xxxHOLiC・幻 (神籠石)
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プロローグ

 

 

 青い海のような空がある。

 空は快晴。夏の日差しが照りつけるように地上を焼いていく。

 ビルとビルの狭間、真っ黒な塀に覆われた一画にその二階建ての店は存在する。

 店――願いが叶う店。

 和洋折衷の奇抜な外観を持った住居兼店舗。

 広々とした庭を眺めることができる縁側に生まれたのは、気だるそうな女の声だ。

 日陰の中、安楽椅子に座るこの店の主人――壱原(イチハラ)侑子(ユウコ)

 黒々とした長い髪が大きく開いた白い胸元にかかる。

 

四月一日(ワタヌキ)胡瓜(キュウリ)が食べたい」

「は? 今日最初の会話がそれですか?」

 

 障子を開け、現れたのは白い半袖シャツに黒のズボンという学校指定の夏服を着た眼鏡をかけた少年。

 四月一日君尋(キミヒロ)。四月一日と書いて「わたぬき」と読む高校生だ。 

 彼は自身の願いを叶えてもらうためにこの店でアルバイトとして働いていた。

 

「胡瓜が食べたいのは別にいいんですけど、胡瓜ってメインの食材にしにくいんですよね」

 

 四月一日の頭に胡瓜を使った料理が数品浮かぶが、どれもがあくまでサブの食材として用いられたものだった。

 侑子がアンニュイな雰囲気をまとわせながら頬杖をつく。

 

「そうねえ、ぬか漬け、浅漬け、きゅうりのキューちゃん……」

「どれも漬け物じゃないですか」

 

 四月一日が即座にツッコミを入れ、今度は自分が思いついた料理方法を挙げてみる。

 

「酢の物、サラダ、炒め物……と色々ありますけど何がいいですか?」

「炒め物という発想が出る辺り、四月一日の料理人として実力が垣間見えるわね」

「はあ」

 

 褒められたのだろうか、もしかしたらからかわれている可能性もあるため、四月一日は曖昧に応じることにした。料理が好きな男の子、というのは未だ奇異の目で見られる世の中である。四月一日としてはただ好きだからやっているだけなのだが。

 

「ん~、胡瓜のあの食感を楽しみたいから炒めるのは無し」

「じゃあ、和えるか漬けるかサラダのどれかになりますけど……」

 

 確か店の冷蔵庫の中にトマトがあったはずだ。それと合わせてサラダにするのが無難かもしれない。

 

「よし、あれに決めたわ」

 

 椅子の横に置いてある丸テーブルから扇子を取り、侑子はパッと広げて妖しく口元を隠す。

 扇子に描かれた模様は赤い金魚。水流を示す曲線に沿って泳いでいるという図柄だ。

 

「あれって……」

 

 指示語が示すものがわからず、四月一日は首をひねる。

 侑子は目を弓にして答えた。

 

「モロキュー」

「……これはまた突飛なものを」

 

 提示された料理名に四月一日は軽い驚きを覚えていると侑子が失望したように首を左右に振った。

 

「……せっかく電気ネズミっぽく言ったのに、反応してくれないのね」

「電気ネズミ? 雷獣のことですか?」

 

 以前、家電量販店に出かけた際に出会った妖獣。

 彼のモノもまた体内に電気を蓄え、自在に放出していた。

 

「いいわ、四月一日らしくて。最初から期待してなかったけど」

 

 口元を隠したまま、侑子がケラケラ笑う。

 なぜ笑われているのか理解が及ばなかったが、いつものことなので四月一日は話を進めることにした。

 

「確か、もろみも胡瓜もなかったのでちょっと買ってきますね」

「……どこへ?」

 

 それでも一応冷蔵庫の中を確認しておいた方がいいだろう、と台所に足を向けるが侑子に止められてしまう。

 

「どこって近くのスーパーですよ」

 

 何を当たり前のことを、と思う矢先、嫌な予感が訪れる。

 当たり前のことをわざわざ問うなんてまねを侑子がするはずがない。だったらこの問いには意味があるはず。四月一日の負担となる――アルバイト業務の一つである仕事に関わる何かが。

 

「ねえ四月一日、胡瓜といえば?」

「胡瓜といえば?」

 

 鸚鵡返しに復唱してみるが何を問うているのか見当もつかない。

 

「もう鈍いわねえ。胡瓜といえば河童でしょ?」

 

 河童。

 カッパッパー。

 四月一日の脳内におかっぱで頭に皿をのせ、緑色の皮膚をもった人型の異形の姿が浮かぶ。

 河童は妖怪の中でも川に現れることで知られる比較的有名な妖怪である。民俗学に疎い四月一日でも実際に見たことはないが名前ぐらいは聞いたことがあるほど有名であった。某酒造メーカーのロゴにも使われており、日本人に馴染みの深い存在といえよう。

 

「それで河童がどうしたんですか? まさか河童つながりで日本酒も買って来いとか言うんじゃないでしょうね?」

 

 ただでさえこの家の日本酒の消費量は洋酒に比べてかなり激しいのに、さらに増やすつもりだろうかこのウワバミは。

 四月一日が怪訝な目線を向けるが侑子は不満げな様子だった。

 

「違うわ。胡瓜といえば河童、河童の好物は胡瓜。胡瓜愛好家の河童なら美味しい胡瓜を持っているはず。それを分けてもらってらっしゃいな」

 

 何という三段論法……と四月一日は驚きと呆れが入り混じった複雑な感情を抱く。言いたいことはわかった。だが身体が理解を拒んでいる。一度わかりやすく整理する必要があるだろう。

 

 胡瓜→河童→美味しい胡瓜。

 

 言うなればこういうことだ。

 ……超理論にもほどがある。

 

「河童から分けてもらうって言われましても河童っていうのは幻想の存在なんじゃ……」

座敷童(ザシキワラシ)雨童女(アメワラシ)に会ってもまだそんなことを言うのね」

「うっ、そうでした……」

 

 侑子の店で働く前からアヤカシなどという人ならざる存在と関わってきた四月一日だが、やはり素直に受け止めるにはどこか抵抗があるのも事実だった。なにせ河童である。緑色の皮膚にお皿をのせた頭。果たしてそのような存在と好んで会いたいと思うだろうか。

 

「日本のあちこちに河童にまつわる話が残ってるわ。北は北海道、南は沖縄まで。それでもいつしか忘れ去れ幻想の存在となっていった」

「どうしてですか?」

「……いない方が都合がよかったんでしょうね」

 

 侑子の回答にぴんと来ない四月一日は疑問符を浮かべるが、特に補足をしてくれるわけではないようだった。

 

「それで、その河童はどこにいるんです?」

 

 山奥の川の中とかだろうか。それはそれで行くまでが大変そうである。

 ……侑子さんのことだから行くのは俺だけになりそうだし。

 侑子は四月一日の質問には答えず、玄関の方を指差した。

 

「靴を持ってきなさい」

「誰のですか?」

「貴方のよ」

 

 やはり行くのは自分一人のようだ。

 玄関から靴を取って戻って来ると侑子はすでに立ち上がっており、

 

「こっちよ」

 

 そう言って宝物庫の方にすたすたと歩き出した。

 四月一日は黙って付いて行き、雑多の品が箱におさまる一室に入る。

 宝物庫の中央にはスペースが設けられ、立てられた大きな円形の鏡が入室したばかりの侑子と四月一日を映し出していた。

 

「鏡、ですね」

「ええ、鏡よ」

 

 四月一日は鏡に近づき、おそるおそる手を伸ばして鏡面に触れる。鏡は指先が触れた場所から波紋を起こし、彼の手を、腕を鏡の中へと飲み込んでいった。

 

「うわっ、なんですかこれ!」

「向こうに通じる入り口よ」

「向こうってどっちですか!」

 

 慌てる四月一日に侑子は面白そうに短く答える。

 

「――幻想郷(ゲンソウキョウ)よ」

 

 告げられた行き先を聞き終えると同時、彼の上半身は完全に鏡の中へと入っていた。腰から下が鏡から飛び出しているが足の腿、膝、爪先と順次鏡面に消えていく。

 最後に、ちゃぽんという水滴が落ちた音が短く響くと宝物庫には侑子だけが残されたのだった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 世に不思議は多けれど

 

 どれほど奇天烈

 奇々怪々なデキゴトも

 

 ヒトが居なければ

 ヒトが視なければ

 ヒトが関わらなければ

 

 ただのゲンショウ

 ただ過ぎていくだけのコトガラ

 

 人

 ひと

 ヒト

 

 ヒトこそ

 この世で最も摩訶不思議なイキモノ

 

 




 Holic側の時系列は現在ヤングマガジンで連載中の《戻》をイメージしています謎時空。東方側は神霊廟関連の異変が解決した辺りです。


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第一話 厄神様の通り道 ~ Dark Road

 

 

 

「うわっとっと」

 

 鏡から投げ出されるように外に出ると四月一日君尋は転びそうになる体勢を整え、二本の足でしっかりと地面を踏み締める。

 頭上にある背の高い空は見事な入道雲を描いていた。典型的な夏の空だ。強い日差しに目を細め、四月一日は辺りを見回してみる。

 

「ここは……」

 

 周りは木々に囲まれており、この場所だけ開けたように沢が広がっている。足元には小さな石が地面を構成し、前方では切り立った岩壁を勢いよく流れる滝がしぶきを上げながら水面にぶつかっていた。

 滝つぼの中にはごろごろと大きな石が転がっているのが見える。全体的に暗い灰色の石でおそらく玄武岩だと思われた。滝つぼから流れるのは混じり気の無い澄んだ水だ。

 四月一日は靴を履いて水際に近づくとかがんで手を水に浸す。ひんやりとした感触が実に心地よい。両手で水をすくって口に含み、のどを潤した。

 

「美味しい……」

 

 ただの水なのに、味があるわけではないのに美味いと感じる。これが水本来の美味しさなのかもしれない。

 四月一日は手の甲で口元を拭うと立ち上がり、これからどうするべきかを考える。

 見たところ、ここはどこかの山中の沢である。

 河童とは水が流れる場所に現れる妖怪である。

 なら、この沢の近くに河童がいるのかもしれない。

 だが、それでもどうしたものかと腕を組む。

 河童などどうやって探せばいいのだろうか。

 四月一日が途方にくれていると服の内部で何かが動き出した。

 それは彼の脇腹から背中を通り、シャツの襟と首の間から彼の前に飛び出して姿を見せる。

 狐の顔に手足がない細長い胴体は全身が毛皮に覆われふさふさとしている。

 

無月(ムゲツ)!」

 

 四月一日は嬉しそうにこの生き物の名前を呼ぶ。

 管狐(クダギツネ)の無月。

 雨童女の依頼の対価として侑子が受け取った妖狐の一種である。

 無月という名前は、目が小さくてどこにあるのかわからないことから四月一日が名付けたものだ。

 

「お前も来てくれたのか!」

 

 四月一日の頬に身体を擦り付け、親愛の情を示す管狐の頭を彼は優しく撫でる。

 無月は彼の何かに惹かれるらしく、侑子の所有物でありながら彼のことが大好きであった。

 

「あはは、くすぐったいって!」

 

 ――ぞくりと。

 不意に、無月と戯れる四月一日の肌が粟立った。

 この嫌な感じ。

 これを四月一日は嫌というほど知っている。

 自分を狙うアヤカシの気配。

 

「あ……」

 

 危機感から後ろを振り向いた彼の視線の先、木々の間に彼女はいた。

 口を小さく開けて、驚いた表情を見せている。

 少女といってもいい年頃の彼女は、青が混じった緑色の髪を後ろからサイドにかけ二つに分けて胸元で一本にまとめており、頭の天辺にはフリルの付いた赤いリボン状のヘッドドレスを飾っている。身にまとうのは裾に白のフリルをあしらえたゴスロリっぽい真っ赤な半袖のワンピースドレス。足元は白の靴下に黒のパンプスを履いていた。

 この場所に似つかわしい格好の少女の登場に彼の頭は混乱し、血の気が引いて意識が遠ざかっていくのを感じる。身体が膝と手をつき、まぶたは閉じていく。

 気を失う最後の瞬間、彼が見たのはこちらに駆け寄ろうとするゴスロリ風の少女だった。

 なっなんでゴスロリ……?

 彼は疑問を抱いたまま意識を手放した。 

 

 

 

 ●

 

 

 

「あ、気が付いた」

 

 四月一日が目を開けた時、最初に聞こえたのは少女の呟きで、最初に視界に映ったのは緑色の髪の少女だった。眉尻を下げた心配そうな表情で両手を組み、祈るようにこちらを見下ろしている。

 

「君は……」

 

 少女の顔をよく確認しようと彼は上半身を起こす。痛みも何もない。もやがかかっていたような意識はすぐに明瞭となっていった。

 無月が心配で不安だったことを示すように四月一日の身体に巻きつくが、体毛が肌に触れるたびにこそばゆく彼は無月を落ち着かせようと言葉を投げかけた。

 

「無月、落ち着いて。俺は大丈夫だから」

 

 ぎゅうっと身体をくっつける無月をなだめ、四月一日は顔を上げて少女を見る。だが、少女は四月一日の意識が戻ったのを確認したことで、役目は果たしたと言わんばかりに彼に背を向け離れていく。

 

「あっ、ちょっと待って!」

 

 彼の呼びかけに少女は足を止め、身体をこちらに向けた。

 

「うっ」

 

 彼女を見る四月一日の視線があるものを捉えていた。

 暗雲のような黒い靄が少女の身体に巻きつくように漂っているのだ。それは今までの経験から瞬間的によくないものとわかるぐらいに不浄で、彼の気分を心身ともに損なうものであった。

 思わず口元を押さえた四月一日に、少女は顔から感情を消して無表情に言う。

 

貴方(アナタ)、私のヤクが見えるのね」

 

 ヤク。

 (ヤク)のことだろうか。

 少女の顔を見ていた目線を下に落とすとスカートの裾の方に『巳』の字の形に似た刺繍があることに気づいた。何かの印だろうか。

 

「ヤク?」

「……今の人間はヤクさえも忘れてしまったのかしら」

 

 聞き返した四月一日の反応に少女は苛立ったように、それでいてどこか悲しそうに呟く。

 

「ヤクとは災いをもたらす不浄のことよ」

 

 つまり、厄か。

 厄年や厄払いなど目には見えないけど信じられているもの。

 人に溜まる性質を持つ不幸の源。

 

「どうやら思い出したようね」

 

 目を見開いた四月一日を見て少女は淡々と言う。

 悲喜はなくただ見たままの事実を告げるように。

 

「厄がそんなにたくさんあって大丈夫なの……?」

 

 少女の周りには厄が蛇のように蠢いていた。

 どう見ても安全なものではない。これは確実に人を不幸にするもの、あってはならないものだ。

 だというのに、少女は平気な様子でそこにいる。四月一日にとってそれはありえないことだった。

 

「あら、心配してくれるのね。大丈夫よ、私の能力は『厄をため込む程度の能力』だから」

 

 厄をため込む程度の能力。

 少女からそう告げられ、四月一日は「程度って何だろう?」と思ったがそれよりも厄をため込むという言葉に戦慄を覚えた。あのような禍々しいものをため込んでどうして平気でいられるのだろうか。

 

「私の能力は人間が払った厄を集め、人間に戻らないようにするの」

 

 少女は自身の周りに漂う厄を見回しながら言葉を続ける。

 

「集めるだけだから私自身に災いは起きないわ。でも、近くにいるモノは否応なく不幸な目に合ってしまう」

 

 何の因果だろうか。

 その言葉を聴いて彼が真っ先に思い浮かべたのは、自分が想い慕う同級生の女の子だった。

 九軒(クノギ)ひまわり。

 両親以外の自分に触れた者や周囲の者を不幸してしまう性質を持った少女。

 目の前の少女も近くにいる者を不幸にするという。それも自分はその適用外なところなど二人の性質は似通っている。そのことが四月一日に何をもたらすのか、彼自身にもこのときはまだわかるはずがなかった。

 

「……君の名前は?」

「は?」

 

 四月一日は立ち上がり、呆然とする少女と向き合う。

 少女をひまわりと重ねているわけではない。それでももう一歩踏み込んでみようと思わせるには充分だった。

 

「そういえば、自己紹介がまだだったね」

 

 名前を聞いてきたことに驚く少女に四月一日は笑みを浮かべて名乗る。

 今はもういない両親が付けてくれた大切な名前を。

 

「俺の名前は四月一日君尋。君の名前は?」

「……貴方、私の話を聞いてたの? 私に関わると不幸になるわよ」

「不幸になんかならないよ」

 

 笑って否定する四月一日を少女は睨む。

 自身の心遣いを無碍にされたように思っているのかもしれない。

 以前の彼なら心配してくれる人の思いに気づかず自分の意思を優先していたことだろう。しかし、彼は知った。自分を案じてくれる人の存在を、自分が傷つけば周囲の人がどれだけ悲しむのかを。

 それらをわかった上で四月一日は踏み込む。

 勇気でも無謀でもない。そうしたかったから彼は少女に関わろうとするのだ。

 

「俺が不幸になれば悲しむ人たちがいるから、俺は不幸なんかにはならないよ」

 

 一歩近づく彼に、少女は思わず後退する。その動きに合わせて厄も彼女につられて移動するが、四月一日の接近に黒い靄の一部が蛇に形を変えた。蛇は牙をむいて四月一日に飛び掛るように迫る。

 

「あ……」

 

 少女が認識した時にはもう遅い。獲物に噛み付こうとする蛇は口を開け――壁に弾かれるように地面に転がり落ちた。

 

「えっどうして!?」

 

 驚愕する少女の前で四月一日は眼鏡の上から右目を覆うように手を当てた。この目に込められた想いを胸に、少女に応じる。

 

「この右目は元々俺の目じゃない。ある奴から半分に分けてもらったんだ」

「目を分ける……」

 

 この言葉の意味を理解するのに時間がかかるらしく少女は彼の言葉を復唱した。

 

「そう、俺の目は女郎蜘蛛に食われちゃったからね」

 

 なんでもないことのように言う彼に対し、少女が眉を寄せる。

 

「この目の元の持ち主は清浄な気の持ち主でもあるらしく、よくないものを寄せ付けない力があるんだ」

 

 昔は嫌な奴だと思っていたが、今はそう思うことも少なくなった。

 おそらく、自分が変わったからだろう。きっと良い方向へ。

 

「だから大丈夫だよ俺は。この目があるから絶対に不幸にならない」

「……っ」

 

 歯噛みする少女に四月一日は右目に当てていた手の平を向けた。

 

「君の名前は?」

 

 果たして少女は観念したようにうつむき、

 

鍵山(カギヤマ)(ヒナ)」 

 

 自身の名と正体を彼に告げる。

 

「流し雛の厄神(ヤクジン)よ」

 

 

 

 ●

 

 

 

 流し雛の厄神。

 目の前の少女――鍵山雛は自身のことをそう語ったが民俗学を勉強しているわけでもない四月一日に正確な意味は伝わらなかった。

 流し雛とは? 

 厄神とは? 

 右目の本来の持ち主のような鉄面皮ではないため、感情がすぐ表に出る四月一日の顔には自分でも気づかないうちに疑問が現れていた。それに気付いたのか雛は首を傾げてたずねる。

 

「四月一日、雛人形は知ってる?」

 

 まさか名字で呼び捨てとは思わなかった。

 外見から推測される年齢は自分と同じ、もしくは少し下くらいだろうから特におかしくはないのだが。 

 

「うん、知ってるよ。桃の節句に飾る人形だよね」

「そう。だけど本当は飾って終わりじゃないの」

 

 近くにあった大きな岩に、雛はためらわずにスカートの裾を巻き込みながら腰を下ろした。

 二人の目線の高さが等しくなる。

 

「人形に厄を移して川に流す。それが本来の雛人形の使い方」

「えっ、あんな綺麗なのを?」

「そうよ。当然、貧しい者は毎年買い替えることなんてできないから、雛人形を模した簡素なものに変わっていったけど。人間をかたどったものが人形なのに、人形の人形なんて笑っちゃうわね」

 

 雛なりのジョークだろうか、彼女は口元に手を当て上品な笑い声を上げた。

 

「流し雛というのは厄を背負わせた雛人形を川に流す祓いの儀式のことでもあり、流される雛人形そのものでもあるわ」

「なるほど」

 

 流し雛とは何か、という疑問が解決し、四月一日は次の問いに移る。

 

「厄神というのは?」

「読んで字の如く厄を司る神のこと。厄除けの神もいれば厄をもたらす神もいるわ。私は前者だけど」

「へえ……って、うん?」

 

 神?

 この子が?

 

「えっと、雛ちゃんって神様なの?」

「……雛ちゃん?」

 

 雛が訝しげに目を細める。

 少々気安く呼びすぎたのかもしれない。

 

「あ、いきなりちゃん付けで呼んでごめん」 

「……別に構わないわ。ただ、ちゃん付けで呼ばれるの初めてだったからびっくりしただけ」

 

 雛は恥ずかしそうにそっぽを向くが、四月一日の質問に答えるために再度口を開く。

 

「ええ、私は元々流し雛だったものが長い年月を経て厄神になったモノ。これでも四月一日の十倍以上は生きてるわ」

 

 十倍以上……薄々人間ではないと気づいていたが、まさか神様だったとは……。

 驚きが先行して言葉が出ない四月一日だった。

 

「それで、貴方はこんなところで何をしてたの?」

 

 問われ、四月一日は思い出した。

 そもそも自分は何のためにここに来たのか。

 

「そうだ、河童に胡瓜をもらいに来たんだ」

「河童? 胡瓜?」

 

 わけがわからないといった顔をする雛に手をあくせく動かしながら彼は説明する。

 ここに来ることになった経緯を。

 

「うん。バイト先の人に、胡瓜といえば河童、河童といえば胡瓜、ということで河童なら美味しい胡瓜を持ってるだろうからってもらってくるよう頼まれたんだ」

「確かに胡瓜は河童の好物だけど……」

 

 何か気にかかることがあるのか雛は言葉を言いよどむ。

 

「玄武の沢とはいえ妖怪の山の麓までよく来たわね。会ったのが私じゃなく妖怪だったら貴方食べられて死んでたわよ」

 

 玄武の沢。

 妖怪の山。

 どちらも聞いたことのない地名だったがここは玄武の沢と呼ばれているらしいことはわかった。

 

「そんな大げさな……」

 

 四月一日は苦笑いを浮かべるが、雛は表情を真剣なものに変える。

 決して冗談なんかじゃないことを彼女の目が物語っていた。

 

「いつぞやも人間が二人も入ってきたし、まさか人里では危険という認識が薄れてるのかしら」

「人々の間でも有名なの? 妖怪の存在って思った以上に信じられてるんだね」

 

 感心したように言う四月一日だが雛からはなぜか怪訝な目を向けられた。まるで信じられないものでも見てしまったかのような視線だ。

 

「えっと、確認するけど、貴方、人里から来たのよね?」

「いや、バイト先から直接、鏡を通って……」

 

 自分で言っててなんだが、事実とはいえ普通ではありえないことを述べるにはどこか気恥ずかしいものがあった。

 いったい、どこの国のアリスだよ。

 

「四月一日」

 

 真剣な声音で呼ばれ、四月一日は無意識に背筋を伸ばして姿勢を正す。

 

「今から言う言葉に聞き覚えがあるか答えて」

「あ、うん、いいけど……」

「博麗神社、紅魔館、白玉楼、永遠亭、無縁塚、守矢神社、地霊殿、命蓮寺、神霊廟……」

 

 雛が固有名詞らしい地名や建造物名を列挙していくがそのどれもが聞き覚えのない言葉だった。

 

「博麗霊夢、霧雨魔理沙、八雲紫、博麗大結界、――幻想郷」

「幻想郷? それなら聞いたことがある。さっき言ったバイト先の人に鏡がどこに通じてるかって聞いたら、幻想郷って言ってたような……」

 

 鏡の中に引きずり込まれている最中だったので確信はもてないが、確かに幻想郷と答えていたような気がする。四月一日の反応に、雛は気がかりだったことに合点がいったのか澄ました顔で言った。

 

「四月一日、どうやら貴方は外来人のようね。それも、知らずに送り込まれた」

 

 正確には、知らずにではなく知らされずにである。

 

「外来人?」

「貴方みたいに幻想郷の外から来た人のことをそう言うのよ。……ああ、そもそも幻想郷から説明しないといけないのよね」

 

 雛はため息を吐き、じっと上目使いに四月一日を見る。

 女の子に見つめられてドギマギするぐらいには男である彼は思わず顔を赤くした。

 

「まさかこの台詞を私が言うことになるとは思ってもみなかったわ」

 

 雛は目を閉じて息を吸い、目を開けて一息に告げる。

 

「――幻想郷にようこそ」

 

 

 

 

 

 




○ぷち求聞覚書○
・鍵山雛
種族:厄神様
能力:厄をため込む程度の能力
人間友好度:中
危険度:極高
二次設定:他人には厄が見えない(原作は素人目にも大量の厄が見える)


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第二話 芥川龍之介の河童 ~ Candid Friend

前回のあらすじ。
ひなだお!


 

 

 

 

「幻想郷は外の世界で忘れ去られ、幻想となったモノたちが住まう最後の楽園なの」

 

 大きな石に座り、鍵山雛は足をぶらぶらさせながら幻想郷について滔々と語りだした。

 

「外界とは結界で隔離され、普通は入ることも出ることもできないんだけど……」

 

 そこで区切り、ちらりと四月一日君尋を見やる。

 四月一日がここに存在するということは、その普通ではないことが起きたということなのだろう。

 

「時々、結界を越えて入ってくるモノもいるわ。そのほとんどが結界のほつれた箇所から迷い込んだモノたちで、場合によっては幻想郷の管理者が連れてくることもある」

 

 最後のくだりで雛が目線を逸らしたのを四月一日は見逃さなかった。

 まるで嘘はついていないが裏の真相を隠すような反応である。

 

「幻想郷に住んでいるのは人間はもとより、妖怪・妖獣、神様や亡霊など、さっきも言ったけど外の世界で信仰を失ったモノが多数いるわ。もちろん、あなたの目を食べたという女郎蜘蛛のように外の世界に残ったままのモノもいる」

 

 座敷童や雨童女、猫女などの人型の人外の姿が脳裏に浮かぶ。

 彼女らもいずれは幻想郷に行ってしまうのだろうか。

 

「以上が幻想郷の大まかな説明よ。……わかってると思うけどあなたを送り込んだ人は余程の力の持ち主ね。結界をすり抜けてあなたを送り込むことができるほどなのだから」

 

 それはそうだろうなあ、と四月一日は思う。

 あの不思議な力で数々の願いを叶えてきたのを彼は見てきた。

 人を異世界に送ったりなどあの人にとっては赤子の手をひねるより簡単なのだろう。

 わがままで酒好きで昔のアニメに詳しい……いろんな意味で規格外な人なのだ。

 

「それで、河童を探していると言ってたわね」

「うん。あの、雛ちゃんは河童がどこにいるか知ってる?」

「ええ、知ってるわ。河童は妖怪の山にある河童の里に住んでいる」

 

 言葉とともに雛は滝の方を見た。もしやその後ろに妖怪の山が続いているのかもしれない。

 

「えっと、もしよければそこまで案内してくれないかな?」

 

 申し訳なさそうに頼む四月一日に雛が視線を戻し――一瞬、苦虫を噛み潰したような表情をするがすぐにそれを消して口を開く。

 何か、河童の里とやらに気がかりなことでもあるのだろうか。

 

「……いいわ。これも何かの縁でしょうから。河童の里まで案内してあげる」

「ありがとう、助かるよ」

 

 つながった(エニシ)は、消えない。

 侑子の言葉を思い出しながら四月一日は笑顔で礼を述べた。

 

「ただし、何度も言うけど妖怪の山は危険がいっぱいよ。人間を食べる妖怪や妖獣がたくさんいるの」

「げっ、マジっすか?」

「マジよ。……一応、私も守ってあげるけど何が起きても責任は取れないわよ」

「その時は、是非ともお願いします……」

 

 恐怖からか鳥肌が立つ腕を押さえていると管狐の無月が彼の首元から離れ、励ますように腕に巻きついていく。それはまるで彼は自分が守るとでも言っているようであった。

 そっと四月一日は無月の頭を撫でる。

 

「そうだね、いざというときは無月にもお願いするよ」

「なかなか高い霊力を持ってる管狐ね。まあ、あなたの盾程度にはなるでしょう」

「無月っていうんだ。目がちっちゃくてどこにあるかわからないから」

 

 四月一日が無月が巻きついた片腕を見せる。

 

「そう」

 

 雛は短く応じ、座っていた石から降りた。

 

「それじゃあ行きましょうか。神々の住む世界へ」

 

 

 

 ●

 

 

 

 妖怪の山。

 そこは木々に埋め尽くされており、日の光は届きづらい場所であった。

 道という道は整備されておらず、四月一日は獣道を雛の後に続いて進んでいく。

 

「妖怪の山は主に二つの種族の本拠になってるわ」

 

 踏まれて折れた草木をさらに踏みながら雛は坂を登る。

 比較的上背がある四月一日は木の枝などを手で押さえて進まなければならず、雛に付いていくだけでやっとだった。妖怪の山に関する説明を行ってくれるが理解にはまだ時間がかかりそうである。

 

「山の麓から中腹までが河童の領域で、中腹から山頂の手前辺りまでが天狗の領域ね」

「てっ天狗? 鴉天狗とか?」

「あら、よく知ってるわね。天狗はその速さを生かして情報に関係する仕事を行っているわ。新聞を発行したりしてね」

 

 へえ、あんな暴走族が……と四月一日が驚くのも無理はない。

 四月一日が知っている鴉天狗とは幼児の姿をしており、スノーボードに乗ってハリセン片手に空を自在に駆けたりする集団なのだから。 

 

「山の頂には守矢神社という神社があるわ」

「あれ? 危険な山の上にあるのに参拝する人っているのかな?」

「人間はいないわ。妖怪たちから信仰を集めてるのよ」

「妖怪も神様を信仰したりするの?」

「ええ、妖怪の信仰を集めることによって神は神徳を与える。信仰は妖怪の生活を豊かにするのよ」

 

 詳しくはわからなかったが四月一日はそういうものか、ととりあえず納得する。

 自分には理解できないがそういうサイクルがあるのだろう。

 ――体重を預けるために四月一日が広葉樹の幹に手を当てた時だった。

 

「グォオオオオオオオオオオ!」

 

 全身が黒に覆われた狼のような四足獣が横から襲いかかってきたのだ。

 狼型の妖獣である。妖獣は短い背の草の間を駆け、四月一日目掛けて鋭い犬歯を突き立てる。

 

「おっ狼!?」

 

 思わず両腕で顔を覆う四月一日だがすでに雛が動いていた。彼を庇うように立ち、手の平を妖獣に向ける。それだけで黒い雲のような厄が伸びていき、妖獣を正面から飲み込んでいく。

 

「あっ」

 

 異変に気付いた四月一日が両腕を下げると妖獣を包み込んでいた厄が離れ、雛の方に戻っていくところだった。動きを止めた妖獣に目立った外傷はない。

 妖獣は異常なし、と判断したのか再度攻撃を開始する。地面を蹴って飛びかかるがある地点で足をすべらし、身体を右斜めに転がしていく。そこにあるのは鋭利な切り口を向ける折れた木の枝だ。妖獣は回避することができず、首筋から斜めに枝が刺さり脇腹を突き破る。

 妖獣が苦しそうにうめき声を上げるがそれもすぐに消え入り、完全に絶命したようであった。

 

「今のは……」

 

 呆気に取られる四月一日に雛が肩越しに振り返る。 

 

「厄に当てられたのよ。文字通りにね」

 

 何でもないことのように雛は言う。この程度、彼女にとっては大したことではないのだろう。

 

「……そっか、守ってくれたんだね。ありがとう」

「別に、礼を言われるようなことではないわ」

 

 雛はそっけなく獣道に戻ると再び歩み出す。

 四月一日はその後を追うが一度だけ妖獣の死骸に目をやった。

 鋭い歯が並ぶ妖獣の口からドス黒い粘性のある液体が流れている。

 雛が妖怪の山が危険と言った意味がようやくわかった。頭では理解していても心では理解していなかったのだ。このような妖獣がいる山など確かに危険である。危険以外の何物でもなく、雛が再三にわたって注意したのもこのためだったのだろう。

 ……彼女に付いてきてもらって本当によかった。

 四月一日は安堵するがすぐに気を引き締めた。

 

「着いたわ。この先が河童の里よ」

 

 妖獣と遭遇した場所からしばらく歩くと獣道は幅の広い川の土手にぶつかった。

 渓谷である。

 二人がいる岸には剥き出しになった岩盤が左右の伸びており、反対側の岸には青緑の葉をつけた木々が一面に生い茂っていた。秋には色鮮やかな紅葉を楽しむことができるだろう。

 川の水面が太陽の光を反射し、きらきらと輝く。

 岸の反対側ほど深くなっているようだった。

 雛が人差し指を川面に向けた。

 

「この川に沿って上流に進めば河童の里に出るわ」

「わかった。行ってくるよ」

 

 川の上流は左の方に曲がり、岸は切り立った崖に面している。

 上流の方を見やる四月一日に雛は手を下ろしてぽつりと言う。

 

「河童は人間の盟友を(ウタ)っているから、ぎったんぎたんにはされないと思うけど……」

「ぎったんぎたん?」

「アジトに近づくと溺れさせられるらしいわ」

「ええっ!?」

「まあ、尻子玉だけは抜かれないように気をつけなさい」

「しっ尻子玉って……」

「知らないの? 河童といえば尻子玉でしょ?」

 

 尻子玉。

 人間の肛門の近くにあるとされる魂の塊であり、これを抜かれると人間は抜け殻になってしまうという。

 

「聞いたことあるけど、こえー、河童こえー……」

「いざとなったら私の名前を出すといいわ。何らかの便宜を図ってもらえると思うから」

 

 そう言って、雛は宙に浮かぶ。何の予備動作もなしにふわりと浮かんだのだ。

 四月一日は驚き、咄嗟に大声を上げた。

 

「とっ飛んだー!?」

「幻想郷では割と一般的なことよ。外ではどうかは知らないけど」 

「そういえば……」

 

 そういえばそうだった。

 初めて会った人型の妖怪である座敷童も冬の空を自由に飛んでいた。巨大な鳥に乗ってファンタジー映画さながらにあの子を追いかけたのも今ではいい思い出である。

 ……へえ、空を飛ぶってここでは普通のことなんだなあと単純な驚きで彼は浮遊する雛を見やる。

 重力から放たれたその姿は自由そのものであるかのようだった。

 

「それじゃあ、ここでお別れね」

「何から何まで本当に助かったよ」

「礼なら河童の胡瓜を無事手に入れてからにするべきね」

 

 そう言い残し、雛は木々よりも高い位置に出ると一度も振り返ることなく、玄武の沢の方へと飛び去っていった。

 

「……よし、行くとするか」

 

 四月一日は川に沿って岩盤の岸を歩いていく。

 皿をのせた頭、緑色の皮膚、亀のような甲羅 指と指の間の水かき、人を川に引きずり込み尻子玉を奪う。そのような存在と上手く話ができるか不安ではあったが。

 

 

 

 ●

 

 

 

 河童の里。

 その言葉を聞いた四月一日が思い浮かべたのはどこかの大きな湖ですいすい泳ぐ河童の集団であった。文明的な営みなど到底考えられず、魚を捕ったり胡瓜を人間の畑から盗ったりして飢えをしのぐなど野生的な生態だと考えていた。

 さらに雛から「川に溺れさせられる」「尻子玉を抜かれる」などと言った危険極まりない発言をされ、自然と河童に対する警戒心もかなり高まっていた。

 だから四月一日が渓流に沿って歩いた先、開けた場所に出て意外に思ったのも当然といえた。

 開けた場所は断崖絶壁に囲まれた滝つぼだった。

 ぐるりと見渡せるほど大きな崖に囲まれ、その崖を伝い三本の滝が勢いよく水面に落下している。滝は大中小と三つの大きさに分けられ、中央には幅の太い滝が、四月一日から見てその右側に細い滝が、反対の左側に中くらいの滝が流れ込んでいた。また左右の両端からも渓流が一つずつ滝つぼに流れてきており、三つの滝と合わせて四月一日が歩いてきた川となっているのであった。

 断崖の上の方には木々があり、鴉が飛び立つ様が見える。

 

「ここが河童の里……」

 

 四月一日の呟きの先、右手に大きな和風建築が建てられていた。寺のような形をしたそれはお堂のようである。お堂の前の川には長い板を通しただけの簡易的な橋が設けられ、橋を渡った左側には白壁の土蔵が建てられていた。

 四月一日にはいつか見た、『あいつ』の寺の土蔵に似ているように感じられた。あのときは右目を女郎蜘蛛に食われたばかりで本の虫も現れるなど色々と大変であった。

 

 

「さあて、河童を探さないと」

 

 右手にあるのはお堂だ。橋板を渡った左には土蔵がある。四月一日はお堂の前に進み、玄関の引き戸に手をかけようとするとそれよりも先に音もなく戸が開いた。

 

「あっ」

「え?」

 

 間抜けな声を漏らして視線を下に落とせば、青髪の少女が驚いたように口を開けてこちらを見上げていた。

 少女は赤い珠の髪飾りで髪を頭の左右で結んだ二つ結いにし、その上から緑色のキャスケットを被っている。水色のツナギを着ているが上半身の部分は脱いでしまっており、黒のノースリーブと健康的な肌色が露出していた。またツナギのズボン部分から伸びる足は白のビーチサンダルを履いており、袖の部分を下腹部の辺りで結んでいた。

 胸元には真鍮製らしきアンティークな鍵が紐を通してかけられている。

 少女は四月一日を完全に認識したらしく目を大きく見開いた。

 

「にっ人間!?」

「うん、俺は人間だけど」

「はあ? なんで? なんで人間がここにいるの?」

「あっ、それにはちょっと事情があって……」

 

 慌てる少女に四月一日は事情を説明しようとするが、お堂にはまだ人がいたらしい。二つ結いの少女の声を聞いてさらに三人の少女が玄関の奥から顔をのぞかせていた。

 

「人間だ!」

「人間っぽい人間!」

「なんで人間が!」

 

 ハネさせた髪の子、おかっぱ頭の子、眼鏡をかけた三つ編みの子らも三者一様に驚いた顔を見せる。

 四人とも水色の服とキャスケットを着ている点は共通だが、下は短パンだったりスカートだったりと分かれているのでこの辺は個人の嗜好が反映されているのかもしれない。

 

「にとりといえば人間だろ」

「人間の面倒はにとりに限る」

「人間の相手はにとりの役目」

 

 後から出てきた三人は顔を見合わせて頷きあうと、四月一日と応対するにとりと呼ばれた少女の肩を軽く叩いた。

 

「にとり、後は任せた」

「にとりならできる」

「にとり、よろしく」

 

 にとりは自分の肩にのせられた手を肩を揺らして振り払い、三人の方を向いて怒鳴る。

 

「ちょっと待て! なんで私が人間対応窓口みたいになってるんだよ!」

「そんなのお前が一番人間に近いからだ」

「人間の友達がいるのなんてにとりぐらいだし」

「ついでにアレも片付けてもらったら?」

 

 三人は次々に口を開き、口をへの字にしたにとりに手を振ると足早に滝つぼに流れる川を右手に登っていく。

 置き去りにされたにとりは仲間たちの姿が見えなくなると「はあ~」とやけに深いため息を吐き、再度四月一日を見た。そして、ニカッと笑いながら言う。

 

「私の名前は河城にとり。通称、谷カッパのにとり。そっちの紹介はいらないからさっさと山から消えな」

 

 それは取り付く島も無いほどの拒絶であった。

 

 

 

 

 

 

 




○ぷち求聞覚書○
・河城にとり
種族:河童
能力:水を操る程度の能力
人間友好度:中
危険度:高
二次設定:ツナギ(原作は水色の上着にスカート)


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第三話 河童の里 ~ Agitating Point

前回のあらすじ。
モブたち、河童やめるってよ……(もしかして:山童)


 

 

 

 

 四月一日君尋は面食らった。

 河城にとりから自己紹介とともに告げられた「山から消えろ」という言葉に――ではない。

 自己紹介そのものにだ。

 にとりは自分を「谷カッパのにとり」と名乗った。

 谷カッパ。

 カッパ。

 河童である。

 繰り返しになるが、四月一日が想像していた河童とは緑色の皮膚、皿をのせた頭、手指の水かき、背中の甲羅とミュータントそのものの姿で尚且(ナオカツ)、鍵山雛からもたらされた「川に引きずり込んで溺れさせ、尻子玉を奪う」という情報もあいまってか異形の危険生物という認識であった。

 なのに。

 河童の里にいたのは水色の衣服を着て帽子を被った可愛らしい女の子たち。

 想像とのギャップに四月一日が面食らうのもむべなるかなであった。

 だから彼は河童を名乗るにとりにまず呆然とし、次に驚愕が全身を駆け巡り、最後に言葉を変えそれを発することになった。

 すなわち絶叫である。

 

「えっ、ええええええぇぇぇぇえええええぇぇぇー!」

「うわっ!」

 

 あまりのショックに四月一日は頭を抱えてしまう。

 正面のにとりが突然の大声にびっくりしていた。彼女にしてみれば「消えろ」といったのに目の前の人間はなぜか叫び出したのだ。彼女もまた面食らっていた。

 

「ありえねーありえねー! どういうこったよ! 普通の女の子じやねーかー!」

 

 緑色の皮膚?

 皿をのせた頭?

 水かき?

 甲羅?

 どこがだよ!

 髪が青いだけの女の子じゃないか!

 うわあ、びくびくしていた自分が恥ずかしい!

 

「なっなあ、人間。そろそろいいかい?」

「ん、ああ、ごめんごめん。想像していた姿と違ったからびっくりしちゃって」

 

 にとりがおそるおそるといった様子で話しかけてきたことにより、四月一日は我に返る。頭を抱えていた手を放してにとりに応じた。

 

「えっと、ここが河童の里でいいんだよね?」

「うん、そうだけど」

「よかった~。今日はちょっとお願いがあって来たんだ」

「お願い?」

 

 眉を寄せるにとりに彼は期待を込めて言う。

 これが原因、またはこれが理由で幻想郷に来た――来させられたのだ。

 四月一日にしてみればやっと目的の品の目処が付きそうなところだった。

 

「河童の胡瓜を分けてほしいんだけど、頼めるかな?」

「胡瓜? うん、別にいいけど……って、ちょっと待ってよ!」

 

 にとりが了承し、すぐに言葉を止める。

 四月一日は不思議に思い、尋ねた。

 

「えっ、何かな?」

「私の話聞いてたの? 帰れ。妖怪の山は危険がいっぱいなんだぞー」

 

 おどかすように言われるがそんなこと百も承知である。実際に襲われてもいる。しかし、今の四月一日にとってにとりは、想像とのギャップと幼く見える容姿もあってか単なる年下の女の子であった。

 

「心配してくれるんだね。ありがとう」

「そうだけど……違う! 河童と人間は盟友だから教えてあげてるの!」

「うん、そうだね。俺は四月一日君尋。こっちのが管狐の名前は無月。幻想郷の外から来たんだ」

「誰が名乗れって言ったよ!? 早く引き返しな……って外来人かよ!」 

 

 驚くにとりだが、今度は彼女が頭を抱えてうずくまる。

 

「めんどくさいことになった、ほんとめんどくさいことになった……」

「何かあったの?」

「あったよ、外来人が河童の里に現れたことの他にもね」

「どんなこと?」

「胡瓜畑に……待てよ、場合によっては好都合か」

 

 先ほどまでの態度と打って変って、腕を組んで何事かを唱えるように呟くにとりに四月一日は首をかしげる。

 きゃんきゃんわめいてたかと思うと何かを計算しているかのように精神を集中している。どうやら彼女は感情の浮き沈みの激しさの他にも思考の切り替えの早さも持ち合わせているようだ。

 四月一日の眼前、にとりは立ち上がると口の端を吊り上げるように笑った。

 

「いいよ、四月一日。河童の胡瓜を分けてやる。その代わり、私の頼みを聞いてもらうからね」

 

 それは決定事項のような言い方だった。現に手段を持たない四月一日にはそれしか道がない。

 そのために四月一日は頷くことしかできず、そしてまた当然のように呼び捨てであった。

 

 

 

 ●

 

 

 滝つぼに流れ込む二つの川のうち、三人の河童たちが向かったのは右側から流れてくる川沿いの道であり、四月一日がにとりに連れられて歩いているのは左側の川岸であった。川は右手の崖と左の整備された岸に挟まれた形になっており、岸の左手には薄らと青葉の木々が連なっていた。

 

「あっちの道を行くと河童たちの工房があるんだ。で、こっちの道を行くと畑に出る」

 

 前方を指差しながらにとりが説明する。

 四月一日は『工房』というフレーズが気になったので好奇心で尋ねてみることにした。

 

「工房って?」

「工房は工房だよ。河童たちの工場(コウバ)で研究室で実験室で仕事部屋で最後に住居」

「住居はおまけなのか……」四月一日は苦笑した。「どんなモノを作ってるの?」

「昔は光学迷彩のスーツとか作ってたけど、今は高エネルギー技術かな。どちらかというと技術そのものに関心がある感じだけどね」

 

 光学迷彩スーツ。

 よくはわからないがなんかすごそうなスーツだ。

 

「高エネルギーというと、太陽エネルギーとか?」

「正解! よく知ってるね」

 

 四月一日の回答に彼の前を歩くにとりが勢いよく振り返った。

 突然のことに思わず驚いた四月一日を気にすることなく、にとりは言う。

 

「理想としては核融合による核エネルギーの制御なんだけど、なかなか上手くいかなくてね」

「……え?」

 

 この子、今さりげなくすごいことを言ったような……。

 

「もしかして、今核融合って言わなかった?」

「言ったよ。核融合によって生じるエネルギーがあれば機械技術が大きく発展するらしいんだよ。その分、超高音超高圧で扱いが難しいみたいだけど。それで八咫烏の力を持った鴉の捕縛に行ったんだけど……って私は行ってなかったんだっけ」

「……」

 

 やはり聞き間違いではないらしい。

 八咫烏など言葉の後半部分は意味がわからなかったが、目の前の少女が核の力について研究していることはわかった。

 

「すげー河童すげー……」

 

 四月一日は驚愕するがどこがどううすごいのかまではわからなかった。

 核エネルギーなどただ単に難しそうな技術という印象しかない。

 

「この前までは山の神様の発案で、皆でダムを作ってんだけど途中で飽きちゃってね」

「ダムを作るとか、河童ってすごいんだなあ……ていうか飽きたのかよ!」

 

 どこか遠くを見るような目で四月一日は呟き、すぐにツッコミを入れた。

 彼の河童像は完全に一新させられていた。というよりはせざるを得なかった。

 化け物のような姿を想像していたのに、現れたのは見た目普通の女の子。

 獣に近い生活をしていると思っていたのに、実際は研究熱心な知的生活。

 ここに来て、四月一日の中の河童像は一八〇度変化していた。 

 ……それになんだよ、山の神様の発案って。

 

「我ながら河童は集団行動に向かない種族だからね。協調性なにそれって感じだし。個人主義って奴。好きなものを好きなように作る。やりたいことをやりたいようにやる。まあ、四月一日は知らないと思うけど幻想郷にいるのはそんな奴らばかりだよ。その中でもさらに突出しているのが河童なんだ」

 

 にとりが片手を広げる。雨が降らないか確かめてるのかもしれない。

 

「太陽の光が邪魔だという理由で幻想郷中を紅い霧で覆った奴もいれば、庭の桜を咲かせたいという理由で郷から春を奪った奴もいる。月を隠した奴もいれば何度も宴会をさせた奴もいる。他にも色々あるけど、幻想郷ってのはそんな連中の集まりなのさ」

 

 あっけらかんと言い放つにとりに四月一日は常識がブレイク寸前であった。

 紅い霧?

 春を奪う?

 月を隠す?

 挙句の果てに何度も宴会をさせたってどういう意味だよ?

 

「非常識すぎるだろ幻想郷!」

「あはは、幻想郷では常識に囚われてはいけないのだ。四月一日もどっかの巫女みたいに悟るといいよ」

 

 そう言って、にとりはケラケラ笑う。

 その巫女の人も苦労したんだろうなあ、と見知らぬ誰かに共感する四月一日だった。

 

「と言ってる間に着いたよ、ここが河童の胡瓜畑だ」

 

 にとりの言葉通り、木々が途切れて畑が現れる。

 四月一日がそちらに目を向けると一段と盛り上がった土――(ウネ)が森の手前まで何本も並列に伸びていた。畝では緑色の蔦が笹竹で組まれた支柱に蜘蛛の巣のように絡まり、所々に黄色のかわいらしい花を咲がせていた。

 

「ちょうどいい時に来たね。今は収穫の時期だから好きなだけ持って行くといいよ」

「うん、ありがとう」

「ただし、お堂の前でも言ったけど胡瓜をあげる条件として頼み事を聞いてもらうからね」

「俺にできることなら何でもするよ」

「ああ、人間である四月一日にしかできないことさ」

 

 にとりが不適に笑い、畑に足を踏み入れる。

 

「こっちだ。付いてきな」

 

 四月一日もにとりの後に続いて畑の中に入る。よく実のなった胡瓜はいい具合に緑色であった。当然ながらスーパーに並んでいるものよりも新鮮でどことなく美味しそうに見える。

 

「四月一日にはアレをどうにかしてもらおうかね」

 

 畝の端で止まるとにとりが指す畑の奥、森に隣する位置に祠があった。開いた本を被せたような造りの切妻屋根だ。両開きの戸がは閉められ、戸の上部には注連縄が巻かれている。

 

「あれは……祠?」

「そうだよ。山の神様を祭る祠さ。といっても頂上にいる神様たちのことじゃない。昔からいる山の神様の一人をまつる祠だ」

 

 そういえば、雛が守矢神社という山の頂上にある神社について話していた。

 妖怪から信仰を集め、神徳として還元するのが目的らしい。そして神徳は妖怪の生活を豊かにすると。もしかするとダムを作るという山の神様の発案もその神徳に関わるものなのかもしれない。

 

「それで、あの祠をどうすればいいのかな?」

 

 四月一日が問うと、にとりはサイドポケットからモンキーレンチを取り出し祠に向けた。

 

「アレというのは祠のことじゃなくて、祠の周りにある――」

 

 にとりが祠をモンキーレンチで丸で囲むように手を動かし、アレの名前を言う。

 

「――瓢箪(ヒョウタン)のことだよ」

 

 見れば祠を取り囲むように蔦が生え、蔦の先にはくびれを持った黄緑色の大きな瓢箪の実が十数本ほど地面に横たわっていた。蔦は森の茂みの方から伸びており、徐々に胡瓜畑を侵食しているようだった。

 

「四月一日には祠の周りの瓢箪を片付けてほしいんだ」

「あ、それくらいなら……」

「瓢箪の実は好きにしてもらって構わない。何なら河童の瓢箪として人里で売ってもいいし、畑の前の川に捨ててもいいよ」

 

 川に捨てるのは違法投棄のようで四月一日には何となく躊躇われた。だからといって人里で売ろうにも何かしらの伝手があるわけではない。一本ぐらい持ち帰って後は川に捨てるのがいいかもしれない。というよりは河童たちが自分で片付ければいいと思うのだが、その辺は色々と事情があるのだろう。

 

「それじゃあ、ちょちょっと頼むよ」

「うん、任せて」

 

 四月一日は頷くと祠の前にしゃがんで瓢箪をつかみ、力を込めて蔦を千切る。

 簡単には切れないがそれでも力を込めればどうにか千切ることができた。

 取った実は祠の横に置き、これを十数回繰り返すと後は祠を囲む蔦だけになる。

 にとりは太陽の下にいる気はないらしく木陰に入って座り、四月一日の作業を何とはなしに眺めていた。

 彼は蔦をつかんでひとまとめにすると森に向かって投げた。これで祠を取り囲む瓢箪は無くなり、幾分スッキリしたようであった。

 

「ふう、これで全部無くなったかな」

「おお、さすが人間。助かったよ」

 

 にとりが立ち上がり、嬉しそうに微笑む。

 

「まさに瓢箪から駒だ」

「ハハ、上手くないから……」

 

 ドヤ顔でのたまうにとりに、四月一日は愛想笑いで応じた。

 

「さあ、約束通り胡瓜を持って帰っていいよ」

「じゃあ四、五本もらおうかな」

「それだけでいいの? まあ、四月一日がいいなら別にいいんだけどね」

 

 あまり多すぎても困るし、モロキューにする分も含めてこれくらいが妥当だろう。

 今さらながら、入れ物を持ってくればよかった、と後悔する四月一日だった。

 

「ところで、四月一日ってこんなところまでよく来れたよね。空を飛んでくるならまだしも、歩いて河童の里に来た人間なんて四月一日が初めてじゃないかな?」

「へえ、そうなんだ」

 

 雛も言っていたがやはり幻想郷では空を飛ぶことが一般的であるらしい。

 

「行きは無理やり連れていかれたというか、飲み込まれたというか……」

 

 歯切れの悪い口調になってしまった。

 鏡に触れたら鏡に飲まれてしまい、気づいたら玄武の沢にいたわけである。

 

「玄武の沢まではバイト先の人に連れてきてもらったんだけど、そこからは案内してくれた子がいて……」

「……ちょっと待って、今、玄武の沢って言った?」

 

 にとりの声音が変わっていた。

 先ほどまでのお気楽な調子ではない。どこか真剣でどこか落ち着かない声音だ。言うなれば逸る気持ちを無理やり押さえつけているような雰囲気だった。

 

「うん、そこで会った子に河童の里の手前まで案内し――」

 

 四月一日は最後まで発言することができなかった。

 なぜならにとりに胸倉をつかまれ、引き寄せられていたからだ。

 

「その子の名前、何て言うのっ?」

 

 にとりの顔が近くに迫る。

 普段の四月一日なら女の子が急接近したことに顔を赤くするだろうがにとりの表情がそれを許さなかった。悲痛な表情でこちらを見上げているのだ。眉尻は下がり、四月一日には今にも泣き出しそうな表情にも見えた。

 にとりの突然の豹変に四月一日は呆気に取られながら答える。

 

 

「鍵山雛ちゃんだよ」

「――っ!」

 

 四月一日の胸倉をつかむ力が強くなった。

 彼女にとって鍵山雛という名前はそれほど重要なものなのだろうか。

 

「……雛、私のこと何か言ってなかった?」

「いや、特には……ただ」

「ただ?」

 

 期待を込めたような視線で見つめるにとりに、四月一日は申し訳なさそうに告げる。

 

「『いざとなったら私の名前を出すといいわ』って言ってた。『何らかの便宜を図ってもらえる』だろうからって……」

「……そう」

 

 落胆したようににとりが手をゆるめた。うつむき、肩を落とす姿は四月一日の目から見ても辛そうな様子だった。

 

「あ」

 

 だからだろう。その姿が四月一日に一つの悲痛を思い浮かばせた。

 河童の里までの道案内を頼まれた雛の表情。一瞬だったが四月一日は見逃さなかった。

 苦虫を噛み潰したようなあの表情を。

 

「そういえば雛ちゃん、河童の里のまでの道案内を頼んだ時、一瞬だったけどどこか辛そうだったような……」

 

 そこから先、にとりの行動は早かった。

 いきなり空に飛び上がったのだ。

 

「河城さん!?」

「ごめん! どうしても雛に会わなきゃ!」

 

 四月一日は呼び止めるが、返ってきたのは詫びの一言だった。

 

「会って伝えなくちゃ……」

 

 苦しげな言葉を残し、にとりは飛び去っていったのだった。

 

 

 

    




 今さらですけど、原作風に表現するなら「河童の里」ではなく「河童のアジト」です。
 原作に河童の里という言葉は出てきません(たぶん)。
 本作では話の雰囲気的に「アジト」というよりは「里」の方が適切だと思いましたので、河童の里という表記にさせて頂きました。
 アジトっていうとショッカー的ニュアンスが強い気がします(笑)


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第四話 玄武の沢 ~ Ream Stream

前回のあらすじ。
にとりから瓢箪の片付けを頼まれました。


 

 

 

 

 

 飛び立つにとりの苦しそうな顔を四月一日は見た。

 今にも泣き出しそうな表情で、唇を噛むにとりの顔を。

 おそらく玄武の沢に向かったのだろう。

 彼は思わず駆け出していた。畝と畝の間を通り、川沿いの道を引き返す。

 何が最善で何が最良だなんて彼にはわからない。それでも、そうせずにはいられなかったのだ。

 身体の意思に身を任せ、四月一日は走る。

 下は岩盤、右には森の木々を置き、左には渓流が流れている。清く正しい流れだ。渓流は四月一日と同じ進行方向に流れ、まるで彼の背中を押すかのよう。

 平たい岩盤だった足元もごつごつとした岩場に変わっていく。大きな岩、小さな石、中程度の岩石。渓流の流れも激しさを増す。

 四月一日は転ばないようにバランスを取りながら通れる場所を選んでいく。そのことによって落ちる速度をもどかしく思いながらも岩に手を突き、足は前に飛ばして駆ける。

 自分に何ができるかなんてわかりはしない。

 雛の何が、にとりの何が、彼女たちにあのような顔をさせたのかわかるはずもない。

 でも、あんな顔をさせたままにしていいとも思わない。

 

 ……侑子さんみたいに誰かの願いを叶える力はないけれど。

 ……俺にもできることがきっとあるはずだ。

 

 それが根拠の無い自信に基づくものだったとしてもだ。二人のために何かをしたいという気持ちに偽りは無い。そのためにも、まずは二人に会わなければならなかった。会って話をしなければ。

 玄武の沢に続く獣道への入り口が見え、四月一日は速度を速める。小、中、大の岩を順に蹴り、前に跳ぶ。着地する場所は岩場より一段高いところにある森が広がる地面。

 着地。

 草が生え、落ち葉が敷かれた道なき道をひた走る。木々にぶつかりそうになる身体を上手く操り、斜面を駆け下りていく。

 突然、服の中にいた管狐の無月が飛び出し、落ち着かない様子で辺りを見回し始めた。

 

「グゥウウウウウウウウ……」

 

 聞こえた獣のうなり声に四月一日は足を止める。斜面をすべる足を堪え、木を支えに身体を静止させた。

 四月一日の前方、木の間から顔を出したのは河童の里へ行くときに襲ってきた狼型の獣だった。

 

「妖獣!?」

 

 黒々とした闇に覆われた身体。赤い目。奈落の底のような暗さはまるで質量を持った暗黒のようだ。

 ザッ――と落ち葉が踏まれる音に振り返れば、左右斜め後ろに同じような狼の妖獣がいて四月一日を取り囲んでいた。 

 三頭は四月一日に向かってうなり声を上げ、牙を剥く。それは敵意の表れで殺意の表れだ。彼らにとって自分は敵。捕食すべき獲物であった。

 もしかすると雛に厄に当てられ『事故死』した仲間の遺体を目にしたのかもしれない。

 物言わぬ遺体から何が起きたのかを感じ取ったのかもしれない。

 ならば雛と一緒にいた自分も仇となる。雛のせいではない。雛は四月一日を守るために自身の能力を活用したのだから。

 しかし、自分が来なければあの妖獣死ぬことはなかったのもまた事実。

 

「……無月」

 

 四月一日の呼びかけに無月は頷いた。それだけで意思が伝わったことを嬉しく思うと同時、これからさせようとすることを申し訳なく思う。

 

「……お願い」

 

 四月一日は指でそっと無月の頭を撫でた。

 すると、無月の身体が淡い光を放った。

 

 

 

 ●

 

 

 

 外から見た妖怪の山は全体を森に覆われているように見える。

 だからといってまったく日の光が入らないわけではない。

 開けた場所では日光が辺りを照らしており、森の中では木々の隙間から日が、葉々の間からは木漏れ日が差し込み、山の中を明るく浮かび上がらせている。

 当然、明度は森の中の方が低く、まぶゆい光に森の切れ目を見つけることができるだろう。

 森の中の斜面を下り、四月一日は前方に見えた木々の間の白い光に跳びこんだ。

 河原に着地し、やや傾き始めた日光が四月一日に降り注ぐ。

 木々の間を抜けて玄部の沢に降り立った彼が見たのは、川の手前、彼から見て右側で驚いた顔をするにとり。そして、彼の視界の左側、にとりに背を向けて川岸から滝つぼの方を眺める雛の姿だった。

 雛も四月一日に気づいたのか、横目で肩越しにこちらを見やる。その目からは何の色も読み取れず、無色で無感情で無表情であった。

 

「四月一日……」

 

 にとりが震える声で呟く。

 それは彼が現れたという予想外の事態に驚いているのか、それとも助けを求めているのか、そのどちらとも取れる声音だった。

 泣いてはいないようだ。だが、泣きそうではある。

 何があったのか。

 何が起きたのか。

 二人の関係を――二人の間の出来事を四月一日が知る由はない。

 

「……俺は」

 

 四月一日は雛を見て、にとりを見た。

 

「俺には二人がどういう関係かなんてわからない」

 

 二人は顔色を変えることなく突然の闖入者である四月一日の言葉に耳を傾けていた。

 

「でも、河城さんが泣きそうな顔をしているのに、それを放って置くこともできない」

 

 それが余計なお世話だとわかっていてもだ。

 何かあったのだろう。

 何か起きたのだろう。

 その『何か』が二人だけの聖域だとしても、辛そうな顔のにとりを前にして足を踏み入れないという選択肢は選べなかった。過干渉と怒られても今ここで退きたくはなかった。二人は人間である自分になんだかんだ言いつつも親切にしてくれたのだ。その優しさは本当に有り難く、嬉しかった。ゆえに、この場を見過ごしたくはなかった。

 

「もちろん、俺は何も知らない。二人がどういう関係なのかも」

 

 四月一日は顔に笑みを浮かべて言う。

 それは力強さを感じさせない穏やかな笑みだった。

 だから。

 

「だから教えてくれないかな? 君たちの間で何があったのかを」

 

 四月一日の言葉ににとりが何か言いたそうに口を開き、躊躇うようにうつむく。

 四月一日が視線を雛に向ければ、彼女は彼を見つめ、呆れたように吐息を漏らした。

 

「……別にたいしたことではないわ」

 

 身体ごと振り返り、拳を握り締めるにとりを顎で示す。

 

「そこの河童に付きまとわれて困っているだけ」

 

 にとりの肩がぴくりと震えた。

 いったい、そこの河童、付きまとわれて、困っている、のどの部分に反応したのだろうか。

 

「私は……」

 

 にとりが下を向いたまま、搾り出すように声を落とした。

 

「私は、雛と友達でいたいだけなんだ」

「……それが迷惑だって言ってるのがわからないの?」

 

 そんなにとりに対し、雛がうんざりとした顔つきを表していた。

 見下ろすように見つめ、きっぱりとした口調で宣告する。

 

「私はあなたと友達でいたいとは思わない」

「……私は雛と友達でいたい」

「だいたい、友達でいたいって、私とあなたが友達であった時があった?」

 

 冷ややかに見つめる雛に、にとりはツナギのズボンをぎゅっと握り締めた。

 

「私は雛と友達だと思ってるよ」

「それがそもそも間違っているのよ。私にはあなたと友達になった覚えがないわ」

「……一緒に遊んだ。一緒に酒を飲んだ。一緒に笑い合った。一緒に夜空を眺めた。友達になるにはそれだけで充分だよ」

「単なる社交辞令よ。言うなれば、ただの暇つぶし」

「ただの暇つぶしでも私にはすごく楽しかった」

「奇遇ね。私はすごくつまらなかった」

「工房に遊びに来てくれてすごく嬉しかった」

「どんなところか気になっただけよ」

(サカズキ)を酌み交わしたら友達、っていう鬼の言葉の通りだと思った」

「鬼も間違えることがあるのね」

 

 にとりの言葉を雛があくまでも軽くいなしていく。

 

「……なんで」

 

 そのことににとりの我慢も限界を迎えたらしい。顔を上げて涙目で雛をキッと睨みつけた。

 

「なんでだよ! なんでそんなに否定するんだよ!」

「間違いを間違いと言って何が悪いの?」

「じゃあ、全部嘘だって言うのか! 酒を飲んだときのあの表情も、私の失敗談で見せた笑顔も、流れ星を見つけた時の嬉しそうな表情も!」

「ええ、すべて偽り。本心ではないわ」

「このっわからずや!」

 

 二人の会話を聞いていた四月一日は、どういうことだ? と首を捻った。

 今までの会話から二人の事情がおぼろげながらも見えてきていた。

 にとりは雛を友達だと思っているが、雛はにとりを友達だとは思っていない。

 どちらも嘘を言っていないようにも見える。

 もちろん、にとりの一方的な思い込みである可能性もあるが、二人がともに時間をすごしたことは事実のようだ。雛は友達であることは否定しても、一緒に遊んだことやにとりの工房を訪れたことまでは否定しなかった。

 友達。

 友達というものを四月一日はわかっているようでわかっていない。

 友達とは何かという持論を持っていない。

 アヤカシを引き寄せる。

 幽霊が見える。

 という特異体質もあってか、四月一日はよき友達を作る機会に恵まれなかった。クラスで孤立とまでは言わないが特別仲の良い友達というモノを持ったことがなかった。

 ――それも最近までは。

 四月一日に消えないでほしい、と願った人たちがいる。

 一人は、無性に気に食わない嫌な奴だが、右目を食われた四月一日に自分の右目の半分を分け与えてくれた。

 もう一人は、四月一日がいいなと思う同級生で雛と似た性質を持つ女の子――九軒ひまわり。

 彼女は学校で窓から転落して大怪我を負った四月一日に、怪我は自分の体質によるものだと言い「さよなら」を告げた。それでも四月一日は「会えて本当に幸せだよ」と引き止めたが今度は怪我だけじゃすまないかもしれないと注意された。――死ぬかもしれないと。

 あれは四月一日を心配してのものだった。彼を不幸にしたくないから離れようとしたのだろう。

 あ。

 もしかして……。

 四月一日の脳裏にある考えがよぎった。

 瞳に涙を溜めたにとりが怒鳴る。

 

「私が何か悪い事したの? 気づかないうちに雛を傷つけたの? それなら謝るから! 言ってくれないとわかんないよ! どうして急に『二度と来ないで』なんて言ったんだよ!」

 

 にとりの悲痛な叫びで我に返り、彼は雛に目を向ける。

 ここに来て雛に変化があった。彼女が初めて苦しそうな表情を見せたのだ。

 

「気に入らないのよ、あなたの存在が……」

 

 言葉とともに雛はにとりを睨んだ。憎らしげに苛立ちを向けるように。

 

「不幸になる様を見て、その人のことを大事に思ってる人がどう思うのかがなぜわからないの……?」

 

 雛のその言葉は四月一日の脳を――心をずきずきと刺激した。

 記憶の底、雲泥に沈む過去の一場面をすくい上がらせる。

 邪気が漂う廃墟。

 邪気がもたらす冷気が眠気を沸き起こす。

 白い糸の蜘蛛の巣を張り巡らせたその中に彼女はいた。

 彼の右目を手に入れた彼女が――女郎蜘蛛がいた。

 肌を露出させた(ナマ)めかしいベビードールに網手袋と網タイツという衣装を着ている。

 女郎蜘蛛は気を失っている着物姿の座敷童を蜘蛛の巣に吊り下げていた。

 囚われた座敷童を助けるために四月一日は言う。

 

『じゃあ、左目も渡します。だから座敷童を返してください。片目だけじゃ足りないなら他も……』

 

 そう懇願した自分を女郎蜘蛛は嫌悪した。

 ひどく醜いモノを見るかのように。

 侮蔑と侮辱を込めた視線を送るように。

 四月一日の自己犠牲の精神を完膚なきまでに破壊した。

 

『傷ついた貴方(アナタ)をみて、貴方を大切に思うモノがどう傷つくかも理解(ワカ)らない』

 

 にとりを見れば、雛の言葉の真意を飲み込もうと考えているようだった。

 

「私の厄は周囲を不幸にする。私自身は不幸にならない――はずだった」

 

 歯噛みしていた雛が自身の厄を撫でるように手を伸ばす。

 

「なのに、あなたの存在は私を不幸にする。不幸にならないはずの私を不幸にするのよ」

「えっ、それってどういう……」

「わからなくていいわ。わかる必要もないわ。これで終わりにするから」

 

 四月一日とにとりの視線の奥、雛は懐から一枚のカードのようなものを取り出し、こう告げた。

 

「――創符(ソウフ)・ペインフロー」

 

 宣言と同時、雛の背後にある滝つぼの水がうねり、細分化し、(トゲ)状になる。

 

「水を味方にするのはあなただけじゃないのよ」

「雛……本気?」

「ええ、でも安心して。死にはしないから。ただ、二度と私に関わろうとは思わなくなるだけ」

「そう、なら私もここで引くわけにはいかないね」

 

 不敵な笑みを浮かべ、にとりもポケットから雛と同じようにカードを取り出して掲げてみせた。

 

洪水(コウズイ)・ウーズフラッディング――」

 

 川から水球がいくつも飛び出し、にとりの周囲に浮かぶ。

 それは球というよりは弾と表されるべきものであった。

 向かい合う二人。

 視線は互いの瞳を捉え、睨み合うかのように見つめ合う。

 水の棘と水の弾。

 

 ……まさか!

 ……あんなのが当たったらタダじゃすまねぇぞ!

 

 背筋が冷え、四月一日の全身に嫌な予感が駆け巡る。

 彼女たちはあれを撃ち合うつもりなのだ。

 棘と弾。

 水とて馬鹿にできない。重さを持ったそれが身体に当たれば人体に多大な被害が生じるだろう。

 ましてや雛が浮かべているのは棘だ。棘はにとりの身体に容易く突き刺さるはずだ。

 

 ……どうにかして二人を止めないと!

 

 危機感による焦燥の先、二人は同じタイミングでカードを持った手を振り下ろした。

 棘がにとりに向かう。

 球が雛に向かう。

 空気を裂き、勢いよく射出された棘と弾が交差する――

 

「……無月!」

 

 四月一日が管狐の名前を叫ぶ。

 その瞬間、炎がはしり、水の棘と球が衝突する場所を空間ごと飲み込んだ。

 水は急激に熱せられ、沸点を一気に越える。行き先は蒸発だ。水の棘も球も蒸発し、白い水蒸気となる。

 噴出する水蒸気に辺り一面が覆われていく。

 驚く雛とにとりの姿を隠すほど視界は不良好。

 晴れる。

 視界が開けていく。

 あるのは先ほどまでと何も変わらない。

 沢がある。滝がある。川がある。岩がある。石がある。

 雛がいる。にとりがいる。四月一日がいる。

 そして。

 ――彼の横に九つの尾を持った大きな狐がいた。

 

 

 

 

 

 

 




 座敷童奪還のシーンはホリック屈指の名シーンだと思います。
 初めて読んだ時、心をえぐるように女郎蜘蛛の言葉が染み渡ったのを覚えています。


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第五話 神々の疵痕 ~ Pain Flow

前回のあらすじ。
にと雛が俺の(ry




 

 

 

 無月はもともと侑子が雨童女から依頼の対価として受け取った『報酬』である。

 細長い身体を持った管狐という種族で、譲渡の際も煙管(キセル)入れの中に入れて受け渡しを行っていた。

 また対価として受け取ったということは相応の価値があるということであり、妖怪よりも格上の「雨を司るモノ」である雨童女にふさわしい、巷のモノよりも高い質を持った管狐であった。

 高い質。

 雨童女から渡された管狐は高い霊力を持っていた。

 霊力の消費量の問題からか管狐であるときは霊力を抑えており、霊力を開放するときはそれにふさわしい姿へと形を変える。すなわち、狐の中の最高位である――九尾の狐へと。 雛とにとりが水の棘と水の弾を互いに撃ち出す様を見て、四月一日は咄嗟に無月の名前を呼んだ。

 

「……無月!」

 

 このままだと棘と弾によって二人が傷つき、危険だと思ったからだ。

 幸いにも無月はこちらの意図を汲んでくれたらしく、九尾の狐の姿となって炎を吐いてくれた。

 手足の無い管狐モードの無月の体長が四〇、五〇センチであるのに対し、九尾モードの無月は鋭い爪を有した手足とふさふさした九つの尻尾を持っており、体長も頭から尻尾の先まで含めて二メートル以上の大きさとなる。

 無月が吐いた炎は『狐火(キツネビ)』と呼ばれ、炎を吐いた本人である無月が燃やしたいものだけを燃やすことができる特殊な炎だった。その熱は水を一瞬で蒸気に変えることも可能であった。

 

「にとり!?」

 

 水の棘と水の弾が狐火によって蒸発したことにより、玄武の沢は水蒸気に覆われた。

 棘も弾も一発残らず蒸発できたか、四月一日に視認する(スベ)はない。

 

 ……頼む。二人とも無事でいてくれ。

 

 四月一日の願いが通じたのか、山から風が吹き、水蒸気を押し流した。滝つぼを背にした雛がいる上流から下流側にいるにとりの方へと。

 蒸気が晴れて、沢の様子が明らかになってくる。

 右に見えたのは両腕を交差させて顔を隠すにとりだ。幸いにも雛が放った棘が当たった様子はない。

 

「雛ちゃん、大丈夫?」

「がるるるるるるる……」

 

 尻を着いていた雛に、まさか弾が当たったのかと心配になった四月一日は声をかけた。九尾になり声を発することができるようになった無月も不安そうに喉を鳴らしている。

 

「えっええ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ……」

「よかった……河城さんは?」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、今度は顔に付着した水滴を拭き取るにとりに声をかけた。

 

「あ、うん、大丈夫……ってうわっ、九尾!」

 

 にとりが無月を見て驚きの声を上げた。

 彼女にしてみれば今までいなかったはずの九尾の狐がいきなり現れたのだ。驚くのも当然であった。

 

「無月だよ。今はこんなに大きくなっちゃったけどね」

「ぐるる……」

 

 四月一日は茶化すように笑って無月の頭を撫でると無月が嬉しそうに声を漏らした。

 その様子を見て、雛とにとりが感嘆するように息を吐く。

 

「高い霊力を感じてはいたけど、まさか九尾の狐になるとはびっくりね……」

どっかの式神(・・・・・・)も元はこんな感じだったのかねえ……」

「水をあっという間に蒸発させるなんて、それに燃えた痕も残ってない……」

「どうやったんだろう……狐だけにやはり狐火かなぁ?」

 

 と同じように嘆息する二人だったが、先ほどまでの自身の状況を思い出したのか、ハッと気づいたように顔を背けた。

 そんな二人の様子に四月一日は苦笑し、

 

「河城さん、よく知ってるね。今のは狐火といって無月が燃やしたいものだけ燃やすことができるそうだよ」

「がるる……」

 

 四月一日の言葉を肯定するように無月が尻尾を振る。もふもふといった擬音語が似合いそうな九つの尻尾が左右に揺れた。

 疑問が生じたらしく、にとりが片手を広げ、

 

「できるそうだよって、四月一日、持ち主なのに知らないの?」

「いや、無月の持ち主は俺が働いてる店の主人だよ。俺は借りてるだけなんだ」

 

 雛が四月一日と無月を眺めながら自身を抱きしめるように腕を押さえた。

 

「その割にはずいぶん懐かれているようね」

「うん、なんでも俺の気に引かれてるらしいんだけど、よくわかんないんだよね」

 

 四月一日が腕を組んで首を傾ける。

 初めて会った時から無月は自分に絡んできた。それは大きくなった時――九尾の狐になっても例外ではなかった。

 

「私にはわかる気がするよ」

 

 神妙な顔でにとりが四月一日を見ていた。言うまいか言おうか迷ってるような仕草で頬をかき、

 

「四月一日からは色んな気を感じるんだよね、清浄な気、そして美味しそうな気」

「…………」

 

 にとりの「美味しそうな」という言葉に四月一日は眉をひそめた。

 妖怪は四月一日の身体を食らうことによって自身の力を数十倍にも引き上げることができ、またいつも彼を困らせていたアヤカシたちも彼の血に惹かれて彼を追い回していたという。

 それほどまでに四月一日の身体は、妖怪やアヤカシにとって魅力的なのだろう。

 にとりに対する警戒が無月にも伝わったらしく、四月一日を庇うように彼の前へと進み出る。

 もしかしたら女郎蜘蛛のことを思い出したのかもしれない。にとりと同じ、四月一日の右目を食った妖怪である彼女を。

 にとりは自分を警戒する無月に気づき、「ああ、ごめんごめん」と手を振った。

 

「四月一日に危害を加えるつもりはないよ。一応、人間は河童の盟友だからね。それにいくら私が『水を操る程度の能力』の持ち主だといっても、九尾の狐が吐く狐火に勝てるか怪しいし」

 

 ……今のところ、危険はないようだ。

 肩をすくめたにとりに四月一日は苦笑する。彼女の声音は冗談か本気かわからないものではあったが。

 

「わかった。そういうことにしとくよ。無月もそう警戒にしないで」

 

 無月が頷き、前足を伸ばして姿勢を低くする警戒の態勢を崩した。

 それでいい、と四月一日は再度無月の頭を撫でる。

 

「そうだ。……雛」

「…………」

 

 名を呼ばれ、雛は視線だけをにとりに送った。

 にとりは構わずに笑顔で言う。

 

「さっき、久しぶりに名前呼んでくれたよね。心配してくれてありがとう」

「……っ」

 

 迂闊だったと言わんばかりに雛がそっぽを向いた。恥ずかしさからだろう、わずかに顔を赤くしている。

 その様子から四月一日は頃合だと判断し、雛に話しかけた。

 

「ねえ……雛ちゃん」

「何かしら?」

 

 そっけなく雛は応えた。今の状況を明らかによく思っていないみたいだった。

 

「君の気持ちを、正直に河城さんに話してあげたらどうかな?」

「…………」

 

 四月一日の進言にうつむく雛。肯定も否定もない。沈黙がそこにあった。

 真剣な顔で四月一日は続ける。

 

「雛ちゃんが河城さんを避けた理由。間違ってたらごめん。それって河城さんを不幸にさせたくなかったからだよね?」

「えっ……」

「…………」

 

 にとりが目を丸くする一方、雛はまたしても沈黙だった。四月一日の言葉を肯定するわけでも否定するわけでもない。ただ口を閉ざしていた。

 

「雛ちゃんの近くにいる者は厄に当てられ、不幸になる。雛ちゃんは河城さんを不幸にしたくなかった。なぜなら河城さんは雛ちゃんにとって大切な……」

 

 四月一日は最後まで言わなかった。自身を抱きしめる雛の身体が震えていたのだ。

 何かに耐えるように歯を食いしばり、腕を握る力を込め、雛は震えを無理やり抑えつけると顔を上げた。

 

「……ええ、そうよ。四月一日の言う通りよ。私はこれ以上にとりを不幸にしたくなかった」

「そんな……私は雛といて不幸なわけじゃ……」

 

 不幸であることを否定するにとりに雛が言う。

 

「光学迷彩スーツだったかしら。私に見せてくれたよね? あれが壊れたときあなたが何て言ったか覚えてる?」

「いっいや……」

「私は覚えてる。『おかしいなぁ。さっきまでなんともなかったのに』ってあなたは言ってたわ」

「単なる故障だよ。機械にはよくあることだよ」

「私に会う度に壊れても?」

「…………」

 

 今度はにとりが黙った。口がわずかに開いているが言葉は出てこなかった。

 

「いつしかあなたはスーツを着てこなくなった。私もそれが正解だと思う。あなたがそのツナギを着出したのもそのためよね。だってこれ以上スーツを壊されたらたまらないものね」

 

 雛は言葉を区切り、眉尻を下げたにとりを見据える。

 

「私の厄があなたのスーツを壊したことに私は罪悪感を感じていたの。スーツが壊れるたびに罪悪感は増していった」

「いや、これはただの……」

「私はね、あなたに話しかけられて嬉しかった。一緒にお酒が飲めてよかった。星を眺めるのも楽しかった。だけど、私が幸せになればなるほどあなたは不幸になる。私にとってそれはとても耐え難いことだったの」

「雛……」

「あなたが機械いじりが好きなのを私は知ってる。工房に遊びに行った時、機械について話すあなたは本当に楽しそうだった。……でも、工房にあった機械が次々壊れていくのを見て、私はもう耐えられなかった」

 

 工房に遊びに来てくれてすごく嬉しかった、と語るにとりの様子を思い出しながら四月一日は雛の言葉に耳を傾けた。

 二人は最初から同じ位置に立っていたというのに。

 

「機械が好きなあなたの邪魔をしたくなかった。あなたの幸せを奪いたくなかった。私は、私のせいであなたを不幸にしたくなかった。だって私は機械と戯れるあなたが好きだから」

「…………」

「なのに、あなたは私に会いに来た。不幸になってしまうのに私のところにやって来た。私はあなたを不幸にしたくなかったのに!」

 

 肩を震わせ、目には涙を浮かべ、雛は叫ぶ。

 

「ねえ、どうしてわかってくれないの? あなたが不幸になる様子を見て、あなたを大切に思う人がどう思うのか、どうしてわからないの?」

 

 雛の悲痛な叫びが沢に響いた。 

 そして、それは四月一日が気づくきっかけになった言葉で、先ほど雛がにとりに向けた言葉だった。

 

『傷ついた貴方(アナタ)をみて、貴方を大切に思うモノがどう傷つくかも理解(ワカ)らない』

 

 女郎蜘蛛の言葉が四月一日の脳裏で反響する。

 にとりもその真意が飲み込めたようで、「あっ……」と声を漏らし、歯がゆいような顔をしてうつむいていた。

 

「不幸になるあなたを見ることが私の不幸。それほどまでに私の中であなたの存在は大きくなっていったの。こんなことなら、私はあなたに出会わなければよかった……」

 

 出会わなければよかった。

 そう述べた雛の目から滴が流れ落ち、顔を伏せた。止め処なく流れる嗚咽だけが川のせせらぎ、葉のざわめく音と交じり合い、玄武の沢における一つの音響となっていた。

 ……どんな出会いにも意味がある。

 出会いは偶然ではなく必然であり、出会えたことが幸せなのだから。

 四月一日は雛の言葉を否定しようとして、止まる。

 四月一日の視線の先、にとりが口を開いたのだ。

 目に先ほどまでの無力さはない。あるのは決意の表れのような力強い瞳だった。

 

「雛、一つだけ間違ってるよ」

「え……」

 

 顔を上げた雛に、にとりは問い詰めるように言う。

 

「私は自分を不幸だと思っていない。私がいつ不幸だなんて言ったの?」

「だって、機械が壊れて……」

 

 雛の答えに、にとりが一歩前に進み出る。その足はしっかりと河原を踏み締めていた。

 にとりの接近に気圧されたのか、雛が怯む。

 

「壊れたらまた直せばいい。機械だから当然でしょ。……私の気持ちを勝手に決めるなよ」

 

 それは冷えた声音だった。聞く者を否応なしに緊張させる、静かでいて内部に激しい衝動を込めた声だ。

 

「なあ、私がいつ不幸だと言った? 雛のせいで不幸になったなんていつ言った? 私を勝手に不幸にするなよ! ……雛、私は怒ってる。私が何に怒ってるかわかるか? 一つは私の気持ちを勝手に決めたこと。もう一つは私を勝手に不幸にしたこと。そして、私の幸せを勝手に決めたことだ!」

 

 呆れを通り越して怒りに満ちたにとりの言葉に雛が身を竦ませ、膝を着いて座り込んだ。

 そんな雛の様子に、にとりは息を吐く。空気を送り込み、身体と心の熱を冷ましているかのようだった。

 

「私はね、雛。確かに機械いじりをしているときも幸せだけど、それと同じくらい雛と一緒にいると幸せなんだよ。……さっきも言ったけど、私は雛と話していると楽しいし、雛と飲むお酒はすごく美味しいし、雛と眺める星空はすごく綺麗に見えるんだ。だからね……」

 

 にとりは笑みを浮かべて告げる。それは太陽のような眩しい笑顔であった。

 

「私、雛と会えて本当に幸せだよ」

 

 果たして、その言葉は雛を強張らせ、揺らし、震わせ、潤し、一筋の涙を流させた。

 

「にとりの馬鹿ぁ……」

「雛と妖精だけには言われたくないなぁ」

 

 子供のように泣く雛と雛の姿に腕を組んで苦笑するにとり。

 その二人の光景に四月一日も思わず笑んでいた。

 九軒ひまわりとの過去を想い、懐かしむ。

 彼女も自分の言葉で少しでも救われていたらいいな、と切に願う。

 想いは力だ。言葉が想いを伝えるものならば、言葉もまた一つの力であろう。

 にとりの力――想いは確かに雛に届いたのだった。

 ……ていうか妖精って……妖精もいるのか幻想郷は……。

 

「もうそんなに泣かないでよ、雛ぁ……」

 

 やれやれと嘆息し、にとりがなだめようと雛に近づいた。

 ――だが、

 

「来ないで!」

 

 急に雛が叫び、にとりを制止させる。

 その声に、にとりは硬直したように身体を止めた。

 その顔から笑みは消え、悲しみの色が現れていた。

 

「雛……」

「にとりの気持ちは充分わかった。すごく嬉しかった。でも、私の気持ちは変わらないの。いくらにとりが幸せだって言っても、私の厄がにとりと一緒にいることを許さないの……」

 

 ひまわりと違い、雛の周りに厄の影響を受けない者はいない。

 ひまわりの場合は、彼女に当てられない者が幾人かいたが、雛の場合は誰もいないのだ。

 人間・妖怪問わず、雛の近くにいれば不幸な目にアってしまう。

 それはにとりも例外なく――。

 

「そんな……」

 

 にとりが絶望的な表情を浮かべ、悲痛な面持ちでうつむく。

 二人の表情に四月一日は拳を握り締めていた。

 

 ……河城さん。

 ……雛ちゃん。

 

 なぜ。

 なぜ、この子たちがこのような顔をしなければならないのだろう。

 なぜ、この子たちは泣いているのだろう。

 なぜ、自分はここにいるのだろう。

 きっと、それは……。

 

「……このために俺をここに送ったんですね」

 

 四月一日がぽつりと漏らした言葉に、雛とにとりが顔をこちらに向けた。

 困惑の視線を受けた四月一日の正面、突如川の水面が持ち上がり、切り離され、平たい円形となる。

 それは円い鏡のようだった。まるで、四月一日が幻想郷に来る時に通った鏡(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のように。

 驚く二人の視線の先、鏡面に人の姿が浮かぶ。

 四月一日が務める店の主人でもある女性の名は――

 

「――侑子さん」

 

 

 

 

 

 



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第六話 運命のダークサイド ~ Misfortune's Wheel

○にとり、東方心綺楼で自機決定おめー!

○前回のあらすじ。
幻想郷式稲妻コロシアム。

○――何を願い、何を得るのか。
真相編の始まり始まり。
さて、それでは――


 

 

 

 傍に九尾の狐の姿になった無月(ムゲツ)を置いた四月一日(ワタヌキ)の正面――玄武の沢を流れる川の水面の上に、水でできた直径一メートルくらいの円形の鏡が浮かんでいた。

 水鏡(ミカガミ)である。

 しかし、水鏡に映るのは暗い灰色の玄武岩で囲まれた、玄武の沢の光景ではない。鏡の正面に立っているはずの四月一日の姿は映っておらず、代わりにある一人の女性の姿を映し出していた。

 四月一日のアルバイト先――『何でも願いが叶う店』の主人で『次元の魔女』『東洋の魔女』の異名を持つ壱原(イチハラ)侑子(ユウコ)だ。

 侑子は四月一日が店にいた時に来ていた衣装ではなく、紺色の生地に白い巴模様(・・・)があしらわれた着物を着ており、艶やかな黒髪は一つにまとめてお団子状態にしていた。清楚ながらも妖艶な雰囲気の侑子に呑まれたのか、妖怪であるにとりと(ヒナ)は言葉を発せられずにいた。

 目に笑みを持った侑子が口を小さく開く。

 

「……四月一日、ここに戻って来たということは、例のブツは手に入ったのかしら?」

「あ、いえ、まだっすけど……」

 

 いざ胡瓜を収穫しようとした矢先ににとりが飛んで行ったため、結局収穫できずにここまで来てしまったのだ。お使いを果たせてないことに罰の悪い思いを抱く。

 ていうか、例のブツって……なんか誤解されそうな言い方だ。

 小言を言われるのかと身構えた四月一日だが、侑子は鏡越しに右、左へと視線を向けていた。

 

「そう、見たところ両手に花のようだけど……流し雛と河童かしら?」

 

 自分たちの正体を一目で見抜いた侑子に、雛とにとりが目を見張る。それだけで侑子の力の一端を思い知ったようだった。 

 

「この人間、あいつ(・・・)と同じ雰囲気がする……」

 

 侑子の何気ない仕草ににとりが目を細める。どうやら侑子を警戒しているようだ。

 当の侑子は二人の反応を気にすることなく口の端を吊り上げ、金魚模様の扇子で口元を隠していた。

 単なる模様であるはずの赤い金魚が扇子の中を優雅に泳ぐ。

 

「四月一日ったら相変わらず人間以外の女の子にはモテるわねー、このこのぉー」

「べっ別にそんなんじゃないっすからー!」

 

 肘で突くような仕草をする侑子に、四月一日は一生懸命に否定する。

 人間以外にモテるという言葉も色んな意味で複雑であった。

 ふと、探るような目つきになる雛とにとりの視線に気づいたのか、侑子は四月一日をからかうのをやめて薄い笑みを浮かべた。

 

「あたし? あたしの名前は壱原侑子。そこにいる四月一日が働く店の主人よ」

 

 ……ただし偽名っすけどね。

 心の中で四月一日は静かに突っ込んだ。

 

「河童の胡瓜をもらって来るように、四月一日をそっちに送ったのもあたしなんだけど……それどころじゃないようね」

 

 扇子を閉じて三人と一匹を眺める侑子。

 玄武の沢で何かが起きたことを察したらしい侑子の声はどこか余裕を持っているように四月一日には感じられた。この状況から侑子は何を視たのだろうか。

 

「アナタたち、お名前は?」

 

 問われ、ハッと我に返った二人は一呼吸挟んでから侑子に名乗る。

 

「私は河城にとり。あなたが言った通り、ただの河童だよ」

「……私の名前は鍵山雛。厄神の流し雛よ」

「にとりちゃんに雛ちゃんね、よろしくぅ」

 

 柔和な顔で手を振る侑子だが、二人は手を振り返したりはしなかった。

 侑子の挙動を、今度は呑まれないようにじっと見ていた。

 侑子は手を降ろし、気にせずに続ける。

 

「アナタたちがここにいて、こうしてあたしと話していることにも意味がある。なぜなら、すべては必然だから」 

 

 ……すべては必然。

 侑子がそう言うのならそうなのだろう。

 ……俺をここに送り込んだのもきっとこのためなんだろう。

 

「四月一日から聞いたかしら? あたしは店を営んでいる。願いが叶う店。それ相応の対価を払えば、あたしにできることなら何でも願いを叶えてあげる」

「願いが叶う店……?」

「何でも願いが叶う……?」

 

 それは悪魔のささやきにも聞こえる言葉だった。

 四月一日は、バイトとして侑子の店で働くようになってから多くの依頼者を見てきた。

 願いとその対価。

 そして、その結末。

 幸せになった者もいれば不幸な結末を迎えた者もいる。

 後者が多くて、前者は(マレ)だ。

 どちらの結末をたどるかはその者次第なのだ。

 

「ええ、そうよ。アナタに……いえ、アナタたちに願いはあるかしら?」

 

 侑子の問いに雛は頷き、にとりもまた頷いた。

 肯定である。

 

「願いはなに?」

 

 雛とにとりはお互いの顔を確認しあうと、目を閉じ、ゆっくりと開いた。

 

「にとりを不幸にしたくない」

「雛に幸せになってほしい」

 

 その目に揺らぎはない。

 意を決したように、二人は自身の願いを口にしていたのだった。

 

「対価がいるわ」

「私に払えるのなら」

「……雛と同じ」

 

 怯むことなく二人は前に進む。

 それは二人一緒という安心感からだろうか。

 雛は胸の前で拳を握り、対価の提示を待つ。

 侑子が頷きを一つ落として言った。

 

「いいわ。アナタたちの願い、叶えましょう」

 

 了承の言葉に二人が緊張しているのがわかった。

 表情が硬く、動きもどことなくぎこちないのだ。

 何を求められるのか興味と恐れが半々と言ったところだろう。

 四月一日も自然とつばをごくりと飲み込んでいた。

 侑子が顎に指を当てる。

 

「二人の願いを一遍に解決する方法として能力の封じ込みがあるのだけど、それを行うわけにはいかないのよねえ」

「え……」

 

 なぜだろう、と四月一日は疑問に思う。

 厄をため込む程度の能力。

 厄を集めるという雛の能力が問題の根本なのだから、それを封じ込めば雛に厄は溜まらず、にとりが厄に当てられることもなくなると思うのだが。

 本人たちを見やれば、雛とにとりは同意を示すように下を向いていた。

 どうやら四月一日だけが理解できていないようであった。

 

「わからないって顔をしてるわね、四月一日」

「あ、いや、まあ、そうっすけど……」

 

 蚊帳の外であることをわずかにだが寂しく思う。そんな自分の心内を見抜かれたようで、四月一日はしどろもどろに応じてしまったのだ。

 

「幻想郷の住人にとって、能力とは自分と他者を区別する境界線みたいなものだから」

「境界線?」

「そう、アナタと私は違うことを示す、目には見えない線。自分という自分を構成する枠。他者という他者を構成する壁。……雛ちゃん、アナタの能力は?」

 

 侑子から目を背けて雛がぼそりと答える。

 侑子はニコッと笑って応じた。

 

「……厄をため込む程度の能力」

「そう、それが雛ちゃんを雛ちゃんとして顕現させている。言うなれば、厄をため込む程度の能力が雛ちゃんを雛ちゃんたらしめているのよ。……程度っていうのは上でも下でもないという確実性を示す言葉でもあるのだから」

 

 厄をため込む程度の能力。

 厄をため込む、それ以上でもそれ以下でもない能力。

 この能力が鍵山雛という個性を形成している――と侑子は言った。

 

「つまり、雛ちゃんの能力を封じるということは……」

「そう、鍵山雛という個を消すことでもあるわね。それこそ空っぽの人形になってしまう」

「それは駄目だっ!」

 

 個を消す、という言葉ににとりが顔を青ざめる。

 一方、雛は自分のことだというのに顔色を変えず、冷静に佇んでいた。

 

「わかってるわ、にとりちゃん。能力を封じ込めは無しの方向で行くつもりよ」

 

 侑子の言葉と笑みに、にとりは安心したのかほっと一息つく。だが、それも束の間のことであった。

 

「ねえ、雛ちゃん。アナタはため込んだ厄をどう処理しているの?」

「厄の一部は私の力になるの。活力と言い換えてもいいわ」

「では、厄がまったく無くなると……」

「ええ、死ぬわ」

 

 さらりと告げた雛の顔に恐れはない。

 ただ事実だけを告げたように無感情であった。

 雛は目を見開く四月一日を一瞥し、説明を続ける。

 

「ゆえに、私は常に厄を身体に纏わせる必要があるわ。特に死にたいわけでもないしね。それで、残りの厄――というより、溜め込んだ厄の大部分は人間に戻らないように処理しているの」

「その方法は?」

「神々に渡している。私じゃ処理できないから」

 

 雛のその言葉に、侑子が目をわずかに大きくした。

 彼女と初対面の者なら見逃してしまうほどの小さな反応だったため、四月一日しか気づかなかったが。

 

「そう、渡しているのね?」

「えっええ、そうだけど……何かあるの?」

 

 含んだ言い方に、比較的落ち着いていた雛が初めて動揺を見せた。

 自分が知らない自分に関することを目の前の人間は知っているのか。

 そんな恐れが透けているかのようであった。

 

「あるわ。……そうね、これで行きましょう。雛ちゃんの場合は時間がたっぷりあるんだし」

 

 侑子は扇子を開き、金魚が泳いでいる面を上にして雛に向けた。

 

「何か思い付いたの?」

「ええ、ただし二、三十年ほど時間がかかるけどいいかしら?」

「ええっ!?」

 

 驚きの声を上げたのは四月一日だ。

 てっきり今日中にすべてが解決すると思っていただけに二、三十年という時間は予想外であった。

 

「構わないわ。あなたたちとは時間の感覚が違うのだもの」

「そうね」

「はいっ!?」

 

 そして、それを了承する雛に四月一日は連続で驚きの声を上げる。

 

「二、三十年ってだいぶ先じゃあ……あっ」

「思い出したようね。私とあなたたちでは生きる長さがかなり違うのよ。私にとっては二、三十年などあっという間だわ」

 

「そうそう」とにとりが腕を組んで雛に同意する。

 ここら辺の感覚は人外同士ではないとわからないものなのかもしれない。

 ……そういうもんなのか。

 そういうものなのだろう。

 

「雛ちゃんが周囲に厄の影響を与えないようにするには、厄を纏わなければいい。しかし、厄は生きていく上で必要。なら厄以外の力で生きる方法を考えなければならない」

 

 侑子が要点をまとめて整理していく。

『こっち』方面に慣れてきたばかりの四月一日にも充分わかりやすい説明であった。

 

「厄に代わる新たなエネルギー。それは……」

 

 侑子は言葉を区切り、じっと雛の目を見つめる。

 雛はその視線を逸らすことなく見つめ返した。

 侑子は言う。

 

「――信仰よ」

 

 信仰。

 厄に代わる新たな活力。

 ……そういえば、雛ちゃんが信仰について言ってたような。

 四月一日が雛の言葉を思い出そうとしていると、にとりが世紀の大発見でもしたかのように叫んだ。

 

「ああっ、そうだよ。雛は厄神様といえ神なんだから、厄ではなく信仰で生きることもできるはずだ!」

 

 盲点だったと言わんばかりに手を打ち鳴らし、彼女の研究者としての側面が気づかなかったことを悔しがっていた。またそれと同時に、新たな方法に感動しているらしく喝采を上げていた。

 

「神様は信仰を集め、神徳として還元する。そうやって持ちつ持たれつの関係で循環しているの」

 

 侑子の説明に、四月一日は河童の里に向かう途中で雛から聞いた話を思い出した。

 妖怪の山における神と妖怪のサイクルを。 

 

『ええ、妖怪の信仰を集めることによって神は神徳を与える。信仰は妖怪の生活を豊かにするのよ』

 

 侑子は厄を捨て、信仰を力にして生きろと言っているのだ。

 エネルギーとしての厄は不必要になり、ため込んだ厄は従来通り神々に渡せばいい。 

 なるほど、これなら……。

 

「これなら厄を纏う必要が無くなる……」

 

 四月一日は数学の難問を解いたかのような感動を覚えていた。

 提示された方策に、にとりは満面の笑みを浮かべ、雛本人は驚いたまま呆然としているようだった。

 

「ところで、雛ちゃん。厄神様というのは、主に厄をもたらす神と厄を祓う神に分かれるのだけど、知ってる?」

「知ってるわ。それくらい」

 

 舐められたと思ったのか、我に帰った雛が口を尖らせながら答える。

 

「そう……なら、あなたはどちらなのかしら?」

「え?」

「厄をもたらす神なのか、厄を祓う神なのか」

「私は後者……厄を祓う神よ」

「本当に?」

 

 侑子の鋭い視線に雛が怯む。

 もう一度はっきりと断言すればいいのに、なぜか雛は断じようとはしなかった。

 そこに重なるのは侑子の声だ。

 

「本当にあなたは厄を祓う神なの?」

 

 答えに迷う雛を見て、四月一日も考える。

 雛の厄神様としての性質。

 厄を溜め込む。

 溜め込み、神々に渡して祓う。しかし、よく考えれば雛自身が厄を纏っており、雛が行くところに厄があるということになる。つまり、厄をもたらすとも言えた。

 厄を祓い、厄をもたらす。

 厄をもたらし、厄を祓う。

 侑子の分類に従えば、どちらの面も抱えた雛は厄神様としてどこか異質であった。

 言いよどむ雛から四月一日に侑子が視線の向きを変える。

 

「四月一日、流し雛について雛ちゃんから聞いた?」

「あ、はい。人形に厄を移して川に流すのが本来の流し雛って聞きました」

「では、川に流された流し雛が海まで流れずに岸に乗り上げたり、途中で引っかかったりしたらどうなると思う?」

 

 侑子の目はいつになく真剣だった。

 何か重要なことが水面下で起きているかのような、そんな緊迫感に包まれそうになる。

 

「厄が、流れなくなる……」

 

 搾り出すように答えた四月一日に向かい、侑子が「ええ、その通り」と首を縦に振った。

 

「そして、翌日まで流れない場合、流し雛は妖怪となると言われているわ」

「……え?」

「――ねえ、流し雛の雛ちゃん?」

 

 侑子の言葉に、四月一日は思わず雛を見た。

 見てしまった。見ざるを得なかったのだ。どうしようもない疑惑と真実を知りたい好奇心に駆られ、気づいたら振り向いていたのだ。

 何の感情も浮かばない。

 何の色も浮かばない。

 何の表情も浮かばない。

 生気の抜けたような流し雛を。

 まるで人形のような鍵山雛を。

 

「何言ってるの? 私が妖怪だとでも言いたいの?」

「そうだよ、雛は妖怪じゃなく厄神だよ」

 

 雛が呆れたように否定し、にとりがそれに追従する。

 四月一日もまだどこか懐疑的であった。

 

「そうですよ侑子さん。雛ちゃんが妖怪だなんて……」

「おっ、なに四月一日。妖怪を差別するのかな?」

「あ、いや、そういう意味じゃなくて……」

 

 にとりにからかうような口調で言われ、四月一日は慌てて否定する。

 脳裏に浮かぶのは自身を語る雛の生き生きとした姿だった。

 

『ええ、私は元々流し雛だったものが長い年月を経て厄神になったモノ。これでも四月一日の十倍以上は生きてるわ』

 

 厄神であることに誇りを持っていたために、雛は大切な友人を不幸にすることとのジレンマの間で苦しんでいたのだ。

 誰かを不幸にしたくない。

 その想いが雛ににとりとの決別の道を歩ませ、涙を流させた。たった一人の友達のために苦しみ、悩みを打ち明けることすらできなかった。

 なのに、雛は厄神ではなく妖怪だという。だとしたら、雛が抱いていた厄神としての誇りとは何だったのだ? 雛は何のために苦しんでいたというのだろうか。

 

「雛ちゃんは厄神として異質なのよ。それならまだ妖怪だったと言ったほうが説明がつくわ。今まで一度も言われなかった? そう、例えば――」

 

 侑子が三人の考えを一蹴するように言葉を重ねていく。

 それが確定した未来だと告げるかのように。

 

「――博麗の巫女(・・・・・)などに」

 

 博麗の巫女。

 そう言えば、雛ちゃんがそのような単語を口にしていた気がする。

 幻想郷の外から来た人――外来人かどうか確かめていた時だ。

 と半ば暢気に考えていた四月一日だが、「雛……」というにとりの力の抜けた呼びかけを聞き、無意識に顔を向けた。そして、息を飲む。

 

「……私は……いむに……」

 

 侑子に言われ、博麗の巫女の言葉でも思い出したのだろうか。雛の様子が変わっていた。

 限界まで見開いた目は瞳孔が開き、紅い唇は冷気に当てられたかのように紫色になっている。

 血の気も生気も抜け落ちたかのように白い肌は青ざめており、視線はどこにも定まっておらず、ただ宙の一点を見つめていた。

 声と手はかじかむかのように震え、凍れ落ちる言葉は四月一日にさえ届くかどうかの音量である。

 

「怪は……の敵……あんたは……妖怪……って……」

 

 あんたは妖怪。

 聞き取れた声に四月一日は言葉を失った。

 博麗の巫女と呼ばれたその人がこの幻想郷でどのような立場にあるのかはわからない。しかし、部外者である四月一日にも博麗の巫女がひどく重要な立場にあるだろうことは伝わってきた。その言葉は重く、今にも雛を潰しかねないほどであった。

 

「その博麗の巫女は、そのような嘘やデマカセを言ったりする子なの?」

 

 優しく投げかけれらた侑子の言葉に、雛は深呼吸し目線を上げた。

 幾分、落ち着いたらしく激しい動揺はすでに消え失せているようだった。

 

「いえ、違う。そんな人間ではないわ……」 

「妖怪退治の専門家だっけ? 見間違うこともあると思うわ」

 

 一転して、博麗の巫女の言葉を間違いだと言う侑子。

 四月一日は、侑子が雛に何かを言わせようとしていることに気づいた。だが、何を言わせようとしているのかまではわからない。

 

「そんなはずはない、と思えるぐらいには彼女は確かな実力の持ち主よ」

「なら、アナタは?」

 

 柔らかな侑子の問いに、雛は力無く笑う。

 そこにあるのはすべてを投げ出した者の笑み。疲れ切った者の微笑であった。

 

「私は妖怪……神なんかじゃなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 厄神って何だろう?
 解決編に続く。


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第七話 神々が恋した幻想郷 ~ Mountain of Faith

○前回のあらすじ。
「妖怪は私の敵。あんたは妖怪」

にとりを不幸にしたくないと願う雛に、侑子が示した解決策とは――

例大祭開催日――東方心綺楼頒布開始日の今日、
この話を投稿することができて本当によかったです。




 

 

 

 

 

 妖怪の山の(フモト)に『玄武の沢』と名付けられた沢がある。

 暗い灰色の玄武岩が多く見られることからそう名付けられたらしい。

 らしいというのは、いつの間にかそのように呼ばれており、誰も確かなことを知らないからであった。

 そこに三つの人影と一匹の獣がいた。

 河童の河城(カワシロ)にとり。

 流し雛の鍵山(カギヤマ)(ヒナ)

 外来人の四月一日(ワタヌキ)君尋(キミヒロ)

 九つの尾を持つ大型の狐である無月(ムゲツ)

 そして――

 

「自分を知るというのはね、とても大切なことなのよ」

 

 沢を流れる川の上に浮かぶ円い水の鏡。

 そこに映る着物姿の壱原(イチハラ)侑子(ユウコ)が音を立てて扇子を閉じた。

 川の流れは穏やかに、そよぐ風は束の間の清涼を与えてくれた。

 

「自分のことは自分が一番わかっているなんて言う者もいるけれど、それさえも自分にとって都合のいい自分でしかないの。誰もが自分のすべてを受け入れられるわけではないしね」

 

 葉の擦れ合う音がこぼれ落ちる河原。

 四月一日は侑子の言葉を聴きながら流し目で雛の様子を窺っていた。

 目からハイライトが消え、暗い光を宿してうつむく雛を。

 長らく自分を厄の神だと信じていたのだ。

 厄を司る神――厄神(ヤクジン)だと疑いもせずに。

 

「それでも、長く付き合う相手ですもの。自分のことぐらい自分が一番知ってあげないとね。自分のことを知らないのに自分のすべてを知った気でいるのは、自分に対する不誠実よ」

 

 にとりが心配そうに眉尻を下げて雛を見ている。

 雛が厄神ではなく、厄を力にして生きる流し雛の妖怪であることが判明したのだ。かけられる言葉などそう簡単に見つかるはずはなく、先ほどから手を出しかけては引っ込めていた。

 何て声をかければいいのか、迷っている様子だ。

 信仰を(カテ)に生きる、という希望がやっと見つかったばかりなのに、それは雛の正体が明らかになったことで大きく覆ってしまった。妖怪は、信仰では生きられないのだから。

 妖怪が生きるのに必要なのは――

 

「さて、雛ちゃんが自分を取り戻したところで……」

 

 そう言ったところで、侑子は打ち鳴らすように扇子を開いた。相も変わらず、白い扇面を二匹の赤い金魚が尾ひれを揺らしながら艶やかに泳いでいる。

 扇子の開く音に、辛気臭い顔をする三人と一匹が無意識に顔を向けた。

 皆の視線を受け、鏡越しに侑子は言う。

 

「これからのことだけど、雛ちゃんには信仰を『()』とする本当の厄神になってもらうわ」

 

 その一言に、三人の身体が固まった。

 すぐには理解できないといった様子で、口を小さく開けて呆然としていた。

 雛の口から理解のための言葉が漏れる。

 

「厄神に、なる……?」

「ええ、そうよ。今の雛ちゃんが生きるために必要なのは厄、または恐れ。妖怪は人間に恐れられることでその存在を確かなものにしている。そうよね? にとりちゃん」

「あ、うん。妖怪が人間を食べるのもそのためだよ。食われるというのは原初的な恐怖だからね。一番効率がいいのさ」

 

 妖怪は人間を食う。

 はっきりとにとりに言われ、四月一日は軽いショックを受けていた。

 

 ……わかっていたことだ。

 

 今までアヤカシや妖怪に狙われ、その命を脅かされてきた。実際に右目を食われたりもした。それでも、目の前の河童は、そんな妖怪たちとはどこか違うと思っていたのだ。

 自分がそう勝手に考えていただけなのに。

 

 ……わかっていたことだけど。

 

 妖怪は人間に恐れられないと生きていけないという。彼らにしてみれば、妖怪には妖怪の(コトワリ)があり、それに従って生きているだけなのだろう。

 ただ、自分が人間の側に立っているだけのことだ。

 

「ねえ、雛ちゃん。アナタは人間の敵?」

「私は……」

 

 その問いに雛は答えようとするが、わずかの逡巡の後に口を閉じた。

 迷っているのだろう。――妖怪である自分に。

 躊躇っているのだろう。――人間の側に行くことを。

 

「雛……」

 

 にとりが自分の胸の前に垂れ下がる鍵を握り、一歩前に出る。

 

「私は雛の幸せを知ってるよ」

「にとり……」

「いつか私に言ってたよね。『人間の厄災を引き受けることができて嬉しい』って。自分が存在することで人間たちが平和に暮らせるなら、それに勝る幸せはない。そう言ったのは雛だよ」

「……でも、私は……」

「妖怪だったとしても雛は雛。……『秘神(ヒシン)流し雛』ではなく『妖怪(・・)流し雛』になってしまったけどね」

 

 舌を出し、にとりは悪戯っぽく笑った。

 

「だから妖怪であることなんて気にせず、正直に言っちゃいなよ。自分の気持ちをさ」

「……うん」

 

 雛の目に光が戻る。

 陽の光を受けてきらきらと輝く雛の瞳は、秋の紅葉のように鮮やかで綺麗であった。

 曇りの無い表情で、雛は迷い無く答えた。

 すっきりとした表情で、躊躇うことなく侑子に告げた。

 

「私は、人間の味方。私が妖怪になっても、それだけは変わらないわ」

「人間想いなのね」

「悪い? 身体は妖怪でも、心まで妖怪になったつもりはないわ」

「いえ、悪くはないわ。厄神の心を持った妖怪というわけね」

「ええ、そうよ。私の幸せは、今もえんがちょの向こう側にあるのよ」

 

 えんがちょ?

 えんがちょって何だろう。

 四月一日は疑問に思ったが、澄み切った青空のような雛の前にはそれさえも霧散してしまった。

 

「今までは人間を不幸から守れたらそれだけでよかった。でも、大切な友人ができて、それだけじゃ駄目なことに気づいたの」

「雛……」

 

 目に涙を浮かべながら見つめるにとりの視線を、雛は顔を赤くして目線を逸らした。

 

「私は、人間も、側にいてくれる友人も不幸にしたくない」

「フフ、欲張りね」

 

 侑子が薄い笑みを浮かべる。

 雛はその笑みさえも一蹴するように不敵に笑った。

 

「そうよ、だって私は妖怪だもの。――だから」

 

 雛は言う。

 妖怪のように自分勝手に。

 厄神のように大胆不敵に。

 

「――だから、私を厄神にしなさい」

 

 他者を思いやる優しい流し雛は、自身の願いを口にした。

 その顔に未練はない。

 あるのは決意に満ちた表情のみだった。

 

「対価がいるわ」

「構わない」

「わかったわ。契約成立ね」

 

 実に簡略的なやりとりだった。

 対価が何かもわからないまま雛が了承を示していた。

 

「流し雛の名にかけて、どんな対価でも払ってみせるわ」

「そう……なら始めるわ」

 

 始める――

 始まる――

 今から神を生み出す儀式を行うのだ。

 それは新たな神様を創り出すということ。

 そんなことが可能なのだろうか。

 いや、しかし。

 

 ……侑子さんができると言ったんだ。

 ……できるに決まっている。

 

 そうだ。

 以前、出張中の侑子からかかってきた電話。その時に彼女は何と言っていたか。

 

『神様創ってるの』

 

 侑子が過去にも神様を創ったことがあるのを四月一日は知っている。 

 今回は多少変則的とはいえ、雛を立派な厄神に変え、新しい神様を生むことだろう。

 彼は確信の極地を持ってそう信じていた。

 侑子が問う。

 

「雛ちゃん、流し雛に使われた人形はまだ持っているかしら?」

「ええ、今はないけど(ウチ)に戻ればいっぱいあるわ。厄を集めるために流し雛の人形を拾ってたから。おかげで家の中は雛人形だらけよ」

 

 苦笑する雛の笑みからは余裕が感じられる。

 さっきまでの絶望感は完全に消え失せてていた。

 

「そう。その中にある最初の一体、厄集めの始まりとなった一体を見つけなさい。同じ流し雛のアナタならできるはずよ」

「わかったわ。それでその人形をどうするの?」

「巫女に祓ってもらうの。厄は除かれたとはいえ、霊気や妖気、邪気が付いていると思うから」

「了解したわ。幻想郷には妖怪向けと人間向け、二つの(ヤシロ)があるけど、指定はある?」

「雛ちゃんの望みは人間の神となることだから、人間向けの方にするべきね」

「博麗神社か。あの人間と会うのも久しぶりだわ」

 

 雛のどこか懐かしそうな口調に、どういう関係なんだろうと四月一日は疑問を覚えた。

 侑子は続ける。

 

「祓ってもらった人形をご神体にして祠を作り、人里に置かせてもらいなさい。妖怪と人里の仲介役を務める者がいるでしょうからその者に頼むといいわ。そしてその祠の横に販売所を設けるの」

「販売所? いったい何の?」

「人形よ。家には流れてきた流し雛の人形がいっぱいあるんでしょ? それを売るのよ。言うなればリサイクルショップね」

 

 リサイクルは大切よ、とのたまう侑子。

 そこで雛が陰りを見せ、少し悲しそうに口を開いた。

 

「私が行っても誰も寄り付かないわ」

「そうね。だから無人販売所にしなさい。値段はアナタが適切だと思う金額に定めること」

「無料じゃ駄目なの?」

「駄目よ。お金を出して買う。売ってお金を受け取る。という循環(サイクル)が大切なの」

 

 サイクル。

 循環。

 

「それって……」

 

 その言葉に珍しく四月一日が気づいた。

 妖怪と神様の関係。

 信仰がもたらす循環を。

 

「ええ、そうよ。妖怪が神を信仰し、神は神徳を与える。それと同じ。人間が神を信仰し、神は神徳を与える。結果、妖怪も人も豊かになる。神だけ、人だけ、妖怪だけでは一方的で壊れてしまうの。与えるだけ、もらうだけじゃバランスが崩れてしまうのよ」

 

 侑子の説明に妖怪組がうんうんと頷き、人間側である四月一日はへえーと感嘆の息を漏らしていた。

 ふと雛のスカートに目をやれば、裾の方に刺繍(・・)らしきものがある。それは、信仰の循環について考えていた四月一日にはまるで一つの(ウズ)のように見えた。

 

「祠と人形の販売所を建てたら、後は今まで通りにすればいいわ。やがてアナタを厄神として奉る信仰が生まれ、アナタは厄神になるでしょうから」

「それが形になるまで『二、三十年』という意味ね」

「ええ。早ければ十年、もっと早ければ五年ぐらい」

 

 顎に指を当て、雛が考え込む。

 侑子の言葉を頭に一生懸命叩き込んでいるようであった。

 

「厄祓いの神になれば、厄を神々に渡すことなく自分で祓うことができるようになるわ。信仰を力にするから厄を纏う必要もなくなる。これで周囲を不幸にすることも無くなるわ」

 

 そこで侑子がちらりと四月一日を見た。

 気遣ってくれているのだろう。

 雛と同じように、見ただけ、話しかけただけ、触れただけで周囲を不幸にする友達を持つ四月一日を。

 有り難く四月一日は思った。その心遣いが嬉しかった。だけど、四月一日はすでに決めている。

 

 ……ひまわりちゃん。

 

 彼女のために自分ができることをしようと。

 目が合った雛を見据え、侑子は言う。

 

「後はアナタ次第よ」

 

 

 

 ●

 

 

 

「それで、対価だけど……」

 

 こくりと頷いた雛の頭を扇子で指し、侑子は対価の内容を告げた。

 

「アナタが頭に着けているリボンを頂くわ」

 

 雛は白いフリルがあしらわれた暗い赤色の長いリボンで頭部を飾っている。リボン型のヘッドドレスだ。リボンの表面には赤い文字らしき線が描かれており、記号らしいが四月一日にはその文字が何と描いてあるのかまったく読めなかった。

 

「こんなのでいいの?」

「厄神になる方法を教えた程度(・・)の対価としては妥当だわ。それに、厄を溜め込むアナタが身に着けていたリボンですもの。使い道は色々あるわ……色々とね」

 

 ウフフ、と笑う侑子は実に妖艶で、実にうさんくさかった。

 でも、言わない。

 言ったら最後、何を言われるのかわかったもんじゃないと黙っておく四月一日だった。

 雛がリボンを結んだまま、ヘッドドレスを外す。

 エメラルドグリーンのふわふわとした髪だ。長時間押さえられていたために、頭にはヘッドドレスの痕が残っていた。柔らかく線の細い髪がわずかに潰れている。

 

「これ、どうすればいいの?」

水鏡(ミカガミ)の中に入れてくれればいいわ」

「わかったわ」

 

 雛は宙に浮かぶと、そのまま川上の水鏡に近づき、リボンを鏡面に押し込んだ。触れた先から波紋が広がり、リボンは沈み込むように鏡の中に入っていく。

 最後まで入れ終えると、鏡にはさっきまでこっちにあったリボン型ヘッドドレスを持つ侑子の姿が映っていた。三人に見えるように両手でリボンを掲げている。

 

「流し雛のリボン。確かに受け取ったわ」

「……どんな原理よ。まるでどっかのスキマみたいね」

 

 呆れたように呟き、雛が宙を飛んで岸に戻る。

 それだけだった。

 お互いに依頼と対価を交わし、それを果たすだけで充分なのだろう。

 店の主人と依頼者。 

 お互いの領域を守った実にシンプルな関係だった。

 

「で、次はにとりちゃんね」

 

 唐突に、リボンをわきに置いた侑子が閉じた扇子をにとりに向けた。

 

「ひゅい!?」

 

 思わずといった感じで突拍子もない声を上げるにとり。

 雛たちのやりとりに心を奪われていたのだろう。

 若干の静寂の後、口を両手で押さえたにとりを雛がジト目で見つめ、

 

「……にとり、今の声なに? ひゅいって……ププ」

「アハハハ、にとりちゃんっておもしろーい!」

 

 口元を押さえて静かに笑う。それは爆笑をこらえているようでもあった。

 反対に、侑子は露骨に笑っていたが。

 四月一日だけが「二人ともそんなに笑っちゃ駄目ですよ……」と雛と侑子をたしなめていた。

 

「もうっ、笑うなよ! ちょっとびっくりしただけ!」

 

 憤慨したにとりが大声を出したことにより場は収束し、仕切り直しになる。

 さっきまで張り詰めていた空気がかなり弛緩していた。 

 

「アナタの願いは雛ちゃんに幸せになってもらうこと。雛ちゃん、アナタの幸せは?」

「私はにとりが不幸になることなく一緒にいられたら……それが幸せかな」

「そのためにも早く厄神になる必要があるわね」

 

 侑子が扇子を顎に当て、何かを考えるよう目を閉じた。

 三秒ほど経ってから目を開く。

 

「近々、幻想郷で戦争が起きるわ。それも神道、仏教、道教が入り乱れる宗教戦争」

「はいぃいいいいいい!?」

 

 耳をつんざくような奇声を上げたのは四月一日だ。

 あまりのうるささに妖怪二人がしかめっ面で四月一日を睨み、両手で耳を抑えていた。

 

 ……戦争?

 ……それも宗教戦争!?

 

 戦後の生まれである四月一日にとって戦争など過去の出来事であり、どこか遠い国の他人事であった。

 さらに宗教戦争である。このご時勢のこの国で、しかも三つの宗教による戦争など四月一日にはまったく考えられないことだった。

 

「侑子さん、冗談ですよね……?」

「冗談ではないわ。それより、なんでアナタが驚くのかしら四月一日?」

「だって、宗教戦争ですよ! そう簡単には信じられませんよ!」

「といっても幻想郷レベルなんだけどね。里のお祭りみたいなものよ。皆でお酒を飲みながらわいわいとね」

「……一気に牧歌的になったっすね。ていうか、それほんとにお祭りじゃないっすかー!」

「アハハ、幻想郷の人々にとってわね」

 

 四月一日の早とちりー、と彼の盛大なリアクションを侑子は指差して笑う。

 笑われた四月一日は拗ねたように口を尖らせた。 

 

 ……戦争とかと言われたら誰だって勘違いするっつーの。

 

 ぶつくさ文句を言う四月一日を置いて、侑子は言葉を続ける。

 

「戦争の目的は人気の奪い合い。つまり、信仰よ。人心を掌握しようと誰も彼もが躍起になるわ」

「あの宗教家たちか……」

 

 思い当たる節があるのか、にとりが苦々しく呟く。

 その宗教家たちにいい印象を抱いているとは到底言いがたい反応であった。

 侑子が形の良い眉を寄せてぼやくように言う。

 

「信仰を奪われるのは色々とまずいわね」

「……何がまずいんだ?」

 

 不安気な様子でにとりが問いかける。

 そんな河童に向けた侑子の顔に浮かぶのは、言葉とは裏腹ににやりと妖しげな笑みだ。

 ゆえに、付き合いの長い四月一日は気づいた。

 あの顔、あの笑み。あれは……

 

「そうねえ……」

 

 ……何かロクでもないことを考えている顔だ!

 

「雛ちゃんに信仰が集まらなくなっちゃうわね……困ったわ」

「そっそんな、困るぞ! 雛には早く厄神になってもらいたいのに!」

「でも、雛ちゃんが参加するのは難しいわね。人前に出て厄を振り撒くことになったりしたら……」

「信仰が得られない……いったいどうすれば……?」

「知りたい?」

「しっ知りたい! 対価なら払うから早く教えてくれ!」

「じゃあ、河童手製のお酒があるでしょう? それを頂きたいのだけど」

「いいよ! 河童の酒をあげようじゃないか!」

 

 毎度あり♪ ……そう口が動いたのを四月一日は見逃さなかった。

 また一人、酒が大好きな大喰らいのウワバミに飲み込まれていく。

 

 ……ああ、河城さんが侑子さんの毒牙に……。

 

 触らぬ神に祟りなし、と彼は蛇を飲まれる河童を静かに見守ることにしたのだった。

 

「ことは簡単よ。にとりちゃんが戦争に参加すればいいのよ」

「えっ、私が!?」

「ええ。この宗教戦争に参加するの」

「でも、私は別に宗教家じゃないし……」

「だからこそ、この戦争に参加して彼ら――いえ、彼女らに信仰が集まらないようにするのよ」

「なるほど、特定の宗教を持たない無宗派層からの人気と信仰が奴らの方に行かないようにするってことだな」

「そういうこと。それからじっくりと雛ちゃんの信仰を集めればいいわ」

「わかった! 私、この戦争に参加するよ! 前から宗教家の奴ら(アイツラ)のことが気に入らなかったんだよね! 丁度いい機会だ。河童の名にかけて奴らをぎったんぎたんにしてやる!」

 

 ぎったんぎたんって……。

 感情を爆発させるにとりと煽る侑子を四月一日と雛たちは呆れたように見ていた。

 二人の表情からは、なるべく関わり合いになりたくないという心情がありありと浮かび上がっているようだった。

 

「……これでひとまずは解決したのかな?」

「……解決したんじゃない? ……たぶん」

 

 にとりを刺激しないようにこそこそと話す二人。

 無月が雛の厄に当てられないように、いつも以上に四月一日に絡み付いていた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 こうして四月一日と本来なら無関係であったはずの戦争に河城にとりの参戦が決定した。

 一部の河童の宗教嫌いは昔から噂されていたが、はからずもにとりの参戦はそれを裏付けることとなった。

 あくまでも宗教嫌いの河童による宗教家たちへの宣戦布告であったが、その裏に何があったのかはにとりと極一部の者しか知らない。すなわち、鍵山雛と幻想郷の外に住む二人の人間にしか。

 

 ええじゃないか! ええじゃないか!

 ええじゃないか! ええじゃないか!

 ええじゃないか! ええじゃないか!

 ええじゃないか! ええじゃないか!

 

 多大なる興奮と熱狂を沸き起こし、数多の信仰を生み出すことになる宗教戦争。

 狂乱の戦争の足音はすぐそこにまで迫っていた。

 

『ええじゃないか!』の波は近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ええじゃないか! ええじゃないか!

 エピローグに続く。

 ええじゃないか! ええじゃないか!


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エピローグ

前回のあらすじ。
東方心綺楼が頒布されました。



 

 

 

 

 

 陽が傾き、穏やかながらも熱のこもった日光が玄武の沢に降り注ぐ。

 世界は山吹色に染まり、どこからともなく蝉の鳴き声が轟き始めていた。

 

「河童のお酒といえば、やっぱりこれよね~」

 

 川の中程で宙に浮く直径一メートル半ほどの水鏡。

 そこに映し出されている侑子(ユウコ)は、河童の酒が手に入ったことによりご機嫌な様子だった。

 さきほどから墨書で『黄桜』と描かれた土瓶に頬ずりをしている。

 にとりから渡された河童の酒だ。

 

「それじゃあ、約束の胡瓜ももらったことだし、ここでお別れだね」

 

 沢の川岸に集まる三人と一匹。

 青々とした十本ほどの胡瓜(キュウリ)を両腕で抱える四月一日(ワタヌキ)のそばには、いつの間に元の姿に戻ったのか、管狐状態の無月(ムゲツ)が彼の首元に絡みつくように寄り添っていた。

 あれから一度河童の里に引き返した四月一日たちは、念願の胡瓜を収穫し終えてまた玄武の沢に戻ってきたのだ。そのとき瓢箪(ヒョウタン)も持って帰るつもりだったが、これ以上は容量オーバーということになり、もったいないと思いながらも他の瓢箪ともども川に流すことになった。

 瓢箪は浮き輪のようにぷかぷかと浮かんで渓谷を流れていく。

 

「本当にそれだけでいいのか、なんなら五十本でも百本でも構わないんだぞ」

 

 にとりが不思議そうな顔をするが、四月一日は苦笑いを浮かべながら遠慮を示した。

 ちなみに、にとりの衣装は青色のツナギだが、上半身部分は脱いで袖口を結んでいるため、上は黒のノースリーブ姿だった。

 

「あはは……気持ちだけもらっておくよ」

 

 ……そんなにもらっても食べきれねぇし。

 

 さすがに毎日胡瓜というのは避けたい四月一日であった。

 

「そう言うなら仕方がないか。まあ、欲しくなったらいつでも言ってくれよ」

「うん、そのときは是非」

 

 言葉の上では納得を示していたが、にとりの表情はどこか不満気な様子である。

 やはり河童にとって胡瓜は、お宝とまでは言わないが大好物ではあるらしく、それを四月一日が遠慮したことが気に入らないらしい。ならこれは、にとりなりの友好の証なのだろう。

 

「四月一日」

 

 にとりとの挨拶が終わったところで今度は(ヒナ)から呼びかけられる。

 頭にお馴染みのの赤いリボンはない。

 あらわになった紺碧色の柔らかな髪が陽の光を受けてきらきらと輝いていた。

 

「こっちに来てから、雛ちゃんには助けてもらってばっかりだったね」

 

 こちらでの時間を振り返れば、幻想郷に来てから気を失った自分を介抱してもらったり、幻想郷について教えてもらったり、河童の里まで案内してもらったり、と雛には世話になりっぱなしであった。

 雛がいなければ妖獣や妖怪に襲われたりして、侑子の使いを果たせなかったかもしれない。そう思うと雛にはいくら感謝してもし尽くせないほどだった。

 

「本当にありがとう」

 

 四月一日の感謝に雛が苦笑して応える。

 以前の雛なら、慣れていない感謝に顔を赤くしながらそっぽを向いたかもしれない。

 だが、今の雛は違う。自分や相手を見る余裕があり、笑みを浮かべることさえ可能であった。

 

「……四月一日ってそればっかりね」

「うっ」

 

 逆に、四月一日が恥ずかしそうに後頭部に手を当てた。

 事実、雛に対しては感謝してばかりだった。

 いつか何らかの形でお返ししよう、と四月一日は心に決める。

 

「このお礼はまた今度お返しするよ」

「そう。忘れてなかったら覚えておくわ」

 

 なるほど。

 つまり、忘れた時は忘れた時。積極的に覚えてはおかないが、消極的に忘れもしないということなのだろう。

 それならそれで充分だ。侑子さんに頼んでお返しできるようにしてもらうことにしよう。

 

 ……対価として何を求められるのか今から不安だけど。

 

 不意に雛は和らげていた顔を硬くし、真剣な声音で四月一日を見上げる。

 目に宿る光の名は決意。雛は決意の光をもって、まっすぐに四月一日を見つめていた。

 

「私、必ず厄神になるわ。そしたら四月一日の厄も祓ってあげる」

「うん、期待してる。雛ちゃんなら絶対、大丈夫だよ」

 

 絶対、大丈夫。

 それは、無敵の呪文。

 

「私も今度の戦争に絶対勝って、宗教家たちにぎゃふんと言わせてやる!」

「えっと……ほどほどにね」

 

 雛の決意に触発されたらしいにとりも、息巻きながら胸の前で拳を握っていた。

 その決心に呼応するように、彼女の胸元でアンティークな鍵が鈍い光を反射する。

 どうやらにとりには、思い込んだら一直線なところがあるようだ。

 何かに夢中になると周りが見えなくなってしまう。

 興味と関心。

 それが彼女の活力の源なのかもしれない。

 

「そういえば四月一日、こっちに帰る方法だけど……」

 

 頬から酒瓶を離した侑子が思い出したように言う。

 瞬間的に、四月一日は嫌な予感がした。

 こうやって侑子が改めて切り出すとたいていろくなことが起きないからだ。

 

「まっまさか、今すぐには帰れなくなったとか、そんなことじゃないっすよね?」

「違うわよ。帰るには来たときと同じで鏡の中に入ればいい。ただ……」

「ほら、やっぱりなんかあるじゃないですかー!」

「だから違うって言ってるでしょ。どれだけびびってるのよ。問題は鏡の中にどうやって入るか(・・・・・・・・)なのよ」

「……あ」

 

 鏡に視線を向け、すぐに四月一日は気づいた。

 鏡は岸から約二メートルほど離れた川の上に浮いているのだ。

 そこまでどうやって行けばいいのだろうか。

 

「……川の中に入れってことですか?」

「それでもいいけど……ほら、そばに空を飛べる子たちがいるでしょう?」

 

 薄笑いを浮かべる侑子の言葉に、二人のことかと四月一日は後ろを振り向く。

 なぜか雛とにとりがにんまりと笑っていた。

 実に邪悪な笑みだった。

 その笑みを見たことにより悪寒が全身を駆け巡るが、もう遅い。

 

「そういうことなら私たちに任せるといいよ」

「にとりの言う通りね。私たちに任せなさい」

「ちょっ、二人とも!」

 

 時すでに遅し。

 気づいた時には、四月一日の身体は地面を離れていた。

 そんな彼に侑子が楽しそうに声をかける。

 

「やっぱり両手に花ね。よっ、この色男ー!」

「そっそんなこと言ってる場合じゃ……」

 

 あたふたする四月一日だが、二人に腕を掴まれたまま水上を進み、

 

『せーのっ』

 

 掛け声とともに鏡の中へ頭から放り込まれた。

 

「ぎゃぁあああああああああああ!」

 

 突然の事態に四月一日が悲鳴を上げる。

 高速度で鏡に突っ込み、サーカスの火の輪潜りのように頭、肩、胴、腿と鏡を抜けていく。

 鏡を抜けた先は、左右の棚に色々な品が置かれた店の宝物庫だ。

 前転の体勢で落ち、木の床を盛大に転がっていく。

 

「あだっ!」

 

 開いたままの引き戸を通り、転がる四月一日の身体は床に胡瓜をばら撒きながら、廊下で仰向けに止まる。

 目を開ければ店の天井。

 ぞくりと感じた寒気。

 そして――

 

 ぱりんと。

 

 鏡にひびが入る。

 鏡台に立てられた大きな円い鏡。その全体に渡るほどの大きなひびだった。

 すでに鏡はさきほどまでの幻想郷を映してはおらず、室内で仰向けに倒れる四月一日を映していた。

 鏡が割れる一瞬に感じた寒気。あれはおそらく敵意だったのだろう。まるで余所者を追い出すために石を投げつけたような……そんな印象を四月一日は受けた。

 

「あら、見つかちゃった」

 

 だというのに、鏡のそばに立つ侑子は暢気そうにその様子を眺めていた。

 顔にあるのは余裕を持った笑みだ。

 

「……誰に、ですか?」

 

 仰向けの姿勢で、顔と目だけを向けて四月一日は尋ねる。

 果たして誰に『見つかっちゃった』のか、ひどく重要な気がしたからだ。

 今後、自分の道筋に関わってくるような大きな力を持った何か。

 知っておくべきだと自身の内側から声がする。

 これが恐ろしい何かに対する危機感だと四月一日が気づくのはまだ先のことであった。

 侑子は鏡に触れながら悠然と答える。

 

「管理人よ。幻想郷のね」

 

 幻想郷の管理人。

 鏡にひびが入ったのもその人に見つかったからなのだろうか。

 

「勝手に結界を抜けて入ったことを、怒ってるのかもしれないわね」

 

 一人納得したように侑子は言うが、四月一日には何のことかよくわからなかった。

 ただ一つ、幻想郷の管理人を怒らしたらしいことだけは伝わってきたが。

 

「……それってまずくないっすか?」

「まあね」

「まあねって…」

 

 侑子の物言いに、四月一日は身体を起こして呆れたような視線を向けた。 

 侑子は気にせずに言葉を紡ぐ。

 

「幻想郷は彼女の庭だもの。彼女があることのために用意した箱庭なの」

「箱庭……?」

「そう。願いを叶えるために、ね」

 

 その声はどこか憐憫を感じさせる声音だった。

 

 ……もしかして、侑子さんがこの店を作ったのも何か願いがあるからなのだろうか。

 

 幻想郷が作られた理由。

 この店が作られた理由。

 二つの中身は似ているような気がして、四月一日は何となくそんな風に思ったのだった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 モロキュー。

 胡瓜にもろみ味噌をつけて食べる料理、または食べ方である。

 

「ふぅー、やっぱりモロキューには日本酒よねー」

 

 店の縁側。

 月が望めるこの場所で、着物姿の侑子と四月一日は晩酌となるモロキューを楽しんでいた。

 夜空は赤紫から黒へと変わるグラデーション。三日月の近くで一番星が宝石のようにきらめいている。

 時刻は午後七時を回ったところだが、外はまだかすかに明るかった。

 全身黒色の耳長い丸っこい生き物が酒の入った硝子コップを一気に仰ぐ。

 

「四月一日、お前も飲めー」

「俺は、酒は苦手だからいいんだよ」

 

 黒い生き物の名前はモコナ=モドキ。この店に住まう住人の一人である。

 二人と一匹の前には三つの円いお盆。中には、皿に乗せられた半分に切られた数本の胡瓜と小皿に盛られたもろみ味噌、それから透明な液体が注がれた硝子のコップが置かれていた。

 コップの中の氷が酒を冷やし、コップの表面には小さな水滴がたくさん浮かんでいる。

 四月一日は、胡瓜をもろみ味噌に付けてはシャキシャキとかじる。

 胡瓜の水分ともろみ味噌の塩分がほどよく調和し、もろみの風味も快く鼻腔をくすぐっていた。あっさりとした中にあるまったりとした食感。まさに初夏にぴったりの舌触りであった。

 皆の中央では河童からもらった酒瓶がその存在を堂々と主張している。

 

「そういえば、気になることがあるんですけど……」

 

 酒瓶を取り、四月一日は幻想郷での一場面を思い出しながら侑子の空いたコップにお酌した。

 並々と注ぎ、また中央に置く。

 

「何かしら?」

 

 酒で満たされたコップを持ち、流し目で侑子が聞き返した。

 

「幻想郷の河童の里で、胡瓜を分けてもらう条件として瓢箪の片付けを頼まれたんですけど、なんでにとりちゃんはそれを条件にしたのかなって……」

 

 自身で収穫した胡瓜を見つめ、四月一日は疑問に思う。

 祠を囲む十数本ほどの瓢箪。

 あれぐらいの量なら一人でも片付けることができたのではないだろうか。

 侑子は酒を一口飲み、胡瓜を人差し指と親指でつまむ。

 

「胡瓜は河童の好物だけど、反対に瓢箪は苦手なのよ」

「瓢箪がですか?」

「ええそうよ。瓢箪は水に浮かぶでしょ?」

「それが何の関係があるんすか?」

 

 四月一日の問いに、侑子は当たり前のように答える。

 

「水に浮かぶと人を沈められないでしょ?」

「……え?」

「だから苦手意識を持つようになったんでしょうね」

 

 それ以上は言及しようとはしなかった。

 だから、四月一日もまた深追いを避けた。

 侑子が言わないということは、これ以上は聞かないほうがいいということなのだろう。

 侑子は四月一日が本当に聞きたいことは話してくれるし、言わないでいいことは黙っていてくれる。

 つまり、そういうことなのであった。

 

「敵味方なんてのはね、立ち位置一つで簡単に変わっちゃうものなのよ」

「はぁ……まあ何となくわかる気がします」

 

 自分の横に並び立つのか。

 自分の前に立ち塞がるのか。

 結局のところ、敵味方などそのわずかな違いでしかないのだろう。

 河童は人間の盟友、と謳ったにとり。

 自分は人間の味方、と言い切った雛。

 だが、妖怪はその本質として人間を食べるという。

 

「気になるみたいね。雛ちゃんとにとりちゃんのこと」

 

 四月一日の心を見透かしたように侑子は微笑む。

 もしかしたら自分の心情を酒の(サカナ)にしているのかもしれない。

 

「河童と流し雛は、元は人間が作った人形でもあるの」

「人形……?」

「人の形を模したモノに妖怪という性質を流し込んだ結果、雛ちゃんやにとりちゃんが生まれたの」

 

 それゆえ、妖怪でありながら人間の側に立とうとする。

 大いなる矛盾を抱えながらも、その矛盾こそが流し雛と河童を作り上げたのだろうか。

 

「雛ちゃんとにとりちゃんのこと、怖くなった?」

 

 優しい声音で侑子が気遣う。

 四月一日は首を振った。

 

「いえ。俺にとって、二人は敵でも味方でもなく――友達ですから」

「……そうね。二人に言えば、きっと喜ぶわよ」

「はは、そうっすかね」

「ええ、きっと」

 

 夜空を見上げ、侑子は自信たっぷりに頷く。

 四月一日もつられるように夜の空を見やり、そうだといいなと心から願った。

 耳を澄ますように、目を閉じる。

 

(サカズキ)を酌み交わしたら友達、っていう鬼の言葉の通りだと思った』

 

 不意に、脳裏に流れたにとりの声。

 四月一日は酒瓶を取ろうとするが静かに首を振る侑子に制され、そのままお酌してもらうことになった。

 お酌をする侑子はすべてを察したように何も言わない。

 その心遣いが実に有り難かった。

 

「ありがとうございます」

 

 四月一日は礼を述べると、苦手なはずのお酒にゆっくりと口を付けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。
 次はあとがき&解説の予定です。

 それと余談ですが、心綺楼でのにとりがやばすぎます(笑)
 おかげでますます好きになりました。


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あとがき&解説

1、はじめに

 

 プロローグ1話、本編7話、エピローグ1話の計9話で構成される本作『xxxHOLiC・幻』ですが、多数の作品の中から当方の作品をお読み頂き、誠にありがとうございました。作中、至らぬ点が多くあったとは思いますが興味を持ってページを開いて頂いたことが何よりの喜びでございます。

 

 

2、執筆のきっかけ

 

 そもそも本作を描くに至ったきっかけは、xxxHOLiC(以下、ホリック)と東方Project(以下、東方)って似てるよなあ……と漠然と思ったのが始まりです。侑子さんと紫んって立ち位置とか似てるよね、特にゆかりんの声は自分の中では大原さやかさんボイスで再生されるし、などとその共通点は主に以下の点に集約されます。

 

 A、妖怪などの人外が少女の姿で描かれる

 B、魔法や魔術が存在する

 C、民俗学ネタ

 D、管理人の存在(壱原侑子と八雲紫)

 

 これだけ似てるならクロスオーバーSSの一つや二つあるだろうと思い、広大なネットの海をサルベージしてみたのですが、如何せん私の探索能力では一つも見つけることができませんでした。それなら自分で描こうと思い、この度、筆を取り、キーボードを叩いた次第です。

 

 

3、プロットの作成

 

 話を考えるに辺り、ホリックに倣うことにしました。すなわち、四月一日が赴くか、東方キャラが侑子の店を訪れるか。四月一日が原作でたびたびお使いに行かされていることもあり、すぐに前者に決まりました。

 何かをどこかに取りに行く。にとりってかわいいよね。人間の盟友だしね。河童のアジトに行かせたいね。河童といえば胡瓜だね。となると、侑子さんが河童の胡瓜を食べたくなったので四月一日を幻想郷へ送り込んだ……こんな感じで基本骨子が決まっていきました。

 メインの登場人物の数はなるべく少なくしたほうが混乱しないと思い(私が)、ホリック側からは四月一日と侑子さん、東方側からは雛とにとりに固定することにしました。プロローグでモコナが出なかったのもそのためなのですが、まったく出ないのもおかしいと思い、エピローグで顔を出してもらうことになりました。

 

 

4、鍵山雛(さすがに夏場にブーツはきつい)

 

 話の大枠は決まったのですが、行って取って返って来るだけでは味気ないと思い、何らかのトラブルに巻き込まれてもらうことにしました。

 それと幻想郷についての説明役。誰がいいだろう……にとりと関係のある妖怪の山に住む存在……雛だ! もちろん原作ではそのような描写はまったくないのですが、そこは二次創作ということもあり、ベタといえばベタですが雛の厄に絡んだ問題を解決してもらうことになりました。

 雛の厄神問題。

 雛が実は神格ではなく妖怪だったというある種の一発ネタです。この辺りはホリックの影響で、何かどんでん返しを仕掛けられたなあ、という願望によりこのようになった次第であります。ミステリー小説っぽくしたかったということもありますが。

 感想欄でもコメントさせて頂いたのですが、厄をため込む雛人形が素体である雛の本質は『ため込む』ことだと考えられます。厄だけではなくストレスや感情もため込んでしまいます。そのため、早めににとりに思いを打ち明けておけば別の結末になっていたのかもしれませんね。

 

 

5、河城にとり(ツナギ姿は伏線だったのだ)

 

 四月一日が胡瓜を手に入れるためのキーとなる人物。それがにとりです。四月一日が瓢箪の片付けという対価を払うことによって胡瓜を手に入れる。または雛との問題に四月一日を巻き込む。そのために必要な存在でした。

 河童の里という表記に関してはすでに本編のあとがきで述べましたの割愛するとして、モブ河童たちは茨歌仙ネタです。河童はにとりだけではない、と河童の里の奥行を出すのが目的でした。

 そして、特筆すべきは連載中にもたらされてしまった『東方心綺楼でにとりが自機決定!』の報。まさかのにとり、と思わず草を生やして笑ってしまいました(笑)

 それで例大祭の前日に第7話を描いている最中に、せっかくだから心綺楼につなげよう、と当初の予定を変更して本編のような結果になったわけです。ミュージシャンっぽく言えばライブ感を大切にしたかった、または役者っぽく言えばアドリブを大事にしたかった、などといかようにも言えますが、要するに例大祭だけにお祭りのノリでした。

 ええじゃないか! ええじゃないか!

 当初の予定では、光学迷彩スーツを対価にスーツの作成にかかった時間の分だけ雛の厄を引き受けてくれる身代わりの河童ぬいぐるみがもらえることになっていました。スーツは河童の証なので河童の輪からも外れてしまうという、少し悲しい結末ですね。それを考えると明るく終わった、宗教戦争に参加決定オチでよかったのかもしれません。

 ちなみに河童の里で出てきた土蔵ですが、中には尻子玉が蓄えられています。後から店でそれを知った四月一日からも恐れられるという後味の悪い結末になりそうだったので作中では言及しないことにしました。

 あと河童は瓢箪の他に刃物も苦手らしいです。ですので、最初は瓢箪の代わりに日本刀が祠の周囲に取り囲むように刺さってるという設定にしようと思ったのですが、刃物が苦手でどうやって金属を加工するんだろう、ということで本編でのように瓢箪に変更となりました。どちらかというと日本刀よりは瓢箪などの植物の方がホリックっぽいかもしれません。

 

 

6、四月一日君尋(永遠のツッコミ役)

 

 一応、本編の主人公。ワトソンくんでもあり、彼の目線で物語は進みます。それなら一人称視点の文体でもよかったかもしれませんが、四月一日本人も気づいていない情報や雛の一人称描写などを出したかったので三人称視点の練習も兼ねて三人称視点文体にしました。ただ、雛の一人称視点による自分語りシーンはまとまりが無くなりそうだったのでカットしましたが。

 それで描いている途中に気づいたことなのですが、大声でツッコミ入れてばかりのイメージがある四月一日って初対面の人相手にはけっこう礼儀正しいんですよね。これが思わぬ盲点でした。幻想郷にいてももっとにぎやかな会話になると思っていたのですが、まるで年下の少女や同級生の女の子を相手にするかのように普通。にとりがノリッツコミを入れたりしていたのもこのためです。四月一日では駄目だと賑やかし役を演じてもらいました。

 また、雛とにとりに対する呼称ですが、雛の場合は年下の少女っぽい外見であることに加え、同級生の九軒ひまわりを重ねているため、名前にちゃん付け呼びとなりました。にとりの場合は、同級生の女の子っぽい印象だったので名字にさん付けで呼んでいます。

 それと無月が付いて来たのは四月一日一人では危険だったからです。モコナが同行すると会話がにぎやかになりすぎる予感がしたので、九尾モードという戦闘力を持ち、尚且喋らない無月に付き添ってもらうことになりました。

 

 

7、壱原侑子(本日の憑き物落とし)

 

 今回の物語の発端となる人物です。すべては必然だから、の一言で全部持っていってしまいます。ミステリー小説における探偵ポジション、ホームズ役です。

 着物を紺の生地に白の巴模様と指定したのにも意味があって、紺=海、巴=渦で、厄が行き着く海原を表しており、厄を飲み込むという意味、というか効果があります。つまり、鏡越しとはいえ、雛の厄に当てられないようにするための魔除けですね。まさに厄除け。

 あと鏡を割られてしまいました。だって流し雛に厄神になる方法を教えたりと好き勝手やったわけですから、幻想郷の管理人からすれば「え? 何勝手に厄神になるよう勧めてるの?」状態です。怒ってるかもしれません。だとしたら「怒」の感情の有無が二人の違いなのかもしれません。

 

 

8、雛の神格化について

 

 雛の神格化について妖怪と神の違いから見ていきたいのですが、二つの違いは、人間に恐れられるのが妖怪で奉られるのが神だと私は考えているのですが、両者は明確に分かれているのかといえばそうではありません。長い年月の間に、妖怪が神になる場合もありますし、神が妖怪になる場合もあります。

 日本民俗学の祖である柳田國男は妖怪は神が落ちぶれた姿であると述べましたが、これに対し、同じく民俗学者である小松和彦は夜刀の神を例に、神が妖怪になる場合もあれば、妖怪が神になる場合もあるといわゆる可逆性を認め、柳田氏の説を否定しています。

 デジモンみたいですね。○○モン、妖怪モード! 神様モード! みたいな。

 本作では妖怪も神になれるという小松氏の説を採用しております。柳田氏は河童を水神が零落した姿と捉えていましたが、これに小松氏の説を取り入れれば、にとりは水神になることができる可能性を有しているわけです。水神・河城にとり! ……なんかすげえ大物になった感じがします。ちなみに射命丸文の場合は神格化すると天狗だけに山の神、お燐の場合は火の神といった感じですかね。 

 

 

9、おわりに

 

 文章力の問題などは今後の課題とするとして、とりあえず『xxxHOLiC・幻』はここでひとまず終わりです。また何か話を思いついたら上げていくつもりですので、お暇な時にでもお目通し頂けたら幸いでございます。

 それでは、繰り返しになりますが、ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 




参考文献:大野桂(1994)『河童の研究』三一書房


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