魔法騎士レイナース (たっち・みー)
しおりを挟む

#001

 act 1 

 

 バハルス帝国帝都『アーウィンタール』にある帝城の一角でお茶会が開かれていた。

 帝国が誇る最強の四騎士『不動』、『重爆』、『雷光』、『激風』と敵国ではあるが先の戦争終結から戦後交渉の為に訪れていたリ・エスティーゼの貴族であり冒険者『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースと仮面を付けたイビルアイと王国戦士長。

 お忍びで訪れていた竜王国の女王ドラウディロンなどが顔を突き合わせていた。

 

「平和だなー」

「そうですね」

「戦争をしていたとは思えないほどだ」

 

 和やかな雰囲気に包まれた。そんな雰囲気のひと時に水を差す現象が発生する。

 突如として世界が光りに照らされる。そして、聞こえた。

 

 この世界を助けて、と。

 

 何人かは『お断りします』と条件反射的に言っていたのを重爆のレイナースは聞いて苦笑する。

 顔の半分を膿で覆われる呪いにかかっていた彼女はそれを癒すなら考えてやろうと胸の内で言った。

 それから光量が激しくなり、視界が効かなくなる。

 次には身体に浮遊感が襲い掛かる。

 

「おっ!?」

 

 視界が数転ほど変化したあと、顔に焼けるような痛みを感じたレイナース。

 それから数分は目を瞑っていただろうか。

 身体に吹き付けてくる風を感じる。

 

「………」

 

 嫌に肌寒い。まるで服を一切、身につけていないかのようだった。

 仮に全裸だとしても帝国軍人たるもの、それくらいでは動じない。

 見られて困る身体ではない。

 

「……おお」

 

 勇気を出して目蓋を開けると目が覚めるような青。それは空の色、と思ったがすぐに違いと思った。

 目の前に広がる青は海だった。そして、自分はまっすぐ落下している事に気づく。予想通り、全裸で。

 周りに顔を向けたいところだが風圧が強くて身動きが取れない。

 全裸なのでマジックアイテムの恩恵も無い。

 このまま落下すれば水面に激突して身体がダイラタント挙動により木っ端微塵、になるかもしれない。

 そんな専門用語はレイナースの知識に無いけれど。

 

        

 

 ただ、落下し続けるのは死を待つだけで非常に困った事態だ。

 歴戦の戦士『重爆』のレイナース・ロックブルズとて対処方法が浮かばない。せめて死なないように水面に抵抗無く突っ込むか、安らかな死を享受するか。

 後悔があるとすれば今まで書き溜めていた『復讐日記』を処分できない事か。

 無駄なお喋りをしないのは風圧で窒息を防ぐためだが、あえてあけて死を早めるのも悪くは無いかもと思ったりする。

 

「いや~、これは参ったっすね~」

 

 と、冷静に気分を落ち着けようとしていたら後方から別の声が聞こえた。

 この風圧の中で平然と声を発するのは並大抵の存在ではない。だから、レイナースは髪の毛が逆立つ思いを感じた。

 

「『飛行(フライ)』とか覚えて……、いないっすよね……。このまま落ちたら海が赤くなるっすよ」

「ぐぅ……。ならば、私に掴まれ」

 

 と、もう一つの新たな声は先ほどまで共にお茶会に出席していたイビルアイではなかったか。

 普段は仮面で顔を覆っているので声にはノイズが入っている。だが、仮面を外した地声も聞いた覚えがあるのですぐに相手の正体を思い出せた。だが、レイナースは声は出せない。

 身体を安定させる事で手一杯だった。だから、手の動きだけで表現するしかないのだが、相手に伝わるかは五分五分だ。

 

「イビルアイっすね。じゃあ、お願いするっす」

「了解した。……レイナース殿とお見受けするが……、今しばらく耐えてくれ」

 

 親指を立てる仕草をしたのだが、相手には真逆に見えるかもしれない。

 

 地獄に落ちろ、と。

 

 だが、それは杞憂だった。

 今の状況を理解できぬほどイビルアイは間抜けではない。

 

「こ、こんなところで小便をするな!」

「だ、だってお腹が冷えて……。あと、出るものは仕方が無いっす」

 

 空中に飛び散る女性の尿。

 とはいえ、レイナースも釣られて尿意を催してきた。

 どうせ死ぬなら我慢する必要は無い。

 身体から力を抜けば気持ちのよい気分が味わえる。

 

「……緊急事態だから私は何も言わない。好きに出すがいい」

 

 イビルアイにそれぞれ感謝した。

 うっかり脱糞までしたのだが、不可抗力と思って諦めてもらおう。

 生理現象はなかなか止められない。

 

「後方に飛んでいく汚物。後であれが襲ってくるんすよね。早く逃げないと危ないっすよ」

「ああ、そうだな。それより二人共、あまり暴れるなよ。距離を詰めるのは意外と……難しいようだ」

「了解っす」

「………」

 

 イビルアイは加速を付けて二人の身体を捕まえていく。

 触れ合う地肌は生暖かい。

 

「まずは〈魔法二重化・飛行(ツインマジック・フライ)〉。〈飛行(フライ)〉」

 

 第三位階の魔法である『飛行(フライ)』によって三人の落下速度は相殺されて空中に留まった。

 魔法による飛行により物理法則が無効化されたためだ。

 あと、魔法がちゃんと行使された事をそれぞれ気づいた。

 落下する二人に魔法をかけたのは慣性の法則が加わり、捕らえていられなくなるのを防ぐためだ。

 掴む部分があまり無い素肌では肉体に食い込むような握力が無ければ落としてしまう。

 持続時間があるので切れれば落下する。ただし、ゆっくりと降下する。

 それでもまだ高度が高ければ途中から勢いが増して落ちてしまうので、魔力が許す限り、落下を試みる。

 イビルアイは魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)としては王国随一を自称する。その魔力量も一般の魔法詠唱者(マジック・キャスター)よりは膨大だ。

 尚且つ、彼女は普通の人間ではない。

 大人を数人抱える事は造作もない膂力(りょりょく)を持っていた。力だけで言えば赤毛の長髪の女性『ルプスレギナ・ベータ』も負けていない。

 

「ここは休戦ということで」

「依存はない」

「………」

 

 レイナースだけは手を挙げる仕草で答えた。

 地面まではまだかなりの距離がありそうだった。

 落下により軽い眩暈(めまい)をレイナースは感じて具合が少し悪くなった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#002

 act 2 

 

 地上までまだ相当な距離があるけれど、今の状況を整理するにはやはり落ち着いた場所が必要かもしれない。

 落下し続ける内に周りを確認しておく。

 分かっていることは裸の女三人が落下中。

 周りはたぶん見知らぬ土地。

 遠くには空に浮かぶ岩山が見えた。

 真下は台地と海が広がっている。

 生物はまだ見当たらない。

 

「……この状況は魔法によるものか?」

 

 イビルアイはルプスレギナに尋ねる。

 彼女は髪の毛が風で吹き上げられていて物凄く乱れていた。その中で見えたものがある。

 赤毛の女の両耳は本来の場所には無かった。

 代わりにあるのは頭頂部近くに大きめの獣の耳が生えていた。

 元々ナザリックの戦闘メイドという事は知っていたので人間ではない気がした。だが、改めて見ると驚いた。

 イビルアイも人に大きなことは言えないのだが、今は相手の種族をどうこう言う雰囲気ではない。

 大人しいレイナースを見るとめくれ上がった髪の毛で顔がよく見えた。

 普段は片方の顔を隠していた彼女の顔は今はとても綺麗になっていた。

 モンスターの呪いによって顔の半分が膿に侵されていることは聞いていた。今は完治しているように見える。

 

「レイナース殿、顔の怪我が治っているみたいだぞ」

 

 イビルアイに言われてレイナースは自分の顔をさする。

 普段なら(ただ)れた感触があるはずだし、手に膿が付くのだが今は何にも手につかない。

 

「……んー」

 

 嬉しいところだが今は喜んでいる状況ではないとレイナースは判断した。しかし、幾分かは嬉しそうに微笑んでいるようにイビルアイには見えた。

 

        

 

 それから状況が改善されずに数十分は下降を続けていた。

 飛行(フライ)によって落下速度が殺された時、置いてきた尿や便が物凄い速さで落ちていった。

 

「……魔力の感じからはギリギリか……。または水面激突か……」

「多少の無茶は覚悟の上っすよ」

 

 落下による影響からか、風圧で肌寒くなりそれぞれ髪の毛が逆立ったまま固まっていた。

 肌を寄せ合っているけれど明らかに一人冷たい人間が居た。

 

「……すまない」

 

 イビルアイが謝罪してきた。

 本来は指輪の力で自らの正体を隠していたが今は三人共に装備が消え失せていた。

 一番顕著(けんちょ)なのはイビルアイだ。

 冷たすぎる。

 まるでアンデッドのようだ。

 

「こうなっては一蓮托生っすよね」

 

 ルプスレギナは他の二人を見捨てる選択肢を選ぼうと思えば選べた。だが、イビルアイを死なせてはいけないのは自らの主の願いだし、レイナースはナザリック地下大墳墓においてバハルス帝国とは同盟関係だ。すなわち、帝国騎士のレイナースも見捨てる対象には入っていない。

 緊急事態という事でルプスレギナは本来の姿である赤毛の狼に変化する。

 人狼(ワーウルフ)のルプスレギナはフワフワモコモコの体毛で二人を包み込む。

 

(かたじけな)い」

「……感謝する……」

 

 驚きはしたがレイナースも今は無粋な事は言わない。

 状況を判断できない愚か者ではない。

 長めの尻尾でしっかりと包み込むが、(いま)だに落ち続けている。

 

「しばらく休んでいるといいっす。地面が近くになったら声をかけるっすから」

「そ、そうか」

 

 呼吸がうまく出来ないのでレイナースは程なく失神した。それと同時に体内に残っていた便や尿が漏れ出て来た。

 

「イビルアイも今の内に魔力の回復をしておくっすよ」

「そうさせてもらおう。ルプスレギナは平気なのか?」

「平気っすよ。さっき排泄したからすっきりしているっす」

 

 我慢は良くない。

 出るものは出してしまうに限る。

 

        

 

 ルプスレギナの大きな身体に守られてしばらく経つが地面まではまだ遠かった。

 信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のルプスレギナとて攻撃魔法はいくつか扱える。

 その中の炎系で自らを焼き、レイナースを温める。

 意識を失ったまま目覚めないし、体温も低かったからだ。

 手足が壊死する程度なら治癒魔法でなんとか出来るが死んでしまうと蘇生出来ない。

 

「地面はまだっすか」

「そもそも何所からどこへ落ちているんだ?」

「考察は後にしてくださいっす」

「……うむ」

 

 迂闊に死なれてはお叱りを受ける。そう思うと自然と怒りが込み上げるルプスレギナ。

 脆弱な人間だから仕方が無いとして受けた命令は守らなければならない。それが戦闘メイド『プレイアデス』の一人としての矜持だ。

 自らの身体に多少の負荷をかけて落下速度を上げる。

 二千メートルはだいたい過ぎた辺りか。

 もう少しで変化か現れるとルプスレギナは予想する。

 

「あう!」

 

 風圧で尻尾が千切れ飛んだ。

 仕方が無い。すぐに諦める。ケガは治癒でどうとでも出来る。

 それから十分後に周りの様子を見ると地面がかなり大きく見えてきた。

 

「……そろそろ魔法を……」

「了解した」

 

 イビルアイは自分を含めて、それぞれに『飛行(フライ)』の魔法をかける。

 それだけで落下速度は一気に落ちた。そして、すぐにルプスレギナは治癒魔法をかける。

 レイナースは完全に眠っているようだったが、仮死状態かもしれない。

 治癒魔法をかけると血色が良くなってきた。

 

「これが召喚魔法だとすれば性質の悪い魔法っすね。普通の人間なら死んでいるっすよ」

「……全くだ」

 

 それぞれ文句を呟きつつ着地に向けて覚悟を決めていく。

 目視では後、数百メートルというところだった。

 そこへ巨大な魚が現れる。

 普通は水中に棲んでいる生物だが透明感のある巨大な羽が生えていた。

 全長は五メートル、いや十メートルはあるかもしれない。その魚がイビルアイ達の近くに寄ってくる。

 

「モンスターか?」

「雰囲気的には背中に乗れって感じっすけど……。こちらに顔は向けていないけれど……」

 

 落下速度に合わせているようにルプスレギナには見えていた。

 今の状態で戦うのは分が悪い。まして、レイナースを抱えていては苦戦するばかりだ。

 敵対しないのならば攻撃しても仕方が無い。そうイビルアイは判断し、近づいてくる魚の背中に触れてみた。

 過剰反応されなかったので敵対する意思は無さそうだ。

 すみやかに乗りたいところだが滑りそうな身体なので乗る事が出来るのか不安だった。

 

「ここは私に任せるっすよ」

 

 二人を抱えてルプスレギナが飛び乗り、背びれ近くまで一気に駆け抜ける。そして、噛み付く。

 

「見事」

 

 ようやく落ち着ける場所にたどり着き、二人は安心した。ただ、レイナースを降ろすのはまだ早そうだ。

 魚の背に横たえると滑って落ちていきそうだったから。

 

「ふぅ。とりあえずは難関を乗り越えたってところっすね」

「……ああ。………」

 

 イビルアイの視線の先には上空から汚物などが落下していく様が見えた。ただ、千切れた尻尾は見当たらない。

 

「……たぶん本体に治癒魔法をかけたから消えたっすね」

 

 高い治癒魔法による肉体再生は不可思議な現象を起こす。

 腕を切断された時、身体の方に『大治癒(ヒール)』などをかけると切断された腕は消えてしまう。ちなみに切断された()()腕に治癒魔法をかけると切断面が塞がるだけで終わる。

 切断された腕が原型も留めないくらいの状態だと消えずに残る事があるという。

 狼形態から人間の姿に戻りながらルプスレギナは言った。

 改めてみて思った。やはり異形種なのだなと。

 だからといって敵対する気は無い。命の恩人に刃を向ける事は冒険者として出来はしない。

 少なくとも今は素直に感謝の意を表す。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#003

 act 3 

 

 レイナースの様子を見ながらイビルアイ達はそれぞれ次への対策の為に一休みする。

 精神を落ち着けてから改めて周りの世界を見回す。

 ここは知らない世界。

 知らないモンスターの背の上。

 三人共に裸で魔法は使える。

 魔力系。信仰系。騎士。

 バランスの取れたパーティに思える。

 

「これから我々は何所へ向かえばいいのやら」

「手ごろな地面にまず降りるしかないっすね」

 

 この魚のねぐらに連れて行かれて餌にされるか、逆に餌にするか。

 空中を飛行する巨大な魚は凶悪なモンスターというわけではないようだが、しばらくは乗っていようと思った。

 周りに似た種が居ないようだ。

 現在位置は分からないが地表まで、わずかという所まで下がってきていた。

 呼吸も楽になってきたようでレイナースが程なく目覚める。

 イビルアイは呼吸に関しては全く問題ないけれどレイナースは色々と大変な筈だ。

 

「しばらく休んでいるといいっす。急に動くと脳に悪いっすよ」

「………」

 

 今のレイナースは喋りたくても出来ない状態だった。

 言い知れない頭痛が襲っているので。

 低温による身体の震えが止まらない。

 凍傷で末端神経が死滅し、手足の先端部分は黒く変色してきた。

 数分後に落ち着いたルプスレギナによって凍傷していた肉体の治癒を施されて完治していく。

 方法は乱暴ではあるけれど。

 

        

 

 食いちぎられたレイナースの手足が魚の背中からコロコロと落ちて消えていく頃には目的地の大地が近づいてきた。

 無駄な動きを取らず魔力の回復に努めたので大きな混乱は起きていない。

 特にレイナースは始終冷静だった。さすがは歴戦の戦士だとイビルアイは感心する。

 大地に近づき魚は動きを止める。つまりここで降りろ、という意思表示なのかもしれない。

 無駄口を叩かずにイビルアイとレイナースを担いだルプスレギナが軽々と大地に降りる。

 三人が離れたのを見届けた魚は飛び立っていった。

 

「せっかく送ってくれたから見逃してあげるっすよ」

 

 その声が聞こえたのかは分からない。

 空飛ぶ巨大な魚が居なくなった後、新たな気配が生まれる。

 

「無事にたどり着いたか」

 

 と、野太い声には聞き覚えがあった。

 三人の裸の女性の前に現れたのは筋骨隆々の戦士だった。

 立派な鎧を身にまとい、厳つい顔を向けるのはどう見てもリ・エスティーゼ王国の戦士長『ガゼフ・ストロノーフ』にしか見えない。

 

「私は闘士(グル)ガゼフ。まずは無事に召喚された事を」

「メエエエェェェ!」

 

 と、ガゼフの声を遮る様に羊か山羊の鳴き声が聞こえた。ただし、それはイビルアイ達にとって()()()()()()()不安を振りまくモンスターのものにしか聞こえなかった。二人に対してルプスレギナは口元をゆがめていた。

 案の定、ドスドスと何かを踏み砕くような突進する音を響かせていた。

 

「話しの前に君たちの姿をどうにかしないと」

「メエエエェェェ!」

 

 声は更に大きくなり、ガゼフの声はかき消される。だが、彼は鳴き声に構わず喋っている様で続きが全く聞こえない。

 ルプスレギナは頭の耳を押さえていた。

 何かを言っているようだが三人共に聞き取れなかった。

 

「メエエエェェェ!」

 

 ガセフは懐から黄色くて丸い宝石を取り出し、何か言っているようだが聞こえない。

 鳴き声の主がイビルアイ達の近くに現れた。

 頭頂部から無数の触手を生やし、身体は黒くて丸く、山羊の脚に似たものが五本、激しく動いている。

 丸い身体のあちこちに大きな口があり、全体の大きさは十メートルはありそうだ。かなり巨大で醜悪な鳴き声を発するおぞましいモンスターだった。

 そんなモンスターなど存在しないかのように喋り続ける闘士ガゼフ。

 宝石が光り、三人に照らし出される。

 

        

 

 光を受けた後で裸体を包む風が巻き起こり、それが実体を伴い服というか鎧のようなものを形作った。

 

「メエエエェェェ!」

 

 ドドドっと豪快な音を立てて駆け抜けていく巨大モンスター。

 

「ってくれ」

 

 ガゼフがいきなり頭を下げたが何を言っていたかは分からなかった。

 

「メエエエェェェ!」

 

 だいぶ鳴き声が小さくなった頃に改めて尋ねた。

 というか、あの鳴き声の中で相手に言葉が伝わると思っているガゼフは凄いなとイビルアイは思った。

 それとも耳が悪いのか、と。

 

「要約すると伝説の『魔法騎士(マジックナイト)』となってセフィーロを救ってくれ、と言ったのだ」

「あんな大きな鳴き声の中で聞こえるわけがないだろう」

 

 と、憤慨しながらイビルアイは言った。

 

「……みんなマジックナイトになる余裕ってあるっすか? 余計な職業(クラス)を取るのはちょっと勘弁願いたいんすよね」

「私は呪われた騎士(カースドナイト)なのだが……。マジックナイトになれるのか?」

「騎士職か……」

 

 それぞれ悩みだした。

 

「三人共、鎧を装備した時点でその職を取ったかもしれないっすね。……勝手に余計なことして……。後で怒られるの嫌っすよ」

 

 厳つい男の話しを裸のままで聞きたくなかったが、今となっては仕方がない。

 なし崩し的に騙されたような気はするけれど。

 セフィーロという世界に突如呼ばれたレイナース。イビルアイ。ルプスレギナ。

 訳も分からず窮地を乗り越えたと思ったら厳ついおっさんの登場と謎の巨大モンスターのせいで説明が全く聞き取れず。

 改めて聞きなおす事になった。

 要約とはいえ世界を救ってほしいと言われても困る。

 話しを聞くに目の前の闘士(グル)ガゼフは自分達の知るガゼフ・ストロノーフとは別人らしい。だが、そっくりだ。というか、本人としか思えない。

 

「旅の共に……」

「待て。勝手に話しを進めるな」

「むっ。こうしている間にもセフィーロは闇に包まれていく。悠長に構えている時間は無い」

「そもそもどうしてセフィーロを救わねばならない」

「それはセフィーロの『(はしら)』である『ジルクニフ』姫が悪の神官(ソル)『アインズ』にさらわれたからだ」

 

 聞き覚えのある名前が妙な事になっている。それはイビルアイとレイナースには理解出来た。

 ジルクニフ、姫と言ったのか、このおっさんと。

 想像した通りの姿が拝めそうな気がした。

 

「この世界の危機に際して姫は召喚魔法を使い、お前たちをこの世界に呼んだのだ」

「なるほどっす。というか、その悪のソルとやらは骸骨っすね」

「よく分かったな。元々はジルクニフ姫つきの神官(ソル)だったのだが……。ある時に姫をさらいどこかに幽閉してしまったのだ」

 

 始終厳ついガゼフ。

 

        

 

 姫は『柱』と呼ばれ、平和を祈る事でセフィーロという世界を安定させてきた。それをある時、神官(ソル)アインズが姫を幽閉してしまった。その理由はガゼフにも分からない。

 姫が幽閉された事で祈りが途絶え、セフィーロに暗雲が立ち込め始めた。

 祈りを怠るとセフィーロは大地を削られ、滅びていく定めにあるという。

 その影響で各地に魔物が出現し、人や村を襲っているという。

 

「では、あのモンスターも魔物とやらか」

「あれは元々居る家畜だ。どこかの村から逃げ出してきたのだろう」

 

 家畜と聞いてイビルアイは嘘だ、と疑った。

 どこをどう見たらあのおぞましい外見のモンスターが平和な村の家畜として存在するのか。むしろ、世界を滅ぼすモンスターにしか見えない。

 聞けば食用だとか。

 名前は想像通り『黒い仔山羊(ダーク・ヤング)』でその肉はうまいと評判らしい。

 涎は飲料として愛されているという。

 聞けば聞くほど吐き気を催すのだが、この世界では不思議な事ではないらしい。とても信じられないけれど。

 

「姫を救えるのは伝説の魔法騎士(マジックナイト)だけだ。重ねて頼む。姫を救ってくれ」

 

 平身低頭で闘士(グル)ガゼフはイビルアイ達に頼んできた。

 

「ふっふっふ。こんなところに居たのか」

 

 と、言いながら現れたのはどう見ても『ブレイン・アングラウス』だ。

 

剣士(イル)ブレイン!? もう見つかったか。だが、やらせはしない!」

 

 ガゼフは説明を切り上げて腰に括りつけていた剣を抜き放つ。

 

「お前たちは『エテルナの泉』に向かえ! 案内はハムスケに任せる」

 

 口に指を当てて器用に音を鳴らすとどこからともなく、走りこんでくるものが居た。

 つぶらな瞳に鱗で覆われた尻尾を持つ可愛いハムスター。だが、体長は二メートルほど。

 聖獣ハムスケ、というらしい。

 

「呼んだでござるか?」

 

 と、暢気な声を上げる巨大ハムスター。

 

「その三人を連れて創師(ファル)の元に向かえ!」

「了解したでござる」

 

 ガゼフはブレインと剣を打ち合わせる。

 

「うおおぉぉ! 〈六光連斬〉!」

「ふっ、〈神域〉、〈虎落笛〉」

 

 互いに強烈な一撃を入れていく。

 

「さすがは闘士ガゼフ。だが、もう俺は昔の弱かったブレインではない。〈四光連斬〉!」

 

 剣と剣がぶつかり合うのを呆然と眺めていた三人の元にハムスケがやってきた。

 

殿(との)に任せて、拙者(せっしゃ)たちも移動するでござるよ」

「……状況が全く理解できないのだが……」

「あははは」

「………」

「まあ、とにかくじっとしているのは不味い、という事でござろう」

 

 危機感の全く無い暢気なハムスケの言葉では世界はまだ平気なのではないか、と思う。

 とにかく、勝手に死闘を繰り広げる二人の相手は疲れそうなので話しの分かりそうな人を探す方が良い。

 魔法騎士(マジックナイト)にならないと姫を救えない、らしい。言葉からはそういう感じだった。

 それほどアインズは強大な敵という事か。というか、アインズは自分達の想像する通りならそもそも勝てない気がする。

 おそらく強大な魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)、だと思う。

 

「ここに居ても話しが進まない気がするから、移動した方がいいっすね」

「……それでいいのか?」

「あのガゼフ殿も相当強いようだな」

 

 話しが出来る状況ではないようだが、相手を倒せばいいのに、と少し思った。

 数分ほど見ていたが勝負がなかなかつかない。

 

「何をしている! 早く行け!」

「我々が……。ああ、武器が無いか」

 

 それならば、とイビルアイは手をブレインに向ける。

 

「〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉!」

 

 うねる雷撃の魔法はブレインの近くまで行った後で防御魔法によって防がれる。

 おそらく装備品の中に雷系を無効化する効果があるのかもしれない。

 

「ならばっ〈月の矢(ムーン・アロー)〉!」

 

 先の魔法と同じく第五位階の魔法だが、これは武技らしきものによって避けられてしまった。

 

「〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉!」

 

 意地になって唱えた魔法は武器で砕かれた。

 見た目以上に手ごわいようだ。

 奥の手として超位魔法でも使おうかな、とこっそり思うイビルアイ。

 戦争後に『ぱわーれべりんぐ』で強化し。様々な魔法と念願の第十一位階。つまり超位魔法を会得するまでに至った。

 脳裏に浮かぶ褐色の肌で銀髪碧眼の『ご主人(●●●●)』に敬意を表す。

 

「イビルアイ殿、ここは引こう。……なんとなく我々はガゼフ殿の足を引っ張っているような気がする」

「し、しかし……」

「俺が足止めしていればお前達の追っ手もすぐには来られない筈だ。いいから、行け」

 

 行かないと話しが進まない、という雰囲気を感じ取ったレイナース。

 ルプスレギナは黙ってイビルアイを持ち上げてハムスケに乗る。

 

「………。分かった。ガゼフ殿。ご武運を」

「ありがとう。見事、セフィーロを……。姫を頼む!」

 

 半ば諦めたイビルアイ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#004

 act 4 

 

 女性三人を乗せて軽々と疾走する聖獣ハムスケ。

 行き先は分かるようだが、これから先に待ち構えて居る者が何なのか、三人は分からない。

 ただ、最後の敵の姿は想像通りのような気がして、それぞれ苦笑する。

 

「それで……、我々を何所に連れて行く気だ?」

「『沈黙の森』でござる」

「トブの大森林ではないのか?」

「とぶ? それがしの記憶に無いでござるね」

 

 というよりハムスケの存在はイビルアイは知っている。

 レイナースも『森の賢王』の姿は見た事があるので当然、知っている。

 アダマンタイト級冒険者『モモン』が使役する魔獣として。

 そのハムスケが疾走すること数十分で目的地に到着する。自分でも早く付いて驚いていた。

 

「……う~ん。拙者はこれほど早く走れたのでござるのか。運動は大事でござるな。そうそう、ここから先は『沈黙の森』の領域ゆえ、魔法は使用できないでござる。気をつけるでござるよ」

「そうか。了解した」

「……治癒魔法は今の内に……。具合が悪い人は居ませんか?」

 

 ルプスレギナが今、唱えられる魔法を使っておく。ただ、森に踏み込めば魔法の効力は全て無効化されてしまうらしい。

 イビルアイは無手(むて)でも戦えるが、魔力を乗せられないと攻撃力は落ちてしまう。

 レイナースは武器さえあれば心強い程度で、ルプスレギナは気が向いたら戦うとのこと。

 彼女の場合は気まぐれではあるが敵には容赦しない筈だから何も言わなかった。

 

        

 

 歩いて数分で森の雰囲気を感じ取る。確かに魔法の効果がどんどん消されていく。

 ルプスレギナは自分の身体に付与されている魔法の効果の具合を確かめる。

 今のところは問題が無いようで安心した。

 NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)というものが魔法の効果に含まれるものであれば存在が消えるかもしれない、と思ったからだ。無関係だと分かった今はほっと一息つく。

 それから獣道を頼りに歩いていくのだが、ハムスケは後方に控えていて道案内役は誰も居ない。

 聞けば目的地の場所を知らないという。

 それは何故なのか。

 沈黙の森は侵入するものを迷わせる性質があり、地図を頼りに進む事のできない場所だという。

 生きた森というわけではないらしいが詳しい事はハムスケにも分からない。

 とにかく、進むしかない。

 と、進んでからハムスケは思い出す。

 

創師(ファル)の家を先に行くんでござった!」

「はぁ!?」

「引き返した方がいいでござる。そうそう、まずは創師の家に行かないと危険でござった」

 

 と、言われても既に森に入って後方の道は塞がっていた。だが、ここでルプスレギナが指差していく。

 

「出るなら私について来てっす」

「分かるのか?」

「まあ、これでも人狼(ワーウルフ)っすから」

 

 正体を見せた以上は無理に隠しても仕方が無い。

 旅の仲間をいきなり殺しては後々、怒られてしまう。

 ルプスレギナにとって重要なのは主であるアインズの命令のみ。もちろん、この世界のアインズとやらと同じかは分からないけれど。

 雰囲気的には同一人物っぽいのだが、今は成り行きに任せる事にした。

 森が出口を塞ごうとしてもルプスレギナの物理攻撃は割りと高く、いくつかの木々は素手で打ち砕かれる。

 侵入した距離が短かった為に出るのは早かった。

 

「なかなか不思議な森のようっすね」

 

 首を軽く捻りつつルプスレギナは屈伸運動を始める。

 

「ファルの家とやらは何所だ?」

「森の入り口近くにあるでござるが……。右と左……、どっちでござったかな」

 

 それほど遠くないはず、とハムスケが言うので、はぐれないように集団で移動する面々。

 とても高い木々が生い茂っているので屋根は見えそうに無い。魔法も使えない事は分かった。

 森の中ではなく近隣からすでに使用できなくなっているようだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#005

 act 5 

 

 少し歩いたところで衝撃的な光景を目の当たりにする。

 物凄い巨大モンスターに蹂躙されたとしか思えないような惨状が広がっていたからだ。

 民家らしきものは粉々に破壊され、森の木々がなぎ倒されている。

 

「……あのモンスターが通っていったようにしか思えないのだが……」

 

 ハムスケが壊れた民家に近づき、ここが創師の家だと言った。あと、住人の遺体があった。

 

 創師ティアと創師ティナ。

 

 セフィーロで最高位の()()()の武具職人だったが今は肉片と化していた。

 

「死んでしまったものは仕方が無いでござる」

 

 と、暢気なハムスケ。

 特に気にした様子を見せないのが少し怖いとイビルアイとレイナースは思う。

 

「肝心のファルとやらが死んでいては今後の活動に影響が出るだろう」

 

 遺体の検分をしても仕方が無い。

 武具職人という事で無事な武器を探す事にする。

 大半は踏み砕かれていたが、いくつか見つける事が出来た。

 

「ブロードソード。モーニングスター。燃えている剣にやたらと光り輝く剣」

「黒いオーラが噴出している武器は呪われていそうっすね」

 

 拳に付ける棘付きナックルもあった。

 様々な武器を製作してきたのは理解した。

 

「私は槍兵(ランサー)だから槍がいい」

「私も最近槍兵(ランサー)を修めた」

「撲殺系がいいっすね」

 

 二人も同じ武器では困るかも、とレイナースは剣を装備する事にした。

 呪われた騎士(カースドナイト)なので呪いの武器を扱う事にはさして障害にはならない気がした。

 イビルアイは槍。ルプスレギナは撲殺に特化した武器を探していたが、なかなか良いものが見つからない。

 本来のルプスレギナの武器は聖印を(かたど)った大きなメイスだ。

 それに近いものは見つからなかった。あるのは砕けた金属片ばかり。

 弓兵(アーチャー)は修めていないので弓は装備できない。

 

「棒状で我慢するっすか」

 

 メイスっぽいもので妥協する事にした。

 魔法は使えない。武器は貧弱。

 肉弾戦は得意というほどではないけれど、危なければ逃げるだけだと判断する。

 

        

 

 武器の選定は終えたが、次にどこへ行けばいいのか分からない。

 壊れた家の中を物色する。

 大して情報を持たない危機感の無いハムスケは全く役に立たない。

 それはそれで仕方が無いとあきらめる。

 

「ファル達は死に、我々は次にどこへ行けばいい?」

「んー、たぶん沈黙の森を抜けるしかないでござるな」

 

 近くに集落は無いらしい。というか知らないと言ってきた。

 案内役のはずなのに。

 とにかく、森はモンスターが空けた場所を進めばいい。丁度いい道が出来ているから。

 

「冒険はいいっすけど、お腹が空いたっすね」

「食事でござるか? それがし全部食べてしまったでごるから、何も無いでごさるな」

「なら、こいつ(ハムスケ)を丸焼きにして食事の用意をしようか」

「それがし、人間風情に負けないでござるよ」

 

 怪しく輝くハムスターのつぶらな瞳。そして、腹を見せて威嚇する。

 ハムスケの腹にはいくつかの模様があり、それぞれ魔法を行使する時に輝くそうだ。

 ただし、この森の中では無意味だが。

 

「餓死するほどではないが……。進めるだけ行ってみようか。ここで争うのも無駄に体力を消費しそうだ」

「うむ」

「そうっすね。非常食として残しておくっすよ」

「……完全に食料扱いでござるな……」

 

 三人と一匹は大きな穴に向かう事にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#006

 act 6 

 

 巨大モンスターが通った道は塞がれつつあった。

 沈黙の森自体が一つの生き物のように脈動している。

 

「『魔樹』のようだな」

 

 世界を切り裂くと言われる魔樹『ザイトルクワエ』というモンスターの話しをレイナースとイビルアイは聞いた事があった。

 三百メートルほどの植物モンスターだそうだが、木々を食べて大地から栄養を奪うと言われている。

 数百年前から色々な冒険者と戦い続けてきた強敵で未だに倒された事がないという。

 ただし、幾度かは撃退されているので世界は未だに魔樹に蹂躙されていない。それは封印できるからだとイビルアイは聞いた覚えがある。

 

「動いているようだが襲ってはこないようだな」

 

 道が無くなる前に走破しなければならない。

 破壊の規模が大きすぎて修復が追いつかないようだ。

 三人はハムスケに乗り、一気に駆け抜ける。

 今のところモンスターの姿は無く、動物達の姿も見えない。

 

「……本当に世界の危機なのか。あのモンスターが原因なのではないか?」

「それはそれがしにも分からぬでござる」

 

 一時間ほど進んだが森は深く、高い樹木が生い茂る。

 蜥蜴人(リザードマン)が居ても不思議はない場所だ。

 破壊の後を追っているのだが、仔山羊の鳴き声は聞こえない。

 

        

 

 更に進んだところで人影を見かけたが急いでいるので無視した。

 

「おい」

「今は急いでいるので相手にする余裕は無いでござる」

 

 駆け抜けていくハムスケに声の主は飛ぶように近づいてくる。とてつもなく脚力が強そうだ。

 その人物は白銀の鎧を身にまとい、背中に六本の剣を浮かせ、手には漆黒の大きなバスタードソードを携えていた。

 碧眼で金髪ロールの姫騎士のようだった。

 イビルアイの目にはどう見ても『蒼の薔薇』のリーダー『ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ』にしか見えない。

 戦闘に関してラキュースは超人的な動きを見せるので、完全装備でもハムスターの脚力に追いつくくらい造作も無いようだ。

 

「ラキュース殿!?」

 

 レイナースは驚きつつ声をかけた。

 

「んっ? なぜ私の名前を? 君達は何者だ?」

 

 物凄い速さで走りつつも疑問をぶつけてくるラキュースと思われる人物。

 

「この世界のラキュースなのか……」

「言っている事が理解できないのだが……。君達はどこへ行こうとしている?」

「獣道を頼りに進んでいるだけだ。出来れば……、集落のある場所まで」

「なるほど、了解した。私はラキュース。旅の剣士だ」

 

 剣士に見えない立派な鎧。

 どう見ても城務めの騎士だ。

 あと、他人のようだ。

 

「そ、それでラキュースとやら。森を抜ける事は出来るのか? 我々はセフィーロを救いに召喚された者なのだが……」

 

 そう言うとラキュースは驚いたような顔になった。

 走りながら会話しているのだが、ラキュースは息が上がっていない。

 ルプスレギナは『まるで忍者(ニンジャ)みたいっす』と呟いた。

 ガシャガシャと音を立てて走る白き騎士。

 見た目では分からない身軽な装備なのかもしれない。

 

「森の先には『エテルナの泉』があるはずだ。そこに行けたら腰を落ち着けて話しを聞こうか」

「抜けられそうか?」

「森が君たちを認めれば出口を示すはずだ」

「ど、どうすればいいのだ。このまま延々と走り続けるのか?」

「んっ? その聖獣ハムスケは出口に向かっているのではないのか?」

 

 ラキュースの疑問にイビルアイはハムスケの身体を叩く。

 

「痛いでござる。ちゃんと聞こえていたでござるよ。まあ、道なりに行けば出られるのではないでござるか」

「この役立たずが」

 

 ルプスレギナは声に出して笑った。

 

「よく……分からないが……。少しは手助けをしてやろう」

 

 走りつつラキュースは漆黒の大剣を構える。

 それは『魔剣キリネイラム』にそっくりだった。この世界の、と付くのかも知れないとイビルアイは思う。

 同じ存在なら必殺技を言う気がする。

 自分達のリーダーと同じ存在なら。

 

「焼き払え!」

「……おいおい、森を燃やしたら大変な事になるぞ」

「この沈黙の森はそう簡単に全焼などしない。くたばれぇぇ! 爆炎業火(バーニング・ヘルフレイム)爆裂破っ(・エクスプロージョン)

 

 確かキリネイラムは無属性の武器のはず、とイビルアイは思い、レイナースはとんでもなく物騒な単語を口走るラキュースに対して『か、かっこいい』と呟いた。

 見た目の予想とは裏腹に炎ではなく、イビルアイの言う通り漆黒の衝撃波が発生した。それは無属性で間違いなかった。

 じゃあなんで炎の技名なんだよ、という疑問が生じる。

 

        

 

 打ち出した必殺技で大木がなぎ倒され、かえって進行の妨げにしかならなかったような気がする。

 倒れてくる木々をハムスケは器用に避けて行く。

 

「くっ……。まだ足りぬか。ならばっ!」

「……もう少し穏便な方法は無いのか?」

 

 今のラキュースは憤怒に彩られた破壊の女神のようで周りの声は聞こえていないようだった。

 

灰燼(かいじん)と化せっ! 超技……、煉獄鏖殺撃っ(プルガトリー・ジェノサイダー)!」

 

 技名は違うのだが発生する技は先ほどとなんら変わらなかった。

 容赦無く切り倒される大木。

 攻撃力は本物だがイビルアイとレイナースは呆気に取られていた。

 

「くっ、ならば、秘技っ、冥王刃(プルートブレード・)超越絶死(スペリオル・デッドエンド)竜殺砲っ(・ドラゴンバスター)!」

 

 技名が長くなっただけだが、ラキュースは本気のようだ。

 静寂な森に響く、戦乙女の絶叫。

 聞く分には世の男性陣が聞き惚れる事は間違いない。ついレイナースも技名を聞き覚えた分だけ呟いているくらい気に入ってしまった。

 自分も罪人を殺す時は何か技名を叫ぼうかな、と。

 ラキュースとは良い友人になれそうな気がした。

 薙ぎ倒される大木を眺めながらイビルアイは思った。

 背中に浮いている『浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)』だと思われる武器は何の為にあるのか、と。

 ルプスレギナは楽しくて笑い続けている。

 連続で必殺技を使ったせいか、ラキュースの顔色が一気に悪くなってきた。

 走りながら長い必殺技名を叫んでいるのだから酸欠になってもおかしくない。

 

「だ、大丈夫か、ラキュース?」

「へ、平気……よ、ごぼぁ……」

 

 言ってる側から吐瀉(としゃ)して倒れこむ。

 相当無理をしたようだ。置いて行くのも可哀相になったので、ハムスケに回収をお願いした。

 ハムスケは見た目は可愛らしいが力は強く、大人を四人も背中に乗せて走れるほどの強さがある。

 ルプスレギナは早速治癒魔法でラキュースを癒す。

 

「………」

 

 魔法が何故か、使えたがイビルアイ達は気づかなかった。ルプスレギナも疑問に思ったが無視する事にした。

 そういえば、と。ラキュースの必殺技も魔力の塊のはず。それが撃ち出せたのは何故なのか。

 数分ほど考えたが答えは出なかった。なので、世の中には不思議な事があるものだと思い、胸の奥にしまっておくルプスレギナ。

 

(かたじけな)い……。そういえば、お三方の名前を聞いていなかったな」

「私はレイナース。バハルス帝国の騎士だ。ぜひ友達になってほしい」

 

 手を差し出すがラキュースは首を傾げた。

 

「ああ、いや失礼。いきなりぶしつけだったな。……忘れてくれ」

「私はイビルアイ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ」

「ルプスレギナ・ベータ。御身の前っす。……じゃなかった。です」

 

 元気に挨拶するルプスレギナ。

 

        

 

 改めて名乗りを終えて、今までのあらましを告げる。

 

「セフィーロに危機が訪れていると……。確かに姫の祈りが無ければ崩壊すると伝説にはある」

「なぜ、世界は崩壊するのだ? そもそも伝説など知らないぞ」

「それは話せば長くなる。だから、私はそんな面倒な話しはしない」

「……身も蓋も無いな……」

「いや、ある意味、清々しい」

 

 うんうんとレイナースは頷く。

 

「伝説の通りであるなら……。この森を抜けたところに『エテルナの泉』がある。そこで伝説の鉱物『エスクード』を手に入れるがいい。もし、それを手に入れたら創師(ファル)たちに渡すと武器を作ってくれるはずだ」

「……そのファル達は黒い仔山羊(ダーク・ヤング)に踏み潰されたらしいぞ」

 

 そう言うとラキュースは驚いた。

 

「三人共にか?」

「知らんが二人分の死体は確認した」

「最後の一人にかけるしかないな。創師ガガーランという」

 

 イビルアイの脳裏には誰だか姿は浮かぶのだが、なぜ奴が、という疑問がある。

 そして、おそらくイビルアイという人間が()()()()居るような気がする。

 この世界には自分達の知っている人間ばかり出てくるので。

 

「姫の祈りが途絶えるとセフィーロの大地にたくさんの魔物が発生する。姫を救わねば大地もやがて崩壊する。伝説ではそうなっている」

 

 かいつまんでラキュースは言った。

 その後で進行方向に光りが差し込む。おそらくは出口だ。

 

「もし君たちが伝説の魔法騎士(マジックナイト)ならばこの世界を救ってくれ。私は……、この国の人間だ。だから、姫の下には行けない」

 

 一度頭を下げた後、ラキュースはハムスケから飛び降りた。そして、転んだ。

 

「んっ?」

「また会おう。伝説の……」

 

 と、続きが聞こえる前に大木がラキュースの前面を覆ってしまった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#007

 act 7 

 

 森を抜けた場所は見晴らしがよく、大きな石がいくつか転がっていた。

 一言で言えば草原地帯だ。

 背後の森は襲ってくることは無く、出口が塞がったところで静かになった。

 

「森を抜けた今、魔法が使えるはずでござる」

「なんでそれをお前が知っている?」

「さあ? なんででござろうか。そういう()()なのでは?」

 

 身も蓋も無いのはハムスケも同様のようだ。

 呆れつつもイビルアイとレイナースは辺りを調査する。

 ルプスレギナは近くの岩場に腰掛けて瞑想を始める。

 一休みと魔力回復、状況整理などを(おこな)うためだ。

 ここまで休まず移動し続けたのだから、疲れを感じていた。

 人狼(ワーウルフ)としての本能が働いているのかもしれない。

 飲食と睡眠を不要にする『維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)』が無いので無理な強行軍は危険だと思った。

 休める時に休む。

 

「えてるな、とやらはこの辺りなのか?」

「この辺りが『エテルナの泉』と言われているのは間違いないでござるよ」

 

 周りを見回しても湖のような水溜りはどこにも見当たらない。もちろん、空にも。

 あるのは無数の岩ばかり。

 ただ、黒い仔山羊(ダーク・ヤング)はここを通っていったようで、踏み砕かれた跡が延々と伸びていた。

 あのモンスターが世界を滅ぼす魔物と言われても不思議は無い。それを家畜として飼育している村とはどんなところなのか。というか、あれがまだ他にも居るという事かもしれない。

 行きたくないな、とイビルアイは思う。

 明らかに人間を踏み潰すようなモンスターを飼えるとは到底思えない。

 

        

 

 この国では家畜に踏み潰されても罪に問われないのか、とハムスケに聞くと遠いところの事は分からないと答えてきた。

 運が無かったと思って諦めろ、という事なのか。

 イビルアイが疲れたため息をつくころ、レイナースは辺りの調査を終えて武器の具合を確かめていた。

 ずっと移動が多かったので身体の調子が狂ってはいけないと判断したためだ。

 投擲用の小刀の確認もしておく。こちらは投げた後、回収できるのか不安だった。

 今のところ他国と戦争状態というわけではないようだ。では、世界の危機とは何なのか。

 セフィーロが崩壊するという言葉の意味は正直、分からない。

 ジルクニフ姫がセフィーロを救ってほしいと願ったから我々はここに来た、と考えるのが自然だ。だが、いきなり命の危機を感じたが。

 裸一貫で世界を救うのは無謀だ。であれば、今の我々は何を頼りに進めばいいのか。

 ただ単に姫の下まで行ってアインズを倒せばいいのか。

 

「……今の装備でアインズを倒せ、というのは無いだろうな」

 

 意味も無く呼ばれて殺されるのは勘弁願いたい。

 

「ハムスケ。君は何か知らないのか? 我々は魔法騎士になれば世界を救えるのか?」

「拙者はお主達を案内する役目しか知らないでござる」

「今のままでは世界は救えないぞ」

「それがしは世界の命運とか正直、分からないでござるからな」

 

 自分が住む世界の崩壊に対して暢気なものだとレイナースは呆れる。

 だが、今のまま何の情報も無く進むのは危険だ。

 

「近くに村などは無いのか?」

「それならば……」

 

 ハムスケが早々に役立たずだと理解したイビルアイが魔法を唱える。

 沈黙の森の結界らしきものが働かなかったようで『飛行(フライ)』が使えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#008

 act 8 

 

 上空から辺りを見回す。

 意外と広大な森が先ほどまで疾走していた沈黙の森だ。ハムスケに乗っていたとはいえ数時間で走破出来るような小さな範囲ではなかった事に驚いた。

 黒い仔山羊(ダーク・ヤング)の軌跡は遥か彼方(かなた)まで続いていた。だが、巨体は発見できなかった。

 村落らしきものは山と海と森の多い世界では見つけにくいようで、煙などは確認できなかった。

 上空から見るセフィーロは間違いなく自分の知らない世界だったことは確認出来た。

 地上に戻ろうとした時に水溜りが見えた。それはレイナース達の近くにあった。ただ、先ほどまでは岩ばかりで水気など無かった。

 疑問に思いつつ下がっていくとルプスレギナが水溜りを通り過ぎて行った。全く気付いていないような感じだった。

 地面に降りて水溜りを探そうとしたら何所にも無い。

 

「?」

 

 上空からは確認出来たのに地上に何も無いのはおかしい。

 

「ルプスレギナ。お前の近くに水溜りが見えたのだが……、気付かなかったか?」

「本当っすか? 周りには何も……。水の匂いも感じないっすね」

「上から見ると近くに確かに水溜りがあったのだがな……」

 

 イビルアイはルプスレギナの周りを調べていく。まだ現場からそれ程離れていないはずなので手がかりくらいは見つけたいと思っている。

 もう一度、空に浮きつつ確認する。下から覗いたり、上から地面を覗いたりしてみたが見つからない。だが、一定距離の高さになると見えてくるものがあった。

 それは確かに水溜りだ。

 この水溜りは他には無いようだった。

 

「たぶん、それが『エテルナの泉』でござろう」

「そうか。それで、この泉を見つけた後はどうすればいいんだ?」

「中に入るのではござらんか? 確か伝説の鉱物『エスクード』とやらがあるらしいでござる」

 

 曖昧な説明ばかりだが、他に目的が無いのも事実。

 空中にある妙な泉に入る、と言っても(はい)れるものなのか。ルプスレギナの身体を素通りしたはずなのだが。

 

「あれじゃないっかす。魔法的な泉で飛び込むと異空間に転移するという……」

「……そんなものが現実にあるのか?」

「あろうが無かろうが、入れって言うなら飛び込むしかないと思うっすよ」

 

 と、ルプスレギナが正論を言う。確かに他に方法や説明があるとも思えない。

 もう少し分かり易い説明が出来る者が欲しかった、とイビルアイは残念に思う。

 不毛な議論では埒が明かないと判断したルプスレギナが軽い動作で飛び上がり、頭から泉に飛び込んだ。するとボチャン、と水しぶきが上がり姿が消えた。

 

「……ハムスケ」

「はいでござる」

「入るのはいいが……、出られるのか?」

「さあ? それがしにはうかがい知れぬ事ゆえ……」

 

 暢気なハムスケに怒りが湧くが仕方が無い。

 珍妙な獣が何を考えているかなど分かりはしない。

 『エテルナの泉』に入り『エスクード』を手に入れる。とするならば入るしかない。

 というか、エスクードを手に入れた後はどうするのか。

 鉱物と言っていたので我々用の武器を作る為だと思われる。そして、それを作るのが創師ガガーランというわけだ。

 イビルアイはレイナースに顔を向けて軽く両手を広げて肩をすくめる。対するレイナースは苦笑した。

 

「イビルアイ殿。郷に入っては郷に従えといいます。他に目的も手段も無さそうですし」

「……知らない世界で無謀な挑戦はしたくないぞ……」

「それには同意します」

 

 軽く呼吸を整えた後『飛行(フライ)』を使い、レイナースを抱えてエテルナの泉と思われる水溜りに飛び込んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#009

 act 9 

 

 先に飛び込んだルプスレギナは辺りを見渡す。

 暗くて先が見えにくい。だけど自分の姿は輝いているようにはっきりと見える。

 

「地面はあるようっすね」

 

 確認出来る範囲に味方は居ない。イビルアイ達の姿も無い。

 

「さて、何が待ち構えているっすかね」

 

 軽く首を捻る。

 ここしばらく満足な戦闘経験が無く退屈していたところだった。

 その前に水辺のある所だと思っていたのに残念に思った。

 お尻を拭いていないから。レイナースも同じだ。

 汚いまま冒険する事になろうとは思わなかった。

 

「水の出る魔法でもあれば……。無いのは仕方ないっすね……」

 

 はぁ、とため息をつく。

 そろそろ変化が生まれそうな予感がした。

 危機意識は人間よりも高いと自負している。だから、何者かの気配が生まれれば早い段階から察知する自信はかなりあった。

 

        

 

 気配の数は複数。

 足音もそれに比例している。

 それぞれの音は何故かとても()()()()()()()()

 音に敏感な人狼(ワーウルフ)が聞き(たが)える事など滅多に無い。

 

「……マジっすか……。雰囲気からしてお仲間という気がしないっすね……」

 

 暗がりから姿を現したのは戦闘メイド『プレイアデス』の七名。つまり()()()()()()を含めての数だ。

 それぞれ手に武器を携えている。

 

「試練って奴っすね。なるほど……」

 

 友好的な気配は皆無。ならば答えは一つしかない。

 彼女たちは倒すべき敵である。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉」

「むっ!?」

 

 どう見ても『ナーベラル・ガンマ』にしか見えない相手が魔法を唱えてきた。

 条件反射で避けようとしたがタイミングが少し遅かった。

 顔を掠めていった。そして、地面に色々なものが落ちる。

 

「……殺る気まんまんって事っすね……」

 

 目と耳が吹き飛ばされたが、すぐに治癒魔法をかける。

 油断したとはいえ、けっこう強力な魔法で驚いた。

 味方から攻撃を食らうことは物理攻撃以外ではなかった事だから。

 

「……隙、だらけ」

 

 短銃で攻撃するのは『シズ・デルタ』で他のメンバーもそれぞれ動き始める。

 シズの攻撃を横っ腹に受けたが相手は容赦が無い様だった。

 

「逃がしませんわ」

 

 短刀で襲い掛かる粘体(スライム)状に変化した『ソリュシャン・イプシロン』の攻撃をなんとかかわす。だが、すぐに蟲による弾丸攻撃が放たれる。更に七人目の末妹たる『オーレオール・オメガ』は袖から数枚の札を取り出して、様々なモンスターを召喚する。

 長姉の『ユリ・アルファ』は的確に指示を飛ばしていく。

 

「凄まじい連携っすね」

「油断は命取りっすよ」

 

 と、自分と同じ声、姿の『ルプスレギナ・ベータ』が背中から襲い掛かる。

 当初の明るい雰囲気から一転して窮地に追い込まれる非常事態へと変貌する。

 

「……しぶとい」

 

 新たな武器を召喚するシズは二挺のショットガンを発射する。

 それぞれルプスレギナの腕と脚に当たり、吹き飛ばしていく。だが、それで怯むルプスレギナではない。

 残った足で後方に一回転し、治癒に専念する。

 あまり攻撃ばかり受けているとMPが尽きてしまう、と危惧する。だが、そんな思考にもかかわらず攻撃は飛んでくる。

 

「〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

 

 容赦の無い攻撃を何の感情も見せずに放つナーベラル。

 

「ぎゃっ!」

「……お前に相応しい弾丸が決まった。……シルバー・ブリット」

 

 と、言いつつ拳銃に弾丸を詰め込む。

 シズは器用に武器を人差し指だけで回し、そして不可視化した。

 彼女の身につけている迷彩柄のマジックアイテムの効果なのはすぐに理解出来た。

 音も無く相手を狙い撃つ、その瞬間にしか姿を確認する事が出来ない。まして、敵は他にまだ六人いる。

 大抵の敵には負ける気はしないのだが、仲間内では話しが変わる。

 (なぶ)り殺しは好きだが、嬲り殺されるのは嫌だ。

 ここから逆転したいのだが、それぞれ攻めにくい立ち位置に移動していた。

 手持ちの武器は棒一本。魔法は治癒に回している。

 

「……詰んだっすかね」

 

 諦めるのは簡単だ。

 怒涛の攻撃の嵐。攻略の糸口が見えない。絶体絶命。

 とても楽しくて仕方が無い。戦いはこうでなくては、と苦境に立たされているにも関わらず、ルプスレギナは微笑む。

 戦闘メイドとしては今の状況は実に心地よい、と。

 役立たずのまま最下層で待機していた頃では味わえなかった臨場感は初めてではないか。

 狼形態に移行しつつMPの残り具合を確認する。

 難敵はソリュシャンくらいだ。後は物理攻撃で倒せる。最後のオーレオールだけは残ってしまう。レベル差の開きが大きいから。

 回復手段を与えないようにするには末妹を先に撃破し、次に自分()だ。

 

「……反撃と行くっすか」

「〈魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 いやに冷静にナーベラルが魔法を唱えたが、敏捷は自分の方が上だ。それに彼女たちは気付いていないのかもしれない。

 

 同士討ち(フレンドリーファイア)が解除されている事に。

 

 どういうわけか敵方も味方の攻撃を受けているようだ。それはソリュシャンの酸に身体を焼かれているのが見えたので気づいただけだが。

 何気にシズの攻撃の余波も受けている。

 完全に形態変化が終わりきらないうちにルプスレギナは駆け出す。

 レベルは高いが召喚魔法しか使わないオーレオールに掴みかかる。その身体を盾にナーベラルの魔法を受け切る。

 そして、そのまま投げ飛ばし、次に回復役の敵側のルプスレギナに向かう。すぐに守ろうと姿を現したシズに気付いたが、それは想定内だ。

 

「……生憎とシズちゃんの攻撃は()()()()いるんすよ」

 

 打ち出される弾丸を肉眼で確認など、到底出来ない。だが、タイミングくらいはなんとか取れる。

 オーレオールならいざ知らず、シズのレベルは自分より低い。

 ステータス的には色々とシズの方が高いが狼形態となった今はモンスターとして上昇しているはず。

 

 パンッ。

 

 乾いた音の後にルプスレギナの脳天を直撃する。

 

「……そんなに甘くないっすか……」

 

 言葉が正しければ銀製の弾丸のはず。ならば致命傷かもしれない。

 だが、今までの人生で()()()()()してきたので驚きは小さい。

 脳が少し砕けるくらい、平気だ。もちろん、やせ我慢だが。

 意識が飛ぶ前に弾丸を直に抉り出し、治癒魔法をかける。

 素早く(おこな)えば即死は回避される。と、()()の言葉が聞こえた気がした。

 言語、視覚、色んな機能が一時的に混乱状態となったが数秒で回復する筈だ。

 

「……えべべべ……」

 

 危険な行為は二度としたくないが、今は我慢あるのみだ、と強く自分に言い聞かせる。

 動けるうちに回復役の首を数撃で落としていく。次にオーレオールは盾役として利用し、ナーベラルを撃破。

 種族的に倒しやすいし、物理攻撃が通じない相手ではない。

 蟲をたくさん吐き出すエントマも装備品を避ければ倒せない事も無いが、防御に厚い蟲を召喚されては困る。だが、そうであっても身体を掴み、ソリュシャンに投げ込めば話しは変わる。

 ソリュシャンの中で蟲の召喚と溶解が始まり、二人は身悶えし始める。

 残りはシズとユリだ。

 

「見事です」

 

 冷静にユリは言った。

 仲間内での殺し合いは経験したくないものだとルプスレギナは思う。

 

「……しぶとい。……殲滅」

 

 シズは眼帯をめくる。そこには本来は一つしかない瞳が無数に蠢いていた。その複数の瞳の眼球から無数の光線が発射される。

 口を開けると中から銃口が現れる。更に両手の手首が落ち、腕そのものが砲撃用の武器と化す。

 それらの一斉射撃もオーレオールで防ぐ。レベル100なので意外と丈夫だった。

 

「シズちゃんの本気モードは怖いっすね」

 

 打ちつくした後で口の銃身を吐き出す。

 

「……リミット解除。……ジェノサイダーモードに移行」

「むむっ、それはヤバそうっすね」

 

 シズの全身に亀裂を入れるような光りが走る。

 全身凶器のシズの隠し玉。

 

 超電磁砲(レール・キャノン)

 

 両腕の一部を変形させ、巨大な大砲に形作る。

 それをのんびりと眺めるルプスレギナではない。砲身にオーレオールを投げ込む。ついでに先ほど倒した敵方のルプスレギナも投げ込む。

 直接、打倒する手間が省けて楽だった。

 

「ぶばばば!」

 

 物凄い暴れ方をしてエネルギーの本流に身体が引き裂かれていく。

 ついでにソリュシャンも投げ込む。

 

「……そんなことをしても無駄。……指向性の雷撃はあらゆるものを分解する」

 

 螺旋を描くように引き裂く雷撃砲。

 

「そうっすか? こっちは結構、余裕になってきたっすよ」

 

 敵の数を減らす上では、と。

 残るはユリ。

 大技は発射までに時間がかかるし、連射は無理だ。

 不可視化はシズには通用しない。であれば、次の一手はユリしか居ない。

 今のシズは待機モード。迂闊には動かない筈だ。すばやく駆け出してユリの腹に一撃を加える。

 拳による打撃中心の相手。魔法による攻撃は来ない。だから、物理攻撃を加える事に躊躇いはない。

 爪を服に引っ掛けてシズの砲身に投げ込む。首無し騎士(デュラハン)であるユリは首のチョーカーを外せば頭部を外す事が出来る。そして、その首を持って距離を取る。

 

「必殺……。ファイア、頭、アタック!」

 

 魔法で燃やしたユリの頭部を力いっぱいシズに向けて投げ込む。

 

「わぁ!」

 

 砲身に様々なものが入り込み、シズの身体から電気が漏れ出る。

 ソリュシャンの身体の粘液で更に事態は悪化。

 爆発を想定し、現場から駆け出すルプスレギナ。

 出来るだけシズの射程に入らない位置に気をつけつつ移動する。

 

「……原子に帰れ」

 

 静かに呟くシズ。そして、放たれる。

 

「……漏電は想定内。……私の一撃は……」

 

 青白い光りと共に砲身から崩壊していくシズ。それから数瞬の後、大爆発が起きる。

 爆風に巻き込まれる事を覚悟して身体を丸めるルプスレギナ。

 隠れる場所は無いので、出来る限り爆風に身を任せる。

 

        

 

 それから数分、数十分と時間が経過しただろうか。

 追撃の気配は無かった。

 ルプスレギナは治癒魔法で焼け焦げる自身を癒しつつ目蓋を開く。

 狼化によって身体の痛みは比較的、軽減されたようだ。

 

「お、終わったっすか?」

 

 暗い空間には焼け焦げる匂いが充満していたが敵の気配は殆ど無かった。

 爆心地に向かうと様々なものが散らばっていた。

 

「随分と派手に吹っ飛んだっすね」

 

 人間形態に戻りつつ、ルプスレギナは呆れた。

 ちゃんとした武器を装備していればルプスレギナとて苦戦はしない。だが、それでも多勢に無勢だ。

 勝利は望めなかったと思う。

 

「……生きている事に感謝するっす」

 

 軽く伸びをしたところで中空(ちゅうくう)に赤い光りが生まれた。

 それはすぐに宝石の塊へと変化していく。

 

「……これが伝説の鉱物……、エスクードっすか。綺麗っすね」

 

 軽く飛び跳ねて宝石を掴む。

 

「……なんか……、疲れたっす」

 

 ふう、とため息を付いてその場に座り込む。

 仲間と戦うのは気分は良くないが、油断は禁物という事なのかもしれない、と思う事にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#010

 act 10 

 

 ルプスレギナとイビルアイとは離れ離れになったレイナースは暗い空間で一人、精神統一していた。

 慌てても仕方が無い。

 出口も見当たらない。

 つまり、何らかの条件を満たさないといけない、と冷静に分析する。

 怒涛の展開についていけなかったが、落ち着いて物事を思考する時間がほしかった。

 最初にまず顔の膿が完治していること。それはつまり世界を救う報酬の前払いとも言えた。

 口には出さなかったが、受け取ったからには自分の出来る範囲で応えたい。

 だが、それを成し遂げるには情報があまりにも乏しい。

 ジルクニフ姫というのは笑いそうになるが、この世界の命運とやらはどういうものなのか。

 単に()()とやらに誘拐されたから、で済む話しなのか。

 

「………」

 

 敵アインズ。

 色々と不可解な事だらけだが、この先のことを考える前に今やらなければならないこと。

 この空間から脱出することだ。

 何者かの気配が生まれ、レイナースは立ち上がる。

 手には黒いオーラが噴出する剣のみ。これで突破出来るものなのか。それは相手の姿を見て確認するしかない。

 

        

 

 現れたのはレイナースのよく知る人物達だった。

 家族に婚約者。ジルクニフ皇帝に他の四騎士達。

 それぞれ手に武器を持っている。

 

「……知り合いが敵ということか。試練としては常套手段だな」

 

 疑問を差し挟む事無く、武器を構える。

 帝国の最強四騎士と呼ばれるレイナースは身内の登場で動揺したりしない。

 それが例え皇帝だとしても。

 

「いざ」

 

 剣の一突きは『不動』のナザミ・エネックの盾に防がれる。

 防御の厚い騎士だが、レイナースは足蹴りで距離を取る。

 準備運動の如く剣の握りを確かめてもう一度、駆け出す。

 柔軟な肉体により前方に一回転しつつ盾に足を乗せる。そして、そのまま駆け抜ける。と、見せかけて飛び降りざまに回し蹴りと剣の一撃を背後に見舞う。すぐに脚の感触から体勢を低くし跳ね上げるようにエネックを蹴りつける。そしてそのまま前転するように回転しつつ次の相手に向かう。

 防御を抜ければ攻撃主体の()()ばかり。

 いかにも呪い剣という感じだが特別な能力は今のところ発揮していない。ただの演出かもしれないけれど。妖しい光りを放つ武器で翻弄していく。

 

「……この鎧は……」

 

 と、言いかけて尻を拭いていない事を思い出した。

 軽く頬を染めて恥らいつつも攻撃の手は止めない。

 返り血で洗うわけには行かない。

 用件を済ませた後は水浴びがしたいなと思った。

 

「本当にっ、柔軟性に優れているな」

 

 華麗に舞うレイナース。花びらではなく鮮血が彼女を彩る。

 帝国の為に奮われる剣は己の復讐のためだけのもの。そういう契約の下にある。

 戦争を終えた今、新たな命令が無い限り自分の欲望のままに武器は奮われる。

 確かに忠誠心は無いかもしれない。けれども恩は感じている。

 不遇の身を召し上げてくれたジルクニフに。

 

「復讐が我が原動力なれば……」

 

 無闇に皇帝を手に掛けることなどありはしない。国の全てを恨むほどではないのだから。

 地に鮮血を振り払えば後方には屍のみが山となる。

 所詮はまがい物。自分の立ち位置も分からぬ者が『重爆』の二つ名を名乗れるはずが無い。

 最強は伊達ではない。

 

「……今ので試練は終わりか……」

 

 地面に広がる鮮血は上空に吸い上げられるように昇っていく。それは光り輝く青い宝石の塊へと変化した。

 この青い鉱物が伝説の鉱物エスクードなのだと確信する。

 

「……自ら手に掛ける試練か……。生憎(あいにく)と……、私の得意分野だ」

 

 軽く飛び跳ねて鉱物を手に取るレイナース。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#011

 act 11 

 

 他の二人と離れ離れになったイビルアイは気が付いた場所を調査していた。

 まず地面の確認。壁の有無。大気の状態。天井があるのか。

 魔力の関係で一定の距離で諦める。

 出した結論は異空間である事。ここまで五分もかからない。

 

「……さて、状況把握は終わったが……、これからどうすればいいんだ?」

 

 光も無く、己ははっきり見えている。

 あと、分かる事は出口がない事くらいか。

 

「メエエエェェェ!」

「うえっ!?」

 

 聞きたくない鳴き声が聞こえた。

 それは遠くにありながら今にも近くに迫って来そうな雰囲気を感じさせた。

 イビルアイは全身から汗が吹き出しそうないやな予感を感じていた。

 

「メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ!」

 

 それは一つではなかった。

 暗い空間では分かりにくいが、分かる範囲では十は超えている。いや、もっとかもしれない。

 

「メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

 

 逃げたい。けれど、逃げ道が無い。

 一体だけでも厄介極まり無いというのに。

 確実に死を感じた。

 地面を砕くような激しい粉砕音と共に夥しい鳴き声。

 そして、見た。

 周りから迫り来る超ど級モンスターの姿を。

 数えるのもバカらしくなる。

 

「……これが試練だというのか? あは、あははは……」

「メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ!」

 

 悪夢の始まり、そして。

 

 終焉。

 

 見渡す限り邪悪なモンスターで埋め尽くされた所で変化が起きた。

 それは至極当然なのだが、大きな巨体ゆえにイビルアイの近くに来るには隣りのモンスターが邪魔だ。だから、輪になった時点で身動きが取れなくなる。

 そして、互いに攻撃し合う。

 

「メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

「メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

「……逃げ道が無いのは……変わらない……」

 

 怒涛の攻撃はイビルアイに到達するまで続く筈だ。最後に残ったとしても彼女に勝機があるとは思えない。

 それに長い触手が届く範囲まで来てしまうかもしれない。

 飛んで逃げようにも黒い仔山羊(ダーク・ヤング)の脚力は強くて早い。とても逃げ切れるものではない。

 

「メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ! メエエエェェェ!」

 

 触手の攻撃が激しさを増し、打撃音が凄まじい。

 もし、自分が普通の人間であれば鼓膜は破れていたかもしれない。いや、今の自分でも耳から血が垂れている気がする。

 高速治癒の働きに感謝するべきなのか、不運なのか。

 互いに攻撃し、千切れた触手が舞い、体液が飛び散る。

 体当たりする音。太い五本の山羊の足で踏みつける者。様々なものが飛び交う。

 この状況下でイビルアイに出来ることは何も無い。ただ押し潰されて死を待つのみ。

 

        

 

 気がついた時は音が止んでいた。というよりどれくらい時間が経ったのか分からない。

 地面に顔を打ち付けていたらしい。そういえば何度も意識が飛んだような気がした。

 周りに顔を向けると悪夢が広がっていた。

 視界を埋め尽くす黒い仔山羊(ダーク・ヤング)。その全てが止まっている。

 僅かな空間の中にイビルアイは閉じ込められたような状態だ。

 

「………」

 

 殺したくても殺せない状態。

 出られない密閉空間。

 生憎とアンデッドの身であるイビルアイは呼吸不要。自然死も出来ない。

 力も弱い。魔法も通用しない。折角覚えた超位魔法は残念ながら夥しい数の黒い仔山羊(ダーク・ヤング)には効果が絶望的だ。あと、狭い空間で発動するようなものではない。

 永遠に出られないし、死ぬことも出来ない。

 

「……永遠の牢獄の完成ということか……」

 

 この光景は自分の『ご主人』から聞いた内容に似ていた。

 視界を埋め尽くす不死身の増殖生物。それが世界を埋める。

 未来永劫、抗えぬ無限の牢獄。

 強大なモンスターも制御できなければ国、世界、宇宙をも潰してしまうという。

 

「……仲間が待っている……。抗って……、抗って……。……誰か……。誰か助けてっ! ここから出してっ!

 

 黒い仔山羊(ダーク・ヤング)の身体を叩いてイビルアイは叫ぶ。

 誰も居ない暗い空間。外に届くとは到底思えないけれど、あらん限り叫び続けた。

 

「……あうぅ……」

 

 虚しさが襲う。

 

「いやだっ! こんなところにっ! うわぁぁぁ! ああっ! 出してくれぇぇ!」

 

 イビルアイの叫びは黒い仔山羊(ダーク・ヤング)の肉体に吸い込まれて消えていく。

 それから数万年が経過した、ような気分になってきてイビルアイは思考する事をやめようかと思うのだが、雑念が定期的に襲ってくる。

 時間の感覚が狂っている世界で自分は何をどうしたいのか分からない。

 地面には掻き毟って引きちぎった自分の肉片が転がる。

 飲食不要だが無駄に食べたりして狂おうとした。だが、アンデッドの特性が許さないのか、精神を安定化させてくる。

 一体に集中的に魔法を当て続けてみたが穴が開かないほど強固だ。尚且つ、雑念が魔法の行使を邪魔してくるので全く集中できない。判断力を狂わせる能力でもあるのかもしれない。

 それを自分は何百年、何千年と繰り返しただろうか。

 とっくにセフィーロとやらは崩壊している気がする。

 たとえ一体を撃破できてもまだ奥にたくさんの黒い仔山羊(ダーク・ヤング)が今も世界を埋め尽くしている筈だ。

 倒す以上に増え続けるモンスター。

 

        

 

 それから更に時間が経過する。もはやイビルアイに周りを把握する力は無かった。そんな最中、異音が響き渡る。

 

「もう諦めるか、戦士よ」

 

 黒い世界に新たな声が初めて聞こえた。だが、イビルアイには返事をする力が無かった。

 半分以上、身体が砕けていたせいもある。

 イビルアイの目の前の黒い仔山羊(ダーク・ヤング)の身体を突き破る手が現れる。それは強固な外皮を持つモンスターの身体を紙を引き裂くように扱っていた。

 黒い体液を撒き散らしつつ中から現れたのは赤い棘の鎧をまとう謎の存在だった。

 声からして女性。

 

「……ん~、抗うすべを持たない者の末路のようだな。分かるぞ、その絶望。()()()()()()()()ならば受け入れるんだな。若き戦士よ」

「………」

「見損なった。失望した。……そんな言葉を使うのは容易い事だ。現実の厳しさの分からぬ無能ではない事は分かった。……周りのモンスターは貰って行こう。今、()()()()()()()()()から後はお前次第だぞ」

 

 周りから様々な音が聞こえ始める。

 

「次に気が付く時、お前は知るだろう。精神は時間を超越できる事を」

 

 そう言って謎の女性はイビルアイの赤い瞳を抉り取った。その後、耳も引きちぎられ、鼓膜も破られたようだ。

 

「ここまで原形を保った戦士に敬意を表しないとな」

 

 視界と音が消えた。

 高速治癒で視界と音が回復する頃、周りは劇的に変化していた。

 世界を埋め尽くしていたモンスターの姿が一匹たりとも居なくなっていた。

 イビルアイはどれだけ(ほう)けていたのか。

 ふと、上を見上げる。光りが差し込んで来たための条件反射のようなものだったが、そこには緑色の宝石の塊が浮かんでいた。

 

「………。……う……あぁ……」

 

 イビルアイは無心に泣き叫んだ。それから世界に光りが降り注ぐ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#012

 act 12 

 

 次に気が付くと青空広がる空間が現れた。そして、そこは平原。

 優しい風が吹いてくる。

 

「無事に戻ってこれたか」

「いや~、大変だったっすよ」

「………」

 

 『エテルナの泉』を囲むようにルプスレギナ。レイナース。イビルアイは元の世界に戻ってきた。

 だが、イビルアイだけ状況が違っていた。

 

「い、イビルアイ殿!? な、何があったのだ?」

「……うあぁ……」

 

 周りを確認するイビルアイ。ただ、それを言葉に表す事が出来ない。

 言葉を忘れてしまったかのような状態だ。

 なにより、金色の髪の毛だったものが今は真っ白な白髪となっていた。

 ルプスレギナはイビルアイに治癒魔法をかけようとしたが相手がアンデッドであることを思い出し、手を引っ込める。

 

「数万年くらい体験したような顔っすね」

 

 老化しないとはいえ、途方も無い時間を過ごせばアンデッドといえど色々と精神に異常を来たす、かもしれない。

 精神攻撃を受けたのかもしれないし、アンデッドだから別の攻撃ということもありえる。

 

「記憶の改竄で治せるとは思えないっすね。しばらく安静にしないと駄目かも……」

「そうか。イビルアイ殿、後は我々に任せて頂こう」

「……そ、そこのお人……」

 

 震える手、老婆のような震える声でイビルアイは言った。目の前に居る者たちの名前も忘れてしまったかのように。

 遠い昔に置いてきた言葉を必至に手繰り寄せるように紡ぐ。

 

「んっ?」

「殺して……。私を……、殺して……ください……」

 

 イビルアイはその場で吐き出した。今まで食べた己自身の血肉を。

 

「も、もう……閉じ込められるのは……。……嫌です……」

 

 レイナースは自分達が体験したものとは違うようだと思った。

 震える彼女をそっと抱きしめる。

 

「もう大丈夫ですよ」

「あー、荒療治でいいなら試したい事があるっすけど……」

「それがイビルアイ殿の為になるのであれば、な」

 

 今の状態で死なれると確実に蘇生は無理だ。

 どういう体験をしてきたのか。アダマンタイト級にして王国でも屈指の冒険者でもあるイビルアイをここまで追い詰める事とは、とレイナースは首を傾げる。

 

        

 

 ルプスレギナの言う荒療治というのは記憶を司る脳の組織そのものを抉り取るものだ。

 記憶の改竄の許容を超える体験ならば手が出せない。

 

「ここまでの体験も自我もおかしくなるかもしれないっすけど、辛い事は忘れられるかもしれないっす」

「……苦しみ続けるのも拷問か……」

 

 もし自分が同じ立場であれば発狂していてもおかしくない、かもしれない。

 イビルアイは狂う事すら許されない状況だったと推測できる。おそらく自分達には想像もできない過酷なものだったに違いない。

 個人的に恨みはないが、助けてやりたいとは思う。

 この世界で助けてくれた恩は忘れない。

 恩には恩で報いる。レイナースとて自分の事しか考えない卑しい人間ではない。

 それぞれイビルアイの事について考えているとドスドスという重々しい足音を響かせて迫ってくる存在が居た。

 あと、ハムスケは眠りこけていた。

 

「ん? 新手か?」

 

 平原なので敵性体が現れると目立つ。特に両手に通常の二倍も三倍も太いガントレットに顔を隠すような装備を身にまとうような存在であれば尚の事。

 大きさは一般の大人ほどか。服で分からないが体格の良い人物のようだ。

 

「ボクは旅する治療師(ヒーラー)さ」

 

 と、気さくに言っているが物騒極まりない装備はとても治療師(ヒーラー)には見えない。打撃格闘家(ストライカー)修行僧(モンク)と言われた方が納得する。

 その妖しい姿が見え始めるとルプスレギナは震えだし、その場に平伏する。

 

「ど、どうしたのだ?」

「身体が自然に……。あ、あの、もしや、あなたは『やまいこ』様ではありませんか?」

「おや? 君とは初対面のはず……。うん、確かにボクはやまいこだよ。君は……」

「戦闘メイド『プレイアデス』の一人『ルプスレギナ・ベータ』でございます」

 

 気さくな喋り方から目上に対する丁寧な名乗り。

 ルプスレギナにとって敬意を払う人物だと理解する。だが、見た目がとても奇異なので偉いようにはレイナースには見えなかった。

 この世界の特別な名称ではなく、聞き覚えのある治療師(ヒーラー)と言った。

 声からして女性だと思うけれど、この(やまいこ)も召喚された存在なのか。

 

「ルプスレギナ君。何かお困りではありませんか?」

「は、はい。は、発言をしてもよろしいのでしょうか?」

「言葉を話してもらわないとこちらとしても対応しかねるよ。遠慮なくどうぞ」

 

 優しい物腰。威圧感も無いし、敵という気配も無い。

 レイナースは武器を握る手の力を少しだけ緩める。

 

        

 

 ルプスレギナは身振り手振りを交えて説明する。

 普段の姿からは想像できないほど取り乱しているように見えた。つまり相手は格上ということになる。

 邪悪なアンデッドの部下というイメージがあったが、今は何故だか意外だと思った。

 

「なるほど。一発殴れば……、というわけにはいかないな」

 

 巨大な拳を打ち合わせるやまいこ。記憶消去の方法がレイナースには何故だが理解出来た気がした。

 殴って消えるような簡単なことではないはずだ。

 

「辛い記憶は消した方がいい時もある。ボクに任せなさい」

「で、では、よろしくお願いします」

 

 やまいこはイビルアイを近くの岩場に移動させた。

 

「……多少、痛めつけても大丈夫です。身体は頑丈ですから」

「それは上々……。これから治療に入るけど邪魔したらぶっ飛ばすからね」

「はい」

 

 返事はルプスレギナだが、レイナースはただ見守っていた。

 普通の人間ならばイビルアイを安易に殺すことは出来ない。

 憔悴しているとはいえイビルアイは並みの存在ではない。

 

「では、超位魔法……」

 

 と、やまいこが言った後で巨大な魔方陣が展開される。それは平面ではなく立体的なものだった。

 幻想的な光景にレイナースは驚き、見惚れる。

 やまいこが放つ魔法は。

 

 記憶消去(イレイズ・リメンバー)

 

 指定した始点と終点の期間のすべての記憶を抹消する。それは場所指定で(おこな)う為に経過した時間は指定できない。

 『ダンジョンに入る前』から『入った後』の記憶を消すと中間は全く思い出せなくなる。

 尚且つ、この魔法は身体に蓄積された肉体的な記憶も消してしまう大雑把なものだ。

 つまり始点と終点の間で獲得した経験値が初期化されたようになる。

 あくまで対象は人物なので獲得したアイテムにまで影響する事は無い。

 

「泉に入ったことの全てを忘れてしまうけれど……。後の言い訳は任せたよ」

「承知した」

 

 レイナースは深く頭を下げた。そして、発動される。

 記憶を消す魔法。

 いや、記憶をかき消す打撃、と言った方が正確か。

 やまいこの巨大な拳がイビルアイの頭部を完全に潰したような状態になった。事実、岩場に色んな肉片が飛び散った。

 どう見ても魔法には見えない。

 

「……それは本当に魔法なのか?」

 

 魔方陣が展開されたから魔法なのかもしれない。

 

「魔法だよ。見た目は凄いけどね。蘇生を前提にした魔法だから驚くのも無理は無いよ」

「私も驚きました。……なんとなくそうなんじゃないかな、とは思いましたが……」

 

 マジで殴った、とルプスレギナは苦笑する。

 意味も無く殴りはしない。

 やまいこはイビルアイが高速治癒を持っていると分かった上で(おこな)った。だから、平然としていられる。

 打撃の利点は脳を破壊する事だ。

 よりよく魔法の効きを良くする為に。

 即死しないので高速治癒により、潰れた頭部が回復するまで一時間はかかったようだ。もともと蘇生を拒否していたし、治りが遅くなっているのかもしれない。

 頭部が損壊しているのに滅び無い所はやまいこの攻撃力が低いからか、それとも適切な加減だからか。

 はた目には判断できない。確実に言えることはイビルアイは今も生きているという事だ。

 

「それじゃあ、ボクは旅を続けるよ。いずれまたどこかで」

「い、一緒に来てくれないのですか!?」

「ボクの旅はまだ道半ばだからね。またいずれ会える日が来るだろうさ」

 

 巨大なガントレットを振りながらやまいこは立ち去っていく。

 引き止めたい所だがルプスレギナに至高の存在の歩みの邪魔をする権利も資格もなかった。だから、動けなかった。

 小さくなっていくやまいこの後姿を見えなくなるまでルプスレギナは見続けた。

 

        

 

 復活したイビルアイは夢でも見ていたかのように頭を振りつつ周りの状況把握に努めた。

 エテルナの泉で何があったのか、何を見たのか、思い出せない。

 まず仲間の名前は覚えていたし、エテルナの泉に入る目的までは覚えていた。

 大雑把な方法のように見えて効果は正確だったようだ。

 

「とにかく、無事で何よりです」

「……無事か……。よく思い出せないのだが……。思い出さない方がいいのか」

「そうですね」

 

 何かを忘れている、という感覚はあるようだ。だが、それを無理に思い出す事はきっと()()()()()だ、と。

 側には緑色の宝石の塊が転がっている。

 今さら再確認の為に泉に飛び込むのも野暮というか、二度手間というか。

 三人無事であった事を喜ぶべきだ。

 イビルアイは立ち上がろうとした時、更なる嘔吐を繰り返す。

 記憶は消えても体内の内容物までは消せなかったようだ。経験値は消せても()()()()()()までは消せなかった。

 

「……思い出してはいけないようだな」

 

 レイナースは彼女の背中をさする。

 どれほどの苦痛を味わったのか。

 記憶消去の後で気付いたが、イビルアイの髪の毛の色素が戻りつつあった。

 肉体の記憶が消えた証拠かもしれない。とはいえ、まだ白さが目立つ。

 

「今日はここで野宿しましょうか。無理に動くのは良くないでしょう」

「手数をかける」

 

 旅の仲間の復活は素直に嬉しかった。

 レイナース達は野宿を決めたのだが、ハムスケはどうしようかとルプスレギナに話しかける。

 

「お腹は空きっぱなしっすから、そろそろ焼こうかなと」

「そうだな。役に立たないようだし」

 

 殺気を感じたのか、ハムスケは飛び起きて女性陣から離れた。

 

「拙者と命の奪い合いをする気配を感じたでござる」

「食われたくなければ村とかに案内しろ」

「ううむ。仕方ないでござるな」

「……お前は案内役ではないのか?」

 

 空腹を覚える獣はとても危険である、という事を巨大ハムスターに教え込む必要があるのかもしれない。

 レイナースは黒いオーラを発生させている剣を握り締める。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#013

 act 13 

 

 強行軍とはいえ激しい運動の後なのでルプスレギナは動きたくない状態だった。

 

「魔法は使えるっすから互いに食い合わないっすか? 治すから」

 

 代わりに尻尾を食べてもいいと進言してくる。

 おぞましい意見なのだが殺しあうよりは同意した者同士であれば問題の無い提案に思えてしまう。

 空腹時は判断力も衰えるらしい。

 

「お二人は休まれよ。私が色々と探ってこよう」

「いや……、イビルアイ殿は精神的な疲労が取れていないはすだ。無理は……」

「恩には報いたい。一時間だけ時間を貰いたい」

 

 平和的な提案に対し、ルプスレギナは手を振りながら従う事にした。

 あまり待ちすぎると動けなくなるのではないかと思って、時間厳守をイビルアイに言いつける。

 

「了解した」

 

 イビルアイは空を飛び、村が無いか辺りを確認する。

 

        

 

 平地はとても広く、森も多くあった。

 獣道はいくつかあるのに村が見えないのが不思議だった。

 世界の崩壊も魔物も今のところ視認できないが、本当にこの世界は危機的状況なのか。

 

「森を抜けなければならないか……」

 

 人の営みの無い地域なのは理解した。

 創師の家も隠れ工房のような扱いだったようだ。

 一旦、下に降りるとルプスレギナは既に眠っていた。

 

「やはり、移動しない事には村などは見えてこないかもしれない」

「そうですか」

「ハムスケ。移動できるか?」

 

 というか、動く気があるのか心配になってきた。

 

「もちろんでござる。次の村まで走れるでござるよ」

「なら移動だ。ルプスレギナは私が背負っておこう」

 

 小さな身体ではルプスレギナを担いでも足を引きずってしまう。

 寝返りを打つ場合は困るが、それまではしっかりと掴んでおこうと思った。

 ハムスケに移動を命じてしばらく経つ。見える景色が代わり映えしない。まるで動いていないかのようだった。

 近くの森がそれだけ遠いのか、村というものはあまり存在しない世界なのか。

 

「おかしいでござる。全然、次の目的地が見えないでござるよ」

「う~ん。このままではお前を焼く羽目になるな」

「いやでござる」

 

 食料となりそうな小動物も見えない。

 水も補給できないとなると生物の生き血くらいしか無い。

 魔法を駆使して食料調達は気分的には(おこな)いたくない。

 巨大モンスター以外の魔物というものは今のところ視認出来ないのだが、現れたりするのか。

 ハムスケに聞いても仕方がない気がしたし、無駄な体力を消耗させては困るので黙っていた。

 それからしばらくイビルアイは周りに注意を向けていると、レイナースが力尽きたのか、眠ってしまった。

 ハムスケに尻尾で押さえるように命じて行ける所まで進んでもらった。

 睡眠不要の身体が今は役に立つようで自然と笑みがこぼれる。

 エテルナの泉で自分はどんな事を体験したのか。

 思い出さない方がいいと思うけれど、つい考えてしまう。

 予想は出来る。

 それはきっと超ど級モンスターに関連したことなんだ、と。

 よっぽど酷い目に遭ったようだ。

 情けないけれど、どうしようもない。苦手なものは苦手なのだから。

 静かな時間を過ごしていると浮遊感を感じた。

 

「わっ、おわっ! なんでござるか!」

 

 慌てて暴れ始めるハムスケ。

 大声で目覚めるレイナースとルプスレギナ。

 空腹の為に二人共、顔は険しかった。

 

「身体が浮き始めたでござる」

「そうか。……とにかく、落ち着け。暴れると落ちる」

 

 二メートル近い巨体に人間三人分を乗せているハムスケを浮かせるのは本当に魔法なのか。

 浮遊させる魔法は『飛行(フライ)』と『浮遊(レビテーション)』ともう一つ。魔法の板が出ていれば『浮遊板(フローティング・ボード)』くらいしか知らない。

 ハムスケの様子だと横移動をしているので『浮遊(レビテーション)』は有り得ない。この魔法は少なくとも水平移動はできないから。

 残りは『飛行(フライ)』なのだが、遠距離から魔法をかけるものではない。この魔法は『接触』が基本だ。

 ならば、最後の予想は未知の魔法となる。それが無難な答えだ。

 高度もそれほど高くないし、どこかに連れて行かれるような感じで移動している。

 この世界に来て色々と驚かされるのだが、ゆっくりと調査したいなとイビルアイは思った。

 

        

 

 進む先は湖。いや、もっと広大な海だった。

 大体の予想が付くのだが、島か海底に運ばれると考えるのが一般的か。

 考察していると左右に控えているレイナースとルプスレギナも大人しく景色を見つめていた。

 沈着冷静で慌てない分、気が楽だった。

 ティアとティナならもう少し賑やかになっているかもしれない。

 

「イビルアイ殿……」

「んっ?」

「気分というか具合はどうなんだ? 先ほどから大人しいのだが……」

 

 レイナースの心配そうな顔にイビルアイは微笑みで返す。

 

「思考に乱れは無い。そちらこそどうなんだ? 空腹の影響が広がるなら、こいつを焼くぞ」

 

 焼くと言われてハムスケは唸った。

 

「一日くらいは耐えられる。これくらいで根はあげないさ」

「私は空白は我慢したくないっす……」

 

 と、不機嫌気味に答えるルプスレギナ。

 治癒魔法が使えるとしても自分の尻尾は食べたくないし、食べさせたくない。

 仮にレイナースの肉体を切り落とすとしても体力を大幅に削ってしまうので最終手段以外に手は無さそうだ。

 ハムスケの場合は嫌がって逃げそうなので、どうしようか考えあぐねている。

 そもそも論ばかり考えても仕方が無いのだが、世界を救えという割りに危機意識が低いハムスケを派遣するのは間違いでは無いのか。

 それにこの世界の情報は全くと言って良いほど手元に無い。

 闇の中を手探りで進む事自体に意味がある、とでもいうのか。

 そうこうしている内に一行は海面目掛けて落下し始める。

 

「おうっ!」

 

 反発せずに落ち込む。それから一行に水はかからず泡に包まれる。

 

「目標は海底か……」

 

 何者かが引っ張っているのだとすると相当な魔法の使い手でなければありえない。それと遠距離から干渉するのは聞いた事が無いし、見たことも無い。

 ルプスレギナは空腹の為に先ほどから唸り続け、笑顔だった顔は怒りに満ちた飢えた獣の形相になっている。早く餌を与えなければ仲間が食われてしまうのではないのか、と。声をかけるのも躊躇われる。

 大人しくしている間にも空気の泡に包まれた一行は海底に向かって進んでいく。

 その間、海中を漂う魚などが近づいてくるのだが泡は強固で破れそうに無いし、破ると破裂して水が入ってくる、などと思った。

 当たり前の事も正常に思考できないほど苛々してくる。

 空腹によるものだと思うがレイナースは何度も自分の頬を叩いたりする。

 どうにもじっと待つことが出来ない。

 イビルアイは飲食不要なので冷静な判断が出来るのだが、ハムスケ以外はどうにも様子がおかしくなり始めていた。

 

「……お腹が減ったっす……」

「……こっちもだ……」

 

 危機的状況であることは察知したイビルアイは泡の様子や周りの景色を調べていく。

 確実に移動は続けている。

 不思議な弾力はあるが見た目以上に強固なようだ。だからといって魔法で確かめるのは怖い。

 

「おい、ハムスケ」

「な、なんでござるか?」

「いざとなれば非常食も覚悟しろ。もはやお前は役立たずだと後ろの二人は思っているようだからな」

 

 飢えた野獣の瞳がハムスケを物凄い形相で見つめていた。

 振り返ると死ぬと身体が教えてくれたのか、ハムスケは海の方を見つめ続けた。

 ルプスレギナの指がかなりハムスケの身体が食い込んでいる。

 

「……痛いでござるぅ……」

 

 早く逃げ出したい。何度もハムスケは思うのだが狭い空間内に逃げ道は無い。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#014

 act 14 

 

 旅の終着地点まで数十分はかかった筈だ。その間、ハムスケの背中は血だらけになっていて流れる体液はルプスレギナとレイナースが(すす)る有様となっていた。

 肉を食いちぎるところまで発展しなかっただけマシかもしれない。

 血では腹は膨れないが多少の空腹感は癒せた、ような気がした。

 

はっ! 私は何をしてるんだ」

 

 我に返ったレイナースの顔は血まみれだった。

 ルプスレギナは黙って治癒魔法を唱える。

 

「お腹が空いたら怖いっすよ」

「……はい」

 

 同じく顔を血まみれにしたルプスレギナは笑顔で言った。

 殺し合いに発展しなくて良かったとイビルアイが安堵していると目的地に到着したようだ。

 海底に存在する洞窟の中。そこに入り、泡が割れる。

 水の流入は無く、呼吸のできる場所のようだ。

 水圧の関係で耳鳴りなどは起きなかったが、泡が魔法によるものだったお陰かもしれない。

 

「大気は問題ないようっすね。多少は肌寒い程度……」

「ここは水底の神殿か?」

「海底っすね」

 

 イビルアイの世界では海水という概念がおかしな事になっているので海底という言葉がすぐには出て来なかった。

 知らない言葉は使えないという事なのか。

 薄暗い洞窟内は天井が高く、人工的な柱が何本も建てられていた。

 何者かによって作られた遺跡か研究施設のように見える。

 

「ここに食料は……、無さそうだな」

「人の気配が殆ど無いっすね。魚でも取れれば良いけれど……。冷たい水の中には入りたくないっす」

 

 試しに見えている水に指を入れて舐めてみた。とても塩辛く、飲めそうに無い。

 目の前に大量の水があるのに飲めないのは拷問かもしれない、と思った。

 洞窟の天井から落ちてくる水滴は少ないし、飲み水として適切か疑問だった。

 いざとなれば水溜りを啜るしかないか、と思っているとレイナースの身体の回りに大量の水がまとわり付いてきた。

 

「んっ!? 水のモンスターか!?」

 

 ルプスレギナが手で触ろうとしたが弾かれた。

 液体なので武器は通じそうに無いし、魔法を使うとレイナースに当たりそうだった。

 相手がどうなろうと知ったことではないのだが、彼女たちを守らないと後々、怒られそうなので手が出しにくい。

 

        

 

 迷っている内にレイナースは神殿の奥に引っ張られていく。

 ハムスケも尻尾で水を弾き飛ばそうとするが素通りしてレイナースに当たってしまう。

 

「……駄目でござるか……」

「氷系の魔法でなければ通じないか」

 

 ルプスレギナは炎系の魔法は使えるが熱湯になるだけのような気がした。

 二人と一匹が苦悩している間、レイナースの意識は薄れ、手足の力は失っていく。

 置くに向かうごとに魔力の障壁が強くなり、手が出しにくくなって最終的には連れ去られてしまった。

 

「……神殿の主に招待でもされたんすかね。あまり攻撃の意志は感じなかったっすけど……」

「情報が無いと何とも言えんな。ハムスケは何も聞いていないんだろう?」

 

 一応、役立たずのハムスケに尋ねてみた。

 自信満々知らないアピールをしたのでイビルアイは蹴りつけた。

 

「こんな状態で世界を救え、とはどういう了見(りょうけん)だ!」

「……それは私も思ったっす」

 

 無駄に動くとまた空腹を覚えそうなのでルプスレギナは武器を床において座り込んだ。

 食料の無い旅は二度と御免被りたい。そう思いつつ神殿の奥に顔を向ける。

 人が作ったにしては巨大すぎる規模に改めて驚く。

 今は無人なのか。それとも地上への出口でもあるのか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 45~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。