歩兵の本領 (ジョニー一等陸佐)
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信念

 作者は歴史に疎いです。間違っているところあったらすみません。


 ラッパの音とともに午前六時に起床する。この生活もあと少しで終わりであることを陸上自衛隊員倉岡勝一三等陸尉はベッドの整理をしながら思った。彼は五十四歳を迎え、あと少しで退役の予定だった。

 思えばよくここまでやってこられた。なにしろ一九五〇年の警察予備隊設立から始まって一九七〇年の現在に至るまで自衛隊の世間からの風当たりは冷たかった。そのうえ今は学生運動が盛んになってきている。巷の話ではどこか他の自衛隊員が、デモ隊の学生らに殺害される事件を聞いた。

 グラウンドに整列して体操をして、朝食を食べるまでの間、自分はなぜ自衛隊に入ったのだろうと思った。

 自衛隊の給料はそれほど高いというわけではないし、何かで優遇されるというわけでもない。ましてや、自分は入隊前には旧日本軍に籍を置いていた。南方の島々に送られ激戦をやっとのことで生き抜いた。普通の人なら戦争はもううんざりだといって、そんなところには入らなさそうなものだが。かくいう自分もそうで、終戦後はそんなところとは無縁の農作業やら工場働きをして職を転々としていたが、どういうわけかどれも長続きしなかった。気づけば、自衛隊に舞い戻っていた。

 ほかに行き場がなかったからか。果たしてそうだったのか。本当にそれだけか。どうも腑に落ちない。

 ふと旧日本軍にいたときよく歌った歌を思い出した。

 

 万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戦の花と散れ

 

 「歩兵の本領」。この歌に何か答えがありそうな気がしたが、何が答えなのかは分からなかった。考えるのはやめにした。訓練のことを考える。

 駐屯地の外には桜の木があったが、まだほとんどつぼみだった。

 

                   

 日曜の朝。本来ならオフの日だが、今日は上からの命令で別の駐屯地に出向くことになった。

 制服に着替え隊舎を出、街に出る。歩きながらふと町の様子を見る。人が歩き、生活をしている。日常があった。

 倉岡はそれを見ながらまたぼんやりと考え事をしていた。考えていた、というより思い出していたといったほうが正しいだろう。倉岡はいままでの自衛隊員としての人生、そして旧日本軍の兵士としての人生のことをゆっくりと歩きながら思い出していた。

 陸軍士官学校に合格した時の喜び。

 シナ大陸での初めての実戦。

 マレー半島での激戦。

 友との別れ。 

 捕虜として迎えた終戦。

 行き場がなく自暴自棄になっていた敗戦直後。

 警察予備隊への入隊。

 すべてが、はっきりと夜明けの日差しのように思い出された。

 そこまで思い出してやはりどうしても考えることがある。なぜ自衛隊に入ったのか?行き場がないから?安定した生活からか?自分の中に、旧日本軍への執着があったのか?なぜ自衛隊が嫌われる時代だというのにわざわざ?何度も何度も考える。だがわからない。

 こんなことを考えても仕方がないだろう。それで何かが満たされるというわけではない。だが退役間近のこの身だ。思い残しとか、未練とか、そういうものはい一切残さずにいたほうがいい。

 何か騒がしい雰囲気を感じてふと見ると、大学生だろう若者たちが大学の正門の前に集まり集会をしていた。

 「しかるに、国家権力とは・・・」

 何やらいろいろと大声で叫んでいるが人々は何もないように普通に通り過ぎている。いや、よく見ると彼らを避けているようにも見えた。なにしろ彼らはイデオロギーに心酔し、それを肥え太らせるためなら警察相手に平気で投石したり火炎瓶を投げたりする連中だ。関わりたくないとでも思うのは普通のことだろう。

 倉岡もそう思っていたし、それにこういう輩は好きではない。そのまま避けて通り過ぎようとした時、手が学生の一人にとん、と当った。

 学生が振り返る。

 しまった。

 学生はなにかいやなものでも見るような目で言った。

 「あんた、自衛隊か?」

 出てきた言葉に倉岡は厄介なことになったと思った。なにしろ相手は自衛隊とかそういうものが嫌いな連中だ。どうにかやり過ごそうとする。

 「そうだが・・・こんな爺さんを相手にしたって仕方ないぞ」

 「そんなのは問題じゃない。この税金泥棒め」

 からまれたようだ。仕方がない。

 「君、名前は?自分は倉岡勝一というが・・・」

 「朝川。朝川通。」

 「じゃあ、朝川君もう一度言うがこんな爺さんを相手にしてもしょうがなし、君は学生だろう?こんなことしてないで学業に励んだらどうだ」

「あんたには分からんみたいだな。こっちの革命の理念が。」

「革命だがなんだが分からんが、私はここで失礼させてもらうよ。急いでいるんでね」

「憲法を踏みにじって、税金を盗んで、恥だと思わないのか」

朝川は倉岡を睨みつけながら問い詰める。

「それは君の勘違いだよ。我々はあくまで任務に従っているに過ぎない。そういう問題はもっと上の人間に話したらどうなんだ。じゃあ、わたしはこれで」

「あっ」

学生の何人かがこちらを見ていた。これ以上いたらこっちが危ない。

逃げたほうが良さそうだ。

体を回し、走り去る。

もう五十を超える年齢だったが、自衛隊員だからなのだろう、体力には自信があった。

 少し走ると、さっきの学生たちの喧騒は聞こえなくなっていた。

 前を見ると、目的の駐屯地が見えた。

 

 なぜ、こうも唾を吐かれる存在の自衛隊に入隊したのだろう。

 倉岡はわからなかった。

 ふと、またあの軍歌が思い出された。

 歩兵の本領。

 

 アルプス山を突破せし 歴史は古く雪白し 奉天戦の活動は 日本歩兵の粋と知れ

 

 もしかすると、自分はもう一度やり直したかったのかもなと思った。

 

                 

 駐屯地を出ると、すでに空は暗くなっていた。

 思ったよりも用事に時間がかかってしまった。

 このまま隊舎に一直線に戻るか。それとも居酒屋にでもよるか。そんなことを考えながら、ぶらぶらと歩いて行った。

 ふと、どこかで悲鳴が聞こえたような気がした。

 声がしたのはビルの間の路地からだった。

 走って向かうと、倉岡はこいつはやばい状況だな、と瞬時に理解した。

 簡単に言えば学生らしき人物が不良に暴行を加えられている、ということだった。

 学生は「うう・・・」とうめき声をあげている。ところどころ痛ましい傷を見せて横たわっている。その顔を見て倉岡は、あっと声をあげそうになった。その学生は昼に、自分に絡んできた学生、朝川人だったからだ。

 「生意気な口ききやがって」

 茶髪の、ガラの悪そうな男たちが横たわる朝川の体にさらに暴行を加え続ける。

 何をすべきかはすぐに分かった。 

 暴行を加えている人間は2人。すでに老体のこの身だが、不良に制裁を加えることぐらいはできる。

 気づいた時には一人の不良のみぞおちにパンチをくらわせていた。

 げっという声にもならない声を出して崩れ落ちた。他愛もない奴だ。もう一人は何が起こったのか困惑していたが、すぐに「てめえ!」とさけんで殴り掛かってきた。

 すぐに避ける。腕をつかんで背負い投げ。投げられた不良の体が、倒れた不良の体に重なる。

 「歩けるか?」

 そういって倉岡は朝川を肩に背負い、その場をすぐに離れた。

 

 どれくらい歩いただろう。街の境にかかる橋のところまで来ていた。彼らが追ってくることはなかった。

 「大丈夫か?」

 朝川はただうなずいた。

 「その様子なら大丈夫そうだが、とりあえず、病院行っといたほうがいいぞ」

 そのまま倉岡は立ち去ろうとした。もうそろそろで門限かもしれない。早いところ戻ったほうがいいだろう。

 「なあ」

 ふと後ろから声をかけられた。

 朝川だった。

 「なんで俺を助けたんだ」

 「なんでそんなことを聞くんだ」

 「そりゃ当然だろう。あんたもう爺さんだから何も無理することはないだろうし、俺たちはあんたら自衛隊の敵みたいなもんなんだぞ」

 朝川は昼の時のように倉岡を問い詰めた。だがその目に、昼のような、親の仇を見るような敵意はなかった。

 「昔だ」

 倉岡はポツリとつぶやいた。

 「昔私は旧日本軍にいたんだ。志願した理由はいろいろあった。単純にかっこいいと思っていたし、国を守りたいというのもあった。」

 倉岡はゆっくりと、かつての思い出を掘り起こしながら、朝川を見た。

 「そして戦争に行き、負けた。そしてもうたくさんだと思った。だが気づけば陸上自衛隊に入っていた。かつての場所に戻ってきたようなもんだ。なんで戻ってきたのか考えたよ」

 倉岡は自分が笑ったような気がした。

 「今日までわからなかった。だがお前のおかげでわかったような気がするよ」

 朝川はわからない、というように倉岡を見た。

 「私はただ守りたかったんだ・・・。任務として、そして私の信念として。」

 朝川はただ倉岡をじっと見るだけだった。

 倉岡は彼を一瞥した後、隊舎に向かって走って行った。

 

                

 今日が退役の日だ。

 自分の前に多くの部下が並んでいる

 隣で部隊長が叫んだ。

 「本日、倉岡勝一三等陸尉は退官なさる。倉岡三尉は、戦後日本の復興と安全保障のために尽力なさった。我々は倉岡三尉の功績に心から敬意と感謝を表するものである」

 それから部下たちや上官から別れの言葉を受け取った後、そのまま駐屯地の門から去って行こうとした。

 その時、前から誰かが歩いてきた。

 近づくと朝川だった。

 朝川の手には封筒が握られていた。朝川は倉岡に礼をした。

 「自分も信念を見つけました」

 一言だけ置いて、そのまま彼は駐屯地の門へと向かっていった。

 その様子を見て、倉岡はまたあの軍歌を思い出した。

 歩兵の本領。

 

 軍旗守る武士は すべてその数二十万 八十四か所にたむろして 

武装は解かじ夢にだも

 

 そうだ。たとえ日本軍が、自衛隊に変わろうとも。世間が我々を嫌おうとも。時代が変わろうとも。我々の任務と信念は変わりはしない。この国を、歴史を、人々を守る。そして武器は捨てようとも、その誇りまでは捨てはしない。決して。そしてその信念は誰かに受け継がれる。そして誰かを、何かを守り続ける。

 ようやく分かった。それが歩兵の本領だ。

 

 歩兵の本領ここにあり ああ勇ましのわが兵科 曾心の友よさらばいざ

 ともに励まん我が任務

 

 倉岡は深々と、礼をした後、また歩き出した。

桜吹雪が舞った。

桜は満開だった。

 




 最近、「総統が鎮守府に着任しました!」「ラブライブ!~ER IST WIEDER DA~」の更新が遅れていることをお詫び申し上げます。可能な限り早く更新しますのでもうしばらくお時間をください。


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意味

 目覚めると目の前に幽霊がいた。

 それがとある老人、倉岡勝一の今朝の出来事だった。

午前六時を伝える目覚まし時計が鳴り響き、それと同時に彼はいつもの一日を始めようとしたときのことだった。

布団から起き出て、早速洗面所に向かおうとした時目の間に見知らぬ人物がぼおっと立っていたのだ。

カーキ色の軍服に大尉であることを示す階級章。頬がくぼんで一見痩せこけているけれどもしかし同時にがっちりとした大きな躰。そして全体的に見て透き通って見え、向かいの壁紙の模様がはっきりと見える。

その見知らぬ男を見て、叫び声をあげるのも忘れてこいつは幽霊だなと倉岡は確信した。

体が透き通って見えるのに加えてその男の顔は倉岡の知る人物だったからである。そしてその人物はもうこの世にはいないはずだった。

「田中大尉……」

倉岡はその男を見て思わずつぶやいた。

田中幸平。それがその男の、かつて倉岡の上官であった男の名前だった。

田中大尉、と呼ばれたその男は白い歯を顔全体に押し出さんばかりににっと笑った。

「よう、倉岡少尉。生きておったか。幽霊が現れてもビビらんとは相変わらずデカい肝っ玉をしとるなぁ」

「なぜこんなところに……」

倉岡は目の前のかつての上官に疑問をぶつけた。

ここで読者のためにこの倉岡という男と田中という幽霊の関係について詳しく説明する必要があるだろう。

倉岡はかつて旧日本軍の少尉としてこの田中大尉率いる部隊の一員となって南方の島々で文字通りの死闘を米軍と繰り広げていた。

彼にとって田中は尊敬すべき上官であった。いついかなる時でも食料が枯渇しいつ飢え死にするか戦死するかわからぬ状況でも彼は部下を想っていた。負傷した兵士に大丈夫か、大丈夫かと声をかけ続け、腹の減った兵士に自分の食料を分け士気を上げ兵士たちを奮い立たせきた。だがある時の戦闘で彼を含め部隊は全滅、ただ一人生き残った倉岡はただ唯一の捕虜となってそのまま敗戦の時を迎えた。

それ以来、倉岡にとって田中はすでに死んでしまった人間でありあまり思い出すことはなかった。

だが、その幽霊が今更この老いぼれに何の用で来たのだろうか?

田中はあの時と変わらぬ、重くよく響く低い声で言った。

「倉岡少尉……いや、元少尉のほうが正しいかな?まぁ、どっちでもいいや……貴官に命令、というよりかは頼みがある」

「頼み?」

田中は頷いた。

「ある場所につれって言ってほしい。車は運転できるか?」

 

 

数十分後、倉岡は車に乗って幽霊とともにドライブをしていた。

「いやぁ、いい乗り心地だな。同じものとは思えん」

倉岡は変な気分になった。なんで自分は幽霊を載せて車を運転しているのだろう?

田中が連れて行ってほしいといった場所、それは都市から離れた地方に存在する彼の生まれ故郷であるとある小さな村――現在は開発がある程度進んだので町といったほうが正しいかもしれない――だった。

倉岡は皺だらけの手でハンドルを握りながら助手席に座っている、痩せこけているけれど肌につやのある田中を見た。

生まれ故郷の村に連れて行ってほしい、ということはつまり故郷の土地に戻りたいということなのだろう。その幽霊の体で死に場所である遠く離れた南方の島から日本にまで来たのだから、そのまま故郷の村に戻ることは造作でもないはずだ。なぜ自分を連れて行こうとしたのだろう?唯一の生き残りだから?

「大尉、なぜ私を呼んだのです?生まれ故郷に帰りたいのなら一人でも十分だと思うのですが……」

田中はしばらくの間黙っていた。

「……この国も本当に変わったな。」

彼は質問には答えず、窓ガラスの向こうの風景を見た。のどかな水田が広がり空では鳥が群れになって悠々と飛んでいる。

「……倉岡。お前はどう思う?」

「どうって……何がです?」

突然の問いに倉岡は戸惑った。

田中は続ける。

「俺たちの戦いは、意味があったんだろうか」

その言葉に倉岡は黙るしかなかった。

南方の島々で死闘を繰り広げていたときは、それが祖国や家族、愛する者のためになると信じて戦っていた。せめて一兵士としての義務は果たそうと生き残ろうと皆必死になっていた。

だが、奮闘空しく部隊は自分一人を残して全滅した。日本は戦争に負けた。

一体、我々の戦いは何の意味があったのだろうか?飢えやマラリアの恐怖に襲われながら気力を振り絞って戦い、皆死んでいったのに残ったのは荒廃した土地と廃墟だけだった。

……なぜ、我々は報われなかっのだろう?俺たちの戦いに意味はあったのか……?

「……もう、四十年も経つんですね。あの戦争が終わってから」

倉岡はぽつりとつぶやいた。

敗戦後は様々なことがあった。

敗戦で自暴自棄になり自堕落な生活を送っていた日々。

職を転々とし、結局警察予備隊に入隊した日。

自衛官としてある時は部下と共に訓練に励みある時は災害現場へ向かい復興支援を行った。

ある時、学生運動に励んでいた学生と少し揉め事になったのはいつのことだったか。

社会に目を向ければ安保闘争に石油ショック、学生運動、ベトナム戦争など様々な事件があった。

今年の一九八九年には昭和天皇が崩御し、いま一つの時代が確かに終わろうとしている。

だがその長い時代の間、倉岡はあの戦争のことを考えたことはあまりなかった。

世間から戦争の記憶が徐々に薄れていくのと同じように倉岡もその時のことを考えることは少なくなっていったのだ。

普通ならあの悲惨な戦争を伝えねばならないと躍起になってなにかしらの行動を起こすものなのだろう。

だが倉岡はそうしなかった。

俺たちの戦いに意味はあったのか。

どうしてもそう考えてしまうからだ。あの戦争のことを考えようとしなかったのは多分、その問いを避けたかったからなのだろう。

だが、いくら考えるのを避けようとしても事実は消えることも変わることもない。

「……ああ。たった四〇年前だ」

田中がそう言って、車内は沈黙に包まれた。

 

 

しばらく運転していると森や畑などの人気のあまりなかった景色に建物や家屋が見えてきた。目的の村に到着したのだ。

「止めてくれ」

田中に言われるままに車を止めた先には古めかしい寺と、その隣に隣接する広い墓地だった。

「ここに俺の一族の墓と戦友たちの墓がある。部隊の仲間のものも。お前も一緒についてきてくれ」

墓地の入り口には巨大な石碑があった。平に磨かれた石版には『戦没者慰霊』と大きな文字があり下には名前がびっしりと彫られている。この村出身の戦死者たちがここで葬られたのだろう。

 二人は墓地に入ると、墓参りを始めた。といっても線香もお供え物も何も用意していないので名前を確認して手を合わせるぐらいのことをした。

 「山本、飯村、宮原……みんないるな」

 田中が戦友の墓に丁寧に、一人ずつ手を合わせる。

 しばらくして墓地のちょうど隅のところに来るとそこには田中家の墓石があった。

 「おお、ここだここだ。ちょっと失礼……田中純蔵、順平……田中幸平。うん、ちゃんと俺の名前があるな。これで安心して冥土に行けるよ」

 田中は墓石に自分の名前が刻まれているのを見て満足そうにうなずいた。

 その様子を見て倉岡は田中に聞いた。

 「……大尉。先ほどは答えていただけませんでしたが一体なぜ私を呼んだのですか?一人で来れそうなものですが……」

 田中は倉岡を見た。

 「そうだったな。その説明がまだだった。なに、一人で冥土に行くのは寂しくてな。誰かに見送ってほしかったんだ。それから、お前に頼みが……いや、命令があるのだ」

 「命令?」

 田中は頷いた。

 「倉岡、車内で俺は言ったよな。俺たちの戦いは意味があったのかと」

 倉岡が避けようとした問い。

 田中はそれを口にした。

 「……正直を言うと自分には分かりません。負け戦だ、犬死だという者もいれば彼らの犠牲の上に今の平和があるという者もいます」

 「正直なところ俺にもわからん。勝ち戦だったらともかく散々な負け戦だったからな。だがな倉岡」

 田中は倉岡の目をじっと見つめた。

 「確かにあの戦争は負け戦だった。むしろ戦わずにさっさと降参すべきだったのかもしれん。だがそれでも俺達は戦った。なぜだと思う?そこに何かの意味があると思ったからだ。国を守るため、命じられたからという理由もあれば大切な人を守りたいからとか理由はたくさんあっただろう。だがまとめれば俺たちはそこに何かはわからないが意味があると感じたから戦ったのだと思う。でなきゃ、俺たちはすでに敵に投降していたはずさ」

 田中の話を聞いていた倉岡はふと、あることに気付いた。田中の透き通っていた体がさらに薄くなっている。

 どうやら田中もそのことに気付いたらしい。

 眼差しがさらに真剣なものになる。

 「もう時間がなさそうだな……手短に言うぞ、倉岡。俺たちのことを決して忘れないでほしい。死ぬまで絶対に。それが命令だ」

 さらに田中の体が薄れていく。

「いつもじゃなくていい。たまにでいい。俺たちのことを思い出してほしい。そして伝えてほしい。俺たちの戦いのことを。俺たちが確かに生きていたということを。俺たちの戦いが無駄ではなかったということを……伝えてほしい」

倉岡は頷いた。思わず敬礼する。

「了解しました」

 その様子を見て田中は微笑んだ。

 「ありがとう。安心したよ。これで胸を張ってあの世の戦友たちに会える……おっと、迎えが来たみたいだな」

 倉岡が振り向くと、そこには大勢の見知った顔がいた。カーキ色の軍服を着た、あの時の何も変わらない姿の戦友たちだった。彼らもまた、英霊となって田中のことを迎えるためこの世にあらわれたのだ。 

「山本、本木……」

かつての仲間の姿を見て倉岡は彼らに手をさしのばそうとした。そのまま伸ばした手が体を透き通る。

英霊たちは二人に向かって微笑んだ。

「皆に迎えられるとは幸せもんだな、俺は……倉岡、俺たちは先に行くからな。あの世で待っている。それまで頼んだぞ」

「はっ」

倉岡は再度敬礼した。田中たちも敬礼を返す。

「じゃあな」

田中が白い歯を見せて笑うと同時に田中の体ゆっくりと消えていった。

後にはただ規則正しく並ぶ墓石だけが残った。

風が吹き、木の葉を揺らす。

倉岡はしばらくの間直立不動の姿勢で立ち尽くしていた。

目に何か熱いものを感じ、袖で目元を拭った。涙の跡がつく。

倉岡は墓地の出口に向かって歩き出した。

ようやく分かった。あの戦いに意味があったかどうかではない。意味があったから戦ったのだ。なんの意味があったのか――そこまでははっきりとは分からない。でも、忘れてはならないのだ。死者が、かつては確かに生きていたということを伝え意味を見出していく。それが生き残った者も使命なのだ。

その物語は忘れられることなく次から次の世代へと伝えられまた新たな物語を作っていく。そして何かを守り何かを創り上げていく。

まだ、自分の任務は終わっていないのだ。

倉岡はふと、寺の近くに咲いている桜を見て笑った。まだ全体的につぼみだがよく見ると所々に花が咲いている。

倉岡は車に向かってまた歩き出した。

新たな季節が始まろうとしていた。

 



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人間

 なぜ、俺は敵と一緒にいるのだろう。

 米海兵隊員ジョン・ミラー軍曹は今、おかれている状況に対して素直にそう思った。

 彼の周りには鬱蒼と草木が茂り広がるジャングルに、消えかかっている焚火の火、そして一人の日本兵がいた。

 本来なら敵であり、殺しあうべき存在の人間が焚火の火を共に囲い座っている。

 なぜこのような奇妙な状況に彼らが陥っているのか、これを知るには時間を少しさかのぼる必要がある。

 

 大東亜戦争下の一九四四年の末ごろ、アメリカ軍はミッドウェーでの逆転以来ガダルカナル、タラワ、サイパン、ペリュリューと次々と日本軍を撃破し、勝利まで着実に近づきしかし日本軍の頑固な抵抗によりまだそれが近くて遠かったころ、一人の海兵隊員ジョン・ミラー軍曹が、日本軍の占領するとある南方の島に上陸し部隊とともに作戦行動を行っていた。

 その時の彼は日本軍に対する憎悪や敵討ちの念が非常に強かった。それは見つけ次第に有無を言わさず撃ち殺してやろう、皆殺しにしてやろうという凄まじいものであった。

 彼がその気持ちを抱くようになるのも無理はなかろう。彼は真珠湾攻撃やその後に続く数多くの戦闘で決して少なくない彼の友人や親族失っていたのだ。しかも当時のアメリカ人は真珠湾攻撃をだまし討ちだと認識していた。恨みの念を持つことは当然の成り行きといえた。

 しかし彼のこの恨みの念はその島で作戦に従事する内にやがて疑念に変わっていくのである。

 ある日のことだ。

 ジャングルを進んでいたジョンの部隊はたまたま一人の痩せこけた日本兵の捕虜を手に入れた。脱走兵なのか武器は持っていないようであった。

 そしてジョンともう一人の米兵は、部隊長に自分たちはほかの仲間を引き連れて少しほかの場所も捜索してみるからしばらくの間お前たちはその捕虜を見張っておけ、と命ぜられたのである。

 しばらくの間沈黙が三人を包んだ。

 十数分ほど経っただろうか、相手の米兵が突然何か良からぬことをたくらんでいるような顔をした。

 「なあ、暇だよな」

 彼は言った。

 「確かに暇だな」

 ジョンは適当に答えた。

 「思ったんだが、こんな痩せこけたジャップ一人を捕まえたところで食料が無駄になるだけだし、捕虜にしたところで何の意味もないな」

 「何が言いたいんだ?」

 ジョンは眉をひそめた。

 捕虜の日本兵は何か嫌な予感を感じたのか急におびえた顔になった。

 「いやな、調度ストレス発散と射撃練習をしたかったところだしな。それに憎いジャップの連中に復讐してやりたいと思わないか?」

 「おい、お前まさか」

 ストレス発散。射撃練習。復讐。

 その言葉にジョンは彼が何をしようとしているのかを察した。

 そして、銃声が響いた。

 ジョンが、お前まさかこいつを殺す気か、といい終える前に彼は小銃を構えて捕虜を撃ち殺したのだ。

 捕虜があおむけに倒れ、血臭と硝煙の臭いが漂った。

 その時の彼の表情と言ったら!まるでやっとのことで宿題や仕事をやり終えたようなすっきりした表情であり、満足した笑みを浮かべていた。一切の罪の意識はそこからは読見とれなかった。

 その後、部隊が戻ってきたが、撃ち殺した兵は捕虜が抵抗したので止むを得ず射殺したと主張し、隊長のほうもああそうかという風に特にこれといって咎めることはなかった。

 ジョンに至っては何も言えずにいた。逆恨みを受けるかもしれないと思ったからでもあるが、突然の衝撃的な出来事に逆にショックで何も言えなかったということが大きかった。

 それからというものジョンは何度も仲間の日本兵に対する残虐な行為を目にすることになる。

 投降してきた捕虜を撃ち殺すのはもちろん、死んだ日本兵の頬を切って金歯銀歯を取り出す、日本兵の死体を残飯を捨てる穴に一緒に捨てる・・・これ以上書くのはおぞましいような光景を彼は見せつけられた。

 その度に彼は自身の体に何度も重石を乗せられたような気分になった。

 いったい彼らは何をしているのだ?彼らから遺品を戦利品として持ち出すのはともかく捕虜を殺すなんて!

 一般の兵士ならこれを特に悪いとは思わなかったろう。

 憎悪と偏見にとらわれた彼らには、非常識の世界である戦場では、それが普通の反応だったのだから。

 しかしジョンの場合は人の理性というか、恨みとはまた別の良心というか、獣とは違う人を人たらしめる部分というか、とにかく心のどこかで疑念を感じ、それまで抱いていた憎悪の感情が揺らぎ始めていたのである。

 自分たちはこれが正義と信じて戦っているがはたしてこれは正義なのか?

 自分はなぜ、こんなところで戦っているのだ?

 いつの間にかジョンはそんなことを考えるようになったのである。

 

 そんな彼が仲間とともにジャングルを進んでいた時、彼らは突然敵の奇襲に巻き込まれた。

 突然の、予兆のない全くの奇襲であったことと、ジョンの部隊長が真っ先に戦死したことで部隊はあっという間に混乱に陥った。

 ジョンは仲間と共に必死に応戦したが、敵の投げた手榴弾に気づき咄嗟に避けようとして躓いた。

 幸か不幸かそこはたまたま崖に近くジョンは躓いた拍子で崖から転落してしまった。全身を擦る痛みと急な坂を転がり落ちる感覚、ぼふっという音と全身を打つような強い痛みを最後に彼の意識は一旦閉ざされることになった。

 

 

 こうしてようやく、冒頭の敵と火を囲む奇妙な状況へと繋がるのである。

 ジョンが次に目を覚ました時、彼はすぐに自分が生きていること、擦り傷に打撲などかなりのけがを負っていること、そして痩せこけた日本兵たちが向ける銃口や刀の刃で囲まれ自分が敵の捕虜になったことを認識した。

 「○○○○?」

 「▽▽▽」

 「□□□□!」

 彼らは日本語で何かを相談し始めた。当然、アメリカ人のジョンには日本語はわからない。が、彼らが自分の処遇をどうするか相談しているのはすぐに分かった。

 そして、部隊長らしき男が一人の日本兵に何かを指示した。彼は頷いた。

 それとともに、その日本兵を残して彼らはどこかへと向かっていった。

 彼はジャングルの奥を進む仲間たちの背中を見つめ続けていたが、やがてジョンのほうを見ると、こちらに近づき、相対するように座った。夜だったからだろう、そこら辺の木々を簡単に集めると彼は火をつけた。そして、火をつけ終えると今度はポーチから何か布切れのようなもの――ぼろぼろの包帯であることに気付くのに時間はかからなかった――を取り出し水筒の水でそれを濡らすと、ジョンの傷跡や打撲の跡に巻きつけたりし始めた。

 すぐに男が自分のけがの応急措置をしていることに気付いた。この男は捕虜である自分をまるでそれが規則であるように治療している。こちらは捕虜を殺した。何故あちらは助けるのか。

 男は作業を終えるとまたジョンから離れてこちらを監視するように座り込んだ。

 こちらをじっと見つめている。そこには何の敵意も感情もない。ただ、こちらを見つめているだけだった。あくまで任務だというような瞳だった。

 ジョンは最初はどうも気味悪く感じられた。だが、そのうち無駄だと考え、考えることをやめることにした。

 

 どれほどの時がたっただろう。突然、そう遠くない場所から銃声や怒号、悲鳴が響いてきた。

 ジョンと彼は身構えた。

 音はしばらくの間続いていたが、やがて再びジャングルを静寂が包んだ。

 男はもしや、という顔をしていた。何か悪い予感を感じたかのような顔。

 しばらくの間彼らは立ち尽くしていたが、やがて男はジョンを見るとついてこいというような仕草をして歩き出した。

 背中を向けて歩き出した様子にジョンは少し驚いた。

 この男は丸腰とはいえ敵に背中を見せて、襲われないとでも考えているのだろうか。盾にしようとか考えていないのだろうか。それても自分を信用しているのか、馬鹿にしているのか?

 だが、ともかく彼はついていくことにした。

 少し歩いて進んでいくと、そこには死体がいくつか転がっていた。

 ジョンには彼らの死体に見覚えがあった。

 男の仲間、自分を捕虜にした日本兵達だった。米兵の死体もいくつか見える。ジャングルを捜索するうちに不幸にも敵に遭遇して戦闘に陥り全滅してしまったのだろう。

 しばらくの間二人は茫然と見つめていたが、やがて男は死体の処理をし始めた。武器弾薬を集め、彼らの遺品を整理し始めた。

 ジョンはじっとその様子を見つめていたが、すぐに男のこっちへ来い、これを運べという動作で遺体の整理の手伝いをされた。確かに一人でやるには少し時間がかかるだろう。

 ジョンがすぐ傍にいた若い兵士の遺体とその遺品を整理することにした。

 姿勢を整え、服やポーチをまさぐっていると胸ポケットから何か紙がはみ出していることにすぐに気が付いた。

 紙の正体はすぐに分かった。

 写真だった。遺体の男と、若い女性、赤ん坊が写っていた。

 家族写真であることはすぐに分かった。

 ジョンはしばらくの間それに見入っていた。

 写真の男は硬い表情だった。ある種の覚悟を決めたような表情と悲しみとも安堵も言えぬ、なんとも言えない感情がこもっていた。

 この男は何を思って死んでいったのだろう。

 祖国のためか、家族のためか、それとも・・・

 敵も怪物や化物などではなく普通に家族のいる人間なのだ。普通に酒でも酌み交わしながら笑い合って話せあえるような。

 それがお互い敵同士で殺しあっているのは何故なのだろう。

 自分が戦っているのは国のため、家族のため、大義のためだ。

 ではこの男が戦っているのは、戦ったのは何故なのだろう 

 ジョンがそう思いながら写真に見入っていると、男が肩をポンとたたいて写真を撮ると遺体の胸ポケットにそっと戻した。

 男は遺体をじっと見つめていたが、やがてゆっくり目を閉じて手を合わせた。

 ジョンはしばらくの間それを見つめていた。が、ジョンもすぐに遺体の男にして十字を切った。

 やがて男は仲間だけでなく米兵の遺体の整理もし始めた。もちろんジョンも手伝う。

 敵の遺体に対しても丁重に扱う姿勢にジョンはさっき男が自分に対してけがの治療を子なった理由がわかった気がした。

 我々は日本兵を単なる敵としてしか見なかった。

 だが少なくともこの男は敵としてだけでなく同時に一人の人間としても見ている。だから怪我をしても一人の捕虜、人間として扱ったのだ。

 しばらくして、遺体の整理が終わった。

 彼らの遺体を埋めたり運んだりしている間に敵に見つからなかったのはかなりの幸運といえるだろう。

 作業を終え、ジョンは男を見つめた。

 男もこちらを見つめ返す。

 澄んだ目だった。

 この男は何のために戦っているのだろう。

 彼もまた敵であると同時に一人の人間だ。彼にも家族がいるのだろう。彼にも自分と同じく守るべきものがあるのだろう。

 そうだ。

 ジョンは思った。

 彼にもまた、守るべきものが、戦う理由があるのだ。

 こちらにも故郷に守るべき家族が守るべき国があるのと同じように彼にも守るべきものがある。あの家族の写真を胸に死んだ若い兵士のように、いま目の前にいる男のように、彼らも一人の人間であり、大義を持っているのだ。

 こちらが自分たちが正義と信じて戦うように、彼らも彼らなりの正義を持って戦っている。

 ジョンはしばらくの間男と見つめあっていたが、すぐに男は向き直ってついて来いという仕草をすると、ジャングルの中を歩きだした。

 新たな安全な場所でも探しに行くのだろう。

 しばらく歩いているとやがて砂浜が見えてきた。

 夜明け前で、まだ暗く白い砂が灰色に見えた。

 遠くを見渡してジョンは目を見開いた。

 砂浜にいくつも乱立するテントに数多くの弾薬が入っているであろう。

 紹介する兵士に懐かしい英語の発音がかすかに耳に入ってくる。

 間違いない。味方の基地だ。

 駆け出しそうになってふと、ジョンは男のほうを見た。そういえばこの男はどうするのだろう。

 彼からすれば、敵の基地をたった一人で目の前にしているのだ。その心境はどのようなものか。

 しばらくの間男はジョンとテントを見比べていた。が、ジョンのほうを見つめた。

 お前はどうするんだ、というような感じだった。

 ジョンも男のほうを見つめ返した。

 別に自分一人が助けを求めてあそこに駆け寄っても問題はないだろう。

 だが、二人で一緒に助けを求めに行っても問題はないはずだ。殺されることはなかろう。              

 捕虜になるだけで済むはずだ。

 それになにより、この男にまた会えるだろうか、と思った。

 敵である自分を助け、敵も人間だという根本に気付かせてくれたこの男に。

 ジョンは男の肩をポンと叩いた。

 「一緒に行こう。悪いようにはされないはずだ」

 自分の英語が通じたかはわからない。

 だが男はうなずいた。

 ジョンが思わず笑うと男も笑った。

 ゆっくりと向き直る。

 次は、友人として会おう。

 二人はテントに向かって歩き出した。

 夜が終わり朝日が昇ろうとしていた。

 



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