遠の屋敷に泊まっていた蘭丸に跨るようにして久遠が呼びかける。

 

「く、久遠さまっ!?こんな朝早くにどうかされましたか?」

 

 驚きながらも蘭丸が久遠にたずねる。身体を起こそうとするが、右腕に抱きついた状態で眠っている結菜を気遣って頭をもたげるだけに留める。

 

「ちょっと遠出する。供をしてくれるな?」

「勿論です……が、まだ結菜さまがお休みですので……」

「……もう起きたわよ。久遠、もしかして前言っていた件かしら?」

 

 眠そうな様子を見せずに結菜が起きる。それに合わせて蘭丸も身体を起こそうとするが、何故か跨ったまま久遠が動こうとしないため困った様子だ。

 

「うむ。そろそろ例の目的も動いていきたいと思ってな」

 

 そう結菜に言う久遠であったが、その久遠を見て蘭丸が視線を逸らす。

 

「?……どうした、お蘭?」

「く、久遠さま……!あの、よろしければ離れていただけると……」

「……お蘭は我とくっついているのが嫌か?」

 

 少し不満そうにジト目でたずねる久遠。

 

「そ、そういうわけではっ!」

 

 何故か力強く言う蘭丸と怪訝な顔を浮かべる久遠。そんな二人を見て状況を理解した結菜が悪戯っぽく笑う。

 

「ふふ、久遠ったら大胆ねぇ」

「?何を言っておる、結菜?」

 

 首を傾げながら久遠は結菜の視線を追うように自分の体勢を確認する。蘭丸と久遠の体勢からすると自らの下着が見えていたことに気づく。

 

「み、見たか?」

「あ、あのっ!」

「もう、久遠が見せてたんでしょ。蘭ちゃんをいじめないの」

「結菜!?我は見せたりしてないぞっ!?」

 

 結菜の呆れたような言葉に慌てて反論する久遠。

 

「はいはい。で、久遠、すぐにでも出発するのよね?それと蘭ちゃん、感想は?」

「すぐにでも出るぞ。……感想とは何だ?」

「え、えっと。久遠さま、とても……可愛かったです」

「かかかか、可愛いっ!?」

 

 少し恥ずかしそうに言う蘭丸と動揺する久遠。わたわたと慌てている姿を見て、先日天下布武の表明をした凛々しい織田の殿と同一人物であると誰がわかるだろうか。

 

「ゆ、結菜ぁ……」

「全く。あれから年月も経ってるのに、そういうところは全然変わらないんだから」

「以前にも何かあったのですか?」

「えぇ。母に褒められたときにもね、こういう風になったの」

「うぅ……お蘭!」

 

 恨めしげに何故か蘭丸を見る久遠。

 

「はいっ!」

「お蘭のほうが、可愛いぞ?」

「……はい?」

「……久遠、一応確認だけど、それ褒めてるのよね?」

 

 結菜の呆れた風な言葉に、流石の蘭丸も内心で同意したという。

 

 

「久遠さま、それで向かわれる先は……堺と京、ですか?」

「うむ。流石はお蘭。よく分かったな」

 

 髪を結菜に梳いてもらいながら蘭丸が言うと嬉しそうに久遠が肯定する。

 

「……だが、結菜。どうして我の髪よりも先にお蘭の髪を整える?」

「あら、久遠ったらやきもち妬いてるの?」

「そんなわけではないが」

「いいじゃない。蘭ちゃんがこっちに泊まってるときくらいしか出来ないんだから。でも、相変わらず綺麗な髪ねぇ。私以外に誰が手入れしてるの?」

「隊の長屋ではよくころや詩乃が、城に泊まったときには麦穂さんがしてくださることが多いですね」

「で、森の屋敷だと春香さんね。……でも羨ましいわ、久遠と同じ綺麗な黒髪で」

「結菜さまの髪もお綺麗ですよ」

「ふふ、ありがと。……これでよし、っと。それじゃ次は久遠ね」

「うむ。……だが結菜、あまり時間はないぞ?早くせねば壬月や麦穂に感づかれてしまう」

「では私は隊の長屋に行って旅支度を整えてまいります。久遠さまと結菜さまのものは準備できておりますので」

「頼む。供はそこまで多くなくて良いぞ?」

「かしこまりました。……そうですね、剣丞さま、新介、小平太には壬月さまたちのお相手をお願いしておきます」

 

 

「ふふ、久遠と一緒に旅行なんていつ以来かしら」

「我のところに来た以外はあまり遠出はしたことないな。一度市たちに会いに江北に行ったくらいか」

「懐かしいわねぇ。市ちゃん元気にしてるかしら」

「市のことだ。相も変わらず眞琴を引き回しておるだろうさ」

 

 そんな久遠と結菜の会話を聞きながら少し後方をついてきているのは蘭丸、詩乃、ひよ子、転子の四人だ。

 

「お市さま、ですか。お名前は聞いたことがあります。久遠さまの妹君で絶世の美女と噂されておりましたね」

 

 詩乃の言葉に蘭丸とひよ子が頷く。

 

「そうですよぉ!お市さまってとっても可愛らしくてお強いんですよ!」

「ふふ、家中では壬月さまに並ぶ武闘派でしたからね」

 

 市と面識のある蘭丸とひよ子の二人は噂との違いが分かるのだろう、少し笑いながら言う。

 

「み、壬月さまと並ぶって……」

「……想像できませんね」

 

 転子と詩乃が苦笑いを浮かべる。久遠と似た線の細い姿を想像していたのだろうか、全く想像が出来なくなってしまったようだ。

 

「いずれお会いする機会もあると思いますよ。……そうですね、もしかすると京からの帰りに寄ることになるかもしれませんし」

「わわ!そうなるならお市さまにお土産買わないとですね!」

「ひよはお市さまと仲が良かったですからね」

「はい!親しくさせてもらってました!」

「ひよって意外と凄いよね」

「ちょっところちゃん!意外ってどういうこと!」

 

 

「久遠さま、まもなく堺が見えてきます。それと、これより多方面への攻略が中心となる可能性を考えて剣丞さまたちには各方面への調略、情報収集の指示も出しております」

「うむ、苦労。……しかし相変わらずお蘭にはすべて読まれておるな」

「蘭ちゃんと喧嘩しないようにね、久遠」

「我とお蘭が喧嘩することなどない!」

「わわっ!蘭丸さん、堺が見えてきました!」

「すご。広く深い堀に高い壁。噂には聞いていましたが、まるで砦のようですね~」

「ふわ~……清洲のお城より壁が高いー。それに清洲のお城より堀が深い~。……すごいねぇ~」

 

 驚くひよ子と感心している転子。

 

「さすがは天下に鳴り響く、難攻不落の町・堺。町をグルッと深堀で囲い、橋によって進入路を制限していますね。門もかなり分厚いようですし、その上、高い壁の向こうにはいくつもの櫓が建っている……。それ相応の軍勢を持たなければ、落とすことなど不可能でしょう。理想的な平城と言えますね」

 

 詩乃がつらつらと感想を述べる。

 

「堺はこの戦乱の中、どの勢力にも属さずに自治を確立している稀有な町ですからね。そう簡単に落とされるような町であればそのようなことは出来ません」

「ふーん、凄いのねぇ。それで、蘭ちゃんはもし久遠に堺を落とせって言われたらどうする?」

「……そう、ですね。最悪、私か壬月さま、麦穂さまが命を賭ければ……でしょうか」

「そこまでして堺を欲しいとは思わん。……それに、協力関係を築くことが出来れば我らにとっても堺にとってもよいことだとは思わんか?」

「その通りです。……仮に堺を武力で落としたとしても商人たちの力を借りられなければ意味がありませんから」

「でも、ホントに凄いですよねぇ。これだけの規模になると……毎月の維持費は三万貫くらいかな?」

「ひよってそういうところ、やっぱり凄いわ」

 

 ぱっと暗算で計算したひよ子に感心したように転子が言う。

 

「えへへー、お金の計算だけは得意だもーん!」

「ふふ、流石ですね、ひよ」

 

 やさしく微笑む蘭丸に、嬉しそうなひよ子。

 

「……うむ。やはり蘭丸隊をつれてきて良かった」

「これからの世は土地や米ではなく、銭……ですか」

「その通りだ。これから武者のあり方も変わっていく。鉄砲の存在が戦のあり方を変えていくように、な」

「そういう意味では、これからの久遠さまの道にはひよは必要ですね」

「えぇっ!?わ、私はそんなに凄くないですよぉ!?」

 

 久遠と蘭丸の会話を慌てて否定するひよ子。この会話を剣丞が聞いていればさもありなん、と思ったであろうが。

 

「さて、世間話はこれぐらいにして、堺に入る。……お蘭」

「はいっ。これより久遠さまは田舎より上ってきた小名……ということでよろしいですか?」

「うむ。いつものであるな。お前たちもそれらしく振舞え」

 

 

「おい、姉ちゃんたち、そこで止まれ!何者や!」

「尾張国長田庄住人、長田三郎。堺見物に参った」

「田舎の小名が堺見物か。この乱世に、お気楽なご身分やのぉ」

 

 門番の男の言葉に結菜が少し眉を顰めるが、久遠は気にした風もなく言葉を返す。

 

「部屋住みの気楽さだ。姉が当主をやっている故、気楽なもんさ」

「二女か。ええのぉ。……で、何日おるんや?」

「五日程度を予定している」

「宿は?」

「信濃屋だ」

「三家か。まぁ尾張もんなら当然やな。ええやろ、通したろ。ただしや、姉さん。堺では二本差しの喧嘩は御法度や。その辺りは充分気ぃつけや?」

「承知している。しかし忠告、感謝する」

「おう、素直でええ姉さんや。なんかあったら、この矢吉が面倒みるさかい、気軽に言うてきぃ」

 

 久遠と門番の会話が終わる。久遠の返答に気をよくした門番が久遠に笑いながら言う。

 

「ふふっ、申し出は嬉しいが、世話にはならんさ」

「おう。そう頼むわ。……おーい、開門や」

 

 門番の言葉に返事が聞こえ、重厚な門がゆっくりと開いていく。

 

「ご一同、堺へようおこしー」

 

 門が開く中、蘭丸にそっと寄せた結菜が声をひそめてたずねてくる。

 

「蘭ちゃん、堺の商人って皆あんな感じなの?」

「そうですね……言葉は少し粗暴に聞こえるかもしれませんが、とても気のいい方々ですよ。慣れないと勘違いしてしまうかも知れませんが」

「ま、蘭ちゃんが大丈夫だっていうなら大丈夫なんでしょうね。私も堺は初めてだから楽しみね~」

「久遠さまとともに少しは時間が取れるように致しますので……」

「あら、そのときは蘭ちゃんも一緒よ?」

「い、いいのですか?」

「勿論。むしろ来てもらわないと困るわ」

「おい、結菜、お蘭!そろそろ行くぞ!」

「はい、ただいま!」

「はーい」

 

 一行は堺へと足を踏み入れる。ここでまたひとつの出会いが待っているとは、このときはまだ知る由もない。




本編とは違い、結菜も同行しています。
堺での日常パートは幕間で書く予定になっておりますのでお楽しみに!


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24話 運命の出会い

お久しぶりです!
お待ちいただいていた方はお待たせいたしました!


 堺に入り、大通りを歩いているのだが、通りの両端には比較的大きな商店が数多く並び、人足や町娘、商人たちがごった返していた。

 

「反物や材木、鎧刀に鉄砲。食料も豊富で、ホント、何でもござれですね、この町は」

 

 転子が周囲を見渡しながら言う。

 

「ホントねぇ。尾張じゃあまり見ない食材もあるわ。あ、久遠、アレ安いわよ!」

「……結菜、まぁ構わんのだが今はまだ買わんぞ」

 

 結菜がぐいぐいと久遠の腕を引きながら言う。呆れたような久遠の物言いに蘭丸が微笑む。

 

「ああ!あの髪飾り可愛い!あんな意匠の、清洲では見たことない!」

「あ、ホントだ。でもちょっと高い。……あ!あっちのも可愛くない?」

「うわー!すっごく可愛い!欲しいなぁ……」

「うーん、これは一日でお金が無くなっちゃいそうね」

「お二人とも、今は護衛の最中ということをお忘れなく」

 

 楽しそうに話すひよ子と転子に詩乃がため息をつきながら伝える。

 

「ふふ、詩乃、構いませんよ。物見に来たと思われているほうが私たちとしては助かりますから。それにどのような理由があったとしても武士同士の争いは御法度ですから、この地は逆に比較的安全といえます」

「……蘭丸さまがそう仰るなら。まぁ、会合衆を敵に回しますから、会合衆が物を売らない、と決定すれば、小名ならばすぐに干上がってしまうでしょう」

「会合衆の力……というよりは銭の力が怖いということですね。私と詩乃でしっかりと二人を守ってあげましょうね」

「蘭丸さまのご意思ならば」

 

 微かに笑った詩乃に蘭丸は頷く。

 

「久遠さま、まずはどうされますか?お先に宿に向かわれますか?」

「いや、さきに店々を回ったあとで湊に向かいたい」

「かしこまりました。では南蛮商人と繋がりを持つ……といったところでしょうか?」

「あぁ。鉄砲の調達量を増やしたい。それに玉薬は国内では安定供給ができんからな」

「それで……久遠さま、伝手などはあるのですか?」

 

 蘭丸の質問に困ったような表情を浮かべる久遠。

 

「ない!……お蘭、何とかならんか」

「久遠ったら、蘭ちゃんに丸投げじゃない」

「我のお蘭であるからな!なんとかしてくれると信じておる」

「ご期待に沿える様、全力は尽くさせていただきますが……そうですね、詩乃。このあたりに天主教の宣教師がいる……などと聞いたことはありますか?」

「確か、寺院を構えていると風の噂で聞いたことがあります」

「成程。南蛮商人を紹介してもらう為にというわけであるな」

「ただ、恐らくは目立たないような形で建てられているでしょう。……ひよ、ころ!すみませんが聞き込みをお願いしていいですか?」

「「はいっ!!」」

 

 

「この十字の装飾がされたものが天主教の教会というものらしいです」

 

 聞き込みの甲斐もあって、表通りから少し外れた場所にひっそりと佇む建物。

 

「どうやら、僧兵の報復を避けるためにこんな場所に建ててるらしいです」

 

 転子が言う。

 

「このあたりというと……石山でしょうか?」

「坊主が圧力を掛けて喧嘩をふっかけるか。……さすがの会合衆も坊主には勝てんのだな」

「銭は力を持っていますが、それ以上に力を持つのは、死への恐怖、ということでしょう」

 

 呆れたようにつぶやいた久遠に詩乃が答える。

 

「みんな、死ぬのは怖いですから。死んだあとだからこそ幸せになりたいんですよ」

 

 そんな言葉を交わしながら小さな教会に足を踏み入れた。

 

 そこに、彼女はいた。

 

 

 この時代の日の本にはほとんど存在していない、小さなステンドグラスから光が差込、大きいというほどではない十字架を背後から照らしている。その十字架の下で、跪き、両手組み合わせて一心に祈っている少女がいた。

 

「っ!?」

 

 ドクン、と蘭丸の心臓が一際大きく鼓動を打つ。ズキンと頭が痛み、見たこともない光景が頭を過ぎる。それは、炎に包まれた建物の中、崩れ落ちた自身と久遠の姿。そして……それを冷たい眼差しで見つめる、目の前の少女。

 

「……お蘭……お蘭!」

「っ!」

 

 心配そうな表情で蘭丸の顔を覗き込んでいた久遠。

 

「大丈夫か、お蘭。顔色が悪いぞ?」

「だ、大丈夫、です」

 

 軽く頭を振りながら久遠に答える。先ほど見えた光景は既に思い出すことはできない。妙な違和感を覚えながらも蘭丸は再び視線を目の前の少女へと向ける。背後に蘭丸たちがいることにまるで気づいていないかのように少女は動くことはない。日の光を浴びた髪はキラキラとオレンジに輝き、まるで金砂が反射しているような、荘厳であり、美しい雰囲気を見せていた。

 

 

 ほかの天主教の信者だろうか、数人の男たちに別室に通された蘭丸たち。幾ばくかの時間が過ぎ、先ほどの少女が出迎えにきた。入ってきた少女を見るなり再び蘭丸を襲う恐怖にも似た感覚。咄嗟に刀へと手を伸ばす。

 

「お蘭!……どうしたというのだ、普段のお蘭らしくもない」

「大丈夫よ、蘭ちゃん」

 

 久遠と結菜に止められた蘭丸は刀から手を離す。

 

「申し訳ございません。えっと……」

 

 動揺を隠せていないが、蘭丸が少女に視線を向ける。

 

「皆様もお祈り……という訳ではないようですね」

 

 少女の口から出てきたのは流暢な日本語であった。あまりに自然に紡がれたその言葉は蘭丸たちにとって大きな違和感であった。

 

「お祈りは残念ながら。……実はこの教会の司祭さまに用事があるのですが、いらっしゃいますか?」

「こちらの礼拝所の司祭さまは、今、お出かけでございます。私も司祭の身でありますので、御用は私がお聞き致しましょう。それにしても……ふふ」

 

 軽く微笑む少女に蘭丸が首をかしげる。

 

「いえ、私が日本語を話したというのに、あまり驚かないのだな、と思って」

「正直、驚きました。まさかここまで自然に言葉を使うことができるとはさすがに思っていませんでしたので」

「無理もありません。こちらの司祭さまも日本語はまだまだ片言しか話せませんからね」

「そうなんですね。ですが貴女はとても流暢な日本語を使うのですね。誰かから習ったのです?」

「子供の頃から、母に教わっているのです。……なかなか上手なものでしょう?」

 

 少女の言葉に蘭丸は素直にうなずく。はじめに見たときにあったなぞの恐怖感などはいつのまにやら消えうせていた。

 

「それでは、貴女の母上は日本の方、ということですか?」

「はい。父はポルトゥス・カレの武人。そして母は日本の名家出身だと聞いております」

「ポルトゥス・カレ……ポルトガル、でしたか?」

「これは失礼しました。仰るとおりポルトガルです」

「そして母上は……」

「日本の武士の出だ、と聞かされております」

 

 ここまで蘭丸と少女の会話を静かに聞いていた久遠が口を開く。

 

「ふむ。武士で、名家出身ということだが……ご母堂の名は何と言う?」

「母の名は槇。家の名はわかりませんが、母の持ち物にはカンパニュラの花がたくさん描かれていたのを、よく覚えております」

「……お蘭、かんぱにゅらとは何だ」

「……私も知りませんね……。詩乃?」

「流石に異国のこととなると……。どのような形の花ですか?」

「こういう……」

 

 言いながら、少女が宙に絵を描いて見せる。それを見て蘭丸と詩乃は目を合わせ。

 

「「桔梗紋」」

 

 言葉を合わせてうなずきあう。

 

「桔梗紋と言えば美濃を治めた土岐氏とその一族の家紋が主となるでしょう。分家や枝分かれした家の数を考えると……桔梗紋を使っているのは数十軒程度。さすがにどこまでかは、今はわかりませんが、美濃の同朋でありましょう」

「ってことは、私とも親戚かも知れないってことね」

 

 詩乃の言葉を聞いて結菜が言う。二人の言葉に少女が首をかしげる。

 

「貴女の母上の故郷が、詩乃と結菜さまのお二人と同じなので同郷人かもしれないという話です」

「おお、それは……。異邦に来て早速、母と縁のある方に出会うとは。この奇跡を神に感謝致します」

 

 胸の前で小さく十字をきった少女が、姿勢を改めて向き直る。

 

「我が名はルイス・エーリカ・フロイス。母が与えてくれた日本式の名は、ジュウベエ・アケツと申します」

「あけつ……ふむ。なるほど。あなたのお母上は明智の方なのですね」

「アケチ?」

「はい。アケツではなくあけち。明るいに智恵と書いて明智と読みます。清和源氏土岐氏の支流で、明智庄の住人。美濃では名流の家ですね」

 

 再び意味がわからず首をかしげるエーリカ。

 

「貴女の家がとても高名な家だということですよ」

「なるほど。母のファミリーネームは明智というのですか。……ふふっ。なんだか自分のルーツがこのような形で判明するのはとても嬉しいですね」

 

 

 少しの会話の後、エーリカが日本へときた理由についての話となった。

 

「……とあるお方にお会いするため、この日の本を訪れたのです」

「とあるお方?」

 

 エーリカの言葉に久遠が首をかしげる。

 

「母に聞いた、日本のサムライのトップに立つ、アシカガショーグンに会いに」

 

 決意を秘めた強張った表情を浮かべるエーリカをじっと久遠は見つめる。少しの沈黙の後、軽くうなずくと。

 

「足利将軍に会いに来たのか。……ならば貴様、我と一緒に来い」

「え……あなたと、ですか?」

「うむ。我は五日後に堺を発って京に向かい、将軍に拝謁するつもりだ。我についてくれば、将軍に拝謁することも可能やもしれんぞ」

「そうですね。南蛮人のあなたが、将軍や畏き所に拝謁を賜うことはまず不可能でしょう。強いツテがあるのならば話は別ですが……」

「残念ながらそういったものは……」

「でしたら、私たちとともにきてください。久遠さまがお決めになられたのですから、私は問題ありません」

「……ですが、一方的にお世話になるだけというのも……」

「それなら、代わりにエーリカ殿の知り合いの南蛮人を紹介して頂きたいのですが、どうですか?」

「……わかりました。では私が乗ってきた船の船長をご紹介致しましょう」

 

 

「ねぇ、蘭ちゃん」

「どうかされましたか、結菜さま?」

 

 話が終わり、一旦準備があるということで部屋をエーリカが出た後に結菜が蘭丸の袖を引きながら声をかける。

 

「エーリカさんって明智家なのよね?」

「そう仰っていましたね」

「で、ご母堂は槇、って?」

「はい。聞き間違いでなければそうかと」

「……槇おばさん、生きてたんだ」

 

 ポツリとつぶやいた結菜の言葉に久遠と蘭丸の二人が驚きの顔を浮かべる。

 

「……おい、結菜。まさか!」

「うん、そのまさか。たぶんだけどエーリカさんは……」

 

 一呼吸おいた後。

 

「私の従姉妹、ってことになるんじゃないかしら」

 

 衝撃の事実を口にした。




濃姫(結菜)と光秀(エーリカ)が従兄妹同士かどうかは書物によって判断が違う見たいですね。
というのも濃姫の情報が少なすぎるのが原因だとか。

歴史は紐解けば紐解くほど面白いものですね!

次回もお楽しみに!


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25話 堺攻防戦

オリジナル展開になります。


 堺でのエーリカとの出会い。その出会いを通じて蘭丸たちは会合衆、南蛮商人との繋がりを持つことに成功し、久遠は満足げであった。久遠だけでなく結菜もご機嫌なのだが、その理由はまた別の機会に話すこととする。

 

 

 堺を訪れて五日。久遠たちが出立の日取りとなった。

 

「久遠さま、おはようございます」

「うむ。よい朝であるな」

 

 薄らと外が明るみ始める時間帯。尾張にいる頃から久遠の朝は比較的早く、それに合わせるように蘭丸や結菜の朝も早いものとなっていた。

 

「本日中に出立し、京を目指す……でよろしいですね?」

「あぁ。本来の目的のひとつでもあるからな。……それにエーリカのこともある」

「……久遠さま、久遠さまが認めた者とはいえ、異邦人などとあまり深くかかわることは危険かと思われます。ご注意ください」

「……ふむ。お蘭が我にそのような忠告をしてきたのは剣丞以外では初めてであるな」

「剣丞は怪しかったからね。まぁ、私は今でもすこーし見張ってるんだけど」

 

 結菜の言葉に久遠が苦笑いを浮かべる。

 

「そ、それはさておき。お蘭、我の安全を第一に考えてくれるその気持ちはありがたい。が、時には毒をも食らわねばこの戦国の世を生き残ることはできまい。違うか?」

「……はい。仰るとおりです」

「それにエーリカは結菜の従姉妹にも当たるのであろう?ならば信頼に足ると判断しても大丈夫なのではないか?」

「まぁ、そうねぇ。槇おばさんのことは聞いていたし、私も剣丞のときほど危険視はしてないわ」

 

 久遠と結菜の言葉に蘭丸が口を噤む。実際に蘭丸が感じた危機感や恐怖心が一体何から生まれたものなのか、自身でもわかっていなかったからだ。そこまで深い会話をしたわけではないが、エーリカという個人に対して蘭丸も悪い印象を持っているわけではないのだ。

 

「……すみません。蘭の考えすぎかもしれません」

「気にするな。お蘭が我のことを心配してくれているのは百も承知だ」

 

 優しく微笑むと軽く頭を撫でる久遠。

 

「ホント、蘭ちゃんは久遠が大好きよねぇ」

「はいっ!蘭は久遠さまや母さまのように立派になることが目標です!」

「はははっ!それは面白い、励めよお蘭」

 

 そんな朝の会話をしながらも互いの髪を梳いたりしている。まったりとした時間は過ぎ、まもなく堺を発つ頃となる。

 

「蘭丸さん!こちらは準備万端ですぅ~!」

「えっと、久遠さまからのご指示のあったとおり鉄砲と玉薬も荷に追加してます」

「ありがとう。詩乃、また少し強行軍になるかもしれませんが大丈夫です?」

「はい。お気遣いはありがたいのですが、私とて武士の端くれ。この程度で根はあげません」

 

 詩乃の言葉に蘭丸は優しく微笑む。

 

「無理は駄目ですよ?詩乃は私の智なのですから。……そろそろ馬を……」

 

 そこまで言った頃ににわかに周囲が喧騒に包まれる。

 

「……何かあったんでしょうか?」

 

 蘭丸に寄ってきた転子がいう。

 

「どうでしょうか。……状況としてはその可能性は大いにありますが」

「少し確認してきます!」

「あ、ひよ!私も一緒にいくよ!」

 

 ひよ子と転子が率先して駆け出していく。

 

「すばやいな。やはりお蘭に預けて正解だったようだな」

「いえ、ひよもころも、そして詩乃もとてもいい子たちです。時代の流れや時期などによってはひよは久遠さまの意志を継いでいく存在となったかもしれませんね」

「あのひよがか?……ふふ、お蘭は面白いことをいう」

「ひよはいい子だけど久遠とは似ても似つかないわよねぇ」

「蘭丸さまはひよのことを高く評価しているのですね」

「私は詩乃のことも高く評価してますよ?」

「ならば、お蘭。自分の部下の評価をしてみろ」

 

 ニヤリと笑って久遠がそう言う。

 

「評価、ですか?……そうですね。ひよ子は武の面での活躍は正直期待できないでしょう。武士として……ではなく将として、人としての力が強いと思います。実際に蘭丸隊の皆からは慕われているようですし」

「へぇ、ちゃんと見てるのね。流石は蘭ちゃん」

「次に転子ですが、一見秀でた部分が見え辛いところがあります。ですがすべての部分をしっかりと見てみると彼女ほど平均的にこなすことができる人は少ないと思います」

「ほぉ……ではお蘭の後継者に向いているかもしれんな」

「そうですね。少し自分に対しての自信が不足しているように見えますのでその部分を援護していこうと考えています」

 

 そしてチラリと視線を詩乃へと向ける。

 

「詩乃も聞きます?」

「お嫌でなければ」

「ふふ、詩乃は私の、いえ織田の智として申し分ない力を持っていると。まぁ、体力面はゆっくり鍛えていきましょう。……久遠さまが天下をとるためにもっとも重要な力は間違いなく詩乃です」

 

 蘭丸の言葉を聞いて詩乃が目を見開く。

 

「ほぅ……お蘭にそこまで言わせるか。詩乃よ、やはり我のために働かんか?」

「勿論です。間接的にではありますが、久遠さまの為に動いているつもりですが?」

「ふふふ、なかなかに強敵じゃない、久遠」

 

 いつもどおりの詩乃の切り替えしに苦笑いの久遠。面白そうに笑う結菜。

 

「新介は私の部隊では少ない武闘派ですからね。詩乃をこちらへ引き込んだのも新介と小平太の動きがなければ難しかったでしょう」

「あのお二人は優しすぎますが、まぁ二人が共にいるのであれば一人前ではないでしょうか」

「ははは、詩乃の評価は厳し目のようだな。……それで、剣丞は?」

「……剣丞さまは、この時代を織田が進んでいく中で最も重要な存在なのではないかと。民にとって天というのは唯一無二のものであり、阿弥陀如来の化身とも噂されていると聞きます。場合によっては剣丞さまを頂点とした国家作りなども考えられたかと」

「考えられた、ということは今は違うということか?」

 

 久遠が試すような視線を蘭丸に向ける。

 

「はい。恐らくですが……私ところが渡した文の内容はわかりませんが、あれによってその可能性は低くなったのではないかと考えております」

「……そこまで読まれておるか」

「私はある程度の予想は立っておりますが……今はまだ口を開くべきときではないと」

「そうしてくれると助かる」

 

 

「久遠さまぁー!蘭丸さーん!」

「ひよ、落ち着いて。状況は分かったのですか?」

「はい!どうやら堺の門の外に鬼の軍勢が押し寄せているようです!」

 

 

 蘭丸たちが門へと近づいていったところ、堺へ訪れた際に対応してくれた矢吉という男が周囲に指示を飛ばしているところだった。

 

「矢吉どの、でしたね。どうされました?」

「ん、おう姉ちゃんたちか!すまんが後にしてくれるか?今は門の外に見たこともない化けもんが仰山現れおってな。手間取っとるんや」

「ふむ、それで門は大丈夫なのか?」

「堺の門は頑丈さかい、そうそう簡単には破られん。せやけど相手がよう分からん存在やからなぁ」

「……久遠さま」

「うむ。……会合衆への恩売りにはちょうどよいかも知れんな」

 

 久遠と蘭丸はこそこそと話すと蘭丸が矢吉の前に進み出る。

 

「よろしければ私たちにも協力させていただけませんか?」

「姉ちゃんたちがか!?流石に危ない……」

 

 そこまで言ったところで矢吉の首元に蘭丸の太刀が触れていた。

 

「ご無礼をお許しください。腕前を確認していただくにはこれが最も手っ取り早いかと思いまして」

「……やるやないか。えぇやろ」

「矢吉の兄貴!?」

 

 近くにいた矢吉の部下らしき男が驚く。

 

「うるせぇ!何かあったらこの矢吉が面倒見るって約束も交わしとるんや!その上で手伝ってもらえるってんなら責任は俺が全部取る!」

「見ていてすがすがしいほどの堺人ですね。……蘭丸さま」

 

 そっと近づいてきた詩乃に頷くと蘭丸が矢吉に声をかける。

 

「部隊の指示ですが、一部でもかまいませんのでこちらの詩乃に任せていただけませんか?彼女は長田の中でも随一の策士。私の右腕です」

「ほぉ、こんな嬢ちゃんがなぁ。まぁええやろ、それじゃ見せてもらうで」

 

 

 門から出た蘭丸の目前にいる鬼の数は百といったところだろうか。見たところ統制の取れた動きではないが、明らかに何かを目的として堺に来たような印象を受ける。

 

「エーリカさんとの合流前に片付けてしまいたいところですが……」

 

 蘭丸がそう呟くと同時に周囲でばらばらに戦っていた男たちに動きが現れる。

 

「流石は詩乃。早速、防御陣形を組みましたか」

 

 堺という堅城がある上での戦いだ。怪我人をすぐに収容し疲れたものは下がらせ死亡率を下げる策を講じたのろう。明らかに動きの質が変わった。

 

「それでは詩乃だけに任せず私も動くとしましょうか」

 

 すらりと太刀を抜き放ち、鬼の群れへと切り込んでいく。その動きはまるで舞を舞うかの如く緩やかなものではあるものの、周囲の鬼たちが一瞬で崩れ落ちていく。その動きに防衛に徹している男たちをも魅了する。

 

 

「ふむ、詩乃に任せておけばやはり安泰、か」

「いえ、蘭丸さまがお一人でかなりの数をお相手してくださっていますから。ひとつの戦略を戦術で凌駕されてしまうと私としては非常に困るのですが。……それに蘭丸さまにあまり危険な場所へ向かっていってほしくはありませんので」

 

 久遠の言葉に詩乃が答える。

 

「我もその気持ちは分かるがな。だが、戦うこともまたお蘭の意志だ。我が止めるわけにもいかん」

「詩乃ちゃーん!言われたとおり門の外に柵を立てたよー!」

「兵の皆さんにもそこで槍での攻撃をお願いしてるよ!」

「ひよ、ころ、ありがとうございます。これである程度の被害は食い止められると思いますが……」

 

 鬼と人の動きを見ていた詩乃が若干の思案をする。

 

「……鬼の動きが、おかしい?……まさか」

 

 

「まさか、鬼の狙いは私……ですか?」

 

 鬼を切り捨てながら蘭丸が呟く。剣丞の持つ刀が鬼を引き寄せる力があるというのは既に知っているが、今現状での鬼の動きは明らかに蘭丸を狙ってのものに感じる。

 

「戦っている場所というだけではなさそうですが……」

 

 チラと視線を門の上方に向ける。詩乃と視線を交わし蘭丸は静かに頷く。

 

「詩乃であれば分かってくれるでしょう。さぁ、はじめましょうか」

 

 鬼の攻撃をひらりと避けながら戦場の位置を少しずつ移動させていく蘭丸。堺の門からは既にかなりの距離が離されていた。

 

「狙いは私で間違いなさそうですね。理由は分かりませんが」

 

 鬼の視線はすべてが蘭丸に向けられている。そのときだった。鬼の後方から鬨の声が響き渡る。

 

「さぁ、蹂躙の時間です」




更新頻度低くて申し訳ございません!
感想、評価などお待ちしております!


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26話 京での出会い

「ふふ、流石はお蘭と詩乃であるな。我が求めた以上の結果を得ることができたぞ」

「……蘭ちゃんが強いのは知ってたけど私が知ってた頃よりも桐琴たちに近づいてるんじゃない?」

 

 ホクホク顔の久遠と呆れ顔の結菜。それを見て困った顔の蘭丸。

 

「堺の防衛の協力の礼として更なる協力をしてくださるのですよね?」

「うむ。あの門のところであった男の口利きもあったようだ。思ったよりもいい出会いであったのかも知れん」

「それにしても……詩乃の采配、流石でした」

「いえ、蘭丸さまであればきっとこう動くであろうという考えのもとです」

「ころちゃんころちゃん。何か蘭丸さんと詩乃ちゃんって分かり合ってるーって感じがしてずるくない?」

「ず、ずるいずるくないは分からないけど……羨ましいよね」

「あら、私はひよやころとも心を通わせているつもりだったんですけど……私だけだったんですね……」

 

 少し寂しそうな表情を浮かべた蘭丸を見て慌てるひよ子と転子。

 

「わわ!そ、そんなことないですよっ!?ね、ころちゃん!?」

「そ、そうですよ!私たちそんなつもりでは!?」

「……ふふっ」

 

 我慢できずに噴出した蘭丸にひよ子と転子が声を上げる。

 

「あーっ!蘭丸さん騙しましたねっ!?」

「ひどいです!」

 

 

「全く、相変わらず仲のいい主従であるな」

 

 満足げに眺めている久遠を見て詩乃が苦笑いを浮かべる。

 

「……久遠さまと蘭丸さまに敵う主従は日ノ本広しと言えどなかなか見つかるとは思えませんが」

「そうよねぇ。私も詩乃の意見に賛成だわ」

 

 

「これが京……ですか」

 

 軽く眉を顰めて周囲を見る蘭丸。

 

「応仁の乱以降、京は寂れる一方なんですよ。何でも公方様は言うに及ばず、畏き所でさえ、その日の食べ物にご苦労なさっていると聞きます」

「戦乱の世とはいえ、お労しい限りですね……」

 

 蘭丸の呟きに答えた転子に詩乃も答える。

 

「そうかなぁ?庶民たちは生きるのに必死になってお金を稼いでるんだよ?お金が欲しければ、働いて稼げば良いのに」

「ふふ、ひよらしい考えですね、でも……」

 

 ひよ子が首をかしげながら言うと蘭丸が微笑む。

 

「雲高きところに在す方々に、それは無理だよ、ひよ」

 

 蘭丸の言葉を継ぎ転子が伝える。

 

「いや。ひよの言う通りである。今、苦労しているというのならば、その苦労を覆すために動けば良い。人に跪かれることに慣れ、野性を無くしてしまったからそのような事態に陥るのだ。……自業自得であろう」

 

 久遠が言う。

 

「必要ならば手に入れる。手に入れるために困難があるのならば、その困難を己の力で粉砕する。……生きるとはそういうことではないのか」

「久遠ったら、相変わらず辛辣ね。……でも私も賛成かな」

 

 続けた久遠の言葉に結菜が同意する。

 

「ひよの言うとおり、悔しいと感じたり、苦しいと感じたりしたのならば……自らが行動しなければ何も変わらない。勝手に変わってくれる訳ではないと雲の上の方々は本当の意味で存じ上げておられるのかどうか……」

「ですが、それは少し危険な考えです。欲しい物を手に入れるために、何をしても構わない……そういう考えにも繋がってしまう」

 

 久遠の言葉に対してエーリカが反対の意見を言う。

 

「そこまでは言わん。世には世の常がある。そしてその常というものを後生大事に抱えている奴らも大勢いる。そういった奴らを敵に回すのは厄介でもあるし、面倒でもあるからな」

「その言葉を信じたく思います」

 

 そういって言葉を切ったエーリカの横顔をチラッと見た蘭丸。

 

「蘭丸さん、危ない!」

 

 そのとき、転子の警告が響く。

 

「っ!?」

 

 後ろからの突然の衝撃に蘭丸がぐらつくと同時に蘭丸の視界に長髪の女性らしき人影が映り、咄嗟に蘭丸はその人影を庇って倒れた。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 先に声をあげたのは女性を庇って下敷きになる形で倒れこんだ蘭丸のほうであった。

 

「蘭丸さん、大丈夫ですかっ!?」

「お怪我はありませ……うわー、綺麗な人!」

「えっ……」

 

 ひよ子の言葉に蘭丸は改めて自分にのしかかってきた人影を仰ぎ見た。

 

 

 その出会いは、蘭丸の人生において二度目の衝撃と言っても過言ではないものだった。一人目は間違いなく織田久遠信長。蘭丸が敬愛する女性だ。

 

 陽光を浴びて光り輝く艶やかな髪。その髪の向こうに見える瞳には久遠と同じく強い意志の光……蘭丸が惚れた久遠のソレに似た光を湛えた双眸がまっすぐに蘭丸を見つめていた。久遠とどこか似た造形の、整った容姿でありながら雰囲気は抜き身の刀のように鋭く、触れようものなら骨まで切り落とされそうな殺気に充ち満ちていた。

 

 まるで何かを試しているのか、蘭丸の全てを見抜こうとしているかのようなその双眸から、蘭丸は片時も目を離すことができなかった。

 

「借りるぞ」

 

 耳元でそっと呟くように紡がれた言葉とともに腰からすっと刀が抜き取られる。

 

「えっ……!ころっ!」

「は、はいっ!久遠さま、誰かがこちらに向かってきます!お下がりください!」

「蘭丸さんも早く!」

「えぇ!エーリカさんもお下がりに……」

「いえ、ご心配なさらず。これでも腕にはそれなりに自信があります」

「分かりました。でしたら遠慮なく手伝っていただきますね」

「もとより」

「ここから先へは何一つ通しませんがころは久遠さまを。ひよは結菜さまをお願いします。詩乃は状況に応じて二人に指示を」

「かしこまりました」

 

 と、その場に駆け込んできたのは、いかにもといった雰囲気にゴロツキたちであった。

 

「おうおうおうおう!ようやく見つけたで、このアバズレ姉ちゃんよぉ!」

「俺らを誰やと思ってやがる!京の都を守ってやってる三好家の足軽さまよぉ!」

「その俺らの仲間をしばいといて、ただで済むたぁ思うなやぁ!」

 

 口々にがなりながら、先ほどの女性を取り囲むように移動する。口調や態度ではなく動きを見ていた蘭丸は確かにそれなりの実戦を積んできたであろうことと腕前の程度の判断はつけていた。

 

「ふむ。どうやらあの女が足軽に追われているらしいな。……我への刺客かと思っていたが」

「刺客ではなく良かったと安心するべきか、厄介事に巻き込まれたことを嘆くべきか判断に悩みますね」

「だが、守ってくれるのだろう?」

「我が命に代えても。……まぁ、このような場所で捨てるほど安い命と思っておりませんのでご安心を。……ですが、このまま立ち去るというのも判断としてはできますが……」

 

 蘭丸が状況を見ながら言うとエーリカが反対する。

 

「いえ、それはなりません。義を見てせざるは勇無きなりと言うではありませんか」

「……よくご存知で。それに、久遠さまはそのまま立ち去るという選択はなされませんよ。ですが……」

 

 取り囲まれた状態の女性を見る蘭丸。

 

「あの方に私たちの助けが必要でしょうか」

 

 明らかに取り囲んだ側とは別格の気を放つ女性が只者ではないのは一目瞭然だ。下手に加勢すれば邪魔をするだけだろう。

 

「それはそうですが……ですが、多勢に無勢なのは卑怯すぎると思うのです」

「それは否定しませんが」

「……お蘭!」

 

 久遠の言葉とともに久遠が腰に佩いていた刀を投げて寄越す。一瞬視線を交わし頷きあう蘭丸と久遠。久遠も助けたほうが良いという判断をしたと理解した蘭丸は即座に行動に移す。

 

「いきましょう、エーリカさん」

「はい!」

 

 

「助太刀いたします!」

「微力ながらお手伝い致します」

「……要らん」

「ふふ、まぁそう言わないでください。私たちが助けたいと思い勝手にやることですので」

「……好きにせい」

「あぁ!?いきなり出てきて何だてめぇ?関係ない奴ぁ引っ込んでろや!」

「事情も分からんと出てきて、あとで無き見てもしらんで姉ちゃん!」

「なんやったらまとめて殺ったってもええんやど!」

「怖いこと言いますね。なぜそこまで怒っているのです?どんな事情があるにせよ、女性一人相手に、大の大人が寄ってたかってというのは男としてどうなのですか?」

「女ぁ?ぐははははっ!せやから事情をしらん奴ぁ口出すなぁ、言うてんや!」

「その女はなぁ、俺らの仲間を散々斬りまくって、片っ端から金目のもんを奪っていった鬼女やぞ!」

「分かったら姉ちゃんも引っ込んどれ!俺らぁ、その女引ん剥いて、股からかっさばいたらんと、腹ぁ、収まらんのじゃ!」

「そうですか」

「おう、おまえも分かってくれたか。……って!なんやねんその気のない返事は!」

「正直、私にはあまり興味がありませんから」

「興味ないやと!?」

「えぇ。彼我の戦力差も分からず、状況も分かっていないのであれば……」

 

 蘭丸の言葉に足軽たちの視線が一気に集まる。その瞬間、動いたという気配すら感じさせないまま、女性は一気に距離を詰めると足軽たちの槍を細切れにしてしまった。

 

「な、なぁ……!」

「粋がっているのも良いが、少しは自分の腕を弁えたほうが良いぞ」

「くっ、槍やなくたって、怖ないど!」

「おい、他の奴らぁ呼んどけ!」

「へいっ!」

「仲間を呼ぶ気のようですね」

「乱戦になる前に、さっさと片付けませんと」

 

 蘭丸とエーリカが小声で話し武器へと手を伸ばそうとしたのだが。女性には殺す気はないのだろう、刀を受け流し、蹴りを入れながら悠々と足軽たちの間で剣舞を披露していた。

 

「すごいですね」

「……まるで舞のような」

 

 エーリカの言葉に頷き蘭丸は入る隙を探る。そのとき背後から斬りつけようとしていた足軽に気付き刀を抜き放った蘭丸は切り込もうとする。その瞬間、背筋を走るゾクリとする感覚。反射的に距離をとると久遠のほうへと視線を向ける。

 

 パァン、という鉄砲の音とほぼ同時に、足軽の頭が吹き飛ぶ。

 

「ひよ!ころ!久遠さまと結菜さまを庇いなさいっ!!」

 

 絶叫に近いほどの声で蘭丸がひよ子と転子へ指示を出す。

 

「一体どこから……!」

「分かりません……」

 

 刀を抜いた状態で久遠と女性の間の直線上へと蘭丸は立ち周囲を警戒する。この状態では動けない。そう判断した蘭丸は御家流を使うときのように気を滾らせていく。

 

「……余計なことを」

 

 足軽たちに背を向け、女性が蘭丸のほうへと歩を進める。

 

「返す」

 

 興が冷めた、とでも言うような表情で呟いた女性が、蘭丸に向けて刀を放ると、そのまま京の町の中へと消えていった。

 

「なかなか良いものを見たな」

「久遠さま、まだ安全の確保が……」

「よい。どう考えても先ほどの女を守るための鉄砲であろう。我を狙うことはない」

「それは、勘ですか?」

「うむ、勘だ!」

「なら大丈夫ですね」

「……久遠も久遠だけど蘭ちゃんも蘭ちゃんよね」

「結菜さまもそう思われるのですね」

 

 呆れたような結菜と詩乃の言葉を無視して話は進む。

 

「良いものどころか。……あの方は恐らくですが信綱さまと同じく達人の域に達しています」

「ほぅ、それほどか。して、お蘭は勝てるのか?」

「……全力で戦って本気を引き出せるかどうか」

「ふふ、しかし一度見た以上同じ技は避けられるな?」

「それは。真似するには少々骨が折れますが。それよりも恐ろしいのは鉄砲のほうですね」

「周囲を探ってみましたけど、鉄砲を撃った人物は見当たりませんでした。よほどうまく隠れているか……」

「……私たちの知らない距離の射撃が可能な人物がいるか、ですね」

 

 遥か前方に見える櫓。現状で届く火縄の存在は知られていないが、確かにそこから蘭丸は視線を感じた。




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27話 二条館

「久遠さまが仰っていたとおり、これからの戦は鉄砲をどのように運用していくのかが重要になりますね」

「うむ。そのための堺であったからな」

「ですが……私にも認知されないほどの距離から届く鉄砲、ですか」

「視線は感じたのだろう?」

「はい。ですが……国友筒でも堺筒でも二十間から三十間程度、打ち抜かれた角度なども考えると……」

 

 半鐘を鳴らすための櫓らしきもの。ここからは軽く見積もっても百間ほどもある。

 

「火縄の長距離射撃で、しかも一発で仕留めるなんて、人間業とは思えない腕ですね……」

「一発?一発ではないぞ、ころ」

「へっ!?」

 

 そういったのは久遠。側では蘭丸も頷いている。

 

「……あった。見ろ、これだ」

「あ、ホントだ。弾が二つある……」

「……でも銃声は一発しか聞こえませんでしたよね?」

「そうですね。二丁、両手に持って同じ的を撃ったのか。二人組か……二発同時に撃てる鉄砲か。可能性としてはこのくらいでしょうか?」

「ふむ……腕前から察するに、根来か雑賀の手の者でしょう」

「だろうな。……だが詮索は後にしろ。腐っても京、今更、骨董品の検非違使なんぞに絡まれるのは癪に障る。ここから逃げるぞ」

「久遠さま、結菜さま!こちらです、お早く!」

「苦労。いくぞお蘭」

「はっ」

 

 

 転子に先導され、久遠たちは京の都を右に左に逃げ回りなんとか目的地の付近へと到着することができていた。

 

「ふぅ~、とりあえずはここまで来れば安心でしょう!」

「はぁ、はぁ、はぁ……つ、疲れたぁ~……」

「み、右に同じ、です……はぁ、はぁ……」

「二人とも大丈夫ですか?……ですが、今後のことを考えるともう少し鍛えないといけませんね。帰ったら私と稽古でもしましょうか」

 

 さりげなく結菜を背負っていたらしい蘭丸が結菜を優しくおろしながらそう言う。

 

「ううっ、面目次第もありません~……あ、でも蘭丸さんと一緒に稽古……」

「あぁ、ひよずるいっ!蘭丸さん、私も……」

「えぇ。みんなでしましょう。……それで久遠さま、ご予定の変更はありませんね?」

「うむ」

「それでしたら……」

 

 背後にある城というよりは屋敷といった雰囲気の建物を見る。

 

「二条御所。流石はころ、目的地へとしっかりと案内もありがとうございます」

「あはは……予定してたわけじゃないんですけど」

 

 門構えこそ立派ではあるが、壁には苔がむし、門は朽ち、知らぬ者が見ればここに将軍が住んでいるとは思いもしないだろう。

 

「これが今の将軍が住まわれている場所、ですか」

「力が無ければこんなものであろうよ」

 

 蘭丸の言葉に何とはなしに久遠が返す。それを聞いてエーリカがつぶやく。

 

「これが将軍が住む館なのですか……」

「えぇ。正直、私もここまでとは思っていませんでしたが」

「仮にも侍の棟梁の方が、防御力が皆無となっているこの城館に住んでいるとは思えませんが……」

 

 エーリカが訝しむように二条館を見る。そのときだった。

 

「いえいえ。間違いなく住んでおりますよ」

 

 突然、背後から声を掛けられ、蘭丸が刀に手を伸ばす。が、相手に敵意が無いことでそれをやめるとそれとなく久遠と結菜を庇える立ち位置へと移動する。そんな様子を意に介した様子も見せずに、突然現れた女性はまるで蘭丸たちを値踏みするように無遠慮に見つめてくる。

 

「ふむふむ……小名風を装った方が一名、名家の娘らしき方が一名、その護衛らしき方が四名、異人さんが一名、ですか。……珍しい組み合わせですなぁ」

 

 どこか呆けたような物言いではあるが、状況を完全に把握しているといえるだろう。蘭丸は内心で警戒を強める。

 

「それで?将軍に拝謁に来られたのですかな?」

「そうだ」

「……手土産は?」

「ある」

 

 そこまで探り合うような雰囲気のあった久遠と女性の間の空気が一変する。

 

「これはこれは!ようこそいらっしゃいました!さぁさぁご遠慮なくお入りくださいませ。あぁ、それと手土産などのお荷物は、不肖この私がお預かり致しますのでご安心めされ。ささっ、お荷物を!」

 

 ニコニコと笑顔を浮かべた女性は、表情とは裏腹に、両手をクレクレと差し出す。

 

「ちょ、ちょっとちょっと!困りますよ!」

「そうです!突然現れて、何をいきなり失礼な!」

「我らが主に無礼でしょう。お下がりください」

 

 ひよ子、転子、詩乃が続いて言うと二人の間に入り込む。

 

「おお!これは大変失礼をば致しました。名乗りもせずに手土産をくれというのは、さすがに失礼でございましたな。しかしご安心召され!我が名は細川与一郎藤孝。通称は幽。足利将軍義輝様のお側衆を務めております」

 

 そういって一礼した幽と名乗った女性の挙措動作は、優雅という言葉がぴったりなほどに洗練されているのだが。

 

「と名を名乗ったところで、さぁさぁ、早速お持ちになった手土産をそれがしに……」

 

 ニコニコと笑いながら、再びクレクレと手を動かす様が全てを台無しにしてしまっている。

 

「……お蘭、渡してやれ」

「はっ」

 

 呆れた顔の久遠に指示され、蘭丸は予め準備されていた紙を取り出す。

 

「こちらが目録になります。それでもよろしいですか?」

「はいはい。現物をしかと頂けるのでございましたら、全く問題ございません」

「かしこまりました。では、尾張国長田庄住人、長田三郎より足利将軍へのご進物目録。銅銭三千貫、鎧一領、刀剣三振り、絹百疋になります」

「銅銭三千貫!これはこれは誠に剛毅であらせられる!いやぁさすが尾張と美濃に跨る家のご当主であらせられますなぁ!」

 

 幽の言葉にすっと目を細めた蘭丸だったがすぐに笑顔を浮かべる。

 

「それではこちらをお預け致しますね」

「謹んで頂戴仕る。……ではお客様方を、二条館の宮殿に案内仕りましょう」

 

 

 幽に先導されて、蘭丸たちはあちこちが破損している城門を抜け、二条館の一室に通された。

 

「それでは公方様にお繋ぎ致す。……今しばらくご歓談のほどを」

 

 そういって襖を閉め出て行く幽。しばらくの沈黙の後、久遠がため息をつく。

 

「……お蘭、お前はあの細川とやらをどう思う?」

「煮ても焼いても食えない雰囲気の方、といったところでしょうか。久遠さまのこともどうやら見抜いておられたようですし」

「へっ!?」

 

 蘭丸の言葉に驚いたような声をあげたのはひよ子。

 

「確かに押しの強い人だなーとは思いましたけど……どこか不審なところ、ありましたっけ~?」

「挙措動作、その全てが母様に習った武士の礼儀作法に則っているように思えましたが……」

 

 ひよ子の言葉にエーリカも賛同するように言う。

 

「見た目や振る舞いはそうでしょうが、その内は案外、性悪猫のような人なのでしょう」

「えぇっ!?そうなのっ!?……って、どうして詩乃ちゃん、そんなこと分かるの?」

「あの方は言葉の端々で、我らを脅しておられましたからね。……蘭丸さまの仰ったとおり、久遠さまの正体も見破っておいでですし」

「そうねぇ。私も蘭ちゃんと詩乃の意見に賛成かな」

 

 結菜もどうやら蘭丸たちと同じ意見のようだ。流石は蝮の娘といったところだろう。

 

「ふふ、ひよところは気付いていましたか?」

「えと……えへへ、わかんないですぅ~」

「はぁ~……ひよぉ、もうちょっと人の言動とか振る舞いにも気を配ろうよぉ」

「うぅ、ごめんころちゃん。……でもころちゃん、気付いてたの?」

「これでも一応、野武士の頭張ってたし。少しはね。……蘭丸さん、在所のこと、ですよね?」

「正解です。さきほど細川どのはこう仰いました。……さすがは尾張と美濃に跨る長田庄の当主、と」

 

 まだ理解が追いついていないようなひよ子に優しく説明する。

 

「久遠さまが偽名に使っている長田庄は、そもそも那古屋南部にありますから、いきなり美濃という単語が出てくるのはおかしいんですよ」

「ほえ?でも細川さんが長田庄の場所を知らなかったっていうこともあり得るんじゃ?」

「公方の知恵袋というべきお側衆が、畿内に近しく、比較的豊沃な土地である尾張の庄の場所を間違えるのは、本来考えられないこと。幕府は武家の元締め。領地を与えたり、没収したりすることもある以上、在所の特徴を覚えておくのは、政務を執る上では必須の知識。例え今の幕府に力がなく、実行することが出来なかったとしても、知識として覚えておくのは当然のことです。お側衆である細川殿が、長田庄の位置を間違えるはずがありません」

 

 蘭丸の言葉をついでひよ子の質問に詩乃が答える。

 

「しかも奴は我を当主と尊んだ。……もし我が部屋住みであったなら、刃傷沙汰になってもおかしくないほどの非礼だぞ。それをサラリとやってのけおった。……食えん」

「あら、久遠からそこまでの評価をされるなんて凄いわね」

 

 クスクスと笑いながら結菜が言う。

 

「おそらくだが、結菜の存在もバレておると考えておいたほうがよかろう。……考え方によっては今の状況自体が人質をとった状態とも取れる。お蘭」

「はい。万全の態勢は整えておきます。……拝謁の場には結菜さまにはご遠慮いただきましょう」

「そうねぇ。正直あまり興味はないし」

「ひよところもすみませんが……」

「「はい!お任せください!」」

「とにかく、どのような魂胆があるかは分からんが、奴には用心するに越したことはあるまい」

「いえいえ、別に魂胆などございませんよ~?」

「「ひゃっ!?」」

「ズズズーッ。はぁ~、お茶が美味ですなぁ」

 

 蘭丸にも気付かれずにいつの間にか部屋に忍び込んでいた幽が、のんきにお茶を啜っていた。

 

「……いつのまに」

「おや。ちゃんとお声掛けして入室したのですが。あ、粗茶をお持ちした次第でして、どうぞどうぞ」

 

 驚くエーリカを気にも留めずに茶を勧める幽。

 

「頂きましょう」

 

 毒見をかねるつもりか、詩乃が真っ先に茶に手をつける。

 

「いやはや破れ襖に欠け茶碗とは、なかなか侘びた風情でございますなぁ……ズズズーッ」

「……一体どこから話をお聞きになられていたので?」

「三郎殿が蘭丸殿に私をどう思うか尋ねたところから?」

「……最初から、ですか」

「いやはや、はははははー。おおっ、なにやら庭の桜よりうぐいすの歌声が!風流風流♪」

「……桜の季節はもう終わっておりますよ。というかこの庭のどこに桜があるのかと問いたい。小一時間問い詰めたいのですが?」

「おお、ではそれがしの目の錯覚でございましょうか。数寄にうつつを抜かしていると、ついつい幻覚を見てしまうようでして……」

 

 詩乃の言葉に飄々と答える幽。……のらりくらりといなしながら、会話の主導権は常に離していない。

 

「……(やはり、煮ても焼いても食えなさそうですね)」




個人的には幽も好きなキャラだったりします。
場の空気を変えられる存在ですしね!
強いし可愛いし……あれ、むしろみんな好きなんだった(ぉぃ


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28話 拝謁

「で、藤孝とやら。……我のことを知ったとして、何とするつもりだ?」

「これはまた、塚原卜伝先生なみに一刀両断ですなぁ」

「柳相手に相撲を取るほど、無駄なことはないからな。……で、どうなのだ」

「……今のところは特に何も。ただ公方様のお側衆を自称する私としては、向後のことを考え、各地方の有力者と懇意にしておく必要がございますれば」

「割に人を見ん。……我は好かん。最初に言え。我を試すならば相応の覚悟を持っておくが良い」

「……はっ」

 

 久遠の威に打たれたかのように、幽は真面目な顔をして頭を下げた。だが……。

 

「でもねぇ……あの場でご正体を見抜いたならば、おぜぜは置いていってくれました?」

「織田家として正式に公方と話をしにきた訳ではない。……見抜かれていたら踵を返しただろうな」

「でしょう~。だからあのときは方便ということで、一つ手を打って頂けますと助かるのですが。……どうでございましょうかねぇ?」

 

 手を揉みながら、久遠を見る姿は、武士というより遣り手の商人に見える。

 

「将軍様は、それほどお金にお困りなのですか……」

「それはもう!……まぁでも毎日毎日、町を練り歩いて悪漢どもから銭を巻き上げているらしいですが……」

「何をブツブツ言っておる」

「いえいえー!こちらの話でございますよ!それと、そちらの方がずっと私にだけ殺気を放っておりまして……少~しだけ緩めていただけるとありがたいのですが」

「……お蘭」

「はっ」

 

 久遠の言葉に応えて蘭丸が静かに目を閉じる。

 

「ふぅ、ようやく生き心地を味わえますなぁ。それはそうと公方様との謁見につきましては、しきたり通り、お側衆たちと協議中でございますれば、いましばらくお待ちいただければと」

「それは構わんが……しきたりしきたりと町雀のように五月蝿いものなのだな、幕府というやつは」

「はっはっはっ。しきたりが無ければ、人の行動を掣肘するのにも苦労するでしょう。作法とは人を制御するための使法であれば、幕府としては無視できませんからな」

「はっきり言いますね。……ですが同意しましょう」

 

 幽の言葉に詩乃が同意する。

 

「ほえー、そういうものなんですかねぇ……」

「ある一定の規定というものが無ければ、皆が皆、無軌道に動いてしまいますから。皆が一定の方向を見る、一定の行動を起こすためには、規定や決まり事というのは必要なものですよ、ひよ」

 

 蘭丸の説明に納得したようにうなずくひよ子。

 

「そう。それこそがまさに幕府という組織!……という訳で窮屈でございましょうが、礼儀作法に則った振る舞いをお願い出来ましたら」

「デアルカ。……」

 

 幽の言葉に目を閉じた久遠。周囲を再度見渡した幽がにやりと笑う。

 

「それにしても……皆様はなかなか面白い組み合わせでございますなぁ。織田殿は分かるとして、そのお連れが織田殿の奥方が一人、織田殿の溺愛する小姓が一人、野武士風が二人、田舎豪族の子息らしきお子様が一人。それに異人ときた」

「おこ!……むぅ」

 

 お子様と言われ何かを言おうとした詩乃が口をつむぐ。蘭丸がそっと頭を撫でる。

 

「恐ろしいほどに早い耳と遠くが見える目を持っていらっしゃるようですね」

「情報こそ弱小幕府を……ひいては公方様を守る最重要の要素ですから」

「それほど……それほど将軍様は今、無力なのですか」

「それはもう!日の本中の大名小名、それも格式確かな家柄から出来星まで、幕府のことなど眼中にもなく、至るところで喧嘩をおっぱじめてやがりますからなぁ。元々、足利幕府は初代の公方さまが、功ある豪族たちに大変気前よく領地を与えてしまったがため、いわゆる直轄地というものが大変少ない。治める土地が少ないということは実入りが少ない。実入りが少ないとなれば、持てる力も限られる。力が無ければ部下は勝手気ままに暴れてしまう。……それが応仁から始まる乱の本質でございますよ」

「そんな……」

 

 幽の言葉に絶句するエーリカ。だがそれを誰も否定できない。それが今の戦国の世だからだ。

 

「……エーリカ。将軍について、なぜそれほどまでに拘るのだ?」

「それは……」

 

 久遠の疑問にエーリカが答えようとしたそのとき、部屋に小姓らしき少年が入ってくる。

 

「お客様、お待たせ致しました。ただいまお側衆より許可が出ましたゆえ、主殿へと案内致します」

「それではそれがしが案内仕る」

「デアルカ」

「あ、主殿に行く前に。公方様へ御目見得できるのは三郎殿のみとさせて頂きます。その他の方々は、主殿の庭先にて平伏を。良いですか?決して公方様のお顔を拝んではいけませんよ?」

「小笠原か?」

「はっ。室内は小笠原。室外では伊勢。それが幕府の定めた礼法でございますゆえ」

「デアルカ。……ふむ。一つ、貴様に甘えたいのだが」

「……ほお?私に、でございますか。……例えばどのような?」

「この異人にも御目見得の資格が欲しい。やれ」

「は……こ、これはまた難儀を仰る」

「しかし貴様は我に貸しを作りたいのであろう?……良い機会をくれてやったのだがな?」

「ほほう。三郎殿もぬかしますなぁ。はっはっはっ」

「補足しましょう。この方の母は美濃・土岐源氏が末裔、明智の血を継ぐ方。そうご記憶頂ければ」

「明智の。ふむ……」

「お子様の証言では不服でございますか?」

 

 詩乃の言葉に幽が苦笑いを浮かべる。

 

「おや、これは手厳しい。……しかし何事も本質が分からねば判断のしようがないのも事実でございましょう?」

「然り。では根拠である我が名を明かしましょう。我が名は竹中半兵衛重治。美濃・不破郡を治める土豪でござれば、はるか昔、土岐のお屋形にも先祖が仕えておりました。ゆえに美濃の歴史に明るうございます。それに、ここにいらっしゃる織田殿の奥方とは縁のある血筋でもございます」

「ふむふむ。その美濃の豪族殿が、明智の末裔であると保証すると」

 

 頷く詩乃に一瞬思案した幽は頷き返す。

 

「分かり申した。では異人殿は三郎殿の従妹、という形で昇殿を許しましょう」

「従妹だと?」

「三郎殿の奥方と明智はまぁ薄いながらも血族の間柄。なればこそ、三郎殿の従妹とみても、まぁまぁ、大きな間違いは無い。……という建前があれば、何とかなるでしょう」

「ひぇぇ……なんて強引な……」

「絶対、この人と敵対したくないよね。……私たち、絶対に敵わないよ、こんな腹黒い人」

 

 ひよ子と転子が驚きながら囁き合う。

 

「腹黒いとは失礼な!……人よりほんのちょっとだけ、臓腑がねじれて収まっているだけではありませんか」

「あぅあぅ、ころちゃん助けてぇ~!」

「無理だから!」

 

 二人の視線が蘭丸に向く。

 

「幽さん、その程度でおやめください。私のかわいい部下が怖がっていますから」

「うわっ!ころちゃんかわいいって!」

「ひよ、そこに反応するんだ」

「久遠さま、それでは」

「うむ、構わん」

「そうですか。でしたら幽さん、それでよろしくお願いします」

「承った。……しかし、あなたはどう致します?蘭丸どの」

「私は庭で構いません。足利将軍に興味はありませんので」

「……ですが、先ほどまでの話の流れからすると貴方以外は御目見得される形となりそうですが。田楽狭間の天人殿を率いているとも聞いておりますれば」

「……久遠さまの傍にいては周囲の視線に対して殺気を放ってしまいそうですので。おとなしく平伏しておきます」

「……なるほど。面白いですなぁ。これはやはり、公方さまには会わせられない」

「会わせられない?身分の差があるから、ですか?」

「そういう意味ではありませんが……まぁ良いでしょう。では三郎どの。主殿に案内仕る」

「デアルカ」

 

 

 客室を出て、廊下を歩き……主殿と呼ばれる部屋の近くまで案内された。

 

「では長田殿、明智殿は室内へ。それ以外の方は庭にて平伏なされ」

 

 案内の小姓に庭の方へと通された蘭丸は、礼式に則りその場に座る。

 

「詩乃は礼式にも通じているようですが、どのくらいまで?」

「一通りの知識は入れております。……剣丞さまにですか?」

「えぇ。そういう機会がないともいえないですからね」

 

 詩乃と話をしながら待つ。

 

「……予測はしていましたが想像以上に待たされますね」

「久遠さま、心中お察しいたします」

「……本当に蘭丸さまは久遠さまのことが大事なのですね」

「この場でなければ帰ってしまっていてもおかしくないですね」

 

 

「足利参議従三位左近衛中将源朝臣義輝様、御出座ぁー!」

 

 先導の小姓らしき人物が名前を呼び上げると同時に、皆が一斉に頭を下げた。それに倣って蘭丸たちも平伏する。チラリと視界に映った人の顔を思い浮かべ違和感を覚える。

 

「下座に控えまするは、尾張国長田庄がご当主、長田上総介と申す者。幕府への献上品として、銅銭三千貫、鎧一領、刀剣三振り、絹百疋」

「殊勝なり」

「公方様よりのお褒めの言葉でござる。恐れ入り奉り、今後も謹んでご忠勤めされぃ」

 

 薄らと届いてきた声や御簾の奥へと歩く衣擦れの音。それを聞いた蘭丸はさらに違和感を強める。それとほとんど同時だった。

 

「忠勤?」

「これ、問答は指し許さず。平伏なされ」

「……阿呆らしい」

 

 久遠の言葉に場が凍りつく。同時に蘭丸からも強い殺気が放たれ周囲の兵たちが動く。

 

「お、長田殿!御前であるぞ!頭が高い!お控えなさい!」

「公方でもないものに頭を下げられるか」

「……っ!!」

 

 久遠の言葉に御簾の奥から息を呑むのが聞こえる。

 

「な、何を言うか!ここにおわすは正真正銘、足利将軍に他ならん!長田上総介、無礼千万であるぞ!」

「当代の公方は剣の達人という話を聞いていたが、御簾に入るときの足音などは、まるで手弱女のように弱弱しかったぞ。そんな者が公方であるはずがあるまい。……のぉ、そこの小姓よ」

 

 蘭丸の考えていたことを全て久遠が言う。しかも、蘭丸の殺気で唯一反応すら見せなかった人物に向かって久遠が声を掛ける。

 

「……ふっ」

「一度、そこな小姓と話がしたい」

 

 そういいながら立ち上がった久遠が小姓に近づこうとした途端。

 

「久遠さま、お止まりを!!」

 

 蘭丸の言葉よりも先に察知していたのだろう久遠が立ち止まるとすぐ傍を鉄砲の弾が通り過ぎる。

 

「……ふむ、お仲間がおるか。用心が行き届いているようで何よりだ」

「……気付くのが遅かったなら、貴様の頭に穴が開いていたであろうよ」

「それぐらいは用心しておる。……で?」

「良いだろう。なかなか面白き奴だ。話をしてやろう」

「偉そうな言い様だな。……小姓の分際で」

「白々しいことだ。貴様も同じであろうに」

「ふむ。……お互い様ということか」

「……藤孝、御簾をあげぃ!」

「は、し、しかし!」

「良い」

「御意」

 

 御簾の奥に座っていたのは今話していた小姓とどこか似てはいるが正反対の雰囲気を持った少女だった。

 

「お姉様……」

「双葉、代役大儀である。……後ほど呼ぶ。今は下がっていなさい」

「はい……」

「長田の。場所を変えるぞ。良いな?」

「デアルカ」




蘭丸は超耳がいいですね(ぉぃ

個人的に妹にしたいランキング一位の双葉ちゃんです。
え、二位?二位は薫ちゃんです。


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29話 足利将軍

「んーーーーーーーー!!!」

 

 蘭丸と詩乃が再び部屋に通されてからずっと唸っているひよ子。

 

「ひよ、ちょっと静かにしてようよ……」

「だってころちゃん!蘭丸さんと詩乃ちゃんの話、何度考えても良く分からないんだもん!なんで小姓さんが公方さまなのっ!?じゃあ御簾の中にいらっしゃったのはどちらさまっ!?なんで久遠さまはそれが分かったのっ!?私たち、いったいどうなっちゃうのぉ!」

「ひよの疑問は分かりますが、ちなみに蘭丸さまも久遠さまと同じく見抜かれていたようですよ」

「えぇっ!?」

「私の場合は少し違いますよ。明らかにあの小姓……いえ、公方さまだけが別格の気を放っていましたので、最悪の場合に備えていたまでです。……それに今は考えても答えは出せませんし、幽さんをお待ちしましょう」

「うぅ~、蘭丸さんも久遠さまも凄すぎてついていけません~」

「ふふ、私はひよなら人を見る目があると思っているんですけれどね」

「ひよ、落ち着いてください。蘭丸さまの言うとおり、あれこれ推測してみても何も始まりません。今はただ、待つことです」

「そうそう。……あ、だけど私、一つだけエーリカさんにお訊ねしたいことがあるんです」

「私に、ですか?」

 

 ふいに転子がエーリカに声をかける。

 

「はい!前から気になっていたんですけど、エーリカさんってすごく公方さまに拘ってらっしゃいますよね?」

「あ!それは私も気になってました!公方さまの強さとか弱さとか。そういうことを気にするのって、何だかエーリカさんらしくないなぁって思っちゃうんですけど」

「……」

 

 転子の言葉に同意するひよ子と沈黙するエーリカ。詩乃は静かに状況を見守っている。

 

「言えないのならば言わなくても大丈夫ですよ。ですが、短い時間とはいえ一緒に過ごして来たんです。袖すり合った相手の悩みを知りたいと思う気持ちも分かっていただきたいです」

 

 蘭丸が優しくエーリカに言う。

 

「……分かりました。まずは将軍にお話をしようと思っていたのですが、貴方方にもお伝えしたほうが良いのかもしれません……」

 

 そう前置きしたエーリカが、ゆっくりと口を開いた。

 

「私はとある役目のためこの日の本に来たのです」

「役目、ですか」

「私はポルトゥス・カレから派遣された天守教の司祭。……というのは表向きの役目で、本当の使命は……」

 

 一つ呼吸置いたエーリカの口からつむがれた言葉に全員が驚く。

 

「日の本に潜む、ある人物を暗殺することなのです」

 

 

 エーリカの言葉を信じるとなると悪魔を操る人物がこの日の本にいると。そして、その悪魔は異形の姿をした化け物であり、膂力強く、敏捷性、体力、どれもこれも普通の人では太刀打ちできないほどの力を持っているとのことだった。しかも、恐ろしいことにその異形の者を増やし、日の本を悪魔の楽園としようとしているらしい。想像していたよりも重い事情に全員が口を閉ざす。

 

「……一つ質問があります。その悪魔とやらは、人を襲いますか?」

「はい……悪魔たちは人肉を喰らいます。それに女性を襲って悪魔の子を孕ませるのです」

「うぇ……」

「うわ、最低最悪だよ、それ……」

「聞いてるだけで気分が悪くなるわね」

 

 嫌悪感を露にする女性陣。蘭丸は詩乃と同じ結論に至ったのだろう、視線を交わすと頷く。

 

「エーリカさん、私たちは恐らくその貴女の仰る無敵の悪魔と戦ったことがあります。それも、つい先日も」

「えっ!?」

「蘭丸さんもそうですけど壬月さまや麦穂さまなんてもう何匹も成敗してますし、強敵だけど無敵ってほどじゃないですよねぇ?」

「うんうん。ずるがしこくて強いけど、あいつらって何ていうか……馬鹿だし」

「だよね。さすがに私ぐらいじゃ、一対一で戦って勝てるってことはないけど、家中でもバンバン鬼退治している人たちもいるし。……蘭丸さんのご家族ですけど。敵わない相手ではないと思いますよ?」

「な、なんと……」

「蘭丸さん、この間数十匹は倒してなかったですっけ?」

「そうでしたか?剣丞さまも散歩中にお一人で倒されてますよ」

「えぇっ!?剣丞さままた一人でそんなことしてるんですか!?」

「ど、どうして生きているのですかっ!?」

「どうして、と言われましても。気を抜ける相手ではありませんが、決して倒せない相手ではないということ、では?」

「……ああ!主よ!この国を祝福してくださり、感謝致します!」

「「「「あーっ!」」」」

 

 感極まったエーリカが蘭丸の頭を胸元に引き寄せるように抱きしめる。それを見た四人が声を合わせて叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっとエーリカさん!はしたないですよ!っていうか、蘭丸さんから離れてくださーい!」

「そうですよエーリカさん!蘭丸さんを抱きしめるなんてずるいですずるいですずるいですずるいですー!」

「ちょっと蘭ちゃん!私というものがありながら何してるのよ!?っていうか今ひよずるいって……?」

「蘭丸さまも嫌そうではないのがなんとも言えない気分になってしまいます」

 

 エーリカは、転子たちが引き剥がそうとするのも物ともせず、強い力で蘭丸にしがみついていた。

 

「え、エーリカさん?よろしければあの、離していただけると……」

 

 蘭丸がそう口にした瞬間だった。

 

「なにをしている……?」

 

 場が一瞬で凍りつくような冷たい声。長い間共に過ごしてきた蘭丸や嫁として見守ってきた結菜ですら聞いたことがないような声で久遠が呟く。

 

「おい、そこの金柑頭!さっさとお蘭を離せぃ!」

「あ、ご……ごめんなさい、私ったら、なんてはしたないことを……」

 

 久遠の言葉で我に返ったようにエーリカが抱きしめていた蘭丸を解放して距離を取る。

 

「く、久遠さま、公方さまとの話はもう終わられたのですか?」

「うむ。……一葉、我の夫……となる男を紹介しよう」

「夫か。……嫁ではないのだな?」

「私は歴とした男です。やはり、あのときの方だったのですね」

「その節は世話になったな」

「いえ、良いものを見せていただきました。……やはり貴女が本当の公方さまでしたか」

「ほう、久遠から聞いていたとおりよき目を持っているようだ。改めて名乗ろう。我が名は義輝。足利幕府十三代将軍である」

「しょうっ!?」

「ぐんっ!?」

「さまっ!?」

 

 あまりの驚きにひよ子、転子、エーリカが何故か言葉を区切って叫ぶ。そしてその名乗りにひよ子たちが慌てて平伏しようとする。

 

「良い。堅苦しいのは好かん」

「で、でも……」

「公方さまが仰っているのですからお言葉に甘えましょう。……ですが、まさかあのときお会いした方が公方さまだとは思ってもみませんでした。では、御簾の中に居た方は?」

「あれは我が妹だ。名は双葉という。今、幽に呼びに行かせておるから、おいおいここに来るであろう。そのときに改めて紹介してやる」

「分かりました。……久遠さま、エーリカさんの件なのですが」

「うむ、聞いていた。部屋に入ろうとしたら、室内の雰囲気が変であったからな。外で様子を窺っていたのだ」

「話の腰を折らぬように気遣って頂きありがとうございます」

「ふふ、我の考えはお見通しのようだな」

 

 久遠と蘭丸のいつもの掛け合いを横目に一葉はエーリカへと視線を向ける。

 

「エーリカとやら。まずは謝ろう。……力無き将軍で誠に済まぬ」

「いえ、そんなっ!頭を下げて頂くようなことは、なにも……!」

「征夷大将軍として、先頭に立って蛮夷を駆逐するのが余の役目であるはずなのだ。だが、余が無力なばかりに、この日の本は乱れ、蛮夷をのさばらせてしまっておる。……誠に相済まぬ」

「そんなこと……!例え将軍さまにお力が無かったとしても、日の本に武士が居る限り、まだ希望を捨てることはないのですから!」

「あの不明の鬼が、まさか海の向こうの南蛮で話題になっていようとはな……」

 

 

 鬼についての話の後に、久遠が再度蘭丸を紹介する。

 

「くくっ、面白い奴だ。久遠が最も信頼し、幽が食えないと評していたのも頷ける」

「幽さんが、ですか?あの方にそう評されるのは……」

「だが、余は気に入った」

「おい、一葉」

「心配するな。取る気はない。……今はな」

「……ほざけ。お蘭が一葉に靡くことはない」

「くくっ、こやつと同じで、貴様も面白いの」

「黙れ、酔狂人」

 

 ひよ子と転子、詩乃、結菜、エーリカは状況に飲まれたように唖然としているが、蘭丸は二人の会話を聞いて笑みを浮かべていた。

 

「(久遠さまにも友と呼べる存在が出来たようでお蘭はうれしゅうございます)」

 

 会ったばかりとは思えないほど、気安いやりとりをする二人を見て何故か感激する蘭丸。互いに多くの責任を背負い、それを零すことも出来ない境遇だったことが二人を近づけたのかもしれない。

 

「一葉さま。双葉さまをお連れ致しました……」

「うむ。入れ」

「ささっ、双葉さま。お入りくだされ」

「ありがとう、幽。……失礼致します」

「双葉、挨拶せい。余の新しい友人たちである」

「ご友人、ですか?」

「そうだ。……大丈夫。こやつらは信用できる」

「そうですか。……ふふっ」

 

 柔らかな笑顔を浮かべた少女は蘭丸たちに向き直ると、涼やかな動作で頭を下げた。小さな頭が傾くと、その拍子にサラリと横髪が流れ落ちる。

 

「わたくしの名は足利義秋。通称は双葉と申します。姉、一葉のご友人の皆様に、謹んで御礼申し上げまする」

「御礼、ですか?」

 

 双葉の言葉に蘭丸が訊ねる。

 

「はい。皆様がご存知かは分かりませんが、我ら足利の姉妹は、幕府の中で危うき立場におりまする」

「危うき立場、ですか?」

 

 双葉の言葉に続いてひよ子が訊ね返す。

 

「うむ。我ら足利を排し、畿内の覇権を握ろうとする、三好、松永の党がおってな」

「最近では幕府内にも通じる者が出る始末。……我ら姉妹が心を許せるのは、幽を筆頭とした幾人かの幕臣のみなのです。……だからこそ、姉が友人であると認めた皆様に、言葉を尽くしてもなお、お伝えしきれないほどの感謝を、わたくしは今、心の奥底より思うております」

 

 そこで言葉を切るとすっと軽く息を吸い込み。

 

「本当に……ありがとうございます」

 

 美しい礼と共に浮かべた微笑みに蘭丸も微笑みを返す。

 

「頭をおあげください」

「これからよろしくお願い致します。蘭丸さま」

「わ、私は様付けされるような立場ではございませんよ」

「ですが久遠さまの旦那さま……旦那さまなのですよね?」

 

 蘭丸をじっと見つめて少し不思議そうに訊ねる双葉を見て久遠と一葉が笑う。蘭丸も少し困ったような表情を浮かべた。




双葉ってかわいいですよね。
嫁とかなんとかというより妹って感じで。
本当に可愛いですよね(力説


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30話 上洛への意思、燃ゆる悪夢

通常の話では既に前作を越えてしまいました。
それもこれも蘭丸が原作と同じ動きをせざるを得ないからです(ぉぃ


「それにしても、三好と松永、ですか」

 

 蘭丸が思案する。

 

「どちらも有名な方ですね。三好修理太夫長慶どの率いる、阿波の三好党のことでしょう」

 

 転子の言葉に蘭丸は頷く。

 

「ほお、よく知っておるな」

 

 感心した様子の一葉に転子は笑いながら野武士時代の名残ですよーと言う。

 

「なるほど。では少し訂正してやろう。長慶はすでにもうろくしておる故、今は三好長逸、三好正康、岩成友通の三人衆によって合議制がしかれておる」

「私もまだその情報は知りませんでした。剣丞さまが情報は生き物だと仰っていたのはあながち間違いではありませんね」

「権力闘争なんぞ、日によってコロコロと変わるものであるからな」

 

 少し呆れたような言い方の一葉は権力闘争を馬鹿らしいと思っているのだろう。

 

「個人的にはどちらかといえば松永のほうが厄介な気がするのですが。松永といえば主君よりも力を持つと言われている稀代の梟雄、ですね」

「それは知っておるか。流石は久遠の懐刀といったところか。三好三人衆をうまく操縦しながら、自らは前面に出ない……やりにくい相手と言えよう」

「ふむ……」

 

 一葉の言葉に詩乃がなにやら思案する。

 

「どうかしましたか、詩乃?」

「いえ。過去、道三どのよりお聞きしていた松永という人物のことを思い出していました。そのときに聞いた松永どのというのは、確か三好家の家宰程度であったと記憶しているのですが……」

「ほお。美濃の蝮が久秀を知っておったのか」

「その昔、京で数度会っていたようです。何でも京の梟雄はずるがしこいが、通す所は筋を通す、なかなかの難物だった……とのことなのですが。……その一家宰が、いつのまにか幕府を脅かすほどの力を持っていたとは。戦国の世の不思議、とでも言うのでしょうか。梟雄という評判も、今の松永どのの立ち位置を考えれば、まさしくもってその通り、ということになるのでしょうね……」

 

 詩乃の言葉に一葉は頷く。

 

「うむ。久秀は、三好の下働きをしている内に、三好の娘どもが次々と死んで出世していったという、稀代の幸運の持ち主だ」

「それは……なんとも」

 

 久秀の恐ろしさを感じたのだろうか、蘭丸が苦笑いを浮かべる。

 

「胡散臭くとも、証拠が無ければ稀代の出世頭となるのがこの世の常であろうよ。そしてその出世頭は今、三好党を影で動かす実力者であると共に、禁裏より弾正少弼を拝命し、幕府の相伴衆にも名を連ねておる」

「……獅子身中の虫だな」

 

 久遠が苦々しく呟く。

 

「はい。三好三人衆と弾正少弼殿に張り付かれては、いささかも気を許すことが出来ず……」

「だからこそ、織田どのと分かりし折りも、それを露と出さず、長田三郎として扱わせて頂き申した。……ご無礼の段、平にご容赦を」

 

 双葉の言葉を継いで幽が説明し、挙措動作も美しく久遠へと頭を下げる。

 

「おけぃ」

「幕府の内情としては、こんなところだ」

「権力という獣が暴れている状態、とでもいうのでしょうか」

「是非も無し。だが己の存在を、他人に左右されるのは我慢ならん」

 

 一葉の言葉に、やはり久遠に似ていると蘭丸は感じていた。

 

「それでは久遠さま。今後の方針ですが……」

 

 ちらとエーリカを見る。

 

「……まず一つ。鬼の件に関しては、しばし置くつもりだ」

「そんなっ!」

「エーリカさん、落ちついてください。久遠さまは、まだしっかりとした状況を掴めない以上、動きようも無いということを仰っているのです。まずは情報収集を……一葉さまにお願いする形、ですか?」

「その通りだ。一葉、手を貸せ」

 

 エーリカを制し、蘭丸が説明すると久遠がすぐさま一葉へという。

 

「良いだろう。力無き公方とはいえ、余はまだ公方であるのだ。日の本の民のことを考えれば、手を貸すしかあるまいよ」

「ふっ、理屈の多いことよ」

「余は征夷大将軍であるからな。……勝手気ままのできん立場である以上、理屈も多くなる」

「そうだな。……鬼の被害は京以外の畿内において激しく、周辺諸国ではまだ散見される程度だが、我はいずれ広がっていくと睨んでいる」

「尾張でも美濃でも増えている、と母さまと姉さまも言っていましたし。……では、久遠さま、織田家としての動きは」

「本国に戻ったあと、一葉と合流するために動く。……今すぐは無理だが、出来るだけ早くな」

 

 久遠の言葉に頷く蘭丸と息を飲む他の面々。

 

「三好・松永党の脅威に晒されている公方を救出する。そんな大義名分を掲げて上洛ですか……。なるほど、久遠さまは公方さまを錦旗とし、日の本を一致団結させるしか、鬼には対抗できないとお考えなのですね」

「うむ。広がっていく鬼を駆逐するためには、勢いのある諸勢力が力を合わせるしかなかろう」

 

 詩乃の言葉に久遠が同意する。

 

「勢力というものを持たん余であるからこそ、勢力に担がれるには最適であるということか。やれやれ……なんとも皮肉なことだ」

「古来よりこの国は、御輿を担ぎ、踊り狂いながら歴史を動かしてきた。……御輿になれるだけの力があると思っておけば良い。少なくとも、我は御輿にはなれん。……一葉の力が必要なのだ」

「……分かっておる。舁夫は任せるぞ」

「うむ。……任せておけ」

「足利の将軍を担いで、それからどうする?」

「諸勢力を糾合し、この日の本より鬼を駆逐するために、我は、我の考える天下布武を行いたい」

「久遠さまの宿願が、ようやく……!」

「ふふ、お蘭落ち着け。家中を調整してすぐに動く。……金柑よ」

「はいっ!」

「我と共に来い。家中の者どもに貴様の知っていることを全て説明せい」

「……私の言葉を信用してくれるのですか?」

「鬼の件がなければ妄想と笑ってもいようが、貴様の言葉は、我らが見知っている状況にも合致している。真実を語っていると受け止める方が、理に適っている……我はそう判断した。判断して、この日の本を不明の鬼などに好きにさせんと心に決めた。エーリカ。貴様の力を我に貸せ」

「……この命、そしてこの剣を織田三郎久遠さまに捧げましょう」

「うむ。……二条との繋ぎはお蘭と、その隊の者に任せることになるだろう。見知っておいてくれ」

「ふむ。……期待しているぞ、蘭丸よ」

 

 

「なかなかに面白い奴らであったな」

「そうですね……ふふっ、お姉様、何だか楽しそう」

「久しぶりに獅子を見た気がするのだ。……久遠は余と同じである」

「織田殿もなかなか激しい幼少期をお送りになられたと、聞き及んでおりますからな」

「うむ。権謀術数、騙し裏切り。……まさに下克上の名の通り、激しく、辛い人生であったろう」

「なるほど。……ご自分を重ね合わされたのですな」

「それもある。が……何よりも、余は久遠の目に惹かれたのだ。強く、己の為すべきことを為そうとする、信念を持つあの目が、余の心に火を点けた。……三好や松永にいいようにやられ、余はいつのまにか諦めてしまっていた。だが、久遠の瞳に魅せられ、余はもう一度、戦いたいと思った」

 

 そこで言葉を切り、静かに目を閉じる一葉。

 

「現実に負けたくはないと……そう思えたのだよ」

「姉様は、久遠さまに負けたくないのですね」

「ふっ、そうだな。……同じような人生を歩みながら、奴はまだ戦おうとしている。……それが悔しかったのかもしれん」

「……良いことではありませんか。覇気のない将軍など、置物にもなれませんからな。元気があって結構結構」

「……蘭丸との繋ぎは余自らが行う。幽は補佐につけ」

「ほぉ、あの懐刀が気に入られましたかな?」

「うむ。久遠が惚れ込んでいるという才覚、そして猛々しい龍を見た。……久遠もその辺りが気に入っているのだろうて」

「そうですね。御簾の中でも感じた鋭い視線やあの雰囲気……今までに見てきた武士とも違う、どこか気高いものを感じます」

「さすが余の妹である。気付いておったか」

「はい。久遠さまに鉄砲が打たれるよりも先に気付き周囲に放った殺気……武の心得がない私にも分かりました。……ですが、猛々しさと同じく、優しい雰囲気や心根を感じました」

「良く見ている。……さては惚れたか?」

「ま、まさかっ!で、でも……その……荒々しい殿方は苦手ですので、好ましい殿方とお見受け致しました」

 

 

「……っ!?ゆ、夢……ですが、何でしょう、一抹の不安が拭えないのは……」

 

 夜。久遠、結菜と共に寝ていた蘭丸が飛び起きる。見たことの無い光景。時折、頭を過ぎるもの。悪夢のような光景。

 

 

 ―――人間五十年。

 

 周囲を包む炎の中、舞を舞う久遠。

 

 ―――下天のうちをくらぶれば。

 

 いつ頃からだろうか、この夢を見るようになったのは。

 

 ―――夢幻のごとくなり。

 

 久遠の傍で動くことの出来ない自分。

 

 ―――一度生を受け。

 

 何処か遠くから聞こえてくる刀と刀が交差する音。

 

 ―――滅せぬもののあるべきか。

 

 崩れ落ちる建物の中、久遠が悲しそうな微笑を蘭丸に向ける。その背後に薄らと人影が見える。

 

『……済まぬな、お蘭。このまま我と地獄の供をせい』

 

 すらりと抜き放たれた刀が久遠共々に蘭丸を貫く。そして響く嗤い声。

 

 

 それは、怨嗟か、感嘆か、怒気か。あらゆる感情が込められたその嗤い声は全く聞き覚えの無いものだ。何処からとも無く聞こえてくる倭歌。

 

 

 ふと久遠が目覚めると、蘭丸の身体はガクガクと震えていた。

 

「お蘭……?」

 

 久遠の声にはっと振り返った蘭丸の瞳に映っているのは恐怖。若干の涙を溜めた瞳を見て久遠は驚く。

 

「どうした、お蘭。悪い夢でも見たか?」

「ゆ、夢……夢、なのですよね?」

 

 震える手で蘭丸が久遠の手を握る。驚くほどに冷え切った蘭丸の手を優しく握り返す。

 

「うむ。どのような夢なのかは分からぬが、我はお蘭と共にいるぞ。……安心しろ、お蘭が我を守ってくれるように我もお蘭を守ってやる」

 

 蘭丸を優しく抱き寄せる久遠。久遠の体温に触れ、少しずつ震えが収まっていく。

 

「久遠、さま……」

「ゆっくり眠れ。次は怖い夢など、我が見せてやらん」

 

 久遠に優しく抱きしめられ、頭を撫でられながら少しずつ蘭丸が眠りに落ちていく。どれだけの時間そうしていただろうか、蘭丸からすぅすぅと寝息が聞こえてくる。

 

「……眠ったか。しかし、あのお蘭が動揺するような夢、か。……」

 

 次におきたとき、蘭丸はその夢の内容は忘れていた。だが、心に残る不安だけは拭いきることはできなかった。




次回から幕間をはさみます。
その後、本編は激動していきます!

二条館の奪還、そして……。
書きたいようで書きたくない金ヶ崎へと……。


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幕間
幕間3 久遠と結菜と蘭丸と


 観光日和の晴天の堺。そこを歩く三人の美少女たちは周囲の目を惹くのには十分であった。

 

「お蘭!なかなかに面白そうなものが沢山あるぞ!」

「蘭ちゃん、これとかどう?似合う?」

 

 久遠、結菜、そして蘭丸の三人組だ。厳密には二人の美少女と一人の美男子、といったほうが正しいのだろうが、周囲はそうは捕らえない。だが、結菜は見るからに良家の出、久遠の放つ雰囲気は只者ではないと感じさせる。ゆえにだろうか、声を掛けてくる男は今のところ出ていない。

 

「ふふ、お二人とも楽しそうですね」

「む、お蘭は楽しくないのか?」

「まさか。久遠さまや結菜さまの供が出来て嬉しゅうございます」

「もう、蘭ちゃんって変なところで固いわね」

 

 そう言って蘭丸の腕に抱きつく結菜。

 

「結菜っ!?」

「ふふ、久遠が動かないから私が先にやっちゃった」

「むぅ……お、お蘭!」

「は、はい?」

 

 久遠がすっと手を差し伸べてくる。

 

「……我とは繋ぎたくない、か?」

「そんなことは!」

 

 蘭丸が久遠の手を握ると少し満足げな顔になる。

 

「そういえば蘭ちゃん、久遠に何か買ってあげるって言ってたわよね?」

「は、はいっ!実はある程度決めてるんですが……」

 

 ちらちらと久遠を見る蘭丸。

 

「ふふ、お蘭が決めたのであろう?我に依存はないぞ。で、その店は何処だ」

 

 

 そこから数件の小物屋を見て周り、蘭丸が二つの髪飾りを手に取り悩み始める。

 

「あら、蘭ちゃん。久遠の髪にはもう少し落ち着いた雰囲気の物のほうが似合うんじゃない?」

「はい。久遠さまには、こちらのかんざしが合っているかと。こちらは結菜さまに、です」

「え、私にも?」

「はい。久遠さまが、その……わ、私を旦那として、結菜さまが側室となられるとお伺いしました。……なので、お二人とも……私の妻、ということですよね?」

「そ、そうね」

「そ、そうだな」

 

 蝶のかんざしは二つ。見た目としては対となったものであり、確かに二人がつければ似合うことだろう。

 

「……うん、間違いなく似合います!」

 

 二人とかんざしを見比べながらにこやかに言う蘭丸に頬を染める久遠と結菜。

 

「そ、そうか。どうだ、結菜」

「私も久遠に似合うと思うわ。……でも、本当に私も貰っていいの?」

「はいっ!いつもお世話になっておりますし……久遠さま、いいですよね?」

「我は構わんぞ。結菜であるしな」

 

 

「ふふ、お魚もおいしいわねぇ」

「うむ。お蘭の蛸もおいしそうではないか」

「よろしければ少し食べられます?」

「じゃ、交換ね。蘭ちゃん、あーん」

「ゆ、結菜さま、恥ずかしいです……」

「むぅ……お蘭!」

「はい!むぐっ!?」

 

 問答無用で久遠から刺身を口の中にねじ込まれる。

 

「ちょ、ちょっと久遠!?」

「五月蝿い!二人だけで仲良くしおって」

「あら、やきもち?」

「ち、違う!」

「ふふ、久遠さまったら。結菜さま、ではお口を」

「あーん。……あら、本当においしい!」

「久遠さまも」

「う、うむ」

 

 差し出された蛸を食べると。

 

「ほぉ……同じ蛸や魚といえど、ここまで味に違いがあるのだな」

「ほんと。尾張のお魚もおいしかったけど全然違うわ」

「もう少し食べたいと思ってしまいますが……刺身でこれなら他のものも気になりますね」

「お蘭、それはいい案だ」

「そうね、折角だもの。色々なものを食べていきましょ」

 

 

 既に蘭丸から貰ったかんざしをつけた二人と上機嫌で歩いているとついに、というべきかやはり、というべきか。前から明らかに柄の悪そうな男たちが三人近づいてくる。

 

「よう、姉ちゃんたち。えらい別嬪さん揃いやないか」

「俺たち三人、姉ちゃんたちも三人。どや、いいとこ知っとるでぇ」

「……お、おれ、あのこが、いい」

 

 ……なぜだろうか、きっと剣丞がいれば「うわー、テンプレだー」とでもいいそうな、まるで頭に黄色い布を巻きつけたノッポとチビとデブの三人組を髣髴とさせる男たちだ。ちなみに、最後のデブが指差したのは蘭丸だったりする。

 

「いえ、間に合っておりますので」

 

 既に久遠たちの前に出た蘭丸だが、堺での喧嘩はご法度。もしそういうことになれば久遠にも迷惑がかかることが分かっているため、蘭丸も柔らかく断りを入れる。

 

「いいじゃねぇか。へへ、いい思いさせてやるぜぇ?」

 

 そういってノッポが蘭丸へと手を伸ばす。が、次の瞬間、地面に倒れていた。

 

「……へ?」

「どうされました?石でもありましたか?」

 

 きょとんとした表情で蘭丸が言う。

 

「そ、そうかもしれんな」

 

 蘭丸が手を差し出しノッポの男を立ち上がらせる。軽々と引き上げられたことに衝撃を覚える男。

 

「(こ、この姉ちゃんやべぇ!?)」

「俺はこっちの姉ちゃんがいいな!」

 

 結菜に手を伸ばそうとするチビの男。久遠が嫌悪感を表に出して刀に手を伸ばしそうになるが、既にその男の手は結菜ではなく蘭丸の手を掴むような状態になっていた。

 

「あら、私と遊びたいのですか?」

 

 ニコリと微笑むと同時に再び地に伏した男。

 

「あら、また地面に寝転んで。そんなに地面がお好きなら私たちなどではなく地面と遊ばれては?」

「おい、テメェら舐めてんじゃねぇぞ!?」

「女と思って優しくしてたら調子に乗りやがって!おい!」

 

 デブの男が蘭丸の腕を掴む。が、行き着く結果は同じだった。

 

「あらあら、本当に地面がお好きなようで。……これ以上騒ぎを大きくするおつもりですか?」

 

 蘭丸の言葉に男たちが周囲を見る。明らかに男たちを警戒している様子だ。

 

「ちっ、ずらがるぞ!」

「覚えてろ!」

「アニキ待って!」

 

 三人が走り去った後に拍手が起こる。

 

「姉ちゃんたちすげえな!刀抜かずに一人で三人を撃退するなんて!」

「可愛いし強いなんてお姉さん関心しちゃうわ」

「さすがはお蘭だな」

「ホント、凄いわねぇ」

「ふふ、ほんの嗜みです。春香さんから『蘭ちゃんが無手のときに襲われたら困るから練習しましょ』って言われて倣ったんです」

「……春香というと、森の各務か。あ奴らしいというかなんと言うか」

「ていうか、何したの?」

「相手の力をそのまま使って投げただけですよ。……恐らくほとんどの方は目視できていないと思いますが……すみません、出来る限り穏便に済ませたかったのですが」

「おけい。お蘭は最低限に済ませてくれた。周囲も味方につけたうえで、な」

「……はい。あ、ですが一つ、忘れていました」

 

 久遠と結菜が首を傾げる。

 

「私が男だということを伝えそびれました」

 

 

 その後も刀剣や鉄砲、反物などあらゆるものを見て周り、時には甘味を楽しみ久方の休みを堪能していた。そして、その夜。

 

「大丈夫ですか、結菜さま?いつもよりも沢山歩かれたと思いますが」

「少し脚が張っちゃったけど大丈夫。跡で少しお願いできる?」

「はい。久遠さまは?」

「我は慣れておるからな。だ、だが結菜がしてもらうのなら我も後でいいか?」

「ふふ、かしこまりました」

 

 二人の按摩をしながら今日のことを振り返る。二人とも蘭丸が贈ったかんざしはとても気に入ってくれたようで今のように使っていないときは綺麗な桐の箱に入れていた。

 

「有意義な時間であったな」

「そうね。夫婦水入らずの買い物なんて滅多に出来ないものね」

「そうですね。特に護衛なしなんて言ったら」

「壬月辺りは絶句しそうであるな。よし、帰ったら試すとしよう」

「ホント、久遠はそういうの好きよねぇ、って久遠アレ」

「ん……あぁ、そうであったな。お蘭」

「はい?」

 

 改まって向かい合って座る三人。結菜が立ち上がると手に桐の箱を持ってくる。大きさとしてはかんざしのものよりは少し大きめだろうか。

 

「こ、これは……?」

「ふふふ、お蘭の目を出し抜いて選ぶのには苦労したぞ」

「ホントよね。これ、久遠と私からよ」

「あ、開けても、よろしいですか?」

「勿論だ」

 

 桐の箱を丁寧に開ける。そこに入っていたのは小太刀。実用性よりも美術性のほうが高いだろうか、鞘の部分に華美な装飾がされている。抜いた刃美しく光輝いているように蘭丸は感じた。

 

「このような立派なものを……!」

「ふふ、とはいえ、ちゃんとしたものはまた別に贈るつもりだが。太刀など我の家紋の入ったものを、な」

「久遠さまっ、結菜さまっ!」

 

 小太刀を箱に片付けた後、蘭丸が感極まって二人に抱きつく。

 

「お蘭は、お蘭は幸せ者でございますっ!!」

「そんなに喜んでもらえて我も嬉しいぞ(まさか抱きつかれるとは思ってもおらんかったから驚いたが)」

「ふふ、私も蘭ちゃんからかんざし貰ったとき同じような気持ちだったのよ?」

「これは私の家宝にしますっ!」

「ははっ!それは構わんが、もしものときに備えるためのものだ。聞くところによると備前国長船の作ということだ。お蘭の技にも耐えられるだろう」

「はいっ!」

 

 その日も仲良く三人で眠ることとなる。いつもより蘭丸が寝付くのに時間がかかったのは仕方の無いことなのかもしれない。




備前長船といえば歴史好きなら知ってる刀ですよね?
鎌倉から戦国末期頃に栄えた一派ですね!

私が初めて知ったのは某有名RPGだった気がします(ぉぃ


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幕間4 蘭丸隊の一日~堺組~

今回の主役は堺に供として来た蘭丸隊の三人娘です!


「蘭丸さん、ホントにいいんですか?」

「構いませんよ。それほど大きな案件でもありませんから、私と久遠さま、結菜さまで参ります。ゆっくり休んでください」

「うむ。あまり大人数で押しかけても、向こうが警戒するだろうしな」

 

 朝、久遠と蘭丸からひよ子、転子、詩乃の三人は休みを言い渡された。

 

「堺の街中であれば安全でしょうから、楽しんできてください」

 

 ニコリと微笑みながら言う蘭丸に頷く三人。そのまま立ち去る蘭丸たちを見送る。

 

「……行ってしまわれました」

「だねぇ」

「じゃ、私たちもせっかくだし、出ようか」

「そうですね……」

 

 正直なところ、三人とも蘭丸と一緒にいたいという気持ちもあったのだが、仕事ということもありそういうわけにも行かなかった。それに、久遠と結菜にも蘭丸と一緒に居させてあげたいという彼女らなりの優しさでもあった。

 

 

「うわぁ……ホントに人がいっぱい!!」

「なんたって堺だよ!清洲や井之口とはワケが違うよ……」

「ですね……。人の流れも物の流れも銭の流れも。全てが想像していた以上です」

「ねぇねぇ!あっち、面白そうな物売ってるよ!」

 

 そう一つの店を指差して駆け出すひよ子。

 

「あ、こら、ひよ!」

「ああ……待って下さい」

 

 慌てて追いかけていく転子と、さらにそれを追いかける詩乃。二人が店に入るとほぼ同時に。

 

「まいどっ!」

「えぇっ!?ひよ、もう何か買っちゃったの!?」

「だってこれ、すごいんだよころちゃん!」

「何がすごいの」

「ほら、これ!」

「笛、ですか?」

 

 そう言って自慢げにひよ子が取り出したのは、先端に何かの部品の付いた笛に似たものだった。

 

「そうだよ。これを吹くとね……」

 

 ピィ、という甲高い音と共に先端に付いていた丸まった物が勢いよく伸び、息を吹き込むのをやめると、しゅるしゅると元のように丸まっていく。

 

「わっ!?えっ、ちょっと、何今の!?」

「南蛮渡来のからくり笛なんだって!」

「……」

 

 驚く転子と何かに気付いたような素振りを見せる詩乃。

 

「隣になんだかすごく高くてきれいな笛もあったんだけど、こっちはちょっと安かったから……」

「ひよ、それは……ぼった」

「すごい……!ひよ、やらせて!」

 

 詩乃の言葉をさえぎる様に転子がその笛に食いつく。

 

「いいよ!」

「……」

「おおおおお……なんだかよく分かんないけどすごい!すごく堺って感じがする!」

「でしょー!詩乃ちゃんもやる?」

「……いえ。さすがにそれはちょっと」

 

 苦笑いの詩乃。

 

「よし、ひよ。次行ってみよう!次!」

「うん!詩乃ちゃんも!」

「ええ……はい、分かりました」

 

 

「な、南蛮のものって、良い値段するんだねぇ……」

 

 一つの店を出てひよ子が軽く冷や汗を流しながら呟く。

 

「だねぇ。机と腰掛けだけであんな値段するなんて……」

「だから、私の趣味ではない、と言ったのですよ。こんなお金があったら、兵法書の一つでも揃えます」

 

 詩乃が二人に言う。

 

「私だって、蘭丸隊の糧食や装備を調えたほうが……」

「……何で二人とも、お仕事の話になってるの」

 

 詩乃の言葉に返す転子に苦笑いのひよ子が言う。

 

「まぁ、それは……」

「蘭丸さんに今日はゆっくり遊んできなさいって言われたんだから、今日はお役目の話はナシにして、ゆっくり遊ぼうよ!」

「そうだね。そうしよう!」

「……善処します」

 

 

「この辺りは武器が売ってるんだね」

「通りごとに特色がある、というのもいいものですね」

「脇差も良さそうなのが揃ってるなぁ……。備前に粟田口かぁ」

「確かにその辺りは尾張ではあまり見ませんね」

「いいなぁ。ほしいけど……」

「高いね……」

「うん……いいお値段するね……」

 

 先程の南蛮の椅子ほどではないにせよ、どこから流れてきたとも知れぬ一振りでさえ、彼女たちがポンと出せる額ではない。

 

「でも、西の品もたくさん運ばれてくるんだね」

「清洲や美濃で見るのは、ほとんど美濃の品だしね」

「うわぁ!これ凄い!」

 

 そんな中でひよが目を止めたのは、ひときわ見事な太刀だった。どこかから流れてきた物のようだが、やはり桁外れの値段が付いている。

 

「粟田口吉光ですか?……太刀も作っていたとは知りませんでした」

「太刀じゃ私たちには大きいから、磨いてもらわないとね」

「蘭丸さまは太刀の大きさでも使いこなされていますけれど。……やはり凄いお方ですね」

「いいなぁ。数打物じゃなくってこんなのを差したら、きっと強くなれるんだろうなぁ……」

「その前に、ひよはしっかり武術の鍛錬も積まないとね」

「そうですね。いかな名刀を持ったとしても、それに伴う腕がなければ無用の長物」

「うぅぅ……分かってるよぉ。二人とも意地悪ー!」

「でもいつかは大きな手柄を立てて、こういう立派な刀が持ちたいね……」

「だよねぇ……」

「……って、ころもひよも結局お仕事の話になっているではありませんか。今日は遊びに来たのでしょう?」

「あはは、結局みんな仕事のこと考えちゃうってことか……」

「……あ、そうだ!」

 

 そこまで話したところで思い出したようにひよ子が声を上げる。

 

「どうしたの?」

「もうちょっと見ていっていい?」

「え、もしかして……さっきの太刀、買うの?」

「そんなお金ないよ……。そうじゃなくって」

 

 ひよ子がそういい残して店の奥に姿を消して、少しの時間が過ぎた。

 

「ひよ、何を買いにいったんでしょう?」

「さあ?今更、武具を変えるとも思えないけど……」

「……ただいまー」

 

 少し落ち込んだ様子でひよ子が店から出てくる。

 

「お帰りなさい。元気がないけど」

「うん。闘具を探しに行ったんだけど……」

「闘具?拳で戦うときのあれですか?」

「ひよ。いくら刀に自信がないからって……もっと上級者向けの武器なんか使ってどうするの?」

 

 銃、弓、槍、刀。一般的に武器は相手との間合いが長く取れるほど有利といわれている。弓や槍は間合いの内側に入られると弱いという説もあるが、そもそもあいての間合いに飛び込んで戦うという選択肢自体、並の兵士には縁遠い物だ。

 

「それとも……首を取るのは怖いものの、殴るのは意外と平気とか……?」

「ち、違うよ!私じゃなくって、お土産にするの!」

 

 恐る恐る確認する詩乃に慌ててひよ子が答える。

 

「なんだ、びっくりした」

「お土産というと……小谷のお市さまですか?」

「うん。京製のいいのがないかなって思ったんだけど……最近は京からの入荷が少なくなってるんだって」

「なら、京に行ったときにも探してみましょう」

「そうだね。そっちのほうが見つかりやすいかも」

「うん、そうしてみるよ。ありがとね、二人とも!」

 

 

 人ごみによったのか、はたまた歩き回って疲れたのか、その両方か。詩乃の顔色が少し悪くなり始めているのに気付いたひよ子と転子は休憩として南蛮茶屋へと足を運ぶ。

 

「ごめんくだ……」

 

 そこまで言ったひよ子がそのまま固まる。

 

「どうしたの、ひよ……」

 

 そう言いかけたころも、半歩踏み込んだところで足を止めた。

 

「これは……」

 

 詩乃たちの前に並ぶのは、椅子やテーブルなどの南蛮家具の数々だ。その椅子ひとつ、テーブル一つが幾らするのかは……先程三人ともしっかりと頭に叩き込まされたところだった。

 

「いらっしゃい。好きなところに座って頂戴」

 

 三人を見た店員が愛想よくそう声を掛ける。

 

「す、好きなところって……え!?」

「ちょっところちゃん。これさっきものすごい値段が書いてあった……」

「座るだけでお金取られたりしませんか……?」

「……別に取りゃしないよ。ここを何の店だと思ってるんだい、あんた達」

 

 呆れたように返す店員。

 

「だ、だって、あの机の上に置いてある布、なんかきらきらしてるよ!あれだけでも絶対ものすごいお値段するって!」

「ねえ、ここってもしお茶をこぼしたりしたら……」

「言わないで!そんなの想像したくない!」

「あの辺りでお茶を楽しんでいるのは、いわゆる豪商というかたがたでは……」

「お、お菓子の値段は……」

 

 幸いとでも言うべきか。壁に並ぶ札に記された、南蛮菓子そのものの金額は……。

 

「良かった……。お菓子だけなら、そんなに高くない。……安くもないけど」

「南蛮菓子ですから、普通の茶屋より高いのは仕方ないかと」

「それはそうだけど……でも、ここで食べるのはいくらなんでも……」

「ごめん、詩乃ちゃん。ここはちょっと……落ち着かない」

「いえ……。私もこんな場所だと、余計気分が滅入りそうです」

「ん?アンタたち入らないの?それとも外で食べるの?」

 

 

「ふああ……。落ち着く……」

「落ち着くね。やっぱりこれだよね……」

「やっと座れました……」

 

 運ばれてきた菓子と茶に手を伸ばしながら三人は呟く。

 

「南蛮のお茶なんですかね?これ」

「わかんない。でも美味しい……んだと思う」

「たぶん、明のお茶かと」

「へぇ……それより、このお菓子おいしいー!」

「確か……かすていら、だっけ?」

「うん。甘くて美味しい!久遠さまの金平糖も美味しかったけど、南蛮ってこんな美味しいものばっかりなのかな?」

「こんなお菓子を食べてるから、エーリカさんの髪ってあんなきれいな色になったのかな」

「私たちはご飯を食べても、年を取るまで白い髪にはなりませんよ」

 

 そんな他愛もない話をしながら盛り上がる三人。

 

「ホントは、蘭丸さんと一緒に来たかったねー」

「しょうがないよ。蘭丸さんはお役目があるんだから」

「そうですよ。それに、久遠さまは正室殿……になられるんですから」

「じゃ、詩乃ちゃんはうらやましくないの?」

「それは……羨ましいですが、叶わぬ夢ですし」

「だよねぇ……。あーあ。蘭丸さんと一緒だったら、もっと楽しいんだろうなぁ」

「二人とも、蘭丸さまのことが好きなのですね」

「……うん」

「好きだよ。詩乃ちゃんは違う?」

「……想ってはいるのですがね。ですが、あのお方の目には久遠さましか映っておりませんから」

 

 少し落ち込み気味に話し出す三人。

 

「でも正直、もうちょっと私たちを鎌ってほしいって思っちゃうよね」

「だよねぇ……。あ、でもころちゃんは二人で色んなところ行ってたじゃん!ずるい!」

「ちょ、今それ持ち出してくる!?で、でも、最近は忙しくてあまり一緒に遊んだりも出来ないよね」

「遊ぶ……」

「詩乃ちゃんは違うの?」

「私は……夜のお伴をさせていただきたいなと……」

「「……っ!?」」

「で、でも、奥様は久遠さまがいるし……」

「側室には、結菜さまもいるでしょ?いつも三人で寝てるみたいだし。……あ、それは前からって言ってたっけ」

「さすがに側室になりたい、などと贅沢は言いませんが、叶うならば愛妾くらいにはなれればなと……」

「お妾さん……!」

「そうか、その手があったんだ……」

 

 

 そんな話をしていた三人であったが、おかわりなどもして勘定をすることにした。

 

「では、お勘定ですね。……おや」

「どうしたの、詩乃ちゃん?」

「すみません。お財布を、宿に忘れてきたようです」

「あらら」

「しょうがないなぁ。立て替えといてあげるから、後で返してよ?」

「助かります」

 

 悪びれた様子もない詩乃に苦笑しながら、転子は懐に手を伸ばし……。

 

「……しまった」

「どうしたの、ころちゃん?」

「ゴメン。お金があったら絶対に使っちゃうと思って、今日は財布を持ってきてなかった」

「ったくもう……。しっかりしてよ、ころちゃん」

「ひよ、ゴメン!」

「仕方ないなぁ。じゃあ、ここは私が立て替えるから」

 

 そういって懐に手を伸ばしたひよ子の手が止まった。

 

「どうしたのです?ひよ」

「……ない」

「は?だってさっき、あの変な笛買ってたじゃない!」

「それに、闘具も買いに入ったでしょう?」

「うん。そのときはあったはずなの。もしかして……」

「……すられた?」

「……かも」

「ちょっと待って下さい。だとすれば、私たちは……」

「誰もお金を持ってないって……こと?」

 

 そんな瞬間に、お土産を準備した店員が来る。

 

「お待ちどお。……あれ、お勘定かい?」

「え、えと、その……お、おかわりくださいっ!」

「わ、わたしもっ!」

「……?はいはい。おかわりね。じゃ、お菓子の包みはここに置いとくからね」

「「「……」」」

 

 店員が離れた瞬間、小声で転子がひよ子に声を掛ける。

 

「な、何でおかわりの注文なんかしちゃうの!ひよ!」

「だ、だってさっきのおじさん、顔怖かったんだもん!堺の人とも違う変なしゃべり方するし!」

「とはいえ、あの方に私たちがお金を持っていないことを知られてたら……」

 

 顔を青くして口を閉ざす三人。

 

「そういえば風の噂で、南蛮人はこの国の女の子を神隠しに遭わせるとか……。神隠しに遭った女の子は、南蛮に送られて……」

「詩乃ちゃん、その話は今ちょっと……!」

「はーい。おかわりおまちどーう」

「あ、はい。あ、ありがとうございます……」

「「「……」」」

「何なの?アタシの顔に何か付いてる?」

「べべべ、別になんでもないです……」

 

 再び立ち去った店員。既に三人は若干涙目になってたりする。

 

「うぅ、せめて、その場の勢いだけでも良いから蘭丸さまに操を捧げて死にたかったです……」

「私も、もっと蘭丸さんに甘えとくんだったよ……」

「「「蘭丸さーん(さまー)!」」」

「あら、どうかしました、ひよ、ころ、詩乃?」

「ら、蘭丸さんっ!?」

 

 

「ふふ、それでは、ころは財布を持ってきてなくて、詩乃は財布を忘れてて、ひよは財布をすられた、と」

 

 転子から差し出されたカステラを口に運びながら蘭丸が確認する。

 

「……はい」

「面目次第もございません」

「蘭丸さぁん……」

「ふふふ、そんな目で見なくても大丈夫ですよ」

 

 チラッと三人が食べたものとお土産、店内の札を確認して蘭丸が微笑む。

 

「このくらいであれば大丈夫ですよ」

「蘭丸さんっ!!」

「よろしければお茶もどうぞ」

 

 詩乃が差し出すお茶を微笑んで飲む蘭丸。

 

「これは……明のお茶ですかね?」

「よかったら、これもどうぞ!」

「……ひ、ひよ、これは?」

「だってすごいじゃないですか!ピーって吹いたらしゅるるってなるんですよ!」

 

 力説するひよ子に微笑んで。

 

「ですが蘭丸さまは、どうしてこのような所に?」

「そうですよ。久遠さまたちと南蛮商人に会いに行ったんじゃ?」

「そうなんですが、寸前のところで久遠さまに何か考えがあったらしく、私は少し時間を頂いて散歩していたんですよ」

「はい。お菓子のお代わり、おまち」

 

 お菓子を持ってきた店員を見て蘭丸は三人の様子に少しだけ納得する。

 

「ありがとうございます。では、それでお勘定にしていただけますか?」

「はいはい。ええっと……これとこれとこれと……あと、席料と……」

「ら、蘭丸さん……!」

「ふふ、それでしたらこれでちょうど、ですね」

「……へい、まいど」

 

 最後に店員の持ってきたお菓子を口に運ぶ。

 

「それでは、行きましょうか」

「ありがとうございます!」

「助かりました、蘭丸さま」

「一生付いていきます!」

「私も一生お伴します」

「ふふ、大げさですよ、三人とも。……あ、忘れるところでした。ひよ」

 

 蘭丸が懐から小さな巾着袋を取り出す。

 

「あーっ!それ、私のお財布!」

「どうされたのですか、蘭丸さま」

「先程、スリを一人捕まえて役人に引き渡したときに見覚えのある巾着があったので。中に名前の書いてある紙切れも入っていたのでそれだけ預かってきたんです」

「蘭丸さーん!私も一生付いていきますーっ!」

「うふふ、久々に本気で笑ってしまったかもしれません」

 

 クスクスと笑う蘭丸。一度宿に戻り、そのまま四人で堺を見物することになったのは、また別の話。




……あれ、なんかいつもより長いような。
気のせいですね。


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幕間5 蘭丸隊の一日~残留組~その壱

影の薄い主人公(!?)剣丞たちがどうしているのか……といった物語です。


「剣丞さま、剣丞さま!早く起きてください!」

 

 問答無用といった力で布団を引き剥がし、凄い勢いで身体を揺すられ流石の剣丞も目を覚ます。

 

「え、何……?戦?」

「何を寝ぼけてるんですか!……ある意味戦よりも面倒なことになりそうですが」

 

 目の前にいたのは新介。何処か納得がいかないというか複雑そうな表情をしている。

 

「どうしたのさ」

 

 むくりと起き上がるとはっとしたように新介が言う。

 

「そうでした、蘭丸さまがお待ちです!早くこちらへ!」

 

 

 剣丞と新介が向かった先では既に蘭丸と小平太が待っている状態だった。

 

「ごめん、蘭ちゃん。俺が起きるの遅れて新介待たせちゃった」

「いえ、構いませんよ。すみません、こんな早くに」

「いいって。それで火急の用って感じ?」

 

 剣丞から尋ねられ、少し困ったような表情を浮かべた蘭丸。

 

「そうですね。……実は、久遠さま、結菜さまと少し遠出をすることになりまして。ひよ、ころ、詩乃の三人を供に連れて少々こちらを離れます。これは壬月さまや麦穂さまにもお伝えしてません」

「え……それって大丈夫なの?」

「まぁ……後で壬月さまからお叱りは受けるでしょうが、いつものことといえばいつものことですので。なので、剣丞さま、私の居ない間、完全に隊をお任せすることになります」

「……俺でいいの?俺よりも新介や小平太のほうが色々知ってると思うけど」

 

 剣丞の言葉に少なからず驚く新介と小平太。自らの力不足を自ら言うのはそう容易いことではないからだ。

 

「ふふ、そんな剣丞さまだからこそですよ。……それに、ひよ、ころ、詩乃の三人からも今の剣丞さまならば大丈夫ではないかと言われましたよ?」

「……そっか。それなら期待に答えられるようにがんばるよ」

「いいなぁ、ひよたち。ボクたちも行きたかったなぁ」

「こら小平太!蘭丸さまたちはお役目で行くのよ、そんなこと……」

 

 そう小平太を叱りつけながらも内心一緒にいきたいことは否定できず言いよどむ。

 

「すみません。ですが、今回は色々な『視点』での意見が欲しいので、新介や小平太よりもひよやころのほうが適任というのもあるんです。そう言う意味では剣丞さまもお連れするか少し考えましたが」

「うん、俺は蘭ちゃんの決めたことに従うよ。えっと、それで」

「はい、細かな指示などは麦穂さまにお伺いしてください。それと……困ったときには春香さんにもお願いします」

「春香さん……って森の各務さん?」

「はい。春香さんなら私の師でありもう一人の姉でもありますので」

「へぇ、姉って言うくらい信頼してるんだ?」

「はい!春香さんも母さまや姉さまくらい素晴らしいんですよ!」

 

 蘭丸の家族愛が炸裂したところではっとした蘭丸が咳払いを一つする。

 

「それで……私のいない間の隊の方針ですが、周囲の国々の情報収集と調略が重要になってきます。……特に京への道筋にある国の調略を進めるようにお願いします。やり方などは剣丞さまに一任いたします。もし何かあれば私が責任は取りますので」

「ううん、俺が取るよ。って言っても何すれば責任取ることになるのか分からないけど」

「ふふ、隊長は私ですよ?隊の失敗は隊長の責任です。そこだけは譲れません。……新介、小平太。剣丞さまの補佐は任せますよ」

「「はい!」」

 

 

「うう……また蘭丸さまと離れ離れに……」

「新介ってホントに蘭丸さまのこと好きだよなぁ」

「ち、ちがっ!憧れてるだけよ!蘭丸さまみたいにご立派になりたいと!」

「はは、分かるな、その気持ち。家中でどの要素で見ても必要な存在だって言われてるしね」

「剣丞さま知ってる?蘭丸さまって他の国で『信長に過ぎたる物』って言われてるんだよ」

「へぇ。確かに俺の記憶でも久遠といえば蘭丸的なイメージはあるなぁ」

「いめーじ?よく分からない言葉ですけど、蘭丸さまは凄いってことだよな!」

「ほら、剣丞さまも小平太も、登城の準備を早く!……はぁ、壬月さまの雷落ちるんだろうなぁ」

「出来る限りは俺から話をするよ。二人は兵の調練から入っておいてくれる?」

「はーい」

「小平太、返事はしっかり!」

「新介細かいんだよなぁ」

「何か言った!?」

 

 

「……」

「……」

 

 剣丞は、早速城に上がると壬月と麦穂へ事情を説明していた。こめかみをひくひくさせる壬月と苦笑いの麦穂。

 

「……で、貴様はそのまま行かせたと?」

「うん。……蘭ちゃんもいるし大丈夫だと思うけど?」

「まぁ、殿が何も言わずに出かけるのはいつものことですが……」

「しかし、京とは。我ら重臣にも何も言わずにいくとは全く……」

 

 ブツブツ言いながらもこれからするべきことを考えているのだろう。壬月が腕組みして考え込む。

 

「……まぁ、事情は分かった。既に出立したとあっては恐らく兵を送っても遅いだろう。まずは岐阜の安定……」

「それと、蘭ちゃんから剣丞さまが受けたという指示に沿って動きましょうか」

「うむ。蘭丸が言っていたのであれば間違いないだろうからな。……それに、あいつの名前を出せば森の二人も御しやすいからな」

「え、それってまさか」

「剣丞、貴様には森の二人も任せる。まぁ、蘭丸の名を出し、各務もいれば何とか動いてくれるだろう」

 

 

「分かりました。それでは森一家も剣丞どのと共に行動するとしましょう」

「ふむ、まぁ殿とお蘭からならば仕方あるまい。春香、任せるぞ」

「はい。ですが、何かあったときには桐琴さんにも動いてもらいますからね?」

「……面倒だが仕方ないな」

「おう、剣丞。オレもお蘭の為だから手伝ってやるよ」

「あ、ありがとう」

「だが、その前に」

 

 ニヤリと笑う桐琴にいやな予感がする剣丞。

 

「孺子、ちょっと付き合え。……春香ぁ、今日は任せるぞ!」

「分かりました。新介さんや小平太さんとは繋ぎを取っておきます」

「応、頼む。おいガキ、鬼狩りいくぞ!」

「ひゃっはー!待ってたぜ!」

「……え?」

「お願いしますね、剣丞どの」

 

 優しく微笑む春香が少し怖く思えた剣丞だった。

 

 

「なぁ、新介」

「何よ」

「蘭丸さまの次の一手って何か分かる?」

「そんなことも分からないの?」

「うっ……ボクがそう言うの得意じゃないの知ってるだろ?」

「そんなんじゃ母衣衆になんかなれないわよ」

 

 新介がため息をつきながら。

 

「っていうか、京への道の調略を行うってことは答えはたった一つでしょ。次の久遠さまの目標は……」

「目標は?」

「上洛、ってことじゃないかしら?」

「って、ことは」

「本格的に天下を目指すってことでしょ。天下布武を対外的にも使用していくってことだったし」

「へぇ!ってことは……道中で大きい場所っていえば何処だっけ」

「それくらいさすがに覚えなさい!京への間であれば六角氏かしら。骨が折れそうね」

「あー、凄い城があるんだっけ」

「それくらいはさすがに覚えてるのね。……こら、そこ!手を抜かない!戦場では鍛錬を怠った者から死ぬの!そして一人が死ねばその穴を埋めるためにまた一人の友が死ぬかもしれないのよ!」

 

 実は調練中で新介が檄を飛ばす。

 

「……でもさ、蘭丸さまの部隊なのにあまり直接的な槍働きが苦手な部隊だよなぁ」

「そうなのよね。母衣衆や森一家のように首級を挙げるって感じじゃないし」

「蘭丸さまは何かしら考えがありそうなんだけどさ。ボクは全く分からないや」

「……そこはまぁ、否定はしないわ。私だって全部読めてるわけじゃないから」

 

 蘭丸、新介、小平太の三人は槍働きもできる。転子も野武士の戦い方とはいえ、槍働きの期待も出来るだろう。だが、剣丞やひよ子、詩乃に関しては直接的な戦闘力はそこまでない。……実は剣丞は二人以上の戦闘力を持っているのだが、性格上……ということだ。

 

「どのような形であれ、私は蘭丸さまから預かったこの兵たちを皆生かして戦場から帰ってくるというのが仕事だと思う。だからこそ、よ」

「ま、ただでさえ弱兵って言われてる尾張が天下を取りにいくとなると……大変だよなぁ」

「ちょっと、自分たちで言ったら認めてるみたいじゃない」

「まぁ、事実だし」

 

 

「んだよ、もうバテたのかよん剣丞」

「はっ!ちゃんと飯を喰っておるのか!」

「二人が凄すぎるんだって!」

「オレの獲物一匹分けてやってんだからもっと喜べよ!」

 

 肩で息をしながら桐琴と小夜叉に答える剣丞。

 

「この程度でへばっておってはお蘭は任せられんぞ」

「そうだぞ。オレの妹泣かせたら殺すからな!」

「そういえば、何で小夜叉は蘭ちゃんのこと妹って言うんだ?男の子だよね」

「ん、だってオレより女っぽいし、小さいときからの癖だな」

「はっはっはっ!ワシも娘って言っておるしな。お蘭も嫌がっておらぬだろう?」

「言われてみれば」

「賢いからな、あ奴は。女子と思われておっても自分自身の行動で評価されればいいと考えておるのだろう。ワシらの次くらいには強いしな」

「だなぁ。お蘭が嫌がってんならやめるけど。違うだろ?」

「まぁ、確かに」

「つまりはだ。孺子、貴様はおとなしくお蘭を守れるだけの力をつけろということだ。その為に鬼狩りに連れてきているのだからな」

 

 桐琴の発言に驚いたように剣丞は目を見開く。

 

「そ、そうだったんだ。ごめん、勘違いしてた。ただ鬼狩る口実が欲しくてだと思ってたよ」

 

 謝罪して頭を下げる剣丞。顔を上げたら桐琴と小夜叉が何故か視線をはずしていた。

 

「あれ、どうしたの二人とも」

「いや、何でもねぇよ」

「うむ。とりあえず飯にするか」

「って、酒も飲むの!?」

 

 当たり前のように何処から出したのか酒を呑み始める桐琴。

 

「あ?鬼程度ではつまみにもならんがな」

「剣丞も疲れたならしっかり休んどけよー。今日は朝まで狩るからな」

「……え」

 

 ……剣丞の荒修行は続く。




現実に考えると、犬子の後に蘭丸は小姓をやっているわけで。
犬子も元小姓なんですよねぇ。

恋姫の世界での犬子ではちょっと想像つかないですけどね(ぉぃ


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幕間6 蘭丸隊の一日~残留組~その弐

遅くなりました!

そして短めです!


「最近さ」

 

 隊の荷物を運びながら小平太が呟く。

 

「何よ」

「剣丞さま帰ってこないなーって」

「あぁ。森のお二人に連れられて鬼退治しているって三若の方々に聞いたわよ」

「え……剣丞さま生きて帰ってくるかなぁ」

「大丈夫でしょ。蘭丸さまが剣丞さまのことを認めている以上、森のお二人も死ぬようなことはしないでしょ」

「……でもさ、森だよ」

「……」

 

 無言で荷物を置いた新介。一抹の不安が過ぎったが。

 

「悔しいけど私たちよりも剣丞さまのほうが強いんだから私たちも修練しないとね」

「う~ん、正直面倒だけどそうだよなぁ。ボクたちもしっかり蘭丸さまの手伝いできるようにならないとなぁ」

「そうね、ってことで」

 

 小平太に対して袋竹刀を放り投げる。

 

「っと。これって蘭丸さまが提案してたんだよね?」

「そうよ。厳密には蘭丸さまのお師匠さまの上泉さまらしいけど」

「……って、蘭丸さま凄い方に教えてもらってるよなぁ」

 

 天下にその名が轟く剣豪、上泉信綱に師事することなど普通ならば夢のまた夢だろう。蘭丸も偶然出会い、なにやら気に入られたと言っていたが。

 

「私たちはそんな蘭丸さまの部下として仕えることが出来ているのだから、しっかりと腕を磨かないと!」

「それには賛成だけどさ。……あれだよね、新介ってホント蘭丸さま命って感じだよね」

「そ、そんなことないわよ!?」

「違うの?だって仕えてるのって殿じゃなくって蘭丸さまって言っちゃってたけど……いて!」

 

 そんなことを言う小平太の頭を軽く袋竹刀で打つ新介。

 

「いいからかかってきなさい!」

「わ、分かったよ。そんなに怒らなくてもいいじゃんか……」

 

 ブツブツモンクを言いながらも構える小平太。

 

「でもさ、新介。黒母衣に迎え入れるって言われてたの断ってまで蘭丸さまの部隊に来たんだよね」

「う……そうだけど?」

「ボクもさ、元々馬廻りだったところからこっちに来てるから人のことは言えないんだけど……さ!」

 

 二人の竹刀が交差する。

 

「これって出世なのかな」

「どうかしら、ね!」

 

 竹刀を強く押し返し互いに距離を取る。

 

「でも、私は出世だと思うわよ。蘭丸の家中や他の場での評価を考えてみて」

「殿の小姓で、殿の自慢するもの、森の麒麟児で戦姫……そして剣聖と謳われる上泉元綱の弟子……うわ、凄いなぁ」

「でしょ。しかも殿と婚姻を結ぶって言ってたでしょ。ということは」

「蘭丸さまが織田家の?」

「まぁ、そうなる可能性もあるってこと、よ!」

 

 

「はぁはぁ……」

「んだよ、剣丞もうバテたのか?」

「す、少し休ませてくれ……」

「そんなんでお蘭守れんのかよ~」

「はっはっはっ!クソガキ、少し休ませてやれ!獲物を譲らんでいいってことだからな!」

「むぅ、だけどよぉ」

「クソガキは孺子がお気に入りのようだな」

「ばっ、そんなんじゃねぇよ!殺すぞ!」

 

 そんな殺伐とした会話をする親子を見ながら剣丞は息を整える。

 

「(でも……本当に強いな、あの二人。もしかしたら姉さんたちレベルかも……。特にあの御家流とか言う奴は凄い。壬月さんたちもやばかったけど……)」

「ん、何を見ておる孺子」

「あ、いや、御家流って凄いなって思って」

「んだよ、そんなもん自分で作ればいいだけだろ?」

「はは、そんな簡単に出来たら苦労しないって」

「孺子の言うとおりでもあるが、ガキの言う通りでもある」

「え……?」

「御家流、御留流といわれるものには種類がある。血筋でしか使えぬもの、個人でしか使えぬもの。そして修練で身につけられるもの」

 

 槍の手入れをしながら桐琴が言う。

 

「修練で……」

「忍術などの一部、剣技と呼ばれるものの一部はそれだ。お蘭は御家流や御留流を複数使えるのもそれが理由だ」

「まー、お蘭は別格だからなー」

 

 小夜叉もそう言うと剣丞に手入れ道具を投げ渡す。

 

「まぁでもオレたちからは剣丞に御家流は教えられねぇなぁ」

「だな。習うにしろ、倣うにしろ……お蘭に聞くのが一番だろうな。ワシもガキも刀の技は知らんからな。だが」

 

 にやりと笑う桐琴。

 

「死地を味わい、経験を積めば少しは近づくだろうて」

「……え」

 

 

 それから数日後、壬月たちに呼び出された蘭丸隊残留組。剣丞は身体中が痛そうにしてはいたが、しっかりと登城した。

 

「森の相手苦労、とでも殿であれば言うか?」

「あはは……久遠なら言いそうだね」

 

頭を軽く抑えながら書類らしきものに向かっている壬月の言葉に苦笑いで剣丞は答える。

 

「あぁ、すまんな。書類仕事ばかりでな。……でだ、今日呼び出したのには理由と、仕事を頼もうと思ってな」

「うん、俺たちに出来ることなら何でも言って」

「ふふ、剣丞さまも大分蘭ちゃんの代理が板についてきましたね」

 

 剣丞の返答に笑顔で麦穂が言う。

 

「……俺はまだまだ武でも知識でも蘭ちゃんの代わりなんて務まらないよ。でも、出来ることを全力でやろうって決めたんだ」

「剣丞さま……」

 

 新介と小平太も少し驚いたような表情を浮かべる。剣丞の言葉は以前にも聞いたが、それとは何か違う強さを感じたのだ。

 

「……ふ、森を任せたのも正解だったのかもしれんな。……本題に入るぞ。蘭丸の計画通りに各方面への調略に動いているが……それによって尾張の地の防衛に少し難があってな。……鬼の出現に対処仕切れていないという話なのだ」

「鬼……!」

「我らは殿がいつ戻るかも分からん以上、動くことは出来ん。美濃の周辺は森が一掃しておるから大丈夫なのだが……」

「それで俺たちが、ってこと?」

「はい。勿論、森の方々はこちらに残ってもらうことになります。ですから……」

「私たちなら大丈夫です!」

「ボクたちも頑張って鍛えてますから!」

「ふふ、新介も小平太も頑張っているのは報告でも聞いています。……だからこそ、今回のことを蘭丸隊にお願いすることにしました」

「勿論、お前たちだけで行かせるわけではない。……森の各務が名乗り出てな。この辺りは桐琴と小夜叉で十分だから私が行く、とな」

 

 

「ももも、森家の各務さんといえばあの伝説の夜襲事件……」

「森一家を裏で統率する影の支配者……」

「え、春香さんってそんな噂あるの?」

「う、噂じゃなくって事実だって、剣丞さま!」

「あら、剣丞どのに新介どの、小平太どの」

「春香さん」

「春香さん!……あれ春香さん……各務……さん……!?」

 

 小平太が固まる。

 

「……え、もしかして小平太、知らなかった?」

「……あわわ」

「あれ、新介も?」

「?どうかされました?」

「あはは……な、何でもないよ」

 

 首を傾げる春香に剣丞が苦笑いで返す。

 

「それならいいのですが。……それで、尾張のほうへと戻られるということでしたので、私も剣丞どのの護衛を兼ねて共に参ります」

「護衛、ですか?」

「はい。蘭ちゃんや桐琴さん、小夜叉ちゃんも気に入っている方、田楽狭間に降り立った天人という立場は重いのですよ?」

 

 微笑みながら言う春香。

 

「はは、俺にそんな価値があるとは思えないけど。……」

 

 じっと春香を見る剣丞。

 

「どうかされましたか?」

「春香さんって……蘭ちゃんの師匠、でもあるんですよね?」

「師匠というほどではないと思いますが……信綱どのの前に刀を教えたという意味では私になるかもしれませんね」

「春香さん!」

 

 突然地面に手を付く剣丞。

 

「え?」

「俺に、俺に剣を教えてくださいっ!!」

 

 

「……そういうことですか」

「これから先にも戦いがある以上、俺にも力が必要だと思うんだ」

「……蘭丸隊はからめ手を重要視した部隊なのでは?」

「うん。きっと俺に皆が求めているのとは違う方向なのかも知れない。でも」

「あ、あの!」

 

 剣丞の言葉をさえぎるように新介が声を上げる。

 

「私も、剣丞さまの意見に賛成です!」

「新介どの……」

「ぼ、ボクも!」

「私たちには力が足りないんです!蘭丸さまを守るために……私たちは守られるだけじゃダメなんです!」

「ボクらが強くなってひよや詩乃を守ってやんなくちゃいけないんです!だからっ!」

「新介、小平太……」

 

 剣丞も二人の言葉に驚く。

 

「……ふぅ、分かりました」

「春香さん?」

「不肖ながら私がお三方に刀を教えましょう。ですが……それなりの覚悟はしていただきますよ?」

 

 ふっと笑う春香。

 

「私の修行は……厳しいですよ?」



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小谷城 - 上洛へ
31話 小谷城のおしどり夫婦


 京での情報収集、将軍との繋ぎを得た蘭丸たち一行は一路小谷……浅井の居城へと歩を進めていた。

 

「市ちゃん、元気かしらね」

「ふふ、お市さまのことですからきっとお元気でしょう」

「であるな。市のやつもお蘭に会いたがっていたぞ」

「私に、ですか?ふふ、手合わせの準備をしておかなくてはいけないかもしれませんね」

 

 そう笑う蘭丸を見て転子がひよ子に耳打ちする。

 

「ねぇ、ひよ。本当にお市さまってそんなに強いの?」

「もー、ころちゃん信じてないのー?お市さまは壬月さまと修行してたんだよ?」

「ぜ、絶世の美女と謳われているお市の方がそんな方と思えるわけないじゃん……」

「久遠さまー!蘭丸さーん!」

「どうした、ひよ」

「小谷にはどれほどご滞在されるお考えですかー?」

「五日ほどを考えているが……何かあるのか?」

「えへへ、お市さまにお会いするの、久しぶりですから楽しみだなーって」

「そういえば市はひよのことを可愛がっていたな」

「はい!たくさん良くして頂きました!だからですねー……」

 

 そういって荷物をあさり始めるひよ子。

 

「じゃーん!京でお土産を買ってきましたー!」

「……なんだそれは?」

「闘具……ですか?」

 

 ひよ子の取り出したものを不思議そうに見る久遠に蘭丸が答える。

 

「そうなんですよ~!お市さまがいつも使っていた闘具の、京物の最新版をお届けするのですー♪」

「ふふ、確かにお市さまなら喜ばれそうですね」

「さ、さらに分からなくなってきた」

 

 蘭丸とひよ子の言葉に頭を抱える転子。

 

「まぁ、市ちゃんのこと知らないから仕方ないわよねぇ」

「そんなにお強い方なのですか?」

 

 エーリカも興味を持ったようで結菜と話をしている。そんな賑やかな一同は進んでいく。

 

 

「蘭丸さま、小谷が見えてきましたよ」

「本当ですね」

 

 ちらと久遠の表情を見て嬉しそうに微笑む蘭丸。

 

「美しい……山々を覆う鮮やかな緑の中、慎ましげに姿を見せる城館は、まるで海に浮かぶ小舟のような……」

「山の斜面をうまく使い、曲輪同士の連携も取りやすくなっていますね。それに死角も少なくなっている。まさに戦乱の申し子のような堅城。無骨ながらも、どこか匂い立つ美しさがありますね……」

 

 エーリカと詩乃の感想を聞いて蘭丸が微笑みをむける。

 

「ふふ、詩乃は詩人ですね」

「ら、蘭丸さま。……城とは軍略の粋を極めた芸術品ですから」

「分かります。大自然が生み出した芸術的な曲線を持つ山容と、その山容を理解したうえで曲輪を配置し、連携を上げているところなど、感動的で……はぁ~……美しすぎて、もはや言葉も出せません」

「エーリカさんもとても気に入られたようですね」

 

 目をキラキラと輝かせながらため息をつくエーリカに蘭丸が言う。

 

「さて、ひよ、ころ」

「「はいっ!」」

「小谷へ先触れに向かってください。……私たちはゆっくりと向かいますので。ひよ、お市さまのお相手もしっかりとお願いしますね」

 

 

 嬉しそうに先に向かったひよ子たちを見送った後、周囲の景色を見ながら馬を進める。

 

「久遠さま、結菜さま。寒くはありませんか?」

「ふふ、大丈夫だ」

「私も大丈夫よ。そういう蘭ちゃんは?」

「大丈夫です。鍛えてますから」

 

 楽しそうに話す三人を遠目に見る詩乃とエーリカ。

 

「あの……あの三方はいつもあのような感じなのですか?」

「そうですね。概ねはそうかと」

 

 遠目に知らないものが見れば仲の良い姉妹にしか見えないだろう。

 

「涼やかな風……もうすぐ秋ね~」

「そうですね。……ふふ、もうすぐ久遠さまのお好きな季節ですね」

「我の?……あぁ!もすすぐか!」

「えぇ。今年もいい出来だといいですね」

「何の話をしているのでしょう?」

「よく分かりませんが、久遠さまの好物の話などではありませんか?」

 

 

 そして、小谷の城の門が見えてきたところで門前に待つ二つの影が見える。

 

「お姉様!」

「お姉ちゃ~ん!」

「うむ。二人とも出迎え苦労」

「結菜姉さまも蘭丸さんもお久しぶりです!」

「結菜お姉ちゃんも元気そうでよかったよー!蘭ちゃん……うわー!また可愛くなってる!すごーい!」

「ふふ、眞琴さま、お市様。お久しぶりです」

「久しいな、市。元気にしていたか?」

「うん♪お姉ちゃんも元気そうで何よりだよ!」[

「うむ。お陰様でな」

「眞琴ちゃんも元気そうね」

「はい!」

 

 楽しそうに語らう久遠と市、結菜と眞琴を見て少し離れる蘭丸。

 

「蘭丸さま?」

「ふふ、久遠さまも結菜さまも楽しそうですからね。少し……」

「蘭丸さーん!」

「いらっしゃいませー!」

 

 ひよ子と転子が笑顔で蘭丸のもとへと駆け寄ってくる。

 

「ひよ、ころ。先触れご苦労様です」

「へへー♪」

「ご機嫌ですね、ひよ」

「はい!お先にお市さまとお話させて頂きましたからー♪」

「ふふ、闘具は渡せましたか?」

「はい!喜んでいただけましたー!」

 

 蘭丸たちも久遠たちから距離を置いて歓談していると。

 

「お蘭!こちらに来てくれ!」

 

 手招きする久遠に蘭丸が駆け寄っていく。

 

「手紙では伝えていたな。お蘭は我の夫となる。二人ともよいな?」

「あははっ!お姉ちゃんに押し負けたのかな?でも相変わらず仲良さそうでよかったよ、蘭ちゃん!」

「ふふ、お市さまも本当にお元気そうで私も嬉しくなります」

「ほんと!?あれ、でも蘭ちゃんがお姉ちゃんと結婚したら蘭ちゃんがお兄ちゃんってこと?それともお姉ちゃん?」

「えっ……そ、そう、なんでしょうか?というかお姉ちゃん……?」

「はは!好きに呼んでよいと思うぞ」

「く、久遠さまっ!?」

「ふふ、蘭ちゃんは蘭ちゃんだからねぇ」

「結菜さままで!」

「あははっ、ほんとに相変わらず仲がいいんだね♪で、そっちの髪の長い子が詩乃かな?」

「……私のこともご存知で?」

「ひよところから聞いたよ!自己紹介しておくね!市は市だよ!お姉ちゃんの妹で浅井家当主、長政さまの奥さんなの!」

「あ、僕がその長政です。詩乃どの、よろしくお願いします」

 

 少し小声で言う眞琴にクスクスと笑う蘭丸。その様子はいつものことなのだろうか。

 

「はいまこっちゃん、もっと元気出してー!大きな声で挨拶だよー!」

「えぇ!?ぼ、僕、長政って言います!通称は眞琴!」

「お市さま、詩乃にそこまで畏まった挨拶をせずとも……」

 

 笑いを堪えながら珍しく蘭丸が言う。

 

「いいんだよ、蘭ちゃん!よーしよしよし!元気一杯に出来たね~、まこっちゃん♪」

「う、うん!僕、頑張れたよ、市!」

「うん!さっすが市のまこっちゃんだよぉ♪」

「ふふ、お市さまと眞琴さまは相変わらず仲良しですね」

「当たり前だよっ!それじゃ、立ち話もなんだし、まこっちゃんがお部屋に案内するね。お姉ちゃんお茶飲むでしょ?」

「うむ、所望しよう」

「了解!おーい、ひよー!手伝ってー!」

「はいっ!」

「あ、ひよ!私もお手伝いするわ!」

 

 ひよ子と転子が市と共に離れた後、眞琴が蘭丸たちに向き直る。

 

「それでは僕がお部屋にご案内します。……ようこそ、浅井が誇る堅城、小谷城へ!」

 

 

 部屋へと案内される間も雑談が続く。

 

「それにしても、蘭丸さんがお姉さまと婚儀を結ばれるとは思ってもみませんでした」

「そ、そうですよね。私と久遠さまとでは釣り合いが……」

「あぁ、そういう意味ではなくて。お二人……結菜姉さまもあわせると三人ですけど、夫婦というよりは……家族といった感じでしたし」

「ふふ、眞琴の言うことも分からなくもないわね」

「ゆ、結菜さま!?ま、まぁそう思っていただけるのは嬉しいですが」

「我もそう思ってもらえていたのなら嬉しい限りだな」

「久遠さま……」

 

 

 眞琴の先導で通された部屋で、蘭丸たちは思い思いの場所に腰を下ろす。

 

「それにしても此度の来訪、お姉様にしては珍しいご同行者ですね」

「奇縁があってな。……皆を紹介しよう」

 

 久遠の視線を受け、エーリカが頭を下げる。

 

「お初にお目に掛かります。私はルイス・エーリカ・フロイス。……とある目的のため、この日の本にまかり越しました」

「わっ!?……い、異人さんの割には言葉がお上手なんですね~」

「エーリカさんのお母様は、美濃土岐源氏が末流、明智庄の住人・明智家の娘なのだそうです」

 

 エーリカの言葉に驚く眞琴に代わりに答える詩乃。

 

「ほお。明智の。……先代の光安さまは、武略に優れ、お人柄も良く、領民に慕われていたとか。その明智の流れを汲む方なのですね」

「はっ。日の本の名は明智十兵衛と申します。浅井さま、以後、お見知りおきくださいませ」

「眞琴でいい。僕の方こそよろしくね。……で、あなたが稲葉山城乗っ取りで有名な竹中どのですね」

「どの程度、有名なのかは分かりませんが、その竹中と思って頂ければ。今は織田家中にて、蘭丸さまに忠誠を尽くす身。……以後、お見知りおきを」

「うん、こちらこそ。……ふふ、蘭丸さんの部隊にいるという噂の天人さまも気になるところですけど」

「剣丞さま、ですか?……面白い方ですよ」

 

 そういった蘭丸に眞琴は微笑むとその場にいる全員を見てなにやら考え込む。

 

「……我の来た意味を考えているのか」

「そうですね……お姉様は意味のないことをされない方。今回の来訪に、果たしてどのような意味があるのかな?と気になってしまって……」

 

 久遠の問いかけに答え、再び沈思の姿勢をとる眞琴。

 

「そういえば、エーリカ殿とは一体、どこでお知り合いになられたのです?」

「堺だ。南蛮商人と繋ぎを持ちたくてな。その折に、な」

「エーリカさんの目的と久遠さまの目的が一致したので、公方さまにお会いしたり……」

「えぇ!?公方さまに会ったんですか!……それはまた……その……ええと……良いなぁ」

「ふふ、眞琴さまはそういえば公方さまに憧れてるって仰ってましたっけ?」

「??貴様も行けば良いではないか。小谷からなら京は近い。いつでも行けるだろう」

「うーん、今の状況だとなかなかそうも行かなくて」

「ふむ。六角が五月蝿いのか」

「それもあるんですけど、最近は領内に少し不穏な空気があるんですよ」

「不穏?坊主か?」

 

 久遠の問いに首を振る眞琴。そして、眞琴の口から放たれた言葉に全員が固まる。

 

「いえ、鬼です」



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32話 久遠と蘭丸の過去話 壱

「いえ、鬼です」

 

 眞琴の言葉に息を飲む一同。

 

「鬼が……この小谷に、ですか?」

 

 蘭丸が代表して眞琴に尋ねる。

 

「正確には賤ヶ岳付近なんですけど、ここ最近、民に被害が出ていまして。……尾張や美濃には、鬼は現れてないんですか?」

 

 眞琴の問いかけに蘭丸が久遠に視線を向ける。

 

「時折、夜に姿を現すという報告は受けている。その都度壬月や麦穂が出張り、成敗するのだが……どういう訳か、死体が残らんのでな。検分もできんのだ」

 

 久遠の言葉に眞琴は頷く。

 

「なるほど。我らの領内と全く同じですね。夜、農民たちを襲い、人肉を喰らう、そしていずこかへ消えていく。うちでも、赤尾と磯野の二人が領内を警備中に、何匹か成敗したのですが、一向に減る様子がないんです」

「ふむ?尾張では一度成敗した後は、一月ほど出なくなると聞くが」

「そうなんですか?うーん……じゃあ、江北に湧いてる奴らは何なんだろう……?」

 

 久遠と眞琴の会話を聞いて蘭丸が何かを考える。

 

「どうされました、蘭丸さま?」

「詩乃。……鬼がどのように現れてどのように行動するかはまだ分からない。そうですよね?」

「はい。エーリカさんの話でもそのようですね」

「……眞琴さま。鬼がよく出現する場所、などはありますか?」

「場所、ですか。……そうですね、ここ最近は北と南に集中してるかなぁ。北は賤ヶ岳付近、南は佐和山辺りに頻繁に出現しているって報告がありますね。多分、観音寺辺りから流れてきてるんじゃないかなぁ?」

「と、言うことは」

 

 蘭丸が視線を詩乃に向ける。

 

「はい。京方面から流れてきている可能性が高い、というところでしょうか」

「どういうことです?」

 

 詩乃の言葉に眞琴が首を傾げる。

 

「眞琴さま、小谷の近辺に鬼は出ていますか?」

「出現頻度はそれほどでもありませんが、時々、出てきますね。最近は群れとなって出現することも多くて、正直、対処に困ってるんです」

「群れ、ですか」

 

 蘭丸の頭を稲葉山での戦いが過ぎる。

 

「……鬼が知恵を付けてきている……?母さまと姉さまもそういえば……」

 

 蘭丸が一人ブツブツと考え出したその瞬間だった。

 

「お茶持って来たよー!」

「お茶菓子もありますよー!」

「餅菓子、練り菓子なんでもござれ!あ、久遠さまのために金平糖なんかも用意しましたー!」

 

 市とひよ子と転子が元気良く部屋に入ってくる。金平糖と聞いた久遠の目が輝く。

 

「……!!でかした!」

「もう、久遠ったら。喜びすぎじゃない?」

「う、うるさい。好物なのだから仕方ないだろう」

 

 呆れたような結菜の言葉に口を尖らせるように言いながら、久遠は出された金平糖を口に放り込んだ。そして、少し頬を緩ませる。

 

「へへー、たくさん食べてね、お姉ちゃん。それと……異人さんのお口に合うかなー?」

 

 

 茶菓子に舌鼓を打ちつつ暫しの休息をはさんだ後。

 

「そういえば、まこっちゃん。何のお話してたのー?」

「ああ。お姉さまに鬼のことを相談していたんだよ」

「鬼って、今、うちの領内で好き勝手やってる?」

「そう。その鬼だよ。尾張や美濃ではどうなってるのかって気になってね」

「ふーん。……あの鬼、多分、京から来てると思うよ」

 

 市の言葉に一瞬全員が沈黙する。

 

「……ふむ。その根拠はどのような?」

「小谷は南部、佐和山は西部のほうが被害が酷いし、六角の領内でも頻繁に鬼が出てるって、市のお庭番の娘たちが教えてくれたもん」

 

 詩乃の質問にさらっと答える市。

 

「な……なんでそれを僕に言ってくれないのー!」

「えへへ、まだ確証が無かったしぃ~。まこっちゃんにはちゃんと分かってから伝えたかったの」

「そ、それは嬉しいけどぉ。でも、そういうことは今度からちゃんと相談してね?」

「はーい!」

 

 市と眞琴の会話を聞いて蘭丸が久遠に耳打ちする。

 

「久遠さま、眞琴さま方にも事情を説明したほうがよろしいのでは?」

「ふむ?」

「話を聞いていると……どうしても、深く、静かに侵攻されている、そんな気がするのです。私の思い過ごしならいいのですが……」

「……いや、我もお蘭と同じ考えだ」

 

 そう蘭丸に久遠は言うと市と眞琴に向き直る。

 

「眞琴。市。エーリカと、そして公方と話した事どもについて、言っておきたいことがある。……鬼のことだ」

 

 

 エーリカの口から語られた鬼の事柄。実際に蘭丸たちが会った鬼の軍勢の襲撃などについての話。それらの話が終わった後、場を沈黙が包んだ。

 

「この日の本に迫っている危機を、理解してもらえたと思うが……」

「し、しかしお姉さま。エーリカの言を疑う訳ではございませんが、果たして本当のことなのでしょうか?」

「真偽のほどは我にも分からん。だが金柑の言葉、鬼の動きを合わせて見れば、無関係というにはあまりにも出来すぎておるのではないか?」

「それは……うん、そうですね。確かにお姉さまの言うとおりかもしれません」

 

 もろもろの会話が終わり、互いに協力態勢を整えるということで話は纏まり、眞琴は家中の調整に、市は泊まる部屋の準備に向かう。

 

「久遠さま、これで京までの大きな障害といえば……六角氏でしょうか?」

「恐らくはそうなるな」

「後は……美濃の後背である武田、ですか?」

「であるな。……先手を打っておるから大丈夫だとは思うが、な」

 

 久遠の言葉に蘭丸は軽く頷くと隣で少し眠そうにしている詩乃に顔を向ける。

 

「詩乃、大丈夫ですか?」

「は、はい。ただ少し、目を閉じたい気分なだけです」

 

 若干うつらうつらし始めている詩乃に苦笑いを浮かべつつ蘭丸が優しくなにやら話している。

 

「ふふ、久遠。ちょっと羨ましい?」

「……ふん。そんなことは無いわ」

「そう?」

 

 

「あ、あの、久遠さま、結菜さま?ど、どうして……」

「ふふ、小谷式だそうよ?」

「……だ、そうだ。市は言い出したら聞かんからな」

 

 蘭丸、久遠、結菜の三人は市に押し込まれるように風呂へと入れられていた。

 

「照れてる蘭ちゃんもやっぱり可愛いわねぇ」

「結菜さま、お戯れを……」

「ほら、髪洗ってあげるからこっち来なさいな」

 

 手招きする結菜に従い結菜の前にちょこんと座る。

 

「そういえば、蘭ちゃんどうして髪伸ばしてるんだっけ」

「あ、はい。あの……私が久遠さまにお仕えしはじめたときに綺麗な髪だとほめて頂いて……」

「その前からお蘭は髪を伸ばしておったぞ。まぁ恐らくは各務だろう?」

「はい。春香さんも、髪を切るのは勿体無いと言ってくださっていましたので」

「そうなんだ。……はい、終わり」

「ありがとうございます、結菜さま」

 

 そういって微笑む蘭丸を見て何故か頬を染める結菜。

 

「……蘭ちゃんって時々すっごい不意打ちしてくるわよね」

「分かるぞ、結菜」

「えぇ!?」

 

 驚く蘭丸と、笑う久遠と結菜。いつもの光景がここにある。

 

「でも、久遠って今は小姓として傍に置いているのって蘭ちゃんだけよね?」

「うむ。お蘭以外必要はない」

「でも、蘭ちゃんの負担が大きくなるでしょ?」

「結菜さま、お蘭は大丈夫です」

「ふふ、我のお蘭であるからな。……まぁ、お蘭を重用しているのは色々理由はあるが……」

 

 

 それは、まだ蘭丸が久遠に仕えはじめて幾ばくかのときが経ったばかりの頃の話。その頃の久遠の周囲には数人の小姓が控えていた。母から離されてまだそこまでの日が経っていないこともあって、周囲と馴染めていない様子のある蘭丸であったが、久遠にその才覚の片鱗を見せることもあった。

 

 ある日の昼下がり。

 

「ふむ……」

 

 仕事が一段落し、少し余裕が出来たとき傍に控えている小姓たちを見る。小姓たちの視線が集まったとき、久遠は口を開いた。

 

「どうだ、貴様ら。我の刀の鍔の部分に模様がいくつあるか当てられたら、褒美として太刀やろう」

 

 久遠の言葉を聴いて色めき立つ小姓たち。まだ若い者も多く、主君である久遠から立ちを下賜されるなどまだまだ夢のまた夢。名のある武将であってもそう簡単に久遠から直接など大きな手柄を挙げなければ受け取れるものではないからそれも仕方の無いことだろう。小姓たちはそれぞれ思い思いの数を述べていく。その中に正解がないのを少し不満に思いながらも全員の言葉を聴いていく。だが、その中で一人だけ声をあげないものがいた。

 

「……どうしたのだ、お蘭。貴様は言わんのか?褒美は欲しくないのか?」

 

 面白くない、という表情の久遠にまだ少しおどおどした様子の残る蘭丸が口を開く。

 

「……そ、そういうわけではありません!ですが、あの……」

 

 周囲のほかの小姓たちを見て口を噤む。

 

「よい。言って見よ」

「は、はいっ!く、久遠さまに御付しているときに用を足されると離れるときにお渡し頂いた際に数えたことがありまして、私は答えを知っています。あの、ですから……」

「……ほぅ。答えを言うてみよ」

 

 蘭丸の口から出たのは正解であり、満足そうに頷く。

 

「ふふ、正解だ。……しかしお蘭よ、どうして知っておることを我に話した?言わねば太刀をそのまま下賜してやったものを」

「久遠さまや皆様を騙すようなことは出来ません。……あ、あの……く、久遠さま?」

 

 下を向き肩を震わせる久遠に蘭丸や小姓たちが恐る恐る様子を伺う。

 

「くくくっ……はっはっはっ!!」

 

 突然大笑いを始めた久遠に全員が驚く。

 

「いやいや、お蘭。貴様は変わった奴だな。……お蘭!」

「は、はいっ!」

「この太刀を与える」

 

 久遠が佩いていた太刀をそのまま差し出す。

 

「く、久遠さまっ!?」

「よい!我の決定だ。誰にも有無を言わせん」

 

 おずおずと太刀を受け取る蘭丸。

 

「壬月と麦穂を呼べ!!」

 

 

「何用でしょうか、殿」

 

 突然の呼び出しに応じ二人が来る。

 

「うむ。貴様らにも伝えておかねばと思ってな。お蘭!」

「は、はいっ!!」

「あら、確か……桐琴どののところの?」

「あぁ。お蘭……森成利という。これからこ奴を我の筆頭小姓として育成することに決めた」

「……相変わらず突然ですな。で、今いる小姓たちの中では最も若く小姓として仕え始めたばかりでしょう。他の小姓たちを納得させられるのですか?」

「ふん、好きに言わせておけ。すぐにでも我の判断が正しかったと分かる」

「ですが、殿。それでは彼女が……」

「お蘭」

「は、はい!」

 

 久遠の傍で小さくなっていた蘭丸が久遠の声に反応し慌てて顔を上げる。

 

「よいか、今日から我の小姓として本格的な勉強を二人から学べ。行く行くは我の右腕として活躍してもらう。しかと励めよ」

「はい!」

 

 蘭丸の返事に満足して頷く久遠。

 

「よい返事だ。任せるぞ、壬月、麦穂」

「「はっ」」

 

 久遠が部屋から退室した後に残された三人。

 

「あー、成利、だったか」

「はいっ!えっと、通称は蘭丸と申します」

「そうか。私は……」

「存じ上げております。柴田勝家さま、丹羽長秀さまですよね?」

「うむ。通称は壬月と言う。好きに呼べ」

「私は麦穂と申します。……ふふ、蘭丸ちゃん?」

「は、はい。壬月さま、麦穂さま、ですね」

「しかし、殿があのようなことを仰るとはなぁ」

「そうですね。でも、これはいい機会かもしれません」

 

 二人が蘭丸を見る。

 

「……殿の直感を信じてみるとするか」

 

 ため息混じりに呟く壬月。その判断が正解だったことを知るのは遠い未来の話ではなかった。



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33話 久遠と蘭丸の過去話 弐

 織田家の重臣をあげての蘭丸育成計画。久遠がはじめにそれを決定し、壬月と麦穂が忠臣となって教育を開始したばかりの頃は、また久遠の思いつきでの行動か……と思われていた。

 

「おぉ、蘭丸。これを殿に届けてくれるか?」

「はい!えっと……例の作戦の話ですか?」

「うむ。流石だな、任せるぞ」

 

 軽く壬月が頭を撫でると立ち去る。資料を受け取った蘭丸がそれを久遠の元へと持っていくのだが。

 

「あら、蘭ちゃん。久遠さまのところへ行くのかしら?」

「麦穂さま!はい、壬月さまから資料をお渡しするようにと」

「そう。ん~、それじゃあ私の資料もお願いしていいかしら?」

「はい!」

 

 

「……で、気が付いたらそのような惨状になった、ということか?」

「す、すみません……」

 

 偶然部屋を出ようとしていた久遠が襖を開けたところで資料や荷物でふらふらと歩いている蘭丸を見て、久遠もその一部を持っているという状況だ。

 

「その優しさはお蘭のいい場所ではあるが無理はよくないぞ」

「はい……」

 

 少し落ち込んだ蘭丸を見て笑う久遠。

 

「あ、久遠さま何か御用があったのでは?」

「ん、あぁ。お蘭が運んでくれた資料を確認に行こうと思っていたから大丈夫だ」

 

 

 こうして蘭丸が家中での評価が上がってきて、蘭丸自身の能力もかなり高くなっていた。

 

「すまんな、お蘭。我の仕事の手伝いで帰られなくなってしまったな」

「いえっ!久遠さまのお傍に控えられるのは嬉しいです!」

「はは、そうか。城内にはまだまだ護衛もおるからな。お蘭も休むといい。……そういえば隣の座敷の障子が開いているから閉めてきてくれ」

「はいっ!」

 

 と、隣の部屋に行ったところ、部屋の障子はしまっていた。

 

「……」

 

 そっと障子を開けると閉めなおし、久遠の元へと戻る。

 

「どうであった?」

「しまっていました」

「ん?では今の音は?」

「久遠さまが開いていると言ったにもかかわらず、障子が閉まっていたとあっては主君に恥をかかせることになりますから、わざと音を立てて閉めたのです」

「……ほぅ」

 

 満足げに頷く久遠。

 

「ふふ、またいい土産話が出来たな。明日早速壬月たちに自慢するとするか」

「えっ!?な、何かありましたか?」

「こっちの話だ。では我は休む。お蘭もしっかり休め」

「はっ!」

 

 

「……ということがあったのだ」

「へぇ、最近よく久遠の口から出てくる子ね」

 

 翌日、自分の屋敷に帰った久遠は結菜に昨日の出来事を自慢していた。

 

「うむ。恐らくお蘭以上の者はもう出てこんだろうと思わせる才覚を持っているぞ」

「久遠がそこまで言うなんて本当に珍しいわね。私もちょっと興味あるわ」

「そうか?ならば後日、屋敷に呼ぶか?」

「本当?それは楽しみね」

 

 

「久遠さまのお屋敷に、ですか?」

「うむ。我の嫁の結菜は知っておるな?」

「はい、一度遠目にですがお見かけしたことがあります」

「その結菜がな。お蘭に興味があると言っていたから屋敷に呼ぶことにした。よいか?」

「は、はいっ!大丈夫です!」

 

 力いっぱい答える蘭丸に微笑む久遠。

 

「では、今日の終わりで我の屋敷に向かうぞ」

「はいっ!」

 

 

「結菜、帰ったぞ」

「おかえりなさい、久遠。それと……」

「はじめまして、私は久遠さまの小姓を勤めさせていただいてます、森蘭丸成利と申します」

「あら、ご丁寧にありがとう。私は斉藤結菜。家中の者以外は帰蝶って呼ぶけど、結菜って呼んでね。えっと」

「蘭丸とお呼びください、結菜さま」

「ふふ、桐琴や小夜叉と違って礼儀正しいわね」

 

 クスクスと笑いながら言う結菜。

 

「母さまと姉さまもご存知なのですか?」

「勿論よ。ふふふ、あの二人も久遠のお気に入りだからね」

「結菜」

「はいはい。あ、蘭ちゃんもあがって。久遠、お部屋に案内お願いしてていいかしら?」

「うむ、任せておけ。お蘭、こっちだ」

「はい!」

 

 

「ご馳走様でした」

「ふふ、お粗末様です。……それにしても、蘭ちゃんって本当に男の子なの?」

「あぁ。我も初めて聞いたときは少し驚いたがな。しかも桐琴も小夜叉も娘、妹と呼んでおるからな。各務に確認してしまったわ」

「そうだったのですか?」

 

 首を傾げる蘭丸を微笑んでみる久遠と結菜。

 

「うむ。基本的に我の傍には女子が控えるようになっているからな」

「!な、ならば蘭は女子で構いませぬ!」

「ふふ、もう。久遠の言葉で蘭ちゃん勘違いしちゃったじゃない」

「そのようなつもりはなかったのだがな。お蘭、我はお蘭が男でも女でも大事に思っておるぞ。安心しろ」

「久遠さま……」

 

 目を潤ませた蘭丸を見て結菜が笑う。

 

「蘭ちゃん、久遠よりも女の子してるわね」

「ゆ~い~な~!?」

「あら、怖い。蘭ちゃん、和菓子は好き?」

「無視するな!」

「は、はい!」

「それじゃ、お茶とお茶請け持ってくるわ」

「お手伝いします!」

「そう?じゃあお願いしていいかしら」

「なら我も……」

「「久遠(さま)は座ってて(ください)」」

「むぅ……」

 

 蘭丸と結菜の二人に同時に言われて不満そうながらもその場に座る久遠。

 

「蘭ちゃん、そっちにお茶の葉があるから準備お願いできる?」

「はい!」

 

 手際よくお茶を淹れる蘭丸を感心しながら見る結菜。

 

「上手ねぇ」

「春香さん……各務さんから色々と教えて頂きましたから」

「噂には聞いてたけど本当に凄い人なのねぇ、各務さんって」

「はい!私にとっては姉のような存在です」

「ふふ、小夜叉とか聞いたら怒らないの、それ?」

「姉さまも春香さんには頭が上がりませんから」

「森家って変わってるわよねぇ」

 

 

「お蘭、今日は泊まっていけ」

「え、よろしいのですか?」

「うむ。我は構わんぞ」

「私もいいわよ。蘭ちゃん、一緒に寝る?」

「こら、結菜。お蘭をいじめるな」

「はぁい。じゃあ客間の布団を準備しておくわね」

「頼むぞ、結菜。そうだ、お蘭。湯の準備が出来ておるから先に入るといい」

「久遠さまや結菜さまを差し置いて先に湯を頂くなど……」

「よい。我がよいと言っているのだ」

「わ、わかりました」

 

 

 全員が風呂から上がり、寝る前に最後のお茶をしているとき。

 

「蘭ちゃん、久遠と同じ長い黒髪いいわねぇ。本当に綺麗」

「結菜さまのほうがお綺麗ですよ」

「ふふん、であろう?」

「何で久遠が自慢げなのよ」

「お蘭も結菜も我の大事な者であるからな」

「久遠さま……」

「時々久遠ったら恥ずかしいこというんだから」

 

 何処か嬉しそうに呟く結菜を見て蘭丸も笑顔を浮かべる。

 

「久遠さまと結菜さまは本当に仲がよろしいのですね」

「ふふ、でも久遠もいつもより嬉しそうよ。きっと蘭ちゃんがいるからね」

「そういう結菜こそ楽しそうではないか」

「やっぱり二人より三人のほうが明るくなるわね」

 

 

 次の日。日が昇るよりも早くに蘭丸は起きると屋敷の庭で素振りを始める。

 

「ふっ!」

 

 刀の扱いは春香と麦穂から。槍は桐琴と小夜叉から。そのほかの武具に関しても多くは春香を中心に家中の名手たちに習っている蘭丸であったが、その中で最も時間を割いているのはやはり刀……剣術であった。流派もなく、あらゆる型を混ぜその中で最適な技を選び抜いたもの。それが蘭丸の技である。

 

「……」

 

 闇雲に刀を振るうのではなく、まるで目の前に何者かがいて対峙しているかのような流れるような太刀捌き。剛の剣であれば春香にはまだ敵わない。柔の剣でも麦穂には敵わない。鍛錬用に蘭丸が使っている刀は通常の太刀二、三本分にも及ぶ。斬馬刀と呼ばれるものよりも遥かに重いのだ。勿論、はじめからこのように振り回すことが出来たのではない。最初の頃は思うように振ることも出来なかった。

 

「はっ!」

 

 重く風を切る音を響かせながら刀を振りまわす蘭丸。普段からこのように圧倒的に重い刀を使うことで一振りの速度を極限まで上げていく。それを蘭丸は行っているのだ。

 

「精が出るわね、蘭ちゃん」

「結菜さま!すみません、起こしてしまいましたか?」

「ううん。私はいつもこの時間よ。それよりも蘭ちゃんは早起きねぇ」

「どのような時間に久遠さまから呼ばれても動けるようにしてますので」

「あぁ、ごめんね。むしろ邪魔しちゃったかしら?」

「いえ!もう終わるところでしたので」

 

 準備していた手ぬぐいで汗を拭う蘭丸。

 

「井戸に行くのよね?私もちょうど行くところだから一緒に行きましょ」

「はい!」

 

 井戸へと向かっていく蘭丸と結菜。

 

「蘭ちゃん、久遠に振り回されて大変じゃない?」

「そんなことは。久遠さまは常に私たち家臣のことを見てくださってます。勿論、時折試されることもありますが」

「ふふ、蘭ちゃんくらいよ。そんな風に久遠のことを評価してるの」

「そうですか?凄く深く遠くを見据えられているので、私たちがついていけていないだけだと思います。……私もいつかは、久遠さまと同じ場所で、同じ方向を、同じ未来を見られるように成長したい、そう思ってます」

「……久遠は幸せ者ね。蘭ちゃんみたいな家臣がいるんだもん」

「結菜さま?」

「何でもないわ。……久遠をお願いね、蘭ちゃん。私じゃ久遠の全てを支えることは出来ないわ。私が守れないところでは蘭ちゃんが久遠を守ってあげて」

「はい。私の命に懸けて」

 

 

「蘭ちゃん、久遠を起こしてきてくれる?」

「は、はい!」

 

 二人で朝の食事の準備を進めている最中、ある程度の準備が進んだところで結菜からそういわれ、久遠と結菜の寝室へと蘭丸は向かう。

 

「失礼します、久遠さま朝でございます」

 

 部屋の前から声を掛ける蘭丸。しかし、部屋の中から反応はない。

 

「失礼致します」

 

 再度声を掛けて部屋の中へと脚を踏み入れる蘭丸。そこでは静かに眠る久遠がいた。一瞬見惚れるように立ち止まってしまった蘭丸だったがすぐにはっとし、久遠へと近づく。

 

「久遠さま、朝でございます」

「ん……お蘭か……」

 

 薄らと目を開けるとゆっくりと起き上がる久遠。

 

「おはようございます、久遠さま」

「あぁ。……そうか、お蘭は泊まったのだったな」

「はい。結菜さまがもうすぐ朝餉の準備が整うので、起こしてくるようにと」

「そうか、大儀。……っと」

 

 起き上がる久遠から軽く目を背ける蘭丸。

 

「ん、どうした?」

「いえっ!?お先に準備を進めておきます!」

 

 そういって部屋を出る蘭丸に首を傾げる久遠だったが、自らの着衣が若干乱れているのに気付くと苦笑いを浮かべた。

 

 

「……蘭丸さまは久遠さまにお仕え始めたときから優秀だったのですね」

 

 風呂からあがり、夜の宴の席でも蘭丸の過去話に花を咲かせていた久遠たち。聞いた詩乃たちからは感心の声があがっていた。

 

「そうねぇ。壬月や麦穂たちからしてもこれほどの逸材はいないと言われてるしね」

「久遠さまも結菜さまもご冗談を」

「お蘭は自己評価が低いからな」

「蘭丸さんは凄いんですねぇ~!」

「流石です!」

「何々!何の話してるの?」

 

 賑やかな様子に市も入ってくる。賑やかな宴の席は蘭丸の話題で盛り上がっていくことになる。……少し蘭丸が恥ずかしそうだったのは仕方のないことだろう。



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34話 仕合と鬼と剣豪の旅立ち

今回はいつもより長めになってます!(いつもの1.5倍程度ですが)


「あ、そうだ蘭ちゃん!」

 

 宴の席が落ち着いてきた頃、市が蘭丸に声を掛ける。

 

「どうされました、お市さま?」

「そういえば、まだ一緒に『遊んで』ないなーって!」

「ふふ、遊ばれますか?」

「うん!(あそ)ぼう!蘭ちゃん!」

 

 

 宴の席から場所を庭へと一同は移す。

 

「市、蘭丸さんに怪我させたら……って、無用の心配ですかね、お姉さま?」

「であるな。お蘭!お前の本気、久々に見せてみよ!」

「ちょっと久遠?」

「よかろう。たまにはあ奴にも発散させてやらねばな」

 

 久遠の言葉を聞いた蘭丸が微笑む。

 

「と、言うことですので本気でお相手させていただきますね、お市さま」

「勿論!それで得物は何にする?」

 

 庭にずらりと並べられた鍛錬用の刃引きされた得物をちらと見て市に視線を戻す。

 

「それでは、折角準備していただいたのです。全て(・・)使わせてもらいますね」

「へぇ、本当に本気だね、蘭ちゃん!楽しくなってきたよ!」

 

 嬉しそうに飛び跳ねる市を見て久遠が視線をひよ子、転子、詩乃に向ける。

 

「よく見ておけ。お蘭の本当の戦いを」

 

 

 最初に蘭丸が手にとった武具は闘具であった。市と全く同じ構えを取った蘭丸に市は嬉しそうに笑う。

 

「久しぶりだね、蘭ちゃん!」

「そうですね。初手はお譲りします、どうぞ」

「へぇ……」

 

 すっと目を細めた市の姿がぶれる。それは常人の目から見てであり、達人の域に達したものたちには違う。市はたった一度地面を蹴っただけで既に蘭丸の背後まで回っていたのだ。再び一呼吸の間に市は地面を蹴ると蘭丸の背後から容赦ない一撃を放つ。視線をめぐらせることもなく蘭丸も身体を回転させるように拳を放つ。二つの拳がぶつかり合い、ドンという鈍い音が響き渡る。

 

「うわっ!お市さままた強くなってる!」

「本当にお強い。……というか、私なんて足元にも及ばないんじゃ……」

 

 驚くひよ子と転子。

 

「市はあれでいて壬月と並ぶ剛の者であったといったであろう?」

「……それにしても蘭丸さまの動きを見るに全く手は抜いていないでしょう。それに対抗できるだけの力をお持ちとは……あの力は本物なのでしょうね」

「子供の頃から壬月と仕合うことが日課であったからな。強くもなろう」

「私も壬月たちと訓練したら強くなるのかしら」

 

 戦いを見ながらぼそっと結菜が言う。

 

「……やめておけ」

「ただ思っただけよ」

 

 そんな会話を見ている者たちが話している間にも二人の攻防は続く。見た感じには大きな力量の差はないように感じるが、二人の表情には互いにまだ余裕があった。

 

「それでは、お市さま」

「いいよ!」

 

 ぱっと距離を取り直した市が構え直す。蘭丸が流れるような動作で闘具を置くと棍を手に取る。

 

「参ります」

 

 先に動いたのは蘭丸。棍を槍のように突き出す蘭丸の一撃を市は紙一重で避けると再び距離をつめる。突き出した棍を無理やり払うように使うと、市は姿勢をさらに低くし、地面すれすれの状態で払いを避ける市。

 

「ちょわーっ!!」

 

 聞くものが聞けば可愛らしい声を共にそれに見合わない鋭い一撃を放つ。それを受けた蘭丸が宙高くに吹き飛ばされたように見えた一同は驚愕に目を見開く。が、市はさらに追撃の構えを取る。

 

「ら、蘭丸さんっ!?」

「お、お市さまを止めないと!」

「……いえ、落ち着いてください、ひよ、ころ。蘭丸さまは……」

 

 宙に飛ばされた蘭丸の手にはいつの間にか弓があり、それを市に向けて構えていた。

 

「狙い撃ちます」

 

 蘭丸から放たれた矢は的確に市の急所を狙ってくる。それを一つずつ打ち払う市だが、絶え間なく放たれるそれを避けようとするとその移動先に既に矢が撃たれている。全て先を読まれた攻撃に市も追撃しようとした動きを止める。その間に地面に降り立った蘭丸は弓を手放し槍を手に取るとそれを市に向かって投擲する。

 

「ちょ、蘭ちゃん危ない、よっ!」

 

 それを真正面から殴り粉砕する市。しかしそのときに蘭丸の姿はない。

 

「っ!」

 

 初手の市の一撃と同じように背後に回った蘭丸が全く同じように拳を突き出す。

 

「取らせないよ!」

 

 蘭丸の腕を掴み、背負い投げの要領で市は蘭丸を投げる。軽くふわりと地面に着地した蘭丸は刀を手に取る。

 

「やっと本気ってことだねっ!」

「お市さま、お疲れですか?」

「そ、そんなことないよ!」

 

 若干息が上がっているのに気付いた蘭丸が市に言うと、即座に否定する。

 

「ふふ……それは良かったです。ですが、あまり時間をかけすぎるのも久遠さまに悪いですから終わりにしましょうか」

「相変わらずお姉ちゃん大好きなんだねぇ」

「勿論です。私が世界で最も敬愛しているお方ですから」

 

 蘭丸がぶらりと刀を抜いた状態で立つ。

 

「では、改めて参ります」

 

 ドン、と一歩踏み込む蘭丸。その一歩でまるで自身のように周囲に衝撃が走る。地面には皹が入り、武具も宙に浮いている。

 

「お覚悟を」

 

 蘭丸が目を閉じる。かっと見開いたその瞳はまるで血に塗れたように紅に染まる。

 

「!市、気をつけて!」

「知ってるよっ!」

 

 蘭丸の口元がニヤリと歪む。その笑みはまるで桐琴や小夜叉が浮かべるようなもので。

 

「く、久遠さま、あれは何なんですか!?」

「あれが……そうだな、森の血、とでも言うのだろうか」

 

 幾ら刃引きされているとはいえ、達人が使えばそれはもう凶器だ。

 

「新陰流」

「御家流!」

 

 二人の口からその言葉が放たれる。

 

「愛染挽歌っ!!」

「飛燕」

 

 蘭丸の刀と市の拳。双方の一撃は的確に急所を狙っていた。

 

「……腕を上げられましたね、お市さま」

「蘭ちゃんこそ。……あははっ、負けちゃったか~」

 

 蘭丸の顔面に打ち込まれるところで止められた市の拳には蘭丸の手がそえられている。反対に蘭丸の刀は市の喉に突きつけられた状態だった。

 

「見事であったぞ、お蘭」

「ありがとうございます、久遠さま」

「市、大丈夫!?」

「大丈夫だよ、まこっちゃん!蘭ちゃん、ちゃ~んと手加減してくれたからね」

「手加減、はしてませんが。……あら、ひよ、ころ、詩乃。どうしました?」

「い、いえっ!?ちょっとというかかな~りびっくりしただけです!」

「あはは、ひよに同じです。……蘭丸さんを守らないといけない立場なのになーっとか思ってません、はい」

「私には何が起こっているか正直半分くらいしか分かりませんでした」

 

 そんな三人の感想にくすりと笑う蘭丸。そこには先ほどまでの危険な色は見えなかった。

 

「とはいえ、お市さまの一撃にもし刀をあわせていたら私が負けていた可能性もありますからね」

「え、そうなんですか?」

「あははっ、蘭ちゃんは市の御家流知ってたね、そういえば」

「はい。もし存じ上げていなければ負けていた可能性もあります」

「またまた~!蘭ちゃんったらうまいんだから!」

 

 バシバシと蘭丸の背中をたたく市。

 

「あ、あの……」

 

 庭に降りて来たエーリカが蘭丸のほうへと近付いてくる。

 

「どうされました、エーリカさん?」

「あの……お二人の戦いを見ていて、その、何と言いますか……私も己の技量を試してみたく……」

「で、お蘭と立ち合いたいと?」

「は、はい!」

 

 遠慮がちではあるが、その目には楽しみにしている色がはっきりと見て取れる。蘭丸はそれを見て微笑む。

 

「久遠さま、よろしいでしょうか?」

「お蘭が構わんのなら良いぞ」

「蘭ちゃん大丈夫なの?疲れてない?」

「結菜さま、大丈夫です。ありがとうございます」

「……やった」

 

 小さく嬉しそうな声を上げたエーリカは準備をするためにその場を離れる。少し小走りに。

 

 

「……」

「……」

 

 先ほどまでの戦いとは違い、一変して静かなにらみ合いのような状況が続く。久遠は蘭丸の表情を見て、エーリカの力量がなかなかのものであると判断する。蘭丸がじりっと足を踏み出そうとした、その瞬間だった。

 

「……っ!?」

 

 蘭丸が塀のほうへと警戒したような視線を向ける。その様子にエーリカや周囲も異常を感じ蘭丸の視線の先へと視線をめぐらせる。

 

「ひよ、ころっ!久遠さまと結菜さまと詩乃を頼みます!」

「え、えっ!?ら、蘭丸さんっ!?」

 

 蘭丸の言葉に慌てたひよ子の声に応えるよりも早く、耳をつんざく不気味な鳥の声が響く。そして、そこに現れたのは。

 

「ぐるる……」

「あ、悪魔……!?何でこのような所に……!」

「エーリカさん、仕合は一旦切り上げです」

 

 蘭丸はそう言うと久遠へと視線を向ける。久遠は力強く頷くと刀を投げて渡す。

 

「お蘭、使え!」

「ありがとうございます!」

「くせ者である!皆の者、出会え出会えー!」

 

 眞琴の言葉に、城内が一気に慌しくなる。次々と塀を越えてくる鬼へと蘭丸が一気に距離をつめる。

 

「赤尾、磯野、手配りせぃ!一匹たりとも、この城内に入れることまかり成らん!」

「っ!この鬼……」

 

 蘭丸が目を疑う。

 

「具足を……いえ、それよりも……」

 

 鬼たちがつけているのは足軽たちが着ける桶川胴と呼ばれるもの。そして、その胸には紋が刻まれていた。

 

「久遠さま、眞琴さまっ!三盛木瓜の家紋ですっ!」

「何だとっ!?」

「そんな……これは一体……っ!?」

「こ、ころちゃん!三盛木瓜って……」

「朝倉家の家紋だよっ!」

「そ、その家紋が入ったものを鬼が着ているということは……!」

「分からん!金柑、どういうことか説明せい!」

「私にも分かりません!あの鬼が朝倉の兵を喰らい、鎧を奪っただけなのか。それとも朝倉の人たちが、鬼にされてしまったのか……!」

 

 動揺した一同にエーリカの言葉は更なる混乱を招くものだった。

 

「どちらにせよ、鬼は朝倉の方たちを襲い、そして鬼が勝ったのでしょう……つまり越前はもう……!」

「そんな……!もし朝倉が鬼に攻め入られていたとしたら、同盟国である浅井にも報せが来るはずだ!鬼が足軽の着ていたものを奪っただけだよ!きっとそうだ!」

「眞琴さま、お気持ちは分かりますが今は目の前の鬼を殲滅するのが先です!」

 

 鬼を牽制している蘭丸の声に眞琴ははっとした表情を浮かべる。

 

「そ、そう……うん、そうですよね!」

「じゃあ市も手伝うよ、蘭ちゃん!」

「大丈夫ですか?」

「もちろん!エーリカさんはいける?」

「いつでもいけます!」

「でしたら、前衛は私、お市さま、エーリカさん。眞琴さまは後方で討ち漏らしがあった場合にお願いできますか!」

「そんな!僕だって武士です!蘭丸さんたちと共に、前に出て戦います!」

「駄目です!眞琴さまは浅井家の当主なのですから!」

「そういうこと!私たちが第一陣で時間を稼いでいるうちに、まこっちゃんは家中を纏めて迎撃の指揮を執ってもらわないと!」

「……分かった!」

「では、お先にいきますね」

「あ、蘭ちゃんずるいっ!」

 

 

「ひよ、ころ。一旦私の指示に従ってください」

「了解!」

「それでは、ころは久遠さまと結菜さまの護衛です。私は放っておいて良いですからお二人に怪我一つさせてはなりません」

「勿論!」

「ひよは城内から槍と弓矢を調達してください。調達した武器を各員に配り、防御態勢を整えます」

「行ってきます!」

「眞琴さま。剛の者以外は、この場に近寄らせないように。お三方の邪魔になります。他の者は周囲の警戒、警護に専念させておいてください」

「しかしあれだけの数を三人で、どうやって対処するというのだ!?」

「前だけを見ればそうでしょう。しかし我らは背中にも注意を払わなければなりません」

「背中って……あ!」

 

 詩乃の言葉にはっとした表情を浮かべる眞琴。それに対してこくりと頷く詩乃。

 

「目立つ動きで視線を固定。その隙に背後から……などは兵法の基本中の基本ですので」

「了解した。すぐにそうさせよう。……磯野衆のみ、この場に来させぃ!赤尾、海北の衆は城の防衛に回れ!鬼が背中、わき腹を突いてくるのを何としても阻止せよと伝えぃ!」

「士分、足軽問わず、槍と弓で武装を。刀で鬼と対峙してはなりません。常に間合いを取り、必ず三人以上で鬼一匹と対峙するよう、心がけてください」

「はっ!」

 

 的確に周囲に指示を出していく詩乃を見て久遠が口を開く。

 

「……ふむ。さすがであるぞ、詩乃」

「蘭丸さまは、私がこうやって動くことを望んでいらっしゃいませうから。それに応えるのが武士の務め」

「武士の務めだけか?」

「さてさて。どのようなお答えを返せば良いものやら。相手が主様では悩むところでございますね」

「もう答えておるようなものだぞ。だが……貴様をお蘭に預けたのは正解だったな。今後も助けぃ」

「蘭丸さまを、という解釈で?」

「我を助けるのか?」

「ふむ……殿はなかなか、私にとっては強敵でございますれば、手助けはしたくありませんねぇ」

「言いよるわ。……好きにせい」

「ふふっ、御意です」

 

 

「兜を被った、身体が大きめの鬼が一匹。桶川胴を着けた小さめの鬼が四体、ですか……。まさか、小隊として動いている……?」

「知恵をつけたのでしょう。……ただの鬼よりも動き方に秩序が見えています」

「厄介な話ですね」

「小谷にこういうのが来たの、はじめてだよ」

「ということは、最近になって越前が落ちたという可能性もありますね」

「それで調子に乗って小谷に来たのかな?……なっまいきー!朝倉と違って浅井の武者は、鬼みたいな訳分からないやつらに負けるほど、ヤワじゃないんだから!」

「ですが、鬼が刀を持っているとなると厄介ですね。あの膂力で刀を振るわれたとなると……エーリカさん、何か作戦などはありますか?」

「……私の祖国に居た悪魔と、日の本の鬼に、どれほどの差があるのか分かりませんが……切り札はあります」

「それでしたら、まず私が大きな鬼を相手します。すみませんがお市さまとエーリカさんで四匹の相手をお願いします」

 

 

 市とエーリカが鬼たちへと距離をつめると同時に蘭丸も大鬼の前へと躍り出る。普通の鬼であれば既に襲い掛かってきているであろう距離まで近付いても刀を構えたような状態で唸り声を上げている。

 

「……本当に厄介ですね」

 

 ぼそりと蘭丸が呟く。

 

「では……これでどうでしょう?」

 

 蘭丸から放たれる殺気。それに反射的にであろうか、大鬼は蘭丸へと襲い掛かる。大鬼の振るう刀を自らの刀で滑らせるように受け流す蘭丸だが、その表情は芳しくなかった。

 

「……これはまずいですね」

 

 蘭丸が考えているのは自身の状況ではなく、その鬼の強さだ。まだ剣術を習ったものなどとは違うただ肉体の性能に任せただけの一撃ではあるが、その速度、威力共に必殺と言ってもいいものだ。地面に刺さった刀を再度抜くと、大鬼は再び蘭丸へと切りかかる。

 

「……新陰流」

 

 振り下ろされる刀に遅れるように蘭丸の刀正眼に構えられる。

 

合撃・巻打(がっし・まきうち)

 

 鬼の刀に蘭丸の身体が触れるかというその瞬間にすっと一歩下がると蘭丸の刀で鬼の刀を巻き上げ打ち上げる。そのまま、蘭丸は刀を鞘に戻す。チン、という音と共に崩れ落ちる鬼。

 

「対策を立てなければなりませんね」

 

 蘭丸はそう呟くと市とエーリカへと視線を向ける。既に二人の戦いも終わっており、エーリカがなにやら調べている段階であった。

 

 

 とある山奥。一人の女性が鬼と対峙していた。その鬼は奇しくも蘭丸たちが戦っていた鬼と同じく具足をつけた鬼であり、その数は十。腰ほどまである長い白髪。髪と同じく白地に裾や袖口には桜のような花の文様の入った服を着た女性はため息をつくと腰に佩いた刀をとんとんと叩く。

 

「ふむ、今日はまた一段と多いじゃないか」

 

 鬼を目の前にしながらも女性に動揺や恐怖は一切感じられない。腰に佩いている刀は一本や二本ではない。左右共に五本ずつ、合わせて刀は十本だ。

 

「何者なのかは知らんがいい加減に帰れ。私を怒らせたいのか?」

 

 女性の言葉と共に女性を中心に風が吹く。鬼たちは本能的な恐怖から一歩後ずさる。

 

「まぁ、良い。どちらにせよ、貴様らを逃がすわけにはいかんからな……よし」

 

 トントンと叩いていた刀のうちの一本を抜き放つ。

 

「試し斬りしてやろう。かかって来い」

「ガアアアア!!」

 

 女性の言葉を理解したわけではなかろうが、鬼が一斉に女性に襲い掛かる。飛び掛ってくる鬼に向かって悠々と歩いていく女性。鬼たちが女性へとたどり着くその瞬間、一陣の疾風が駆け抜ける。

 

「……ふむ、耐えたか」

 

 手に持った刀を確認しながら納得したように一人頷く女性。鬼たちはその声に反応し振り返ろうとして。

 

「少しずつ完成に近付いている、ということか。しかしまだまだだな」

 

 ヒュンと刀を振ると鞘へと納める。と、鬼たちが破裂するように霧散する。

 

「早く完成させねばな。……しかし、何なのだろうなこの訳分からず共は」

 

 既に跡形もなく消滅した鬼の居た場所を見て女性は呟く。

 

「……久々に山から降りるのもいいかも知れんな。弟子に会いに行くのも良いかもしれん」

 

 うんうんと一人頷くと女性はあばら家へと入る。その家の中にはぼろぼろの刀や打ち立ての刀が所狭しと並べられていた。

 

「行くとするか。アレの正体を知っていればいいが」

 

 

 人里はなれた山奥に隠れ棲んでいた剣豪。彼女が山から降りることで歴史は再び大きな動きを見せることになるのだが、それはまだ先の話である。



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35話 忍び寄る魔

6月13日にも更新しております。
読まれていなければ一話前からお願いします♪


 鬼を殲滅した後、エーリカが鬼を調べているところへ蘭丸が歩み寄る。

 

「何か分かりましたか?」

「……そうですね。この鬼はやはり朝倉家の足軽のようです。……見てください」

 

 エーリカが鬼の死骸を指差すうちに、その死骸は鬼から人の姿へと戻っていった。

 

「殺された後に鬼にされてしまったのか。それとも何らかの呪術により鬼にされてしまったか……」

 

 目を見開き、苦悶に満ちた表情で死んでいる足軽の姿を見た蘭丸は静かに傍にしゃがむとその目をそっと閉じる。それとほぼ同時に黒い靄のようになって、鬼となった足軽の姿は消え去る。

 

「……」

 

 静かに黙祷する蘭丸に久遠が近付く。

 

「鬼は死ねば消え失せる、か。一体、何を暗示しているというのだろうな」

「久遠さま、まだ危険です。お下がりください」

「良い。お蘭が守ってくれるのだろう?」

「勿論です!……ですが」

「それならば安心だ。……皆、大儀であった」

 

 

 それから、越前の抑えと情報収集を眞琴を中心に行うことになり、ひよ子、転子、エーリカの三人は観音寺城の情報収集後に家中の調整のために動くことになった。

 

 

「詩乃、今後の私たちの動きをどうすべきと考えますか?」

「そうですね……基本方針は久遠さまの御意志に沿った上で動くことになるでしょう。ひよところとエーリカ殿が観音寺の情報収集に向かってますが……剣丞さまにも指示を出されているのですよね?」

「えぇ。ですから、情報の精度を上げる意味合いであるとひよたちには伝えています」

 

 蘭丸の言葉に頷く詩乃。

 

「でしたら大丈夫ですね。……蘭丸さま、部隊についてですがどのような方向性で作り上げていく予定なのかなどは久遠さまにお伺いしてますか?」

「そうですね。……これはまだ私と久遠さまの間だけですので内緒にしておいて貰いたいのですが……何れは部隊を剣丞さまに完全にお任せする形になると思います」

「それは……私たちも、ということですか?」

「まだ話し合いの最中ですが……詩乃には私についていて貰う予定ですが、嫌ですか?」

 

 くすりと笑いながら蘭丸が悪戯っぽく尋ねる。

 

「……ずるいです、蘭丸さま」

「ふふ」

 

 そんな会話をしながら城の周囲を調べて回っている蘭丸と詩乃であったが、蘭丸が異様な気配に気付くことで流れが変わる。

 

「詩乃、私から離れないように」

「は、はい」

 

 目の前の空間が歪むようにして現れた靄の中から鬼が現れる。それは昨晩戦った鬼よりもさらに一回りは大きいものだった。

 

「あ、あの大きさは……」

「私も初めて見ます。母さまや姉さまからも聞いてないのでもしかすると」

「新種……!!」

 

 詩乃を背中に庇いながら鬼との距離を測る。鬼はまるで蘭丸たちを観察するように無言で立ち尽くしている。

 

「……攻撃してこない?」

「そ、そうですね」

 

 動いてこない鬼に対して蘭丸がじりじりと距離をつめていく。それでも鬼は観察するような素振りを止めはしない。

 

「分かりませんが……一気に仕留めます」

 

 ぐんと加速し蘭丸が鬼に肉薄する。そのまま上段から袈裟斬りを放つ。

 

「な……っ!?」

 

 鬼はその一撃を腕で受け止める。驚く蘭丸をその腕でそのまま吹き飛ばす。

 

「蘭丸さま!」

「大丈夫です!……ですが、この鬼……まるで鉄のような固さですね」

「~♪」

 

 鬼が何かを口ずさむ。それが何といっているのかは聞こえないが歌声にも聞こえる。

 

「……倭……歌?」

「やはり……鬼が知識を持ちつつあるというのは間違いなさそうですね」

 

 蘭丸が再度刀を構える。

 

「詩乃、殺気にあてられないように気をつけてください。これを逃がすと厄介なことになりそうです」

「はいっ!」

 

 ふぅっと息を吐くと目を閉じる。深く息を吐き終わると同時に目を開く。その目は市との模擬戦中に見せた森家の目。闘争本能を滾らせた、鬼のようなその目に鬼が一瞬唸り声を上げる。

 

「久遠さまの日の本を乱す獣よ。あなたたちの居場所はこの世界にはありません。消えなさい」

 

 鉄のような身体を持つのならば鉄を斬ればいい。

 

「参ります」

 

 鬼へと歩み寄っていく蘭丸。先ほどと同じように刀を上段から振り下ろす。鬼も同じように腕で受けるが。

 

「グアアア!?」

 

 まるで豆腐を切ったかのようにすっと斬れる。その蘭丸の一撃には力が大きく乗っているようには見えなかった。

 

「終わりです」

 

 鬼を切り上げ胴を真っ二つにする。ずんと振動を響かせながら崩れ落ちる鬼。鬼の死骸はそのまま黒い靄になって消えていく。

 

「……人に戻らなかった、ということは」

「純正の鬼、といったところでしょうか。……大丈夫ですか、蘭丸さま」

 

 そう言って懐から手ぬぐいを取り出すと蘭丸の顔を優しく拭く。

 

「詩乃、ありがとうございます」

「いえ……私に出来ることはこれくらいですので……」

 

 そこまで言ったところで蘭丸と詩乃の周囲を闇が包み込む。

 

「これは……!?」

「わ、分かりません!ですが、これは……」

 

 無意識にだろうか、蘭丸の袖を掴んだ詩乃の身体が震えている。それに気付いた蘭丸はそっと詩乃の手をとる。

 

「大丈夫です。私が貴女を守りますから」

「蘭丸さま……」

『よい主従愛であるな。朕も感動したぞ、森成利、竹中重治』

 

 姿かたちは見えない。だが何処からともなく声が聞こえてくる。

 

「この声は……!?」

『貴様らのその力、朕の為に揮っては見ぬか?』

「貴方が何者なのか分からない状況でそのようなことを決められるとお思いですか?それに私の命も忠誠も久遠さまのものです」

 

 声に対して蘭丸がはっきりと言い切る。

 

『ほぅ、それは残念であるな。竹中重治、貴様はどうだ』

「……私の命も才も、全て蘭丸さまに捧げました。他の何者にもそれを捧げるつもりはありません」

『本当に良い主従だ。……しかし、朕に逆らうというのはお勧めしない。この闇の中で朽ち果てていきたいのであれば話は別だが』

 

 その声に眉をひそめる蘭丸。周囲をそれとなく確認する。

 

『無駄だぞ。朕の創ったこの場所に抜け道など存在しない』

 

 そんな声を忌々しく思いながらも再度周囲を見る。

 

『どうだ、今ならばまだ朕に従う許可を出してやっても良いぞ』

「遠慮します。鬼と同じく訳分からずな存在に従う気などありません」

『鬼が訳分からずと。……人と言うのも同じであろう?貴様らが勝手に自らを上位者と勘違いしているだけの話だ』

「そうかもしれませんね。……だからといって、従う理由にはなりません。そして」

 

 刀を抜き何もない虚空に向かい構える。

 

「私が求めるのは久遠さまの天下。訳分からずの貴方に用はありません」

『そうか、大事な者一つか二つ程度ならば新たな世界に残してやろうと思ったのだがな』

「無用です。……私は欲張りなんです。大事なものが一つや二つではすみませんから」

『ならば、絶望の中で』

 

 ずず……と、闇が蠢く。……が、何かが現れそうな気配が止まる。

 

『……ちっ、忌々しい。これ以上の介入が出来ぬか。……また尋ねに来るとしよう、森成利、竹中重治』

 

 周囲の闇が蒸発するように掻き消える。二人は元いた場所に立っていた。

 

「今のは……夢、というわけはないですよね」

「……恐らくは。私と蘭丸さまが同時に同じ夢を見たとは考えにくいと思います」

「では……先ほどの声は……」

「鬼の首魁、もしくはそれに類する何か……いえ、可能性の話ですが」

「そうですね。……詩乃」

「分かっております。これは私たちの胸の中で、ということですね」

「えぇ。久遠さまへお伝えするのも時期を見て私が行います。……少し、嫌な予感がするので」

 

 

 場所は変わって京。一葉の元に一人の女性が訪れていた。

 

「おぉ、一葉。久しいな」

「お元気そうでなによりだが……余にそのような口を利くのはそなたくらいだぞ?」

「はっはっはっ!何故私が弟子に畏まらなければならんのだ。私よりも強くなったら敬語を使ってやろう」

 

 互いに言葉は厳しいが表情には笑顔が浮かんでいる。

 

「あー、ですが、出来れば一葉さまと対等の態度をされるのは直していただきたいのですが……」

「幽はそのようなことを言うのか。私は堅苦しいのは好まんのだ」

「それは同意するしかないな」

「一葉さままで……やれやれ、どうして剣の道に生きる方はこのようになるのでしょう」

 

 ため息をつく幽を気にした風もなく、女性は出された茶を飲む。

 

「む、このようないい茶を私に出す必要はないといったと思うが」

「そう言うわけにはいきませぬよ。腐っても公方さまの師のお一人なのですから」

「相変わらず辛辣な言葉だな。……で、どうだ一葉。久々に遊んでやろうか」

「……ふふ、久々に本気でやれそうだ」

 

 

「あら、幽?あれは……」

「えぇ、あの方が山から降りてこられたようで」

「後で私もご挨拶していいかしら」

「勿論でございますよ。……ですが、この場にいるのは危険かもしれませぬな」

「まさかお姉さま……」

「えぇ。本気を出されるか、と」

 

 二人を見た後、双葉は部屋へと帰っておくとその場を離れる。

 

「さて……私はまだ死にたくないのですがなぁ」

 

 

「来ぬのか、一葉よ」

「……知れたことを」

 

 構えた一葉が嫌そうな表情で女性を見る。隙が一切ないのだ。呼吸をする際に生じる動きも、瞬きの最中すらも打ち込めば返される未来しか見えない。互いに一歩も動かずに、だが確実に駆け引きは繰り広げられていた。一瞬が数刻にも感じられてしまうような濃密な殺気が互いを包む。一葉の額には汗が浮かぶがそれを拭うこともせずに目の前の女性を睨む。

 

「……ふむ、成長はしているようだな。だが打ち込まぬのなら」

 

 消えた。剣豪将軍と謳われる一葉の動体視力を持ってしても間違いなく姿が掻き消えたように感じる。咄嗟に一葉は本能に任せて刀を振るう。

 

「正解だ。野生の嗅覚も落ちてはいないな」

「そなたも……なっ!」

 

 一葉の刀を軽く受け止めていた女性を押し返すように突き放す。大きく後方へと飛んだ女性へと追撃するように一葉も動く。急所を的確に狙った一葉の刀を全て軽く受ける女性は納得したように頷く。

 

「しっかりと鍛錬は行っているようでよかった。私も少しは力を出せそうだな」

「知れたことをっ!」

 

 鋭い一葉の一撃は女性の身体へと触れる。だが、一葉の手に返ってきた感触は完全に空を切ったものだった。

 

「……今、触れたはずだろう?」

「はっはっはっ、一葉の刀は素直だからな。こんな技もあるというのを教えてやろうと思ってな」

「……相変わらず……規格外だなっ!」

 

 先ほどまでよりもさらに速さを増した剣戟。それに応じる女性の太刀筋は完全に一葉のものにあわせて動いている。

 

「身体も温まってきただろう?そろそろ来い」

「あれは一日にそうそう撃てるものではないんだが」

「構わんだろう。今日は私が守ってやるよ一葉」

「舐めたことを」

 

 そう言いながら一葉が刀を地面に突き立てる。

 

「……須弥山の周囲に四大州、その周囲に九山八海。上は色界、下は風鈴までを一世界。千で小千世界と、その千で中千世界と、その千で大千世界と……全てを包み、三千世界と称ず」

 

 一葉の声に応えるように数々の武具が浮かび上がる。

 

「余の知るところの刀剣よ。余の知らぬところの秋水よ。余の前の立ちはだかりし者をその存在を滅するまで徹底的に刻み尽くせっ!」

 

 空に浮かぶ全ての刀剣が女性に向けられる。

 

「行け、三千世界!!」

 

 その言葉と共に女性に刀剣が殺到する。降り注ぐ刀剣の波を避け、弾き、流し。

 

「はははっ!楽しいぞ、一葉ぁっ!」

 

 女性の声が響く。一葉は地面に刺していた刀を抜くと女性に向かい駆け出す。

 

「……流」

 

 刀剣の群れの全てを捌いた女性が呟く。一葉の刀が女性に触れる寸前。

 

(まろばし)

 

 一葉と女性が交差する。一瞬の沈黙の後、一葉が膝をつく。

 

「はっはっはっ!強くなったな、一葉」

「余はまだ勝てぬのか……」

 

 一葉は女性の差し出す手を取り立ち上がる。

 

「いやはや、一葉さま。師を殺すほどの攻めには驚きましたぞ」

「この程度で死ぬのなら余の師はしておらぬ」

「私から教えられることなどほとんどなかったがな。で、どうだ。少しは気分転換になったか?」

「勝てなければ微妙だな」

 

 そういいながらも一葉の表情は晴れ晴れとしたものになっていた。

 

 

「ほぅ、蘭丸と会ったのか」

「あぁ。まさか知っておるのか?」

「……それよりも私は一葉さまがあっさり久遠どのとのことを話してしまわれたことに驚きを隠せないのですが」

「こやつは大丈夫であろう。元々政治に興味はないし何処かに仕えるつもりもなかろう」

 

 一葉が言うと女性はまた笑う。

 

「その通りだがな。……ふふ、立派に成長しているようだな、蘭丸」

「唯の知り合い、といった感じではなさそうですね?」

 

 同席していた双葉が首をかしげながら尋ねる。

 

「あぁ。アレは私の弟子だよ」

「なっ!?」

 

 

 かつて、長野十六槍や上州一槍と謳われた武人が居た。当世随一の剣豪でもあり、数多くの者へと指南をし後の世の剣術に大きな影響を与えた人物。

 

 上泉信綱。

 

 一葉をも子供扱いする彼女こそが、蘭丸の師でもある新陰流の開祖である。




この世界では一葉よりも上位者です。
まぁ、史実でも一応師匠ですし……ね?

転『まろばし』というのは実際に新陰流の奥義の一つとして存在しているものです。
ちなみにですが、蘭丸が前話で使った新陰流の技名の合撃というものも『柳生新陰流』の技だったりします。

興味があるとこの辺りも調べてみると楽しいかもですね!


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36話 想いを伝える術

久々の三日連続更新ですね!


 越前一乗谷、陥落。浅井が放った足軽五十名のうち、戻った三人の持ち帰った情報だ。周辺には鬼が満ち溢れ、さながら地獄と化しているとのことだった。そして、上級の鬼……鬼を指揮するだけの知能を持った鬼が出現した可能性があるのだ。

 

「お蘭。どう見る」

「……状況は恐らくあまりよろしくないかと」

 

 全ての情報を聞き終わり、久遠と蘭丸は二人で部屋に居た。

 

「鬼を操る黒幕……エーリカさんの仰ることを考えるとそういった者がいるのでしょう。その者は越前を鬼の拠点とし、そこから日の本を落とすつもりかと」

「ふむ。……我は今までの計画を変えるつもりはない。それについてはどう思う」

「久遠さまのお決めになられたことなら。……ということを抜きにしても、同意見です。確かに鬼を眞琴さまたちにお任せしなければなりませんが……長い目で見れば必要なことかと」

「……デアルカ」

 

 暫しの沈黙。

 

「……(それに、私と詩乃を襲ったあの闇……もしかすると、あれが鬼の……)」

 

 

 情報を手に入れてその日のうちに蘭丸たちは美濃へと出発していた。

 

「結菜さま、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、ありがとう蘭ちゃん」

「……お蘭は結菜に甘すぎないか?」

「そ、そうですか?」

 

 少しジト目になった久遠が蘭丸に言う。その言葉に困ったような表情を浮かべる蘭丸。

 

「何よ、久遠ったら嫉妬してるの?」

「ち、ち、違う!」

「冗談よ。私が旅に慣れていないから心配してくれてるのよ。拗ねないの」

「……拗ねておらん」

 

 仲良く話す二人を見て少しだけ安心した表情を浮かべた蘭丸は詩乃に視線を向ける。

 

「詩乃も大丈夫ですか?」

「はい。これくらいであれば私もついていけます。……むしろ、私に合わせて頂いているようで恐縮なくらいです」

「ふふ、そんなことはないですよ」

 

 詩乃の馬に寄せた蘭丸が微笑む。

 

「また美濃に戻ったら色々と知恵を貸してもらうことになると思いますから、お願いしますね?」

「勿論です。私の才を振るえることこそ、最も望むことですから」

 

 

 評定の間。久々に帰って来た蘭丸たちは結菜を屋敷に届けた後、すぐに情報を伝えるべく来ていた。すでに重臣たちは集まっている状態だった。蘭丸は久遠につき従って入り、いつもの場所へと座る。その際に一瞬だけ、剣丞へと視線を向け驚いた表情を一瞬だけ浮かべた。

 

「……(剣丞さまの気が変わっている……?)」

「では軍議を始める」

 

 久遠の凛とした声に、広間に集められた武士たちは一斉に頭を下げる。

 

「皆も既に聞いておるだろう。昨今、我が領国を荒らす鬼の正体が判明した」

「不明な者が日の本に仇なすために創り出した、化生の者だ……と聞きましたが、さて……」

 

 久遠の言葉に代表して壬月が答える。

 

「事態は把握しているのですが、やはりしっくり来ないというか……腑に落ちない部分は否めません。一体、どういうことなのでしょう?」

 

 壬月に続いて麦穂が尋ねる。

 

「それについては、改めて……金柑!説明せい!」

 

 エーリカの説明を聞き沈黙する一同。

 

「そして先日、小谷より放っていた間者が持ち帰った情報がある。……お蘭」

「はっ」

 

 更に蘭丸の口から語られる話に重臣たちの表情は険しいものになる。

 

「難しい事態だな……」

「あの不明の鬼が、越前を落としたなんて……。越前が落とされたということを考えれば、時間的な猶予はそうないということですね」

 

 壬月と麦穂の言葉にエーリカが静かに頷く。

 

「だが、我の方針は変わらん。天下布武である!」

 

 堂々と言い放った久遠が立ち上げる。

 

「柴田勝家、丹羽長秀!」

「「はっ!」」

「織田家中、一丸となって上洛する!疾く、完璧に準備してみせぃ!」

「「御意!」」

「上洛の後、公方と合流。返す刀で越前の鬼を根切りにいたす!ともども、覚悟せぃ!」

「おっしゃー!久しぶりの大戦だぜ!」

「燃える!燃えるよ、真っ赤に燃えるぅ!」

「まぁがんばりましょー」

 

 久遠の言葉に三若が盛り上がる。

 

「うむ。それでこそ織田の母衣武者よ!三若の働き、期待しておる!」

「「「はい!」」」

「上洛には三河勢も呼ぶ。誰ぞ急使に立て」

「では、ころを送りましょう。三河の方々とは面識もありますし、適任かと」

 

 詩乃がそう言うと久遠は頷く。

 

「此度の戦は、織田・松平勢の総力を挙げ、疾く疾く中山道を駆け下り、六角、松永、三好を破り、公方とともに小谷で浅井と落ち合う流れとなる。全てにおいて疾きことを要求される、難しい戦となろうが、皆の奮戦を期待している!皆の者、戦支度に取りかかれぃ!」

「「「はっ!」」」

 

 久遠の言葉に応えた面々が、戦の準備に掛かるため、我先にと駆け出していく。

 

「第一歩、ですね」

「……」

 

 久遠に尋ねる蘭丸。久遠は無言で上段の間の天井を睨み付ける。

 

「……久遠さま、お一人で背負わないでください」

 

 そっと久遠に近寄った蘭丸が久遠の手を握る。

 

「久遠さまの不安も、恐怖も。私だけでなく、家中の皆が共に全力で支えます。不安も恐怖も、私たちが一緒に抱えます。ですから……」

「……」

 

 久遠と蘭丸の視線が絡み合う。少し潤んだ瞳には、いつもの覇気は無く、そこにいるのはまるで一人の少女。織田久遠信長という少女の、本当の姿なのだろう。零れ落ちる涙をそっと蘭丸は指で拭うと、そのまま久遠の頬に優しく手を添える。

 

「久遠さま、失礼致します」

 

 そう小さく口にすると、そっと久遠の唇を自らの唇で塞ぐ。一瞬のようで、数刻のような時間。二人の唇が離れた後にほぅ、と吐かれる吐息。

 

「お、お蘭……」

「私がずっと支えます。ですから……」

「……やられっぱなしは性に合わん」

 

 そう言って、久遠が蘭丸の頬を両手で包むようにして再び唇を合わせる。

 

「……遅いと思って見に来てみれば、何やってるのよ」

 

 声にはっとして唇を離した二人の前には呆れ顔の結菜が立っていた。

 

「ゆ、結菜さまっ!?あの、こ、これは……」

「軍議が終わったみたいなのに、いつまでたっても戻ってこないから、お味噌汁が冷めると思って呼びに来たら……二人して、私だけ除け者にするなんて、ずるいわよ?」

「ず!ずるいとか!ずるくないとか!」

 

 わたわたと動揺する二人に結菜が優しい微笑みを浮かべる。

 

「まぁまぁ。今更照れたって遅いわよ。……ほら」

「あ、あははっ……」

「えへへ、実は最初から居たりして……」

「むぅ……少し仲が良すぎではありますまいか」

「ら、蘭丸さま……」

「び、びっくりしたぁ。意外と大胆なんですね、蘭丸さまって」

「あはは……仲がいいのはいいことだよ、うん」

 

 蘭丸隊の面々も驚きに苦笑いや頬を染めていたりと態度はさまざまだ。

 

「な、な、な、な……っ!!」

「という訳で、実は久遠が蘭ちゃんに襲い掛かったところも、みんな見てたりして」

「~~~~っ!?」

「おー、顔が真っ赤。……まぁでも良いんじゃないの?夫婦なんだし」

 

 満面の笑みで言う結菜と対象的に顔をどんどん真っ赤にしていく久遠。

 

「こ、こ、このうつけどもがーーーーー!」

 

 そう捨て台詞をはいて久遠は部屋を飛び出していく。

 

「あーあ、逃げちゃった。……ふふっ、久遠ったら可愛いんだから」

「ゆ、結菜さま、あまり久遠さまを苛められては……」

「あら、でも蘭ちゃんも可愛い久遠を見れて嬉しかったでしょ?」

「……そ、それはっ!」

「動揺する蘭ちゃんも可愛いわね。でもずるいって言ったのも本音よ?」

「お、お戯れを……。こほん、それでは蘭丸隊の面々も居ることですし、私たちも戦の準備に取り掛かりましょうか」

 

 まだ顔が赤いが場の空気を変えるように蘭丸が言う。

 

「はいっ!って言っても、出陣はまだ先ですし、時間はありますからね」

「次の戦は長丁場になるでしょうから、時間を掛けてしっかり準備しないと」

「そうですね。基本的には剣丞さまにお任せしますね?」

「うん、任せて。俺も俺なりに勉強してることを実践するチャンスだと思うし」

「ちゃんす……好機のことでしたか?お願いしますね。……詩乃、どうしたのです?」

「詩乃ちゃんったら羨ましくてむくれてる?」

 

 ひよ子の言葉に詩乃が少し顔を背ける。

 

「むくれてはいません。……ただ、自分にもっと力があればと歯噛みしてるだけです」

「……お、怒ってます?」

「怒ってはいませんが、腹は立っていますね」

 

 珍しく蘭丸に対して冷たい対応をする詩乃に困った顔を浮かべる蘭丸。

 

「ふふっ、蘭ちゃんったら、大変ねぇ。……だけどね、詩乃。これから少し風向きが変わるかもしれないわよ?」

「……風向き?」

「まぁ、久遠も色々と考えてるみたいってこと。……さて、蘭ちゃんはうちに来て一緒にご飯食べましょ」

「は、はいっ!……新介、小平太も剣丞さまの補助ありがとうございます。また明日詳しい話は伺いに行きますね」

「は、はいっ!お待ちしてますっ!!」

「は~い!蘭丸さまもごゆっくり休んでくださいね~」

 

 

「ほう、それでは蘭丸は此処に来る予定なのか」

「うむ。余の元に久遠が来るのであれば、蘭丸も来るであろう」

「となると、下手に動かず此処に居るのが正解か」

 

 一葉の信綱は二人で刀の手入れをしながら話を続ける。

 

「余は結局蘭丸と刀を交えることはなかったのだが、どれ程の強さなのだ?」

「……難しい質問だな。一葉と比べれば単純な力ならば一葉のほうが上であろう。だが、総合的に見れば……」

「余よりも上、と?」

「私が知る蘭丸がしっかりと鍛錬を続けていれば、であるが。まぁ、あの子の性格ならば問題ないだろう」

「ほぅ……それは是非一度手合わせたいものだな」

「止めておいたほうがいいと思うがなぁ」

 

 笑いながら手入れの終わった刀を鞘に納める。

 

「時に一葉。腕に自信のある護衛などは必要ないか?」

 

 にやりと笑う信綱。言いたいことが理解できた一葉も同じように笑う。

 

「ほぅ。賃金はそこまで期待できぬぞ?」

「構わん。飯と寝床さえあれば後は何とでもなる」

 

 

「……それで、上泉どのを客将として置く、と?」

「うむ。余はそれでいいと思っているが異論はあるか?」

「……公方さまがお決めになられたのなら私が何を言っても聞きますまい。……ただ」

「三好と松永か?」

「えぇ。あの方々が何と言って来ることやら……」

 

 幕府の重鎮でもあり、一葉にとっては正直なところ目の上のたんこぶである者たちは、一葉が力を持つことをよしとしない。特に、一葉本人の力だけでなく信綱という力を持ってしまうというのは何としても避けようとするだろう。

 

「叩き切ってしまえばよかろうに」

「そうは行きませぬよ、上泉どの」

「政とは面倒なものだな。まぁ、良い。何か言って来るようであれば最悪近くの宿でも取るさ」

「……やれやれ。何とかしますので上泉どのは公方さまのお相手をお願いします」

「幽、余のことを馬鹿にしておらぬか?」




感想、誤字脱字報告もお待ちしております!


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37話 蘭丸隊

気がついたら前作本編を軽く超えてました。

ひとえに読者の方の応援のおかげです!
ご愛読ありがとうございます!

連日更新中ですので、話の前後にご注意を。


 軍議の翌日、蘭丸は自らの隊舎を久々に訪れる。そこではまだ日が昇り始めるかという早い時間にも関わらず剣丞が一人で刀を振っていた。

 

「剣丞さま?」

「あ、蘭ちゃん。早いね、おはよう」

「おはようございます。……朝は苦手ではありませんでしたか?」

「はは、そうなんだけどね。でも、昼は仕事があるし何処かで修行の時間を取ろうと思ったら、朝と夜しかないからね。夜も夜で、皆と親交を深めたいし」

「……そうですね。ご一緒してもよろしいですか?」

「勿論」

 

 そう言って、蘭丸は剣丞の隣で同じように素振りを始める。元々かなりの腕前だった剣丞だが、その刀の振り方一つにも切れがあるように見えた。そしてそれは蘭丸には見覚えのあるものだった。

 

「もしかして……春香さんに師事されてます?」

「あ、やっぱり分かっちゃった?」

 

 少し恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる剣丞。

 

「俺の剣って、元々姉さんたち……俺のいた世界でも凄腕の人たちに習ったものなんだ。でも、そこには御家流なんてものなかったから御家流や剣技って言うのかな、それを使える人に教えを乞おうと思って。それで、蘭ちゃんの師匠でもあるって言う春香さんにお願いしたんだ」

「そう、ですか」

 

 剣丞の剣は明らかによい方向に成長しているように蘭丸は感じる。恐らくだが、もともと修行していたときには漠然としかなかった目標というものが、剣丞の中でしっかりとしたものになったということもあるのだろう。少しずつ才能が開花していることに蘭丸は少し嬉しくなる。

 

「御家流は御留流……基本的には門外不出であったり、血統などで使えるものがほとんどです。ですが、確かに剣技などであれば覚えられるかもしれませんね」

「そうだといいな。……俺に覚悟が足りなかったり、知識が足りなかったりするのは分かってる。だから、みんなの力を借りる。でも、それだけじゃ駄目なんだ。俺もみんなの力になれるようにならないと」

 

 剣丞の覚悟を聞いて蘭丸は真剣な表情で剣丞を見据える。

 

「……剣丞さま、私から教えられることがどれ程あるか分かりませんが一度立ち合いましょう」

 

 

 立ち合いそのものは数分で終わったが、剣丞は肩で息をしている。

 

「成長されましたね、剣丞さま。まだ壬月さま、麦穂さまには及びませんが、その腕であれば鬼程度ならば遅れを取ることはないでしょう」

「はぁはぁ……あ、ありがと。っていうか、蘭ちゃんやっぱり強いな」

「ふふ、鍛えてますから。……剣丞さまが十歩私へと向かってくるのならば、私も十歩先に進むだけですよ」

「っていうか、あの殺気っていうのかな?あれだけでも動けなくなりそうなんだけど」

「全く武の心得の無いものであれば……そうですね、『気を当てる』とでも言うのでしょうか、それだけで気絶するそうですよ。……母さまや姉さまくらいに強くなれば」

 

 ……さもありなんと剣丞は納得する。恐らく剣丞も姉たちとの修行がなければ、気絶していたかもしれない。と感じるほどに二人は別格の強さだった。

 

「そういえば、蘭ちゃんの剣って春香さんのだけじゃないよね?」

「えぇ。私の師は春香さんもですが、信綱さま……上泉信綱さまを開祖とした新陰流が基本になってます」

「……何処かで聞いたことある気がする。新陰流って柳生じゃなかったっけ……」

「柳生さまも私の姉弟子にあたる方ですね」

「……うわぁ、すごい人に習ってたんだね、蘭ちゃん」

「ふふ、信綱さまはお強いですが、とてもお優しい方ですよ。もし、お会いすることがあれば剣丞さまにもご紹介しますね」

「楽しみだな、それ」

 

 笑いながら剣丞は立ち上がる。

 

「さ、もう一試合お願いしていいかな?」

「勿論です」

 

 

「新介、小平太。私たちの居ない間の剣丞さまの補助ありがとうございます」

「いえっ!私たちが役に立ったなら良かったです!」

「へへ~!ちゃーんと情報もボクたち集めたんですよ!」

 

 目をキラキラとさせながら駆け寄ってきた二人を見て一瞬子犬を思い浮かべた蘭丸は優しくその頭を撫でる。

 

「ふふ、それでお二人にお伺いしたいのですが……貴女たちから見て剣丞さまはどうでした?」

「どう、とは?」

「部隊を率いるものとしての才覚……とでも言いましょうか」

「う~ん……ボクはそこまで詳しくは分からないですけど、でも隊長としての資質はあるように感じました」

「新介は?」

「そう……ですね。春香さんに師事されて、自力もついてきていますし……それに、覚悟、とでも言うのでしょうか。そういったものを感じられる、かなと」

「……二人とも、しっかりと剣丞さまを見ていてくださったのですね。本当にありがとうございます」

 

 元々、剣丞の持つ柔軟な発想などは久遠の方針に合うものがあると蘭丸は考えていた。それを生かすための覚悟といったものが欠如していたから、これまでは深く関わらないようにしていたのだが。

 

「……そろそろ、本格的に剣丞さまにも政に参加して頂くのもいいかもしれませんね」

「……蘭丸さまって、剣丞さまのこと高く買ってるんですねぇ」

 

 小平太が言うと蘭丸は頷く。

 

「そうですね。正直、最初は怪しいと思っていたんですけどね」

「……あー、ボクもそうでした」

「わ、私も……」

「ですが、剣丞さまと関わって人となりを知った今では……いつかは友と呼べる存在になってくれると嬉しいと思ってたりします。……内緒ですよ?」

 

 人差し指を唇に当てるように立てる蘭丸に、新介と小平太も笑みを浮かべる。

 

「……そういえば、お二人に聞きたいことがあったんです」

「何でしょう?」

「お二人には、母衣衆に入るという出世の道もあったはずですが……どうして私の部隊に?」

「そ、それは……」

 

 新介が恥ずかしそうに俯いたのを見て蘭丸が首を傾げる。

 

「あ、あの……それは……」

「新介が、憧れの蘭丸さまと一緒にいたいって言ってたからですよ!」

「ちょ、小平太っ!?」

「だってボクが言わないと新介言わないだろー?」

「あ、憧れ……ですか?」

「う……」

 

 顔を真っ赤にした新介とニコニコと微笑む小平太。

 

「ボクもそうですけど、久遠さまの右腕、森の戦姫……そして、ボクたちの命の恩人でもある蘭丸さまと一緒に久遠さまに仕えたいって思ったんです」

「小平太……」

 

 蘭丸と新介が少し驚いた表情を浮かべる。

 

「……こ、小平太が言ったとおりです!わ、私は……蘭丸さまをお慕いしておりますっ!」

「し、新介?」

「うわぁ……新介大胆」

 

 二人の声にはっとした新介がますます顔を赤くする。

 

「あ!?いや、そう言うつもりじゃっ!?」

「あ、ありがとう、でいいのかしら、こういうとき」

「……」

 

 突然のことにさすがの蘭丸も動揺しているようで、まるでお見合いのような状態になっている。

 

「そ、それに、蘭丸さまが久遠さまとご結婚されるなら、母衣衆よりももっと重要な立場って考えることも出来ますし!」

「……ふふ、そうですね。……新介、小平太。これからもよろしくお願いしますね?」

「「はいっ!!」」

 

 

「ひよ、ころ、詩乃」

「あ、蘭丸さーん!」

「良かった、出立前にお会いできました!」

「蘭丸さま、おはようございます。ころ、こちらが松平への文となります」

 

 詩乃から文を手渡された転子は、旅の荷物にしっかりと入れる。

 

「うん、詩乃ちゃんありがと」

「ころ、本当に一人で大丈夫ですか?」

「あはは、蘭丸さんって意外と心配性なんですね。大丈夫ですよ!こう見えても野武士の棟梁だったんですから!」

「そうですね。……ころ、お願いしますね」

「はいっ!任せてください!」

「……蘭丸さまはころにも優しいような気がします」

「詩乃ちゃんったら、またやきもち焼いてる~!」

「……そんなことはありません」

「ふふ、ひよや詩乃も大切な存在ですよ?二人が仮に同じように任務に向かうとしたら、私は同じようにします」

 

 蘭丸の言葉に嬉しそうなひよ子と転子、そして照れたような様子を見せる詩乃。

 

「……今はそれで満足します」

「それでは、行ってきます!」

 

 馬に乗って出立する転子を見送ると、蘭丸は視線をひよ子と詩乃に向ける。

 

「さぁ、私たちも部隊の準備を進めましょう。ひよ、詩乃、手伝ってください」

「「はい!」」

 

 

 二条館に逗留する信綱。そんな信綱に教えを乞おうと数々の武士や剣を志すものたちが訪れる。

 

「……次」

「拙者は……」

 

 長い口上を聞いたうえで構えを取った男を見る。……論外。一目見ただけでも分かるほどの者だ。何故このような者まで来るのだろうか。

 

「手加減してやる。無手の私を此処から一歩でも動かすことが出来れば剣を教えてやろう」

「おぉ!ならば!」

 

 結果は予想されたとおりである。一歩も動かずに、それ以前に右手の人差し指と中指で刀をはさみ取り、完全に無力化したのだ。

 

「次」

 

 

「お疲れですなぁ、信綱どの」

「幽。今日の分は捌ききれたのか?」

「はい。思ったよりも回転が速かったので。……ですが、本当によろしいのですか」

「……これも此処に居ることを咎める者を減らすためだからな。仕方あるまい」

 

 一葉たちと対立した者たちの目を欺くために、剣術指南の先を探して京を訪れたことになっている信綱は、毎日このように少なくとも信綱からしてみれば取るに足らないものたちの相手ばかりさせられているのだ。

 

「しかし、もう少しまともな奴はいないものか」

「……一応、道場を開いているものや大名家に仕える指南役だったりするのですがなぁ……」

「……それは私が悪かった」

「いえいえ。確かに一葉さまや蘭丸どのなどと比べてしまえば見劣ってしまうのも仕方ありますまい」

 

 やれやれといった具合に幽が肩をすくめる。

 

「ですが、一葉さまも双葉さまも信綱どのが来られて楽しそうで何よりです」

「ふふ、私に出来ることなど剣を振るうか書物を読み漁るかのどちらかしかないからな」

「いえいえ、特に双葉さまはそれがし以外の話し相手が出来たことに非常にお喜びのようで」

「双葉は可愛いな。妹や娘などが居ればあのような子だったのだろうな」

「はっはっはっ、上げませぬぞ?」

「何故幽に選択権がある」

 

 そんなことを話しながら部屋へと向かっていると前から笑顔の双葉が歩いてきた。

 

「信綱さま!」

「おぉ、双葉。どうしたのだ?」

「はい!先日お勧めされた書を読み終わりましたのでお返ししようと……」

「あれならば別に貰ってくれても構わんぞ?私は一度読んだ書は全て頭に入れておるのでな。こちらも双葉に借りた書を読み終わったからちょうどいい。これから部屋に来るか?」

「はいっ!幽も一緒にどう?」

「非常に楽しそうなお誘いですが、少し一葉さまとお話があります故、今回は辞退させていただきます」

「そう……幽も無理しないでね?」

「勿論です」

 

 立ち去っていく二人を見送りながら幽は一人呟く。

 

「……むぅ、双葉さまが私よりも懐いているように感じますなぁ。これが娘を嫁に出す父の気持ちというものでしょうか」

「……誰が双葉の父だ」

 

 ちょうど通りかかった一葉が呆れ顔でそう呟いたのは仕方のないことだろう。



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38話 出陣

 松平へと遣いとして行っていた転子が帰ってくると話があった日。蘭丸と壬月、麦穂の三人は松平勢の饗応役として門の傍で控えていた。

 

「そういえば、蘭丸。剣丞と桐琴たちが合流しているというのは間違いないのか?」

「はい。私も文で見て驚きましたが……剣丞さまは母さまと姉さまにも気に入られているようですね」

 

 クスクスと笑う蘭丸にため息をつく壬月。

 

「まぁ、お前がいいのならばいいのだが。……あ奴は蕩らしの才能があるのやもしれんな」

「そうですね。不思議な魅力をお持ちですからね」

「蘭ちゃん、殿からお伺いしたのだけれど部隊を剣丞どのに譲り渡す形になるというのは本当なのかしら?」

「はい。剣丞さまのある意味突拍子も無い発想というのを生かすには誰かの下ではなく上に立つべきだという、私と久遠さまの意見です」

「蘭ちゃんも剣丞どのの評価は高いみたいですね」

「はい、その為に詩乃たちにも助力を頂いて出来得る限りの補助はしてきたつもりです」

「……まぁ、殿とお前が言うのならばそうなのだろうな。っと、お着きのようだな」

 

 剣丞を先頭にこちらへと向かってくる一団が見える。

 

「よくぞおいで下さいました。織田家家老を務める、柴田権六壬月、葵さまのお迎えに参上仕りました」

 

 こういったときには、相手をどれだけ重視するかを表すために上位の家臣が代表して挨拶することになっている。蘭丸は葵たちの覚えもいいが、役職は小姓であるためこういった場合には基本的に口を開くことは無い。だが、剣丞の後ろで嬉しそうに手を振っている綾那と困ったように微笑んでいるしてくる歌夜に軽く会釈を返す。

 

「同じく家老、丹羽五郎左衛門尉麦穂。僭越ながら松平衆のご接待を仰せ仕りました。何事もお気軽にお申し付けくださいますよう」

「これはこれは……名高き鬼柴田に米五郎左どのが、私のような田舎者を出迎えてくださるなど恐悦至極。葵はなんと果報者か」

 

 感動した体で応えた葵が、ゆっくりと頭を下げる。ちらと視線を蘭丸に向けると葵は微笑んで蘭丸に向き直る。

 

「更に織田殿の懐刀である森成利殿まで来てくださるとは……此れ程に嬉しいことはありますまい」

「殿より、松平の方々は最も重要な隣人であり、友である。故に面識も御座います私にも葵さまの饗応役として働くようにとご命じになられました」

「相分かり申した。こちらこそよろしくお願いします。三河岡崎城主、松平次郎三郎葵。柴田、丹羽、森がお三方。何卒よしなに」

「「「はっ」」」

 

 深く三人が一礼した後。

 

「上総介は評定の際にご挨拶させて頂くとのこと。今宵はひとまず御宿に案内仕る」

「痛み入る。……綾那」

「はいです!」

「兵の差配は任せます。丹羽さまの言うことをちゃんと聞くのですよ」

「お任せなのです!」

「歌夜と悠季は、久遠さまとの評定の前に、私と共に森どののお話に同席を」

「はいっ!」

「御意に」

「では拙宅にご足労頂きましょう」

「よしなに」

 

 

「いやはや、信長公の側近中の側近である蘭丸どのが我らの饗応役とは驚きましたぞ」

「ふふ、本当はエーリカさん……最近、久遠さまの家臣に加わられた異人の方の予定だったのですが、私が立候補したのですよ」

 

 自らが淹れた茶を配りながら蘭丸は悠季に答える。

 

「私としては蘭丸でよかったと思っているのよ。ねぇ、歌夜」

「はい。蘭丸さんであれば安心ですから」

 

 変な警戒などは状況を抜きにしてもいらないという信頼の現われだろう。三人の前に座った蘭丸も微笑む。

 

「そんな蘭丸どのの部隊の副長どのは女子を拾っておられましたがな」

 

 悠季の突然の言葉に口に含んでいた茶を噴出しそうになるのをなんとか堪えた蘭丸が驚いたように歌夜を見る。苦笑いを浮かべているということは冗談というわけではないだろう。

 

「しかも、それが氏真公……鞠さまですからなぁ」

「……け、剣丞さま……一体何をしておられるのやら……」

「ふふ、そんなに驚く蘭丸を見たのは初めてね。それだけでも価値があったわ」

「し、しかし氏真どのが……いえ、詳しくは後ほど久遠さまにお伺いします」

「それがよろしいかと。剣丞さまが鞠さまからの文を預かられていましたので、久遠姉さまにお渡ししているでしょう」

 

 

 翌日。朝の鍛錬の後訪れた春香によって髪の手入れがいつものように行われた後、葵と悠季、綾那と歌夜を連れて大評定の場となる評定の間へと向かった。

 

「それでは、私は久遠さまの元へ参ります。後の案内はこちらの者が」

「はい。成利どの、ありがとうございました」

 

 葵たちと別れ、久遠の元へと向かった蘭丸。そこでは久遠が最終的な兵数、兵站などを確認しているところであった。

 

「久遠さま」

「おぉ、お蘭。葵たちの饗応、大儀であった」

「はっ。……それで、久遠さま。早馬の報せがあったようですが」

「あぁ、それか。それは……」

 

「皆も既に知っているであろうが、今朝早く、早馬が到着した。差出人は足利義輝。……公方だ。京を我が物顔で歩いていた三好・松永党のうち、特に松永党の動きが活発化してきているらしい」

「ふむ……それは我らの動きに感づいたということでしょうか?」

「詳細は分からんが、その可能性は高いだろう。……これに伴い、出陣を本日の午後に早めることとする」

 

 久遠の言葉への反応は様々であるが、既に準備はほとんど整っていたのだろう。

 

「よっしゃー!殿ぉ、ボクらはいつでもやれますからねー!」

 

 全員を代表して和奏が久遠へと発言する。

 

「うむ。期待しているぞ、三若」

「えへへー、期待しててください!」

「麦穂、やれるか?」

「何の障害もなく」

「松平衆はどうだ?」

「松平衆は久遠さまのお指図の下、命を捨てる所存。如何様にも御下知くださいませ」

「うむ。……」

 

 ちらと視線を蘭丸へと一瞬向ける。蘭丸は静かに頷きを返す。

 

「よし!」

 

 パンッと膝を叩いた久遠が立ち上がる。

 

「各々に命ずる!我らは正午に美濃を出立。関ヶ原を通って江南に入った後は軍をいくつかに分ける!」

 

 久遠の声に全員に緊張が走る。

 

「権六!」

「はっ!」

「佐々、前田の両名を寄騎につける。調略済みの江南の豪族どもと連携し、江南の小城を全て征圧しろ!江南を疾く席捲し、観音寺攻めに加われぃ!」

「御意!」

「五郎左!」

「はっ!」

「寄騎として滝川をつける。観音寺の後方、京に繋がる小城を全て落とし、洛中への道を確保しておけ!」

「御意!」

「我が率いる本体と、森、明智、松平の衆、そして蘭丸隊で観音寺を急襲し、一気呵成に六角を叩く!」

「「はっ!」」

「応!」

「共々の奮起を期待する!以上!解散!」

 

 言い終わった久遠の言葉にかぶせるように、評定に出ていた大身小身の武士たちが雄叫びを上げ、評定の間を駆け出していった。数人が久遠へ直接挨拶をして出て行き、久遠と蘭丸は二人になる。

 

「いよいよですね、久遠さま」

「うむ、ようやくだ。……時間を掛けた以上、一気呵成に京に向かう。お蘭の力、借り受けるぞ」

「勿論です。……六角氏を落とし、一葉さまと合流、その後越前攻め……その次の一手はどうされます?」

「御輿である一葉と合流したあと……少しな、思いついたことがある」

 

 その話は聞いていなかった蘭丸は少し驚き久遠を見る。何かを言おうとした久遠は口を噤み、じっと蘭丸の目を見つめる。

 

「……お蘭、お前は我の夫、だな?」

「え、あ、あの……」

「良いから答えてくれ、お蘭」

「……はい。私は久遠さまの夫、です。そうであっても、無くても。お蘭の過去も未来も、全ては久遠さまの物で御座います」

「本当か……?本心だと信じて良いのか?」

「はい。私の全ては久遠さまに捧げております」

 

 蘭丸をじっと見つめた久遠は頷く。

 

「……うむ。ならば心は決まった。そのときが来ればお蘭にも助力を頼むことになろう」

「はい。私に出来ることであれば」

「そうだ。お蘭にしか出来ないことだ」

「分かりました。そのときが来れば、ですね」

「うむ。……」

「ですが、まずは観音寺ですね。私も部隊の最終的な確認を行ってきます。久遠さまの出立のご準備は既に済んでおります」

「流石であるな」

 

 

「ひよ、ころ、詩乃、新介、小平太。準備は……ほとんど終わっているみたいですね」

「あ、蘭丸さん!えへへ~、もういつでも出発できますよ!」

「ふふ、ひよ、お疲れ様です。……詩乃、鉄砲隊の準備は?」

「完了しております。家中の各組から、比較的腕の立つ射手を回して貰いましたから。ただ……」

「ただ?」

「所詮、寄せ集めですから。隊としての連携がどれ程出来るのかは未知数です」

「ふむ……新介」

「はいっ!」

「鉄砲隊の面々の詳細な情報を」

「こちらに纏めてます!」

「流石ですね。……ふむ」

 

 ぱっと目を通した蘭丸は少し驚く。集められたものたちは家中でも名の知れたものもいたりするからだ。

 

「……この人員であれば、後は私たちの采配次第ですね。詩乃、任せます」

「御意」

「あ、蘭丸さん!この書類に署名をお願いしまーす!」

「ころ?……出陣の指図書、球菌の書類ですか。分かりました」

 

 転子に差し出された筆を受け取るとさらさらと書類に署名していく。

 

「……これでよし、と」

「ありがとうございます!長柄隊も準備完了してます。隊列ですが、前列に弓と鉄砲、その後ろに長柄。更にその後ろに本隊と騎馬、最後尾に小荷駄と工兵、って形で行こうと思います」

「それで問題ないでしょう。小平太、お願いしていた兵の準備はどうですか?」

「完璧です!こちらも各組から選りすぐられた若手たちで構成してます!こちらは早く集められたので連携も問題ない程度には鍛えてます!」

「それは、以前に仰られていた?」

「えぇ。鉄砲や工兵など後方支援などが主となっていますが、そういった者たちや詩乃のような智将を守る必要も生じるでしょう?まぁ、新介と小平太にその部隊は率いてもらう予定です」

「頑張ります!」

「えっへっへ~!任せてください!」

 

 そんな話をしてるときに剣丞が一人の少女を連れてきているのを見る。

 

「あら……剣丞さま、準備ありがとうございます」

「あはは……俺はあまり何も出来てないよ。それよりも……鞠」

「はいなの!鞠は、今川彦五郎氏真!通称は鞠なの!よろしくお願いするのー!」

 

 満面の笑みで自己紹介をした鞠に蘭丸は優しく微笑みかける。

 

「ご丁寧に挨拶ありがとうございます。私は森成利、通称は蘭丸と申します。よろしくお願いします、治部大輔さま」

「むー、鞠は鞠なの!蘭丸には鞠って呼んでほしいの!」

「蘭ちゃん、鞠は一応俺の護衛として隊に入ってもらったんだ。……ごめん、勝手に決めちゃって」

「いえ、構いませんよ。久遠さまとお話はされたのでしょう?……えっと、鞠さま」

「えっと、蘭丸がこの隊の隊長なら、蘭丸は鞠の隊長なの!だから、呼び捨てでいいの!」

「……分かりました。では鞠、剣丞さまにも護衛は必要だと思っていたのも事実なので、貴女にお任せして構いませんか?」

「勿論なの!」

 

 そんな話をしていると遠くから聞こえてくる陣貝の音。

 

「蘭丸さん、剣丞さま!陣貝ですよ~!」

「準備は整ったようですね。……それでは行きましょう。久遠さまの天下布武の為……蘭丸隊、出陣します!」



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39話 観音寺攻略

「いい塩梅で進んでおりますね」

 

 部隊を離れ、久遠の元へと来ていた蘭丸が久遠に話しかける。

 

「うむ。新介や小平太を中心に、蘭丸隊の面々が頑張ってくれたからな」

「ふふ、よろしければ直接お褒めの言葉を。きっと喜びます」

「デアルカ」

「殿。丹羽衆、滝川衆、共に準備整いましてございます。いつでも」

 

 麦穂が陣へと入ってくると久遠へそう報告する。

 

「うむ。では観音寺を迂回し、坂本を拠点に京周辺の露払いをせい」

「御意。洛中については?」

「三好・松永党の動きが読めん。妨害もあるだろうが……余裕があれば京に間者を放ち、情報を集めておけ」

「畏まりました」

 

 そう言って頭を下げた麦穂は蘭丸へと視線を向ける。

 

「蘭ちゃん、行ってきますね」

「はい、麦穂さま、お気をつけて。……ご武運を」

「うふふ、はい。蘭ちゃんこそ」

「蘭ちゃんも武功あげなよー、って不要な心配かー。蘭ちゃんなら雛より強いもんね」

「ふふ、頑張ります。雛もしっかりね」

「へーい。まぁ麦穂さまのことはお任せだよー」

「行ってしまいましたね……」

 

 二人が出て行った後にエーリカが蘭丸に声を掛ける。

 

「えぇ。いよいよ始まりますね」

「……上洛した後、越前に向かい、鬼を駆逐する。……しかしそこに鬼を操る者は居るのでしょうか?」

「分からん。だが越前をそのままにしておく訳にもいかないだろう」

 

 エーリカの言葉に久遠が返す。それとほぼ同時に葵が陣へと入ってくる。

 

「おや、軍議でもされておりましたか?」

「そうでもない。……で?」

「松平衆一同、久遠さまに御指図を頂きたく……」

「ふむ。……葵。観音寺城をどう攻める?」

「そうですね……お許しを頂き、お答え致しますれば」

 

 

 葵、新たに合流した蘭丸隊の面々。それらの策や案などを聞きながら目を閉じていた久遠が蘭丸に向き直る。

 

「お蘭、お前はどう考える」

「……難攻不落であれば、正攻法では無駄に時間を掛ける結果となる、かと」

「ふむ」

 

 久遠の反応から続けるように、と判断した蘭丸は続ける。

 

「そうなれば、私たち蘭丸隊の出番かと。……剣丞さまがうずうずしておられますしね」

「あはは……」

「……久遠さま。今は何よりも重視しなくてはならないことを考えるならば……」

「……分かっておる」

「では、参りましょうか。ひよ、ころ、蘭丸隊出陣です。詩乃、部隊の中から選抜の準備もお願いします」

「御意」

「詩乃は久遠さまの側で鉄砲隊の指揮を。ひよところは足軽たちの指揮をお願いします」

「ら、蘭丸さん、まさか剣丞さまとお二人だけで行くおつもりですか!?」

「そのつもりですが」

「はいはいはーい!それなら鞠も剣丞と蘭丸と一緒に行ってあげるのー!」

「へっ!?」

「ま、鞠?」

 

 元気に手を挙げる鞠に驚く剣丞と蘭丸。だが、それ以上に驚いている者もいた。

 

「ま、鞠さまっ!例え領国を追われたとはいえ、今川家棟梁で在らせられる鞠さまが、素破乱破の真似事をするなど、御身に流れる高貴な血が穢れましょう!」

「……剣丞さま、貴方がどうされるかお決めください」

 

 

「……蘭ちゃん、何かごめん」

「ふふ、構いませんよ。剣丞さまに任せたのは私ですから」

 

 久遠さまに怒られるとすれば私ですから、と蘭丸は微笑む。

 

「しっかし……こりゃすげえな……」

「本当に。……一体いくつの曲輪があるのでしょうね」

「なんと美しい……。緑の海原に浮かぶ真白き箱船のような荘厳さを感じます」

 

 城好きなエーリカは惚れ惚れとした表情で城を眺める。

 

「さすが近江源氏の流れを汲む佐々木氏の居城ですね。水運と陸運、その両方を抑えるに絶好の地を、山麓全体に曲輪を配置して要塞化している姿はまさに天下一の名城」

「山城としては日の本有数の名城ですからね」

 

 詩乃や葵も手放しで褒める。

 

「お城好きな人たちが好き勝手褒めるのはいいんだけど」

「実際、かなり攻めにくそうですね……久遠さま」

「変わらん」

「かしこまりました」

 

 久遠の指示に全く動じることなく応じる蘭丸に苦笑いを浮かべる剣丞。

 

「まぁ、あれぐらい険しい方がやりやすいか」

「そうですね。私も同意見です」

「なぜ、そのようにお考えなのです……?」

 

 そう尋ねてきたのは、先ほどの話し合いで蘭丸たちに葵から渡された……新たな部下である小波だ。明らかに何かの策謀を感じたが蘭丸は特に何も言うこと無く隊に迎え入れていた。

 

「そうですね……剣丞さま」

「うん。堅固であればあるほど、その事実にかまけて人は油断するじゃない?まさか、とか。あるはずがない、とか言ってさ。自分が出来ないことは誰もができない。……人って、ついそう思い込んでしまうものだって、俺は思ってるんだ。で、そんな油断があれば付け入る隙が出来る。……だから堅固な方がやりやすいかなってね」

「それで、剣丞さま。どこから侵入するおつもりです?」

「まずは地図でアタリをつけて、その後、現地で確認って流れかなー。その前に目的地周辺に兵が居るかの確認だけはしておきたい。……詩乃、手配を頼める?」

「ではすぐに草を放ちましょう」

 

 そう言った詩乃が、近くに居た蘭丸隊の隊員に、二言三言何かを告げた。その隊員は小さく頷き、すぐに駆け出していく。

 

「じゃあ探索が完了次第、行動を開始しようと思う。……って、俺が勝手に決めちゃって良かった?」

「構いませんよ。私も同じ判断をしましたから。それでは、ひよところが作ってくれた地図を存分に使わせてもらうとしましょう」

「「はいっ!」」

 

 久遠へと蘭丸が目配せすると静かに頷く。

 

「それで、久遠さま。攻め手は如何致しましょう」

「南だ。鉄砲隊を前列に押し出し、火力によって相手の反撃に圧力を掛けて攻める」

「鉄砲が豊富な織田ならではの攻め方ですね。敵の火力を上回る火力をあてて、反撃を封じ込めて、一気に城門に迫る。……観音寺城相手には最適の方法でしょう」

 

 久遠の言葉に同意して詩乃も言う。

 

「ふむ……では我ら松平衆が久遠さまの露払いを致しましょう」

「それは有り難いが……構わないのか?」

「もちろんでございます。わざわざ三河から出向いていながら、先陣を賜れないのは武門の名折れ。久遠姉さまは後方より、我ら松平衆の力、とくとご観戦あれ」

「んー!腕が鳴るですー!」

「私たちが先陣ですか。……久しぶりに楽しめそうね」

「はいです!綾那、一杯殺ってやるです!」

 

 盛り上がる松平衆を見て少し微笑んだ蘭丸が詩乃へと向き直る。

 

「詩乃、攻め手の流れを踏まえた上で作戦を練ります。手伝ってください」

「御意」

「ひよところは新介と小平太にも伝えてください。……いつも実働隊をお任せしてすみません」

「いえ、いいんですよ~!」

「お任せください!」

「それと……いい機会だと思いますので、松平衆の方々をしっかりと見ているように。三河の強者たちの力を」

 

 

「……」

 

 まもなく侵入というところだろうか。蘭丸は静かに目を閉じ、身体中に気を巡らせていた。

 

「……動きましたね」

 

 そう呟くと立ち上がる蘭丸。武の心得があるものが見れば咄嗟に身構えるほどの気を漲らせた蘭丸が剣丞へと近づいていく。

 

「そろそろ私たちの出番ですね」

「蘭ちゃん……き、気合は十分見たいですね」

「えぇ。母さまと姉さまも動いたようです。そろそろ行くとしましょう。……小波」

「お側に」

「うわっ!?い、いつの間に!」

「?……何か?」

「いつも突然現れるからびっくりしてさ」

「失礼致しました。……これからは、音を出すように意識して参上仕ります」

「あ、いや、そこまでしなくてもいいよ。……っていうか、蘭ちゃんは気付いてたんだ」

「?……はい。一応私も暗殺などを目論まれることもありますから、自衛できる程度には」

 

 蘭丸の言葉に一瞬唖然とした表情を浮かべる剣丞だったが、なにやら納得したように頷く。

 

「そっか。蘭ちゃんは桐琴さんの子だったね、忘れてた」

「……私は母さまのようでありたいと思っているのですが……まだまだということですね」

 

 何故か少し拗ねたように言う蘭丸に剣丞は戸惑う。

 

「いいです、もっと頑張るだけですので。……それで、侵入は……六人、といったところでしょうか」

「ろ、六人で潜入ですか?……それはさすがに少なすぎる気がします……」

「剣丞さまの案を採用した以上、必要最低限の人員しか割けませんから。……最悪、私が陽動で動くことも考えていますから」

 

 

「流石は剣丞さまのし掛け、といったところでしょうか」

 

 潜入した六人は更に分担して各所に剣丞の作った仕掛けを設置して回った。時間差で爆発を起こしたそれによって城内は一気にあわただしくなる。

 

「さて、後は小波に伝達を頼むだけですね」

 

 そう呟いて小波に念を飛ばす。

 

「小波、こちらは終わりました。……え、剣丞さまが女の子を捕縛した……?」

 

 小波と服部家御家流句伝無量で連絡を取ると、剣丞が女の子を捕縛しそのままにもしておけないと一旦退却するという報せだった。

 

「……分かりました。私以外の者は全て一時撤退させてください。……私ですか?ふふ、大丈夫ですよ。少し確認をしたいことがあるだけですので」

 

 そう言って本丸を睨み付けるように見る蘭丸。

 

「……この感じ、間違いでなければいいのですが」

 

 遠方で聞こえてくる怒号を微かに聞き、城門が突破されたのを察知する。

 

「流石は母さまと姉さま。……ですが、やはりこれは」

 

 大将、もしくは部隊を指揮するものがいない状況。幾度となく戦場を見てきたからこそ感じる違和感。

 

「……ふむ。久遠さまの前に恐れをなした、ということですか。上に立つ器ではないという噂は間違いではなかったということですか。……では、引導を渡すのも我ら久遠さまに仕える武士としての運命でしょうか」

 

 再び句伝無量で現状を伝えると刀を抜き放つ。すぐ側まで来ている愛する家族から放たれる殺気を身に受け微笑む。

 

「久々に、母さまたちと共に駆けるのも悪くはないでしょう」

 

 

「おらぁ!森一家が引導を渡してやらぁ!さっさと生きんの諦めろやぁ!」

「一振り二十七頸!坊主の生き血を吸ったこの人間無骨で、てめぇらの極楽往生を約束してやんよぉ!おらぁ、頸出せ頸ぃ!」

「ふふっ、やっぱり母さまも姉さまも楽しそう」

 

 ……思わず耳を塞ぎたくなるような罵声を撒き散らす桐琴と小夜叉の言葉を嬉しそうに聴く蘭丸。そんな圧倒的な暴力の前にその迫力を受け、六角氏の足軽たちは皆、あっという間に戦意を失くす。

 

 

 それから僅かの時間で観音寺城は陥落した。



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40話 新たな出会い

「つまらんっ!!」

 

 城が落ちると同時に桐琴が大声で怒鳴る。

 

「テメェらもっと殺る気だせよ!あぁん!?」

 

 小夜叉も武器を投げ出した兵に対して怒鳴りつけるが怒鳴られた方は怖がってがたがたと震えている。

 

「チッ……ガキィ!陣に戻るぞ!酒だ酒!」

「おうよ母ぁ!……お蘭はどうする?」

「私は事後処理もありますので。姉さま、母さまをお願いしますね」

「お蘭もいつも面倒な役回りだなー。ま、任せるぞー」

 

 ひらひらと手を振りながら去っていく小夜叉を見送った蘭丸は、近くにいた足軽に指示を飛ばし戦後処理を始める。それから少しして久遠が蘭丸の元へとやってきた。

 

「お蘭!無事であったか」

「久遠さま。勿論で御座います。この程度の相手では物の数でもないです。……母さまと姉さまは不満そうでしたが」

「であるな。桐琴の奴、早速陣に戻って酒を呑んでおったぞ」

「すみません」

「ははっ!構わん。アレがそういう性質なのは知っておるからな」

 

 笑いながら手を振る久遠に蘭丸が状況を報告する。

 

「ふむ……六角義賢どの、逃散したとのことです」

「逃げた?」

「はい。詳しいことはエーリカさんが調べておりますが、池田丸が落ちたときに近習数名と共に落ちたとのことです」

「デアルカ」

 

 やれやれといった表情で久遠は肩の力を抜く。

 

「現時点ではエーリカさんには情報の収集を、そのほかの者には城内の掃討を指示しております。明朝までの寝ずの番も準備しております。後、森一家の者たちには残党の捜索もしております。……よろしかったでしょうか?」

「うむ。それが最もいい選択だろう。さすがであるな、お蘭」

「いえ。……後は壬月さま、麦穂さまの報せを待ってから……ですね」

 

 

 久遠の元を辞してから蘭丸隊へと戻った蘭丸に気付いたひよ子と転子がいち早く駆け寄ってくる。

 

「蘭丸さーん!お帰りなさーい!」

「ご無事で何よりですー!」

 

 蘭丸に駆け寄った二人はそのままの勢いで蘭丸に飛びつく。

 

「おっと。ふふ、ただいまです、お二人とも。……戦はどうでした?ちゃんと久遠さまのお役に立てましたか?」

「はいっ!詩乃ちゃんが指揮してくれましたから!」

「いえいえ。私の指示を二人が忠実に実践してくれたからこそ、良い働きとなったのですよ」

 

 そう言いながら静かに蘭丸に寄ってくる詩乃の頭も優しく撫でる。

 

「それに、労いならば剣丞さまと新介、小平太にお願いします。あの三人のおかげで被害を極限まで減らすことができました」

「はは、俺はそこまでだよ。それよりも二人を褒めてあげてよ」

「け、剣丞さま!?」

「へへ~!蘭丸さま、ボク頑張ったよ!」

 

 驚く新介と褒めてと催促する犬のような反応を見せる小平太。微笑んだ蘭丸が二人へと近づくと詩乃と同じように頭を撫でる。

 

「~っ!」

「へへ~」

 

 嬉しそうな様子の二人に優しく微笑む詩乃。

 

「それに、剣丞さまもあまり謙遜されるのは相手に対しても失礼に当たりますよ。ですから、自らの力は誇ってください」

「……あぁ、分かったよ」

「ふふ、では剣丞さまも」

 

 すっと背伸びをして蘭丸が剣丞の頭も撫でる。

 

「ちょ!お、俺はいいって!」

「ふふ、照れちゃって」

「そ、そんな年じゃないよ、俺!」

 

 わいわいと盛り上がる一同であったが。

 

「ねぇ、剣丞ー。あの子、どうするのー?」

「……あ」

「あぁ、そういえば剣丞さまが女の子を拉致したと伺いましたが」

「い、言い方酷くない?」

「まだ気絶してるのですか?」

「うんとね、さっき起きたの!」

 

 鞠の言葉と同時に大声が聞こえてくる。

 

「ちょっとそこのあなた!このわたくしを穢した責任、どう取ってくださるのですっ!」

 

 真っ赤な装束に身を包んだ女の子が剣丞を指差しながら現れる。

 

「剣丞さま……一体何をなさったのですか?」

「ちょ、蘭ちゃん誤解だって!って、ひよやころたちも距離置かないで!?」

「……まさか、剣丞さま……無意識に少女を手籠めに……?」

「詩乃!?」

「ちょ、わたくしのことを無視しないでくださいますっ!?」

「ふふ、ごめんなさいね。……それで、剣丞さまは私の部下にあたるのですが一体何をされたというのですか?」

「わたくしを気絶させ、いやらしい手つきで……」

 

 ぺらぺらと流れ出る話に剣丞も唖然としているが、蘭丸はそれをにこにこと微笑みながら聞いている。

 

「それで?」

「え?」

「それで、貴女が穢されたという証拠は何処にあるのです?宜しければ証拠を見せていただけませんか?それがあるのならば私がしっかりと剣丞さまに責任を取らせましょう」

「そ、それは……」

「まさか、記憶にない部分を好き勝手に捏造して話をされているわけではありませんよね?そんなことをなさっていたとすれば……私の部下を貶めようとしていたとすれば……」

 

 微笑んでいるのに、周囲の温度が少し冷えたように感じる。

 

「……ふふ」

「う……」

「さぁ、出してもらえますか?」

「ね、ねぇ新介」

「な、何よ」

「もしかして蘭丸さま、怒ってる?」

「怒ってますよねぇ」

「蘭丸さんって、仲間とかに対して優しいですからねぇ」

 

 蘭丸隊の面々がこそこそと話をしている途中。

 

「それに、まずは互いに名乗りあうべきなのではありませんか?」

「むっ。確かに正論ですわね。……しかし、そう仰るのでしたら、まずは貴女から名乗るのが礼儀でしょう」

「そうですね。私の名は森蘭丸成利。お見知りおきを」

「……え」

 

 何故か硬直した少女に首を傾げる蘭丸。

 

「聞こえませんでしたか?私は……」

「森蘭丸成利……どの?」

「はい」

「織田上総介さまの側近中の側近であらせられる?」

「側近……私はただの小姓ですよ」

「織田上総介さまの最も近くに侍り、最も信頼されるお方」

「お蘭、どうしたのだ?」

「あ、久遠さま。実は……」

 

 久遠も蘭丸に用事があったのか、訪れた久遠に蘭丸が軽く概要を説明する。それが終わると同時に、放心していた少女はびくりと身体を震わせて。

 

「わ、わ、わ!我が名は蒲生忠三郎梅賦秀!六角家家蒲生賢秀が三女でございます!織田上総介さまにおきましてはご機嫌麗しゅう!」

 

 先ほどまでの態度が嘘のようにずささっ!と地面に膝を突き、まるで神様でも拝むようにうっとりと頬を赤らめ、一気にまくし立てる。

 

「蒲生?蒲生とは六角家の大黒柱と呼ばれる、あの蒲生か?」

「はっ!三女でございますれば、跡取りではなく部屋住みでございますが……!」

「(久遠さま、蒲生氏と言えば六角氏の中核にあたる方。織田家中に招き入れれば、江南の人身掌握に役立つかと思われます)」

 

 蘭丸が久遠に耳打ちする。それに軽く頷いた久遠が、跪く梅の手を引いて立ち上がらせる。

 

「梅とやら」

「は、はひぅ!」

「処女を散らされたという貴様の言は、状況から見れば貴様の勘違いだと思うのだ。我はこやつのことを良く知っておる。それに、お蘭の部下である者の中にそのように無理やり手籠めにするような乱暴な輩はおらぬ。それに、こやつは田楽狭間の」

「田楽狭間の天上人っ!?こいつがっ!?」

「そうだ。梅がここにいるのは何故なのか、事の次第を説明してやれ、剣丞。貴様のほうがお蘭より詳しかろう」

「うん、分かったよ」

 

 

「か、勘違いですのね。……良かった。じゃあまだわたくしは処女なのですね」

「うん、大丈夫。梅はまだ処女だよ」

 

 剣丞がさらっと言うと同時に梅が剣丞の頭をはたく。

 

「あたーっ!?」

「な、何を無礼なことを言うのです!さいってーですわあなたって!」

「えぇっ!?俺は言ってることを肯定しただけで……」

「今のは剣丞さまが悪いです」

「肯定の仕方が間違えてるんですよ」

「剣丞さまって時々、無神経になるよねー」

「……そこを許容してくれるのは身内だけだと重々承知するべきかと」

「私も最低だと思います」

「剣丞さま、ダメダメだなぁ」

 

 蘭丸隊の面々に否定されて剣丞が少し落ち込む。

 

「ぐぬぬ……」

「馬鹿の戯言は置け。……梅よ」

「は、はいっ!」

「貴様さえ良ければ、織田の者にならんか」

「なります!」

 

 即答した梅に蘭丸も驚いて目を丸くする。

 

「そ、即答ですか」

「今の、久遠の言葉に半分被ってたよね」

「ちょっとそこの無神経な方、五月蝿いですわよ」

「わたくし、ずっと織田家に。いいえ、久遠さまに憧れていましたの。この乱世に舞い降りた、革命の戦士。古き慣習に縛られず、どんなことにも次々と挑戦していくその姿は、まさに英雄!」

 

 梅の言葉にうんうんと満足そうに頷く蘭丸。

 

「墨俣に一夜で城を築いた方法など、因循な年寄りたちには思いつくことさえできなかったでしょう!」

 

 それは剣丞の案なのだが……と言おうかと思った蘭丸であったが、話の腰を折るのも流れを変えるので思いとどまる。

 

「その憧れの久遠さま直々に、ご勧誘されるなんて!この蒲生梅、命を賭して久遠さまにお仕え致しますわ!」

「我らは貴様を歓迎しよう。梅。励め」

「はっ!有り難き幸せ!」

「うむ。……お蘭、剣丞!こやつの世話をせい」

「かしこまりました」

「「えーっ!?」」

 

 既にこのようになるであろうと予想していた蘭丸と、予想外といった反応の剣丞と梅。

 

「……蘭丸隊で面倒を見てやれ」

 

 

 京を少し離れた村を訪れた信綱。そこから不穏な気配を感じ興味本位で来たのだが。

 

「……厄介なことになっているようだな」

 

 信綱は目の前に広がる光景に顔を顰める。周囲に散乱する、恐らく人であったであろう肉塊。明らかに人の手ではない破壊の傷跡。

 

「鬼か。……しかし京に近いこのような場所まで来ているというのか?」

「ぐるる……」

 

 唸り声と共に母屋から数匹の鬼が姿を現す。そして、その母屋の中から悲痛な叫びやくぐもった声も聞こえてくる。

 

「鬼が人を捕らえ……まさか」

 

 警戒している鬼に無造作に近づいていく。鬼が攻撃をしようと動くが既にその行動は遅く、身体が斜めに斬られ落ちる最中であった。信綱が母屋の戸をくぐる。中からむわっとした血の臭いや獣の臭い。そして。

 

「……っ!」

 

 微かに息をしている女性や、既に息絶えた女性。その多くは無惨な姿をしている。それは、女性であれば目を背けたくなる光景である。

 

「鬼ども……」

 

 まだ母屋の中に残っていた鬼が信綱めがけて襲いかかる。だが、外の鬼と同じく時既に遅し。一刀の元に切り捨てられる。

 

「……」

 

 信綱はまだ息のある女性の側へと近寄る。静かに側に膝を突き女性の瞳を覗いて悲痛な表情で目を閉じる。

 

「……今、楽にしてやる」

 

 

 母屋から出た信綱の前に更に現れる鬼の群れ。

 

「……私は今、虫の居所が悪い。元より容赦するつもりはないが……せめてもの手向けだ。出来得る限りの苦痛と恐怖を知れ。愚かな鬼共よ」

 

 信綱から視認できるほどの気が立ち上る。その前に立ちはだかる小さめの鬼。まだ全身を血に染めていることから信綱は一つの事実に気付く。

 

「……鬼を産まされた、か。……ますます貴様らの存在を赦しては置けぬな」

 

 一刻ほどの時間で、鬼の群れは殲滅される。そして、信綱の手によって村人らしき者たちは全て埋葬される。

 

「一体、日の本に何が起こっているのだ?……一葉や蘭丸は一体何と戦っている……?」

 

 まだ再会していない自らの弟子を思い出しながら空を見上げる信綱。

 

 彼女にとっても強大な敵が迫りつつあることをまだ誰も知らない。



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41話 梅と鬼

 梅を新たに蘭丸隊に加えた一行は、梅と先日仲間に加わった小波の歓迎会を行った。鍋をその場で食べるということをしたことが無かった梅やエーリカ、そして自分が草であるのにこのような場にいるのは……と場を辞そうとする小波などある意味賑やかな場は過ぎ、片付けに入る、そんな時だった。

 

 障子を蹴破り突入してくる影。咄嗟に剣丞は刀に手を伸ばすが、蘭丸は気付いていたのか特に動じることもなく片付けを続行していた。

 

「おーい、お蘭ー!剣丞ー!鬼ぶっ殺しに行こうぜー!」

「ひゃあっ!?」

 

 小夜叉の登場に驚きを隠しきれないひよ子が悲鳴を上げる。驚きではなく小夜叉という個人に対してなのかもしれないが。

 

「こ、小夜叉……!?」

「姉さま、宜しければ雑炊なら少々ありますけれど食べられます?」

「おう、貰うぜー!」

 

 自然な流れで小夜叉に雑炊を振舞っている蘭丸。

 

「……え、えっと。鬼が出たの?」

「むぐむぐ……おう。偵察に出してたウチの若い衆が見つけたんだよ」

 

 蘭丸に出された雑炊を掻き込みながらの小夜叉の説明に、蘭丸以外の一同は言葉を失っていた。

 

「やはり居たのですね」

「それはもしかして、城の北側ですか?」

「や、違うけど、どうかしたのか?」

 

 詩乃の質問に不思議そうな顔をしながら答える小夜叉。詩乃の質問で眞琴たちのいる北近江から入ってきたというわけではないことに少し安堵する。

 

「いえ、大丈夫です姉さま。それで、敵の規模は?」

「この城の西の方と、南よりにもう一隊。むぐむぐ……西の方は十匹ちょいで、南側は数匹ってとこらしい」

「蘭丸どの、でしたら私たちは……」

 

 エーリカが蘭丸に何か言いかけるのを微笑んで頷くと。

 

「姉さま、私たちは南側ということで宜しいですか?」

「えっ?」

 

 蘭丸の言葉に驚いたような表情を見せるエーリカ。

 

「ああ。雑魚はいちいち回るのめんどくせーから、剣丞とかの経験積ませるのに使っていいぜ」

「あの……すみません」

「なんだ?この変な髪のヤツ」

「エーリカと言って、久遠さまの客将ですよ」

 

 簡単に自己紹介を互いにした後。

 

「あなた方の隊はどれだけの戦力があるのですか?」

「?オレと母の二人だけど?」

「たった二人で、十体以上もの鬼を……!?蘭丸どの、剣丞どの。でしたら数に優れる我々が敵の数が多い方を……」

 

 エーリカの言葉に蘭丸は困ったような表情を、そのほかの者は慌てた態度を見せる。

 

「エ、エーリカさんっ!?」

「あの……それ以上は言わない方が……!」

 

 ひよ子と転子が恐る恐るといった感じで言う。

 

「……剣丞」

 

 小夜叉が蘭丸ではなく、剣丞を睨み付ける。

 

「あぁ、分かってるよ。……エーリカ。森家の二人は日の本きっての鬼退治の達人で、一人でも俺や蘭ちゃん……うーん、俺の十倍は戦える人達だから」

「剣丞どのの十倍……!?」

「……剣丞」

 

 更に不機嫌になった小夜叉に次は剣丞も焦る。

 

「別に小夜叉たちが暴れるのを止めたりしないってば。主力はそっちに任せるから」

「ンなの当たり前だろうが。それより、オレや母がお前のたった十倍たぁどういう了見だ!?」

「……じゃあ百倍でも千倍でもいいから」

「……初めっからそう言やいいんだよ。むぐむぐ」

「あ、あの……小夜叉ちゃん、おかわりは?」

 

 小夜叉が怒った理由に苦笑いを浮かべながら転子が尋ねる。

 

「あんまり食べ過ぎると動けなくなるからな。雑炊うまかったぞ。ごちそうさん!」

「あ……おそまつさまでした」

「じゃ、オレ達は先に行くぜ。場所はウチの若い衆に案内させるから、ちょっと待ってろ」

「了解。その間に支度を……」

「剣丞さま、支度は終わりましたよ?」

 

 先ほどまで片づけをしていたはずの蘭丸が剣丞の具足を持って現れる。

 

「い、いつの間に……」

「……おい、剣丞。もしかしてオレの妹にいつもそんなことさせてんのか?」

「ちょ、誤解だって!?」

 

 

 最終的に鬼の討伐に向かうのは蘭丸、剣丞、エーリカの既に鬼との戦闘を経験した者たちと、鞠と小波、そして梅という布陣になった。場所に案内してくれた森衆の若手から近くの状況などを聞く。

 

「あまり時間は掛けないほうが良さそうですね。いつ鬼が動き近くの村へと襲撃するか分かりませんから」

「うん、だね」

 

 蘭丸と剣丞が確認している間に目視できる距離まで近づいた鬼を見て。

 

「あれが……」

「まるで百鬼夜行なの……」

 

 初めて鬼を目にする梅と鞠が小さな声で言う。

 

「なら、今のうちに片付けちゃおう。……もう一度、作戦を確認するよ」

 

 剣丞が一度蘭丸に視線を向ける。蘭丸は視線を受けて静かに頷く。それを確認した剣丞が口を開く。

 

「鞠、小波、梅は鬼と戦うのは初めてだよね?」

「でも、あんな奴らなんかに負けないの!」

「けど、敵の動きや習性を覚えるに越したことはないだろ?戦うのは俺と蘭ちゃんとエーリカを中心にして、今日は鬼との戦い方を身につけることに専念して」

「……鞠は剣丞と蘭丸の護衛なの」

「差し出がましいようですが、自分もです」

 

 剣丞の言葉に不満をもらす二人に蘭丸が口を開く。

 

「だからこそですよ。今夜のうちに鬼との戦い方をしっかりと身に付けてもらえれば、京の先で今よりもっと楽に私や剣丞さま、久遠さまを守ることもできると思います。……いいですね?」

「……分かったの」

「承知いたしました」

 

 渋々といった感じではありながらも二人とも頷く。

 

「梅もいいね?」

「分かっています。……どうしてわたくしだけ改めて聞くんですの?」

「……それはその」

 

 しまったという表情の剣丞にエーリカが助け舟を出す。

 

「剣丞どのは梅さんが実際に戦うところを見るのは初めてですし、心配していらっしゃるのですよ」

「うん。……気を付けてね?」

「そのような心配は無用。皆様にもわたくしの実力がどれほどのものか、見せて差し上げますわ!」

 

 そんな会話を聞きながら、蘭丸も一番危惧しているのは梅であった。エーリカの言うとおりどれほどの腕なのかが分からないというのが一つ。そしてその性格も一つ。恐らくある程度の腕はあるだろうと蘭丸は見ているが、それでも鞠ほどの腕はないだろう。

 

 

 話が終わり、鬼へと接近していく一同。本隊から少し離れたところに居る二匹の鬼から攻撃を、と剣丞が指示を出す。蘭丸は最終防衛線として全体の補助に回る予定であったのだが。

 

「雑魚の二匹はお任せしますわ!わたくしは本隊を叩きます!でええええいっ!」

 

 剣丞の指示を聞くまでもなく梅が鬼の本隊へと突撃をかける。慌てたのは指示を出していた剣丞だ。

 

「ああもうっ!エーリカ、後ろを頼む!……って!」

 

 剣丞の横を疾風の如く駆け抜けたのは蘭丸だ。かなり後方に居たはずなのだがちらりと剣丞に視線を飛ばすとそのまま梅の後を追い本隊へと接近する。

 

「……鞠と小波はエーリカを助けて、絶対に敵に背中を見せないように!」

「剣丞どのは!」

「梅と蘭ちゃんの援護に向かう!」

 

 

「でええいっ!」

 

 梅の裂帛の気合と共に振り下ろされた刃の一撃で崩れ落ちるのは、梅より遥かに大きな異形。

 

「あら……思ったよりも簡単な相手ですのね。この程度の相手なら……やはりわたくし一人で十分ですわ!」

 

 そう言って次の鬼へと飛び掛る梅。

 

「はああああっ!」

 

 先ほどと同じように気合の声を上げながら振り下ろされた刃は、鬼によって軽々と受け止められる。

 

「え……?」

 

 驚きに声を上げるのも間に合わない。丸太のように巨大な腕が横薙ぎにぶうんと空を裂き。その先にあった細い身体を巻き込んで、速度を緩めぬままに振りぬかれる。

 

「ぐ……が、はっ!?」

 

 打撃の威力だけではない。地面に叩きつけられたときの大きな痛みと、そこから転がった先、止まるまでに幾度となく打ち付けられた連続の痛み。全身を揺さぶる一打に、肺の奥底まで空気を全て吐き出されたようで、呼吸もままならない。

 

「は……ぁ……」

 

 そんな梅に掛かるのは、月光を背にした巨大な影だ。大きい。それは、これほどに大きな相手だったのか。先程倒した鬼達よりも、幾分か大きいだけではなかったのか。

 

「ひっ……」

 

 爛々と輝く瞳に見据えられ、漏れるのは言葉どころか歯が震えてぶつかり合うかちかちという音だけだ。恐怖に身体が震える梅は、鬼は人の女を攫うことがあるという話を思い出す。そして、どうするのだったか。

 

「いや……」

 

 限界を超えた恐怖は、梅から言葉を奪う。

 

「いやいやいやっ!」

 

 口から止めどなく溢れる拒絶を示す言霊。そんなものに耳を貸す鬼ではない。巨大な手は速度を緩めることなく、梅の甲冑に伸ばされ。

 

「いやぁ……っ!」

 

 恐怖に目を瞑った梅。

 

「私の仲間に手を出さないで貰いましょうかっ!」

 

 梅の悲鳴をかき消すように凛とした声が響き渡る。そして、梅のそれより遥かに鋭い斬撃の音。そして、怪物の断末魔と巨大な身体が崩れ落ちる轟音だった。

 

「あ……」

 

 涙に揺れる梅の視界に映るのは、鬼と比べて……いや、他の男性と比べても遥かに小さな背中。だが、今の梅にとってはとても大きな背中と、月光を反射して眩く輝く刃と流れるような黒髪であった。

 

「少し遅れました」

「梅っ!大丈夫かっ!?」

 

 遅ればせながら到着した剣丞も合流して蘭丸の隣に立つ。その刃は淡く青く輝いていた。

 

「梅さん、立てますか?」

「あ、あの……わ、わた……わたくし……」

 

 優しくも鋭い言葉に、先程の動揺が収まっていない梅は言葉を続けられない。ちらと剣丞に視線を送った後、蘭丸は刀を鞘に戻すと梅の前にしゃがみ込み、両手でぱしんと梅の量頬を掴む。

 

「……ひゃっ!?」

「大丈夫です。ここは私と剣丞さまが守ります。ですから立ってください」

 

 まだ、梅の視線が蘭丸からずれているのに気付く。ちらと背後を見ると、鬼たちが距離をつめてきているところだった。

 

「大丈夫です」

 

 その蘭丸の言葉と同時に剣丞の一撃が鬼を両断する。

 

「大丈夫です。梅は私が守りますから」

「は……はいっ!」

 

 しっかりと蘭丸の目を見て言った梅の声には、今までのように怯えだけのそれじゃなく今までと同じ、強い意志の混じったものだった。少し梅に微笑みかけた蘭丸が立ち上がり剣丞のほうへと振り返るのとほぼ同時に稲妻の如き一撃が目の前を駆け抜ける。

 

「大丈夫ですか、蘭丸どの、剣丞どの!」

「エーリカか、助かった!……って、鞠と小波は?」

「あの二人なら大丈夫です。鬼との戦い方を完璧にマスターして、今はお二人で」

「もう!?」

 

 驚く剣丞。蘭丸は納得しているようだったが。

 

「梅、まだ戦えますね?」

「は、はいっ!」

「でしたら、ここからは四人で戦いましょう。梅は私と剣丞さま、エーリカさんを見ながら、鬼との戦い方をしっかり身に付けてください」

「あ……」

 

 まだどこかぼんやりとしたままの梅を蘭丸は立ち上がらせて、服についた埃をぽんぽんと払う。

 

「先程のように絶対に一人で突っ込まないこと。いいですね?」

「……分かりましたわ、蘭丸……さま」

 

 

 鬼を討伐した後、城へと戻ったのだが。

 

「あ、見えてきたよ!おーい!おーい、蘭丸さーんっ!」

「あ、ひよ、待ってよーっ!ほら、詩乃ちゃんも行こう!」

「ええ。ひよ、単騎駆けはしないと約束したではありませんか!」

 

 わいわいと三人が帰って来た蘭丸たちを迎えようと駆けていたのだが。

 

「蘭丸さーん!お帰りなさ……」

「皆さんご無事で……」

「……」

 

 唖然とした三人の反応に苦笑いの蘭丸たち。

 

「ええっと……先程連絡したとおり、みんな無事ですよ」

「それは何よりですけど……」

 

 何か言いたそうな転子。

 

「ただいま帰りましたわ!」

 

 逆に満面の笑みで蘭丸の脇にぴったりと馬を寄せ、腕組みも辞さない様子でにこにこと微笑んでいるのは誰であろう梅であった。




新介、小平太は忘れているわけではありません。
お城の警備に借り出されているという(可哀想な)理由があって登場してなかったりします。


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42話 梟雄と久遠

 観音寺城を落として数日。江南の小城を攻めていた壬月たちも無事合流を果たしていた。兵糧の準備や、部隊の再編成などを行い城を出る。

 

 

「おう、孺子。観音寺攻めでも大活躍だったな」

「桐琴さん。それに小夜叉も。こんな後ろまで下がってきてどうしたの?」

「別に。お蘭を見に来ただけだよ」

「なんだよ、まだ拗ねてるのか?」

「んなこたねぇよ!」

「かかっ!観音寺攻めでは儂の勝ちだ。三好、松永との喧嘩では気張ってみせろや」

「うっせーよ。あんま偉そうに言うなよ母ぁ!次はぜってぇー負けねーからな!」

「ぐははっ!やれるもんならやってみぃ」

「うーーーー!」

 

 森家にとってはいつもの光景であるが、知らない一般の足軽たちにとっては恐怖の象徴でもある二人の会話は肝を冷やすものだろう。蘭丸も森一家ではあるが、そういった雰囲気は戦場以外では一切ないことも慣れ切れない理由なのだろう。

 

「で、お蘭は何処にいんだよ、剣丞」

「蘭ちゃんなら久遠のところに行ってると思うよ」

「んだよ、暇だなぁ」

「……ふむ」

 

 桐琴がなにやら考えるように頤に手をあてる。

 

「どうかした、桐琴さん?」

「……いや、何でもない。孺子、何かあったらお蘭を頼むぞ」

「え……?う、うん、まぁそのつもりではあるけど」

「ならいい」

 

 

「久遠さま、大丈夫ですか?」

 

 蘭丸は久遠の普段と比べると少し疲れた様子に心配して声を掛ける。

 

「大丈夫だ。……お蘭こそ無理をしておらぬか?」

「ふふ、私こそ大丈夫です。久遠さまのために何かを出来ることが私にとっての幸せですから」

「そうか。……」

「久遠さま。家中の者は皆同じ気持ちです。ですから」

「……うむ。分かってはおるのだ」

「それに、しっかりと食事を取られてますか?」

「う、うむ」

「私も結菜さまに叱られてしまいます。また少しお痩せになられてるのでは?」

「う……」

 

 

 押され気味の久遠が黙り込むと、二人の間を暫しの沈黙が包む。そんなときであった。

 

「ご報告!」

「許す」

「はっ!丹羽様より……」

 

 早馬の内容を聞いた久遠と蘭丸は驚く。

 

「……お蘭」

「はっ。壬月さま、剣丞さま、葵さまをお呼びします」

 

 

「久遠っ!蘭ちゃん!」

 

 血相を変えて駆け寄ってきた剣丞。

 

「麦穂さんたちの早馬、何か変事があったってことか!?一葉たちは無事だよなっ!?」

「落ち着いてください、剣丞さま。変事は変事ですが……」

「予想だにしなかったという点での変事だ。血生臭いものではない」

 

 蘭丸の言葉を継ぐように久遠が言うと剣丞はほっと息をつく。

 

「そっか……よかったぁ……」

「だが、安心はできん。血生臭くはないが、胡散臭い変事だからな」

「胡散臭い?一体、何が起こったんだ?」

 

 久遠の言葉に蘭丸も困ったような表情を浮かべているのを見て剣丞が尋ねる。

 

「うむ。実はな……あの松永弾正少弼が、降伏を申し出てきたらしい」

「ええっ!?」

 

 

 陣幕で区切られた本陣、久遠の座所。床几に腰掛けた久遠を挟むように剣丞と鞠が、久遠の背後からの襲撃があった場合にも動ける位置……そして、何かがあれば一瞬で攻め込める位置に蘭丸が立つ。相手が相手だけに、全員に緊張が走っている。

 

「松永弾正少弼様をお連れ致しました」

 

 そんな言葉と共に、麦穂と雛、そして弾正少弼であろう女性が座所に入ってきた。

 

「……おう、これはこれは。主要な者どもが勢揃いか。苦労であるな」

「お黙りなさい。あなたはもはや降将であることを忘れないように」

「ほっ。米五郎左はなかなかに手厳しい。恐れ入る」

 

 口ではそんな風に言いながら、その女性はふてぶてしい態度を崩さなかった。そんな姿を見て蘭丸は彼女の評価をしあぐねていた。

 

「……」

「良い。……座れ」

「ふむ。では甘えようぞ」

 

 言いながら、壇上少弼は優雅な所作で地面にふわりと腰を下ろした。

 

「まずは接見の機会を与えて頂き、深くお礼言上仕る。織田上総介どの」

 

 先ほどまでの態度が嘘のように丁寧な態度で久遠に向かい合う。

 

「貴様が松永弾正少弼か」

「いかにも。三好家の家宰、いやさ織田衆にとっては三人衆と語り、畿内の覇権を手に入れんと公方に楯突く大むほん人、と言った方が意に沿い申そう。大和信貴山城主、松永弾正少弼久秀。通称、白百合。見知りおき願おう」

 

 久遠の瞳から一切視線を外さず、悠々と名乗りを上げる松永久秀。その姿は、さすが乱世の梟雄と呼ばれるだけはある、堂々とした姿だった。

 

「デアルカ」

「松永弾正少弼は、坂本城に進駐しておりました我らのところへ、手勢五十ほどと共にやって参りました。陣笠を掲げておりましたので、話を聞いたところ、織田に頭を垂れたいとの話を聞き……」

「我に早馬を出した、という訳か」

「御意」

「……おい梟。何を考えているか、みな言え」

「言え、とはまた、言葉の刃が鋭いの。……なかなかな小娘であるな」

 

 その言葉と共にザワリと背筋が凍るほどの殺気を放つ蘭丸。

 

「お蘭」

「……はっ」

「ほほ、恐ろしい殺気だ」

「で?」

 

 相変わらずというべきか、らしいというべきか。端的な言葉で久遠は白百合との問答を進める。

 

「うむ。我に思う所あり。三好と手を切り、上総介殿を頼る決意を致した」

「信じろと?」

「然り!……上総介殿とて、三好、松永党と戦うよりも三好のみの方が与しやすかろう?」

「ふむ?織田、松平の連合の兵は、三好、松永よりも多い。別に大して変わらんが」

「上洛のみならば、上総介殿の言、まさに正論」

 

 そう言って言葉を区切る。

 

「だが小谷、そして越前を思うならば……どうだ?」

「……」

 

 ニヤリとした笑みを浮かべながら、交渉を始めようとする白百合に周囲の将が口々に異を唱え始める。

 

「貴様、阿呆か。河内のへっぽこ武士に負けるほど、尾張兵は鈍っておらんわ」

「そうだそうだ!いくら尾張衆が弱兵揃いだからって、今は美濃とか三河の兵が居るんだからな!上方のぼんぼり野郎なんか負けるかってんだ!」

「和奏ちん、それ微妙に自慢になってないから」

 

 壬月、和奏、そして和奏に突っ込みを入れる雛の順でいう。

 

「ふん、さようか。なら好きにせい」

「……弾正少弼」

「……はっ」

「……何があった?」

 

 久遠の言葉に周囲が静まる。蘭丸も何かを感じたのだろう、じっと見極めるように白百合を見る。久遠の言葉に、間違いなく少しだけ表情が強張ったのだ。

 

「……三好と手を切らなければならない、そんな状況に陥ったってことか」

 

 剣丞も気付いたのだろう、そう口を開く。

 

「いや、そこでは無かろう。……何かしら、三好がこやつの気に入らんことをしでかしたのではないか?」

「気に入らないこと?」

「うむ。……どうだ梟」

「……」

 

 久遠のことをまっすぐに見つめ、白百合は何かを考えているかのように、しばし無言を通す。やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「……織田の小倅はうつけと聞いていたが、世間の雀に惑わされていたのは、自身であったようだな」

「そうか。認識を改められて良かったではないか」

「ふふっ、確かに。……」

 

 肩を竦めて笑った白百合が、再び姿勢を正し今度は慇懃な様子で久遠に向き直った。

 

「鬼との戦を決意された、織田上総介さまに松永弾正少弼、謹んで言上仕る」

「受けよう」

「三好三人衆、外道に堕ち申した」

 

 

「お蘭」

「久遠さま……」

「……先ほどは何も言わんかったが、やはりお前も反対であったか?」

「賛成か、反対かで問われれば……正直なところ、反対ではありました」

 

 白百合の投降を受け入れた久遠。勿論、壬月や麦穂たちの反対はあったがそれを押して家中へと組み込むこととしたのだ。

 

「ですが、剣丞さまのときも私は反対しておりました。……剣丞さまは立派になられました。久遠さまの目指す未来に必要な存在へと。ですから……此度も蘭は信じようと思います」

「……うむ」

 

 少しだけ嬉しそうに久遠がいう。そして、そっと蘭丸を抱き締める。

 

「く、久遠さまっ!?」

「お蘭、またお前に危険な仕事を任せることになってしまった。……だが、一葉を守るためにはこの作戦しか取れんのだ」

「……分かっております。私たちのように身軽に動ける部隊が先行して、焦り攻め込んでくる可能性のある三好を抑える……むしろ、誇るべき任だと思っております」

「……うむ」

 

 抱き締めていた腕を解く久遠。

 

「お蘭、一葉を頼むぞ」

「はい、お任せください」

 

 

「ふむ……空気が変わったな」

 

 二条館を出て町を歩いていた信綱が目を細め周囲を見る。

 

「……この臭い……。一葉の元へ戻ったほうが良さそうか」

 

 周囲に流れる不穏な気配と、長く戦の場に居たからこそ分かる戦の臭い。

 

「一葉であれば、そう簡単にやられはせんだろうが……」

 

 正直言って、二条館の守りは無に等しいだろう。護衛の兵も百程度しか居らず、中でも腕の立つものは信綱以外では一葉と幽くらいのものだろう。そして、戦の気配とは別に感じる違和感があることも信綱に何か引っかかるものを感じさせていた。

 

「……なんだ、この感じは」

 

 そう呟きながら館へと戻る。既に兵たちに指示を出したのだろう、幽が門から出てきたところだった。

 

「幽」

「おぉ、信綱どの。ちょうど良かったですぞ。少しそれがしは散策に出てきます故……」

「一人で大丈夫か?」

「むしろ、私以外には適任はおりませんので」

「分かった。双葉の守りについておけばいいか?」

「助かりますぞ」

 

 そんな言葉を交わした二人はそのまま別れ、信綱は双葉の部屋へと向かう。

 

「双葉、入るぞ」

「信綱さま?どうぞ」

 

 部屋へと信綱が入ったとき、双葉はいつもと変わらず一人書を読んでいた。

 

「双葉は蘭丸と会ったのだったな」

「蘭丸さまですか?はい、お会いしました」

「私が知っているのは幼い頃だったのだが、どうだ。よい男に育っていたか?」

「そうですね……ふふ、とても可愛らしいお方でしたよ?」

「可愛らしい……あぁ、そういえば桐琴や小夜叉が娘やら妹やらと言っていたな」

 

 蘭丸の親と姉を思い出して納得する。

 

「ですが……何か気高いものを双葉は感じました。姉さまも瞳に龍を見た、と仰っていました」

「龍、か」

 

 幼い頃からあの才気だ。そういう成長をしていてもおかしくはないだろう。

 

「今、一葉や双葉を助けるべく蘭丸たちは動いているのだろう?」

「はい、そう聞いております」

「ならば、その龍に会えるのも近いかもしれんな」

 

 それとも、三好、松永が攻めてくるのが先か。どちらにせよ、双葉は守らなければならない。なぜならば、一葉がもし死ぬことがあれば双葉は次の将軍になるのだから。



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43話 二条館防衛準備

非常に長らくお待たせしました!
結構間は開きましたが失踪はしてません!


「蘭丸さん!蘭丸隊出陣準備完了しましたよ!」

 

 久遠の元から少し頬を染めて帰ってきた蘭丸に、ひよ子がそう報告する。

 

「あれ、蘭丸さん、顔が赤いですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。……それで、陣容はどうなっています?」

 

 ひよ子に軽く微笑みかけて視線を仲間たちに向ける。

 

「連れてきた蘭丸隊のうち、半分の百名と明智衆からの寄騎、鎧を外し、軽装にて待機しております」

「そのうち、鉄砲隊は五十ほどで、明智衆鉄砲隊の寄騎を入れて、合計で六十人となりますわ」

「他に長柄が三十、荷駄が十、工作組が十となります。荷駄はご命令通り、ほぼ玉薬となりますが……本当に良いんでしょうか?」

 

 詩乃、梅、転子の順にそう報告してくるのを聞いて、最後に質問を混ぜた転子の言葉に頷く。

 

「えぇ、それで大丈夫ですよ。二条館にも食料はあるでしょうし……それにあの幽さんがお金がない程度でその辺りをぬかっているとは考えられないですから」

 

 そんな蘭丸の言葉に幽のことを知っている者は納得したように頷く。

 

「それに、少数での防衛戦になるでしょうから、食料以上に火力が重要になります。そういう意味でも鉄砲隊という選択が一番であろうと判断しました。……剣丞さまもその意見に賛同しています」

 

 蘭丸の言葉に頷いた剣丞が全員を見て。

 

「だからまぁ……お腹が空いたら我慢ってことで。ご飯ってのも士気を上げる最強アイテムのひとつなんだろうけど」

「へぅ~……頑張りますぅ」

「では、今回の差配を剣丞さまに」

「わかった。……今回、長柄組はころ、鉄砲隊は梅に指揮を頼もうと思う。二人ともやれるかい?」

「お任せあれ!」

「これはハニーの期待に応える好機ですわね!勿論、喜んでお受けしますわ!」

 

 力強く応える転子と、何故か剣丞ではなく蘭丸に熱い視線を送りながらいう梅。そんな梅の様子に全員が苦笑いを浮かべる。

 

「はは、頑張り過ぎないようにね?……明智衆の指揮はエーリカに任せるとして。後は小波、先行して手薄な道を見つけておいてくれ」

「承知」

 

 そう応えた小波。ちらっと蘭丸と視線を交わし蘭丸が微笑んで頷くのを見、そのまま姿を消す。

 

「よし、これで何とかなりそうかな。……じゃあみんな準備は良い?」

 

 剣丞の言葉に応えるひよ子と転子、静かに頷く詩乃。皆、心なしか声が震えているのに蘭丸は気づく。それは、声をかけた剣丞もそうだ。

 今から向かうのは敵の真っ只中。これまでにもそういった経験のある蘭丸でない以上、仕方のないことなのかもしれない。

 敵は三千人の三好兵。その真っ只中に潜入し、その標的でもある二条館を防衛する。しかもこちらは寡勢という状況だ。

 

「不安ですか?」

 

 やさしく微笑んだ蘭丸が全員に声をかける。

 

「ですが、この任務をやり遂げることができれば、未来が見えてきます。久遠さまの未来も近づきます。勿論危険ですが……皆で頑張りましょう」

 

 蘭丸の言葉が届いたのだろうか、全員ただ黙って、しかし力強く頷く。

 

「出陣します!」

 

 

「蘭丸さま。ただいま小波が句伝無量(くでんむりょう)にて、潜入路を確保できたとの報告がありました」

 

 詩乃が蘭丸にそう声をかける。

 

「わかりました。道順はわかりますか?」

「小波が先導してくれるそうです」

「そっか。なら安心だ。かなりキツイ行軍になるけど、二条館まで一気に駆け抜けよう!」

 

 剣丞の声に応える応、という声。洛外に待機していた蘭丸たちは、小波の連絡を受けて隠れていた場所から飛び出した。

 そのまま小波の先導を頼りに蘭丸隊は一塊となって京の町を駆け抜ける。途中で三好衆に遭遇することもせずに二条館に到着した。

 

 

 先導した小波は、周囲を探ってくると言い残してそのまま再び夜の町へと消えていった。

 

「ふふ、まだ私たちに馴染んではくれていないみたいですね」

「はぁ、ちょっと悲しいな」

 

 苦笑いをする蘭丸に剣丞もそういう。そんな話をしながら進んだ先に二条館の門が見えてくる。そこにはすでに一人の女性が待ち構えていた。

 

「蘭丸どの、剣丞どの!良くぞお越しくださいましたな!」

「幽さんお久しぶりです。お元気でしたか?」

「はは、久しぶり」

「三好衆の動きを自ら偵察しに行くぐらいには、そこそこ元気でしたな」

 

 さらりとそんなことをのたまう幽。

 

「ふふ、そのように危険なことは、あまりしないほうがいいと思いますが。幕府の柱石が動いては……」

「それがしぐらいしか、大物見ができるものがおりませんからなー。致し方なし」

「……言っていいのかわからないけど、本当に人材不足なんだな」

 

 蘭丸の言葉にそう返した幽に苦笑いで剣丞が言う。

 

「ははは、否定はしませぬよ。……それはそうと、良い時機でのお越し。よくぞ無事に来られましたな」

「そうだなー。前に来たときよりも俺たちを助けてくれる仲間も増えたしね」

「ふむふむ。着実に力をお付けなさっているようで。さすが人蕩しのお二人、と申し上げておきましょう」

「ふふ、剣丞さまとご一緒とは……喜んでいいのでしょうか?」

「ちょ、蘭ちゃんひどくない!?」

 

 少しだけ場の空気が緩くなる。それを待っていたかのように蘭丸が幽にたずねる。

 

「それで、話は変わりますが一葉さまはどちらに?」

「ただいま寝所に在らせられますが、いつもと同じであるならば、まだご就寝されてはいないでしょうな」

「……もしかして眠れてないの?」

「案外と」

 

 幽の言葉に剣丞が心配そうに聞いたのに幽は応える。

 

「それだけ事態が差し迫っているということですよ、剣丞さま」

「然り。三好衆の動きが活発になり、楽観してもいられなくなりましたからな」

「城内の守備は……百、いえ二百程度でしょうか?」

「流石ですなぁ。最近は、まるで沈没する船から逃げ出す鼠のように、兵も侍も逃げ出す始末でして……」

 

 幽の言葉に蘭丸は眉をひそめる。人としては仕方がないとも思えるが、少なくとも蘭丸からしてみれば主君を……久遠を置いて逃げることなど許せる話ではないのだろう。そんな蘭丸に気づいてか剣丞が口を開く。

 

「そっか。……じゃあ二条館を守るのは、俺たちの連れてきた兵と合わせて、三百ってところだな」

 

 人数としては圧倒的に不足した状況。そんな中、三好衆の攻撃を防ぎ、久遠たち本隊が到着するまでの時間稼ぎをしなくてはならないのだ。

 少しだけ憤慨とした表情だった蘭丸はすでに調子を取り戻したようで。

 

「ひよ、ころ、梅」

「はいっ!」

「ただいま!」

「どうしましたのハニー?」

 

 集まってきた三人を見て蘭丸は口を開く。

 

「三人には、今回の二条館防衛の布陣をお任せします。敵が来るとしたら……」

「南。桂川を越えて二条館に至る道が王道でしょうな」

 

 蘭丸の言葉をついで幽がそう言う。

 

「でしたら、重点的に南からの侵攻に備えておいてください。私は剣丞さまと一葉さまにお会いしてきます」

「分かりましたわハニー。いってらっしゃいませ」

「ううー、緊張しますねー……」

「何を言ってますのひよ子さん。こういう逆境こそ、武士の妙聞を稼ぐ格好の機会ではありませんか」

「武士の妙聞!?うー!ひよ頑張っちゃいます!」

 

 きゃいきゃいと盛り上がる蘭丸隊をやさしく微笑んでみると視線を別の場所へと向ける。

 

「それでは、詩乃、エーリカさん、あと鞠は……あら、鞠は?」

「まだ眠っておりますが……起こしましょうか?」

 

 蘭丸の言葉に詩乃が答える。

 

「いや、俺が起こすよ。……おーい、鞠ー。二条館についたから起きろー」

「ん、ん~……ふぁぁぁぁ~……あふぅ」

「おはよう鞠。良く眠れたか?」

「んとー……あれぇ?剣丞、ここどこぉ?」

「二条館ですよ。今から一葉さまに会いに行くのですが、鞠も一緒に行きますよね?」

「一葉ちゃんっ!?鞠も行くの!」

 

 蘭丸がたずねるとうれしそうに鞠が飛び起きる。荷駄からピョンッと飛び降り、鞠はトトトッと剣丞に駆け寄るとしがみつく。

 

「ふふ、それでは話が終わるまで剣丞さまと一緒におとなしくしておいてくださいね?……ではころ、いってくるので頼みますね」

「はいっ!いってらっしゃいませ!」

 

 

 館に戻った信綱だったが、まもなく来るであろう織田の軍の受け入れなどもあり動けない幽に代わって町を見回っていた。そのときに突然感じた気配。

 

「……草か?一体どこの手の者か」

 

 先に見つけたものの、敵かどうかの判断はまだつかない。相手がこちらに気づいた後の動きを確認してからでも遅くないだろう。……とはいえ、状況としてはそんなことをしている余裕はないのだが。そんなことを考えている間に、どうやらあちらも気づいたらしい。警戒しながらも少しずつ距離をつめていくる気配に感心する信綱。

 

「だが……まだ甘い」

 

 こちらに近づく者に短剣を投げつける。とはいえ、殺す気はなく威嚇程度のものではあるが。そして、気づいた忍はこちらに対しての警戒を強めながらもさらに気配を薄くする。

 

「よい腕だ。その辺りの忍の守りであれば抜けられるかもしれんが……私の前では……」

 

 

 強い。恐らくは私では敵わない相手だろう。そんなことを感じながらも小波は何故かあの相手に襲い掛かるしかない、そんな風に感じていた。普段であればもっと冷静な行動をとっただろうが、蘭丸や剣丞の自分に対する態度を見て心に不思議なわだかまりがあったことも原因だろう。目の前の相手を倒さなければならないと感じてしまったのだ。

 

「……」

 

 明らかにこちらを見ているその女性が投げてきた短剣は威嚇のものだったのだろう。それでも明らかに並の腕ではない。敵か味方か見極めなければ。そんなことを思いながらも警戒して近づく。その瞬間だった。

 

「悪手だぞ」

「っ!?」

 

 突如目前に現れた女性に刀を突きつけられる。まったく見えなかった。その事に驚愕を隠せない小波。

 

「とはいえ……ふむ、一葉の敵といった感じではないな。三好の者であればもっと薄汚い気配の筈だ」

「まさか……お味方……ですか?」

 

 刀を突きつけられた状態ではあるが敵ではなさそうということに少しの安堵を覚える。……もしこんな強さの相手が敵だとすれば二条館の防衛は一層困難になるだろう。

 

「お前の味方かどうかは分からないが……蘭丸……織田の関係者であればそうだろう。そして織田の草がいるとなれば……」

 

 刀を鞘に収めながらいう女性。

 

「蘭丸は無事二条館についたというわけだな?」

「……」

 

 答えない小波に女性が納得したように頷く。

 

 

「そう言えば名乗っていなかったな。私は上泉信綱。蘭丸の師にあたる者だ」



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44話 宣誓

 幽の先導のもと、二条館の奥に進む蘭丸たち。周囲からすでに戦いの出来ぬ者は避難させているか、逃げてしまった後なのだろう、うすら寒くもの寂しい雰囲気があった。

 

「蘭丸どのたちが来られたということは、織田どのも近くまで来ているのですか?」

「観音寺城を落とした後に色々とありまして。現在は瀬田の大橋に陣を敷いて、軍勢の再編成をしています」

 

 蘭丸が説明すると幽は少しほっとした様子を見せる。

 

「ほお。もうそのようなところまで……。お味方が目と鼻の先に来て下さっているのは、心強い限りですな」

「だけどたぶん、態勢を整えるのに少し時間が掛かると思うから、俺たちだけ先行して二条に来たんだ」

「二条館の防衛のために、ですか」

 

 幽の言葉に蘭丸と剣丞が頷く。

 

「寡兵でも居ないよりはマシだろ?」

「マシも大マシでございますよ。……恥ずかしながら、今の幕府はろくに兵も雇えず、幕臣でさえ逃げ出す始末。どのようにして三好の攻撃を防ぐか、そればかりを考えておりましたからなぁ」

「ですが、松永が抜けただけでもかなり違うでしょう」

「……はて?」

「もしかして知らない?さっき蘭ちゃんが言ってた色々って、松永弾正少弼が久遠に降伏を申し出てきたんだ」

「ひょ……っ!?」

 

 

「蘭丸か。久しいな」

 

 部屋に通された蘭丸たちに声をかけてくる一葉ではあったが、その声には張りがなく、特徴ある威厳を感じさせないものだった。

 

「お久しぶりです。……大丈夫ですか?」

「大丈夫だ、と言いたいところであるのだがな。なかなかそうも言えんのが現状であろうよ。じゃが、まぁそれなりに安全には過ごしておったぞ」

「それなら何よりです」

 

 そう言って蘭丸は剣丞を促しともに一葉の前に腰を下ろす。

 

「お久しぶりでございます、蘭丸さま、剣丞さま」

「お久しぶりです、双葉さま。ご無事で何よりです……安心しました」

「うふふ、お陰さまで」

「余のときよりも、なんだか優しい声音じゃな。余にもそのような声で囁いて欲しいものじゃ」

「ふふ、一葉さまの身も案じておりましたよ?」

「とってつけたように言いおって」

 

 少し拗ねたような一葉に困ったような表情の蘭丸。

 

「まぁ悪童でございますからな」

「それだ!」

 

 ボソリとつぶやいた幽の言葉に剣丞が乗る。

 

「剣丞さま」

「あ、ごめん」

「ふふ、ですが公方さまとしての一葉さまよりはやはり自由にされているときの一葉さまのほうが魅力的であると私は感じますよ」

「……褒められていると受け取っておこう」

 

 納得いかぬ、と表情で言いながらも状況が差し迫っていることもあり、互いの情報を共有する。

 

 

「成る程。薬に頼って戦うなど、武士の風上にも置けん所業が気に入らんという訳か。外道に与するほど堕ちてはおらん、か……誠に奴らしい言い様だ」

 

 感心しているのか、皮肉っているのか。白百合の言葉を口真似しながら一葉が笑う。辛酸を舐めされられていた相手だけに心中複雑ではあるのだろう。

 

「三好衆が手に入れた、お薬とやらは一体、どのようなものなのでしょう……」

「あれは薬などと言えるものではありません」

 

 疑問を口にした双葉の言葉に答えたのはエーリカ。表情と声から怒りが感じられる。

 

「どういうことです?」

「あれは鬼の体液を濃縮したもの。飲んだ者は身体と心を悪に染め、鬼になってしまう……魔薬ともいうべき代物なのです」

「ふむ、つまりその魔薬とやらを飲んだものは、すべてみな鬼になってしまう、ということか」

「どうやらそうらしい。若狭から来た占い師から献上されたんだってさ。……もし、その薬が三好衆三千人に使われてしまったら……」

「……おそらくは、越前で起きているのと同じことが三好衆に起こることになるでしょう」

 

 越前がすでに鬼の跋扈する地となっていることなども一葉たちに伝える。

 

「……となれば、三好衆が鬼となって余らの頸を取りに来るということか。……ゾッとせんな」

「お姉さま!そのような戯れ言を仰っている場合ではありません!」

 

 やれやれといった感じで言った一葉を双葉が叱るように声を荒げる。

 

「落ち着け双葉。狼狽えても仕方あるまい。……相手が三好衆であれ、鬼であれ、今の余に何の力も無い事実は変わらんのだ。やることはひとつ。久遠が来るまで二条館を守りきる。……ひいては双葉、そちを守り幕府の礎を残すことこそ余のすべきたった一つのことだ」

「お姉さま……」

 

 一葉の言葉に何も言うことが出来ない双葉。そんな二人の会話を聞いていた蘭丸が口を開く。

 

「一葉さまの仰りたいことはわかりますが、少し違いますね」

「ふむ?どういうことだ?」

 

 一葉に答える前にそばに控える仲間たちへと視線を向ける。全員が力強く頷くのを見ると軽く微笑んだ後、表情をすっと引き締める。

 

「一葉さまも双葉さまも私たちにとっての玉です。久遠さまが軍勢を率いて援軍に来てくださるまで、お二人を守ることが私たちの使命です。ですからご安心ください。私たちが命を賭けてお二人をお守りします」

「蘭丸さま……」

「ふ、双葉さま?前にも言ったとおりさま付けは……」

 

 潤んだ瞳で双葉に見つめられて少し慌てる蘭丸に全員が苦笑いを浮かべ、細かな話を終えた頃。

 

「(敵軍発見。三階菱に五つ釘抜きの定紋をまとった異形の者どもが、たった今、桂川を渡りました)」

 

 小波からの敵発見の伝達が届いた。

 

 

「……ではこのように。一葉さまはここで双葉さまをお守りください」

「ふむ。……時に蘭丸。貴様の連れてきた兵の数は?」

「蘭丸隊、ならびにエーリカさんの寄騎で、合計百と十。二条館の兵は二百と伺っておりますが」

「然り。合計三百であるな。……その兵、全て貴様に任せよう」

 

 その言葉に驚いた蘭丸が幽へと視線を向ける。

 

「お任せ致しますよ、蘭丸どの。……一葉さま。それがしが双葉さまを守る。……それで宜しいのですね?」

「うむ、任せる」

「御意」

 

 二人の間で話が決まったのであれば異を唱える必要もないだろうと判断した蘭丸は口を開く。

 

「でしたら、ここは我々が。剣丞さま、全体の指揮をお願いします。補助に詩乃をつけます」

「御意」

「分かった!……総指揮は任せるよ詩乃」

「……丸投げですねぇ」

「やだなぁ、適材適所だってば」

「ふふ、詩乃。信頼してますよ」

 

 蘭丸の言葉にうれしそうに微笑んだ詩乃。

 

「我が才を振るうに足る戦場。そして蘭丸さまよりの激励を受けた今、神仏とさえも戦ってご覧にいれましょう」

「私の命、預けます」

「はっ。この竹中半兵衛。必ずやあなた様の望むべき未来を勝ち取ってみせます」

「……それでは私たちは皆と合流して戦線を構築しましょう。エーリカさん、一緒に来て下さい」

「了解です」

「……待て蘭丸。余も行く」

 

 言いながら、一葉が刀を手にとって立ち上がる。

 

「か、一葉さま?一葉さまも玉なのですから、ここに居ていただかなくては……」

「玉の駒が必要ならば、双葉が居ればそれで良い」

「……その双葉さまをお守りするのが一葉さまの役目だと仰っていましたよね?」

「幽がおる。……良いな、双葉」

「……はい。お姉さま、ご武運を」

 

 一葉にそう答えた双葉の瞳を見て蘭丸は小さく息をつく。

 

「万が一のことがあっては困るのですが……」

「ないと思うの!ねっ?一葉ちゃん♪」

「ふふっ、そうだな」

 

 静かに聞いていた鞠が力強く言うと、それに一葉が微笑みながら答える。

 

「何だか難しそうなお話で鞠黙ってたけど、一葉ちゃんってすっごく強いよ?だから大丈夫なの♪」

「ですが、相手は多数の鬼。大切な方をそんな危険に曝すわけには……」

「それは逆であるぞ、蘭丸」

「逆、ですか?」

「一対一ではなく、一対多こそ、余のお家流が大得意とする戦場なのだ」

 

 

 篝火が煌々と夜空を照らす二条館の広い庭へと移動した蘭丸たち。そこには既に蘭丸隊、明智衆、そして足利幕府の兵たちが雑然と固まっていた。そんな兵たちは蘭丸や一葉の姿を見ると次々に集まってくる。

 兵たちの顔を一人ひとり見つめながら、端然とした姿で前に進み出た一葉が、力強く言葉を放った。

 

「皆の者!たった今報せが入り、三好衆が二条館に迫っていることが判明した!しかも三好の衆は南蛮の呪法を頼り、人たることを辞め鬼と化しておる!」

 

 一葉の言葉にざわつく幕府の兵。それはそうだろう、三好衆が相手だとしても三千という大軍。それが人ならざるものになっているというのは驚くに値するだろう。そんな動揺を物ともせず、一葉は続ける。

 

「日の本の侍として、なんと恥ずべき行いか!そのような恥ずべき者どもに、幕府が負けてなるものか!異形の鬼となった敵の数は多い。……だが!余は皆を、一騎当千の荒武者たちだと信じておる!各々、九重(きゅうちょう)の天に向かって旗を掲げよ!誇り高き侍、源氏の白旒旗(はくりゅうき)を!足利の二つ引き両を!足利将軍義輝、幕府の勇者たちの力を借りて逆臣三好を討つ!」

 

 高らかに宣言した一葉が、蘭丸に場所を譲る。

 

「三好衆を討つためには、後詰めを待つ必要があります。これより私たちは篭城戦に入ります」

「敵は畿内を騒がしている鬼だけど、なぁに。俺たちの敵じゃないさ!」

 

 蘭丸に続けて剣丞も声を上げる。

 

「作戦は単純明快!門と塀、堀、櫓をうまく利用して敵を防ぐだけだ」

 

 そこまで言って一度言葉を切った剣丞。蘭丸と視線を交わして再び口を開く。

 

「この作戦の主力は鉄砲組だ!六十丁からなる鉄砲で、鬼を散々撃ち怯ませれば俺たちの勝ち。撃って撃って撃ちまくってくれ!」

 

 剣丞の声に手に持つ鉄砲をしっかりと握り直す鉄砲組。

 

「幕府。足利衆の弓組は、鉄砲隊が弾を装填するときに弓の雨を降らして敵を牽制してくれ!」

 

 一葉の言葉で奮起しているのだろう、やる気の見える視線を向ける弓組。

 

「長柄組は門を乗り越えてくる鬼たちを、三人一組で押し戻すことに専念するんだ。そうすりゃ、数の差なんて屁でもない!後詰めには織田上総介の軍勢が、瀬田の大橋まで来てるんだ!一刻程度踏ん張れば、すぐに味方が駆けつけてくれるから安心してくれ!」

 

 そこまで一気に言い切った剣丞は一度大きく息を吸い込む。

 

「それでは陣立てを。総奉行、竹中半兵衛!」

「はっ!」

「続いて、鉄砲指図役・蒲生忠三郎。長柄組指図役・蜂須賀小六、足軽組、弓組指図役・明智十兵衛。小荷駄頭・木下藤吉郎」

 

 視線を一葉へと向け。

 

「そして、総大将、足利将軍様。以上!」

「待て、ひとつ忘れておるぞ?」

「え?そうだっけ?」

 

 蘭丸は遊撃で動く予定だと言っていたから間違えているわけではないだろうと再度指折り数えてみるが問題はないように思える。

 

「蘭丸とおまえの紹介だ。……皆、聞け!ここにおる森蘭丸を、たった今より余の馬廻衆の頭に任じる。ならびに新田剣丞もだ。皆も知ってのとおり、新田剣丞は田楽狭間の天人であり、蘭丸は織田上総介の夫だ。そしてこの戦いを終えた後、蘭丸は余の良人にもなる男である。皆、心して下知に従え!」

「応っ!!」

 

 力強く答える足利衆。反面固まっていたり動揺しているのが蘭丸隊だ。

 

「な、えっ!?お、おっとって……蘭ちゃんの!?一体なんのこと!?」

「ふふっ……それは久遠に聞くのだな」

 

 それだけ言った一葉は呆然としている蘭丸を悪戯を成功した子供のように見るのであった。



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45話 二条館防衛戦 前編

「あ、あの、一葉さま?それは一体どういうことでしょうか?」

「ふふっ……それは久遠に聞くのだな」

「久遠さまに、ですか?……分かりました、今は一旦置かせていただきます」

 

 正直、状況がつかめず気になる話ではあるが今の状況下ではそのようなことに時間を割くことは出来ないと判断した蘭丸は意識を切り替える。

 

「蘭丸さま。敵、一里先に到達致しております」

 

 小波が現れ、蘭丸に報告する。

 

「分かりました。ありがとう、小波」

「はっ……!」

「剣丞さま」

「あ、あぁ!とにかく!みんなは指図役の指示に従って、すぐに配置についてくれ!」

「応!」

 

 剣丞の声に和するように、兵は大声をあげてそれぞれの部署に向かって走り出す。それを見た後、詩乃が蘭丸と剣丞へと近づいてくる。

 

「蘭丸さま、剣丞さま」

「はいよ。どうした?」

「こちらを。南については良いとして……他の方角についてはどのようにしましょうか?」

「がら空きにするのは不味いよなぁ。……どうしようか」

 

 剣丞が顎に手を当て考える。

 

「どれだけ嘆いても寡勢は寡勢。南以外の門には物見役のみを配置し、鬼が来た段階で南より兵を割き維持に努めるしか方法はないと愚考しますが……」

 

 詩乃が言いよどむ。

 

「……寡兵を更に分けることになる、ということですね」

「はい。兵法では下の下でしかありません……」

「鬼の階級によっては、部隊を分けての挟撃……というような作戦を実行する知能はないと思います。恐らくは大丈夫ではないかと」

「……朝倉の地に生まれたかもしれないという上級の鬼のような存在。あれが血によるもの、武によるもの……何かは分かりませんがそういった存在がいると厄介ですね」

「でも、今はこれ以外は打てる手がないのも事実だ。詩乃の提案通り、他の城門には物見だけを置いておこう」

「御意に。蘭丸さま……」

「大丈夫ですよ、詩乃。私は一葉さまをお守り……する必要があるかは分かりませんが前線に出ます。詩乃に全て任せます」

「ふふ、その信頼に全力で応えさせていただきますが……私に、いえ私たちにとっては蘭丸さまも大切な身であるということ、覚えておいてください」

 

 詩乃の言葉に静かに頷く蘭丸。着々と進められていく最終準備。

 

 

 そして、ついに鏑矢が上がる。

 

 

「……来ますね」

 

 静かに瞑想をしていた蘭丸が立ち上がる。既に剣丞や他の面々も集まっており、蘭丸を待っているかのようであった。

 

「さぁ、正念場です。行きましょう」

「ふっ、それでは余も一刻の間、死力を振るうのみ」

「鞠の宗三左文字が火を噴くのー!」

「あぁ!」

 

 蘭丸の声に力強く応える面々を見て頷き門へと向かう。そこでは既に鬼との攻防が始まっていた。

 足軽隊によって鬼を牽制しつつ一匹ずつ確かに数を減らしていく。状況が悪くなり始めたところには弓隊による援護射撃で体勢を立て直すようにしていた。適宜転子からの指示や叱責も飛んでおり、現時点ではまだ危機的な状況ではなかった。

 この戦いの肝でもある鉄砲隊も、梅の指示により塀を登ってくる鬼を撃ち落としていく。そんな中、蘭丸たちが近づいていることに気づいた転子が声を上げる。

 

「蘭丸さん!城門に取り付いた三好衆はおよそ千!戦況は五分五分です!」

 

 転子からの報告を聞いて、蘭丸が眉をひそめる。

 

「千?三千がこちらに向かっているのでは……っ!」

 

 蘭丸がはっとしたように鬼の群れの遥か先を見る。一葉や鞠も同じことに気づいたのだろうか、同じ方向を見る。

 

「この感じ……まさか……?」

「蘭丸さま?」

 

 蘭丸たちの反応に首を傾げる詩乃に大丈夫と答える。

 

「戦の定石を、鬼も知っていると見て間違いないかと」

「となると、知能の高い鬼……上級の鬼がいる可能性が高いということですね」

「他の門は五人を物見に出して、鬼の姿が見えたら鏑矢を放つようになってるよ」

 

 状況を確認した後に目の前をもう一度見る。

 

「……流石に一刻は」

「無理であろうな」

 

 蘭丸の呟きに一葉が答える。それとほぼ同時だった。

 

「ひ、ひぃ!城壁が破られたぞぉ!」

 

 その声の方向へと蘭丸たちは一気に駆け寄る。

 

「ここは私たちに任せてください。貴方は他の場所へ」

「は、はいっ!」

 

 刀へと手を伸ばす蘭丸を制する一葉。

 

「蘭丸よ、まずは余に任せてもらおうか」

 

 全くの気負いを見せることもなくまるで庭を散歩しているかのうような軽い調子で鬼へと近づいていく一葉。

 

「―――」

 

 声どころか、刀を抜き放つ音すらも聞こえない無音の一閃。その一撃のもとに鬼を一刀両断に斬り捨てる。鬼もまるで何が起こったのかを理解する間もなく真っ二つとなって崩れ落ちた。

 

「グォォォ!!」

 

 仲間を殺されたことに逆上したのだろうか、鬼が身の毛もよだつ咆哮をあげながら突進してくる。蘭丸が再び刀に手を伸ばそうとするが、それよりも早く動く小さな影。

 

「うにゃーーっ!」

 

 可愛い掛け声とは裏腹に、火縄の弾丸のような速度で移動し突進してきていた鬼を鞠が一撃のもとに切り捨てた。

 

「な、なんだこの二人」

 

 驚きを隠せず声に出したのは剣丞だ。少しは心得があり、こちらでも修練を積んでいるのだ、だからこそわかる凄さ。ちょっとやそっと腕が立つだけでは到達することのできない武の境地……壁を超えた力を目の当たりにしたのだから仕方のないことだろう。勿論、この程度の反応で済んだのは既に蘭丸や壬月といった猛者の戦いも目にしたことがあったからだろう。

 とはいえ、鞠の腕が剣丞の想像を超えていたというのは事実だろう。一葉に匹敵するほどの腕を持っているとは思っても見なかった。

 

「え、ええと……もしかして俺の出る幕、ないんじゃないのか……?」

「ふふ、本当ならそう済んだほうがいいんでしょうけどね」

「えへへ~♪鞠、強いでしょー♪」

「うん、びっくりするぐらい……というかマジでびっくりしすぎて、開いた口が塞がらないぐらい凄いよ」

「むふー♪」

 

 剣丞の反応に嬉しそうに鞠が笑顔になる。

 

「次が来ますね」

「鞠、自慢するのは後に回せ。次が来るぞ」

「分かったの一葉ちゃん!鞠、やってやるの!」

「さぁ、剣丞さま、私たちも行きましょう」

「あぁっ!」

 

 一葉、鞠、蘭丸の刀が鬼を両断していく。その次に光を放つ刀を振るった剣丞だったが、三人に続いて一刀両断する。

 

「剣丞さま……腕をあげられましたね」

「剣丞すごいのーっ!」

「ほう、やるではないか」

 

 三人の賞賛を耳に受けながらも、剣丞は驚いた様子で刀を見つめる。そんな剣丞に鬼が急接近し、その丸太のような腕を振りぬく。

 

「剣丞さまっ!!」

 

 蘭丸が咄嗟に鬼との間に入り、刀で受けるがその膂力によって吹き飛ばされる。

 

「蘭丸っ!」

 

 鬼たちが更に追撃をかけようとしたとき。

 

「蘭丸、危ないのっ!!」

 

 蘭丸に対して声を上げた鞠の周囲に、煌く光と強い風が巻き起こる。

 

随波斎流(ずいはさいりゅう)疾風烈風砕雷矢(しっぷうれっぷうさいらいや)ぁーーっ!」

 

 鞠の声と共に現れた光弾が、蘭丸を襲おうとしていた鬼に向かって光速とも思えるほどの速度で放たれる。その光弾が触れた瞬間、鬼の身体にぽっかりと穴が空きかろうじて原型を留めた身体が地面に横たわる。

 

「ふぅ~、危なかったのー」

「助かりました、鞠」

「どういたしましてなの!」

「しっかし……これはキリがないな」

 

 四人で固まって破られた城壁の方を見ると、続々と鬼たちが侵入してきていた。十、二十と次々と増えていく鬼であったが、その視線は全て剣丞へと……いや、剣丞の刀へと向いていた。

 

「ふむ、どうやら剣丞が狙われているようだな」

「みんな剣丞のことを見てるの。……その光ってる刀のせいかもなの」

「分からない。だけどそれならそれで好都合だ。俺が狙われているのなら……」

「剣丞さま、それはなりません」

 

 全てを言い切る前に蘭丸が剣丞の言葉を制する。

 

「でも今はそれしか!」

「剣丞さま、とても冷たい言い方かもしれませんが、貴方の利用価値は織田にとって非常に重要なものです。そういったことは私が……」

「阿呆」

 

 剣丞を諌めていた蘭丸を更に一葉が諌めるような形になる。

 

「蘭丸よ。久遠の夫であり、余の良人となった、その意味をもそっと考えてみろ」

「……」

「すでに自らの立場も非常に重要なものになっているということだ。……だから己のことも考えよ」

 

 そう言うと、一葉は鬼たちに向かって一歩踏み出しその場で刀を地面に突き刺した。

 

「余の思い人を守るために、余は全力を持って鬼を討つ。……見ていろ蘭丸。おぬしの妻が真の力を」

「一葉さ……っ!」

 

 見る見る高まっていく一葉の闘気に蘭丸が息をのむ。

 

「下がってないと危ないの。一葉ちゃんは今から、足利のお家流を使おうとしてるんだよ」

「一葉さまの……足利のお家流」

 

 

須弥山(しゅみせん)の周りに四大州(しだいしゅう)、その周りに九山八海(くざんはっかい)。その上は色界(しきかい)、下は風輪(ふうりん)までを一世界として、千で小千世界、その千で中千世界、更に千で大千世界」

 

 まるで詩歌を詠むかのようにそう紡ぐ一葉。

 

「全てを称して三千大世界、通称・三千世界という。三千世界は果ても無く、この世にあるとも、しかしながらないとも言える。(うつつ)であり、幻である。そんな三千世界より、足利の名を慕う力を集める。それが足利家お家流……」

 

 そこまで言った一葉が鬼を鋭くにらみつける。

 

「見るも醜き鬼どもよ。足利将軍である余の力、存分に味わわせてやろう」

 

 不敵な笑みを浮かべ、一葉がまるで舞のように宙に手を滑らせる。そこに現れたのは、数十……いや数百にも見える数多の刀であった。

 

「相手が相手だ。余のまだ知らぬ時より馳せ参じた、安綱、国綱とやら。両刀で存分に暴れてみせぃ」

 

 そんな言葉を聴いてか、二振りの刀が一葉の傍へで舞う。

 

「足利の。余の夫の敵を殲滅せよ。……いけ」

 

 短く発した一葉の命令を受けた刀が宙より鬼に襲い掛かる。先ほどまでよりも増えていた鬼は無数の刀によって一瞬にしてナマス斬りにされてしまう。

 

 剣豪将軍、足利義輝。その力は本物であった。



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46話 二条館防衛戦 後編

長らくお待たせしました!
引越しなどのどたばたも落ち着いたので久々の更新です!

……とはいえ、亀更新になるとは思いますが。


 一葉の御家流で多数の鬼が消滅される。だが、それでも次々と現れる鬼の群れ。

 

「一葉さまの御家流はすごいですが……乱発は出来ないですよね?」

「うむ、使えて一日に二回……といったところじゃな」

「ご自愛を。ただ、減ったとはいえ……」

「きりがないね」

 

 蘭丸の呟きに剣丞が答える。その言葉にうなずくと再び鬼と対峙する形になる。一時的なものであったとはいえ、態勢を整えることが出来たのはとても大きい。

 

「あともうちょっと……!もうちょっとしたら援軍が来る!みんな頑張ろう!」

「応っ!」

 

 剣丞の言葉に足軽たちが答える。

 

「ちっくしょう!絶対……生き残ってやる!」

 

 今のところは士気も低くはない。だが、この状況がいつまで持つか……。

 

「この調子なら大丈夫……」

 

 剣丞がそう呟いた瞬間、背筋が凍る。遠方から聞こえてきた鬼の遠吠え。

 

「剣丞さま!北門に鬼の姿を発見しました。数、五百です」

 

 小波からの報告に剣丞はうなずくと。

 

 

「蘭ちゃん!」

「はい、剣丞さまの判断にお任せします」

 

 蘭丸の言葉を聞いてすぐさま指示を飛ばす。

 

「(詩乃!)」

「(聞こえておりました。長柄上手を二十人、弓を十人、北門に移動させます。そちらにも何人か派遣しましょう)」

「一葉!鞠!」

「うむ」

「いけるの!」

「蘭ちゃんはここをお願い!俺たちは北に行く!状況次第で自由に動いていいから!」

「わかりました。ここは私が死守しましょう」

 

 

 

 どれだけの鬼を屠っただろうか。蘭丸と足軽たちの手によってぎりぎりのところで死守していた門だったが、ついに突破される。

 

「ひぃ!城門が突破されたぁ!もう駄目だ!」

「落ち着きなさい!ここは私たちが死守しなければ、日の本の未来も、私たちの護りたいものも護れません!」

 

 蘭丸の檄で何とか再び鬼と向かい合うが、じりじりと攻め寄ってくる鬼に襲われそうになる。

 

「私の仲間から離れなさい」

 

 一閃。足軽に襲い掛かっていた鬼を一刀両断すると、すぐさま陣形を整えるように指示を飛ばす。

 

「とはいえ……」

 

 一進一退……ではなく、明らかに一方的に攻め込まれる現状。

 

「せめて、指揮をする鬼が見つかれば話は変わるのですが……」

 

 もしくは、圧倒的なまでの力。……自らに剣の道を教えた人物を思い浮かべる。

 

「……今は、出来ることをやるだけですね」

「うわぁっ!?な、何だこいつ……っ!?」

 

 そんな声と共に陣形が崩される。蘭丸が驚きそちらに駆け寄ると明らかに異質な鬼が姿を現す。

 

「カッカッカッ!例の刀とは違うが、なにやら面白い匂いの女子ではないか」

「……中級の鬼……ですか。皆は他の鬼を!」

 

 刀を抜き、じりじりと距離をつめる蘭丸。

 

「鬼……鬼か。確かに見た目は鬼となったが、人の皮を被っていた頃より、甚だ気分は爽快よ」

 

 グッグッとくぐもった声で笑う。

 

「この釣竿斎宗渭に逆らいし、小童公方の頸を頂きに参ってやったのだ。有り難く思え」

「残念でしたね。公方さまはこちらにはおられません」

「カカカ!ならば貴様の頸を土産に小童公方のところへといってやろうではないか。ついでにあの小娘も殺して……」

「やってみなさい、下郎」

 

 宗渭の言葉を切るように蘭丸が言い放つ。

 

「所詮は人の身を捨てねば何も出来ぬ愚か者が、一葉さまや双葉さまを殺すなどと……!」

 

 明確な殺気が蘭丸から放たれる。

 

「怒ったか?残念だったな、泣いて、喚いて、怯えて顔を歪める公方の姿を見れぬのだからな」

「そうですね、貴方の泣いて、喚いて、怯える姿を一葉さまにお見せできないのはとても残念に思います」

 

 その言葉と同時に二人の刀が交差する。一合、二合と刀を交え互いに驚きの表情を浮かべる。

 

「ほぅ!?」

「っ!」

「なかなかやるではないか!人の殻を破れぬ愚かな人間の割にはな!」

 

 激しさを増していく二人の攻防であったが、じわじわと蘭丸が押されていく。

 

「人の殻、ですか。貴方が人を捨て、鬼となった理由はなんですか?」

「そのようなこと考えもせぬわ!だが、人を捨てたことで本当の意味での強者となれたのだ!」

 

 宗渭の一撃が蘭丸の頬を掠める。ぴっと蘭丸の頬に血が走る。ニヤリと嗤う宗渭に対してふっと口元に笑みを浮かべる蘭丸。

 

「何だ、気でも触れたか?」

「ふふ、確かに膂力などは恐るべきものですが……私の母や姉、師との修練などと比べる必要もないほど」

 

 ぶん、と刀を一振り。

 

「弱い」

「弱い、だと?強がりを。貴様はまだ一太刀も浴びせることが出来ていないではないか」

「そうですね。ですが、貴方は弱い」

 

 再び構える欄丸。

 

「織田家棟梁織田久遠信長が小姓、森蘭丸成利。鬼に名乗る必要性は感じませんが……此処からは我が名と主の名の元に」

 

 周囲の空気が変わる。それを感じ取った宗渭も警戒を強める。

 

「推して参ります」

 

 先ほどまで以上の速度で斬撃を繰り出す蘭丸に次は防戦一方になる宗渭。

 

「ぐっ!?貴様どこにそれほどの力を!」

「元からですよ。ただ、どれくらい中級の鬼がいるか分からない以上、力を少し出し惜しんでいたのは事実です。中級の鬼の力が分かった以上既に貴方は用なしです」

「何を……」

 

 ふっ、という呼気と共に振るわれた刀によって宗渭の刀は吹き飛ばされる。

 

「き、貴様っ!」

「語彙がなくなっていますよ?」

「ぐっ……かかれっ!!」

 

 宗渭の言葉と共に無数の鬼が蘭丸へと迫り来る。蘭丸がそれに対応しようと構えたそのとき。

 

「ははは、蘭丸よ。よい武者振りではないか!」

 

 懐かしくも恐ろしいほどの気を滾らせ、蘭丸と鬼との間を駆ける修羅。

 

「!まさか……!?」

 

 一刀の元に迫り来ていた鬼を切り捨てたのは信綱。蘭丸の師であった女性である。

 

「な、なぜ貴様が此処にいる!?」

「何、山より降りて昔なじみの弟子の下へいってみれば、なにやら大変そうではないか。色々と理由をつけてここに逗留していたんだが……まさか、私の存在に気付いていなかったとは。鬼になると頭が悪くなるのか?」

 

 最強の剣豪とまで言われている信綱にはさすがの宗渭も近づけないようだ。

 

「蘭丸、話は後だ。ここは私に任せて先に一葉と合流するといい。私はここのごみを片付けてからいくとしよう」

「……はい。信綱さま、お気をつけて」

「はは!この程度の相手であれば、何も気をつける必要はないがそうしよう」

 

 

 道中、蘭丸は屋形に入り双葉の元を訪れる。

 

「双葉さま、幽さん、ご無事ですか」

「蘭丸どの。こちらはご心配召されますな。もしものときはそれがしの身命を賭してもお守りします故」

「それでは困ります。お二人には幽さんが必要ですから。……双葉さまもご安心ください。我が師である信綱さまも合流しましたので、幾分かは余裕が出来たかと」

「信綱さまもこちらにお戻りになられていたのですね。蘭丸さまもご無事で何よりです」

「私はこれから北門へと向かい、一葉さま、剣丞さまと合流します。何かあればすぐに動けるようにしておきますのでそれをお伝えに」

「わざわざありがとうございます。お姉さまを……よろしくお願いします」

 

 

「一葉さま、剣丞さま!」

「蘭ちゃん!無事だったんだね!」

「はい。宗渭……三好政康がせめて来ましたが何とか」

「ほう、蘭丸が倒したのか?」

「いえ、決着の前に信綱さまが助けにきてくださって、私は一足先にこちらに来たのです」

「信綱……蘭ちゃんの師匠の上泉さんだっけ?」

「はい。それはそうと、現状はどうですか?」

「今のところは細い糸でなんとか持ってるような状態かな。詩乃が頑張って全方向に指示を出してくれてるからなんとか……」

 

 足軽たちも互いに声を掛け合い、ぎりぎりの精神を保っているような状況だ。圧倒的な戦力が合流したとはいえ、一人では限界がある。

 

「大丈夫だ。余が居る。鞠が居る。信綱も、剣丞も。蘭丸もだ。だからきっと大丈夫だ」

 

 一葉の言葉に剣丞と蘭丸はうなずく。更に増え、せめてくる鬼の数は八百。

 

「最後の一踏ん張りだ!みんな、気合を入れていくぞ!」

「応!!」

 

 二条の夜空に八百の鬼の猛りきった咆哮が木霊する。そのときだった。

 

「てぇーーーーっ!」

「てぇーーーーーーっ!」

 

 どこからともなく響く鉄砲の音と共に次々と倒れていく鬼。

 

「鉄砲の音!?それもニ方向からだ!」

「どこからだっ!?」

 

 剣丞と一葉の言葉と共に小波が降り立つ。

 

「ご主人様。正体不明の集団が乱入し、鬼の横腹に向けて一斉射撃をしたようです」

 

 

 小波の報告によると見えた指物は藤巴紋と藤巴と橘。それと八咫烏の紋をあしらった装束を纏った鉄砲隊だったという。

 

「藤巴……というと」

「播州・御着領主、小寺家の家紋ですな」

 

 蘭丸の呟きに答えるように姿を現したのは先ほど別れたばかりの幽であった。

 

「幽さん!?双葉さまは」

「双葉さまならば、南門の守備がそこそこ安定しているようで、エーリカ殿が護衛を名乗り出てくださいました。で、こちらに助勢に参ったのです」

「うむ。ならば手伝え。……しかしなぜ播州におる小寺の者が、余の加勢に入るのだ?」

「小寺の者というよりも、恐らくは小寺の客家老、黒田家の官兵衛どのでしょうな」

 

 幽の言葉に少し考える一葉。

 

「おお、確か時折余に献上品をくれていたあの官兵衛か」

「御意に。八咫烏の紋というのは、きっと烏たちが助けに来てくれたのでしょう」

「双方共に信用しても大丈夫なようですね。……鬼が崩れた今が好機です。剣丞さま!」

「応っ!!みんな、押し返せっ!!」

「幽よ、久方ぶりに舞うか」

「御意。我が児手柏を振るうとなれば、曽我物十番斬など如何でしょうかな?」

「なるほど。今宵に相応しい」

「おーい幽さーん!八咫烏隊到着だよー!へへー、公方さまの危機に駆けつけたんだから、お給金は弾んでくれるよねー!ねー!ねー!」

「雀か。やれやれ、相変わらずやかましいことで」

 

 幽の前に現れた少女はぴょんぴょんと飛び跳ねながら幽に言う。軽く頭を振りながらも苦笑いの幽。

 

「……烏よ。良く来た。これからも余を守れ」

「……(コクッ)」

 

 無言でうなずく先ほど現れた雀と似た少女はうなずくと同時に背負っていた鉄砲を構える。それは一般的な火縄を圧倒的に越えた大きさのものだった。

 

「な、なんだそりゃ!?」

 

 驚愕する剣丞。その大きさが彼の知るゲームの中などで見る巨大な……対戦車用のライフルと同じくらいだから仕方のないことだろう。

 

「準備は良いようだな。……では幽よ」

「はっ。相方仕る」

 

 目を合わせ、映し鏡のように同時ににやりと笑った二人が、鬼に向かってゆっくりと歩き出し。

 

 同時に地面を蹴った。

 

「なっ!?」

 

 驚きの声を上げたのは剣丞だ。声は上げなかったが蘭丸もまた、驚いていた。全力の蘭丸と変わらないほどの速度で駆け出した二人が鬼の集団へと突入する。

 

「あーん!二人だけで遊んじゃヤなのーっ!」

 

 そんな二人に続けとばかりに、鬼の方へと鞠も駆けていき、集団の中で刀を振るう。

 

「剣丞さま!私たちも行きますよ!」

「ちょ!?さ、さすがに無理だって!?」

「まぁあの公方と幽さんはあれでいいんだよー。だってあの二人、鬼強だもん」

 

 動揺している剣丞にそういった雀たち八咫烏の面々も突撃する。

 

 

 

「蘭ちゃん!」

「剣丞さま!後方が厚くなったようですが?」

「うん。後で紹介するけど、さっき一葉たちが言ってた黒田……小寺の人と、詩乃たちが合流して支援をしてくれる!」

 

 鬼を撫で斬りにしながら言葉を交わす二人。

 

「いやはや、鬼に囲まれた状況とはいえ、中々に風情のある光景ですなぁ」

「なの!まるで蛍みたいにぱーっとなって綺麗なのー!」

 

 激しい銃声の中、時折来る銃弾を避けながらの会話とは思えないと剣丞は呟く。そんな中に居る彼も彼なのだろうが。

 

「しかし、減りませんね」

 

 じわじわと狭まってくる鬼の輪。幾ら一騎当千の者が集まったとしても数の暴力には勝てない。

 

「蘭ちゃん!一葉、幽、鞠!一旦退こう!このままじゃ、包囲されてすり潰される!」

「剣丞さま、現状で退くのは下策です」

「で、あるな」

「一度、敵を押し返してからでないと、返す刀で背中を斬られるでしょうな。臆病傷は御免被りたいものです」

「じゃあ何で前に出たの!?」

「その場の勢い?」

「うむ。何事も勢いは大事であるからな」

 

 あっけらかんと言い放つ幽と一葉に愕然とする剣丞。苦笑いの蘭丸も否定しないことから実際そうなのだろう。

 

「あははっ!でもこうやってみんなで戦うの、楽しいね、剣丞!」

「楽しいって……鞠も暢気に言ってるなよぉ……」

 

 剣丞の言葉にくすっと笑った蘭丸が空を見上げる。

 

「ですが、剣丞さま。お忘れではありませんか?しっかりと聞いてください」

「流石は蘭丸であるな。余にも聞こえておるぞ」

「うん!鞠にも聞こえてたの!」

「それがしも、それなりには」

「聞こえる?」

 

 皆の言葉に首を傾げる剣丞。

 

「剣丞さま、耳を澄ましてください」

 

 

 心の底から嬉しそうな笑顔で蘭丸が口を開く。

 

「我らが主……久遠さまが来られます」

 

 

「あれは……っ!」

「ああ……!やっと……やっと来てくれた!」

 

 遠方から来る軍勢に気付いた詩乃とひよ子が呟く。

 

「武士の衣をかなぐり捨てて、鬼と変じたど外道どもが、一体誰に触れようとしているのだ!三好衆ぅ!」

 

 久遠の凛とした声が響き渡る。

 

「そやつは我の夫であるぞ!貴様ら外道の小汚い手で我の夫に触れること、我は許した覚えなし!掛かれ柴田よ!鬼五郎左よ!」

「「応っ!」」

「攻めの三左よ!槍の小夜叉よ!」

「「応っ!」」

「我が頼もしき母衣衆どもよ!」

「応!」

「はい!」

「おー!」

 

 すっと大きく息を吸った久遠が怒号を発する。

 

「蹂躙せよっ!!」

 

 

 その言葉と共に最速で駆け出したのはやはり森一家であった。

 

「行くぞクソガキ!」

「応よっ!母ぁ!」

「織田の家中が一番槍はぁっ!」

「悪名高き、森一家ぁ!」

「逆らう輩の返り血浴びてぇ!」

「槍を朱色に飾り立てーん!」

「喧嘩上等、鬼上等!森一家ぁ、腐れ三好に目にもの見せてやんぞぉ!」

「人の妹に手ぇ出してんじゃねぇぞっ!ひゃっはーーーっ!皆殺しだぜぇぇぇー!!」

 

 

「うわー……すごーい!」

「……なんですかアレは」

 

 驚く鞠と、若干ひいている幽。

 

「あはは……なんていうか、相変わらずだねぇ」

「あれは姉さま……天性の戦人ですよ」

「剣術とかしたことないらしいけどすっごく強いの!」

「強い、ねぇ。……押し返すというよりも、なんと言うか……虐殺してますなぁ」

「ははっ、森一家らしいよ」

 

 そう笑う剣丞。

 

 

 久遠たちの合流によって、戦況は大きく変わる。



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46話 蕩し御免状

 蘭丸たちの下へと鬼を殲滅に向かっているのは、勿論森一家だけではない。

 

「犬子ぉ!ボクの前を走るんじゃねーよ!」

「あははっ!和奏はずーっと私の尻尾を拝んでればいいんだよー♪」

「てめっ!鬼より先に成敗してやる!」

 

 きゃいきゃいといつものように騒ぎながら自分の部隊を進める和奏と犬子。

 

「はいはーい、喧嘩してる二人は放っておいて、滝川衆は左に回りこむよー」

「ああ!抜け駆けすんなよ雛ぁー!」

 

 そんな二人を尻目にするすると敵の側面へと回りこむ雛に和奏が文句を言う。

 

「犬子とじゃれてる和奏ちんが悪い。おっさきー」

「くっそ!おい、ボクの黒母衣衆!赤母衣ぶっ飛ばして鬼の奴らに先槍つけんぞ!」

「応っ!」

「むー!負けるな赤母衣衆ー!蘭ちゃんを確保するのは私らなんだからー!」

「応っ!」

 

 互いに対抗意識を燃やしながらも部隊の動きはうまく噛み合っているのは少し不思議である。

 

「「全隊、突撃ぃぃぃーーーっ!」」

 

 和奏と犬子の声が重なり、母衣衆が鬼の群れへと吶喊する。

 

 

「全く。あの馬鹿どもは、まだ一騎駆けの武者の真似事か」

「うふふ、元気が良くていいじゃありませんか」

 

 やれやれとため息をつきながら頭を振る壬月と、微笑みながらそれを見る麦穂。

 

 

「だが、限度がある。三若が暴走せんよう、手綱を頼むぞ」

「はい、承知しておりますよ」

 

 

「改めてすげぇ仲間たちだな……」

 

 突撃する織田の軍勢が虚を突いたとはいえ、無数の鬼を叩きのめしながら二条館に向かってくるのを見た剣丞が言う。

 

「ふふ、自慢の仲間ですからね」

「これで鬼と互角以上に戦えることを証明できた……ということでしょう」

 

 詩乃の言葉にうなずく蘭丸。

 

「戦況を見るに、ようやく切所まで来たということでしょうな。ですが……」

「もう一押し、だね」

 

 剣丞がうなる。これ以上の援軍がない以上……そう剣丞は考えた。

 

「あるぞ」

 

 そう言ったのは一葉だ。

 

「もう一度、余の御家流を使おう。……疲れておるからそこまでの威力は出んが、まぁ多少の助けにはなろう」

「……では、私も参ります」

 

 一葉の言葉に蘭丸はそう言うと、近くに居た足軽から槍を受け取る。

 

「ふふ、蘭丸が傍にいるのであれば心強いな」

「ははは、面白そうな状況じゃないか。織田も無事合流したようだな」

 

 悠々と現れ、いつのまにやら一葉と蘭丸の横に立っていた信綱がそう言う。

 

「信綱さま!」

「鬼を最後の一押しで殲滅するのだろう?私も手を貸そう」

 

 背に差していた巨大な太刀を抜き放つ。

 

「全く、こやつが絡んでは余の活躍が霞むではないか」

「ははは!安心しろ、一葉。蘭丸は取らんよ」

「あの、何の話を?」

「よい。今は目の前の鬼を屠るほうが先じゃ」

 

 ふわりと一葉の周囲に無数の刀が浮かび上がる。それに合わせるように蘭丸と信綱の身体からも闘気が迸る。

 

「滅せよ」

「新陰流」

「森家御家流」

 

 一瞬周囲から音が消える。

 

「三千世界!」

「転」

「森羅万勝!!」

 

 三人の技が重なり鬼の群れが一気に殲滅される。その一瞬の隙を見逃さないものがいた。

 

「今です!この機を逃すな!鉄砲組、撃って撃って撃ちまくれーっ!」

 

 官兵衛である。小さな隙すらも逃さず鉄砲隊を指揮したのである。

 

「……あのぉ、官兵衛さん。一応、采配は私に任せられているのですが……」

「……あああっ!!す、すみませんすみませんすみませんすみません!あまりの好機だったもので、つい出過ぎた真似をしてしまいました……!」

 

 詩乃からの指摘に動揺してぺこぺこと頭を下げる官兵衛。

 

「はぁ、まぁ構わないですが。……ふむ、それでは采配はあなたにとって頂きましょう。……よろしいですか?」

 

 そこまで言って確認するように蘭丸と剣丞を見る詩乃。

 

「ええ、構いませんよ。お願いできますか、官兵衛どの」

「は、はいっ!有り難き幸せ!」

 

 詩乃から采配を受け取った官兵衛はすぐさま戦場を見つめると。

 

「敵左翼に怯みが見える。長柄組、穂先を並べて突き崩しなさい!」

 

「は、はい!」

「弓組は左翼より中央に向かって矢を放て!長柄の攻撃を援護するのです!」

「はっ!」

「鉄砲組は中央右翼を中心に、とにかく撃って撃って撃ちまくりなさい!」

「応っ!」

 

 官兵衛の指揮を見て詩乃は驚きと感心の混ざった表情で口を開く。

 

「ほお……これはこれは。素晴らしい采配です。さすが名高き黒田官兵衛どの」

「うむ。なかなか良い武者振りであるな」

 

 詩乃の言葉に続いて一葉も褒める。

 

「一葉さま、大丈夫ですか?」

 

 心配そうにそう一葉に訊ねる蘭丸。

 

「少し疲れたが特に問題はない。余は健やかであるぞ」

「そうですか。良かったです……」

「ふふっ、人に心配されるというのは、とても気持ちの良いものなのだな」

「幾らでも心配はします。……ですが、心配しているのは私だけではないのですからそれをお忘れなきように」

 

 その後、三若が合流し再び鬼へと攻勢をかける。そして。

 

「ハニーっ!」

「蘭丸さーん!」

「何とか間に合いましたか……っ!」

 

 各方面で防衛していた梅、転子、エーリカの三人も合流する。

 

「ころ、梅、エーリカさんも。ご無事でなによりです」

「柴田衆と連携して、ようやく鬼どもを一掃できましたわ。次はこちらの鬼を一掃ですわよ、ハニー!」

「あの、ハニーというのはちょっと……」

「蘭丸隊集合!混乱してる鬼に横槍を入れるから、気合入れていくよー!」

 

 転子の声に力強くこたえる蘭丸隊の面々。最後の攻勢がはじまり、日が昇り始める頃。

 

 二条館周辺の鬼は全て駆逐されることになった。

 

 

 怪我をしている者も、隠れていた者も、皆が庭へと集まってくる。その中で蘭丸は最も会いたかった相手をすぐに見つけた。

 

「久遠さまっ!!」

 

 駆け寄ってきた蘭丸を抱きしめる久遠。

 

「お蘭!怪我はないか?五体は満足か?」

「は、はいっ!蘭は無事です。皆が共に戦ってくれましたから」

「そうか……良かった……本当に良かった……!」

 

 少し涙の混じった声で安堵の吐息を漏らす久遠に同じように瞳を潤ませる蘭丸。

 

「久遠さま……お早く助けにきて頂き、本当にありがとうございます」

「当たり前だ!我のお蘭だぞ……!」

「……正室殿よ。少しは時と場所を考えてくれんと、どうしていいのか反応に困るぞよ」

 

 そんな二人にあきれたように、水を差すように一葉が言う。

 

「う、うるさいぞ、一葉……」

「くくっ、涙混じりに言われても、照れ隠しとしか思えんわ。なかなか乙女じゃの、久遠」

「くっ、好き勝手言いよって!」

 

 そう言いながらも蘭丸を解放することはないが、先ほどまでとは少し違う意味で頬を染めている久遠。

 

「仲が良いのは結構なことであるが、蘭丸。これからは正室殿だけに愛を注ぐ訳にはいかんぞ?」

 

 一葉の言葉に、戦いの前の宣誓を思い出す。

 

「久遠さま、そのことなのですが一体どういうことなのでしょう?」

「……うむ」

 

 抱きしめていた手を解くと、しばしの沈黙の後に仲間たちのほうを向く。

 

「……皆にひとつ、伝えておきたいことがある」

 

 勝利を祝う為に集まってきた仲間たち全員を前に、久遠がゆっくりと口を開いた。

 

「此度、鬼と化した三好衆の叛乱を無事に鎮圧できたのは、ひとえに皆の力があったればこそだ。しかしこの先、鬼との戦いが続いていく中で我の力も、皆の力も及ばない事態がきっとあるだろう」

 

 久遠の言葉に周囲は静まり返る。

 

「だが今、この日の本には鬼という異形の者について詳しく知る者は少ない。比較的多くの情報を握っているのは、織田・浅井・松平の者だけなのだ。これは非常に危険なことだと我は考えている。なぜなら鬼を良く識る我らが負ければ、この日の本は鬼との戦いに大きく後れを取ることになるからだ」

 

 現状の危険性。それは鬼と実際に戦ったこの場にいる者たちだからこそ身にしみて分かることだろう。

 

「だから我は考えた。……そして決めたのだ」

 

 自分の言葉が周囲に浸透するのを待つように、久遠は言葉を止めて呼吸を入れた。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「我が夫となる森蘭丸成利を、我の夫というだけでなく、公方の夫として……この日の本にいる鬼との戦いを決意した者たち全ての良人とすることを、我はここに宣言する!」

「織田上総介の宣言は、幕府よりの御内書を受けたものであり、禁裏に上奏奉り畏れ多くも主上より勅書を押し頂いておる。そして余がその第一号であり、第二号が、余の妹である左馬頭義秋である」

 

 唖然とした周囲の空気。そして、誰よりも驚いているのは蘭丸であった。

 

 

「……お蘭」

 

 久遠と一葉の宣言の後、恐る恐るといった様子で久遠が蘭丸へと声をかける。

 

「あ、久遠さま……」

「お蘭……相談もなく、このようなことを決めてしまったこと。許してほしい」

「……元は……剣丞さまの役目、だったのでは?」

「……」

 

 蘭丸が感じた違和感。蘭丸という存在を中心に天下を纏めようとすること……それを成すには本来、蘭丸自身には魅力が足りないように感じたのだ。

 対して剣丞は天人。天の血を家中に入れるというのであれば、それは施政者にとっては魅力に繋がるだろう。

 

「確かに、剣丞を家中に入れた際に一度は考えた。実際に葵や武田、長尾に送った文には天人と関わりを持ちたいのであれば、蘭丸とも仲良くしておいたほうがいいぞ、といった内容も含まれていたのだ。……実際には、全ての勢力が興味を持ったのはお蘭。お前だ」

 

 じっと、真剣な目で蘭丸を見つめる久遠。

 

「……久遠さま。一つだけ、お答えください。私の目を見て、貴女の想いを……」

「……想いを……」

「久遠さまの覇道にとって、これは必要なもので……そして、その覇道に私も必要であると」

 

 若干の不安が篭った瞳。それを見た久遠が力強い意志をこめた目で見つめ返す。

 

「お蘭。我はお前を愛している。だから我を愛せ。……そして、全ての女を愛してやれ。それこそが、我が覇道に必要なものである」

 

 久遠の言葉を受けてふっと微笑む蘭丸。

 

「……久遠さまの想い、しかと受け取りました。私はこれまでと変わらず私の全てを賭けて久遠さまを。そして……皆を愛していきます」

「……お蘭」

 

 久遠の手が蘭丸の頭をなでる。

 

「……ですが、私にとっての一番は久遠さまです。それだけは譲れません」

「ふふ、愛い奴だ」

「久遠さまを私はずっと支え続けます。そして、私の傍に居てくれる大切な人たちを支えていきます」

「我も誓おう。お蘭のことを支えていくと。お蘭のことを、受け止めると。……しかし、我が考えたこととはいえ、家中だけでもどれだけの者が立候補するか……悩みどころではあるな」

「えっ?家中でそれほどいるとは考えられないですが……」

「……お蘭。特に自分の部隊の者たちのことはもっと考えてやれ」

「はっはっはっ!日の本開闢以来、蕩し御免状を貰ったのはお蘭一人だろうな。流石はワシの娘といったところか」

「いいんじゃねえか?オレの妹だしな!」

「母さま……姉さま……」

 

 

「ころちゃん!もしかしてこれって!」

「う、うん!」

「……ふむ、我らにとっても好機ということですね」

 

 ひよ子と転子の言葉に詩乃が答える。

 

「だってさ、新介。やったじゃん!」

「小平太……。アンタだって蘭丸さまのこと好きでしょ?」

「うーん。正直ボク、まだそういうのってよくわかんないし。でも、新介を応援したいって気持ちはあるからさ」

 

 小平太の言葉に新介が感動したように言葉に詰まる。

 

「……うん、でもきっとアンタも蘭丸さまのことを好きなはずよ。自分の気持ちがはっきりしたらちゃんと言いなさいよ?私だって少しは手伝ってあげたいって思ってるんだから」

「ありがと。……へへ、やっぱり新介は優しいな」

「そ、そんなことないわよ!」

 

 

 各地に伝えられた久遠と一葉の宣言。これが、この先に与えてく影響は今はまだわからない。



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47話 戦の後

あはれとは 汝も見るらむ 我が民を 思ふ心は 今もかわらず」

 

 この世ではない何処か。以前に蘭丸と詩乃がとらわれた空間に声が響く。

 

「家臣さえも抑えられず、何が将軍か……」

 

 口から毀れたのは一葉に対する侮蔑の言葉。

 

「……当世は嘆かわしいことばかりなりけり」

 

 その声に応えるように周囲を鬼の唸り声が響き渡る。

 

「だからこそ。当世を整理せんとな……」

 

 ざわざわと蠢く影。鬼の姿はまだ現世において、誰一人みたことのない姿の者ばかりである。鬼の首魁もまた、力をつけ始めている。

 

 

 鬼の襲撃の修繕がまだ完全に済んではいない二条館で、対峙しているのは久々に再開した師弟……蘭丸と信綱である。二人の間に流れる空気は澄んだものでありながら、緊迫感のようなものを感じる。見守っているのは久遠、一葉をはじめ武に覚えのある者たちばかりである。実際に信綱と立合いをしたことがあるのは一葉だけであるが、その空気から最強の剣豪と呼ばれているのが伊達ではないということを感じていた。

 ぐっ、と力強く踏み込んだ蘭丸が信綱の懐へと飛び込み、鋭い一撃を放つ。それを正面から刀で受けた信綱は満足そうに頷く。

 

「ふふ、しっかりと鍛錬は続けていたようだな」

「はい。信綱さまからの教えもしっかりと」

「そうか。……一葉!よく見ておけ。お前に足りない力を蘭丸は持っているからな!」

 

 信綱が刀を振るうと蘭丸が大きく吹き飛ぶ。ふわりと音を立てずに着地した蘭丸に息をつく間も与えずに追撃を加える。剛の一撃をいなし、返す刃で的確に急所を狙っていく蘭丸。

 

「むぅ……」

「いやはや、話には聞いておりましたが……それがしや一葉さまよりも特定の領域であれば強いのではありませぬか?」

「あれほどの域に達したいなしの技術は滅多に目に出来ぬのは事実」

 

 真剣な表情で戦いを見る一葉に自慢げな久遠。

 

「ふふ、流石はお蘭であるな」

「……久遠よ、一応余の良夫でもあるのだが」

 

 

「さて、蘭丸。私の教えた奥義、覚えているか?」

「……」

 

 空気の変わった信綱に蘭丸が更に警戒を高める。

 

「私の剣は一葉と同じく剛の剣ではある。だが……新陰流の極意は違う」

 

 周囲と溶け込むように自然体となっていく信綱。ぶらりと垂れ下げられた腕。

 

「あれは……宮本武蔵……?」

 

 剣丞がぼそりと呟いたのは記憶にある剣豪の名前。

 

「いくぞ、蘭丸。これを耐え切れば皆伝をやろう」

 

 ふっ、と息を吐き出した蘭丸が目を閉じ、次の瞬間には紅に染まった瞳が見開かれる。

 

「「新陰流奥義」」

 

 信綱と蘭丸の声が重なる。

 

「「(まろばし)」」

 

 動く信綱と受ける蘭丸。

 

「……ふっ、強くなったが」

「くっ……」

「まだ気負いすぎだ。言っただろう、心の構えをなくせと。全く、お前は賢すぎる」

 

 汗ひとつかいていない信綱がそう言う。膝をついた蘭丸は最後の一撃だけでぼろぼろになってしまっていた。

 

「お蘭!無事か!?」

「く、久遠さま!……申し訳ありません。負けてしまいました」

「あの剣豪、上泉信綱相手にこれほどの戦いが出来たのだ。誰も文句は言わぬ。我が言わせぬ!」

「……ふむ」

 

 そんな久遠と蘭丸を見て目を細める信綱。一葉に近づくと耳打ちする。

 

「……あの二人、少し危険だな」

「危険、だと?」

「互いが互いを想いあっている、それは良いことだろう。だが……あの二人は、特に蘭丸は極度なまでに久遠に依存しているように見える」

「……それは否定できぬな。久遠もまた、そうであるようだが」

 

 

「そういえば、双葉も蘭ちゃんの嫁になるんだっけ?」

「はい。不束者ではありますが」

「余の妹は蘭丸に一目惚れしておったからな。まぁ、あのような見た目であったから受け入れやすかったのもあるのだろうがな」

「お、お姉さまっ!」

「そうだよなぁ。俺も蘭ちゃんと初めて会ったとき普通に女の子と思ったし」

「しかし、余にとっても良夫となったのだから……ふむ、主様とでも呼んだほうがいいか?」

「……蘭ちゃん困りそうだな」

 

 苦笑いで一葉の言葉に剣丞が返す。

 

「どうかされましたか?」

「あ、蘭ちゃん。いや、双葉も蘭ちゃんの嫁になるんだよなぁって話してたんだよ」

「そ、そうですね」

「蘭丸さまはお嫌……ですか?」

「嫌などでは!……双葉さま、不束者ではありますが……」

「あはは、蘭ちゃん。さっき双葉も同じことを言ってたよ」

「ふふ、意外と似た者夫婦なのかもしれぬな」

「お、お姉さまも剣丞さまもおやめください!」

 

 恥ずかしそうに頬を染めて止める双葉。

 

「それと……双葉は蘭丸さまの妻となるのですから、呼び捨てでお願いします」

「双葉さ……双葉、でよろしいですか?」

「はいっ!」

 

 ぱぁっと花が咲いたような笑顔の双葉に微笑みかける蘭丸。

 

「私も、今の状況がしっかりと受け止められているわけではありません。ですから、双葉……も、もう少し待ってくださいね」

「はい。双葉はいつまでも旦那さまをお待ちします」

「旦那さま……は、はい。慣れるまで大変そうです……」

「はは、蘭ちゃんも固く考えないでいいんじゃない?」

「……剣丞さま、突然このような状況になったときに同じことを……剣丞さまなら大丈夫そうな気がしますね」

「……それ、褒めてるよね?」

 

 

 数日後、既に城壁の普請がはじめられているのを見た蘭丸が剣丞、詩乃、幽と共に状況の確認に向かっていた。

 

「素晴らしい手腕ですね」

「本当に。城壁の普請、お疲れ様です」

「あ、成利さま!それに剣丞さま、幽さん、詩乃どのも!」

 

 蘭丸たちに気付いた官兵衛が微笑んで駆け寄ってくる。

 

「お邪魔でしたか?」

「いえっ!そんなことはありません!」

「ふふ、城壁の普請をこんなに急いで行うのは……」

「また鬼が来る可能性もありますし……」

 

 官兵衛の言葉に頷く蘭丸。剣丞も納得したようにうんうんと頷いている。

 

「……はて」

「どうしたの、幽?」

「いえ。このような普請……それがしにはとんと覚えが」

 

 首を傾げる幽。

 

「一葉の指示じゃないの?」

「……おや。剣丞どのは公方さまがこのような些事に心を砕かれる方だと思っていらっしゃると?」

「……」

「ふふ、違いそうですね」

「流石は蘭丸どの。公方さまの旦那さまですなぁ」

「しかし、幽どののご指示でもないと?」

 

 詩乃も首をかしげながら訊ねる。

 

「そうなのです。二条でこの手の指示をするとすればそれがしだけなのですが、はて、いつその指示をしたかなと。はてさて……。それがしまで耄碌したとなれば、いよいよ幕府もおしまいですかな……?」

「……なるほど」

 

 何かの答えに行き着いた詩乃がちらりと官兵衛に視線をめぐらせる。

 

「す、すみませんっ!」

 

 頭を下げる官兵衛。

 

「え、何で官兵衛ちゃんが頭を下げるの?」

「ふふ、私もなんとなく分かりました」

 

 首を傾げる剣丞と詩乃の反応で気付いたらしい蘭丸。

 

「私、播州では縄張りや普請の指示もしていまして……こういった壊れた壁は、見ていてどうしても我慢できなかったんです……」

「播州の小寺官兵衛は築城の名手と聞き及んではいましたが……やはり無断で」

「……すみません」

 

 詩乃の言葉にしゅんとうなだれる官兵衛。

 

「……困りますなぁ。このようなことを断りなく行って二条に請求を回されても、それを払う金子などどこにも……」

「あ、修繕の費用は全て小寺家から……」

 

 官兵衛の言葉を聞くやいなや。

 

「さすが小寺殿。これだけ見事な城壁に修繕して頂けるなら、当方からは何も申すことなどございません。ぜひぜひ、宜しくお願いいたします」

「手のひらくっるくるだな」

「ない袖は振れませぬが、袖におぜぜを入れてくださるというなら、喜んで振らせて頂きますぞ。おぜぜ分は」

 

 あっけらかんと言い切る幽にあきれた表情の剣丞。

 

「ですが、勝手に……というのはあまりよろしくはありませんでしたね」

「はい……。皆さんお忙しそうでしたので、まず出来ることからと……申し訳ありません」

「構いませぬ。いつ鬼が攻めてくるかも分からぬ以上、補強や修繕は早いに越したことはありませんからな。修繕費がそちら持ちというならばなおさらです。はっはっは!」

「ふふ、なら私から言うことはありませんね」

「それで、何か御用でしたか?」

 

 官兵衛が訊ねる。

 

「あぁ、そうでした。先日は応援に来てくださってありがとうございました。このところ色々とあって直接お礼を言えていませんでしたから」

「いえ……私こそ、勝手に押しかけてしまってご迷惑をお掛けしました」

「とんでもない。我が主は多忙にて顔を出すこと叶いませぬが、主に代わって幕府からも礼を言わせて頂きますぞ」

 

 幽も蘭丸に続いて礼を述べる。

 

「公方さまや成利さまのお役に立てたなら、何よりです。それと……」

「どうされました?」

「私の通称は、雫と申します。お嫌でなければ、雫とお呼び捨てくださいませ」

「ふふ、それでは雫。私の通称は蘭丸と申します。同じく呼び捨ててくださって構いませんよ?」

「えぇっ!?そ、それは恐れ多いです!」

「蘭ちゃんって、自分は敬称取らないのに人には取らせようとするよね」

「……剣丞さま?」

「ごめん」

 

 

「雫も鬼の討伐に協力したい……ですか」

「それは……ふむ」

 

 蘭丸と詩乃がなにやら考え込むのを見て剣丞は首を傾げる。

 

「何か問題があるの?」

「……それが、播州小寺家の総意であるかどうか……ですね」

 

 問題点は家中の総意でない場合、天下にも情勢にも興味のない小寺の家が何かしらの理由で心変わりをしたときに雫が家から孤立する可能性があるのだ。場合によっては奉公構などの厳しい処断が下される可能性も否定できない。

 

「……ですが……雫の才は蘭丸さまにとって必ず役に立つでしょうから欲しいですね」

「詩乃……。欲しいというのは同意ですが中々に困難ですね」

 

 真剣に考える蘭丸と詩乃。

 

「ら、蘭丸さま……そんな……欲しいだなんて……」

「え?……あ、い、いえ。そういう意味ではなく、詩乃と共に私の智となってもらいたい、という意味ですよ」

「ひゃ、ひゃい……っ!……そう、ですよね……」

「いやはや、流石は蕩し御免状を貰うだけのことはありますなぁ」

「……蘭丸さまにはその気がないというのが中々に……」

「ちょ、ちょっと詩乃?」

「心中お察しいたしますぞ、詩乃どの。これからは公方さまや双葉さまも大変ですな……」

「あ、あの、幽さんもそういうことを話している場合じゃなくてですね」

 

 慌てる蘭丸に笑う剣丞。

 

「はは、でもさ蘭ちゃん。欲しいなら頼んでみたらいいんじゃないかな?」

「頼む、ですか?」

「剣丞さまはお気づきになられたのですね」

 

 感心したように詩乃がいう。

 

「うん、ついさっきだけどね。蘭ちゃん、今の自分の立場を考えたら分かるんじゃないかな?」

「立場……まさか。……幕府から小寺家に依頼を出す……ということですか?」

 

 

 最終的には蘭丸が一葉に頼んだところ、次の日の朝一番で早馬で使いを出すことになった。交渉になることもなく、雫は蘭丸隊へと加わることになった。



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幕間
幕間7 蘭丸隊の奮闘記-その壱-


今回は短めになります。


「……」

 

 満月を見上げた蘭丸は静かに物思いに耽っていた。久遠の宣言、一葉、双葉との婚姻……。自らにそれほどの価値があるか、という疑問は未だにあるが久遠の決めたことだ。恐らく間違いはないだろうと考えるが……。

 

「はぁ……」

 

 溜息をついた蘭丸。考えても現状が変わるわけでもなければ、久遠の為を考えれば前向きに考えるべき事柄だ。元より戦国の世に生きている蘭丸にとって重婚そのものはそこまで違和感を感じない。……相手が相手だけに、ということだ。

 

「おう、お蘭じゃん。どうしたんだよ」

 

 そう声をかけてきたのは姉である小夜叉だ。愛槍で肩をポンポンとたたきながら蘭丸へと近づいてくる。

 

「姉さま……」

「んだよ、らしくねぇじゃねぇか。殿の宣言で悩んでんのか?」

「悩んでる……そうですね。久遠さまや結菜だけでも恐れ多いことなのに、一葉さまや双葉もというのは……」

 

 俯く蘭丸に近づくと小夜叉は隣に座る。

 

「ん~、難しいことはわかんないけど、オレの妹なんだからもっとしっかりしろよ!お蘭はすげぇんだって自信持つのも殿の夫になるなら必要なんじゃね?」

「姉さま……はい!」

「へへ、お蘭はちゃんといつも笑ってろよ。殿も母も、そんなお蘭が好きなんだからよ。勿論オレもな!」

 

 くしゃくしゃと少し乱暴に頭をなでた小夜叉は立ち上がる。

 

「んじゃ、オレは母と近くに鬼がいねぇか探してくるからな。悩みすぎるなよ~」

 

 手を振りながら立ち去る小夜叉。内心で感謝の言葉を言いながら蘭丸は見送った。

 

 

「う~む」

 

 腕を組み、何かを悩む久遠。

 

「どうかされましたか、殿」

「……家中で、お蘭との婚姻を望みそうな者はどれくらいおるかと思ってな」

「蘭ちゃんに……ですか」

 

 壬月に答えた久遠の言葉に麦穂が腕組で考える。

 

「蘭丸隊の子たちは剣丞どの……あと鞠ちゃんもですかね。お二人を除いた全員と考えてもよさそうですが」

「他はどうでしょうな。好意的な者であれば多数いるとは思いますが……」

「……壬月と麦穂はどうなのだ?」

 

 久遠の質問に固まる二人。

 

「……私はそのようなことを考えたことはありませんのでなんとも」

「私は妹のように思っていますが……婚姻となるとわからない、というのが正直なところでしょうか」

「ふむ、デアルカ。……とはいえ、もしそういったことを考えることがあれば我に遠慮せずに言うようにせよ」

「……はっ」

「かしこまりました」

 

 

「さて、作戦会議です」

「えっと……詩乃?これは一体何の作戦会議なんですか?」

 

 決して広くはない部屋の中には詩乃、雫、ひよ子、転子、新介、小平太、梅が集まっていた。状況が飲み込めていない雫が詩乃にたずねているところだ。

 

「蘭丸さまとの結婚のためにどのような行動に移していくか、その方針を決める場です」

「えぇっ!?わ、私も入っちゃっていいんでしょうか……?」

「……おや、雫は違いましたか?蘭丸さまとの婚姻を望まないのであれば……」

「い、いえっ!そういうわけではないんですけど……」

「……なぁ新介。なかなか好敵手は多そうだけど」

「……わかってはいたけど」

 

 苦笑いの小平太と目を閉じて首を振る新介。

 

「詩乃ちゃん詩乃ちゃん。それで、私たちは何をするの?」

「そうですね……現状最も蘭丸さまと婚姻関係に近そうなのは、私たちの中ではころです」

「えっ!?わ、私っ!?」

 

 詩乃の言葉に驚く転子。ほかの皆は納得したように頷く。梅を除いて。

 

「あら、そうですの?」

「えぇ。ころは以前に蘭丸さまと二人きりで各地を巡ったことがあると聞きましたから。二人きりで」

「ちょっと詩乃ちゃん!?もしかして根に持ってる!?」

「そういえば私たちが美濃に潜伏してる間に行ってたって聞いたわね。……うらやましい」

「新介さんまで!?」

「は、ハニーと二人きりで旅行なんてうらやましすぎますわ!ころさん!」

「旅行じゃないですって!」

 

 きゃいきゃいと騒ぐのをぱん、と詩乃が手を打って止める。

 

「とはいえ。現状での奥方は久遠さま、結菜さま、一葉さま、双葉さま……通常の奥向きを考えるなら正室が久遠さまであれば、側室で一葉さま、結菜さま、双葉さまという形になるのでしょうが……」

「公方さまを側室……というのは考えづらいですよね」

 

 詩乃の言葉に雫が返す。それに頷く詩乃。

 

「であれば、可能性としては正室、側室というものを立場で変える……といった具合でしょうか。正室は位の高い久遠さまと一葉さま。側室として結菜さまと双葉さま。……ふむ、私たちは……愛妾か伽役か……求めて頂けるのであれば名などどれでもかまいませんが」

「まさしく!詩乃さんのおっしゃっていることは愛ですわ!」

「……否定はしませんが」

 

 立ち上がり拳を掲げながら言う梅に若干いやいやながら同意する詩乃。

 

「あの、蘭丸さまは……私たちを受け入れてくださりそうなのですか?」

「……それは、久遠さまのお決めになられたことではなく、ということですね?」

 

 雫の質問に詩乃がさらに返す。

 

「そうだよね。やっぱり蘭丸さんにも愛して頂きたいよね!」

「ひよの言うとおりですね。……そうですね、戸惑いはされるかもしれませんが蘭丸さまならきっと無碍にはなさらないでしょう」

「確かに蘭丸さんならそうかな……」

 

 転子も詩乃の言葉に同意する。

 

「で、ボクたちはどうすんの?蘭丸さまにその気になってもらえるように誘惑とか?」

「ちょ、小平太!?アンタ意外と大胆ね……」

「……私の貧相な身体でそれはかなり難しいと思いますが」

 

 詩乃が自分の身体を見下ろしながら呟く。

 

「あら、誘惑でしたらわたくしの出番ですわね!」

 

 自信あり気に胸を張りながら梅が言う。

 

「……まぁ、世の一般的な男性であれば梅さんのような方を好みそうではありますが……相手は久遠さまに心底惚れ込んだ蘭丸さまです。恥ずかしそうにされることはあれど、その程度で誘惑できるとは思えませんが」

「あ、あはは……詩乃、言いたい放題ですね」

「ではどうしますの?」

「……それを話し合っているのです」

 

 うーん、と考え込む一同。

 

「……一人で駄目なら二人で、とか?」

 

 ひよ子が呟く。

 

「私、ひよと一緒なら頑張れる……かも?」

「……ひよところですか。なかなかにいい組み合わせかもしれませんね。……雫?」

「えぇっ!?わ、私でいいんでしょうか?」

「私とであれば適役では?」

「ならボクと新介かな?」

「……まぁ、アンタとなら別にいい……かな」

 

 次々と相方が決まっていく空気。

 

「ちょ、ちょっとお待ちなさいな!わたくしだけ一人じゃありませんこと!?」

「……梅さんは立派な身体があるのですから十分では?」

「ちょっと詩乃さん!?」

「あ、あはは……でも、梅ちゃんだけ仲間はずれみたいになっちゃうし……」

 

 転子が苦笑いで言う。

 

「……ほかに家中に蘭丸さまと婚姻を結びたそうな方はいましたか?」

「う~ん……三若の方々はちょっと違う感じ……だよねぇ」

「そうだねぇ。どちらかというと遊び相手?みたいな感じかな」

 

 ひよ子の言葉に転子も同意する。

 

「……わかりましたわ。まずはわたくし一人でハニーを口説き落とすことにします!た・だ・し!もし成功したときには仲間はずれは嫌ですわよ?」

「勿論だよ!」

「……とはいえ、私たちが動くことで蘭丸さまに負担がかかっては意味がありませんから、節度は守るように気をつけましょう」

 

 詩乃の言葉で一旦この集まりは解散する。そして、蘭丸隊の奮闘が始まる。



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金ヶ崎の退口
48話 小谷への道


仕事が忙しく更新頻度が激低下してますので本編を早めに進めていきます!


 二条館を襲った、鬼と化した三好衆との戦いから幾日かが経過した。戦いの傷も癒え、英気もそれなりに養えたと判断した久遠は、小谷、そして越前侵攻の下知を下した。

 

「上洛し、足利公方との合流も果たした!次は鬼に支配されし越前の解放に向かう!各々、存分に手柄を立てよ!」

 

 足利公方……一葉を味方に引き込んだということは、大きな大義名分を掲げることができるということだ。それはすなわち今後の動きへの大きな足がかりでもある。

 

 久遠の宣言を受け、一行は近江路を小谷に向けて進発した。

 

 

「あわわ……本当にいいんですか、蘭丸さん!?」

 

 先日の戦いにおける勲功一番と言われた蘭丸隊は、進軍の先頭に立つという名誉を受けて織田・松平連合軍の一番前を行軍しているのだ。それに動揺しているのはひよ子だ。

 

「ふふ、大丈夫ですよ。実際に私たちの活躍が認められたのですから、ひよも自信を持っていいんですよ」

「あはは……ひよが緊張しちゃう気持ち少しは分かるけどね」

 

 蘭丸、剣丞はそういうと後ろを振り返る。ずらっとはるか遠方までひしめく兵たちの姿が見えて誇らしい気分になるが、同時にひよ子の言う緊張も感じる。

 

「蘭丸さま、もうすぐ小谷が見える今浜に到着します。ですが……」

 

 新介が馬を寄せ、蘭丸に報告するが少し訝しげな様子だ。

 

「何か気になることでも?」

「いえ、それが……」

「新介ー!あ、蘭丸さま!えっと、前方に織田木瓜(おだもっこう)の旗が見えるんですよ!」

「旗が……?」

 

 小平太の言葉を聞いて、蘭丸たちも視線を前方に向ける。

 

「……本当ですね」

「えっ!?何も見えないんだけど!」

「あはは、剣丞さま目が悪いんですねぇ」

「えぇっ!?これでも一般人の中では、それなりにいいほうなんだけど」

「ふふ、剣丞さま、前方の曲がり道のところに植えられた松の下辺りですよ」

 

 蘭丸が微笑みながらそう剣丞に伝える。

 

「うーん……あ、あれか。よく見えるね」

「ですが、あれは……」

 

 蘭丸も不思議そうな表情を浮かべ、何かに気づきはっとする。

 

「っ!剣丞さま!すぐに久遠さまに伝達を!結菜さまがいらっしゃいます!」

「えぇっ!?」

 

 

「久しぶりね、蘭ちゃん。元気にしてた?」

「結菜さまっ!?どうしてこんなところに……」

「久遠に呼ばれたのよ。兵と小荷駄を率いて、今浜で待っていろってね」

「久遠さまに……?私は何も伺っていないのですが……」

「ふふ、きっと蘭ちゃんを驚かせようと思ったんでしょうね」

 

 そう言って、結菜は懐を探り一通の書状を取り出した。

 

「……確かに久遠さまの花押(かおう)も押されてますね。それに久遠さまの字。……ですが、どうして久遠さまは今結菜さまをお呼びになったのでしょう?」

 

 朝倉との決戦が近いときに……そう思った蘭丸だったが、まさかという考えに行き着く。

 

「たぶん今蘭ちゃんが考えていることであってると思うわ。……戦のために私を呼んだんでしょ」

「えぇっ!?結菜さまが、ですかっ!?」

 

 驚く新介。

 

「……結菜さまのお強さは私も知っています。ですが、私は反対です!結菜さまにそんな危険なこと、させられませんっ!」

「ちょっと蘭ちゃん、何処行くの?」

「久遠さまに直接お話をさせていただきます」

「待ちなさい、蘭ちゃん」

 

 結菜の言葉と同時に蘭丸の周囲に気が充満する。

 

「なっ、結菜さまっ!?」

雷閃胡蝶(らいせんこちょう)!!」

 

 気が蝶の形と為り、それが雷となって爆発する。

 

「どう?私の腕、なまってるかしら?」

「……いえ。ですが、結菜さまも私の大切な方です。危険な場所にお連れしたくないという蘭の気持ちは分かってください」

 

 しぶしぶといった形で認める蘭丸を笑顔で抱きしめる結菜。

 

「ありがと、蘭ちゃん。でも、私だって蘭ちゃんと一緒にいたいんだからね?」

「……は、はい」

 

 

 結菜が満足して蘭丸を開放した後。

 

「そういえば、蘭ちゃん。今嫁は何人くらいいるのかしら?」

「えっ!?」

「蘭ちゃんの嫁か。……久遠が第一夫人……正室、だっけ?で、一葉が第二夫人だっけ」

「剣丞さまっ!?お二人目は結菜さまですっ!」

「はぁ、剣丞そういうところ直さないともてないわよ。で?」

「三番目が一葉さま……足利義輝さまで、次いで足利義秋さま……双葉ですね。正式に決まっているのは以上です」

「ふぅん……で、他の子たちは?」

 

 そう言って蘭丸隊の面々を見渡す結菜。

 

「はは……蘭ちゃん頑張って」

 

 剣丞はそういうとすすーっと離れていく。

 

「ちょ、剣丞さまっ!?……こほん、ですが私の今の立場でそういうことを決めてしまってもいいのか分かりませんし……」

「別に構わんぞ」

「久遠!」

 

 そう言って現れたのは久遠だ。

 

「久しいな、結菜。息災であったか?」

「お蔭様でね。久遠はどう?ちゃんとご飯食べてた?ちゃんと寝れてた?……あ。あなたちょっと痩せちゃってるじゃない!ご飯食べられてないんでしょ!」

 

 矢継ぎ早に言葉を繋いだ結菜が、久遠の身体を抱きしめてあちこち触る。

 

「こ、こら!そんなこと、今はどうだっていい!」

「よくないです!(よくないわ!)」

 

 久遠の言葉に蘭丸と結菜が同じ答えを返す。

 

「久遠さまはご自身のお身体を大事にしなさすぎです!私がついていないときなど食事を取られてなかったのですか!?ご飯を食べ、しっかりと睡眠をとって。休息を取っておかないと駄目ではありませんか!」

「蘭ちゃんの言うとおりよ!あなたはもうちょっと自分自身を大切にしなくちゃダメ!」

 

 二人がかりで叱られてたじたじの久遠。

 

「で、話を戻すけど」

「うむ。もしお蘭のために。日の本のために鬼と戦うというのなら、誰にでもその資格はある」

「いいのね?」

「……あぁ。我は既に納得している。お蘭」

「久遠さまがお決めになられたことです。私も心は決めております」

 

 その言葉を聞いた蘭丸隊の面々。

 

「ふむ、ならば私は手を挙げましょう」

 

 挙手の姿勢で詩乃が進み出る。

 

「私も!私も手を挙げちゃいます!」

「わ、私だって!」

「ボクたちもだよね、新介!」

「も、勿論!」

「ハニーの嫁はこの私と決まっておりますわぁ!」

 

 わいわいと盛り上がる蘭丸隊の面々と少し驚いた様子の蘭丸。

 

「……ちょっと待って久遠。これはちゃんと奥を取り仕切らないとマズイことになるわよ」

「反対はせんのか?」

「久遠が考えてること、よく分かるもの。それが最良の一手だってこともよーく理解してる。私たちの中での得心がいってるのも分かるけど、それとこれとは別問題。奥の乱れは家中の乱れに繋がるんだから、しっかり宰領しておかないと」

「うむ、だから結菜を呼んだのだ」

「こ、このために呼びつけたの!?はぁ、もう仕方ないわね」

 

 全く!と怒りながらも少し嬉しそうな結菜である。

 

 

「皆が愛妾、ですか」

「蘭丸さま、お嫌……ですか?」

 

 詩乃が少し不安そうにそう尋ねてくる。

 

「いいえ。詩乃も皆も、私のことを支えてくれる仲間だと思っていますし、可愛い子たちだと思っていますよ」

 

 蘭丸に可愛いといわれ、頬を染める蘭丸隊(剣丞除く)。

 

「……そうですね、私もしっかりと覚悟を決めないと。詩乃、私にとって最も大切なのは久遠さまです」

「存じ上げております。私たちもそれは分かった上で蘭丸さまと添い遂げたいと思っているのですよ」

「ありがとう、詩乃。私は皆に会えてとても幸せですよ」

「私たちだって!蘭丸さんと出会えて、触れ合えて……すっごく幸せです!」

「そうです!蘭丸さんは私たちのことを幸せにしてくれてるんです!だから、あの……」

「ほら、新介も!」

「ら、蘭丸さま!ずっとお慕いしておりましたっ!!」

「ですから、私たち愛妾のことも正室、側室の皆様と同じくらいしっかりと可愛がってください」

「約束ですわよ、ハニー?」

 

 

 蘭丸隊での会話が終わった後、越前の話へと変わる。

 

「久遠さま、越前の件ですが」

「……うむ。眞琴からの書状によると何度か越前に向けて草を放っているらしいのだが……」

「帰ってきていないの?」

「誰一人、な」

 

 久遠の言葉に思案する詩乃。

 

「なるほど。……なかなかの難国のようですね」

「しかし情報は戦において大きな武器となりますわ。何とかして情報を手に入れないとなりませんわね」

「そうだなぁ……久遠」

「ダメだ」

 

 剣丞が何かを言おうとしたのを久遠が遮るように否定する。

 

「……まだ何も言ってないんだけど」

「剣丞さま、どうせご自身で見に行くなどとおっしゃるつもりだったんでしょう?」

「う」

「剣丞さまのお立場はとても大切なものだと何度お話すれば……」

 

 蘭丸から叱られている剣丞を見て苦笑いの一同。

 

「剣丞さまが動けないのでしたら、姫路衆から物見を出しましょうか?」

「いや、余計な被害を出したくはない」

 

 雫の提案に久遠は首を横に振る。

 

「では、自分が行きましょう」

「ダメだ。小波一人じゃ危険すぎる」

 

 蘭丸に叱られていた剣丞が小波をとめる。

 

「し、しかしこれが自分の仕事でもありますから……」

「確かに小波の仕事ですが、今回ばかりは危険すぎます。剣丞さまのおっしゃるとおり、今の状況では一人で行かせられません」

「この身をそこまで……分かりました」

「はーい。考えるのはここまでにしましょう。今は早く眞琴たちと合流するべきよ」

「うむ。では蘭丸隊、先導を頼むぞ」

「はいっ!」

 

 

 小谷城の全景が見えてきた頃、陣は組んでいないものの浅井の御旗である三つ盛亀甲が見えた。

 

「あのような場所に出てきているとは……久遠さま、何かあったと見るべきでしょうか?」

「うむ、合流してみねば分からぬが可能性はあるな。お蘭」

「はっ、ひよ、ころ。先触れを」

「「了解!!」」



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49話 賤ケ岳軍議

超お久しぶりです!

お仕事などが忙しく長い期間放置が続いて申し訳ございません!
お待ちいただいていた方、いらっしゃいましたらこれからもよろしくお願いします!


「お姉さま!」

「お姉ちゃん!」

 

 蘭丸たちが城門へと近付くと眞琴と市の二人が駆け寄ってきた。だが、その表情はどこか厳しかった。

 

「眞琴、市。……状況を聞こう」

 

 二人の表情に何かしらの異常を察知した久遠は、すぐさま姿勢を改めるとそう問いかけた。

 

「実は先日……」

「越前から江北に、鬼の奴らが群れを成して侵攻してきたの!」

 

 

 二人の説明を要約すると、越前の国境……賤ヶ岳方面から現れた鬼の群れが江北へと入り、周辺の村々を荒らし尽くして越前へと帰っていったということだった。しかも、眞琴たちが救援として向かった途端に方向転換し、まるで完全に統率が取れているようであった、と。

 

「上級の鬼が存在するという確たる証左。そして越前内部がその上級の鬼に仕切られ、戦略を持って動くようになったということでしょう」

「鬼が……知恵を持ったと?」

 

 蘭丸は自分が戦った相手を思い出す。確かに自らの意志を持って考え、戦っていた。もしそんな存在が増えていけば、と。

 

「わかりません。残念ながら私とて鬼の全てを識っている訳ではありませんから……」

「ですが、鬼との戦いがまた一段と難しくなるのは……間違いないでしょうね」

 

 蘭丸の言葉に静まる一同。

 

「……ここが切所、ということか。しかし鬼の力が増した以上、難しい戦いとなるであろうな……」

「違うよ、久遠も蘭ちゃんも。それは考えすぎだ」

「考えすぎ?」

 

 久遠が首を傾げる。それに力強く剣丞が頷く。

 

「鬼が強くなって大変とか、難しいとか。そうじゃないと思うんだ。鬼が強くなってどうのじゃなく……手の届く場所に、倒すべき敵を捉えたって考えようよ」

 

 剣丞の言葉に全員が息を飲む。

 

「どうせ越前に侵攻するのは確定なんだ。ちょっとだけ手強くなっただけで、でも敵はすぐ近く。……そう考えたほうが気楽じゃない?」

「……ふふ、剣丞さまらしいですね」

 

 一番目に蘭丸が剣丞の言葉に表情を和らげる。

 

「なるほど。そう考えれば、知恵が湧いてきますね」

 

 蘭丸に続いて詩乃が同意する。

 

「その鬼を操る某という輩が居ると言うのならば、この蒲生梅、ハニーのために鬼どもを蹴散らし、黒幕とやらのそっ首を刎ね飛ばしてご覧にいれますわ!」

 

 力強い梅の言葉に蘭丸隊の面々が声を上げていく。それを見た久遠もふっと一つ息を吐いて表情を緩める。

 

「確かに剣丞の言う通りかもしれん。……敵が多少強くなろうとやらねばならんのだ。……眞琴よ、ありったけの情報を詳しく教えよ」

 

 

 軍議にて、詳しい情報が再度共有される。五十の鬼で集落三つを壊滅。すでに鬼の首魁は次の手を打ってきているようだ、と。

 

「……これは、俺の推測でしかないんだけど。鬼は俺たちのことをジッと観察しているように思えるんだ」

 

 剣丞の言葉に頷く蘭丸。

 

「しかし、越前を捨て置くことは出来ません。……今も越前の民は鬼に怯え、恐怖に(おのの)いていることでしょう。弱き者たちを守るためにも……」

 

 そう口を開いたのは葵だ。

 

「この日の本を異形の者どもの好きにさせる訳にはいきません。今、越前を討たないと……っ!」

「……久遠さま」

 

 蘭丸が久遠へと視線を向ける。

 

「……変わらん」

「本当にそれでいいんだな?」

 

 剣丞が確認を取るように再度言うと久遠は頷く。そんな久遠に若干の迷いを感じた蘭丸はそっと傍へと寄る。そんな蘭丸に微笑みを向けた後、小さくうなずく。

 

「葵。眞琴。我に力を貸せ」

「この日の本から鬼を駆逐するために」

「人が異形の者に蹂躙されることのない……あるがままの日の本を取り戻すために」

 

 眞琴と葵が答える。それに満足気に頷いた久遠。

 

「……壬月!」

「はっ!」

「越前討ち入りへの準備を進めぃ!」

「御意!」

 

 久遠の言葉に続けて葵が声を上げる。

 

「悠季。歌夜。松平衆を」

「はっ!」

「御意に」

 

 歌夜と悠季が返事とともに行動を開始する。

 

「まこっちゃん!市たちも頑張ろうね!」

「もちろんだ!」

 

 気合を入れる小谷衆。

 

「共々!次の戦は異形の者との戦いである!……今宵は無礼講を差し許す。英気を養い、この日の本のために全力を尽くせ!」

 

 おぉ!と上がる雄たけびの声。

 

「……何故でしょう」

 

 ぼそりと呟く蘭丸。

 

「胸騒ぎが止まりません。……ですが、私のやることは一つ。日の本の、久遠さまの未来のために」

 

 

 ……夜。

 

「あれからどれほど経ったのだろう?何時間?それとも何十時間……?何故私が再び当世にて目覚めたのか。……巡り巡った外史は、何処へ向かっているのか……」

 

 エーリカが月を見上げながら呟く。

 

「此度もまた……鬼の世は止まらず……最早、猶予はないのかもしれぬ……」

 

 その呟きに答えるものはなく、闇に吸い込まれていった。

 

 

 次の日、久遠の号令にて出発した一同。先陣を進むのは蘭丸隊である。物見や、戦前に露払いなどの役割のためだ。

 

「蘭丸ーっ!剣丞さまぁーっ!」

 

 剣丞や蘭丸が指示を出しながら進んでいると、後方から足音とともに見知った顔が現れた。

 

「あれ、綾那?松平衆の指揮はしなくていいのか?」

 

 剣丞が驚いて声をかける。

 

「綾那が先頭に行きたいって、聞かなくて……」

 

 困った風に言う歌夜に苦笑いを浮かべる蘭丸。

 

「えへへー、行軍するなら、やっぱり先頭が一番楽しいのです」

「それじゃ、ちょっとお話でもしよっか。指示も終わったしあとは仲間に任せようと思ってたからさ」

 

 ちらっと視線を蘭丸に向ける剣丞。それにこくりと頷くと蘭丸も話に加わる。それから少しした後。

 

「綾那、歌夜。剣丞様と蘭丸のお邪魔をしてはいけませんよ」

 

 そう言って現れたのは葵だ。

 

「いやいや。全然邪魔なんかじゃないよ。久しぶりに二人と話ができて、楽しい時間を過ごさせてもらってる」

「それは重畳です」

 

 ふふっ、と柔らかく笑いながら、葵は馬を並べる。

 

「葵さまとこのようにお話をするのは久しぶりかもしれませんね」

 

 蘭丸が微笑みながら言うと同じように葵も微笑みを返す。

 

「そうね。上洛が決まってから、慌ただしい日々だったから」

 

 言葉を交わした後、一時二人の間に沈黙が流れる。

 

「……この国はこれから先、どのようになっていくのでしょうか……」

「……正直、わかりません。ですが」

 

 ちらと少し前方で綾那と楽しそうに話している剣丞を見ながら蘭丸が言う。

 

「今回の戦、剣丞さまには何か思うところがあるらしく、いつも以上に小荷駄を増やしているんです。……私としては少しそこが気になります」

「ふむ……では我々三河衆も念には念を入れておくわ」

「そうしてください。私はもしもの時は久遠さまのお傍につきます。ですから」

「えぇ。剣丞様は私たちに任せて。綾那も懐いてるようだし」

 

 

「森様!新田様!佐々様より伝令!本陣は賤ケ岳に布陣を決めたとのこと!蘭丸隊はそのまま先行して、本陣設営の準備をせよ、とのお達しです!」

「はいよー!やっとくよー。……賤ケ岳かぁ」

 

 剣丞が何やら考え込む。

 

「賤ケ岳から、ひとまずの目標である敦賀城(つるがじょう)まで、一両日の距離。そこで最後の軍議を開くのでしょう」

「いよいよということですね」

「我ら松平衆は、敦賀ではなく手筒山城(てづつやまじょう)を攻めることになりましょうが、敦賀城攻めには浅井衆も居ります。まずまず心配はございませんよ」

「そうかもしれないけど……やっぱ緊張するよ」

 

 そう言った剣丞に微笑み葵は続ける。

 

「ふふっ……ならば我ら松平衆は、一刻も早く手筒山城を落とし、剣丞さまをお助けするべく参上致しましょう」

「頼りにしてます」

「葵さま、ご武運を」

「えぇ、蘭丸も」

 

 

「軍議を始める」

 

 壬月の凛とした声が響く。決戦が近いこともあり、ほどよい緊張感が場に走る。

 

「越前に侵入した我らの最終目的地は、義景のいる一乗谷だ。しかしその一乗谷を落とすためには、各所に築かれた城を叩いておかねばならん」

 

 久遠の言葉に壬月が続ける。

 

「ひとまずの目標は、一乗谷の門番を務める敦賀城と、その出城の手筒山城の突破になります」

「攻城戦の最中、本陣は妙顕寺(みょうけんじ)に置き、手筒山城攻略は松平衆に任せる」

「御意にござります」

「織田家は柴田、丹羽の衆を中心に敦賀を攻めることとなる。母衣衆は殿の下知に従え」

「はーい!」「へーい」「ほーい」

 

 壬月の言葉に三若が答える。

 

「浅井衆も敦賀城攻めに加わっていただきたいのですが……ご異存は?」

「特にないよ。お姉さまの要請に従うつもりだ」

 

 壬月に眞琴は迷うことなく答える。

 

「ありがとうございます。……では部署は以上となる。ともども、依存はあるか?」

 

 締めようとする壬月に声を上げるのは勿論桐琴だ。

 

「おおいにあり!」

「……森の。言いたいことはわかる。……先鋒を寄越せと言うのだな?」

「わかっているなら話が早い。柴田や丹羽の軟弱者どもに敦賀城攻めの先鋒なんぞ務まるはずもなかろうが」

「さすが母!やっぱ先鋒はオレら森一家の出番だもんなー!」

 

 小夜叉も賛同する。

 

「まぁ確かにな。織田衆一の強さを誇る森一家には、まさにうってつけではあるが……だがな、森の」

「なんじゃ?」

「森一家こそ、我ら織田衆の切り札だ。その切り札を前菜である敦賀城の攻略如きで使っていては主菜である一乗谷を堪能することは出来んであろう?」

「……ふむ、一理あるな」

 

 壬月の言葉に納得したように桐琴が答える。

 

「一乗谷への一番乗りは森一家に任せよう。その代わり敦賀城については、我らに任せておけ。……どうだ?」

「……壬月よ。口が上手くなったものだ」

 

 ニヤリと口角を上げて桐琴が言う。それに平然と壬月は答える。

 

「事実を言ったまでだが。……で、どうする?」

「良いだろう。その案、乗ってやろう!」

「うむ。ならば森一家は蘭丸隊の護衛を頼む」

「応よ。お蘭、孺子!大船に乗ったつもりでいろや!」

「はい!母さまと一緒は久々ですね!」

「はは、心強いよ。よろしく桐琴さん。それに小夜叉もよろしくな」

「へへっ、しゃーねーなぁ。剣丞はこのオレ様が守ってやらぁ!」

 

 剣丞と仲良く会話をする小夜叉を見て蘭丸はさらに嬉しそうな表情を浮かべる。

 

「ではこれで部署はすべて決まったな。……殿」

 

 そこまで沈黙を続けていた一葉が待ったをかける。

 

「待て、鬼柴田よ。余らはどうするのだ?まさか後ろで戦見物をしてろとでも?」

「前へ出るには人数が足らんではないか」

 

 壬月では返しづらいと思ったのか、久遠が口を出す。

 

「足利衆は総勢、百に満たない数。八咫烏隊が居るため、火力はそこそこありますが、その陣容で公方さまを前に出す訳には参りません」

「ははは、一葉。言われておるぞ」

 

 信綱が笑いながら言う。

 

「いや、お前も同じなのだぞ。……ならば蘭丸隊と合流すれば人数は足りるぞ!」

「……で、蘭丸隊にも前に出ろっていうつもり?」

 

 剣丞が苦笑いで尋ねる。

 

「うむ♪」

 

 満面の笑みで頷く一葉。

 

「却下」

「なぜだーっ!?」

「うちは敵と正面衝突できるほど、武闘派揃いって訳じゃない。どっちかっていうと搦め手専門の部隊なんだから、後方に居たほうがいいんだよ」

 

 剣丞の正論に言い返せない一葉。

 

「そこはほれ。余のお家流でドカンと一発……」

「却下だってば」

 

 ごねる一葉をなだめる剣丞に蘭丸が助け舟を出す。

 

「一葉さまは私にとっても、日の本にとってもとても大切な方です。今のこの国の状況に責任を感じ、なんとかしようとする気高い心は私にもしっかりと伝わってきました。ですが、一人でできることには限界が御座います。ですから、今は皆の力を信じてほしいと私は思います。……駄目ですか?」

 

 少し上目遣いに蘭丸に言われた一葉はうっ、と言葉に詰まる。

 

「……蘭丸がそこまで言うのであれば、仕方がない。料簡(りょうけん)してやろうではないか」

「やれやれ。蘭丸どのに心を言い当てられて嬉しかったくせに、素直ではありませんなぁ」

「……ふんっ。そんなことはないぞ。多分な!」

「ははは!相変わらず面白いな、一葉は。私としては別に鬼を斬りたいわけではないから別に構わん。久遠よ、私の力が必要なら声をかけろ」

「うむ。その時は頼む」

「で、織田殿よ。私はどうすれば良い?」

 

 次に声を上げたのは白百合だ。

 

「……貴様はどうしたい?」

「上方の武士は腰が砕けているのが常。……正直、鬼と正面から戦うのは避けたいところであるな」

「そして我らが弱ったところを見計らって、裏切って見せるのか?」

 

 そう言ってにやりと笑う久遠に高笑いを上げる白百合。

 

「くははっ!当然である。主に力無くば取って代わる。それこそが下克上の妙味であろう?」

「ほざきおる」

「しかし、日の本の未来に眼を転じてみれば、この危機を乗り越えられる英雄は日の本広しといえどごく僅か。織田殿の他には、甲斐の武田、三河松平のみ……というのが我の見立てだ。今はおとなしく臣従しておこう」

「事々に理屈が多いの、貴様は」

 

 嫌そうに一葉が言う。

 

「理と利こそが乱世を生き抜く基準であろう?……それでどこにおれば良い?」

「中軍で壬月たちを助けよ。……怖くなったら逃げても構わんぞ」

「ふっ。分かった」

「金柑!」

「はっ……」

「森が力の切り札とすれば、知の切り札は貴様だ。……本陣に属し、戦況を分析せい」

「御意。……」

 

 どこか、いつもと違う雰囲気のエーリカに蘭丸は少し目を細める。

 

「ではこれにて軍議を終了する」

「共々!この一戦こそ、日の本の未来を占う一戦となろう!命を惜しむな!名を惜しみ、思う存分武功を上げよ!」

 

 久遠の言葉に力強く応と答える一同。

 

 

 運命の決戦は目の前まで来ていた。




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50話 金ヶ崎の退口

 翌日の早朝。陣を引き払い連合軍は目的地に向かって粛々と進軍していた。すでに松平衆とは別れ、敦賀城が見える距離にまで近づいていた。

 

「あれは……一体?」

 

 蘭丸がそう口にするのも仕方がないだろう。城攻めに備えて待機している蘭丸たちの目の前には、みすぼらしいまでに朽ち果てた敦賀城の姿だったからだ。

 

「貧乏であった頃の二条館よりも酷いのぉ」

「住居というものは、人の手が入らなくなった途端に朽ちてしまいますからな……諸行無常でござろう」

 

 一葉と幽がそう言う。

 

「城の外観よりも今、心配しなければならないことは、鬼の動きです」

 

 詩乃の言葉に蘭丸が頷く。

 

「そうですね。ここまで接近しても未だに迎撃にもでない。籠城という選択をするというのは少々違和感というよりも不気味さすら感じますね」

「では、何かの策を弄している……と考えるべきかと」

 

 雫の言葉に詩乃は頷く。

 

「上級の鬼や中級の鬼のように知能を持った者がいると仮定すればあり得ない話ではありませんね」

「うーん……小波!」

 

 剣丞が声を上げると音もなく小波が現れる。

 

「お傍に」

「周囲の様子はどう?伏兵とか潜んでいるかな」

「いえ。周囲一里四方、くまなく探っておりますが鬼の気配はございません。……それどころか、人の気配も動物の気配もないのです。……どういうことなのでしょう?」

「……最悪の事態も想定しておかなければならない、といったところでしょうか」

 

 そんな会話を交わしている途中で前方から太鼓の音と雄叫びが聞こえてくる。

 

「なっ……先鋒はもう仕掛けたのですかっ!?」

「早いぞ、壬月さん!」

 

 驚く詩乃と剣丞。

 

「状況が分からないのに、もう城攻めに入るなんて。壬月さまたち、焦っていらっしゃるのかな……」

「……いえ、これは……抵抗が薄すぎる。すでに決戦に備えて……?いえ、しかしこの場を完全に棄てる意味は……」

 

 蘭丸が一人呟く。それと同時に剣丞が桐琴と小夜叉を呼ぶように指示を出す。

 

「薄い迎撃に、すぐに落ちそうってぐらいに抵抗のない城門。……どう考えたって何かあるだろ、これは」

 

 剣丞の目が虚空を睨むようになる。

 

「……烏、雀!」

「……」

「はーい!なんですか公方さまー?」

 

 一葉の声にこたえて八咫烏隊の二人が返事をする。返事をしたのは厳密には一人だが。

 

「八咫烏隊、すぐに動けるようにしておけ。先ほどの秘密兵器を使うことになるやもしれん」

「了解でーーーっす♪」

「剣丞の勘、余も信じよう。……備えあれば憂い無しとも言うでな」

「ありがとう、一葉……」

「おーい、蘭丸くーん、剣丞くーん」

「雛……?城門攻略に参加していたはずでは?」

「城門のほうは和奏ちんと犬子の二人が張り切ってるから、特に問題ないよー。思ったより抵抗も少ないし、鬼だってそこまで強いとは感じないかなー?」

 

 やはり抵抗が少ないのか、そう蘭丸は再び思案する。

 

「それよりさ、そろそろ本格的に攻めるから、蘭丸隊にももっと前に出て欲しいんだってー」

「久遠さまが?」

「うん。エーリカさんの進言もあって、そのほうがいいだろうって判断したみたい」

「ですが、久遠さまの本陣がいきなり城門攻めに加わる予定はなかった筈」

「機を見るに敏って奴だよ。柴田・丹羽両隊の動きに対する鬼の動きの鈍さを見て、決定したみたい」

「久遠さまらしいといえばいいですが……」

 

 どうにも言い表せない違和感。それは剣丞も感じているようだ。

 

「おーい、来てやったぞー」

「全く。ワシらを呼びつけるとはいい度胸だ」

「ごめん二人とも。ちょっと確認しておきたいことがあるんだ」

「確認だと?」

「……二人は何も感じない?すべてがうまく行き過ぎてて気持ち悪いというか……」

 

 剣丞がそう桐琴と小夜叉に質問しているのを聞きながらも蘭丸の視線は前方の久遠がいるであろう場所へと向けられていた。人の動きを見て蘭丸が口を開く。

 

「……落ちましたね」

「えぇっ!?お城、もう落ちたんですか!?」

 

 驚くひよ子にこたえるように小波からも連絡が入る。

 

「二刻も経たないうちに落城って。……そんなの滅多にありませんよ?」

「一乗谷での決戦を選んだということですか。ふむ……」

「一乗谷はその名の通り、谷の間にあって守るに適した地形と聞き及んでおりますが……敦賀城を捨てた真意は一体どこにあるのでしょうか」

 

 軍師二人が考え込むのも仕方がないことだろう。それほど鬼の動きには違和感しかないのだ。

 

「ふむ……鬼の行動を見るに、孺子の言う通り何かあると見るのが妥当じゃろうな」

「ケダモンのクセに小癪なことしやがるなー。むかつくぜー……」

 

 桐琴と小夜叉もまた違和感を強く感じているようだ。

 

「蘭丸さま!剣丞さま!本陣より伝令!」

 

 そう言って母衣衆が駆け寄ってくる。

 

「承ります」

「敦賀城を掃討した後、松平衆と合流し一乗谷を目指すとのこと」

「ちょ、ちょっと待った!松平衆と合流ってどういうことだよっ!?」

「先ほど早馬にて、手筒山城の攻略が完了した旨、本陣に伝えられたのです」

「つまりは我々と同じようにほぼ無血開城……と。……剣丞さま」

「うん、わかってる。久遠のことは任せた」

「はい。詩乃、雫。部隊を剣丞さまと一緒に任せます。私は久遠さまのもとへ行きます」

「お任せを」

「はいっ!」

 

 

「久遠さま」

「お蘭か」

「久遠さま、此度の進軍少し歩みを遅めたほうがよいのでは?」

「……ならん。金柑が言うには満月になれば鬼はさらに力を増す。故に止まれん」

 

 久遠の目を見て蘭丸は少し考える。

 

「……わかりました。それでは、私は今より久遠さまの護衛につきます。部隊は剣丞さまにお任せします。……よろしいですか?」

「構わん。……お蘭」

 

 久遠の瞳の奥が揺れる。久遠も悩んでいるのだ。鬼に対する違和感は決して蘭丸たちだけが抱いているわけではない。

 

「大丈夫です、久遠さま。何かあれば私が久遠さまの道を切り拓きます」

 

 蘭丸を見てふっ、と一つ息を吐く。

 

「共に、だ。お蘭が拓く道は我も共に切り拓く。皆でいかねば意味がない」

「はい。……ですが、何やら嫌な予感がぬぐえないのも事実。できる限りの警戒はしましょう」

 

 

「荒加賀が裔、越の国に至るか……。寿永より失われたる器、三千世界よりきたれり。ジンギノサガを備えし者……我が大望を叶える切欠となれ……」

 

 不吉なそんな言葉は何処で紡がれたのか。今はまだ、知る由もない。

 

 

「へぇ……鬼が充ち満ちてやがるなー。……母ぁー。なかなか楽しそうな狩場じゃねーか」

「応よ、腕が鳴るのぉクソガキよぉ。……てめぇ、小便チビッてんじゃねーぞ?」

「はんっ!母こそなっ!」

 

 威嚇の唸りを上げる鬼の群れを前にいつもと全く変わらない様子で最前線に立つのは森一家。普段であればそんな二人を自慢気に見ている蘭丸は目つき鋭く何かを見通そうとしているようだ。

 

「ぬかすわ。……そろそろ始めっぞガキぃ!」

「応よぉ!」

 

 すっと桐琴が息を大きく吸い込む。

 

「森一家のクソ馬鹿どもーっ!人間捨てる覚悟は出来たかーっ!」

「うぉおおおおおおおーーーっ!」

「一乗谷の中ぁ、刈り取るのに手こずるほどの鬼どもが、手ぐすね引いて待っていやがる!」

「稲穂はいくらでもあんだ!収穫のときに喧嘩すんじゃねーぞてめぇら!」

「うぉおおおおおおおーーーっ!」

「よーし!気合十分だな、このケダモノどもが!いいかー、鬼どもは森一家で独占すんぞー!」

「鬼ども根こそぎ刈り尽くせーーーっ!」

「うぉおおおおおおおーーーっ!」

 

 桐琴と小夜叉の言葉に歓喜の声を上げる森一家。

 

「やれやれ……なんて煽動だ」

「よく言えば普段通り、ということでしょう」

 

 呆れたような壬月と苦笑いの麦穂が言葉を交わす。

 

「まぁ武功も期待通り、挙げてくれればいいのだが」

「織田家最狂の森一家ですもの。……きっと期待に応えてくれますよ」

「そう願おう。……では麦穂。戦機は逃すなよ?」

「うふふ、心得ております。……壬月さまこそ武運を」

「応よ」

 

 織田家、松平衆、浅井衆。次々と戦線へと参戦していく。それを久遠の傍でただ無言で見つめる蘭丸。

 

「先鋒、次鋒ほか、各陣営より鬨の声が上がりました。そろそろ戦端が開かれることでしょう」

「デアルカ。……」

 

 エーリカの報告に一言答えた久遠は目を閉じる。

 

「いよいよですね」

「そうだな。……金柑よ」

「はっ」

「貴様はこの戦いで何を望む?」

「え……」

 

 何かを見たような久遠の言葉にエーリカが少し言葉に迷う。

 

「……いや。由ないことを口にした。貴様は貴様の思う通りに動けばいい」

「……はっ」

「……久遠さま。剣丞さまの動きが少し気になります」

「剣丞の?……普通に後方にいるように見えるが……」

「それにずっと考えていたことがあります」

「言ってみよ」

 

 蘭丸は一呼吸置く。

 

「鬼の、いえ、鬼を操る者の目的です」

「ふむ」

「わけわからずの鬼を操り、暗躍している黒幕は何故鬼を操っているのでしょう?そして、一体何を為そうとしているのでしょうか。越前を鬼の国としてから次の行動までの空白の時間や、散発的に行っていた襲撃。……全て私たちが掌で遊ばれているのではと感じさせられるのです」

 

 そう言ったのとほぼ同時にドンと大きな音が響く。

 

「先鋒が一乗谷へ突入したようですね」

「であるな。周囲も小波が探っているのであろう?」

「はい。報告では周囲一里四方に敵影なしとのことです」

「……お蘭。お前であればどうする」

「私であれば兵を伏せておきます。……私でなくても知能があればそうするでしょう」

 

 背後にもいない。横からも来ない。前方の鬼は既に撃破できてしまいそうな状況。なのに何故かざわつく。ふと空を見上げる。鳥や動物の姿はなく。

 

「……動物の姿がない……?」

「どうした、お蘭」

 

 久遠の言葉にこたえるより先に何かに気づいたように一乗谷を見る。

 

「なんでしょう、この違和感……っ!!」

 

 ゾクリと背中を走る悪寒。蘭丸は咄嗟に刀を抜き放つと久遠の前へと立ちはだかる。

 

「お蘭!?」

「来ますっ!!」

 

 一体何人がこの状況をいち早く理解しただろうか。蘭丸の声と共に大地が大きく揺れ始める。

 

「くっ……!敵は……我々の足元です!地下から来ています!」

「なんだとっ!?」

 

 久遠の驚く声と同時に地面から這い出す鬼、鬼、鬼。咄嗟のことに反応しきれなかった兵たちが次々に鬼の攻撃によって地面に伏していく。久遠へと接近しようとしていた鬼は蘭丸の手によって次々と打ち取られていくが、それも一時しのぎに過ぎない。

 

「久遠さまっ!撤退を!」

「しかしっ!」

「申し上げますっ!!」

 

 そう言って駆け込んできたのは一葉の部下……足利衆の兵だ。

 

「許す!」

「公方さまより撤退経路をしたためた書をお預かりしております!」

「大儀!」

「久遠さま!」

「あぁ。……撤退だ。だが、少しでも仲間を助けて……」

 

 蘭丸がチラと蘭丸隊の方向を見る。明らかに鬼がそちらへと殺到しているのが見て取れた。

 

「離れて行っている……!?剣丞さま……!」

 

 以前に刀が光ったときのことを思い出す。鬼を引き付ける刀。おそらくは今回もその力を使って鬼を引き連れて行っているのだろう。久遠を守るために。

 

「どうか、ご無事で……!久遠さま、一葉さまの提案通りの道で撤退します。そこまでの道は私と残った馬廻で拓きます。途中で結菜さま、壬月さま、麦穂さま方と合流できるように手を打っておきます」

「わかった。……」

「久遠さま、今は前に進むしかありません。撤退もまた前に進む道の一つです」

「わかっている」

 

 明らかに手薄になりつつある戦場から久遠たちは逃げ落ちることになる。

 

 

 蘭丸隊や一葉、松平衆、そして森一家。多くの消息不明を出しながらの撤退だった。




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