君の、名前は・・・? (時斗)
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いつか見た夢の記憶
第1話


「前にも言ったけどさ……私に何も言いたい事が無いんなら黙ってろよ」

 

 遠まわしに自分の陰口をたたいていたイケてるクラスタに属するらしい3人にそう言って黙らせると、こちらを注目していたクラスメートに向かって何でもないからと言って緊張感が漂っていた教室の雰囲気がふっと軽くなる。それを見届けると俺は何処か怯えたような様子でこちらを伺っている3人には目もくれず自分の席へと戻る。

 

(全く、三葉もどうして黙ってるんだか)

 

 そう、この身体の持ち主である宮水三葉に心の中で愚痴る。俺、立花瀧は本来は東京都新宿区若葉に住む男子高校生だ。なのに今は岐阜県Z郡糸守町に住む女子高生の宮水三葉に人格が憑依されてる状態である。最も瀧が三葉になっている時は瀧の身体に三葉が憑依しているらしい。いわゆる入れ替わり現象が起こっている訳だが、原因は不明で、眠る事がトリガーとなって週に2日か3日、このようにお互いの身体に意識だけが入れ替わってしまうのだ。

 

(まあ、アイツも色々立場はあるんだろうけどな)

 

 最初は戸惑っていたこの入れ替わり現象だったが、ある程度回数をこなした事で、三葉を囲う状況らしいものも解ってきた。どうも三葉はこの町の伝統ある神社の子で巫女という立場にあるらしい。それもバイトが破魔矢を売っているようなものではなく、神事みたいな事もこなす本格的な巫女。さらにこの宮水神社がこの町の住民にどうも強い影響力も持っているのに加えて父親が町長であり、三葉本人が知らなくても町の住人が三葉を知っているという状況にあるらしい。

 さっきの連中もその三葉の状況が気に入らないようで陰口を叩いているらしい。まあ瀧自身そういうものを無視できるような人間じゃないので、先程のように強引に黙らせたのだが、なんとなくイライラする。

 

「三葉っ!」

 

 その声とともに早耶香にペシッと太ももを叩かれる。どうも考え事をしてる内にまた足を崩して座っていたようだ。

 

「またなん?この前注意したばかりやろ?いつもはちゃんとしとるんに……」

「ああ……。ゴメン、サヤちん……」

 

 このサヤちん、名取早耶香は三葉の親友らしい。彼女が気にしてくれているから俺は色々助かっている。特に入れ替われるか試すために居眠りとかして取っていなかったノートを写させてもらった時は本当に助かった。そしてもう一人。

 

「なんや、また今日は≪狐憑き≫か?三葉」

「またオカルト?アンタも好きやね、テッシー……」

 

 そう言って現れたのがテッシーこと勅使河原克彦だ。若干オカルトマニアっぽいところがあるが、基本いい奴でこいつとは立花瀧として会ってみたいとも思っている。先日は一緒にオープンカフェを作るために一緒に作業もした。あの時も思ったが、いつか時期がくればこの二人にはこの入れ替わりの事を話そうかと思っている。

 

「あの、宮水。ちょっとええか?」

 

 そんな時、ふと声を掛けられる。多分クラスメートだと思うが、名前は覚えてない。

 

「ん……、なに?」

「後でちょっと校舎裏に来てほしいんやけど……」

「……わかった」

 

 そう言うとソイツは席を離れていく。まあ多分アレだろう。面倒くさいが仕方ない……。

 

 

 

 

 

「宮水っ!俺と付きおうてくれっ!!」

 

 そう言いながらラブレターを差し出してくる。瀧は内心またか、と思いながら差し出してくるソレを片手で受け取る。

 

「……ん、考えとく」

「じ、じゃあ後で返事くれやっ」

 

 それだけ言うと走り去っていく。それと同時に隠れていたテッシーとサヤちんが出てきた。

 

「マジでお前、最近よう告白されとんな~。これで何人目や?」

「うーん。数えてない」

 

 むしろ数える気も起きない。そもそも入れ替わる前から度々告白されてたっていうならわかるが、2人の話を聞く限りは告白されてたって話は知らないらしい。となると俺と入れ替わりが起きる様になってからこんな事が度々起こるようになったという事だ。

 

「このところの三葉は男らしいっていうか、人が変わったようにさばさばしとるしなぁ」

 

 今日みたいにね、とサヤちんが言う。まあ人が変わったようにではなく、本当に変わっているんだから普段と違うのは当たり前だ。瀧自身、意識してないと演技が出来ていない事もあり、普段の三葉とあまりにもかけ離れているんだろう。それにしても、とも思う。

 

(なんで俺が入れ替わったくらいで、何で急に三葉に告白だの、ラブレターだのが増えるんだよ……)

 

 最初こそ三葉に俺に人生預けた方がモテるだろ、だの言ってはいたが、ここまでくると流石にウンザリしてくる。そもそも三葉のスペックはいいわけだし、モテる要素というのはあったんだろうが、それならば今まで他の奴らは三葉の何を見ていたんだ、と思ってしまう。

 

(コイツはいきなり人を変態呼ばわりしたり、散財したり、初めてでいきなり俺のバイト先に行って色々やらかしながらも一通り業務をこなして帰ってくるようなファンキーな奴だけど、本当に面白い奴なんだぜ)

 

 入れ替わってる立場上直接当人と会った事はないが、メモアプリを見る限り所々抜けてて、阿呆なところがある。それでいて理不尽な事も言って来るが、基本的に三葉は真面目で一生懸命だ。だからこそバイト先で色々と失敗してても、奥寺先輩を始め、周りがちゃんとフォローしてくれていると自分がいつもと違うかった話として司達から聞いたことがある。もし俺が同じ状況で同じ失敗をしたら、おそらく上手くいかなかっただろう。それでいて三葉は瀧の人間関係をかき回したり散財こそしてくれるが、絶対にしてほしくない事はやらない。だからこそ、心の底では瀧は三葉を信頼しているのだ。今でもメモアプリで色々口論をしてはいるが、正直アイツとこういう事を言い合えるを楽しく思っている自分がいる事も理解している。

 その三葉がこうやって、他の男から告白されたりラブレターを貰ったりするのは正直面白くないし、なんかイライラする。その思いが何処から来るのかはわからないが、なんとなく気に入らない。

 

「それでどうするんや、三葉。つきあうんか?」

「いや、全くその気はないんだけど」

「だったらなんでさっき断らなかったん?」

「んー、ただ勝手に答えるのはやっぱ悪いというか……」

 

 いくら気に入らないからって三葉宛の告白を瀧の方で勝手に断るのはなんか躊躇われる。

 

「悪いって……誰に?」

「私に」

「「は?」」

 

 そう答えると二人からおもいっきり怪訝な顔をされた。

 

 

 

 

 

「ん……?あれは…四葉?」

 

 学校が終わり家に帰る途中、ふと三葉の妹である四葉の姿を見かける。よく見てみると蹲っているみたいだが…

 

「四葉ー!」

「あ……お姉ちゃん……」

 

 四葉のところに行って見ると怪我をしていた。どうも転んでしまったらしい。

 

「立てる?」

「うん、大丈夫やよ」

 

 そう言っているが、どうも痛くて立てないらしい。見かねた俺は四葉の前で屈む。

 

「乗りなよ」

「ええよ、恥ずかしいっ!」

「立てないんだろ、こんな時に遠慮すんなよ」

「……うん」

 

 観念したのか、四葉小さく呟くと背中に身を預けてくる。よっと声を上げて四葉をおんぶすると家に向かって歩いていく。

 

「……お姉ちゃんってたまに人が変わったようになるね」

「えっ?」

「なんや男らしいっていうか、頼もしいっていうか……」

 

 瀧はまさかバレたんじゃないかとヒヤヒヤしたが、四葉の言葉を聞いてふと考える。妹なら三葉の普段を知っているのではないのか。

 

「普段の俺……、私ってどんなカンジなの?」

「……なんやまた変なこと聞くなあ、自分の事やろ?」

「ま、まあそうだけど、妹から観たらどうなのかなって思ってさ!」

「えー……、まあたまに変なとこもあるけど、ええお姉ちゃんやと思っとるよ?」

「うーん、そういうのじゃなくて、なんというか…ちょっと抜けてるとか阿呆なところがあるとか……」

「……そういうん自分で言ってて恥ずかしくならん?」

 

 なんか背後で四葉が自分を可哀想なものを見る目になってる気がする。瀧としては三葉が日常どんな風に過ごしているのかを知りたかっただけなのだが……。

 

「それより今日は組紐編む日なんけど、またわからんとか言わんよね?」

「……全くわかりません」

「ええっ、またあ?!」

 

 ……何回入れ替わってもあの組紐作りだけは出来る気がしない。あんな複雑な作業は見よう見真似で出来るようなものではないし、自分もボロを出さないように初日以外は基本的に見るだけに留めている。ちなみに組紐を編む日は着物を着て行なう様だが、着物を着付けることが出来ないので今では制服姿のまま参加している。今日もそうなるだろう。

 

「四葉ちゃん…、また教えて…」

「ちゃん~?……どしたん、お姉ちゃん……。いつもちゃんとやっとる事やん……」

「アイスおごるから」

「ほんと!?いいの!?ハーゲン!?」

「うん、ハーゲンでいいから」

「やったー!じゃあはよ買って~!」

 

 ……まあアイツも普段好き勝手に散財してるし、アイツの分も買っておけばいいか。そう思いつつ四葉を背負ってこの町唯一のコンビニへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧!2番テーブル、早く行って来いっ!!」

「は、はい!ただいま~」

 

 ここはイタリアンレストラン『IL GIARDINO DELLE PAROLE』。とてもお洒落で敷居の高そうなお店なんだけど、私、宮水三葉は今、滝くんとして働いている。これだけだと何を言っているのかわからないと思うけど、正直私もなんでこんな事になっているかわからない。9月になってからだろうか、もう何回も体験している事だけど田舎の糸守町に住む私と、東京に住む立花瀧くんと定期的に入れ替わる現象に見舞われていた。入れ替わるといっても意識のみで、姿は変わらない。だけど入れ替わっている間は勝手の知らない相手の身体で過ごさなければならない。

そして私は最初に話したとおり、滝くんの入れたバイト先で仕事しているという訳なんだけど……。

 

(もー、滝くんバイト入れすぎだよ~!折角東京にいるのに毎回毎回バイトってなんなん!?)

 

 いくら私が色々お金を使ってるといっても、バイト入れすぎでしょ!?私が滝くんになった日のほとんどがバイトってどういう事!?ほんとにあの男はッ!!そんな事を思いながら必死になってあっちいったりこっちいったりと縦横無尽している。最初は戸惑いだらけだったけど、漸く最近は少し勝手がわかってきたのかなんとかこなせる様になってきた。最も……、

 

「瀧!1番テーブルじゃない!!2番テーブルだって言っただろう!?」

「えっ!?あ……、す、すみません!!」

 

 ……失敗をしなくなった訳じゃないんだけど。あーんもう、早く終わって~!!

 

 

 

 

 

「それにしても、よくあれだけですんだよな~」

「?何か言った?」

 

 ようやく休憩時間になり、一緒にバイトに出てた司くんと高木くんで寛いでいた所に、何か話しかけられてたみたい。

 

「いやほらさ、お前さっき小林さんに注意されてただろ。あの人、注意し出すと止まらなくなるじゃん?前にお前やらかした時、20分くらい怒られてなかったか?」

「えっ?そうなの??」

 

 20分も怒られるの!?さっき私が間違ったのを咎められた時、謝ったら「もういい、次は気を付けろ」で終わったんだけど……。

 

「……まあ今日の瀧を見てたら、な。流石のあの人もあまり言えなくなったんだろ」

「えっ?どういう事やさ、司くん?」

「あぁ、成る程な……」

 

 高木くんは原因がわかったみたいだけど、私にはさっぱりわからない。え?何で??

 

「なんていうか……、今日の瀧は一生懸命っていうかさ、怒りづらかったんだと思うよ」

「うーん、まあ怒られんかったんはええけど……」

「まあ今日はかわいい日でよかったな」

「は、はあ!?な、なんよ?かわいい日って!?」

「あー気にするな、たとえだ、たとえ」

 

 妙な事を言った高木くんに追求するも簡単にかわされてしまう。……私って上手く瀧くんになりきれてないのかな……?そりゃあ今瀧くんの中にいるのは私だししょうがないかもしれないけど……。そもそも私は女の子だし、はばかりながらこれでも由緒ある巫女だし、男の子になりきるというのは無理がある。瀧くんも私の身体でいつもいつもやらかしてくれるけど、まあ滝くんも男の子だし女子の事がわからないのもある意味では仕方ない。…それでも私や女子の着替えみたり、この間のようにブラジャー使ってなんかやってたような変態行為を許すつもりはないけど。

 

「普段からそんな風なら先輩達にも睨まれなくてすむんじゃないか?」

「ええ~、わた、俺って普段そんなに睨まれとるん?」

「気付いてないのか?ほら、奥寺先輩の件だよ」

「最近とても仲いいじゃん?ウチのマドンナだからな、奥寺先輩は」

「あ、ああ、そういう事……」

 

 嫉妬って事ね。でも私の時は直接言われた事は無いし、例の私の所の3人みたいな陰口も聞いた事は無いけど……。瀧くんの時は色々言われてるのかな……?瀧くん、すぐあつくなる性格みたいだし喧嘩してないといいけど。それにしても、と私は思う。

 普段私は学校でも基本的に司くん達と一緒にいる事にしている。最初は普段の瀧くんを知ってる人とずっと行動してたらいろいろ不味いのではないかと思っていたけど、すぐに杞憂だったとわかった。司くんは知的で冷静沈着、周りがよく見えていて細かな心配りもできるし、高木くんは大柄で一見体育会系の人と見間違うけれど、とても親切でそれでいて繊細な一面も持っている。私の知ってる男子って言ったらテッシーくらいだけど、東京の男子っていうのはこんなにもスマートで優しくて紳士なのかって思うくらいいい人達だった。そして二人とも共通して世話焼きなところがあり、私はいつもそこに甘えてしまっている。二人とも時々普段の瀧くんじゃないとわかっているみたいだけど、それも滝くんのあまり見せない個性の一つだろうと捉えてくれてるのだろう。それどころか結構血気盛んらしい普段の瀧くんにもこんな一面もあるのかとむしろ好意的に解釈してるみたいだし。

 

「そんな感じであの奥寺先輩とも仲良くなったんだろ?最初お前が一緒に帰ったって聞いた時は耳を疑ったけどな」

「正直憧れの人で終わると思ってたしね。お疲れ様です以上な事を言える甲斐性が瀧にあったとは思わなかったよ」

「あはは……、なんよそれ」

「最近は学校の女子とも結構話してるだろ?今までのお前を見てたら考えられなかったぜ」

「お前、顔はいいけどそういう事は苦手なタイプだっただろ?瀧は」

 

 そうなんだ~。この前は「俺はいないんじゃなくて作らないの!」なんて強がってたけど、やっぱりね!それはそうだ。女の子の気持ちが全然わかってないんだもん、瀧くんは。もしそういう気配りができるなら、彼女の一人いてもおかしくないのに。でも……、おかしかったけど心のどこかでホッと安心している私もいる。何故そんな気持ちになったのかはわからないけど……。

 

「ほら~、君達~!そろそろ休憩は終わりだぞ~」

 

 そんな時、休憩していた私達のところにウェーブがかかった長い髪が印象的なこの店の、そして私にとってのアイドルでもある奥寺先輩が入ってくる。

 

「あ!奥寺せんぱーい!」

 

 大好きな奥寺先輩の元に駆け寄る。まるで美女のお手本のような洗練された奥寺先輩。笑顔がとてもチャーミングで、この人と話すのは本当に楽しい。東京生活の中でも先輩といるのは1、2を争うくらい私にとって大切な事となっている。

 

「お疲れ様です、奥寺先輩!」

「お疲れ様。瀧君、ちょっと見て欲しいものがあるんだー」

「わあー、新作のパンケーキやぁー!」

「すごいでしょ?この前出来たばかりのカフェでさぁ~」

「……カンペキ女子の会話だな」

「……ああ、まあ瀧が接点となって俺達も奥寺先輩と仲良くなった訳だけどね…」

 

 後ろで司くん達が何か言ってる気もするけど、今の私は奥寺先輩との話で頭がいっぱいだ。

 

「今日もお茶して帰ろっか?司くんや高木くんもどう?今日はお姉さんが奢ってあげるよ?」

「マジっすか!?ぜひお供させて頂きます!!」

「いいんですか?俺達も……」

「君達はかわいい後輩だからね。で、どうかな?司くん」

「じゃあお言葉に甘えて……」

 

 今日は司くん達も参加やね。よし、そうと決まれば早くバイトを終わらせんと……!

 

「んー、休憩終わりや!司くん、高木くん、二人ともはよ行くやさ!」

「はいはい。……また訛ってるし……」

「ま、瀧がこうなのは今日に始まった話じゃないしな……」

 

 駆け出した私を追うように、遅れて司くんたちもやってくる。仕事に戻る私。また失敗しながらもなんとかやり過ごしながらこなしていく。この後の楽しみの為に―――

 こうして今日も私は瀧くんで東京生活をめいっぱい満喫していった。

 



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第2話

「……今日は私、か……」

 

 朝、いつもの私の身体で目が覚める。昨日は確か瀧くんで、バイト帰りに奥寺先輩と司くん、高木くんでお茶して帰ったんだっけ……。またまた奥寺先輩に奢って貰っちゃったんだった。曖昧だけど、なんとなく覚えている。目覚めると入れ替わりの記憶がすぐに不鮮明になっていた最初の頃と比べて、今ではぼんやりと夢での記憶がキープできるようになってきた。少しこの入れ替わりに自分が慣れてきたのだろう。自分の身体に見知らぬ男子の意識が入れ替わっていると最初に自覚した時は嫌悪感しか沸かなかったこの現象にも心が受け入れてきてるとも感じてきている。それは立花瀧という人物が基本的にまっすぐな人物で、周りの人物からの話を聞いてなんとなく彼の事がわかってきたからだ。多分だけど心の底では私は彼を信頼している。

 

「さて、昨日の瀧くんは何をやってくれたんかな……?」

 

 また私の身体で何かやらかしていないだろうか?おそるおそる瀧くんが残してくれたメモを確認する。

 

『例の3人がまた何か言ってたから黙らせといた。前にも言ったと思うが、自分がガツンと言わないとああいう奴らはつけあがるだけだぞ。あー、思い出しただけでもムカつく!

あと、またラブレター。♂から。考えとくって言っといたから返事よろしく。全く罪な俺。「作らないの!」とか強がってたけど、俺が代わりに作ってやろうか?多分俺がお前なら選び放題だぜ?

最後に、夜にまたばあちゃんとの組紐作りがあったんだけど……、やっぱ俺には無理だ』

 

「…………ほう」

 

 なるほど、またずいぶん色々やってくれたらしい。例の3人とは、あの3人だろう。彼らは私のクラスの中では派手系イケてるヒエラルキーに属する人たちだ。だから地味なのに糸森町のほとんどが氏子である宮水神社の跡取り娘で、しかも町長の子供でもある私の事が気に入らないんだろう。黙ってたらつけあがるだけだと言っても、中途半端に言い返したのでは彼らの思う壺だ。瀧くんみたいにビビらせる事が出来るなら別だが、実際私の今の現状を考えたら無視するのが一番。私はそのように考えているんだけど、瀧くんにはそれがわからないらしい。まあ瀧くんはこの町の住人じゃないし、氏子だなんだと言っても理解できないだろうから仕方が無い。聞くところによると瀧くん自身、結構正義感が強くて喧嘩っ早いタイプのようだし虐めや陰口といった事が許せないんだろう。…まあ私の身体でやらないで欲しいという思いはあるけど。

 問題は次の一行。またあの男、勝手にラブレター貰ったの!?それも考えとくですって!?しかもナニコレ、私を煽ってるの……?……ムカつく、……ムカつく、ムカつくムカつくムカつくムカつくーっ!!!あんの自惚れ屋め、そんな風に女の子の気持ちがわからないから彼女もおらんのよ!!あー、ホントにどうしてくれようか……、ん?

 

「……」

 

 ふと視線を感じてそちらを振り向くと、四葉がふすまの隙間から顔を出してこちらを伺っていた。

 

「な、なんよ?四葉」

「……今日は普通やな。おっぱいも揉んどらんし」

 

 ……あの男、まさかとは思うけど入れ替わるたびに私の胸揉んでるんじゃないでしょうね…?再びムカムカしてきた私に四葉が「ご飯できたからはよ来ない!」そう言ってふすまをピシャリと閉めていった。

 

 

 

 

 

「みーつはー!」

 

 背中にかけられた声に振り向くと、自転車を漕ぐテッシーとその荷台に腰掛けたサヤちんが私に手をふっている。相変わらず仲ええなぁ、そんな風に思ってると私の隣までやってきた。

 

「おっはよー!」

「ようっ!」

「……おはよう」

 

 やってしまった。朝からあんな事があり、機嫌が著しく悪かった私は二人に対してもついそんな愛想の欠片もない挨拶になってしまった。当然二人からそんな私を心配するような視線を感じる。

 

「なんや、三葉。今日はやけん機嫌悪いなぁ」

「別に今日は髪もちゃんとしとるし≪狐憑き≫でもないだろうに」

「……なんよ、それ」

 

 そういえばあの男はいつも私の髪を頭の上でひとくくりにくくってポニーテールのようにしてるらしい。一度ちゃんと結ぶように伝えたのだが、返ってきた返答は「めんどくさい」だった。いけない、思い出したらまた腹が立ってきた……!

 

「でも本当にどうしたん?また何かあったん?」

「ゴメン、サヤちん……。何でもないんよ。ただ、腹が立っとるだけやから」

「……誰にそんな腹立てとんのや」

「私に」

「「は?」」

 

 私の返答にテッシーとサヤちんがハモる。

 

「昨日も訳のわからん事言っとったに。今日もまた一段とわからんなぁ」

「……昨日の私が何言っとったかは私も知らんで」

 

 テッシーの言葉を受けて私は小声でボソッと呟く。2人は瀧くんの事を知らないからわからないのも当然だ。

 

「まるで三葉の中にもう一人の三葉がおるみたいや」

「なんやそれ?」

 

 サヤちん、おしい。案外オカルトの才能あるんじゃないのだろうか。やっぱりテッシーとはお似合いだと思う。

 

 

 

 

 

「おー、宮水。おはよう」

「おはよー三葉!今日のバスケでもよろしくね!」

「あっ、宮水さん。おはよう」

 

 最近、今まであまり話さなかった子たちからこんな風に話しかけられる。なんというか…前より好意的になってくれる人が増えた気がする。多分、瀧くんの影響なんだろう。ただ……、その人たちが見てるのは『宮水三葉』ではなく、『宮水三葉の姿をした瀧くん』だ。だから……私にはわからない。瀧くんを私だと思っている人たちに何て返せばいいのか……。

 

「みっさん、おはようございます!」

「ビリー・ジーンやって~!」

「ええッ!?」

 

 考えてる傍から後輩の女の子たちにそんな事を言われる。なんよそれ!?なんて返せばいいんよ!?いきなりの無茶振りに困っていると、

 

「なんか今日はあまり反応がないなあ…」

「宮水先輩、またこの間のやつ、やってくれませんか……?」

 

 これは例のマイケルか……?マイケルなのか……!?おのれ、瀧くん……!ホントに呪ってやるか、あの男はー……!!

 

「あー、今日はちょっと気分やないから……。また今度な?」

「えー、しょうがないな~」

「きっとですよー」

 

 そう言って後輩の子たちが一礼して去っていき、入れ違いに今まで遠巻きに見てたテッシーたちがやってくる。

 

「三葉も今までとは別の意味でえらい有名人になったなー」

 

 ほんとにそうよ。私が今まで必死になって築いてきたイメージをこの数日で一気にぶっ壊してしまったあの男。いつだったか、「お前、なんで本性隠してんだ?いつも俺に言ってきてるみたいにやればいいじゃん」みたいな事を書いてきた時があった。その時は「余計なお世話や。それに瀧くんには説明してもわからんやろ、ほっといて!」と答えておいたが、今再びその言葉が私の中で蘇る。

 

(……簡単に、言わないでよ……)

 

 私の事なんて、なんも知らんくせに……。今に至るまで、私がどんな気持ちで生きてきたのか想像も出来ないくせに……。身体だけでなく、心にまで勝手に入ってこないでよ……。

 そんな風に彼に対して怒りと、心にチクリと刺されるような痛みを感じているところに、一人の男子に話しかけられる。

 

「宮水……、すまんが後でまた、いいか……?」

 

 そちらを見てみると、少し顔を赤くして目をそらしながら話してくる男子がいた。確か彼がラブレターをくれた男子なのだろう。はあ……、そんなの瀧くんの方で断ってくれたらよかったのに……。

 

 

 

 

 

「昨日の返事、考えてくれたか……?」

「えっ……と」

 

 放課後、呼び出された場所で彼から返事を求められるも、私は戸惑っていた。断ろうと思ったが、すぐに言葉が出てこない。自分でも瀧くんの事で心がモヤモヤして、なんて言えばいいのかわからなかった。

 

「……」

 

 彼はジッと私の答えを待っているようだった。長い沈黙の末に、私の口から出てきた言葉は、

 

「……まだ私の中で答えが出ないんよ…。もう少し時間をくれん?」

「それは、付き合う事を前向きに考えてくれとるってことか?」

「……」

「……わかった。じゃあまた聞きに来るでな」

 

 そう言ってこの場を後にしようとした彼に向かって、私は「あのっ」と反射的に声を掛ける。

 

「……私が気分変えていつもと違う髪型にしとる時に、返事するから」

「……え?」

「……お願い」

「あ、ああ、わかった」

 

 彼が見えなくなるのを見計らった所で、陰から様子を見ててくれたテッシーたちが出てきて開口一番に問い詰められる。

 

「三葉、アイツと付き合うんか?」

「……私にはそんな気はないんやけどね……」

「でも三葉。あんな事言ったら……」

 

 私も何であんな事を言ったのかわからなかった。もちろん三葉自身、付き合うつもりはない。そもそも彼がどんな人なのかもさっぱりわからないのだ。ただ、あの時は「瀧くんが入った私」に影響されて告白してきたんなら……、瀧くんに答えさせるべきじゃないのか……?そんな考えが頭を過ぎり、気付いたらあのように答えていたのだ。それに無いとは思うが、瀧くんがもし付き合うなんて言ってしまったらどうするのか、そんな事も考える事が出来なかった。

 瀧くんの「彼氏作ってやろうか?」という言葉がまた頭を過ぎる。もちろん私も女の子だし、彼氏を作りたいとか思わない訳じゃない。――好きな人と一緒にいろんなところへ遊びにいったり、憧れのカフェでパンケーキを食べながら好きな事を話したり、時折喧嘩しながらも仲直りして一緒に過ごしたり……。一瞬、瀧くんの顔が頭に浮かぶけど、すぐに振り払う。

 ……少なくともこの町では彼氏なんて作れないだろう。色々注目される私が彼氏を作るには、この町はしがらみが多すぎる。

 

「……三葉、大丈夫?気分わるいん?」

「……ううん、別に。何でもないんよ」

 

 心配そうに私を伺ってくるサヤちんにそう答える。ちょっと色々考えすぎたかもしれない。こんな気分になるのはやっぱり瀧くんのせいだ。……だいたい軽々しく「彼氏作ってやろうか」なんて言うあたり、瀧くんは私が彼氏を作っても何とも思わないのかな……?実際に彼は奥寺先輩に憧れているんだろうし、私の事なんて興味も無いんだろうけど……。

 

「もしお前が断りづらいんなら、俺から言ってきてやるで?」

 

 ますます気分が落ち込んできた私を見かねてか、テッシーまでそんな事を言ってくる。心配そうな顔をしている2人を見て、悪い事をしたなあと一人ごちると、

 

「いいんよ、テッシー。ちゃんと……、私が言うでね……」

 

 そう……、私が言わなければならない。何て答えるかもわからない、『私』が……。

 結局今日はその後も気分が晴れず、家でも悶々とする1日を送ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー今日は一段としぼられてたな、お前」

「……ほんとだよ。それも昨日の事まで言われても知らねっての」

 

 休憩中、シフトが同じだった司と高木とともに寛いでいたところにさっきまでの話が出る。忙しさから他のフォローに入れなかったところを先輩から咎められたのだが、その話が何故か昨日の失敗の事まで説教されてしまったのだ。昨日は確か三葉の日だったはずだから、アイツがやった事なので何の事かはわからなかったが……。

 

「昨日は注意しにくそうだったからな。今日はお前普通だし、昨日できなかった分もまとめてだったんだろうよ」

「……なんだよ、それ……」

 

 なんで三葉のミスまで俺が怒られなきゃならねえんだよ……と一人ごちる。そういうところは上手くやるよな、アイツも。

 

「今日は大丈夫なのか、瀧?」

 

 司がそんな事を聞いてくる。もちろん理由はわかっている。

 

「……ああ、大丈夫だ。別にストレスもねえよ」

 

 俺があまりに普段と違う事をする日が増えてくるにつれ、問い詰めてきた親友たちに俺は家庭のストレスでたまにおかしくなる事があると伝えていた。司や高木は俺の家庭の事情もなんとなくはわかっている。父親との2人暮らしも流石に慣れた事だし、それをダシに使うのもどうかとは思ったが。……まあ、司との変な噂が立つよりはマシだろう。

 

「人が変わったとしか思えねえもんな。まあお前にも色々あるんだろうが……」

「心配かけてすまねえな、高木……」

 

 コイツらはホントに俺には勿体無いくらい、いいやつらだ。三葉のところのテッシーやサヤちんのように、司たちがいるから三葉は上手くやれてるんだと思う。……あいかわらず俺の財布は軽くなる一方だし、勝手に奥寺先輩と仲良くなるしでホント好き勝手やってくれる女だが……。

 

(まあ、アイツはアイツで色々あるんだろうな)

 

 正直、自分を誤魔化し抑えているような生き方をしている三葉には色々言いたい事もあるんだが、それとは別にアイツがあの町では特別な存在であるという事もわかってきている。それにそんな生き方をしているんならストレスだって溜まるだろう。三葉にしてみれば、自分の事を誰も知らない場所で念願の都会暮らしを体験できるという事で羽目を外しているのかもしれない。

 口ではアイツの文句を言っているものの、最近三葉に強い興味を持って来ている自分がいる事にも俺は気付いていた。現に今だってこうしてアイツの事を考えているのだから。容姿だけでいったら、三葉は俺の好みドストライクだと思う。夢から覚めた今ではなんとなく曖昧ではあるものの、長く綺麗な黒髪の美少女。直接アイツと会った事はないものの、メモアプリを通して彼女と交流する内にその文句を言い合うのも楽しいとさえ感じている。

 そんな三葉の為に俺に何か出来る事はないか。

 

「……ちょっとお前らに話があるんだが……」

「「ん?何だよ?」」

 

 そして俺は三葉に何が出来るか考え、それを2人に話す。それを聞きますます怪訝そうな顔をする2人ではあったけど、ただこれで少しはアイツの気分転換になればいいんだけどな……。

 そんな中、休憩終了を告げにきた先輩に促されるように俺たちは仕事へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………今日は三葉、か……」

 

 目が覚めると布団の上で、最近は何度と無く見ている景色。少しは見慣れてきた天井が目に入る。俺は布団から上半身を起こすと、自然な流れで胸に手をやる。バレたら何を言われるかわかったものではないが、三葉になってる時に胸を揉む事が日課になりつつある。揉んでると安心するというか……、まあ男ならこんな状況で目の前におっぱいがあったらとりあえず揉むよな?

 そんな訳で揉んでいたのだが、なにやら視線を感じる。

 

「…………」

 

 妹の四葉だ。まずいところを見られたなあと思いつつもいつもと様子が違う気がした。なんていうのか、恐る恐るこちらを伺っているみたいな…。

 

「……どうしたの、四葉?」

「……お姉ちゃん、今日は機嫌、悪くない?」

 

 こんな事を言ってくる。なんだアイツ、昨日何かあったのか?

 

「いや、特に悪くないと思うけど……」

「……よかった。お姉ちゃんがあそこまで機嫌悪いの始めて見たから……」

 

 そ、そんなに機嫌が悪かったのか?何度か入れ替わりを体験していたが、今まではそんな事なかったのに。

 

「……昨日の私、どんなだったの?」

「ええ!?覚えてないん!?嘘やろ!?」

 

 盛大に驚かれる。なんかますます不安になってくる。

 

「朝から機嫌悪かったけど、帰ってきたらますます悪くなっとって……。部屋に閉じこもって、なんやぶつぶつ言っとったに……。そうかと思えば急に怒り出すわで……。結局夕飯も食べんで寝たようやったし……」

 

 ま、マジか……。それはただ事ではない。普段自分を抑えているらしい三葉がそこまで機嫌を損ねるなんて……。

 

「まあ、今日は大丈夫そうやから安心したわ。ごはん、出来てるからきないよ」

 

 そう言って四葉は部屋を後にする。しばし呆然とする俺だったが、ふと気付く。そうだ、携帯に何か書いてあるかも。そういえば、今日は携帯に起こされなかったな。そんな事を思いながら、俺は携帯を手に取りメモアプリを開く。

 ――そこに表示されたものは、

 

『大っ嫌い』

「……………………え?」

 

 一言、俺に対する拒絶の言葉のみだった。

 



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第3話

 ……どうやら俺は三葉を怒らせてしまったらしい。妹の四葉から話を聞き、携帯を見てみると一言「大っ嫌い」とだけ書かれていた。普段あんなに色々文句を言ってくる三葉がただ一言、それだけを残すのはただ事じゃない。

 

(ただ、なんで怒ってるのかがわからないんだよなあ……)

 

 理由を考えていたのだが、何で怒ったのかがわからない。というのも怒りそうな事は今までの所業から検討もつかない程あるので、そのどれかに対して怒っているのかわからないのだ。……全部かもしれないが……。

 

(……嫌い、か……)

 

 思っていたよりも結構ダメージ受けてるなと思う。これまでも三葉とは色々文句を言い合ってきたけれど、あんなにはっきりと拒絶された事はなかった。最近、興味を持ち出して来ている相手から嫌いと言われた事で、一気に気分が重くなる。

 

「みーつはー!」

 

 そんな気分の中、学校に向かっていた俺の背後より見知った声が掛けられる。振り向くと、自転車を漕ぐテッシーとその荷台に腰掛けたサヤちんがこちらにやってこようとしていた。

 

「おっはよー、みーつはっ!」

「よう!」

「……おはよう」

 

 2人にこんな挨拶したらまずいだろうと自分でも思っていたが、どうしてもそんな風にしか出来なかった。案の定、2人は怪訝そうに顔を見合わせている。

 

「……どうしたん?今日はやけに元気ないなあ」

「もしかしてアノ日……グフォッ!?」

 

 テッシーがサヤちんに殴られる。

 

「なんでアンタはそんなデリカシーがないんや!?」

「や、やめっ!冗談やないか!」

 

 そんなやり取りを横目に見ながらもどうにも気分は晴れず、俺は溜息をつきながら2人と一緒に歩く。

 

「……大丈夫なん?昨日も気分悪かったに」

「機嫌も悪かったけどな」

「……そうなんだ」

「そうなんだ、って……」

 

 学校でも機嫌が悪かったのか……。という事は朝から機嫌が悪かった、つまり俺に対して怒っていたという事だ。俺の記憶が確かなら一昨日は三葉になっていたはず……。その時に何か致命的な事をやってしまったのか……?

 

「俺……じゃない、私ってさ……、結構怒りって引きずるのかな……?」

「……お前なあ…」

 

 自分の事やろ、っと言いたげなテッシーのジト目が俺をつく。言いたい事はわかるが、俺は立花瀧なんだ。三葉が普段どういう事でうれしいと感じ、またどういった時に怒りを覚えるのかは間接的にしかわからない。俺は三葉と直接会った事はないのだから……。

 

(あれ……?俺、本当に一度も三葉と会った事がないのか……?)

 

 週に何度も相手の身体と入れ替わって、あんなにメモアプリ上ではコミュニケーションをとっているのに……。その事実に気付き、俺は愕然とする。心の片隅では、どこかで会ったような気もしないではないが、入れ替わりを体験しなければ俺と三葉をつなぐ接点はないし、恐らく気のせいだろう。改めて考えると、俺と三葉の関係は極めて特殊なケースだ。直接面と向かって会った事のない相手を怒らし、そんな人物に謝り許しを請わないといけないのだから……。

 

「……そういえば三葉ってあんまり怒りを引きずらんよね。というより三葉が感情を露にするのって私たちや家族の人だけやない?それ以外の人の前では常に澄ましとるし……」

「親父さんの事くらいやないか。お前が怒っとるのって」

 

 まあその気持ちは俺もようわかるが、そうテッシーが言う。そういえばコイツはあまり外では主張をほとんどしないんだっけ。おとなしくひかえめな優等生、それが周りの三葉に対する評価だった筈だ。勿論内面はそうじゃない。散々メモアプリに文句を書き込んできた事から考えても、全然おとなしい女とは思えない。ましては入れ替わった俺の姿で東京ライフをこれでもかという程好き勝手に満喫し、行った事もないバイト先に行くような女をひかえめだという奴がいたら病院にいく事をおすすめする。

 

(親父さんには沸々とした怒りを持ってるって事か……。もしかして男に関して何か思うところでもあるのか……?)

 

 テッシー達と学校へ向かいながら色々考えるも結局答えは出なかった。

 

 

 

 

 

「……もう放課後かぁ」

 

 学校でも授業中に三葉が怒っている理由を考えてみたが、ちっとも思い当たらない。あれでもないこれでもないとやっていたら、いつの間にか今日も半日が終わった事になる。流石にこのまま三葉の身体にいる内に答えを見つけないと不味い。今後の三葉とやっていく為にも、そう思ってると俺の前に一人の人物が現れる。

 

「……宮水。考えてくれたんか?」

「…………え?」

 

 何を?、とは流石に言えない気もする。そもそもコイツ誰だっけ?

 

「……昨日、返事聞かれとったやろ」

 

 大丈夫かホンマ、一緒にいたテッシーからそう言われる。

 

(……ああ、一昨日三葉に告白した奴か……)

 

 見覚えはなんとなくあったが、名前までは覚えてない。覚える必要もないと思っている。三葉も何も言ってなかったし。そもそもアイツまだ返事してなかったのか……って、ちょっと待て。

 

「……昨日?」

「……三葉、いつもと違う髪型してきた時に返事する言うてたやろ」

 

 サヤちんがそう補足してくるもますます意味がわからなくなる。……は?どういう事だ??なんで三葉がされた告白に俺が返事しなきゃならないんだよ???アイツ、正気か?相手はこちらの答えを待っているようでどこか落ち着かない様子なのが伺える。俺自身混乱してる真っ最中なのだが、ずっとこのままっていう訳にもいかないだろうな……。

 

(……さて、どう答えるかな……)

 

 まず告白をOKする選択肢は無い。アイツの交際相手を俺が決める訳にはいかないし、何より俺がOKしたくない。そもそもアイツが他の誰かと付き合ってるところさえ想像もしたくない。それに何を間違ってか告白を受け入れようものなら、アイツとの繋がりは完全に断たれるような気がする。……ではどうやって断るか。

 

(そもそも何で俺が入れ替わっただけで、告白だのラブレターだのが増えるんだよ…)

 

 前にも思った事だが、やはり納得がいかない。コイツらは何年も前から三葉の事を知っている筈だ。地元でも有名な神社の跡取りで町長の娘なのだから、それこそ老若男女、子供から老人に至るまで三葉の事を知っているかもしれない。だというのに直接会った事もない俺が三葉の内面を知っていて、今まで近くにいたお前らが知らないってのはおかしな話じゃないか。これまでの間、テッシーやサヤちんのように三葉と触れ合える機会はたくさんあっただろうに。そりゃあ三葉に告白してきた連中の好きだっていう想いは本物なんだろうけど、じゃあ三葉の何処を好きになったんだよ。もし入れ替わっている俺を見て三葉が好きだっていうんなら、それは三葉じゃないんだぞ。

 そう考えて、俺は返事をする事にする。

 

「ゴメン、色々考えたんだけど、私、今は彼氏を作る気は起きないんだ」

「そ、そうか。な、ならしょうがないな」

 

 ショックを受けている相手にもう一度お辞儀して謝ると、そのまま教室を出る。慌てて追いかけてくるテッシーとサヤちんを尻目に俺は三葉の事を考える。

 

(俺の知ってる三葉は……)

 

 全然知らない俺に向かっていきなり変態呼ばわりする、細かくルールを決めてくる癖に自分は好き放題散財して財布を軽くしたり、勝手に俺の周りの人間関係を変更させたりする、さらには俺のやった事に対してわめき声がこちらに聞こえてきそうな程文句を言ってくる。そして……、行った事もないバイト先にいきなり飛び込んで、わからない中成り行きに任せて仕事をこなしてくるとんでもない女。

 

(だけど……)

 

 最近は色々文句を言い合いながらも、それを何処か楽しいと思っている自分がいる。例えば奥寺先輩と話す時のように異性に対して何処か遠慮するような、何て話せばいいのかわからない、というようなものが三葉との間にはない。まあお互いの身体が入れ替わってるというとんでもない現象を味わっているからだとはいえ、三葉の事を身内のような、本当に気の置けない奴だと思っているからだろう。

 だから戸惑っているのだ。今までも喧嘩に近い事はあったけど、初めて三葉に、『嫌い』という拒絶を突きつけられたから。

 

「三葉!待ってよ!」

「サヤちん、テッシー、お願いがあるんだけど…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………今日は瀧くん、か……」

 

 昨日あんなに怒っていた相手になっているという事実を確認すると、私は溜息をつく。そういえば夕飯も食べなかったんだっけ……。そう考えるとお腹が空いてきた気がする。……瀧くんの身体だけど。

 

「ん?瀧か……。今日は早いな」

「あ、お早う。お父さん」

 

 部屋を出ると、顔を洗っていたお父さんがいた。挨拶をして私も洗面所に向かう。瀧くんはお父さんと2人で暮らしている。……私と違ってお父さんとの仲は冷え込んでいない。この間は霞ヶ関にある仕事場も見学させてもらったっけ。話を聞いてみると、普段瀧くんとはそこまで話すほうじゃないみたいで、仕事場見学したいって言った私を珍しい事もあるもんだなんて言ってたような気がする。

 

(いいお父さんやのに、瀧くん反抗期なんかな?)

 

 とりあえず私の事は棚に上げて瀧くんの事をそう評する。お母さんがいない事と何か関係があるかもしれないけど、私のお母さんの事もあり、踏み込みすぎるのもどうかと思うのであまり考えないようにしている。

 今日は瀧くんが朝食を作る当番のようなので、台所にいき冷蔵庫を開く。私の実家では、冷蔵庫にはいつも常備菜が仕込んであるのですぐに献立も決まるが、瀧くんの家だと勝手も違い、そうもいかない。特に瀧くんはイタリアレストランでバイトしているせいか、洋食を作る傾向にあるようだ。この前四葉が、またあのパエリア作ってなんて言ってたし。…ちょっと私も食べてみたいと思ったのは内緒だけど。

 いつも瀧くんのお父さんが結構早く出かける事があって私が起きてなかったりで、そういえば私が瀧くんで朝食を作るのは初めてかもしれない。

 

「……まあ、いつもやっとることだし、なんとかなるやろ」

 

 とりあえずありあわせの材料で煮物を作るべく、材料を取り出した。

 

 

 

 

 

「ん?おはよう、瀧。今日はやけに早いな」

「おはよう、司くん!」

 

 朝食を食べたお父さんより「あの瀧がこんな和食の朝食を作るだなんて……!」と感動され上機嫌で登校した私に司くんが挨拶してくる。ついつい普段の私の口調が出てしまったけど、まあ大丈夫だろう。親に褒められるなんてもう何年も経験した事がないから少し舞い上がってしまったのかもしれない。

 

「今日はやけに上機嫌だな。何かいい事でもあったのか?」

「うーん、なんでもない!」

 

 朝起きたときはあんなに憂鬱だったのに……、と思うもやっぱり私はこの入れ替わりによる東京生活を満喫しているんだろう。普段、向こうではあまり自己を出さずに抑えて生活しているものだから余計に開放感を感じていると思う。ここでは私を宮水家の巫女として知っている人はいないし、特別に見られる事はない。なにより憧れの東京なのだ。どうしても楽しんでしまうのはしょうがない事だと思う。

 

「おーす、司。お、今日は瀧もいるのか」

「あ、おはよう、高木くん!」

「おはよう」

「お、おお、なんか今日はやけにテンション高いな、瀧。なんかあったか?」

「な、なんでもないやよ!」

 

 いけないいけない、ちょっと落ち着こう。このままだとまた瀧くんに文句を言われてしまう。まあ、瀧くんもさんざん私の身体で好き勝手してくれてるし文句言われる筋合いはないんだけど。……というよりも今までの事から考えてもちょっと復讐しないといけないかな?昨日の件はもとより、ノーブラでバスケしてみたり、私の下着でブラ外し?の練習もやってたようだし……。あ、思い出しただけで腹が立ってきた。

 ……よし、復讐しよう。

 

「……瀧?どうかしたか?」

「んー、なんでもない……」

「テンション高いと思ったら、今度は考え事か……」

 

 司くん達が色々言ってるようやけど、私はどうやって瀧くんに報復してあげようか考えてみる。どうしようかな?授業中のノートをとらないとか?それともバイトをサボる?……というのもちょっと違うなぁ……。

 そんな事を考えていると、私の様子をジーっと伺っている2人に気付く。

 

「……?な、なんよ、2人とも?」

「瀧……、今日はこの前出来たばかりの南青山のカフェにいかないか?」

「え!?新しく出来たカフェ!?いくいく~!!」

 

 カフェ!?南青山に新しく出来たの!?行きたい!!…あれ、でも待って、確か瀧くんの今日の予定は……。

 

「あ……でも、今日バイトだ……」

 

 ……流石にサボる訳にはいかないだろうな……。あー、折角の新しいカフェなのにー!南青山のカフェやのにー!!

 あきらめきれずに心の中で葛藤していた私に、司くんが溜息をつきながら話しかけてくる。

 

「今日のバイトは確かシフト的に余裕があったし、休ませて貰えよ。俺から話しておいてやるから」

 

 え?いいの?私、南青山のカフェに行けるの!?

 ちょっと店長に連絡いれる、と言って司くんが離れてスマートフォンを取り出している。ホント、この2人は頼りになるなあ!それまで男子がこんなスマートで優しいなんて知らなかったし、少なくとも私のまわりにはいない。知ってる男子っていったらテッシーくらいで……、幼馴染だし、いい人ではあるけれどスマートという言葉からは程遠いし……。瀧くんも見習ってほしいものだ。あ、そうだ。いいこと思いついた!

 

「じゃあ、今日のカフェ、奢るから!大船に乗ったつもりでいるでね!!」

「お、やけに気前がいいじゃんか」

 

 ふふふ……、我ながらいいこと思いついた。普段、お世話になってる2人に奢れて、私も楽しめる。そして瀧くんの財布は軽くなる!

 これは乙女心を傷つけた復讐やから、瀧くんには反省して貰わんといけんからね~。

 

「あ、立花くん。おはよー」

「おはよー」

 

 そんな時、前の席の三枝さんが挨拶してきた。黒髪のセミロングで都会っ子なのにあまりスレてない感じがする瀧くんのクラスメイトの一人で、この間マスコットのキーホルダーが解れていたのを直してあげたのがきっかけで話すようになった人。普段、瀧くんでいる時は基本的に司くん達と一緒にいるようにしてるんだけど、『あまり司とベタベタするな』みたいな事を言われた件もあって、今では彼女を中心に女子と話すことも増えていた。向こうでは気がおけない同学年の女子っていうとサヤちんしかいないから、やっぱり同学年の女の子で私の事を特別視しないで接してくれるのは楽しい。……まあ、今は私瀧くんだし、必要以上には関係を深める事は避けてはいるけど。でも、この間も服の解れを直した際に「立花くんって女子力高いんだねー」って感謝されたっけ。

 

(私の女子力のおかげで奥寺先輩の事は勿論、クラスの女子達にも一目置かれる様になっとる事にもうちょっと感謝してもらいたいやよ)

 

 朝の挨拶と同時に他愛の無い話をしていた私を尻目に、司くん達が何か話しているようだった。

 

「……なあ、高木。俺、なんか瀧が女子にしか見えないんだが……」

「……奇遇だな、司。ま、昨日アイツが言ってた通り、気分転換になりゃいいんだけどな」

 

 気分転換?なんのこと?ま、いっか。放課後、楽しみやね~♪

 そして朝の予鈴が鳴り、今日の授業が始まった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……こんなものか……」

 

 あの後、サヤちんからケーキ作りに必要な材料を借り、今その作業に取り掛かっている。やっぱりこういう時は頼りになるな、サヤちんは。

 そんなもんは男のする事やないと、早々に匙を投げたテッシーは予想通りだったが、サヤちんは色々と道具を持っていた。足りない材料かなんかはコンビニで調達し、手伝おうかというサヤちんには自分で作らないと意味が無いと辞退し、後で出来たら分けてもっていくからと言っておいた。

 やっぱりこれはお詫びの品だから自分で作らないといけない。あれだけ考えても三葉が怒った原因がわからなかった俺は、謝るために三葉がよく俺の身体で食べているパンケーキを作ろうと思ったわけだ。ただ、俺もケーキは作った事が無い。最も今はスマフォとかで作り方を調べればなんとかなるかと思ったが、少し見通しが甘かったらしい。色々と失敗したものの、なんとか形になった時はホント嬉しかった。

「お姉ちゃんが作ったん!?」という学校から帰ってきた四葉にも味をみてもらい、お墨付きも貰った。あとは装飾だが……どうしようか……。

 

「ケーキなんやから、苺とかでええんやないの?」

「うーん、なんとなくもう一捻り欲しいんだよな……飴細工?みたいなものとか……」

「それやったらハリネズミとか飴で作れないん?お姉ちゃん、ハリネズミ好きやん」

 

 ハリネズミ?そういえば至るところにハリネズミのグッズがあったような……?でもハリネズミなんて作れるのか?あの針をどうやって飴細工で表現させればいいんだ……??

 

「ま、どうせ食べるんやろ?それやったらそんなに拘らんでいいと思うんやけど……」

「……いや、乗りかかった船だ。しょうがない、調べてみるか……。四葉、グラニュー糖が何処かにあるか知ってる?」

「そんなん家に無かったと思うけど……。普段使わんし……」

「そっか、じゃあ買ってくるしかないか……。四葉、行って来てくれる?」

「ええ~!?私が行くの~!?」

「……頼むよ、ケーキ、完成したら分けるからさ……。あと、お釣りでアイス買ってきてもいいから」

「えー、じゃあハーゲン買ってもええの?」

 

 前も確かハーゲン欲しがってたな……。そんなにおいしいのかねぇ。まあ行ってくれるならありがたい。三葉のお金だけど、まあアイツが散財した金額程じゃないし……。

 

「ああ、それでいいからさ。ちょっと作り方調べなきゃいけないし……」

「いいの?じゃあ行ってくる!」

 

 そう言うが早いか、四葉は俺から財布を受け取るとそのまま買い物へと出かけていく。

 

「さて……と、俺もこうしちゃいられないな」

 

 今日中に作らないといけないし、と一人ごちるとまたスマフォを操作し、作り方を調べていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、しあわせや~♪」

 

 瀧くんのお金でパンケーキを注文し、ご満悦な私がいた。いいなぁ、東京は。こんなに楽しい事があって……。少なくとも糸守にいたんじゃこんな開放感は味わえないだろうな。学校にいた時からこの時の為にソワソワしていたから、はっきりいって何をしていたかはほとんど覚えていない。あ、でも勿論ノートはとっておいたけどね、

 というわけで今のこの時間をめいっぱい堪能していたら、司くんが話しかけてきた。

 

「どうだ、瀧。堪能しているか?」

「それは、もう!勿論やよ!」

「そうか、それは何よりだ」

 

 そりゃあ憧れの東京生活を体現できている訳だから、不満なんかあるはずもない。朝、憂鬱だった事もすっかり忘れてパンケーキを頬張る。瀧くんの身体だから私が太る心配もないし、何より瀧くんのお金だからさらに美味しく感じる。まあこれは瀧くんへの罰だからね、しっかり反省して貰わないと。

 そう思い直し、また一口パンケーキを頬張る。ホントに美味しいやさ~♪

 

「まあ、お前が言ってた通り、気分転換になってんだったら何よりだな」

「……?どういう事?」

 

 気分転換?瀧くん、何を言ってたんだろう?高木くんに聞きなおしてみると、

 

「何だよ、昨日言ってたじゃんか。俺がいつもと違うって時は、家庭の事情でストレスが溜まってる時だから、ストレス発散につきあってくれないかってよ」

「自分でも変な頼みだと思うけどってね。まあ瀧も父子家庭で色々あるんだろうし」

 

 え……?どういう事なの……?それって……。

 

「ま、俺達に話せない事情もあるんだろうけどよ。最も、カフェ巡りは普段もやってるから気分転換も何もない気もするがな」

「でもバイトを休んでまで来た事はなかったろ?いつもより時間はあるんだから有効に使わないとね」

 

 そう言いながら司くんが苦笑しながらコーヒーを口にする。

 2人の話を聞いていて、そういえば今まで一つ疑問に思っていた事がある。それは瀧くんの財布だ。瀧くんはいつも私に無駄遣いするなって言ってたけど、もし瀧くんが本気で私にお金を使われたくなかったら財布に最低限のお金だけ残していればいい。それこそ学校に行く為の交通費や簡単な食事代だけでよかったはずだ。そうしたら無駄なお金を使われる事もないし、少なくとも私が瀧くんの立場だったらそうする。まあ、糸守ではそんなにお金使うこともないし、バイトもしてないから瀧くんほどお金も持ってないんだけど……。

 

(……そうか。瀧くんは……、私の事を気に掛けていてくれたんや…)

 

 その事実に私の心がポカポカと暖かくなるのを感じる。あんなにモヤモヤしていた私の気持ちが、嘘のように晴々としているのがわかる。

 十分堪能したしもう出るかって事になり、私も慌てて席を立った。奢るつもりだったのに2人は固辞し、結局私が食べた分だけを清算する事となる。多めにお金の入った瀧くんの財布。それが私の為だったんだと気付き、そうとも知らずにパンケーキを食べてしまった事に申し訳なさを感じてしまう。だから店を出てからも瀧くんの事ばかり考えていて、司くんから呼ばれているのに気が付かなかった。

 

「あ……、ごめん。何……?」

「また考え事?ほら、次何処行くか決めてよ」

「とりあえず、今日はお前に付き合うからよ」

 

 どうやら行き先を決めて欲しいみたいだ。さっきも2人には気を使わせてしまったようだし、それに高いパンケーキを頼んじゃったから、これ以上お金を使うのも躊躇われるんやけど……。

 そんな事を考えていた時、ふとちょっと先にある雑貨屋さんに目が留まる。

 

「ん?雑貨屋か?お前、この前はなんで俺が雑貨屋なんかって言ってなかったっけ?」

「まあいいんじゃない?今日は瀧に付き合うって決めたんだし」

 

 そう言ってお店の中に入っていく私達。いつもは目を輝かせて店内を観て回るんだけど、流石に今日は私の好きなハリネズミのグッズも探す気が起きない。

 

(あ……コレ……)

 

 そんな中、何やら見覚えのあるものが目に入る。手にとって見ると間違いない、これは私の家にあるのと同じものだ。気が付くと私はそれをレジに持っていっていた。

 

「まあ……、これならそんなに高いもんやないし……、瀧くんも使えるしね」

 

 そう一人ごちる。どうしてかは分からないけど、なんとなく私と同じものを瀧くんにも持っていてほしかったんだと思う。それを購入した後、司くん達の下へ戻る。その後、今日は暗くなるまで南青山を3人で楽しく探索して回った。

 

 

 

 

 

「本当に……君はお節介やね……」

 

 夜、もう既に夕食もお風呂も済ませ、私は机に頬杖をつきながら購入したそれを眺めながらそう呟くと、瀧くんの事を考えていた。普段、私に悪態を憑きながらも、気に掛けてくれていた瀧くん。よくよく考えてみると、宮水家の長女としてではなく私自身として見てくれているの瀧くんだけなのかもしれない。家族すら知らない私と瀧くんの遠慮のいらない関係。心が体を追い抜いてお互いに入れ替わるという超常現象が起きなければ本来出会うはずもなかった私達だけど、今は誰よりも近しく、気の置けない存在なのだから。

 ふと時計を見ると、既に11時を回っている。そろそろ寝なければ次の日に支障をきたすかもしれない。

 

「さて……、今日の事、日記にしないと……」

 

 私と瀧くんで決めた入れ替わりのルール。その日の出来事を記載すべくスマフォの日記アプリを立ち上げる。

 

「司くん達と南青山に行って新しいカフェをみてきたよ!って、あぁッ!!」

 

 ふと記載していて私は大切な事に気付いた。そういえば昨日、日記に大っ嫌いって残してきたような……。瀧くんへの苛立ちと言いようの無い胸の痛みでなんて記載したかあんまり覚えていないんだけど、なんかそのような事を書いた気がする……。その事実に気付き、サーっと青くなる私。ど、どうしよう!もし、瀧くんにも『嫌い』なんて書かれてしまったら……!何であんな事書いたんよ、昨日の私!!

 昨日の私に対し恨み言をぶつけながら、慌てて瀧くんへの文面を必死に、心を込めて残していく。そうして夜が更けていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『……いつも、ありがとう』か、全く三葉の奴……」

 

 自分の身体で目が覚めた俺はすぐスマフォの日記アプリを立ち上げてそこに書かれているものを確認すると、ホッと一息つく。正直、なんて書かれているか気が気でなかったが、三葉が書いた内容はこうだった。

 

『瀧くんへ

 昨日の私の日記、キツかったよね……。正直、自分でも何であんな事書いたのか分からないのだけど、本当にごめんなさい。

 ちょっと嫌な事があって、イライラして、ショックを受けて……。それで瀧くんに当たっちゃったんだと思う……。

 私、こっちで彼氏を作る気はないんだ。これは強がりじゃなくて、本当の気持ち。糸守では私は宮水の長女として、町長の娘として見られちゃうから……。だからね、いつか東京に行って、その時にイケメンな彼氏を作るつもりなんだ。だから、もし瀧くんが私になってる時に告白されたら、断ってくれると嬉しいな。

 今日は司くん達と南青山で新しいカフェに行ったんだ。その後も水族館に行ったり、雑貨屋さんに行ったり……。あ、そこでいい物見つけたんだ。私の家にある奴とお揃いで、机の上に置いておいたから瀧くんも使ってね。

 ……瀧くんの気も知らないで、お金いっぱい使っちゃってごめん。今度からは気をつけるから……。

 いつも、ありがとう。

 三葉』

 

 また『大っ嫌い』とか、『アンタと話す事なんてない』とか書かれてたらどうしようかと思ったが、とりあえず一安心だ。目が覚めたら机に突っ伏すかたちだったので恐らく寝落ちしたのだろう。そんな状況になる程、何をしていたのかはわからないが、まあそれは一先ずおいておこうか。

 今後、彼氏云々の件で三葉をからかう事はやめた方がいいな。ここに書かれている通り、アイツの事情もあるだろうし、俺も三葉に彼氏が出来るっていうのは……、なんか面白くないし。……まあ書かれるまでもなく、俺の方で勝手に断っちゃったけど。

 

「それにアイツ、気付いちゃったかな……?」

 

 入れ替わって何時ぐらいからかは忘れたけど、向こうでの三葉の印象や状況を知り、アイツに強い興味を持つようになってからは、俺は一定額以上のお金を財布に入れるようになっていた。無駄遣いするなと文句を言いつつも、少しでも三葉がこっちで気分転換が出来るように……。

 そこで俺は目を机の上にやる。そこには三葉が買ってきたという物が置かれていた。

 

「……どうやって使うんだよ、コレ……。カップ麺作る時にでも使えってか?」

 

 それを手に取りながら、三葉の事を考える。昨日の事も不鮮明ながら、三葉に謝るために必死になってケーキを作った事は覚えている。……気に入ってくれるといいけどな。そう思いながら手に取っていたソレを置く。

 ――そこには青い砂が勢いよく下へ流れ落ちていく、綺麗な砂時計が置いてあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……うう……ん……」

 

 アラームが鳴っている。その音に少しずつ覚醒していく。ちゅんちゅんと鳥の元気な鳴き声も聞こえている。もう朝かぁ……って思ったところでハッとする。

 

「朝ッ!?嘘!?私、あれから……!」

 

 ガバッと起き上がり、状況を整理する。見慣れた自分の部屋。そして自分の身体。今日はいつもの自分だというのがわかる。昨日は確か瀧くんで、夜遅くまで日記をつけていたはずだ……。霞がかった記憶の中、どこまで書けたのかは覚えてないけど、ちゃんと瀧くんに伝わったかな……?

 

「そういえば……、瀧くんは私になんて残してるんやろ……」

 

 アラームの鳴り続けているスマフォを手に取ると、日記アプリを立ち上げようとしてその手が止まる。正直、なんて書かれているのか、見るのがとても、怖い。

 

「あ、お姉ちゃん。今日も珍しく起きとるね」

 

 スマフォを見つめていた私を現実に引き戻す四葉の声がかかる。襖を開けて立っている四葉に顔を向けると、何か手に持っているようだ。

 

「おはよう、四葉。何、それ?」

「……昨日、自分で言っとったに、何言うとるん?」

 

 呆れた様子で四葉はそう言うと、つかつかと部屋に入ってきて私に手に持っていた物を渡してくる。何コレ?手紙??

 

「確かに渡したからね。昨日のケーキ、約束どおり、あとで貰うから」

「え?ちょ、ちょっと待ちない四葉!ケーキ?一体なんの事やさ!?」

「……本気で言っとるん?昨日必死でケーキ作っとったやん。それで朝、自分にその手紙を渡してくれたら私もケーキ食べていいって言うたやろ?」

 

 ケーキ?作った?え、瀧くんが作ったの?ていうか瀧くん、ケーキ作れたんや…ってそうじゃない!何でケーキなんて…それにこの手紙って……。

 

「……本当にお姉ちゃん、最近変やよ。大丈夫なん?」

「うん……、大丈夫、……だと思う」

「……ならいいけど。じゃあケーキ、貰うからね。あとご飯出来てるから、早く降りて来ない」

 

 そう言って四葉が部屋から出て行く。残された私は手元の手紙を取り出して読む事にした。

 

『三葉へ

 スマフォだとちゃんと伝わるかわからなかったから、妹に頼んで手紙というかたちで伝える事にした。

 三葉の怒っていた理由、色々考えてみたんだが、結局わからなかった。だが俺はお前とこんな形で仲違いはしたくない。いつ終わるかもしれないこの入れ替わり現象を協力して乗りきらなければならないし、そうじゃなくても三葉に理由もわからないのに嫌われていたくもない。

 すまない。本当にごめん。いつかちゃんと三葉に謝りに行くから、今回は許して欲しい。

 手紙だけというのもなんだから、自分でフレジエっていうパンケーキを作ってみた。濃姫っていう苺が三葉の家にあったからそれを使わせてもらった。四葉に味見してもらっているから味は問題ないと思う。サヤちんにも色々協力してもらったから、出来ればお裾分けしてくれ。なお、約束したので四葉にも分けてあげて。

 あとこの間告白された件、俺の判断で断った。三葉、前に彼氏は作らないって言ってたし、よかった、よな?

 出来るだけ迷惑かけないように気を付けるから、これからもよろしくお願いします。

 瀧』

 

 手紙を読んだ私は1Fに降りると台所へ向かう。冷蔵庫を開けると、そこには瀧くんが作ったらしいパンケーキが入れてあった。ちょっと時期が早いけど、と近所の人が持ってきてくれた苺を使って作られたフレジエ。さらに飴細工らしいハリネズミがかわいらしく数匹乗っかっている。それは私の好みを考えて作られた物だった。

 

「こんなん作られたら……、勿体無くて食べられないやん……」

 

 とりあえずスマフォで写真を撮りながら、ポツリと呟く。世界で一つだけの、瀧くんの手作りパンケーキ。残しときたいけど、手紙を読む限りそういう訳にもいかないだろう。四葉も楽しみにしとるようやし。

 瀧くんに対してモヤモヤしてた告白関連も対処してくれたらしい。既に瀧くんに対して怒ってなかったのだから許すも許さないもないんだけど、それを見たときなんとなく嬉しくなった。そしていつかちゃんと謝りに行くからと瀧くんは書いてくれていた。

 

「……いつか、瀧くん会いに来てくれるんかぁ……」

 

 いつか、と言わず直ぐにでも彼に会いたいという気持ちが強くなる。ふとスマフォで東京までの道のりを調べてみた。…うん、貯めてた貯金を切り崩せば一回分の旅費はなんとか捻出できそうだ。秋祭りが終わって落ち着いたら、一度東京に瀧くんに会いに行こう。そして、直接会って、色々な事を話したい。彼と、ふれあいたい。電話もメールも何故か通じない私達だけど、確かな事がひとつだけある。会えばぜったい、すぐにわかる。それだけは、確信してるから。

 そう決意を新たにし居間に向かうと、数日後、ティアマト彗星が最接近します、というNHKのニュースが聞こえる中、私は食事の用意をしているおばあちゃんと四葉の下へ「おはよー」って挨拶しながら入っていく。近く、彼と会う事を夢見ながら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んっ……」

 

 ふと、目が覚める。

 目元に違和感を感じ、手をやると自分が泣いている事に気付いた。

 朝、目が覚めると泣いている。こういう事が私には時々ある。夢を、何か大切な夢を見ていた気がするのに、何も思い出せない。

 

 俺は涙を拭いながらベッドから起き上がる。机に置いてある砂時計に目をやる。いつの頃から使っているかも思い出せないソレは、もう中の砂が全て落ちきっている。

 なんとなく砂時計を手に取り反対に置き換えると、また青い砂が落ち始めた。何か、思い出すような気がするも、やはりわからない。また、いつの間にか泣いている。

 

 会社へ行く為の準備をしながら、私は鏡に向かって髪紐を結う。目尻を湿らせていた涙も、今は既に乾いていた。

 

 洗面所で顔を洗いながら、じっと鏡を見る。

 

 鏡には自分の姿が映し出されている。そこに自分の姿とは別のなにかを見ていたような錯覚に襲われるのものの、やっぱり何も思い出すことは、ない。

 ただ一つだけ、ぽっかりと穴の空いた心でもなんとなく、ただなんとなくだけど、わかっている事がある。

 私には、俺には、とても大切な人がいた、という事を――

 

 鏡に映る自分の姿とは別の、正体も何もわからないソレに向かって話しかける。

「君の、名前は…?」と……。

 

 

 



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君に出会うまで・・・
第4話


遅くなりましたが、あけましておめでとう御座います!


――――2013年10月4日20時42分。1200年ぶりに地球に最接近したティアマト彗星はその核を砕き、その片割れは隕石となって秒速30km以上の破壊的スピードで糸守町に落下した。落下時の凄まじい衝撃波により、神社を中心とした広範囲が一瞬で壊滅し、家屋や車、森林等が爆風により吹き飛ばされ町の広範囲が甚大な被害に見舞われ、人類史上類を見ない自然災害となった。ただ一つだけ幸いだった事が、町の住民のほとんどが奇跡的に無事だった、という事である。

 

 

 

 

 

「う……」

 

 頭が痛い。私、どうしたんだっけ…?目が覚めた私は、今自分のいる場所をぼんやりと見る。……家じゃない。いや、家どころか……、

 

(…………え?)

 

 自分の置かれている状況が理解できない。やおら起き上がり確認すると、そこが高校の体育館にいる事がわかった。

 

(……そうや、昨日、彗星が落ちてきて……)

 

 落下の瞬間に発生した轟音と爆風で立っている事もできずにただただ蹲っているしかなかった。落下地点から離れた場所にあるこの糸守高校でもそうなのだから、あの落下地点付近にいたらどうなっていたかは考えなくてもわかる。

 

「あ、お姉ちゃん。目を覚ましたん?」

 

 テントに妹の四葉が入ってくるやいなや、心配そうな顔で私に声をかけてきた。

 

「四葉……?おはよう」

「おはよう、お姉ちゃん。もう、大丈夫なん?」

 

 挨拶もそこそこに私を覗き込んでくる四葉。……大丈夫って、何が……?

 

「……大丈夫やよ?……まあ、こんな事になってまったけど……」

「その事もあれやけど、そういうんやなくて……、昨日お姉ちゃん、泣いとったから……」

 

 ……泣いてた?故郷である糸森町が無くなったショック?あっという間の事だったから正直泣く程の実感がないんだけど……。

 

「……うん、もう大丈夫やよ。ありがとね、四葉」

「ならよかったわ。……お姉ちゃん、昨日は信じてあげれんでゴメン。隕石が落ちてくるなんて、あまりに突拍子の無い話やったから……」

「ええんよ、四葉。それより外はどうなっとるん?」

 

 ……あんまり昨日の事は所々しか覚えてないのだけど、ただ必死になっていた事だけは覚えている。隕石が落ちた後、どうなったか気になり、私は四葉とともに体育館を出て、その惨状を理解した。

 

「…………酷い有様やね」

「……でもお姉ちゃん達のおかげで、被害にあったって人は聞いてないやよ。皆、お姉ちゃんの高校に避難しとったから……」

 

 父に会って彗星が落ちてくる事を伝え、それを信じてくれた父が急遽、避難訓練と称して住民のほとんどを糸守高校へと誘導してくれたのだ。結果、糸守高校は彗星被害の外だった事もあり、町は壊滅したもののその住人は難を逃れることが出来たのである。校庭ではそこかしこで炊事用の煙が上がっている。

 

「おーい、三葉~!!」

 

 外に出た私に掛けられた声に振り向くと、親友であるサヤちん、テッシーがこちらへやって来るのが見えた。

 

「サヤちん、テッシー…」

「おはよう、三葉。身体はもう大丈夫なん?」

「おう、昨日はヤバかったからな。まあ、あんなモンが落ちてきたんやから当然といえば当然やが……」

 

 サヤちんやテッシーまで……。そりゃあ隕石が落下してきて色々混乱してるのは確かだけど、それを言ったら皆同じ状況じゃない…。

 

「もう大丈夫やと思うんやけどなぁ…。そんなに私、ヤバかったん?」

「だって三葉……、あの後そのまま倒れこむように眠っちゃったやない!」

「しかも泣きながらな……。マジで大丈夫なんか、三葉?」

 

 …………全然記憶に無い。確かに隕石が落ちて、その後の事は覚えていないんだけど。色々走りまわったし疲れていたのかな……?

 

「うーん……。大丈夫やと、思うんやけどなぁ……」

「三葉、起きたのか」

 

 呼ばれた方へ振り向くと、スーツ姿の男性、父である宮水俊樹が立っていた。

 

「お父さん……」

「勅使河原君に名取君も一緒のようだね。ちょうどよかった。疲れている所悪いが、3人には後で話を聞きたい。1時間後くらいに高校の校長室に来てもらえるか?」

 

 そう言うと、俊樹は去っていった。様子を見てみると避難者の状況を調べているようだった。糸守町の町長として義務を果たしているに違いない。ここ数年、殆ど接点が無かった父の姿をこんな形で目にするとは皮肉なものではあるけれど、頼もしくみえた。

 

「…………相変わらず、やね」

 

 用件だけ言ってすぐ娘の傍を離れるところは今までと変わっていない。だけど、今は前より冷たく感じない。そんな風に思っていると、各所で朝食の準備が出来たようで、次々と人が集まっていくのが見えた。

 

「三葉、私達も行こ。お年寄りの人も多いし、配りに行かんと」

「そうやな。俺も道路の整備等で出ているウオズミの兄ちゃん達の分も届けんといかんでな。さき行くぞ」

 

 テッシーがそう言って、駆け出していく。待ってよテッシー。そう叫びながら、私もサヤちんと一緒に彼を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校長室に入ると、そこには校長先生と町長だけでなく、勅使河原さん、そして私、名取早耶香の姉も集まっていた。そして話というのが…

 

「じゃあ昨日の糸守変電所の爆破をしたのは間違いないんだね」

 

 昨日、私達で計画し実行に移した変電所を破壊した件で詰問を受けていた。直接、実行に移したのはテッシーと三葉だけど、止めなかった私も加害者に違いない。

 

「ああ、俺が変電所を爆破した。含水爆薬でな」

「この、馬鹿息子がっ!!威張って言う事か!!」

 

 開き直ったかのように話すテッシーに勅使河原さんが雷を落とす。突然の大声に私と三葉がビクッと身体を震わせるも、

 

「あ、あの。私も……一緒に行ったんです。むしろ、私がテッシーにお願いして……」

「ええんや。三葉は関係ない。あれは俺の意思でやった事やからな」

 

 同罪だと言いたげな三葉を制するようにテッシーが言う。また雷を落とそうと興奮する勅使河原さんを町長と校長先生が抑えていた。

 

「それならその後の放送室を使った電波ジャックは私がやった事です」

「早耶香、あなた……」

 

 2人だけを悪者にする訳にはいかない。そんな思いで告白した私に姉が驚いた顔をしていた。

 

「サヤちん、ええんや。それも俺がお願いしたんや。放送部やし、こんな田舎の防災無線なんか簡単に乗っ取れるってな」

「克彦ッ!!」

 

 再び落ちる雷。この男、本当に煽るのが上手いなあ。テッシーからしてみたらそんなつもりは無いのかもしれないけど。

 

「まあまあ、落ち着いて……。全く、変電所爆破に電波ジャック。自分達のやった事がどういう事か。わかっているね?」

 

 また爆発しそうになった勅使河原さんを宥めながら、町長は私達に問いかける。その一言に冷静になる私達。わかっている。それは、完全に犯罪行為だ。

 

「……わかっているようだね。まあいい。今回、君達が起こした件にこれ以上とやかく言うつもりはない」

「「「えっ!?」」」

 

 ……ええ!?絶対この犯罪行為の件で呼ばれたと思ってたのに。それについては隣の2人も同様のようで、私と同じく面食らった顔をしていた。

 

「彗星落下の影響で変電所付近は吹き飛んでしまったしな。最も三葉と克彦くんがその直後に町中で爆発の件を伝えていた事が目撃されとるが、それについても戒厳令を敷く。今のはあくまで自分達のやった事が犯罪行為だという事を認識させる為のものや。まあ、自覚はしとったようやが……」

 

 とりあえず、私達は逮捕されるという自体には遭わなくてすみそうだ。じゃあ一体なんの用件で……。そんな風に思った時、続けて町長が私達に問いかける。

 

「我々が聞きたかった事は、何故、隕石が落ちるという事を知ったのか、という事だ」

 

 しん、となる校長室。でも、これについては私もテッシーもわからない。昨日三葉にいきなり隕石が落ちて皆死ぬ、なんて言われた時は正直半信半疑、いやとても信じられる事じゃなかった。ただ三葉が真剣で、とてもふざけたものではない事はわかった。だから私もテッシーも信じたのだ。三葉を。私はチラリと隣の三葉をみると、彼女は下をむいてジッと黙っていたが、

 

「…………私もはっきりと覚えてる訳やないんやさ。ただ、彗星が落ちてくる。それだけは、わかったんよ…」

「三葉……」

 

 ポツリポツリと苦しそうに話す三葉。三葉の様子に私はそっと彼女を支える。微かに、震えている……。

 

「……そうか。それ以上はいい、三葉」

 

 そう言って町長は、三葉をやんわりと遮った。その声にバッと顔を上げる三葉。

 

「別にお前を苦しめたい訳ではない。私自身、あんまり認めたくなかった事だが、二葉の件からも宮水の巫女には特別な力があるのはわかっている」

 

 そう前置きして、続ける。

 

「お前の口から、真実をはっきりとさせておきたかったのだ。真実がわからないと、こちらも対処しようが無いのでな。これから恐らく周りが騒がしくなる。朝から関係各所に救援やら支援やらの連絡を取り合っているが、なんせ彗星が落ちて人的被害が殆ど無いのだ。昨日は私が避難訓練と称して強引にこの糸守高校へ避難させたが、その件を突いてくる輩が出てくるだろう……」

 

 それは、そうだろう。ティアマト彗星が割れて、その破片が隕石となって人家に、糸守町に落ちてくるなんて誰が予測できただろうか。まして落ちてきたのは宮水神社周辺、ちょうど秋祭りの会場近くだ。避難していなければどれだけ被害が出ていたかわからない。私達も秋祭りに参加する予定だったんだから、もしかすると……。そこまで考えて私は背中がゾクリとするのがわかった。

 

「だから、わかっているとは思うが、言っておく。その件は決して周りに広めるな。知れ渡ったら最後、二度と普通に暮らせなくなるからな……」

 

 話はそれでお開きとなった。また町長へ電話がなって忙しくなったからだ。そして、その件はまたすぐ後に現実のものとなった。

 

 

 

 

 

 彗星が落ちて3日目、救援物資やボランティアの方が支援に来て下さっている中、それは起こった。避難場所であった体育館で三葉と一緒に昼食をとっていた時、突然入り口が騒がしくなったかと思ったらカメラやマイクを持ったマスコミ風の集団がズカズカとやってきた。

 

「えー、こちらに隕石落下を予測した女の子がいるという噂を聞いてやって来たんですが、いらっしゃいますかねぇ」

「なんでも隕石が落下する数時間前に避難を促したり、変電所を爆破させたって話もあるんですけどそれって真実ですかぁ」

「神様の遣わした使者って噂もあるんですけど、それについても答えて頂きたいのですが」

 

 そう言いながら体育館に入ってきて、入り口近くにいた人に聞いてまわっている。傍にいた三葉がブルッと身体を震わせたのがわかった。私はそんな三葉を隠すように抱きしめると、その様子を見ていた数人の老若男女が立ち上がり、三葉を庇う様にマスコミ集団へ向かっていくのがみえた。

 

「ちょっと、アンタら。一体何の用や。ここには災害で被災し疲れとるんや。ヅケヅケと入ってきてどうゆうつもりや」

「そうや。それをいきなりやってきて……。常識がないんとちがう?」

 

 すぐさま抗議をするも、マスコミは何処吹く風で、矛先をこちらに変えてこんな事を言ってくる。

 

「そうは言っても、こちらも仕事でね。こんな奇跡のような事はなかなか起きないしね」

「我々も知る権利というものもある。何、ちょっと答えてもらうだけでもいいんですよ」

「それを言うなら、こっちにもプライバシーの権利があるやろ!ましてこんな被災して疲れとるところに来るなんて……!」

「別に死者が出た訳でもないんでしょう?むしろ出なかった事が奇跡だから取材にきたんだし……」

「SNSにも色々と投稿があったんですよ。ここにいると思うんだけどなぁ」

 

 ……駄目だ。抗議にいった人達もマスコミの熱におされ気味だ。そこで私はこの間町長が言った事を思い出す。

 

(確かに、三葉が隕石落ちるなんて言っとった事がバレたらどうなるか、考えるだけでも恐ろしいわ……)

 

 神格化されるか、それとも特殊な力を持った実験体みたいな扱いを受けるか、どちらにしても三葉の人生に平穏という言葉は無くなる。こうなったら遣り過ごすしかない。そう思ったのだけど、しかし運の悪い事に、私はこちらを見たレポーターらしき人と目が合ってしまい……、

 

「ん、そちらのお嬢さん達もなにか知らないかな、ちょっと答えてもらいたいんだけど……」

「おい、やめや……」

 

 マスコミの人が私達に目をつけ、制止しようとする人達にかまわず、ちょうどこっちにやって来ようとした時、

 

「何をしてるんや!!」

 

 そんな中、大きく響く声が轟く。外に出てた三葉のお祖母ちゃんである、一葉さんが戻ってきたのだ。ちょうど勅使河原さん達の手伝いに出ていたテッシー達も一緒に戻ってきて、騒ぎを聞きつけたのか、急いで私達の元へやってきた。大丈夫か、と言いながらやはり三葉を庇うように立つテッシー達。それに頼もしさを感じながら、一葉さんの様子を伺う。

 

「いい大人が雁首そろえて、被災したワシらを馬鹿にしに来たんか!」

「い、いえ……、我々は取材に……」

「疲れとるワシらを叩き起こしときながら、取材も何もあるか!家を無くした者達を取材して、その悲惨な姿を笑いにきたんやろ!!」

「そ、そんなつもりは……」

「ここには被災した者と、それを助けてくれとるボランティアの方しかおらんのや!!アンタらみたいな邪魔しに来たモンは迷惑じゃ!!帰れ!!」

「そ、そう言わないで……、そこを何とか……」

「場をわきまえない!!事実、アンタらは邪魔しかしとらんじゃろうが!!隕石が落ちたショックでまだ体調がすぐれん者もおるに、それも見えんのか!!」

 

 一葉さんは威厳のある声で、有無を言わせず畳み掛けていた。流石のマスコミの人達もその迫力にたじろぎ、その勢いに乗って他の方達も援護に加わる。

 

「そうやそうや!常識を弁えない異端者どもめ!」

「こんな時に一体、何考えとるんや!さっさと出て行け!」

 

 援助に来ていたボランティアの方達も抗議をはじめ、旗色が悪くなり少しずつ撤収していくマスコミ達を見て、やっと私は一息つくことができた。

 

「大丈夫か、三葉、サヤちん。災難やったな」

「テッシー、ホンマ大事な時に傍におらんで……」

 

 口ではそう言ったものの、実際はとても感謝している。さっき私達を庇う様にしてくれたのはとても頼もしかったし……。まあ、テッシーにとっては私は三葉のついでだったのかもしれんけどね……。

 

「……全く、学者やらマスコミやらというんは何時の時代も礼儀がなっとらん……」

「戻ってみたら何やら体育館が騒がしくなっとるに……。何が起こったかと思ったわ……」

 

 そんな事を呟きながらマスコミの人達を追い払ってくれた一葉さんが戻ってくる。その傍らには四葉ちゃんもいた。そう言えば四葉ちゃんも一緒になって「大人の人ってジョウシキないんや…」なんて言っとったな……。小学生の少女にそんな事言われたら、流石に堪らないだろう。

 

「お姉ちゃん、大丈夫なん……?」

「四葉……、ごめんね…心配掛けて……。サヤちんも、ありがとう……」

 

 四葉ちゃんが三葉に駆け寄りながら心配そうに言う。ホントに四葉ちゃんはお姉さん思いのいい子だ。普段は結構ませてたり、大人びた考え方をする子だけど、ほとんど母親代わりだった三葉を心の底から大切に思っている。そんな姉妹の様子を見ながらテッシーが話しかけていた。

 

「まあ、三葉もあれから少しは落ち着いてきたんやないか?」

「うん……まあ、さっきはちょっと怖かったけど……。星が落っこちてきた時と比べたら大分よくなったと思うやさ」

「倒れた時もやが、避難を促しとった時、『あの人の名前が思い出せんの!』なんて言っとた時に比べれば大分マシになっとるに」

 

 テッシーがそう言った瞬間、三葉の顔が何やら強張ったのがわかった。……あの人?何のこと?

 

「私……、そんな事、言っとった……?」

「何言っとるんや。あの大変な時にいきなり何言い出すんやって思ったぞ。コイツ、マジで大丈夫かってな……。結局、俺の自転車もどっかにやってしまったみたいやし……」

 

 そんな事あったんや、と思っていたのも束の間、どんどん顔色が悪くなっていった三葉が突然と立ち上がるとフラフラと入り口へ向かっていく。心配になった私と四葉ちゃんが慌てて駆け寄るも……、

 

「三葉……?」

「……サヤちん、四葉……。ゴメン。ちょっとでいいから、一人にして欲しいんよ……」

 

 そう言って、三葉はおぼつかない足取りで体育館を出て行く。何人かが心配になって遠巻きに三葉を追っていくのが見えた。

 

「大丈夫やろか、三葉……、なんや思い詰めとったけど……」

「……後でワシも様子を見てくるやさ。あの子も色々抱えとるんよ。あの様子やと、夢をみとった時の事やろうな……」

 

 一葉さんがそんな事を言う。夢?夢って、あの、夢?ふと四葉ちゃんを見ると、また始まった……みたいな顔をしている。こんなやり取りが宮水家ではあるんだろうか……?結局、私はもう一つ気になった事をテッシーに聞いてみることにする。

 

「あの人って、なんの事やよ?」

「……ああ、あの星が降った日、三葉が言っとったんや。何やら泣きそうな顔で、いきなりそんな事言い出すもんやから俺も焦ったで……。まあ、状況が状況やったから、知るかあほうっ、これはお前が始めたことやって一括したんやが……」

「それは……、流石にひどいんやない……?」

「だから言ったやろう?あんな状況やなかったら話し聞いて、ヤバかったらお前や祖母ちゃん呼びに行ったと思うが、間もなく星が落っこちてきますって時にまともに対応できる訳ないやろう……。アイツ信じて変電所を爆破した直後やったし……」

 

 テッシーの言うことも一理ある。確かに私達は隕石が落ちてくるっていう三葉の言葉を信じて犯罪紛いな事をやったのだ。……最も私は成り行きで協力してしまったというのもあるのだけど……。

 

(ただ、さっきの三葉は……)

 

 とてもひどい顔をしていた。まるで、大切なものを無くしてしまったかのような……。

 

(……そう、あの時の三葉に似とるんや……)

 

 かなり昔、確か……三葉や四葉ちゃんの母親である、二葉さんが亡くなった時――同時にはじめて私が三葉と話して、そして友達になった日――

 

 

 

 

 

 あれは、6年前だったかな……。この糸守町で強い影響力を持っていた宮水神社の巫女で、三葉や四葉ちゃんのお母さんである、二葉さんが亡くなった。確か病気で亡くなったって聞いたけれど、周囲の人は「巫女として早くに神様に呼ばれた」なんて言ってたっけ……。お父さんやお母さんもそんな風に言っていた様な気がする。だから、私はその時は特別、何も思わなかったんだ。むしろ神様に呼ばれたんだったらいい事じゃないか、って思っていたかもしれない。

 私は定期的に宮水神社にお参りにいっていた。両親や、お姉ちゃんの影響なのかもしれないけど、悩みか何かがあった時は行くようにしていたんだ。お賽銭を入れて、お参りして。さあ帰ろうって時に、境内の隅で蹲ってる子がいるのが見えた。遠めにはわからなかったけど、近づいてみてそれが三葉だというのがわかった。

 

「どうしたん?どこかいたいん?」

 

 その時はあまり、三葉とは親しい仲ではなかった。むしろ、敬うべきというか、特別な子っていう印象の方が強かったかな?なんせ、糸守町にいたら知らない人はいない程、影響力を持っていた宮水神社の娘なのだから。

 

「…………おかあさん、いないんよ……」

 

 ボソリと、蚊のないたような声が聞こえる。顔色が悪く、とてもひどい顔をしていた彼女をほおってはおけなかった。

 

「……ふたばさんは……、すごいひとだから、かみさまによばれていったんやよ。だから……」

「…………それ、おばあちゃんもいってたやさ……」

「なら……」

 

 お母さんの為にも、元気だしない。そう言おうと思った時、でも、と三葉が呟いたのがわかった。そして、その言葉の続きを紡いでいく。

 

「でも……もうあえないんやよ……。もうにどと、おはなしもできないんよ……わらっても、くれないんよ!!」

 

 泣きながら叫ぶ三葉を見て、私は無意識に彼女を抱き締める。子供ながらにもわかった。私は、何を言ってるんだろう。神様に呼ばれた?それはとてもすごい事?自分の親が亡くなって、そんな事が言えるのか?今、目の前で泣いている三葉。私と同じくらいの歳なのに、母親がいなくなってしまった三葉。周りが二葉さんの死を受け入れているから、彼女は今まで自分の心の内を吐き出す事が出来なかったんだろう。

 

「……ごめんやさ。おかあさんがいなくなったんに、かなしくないわけ、ないやさ……」

 

 泣いている三葉を子供ながらに必死で慰める。お祖母ちゃんは達観し、お父さんは死を受け入れられてないのか、全く構ってくれず、幼い妹は母親の死をわかっていない。挙句周りの人は当然のように受け入れている。私が、私だけでもこの子の拠り所にならなきゃ。そう思って――

 この日、私は本当の意味で三葉と出会ったんだ――

 

 

 

 

 

 さっきの三葉は、あの時の、二葉さんが亡くなって、一人泣いていたあの時の三葉と酷似していた。大切なものを無くして、やりきれずにただ涙を流し続ける三葉に……。

 やはりほおっておけず、三葉の後を追おうとした矢先、

 

「ああ、早耶香ちゃん。克彦もここにいたか」

「テッシーの、克彦くんのお父さん……?」

 

 ちょうど体育館へと遣って来たのはテッシーのお父さんだった。ちょうど作業に一区切りついたのか、他の社員の方もあちこちで休憩しているのが見える。

 

「ごめんなさい、ちょっと三葉のところへ……」

「三葉お嬢さんは、今は一人にしてあげない。ウチの若いモンが遠巻きに様子を伺ってるに」

「でも……」

「それに、早耶香ちゃんには話しておかなきゃならん事がある。これは克彦にもや……」

 

 話しておかなきゃならない事……?それって……、

 

「今後の話や。勿論さっきのマスコミが来た件にも絡んどる。君だけでなく、親御さん達にも関係してくる事やから、時間を空けといてくれんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの人の名前が……!思い出せん!!」

 

 なんで今まで忘れていたのだろうか、テッシーに言われるまで、私は名前どころか、思い出せなくなってしまった事さえ忘れてしまっていたのだ。大分薄れてしまった掌の「すきだ」の文字を抱きしめながら必死に思い出そうとする。

 落ち着け、私。思い出すんだ。少しずつ、少しずつでいいから……。そう思って意識を集中させる。するとぼんやりとだけど、何かを思い出してくる。…………ノートに書かれた、見知らぬ文字……。家に帰って、何かに驚いていたっけ……。

 

(……そうやさ。はじまりは、ココ。……大丈夫。一歩一歩、辿っていけば……きっと……思い出せる……)

 

 何かにムカムカした感情、開放感に溢れた楽しい記憶、ドキドキした事、何やら哀しい出来事、嬉しかった思い出……。この一ヶ月、確かに体験したんだ……私は……。

 

(……そう、あの感じ、あの気持ち。こうやって記憶の輪郭をなぞっていけば思い出せるはず……)

 

 プツッ……

 まるでそんな音が聞こえたかのように記憶の糸が途切れてしまう。それに伴い、曖昧だったけど確かにあった記憶の輪郭が雲散してしまう。

 

(!!も、もう一度、確か、はじまりは……!)

 

 プツッ、プツリ……

 再び感情をなぞろうとするものの、記憶の糸が次々と途切れていく……。もう一度、もう一度慎重に……、はじまりは……あれ?なんだっけ?どこからはじまって……こういって……そういって……。どこ?違う、あの感情が……、感情?どれ?あれ?あれ??あれ???……嫌だ。諦めたくない!絶対に、思い出すんだ……。あの記憶を……!あの夢を……!!…………夢?夢って、何……?

 

 

 

 

 

 どれだけ時間が経ったのかわからない。何か大切な事を思い出そうとしていた気もする。ふと自分の掌に何かがうっすらと書かれているのが見えた。

 

(………………なに、コレ……?すきだ……?)

 

 ジワっと涙が伝ってくるのに気付き、ハッとする。何で泣いているのかはわからない。でも、わかった事がある。私はもう、二度と思い出せないだろう。そんな虚しさ、やりきれなさが湧いてきて、涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三葉……?そこにおるんか……?」

 

 宮水一葉がそこで見たものは、呆然としながら涙をただ流し続けている三葉だった。

 

「…………お祖母ちゃん……?」

 

 振り向いた三葉はまるで油の切れたロボットのようにぎこちないもので、とても見ていられない程、酷く痛々しい姿であった。

 

「………………思いだせん」

「……三葉……」

「お祖母ちゃん、私、何にも思いだせんの!!」

 

 泣きつく孫の姿に、心が締め付けられる思いがする。こんな姿を見るのは、二葉が死んだ時以来か……。

 

「三葉……」

「私には、確かにいたんよ!!大事な人が!忘れちゃダメな人が!!絶対に、忘れたくなかった人が!!!」

 

 号泣に近い三葉の告白を聞きながら、頭を優しく撫で続ける事しかできない。

 

「でも!もうそれも思いだせん!!そんな人がいたっていう事すら、わからなくなってまって……!!」

「それは、仕方ないんよ。三葉。夢は夢。目覚めればいつか必ず消えてまう。ワシにもあった事や……」

「え……?」

 

 泣き腫らした顔で見る三葉に、ワシは続ける。

 

「ここ数日、お前は夢を見とったんやよ。別の、人生の夢を。じゃが夢は必ず覚めるもの。……三葉。お前の夢は、もう終わってしまったんやさ」

「そんな……、じゃあ……」

「……三葉、それもまたムスビなんやよ。今はそのムスビは途切れてしまったのかもしれん。じゃが、また繋がる事もある。お前と、その忘れてしまった相手との間にはムスビが生まれとるのやから」

 

 おそらく、あの星が落ちてきた日に、三葉の身体に入っていた相手が、そうなのだろう。明らかに三葉ではない。そういう日が、度々あった。お互いが相手の人生になって、夢を見てる内に、ムスビが形を作ったのだ。

 真剣にワシの言葉を聞く三葉にある物を差し出す。

 

「これは……」

「今は無くなってしまった神社を見に行った時、偶然見つけての。お前のじゃろう?」

 

 いつ買ったのか分からない、青い砂の砂時計。みつは、と名前が彫ってある事から、この子のもので間違いない。家が無くなってしまったというのに、よく壊れずにいたものだ。三葉はソレを大事そうに胸に抱き締める。

 

「……お祖母ちゃん。私……、また会えるのかな……?」

「……それはわからん。じゃから信じるんやさ。安心しい。宮水の巫女が、孤独だった事はないんやから……」

「お祖母ちゃんッ……」

 

 そう言って泣きついてくる三葉を宥めつつ、ワシはある決心を固める。この子が幸せになる事を、祈りながら……。

 

 

 

 

 

「お義母さん、三葉は……?」

「もう寝てまったよ。大丈夫やさ。今は色々混乱しとるようやが、じきに落ち着くやろ」

 

 あれから避難所に戻り泣きつかれて眠った三葉を四葉にまかせ、ワシは職員室へと向かう。職員室に入るとそこには義理の息子である俊樹の他に、勅使河原一家や名取一家、そして宮水神社の主だった氏子の者達が集まっていた。三葉の事を聞いて皆少し安堵した様子が感じられる。三葉は今までもこの糸守町では特別な存在だったが、今回の件でますます二葉のように、いや二葉以上に神格化してしまったかもしれない。

 

「……皆に集まってもらったのは他でもない、例のマスコミの件だ」

 

 俊樹がそう切り出す。今日ボランティアの方達に混じってやってきた記者達は今回の避難の件を嗅ぎつけていた。特に、三葉の事を……。

 

「今日のところはとりあえず帰ってもらいましたが、次はどうなるかわかりません」

 

 今日は俊樹が神社で宮司をやっていた際に、彗星落下を匂わす描写があり、彗星が割れた事で、万が一に備えて避難させた、と記者達には説明した。実際のところ、神社の資料にそのような記述はなかったものの、今はもう湖の底に消えて探せなくなった為、今日のところはとりあえず納得して帰ったようだが、おそらく信じてはいないだろう。ワシにはよく分からんが、機械で情報が拡散してしまっているらしく、そこには三葉らしき少女が関与したらしいという憶測もあると聞いた。こうなっては、今や無き宮水神社の巫女であった三葉に注目が集まるのも時間の問題だろう。

 

「そうなる前に、私は三葉を県外へ出そうと思う。今日までに私の方でも何件か心当たりを打診してみたが、場合によっては皆の力を貸して頂きたい」

 

 反対意見はないようだった。未だ宮水神社に畏敬の念があるのは勿論、彼らにとって三葉は命の恩人と思っているのだろう。むしろ何でも協力を惜しまないと口々に言ってきていた。

 

「ただ、三葉だけを外に出すというのも不自然です。なので、克彦くんと早耶香くんには、三葉に付いて一緒に行って貰いたいのだ」

 

 親しい者にいた方が三葉の為になるだろう、そう言って義理の息子は2人に頼み込む。

 

「……俺はかまわんです。あの三葉をほおっとくのも心配や」

「私も、三葉の傍にいたいです」

 

 2人は即座に了承する。2人の家族には、予め伝えていたのか特に反対はなかった。ただ勅使河原工務店はこの糸守に残り、復興を目指すとのことで、いつかは宮水神社も再建すると言ってきた。…有難い事ではあるが、ワシは正直もう御役御免という気持ちもあるが。

 

(星が落ちて、神社も跡形もなく無くなってしまった今、もう語り継ぐ事の意味もわからん)

 

 あれ程神社に拘っていたが、三葉がワシらに避難を促さなかったら、全員死んでいただろう。それに……、

 

『もしかしたら、宮水の人たちのその夢は、全部今日の為にあったのかもしれない!』

 

 あの三葉に入っていたあの子はそう言っていた。あの時は戸惑った物だが、星が落ちた今となっては、ワシ自身そうかもしれないと思っている。そんな思いに耽っていると俊樹がワシを様子を伺いながら話しかけてきた。

 

「……最も、何処へ行くかは三葉に選ばせるつもりです。私自身、ある程度の伝手はありますが…、お義母さんも、ご協力願いませんか」

「……フン、どの口が言っとるか。今やアンタの方が、宮水の勢力を理解しとるじゃろうに。そうやって町長にまでなって、宮水の力を削ろうとしたアンタが何を言っとるんや」

 

 ……そう、二葉が死んだ時から、俊樹はあきらかに宮水の影響力を狭めようとしていた。それは二葉を死なせてしまった宮水を憎んでの事だったのかもしれない。勿論ワシも自分の娘が死んでしまった事に何も思わなかった訳ではない。ただ、嘆いていても二葉が帰ってくる事もないし、宮水の総代として構えていなければならなかった。だからワシはこれも定めなら仕方の無い事という態度を貫いていたのだ。

 

「それを言われると耳が痛いですが……。ただ今となっては二葉が最後に私に言った事、わかる気がします」

「……まあええ。今は三葉の事の方が大事や。そこのところはお前に任す。ただ、ちゃんと三葉へけじめをつけや。さもなくばワシは絶対に許さん」

「…………心しておきましょう」

 

 まだワシ自身は、俊樹に歩み寄る事はできない。歩み寄るにはいささかワシも俊樹も歳を重ね過ぎていた。しかし、一番大事だった宮水神社も無くなった今、三葉の件に片がついたならば――

 

(……まあ今は想像できんがな)

 

 そんな事を思いつつも、周りは今後の事について意見を交わしていく。三葉が何処に行くと言っても、日本各地に宮水の氏子や関係者がいるから対応も出来るし、転校の方も大丈夫だろう。財源に関しては、神社は完全に無くなったが、そこは俊樹が上手くやるに違いない。一番の問題はマスコミ関係であるが、俊樹自身は自分が矢面に立つ事を覚悟しているようで、三葉さえ目の届かぬ所に隠してしまえば噂も次第に鎮火していくと踏んでいる。

 そうやって色々な意見が飛び交い、それは深夜まで続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?県外へ転校……?」

 

 朝、一葉と俊樹に呼ばれて言われた事はそれであった。最初、何を言われたのかわからなかったが、段々理解が追いついてくる。転校はわかる。糸守高校はもう高校として機能しておらず、四葉の通っていた小学校に至ってはもう存在自体無くなってしまっていた。だけど何故、岐阜県ではなく県外なのかという事はわからなかった。

 

「……マスコミが既にお前をマークし始めている情報が入った。例の変電所爆破の際の動画が匿名で流れているようでな。幸い顔までは映っていないが、接触してくるのは時間の問題だ」

 

 お父さんに言われて考える。そう言えばあんなに派手に立ち回ったのだ。まして、その後の避難の呼び掛けといい、注目を浴びる要素はいくらでもある。私自身、無くなった宮水神社の巫女でもあるし、地元のケーブルテレビでも何度も取り上げられてたし……。

 

「それでお前の希望を聞きたいんだが、どこか行きたい所はあるか……?」

 

 どうもこれは決定事項らしい。まあ、私としては別に反対する事もないんだけど……。……疎遠だったお父さんからこんな事言われているのは、正直違和感しかないが。

 

「……………………東京がいい」

 

 長い長考の末、私はそう呟く。どうしてかは分からないけど、県外と言われて真っ先に思い浮かんだのは東京だった。勿論、憧れていた事は事実だったけど、それ以前に行かなければならないような気がした。傍に置いてあった砂時計に目を遣りながら、自分の希望を話す。

 

「わかった。手配しておく」

 

 そう言うと話は終わりだとばかりに、出て行こうとするお父さん。そんな父をお祖母ちゃんが引き止めた。

 

「……昨日ワシが話した事、もう忘れたんか?アンタは」

 

 それを聞き、父の足が止まる。しばらくそのまま状態が続き、私はどうしたんだろうと思っていると、やがてお父さんが振り向き、語りかけてきた。

 

「…………今まで、すまなかったな、三葉」

「……え?」

 

 そう言って頭を下げる。今のは…聞き間違い?それとも、夢?お父さんが……謝った?ポカンとしている私に父が続ける。

 

「……本当にすまなかった。お前にとっては私がお前を捨てたように思えたのだろう。実際、二葉が亡くなって、私自身精神がどうにかなってしまいそうだった。これまでもお前につらく当たってしまったのも事実だ。だが、私はお前の事を愛していなかった訳ではない。むしろ、お前を宮水から解き放ってやろうと思ったのだ。実際、お前が私に怯えてさえいなければ、お前だけでも連れて行きたいと考えていたのだからな。だから私は町政に乗り出したのだ。宮水中心の糸守町を変えるために……」

「…………でも、今までにお父さんのやった事は…」

「……わかっている。私がやった事が原因でさらにお前を追い詰めていた事は…。私は宮水の強い影響力を弱める為には惰弱だった町政に活力を与えるべきと考えた。その為には何でもやった。多少黒い噂がかまいやしない。自分の目標達成の為には、な」

 

 父の独白は続く。私は、お父さんの言う事をただじっと聞いていた。

 

「こんな事をいきなり言われてもお前も混乱するだろう。許してくれとも言わん。ただ、これだけは信じて欲しい。お前は、私と二葉の宝物だ。勿論、四葉も。二葉がいなくなり自暴自棄になった私ではあるが、その事だけは疑いようのない事実だ」

 

 そして再び背を向けるお父さん。私も正直いろんな思いがごちゃ混ぜになって、なんて言ったらいいのかわからない。出て行く間際に、

 

「…東京へ行くのはお義母さんと四葉の他に、勅使河原さんの所の克彦くんに、早耶香くんの家族も一緒に行ってもらう話はついている。金銭の事は心配しなくていい。当面はこちらで用意する。そして出来る事なら、宮水に縛られるのではなく、普通の人間として生きていってほしい……」

 

 そう残して、お父さんは出て行く。今までギクシャクしていた父との関係からか、なかなか素直に受け止めることはできない。それは、お父さんも分かっているんだろう。だけど、いつも尖ってた父の言葉が、今日は暖かく感じた気がした。

 

 

 

 

 

 ――そして出立の日。人知れず、私達は糸守出身の知人に軽のワンボックスカーで飛騨古川駅まで送ってもらう事になった。その人は、普段糸守町の近くでラーメン屋をしているようで、隕石落下の夜に糸守に帰ってきていたとの事だった。家族を守ってくれて有難う、もう何度聞いたかわからない言葉を言われる。曖昧な笑みを浮かべながら遣り過ごす事に、私も少し慣れてきたのだろうか。

 

「こちらの事は私にまかせておきなさい。絶対に、お前達に危害が及ばないようにしておくでな」

 

 お父さんは、そう言って私達を送り出してくれた。私達や四葉の通う学校に、住むところの手配まで全て父がやってくれたようだ。四葉は勿論だけど、お祖母ちゃんも心の中では感謝しているのだろう。お父さんが私に謝ってきた日以来、少しは自分の中で整理も出来てきていた。

 

(まあ、それでもまた別々で暮らす事になるんやけど)

 

 最も、今回は私達を守る為に離れるのだ。あの時とは違う。今まで私の中にあった、一つのしがらみは、解消されたのだ。もう出て行きたいと思っていた糸守町が、あんな形で無くなり、周りから注目されていた生活も終わりを告げた。……まあ、別の意味で注目されそうという事はあるが、それを避ける為にも東京へ行くのだけど。

 

(……東京、か……)

 

 星が降る前日、どうしてかはわからないけれど、私は東京へ行った。誰かに会う為、に行ったのだと思うけど、その事は思い出せない。ただ、一日中東京を歩き回って、そして、とても辛い思いをしたような気がする。

 

「……大丈夫なん?お姉ちゃん。あんなに憧れてた東京に行くんやよ?」

 

 隣に座っていた四葉が心配そうに話しかけてくる。ここ最近、四葉はいつも私を気遣ってきていた。

 

「大丈夫やよ、四葉。ちょっと、色々考えていたんやさ」

 

 心配掛けないよう笑顔を作って、私は四葉を撫でる。普段は私をからかってきたりする生意気な妹だけど、心の底から私を思ってくれている事に感謝しながら……。

 作り笑顔なのがわかってしまったのか、なお心配そうにこちらを伺っているらしい四葉には気付いていたけれど、私は窓の外を眺めながら思いを馳せていく。

 

(……私は、無くなってしまった物を見つける事はできるんかな……)

 

 手元の砂時計を握り締めながら、私はそんな事を思う。確かに一つのしがらみは無くなった。だけど、同時に新たに生まれた感情があった。単純に故郷が無くなってしまったという感傷だけではない、自分の半身のようなものが消えてしまったかのような強い喪失感。

 

「……東京に、それがあればいいんやけどなぁ」

「え?何か言った?お姉ちゃん」

「なんでもないやさ」

 

 そう言いながら、再び車の外へと視線を移す。次々と移りゆく景色を横目に見ながら、私は願う。東京に私の求めたものの答えが見つかる事を……。

 



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第5話

(…あと少しであれから、1年になるのか…)

 

 俺、藤井司がカフェで待ち人を待っている際に考え事をしていた所、ふとその事実に気付く。親友である瀧に付き添って、奥寺先輩と俺が一緒に岐阜へ行ってもう少しで1年。俺達も受験生となり、ここ最近勉強付けになっている。今日は息抜きに、ある人に誘われてこうして外に出ているという訳であるが…。

 

(…瀧たちは今頃勉強漬けかねぇ)

 

 受験生にとって休日は絶好の勉強日和だ。…まあ、外でこうしている俺が言うのもどうかと思うが。ただ俺自身は、この間の模試でも一次希望の大学にA判定を貰っているので、他よりは余裕があるのも事実だ。そうでもなければ、こうして暢気に外で人を待つ等する筈もない。

 近くにいたウェイターに新しいコーヒーを注文する。そうしてそれを待つ間、瀧の事に思いを馳せる。瀧のメル友がいるらしい岐阜への旅行から約1年…。あれから瀧は、変わってしまった。

 

(最近は、受験勉強にも漸く身が入ってきたようだが…)

 

 流石にこの間の模試のD判定は堪えたか、そうひとりごちる。ただ、あの旅行から帰った後、まるで抜け殻のようになってしまった瀧の姿が浮かんだ。いつもぼんやりとして、元気というか覇気のようなものが無くなってしまった瀧。話しかけたら一応返事は返すものの、気付いたら自分の掌を覗き込んでいる時もある。…正直、今のクラスで瀧に話しかけられるのは俺と真太くらいなものだ。勿論、嫌われているという訳ではない。むしろ、異性の評価といえば、瀧はかなり高い位置にあると思う。前の瀧を知る俺たちにとっては抜け殻のようだと評したが、見方を変えれば落ち着きのある大人っぽい雰囲気、とも言えなくも無い。

 

(だからといって、別に誰かと付き合う気もないようだが…)

 

 そうしていると注文したコーヒーが届き、それを一口飲もうとした所に声を掛けられる。

 

「ごめんね、司くん。待ったかな?」

 

 声を聞いただけで、彼女だとわかった。

 

「いえ、俺も今来たとこです」

 

 待ち人である、奥寺ミキ先輩に俺はそう答える。

 

 

 

 

 

「へぇ~、滝くんの事考えてたんだ~。そういえば、去年の秋頃だっけ?岐阜まで行ったのって」

 

 待ち時間に考えていた事を伝えると、彼女も乗ってくる。

 

「ええ。それで結局瀧の探し人にも会えずに戻ってきたやつです」

 

 岐阜に住むという知り合いに会いに行きたい。最初にそんな事言われた時は面食らったものだ。色々危なっかしい奴だから、美人局なんかに引っかかってやしないか心配になり、奥寺先輩に相談して付いていったのだが…。

 

(手掛かりは瀧の書いた風景絵だけってんだからな…)

 

 相手の連絡先はおろか、住む場所もわからないという、なんとも奇天烈で無鉄砲な旅行だった。

 

「でも…、あれからでしょ?瀧くんに元気がなくなったのって…」

「はい。俺達と別れた後、何かあったんですかね…」

 

 岐阜の旅館で一泊した翌朝、アイツは書置きだけ残して一人彗星被害を受けた糸守へと向かった。いなくなった瀧を追おうかとも思ったが、足が無かった為、仕方なく一足先に東京へと戻ったのだ。ちゃんとアイツは帰ってくるのかと心配だったが、それは杞憂だったみたいで、翌日学校に姿を現した時は安心したものだった。ただひとつ、まるで抜け殻のようになってしまった事を除いて…。

 

「…だけど、ひとつだけわからない事があるのよ…。ほら、人類史上まれに見る彗星が落下した悲劇の町って言われているけど、落ちた町の住民は奇跡的にほとんどが無事だったわけじゃない?なのに、あの時の瀧くんの顔…、どうにも腑に落ちないのよね…」

 

 1年前の事だから大分忘れているからかもしれないけれど、と前置きした上でそんな事を話す先輩。そういえば…、と俺はまた当時の事を思い出そうとする。

 あの時は、探し人に会えなかったショックか、とも思ったが、それだとするとあの絶望したような瀧の表情と辻褄があわない。あれは、もう二度と会う事ができないという事実を突きつけられたかのような顔だった。あの市立図書館で調べた糸守町の記述は、どれもそんな表情を引き出すようなものでは無かった筈なのに…。

 

「…まあ、今更考えても仕方ない事ですけどね…。確かなのは、あの日からアイツは変わったという事だけです」

 

 そうなのよね~、とごちる先輩に俺は切り出すことにする。

 

「さて、そろそろ行きましょうか。折角、俺の気分転換に付き合って頂いているんですし、いつまでも瀧の事を言っていても始まりませんしね」

「おっ、言うねえ。じゃあ司くんのお手並みを見せてもらいましょうか?」

「ははは…。まあ瀧みたいに行き当たりばったりにはしませんよ」

 

 そう言って俺たちは席を立ち、カフェを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの、糸守に行ってからだろうか。あの時から何かを…、常に何かを探しているような気がする。

 受験勉強の合間、ずっと集中していた反動に、俺は机に突っ伏していた。勉強にのめり込んでいる時は気にならなかった事が少しずつ首をかまけてくる。またか…、と俺は憂鬱になりながらも、ふと机の隅に置いてあった砂時計に目をやる。いつから置いてあるかわからないそれを眺めながら、俺は心を落ち着かせようとしていた。サラサラと落ちる青い砂を見ていると、何かを思い出すような気がしてくる。大切な何かを、無くしてしまった何かを…。

 しかしながら、眺めていた砂時計は全て下に落ちきってしまう。休憩時間は終わってしまったようだ。

 

「……あと3分だけ」

 

 俺は再び砂時計を逆さにする。先程と同じように、勢いよく流れていく砂時計をぼんやりと眺めながら、俺は先日の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

「立花くん、立花くん!」

「………え?」

 

 俺を呼ぶ声にハッと我に返る。気が付くともう既に放課後になっているようだった。

 

「もう…、全然反応してくれないんだもん…。ひょっとして寝てたの?」

「え…?」

 

 そう言われて俺はふと考える。そういえば、午後の授業の内容をちっとも覚えていない。なんとなく教室の外の景色をぼんやり見ていて…、正直彼女に話しかけられるまで今の状況にもまるで気が付いていなかった。

 

「……私、目を開けたまま寝てる人なんて、初めて見たよ…」

「は…はは…」

 

 呆れた様な感じで彼女、三枝さんは腰に手をやりながら立っていた。―――三枝みずきさん。司達の話によると、この学校でも1、2を争うくらい人気があるらしい。彼女とは2年の時より、席が近かった関係で今でもたまに会話する仲だ。……どういうきっかけで話すようになったかはまるで覚えていないが。

 

「何か…悩み事…?」

 

 いつの間にか心配そうにこちらをのぞき込んでいた彼女に俺は慌てながら弁明する。

 

「ああ、ゴメン。別になんでもないんだ」

 

 首のあたりを抑えながら席を立ち上がると、俺と彼女以外教室には誰もいない事に気が付く。

 

(…司達も帰っちまったのか?あいつら…、俺を置いていきやがって…)

 

 白状にも俺を置いていった事に対する追求は後で行なうとして、これからどうするか。そんな事を考えていると三枝さんがおそるおそるといった感じで話しかけてきた。

 

「立花くんさ…、この後何か予定ってある…?」

「え?いや、特にないけど…」

 

 この後やる事といったら予備校もないし、家に帰って勉強するくらいだ。俺の返答を受けて少し安心したかのように見えた彼女はこう切り出してくる。

 

「何も予定がないんなら、さ…。一緒に、帰らない…?」

 

 

 

 

 

「…立花くん、何かしゃべってよ」

 

 そう言われてもな…、と心の中でごちる。こうした経緯で三枝さんと2人で下校している訳だが、当然会話など続くわけが無い。以前に奥寺先輩とデートした際に分かったことだが、俺には対女性スキルが決定的に不足している。

 

「ごめん、何を話せばいいのかわからなくて…」

 

 こう返すしかない俺は我ながら駄目だとは思う。でも、どうしょうもないのだ。むしろまさかとは思うが、司達、こうなる事がわかっててあえて俺を置いていったわけじゃないだろうな…?そんな考えすら浮かんでくる。

 そんな俺の様子をみて、ひとつ息をついた彼女は話題を変えてきた。

 

「ねえ、私達がはじめて話すようになった時の事、覚えてない?」

「話すようになった時…?そういえば、いつだったか…?」

 

 さっきも思った事だが、はっきりいって彼女と話すようになった時の事は覚えていない。元々、彼女が俺の前の席に座っていたりと、比較的近くにいて、それでいつの間にか他愛の無い事を話すようになっていたのだ。

 

「…ほら、コレ…。このキーホルダー…」

 

 そう言って彼女はハリネズミのキーホルダーを見せてくる。なんだろうこれ…。なんか、見覚えもあるんだけど…。ハリネズミ…?うーん…。

 

「お母さんから貰ったお気に入りのマスコットのキーホルダーだったんだけど、ある日破けちゃって…。途方にくれてた私に貴方が助けてくれたんだよ」

「お、俺が…助けた…?」

「覚えてない?貴方が慣れた手つきで破けた部分を縫い合わせて直してくれたじゃない。あの時は…、吃驚しちゃったけど…、本当に嬉しかった…」

 

 俺が?マスコットを?直した??なんか、何処かで聞いたような話だ。俺には全く覚えが無いのに、俺が出来るわけないのに、それなのに何故か俺がやった事になっている…。確か奥寺先輩にも似たような事を言われたっけ…。

 

「…俺、裁縫苦手なんだけどな…」

 

 目線を逸らしながら頭の後ろに手を当てて答える。流石に面と向かって覚えてないと言い切ってしまうのは憚れた。

 

「…そうだね。普段の立花くんは…、とてもそんな事が出来るだなんて見えなかった…。だから私、とっても驚いちゃったよ」

 

 でも、と続ける三枝さんは俺をジッと見つめてくる。

 

「でもね…、確かにこの子を立花くんが直してくれたの。それからよね、少なくとも私や他の子達とも話すようになったのは」

 

 普段は藤井くん達としか、あまり話さないのにね、と彼女は付け加える。…そういえば去年の秋頃だったか、俺の周りの人間関係が急に変わった気がする。記憶に無い出来事が続き…、それに戸惑う日々。

 

「だけど…、最近の立花くんは…。見ているのが辛い…」

「三枝さん…?」

 

 話の内容が変わり思わず聞き返すと、三枝さんは立ち止まり俺を真っ直ぐに見ていた。

 

「立花くん、最近元気ないよね…。ううん、元気がないというより…、なんというか…、まるで大切なものが無くなってしまったかのよう…」

「大切な…もの…?」

「…立花くんは覇気があって、時々衝突する時もあるけどいつも真っ直ぐで…。それでいて困ってるのを助けてくれたり、意外と繊細なところもあるよね。でも、今の立花くんは…、とても見ていられない…」

「………」

 

 …大切なもの、か…。そう言われて俺は右手を見る。とても大切なものが、前にあった気がする。知らず知らずの内に右手を見る癖がついた。何かの意味があったのか、それすらも今の俺には、思い出せない…。

 

「わからないんだ…」

「え……?」

「…何か、大切な何かが、俺の中から無くなって…。それがなんなのかも、わからなくて…。なんかさ、心に隙間ができたというか…」

 

 そう、言うしかなかった。忘れたくなかった。忘れちゃダメだった。そんな何かが、俺にはあった筈なのに…。

 

「……私じゃ、その隙間は…、埋められないかな…?」

「え………」

 

 思わず聞き返してしまう。え?今なんて?

 

「中学校の時から見続けた貴方に…、そんな顔をして欲しくない…。もし、その心の隙間を、少しでも埋める手助けが出来るのなら…」

 

 き、聞き間違いじゃない!こ、この流れは、もしかして…!

 

「私と…付き合って、くれないかな…?」

 

 顔を真っ赤にしながら想いをぶつけてくる彼女に俺は身動き一つ取れずにいた。というよりも、どんな反応をすればいいかもわからなかった。突然の告白に戸惑っていると、

 

「別に、今じゃなくていいの。今は…お互い受験が第一だし…。だから…、今じゃなくても、いいから…」

 

 そう言って上目遣いでこちらを伺ってくる。真っ赤になりながらもこちらを見つめてくる姿は正直、かなり可愛い…と思う。彼女の肩のあたりまで伸ばしている流れるような黒髪が靡くのを見て、一瞬既視感のようなものを感じた。

 

(あれ…?この感じ、何処かで………)

 

 かつて、何処かでこんな出来事があった気がする。あれは…いつだったか…。

 

『名前は―――!』

(―――!!)

 

 一瞬、長い黒髪を束ねていたものを振りほどくイメージが浮かんだ。誰かはわからないけれど、酷く懐かしい感じがする。それはやがて目の前の彼女に重なり、消えた…。

 

(………似ている感じがするけど……多分違う…)

 

 何が違うかはわからないが…、恐らく先程の彼女とは違う。そして俺は、恐らく探しているのかもしれない。いや…、探している!

 

「…ごめん、三枝さん。俺、今は…、誰とも付き合えない…」

 

 今じゃなくてもいい。その言葉に甘える事は出来た。でも、俺は想いを伝えてくれた彼女に誠実でいたいと思った。だから、答えを出す。

 

「…さっき、なんとなくわかった。俺には、探してる誰かがいる…。思い出せないけど…、忘れてしまった誰かを…。だから…」

「…そっか。やっぱり、ね…」

 

 俺の答えを聞き、三枝さんは溜息をつくと目を瞑り呟いた。

 

「なんとなく、そんな気がしたんだ。立花くんは、何かを無くしたって言ってたけど…、多分女の子なんだろうな、てね…」

「…………ごめん」

「謝らないでよ…、むしろ…有難う。私の告白に…、誠実に答えてくれて。やっぱり貴方は、思ったとおりの人だった」

 

 目尻に涙が浮かんでるのが見えた。だけど、俺は彼女の想いに答える事が出来ない。だから、せめて彼女を見続ける事にする。

 

「想いを告げた事に後悔はないけれど…、今まで通り友達では、いてくれるよね?」

「…ああ、勿論だ」

「…有難う、立花くん」

 

 そして、彼女は顔を見られないように俺に背を向けて歩き出す。その姿を見送ろうとした所、三枝さんは立ち止まり、そして…、

 

「……いつか、立花くんが探している人に、出会えたらいいね!」

 

 振り返った彼女の顔は、笑顔だった―――

 

 

 

 

 

「…彼女には、悪い事をしたかな…」

 

 だけど、自分の気持ちに嘘をつく訳にもいかない。それに、そんなんで付き合ったりしたら彼女にも悪い、そう思い直す。

 気が付くと、青い砂は底に落ちきっていた。随分長い間、感傷に浸っていたのかもしれない。

 

「…もうこんな時間か、流石に勉強に戻るか…」

 

 この前の模試は集中できていなかっただけだと証明しないといけない。もう受験までそう日も無いし次で結果を出さないと、志望校を変更する事にもなりかねない。

 

「よし、じゃあ英語からはじめるか…」

 

 再び集中力を研ぎ澄ましていく。そして、俺は手元の問題集に挑んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ、流石は司くんね。そこのところは瀧くんと違ってしっかりしてるわねー」

 

 司くんと気分転換という名のデートを終え、シャワーを浴びて部屋着に着替えた私はそうひとりごちる。彼は高校生とは思えない程しっかりしてるし、行き当たりばったりに近かった瀧くんとは違って、十分私をエスコートしてくれた。

 

「まあ、瀧くんを引き合いに出しちゃうのは可哀想か…」

 

 瀧くんと司くんはまるで正反対なくらい性格が違う。熱くなりやすい瀧くんに冷静な司くん。それでいてあんなに仲がいいのは、互いに無い部分を補っているからだろうか。そして2人の調整役として高木くんがまたいい味を出している。

 

「本当に、いい子たちよねぇ…」

 

 特に危なっかしいところのある瀧くんを司くんたちがフォローしているという事が多いが、逆に瀧くんも2人を気に掛けている。それぞれがお互いを思いあっていて、あの3人は私の自慢の後輩たちだ。ただ、しいて言うのであれば…、

 

『―――奥寺先輩ッ!!』

 

 …そう、あの時の、私が好きだったあの可愛い感じ瀧くんが、現れなくなってしまったという事…。

 

「…そういえば、あの時か…。私が、彼を最後に見たのは…」

 

 そうして、私はあの時を思い出す…。それは奇しくも彼と初めてデートする前日の事…。

 

 

 

 

 

「わぁ、いいですねぇ!私、まだここのタルト、食べてないんですよぉ~」

 

 この前スマフォで撮った写真を目を輝かせながら食い入るように見る瀧くん。たまに彼は人が変わったかのように性格が異なる日がある。今日もその日のようで、私はまるで女の子のように可愛い瀧くんの事が気になってしょうがない。

 

「今度の月曜日、一緒に行ってみない?確か瀧くんの高校、創立記念日でお休みだったよね?」

「え?…あ、ほんとだ…赤丸してある…」

「この間、言ってたじゃない。もう予定とかいれちゃったかな?」

「あ、大丈夫だと思います。じゃない…大丈夫ですよ!!」

 

 楽しみだな~と、本当に満面の笑みでニコニコしている瀧くんを見てると、こっちも嬉しくなってくる。…まさか私が年下の子を好きになるなんてと思ったこともあるけど、人を好きになるのに理由なんてないのかもしれない。彼からの好意のようなものには私も気付いていた。いや、瀧くんだけじゃない。他のバイトや社員の人たちからも好意を感じるし、何人かに告白された事もある。今後の関係がおかしくならないように上手に断る事は出来たけど、今度はまさか私自身が…。…本当にわからないものだ。

 

「フフッ…じゃあデートのエスコート、よろしくね」

「え?デート?」

 

 不意をつかれたかのポカンとした様子で聞き返してくる瀧くんに、ふと小さな違和感を覚える。

 

「あら?そのつもりだったけど、違った?」

「い、いえ!そ、そうですよね!デート…、あれ?でも…」

 

 何か小声でボソボソ呟いている瀧くんをみて、怪訝に思い、聞いてみる。

 

「…もしかして、やっぱり予定があった…?」

「あ…、それは大丈夫です!私、とても行きたいですし!!」

「そう?ならよかった」

 

 そう答えてくれる瀧くんに嘘はなさそうだ。本当に私と出掛けるのを楽しみにしている様子が見ただけで感じられる。だけど、何だろう、この違和感は…。どこかショックをうけているような、そんな印象を彼から感じる。

 

「じゃ、楽しみにしてるからね」

「…はい!私も、です!」

 

 瀧くんが「明日も私でありますように…」なんてポツリと小声で呟いているのが聞こえた気もする。いくらか違和感を感じながらも、今日はそれでお開きになった。

 

 

 

 

 

「……結局、あの時が最後なのよね…。あの『瀧くん』と最後に会ったのは…」

 

 デートに現れた瀧くんは、いつもの瀧くんだった。良くも悪くも不器用な瀧くんとの会話が上手く噛み合わず、デート途中で解散となってしまった。

 

「それに…彼には既に…」

 

 あのデートの時、わかってしまった。瀧くんは、私以外の誰かを見ていた。それが誰なのかはわからないけど、今もそれはわかっていないけれど。あの時の彼には確かにいたのだ。それは、間違いないと思う。

 

「……これってやっぱり、振られちゃった、て事かな…」

 

 私は確かに瀧くんが好きだった。だけれど、振られたのかどうかは、よくわからなかった。振られる以前に、私が好きだった瀧くんの面影が、わからなくなってしまったのだ。だから、彼が飛騨へメル友を探しに行くと司くんから聞いて、私も付いていこうと思ったんだ。このモヤモヤした感情に答えが出ると信じて…。

 

(………でも、ますますわからなくなっちゃったのよね…)

 

 結局、探し人には会う事は叶わず、さらには瀧くんは一人いなくなってしまった。仕方なく司くんと一緒に東京に戻り瀧くんを待ったんだけど、戻ってきた彼はまるで抜け殻のように覇気が無くなってしまっていた。今までの可愛い瀧くんも、熱くなりやすい瀧くんも…、あの時以来見えなくなってしまった。バイトの時もぼんやりしている事が多くなり、気が付けば自分の右の掌を見ているのをよく目にするようになった。

 

「…………ふう」

 

 考えても仕方が無い。瀧くんがあのようになってしまった以上、もう答えは出ないのかもしれない。実は今日の気晴らしだって、瀧くんや高木くんも誘ったのだ。だけど、瀧くんは勉強したいと言い、高木くんも用事があるという事だった。

 私は部屋の電気を消し、静かに寝台に横たわる。目を瞑ると一瞬、あの『瀧くん』の笑顔が頭に過ぎった。すぐにそれは消えていったものの、その残像は私の心に残る。

 

(また、あの瀧くんに、会いたいな…)

 

 そして、自分の心に決着をつけたい。そう思いながら、私の意識は夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本格的に暑くなってきたな…」

 

 現在7月の終わり、もうすぐ8月になろうというある日、もう夏休みに入っているのだが、高校の夏期講習の為に俺はこうして通学している。今日は午前中で講習も終わり、そのまま家に帰る気にもなれず、司たちに気分転換にでも行くかと誘われたものの、なんとなく今日は一人で居たい気分だったので、こうして当ても無くただぶらぶらと歩いていた。そんな感じでいたらいつの間にか須賀神社の階段の前まで来ていた。

 

「……お守りでも買っていくか」

 

 偶然とはいえ、気が付いたら神社の傍にいたというのも何かの縁だ。次の模試は結果を出さないといけないし、縁起を担ぐ意味も込めて、俺は学業成就のお守りを買う為に階段を登っていく。

 

「ん…?」

 

 一段ずつ階段を登っていると、なにやら違和感を覚えてくる。一瞬見覚えのある黒髪を紐で複雑に纏めた女子高生が後ろにいる気がした。

 

(今のはッ!!)

 

 勢いよく振り返るも、そこには誰もいない。

 

「…気のせい、か…」

 

 俺はまたか、と思う。…時々俺はそんな錯覚に陥る事がある。今回も、そうなのだろう。忘れてしまった何かが、俺にそうさせているのかはわからない。でも…、

 

(…俺には、絶対に忘れてはいけない何かが、誰かがいた筈なのにな…)

 

 立ち止まっていた足を動かし再び階段を登りながら、そんな事を考える。何かとか誰かとか、結局何もわからないのに。答えの出ない思考に堂々巡りになっていたそんな時、

 

「ッ葉ー!はよ来ない!午後の講義、遅れてまうよ!!」

 

 階段の下の方で、何やら覚えのある訛りを持つ女の子の声が聞こえた気がして、俺はふとそちらを見る。遠めに見ると、おさげをした女性が誰かを呼びかけていたようだ。

 

(…何処かで、会ったか…?何か、見覚えがあるんだけどな…)

 

 一瞬そんな事を考えるもすぐ過振り振る。講義という言葉も使っていたし、あれはどう見ても女子大生だろう。俺に、女子大生の知り合いといえば奥寺先輩や他のバイト先の先輩くらいだ。そして、彼女はそのどれにも当てはまらない。

 そう思い直し、俺はまた神社の方に向き直りその場を後にする。なんとなく後ろ髪が引かれるような気がするが、気にしていても仕方が無い。本来の目的を思い出し、俺は神社へ向かい、学業成就のお守りを買いにいく。

 

「…折角だから、お参りもしていくか…」

 

 神社は願いを叶えて貰う場所ではなく、日頃の感謝を神様にお礼をする場所。それにより、神様がその信心に免じ加護を与える場所。誰に聞いたのか忘れてしまったが、俺はそのように思っている。

 

(本当に神様がいるかどうかはわからないけど…)

 

 それでも、願わずにはいられなかった。無くした物が、無くした思いが、見つかりますように…。このモヤモヤした想いが、いつの日か晴れますように…。叶うかどうかはわからないが、勉強の事は置いておいて俺はそんな事をお参りする。いつかそれが解消する事を夢見て…。

 



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第6話

「…ごめんなさい。私、今誰とも付き合う気がないんです」

 

 もう何回目かもわからない告白に、私はまた同じ事を答えている。東京の大学に無事合格してはや3年。何故かはわからないけど、よくこうして告白されるようになった。別に糸守町にいた時から何か変わったという訳でもないのに一体どうして…。

 

「そんな…。宮水さん、他に誰か好きな人でもいるんですか!?」

 

 …普通はそうですか…、で終わる事が多いのだけど、今日は少し相手が食い下がってきた。私は内心で溜息をつきながら相手の事を伺う。成程、事前にサヤちんが言っていたように結構かっこいい人だと思うし、イケメンかと言われると充分納得もできる。確かバスケットのサークルに入っていて、その中でもエースでキャプテンだとか言っていたっけ…。俺からの誘いを断るだなんて…。きっと彼はそう思っているのだろう。今までそんな事もなかったのだろうし、まさか振られるなんて思ってもいなかった、そんな表情だ。

 

「………貴方じゃないんよ」

「え?今なんて??」

 

 …いけない。心の中で呟いていたつもりだったが、実際に声が出ていたらしい。幸い小声で、相手には聞かれていなかったようだけど、気をつけないと…。そう思い直すと、私は彼に向き直り、改めて自分の意思を彼に伝えた。

 

 

 

 

 

「また断ったん?三葉」

 

 大学構内の学食の中で、そう言ってくる私の親友、サヤちん。彼女は今は無き糸守町から私と一緒に東京に来てくれたかけがえのない親友だ。そんな彼女の言葉に困ったような笑みを浮かべながら、うん…、と答える。

 

「まあ、しゃあないやろ。三葉は別嬪やし、伊達に糸守一の美人と言われていた訳やない」

 

 とテッシー。彼も私の大切な幼馴染の一人で、やはり一緒に東京に来てくれた。今は彼のお父さんの仕事の伝手でもう働いており、こうしてたまに時間を作っては私たちに会いにきてくれる。……て、糸守一の美人ってなんよ!?

 

「なーにー?それって私は全然って事なん?」

「…誰もそんな事言うとらんやろ…」

「どーだか。今も三葉の事が気になっとるんやないのー?」

「お前なあ…」

「フフッ…本当にあんたたち、仲いいなぁ」

「「良くないわ!!」」

 

 と見事にハモるところも相変わらずだ。でも、糸守町にいた時と比べて変わった事もある。実はこの2人、付き合っているのだ。前からこの2人が上手くいくよう祈っていた私にとってその事を聞いた時、久しぶりに暖かい気持ちになったっけ…。現在は一緒の大学に通う私とサヤちんとは別に、テッシーは彼のお父さんの伝手で、もう仕事に就き、働いている。たまにこうして私達に、いや主に彼女であるサヤちんに会いに来ているという訳だ。

 

「でもいいの、三葉?今日告白してきた彼、私が言うのもなんやけど、結構いいと思ったけど…」

「うん…。なんとなく、なんやけどそんな気分にはなれんかったんやよ…」

 

 上京してから何度と無くしてきたこの会話。特に2人が付き合いだしてからは、よく私を心配してかこんなやり取りをしている。テッシーたちが上手くいった事はとても嬉しい事だけど、ふと寂しくなる事もある。そんな時は決まって自分の右手の掌をぼんやりと眺めていたりする。まるでそうする事で、何か大切な事を思い出すかのような、そんな気分にさせられるのだ。…でも、結局は何も変わらない。

 

「三葉、折角そんなモテるんに…。糸守にいた時と違って、かっこいい人ばっかやろ。今日の人やってそうやったし…」

「…………その言い草やと、俺はかっこよくないみたいに聞こえるんやが?」

「テッシー、話の腰を折らんといて!…私が言いたいのは、三葉は彼氏作ろうとか思わんのって事やよ!」

 

 何時に無く詰め寄ってくるサヤちんに若干困惑しながらも、私は考える。

 

「ごめん、サヤちん。私の事、心配してくれとるんよね。私も彼氏がいたらなって思う事はあるんやよ。でも…相手の人の事、何も知らんし…」

「だったらちょっと付き合ってみればええやないの。そんなこと言っとったら誰とも付き合えんよ?」

「それはわかってるやさ。だけど、どうしても付き合ってみようとは、思えないんやよ…。それに…」

 

 そして一息つき、静かにこう続ける。

 

「私は……今は作る気にはならんの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今は作る気にはならんの、か…」

 

 次の講義があるから、と先に行った三葉を見送りながら、私はそう口にする。

 

「なんや、気になるんか」

「当たり前やないの!私たちの、大事な親友なんよ!」

 

 自分でもあつくなっているのはわかっている。でも、止める事が出来なかった。テッシーと付き合うようになって、三葉を一人にしてしまった。そんな感覚に陥っているのかもしれない。

 

「お前の気持ちもわかる。だが、三葉の問題や。俺たちがとやかくいうもんでもないやろ」

「そやけど…」

「ま、こうしてたまに三葉の橋渡しになるのはええかもしれんが、決めるのはアイツや」

 

 テッシーはそう言って持っていたドリンクを飲む。そんな彼を横目に私は三葉の事を考える。三葉は容姿もさることながら、宮水神社の巫女として厳しく躾けられていた為か、仕草一つとってみても品があり、華がある。女の私から見ても、たまにドキッとさせられる事もあるくらいだ。それでこうして大学に入学し、周りが彼女をほっとかなくなった。三葉自身は気付いていないようだけど、ウチの大学でミスコンがあったら間違いなく1位になるくらい人気があるのだ。こう言ってはなんだが、男を選び放題な状況にある三葉なのに、彼女は全く彼氏を作ろうとしない。さっきの台詞もそうだし、そこでふと私は最近流れている三葉の噂の事が頭を過ぎった。

 

「…まさか三葉、女の子の方が好き……てことはないやよね」

「バッ…!」

 

 隣のテッシーが飲んでいたものを噴出しそうになりながら、こちらを睨む。

 

「…何よ、私なんか変な事言った?」

「お前なぁ…、流石にそれはないやろ!?飲んでたもん噴きそうになったやないか!」

 

 アンタ、ちょっと噴いてたけどね、とは言わないであげよう。

 

「でも実際に噂も流れとるんよ。誰が口説いてもオとせんからそっちの趣味なんかも…て」

「所詮噂やろ。おおかた振られた男の僻みってヤツや」

 

 口元を拭いながらそう言うテッシーに成る程と相槌をうつ。私も本気で三葉がそっちの趣味であるとは思っていない。まあ高校の頃、女子にも告白されてた事もある三葉だけど、確か断っていたし。

 

「でも、三葉、よく寂しそうな顔をする事があるから…」

 

 テッシーと付き合いだしたからこそ余計に感じているのかもしれないが、三葉はぼんやりと物思いに耽っている時が増えた。そりゃあ元からぼんやりしている所があるけれど、最近は声を掛けるのも躊躇われるくらい儚く、遠くを眺めていたり自分の掌を見つめていたりしていた。

 

(彗星が糸守町に落ちたあの時と比べれば、今は全然やけど…)

 

 それでも、そんな三葉の姿を見かける度に心が締め付けられそうになる。せめて誰か、私たち以外に三葉を心から支えられる人がいてくれればと、そう思ってしまうのだ。

 

「お前の気持ちもわかるってゆっただろ。俺たちが付き合いだして、三葉を一人にしてしまった…。だからなおさら責任みたいなもんを感じてしまってるんやろ」

 

 真剣な顔をしてこちらを見つめてくるテッシー。惚れた弱みなのか、私は彼のその顔にドキドキしてしまう。

 

「三葉がまだ彗星の時の事を引きずっとるんはわかっとる。たまにぼんやりしとるのも、あの時の事を考えとるんやろう。だけどな、だからといって三葉を心配しすぎても仕方ないやろ。ましてや、俺たちが付き合いだした事に対して責任を感じる必要もない。喜んどったやろ、三葉は!」

 

 そう言われて当時、テッシーと付き合い出した時の事を思い出す。

 

 

 

 

 

「おめでとうっ!サヤちん!!テッシー!!」

 

 テッシーと付き合う事を報告した際、満面の笑みでそう祝福してくれる三葉に、ありがと、と小声でお礼を言う。今の私の顔は真っ赤になっているに違いない。隣に居るテッシーもなんだかむず痒そうにしているようだった。

 

「でもようやくかぁ~。本当に長かったやね…」

 

 そしてしみじみとした感じでそう呟く三葉。上京してきて約2年、私と三葉は大学に入学し、テッシーは既に社会人として働いている。三葉のその言葉を聞き、私はますます真っ赤になる。

 

「ちょっと待てや、三葉。ようやくってどういう意味や?」

「…やっぱり気付いてなかったん?本当に鈍感やなぁ。サヤちんはね…」

「あー!三葉ッ!!ストップストップ!!」

 

 こ、こんなとこでバラさんといて!恥ずかしいッ!!

 

「ま、いいや。でも本当によかった。ずーっと2人が上手くいくようお祈りしてたんやよ?」

 

 そう言って胸をはる三葉。そういえば三葉は私たちの事をずっと応援してくれていた。

 

「あ、有難う、三葉」

「なんか、釈然とせんけどな…、一応礼を言っとくで」

「フフッ、どういたしまして!」

 

 本当に嬉しそうにしている三葉を見て、私はふと懐かしい感覚に陥った。彗星が糸守町に落ちて以来、殆ど笑顔を見る事が出来なくなっていた三葉。今のその笑顔に、私は当時の三葉の姿を重ねていた。

 

「2人は…私の大事な親友で、幼なじみやさ。だからテッシー。浮気なんかしたら許さへんよ。そんな事したら…呪うから!」

「怖いわ!!浮気なんてする訳ないやろ!」

「冗談やよ。まぁ、テッシーにそんな事する甲斐性があるとも思えんし…」

「…お前なぁ」

「サヤちんも、なにかあったら私に言ってね。いつでも相談にのるでね」

 

 いつかのようなやり取りに私も心が軽くなる。あの時も、糸守町でこんな風に3人で笑いあっていた。文句を言いながらも、3人で…。2年前くらいの出来事なのにずっと以前のように感じてしまう。それだけ、あの事件は私たちにとって衝撃的な事だったのだ。だから、せめて今だけでも、あの時のように…。

 

「うん、その時は宜しくね。三葉!」

「任せて!サヤちん!」

 

 

 

 

 

「そうやって、その日は3人で盛り上がっていたっけ…」

「…アイツは、三葉は俺たちが付き合い出した事をとても喜んどった。だから、お前も三葉を一人にしてしまったなんて事を感じる必要もなければ、責任もないんや」

 

 三葉は…、前から私の気持ちに気付いていた。だから、応援してくれたんだ。テッシーが、本当は三葉の事が好きだったという事も、気が付いていたに違いないのに…。そして…、私たちが付き合い出した時も…、心の底から私たちを祝福してくれていた…!

 

「…俺だって、三葉の事を心の底から支えてくれる奴がいてくれたらって思っとる。親父や…、三葉の親父さんからも、三葉の事を頼まれとるでな…。今だってこうしてそれとなく見守っとるつもりやし、何かあったら動けるようにもしとる。…まあ、最近は例の事も嗅ぎつけてくる奴もおらんしな…」

 

 テッシーの言う通り、そもそも三葉や私たちがこうして上京してきたのは、マスコミから身を隠すという目的があったからだ。隕石落下を予言しただの何だのと、三葉の周りを嗅ぎつけてきた人たちの目晦ましとなるべく、各地にいた宮水家の氏子さんたちからの協力を得て、こうして東京に来る事が出来た。恐らく三葉のお父さんたちとの間で色々なやり取りがあったんだろうけど、今こうしてここに居られているのは様々な人たち一人一人の力であるという事を、忘れてはいけない。

 

「そうやね…。ゴメン、テッシー。私、ちょっと焦っていたかもしれんなぁ…」

「謝るなや。何回も言っとるやろ。お前の気持ちは、わかっとるって。ただ、三葉を任せるのは誰でもええっていう訳にもいかんやろ。少なくとも、三葉の容姿や雰囲気に惹かれて寄って来る奴には任せられんと思うぞ…。今日の奴とか、な…」

「まあ…、確かに、ね…」

 

 今日、三葉に告白した彼は、明らかに自分が振られるとは思ってもみなかったという様子だった。イケメンだったし、周りからも人気のある人物であったから、いいんじゃないかって思って三葉を紹介したのだけど…。確かにいざ付き合いますってなったら…、複雑だっただろうと思う。そういう意味では、三葉は男を見る目がある、という事なのかもしれない。

 

「それに…多分やけど、三葉にはもう心に決めた奴がおる」

「はぁ!?なんよそれ!?」

 

 何を言い出すんだこの男は!?そんな話、三葉から聞いた事もないのに一体何を…!?

 

「…俺もようわからん。恐らく…三葉自身も…、忘れとるのやろ…」

「なんなんよ、それ!?アンタ、自分が何言ってるのか、わかっとる?」

 

 私の問いかけにテッシーは苦笑しながら答える。

 

「ああ…。ま、忘れてくれ。ただの勘やさ」

「勘って、アンタ…」

「そろそろ仕事に戻らないかんでな。ここは俺が出しておくわ」

 

 そう言いながら伝票を取るテッシー。慌てて私も財布を出そうとするが…、

 

「ええって。といっても三葉の分は自分で置いてっとるしな…。お前の分くらいは払わせてくれや。これでも働いとるしな」

「う…うん…。それなら…お言葉に甘えるわ…」

 

 そんな事を言うテッシーにまた私はドキドキしてしまう。私も末期やな…、そう思ったりもする。

 

(三葉も早くこんな相手が見つかるとええな…)

 

 今も一人でいるだろう三葉に、私は心の中でそっと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ハァ」

 

 思わず溜息が漏れてしまう。次の講義まで時間が出来た私は、気分転換に構外へ出て来ていた。そして、先程までのやり取りを思い出す。

 

『三葉は彼氏作ろうとか思わんのって事やよ!』

 

 サヤちんとテッシーを見ていて、私も彼氏が欲しい、と思った事もある。何度と無く告白されて、ちょっと付き合ってみようかなって思った事だって…。でも、いざ返事をしようとした時に、私の心の何処かで、それを否定する。まるで付き合う事を、拒むかのように…。

 

「2人が心配してくれるのは有難いけど…、でも…私は…」

 

 ふと気が付くと私は何処かの神社の前まで来ていた。ここは確か…、須賀神社だったかな…?記憶では須佐之男命を祭神とする祇園信仰の神社、だった気がする。宮水神社の巫女として、お祖母ちゃんから色々教わった事の一つだ。…尤も宮水神社が無くなってしまった今となっては、役に立つかどうかはわからない知識ではあるけれど。

 

「つくづく、私は神社から離れられんのかな…」

 

 当ても無く時間を潰していた時に来るのが神社なんて…。そう思いながら私は神社を見上げる。その時…、

 

(えっ!?)

 

 何処か見覚えのある高校生らしい男の子が神社の階段のところに立っているのが見えた。目を擦ってもう一度見てみると、そこには誰もいない。

 

(気の…せい…?)

 

 時々、私はこんな事がある。ふと誰かの面影を重ね、振り返ってみてはその影も形も無い…。そういう感覚に取り付かれたのは多分…、

 

(あの日…、彗星が落ちた日…)

 

 今となってはあの日の事は断片的にしか思い出す事が出来ない。だけど一つだけ、わかっている事がある。それは、絶対に忘れたくなかった事を、忘れちゃダメな人を忘れてしまった事だ。

 

「………もう、4年前の事なんやね…」

 

 そう呟くと、自然と私の足は階段へと向かう。また、私の勘違いかもしれない。行ってみたところで、何も変わらないとも思う。でも…、

 

(もしかしたら…)

 

 もしかしたら、私が探しているものに会えるかもしれない。何も無かったとしても折角だし、ちょっと神社でお参りもして行こう、そう思った矢先、

 

「三葉ー!はよ来ない!午後の講義、遅れてまうよ!!」

 

 はっと前を振り向くと両腕を腰に当てたサヤちんが私を待っていた。

 

「サヤちん?あれ、なんで…」

「アンタがなかなか戻って来んから、心配して呼びに来たんよ。全く、次の講義は遅れたら不味いやろ?」

 

 そういえばそうだった。遅刻したら教室に入れてもらえない厳しい講義だったっけ。

 

「あー…、そう、やったね…」

「わかってるなら、はや来ないよ。駆け足で行かんと間にあわんよ!」

 

 そう急かして来るサヤちんを尻目に私はもう一度神社を見上げる。見覚えのある姿は、もう見えなくなっていた。

 

「三葉ー?」

「ごめんごめん。今、行くでね」

 

 後ろ髪が引かれる思いがするも、気のせいだと思い直し、私は髪を耳にかけながらサヤちんの後を追っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし…、三葉もよくあそこまで告白されるようになったもんやな…」

 

 三葉が告白されるのは、別に今日に限った話ではない。大学に入学して…、というより入学する前から彼女はよく告白されていた。容姿に加え、大和撫子のような佇まいも人気の一端を担っているようだが、あの物思いに耽っている儚い雰囲気も注目を集めているようだ。昔からの三葉を知る俺たちにしてみれば、痛々しい事この上ないのだが。

 

(もっとも、糸守町にいた時から、三葉は人気はあったんやが…)

 

 三葉は目立たないようにしていたようだが、正直それは無理というものだ。なんせ幼い頃より1000年続いていると言われていた宮水神社の巫女として周りから常に見られており、村祭りともなれば三葉が中心にならなければならない。そんな人間が目立たなく生きるというのはどうしても無理がある。まして今は無き糸守町はそのほとんどが宮水神社の氏子でもあった。世が世なら三葉はお姫様、というような立場という事になる。まして町で一番美人で神々しいと言われていた二葉さんの長女として、生き写しのように成長していく三葉は、それはもう人目を引いていた。

 

「ただ…、あの時はちょっと特殊やったけどな…」

 

 俺はそうひとりごちる。糸守町に居た頃の三葉は周りに対して壁を作っていたし、おいそれと手を出せないような存在ではあった。…宮水家にあまり関係のない家系では、それを妬む人間も何人かはいたが…。

 

(俺かて…、あん時はまだ三葉の事は気になっておったんや…)

 

 小学生以前から幼なじみとして三葉の事は知ってるつもりだ。彼女に対しては多少の恋愛感情を抱いていた時期もある。その事についてはある程度は割り切って考えていたつもりだったし、自分たちの住んでいた糸守町の文句を言いまくる三葉に苛立ちを感じた事だってあった。だけど、やっぱり彼女の事は異性として特別に考えていたと思う。少なくとも、糸守町に隕石が落ちてくるまでは。

 

『あの人の名前が、思い出せんの!』

 

 あれは確か彗星が落ちた日だったか、周りに避難を呼び掛けていた俺に三葉がそんな事を言ってきた。あの時は状況が状況だっただけに「知るか、あほう!」と怒鳴りつけてしまったが、同時に俺はその時三葉が誰かに恋している事がわかった。俺が三葉の事を特別な異性としてではなく、幼なじみとしてみれるようになったのはあの時がきっかけだと思う。

 

(あれを聞いて、ああ、コイツはもう心に決めた奴がおるんやな…、と理解したんやったっけ…)

 

 先程早耶香にも言ったが、この件に関しては上手く説明は出来ない。あの時、俺や早耶香以外に三葉に接触していた男がいるとは思えないし、俺たちに隠れて彼氏を作っていたとも考え難いからだ。

 

「ま、考えてもしゃーないか…」

 

 そろそろ仕事に行かないといけないしな…。そう思っていたところにある声が届く。、

 

「………じゃあ宮水は来ると言ったんだな?」

(…ん?何だ?三葉の事か?)

 

 宮水というのは珍しい苗字だ。恐らく三葉の事だろうと耳をすませる。

 

「…余計な事聞くなって。お前はちゃんと宮水三葉を席に連れてくればいいんだよ!」

 

 やっぱり三葉の事だ。連れてくる?なんか穏やかじゃないな。そもそもコイツ、何処かで見た事があると思ったら今朝の男か?

 

「俺たちが合流するまで酒を飲ませながら上手く盛り上がっててくれ。酔わせたらバトンタッチするからさ」

 

 …よりにもよって、コイツ…。なにやら良からぬ事を考えているらしいその男に、俺は問い詰めるべく肩を掴む。

 

「おい、お前」

「!?な、なんだよ、アンタ!?」

 

 急に肩を掴まれ戸惑っている男に詰め寄りそう凄むと、畳み掛けるように俺は続ける。

 

「お前、今朝に三葉に告白した奴やろ。さっきの電話、あれ、なんや?」

「お、お前、宮水の何だよ!?べ、別に何でもねえよ!」

 

 しどろもどろになりながらそう答える男。どうやら通話も既に切れてしまったようだ。

 

「…そうか、話すつもりはない、という訳やな…」

「は、話すも何も…何でもねえって言ってるだろ」

 

 …やれやれ、面倒な事になってきおったな…。未だにしらばっくれる男に溜息を付きながら、俺は一言、

 

「ちょっと、ツラかせや」

 

 

 

 

 

「いてて…、俺はあんまりこういうんは好きじゃないんやがな…」

 

 結局話し合い?の末、三葉に対して企んでいた事を吐かせ、もう二度と三葉に近づかない事を誓わせた俺は、そうボヤキながら歩いている。あの日、三葉に付いて東京へ出てきた時より、俺は親父から、正確には三葉の親父さんからある事を頼まれていたのだ。もし、出来る事ならば、君には三葉のお目付け役としてそれとなく見守ってもらえないか、と…。

 

(俺の三葉に対する感情も…、もしかしたら見抜かれとったんかもな…)

 

 彼女を見守る事には了承したが、男と女としての恋愛感情の面に関してはその時しっかりと断った。…もう、三葉には心に決めた者がいる。だから、せめてその男が見つかるまでは…。そのつもりで俺はその話を引き受けた。

 

「三葉の奴…、全然連絡がつかんな…」

 

 一応、とっちめたから心配ないかと思うが、万一の事もある。俺と一緒に働いていて、宮水の氏子達のパイプ役となっているウオズミの兄ちゃんに連絡しようかと思ったその時、

 

「きゃっ!」

「おっと!スンマセン…」

 

 前方不注意だった俺は、誰かとぶつかってしまい、とっさに謝る。声からして女性のようで、ボブの髪を赤い紐で飾り、黄色いカーディガンを羽織った何処かで見た事のある…ってコイツは!?

 

「…………三葉?」

「あれ?テッシー?どうしたの、こんなところで?」

 

 そこには、ちょうど今探していた三葉がキョトンとした様子でこちらを見ていた。

 

「いや、ちょうどお前を探しとったんやさ。お前、全然連絡つかんかったんに…」

「え?私を?あ、本当だ、連絡入っとるね…」

 

 自分のスマフォを確認し、そう呟く三葉。コイツ…、人の苦労も知らないで…。

 

「お前、友達から飲み会かなんかに誘われとったんやないか?」

「よく知ってるね、テッシー。行くつもりやったんやけど、四葉が風邪引いたみたいやから、ついさっき断ったとこやったんよ」

 

 あっけらかんと答える三葉を見て、内心俺は舌を巻く。今日、ちょっとした危機だったんだぞお前。

 

「…まあ、正直あんまり気乗りはしなかったんだけどね…。どうしても、って感じで断れなかったんやけど…。流石に風邪引いて苦しんどる四葉をほおっておけんから、いい断る材料になったわ」

 

 四葉には悪いけどね、とそんな事を言う三葉。

 

(コイツは…、なんか神様みたいなモンに守られとるようやな…)

 

 神社の巫女だったし、彗星が落ちた時も、三葉がその危機に気付き、住民もほどんどが無事だったという事もある。もしかしたら彼女はそういう神秘的なものに守られているのかもしれない。

 

「それよりテッシー…。何でこんなところにいるのか、答えてないよね…。仕事、休みじゃないんでしょ…?まさか…浮気じゃ…」

「違うわ!!」

 

 なんて事を言うんだこの女は。それが気に掛けて心配していた男に言う言葉か!?

 

「ほんとに~?前にも言ったと思うけど、もし本当に浮気なんかしてサヤちんを悲しませたら…わかっとるやよね?」

「…ああ、その心配は無いやさ…」

 

 あいつは…、早耶香は俺には過ぎた女だ。なんのかんの言いながら、俺に尽くしてくれている。完全に三葉の事を諦めた時、何やらぽっかりと空いた心の隙間を埋めてくれたのが、早耶香だったのだから。アイツがいなかったら…、こうして三葉の事を気に掛ける余裕があったかどうかもわからなかった。報われない想いに押しつぶされていたかもしれない。…この事は絶対に三葉には言えないが。

 

「そっか、ならいいやさ。ま、テッシーにそんな事できる甲斐性もないだろうし…」

「…それ、前にも聞いたぞ」

「うん、前にも言ったやよ?」

 

 はぁ…。これは…、三葉にからかわれているのだろうか…?

 

「…俺には早耶香がおる。なのにどうして俺が浮気せなあかんのや」

「…そうやね。2人が一緒になって、ホントに幸せそうやし」

 

 こっちが恥ずかしくなるほど、そんな事を言う三葉に、何を言うんやさと答えようとした。だけど、自分の右手を儚げに見つめていた三葉に気付き、声を掛けられなくなった。

 

(きっと、また思い出しとるんやろな…)

 

 いや、思い出そうとしているのか。名前を忘れてしまった『あの人』の事を…。

 

(…いつか、ソイツの名前を思い出せたらええな…)

 

 俺は一緒に歩く三葉を横目に見ながら祈りつつ、早耶香のところへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴメンね…、お姉ちゃん。心配かけちゃったね…」

「何言っとるん?それよりそろそろやない?体温計、とってみない」

 

 砂時計の青い砂が全て落ちきっているのを見て、四葉にそう促す。力なく取り出した四葉からソレを受け取り見てみると、

 

「38℃…。まだ熱があるのね…。ほら、おとなしく寝ときない…」

 

 そう言って、四葉の布団を掛け直す。普段、元気な四葉がこうもしおらしくしているのはなんとも違和感があるけど、それだけ体調が悪いのだろう。お祖母ちゃんもお盆すぎまではこちらに帰ってこないし、私がしっかり看病しないと…!

 

「おかゆ、作ってくるけど、他に何か食べたい物ある?」

「………アイス食べたい」

「…アンタ、こんな時もアイスなん?」

「…だって、冷たい物食べたいんやもん…」

 

 やれやれ…、まあ食べたいというなら仕方が無い。高カロリーだし、栄養も補えるから一概にダメとも言い切れないし…。

 

「じゃ、用意してくるから…、待ってて、四葉」

 

 置いていた砂時計を手に取り、その場を離れようとすると、何かに引き止められる。見てみると、四葉が私の服の裾を掴んでいた。

 

「お姉ちゃん…」

「すぐ戻ってくるから、おとなしく寝ときないよ」

「もうちょっとだけ、傍にいてて…」

 

 不安そうにそう呟く四葉に負けて、私は再び砂時計を置く。

 

「…じゃあ、この砂時計が落ちきるまで、傍に居てあげるでね。そしたらアイス持ってきてあげるから」

「…ありがと…お姉ちゃん…」

 

 弱弱しく笑う四葉に苦笑しながら私は、裾を掴んでいたその手を軽く握ってあげる。すると四葉は気持ちよさそうに目を瞑った。

 

(全く…、この子は…)

 

 この妹は…、四葉は幼い頃から歳不相応にしっかりしている。姉である私よりしっかりしていると断じているのではないかと勘ぐる時もあるくらいだ。生意気と思う反面、私の事を想ってくれているところもあり、可愛い妹だ。四葉が小さい頃に母を亡くしているので、私が彼女の母代わりになっているのかもしれない。だから、こういう風に私を頼ってくれている時はとても愛しく思える。

 その内、四葉は可愛く寝息を立て始める。さて、そろそろおかゆを作ってくるかなと砂時計に視線を移す。この砂時計は、昔から使っている物だ。隕石が落ちて、家が壊滅しても、何処からか出てきた砂時計で、私にとっても縁のある物でもある。ただ、それ以外にも何か重要な意味を持つ物ではないかと思う事もある。確か、誰かに同じ砂時計を買ったような……。

 

「う…ううん…」

 

 おっと、いけないいけない。寝息を崩した四葉に気付き、私は砂時計を手に取り立ち上がる。そして、四葉のおかゆを作る為にそっとその場を離れる。

 

(無くした大事な人、か…)

 

 大事な人、忘れちゃダメな人、忘れたくなかった人。―――それでも、忘れてしまった人……。そこまで考えて私は首を振る。どんなに思い出そうとしても、思い出せないのだ。上京してきて4年間、いつの間にか身についてしまった癖…。顔を洗う時に姿見に映った自分をジッと見つめてしまう事、ぼんやりと遠くを眺めて誰かの面影を探してしまう事、そして…、何気なく右手を眺めてしまう事。

 

『…今はそのムスビは途切れてしまったのかもしれん。じゃが、また繋がる事もある。お前と、その忘れてしまった相手との間にはムスビが生まれとるのやから』

 

 あの時、お祖母ちゃんに言われた言葉を思い出す。忘れてしまった恐怖に心が押し潰されそうになった私を拾い上げてくれた、あの言葉…。

 

(……大丈夫。いつか、絶対に…、また、会える…)

 

 そう思い直すと、私はおかゆとアイスを用意する為に、今度こそ台所へと向かった。



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第7話

仕事が忙しく、投稿が空いてしまいました…。第7話になります。


『…もう、私の事は忘れていいんよ…』

 

 バカ!何を言ってるんだ!

 

『これ以上…君を縛る事は…』

 

 俺は、あの時誓ったんだ!例え…お前が世界のどこにいても、俺が必ず、もう一度逢いに行くって!

 

『でも…私には…何も…』

 

 目の前の彼女がぼやけ始める。ダメだ!行くなッ!!消えていなくなってしまう前に俺は叫ぶ。彼女の名前を!

 

 ――――――ッ!!

 

 

 

 

 

「―――ハッ!!」

 

 ガバッとベッドから飛び起きる。…状況が上手く整理できない。窓から差し込む朝日に、もう朝なのだと自覚していく。…何か夢を見ていた気がする。だけど、その内容は全く思い出せない。何気なく目尻を拭うと水滴が付いている事に気が付く。どうやら、また泣いていたらしい。

 

「…………また、か…」

 

 もう何度目ともわからないこの感覚。俺は溜息をつくと、のそのそとベッドから抜け出る。寝汗もかいていたようで、気持ちが悪い。シャワー浴びるか…。そう思った時、俺は今日が何の日か気付く。

 

「…まずい!もうこんな時間か!!」

 

 俺は急いで洗面所に向かう。今日はやっとこぎ着けた会社の二次面接の日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…で、結局ダメだったのか?」

「………ああ」

 

 行きつけのカフェにて、俺と同じく就活中の司と真太と一緒にこうして情報交換をしていた中、司からの問いに俺はそう答えるしかない。

 

「二次面接までいったら、そのままいくんじゃね、普通」

「………俺が聞きてえよ」

 

 この間のところから採用結果が送られてきて、一気にテンションが下がったのを覚えている。別のところに面接を受けに行く前にその結果を見て、引きづられるようにその面接でも散々だったのだ。

 

「俺はまた一社、内定を貰ったぞ」

「マジか!?」

 

 司の奴、この間もどこかで内定を貰ってなかったか!?クソッ…、何でもそつなくこなす奴だ…。まあいい、俺と真太は地道にやっていくさ。

 

「あ、俺もこの前ようやく内定貰ったぜ」

「な…なん、だと…!?」

 

 真太まで!?ということは…、未だ内定が貰えてないのって、俺だけじゃねえか…。

 

「お前の場合、筆記は通るんだ。となると面接で落とされているって事になるが…、何か心当たりは?」

「ねえよ…そんなもん…」

 

 わかってたら普通なおすだろ…、そう司に言うも、俺の中では何やら心当たりみたいなものはある。俺が本当にやりたい事が…、何やらモヤモヤして上手く伝えられないからだ…。

 

(もう…随分経つんだけど、な…)

 

 こんな感覚に取り付かれたのはいつだったか…。思い出すことさえ出来ない。ただ…、何かを忘れてしまった、そんな感覚だけが、胸に残っている。俺のやりたい事…、俺の望み…、それさえも断片的でよくわかっていない。俺は、かつてとても強い気持ちで何かを決心したことがあった筈なのに…。

 

(何かとかって…結局なにもわかってねえんだけどな……ん?)

 

 ふとスマフォが鳴っているのに気付く。そうか、今日は…。

 

「おっと…、俺、今日バイトだ…」

「……お前、今はバイトより就活だろ…?」

 

 呆れたようにそんな事を言ってくる司。お前の言いたい事はわかるけどな…。

 

「仕方ねえだろ…。就活にも、金がかかるんだからよ…」

「…ま、そうだな」

 

 逆に既に何社も内定を貰っている司は、最近あまりバイトには入っていない。司いわく、そろそろ来年には辞める人間を戦力の頭数に数えるのは、向こうにとっても良くないだろうとの事だが…、まあ、それは人それぞれだろう…。

 

「真太、行こうぜ。今日確か、お前もシフト入ってたろ?」

「ん…?ああ、そうだっけかな…」

「おいおい…、今日は後輩の子の送別会も兼ねてるだろ…。忘れるなよ…。司、お前もそっちは大丈夫なのか?」

「あの子の送別会だろ?そっちは間に合うように行くよ」

 

 さすが司、その辺は抜かりないな。じゃあ早くコイツを連れてバイトに行くとするか…。そう思いつつ、俺は真太を引っ張って行く為、席を立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三番、五番、九番様、オーダー待ちです!」

「十二番テーブル、持って行ってくれ!」

「四番様、会計待ちです!」

 

 目まぐるしくまわる戦場…ではなく、バイト先である『IL GIARDINO DELLE PAROLE』の光景。もう、このバイトを始めて6年になるのだろうか、バイトの中でも俺や瀧、そして今日はいない司は、かなりのベテランという事になっている。この忙しさも慣れたもので、そつなく仕事をこなしていく。

 

「瀧、七番テーブルの方は!」

「ああ、もう承った!」

 

 こうして仕事に就いている時の瀧は、俺の見知った時の瀧だ。時々客と騒ぎになる事もあるが、正義感の強い瀧らしい一面で、仲裁に入りながらも何処かホッとする時もある。

 

(こうしていると、普段の瀧なんだけどな…)

 

 恐らく集中しているのだろう。…まあ、もしかしたら就活で上手くいかない鬱憤をぶつけているだけなのかもしれないが…。

 

「瀧、交代も来たし今のうちに休憩行っとけ。これからもっと忙しくなるぞ」

「えっ?…ああ、もうそんな時間ですか…」

 

 社員さんより、そう告げられる瀧。腕時計を確認した後、目線だけで俺に先に行くと言ってくる。わかった、と俺はそう返す。昔は兎も角、今となっては基本的に俺と瀧が同時に休憩に入る事はない。年数を重ね、『IL GIARDINO DELLE PAROLE』では経験豊富な俺たちは、戦力としてホールでの対応が求められているからだ。

 

「…さて、俺も休憩まであと30分…」

 

 それまでひと頑張りするとするか。

 

 

 

 

 

「あー、ようやく休憩かぁ。今日も疲れるねー」

 

 瀧より遅れる事30分、俺も休憩時間となる。司ほどではないとはいえ、俺も最近あまりバイトに入っていなかったせいか、前より疲れている気もする。

 

(……俺も、そろそろはっきりさせるかねぇ…)

 

 司ではないが、あと数ヶ月もすれば俺もバイトを辞める事になる。まあ、今の『IL GIARDINO DELLE PAROLE』は人も足りているし、それに…。

 

「…………それでですね…」

(ん……?)

 

 休憩室のドアに手をかけた時、中よりなにやら話し声が聞こえる。一人は先に休憩に入った瀧だろう。もう一人は…、

 

「立花先輩は、どう思われます?」

「どうって…、いいと思うよ」

「えー、なんか適当ですね…」

 

 話し声からして、彼女だろう。水谷秋穂。俺たちの後輩で、高校3年生の彼女。他の高3のバイトはほとんど休職するか、辞めるかのいずれかだったが、彼女は受験勉強と折り合いをつけながら今日までバイトを続けていた。前に在籍していた奥寺先輩とは少し毛並みが違うが、愛想もよく容姿も整っており、『IL GIARDINO DELLE PAROLE』の皆からも可愛がられている。そして…、今日が彼女の、最後の出勤日でもある。9月に入り、流石に両立が難しくなったのか、店長に申し出たらしく、今日が最後の日という事になったのだ。

 

「それより…先輩、終わった後、ちょっとつきあって貰えませんか…」

「終わった後って…、送別会の後?」

「ええ。ちょっと…お話が…」

 

 …そうか、伝えるのか…。彼女が、瀧の事を想っていたのは知っていた。彼女が『IL GIARDINO DELLE PAROLE』に入ってきて間もない頃、客に絡まれていた時に颯爽と庇ったのが瀧だった。弱いのに客と揉め事になって、殴られて…。俺たちも異常に気付いてその場に入ったが、瀧は最後まで彼女の為に戦っていた。それがきっかけなのかどうかはわからないが、少なくとも彼女は瀧に懐いていった。他の高3のバイトたちが受験の為に一時辞めていく中、今日まで辞めずに続けていたのも恐らく…。

 

「おー、秋穂ちゃん。瀧と一緒だったのかー」

「あっ、高木先輩!」

「…もう交代の時間か。悪いな、気付かなかった」

「なーに、いいって事よ」

 

 すまなそうにする瀧にそう答える。ま、時間になってもやって来ない瀧を呼びに行ってくれと社員さんからも頼まれたんだが、ちょっとくらい大丈夫だろう。

 

「じゃ、俺はホールに戻るわ」

「あ……」

 

 立ち上がる瀧に対して何か言いたげな秋穂ちゃん。…やれやれ、ここは人肌ぬいでやるか…。

 

「いや、お前はもうちょっと休憩しとけ。最近働きづめだったろ、お前」

「は?何言ってんだ…?」

「秋穂ちゃん、コイツ、最近就活の方が上手くいってないからさ、慰めてやってくれない?」

「え…、高木先輩…?」

「真太、お前何を…!」

 

 俺に突っかかってくる瀧に、俺は耳元で呟く。

 

「…店長には俺から話しておく。邪魔して悪かったな」

「お前、何か勘違いしてるだろ!」

「…いいから、お前も流石にわかるだろ?彼女、今日が最後なんだぞ」

 

 そう言うとグッと黙り込む瀧。コイツも流石に秋穂ちゃんの気持ちには気付いているのだろう。こういってはなんだが、瀧はモテる。高校の時はマドンナ的存在だった三枝さんからも告白されたらしいし、大学でも何人もの女性にモーションを掛けられている。にもかかわらず、この男はその好意に気が付かないか、もしくは断っているという始末。…もし、秋穂ちゃんの3年にも及ぶ好意もわからないふりしてやがったら、一発ぶんなぐってるに違いない。

 瀧の肩に手を置き、そのまま休憩室のドアを開ける。その時、

 

「高木先輩ッ!」

 

 背中に声を掛けていた彼女に俺は片手を上げて答え、俺は休憩室を出た。

 

「………いいのか?」

 

 休憩室を出た途端、いつから居たのか司にそう声を掛けられる。

 

「何だよ、司。お前、今日は休みじゃなかったのか?」

「…別に。送別会まで暇だったから、早めについただけだ。それよりも…」

 

 いいのか、再び繰り返してくる司。全く、いいも悪いもないだろうに…。

 

「…いいんだよ。彼女の気持ちは…、お前もよくわかってるだろ?」

「それはわかっている。俺が聞いているのは、お前はそれでいいのかって事さ」

 

 全く、お節介な奴だな、コイツは。世話好きなところは相変わらずのようだ。以前も瀧が一人で岐阜に行こうとした際に、心配して付いていった事もある。そして、今もこうして俺の気持ちを確認してきてるという訳だ。

 

「………ああ。秋穂ちゃんの気持ちは、わかりやすいくらい瀧に向いている。ここで俺が割って入るのは…、違うだろう?」

「そうか?そのまま気持ちに蓋をして…、それでやり切れるのか?」

「それは、そっくりそのままお前に返すよ。今でこそ奥寺先輩と付き合っているが、あの時は自分の気持ちを隠して瀧を見守っていたじゃねえか」

 

 司がいつから奥寺先輩への憧れが恋心に変わったのかはわからないが、高校2年の時だったか、奥寺先輩と瀧が急接近した事があった。その時、司は基本的に瀧を応援していたはずだ。

 

「……あの時は、俺もまだ彼女への意識は憧れに近かったんだよ。でも、お前は違うじゃないか。それこそ…、秋穂ちゃんが入ってきたときから…だったんだろ?」

「……ああ、確かにそうだ。だけど…それこそ今更だろ?もし、本当に告白するんだったら、ここまでズルズル引っ張っちゃいねえよ」

 

 …そうさ。俺は彼女に告白する事で、彼女や瀧との関係がおかしくなる事が怖かった。…いや、違うな。瀧に好意を向けている彼女に告白して、はっきり振られるのが怖かったんだろう。

 

「この話はもういいだろ?俺はもう少しホール入らないといけなくなっちまったんだ」

 

 強引に話を切り上げ、そう言って俺は仕事に戻ろうと司の脇をすり抜ける。

 

「後悔、しないんだな?」

 

 背中に投げ掛けられた司の言葉に一瞬立ち止まりかけるも、そのままホールに向かう。

 

(…そんなの、わかるわけねえだろ、司…)

 

 今の自分の気持ちも、整理できていないんだから。そう心の中で司に答える。

 

 

 

 

 

「…終わったなぁ」

 

 送別会も終わり、それぞれ解散して2次会に進む者もいる中、俺は一人帰宅の岐路についている。司からも誘われたが、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。

 

(……いい加減、潮時か……)

 

 バイトも、そして俺の想いも…。そんな風に考えていたところに…。

 

(……………マジか)

 

 そんな俺の気持ちを嘲笑うかのように、今一番目にしたくなかった光景が入ってくる。瀧と…、秋穂ちゃんだ。

 

「………遠回りして帰るか」

 

 そっと呟いて背を向けようとした時、

 

「先輩、どうしてッ…!どうしてなんですかッ…!」

(ん……?なんか様子が……?)

 

 彼女の声に思わず振り向いて2人の様子を遠目に伺う。

 

「…秋穂ちゃん。君の気持ちはとても嬉しいよ。でも…、俺はその気持ちに応える事は…、できない…!」

「……そんな……」

 

 ま、まさか瀧の奴、秋穂ちゃんを…!?このまま立ち去る事も出来なくなった俺は、近くの物陰に身を隠してその成り行きを見守る事にする。

 

「誰か…、好きな方がいるんですか…?」

「……いや、好きな人は…、いない…」

「…それでも…、私じゃ…駄目、なんですか…?」

 

 彼女は既に涙声になっていた。瀧がこれまでも他の女の子に告白されても、上手くかわしていた事は知っている。アイツはアイツで何か思う事があるんだろう。頑なに彼女を作ろうとしない瀧を心配しつつも、司と共に見守ってはきていた。だが…、彼女は…、バイト先で俺たちの妹みたいに可愛がってきた子だ。それを…、他の子と同じように扱うのか…!?

 流石に我慢できず、アイツを一発ぶん殴ってやろうと瀧を見た瞬間、

 

「せ……せん…ぱい…?」

 

 瀧は…、泣いていた。拭う事も忘れ、ただひたすらに涙を流し続けていた。それを見て、熱くなっていた自分の心が一瞬にして冷めていくのを感じる。

 

「ゴ…ゴメン…。あれ…、どうして…」

 

 漸く自分が泣いている事に気が付いたのか、涙を拭う瀧。それでも…、瀧の涙が止まる事はなかった。彼女が慌てて自分のハンカチを差し出す。…ありがと、そう言うと瀧はそのハンカチを受け取った。

 

「……自分でもわからないんだ…。秋穂ちゃんが俺の事を見ていたのは…、なんとなくわかっていた。こうやって…、告白してくれた事も…、すげえ嬉しいって…、思ってるんだ…」

「…立花先輩…」

「…でも…、どうしょうもなく心を締め付けてくるものがある…。どうしてかはわからないけど…、俺の心が…拒否するんだ…。想いに応える事を…、彼女を作る事を…」

 

 …それを聞いて、俺は瀧が変わってしまったあの頃の事を思い出す…。高校の…、確か2年の時だったか…、確か岐阜の方へ司達と旅行に行って…、そこから一人帰ってきた瀧は、どこか変わってしまっていた。心ここにあらず、そんな状態になっている事が多くなり、表情にも影をさしている日が多くなった。まるで…、大切なものを無くしてしまったかのように…。

 

「俺…さっきも言ったように、好きな人だとか…、気になっている人はいないんだ…。正直なところ…、俺に一番近い異性は、秋穂ちゃんだと思う…。他は前に憧れていた、今は司の恋人の奥寺先輩くらいかな…。だから、君の告白はとても嬉しかったのに…!」

 

 苦しそうに話す瀧が、血がでるほど自分のこぶしを握り締めているのが見えた。

 

「君の気持ちに応えようとする俺を…、何かが止めてくる…。違う…、そうじゃないって…。ハハッ…何言ってるんだろうな、俺…」

 

 瀧、お前は…。力なくそう答えながら笑う瀧にあの時の、抜け殻のようなアイツの姿が重なる。そんな瀧に、彼女が両手で瀧の手を包み込む。

 

「……そんなこと、ないですよ。立花先輩…」

「秋穂、ちゃん…?」

「ちゃんと、話してくれて…、誠実に私を…フッてくれて…、有難う御座います。……やっぱり私、間違ってなかったです…!」

 

 彼女は、笑っていた。無理しているのだろう。でも、とても綺麗な笑顔だった。

 

「先輩は…、私の想像通りの人でした。フラれちゃったのは、悲しいですけど…」

「………ごめん」

「謝らないで下さい。先輩を好きになった事は、後悔してませんから」

 

 でも。そう言って秋穂ちゃんは瀧から離れ…、

 

「私、これからもっともっと綺麗になって…、今日私をフッた事、後悔させてあげますからね!」

 

 ベーっと可愛く悪戯っ子のように振り返りながら、秋穂ちゃんは答える。

 

「…ハハッ…。大丈夫だよ。俺、今の時点で十分後悔してるから」

「またまた先輩ったら…」

 

 そうして2人は笑いあう。とても、告白して結ばれなかったとは考えられないくらいに…。それほどまでに自然な2人に、俺は見えた。

 

「あ…、先輩。最後に一つだけ…。お願い聞いてもらっても…、いいですか…?」

「ん?お願いって……!?」

 

 秋穂ちゃんはそう言うと、その答えを聞く前に瀧の頬に口付けを落とした。ほんの一瞬の触れ合いだったが、瀧は顔を真っ赤にする。

 

「あ、秋穂ちゃん…!?」

「フフ…、可愛いですね先輩。顔、真っ赤ですよ?」

「い、いきなりそんな事されたらこうなるだろ!?……秋穂、ちゃん…?」

 

 その事に抗議しようとした瀧だったが、彼女はそっと瀧の胸に顔を伏せる。そして…、

 

「……有難う御座いました。先輩。いつも…、助けて下さって、本当に有難う御座いました」

 

 それだけ言うと、ゆっくり瀧から離れる。

 

「今日はここで大丈夫です、立花先輩」

「…え?でもこんな時間だし、家までは送るよ」

「いえ、ここで大丈夫です。近くですし」

 

 流石に彼女もこれが限界だったのだろう。まあ、瀧は瀧で秋穂ちゃんをフッてしまった手前、強く言えないところもあるのだろうが、アイツの性格上そのまま彼女を残していく事も出来ないに違いない。どうしたもんかと悩んでいる瀧だったが、そんな時一瞬アイツと目があった気がした。

 

「……わかった。近いとはいっても気を付けて帰れよ」

「はい。立花先輩も」

「…俺はいいんだよ。…じゃ、またな」

 

 そう言って去る間際、やはり瀧は俺の方を見てきた。お前に任せる、そう言っているような目だった。…お前に、言われるまでもねぇっての。

 

 

 

 

「秋穂ちゃん」

 

 ビクッと、彼女の肩が震える。

 

「……高木、先輩…?……どこから…見てました…?」

「……君が、どうしてですか!?って瀧に詰め寄るところ、かな…?」

「……そう…ですか…」

 

 彼女は依然背を向けたままだったが、それに構わず俺は彼女の元へ歩いていった。

 

「こ、来ないで下さい!!私、今…ッ!!」

 

 そう言われて足を止める。恐らく泣いているであろう彼女は、その顔を見られたくないのだろう。

 

「…俺じゃ…嫌かな…?瀧の事、思い出しちゃうか…?」

「………そ、そういう訳じゃ、ないですけど…」

「だったら、せめて家の近くまで送らせて貰えないかな?瀧からも頼まれたようなものだから、さ…」

 

 アイツが彼女をそのまま残して帰ったのは俺がこの場にいた事がわかったからだ。いくら自分が彼女に応えられないからってそのまま帰るような奴じゃない。ただでさえ彼女は男に絡まれやすいところがあるのだから。

 

「………わかりました。でも、高木先輩。申し訳ないんですけど……」

「…けど?」

「…少しだけ、胸を貸して下さい…」

 

 そう言うと彼女は俺に顔を見せることなくそのまま俺の胸に飛び込んできた。

 

「う……ううッ……!!」

 

 俺にしがみつく様にした彼女から、嗚咽が聞こえてくる。そして…、

 

「先輩ッ…立花先輩ッ……!!」

(…やっぱり、瀧。一発だけ、お前殴るわ……。いつか…いつかお前に、相手が出来たときにな…)

 

 そう心に誓うと彼女が泣き止むまで、俺はそうして胸を貸し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう…、ちょっと休憩するか…」

 

 手帳のスケジュール表と格闘していた俺は肩の力を抜き一息つく。季節が変わり、12月になった今でも俺はまだ就職活動をしていた。

 

(…司も真太も行き先を決めたっていうのにな…)

 

 ふぅっと溜息がもれる。もう、司も真太も高校時代よりお世話になっていたバイト先である『IL GIARDINO DELLE PAROLE』を辞めた。彼女が、秋穂ちゃんが辞めた後、そう時間を置かずに真太が、そして続くように司も…。

 

「俺もそろそろ辞め時なんだよな…」

 

 たまにバイト先に行くとこのまま就職先決まらなかったら、ウチにくるかと冗談めかして言われる時もあるが、尤もその気があるならば兎も角、俺が将来就きたい仕事という訳では無いからそれは出来ない。以前司が言っていた通り、そろそろ俺も考えなければならないだろう。

 

「…と言っても就職先が決まらないとなぁ…」

 

 そうひとりごちながら外を見ると、雨が降りしきる中でクリスマスのイルミネーションが瞬いている。もう今年も終わる。果たして俺は来年までには就職先が決まっているのかどうか…。

 

「…やっぱりもう一回、ブランダルフェア行っときたいなぁ」

 

 そんな時、なにやらそんな声が耳に聞こえてきた。ふと視線だけやると、幼馴染らしいカップルがどこか地方のなまりがある声で話しているようだった。

 

「どこも似たようなもんやろ…」

「神前式もいいかなーって」

「お前、チャペルが夢だって言っとったに!」

 

 こんなやり取りを聞いて、何故かわからないが俺はどこか心が温かくなるのを感じる。そして思案していた女性がこう切り出す。

 

「それからテッシーさぁ…」

(………テッシー…?)

 

 聞いた事の無い筈の、恐らく彼の渾名らしい名前を聞き、俺は何処か聞き覚えを感じる。いつだったか、何処かで、聞いたような……。

 ゆっくりと振り返ってみると、その2人は会話を済ませ、席を立ちコートを羽織っていたところだった。そのまま店から出て行くまで、俺は彼らをずっと見つめていた。

 

「………行くか」

 

 何時までもそうやって固まっている訳にもいかず、俺も席を立ち会計をすませて店の外へ出た。

 

 

 

 

 

 

「まだ図書館、やってたっけな…」

 

 雨が雪に変わり、傘も差さずに俺はそうごちる。さっきの2人に当てられたのかわからないが、無性に行きたくなってしまった。一時期、確か高校2年の時だったか、俺は半ば常連のように図書館に通ったものだった。彗星が落ちるという人類史上まれにみる自然災害。それにも関わらず町の住民がほとんど無事だったという奇跡。別にあの町に知り合いがいたという訳でもないのに、俺は当時数年も前に落ちた彗星の記事、そして無くなってしまった町の事について、片っ端から資料を調べていたものだった。

 

「そういやこの間会った奥寺先輩とも、こんな話したっけ…」

 

 ちょうど彗星災害から8年というニュースと共に、司と奥寺先輩と訪れた糸守の話をした。正直どうして彗星が落ちてなくなった糸守町まで行ったのか。奥寺先輩の話では俺が強く行きたがったという話だったが、全く覚えが無い。それどころか俺だけが2人と別行動をとり、どこかの山へ登って夜を明かし、翌日1人で東京へ戻ったのだ。

 

(後は今の俺の近況を聞かれたんだよなぁ…)

 

 まあ、司から色々と聞いているとは思うだろうけどな。いつの間にか先輩は司と付き合うようになっていた。この間会ったときには薬指に指輪をしていて、恐らく司の大学卒業と同時に籍を入れるのだろう。

 そう言えば真太も、時々秋穂ちゃんと会っているみたいだ。アイツいわく彼女の大学受験の勉強を見ているみたいだが、彼女が大学合格したら付き合いだすのではないかと俺は思っている。あの時、真太に任せたのは正解だった。彼女は、妹のように大切な後輩。真太にだったら…。

 

「………ん?」

 

 長い歩道橋を歩いていた時にすれ違った女性に俺は思わず振り返ってしまう。一瞬聞こえた鈴の音。何か大切な事が隠されているような気がしてその女性の後姿を見るも、そのまま歩き去っていく様を見て気のせいだと思い直す。どうせまた何時もの癖だろうと。だから、数秒後その女性が振り返り俺を見ていた事に、俺は気付かなかった。

 

 

 

 

 

「………この本だな」

 

 閉館間際の図書館に滑り込み、俺は棚から探してきた本を開く。

 ―――消えた糸守町・写真全記録―――

 ページを開くと、山岳に囲まれ湖を中心とした糸守町の全景から始まり、そこにはこう書かれている。

 

『2013年10月4日―――糸守町は突然に消えた』

 

 もう何度読んだかわからない本を無言で1ページずつめくっていく。門入橋と書かれた立派な橋桁のある町の橋、銀杏の木と町唯一の小学校、今から1600年も前に作られていたとされる宮水神社、その鳥居と急な階段。本に載っているそれはどれも日本にある田舎の風景。だから、見覚えがあるのだろうか…。

 

「……高校、か…」

 

 やがて糸守高校と書かれた絵に目がとまる。ここは彗星被害の範囲外だった為、今も現存しているし、一度糸守町に訪問した時も確か見たはずだ。尤も、写真にある災害前のその建築物とは似ても似つかなかった。そして何故かその高校にまるで自分もいた場所であるかのように、変わり果てた今の建物に俺は心苦しくなる。しかし、本を見ていて俺は気付いた事があった。

 

「…そうだ。俺は…」

 

 今まで就職活動で面接に望んでも、俺は自分の志望動機を明確にする事が出来なかった。俺の心の中にあった、志望動機。無くなってしまった見覚えのある町の風景。そこに生活する人々の風景や町の風景を自分の手で作り出したい…、作り出せるようになりたい。元々建築には興味があったが、あの未曾有の災害を経て消えてしまった風景に衝撃を受けつつも、だからこそ自分もその風景を取り戻せる事に関われる仕事に就きたいと、俺は思ったのだ。

 

「よし……」

 

 そうと決まればと俺は本を閉じる。今、自分の中にある気持ちを纏めなければならないし、そろそろ閉館の時間でもあるようだ。だけど俺の心は固まっている。次こそは…、と。その決意と共に、俺は図書館を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また月日が流れ、桜の咲く季節を迎える。あの後それまで苦戦していたのが嘘であるかのように、あっさり内定を貰う事ができ、大学卒業後そこで働かせてもらっている。目まぐるしい忙しさの中でも自分が定めた目標へ近づいているという感触もある。

 

「なんとか間に合ったか…」

 

 通勤の電車に乗り、そこで一呼吸つく。中学生の時から使っている慣れ親しんだ電車の中、目的の駅に着くまでの間、何時ものようにドアに寄りかかり外を眺める。今日はまた夢を見て、何時も乗る電車には乗れなかったが、まあ会社に30分前には着くだろう。

 

「…まぁ、大丈夫だろ。遅刻するわけじゃないんだし…」

 

 新人である以上、早めに出社する事が暗黙の了解で求められている昨今、ふと心配になるがその不安を一蹴する。流れてくる景色を目に入れながら、今朝の夢の事に思いを馳せる。

 あとすこしだけでいいから。夢で俺はそんな事を思っていたような気がする。もう何度見たかわからない、夢。そんな夢や錯覚に囚われるようになってからもうどれくらい経つのだろう…。社会人になった今でも、それはまだ続いている事に再び溜息をもらす。

 

(本当に、何時までこの感覚が続くんだ……?)

 

 司は数多く貰った内定から、俺と同じように建築の仕事に就きながら奥寺先輩と正式に婚約をかわした。今は婚約だけのようだが、落ち着いてきたら式も挙げると聞いている。真太も同じように製造系の会社に就職した。そして俺の予想通り、大学に無事合格した秋穂ちゃんと付き合い出したようだった。交際が決まった時に真っ赤になったアイツを微笑ましく思う反面、散々からかってしまった為か、お前の時は覚えてろよと言われた時はやりすぎたかとは思ったが…。

 

「そもそも俺にそんな時が来るのか…?」

 

 そもそも今まで誰かと付き合った事もない。彼女は作らないだけ、いつか誰かに言ったような気もするが、大学在学中でも告白は何度かされたし、決してモテない訳ではないと思ってはいる。だが、いざ付き合おうとする子がいるかと言われてしまうと、とてもそんな気持ちにはならない。妹のように接してきた秋穂ちゃんでも、付き合うという気持ちにはならなかったのだ。

 

(別に理想が高いって訳でもない筈なんだがな…)

 

 また溜息をつく。そんな時ふと視線を感じ、そちらを振り向いて俺は固まった。

 ―――併走する電車の先で、目を見開いて俺を見ていた彼女に気付いたからだ。

 

(―――彼女だッ!!)

 

 彼女を見た瞬間、俺はすぐに理解した。俺がずっと探し続けていたのは、彼女だって。あとすこしだけでいいから、一緒にいたかった相手!!

 身を乗り出すものの、お互いの乗った電車は徐々に離れていく。縋り付く様にお互いを見つめあっていたが、割り込んできた急行電車にそれも出来なくなり、電車が通り過ぎた後には、もう彼女の姿は無かった。

 

(さっきの電車は確か―――!!)

 

 電車が次の駅に止まり次第、俺はすぐさま降りる。もう、会社に行く事は頭に無く、ただひたすらに彼女に逢う為に駆け出した。彼女も恐らく俺を探しているであろうという、その感覚を信じて―――

 

 



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第8話

また時間が空いてしまいました。第8話になります。
本当は、円盤が発売される前に投稿したかったのですが……
でも、これで漸く長かったプロローグが終わりました……


『……もう、時間みたいだ……』

 

 ッ!イヤッ、行かないで……!!

 

『…ゴメン…いつも、お前を……』

 

 謝らんでよ!!謝るくらいなら、ずっと、私の傍に……っ!!それなのに、『彼』は私から離れて行ってしまう……。待ってよ!お願い!!私を、一人にしないでっ……!!遠ざかるその背中へ縋りつくように必死に手を伸ばしながら彼の名前を叫ぶ……。

 

 

 

 

 

「あ……!」

 

 パチッと目をあけると、見知った天井が飛び込んでくる。プルルっというスマフォのアラームが鳴り響いている事に気付くと、段々意識が覚醒していくのがわかった。

 

「…………朝、か……」

 

 目を擦ってみると、手に僅かに水滴がついた。そこではじめて、私は泣いていた事に気付く。朝、目が覚めると泣いている。こういう事が私には時々ある。またか、と私は溜息をつきながら傍にあった砂時計を反転させる。さらさらと青い砂が落ちていくのを横目に見ながら、私はベッドから立ち上がると朝の支度を始める。顔を洗い、着替えを済ませ、朝食をとり、組紐を結う。そして既に落ちきった砂時計を見る。それはさながら朝のルーティンワークを思わせる一連の流れを終えると、ちょうど時間になったようだ。

 

「……会社に行かなきゃ」

 

 

 

 

 

「宮水さん、これ、頼むよ」

「はい、わかりました」

 

 上司から書類を渡され、私は自分のデスクへ戻る。大学を卒業し服飾系の会社に就職して3年。忙しいながらも漸く仕事に慣れてきていた。憧れていた東京での生活。色々大変な事もあるけれど、毎日とても充実している。だけど……、

 

「三葉、ごめん。課長から資料運ぶの頼まれたんだけど、手伝ってくれないかな……?」

「うん、いいよ」

 

 ある程度作業が一段落したところに同僚から頼まれ、二つ返事で引き受ける。困った時はお互い様だしね。そう独りごちながら私は彼女を手伝う為、席を立ち上がった。

 

 

 

 

 

「ありがとう!本当に助かるよ、三葉」

「いいっていいって!私も普段助けて貰っとるし」

 

 資料室から持ってきた大量の書類を2人で分けて運んでいる最中、そんな軽口を叩きあう。彼女とは入社してからの付き合いで、休憩時間やお昼は彼女や他の女性社員と一緒にとっている事が多い。

 

「全く課長ったら、こんなにたくさんの書類、1人で持てる訳ないでしょうに……。なんか私に対していつも厳しいような気がするんだけど……」

「あはは……。まあ、それだけ奈津実が期待されとるって事でしょ」

 

 そうかなぁ…と隣で呟いている彼女を宥めながら歩いていた時、余所見をしていたせいか、私はなにかに躓き一気に姿勢を崩してしまう。

 

「きゃっ!」

「三葉!?」

 

 バサバサッと持っていた資料を落としてしまう。幸い少し躓いてしまっただけで、怪我とかはしていないようだ。

 

「大丈夫、三葉……?」

「うん……、大丈夫みたい。ごめんね……」

 

 心配そうに覗き込んできた彼女にそう答えると、私は落としてしまった書類を拾おうとした時、

 

「宮水さん、大丈夫かい?」

「えっ……?ああ、金森さん……」

 

 声を掛けられてそちらを見ると、先輩社員である男性が駆け寄ってくるのがわかった。

 

「立てるかい?足を挫いてるんじゃないのかい?」

 

 そう言って私に手を差し出してくる。……というよりも立たせる為か、私の肩に手を回してこようとしてきた。

 

「……大丈夫ですから」

 

 やんわりと触れられるのを拒み、牽制する意味も含めて、私はその手を借りずに立ち上がる。それを見て少し目を見開くも、すぐに笑みを浮かべながら話しかけてくる。

 

「つれないなぁ。ま、宮水さんらしいといえばらしいけど」

「あの……、私に何か……?」

「何って、怪我とかしていないか心配だからさ……」

「……私は本当に、大丈夫ですから」

 

 内心溜息をつきながら対応する。…正直、この人は苦手だ。会社で私は基本的に男性に対して明確に距離をとっているというのに、関係なく私に近づいてくる……。少し強めに拒絶してもいいかもしれないけれど……。

 

「あの金森さん、すみませんが私たち、課長から急ぎの仕事頼まれているので……」

「……ああ、そうなんだ。それは引き止めて悪かったね」

 

 どうしたものかと思っていた矢先、同僚が助け舟出してくれた。こう切り出されては流石に引き下がらざるを得なくなったのだろう、肩をすくめながら漸く私から離れる。

 

「じゃあまた、宮水さん」

「……ええ」

 

 私が落とした書類を拾い、それを渡してきながらそう言うと、そのまま歩き去っていった。……やっと行ってくれた。あの人が見えなくなり、私はやっと一息つく。

 

「災難だったね、三葉。あの人しつこいから……」

「……ホントに。有難う、奈津実」

 

 彼女にお礼を言い、また誰かに話しかけられる前に戻る事にする。資料を彼女へ渡し、自分の席についたその時、ふと私のスマフォが鳴った。

 

(……知らん番号……?誰やろ……)

 

 まぁ、出てみたらわかるか。不思議に思いながらもスマフォをとり、通話ボタンを押した。

 

「はい、もしもし……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ビックリしたよ~。知らない番号で誰かと思ったらテッシーだったなんて」

 

 私たちの事を報告する為に呼び出した三葉の第一声がそれだった。

 

「いつもの奴が修理中でな……。仕事の携帯でかけてまってスマンかったな。だけどな三葉、俺や言った瞬間、『なんやテッシーか~』はないやろ!?」

「え~、でもテッシーはテッシーやしな~」

「……俺の事をなんやと思っとるんや……」

 

 相変わらずの2人のやり取りにクスクス笑う反面、知らん電話に出るんかこの子は…と少し思ってたりもする私に三葉は満面の笑みを浮かべて話し掛けてくる。

 

「でも久しぶりやな~、サヤちん!」

「三葉も~!ここんとこ忙しかったしね!」

「おいおい……、俺は!?」

 

 除け者にされたと思ったのか克彦がつっこんでくる。しかし残念ながら三葉からは流されてしまうようだ。

 

「今日は何やら報告があるって言うから、折角やし美味しいお店予約しといたんやよ!」

「まじで!?嬉しい~!ありがと~、三葉!」

「俺は!?」

 

 諦めない、克彦……。それがアンタの運命やよ……。

 

 

 

 

 

「うわっ、なんやこれ!めっちゃおいしい!」

「こりゃなんや!?」

 

 三葉が予約してくれたイタリア料理のお店で料理を口にしたとたんの感想。なにこれ!?舌平目のかるぱっちょやらムースやら、何やら呪文のような文字が飛び交っているようだけど、ホントにめっちゃおいしい!!

 

「こっち来てからもイタリアンなんて食べた事もなかったしな……。まさに未知との遭遇やわ」

 

 克彦も随分お気に召したようだ。あとで作ってくれなんて言い出さなきゃいいんだけど……。それにしても三葉、こんなお店知ってたなんて……。えーと、『IL GIARDINO DELLE PAROLE』?これまた何かの呪文みたいなお店だけど……。

 

「それにしても三葉、よくこんなお洒落なところ知っとったね?大学ん時も一緒に来た事なかったやろ?会社とかで来たん?」

「ううん、ここはね……、四葉から紹介されたお店なんよ。親友の子が働いてるって言っとってね。何度か来た事があるんやよ」

「へぇ~、四葉ちゃんがなぁ……」

 

 四葉ちゃんもすっかり東京には慣れたみたいやなぁ。といってもあれからもう8年も経ってるんだから当たり前といえば当たり前だけどね。

 ――8年前、私たちの故郷、今は無き糸守町を襲った悲劇。彗星が落下してもうそんな年数が経つ。あの時は、本当に大変だった。住人が散り散りに非難して、私は三葉やテッシーと一緒に東京へ行く事になって…。あんなに東京へ憧れていたけど、はじめの年は受験勉強やら何やらであんまり印象的な記憶が無い。無事大学に合格して三葉と一緒に通う事になったけど、最初は克彦との事とかで正直どうなるかわからなかったし……。……まぁ彼とはその時から付き合う事になったのだけど。大学卒業後も東京で就職して、克彦とは同棲する事になって。それで先日、正式に彼からプロポーズされて、ついに結婚する運びとなった訳だ。

 

「ふふっ、でもやっぱ2人仲よかったんやな!嬉しいわぁ、結婚おめでとう!」

「ありがと、三葉!でも大変やったんやよ、こちらさんが泣くもんやから仕方なくなぁ…」

「は?何言うか、お前がなぁ…」

「はいはい、勝手に言いない」

 

 全く、素直じゃないなぁ。ま、プロポーズされて泣いていたのは私だったような気もするけど、それは黙っておく。そんな私たちのやり取りをニコニコしながら見守ってくれてる三葉に感謝しながら、気になった事を聞いてみる。

 

「そういえば、三葉はまだいい人はおらんの?職場の人たち、みんなかっこいい人ばっかりやし、三葉なら選びたい放題やない?」

「おい、早耶香……!」

「……そうやね。みんないい人達やとは思うけど……」

 

 私には勿体無いかな、なんて困ったように言う三葉に、私はいつか克彦が言っていた事を思い出す。

 

『――多分やけど、三葉にはもう心に決めた奴がおる』

 

 あの時は何言っているんだこの男は、なんて思ったりしたもんだったけど…。大学の時から三葉がたまに自分の右手を見て寂しそうにしているのを私は見ていた。だから……、

 

「……まだ、見つからんの?探している、その人は?」

「え?……うーん、どうやろな…。どこかにそんな人おったらいいなって思うけど……」

 

 そう言って三葉は自分の右手を眺める。まるで、大学時代の時と同じように……。

 

「……なぁ三葉、今度式場の本、一緒に見てくれん?テッシー全然参考にならんくって……」

「…………お前なぁ」

「あはは、いいよ、サヤちん。一緒に探そ!」

 

 申し訳なくなった私は、話題を変えると、三葉もそれに乗ってくれた。そして話が弾み……、

 

「じゃあ式決まったら、また連絡するでね」

「うん、じゃあまた!」

 

 2人のお祝いやから、ここは私が出すでね、と三葉は私たちの分も支払いを済ませ、また式の日程が決まったら連絡するという事で、彼女と別れる。三葉が見えなくなったところで、私はポツリと呟いた。

 

「……三葉も、大変やなぁ」

 

 何が、とはあえて言わない。隣にいる克彦もわかっているだろう。

 

「……まだ、引きずっとるんやろ。俺からすれば、もう少し好きに生きてもええと思っとるがな……」

 

 もうあれから8年。私たちも社会人になり、お互い東京での忙しい生活を送っている。私には克彦がいて、その薬指には、先日彼より貰った指輪が静かに輝いている。

 

(三葉も、いつか、ちゃんと幸せになれますように……)

 

 心の中で、私は祈る事しか出来ない。いつか、ちゃんと彼女の前にも素敵な男性が現れてくれる事を信じて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度またブライダルフェアに行くって……。サヤちん……」

 

 先日、彼女たちに会った時からまた季節が変わり、もう12月になった。先程まで降り続いていた雨は、いつの間にか雪に変わっており、冬の訪れを感じさせてくれる寒さにコートを着ていても辛いものがある。赤いマフラーに半分顔を埋めているものの、自分の吐く息は白い。早く家に帰ろう、そう思った矢先に送られてきたメッセージを見て思わずそう呟いた。

 

(……長年好きやったテッシーと一緒になる、一生に一度の機会やし、大切にしたいんはわかるけど……)

 

 ただ今送られてきたメッセージによると、彼女は神前式にも興味を持っているようだ。この間まではチャペルが夢って言ってなかったっけ…。恐らくはうんざりしているであろうテッシーに少し同情する。

 

「まぁ、テッシーなら大丈夫やろうけど」

 

 彼は何だかんだ言いながらも、サヤちんに付き合うだろう。誠実な性格の彼ならば。彼女に相応しい、本当に素敵な男性なのだ。

 

(私にもいつか、テッシーのような素敵な人が出来るんかな……)

 

 幸せそうな2人を見てきて、ふとそんな思いを抱く。だけど、現実はいい人が出来るどころか、むしろ男の人を避けているといった方がいいかもしれない。サヤちんが言っていたように、私は無意識で『誰か』を探し続けているのだろうか……。今となっては本当に『誰か』なんていたんだろうかとも思ってしまう。私はかつて、誰を探していたんだろう……。

 だから、考え事をしていた私には気付けなかった。さっきすれ違った人が、私を見ていた事に…。

 

(――ッ、今のは……?)

 

 歩いていた歩道橋の中間くらいですれ違った、先程の男性を見る。持っていないのか、傘もささずに歩いていくスーツ姿の男性。その後姿に何かしらの秘密が隠されているような気がする……。それも……、致命的な何かが……。

 

「気のせい、よね……」

 

 確かめたい気持ちがあるものの、諦めて歩き始める。何時もの癖だろう、知らないうちに泣いている自分をそう納得させて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宮水さん!お、俺と付き合って下さい!!」

 

 他に誰も居ない教室に同級生から告白され、内心私はまたか、と心の中で溜息を付く。大学受験も大方終わり、高校もあと1ヶ月程で卒業というこの時期。私は友人に呼び出されて高校に来て見ればこれである。

 

「ごめんなさい。気持ちはとても嬉しいけど、今は誰ともお付き合いするつもりはないんです」

 

 相手がなるべく傷つかないよう言葉を選びながら、私は用意していた断りの言葉を口にする。…正直、これが何回目かも数えていない。

 

「そ、そうですか。じゃあせめて友達から……」

「……ごめんなさい。気持ちを持たせるような事はしたくないので…」

「そ、そう……」

 

 彼との関係を完全に拒絶し、私はもう一度ごめんなさい、と頭を下げて教室を後にする。そして人知れずもう一度溜息を付いたところで、

 

「相変わらずモテるね。四葉」

 

 そう言って出てくる彼女に私は答える。

 

「……それは秋穂もやろ」

 

 東京にやって来た時から仲良くなり、今では親友である水谷秋穂。私を学校に呼び出した張本人でもある彼女に少し非難の視線を送る。

 

「それより秋穂、今日私を呼び出したのってさっきの件?」

「うっ……そ、そうじゃないけど…、結果的にはそうなる……のかな……?ゴ、ゴメン、四葉……」

 

 小動物のようにビクッとした後、秋穂の目が泳ぎ始め、やがて観念したかのように謝って来る。その様子を見て再び溜息をつきながら、

 

「ハァ……、もういいよ。まぁ秋穂の事やから断りきれんかったんやろうけど……」

「ち、ちゃんと四葉に用事もあったんだよ?……はい、コレ」

 

 慌てて何かを手渡してくる彼女。何だろう、プレゼントのようだけど…。開けてみると、中にはマフラーが入っていた。

 

「……昨日、完成したんだ。ほら……去年の末に…、四葉には色々迷惑かけたから……」

「これって……、秋穂の手作り?」

「うん……。なかなか上手くいかなかったから、所々解れてるかもしれないけどね……」

 

 確かに良く見てみると、手作り感が見られるけど…、よく出来てると思う。幼い頃より家庭の事情で服飾、裁縫に携わってきた私から見ても、立派な出来だ。

 

「え……、これ、いつから作ってたん?」

「ん……、大学受験が終わってからかな?まあ、気分転換に作っていたというのもあるけど。……で、どうかな?」

 

 どうって……。わずかな時間にコレだけの物を作るのは大変だったと思うけど……。

 

「ありがとう、秋穂。なんか、悪いやさ……」

「組紐のお礼でもあるからいいよ。でも、大事に使ってね」

 

 秋穂はそう言うと、ひかえめに、でも少し誇らしげに胸を張る。この子は……、なんて言ったらいいのか、一言で言うととてもグラマラスな体付きをしていると思う。昔から比較的自分の体系、特に胸が大きくなるかについてはわりとどうでもよかった私だったけど、女性らしさを体現するような秋穂を見ていて少し考えが変わったのかもしれない。彼女がその豊満な胸を迷惑そうにしている時には、少し分けて欲しいと思ってしまったのは内緒だ。

 

(モテるって言ったら、私よりも秋穂の方がモテると思うんやけどね……。ナイスバディやし……)

 

 実際、彼女は親友の贔屓目を除いても容姿端麗というだけでなく、性格もいい。私が男だったら、真っ先に彼女に告白してるんじゃないかと思ったりもする。ただ秋穂の場合、高1の時より本命がちゃんといて、告白されてはそれを理由に断って今は大分落ち着いたようだった。

 

「で、どうなの秋穂。その後は」

「え……、その後……?」

「ほら、慰めてくれた先輩と受験が終わったら何処か遊びに行くって言ってなかった?」

 

 そう言うと彼女の顔がサッと赤くなる。本当に初心な娘だ。昨年ずっと好きだったという先輩に振られたって聞いた時は、秋穂を振るという事自体信じられなくて、一度その振ったという男に物申してやろうと思ったくらいだ。だけれど彼女はそれを望まなかったし、聞けば誠実な対応をしてくれたという事なので矛をおさめたんだけど……。

 

「それに、私にマフラー作ってくれたって事は、その先輩にも作ったんやないの~?確か、高木先輩、やっけ?」

「た、高木先輩とは……、うん、今度一緒にお出かけする事になって、その時に……」

「へぇー!初デートや!」

「よ、四葉っ!」

 

 真っ赤な顔して抗議してくる秋穂に、少しからかいすぎたかと反省する。その高木先輩という人に、私は感謝していた。3年越しの恋にどうにか折り合いをつけられたのは、その人のおかげだと私は思っている。秋穂は私にも感謝してるけれど、自分に出来たのは彼女の為にお守り代わりに組紐を作ってあげた事くらいだ。

 

「ゴメンゴメン!このマフラー、大事に使わせてもらうやさ。ま、今度の冬の時期になるんやろうけどね~」

「本当は受験前に渡せればよかったんだけど……ゴメンね?」

「もう、冗談やよ!秋穂は本当に真面目なんやから。さ、もう用件もないんやろ?一緒に帰ろ!」

 

 私にプレゼントを渡すのが彼女の用事だったんなら、もう予定もないだろう。さっきみたいな告白がまだ待ってるとかいうのでなければ。

 

「ん……。この後四葉は用事ある?何処か寄って帰る?」

「あー、ゴメン。今日は予定があるんやよ」

「あ……、もしかして、あの綺麗なお姉さんと会うの?」

 

 たまにお姉ちゃんが私を心配して、食事に誘ってくれる事があるのを知ってる秋穂はそう聞いてくる。

 

「うん……。それに今日はね……、お姉ちゃんだけじゃなくて、お父さんも来るんよ」

 

 

 

 

 

「どうしたん、四葉?あんまり箸が進んでないようやけど……」

「ん……。別に何でもないんよ~」

「そう……?まぁ何でもないんならええけど……」

 

 ファミリーレストランでお姉ちゃんと2人、お父さんを待っている中、問い掛けてきたお姉ちゃんにそう答える。……まさかお姉ちゃんに見とれていたとは言えない。小学生の頃から近くで見てきて、いつか同じ位の歳になったらお姉ちゃんのように美人になれるかなと思っていた。実際、同じ女子高生になって、男の子からもそれなりにモテる位美人になったという自負もあるけれど、正直まだまだお姉ちゃんにはかなわないと思う。

 

「……まあ、おっぱいの大きさもそれなりに欲しいと今は思っとるけど……」

「……何を小声でぼそぼそ言っとるん?本当に大丈夫なん?四葉……」

 

 いけないいけない、声に出ていたみたいだ。気を付けないと…。怪訝そうな様子で私を伺っているお姉ちゃんに再度、何でもないと言って注文していたコーラを啜る。

 

「2人とも、待たせたね……」

 

 そんな時、ちょうど遅れていたお父さんがやって来た。すぐにお姉ちゃんが立ち上がり、お父さんを席へ誘導する。

 

(……少し痩せた、かな?)

 

 席に着いたお父さんを見て、私はそう思った。無くなってしまった糸守町に残り、町の復興を行なっている父を誇りに思うと同時に申し訳なくも感じている。

 

「四葉、卒業おめでとう。4月からは大学生だな」

「あ……うん、有難う……」

「これはお祝いだ。大学生活は金が掛かるだろうからな」

 

 そう言って、封筒を私に手渡す。……結構入ってる気がする。

 

「受け取れんよ。私は気持ちだけでええんに!」

「子供が遠慮するな。三葉にだって大学入学の時には渡しとるし、普段お前達の傍にもおれんし、こういう時ぐらいな……」

「そうやよ、四葉。あ、これは私から……、はい」

 

 お姉ちゃんからもラッピングされた箱を差し出される。これも何か高価そう……。

 

「お、お姉ちゃんまで……!本当にいいにんっ!!」

「アンタって普段から遠慮ばっかりなんやから……。こういう時ぐらい貰っときないよ」

 

 微笑みながら返したプレゼントをもう一度手渡される。開けてみるとお洒落な腕時計で、私には勿体無い位、素敵な物だった。

 

「あ、有難う、お姉ちゃん……!大事に、するから!」

「うん、大事に使ってよ!四葉」

 

 

 

 

 

「ところで……、お父さんは最近どうなん?」

 

 ある程度、話が弾んだとき、私はお父さんに気になった事を聞いてみた。お父さんは糸守町の復興の為、今でも向こうに残って頑張っている。

 

「ん……?ああ、まぁ最近は大分落ち着いてきたな。そこまで食い下がってくる輩も少なくなってきとるでな」

 

 それでも未だにいるんだ、まだそんな連中も……。お姉ちゃんとお祖母ちゃん、それに私で東京に出る原因となった事。それはマスコミが私たちの事を嗅ぎまわっていたからだ。一度、避難していた体育館にそんな連中がやってきた時があった。あの時は、お祖母ちゃんが一喝して事なきを得たけれど…。お父さんは復興という目的だけでなく、そういう輩とも戦う為に残ってくれたのだ。

 

「……まあ私の事いい。それより……、どうだ三葉、最近は……?」

 

 そう改まって、お父さんがお姉ちゃんにそう聞いてくる。

 

「ん……、まあ普通、かな……?相変わらず忙しい毎日やけど、慣れてきたっていうか……」

 

 お姉ちゃんが私くらいの頃、ちょうど彗星が私たちの町に落ちてきた頃からは考えられない会話だなと思う。あの頃は2人、いやお祖母ちゃんもかな、とてもこんな風に話せる関係じゃなかった。お父さんは宮水神社から出て行ってしまい、お姉ちゃんやお祖母ちゃんはお父さんの話題自体が禁句であるように扱っていた。何せ防災無線からお父さんの話題が出るたび、そのコンセントを抜くほどには険悪な関係だったのだ。

 

「そうか……。まぁ、身体には気を付けるように……。それで……その何だ、彼氏なんかは、出来たのか……?」

「え?おらんよ。どしたん、急に……」

「そ、そうか。ならいいんだ」

 

 明らかにホッとしたようなお父さんの様子に、私は内心呆れる。結局それが一番聞きたかったんだろうけど、少しデリカシーがないんじゃないの……。

 

「それで、四葉は……ッ!」

 

 私のジト目に気付き、口ごもるお父さん。全くもう……。

 

「……私もおらんよ。まぁ、結構告白とかはされるけど……」

 

 今日も告白されたしね。溜息をつきながらそう言うと、少しお父さんが反応する。

 

「こ、告白か……。ちなみにどんな奴なんだ、そいつは……」

「……ちょっと、お父さん……。安心しない、ちゃんと断っとるんやから……。それに、それ言ったらお姉ちゃんやって同じやよ?」

「なっ……!?そ、そうなのか、三葉!?」

「そうやよねっ、お姉ちゃ……」

 

 動揺しているお父さんを尻目に、お姉ちゃんの方を見て、私は固まる。お姉ちゃんは、肩肘をつきながらどこか遠くを眺めていた。

 

(あ……まただ……)

 

 時々、お姉ちゃんはこんな風にぼんやりと遠くを眺める事が多くなっている。まるで、誰かを探しているかのように……。多分、彗星が落ちたあの時から、お姉ちゃんは……。

 

『私には、確かにいたんよ!!大事な人が!忘れちゃダメな人が!!絶対に、忘れたくなかった人が!!!』

 

 あの日、私は1人になりたいと言っておぼつかない足取りで出て行ったお姉ちゃんが心配で探しに行った時、お祖母ちゃんと話しているお姉ちゃんの姿を見てしまった。普段、どんなに辛い時も涙を見せないお姉ちゃんが、泣いていた。あの時のお姉ちゃんの姿が、どうしても忘れられない……。

 

「三葉……?」

「え……?あ、ごめん。ちょっとボーっとしてて……」

 

 疲れているのかも、そう言ってお姉ちゃんは謝る。……そんな、悲しい顔をせんでよ、お姉ちゃん……。2人が話している中、私はお姉ちゃんの事を考えていた。

 キラキラしてて凄く綺麗なお姉ちゃん。たまにうすぼんやりとアホな事をするお姉ちゃん。風邪引いた時、まるでお母さんのように頼りになるお姉ちゃん。そして…、凄く大切で、大好きなお姉ちゃん……!

 

(私が……、いるよ)

 

 たとえ…、お姉ちゃんが何を忘れて、何を無くしてしまったとしても、私がずっと傍にいるから…。だって、だって私たちは―――

 

(私たちは、コドクではないんだから……!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで大丈夫でしょうか、宮水先輩」

 

 呼ばれた声にハッとして振り返る。あれからまた季節が変わり、新年度になって新しくできた後輩の子がおそるおそるといった感じで私に資料を差し出してきていた。彼女に新しい資料を纏めるように頼んでいた事を思い出し、それを受け取るとサッと目を通し確認していく。

 

「……うん、大丈夫だよ。ありがとね、みずきちゃん」

 

 間違いない事を確認しそう伝えると、彼女は安心したように一息つく。

 

「良かったぁ……、また間違えてないかとヒヤヒヤしました……」

「あはは……、そんなに堅くならなくて大丈夫だよ。新人なんだし、わからなくて当然なんだから」

 

 そう言いながらも、私も自分が新人の時にやはり同じように先輩に迷惑をかけてるんじゃないかと、緊張していたのを思い出す。緊張するなって言ったところで、しない方が無理な話だ。

 

「もうこんな時間なんだ……、ちょっと早いけどお昼にしようか、みずきちゃん」

「えっ……、でもまだこんな時間ですよ?あ……、もしかして私を気遣って……。わ、私まだまだ大丈夫ですよ!」

「ダメだよ?自分でも気付かない内に、結構疲れが溜まってるだろうし、休める時にはしっかり休まんと」

 

 きちんと休む事も仕事の内だしね。軽くウインクしながら戸惑う彼女を促すと、何を食べようかと考えを巡らせていった。

 

 

 

 

 

「すみません……、今日もご馳走になってしまって……」

「そんな事、気にしなくていいよ」

 

 食事を終えて、早めに会社に戻り休憩室に入ったところで、馴染みの方々と合流し一緒に他愛のない話をしながら時間を潰している中、改まって彼女がそう告げてくる。真面目な子やなぁ。そのように感じながら彼女に答えていると、

 

「そうそう、みずきちゃんも先輩になった時にご馳走してあげればいいんだし」

 

 同僚である奈津実が私に代わって答えてくれる。

 

「フフッ、そうね。貴女達もそんな感じだったわよ?入社したての時はね……」

 

 そんな中、よく私たちを助けてくれた瀬名波先輩がしみじみといった感じで呟く。そういえば私も新入社員の時は、先輩に随分お世話になったっけ……。

 

「そうやって皆、一人前になっていくのよ。だから、貴女もそうなってくれたら嬉しいな」

「は、はい!私も、早く先輩方のように……!」

 

 優しく諭すように話す先輩に、みずきちゃんも少し興奮気味にそう答える。

 

「宮水先輩には飲み会の時にもお世話になりましたし……。あの時は本当に助かりました……」

「え?ああ、あの時は……」

 

 ……先日、行なわれた新入社員の歓迎会。その席にて彼女に絡んでいた人を嗜めたんだけど、あれは……、

 

「彼氏がいるって言ってもしつこく言い寄ってきたあの人から助けて下さって……」

「……ああ、みずきちゃんに絡んでた……。アイツには注意した方がいいわよ。私たちの同期でもあるんだけど、誰彼構わず、ってところがあるから……」

 

 あまり思い出したくもない同僚の話。会社でも評判は芳しくなく、この人の誘いに乗る女の子はいないんじゃないかな……。それに……、

 

「それに多分あの子、三葉ちゃん目当てだったんじゃない?隣に座ってたみずきちゃんは災難だったかもしれないわね」

 

 先輩の言葉を聞いて、私は申し訳なく思う。実際にあの人から何度か誘われた事があり、その度に断っているというのに……。先輩の言った通り、あの時もみずきちゃんを口実に私も引っ張ろうと考えていたんじゃないかとも思う。だから出来るだけあの人とは関わらないようにしている。

 

「でも……、宮水先輩に彼氏がいないって聞いた時は驚きました……。先輩、とても素敵なのに……」

「この子、社内でも人気あるんだけどね。ただ、三葉自身、男性と距離をとっているところがあるから……」

「別に男性が苦手、というわけではないのでしょうけど……」

 

 みずきちゃんが言った事を皮切りに、いつの間にか私の話になって少々戸惑う。確かに今までテッシー以外の男性と親しくしてきた事はなかったし、宮水神社の巫女として、サヤちんたち以外とはあまり積極的に関わらないようにしてきたというのはあるけど……。実際、今話しに出てきた同僚や苦手な金森先輩以外にも、私に話しかけてくる男性もいたりする。その中には気遣ってくれてたり、優しそうな人もいるのだけど……。しかしながら、どうしてもお付き合いするという気持ちにはなれなかった。

 

「ごめんなさい……、でも、私……」

「ああ、誤解しないで、三葉。別に責めている訳じゃないのよ?」

「三葉ちゃんがいい子っていうのはわかってるしね。……むしろ変な男に引っかからないで貰いたいし……」

 

 申し訳ないと思いながらも、そう言って私を気遣ってくれる奈津実や瀬名波先輩に感謝する。……私が会社で上手くやれてるのは、同僚の奈津実や、先輩方のおかげなのだ。

 

「……有難う御座います、瀬名波先輩……、奈津実……」

「まぁ、何か困った事があったら言いなさい?みずきちゃんも、あまり溜め込まないで。何でも三葉ちゃんや私たちを頼っていいから」

「しつこい男のかわし方とか……、ね?」

 

 その言葉に噴き出す私たち。こうやって支えてくれている先輩や奈津実たちに感じている気持ちを、今度は私からみずきちゃんに。せめてみずきちゃんにもその暖かい気持ちを感じて貰えるように、私はそう気持ちを新たにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この間の飲み会、楽しかったですね。こんど2人でお食事でも行きませんか?……』

(……ごめんなさい)

 

 相手に心の中で謝罪しながら、スマフォに届いたメッセージを消去する。四葉やサヤちんあたりに知られたら、呆れられるかもしれないなと思いながら、溜息をつく。もし直接話しかけてきたなら、お断りしよう。そう思いスマフォをしまう。

 

(……私は何時まで、こんな思いに引きづられるんだろう……)

 

 ……今日も、夢を見た。夢の中で私は大切な誰かと隙間なくぴったりとくっついていて……、とても幸せだった、気がする。懐かしく、愛おしい誰かと。そして、目が覚めると泣いていて、見ていた夢は思い出せない。ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも長く残る。そんな、何時もの情景……。

 また溜息をつきながら、駅の自動改札をくぐり、混み合った通勤電車に乗る。

 

(……あと、少しだけ……)

 

 混雑した電車のドア付近に位置取りながら私はそう願う。何が少しだけなのかは、わからないけれど……。

 

(私は、まだ探しているのかな……。いるかどうかもわからない誰かを……)

 

 だから、男性からの誘いを断ってしまうのだろうか。何も覚えていないけれど、もしかしたら身体が、心がそれを知っているのかもしれない。誰に会いたいのか、何を探しているのか、わからないけれど、わからないままなのかも、しれないけれども。だけど……、もう少しだけ――!?

 

「ッ!?」

 

 何気なく併走していた隣の電車を見ていた私に、ある1人の男性の姿が飛び込んできた瞬間、心臓が止まってしまったかのような強い衝撃を受ける。

 

(――――あの人だッ!!)

 

 彼を見た瞬間、私はすぐに理解した。私がずっと探し続けていたのは、あの人だって!あとすこしだけでいいから、一緒にいたかった相手!!

 向こうも私に気付いたのか、私をまっすぐに見て、私と同じように驚いて目を見開いているようだった。身を乗り出すものの、私たちの乗った電車は段々離れてゆき、やがて割り込んできた急行電車に阻まれてしまう。そしてその電車が通り過ぎた後には……。

 

「そ、そんな……ッ!!」

 

 彼の姿が見えなくなり、焦燥感が募っていく。やっと、やっと見つける事が出来たのに……!私が、ずっと探していた相手。ここで、見失うわけには……!!

 

(さっきの電車は確か――!!)

 

 電車が千駄ヶ谷駅に止まり、私はすぐさま駆け降りる。会社に行かなきゃいけないのに、どうして私は電車を降りてしまったのだろう。どうして私は彼を探して走り回っているのだろう。冷静な私がそう語りかけてくるのがわかる。彼に会った事はない筈だ。少なくとも、私は覚えていない。それなのに、どうして……と。

 

(わからないけど……!だけど……ッ!!)

 

 だけど私たちは、かつて出逢ったことがある。覚えていないけれど、私の身体全部が、心がそれを知っている。自分でも無茶苦茶な事をしているのは理解しているけれど、彼も私を探していると何故か確信している。やがて細い路地に出て、そこを曲がるとすとんと道が切れていた。いつか、たしか学生の時にも来た見覚えのある階段がある。そこまで歩いて見おろすと……、

 

(あ…………!)

 

 彼だ……!走ってきたのか、私と同じように肩で息をしながら階段の下にあの人がいるのが見えた。そして、彼がゆっくりと階段を登り始める。私も目を伏せながら、彼に遅れて階段を下りてゆく。段々近付いてくるというのに、彼は何も言わず、私も何も言えない。彼に近付くにつれ、その歩みはよりゆっくりとなっていく。だけれども……、

 

(…………ッ!!)

 

 私たちは、すれ違ってしまう。すれ違った瞬間、涙が出そうになる。心を掴まれたような息苦しさにグッと耐えながら、こんなのは絶対に間違っていると私の中の何かが訴える。このまま、彼と別れてしまっていいのか、と。

 ――いい訳がない!!彼を見つけた時、私はずっと抱いていた願いを知ったのだから!!

 

 

 

 ――あと少しだけでも、一緒にいたい――

 

 

 

「あのッ!」

 

 突然、掛けられたその声を聞き、はっとする。身体が、まるで硬直したかのように動かない。

 

「俺、君をどこかでッ!!」

 

 私は胸に手をやりながら硬直した身体を何とか動かし振り返る。何か、何か話さないと……!彼が呼び止めてくれた嬉しさに、やっと出逢う事ができた感動に今にも泣き出してしまいそうだ。

 

「私もッ!!」

 

 やっとの事で紡ぎ出したその声は既に涙まじりで、その時、私は既に自分が泣いている事に気がついた。嬉しくて泣くなんて、いつ以来だろうか。私の涙を見て、彼が笑う。その顔にも、涙が頬を伝っているのが見えた。私も泣きながら、彼に微笑みかける。

 そして、私たちは同時にある言葉を言った。それは、相手を知りたい時に誰でも使う言葉。これから、何かが始まる予感に胸を膨らませながら、お互いに尋ねる。

 ――君の、名前は……?と。

 

 

 

 




後日、この話までの3点リーダーや、ダッシュ、表現のおかしな点を訂正する予定です。
もし、誤字脱字等ありましたら、お知らせ頂ければ有難いです。


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交錯する刻
第9話


結局1ヶ月以上空いてしまいましたが、第9話、投稿致します。
この話からは、漸く「その後の話」になります。


「「わ、私(お、俺)は……!」」

 

 彼に名前を尋ねられ、応えようとした瞬間、その声が重なる。被ってしまったと思い、口を噤んで上目遣いで彼の様子を伺うと、私と同じようにタイミングを計りかねているようだった。早く、伝えないと……、で、でもまた被っちゃったら……。ど、どうしよう……!

 

「……瀧、立花瀧、です」

(あ……)

 

 そんな時、彼の方から名乗ってくれた。軽くパニックぎみになっていた私は彼の声を聞き、冷静になる。そんな状況を打ち破ってくれた彼に感謝しながら、ゆっくりとその名前を私の全てで浸透させてゆく。

 

(……たちばな……、たき……くん……!)

 

 今までの記憶を総ざらいしてみるものの、その名前に覚えはなかった。やっぱりはじめて聞く名前だと思う。……だけど、彼の名前を聞いた瞬間、今までの葛藤がまるで嘘のように……、私が探し求めていた何かが、パズルの欠片のように、私の心にきっちりと収まったような気がした。

 ふと立花くんを見ると、彼が緊張気味に私をジッと見つめていた。その視線に赤くなりながら、まだ自分が名乗っていなかった事に気付く。

 

「あ、ごめんなさい!……私は三葉。宮水、三葉です!」

 

 慌てて、私は自己紹介をする。私の名前を聞いて、彼は安心した表情になり、考え込んでいるようだった。

 

(な、何もおかしなところはないよね!?髪が、跳ねとるとか……!)

 

 私は、何時の間にか流していた涙を拭いながら、何か変なところがないか不安になる。こういう日に限って、さっと身支度を済ませて家を出てしまったのだ。こんな事があるんなら、もっとちゃんとしておけば……!

 そんな矢先、プルルっと、スマフォの音が鳴り渡った。

 

 

 

 

 

「や、やべっ!!会社からだっ!!」

 

 宮水さんと会って、その名前を反芻していた矢先、かかってきた電話の主を確認して俺は真っ青になる。彼女の事を見つけて、こうして探し回って、会社の事をすっかり忘れていた。

 

「あ……。私も、連絡しないと……!」

 

 そう言って彼女も恐らく会社へ連絡をいれるべく、スマフォを取り出した。……俺も、観念して鳴り続けていたスマフォの通話状態にする。

 

「も、もしもし……」

「お、やっと出たか……。立花、今何時かわかってるか?」

「は、はい……。9時ちょっと前、ですよね……」

 

 会社の指導員でもある先輩からの電話に、俺はそう答える。……スマフォをとった際に時間を見たが、とっくに新入社員が出勤していなければならない時間は過ぎていたのはわかった。実際にスマフォが鳴るまで、会社に向かう事すら忘れていたんだ……。

 

「……そうか、わかっているのか。念の為に聞くが……、寝坊か?」

「い、いえ……。違います……」

 

 確かに今日は、何時もより遅めに起きてしまったが、あのまま電車に乗っていれば、何時もより少し遅れるくらいで済んだだろう。だから回答としては間違っていないかもしれない。しかし……、

 

「ん?じゃあもう外には出ているのか。じゃあ今何処にいる?いつもは30分前に出社してるのに今日はどうした?何かあったのか?」

「え、ええ。じ、実は、その……」

 

 ど、ど、どうすればいい!?何て答えれば!?まさか、正直に女性を探してましたなんて言える訳もないし……!俺はパニックになってしどろもどろになる中、もう自分の会社には伝え終わったのであろう、その様子を伺っていた彼女が、

 

「……ちょっと貸して!」

「え、ええ!?」

「いいから!私にまかせて!」

 

 半ば強引に迫ってくる宮水さんに促されるまま、俺はスマフォを渡してしまう。

 

「……もしもし、わたくし、宮水三葉と申します。実は、今日体調が悪くて、辛そうにしていた私を見かねて、彼が助けて下さいまして……」

 

 そう言って先輩に説明していく宮水さんを俺はぽかんとして眺めていた。話が終わったのか、再びスマフォを返してくる宮水さんから慌てて受け取り、

 

「おー、立花。お前、人助けしてたのか。なら、そうとはっきり言えばいいだろ」

「い、いえ、まあ……」

「ただ、そういう時はまず連絡してこい。そういった事情があるのにほおっておいて会社に来いとは言わないさ。お前、今日はちゃんとその宮水さんに付き添ってからまた連絡してこい。主任にはそう伝えておくから」

 

 …………すげえ、話が纏まってしまった……。彼女は俺の視線に気付き、ニコッと微笑みながら、

 

「フフッ、立花くんはまだ、新入社員なのかな?」

「え?ああ……、そう、です……」

 

 反射的にそう応えながら、今言われた言葉を頭の中で反芻する。宮水さんは……、どうやら社会人経験は長いと思う。先程のやり取りから考えても、少なくとも俺のような新人というような雰囲気はない。となると……、俺より年上、って事になるのか……?それよりも、今俺を名前で……!恥ずかしいやら何やらで、頭の中がごっちゃになる。そもそも、彼女の方が年上って事に、違和感もある。彼女の雰囲気や佇まいから考えたら、普通だと思うのだが、なんかこう……、彼女とは同年代のような……?

 

「そう、構えんでええよ。まあ、私にも後輩の子がいるから、気持ちもわからなくもないけどね」

 

 クスクス笑いながら、そう言ってくる宮水さんに笑顔に、俺は真っ赤になる。何とか、お礼は言わないと……!

 

「すみません……、何か、助けて貰っちゃって……」

「気にせんでええって。それに、さっき言った事も嘘って訳やないんやから」

「え?」

 

 ということは……、本当に体調が悪いのか……?途端に心配そうに彼女を見つめる俺に対し、

 

「ううん、別に身体は何ともないよ。でも、こんな事言ったら変に思うかもしれないけど……、私、今まで何処か心に穴が空いてしまったかのように感じてたんやよ……。特に、今日みたいに『夢』を見た日なんか、特に辛くてね……」

「そ、それって……」

 

 その話を聞いて、俺は驚いてしまう。それは、俺にも当てはまる事だったからだ。

 

「……私は今まで何かを、誰かをずっと探していた……。それが何なのか、わからなかったけど……」

「ッ!宮水、さん……!」

 

 また彼女の涙が頬を伝っている事に気付く。……自分が泣かせてしまったような罪悪感に襲われ、慌ててハンカチを取り出そうとする俺をやんわりと彼女に止められる。再び彼女の顔を見て、俺はなんとなくわかった気がした。

 

「……いいんやよ。これはきっと……、嬉し涙やから……」

 

 涙を零れるままにしながら、彼女は笑っていた。それを見て、俺も自然と笑みを浮かべる。もしかしたら、また泣いているのかもしれない。でも、それでも構わない。やっと心が、誰かをずっと探し続けていた想いが、自分自身に追いついたような気がしていたから。もしかしたら、彼女もそうなのかもしれない……。

 そうやって、暫く時間を忘れて、お互いに笑いあっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……宮水先輩……?」

「…………え?」

 

 誰かに名前を呼ばれてハッと我に返る。気が付くと後輩であるみずきちゃんが上目遣いで私を心配そうに見ていた。

 

「あ……、ごめんね。何の話をしてたっけ、みずきちゃん?」

 

 いけないいけない。つい今朝の出来事に思いをつのらせていたから、上の空で聞いていたみたいだ。改めて彼女に笑いかけると、みずきちゃんはおずおずといった感じで口を開く。

 

「……大丈夫ですか、宮水先輩?今日も遅れて来られていたようですし、体調が悪いんじゃ……」

「えっ!?ああ、身体は大丈夫だよ?今日だってフレックスを使って出社時間を遅らせただけだし……」

「でも、三葉がフレックスを使ってるところなんて初めて見たけどね……。本当に大丈夫なの?」

 

 そこに一緒に明るい茶色の髪を三つ編みにした女性、一緒に休憩をしていた同僚の河合奈津実が会話に加わる。……私、どうして皆にそろって心配されてるのだろう。確かに今まで遅刻、早退はおろか、欠勤もした事がなかったから、今日のように途中から出社するという事はなかったけれど……。

 

「別にいつも通りだと、思うんだけど……」

「……先輩、今日はずっと上の空ですし、いつもとは明らかに違いますけど……」

 

 そう言って遠慮がちにこちらを伺うみずきちゃんに、私は心配させちゃったかと申し訳なく思う。彼に、立花瀧くんに出逢ってから、私は少し浮かれていたのかな……?結局、あの後で連絡先を交換し合ってお互い会社へ向かう事となった。正直な話、もう少し一緒にいたかったけれど、流石に会社を休む訳にはいかない。だから、今日会社が終わった後で、会う約束をしたのだ。……もしかしたら、少しどころか、時間があったらスマフォに目を落としていたのかも……。

 

「……結構心配してたんだよ?まぁ、始業時間ぎりぎりで連絡がきたから、一先ず皆安心したけれど……。三葉、今までそんな事もなかったし、何かあったんじゃないのかって……」

 

 言いながら奈津実は徐に私の額に手を当てる。

 

「……別に、熱もないと思うよ?」

「みたいだね。でも三葉、何かあったでしょ?さっきからスマフォを見ては溜息ついてみたり、今度は笑ったりしてるし……」

 

 ……うん、ちょっと、いやかなり引き締めた方がいいかもしれない。流石に、彼の連絡先を見ながら一喜一憂していたなんて言えないし……。そう思い、スマフォを仕舞おうとした矢先、新着のメッセージがくる。

 

(あ……!)

 

 反射的にメッセージを見てみると、そこには待ち望んだ彼からのものであった。思わず顔を綻ばせながら、そのメッセージを読んでみると、

 

『宮水さん

 今日仕事、何時くらいに終わりますか?俺はなんとか早めにあがれそうなので、よかったら何処かで会えませんか?』

 

 私自身、できれば今日中にまた会いたいと思っていたから、その嬉しい誘いに私はすぐに了承のメッセージを返す。彼は新入社員と聞いていたので、遅れて出社した分、今日は難しいかなと思っていたけれど……。

 

(フフッ、楽しみにしてるからね)

 

 そうやってしばらくスマフォを見ていた私。だから奈津実たちがいた事に完全に失念してしまっていた。

 

「河合先輩……、また宮水先輩が……」

「……これは、後で聞かせて貰わないといけないかもね……」

 

 瀬名波先輩にも伝えておかなきゃ、そんな言葉も聞こえたような気がする。でも私には彼から送られてきた、今日の待ち合わせ場所にしか頭に入っていなかったんだけど……。

 ……後日、彼女たちから質問攻めに会うことを、今日の私はまだ知らなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません!!遅れましたッ!!」

 

 待ち合わせをしていた店に入り、彼女の前に来るやいなや、開口一番でそう言って頭を下げる。

 

「お、おおげさだなぁ。大丈夫だよ、私も今来たとこだし」

 

 いきなり俺に頭を下げられて少し驚いていたが、待たせてしまった相手である宮水さんは苦笑しながら席に着くよう促してくれた。そこで改めて彼女を見るも、やはり結構待たせてしまったのではないかと不安になる。約束していた時間から既に30分は経っているのだ。一応遅れる旨は伝えてはいたものの、もしかしたら1時間くらい待たせてしまったのでは……。

 

「それに……、遅れた理由って今日の遅刻に関係しているんでしょ?それだったら別に君がどうこうって訳じゃないんだから……」

 

 そんな風に言ってくれる宮水さんに温かい気持ちになっていく。しかし、遅刻は遅刻、ましてや相手は俺が今一番知りたいと思う女性なのだ。最初から躓いてしまった俺としては、なんとか挽回したかった。

 

「それでも……じ、じゃあせめて今日の分は俺に払わせて下さい!!」

「瀧く……、ごめんね、立花くんは新入社員なんでしょ?いいよ、気持ちだけ受けとっておくから……」

 

 困ったように言う宮水さん。だけど、そのまま彼女に甘えてしまう訳にもいかない。

 

「それならデザートだけでもご馳走させて下さい!この店のデザートはどれも美味しいらしいので……、パンケーキとかどうですか?」

「パンケーキ!?」

 

 パンケーキという単語に反応を示す宮水さん。すぐハッとしたかのように赤くなる彼女を見て、可愛いと思いながら俺は続ける。

 

「はい、ここのパンケーキは女性にも人気があるみたいです。中学の頃からの友人たちと来た時も勧めてたんで……」

 

 高校の時に司たちと何度か来た際に、ここのパンケーキはなかなか美味しいと聞いた気がする。……あいつら曰く、俺が注文したのを分けてもらったとの事らしいが、その時の記憶がまるで無いのは気になる点ではあるが……。まぁ彼女は心を動かされているみたいだし良しとしておこう。

 

「……わかった、じゃあデザートだけ、ご馳走になるね」

 

 申し訳なさそうにそう言うと、楽しそうにメニューを見ている宮水さんに、先程と同じく温かいものを感じると同時に、ふと懐かしいような感覚に襲われる。

 

(……なんだ……?俺……、この感覚、何処かで……)

 

 思い出せそうで思い出せない、何処かもどかしい感覚。だけど、嫌な感覚じゃない。むしろ……、

 

「うーん、どれも美味しそうやねぇ……」

 

 そんな時に聞こえてきた彼女の言葉に現実に戻される。いけないいけない、今は宮水さんと一緒だったんだ。そう思い直し、俺は彼女に気になった事を聞いてみる。

 

「宮水さんってあまりこういう所には来ないんですか?」

「んー……、会社の同僚や友人とたまに来るくらいかな……?それにパンケーキって値も張るし、仕事の昼休憩に来た時なんかには頼めないし……。でも立花くん、よくこんなお洒落なお店知ってたね?」

「実は、高校の時くらいから友達とこういう店によく来てたんですよ。なんというか、俺やその友達が建築関係に興味があって……、天井の木組みだとか、内装に手間がかかってるなとか、そういうのを見てまわって、あ……、すみません、つまらないですよね?」

 

 やばい、なんか俺の事ばかり話してしまった……。焦りながら弁明する俺を宮水さんは優しげな表情でふるふると首を振る。

 

「ううん、そういうのすごくいいと思うよ。そうなんだ、立花くんは内装に興味があるんだ」

「え、ええ。おかげで仕事もそちらの関係に就く事できまして……」

 

 そんな風に言ってくれる宮水さんに俺はドキッとする。なんかこのカンジ……、いいな……。あれは高校の時だったか、奥寺先輩と何故かデートする事になった時は、会話が続かず居心地が悪かったけれど……。

 

「じ、じゃあ注文しちゃいましょうか。宮水さん、決まりました?」

「あ、ゴメン。もうちょっと待って~」

 

 そう言って再びメニューと格闘する彼女に苦笑しながらも、温かい気持ちで眺めているのだった。

 

 

 

 

 

「ん~、おいしい~!」

 

 久しぶりに食べるマカロンのパンケーキは本当に美味しかった。東京に移り、大学に入学してすぐの頃、幼馴染であるサヤちんやテッシーと何度かこういうお店に来た事はあったけど、正直こういったデザートを注文した事は数える程しかなかったし……。少なくとも私たちが東京に来られているというのも、お父さん達が支援してくれていたからだったので、あまり無駄遣いする事は憚れた。

 

「喜んで貰えたようで……。でも、本当に美味しそうで良かったです」

 

 私の様子を眺めながら、優しげな様子で見ていた瀧くんはそう呟く。

 

「あれ?君は食べた事なかったの?」

「ええ、俺自身は……」

 

 そうなんだ、てっきり瀧くんが食べた事あって勧めていたのかと思ったけど……。それならと私は、

 

「じゃあ瀧くんも食べてみないよ。ほら!」

 

 自分の食べていたパンケーキを取り分けると、それを瀧くんに……、

 

「えッ!?」

「はい、あーん」

 

 真っ赤になった瀧くんを可愛いと思いながら、彼の口元にケーキを運ぶ。

 

「ちょっ!?宮水さん!?」

「本当に美味しいんやから、遠慮せんと!」

 

 彼も観念したのか漸く口を開いたところに、そこにケーキを放り込んだ。黙々とそれを口にし、やがて、

 

「…………美味い」

「でしょ!まだまだあるから、瀧くんも食べないよ!」

「あっ!俺はこれで大丈夫ですから!」

「えー……、そう言わんと……っ!?」

 

 ここまで言って、初めて今私がしていた事に気が付く。そう、俗に言う「あーん」という奴だ。主に恋人同士が行なう事だと記憶しているけれど……、まさか自分がする事になるとは思わなかった。それも……、今日会ったばかりの男性に対して……!

 

「ご、ごめんなさい……、私、何を……!」

「あ……、い、いえ、嫌だった訳じゃありません!俺、こういった経験が無かったんで……。恥ずかしかったのは事実ですが……」

「ん……?瀧く……、コホンッ、立花くんは今まで彼女とかいなかったの?」

 

 彼の言葉を受け、私は気になった事を聞いてみる。

 

「ええ……、女性の知人はいますけど、彼女は今までいた事がなかったんで……」

「そうなんだ……」

 

 瀧くんに今まで彼女がいなかったというのは意外だったけど……、それを聞いて不謹慎ながら、少し嬉しく思ったのは内緒だ。

 

「……こんな事やっておいてアレなんだけど……、私も今までいなかったんだ」

「ええ!?宮水さんが……!?」

「あ、といっても別にモテなかった訳やないよ!?そう、作らなかっただけなんやから!!」

「そ、それを言ったら俺もですよ!?俺も作らなかっただけで……」

 

 お互いそこまで言って、プッと吹きだす。何か前にもこんな事があったような、妙に懐かしいような感じがした。そんな訳ないのにね……。

 

「フフ……、ゴメンね。でも……私、本当に吃驚したんだ。電車で、君を見て……」

 

 今まで誰かをひとりを、ひとりだけを探している。それは漠然と私の中にある使命感にも似た想いだった。いつからそんな想いに取り付かれたのかはわからないけれど、でもずっと私の中にあった想い……。

 

「……会った時に言ったかもしれないけど、私は今まで何かを、誰かをずっと探していたの……。それで君を見た時、どうしてかは説明できないんだけど、居ても立ってもいられなくなっちゃって……」

 

 それで電車を降りて、君を探し始めたんだ……、そう続ける私。今思えば、彼も電車を下車してくれなければ会える筈もなかったのに、どうしてかあの時は彼も私を探してくれている……。そんな確信に近い思いもあった。

 そうだったんですか……、そう瀧くんが呟くと真面目な顔で続ける……。

 

「……俺も、何時からかずっと誰かを探しているような感覚に襲われるようになりました……。友人たちも、そんな俺を見て随分心配させたとも思っています……」

 

 瀧くんも……、やっぱり……。

 

「俺も……、探していたのは……貴女だったんだと思います。だから貴女を見つけた時……、本当に驚いた。会社に行く事も忘れて、気が付いたら電車を降りていましたから……」

「……もしかしたら……、私たち、何処かで会っていたのかもしれないね……。覚えていないだけで……」

「そう……かもしれません……」

 

 私たちが出会ったのは、本当に運命なのかもしれない……。そう言えば、お祖母ちゃんはよく言ってったっけ……。たしか……、『ムスビ』って……。

 

(三葉、それもまたムスビなんやよ。今はそのムスビは途切れてしまったのかもしれん。じゃが、また繋がる事もある。お前と、……相手との間にはムスビが生まれとるのやから)

 

 何時だったか、お祖母ちゃんが言った事がふっと脳裏によぎる。……うん、そうかもしれない……。

 

「あ……、それとひとつだけ……」

 

 そう前置きして、私はさっきから気になっていた事を伝えることにする。

 

「私の事は三葉でいいよ。それに敬語も禁止。なんか調子狂っちゃうし……、私も君の事は瀧くんって呼ぶから」

「……既に何度かそう言ってましたもんね……。その度にちょっとドキッとしましたけど」

「!?そ……そうやっけ……!?あ……」

 

 思わず漏れた方言に気付き、少し恥ずかしくなる。今では家族や幼馴染の前以外ではあまり使わなくなっていたのに……。

 

「……じゃあ俺も……、出来れば、素のままでいてくれないかな……?三葉……さんが素のままでいてくれた方が……、俺も嬉しいっていうか……」

 

 そう言って頭をかく彼に、私はクスリと笑う。

 

「さん、もいらないのに……。でも……、そうだね、わかった」

 

 どうせ先程から彼の前では度々漏れていたようだしね、そう思いながら私は決める。

 

「これからは……、瀧くんの前では……、素でいるでね」

 

 

 

 

 

「あ……もうこんな時間……」

 

 食事も終わり、色々とお互いの事を話していたら、もう結構いい時間になってしまっていた。本当に楽しい時間ほど、時が経つのはあっという間だな、と私はひとりごちる。

 

「ごめん、話し込んじゃったな……」

「ええよ、私も、楽しかったし」

 

 本当はもっと一緒にいたかったけど、流石にこれ以上一緒にいたら終電が無くなってしまう。

 

「もう遅いし……、送っていくよ」

「えっ……、でもそうしたら瀧くんが……」

 

 帰れなくなってしまう、そう続けようとしたものの、

 

「俺はその後、適当にタクシーでも拾って帰るから大丈夫だ。流石にこんな時間に1人で帰らせる訳にはいかないしな……」

 

 そんな事したら友人からぶっ飛ばされちまう、そう呟いて彼は立ち上がり、会計に向かう。

 

「あ、待って……、私も……」

「今日くらいは俺が出すよ……。誘ったのも俺だし」

「あ……」

 

 そう言ってそのまま瀧くんは会計をすましてしまう。そして……、

 

「さ、行こうか」

 

 眩しくなる様な笑顔で、私を促してきた。

 

 

 

 

 

「ありがとう……、送って貰っちゃって……」

「いやいや、俺の方こそ悪かった。こんな時間まで……」

「それは言いっこ無しだよ。でも……本当によかったの……?」

 

 結局、私の住んでいるアパートの前まで送って貰ってしまった事に、申し訳なく思いながら尋ねてみると、

 

「ああ、いいって……。さっきも言ったろ、女性を1人で帰らせたなんて知られたら、高木あたりからぶん殴られちゃうって……」

 

 瀧くんの話に出てきた友人の名前を挙げながら、そう言う彼に私は感謝の念で胸が熱くなる。

 

「……でも、ありがとう。とても、楽しかった……」

「俺もさ。……ああ、それと……」

 

 すると、瀧くんはちょっと緊張したように一呼吸おいて、改めて私に向き直る。真正面から対峙して真剣な顔をしている彼に、私もドキドキして瀧くんの言葉を待っていると、

 

「……これからも……時々こうやって会ってくれないか……?」

 

 そんな事を言い出す瀧くんに私は目をしばたたかせる。

 

「え……?私も、そのつもりやったんやけど……?」

 

 今更何を言い出すのか……、だから顔写真やSNS等の連絡先も交換したと言うのに……。若干肩透かしを食らったような思いで彼を見る。

 

「あー……、そうじゃなくて……んー……」

「……?」

 

 訝しむ私に瀧くんは顔を赤くしながら、やがて搾り出すように口を開く。

 

「……正式に……、俺と付き合って貰えませんか……?」

「…………え……!?」

 

 一瞬何を言われたのかわからなかった。やがてその言葉の意味を理解して……、私の顔も彼と同じように真っ赤になる。

 

「ど……どうだろう……?」

 

 彼は少し不安そうにしているのに気付き、私は慌てて応えた。

 

「あ……う、うん!私でよかったら……喜んで……!」

「……よかった……、断られるって思ったよ……」

「そんなこと……!」

 

 少なくともそんな気は私には無かった。そもそもそうでなければ、男性と2人で会ったりなんてしないし……。でもまさか告白されるとも思っていなかったのも事実。

 

「……なんとなく、はっきりさせときたかったんだ……。俺、三葉の事、もっと知りたいし……、だったらその事を曖昧なままにしておくのは……、三葉にも失礼かなって思ってさ……」

「瀧くん……」

 

 彼の誠実な想いを聞き、愛しさを覚えながら私も続ける。

 

「うん……、私も……、もっと瀧くんの事が知りたい……」

「三葉……」

 

 私がそう言うと、瀧くんは私を抱き締めてくれた。男性に抱き締められたのは初めての事だったけど、ちっとも嫌な感じはしなかった。それどころか……、

 

(とても……温かい……)

 

 身体だけでなく、心が温まってくるのがわかる。私の心に今までぽっかりと空いた穴……。それが今、パズルのピースのようピッタリとはまったように私は感じる。

 トクントクンという瀧くんの胸の鼓動を感じながら、これからはじまるであろう彼との未来に、私は静かに思いを馳せていった……。




今日中には、前回出来なかったこの話までの3点リーダーや、ダッシュ、表現のおかしな点を訂正する予定です。
もし、誤字脱字等ありましたら、お知らせ頂ければ有難いです。


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第10話

投稿が1ヶ月空いてしまいました……。
もっとコンスタンスに投稿できればいいのですが……。
第10話、投稿致します。


「あ、四葉ー。こっちこっち!」

 

 その声の方に振り向くと、私を待ってくれていた秋穂が手を振っているのが見える。

 

「ごめん、ちょっと手間取っちゃった……」

「そっちは凄く混んでいたもんね……、じゃあ、食べよっか?」

「「いただきまーす!」」

 

 ……ここは大学構内の学食。昼休みに親友である秋穂と待ち合わせて昼食をとっていたところである。大学に入学してもう少しで1ヶ月……、高校に通っていた頃とのギャップにも漸く慣れてきて、この学食内での喧騒にも馴染んできたみたいだ。

 

「四葉はもう、キャンパスライフは慣れた?」

「んー……、高校の時とは大分違うから、ちょっと戸惑っている事もあったけど……。まぁ、大体の講義は秋穂と一緒だから……」

 

 ちょうど今考えてきた矢先の質問に、苦笑しながら答える。正直な話、秋穂が同じ大学に通ってくれているのは私にとって嬉しい事だったりする。

 

「そっか……、私も、四葉と一緒で助かってるよ……」

 

 私の言葉に照れたような様子でそう返す秋穂。……基本的に秋穂とは同じ学科を選択してはいるものの、全てが同じという訳ではない。私は神道関連の学科も選択し、代わりに秋穂は教職関連の学科を選択している。だからこうして一緒にいられる時は、お互い時間を合わせようとしている訳なんだけど……。

 

「それより、四葉……――」

「あー君達、ココは空いているかい?」

 

 そんな時、秋穂の言葉を被せながら話しかけてくる男性の声がする。

 

「えっ……?」

「ちょっと相席させて貰うよ」

 

 そう言いながら秋穂の隣に強引に割り込んでくる。戸惑っている秋穂を尻目に、

 

「君達、新入生かい?2人とも可愛いね~。もう、サークルは決まったのかな?」

 

 今度はもう1人が話しかけてきて、私の隣に座る……。2人を見てみると、容姿はそこそこ整っているようだけど、それを鼻にかけているのか軽薄な態度が滲み出ている。そもそも、私も秋穂も隣に座られる事自体、肯定した覚えもないのだ。いきなり会話に割り込んでくる事に対しても、相手の神経を疑いたくなってくる。

 

「君達は文芸部かい?俺たちは……」

「すみません、興味ないので」

 

 ……こういうのは最初から相手にしないに限る。私は食事のトレーを取って席を立ち、

 

「秋穂、行こう?」

「う……うん……」

 

 そう言って促すと、秋穂も私につられるように席を立つ。私達の様子に慌てたように、

 

「ち、ちょっと君達……!」

「ごめんなさい、ナンパは別な場所でやって下さい」

 

 引きとめようとしてきた男に対し、私は営業スマイルでバッサリと斬っておとす。周りの目もある為、今度こそ彼らも黙ったようだったので、2人して別の席を探して移動する。

 

「……四葉、ありがとう」

「全く……、何処行っても、ああいうの多いよね……」

 

 遠慮がちにお礼を言ってくる秋穂に、溜息を吐きながらそうかえす。ああいう輩は空気が読めないのだろうか……、本当に信じられない。

 

「秋穂も駄目だよ?ちゃんと拒絶しないと……。じゃないと勘違いするからさ、ああいう人たちは……」

「うん……、わかってるんだけど、ね……」

 

 苦笑しながら呟く秋穂。彼女が性格的になかなか難しいというのはわかっているけれど……。

 

「そういえば……、彼氏とは上手くいってるの?確か、高木さんっていったっけ?」

「!?」

 

 私がそう言うと、ゴホゴホとむせ出す秋穂。

 

「よ、四葉っ!!」

「んー?どうしたん、秋穂?」

 

 むー、と可愛く睨んでくる秋穂をニヤニヤしながら見つめる。本当に、からかいがいのある親友だ。

 

「…………高木先輩とは……その……。別に、彼氏さんって訳じゃ……」

「でも、この間は一緒にデートしてたんでしょ?」

「そ、それは……!高木先輩が……入学祝いだって……」

 

 私の追及に諦めたように答える親友に、私はさらに追及してゆく。

 

「だけど秋穂は行ったんでしょ?それも2人で……。秋穂も嫌だった訳じゃないようだったし……」

「それは……っ!確かに……そうだけど……」

 

 真っ赤になりながらゴニョゴニョと反応する様子に、可愛いなあと思ってしまう私。でも……、

 

「……よかった。秋穂も元気になったみたいで……」

「あ……」

 

 ……昨年は、本当に大変な状況だった。秋穂が3年間ずっと想いを寄せていた人にフラれて……、受験の前だった事もあり本当に大変だったのだ。彼女自身は告白は出来たと必死に割り切ろうとしていたみたいだったけど、それが無理しているという事がわかっていた私にしてみれば、秋穂の姿は余りに痛々しく胸が痛んだものだった。

 

「もう……大丈夫なの……?」

「……うん。完全に……まだフッきれてる訳じゃないけど……、私の中では大分整理はついたつもり……」

「そう……。その高木先輩には感謝しないとね」

「…………うん」

 

 そんな秋穂がここまで立ち直っているのは、その高木さんという人のおかげだ。昨年だって、傷心の彼女に受験の為の勉強やらと色々と気にかけてくれていたみたいで、秋穂自身も同じバイト先の先輩だったという事もあって心も開いていたみたいだった。そんな人が本当に秋穂を大事に想ってくれていたから、彼女は今、笑えているのだと私は思っている。さっきの連中とは大違いだ。

 

「そ、それよりも、四葉の方はどうなのよ!?」

「ん?私?」

 

 そこで、今まで真っ赤になっていた秋穂が私にそう返してくる。

 

「四葉こそ、誰かいい人はいないの?貴女だって、あんなにモテていたのに……!」

「うーん、そうやなぁ……」

 

 秋穂にそう言われて、私は考えてみる。確かに私も秋穂と同様、今まで何人かの男性に告白はされてきた。だけど……、誰も彼もこの人だ、って思える人はいない。別に私は面食いって訳ではないと思うけれど……。

 

「……いないなぁ」

「結構、かっこいい人もいたんじゃない?」

 

 それ、秋穂が言うかなぁ……。まあ、居るには居たとは思うけど、なんとなく付き合いたいという気持ちにはならなかっただけで……、っていつの間にか私と秋穂の形勢が逆転しているんやない?

 

「でも、私はあんまり容姿は気にせんと思うし……。告白してくるのも容姿(それ)目当てっていうのも多かったからさ……」

「じゃあ、どんな人ならいいの?」

 

 どんな人?うーん、どんな人って言われてもなぁ……。ちょっと考えて、ひとつ思い当たるものが見つかる。

 

「お姉ちゃんみたいな人……かなぁ?」

「お姉ちゃんって……三葉さん?」

 

 何言ってるのというような顔で私を見てくる秋穂。うん、本当に何を言ってるんだろう、私……。

 

「三葉さんのようにおしとやかな男性がいい……ってこと?」

「そうやなくて……何て言うか……男らしいっていうか……」

「……私、三葉さんにそんなイメージ無いんだけど……」

 

 確かに、普段のお姉ちゃんからはそんなイメージはないよね……。昔は度々おかしな事をしていた姉であったが、最近は鳴りを潜めているようだし……。

 

(その代わりに、何処か寂しそうにしている事も増えたんやけどね……)

 

 あれは大学合格のお祝いで会った時だったか、肩肘をつきながらどこか遠くを眺めていた姉の姿が脳裏に思い浮かぶ……。そんな姉の姿をみて溜まらなくなり、私がずっと傍にいるからと思ったものだった。そして、先日会った時は……、

 

「あ……そう言えば……」

「四葉?どうしたの?」

 

 そういえば、先日会ったお姉ちゃんの様子で思い出した事がある。

 

「つい最近、ちょっとお姉ちゃんと会ったんだけど……、何か怪しかったんだよね……」

「ん?どういうこと?」

「何かいつもより上機嫌やったっていうか……。電話しても話し中だったり、繋がって食事に誘っても用事があるとか……」

「単純にお仕事が忙しかったんじゃない?新年度という事もあるし……」

「まぁ……そうなんだけど、ね……」

 

 そう言われてしまえばそうなのかもしれない……。秋穂の言うとおり、新年度というもあり仕事も普段よりは忙しいのだろう……。

 

「それよりも……、三葉さんに男性がいないっていう事の方が、私には信じられない話だけど……」

「ん……それは確かに……」

 

 姉に彼氏がいないというのも普通に考えたらおかしい。それはうっすらおかしな所もある姉ではあるけれど、基本的にはお淑やかでおっとりしてるし、料理といった家事だって出来る……。身内の贔屓目を抜きにしても凄い美人だと思うし、性格だって良い……。当然、男も放っておかないようで、姉に対し幾人もの人が告白したっていう話もサヤちん経由で聞いてはいる。でも、その全てを断り続け、未だ男の影すらもないという事には秋穂じゃないけど不思議に思う時もある……。

 

(だけど……、わかるような気もする……)

 

 あのお姉ちゃんが変わってしまったのは、あの日、糸守町に彗星が落ちた時からだ……。お姉ちゃんにしてみても、色々と思うところもあるのだろう……。

 

『私には、確かにいたんよ!!大事な人が!忘れちゃダメな人が!!絶対に、忘れたくなかった人が!!!』

 

 あの時の言葉の通り……、あの時の姉には……、確かにいたのかもしれない……。そんな……忘れてしまった大事な人が……。だから、今もなお、その人を探して……、告白されても断り続けているのかもしれない……。

 

「ま、気になっている事もあるから……、ちょっとお姉ちゃんに確かめてみないと……!」

「…………ほどほどにね」

 

 苦笑しながらそう嗜めてくる秋穂を余所に、私は気になった事を確かめるべく、今夜お姉ちゃんの家にお邪魔することを決めるのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、彼氏でも出来た?」

「ふぇ!?い……いきなり何を言うん、四葉!?」

 

 その夜、挨拶もそこそこにして、いきなり本題を突きつけた反応がこれだった。……これは……本当に、もしかするかもしれない……!

 

「だって……前に会った時のお姉ちゃんと比べて、雰囲気も何もかも全然違うんやもん」

「わ……私は、いつも通りやよっ!」

「……全然違うんやけどなぁ。それより……どうなん?お姉ちゃん……」

「……………………彼氏、出来ました」

 

 やっぱりそうか。まぁ、さっきの反応でわかっていた事ではあったけど……。でも、あのお姉ちゃんに彼氏かぁ……。

 

「おめでとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんに彼氏が出来たんは……私にとっても嬉しい事やよ」

「あ、ありがと……四葉」

 

 照れてる姉からそんな答えが返ってくる。なんだかんだいっても、お姉ちゃんに彼氏さんが出来たのは、嬉しい事だと思う。

 

「本当にねぇ……。これで、年齢イコール彼氏いない暦というのは無くなった訳やなぁ」

「四葉っ!!」

 

 お姉ちゃんが真っ赤になりながら私にそう言ってくるのを見て、親友の秋穂をからかった時と同じように、可愛いと思ってしまったのはナイショだ。

 

「ごめんごめん。でも、彼氏さんが出来たんなら、私には教えて欲しかったなー」

「こ……こんなん……、わざわざ彼氏出来ましたって言うんも、違うやろ……」

「んー……、でも、お姉ちゃんのように、今まで一度も彼氏を作らんかった人が報告するんは別にいいと思うんやけどな……。正直、私も心配してたし……」

「それは……ゴメン……」

 

 それは確かに何度も男を作って、何度も別れているっていうのなら、一々報告しなくてもとは思うけど……。お姉ちゃんのように、今まで告白されても一度も相手と付き合った事がない人が彼氏を作ったという事は意味合いが違う。

 

「私が知らんかったんやから……、サヤちん達も知らんよね?」

「う……うん……、まだ、伝えとらん……」

 

 私もそうだが、サヤちん達もお姉ちゃんの事は色々心配していたのだ。だから……、

 

「……お姉ちゃん、せめてサヤちんには教えてあげないよ……。あんなに心配しとったに……」

「うん……、ゴメン……」

 

 反省している様子のお姉ちゃんに溜息をつきつつ、

 

「ハァ……、で?何時出来たんよ?それで、どんな人なん?」

 

 少なくとも、この前会った時はそんな人の影も形も無かったのだ。とするならば、この1ヶ月くらいの間にという事になる……。一体どんな出会い方をしたのか、そしてこの姉を惹きつける人が一体どんな人なのか……、非常に興味深かった。

 

「一度に聞かれても……、ただ……、そうやね、あれは……――」

 

 そして話し出す姉の話を聞き、私は驚愕するのである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、それ……、本当に大丈夫なん!?」

 

 ……思ったとおりの妹の反応に私は苦笑いを浮かべる。まぁ……、普通はそう思うよね。

 

「……気持ちはわからんでもないけど……、ちょっと落ち着きない、四葉……」

「会ったのがちょうど一週間前で……、それも電車で目が合ったのがきっかけ!?それも、何処かで会った事があるって……、それ、ナンパやさ!!」

 

 畳み掛けるように言ってくる四葉。そして、妹の言及はまだ続くようだ……。

 

「おまけに、その日に会って……、その日の内に付き合う事にした!?お姉ちゃん、騙されとるんやないの!?」

「だから、落ち着きない……。今から説明するから……」

 

 興奮がちの四葉にそう言って、私はあの時の事、そしてあの時の想いを話し始める……。

 

「……初めて彼と会った時、この人やって、思ったんやよ……。居ても立ってもいられず電車を降りてまったけど、それは彼も同じ……。それに……、四葉には前に言った事があったかもしれんけど、私はずっと……、誰かを探してたんやよ……」

「あ……」

 

 私にそう言われて、四葉は押し黙る。四葉も知っていたのだろう。私が、誰かを探していた事を……。

 

「多分、あの日から……、私達の故郷に彗星が落ちてきたあの日から、私はずっと何かを……、誰かを探してきたんやよ。そして、それが……」

「それが……、その人だって言うん?」

「私はそう信じとる。……といっても、彼とはまだ1日しか会ってないんよ。連絡は取ってるんやけど、お互い仕事が忙しくてね……。だから、今度一緒に休みが取れる日に何処かへ行こうって話しとったんやけど……」

 

 ……そう、あの日以来、瀧くんは会えていないのだ。私も忙しいけれど、特に瀧くんは新入社員という事もあり、研修か何かで中々休みがかみ合わない。それに、どうせ会うのならば仕事終わりではなく、お互いが休みの時にという事になったのである、

 

「……じゃあ、その人の事、紹介してよ。とりあえず、見てみて判断するからさ……」

 

 ふう、と溜息をつきながら、そう言ってくる四葉。

 

「それで?その人はなんていう名前なん?」

 

 私の彼氏を判断すると言って憚らない四葉に、私は苦笑しながらも、大好きな彼の名前を教える事にした。

 

「立花……、瀧くん、やよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タチバナ……タキ……?お姉ちゃんからその名前を聞いた時、どこか引っかかる思いがあった。

 

「えっ……?そ、それって……、どういう字を書くん?」

「んー……、ちょっと待って……。こういう字やよ」

 

 そう言って、お姉ちゃんはスマフォを操作し、そこに登録された名前を見せてくる。……立花、瀧……、間違いない……。

 

(同姓同名……、という可能性もあるけど……。お姉ちゃんの話やと新社会人らしいし、多分、間違いないやろ……)

 

 私の親友である秋穂を……、振った男だ……!

 

「……お姉ちゃん、確かまだサヤちん達にも言ってないって話だったよね……?」

「う、うん……、そうやけど……?」

「それ……私から伝えておくで……。折角やし、私と一緒に判断して貰った方がいいにん……」

「えっ!?ちょ、ちょっと、四葉!?」

 

 彼の名前を聞き、自分の態度が変わって戸惑った様子のお姉ちゃんを余所に、私は冷静になって話を進める。

 

「今度の休日……、悪いんやけど、私も立ち会うで。時間が合うようやったら、サヤちん達にも頼んでおくから……」

「頼んでおくって……、何を?」

「決まってるやさ……。本当にお姉ちゃんに相応しい人かどうか、私と一緒に見極めて貰うんやよ」

「よ、四葉っ!?」

 

 吃驚したかのように目を見張るお姉ちゃん。……でも、これだけは譲れない。今まで一緒に大変な思いをしてきて……、私を色々と助けてくれた大好きなお姉ちゃん……。そのお姉ちゃんに近付いてきたのが、もし変な男だったら……、

 

「お姉ちゃんの気持ちはわかったやさ。でも、この目で確かめんと心配なんよ……。他でもない、大切なお姉ちゃんの事なんやし……。でも、私の主観だけだと偏っちゃうかもしれんから……」

 

 秋穂は誠実な人だとは言っていた。でも、私は秋穂が苦しんでいたのをこの目で見ているし、実際のところ一発くらいは引っぱたいてやろうと思っていたくらいだ……。私の本気が伝わったのか、お姉ちゃんは溜息をつくと、

 

「……わかったやさ。瀧くんには伝えておくから。でも……、手荒な真似はせんといてよ?」

 

 私の大切な人なんやから、そう言うお姉ちゃんに私は苦笑しながら「わかった」とは言っておく。

 

(……でも、それはタキくん次第やないかな?もし変な男やったら、追い払ってやるでね……)

 

 首を洗って待っていてよ、そう決意しながら私はこの件についてどう備えていくか考えるのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ!お前に彼女が出来たのか!?」

 

 友人である司と真太にその事を報告するやいなや、第一声でそう言われる。その声色はいかにも「お前に!?」って言われているような印象も受けるが……。

 

「……なんだよ、真太。そんなに俺に彼女が出来る事が意外か?」

「ああ。正直に言えば意外だ」

 

 即答。……コイツ。

 

「別に貶している訳じゃないぜ?ただ、あの瀧がな……って思ってな」

「……それって貶してるようなもんじゃねえか?」

 

 真太からは、心配だっただけだってと肩を叩かれるも、なんか納得はいかない。そりゃあ俺だって始めて出来た彼女だ。そんな反応されるのも仕方ないかもしれないけど……。

 

「そうか……、ついに瀧にも彼女が……」

 

 一方、司の方はコーヒーを飲みながらシミジミとそんな事を呟く。

 

「お前らなぁ……。ちょっと大げさじゃないか?」

 

 そんな2人の反応に溜息をつきながらそう答える。しかし……、

 

「何言ってやがる。あの『瀧』がだぞ!?彼女を作ったって聞いて驚かない訳がないだろ!?」

 

 今度は俺の肩を掴んで締め上げてくる真太。ついさっきまで秋穂ちゃんの事をからかわれて赤くなっていた奴の態度とは思えない変わり様だ。

 

「……お、返信が来た。何々、是非会って見たいから紹介して、だってよ」

「お前、誰に聞いてるんだ!?」

 

 あろう事か、司の奴、LINEで奥寺先輩に伝えたらしく、すぐに返信が返ってきたようだ。

 

「それより……、どんな人なんだよ!?」

「あ、ああ……、確か、写真が……」

 

 俺を締め上げていた真太から逃れると、俺はスマフォを操作して彼女と一緒に映った写真を表示させ、2人に見せる。

 

「なぁ……瀧……」

「な……なんだよ?」

 

 微妙な表情をする2人を怪訝に思い、聞いてみると、

 

「これさ……、お前の理想の彼女……て訳じゃないよな?」

「ハァ!?」

 

 司から予想外の返答をされ、思わず俺は聞き返してしまう。

 

「だって、この娘……黒髪のロングでこの容姿だろ?お前の好みドストライクじゃね……?妄想でこんな娘が俺の彼女ならな……、とか言ってる訳じゃないんだよな……?」

「お……お前らぁ!!」

 

 いくらなんでもそれは無いだろ!?今度は俺がそんな事をぬかした真太を締め返す。そんな事をしていると店員さんから「少し静かにして下さい」と言われてしまい、漸くそこで冷静になった。

 

「……まぁ、いまだに信じがたいが……、現実にいるんだな?この娘が……」

「……ああ、そうだよ……」

「じゃ、今度紹介して貰えるか?……というより、彼女も会いたがってるし……」

 

 そう言ってLINEのメッセージを見せ付けてくる司に溜息をつきながら、

 

「ああ……、てか元からそのつもりだよ……。それに彼女の方も同じように言ってきててさ……。折角だから一緒にどうだって思って」

「ん……?どういう事だ?」

 

 俺の言葉に疑問符を浮かべながら聞いてくる真太に対し、俺は答える。

 

「彼女、三葉っていうんだけど……、その娘に妹がいてさ……。どうやらその子が俺をどんな男か見極めたいって言ってて……。それに合わせて彼女の幼馴染の人たちも俺に会ってみたいって話になってるみたいなんだ。だから三葉に俺にも同じような友達がいるって言ったら一緒に紹介したらって話になってるんだよ」

 

 どうも彼女も俺が始めての恋人らしくてな、と言うと漸く納得したような表情になる2人。

 

「成程……。でも、信じられねえな……。そんな人が今まで男の一人もいなかったなんてさ……」

「確かにな……。だけど、お前はその人を選んだんだろ?」

「選んだ?どういう意味だよ、司?」

 

 言っている意味がわからず、そう司に尋ね返すと、

 

「……瀧がずっと彼女を作ってこなかった事さ。お前はまるで誰かを探しているようだった……。じゃなきゃ秋穂ちゃんを振る事も……、高校時代にマドンナだった三枝さんの告白を断る事もなかっただろ?」

「……」

 

 そして、奥寺さんの事も……、そう司に言われて俺は思わず返答に詰まる。そして、その時の事を思い出す。彼女たちや……、大学時代に自分に話しかけてきた子たちの事を……。暫くその時の事を考え、俺は口を開く。

 

「……ああ。俺は……多分、その探していた人っていうのは三葉だと思っている。なんせ……、会社に向かう途中に他の電車に乗っているのを見かけて……、遅刻覚悟で電車を降りて、そのまま彼女を探したんだからな……」

「ハァ!?なんだそれ!?」

「なんだもなにも……、俺は別の電車に乗っている三葉を見つけて、次の駅で降りたんだよ。そして、彼女が乗っていた電車の駅に向かって走り出した……。彼女と出会ったのはそうして向かった先の神社の階段のところでさ……。そこで初めて、言葉を交わしたんだ」

「……それって、つまり相手も電車を降りて、お前を探していたって事か……?」

 

 信じられないという表情をしながら、司が俺に問いかける。俺は頷きながら、

 

「信じられないかもしれないが、事実なんだ。お互い相手を見つけた途端、電車を降りてそれぞれを探し始めた……。そうやって俺たちは出会ったんだ。どちらかが探さなければ……、俺たちは会えていない……」

 

 ……そう。そんな奇跡のような出会い方をした俺たちだ……。運命だとか、そういった言葉では言い表せない事が味方しない限り、出会う事は出来なかった筈……。それでも、俺と三葉はこうして出会うことが出来た。その事に、俺は素直に感謝したい……。

 そんな話を聞き、暫く黙っていた2人だったが、やがて司が息をつき、そして、

 

「……まあ、いいさ……。どっちみち会ってみればわかるしな……。瀧の保護者としてついて行くよ」

「ホント俺たちに心配をかけさせるのは相変わらずだな、お前は……」

「俺は小学生か!……でも、すまねえな、お前ら……」

「なーに、いいって事よ……。おっと、忘れるところだった。その前に……」

 

 真太はそう呟くと握りこぶしをつくり……、ガツンと俺の頭に拳骨を落とす。

 

「痛って!?何すんだよ!?」

「これは……秋穂ちゃんの分だ。言わなかったか?お前に彼女が出来たら一発殴るって……」

 

 そう言われて俺はグッと詰まる。彼女の事を引き合いに出されては、グゥの音も出ない。そんな俺を見て満足したのか、ニッと笑う真太。

 

「よし、じゃあ話も決まったところで、ここはお前の奢りな」

「何でだよっ!!」

 

 真太の言葉に口では反論するも、言われなくてもここでの支払いは俺がする予定ではあった。なんだかんだと言いながら、司たちには普段より世話になっているし、大変な時も色々助けて貰っている。それに……、

 

(こいつらと……三葉の幼馴染たちが一緒に会うという事に、俺は何処かワクワクしている……!)

 

 何故かはわからないが、ずっと前に、司や真太、それに奥寺先輩と三葉たちとで実際に会って話が出来れば……、そんな思いを抱いていたような気がする。本当は俺が彼女に相応しいか見極めるって言われているのだから、もっと戦々恐々としていなければならないとは思うけど……、

 

(早く、その日にならないかな……)

 

 俺は自分の心に残るその気持ちを抑える事は出来なかった。




年内にもう1話挙げられれば、と思ってはいますが、難しいかな……。
もし、誤字脱字等ありましたら、お知らせ頂ければ有難いです。


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