あの日たすけた少女が強すぎる件 (生き残れ戦線)
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プロローグ

青い花が咲き誇る庭を眺めながらゆったりと歩くラインハルトは、気配を感じて歩みを止める。

 

「そこにいるのは誰?」

 

声をかけた先の身丈を超えた花壇の奥からガサリと音が鳴る。

煩わしく思ったので巻いて来たいつも近辺にはべる護衛たちも居ない。今ここにはラインハルトしかいない筈だ。不審に思い誰かを呼ぼうと踵を返そうとする。

それよりも早く行動を起こしたのは花奥に潜む何者かだった。

バッと影が動いたかと思うとそれは目の前に現れた。

 

それは白いワンピースを着た一人の少女だった。

咲き誇る花々と同じ青い髪の見目麗しいその少女は、宝石のような赤い瞳をもってラインハルトを見る。

紅く透き通った瞳の中には希望と恐怖の色が混じり込んでいた。

 

「なぜそんな目で僕を見る?君はいったい何者だ」

「え、あ......わたしを知らない.....研究所の奴らじゃない....?」

 

ラインハルトを見て訝しむ少女は疑問の声を上げ、目を見開く。

警戒しているようだがさっきまでの怯えた目ではない。

 

「あなたは誰。こんな場所でなにをしているの」

「兄上に付いて来たのだが暇でね。この施設の探検をしていたんだ....なにを警戒しているか知らないけど僕はこの花園があまりに素晴らしかったから散歩していただけだよ」

 

そう言って花を眺めるのを再開するラインハルトに釣られて少女も花を見やる。確かに美しい光景だと少女も思う。いつもは狭く無機質な白い部屋に閉じ込められている少女にとってすべてが鮮やかに写っていた。

 

「それで、君はいったい誰、名前は?」

「わたしは.....」

 

言葉が詰まる少女は苦しそうに顔を俯かせる。そもそも名前すらもたない少女にとって自分が誰なのかという事を示す言葉が存在しない。いや、一つだけあった。

自らを示すある言葉が。

 

「わたしは067号.....名前はない」

「そうか、君は....」

 

___________

 

 

少女は目の前に居る少年から目を外せなかった。

フワフワと綿毛のように柔らかそうな金色の髪に白い肌をもつ少年は、まるでお伽噺に聞く天使のようで。

ある理由から隠れていた少女が少年の前に出て来てしまったのも、天使が救いに来てくれたのかと錯覚してしまったからだ。それ程に少年は美しかった。

 

だが甘い幻想も直ぐに晴れ、我に返った少女は内心で青ざめる。

自分を閉じ込めて酷いことをするあいつらの味方かもしれない。

 

そう思い警戒していたが次の少年の言葉に安堵する。

 

「なぜそんな目で僕を見る?君はいったい何者だ」

「え、あ......わたしを知らない.....研究所の奴らじゃない....?」

 

この施設で自分を知らない人間はいない。もしいるとしたらそれは外から来た部外者にしか他ならない。

そんなことを研究所の人間が言っていたのを覚えていた。秘密裏に行われている研究だそうだ。

 

安心してホッと息を軽く吐く。すると次に疑念が芽生える

 

だとしたら目の前の少年はいったい何者なんだろう。

 

「あなたは誰。こんな場所でなにをしているの」

 

そう問うと少年は細い顎に手を当てて視線を少女から外し横を向く。

 

「兄上に付いて来たのだが暇でね。この施設の探検をしていたんだ....なにを警戒しているか知らないけど僕はこの花園があまりに素晴らしかったから散歩していただけだよ」

 

彼の視線を追いかけるようにそちらを見れば青い花が咲き誇る見事な光景が広がっている。逃げるのに必死で今まで気が付かなかった。

 

凛と咲く青い花が美貌の少年を彩るように咲き誇る光景はまるで一枚の絵画のような美しさがあった。

 

「それで君はいったい誰、名前は?」

 

美しい光景に目を奪われていた少女はふとこちらに視線を戻した少年が首を傾げながら言った言葉に返答しようとして、何も言えないことに愕然とした。

 

知識としては知っている。名前というのは両親が己の子どもに与える呼称で最初に親が子に与えるモノだと云う。

今よりもっと幼い頃に連れてこられた自分は親に与えられた名前が存在しない。そもそも親という認識がわからない自分にとってそれはとても縁遠い存在で。

少年に問われたことで初めて意識したほどだ。

 

唯一自分を示す言葉があるとすれば、それは研究者達が自分を呼ぶ時につかう優しさの欠片もない無機質な番号のみ。

 

「わたしは067号.....名前はない」

「そうか君は....」

 

わたしの言葉に息を吞み驚きの表情になった少年が何かを言おうとした時。

 

花奥の方から複数の男達が現れた。男達は少女を見つけてほくそ笑み、次いで少年の姿に気付き目を驚きに染める。

 

「おや、もしやあなた様は皇太子殿下ではございませんか?」

 

男達の間から白衣を着た一人の男が遅れてやって来た。

痩せすぎた細身の男は顔に作りものめいた笑みを張りつけている。

その男を少女は知っていた。

少女の実験を手掛ける研究の中核を指示していたのがこの男だ。嫌がる少女に無理やり苦痛を与える実験を幾度も行わせていた。

 

「ひッ」

 

これまで行われてきた実験のフラッシュバックが脳裏をよぎり、少女は思わず肩を震わせる。

もう戻りたくない、あんな場所に。

 

しかし、そんな少女の思いを踏み躙るように男は口をひらく。

 

「私はここの研究機関に在籍する一人のクラベルと申します。この度はこのような失態を見せてしまい申し訳ございません。そこの実験道具が御身の前に立つ非礼をお許しください。今後はこのような事がないよう厳しく調教いたします」

 

調教という言葉に少女は今度こそ絶望に表情を歪ませた。ラグナイトの光が身を焼く感触を思いだす。

 

腕を回し耐えるように身をかき抱く少女。小さな体を縮こまらせている。

それを冷たい目で見下ろすクラベルは付近に立つ男達に目線を送る。

その合図に頷くと男達は少女を取り囲む。

 

「い、いや!」

「大人しくしろ」

 

暴れる少女の腕を乱暴に掴み強引に連れて行こうとする男達。必死に抵抗するがか弱い少女の力では振りほどくことができない。

 

涙を流しながら嫌だと拒むが、何の意味もなかった。

男たちにとっては無駄な抵抗だが苛立たせるには十分で、業を煮やした屈強な男がおもむろに拳を振り上げた。あっと少女に恐怖が走る。

 

「....待て」

 

その時だ。それまで黙って見ていた少年が口をひらいた。怜悧な瞳が男達を捉える。

 

「その子を離せ」

 

男達は少年の言葉に思わず顔を合わせた。いかつい顔を見合わせてどうすればいいか分からないといった風だ。

 

「二度は言わぬぞ。俺の命令に従わぬというのならば如何なる刑罰をも受ける所存というわけだな?ならばよかろう。その子が受ける罰よりもなお重い刑を俺が保障してやろう」

 

それはたまったものではない。慌てて少女から離れる男達。

 

突然の自由に腰を落とした少女は地面に座り込み、呆然と少年を見上げる。

いくら頑張っても逃れることのできなかった屈強な男達の拘束が少年の言葉によって簡単に解けてしまったことが信じられないといった様子だ。

 

「なんのおつもりですか殿下?」

「この子は俺が貰い受ける」

「それは......どういうおつもりですか」

 

ラインハルトの意図が分からずクラベルは眉をひそめる。

 

「言葉通りだ。この者は、この俺ラインハルト・フォン・レギンレイヴが預かる」

「.....まさかあなたまでそのような事を言ってくるとは。やれやれ困りましたねえ。それは最高の素体だというのに.....」

「そうか。兄上も同じことを言ってきたか。まあそれは分かっていたことだがな、それでお前達は彼女を隠すために移送している途中で逃げられたといったところか」

「.......なるほど、理解した上での言葉でしたか、であれば私から言える事はもはや何もありますまい。後の話は兄上君と決めるがいいでしょう」

 

ラインハルトの奇妙なセリフを納得した様子で返したクラベルは首を振って。その後に視線を少女に向ける。

 

「067号。残念ですがお別れです、第一世代戦乙女計画は一時凍結することでしょう。実験は本日をもって終わりです」

「あ、え?」

「あなたがこの先をどう生きていくのか興味深いですが、機関はこれ以降の干渉を禁じられるでしょうから、これだけを言っておきます。その力を使う時がくれば躊躇わないことです、世界は貴方を放ってはおかないのだから」

「どういう意味?」

「いずれ気づくことでしょう自分の特別な力に。それでは私どもはこれで....」

 

拍子抜けするほどあっさり去って行くクラベル達を呆然と見送る少女。なにが起きているのかさっぱり分からなかったが、これだけは分かる。わたしはもうあの部屋に戻らなくてよいのだと。

そして救ってくれたのが目の前の少年だということを、理解する。

 

(ああ、やっぱり間違ってなかった。この人は天使だった。わたしを救ってくれた)

 

理解した途端、少女の目から涙があふれてきた。絶望だけではなく歓喜でも涙がでるのだという事をこの日初めて少女は知った。

 










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第1章 連邦軍撃退編
一話 皇子暗殺編


東ヨーロッパ帝国連合の主城、玉座の間。

呆れるほど長い真っ赤な絨毯を敷き詰めた謁見の場に、無数の重臣たちが集っていた。皆すべてが貴族と呼ばれる者達で帝国において上位の人間である。

 

今日は軍議の日であった。

 

征暦1930年。

栄えある東ヨーロッパ帝国連合は大西洋連邦機構との開戦を布告。戦火は激化の一途をたどっている。現在、両者の勢力は拮抗。戦線が膠着している今、帝国上層部は新たな戦いを決断していた。

 

奥の一段高い玉座に腰を据えた皇帝。それにそびえるように貴族たちが並んでいる。皇帝に近い者がより上位の地位にいるのだ。

 

皇帝の前に一人の男が跪いている。

金髪に蒼氷色の碧眼をもつ男ラインハルトは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

それに反して謁見の間はシンと静まり返っていた。

それは先程ラインハルトが言った言葉にある。

 

要約するとこうだ。

 

『申し上げた通り。此度のガリア方面軍進攻には兄上マクシミリアン率いる軍だけで事足りるはず。この上更にわたし自らが向かう必要はないかと。無駄な労力を兵士に強いるのは将として愚の骨頂。であれば帝国西部における連邦の攻勢を防ぐため一刻も早く自分の領地に戻りたいのですが』

 

と、ラインハルトは憎たらしいほど不敵な笑顔で言い切ったのだ。

イヤに静まった空気の中、皇帝が頬を引き攣かせながら口をひらく。地鳴りのような声だった。

 

「つまり貴様は、戦場に向かいたくないと申すか。同胞たる帝国の将兵が傷つき血が流れるのを無視して自らは安穏と城に籠りたいというのか!」

 

謁見の間に響き渡る怒声は、参列する貴族たちですら喉を鳴らすものだったが、それを一身に受けるはずのラインハルトは風を凪ぐような気安さで笑みを浮かべ皇帝を見返す。

 

「別に戦場を恐れているわけではないですが、合理的ではないかと。過剰な戦力投出は各戦線のバランスを崩しかねません。連邦に隙を突かれる恐れがあります」

「黙れっラインハルト!たった一度しか戦場に立っていないお前に戦争の何が分かるというのか!」

 

栄光ある東ヨーロッパ帝国の長である皇帝がこれほどに怒鳴り散らすのも珍しい。

なぜこんなことになっているのかというと、そもそもの始まりは征暦1935年、帝国は中立国ガリアに進攻を決断。総司令官をマクシミリアン皇太子に据えガリア方面軍を結成させた。それが半月前のことである。

皇帝はこの編成に加え実子であるラインハルトを予備戦力として追加させようとしていた。理由としては何の事はない親心である。今年で二十三歳であるラインハルトは未だ初陣の一回しか戦争経験をしておらず、二回目の戦争経験を与えておこうと考えていたのだ。小国のガリアであればまかり間違っても命を落とす危険もない。だというのに当の本人であるラインハルトはあっさりと拒否する始末。本来引き連れてくるはずの軍勢は一人もおらず、ただ一人の供回りだけ連れて、主城にやって来たのだ。

これには皇帝としても怒りを覚えないわけがない。

 

「たった一度の戦場とはいえ戦争は戦争。それに俺はあそこで百の戦に勝る経験を得たと自負しております。であれば何の問題もありますまい」

「なにがありますまいだっ自惚れが過ぎるぞラインハルト!貴様は戦というものを甘く見過ぎだ!」

「さて、どうでしょうか」

 

軽く肩をすくめるラインハルト。明らかに皇帝の言葉を流している。

とうとう皇帝の堪忍袋の緒が切れた。

 

「もうよいわ!そこまで言うなら好きにするがいい!」

 

それが今日の軍議における最後の一言となった。

というかこの状況で普通に軍議を行えるわけもなく、皇帝が怒り顔で退出したのを機に自然と解散の流れになった。

貴族たちがバラバラと謁見の間から出て行くのをよそに一人の男がラインハルトに駆け寄った。

 

「一時はどうなるかと思いましたよ殿下。まさかあんなことを言うなんて....」

「アイスか」

 

寄って来たのは人の良さが伺える顔立ちのアイスと呼ばれた男。一丁前に正装などしているが街中で花でも売ってる方が似合いそうな優しいお兄さん風の若者だ。

 

「その様子ではやはり驚かせたようだな」

「やはり?....ってまさか僕に何も言わなかったのはビックリさせようとしていたからなんて言わないでしょうね!?」

「ふっ他意はない、許せよ」

「.....はあ」

 

絶対にうそだっ。アイスはそう確信したが何も言わずため息をこぼすだけに留めた。この人は昔からそうなのだ。真面目な顔をして平然とイタズラを仕掛けてくる。

幼い頃からの付き合いだが何度引っ掛けられたことか。

思い出すだけでため息が出る思いだ。

 

「一言でも言ってくれていればいいのに」

「そしたら必ずお前はお節介を焼こうとするだろう。二人して親父に怒られることはないさ」

 

アイスは納得しがたいといった顔でラインハルトを見る。

 

「しかし...」

「それよりもだ。俺が言った通りハイドリヒ領の国境地帯は警戒を怠っていないだろうな?」

「もちろんです。ヤハト砦を中心に幾つもの関所をもうけ向こうの動向を探らせています。何か動きがあればすぐにでも僕に知らせるよう厳命しています」

 

朴訥そうな若者のアイスだが、こうみえて帝国最西部ハイドリヒ領の若き当主である。

本名をアイス・ハイドリヒと言う。

 

「よし、それじゃあ手筈通りに頼むぞ」

「かしこまりました殿下」

 

恭しくかしこまるアイスに、ラインハルトは苦笑する。

 

「よせ、殿下などこそばゆい。昔のようにハルトでいい」

「公の場以外でなら喜んで」

「ここで俺のことを皇子と呼ぶのはお前ぐらいだぞ。なんせ俺は『帝国の虚け皇子』だからな」

 

面白いだろうとばかりに笑うラインハルトを困った表情で見るアイス。

 

「他の貴族の者どもは殿下の本当の姿を知らないんです。宮殿は古い考えが蔓延っていますから革新的な殿下の考えを理解できないんでしょう」

「それはガロア将軍の事を言ってるのか?」

「ええまあ」

 

簡単に首肯してみせるアイス。帝都の城中で帝国の将軍位にいる男をあしざまに言ってのけるのだから驚きだ。

 

「誰に聞かれてるか分からん。俺と二人だけの時にしろ」

「そうですね、それでは軽く一杯どうですか」

「いいな」

 

 

 

アイスはラインハルトを城内の自室に誘った。

主城の中には貴族の為に用意された本人専用の部屋がある、その一つにアイスとラインハルトは入る。

 

「どうぞ」

「ん」

 

ソファーに座るラインハルトにグラスを渡し、キャビネットから取り出した酒瓶をテーブルに置く。

グラスを渡されると直ぐに瓶から酒を注ぎ、グビッと一息に飲み下す。

 

「やはりアイスが揃える酒は美味いな」

「お誉めに預かり光栄です」

 

芝居がかった動作で首を折るアイス。早くも二杯目のグラスを傾けるラインハルトの対面に座ると自らも酒を飲む。

 

「ところでさっきは悪かったな」

「なんでしょうか?もしかして先程の軍議の際のことですか、僕に何も言わなかったことを?」

「ああ、仕方なかった事とはいえな」

「僕は気にしていませんが、何か理由があったのですか?」

「まあな、これで俺を担ぎ上げようとしていた奴らも俺に愛想を尽かしたはずだ。初陣しか知らない馬鹿な皇子が調子に乗っているぞってな。うっとおしい奴らだ。俺が皇位継承権第二位だからという理由だけで味方面しようと画策している。頼んでもいないというのに」

「害がないなら放っておけば良かったのでは?」

「皇帝になりたくない俺からしたら百害あって一利なしだ」

「なるほど」

 

アイスは納得した。確かに彼の人生目標からすると彼らの協力は大きなお世話といった感じだろう。

 

「たしか悠々自適にのんびりと家庭菜園をしながら暮らすでしたか」

「惜しい、それに付け加えて美人な妻と、だな」

 

ニカッと爽やかな笑顔のラインハルト。

それに対してハアっとため息をはくアイス。

本当にもったいない。この人が本気で上を目指せば皇帝の座に座るのも不可能ではないだろうに。恐らく歴代の皇帝の中でも随一の能力を秘めている。その素養を持っていることを自分は知っている。しかし現実とはままならないもので本人は悠々自適に生きる事を人生の第一目標に決めてしまっているのだ。

本当にもったいない。

 

しかしまあ、それを聞いてもそれだけで済ませる自分も自分だ。

こういった所は昔からの付き合いで彼の事を良く知っているからだろう。

 

「困ったものだ。皇帝になる意欲の高い長男マクシミリアンか次兄のフランツ兄上のどちらかに付けばよいだろうに」

「マクシミリアン様はラインハルト様とフランツ様の兄君とはいえ皇位継承権は第三位です。生まれが妾の子ですからしかたがない。もう片方のフランツ様は第一位の皇位継承権。ですが生まれた時から持病を患っています、皇帝になる者としての素質に欠けているのではないかとの声もあります。結果ラインハルト様に期待する者がいても不思議ではありません」

「ままならんものだな」

 

そう言うとラインハルトは豪快に酒を飲みほす。空になったグラスをテーブルに置くと立ち上がる。

 

「もう行かれるのですか?」

「うむ、セルベリアを待たせているからな」

「ほおっ『蒼き女神』が来ているのですか」

 

ラインハルトの言葉になぜかアイスも嬉しそうに立ち上がる。

 

「『蒼き女神』だと?なんのことだ」

「知らないのですか。帝国軍がつけた彼女の異名ですよ、元は南方戦線の兵士達の間で広まっていた言葉でしたが今では彼女の異名として定着しています」

「ああいや、それは知っているが....そうか、南方前線の戦地にいたとは聞いていたが、蒼き女神とはセルベリアの事だったのか」

 

一年前に戻って来た彼女は、当時の事をあまり語らない。ラインハルト自身も詮索しなかったことから初めてそれを聞いた。

 

「ある日突然『暇を頂いてもよろしいでしょうか、殿下に相応しい力を得てくるまで戻りません』と言って来てそれから音沙汰もなかった時は心配したものだが」

「帝国連合加盟国ヒルダに現れた謎の傭兵。各前線にて多大な功績を上げ続ける絶世の美女。南方諸国では伝説になっているようですよ」

「ただの噂話だと思っていた」

 

民間レベルの与太話が広まったのかと思っていた。だがしかし、彼女が噂の本人だとすれば納得がいく。あの力をもつ彼女ならば....。

 

「で、なぜお前まで部屋から出る?」

「いやあ、セルベリアさんにご挨拶でもと思って、ほら?滅多に会えないですし。こういう機会に是非」

「.....そういえば蒼き女神のこととかセルベリアの事を良く知っているようだな。もしやファンなのか?」

「ファン?とはなんでしょうか」

 

不思議そうに首を傾げるアイスを見て、ラインハルトは「そうか」と頷き。

 

「コレは通じないか。つまり好きなのかということだよアイス君」

「ええ!?ち、違いますよそんなんじゃなくて、ぼ、ぼくは!好きというより憧れというか....!」

 

驚くほど分かり易い。顔を真っ赤にさせて狼狽えている。

 

「ほう、やはりそうか」

「ご、誤解です殿下!」

「別に恥ずかしがることはないだろうに。さて行くぞ」

「待ってくださいよ、何でニヤニヤ笑ってんですか!?絶対に誤解してますよね!殿下ぁ.....!!」

 

歩き出すラインハルトの後ろをアイスは慌てた様子で付いて行く。

 

城の長い廊下を渡りきるとコテージに出る。そこの大階段を下りると多くの文官や武官といった士官が行き交っていた。城の構造の説明をしておくと大階段より上は上位階級の貴族しか立ち入る事を許されない上級区画でそれより下は下位貴族や市民階級の重臣たちが働く一般区画となっている。

大階段下のエントランスは上下が交差する場所でもあるため人の出入りが多い。

そのため普段なら彼らは慌ただしく横から横にと川のように流れていくのだが、その一角だけは違った。

 

目立たないエントランスの片隅に武官・文官問わず集まっている。

 

「うわあ凄い人だかり」

「あそこだな」

 

目を見開いて驚きを現すアイスを横に目星をつけたラインハルトは下階へと降りていく。

ラインハルトの存在に気付いた者達は一様に道を開けていく。

モーゼのように空いた道を悠然と歩いていきラインハルトはエントランスの片隅に向かう。

ざわざわとした空気にようやく気づいたのか壁となっていた帝国の臣下たちも慌てて道を譲る。

壁が開いた先には一人の女性が居た。

艶やかな蒼い髪を腰まで伸ばし、美麗な顔立ちはなるほど女神のようで、豊かな胸部に反したスラリと長い手足は野兎のように引き締まっている。

つまるところ絶世の美女が壁際に立ちながらどこか不機嫌な様子で立っていた。

 

「待たせたなセルベリア」

「っラインハルト様!」

 

蒼き女神ことセルベリアはラインハルトに気付くとパァッと表情を一変させた。その移り変わりようは月が太陽に変貌した様を思わせる程だ。

その魅力は風に揺れる稲穂のように男達を浸透していった。頬を染めて恍惚とする男達。それを横目で認識したラインハルトは内心で軽く引いた。

 

「お待ちしておりました殿下。軍議が終わってから時間がだいぶ経っていたようですが、なにかあったのですか?」

「いやなに、アイスに一杯誘われてな。軽く飲んできたのだ」

「そうでしたか、なにも大事なかったようで安心しました」

「久しぶりセルベリア....」

 

安心したように笑みを浮かべるセルベリアだったがアイスが笑顔で挨拶をしてくると、またもや表情が一変した。

笑みが無くなり冷ややかな目でアイスを見る。いきなり春から冬に逆転した。

 

「アイス殿。殿下の傍周り役ご苦労でした。これよりは私が殿下を守りますので必要ありません」

「え?いや、その~」

「それと、殿下を飲酒に誘うなら私が傍に居る時にしてください、いいですね?」

「はいっ!分かりました」

 

ぴしゃりと背筋を伸ばし新兵のように敬礼するアイス。貴族の貫禄は微塵もない。もう一度言うがこう見えてアイスは辺境伯であり領民からはハイドリヒ伯爵として敬われているのである。

 

「セルベリア。そうアイスを苛めるな、数少ない俺の友なのだ。できれば仲良くしてくれ」

「はっ申し訳ありません」

 

ラインハルトの言葉に綺麗な所作で答えると叱られた子犬のような目でラインハルトを見上げる。

 

「.....別に怒ってない。だからそんな目で見るな」

「は....?」

 

不思議そうにキョトンとするセルベリア。どうやら無意識のようである。キョトンと無防備なところも相まって幼さを伺わせる。凛とした風体のセルベリアがするのだからギャップが凄まじい。

もはやギャップ兵器。周りの男達が次々と撃墜されている。

なんという破壊力だ。帝都主城の大エントランスは既に焦土と化している。

これ以上は大政府業務の滞りに影響しかねない。迅速な撤退が要求される。

 

「ゆくぞセルベリア」

「はいっ殿下!」

 

セルベリアとラインハルトは重臣たちで荒廃したエントランスを抜けて出て行く。

ちなみにハイドリヒ伯爵は奇襲降下爆撃(ギャップ萌え)ですでに戦死していた。

 

「許せアイス、いずれまた戦場で会おう」

 

恍惚の表情で固まるアイスを置いて、その独白と共にラインハルトは城を出た。

 



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二話

「お、おいあの御方、ラインハルト様じゃないか!?」

「本当だ!なぜこのような所に殿下が.....!」

 

城を出た二人は馬上の人となって帝都の城下町に居た。

透き通った白陶器のように見事な艶皮を持つ白馬に乗ったラインハルトは町並みを眺めながら進み、興奮した様子で手を振る民に笑顔で手を振り返していた。

灰色の馬に乗ったセルベリアが直ぐ後ろをついて来る。

二人ともひどく目立っていた。

白馬の王子を体現するラインハルトに絶世の美女のセルベリアなのだから当たり前だ。

しかしラインハルトの人気ぶりが凄まじい。

 

現にラインハルトの端正な笑みに婦女子達の黄色い歓声が通りのあちこちで響き上がっている。

 

それを無表情で、しかしどこか面白くなさそうに見ているセルベリア。

それに気づいたラインハルトが、

 

「どうしたセルベリア?民たちの前で浮かない顔をしてやるな」

 

巧みに馬を操りセルベリアの横手に並び言った。

 

「は、申し訳ありません。いえ、少々驚いていました。なぜこんなにもこの者達は好意的なのだろうと」

 

民衆を見ながらセルベリアは口にする。

内心の大部分を占めていた感情を押し隠しながらも実際に疑問に感じていた事をラインハルトに聞いてみた。

 

巷ではラインハルトのことを揶揄する言葉がある。すなわち『帝国の虚け者』である。誰が広めたか知らないがいつの間にか帝国界隈ではこんな笑い話が立つ。「ラインハルトはアホ皇子なのだそうだぞ」と。

初めてこの話しを聞いた時は怒りで我を失ったほどだ。噂を流した出所を調べて張本人を縛り首にあげようと躍起になった事もある。その時はラインハルト自らが気にするなと諌めた事で落ち着いたが、今でも犯人が目の前に現れようものなら一刀のもとに切り伏せ、直ぐには殺さず自らが行った愚挙を後悔し末代まで絶望させるほどの拷問にかけてやる。

 

城の貴族共も腰に帯びた軍刀で叩き切ってやろうかと何度本気で考えただろうか。

エントランスでラインハルトを待つセルベリアに言い寄って来た男どもの事を思い出すと無意識に眉間に皺が寄る。

お茶の誘いを受けてくれだの、いかに自分が素晴らしい人物であるかなどと下らない戯言を述べるだけでは飽き足らず、よりにもよって自身が最も敬愛している人の悪口を言い出す始末。

「あなたほどの人物がラインハルト皇子の元に居るのはあまりにも勿体ない。その御力は帝国の為に使われるべきだ。つきましては我がウィップローズ家が手助けいたしましょうぞ」などと言ってきた小太りの貴族にいたっては「なにがウィップローズだお前などボンレスハムで十分だ。失せろ下郎」と反射的に言ってしまいそうだった。

必死に口を結んだが視線は射殺すほどの殺意を込めていたのが自分でも分かる程だったが。

なぜか小太りの貴族は恍惚の表情で嬉しそうに去って行った。

今思い出すだけでもむかっ腹が立ってきた。これから引き返して闇討ちでもしてやろうかと考えてしまう。

もちろん、ラインハルトを守り抜く事こそが自身の使命であり最優先事項と考えるセルベリアがラインハルトの傍を離れるはずもないのだが。

 

話しを戻すが、つまるところ帝国臣民のラインハルトに対する感情が伝え聞いた噂に反して、驚くほど好意的な反応にセルベリアは戸惑っていた。どうして歓声を上げる少女たちは熱に浮かされたようになり、子供達は英雄を見るような輝かしい目でラインハルトの名を呼び、挙句の果てには大人たちや老人の中には跪き祈りを捧げている者達までいる。その者達がなぜ崇拝するような目でラインハルトを見ているのか、セルベリアには分からなかった。

首を傾げるセルベリアの為にラインハルトは軽い口調で説明する。

 

「それはだな、もう二年前になるが城下に頻繁に訪れていた時期があってな。ある時そこで民の声を聞き、困っている事があるようなら助けてみようと思ったのだ。単なる気まぐれだったが、思いのほか楽しくてな調子に乗ってしまった。最初は確か教会の老婆を送ってやった所から始まって落とし物を拾ったり迷子を助けたりしていたのだが段々とエスカレートしていったのが悪かった。ひったくりを捕えたり襲われかけていた女性を助けたり、若人衆と浄水システムが壊れた浄水路の修理をしたこともあったな。そうそう他にも当時帝都中に蔓延っていた麻薬の密売組織を警察の人間と検挙した事もあった」

「.....」

 

出るわ出るわラインハルトの口からぽろぽろと驚きのエピソードが。

呆気にとられるセルベリアに気付かないラインハルトは思い出すように目を細める。

 

「だがやはりあの一件からだろうか。これほどの高まりになったのは」

「そ、それはいったい?」

窒扶斯(チフス)の治療だ。まあ治療といっても俺は対応策を作っただけなんだがな。帝都からチフスが消えたのは一重に医師や周りの人間達の頑張りがあったからだ。あれがなければ俺だけではどうしようもなかった」

 

己の力の至らなさを痛感するように力なく首を振るラインハルト。それをセルベリアはぽかんと口を開けて見ている。

 

窒扶斯とは古代ヨーロッパ時代から存在する伝染病の一つで、過去に数万人の命を奪っていたこの病魔は多くの人々から忌み嫌われている。現代でも数年前まで対処法は確立しておらず、ヨーロッパ世界の各地で病に侵された民は絶望の声を上げていた。

悪名で知られる病の一つをラインハルトは克服したと言ってのけたのだ。

 

もし嘘だったら打ち首獄門でもおかしくない行いだが、セルベリアは聞いたことがある。二年前の南方戦線にいた頃。一人の若い兵士が天幕に飛び込み嬉しそうに言ってきたのだ。

「帝都でチフスの治療法が見つかった!これで家族が助かる!主に感謝を!!」と叫びながら号泣していた兵士が印象的で覚えている。

 

「で、ですが確か治療法を見つけた医師はガフナーという男だと帝国政府は公表していたはずでは」

「間違っていないさ。言っただろう医師の助けが必要だったと」

 

先程の会話を思い返せば確かに言っていた。あっと声がこぼれる。

 

「その男がガフナー医師ということですか?」

「ああ」

 

ニヤリと笑みを浮かべ頷くラインハルト。ニヒルなラインハルトの笑みに心を射抜かれる少女たちが続出する中セルベリアは頭の整理が落ち着かない。

 

少しの間を空けてようやくまとめる。こういう事だろうか。『教会の老婆を助ける』➡『ひったくりを捕える』➡『強姦から女性を救う』➡『帝都の者達と汚染した浄水路を清掃・修理』➡『警察と共同して麻薬密売組織の検挙』➡『チフスの治療』これら全てをラインハルト指導で行ったらしい。

 

整理がまとまりセルベリアはラインハルトに勢いよく顔を寄せる。

 

「危険な事をし過ぎです殿下!なぜ徐々に難易度が上がっているんですか!?後半に至っては一歩間違えれば死んでいたかもしれないんですよ!」

「おお!?落ち着けセルベリアっ」

「落ち着けるはずがないじゃないですか、貴方が死んでしまっていたら私は生きる意味を失ってしまう.....貴方が死んだら.....うぅ」

 

激昂したと思ったら今度は赤い瞳を潤ませ始める。どうやらラインハルトが死んでいたらのシチュエーションを想像してしまったらしい。

 

ギャップ兵器次弾装填の音が聞こえた気がして、ラインハルトはそれを阻止しようとセルベリアを宥める。

 

「悪かった。もうお前が傍に居る限り危険な事はしない、誓おう」

「....はい、私が居る限り殿下を危険に晒させはしません」

 

泣きそうな顔を堪えて凛々しい表情になるセルベリアだが瞳の眦にある涙に気付き、ラインハルトは指で拭きとろうとする。

 

「で、殿下!?」

「動くなじっとしていろ...」

「あぅ.....」

 

セルベリアは顔を真っ赤にして小動物のように縮こまる。

近い、近すぎます殿下!

息が掛かる程に近い。馬上のため詰め寄った際に顔を近づけた所為だ。

ああ、相変わらず殿下は美しい....。いやそうじゃない!早く離れなければっ、し、しかしこんな機会は滅多にない...!ああどうすればいいんだ!?

 

合戦場でもこうは迷わないだろう。数多の戦場を潜り抜けて来たセルベリアは常に即決果断を旨として行動してきた。数々の窮地を生き延びるためには一瞬の躊躇いさえ命取りになるからだ。

しかし今のセルベリアは出たての新兵のように固まって動けない。

 

「帝国政府には俺から名前を公表しないよう仕向けたのだが、元患者である彼らは俺が裏に居たことは知っているからな、こうして慕ってくれている。理解したか?」

「ひゃい!」

 

結局ラインハルトの方から離れるまでピタリと硬直していたセルベリアだった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「何やってんだあの皇子は?」

 

望遠鏡から目を離した男はチッと舌打ちをした。

 

「こんな街中で目立つような事しやがって、仕事がしにくいだろうがよ。噂通りの馬鹿皇子かあ?くそッタレが」

 

頬に傷のあるその男はスコープを置き胸元から取り出した煙草をくゆらせる。

煙をゆっくりと肺に取り入れながら考えを巡らせる。息を吐くと同時にシビレを切らした横合の青年が声を掛ける。

 

「どうします?このまま撃ちますか」

 

そう言った青年は、狙撃銃を構え何かを狙っているような態勢でスコープを覗いている。

目標は数百メートル先の白馬に乗っている金髪碧眼の男だ。

 

「いいや、ダメだなこりゃ民衆が集まり過ぎている。皇子が死ねばパニックになるだろう、帝都が混乱に包まれる。それは上の人間も望んでいない、別の地点で殺るぞ」

「どこです?」

「好都合な事にあの皇子は馬に乗っている。どうやら鉄道は使わないらしい。手間も予算も省けて助かるぜ。なあお前ら?」

 

傷有りの男は笑いながら振り返る。薄暗い部屋の中には十数人の武装した兵士がいた。男の言葉に暗い笑みを浮かべながら兵士達は物音一つ立てない。不気味な雰囲気を醸し出している。

 

「当初予定していた列車襲撃案は変更だ。地図を持ってこい」

「はっ」

 

部下に地図を持って来させた傷有りの男は、紫煙を吹きながら楽しそうに眺める。

 

「皇子の自領であるハプスブルクがここだ。帝都から三日ってところか、此処から繋がる交道は幾つかあるが.....ここだ。この山合いで山賊に扮して襲撃をかける。いいな諸君?」

「はっ」

 

締めくくるように傷有りの男はニンマリと笑い言い放った。

 

「それでは『ラインハルト皇子暗殺計画』を続行しようか」

 

 

 



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三話

夢を見ていた。

 

「名前がないのは不便だな。よし、君に名前を与えよう」

 

それは遠い記憶。

彼女と初めて出会ったあの日の事を。

懐かしいあの頃の姿の少女。

 

「名前?私に、ほんとうに?」

「ああ本当だ。そうだな.....せるべりあ。そうだ!今からセルベリアと名乗るがいい」

 

あまり深く考えた名ではなかった。咲き誇る青い花の名から付けたから。

当時の自分の安直さに、夢の中でも苦笑を覚える。

それでも少女は、嬉しそうに笑ってくれた。本当にうれしそうにしてくれたから。コレでよかったんだと思う。

 

夢の二人は楽しそうに笑っている。何者にも汚されない無垢な光景だ。

いつまでも、あの優しい世界で笑っていられたら.....。

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

「....知らない天井だ」

 

窓から注がれる朝日に目が覚めたラインハルトは見知らぬ天井をぼんやりと眺める。

はて、ここはどこだったか?

最初わからなかったが意識の覚醒と共に少しづつ思い出してきた。

そうだここは帝都から二日ほど離れた距離にある山合いの小村で。

俺は自領に戻る途中で立ち寄ったこの村に一泊していたのだ。

 

自由気ままな旅路を思い出し笑みを浮かべる。二人だけの旅は思った以上に楽しかった。

 

「....リア」

 

夢の中にも現れたもう一人の旅の仲間を思い出し、ラインハルトは起き上がろうとして、腕に絡まる心地よい重みに気付く。

目線をそちらに向けると、静かに眠るセルベリアが、生まれたままの姿でラインハルトの腕を抱き込んでいた。

 

すぅすぅと可愛らしい寝息と共に押し付けられる豊かな乳房。柔らかくて実に幸福な感触だ。

幸せそうに眠るセルベリアを見て、意識がようやく目覚めた。

 

先に言っておくが昨晩。やらしいことは何もしていない。先ほど言ったように此処は小さな村なので宿泊宿というものは存在しなかった。唯一あるのは寂れた掘立小屋だけ。突然やって来たのは自分達なのだからこの小屋で十分だと言ったのだが、明らかに高貴な見た目の二人をみすぼらしい小屋に泊まらせるわけにはいかないと思った村長が用意してくれたのがこの部屋だ。元は息子の使っていた部屋だったそうだが今は帝国軍に居るので不在らしい。

 

ありがたく使わせてもらっていたが寒くて眠れない。一般的な平民の部屋で眠るのは今のラインハルトでは難しかった。

どうするかと悩むラインハルトを見かねてセルベリアが提案したのが。

曰く、「こ、これは北部出身の者が言っていたのですが.....寒い地方では人肌を重ね温め合いながら眠るのだとか。古よりの知恵だと....で、ですにょで。もしよろしければ....わ、わたしごときでよければ、で、で、殿下を温めさせていただくことを.....提案しまひゅ!」

 

自分で言って羞恥を覚えているのか白磁の肌は桃色に染まり、途切れ途切れの言葉はかみかみだ。しかし、口を震わせながらも精一杯言い切ったセルベリアに、ラインハルトは「なるほど」と頷く。

腕を組んで考え込むラインハルトを見て、軽蔑されたのではないかと思ったセルベリアが慌てて口をひらく。

 

「も、申し訳ありません!はしたない事を言いました!忘れてく....」

「わかった。頼む」

「はい!」

 

背筋を伸ばして見事な敬礼をとるセルベリア。反射的な行動だった。

その直ぐ後に理解が及び、自分で言っておきながら驚いたような表情になる。が、次の瞬間には笑みが弾ける。

まさかこんな所で夢の一つである『殿下と添い寝』が叶うとは!

幾つかある夢の実現に感動するセルベリアだった。

一日千秋の想いを噛みしめるセルベリアを不思議そうに見上げるラインハルト。

 

「セルベリア?」

「っいえ、それでは失礼いたします」

 

ハッと我に戻ったセルベリアは、ベッドから起き上がるラインハルトの元に寄り、シーツに手を掛けようとしたところで、

 

「服は脱いだほうがいいか?」

「....え?」

 

その言葉に硬直するセルベリア。

今何と言った?服を脱ぐ?誰が、ラインハルト様が?

 

「人肌を重ねて温めると言っただろう。だから裸身になった方が良いのかと思ったのだが」

 

違うのか?と首を傾げるラインハルトにぶんぶんと首を振る。

 

「いえ!そうです。そうでした!うっかりしていました!」

「....わかった」

 

セルベリアの見ている目の前でラインハルトは平然と身に纏う衣服を脱ぎ始める。平穏に生きることを渇望しているラインハルトの趣味は意外な事に体を鍛えることだ。剣の師に教えを乞い帝国式剣闘術を学び修練を積んでさえいる程であった。細身ながら絞り込まれた筋肉が露わになっていく。

 

セルベリアは目を見開いて目の前の光景に釘付けになっている。

たくましい大胸筋に視線を向けていると、カァッと頬が熱くなり、心臓は早鐘を打つ。

 

「どうした、脱がないのか?」

「あ....うぇ?」

 

流石に下までは脱がなかったが、既に服を脱ぎ終えている。後はセルベリアだけだ。

これは本当に現実なのだろうか。茹だった頭で考えるが答えは出ない。

いや、もう夢でもいい。

黒い軍服に手をかけて金縁のボタンを外していく。服が緩み白い肌が覗きだす。一番下までボタンをとり....バサリと軍服が床に落ちる。

露わになった黒いレースのブラが豊かな胸を窮屈そうに抑え込んでいた。

 

そして、腕を背に回しそれすらも取り外したのだ。

室内の冷気が肌に触れるが火照る体の所為か寒さを感じない。

パンツと黒のストッキング以外を脱いだセルベリアはシーツをめくりその中に忍び込むと、ラインハルトの体に触れる。

温かく広い背中だ。体を密着させると、

セルベリアは囁くようにそっと言った。

 

「どうですか殿下、寒くはないですか?」

「いや、温かい.....」

 

その言葉は事実のようで、ラインハルトは心地よさそうにしている。しだいに穏やかな寝息が聞こえて来た。

セルベリアは体の熱を共有するようにぎゅっと抱きしめるのだった。

 

           ・

           ・

           ・

           ・

 

 

というわけである。

セルベリアの奉仕のおかげでぐっすりと眠ることができた。

回想を終えたラインハルトはセルベリアを起こそうと肩に触れるが。

あまりにも蕩けきった顔で寝ているものだから。

何か悪い気がしてラインハルトだけベッドから起き上がった。

眠るセルベリアにシーツを掛けてやり、自分はベッドから降りて洋服ダンスに向かう。掛けてあった黒色の軍服に着替えると部屋から出る。

まだ日は朝早いが、村長は起きて料理を作っていた。おたまを片手に振り返る初老の老人。

 

「おや軍人さん。起きて来たのかい」

「昨晩は泊めていただき感謝します」

 

まさか皇子だと名乗るわけにもいかず、

混乱を避ける為にあらかじめ軍人という身分で名乗っていた。まあ嘘でもないし問題ないだろう。

 

「いやいや、あんなぼろ部屋ですまないねえ。あまり眠れなかったろう?この時期は寒いからね。暖炉でもあれば違うんだけどね」

「いえ、ぐっすりと眠れましたよ」

「おや、そうかい?」

「それより顔を洗う場所はないですか」

 

不思議そうに首を傾げる村長をよそにラインハルトは顔を洗うために水を求めた。

 

「ああ、それなら外にある井戸を使うといい。案内しよう」

 

家の外に出ると裏手の庭にある井戸に案内された。

投げ入れた桶を引き上げ水をすくうと顔に浴びる。予想以上に冷たい井戸水に身を引き締められる気分だ。

 

「....ふう」

「はっはっは最高じゃろう。アース山の雪解け水じゃからな、この時期は一等に冷たいんじゃよ」

「人が悪いですよ老公。わざと黙ってましたね」

「ほっほっほ悪かったの。おわびに温かいスープをご馳走しよう。儂のつくる山菜のスープは絶品じゃよ。あの美人なお嬢ちゃんも起こしてくるといい」

「ありがとう。お言葉に甘えます」

 

快活に笑いながら家に戻る村長に苦笑しながら後を追いかけていくラインハルトだった。

 

「......ん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

「目標を捕捉しました。標的は予測通りあの村に入った模様です」

「やっとか......ったく面倒かけやがって」

 

双眼鏡で村を見下ろしていた青年の言葉に、

後ろに控えていた傷有りの男は煙草を口にくわえながら顔を歪める。

彼らは村の裏手にある遠くの斜面から、木々に隠れて村を観察していた。

 

溜まっていた鬱憤を晴らすようにゆっくり紫煙を吐くと、瞬間、勢いよく煙草を投げ捨てた。手に持つ通信機のマイクに叫ぶ。

 

「てめーら待ちに待った出番だ!『金獅子は檻に入った』繰り返す『金獅子は檻に入った』これから作戦を開始する。檻の中に居る獅子を殺せ!!一人たりとて生かして逃がすな、これは絶対命令である!」

 

怒声ともとれる傷有り男の命令が通信機を介して全兵に伝わった。

 

 

 







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四話

 

それは十八時間前の出来事。

 

「いいかおめーら!よく聞けよ、『獅子殺し』作戦の説明をするぞ!」

 

彼らが居るのはアース山脈の麓に広がる森の中。空いた広場で傷有り男の声が響き渡る。

 

「標的ラインハルト・フォン・レギンレイヴは目下この山に向けて接近中だ。奴はハプスブルクに繋がるこの山道を必ず通る。そしてこの村.....名前なんだっけ?」

「レニイ村です」

「そうそうレニイ村だ。ここを通るだろう。もしここを通過していくようならそれでいい、この地点に待ち伏せて獅子が網にかかれば襲って殺せ。恐らくコレになるだろう。本命のα案だ」

 

切り株に置いた地図上に指を走らせて、周囲を囲む部下達に説明を語る。

 

「しかし、もし標的がレニイ村で一晩を過ごすようであれば、表と裏に部隊を分け包囲する。その後慎重をきして明朝まで待ち標的を捕捉次第号令をかける。合図は『金獅子は檻に入った』だ。コレをβ案とする。だがこのβ案にはならんだろうがな」

「なんでですか?」

 

不思議そうにメガネをかけた青年が訊ねる。帝都でラインハルトを狙っていた青年だ。

 

「なんでってそりゃあ仮にも帝国の皇子が寂れた小村に泊まるかよ、貴族ってのはなあ温かい部屋と柔らかいベッドがなきゃ睡眠もできない生き物なんだぜ?そんな人種が汚ねえ部屋に泊まろうと考えること自体が異常だぜ」

「へ~」

 

感心したように頷く青年を見てチッと舌打ちする傷有り男。思い出したくない事を思い出してしまったという感じだ。

 

「話しを続けるが作戦決行時はこの服に着替えとけよ」

 

そういって取り出したのは野盗が着るような小汚い衣服。何年使い込んだの?と思わずにはいられないボロボロの状態だ。ほつれにほつれている。

 

「なんですかこれ」

「万が一にも俺達の正体が知られちゃならねえ。存在しない存在、それが俺達『マスカレード』だ。そして標的が標的だけに今回は銃火器の使用も禁じる。銃弾の一つも残すな。俺たちの正体を匂わせるな、俺達はただの小汚ねえ山賊風情だ。支給した山刀だけを使え、いいな!まさかビビってんじゃねえだろうな相手は剣を嗜む坊主と護衛の女一人だけだ!」

 

喝を入れるように声を飛ばす傷有り男の言葉に男達はまさかという顔で笑う。

その中でメガネをかけた青年だけあっそうだと云う感じに手を上げる。

何事かと思ったが何とも気の抜ける内容だった。

 

「そういえばあの女の人めちゃくちゃ美人さんでしたよね!セルベリアさんでしたっけ『蒼き女神』セルベリア・ブレス!この女軍人さんはスゴイって聞きますよ?」

「ああ?」

 

傷有りの男は呆れたように青年を見て、

 

「だからなんだ。女一人に俺達が負けるとでも思ってんのか?外様風情が口出しする気かおい!」

 

傷有りの男はメガネの青年を睨みつける。

とんでもないっと言うように手をバタバタと振り笑顔で答える青年。

 

「まさか、そんなことしませんよ、お好きにやっちゃってください。僕は只の派遣された狙撃兵ですから....」

 

――でももし、貴方達が失敗すれば僕が後始末するんですからね。

 

ニコニコと笑みを浮かべる青年の目が一瞬鋭く光った気がする。

....いや、まさかな。

それを気のせいで済ませた傷有り男は苛立った様子でタバコを咥えた。

 

まさかこの後、十八時間もの間待機することになるとは思ってもいなかった傷有り男である。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

山の斜面で光が反射した。それは狙撃兵の青年が捕捉した際に使っていた双眼鏡の光である。

ほんの一瞬、太陽の光に反射しただけの誰も気づく事のない光を、ラインハルトは見逃さなかった。

 

「あれは.....まさか」

 

光りが反射した遠くの斜面に視線を飛ばすも。流石に分からない。

次に自宅に入ろうとしていた村長に目を向ける。

 

「老公。聞きたいことがあります」

「ん、なんじゃい?」

「先ほど山菜のスープと言っていたが、山菜を摘むのはこの村の人にとって珍しいことではないのか?」

「うむ、そうじゃよ。みんな山菜を取って食べるのお」

「そうですか。では今の時間あの山の斜面で山菜を取る村人に心当たりはありますか」

 

斜面を指し示してたずねてくるラインハルトを怪訝な表情で見やり。言われた通りの方向を見る。

 

「あそこか?いや、あそこには誰も立ち入らんぞい。あそこら辺は毒草の群生地帯じゃからな。薬師のばあさんぐらいしか行かんのお。そのばあさんにしたって最近腰を痛めたらしく行けなくなったと喚いておったわい。それがどうかしたかの......こ、こりゃどうしたね!?」

 

ラインハルトは駆け出し勢いよく扉を開ける。途中追い越した村長が驚いた様子を見せたがあえて無視した。

 

「セルベリア!緊急事態だ!臨戦態勢をとれ!」

 

家の中に向けて大声で呼びかける。見間違えであればそれでいい。しかし、自分の考え通りだったら、もしかしたら一刻の猶予もないかもしれない。

急いでセルベリアの居る部屋に入る。

 

「セルベリア起きているか?」

「は、申し訳ありません。直ぐに準備を終えます」

 

既に起きていたセルベリアは軍服を身に纏い、軍刀を腰に帯びているところだった。

 

そこから十秒もかからず臨戦態勢となり、ラインハルトに跪く。

後は命令を待つのみだ。

 

「今すぐ裏手の山に向かい索敵せよ、今現在この村が狙われているかもしれん。もし敵対勢力を発見した場合。即刻殲滅せよ」

「はっ!かしこまりました!」

 

それは簡潔すぎる命令だった。

なぜ、どうして、誰が、何のために。

あらゆる情報が不足していたが、セルベリアは戸惑う事すらなくラインハルトの命令に了承した。

 

すぐに立ち上がり、命令を遵守しようと動き出すセルベリアの背にラインハルトは声を飛ばした。

 

「状況の打開が困難だと判断すれば、『盾』の使用を許可する!必ず生きて戻れ」

「はっ!」

 

ラインハルトの声に答えたと同時に村長宅から飛び出したセルベリアは裏手の山に向かって、放たれた矢の如く走り出す。

 

 

 

 

 

★    ★     ★

 

 

 

 

 

森の中に入ったと同時に、人の気配と濃密な殺気を感じる。瞬間、刃の閃きがセルベリアの視界に映った。

木の陰に隠れていた山賊風の男が飛び出してきたのだ。

振りかぶった山刀で斬り掛かってくる。

 

「ふっ!」

 

すぐさま横に身を捻り斬撃を躱すと、軍刀に手を添える。刺客の目が強張った。

しかし、もう遅い....。

 

「ハアッ!」

 

裂帛の抜刀と共に男の胴を切り払う。

血煙を吹きながら崩れ落ちる男を冷ややかな目で見下ろすセルベリア。

この時、男が剣を振るい崩れ落ちるまで三秒と経っていない。

瞬く間に決着したのだ。

 

「ば、馬鹿な」

「なぜ襲撃を仕掛ける前に俺達の動きがバレている!?」

「なぜだ....!」

 

一瞬の内に起きた仲間の死に戸惑いの声を上げる山賊風の刺客。対処の早すぎるセルベリアの行動にも驚いている様子だ。

 

「問おう。何者だ貴様ら。ただの野盗には見えんが、私達が目的か?」

「......」

「答えぬならば、斬る!」

 

無音の答えが開幕のスタートになったと知らない刺客の男は、驚くべき速さで迫るセルベリアに目を剥く。

咄嗟に後ろに飛び退くと、

冗談のような速さで振り切られた軍刀が浅く胸を裂く。

胸の痛みを堪えて、斬撃をセルベリアに浴びせようと山刀を振るうが、圧倒的な反応速度で斬撃を躱すと軍刀を横凪に振るい腹を切り裂いた。

臓物をこぼしながら刺客が倒れようとするのを無視してセルベリアは先に進む。

 

気配を消して森の中を無造作に歩き続けると、いきなり近くの茂みに軍刀を突き刺した。

 

「ガぁ!?」

 

絞り出すような断末魔が上がった。引き抜く軍刀の切っ先にはベットリと血が付着している。

茂みに隠れていた刺客の血だ。

茂みを覗き確認すると刺客の亡骸がある。胸を一突き、即死だろう。驚きに染まった表情が印象的だ。なぜ自分が見つかったのか分からないままに死んだのだ。

 

「お前達は殺意が濃すぎる.....視線に殺意が乗ればすぐに分かるさ」

 

軍刀を振って付着していた血を払うと視線を横に向ける。

三人の刺客がセルベリアを囲むように立っていた。

 

「こんどは三人がかりか。いいのか、全員を呼ばなくても?」

「ほざけ!」

 

嘲笑するようなセルベリアの挑発に刺客たちが一斉に剣を向け走り出す。

三方向からの同時攻撃だ。これならひとたまりもあるまい!

勝利を確信した刺客達の攻撃に、セルベリアの対応は実に迅速だった。

まず真正面の刺客に対してセルベリアは距離を詰めた。

刺客の男もそれならばと迎え撃つ。この女は確かに強い。だが、三合まで持ちこたえれば味方がセルベリアの背中を切り裂くだろう。

そんな勝利の予想はあっさりと裏切られることになる。

刺客が牽制して山刀を横凪に切り払うと、セルベリアは跳躍して山刀を躱す。嘘のように刺客の頭上を飛び越えたのだ。

しかもギョッとする刺客の隙だらけな後頭部をセルベリアは伸びやかな足で強く蹴った。後ろ向きで蹴ったにもかかわらず正確に刺客の脊椎部分を強打しボギャっと響く鈍い音。

昏倒する刺客。死んではいないだろうが、もう一度立ち上がれるかは不明だ。

 

華麗な動作で地面に着地すると振り返り、駆け寄って来る二人の刺客を捉える。

仲間が倒されたのを気にも留めず刺客達はセルベリアと剣を打ちあう。

一瞬でも仲間の方に注意が向けばたちまちあの女の軍刀は俺達の命すら奪っていく!

そう理解した刺客達は冷や汗をかきながらセルベリアに向けて鋭い一撃を放つ。

しかしこの女は只者ではなかった。

二人がかりで斬撃の雨を浴びせるが、セルベリアは冷静に軍刀で打ち払う。

一合、三合・・・・絶え間なく刺客達はセルベリアと切り結ぶ。

しかし鉄壁の防御を崩せない。逆に男達の体が刀傷だらけになっていく。

なぜだ!手数はこちらが上なのに、どうして俺達が傷を負っている!?

そんな思いが肩で息をしている男の顔にアリアリと書かれていた。圧倒的な力の差に男の戦意は消失していく。

無理だ、勝てない。

とうとうそう思った男は立ち尽くすが、もう一人の仲間はそう思っていないらしい。

今も必死でセルベリアと戦っている。

しかし、二対一で崩せなかったセルベリアの防御を一対一で突破できるわけもなく。

程なくして決着はついた。

恐怖と疲れで大振りになった一撃をセルベリアは半身で躱しフェンシングの要領で軍刀を突いた。

それまでと異なり変わった剣法に刺客は対処できず、反応する間もなく喉を貫かれた。

ごぼりと口から血反吐を吐きながら、白目を剥いて倒れ伏す刺客の男。

 

「ひいっ!」

 

立ち尽くす男の口から情けない悲鳴が漏れ出る。

セルベリアの視線が男に向く。

男は思わず後ずさった。

 

「どうした来ないのか?仲間は死んだぞ、後はもうお前だけだ」

「来るなぁっバケモノぉ!」

 

恐怖のあまり涙や鼻水を流しながら子供のように喚き散らす男は、山刀を向けて必死に牽制する。

その光景をひどく冷めた表情で眺めていたセルベリアは男に問う。

 

「死にたくないのか?しかしお前達は私達や村人を殺そうとしていただろう。自分が殺されるのはいや等と理に反しているではないか、罪のない人々を殺そうとしておいて、自分達は殺されたくないなどと、そんな不条理が通るはずがないだろうが!」

 

淡々と紡がれていた言葉が段々と熱を帯びていき、後半においては列火の如く燃え上がった。

押し込めていた殺意の衝動を解き放つ。途端、圧倒的なプレッシャーが男に襲いかかる。

 

「ひっ!ヒィイ!!」

 

不可視の圧力に押された男は地面に尻もちを着き、ブルブルと震える。

 

「いやだぁ、死にたくねえ!」

 

歯の根をカチカチと響かせながら訴える。

 

「....生きたいか?」

「生きたい!生きたいよう!」

 

セルベリアの言葉に必死の形相で首を振る。

 

「ならば貴様らの正体・その構成人数と作戦内容を教えろ。剣を交えて分かったが、やはりお前たちは只の野盗ではない。正統的な帝国式剣闘術を修めているな」

 

帝国式剣闘術は貴族や士官といった一部の人間にしか教えられない剣術だ。まかり間違っても平民が学ぶ機会はない。

ならばこいつらは軍人崩れの野盗かと思うが戦時中の今、逃亡兵に対しては厳しい監視の目がついている。これだけの数が逃げれば上層部に報告される筈だ。

帝国軍は逃亡兵を一級戦犯として扱うから追手もでているだろう。前線からここまで逃れてきたと考えるのは少々現実的ではない。

 

だとしたら答えは......。

 

「そ、それを言えば見逃してくれるのか?」

「.....ああ、約束しよう」

 

答えを導きだすよりも早く刺客の方が白旗を上げた。

正直に答えてくれるなら話は早い。

 

「さあ言え、お前達は何者だ?仲間はあと何人いる」

「......お、俺達は『マスか.....あ?」

 

恐る恐る言おうとしていた男がいきなり、えっと云う顔になる。蚊に刺されたような気安さだ。

 

セルベリアの目が見開かれる。視線の先には、

刺客の男の胸から一本の矢が生えていた。

ようやく気づいた男は、

 

「あ、ああああ......!!」

 

悲壮な表情で悲鳴を上げる男はそれを最後に糸の切れた人形のように地面に倒れる。

セルベリアは驚くよりも先に、木の裏に隠れた。

 

木々の先からしわがれた男の声が響いて来る。

 

「やーれやれ、何を喋ろうとしてんだろうねえ。俺の子分に口の軽いやつが居たなんて悲しいぜ、君もそう思うだろ?」

 

セルベリアは隠れた木の影から相手を窺う。声のした方向に奴はいた。

隠れもせず堂々と立っているその男には顔に傷があった。

タバコを吹かしながら片手に弓を持っている。

傷有り男はジロリと森の惨状を見渡す。

 

「みーんな殺しちまったかあ。また一からやり直しだなあおい。どうしてくれるんだよ俺の可愛い子分達をみんな殺しやがって」

 

その可愛い部下を射殺した男の口から出ていい言葉ではない。セルベリアは声を張り上げて男に問うた。

 

「お前が指揮官か!」

「そうだよ。俺がこいつらの親分だ」

 

確かに格好は正に山賊の親玉といった表現がお似合いだが、手にもつ弓と背に掛けた矢筒の所為でどちらかというと狩人のようだ。

 

「指揮官自らが出てくるとはな!」

「言うねえ。お前が俺の子分どもを殺しまくったからだろうがよ」

 

セルベリアの言葉に含まれた意味に気付き苦笑する傷有りの男。

次の言葉はさらに苛烈であった。

 

「安心しろ、その部下達と共に冥土に送ってやる!」

 

言葉と共にセルベリアは軍刀を構える。

 

「....来いよ、俺を殺せばあんたの勝ちだ。だが、その前に俺の一弾があんたを射抜くがな」

 

煙草を吐き捨てた傷有り男も弓に矢を番える。

 

静寂が場を支配する。

 

それは嵐の前の静けさのようで、

 

神経を集中させる二人にはもはや木々のかすれる音すら煩わしい。

 

二人のちょうど中間でつむじ風が舞い、木の葉が踊る。

 

やがて風の輪舞は終わりを告げ、木の葉は地面に落ちた。

 

その瞬間――セルベリアは風のように走り出した!

 

 

 

 



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五話

森の中を駆け抜けるセルベリアは視線を一点に捕えて離さない。

途中、何かを躱すように横に飛ぶ。すると飛来した矢がセルベリアの横を突き抜けた。

凡そ五十メートル先に立つ傷有りの男が放った矢だ。

 

傷有りの男は楽しむように矢を番え....放った。

 

ジグザグに走りながら木を盾にして進むも恐ろしい精度でそれはセルベリア目がけて飛んでくる。

かなりの使い手と言って云いだろう。

 

しかしセルベリアの目には勝利の確信があった。

 

確かに奴の射撃能力は高い。しかし森の中では私に圧倒的有利だ。乱立する樹木を盾に射線を乱せば私に直撃する確率は低い。

それに躱せない速度ではないしな.....。

 

首を少し横に傾けると、セルベリアの頭部に向けて放たれた矢が通過していく。

 

それを見た傷有りの男は口笛を吹き、冷や汗をかく。

 

「まじかよ、やべえな」

 

俺の矢が読まれてやがる。

いや、それだけじゃねえ。あの女どんな胆力してやがんだ!

 

当たれば致命傷を免れない矢の一撃を、わざと首すれすれの部分で躱しやがった。

並大抵のベテラン兵士でさえ同じことをするのは不可能だろう。

 

すでに距離は半分まで詰められてしまった。驚くべき速さだ。

 

「こりゃあ本気でヤバいか」

 

傷有り男もここに至っては勝ち目が薄いことを理解して、持ち場を離れる。

 

傷有り男が背を向けて走り出すのを確認したセルベリアは、それまでジグザグに蛇行していたルートを直線に変えた。

 

グングンと迫るセルベリアを傷有り男も確認して.....ほくそ笑む。

 

そうだ。来い、追ってこい!

 

傷有り男の向かう先は急勾配の斜面。そこには部下を配置させている。セルベリアの戦闘を影で窺っていた傷有り男は勝ち目薄いと考えあらかじめ配置させておいたのだ。

だからこれは作戦通り。

勝利を確信して追ってこい銀髪の魔女。それが断頭台に続く道だと知らず、あそこがお前の墓場だ!

 

見えてきた斜面に暗い笑みを浮かべる。走りながら矢筒に手を入れ矢を三本引き抜く。

 

見せてやるぜ、俺の三段撃ちを。

 

弓に番えたまま斜面に到着した傷有り男は。できるだけ慌てた様子で斜面を登った。

俺の演技に騙されれば勝率も上がるってもんだ。

 

斜面中腹の射撃地点に到達した傷有り男は万感の思いを込めて振り返る。

セルベリアも直ぐに到着するだろう。

中腰になり狙いを定める。

 

そしてセルベリアが木々の合間から飛び出して来たのを確認して、吠えた。

 

「今だ、殺れ!!」

 

途端に斜面麓の茂みに潜んでいた部下達が現れる。

その数は僅か二人。

だがそれで十分。

刺客達は山刀を鈍く閃かせながらセルベリアを襲う。

 

しかし、奇襲を受けたセルベリアはやはり冷静だった。

奇襲・だまし討ちは戦場の常。

南方戦線を経験したセルベリアにとってこの程度の罠は朝飯前だ。

微塵の動揺もなく軍刀を鮮やかに閃かせ刺客の首を刈り取る。

血泉を噴き上げる刺客の亡骸が倒れていくのを無視して次の刺客に視線を向ける。

 

その時。死角射線である斜面から三本の矢が放たれた。

 

風を鋭く裂きながら飛来する三本の矢はセルベリアに向けて迫りくる。

そして.....。

 

「なにいいいいいい!?」

 

傷有りの男は驚愕の声を上げる。

目の前の光景に我が目を疑った。

 

なんとセルベリアは飛来する三射に気付いた瞬間。

左から右にかけて真一文字に斬り払い、三本の矢を同時に斬りおとしてしまったのだ。

恐ろしいまでの神業的な剣技だった。

呆然とする傷有り男の目には、返す刀で残った最後の部下を斬り殺される光景が映っていた。

 

「.....これで終わりか?」

 

銀髪の魔女がこちらを見上げていた。

紅い瞳が俺の体を貫く。

ビクッと肩が震える。見れば鳥肌すら立って僅かに震えていた。

怯えているのか、俺が?

 

「....ウォオオオオオ!」

 

自らの感情を押し込めるように傷有りの男は弓矢を引いた。

 

しかしもう、先ほどまでの一射必中の精度を失っていた。

もはや躱す必要もなくセルベリアは斜面を登っていく。

 

「当たれ当たれ!.....当たってくれえ!!」

 

叫びも空しく山に響き渡る。

やがて矢が尽きたが、それでも指は矢筒の中を探して彷徨う。

 

「俺はこんなところで死ねない.....戻ってみせる。あの頃に戻るんだ....もう一度栄光をこの手に掴むまでは絶対に死ねん」

 

それは血を吐く様な形相で呟かれた。声音には男の執念が宿っていた。

過去に男になにがあったのか分からない。それを知る者も誰も居ない。

そして。

 

「そうか。だが殿下を狙った事実は万死に値する。お前はここで死ね」

 

唯一の生き証人である男もセルベリアによって殺され、真実は闇に葬り去られるのだろう。

 

覚悟した男は俯き、地面に座り込む。

 

目の前まで詰められた時点で男の策は全て尽きてしまった。

 

「.....」

 

そう、全てを遂行したのだ。

 

「く....くくく」

 

成功へと、導いたのである。

 

「クハハハハハハ!!」

「なんだ....?」

 

諦め切っていたと思われた男がいきなり狂嬉し始めたのだ。セルベリアは訝しんだ目で見下ろし。

 

突如ハッと表情を変えたセルベリアは後ろを振り返る。

 

 

 

―――村のある方角から火の手が上がっていた。

 

 

森の先から上がる黒煙にセルベリアは驚愕する。

 

「まさか....!」

「そのまさかだよ。悪いね、あんたの大切な人は今頃俺の部下に殺されているだろう」

「....きさまあ!」

 

憤怒の形相で睨みつける。男は軽薄な笑みでセルベリアを見上げていた。

罠だった。この男は自分すらも囮に使って私をここへと誘き出したのだ。

殿下の命ただそれだけを狙って!

 

「正直言って最初の作戦通りとはいかなかったがな。あんたが強すぎたからさ、俺の命まで作戦に組み込まなきゃいけなくなっちまった」

 

ヤレヤレと首を振る傷有り男の独白は続く、

 

「あんたとの勝負には負けたが、この戦には勝ったってところか、お互い健闘したと思うぜ?それにあんたは一人だったんだ悔やむことはないさ。まあ、そう言っても無理だろうけどよ。あ、そうだ。もし行くところがなくなったらウチに来ないか?あんた程の腕ならきっとすぐにナンバーワンになれるよ」

「.......」

「確かに俺達の間には因縁があるかもしれないけどよ。後腐れなく関係を築けると俺は思うね。あんたも虚け皇子と言われる奴の護衛なんかするより、自分だけの力でもっと上に行ってみたいと思わねえか?」

「.......」

「おいおい、ショックで声の出し方も忘れたか.....なんだ?」

 

そこで、ようやく傷有りの男はセルベリアの異変に気づいた。

目を凝らしてよく見れば目の前の女から淡い光が立ち昇っているではないか。

表情もなんだか穏やかで、さっきまでの怒りに満ち満ちた顔ではない。

おいおいなんだこりゃあ?

傷有りの男が驚いていると、セルベリアが口を開いた。

 

「.....ふたつお前は思い違いをしている。ひとつはあの方が私にとってどれほどに大切な人であるかという事....」

 

朗々と語られていくセルベリアの言葉にごくりと息を吞む。

 

「もうひとつは.....あの人がこんなことで簡単に死ぬような人ではないという事だ!」

 

その瞬間。蒼い炎のような光がセルベリアを中心に溢れ出した。

目を凝らしていたさっきまでと明らかに光りの量が強くなっている。

 

「なんだこりゃあ!?」

 

異常な現象を引き起こしたセルベリアを驚愕の表情で見詰め慄く。

 

――神聖なる清浄の光。

 

ユグド教徒であった男にその一節が脳裏をよぎる。

おいおいおいおい、まさか!こいつは、この女は!

 

動揺を隠せない男に向けてセルベリアはおもむろに軍刀を掲げた。

 

殺される!男がそう思った瞬間。

セルベリアと男の間に弾丸が撃ち込まれた。

 

男がハッと頭上を見上げるのと同時にセルベリアは驚くほど高く跳躍して斜面の麓に着地する。普通であれば骨折の一つもしそうな高所からの着地にセルベリアは何の反応も見せず、何事もなかったように森の中に消えた。

 

遅れてセルベリアの行動の意味に気が付くが今は動く気になれない。

今見たものが信じられない様子で、セルベリアが消えた森の一角を眺めている。

そこに。

 

「いや~危なかったですね。大丈夫ですか?」

 

斜面の上から降りて来たメガネの青年が笑いながら傷有りの男を見下ろす。

 

「あ、ああ」

「あはは、スゴイ顔してますよ。まるで神様でも見てしまったかのような。ね」

 

何が楽しいのか面白そうに傷有り男の顔を見て、そんな事を言った。まるで男の考えている事の核心を突く様な言葉を、

 

「ハイエル....お前何か知っているのか?」

「なにをです?」

「見ていただろう!あの炎のような青い光をだ!」

「ええ、あなたよりは知ってますよ....しかしまあ、『神器』を使わずにあの力を引き出したのは正直驚きましたけどね。あの人が最高の素体だと言ったのも頷ける」

 

ハイエルと呼ばれた青年は男の分からない言葉で一人納得したように頷く。

 

「あの力は、あれはいったい何なんだ....」

「貴方も薄々気づいているじゃないんですか?」

 

うっと喉が詰まる音を出して傷有りの男は村の方を見る。

 

「あれがそうなのか?あれが....」

「僕と手を組みませんか?今度は正式に」

「....なに?」

 

ハイエルの突然の言葉に疑問の声を上げる。

 

「上から見ていましたがあなたの戦術はとても素晴らしかった。最初こそ彼女を侮っていたが、その能力を知るや巧みに戦いを変えていき戦場を完全にコントロールしていた。自らも囮になる度胸は尊敬に値します。彼女の力がイレギュラー過ぎて包囲を食い破られ切り札を攻略されはしましたが、最後まで諦めず時を稼いだ。そして驚くべきは最後まで彼女を打倒する気でいた執念に僕はたまらなく感動しました。あの追い詰められた時の彼女とあなたの位置は僕が狙撃するに最高の場所だった。僕に彼女を撃たせようとしたのでしょう?」

「.....ああ、そうだよ。なのにお前は一向に撃ちやしなかった。あの時はお前を呪ったぞ俺は、勧誘するフリをして時間稼いでたのによ!」

「いやーそれは申し訳ない。彼女を撃つわけにはいかなかったものですから」

 

たははと頬をかくハイエルに傷有りの男は目を見開く。

 

「そうかお前は、お前らの標的は最初からラインハルト皇子ではなく」

「はい。セルベリア・ブレス。彼女こそ僕らの目的です」

「くそ、そういうことか!」

 

悔しがるように拳を地面に叩き付ける。

 

「黙っていて申し訳ありません。第一級極秘機密事項でしたので」

「.....てめえさては俺を逃がす気ないだろ」

「なんでですか?」

「なにさりげなく機密事項をしゃべってんだよ!俺はまだ手を組むなんて言ってねえぞ!」

「それではここで死にますか?」

 

おもむろに狙撃銃をこちらに向けるハイエル。すでに指がトリガーに掛かっていた。

 

「まてまて落ち着け!分かった話をしようか!」

「はい、ありがとうございます」

 

にこやかに笑いながら銃を下ろすハイエルに傷有りの男は頬を引き攣かせながら聞いた。

 

「ハア....それで、俺がお前と手を組んでなにかメリットがあるのか?」

「もちろんです。貴方が求めているものを私たちは用意しましょう」

 

胸ポケットから煙草を取り出していた傷有り男の手がピタリと止まった。胡乱気にハイエルを見上げる。

 

「知ってんのかよ?ふかしてんじゃねえだろうな」

「はい。クロードベルトの名産品のカンナエマスは僕も大好きですよ」

「.....マジで知ってんのかよ何者だお前ら」

「それは僕と貴方が真の同志になれたら教えます」

 

チッと舌打ちをして煙草に火をつける。それを咥えて肺一杯に紫煙を吸い込むと、ゆっくり吐く。

 

「......いいぜ、お前の言う同志とやらになっても。ただ、一つ条件がある」

「条件?」

「賭けと言ってもいいな」

 

傷有りの男は煙草を持つ手で指し示す、村のある方角を。

 

「俺の部下があそこでまだ戦っている。もしラインハルト皇子の首を上げていれば俺はその首をもって上に行く。お前との交渉は決裂だ。だが、暗殺が失敗したら俺はお前と手を結ぶ....どうだ?」

「うわ~何ともあなたに有利な賭けですねー」

「悪いかよ...この計画が失敗すれば俺はどのみちお蔵入りだ。上は俺を処分するだろう」

 

傷有りの男はハイエルを睨みつけるように見て、どうなんだよっと云う感じだ。

 

「分かりました良いですよ。その賭けを吞みましょう」

「言っとくが俺の部下は本当は強いんだからな?」

 

あの嬢ちゃんがボコスカ殺しまくったせいで、そんな気がしないだけで、殺しのプロだという事は偽りではない。

 

「大丈夫ですよ分かってますから。ただね、僕はあの男がこんなところで死ぬなんて想像も出来ないんですよ」

「何か知ってんのか.....ってのも今さらか」

「調べれば調べるほど面白い男ですよあの皇子は」

 

本当に面白いビックリ箱のような男だ。きっとこの人も僕のように驚くだろうな。

 

もし仮に未だ知られぬ英雄と呼ばれる存在を僕が選ぶならばラインハルト・フォン・レギンレイヴこそ知られざる英雄の雛であると僕は選ぶだろう。

 

その雛が育ち鳳凰と至るようであれば僕の邪魔になる。

 

障害を排除するためにはこの男の力が必要だろう。

 

「その時は期待してますよ。ヤン・クロードベルトさん」

「は?」

 







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六話

それは時を少し前に遡る。

 

セルベリアの背を見送ったラインハルトは自らも動き出した。

 

もし仮に俺が敵の指揮官ならどうする。何を考える?

あの裏手の山だけに兵士を配置するだろうか。

答えは否。

あの光の正体がもしスコープの類であったなら、敵は村の全体を把握できただろう。

なぜわざわざ敵はそんなことをする。

時間的余裕があったということだ。そしてただ村を攻撃するだけが目的じゃない。

何らかの確たる理由が存在するはずだ。

 

ラインハルトは急いで部屋を出ると困惑した様子の村長と対面する。

 

「今さっきお嬢ちゃんが飛び出して行ったがどうしたのかの?」

「.....老公」

 

言うべきだろうか。未だ憶測に過ぎないが、俺の勘違いということもある。

ラインハルトは一瞬の逡巡の後、口を開いた。

 

「落ち着いて聞かれよ老公。たった今この村は何者かによって狙われている可能性がある」

「なんじゃと?」

「俺はそう見ている。なのでセルベリアは索敵に行かせた。もし敵勢力を発見した場合は....」

「待て待て!いきなり何の話をしておる!?」

 

驚きの声を上げる村長にラインハルトは根気強く繰り返した。

 

「敵が我らを狙っています。もしかしたら山賊の類かもしれません」

「むむむ....!」

 

まだ信じ切れていない様子だ。

だがこの後の展開によっては村長の力が必要だ。

ここで説得する必要がある。

 

「信じられないかもしれません。ですが....」

「いや、信じよう」

「え....?」

 

キョトンと目を瞬かせるラインハルト。

 

「老公いまなんと?」

「なんじゃお前さんその年で耳が遠いんかいの?信じると言ったんじゃよ」

「なぜ?」

 

自分で言っておいてなんだが信じてもらえる可能性はかなり低いと見積もっていただけに村長の言葉は意外だった。思わず尋ね返してしまうほどに、

 

「お前さんの目を見ればおのずとわかるわい......と言いたいところじゃが、それは違う」

「は?」

「お前さんは分からんがあのお嬢ちゃんは胸章を付けておったからの。ずばりお前さんらはかなりお偉い所の軍人さんなんじゃろう?」

「......確かにセルベリアはそうですが」

「なぜ分かったって?それはのう、昨夜儂の息子が軍に入っておると話したじゃろ?恥ずかしい話じゃがあやつは年に一回帰省しては自分の胸章を村のみんなに見せて自慢しておるんじゃよ。それでのもはや目にタコができるほど見せられるから儂らも詳しくなっての」

 

そう云えば借りていた部屋も息子のだと言っていたのを思い出した。

 

「それでお嬢ちゃんの階級が大佐であるという事に気づいたでの。それほどに高位の軍人さんが来たという事は何かしらの理由があると考えておった。そうでなければこんな寂れた村には来んじゃろうしな。だからお前さんが今言っている事はつまりそういう事なのじゃろう?」

「.....」

 

どうやら老公はあらかじめ俺達が賊を追ってこの地にやって来たのだと解釈したようだ。昔から俺は貴族特有の価値観に違和感を持っている。だからこそ平民の家に泊まり込む事を気にも留めない。しかしそれは彼らの価値観からしても異常な事なのだろう。

 

いえ、自分達は只単に自分の領地に帰る途中のセーフハウスに使わせてもらっただけです。などと言えるはずもない。

なるほど、軍人という身分が良い方向に事を運んだようだ。上手い具合に勘違いしてくれている村長に悪いがここはつき通してしまおう。

 

「はい、その通りです。わたし達はある任務を負ってこの村にやって来ました。重要な任務です。その成功の有無には老公の協力が必要です、頼めますか?」

「うむ。儂とて栄光ある帝国臣民じゃ、お前さんの指示に従おう」

 

そう言ってくれた村長の目にはギラギラと輝く力強い光が宿っている。

帝国の為に身を尽くせる事に燃えているようだ。

 

「協力感謝します」

「それで儂は何をすればいいのじゃ?」

「はい、老公には.....」

 

その時、家の外から女性の悲鳴が上がった。同時に少女の泣きだす声も響き渡る。

その声に反応したラインハルトは窓に近寄った。窓際に隠れて外を覗く。

ラインハルトは思わず顔をしかめた。

 

「くそ、早すぎる....!」

 

窓から見た視界の先には山賊の格好をした男が一人の男と争っている光景が映る。

村人だろう男は家族と思われる女性と少女を背にして必死に抵抗していた。

山賊の男が持つ山刀は血に濡れており、村人の男を斬ったことが分かる。

村人の男は腕や胸の辺りから血を流しており、手の肉が歪に切り取られていた。

それでも男は必死の形相で山賊と相対している。

それは後ろに控える愛する者達を守るためだ。

 

「.....おお!なんということじゃ!マーロイ、ニサ、エムリナ....!」

 

ラインハルトの横から覗き込んだ村長の口から悲しげな声が漏れでる。村の人口は八十余り。村長が知らない人間などこの村に居ないのだ。

マーロイは息子と同じ歳だ。同じく息子の様に接してきた。美人な嫁さんと可愛い娘を得て幸せいっぱいの時を過ごしていたのだ。こんなところであんな外道に殺されていいはずがない。

 

だが、どれだけ怒りを覚えようが悔しそうに歯を噛むことしか自分にはできないのだ。

なんと不甲斐ない。

心の中で自らを罵る。

 

そして、俯き震える老人の横で男は立ち上がった。

 

「俺が行く....」

 

ラインハルトは腰に帯びる剣を抜き部屋を見渡す。木製の古びれたテーブルや椅子があり。木目調の壁から調味料棚。隅から隅まで見渡した。そして最後にある物に注目する。

それは村長が朝食に作っていた山菜のスープ。それが入った鍋とかまど。

かまどの下でメラメラと燃える炎だ。

 

「....後で弁償しますので」

「....?」

 

疑問符を浮かべる村長の前で、

ラインハルトはまず、おもむろに椅子に近づくと勢いよく椅子の足をへし折った。バキッと軽快な音が鳴り、一本の程よい長さの棒になった足を取り外して。次は調味料棚に置いてあった油壷を取る。途中テーブルに掛かってあったナプキンを取ってだ。

ナプキンを棒の先端部分に巻き付け固定、それを油壺に入れてナプキンを湿らせる。

最後にラインハルトはかまどの中の火に棒を入れて火を移す。即席の松明が出来上がった。

 

探検家のように松明を持つと扉に向かう。

 

「...老公は村人を先導して裏手の丘に逃げてください、奴らは俺が引き付ける」

「分かった....お前さんも気をつけるんじゃぞ」

 

その言葉を背にラインハルトは扉に手を掛けゆっくりと開く。

 

外に出て周囲を見渡すが他に賊の姿は見当たらない。

どうやらあの男一人だけが先走ったようだ。

 

マーロイという村人を嬲るように斬りつけている事からその性根が分かると云うものだろう。

急がなければ、すでに他の村人たちも異変に気が付き始めている。

 

ラインハルトは両手に持つ剣と松明を見下ろして、自身に問うた。

本当にこんな物でどうにか出来ると思っているのか俺は。勝算は薄いぞ。

 

だが、やらねばならない。

待っていても死しか訪れないのなら、少しでも俺はもがき続ける。あの絶望しかない戦場で俺は誓ったはずだ。

 

ラインハルトは深く深呼吸をして.....。

 

一気に地面を駆け出す。

 

風のような速さで山賊に迫った。

 

剣を山賊に向けて全力で走る。足音に気付いた山賊は野卑な笑みを浮かべてラインハルトを見た。

馬乗りになって山刀を突いていた山賊が立ち上がると迎え撃つように構える。

彼我の距離がドンドン詰まり、目前に迫った瞬間、ラインハルトは左手に持っていた松明を振りかぶり、勢いよく投げつける。

放物線を描く松明が山賊に当たる直前、山賊は山刀を閃かせ松明を打ち払う。火の粉が舞い、山賊の視界を一瞬だけ炎が隠した。

 

瞬き程の死角が生まれたその隙間を縫ってラインハルトは剣を突き刺す。山賊の目が見開く。

 

「グッ!」

 

ラインハルトの手に肉を裂く感触が伝わる。山賊の脇腹に細身の剣が突き刺さっていた。じわりと血が滲む。

 

どうやら上手くいったか。ラインハルトは軽き息を吐く。しかし、

 

「馬鹿が勝ったつもりか!」

 

なんと山賊は脇腹に刺さった剣をものともせず山刀を振りかぶってきた。

 

「っく!」

 

咄嗟に剣を抜き山賊の攻撃を防ぐ。ガキンと重い一撃がラインハルトの肩に圧し掛かった。

ダメージを負っているとは思えない山賊の力に苦悶の表情になる。

 

「ダメだぜ?殺るなら心臓か頭を狙わなきゃ。確実に致命傷を与えないとな.....!」

「.....そのようだな。――フッ!」

 

ラインハルトは剣身をずらして山刀を受け流し、斬りつけた。

山賊の男は躱そうとするがラインハルトの剣速が思いのほか早く首筋をかすめ血がパッと散る。

 

的確に首を狙った一撃に、山賊の男は笑みを浮かべた。

首に触れ付着した血を楽しそうに眺める。

 

「.....やるなあ。聞いてたより全然強いじゃん、先に俺だけ来て正解だったぜ。だからよお、俺を楽しませてくれ!」

 

狂声と共に男は踏み込む。ラインハルトもまた迎え撃つ態勢となり剣を振るった。

直剣と湾曲した山刀が切り結び甲高い金属の音が反響する。

 

それは村中に響き渡り、もはや村の人々全員が異変に気づいていた。

 

驚愕の表情で遠くから眺めている。

 

何が起こっているのか理解できないと云った顔だ。

 

「なにが、なにが起きてるんだ!?」

「あの二人はいったい!??」

「あそこで倒れているのはマーロイじゃないか!?」

 

村人達の混乱が全体に伝播しようとしていたその時、

 

「静まれい!!!」

 

青天の下に雷が落ちたかと思わんばかりの一喝が村人達の耳を打った。

全員が注目する。

 

「おちつくのじゃ皆の衆。今は冷静になれ」

「アム爺.....?」

 

村の若者にアム爺と呼ばれた村長は村人全員を見渡して言った。

 

「たった今村は賊に襲われておる....落ち着け!」

 

ざわめきだす村人たちに村長はもう一度声を声を張り上げた。

 

「なにも不安がることはない、軍人さんが儂らを守ってくれておる」

 

山賊と今も戦うラインハルトを見る村人達。

村人は激しい功防を繰り広げるラインハルトを見て落ち着きを取り戻す。ラインハルトの存在は村人全員に昨夜の内に知れ渡っていた。

 

「儂らは冷静に行動すればよいのじゃ、よいかよく聞け!今すぐ儂らは裏手の丘に移動する。そこまで逃げこめば助かるのじゃ.....みな理解したな?」

 

村長の言葉に耳を傾けていた村人達はしっかりと頷く。

 

「ならば行動せよ、さあ早く!」

 

その言葉を皮切りに村人達は動きだす。

慌ただしく謙遜が響き渡るがパニックにはなっていない。それを確認した村長は数名の男達に声をかける。

 

「セム、マルセあともう何人かは儂に付いて来てくれ、マーロイの家族を助けに行く」

 

見ればまだ戦うラインハルト達の傍から離れていない。すぐそばで横たわるマーロイを必死に揺すっているからだ。

考えたくないがマーロイはもう....。

きこり仕事で鍛えたセムとマルセなら抵抗する女性を運ぶことは容易だろう。

 

「わかった」

「おう....!」

 

暗い思いを振り切るように、自分の声に賛同して集ってくれた男達と共に戦うラインハルトの元に向かうのだった。

 

 



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七話





激しく切り結ぶ剣戟の連鎖。

 

いつまでも続くかに思われた、ラインハルトと刺客の戦いは佳境へと移っていた。

 

目に見えて刺客の方が押されてきている。

 

顔いっぱいに汗をして、山刀を振るう刺客は強い苦悶の表情を浮かべながら息を荒げていた。

 

時折、片手で脇腹を押さえている。

抑えた手からダクダクと血が流れていた。

最初に与えたラインハルトの傷がようやく刺客に影響し始めたのだ。

血を流し明らかに動きが鈍くなってきている刺客の剣圧は徐々に弱まりだしている。

 

押し切れる。確信したラインハルトは敵の手を休ませる暇もなく連撃を繰り出した。

 

「っく!」

 

ラインハルトの猛攻を何とか耐え凌ぐ刺客。しかし焦りが顔に色濃く出ていた。

 

っくそ、マジで強えな!剣を嗜む程度だとっ?嘘言ってんじゃねえぞ隊長のドアホ!

 

その上司は森の中で美女と追いかけっこ中であった。

 

そんな事を知らない刺客の男は心の中で上司を罵倒する。

と、その時――――

ラインハルトの振り払った剣が刺客の頬を切り裂いていった。

 

「うお!」

 

頬が裂け、血が流れるのも無視して地面を転がる。

あと数センチ横に逸れていたら頭を半分ほどに裂かれていただろう。

 

――――俺が死ぬ?

 

その考えが実感を伴い始めて、男は怒りに支配された。

 

ふざけるな!俺はこれからも人を殺す。まだまだ殺す!まだ楽しみきれてないんだよ!!

 

殺人に快楽を覚え殺戮に酔う。

男は快楽殺人者と呼ばれる存在だった。ヤンが帝都で拾わなかったらとっくの昔に死刑で地獄行きであったろう。

 

今まで何十人と刃を血で濡らしてきた男はまだ足りないとばかりに山刀を全力で閃かせる。

ラインハルトの頭を狙った一撃はフェイントで、力が乗り切る寸前に軌道を変え足元を狙う。

まずは足を崩してじっくりといたぶってやるぞ。

暗い笑みを浮かべる男の表情は、あっさりと崩れ去る。

 

男が山刀の軌道を変えた瞬間。手首を返したラインハルトの剣が翻り、山刀の振るわれた先に剣が割り入る。

地面に突き刺すように置かれた剣が山刀を防いだ。

 

「っ....!」

 

読まれている。

刺客の顔に渋面が広がった。考えたくないことだが、この目の前の金髪の男は短時間で自身の剣を見て把握し読み切るようにまでなったのだ。

恐ろしい程の天賦の才能だ。もはや刺客に勝ち目はない。

 

こうなったら.....。

 

刺客は牽制しながらチラリと横目で窺う。傍には倒れる村人の介抱をする二人の親子が居る。

恐らくは俺が切り刻んだ男の妻と子供だろう。一分の罪悪感も浮かばせる事無く刺客は内心でニヤリと笑みを浮かべる。

奴らを人質にして時間を稼ごう。肉の盾にして仲間が来るのを待つのだ。奴らもじきに到着するだろう。

そうすれば勝てる。この高貴なご身分にあられるクソッタレ皇子を殺すことができるのだ。生まれにも才能にも恵まれた男を嬲り殺しにするのはどれ程の愉悦を感じられるのだろうか。今まで殺した中で最高の瞬間を味わえる事だろう。

 

最高の未来を望むべく、まずは人質が先だ。

親子二人を見比べて決める。よし、ガキを使おう。盾にするなら申し分ない。

 

母親の傍で泣いている小柄な少女を標的に定め。

 

――――刺客は親子に向かって駆け出した。

 

それに気付いた母親が恐怖に顔を歪める。旦那を斬り殺した犯人が迫って来るのだから仕方ないだろう。

しかし悪いね、奥さんじゃないんだ。あんたの子どもを使わせてもらうよ。

 

親子に迫った刺客が少女に向かって手を伸ばす。

 

自分の子が狙われていると知り絶望する母親の前で笑みを浮かべる刺客の手は少女に迫る。

 

―――――瞬間。

 

刺客の手が吹き飛んだ。

 

「......は?」

 

思わずポカンと顔を呆気にして己の手を見る。鮮やかに切られた肉の断面から蛇口を捻ったように血が溢れ出す。

 

「ギャアアアアア!!?」

 

つんざく悲鳴を上げながら刺客は地面を転がる。

ぜえぜえと息を荒げる刺客は信じられないとばかりにラインハルトを見る。

親子の前に立つラインハルトの剣には血が付着している。そう、刺客の手を斬り飛ばしたのだラインハルトは。刺客が動いたと同時にラインハルトも動いていたのだ。

 

「どうしてわかった?」

「.....分かるさ。お前のような下衆がやる事を俺は昔から味わされてきたからな」

「なに.....?」

 

疑問の声を漏らす刺客に向かってラインハルトは剣を振り上げる。

 

「まっ....!!」

「問答無用」

 

斬!っと唐竹割りに振り切った剣が刺客の頭を両断した。

 

 

 

 

 

    ★      ★       ★

 

 

 

絶命した刺客を見下ろしていたラインハルトはゆっくりと振り返る。

呆然とこちらを見上げている親子と目が合う。

 

「大丈夫か?」

「.....は、はい」

 

恐る恐る頷く母親。その背に隠れる少女。二人とも灰のような紺色の髪に鳶色の瞳を持っていた。近くで見たことで彼女達の身体的特徴に気付いたラインハルトは口を開く。

 

「ダルクス人か....」

 

ダルクス人とは古の時代、邪法の力により「ダルクスの災厄」を引き起こし、100の都市と100万の人畜を焼き払ったと言われる民族だ。そのため長き世に渡り迫害を受けて来た。

 

「っ...」

 

ラインハルトの呟きに母親が息をのむ。目には怯えの感情が見え隠れしている。どうやら彼女もまた差別の経験を受けて生きて来たようだ。

彼女はラインハルトが純帝国人の見た目である事も相まって自分達をダルクス人という理由で蔑視するのではないかと恐れているようだ。そうなればどんな目にあわされるか分からない。

もしかしたら剣の矛先が自分達に向くかもしれない。

そう思っているのだ。

それ程にダルクス人という人種は嫌われている。

 

別にそんなつもりは微塵もないラインハルトは安心させるように剣を腰の鞘に納めた。

そして、

 

「すまない」

 

ラインハルトは頭を下げた。

 

「....え?」

「俺のせいで貴女方を危険にさらしてしまった。いや、ご主人を助けられなかった時点でそんな事を言う資格などないのだが....謝らせてほしい、すまない」

 

理解できないと云った顔でラインハルトを見る母親。帝国軍人がダルクス人に対して謝罪する。それは彼女の人生において天地がひっくり返っても起こりえない現象だった。

母親がとった行動は、

 

「......助けてくれてありがとうございます、この子を救ってくれてありがとうございます」

 

愛しい我が子の命を救ってくれたことに対する感謝であった。

夫を殺されて悲しい筈だ。悔しいはずだ。

俺に収まり切れない感情をぶつけてもおかしくない。怒りをぶつけてきても黙って受け入れるつもりだった。

それでも彼女は耐えている。叫びたがっているだろう心を押さえつけて。

強いな、と思った。本当に強い女性だ。

もし俺が彼女の立場であったなら耐えられる自信はない。

 

ラインハルトは目の前の母親に対して強い敬意を覚えた。

 

「ハルト殿~!」

 

高らかに俺のことを呼びながら走り寄ってきたのは村長で、その後ろから男達が付いて来ている。

目の前までやってきた村長は目に少年のような輝きを灯らせてラインハルトを見る。まるで英雄でも見るような眼差しだ。

 

「やりましたな!見事賊を討ち果たしもうしたなあ!」

 

興奮を抑えられないと云った感じで歓喜に震える村長。どうやらラインハルトが刺客を討った場面を目撃していたようだ。

 

「いや、まだです老公。賊は一人じゃない、恐らくじきにやって来るでしょう」

「むむ、そうか.....」

 

腕を組んで皺のある顔をしかめる。

 

「ならばやはり早く避難を進めねばならんのう」

 

村長は母子二人を見て、

 

「エムリナよ逃げるぞ、裏手の丘にすでにみなが行っておる。一緒に逃げるのじゃ。マーロイはもう....」

「.....はい」

 

逡巡するように横たわる夫を見て、ゆっくりと頷いた。

分かっているのだ。もうこの人が息を引き取っているのは。冷たくなっていく体が証明していた。

震える手で、娘の手を引いて立ち上がる。

 

「おか~さん。おとうさんは?」

「ニサ」

 

倒れ伏す夫を見て、幼い娘が母にたずねる。エムリナは抱きしめてあげることしかできなかった。

不思議そうにしていたが母の胸の中で安心したのだろう泣きつかれたこともあり直ぐに眠りだす。

抱き上げて歩き出す。ゆっくりと、だが確実に。歩みを止めることはなかった。

 

「.....老公。あの親子に付いて行ってやってくれないか」

「ふむ、しかし....いや、わかりもうした。後は頼みましたぞ」

「ああ」

「ご武運を....」

 

そう言って村長は母子の後を付いて行く。途中連れて来た男達に目線を向けると、男達は分かっていると頷く。

 

村長たちの姿が家々の先に消えていくと、ラインハルトは視線を残った男達に向けた。

 

「あなたたちは?」

 

いや、分かっているのだ。彼らの目的は。男達は各々が得物を持って此処に立っている。だとしたら目的はそれ以外ないだろう。

 

「俺達も村を守るために戦います」

「軍人さん一人だけに無茶させないさ」

 

木こり用の斧を肩に引っさげた男がニッと男臭い笑みを浮かべ、他の者達もそうだそうだと言っている。

ラインハルトはフッと息を吐き。

 

「軍人の本分に村人が入って来るな......とは言わん。頼めるか?」

「応!」

 

彼らの申し出は正直ありがたい。さっきの刺客の力量は自分と伍する力の持ち主だった。この力量の刺客を複数相手取ることは自分には難しい。

味方が増えればそれだけ戦術の幅が広がる。勝つ事はできずとも耐えることが出来れば....。

 

「絶対に三人で一人と戦え。そして倒そうとするな、牽制すればいい時間を稼げ」

「時間を?」

「そうだ....」

 

時間を稼いでどうするんだ?と疑問の顔を浮かべる男達の前でラインハルトはある物を拾う。

それは最初に刺客の目くらましに使った松明だ。

なにもコレは刺客に対して使う為に作ったわけではない、本来の用途は別にある。

その使い道とは。

 

ラインハルトは松明を持って歩き出す。

 

目的地には直ぐに着いた。それは一軒の寂れた小屋だった。

 

これは当初この村にやって来た時にラインハルトが泊まろうとしていた唯一空いていた小屋だ。普段は物置として使っていたそうだが、長年の風化により打ち壊そうとしていたらしく。中には何も入っていない。

今にも壊れそうな建物を改めて見て、

なるほど老公が慌てて止めさせて自分の家の部屋に変えさせるわけだと納得する。

 

その小屋にラインハルトは松明を投げ入れた。

 

投げ入れた先からゴウっと景気良く燃え始める小屋。木製だから火の移りが驚くほど速い。

 

これなら三分も経たずに小屋全体に火が行き渡るだろう。

 

豪快に燃え始める炎を眺めるラインハルトの後ろでポカーンとしている男達。

使っていない小屋と云えどまさか燃やすとは思ってもみなかった男達だ、ラインハルトの奇行に驚いた。

 

「って何してんだよ!?軍人さん!」

 

筋骨隆々のセムが慌てた様子で聞いてくる。

 

「落ち着け、これでいい...」

「なにがだよ、なにをしたんだ...?」

「呼んだのさ」

「呼んだ?」

 

ラインハルトは微かに笑みを浮かべて言った。

 

「最強の援軍を....!」

 

 

 

 







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八話

寂れた小屋が完全に火に包まれた頃、ようやく刺客たちは現れた。

村人たちに寸前まで気づかれないよう、できるだけ遠くに潜んでいたのだ。

先に一人でやって来た男は完全に作戦を無視して、村の近くの茂みに隠れていたのだろう。

時間の開きから考えてラインハルトはそう結論づけた。

とはいっても空いた時間でできることなど、そうなかったが。

出来た事と言えば狼煙を上げることが出来ただけ。

しかもこの狼煙がちゃんと彼女に伝わったかも分からない。伝わったとしても来られる状況かも、神ならぬ俺には察することなどできない。

どちらにせよ博打でしかないこの賭けにラインハルトは命を載せた。

もう後には引けない。

もはやラインハルトにできる事は最後まで信じて戦いぬく事だけ。

それが彼らの命をも預かる俺の意地だ。

 

「.....何か様子が変だと思ったら、そういうことか」

 

辺りを見渡しながら近寄って来た新たな刺客は絶命する仲間を見て頷く。

 

「チッ!ガムロの野郎が先走りやがって!この戦闘狂が!」

 

横に並んだ軽薄そうな男が憎々し気に死体となった元同僚を睨みつけ、ペッと痰を吐く。

こいつのせいで計画がオジャンだ。死んでせいせいすらあ。とでも云うような顔だった。

 

横目でチラリと副リーダー格の大男に聞く。

 

「どうするよ?逃げた村人は?」

「計画は依然変わらん。好都合な事に標的は目の前に居る。丘上に逃げていく村人は裏手組が片づけてくれるだろうさ....」

 

それもそうだなっと頷く軽薄そうな男はニヤリと笑みを浮かべてラインハルトを見る。いや、正確にはその周りに立つ村人の男達をだ。

 

「なにお前ら?武器もって.....もしかして俺らと戦うつもりか?」

「そうだ。俺達が相手だ。村には好き勝手させやしねえ!」

「クク....あっそう。ふーん........―――んじゃ死ねや」

 

言葉の最後に、軽薄そうな男の手が霞む。

―――瞬間ラインハルトは左手を突き出した。

鮮血の真っ赤な花が咲き誇る。

 

「え?」

 

村人が表情を驚きに染める眼前で短刀がラインハルトの腕に刺さっていた。

なにが起こったのかというと、極僅かな予備動作で動いた刺客の手から極細の短刀が放たれたのだ。

狙いはラインハルトの横に立っていた男の喉元。

それに気付いたラインハルトが咄嗟に腕を上げて短刀を防いだのである。

腕から血が滴り落ちる様を呆然と見ている男の横で無言の表情で刺客を睨むラインハルト。

 

「....こりゃあビックリ!まさか身を挺して村人を助けるとはねっ」

 

信じられないと笑いながら手を叩く刺客。あっはっはと面白い余興を見るような面持ちだ。だが次の瞬間には目を瞠る事になる。

 

「失せろ下郎。死にたくなくば去れ!」

「ハハ、やってみろよ」

 

それは実現された。

なんとラインハルトは左腕に刺さっていた短刀を抜き振りかぶると一息に投げ込んだのだ。

狙いは真っ直ぐ、侮りの笑みを浮かべていた刺客の男に飛来する。

ギョッと目を驚きに染めた刺客は避ける余裕もない。

 

「ひェっ!」

 

男の喉元から情けない声が漏れる。

当たると思った瞬間――――――右から伸びた手が短刀を掴んでいた。

 

「....相手を侮り過ぎだ馬鹿が、相手はガムロを倒した男だぞ」

「あ.....」

 

一指し指と中指で短刀をつまんでいる大男が侮蔑するようにそう言った。

 

腕は悪くないが多勢と見るや気が増長するのがこの男の悪い癖だ。そう思いながら刺客の大男はラインハルトを見る。

強いな、見ただけで分かる。

 

手傷を負ったのにも関わらず微塵も戦意を消失していない事からも分かる。逆にこちらを全滅させてやるぞとでも云うような殺意のプレッシャーを放っている。戦う者としては一流の敵だ。

ピリピリと肌が粟立つのを感じて刺客は高揚した。

 

こんな辺鄙な村でこれ程の敵とあいまみえることになろうとは。

 

「あれは俺がやる。お前達は周りの村人を片づけろ」

「応っ」

 

副リーダー格の男の命令に頷く刺客達。しかし一人だけ異議を唱える者がいた。

軽薄な顔の男だ。

 

「待てよおいっ俺に殺らせろ!このまま舐められたままじゃ収まりがつかねえぜ!」

 

ラインハルトの意趣返しが男の逆鱗に痛く触れたらしい。

自業自得だと思わないでもないが大男は「良いだろう」と頷いた。

 

「ただし二人でやるぞ、異論はないな?」

「ちっ.....わかったよ.....」

 

完全に納得したと云った感じではないが同意した。これ以上恥の上乗りをするわけにはいかない。

 

刺客はラインハルト達と対峙した。

 

「いいな?さっき言った通り無理だけはするな」

「はい!」

「わ、わかった」

 

ラインハルトの言葉に緊張した面持ちで返す村人たち。見た目は屈強な男達だが肩を震わせている。それもそうだろう彼らは殺し合いとは無縁の環境にいたのだから。いきなり命の取り合いをしろと言われて承諾できるはずもない。

 

だからこそ、ラインハルトは耐え凌げと厳命したのだ。

一分でも一秒でも長く生き延びるのだと。

 

幸いなことに俺達は燃え上がる炎を背にしている。後ろから敵が現れる事はないだろう。

背水の陣ならぬ背火の陣だ。

後ろから敵が襲ってくる可能性が無くなったのはラインハルトにとっても心境的な負担が軽くなる。

 

にじり寄って来る刺客に合わせてラインハルトは腰の剣を抜く。

左腕が思うように動かないので右手だけで構える。

 

構えるラインハルトの前に二人の刺客が立つ。一人は飛び道具を飛ばす男でラインハルトを射抜くように睨んでいる。

もう一人は筋肉の塊のような大男だ。巌のごとく固く口を結んでいる。

二人ともなぜか腰に山刀を帯びていない。

 

軽薄そうな男は短刀を武器に使っていた事から飛刀使いだと分かる。

では大男の方は.....?

答えはすぐに分かった。

 

内心で疑問に思うラインハルトの前に来た大男はおもむろに拳を突きだし構えをとる。それは見たことのある型だった。

まさか....。

 

「拳闘士か.....?」

「ふっ良く分かったな」

 

帝国で古くから伝わる伝統競技。

元は同盟国でもあるローマ専制共和国が発祥で、奴隷同士をコロシアム内で殺し合わせる凄惨な競技だ。貴族たちの道楽によって日夜開催されていたらしい。

血塗られたルーツをもつ拳闘士は帝国にも伝わり人気を博していた。随分昔に見直された奴隷制度改革によって大西洋連邦では廃止されたらしく。

今も続ける帝国を非難する事の一つに使われているらしい。

元は自国でも行っていた競技のくせに帝国に対するプロパガンダに使っているのだから皮肉なものだ。

 

いや、今はそこではない。

着目するべきは大男が奴隷拳闘士だった場合だ。

コロシアムの掟で奴隷は百勝すれば自由になる事ができる。帝国政府もそれは保障している。

逆に言えば百勝できなければコロシアムを出ることは出来ないという事。

つまり目の前の大男は数百人からなる拳闘士達の頂点に立った存在。

筆頭拳闘士(プリームス・パールス)と言うわけだ。

 

ラインハルトは警戒レベルを二段階引き上げた。

対応を甘くすると一瞬で地面に転がされることだろう。拳闘士の戦いを子供の頃に観戦したことがある。拳闘士が相手を流れるように絞め落とした光景は今も忘れられない。

 

ふうっと息を吐く。頬から汗が流れ落ちた。

 

拳闘士における不変的な型の構えをとった大男は不動となりラインハルト唯一人を見詰める。

 

「お前に恨みはないが。俺の主の為に死んでもらうぞ」

「俺は俺の為に死んでやれないな....」

「傲慢な貴族らしい言い分だ。そうでなくては俺も殺し甲斐がない」

 

穏やかな口調の大男の瞳に怒りとも云うべき感情が見えた気がした。

貴族を心底恨んでいるのだろう。

 

「.....俺もだよ」

 

ラインハルトは大地を踏み込む。

ダッと強く地面を蹴り大男との間合いを詰めた。同時に刺客達も村人達に襲いかかり始める。

 

大男の眼前に迫ったラインハルトの剣が銀光と化し、鋭く斬り込まれる。

それをバックステップで躱した大男は、驚くほど迅速に間合いを詰め、体勢が戻っていないラインハルトに向かって拳を撃つ。

 

「っ!」

 

岩石の如き拳打を首を捻って躱すと剣を振り上げる。またもやラインハルトは驚かされた。大男はその巨体に似合わぬ柔軟性を見せ、地面を舐めるような低姿勢で剣を躱し流れるようにラインハルトの足を狙って蹴り払う。

風切り音を鳴らし迫る払い蹴りをラインハルトは後ろに向かって跳躍する事で躱した。

 

そこに合わせたように飛来する短刀。

 

大男の後ろで控えていた刺客が機を狙って投げたのだ。

 

ラインハルトは空中姿勢のまま剣を振り、短刀を打ち落とす。

 

注意が軽薄そうな男に向いた瞬間を狙って、

 

今度は大男の手刀がラインハルトに迫る。

 

寸前で気づいたラインハルトが身を翻し躱すが、次打で来た左拳をまともに受けてしまう。面白いぐらいラインハルトの長身が吹き飛んだ。

 

「がはっ!」

「.....軽いな」

 

咄嗟に後ろに飛んで衝撃を逃がしたか。

感嘆の思いで腹を抑えるラインハルトを見る大男。

 

「それでも堪えるだろう俺の拳は....?」

 

衝撃を逃してもなお残る痛みにラインハルトは無言で眼光を鋭くする。

 

その答えに笑みを深くした大男の後ろで控える男が飛刀した。

今が好機と捉えたのだ。

 

「はあ!」

 

喝を入れたラインハルトは剣を閃かせ短刀を弾いた。

 

それに合わせて大男の攻撃が迫る。この一連のコンボにやられたラインハルトはすぐさま剣を薙ぎ払う。

 

薙ぎ払いの剣刃をまたもや大男は巨体とは思えぬ速さで体勢を変え仰け反るようにして躱すと、そのまま地面に手を着きバク転をする。

しかも後転した際に足撃をラインハルトの顎に当てようとした。

直撃すれば粉砕骨折は免れないであろう一撃をギリギリで躱す。

 

「フッ!.....ハァッ!!」

 

それからも戦いは続いた。

 

大男と軽薄男の繰り出す執拗な連携によって激しい消耗を強いられるラインハルト。

 

それでも諦めず戦い続けた。

 

汗にまみれ土に汚れながら必死に剣を振るう。

 

だが、均衡は長くは持たなかった。

 

最初に崩れたのはやはり村人たちからだった。

 

彼らはラインハルトに言われた通り三人一組となり戦っていた。

 

斧やノコギリ・ハンマー等、各々の仕事道具を使い、ある村人は大鍋すらを盾にしながら。懸命に防戦していたのだ。

 

しかしそれでも彼我の能力は違い過ぎた。戦いにおける根底が、命を奪うことに対する意識が。圧倒的に違い過ぎた。

 

一人また一人と傷を負う者が増えていき、鮮血が舞い悲鳴が上がる。

 

気付いたラインハルトは駈け出して刺客と村人の間に入った。

 

刺客の攻撃を剣で防ぎ、返す刀で急所を狙う。

鋭く入った一撃が肉を裂き血煙を上げながら刺客は倒れた。

ラインハルトは熱い吐息を吐く。

 

「ハア....ハア....」

「――よそ見はいかんよ」

「っしま...!」

 

視線を向けた時には遅かった。

振り抜かれた拳がラインハルトの顔面を捉える。ミシリと肉が打たれ、その先の頭蓋骨にまで威力は通り。

ラインハルトの体は木の葉のように吹き飛んだ。

 

天地が反転するような威力を受けたラインハルトは地面を転がりピクリとも動かない。

 

「そんな!」

 

村人たちから悲鳴が上がった。傷を負った悲鳴ではなくラインハルトが倒された事に対する嘆きだ。

 

「よく持ったほうだろう....見事な戦いぶりだったぞ」

 

褒め称えるように大男は倒れるラインハルトに向けて言った。

返事はない。意識を失ったのだろう。

いや、生きているかも怪しい。

 

だが、本当によく耐えた。あの黒煙が上がってゆうに十分以上が経っただろう。

当初は一分と掛からずに終わるつもりだったのだがな。

 

そう思いながらラインハルトに向けて歩み寄る。

トドメをさすつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、この時。黒煙が空に上がって十数分が経っていた。

 

どこまでも飛んでいく黒煙は森からでも見上げられることだろう。

 

彼女が黒煙を捉えて十数分前。

 

その十分が運命を変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

―――それはラインハルトが倒れる数分前。

 

 

裏手の丘に逃げた村人達が森の手前で集まっていた。

村長に言われた通りここまで来たが、どこに向かって逃げればいいのか話し合っていたのだ。

 

「森の中に入って事なきを得るまでは隠れていたほうがいいんじゃないか?」

「どこに隠れるっていうんだ」

「村長たちを待ったほうがいいんじゃないか」

「そうよ、きっと軍人さんが倒してくれるわよここで待ってましょう」

 

一向に結論の出ない問答を繰り返す村人たち。

 

最初に気付いたのは猟師のマシューだった。

問答を続ける村人たちから少し離れたところで呆れたように眺めていると。

 

「......ん?」

 

森から音が消えた。

賑やかだった動物達の営みがフッと失われ森に静けさが宿る。

村で一番に耳の良いマシューだからこそ気づけたが、まだ誰も森の異変に気づいた様子はない。

これまで生きて来た中で初めての経験にマシューは戸惑った。

 

「なんだ....?」

 

怪訝な様子で森を眺めていると、隣の友人が声をかけてきた。

 

「どうした」

「いや、森が.....」

「森.....?」

 

友人と一緒に森を眺めていると、やがて村人達も異変に気がつき始めた。

 

森の方から圧迫するような気配を感じたのだ。

 

まるで森から大瀑布の水流が溢れ出してくるような、そんな奇妙な感覚だった。

 

「おいおい....なんだ?」

 

ざわざわとした雰囲気が村人たちの間で漂う。

 

もう村人全員が森に向けて注視していた。

 

―――そして

 

森の中からザザザーッと音がしたと思ったら現れたのは動物達だった。

 

野兎や鹿といった小動物たちが村人たちの間を駆け抜ける。

 

「なんだなんだなんだーーーー!?」

 

突然の事でパニックに陥る村人たち。

それはマシューも同様で。

初めて体験する異常な事態に他の者達と同じように驚きの声を上げる。

 

そして見た。

 

「あ.....」

 

森の中から一人の女が現れた。

その女性は明らかにただの女性でなかった。とんでもない絶世の美女だったがそういう意味ではない。

なぜなら彼女はその身から蒼い炎の如き光を纏っていたからだ。

 

村人全員があっさりとパニックを忘れ去り、現れた美女を見ていた。

みんながみんな面白いぐらいに目を点にしている。

 

蒼い炎を伴いながらこちらに向けて進んでくる絶世の美女は神秘的な光景に固まる村人達をザッと眺める。

 

視線に合わせて不可視の風が頬を撫でたような気がした。

 

誰一人声も上げない中、女は口を開いた。

 

「あの人はどこにいる.....?」

 

声を失った村人たちは無言で目を見合わせる。

ややあって彼女の言う人物を察して、黒煙が上がる村を見る。

 

「あそこに...」

 

いますっと言い切る前に女は動いた。邪魔だとばかりに跳躍すると、固まる村人達の頭上を冗談のように飛び越えてその先に着地する。

そのまま疾風もかくやと云う速さで丘を駆け降りて行く。滑空する鳥よりもなお早いかもしれない。

あっという間に姿が小さくなっていく。

 

そして、その背を見届けることしかできなかった村人達の口からポツリと呟かれた。

 

「女神だ......女神が降臨された」

 

と、男が言うと。

 

「あれこそ正しくヴァルキュリアだ!俺達を救いに来てくれたんだ!!」

 

青年も同調を始める。

 

「そうだ。救世主が現れたんだ!!」

「うおおおおおおおおおおお!!」

 

一転して村人たちの興奮は最高潮に達っする。

 

丘の上で村人たちの歓声が響き渡るのだった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

鳥よりも軽やかに、風よりも早く丘を駆け降りるセルベリア。

 

ヤン達の元から離れたセルベリアは森の中を一直線に駆け抜けたのだ。

 

森を超えた先にいた村人たちを飛び越えて村を目指す。

 

風を切りながら走ると村は直ぐに目前に迫る。

 

家々の間を通り抜け黒煙の上がるその下に、

 

数秒後セルベリアは辿り着いた。

 

「殿下!ご無事ですか.....!」

 

絶句する。

視界に映った光景は、地面に倒れ伏すラインハルトとそれを見下ろす大柄な男だった。

 

「む?おまえは護衛の女か.....遅かったな今まで何をしていのだ?」

「あ、あ....」

 

訝しむような男を無視してセルベリアは一点に視線を倒れるラインハルトに向ける。

 

動き出す気配のないラインハルトにセルベリアは声にならない悲鳴を上げた。

 

「-----------!!!」

 

この世の全ての悲しみを述べるような悲鳴に、刺客たちは手を止めてセルベリアを見る。

 

「ふむ....壊れたか?コレがよほど大事な男だったと見た」

 

大男がラインハルトを見下ろして考察すると、くだらんと嘲笑する。

 

「そんなに大事ならなぜ助けに来なかった。およそ隠れていたのだろうな。それでも護衛か?.....もういい、お前達その女を殺せ」

「お、じゃあそれ俺にさせてくれよ」

 

大男の指示に応えたのは軽薄な男だった。楽しそうに短刀を弄びながらセルベリアを見ている。

 

「これほどの美人は初めて見るな~。たまらないぜ」

「.....いいだろう。だが一思いにやってやれ」

「へいへい、わかったよ」

 

軽薄な態度で頷くと男は短刀を構える。狙いは言われた通り心臓に定めた。

一瞬の内にあの世へ行けるだろう。

 

しかし最初に蒼い光が女の周りに見えた気がしたが気のせいだったのだろうか。強烈な圧迫感を感じた気もしたが女が悲鳴を上げた瞬間に霧散してしまった。

俯く女からは殺気も蒼い光も確認できない。

やはり気のせいか....。

 

男はそう結論づけて短刀を投げつけた。

 

狙いすませた一刀は違わずに女の心臓に向かって飛来する。

 

そして、

 

―――パシっと気軽な感じで女は短刀を掴み、

 

「へ?」

 

気付いた時にはもう男の胸に短刀が刺さっていた。狙い違わず心の臓腑を一突き。

な、なんで俺が投げた筈なのに.....?

 

疑問には誰も答えてくれず男は仰向けに倒れ込むのだった。

 

「なん.....だと?」

 

信じられないとばかりに大男が目を瞠る。

女が何をしたのか微かに見えていた。やった事は実にシンプル。つかみ取った短刀を投げ返しただけ。ただそれだけである。

だが恐ろしい程に早い。

女に注目していなかったら見逃していただろう。

 

女がゆっくりと顔を上げた。

―――そして来る。

 

溢れんばかりの殺意と共に蒼い光が女を中心に渦巻いた。

 

「――っ全員で殺せエエエエエ!」

 

途端に叫ぶ大男の命令に刺客達が動き出す。全員がこの女はヤバいと直感したのだ。

一番近くにいた刺客の山刀が女を斬る。確かに斬ったかに思えた。が、それはセルベリアの消えゆく影だった。

あまりの速さに残像が残っていたのだ。ズラーっと残像がブレて男の横を通ったと思ったら男の首が斬られた後だった。死んだと認識する暇もなかった事だろう。

 

ブレた残像が集束しようやくセルベリアの姿を再認識したと思ったら、

 

次の瞬間セルベリアの体が霞んだ。

 

刺客達の視界から瞬時に消えたセルベリアは、恐るべきスピードで間合いを詰め、いきなり彼らの目の前に現れた。すなわち既に間合いの中という事だ。

 

あっと声を漏らすよりも早く振り払われた軍刀が刺客の口から上を斬り飛ばした。易々と骨は断たれてだ。たちまち鮮血が噴き上げる。

 

その血が大地を染め上げるより先に、左右に斬撃が走り、肉が裂け血はしぶき上がる。

はらわたを落としながら崩れ落ちる刺客二人。

冗談のような気安さで刺客が死んでいく。

 

その都度に蒼い光が刺客たちの目を妬きつくす。

刺客達にとってその光は死の宣告のように思えた。

 

たった一人の女を殺すのに、彼らは数の利を活かせていなかった。

風のように蒼い光と共に駆け抜ける彼女を誰一人として捉えられず、気づいた時には自身の終わりを告げられていた。

 

「こんなバカなことがあってたまるかよ!」

 

現実とは言い難い悪夢のような光景に恐れ慄く刺客たち。

 

だが、戦士としての矜持がそうさせるのか、すぐに刺客達は動き出す。一斉にセルベリアを囲みこむように動くと山刀を突きいれる。

 

逃れようのない包囲攻撃に刺客たちは勝利を確信した。

 

だが次の瞬間セルベリアは華麗な舞いを踊るように回転すると斬り払う。

足に熱い痛みを感じながら刺客達は倒れ伏す。足に力を入れようとしても無駄だった。

見ると足は地面に立ったまま、男達の体だけが倒れている。

遅れて刺客達は大根でも斬るくらいの容易さで足を切断されたのだと知る。

 

――瞬間絶叫が響く。

 

男達の野太い悲鳴を背景にセルベリアは悠然と進み、敵対する中で最後の一人となった大男と面する。

 

「.....お前が」

「ぬっ?」

 

緊張の面持ちで不動の構えをとる大男にセルべリアは問いかけた。

 

「お前が殿下をやったのか」

「......そうだ」

「――死ね」

 

少しの間を空けて頷く大男に向かってセルベリアは簡潔にそれだけを言うと、

途端、セルベリアは影となる。残像を残して迫るスピードはやはり異常で。まるで映写機のコマ落ちの如く断続的に現れ距離を詰める。

 

大男はもはや目で追うことは早々に諦めて賭けに出た。

無骨な左腕を犠牲にする事を決めたのだ。

左腕を盾に心臓を守る。

 

――男は賭けに勝った。

 

突きの体勢で現れたセルベリアの剣突が大男の左腕を貫き止まったのだ。筋肉でギュッと刀身を絞めた大男は会心の笑みで言った。

 

「捕らえたぞ」

「それがどうした!」

 

セルベリアはあっさりと軍刀から手を離すと、その場で独楽の様に回り、回し蹴りを繰り出したのだ。

伸びやかな野鹿のような美脚から繰り出された痛快な一撃が大男の眉間にぶち当たり。ゴシュ!っと肉を打ったとは思えない鈍い音が響き大男の巨体は人形のように吹き飛んだ。

 

ゴロゴロと転がる男の体がやがて止まり、それを見ていた村人はヒッと悲鳴を上げた。

なぜなら大男の体はうつ伏せで倒れている筈なのに顔は百八十度回ってこちらを見ていたからだ。分厚い首が捻じれている。

 

サーっと村は静かになる。戦闘は瞬く間に終わっていた。

 

敵勢力の沈黙を確認したセルベリアは瞳を閉じる。するとセルベリアの体から放出されていた蒼い炎の光が消えていき、すぐに完全に消えてしまった。

 

その途端、セルベリアは激しい消耗を覚えたかのように息を荒げる。肩は強く上下していた。顔色も悪くドッと汗をかいている。

 

だが当のセルベリアは自身の容態を気にもせずラインハルトの元に駆け寄った。

 

「殿下!」

 

地面に倒れたラインハルトを助け起こし、セルベリアは泣きそうな顔で呼び起こす。

 

「目を、目を開けてくださいっ殿下ぁ!」

 

セルベリアの呼び声にも反応は見せずラインハルトは目を覚まさない。

 

「っわ、わたしは、また貴方を助けられなかったのか.....!」

 

思い起こす過去の記憶。

大事な人を一度ならず二度も助けきれなかった。

こんな様で何のために私は力を求めた!?無能者めセルベリア・ブレス!

 

自らを罵りながら涙を流すセルベリア.....その頬を撫でる手。

 

「っ!?でんか....?」

「......リア。なにを泣いている」

 

うっすらと目を開けた蒼氷色の瞳がセルベリアを見上げていた。

 

「よかったぁ....生きてた....!」

「あたりまえだ...勝手に殺すな。バカモノめ」

 

弱弱しいがフッと笑みを浮かべるラインハルトに一層の歓喜の涙を流すセルベリア。

 

「......わらえリア、あの頃のように笑うお前がおれは好きだ」

 

あの夢の時の様に、幼い少女の様に笑ってほしい。それが俺の最初の宝物だった。守ってやりたいと生まれて初めて思ったのだから。

 

だから愛しき者よ、笑み候え....。

 

ラインハルトが最後に見た光景は、泣き崩れた表情に無理やり笑みをつくろうとして失敗するセルベリアだった。その奇妙な泣き笑いにラインハルトは苦笑を覚えると、

それを最後に視界はまたもや暗転するのだった。

 

 



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九話

その日は血のように紅い夕日の赤焼けが映える空で。

 

――そこは戦場だった。

 

辺りを見渡せば戦場に広がるのは立ち込める硝煙と血と鉄の混じった匂い。

そして大勢の帝国兵の死体。

破壊しつくされた兵器や戦車の残骸が散らばっていた。

 

ああ、そうかまたこの夢か....。

理解した瞬間、ラインハルトは戦場の真ん中に立っていた。

 

久しく見ていなかったが何度見ても酷い戦場だ。

多くの死と嘆き絶望が溢れている。

 

感慨深く眺めていたラインハルトは視線をとある方に向けて、ゆっくりと歩き出す。

微かに遠くの方で、

 

「―――.....か!」

 

生ける者の居ないこの地で誰かの声が聞こえる。

 

「――――を開けて、お願いだから!」

 

それは知ってる声だった。若い少女のもので、

 

「あなたが居なくなったら.....わたしはどうすればいいのですかぁ....」

 

その声には悲痛な感情が込められている。

 

「ううぁああ....ああアアア.....!」

 

銀髪の少女が泣いていた。

傍には螺旋模様を模した巻貝形の矛と、対になる盾が転がっていて、

 

少女は大人に成り切れていない未成熟な体に誰かを抱きかかえている。

 

「目を開けてください.....殿下ァ!」

 

その誰かは幼い少年だ。今よりもずっと幼い姿のラインハルトが瞳を閉じて倒れている。

 

まるで死んでいるかのようで。周りに倒れている兵士達と大差はない。

 

その光景を黙って見ている俺は。

 

....ああ、また泣かせてしまったな。

 

と、そう思い。

 

地平線に消える夕日だけが黄昏るラインハルトの様子を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「.....知ってる天井だ」

 

昇る朝日の光で目を覚ましたラインハルトは覚えのある天井をボーっと見上げていた。

見覚えのある木目調の天井を眺めているとデジャヴを覚えた。

なぜか、もう遠い日の出来事の様な気分だが.....。

そこでふと目線を横に向ける。

目線を向けた先には生まれた姿の絶世の美女が.....居なかった。

 

少し残念な気持ちになりながらラインハルトは起き上がる。

 

「なんだ?体が重い....」

 

自身の体の不調に気付いた。体が鈍く気怠い気分に自分の体であることながら戸惑いを覚える。

だがそんな思いは次の瞬間ある事に気付いたことで消え去る。

 

「生きているのか.....俺は」

 

自分が未だ活動していることに今更ながら気づいた。

抑えた手から心臓の鼓動が確かに聞こえる。

 

あの手練れ達との戦いでよくも生き延びられたものだ。

 

昨日の事を思い出しながら押さえていた手をふっと離す。

気怠い体に喝を入れて立ち上ると部屋を見渡す。

ここはやはり村長宅の部屋に相違ないな。

 

さて、あれからどうなったのか?

確か敵の攻撃を受けて気を失った後に一度目を覚ましたらセルベリアが泣きそうな顔で俺を見下ろしていたな。先ほど見た夢の様に....。

 

嫌な夢を見たとばかりにラインハルトは頭を振る。

 

と、その時―――

 

ドアがコンコンと叩かれた。それを無言で見ていると、ややあって「失礼します」と云う声と共に扉が開かれた。

扉の先から蒼い髪の美女――つまりセルベリアが現れた。

 

紅い瞳が蒼氷色の瞳と合う。

 

一瞬大きく見開かれた瞳。セルベリアの息を吞む音。

それまでどこか憂いが込められた瞳にみるみる生気が宿りだすと、

 

「――殿下!」

 

感極まってしまったと云うようにラインハルトに向かって飛び込む。

 

「おぉっ....?」

 

咄嗟に受け止めたラインハルトだったが思うように力が入らずそのまま後ろへ倒れ。

 

「ああ!?申し訳ございません!殿下っ」

 

図らずもセルベリアはラインハルトをベッドに押し倒す形になってしまう。

慌てた様子であわあわしながら顔を赤くするセルベリアは直ぐに離れようとするが、

背中に回されたラインハルトの腕によって拘束される。

 

「いや、このままでいい....」

 

ラインハルトは確かめるように抱擁する。押し付けられるセルベリアの胸からドクンドクンと熱い鼓動が脈打つのを感じる。

 

その音が確かに俺達は生きているのだと教えてくれる。

あれが今生の別れになっていたかもしれないと思うと確かめずにはいられなかったのだ。

 

それからもずっと感無量とばかりに背中を撫でていると、セルベリアがふるふると震えているのに気付く。見れば目の端に涙が溜まっていた。

 

「どうした?」

「殿下が....死んでしまうと思って...ずっと目を覚まさないから。だから嬉しくて...!」

 

詳しく聞いたところによると、どうやら俺は毒を受けていたらしく覚えていないが生死の境を彷徨っていたらしい。

回想するとこんな感じだ。

 

 

 

★   ★    ★

 

 

 

気を失った後、蒼褪めたセルベリアは必死に呼びかけるが段々と発熱し始めるラインハルトの体に異変を感じ取る。

 

「こんなに汗が止まらないのはおかしい...何か異常だ....これは、まさか毒!?」

 

昔滞在していた戦場で似たような症状を受けた兵士を見たことがある。

すぐにラインハルトの体を調べると左腕に深い傷口が見つかった。この傷口から毒物が入った可能性が高い、セルベリアは傷に口を付けて毒を吸い上げる。

ジュルっと血を含むと地面に吐き、それを繰り返す。これは経口接触によりセルベリアにも毒が入る危険性があるが気にした様子もなく処置を進める。

腰に巻いているベルトを取って腕に巻き圧迫する。

 

これで応急処置は終わり。

しかしこれ以上の治療が必要だと考えたセルベリアは辺りを見渡す。村の男達を捉え。

 

「この村に医者はいないか!」

 

問いかけられた男達は一瞬ビクッと肩を震わせた後。

 

「いえ、いません!」

 

首を横に振って答える。

こんな小さな村に滞在してくれる医師などいない。麓の町に行くしかないのである。

 

「....そうだ」

 

何かに気付いた様子のセルベリアは急いで駆け出す。刺客達の亡骸に近づくと装備や持ち物・衣服に至るまで物色し始める。

毒を使う手合いならば解毒剤を持っているかもしれないと思ったのだ。

だが、しかし....。

 

「クッ....!」

 

それらしき物は見つからない。

絶望的な状況に歯を食いしばり悲痛の表情になるセルベリア。

 

「どうすれば.....どうすればいい!?」

 

この時、懸命に考えを巡らせるセルベリアの一方で村の中にぞろぞろと村人達が戻り始めていた。

伝説の救世主ヴァルキュリアの登場に湧いていた村人達は、そのまま導かれるままに村へと足を進めていた。もう村は救われたのだとある種の確信をもって。

 

村人達は敬虔なユグド教徒であった。

 

実際に山賊達が全滅している光景を目撃するとワッと歓声が上がる。

やはり彼女こそが自分達を救ってくれる存在だったのだと。

そこに、

 

「誰か町に行って医者を呼んできてくれ!」

 

遠巻きに見ていた村人たちに男が近づき声を掛ける。その男はラインハルトによって助けられた本来であれば毒塗りのナイフを受けていた筈の男だった。

ラインハルトが毒を受けた事を知り、自分の身代わりとなった命の恩人の為に動いたのだ。

 

「なにがあったんだ?」

「軍人さんが毒を受けちまったみたいなんだ。だから解毒剤がいる」

「町まで行くとなると半日以上かかるぞ大丈夫なのか.....?」

 

あっと呻き声を上げる男。間に合わないかもしれない。そう云う意図が込められていた言葉に沈痛な面持ちになる。

 

「....あ、薬師のばあ様なら解毒薬作れるんじゃ」

 

誰かがポツリと言った言葉にセルベリアは反応した。

 

「それはほんとうか!?」

「っ!?は、はい!えっと村一番の薬の名人なんです。時折街にも卸しに行ってたりして....」

「その人を連れて来てくれ!」

「分かりました!」

 

大急ぎで走る村人。

程なくして一人の老婆が連れてこられた。腰を悪くしているのか杖をついてひょこひょこと歩き。セルベリアの前までやって来る。

 

「おお、ヴァルキュリア様..この老骨めに何か御用だとか?」

 

何故かセルベリアのことを敬称を込めて呼ぶのだ。杖がなかったらその場で拝んでいたかもしれない。

 

「あなたは解毒の薬を作ることができると聞きました。その力をお貸し願いたいっラインハルト様を助けてくれ!」

「なんと毒ですとな。しからば失礼....」

 

ラインハルトの前で屈みこむと触診を始める。ラインハルトの容態を確認して、セルベリアに振り返る。

 

「どうやら致死性の毒ではないようですが。直ぐにでも毒の治療を始めなければ。このまま悪化すれば命に関わるやもしれませぬ」

「どうすればいい!?私にできることがあれば言ってくれ!」

「裏山にハプルシュと言う毒草が群生しておりますじゃ。それを摘んできてほしいのですが」

「ど、毒草を治療に使うのか....?」

 

毒の治療に毒草を使って大丈夫なのか?不安そうなセルベリアにほっほっほと笑い声を上げる老婆。

 

「毒は転じて薬にも使えるもの。逆もまたしかり、時に薬も転じて毒となる。薬草学の初歩ですじゃ」

「.....分かった。ハプルシュを取ってくればいいんだな?」

「はい。この症状は前に診たことがあります。処置しなければ死んでしまいますがそれほど強い毒ではありません。この毒を作った者は自生して簡易に取れる植物だけで解毒できるよう作ったのでしょうな....」

 

なるほどそうか。万が一にも解毒剤が無くなれば本人も危険な代物となる。なので簡単に解毒薬が作れる必要性がある。だったら簡単に手に入れる事のできる植物である方が都合が良い。

知識さえあれば毒も薬もつくれるのだから一石二鳥だ。

その分毒の威力は弱まるが、もしかしたら刺客の本来の用途は暗殺ではなく。要人誘拐や仲間の支援に使っていたのかもしれない。

 

「わかった。直ぐにとって来る!」

 

 

 

そうして、無事にハプルシュを摘んできたセルベリアは老婆に渡し、解毒薬を作ってもらい。それをラインハルトに飲ませたらしい。

薬の効果もあったのかラインハルトの容態は安定に向かい昏睡状態に入る。

セルベリアは付きっ切りで看病をしてくれていた。

教えてもらって驚いたが実に五日間もの間、俺は眠っていたらしい。

それだけ寝れば体も気怠く鈍るだろう。体の変調にも合点がいく。

 

その後もセルベリアの事後報告は続いた。

 

俺が眠っている間に村人達はセルベリアを崇拝し始めたことや、俺と一緒に戦っていた男達は重症を受けた者もいたらしいが全員が生きているという事。それには俺も驚き安心する。

 

ヴァルキュリア化したセルベリアを目撃したなら仕方ないことだろう。あの状態のセルベリアは神秘に溢れ女神を連想させるのだから。

 

よかった、生きていたか。守り切る余裕がなかったから覚悟はしていたのだが全員が生き延びているなら奇跡と言って云いだろう。

 

それぞれにそんな感想を抱きながらセルベリアの報告を聞く。

ちなみに抱擁は報告の前に解いて、今は部屋の真ん中に立つセルベリアと面と向かい合っている。

 

「.....そして件の刺客達のことですが。やはり....」

「ああ、帝国の手の者が俺に仕向けた暗殺者集団だろうな」

 

装備や服装を一見山賊の様に野卑な格好に扮していたが明らかに戦闘のスキルが違いすぎた。

 

「はい、倒した後何人か生かしておいたのですが、悉く自決した模様です。高い調練を施されていました」

「そして主犯格は逃げおおせたか....」

「申し訳ございません」

「いや、リアを相手にして生き延びたのだ。恐ろしい程の戦術家だということが分かる.....それに俺が上げた狼煙を見て駆けつけて来れたのだろう?謝るべきは俺のほうだ。許せ」

「殿下が謝ることはありません!殿下が無事でいてくれた事が何より最も重要なのですから....!」

 

それが絶対の理だと云うようにベッドの端に腰掛ける俺に向かって言う。

 

「まあ目途も立っている。恐らくは兄上に属する貴族のいずれかだろう」

「マクシミリアン皇子とフランツ皇太子ですか」

「ああ。マクシミリアン兄上の可能性は低いが.....約束もあることだしな」

「約束....?」

「お前にとっても無縁ということではないな」

 

というより当事者になるかもしれん。その時がきたら言うつもりだが、もしかしたら拒否されるかもしれん。

今から口説き文句を考えておかねば....。

 

「はあ......?」

 

何のことか分からず不思議そうにしているセルベリアに俺は立ち上がって言った。

 

「さて、六日も滞在してしまったのだ。予定よりだいぶ遅れてしまったが....帰ろう。ニュルンベルクに....」

 

 

 



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十話

ハプスブルク領は帝国の首都から西に数百キロメートル先の場所に存在する領地だ。

豊かな森が隣接し広大な平原が広がっている。

帝都から向かうと必ずその森『ノルウェの森』を突き進む事になる。

なのでレニイ村から出発したラインハルト達は山道を超えて今現在ノルウェの森を進んでいた。

 

その森に少女の楽しそうな声が木霊する。

 

「あははは!おうまさ~ん。ぱっからぱっから~!ねえねえ!たのしいね~っ!」

 

無邪気な様子で白馬に跨り子供特有の即興歌を披露していると思えば時折同意を求めるようにラインハルトの方に顔を見上げて「ね~」っと笑いながら問いかける。

 

「....そうだな」

 

ラインハルトは手綱を操りながら前に座る少女を見下ろして微笑みを浮かべる。

綺麗に切り揃えられた紺色の髪をもつ少女――ニサも満面の笑みになった。

 

彼女はレニイ村のダルクス人少女である。

 

なぜニサがラインハルトと一緒に行動してあまつさえ乗馬しているのかというと、

 

時は一日前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルト殿の目覚めを祝して.....かんぱーい!」

「カンパーイ!」

 

村長の音頭と共に賑やかな声が村全体に広がる。途端に音楽が鳴り響き楽しい雰囲気が醸し出され始めた。

村の恩人であるラインハルトの快復を祝して催しを開いてくれたのだ。

必要ないと言ったのだが、是非お礼をさせてほしい!と必死の形相でいうものだから、受けてしまった。

というか宴会席はすでに設けられていて、後は主役を待つばかりという現状だったのだ。断れるはずもない。

 

仕方なしに俺は村長の隣で宴席に座っていて、

 

「ありがとうございますハルトさん!あなた方が居なければ村はどうなっていたか....」

「軍人さんありがとう!」

「ハルトさん握手してください!」

 

囲みこむ大勢の村人達に次々と喋りかけられていた。

その勢いは鬼気迫るものでみんなの瞳は爛々と輝いている。

この目は帝都でも見たがこれほどの圧迫感はなかった。純粋に村人達との距離が近すぎるのだ。

 

「ああ、うん....いや、村のみんなが無事でなによりだ....」

 

困り顔のラインハルトは勢いに押されながらも何とか村人たちの対応をする。

老若男女問わず来るものだから密度と熱気がすごいことになっていた。

ラインハルトの頬からツーっと汗が流れる。

そこに、何故か村人達から隠れていたセルベリアが出てくる。

 

「コラ、お前達!でん、んん.....ハルト様がお困りだろう、離れなさい!」

「あ、セルベリア様だ!」

「セルベリア様ー!」

「わわっ....!」

 

助け船を出しに現れたセルベリア。

女神の登場に気付いた村人たちはあっさりとセルベリアの方に流れていった。

驚くほどの大人気ぶりだ。

 

今や村人達に囲まれ困惑した様子のセルベリアを見て、フッと笑みを浮かべる。

 

「村人たちはすっかりセルベリア信者だな」

「もちろんですとも!セルベリア様のあの御姿を儂らは生涯忘れはしませんぞ!そして今日という日を記念して後世にかけて語り継がせていくつもりですじゃ!」

 

聞けばセルベリアがあの姿を見せた二月二十六日を降臨祭として下劣なる山賊から村を救ったヴァルキュリアを敬う日として祝い、ラインハルトが目覚めた三月一日の復活祭まで祭を続けるのだという。

 

後世に掛けてレニイ村に顕現したヴァルキュリアの献身と勇ましさを伝えるのじゃーっと気炎を上げている村長。

 

最低でも来年までかかるだろうに既に祭の開催に意欲を燃やす村長の姿には苦笑するしかない。

 

「今の内から演目を考えて村の者たちに練習させなければ!むむ!これはレニイ村の一大行事となりましょうぞ.....!まずはやはり丘の上からヴァルキュリア扮した乙女が颯爽と現れる場面から始めるべきでしょうな!」

「....」

 

いや、もはや呆れるしかない。どれだけ壮大にする気だ。

気が早すぎる村長から目を外し、セルベリアの方に目を向ける。

 

 

「......なに?ハルト様と私の関係について知りたいだと....?」

「はい!とても親しい様子ですが。もしかして恋人なのでしょうか?あの時も気を失っているハルトさんにくちづ...」

「わあああ!それ以上言うな!あれは緊急的な措置だったのだ!!邪な気持ちなど考えていなかったぞ!」

 

村娘の質問に答えているセルベリアは何故か顔を真っ赤にして叫んでいる。

なにかあったのだろうか?

良く分からないが、もう少し耳を澄ませてみることにした。

 

「んん!とにかくだ私とハルト様の関係など主従以外の何物でもない!恋人などもっての他だっ」

「そうなのですか?ではハルトさんの事を教えてください!」

 

きっぱりとそう言い切るセルベリア。

 

.....そうか恋人などもっての他なのか。

 

憂鬱そうに目を瞑るラインハルトは手元の酒杯を豪快にあおる。

セルベリアと村娘の話は続く。

 

「ハルト様は素晴らしい御方だ!あの人を表すなら、そう!太陽の如きお人なんだ。あの人の腕は慈愛に満ち、その目は如何なる神算鬼謀も読み取り、その智慧(ちえ)は数多の人々を救い迷える子羊を導く!あれほどの御方はこの三千世界のどこにもおらんだろう!絶対にして唯一無二の存在それがハルト様なのだ!!」

 

セルベリアは豊かな胸を張って豪語した。

.....いったい誰の話をしているのだろうか?恐らくは伝説上に語られるハルトという聖人の話なのだろう。

過分にして知らんが。きっとそうに違いない。

だから村娘よ、キラキラと目を輝かせるな。なぜセルベリアの世迷言を信じる?

 

ああ、そうか君達はセルベリア信者だったな。

天元に至ろうとする信仰心がペテン師も真っ青な言葉の数々を信じさせているのだろう哀れな....。

 

「そんなにも立派な方なんですね!」

「そうだ!」

 

何を根拠にそう言っているのか一ミリも理解できないがセルベリアは自信満々に頷いている。

 

「でも、それでも私はセルベリア様とハルト様はお似合いだと思います!」

 

ついには俺まで様づけで呼び始めた村娘。

 

「なにを言っているのだっ!わ、私如きが吊り合うはずがなかろうっ」

「そんなことありません!セルベリア様が吊り合わなかったらこの世の全ての人間はハルト様の隣に立てないでしょう!」

 

それは言い過ぎじゃないか村娘よ。

 

確かにセルベリアの美貌は今まで出会った女性の中で限りなく上位に位置するが、あれで裁縫も上手く、よく軍服のほつれを直してもらったり料理だって絶品だ。数多くの美食で馴らしてきた俺の舌を唸らせる程の一品を、頼んだら最優先で作ってくれる。武術の腕も高く俺の師よりも強いセルベリアは銃器の方にも精通している。個人であれ以上に強い存在を俺は知らん。性格も一見冷たい見た目だが意外に天然で可愛い物には目がないのだ。男であれば誰もが好意を寄せるだろう。更には俺に従順で頼めば何でも答えてくれる包容力の固まりだ。男を虜にする肢体も相まって何度下衆な考えを巡らせたかあの女は知らんだろう。俺とて男なのだ。自制するこちらの身にもなってくれ堤防は長くはもたんぞ.....。

 

おや、少女よすまない。過言ではなかったよ。

 

ラインハルトは心の中で村娘に謝り、手元の酒を見る。

ふむ、だいぶ強い酒精のようだ、軽く酔ってしまったのだろう。いらぬ言葉まで思ってしまったような気がする。

 

気を取り直してもう一度セルベリアの方に耳を傾ける。

 

「わ、私とて殿下に見合うよう努力はしてきたつもりだ」

「という事はセルベリア様はハルト様のことを.....?」

「うっ.....それは....」

 

ごにょごにょと黙り込んでしまう声に気になり振り返ってみれば、こちらを見ていたセルベリアと目が合う。

 

「っ.....!?」

 

恥じらうように顔を伏せるとどこかに立ち去ってしまった。

 

ふむ....。

 

「ハルト殿?顔が赤いようですがどうしましたかの」

「心配ない。酒に....酔ってな....老公も一献興じられよ」

「おお、では」

 

ラインハルトは酒瓶を傾けて酒器に注ぐと、手渡した。

受け取った村長が飲みほすのを待って、ラインハルトはふと村人達を見渡して言った。

ほんとうに何気なく言った一言だったのだ。

しかし、これが思いもしなかった展開を呼ぶことになる。

 

「そういえば、あのダルクス人の親子はどうしたのだ?見ないようだが」

 

途端に老公の顔が一変した。

 

「グ!.....それは」

 

思わず苦虫を噛み潰したような顔になる村長に、ラインハルトの目はスッと細まった。

 

「なにかあったのか?」

 

蒼氷色の瞳に睨まれて村長は諦めたように息を吐く。

 

「.......いま儂らはあの親子のことを話し合っていましてのう。実は....」

 

彼は観念したように話し出す。

 

話しが進むにつれてラインハルトの目が険しくなっていった。

 

話しの内容はこうだ。

 

元々はあの親子は村の人間ではなく見染めた旦那が外から連れて来た外様であったらしく、旦那であり村の人間だったマーロイが先の刺客に殺されてしまった所為で村との関係が切れてしまったらしい。

 

エムリナには親戚も居ないらしく他に行くところはないと云う。

かといって村に置いていても女子供では働き手になりえない。

次に新しく夫を見つけさせようとしたらしいのだがそれは彼女がダルクス人だからという理由で誰も貰おうとはしなかった。

 

山村では畑を耕すことも難しく、男は獣を狩って女はその獣を捌き肉や皮に加工することで生計を立てるのだ。

つまり夫を失ったエムリナは村の生産に貢献できず穀潰しと言われても仕方なく、村八分にされる恐れがあった。

そこで長老たちが話し合って決めようとしていたのが村全体によるエムリナの共有化。

 

最初どういう意味か分からなかったが話を聞いてラインハルトは憤りを覚える。

 

それは村人達の娼婦になるということ、簡単に言うと性欲処理だ。

それが分かった瞬間ラインハルトは激昂した。

 

「馬鹿な!なにを言っている、正気か.....!?」

「仕方ないことなのです。エムリナが村で生きていくには何らかの形で村に貢献しなければならないのですじゃ。もしエムリナとニサに施しを与えると必ず村人たちに不満が生まれます」

 

今度こそ確実に二人は村八分にされてしまうだろう。

 

誰もが仕事を与えられる。

 

その仕事をこなすことで村に認められる。

 

それが小村で生きる者の定め。

 

そうしなければ過酷な環境で生きていけないのだ。

 

不憫かもしれないがこれが現実だ。

 

なにもせず楽に生きていく事ができるほど甘い世界ではない。

 

それがこの時代に生きる民たちの現状だ。

 

もし彼女がダルクス人でなかったなら、別の道もあっただろう。

 

もし俺がこの村に滞在しなければあの親子は今も幸せに暮らしていただろう。

 

.....酔いは完全に醒めてしまった。

 

 

 







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十一話

エムリナは固く閉ざされた扉を見詰めて思う。

 

....なぜ私はダルクス人に生まれてきてしまったのだろう。

 

エムリナは孤児だった。

両親の顔を知らず物心をついた頃には院で働かされていた。

雑用を押し付けられ、ミスをしたら叱られる。他の子供達は遊んでいるのになぜ自分だけ。

昔、院長先生に聞いたことがある。何で自分だけ他の子とは違うの?と....

そしたら院長先生は冷ややかな目で私を見下ろして「あなたが()()()()()だからです」と言ったのだ。

大昔に私達の御先祖様が重罪を犯した、世界を荒廃させ、数多の命を奪った。

「あなたはその子孫です。だからこそ償いをしなければならない。穢れた命なのだから」

...ご飯を抜かされるのも、ベットを与えられないのも、みんなが苛めるのも。みんなダルクスの血が私に流れているから。

 

それからも人生のあらゆる転換点にダルクス人という障害は付き纏ってきた。

今だってそうだ。

外からは賑やかな音楽と楽しそうな声が聞こえてくるのに、私達はあそこに混ざることは出来ない。

救世の徒であるヴァルキュリアが村に居るからだ。

信じられない事だけどみんなが目撃した。あの蒼い炎の姿を。

私も颯爽と丘を下りる彼女の姿を見ている。とても神秘的で美しかった。

そして伝説と謳われてきたヴァルキュリアが実在したという事実が、逆説的に『ダルクスの災厄』を証明してしまった。今までは歴史的根拠のない風説だと思っていたのに、

あれから村のみんなの私を見る目が変わった。

今まではマーロイの妻として内面はともかく表面的には、村の一員として認めてくれていた。

だけどマーロイが亡くなりダルクスの災厄を裏付ける存在であるヴァルキュリアが現れた日から、村人達は私達を腫れものを扱うように接してきた。

まるであの孤児院に居た時の様に、

 

「おか~さん。なんでお外でちゃだめなの~?」

 

でも今はあの時とは違う。この子がいる。むーっと頬を膨らませて不満そうにしているニサ。

未だ幼い我が子をあやすように抱きしめる。

 

「ごめんねニサ。もうちょっと我慢してね直ぐお外に出れるから」

「.....うん。わかったぁ」

 

疑う心をもたない無垢な眼差しで母親を見上げるとニコリと笑う。

それを見て一層エムリナの心には強い思いが浮かび上がる。

この子は絶対に私が守ってみせる。

幼少時代の私の様な辛い思いはさせない。

 

だから....

 

村長たちに昨日言われた事を思い出す。

老人達に告げられた言葉は酷く辛い内容だった。目の前が真っ暗になるほどで、その日は夜通し泣いた。ニサが心配しないようコッソリと。

でもようやく覚悟を決めた。どこにも行く宛などないのだ。ニサと生きていく為にはこうするしかない。

 

.....おかあさん頑張るから。

 

「おかあさん泣いてるの?」

「.....え?」

 

突然そんな事を言ってきた我が子に驚きを隠せない。

手を当てると確かに涙で濡れる指先。

あれ?おかしいなと思いながら目をこする。

 

「大丈夫よニサお母さんは強いんだから....」

 

笑って語り掛けると可愛い眉をしかめて「ん~?」と不思議そうに首を傾げる。

聡い子だ。気丈に振る舞う母親の本心を察したのかもしれない。

 

「おかあさんはどこにも行かないよね?ずっと一緒にいて」

「もちろんよ、ずっと一緒だわ」

「じゃあ、あしたも一緒にいてね」

「っ!」

 

娘の言葉に息を吞む。本当に聡い子だ。

ニサは明日何かがある事を母親の態度で感じ取ったのだろう。

そう、エムリナの務めは明日から始まるのだ。

 

「....そうね。明日も一緒よ」

 

視界が潤むのを抑えられない。ダメ、もう泣くところなんて見せるわけにはいかないのに。

一人でも強く立たなければならない。

誰も助けてくれないのだから。

救世主と謳われるヴァルキュリアだってダルクス人を救ってはくれないだろう。

娘に顔を見られないよう顔を伏せていると外から声が聞こえた。

 

「.....ここか?」

「は、はい。ですが.....あっ」

 

男と男の声だ。

何が起こっているのか分からないが足音が近づいて来た。

 

顔を上げて閉じられた扉を見る。

 

外から掛けられた鍵がガチャガチャとかたついた音を出す。今日だけは絶対に外に出るなと厳命されていたので村人達が鍵をかけたのだ。ヴァルキュリアがダルクス人と会えば不愉快に思うと考えたのだろう。

 

その鍵がカチャリと小気味よい音を響かせる。

 

―――そして

 

「開けるぞ」

 

その声が扉越しに聞こえたと同時に閉められていた扉が開かれる。

ギイッときしんだ音が鳴り開かれた扉の先に立っていた男にエムリナは驚いた。

その男は鮮やかな金髪をなびかせ不敵な笑みを浮かべている。

 

「あなたは....!」

「久しぶりですね奥方。俺のことを覚えているでしょうか?」

 

忘れるはずがない。初めてダルクスと理解した上で頭を下げた帝国人なのだから。あの時の光景は今もエムリナの記憶に強く焼き付いている。

彼は帝国軍人の、

 

「ハルトさん....?」

「はい。あの日以来ですね。少しやつれているようですが大丈夫ですか」

 

私が名前を呟くとハルトさんは笑みを浮かべながら頷き、私の顔色の悪さを心配してくる。

何が何だか分からなかった。

いったいなぜ彼が此処に.....。

 

「あ~ダメなんだよ、かってに入ってきちゃ~」

 

ニサがハルトを咎めるように言う。少しも物怖じした様子は見せない。

 

「に、ニサ!」

 

慌てたエムリナが止めさせようとすると、ハルトは手を上げて『大丈夫』と云う仕草をする。腰を下げて視線を低くするとニサと向き合う。

 

「いきなり入って来てごめんね。許してもらえるかな?」

「うん。ごめんなさいしたら許してあげるんだよっておかあさんが言ってたから、イイよー!」

「ありがとう。少しお母さんとお話しをしたいから、外で遊んできてくれるかな?外で待ってる銀色の髪をしたお姉さんがきっと遊んでくれるよ」

「ほんとうに!いいの!」

「もちろん」

「わ~い!」

 

ハルトの言葉に目をキラキラ輝かせたニサが、止める暇もなく外に向かって駆け出して行くのを、エムリナはただ見ているしかできなかった。

ハルトの言葉に遅れて気づいた。外で待ってる銀髪のお姉さんと云うのはもしかしなくてもあのヴァルキュリアの事ではないか、と。

村人達が危惧していた事が起きてしまう。そうなればどうなるか分からない。最悪この村から追い出されるかもしれない。

 

「ニサ、待って!」

「――大丈夫だ奥方」

 

連れ戻そうとしに行くエムリナの行く手を遮った。

 

「どうして」

「話しはつけてきた」

「え?」

 

目を瞬かせるエムリナ。

話しをつけてきたとはどういう意味だろう?

 

「村長に全部話は聞いた。あなたが今後どうやってこの村で生きていくのかを...」

「それは....」

 

知られてしまった。

羞恥するように表情を変えたエムリナは複雑そうにハルトを見る。

それを知ってあなたはどうするの?という感じだ。

 

そして次のハルトの言葉はエムリナを驚かせるには十分だった。

 

「もし行く充てがないのなら、俺達と一緒にニュルンベルクに行かないか?」

「ええっ!?」

 

ニュルンベルクと云うのは此処から西に行った所にある工業都市のことだろうか。

巨大な兵器工廠があり多くの工場が建てられているのでダルクス人が多いと聞いた事がある。

それだけでなくあそこには帝国の皇子が居ることでも有名だ。

 

「働き口を心配しているなら大丈夫だ。俺が保障する。ちょっとしたコネがあるんだ」

「......!」

 

自信に満ちたハルトの表情に未だ戸惑いを隠せないエムリナ。あまりに突然の事で理解が及んでいない。

それでもダルクスの血がなせる業か頭は冷静に物事を整理していく。

 

「ほ、本当に街で働けるんですか、前に街で仕事を見つけようとした時はダルクス人だからと断られました」

「問題ない、人種なんて関係ないさ。働きたいと思う強い意思があればそれでいい」

「ニサはまだ幼くて託児所にも入れられませんでした」

「それなら奥方が働いている間は俺の所で面倒を見てもいいぞ」

「っ....!」

 

信じられないとばかりに口元を手で覆うエムリナ。

 

「ほんとうに....信じていいんですか....?」

「ああ、いきなりこんな事を言って困惑させたかもしれない。だが本当だ。信じてほしい」

 

不敵な笑みは消え真剣な表情でエムリナを見詰めるハルト。

 

この人は他の帝国人とは違うかもしれない。

.....信じたい、でも....!

 

今まで騙され裏切られてきたエムリナの過去が最後の一歩を許さない。

 

「.....教えてください。なぜダルクス人の私に対してそんな提案をするんですか」

 

少なくとも彼にはこんなことをするメリットがないはずだ。

 

「......まず思い違いが一つあるな。俺はべつにダルクス人だからとあなたに話しているのではなく、あなた自身に話しをしているのだ」

「私自身に?」

「俺はあなたを一人の人間として尊敬している」

 

その言葉に衝撃を覚えた。

村を救った英雄であるこの人が私を尊敬している。

帝国人は家畜と罵しったことのある私を?

 

「愛する者を失ったあの時に、あなたが見せた強い心に俺は心底感服したんだ。そのあなたが性奴の如き扱いを受ける事に我慢がならない!俺が敬意を感じた人が辱められるのを、ただ指をくわえて眺めているなんて、俺のプライドが許さない」

 

紡がれる言葉には強い思いが込められていた。本気でそう思っているのだとエムリナにも分かった。

 

「これは俺の自己満足だ。矜持を満たしたいだけの偽善行為と思われようとも構わない。これが俺の嘘偽りない本心だから俺はあなた達を救いたいんだ」

「......」

 

ハルトはそこで困ったような泣きそうな目でエムリナを見るのだ。

 

「だからお願いだ。この狭量なる偽善者に、貴方達を救わせてほしい。どうか身勝手な俺の願いを許してほしい....」

 

そして頭を伏せるハルトを見てエムリナは.....。

 

「......ずるいですよ、そんな事を言われて....そんな目で言われたら.....断れるわけないじゃないですか」

 

そもそも断るつもりもなかったのだ。断ったとしても待ち受ける未来が過酷なモノなのには変わらないのだから。だったら信じてみよう。あの人と同じようにダルクス人としてではなく私自身を見てくれたこの人を。

 

エムリナは目の前に垂れて来た救いの糸に手を伸ばした。

 

「お願いです。私たちを助けてください!」

「その願い確かに承った」

「....うぅ」

 

伸ばした手を掴まれて、今度こそエムリナは耐えるのを止めた。頬を伝う涙をそのままに、歓喜の思いに浸る。今だけはこのままでいい。誰も咎める者は、いないのだから......。

 

 

 

 

この日、一人のダルクス人が帝国人の手によって救われた。

 

投じられたそれは世界にとってはあまりにも小さな一石の波紋。

だが、この小さな一石の波紋が、後の世に大きな波乱を生み出し、

その先の歴史すら変える事を、

 

今はまだ誰も知る由はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

時は戻り森を進む一行は、新たに加わった仲間の二人。ニサをハルトがエムリナをセルベリアが自分の馬に乗せて先を急いでいた。

 

「よかったんでしょうか?何も言わずに村を出てしまって....」

「気になるのか?」

 

少しの間だけとはいえ夫と娘の三人で健やかに過ごせた場所からの旅立ちに思うところがあるエムリナはセルベリアの細い腰に腕を回している。

 

「はい、すこしだけ.....みんな怒ってるんじゃないかと思って」

「村長の翁にはあの方が穏便に決着をつけたのだから問題ないだろう。むしろ快くお前達の門出を祝ってくれていた、心配するようなことは起きていないよ」

「そうですか、よかった」

 

ほっと息をつく気配を背中に感じセルベリアは不思議に思う。

 

「自分達を迫害した村の人間に怒りを覚えないのか」

「確かに辛いことでしたが、それでもあの人が眠る場所ですから。それに、たくさんの思い出があそこにはあります」

「なるほど辛くとも愛する人との場所だからか、それなら納得だ」

 

納得した様子のセルベリアに今度はエムリナが質問する番だ。

 

「セルベリア様にもそのような場所が....?」

「セルベリアで構わん....そうだな、あるよ私にも。忘れようとも忘れられない場所が」

 

驚きだ。目の前のヴァルキュリアにも辛い境遇があったのだろうか。思わず聞いていた。

 

「辛かったですか」

「ああ、毎日が悲惨で辛かった.....でもあの人が救ってくれたからな。今となっては良い思い出なのかもしれん」

 

セルベリアは目の前を走るハルトに目を向けて穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ハルト様のことが好きなんですね」

「なっ.....君はあれだな、意外と物怖じしないんだな」

 

頬を赤らめるセルベリアを見てフフッと笑うエムリナ。

 

それを見て、ああ、あの子の母親だなと思うセルベリアだった。ハルトとエムリナの話しが終わるまでニサと遊んでいたがあの子とよく似ている。

 

エムリナの言葉を思い返して、フッと笑う。

 

「そうだな。確かに私はあの人を慕っている。愛しているよ」

 

エムリナは息を吞む。同性から見てもセルベリアの微笑みは魅了されるほどに美しかった。

 

「何というか、ありがとうございます....」

「いったい何のお礼だ?」

「いえ.....あ、ハルト様がこっちに来ますよ」

「なにっ」

 

見れば本当にハルトが白馬の速度を緩めてセルベリアの横に並んで来た。

 

「何の話しをしてたんだ?」

「してたんだ~」

「い、いえ!あの、その.....」

 

興味ありげに聞いてくるラインハルトとおまけのニサ。

セルベリアは先程の発言をラインハルトの目の前で言えるはずもなく途端にしどろもどろになる。凛々しい表情を盛大に慌てさせている。

 

その様子を楽しそうに見ているエムリナ。

セルベリアさんは意外に可愛い人なのかもしれない。

ヴァルキュリアだからと言っても同じ人なのだ。目の前の光景はそんな当たり前の事をエムリナに教えてくれた。

恐縮していた気持ちが穏やかになるのを感じる。

 

「....向かっている先のニュルンベルクとはどんな場所なのかとセルベリアさんに聞いていたんです。私は一度も行ったことがないので」

「え?あ、そうです!」

「ああ、なるほど」

 

首を振るセルベリアの横で合点がいったと頷くハルト。

 

「古くは城塞都市としても有名で昔から工廠業が栄えていたからな。ニュルンベルクは近年工業が発展した事でハプスブルク州一の都市になり通称『帝国西部の兵器蔵』と呼ばれるようになった。その名の通り兵士の武器や戦車も作っている。ようやく近代化を果たしてきたが郊外では農業と牧畜が盛んで牧歌的な光景を眺められるぞ」

 

道すがらハルトが説明をしてくれるのを聞きながらコクリと頷く。

 

「最近でも月に一度訪れる行商さんが言ってました。あの街は日に日に変わっていく、一人の男が来てからだ、と」

「それはもしや....!」

 

意外な速さで反応を見せるセルベリア。そうだ二人は帝国軍人だから知っているだろう。

 

「はい、ラインハルト皇子です」

「ごふっ」

「だいじょ~ぶ?」

 

なにやら息を詰まらせるハルトにキョトンと可愛らしく見上げるニサが声をかける。

その横でセルベリアが大きく頷く。

 

「その通りだ五年前までは古いだけが取り柄の田舎でしかなかったからな。観光客が少し訪れるくらいだった、武器生産業にしたって目立って凄かったわけではない。ここまでのものにしたのはラインハルト殿下の御蔭と言っていいだろう」

 

我が事のように胸を張るセルベリア。よほど自慢の人なのだろうか。

そこにハルトが割って入る。

 

「いや、あまり大したことはしてないだろう。労働者の労働基準と待遇を少し変えただけだ」

「何を言っているのですか、そのおかげで多くの労働者がニュルンベルクに集まったのではないですか。特にダルクス人労働者の待遇改善を行ったことで数多くのダルクス人技術者が訪れ、ニュルンベルクは一大工業都市に生まれ変わったのですからラインハルト様の御蔭と言わず何と言うんですか」

「そもそも帝国は労働者階級を蔑ろにしすぎだったんだ。貴族たちが富を独占しすぎていただけのこと、俺は彼らの働きを正当に判断し見合った報酬を与えているだけにすぎん」

 

ここで話しの雲行きが怪しくなった。

困惑するエムリナ。

いったい二人は何の話しをしているんだろうか。まるでハルトさんの言い方では自分が.....

 

と、結論が出る前にハルトが前を見て言った。

 

「もうじき森を抜けるな...」

 

見ると確かに森の終わりが見えている。木々のカーテンを抜けると、視界が開けた。

 

辺り一面に風が吹き抜ける平原が広がる。

 

遠くには家らしき物も見え、その隣には広大な畑がある。

 

それが等間隔に幾つもあり、時折動物達の鳴く音も風に乗って聞こえてくる。

 

話しに聞いた通り農業と牧畜が郊外では盛んなのだ。

 

という事は、ニュルンベルクはすぐそこだ。

 

「あの小高い丘を越えたらもう見えてくるぞ」

 

ハルトが指さした丘をゆっくりと登っていき。やがて到着した。ハルトが笑みを浮かべて言う。

 

「さあ!あれがニュルンベルク.....だ?」

 

そう言って見えた視線の先には、城塞都市という言葉には偽りなくグルリと円周を描いた城壁の中に街があり、中央には城らしき建物も見える。都市の端っこには工場が多数並んでいた。

あれがニュルンベルク。今まで見た街で確かに一番大きいもので、感嘆の声をエムリナ親子は上げている。

 

その横でラインハルトは街の外に広がる平原の一角を睨んでいた。

 

 

―――其処には武装した数多くの兵士達が集まっている光景が映っていた。

 

 



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十二話

「戦闘準備野営待機だと.....?」

 

眼下の平原に集まる軍隊の姿を捉えたラインハルトは開口一番にそう言った。

 

戦闘準備野営待機とは呼んで字の如く都市の郊外にある野営地にて戦闘準備を整えた兵士達が命令あるまで待機する状態のことである。

有事の際は報告があり次第すぐにでも進軍できるようにしているのだ。

つまりあれは軍事進攻を始める一歩手前の状態。

軍の指揮官が見ればすわ戦争に行くのかと勘違いするだろう。

 

そう、勘違いのはずだ。なぜならアレはラインハルト直轄の兵隊なのだから。

総指揮官である俺はそんな命令を出した覚えはない。

 

「殿下、あれは『突撃機甲旅団』では」

 

偵察猟兵・突撃猟兵・対戦車猟兵・支援兵さらには頑強な帝国戦車までが複数鎮座している。それらの兵科で構成された部隊を見てセルベリアは確信したように言った。裏付けるように赤と黒の基調の戦闘服と装甲服を着衣した人員規模五千人の兵士達が平原を覆っているのは圧巻だ。

 

「それだけじゃない。見ろ、あそこには大型軍用車両が置かれている。機械化歩兵だ。お前の部隊『遊撃機動大隊』まであるぞ」

 

機械化歩兵というのはラインハルトが新たに作った兵科の一つで機動力のある大型自動車両に歩兵を載せて運び、戦場を広範囲に動けるようにしたのだ。その機械化歩兵で構成されている遊撃機動大隊はセルベリアを指揮官にした部隊名の事である。

 

そんな青と黒を基調にした戦闘服の五百人からなる歩兵とその近くで控える軍用車両の列を見てラインハルトが言い、さらにその隣を見てため息をこぼす。

 

「『中央相互支援連隊』まで居やがる。あいつら戦争にでも行く気か?」

 

緑と黒を基調にした戦闘服を纏う兵士達を見て戸惑いを覚える。

中央相互支援連隊とはその名の通り各部隊の支援を目的に作られた部隊だ。

偵察兵・突撃兵・対戦車兵・狙撃猟兵・支援猟兵で構成されている。

千五百人からなる連隊規模だ。

 

そこにもう二つの部隊を合わせた総兵力こそラインハルトが保有する全戦力だった。その力はどこの最前線に行かせても恥ずかしくないとラインハルトが豪語する程だ。

 

しかしその半数以上が今こうして戦闘待機状態にある光景はラインハルトをして異常と思わせる。

 

そして、ラインハルト不在でありながらこうしていると云う事の理由は一つしかない。

 

「まさか!」

 

何かに気付いたラインハルトは驚きの表情を見せ、手元の手綱を振るい馬を駆けさせた。急いで丘を駆け下りて行く。

その後ろを追随するセルベリア。

そこでようやく都市に目を奪われていたエムリナも軍勢の光景に気づいたらしく前のセルベリアに恐る恐る尋ねた。

 

「あの兵隊さんは何ですか?」

「心配するな、あれは味方だ。ラインハルト殿下の保有する軍隊だ」

「そうなのですか」

 

ほっとするように息を漏らしたエムリナは次いで質問した。

 

「あの、先ほどセルベリアさんは殿下と言いましたが、もしかしてハルトさんは.....」

「その話は後だ。今は何が起こっているのか確認しなければ」

 

エムリナの言葉に被せるように言ったセルベリアは視線の先にある軍勢を睨むように見つめて言った。

 

「もしかしたら戦争が起きるかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

馬を駆けさせたラインハルトは大急ぎでニュルンベルク前の平原に集まる兵士達に近づいていくと、こちらに気付いた兵士達が驚きの声を上げ、ざわめきが響き出す。その一石は波紋となってさざ波のように広がっていき、

平原の一角を埋めつくすように固まっていた五千人の兵士達の中から一人の男が現れ走って来た。

ざっくばらんな切り口の黒髪にいかつい顔をした大柄な男だ。当然のように大きな体を装甲服で固めている。

男は『突撃機甲旅団』団長を務めるオッサー准将だ。帝国では普通であれば貴族出身者にしか許されない団長クラスを彼は自分の能力だけで手に入れた、古強者というわけだ。ラインハルトが信頼する副官の一人でもある。

その彼が珍しく大慌てでラインハルトの元まで走り寄り、大きな顔に驚愕を露わにしていた。

 

「オッサー!何があった、もしかして連邦が攻めて来たのか!?」

「大将!?どうしてここに!」

 

慌ただしくラインハルトが問いただすと、オッサーも大声で答えた。微妙に話しが嚙み合っていない。

 

「どこだ!ハイドリヒか!?進攻開始されてどれくらい経った!」

 

総指揮官不在の中で軍が動くというなら、それは敵が進攻してきた事に他ならない。緊急事態においては各隊長が各自の判断で動く権利を持っているのだ。

 

「え?いやいや。連邦は攻めてきてやしませんが」

 

オッサーはポカンと口を開けてそう言った。

 

「なに?」

 

ここでラインハルトは自分が早とちりしている事に気づく。てっきり連邦軍が国境を越えて進軍を始めたのかと思ったのだが。

 

「それでは一体この状況はなんだ?なぜ軍を野営待機させている。訳が分からんぞ」

「へ、へえ俺達も何がなんだか....てっきり大将はマクシミリアン皇太子と合流しに帝国西部の軍事基地に向かったと思っていたのですが」

「なんだと?詳しく教えろ」

「わ、分かりやした.....一週間前のことです」

 

一週間前、帝都から一頭の早馬が送られて来た。男は帝都からの使者だと名乗り。手紙を渡してきた。

その手紙は指令書であり、開いた内容にはこうあった。

『至急ラインハルト皇太子直轄のニュルンベルク軍は帝国西部のマーシャル砦に移動されたし、マクシミリアン皇子率いるガリア方面軍と合流せよ。既にラインハルト皇子も砦に向かわれた』と書かれていたらしい。

手紙の封書には帝国軍上層部しか使えない朱印がされていた。手紙は本物である。

 

それによって副官二人の意見は割れた。

副官の一人であるオッサーは直ちに準備を整えて進軍を始めるべきだと言い。

もう一人の副官はラインハルト皇子の命令あるまで動くべきではないと言って断固反対したそうだ。

ラインハルト本人の意思が分かるまでは待つべきだ、と。そして帝都に電文を送った。

それもあって待つことになったらしいが、とうとうオッサーの我慢が限界に至った今日。帝都から電文の返答もなかった

「もう待てねえ確認してくる!俺の部隊と遊撃機動大隊・中央相互支援連隊を連れて行く、もし本当だったら大将とセルベリアの姉御に必要だからな。違ったら帰ってくりゃいいだろ!」

 

 

 

 

そして今に至るらしい。

 

「なるほどな、話は分かった。よく今日まで待っていてくれたな安心したぞ。ガリア方面軍と合流していたら最後国境を越えて進軍することになっていただろうからな」

 

軍が一度合流してしまえば「あ、間違えたんで帰りまーす」なんて事が出来る筈もなく、そのままガリア方面軍に組み込まれていた可能性が高い。

それはラインハルトの思惑とは外れる事だ。ほっと息をはくラインハルトを見てオッサーが気まずげな表情になる。

 

「え、ってことはあの手紙は....?」

「誤報だ」

「なんだってええええ!?」

 

あんぐりと口を大きく開け仰け反るオッサー。体が大きいからか挙動が一々大袈裟だ。

 

「はあ....大事かと思えば、虚言に惑わされただけとは....それでも旅団長ですか、反省しなさいオッサー!」

「ゲェッ!セルベリアの姉御まで!.....おや」

 

呆れたようにラインハルトの後ろから現れたセルベリアに驚きの声を上げる。が、しかしその後ろに座るエムリナを見て首を傾げた。

 

「その美人さんは誰ですかい?それに大将の前に座ってるその子供は.....?」

「美人だなんてそんな」

「ニサって言うんだよ~」

 

照れたように手を頬に当てるエムリナと手をぶんぶんと広げて自己主張するニサ。この二人屈強な軍勢が近くに居るのに全く気にした様子を見せない。

もしかして大物なのではないか?そう思うラインハルトだった。

 

「彼女たちはここに来る途中で保護したダルクス人の親子だ、働き口を探しているから俺の所で働いてもらおうかと思ってな」

「.....大将またですかい?その拾い癖まだ治ってなかったんですね」

 

呆れたような物言いでオッサーはジト目になる。しかし広い口角は笑みを浮かべていた。

 

「人を変な性癖のある奴みたいに言うな。まったく、別に癖ではないだろう」

「いやいや、そう言って今の侍女長と最精鋭兵装部隊に居るあの娘も確か拾ってきたじゃないですかい。かくいう俺も.....」

「だから人聞きの悪い事を言うな、保護したと言えよ」

「分かりやしたよ保護です保護.....あ、噂をすれば来ましたね」

 

オッサーが振り返ればちょうど一人の少女が兵士達の間から抜け出し駆け寄って来るところだった。

その姿を見てエムリナがあっと声を上げる。少女は自分達と同じダルクス人だったからだ。

綺麗な紺色の髪をダルクス紋様のストールで結び、勝ち気な目をしたその少女は一目散にラインハルトの前まで来た。

 

「無事でしたか、ハルト....様、よかった」

「すまない、心配をかけたようだな。イムカ....」

「嫌な胸騒ぎがした、あなたがどこかに行ってしまうような」

 

そのダルクスの少女イムカは心配するようにラインハルトを見上げていた。

 

「大丈夫だよ俺はお前の傍に居てやる、約束しただろ。しかし、やはり『バジュラス・ゲイル』も同行していたか.....オッサー、あの部隊はまだ試作段階なんだが?」

「いやあ、だから試してみようかと....タハハ」

 

胡乱気に睨むラインハルトの目にオッサーは頬を引き攣らせるしかない。

 

戦術迎撃兵装部隊『バジュラス・ゲイル』

 

ラインハルトがとあるダルクス人技術者と共同で開発した部隊である。

理論をラインハルトが設計を技術者が、二人の天才によって造られた対戦車兵装『バジュラ』を元々はとある部隊から選出した精鋭兵三百人に装備させたことで生まれた。

ラインハルトの思想する『個による力』をコンセプトに開発されたバジュラは鎧のような外骨格状の形で装備者がそれを身に纏うことで力を発揮する。背中のラグナイトと連動した内部の機械が身体能力の底上げをしてくれるのだ。

その力は一騎当千。疲れを知らず、戦車の砲弾をも弾くだろう!......と云うのが開発者の言である。しかし、未だ実戦を行えていないのが現状だ。

だが試験運用ではセルベリアを相手にして生き残るという快挙を成し遂げている。もちろんヴァルキュリア化はしている。

そして部隊の中で一番の適応率を叩きだしたのが彼女イムカである。

 

イムカは今から二年前に起きた惨劇の生き残りだった。たまたま其処に居合わせた俺は居場所を失った彼女を保護しニュルンベルクに連れて来たのだ。

当初はふさぎ込んでいた彼女だったが、ある目的を胸に生きる事を誓う。それは己の故郷ティルカ村を襲撃した犯人を探し出し復讐すること。

俺はそれに協力することになった。俺もまた、とある理由がありティルカ村襲撃の犯人を追っていた。お互いの目的が一致した事で俺とイムカは手を結んだのだ。

 

既に兵役訓練を終えていたイムカは『突撃機甲旅団』に入隊し、メキメキと頭角を上げていた。

彼女の復讐という信念は本物だったのだろう、日夜鍛錬に励んでいた。

当時の精鋭と呼ばれた『ゲイル』にまで名乗りを上げる程に。

 

そしてひと月前に完成した『バジュラ』の試験運用を『ゲイル』に頼んだのである。

 

「その後、バジュラとヴァールの使い勝手はどうだ」

「申し分ない。前まではヴァールの重さに振り回されていたけどヴァジュラを装着することで力が驚くほど向上した。もう完全にヴァールを扱える」

「ほう、流石はエースだな」

「褒めても...なにもでない」

 

フッと一見クールなダルクスの少女はよく見ると口角が上がっていた。

喜びを隠すイムカ。それをジーっと見ているニサ。

 

視線を感じたのかイムカも馬上の少女を見る。

 

見つめ合う二人。妙な沈黙が流れていると....。

 

ひしっとニサはラインハルトに抱き付く。

 

「な!?」

 

少女のいきなりの行動に驚きを見せるイムカは気づいた。まるで勝ち誇るような笑みでこちらを見下ろす少女に。

まるで自分のだよっと主張するような感じに、

 

「.....ふふ、ハルト様から...離れようか」

 

イムカは笑みを浮かべて引き剥がしにかかった。顔は聖母のように優し気なのに、裏に回れば黒いもやが見えてきそうな威圧感があった。

 

「やー!」

「あ、コラそんなに強く握らないの。皺になっちゃうでしょ!」

 

強い抵抗を見せる少女の手でラインハルトの服が伸びる。それを危惧したイムカが引き剥がす手を緩めたその時に少女は一層強くラインハルトを抱きしめ。

 

「たすけて、おとーさん!」

 

特大の爆弾を投下したのだった。

 

 



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十三話

見上げる程に大きなお城。荘厳な雰囲気と古い歴史を感じさせる。

城塞都市ニュルンベルクの中心に座するニュルンベルク城は正にその都市を冠するに相応しい存在感を放っていた。

それを放心した様子で間近で見上げていたエムリナは、夢を見ているような不思議な感覚に囚われていた。

何故かと云うと今自分が置かれている状況がとても現実とは思えないからだ。

 

.....確かにあの方は一目見たら忘れられない高貴な見た目をしている。只の軍人などではない、もしかしたら貴族なのではないか?と村の者達も噂していた程だ。

しかしそんな彼らの憶測は甘かった。笑ってしまうぐらいに。

いや、それは私も同じだ。

ヒントは幾らでもあったのに気が付かなかった自分の鈍さに呆れてしまう。

だけど、そんな事が起きるとは思うわけないじゃない。

どこの国にその国の皇子が寂れた小村なんかに訪れると思うんですか、ましてや山賊から村を救い、ダルクス人の女なんかを気に掛けるというんです!

私は悪くないですよね!?

 

半ば現実逃避をし始めたエムリナは前を行くハルトに目を移す、

衛兵たちに敬礼されながら門を潜る彼の様を眺めながら。

 

「本当にハルトさんが.....ラインハルト様なんですね」

「ふふ、まだ実感が湧かないだろ?」

 

信じられないとばかりに呟くエムリナの隣を歩くセルベリアは笑っている。悪戯が成功した少女のような笑みに気付いたエムリナはもしやと思った。

 

「もしかして.....わざと黙ってたんですか!」

「......ふ」

 

セルベリアの堪えきれていない笑い声が漏れるのを見てやっぱり、もう!と抗議の視線を送るエムリナ。

 

「悪かった。こういう事はあまりあるものではないだろうから、可笑しくて」

「本当にびっくりしたんですからね!?」

「ああ、それは十分分かってるよ。あの時の驚きようといったら.....黙っていた甲斐があったな」

「....いじわるです」

 

頬を軽く膨らませてぶーたれるエムリナはとても一児の母とは思えない可憐な一面を見せる。それでいて人妻特有の色気のようなものを漂わせるのだから卑怯だ。

現に衛兵達の鼻の下がエムリナの膨れっ面を見て伸びていた。

 

それに気が付いていないエムリナは初めて入るお城という場所に緊張の面持ちになりながら足を進ませていく。

お伽噺の世界に入っていく様な気分だが、心臓だけは痛いほどにドキドキと脈打っている。

 

「夢じゃない、私ほんとうに此処で働くんだ....!」

 

その痛みが今は心地良い。これが現実だと教えてくれるから。

 

だけど同時に自分なんかが此処で働けるのだろうかと心配になってくる。

 

「でも一番心配なのはアレだよね.....」

 

乾いた声音の言葉を出しながらエムリナの見る先にあるのは......。

 

「すごい!キラキラしてる!おっきいおうちー!....すごいね!おとうさん!」

 

帝国に君臨する一族の一人であるラインハルト皇子の事をダルクス人の娘が『おとうさん』と呼んでいる光景だった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

「.....おとー....さん?」

 

静まりかえる空気の中にイムカの唖然とした声が響いた。

ポカンとした顔でラインハルトを見上げる。

ラインハルトもまた驚きの表情で自分の腹部に顔を埋めているニサを見下ろしていた。

 

「ハルト....様?この少女はいったい....」

 

途切れるイムカの言葉。恐らく続く言葉は『貴方とどんな関係なんです』だろうか。

綺麗な藍色の目が動揺に揺れている。なにか凄い勘違いをしてそうだ。

誤解を招く前に説明しようとするが、そこでオッサーが先に口を開いた。

 

「おや?大将いつ子供なんか産ませたんで。おめでとうございます」

「子供!?産ませた!?」

 

ガガン!と効果音が演出されそうな驚愕ぶりを見せるイムカ。完全にオッサーの言葉を信じ込んでしまったようだ。

オッサーお前....。

振り返って睨みつけると案の定オッサーは面白そうに笑みを浮かべていた。

どうやら事情を知らないイムカの反応を見て楽しんでいるようだこのオッサンは。

というかイムカよ。お前とは二年来の付き合いだろうが、この年の子が俺にいるわけないだろう。騙されてくれるな。

 

「いやーこんな美人さんだったら、男だったら仕方ないでしょうがね」

 

なおも続く驚愕の真実にイムカの体は幽鬼のようにふらつく。

望洋とした目がオッサーの褒める人物に向かい。

視界に映るのは同じダルクス人の女。

 

この女がハルトの子供を産んだ.....?

 

その事実と更には同族という事がイムカの受ける衝撃を二乗する。

復讐に囚われていた心に芽生え始めた小さな想いが、粉々に打ち砕かれそうになる。まだ本人ですら自覚していなかったと云うのにだ。

イムカの小さな胸の奥から痛みが走る。

 

どんな辛い鍛錬にも耐えてきたのに、初めて感じるその痛みだけは耐えられそうになかった。

 

「っ....」

「うお!?す、すまん言い過ぎた!」

 

すでに半泣き状態のイムカ。

それを見てやりすぎたとばかりに顔をしかめるオッサーが巨体を盛大に慌てさせる。

まさかこんなにも効果覿面だとは思わなかった。

 

「女子を泣かせるとは見下げ果てたぞ、そんなのだからいつまで経っても嫁の一人も貰えないんだ!」

「グハ!」

 

セルベリアの刀よりも鋭い叱責にオッサーが斬られたように呻く。

オッサー四十七歳。いまだに春の兆しは見えなかった。

 

「イムカ違うぞ、オッサーの冗談に騙されるな。俺はまだ一人身だ」

「.....嘘?」

「ああ」

 

ラインハルトの言葉にようやくイムカもオッサーの言っている事がデタラメだということに気づいた。

頷いてやると空虚な目に強い光が宿る。それはまるで萎れた花弁が花開くような変わりようだった。

 

「そうか....」

 

安心したように笑みを浮かべるが、自分でも何に対して安心したのか分からず困惑する。

まだこの感情が何なのか分からないと云った様子だ。

しかしまずはこの気になる感情よりも別に湧いて来るこの怒りをどうにかしなければならない。

 

「オッサー准将。約束していた今度の模擬戦は覚悟してください。久しぶりに全力でやりますので」

「ウゲッ!待て待てどう見ても模擬戦ですまなさそうなんだが!?」

 

フフッとオッサーに向かって笑みを浮かべるイムカだったが、その目だけが全然笑っていなかった。

殺意すら籠ってそうな目に背筋を震わせるオッサー。

彼もまた武人気質であり兵士時代は対戦車兵として名を上げていた。だがそれは昔の話。

『バジュラスゲイル』の若きエースとして君臨する新進気鋭のイムカと全力で模擬戦闘なんてしたらただで済むはずがない。いや、そもそもイムカの目が物語っている。猫科類のような鋭い瞳が『お前を狩るぞ』....と。

もはや命の危険すら感じる。

助けを求めてラインハルトを見るが、

乙女の純情をからかった報いである。

甘んじて受け入れろと視線で語るラインハルトに絶望した顔のオッサー。

 

窮地に立たされた自業自得の副官を無視してラインハルトは幼い少女を見る。

 

「ニサ。なぜ俺のことをお父さんと呼ぶんだ?」

「ん~?だってニサとお母さんの事守ってくれるんでしょ?だからニサのおとうさんなの!」

 

ニサの言ったことは簡潔にして明快だった。

なるほど間違ってはいない、確かに俺は二人を保護すると決めたのだ。だったら俺はニサにとっておとうさん(守る者)という認識にあるのだろう。あるいは父親という存在自体がニサにとって曖昧なものなのだろうか。

 

「おとうさんじゃないの~?」

 

気が付くとニサは泣き出しそうな目でラインハルトを見上げていた。今にも可愛らしい目から大粒の涙が流れだしそうだ。

 

「いや、俺はニサのおとうさんだよ。好きに呼ぶといい」

「わ~い!」

「殿下!?」

 

微笑みながら承諾するラインハルトにセルベリアが驚愕の声を上げる。

顔には本当によろしいのですか?と書かれていた。

 

「かまわないさ。子供の言葉を叱りつけて強制させるほど狭量ではないつもりだ」

「いえ、ですが御身は帝国の第三皇子なのですよ!いくらなんでもダルクス人が親呼ばわりするのは些か外聞が....」

「――第三皇子?」

 

あっとセルベリアが振り返れば驚愕に表情を歪ませるエムリナの姿が映る。

 

「や、やはり貴方様はラインハルト皇子なのですか....?」

「.....そういえばまだ正体を明かしていなかったな。まあ伝えるには丁度いいだろう。ああ奥方、俺がラインハルト・フォン・レギンレイヴ。帝国の皇子兼このニュルンベルクの城主にしてハプスブルクの領主を務めさせてもらっている。以後よろしく頼む」

「ふぁ!?あ、あわわわ!今までの無礼の数々をお許しください皇子様!」

 

薄々感づいていたラインハルトの正体は自分なんかが簡単に喋りかけるのも恐れ多い。正に天と地ほどの差が存在する帝国の皇子なのだ。エムリナが混乱の極地に至るのも仕方ない。乗馬していなかったら直ぐにでも跪きそうな勢いだ。

 

「いい、かしこまることはない。畏れられるために俺は貴方を旅の共にしたわけではないのだからな」

 

手で止める仕草をしてラインハルトは言う。

 

「今までどおりで構わない」

「......はい」

 

徐々に落ち着きを取り戻すエムリナから視線を変えてセルベリアを見る。

 

「セルベリアよ、俺がもしダルクス人だったとしたら。帝国の皇子という位を剥奪されたら。お前は俺を見限り俺の元を去るか?」

「ありえません!そのようなこと断じて!例えあなたが何者であろうと私はあなたに仕えますっ」

「そうか。であれば俺の外聞など気にするな。何と呼ばれようと俺は俺だ。帝国の皇子であろうとダルクス人の親であろうと俺は何も変わらないのだから」

「はっ申し訳ありません!」

 

馬上にて(こうべ)を垂れるセルベリア。その肩にそっと触れる。

 

(おもて)を上げよセルベリア。俺はお前の忠心を嬉しく思う。お前だからこそ、そう思うのだ。他でもないお前だからこそ」

「で、殿下....!」

「俺もお前がヴァルキュリア人だから傍に置いているわけではない。お前だからこそ俺の隣にいてほしいと、そう思うぞ」

「勿体ない御言葉ですっ!」

 

感極まったセルベリアの頬が上気するのを見て、ふっと笑みを浮かべると馬首をニュルンベルクに向けて返した。

 

「さあ、思いのほか時間を取ったが......凱旋するとしようか」

 

「大将がお帰りになられるぞー!お前ら道を開けろォオオオ!!」

「応!!」

 

平原に敷かれた黒い絨毯がラインハルトの進みと共に道が開かれていく。

のべ五千人もの帝国兵士達が白馬に跨るラインハルトに忠誠を示すよう敬礼をしながら並ぶ様は圧巻の一言に収まり切らない。

右を見ても左を見ても屈強な兵士達が立ち並び自分達の為だけに道を作るのだ。その光景にエムリナは眩暈すら覚えていた。

 

「これは現実なの....?」

 

凡そ現実とは思えない光景にエムリナの本心が漏れるのだった。

 

 

 

 

 

 

★       ★        ★

 

 

 

 

ニュルンベルクの街並みの印象は風情ある石畳の溢れた街と云う感じである。古めかしいと言ってもいいかもしれない。

しかしその一方で目を凝らせば沢山の機械や人工的に作られた光が視界に映る。例えば上を見上げれば赤焼けた空にネオンの看板がチカチカと輝き、人々を誘う誘蛾灯のように街中を彩っているのだ。

大通りには多数の自動車が行き交っていた。

そして自らも車中の人となっているエムリナは初めての乗車経験に少しだけ感動していた。実はエムリナは今まで車に乗ったことがなかったのだ。これを聞いて驚く人が意外に多い。

人に聞けば全員が全員ダルクス人はみんな油に塗れて機械を弄っているというイメージを持っているようだがそんなことはない。工業系の仕事をしたことのないダルクス人なんて大勢いる。現にエムリナは一度もスパナなんか持ったこともないのだから。

 

だからこそ考えを巡らせるのはこれからの自分の働き場所だ。

どこで働くのか皆目見当もつかない。

 

女性ダルクス人が働く場所と云ったら武器や兵器の部品組み立てだったり兵隊の軍服を作るお針子さんとかだろうか?

それだったらいいのだがいきなり戦車の整備をしろなんて言われても自分にはちんぷんかんぷんである。不安は尽きない。

耐えきれずに前の席に座るラインハルト皇子に訪ねてみることにした。

 

「あ、あのう....よろしいでしょうかラインハルト様....?」

 

今この車中には前部の運転手を除いて四人の男女が座っている。運転席とは完全に隔離してある個室のような室内だ。

前にラインハルトとニサが後部席にセルベリアとエムリナが向かい合うように座っている。機械に疎いエムリナの目から見ても高級そうな造りの車だ。

ちなみにこれまで乗って来た馬二頭は入口に設置されていた検問所の兵士達に預けている。そのまま皇子専用の馬舎に連れて行かれるのだという。その時にラインハルトは愛馬の鞍に取り付けていた革袋を手に取っていた。袋の歪みから円盤状の物が入っているのだと察することが出来る。それを大事そうに持って待機していた黒塗りの車に乗り込み今もラインハルトの横にそれはある。ニサが興味津々といった眼差しで見ていた。

 

「なんです?」

「えっと、私の働き場所のことなんですがどのような所なのかお聞きしてもよろしいでしょうか」

「ふむ、そうだな....」

 

ラインハルトは視線をエムリナからずらし窓の外に移る光景に目を向けた。

 

「時に奥方。この街をどう見る?率直な感想を聞かせてほしい」

「え?あ、はい。.....とても活気のある街だなあと思います」

「他には?市民たちを見て気づくものはあるか」

 

言われてエムリナも窓の外に映る光景を眺める。多くの人々が行き交う姿が見える。買い物帰りだろう主婦や遊んでいる子供、労働者の男達。特に変わったものはないように思えるが、

 

「.....あ!そういえばダルクス人が多い気がします。工業都市だからでしょうか?」

「そう!そこだ。奥方は今、工業とダルクス人を結びつけましたね、なぜです」

「それは....ダルクス人は昔から機械作りに精通しているからです」

「ああ、その通りだ。過去の歴史から見ても名のあるダルクス人はみんな技術者達だった。だがそれは『ダルクスの災厄』以降からの事だ。それ以前は彼らにも多くの職があり携わっていた者達は数々の偉業を残している」

「そうなのですか!?」

「本当だ。帝都の古い文献に書かれていた。災厄の重荷を背負わされたダルクス人は本来の選択肢を(せば)められて今に至る。だが俺はこの世界に蔓延る悪習を壊したいと思っている。彼らにも職業選択の自由を与えたいのだ。今やニュルンベルクに住むダルクス人は工場のおかげで多くなった。いや、多くなり過ぎた。自慢じゃないが近年移住する者達が増大したことで働き口である工場だけでは雇用が間に合わなくなっているんだ。新しい工場も建設させているがそれでも足りないだろう。別の受け皿が必要だ」

 

ラインハルトの語る事実はダルクス人であるエムリナをして初めて知ることであった。

孤児院から脱却したかった幼い頃のエムリナは勉学に励んで歴史についても学んでいる。だがそこで教わる多くがダルクス人は古代から工業化学が盛んな民族であるとしか先生たちも教えてくれなかったのだ。恐らく世界中がそう教えているはずだ。だからこそダルクス人は工業という流れが出来てしまっているのだ。

確かにそれは世界に広がる悪習と呼んでも云いだろう。なぜならその悪習のせいでダルクス人は他の仕事に(たずさ)われないのだから。

だからこそ、それを壊すと断じたラインハルトの言葉にエムリナは驚きを隠せない。

 

「ゆえに、まずは貴方がその先駆けとなってくれればと俺は思っている」

「......はい?」

 

首を傾げるエムリナに向かってラインハルトは言った。

 

「奥方よ、俺の専属侍女をやってみないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

侍女に連れられて城内に入ると其処は寝物語りに聞く話し通りだった。

煌びやかなシャンデリアが頭上に輝くホールに、二階に続く細かい装飾が散りばめられた大階段。

一つの絵画を切り取って出来上がったような光景に感嘆の声をもらす。

 

「すごい...」

「ニュルンベルク城は古代から存在する帝国の中でも一等に古い城の一つだ。中に入るのはもちろん内装を見れたダルクス人はイムカを除けば奥方達が初めてだろうよ」

「イムカさんというのは先程の?」

「ああ、彼女にも入城許可を出しているから、いつか会うかもしれないな仲良くしてやってくれ」

 

そう言ったラインハルトの右手にはやはり革袋が握られていた。

 

「は、はい....」

 

なぜか凄く怖い目で見ていた少女の姿を思い出し少しだけ気後れするエムリナだった。

と、そこに女性が廊下の奥からやって来る。後ろには侍女たちを引き連れてだ。

楚々とした黒髪に優しそうな顔立ちの彼女は侍女服を完璧に身に纏っていた。

 

「お帰りなさいませ旦那様」

「遅れてすまない皆には心配をかけたみたいだな」

 

エリーシャ・ヴァレンタイン。それが彼女の名前だ。ニュルンベルク城の侍女達を統括する侍女長の役目を負っている。しかしそれだけではない、彼女にはもう一つ裏の顔があった。

泣き黒子(ぼくろ)が蠱惑的な彼女はゆっくりと頷くと、

 

「はい、お話しは後で皆様が集まってから致しましょう。そちらの方々はお客様でしょうか?」

「いや、彼女達はこの城で預かることにした。母親のエムリナと娘のニサだ。ここで働かせてやってほしい」

「侍女にですか」

「そうだ。俺の専属侍女にしようと思う」

 

その言葉にざわざわと後ろの侍女達がざわつきだす。みなが一様に驚いた様子だ。

 

「お静かに」

 

それだけでピタリと静まり返った。

エリーシャの優しそうな目が細まる。途端に不可視のプレッシャーがエムリナを襲った。

 

「っ!」

 

エムリナの背筋を悪寒が走る。

なにか恐ろしい猛禽類に睨まれているような錯覚に陥ったのだ。

部屋の気温が一気に下がったような気さえする。

 

それでも、エムリナはエリーシャの目から視線を外さなかった。顔色を悪くしながらも必死に耐えている。

 

そして、ふっと笑みを浮かべたエリーシャ。するとあのプレッシャーのような威圧感が嘘のように晴れる。

 

「わかりました旦那様。彼女の事は私達にお任せください、立派な侍女に教育してみせますわ」

「そうか、そう言ってくれると思っていたぞ。ではエムリナ達の事は頼んだ、別館に住む部屋も用意してやってくれ」

「かしこまりました」

 

恭しく礼をするエリーシャに満足気な表情で頷くとまだ少し顔の青いエムリナを見る。

 

「すまないな。今のはエリーシャなりの試験なんだ。彼女から合格点を貰えるのは凄い事だよ、やはり俺の目に狂いはなかったようだな」

「は、はあ....」

 

次にラインハルトは自分の足にしがみつくニサを見て、

 

「ニサ、このお姉さん達に付いて行きなさい」

「えー?おとうさんと一緒がいいな~」

 

またもや侍女たちがざわつきだす。本来、教育が行き届いた彼女達がこうまで動揺を見せるのも珍しい。

エリーシャがふらりと彼女達を見返す。

すると面白いぐらい静まりかえる侍女達。

 

「これから何度だって会えるさ。だから今は新しい部屋もあるから見て来るといい」

「ほんとおー!わかった!」

 

新しい部屋と聞いて目をキラキラさせるニサに微笑んで、またエムリナを見る。

 

「後の事は彼女達に聞くといい。ではな....」

「ええ!?ラインハルト様っ」

 

そう言って立ち去っていくラインハルト達に別の意味で顔を青くするエムリナ。

待ってください!こんなところに一人にしないでください!

そんな感情がアリアリと顔に書かれていた。

 

「フッ、大丈夫だよ奥方。貴方ならきっと大丈夫、俺が保障する」

 

階段を上がりながらの言葉に「全然大丈夫じゃありません!」と言ってやりたいエムリナだった。

ラインハルト様ーっと手を伸ばすも侍女達が防波堤のようにそれを遮る。

 

「それではこれからよろしくお願いしますね、エムリナさん。未熟ながら指導させていただきますわ」

「......お手柔らかにお願いします」

 

これからどうなっちゃんだろ?

その思いに答えてくれるものは誰も居ない。

エムリナの波乱の生活は幕を開けたばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★        ★         ★

 

 

 

 

上階に上がったラインハルトはセルベリアを連れて自らの部屋に戻っていた。

一週間前、帝都に旅立ったあの日から何も変わっていない。

簡素な部屋を見渡す。書類の置かれた机と革椅子、その後ろの壁画に掛けられた螺旋模様の短槍を眺める。

 

「久しぶりの感覚だな、あれから一週間が経っているからか。まさかこれ程に時間が空くとは思わなんだな」

「私の所為です、私が殿下を守り切れなかったばかりに....」

「よい。あれは俺の考えが甘かっただけのこと、自業自得だ」

「ですが.....っ!」

 

俯くセルベリアの顎をついと指で上げるとその美しい紅い目を捉える。

 

「悔いるのはいい、それを糧にして強くなり俺を守れ。頼りにしているぞセルベリア」

「はい....殿下」

 

うっとりとするセルベリアの朱い唇を親指でなぞると、ぷにぷにとした感触が伝わる。ここに口づけすればどれほど気持ち良いだろうか。

一瞬そんな誘惑に駆られたがラインハルトは指を離すと背中を向ける。

 

「あっ.....」

 

名残惜しそうな声をもらすセルベリアの前でラインハルトは執務机に周り、持っていた革袋の中から入っていた物を取り出す。

 

「これからも頼りにしている。だからこそコレを帝都の宝物殿から持ち出したのだから」

 

それは螺旋を描いた一つの盾で、壁に掛けてあった巻貝のような短槍と対になるような形状をしていた。

手に取った盾を壁に掛けて壁画が完成する。壁には古代ヴァルキュリア人を模したレリーフがありヴァルキュリア人が槍と盾を持つようになっているのだ。

 

「ようやくもう一度『ヴァルキュリアの槍』と『ヴァルキュリアの盾』がこの城に戻って来たな」

「はい、殿下」

「この槍と盾が揃うのはあの初陣以来か....」

「そうです、あの時に私はヴァルキュリアとして覚醒しました。そして.....」

 

あなたを守りきれなかったのだ。

鉄と錆の味を思い起こさせる苦い記憶に、セルベリアはもう一度あの日の誓いを胸に刻む。

 

「セルベリア?」

 

その場で跪くセルベリアに疑問の声をこぼすラインハルト。

 

セルベリアは神に祈るシスターのように敬虔な雰囲気を漂わせて言った。

 

「この命に賭けて貴方を守り抜きます。貴方に頂いた名前。そして槍と盾に誓い、主人の敵をことごとく一掃してみせましょう」

 

主人を守る事に二度失敗した。三度目はない。

 

もし、その時が訪れるとしたら、それは私が死んだ時だけだ。

 

強く、そう誓うセルベリアだった。

 

 

 



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十四話 日常編

ニュルンベルク城の朝は早い。

日が昇る頃には城内の者達は起き出して自らの仕事を始めている。

中でも厨房は今、一番忙しく稼働していた。

城の人間全ての食事を作っているのだから当たり前である。

現に食堂内では既に衛兵や下男下女がごったがえし、彼ら彼女らは思い思いの食事をとっていた。

しかも後続がゾロゾロと入口から入って来るのだ。

これら全員分の食事を作り出すのだから厨房内は作業する者達で、てんやわんやしていた。

 

「......ふんふふ~ん」

 

しかし、その一方で奥の部屋にある厨房で一人の女性が鼻唄混じりに料理を作っている。

スパイスの香る部屋の中で、背中にかかる長い銀髪を後ろで結い上げポニーテールにしたセルベリアは、可愛らしいフリルの付いたエプロンを付け、手にしたお玉で火にかけた鍋をかきまわす。

程なくして出来上がった光沢のある褐色のスープを小皿に移し味見をする。

 

「よし、良い出来だ。これなら殿下も喜んでくれるだろう」

 

満足そうに頷くと敬愛する主君の喜ぶ姿を想像して口元が弧を描く。

もうお分かりだろうがセルベリアは自分ではなくラインハルトの為に料理を作っていた。

もちろん専属のシェフが居るのだが、時々こうしてセルベリアが作っているのだ。

仕事を奪う事になるシェフにはセルベリア自身が頼み込んで許可を貰っている。

彼も「セルベリア様なら問題ありません!」と快く承諾してくれた。

セルベリアの美貌で申し訳なさそうに頼む姿にデレデレした訳ではないのだ。

 

「....褒めて、いただけるだろうか.....」

 

思った事をつい口にしてしまったという感じで出た言葉に、恥ずかしいのだろうか、ほんのりと頬を染める。誰も見ていないと云うのにだ。

 

「またあの頃のように頭を撫でてくれないものか.....ふふ」

 

いや、違った。

どうやら何かを思い出して興奮した頬の朱さだったらしい。

瞳を閉じて夢想するようにして幸せそうに笑っている。

少しだけ不気味だ。

 

「おっといかんな、こんなことをしている場合ではない」

 

ふと我に返ったセルベリアは火を止めた鍋を持って料理を載せるサービスワゴンの上に置く。食器や銀のスプーンに添えつけの白パンを付けると専用の部屋を出る。

階段のないスロープ状の螺旋階段を上がっていくと長い廊下をつき進む。

途中何度も見張りに立つ衛兵とすれ違うがセルベリアを見咎める事はない。それどころかセルベリアに敬礼をして過ぎるのを待っている。

セルベリアもまた当然のように頷くと「ご苦労」とねぎらう。

.....可愛らしいフリルのエプロンを付けたままでだ。

高潔な騎士の如き凛々しい表情とフリフリの格好はあまりに違和感がありすぎた。

しかし、男心を絶妙に突いてくる姿に衛兵達はセルベリアが通り過ぎた後。興奮した様子で談義に花を咲かせたりしている。

後で「今日の担当で俺達が一番ラッキーだった」と他の男仲間に自慢するのだった。

 

 

 

 

衛兵達の間で人気が鰻登りであることをつゆ知らぬセルベリアは、目当ての扉の前に着いていた。

横の壁に掛けてある鏡で軽く身だしなみを確認するとゆっくりと扉を開け、城主の部屋にしてはあまりにも簡素な部屋に入ると、さらに隣の部屋に繋がる扉に向かい、起こしてしまわないようこれまた静かに開けた。

この瞬間がセルベリアの人生において幸福な時間の一つである。

 

その部屋は三十人以上が入れそうな程に広々としていた。円卓と二人分の椅子が置かれており、そこに料理を並べていく。マナー通り完璧に配膳し、部屋の奥にある天蓋つきのベットに近寄ると、静かに眠る部屋の主を起こした。

 

「ラインハルト殿下....」

 

そっと肩に触れると優しく揺り起こす。

穏やかに眠る彼の横顔を見ていると心の中が温かな気持ちになるのを感じる。

 

幸せと云うのはこういうのを言うのだろうな。

 

奉仕している側のセルベリアが幸福そうな表情で微笑むのは可笑しな話だろうか。

それは彼女自身にしか分からない。

 

「ん....」

 

優しく揺らしているせいか中々起きなかった彼が軽く声をもらす。

やがて、長い整ったまつ毛が震え、蒼氷色の瞳が露わになる。

寝起きでトロンとした目でセルベリアを見て、

 

「.....母上?」

 

ぼうっと幼げな表情を見せるラインハルトはそう呟いた。

完全に寝ぼけている。意外と低血圧なのだろうか。

 

「っ....!」

 

いつもは不敵に笑みを浮かべた豪放な態度の似合うラインハルトが、今は寝起きの子供のような反応を見せるのだ。そのギャップにセルベリアは悶えた。

同時に母を見る目がセルベリアの母性を刺激する。

....卑怯です殿下っこんなの耐えられない。

 

必死に理性を保たせていると、ラインハルトがようやく意識を目覚めさせた。

キョトンとした後に、

 

「.....なんだ、リアか。もう朝なのか?」

「は、はい。眠っているところを申し訳ありません殿下」

「いや、起こしてくれと言ったのは俺のほうだ、お前こそ昨夜の()()で疲れているだろうにすまないな」

「そんなことありません!疲れなら殿下の御蔭でどこかに行きましたので」

「そうか.....?」

 

 

 

 

   ♦      ♦       ♦

 

 

 

 

昨夜は将校達が集まる将校会議が開かれていた。ラインハルトが戻ってすぐに開かれたそれは自分を含めた計七人で話し合いが行われる。

 

まず刺客達に襲われた事を伝えれば、ある者は驚き、ある者は意味深に頷き、ある者は笑みを浮かべる。それぞれが違う反応を見せ、すぐに対策が話し合われた。

 

「.....と云う事でこの件についてはエリーシャに一任する」

「お任せください旦那様」

 

侍女服を纏った黒髪の女性が恭しく一礼するのを見届けて次の議題に移る。

 

次の話し合いは帝都から来た使者の事についてだ。

 

「使者がニュルンベルクに訪れたほぼ同日に俺が暗殺者に襲われたのには恐らく何らかの関連性があると思われる」

「そして指令書にはガリア方面軍と合流せよと書かれていた事を踏まえれば.....」

「やっぱりマクシミリアン殿下が黒幕ってことですかねえ」

 

ラインハルトの言葉に反応を見せたのは二人。『突撃機甲旅団』団長のオッサー・フレッサー准将と先に言葉を紡いだ細面の顔をした男である。

女性と見まがうこの男の名はシュタイン・ヴォロネーゼ。階級は准将であり、『(すめらぎ)近衛騎士団』という部隊の団長である。人員規模は千人。

本来であればラインハルトを守る役目を負った部隊である。帝都に行く際も同行する予定であったがラインハルトの厳命によりニュルンベルクにて待機することになっていた。

そして案の定、刺客襲撃の報を知り。真面目な気質のこの男はラインハルトに辞任の許しを乞うた。

すなわち、殿下の命を危険に晒させた罪は重く、相応の罰が必要であると。

それに対してラインハルトは一蹴した。

 

「全ての責任は俺にある。であればお前が死ぬ気ならば俺も死のう」

「っ!」

 

ギクリとシュタインの顔が強張る。胸の思いを完全に看破されていた。

ラインハルトは腰の剣を引き抜きシュタインに突きつけた。

 

「この剣でお前を突き殺した後に、俺もこれを自らの心臓に突き刺す.....どうだ、心変わりしたか?」

 

笑みを浮かべてそんな脅迫をしてくる。

いや、脅迫とは名ばかりの存命処置に痛く感激したシュタインは涙を流しながら突きつけられた剣で新たに忠義を示し剣を掲げる。

 

「それにあれは必要な事であった。お前達を連れて行けば親父は無理やりにでも俺を兄上のところに行かせただろう。セルベリア一人だったから諦めたのだ.....」

 

ラインハルトの言う通り、もし護衛を引き連れて行っていれば、皇帝は有無を言わさずラインハルトをガリア方面軍に加入させようとしただろう。だが、まさか供回り一人(しかも女)しか連れて来ないとは思っておらず皇帝は呆れてものも言えなかった。ラインハルトの企みは成功したわけだが今回の襲撃はそこを突かれてしまったと云うわけだ。

 

そして話は戻る。

 

 

『やっぱりマクシミリアン殿下が黒幕ってことですかねえ』

「――――いや、まだそうと決まった訳ではない」

 

オッサーの疑問にラインハルトはそう答えた。

 

「というと?」

「フランツ兄上に属する貴族連中が最近きな臭い。何やらコソコソと企んでいるようだ」

「なるほど。俗にいう『フランツ派』と呼ばれる者達ですね」

「そうだ。有名所で言えばロックハート家、ウィップローズ家、クロードベルト家だな.......いや、クロードベルトは数年前に爵位を剥奪されたのだったか....」

「ウィップローズ.....?」

 

小さく呟くセルベリア。その名前に既視感を覚えたのだ。

はて、どこかで聞いた名前の気がするのだが、はたしてどこだったろうか?

なぜか少しだけ不愉快な気持ちになり考えるのを止めた。

まあいい、どうせしょうもない貴族なのだろうからな。

 

「.....それでフランツ派の貴族たちがどうされましたか」

「奴らめ、どうも最近になって軍備を増強し始めているのだ」

「ですが大将、今は連邦と戦時中ですぜ。軍備増強ぐらい普通じゃないですかい....」

「その軍備が連邦に向かうのならよいのだがな.....」

 

意味深に呟くラインハルトの言葉に首を傾げるオッサー。

 

「んん?どういう意味ですかい」

「まさか.....」

 

シュタインが目を細めて声をもらす。

 

「ああ、探らせてみたところ造った軍需物資を西方戦線にも南方戦線にも送らず。自分達の領地に貯めているようだ」

「はあ!?なんじゃそりゃ!軍規違反じゃないですか!」

 

驚きの声を上げるオッサーの横でシュタインが静かに言った。

 

「.....()()()()()、ですか」

「わからん。だが、その可能性は高い」

 

シュタインの言葉に首を振るもその可能性を認めるラインハルト。

誰かの息を飲む音が響いた。

貴族たちによる武力蜂起。そんな事になれば戦争なんてしている暇はない。

続けてラインハルトは卓上に一枚の封書を置いた。帝都からの使者が携えて来た例の指令書だ。

 

「この封書に押された印はまず間違いなく正規のものだ。つまり敵は.....()()()()()()にも居る」

 

一気に室内の空気が緊迫した。

 

「マジかよ....」

 

呻くのはこの場で最年長のオッサー。

薄々感づいてはいたが実際に言われるとでは緊張感が違う。長年軍に居たオッサーだからこそ強くそう思う。

 

「怖いか?オッサー.....」

「ッ!」

 

心中を当てられた気分になって思わずラインハルトを睨む。何か言ってやろうかと思った。

しかし見つめ返すラインハルトの蒼氷の瞳に、吞み込まれるぐらいの力を感じ口を閉ざす。

ラインハルトは部屋にいる全員を見渡して言った。

 

「お前達には先に言っておくが俺の元を離れるなら今の内だぞ、もしかしたら敵は帝国軍一千万からなる大軍勢になるかもしれん。そうなると凡そ勝ち目はないだろう。今ならば離れるなら止めはせん....」

 

そう言って目を閉じるラインハルト。この間に離れるならば退出せよ、という意味だろう。

やはりと云うべきか最初に口を開いたのはセルベリアだった。

 

「この命は既にラインハルト様の為にあります。この身は御身の敵を討ち滅ぼす槍となりましょう」

 

次に言ったのは(すめらぎ)近衛騎士団団長のシュタインだ。

 

「私どもの役目は殿下を傍で守る事にあります。命尽きるその日まで忠義を尽くさせてもらいます」

「お?じゃあ次は俺さんだなあ」

 

その横にどっかりと座ってニヒルに笑うその男。戦術迎撃兵装部隊『バジュラス・ゲイル』の隊長リューネ・ロギンス少佐は言った。

 

「と言っても俺さんの部隊はお前さんの方がよっぽど知ってるだろうからなー。まあ、敵は俺さんの部隊がまとめてぶっ潰してやるよ。ほれ、今度はお前さんだ」

「ぼ、僕ですか」

 

簡潔にそういって次に回す。

更にその隣に座る青年はどつくリューネに押され、緊張の面持ちで言った。

 

「えっと僕たちはみんなを守ったり補佐するのが仕事なので、みんながヤル気なら当然僕もヤル気というわけで.....えっと、とにかく僕は殿下と共に戦います!」

 

言い切った後ハアーと息を吐く青年は『中央相互支援連隊』の連隊長を務めるウェルナー・ロイエンタール中佐だ。ほっと安心する彼の目は左と右で違う色をしていた。金銀妖瞳(ヘテロクロミア)である。

 

「あら、この流れはもしかして私でしょうか?困りましたね、私はただの侍女長なのですが....」

 

困ったように頬に手を当てるエリーシャ・ヴァレンタインの言葉に全員が白けた目で見る。

それに気付いてコホンと咳き込むと柔らかい笑みで言った。

 

「旦那様の影で生きる(わたくし)には最初から選択肢などありませんわ。敵の情報を調べる為に拷問も辞さない覚悟です、道具をいっぱい使えるのが今から楽しみ.....あら、私今変なこと言いましたか?」

 

コテンと小首を傾げるエリーシャを無視して将校五人が最後に残ったオッサーを見る。

 

オッサーは震えていた。

わなわなと大きな体を......怒りによって。

 

「っだれがビビッてるだあ!突撃機甲旅団が一番に突撃しないでどうするんだっつうの!!俺はなあ、はなから大将に(たま)賭けてんだよ!!!」

「.......フ」

 

目を開けたラインハルトが気炎を上げて立ち上るオッサーを見た。

 

「怖気を感じるのは恥ずべき事ではない。それだけお前が優秀な指揮官だと云う事だ、俺は良い部下達を持った。ありがとう.....」

 

それは心からの笑みだった。

この中の誰かが死んだとしてもおかしくない戦争が近い未来で起きるだろう。その為の準備をしてきたつもりだが、これからの戦いに全員が生き残れると言えるほどラインハルトは無責任になれない。

 

「我らの命お好きに使いください。もはやこの六人は貴方以外に仕える気は毛頭ないのですから」

 

そう言ってラインハルトの前で一斉に跪き、彼らは無二の忠誠を誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「本当に酔狂な者達だ。俺なんかを.......む?」

 

昨夜起きた事を思いだしながらフッと笑い、

ベッドから立ち上がったラインハルトは芳しい香りに気付き鼻をひくつかせる。

この匂いはもしや.....。

弾みだす心を隠しながら料理の置かれた円卓に近づき椅子に座る。

蓋に隠された鍋を見ながらセルベリアに聞いた。

 

「リア、もしかしてこの料理は....」

「はい、殿下」

 

笑みを浮かべたセルベリアが蓋を開けると勢いよく蒸気が逃げていく。

露わになった中身にラインハルトは感嘆の声を上げる。

その料理の名前は。

 

()()()にございます」

「やはりか....!」

 

まだ寝ぼけているのか子供の様に嬉しがるラインハルト。

それを見て内心でガッツポーズをとるセルベリアはお玉を掴み鍋からカレーを掬う。

並べていた皿に盛りつけていった。

 

「どうぞ、ご賞味下さい」

「いただきます」

 

無意識の内に手を合わせてそう言うと湯気を立てるカレーを銀のスプーンで掬い口に持っていく。

口に入れた瞬間。カレーの旨みと共にピリッとした香辛料の程よい辛味が舌を刺激する。

得も云えぬ幸福な時間を味わい、その時間が失われぬ内に白パンを食べる。

優しい素朴なパンがカレーの辛味を受け止めてくれる。完璧な調和だった。

 

「美味い....」

 

それからも息つく暇もなく食事を進めていくとあっという間に皿の中身は無くなった。

 

「おかわりを頼む」

「ありがとうございます」

 

心底嬉しそうな表情で差し出された皿を盛っていくセルベリア。

....まるで、そうまるで新婚夫婦のようなやり取りではないか。

そう思いながらカレーを盛った皿を手渡す。

 

そんな心中は知らぬとばかりにカレーに夢中なラインハルトは一心不乱に食べていく。

その勢いは収まらず鍋に入っていたカレーを全て平らげてしまったのである。

 

「....ふう」

 

満足そうに背を椅子にもたれる。ふとセルベリアに問いかけた。

 

「しかし知らなかったぞ。リアがこの料理を作れるなんて。傭兵時代に南方諸国で覚えて来たのか?」

 

それを聞いたセルベリアはキョトンとした後ややあって微笑んで答えた。

 

「お忘れですか?これは幼少の頃に殿下が考案した料理ですよ。たしかに各種の香辛料は南方諸国から取り寄せた物ですが」

「......そうだったか?いや、リアが言うのだからそうなのだろうな。そうか、また忘れていたのか....」

 

そう言って物憂げにカレーの入っていた皿を見詰めた。

この皿のように空っぽになっていた記憶を思い出そうとする。

すると今まで思い出せなかった記憶がスルリと頭をよぎる。

 

......そうだ、あれはまだ俺達が出会ったばかりの頃の事だった。

 

帝都の別館で暮らしていた俺達は二人だけで居る事が多かった。

ある日、幼いセルベリアは俺の為に何か出来ないかと言ってきて、俺はそれならばとその時にふと思った料理を作ってくれないかと頼んだのだ。なぜそんな物を作ってくれと言ったのかは覚えてないが、確かに俺がセルベリアに作り方を教えた気がする。

わかりました!と強いヤル気に溢れていたセルベリアが印象的でソッチの理由は忘れてしまった。

とにかく、腕をまくり上げ厨房に入るとセルベリアは料理を作り始めたのだ。

 

しかし、結局は......

 

カレーに必要な材料がなくて失敗したんだ。

それでも懸命になって作ってくれて出来上がったのはカレーもどき、と云うよりそれはまごうことなくポトフで。

俺はそれを苦笑しながら食べたんだった。なぜ忘れていたんだろう。

 

ポトフも美味しかったのだが、それでも幼いセルベリアは自分が許せなかったらしく、泣きそうな顔になって立ち尽くしていた。

だから俺は、こうやって頭を撫でてやったんだっけ。

 

「で、殿下.....?」

 

その声にハッと記憶の旅から現実に戻る。気が付けばラインハルトはセルベリアの頭を無意識の内に撫でていた。

 

「.....すまない。考えごとをしていた。嫌だったろう....」

「嫌じゃありません!」

 

思いのほか強い言葉で少しだけ驚く。離そうとしていた手がピタリと止まる。

 

「殿下は覚えてないかもしれませんが....私は、この手にどれほどの温もりを与えられたか.....!」

 

目に涙をうっすら滲ませながらセルベリアは微笑む。とても大切な思い出を語るように。

 

......ああ、俺も思い出したよ、大切な思い出を。忘れていた記憶を。

 

.....大切なお前の温もりも一緒に。

 

ラインハルトは思い出すようにセルベリアの頭を優しく撫でる。

 

 

今だけは.....あの頃の少年と少女に戻ったように。

 

ゆっくりと、時間は流れていくのだった.....。

 

 

 

 

 



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十五話

ニュルンベルクは古代からの城塞都市である。市内を守るように円周を描く城壁が(そび)え立つ。

そのため多数の軍事施設が都市内に散らばり一般人の立ち入りを禁止する区画が数か所ある。

その一つに兵器研究試験場なる施設が存在した。

ドーム型のその施設は外部からの視察は一切できず特定の者達だけが入ることを許されていた。

 

そして秘匿された施設の内装は闘技場のように広々としており、恐らくは大隊規模の兵員を収納することすら不可能ではないだろう。

 

現在、そのドーム内にはたった二人の女性が向かい合っていた。

 

一人は銀髪の髪をなびかせて螺旋状の槍、と言うには短すぎる剣のような武器を手に構えているセルベリア。さらにもう片方の手には同じく盾が握られていた。

 

もう一人は紺色の髪をダルクス紋様のストールで縛るイムカ。その身に無骨な黒い鎧を纏っており手には砲身に片刃の剣が埋め込まれているような大型の武器を軽々と持っていた。

 

両者はまるで決闘者のように睨み合いを続けている。

 

と、そこでセルベリアが口を開いた。

 

「お前とこうしてやり合うのは一回目の試験運用以来だな、ひと月足らずでどこまで高めたか見物(みもの)だな。せいぜい私と殿下を失望させてくれるなよ?」

「.....問題ない。この前はヴァールが使えなかったから避けてばかりいたけど、今回の実験では使える。ようやく貴方と本気で戦える」

「それは私も同じこと.....まあ、この槍と盾の力を使うことになるかは分からんがな」

「それはない、貴方は必ずその槍と盾に頼ることになる。その上で私が勝つ」

「.....言ったな」

「うん、言った」

 

不敵な言葉を一蹴し合ったイムカとセルベリアはそこで笑みを消した。

研ぎ澄まされ高まっていく緊張感と共に大気がビリビリと緊迫する。

 

無言の時間が数十秒続き...........。

 

 

 

 

リリリリリリリリ!!

 

 

どこからともなく実験開始のベルが鳴った。

 

――――――その瞬間。

 

イムカは強く大地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

ヴィィィィンと響くバジュラに内蔵されたラジエーターの稼働音を背中で感じながらイムカは颯爽と駆け出し。重い鎧を着ているとは到底思えない軽やかな動きでセルベリアに迫る。

恐らく技術者が予想する値より数段早い速度で迫るイムカに対し、セルベリアは不動の構えをとっていた。

無表情の美貌には薄い笑みが浮かんでいる。

......舐められている!

それを余裕と判断したイムカは間合いに入った途端に、

 

「ナメルな!」

 

ヴァールを横凪に斬り払った。

大気を鋭く裂きながら振るわれたそれをセルベリアは後ろに跳ぶことで躱す。

少しの動揺もなく舞うように行われた動作はセルベリアの余裕を表していた。が、イムカも躱されたと見るや態勢を瞬時に戻し走り出していた。

 

「ハアアアアアア!!」

「来い!」

 

喝声と共にセルベリアは迫り来るヴァールの銃剣を螺旋状の剣で迎え打った。

ガキン!と甲高い金属音が響き、セルベリアの体が勢いよく押される。

 

「っく!」

 

ズザーっと地面を滑るセルベリアは態勢を立て直す。

.....パワーは予想を遥かに上回り、スピードも悪くない。

 

「だが、私の方が速度は上だ....!」

 

好戦的に弧を描く口元をそのままにセルベリアは風のような速さでその場を駆ける。

驚くべき速さでイムカの背後に周り渦巻形の剣を振りかぶった。

 

「ハアッ!」

 

気合いの声をはきながら剣を振り下ろす。

それに対してイムカは咄嗟に腕を頭上に掲げる事で凶刃を防いだ。西洋の鎧を模したバジュラは身体全体を包んでいる、その手甲で剣を弾き返したのだ。

高純度のラグナイト物質であるヴァルキュリアの槍と鋼鉄のバジュラがぶつかり、澄んだ金属の()が響く。

すかさずイムカは片手でヴァールを振り回した。

迫るヴァールの刃を、驚くべき事にセルベリアはその場で曲芸師のようにバク宙することで鮮やかに躱す。

あっさりとイムカの身長よりも高く跳び上がると(かかと)落としを行った。

美しい足から放たれるギロチンの如き一撃を、寸でのところでヴァールで防ぐ。

恐ろしい程の衝撃がバジュラを通してイムカに伝わった。

ヴァールとバジュラを介してこの威力。

 

「この化け物女。どこにそんな力が......!?」

「化け物とは言ってくれるじゃないか小娘」

 

ムッとしたセルベリアが足に力を込めた。ヴァールを踏みつける力が強まる。

ガクンと足が傾き地面に片膝を着くイムカ。

信じられない。常人の三倍の筋力を補正するバジュラをして、ギリギリと強くなっていくセルベリアの踏みつけに耐えるのがやっと。

これが戦車砲すら弾くヴァルキュリアの力か!

内心で驚愕するイムカは、それでも負けるつもりは毛頭なかった。

なぜなら.....。

 

()()()が見ている前でもう無様は晒せない!」

 

叫ぶイムカはヴァールを手放した。

拮抗していた力の均衡が一気に傾き、突然の事に反応できなかったセルベリアは踏みつける勢いのままにヴァールを地面に潰した。

それを狙ってイムカはセルベリアの長い足に組み付く。

 

「なにを....?」

 

獣のように飛びかかったイムカに戸惑いの表情を見せるセルベリアの視界は、次の瞬間急激に歪む。

なんとイムカはセルベリアの足を持ち上げグルグルと回り始めたのだ。

独楽のように回るイムカはバジュラによって補正された力で、セルベリアを人形のように振り回している。常人ではありえない光景はそれによって為されているのだ。

やがて遠心力が完全に乗り切るとイムカは手をパッと放す。

宙空を砲弾のように飛び、セルベリアの体はあっという間に試験場端のゲートまで吹っ飛んだ。

あわやゲートにぶつかるかと思われたがセルベリアは凡そ類い稀な反応速度で身を捻り、空中で姿勢を変えると壁に足を向け、

タン―――と壁にぶつかるセルベリアは危なげなく足で受け止める。

 

重力に従い体が地面に落ちる。―――その時、セルベリアの視界はソレを捉えていた。

落ちていたヴァールをもう一度構え直したイムカが、ヴァールの砲身をこちらに向けていて、

 

――瞬間――砲口が火を吹いた。

 

 

 

 

 

 

 

★      ★      ★

 

 

 

ビリビリとした砲撃後の反動が体全体に伝わるのを感じながら、イムカの視線は爆発した後の土煙に消えた女の姿を探す。

普通なら誰もが死んだと思う状況だ。

なんせヴァールの大口径の砲撃をまともに受けたのだから。それで生きているのであれば、もはや人間ではない。神か悪魔の類だろう。

だからこそ、生きている事を確信する。

 

―――なんせ、

 

「......私とてあの方の前で無様は晒せんのだよ」

 

あれは女神と呼ばれる存在なのだから。

 

濛々と巻き起こる土煙の中から蒼い炎の如き光を纏ったセルベリアが現れる。

よく見れば構える盾の形状が変わっていた。

幅が広がって、より防御に適した大きさになった盾が、如何なる原理か無限を象徴するかのように回転しているのだ。

蒼い光に反応して輝いているように見える。

 

「ヴァルキュリア.....!」

 

何度見ても畏怖の念がこみ上げるその姿を、イムカは憎々しいと云った表情で見る。

やはり似ている。あの日見た少女達に.....。

 

そう思うと否応なく心が叫ぶ。復讐せよ!とイムカの体を駆り立てるのだ。

あの女は仇じゃないと分かっていても、どうしようもなかった。

 

「その目で見られるのは二度目だな。私とお前が初めて会った時の目とよく似ている」

「.....すまない。あの時は動転していた」

「かまわないさ、直ぐに誤解も解けたしな」

「.....あの時の悔しさは今も忘れない」

 

思い出すのは一年前。初めてセルベリアと出会った日。村を襲撃した仇と見間違えたイムカは紹介しようとするラインハルトの横を走り抜けいきなり殴りかかったのだ。

殺すつもりで放った一撃は、しかし、あっさりとセルベリアによって無力化された。

当時、既に軍に入隊し日夜血の滲む鍛錬を続けていたイムカを簡単に床に押さえつけたセルベリアは、まるで危険はなかったとばかりにラインハルトに問うたのだ「この少女はなんです?」と。

軍人とすら認識されなかったのだ。

あれほどの屈辱を感じたのは初めてで、泣きたくなるほど悔しかった。

 

「だけど、そのおかげで今の私はある」

 

その屈辱を胸に更なる精進を誓ったイムカは、死にもの狂いで訓練に励んだ。それによって精鋭が集まる『バジュラス・ゲイル』において若きエースと呼ばれるようになったのだから。

 

「感謝する。だけど貴方を超える為に鍛えた力だから、容赦はしない」

「いいだろう。その覚悟に免じて私も本気を見せよう。ヴァールとバジュラの力を完全に引き出してみせろイムカ!」

 

言下に、セルベリアの持つ巻貝のような剣が反応を見せた。螺旋の軌跡を描きながら剣身が伸びる。瞬時にその形状は、正に『ヴァルキュリアの槍』と呼ぶに相応しい姿になった。

 

完全に伝説上のヴァルキュリアとなったセルベリアは槍を構える。

神話の光景と見まがうそれをイムカはギラギラとした目で見ていた。

精神の昂りに応じて背中のランドセル機構に内蔵されたラジエーターが悲鳴を上げる。

 

「いくよ、ヴァール、バジュラ。一緒にあれを倒そう.....!」

 

己の相棒達に叱咤激励を投げかけたイムカは攻撃を開始する。

その為にヴァールに搭載された三つの機構の一つを使う。

 

ヴァールに取り付けてある流れ弾から防御する為のガードケースを引き開けて中から弾倉を出す、瞬時に弾を込めて拳で叩き弾倉を直す。ガチャンと音が鳴るのを聞き届け目標に狙いを定めた。

 

「喰らえ!!」

 

炸裂する衝撃音が響き火薬の匂いと共に弾丸が射出される。

一直線に迫る大口径の≪砲弾≫がセルベリアに迫った。

――それを。

 

「フッ!」

 

なんとセルベリアは、ヴァルキュリアの槍を振るい容易く弾丸を弾いて見せた。

以前、矢を弾いた時とは比べるべくもない程の絶技だ。

だが、それを見てもイムカは動揺を見せず、試験場内を駆けまわりヴァール第二の機構を披露する。

柄近くにあるトリガーを引き≪機銃≫を放射したのだ。削岩機の如く断続的に響く射撃音。

しかしそれも、セルベリアはヴァルキュリアの盾を前にすることで防ぎきる。回転する盾に空しく弾かれるライフル弾が地に堕ちる。

それでも撃ち続けるイムカはセルベリアに肉薄したところをヴァール第三の機構≪銃剣≫で斬りつけた。

 

「デヤアアアアアアア!」

「はっ!」

 

割断の勢いで振るったそれはヴァルキュリアの盾によって防がれる。

予想以上に重い一撃がセルベリアの体を僅かにずらすが、それだけだ。

.....バジュラによって力を補強されているはずなのに!

何度目かのその思いに顔を歪ませる。

 

「それでも、負けない.....!」

 

不屈の裂帛が試験場内に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

「3.....2......1。最高新記録突破。素晴らしい!ヴァルキュリアを相手にここまで持ちこたえるなんて予想以上だ!!」

「このくらいイムカならやるでしょう」

 

ガラス張りの壁に顔を近づけて興奮するダルクス人とその横に立つラインハルト。

彼らは試験場の上部に設けられている観測室に居た。ここから試験場内の全てを見渡せるのだ。

眼下で繰り広げられる壮絶な戦いに、歓喜の声を上げる男の名はフォード。ダルクス人技術者だ。

片手に懐中時計を持ち計測していた彼は笑みを浮かべている。

 

「やはりイムカさんはバジュラの性能を完全に引き出している。流石は殿下が見込んだ子です」

「フォード博士。それよりもバジュラの事です」

「おお、そうですね。え~、試作段階は完全に終了と言ってよいでしょう。十分実戦にも耐えられます」

 

今もなお最高記録を更新し続けるイムカの様子を見て、フォード博士は頷いた。

機動力・耐久力・挙動どれをとっても申し分ない。

 

「ですが.....」

「なんだ?」

「なにぶん稼働時間がネックですね」

「確か三時間だったか」

 

三時間。

それがバジュラの稼働限界時間(オーバータイム)だとフォード博士が前に言っていたのを口にする。

 

「はい、ラジエーターを背部のランドセル機構に内蔵した事で出力を上げたのですが。そのせいで排熱機構が不十分でして稼働熱を逃がせないんです。耐久テストを行い判断した結果が三時間でした」

「なるほどな。サウナ地獄になると云う訳か。分かった。何よりも装着者の体調を考えた結果であれば構わない。整備面はどうなっている?それと限界時間後の冷却時間も教えてくれ」

「本来であれば整備兵は一人に対して一人は欲しい所ですね。バジュラは一回着てしまえば外部からじゃないと外せない仕様になっていますから」

「そうだな。最初の頃は新手の拷問器具かと思ったよ、エリーシャが目を輝かせていたな」

「ははは」

 

苦笑するフォードは観測室内にある椅子に座り語る。

 

「ですのでバジュラ整備部隊を作りたいと思います」

「ほう。続きは....?」

「はい。一つの拠点に待機させ、其処を『バジュラス・ゲイル』の帰還ポイントにするのです。戻って来たバジュラを総がかりで整備する事で時間を短縮させます」

「なるほど。前に出た相棒(バディ)案は整備兵の安全が保障できないので却下したが、それならいけるか......?」

 

ラインハルトも椅子に座り思案気に腕を組む。

 

「それと拠点であれば整備兵の整備環境を上げることが出来ます。なのでバジュラの冷却時間を短縮することが可能です」

「その実験は?」

「行いました。『バジュラス・ゲイル』は十五分で戦場に戻れるでしょう」

 

決断は早かった。

 

「よし!了承した。直ぐにでもウェルナーに打診しよう『中央相互支援連隊』の力が必要だからな」

「ありがとうございます」

 

ふとガラス張りの壁からイムカ達のいる試験場を見下ろす。

まだ戦いは終わっていない。

セルベリアの振るうヴァルキュリアの槍をヴァールで防いでいるイムカ。防戦一方のようだがバジュラを削られながらも必死に喰らいついている。

いや、違う。あえてバジュラで受けることで被害を最小限に食い止めているのか。

 

「すごい、なんてこった....!」

 

ラインハルトの視線を追いかけ試験場を見たフォードが驚きの声をもらす。

彼の予想した時間はとっくに過ぎている。つまりあれはバジュラではなくイムカ自身の力によるもの。

やはり、とラインハルトは思う。

彼女は天才だ。恐らくセルベリアに匹敵する才能の持ち主だろう。

 

「.....俺の様なまがいものではなく、彼女達こそ真の天才と呼ばれる存在なのだろうな」

「え?なにかおっしゃいましたか.....?」

 

ボソリと呟かれたラインハルトの声にフォードが聞き返すが。

ラインハルトは何でもないと首を振る。

 

「それよりも見ろ、セルベリアが槍の力を使うようだぞ」

「ええ!?」

 

見れば本当にセルベリアがヴァルキュリアの槍に蒼い炎の光を纏わせているところだった。

 

そして、

 

突き出された槍の先端から蒼き光が放たれる。

 

本当に狙っていたわけではなかったのだろう、蒼い光はイムカの頭上を越えて試験場のドーム型の壁に直撃した。

青い閃光がドーム内を白く染め直後に爆発が起こる。

瞑っていた目を開けたフォードはその光景に驚愕する。

なんと壁にぽっかりと大穴が開いてしまっていたのだ。

 

「まさか!?最高純度のラグナイト合金でつくった鋼鉄の壁だぞ!?三十センチの厚さもあるのに」

「どうやら古代ヴァルキュリア人のラグナイト精製技術には帝国の粋を結集させても未だ届かないらしいな」

 

そう呑気に口にするラインハルトの視界では試験場のあちこちで爆発が起きている。

セルベリアの槍が放つ蒼い光が、イムカの撃つヴァールの砲弾が整っていた試験場を荒地に変えていくのだ。

 

「セルベリアめ。久しぶりだからとハメを外しているな」

「そ、そんな事を言ってる場合ではありません!このままでは研究試験場が崩壊してしまう!?」

 

ハチの巣のようになっていくドームを見て真剣にそう思ったフォードは慌てた様子で壁のスイッチを押す。

ようやく実験終了のベルの音が聞こえる頃には兵器研究試験場は見るも無惨な有様を呈していた。

 

「あーーーーーー!!僕の試験場がああああああああ!」

 

膝を落として絶叫を上げるフォードの声を聞きながらラインハルトは立ち上がる。

 

「......さて、帰るか」

 

ドームに空いた穴の先から漏れだす夕焼けの光がなんともむなしげに映えるのだった。

 

 

 

 

 



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十六話 

ニュルンベルク城の王宮深奥部には皇族専用の部屋がある。

其処まで行くには多くのチェックが必要で、将校であっても必ず足止めを食らってしまう。

(すめらぎ)近衛騎士団』からなる立ち番の兵士に誰何され、戻されるのがオチである。

不埒者であればなおさら即刻切り捨てられるだろう。

彼らの監視は厳しくまた審査も同様に固い。

なので今までは私ですら何度も追い返されて来た。

というかなぜか私は特に入らせないようにしているようで、聞いてみたところ「団長が固くセルベリア様の入室を禁じていますので、殿下が許可しようとも入らせるなとの事です」だそうだ。

申し訳なさそうに言うが職務に忠実な兵士であった。何度頼んでも堅い守りを突破することは叶わなかったのである。

むう、食堂のシェフのようにはいかないか。

それにしても昔からの知り合いだと云うのにあの男め。

私が殿下に何をするというのか?まったく....。

殿下もあの男には甘い気がする。幼少の頃よりの剣の師であるから仕方ない事なのかもしれないが。

 

実のところ私はあの男の事が少し苦手だ。

何を考えているか分からない。

常に無表情であることを生涯の誓いに立てているのかと思わんばかりに顔を変えない。

しかし、殿下に対する忠誠は本物だ。心酔していると云ってもいい。

 

まあ、私のほうが殿下を想っているがな!

 

誰に誇るわけでもなく豊かな胸を張ってみる。

なにはともあれ話を戻すが、大事なのはそのチェックの厳しい通路に今は誰一人兵士が居ないと云う事だ。

これまで入った事のない初めて通る道の先には、巨大な螺旋をモチーフにした古代ラグナイト鉱石のアーチで出来た入口がある。中に入ると門があり不思議なことにそこだけ材質が木製であった。まるで一度壊した後に建て直したような作りだった。

 

その門の奥は、白い大理石のタイルを床一面に張った広い空間で、セルベリアは一瞬ここが目的の場所かと気を逸ったが違った。見れば木で出来た棚があり、その上には藤で編んだ籠が載っている。

 

ふむ、と細い顎に手を載せて考えること暫し、

 

セルベリアはおもむろに服を脱ぎ始めた。

最初に背広を脱ぎ、背中をざっくり露わにした作りの軍服だけになる。

すると金縁ボタンを外しなんと軍服すらも今は邪魔だとばかりに脱ぎだした。

その勢いの良さにあわや豊満な美体を全て晒すのかと思ったが黒いレースの下着で留まった。

いや、よく見ればそれは黒いビキニの水着だ。何故そんな物を着ているのだろうか。

まるで今から海水浴にでも行くかのような格好になると、緊張の面持ちで奥に繋がるドアの前に立ち。

しずしずと開けるのだった。

 

「失礼いたします....」

 

ゆっくりとドアを開けた先に広がる一面の湯気。同時に熱気が体を包み込んだ。

 

 

 

 

★        ★          ★

 

 

 

 

()()()も驚くほど広かったが、その先にある()()は輪をかけてとんでもない規模だった。

奥行きもある上に全体的に吹き抜けの空間になっていて、高い天井からはラグナイトの青い光が淡く降り注いでいる。

湯船はそれこそ遊泳できそうなほど大きく、軽く数十人が一度に入れそうだ。

中央には螺旋状をイメージした噴水がありそこから湯水がジャボジャボと溢れている。高名な画家の芸術作品を目の当たりにしているような惹きつける存在感があった。

.....これは、凄い。

一通り眺めセルベリアは思わず唸っていた。

そこで声が掛かる。

 

「来たか、遅かったな」

 

湯船の縁にもたれかかるラインハルトが面白そうに笑みを浮かべてこちらを眺めていた。さらに二人ほど湯に浸かっている。

どうやらラインハルトは呆気にとられるセルベリアの様子を見ていたのだろう。

自覚するとカアっと頬が赤くなる。

恥ずかしさを誤魔化すように口を開く。

 

「申し訳ありません、準備に手間取ってしまいました」

 

嘘ではない。

と云っても準備と言うほど大仰なものではなかったが。

何のことはない、只単に水着を選ぶ時間が長引いてしまっただけだ。

.....殿下との混浴にあたり、みすぼらしい物は見せられないからな。

そう考えているセルベリアの胸中を察したのか、ラインハルトはセルベリアの肢体を無遠慮に眺めると。

 

「白い肌に黒の生地が映えて、よく似合っているぞ。やはりお前には黒が合う」

「は、ありがとうございます」

 

水着鑑賞の後に呟いた褒めの言葉にセルベリアは頭を下げる。

平然を装っているが先とは別の意味で顔が朱に染まっていた。

心臓がドキドキと高鳴っている。

褒められたと云うのもあるが理由はもっと別だ。

原因はラインハルトの姿にある。

湯船に浸かっている彼は当然のごとく服を着ていない。つまり裸身だ。

たくましい体を臆面もなく曝け出している。

しかも長湯したせいで発汗したのか頬は赤く染まり髪は艶やかに濡れ、そのせいで匂い立つような色気が醸し出されていた。

熱の籠った妖艶な瞳がセルベリアを貫く。

.....し、刺激が強すぎます。

まだ湯に浸かっていないというのに頭がクラクラしてきた。

 

「そんな所に立っていないでお前も入ったらどうだ.....?」

「っ.....はい!」

 

しかしその言葉で我に返ったセルベリアは湯船に近づき、湯面につま先を浸けようとしたところで「リア、待て」ラインハルトにストップをかけられた。

 

「リア。その前に掛け湯をしろ、体に悪いぞ」

「あ、そうでした。申し訳ありません、気が舞い上がって忘れていました」

「ダメだぞ、風呂に浸かるならまず掛け湯をするのがマナーだ」

「はい」

 

言われた通り湯船の縁に置かれていた桶を手に取りお湯を掬い体に掛ける。

 

「ん....」

 

思いのほか熱めの温度に小さく声が漏れる。そしてもう一度お湯を掬って体に流し掛けた。体が温度に慣れてきたのか今度は大丈夫だ気持ちいい。

.....懐かしいな。昔まだ子供の頃に、殿下が教えてくれたのだ。

 

「こうしていると昔を思い出します。当時は世間知らずだった小娘に殿下は色々な事を優しく教えてくださいましたね」

「そうか?リアはよく覚えているな。正直カレーの件だって言われるまでは忘れていたぞ俺は」

「覚えていますとも、私は殿下との出会いから今に至るまで、数々の思い出を片時たりとも忘れたことはありません。私にとってかけがえのない大切なものですから.......」

「そう言われるとなんだか申し訳ない気持ちになるな。俺は忘れてしまっていたというのに」

 

気まずげに頬を掻くラインハルト。

確かに聞きようによればバツが悪い感じになってしまった。

もちろんセルベリアにそんな意図は微塵もない。

 

「あ、いえそんなつもりで言ったわけではなくて....!」

「分かっているさ。ただ俺がそう思ってしまっただけだ....ふむ」

 

そこで何やらふと考えるように顎に手を置くと、名案が浮かんだのか笑みを浮かべた。そして妙に朗々とした口調で言い出す。

 

「セルベリアよ、今までお前は良く俺に尽くしてくれてきた。礼を言うぞ」

「そのような事はありません。私は殿下の御力になることが何よりも幸福なのです。私に何でもお望みくださいッ殿下」

「ありがとう。そう言ってくれる忠臣が居てくれることを俺は神に感謝しよう。だがな、俺はそんな忠誠を誓ってくれるお前に何も返せていないのが実状だ。これでは上に立つ者として失格だろう。そこで俺自らお前に奉仕してやろうと思う」

「?......ッ!?」

 

どういう事だろう?と首を傾げていたセルベリアだったが、勢いよく立ち上がったラインハルトに慌てて目を手で隠す。

がっつり指の隙間から目が出ていたが。

 

「心配するな、ちゃんと俺も水着を着ているさ」

 

言葉通りラインハルトは黒の水着を履いていて下の部分を隠していた。

少しだけ残念な気持ちになる。

.....いや、何を考えてるんだ私は、臣下としてあるまじき下劣さだぞ!

自己嫌悪に陥っていたことで理解に遅れた。

 

「そこの椅子に座れ、()()()()()

「はい......え?」

 

指さす木製の椅子に大人しく座ったところでラインハルトの言葉を理解した。

 

「で、殿下?それは....!」

 

慌てた様子で振り返るとラインハルトの整った顔がすぐ近くにある。

形の良いセルベリアの耳にボソリと呟かれた。

 

「嫌か....?」

 

息が掛かる程に近い。

背筋がぞくぞくと震えた。

い、いったい何が起こっているのだ?臣下である私が主君であるラインハルト様に奉仕させるだと。ダメだろうそれは臣下としてあるまじき行いだ。

決然とした態度でしっかりと断らなければ!

 

「......嫌ではありません」

 

いつもの覇気ある態度はどこへやら、ウサギのようにふるふると震えてか細い声で言った。

何を言ってるんだ私は、断るんじゃなかったのか!?なんだその媚びるような甘え声は!自分の事ながら情けないぞまったく。

そんな余計な事を考えていると背中に温かな手の感触が伝わる。

すぐに手の温もりで分かった。分からない筈がない。辛い時や苦しい時もこの温もりの御蔭で私は立ち上がってこられたのだから。

しかし今はその手が自分の背中を優しく撫でまわす感触に背徳的な気持ちよさを感じた。

 

「痛くはないか?」

「はい、んぁっ。気持ちいいです、あっ」

 

ラインハルトが石鹸で泡立った手でセルベリアの綺麗な背中を洗いながら確認すると何故か艶がかった悩ましい声で返答してくる。

面白いことにポイントポイントで違った反応を見せてくれるのだ。腰を洗ってやるとビクンと腰がはねるし、首筋に触れてやると背筋をブルリと震わせ小さく甘い声を漏らす。その反応の良さにラインハルトは楽しくなってきた。

知らなかったが自分にはマッサージの才能があったのかもしれないな。

なんてことを考えながらあちこちを念入りに洗ってやった。

 

「こうしていると昔を思い出すな」

「はぅっ、むかしですか?んぁっ」

「そうだ。昔はこうやって洗ってやったものだ。覚えているだろ?」

「はい、も、ちい!ろんっです.....忘れる筈がぁっ、ありません....はぁはぁ」

 

幼い頃のセルベリアはいつもラインハルトの後ろを追いかけるような子だった。まるでそこが唯一の居場所だと言っているかのように。

食事のときはもとより寝るときだっていつも一緒だった。当然のように風呂まで付いて来た時は驚いたものだ。

その過程で洗いっこしたりしたのだ。くすぐったそうに笑みを浮かべる当時のセルベリアを思いだす。今の様な良い反応を見せてくれていただろうか。

そう考えふと思い出す。

 

そういえばあの頃から一か所だけ弱い所があったな。そこを洗ってやるとひゃんひゃんと可愛らしい声で鳴いてくれたのだった。一番のくすぐりポイントだ。

......久しぶりにアレをやってみるか。

当時を思い出したラインハルトはニヤリと悪童のような笑みを浮かべる。死角にいるためラインハルトの表情に気が付かないセルベリア。

 

そして、

 

「鳴かぬなら鳴かせてみせよう何とやらだ。鳴け、リア」

 

そう言いながらセルベリアの魅惑的な()()()に手を置くと。揉み押しながらザッと滑らせ膝まで手をスライドさせたのだ。

反応は劇的だった。

 

最初、セルベリアは何が起きたのか分からないと云った風に愕然とした顔で、瞬間――下半身からこみ上げる快感が電撃のように衝撃を流し抗う暇もなくセルベリアの体を仰け反らせる。

 

「あっあっ、アアっんあ!アアアアアア!!?」

 

爪先が丸まり力が入ると全身がガクガクと痙攣する。セルベリアの視界はぱちぱちと明暗し、浴場に甘い悲鳴が反響する。

 

「ああぁぁあぁ......」

 

やがて押し寄せてきた波は退き始め、余韻が甘い残響となってラインハルトの耳に残る。

太ももに手を這わせるため密着させていたのが良かったのか頭をぶつけることなくラインハルトの肩にもたれ掛っているセルベリア。

紅い瞳は潤み、涙が頬を伝う。桜色に染まった頬。はぁはぁと切なそうに漏れる甘い吐息。雄を虜にする雌の魅力が全開に放出されている淫靡な雰囲気を見てラインハルトの表情は固まる。

 

.....浴室に静けさが落ちた。

 

 



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十七話

「はぁ.....はぁ」

 

熱い吐息が浴場に響き、上下する豊かな胸。

今や全身で息をする状態のセルベリアにラインハルトはやりすぎてしまったと後悔する。

 

「すまない、リア。いや、謝って許される事でないのは分かっている。淑女に醜態を晒させてしまったのだから当然だ。どんな罰でも受ける所存だ。責任をとらせてほし.....っ!」

 

言葉の途中でラインハルトは押し倒されていた。

セルベリアは椅子から落ちるようにラインハルトを自らの体で押す。踏ん張りも効かず背中から倒れるラインハルト。頭を固い大理石のタイルに打ちつける直前、優しく滑り込んだセルベリアの手によって支えられた。

しかも空いた片手でタイルを押さえ柱とすることで酷く安定している。

 

「り、リア....?」

 

戸惑いの声を上げながら視線を向けると、ラインハルトに向かって垂れ落ちる銀髪の奥で赤い瞳が妙に据わっていた。

それはまるで可愛らしいう兎のよう?....いや、違う。

獲物を狙う肉食獣のソレ(眼光)だった。

 

「で、殿下ぁ」

 

雄の脳を溶かすような甘ったるい雌の声にガツンと頭を打ちつけられたような衝撃を受ける。

このままではマズイ.....!

押さえていた獣欲が高まりだすのを感じる。

ダメだ。今はまだセルベリアを抱くわけにはいかない。

 

「せ、セルベリア、落ち着け。今のお前は明らかに正気じゃない.....!」

「いいえ、私はいたって冷静です。もう耐える事を止めただけ、殿下が悪いのですよ....?必死に繋ぎ止めていた枷を貴方が壊してしまった。もう私の意思では止まれない.....」

 

そう言ってゆっくりと美麗な顔を近づけてくる。

咄嗟に逃れようと顔を動かすがガッシリ細い手が頭を掴んで離さない。

紅い唇が近づいて来るのを黙って見ているしかない。

その感触を指先でとはいえ知っているのだ。瑞々しい柔らかさを思い出しごくりと息をのむ。

 

あわや唇が接触するかに思われたその時、

 

バシャリと桶一杯のお湯がセルベリアの頭にぶちまけられた。

 

「わぷ!?」

 

イキナリの事に驚くセルベリア。途端に淫靡な雰囲気が霧散した。

 

首を動かしたラインハルトの目に仁王立ちで立つダルクス人の少女が映る。仏頂面でこちらを見ていた。

セパレートタイプの水着を着て健康的な素肌を晒していた。鍛えられた肉体美がとても良く映えている。

()()()とは先に共だって浴場に来ていたのだ。

 

全身を濡らしたセルベリアはイムカをジトリとした目で見た。目には抑えきれない激情が込められていて、今にも襲いかかりそうなプレッシャーを放っている。

 

「なんのつもりだ....小娘」

 

絶世の美女から出たとは思えないおどろおどろしい声音に、しかしイムカは「ふんっ」と鼻を鳴らし真向から受け止める。

 

「なんのつもりもない。ハルトを襲う刺客がいたから、私は護衛として当然のことをしたまで」

「私が殿下を襲うだと!?そんなことがあるわけ.....」

 

激昂しかけたセルベリアだったが、自分が直前までやろうとしていた事を思い出し言葉尻が下がる。

甚だ遺憾だが反論の余地はなかった。イムカの言い分が正しい事を理解する。

涙を飲んで怒りを抑え込むセルベリアにイムカが追い打ちをかけた。

 

「そもそも貴女は目的を忘れて何をやってるんだ。守るべき対象を襲おうとするなんて護衛失格」

「ぐうっ!」

 

セルベリアの胸に言葉の剣が突き刺さる。深々と刺さってとても痛そうだ。

 

「やはり帝都にも私が付き添うべきだった。聞けばハルトを危険な目に遭わせかけたらしいから....」

「な、何故それを.....!?」

 

皇子暗殺未遂などと云う将校にしか知らされていない情報を一等兵に過ぎないイムカが知っていることに驚く。

だが、直ぐに誰がその情報を少女に教えたのか分かった。

 

「リューネか......!」

 

ニヒルに笑みを浮かべる陽気そうな男の顔を思い出しながら呟く。

.....何を簡単に情報漏洩してるんだあの男は!

 

「いや、それよりも」

 

男に対する怒りすら湧いて来るが今は目の前の少女の言った言葉に意識が向けられた。

 

「私が貴様に劣ると言いたいのか」

「私だったらあの状況でハルトの傍を離れることはしない。絶対に怪我一つ負わせない.....」

 

例えどれだけの村人が死のうと......。

続く言葉は言わず胸にしまう。非道かもしれないがすでに覚悟は決まっているのだ。命令にただ忠実なだけの目の前の女とは違う。そんな思いがイムカにはあった。

 

女性二人の瞳の間で火花が散った気がした。

睨み合う二人の間に柔らかな声が割って入る。

 

「まあまあ、そこまでにしませんか二人とも?せっかく旦那様と共にお風呂に浸かっているのですから.....ね?」

 

そう言って蠱惑的な笑みを浮かべるのは黒髪の侍女長エリーシャ。湯船の縁に両手を置いて楽しそうにして二人を見ていた。

彼女もまたラインハルトと一緒に浴場に来ていたのだ。

 

これ幸いとばかりにラインハルトはエリーシャの出航させた助け船に乗り込むことにした。

 

「エリーシャの言う通りだ。今はこの浴場を存分に楽しんでほしい」

 

間に入ったラインハルトが二人の肩を抱き浴場に足を進める。

 

「.....ハルトが言うなら仕方ない」

「はい殿下....」

 

ほんのりと頬を赤らめてそっぽを向くイムカと何やら思うところがあるのか俯くセルべリアに苦笑すると、浴場内に入りゆっくりと身を沈めた。近くには何故か軍刀が置いてあり降り注ぐ青い光で刀身がキラリと反射する。すぐに手に取れるようにしてあった。

 

「ふぅ.....ここはな、古代ヴァルキュリア人が戦争で負った傷を癒すために使っていた湯地場なのだそうだ。そして何を隠そうニュルンベルクが生まれた理由でもある」

 

二人を侍らせながら大理石の湯船にもたれかかると、何気なく浴場の成り立ちを教えてやった。

恐らくは対立する二人の意識をまぎらわせる意味も多分に含まれていただろうが。

 

城塞都市ニュルンベルクが作られた元々の理由はこの風呂場にある。

 

「この温泉の効能にはヴァルキュリア人を癒す力があると言われている。理由は分からないが地下に眠るラグナイトの鉱脈から生まれた源泉に、高い濃度のラグナイト保有度が確認されている事が原因の一つだと言われている」

 

自らの生い立ちに起因する内容に俯いていたセルベリアも興味深げな表情になる。

 

「そうなのですか?ですが確かにとても気持ちがいいです」

 

ラインハルトの説明に感嘆の声を上げると実に気持ち良さそうに頬を緩めるセルベリア。肌に染み込むような親和性の高さだった。

 

「でもなぜそれがニュルンベルクが出来た理由になる?」

「ふっそれはな。古代ヴァルキュリア人はこの源泉を蛮族から守るためだけに壁を作り都市を作らせたのさ。この都市に元々ダルクス人が多かったのも支配下に置いた彼らに守らせていたからだ。つまり推測するに当時は古代ヴァルキュリア人達の娯楽施設でもあったのだろう」

「なるほど、そうだったのですか。道理で就任当時から妙にダルクス人が多いと思っていたのですが、そんな理由があったのですね」

「.....私はてっきりハルトがニュルンベルクの城主になってから同胞達が多くなったのかと思っていた。昔からだったのか」

 

納得したように頷くセルベリアの横で意外そうにしているイムカ。

二年前に初めて来た時から既に多くのダルクス人が生活していたのを覚えている。当時は復讐の念にしか気を取られていなかったが思い返せばその時から既に驚くほど活気に満ち満ちていたものだ。

しかし、昔から住んでいる同僚の人間に数年前までの暮らしとは雲泥の差があると聞いた事があるから、そう思ったのだ。

 

「間違っては無い、確かに今も多くの移民が都市を訪れるからな。だが昔から他の都市と比べても人口が多かったのは事実だ。そして、それが原因で殿下はニュルンベルクの城主になったのだ」

「どういう事?」

 

訂正の言葉にイムカは首を傾げた。

 

「ニュルンベルクの前の城主は生粋の帝国貴族らしい男でな。ダルクス人を奴隷の如く扱っていたんだ。酷いものだったぞ。あれは労働法もなにもあったものじゃない」

 

セルベリアは当時を思い出すように目を伏せた。

人権すら無視された彼らの物乞いのようなみすぼらしい姿。過酷な労働条件で働かされ続ける男達。紡績工場で十二時間以上働く女子供。それでも十分な報酬は払われず路地裏では餓死している者も珍しくなかった。栄養状態は悪くやつれていたダルクス人達。

およそ酷い状況下におかれていた彼らを見かねたラインハルトは前ニュルンベルク城主を失脚させ、自らが新たな城主として政務に携わったのだ。

 

「それからだ。この都市が変わったのは。元々多かったダルクス人に住む場所を与え食事を提供し仕事を雇用したのだ。それによって今の都市がある。全てはラインハルト殿下の御力の賜物なのだっ....」

「.....やはりハルトは凄い」

 

自らの事のように自慢げに締めくくるセルベリアに、

イムカは尊敬の眼差しでラインハルトを見上げた。

純粋にそう思ってくれている目にラインハルトは気恥しい様子を見せる。褒められるのは苦手だった。

 

「今のニュルンベルクがあるのはみんなの御蔭だ。俺一人では到底成り立たなかった」

 

事実、俺は今まで多くの人間と手を取り合って来た。シュタイン、アイス、オッサー、エリーシャ、リューネ、ウェルナー、フォード。いつしか取り合った手は俺を中心に巨大な輪となった。

彼らに支えられて今の俺があると言っても過言ではないのだ。

そして、

 

「その中にはイムカ。お前もいる」

「私も....?」

「ああ、頼りにしているぞ。俺のエース」

 

言ってダルクス人特有な紺色の髪に触れる。降り注ぐ淡い光に反射して綺麗な青色に見えるそれを撫でたのだ。

気持ちよさそうに猫みたく目を細めるも、同時に恥ずかしさを覚えたのか口元を湯面で隠した。

 

その様子をジッと羨ましそうに眺めている視線に気づいたラインハルトは笑みを浮かべてそちらに首を向けた。

 

「どうかしたか?」

 

あえてすっとぼけた態度でそんな事を言ってみた。悪い性格だと自分でも思うがつい苛めたい気持ちが湧いてくる。さっきもその所為であんな事になってしまったというのに反省しない男だ。

 

「い、いえ。なんでもありません.....」

 

何でもないと言うが明らかに何でもなくはなかった。寂しげに視線を落としてしまう。シュンとおあずけをくらった愛犬のような反応に内心で笑みを深める。

 

「やはり私には殿下の傍にいる資格はないのかもしれないな.....」

 

よほどショックだったのか思わずと云った感じにボソリと呟かれた。

やはりイムカの言葉に思うところがあったのだろう。

もしかしたら俺の期待に答えきれなかったとでも思っているのだろうか。

.....だがな、それは困る。

 

「何を言っている。お前はずっと俺と共に居てくれるのだろう?」

 

俺が最初に出会い手を取った相手はセルベリア、お前なのだからな。幾たびも窮地に陥った俺が今も生きているのはお前の御蔭なのだ。

この世界で俺が生きてゆく上でお前の存在はもはや欠かせない。

 

「え....」

「俺はそう思っていたのだが、違ったか.....」

「.....私はあなたの傍に居てもよろしいのですか?」

 

可笑しなことを言う。

 

「もとよりそのつもりよ。セルベリア・ブレスあってのラインハルト・フォン・レギンレイヴぞ、あの日お前が俺の手を取った瞬間からそう決まったのだ。文句があるなら聞くが.....?」

 

......文句があろうと俺はお前を離す気はないがな。やはり俺は酷い男だ。

そう思っているラインハルトの前でセルべリアは泣きそうな顔になっていた。

.....私はこの人に必要とされている。

それが何よりも嬉しかった。

こみ上げる思いのままに口を開く。

 

「文句なんてありません。叶うならば私はずっと貴方と一緒にいたい!」

 

ラインハルトは一瞬だけ目を瞠り、フッと笑った。

 

「そうか。まるで愛の告白のようだな」

「で、殿下!私は....!」

 

感極まったようにセルベリアは思いの丈をラインハルトに伝えようとする。

しかしラインハルトはセルベリアの唇にそっと指を添えた。

優しく口を閉ざされたセルベリアが何故っと言いたげな顔になった。

.....やはり自分ではダメなのか。

そう思ったセルベリアにラインハルトが言った。

 

「責任は取ると言っただろ.....」

 

指を離したラインハルトの顔がそっとセルベリアに近づく。

 

「......殿下」

 

擦れた声でセルベリアが呼ぶ、頬を赤くして、瞳をすっと閉じた。

 

赤い唇が近づき触れるその瞬間―――

 

 

 

「――来ましたわ」

 

呟かれた声にピタリと止まる。

 

途端に響く荒々しい物音。

ドン!スタタタタタ。

 

音にすれば滑稽だがこんな感じだろうか。

 

脱衣所に繋がる扉を蹴破って中から現れた男達が浴場に入ってきたのだ。

この城では珍しくない兵士風の出で立ちをしている。誰がどう見てもこの城の衛兵である彼らが皇室専用の区画に足を踏み入れている時点で重罪である。独房に入れられても仕方ないだろう。

何故彼らがここに.....?

疑問は直ぐに解消された。

 

指揮官と思われる兵士が前に出て慇懃無礼に言った。

 

「申し訳ありませんラインハルト皇子。お楽しみのところ申し訳ないが、そのお命頂戴させていただく」

 

なんと、その目的はラインハルトの命にあるようで、物騒にも手には銃剣が握られている。

彼らの正体は刺客だったのだ。警備が薄くなった今を狙って襲撃をかけたのだろう。

いきなり緊迫した雰囲気が浴場全体を満たす.....が、セルベリアから顔を離したラインハルトは何故かのんびりと湯に浸かったままだ。

 

「.....やれやれ、もう少し遅れて来ればいいものを。タイミングの悪い奴らだ」

 

微塵も焦りを覚えた様子はない。

それどころか歓迎するかのように笑みを浮かべてさえいた。

 

「な、なんだ。状況を分かっているのか....?」

 

ふてぶてしい不敵な笑みに、並び立つ兵士風の刺客の一人が困惑する程だ。

 

「あぁ、分かっているとも。お前達は城中の兵士達に紛れていた暗殺者達だろう。手薄になった警備に乗じて俺を殺す算段と云うわけだ。ご苦労....まさか本当に居るとはな.....くくく」

 

言葉を途切れさせたラインハルトは喉元から震わせるような堪え声を漏らし、

 

「フハハハハハハハハ!!」

 

それはすぐに呵々大笑とばかりに声を張り上げさせた。

浴場に響くラインハルトの声に今度こそ男達は何かがオカシイと思い始めた。

風呂場に満ちた熱気とは明らかに違う理由で男達は嫌な汗をこぼす。

......なんだ!?なぜあの男は笑っている!?なぜこの状況で笑える!

誰も言葉を発さない。だが、誰もが同じ思いを抱いた。

刺客達の誰も動けない。

目の前の金髪の男の笑い声が完全に場を支配していた。

 

「ふふ...見事な手際だエリーシャ。まさかこうも上手くいくとはな」

「お誉めにあずかり光栄ですわ」

 

子供の様に無邪気に楽し気な声でエリーシャを褒めるラインハルト。

湯に火照ったエリーシャは妖艶な笑みで答えた。

 

「なにを....なにを言っている.....?」

「まだ分からんのかド阿保め、いやそれとも理解したくないだけか?......お前達がまんまと誘き寄せられたのだと云うことを」

「なに.....!」

 

告げられた事実に一瞬は驚きの表情になった男だったが、じんわりと笑みを広げる。

ほとんど丸腰のラインハルト達を見て、

 

「は、はははは!馬鹿が、武器一つ持たないこの状況でよくも言えたものだな。大した肝だが、そのようなハッタリが貴方の最後の策か....哀れなものだ」

「武器ならあるさ、ほら」

 

軽い口調で湯船の縁に置いていた軍刀を掲げ男達に見せびらかす。

今度こそ指揮官の男は馬鹿にした様子でラインハルトを見る。

 

「.....そんな物で我らをどうにか出来ると本気で思っているのか。もし本当にそう思っているのならお前はやはり狂っている。どうやらこの都市で聞き及んだ噂も虚言に過ぎぬようだな!」

「ドアホめ、誰が俺が使うと言った?」

「なに?」

 

憎らしいほどに不敵な笑みを崩さない金髪の男は片手で弄ぶ軍刀を何やら俯いて顔を見せない隣の女に手渡した。

 

「殺れ、セルベリア」

「―――はい、殿下」

 

渡された軍刀を握りゆらりと立ち上がった銀髪の女。まだ顔が見えない。しかし只ならぬプレッシャーを感じる。

 

「銀髪の女。セルベリア・ブレス。皇子の寵愛を受ける雌犬風情が。知っているぞお前は超常の力を使うのだとな。しかし槍と盾の遺物が無ければ力は使えないとも聞いている」

 

水着姿に軍刀だけのセルベリアを恐るるに足らずと判断した指揮官はニヤリと下衆な笑みを浮かべる。その目はセルベリアの豊満な体つきを舐めるように見ていた。

.....なんとも良い体をしているではないか。皇子を殺した後に楽しめそうだ。なんせ此処は誰も立ち入る事を許さぬ聖域なのだ。邪魔者はいない。

 

「......さぬ」

 

下劣な考えをしている男の耳に微かな声が届いた。

なんだ?と思い耳を澄ますと今度は確かに聞こえた。

背筋も凍る地獄からの声を、

 

「お前達は.......許さぬ」

 

その時、男達は見た。

銀髪の狭間から垣間見えたセルベリアの紅い瞳が列火の如く怒りに燃えていた光景を。

 

瞬間セルベリアは跳んだ。

 

「ッ!?」

 

指揮官の男が命令するよりも早く、刺客達の間合いに着地したセルベリアは軍刀を鮮やかに閃かせる。

状況が圧倒的有利だからこその余裕だったのだろう、未だ銃剣を構えてすらいなかった男達から血しぶきが舞い、場は一気に混乱の坩堝となった。

あっという間に地獄絵図が作られていく彼女の戦いぶりに目を剥く指揮官の男。

 

「馬鹿な!彼の槍と盾が無ければ只の女のはずではなかったのか!?」

 

渡されていた情報と現実の差異に驚愕する指揮官の驚く声すら無視してセルベリアは兵士達を刈り取っていく。

 

「絶対に許さない!死んで詫びろ!.....お前達の所為で!」

「何を言って....グァッ!?」

 

血涙を流す勢いの憤怒の表情で剣閃を幾重にも繰り出す銀髪の女。

何に対しての怒りかすらも男達は理解できずに、固い大理石の床に倒れ伏していく。

あまりにも強すぎる。銃撃しようにも密集しているためおいそれと撃てないのだ。

――だったら。

 

「皇子だけでも殺すことができれば目的は達成するのだ!」

 

仲間達が容赦なく切り倒されていく中、手に持つ銃剣を構えラインハルトを狙う一人の刺客。

 

「させない!」

 

刺客が引き金を引くよりも早くラインハルトの前に出たイムカが湯面に突っ込んでいた手を引き上げる。

――すると、

ザバンと豪快な音をたてながら大剣のようであり銃のような長大な武器が現れた。つまりイムカの得物であるヴァールがだ。

 

「なっ!?」

 

驚きに目を見開いた刺客とヴァールを構えるイムカはまったく同じタイミングで互いに銃砲を鳴らす。

パンと乾いた音が反響し直ぐ傍を掠め湯面に消えた弾丸を気にもせずイムカは己の機銃を掃射させた。

この時の為だけに防水耐用に改造していたヴァールの銃創は滑らかに弾丸を連射する。

放たれた銃弾の雨は構えた刺客のみならずその周りにまで降り注いだ。

 

「ガハアッ!!?」

 

被我の制圧力が圧倒的に違い過ぎた。断続する連射音と共にバタバタと倒れていく刺客達。

その中にいたセルベリアは直前でイムカの放射に気づき高い跳躍を見せると湯船の中に着地した。

危うく自分までハチの巣にされそうになったセルベリアは水しぶきを上げながらイムカを怒り顔で見た。

 

「おい、今私まで狙っていなかったか!?あと少し遅れていたら死んでいたぞ!」

「.....仕方ない。教えていたら敵にも避けられていた」

「なんの言い訳にもなっていないぞ!?」

「......ちゃんと避けると信じていた」

「今さらそんな事を言ってごまかされるか!」

「でもお蔭でほとんど倒せた.....まだ一人残ってるけど」

 

視線を鮮やかに文句を言うセルベリアから刺客の方に移すイムカ。死屍累々と転がる敵の骸から少し離れた所に立ち尽くす指揮官の男を見る。

男は顔を引き攣らせてイムカを見ていた。

あらかじめ圧倒的制圧力を誇るその武器を隠し持っていた状況に驚きを隠せない様子だ。

 

「馬鹿な、俺達の動きを知っていたのか.....?」

「だから言っているだろう。お前達は最初から罠に掛けられていたのだと」

「.....」

 

もうラインハルトの言葉を笑って返す余裕もない。さっと血の気が引いた。

温かな浴場に居るというのに青い顔色の刺客を見て、ラインハルトがふうっとため息をこぼす。

 

「ようやく自らが狩人ではなく獲物である事に気づいたようだな。さて、洗いざらいその(情報)を捌かせてもらうぞ、先の襲撃の件を含めてな」

「それでは(わたくし)の出番ですね」

 

それまで沈黙を保っていたエリーシャが動き出す気配を見せる。

というかこの状況ですら未だにラインハルトとエリーシャは悠然と構えていた事に驚きだ。

そしてついに湯船の縁に寄りかかり優美な風情だったエリーシャが満を持して立ち上がる。

 

「っ!?」

 

立ち上がるエリーシャの様子を見ていたセルベリアが絶句した。

刺客もギョッとしてエリーシャに釘付けになる。男の(さが)によって視線は目の前の光景に吸い込まれたのだ。

つまるところ彼女の()()に、

 

「な、なぜ......お前は裸なんだ!?」

 

わなわなと震える指を突きつけてセルべリアは叫ぶ。

濁り湯で気づかなかったが、この侍女長はずっと裸で湯に浸かっていたようだ。

まるで気にした素振りも見せずに美しいプロポーションを晒しているエリーシャは首を傾げる。

何を言っているのか分からないと云った感じだ。

 

「なぜって、此処はお風呂ですから裸で入るのは不思議な事ではないはずですが.....?」

「そうだけど、そうじゃないだろ!殿下だけなら別に問題はないが今回は他の男達もいるんだぞ、何のために私が水着を着ていると思っているんだ!」

「......ハルトだけだったら問題ないのか」

 

自分と同じでハルトに見られるのが恥ずかしいから水着を着ていると思ったのだが。

まさかあの女、刺客達に見られるのが耐えられず水着を着ているだけで、そうじゃなかったら喜んで裸になっていたのか?

......やはりあの女は侮れない。

セルベリアに対する警戒レベルを上げるイムカ。何に対する警戒かは分からないが。

 

「もういいお前は座っていろ!私だけで十分だ」

「あら残念」

「というか武器もなくどうやって戦うつもりだ......?」

 

セルベリアの言葉にエリーシャは女性らしい起伏に富んだ肢体を湯面に隠し残念がる。

イムカからしたら彼女は正に丸腰の状態でどう戦う気だったのか興味が尽きない。見たところ武器は何も持っていないようだが。

イムカの後ろで何故かラインハルトも残念そうにしていた。

 

「久しぶりに闇指(あんし)が見られるかと思ったんだがな」

「闇指.....?」

 

ポツリと呟かれたラインハルトの言葉に、不思議に思っていたイムカが反応を見せる。

 

「エリーシャの通り名だ。ある界隈では有名でな、なんせ彼女はナイトウォーカー《闇の中から忍ぶ者》。つまり....」

「――ご主人様。昔の話ですわ」

「.......ふむ、そうだったな」

 

と、そこで釘を差すかの如く妖艶な流し目でエリーシャはラインハルトの言葉に被せた。

まるでそれ以上は言うなとばかりに、

ラインハルトも彼女の意思を尊重したのか口を閉ざした。

 

「生殺しはない....」

 

だが、イムカはそれで納得できるはずがない。とんでもなく続きが気になる言い方で終わり、たまったものではないのだ。

しかも謎の多い侍女長の秘密とくれば気が焦れるのも仕方ないだろう。

 

「いったいエリーシャは何者?」

「そうですねぇ....」

 

紡がれる疑問にふふっと笑みを溢したエリーシャはラインハルトにしなだれかかり冗談めかして言った。

 

「私はただの侍女ですよイムカさん。ただちょっと昔にご主人様と殺し合いをした事があるだけですわ」

 

衝撃的過ぎる言葉に度肝を抜かされた。

 

「な!?......いったいどういう事....?」

「話しの通りだ。俺とエリーシャは命の奪い合いをしたことがある。ただそれだけだ。なぁっ?」

「はい」

「......分からない」

 

穏やかに笑みを浮かべ合うラインハルトとエリーシャに意味が分からないと顔を困惑させるイムカ。

明らかに先程のセリフとこの状況が当てはまらないのだ。

 

「だからそういう意味では私は彼らと何ら変わらないのかもしれませんね」

 

セルベリアと攻防を繰り広げる刺客の(さま)を見て呟く。その目には憂いが込められていた。

いったい彼女にどんな過去があるのか、謎が深まるばかりである。

 

そうしている内にセルベリアの戦いも決着がついた。

 

「.....馬鹿な!?」

 

あえて隙を作ったセルベリアに刺客が砲口を向けて一弾を放った。それをセルベリアは軍刀で叩き切るという芸当を見せたのだ。

常識の範疇を超えた動きに動揺を隠せない刺客は、一気に迫るセルベリアに軍刀の柄で殴られてあえなく昏倒した。死んではいない。この男には幾つか聞く事がある。

 

固い大理石の床に崩れ落ちた刺客を見てエリーシャが立ち上がる。

湯船から出て出口へと向かった。

 

「捕らえに行くか」

「はい、情報を流したのは三人。その内の誰かが密告者でしょう。まあ、あの娘達が篭絡してるでしょうから心配いりませんが逃がすつもりはありませんし迅速に手を打つとしましょう。追って報告はお知らせします」

「わかった。()()任せる」

 

振り返るエリーシャが微笑みを浮かべ、

 

「かしこまりました」

 

言うとそのまま彼女の姿は脱衣所に消えた。

ラインハルトは後に残った刺客の骸と血臭に満ちる浴場を見渡し。

 

「これで敵の手を潰すことができた。じきに密告者も捕われるだろう、そうすれば敵は目を失うことになる」

「やはり殿下の考え通り密告者がいましたね」

「レニイ村の襲撃者達も俺達が帝都から帰る帰路を完全に把握していないと、あれほど正確に包囲できるはずがないからな」

 

最初の襲撃から違和感を感じていた。奴らは俺達を待っていたかのような節があった。

だからこそニュルンベルクに帰るまでのルートを幾つかあらかじめ教えた人間がいると考えたラインハルトは、前日の将校会議にてエリーシャに命じたのだ。

「内通者を炙り出せ」と.....。

 

ラインハルト自らを囮にする提案には驚いたが上手くいった。いっそ笑ってしまうぐらいに。

 

「俺の駒を持って行こうとした事も含めてコレで借りを返したぞ、顔も知らぬ怨敵よ」

 

まるで目隠しをしながらチェスをうっているような気分だ。

一番にキング(ラインハルト)クイーン(セルベリア)を討つ大胆な性格かと思えば、ナイト(オッサー)ポーン(私設軍)を盤上から追い出そうという慎重にして巧妙な手口を使う。この一連の流れが敵の思惑通りなら中々の策謀家だ。

 

「......面白い、次はどんな手を打ってくる?」

 

知らずラインハルトの口角は上がっていた。

見えざる敵との攻防を楽しんでいるのだ。まるでゲームのように、

そう、これは遊戯だ。賭け金は己の命。負ければ死ぬデスゲーム。

 

だと云うのに俺は敵の全貌を知らず敵は俺を知っている。圧倒的に敵が有利な状況。勝算は低いだろう。

否、だからこそ面白いのだ。

そうでなくてはつまらない。

必ずや首魁を見つけ出し盤上に引きずり降ろしてやろう。

それまで、

 

「......首を洗って待っていろ」

 

降り注ぐ青い光に見守られ、

誰に告げる言葉なのか本人ですら知らないが、ラインハルトの宣戦布告は確かに行われた。

 

この誓いが後に帝国を二つに分断しラインハルト達は争う事になるのだが、それはまだ先のお話しである。

 

二人はまだ出会ってすらいないのだから......。

 

 

 

 

 

 

 

 



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十八話

.....朝からセルベリアの様子がおかしい。

 

夕食を終え一息ついていたラインハルトはそう思っていた。

 

と云っても別に怪我や病気をしたわけではなく彼女は至って健全だ。

しかし、今日は何故かラインハルトに対して妙によそよそしい。かと思ったらチラチラと視線を送って来る。

上の空になってため息をついたりもしていた。

今だってそうだ。

傍に控え立つセルベリアは何か考えに耽っているようなのだ。そしてラインハルトをボーっと眺めていたかと思うとまるで邪念を払うように頭を振ったり、自らの責務を思い出したかのようにピシャリと直立し凛とした雰囲気を出したりと忙しい。この行動をもう既に何回も繰り返していた。

 

要は情緒不安定なのだ。

 

「リア、何か悩み事か.....?」

 

二人きりの時にのみしか呼ばない愛称で尋ねると、セルベリアは目を瞬かせてこちらを見た。

 

「は、申し訳ありません。何か言いましたでしょうか.....あ」

 

そう言いながら何やら頬を赤くするセルベリアはやはり何時もの様子とは違う。

それに、ラインハルトの言葉を聞き逃すなんてことは普段ではありえないのだ。

いよいよもって重症かもしれないセルベリアにラインハルトはかぶりを振った。

 

「.....いや、何でもない。それより例の大浴場での件の事だが」

「っ!?....よ、浴場がどうかされましたか!」

「.....うむ」

 

浴場というワードに強く反応を見せるセルベリアになるほどと理解する。

どうやらあの風呂場での件が関係しているようだ。

 

「捕らえた刺客の事だが」

「あ、そちらでしたか.....」

 

少しだけ残念そうにするセルベリアをよそに話しを進める。昨夜、如何なる所業を行ったのか詳しい事は知らないが独房に入れられた男はエリーシャによって情報を吐かされていた。

 

「ごうも....いや、口を割らせたエリーシャの報告では、どうやら依頼人は貴族だったらしい。しかも中々の大物だ。名をフレーゲルと言う」

「フレーゲルですか?聞いた事の無い名前ですね」

 

ピンときていないセルベリアが首を傾げるのを見てラインハルトは苦笑する。

実は因縁浅からぬ相手なのだ。

 

「ふっ確かにこの名前だけでは分からぬよな。そうだな.....こう言えばいいか。帝国中に俺の噂を流布した奴だよ」

「.....まさか」

「ああ、例の『虚け皇子』という噂だ」

 

それを聞いてセルベリアの表情が一変した。

それはセルベリアが片時も忘れたことはない、主君を中傷する噂の名だった。

必ずや見つけ出し悔い改めさせると誓った張本人。それがフレーゲルという貴族.....。

 

.....ようやく尻尾を捉えたぞ。

 

ついに見つけた怨敵の存在に闘志を燃やす。

さっきまでのぼんやりとした態度はどこにもない。今にも駆け出して行きそうなセルベリアに、

 

「まあ待て、その男自体は大した存在ではないのだ」

「え、そうなのですか?」

 

肩透かしを受けたような面持ちのセルベリア。

しかし、さっきは大物とまで評したはずでは?と不思議そうにする。

セルベリアの言いたい事を理解したラインハルトは軽く頷き言った。

 

「その後ろに控える存在が大物なのだ。そいつはブラウンシュバイク候と言う」

 

今度は別の理由でセルベリアの顔色が変わる。

 

「ブラウンシュバイク!?確か大三家の一角に連なる大貴族の名ではありませんか!」

「そうだ。そして恐らくは俺の命を狙う者達の一人でもある。ちなみにフレーゲルはブラウンシュバイク候の甥だ。十中八九フレーゲルの背後には候の影がある。これほどの大それたことをフレーゲル程度が出来るはずもないからな」

 

フレーゲル自体は木っ端な存在なのだ。まあ、その御蔭で背後に控える影を捉える事ができたのだが。

 

「っそんな、帝国を守る候爵家が何故殿下のお命を.....?」

 

信じられないとばかりに驚くセルベリアだが無理もない。

ブラウンシュバイクとは帝国の創立から今に至るまでを支えてきた云わば三つの屋台骨の内の一つなのだ。

帝国内で知らぬ者は居ない名家中の名家。

そんな大貴族が、守るべき存在である皇帝の嫡子の命を狙うだなんて考えるのも憚られる事である。

 

「理由は幾つかあるが第一によほど俺を皇帝にしたくないらしいな」

「ですが殿下は」

「うむ、皇帝になるつもりはない。だが、奴らはそう思っていないらしい」

 

ラインハルトの願望を知るセルベリアの言葉に、ため息をつく思いでラインハルトは首肯した。

まったく傍迷惑にも程がある。

辟易としたラインハルトにセルベリアは真剣な様子で言った。

 

「つまりこの一連の事件はブラウンシュバイク候が裏で糸を引いていたということですか」

「......いや」

 

意外な事にラインハルトは首を振った。

 

「ブラウンシュバイク家はこれまで基本的に中立を保ってきた。まあ、帝国の大三家は帝国の成り立ちから方針は中立なのだがそれは置いておくとして....ここで盟約を反故にしてまでフランツ派の貴族共と手を組むとは思えない.....」

 

帝国には幾つもの派閥が存在するが、中でも中立派と呼ばれる存在の力は極めて強大だ。

たった三つの家で形成されているそれは一見すると全体数としては少ないだろう。

だが、彼らが個々で持つ家の力は他の門閥貴族と比肩するのもおこがましい程で。

一家だけで小国に匹敵しうる勢力を誇る事からも、彼らは貴族達からも畏怖の念で見られていた。

その成り立ちは帝国が未だ小国でしかなかった時代まで遡り、時の国王と共に周辺諸国や時には蛮族達による覇権戦争を生き抜いてきた存在で、彼らの働きがなければ今の帝国はなかったとまで言われている程だ。

 

それ故に帝国が建国後、彼らに与えられた力は絶大で、しかし、その力ゆえに束縛を強いられてきた家でもある。

帝国の安寧を保つため皇子を擁する事を禁じられ皇帝になった者のみに忠誠を誓うのだ。

そのため他の派閥と関わることを嫌う性質がある。

 

その彼らが手を結ぶということはすなわち何者かが橋渡し役を行った......?

もしそうであれば。

 

「およそ最悪の状況もありうるかもしれんな」

「殿下....」

 

見れば緊張した様子のセルベリアがラインハルトをジッと見詰めている。

少し脅かし過ぎたかもしれない。

 

「案ずるな。俺とて黙ってやられるつもりはないさ」

 

一目見れば忘れられないとびきりに不敵なふてぶてしい笑みを浮かべるラインハルト。

効果はあったようでセルベリアは安心したのかホッとした顔になる。

 

「その為にもセルベリア。お前の力が必要不可欠になる。その時は頼むぞ」

「はい殿下!お任せください!」

「ふ....」

 

胸元に手を当てて揚々と頷くセルベリア。少しも臆した様子はなかった。

心配するだけ無駄だったか。どちらかというと俺の方が心配されていたように見える。

内心で苦笑するラインハルトは立ち上がると専用の食堂から退出した。

少しの時間をかけて城の最上階に上がる。

 

「......それでは私はまた後で殿下の部屋にお伺いします」

 

長い廊下を歩き十字路に来た時にセルベリアはそう言った。

昨日の件からセルベリアはラインハルトの傍で常に控えるように努めていた。

それは城中に未だ刺客が潜んでいる可能性を危惧した為だ。

だがラインハルトは違う考えをもっていた。

 

「エリーシャの報告では刺客はもうこの城に居ないそうだから無理をする必要はないのだぞ?俺の護衛なら近衛兵が居る事だし、お前はもう少し自分の時間を使うといい」

 

ラインハルトは前々からセルベリアにはもう少し自分の為に時間を使って欲しいと思っていた。

セルベリアには『遊撃機動大隊』隊長としての仕事もあるのだ。優秀な彼女は自らちゃんと業務を行っている。

だが、そちらの仕事を真っ先に終えて次にラインハルトの護衛もするとなると明らかにオーバーワークだろう。

それを気にしての言葉だったが、

 

「いえ!私の使命は殿下をお守りすることですから!それに私なら大丈夫です、殿下が傍に居てくださるだけで疲れも感じないのです」

 

言って笑みを浮かべるセルベリア。

確かに見たところ疲れた様子は窺えない。無理をしている感じもないから本当に大丈夫なのだろう。

 

「俺が傍に居たら疲れを感じないって....リアは面白い事を言うな、いったいどんな原理だ?」

「そ、それは!何と言いますか......そのぅ」

 

思い出したように顔を赤くしてしどろもどろになるセルベリア。また今朝からと同じ事になっている。

何か言いたそうにしているが言葉が出ない、そんな感じだ。

 

「思い切って言うべきか.....いや、しかしそんな破廉恥な事を言って殿下に幻滅されるのではないか.....?うぅ」

 

ごにょごにょとか細い声で一人何か呟いているセルベリアにラインハルトは首を傾げる。よく聴こえなかったので聞き返した。

 

「どうかしたのか?やはり疲れているんじゃないか....?朝から様子がオカシイようだが」

「は!?い、いえ何でもありません!気になさらないでくださいっ.....それでは私はこれで.....!」

 

慌てて手を振る仕草のセルベリアは律儀に敬礼すると分かれた廊下の先に向かって歩き去って行った。

その後ろ姿を黙って見送っていたラインハルトは彼女の銀髪が横切って見えなくなったのを確認するとふうっとため息を吐いた。

思っていた事を口にする。

 

「.....どうやら嫌われた訳ではないようだな。だが、やはりあの事で気まずくさせてしまったか」

 

それは昨晩の件の事だ。

思い出すのはセルベリアを絶頂させてしまった場面。悪気は無かったとはいえあれはやり過ぎだ。完全にアウト。

しかし浴場という特殊な場所でセルベリア程の美女を前にして黙っていられるはずもない、と云うのは男から見た勝手な言い訳にしかならないだろう。

ラインハルトは苦々しい面持ちになる。

 

「何が責任をとるだ。度し難い馬鹿だな俺は、うぬぼれるな」

 

一夜明けて思うのは自分に対する情けなさと怒りだ。浴場で気が昂っていたとはいえ信頼して身を委ねてくれた女性に不埒な行為を行ってしまったと云う自責の念がラインハルトを襲う。

 

「リアは俺に忠誠を誓ってくれた最初の一人だ。大切な者の信頼を裏切るな」

 

俺達はあくまで忠臣と主君の関係なのだ。

セルベリアもまたそう思って接している筈なのだから。

純粋な彼女の忠誠心を邪な思いで踏み躙っていいはずがない。

高揚した気分に流されてキスしかけた時だって、あれは彼女が受け入れてくれたわけではない。主君に恥をかかせないようにと振る舞った優しさなのだ。

勘違いするな。決して異性として想われている訳ではないのだ。

 

そうだ思い違うな、俺は誰かに愛される存在ではない。

この世界で俺の様なまがい者が人に愛される資格はないんだ。

―――そうだ。

 

「.....実の母親にすら愛されなかった俺が他の誰かに愛されるはずもないだろう.....」

 

言葉はどこか悲しい旋律で紡がれ誰に聞かれる事もなく中空に霧散する。

その後もラインハルトの瞳は空しげにセルベリアの消えた廊下を眺めていた。

 

やがて、視線を掻き消しラインハルトは自室に戻ろうと踵を返そうとする。

その時、反対の廊下から声が飛んできた。

 

「旦那様」

 

呼称を聞いて反射的にエリーシャかと思い視線を向けるも.....違った。

視線の先には確かに美しい女性が立っていたが、彼女の髪は紺色だった。新品なのか真新しい侍女服に身を包んでいる。

彼女はもしや。

 

「奥方か.....?」

「はい旦那様」

 

言ってうっすらと微笑むエムリナの姿にラインハルトは目を剥いた。

 

「なんと...見違えたな!一瞬誰か分からなかったぞ」

 

言い過ぎではなかった。それほどに変わり映えしていたのだ。

あの村から出て来た時は憔悴していて、少しやつれていた彼女は顔色も悪く、無理に笑う様はどこか痛々しくもあった。だが今の彼女にそれらの影はなく優しい表情には人を安心させる暖かみがあった。それが別人を思わせる程だったのだ。

 

「旦那様の御蔭です。温かい食事を摂ることも出来てあの子と暮らす部屋も与えてもらえて......本当にありがとうございます。旦那様には感謝の言葉だけでは言い表せません」

「頭を上げよ奥方....いや、エムリナ。俺はただ罪滅ぼしをしたに過ぎん。俺には礼を言われる筋合いはないよ」

 

深々と頭を下げていたエムリナが顔を上げる。ラインハルトを見てゆっくりと首を振った。

 

「いいえ旦那様。貴方の御蔭で私とニサは救われたのです。それは確かな事ですから何としてもお礼を言いたかったのです」

「俺を憎んでいないのか」

 

ラインハルトは思わず聞いてしまった。言った後にしまったと思ったがもう遅い。吐いた唾は飲み込めないのだ。

だが、例え恨まれていようと甘んじて受け入れるつもりであった。自らが原因で村は襲われエムリナの夫は殺されたのだから。ラインハルトの正体を知った今エムリナもそれを少なからず理解している筈だった。

しかし。

 

「何故ですか?旦那様が私の夫を殺したわけではないではありませんか」

「だが、俺の所為で村は襲われたんだぞ」

 

エムリナはやや間を空けてゆっくりと答えた。

 

「......人には宿命が課せられます。幸せな事であれ過酷な事であれ運命から逃れる事は出来ません。その運命に流されながら人は前に進むしかないのです。だから私は旦那様に感謝こそすれ恨む事はしません。あの人もそう思ってくれているはずです」

 

エムリナの目に宿る光を見て、ラインハルトはもう何も言えない。それがエムリナの本心だと認めたのだ。

 

「......やはりあなたは強いな」

「あの子が居ますから。旦那様にも守りたいと思う人が居るのではありませんか?」

 

ニコリと笑みを浮かべての言葉にラインハルトは戸惑いを見せる。思ってもみない事を聞かれた。

 

「守りたい人か.....」

 

最初に思い浮かべるのはやはり幼い頃のセルベリアだった。

ちょこちょことラインハルトの後ろを雛鳥の様に付いて回る光景が思い出された。

あの頃は幼く弱かった彼女だった。だが、

 

「今や俺では及びつかない強者になったからな、どちらかというと俺の方が守られる側か」

 

セルベリアは当初シュタインから剣を学んでいた俺を真似て始めたのだが。セルベリアは正に天才だった。俺が数カ月かけて覚えた技をたった一日で習得したのだ。あの時は悔しくて泣きそうだったのを覚えている。

それを頑張って堪えて、褒めて欲しそうにしているセルベリアの頭を撫でてやったのだったな、その後に自室で泣いたのだ。あの情景は忘れられない。懐かしくて少しだけほろ苦い思い出だ。

 

「旦那様?」

 

男として複雑な心境でいたラインハルトは不思議そうにするエムリナに何でもないと言おうとして「あっ」と声を漏らす。頭の上にランプが点滅するような面持で。

 

 

「女性に対する悩みは女性に相談するべきか....?」

 

謎のセリフの後にラインハルトはエムリナを見た。

 

「エムリナ。話しがある俺の部屋に来てくれ」

「はい?」

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「......なるほど。それでセルベリア様に嫌われたのではないかと危惧されているわけですね。事情は理解しました」

 

旦那様の自室に連れられて来た時は何事かと思ったが、いざ用件について話しを進めていくと何の事はない只の恋愛相談だった。

最初は緊張して聞いていたエムリナも今では落ち着いた様子で円卓の椅子に座っている。

 

「うむ。どうもセルベリアの様子が朝からオカシイようなのでな」

「どのような感じなのですか?」

「そうだな、例えば.....俺と目を合わせないように俯いたり、よしんば目が合ったとしても何とも云えない顔になって視線を振り切るのだ。やはり不埒な行いをした俺に失望し見下げ果てたのであろうな」

「旦那様それは.....」

 

ただ好きな人に痴態を見られたので単に恥ずかしがっているだけでは?と何故か失望されたと思い込んでいるラインハルトに言おうとしたが喉元で吞みこんだ。

ニュルンベルクの道中、エムリナは森の中でセルベリアの想いを聞いている。あの想いを語る時のセルベリアの同性をも魅了する笑顔を知っているエムリナとしては、浴場での行為でラインハルトを嫌うとは思えない。

いや、それどころかむしろ......。

 

(ま、まあ何にせよ。ここで私が彼女の想いを代弁するのは違うわよね.....)

 

そう思ったからこそ言うのを止めたのだ。コホンと頬を赤くしたエムリナ。

いずれ彼女自ら誤解を解くだろうと結論を出し。

 

「愚考いたしましたがセルベリア様はそのくらいで旦那様の事を嫌いにならないと思いますわ」

 

あくまで恋慕の念は教えずに当たり障りのない事でラインハルトの誤解を解こうとした。

 

「そうだろうか?」

「そうですとも、だって嫌いな殿方と一緒に朝からずっと居るなんて私だったら耐えられません。セルベリア様だってそのはずです。つまり朝からずっと共に居る事を望むセルベリア様は旦那様の事を嫌いになんてなっていません!」

 

というか普通だったらとっくにセルベリアの想いに気づいていてもおかしくないはずだが。むしろ恋仲になっていても驚かない。

あれほどの強い絆を間近で見ていたエムリナは何で二人がまだくっついていないのか不思議でたまらなかった。

 

強く言い切ったエムリナに、しかしラインハルトはむうっと口ごもり。

 

「だがあれは臣下として主君の顔を立てただけかもしれん。セルベリアは厚い忠義の心を持っているからな.....だからこそ内心では『この万年発情男がっ』と思っているかもしれ.....」

「ありません!」

 

だからその高い忠誠心にしたって注ぐ器が旦那様じゃなかったら、ピタリと止まるんですってば。旦那様だからこそセルベリア様の忠誠の力は強いんですよ。それを分かってますか?

とことんセルベリアの想いに鈍感なラインハルトをもどかしく思うエムリナ。

 

「しかし」

「しかしもかかしもありません。旦那様はセルベリア様がそんな事を考えると本当にお思いですか?」

「それは.....いや」

 

考えるまでもなかった。彼女ほどの献身的な存在をラインハルトは他に知らない。

 

「セルベリアはいつだって俺の為に働いてくれていた。だと云うのにこんな思いに至るとは、主君として恥ずべきことだな」

 

彼女を疑ってしまった自分に何度目かの情けなさがこみ上げる。これでは主君として失格だ。

 

「それだけ旦那様がセルベリア様を大切に想っている証拠です」

「....まさかエムリナに慰めてもらうことになるとはな」

 

しかし何故か悪くない思いだ。不思議な事にエムリナになら自分の弱い部分を簡単に晒してしまってもいいような気持ちにさせられるのだ。普段のラインハルトだったら相談自体持ち掛けなかったはずなのに。

 

「私でよければいつでも慰めてさしあげますよ」

「そうもいかんさ。今回だけだ」

「では頑固な旦那様にアドバイスを一つだけ.....」

 

たおやかな指を立てて見せ柔らかい笑みを浮かべるエムリナ。

アドバイス?何だろうか。

興味をもってラインハルトは聞いた。

 

「もし旦那様がセルベリア様の想いを知られたいのなら――――の時に―――――と言って下さい」

「なぜそんな事を.....?」

 

語られたエムリナの言葉にラインハルトは首を傾げる。

どうもエムリナの意図が読めなかった。

 

「いいですから。とにかくそう言って、旦那様はセルベリア様にしてさしあげてくださいね、絶対ですよ」

「......分かった」

 

不承不承とばかりに難しい顔をするがラインハルトは確かに首を縦に振った。

それを見届けたエムリナは満足そうに頷くと、

 

「それでは私はこれで失礼します」

「ああ、呼び止めて悪かったな。今度はニサも連れてくるといい。自由に出入りできるよう許可を出しておく」

 

退出しようと椅子から立ち上がるエムリナを見上げながらラインハルトは言う。

 

「ありがとうございます。あの子も喜びます。旦那様に会いたいといつも言っていますから」

「それは悪いことをしたな」

「ふふ。それではお休みなさいませ旦那様」

「エムリナも良い夢を.....」

 

円卓に座したままラインハルトはエムリナの背中を見送り、閉まるドアに姿が途切れた事を見届けると、空中をぼんやりと見上げる。

ようやく分かったのだ。

 

そうか......。

 

「エムリナはあの人に似ているのか」

 

容姿ではなくその雰囲気がどこかあの人を思わせる。

 

包みこむような優しさ。何でも話せるような温かさ。

 

俺はエムリナに、()()()の面影を重ねていたのだな......。

 

 

 



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十九話





ニュルンベルクの都市全体を照らしていた日が沈み、夜が深まった頃。

都市中心に座するニュルンベルク城の城内。その深奥区画にあるラインハルトの自室付近では、夜も良い頃合いだというのに扉の前で衛兵達がしっかりと警戒を厳重にしていた。いざ不審な輩がいつ来てもいいように交代制で見張りを行っているため、一瞬でも彼らの目を盗んで部屋の扉を開ける事は不可能である。正に鼠一匹入ることも出来ないのだ。

この厳戒態勢は今だけの特別期間というわけではなく日頃からのものであり、連日これが続く。

 

彼らは皇室付き近衛兵と呼ばれる者達で、幾つかある衛兵のランクから見ても最高位と言って云いだろう。それは貴族しかなれない帝国の上級騎士にも匹敵する程で、特に皇室の近衛兵は誉れ高き栄誉とされており平民であれば誰もが一度は憧れる職種なのだ。

だが、そのため兵士達には相応のレベルが求められる。

過酷な時間配分にも耐えうる精神と敵から主君を守る忠誠心はもちろん。強靭な肉体とその力を振るう能力が必要になり、生半可な思いではこの業務に耐えられないだろう。

そして、これらを審査するのが皇近衛騎士団長のシュタイン・ヴォロネーゼなのだが、これが最も厳しいとされている。

他の基準をどんなに超えていようと彼の御眼鏡に止まらなければあっさりと希望者は落とされる。

その証拠に毎年行われる審査会でも多くの皇室付き希望者が落第させられてきた。

中には審査内容に不満をもち文句を言って来た大男もいたが、そいつはシュタイン自らの手によって物理的に落とされた。今でもどこかの病室のベットで安静にしている事だろう。

腰に帯びた細い剣も使わず拳ひとつで黙らせたシュタインに参加者全員が顔を青くさせたのは想像に難くない。

よって選定された近衛兵達に弱卒はおらず誰もが一廉の武人というわけだ。

 

そして、そんな彼らの前に一人の女性が対面していた。

彼女の前に立つ近衛兵の男は無表情を努めていたが隠せない筋肉の強張りが表情を固くしている。信じられない事だが勇猛な彼らは目の前の女性相手に緊張しているのだ。別にその美しさに目が眩んでというわけではなく。

彼女が発する無形のプレッシャーによってだ。

男は圧力に耐えられずゴクリと喉を鳴らす。

が、しかし流石はシュタインによって選び抜かれた猛者である彼は簡単に屈する事はなかった。

己の職務を全うするため乾いた唇を開かせたのだ。

 

「で、ですから何度も言いますが夜も深まった頃合いですので誰かを通す事を固く禁じられているのです。なので入室は御控え下さいセルベリア様」

 

対面する女性である軍服姿のセルベリアはジッと近衛兵の男を見返していた。顔には納得いかないと不満な思いが込められている。

 

「私は殿下の御側役だぞ。なにゆえ尋ねる事も禁じるというのか、執務室で待機するだけだというのに」

「その、申し上げにくい事ですが....特にセルベリア様をこの時間以降は通すなと団長からの厳命でして」

「またか.....確か昨夜も門前払いを受けてな、今日はそれより早く来たのだがな....」

 

どうしてだろうな?と冷え切った目が言外に物を語っている。

その言葉通り、セルベリアはは昨夜もラインハルトの部屋を訪れていた。その時も番兵に拒まれてあえなく立ち去る事を余儀なくされたのだ。

だからこそ今日は昨夜よりも早く仕事を終わらせて来たのだが、今もまたすげなく門前払いされようとしていた。これには納得できるはずもない。

黙るセルベリアから不可視の波動のようなものが発っせられている気がする。いや、発せられていた。それは怒りからくる威圧感で。

どうしようと入れる気のない近衛兵達にその感情を抱いているのだった。

徐々に強くなっていくプレッシャーに近衛兵達も気が気ではなく内心では猛烈に不安を感じていた。

それでも表面上は毅然とした態度で扉を塞ぐ辺り流石と云える。

 

「さあ、お帰り下さい」

「......どうしても入れる気はないようだな」

「はい、申し訳ございません」

 

憮然とした面持ちで首を振る近衛兵にセルベリアの目はスッと細まり。

 

「分かった.....」

 

そう言ってクルリと態勢を変えて元来た道を歩き出す。

離れていく背中に近衛兵達もようやく帰って来れるかと安堵の思いになる。

自分達としても心苦しい思いではあるのだ。できれば部屋に入れてあげたいという気持ちもあるのだが、上司の命令では仕方ない。シュタイン団長は職務を違反した輩に対する罰がキツイ事でも同僚達の間では有名なのだ。

セルベリアを通そうものなら恐らく自分達は地獄を見るはめになるだろう。それはたまったものではない。

 

しかしどうやらその心配はないようだ。......と思っていたのだが廊下を歩き始めたセルベリアの足が唐突にピタリと止まった。

何故か立ち止まるセルベリアに怪訝な顔を見せる近衛兵達。

 

「ならば押し通るまでだ」

 

そう言って振り返ると近衛兵を見詰めるセルベリア。まるでお前達は私の敵だと言わんばかりの目に男達は慌てる。

 

「なんのおつもりですか!自分が何を言っているのか分かっているのですか!?」

「無論だ。コレはお前達の実力を試す為に行うのだからな」

 

きっぱりと頷くセルベリアに思わず衛兵達はご乱心されたかと考えたが続く言葉に困惑する。

 

「なにを言って.....?」

「真に殿下を守るに値するかどうかお前達の実力を私自らがはかってやると言ったのだ。さあかかって来るがいい」

 

勝手な主張にますます混乱する近衛兵達をよそにセルベリアは既に戦闘状態に移っていた。僅かに腰を落として構えをとる。重心を低くしていつでも動けるようにしたのだ。

 

「いいか、コレはあくまで近衛兵の実力を審査する為に行う抜き打ち試験のようなものだ。別に私欲に任せて力づくで入ろうとしているわけではない、分かったな?」

「まさか......」

 

まるで念を押すような言い方にようやくセルベリアの意図する事を理解した。

つまり部屋に通す気のない自分達を倒して中に入ろうと考えたが、それは流石に立場上マズすぎるのであくまでこれは試験の為であり仕方なくと云った感じに取り繕うつもりなのだ。

あまりの暴論に言葉もない。

 

「本気ですか」

「すまないな。私とてこのような手は使いたくないが、どうも抑えるのは無理なようでな」

「抑える....?」

 

いったい何のことだ?と不思議に思い、思わず同僚と目を合わせる。横合いに立つ片割れも分からないようで首を捻っていた。

セルベリアの謎の独白は続く。まるで自分自身に対して言っているかのように。

 

「成就されない想いと自身に言い聞かせずっと押さえ続けていた。一緒に居るだけで良かった.....だがこの前の一件以来、私の箍は外れてしまったようでな、気持ちが抑えられないのだ。何とかしようとしたが無理だった、もはやこの想い伝えずにはいられない.....!」

 

グッと拳に力を込めて決意を固め。思いを新たにセルベリアは邪魔者を見やる。

分かってくれるかと思い少しは期待していると、目の前の近衛兵二人は難しい顔でお互いを見合いやがてセルベリアに視線を合わせ臨戦態勢をとった。

やはり簡単に通す気はないようだが。

 

「我らの役目はこの扉を守る事。如何なる理由があろうと通す訳にはいきません。ですが、セルベリア様の熱い想いに免じて、その試験とやらを受ける事にやぶさかではありませんが」

 

どうやらセルベリアの考えに乗ってくれるようである。それが彼らが出せるギリギリの妥協案だった。警笛を吹かないだけマシだろう。

 

「感謝する」

「それは少し早いのでは?我らも本気で参りますのでご容赦の程を」

 

つまり仕事なので手を抜くつもりはありません。ここを通りたければ俺達を倒してからにしろ、負けても文句は言うなよ。と云うわけだ。

発言の裏に隠された意味を理解してセルベリアの笑みが濃くなる。

 

「もちろんだ」

「それでは.....行きます!」

 

言葉の直後に近衛の男は駆け出した。防御力よりも機動力に重きをおいた近衛の制服に身を包む男は間を置かずセルベリアの前に躍り出ると腕を振り上げた。ゼロから起きる挙動が驚くほど速い。まだ動きを見せないセルベリアの首筋に手刀を叩き込む。

....少しの間、眠っていただく。

その思いで繰り出した一撃は鮮やかに首筋へと迫り、瞬間――男の視界は反転した。

 

「は?」

 

グルリと回る天地。

呆気にとられた声が漏れ、男は背中を地面に打ちつけた。

いったい何が起こったのか分からず目の前の天井に視線を彷徨わせる。

簡単な事だった。ただ単にセルベリアが目にも止まらぬ速さで手を動かし男の手を掴むと、手首を返して男の態勢を変えたのだ。それを未だ理解できていない男は不可思議な現象にしか思えず、すわ妖術の類かと思った程だ。

 

「これはジュウジュツと云う武術の技でな。徒手格闘に特化し相手を不殺で無力化する事も可能だ。このようにな」

 

その言葉に釣られたように男は腕から違和感を覚えたので視線を移すと、なんと自らの腕が奇妙な方向に曲がっているではないか。

 

「うわあ!?なんだこれ!?」

「安心しろ、後で繋ぎ直してやる。だから今は眠っていろ」

「ガッ!?」

 

驚きを隠せない男の後頭部に手刀を当て意識を刈り取るとセルベリアは前に出る。残ったもう一人の兵士を相手にする気だ。

一瞬で同僚が倒される光景に固まっていた近衛兵が我に返る。

首をブンブンと振って、

 

「いえ、自分は止めておこうかと思います!何も見ていませんからどうぞお入りください!」

 

あっさりと自らの責務を放り出すと、道を譲るのはまだ年若い青年の門番。それでいいのかと思わざるをえないが彼とて何も考えずに投げ出したわけではない。自らの力量を冷静に量った上での行動だ。

傍で見ていたにも関わらずセルベリアの動きに目が追いついていなかったのだ。

つまり自分ではセルベリアの攻撃を見切る事ができない以上戦いの結果は目に見えていた。

それにセルベリアが敵ならまだしも本来は味方である(しかも殿下の側近だ)。守護すべき対象が危険に晒されないなら別に譲ってもいいだろう、無駄な事はしない主義だ。という考えである。

 

「いいのか?私としては構わないが上司に知られたらタダではすまんかもしれんぞ」

「いいんですよ、結局の所。結果が変わらないなら俺がここでどうあがいても意味がありませんからね」

 

仮に衛兵の青年が止めようと止めまいとセルベリアはここを通っていくだろう。まったくもって意味がない。だったら潔く通したほうが痛い思いもせずにすむ。これが利口な行いと云うものだ。

まあ、もし上司の目があれば話は変わっていただろうが......。

 

「まさか自分の上司が居る前でそんな事を言うとはな。なんとも剛毅な男だ」

「........え?」

 

構えるかと思いきや腕を組んでうんうんと感心する風のセルベリアに、年若(としわか)の近衛兵はキョトンと目を丸くする。

セルベリアの言葉をゆっくりと理解していき同時に顔を青く染めていく。

慌てて周りを見渡した。しかし無表情の貌の男はどこにも見当たらない。

 

「......ど、どこにも居ないではないですか」

「そこにいるじゃないか。まあ、私も今しがた気づいたのだがな」

 

からかわれたのかと思い胡乱な目で見るが、何気ない動作でセルベリアは廊下の奥に指を指す。

白魚のようなセルベリアの指が廊下の端に連なるよう建てられている豪奢な造りの柱の一つに向けられた。

そこに向かって声を飛ばす。

 

「もう其処に居るのは分かっている出て来い」

 

すると、

柱の裏からゆっくりと人影が現れた。

 

「だ、団長!?」

 

途端に絞り出すような声を上げる近衛兵。

視線の前に出て来たのはシュタイン・ヴォロネーゼ。正しく自分達の上位者にあたる人物である。

女性のように端麗な顔つきをしているのに、それを帳消しにする無表情さ。

感情の起伏が薄い怜悧な瞳がセルベリアに向けられる。

 

「流石ですな、良くお分かりになられましたね」

「フン、お前のせいで私は気配というモノを嫌というほど感じられるようになったからな」

「貴女は昔から出来が良かったものですから、私もつい楽しくなってしまったものです」

 

懐かしむような言い草でありながら、お前の事なんかミジンコよりも興味がねえっとでも言わんばかりに表情は動かない。

 

「嘘つきめ.....まあいい、それでお前も私の邪魔をする気か?いや、尋ねるだけ無駄だったか......」

 

途中、シュタインがおもむろに腰の剣をすらりと抜き放つのを見て、セルベリアは無駄な言葉だったと切って捨てる。

そして自らも腰の剣を抜くと構えた。

 

戦意を闘志と変え剣氣へと昇華させる。

 

――瞬間、両者からプレッシャーが放たれた。

 

瞬時にお互いから発される膨大な殺気が城内の回廊を向こう側まで圧迫したのだ。

 

ゾッと肌が粟立つのを感じながら青年兵は二人を遠巻きに眺めている。早々に持ち場から離れて柱の陰に隠れていた。

 

「なんでこんなことになっちまったんだよ.......!」

 

今日が自分の担当だった不運を嘆く青年の声が回廊の隅で空しく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★     ★      ★

 

 

 

 

 

先に動いたのはセルベリアだった。

踏み込む音すら置きざりにする勢いでシュタインに迫ると剣戟を打ち合う。

これまで数多の武芸者を葬ってきたセルベリアの死の舞踏。それにシュタインは平然とした様子で追いついてきた。

細かい足捌きを瞬く間にお互いが交互に繰り返すので立ち位置が何度も入れ替わる。その都度、激しい剣戟の残響音が廊下全体に反響を重ねる。

 

セルベリアが攻めの剣ならシュタインは守りの剣だった。

 

幾重にも繰り出される剣閃を機械的に防ぎきると一瞬の隙を突いて剣突を放つ。

咄嗟にセルベリアは顔を反らして剣先を躱すと直ぐに態勢を変え側転する。一瞬の後に直前まであったセルベリアの顔を裂こうと剣が横に振られた。

ヒュンと空気を裂く音を聞きながらセルベリアは地面に手を着いて回転すると素早く態勢を整える。

 

しかし、剣を引いたシュタインは流れる動作で鋭い蹴りをセルベリアに打ち込んだ。

 

「っク!」

 

何とか片手で防ぐが思いのほか強い威力にたたらを踏み。その刹那、風が鳴る。シュタインの剣身が横凪に振るわれたのだ。一連の動作に淀みなく惚れ惚れするような繋ぎ方だった。

凄まじい勢いで跳ね上がった剣身が肉薄し、セルベリアは咄嗟に剣を立て防ぐも、その剣撃に軍刀は手元から弾かれる。

 

「.....ここまでです、さあ諦めてお帰りなさい」

 

弾き飛ばされた軍刀が金属音を響かせながら固い床に落ちるのを見て、シュタインは言った。

これで勝敗が決したと思ったのだろう。

確かに本来ならその考えが正しかった筈だ。

 

――相手がセルベリアでなかったならば....。

ギラリと眼光強くシュタインを見て。

 

「まだだ。まだ終わっていない、何をもう勝った気でいる.....?」

「これ以上やれば只では済みませんよ、綺麗な顔に傷を付けたくないでしょう」

「その言葉そっくりそのまま返してやろう。私は剣が無くとも戦える」

 

セルベリアは転がる軍刀を一瞥もせず無手で構えた。

その目には少しも臆した気配はなかった。この状況でなお勝つつもりなのだ。

 

「自分の力を過信するのは良くない事ですが、良いでしょう。その鼻っ柱を折ってさしあげます」

「私は誰よりも強くならなければならない。殿下を守ると誓ったあの日から私の望みは変わらない」

「.....それはなにより。誰よりも高みを目指せばいい、それが殿下も望むところでしょうから。――ですが」

 

この時、初めてシュタインの声音に感情が籠る。

 

「ラインハルト様の御身は私達が守ります。貴方はただ殿下の敵を滅せればいいのです」

 

言葉を最後にシュタインは剣を閃かせる。鮮やかな一線が振り切られた。セルベリアは半身になって刃を躱すと笑みを浮かべ、

 

「私は欲深でな、どちらも遂行してみせる。殿下を守り敵を滅ぼす、その為の力だ!」

 

言下に、お返しとばかりに蹴りをシュタインの腹部に入れるも、紙一重の差でシュタインは後方に飛び退いた。

薄い鉄板にクッキリと足跡を残す程の威力を誇るセルベリアの一撃だ。間違っても当たるわけにはいかない。

 

「どちらか一つを選びなさいセルベリア、その傲慢が殿下を傷つけるのだと何故分からない」

「殿下がそう望んでおられるのだ。ならば答えて見せるのが臣下の務めであろう」

「いずれ後悔することになるでしょう、それならいっそ私が貴方を.....」

 

.....いや、それは殿下が望むことではないか。

シュタインは首を振って、激情の込められた瞳でセルベリアを見た。

どちらにせよこれで終わらせる。

 

「主よ我が献身に答えたまえ」

 

ポツリと呟かれた独白を後に、シュタインは走り出した。影がググッと迫りセルベリアの前に立つと刃ではなく峰の部分が当たるよう寸前で柄を持ち変え剣を振るった。

鮮やかな白刃の線が、セルベリアの首筋に吸い込まれる。

だが、その瞬間。近衛兵の時と同様セルベリアの手が霞の如く動いていた。

――そして。

時間が停止したかのように、二人の動きは静止した。

 

「ばか....な」

 

これまで多くの刺客達が思った陳腐な感想をシュタインも呟く。その声からは余裕が消えている。

常に冷静だった黒い瞳が初めて驚きに見開かれていた。

 

自らの持つ剣の真っ白な刀身はセルベリアの首に触れる前で、セルベリアの手によって刀身は止められている。

セルベリアの―――黒い手袋に包まれた五本の指が剣腹を掴み、ピタリと微動だにさせなかった。

 

「片手による白刃取りだと!?」

 

峰打ちだったとはいえ少しでもタイミングが遅れれば手の骨は砕けていた筈だ。到底正気の沙汰とは思えない行動に驚愕の声が漏れる。

 

「私を甘く見過ぎだぞシュタイン・ヴォロネーゼ!これが私の覚悟の証明だ!」

 

叫ぶセルベリアは空いた片手で拳打を叩き込んだ。シュタインの腹部に鈍痛が走りたまらず剣を手放すと後ろによろめく。

態勢を立て直そうとしたところで、

ピタッと首筋に刃の冷たさを感じた。

シュタインから奪い取った剣をセルベリアが突きつけたのだ。

 

「ここまでだな。さて、すごすごと帰ってもらおうか。自分の部屋にな」

 

恐らくさっきの意趣返しだろう。フフンと笑みを浮かべるセルベリアを見てシュタインはそう思った。

既に顔は無表情に戻っており、以前のままだ。首筋に刃を当てられていると云うのに全く関心を寄せていない。

視線はセルベリアだけを映していた。

 

「......さきほど貴女は覚悟と言いましたね。成る程、確かに強い意志だ。でなければあのような狂人染みた技を躊躇う事無くできる筈もない。先の言葉が生半可な思いで発せられたのではないと云うのも頷ける」

「当たり前だ殿下の命と比べれば私の腕の一本など安いもの」

「その言葉もまた嘘偽りなく本気なのでしょう。ですが私にとっては違う」

「ほう?殿下の命と比べても、なお自分の身の方が大事という訳か」

 

シュタインの言葉にセルベリアは失望する。

.....貴様の言う忠義の心はその程度のものなのか。

そう思いかけたが、

 

「いいえ、殿下の腕と比べれば私の首など()()()()です」

 

瞬間――シュタインは地面を蹴る。

首に当てられた剣刃がシュタインの血によって染まるのも無視して、驚くセルベリアの前に躍り出た。

ドバっと血が出ているのにも関わらずシュタインはやはり無表情のままセルベリアの手首と胸元の襟を掴んだ。

しまった――とセルベリアが思った時には遅く。

シュタインは素早くそして豪快に一本背負いの要領でセルベリアを投げた。

 

「かはっ!」

 

一瞬の浮遊感の後に勢いよく地面に叩き付けられたセルベリアは衝撃で肺から息が絞りだされる。

まったく受け身を取る暇すらなかったのだ。

痛む背中に苦悶するセルベリア。だが、痛みを感受している暇もなかった。

シュタインがいつの間にか取り返していた剣をもって断頭してきたのだ。

紅い瞳の中に白刃の閃きが映る。

咄嗟に避けようとするが間に合わない。

そして、セルベリアの白い喉元の寸前でピタリと静止した。

 

城内の廊下が静けさに満ちる。

 

やがてゆっくりとシュタインは剣を離した。

静寂の中に呟きが生まれる。

 

「私の.....負けですね。これで通算361戦180勝181敗。とうとう勝ち越されてしまいましたか」

「フン。どこを見たらそんな事を言える。お前の勝ちではないか」

 

むくりと起き上がるセルベリアはムスッとした面持ちでシュタインの言葉を否定する。納得していない様子だ。

しかしシュタインは血に濡れた首に触れて、

 

「いいえ、あの瞬間。セルベリアが咄嗟に剣を引かなければ私は今頃、床に転がって絶命していた事でしょう」

 

淡々とした口調で言った。

確かに、あと少しセルベリアが剣をそのままにしていたらシュタインの首は半ばまで切り裂かれていた事だろう。間違いなく致命傷だ。

だがそれを承知で迫ったシュタインにセルベリアは呆れた。

 

「人の事を言えたぎりではないが、ひょっとして自殺願望でもあるのか貴様」

「そんなことはありませんが。ただ一言、言うなれば意地でしょうね」

「意地?」

「ええ、同じ御方を恋慕う者として負けられなかっただけのこと」

「そうか.....ん?」

 

危うく聞き流すところだった。

耳を疑うセルベリアは驚きに染まる。

 

「まさか貴様.....!」

「おっと、少々血を流し過ぎて体がふらつくので、私はここで退出するとしましょう。医務室でラグナエイド治療を受ける必要がありそうです」

「は、話を聞け!」

 

衝撃的なカミングアウトをしたくせに、あっさりと帰ろうとしているシュタインをセルベリアが止める。

億劫そうに振り返るシュタインは面倒臭そうに顔を歪める。

 

「ふぅ、なんでしょうか、このままでは出血多量で死にそうなんですが。もしやそれが狙いですか、敗者に鞭を打つ方ですね」

「違うわ!貴様がたわけた事を言うからだろうが!恋い慕っているとはつまり、そういう事か?」

「......安心なさい、貴女の下賤な肉欲とは違い私の想いはもっと高尚なものです。崇高なる忠義の愛。焦がれるからこそ近寄りがたく、私はあの方の求めに応えたい。ただそれだけ、それで十分私は満たされる.....だがセルベリア。私は時々お前が羨ましいと思うよ.....」

「なにっ」

「私はもう殿下の力になれないですから」

「.....なんだと、どういうことだ?」

 

その問いに答えずシュタインは視線を変えた。柱の影でこちらをこっそり覗いている近衛兵の青年を見て、

 

「そこの衛兵、肩を貸しなさい。血を流し過ぎて思うように動けません」

「は、はい!」

 

呼ばれた近衛兵は慌てた様子で駆け寄るとシュタインに肩を貸す。予想よりも軽い体に驚く。

 

「どうしました?」

「いえ!なんでもありません!」

「......むぅ」

 

さっきの言葉の真意を問い詰めたいセルベリアだが、本格的に危険な量の血がダクダクと流れ続けている様子に黙って見送るしかない。

呼び止めたせいで死なれても困る。

と、セルベリアが見つめる中シュタインは背中越しに語った。

 

「セルベリア。貴女に任せます、殿下を命にかけて守り抜きなさい、そして精々生き残ることです、殿下の計画に貴女の存在は必要なのですから」

「......無論だ。言われるまでもない」

「.....ふ」

 

シュタインは微かに笑みを浮かべると、ゆっくり歩き出す。

肩を担がれながら去って行くのを見送ったセルベリアは一体なんだったのかと首を捻る。

先程の戦いはあの男と私にとって挨拶代わりみたいなものだから別に問題ないが、

 

「結局あいつは私に何を言いたかったのだ.....?」

 

当初は邪魔をする為に来たのかと思ったが、それだけではない様子。

そして最後に言った意味深な言葉。任せるとはいったい....?

まるで私に託すような言い方ではないか。守れとは貴族の連中からか、あるいは別の勢力を指しているのか?

殿下の計画とは何のことだ。

あいつは何を知っている。

暫く熟考したが答えは出ず、セルベリアは首を振って考えを止めた。

 

「.....まあいい、今はそんな事よりもこちらの方が大事だ」

 

後ろの扉に振り返る。重厚な扉を見て自然と口の端は弧を描き、期待で胸が高鳴る。

セルベリアは今宵ある決意の元に此処に来た。

その決意とは。

 

「今夜....夜這いをかける」

 

まるで戦場にて決死の作戦を告げる将校のようにセルベリアは宣言してみせた。

 

扉に手を掛けてゆっくりと開けていく。

 

.....作戦は開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★     ★     ★

 

 

 

 

「ここまでで結構です。持ち場に戻りなさい」

「は、承知しました」

 

医務室の前まで来たシュタインは早々に近衛兵に告げる。頷く近衛兵の青年はスッと離れて後背に直立し、敬礼すると歩き出す。去って行く衛兵を横目で見て、

 

「.....次はありませんよ、ミュラー。自らの職務に()()で励みなさい」

 

ビクッと背中が盛大に揺れた。このまま何事もなく終わるかと思った青年にグサリときたのだ。見えないが恐らく顔いっぱいに汗を流していることだろう。

 

「ハッ!」

 

固まった動作でぎこちなく敬礼すると逃げるように去って行った。

部下の姿が見えなくった所で、シュタインは重く息を吐いた。

 

「もう来たか、やはり短くなっているな......」

 

ぼんやりと視界を泳がせるシュタイン。広がる光景は斑模様の如く黒い点で染まっていた。これはなにも流血したせいで霞んでいるのではなく理由は別にある。

それは半年前の事だ。ある日突然、熱病に襲われてからこの症状が起きるようになった。

全力で体を動かすことがこの症状のトリガーとなり、徐々にシュタインの視力は奪われている。

このままいけば遠からずシュタインは光を失うだろう。

治る見込みはないと医者からも言われている。

だがシュタインは己の境遇を悲観してはいない。

 

「殿下は力をつけた。あの頃とは違う、私以外にも多くの者がラインハルト様を中心に集った。これでようやく奴らとも戦える。勝つことも不可能ではないだろう.....」

 

全ては殿下の為に、その結果この目を失うことになろうと構わない。本当の光を私は知っているから暗闇で迷うことはない。

心残りがあるとすればそれは殿下の行く末を見届けられないことぐらいか.....。

いや、諦めるにはその光景は惜しすぎる。

必ずや目の光を失う前に成し遂げて見せよう。

 

「申し訳ありませんラインハルト様。貴方は望まないかもしれないが、私は貴方を......皇帝にしてみせる」

 

それが私の夢だ。初めて出会ったあの時から、生きる価値すら否定された私を、あなただけが認めてくれたあの日から私の願いは変わらない。

だからこそ、まずは邪魔な存在を片づけなければ。

 

最初の標的はもう決まっている。

 

「マクシミリアン皇子。あの男を殺さねばなるまい.....」

 

冷徹に無貌の男から紡ぎ出された言葉は誰にも知られぬまま虚空に消えた。

 

 

 



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二十話

ラインハルトの執務室に入室したセルベリアはゆっくりと室内を見渡す。

月も現れていないのか部屋の中は一筋の光もなく、漆黒に染まっている。

闇の中でセルベリアの紅い瞳だけが妖しく光っていた。

部屋の明かりを点けようかと思ったが止めた。

その理由はと云うと。

 

.....い、いざ本番をすることになったら、見られるのは恥ずかしい......。

 

これに尽きる。

行為をしている最中の姿を見られるのが恥ずかしいから先に目を暗さに慣らしておくつもりなのだ。今、明かりが点灯すればセルベリアは瞳だけでなく顔全体を真っ赤に染めている事が分かるだろう。存外に初心な乙女である。

 

ふうっと息を吐き覚悟を決め、

 

夜間行軍の経験を活かして暗闇の中を歩き着実に進んでいく。向かうは隣の寝室に繋がる扉だ。

暗闇に目を慣らす暇すら惜しい。

緊張で胸が張り裂けそうだ。

もしかすると初陣の時よりも緊張しているかもしれない。

 

何故こんなことになっているのか、そもそもの原因はあの女の一言から始まった。

 

―――――――――

 

―――――

 

――

 

城内の一室に設けられた女性専用談話室。ここでは女性であれば誰もが自由に出入りすることが出来る。女中達の憩いの部屋。各自がお茶をもって楽しむ事も許されている。

その一席にて銀髪の軍人セルベリアと黒髪の侍女長エリーシャは歓談していた。

 

「......なるほどレニイ村でそのような事が、それでセルベリア様はようやくご主人様と一夜を明かしたわけですね」

「そ、その言い方は語弊がある!ただ、寒さで震える殿下を温めて差し上げただけだ!」

「寒さで震える御主人様ですか、それはさぞかしお可愛かった事でしょうね」

「うぅむ確かにあれは庇護欲が増す。あの殿下が幼子のように震える姿は思わず温めてあげたくなるほどで、気づいたら口から言葉が出た後だった。そして......ふふ、今思い出しただけでも胸が高鳴る」

 

意外な組み合わせのようだが数少ない女性の同僚である二人は偶に時間をとっては、こうして何気ない会話を楽しんでいるのだ。まあ、主にラインハルト関連の話題ばかりだが。

 

「そういえば、前から疑問に思っていた事があるのですが、よろしいですか?」

「む、なんだ」

 

村での一時を思い出し相好を崩していたセルベリアに何気ない様子でエリーシャは問いかけた。

セルベリアが紅茶に口を付けたところで、

 

「ご主人様とセルベリア様はどこまで進んだのでしょうか」

「コフっ、い、イキナリなんだ!」

 

紅茶でむせたセルベリアは何やら楽し気に笑みを浮かべているエリーシャを睨みつける。

 

「だって、その村で少しは進展があったかと思えば、そうではないんでしょう?」

「う、うむ。私が服を脱ぐ前に殿下は背中を見せてこちらを見ないようにしていたし、疲れていたのか直ぐに寝てしまったからな、お前が言っていた....その.....夜伽は成功しなかった。だがまぁ、私としてはあれでも十分な戦果だと思うぞ」

 

....なんせ殿下と一緒のベッドで眠れたのだからな。

頬を赤らめ恥ずかしそうにするセルベリア。

残念そうではあるが同時に幸せそうでもあるセルベリアの鼻先にビシッと人差し指を突きつけるエリーシャ。

 

「甘い!甘いですよセルベリア様!そこは自ら積極的に誘わねばなりません。それが健全な淑女としての務めです、常識ですわ」

 

そんな淑女の常識は寡聞にして初めて知った。

 

「そ、そうなのか?いや、だが、そうは言われてもな、私は臣下で殿下は主君なのだぞ。それは不敬に過ぎるではないか。それに.....私の様な身分の者が殿下と吊り合うはずもない」

 

身分に対する格差。それがセルベリアの負い目であった。研究道具として扱われていた過去をもつ自分は、そんな自分を救ってくれたラインハルトに相応しい存在ではないと思っていた。

あれから何年も経ったが、その考えがこびりついて離れない。

人格の否定、尊厳の剥奪。それが研究者達が最初に行った実験だった。彼らはよく調整と言っていた。家畜同然の扱いを受けていたのだ。

暗い記憶が脳裏をかすめ、セルベリアの表情に影を落とす。

対面に座るエリーシャは俯くセルベリアを見て、

 

「身分とはそんなに大事なものですか?」

「なに....」

「そうやってずっと一線を引いたままでいるつもりですかセルベリア・ブレス大佐。いつまでも過去に囚われていては本質を見失いますよ」

「それは....分かっているのだ。だがな、今の関係を壊してしまうかと思うとどうしても一歩が踏み出せないんだ」

「なるほど.....」

 

数多の戦場を駆け抜け、その功績から蒼き女神と称された彼女も、こと恋愛に関しては足踏みしてしまうらしい。

まるで少女のような恋模様ではないか。

本当にお可愛らしいこと......。

 

――でしたら、とっておきの切り札を使わせていただきましょう。

 

エリーシャは微笑むと一つの分厚い冊子を取り出してテーブルの上に広げた。

ドスンと聞くからに重そうな音を出しながら置かれるソレは、幅は図鑑並に厚みがあってとても読み応えがありそうだ。

だが別にタイトルは書かれていないから書籍の類ではないのだろう。

 

「なんだこれは.....?」

 

興味深げに見下ろすセルベリアに向けて微笑みいっぱいのエリーシャは一息に答えた。

 

「ラインハルト様の婚約者候補の方々をリストにまとめたものです」

「なに!?」

 

途端にエリーシャを見るセルベリアの顔が驚愕に染まる。

 

「殿下の婚約者候補....だと。この数がか」

 

ラインハルトの婚約者候補。そう呼ばれる存在が居る事をセルベリアは知っていた。そもそもラインハルトは数えで二十三を迎え、とっくに成人した青年だ。しかも帝国の皇子という身分なのだから婚約者の一人や二人いてもおかしくはない。

だが、これほどの数が候補に上がっていたとは知らなかった。

しかしエリーシャは首を振って、

 

「いいえ、これはまだほんの少しです、今独自の情報網で調べさせていますがこれからもっと増えるでしょうね。貴族から大商人から大三候族や果ては外国の姫君まで、選り取り見取りですわ」

「そんな.....!」

 

これでさえ氷山の一角に過ぎないと云うのか!

その事実にセルベリアは驚きを隠せない。驚きで硬直する体。まだ戦車の砲弾が雨あられと降り注いだほうが冷静に動ける自信があった。

 

「とまあ、そういう訳でご主人様の奥方という座を狙う者は多いのです。あの噂がなければとっくに縁談交渉に入る家もあったでしょうね」

 

噂というのは例のフレーゲルが流した噂の事だろう。

混乱する中でもにっくきその男の事だけは即座に理解する。

 

「これで分かっていただけましたか。セルベリア様に残された時間は余りにも短いのです。勝負を掛けなければ横から誰とも知れない女にラインハルト様を盗られてしまいますよ、それでもよろしいのですか!」

 

言われて想像してしまった。

ラインハルトの横に見知らぬ女が立ち、仲良く肩を組み、笑い合って語り合う幸せそうな光景を。

やがて二人の顔はゆっくりと近づき.....。

途端にバンと強い音が鳴る。セルベリアが思いっきりテーブルを両手で叩いたのだ。

 

「いやだ!そうなるくらいなら死んだ方がましだ!」

 

叩くと同時に立ち上がったセルベリアはイメージ上に浮かぶ泥棒猫(?)の女を睨みつけ想像を振り払う。

理性ではなく本能がそうさせるのだ。

あの人の横に立つのは自分でありたいと心が叫ぶ。

 

やはり私はあの人のことをどうしようもなく......。

 

 

 

★     ★      ★

 

 

 

「.....愛してしまったのだな」

 

呟かれた言葉が闇の中に消えていく。

 

強く突きつけられてしまったこの想いを偽ることなど出来ない。

だから私はここにいる。

エリーシャの言葉に背中を押されて、この部屋に来たのだ。

 

まさかあの女に突き動かされるとは.....。

 

セルベリアの表情には幾分かの苦笑が込められていた。

 

初めて出会ったのは一年前。数年ぶりにこの城に戻って来た時に出迎えたのが侍女服を纏ったエリーシャで。どうもあいつは最初から私の事を知っていた節があり、こちらを見透かした様な目で見ていたのが印象的だった。

出会いが出会いだからか最初はどこかいけ好かない奴だと思っていた。妙に殿下に馴れ馴れしすぎるのも相まって嫉妬にも似た感情を覚えていた事もある。正体を知った今、殿下に必要な存在だと認めているが胡散臭さは倍増していた。どこかシュタインの同類の様な気がしてならないのだ。

だが、その考えは私の思い違いだったらしい。

今までも殿下に対する悩みを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれる事もあった(かなり過激な内容だが)が今回はこうして私の為にリストを作ってくれたのだからきっと彼女は私が思うよりずっと友人思いなのだろう。

考えを改める必要がありそうだ。

 

そう思っていると気づけば扉の前に立っていた。

余計な事を考えながらも暗闇の中、一直線にたどり着いたセルベリア。

いよいよ、この扉を開ければ其処は殿下の寝室だ。

ふぅっと軽い息を漏らし、ゆっくりとドアノブに手を近づける、その瞬間。

 

――いきなり背後から気配が現れた。

 

「なにっ!?」

 

驚きを見せるセルベリアが振り返るのと、迫る影が攻撃を仕掛けて来たのはほぼ同時だった。

 

眼前に迫る黒い影が腕を勢いよく伸ばしてくるのを視認してセルベリアは思い切り横に跳ぶ。

 

服の一部にかすらせるも何とか躱す事に成功した。

が、受け身を取る暇もなく胸から着地したセルベリアは、柔らかな感触に受け止められた。それは直ぐに客席用のソファーだと理解する。

高級な手触りを楽しむ暇もなくセルベリアは立ち上がり、油断なく黒い人形の影を見据えた。顔は見えず正体は分からない。

 

.....何者だ。まさか、本当に刺客が侵入してきたのか。

 

その考えに至り警戒を強めるセルベリア。

 

重心を僅かに落とし構える。腰の剣を抜こうと身構えると、正体不明の敵は抜剣の気配を読んだのかそうはさせじと動き出す。いまだ夜目も効かないと云うのに刺客は獣の如く一直線にセルベリアに迫った。未だぼんやりとした輪郭の影から動きを読んで何とか防御するセルベリア。

 

「ッ!」

 

腕に掛かる重い衝撃がセルベリアの長身を吹っ飛ばす。呆れた筋力を保持するパワーに舌を巻くセルベリアは、内心で敵の高い実力を称賛する。

笑みを浮かべると地面に手をついて着地した。そして構える。

 

.....何者か知らんが、来るならこい。相手になってやろう。

 

未だにシュタインとの戦闘で帯びた熱がセルベリアの体を駆け巡っていたのだ。

戦気を十分に昂らせ刺客を見る。刺客も直ぐには来ずセルベリアの様子を窺っていた。

 

そして両者はお互い顔も見えぬままに睨み合いを続け、静寂の時間が流れる。

 

やがて二人は示し合わせたように、ほぼ同時に動き出した。

 

視覚に頼らず気配を探りながら動くセルベリアは慎重にならざるをえない。しかし、謎の敵はまるでセルベリアの居場所が手に取るように分かっているかの如く部屋を駆けこちらに向かってくる。

その間にソファーや平たいテーブル等が配置されているのだが敵は意に介した様子も見せず、衝突することなくセルベリアの眼前に躍り出た。もしかすると全ての障害物の配置を暗記しているのかもしれない。

 

目の前まで迫った正体不明の敵に向かって咄嗟に回し蹴りを行うが、敵は黒い残影となって掻き消えた。

躱されたのだと即座に理解すると周囲を窺う。だが、反撃はなくまたもや辺りは静寂に包まれた。

静かなる戦闘方法はまるで暗殺者を思わせる。

彼ら闇の狩人は静かに気を研ぎ澄ませ、背後より忍びより、獲物を一撃で刈るのだ。

だとすれば......。

 

そこで唐突にセルベリアは勢いよく背後を振り返る。

予想通り敵はそこにいた。

まだ目視することは出来なかったが気配が動くのを感じる。同時にタンッと地面を蹴る微かな音。

敵が迫っている事を確信したセルベリアは迎撃の姿勢をとる。ラインハルトに教わった術で捕縛するつもりだ。

タイミングを図り腕を伸ばすと掴みかかった。

しかし、

 

「ぁぐっ!」

 

敵と思われる黒い影は蛇の如くセルベリアの手をすり抜けると背後に回り首を絞めて来た。抱き付くように腕をセルベリアの華奢な首に搦めて体重を乗せる。圧迫される気道から苦し気な声が漏れた。

ここまでの間に余計な物音は一切なく、敵の動きは、ほぼ完成されたサイレントキリングであった。地面を走る微かな音さえなければ完璧と言って云いだろう。

視界が早くも朦朧としてきた。

ここに至っては称賛する余裕もなくもがくセルベリアだったが、同時に違和感を覚えていた。

 

なにか妙だ。どうやら敵はセルベリア同様、相手を殺すつもりはないらしく捕縛するつもりのようだ。

しかもセルベリアは敵が行う無音の戦い方に覚えがあった。

前に一度だけ見たことがある。

 

.....まさか、こいつは。

 

一人の人物が思い当たり。

セルベリアは口を開いて言葉を紡ごうとするが、腕十字で固められた首絞めによってままならない。

まずは拘束を外さなければ、先に意識が落ちてしまう。

セルベリアは絞めつける敵の腕を掴み引き剥がそうと力を込めた。

 

ギュッと力を入れた瞬間。腕の筋肉がミシリと軋み悲鳴を上げる。

セルベリアの白く細まった手が深々と相手の腕に食い込んでいた。恐ろしい程の握力だ。

力づくで腕の首絞めを解きに掛かったセルベリアは僅かに気道が空いた隙を狙って言葉を発した。

 

「おまえ.....エリーシャか?」

「っ...!?」

 

その言葉に反応を見せた背後の敵。腕の力が弱まる。

その隙を逃さずセルベリアは拘束を解くとそのまま掴む腕を利用して前面に投げ飛ばした。

先程シュタインにされた背負い投げを再現してみせたのだ。

 

「あうっ!」

 

地面に叩き付けられる鈍い音が響き。闇の中に苦悶の声が上がる。若い女の声だった。

 

やはりそうだったか、と一時は敵の正体に確信をもったセルベリア。が、その予想は外れることになる。

 

その時、厚い雲間に隠れていた月が現れ、窓から明かりが差す。

 

明かりに照らされる室内。そして投げ倒された敵の顔貌が露わになる。

 

特徴的な紺色の髪に彼女の強気な性格を示す吊りあがった目。一見小柄な体は、しかし、強靭な力を内包している。

その姿は紛れもなく、

 

「イムカ.....?」

 

ダルクス人の少女、イムカその人であった。

違った.....?だがあの戦い方は間違いなくあの女の戦闘方法だった。なぜイムカがそれを使える。

考えながら意外なものを見る眼でイムカを見下ろすセルべリアを、イムカもまた目を丸くして見上げていた。

 

「なぜ貴女がここにいる」

「.....それはこちらのセリフだ。なぜお前が殿下の執務室に居るんだ」

「私は昨日からハルトの護衛をしている。まだ宮中に刺客が潜んでいるかもしれないから。なのに.....ハア。まさか貴女だとは思わなかった、紛らわしい」

 

イムカからジトリとした目で見られるセルベリアは内心で驚いていた。

.....まさか自分と同じ考えをもっていたとはな。

昨日、同じくラインハルトの身を案じて護衛しようとしていたセルベリアはそう思った。

 

ん?いや待て、昨日から来ていただと.....?

浮かんだ疑問を口にする。

 

「なぜ普通に入って来られた。扉の前に近衛兵が番をしていたはずだろう」

 

イムカは痛む腕を摩りながら立ち上がると、何を言っているか分からないと云った顔で返答した。

 

「?....何の事か分からない。部屋には普通に通してもらった」

 

言葉通り、夜遅くにラインハルトの部屋を訪れたイムカを近衛兵は撥ね退けず、たった一回の問答で入れてくれたのである。

その話を聞いて納得いかないセルベリア。

 

「な、なぜイムカはあっさりと通す?私の時は断固として入れなかったくせに.....!」

 

イムカよりずっと階級は上なのにこの対応の差はいったい何だ!?

愕然とした面持ちでこの格差に悩んでいるとイムカがポツリと言った。

 

「多分、侍女長に頼まれたからだと思う」

「.....エリーシャに?」

「うん。昨日の朝に侍女長と会ってハルトの護衛を頼まれた。その時に許可は取っておくと言っていたから、もしかしたらそれの御蔭かもしれない」

「.....」

 

その言葉を聞いたセルベリアは奇妙に顔を歪めた。

 

昨日の朝に悩む私を殿下の元に向かわせるよう焚きつけたくせに、同じ時にイムカに護衛を頼むとはどういう了見だ。

当然二人が鉢合わせてしまうだろう事は分かっていたはずだ。夜這いをアドバイスしたのはエリーシャだと云うのに一体何を考えている。

これでは、まるで二人を鉢合わさせるのが目的のようではないか。

まったくもって意味が分からない。

ため息を吐く思いでセルベリアは首を振り、

 

「やはりあの女はシュタインと同類だ。もっと分かり易く言葉で言えばいいものを.....」

 

少しでも見直した私が愚かだった。

あの二人の考える事はさっぱり理解できない。

今から行って真意を問い詰めようかとさえ考えてしまう。

だが、セルベリアはその考えを即座に切って捨てる。

 

―――なぜなら私にはやらねばならないことがある。

 

セルベリアは首を巡らし寝室に繋がる扉を見詰めた。

そして悠然と足を進める。

 

「待て、そもそも貴女は何をしにここに来たんだ」

 

言いつつセルベリアの進路を塞ぐイムカ。訝しんだ目でセルベリアを見ていた。

 

「フン、野暮な事を聞く小娘だ。若い女が異性の部屋を訊ねる理由など一つしかあるまい」

 

そう言った後に、

何故かセルベリアは妙に大人な風格を出しながら笑みをこぼす。まるで場慣れしたイケてる女のように。

しかしイムカには伝わらず。

 

「よく分からない、どういう事」

「くくく、まあ小娘には分かるまい。つまり、ここから先は大人の世界というわけだ」

 

大人の余裕っぽさはまだ崩れていない。意味深に髪をかき上げて艶のある流し目でイムカを見据えた。男を誘う妖艶な女を演出したいのだろう。

だがイムカには伝わらない。

 

「?....大人の世界というのは具体的に何の事を言っている。ハッキリ答えてみせろ」

「だ、だからだな。その、男と女の....だな、あの、えっと.....」

 

ここで崩れた。しどろもどろになりながら言葉を濁すセルベリア。頬は羞恥で赤く染まっている。何のことはない、出来る大人の余裕をイムカに見せつけたかったのだ。だがイムカはセルベリアの意図する意味にまったく気づかず何度も聞き返した。それでドンドン追い詰められたセルベリアは恥ずかしくなって撃沈したと云うわけだ。

セルベリア22歳、いまだ清い乙女であった。

 

「だからつまり、え、エッチな事だ......っ!」

「っ!?」

 

意を決して言い切ったセルベリアの言葉にようやく理解を得たイムカ。顔を真っ赤に染める。

 

「ななな、なにを言っている。この変態女!」

「お前が言わせたんだろうが!しかも言うに事を欠いて変態とは何事だ!!」

 

顔を赤くして睨み合う両者。

 

「間違ってない。一昨日の浴場での出来事を思い返してみればいい、あの時の貴女は淫乱そのものだったじゃないか雌犬のように盛って.....」

「!?し、仕方ないだろ!愛する人の前で醜態を晒してしまったんだ。押し倒すしかないじゃないか!それに殿下の手が気持ちよすぎるのが悪いんだ!あんなの誰でも気をやってしまうに決まっている!」

 

実感が込められた迫力のある言葉に押されるイムカ。

......確かにあれほど気持ち良さそうにしているセルベリアを見た事がなかった。

そんなに.....?

思わずゴクリと喉が鳴る。

その後でハッと我に返ったイムカ。

 

「下らない。わ、私だったらそんな事にはならない」

「お子様のイムカでは分からないさ、あれほどの多幸感を味わった事のないお前ではな....」

「私は子供じゃない!」

 

ふうん?とセルベリアは笑みを浮かべる。

 

「ほう?そうなのか、いや悪かったな。私はてっきり男とキスの一つもした事がないと思っていたのでな」

「っ.....!?」

「おや、したことぐらいあるんだろう?大人なんだから」

「っく、そう言う貴女はした事があるのか」

「無論だ」

 

キッパリと言ってやった。

嘘ではない。セルベリアは一度だけ接吻した事実がある。

つまるところレニイ村で毒に倒れたラインハルトを治療する際の事だ。

薬師の老婆に調合してもらった治療薬を施す為にセルベリアは口移しでラインハルトに飲ませていたのだ。

セルベリアはその事を言っていた。

まあ、あの緊急処置をキスにカウントしていいのかは疑問だが。

 

嘘ではないと自信満々な態度から見て判断したイムカは慄いて。

 

「まさか.....その相手は」

「ふっ、そのまさかだ。私がこの体を許すのは一人しかいない、ラインハルト様だ」

「.....っ」

 

その言葉にイムカの胸がズキリと痛んだ。

――まただ。

以前ニュルンベルク前の平原でも同じ事があった。『ラインハルト隠し子事件』の時だ。

あの時も苦しかったが。

今回はあの時よりもずっと苦しかった。

自分は何か重い病気にかかってしまったのだろうか。

イムカには自らの胸中に宿る想いが何なのか分からない。

 

ただ、ラインハルトがセルベリアとキスを交わす光景を思い浮かべて。やるせない気持ちに支配される。

漠然とだが嫌な思いになったイムカは弱々しく呟いた。

 

「そう....か。私には関係ないことだ。私は村を襲った仇を討つ復讐の為にのみ生きているのだから.....勝手にすればいい.....」

 

萎れてしまった花のように元気のないイムカはよろよろと体をふらつかせながら廊下に繋がる扉に歩を進める。

 

「どこに行く?」

「.....腕の治療を受けてくる。腫れあがって動かすのもままならない」

「そうか....すまないな」

 

イムカの腕は痛々しい程にくっきりと手痕がついて内出血をおこしている。赤く腫れあがって痛そうだ。

主犯のセルベリアは少しだけ申し訳なさそうにして、あの腕では開けられないだろうと考えたセルベリアは代わりに扉を開けてあげる。

 

イムカはふらふらと幽鬼の如く怪しい足取りで退出していった。

 

パタンと扉を閉めて静寂が訪れる。

 

「いったいどうしたのだろうか.....?」

 

いきなり元気が無くなったように思えたイムカの様子にセルベリアは不思議そうに呟く。

イムカの想いに気付く事はなかった。

 

少しだけ考えたが答えは出ず諦めたセルベリアは視線を寝室の扉に向けた。

 

もうセルベリアの邪魔をする者はいない。

 

扉の前に立ったセルベリアは万感の思いで扉を開けた。

 

血が激しく脈動する音が聞こえる程に心臓がドキドキと高鳴る。

 

ゆっくりとセルベリアは寝室に入り、ラインハルトの眠るベッドにそろりそろりと近づいていく。

 

腰の剣を外し円卓の上に置きつつ通りすぎてその先に。足を進めながら衣服を脱いでいく。

 

パサリと背広を落とし軍服を脱ぐ。黒のブラジャーを外し、ぽろんと豊かな胸がまろび出る。

金色のベルトをシュルリと取り外しスカートを下ろすと器用に片手で白の紐パンティーを脱ぐ。

黒い網目状の模様が走るストッキングだけを残して裸身になったセルベリア。

 

今夜...私は女になる。

 

長年の想いが、夢が遂に果たされる。

そう思うと今まで感じた事のない緊張がセルベリアの体を襲った。数多の戦場を渡り歩いたセルベリアでさえ初めて味わう種類の緊張感に足は止まる。

雄の本能を刺激する悩ましい程に豊かな体をかき抱き、自らを叱咤する。

 

怯えるなセルベリア・ブレス。こんなところで足を竦ませてどうする。ずっと切望していた事じゃなかったのか。

もう足を止めるな、前に進むと決めただろう。

想いを胸に覚悟を決めたセルベリア。

 

いざ勝負の時は来たのだ。

 

満を持してセルベリアは視界をベッドの上に向けて、ようやく効いてきた夜目がソレを映した。

 

「え?」

 

途端にピタリと固まるセルベリア。

驚きに紅い瞳を見開き口をぽかんと開けて言葉を失う。

 

彫像もかくやと云わんばかりのセルベリアが凝視する先にはラインハルトが眠っていて、それは問題ないのだが原因はその横に居た。

 

「むにゃ.....おとうさん.....」

 

ラインハルトに抱き付くようにして眠っているのは最近やって来たダルクス人初の侍女であるエムリナの娘、ニサであった。本当の父親の隣にいるように安心しきった表情で寝ている。

 

「あ.........ははは.............はぁ.....」

 

予想外の伏兵。正に予期すらしていなかった展開にセルベリアは乾いた声を出すしかなく。そしてドッと息を吐き項垂れた。

同時に今夜の作戦の失敗を悟る。

まさか幼子が寝ている横で作戦進攻(ゆうわく)するほどセルベリアは策士ではなかった。幸か不幸かそこまでの大胆さはない。

 

「.....これほどの失意は初めてだ......」

 

圧倒的な敵を前にした絶望。

初めてセルベリアは少女によって敗北感を味わわされることになった。

もしかすると長い戦歴の間でも個人的な戦いで挑んだ中では初めての敗北だったかもしれない。

 

なんという恐ろしい相手だ。セルベリアは強くそう思うのであった。

 

こうして、夜は何事もなく更けていく......。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「朝か......」

 

陽射しの温かさにラインハルトは目を覚ました。

寝起きはあまり良くない。

いまだ寝ぼけた意識をゆっくりと覚醒させていく。

 

「ふぁ.......ん?」

 

あくびを噛みながら上半身を起き上がらせると、隣の存在に気付く。

ころんと猫のように丸まって眠る少女を見て、そういえば昨日、入室許可を出したところ早速遊びに来たのだったなと思い出す。そのまま夜になったので連れ戻しに来たエムリナだったが、まだ遊び足りないのか嫌がるニサに、それならばとラインハルトが泊まるよう提案したのだ。

一緒にベッドで寝ているのはその為だ。

 

ラインハルトは眠る少女の頭を軽く撫でつけてやる。するとふみゅっと子猫の鳴き声のような声をもらすニサ。

 

自然と穏やかな笑みになっていたラインハルトは、視線の端に映る、その女性の姿に気付いた。

 

「セルベリア?なぜここに.....?」

 

なぜか軍服姿のセルベリアが円卓の席に座って眠っていた。

昨日の記憶を掘り起こしてもセルベリアの姿は見つからず。

なんで自分の部屋に居るのか皆目見当がつかない。

 

不思議に思ったラインハルトが身を起こしベッドから立ち上がった。

 

二つのシーツを手に取り一つはニサに掛けてやる。起こさないよう静かに。

そしてすやすやと眠るセルベリアに近づくと。

 

円卓の上に置いた腕を寝枕にして、寝ている彼女にもシーツを掛けてやる。何気なくセルベリアの流麗な銀髪を撫でつけると「んっ」と微かに声がもれた。

 

無言でその様子を見下ろし、やがて対面の椅子に座る。

 

ジッとセルベリアの寝顔を眺めていると、

 

「....んか」

「?」

 

まるでラインハルトの存在に気が付いたかのように、セルベリアは何かを呟こうとする。

 

耳を澄ませたラインハルトに、その声は届いた。

 

「でんか.....お慕いしています....」

「......っ!」

 

ラインハルトの目が見開かれた。驚きの顔でセルベリアを見るが、

セルベリアに目を覚ました様子はない。

 

「寝言か......今のは反則だろ。......リア.....」

 

寝言だと云う事を確認すると苦笑を浮かべたラインハルトは何かを言おうとして躊躇う。

そして、逡巡する様子を見せたラインハルトは、やがてフウッと吐息をこぼしこう言った。寝ているセルベリアに語り掛けるように。

 

「......俺はなリア。時々こう思うんだ、俺はお前を縛り付けてしまっているんじゃないかって。あの時お前を救ったのが俺じゃなくてマクシミリアン兄上だったならば幸せになれたんじゃないかって.....。お前をこのまま必ず訪れるであろう血塗られた闘争に身を置かせるべきじゃないのかもしれない、もっと別の幸せがあるのではないか?とな......だから、お前に今一度選択をさせよう。俺から自由になれる機会を与えようと思う.....その上でリアが俺を選んでくれるというのなら、その時は、俺はお前を........愛してもいいのかな?」

 

その問いかけに当たり前だが寝ているセルベリアは答えず。ラインハルトもまた答えを期待していなかったはずだ。

 

そうして静かに囁いたラインハルトの独白は虚空に消えていき。

 

ただ、僅かにセルベリアの体が身じろいだ気がした。

 

それを気のせいだと思ったラインハルトはやがて部屋を退出するのであった.....。

 

 

 

 

 



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二十一話

「ごちそうさま!それじゃ、おとうさんのところに行ってくるー!」

「あ、こら待ちなさい!ニサ!」

 

お腹いっぱいに食事を摂ったニサは開口一番そう言うと食堂の中を駆けていく。

エムリナが静止の声を走らせるも、弾丸特急な愛娘はピャーっと走って食堂の外に出て行ってしまった。

もうっと困った顔で腰に手を当てるエムリナを、その周りで女中仲間が笑みを浮かべ見ていた。

大人びたお姉さん風の先輩侍女が話しかけてくる。

 

「ニサちゃん元気になったわね」

「はい、お陰様で。ですが少し元気になりすぎるのが困りものです」

 

そうは言うがエムリナの表情には微笑みがあった。

エムリナも最近は仕事の研修に掛かりきりでニサに構ってあげられないでいた。その間ニサは侍女達の仮住まいである別館でお留守番をしている。別館には女管理人さんも住み込みで常にいるので安全面では大丈夫だと思うが、やはり寂しい思いをさせていたはずだ。

心なしか暗かった顔もラインハルト皇子の元に通うようになってからは元気を取り戻している。

少しだけ元気すぎる気もするが。

 

「それにしても、お父さんねえ.....」

「すみません。ちゃんと訂正するよう言って聞かせているんですが全然ダメで、『おとうさん』呼びが定着していまして。あの子一度こうと決めたら頑固で.......」

「ふふふ、ラインハルト様が良いと言ったのなら私達が口出しすることではないわ気にする事無いと思うわよ」

 

まるで貴族の令嬢のように、たおやかな笑みを浮かべる彼女は紛れもなく貴族だった。

よくメイドと云う事で間違った考えがあるが、貴族など高い階級に仕える以上、教養や礼儀作法は必須だ。さらにはそういった場所で働くことに対する保証なども必要となってくる。

その為、高い階級の貴族の所で働く者達は比例して出自も確かな貴族出身が多いのだ。

彼女もまた例に漏れず、帝国貴族の生まれであった。

本人は貴族と云うのもおこがましい小さな家であると笑って謙遜するがエムリナから見れば十分に凄いと思う。

なんせ自分は出自も不確かな孤児出身で生まれもダルクス人である。

そういう自らを強く保障してくれる事柄がエムリナにとって強い憧れでもあった。

そんな私が今やお城の中で働く一人なのだから、人生というのは寝物語よりも奇妙な事で溢れている。もはや奇跡と言っていいだろう。

 

「あ、でもファンクラブの人達には気をつけたほうが良いかもしれないわね」

「ファンクラブ?」

 

聞き慣れない言葉に首を傾げると先輩侍女は教えてくれた。

 

「この城の者達で作られたラインハルト様の愛好会よ、最初は十人くらいの侍女達から密やかに始まったんだけど今では都市中に愛好家たちは存在するわ。ちなみにファンクラブの語源は、この事を知ったラインハルト様が『まるでファンクラブのようだな』と言われた事から付けられた名称よ。たぶん外国の言葉だと思うのよね」

「へぇ、なるほど.....それでなぜ、そのファンクラブというものに気をつけなければならないのですか?聞いたところ怖いところではないようですが......」

「まあ、確かにほどんとの人達はそうなのだけど.....ただ、親衛隊と呼ばれる一部の人間は違うわ。彼らはラインハルト様の信奉者。ラインハルト様を救済の徒と崇めているのよ。だからもし彼らの前でラインハルト様を侮辱しようものなら......ね?」

 

前言撤回。

何だか怖そうである。

思わず冗談のつもりで言った。

 

「新しい宗教かなにかですか?」

「あはは、違うわよ。そこまでじゃないと思うわ......たぶん」

「え!?」

 

最後に聞こえた不穏な言葉に驚くエムリナの前で先輩侍女は困り顔で頬に手を当てる。

 

「私達も把握できていないのよね、困ったものだわ」

 

まるで関係者のような言い方に、

 

......もしかして。

察したエムリナは恐る恐る尋ねてみた。

 

「ちなみに先輩はそのファンクラブに入っているんでしょうか......?」

「.....ふふ」

 

意味深な笑みをこぼす先輩侍女は自らの胸元に指先を忍ばせ。

ネックレスのように首に掛けていたソレを取り出す。

指先で摘まんで現れたソレは一枚のカードであり、その面にはこう書かれていた。

 

『公式ラインハルト皇子ファンクラブ』

その直ぐ下に、

『NO8 広報担当 リアナ・メルアイ』と.....。

 

「貴女もファンクラブに参加してみない?」

 

まさかの創設メンバー直々の言葉に、最初は悩む様子を見せていたが。

結局は、

 

「えっと、よろしくお願いします......」

 

おずおずと手を差し伸べるエムリナであった。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

母親が怪しげな組織に勧誘されている一方その頃、その娘ニサはというと。

物珍しい城内の廊下を、探検家の様な面持ちでテクテクと歩いていた。向かうはラインハルトの執務室。

昨日エムリナに連れられて来たので道のりは覚えている。

目をキラキラと輝かせる小さな探検家は迷うことなく階段を昇っていった。

 

その途中何度も衛兵とすれ違うが、彼らもニサの存在を知っているのか呼び止めることなく侵入されるままにしていた。昨日の今日だからよほど情報伝達能力が優秀なのだろう。あるいは彼らの上に立つ上司の厳しさ故かもしれない。

 

とうとう最上階まで来たニサはそのまま駆け足で廊下を走って行く。まったく疲れた様子は見えない。それどころかグングンと加速していくほどで、ほどなくして目的の場所が見えてきた。

今まで見て来たこの城の扉の中で、一番に頑強な造りになっている執務室前の扉だ。

 

その扉の前に二人の女性が立っていて言い争いをしていた。

いや、正確には一人の女性が一方的に、もう一人の女性に向かって声を荒げていたのだった。

 

「おい、エリーシャ!昨日のアレはいったい何のつもりだ!」

「あら、どうかしまして?」

「どうかしまして、ではない!あの夜にイムカを仕向けさせた事についてだ。私が殿下の元に通うと知っておきながらなぜ妨害させるような事をした」

 

どうやら話の内容は昨夜の事、つまりイムカに護衛を頼んだ(という建前で執務室に向かわせた)訳をセルベリアは問いただそうとしていた。

エリーシャを見る目には疑心が込められている。それもそうで、いわばあれは裏切り行為に等しいのだから。

事と次第によってはタダじゃおかないぞと云う目で見ていた。

 

「妨害だなんてとんでもない。ですが、どうやらその様子では上手くいかなかったようですわね」

「あれが妨害でなくていったい何だというのだ。しかもイムカに怪しげな技まで教えたな」

(わたくし)が?何の事でしょうか」

「この後に及んで白々しい嘘をつくな、私が分からないとでも思ったのか。あの戦い方は一度見ているのだからな」

 

私の目は誤魔化せないぞ。

確信の自信に満ちた目を見てエムリナは観念したのか、話し出す。

 

「ふぅ....これ以上の隠し立ては無駄のようですわね。確かにイムカさんに隠形の技を教えたのは私ですわ」

「なぜイムカに、どんな目論見があってのことだ」

「必要だと思ったからですわ。私の企みにとってもあの子にとっても利になる事だと判断しました」

「企みだと?」

「ええ、ご主人様の大きすぎる器を満たす方は多い方が良いでしょうから、()()と施していますの。あの方は他人からの想いに疎いですから.....いえ、最初から自分が愛されると思っていないのでしょうね.....」

「いったい何の事を言っている.....?お前は何を知っている!?今すぐ教えろっ」

「セルベリア様にもいずれ知っていただく必要がありますわ、ですが、子供の前で語る話ではありませんので」

「なに?」

 

言われて初めてその気配に気付いたセルベリアが視線を下げると、ニコニコした笑顔のニサが二人を見上げていた。

話に夢中で気づかなかった。

 

「なんのおはなしをしてるの~?」

「ふふ、誰かに大好きって気持ちを伝えるにはどうすればいいのか、考えていたのですわ。でも難しいものですわね人の心というのは、私には到底理解しきれない.....」

「そんなのかんたんだよ!」

「え?」

 

虚を突かれたと云った様子でエリーシャは目を瞬かせる。

セルベリアをして初めて見る表情のエリーシャに向かってニサは言った。

 

「ちゃんと大好きって言えばいいんだよ。ニサも毎日お母さんに言ってるよ。そうすると優しく笑ってくれるもん」

 

それは純粋な子供の言葉であり、無垢な思いで語られる内容であった。

――重く複雑に捉えているのは大人だけで、子供にとっては驚くほど単純なことなのだろう。そして、だからこそ真理なのだ。

 

エリーシャは眩しいものを見るように目を細め、柔らかな微笑をこぼした。

 

「そうですわね、きっとその通りなのですわ。ニサさんは素晴らしいです」

「えっへん。テヘヘ褒められちゃった。おとうさんにも褒めてもらうー」

「あらあら、それは良い考えですね。ですが今はごめんなさい、今ラインハルト様にはお客様が来ていますの。邪魔をしてはいけませんわ」

「おきゃくさん~?だれー?」

 

コテンと首を傾げるニサにエリーシャは幼子に言うよう優しく言ってあげた。

 

「ラインハルト様の兄君、マクシミリアン皇子から使いの者が来ましたの」

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

執務室にて、ラインハルトは使者の男と対面していた。

 

「はるばる遠路より、お疲れであろう。使者殿、楽にされるがいい」

「はっありがとうございます」

 

執務机の前に置かれた左右のソファーにラインハルトと使者の男が座っている。

 

ラインハルトの言葉に会釈するが使者は緊張しているのか顔が固い。ビシッと体も背筋よく伸ばし切っている。あれでは楽にすることなど出来ないだろう。

彼にとっては遠路をかけて来た事よりも、この瞬間こそが一番大事な仕事だと言っても過言ではない。そう考えると使者の態度も仕方ないだろうと思える。

だからこそラインハルトもそれ以上を言わず、早速本題に取り掛かった。

 

「それでは使者殿の用向きを聞かせていただこう」

「はっマクシミリアン殿下より言伝を賜っておりまする。お納めください」

 

そう言って懐から取り出した物を眼前のテーブルに酷く丁寧な動作で置いた。

テーブルに置かれたそれは簡素な封に入れられた一枚の手紙であった。

紙の質こそ上等なものであるが飾りつけの無い白い封に入れられた手紙を手に取り、苦笑するラインハルト。

......質素剛健な兄上らしい。飾りではなく内容こそが大事なのだと言いたいのだろう。

 

ラインハルトもまた同じ考えである。

 

だが、そんな思いとは裏腹になぜか前に座る使者の顔は心なしか青い。どうやら彼にとってみても、この手紙は酷く簡素な物なのだろう。ラインハルトの不況を買わないかと恐れているのだ。

 

安心させてやるように手早く封を開けて内容に目を走らせる。

 

「......」

 

手紙を読んで黙考するラインハルト。その様子を心配混じりの目で見ている使者。自分の仕事が成功するかどうかの瀬戸際だ。息を飲んで見守っている。

すると、

 

「.....くくく」

 

ラインハルトの口の端が弧を描き低い声が漏れ出る。

手紙にはこう書かれていた。

 

『あの時の約束を果たしに来い』

 

これだけである。

これが他の貴族であればまずは長ったらしい美辞麗句をさんざん述べて、全く意味の無い内容を読まされるはめになっただろう。

 

「本当に、無駄を嫌う兄上らしい文言だ」

「ら、ラインハルト皇子....?」

 

ラインハルトの笑い声の意味するところを図りかねていた使者が恐る恐る声に出す。叩き返されるとでも思ったのだろうか不安そうな顔をしている。

 

「いや、何でもない。それより、兄上の言伝は確かに受け取った。ご苦労であった今日は疲れを癒し明日また来るがいい」

 

途端に晴れやかな顔になる使者の男。

 

「ははあ、畏まりました!ありがとうございます」

「うむ」

 

畏まった様子で平伏する使者に頷くと、ラインハルトは使者を退出させる。

扉の前で最後に礼をとった使者が部屋を出た。待たせていた侍女に用意された部屋に案内される手筈だ。

 

そして、使者が退出したのと交代で執務室にセルベリアとエリーシャが入ってくる。これも手筈通り。あらかじめラインハルトが呼んでおいたのだ。

だが一つだけ予想外な事が起きた。

 

「なぜニサまで居る?」

 

疑問を口にするのとニサが駆け込んでくるのは同時であった。「おとうさん遊びに来たよ!」と言いながらラインハルトの元に飛び込む。受け止めてやると嬉しそうにしているニサ。

 

「申し訳ありませんご主人様。待っていただくよう言ったのですが邪魔をしないと言うので連れて来てしまいました」

「ふむ.....まあよかろう。但しニサ、ここで聞いた事をよそで喋ってはいけないぞ。子供でも守秘義務が課せられるからな」

「しゅひぎむ?」

「もし誰かに喋ろうものなら怖ーいお仕置きをしなければならない。そういう事だ、分かったね?」

「うん分かった」

「良い子だ」

 

素直に頷く小さな頭を撫でてやるとニサは気持ち良さそうにしてラインハルトの膝にもたれかかる。

 

その様子を黙って見下ろしていたラインハルトは視線を立ち並ぶ者達に向けた。

空いているソファーに座らず律儀に待機するセルベリアとエリーシャ。

ラインハルトは二人をゆっくりと眺めて思う。

 

.....彼女達とは暫しの別れになる。

 

一抹の感傷に浸り、ラインハルトは命令する。

 

「さて、それでは本題だ。早速で悪いが二人には協同任務を行ってもらう事になった」

 

先に反応を示したのは軍人が本分のセルベリア。

 

「は、協同任務ですか。それは先程の使者と何か関係が?」

 

流石に鋭い。セルベリアの予想は正解だ。

大仰に頷くと、

 

「そうだ。その為お前達二人には....」

 

ラインハルトは言葉の後に一拍おいて告げた。

 

「帝国との緩衝にしてガリア公国最大の防御陣地『ギルランダイオ要塞』へと向かってもらう」

 

新たな戦場の名を......。

 

 



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二十二話

それは幼い日の出来事。

 

「.....どうあってもソレを余に引き渡さぬつもりか?ラインハルト」

「ごめん兄さん。無理を言って連れて来てもらったばかりか兄さんの目的を奪うような事をして.........でも、こればかりは引き下がれません。この子は僕が保護します!」

 

幼い少年姿のラインハルトが背後に居る存在を隠すように立ちふさがる。彼の背後には銀髪の少女が立っていて不安そうに少年の前に立つ男を窺っている。

その男――マクシミリアンは凍てついた怜悧な青い瞳でラインハルト達を射抜いていた。

場が緊張感で張り詰めている。

三人の周りを囲んでいる青い花々だけが、その様子を眺めていた。

 

「ほう、余の目的がその娘にあったことを知っていたのか。道理でこの施設に共に来たがったわけだ。最初から余の邪魔をする腹積もりであったか」

「ち、違うよ!?この子と出会ったのは本当に偶然だったんだ。兄さんの邪魔をするつもりなんてないよ!......それに僕はただ兄さんの役に立ちたかっただけなんだ.....!」

「だったらなぜ余にソレを渡さぬ。今のお前の行動が余の損益に繋がると知れ」

「だって......この子は物じゃないんだよ!?人間なんだ!」

 

マクシミリアンが少女を見る眼は、お世辞にも温かみのあるものではなかった。まるで路傍の石を眺めているような無機質な輝きがあり。ラインハルトはそれを危惧した。

 

....この子を兄上に渡してはいけない。

マクシミリアンの目を見てラインハルトはそう直感した。

ほとんど根拠なんてものはなかったが自分の判断を後悔していない。例え信頼する兄に恨まれようとも意志を曲げるつもりはなかった。

そして、ラインハルトは己の判断が間違っていなかった事を知る。

 

「人間?フッ......ラインハルト、それは違うぞ。外見に惑わされるな」

「え?」

「お前は知らぬだろうがソレは人間ではなく、兵器だ。この研究所が開発している戦争兵器であり実験道具。まかり間違っても人と呼んでくれるな」

「っ!?」

 

あまりにも冷酷な言葉にラインハルトは絶句する。

ただ実験道具という言葉に驚きはない。あらかじめ研究所内の研究者に似たような事を聞いていたからだ。助手だというその男は子供だと思ってペラペラと余計な事まで喋ってくれた。

 

背後に立つであろう少女を肩越しに覗き見る。

 

少女は兄の無慈悲な言葉に怯えていた。顔を青くさせていて紅い瞳には陰りがある。

ラインハルトの服を握る小さな手が微かに震えていた。

 

「大丈夫だよ....」

 

だからラインハルトは少女の手を握ってやり心配するなと笑いかけてやる。

少しだけ少女の震えが治まった。

フッと笑みを浮かべたラインハルトはマクシミリアンに振り返り、

 

「兄さんが何と言おうと僕にとって、この子は只の女の子だよ。だから、この子を兄さんには渡せない.....!」

 

.....戦争の道具にしようというのならもっての(ほか)だ。

意志を固めるラインハルトを見て、マクシミリアンの目が鋭く細まった。

 

「これ以上の問答は無駄のようだな.....」

「兄さん分かってくれた....ガッ!?」

 

理解を示してくれたと思い。

ほっと安心したラインハルトの頬が勢いよくぶたれた。

おもむろに上げられたマクシミリアンの裏拳(うらこぶし)がラインハルトの頬を振り払うように殴りつけたのだ。あまりの力に少年の体は容易く地面を転がる。

 

「余の邪魔をするのであれば弟といえど容赦はせん」

 

そして冷たく見下ろすマクシミリアンの目が少女に向いた。

 

「ここから連れ出してやる。故に我が力となれ」

「い、いや.....!」

 

後ずさる少女に向かって手を伸ばすマクシミリアン。その手が少女の眼前に迫り触れようとした時、動きがピタリと静止する。

視線が下がり地面に向けられた。

自らの足を掴む手を見て、

 

「分からんな。お前がそうまでする理由はないはずだ。兵器として見ないお前にとって、この娘にそれだけの価値があるとは思えんが......」

 

地面を這いつくばりながらも阻むように自身の足を掴むラインハルト。それに対してマクシミリアンは己の弟の行動が理解できないのか不思議そうに呟く。

仰ぎ見るラインハルトは笑って、

 

「誰かを助けたいと思うのはその人に価値が有るか無いかじゃないよ。その人と話して笑って仲良くなれるから助けたいと思うんじゃないか。人の価値は誰かを慈しめる心にあるんだよ兄さん」

「下らん、甘い幻想だ。現にお前は実の母親にすら愛されなかったではないか。忌み嫌われ疎まれた哀れな弟よ、フランツさえ居なければお前は誰からも愛されるはずだったと云うのに。奴らが憎いとは思わないのか」

「思わないよ.....だって、その代わりにあの人が僕に手を差し伸べてくれた!本当の家族のように愛してくれた!それだけで僕は救われたんだ.....だから僕もあの人のように誰かを救いたい!兄さんだって分かってるんだろ?こんな事あの人が悲しむだけだよ.....!」

「っ!?黙れっ!それ以上口を開くな!!」

「ゥアッ!」

 

激昂したマクシミリアンの足がラインハルトの顔を蹴り上げた。二転、三転、少年の小柄な体は大地を転がる。

怒りのままに込められた力は強く、仰向けに倒れ伏すラインハルトの口からは唇が切れたのか血がツーっと垂れ落ちていた。

 

「ら、ラインハルト!」

 

地面に横たわるラインハルトに少女が駆け寄った。

ラインハルトを助け起こして膝に抱える。だがどうすればいいのか分からずオロオロとしていた。

怪我人の介抱をした事がないのかな、とこんな時だと云うのに呑気な事を考えている自分が少しだけ可笑しかった。

涙目で見下ろす少女を見上げて穏やかに笑うラインハルト。

 

「ふふ、初めて名前を呼んでくれたね.....大丈夫、君は僕が守るから」

「っ!.....うぅ....!ラインハルトぉ.....ひっく.....」

 

息を吞む少女の瞳からボロボロと涙があふれてくる。

さっきから泣かせてばかりだなと少しだけ罪悪感を感じたラインハルトは起き上がろうとして、

 

「ダメ!」

「ふぎゃっ」

 

少女に組み伏せられた。体温が感じられるほどに密着した少女はまるでラインハルトを守るように覆いかぶさっている。

いや、実際に少女はラインハルトを守ろうとしているのだ。

 

.....マズイ、このままじゃあこの子まで酷い目にあうかもしれない。痛い思いをするのは僕だけで十分だ。

 

そう思ったラインハルトはジタバタともがくが少女の力は想像を超えて力強く、まったくと言っていいほど抜け出せない。完全に力関係でラインハルトは少女に敗北を喫していた。

 

最近、剣の鍛錬を始めて力が付き始めたはずのラインハルトは少女に力で負けている事実に愕然とする。

 

「あれ、おかしいな!?......は、離して!このままじゃあ君まで兄さんに......」

「ダメっ!.....ダメエ!」

 

聞く耳をもたない少女は目をギュッと瞑りイヤイヤと首を振る。それどころかもがけばもがくほどラインハルトを抑え込む力は強まっていき。このままいけば少女の細腕によってラインハルトの首はへし折られかねなかった。

 

「ちょ!?お願いだから僕の話を聞いて!このままじゃ僕がヤバい!!」

「ふぇ?.....あっ、ご、ごめんなさい!」

 

顔を青くするラインハルトに気付いた少女が力を弱める。ほっと息を吐いたラインハルトは身を起こしマクシミリアンに視線を向けた。

慌てて少女を背で庇うも、何故かマクシミリアンは二人をただジッと見ていた。

その怜悧な瞳には深い悲しみの色が湛えられている。

まるで二人の様子を見て何かを思い出してしまったかのように.....。

 

抑えきれない兄の感情に気付いたラインハルトもまたマクシミリアンを気遣うように見ていた。

やがて、

 

「.......いいだろう。その娘はお前にくれてやる」

「......ありがとう兄さん」

「但し一つだけ条件がある」

「条件.....?」

 

ラインハルトに少女の所有権を与える代わりにマクシミリアンは一つの条件を提示した。

 

「いずれ余にはその娘の力が必要になる時が訪れるだろう。その時にお前は無条件でソレを余に貸し出せ」

「この子の力を?」

 

思わず後ろの少女を振り返って見る。

当の本人も兄上の言葉がよく分かっていないのか紅い瞳をキョトンとさせている。

うん、可愛い。......いや、そうじゃなくて。

本当に、この女の子に兄さんが言っているような力が秘められているのだろうか?

 

「研究者の話では、ソレはこの研究所で唯一の成功体らしいからな。代用は出来ない。必ずその娘が必要になる」

「.....分かったよ」

 

ラインハルトは認めた。いや、認めざるを得なかったと言う方が正しい。マクシミリアンにとってこれが最大限の譲歩なのだ。このうえ拒否しようものなら今度こそ力づくでマクシミリアンは少女を奪っていくだろう。

それを理解していたからこそラインハルトも首を縦に振らざるをえない。

 

「約定を違えるなよラインハルト。もし違えるようであればお前も余の敵とみなす」

「兄さん....」

 

もはや用は無いとばかりに立ち去っていく兄の後ろ姿を見送るラインハルトは悲し気に顔を歪ませていた。

その肩にポンと小さな白磁の手が乗る。

振り返ると少女が心配そうにラインハルトを見ていて「大丈夫?」と声を掛けてきた。

 

「......うん。大丈夫だよ、ありがとう」

「よかった....」

 

ふわりと華やかな笑みが咲いた。

我が事のように喜んでくれる少女にラインハルトも微笑を浮かべて手を差し出す。

 

「これからよろしくね。改めて僕の名はラインハルト・フォン・レギンレイヴ。好きに呼んでくれて構わないよ。君の名は.....そうだ、名前が無いんだったね.....名前が無いのは不便だな、よし君に名前を与えよう」

「名前?私に、ほんとうに?」

 

可憐な瞳を驚きに染めた少女に向かって頷く。

 

「ああ本当だ。そうだな.....せるべりあ。そうだ!今からセルベリアと名乗るがいい」

 

何という名前にしようかと悩むラインハルトの視線に青い花々が映り、ラインハルトの脳内に雷鳴が轟いた。

天啓を受けたかのように満面の笑みになるとラインハルトは少女に『セルベリア』という名前を付けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「......なるほど、この手紙に書かれた約束とはそういった経緯があるのですか」

 

飾り気のない無地の手紙をしげしげと眺めながらそう言ったエリーシャは手に持っていたソレをテーブルに置いた。

 

「ああ、もう十年以上も前の話だ.....」

 

ラインハルトは首肯すると手紙に視線を注ぎ、

 

「そうか、もうそんなに経つのか。早いものだな」

 

その目に込められている思いは昔を懐かしむようであり、しかし何かを憂えているかのようであった。

それを見てエリーシャが口を開く。

 

「つまるところ今回の話、要点はマクシミリアン皇子からの援軍要請という事でよろしいのでしょうか」

 

意図的に話を変えた事に気づきラインハルトは視線をエリーシャに向ける。

わかりづらいが瞳の奥にこちらを心配する感情が見え隠れしていた。

.....どうやら気をつかわせてしまったようだな。

フッと苦笑してラインハルトは答えた。

 

「恐らくはそれで問題ないだろう。なんせ俺と兄上が約束を交わしたのはアレが最初で最後だからな、まず間違いない筈だ.....しかし」

()()が悪うございますね」

「まったくだ。彼の敵が動き出している情報が届いた今、あまりにもタイミングが悪すぎる」

 

エリーシャの台詞に同意を示すとラインハルトは次にセルベリアを見た。

未だ話の中に入ろうとしない彼女はジッと俯いて黙り込んでいる。

何を考えているのか分からないが少しは察してやることは出来た。

あれ以来、セルベリアは兄上の事を苦手としていたからな、気乗りはせぬだろう。

だが、

 

「セルベリアよ、話は聞いた通りだ。あの頃は分からなかったが今なら分かる。兄上はお前の持つヴァルキュリアの力を欲しているのだろう.....ゆえに代わりは居らん、行ってくれるな?ギルランダイオ要塞に.....」

 

有無を言わさぬ口調でラインハルトはセルベリアに言った。

.....セルベリアが抜けるのは大きな痛手だ。しかし、この約束だけは断るわけにはいかない。どんなに俺が内心で()()を覚えていようともだ。

 

「.....はい、殿下。ご命令とあらば私は如何なる戦場にも馳せ参じる所存です。しかし....」

「申してみよ」

「は、もしギルランダイオ要塞を攻略したとしてその後は....?まさかガリア公国侵攻にいたるまで私たちは件の皇太子様に付き従わなければならないのでしょうか?もしそうであれば私は....」

 

『この任務を拒否したいです』。その文言が浮かび、

そこでセルベリアはキュッと口を結んだ。

軍人としての己の職務を考えればその続きを言ってしまう訳にはいかない。だが、私の役目は殿下を守ることなのだ....と、躊躇いの様子を見せるセルベリア。

 

「心配するな。俺とてお前に長く居なくなられては困る。大丈夫だ、その為に手は打ってある。いや、打たれていると言うべきか」

「それはいったい.....?」

「じきに分かるさ。だが今はギルランダイオ要塞攻略に集中せよ。あの要塞は一筋縄ではいかないだろうからな。まだ不安か?」

「いえ!かしこまりました。愚かな事を述べたこと、申し訳ありません。この上は彼の要塞を落とすことで身の上の錆を払う事といたしましょう!」

「セルベリアの戦果を期待する。それにおいては先ほども言ったようにヴァルキュリアの力をもって示すがよい」

 

ラインハルトはおもむろに立ち上がり壁画に歩み寄ると掛けられていたヴァルキュリアの槍とヴァルキュリアの盾を取り出し、

 

「持って行けセルベリア」

「は!」

 

ラインハルトの眼下で跪いてみせたセルべリアは手渡される槍と盾を受け取ると恭しく礼をとった。

 

今はただ命令に忠実であること、それが自分に求められる事だと自分に言い聞かせる。

両の手に感じる重みに負けないよう強く勤めなければならない。

そのためにもギルランダイオ要塞は私自らの手でもって落としてみせる。

 

そう決意するセルベリアの横でエリーシャに再度目を向けたラインハルトは彼女にも次令を下した。

 

「此度の命令が致命的なまでに危険な事であるのは重々承知だ。だが同時に好機でもある。兄上の目的を知るチャンスかもしれん。ゆえにだエリーシャよ」

「はい、なんなりとお申し付けくださいまし」

 

与えられる命令を前にして楽しむように艶のある笑みを見せるエリーシャを見て、ラインハルトは言った。

 

「お前には密命を与える。此度のガリア方面軍司令官を自薦した理由、兄上の真意、目的を探るのだ、あの人が何を成そうと考えているのかその一端でもいい、調べてくれ」

 

現在、編成されたガリア方面軍の時点でガリア公国との戦力差は歴然としたものであるはず。だというのにそれに加えてヴァルキュリアの力まで使おうと云うのだ。しかも密かに探らせた情報では新兵器の噂すらある程で、つまり兄上は本気でガリア公国を制圧する気なのだろう。以前のフィラルド侵攻時でさえ幾ばくかの遊びがあったが、今回はそれがない。まるでこの戦いで己の持てる全ての切り札を使い切るかのようだ、とラインハルトは今回の侵攻について感じていた。

恐らくガリアには俺ですら知らない何かがある......。

その何かをマクシミリアン兄上は欲しているのではないか?そう思えてならないのだ。

 

「なるほど。皇太子殿下の情報収集ですか、しかも明らかに機密に触れること請け合いですわね。バレれば即刻銃殺刑ものですわ」

「やはり難しいか?」

「まさか。先ほどの言葉はうそ偽りなく、我が君のためとあらばなんなりと滞りなく済ませる。それがメイドとしての義務である以上何の問題もありません......ですが一つだけお願いがございます」

 

言葉を切ったエリーシャはラインハルトを見て微笑み、

 

「もし相手側の手に落ちようものなら即刻切り捨ててくださいまし。それが認められなければ御命令をお断りさせていただきます」

「.......わかった。その場合はお前が門閥貴族派のスパイだったとして処理する。それでいいな?」

「ありがとうございます」

 

面と向かって切り捨てると言い切った相手に向かって深々と腰を折る侍女長の姿はセルべリアをして唸らせるものがった。

そこに彼女の誇りと決意が如実に現れている気がする。見事だと思わざるをえない意思の強さだった。

実際、もし仮にエリーシャが任務に失敗した場合、彼女は即座に自決するつもりである。

 

「だがまあ、俺としてはエリーシャが失敗するなどとは微塵も思えんのだがな。だからこそこのような危険な任務も任せられる」

「あら、酷いですわ。ご主人様はいったい私を何だと思っているのかしら。私だって失敗ぐらいしますわ、だって御主人様が未だに生きているのがその証明ですもの」

「よく言う。初めからそれすら利用して己の所属するギルドの壊滅を目論んだのは何処の誰だったかな?」

 

その上、俺と取引した時点で構成員の半数を既に味方にしていたのだ。警察とシュタイン達近衛騎士団が奴らの本拠地を包囲したころを見計らって蜂起したので帝都に巣食う闇と恐れられた彼の組織は一晩の内に壊滅した。

 

「その節は新たな雇用先を設けていただきありがとうございます、仲間たちが今も飢える事無く生きていけるのもご主人様のおかげですわ」

「正直お前たちを味方に引き入れることが出来たのは僥倖であった。ある意味帝都で一番の収穫だったぞ。もはやお前たちを手放す事は出来んよ」

「そこまで褒めていただけると照れますわ」

 

ふふふ、とたおやかに手を頬に当てて微笑を浮かべるエリーシャと苦笑するラインハルトの様子を横で眺めているセルベリアはどこか面白くなさそうにしていた。

.....これだ。この分かり合ったような二人だけの疎通というか絆と云うか。私が入り込めない世界が形成されている。二人がどんな出会いをしたのか知らない私にはあずかり知れない事なのだろうが、なんだか落ち着かない。

 

ラインハルトを取られてしまったような気持ちになっているセルベリアは我慢できず口を開いた。

 

「コホン!それでは以上で殿下の御指示は終わりということでよろしいでしょうか」

「む?....ああ、そうだな。明朝をもって使者殿と共に二人には要塞に向かってもらうことになるので、それまでに遊撃機動大隊の出陣準備を終わらせること。以上で話は終わりだ、下がって良い」

「は!」

 

軍人として流石の敬礼をして見せたセルベリアはエリーシャを伴って部屋を退出しようとする。

と、何やら考え込んだ表情でその後姿に目を向けていたラインハルトは、彼女たちを呼び止めた。

 

「.....待てセルベリア。一つだけ話が残っていた」

「は」

「そのだな.....むぅ」

「....?」

 

言い出そうとするも口を噤むラインハルトを不思議そうに見ているセルベリア。

言うか言うまいか迷っているようで唐竹を割った気概のラインハルトにしては珍しい。

やがて決心がついたのかふうっと息を吐きラインハルトは視線をセルベリアに定めて言った。

 

「此度の任務が成功した暁には、一つだけ何でも願いを叶えてやると言ったら、どうする?」

「は...え?....」

 

言っている意味が分からなかったのか小首を傾げている。

そういうふとした所で幼かった頃の所作を出してくるセルベリアにもう一度ラインハルトは念を込めて言った。

 

「俺がセルベリアの願いを何でも叶えてやると言ったのだ」

「はぁ、なんでも......なんでも!?」

 

思わずといった風にずいっと前に踏み出た。とても興味があるようだ。

美貌を驚愕に染めるセルベリアに俺は頷いて、

 

「ああ。だがあくまで俺が出来る範囲での望みだったらという条件付きだから叶えられる望みと言ってもあまり大したことはできないと思うがな」

「い、いえ十分過ぎるというか!願ってもないことです!で、ですが一体なぜそのようなことを.....?」

 

喜ぶよりも疑問に思う方が強かったようで、なぜラインハルトがこのような事を言ってきたのか不思議に思っているようだ。

 

「いやなに、先日の大浴場での一件でも言ったように、長く俺に良くしてくれるセルベリアに何か恩赦を与えたいと常々思っていたのだ。だが俺にはセルベリアが欲しがる物が分からない。だからこの機会にお前が望むことを叶えてやろうと思ってな......」

 

それらしく言い繕っているが、まさかエムリナのアドバイスが関係しているとは言えない。

そう、これは先日、エムリナが俺に耳打ちした助言に含まれる内容なのである。

あの時エムリナはこう言った『セルベリア様に褒美を与えると言った時に自分に出来ることなら何でも望みを叶えると言って下さい』と.....。

そうすれば万事上手くいくらしいのだが、いったいどうなるというのかラインハルトには分からなかった。

 

「殿下.....もったいないお言葉です。私のことをそこまで考えてくださっていたなんて.....」

 

感極まったのか紅い瞳をウルウル涙で滲ませるセルベリアに少しだけ気まずさを感じながらラインハルトは口を開いた。話す内容は先も考えていた彼女を自由にするかどうかの事だ。

セルベリアは幼い頃より俺のせいで自由を奪われてきた。保護したという名目はあるが言い訳に過ぎない。十数年もの月日を俺という枷によって束縛されてきたのだ。彼女の大切な人生を俺という存在が壊しているのではないかと思うのだ。

本来は一度しかない人生、彼女が自由を望むなら、それを邪魔する権利が俺にはない。だから選択の機会を与えたい。それが今だ。

声が震えるのを感じながら言葉をつむぐ。

 

「それでだなセルベリアよ、俺はこうも考えていた。もしお前が自由を望むなら、俺はお前を.........。聞いているか?」

「殿下が....なんでも....叶える。私の望み.....ふふふ....いや、何を考えているのだ私は!?それは破廉恥に過ぎるではないか。しかし....えへ」

 

いや聞いてない。ぶつぶつと小さな声でなにか言っているようだが低すぎて聞き取れない。恍惚の表情で何やらトリップしてしまっている。

何だか悲壮な覚悟を決めている自分が馬鹿みたいだ。

 

「.....ふっ、まあよい。それに、望みを叶えると言っているのだから、今の俺の言葉は無粋であったか」

「ご主人様ぁ」

「ん?どうしたエリーシャ」

「セルベリア様だけにずるいですわぁ。私にはないんですか?御褒美は」

「ふむ....」

 

暫し考え頷く。確かにセルベリアだけでは贔屓が過ぎるな。平等とはいえない。

 

「わかった、いいだろう。任務が成功したら望みを叶えよう」

「ふふ、ありがとうございます。一層の尽力を勤めますわ、それではセルベリア様さっそく準備を始めるとしましょう」

「そうだな。それでは殿下、私たちはこれで失礼いたします。必ずや吉報をもって帰ってまいりますので楽しみにしていてください」

「期待している」

 

それを最後に二人は今度こそ部屋を出て行った。

直ぐにセルベリアは休む暇もなく自らの部隊が駐屯する北区の軍事施設に向かい急ぎ出撃準備を始めるのだろう。

これから忙しくなる。

見送ったラインハルトも残りの書類に目を通していくのだった。

 

 

 

 

 

 

そして、翌日の明朝。

 

聳え立つニュルンベルク城の頂点に設けられた屋上にて、都市中を見渡せる光景を我が物としていたラインハルトはさらに郊外の平原に目を向けていた。

 

都市と郊外を遮る大門を越えた遠くに位置する野営地。そこには大型の軍用車両が幾つも屯っていて、その周りには多くの帝国兵士達が揃っている。

ここから視認することは出来ないが、恐らく彼らの前にはセルベリアが立っているのだろう。

 

やがて訓示が終わったのか兵士達は勢いよく車両に乗り込み始め。整然と動き出す車両の列。

土煙に隠れた彼らの姿は直ぐに平原の彼方へと消えていった。

 

向かうは開戦間近のガリア公国、大要所ギルランダイオ要塞である。

 

地平線に途切れた遊撃機動大隊の姿を見届けたラインハルトは、彼らが消えた西の彼方を見上げる。

 

「これより戦乱の幕が上がる。小さな世界を巻き込んだ大戦争が.....」

 

空に昇り消えていくラインハルトの予言は、これより半月後。現実のものとなる。

セルベリア率いる遊撃機動大隊の消えた西方より、とある急報が届いたのだ。

その報は帝国に激震を与えることになるのだが、到来を予感しているのはたった一人。

虚けと呼ばれる男だけであった。

戦火の足音は着実に近づいてきている。

 

そして、その先に俺が望むものがあるのだろうか.....

 

新たな時代の転換点を前に、ラインハルトはいつまでも考え続けた。

 

 



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二十三話 ギルランダイオ要塞攻略編

帝国西方領には二種類の国境線がある。

一つは列強ひしめく連邦国家と面する西方戦線。警戒令が敷かれているため常に緊張状態を形成しており、お互いの情報監査班が国境を監視し合っている。

そしてもう一つが中立国ガリアと接する国境線。二つの国は連なる山脈群によって隔てられ、帝国の進入を阻むかのように鎮座している天然の盾となっている。

その上さらにガリアの盾を頑健ならしめんとする存在こそが彼の有名なギルランダイオ要塞であり、長い歴史を鑑みてもこの人工の砦が破られた事実は最近まで存在しなかった。

五年前に起きた第一次ヨーロッパ大戦の折、発展した火薬技術と新たに登場した戦車という存在によって初めて破られたのだ。

戦後、ガリア政府は要塞陥落の反省を活かし、更なる防衛拠点としての発展に尽力してきた。

それによって近代的な数多の兵器が要塞の随所に見られるようになる。

報告ではヨーロッパ世界においても防御能力においては随一であるとの推測がされている程であり。

しかも山脈の各地にはガリア公国軍の保有する軍事基地がいくつも隠されているとの情報もある。

正しくこの地がガリア公国にとって最大の防衛ラインであった。

 

そして、ニュルンベルクを発ってから二週間程の道のりを進むセルベリア達は、途中数度の補給を進路状の基地に立ち寄った際に行い、それを終えるとセルベリアは移動につぐ移動を強行させ、彼ら『遊撃機動大隊』はその名に恥ない勢いと驚くほどの速さで西進を続けた。

 

もうすでにガリア公国との国境である山脈の半ばまで来ており、黒い無骨な数十台の車両がギルランダイオ要塞に続く険しい山道を突き進んでいた。

 

今も無残に朽ち果てたガリア軍のものと思われる防御陣地の一つを、悠々と踏破している途上の事であった。

 

「.....どうやら、戦況は我が方に圧倒的有利なようだな」

 

大型軍用トラックの助手席から外の光景を眺めるセルベリア。

窓からは砲弾で掘り返された大地、歪に壊されたバリケード。崩壊した建設物やトーチカといった破壊され尽くしたガリア軍の名残が映っていた。

既にこのような場所を三っつほどセルベリア達は通過している。

これらの光景から分かるように帝国軍はガリア公国軍との戦端を既に開いていた。そして状況は味方が優勢に戦いを進めているようだ。

 

「大隊長。このままでは自分たちが到着する前にギルランダイオ要塞は攻略されてしまうのではないでしょうか?」

 

セルベリアの隣に座り、運転席でハンドルを握る士官の男が心配そうに声をかける。

男の名はハインツ・リヒター。階級は中尉。セルベリアを頂点とした遊撃機動大隊に所属する士官の一人だ。

がっしりとした体に威勢のよい男らしい眉。

しかも中々の精悍な顔つきをしているため、さぞかし世の婦女子たちに人気があることだろう。

 

まあ、だからといって別に一度も彼の容姿に惹かれた事はないのだが....。

なんて事をセルベリアはハインツを見ながら思いつつ、

 

「かもしれんな。五年前に一度は落ちた要塞だ、二度落ちない道理はないだろうさ。それは過去の戦線を経験した中尉なら分かるだろう.....?」

 

何を隠そうこの男、元は南方戦線にいたころセルベリアと共に戦った兵士の一人で。セルベリアがニュルンベルクに戻る時に何故か一緒に着いてきたのだ。当初は故郷に帰れと言ってやったが彼曰く「隊長の意中の相手とやらを見極めるまでは帰れません!」とか何とか意味の分からない事を言ってセルベリアに付いて遠路はるばるやって来たという経緯をもつかなりの変わり者で。

その変わりようは半年前、ラインハルトの命令で『遊撃機動大隊』を創設するにあたって兵士の募集をする際、真っ先に入隊していたハインツは南方戦線時の過去の戦友達に呼びかけて彼らを集めた事からもよく分かる。

 

あの時はセルベリアも驚き呆れたものだ。

 

新兵の審査で会場に来たら見知った者達が半数以上を占めていたのだから、驚くなというほうが難しいだろう。

部隊編成にかかる時間はもっと長くなると思っていたのに、たった三日ほどで終わってしまったのだ。

 

部隊編成終了の旨を殿下に伝えた時「そうかご苦労......え?」と思わず二度見してきた程である。

あの時の殿下の呆気にとられた顔は今でも記憶に強く刻まれている。

殿下のレアな表情を見れたので良しとしよう。

 

その光景を思い出し、ふふ....と口の端は自然と笑みを浮かべる。

 

「なにやら御機嫌がよろしいですね。何かいい事でもあったのですか?」

「うん?......まあな、彼の要塞がいかほどのものか考えていたのだよ。もし未だ帝国の手に落ちていないようであれば、私自ら試すのもいいだろうと思ってな....」

 

危ない。顔に出ていたか。

セルベリアは緩んだ表情に活を入れた。女から軍人の顔に戻る。

 

まさか部下に愛しい人の珍しい表情を思い出して嬉しくなっていたなどと正直に話すわけにもいかない。

上に立つ者として厳かな威厳は大切なのだ。

ゆえに咄嗟に誤魔化したセルベリアだったが、ハインツは成る程と納得の顔で頷く。

 

「さすがです大隊長。戦争のない間も貴女の牙はまったく衰えていないようですな。また大隊長の活躍を間近で見られる日が訪れ自分も嬉しいです」

 

と言ってにこやかに笑みを浮かべるハインツ。

うまく信じ込んでくれたらしい。誤魔化せたことに内心で安堵する。

 

だが、誤魔化しの言葉も決して嘘ではない。それどころか私があの要塞を落とすのだとセルベリアは意気込んでいた。

なぜなら、

 

.....要塞攻略の功績を認められれば褒美に殿下自らが何でも願いを叶えてくれるのだから!

大事な事だから二度言うが殿下自らがである。

前の夜這いの件で惨敗したセルベリアにとってまたとない好機。昨夜のセルベリアは興奮で夜も眠れなかった。

もしセルベリアに犬の尻尾が付いていればブンブンと喜びで振り回されていた事だろう。

 

必ずや功績を打ちたてて、私が殿下に望む願いは.....。

 

「......ふふ」

 

蠱惑的な笑みを浮かべ遠くの空を眺めるセルベリア。その様子を横目で見ていたハインツは、

思わずゴクリと息を呑み。恐々とした様子で小さな声を漏らした。

 

「あの方角からして大隊長殿はまだ見えぬギルランダイオ要塞を見ているのか。恐ろしや、彼の地はもはや大佐の狩猟場でしかないのだろうな.....」

 

あとは狩られるのを待つのみなのだ。南方戦線で経験したハインツはそう確信した。

 

.....我らの美しくも恐ろしき蒼い女神によって戦場は地獄となるだろう。

女神に魅了された一人である俺は女神の尖兵として喜んでこの命を彼女の為に使える。

俺の呼びかけに答えたみんなも俺と同じ思いだ。

 

そして、またあの頃のように、この目で神話が創られていく様を見届けたい。

だからこそ俺はこの方について行くのだ。

 

「もう間もなく到着します、この谷間を越えた先です」

 

憧憬を胸にハインツはさらにアクセルを強く踏み込んだ。

 

もう此処からでも遠くから爆発音が風に乗って聞こえている。

 

戦場はもう直ぐそこに来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

そこは正しく戦場の有様を呈していた。

帝国軍とギルランダイオ要塞はにらみ合う形で陣形を敷き、その中心では塹壕に潜む無数のガリア軍兵士達が突撃する帝国軍兵士の攻勢を防いでいた。

戦場のあちこちに点在する機関銃座から絶え間なく響く雷鳴の如き銃声の反響と恐怖の混じる怒号が飛び交い、その音と同じ数だけ帝国兵たちは凶弾に倒れ、戦場に膨大な死者が生まれていく。

 

それらの光景がセルベリア達を出迎えた。

 

地上に陣を敷くガリア軍の後ろには此処からでもよく見える雄大な要塞の姿が在り、あれこそが聞きしに勝るギルランダイオ要塞なのだろう。

要塞の上部に取り付けられた砲台から轟音が響き、進む帝国軍の頭上に降り注いでいる。一向に鳴り止む気配はない。

今もまた遠くで不運な帝国の重戦車が砲弾によって爆散した。しかもそれだけではなく、さらに視線を横に移せば重戦車を盾にしながら進んで行く帝国兵たちが居たのだが。順調に塹壕の手前まで来た時に、重戦車用の地雷が作動したのだろう。戦車の真下から爆発が起こり、一瞬で戦車が残骸に変わった。その後ろに隠れていた兵士達も戦車の被爆に巻き込まれるか運よく生き延びた者も、その後、機銃の掃射によってバタバタと倒されていき全滅を余儀なくされた。

その光景は確かにガリア公国が要塞のみならず防衛陣地強化に努めたという情報が嘘偽りではなかったと確信させる。

 

「喜べ中尉。どうやら要塞は未だ落ちてはいないようだ。我々の活躍の場は残されている」

「はい大隊長殿」

 

遥か前方の地で行われている光景を見て、セルベリアはリヒター中尉に笑いかけた。

中尉も笑みを浮かべて答えると、後頭部近くにある小窓の被せを横合いに開き、空いた窓を覗き込む。

 

「待たせたな諸君、ようやく待ち望んでいた我々の戦場に到着だ。よく休めたかな?」

 

小窓からは軍用トラックの荷台部分が見えるようになっている。そして、その中には三十人ほどの兵士が待機状態で座っていた。

小隊長であるハインツの部下、第一〇(イチゼロ)遊撃機動小隊だ。

さらには同等の規模の小隊が後続の各軍用大型車両に存在した。

 

「ああ、とても快適な旅路だったぜ、それで隊長。俺たちの敵はどこだい、今すぐにでも行けるぜ」

 

ハインツの言葉に小隊の面々はギラギラとした瞳を隠すこともせず、今にも飛び出していかんばかりに殺気だっている。二週間もの長旅に彼らもうんざりしていたのだろう。早く戦場を駆け巡りたいのだ。彼らの顔が物語っている。

流石は南方戦線で共に戦った戦友達。実に頼もしい。

笑みを深めるハインツの横から、

 

「安心しろ敵は逃げん。それに、この様子では早々に終わることはないだろう。どうやら帝国軍は予想よりも硬いガリアの守りに苦戦しているようだ」

 

泥臭い戦線が更に苛烈さを増していく様子を眺めているセルベリアの声が上がり。

 

言葉はそこで終わらず、

 

「まあ私たちが居れば話は別だろうがな.....」

 

言外に私たちで要塞を落とすのだと言ってのけたのだ。

セルベリアの挑発的な言葉に小隊の面々の戦意が目に見えて向上する。

もう直ぐにでも軍用トラックから降りて遠くに見えるあの戦場に向かい参戦できる事だろう。

 

だが、その前に向かわなければならない場所がある。

 

セルベリアは直ぐ傍の帝国軍の陣中に視線を向け、目的の場所を視認する。

それは帝国軍が敷く陣形の奥まった場所にある一際大きな天幕で、大勢の帝国兵士たちによって周囲を固められていた。恐らくはアレがそうなのだろう。

リヒター中尉にあそこに向かうよう指示する。

 

「まずは軍と合流する、恐らくはアレが仮設司令部だ。あそこに向かえ」

「かしこまりました」

 

了承する中尉の操るトラックを先頭に、遊撃機動大隊が乗る大型車両の列は、帝国軍の集う後方の拠点へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★    ★     ★

 

 

 

 

 

ギルランダイオ要塞を攻めるにあたって、ガリア方面軍の臨時司令部を兼ねた天幕の中で、三人の男達が軍議を行っていた。

中央に置いたテーブルの上に、戦場を俯瞰して見た地図を敷き、チェスの駒を実際の兵士たちに見立てながら話をしている。

 

「要塞攻略を開始してから四時間弱、いまだに前線の塹壕すら突破できないとはねぇ。こりゃあガリア軍を甘く見ていたかもしれんね」

 

テーブルの一角に座りボリボリと頭を掻きながら困ったような顔で呟く男の名はラディ・イェーガー。ガリア方面軍の一翼を担う将校である。階級は少将という帝国において上級の位を持つ彼だが、元は敵国の将軍という異色の経緯をもち帝国と争った過去がある歴戦の勇士だった。

その彼をして此度の戦況の難しさには首を捻らざるをえない。

 

当初の予定では既に塹壕を突破し要塞攻めに移行しているはずなのだが、思わぬガリア軍の激しい抵抗に戦線は膠着してしまっていた。

 

イェーガーのぼやきに反論の声が上がる。

 

「時間の問題に過ぎん。ガリアの犬どもとて此処が抜かれれば後がない事を分かっているのだろう。だからこそ本気で抗いもする。だが長く続くはずがない、いずれは精強なる帝国兵士はあの塹壕を越えるだろう....」

 

しわがれた声でそう言ったのは対面に座す初老の軍人。名をベルホルト・グレゴール。皇室との関わりも深い伯爵の位をもち皇帝に絶対的な忠誠を誓っている。この男もまたガリア方面軍の要であった。

 

「このままじゃ泥沼だ。塹壕を突破してもその間に万を超える帝国兵が死ぬことになる。部下を無駄死にさせるきか」

「これは必要な犠牲だ。それに、この戦場での死は決して無駄にはならん。わしがそうはさせん。彼らの死はガリアを滅ぼす事で報いてみせる」

「だから死ぬまで突撃させろってか?悪いが俺はその考えには乗れねえな....」

 

年季の入った深い皺が刻まれた顔を歪ませるグレゴール。

 

「だったら他に作戦を考えてみろ。この戦い物量作戦でいくしか他に手はないと思うがな」

「.....耐久力の高い戦車部隊による一点突破ってのはどうだ?例えば俺のヴォルフを使ってもいい、どこか一つに綻びさえ作れりゃ、そこを基点に傷を広げていける」

「だめだな、塹壕前の地雷群を忘れたか。帝国式Ⅳ号重戦車を吹っ飛ばす威力の代物だ。最低でもマクシミリアン殿下の旗艦ゲルビルほどの超大型戦車でなければ難しいだろう」

 

ゲルビルとは帝国の誇る戦車開発の結晶とも呼べる戦車の事で、その全貌はもはや戦車とは思えず正しく移動する要塞と言っても過言ではない。第一次ヨーロッパ大戦の戦車登場から研究を続けてきた帝国は他国の追随を許さない程の巨大な戦車を造り上げる事に成功していた。

その威容をもって迫る破壊力は凄まじく。現にセルベリア達が通ってきた荒れ果てたガリア軍の防御陣地も実はゲルビルの突撃をもって破壊し踏み荒らした成れの果てだったのである。

故にグレゴールの言うとおり、確かにゲルビルならばこの膠着した塹壕戦を突破することも不可能ではないはずだ。

しかし、

 

「却下だ。最初に言っていた通りゲルビルを此度の戦場で使うことはない」

 

唐突に響いたその言葉に二人の将は視線を移す。

二人の視線が向かった先にはまるで王様が座る様な豪華な椅子が据えられており、そこに一人の男が泰然とした様子で座っている。凛々しさよりも冷酷な印象を思わせる表情。

そして金髪の頭に冠を頂いたその男こそ、ガリア方面軍総司令官にしてラインハルトの腹違いの兄マクシミリアンその人であった。

 

「.....そうは言うけどよ、これじゃジリ貧だぜ。ゲルビルに搭載されたラグナイト砲なら状況を打破できるかもしれねえんだ。それに、元はそのつもりで改修したはずだろ?」

 

イェーガーの言うとおり、マクシミリアンは開戦前よりギルランダイオ要塞攻略の為に技術者に働きかけ、更なる車体の強化と新兵装ラグナイト砲の改装作業を行わせていた。

それを事前の資料で知っていたイェーガーは内心の疑問を問うたのだ。

 

「アレはあくまで最終手段。ゲルビルはガリア公国領内制圧にも必要なため今の時点で万が一にも機能停止させられる訳にはいかぬ、少なくとも改修作業のできる要塞を落とすまでは危険を避けねばならん。そのことは事前資料にも記入していたはずだぞ、イェーガー」

「あれ?そうだっけか?ワリいワリい、そういやそんなことも書いてあったような.....」

 

昨夜ブランデー片手に機密情報を読んでいたとは流石に言えねえな.....。

 

「まったく、それで帝国少将とは呆れた男だ。わしに傷を負わせたとは思えんな」

 

苦笑いを浮かべるイェーガーをジトリとねめつけ、嘆かわしいとでも云うように額に手を当てるグレゴールは、盤上の駒を見据えて、次にマクシミリアンを見た。

 

「ですが殿下。イェーガーの言葉ではありませんが、このままガリアに良いようにされるのも癪であるのは確か。栄光ある帝国軍が地に塗れる姿を見るのは耐えかねませんな。何か次の一手を考えるべきやもしれません。もしよければ私が策を用意いたしますが?かねてより試験中の装甲列車エーゼルの試し撃ちを行うには絶好の機会ですので.....」

 

マクシミリアンが超大型戦車ゲルビルという奥の手を本国より持ち込んできたようにグレゴールもまた切り札的存在である装甲列車エーゼルを運んできていた。

彼の列車に備え付けられた砲門より放たれる大型榴弾砲を使えば塹壕に潜むガリアの犬共を一網打尽にできると考えたのだ。

だが、その提言に対してマクシミリアンは首を横に振った。

 

「それには及ばん。もう既に手は打ってある。じきに到着するであろう.....」

「ん?何のことだそりゃ。聞いてないな、資料にも書いてなかった.....よな?」

「う、うむ....」

 

アルコールのせいで今ひとつ確信をもてないのでグレゴールに同意を求めると、初老の軍人は渋々と云った様子で頷きを返す。

 

「個人的な口約束に過ぎぬからな。アヤツがまだ忘れていなければ、もうそろそろだと思うが。.....いや、流石に早すぎるか。あと一週間以上は掛かるやもしれんな......」

 

と、その時。

 

「マクシミリアン皇太子殿下に報告!帝国領より『遊撃機動大隊』を名乗る部隊がやって参りました。お目通りの許しを申しております!ニュルンベルクから戻った使者も一緒です!」

 

マクシミリアンの言葉が言い終わらぬ内に天幕の外から兵士の報告の声が上がった。

 

その報にマクシミリアンは感心した様子を見せる。

 

「ほう....驚くほど早いな。ニュルンベルクからこの国境まで普通であれば一月以上は掛かるものを....」

 

....如何なる魔術を用いたのか知らぬが好都合だ。

直ぐにマクシミリアンは許可を出した。

 

「よい、通すがいい」

 

言葉の後に、直ぐ近くに待機していたのか間をおかず天幕の中に一人の軍人が入ってきた。流麗な動作で帝国式の敬礼を行う。

 

「ニュルンベルク軍遊撃機動大隊、大隊長セルベリア・ブレス大佐です。ラインハルト殿下の命により馳せ参じました!」

 

厳しく引き締められた凛々しい顔立ち、そして言葉を紡ぎ終わり真一文字に結ばれる唇。立ち居振る舞いからも堂々とした印象を感じさせる。

弟の背中で震えていた少女とは思えない。

だが、背中までなびく銀髪はなるほど当時の面影を残している。

間違いなく目の前の女があの時の少女だ。

 

「久しぶりだなブレス大佐。貴官と会うのはこれで三度目だな」

「は、マクシミリアン皇子もお変わりない様子です」

「貴官はだいぶ変わったな。軍人として見違えるほどに強い女性になったようだ。それと不肖の弟はどうしている?」

「日々滞りなく政務に励んでおられます。それとラインハルト様からお言葉を賜っております『ガリア方面軍の勝利を願う』とのことです」

「そうか。それでは早速だが貴官を呼んだ話をしようではないか......」

 

マクシミリアンは卓上に敷かれたマップの上に新しく取り出した駒を置いた。

青みがかった銀色のクイーンだ。

それが置かれたのは現在、帝国軍とガリア軍の激しい塹壕戦が行われているであろう地点の只中だった。

 

「単刀直入に聞くが()()使()()()()?」

 

それがヴァルキュリアの力だと直ぐに理解したセルベリアはややあって頷いた。

 

「はい。ラインハルト様もそれを見越して槍と盾を私にお預けになられましたから、問題ありません」

「ほう、槍だけでなく盾までもか、それは喜ばしいことだ」

 

なぜか盾という言葉にピクリと反応を見せたマクシミリアン。探るような目でセルベリアを見詰めている。

 

「余が貴官を呼んだ理由は既に気づいているようだな。であればその力を今は余の為に振るってもらう。現在進行されている攻略作戦に貴官の部隊も参加し、ギルランダイオ要塞前で塹壕戦を行うガリア軍の防衛網を崩してみせよ」

「おいおいまじかよ.....」

「本気ですか、マクシミリアン殿下」

 

まず先にマクシミリアンの命令に反応を示したのはセルベリアではなく、マクシミリアン直属の将校であるイェーガーとグレゴールであった。

 

現在の戦線は地獄の釜も同然だ。屈強な帝国兵でさえ攻めあぐねている状況だというのに、総司令官はこんな小娘を戦線に送ろうと云うのか。それでこの戦況が打開するとは到底思えない。

二人が瞠目する中、セルベリアはゆっくりと余裕たっぷりに答えた。

 

「かしこまりました。それではマクシミリアン皇子には我が部隊が戦線突破を図る様をご覧になって頂きましょう」

「.....ブレス大佐。その言葉もはや取り消すことはできんぞ。帝国軍人として語った以上、必ず実現してみせろ。もしおめおめと帰ってくるようであればワシがお前たちを処分してやろう....」

 

言葉というものは重い。軍人であればなおさら軽々と口にする言葉には気を付けなければならない。大言壮語を述べるならば帝国軍人として現実に行ってみせよ。

 

グレゴールの鋭い眼光がセルベリアを睨み付けた。

 

血のように紅い瞳が平然と見返す。

 

「もちろんですグレゴール将軍。私の言葉に嘘偽りはありません」

 

真紅の目に見詰められているとグレゴールをして呑み込まれてしまいそうな程の迫力を感じさせられた。

明らかにこの年の娘が発する威圧感ではない。

歴戦と呼ばれる一握りの兵士と同じ目をしている。

.....もしかするとあの噂は本当かもしれんな。

 

「ふん、精々励むのだな.....」

 

視線のぶつかり合いはグレゴールが帽子を被りなおす仕草を行うことで終わりとなった。

 

「それでは私はこれで、作戦を開始いたします」

 

最後に敬礼を行ってセルベリア・ブレス大佐は天幕から出て行った。

宣言を現実のものとするため直ぐにでも彼女は部隊と共に前線に向かうのだろう。

 

セルベリアが退室したのを確認したイェーガーは、マクシミリアンに尋ねた。

 

「それで、あの娘はいったい何者なんですかい」

 

それに答えたのは細い顎に手を置きつつ何かを考えていた様子のグレゴールだった。

 

「セルベリア・ブレス大佐だ。現在はラインハルト殿下の直属にして側近だが、彼女の名は帝国上層部でもよく聞いていた。その時は傭兵として活動していたそうだが.....」

「どうした?」

「いや、これから先はワシも虚構の類だと考えていた事で信じておらんかったのだが。イェーガー貴様は『ヒルダの奇跡』を知っておるか」

「ああ、酒場でよくその噂話が酒のツマミに流れてたからな。確か当時のヒルダ公主国の宰相が連邦と裏で繋がっていたとかで、クーデターまで起こした騒ぎだろう」

「そうだ。しかも連邦はクーデターが起きた翌日に侵攻を起こしたのだ。それによってヒルダは領土の半分以上を失うほどの事態に陥ってしまう。一時は滅亡するかと思われた。だが、残存したヒルダ軍の奮闘によって盛り返すことに成功し、ついには連邦軍を追い返し領土回復にまで至った事からこれを『ヒルダの奇跡』と呼ぶようになった」

 

グレゴールの言葉に、ああ、と頷くイェーガー。

領土を半分も失い、それでも最後に勝利した。確かに奇跡だ。

どんなに必死に守ろうとしても掌からこぼれだすのは止められない。少なくとも俺には無理だった。

 

「それで、ヒルダの奇跡とセルベリア・ブレスに何の関係があるんだ......まさか」

「うむ。その戦いにブレス大佐も参加していたようなのだ。しかもかなり中心的な役回りを担っていたそうだぞ。情報も誇張されていたり眉唾物な噂話が多く出回っていたが、中でも彼女らが率いた部隊は伝説にまでなっているらしいからな.....どこまで本当かは分からんかったが、実際会ってみてあながち間違っていないのかもしれん」

「なるほど歴戦の傭兵というわけか。殿下もそれでブレス大佐を呼んだのですかい?」

「そんな事は知らんが、確かに奴であればそのぐらいは出来るかもしれん。なんせアレはヴァルキュリア人だからな。しかも覚醒している......余はただヤツの兵器としての価値を見て呼んだに過ぎん」

 

ふとマクシミリアンは卓上に置かれた銀色の駒を見詰め。

 

「ラグナイト弾一つにとっても数は有限だ。だがアレは槍と盾があればほぼ無制限に戦うことが出来る。これほど都合の良い道具もないだろう。ガリア方面軍は力を温存することができ、かといって遊撃部隊の数が減ろうと余の腹は痛まん。それに覚醒したヴァルキュリア人の力を知る絶好の機会でもあり、使い潰れればそれまでだったと限界も知ることが出来る。またラインハルトの力を削ぐ事にもなろう。余の不利益となることが一つもないのだ」

 

口元を冷酷に吊り上げる。

 

「さて、どこまでやれるか見物だな。セルベリア・ブレス.......」

 

余のために此の戦場で踊ってみせろ。

 

壊れてしまったとしても別に構わない。

 

なんせ、他にも代わりは要るのだから。

 

盤上に輝く銀の駒を見下ろすマクシミリアンの手には新たな駒が二つ握られていた。

 

 

 



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二十四話

未曾有の危機であるガリア公国軍において、領外の瀬戸際で敵の侵略を阻む為に必要不可欠なギルランダイオ要塞。その要所を守る為に用意された常備部隊がガリア軍には内外に存在する。ひとつは『要塞守備隊』と呼ばれる巨大な要塞の防御機能を十全に稼動させ、侵攻する帝国軍から要塞を防衛するための要塞内の軍。

もうひとつは現在、要塞前の複雑に入り組んだ塹壕に潜み帝国軍と熾烈な争いを繰り広げている『ガリア国境警備隊』。

彼らは元々、ガリア領の山脈各地に点在していた軍事基地に滞在し、帝国軍の動きを抑制、又は未確認の部隊が国内に侵入するのを防ぐ役割を担っていたのだが、今回の帝国軍侵攻によってその多くが補足され制圧されてしまった。いわば彼らはガリア軍と帝国軍の初戦における敗残兵であり、帝国の侵攻に押されて最終防衛ラインである背後のギルランダイオ要塞まで後退してきた背景をもつ。

破壊・制圧された基地の数は十六。

撤退を余儀なくされたガリア兵の数は優に二万を超えていた。

 

そして、帝国の猛勢から何とか命からがら生き延びた彼らに、非情な指令が通達されたのが昨日。

その内容こそが『要塞前面の塹壕地帯にて帝国軍を撃退せよ』......であった。

 

作戦指令責任者はゲオルグ・ダモン。ガリア公国軍の全権を担う将軍の名だ。

 

征暦1935年3月14日

 

帝国の襲来を聞きつけたガリア政府は直ちにガリア正規軍の派遣を行う。

そして、駆けつけ援軍としてやって来たのがダモン将軍であり、最前線から後退してきた部隊の存在を知り、彼が発した最初の命令である。

 

 

 

 

 

 

 

★     ★      ★

 

 

 

 

それは新春とは思えない程に日差しの強い、正午11時45分の時の事。

 

「いまだ!一斉射撃!!」

 

死を恐れないかのように戦場に押し寄せる帝国兵を塹壕の最前列にて防戦し指揮をとるアルデン・ニケ軍曹が、班員達と共に、手にしたマグスM3の銃口を前に向けて一斉射撃を敢行した。

横一列に並んで弾かれた面による射撃が、迫り来る帝国兵を襲う。

直撃を免れなかった兵士達は糸の切れた人形のように地面に倒れた。唯一人形と違うのは倒れふす際に恐怖と絶望の表情に彩られながら崩れ落ちる事である。

 

「.....よし、敵の沈黙を確認。迎撃に成功セリ」

 

前方の十数人からなる敵部隊の全滅を確認した軍曹は、出していた顔を塹壕に引っ込める。班員達も同様に。

いつまでも顔を出しているマヌケがいれば直ぐにでも帝国軍の砲弾が雨あられと降ってくるからだ。

 

慣れ親しんだ土と硝煙の混じったニオイを嗅ぎながら軍曹は思う。

 

なんでこんな事に.....。

元は国境警備隊の俺が、今じゃあ要塞守備隊の真似事だ。

その要塞守備隊は首都から来たガリア正規軍と共に要塞内に篭っている。本来であれば実戦部隊である正規軍が俺たちの役目を受け継がなければならないというのに。

帝国軍の侵入を阻む固く閉ざされた要塞の扉が開くことはない。つまり俺たちに退路は存在しないのだ。

 

「ちくしょう、正規軍は何やってんだよ......!」

 

同じ班員の兵士が我慢の限界だとばかりに声を荒げる。

ここまで来れば助かると思った。それだけを希望に撤退戦を行ったのだ、無理もない。

みんなも言わないだけで胸中では同じ思いなのだろう表情が固い。

仕方ない、部隊の班長として俺が言うほかないだろう。

 

「今は耐えろ。......ダモン将軍にも何かお考えがあるのだろう」

「ですが!?このまま明日の一二〇〇(ヒトフタマルマル)時までここを守り抜けなどと、俺たちに死ねと言っているようなものです!」

「だからこそだ。大丈夫、ガリア公国軍が同胞である俺たちを見捨てるはずがないだろう.....?」

 

落ち着かせるように、声に力を込めて兵士に語りかける。

兵士も安心できる材料が欲しかったのだろう、俺の言葉に素直に頷いた。確かな信頼の目で俺を見る。

 

そして俺は少しだけ罪悪感を感じる。根拠も何もない俺の言葉を信じてくれた申し訳なさに。

内心では俺も同様の不安を感じているのだ。

 

.....もしかしたらガリア正規軍は俺たちを見捨てるかもしれない。

ダモン将軍は俺たちを.......。

 

そこでハッと我に返る。

馬鹿な。そんなことあるはずがない。

疲れているんだ。そのせいで心が弱くなって変なことを考えてしまっただけだ。

頭を振って不安を掻き消した。

 

「......みんなよく聞け。確かに俺たちは地獄のような状況に置かれているかもしれん。だが、あの撤退戦を成功させた君たちならば、必ずや今回の作戦も成功に導けるものであると俺は確信している。ゆえに今は走り続けてくれ、生き延び続けて欲しい。その果てに勝利は存在するのだから!」

「ハッ!」

 

俺の拙い激励に答えてくれる兵士達の姿を見て、俺はようやく心からの笑みを浮かべる事が出来た。

 

大丈夫だ。俺たちは死なない。ダモン将軍が提示した明日の一二〇〇(ヒトフタマルマル)時までこの塹壕地帯を死守する事が出来れば要塞の門は開き仲間と補給が現れるはずだ。

そして、帝国軍に対する有効な秘策がダモン将軍には有る。

それまで俺たちは信じて戦うのみ。

 

不屈の意思を固めたその時、

 

『こちら要塞司令部!4-1第三歩兵班聞こえるか?応答せよ』

 

通信兵の背負う通信機より要塞司令部からの連絡が発信された。

軍曹は部下から受話器を受け取り応信する。

ちなみに4-1というのは複雑に入り組んだ塹壕の中で迷わない為の座標の事だ。

 

「こちら4-1第三歩兵班聞こえている。どうした?」

『3-1地点の第七歩兵班が敵戦車の砲撃によって壊滅したもよう、帝国兵の小隊規模が入り込もうとしている。貴官の班は直ちに3-1地点に向かい増援が来るまで帝国軍を足止めされたし』

 

3-1地点は直ぐ隣りの座標番号だ。走れば三分ほどで着く。

突破されればこちらの部隊の後背に回り込まれる恐れがある。

迷っている暇は無い。

 

「分かったすぐに向かう!増援の到着予定は分かるか?」

『およそ六百秒持ちこたえてくれ!幸運を祈る!』

 

それを最後にノイズ交じりの通信は途絶する。

 

受話器を通信兵に返した軍曹はゆっくりと仲間の兵士達の顔を見た。

 

「みんな聞こえたな?今から俺たちの班はお隣りに引越しだ。先にいる帝国兵には鉛の弾丸を引越し祝いにくれてやろうかと思うが、いかがかな?」

「ははっ奴らが嫌というほど見舞いしてくれますよ!」

 

軍曹のおどけた冗句に班員達も笑って軽い口調で答える。今も砲弾が頭上を飛び交っている最中の出来事だ。

そして、立ち上がる軍曹の姿に追随して、彼らも重い腰を上げると。

すぐさま第三歩兵班は走り出した。

 

先ほどまでの疲れきった顔はどこにもなく。全身から覇気を漲らせていた。

 

素早く地を駆ける彼らの視界に程なくして帝国兵達の姿が映る。

 

その数は十人にも満たない。

地上の地獄から運よく生き延びてほの暗い坑道まで来たのだ。

安堵と恐怖からの解放からか隙だらけだった。

......生き延びれて嬉しいのは分かるが此処はまだ戦場だぞ?。

 

「っ!?ガリア兵だ!構え....」

 

ようやく俺達の接近に気づいた瞬間には時遅く。数秒の遅れが勝敗を決した。

 

「撃て!」

 

俺を中心に銃撃の構えをとった班員の銃砲が連続した。

帝国兵達は断末魔を上げる間もなく銃弾に襲われて地面を転がる。

激しいマズルフラッシュが止み、後に残されたのは慟哭する顔をした帝国兵の亡骸だけである。塹壕を取り返す事に成功した俺は仲間が防衛準備に移るのを尻目に亡骸に目を向けていた。哀れに思うつもりはない。だが、

 

.....彼らにとっても此処で死ぬのは無念であったろう。

 

倒れ伏した兵士の遺体を見下ろし、せめて黙祷だけでも捧げてやろう。

 

そう思った時である。

 

「―――どんなに戦場を渡ろうと味方が殺されているのを見るのは慣れるものではない。そう思わないか?」

 

その言葉に全員が瞬時に反応をとり銃を構えた。声の方に向かって銃口を向け、そして全員が驚愕に顔を彩る。

直ぐ近くまで近寄られていたにも関わらず全く気がつかなかった気配もそうだが。

声の主の姿があまりにも現実離れしていたからだ。

 

驚くほどの美女だった。

神々しいとまで言ってもいい。なぜなら、彼女は渦巻いた形状をした槍と無限の回転を思わせる盾をその手に持ち、青い炎の如き光を身に纏っていたのである。

 

「お、お前は.....何者だ?」

 

馬鹿げたことだが思わず尋ねてしまうほどに、彼女の存在は現実味がないもので。もし此処が戦場でなかったなら膝をついて祈りを捧げてしまいそうなほどに神秘的だったのだ。

 

その言葉に女は呆れたような顔で俺たちを見下ろし言った。

 

「決まっているではないか、お前達を地獄に叩き落とす怖い魔女、つまり敵だ」

「っ!?....う、撃て!」

 

呆然としていた軍曹だったが、女の言葉で我に戻る。マグスM3の銃口を向けて号令を掛けた。

もし女が敵であれば呆気にとられる自分達は格好の獲物である。帝国兵の亡骸が俺達になるだけだ。

班員達も班長の言葉でほぼ無意識にトリガーに指を掛けた。

 

発砲する瞬間。女はおもむろに盾を眼前に構える。

 

それを奇妙に思うが、すぐに女の行動の意図を理解させられた。銃撃の激しい音が鳴り響き、軍曹の口から悲鳴がもれる。

 

「馬鹿げてる!?」

 

俺を含め班員の放つ全ての銃弾が女の盾によって弾かれているのだ。

女は何でもないことのように空しく落ちる銃弾と俺達を見据えていた。

やがて、弾が尽きた俺達はまたもや呆然となって手に持つマグスM3の銃口を力なく下げた。

 

「攻撃は終わりか?ならば今度は私の番だな」

 

冷たい眼光が俺達を見据え、女は片手に持つ槍の穂先をこちらに向ける。まるで俺達のマグスM3の銃口のように。

女の行動の意図を察した班員達の口からは「ハハ」と乾いた笑い声がこぼれた。まさか、という思いで立ち尽くす俺達は。

ドリルのように回転する槍に青い光が込められていくのを、他人事のように見ていて。

 

 

――――横にいた兵士が青い光弾に撃ち抜かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十五話

「観測班より入電!塹壕地帯、第一前線部隊の損耗率が二十四%を超えたとの報告あり、第二前線部隊は前に出よ!」

 

「要塞固定砲兵隊はエリア前の敵戦車隊を重点的に狙い殲滅せよ!塹壕前地雷原より前に出させるな!」

 

「6-3エリアの機関銃座群は弾幕を密にし、敵兵を予防ラインに寄せ付けるな、悉く一掃せよ....!」

 

現在、ギルランダイオ要塞の心臓とも呼ばれる要塞司令部の一室は、絶え間ない喧騒の声に満ちていた。

司令室の大部分を占める物々しい数の通信機の前に、何十人もの通信士官たちが座り、観測班の報告を受けながら前線の各部隊と交信を続けている。だらけている者は一人もおらず、全員が真剣な様子で報告を繋いでいる。密集した人々の熱気で汗が垂れるも、それを拭う暇すらない程だ。

 

その後ろでは、彼らの報告を聞きながら数人の高級士官達が神妙な顔つきで話をしていた。

要塞防衛を任とする『要塞守備隊』の常駐将校達である。

 

「......なんとか塹壕防衛線は持ちこたえているな」

「うむ。だが帝国軍の突進力は侮れん。既に敵が目前まで来ているエリアもある。今はまだ予備兵力を前に出し対応しているが、それでもギリギリだ。帝国軍の攻勢に対応しきれていないエリアが出始めるのもそう遠くないだろう。とてもでないが将軍が提示した時刻まで持ちこたえれるはずがない.....」

 

今はまだ前線の部隊が帝国軍を押し留めている。だが、帝国軍の攻勢は強く、そう遠くない未来で防衛線は突破される。そう確信している老獪なガリア軍将校は続けて言った。

 

「守備隊は要塞防衛の為に必要だ。やはり来訪したダモン将軍旗下の正規軍を出すしか他あるまい」

 

守備隊兵員の数は一万五千人。

一見すれば多いように思えるが、主目的である防衛や要塞に設置された兵器を稼働させるのに手一杯で前線に兵を送る余裕はない。

しかし、援軍として訪れたダモン将軍率いるガリア公国正規軍三万の兵力があれば、この問題を解決できる。

....はずだった。

 

「だが、我々にその権限はない。将軍が許可せぬかぎり正規軍は動かない」

 

同僚である将校の言葉に渋面をつくり、たまらず重々しい声を吐いた。

 

「なぜだ。将軍はなぜ、兵を動かさぬのだ?」

 

その疑問に答える者は誰もいない。みなが無言で苦い顔つきをしている。

誰もが疑問に思っていた事だ。

帝国軍がギルランダイオ要塞の目前まで迫っていた所でやって来たダモン将軍旗下の援軍に、当初は誰もが喜んだ。

さらに同じ頃、最前線より後退してきた友軍と合流し連携すれば帝国軍を押し返す事も不可能ではないと考えていた。だが、その考えはダモン将軍の一言により崩れ去る。

彼の言葉は今も鮮明に思い出せた。

 

『帝国は狡猾で何をしてくるか分からん。なのでまずは暫く様子を見るぞ、そのため我が軍は待機させておく。明日の1200(ヒトフタマルマル)時までは敗退してくる国境警備隊の者どもとそちらの守備隊だけで要塞を守り通すように。分かってくれるな?一手でも読みを外せばガリア軍ひいてはガリア公国が危機に瀕する状況となるのだ。慎重にならざるをえんのだ。辛いかもしれんが耐えてくれ、まあ大丈夫であろう、精強なるガリア兵の諸君であればわしの命令を完璧にこなしてくれると信じておるぞ』

 

と言ってこの場に居る誰よりも高位の階級であるダモン将軍は用意させた執務室に入っていった。

戦闘が始まった今も彼は姿を見せない。

なので本来であれば座って陣頭指揮をとる為の指令席も空席のままだ。

 

それを見てよりいっそう皺を深くすると、唯一この場で答えを持つであろう人物に目を向ける。比較的若い痩せ形の男に。

将校達の集まる少し離れた位置に立つその男はダモン将軍の副官だった。

 

「ダモン将軍はいったい何をしておられるのか?執務室に籠っておられては、戦況の報告に遅れがでるではないか」

 

戦況は刻一刻と変わり続けている。もしかすると将軍の権限が必要になる場合もあるかもしれない。そういう時に戦場の動きを把握しておかなければ、いざという時に的確な指示が出来ない。

それを危惧したのだ。

だが、尋ねる言葉に副官の男は見下すような目付きで。

 

「将軍殿は今現在、ご多忙なのです。帝国軍に勝利するための計画案を作成するために。なのでこの場には私が代理として立っているのですよ」

「それは理解しております.....ですが、その前に前線の部隊が瓦解してしまっては意味がありますまい。もはや一刻の猶予もありはしませんぞ!即刻呼んで来ていただきたい!」

「まあまあ、落ち着いてください。焦っては敵の思う壺。あなた方にも我らが将軍様を見習って頂きたいものですなぁ....」

 

やれやれと首を振る副官の顔には、酷薄な笑みが浮かんでいた。

切羽詰まったわしらの様子を面白がっている節さえある。

この男、一人だけまるで自分は関係ないとばかりに涼しげだ。

 

――――お飾りの地位に立つだけの小童が!

 

内心でそう思うが間違っていないはずだ。恐らくはこの副官の男は貴族の出であろう。よほどの有能でなくばこの年齢で将軍の副官などと云う地位に居れるはずがないからだ。

そして家柄だけの男に好き勝手言われて怒りを覚えないはずがない。

 

「いかに将軍の副官であろうと、階級はわしの方が上じゃ。命令には従ってもらいますぞ.....!」

 

虎の威を借りればわしが大人しく黙るとでも思ったか。

ギロリと眼光を強く副官の男を見据える。

 

「.....!」

 

老将の放つ無言の訴えにビクリとさせられた副官の男。一転してせわしなく目線を動かし額に汗をかく。本来の自分の階級を思い出したのだろう。

 

「っ....そ、それでは自分は報告書を将軍に持っていかなければなりませんので、わ、私はこれで。一応ですが将軍には提言するとしましょう.....」

 

居心地悪そうにした副官はそそくさと部屋を出て行った。その手には確かに報告書の束が握られている。

 

扉が閉まり副官の背中が見えなくなって、思わずため息をこぼず。

 

なぜダモン将軍はあのような者を配下にしておるのだ?

とてもでないが有能とは思えない。

現にみなが(せわ)しなくする中、あの男はただぼけっと突っ立って見ていただけだ。まるで物見遊山に来た子供のように。

 

――――疑念が生まれたちょうどその時、とある通信士の元に一報が届いた。

 

「なに!?3-1第七歩兵班が爆発に巻き込まれて全滅しただと、蒼い光?......っ分かった。とにかく増援を送ってもらうよう通達する」

 

要塞各所の観測塔から送られた報告に驚愕する通信士。その声に将校の目が向けられる。

 

「どうした?」

「は、3-1エリアの最前線部隊が恐らく戦車砲と思われる砲撃により全滅したようです。増援の指示を送りたいのですがよろしいでしょうか」

「分かった。許可する。緊急措置につき直接4-1エリアの班に通信を送れ、あそこはまだ余裕がある」

「了解!」

 

出された指示に頷くとすぐさま交信を始める通信士の様子を見ながら、表情を固くするガリアの老いた将校。

重厚な低い声がボソリと呟かれた。

 

「ついに全滅するほどの部隊が出てしまったか。一点でも侵入を許せば一気に崩れるぞ.....」

 

早く来て下されダモン将軍。もう長くは保たないかもしれません.....!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「くそっ、あの老いぼれが!ダモン将軍の副官である俺に向かって何たる口の聞きようか。平民のくせに!」

 

男は部屋を出た途端に態度を一変させていた。

怒りの形相になると口汚く罵りの言葉を吐き。ズンズンと荒々しく長い廊下を歩きだす。

 

姿が見えなくなったとたんにコレである。自らの底の浅さを喧伝するようなものだが、副官の男は気づかず、自らの怒りを発散させるかのように悪態を呟いている。

もしこの様を先の将校が目撃しようものなら、嘆かわしいと天を仰いだ事だろう。

あまりにも器が小さすぎる。これで副官が務まるのか、と。

そして、推測した通り男は貴族出身だった。

今回の作戦に参加した理由も呆れたもので。何も祖国であるガリア公国の為、大義の元に戦うのだと云う訳ではなく、己の家の看板に箔を付けたいからという欲の為であった。

要はガリアを守った英雄と周囲から称賛されたいのだ。

さらには、

 

―――この戦いで周囲の人間も認める功績を立てれば、兄貴の代わりに俺が当主を受け継ぐ事も可能かもしれん。

 

そんな思惑があり、無理を承知で親に頼み込みダモン将軍の副官という地位を得たのだ。

士官学校時代の成績では逆立ちしたって、今の地位に居据わることなど出来なかっただろう。

少なくない金がダモン将軍の懐に渡ったようだが英雄になる為であれば安いものだ。

 

「そうだ。俺はいずれこの国を救う英雄となるのだ。その俺に向かってあの老害どもが......」

 

なおもブツブツと陰口を呟いて歩いていた副官の前に一つの扉が立ち塞がる。

気付けば目的の場所に着いていた。ダモン将軍の為に用意された専用の部屋だ。

副官である自分以外は立ち入ることは禁止されている。

 

慌てて陰口を止めると副官の男は緊張した様子で扉を叩いた。

コンコンと音が鳴り、暫く待つと.....。

 

「.....なんだ?用件があるなら後にしろ。わしは今忙しいのだ」

 

歓迎的とは言えない不機嫌な声が扉の中から響いてきた。

 

「私です閣下。副官のミシェルです。現在の戦況報告書をお持ちしました」

 

素早く返すと、

 

「なんじゃお主か.......いいじゃろう入れ」

「はっ」

 

許可が下りたので扉を開けると、素早く体を入り込ませる。

部屋の中が視界に映りこむ.....。

 

一人の男が長テーブルの一角に座っていた。

 

まるで軍人とは思えない肥え太った脂肪を腹一杯に蓄えた中年の男が、両手に銀のフォークとナイフを持ち眼前の皿に乗った肉の塊を切り分けている。

 

肉の油がそのまま移ったかのようなギットリとした油顔に、喜劇役者のようなナマズ髭がチョロリと伸びていて。

お世辞にも威厳があるとは言えない目の前の男こそが、ガリア公国正規軍総司令官ゲオルグ・ダモンその人であった。

 

「あ、失礼いたしました。お食事中でしたか」

 

.....まさか忙しいと言ったのはこの事だったのか?

皿に乗ったステーキを嬉々として切り分ける様子を見てそう思うが、副官の男は余計な事を言わず謝りの言葉を発する。

それをあっさり無視したダモンは肉の切れ端をフォークに刺し、大きな口に放り込む。

グチャグチャと咀嚼する音だけが部屋に響き。

やがて傍らに置いていたワイングラスを手に取り、先んじて入れておいた赤ワインをこれまた美味そうに飲み干した。

 

「ゲフ~.....。そこに置いておけ」

 

満足気に息を吐くと、おもむろにダモンはそう言った。

ナイフの先で傍らに置いておくよう指し示している。しかも、この時点ですらダモンは副官を見てもおらず視線は皿の上の肉に固定されていた。

 

「っ....!」

 

副官の男は口の端をピクピクと引き攣らせていたが、やはり何も言わず黙って報告書を提出した。

ダモンはそれに見向きもせずカチャカチャと両手を動かすのを再開する。

 

肉の一切れを頬張り、ワインを一口飲む。ふうっと息を漏らし。

 

ようやくダモンの目が副官に向いた。

 

「なんじゃ?まだ何か用か?」

「は、はい。要塞の常駐将校よりダモン将軍に要望の声があり。それをお伝えします」

「要望じゃと.....?」

 

眉をひそめるダモンだが、黙す副官に次を話せと顎をしゃくる。

副官の男は頷き、

 

「は、司令部にて陣頭指揮をとって頂きたいとの事でして、呼んでくるよう命じられました。それと、正規軍の出動許可を認めてほしいとのことで。恐らくは前線に出すものと思われます......」

 

あくまで私は言われた言われた通りにしているだけと云うスタンスで。

機嫌を損ねないよう丁寧に言葉を紡ぐ。

癇癪持ちな性格をしているため何が導火線になるか分からないのだ。

だが、運の良い事にダモンはいきなり怒鳴り散らしたりせず、胸元から一本の葉巻を取り出した。

口元に咥えて愛用のジッポライターで火を点ける。

 

深く吸引して煙を肺に届かせると、ゆっくりと息を吐き。

立ち昇る紫煙を見上げながらダモンは口を開いた。

 

「......何故わしが正規軍を前線に送らぬのか、お主には分かるか?」

 

意外な質問だった。

前もって明言されていた言葉を思い出し答える。

 

「それは.....帝国軍の動向を探るためでは.....?」

「まあ、それもあるが。あくまで建前に過ぎん、本来の目的は()()にある」

「え、演出....で、ありますか....」

 

大仰な動作でダモンは頷き、

 

「うむ。ガリア正規軍がこの戦場の主役の華として最も映える為には他の軍隊が邪魔じゃろ?国境警備隊も要塞守備隊も我がガリア正規軍の勇猛さを喧伝せしめるための添え花となってもらう。ゆえに前線の兵士達は少しばかり尊い犠牲となってもらうのじゃ。それに悪逆なる帝国軍を我が正規軍で打ち破ったと知ればわしに批判的な反戦派の奴らも黙らせることができる。彼らの死は無駄にはせんわい」

 

何やら自慢げに述べるダモンの言葉に、副官の男は思った。

この人はいったい何を言っているんだろうか.....と。

何やら尤もらしい事を言っているが、つまるところ自分の軍隊を目立たせたいだけ。

そこに戦略的な意味合いはないというのか....。

疑問に思ったので聞いてみた。

 

「それでは、明日の1200時まで期限をもうけたのは?意味はなかったということですか」

「心配せずとも作戦はある。塹壕戦を行うガリア国境警備隊との戦いで帝国軍といえど疲弊しているはずだ。我が軍はそこを突き、一気呵成に突撃を開始する。帝国軍は突然の事態に恐慌し対処できず敗北を喫するであろう。フハハハ!」

 

高らかに笑うダモン。自らの勝利を全くと云っていいほど疑っていない。

彼の目にはもう帝国軍に打ち勝つ自分の姿が映っていた。

そして、自らの勝利を幻視していたその目が副官に向いた。

笑い声はピタリと止まっている。

 

「わしの作戦に何か文句があるかの.....?」

 

まさか異論があるわけではあるまいな.....。

胡乱気に睨みつけるダモンの視線に、副官の男は首を振って。

ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「いえ、素晴らしいお考えかと思います!流石はダモン将軍。そのような深謀があったとは、流石はガリアが誇る知将であります!」

 

.....俺にとって前線の兵士が幾ら死のうと知った事ではない。

最も大事なのは自らが何らかの功績を上げること。そして家中のみなに認められることだ。

その為には功績を取ってしまいかねない正規軍以外の部隊は邪魔なので。ダモン将軍のお考えは俺にとっても好都合なのだ。

捨て石の如く扱われる前線の兵士達は不憫だが、これも軍人としての運命だ。仕方のないことである。

代わりと云ってはなんだが俺の踏み台となってもらおう。貴族の役に立つのだ彼らも本望であろう。

 

「ハッハッハ。そうじゃろう、そうじゃろうて」

 

副官の絶賛の声に満足したのか何度も頷き、脂肪の付いた頬を揺らしているダモン。

やがて、目の前の食事を再開する。皿の上の肉に視線を置き。

 

「わしにかかれば戦場もこの肉も大して変わらんわい。要はいかに上手く調理された料理を最も美味となる瞬間に喰らうかどうかなのじゃ」

 

ナイフで肉を切り分け、たっぷりと脂身のついた部位だけをフォークで取る。一番ダモンが好きなところだ。

 

「美味しくない所は切り捨てればいい、好みのものだけをわしは喰いたいのだ.....」

 

意味深げに暗喩された言葉の後に、ダモンはフォークに刺した脂身を大きな口で食す。実に美味そうである。

結果的に前線の兵士達を無為に死なせていると云うのに罪悪感を毛ほども感じていない様子だ。

ダモンは肉を嚥下し副官に言った。

 

「しょうがない。後で司令部に顔を見せるとしようかの、彼奴らを宥める必要があるのじゃろ?」

「はい、お願い致します。自分では彼らを抑えきれませんので」

「仕方のない者達だのう....」

 

.....まったく、何を焦っておるのか?司令部の者どもは。この要塞が陥落するわけがないではないか。

塹壕には精鋭であるガリア兵が居るのじゃ、簡単に突破されるはずもなかろう。

それともわしの命令を尊寿する事もできない程の無能なのか......?。

 

もしそうであれば誉れ高きガリア公国軍も質が落ちたわい。嘆かわしいのお.....。

勝手な失望を内心で思いつつ、

 

「分かったわい。だが、コレを食い終えてからじゃ。腹が減っては戦は出来んからの。それからでも遅くはあるまい.....」

 

そう口にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十六話

冷たい眼光が俺達を見据え、女は片手に持つ槍の穂先をこちらに向ける。まるで俺達のマグスM3の銃口のように。
女の行動の意図を察した班員達の口からは「ハハ」と乾いた笑い声がこぼれた。まさか、という思いで立ち尽くす俺達は。
ドリルのように回転する槍に青い光が込められていくのを、他人事のように見ていて。

次の瞬間、

――――横にいた兵士が青い光弾に撃ち抜かれた。




「は.....?」

 

....何が起きたのか理解できない。

突如として絶世の如き美貌の女が現れ。手に持つ槍を向けてきたと思ったら、青い光が視界を妬いた。

直後に放たれた光の弾が横に居た部下にぶつかったのを僅かだが横目で視認した。

 

いったい何が....。

 

訳が分からず戸惑いを覚えていると、

ドサリと誰かが地面に倒れ込む音が聞こえる。光の弾が当たってから無言で立ち尽くしていた部下の男だ。

振り返って見れば、空虚な瞳で空を仰ぎ見る姿が映り。その体の胸辺り。より厳密に言うなら心臓が在るであろう部分にポッカリと穴が開いていた。不気味な事にその穴からは一滴の血も出ておらず、肉の焦げた匂いだけが辺りを漂っている。

見ただけで分かる。即死だった。

 

....撃たれたのか?あの光によって?

 

今だ夢の狭間に居るような感覚に陥っていた意識に『部下の死』という曲げようのない現実が襲う。

目の前の女も。蒼い光も。回転する槍から放たれた光の弾も。夢幻(ゆめまぼろし)などではなく、全てが実際に起きていることなのだ。

 

信じられない事だが地に転がる部下の亡骸の存在がこれは現実だと強く証明してくる。

頭ではなく本能でアルデン・ニケ軍曹は目の前の光景を現実と受け入れて。

 

「全員!散開せよ!」

 

気が付けば命令を叫んでいた。

 

先程の軍曹と同じく呆然としていた班員達が我に返り、蜘蛛の子を散らしたようにバッと動き出すと、近くの通路に飛び込んだ。

軍曹もまた同じタイミングで複雑に入り組んだ塹壕内の通路の一つに勢いよく駆け込むと、手早く空になったマグスM3の弾倉を装填した。

 

大声で周囲に呼びかける。

 

「帝国軍の侵入を許すな!撃退するぞ!」

 

言い終えた直後に弾薬を充填した突撃銃を構え、通路から体を半身だけ露わにし覗き込むと。部下を瞬く間に殺したあの女は変わらず其処に居て。一歩も動くことなく通路に隠れて壁際から窺う俺達を見下ろしている。まるでお前達など敵ではないとでも言いたげな紅い瞳に。俺は向かって叫んだ。

 

「一斉射撃!攻撃目標は眼前の『魔女』!順次攻勢をかけよ!!」

 

叫び終えるのも束の間。塹壕内は銃撃音に満ちる。班員全ての突撃銃より放たれる無数の銃弾が銀髪の女に迫った。

だが、やはり先程と同じ現象が再現される。

悪夢としか思えないが、女が盾を目の前に翳すだけで全ての銃弾は悉く弾かれるのだ。

不可解な事は続き、明らかに盾が守る面積では防ぎきれない筈の部位(例えば足回り等)ですら不可視の盾に阻まれているかのように銃弾は女の手前で空しく地に落ちる。

 

.....やはり見間違いではなかったか。

 

現実味のない光景をまざまざと見せつけられ歯噛みする。部下達の顔にも動揺が色濃く表れ、攻撃の手が一瞬怯むも。

 

「構わん!撃ち続けろ!奴は危険だ。ここで足止めをする!!」

「了解!」

 

誰もが理解したのだ。あの女の突破を許してはいけないと。もし侵入を許してしまえば恐ろしい事になると。

だからこそ殺せなくともこの場に引きつける必要がある。

構わず撃ち続け。マグスM3のマズルフラッシュが断続的に塹壕内のあちこちで瞬いた。

たった一人の女を足止めする為に班員全ての一斉射撃で狙う事になるとは、やはり夢としか思えない。

 

だがそれは悪夢のような現実の始まりに過ぎなかった。

 

「――良い判断だ。そうでなくては面白くない」

 

銃撃の狭間で女の声を聞いた。

それは楽しげな色を含んでいて、それはまるで遥か高みから浅ましい俺達を見下ろす絶対者のように思えた。

そして、それまで防御に徹していた帝国軍風の装いを纏った女が動き出す。

また槍の先から光でも放つ気かと思ったが違う。

それどころか片手で握るその槍をあろうことか地面に突き刺した。

 

いったい何をする気だ......?

 

俺達の視線が釘つけになっている中で女は背後に手を回すとソレを露わにした。

鉄製で覆われた平たい円盤状の物体を掴んでいて。ソレが何であるかを察した俺は瞬間的に口を開いていた。

 

「対戦車地雷だと!?」

 

見覚えがあるその形状はガリア公国製の物で。恐らくは塹壕前の地雷原から掘り出した物だろう。

最新鋭の新規更新された兵器の一つで、その威力は帝国の重戦車すら行動不能にすることが可能だ。

それを何故あの女が手にしているのか、言いようのない不安を感じる。

 

「私からの贈り物だ、受け取ってくれ」

「なに!?」

 

驚愕する俺を無視して女は軽々とした動作で地雷を投げ込み。

塹壕内に隠れる俺達のちょうど中心に落ちた円盤形の地雷に。

女は再度掴んだ槍を向けて、

 

何をするのか理解してしまった俺は。

 

「まさか!全員後た――」

 

言い終わらぬ内に一発の青い光弾が放たれ。

 

―――瞬間。

 

強烈な音の爆発と熱量を含んだ閃光が俺達の五感を一瞬で奪った。

 

 

 

 

 

 

★   ★    ★

 

 

 

 

 

 

「......ぁ」

 

.....俺は生きているのか?

闇一色に塗りつぶされた視界の中で自らに問う。

心臓が激しく脈を打つ感覚を通じて、ようやく生を実感した。どうやら一瞬だけ意識を失っていたらしい。

あの爆発に巻き込まれて未だに生きている己の強運に。はたして喜ぶべきか。

 

「セ......隊長、そ...お姿は......!」

「お...達には..めて見せるか、これが本来の力を行使する私の姿だ」

 

意識を覚ました俺の耳に男女の会話が届いた。強い頭痛と耳鳴りのせいで上手く聞き取れない。

.....状況はどうなっている?

確認するために地面に頬付けていた顔を上げる。閉じていた瞳をこじ開けた。

視界に光が差し、目の前の光景が映りこみ。

 

それに俺は絶句した。

 

凄惨な光景だった。

爆破によって体を欠損した兵士。高温の熱波で皮膚を爛れさせた兵士。

通路に潜んでいた部下達は地雷の爆発に巻き込まれて、その多くが骸となって地面に転がっている。

第三歩兵班は班長の俺と僅かだけを残して全滅していた。

 

さらには防衛すべき塹壕内には銀髪の女が入って来ていて。その傍らに寄り添うよう立っているのは帝国軍の兵士と思われる男。更には二人の後方からは続々と帝国兵士が地上から塹壕内に降りてきている。

よく見れば他の普通の帝国兵士とは装いが違う事に気づく。黒地の戦闘服に青の刺繍が刻まれていてスタイリッシュな装いだ。

既に小隊規模以上の人数が集まっている。

 

――――侵入を許してしまった!

 

重要なミッションの内の一つが失敗したのだと悟り。やるせない思いと自らの無力を覚える。

......だが、まだだ!諦める訳にはいかない。

このまま何もできずに終わることなど軍人としての自分が認めない。

なにより部下のほとんどを失い。班長として彼らの仇を取るのは俺の責務だ。

 

視界の端に転がっていたマグスM3を手に取り。怒りに任せて立ち上ると。すぐ横で呻く通信兵に向けて密かに指示を出す。俺は指示を通信兵は情報の交信の為。他の部下達よりも比較的遠くに居たことが生き残る大きな要因となったのだ。

 

「この事を後方部隊に送れ。帝国軍の小隊規模が3-1エリア前線ラインに侵入した、至急対戦車装備による火力支援を乞うと。あの魔女は只の銃じゃ倒せない....」

「わ、分かりました。アルデン班長」

 

指示に従い通信兵が後方で待機しているであろう友軍部隊に向けて交信作業を行うのと帝国軍が動きだすのは同じだった。

 

「これで集まったな?それでは遊撃機動兵諸君。行くとしよう....」

 

銀髪の女を先頭に黒衣の部隊がこちらに向かって進みだす。明らかに通信作業は間に合わない。

―――万事休すか。

横道に隠れて覗き見る俺が覚悟を決めた時、

 

塹壕奥の通路から新たな部隊が走ってくるのが見えた。敵ではない。青い基色の戦闘服に軽外装甲を纏っている。ガリア兵だ。

恐らくあれが先の通信で伝えられた増援部隊だろう。

 

彼らは銀髪の女が率いる帝国軍から見て正面の通路から現れた。つまり鉢合わせになった形だ。ガリア軍の増援部隊指揮官が驚きの声を上げる。

 

「帝国軍!?侵入されたのか!」

「新手か....。私が前に出る、お前達はできるだけ弾薬を温存しろ」

 

その言葉を後方の兵士達に述べると悠然な動作で正面のガリア軍に向かって歩み寄る銀髪の女。

たった一人だけで前に出る。一見そのあまりにも無謀な行動に増援部隊の兵士達ですら戸惑いを覚えている様子で。

しかしその油断が命取りになる事を知っている俺は声を張り上げた。

 

「油断するな!あの女は化け物だ、たった一人で俺の班は全滅させられた!」

「生き残りか!待ってろ、今助けてやる!」

 

横に抜けた通路から顔を出す俺を見つけて指揮官が増援部隊を連れだって向かってくる。

.....このままでは俺達の二の舞になる。

俺は慌てて手の平を突き出したジェスチャーをしながら。

 

「ダメだ来るな!あの敵に銃は効かないんだ!それよりもFF-1火器兵装は無いかっ。もはや集中放射を浴びせるしか奴を倒す術は無い!」

 

FF-1と云うのはガリア軍が使用する火炎放射器の名称だ。

盾で弾丸を弾き返すというなら形の無い炎での攻撃ならどうだ。仮に無効化されようと熱までは遮断出来ない筈だ。少なからず消耗させられるのではと目論見があった。

 

「.....何を言っている?相手はたかだか女一人ではないか、その背後に居る帝国軍部隊を早急に対処する必要がある!」

 

しかし女の危険性に気付かない増援部隊の指揮官は俺の提言を無視して。

 

「構えろ....撃て!」

 

号令の元に、整然と構えたガリア兵の中間射撃が行われた。

放たれる無数の弾丸がのんびりと歩いてくる銀髪の女に迫り。

やはりと言うべきか。女は迫る銃弾を全て盾で弾いていく。

 

「な!?」

 

瞠目する指揮官の男。目の前の光景が信じられない様子だ。ピタリと銃撃が止まる。

 

「止めるな!少しでも時間を稼ぐん―――」

 

言いかけたところで。目の前を光弾が通り過ぎる。驚く事に一つではなく、それは幾つもの連弾となってガリア兵を襲う。

見れば銀髪の女が機関銃の如く槍先から撃ち出していた。

――――連射も可能だと云うのか!?

驚愕する中で、無数の光弾に撃たれてガリア兵が死んでいく。俺の部下と同じく傷口にポッカリと奇妙な穴を空けて。

 

「うぉおおおおお!!」

 

そのまま為すすべなく倒されていくかに思われたが、密集する部隊の中から一人の兵士が現れた。

特徴としてはまず体を隠す程に大きな盾が上げられる。片手には長物である軍用レンチを持っていて。一般的に技甲兵と呼ばれる兵科だ。

先頭に立った彼は大盾を展開した。敵の攻撃から味方を守るのが技甲兵の役割なのだ。

 

そして、兵士は役割を全うする。

 

激しい光弾の乱舞に晒されながらも技甲兵は大盾を支えて耐えていた。

 

「よし、前に進め!」

 

指揮官の命令に従い技甲兵は大盾で防ぎつつ前に出る。ゆっくりとだが着実に進み。銀髪の女の元に向かう。その後ろを増援部隊が追随して行く。

.....このまま抑え込めるかもしれない。

誰もがそう思い、淡い希望を持った。だが、直ぐにその希望は儚くも崩れ去る。

 

「ふん、ガリアにも骨のある者達が居るようだな」

 

正面の通路からじりじりと迫り寄って来るガリア兵の姿を見て、銀髪の女は笑みを深めた。

長大な古代の槍を構え直し。穂先を技甲兵に向けると狙いを澄ませ.....。

 

瞬間―――女の姿は霞む。

 

途端に銀と蒼の残光がザーッと俺の視界を横切った。視認できない程の速さで女が駆け抜けたのだと理解した時には、通路先に密集していた増援部隊の目の前まで銀髪の女は迫り。絶句する技甲兵の展開する大盾に向かって槍を突き込んでいた。

 

鮮やかな軌道を描いた槍の穂先は、吸い込まれるように大盾の中心に向かう。頑強なる盾の防御は一瞬も持たなかった。

触れた途端に障子を破く様な容易さで貫かれ。勢いは止まらず技甲兵をも刺し抜いたのだ。

断末魔の悲鳴を上げる暇もなく彼の意識は冥界に送られた。

 

場が冷たく静止する。―――銀髪の女を除いて。

 

まず動揺で固まる指揮官の男の頭を銀髪の女は片手に持つ盾で殴りつけた。水気のある果実が破砕した様な音が響き指揮官の男は糸の切れた人形のように地に崩れる。

流れるように女は殴りつけた勢いを殺さず回転すると。今度は槍を薙ぎ払う。狭い塹壕内だというのに綺麗に振り払われた槍は指揮官を失ったガリア兵士達を襲い。塹壕内を鮮血に染め上げた。

 

悲鳴がこだます中。さらに女はクルンと手首を返すと槍先を跳ね上げた。巨人の剛腕によって吹っ飛ばされた様な勢いで、その一撃を受けた兵士は塹壕の外にまで飛ばされた。

続けて自動小銃の如き槍捌きで。銀髪の女は槍を連続で乱れ突き。瞬きをする間に大勢の兵士達が抵抗する間もなく槍に貫かれ、鮮血が噴水の様に流れ落ちる。

大量の死を作り出していく様は正に魔女の名に相応しく。もはや兵士達は女が生み出す死の饗宴を彩る為の生贄でしかない。

止められる者はおらず、次々と血を飛沫上げて討たれていくガリア兵達。

 

その凄まじい光景を俺はただジッと見ている事しか出来ず。最後の一人。質の悪い夢を見ているような目で立ち尽くす兵士が胸を裂かれ血煙を上げながら倒されるのを見届けた。

 

通路に倒れる夥しい数の同胞の亡骸の先に立つ銀髪の女。

ゆっくりと振り返った女の瞳が俺の視線と合う。

 

禍々しい紅い瞳を見た瞬間に俺は確信した。

あの女を倒さなければ俺達は、ガリア国境警備隊は負けるだろう。

それどころか、堅牢なるギルランダイオ要塞すら突破されかねない。

それはガリア軍ひいてはガリア公国の危機を意味する。

ゆえに、

 

「あの女の情報を司令部に伝えなければ.....!」

 

破壊という事象を具現化した様なあの女だけは絶対に此処で倒さなければならない。

死んだ仲間達の為にも。背後にいる者達の為にも。例え命を引き換えにしてでも実行する。

だが無駄死にをする訳ではない。確実に奴を倒すためには俺だけでは不可能だ。

軍全体の力が求められる。

その為にはまず......。

 

「アルデン班長。通信を終えました。後方部隊は精鋭の戦闘集団を送ってくれるようです」

 

迅速に作戦を立てる俺に横から呼びかける通信兵。無事に通信作業は完遂したようだ。まずは一つ目をクリアした、増援部隊には少しでも時間を稼いでもらわなければならない。

 

「よし、よくやった。後は俺達がどうにかこの場を切り抜けるかだけだ。奴らの存在を要塞司令部に伝えるために。まずは生き残らねば.....」

 

しかし現状はそれが厳しい状況と言って云いだろう。

俺達は銀髪の女と新手の帝国軍部隊によって前後を挟まれている形だ。このままでは挟み込まれて直ぐに死んだ同胞の元に向かえるだろう。

ならば俺達が隠れる横手の通路の先を進んで後方に迂回するかと云ったらそれも難しい。

既に前線は崩れてしまった。塹壕各地で銃撃の音が鳴り響いている。敵と出くわす可能性が高く、全滅した俺達の力では勝ち目がない。仮に突破できたとしても時間が掛かり過ぎる。

残った道は一つしかない。

 

「上だ。地上に出て、後方の指令所を目指す。今の俺達に出来る事はそれしかない」

 

そしてあの女の危険性を伝えなければならない。正規軍の力が必要になる。

只の通信では意味がない。一介の兵士でしかない俺の言葉では要塞司令部は動かせないだろう。

その為には指令所に居る将校の権限と言葉が必要だ。会って話をして司令部に取り次いでもらう。これも通信では駄目だ。

恐らく直接会って話さなければ到底信じてもらえる訳がない。

まさか女一人に部隊が全滅したなどと。

恐慌した兵士の戯言としか映らないだろうから。

 

「そこの通路に潜む奴らを捕え、情報を吐かせろ!」

 

女の命令に従い。こちらに向かってくる帝国兵たち。

もう考えている暇はない。

 

―――俺達は塹壕を這い出る為に動き出した。

 

 

 

 

 

 

 



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二十七話

土くれの壁を這い上がり、手を差し伸べる。

 

「通信機は置いていけ、邪魔になる!」

「ええ、そんな!?」

「時間がない急げ!」

 

重い通信機を背負ったままでは壁を上がれない為だ。自らの愛機を置いていくよう言われて悲鳴を上げるが、直ぐそこまで帝国兵が来ている状況だ。通信兵は泣く泣く重い機械を背中から降ろすと。俺の手を掴んで壁を這い上がる。

 

塹壕から地上に出た俺達を出迎えたのは戦場に響き渡る雷火の声と視覚に訴える暴力的なまでの混沌とした光景だった。

 

遥か前方のガリア軍側からは要塞の固定砲台による榴弾の雨が降り注ぎ、視線を下に向ければ土嚢で固めた陣地に機銃座が置かれ砲手役の兵士が無尽蔵に撃ち鳴らし続けている。自分の得物である突撃銃とは比にならない威力だ。毎秒につき百発以上が放たれているのではないだろうか。そう思わずにいられない射撃の嵐が後方の帝国軍に向かって行く。

帝国軍からは呆れるほどに数の多い重戦車が迫り。大口径の砲撃を浴びせてくる。崩壊した前線に帝国兵士が雪崩をうって入り込んでいるのが見て取れた。まるで巣穴に入る蟻のような光景に。心胆が寒くさせられる。

同時に愕然とした。

つまり、もうこのエリア一帯はお互いの軍の攻撃が交じり合う場所だと云う事だ。

 

戦況は驚くほどに早く移り変わっていた。

 

「走るぞ!味方の着弾エリアが引き下がる可能性が高い!」

 

言った直後にすぐ隣で爆発が起きた。土砂と噴煙が巻き上がる。その威力からして要塞の固定砲台だ。撃って来たと云う事は避難勧告が既に出ていると云う事。見れば前線の部隊は後退し始めている。

 

急がなければ孤立してしまう。その事実にひやりとした寒気が背筋を震わせた。

 

「冗談じゃない!味方の砲弾に殺されてたまるか!」

 

叫びながら戦場のただなかを走り出した俺達の前に塹壕の切れ目が現れる。

 

「跳べ!」

 

狭い塹壕だ飛び越えるのは難しくない。俺と通信兵は同じタイミングで勢いよく跳び。

 

――直後に蒼い光弾が飛んできた。直ぐ横を掠めていった光弾は空に向かって消えていく。

 

咄嗟に下を見ると。あの死神が塹壕の中から紅い瞳を見上げていて、槍の先端が飛び越える俺達に向いていた。

そして確かに俺は聞いた。あの女が不服そうな表情で「外したか」と零す言葉を。

 

「うおあああ!!?」

 

あまりの恐怖に情けない悲鳴が上がる。

.....危なかった。あと少し遅かったら死んでいた。

 

心臓が縮む思いで俺は着地すると全速力でその場を離れていく。

後ろの塹壕が遠ざかっていき。心の底からホッとする。もう大丈夫だ。

なぜかというと。

 

「危なかったが。もうあの通路からはこっちに来れない、せいぜい迂回するんだな!」

 

直接こっちに来れない事を知っていたからだ。塹壕を進むなら敵は迂回して来る必要がある、これで少しは時間が稼げるだろう。

と、思って後ろを振り返れば。

 

―――高い跳躍を見せた銀髪の女が勢いよく塹壕から飛び出し、軽やかに着地するところだった。

 

「.......ハア!?」

 

愕然とする俺の目には確かにあの女の姿が映っている。そして誰かを探すように辺りを見渡し。飢えた野獣のような目が俺を捉えるなり猛然と走り出した。

 

.....俺を追って来ている!?まさか、俺の狙いに気付いたのか!

つまり奴の情報を司令部に伝えに行く、俺の行動に。

奴は自らの驚異を知る俺達の存在を消す気だ。

確かに奴の情報は秘密であればあるほどに効果を発揮するだろう。その行動は利に適っている。

 

「だからって一人で追って来るなんて正気かあの女!」

 

悪態を叫ぶが状況は変わらない。

女はこっちに向かってくる。しかも恐ろしい程の速さで、グングンと彼我の距離は縮まっていく。

......マズイ、このままでは追いつかれる!

 

焦りを覚えた時、前方にガリア部隊を発見した。土嚢に囲まれた陣地で機関銃を撃ち続けている。恐らくは塹壕防衛線3エリアに配備されている機関銃座群の一つだろう。押し寄せる帝国兵を防衛ラインで食い止めるのが彼らに課せられた役割だ。

一切の逡巡もなくアルデンの足は目の前の機関銃座に向かった。

 

あちらもアルデンの存在に気付いた様子で。前線から生き延びて来た同胞に向かって笑みを浮かべている。

途端に俺は叫んだ。

 

「助けてくれ!」

 

必死の形相で声を張り上げる俺の様子に。彼らも直ぐに異変に気づき、俺達の後ろから迫る女の姿を捉える。

衣装から帝国兵と気づき、その接近に驚いた表情を見せるも。すぐさま機関銃座に居据わる砲手に何事か声を掛けると。

遥か前方の帝国兵を屍に変え続けていた機関銃の銃口がこちらに向けられる。より正確に言うなら俺達の背後より近づく銀髪の女にだ。

 

―――そして。

 

小規模の爆発が立て続けに起きている様な発射音を響かせながら機銃から弾丸が射出される。

マグスM3が玩具に思えてしまうような機銃の掃射。第三班全員の一斉射撃を合わせても足りない。遥かに膨大な数のガトリング弾が俺達の横を抜けて、銀髪の女に被弾する。

 

本来であれば事なきを得たと安堵する思いだろう。

だが、俺達の足は一向に止まる気配を見せなかった。

それどころか更に足に力を込めて大地を走り続ける。

 

理由は簡単で。

銀髪の女はこれまでと同じ方法で銃弾を弾き返しているからだ。

つまり中世の騎士の如く盾を構えて機銃の掃射を防いでいる。

一秒で十二発もの弾を吐き出し続ける殺戮兵器をもってしても。女一人の進攻を止める事が出来ないでいた。

唯一の朗報と云えば、銀髪の女の進みが少しだけ遅くなった事ぐらいだ。

しかもそれすら微々たるものなのだから恐ろしい。

機関銃でも奴を倒す事は出来ないというのか....。

 

恐ろしい物見たさに背後に回していた視線を前に戻す。

視線の先では自分達が誇る兵器をあっさりと無力化される光景に固まっている機銃部隊。

 

「奴に銃は悉く効果がない!お前達も早く撤退しろ!」

「だ、ダメだ。許可なく持ち場を離れる事は出来ない!ここが現時点での最重要防衛線だ!」

 

至近まで近づき撤退を促すが部隊の指揮官は首を横に振る。

戦線が崩壊した事で前線が引き下げられ3エリアが今の最前線になっていた。

現時点では後退の許可が降りていない。持ち場を離れる者は厳罰に処されるだろう。アルデンの第三歩兵班は状況的に全滅しているので緊急措置として後退が許されるのだ。戦争後に行われるであろう軍事裁判では厳罰対象外となる。逃亡兵の存在があったかどうかを調べるこの裁判では最悪の場合死罪すらありうるのだ。

 

チッと舌打ちをした俺は敬礼すると、彼らの防御陣地を通り過ぎる。

 

「班長!?」

「今は一刻も早く指令所に向かう。それが最優先だ!彼らには彼らの、俺達には俺達にしかできないことをやるんだ!」

 

見捨てるんですか!っと言いたげな部下に俺は叫んでいた。感情が昂っている。俺にとっても彼らを残して後退するのは苦渋の思いだった。

部下も俺の内心を察したのか悲痛な表情になるがそれ以上何も言わなかった。

黙って俺の後に続く。

 

背後から銃撃の音が鳴り響き。兵士達の悲鳴と鉄を打った鈍い音が反響する。

銀髪の女が接近し槍で立ち回っているのだ。恐ろしい速さで間合いを詰め、機銃部隊の陣地に入った瞬間。縦横無尽に振るわれる槍の穂先が兵士達の血で赤く染まる。

鉄を打った様な鈍い金属音の正体は機関銃座に設置されていた機銃だった。銀髪の女が振り落した槍の一撃によって半ばから破壊されたのだ。

やがて抵抗を訴える悲鳴のように聞こえていた銃声が止む。

周囲に死体の土嚢を築いた銀髪の女は、走る俺達に目線を移した。槍を向けて狙いを定める。同胞を何人も殺したあの青い光の弾をまた撃つき気なのだろう。

恐らく次の攻撃は撃ち出されたら最後。正確無比な一弾をもって、かわす暇もなく俺達は光に貫かれる。さっきのような偶然はもう無い。そう思わせる程の殺意を込めて女は槍に青い光を纏わせている。

しかし。

 

―――その時には俺達はもう逃げ切っていた。

 

「っ!」

 

気づいた女に初めて人間らしい感情の色が発露する。直ぐさま光弾を放つがもう遅い。

 

俺達は目の前の塹壕に向かって飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★       ★        ★

 

 

 

 

 

 

 

「はあ......はあ」

 

何とか女の追撃から逃げる事に成功した俺達は複雑に入り乱れる塹壕の中を走っていた。

駆ける俺たちの表情には疲れの色が濃く表れ、逃げ切れたというのに、俺達は一向に足を緩めることはしなかった。

何としても早く、この事を前線司令部に伝えなければならない。そして直ぐに対抗策を話し合わなければならなかったからだ。

 

今俺たちが居るこの場所はようやく塹壕の半ばといったところだ。塹壕の特性上どうしても迂回しながら移動する事になるので。直線で結べば近くても迷路の如き塹壕内に沿って動けば果てしない程に遠くなってしまうのは自明の理である。文句の一つも言いたいが防衛の都合では仕方ない。

 

後方の指令所が途方もなく遠くに感じながら。前線に向かうであろう兵士達の列を横目に俺たちは後退を続ける。

 

俺も部下もお互い無言で進むそんな時だった。前方からワッと歓声が上がる。

 

見れば前の通路から大勢のガリア軍部隊がこちらに向かって進んで来ていた。

アルデンは直ぐに彼らは自分を含めた他の兵士とは違うことに気づく。明らかな差があった。なぜなら彼らは溢れんばかりに戦意を立ち昇らせ意気揚々とした表情で前線に向かっているのだ。臆した様子は微塵も伺えない。

 

「.......どうやら、精鋭を送るという前線司令部の報告は偽りではないようだな」

 

隊章を確認して、あれこそがガリア国境警備隊が誇る精鋭集団。虎の子たる予備部隊だと理解する。そして少しばかり驚いた。

あの部隊は前線司令部にとってまさに生命線に等しい存在だ。この段階で前線投入するとは思わなかったのだ。

それほどに今の最前線が厳しい状況だと云うことだろうか。

敵の恐ろしさを身をもって実感している俺は察する事ができた。

 

「班長、あの部隊は....?」

 

分からなかったのか後ろから聞いてくる元通信兵の部下に教えてやる。

 

「あれは第八戦闘団だ。ストルデン基地の防衛部隊。この帝国の攻勢で周囲の軍事基地が制圧される中、唯一単独で基地を守り切った精鋭達だ」

 

帝国との初戦において数多くのガリア軍事拠点が落ちる中、あの部隊が守るストルデン基地だけは帝国の進攻を阻み続けた。恐らくガリア国境警備隊の中で最強の部隊だと思う。周囲の基地が制圧された事で後退を余儀なくされたが、自ら殿を務め撤退する他のガリア軍を守り続けた事で証明している。

 

彼ら第八戦闘団の兵装は標準的な軽武装である偵察銃や突撃銃だけでなく。戦車槍や軽機関銃といった高火力な物まで揃っているようで。おまけに火炎放射器まであった。俺が望んでいた万全な装備である。

 

「彼らならば、あるいは.....」

 

あの女を倒すことも不可能ではないのではないか。と俺に一抹の希望を抱かせた。

俺の持つ情報を彼らに託すべきだ。

直感を信じて俺は駆け出すと眼前の部隊に呼びかけた。

 

「すまない。至急、第八戦闘団の団長に伝えたいことがある!団長殿はどこか!」

 

直ぐに返事は戻って来た。集団の先頭を歩いていた男が声を発する。

逞しい肉体を誇る偉丈夫だった。切れ長の目は鷹のように鋭い。背中には大きな槍を担いでいる。対戦車槍だ。

 

「俺が団長のヴァルトだ。君は?」

「4-1第三歩兵班のアルデン・ニケ軍曹です!」

「そうか最前線の.....。戦況は芳しくないようだな、それで伝えたい事とはなんだ?最前線から戻った君の話には聞く価値がある」

 

そうは言うがヴァルト団長の足は止まらず前線に向かっている。俺も彼の横に並び歩きながら、

 

「――最前線には魔女が居ます――」

 

俺はあの女に関する事を話した。

 

銃撃が効かない盾、兵士を殺戮する槍。およそ人間離れした運動能力。高火力による包囲殲滅を旨とする対応策。

俺が知っている事、対抗策を含めて全てを彼に教えた。

俺の話を黙って聞いていたヴァルト団長は、俺の話が終わると成程と頷き。

 

「つまりその帝国軍の女士官はあらゆる銃弾を盾で跳ね返し、逆に原始的な槍で我が軍を壊滅してくる。倒すためには高火力でもって包囲殲滅するしかない.....と」

「そのとおりです」

「俄かではないが信じられんな」

 

たくましい首を横に振るヴァルト。

確かに彼の思いは正しい。俺でさえ他人の口から聞いただけでは直ぐに信じることなど出来ないだろう。

実際に会って話せば分かってもらえるかと思ったが甘かった。

だがここで信じてもらえなければ全て終わる。

 

「事実です。証明できるものは何一つありませんが、誇りあるガリア軍人としての務めを果たす者として一切の虚偽がない事を祖国に誓います」

 

傍から見ていた部下がギョッとする。後で聞いたら俺はヴァルト団長を射殺さんばかりの形相で睨みつけていたらしい。信じてもらえなかったら差し違える勢いだったと。それが功を奏したのか。

 

「.....分かった。信じよう、君の目は仲間を置いて逃げのびた敗残兵の目ではない、抗い続ける事を選んだ兵士の目だ。よく耐えたな」

「は、死んだ仲間達の為にも果たすべきだと.....」

「そうか.....。よし、件の帝国兵に関しては十分に考慮しよう。実は観測班からも蒼い光の報告があったんだ、君の報告とも合致する。まさか帝国の人型兵器だったとはな」

 

実のところ前線から上がる蒼い光の事は、既に前線司令部にも観測班からの報告が届けられていた。

3エリアに設置されている機銃部隊が蒼い光によって全滅させられていると。

だがそれがいったい何の光なのか分かっておらず。帝国の新型爆弾かなにかと審議されていて。

結果それの確認と排除こそが第八戦闘団に命じられた任務であった。

 

「ここで君の報告を聞けたのは我々にとっても幸いだった。我々の任務は新型爆弾の有無を突き止めるのではなく、人型兵器を最優先で排除することか。.....面白くなってきた」

「前線はあなた方に頼みます。俺はこの事を前線司令部と要塞司令部に報告し、正規軍の増援を送ってもらいます」

「それならばコレを持っていくといい」

 

渡されたのは認識票だった。ヴァルトの名前が入ったプレートを首から外して俺に手渡したのだ。

 

「前線司令部の将校とは面識もある、私の名前を出せば君の報告も信じてくれるはずだ」

「ありがとうございます」

「後で返してくれよ?」

「は!」

 

俺は男臭い笑みを浮かべるヴァルト団長に敬礼をすると足を止める。

立ち止まる俺の横をゾロゾロと兵士達が進んでいく、意気揚々と前線に向かって、果てのない列は続く。

 

「.....班長」

「ああ、行こう.....」

 

呼びかける部下に応じて俺は後方に向かって歩き出した。

彼ならあの女を倒してくれると、それが出来なくとも時間は稼げるはずだと信じて。

 

.......後になって考えれば、俺はただ現実から眼を背けたいが為に。その幻想に縋りたいだけだったのかもしれない。そして、あの女の恐ろしさを本当の意味で知っている者は俺を含めて誰一人居なかったのだと。気づかされることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★   ★   ★

 

 

 

それは午後2時05分の時である。

 

未だに変わらぬ快晴の下を走り続けた俺達の視界に一つの天幕が映った。要塞前に設置されている後方指令所だ。

あそこに要塞司令部と塹壕最前線部隊の報告を繋ぐ中継所である、前線司令部が置かれている。

無意識に喜色を浮かべながら。

 

塹壕を抜けて地上に上がった俺達は指令所の前に立った。

ようやく俺達は辿り着いたのだ。

 

ある種の達成感すら覚えながら。ここからが本番だと気合いを込める。

 

――そして、それは起きた。

 

いざ入らんと足を進めようとした時に、唐突に背後の部下が俺を呼びかけたのだ。その声音はどこか呆然としているようで擦れた声だった。

 

「班長....」

「ああ、分かってる。ここかがら正念場だ。上官たちに俺の報告を信じてもらわなければな....」

「違います!後ろを、塹壕の方を見て下さい!!」

 

焦ったような部下の声に訝しみ。どうした?と振り返った俺の目に、悪夢の様な光景が映りこむ。愕然とした俺の口から乾いた声音が漏れ出る。

 

「.....嘘だろ?」

 

俺が見ているもの。それは――光だ。戦場の彼方より迫る蒼い光。

憎しみすら覚える銀髪の女が。その体より迸らせていた死の光。

弾丸の様にして撃ち出していたのを嫌というほど見てきた、しかし、眼前に映るその光は俺が知る記憶とは明らかに違った。まず規模が違う。蒼い光は大蛇の如く束ねられ、遮る全てを吞み込み焼き尽くしていく。

まるで閃光の巨槍。玩具の銃と本物の銃を比べる様な威力の差があり。あの女がどれほど加減していたのかが窺える。

 

何が言いたいかと云うと。

 

それ程に強大な一筋の蒼き光が、目の前の()()の中を突き破りながら真っ直ぐに。俺たちの居る指令所に向かって迫っていたのだ。

まるで複雑に入り組んだ迷路の壁が。ルールを無視するかの如く光に吞み込まれていき。

一本の簡単な道を作っている様な光景であった。

やがて蒼い光は俺の手前で―――つまり最後方である塹壕の壁に当たった所で、消失する。

 

後に残ったのは前線から後方までを繋ぐであろう。恐ろしいまでに最短の通路。死んだ部下の傷口を思わせる切り抜いた様な痕が特徴的だった。信じがたい事だが塹壕内に新たな通路を作ってしまったのだ。前線から凡そ三十分もあれば指令所のある此処までこれるだろう。

ドサリと音が響く。

 

「こんな、こんなことって......」

 

部下の男が膝を折って地面にへたり込んでいた。目には絶望と諦めの色がある。

俺もまた受け入れがたい現実に立ち尽くすのみ。

 

「いったい何があった!?」

 

天幕から数人の男達が現れた。胸章から将校であることが分かる。前線司令部の指揮官だ。

彼らも塹壕に空けられた光景を見て俺達と同じように呆然とする。

だが敵は俺達が落ち着くまで悠長に待ってはくれない。

 

遥か目の先では帝国兵達が、新たに出来た塹壕内の道に入り込み。指令所を目指して進んで来ている。

 

「なんだコレは!帝国の新兵器か!?」

「て、帝国軍が此処に向かって来るぞ!」

「送り出した第八戦闘団は何をしている!?」

 

突然の事態に恐慌する将校達。当たり前だ。送り出した第八戦闘団によって戦線が膠着した報告を数分前に聞いたばかりだったのである。一時は時間を稼げるだろうと見積もっていただけに、王手一歩手前の状態である現在の状況に思考が追いつけていない。

 

状況を全てこの場で理解しているのはアルデン軍曹ただ一人であった。

だからこそ、彼は誰よりも早く冷静さを取り戻す。

 

「前線司令官!要塞前の軽戦車部隊を前に出して下さい!!」

「なにを....君はいったい....?」

「私は4-1第三歩兵班班長アルデン・ニケ軍曹です!見ての通り、敵の攻撃によって塹壕は存在の意味を失いました!一刻も早くこれを塞がなければ、敵は一直線に此処まで来てしまう!なので塹壕に空けられた穴を戦車で塞ぐのです!時間がありません御裁可を早く!」

「わ、わかった....!彼の言う通りにしろ!」

「はっ!」

 

前線司令官の言葉に頷いた指揮官が天幕に飛び込む。司令部に置かれている無線機で戦車部隊を呼びに行ったのだろう。

要塞前にはガリア公国製の軽戦車がバリケード代わりに多数配備されているのである。

 

「それから要塞司令部に増援要請を!もはや我が部隊だけでは守り切れません!正規軍の応援が必要です!」

「しかし、ダモン最高司令官の御命令がある.....」

「もうそんな事を言っている場合ではないでしょう!帝国軍は中央の道から一直線に此処まで来ます!このままでは両翼の前線部隊が孤立してしまう!そうなれば我ら国境警備隊、全部隊が全滅してしまいますよ!」

「っそれは.....確かに君の言う通りだ」

 

確かにソレは十分にありえる。信じがたい目の前の光景を何とか受け入れた司令官の男はアルデンの言葉に頷く。

ようやく落ち着きを取り戻したもう一人の将校が言った。

 

「恐れながら撤退を進言します。正規軍に帝国軍を抑えてもらっている間に全部隊を緩やかに後退させ。要塞内に撤退させるべきです」

「撤退か.....だが要塞司令部が認めてくれるだろうか...」

 

逡巡する司令官の背後から。ラジエーター特有のヴィィイイインと響く稼働音が聞こえてきた。大地をならすキャタピラの音も一緒に。

すぐに音の正体である数両の軽戦車が横を抜けて前に出た。ガリア公国軍が誇る軽戦車だ。

 

指揮官の指示の元に、軽戦車は塹壕内に入っていった。焼け爛れた傾斜を緩やかに下り。

蒼い光によって穿たれた直線状の通路を軽戦車で蓋をする。

そして、押し寄せる遥か先の帝国兵に向かって戦車長の声が響いた。

 

「放てええ!」

 

言下に軽戦車の短砲身から75mm砲弾が放たれる。狙いは見事に前方の帝国兵を目掛けて被弾した。直撃こそ免れたが帝国軍の行進が止まるのを遠目で確認する。

 

「どうやら我が国の軽戦車は敵重戦車こそ破壊する力はないが帝国兵の動きを封じることは可能なようだな。これで時間を稼げればいいが」

 

自嘲とも取れる言葉を呟き、ため息する前線司令官の男。場を紛らわせる為の彼なりの冗談だったのかもしれないが、あいにく俺は笑ってやることは出来なかった。

 

「決断は急いだほうがいい。奴が来る前に。取り返しがつかなくなる前に!」

「奴とは何のことだ....?」

「帝国の新兵器です。恐らくこの現状もその兵器によって起こされた事でしょう、目の前で確認して来たから俺には分かる。ヴァルト団長も信じてくれました、彼らが時間を稼いでくれている筈です。第八戦闘団が負けて奴がここに来れば俺達の負けと言うわけです」

 

ヴァルト団長が預けてくれた認識票を見せて前線司令官に説明する。

 

「確かにそれはヴァルトの物だな。そうかあの男が.....。分かった。君達の進言を取り入れよう。全部隊を後退させ、要塞内に撤退させる.....。ディゼロ、無線を」

「どうぞ閣下」

 

ディゼロと呼ばれた士官が無線機を差し出す。天幕内に設置されている専用の通信機械からコードが引いてあった。

 

「前線司令部より要塞司令部に通達する、応答せよ。作戦の変更を求める」

 

流石に司令部専用の通信だからか返答は直ぐに来た。拡声機から綺麗な音声が流れる。

 

『こちら要塞司令部。先に状況を説明してくれ、前線では何が起きている。こちらからも確認しているが把握できていない』

「分かった。.....帝国の新兵器によって塹壕が破られた。信じがたいが敵は要塞前までの最短距離を掘削しやがったんだ。今も帝国兵がこの指令所を目指して進んで来ている。このままでは防衛しきれない、戦車による緊急策を取っているが突破されるのは時間の問題だ。ゆえに前線司令部は撤退を求めるものとする、要塞司令部には撤退許可と正規軍の応援要請を願いたい」

『っ!?待ってくれ、一介の管制では判断しかねる。審議する上、暫し待たれよ』

「了解した、急いでくれ」

 

そこで一旦通信が終了する。同時に力が抜けるのを感じた。

周りが何事かと驚くが、俺は笑みを浮かべて。

 

「....俺に出来ることは全てやり遂げたぞ、みんな」

 

俺の無能によって死なせてしまった仲間達に向けての言葉を呟いた。

....これで少しは彼らに顔向け出来るだろうか。

そんな思いで感傷に浸っていた俺の前に―――死神は現れる。

 

少しばかり前方、塹壕内に入り込んでいた軽戦車が帝国兵に向かって突っ込んでいた。

軽戦車の高い機動力によって逃げる暇もない帝国兵の眼前に迫ると、軽戦車は機能の一つである機銃の掃射を行う。瞬く間に敵兵を掃討していた軽戦車だったが、一人の影が躍り出た。

忘れようはずもない姿、あの銀髪の女だ。

 

軽戦車の機銃は現れた銀髪の女に狙いを定め、勢いよく撃ち出すが女は盾を前にして防ぎ。機銃が止むと見るやいなや大地を強く蹴り跳び上がる。怪鳥の如く空中を舞うと、槍を逆手にして軽戦車の上に落下する。

着地した瞬間を狙って銀髪の女は槍を軽戦車の装甲板に突き刺した。甲高い金属音が鳴り響き、次の瞬間グサリと突き刺さる。なんと銀髪の女は軽戦車を大地に縫い付けるかのように深々と槍を突きいれ、串刺しにしてしまった。そしてもう用はないとばかりに、

 

――軽戦車の上からトンと軽やかに飛んだ。残された軽戦車の損傷は甚大のようで。まったく動かなくなり、銀髪の女が離れると呼応するかのように爆発した。

 

その光景を見ていた部下から悲鳴が上がる。

 

「アアッ!?あいつが来る!ここに来るうウウウウウ!」

「なんだアレは!?本当に人間なのか!」

「ありえないだろ!?俺は夢でも見ているのか!?」

 

槍を武器に女兵士が戦車を破壊する。意味不明なデタラメな光景に驚愕する司令官達。

信じられない。いや、信じたくないと現実を拒否するが。

そうしている間にも、銀髪の女は次の得物に狙いを定めていた。飛び上がりの滞空が終わらない内に、爆発した軽戦車の後ろを追随していた別の軽戦車に槍先を向けて。

既に槍身に込められていた蒼い光を放出する。

厚い装甲を破り光の柱が軽戦車に突き刺さる。途端に――飛散する鉄の残骸。一瞬前までは軽戦車であった成れの果てがモクモクと黒煙を上げて沈黙する。

 

「要塞司令部からの許可はまだなのか!」

「!......っき、来ました!要塞司令部から通信です!」

 

慌てた様子で副官の将校が連絡を取ろうとする。それに合わせたかのように要塞司令部から通信が送られて来た。

俺達を絶望に叩き落す無慈悲な報告が。

 

『.....要塞司令部の審議を伝える。常駐将校による合議の下、撤退を賛成することになった』

「おお!」

『だが!.....ただいま最高司令官の不在により、それを受理できない状況にある。結果すまないが前線司令部の撤退を許可できない』

「なんだと!?どういう意味だ!なぜダモン司令官が不在なんだ!?ならば正規軍の応援はどうなる!」

『今現在、確認をとっている。すぐにダモン将軍の許可を取るので、今少し待ってくれ。許可がない場合、正規軍も動かせない』

「ふざけるな!もう敵はすぐそこまで来ているんだぞ!両翼の部隊はまだ後退すらできていないというのに!」

 

要塞司令部ではダモン最高司令官が不在という、ありえない状況が起きているらしく。増援を出すことも撤退を許される事もない報告に激怒する前線司令官。声を荒げて抗議するが結局は、

 

『すまない、一介の管制に過ぎない私ではどうすることもできない。せめて君たちの幸運を祈っている』

 

それを最後に通信は終わる。

 

誰も言葉を発せない。絶望と怒りと困惑が俺たちの周囲を渦巻いていた。

 

俺もまた動く気力すら湧かなかった。

 

もう俺には何も出来る事がない。それが分かっているからだ。

 

分かっていることは一つだけ。

 

それはガリア公国軍から国境警備隊が消え去るということ。恐らく組織図ごと名前が失われる事になるだろう。

 

少なくとも俺の名は其処に無い筈だ。

 

――なぜなら、

 

蒼い光が目の前の軽戦車に直撃して爆散する。四散したラジエーターの青い光がキラキラと輝いていて。

そして俺達の前に一人の影が舞い降りる。

 

「前線司令官とその将校達がお揃いとは都合が良い―――ん?お前は先程のガリア兵か。また会うとは奇遇だな」

 

――そう。なぜなら俺はここで死ぬからだ。

 

 

 

 

 









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二十八話

時は遡ること数時間前。

 

――視界の先で二人のガリア兵が塹壕内に消えていく。

 

その直ぐ(うしろ)から敵兵を追いかけていた蒼い光が。二人の消えた塹壕の上を通り過ぎて行った。

目標を失い彼方に消えていく蒼い光弾を見ながらセルベリアは口惜しげに呟く。

 

「逃げられたか.....」

 

.....別に逃げる敵をいたぶる趣味はないが、上の人間に情報を伝えられ対策を取られるのは好ましくない。

そう考えて追撃したセルベリアだったが、途上でガリア軍の機銃部隊に邪魔をされてしまう。

迅速に障害を排除したものの、標的であるガリア兵はみすみす取り逃がしてしまった。

 

まんまと自分から逃げおおせた事実に少しだけ悔しさを覚えながら敵兵の血で濡れた槍先を払い、汚れを飛ばす。

 

「――追いますか?」

 

背後よりかけられる声。

セルベリアの背後には部隊長のハインツと第一〇(イチゼロ)遊撃機動小隊の面々が揃っていた。

命令すれば直ぐにでも彼らは猟犬となって逃げたガリア兵を追うだろう。

セルベリアは首を横に振った。

 

「いや、止めておこう。深追いするのは危険だ」

 

セルベリアがではない。危険があるのは小隊の者達だ。

セルベリア一人ならどうとでもできる自信があるが。只人である部下達では命の保障がない。深追いすれば高い確率で死の危険が付き纏うだろう。

それでも彼らはセルベリアの命令なら喜んで遂行するだろうが、無茶をさせて部下を失うのも馬鹿らしい。

追う必要はない事を伝え、

 

「それよりも、我々はこれより塹壕内を迂回して周囲にいる敵機銃部隊の背後を急襲する。敵の防衛線を崩すぞ、大隊総員にも伝えろ、全部隊で叩いて回るとな....」

「は!」

 

今しがたセルベリアが壊滅させたガリア機銃部隊だが、戦場を見渡せば他にも多くの機銃部隊が存在するのが分かる。帝国軍の進攻を必死になって食い止めている。

そのためセルベリアは機銃座群が守る第三防衛線を背後から襲う事で、味方の被害を最小限にする事を優先した。

 

命令に応えて動きだす部下の姿から視線を移した。

目の前の塹壕から階段を使ってゾロゾロとガリア兵が現れている。

 

「迎撃部隊か....。まずはあの敵を叩くとしよう」

 

敵の出現に慌てることなく悠然と構えたセルベリアは動き出す。

その背に黒衣の部隊を伴って。やがて戦闘が始まる。

 

混沌とした戦場はより激しさを増していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

★    ★    ★

 

 

 

 

結果だけを話すならセルベリア達『遊撃機動大隊』は多大なる戦果を上げ続けた。

帝国軍の進攻を阻み続ける厄介な機銃部隊を叩きに叩いた。塹壕を使い後ろから回り込んで前後による挟撃を行ったのだ。塹壕内の通路を通る途中、セルベリアの狙いを阻止せんと無数のガリア兵が立ち塞がったが、先頭に立ったセルベリアが先陣を切り、蒼き光芒を揺らめかせながら槍を振るい、鮮血が塹壕の壁を汚していった。

遊撃機動大隊もまたセルベリアに負けじと奮戦し、我先にと各部隊が敵機銃部隊の陣地を潰していく。

今もまた塹壕を抜けて地上を覗き、前面の帝国軍に集中していた機銃座の砲手を、偵察銃ZM Kar2でもって射殺したハインツ。

まさか後ろから攻撃が来るとは思っていなかったのか反応する暇もなく機銃ごと地面に倒れ込む砲手を見てセルベリアが頷く。

これで周囲の機銃部隊のほとんどが全滅した。

それに応じて風通しが良くなった敵防衛ラインの一角から、多くの帝国軍が入り込み瞬く間に第三防衛エリアを浸食する。

それによってガリア軍は更なる防衛ラインの引き下げを余儀なくされた。

 

セルベリアはガリア軍の後退を確認すると、進攻を一旦停止して自らの部隊を集結させた。

と云っても管轄外であるガリア方面軍の帝国兵は構わず進攻を続けているのだが。

セルベリアは集めた部隊に一時間の休憩を与えた。

既に塹壕戦の趨勢は決したと判断したからだ。後は友軍に任せるだけで塹壕攻略は時間の問題だと考えたセルベリアは、次の作戦目標であるギルランダイオ要塞の攻略に向けて力を温存させた。

 

 

 

友軍に進攻を任せてちょうど一時間が経過した頃、戦場の流れが変わった。

それまで順調に攻め進んでいた帝国兵が苦戦を強いられてきたのだ。

塹壕も半ばと云った所だった。

休憩を終え動き出したセルベリア達の前に、高い練度のガリア軍部隊が現れる。明らかに他の部隊とは動きが違う。

防衛部隊のくせして正面から戦わず誘い込むように後退を続けながら戦闘を行い。セルベリアが突撃を敢行しようとすれば、すかさず別の塹壕路から出現した部隊に攻撃を仕掛けられ。遊撃機動大隊は翻弄される。

完全に敵は地の利を活かしきっていた。

複雑に入り乱れる多数の通路から神出鬼没に現れ、高火力の武器でもって一撃離脱を図るのだ。

撤退と出現を繰り返しセルベリア達までもが苦戦を強いられる事になる。

特にセルベリアに対する対処が強く。絶対に正面はとらず死角からの攻撃を是としたのだ。

目の前の敵を追いかけるセルベリアが。小細い通路を横切った瞬間。待ち構えていた伏兵が火炎放射器の一撃を痛烈に浴びせた時はさしものセルベリアですら肝を冷やす結果となった。

 

ここまで対セルベリアを想定した戦い方を行う部隊の正体は、ガリア国境警備隊が誇る第八戦闘団であった。

アルデンの報告を聞いた団長のヴァルトは、緊急会議を行い各部隊長に厳命したのである。

彼の働きは決して無駄にはならなかったのだ。

 

第八戦闘団が遊撃機動大隊と戦闘を行う間に、他のガリア軍部隊が戦線を盛り返す事に成功する。それどころか両翼の部隊が果敢に動き出した。既に突破された中央の第一防衛ラインを両極から攻撃したのだ。お互いが連動し動く事で帝国軍を包囲する、同時に第一防衛ラインを再構築するのが彼らの作戦であった。

 

迷路のような塹壕の中を右往左往する帝国軍では、塹壕内を熟知したガリア軍の阻止が上手く出来ず、情報も錯綜としていたため塹壕内の部隊は混乱に陥った。

 

これによって戦線は膠着し、包囲された帝国軍は全滅の憂き目に合うも、セルベリアがここでようやく敵指揮官であるヴァルト団長を発見し追い詰める。

自分に向かって放たれた対戦車槍をヴァルキュリアの盾で防ぎ、ヴァルトを守る兵士達を全滅させる。

ヴァルトもまた黙ってやられる様な男ではなく、死んだ護衛の剣甲兵が持っていた盾と剣を装備して。セルベリアと一騎打ちを行ったのだ。

 

狭い塹壕を活かし、セルベリアに大振りの攻撃を制限させたヴァルト。それでも当たったら即死級の攻撃をギリギリのところで掻い潜り、猛烈に反撃を浴びせる。二人の口元には笑みがあった。

激しい剣戟を繰り返した末に、ヴァルキュリアの槍がヴァルトの胸を貫き。戦いは終わる。

彼が最後に口にした名前はセルベリアの耳に残った。

 

戦闘の余韻に浸っていたセルベリアは部隊が包囲され戦線が膠着している事を知ると、一点突破の作戦を思いつく。

それは正面の塹壕を吹き飛ばし一気に後方の敵司令部を攻略する事であった。包囲された帝国軍を要塞前に行軍させる狙いがある。

つまり口を締められてパンパンに溜まった袋に穴を空けそこから水を出す様なものだ。

 

更には敵司令部を制圧して前線の指揮系統を崩すのが目的である。そうすれば第一防衛ラインで塞がれている帝国軍という水を袋に入れる事が可能になるだろう。

 

すかさず実行に移したセルベリア。

 

瞳を閉じて己の中に眠る力を呼び起こした。

ヴァルキュリアの槍と盾が共鳴して眩い輝きが総身から放たれる。

 

そして――

 

カッと目を見開いたセルベリアは勢いよく槍を壁に向かって突き放つ。

全身から放出されていた蒼き光がベクトルを一点に変えて槍へと流れ込み。力の波動は変換されていき、破壊力を伴なう巨大な閃光となって一直線にほとばしった。

 

一瞬で土壁を容易く蒸発させた大蛇の如き閃光は、進路上のガリア兵までもを舐めるように融かしていく。

塹壕を盛大に抉った直線状の光線は先細りしていき、やがて儚く消えていった。

 

光の消えた先には新たな通路が現れ、終着点はガリア軍の後方指令所まで続いていた。

 

「進め!」

 

セルベリアの号令の元に、帝国軍が行進していく。突然の事態に敵も混乱しているのだろう、要塞からの砲撃も止まっていた。帝国軍を遮る者は居ない。

勝利を確信していた帝国軍の前にガリア軍の軽戦車が突撃してきた。一両ではなく複数が後に続いている。

まさかこれほど早く対応してくるとは思わず、

ガリア軍の迅速な働きに驚くセルベリアをよそに迎撃をしようとする帝国軍だが間に合わない。勇ましく響く声の後に放たれた砲撃が進路上の壁に着弾した。大人の拳程ある石つぶてが兵士達を襲い、ほとんどが軽傷で済んだが運の無い者は頭から血を流して昏倒している。兵士達の進みが止まった。

 

それを見て取った軽戦車が前に出る。高い機動力のある動きで迫って来た。光線を放ち少しだけ疲れを見せていたセルベリアは、味方が撃たれていく様に、勢いよく駆け出した。

 

あっという間に兵士達の前に立ったセルベリアは軽戦車の機銃を盾で弾き味方を守る。

機銃の掃射が止むのを見計らって、高い跳躍を見せると、軽戦車の上部装甲に槍を突き刺し破壊する。

視線は既に次の標的を探していた。

完全沈黙した軽戦車の後ろから迫る新たな軽戦車を捉え、また高く跳び上がるセルベリア。

空中姿勢で槍を向けると、光線を放った。

鮮やかな一筋の光が軽戦車を襲い爆発する。

 

倒した勢いのままに着地したセルベリアは前に向かって走り出す。

 

せっかく穴を通した通路に鉄の壁となって塞がるガリア軍軽戦車。短砲身から砲弾が爆音を響かせ射出する。

音速で飛来する75mm砲弾を、常人を遥かに超えた感覚をもって知覚したセルベリアは、完璧なタイミングで槍を振るい打ち返した。ちょうど砲弾を槍の芯に当てガギュイン!と耳障りな音を響かせながら、はじき返された砲弾は見事な精度で軽戦車に被弾する。傾斜装甲に改修していなかった軽戦車は痛烈なダメージを受け大破した。

 

その横を通り過ぎたセルベリアは焼け爛れて黒ずんだ坂道を上がると、降りてくる途中の軽戦車と対面する。

即座にセルベリアは光線で射抜き、残りの戦車も全て破壊して回る。

最後に残った軽戦車を槍にチャージした光の粒子で吹き飛ばすと、指令所と思われる天幕の前に降り立った。

幸運にもガリア軍将校の制服を纏った男達が複数名立っており、胸の階級章も少将のモノであることを確認する。

まさか出迎えてくれるとはな。

 

「前線司令官とその将校達がお揃いとは都合が良い――」

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

そして時は今に至る。

 

絶世の美女を前にして凍り付く数人の男達。一人は絶望しきった目で地面にへたり込んでいる。今にも泡を吹いて倒れそうな程に顔色が悪い。

司令官と副官達は呆然とセルベリアを見詰めている。未だに現実を直視できないようだ。

だが、ただ一人だけ。この場でセルベリアを前にして睨みつけている者がいた。

一般的な軍服に身を包んだガリア兵の男だ。

 

一人だけ見る眼が違う男にセルベリアは興味をもった。

ジッと兵士を観察すると、ある事に気づく。

 

「ん?お前は先程のガリア兵か。また会うとは奇遇だな」

 

なんと男はセルベリアが取り逃がしたあの兵士だったのだ。こんな所で遭遇するとは思わなかった。

その兵士――アルデンは鋭い目をより強くした。

もし眼光に人を殺す力があれば、セルベリアの体は既に致命傷だろう。

さぞかし恨まれたものだな。内心で苦笑する。

 

そこでセルベリアはある事に気づく。

――もしやと思った。

 

「もしかして、途中で敵が格段に強くなったのはお前のせいか.....?」

 

思い起こすのは先程まで激しい戦闘を行っていた第八戦闘団との戦い。

まるでセルベリアを倒すために作戦を立てた様な奇妙な動き。

ほとんどの敵がセルベリアの戦いぶりを見て呆然とする中、あらゆる手段を講じて遊撃機動大隊との戦いを有利に進めていった。

最初は精鋭ゆえにと思っていたが、あらかじめセルベリアの戦いを知っている者が作戦を立てた様な敵の動きに猜疑心は強まっていた。

 

そして自分から逃げおおせた唯一の男が目の前に、しかも前線司令部に居るという情報から予測を立てた結果。

その考えが口に出たのだ。

 

そしてそれは正解である。

 

セルベリアの言葉に表情を強張らせると。

アルデンは絞り出すような声音で言った。

 

「彼らと戦ったのか、第八戦闘団と....」

「部隊名までは知らないが隊長格の名前は最後に聞いたから分かるぞ。確かヴァルトと言ったか」

「っ!?」

 

信じられないとばかりに顔を青くさせたアルデン。

女の口ぶりからすると彼はもう....。

 

「彼は死んだのか.....?」

「ああ、私が殺した。強かったよ」

「っ!.....すまないヴァルト....!」

 

....彼が命を賭して稼いでくれた時間を俺は有効に使えなかった。正規軍を動かせなかった。

申し訳なさからアルデンは震える声で死んだ英雄に謝りの言葉を吐いた。

その様子を見ていたセルベリアは事もあろうに笑みを浮かべている。

桃色の唇から「フッ」っと微かに声が漏れた。

 

「何が可笑しい!」

 

馬鹿にされたと思い怒りの目でセルベリアを睨む。

彼の死を笑うと云うなら絶対に許しはしない。

そんな思いで見詰めているとセルベリアは首を横に振った。

 

「いや、馬鹿にしたつもりはないんだ。ただ、あの男も死に際に同じことを言っていたものだからな」

「なに?」

「『すまない、アルデン。お前が託してくれた情報を活かしきれなかった』と死ぬ間際に呟いたんだ。そのアルデンと云うのはお前のことだな?」

「.....ああ。だとしたらどうする.....」

 

俺を殺すか?....。

それもいいさ。もう睨む気力もない。

語られた言葉に力なく笑みを浮かべる。

あの英雄が俺を許してくれた様な気がした。もう疲れた.....。

 

だが、死を受け入れるアルデンに対して、セルベリアが次に言った言葉は、予想とは違うものだった。

 

「見事だ」

 

賛辞の言葉が送られた。

一瞬なんて言われたのか分からず反応が遅れた。

 

「......なにを言って?」

「最前線から生きて私の情報を持ち帰り。それによって私達は予想以上の苦戦を強いられた。それだけでなくお前の働きは今後の戦闘にも影響しかねないものとなるだろう。私にとって実に危険な状況だと言える」

「だったら尚更俺が憎いはずだろう」

「確かに憎い相手だ。だがそれはお前にとっても私は憎い存在だろう?お互い様だ。そしてそれ以上に私はお前に戦士として敬意の念をもった。故に私はお前達にこう告げる――投降せよ」

 

紡がれるのは冷酷な勧告。

それに反応したのは前線司令官だった。

 

「な!?降伏しろと云うのか私達に!」

「お前達は負けたが十分に戦った。その健闘を認めて、今すぐ全兵士に武装解除させればこれ以上の被害を与える事はしないと誓おう」

「ギルランダイオ要塞が健在の状況で我々だけが降伏するなど出来る筈がない!それに塹壕内に包囲している帝国軍を倒しさえすれば、まだ我が部隊に勝ち目はある!」

「......ですが閣下。ここで貴方を失えば前線で戦う兵士達の統制はつかなくなります、そうなれば包囲は瓦解し全滅は時間の問題かと」

「グゥッ!」

 

血を吐く様な表情で訴える前線司令官の男に副官の男が宥めるように言った。

この男は先程も撤退の進言を述べた者である。別に命が惜しくて言っている訳ではない。副官もまた無念の表情だ。嫌でも言わなければならない事があるのだ。

それでも諦め切れない司令官の男はセルベリアに視線を移す。

この女さえ倒すことが出来ればまだ何とか.....。

 

と、考えていた司令官の喉元に蒼白い線が走る。ピタリと突きつけられた槍の穂先に驚愕した。

その瞬間まで見ていた筈なのに避ける暇すらなかったのだ。それどころかいつ動いたのかすら視認できなかった。

 

「私をどうにか出来ると思うなら掛かって来るがいい。その時は後ろの天幕に隠れる兵士達もろとも、この場はお前達の血で染め上がるだろう」

「き、気づいて.....!?」

 

確かにセルベリアの言う通り、後ろの指令所には多数の通信兵が息を潜めていた。其処には非常時用の武器弾薬も置いてある。先ほど戦車部隊を呼びに行った副官が外の様子を伺い、武器を持たせた通信兵と共に飛び出そうと機を窺っていたのだ。

看破されていた事実に司令官の男は遂に観念した。

 

「分かった、降伏する.....!」

 

それが塹壕戦の終幕を告げる最後の言葉となった。

 

直ぐに前線司令部から各前線部隊に武装解除の命令が行き渡る。やがて戦場から聞こえる喧騒が次第に少なくなっていった。もう少し時間は掛かるだろうが完全に終息へと向かうだろう。

 

と、その時――

 

帝国兵によってガリア軍将校達が拘束される中、一人の兵士が飛び出した。

セルベリアに向かって走り出す。

気付いた兵士が寸前で取り押さえた。周りの兵士も応援に駆けつける。

数人の兵士で羽交い絞めにされながらも男はセルベリアだけを見て叫んだ。

 

「いつか俺は貴様の前に戻って来る!必ずだ!俺を殺さなかった事を後悔させてやるぞ死神ぃいい!」

「......いいだろう、その時は相手になってやる。それより死神とは何のことだ?私の名はセルベリアだ覚えておけ」

「ああ!覚えといてやるよ!何年経とうが忘れねえ!仲間の仇を討ってやる!俺はガリア公国軍国境警備隊第三歩兵班所属アルデン・ニケ軍曹!刻め!お前を倒す者の名だッ!」

 

一度は死を受け入れた男の胸に新たな火が宿る。それは復讐と呼ばれる黒い炎。身を焦がし呪った相手を燃やし尽くすまで止まらない。止まれなくなってしまった悲しい運命を背負う男は、この日をもって帝国の捕虜となった。数年後ある男との邂逅を果たすまでその火種はくすぶり続けるだろう。

 

 

 

 

 

 

捕縛されたアルデンが連行されていく様子を眺めていた視線を逸らす。

逸らした先にギルランダイオ要塞が映った。

アルデンにも興味はあったが、今はこちらが先決だ。

 

「それにしても要塞から動きが見えないがどうしたものか」

 

要塞前まで来た時点で不思議に思っていたが。なぜか要塞内のガリア軍は一向に動く気配がない。

捕縛した前線司令官に訪ねてみたが、やはりと言うべきか教えては貰えなかった。尋問する時間も惜しいので聞くのは諦めた。後はガリア方面軍が煮るなり焼くなり好きにするだろう。

 

とりあえず、助けに動かないと云う事は要塞司令部は前線部隊を切り捨てたと云う事だ。

哀れなものだな味方に裏切られるとは。

 

「まあ、それは私も大差ないのかもしれんが.....」

 

現在所属しているガリア方面軍が古巣のニュルンベルク軍の様な仲間かと云えば首を捻らざるをえない。

マクシミリアン皇子が私をどう使うつもりなのか、何となくだが分かる。少なくとも手放しで喜べる状況ではないだろう事は確かだ。流石に後ろから撃たれる事はないと思うが気をつける必要があるだろう。

 

「.....早く殿下の元に帰りたいものだ」

 

ついつい弱音を吐いてしまったセルベリアは気を取り直して。

要塞上部に視線を移すと固定砲台が散発的に撃ち出し始めた。

敵がようやく混乱から立ち直り稼働を開始したようだ。

 

よく見れば城壁のトーチカ機銃がこちらを狙っていた。逆にこちらも狙い返してやる。ヴァルキュリアの槍から放たれる蒼い光弾が正確にトーチカを狙った。見事に光弾はトーチカの固い壁を貫き、内部のラグナイト燃料に引火して爆発した。それを数度行い城壁に取り付けてあったトーチカ機銃を破壊していった。城壁の上で兵士の驚く声が微かに聞こえる。

これでセルベリア達を邪魔する存在は一つだけになった。

背後に集結した遊撃機動大隊に声を掛ける。

 

「さて、諸君。そろそろ私達も働くとしよう、給料分は動いてもらうぞ。といっても既に給料以上の働きはしているのだがな。ボーナスは掛け合ってやる、あの御方なら存分に報いてくれるだろう心配することはない。ゆえに.......我ら遊撃機動大隊はこれよりギルランダイオ要塞を攻略する!」

「ハ!」

 

セルベリアの号令の下に。

遊撃機動大隊は休む暇もなく要塞攻略に乗り出した。

まずはその手始めだ。

 

「下がっていろお前達.....」

 

先頭に立つセルベリアがおもむろに、ヴァルキュリアの槍を、要塞の門に向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

要塞司令部は混乱を極めていた。

ダモン将軍不在という件に加えて前線司令部との通信が完全に途絶。その他の部隊とも連絡が取れなくなってしまった為だ。前線司令部が降伏したとの報告を最後に二度と繋がる事は無かった。

そのせいで不確かな情報が錯綜している。

 

「前線司令部が降伏したなんてあるはずがない!これは敵の情報戦術だ!」

「守備隊を早く城壁に回せ!帝国軍が攻めて来るぞ!」

「守備隊だけで守り切れるわけがないだろ!やはり正規軍を早く出すべきだったんだ!」

 

敵の罠である事を訴える者や慌てた様子で指示を出す副官。前線部隊が突破された事に混乱した男の怒声が響く中、それを後ろで見ていた老人将校がここで口を開いた。

 

「落ち着け!お前達までその様では余計に皆が混乱するだけだ!」

「ですが閣下」

「だから落ち着けと言っている。恐らく帝国軍は直ぐには攻めて来ぬだろう、観測塔からの報告では要塞前に集まっている帝国軍は大隊規模程度と聞いている。その数で要塞攻めをするはずがない。それに塹壕の軍を片づける必要があるからな」

「た、確かに....」

 

帝国軍が直ぐに動く事がないと分かり冷静を取り戻す。この状況においても泰然とした将校の態度に安心感を得たのだ。

相手を落ち着かせるならまずは自分から。長いこと戦場に立った経験が彼にそれを教えてくれた。

潜った修羅場の数が違うのだ。冷静に対処すれば何とかなる。帝国軍と戦うのは何も初めてではない。

 

「安心せい、帝国の重戦車でも壁の門を破壊する事はできんよ....」

 

確かにその通りだ。過去の大戦から学び改修を重ねたギルランダイオ要塞の強固な壁は、重戦車の砲弾ではビクともしない代物となっていた。

だが、今回の敵が今まで戦ってきたどの敵とも該当しない存在である事を彼はまだ知らない。

 

事態は唐突に始まった。

 

最初に知ったのは光。それも只の光ではない、蒼い光の爆発が要塞を一瞬だけ白く染め上げたのだ。直ぐ後に遅れてやってきたのは音。これもまた尋常ではない音で。要塞に居る全ての者の耳にその轟音は届いた。

そんな明らかな異常がいきなり要塞の壁側で起きたのだ。

他の者が驚きで固まる中、将校だけが動いていた。

上階に駆け上がり外の様子を見渡せる観測窓から覗く。途端にしわがれた声が喉を鳴らした。

 

「おお、なんということだ!」

 

目に映る光景が信じられなかった。

 

なんせ敵の侵入を阻む鉄壁の盾と確信していた要塞の門に、あろうことか巨大な穴が出来ているではないか!

切り取ったかのようにポッカリと綺麗な円形の痕が形成しており。人だろうが戦車だろうが簡単に素通り出来るだろう大きさだ。もはや防衛機構としての存在意義を失っていた。

だがそれ以上に驚くべきは。

 

「信じられん!まさかあの数で要塞攻めを行う気か!?」

 

そのまさかである。

将校の眼下に要塞前の帝国軍が動く気配を見せたのだ。

すぐさま要塞司令部に将校の声が響いた。

 

「全員傾注!たったいま壁が突破された!全守備隊を広場に集結させよ!敵を入れてはならん!急げえええい!!」

 

一瞬の間の後に.....。

室内は激しい喧騒に満ちる。

要塞内の各守備隊に向けて一斉に指示を出し始めた通信兵達。

 

下階に降りた将校は副官達にこの場を任せると、自らは部屋を出て行った。

 

どこに行くのか?

たった一つしかない。最高司令官たるダモンの部屋だ。この上はダモン将軍の正規軍に頼るしか他あるまい。

 

部屋まで続く廊下が今は無性に長く感じながら。

 

久しく見せた事のない駆け足で急ぐ。

 

老いた体に鞭打って、息を切らせた将校の目に司令官室の扉が映る。

 

先んじて呼びに行かせていた部下達が困った様子で扉の前に立っていた。帰って来ないから予想していた事だが思わず荒々しい声音で叱声を飛ばした。

 

「お前達何をしている!なぜダモン将軍を呼んでこないのだ!」

「か、閣下!?どうしてここに!」

「違うのです何度お呼びしても返事がないのです!」

 

怒りの表情で迫って来る将校に驚く男達。

慌てて弁明をした。

将校のあまりの気迫に皆たじたじになっている。

 

「.....なんじゃと?返事がないだと?」

 

訝しむ将校に全員が一斉に首を振る。

その様子に嫌な予感を覚えた将校は。並みいる部下達を押しのけて扉の前に立った。

 

「ダモン将軍!至急お伝えせねばならぬことがあります!よろしいか!」

 

問いかけると云うよりは金貸しの引き取り業者の如く叫ぶ。悠長に構えている余裕もなかった。

だが、将校の問いに扉から返ってくるのは無言の間。

部下の言った通り返事がない。

何かあったのだろうか.....。

ドンドンと扉を強く打ちつけるも変わらず。扉は開かない。

 

「開けますぞ!ダモン将軍!よろしいですな!ダモンしょ.....」

 

とうとう我慢できず返答もないままに扉を開ける。

 

開かれた部屋の中を見て絶句した。

 

ゆっくりと室内に足を踏み入れ辺りを見渡す。

 

――なるほど、道理で返事もないはずだ。

 

なんせ()()()()()()()のだから。

 

そう、司令官室は蛻の殻だった。入室した将校と部下以外は誰の姿も部屋には無かった。

 

隈なく視線を彷徨わせていた将校の目にある物が映る。

 

白いテーブルクロスの上に置かれたソレは。

 

嫌味なくらい綺麗に食べ終えた空の皿であった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十九話

薄暗い廊下にコツコツと足音が響く。荒々しい、男と思われるものが二人分。

一人は軽く、もう一人は重い足音で。

急いでいるのか心なしか早い足取りで前を歩く男に、後ろの男が息を切らせた様子で呼ぶ。

 

「これ!少し待たんか。......ふう、疲れたわい、休憩がてら一服でもするかの」

 

前を歩いていた男が振り向いて、後ろをのんびりと歩いて来る男に向かって叫ぶ。

 

「何を悠長なことを言っているのですか!敵が直ぐそこまで迫っているのですぞ!()()()()()!」

 

驚くことに胸元から葉巻を取り出して一服し始めた男の正体は、ガリア軍の最高司令官たるダモンであった。

突如として司令官室から消えた男が、なぜこんな所に居るのか。

答えは簡単で、ギルランダイオ要塞より逃げるためだ。

この薄暗い通路は脱出経路であり、司令官室より繋がっている隠し扉から入ったダモンとその副官は、只今、逃走中と云うわけだ。

未だ要塞が陥落した訳ではないと云うのに驚くほどの逃げ足である。

 

あの要塞中に響いた破壊音を聞いた瞬間にダモンは動き出していた。

 

驚く副官をよそに開けた隠し扉に入っていく。その少し前ぐらいに老将の部下達が呼びに来ていたが、良いのですか?と聞く副官に午睡の時間だと言って無視していた。まさかその頃に前線司令部が無防備宣言しているとは一片も思わなかったダモンである。

慌てて付いて行った副官が扉を閉めて、老将が押し入ったあの状況が形成されたのだ。

 

『恐らく壁の門が突破されたのであろう』

 

と言うのが道中で状況説明を求めた副官に言った言葉である。

ありえない、と副官は驚いた。

 

「ありえない、なんて事はありえないのじゃよ。常に我々の常識では理解できない事が起きるのが戦争の理じゃ、実際にそれが原因で五年前にギルランダイオ要塞は落とされたしの」

「ですが今は改修して更なる鉄壁の防御を造り出す事に我々は成功しております!」

「帝国は更にその上をいく攻撃力のある攻城兵器を持ち出してきただけの事じゃて.....しかし要塞の突破がこれ程に早いとは、あやつらは間に合ったかのう.....」

 

最後に呟かれた言葉は副官の耳に届く事は無かった。

いや、聞こえていたとしても疑問に思う事はなかっただろう。それほどに副官の男には余裕がない。怯えきった様子で顔面は蒼白だ。

この要塞が落ちると云う事はガリア公国領内に帝国軍が侵入するという事だから彼の不安も当然と言えば当然だが。

挙句の果てにはガリア公国が滅びるのではっと要らぬ心配までする始末。

すっかり臆病な性根が表に出て来ていた。

 

その姿はダモンですら呆れるほどで。

紫煙を吐きつつボソリとした声が。

 

「太鼓持ちで儂の意見に背かん小心者だから取り入れたが、ここいらが潮時かもしれんのう.....」

 

小さく呟かれたものの、やはり男の耳には届かず。

 

「このままでは我が家の領地にまで帝国軍は足を踏み入れてしまうのでは.....!?そうなれば俺の当主の座がっ」

 

自らの保身にのみ注意は割かれていた。

祖国を案じる気はこれっぽっちもない。己の栄光が途絶えるかもしれないと恐れているのだ。

 

ぶるぶると震える副官の背を見て、埒が明かないと思いダモンは言った。

その言葉に副官は一瞬で意識がダモンに向くことになる。

 

「心配せずとも手は打ってあるぞ。帝国の進撃を挫く必勝の策をのう」

「な、なんですと!?将軍それはいったい!いったい何時からそのような作戦を!?」

「敵を騙すならまずは味方からと言うじゃろ?極秘作戦じゃからの、お前にも黙っておいたのじゃ」

 

さぞかしその極秘作戦とやらに自信があるのか。

葉巻を片手にニヤリと笑みを浮かべるダモン。

その姿に頼もしさを覚えた副官はパアッと笑みを浮かべる。

 

「さ、流石はダモン将軍です!そのような深謀があったとは、このミシェルもはや感嘆するしかありませぬ!」

 

役者染みた大袈裟な動きで褒めたたえる副官に気を良くしたダモンは歩みを再開して副官の横を通り過ぎる。

 

「そういうことじゃ。さて、先を急ぐぞい。儂らが遅れては意味がないからの」

「はい!」

 

気を取り直して歩き出してから数分も経たず、二人の前に出口は現れた。

 

質素な木枠で型どられた扉だ。意外な事に扉自体も木で出来ている。

重苦しい頑丈な石の扉を想像していた副官にダモンは扉を開くよう指示を出す。

 

「開け」

「は、はいっ.......あれ?」

 

指示通りにドアノブに手を掛けて引くと、目の前に壁が現れた。これもまた一面が木で覆われていて、通路を封鎖していた。

 

いったいどういうことだ?と愕然としていた副官の後ろから新たな指示が掛かる。

 

「木の壁に窪みがあるじゃろ。そこに指を引っ掛けて横に動かしてみよ」

 

言われて見ると確かにある。小さな引っ掛け穴の様な(くぼみ)が。

そこに指を指し込み横に移動させると僅かだが、壁自体が動くのを感じる。まさかと思いさらに腕に力を込めて動かせば、ズズズ....と横にスライドしていった。

 

扉の端まで壁が完全に移動すると、思った通りそこには未知の部屋が存在した。

恐る恐ると云った感じで中に入る副官は部屋を見渡す。

壁一面には木の棚が設置してあり、その中には隙間なく書籍が詰められている。

 

「ここは.....?」

「ここは要塞後部の一階にある書庫じゃな。兵士達が使う慰安部屋といったところじゃろう」

「なるほど、木の壁と思われていたのは本棚の裏だったのですね」

 

部屋いっぱいに所狭しと本棚で囲まれた部屋を見ながら納得した副官。

隠し通路を遮る壁の正体が本棚であったことに気付く。部屋の中でも目立たない隅の辺りに隠し通路はあったのだ。

隠し通路から出て来たダモンがじろりと見渡すも、すぐに飽きたとばかりに肩をすくめて。

 

「この部屋には用がないでの、行くぞ」

 

一切の興味も示さずに歩き出す。しかも吸いかけの葉巻をピンと指で弾き地面に落とす始末。まだ火が点いているというのにだ。

慌てて葉巻を踏み潰すと、部屋から出て行こうとするダモンの背を追った。一応隠し扉を遮っていた本棚は元の位置に戻しておいた。

 

元に戻した行動に特に意味はなく、ただ単に几帳面な性格だからというだけの事である。

 

書庫から出た二人はやけに静まり返った廊下に出た。

いくら探しても近くに人の気配はない。不思議に思っていた副官に、察したダモンが言う。

 

「恐らく全ての要塞守備兵は帝国領側の前衛門に向かったのじゃろう。此処にはもう誰も居らんようじゃ」

「そのようですね」

 

ダモンの言った通りであれば今頃要塞の門は突破され、帝国兵が侵入している事だろう。この非常事態にガリア側の人間が取るであろう行動は三つ。

 

一つは守備隊たちのように門の死守に動く者。

 

一つはダモン達のように危険を感じて逃亡を図る者。

 

そして最後の一つは.....。

 

「......しょうぐん....さま?」

 

ポツリと廊下にか細い声が響いた。

驚いた二人が視線を向けると、そこには一人の女性が立っていた。簡素な白い服に身を包んだ彼女は要塞に常駐する衛生看護師だった。

そう、残る一つとは戦う術を持たない非戦闘員の事だったのだ。彼女の様な非戦闘員はギルランダイオ要塞には数多く滞在していて、その職業は様々だ。分かり易い例で言うとコック等がそれに当たる。変わり種としては庭師なんて者まで居た。それも当然で兵士だけでこの巨大な要塞を維持できるはずもないからだ。

 

その中の一人である彼女はまだ年若く、この要塞にも来たばかりなのだろう。

新人特有のまだ綺麗な衣服がその事を物語っていた。

なぜか彼女は所在なさげにまだ幼い顔立ちを不安に歪めている。

 

それを見ていたダモンは何かを考えるようにしている。やがて口を開いた。優しそうな声音で。

 

「どうしたのかの。こんなところで、君一人か....?」

「本当に将軍様!?あ、えっと。も、申し訳ありません!わたしはその....先生に医務室から医薬品を取って来るよう言われたのですが、恥ずかしながら道に迷ってしまって。だからここに居るのは私だけです。えっとその....」

 

看護師の少女は慌てた様子で近寄ると言葉を紡ぐ。

国の中でもトップに位置するダモンが突然目の前に現れて緊張しているようだ。

ダモンからすれば彼女のほうがいきなり現れたようなものなのだが、どうやら廊下の隅っこで立ち尽くしていたから声を掛けられるまで気づかなかった様だ。

 

話を聞いてみたところやはり彼女はこの要塞に来たばかりだそうであり、慣れない施設で道に迷ったらしい。

ホッと安心したダモンは好々爺のように笑みを浮かべる。

 

「そうかそうか。君は見たところ従軍看護師か。まだ若いようじゃが立派じゃのう、大変じゃろうに」

「い、いえ。お国のため戦うガリア兵の皆さんの力になれる誇りある仕事です!

微力ですが一生懸命になってお国の為に尽くしたいと思っています!」

「ほう、どのような辛い目にあっても国の為に働くか。

実に立派じゃぞ!流石は我がガリア公国の誉れ高き民じゃ!全ての者が君を模範とすればきっと帝国にも打ち勝てるじゃろう!!」

「ありがとうございます!将軍様にそう言ってもらえるなんてっ。とても嬉しいです!」

「そう言ってもらえて儂も嬉しいぞ」

 

家に帰ったらお父さんとお母さんに自慢できますと目を輝かせて喜ぶ少女に、笑みを浮かべるダモンもうむうむと頷き。

 

おもむろに()()()()()()()を向けた。

 

「――え?」

 

理解できない光景に固まる少女に向かって発砲する。

パンと乾いた一発の破裂音が響いた。

 

ジワリと少女の胸元が赤く染まりだす。

己の白い看護服を汚す真っ赤な鮮血を見下ろしていた少女が呆然とダモンを見て。

 

「な、んで....?」

「今は一刻を争うでの、余計な時間は取れんのじゃ。まあ、望んでいた通り国の為に死ねるのじゃ本望じゃろうて」

 

冷たく見据えるダモンに少女は何かを言おうとするが、かすれた声がもれるだけで、意味のある言葉はもう発せず。急速に光が失われていく目の輝きと共に少女の体はゆっくりと廊下に倒れた。

 

倒れたところから廊下に広がる血だまりを一瞥もせずダモンは少女の死体を横切る。

一連の光景を絶句した様子で見ていた副官は、何事もなかったかのように歩いていくダモンを見て、ハッと我に返り。

 

「ダモン将軍!いったいなぜ!?なぜ罪もない少女を殺めたのですか!」

 

その副官の言葉にダモンは振り返る。

冷たい視線が副官の男を捉えた。

 

「さっきも言ったであろう。この作戦は機密ゆえ、儂らの存在は作戦開始まで要塞の誰にも気づかれてはならんのだ。それが例え兵士ではない一人の少女であろうと例外ではない」

「ですが....!」

「くどいぞ。これ以上の問答は不要じゃ。それともまだ文句があるというなら此処に残るがいい。守備隊と仲良く要塞を守ると言うのであれば止めはせん.....どうせ皆助からんがな」

「え?......」

 

不穏な言葉を最後にダモンは去って行く。

遠ざかっていくダモンの背中と書庫扉の前に倒れた少女の死体を見比べて。

 

「っ......許せよ」

 

なぜ謝ったのか自分でも分からない。咄嗟に出た言葉だった。

だが言わなければならないと思ったのだ。

その言葉を口にして副官はダモンの後を追う。

 

追いついた副官にダモンは何も言わず、無関心そうにしていたが、一度だけフンと鼻を鳴らした。

 

それから無言で進んでいた二人の前に扉が現れ、そこから二人は外に出た。目の前に目的の光景が広がる。

要塞後部の後門前には大部隊を待機させておくには十分な広さの場所があり、戦ともなると其処には多くの守備隊が隊伍を組み整然と並ぶ。攻撃するか或いは防御するか後は指揮官の命を待つのみである。

そして、その役割を果たすかのように広場には大勢のガリア正規軍が揃っていた。首都ランドグリーズから連れて来たダモンの兵士だ。およそ三千人といったところだろうか。そのほとんどが歩兵である。もちろん軽戦車をはじめとした自走兵器も一緒にもってきているわけだが、それらは要塞後門の外に広がる地形一帯に残りの大部隊と共に展開させていた。

 

ダモン達が広場に近づくと、待機していた部隊の中から一人の兵士が前に出る。何人かいるダモンの副官である指揮官の男だ。

ダモンの前に立つと敬礼をする。

 

「お待ちしておりました閣下。状況が芳しくないようなので独断ですが、待機状態に移行させております」

「うむ、良い判断だぞ、直ぐに移動する事になるからの。.....して、例の準備は整っておるのか?本来であれば明日まで守備隊には時間を稼いでほしかったのだが。どうやらここまでのようじゃからのう」

「はい、ギリギリでしたが何とか滞りなく。壁の一部に細工を施しております。内部には持ち込んだ物資を搬入済みです。守備隊の目は前にのみ向いていたので作業は楽に行えました」

 

その言葉に顎を摩りながら笑みを浮かべるダモン。案じていた唯一の懸念事項が解消されたのだ。

 

「そうかそうか!良くやったぞ!これで帝国に目にもの見せてやれるわい!フハハハハ!」

「はい。さらには閣下に対する邪魔な勢力である国境警備隊と要塞守備隊もろとも排除する事ができるので。閣下の力は更にガリア国内において盤石なものとなりましょう。」

「うむ、特に国境警備隊の前線司令部に居る将校どもは儂を追い落とそうと画策していたようだからの。どうにかして奴らを失脚させる事はできぬかと考えていたが、今回の帝国軍の進攻は渡りに船であったわい。儂の代わりに奴らを排除してくれたからの」

 

だからこそダモンは正規軍を動かさなかったのだ。

要塞司令部からの増援要請が煩かったが、全て黙殺してきたのには自らの地位を狙う味方の排除が背景にあった。

つまりダモンは自分の栄光の為に前線部隊を見捨てたと言ってもいい。

軍を担う最高司令官とはあるまじき卑劣な行いだが、当の本人は気にした風もなく、何事もないかのような立ち振る舞いだ。

そして、ダモンの奇行はそれだけで終わらず、

更なる衝撃的な言葉が吐き出されることになる。

 

「それでは儂らはこれよりギルランダイオ要塞より退却する。後方に展開する本隊と合流し待機。要塞が完全に帝国軍によって陥落した後、タイミングを見計らい儂の号令の元、作戦を開始する」

「その作戦とは.....?」

 

恐る恐る尋ねる背後の副官。

ダモンは振り返り様に笑いながら言った。

 

「壁の中に仕込んで置いた大量の流体ラグナイトを、後方に展開させている戦車の砲撃でもって破壊させる。それによって生じる有毒ガスをもって要塞内部の全兵士を殺戮するのじゃよ」

 

それは味方もろとも帝国軍を滅する悪魔の考え。

国際法を逸脱した前代未聞の作戦が今、行われようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十話

()――――――イ!!!」

 

自らが破壊したギルランダイオ要塞の門を潜り抜け、その内部にセルベリアが足を踏み入れた瞬間。男の怒声が上がり。

同時に、ありとあらゆる方位から激しい銃声が轟いた。

広場に集結していた守備隊歩兵たちの一斉射撃が敢行されたのだ。

降り注ぐ射撃の雨が、ただ一人。セルベリアだけを狙い迫りくる。

弾雨は一瞬で目標に到達し、セルベリアのみならずその周囲を瞬く間に穿つ。地面は弾丸によって何度も掘り起こされ、土煙が舞う。

本来であればそれらに混じって血肉がはじけ飛ぶ光景が要塞守備隊の目に映るはずだった。

だが、弾雨が到達する寸前でセルベリアの体は霞んでいた。

 

「な、消えた!?」

 

勿論そのような能力をセルべリアは持っていない。

消えたと錯覚する程の速さで駆け出しただけだ。

瞠目する兵士の目の前に、次の瞬間セルベリアは現れる。

まるで魔法のような速さに驚愕の表情が拭えない兵士。手に持つ銃のトリガーを引く暇もなく、ヴァルキュリアの槍を腹部に突きつけられ。

 

一拍後。蒼い閃光が兵士の目を焼いた。

 

撃たれた痛みに悲鳴すら上げる事もできず意識を失い、それだけで終わらず。

放たれた一条の光は兵士の腹を貫通した後も、その後ろに控えていた何十人という兵士達を貫いていった。

細く途切れる光。立っていた兵士達が苦悶の声をもらしバタバタと倒れていく。

 

「――悪いが最初から全力でいかせてもらう!」

 

艶めかしい紅い唇から呟かれた言葉の後にセルベリアは。手に握る槍に力を込め。横凪に一閃する。

剣のように刃で斬るのではなく、鈍器で打つという感じで。

グシャリと頭を粉砕されて。一人ではなくまとめて三人の敵が、振り回された槍の一撃で命を奪われた。頭部を失った三っつの残骸が固い地面に崩れ落ちる。

 

どよめく守備隊を前にセルベリアはさらに槍を右殴りに振り回す。やはりそれだけで三人以上の血しぶきが上がった。その様は雑草を鎌で刈り取るかの如き気安さで、無造作に行われていく。

何度も、何度も。

やがて乱舞するヴァルキュリアの槍が数多の兵の鮮血で真っ赤に染まる頃には屍の道が出来上がっていた。

 

この時点で既に守備隊員は五十人近くが戦闘不能に陥っていた。

セルベリアが要塞に突入してまだ一分と経っていない。

僅かな時間でこれほどの状況を生み出した要因はセルベリア個人の強さもあったが、やはり一番はヴァルキュリアの槍から放たれる蒼い閃光の賜物だろう。

先の塹壕戦のような障害物もなく、物資の集積地としても使われる開けた地形であることも功を奏し、槍の光が放出されるたびに、多くの守備隊歩兵が貫かれていく。

 

あまりにも理不尽。

今も捉えきれない速さで動くセルベリアに向けて放つ銃弾はむなしく空を切り。ようやく被弾したかと思えばセルベリアの持つ盾の恩恵によって無傷という悪夢のような光景が現在進行形で起きていた。

 

さらには要塞に侵入する敵を迎え撃たんと密集陣形を組んでいたため、瞬く間に陣中に入り込み、乱闘劇を繰り広げているセルベリアに対してガリア守備隊歩兵は上手く対処を取れないでいた。

フレンドリーファイア――つまりは同士討ちになる可能性が高く、ガリア兵達はおいそれと撃てなくなってしまったのだ。覚悟を決めて撃つ者も中にはいたが、人間離れしたセルベリアの動きにあっさりと躱されてしまい、その射線上の先にいた味方に被弾する。

そんな状況が広場のあちこちで頻発していた。

 

「待て撃つな!味方に当たる!距離を取って囲い込め!」

 

慌てて撃ち方を止めるよう指示を出す指揮官の声が上がるのと、時を同じくしてセルベリアも声高に叫んだ。要塞の外に向かって。

 

「作戦を開始する!」

 

合図をきっかけにして、破壊された要塞の門から、颯爽と帝国軍が突入してくる。

黒を基色として青の刺繍が刻まれた軍服に身を包む兵士達。

命令あるまで門の近辺で待機していた遊撃機動大隊だ。

主の許しを今か今かと待ち望んでいた彼らは、鮮やかな動きで隊列を組むと、射撃体勢を取る。

狙いはセルベリアに気を取られて背中を見せている前方の密集陣形を組むガリア守備隊歩兵。

だが当然彼ら遊撃機動大隊の射線は先んじて敵陣に斬り込み、その半ばに入り込んだセルベリアまでもを射程内に入れてしまっている。

このままでは味方に撃たれてしまう状況で。

 

「構わん、私ごと撃て!」

「なっ!?」

 

なんと自分ごと撃つよう部下達に指示を下すセルベリア。

敵の指揮官が呆気にとられる中、命令を受けた遊撃機動兵は一切の躊躇もなく、構える銃のトリガーを引いた。

一斉に放たれた弾幕がガリア兵を目掛けて襲いかかる。驚きと悲鳴が入り混じり。

 

「ば、馬鹿な、指揮官自らを囮にして、それごと撃たせるだと!?ふさげるな!こんな非常識な戦術見た事無いぞ!」

 

背後から撃たれて倒されていく目の前の兵士達に、ガリア軍の指揮官は驚愕する。

それもそうだろう、目の前では銀髪の女が自らの部隊と思われる帝国兵の攻撃に晒されるのを、片手の盾で防ぎながら、もう片方の槍で光を放ち続けているのだ。

味方に撃たれながらも、それを意に介さず敵を討ち続けるという常識はずれにも程がある光景に目を疑う。無謀すぎる蛮行だ。

 

しかしその効果は絶大だった。

接近戦を仕掛けたセルべリアによって密集陣形で構えていたガリア守備隊の内部は蹂躙された。

その脅威から逃れようとチリジリになったならば、突入して来た遊撃機動大隊の攻撃により各個撃破される。

大隊の攻撃を対処しようと相対すれば、今度はセルベリアが無防備な背中をヴァルキュリアの槍でなで斬りにするのだ。これではまともな反撃すら許されない。

そうして、暴れまわるセルベリアの御蔭で遊撃機動大隊はろくに死傷者を出すことなく守備隊を掃討していった。

あまりにも理不尽な光景に、

 

「......っ。認めない!こんな戦いを俺は認めん!!蛮人どもがああああああ!!!」

 

指揮官の男が、構えるマジェックスM1を乱射させ、最後の抵抗を試みるが。

撃ち出される銃弾は空しく宙を切り、男の目の前に青い影が迫った。

 

「あ....」

 

意味のない乾いた音が喉から漏れる。呆気にとられた男の前に、セルベリアが現れ。次の瞬間、横凪に振り払われた凶刃が男の頭と胴を泣き別れにしていた。

 

「......現実を受け入れられない者から死んでいく、ここはそういう世界だ」

 

地に転がる骸に向かってそっと言ったセルベリアは、広場を見渡す。

数百からなるガリア兵の骸がそこかしこに散見していた。立ち上がる気配のある者は居ない。

指揮官の男を最後に、広場に集結していた敵兵は全滅した事が分かる。

 

「これでひとまずは要塞の守りを崩せたか。あとは後続の軍を呼び込めば勝利は確定するな」

 

要塞前面の広場を完全に帝国軍が制圧した事を確認したセルベリアは、ふうっと息を吐きヴァルキュリア化を解いた。体から立ち昇る蒼い光が治まると、槍と盾が自動的に形状を変える。短剣程になった槍と小さな盾。

如何なる原理でそうなるのかはセルベリアも知らない。

 

唯一解明している事実は、この状態では古代ヴァルキュリア人が残した遺物の恩恵をセルベリアは受けられないという事だ。つまり戦場で見せたような見えざる力で銃弾を弾く事が今はできない。

広場のガリア守備部隊を全滅させたことで張り詰めていた緊張の糸を緩めてしまい、ヴァルキュリア化を解除してしまう。

 

瞬間――セルベリアの背が粟立った。

 

「ッ!」

 

危険を察知したセルベリアは咄嗟に床に伏せる。

その一瞬後、頭のあった位置に一発の弾丸が通り過ぎ、地面に着弾する。

反射的に回避していなければ、眉間を撃ち抜かれていただろう。

広場に生き残りは居なかった。周囲にも敵の気配はない。

つまり、

 

「狙撃か!いったいどこから.....っ!」

 

すぐさま敵狙撃兵に狙われてる事に気づき、狙撃地点を探すセルベリア。だが探している間にも、敵は待ってくれない。少しの間を空けて次の弾が飛来した。キン!と甲高い音が響く。

運良く掲げていた盾に当たり、かろうじて防ぐ事に成功した。

 

.....危なかった!あと少しズレていたら撃ち抜かれていたかもしれない。

冷や汗が頬を垂れる。歯噛みしたセルベリアは頭上を睨む。

 

......未だ背筋は冷たさを残すが、御蔭で狙撃兵の居所は掴めた。

セルベリアが睨む先は要塞各所に屹立する尖塔の頂点だ。

 

―――敵はあそこに居る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「要塞司令部に報告!要塞内部広場が帝国軍によって制圧された模様!増援は間に合わなかった!繰り返す増援は間に合わなかった。何て奴らだ!侵入してまだ五分と経っていないんだぞ!?.....クソッ!最悪だ要塞前の帝国軍まで動き出しやがった!.....」

 

戦場全体を見渡せるであろうギルランダイオ要塞の尖塔内部。其処にはガリア軍の要塞観測班が戦場の移り変わりを逐一要塞司令部に報告していた。

彼らの報告を元に要塞司令部の通信士は前線司令部に情報を送っていたのだ。

だが前線のガリア国境警備隊が敗れた今、その機能は果たせずにいた。

よって観測班には撤退命令が出ていたのだが、彼らはそれを良しとせず最後まで司令部に情報を通信する事を決意した。

正しく決死の覚悟だった。この塔を枕に討ち死にするきなのだ彼らは。

そしてそれは尖塔の屋上に腰を据える狙撃兵の男もまた同じ想いだった。

 

「クソッたれ!この俺が二度も外すなんて.....!なんて悪運の強いやつなんだ!!」

 

苛立ちを隠さず、狙撃兵は悪態を吐きながらスコープを再度覗く。

望遠レンズによって集束した視線がターゲットを捉える。

焦点を定めるのは忌々しい銀髪の女だ。

見た目とは裏腹に同胞を何十人と葬り去る化け物のような存在。

広場で行われた戦闘とも言えない一方的な殺戮劇に興じていた光景を狙撃兵は見ていた。

故に男はあの女の恐怖を思い知らされた。

信じられないことだが、あの化け物には如何なる攻撃も通用しなかったのだ。

 

「だからこそ、油断した瞬間を狙ったっていうのに!....っなんて勘してやがる!」

 

最初の一弾で決めなければならなかったというのに。

寸前で躱されるとは夢にも思わなかった。

そのせいで焦ってしまい第二撃目を半端な狙いでトリガーを引いてしまい、盾で防がれてしまった。致命的なミス。

最悪な事にそれで自分の居場所を教える事になってしまった。

 

「っ!?」

 

スコープ越しの視線に爛々と輝く紅い瞳が衝突したのだ。

見つかった!

普通であればこの距離を肉眼で捉えるのは不可能だ。ただの偶然だと判断するべきだろう。まだ捕捉されたと思うのは早計のはずだ。

だがそうではない。確かにあの女と視線が合った。視認されたのだ。

現に女は塔の上に立つ俺から一切目を離さないではないか。

獲物を狙う捕食者のような紅い瞳が完全に男を捉えていた。

ゾッと恐怖を覚えた。構える狙撃銃がカタカタと震える。

 

「――っクソッタレ!死ねよ化け物!!」

 

恐怖を振り払うかのように吠える狙撃兵は、叱声の勢いのままにトリガーを引いた。

重い鉛のような心とは裏腹に軽やかな炸裂音と共に射出された弾丸は一直線にターゲットの元に向かい。

 

その動作を()()()()セルベリアは身体を半身に逸らし、撃ち込まれた狙撃弾頭を鮮やかに躱すと。

途端にヴァルキュリアの槍を構え、蒼い光の槍を解き放った。

 

「.....神よ」

 

絶望が込められた声が男の口から漏れる。

 

――――視界に迫る蒼い光の輝き。

 

それが狙撃兵の男が最後に見た光景だった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

鋭利な美貌をしかめて、セルベリアは胸元に手を当てた。

 

「っ.....。流石に引き金を引いた後で躱そうとしたのは無謀だったか」

「隊長!怪我を!?早く衛生兵を.....!」

「いや、問題ない、かすり傷だ。それにこの状態なら傷もすぐに治る」

 

躱しきれたと思ったのだがそれは思い上がりだったらしい。胸の辺りを掠めてしまったのか、じわりと血が滲むのを見て苦笑する。

駆け寄った兵士が慌てて衛生兵を呼ぼうとするのを止めさせた。

ヴァルキュリア化の恩恵に治癒力の向上もある。この程度なら支障は出ない。

 

セルベリアは尖塔に向けていた槍を下げる。

.....もう狙撃される恐れは無いだろう。

 

見上げる視線の先、光線に貫かれた尖塔はその頭頂部を消失させていた。

爆発の余波で今も噴煙が塔の先端から昇っていく。

奇跡的に倒れる事こそなかったが、もはや観測塔としての機能は完全に失っていた。

 

威容を欠いた哀れな塔を見上げていたセルベリアの背後から報告が上がる。

 

「要塞前のガリア方面軍が要塞攻略に向けて動き出しました。増援がもう間もなくやって来ます!」

「そうか、ようやく来たか。指示を出したのはグレゴール将軍か?」

「いえ、確認したところエドワーズ中佐の命令と判明しています」

「エドワーズ....?聞かない名だな。.....まあいい、それより向こうの増援も到着したようだ」

 

要塞中央の巨大な建物の門より、巣穴から這い出た蟻のようにワラワラと大勢のガリア兵が飛び出して来た。

即座に遊撃機動大隊が迎撃を開始する。瞬く間に銃撃戦が始まった。

セルベリアはと云うと、何故か動かず周囲を見渡していた。

やがて頷くと、ハインツ達に指示を出す。

 

「このままでは消耗戦だ。その場合、少勢である我々ではこの広場を支配できない。故に我々は敵の首を取る」

「なるほど、つまり敵司令部を強襲するのですね」

「そうだ、この場は後ろのガリア方面軍に任せるとしよう。丁度良く到着したことだしな....」

 

要塞の門から帝国軍が侵入して来るのを見て、

セルベリアはおもむろにヴァルキュリアの槍を建物の一部に向けると。

凛とした声が広場一帯に響いた。

 

「大隊総員に告ぐ、私に続け!」

 

放たれる光、轟音と共に施設の壁が崩壊し、セルベリア達は一気に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これより室内戦闘に移行する!目標はたった一つ、敵司令官の首だけだ!私達の手でこの戦いを終わらせるぞ!」

 

要塞内部に侵入を果たした遊撃機動大隊率いるセルベリア。

その身から蒼い光を立ち昇らせ、通路を進み。黒衣の兵士達が後ろから追随する。

要塞司令部を目指す途上、異変に気づいたガリア兵がセルベリアの前に立ち塞がるが。ヴァルキュリアの槍で悉く障害を一掃する。

緊急のバリケードを築こうとする工作兵も、必死に食い止めようとする守備部隊も、彼らの抵抗はすべからく無駄に終わる。

先頭に立つセルベリアが放たれる銃弾を一手に引き受け、その全てを見えざる壁によって弾いていき。槍から放たれる光が邪魔な障害をバリケードごと吞み込み、後に残るは無人の空間。

ガリア兵の抵抗を意に介さず、セルベリア達はどんどん要塞内の奥に向かって突き進んでいった。

 

やがて......。

 

「たったいま要塞司令部と思われる部屋の制圧に成功した。だが既に部屋に人の姿はなかったことから、恐らくは拠点を放棄したと思われる。私達はこれから逃亡した敵の士官を追う、お前達は念のため要塞近くまで来ていてくれ。固定砲はもう機能していないから危険はないはずだ.....」

 

そう言うとセルベリアは手に持つ無線マイクを口元から離し、通信兵にマイクを返した。

視線の先には無人の部屋が映る。

数多くの機械がそのままの状態で残されており、寸前まで人が居たであろう痕跡が確認でき。

よほど慌てていたのか書類の紙が何枚も床に散らばっていて、その上を踏んだ幾つもの足跡が残されている。

 

ほんの数分前まで確かに此処が要塞司令部だったのだと、かろうじて分かる。

セルベリアは要塞司令部から廊下に出た。

 

「まだこの要塞内に居るはずだ探せ!なんとしても見付けて捕縛しろ!」

 

絶対に取り逃がす訳にはいかない、男の名は。

 

「ゲオルグ・ダモン司令官を逃がしてはならない!」

 

ダモン将軍がこのギルランダイオ要塞に居る。その情報を知ったのは先程の事だ。捕虜としたガリア兵の一人から司令部の場所を聞きだした時に、一緒にその名が飛び出したのだ。

ガリア軍最高司令官を捕まえる千載一遇のチャンスにセルベリアは意気を燃やしていた。

最高司令官の身柄を確保したとなっては戦争の早期終結を望めるかもしれないからだ。

あるいはその功績で戦場から退くことが可能になったとしても可笑しくない。

そうなればセルベリアがガリア方面軍に居続ける理由もない。

つまり、

 

「この戦いが終われば殿下の元に帰れるかもしれないな.....」

 

勝手な考えでしかないが、そう思えば嫌でもヤル気が湧き上がる。

この戦場で蓄積していた疲れもどこかに吹っ飛んでいった。

 

セルベリアは意気揚々として廊下を進み、司令官室を目指す。

邪魔をする敵はいない。遊撃機動大隊の部隊が先に進み、露払いしてくれているのもあるが、ガリア軍は要塞自体を放棄する考えに至ったようだ。

要塞前部から続々と後退を始めている。司令部を守りきれない以上は仕方ない事だろう。

なのでギルランダイオ要塞の集積地広場を始めとした、その多くが現在、帝国軍の侵入を許していた。

とはいえ今も激しい銃撃の音が遠くから聞こえている。最後の時間稼ぎだろう。

 

「セルベリア大隊長殿!司令官室の制圧を完全に行いました!ですが.....」

 

先行させておいた小隊の一人がセルベリアに駆け寄り報告する。なにやら言いよどむ兵士に、

 

「どうした、何かあったのか?」

「はい。それが、司令室に突入したところ、ガリア軍の高級将校が.....」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長テーブルの奥、部屋の中央に置かれた椅子に一人の男が座っている。

眠ったように目を瞑り、身動き一つしない。

事実、彼はもう目を覚ますことはないだろう。

ガリア公国の軍服は血に濡れていて。床には拳銃が転がっていた。

 

それが入室したセルベリアの目に映った光景だ。

 

ゆっくりと部屋の中に入ったセルベリアは安らかな死に顔を見せる老人将校をジッと見て。

背後に立つハインツに問いかける。

 

「この男は何者だ?名のある将と見たが。まさかダモン司令官ではないだろうな......?」

 

胸章に描かれたエンブレムから少将という事が分かるから、恐らく違うのだろうなと思うが一応聞いてみる。

やはりハインツは首を振って。

 

「違います、確認したところ要塞に常駐する『ガリア軍要塞守備隊』に属する士官の一人だと思われます」

 

その言葉を聞き、セルベリアは落ちていた拳銃を拾う。ガリア公国の国旗が刻まれたそれは高級士官だけが持てる代物である。

 

「間違いなく凶器はこの拳銃、心臓を一発、即死だな.....」

「はい、見事な死に様です」

「.....やはり自決か。だが何故だ?」

 

ダモン将軍ではない事が判明しますます怪訝に思う。

他の士官が退却している中、なぜこの男だけが司令官室で死んでいるのか。全く意味が分からない。

言い知れぬ不安感がセルベリアを襲う。

この将校の死の真相を知る必要がある。直感だがそう思った。

少しだけ考えてみる。

 

・必死に抵抗するガリア兵。

・放棄された無人の司令部。

・将校が自決した司令官室。

・ダモン司令官の不在。

 

「.....なんだこの違和感は?」

 

喉に引っかかった小骨のような、もどかしい感覚。

何かを見落としてしまっている気がする。だがそれが何なのか分からない。

 

「そもそもなぜこの将校は司令官室に来た。要塞を守り切れなかった負い目から責任を取ったとも考えられるが、それなら司令部でも構わないはず。わざわざこの部屋に来なければ行けなかった理由はなんだ」

 

考えるセルベリアの視線にふとテーブルの上に置かれた皿が映る。

綺麗に食べ終えられた空の皿。まだ料理を食べ終えてからそう時間は経っていないようだ。

優雅なもので。この将校の最後の晩餐だろうか.....。

 

そんなわけない。ダモン司令官のものだろう。

つまりこの戦争が起きている中で食事を摂っていたという事か。呑気なものだ。

そう考えたところでドキリとした。まさか、そんなことが.....。

 

「っ.....ダモン司令官は陣頭指揮を執っていなかった.....?」

 

ありえないだろう飛躍した発想だ。

だが、もしそうなら辻褄が合う。

それに、他にも理由がある。

セルベリアは部屋を見渡す。

 

司令部の混迷具合が見て取れる荒れた部屋と比べ、この部屋は綺麗に整い過ぎている。

機密情報を持ち出さなかったのか、或いは元からそんな物は無かったのか。

そこまでは分からないが。

 

「ダモン将軍が優先的に逃亡した可能性があるな......」

 

予想の一つでしかない。未だ確証はないが、想定する一つの案として、心の片隅にでも置いておこう。

そう思ったセルベリアの元に。

一人の兵士が駆け込んだ。

 

「ガリア方面軍が要塞後部の制圧に成功しました!完全にギルランダイオ要塞は我が軍の支配下にあります!我が軍の勝利です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十一話

「.......どうやらガリア軍は民間人の避難を優先的に行っていたようです、そのおかげで司令部より逃亡したと思われる高級士官達の捕縛に成功しました。今は武装解除を行った兵士や残された民間人を分けてあそこの物資集積用の広場に集めています......」

 

集積地広場を囲む城壁の上から。セルベリアは眼下を見下ろし、兵士の報告を聞いていた。

報告通り確かに数千は下らない大勢の人間が、広場に集められているのが見て取れる。

その中心では軍服を着たガリアの兵士達が両手を上げて座らされている。武器は取り上げられ広場の片隅に山と積まれていて、その近辺には帝国兵が囲むように立っている。勝者と敗者の構図と言って云いだろう。

なるほど、確かにギルランダイオ要塞は帝国の手に墜ちたのだ。眼下の光景がそれを教えてくれる。

司令官室で報告を聞いた時は、要塞制圧が自分の予想よりも早すぎだことから、驚いたものだが、これを見れば納得するしかあるまい。

 

「.....どうやら私は、ガリア方面軍の力を少々侮り過ぎていたのかもしれないな.....」

 

......正直のところ、要塞後部で最後の抵抗を行う敵兵の鎮圧は、私が出向く必要があると考えていた。

まさか彼らガリア方面軍が、この短時間で要塞攻略を成し遂げるとは、思ってもみなかった事だ。

 

エドワーズ中佐。

この状況を作り出した士官の名だ。詳しいことは知らないが、彼女の指揮の元、最も抵抗の激しかった要塞後部の守りを突破し、瞬く間にこの広場を制圧したのだとか。

 

要塞司令部を優先的に狙って要塞内に侵入した私の、ちょうど後ろから来た部隊がそれであったらしい。

あの時は急を要していたとはいえ、敵の増援部隊を押し付ける形になってしまった。

なので機会があれば会って礼を言いたいのだが、それは出来ない。

というのも、

 

セルベリアは視線を変えて、要塞の頑強なる城壁の向こうを超えた遥か先を見据える。

 

視線の先には、ガリア公国の誇る豊かな平原が広がっていた。

ギルランダイオ要塞を支配下に置いた今、その内側に広がるガリア領はもう目と鼻の先にある。

しかし其処には帝国の進攻を阻むかのように、ガリア軍の大部隊が平原の一帯に鶴翼の陣形を展開していた。

逃亡したダモン将軍の旗下であるガリア正規軍である。

その数およそ三万に上り。小国とは思えない規模の軍勢が平原を覆っている光景は中々に圧巻だ。

だが帝国軍も負けじと、間を挟んで睨み合うように、一個師団程度の軍勢を要塞前に置いている。

当初は要塞内より逃げるガリア兵の追撃を行っていたのだが、現在はガリア正規軍の牽制に移行していた。

 

そして、あの一個師団を指揮している者こそがエドワーズその人なのだとか。

部下がもたらしてくれた情報だ。

 

今にも触発しそうな、合戦前特有の、張り詰めた雰囲気が、風に乗ってセルベリアの元にまで漂ってくる。

もしガリア軍が攻勢に乗り出せば、三万からなる軍勢だ。一個師団の帝国軍ではひとたまりもないだろう。

....可能なら今すぐ私も加勢に向かいたのだが、今はまだ動けない。

その理由はというと.....。

 

「――ただいま戻りました、遅くなり申し訳ありません」

 

その言葉通り、今し方まで離れていたハインツが、駆け足気味にやって来てセルベリアの背後に立つ。

その様子を一言「ご苦労」と労ったセルベリアは続けて問いかけた。

 

「それで、どうだった?」

「は、捕縛したガリアの高級士官から聞き出した情報ですが、ダモン司令官は忽然と要塞内より消えた模様です。さらには本来であれば要塞後部の守りと考えられていた三千人もの正規軍もまた同様に消えたと、嘆いておりました.....」

「だろうな、それらを時間稼ぎに投入していれば、非戦闘員を全員逃がした後、彼らも要塞から撤退できただろう」

 

だがそうはならなかった。ダモン司令官は己の部下達と共に、我先にと逃げ出したのだ。

その判断自体は間違いであると言い切れない。なんせ彼の男はガリア軍の最高責任者である、その価値は計り知れず。要塞内の誰よりも命の価値が高いと言っていいだろう。優先的に逃がすべき対象なのだ。

だからといって、戦えない者達を置いて逃げる様は気持ちの良いものではないが.....。

 

「そしてセルベリア様の言った通りでした。信じがたい事ですがダモン将軍はほどんど作戦指揮に関わらず、その間ずっと司令官室に籠もっていたようです」

「......まさかとは思ったが、やはりそうだったか」

 

別に指揮をせずに他の軍官に任せるのは何も可笑しな事ではない。その為に副官や、参謀が存在するのだから。

だが司令部自体に居ないというのは異常だ。あらゆる権限と決定権を持つ司令官が居るからこそ現場は滞りなく、作戦指揮を行えるというのに。

 

「ほとんどと言ったが、少なくとも一度は何らかの命令を行ったということか.....?」

「はい、ダモン将軍が要塞に来援した直後に、発令した命令があります。....『ガリア国境警備隊からなる前線部隊は予定の時刻まで塹壕にて防衛戦を行う』.....との事でした」

ハインツの言葉を聞いたセルベリアは腕を組んで怪訝そうにする。

「.....私には(てい)の良い時間稼ぎの口実にしか聞こえないな」

「自分もそう思います....」

 

自決した要塞守備隊の将校から始まり、味方に一切の通達もなく要塞より消えたダモン将軍とその配下たち。明らかに時間稼ぎと思われる作戦内容。

これらの情報を統合して、そこから見えてくる真実とは....。

 

「ガリア将校の自決....裏切られたすえの絶望からか?...味方を見捨てた司令官....捨て駒に使われた前線部隊。その間ダモン将軍は部屋に籠っていた。だが.....三千もの要塞に居た正規軍は何をしていた?明日まで指定された命令、時間稼ぎ........工作............まさか」

 

チリチリとひりつく様な焦燥感にも似た疑問。

感じていた違和感の種がゆっくりと実を結び始める。

ゴクリと喉が鳴った。

まるで何かを待っているかのように構える目の前のガリア正規軍を見据え、

セルベリアは導いた解を呟いた。

 

「....ダモン将軍はこの要塞に何らかの策を施している.....」

 

.....そう考えるのが自然であり、その可能性は高い。

そして。

ポツリと言った直後に、セルベリアが見ている中、ガリア正規軍はゆっくりと要塞に向かって動きだした。

ギョッと目を驚きに見開く。

 

「仕掛けてきただと!?この状況で!」

 

既にこのギルランダイオ要塞を取り巻く戦争の趨勢は決した。完全に帝国軍が支配する万全な態勢。この状況で要塞奪還作戦を行うのは無謀だ。

それでも第二次戦闘に乗り切ったという事は、少なくとも何らかの策があると考えるのが妥当だ。

.....やはり私の考えは正しかった!

 

セルベリアは振り返ると直ぐさま部隊に伝えた。

 

「遊撃機動部隊に告ぐ!緊急命令であるっ、このギルランダイオ要塞内に何らかの策が仕掛けられている可能性があることが分かった!お前達は急ぎ要塞の中を隈なく調べろ!不審な物、あるいは人を見つけたら直ぐに知らせよ!」

「了解!」

 

周囲に居た兵士が承諾の声を唱和すると、一斉に動き出した。

要塞内に何が仕掛けられているのか分からない、危険はかなり高いだろう。だが要塞戦における致命的な状況に陥る、その可能性があるかもしれない以上は探らなければならない。

不安に思うも頼もしい部下達の背を見送ったセルベリアは、キッと戦場を睨む。

 

視界前方ではゆっくりと押し迫るガリア正規軍に合わせて、要塞前の帝国軍が後退を始めている。

もともと、本格的に合戦を行う腹積もりはこちらにはない。

ガリア軍がなおも戦闘継続の意志があるというなら、こちらは要塞内に引きこもれば良いだけの事だからだ。

それだけで敵の思惑を外す事が出来る。まともにぶつかり合う必要はない。そもそも一万を僅かに超える程度の一個師団規模では、ガリア正規軍を全滅させる程の力はない。あくまで抑制の為に存在したのだ。

故に敵が進むだけガリア方面軍は後ろに下がる。

 

既に要塞内には二万もの帝国軍が収容済みだ。万が一にも奪還される恐れはない....。

ないはずだ。

 

セルベリアは思わず紅い唇を軽く噛んだ。

奪還される恐れがないと言い切れない理由はやはり....。

 

「いったい何を要塞に仕掛けた?この状況をひっくり返す程のモノとはいったい何だ」

 

.....例えば爆弾だろうか?要塞中に強力な時限爆弾を仕掛けたのか?......いや、それでは奪還出来たとしても要塞の防衛能力は喪失する。ガリア軍にとっても赤字でしかない。今後を考えるのであればソレは避けたいはず。

ならば人はどうだ?この要塞のどこかに隠し部屋があって、其処に軍兵を隠し、時が訪れれば一斉に蜂起させる。それであれば要塞を傷つけずに奪い返す事も出来るかもしれない。

セルベリアはその考えに首を振って、

「それはない。もしそうなら最初から味方に伝えているはずだ。要塞守備隊に何も言わなかった理由にならない。国境警備隊を捨て駒にした理由にも同様にならない!だとすればいったい何なんだ!?何を............あ」

 

必死に考えていたセルベリアの目が見開き、口からポツンと声が出た。

 

爆弾に匹敵する程の危険性で、人よりも確実に、なおかつ要塞を傷つけずに制圧する物.....。

分かった。分かってしまったのだ。ガリア軍がこれから何をしようというのか。何を仕掛けたのか、唐突に理解した。

.....だが、それはあまりにも非道過ぎる。まさか、ありえない。

流石に見当はずれな考えなのではないかと常識的にそう思うが、恐らくコレが正解だと直感が下す。

 

「......ハインツ、要塞内に探らせに行った全兵士を呼び戻せ」

「は?」

「急げ!事態は緊急を要する!全員死ぬぞ!」

「りょ、了解です!」

 

首を傾げていたハインツはセルベリアの剣幕に肩をビクつかせながら敬礼すると、急いで自分の部隊員に指示を出していき、指示が部隊員全てに行き渡ったら一斉に駆け出した。

 

見送ったセルベリアは険しい顔で拳を振り下ろす。ビシリと強かに壁に打ちつけた。

「クソ!なぜ気づかなかった!?」

 

.....あまりにもタイミングが悪すぎる。もっと早く気づいていれば!今すぐ大隊を要塞から撤退させれたというのに。どれほど愚鈍なのだ私は!

 

何かに気付いた様子のセルベリア。悔やむ中、時間は残酷に進んでいく。

その異変にセルベリアも気づいた。

 

それは戦場で起きていた。

要塞に向かって迫って来ていたガリア軍がゆっくりとその形状を変えていたのだ。

帝国軍を包み込むように鶴翼の陣形だったそれが、三つに分かれる。

本隊を残して両翼から部隊が前に出た。

中央の本隊から別れた右翼と左翼が帝国軍を挟み込むように前進する。

挟み込まれかけている帝国軍がより要塞に向かって後退しようとしていた。

 

【挿絵表示】

 

「違う!そうじゃない!両翼の部隊の狙いは......!」

 

叫ぶセルベリアの目の前で、事態は起こる。

 

両翼のガリア正規軍は多数の軽戦車部隊を配属させていた。明らかに数が偏っている。本隊には殆ど残していないのだろう。

そんなガリア軽戦車の砲塔は挟み込む帝国軍.....ではなく。

なぜかギルランダイオ要塞の城壁に向けられていて。

 

瞬間――セルベリアは傍らに置いてあったヴァルキュリアの槍と盾を拾い、その身に眠る力を解放する。

途端に城壁から跳び上がった。

 

軽い浮遊感の後、すたりと地面に着地する。

常人であれば即死するであろう高さから何事もなく広場に降り立ったセルベリアを、周囲の者達が驚愕の表情で見ていた。

それに構わずセルベリアは。

 

「全員要塞から逃げろ!ここに居ては死ぬぞ!あっちに向かってにげ―――」

 

その時、砲弾が空気を裂く音を伴ないながら、城壁に向かって迫り。

....バン!と痛烈な破壊音が広場に木霊した。

立て続けに何度も、何十発という砲弾が城壁に被弾して。

 

 

 

 

 

 

――そして、地獄は顕現する――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

ミシリ.....バキ....バギバギバギ!。

 

 

それは十数発もの砲弾を受け続けた壁から聞こえた。

張りぼての様な壁が崩れる音であり、その中に隠されていた流体ラグナイトガスを閉じ込めた大量の容器が破砕する音だった。

ボゴン!とあっさりと貫通した壁の穴から、爆発的な勢いで蒼い煙が漏れ出てきた。流体ラグナイトガスは空気に触れた瞬間その体を数万倍に膨らませる。

 

運悪く壁の近くに居た帝国兵達が、その蒼いガスを吸い込むと、直ぐに異変は起きた。

 

「なんだこれ!体が!?動かない......!」

 

マリオネットの糸が切れたかの様に、バタバタと地面に倒れる。ガスを吸った者達は等しく、体から力を失ったのだ。

それこそが流体ラグナイトガスの効果である。

治療用にも使われるそれは被験者の神経に作用し脳を麻痺させ、感覚の遮断を強制する。

つまりは麻酔と似た効果があるのだ。

ただし流体ラグナイトガスは医療用に薄めたものでも麻酔の数十倍もの効能を発揮する。

吸い過ぎれば最悪、身体機能は停止し、呼吸する事すらできなくなってしまうだろう。

つまり猛毒の二酸化炭素を生み出していると考えればいいだろうか。

 

それが今、数千万倍もの毒素をまき散らしながら要塞に飛散したのだ。しかも仕込まれていた壁は一つではなく、反対方向の壁からも同様の毒ガスが噴き出した。

逃げる暇もなく蒼い毒煙は広場に入り込むと。阿鼻叫喚の地獄絵図が生み出される。

 

「あああああああああああ!!.....ああ.....あ.....」

「うわああああ!!?」

「く、苦しい、息が出来ない.....!」

「ギャアアアアアアアアアアア!!?」

「嫌だっ助けてくれええええ!」

 

広場に居た何千人もの人間が悲鳴を上げて苦しみだす。反攻の機会を伺っていたガリア人だろうと勝利に浮かれていた帝国人であろうと其処に差別は一切なく。平等にその身を流体ラグナイトガスに侵され、のたうち回る。

 

恐るべき勢いで迫る毒煙が、セルベリアの元にまで来た。

が、それを―――

 

「ハアアアアアア!!」

 

ヴァルキュリアの盾を翳し、全力で力を込める。

共鳴する様に総身から蒼いオーラが迸り。

――直後。

毒煙が襲うも、揺らめく蒼いオーラが防護膜となってセルベリアを守った。

 

.....しかし。

セルベリアの目が驚きに見開かれる。

 

「!?っ.......完全には守りきれない。力が抜けてゆく......!」

 

どうやら、襲いかかる銃弾を弾き、形なき火炎放射を浴びせられようと無力化する蒼いオーラですら、流石に微粒子レベルの流体ラグナイトガスを相手に、無傷で居れるほど完璧ではないらしい。

目には見えなくとも確実に毒ガスの効果を受けていた。

周囲はもう毒煙で覆われている。もうどこにも逃げ場はない。

さしものヴァルキュリアでも、この中を突っ切って脱出するのは不可能だろう。

 

体を毒に侵されゆくセルベリアは迫る残酷な現実を冷静に受け止める。

 

.....ここで死ぬのか、私は。

もうどうしようもない状況だと理解したからか。あらがいようのない死という事実がスッと胸に入り込んだ。

 

呆気ない幕切れだったな。

自嘲とも取れる笑みを浮かべたセルベリアは瞳をそっと閉じた。

 

最後に思い出すのは、やはりあの人の姿だ....。

あの地獄のような日々から救い出してくれた想い人。

 

「.....ラインハルト殿下、申し訳ありません。私は貴方の役に立てなかった......っ」

 

道半ばで命尽きる不孝者をお許しください。私が死んで貴方は悲しんでくれるでしょうか....。

頬を涙が伝い、地に墜ちる。

ゆっくりと膝が地面に倒れようとするセルベリアは、最後に想う。

 

....まだ救ってもらった恩を返せていない。

 

まだこの想いを打ち明けていない。

 

まだ私は.....。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方の傍にいたい...!」

 

言って足に力を込め、寸での所でしっかりと地面の上に立った。

ふらつく体に鞭を打ち必死に倒れまいとする。

......そうだ、私はこんな所で死ねない。

セルベリアは霞む視界でヴァルキュリアの槍を構え。なけなしの力を振り絞る。

 

「ハァッ!」

 

短い叱声の下に、槍先から一筋の光が迸る。

勢いよく放たれた光は毒煙を突き破って、空に向かって飛び上がり、蒼穹を穿つ。

それを見届けたセルベリアは今度こそ地面に倒れた。

かろうじてヴァルキュリア化さえ解けていないものの、これが限界だ。

毒に侵された体は指の一本程度も動かせない。

それでもセルベリアの表情には笑みがあった。

 

私は最後まで諦めなかった。諦める事を嫌うあの人のように、最後まで抗い続けた。

それが誇らしかった。

 

ああ、それでももう一度だけ.....貴方の顔を見たかった.....。

 

セルベリアが儚げなく微笑んで瞳を閉じた。

 

 

 

――その直後。

 

地面を伝って、セルベリアの耳に妙な音が聞こえた。

 

それは重厚な音の響きで、大きな何かが迫って来る音だ。

ドンドンこちらに近づいて来る。

音の正体が気になって首を傾けたセルベリアの目の前に、

 

なんと一台の大型軍用車が毒煙の中を突き破って来た。

 

何だか見覚えのある大型車両はセルベリアを見付けたのか直ぐ傍で止まると。

 

運転席のドアが開き、中から現れたのは.....。

 

 

 

 

「――遅くなって申し訳ありません。助けに参りましたわ、セルベリア様....」

 

中から現れたのは禍々しいガスマスクを目深に被ったメイド服の女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十二話

軍用車から降り立つその女、戦場に場違いなレースの白いメイド服を着こなし、頭には対毒兵器用のガスマスクという異様な風貌。ミスマッチなその組み合わせは、毒ガスで覆われたこの場に何故か馴染んでいた。その姿に苦笑を覚える。

.....まるで死神だ。ガリア軍の兵士アルデンが私を指してそう例えたが断然目の前の女の方が異様な姿と相まってその名に相応しい。

毒ガスの影響を受けて体を動かせない、寝転がった状態のセルベリアは口を開く。友人に掛けるような気安さで。

 

「......来てくれたのか、すまない。正直救助は間に合わないと覚悟していた....」

「セルベリア様の要請を受けて、言われた通り要塞の傍で待機しておりましたので。変わらず後方で待機していたら、先程の救難信号を危うく見逃すところでした....」

「賭けだった。咄嗟の事だったし伝わるかどうか分からなかった。だがお前はそういう意図に敏感だろ?....なにせ元は暗殺者だからな。そこに賭けてみることにしたんだ.....」

 

結果は成功だったな。と笑うセルベリアを、どこか呆れた雰囲気で。

 

「それは何というか.......御見それしましたわ。流石はセルベリア様です。よくこの状況でそこまで判断して行動に移せたものですね」

「ああ、それは簡単なことだ。殿下の事を考えていたからな」

「はい?」

 

なぜそこでラインハルトの名前が出てくるのだろうと云った風に。

不思議そうにガスマスクが小首を傾げる。

 

「殿下もまたレニイ村での一件の時、狼煙を上げて私に危険を知らせた事がある。その事を思い出したんだ......ゆえに私は殿下に救われたと言っても過言ではないだろう....!」

「......成る程....」

 

なぜか目をキラキラと輝かせているセルベリアを見て、

マスクで分からないが()()()()()は感心するように頷いた。

そう、覆面の正体であるエリーシャは、懐に手を忍ばせ、倒れるセルベリアに向けてある物を取り出した。

カプセル型の機械。容器の中から蒼い光を木漏れ出しているソレは、医療用ラグナイト。

通称『ラグナエイド』である。

 

「今からセルベリア様の体内の毒素を取り除きます、少しの間だけ我慢してください」

「.....分かった、頼む」

 

何やら微妙そうな表情で了承するセルベリアに、エリーシャはラグナエイドを使用した。

ラグナイト特有の青い光がセルベリアの体を優しく包み込む。セルベリアは耐えるように目を瞑っていた。

すると毒によって受けていた体の不調が瞬く間に治っていく。

数十秒後、すっかり体の痺れも良くなったセルベリアは、腕や足を動かして、後遺症が残っていない事を確認すると立ち上がった。

 

「感謝する、それで状況はどうなっている?」

「突如として発生した毒ガスは、要塞中央のほぼ全域を覆い尽さんとしています。前部に居た部隊は多くが避難できたようですが建物中部の被害者数は不明。現在、要塞に収容していた衛生兵が総出で治療に当たっていますが、手が回っていない状態です、かなり絶望的と言っていいでしょう」

 

ガリア方面軍が先んじてギルランダイオ要塞に収容した兵士の数は約二万人。前部に待機させていた部隊が六千人程。要塞に取り残された兵士は一万四千、要塞に居た衛生兵百余名で全てを治療することは不可能に近い。

なにより.....。

 

セルベリアは沈痛な面持ちで広場を見渡した。既に事切れた人々で埋め尽くされた広場を....。

 

「要塞後部は壊滅状態だ。毒ガス発生源に近い事もあって、直ぐに此処は毒ガスで埋め尽くされた」

 

どれだけの人間が死んだ?恐らく帝国人だけでも一万人以上の死傷者が出た筈だ。そこにガリア人も入れれば考えたくもない悲惨な数字になるだろう。

 

「......恐らくは毒ガスの発生元が集積広場に近かったのは意図的でしょう。此処に大勢の部隊が集まることを想定して、最も被害を出せるようにと」

エリーシャの言葉を聞いて敵の意図に気付く。

「そうか、だからガリア軍はさも戦闘意志があるように要塞前の平原に大軍を展開させていたのか。直ぐには攻撃を仕掛けて来なかったのも、防衛する為に配置するであろう帝国軍を待っていたのか......!」

冷徹なまでに敵を殺すことだけを考えて作られた作戦だ。怒りがこみ上げてくる。

「この作戦を考えた者はどれほど悪辣なんだ!陸戦条約を反故にしただけでは飽き足らず自国民をも巻き添えにするとは......!」

 

歯を噛みしめて、怒りをあらわにするセルベリアを見てエリーシャが落ち着くように言った。

 

「まだ無理をするべきではありません。ラグナエイドが毒を中和している間に要塞から撤退するとしましょう。十分程は持つはずです」

しかしセルベリアは首を振って、

「ダメだ、まだ撤退できない。........エリーシャ、頼みがあるんだが聞いてくれないか?」

険しい表情で言った。

「なんでしょうか?.....あら」

何事か聞くエリーシャにセルベリアは頭を下げる。

「頼む!私の愚考によって要塞の中に取り残されている部下を助けてくれっ.....!」

 

希望的観測に過ぎないが、要塞内部であればまだ毒ガスが入り切っていないかもしれない。

それに、数多くの修羅場を共に潜った戦友だからこそ、彼らが簡単に死ぬとは思えない。

必ず生きている筈だ。そんな確信がセルベリアにはあった。

そして、彼らを救える者は目の前の女を置いて他には居ない。

 

「顔をお上げくださいセルベリア様、そのような事をせずとも命令とあらば動きます。(わたくし)共の役目は貴方方の支援ですから.....」

「.....すまない、本来であればお前達の存在はあまり人目に付かせたくはなかったのだが....」

「大丈夫、この毒ガスの中なら逆に隠れ蓑になるかもしれません、早速動くとしましょう」

 

パチンと軽やかに指を鳴らす。

それが合図だったのか軍用車の荷台から人影が現れる。体つきの分からない黒装束に身を包み、異様な雰囲気を纏った者達だ。

総数二十人もの黒装束は主の傍に付き従うかの様に整然と並ぶ。

その全員がエリーシャと同じくガスマスクを被っていて表情を隠していた。

言っては何だがかなり不気味だ。

 

「私が選抜した手練れの者達です。彼らにも遊撃機動大隊の救助を行わせます」

 

異様な姿に目を引かれがちだが、その気配の薄さにセルベリアは内心で驚いていた。

直ぐそこに居るのに、幻影を見ているかの様な。まるで影が実体を持っている様な感覚を覚える。

......本当に人間なのか?

思わずそう疑ってしまうぐらい人間味が乏しい黒装束達を、背に控えるメイド服の女。あげく周囲は毒ガスに覆われている。

知らない者が見たら奇妙な世界に迷い込んでしまったと錯覚しそうだな。

そんな事を考えているセルベリアを黙って見ているメイドと黒装束。

と、そこで彼女等が命令を待っている事に気づく。

セルベリアは号令をかけた。

 

「それではお前達にオーダーを頼む。私の部下を、遊撃機動大隊の仲間達を助けてくれ!」

「仰せのままに」

 

優美に礼を取るメイドの背に控える黒装束が、瞬間―― 一斉に掻き消えた。

セルベリアの目を持ってしても、何が起きたか分からなかった。

気が付けば毒煙の中に消える彼らの姿を僅かに視認できたくらいだ。初動が見極められなかった。恐らくそういう歩法の技なのだろう。ラインハルトが『ジュウジュツ』なる武術を伝授してくれた時に、独特な呼吸と足捌きで間合いを詰める術があると、教えてもらったことがある。もしかしたらそれに近しい技術なのかもしれない。

 

「――それで、セルベリア様は何をなさるおつもりですか?」

職業柄、技の分析をしていたセルベリアに一人残っていたエリーシャが問いかける。隠す事ではないし正直に答えた。

「私は.....これより要塞前で戦いを続けているガリア方面軍の救援に向かう。恐らく今、戦場では両翼のガリア軍が帝国軍を挟撃しているはずだ。背後は毒ガスで覆われて退路を失った状態にある。このままでは全滅は必至だろう.....」

 

戦略的な観点から見てもこれ以上の被害を出す訳にはいかなかった。別にガリア方面軍の司令官ではないが、兵士として最善を尽くす義務がある。

薄々セルベリアの意図に気が付いていたのだろう。エリーシャに驚く様子はなかった。だが『わたくし、心底あきれてます』とでも言いたげな仕草でヤレヤレと首を振った。

 

「ラグナエイドを使用したとはいえ、応急処置程度の治療でしかありません。常人であればとっくに失神している程のダメージを体は受けている筈なのに、まだ戦おうというのですか」

「これが私の性分だ、戦いでしか役に立てない。故にあの御方の槍であり盾になると決めたのだ。その槍が折れてしまっては存在価値すら無くなってしまう。だから私はどんな痛苦を被ろうと決して折れる事はない」

 

今日だけで、どれほどの戦いを行った。精神は限界を超えている。体力とてもう殆ど残っていない。

だがそれでも、私は戦場に身を置こう。

セルベリア・ブレスという存在価値を証明する為に。

 

「.......分かりました。説得は諦めます、どうせご主人様の命令でしか意志は曲げないでしょうし....」

「すまない。.....だがそれだけじゃないんだ。このまま黙って引き下がれない理由がもう一つだけある」

それは.....

「ガリア軍最高司令長官ゲオルグ・ダモン!あの男に一矢報いねばこの戦場で死んでいった者達が浮かばれん!!」

 

その怒りは決して散っていった同胞たる帝国軍だけを思い覚えた感情ではない。自分が相手をした勇敢なるガリア兵士達を思って感じた怒りでもあった。

国のため、仲間の為に戦った彼らの誇りや、想いが、たった一人の男の手によって汚された事に対して憤りを覚えていた。

セルベリアは広場に倒れ伏した大勢の人々を見渡す。

これは私の一方的な価値観から勝手に怒りを覚えているだけだ。彼らの声を直接聞いたわけではない。だが、それでもこれだけは分かる。それは、非道なる毒ガスによって死んだことが、彼らの本望であるはずがないという事だ。

.....彼らの無念を晴らせるのは私しかいない!

 

怒りによって総身から溢れ出す蒼いオーラが強まりを見せた。

佇むエリーシャに背を向ける。

 

「.....行ってくる」

「ご武運を.....」

 

ほんの一節の会話の後に、セルベリアは要塞の門に向かって駆け出した。あっという間に毒煙の中に消えていく。

その背中を見送ったエリーシャは、

 

「......必ず生きて戻って下さいね、セルベリア様。私が死のうと幾らでも替えはおりますが、貴女を代用できる者など居ないのです。決して死んではなりません」

 

貴女だけが御主人様を救うことが出来るのですから.....

どこか寂しげな声音で紡がれた独白。誰も聞く者は居ない、死が渦巻く場所で立ち尽くす彼女は、やがて自らの職務を思い出したように動き出す。

軽くポンと両の手が打ち合わされ。

 

「さて、物思いに耽るのは良い女の条件ですが、私は出来る女でもあるので仕事に移るとしましょう」

 

改めて毒ガスが立ち込める風景を眺めて。

 

「大隊の皆さんには申し訳ないですが。本当に、この状況は私にとって好都合ですわ。彼らを助けつつ、()()を見付けるのは少々骨が折れそうですが。まあ、何とかなるでしょう......」

 

濃密な死の気配の中を、花畑でも歩く様に鼻唄を歌いながら建物の中に向かう。

 

「あら.....?」

 

入る直前、視界の端で人影が走って行くのが見えた。セルベリアと同じく、外に繋がる要塞の門に向かって行く。

この毒ガスの中を突っ切っていくと云うことは、衛生兵だろう。いったい何者だろうか?

まあ、どのみち敵ではないようだった、問題ないだろう。

そう判断したエリーシャは、いつの間にか両手に握っていた()()()()()()をメイド服に忍ばせると、建物の中へと消えていった......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十三話

霧の様に漂う毒ガスを掻き分けながら。門を通り抜け進み続ける。

まもなく視界を遮っていた邪魔な毒霧が晴れ。

そして、予想していた通りの光景が目に映った。

 

数百メートル前方で、帝国軍とガリア公国正規軍が激しい戦いを繰り広げている。

 

だが、誰の目に見ても戦況はガリア軍が優勢だった。

ガリア軍は帝国軍を中心に据え左右から攻撃を仕掛けていたのだ。

等間隔で並ぶ多数のガリア軽戦車による砲撃が、空気を震わせ、着弾の響きが平原に乱発する。

 

その様子を眺めながら「やはりこうなっていたか」と眉根を寄せた凛々しい表情でセルベリアは呟いた。

最後に城壁の上から見た光景から想像していたが、やはり敵は要塞の壁を崩した後、目標を帝国軍に変え。挟み込んだのをいい事に好き放題狙い撃ちにしているようで。ガリア軍の攻撃に抵抗する帝国軍の反撃は上手く統制が取れていない様子だ。

それもそのはず、退却しようとしていた要塞の入口は毒ガスによって封鎖され、あまりの事態に混乱した事だろう。あげく挟撃を許してしまい、もはや絶体絶命の窮地と言っても過言ではない。これではまともな指示を出す余裕もないだろう。

普通の指揮官なら匙を投げてしまっている状況だ。

しかし、目の前の帝国軍の指揮官はよほど肝が据わっているのか知らないが、徹底抗戦の構えを崩していない。白旗を上げて降伏する気配はなかった。

フッと口角をセルベリアは上げて。

 

――おもむろにヴァルキュリアの槍を右翼のガリア軍に向ける。

 

.....士気が死んでいたなら見捨てる他なかったが、これならまだ、目の前の帝国軍には助かる望みがある。

 

目標に狙いをつけて、勢いよく力を込めた。

 

「光よ......!」

 

言下に蒼い炎のオーラが揺らめき、螺旋を描き反応を見せたヴァルキュリアの槍が必殺の光を撃ち飛ばす。

一直線に放たれた光線は見事、並列陣形(へいれつじんけい)を敷いていたガリア軍の軽戦車部隊を吹き飛ばした。

 

それで終わらず、今度は左翼側のガリア軍に視線を移すと、狙いを変えて槍先を向けるセルベリア。

 

そして先程と同じ光景が繰り返される。

渾身の力を溜めた蒼き奔流が迸り、密集するガリア軍部隊が光に焼かれた。

 

遠目からでもガリア軍の混乱が良く分かる。

もはや勝利を確信して攻勢をかけていただけに、認識外からの奇襲にはさぞかし驚いた事だろう。未知の攻撃にあっさりと恐怖を宿したガリア軍の両翼部隊は攻撃の手を止める。

敵が態勢を立て直すまで、これで少しの間だけ時間は稼げる。

その間にセルベリアは前方の帝国軍と合流するつもりでいた。

 

ヴァルキュリアの槍と盾をしっかりと握りしめ、動き出そうとしたその時、背後から近づく存在に気付いた。

素早く振り返る。夥しい量の毒ガスで遮られた要塞の門が映った。

毒ガスのせいで未だ視認できながい。が、気のせいではない。耳を澄ませば確かに足音が聞こえてきた。

 

「......物好きな奴も居たものだ」

 

まさか自分の他にも要塞前の帝国軍を助けようと駆けつける者が居ようとは思わなかったので、少しだけ興味をもった。

待つこと暫し、程なくして人影は現れる。

分厚い毒ガスの膜を破って出て来たのは一人の帝国兵だった。前時代的な赤銅色の鎧兜を全身に纏った一般的な装備の他に、幾つもの道具を身に帯びている。

 

「うわっ!?」

 

待ち構えていたセルベリアに気付き驚きの声を上げる帝国兵。

......いきなりの挨拶じゃないか。

それを見て少しだけムッとするセルベリア。面妖な者に出くわしたとでも云うような驚きようにジトリと半眼になる。

と、そこで気づく。

そういえば今の私はヴァルキュリアだったな、ならば驚くのも無理はないか.....。

この状態のセルベリアを見て驚かなかった者はいないのだから。

一応納得すると、安心させる様に言った。

 

「私は帝国軍第08都市駐在師団遊撃機動大隊長セルベリア・ブレス大佐だ。今作戦における友軍の救援に向かう途上である。貴様は何者だ.....?」

「っ!?し、失礼しました!自分はガリア侵攻部隊第5師団所属カール・オザヴァルドであります!」

 

続けて「兵科は衛生支援兵、肩書きは団長補佐です大佐殿!」と云う言葉にセルベリアは成る程と頷いた。

ガリア侵攻部隊第五師団とは正に今現在、危機に瀕している前方の部隊の事だったはずだ。

 

「つまり目的は一緒というわけだな」

「はい!お供させていただきます!」

「......わかった。後方に退避せず、此処に来たと云うことは死ぬ覚悟も出来ていると云うことだろう。ならば私から言う事は何もない、時間が惜しい今、止めはしない.....」

 

そう言って前に向かって進みだすセルベリア。敬礼をしていたカールはその背を見て笑みを浮かべる。

貴重なラグナエイドを持つ衛生兵だ。後方に戻らされるかと思ったのだろう。

 

「ありがとうございます!」

 

言ってセルベリアを追いかける。

......団長、みんな、待っていてください、必ず向かいます。怪我をしていたらきっと治してみせますから。

と使命感に燃えていたカールに、前を行くセルベリアが。

 

「......やはり先に謝っておく、すまん」

 

唐突に謝罪の言葉を言って来た。いったいなんで謝られたのか全く分からず首を傾げていたカールが訊ねようとしたその時――

ドゴオオオオン!!

 

「え?」

 

被害こそなかったものの、着弾の風圧が頬を撫でてくる程度には近い。そんな距離にいきなり迫撃砲の弾頭が落ちてきた。

帝国軍を狙った流れ弾だろうか?いや、違う。よく見れば左右に展開するガリア軍の全砲門が何やらこちらを見ているような......。

鉄兜の中で顔を引き攣らせるカール。ダラダラと汗が流れてきた。

 

「な、なんだか僕たちを狙っていませんか......?二人しかいないのに何でわざわざ?」

「お前が来る少し前に私が敵の攻勢を崩した。その間に合流するつもりだったのだが、どうやら混乱を収めたようだな.....」

 

しかも攻撃を邪魔されたガリア軍はさぞかし憤慨しているのか、下手人のセルベリアに向けて、 一斉に攻撃を仕掛けてきた。

 

「死にたくなかったら死ぬ気で走れ!」

「ま、待ってくださいセルベリア大佐!?」

 

走り出すセルベリアの背を慌ててカールは追いかける。

 

野戦砲の弾が飛来した。

快晴の青い空を埋めつくさんばかりの勢いで。

あ、これは死んだ。と青年が思った瞬間――放たれた弾雨が地を叩き、舞い上がる粉塵。

爆音と振動の大合唱がカールの鼓膜を震わせた。

 

「うわあああああああ!?」

 

直ぐ傍で起きた爆風に晒されながら。カールは涙目で走る。

 

後に味方の救援に激しい弾雨の中を無傷で駆けつけた事から『鉄人』の異名を与えられる事になる若きエースの姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

死にもの狂いで走り続けた青年と終始余裕の表情を崩さなかった美女は何とか要塞前の帝国軍と合流する事に成功した。

 

そして現在。

 

ぜいぜいと疲労の表情を滲ませるカールを引き連れたセルベリアは帝国兵の男に案内を受けている最中だった。

思ってもみなかった来援に当初は酷く驚かれたものだが、衛生兵であるカールの存在を知るやいなや、その場の隊長格の男が連れて行くよう指示を出したのだ。

聞いてみたところ、どうやらこの部隊を統括する師団長が負傷したらしい。

なんでも呆れた事に団長自らが率先して前に立ち、迫り来るガリア兵と戦っていたらしく、何十人という敵を討ち続けた果てに仲間を庇い銃弾を受けたのだとか。

 

それを聞いてセルベリアは納得した。

 

恐らくは団長自らが獅子粉塵の活躍を見せていた事が部隊全体の士気高揚に繋がり、この絶望的な状況においても一歩のところで踏みとどまっていたのだろう。

しかし、代わりに指揮を副官に任せていた事で思い切った軍事行動が出来ず、亀の甲羅の如く耐え続けるしか出来なかったと云うことか。部隊の統制が上手く取れていないと感じたのはその為だ。

 

「団長が倒れてもうダメかと思ったよ、衛生兵はみんな要塞に留まらせてたから。あんた達が来てくれて助かった」

 

最初に想定されていたガリア侵攻部隊第5師団の作戦内容はあくまでガリア正規軍の進攻を寄せ付けない為の壁である。外敵を威圧するだけでよく、戦闘行為は二の次といういわば門番の様な役割を求められていた。

それでもなお敵が向かってくる場合は要塞に籠り防衛せよ、と云うのが首脳陣が描いたシナリオであり。

描いたシナリオ通りならば野戦を行う必要がないため衛生兵等は要塞に収容した傷病兵の治療を優先的に行わせていたのだ。

カールがこの部隊の一員でありながら要塞に居たのはそう云う理由があった。

だからこそ、セルベリアは思った事を口にする。

 

「師団を束ねる指揮官自らが率先して前線に立つなどと少々迂闊過ぎではないか?将が討たれれば部隊が瓦解するのは目に見えている、今回の負傷も自業自得としか言えない.....」

 

それに対して前を歩いていた案内役の男がムッとした表情になる。

 

「仕方なかったんだ、この絶望的な状況で士気を保つためにジェシカ団長は前に立って俺達を鼓舞し続けてくれた。アレがなければ俺達はとっくに終わっていたさ。それに団長は恐ろしく強い、味方を庇いさえしなければ......!」

「ジェシカ.....?それが中佐の名前か?」

「ああ、そうさ。()()()()()()()()()()。それが団長の名だ.....」

 

       ・

       ・

       ・

       ・

 

 

 

それっきり会話は途絶え、セルベリア達は歩き続ける。

 

やがて帝国軍の中心に到着したセルベリアの前に件の人物が現れた。

いや、現れたと云っても彼女は部下達に守られながら地べたに座り込んでいたのだが.....。

外見としては柔らかな金髪を肩の辺りで切り揃え、意志の強い碧眼の瞳をもった美女と表すのが妥当だろうか。

傷が痛むのか顔をしかめてその美貌には陰りがある。

本当に軍人かと思う華奢な体には将官だけが着る事を許される黒地の軍服を纏っていた。

 

ここまでが、セルベリアが彼女を見て抱いた感想である。

これまで出会って来た一般的な将校を見て覚えるものと同じ何気ないものだった。

 

だが彼女はそうでは無かったらしく。

案内役の男が紹介するセルベリアの姿を見て驚いた表情になっていた。

 

「セルベリア・ブレス!?なぜ貴女が此処に.....?」

 

どうやら相手は自分の事を知っていたらしく、自己紹介してもいないのに顔だけを見て名前を当てられた。

これにはセルベリアも少しだけ驚いた。

 

「私の事を知っているのか?」

「っ......外見などを人づてに聞いただけです、それ以上の事は知りません。ええ、貴女の過去とは全く関係ありませんから.....」

 

尋ね返すとジェシカはハッと表情を変え、フイッと視線を逸らした。

『私なにも知りませんよ?』とでも言うような素知らぬ素振りだが、あからさまに怪しい。というか嘘が下手過ぎる、何かを隠しているのは明白だった。

ジッと見詰めるがセルベリアには気まずそうにしている彼女が何を隠しているのか分からない。

問い詰めようと口を開きかけた。

――と、そこで。

 

「ジェシカ団長!怪我をしていると聞きました!直ぐに治療します!」

 

セルベリアの横を超えて前に飛び出たカールがジェシカの前で跪き、容態を確認しようとする。

そんなカールにジェシカは申し訳なさそうに言った。硝煙塗れのボロボロの鎧を見て。

 

「ありがとうカール。すみません、私が不甲斐ないばかりに、貴方に無理をさせてしまいました」

「僕の方こそ申し訳ありません。僕の任務は団長の傷を癒す事なのに、直ぐにそれが出来ず.....」

「それでも貴方はちゃんと私の元まで来てくれました、感謝します」

 

申し訳なさそうにするカールに向かってジェシカは優しく笑みを浮かべるとそう言った。

鎧兜で分からないが照れた笑みを浮かべているカールは抱えていた荷物の中からラグナエイドを取り出すと、それをジェシカの傷口に当てる。

 

「銃弾は貫通しているようなので、このままラグナエイドによる治療を開始します。少しだけ痛みを感じるかもしれませんが我慢してください。......大丈夫ですか?顔がすぐれないようですが.....」

「っ.....え、ええ。大丈夫ですカール。何も問題はありません、ありませんとも。......うぅ」

 

いや、絶対に問題はあった。

何故かジェシカはカールの持つラグナエイドを見て顔を蒼褪めさせてしまっているのだ。

白磁の様に白い肌だからより顕著に表れていて良く分かる。心配になったカールが訊ねるのも仕方ない事だろう。

まるで歯医者を嫌がる子供の様な、大人びた美貌に反したその姿に親近感めいたものを感じる。

 

なにせセルベリア自身も幼少の体験によってラグナイトの発光現象が苦手だった。

どうしても虐待染みた実験の記憶が脳裏をよぎるからだ。

 

もしかしたらジェシカにも何かしらのトラウマがあるのかもしれない。

 

目をギュッと瞑るジェシカに対して、恐る恐ると云った様子でカールはラグナエイドを使用した。

容器に閉じ込められたラグナイトの原石が発光すると、痛みが和らいでいるのか穏やかな顔になっていく。

 

それから何事もなく無事に治療は終わった。

 

ジェシカの治療が済み、周囲に控えていた兵士達から安堵の声が広がる。

 

だが、コレで一安心とはいかない。

事態は何も改善されてはいないのだ。戦闘は続いている。今もガリア軍から届けられる砲撃の音が断続的に聞こえていて。

帝国重戦車を盾に凌いでいるようだが苦戦は免れない様子だ。

全滅は時間の問題だろう。

 

「時間が惜しい。早速で悪いがこの状況を打開するべく動くとしよう」

その言葉にジェシカは表情を曇らせた。

「ですがどうすればいいのでしょうか.......。情けない事ですが私にはこの戦況を覆す策はありません」

 

......そもそも彼らをこのような窮地に追いやってしまったのは私の責任だ。彼ら第五師団の命を預かる者として自分は選択を誤ってしまった。

やはり私は隊を統べる者として失格なのだろう.....。だけど諦めることは許されない。

 

指揮官として大勢の命を束ねる重圧が彼女の肩に圧し掛かる。そのプレッシャーは計り知れない。

だが彼女はもう一度立ち上がらなければならない。それが指揮する者の義務なのだから。

 

足に力を込めて立ち上がろうとする。

震える彼女の肩に―――ポンと手が置かれた。

ゆっくりと振り返るジェシカの目に、不敵な笑みを浮かべるセルベリアが映る。

そして.....。

 

「大丈夫だ、後は任せてくれ。必ずこの戦いを勝利に導いてやる」

 

たったそれだけで、もう大丈夫なのだと。

鉛の様に重い責任という枷から心が解放される。張り詰めていた緊張の糸が解けていくのを感じた。

......まさか貴方に助けられるなんて、運命とは何て皮肉なのでしょうか。

複雑な心境を表情に滲ませたジェシカは。

それでも、皆を助けてくれるなら.....。

 

「........貴方に私の命と部下の命を託します。だからどうか力を借してください!」

「――そのために私はここに来た」

 

力強くセルベリアは頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「フハハハハ!この戦い儂らの勝ちじゃな!」

 

双眼鏡を構えて遥か前方を眺めるその男――ゲオルグ・ダモンは勝利を確信していた。

三千の正規軍と要塞から撤退したダモンは直ぐさま平原に待機させておいた主力部隊と合流し、時期を見計らっていた。

そして、要塞が完全に制圧され、要塞前に帝国軍が現れたのを見て、ようやく重い腰を上げたダモンは作戦を開始。両翼の部隊を前進させる。

 

事を仕損じぬよう大量に投入した戦車部隊は要塞前に近づくと、帝国軍を包囲すると見せかけて、仕掛けを施していた要塞の壁に向けて全砲撃を放つ。

 

描いていた作戦は見事成功を収め、流体ラグナイトガスは要塞に飛び散り。多くの敵が死んだことだろう。

その中にガリア人が居た事はダモンにとって重要ではない。

 

そして、壁を破壊した両翼の部隊は流れるように次の作戦に移った。

逃げ場を失った帝国軍の駆逐である。非情なダモンらしい作戦であった。

一斉に放たれるガリア軽戦車の砲撃は籠の鳥である帝国軍を襲い。ダメ押しにガリア兵を差し向わせた。

 

兵力・地の利共にガリア軍が圧倒的に勝っているのは、もはや明白である。

その光景は安全な中央の部隊の中で観戦していたダモンに勝利を確信させるには十分であった。

 

「大成功じゃ!全ての作戦は完遂され!要塞の敵も全滅し、もはや儂の邪魔をする者は何処にもおらん!帝国軍め儂の力を思い知ったか、ガハハハハハ!!」

上機嫌なダモンに水を差す声がポツリと紡がれた。

「.....閣下は本当に陸戦条約で禁じられている毒ガス兵器を使用したのですか.....な、なんてことだ.....!」

 

高らかに笑い声を上げるダモンの横に立つのは副官のハインツ。

未だ現実を受け入れられない彼は信じられない様子で震わせた口から言葉を漏らした。その声音にはダモンに対する不信感がありありと込められていた。

 

反感の声を聞いたダモンは興を削がれたとでも言うように肥えた顔を歪めると、()()()()副官の言葉を正すために口を開いた。

 

「先ほどちゃんと教えてやったであろうが?今回毒ガス兵器が使われたのは事故であると。良いか?流体ラグナイトガスを貯蔵していた要塞の壁に砲弾が直撃してしまったのは防ぐことの出来ない不可抗力であった、なんせギルランダイオ要塞を奪還する為の必死の一戦だったのじゃからのう。ここを抜かれてはガリア公国存亡の危機となる。故に今回の様な誤りが起きてしまったとしても仕方のない事だったのじゃよ」

 

勿論それは明らかな嘘である。

ダモンは確かに毒ガスの有無を知っておきながら、ガリア軽戦車部隊に要塞の壁を撃たせた。

事実、ギルランダイオ要塞から逃げる際にはその作戦内容を自信満々に言ってのけたのだから。

つまり、今さらダモンが言っている言葉の意味は、陸戦条約を違反した責任を逃れる為の建前でしかない。

 

流体ラグナイトガスが漏れだしたのはあくまで事故であり、意図的なモノではないと、つまりはそういうことである。それが真実であると副官にも事実確認の強要を行った。

 

ダメ押しするようにダモンは言った。

 

「よいな?我が軍が毒ガスを行使した事実はなかった。あるのは痛ましい悲劇だけじゃ、そもそも帝国軍が攻めてこなければこんな事にはならなかったのじゃからな、儂らは何も悪くはない。その事を肝に銘じておけい」

ガリア公国軍最高司令長官の言葉を前に、一介の副官が反論できるはずもなく。

「......はい、ガリア軍に毒ガスを使用した事実は.....ありませんでした......っ!」

「それで良いのだ、フワッハッハッハ!」

「――――将軍閣下」

 

またもや顔をしかめる位の大声で笑いだすダモンに、前方を見据えていたもう一人の副官が声を上げた。要塞後部において避難するダモン達を出迎えた男だ。その表情には少しだけ焦りがある。

 

「戦場の様子を見て下さい。何やら帝国軍の動きに変化が起きている様です」

「なんじゃと.....?」

 

もはや勝利は確定しているこの状況で何を焦っているのだ.....。

訝しんでいる様子のダモンは面倒そうに手元の双眼鏡を覗いて、遥か前方の戦場を視界に映す。

そこでは確かに副官の言った通り、帝国軍がおかしな行動をとっていた。

 

それまでは挟撃する自軍の猛攻撃に敵は亀の甲羅の如く防戦一方だった。その敵が今やこちらに向かって前進を開始しているではないか。

しかしそれを見て、ダモンはふんと鼻を鳴らした。

 

「自殺行為でしかない、どうやらただの悪あがきのようじゃな。最後に儂らと一戦を交わし、華々しく散ろうとでも言うのじゃろうて。それよりも突出した左翼と右翼の部隊は何をしておるのか、簡単に抜け出されおって」

「閣下、後方に退避するべきかと」

 

副官が心配するのはもっともで、観戦目的のダモンは何を考えたか最前列に居るからだ。

挟み込むガリア軍の間から抜け出た帝国軍はグングンと速度を上げて、ダモンの居る本隊に向けて(せま)ってくる。

このままでは真っ先にダモンの居る部隊が眼前の帝国軍と接触してしまうだろう。

それでもダモンは焦りを見せず。

 

「なに、心配するでない。儂自ら指揮を執ってやる。五千の部隊を前に出し帝国軍の足を止めよ」

 

ただそれだけでいい。それ以上の指示は必要ない。ダモンはそう考えた。

ダモン旗下の部隊を、こちらに向かい迫る帝国軍の前方に置き。

前進する帝国軍を追いかける形の右翼と左翼のガリア軍を利用して包囲する事が狙いだ。

合わせて三万もの兵力からなる包囲殲滅を行い、今度こそ帝国軍は全滅を余儀なくされるだろう。

 

はたして指示通りダモン直轄のガリア正規軍が前進を始める。

横一列に並ぶ八十輌もの軽戦車が、ヴィイイイイン――とラジエーター特有の音を響かせながら前に進み、

その後ろを五千からなる兵士が追従する。

そして、前進する帝国軍の進路上に立ち塞がった。

その光景にダモンはにんまりと笑みを溢し。

 

「これで完全に帝国軍の詰み、儂の勝利じゃ。ガハハハハハ!」

 

後は帝国軍を本隊で抑え込んでいる間に、右翼と左翼の到着を待てば自然と包囲陣は完成する。

勝利はあと一歩の所まで来ていた。

ガリア正規軍と帝国軍が接触しようとする。まさにその時、

 

―――ダモンの視界を一条の蒼き閃光が走る。

 

「は......?」

 

押し寄せる帝国軍の先頭から、突然不可思議な色の光が瞬いたかと思ったら、視界の先で軽戦車の装甲が吹き飛んだのだ。爆発の威力は凄まじく。驚く事に衝撃の余波でまとめて数輌もの戦車が宙を舞った。

呆然とその様子を眺め.....。

 

「.......なんじゃとお!?」

 

我に返った瞬間ダモンは叫んでいた。

何が起きたのか理解できない光景に、驚愕を露わにする。

いったい何が起こったのだ.....?

ポカンと口を開けて呆気に囚われている中、またもや光線が放たれた。立ち塞がっていた部隊が光に吞み込まれていくのをダモンは黙って見ている事しか出来ず。

後に残るは高熱で焼き切られた鉄の残骸と焦げた大地に崩れ去る無数の灰塵。

恐怖と怒声が平原に響き渡る。

そして――

混乱に包まれるガリア正規軍に対して、帝国軍は待ってはくれない。それどころか受けた痛みを倍返そうと、怒気を露わに前進していた帝国軍が、遂に衝突する。

 

瞬間――鉛弾(なまりだま)の嵐が降り注ぎ、膨大な死が量産された。銃弾に撃たれ、砲弾を浴び――兵士の血しぶきが舞う。

戦場は一気に混沌と化し、平原に流血と硝煙の臭いが立ち込める。

 

「なんだ、なんなのだこれは.......!?」

 

勝利に彩られていた輝かしい光景はそこになく、あるのは鮮血と死に溢れたおぞましい戦場だ。

 

正規軍が倒されていくのを呆然とした様子で見ていたダモンは、これは悪い夢だと錯覚を覚えた。

 

......勝っていたのだぞ、一瞬前までは確かに儂の勝利がそこにあったのだ!

それがどうだ。今や帝国軍の勢いは収まる事を知らず。抑え役であった正規軍は鎧軸一触が如きやられ様で敵の進攻を許す始末。

このままでは両翼の部隊が敵の後背を突く前に、本隊は壊滅するであろう。

 

「いかん!いかんぞー!誰でもいい敵の進攻を食い止めよ!」

 

必死に叫ぶが、もはやどうにもならない。周りの副官達も戸惑いの表情で顔を見合わせるのみ。

ダモンの叫び声だけが空しく響いた。

 

と、その時――横に配置していた軽戦車の一つに光線が直撃した。蒼い光をともなって爆発を引き起こす。

 

「ヌオオオオオオ!!?いったい何なのだこの光は!?どこから.....!」

 

爆風に髭をなびかせながら慌てて双眼鏡を覗き見る。

拡大する視線の先に、一人の女を捉えた。

浮世離れした絶世の美女が、その手に奇妙な槍を構え、帝国重戦車の上に立っている。どうやらあの女こそが光の正体であるらしく。幾度も渦巻く槍の先より蒼き光の奔流を迸らせている、その度に戦場からガリア公国の誇る戦車や兵士が消えていった。

その光景から目を離せないでいたダモンはある事に気づく。

 

眼前の敵を槍の力で一掃しながらも、

女は誰かを探すように戦場を見渡していて.....。

 

やがて女の紅い瞳がダモンの視線と交差する――

 

途端に心臓を鷲掴みにされたような気分になる。まるで首筋に剣刃を突きつけられたような、血の気が引く思いのダモンは慌てて双眼鏡から目を外す。気づけば恐怖で口を開いていた。

 

「て、撤退する!早くここから逃げるのだ!!全軍撤退-----!!」

 

言うや否やダモンは脂肪の詰まった体を揺すりながら急いで停めていた車両に搭乗する。

ここに居たら助からないと、あの女の目を見た瞬間に直感したのだ。

 

獣の勘とでも言うのか、その判断は正しかった。

 

もし仮に逃げようとせず、呆然自失と其処に突っ立っていたら、間違いなくダモンは捕虜にされていただろう。

 

現にセルベリアの姿は既に重戦車の上になく。

 

ガリア兵を薙ぎ払いながら、猛然と戦場を突き進んでいるからだ。

 

あの肥えた男――ダモンを視認した瞬間セルベリアは飛ぶが如く走り出していた。

 

その進攻を阻むガリア兵を、紙を裂く様に容易く薙ぎ払っていき、瞬く間に最後尾を抜け出すと....。

 

五分と経たずダモンが立っていた場所に到達した。

しかし、その時にはダモンの乗った乗用車の姿は遥か遠くに在り。周囲は正規軍で固められている。

ダモンは這々の体で戦場から逃げ出したのだ。

 

 

そして、この瞬間をもって、ギルランダイオ要塞を巡る戦いは、終息に向かっていった.......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十四話

嶮しい山脈の合間から昇る朝日が、煌々と地上を照らしてゆき、新しい一日の始まりを告げる。

 

熾烈を極めたギルランダイオ要塞攻略戦が帝国の勝利に終わってから、

早くも三日が経とうとしていた。

 

その間に起きた事を話そう。

 

ダモン最高司令長官が率いるガリア公国正規軍が完全に撤退した事を確認した帝国軍は、まず始めに毒ガスで満ちた要塞の除染作業を行った。

ガリア方面軍に従事していた衛生兵ほぼ全てを駆りだして行われたソレは、その日の内から開始されるも、あっという間に日を跨ぎ、夜になる頃ようやく終わった。

といっても防衛上必要な優先度の高い区画だけを先に除染しただけで、未だ多くの区画が立ち入り禁止となっていた。除染されたのは主に司令部などの建物内と云った所だ。

勿論の事だが壁に仕込まれていた毒ガスの発生源は最優先で処理されている。

そのおかげで、ほぼ一日を要塞前で待機させられていた私を含めたガリア侵攻部隊第5師団が要塞内に収容されたのは日が頭上に差す昼頃だった。

 

その時に思いがけぬ再会を果たす事が出来た。

私の部下である遊撃機動大隊の面々との邂逅だ。

正直絶望視していた部隊の全滅、だが驚く事にその多くが五体満足で生き永らえていた。

詳しく聞くところによると、私の命令で要塞内の不審物を探す為に散っていた彼らは毒ガスが発生した事を逸早く察知した。各自の判断で退避を始め、その多くはなんと尖塔に逃げ込む事で毒ガスの被害から逃れる事に成功したらしい。

流体ラグナイトガスが空気よりも重かったのが幸いし、塔の上まで毒ガスが立ち込める事は無かったのだ。

その事を知る由もないが、彼らは南方戦線を知る豊富な経験から得た研ぎ澄まされた嗅覚で、正解を導くことが出来たのだろう。

しかし、所謂ベテラン勢は迅速かつ的確な判断から生き延びる事に成功したが、その経験のない新兵達は建物内に取り残され。あわやこれまでかと云う状況にまで追い込まれた。

 

その時だ――立ち込める毒煙の中より奇怪な者達が現れたのは。

まるでこの状況を想定していたかのようにガスマスクを被った黒装束達がその手に持つラグナエイドでもって、息も絶え絶えな兵士達を治療して回ったのだとか。

その姿から死の神であるオーディンの使いがやって来たのかと誤解した者も少なくはなく、生き延びた者達の間では笑い話になっているそうだ。

彼ら黒装束の働きは目を瞠るものだった。おかげで多くの部下たちが彼らに救われた。

 

.......それでも彼らは全知全能の神たるオーディンの使いではない。助けられなかった者達も大勢存在する。

 

実に百余名もの遊撃機動大隊兵員が、ついぞ私の元に戻って来る事は無かった。

それに、いまだ二百名近い者達が傷病兵として治療を受けている。

 

今回の攻略戦は私達、遊撃機動大隊に想像以上の傷を残す結果となった。

.......だからこそ、私は彼らの死を無駄にはしたくない。

 

その思いから私は、ある苛烈な戦いに身を投じていた。

 

すなわち、異様な熱気のこもる要塞の一室にて鉄の得物を振るい.......。

 

 

 

 

 

「待たせたなお前達!わざわざ私自らの手で用意してやったのだ、残すようなことはないと思うが。もし肉の一片でも残してみろ、お前達の母親に代わって私が一から教育してやる!時間は有限だ!十分で作戦を完了し、次の者に代われ、良いな!!」

 

「了解であります!大佐殿!!」

 

「それでは―――グーテンアペティート(召し上がれ)!!」

 

マールツアイト(いただきます)!」

 

 

 

......私は兵士達に料理を振る舞っていた。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

「っ!?う、美味い!なんだこれは!?こんな料理食べた事がない!香辛料の辛味が効いてて手が止まらん、乾パンとの相性も抜群だ!なんてやみつきになる美味さなんだっ!」

 

初めて見る料理に戸惑いの表情だった兵士達が、恐る恐るスプーンに掬い口に入れた瞬間、目を見開く。各種香辛料の炸裂弾の如き香りが広がると共に極上の味わいが口の中で爆発した。嬉しい悲鳴が食堂内のあちこちで上がる。

 

「ふっふっふ.....」

 

その様子を満足気に見ていた私はやがて厨房の中に入っていく。

 

ごく最近ギルランダイオ要塞は近代化を果たした事もあり、台所は整えられた最新式のものである。俗に云うアイランドキッチンと言うやつだ。要塞に常駐する大勢の人間に一度で多くの料理を提供できるよう想定された、十個もあるラグナイトコンロの上に置かれた大きな寸胴鍋。

 

私はそんな数ある鍋の一つにお玉を入れて、かき混ぜる。

ドロリとした濃厚な褐色のスープの味を整える私の後ろでエプロンを着た(無論私も着ている)

料理人風の兵士が感嘆の声を上げた。

 

「ウチの実家は定食屋を営んでいるのですが、こんな画期的な料理は初めて見ました。“かれー”と言うのでしたか?素晴らしいメニューですねコレは、帝国軍隊式料理の長い歴史から見て、まさにこれは革新的と言っても過言ではないでしょう....!」

 

お世辞ではない。兵士の言ったようにこの料理は正に独創性と画期的さに溢れていた。

まず注目すべきは調理の容易さと味の良さにある。

切り揃えた食材を沸騰する鍋に投下するだけで良いのだ。後は各種香辛料を入れて味を整えるだけ。何と素晴らしい事だろう。これまでの軍隊料理は穀物のクラッカーや豆とひき肉のカーシャが一般的だった。味に工夫はされず食えれば良いと云う認識である。端的に言えばマズイ。味の良い料理は贅沢であり、贅沢は堕落だと考えられる、帝国軍人には唾棄すべき必要ないものと云うのが軍隊料理の一般的な常識だったからだ。そのため料理は不味い方が美徳とされてきた。

だがそれは方便に過ぎない。

軍隊という特性として仕方ない事だが基本的に軍は大飯食らいだ。人が多ければその分の必要な糧食は増える。しかも世界に君臨する大帝国ともなれば、その数は膨大だ。一千万を超える兵士達の腹を満たす為に少なくない国家予算が削られる。激化する戦争の最中、消費される食費は年々上昇傾向にある。

故に帝国上層部は圧迫する軍の食糧問題の負担を軽減しようと考えた。

議論の果てに出された案は色々ある。その一つが食材の水増しである。肉や野菜を水に浸し体積を倍にすると云うとんでもないものだ。体に異常が出ない程度の一定量さえ越えなければ、水増しが許された。

当然そんな食材で料理を作れば味は素っ気ないものとなる。まさしく『食えれば良い理論』だ。

そんな環境なので兵士達が不満を言わないよう、軍隊では不味い料理こそ至上である。と、さも厳格なルールがある様な形で取り繕っていた。

 

そんな環境の中に突如として現れたカレーという名の救世主。

質の悪い食材も香辛料のスパイスによって緩和され、味も美味い。しかも軍の思惑通り水を入れてたらふく食べれる量を作れる。駄目押しとばかりに香辛料を大量に使うから日持ちする。正に帝国軍にうってつけの料理だった。

 

そんな料理を作り出した絶世の美女に尊敬の念が集まるのは当然の事である。

 

「本当に大佐殿には救われました!感謝します.....うぅっ!」

「泣く事はないだろう。まあ、かなり危機的な状況であったのは確かだが......」

 

むせび泣く料理長を務める兵士の男にセルベリアは苦笑する。

 

そう、ガリア方面軍は食糧問題において危機的な状況に瀕していた。

その原因は後方の兵站にあった。

本土である帝国領から糧食を運んでくる任務を受け持つ補給部隊が国境付近で滞っていたのだ。

嶮しい山脈で遭難したのか迷っているのか、詳しい事情は不明だが、事実、後方からの補給には遅れが生じていた。

要塞には十万近い人間が収容されている。食糧が届かない事は死活問題に直結する。

当初はガリア軍が備蓄しているであろう要塞の食糧を使って難を凌ごうと考えられた。

だが、食糧庫の戸を開けた兵士の目に映ったのは、中には何も入っていない伽藍洞の光景だった。小麦の一粒さえ残さず、ガリア軍は食糧の全てを持ち出したのだ。

因みにだが、この持ち出しを指示したのは誰あろうゲオルグ・ダモンであった。

毒ガス兵器を使用する考えだった彼は、初めから要塞を放棄するつもりだった。なので要塞に訪れた時点でダモンは、みすみす帝国軍に食糧を譲るなど言語道断であるとし、食糧庫から全ての食材を外に運び出していた。

わざわざそんな事を行わせたのは貪欲な食に対する執念をもつダモンだからこその事例とも言える。

 

そんな事を知る由もない帝国軍は困り果てた。

なんせ最低限運んで来ていた補給では五日しか持たないのだ。次の補給が届けられるまで一週間は掛かるだろう。明らかに食糧が底を尽きる方が早い。期日まで限られた食材を保たせるのは困難を極めた。

しかし失敗は許されない。ガリア侵攻方面軍に関わる全ての者の命が掛かっていると云っても過言ではないのだ。

 

その責任の重さを突きつけられた料理長の絶望はどれほどだったろうか。

 

そんな時だ。要塞に探りを入れていたセルベリアの耳に、その情報が入ったのは。

 

それならばと、セルベリアは首を吊る勢いで顔を暗くしていた料理長に『カレー』の作り方を教えてやった。

あれならば限られた食材でも量を確保することが出来る。何より味も良い。

さっそく料理長に教えてやり、昨夜から提供され始めたカレーは兵士達にも(おおむ)ね好評のようだ。

 

プロにも負けない眼力で鍋の中のカレーを見詰めていたセルベリアは頷き。

 

「よし。あとはこのスープを切らさないよう、随時水とこの香辛料(スパイス)とカレー粉を投入して味を整えつつ貯めれば問題ないだろう。この料理は日を経つごとに味が深まる、絶対に切らせるな」

「それは楽しみですな」

「だが逆にあまり日を持たせすぎるのも危険だ、食中毒の温床になるからな、よく気をつけてくれ」

「かしこまりました!」

 

ビシリと綺麗な敬礼をセルベリアに向けるむくつけき男達。そこは流石に帝国兵だけの事はある。料理人といってもあくまで料理の技能を持った兵士である事には変わりないのだ。

彼らはもはや目の前の上官に対して心酔していた。料理人としても兵士としても。

なんせ冗談抜きでガリア方面軍の危機を救ってもらった命の恩人なのだから。それだけで彼らが無二の忠誠を誓うに足る理由になるだろう。おまけに美女だ。いや、むしろそれが重要だ。

 

色々と熱い視線を背中に注がれている事に、無頓着なセルベリアは全く気が付かない様子で、何やら対面の白紙の上にペンを走らせている。

直ぐに書き終わると料理長に紙を見せる。

 

「各種香辛料の配合をまとめたカレーのレシピだ」

「よ、よろしいのですか!?このような大事なレシピを見せていただいても!」

 

実家が定食屋を営み、自身もプロの料理人である料理長兼兵士は驚いた表情で言った。

料理人にとってレシピとは命の次に大事なものだ。それをこうも簡単に教えてもらってもいいのだろうか?と云うのが彼の本心だ。

 

「問題ない。元はラインハルト様が考案した料理で私のものではないし、殿下もこのレシピは広く世間に広まってほしいようだ。この機会にカレーの布教をしておくのもやぶさかではない」

 

何てことを言っているが、内心では自分とラインハルトだけの繋がりだった料理が他の者にも伝えられると云うのは、少しだけ惜しいと残念な気持ちがあるのは御愛嬌だ。

 

「......それよりも、聞きたい事があるのだがいいだろうか?」

と、そこでセルベリアの雰囲気が僅かに変わった気がした。

「はい!何でも聞いてください!」

心酔する料理長は気づかない。

セルベリアは何気ない様子で言った。

 

「マクシミリアン殿下の食事はどうなっているのかな?今の時間に食事を持っていくのか?」

 

その言葉に得心が云ったと頷き、料理長は笑って言った。

 

「ああ、その事ですか。食事は後で自分が作って持っていく手筈になっています。今は会議中ですので」

セルベリアの瞳に興味の色が映り、鋭さを見せる。

「ほう、今は会議なのか。と云うことは、今は司令室には居ないのか」

「はいそうです。........あ、この事は御内密にお願いします。一応機密なので」

それに対してセルベリアは安心させる様にふわりと笑みを溢す。

「もちろんだ。この事は私と貴様の秘密だな....」

「あ、ありがとうございます.....あはは」

 

艶やかに微笑むセルベリアを見て、顔を赤らめる料理長は照れたように笑う。完全にセルベリアの美貌に参っていた。自分が何の情報を溢してしまったのか、気にする余裕もないほどに......。

 

セルベリアはひらりとレシピを置いて、

 

「それでは料理の仕込みも終わった事だし、私はこれで行くとしよう、他にも用事があるのでな。レシピはここに置いていく。好きに使ってくれてかまわない」

「ありがとうございます!この料理は自分だけの物にせず、帝国軍全体に広めたいと思います!」

 

しっかりと両手にレシピを掴む赤ら顔の料理長は去りゆくセルベリアの背中にそう誓いの言葉を発したのだった。

 

 

 

 

 

 

........。

 

 

 

 

 

これは余談だが.....。これを機に料理長を発端として帝国軍では、後の世にまで愛される、

『帝国陸軍カレー』が誕生する事となる。それは高い人気を誇り、いずれは民衆にまで広く浸透していく事になる。

五十年後には帝国を代表する国民料理の一つになる程で。

レシピを書いた紙が、戦後、帝国軍史博物館に展示される事になるとは、レシピを残した当の本人ですら知る由はなかった。

 

 

.................

 

 

 

..........

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

何気なく歴史に残る偉業を成し遂げたセルベリアは食堂を出て直ぐの廊下を歩き出す。

 

とある目的を成し遂げるために。

 

その目的とは、ガリア進攻方面軍最高司令官マクシミリアン・フォン・レギンレイヴの内情を探る事にある。

彼がなぜガリア進攻に乗り出したのか、その真意を知るためにセルベリアは動いていた。

 

部下の死を無駄にしないため出来る事をやろうと決めたのだ。

 

兵士達の料理を作ったのも、その一つだ。

どういうことかと云うと、情報収集を行うには標的であるマクシミリアン皇太子の動きを知る必要がある。つまり要塞内でどのような行動で日程を進めていくのかというスケジュールを知りたかった。

そのためには、彼の行動を知る部下に聞くのが一番だと考え、狙いを料理長に絞った。結果は成功と言っても良いだろう。

 

料理長の言葉が真実ならマクシミリアン殿下は司令室に居ない事が確定した。動くなら今しかない。

 

要塞司令室にほど近い通路の辺りまでやって来た。半身になって壁から顔を覗かせると、司令官室の扉が映る。

 

前司令官ゲオルグ・ダモンの部屋であった其処は、除染作業が終わると途端に部屋の中をひっくり返され、機密情報の有無を調べられたそうだ。

そして、今ではマクシミリアン殿下の私室に使われているという。

もしかすると何らかの情報が持ち込まれている可能性は高い。調べる価値はある。

 

しかし、司令室の扉前には衛兵がきっちりと立っていた。予想通りとはいえ邪魔な存在である事には変わりない。

 

「どうするか.....ここはやはりあいつに伝えるべきか」

 

あいつとはメイド女の事だ、普通であればあの女に伝えるのが一番良いのだろうが、セルベリアはあまり乗り気ではなかった。

というのも.......。

 

「.......あの女は殿下にいったいどんなお願いをする気なんだ?もしかすると殿下に不埒な願いを乞うかもしれない。だとしたら私が奴の任務を代わりに完遂してあいつの邪な願いを阻止するべきでは........!」

 

悩む理由はこの一点につきた。

この任務を終えた暁には殿下から褒美を与えられる。何でもお願いを聞いてもらえるという極上の褒美を。

出陣前に殿下自身の口からその権利を与えられたのだ。

だがそれはセルベリアだけでなく、エリーシャも有している。

......あの女のことだいったい何をお願いするのか分かったものではない。

それを阻止するためにセルベリアは動いていた。本当の目的はそれだ。

 

部下を助けてもらった恩があるとはいえ、こればかりは聞けない。

なんせこれは戦争なのだ。愛という名の苛烈なる戦い。

決して負けるわけにはいかなかった。

 

ラインハルトに言われた命令はギルランダイオ要塞攻めに加担し功績を上げる事。

既にこの任務が無事に達成している以上、セルベリアはラインハルトにどんなお願いでも聞いてもらえる事になっている。

 

「ふふ.....」

 

その事を考えるとどうしても頬が緩むのを止める事が出来ない。

こんな時に不謹慎だと思うがこればかりはどうにもならないのだ。

抑えようにも喜びの感情が溢れて仕方なかった。

正直、傍から見たら怪しい事この上ない状況だ。

 

「......っ、いけない。今は任務に専念しなければ.....」

 

いかんいかんと首を振ってどうにか煩悩を振り払う。

 

そして気づいた。

にわかに顔色の変わったセルベリアは心中で愚痴る。

........邪な思いで戦場に立つ者は長生きしないと知っていただろうに、馬鹿か私は。

ふうっと息を吐き自らを戒めるセルベリア。

 

邪念とは怖いものだ。

なんせ、背後に潜む気配に今の今まで気が付けなかったのだから......。

 

自然を装ってチラリと後ろを盗み見る。隠れて確認は出来ないが、やはり居る。神経を集中させれば、十字路の壁の奥でこちらを窺っている何者かの存在が手に取るように分かった。

 

......何者かは分からないがマクシミリアン殿下の手勢と考えるべきだろう。

チッと舌を打ち、小さく呟いた。

 

「ぬかったな.....」

 

それは自らに対しての言葉だ。やはり自分はまだまだ未熟だ。と恥じ入る意味が込められている。

窺っている者から見て、自分がいかに不審な行動を取っているかを考えれば、これ以上の作戦続行は危険だろう。

 

無理をすれば最悪あの女の邪魔になりかねないな......。

 

慣れない事をするべきではないと思うが後の祭りである。

今回の情報収集が上手くいけばあの女がラインハルト殿下に願い事をするのを阻止できるのではないかと考えたのがいけなかった。

恋は盲目であるという有名な言葉を痛感していたセルベリアの視線に、

ふと、並んで女中達が進んでくるのが見えた。

 

いわゆる従軍女官と呼ばれる存在だ。

帝国軍に務める貴族の身の周りの世話などをしたりする彼女達は、他にも兵士の衣服を洗濯したり、掃除をしたりと様々な仕事を行う。

よほど忙しいのか額に汗をして、しかも小走りで廊下を歩いて、セルベリアの方に向かって来る。

 

毒ガスが要塞にまき散らされたと云うのは周知の事実だが。

それによって要塞に勤務していたほぼ全てのガリア人非戦闘員が、毒ガスで死んでいる。

当初の帝国軍としては彼らに被害を与える様なことはせず、逆に雇用することで要塞の維持に務めようとすら考えていた。どうしても軍だけで要塞を維持するのは限界があるからだ。

もちろんやらせる事と云っても簡単な業務だけで、厳戒な監視態勢の下に行われるだろう。

 

その計画も彼ら全員が死んだことによって頓挫したわけだが。

 

まあ、そういう事もあり人手が足りていないのが現状だ。

 

忙しそうにしているのも、恐らくそういった事のしわ寄せが彼女達に降りかかっている為だろう。

 

だからこそ、その女を呼び止めるのに、少しだけ罪悪感を覚えてしまう。

 

思わず、

そちらの仕事を続けさせるべきだろうか......?

 

と悩んでいる間に女官達が私の横を抜けて行く。意を決して口を開いた。

振り向きざまに、

 

「.......そこの君、ちょっといいだろうか。少し聞きたい事があるんだが」

「はい、なんでしょうか?」

 

呼び止めに立ち止まるのは一人の女官。

ゆっくりと振り返る。

 

――女官の格好をした黒髪の女はセルベリアに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 



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三十五話

ギルランダイオ要塞の司令官室にほど近い廊下にて。

セルベリアの問いかけに立ち止まった、艶やかな黒髪の女官に、前を行く同僚の女官が声を掛ける。

 

「エリー、私達は先に行くわよ?」

「はい、先輩方。私も後から向かいますので先に行ってくださいな」

「分かったわ、出来るだけ早く戻って来るのよ?ただでさえ人手が少ないんだから」

 

女官の二人はそう言うと、忙しそうにまた小走りで廊下を歩いて行った。

柔らかな笑顔で応対していたエリーと言うらしい黒髪の女官は、彼女らの背中を見送るとようやくこちらを向いた。柔らかだった雰囲気が途端に鋭利なモノに変わる。

 

「――それで、何用でしょうか、セルベリア様?」

 

女官用(エリー)の演技を脱ぎ去ったエリーシャ・ヴァレンタインは静かにそう言った。

この三日間どこに消えたのかと思っていたら、早々に女官として要塞内に紛れ込んでいたらしい。

普通であれば難しいはずの女官としての潜入を難なく行えているのは、彼女固有の高い技能あっての事だ。

なんせ普段は城で働く百人もの使用人たちを統括する侍女長として働いているのだ、これくらい朝飯前ということなのだろう。

セルベリアは声を抑えて言った。

 

「殿下より与えられた任務で動いているのだろう?私が得た有益な情報を提供しようと思ってな」

「私に協力してくれるのですか......?」

 

意外そうに目を瞬かせるエリーシャ。

『あのセルベリア様が?....信じられませんねえ』とでも云う内心が見え隠れしていた。

そんな反応を見せられるとは思っていなかったセルベリアは戸惑いの表情になる。

 

「な、なんだ。私も情報を探っていたのがそんなに意外か?」

「いえ、その情報を私に素直に伝えようとするのが意外なのです。セルベリア様のことですから、てっきり私の任務を代わりに成功させて、ご主人様から与えられる褒美を横取りしようとするぐらいはすると思っていたので」

「お前の中の私はそんな奴なのか!?そ、そんな事するはずが.....」

 

『ないだろうが!』と言いかけて口を閉ざす。

あんまりな信用の低さに驚いて弁解しようと口を開くが、実際、的外れではない事に気づき。言葉尻が下がったのだ。

先程までエリーシャの代わりに任務を達成して殿下の願いを独占しようと、その考えだったセルベリアは視線を泳がせた。動揺から冷や汗が滲む。

それを見詰めるエリーシャは、クスリと笑い。

 

「嘘が下手ですわね」

 

と、まるでお見通しですとばかりに口元に手を翳して笑みを浮かべている。

一瞬でこちらの内心を察したのだろう。

......私の完璧な虚偽を見抜くとは、恐ろしい女だ。

 

「そんな事よりだっ。今、マクシミリアン殿下達は何らかの会議を行っているようだ、司令官室には居ない可能性が高く。もし忍び込むつもりなら絶好の機会だぞ」

 

羞恥から頬を赤くさせたセルベリアは誤魔化すようにそう言った。

するとからかいの笑みを変えエリーシャは興味深げに頷き。

 

「やはりそうですか。情報を規制していたようなので、そうではないかと思っていました」

 

流石と言うべきか女官に扮している中、その情報を得たのだろう。既に知っていた様子のエリーシャが続けて気になることを呟いた。

 

「昨夜の内から慌ただしくなっていたので恐らく会議が始まったのはその時でしょう。何か動きがあったのかもしれません」

「それはガリア軍でか?」

「あるいは本国で.....ということもありえるでしょうね」

 

何やら思案気に呟くエリーシャの言葉に、良く分からないセルベリアは首を傾げて。

 

「大丈夫なのか?私にできる事があれば言ってくれ手伝おう」

「ありがとうございます、ですが心配せずともお任せください、セルベリア様が体を張ってもたらしてくれた情報の御蔭で決心がつきました、何の問題もありません」

 

自負の込められた表情で淡々と告げる。

彼女が何者であるかを知るセルベリアとしてはこれ以上とやかく言うつもりはない。どのような手を使うか知らないがきっと上手くやってくれるだろう。

なんせあの御方が信頼を置くほどなのだから。

と、納得していると何やらエリーシャがこちらを物憂げな目で見詰めているのに気付く。

 

......どうしたのだろうか?と不思議に思っていると。

何故かセルベリアの豊満な肉体を見ながら、さも悲しげに首を振った。やや芝居がかった様子なのが気になる。

 

「それにしても、確かにセルベリア様の御体であれば、男どもより情報を調べ上げることなど容易き事でしょうが。よもやセルベリア様にそのような事をさせてしまうとは」

 

このエリーシャ一生の不覚です。と何やら良く分からない事を言いだす始末。

 

「ですが気にする事はありません。犬に噛まれた様なものです、それでも最初は引きずるかもしれませんが時間が洗い流してくれるでしょう.....」

 

まるでナンパ男に騙されて処女を散らされた女友達を励ます様な目で見てくるエリーシャにここでようやく誤解を受けている事に気づく。

 

「待て、いったい何を勘違いしている!?」

「大丈夫です、誤魔化さずとも。私は貴女の味方ですからね」

「だから勘違いだと言っているだろうがっ、私が色仕掛けで男を篭絡したとでも思っているのか!?」

「違うのですか?」

「当たり前だろうっ」

 

羞恥とは別の感情で顔を赤くさせたセルベリアは激昂する。

 

「情婦の様にそこらの男に対して簡単に股を開く女とでも思っていたのかお前は」

もしそうなら心外だとでも言うように睨みつける。

対して、

「それもそうですね。確かにセルベリア様がそのような行動を取れている性格であれば、とっくにご主人様を篭絡している事でしょうから.....」

 

のほほんとした様子のエリーシャは何やら直ぐに誤解を解いたようだが。

かなり気の障る納得の仕方をされた気がして。

意外と沸点の低いセルベリアの米神にピキリと青筋が浮かび。潤った桃色の唇から吐き出されるは地の底から響くような低い声音。

 

「貴様.....喧嘩を売ってるのか?いや、そうに違いない。買うぞその喧嘩......!」

 

図星を突かれたセルベリアがそれはもうおどろおどろしい気配を漂わせ始めていると、いきなりエリーシャが制するように手を翳し。

 

「落ち着いてください、感づかれてしまいますわ。それと今のは只の冗談です」

 

冷静な声音を浴びせられた。

それは司令官室の前に立つ衛兵に対する言葉ではなく、恐らく向こう側にある十字路に隠れてこちらを窺っている何者かの事を言っているのだろう。

ちょうどエリーシャが背中を見せている形だ。

 

「どうやら相手は警戒しているようですね。要塞内にそのような気配がなかったので意外でしたが、さすがにセルベリア様はマークされているのかもしれません。.....よろしければ私が片づけますが?」

 

自然な動作で黒髪を掻き上げ、スッと髪の中から指先を引き抜く。一瞬の動作だった。

指先には目を凝らして見なければ気づかない程の微小な針が摘ままれていた。

遅れてその正体に気付いた。毒針である。

 

セルベリアが離れたのを見計らって何気なく近づき、毒針を打ち込もうと云うのだろう。

 

「いや、その必要はない。私の相手だ手を出すな。それにどうやら私に何か用があるようだしな.....」

「分かりました、それでは私はこれで失礼します、貴重な情報提供ありがとうございました」

「礼にはおよばん。部下を救ってくれた恩を少しでも返せたならそれでいい」

「もしやセルベリア様は」

「――ああ!そうだったな!こっちの道だったか、広い要塞だ迷ってしまってどうしたものかと思っていたが、ありがとう助かった!ではな!」

 

何かを言いかけたエリーシャの言葉に被せながら、隠れ潜む者に聞こえるよう声高に言うとそそくさと背を翻した。多忙な女官でもないと云うのに足早に去って行く。一瞬見えた頬の赤さがとても印象的だった。

 

「.....」

 

その背を見送っていたエリーシャは浮かべていた笑みを消すと。

女官の演技を再開して、

とある場所に向かって歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

マクシミリアン皇太子の内情を探る目的は、本来の任務を受けたエリーシャに任せ。

自身は司令官室前の廊下を通り過ぎて行き。

自らが動く必要もなくなり暇になったセルベリアは特にあてどもなく要塞内を歩いていた。

 

ドンドンと奥に向かって進んでいく。

途中、何度も兵士とすれ違い。その度にセルベリアの美貌に見惚れた男達は足を止める。

そんな事はお構いなしに、奥に向かって足を動かすセルベリア。

 

やがて人の気配が薄れていき、喧騒の声も遠くにあるのみ。

シンと静まった廊下の只中で立ち尽くす。

 

目の前には立ち入りを封じるテープが敷かれて、直ぐ傍の看板には『この先汚染箇所アリ立ち入りを禁ズ』と危険を知らせる文字が描かれている。

 

つまりその先はもう立ち入り禁止区画であり。

毒ガスの除染処理が行われていない場所という事だ。

 

なぜセルベリアがそんな危険な所に来たかというと。

 

「ここでいいだろう....」

 

軽く呟き、そこで振り返った。

もはや隠す気もない戦意の高まりを感じながら、視線の先、無人の廊下にセルベリアの声が木霊する。

 

「わざわざ人気のない所まで来てやったのだ、出てきたらどうだ?」

 

相手もまた待ちきれなかったのか言葉が終わって直ぐ、セルベリアの前に人影は現れた。

顔は分からない。長大な黒衣のローブを目深に被っている為だ。

背格好はセルベリアよりも少しだけ低く、体格はローブの上からでも分かるほど華奢だった。

唯一分かる事はといえば性別くらいだ。

全身を覆い隠すほどに大きなローブにおいても、その豊かな胸は隠せず。布地を押し上げて女としての主張を誇っていた。

何故そんな恰好をしているのか分からない、その女は無言でこちらを見詰めている。

 

何か言ってくるものと待っていても、一向に喋る気配がなかったので先に口を開いた。

 

「最初は私の監視役かと思ったが、どうやら違うようだな。でなければ私の前に現われるはずもないし、なによりそれほどの敵意を隠さないはずがない」

 

声も発さず顔色も窺えない中、そのローブ女から放たれるプレッシャーだけが如実に感情を示していた。

監視であれば対象に気付かれないよう感情をカットする術くらい持っているはずだ。

故にそういう類いの輩ではない事を確信して、相手は自分自身に用があるのだと推測した。こうして誘い出したのも相手が乗ってくると思ったからだ。

事実、こうして相手はセルベリアの前に現われた。

その理由に興味があった。

 

「ガリア軍ならいざ知らず味方に恨みを買った覚えはないのだがな」

 

そう言って相手の出方を伺う。表情はローブに隠されて読めない。

 

お互い睨み合う状況が続き......。

 

やがてセルベリアの口からため息が漏れる。

 

「ふぅ。用がないのなら私は行くぞ。こう見えて忙しいのでな、付き合っている暇はないんだ.....」

 

これ以上は構っていられないと、早々に歩き出した。佇むローブ女の横を通り抜けようとする。

――その瞬間。

セルベリアは勢いよく後方に飛び退いた。寸前まで在った頭の位置に風が鳴る。

それまで彫像化していたローブ女が嘘のように俊敏な反応を示したのだ。

いきなり高い跳躍を見せると、勢いのままにセルベリアの顔めがけて回し蹴りを叩き込もうとした。

しかし、それを予期していたセルベリアは見事回避して見せたのである。

上手く誘いに乗ってくれたローブ女に向けてニヤリと笑みを浮かべながら。

 

「....というのは嘘で実は暇を持て余していた所だ。せいぜい私を楽しませてみせろ!」

 

言うや否や今度は自分の番だと力強く地面を蹴ったセルベリアは。瞬く間に被我の距離を詰め、移動で生じた勢いを殺さぬよう流れる動作で体を弓なりに反らせる。そして、筋肉のバネが引き戻されるのを利用して手刀を振り下ろした。

断頭の勢いで迫る手刀――それをローブ女は軽快な体さばきで躱してみせた。それまであった幽鬼のように突っ立っていた姿はもはや何処にも無い。

詰められた距離を離すため、ローブ女は怪鳥の如く地面を踏み、次打で来ていたセルベリアの攻撃を後ろに跳ぶことで躱す。セルベリアとの間合いが開かれたかに思えた。

 

しかし、次の瞬間――ローブ女に隠しきれない動揺が襲う。

 

自分が後ろに跳んだ瞬間、なんとセルベリアもまた同じタイミングで跳び上がり、こちらに迫って来たのだ。動いたのはほぼ同時、ローブ女の動きを読んでいたのかタイムラグは存在せず、まったく間合いは変わらなかった。

内心で驚きを隠せないローブ女にセルベリアの蹴りが襲いかかる。

 

慌てて両腕をクロスにして蹴りを防ごうとした。野鹿の様なセルベリアの足が両腕に接触した瞬間。ローブ女に信じられない衝撃が伝わる。

 

「ッがぁ!?」

 

大型獣の突進をくらった方がまだましだと思わされる。尋常ではない威力に華奢な体が呆気なく吹っ飛ばされたのだ。

 

ただの蹴りで吹っ飛んだとは思えない勢いで、ローブ女の体は長い廊下をゴロゴロと転がった。

転がったせいでローブがもみくちゃにされボロ雑巾の様相を見せている。

苦悶の声を上げながら、よろよろと立ち上がるローブ女の様子を見て。

 

「これぐらいは凌げると感じたのだがな、仕方ないか、そんな動きにくい格好をしているお前が悪い」

 

ローブが無ければもう少し良い動きが出来ただろうに、これでは少し期待外れだと残念がるセルベリア。もう既に勝利は確定したかのような物言いにローブ女が反応する。

その傲慢な言葉に怒りを感じたのか、放たれる敵意のプレッシャーの勢いが増した。

 

そして、おもむろに女はローブに手を掛けると、バサッと一息に脱ぎ去ったのだ。

 

それまで面白そうに見ていたセルベリアの目が見開かれる。今度はこちらが驚く番だった。

 

「!?.....その姿....貴様何者だ.....?」

 

ローブを取り払った女の外見は酷く既視感を覚えるものだった。なんせ、その女は蒼色に艶めく銀髪を靡かせ、その合間より覗く赤い瞳をもってセルベリアを睨んでいるからだ。

自身と同じ外見的特徴を兼ね備えている。

つまりヴァルキュリア人の特徴に該当するのだ。

 

驚愕の視線をぶつけられている赤い瞳の女は、セルベリアの問いに答えず、無言のまま視線を見返すセルベリアから壁に移した。正確には壁に立て掛けられている観賞用の軍刀にだ。それに近寄って腕を伸ばす、柄を握ると壁から剝ぎ取ってしまった。

 

曲線の反った軍刀をブンブンと振り回し、感覚を馴染ませたかと思うと今度は興味を失くした様に放り投げた。

放物線を描き飛んでくる軍刀をパシリと掴むセルベリア。

 

何のつもりだと思って見ていると女はまた壁から武器を取り外そうとする。今度は西洋らしい無骨な両手剣だ。

歴戦の武芸者の様に両手剣を構えてセルベリアと相対する。

ここでようやく自分と決闘をするためにわざわざ軍刀を渡したのだと分かった。

瞳には隠しきれない闘志が込められている。負けず嫌いの様で。外見だけでなく内面まで自分と似ている目の前の女に何ともいえない感情を覚えた。

 

「やはりお前はヴァルキュリア人なのか?」

 

それまでと同じで答えてはくれないと思っていたが意外な事に女は口を開いた。それはセルベリアにとって衝撃的な言葉だった。

 

「......残念ね、同じ研究所の仲間を忘れたの?私は一日も忘れた事は無かったのに」

「まさか!?あの施設に居たのか!」

 

信じられないと目を瞠るセルベリアに過去の記憶が蘇る。

今とは違い何の力も持たなかった少女時代。非道な人体実験を繰り返す毎日。

暗い闇の底に沈みこむ様だったあの地獄に居たというのか。

 

「信じられない様ね無理もないわ。セルベリア=ブレス、いえ、0()6()7()()と呼んだ方が分かり易いかしら」

 

それはセルベリアがまだ研究所に居た頃に呼ばれていたものだ。

忘れようとも忘れられない忌まわしい悪夢の記号。

その事を知っているのは自身とラインハルト。研究に関わっていた者だけ。

という事は目の前の女が言っている事は真実である可能性が高い。

 

「教えてくれ!他の皆は?どこかに居るのか!?」

 

気になっていた。私以外の研究所に居た者達がどうしているのか。殿下に助けられてから今まで心の中にその思いはあった。だが知ろうとはしなかった。殿下に救われて幸せのあまり片隅に追いやってしまっていたのもあるが、一番の理由は私自身、踏ん切りがつかなかった。自分一人だけが救われておいて、どのような顔をして会いに行けばいいのか分からなかったのだ。

だが、同郷の者が目の前に現れた事で、昔の仲間の安否が気になった。

 

しかし女の答えは辛辣だった。

 

「それを聞いてどうするの?私の顔を忘れているぐらいなのに、仲間を見捨てた癖に今さら同胞のつもり?」

「そ、それは.....」

 

見捨てたつもりはない。そう言いたかったが今更そんな事を言っても目の前の同胞には言い訳にしか映らないだろう。

嶮しい表情で何も言えないでいるセルベリアを見て、赤い瞳の同胞は問いかける。

 

「何で助けに来てくれなかったの?待っていたのに。いつか貴女が私達を救いに来てくれると信じていた、それだけが皆の希望だったのよ。だって貴女は私達の憧れだったから.....」

 

嘆くように、悲しむように、女は淡々とした口調で告げる。その目に燃える様な怒りを込めて。

 

「皇子様に見初められて良かったね、安穏とした日々は楽しかった?私達の事を忘れてしまうぐらいに」

「やめろ!」

 

女の言葉を断ち斬る様にセルベリアの叫びが廊下に響く。

 

「私とて殿下の下でただ平穏を甘受していたわけではない!」

「だけど私達を見捨てた事実は変わらない!助けるタイミングは幾らでもあったはず、ラインハルト皇子に助けを求めれば私達を保護してくれたのでは?そうしなかったのは何故?」

「....ッ!」

「貴方は救ってくれた主の寵愛を独占したかっただけ。自分の欲の為に私達を切り捨てた!」

「違う、私は....!」

 

何が違うと云うのだ?その女のいう通りではないか。

心の中でそう思う自分が居た。

殿下の寵愛を受けたいと思う。卑しく浅ましい欲望に塗れた女。

それがセルベリア=ブレスの本質。

本当は分かっているのに認めたくない私は口を開く。

 

「だ、だが実験は私が抜けた事で凍結したはずだ!もうあのような研究は終わったのではないのか!?」

 

研究が終わったのであれば皆は解放されるはずだ。あの男もそう言っていた.....。

だから私は、

 

「......確かに第一世代戦乙女計画『ワルキューレ』は根幹である貴女が抜けた事により一時凍結を余儀なくされ、現段階においても、それは変わりない」

 

その言葉でホッとするセルベリアに何故か女は酷く冷めた表情で見据えながら言った。

 

「だけど.........凍結後すぐに第二世代戦乙女計画『ラグナクリア』が始動している。実験はとっくの昔に再開された」

「な!?」

 

絶句するセルベリア。言葉もないといった様子だ。

その様子を見詰める女は剣先を向けて。

 

「だからこそ私は貴女を超えなければならない、それを証明するのが今!」

 

瞬間―――女の体から蒼い光が放たれる。

覚醒したヴァルキュリアだけが起こせる奇跡の現象。ラグナイト発光現象だ。

それは戦いの予兆でもあった。

 

「セルベリア=ブレス。貴方に決闘を申し込む」

「待て!同胞と戦う気はない!」

 

止めようとするセルベリアの言葉を無視して。

 

「決闘の前には名前を言い合うものでしょ?だから教えてあげる。

個体番号は109、名はプルト......」

 

一呼吸分の間を置いて、その昔、同胞だったヴァルキュリアは言った。

 

「貴方を超えていく者の名よ!!」

 

―――その瞬間セルベリアの視界から、プルトの体は霞の如く掻き消える。

 

 

 

 

 



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三十六話

帝国には『アウシュヴィッツ研究所』と呼ばれる場所が存在する。

 

不思議な事に、その研究所がどこにあるのか、何のために存在するのか知る者は居ない。

機密文献にも残されず、地図の何処にも載ることのない、幻の施設。

誰にも知られない場所で、密かに未知の兵器を創る為に帝国上層部が創設したのではないか、

と将校達の間で酒の肴に語られる事がある程度の不確かな情報が錯綜している。

所謂、都市伝説と云うやつだ。

 

しかし、その研究所は実際に存在して、正確な場所は分からないが、

確かにその白い部屋はあった。

壁一面が白で覆われた円形の闘技場の様な場所。

 

そこには二十人程の少年、少女達が集められていた。容姿、髪、肌の色もまばらで多様な人種が揃えられている。中には紺色の髪をしたダルクス人まで見受けられた。

 

国中から集められた素質を持つ特別な子供達だ。全員が同じ簡素な白い服を着せられている。

少女達は小さな闘技場の周りを囲むようにしてその中心を見ていた。

 

闘技場の中心には二人の少女が立っている。

 

年端もいかない少女達はまるで姉妹のように同じ容姿をしていた。銀の髪と紅い瞳。ほっそりとした体つきも全て鏡合わせの様である。

何故か二人はその幼い身体には不似合いな無骨な剣を手に握っていた。

一人は無表情で剣を持っているのに対してもう一人は緊張した面持ちで剣を握っている。

 

二人は相対していた。その様はまるで決闘者の如く。

 

無言で見合う二人の間には大人が一人立っている。この白い部屋と遜色ない白い髪をもった女性だ。採点するかのようにボードとペンを持っている。

 

「これより八十三回目の実証実験を行います。067号と109号は構えて下さい」

 

その言葉に緊張の面持ちの109号と呼ばれた少女は剣を目の前の少女に向ける。

それに反して067号と呼ばれた少女は脱力したかのように剣先を地面に向けて構えてすらいない。

少女の様子を見た白い髪の女性は眉をしかめる。

 

「どうしました067号、構えなさい」

 

再度の宣告に対して少女は顔色を変えず。

 

「.....これでいい、早く始めよ」

 

早く、早くと剣先をピコピコ動かして急かしてくる少女。それを見てフウッとため息を吐き、少女の意志を尊重したのか無形の構えを認めて白髪頭の女性は実験進行を進めていく。

 

「実証実験、第一段階『半覚醒』状態に移行せよ!」

 

言われて109号は己の内側に意識を傾けた。存在するのかも疑わしい、自らに眠る力を探す。

すると段々、高揚感が湧き上がり体全体に力が張っていくのを感じる。

僅かにだが少女の体から蒼い燐光のようなものが昇っていくのが見える。

女性が言うには『オーラ』と呼ぶらしい。真に覚醒すれば噴き上がる蒼い光で目も眩む程だと言うが、今の時点では目に見えるか見えないぐらいのほのかなモノでしかない。

 

準備が整ったのを見て女性は実験開始の合図を上げた。

 

「それでは.....始め!」

 

その号令が聞こえた瞬間――109号は闘技場を駆けだした。目の前の少女に向かって一直線、少女のものとは思えない速度で迫る109号はあっという間に相対する少女の前まで肉薄した。

それを見ても067号の表情は色を変えずダラリと腕は下げたままで、駆け迫る109号の方が戸惑いの表情を浮かべた程だ。

それでも間合いに入った途端、振り上げた剣を両手で掴み、躊躇なく振り下ろした。

 

「ヤアアアア!」

 

これまでの実験という名を模した訓練で培った全ての力を込めて降ろされた両手剣が067号を割断するかに思えた。

その時――067号の細腕は雷鳴の如く動いた。

大上段から迫る剣身に合わせて思いっきり腕を振り上げると。地面に向けられていた剣先は跳ね上がり。

 

ガキィイイン!

甲高い金属音が鳴る。

109号の繰り出した上段斬りは呆気なく勢いを封殺され、逆に剣ごと態勢を仰け反らされてしまった。

そんな馬鹿な!と内心で驚愕する109号。本来、上から下に行く攻撃の方が勢いと重力が合わさり有利な筈なのに、そんな事は微塵も感じさせないくらい簡単に自身の持つ剣は打ち上げられてしまった。咄嗟に強く握りしめなければ手元からすっぽ抜けていたかもしれない。それがせめてもの抵抗だった。

万歳をしている様な無防備な態勢の109号の首筋に白刃が閃いた。

思わず瞑っていた目を開けると、首の皮一枚と云った所で鋭利な剣の刃が止められていた。

 

「それまで!」

 

制止の言葉が響く。冷や汗を垂らして固まっていた109号の首に当てられていた剣がパッと離された、それと同時に張り詰めていた緊張が抜けていくのを感じ脱力感を覚える。ペタンと固い地面にお尻を着かせた、こちらの興味を失ったかのように去って行く少女の背中を呆然自失といった感じで見ていた。

そこから視線を移して、ボードに何やら書き込んでいる女性に目を向け。

実験内容を採点しているのだと理解してハッと我に返る。

 

「先生!もう一度お願いします!私まだやれます!」

 

顔を蒼褪めた少女が再戦を願い出る。

採点が低ければペナルティが与えられるからだ。どの様な基準で点数を付けられるのかは知らないが、今の様な内容では高得点を見込めない事だけは分かる。マイナスすらありうるかもしれない。それだけは嫌だ。

 

「それは出来ない。やり直しをする必要性がないからな。実験は次に移行する、再戦したいなら次の機会を待つといい。分かるな?私の言っている事が」

「っ.......わかりました、すみません」

 

初めて負けたことで動揺していた。冷静にならないといけない。

先生も暗にそう言っているのだ。

願いを却下され悔しそうに項垂れる少女の耳に、採点する女性の微かな声が聞こえた。

 

「あの動き。最初に植え付けた自己防衛本能を逆手に取ったのか、その上、神経の反射と合わせた事で常人の反応速度を超えている。今は一瞬だけとはいえ、成長したら人の認識を超えた動きが可能になるかもしれん。.....やはりこの個体番号067は群を抜いて優良種か。居るものだな天才というやつが.....」

 

普段は褒めない女性が初めて口にした言葉に自然と目線は件の少女に向けられた。

自分よりも少しだけ年上の銀髪の少女は剣を片手にテクテクと歩き。円形型の闘技場から外に出て行く。周りで観戦していた子供達が少女の元に集まっていた。

 

誰もが憧れの目で少女を見ている。

恐らく自分も、

 

それ程に彼女は凄いのだ。全ての実験を最高得点でクリア。模擬戦闘訓練では未だに負けたところを見た事がない。

大人たちからも特別だと言われている。

 

「やっぱり凄いなあ.....それに比べて私はダメだなぁ」

 

大して年は変わらない筈なのに、と落ち込んでいる少女に駆け寄る人影が一つ。

鈴を鳴らした様な可愛らしい声が掛けられた。

 

「だいじょーぶ?」

 

声の方に視線を向けると金髪の少女が立っていた。

数十人いる子供達の中でも特に仲が良い、妹の様に可愛がっている子だ。ニコニコと笑みを浮かべているその女の子に微笑む。

 

「うん、大丈夫だよ。ごめんね格好悪いところ見せちゃって」

「んーん。かっこよかった!びゅーんていってバンてすごかったー!」

 

か、可愛い。やっぱ天使だよこの子!

ニパーッと太陽のような少女の笑顔に、眩しさすら感じてた少女は。ささくれた心が穏やかになるのを感じた。

手を伸ばして金の髪を撫でる。とても柔らかな感触がする。

幸せってこういう事を言うんだろうねーと触り心地を楽しんでいると、金髪の少女は言った。

 

「おねーちゃん」

「なに?」

「つぎはあのひとにもかてるよね?がんばってね」

「任せなさい!」

 

妹の無茶な要望にも平らな胸を張って即答する。この子の為なら何だって出来る気がした。

 

笑顔の子供達に囲まれている中、この世の全てに興味がありませんとでも言うような無表情っぷりで浮いている銀髪の少女を見詰める。

 

個体番号067。

その強さは自分が一番知っている。無謀な事だと分かっているが、いずれは越えなければならない壁だ。

きっといつか勝ってみせる。

 

そしてその鉄仮面を剥がしてみせると意気込む、109号と呼ばれる少女の小さな願い。

 

 

 

 

だが、この研究所の中で銀髪の少女との再戦が果たされることはなかった。

ある日突然、研究所からその姿を消した為だ。

なぜ彼女が居なくなったのかを知るのは、第一次計画が凍結され、第二次計画が始まる日。

痩せすぎた体を隠すように白衣を纏った研究員の男の口から聞かされた時だった。

 

 

 

それから十数年もの歳月を経った後、他国の戦場の要塞の中で、少女たちは再会を果たす事になるが。全ては偶然の出来事である。

 

 

 

 

           ♦       ♦      ♦

 

 

 

 

 

地面を強く蹴り出したプルトは蒼いオーラを尾に引かせながら一直線に駆け出す。

半覚醒状態となったヴァルキュリア化の恩恵による身体強化は凄まじく。

走り出すその体はゆうに常人の認識から外れた速度を叩きだす。

正に目にも止まらぬ速さで廊下を駆け抜けたプルトは手に握る白刃を閃かせた。

狙いは未だ構えすらしていなかったセルベリアの頭。両断する勢いで迫る剣身。

その時、研ぎ澄まされた集中力によって、緩やかな時間が流れるのを体感する中、プルトの目はそれを捉える。

当惑したセルベリアの顔、ではなく。寸前まで床を向いていた剣先、が.....ブレた。

瞬間――雷鳴となった刃の煌めきが疾走(はし)る。

 

ガキン!

上段より振り下ろしたプルトの両手剣が、跳ね上がったセルベリアの剣身とぶつかり合った。攻撃を防がれたにも関わらずプルトの目に喜色が浮かぶ。

......まるであの時の焼き増しのよう。

唯一違うのは彼女の強力な一撃にも、私の剣が押し負けず鍔迫り合いが出来ている事、

その一点に尽きる。

 

「ここからだ!」

 

言うと共に手首を返した。三日月を描いた剣閃がセルベリアの首を刈り取ろうとする。

断首する寸前、間に割り入ったセルベリアの軍刀。

やはりどこかセルベリア自身の意志というよりは自己防衛本能が働いたと云った感じで。セルベリアの体は動いていた。

....力が入っていない、押し切れる!

 

未だ同胞と戦う事を躊躇しているのか、セルベリアの握る獲物には力が込められていなかった。

千載一遇の好機と判断したプルトは両手に込める力を上げた。

両手剣から掛かる重圧によって、刀芯から悲鳴が聞こえた。戦士としての本能か咄嗟にセルベリアは頭を下げた。直ぐ後にバギンと鉄の折れる音が聞こえ。

 

瞬間――その上を風斬り音が鳴り。風圧が通り過ぎるのをセルベリアは肌で感じた。

同時に殺意を感じ取りようやく覚悟を決める。

 

.....どちらにせよこのままでは殺されるだけだ。

戦うにせよ、逃げるにせよ。何かしら判断を下さねば危険だと理解したセルベリアは、

中ほどから折れた軍刀を眼前に構え防御の型を取る。

 

「そんなもので!」

 

水平に斬った一撃を躱されるも。直ぐさま態勢を戻していたプルトは間断なく必殺の一撃を放つ。

ヴァルキュリアの強力な力で放たれた剣閃はセルベリアの胸を穿つにように振るわれた。

セルベリアの赤瞳が見開かれる、その瞬間、軍刀を持つ彼女の手が僅かに反応する。プルトはそのまま剣を斬り払った。

 

バギィイイイイン。

硬い鉄同士が激突する、激しい音。

セルベリアの痩せた体は衝撃を吸収しきれず、そのまま弾き飛ばされてしまう。

固い廊下に激突するかに思われたが、空中で巧妙に体をひねって半回転し、無事にすたっと着地してしまった。

 

それを見てプルトは内心で舌を巻いた。

 

半覚醒状態であるヴァルキュリア化によって補正された力であれば、折れた軍刀を紙屑の如く切り落としてセルベリアを両断する事も不可能ではない。事実、そのつもりであった。

だがセルベリアはたぐいまれな反射神経で、剣同士がぶつかり合う瞬間を狙って後ろに跳んだ。

一瞬でも遅れていれば体を両断されていたであろう、針の孔を射抜くが如く難業であるそれを、

いとも簡単に成功させてしまったのだ。

 

「これが先生が唯一認めた天才か......!」

 

失敗を悟る。

これで必殺の間合いから距離を取られてしまった。

もう一度間合いに入るのを簡単に許してくれるほど甘い相手ではない筈だ。

 

実際、セルベリアは粉々に砕け散った軍刀を捨てると、直ぐに壁に掛けられていた武器を手に取っていた。

それは『刀』と呼ばれる武器で、軍刀に似た細身に反った片刃の剣だ。

奇妙な事にセルベリアは刀を抜かず、刀身が入ったままの鞘を腰のベルトに差した。

柄に手を添える見たことのない構えを取るとセルベリアは言った。

 

「忠告だ、私の間合いに入れば即刻叩き切る、死にたくなければ去れ」

 

有無を言わさぬ口調。その言葉がこけおどしではない事をセルベリアの纏う気配から悟る。

言った通り、間合いに入った瞬間、切り捨てられるだろう。そんな確信があった。

だが、

 

「その程度の脅しで怖気づくとでも思っているのか!」

 

一切の躊躇もなくプルトは廊下を駆け抜ける。グングン彼我の距離は埋まり、セルベリアの間合いに到達するその瞬間――プルトは強く地面を蹴った。

冗談のような話だが、彼女の体はあっさりとセルベリアの頭上を超え。天井付近まで舞い上がる、体をひねり、態勢を変えて天井に足を向けると。ドンと踏みつけた。

 

「真上からだとっ!?」

 

直ぐさまセルベリアは頭上より迫る剣撃を後ろに飛び退き。

天空から落ちる雷の如く、降って湧いた上からの斬撃を逃れた。

 

....まさか必殺の居合をこのような方法で攻略してくるとは!

驚きが顔に出る。

【居合切り】セルベリアが使おうとしていた技だ。

抜かれれば最後、一瞬の合間に敵を斬り払う最強の一撃。

だが、如何な剣技であろうと刀身を鞘ばしらなければ意味がない。

 

居合切りが後の先であることを見抜き、一瞬で攻略方法を構築した同胞の能力の高さに驚きを隠せない。

自信のあった技がいとも簡単に封殺されてしまった事実に、動揺していたセルベリアは接近に遅れる。

 

「.....もらった!」

 

気付けば眼前に迫るプルト。間合いの内側に踏み込んでいる、既に長剣はセルベリアを撫で斬りにしようと斬りつけていた。

迎撃の斬撃は間に合わない。為す術なく切り捨てられるだろう、絶望的なタイミング。

避ける暇すらないセルベリアに、勝利を確信する。その時、プルトの瞳は視界の端で動くセルベリアの手を捉えるも、無駄な足掻きと断じて気にしなかった。だからこそ最初、何が起きたのか分からなかった。

「――っ!?」

振り切る途中、己の意志を無視して制止した剣。あたかも不可視の巨人に腕を掴まれたような。

異常に目線を送り――硬直する。

 

「.....うそでしょ?」

 

理解がジワジワと追いつき始める。

視線の先には、セルベリアの手が己の攻撃を止める光景が映っていた。

黒い手袋に包まれた五指がピッタリと剣の腹を掴んでいる。

人の限界を超えた動きが可能な己の価値観から見ても、その光景は常識を外れていて。呆気に取られて見ていたプルトの耳に凛とした声が届く、

 

「―――言ったはずだぞ、間合いに入れば斬ると」

 

片手白刃取りを行う手とは別の手で、刀の柄に添えられる手。

それを見た瞬間、背筋に氷柱を突っ込まれた様な感覚を覚える。

逃げようとするもガッチリと掴まれた手に阻まれる。

剣を手放して離れようとするが、既に抜刀している。鞘より抜き放たれた刀身が白い光を帯びながら半円を描いた。

 

「―――!」

 

寸前で飛び退いたプルトの口から苦悶の声が漏れる。

後方に着地した後、グラリと態勢を崩す。抑える腹部から血が滲んでいた。

深くはないが浅くもない、手応えを感じたセルベリアは刀身の血を払い、奪った両手剣と合わせて構える、二刀流だ。正確には一刀一剣であったが。

 

「止血しろ、致命傷ではないが直ぐに治療したほうがいい」

「裏切者の言葉を聞くとでも?」

「.....私怨は分かるが、一つしかない体だ、大事にしろ」

「貴女に言われるまでもないわよ、それに知っている筈。このくらいなら治せるわ....」

 

ゆっくりと立ち上がる。彼女の言う通り、傷は既に治りつつあるようだ。

 

「まだやる気か?もう彼我の実力差は分かったはずだ。それでもやるというのなら次は()()()なしで斬る」

「たとえこの場で命を失おうと、もはや自分の意志で退く事はできない.....!」

 

武器を失いながらも猛犬のような目でセルベリアを睨む。爪や歯を使ってでも戦い続けるぞ、という気概が窺えた。

 

激しい戦闘から一転して静寂が続く。

目の前の同胞から放たれるプレッシャーが、グングン高まっていくのを敏感に感じ取る。

一種即発の様な気配が孕んでいた。

 

.....来るか。

セルベリアが内に眠るヴァルキュリアの力を呼び起こそうとした。

 

――その時、

パチパチと、不気味な静けさに満ちていた回廊に手を叩く軽快な音が鳴る。

意外な事に二人は第三者の接近に気付くのが遅れた。それ程に戦いに集中していたのもあるが。プルトの強大なプレッシャーに一般人の気配が掻き消されていたせいだ。

驚いた二人がその男に視線を向ける。

 

「中々に面白い余興であった、これまで見てきた剣闘の中でも間違いなく最高峰の戦いであったぞ」

「マクシミリアン殿下!」

 

なんとその男は第三皇子マクシミリアン・フォン・レギンレイヴその人であった。

なぜこんな所に居るのか定かではないが、殿下と同じ金髪の上に月桂樹を冠した男の顔を忘れる筈がない。間違いなく本人だ。

 

突如として二人の前に現われたマクシミリアンの怜悧な視線がセルベリア達を貫く。

 

「遊びは終わりだ、両方とも矛を収めるがよい。よもや余の前で野蛮な行いを続ける気ではあるまいな」

「.....かしこまりました」

 

マクシミリアンを視界に捉えるや片膝を着いたプルトが渋々と云った様子で承諾する。

セルベリアも刀を鞘に納め、剣は床に置いた。

 

「セルベリア大佐、此度の戦い大儀であった、そなたの働きなくして今回の戦いは語れまい」

「私の様な者には勿体ない御言葉です、仲間たちに支えられた結果ですので」

「謙遜することもあるまい、事実、多くの将兵が救われたのだ」

「ですが敵の非情な策を見抜く事が出来ず、多くの兵達を死なせてしまったのも事実です」

「.......あれは誰にも予想できまい。まさか陸戦条約で禁じられた毒ガス兵器をガリア軍が持ち出してくるとは誰も予想だにしていなかったのだから.......」

 

何かを考えている様子のマクシミリアンをよそに、

セルベリアはチラチラと片膝を着くプルトの方を見る。

明らかに色々と知っていそうな彼女に聞きたい事が山ほどあった。

だがマクシミリアン皇子の手前、勝手に喋りかけるのは不敬に当たる。

故に事務的な受け応えしかできないでいた。強行して不快に思われようものなら何をされるか分からない。

こと彼の掌の上である要塞内では特に、おかしな行動は出来ない。

 

「......余と二度目に会った時の事を覚えているか?」

 

何のために現われたのか知らないがマクシミリアン皇子が離れて行ったら彼女に聞こうと思い、考えていると、唐突にマクシミリアン皇子がそう言って訊ねてきた。

 

マクシミリアン皇子と会うのはコレで二度目ではない、三度目だ。一度目は未だ研究所に囚われの身となっていた時、殿下と出会った日に、彼とも会っている。

 

二度目は確か.....。

 

「.....七年前の、戦勝記念に黒真珠の間で行われた舞踏会の時でしたね」

 

目に見えてセルベリアの表情が暗くなる。

その様子を見ていたプルトの目が見開かれる、七年前何かあったのは明白だ。

 

「そうだ。そしてその時に余が言った事を覚えているな」

「......?」

 

覚えていないのか小首を傾げるセルベリア。

皇子には悪いが記憶の片隅にも残ってはいなかった。

.....何か大事な事だったような気がするが。

それよりも大事な事があって、その日の記憶はあまり残っていないのだ。

なんせ――

 

「覚えていないのも無理はない、なんせ我が愚弟が()()()()()()()時であったからな。気が気でないそなたの様子も覚えている」

「っ!」

 

そうだ。あの日の記憶の私は、殿下の無事だけを祈っていた。

それ以外の些末事を気に掛ける余裕はなかったのだ。

 

「ならば思い出せるよう、もう一度あの日言った言葉を投げかけようではないか」

 

何を言ったのだろうか。

そう思うセルベリアに、凍るような笑みを浮かべたマクシミリアンは言った。

 

「セルベリアよ、余のものとなれ.....」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十七話

―――7年前

 

東ヨーロッパ帝国の主城、黒真珠の間。

 

国内最大級の貴族の交流場に相応しく、豪華絢爛な作りの広大な部屋。威容な活気に溢れたそこでは多くの貴族たちが酒杯を片手に楽しんでいた、位の低いも、高いも関係なく。

それが古来からの習わしだからだ。

今宵は帝国の勝利を分かち合う為に、誰もが喜びに湧き上がっていた。

 

そんな中、貴族たちの目から離れるようにして、

静かに饗宴の様子を眺めているのは今夜で十五歳を迎えるセルベリアだ。

壁際に寄り添うよう佇んでいる軍服姿の彼女は、ちょうど子供から大人の体に成っていく段階にいた。可愛さと凛とした美しさがあり、誰の目から見ても溢れんばかりの魅力がある。

 

事実、人目を避けようとして隅にいたのに、何人もの貴族の男達が少女の方を見て、その可憐な佇まいに感嘆の息を漏らし。何とか話せないかと目線で機会を窺っている。

 

そんな視線を煩わしく感じていたセルベリアは、

時間が早く過ぎ去れば良いのにと思っていた。

この無駄な時間がいつ終わるのか。それを知りたくても、この会場には時間を刻む物が一つも置かれてはいない。

時間を忘れて楽しんでほしいと云う運営側の意思なのだろうが、今はそれが苛立たしい。

いや、あるいは時間を知ればその進みの遅さに怒りが湧くかもしれなかった。

 

それほどにセルベリアは今、虫の居所が悪い。

出来る事なら直ぐにでも広場から外に駆け出して、ベットに横たわる少年の元に向かいたかった。

だけどそれは許されない。

 

彼の名代として招待状を受けた以上は、眠っている彼の面目を潰さないよう努める必要がある。

 

......だからといって、積極的に彼らと交流する気にはなれない。

 

そう思ったセルベリアは奇異の視線を鬱陶しく感じながら、目立たないよう壁の花となっていた。

願わくばこのまま時間まで、誰からも声を掛けられたくはなかったのだが、

思いとは裏腹に近寄る影が複数。

 

「初めまして美しいお嬢さん」

 

セルベリアと大して年は変わらないくせに、そんな口上で話しかけてきたのは貴族風の若い男。

世の中の全てに甘やかされて生きてきましたとでも言う様な軽薄な顔つきだ。芯の弱さを感じさせるひょろりとした体格も相まって滲み出る胡散臭さを隠せていない。後ろには二人の貴族を手下のように背後に控えさせている。位の高い者が低い者を引き連れる、典型的な貴族社会の図だ。そういう所は大人も子供も変わらないということか。

 

変なところで感心していると、男はセルベリアを無遠慮に眺めて言った。

 

「見たところ軍服姿のようだけど、ホントに戦争軍人してるわけじゃないんだろ?そういうのが好きなんだね。僕は帝国士官学校の学生でもあるから、君と話しが合うんじゃないかな。高貴な者同士よければ僕と話そうじゃないか」

 

セルベリアの軍服姿を只のドレスコードだと勘違いしたのか、自信満々に話しかけてきた。

ハズレである。

少女は先の戦争で既に初陣を飾っている。

趣味で面白半分に着飾る貴族令嬢とは訳が違う。セルベリアの男に対する好感度は地に墜ちた。

 

そもそもである。帝国士官学校と云うと、長年、優秀な士官を輩出してきた歴史ある学校だ。

セルベリアの中では士官候補生とはこうあるべきという理想の像が確固なものとして存在する。

金髪に蒼氷色の瞳をもった精悍な男の姿がだ。

さらに言うなら士官学校に在籍する身としては、本当にこの男が士官候補生であるかすら疑わしい。

 

「私は軍人だ、貴族でも何でもない。貴方とは話が合わないだろう、だから私に構わないでほしい」

「貴族ではないのかい.....?」

 

セルベリアが貴族でない事に驚いた様子を見せる。やはりセルベリアの事を貴族の娘と思っていたのだろう。何事か考えると嫌な笑みを浮かべた。上から見下すような目付きに変わる。

 

「なら話が早い......ああ、僕の名前がまだだったね。僕の名前はフレーゲル、君とは違ってれっきとした貴族さ、父は男爵なんだ。凄いだろ.....どうだい、気が変わったんじゃないか?」

「.....?」

 

いったい何を言っているんだこいつは?という目で見るセルベリア。

父親が男爵だからなんだというんだ。私が爵位に魅かれて尻尾を振るとでも思ったのか。

これ見よがしにため息を吐いて言ってやった。

 

「もう一度言うが貴方と話すことは何もない、女とお喋りがしたいなら他を当たってくれないか?」

 

そっけないセルベリアの態度に、あんぐりと口を開ける。まさか断られるとは思わなかったらしい。よほどの自信家というよりは家の格を見せつければ何でも出来ると考えている節がある。

貴族では珍しくない選民主義というやつだ。大まかに云うと王や貴族は偉く、その他はそうではない。エスノセントリズムに近い考えをする者達の事を言う。つまりフレーゲルは典型的な貴族という事だ。

 

「ぼ、僕はいずれ男爵の位を受け継ぐ事になる!そうなれば妻を迎える事もあるだろう、き、君は平民だから正妻は無理だが、望むなら側室くらいなら入れてやれるぞ、そう考えれば、もう少し利口な態度になるべきじゃないかね.....!」

「......いったい何を言っているんだお前は?」

 

とうとうお前呼ばわりになってしまった。いきなり妻とか言い出して、話の内容が支離滅裂だ。男が何を言っているのか理解できなかった。

 

「だ、だから僕が言いたいのは.....」

「――その人を口説くのは止めた方がいいよ。あまりにも無謀だ」

 

顔を真っ赤にさせたフレーゲルが何事か言おうとした時、背後から穏やかな男の声が発せられた。

「なにを!.....ッ!?」

邪魔をされたと感じたフレーゲルが背後を睨みつける。が、視界に入れた男を見て目を剥く。

争いを嫌うような穏やかな声に見合った優しそうな顔、特徴的な赤毛。

その男をフレーゲルは知っていた。

 

「アイス・ハイドリヒ!?僕にいったい何の用だっ」

「いや、君に用はありません。その人に会いに来たんです、変わってもらえませんか」

 

アイスの目はフレーゲルの後ろにいるセルベリアに向いていた。

自分は眼中にないアイスの態度にフレーゲルの貴族としてのプライドが傷つけられた気分になる。

なによりフレーゲルはこの男を目の敵にしていた。

その理由は――

 

「士官学校次席だからと調子に乗るなよ!邪魔をしやがって」

 

帝国士官学校次席アイス・ハイドリヒ。あらゆる科目・実技において飛びぬけた成績を誇る男。学内からの評価も高い。フレーゲルは自分よりも優秀成績者であるアイスの事をいけ好かない奴だと思っていた。妙に敵対心を持っている。

何よりこの男は何と言った。無謀だと.....?。僕は次期男爵だぞ!僕が願って手に入らないモノはないんだ!

 

「この(むすめ)は僕が先に見つけたんだ、どうしても誘いたいなら僕の後にするんだな。まあ、もう遅いだろうけどね、別の相手を見つけるよいいよ」

 

驚いた事にセルベリアを口説けるとまだ思っているらしい。

一ミリも成功しなさそうなのに、思い上がりも甚だしいが、あまりの剣幕に。只では退きそうにないと考えたアイスは、壁際で不機嫌そうにする彼女に向かって「そうなのかい?」と聞いてみる事にした。

やはり呆れた様子でセルベリアは首を振る。

 

「その男が勝手に言い寄って来てるだけだ」

「......フレーゲル、残念だけど脈はないみたいだ。諦めるのが賢明だよ」

さも悲しそうに肩を叩いた。フレーゲルは顔を赤くさせて。

「なにを.....!」

「それにね、その人はラインハルト様のお手すきだ。手を出せば火傷ではすまないだろうね」

 

反応は劇的だった。

 

「―――ッ!?」

怒りに赤くなったかと思えば、今度は面白い程にサッと顔が青冷めていく。

横柄なフレーゲルをして畏怖の対象である存在の名を言われて、流石に声も出ない様子だ。

なんせラインハルトとは因縁浅からぬ関係がある(と本人は勝手に思っている)

 

と云うのも話は簡単で。フレーゲルと呼ばれるこの男は自らが言っていたように士官候補生だが、

士官学校では権力にものをいわせ、庶民出身の学生を苛めるのが趣味というどうしようもない奴だ。陰湿な嫌がらせを好み、自分よりも下の者が苦しむ様子を見て楽しむ。

その嫌がらせに耐えかねて学校を去った者も少なくない。

 

周りからも疎ましく思われていたが、注意できる者は居なかった。

フレーゲル個人ではなく、その後ろに居る存在を怖れてだ。

なんせフレーゲルは、帝国において強大な力を持つブラウンシュバイク侯の甥という立場にある。

その影響力は計り知れない。

注意して彼に睨まれ、侯爵家の力を使われれば、庶民の人生なんて簡単に狂わされてしまう。それは貴族の子であろうと変わりない。

触らぬ神に祟りなし。

いつしか彼の行動は見て見ぬふりをされていた。

だが、たった一人だけ彼の行動を見咎めた者がいた。それこそがラインハルトである。

神も畏れぬ悪童であったフレーゲルは、弱き立場である庶民出身の生徒を背に庇ったラインハルトと対立する事になり、その一連の動きは最終的に決闘沙汰にまでなったのだが、ものの見事にコテンパンにされる事になる。

それ以来、フレーゲルはラインハルトを恐れるようになった。

 

「それでもと言うのであれば分かりました。君が言うように出直すとしましょう.....」

「ま、待ってくれ......!」

 

あっさりと背を翻して別の席に行こうとするアイスを慌てて呼び止めるフレーゲル。

冗談じゃなかった。そうだと知っていれば手を出さなかった!

 

「そういえばワルツを一緒に踊る子は前から決めていたんだった!僕はその子の所に行くよ!」

「いいのかい?どうしてもと言うのなら僕から紹介するけれど」

「お心遣い感謝するよ、だけどお構いなく!僕はあれから目が覚めたんだ、皇子にもそう言っておいてくれ!では僕はコレで失礼する。......ああそうだ、次期辺境伯の兄君にもよろしくと言っておいておくれ.....!」

「分かったよフレーゲル」

 

アイスの言葉が終わるよりも早くフレーゲルは急ぎ足でどこかに行ってしまった。慌てて二人の手下がその後を追いかけていく。

その様子を苦笑して見送っていたアイスは、疲れたような顔のセルベリアを見た。

 

「すまないね、どうやらあの男はエスコートの相手を君にしたかったようだ」

「いや、助かった。困っていたんだ.....」

 

セルベリアは視線を黒真珠の間、中央に目を向ける。

そこでは舞踏会らしく貴族たちが優美に踊っているのが見えた。

煌びやかな光景だが、今のセルベリアには色褪せて映る。

私も殿下と共に来ていたらあんな風に楽しんでいたのだろうか.......。

いや、何を考えている、それは不敬に過ぎるだろう。卑賎な身の上でそのような事を望むなんて烏滸がましい。

 

「セルベリア?」

「っなんでもない。.....それよりよも改めてアイス殿には感謝します。貴方が来てくれなければ殿下は助からなかった、ありがとう」

 

低頭するセルベリア。

もしあの時、あの戦場で、少年を抱えて泣いていた私を見付けてくれなければと思うと今でもゾッとする。

辛そうに顔をしかめるセルベリアを見たアイスは慌てて頭を上げるように言った。

 

「とんでもありません。全滅した部隊の中たった一人でラインハルト様をお守りした貴女の働きがなければ、私が来る前に......間に合わなかったでしょう、礼を言うのはこちらです、ありがとうセルベリア」

 

アイスの言った事はお世辞ではない、事実、セルベリアの奮闘がなければラインハルトはアイスが救援に到着する前に殺されていた可能性が高い。

両者が礼を述べた事で、お互いの顔には何とも言えない笑みが浮かぶ。

そして、直ぐ後に、セルベリアとアイスは真剣な表情になる。

 

「それで、何か分かっただろうか?」

「うん、あの後、調べて見たのですがやはりあの状況には違和感がある、不自然といってもいい」

「不自然?」

「敵の動きです。当時刻、周辺には僕を含めて多くの部隊がいました。なのに敵はラインハルト様と貴女の居る部隊のみを狙い待ち伏せていた。そうですね?」

「ああ、あの時、敵は忽然と現れた。気づいたら既に囲まれていて、逃げる暇もなかった」

「おかしいのです、それが。予めこちらの情報を知っておかなければ、そのような事はできるはずもありません。その上、敵にとっては未知の場所です、そのような所で待ち伏せし、襲われたのがラインハルト様の居る部隊、これには何か裏があるのではないかと思いました。なので私は学内府の機密情報室に忍び込み学生たちの派遣された各部隊の進路情報を確認したところ驚きました。最初の位置から出撃して初めの一週間の行軍経路はあらかじめ決められていたのです」

「つまりその情報を前もって、敵は知っていた可能性があると言いたいのか?」

 

俄かには信じがたいと首を振る。

それが事実だとしたら――

 

「帝国の人間が情報を敵側に売ったということか......!」

「あるいは間諜の類が学内に潜入していた可能性もあります、ですが貴族位を持つ者にしか入ることを許されない学内府の機密情報室に入れる者が居るとは思えません。内部の、しかも貴族以上の立場の者がラインハルト様を亡き者にせんと画策した疑いが高いのは事実ですね」

「殿下の命を危険に晒した、その情報を売った者が居るという事が分かっただけでも十分。その売国奴を教えて下さいアイス、今から叩き切りに行ってやる!」

 

表情を失ったセルベリアの瞳に憎しみの色がこもる。それは殺気と呼ばれるもので、地の底から鳴動する火山の高鳴りを思わせた。

それを見たアイスは申し訳なさそうに表情を歪めると首を振った。

 

「すみません、情報を閲覧した者の名までは辿り着く事は出来ませんでした」

「.....そうか、いや相手とて馬鹿ではない、そのぐらいの警戒はしているか。私が冷静ではなかった」

 

自らの内に秘めた殺意の衝動を治めようと静かに瞳を閉じる。

アイスが感じていたプレッシャーがふっと消えた。頬に手をやって初めて冷や汗をかいていた事を知る。

 

「気をつける事です、ラインハルト様の命を狙う者が帝都内、もしかすると学内に紛れているかもしれません」

「やはり私が四六時中傍に控えているべきだな、男女では授業内容が違うし、寮館は別だから不満に思っていたんだ」

「流石にそれは難しいかもしれませんね」

 

言った後に、いい考えだと何度も頷くセルベリアに苦笑しながらアイスは言った。

しかし、その考え自体は悪くない。セルベリア程の武人が傍に居れば安心だ。殿下の命を狙わんとする者も警戒して手を出せなくなるかもしれない。

ふと思い出したようにセルベリアは言った。

 

「そういえば、あの男が言っていたがアイス殿には兄が居たのか?次期辺境伯と言っていたが」

「ええ、優秀な兄が一人います、貴族位も彼が継ぐでしょう」

「貴方も士官学校第二席でしょう?兄弟そろって優秀なのですね」

「.......」

「なにか?」

 

困ったような笑みを浮かべるアイスに小首を傾げる。

なにか変な事を言っただろうか?

 

「僕は妾の子なんです」

「それは.....」

「家からも認められていない。現当主からのせめてもの情けで士官学校に通わせてもらえています。卒業すれば軍に放逐されるでしょう」

「.......申し訳ありません」

「いいんですよ、僕は満足してますから」

 

本当に自らの境遇を嘆いていないのだろう穏やかに笑う。

好青年さがうかがえる、中々にいい男である。世の女性がほっとかないだろう。

と、思っていると、「それより....」と言いつつセルベリアを心配そうに見る。

 

「貴女も気をつけてください、まだ見えぬ敵はラインハルト様のお傍付きである、あなたを狙ってこないとも限りませんから」

「ああ、分かっている。もしかすると敵は身近にいるかもしれないからな」

 

忠告に、素直に頷いた。

だけど内心では、

その時は、私自らの手で引導を渡してやる。と思っていたがそれは言わないでおこう。

なにわともあれ二人の密やかな話し合いが終わりつつあった、その時。

 

「そこの娘こっちを向け」

 

唐突に自分を差す言葉がどこからか響き、思わずセルベリアは声の聞こえた方を向いた。

そこには冷たい輝きの瞳をもつ金髪の青年が立っていた。

 

「殿下!?......いや違う、まさか........!」

 

一瞬だけその姿があの人と重なったが、よく見れば全然違うことが分かる。

確かに殿下も氷の様な美しさをもつが、瞳の奥には人を安心させる温かさがあるのだ。

 

「やはりあの時の娘か、よもやこのような場所で再び会うことになるとはな。どうした、余の顔を忘れたか....?」

「マクシミリアン皇子......」

 

皇位継承権第三位にして(おう)の血を引くその男はセルベリアにとってある種のトラウマを思い出させる存在だった。

それは幼少の頃まで遡り、研究所から移送される途中、抜け出したセルベリアを追い詰めた手練れの男達。数多の訓練を受けたセルベリアでさえ手も足も出なかった。

そんな男達をラインハルトは一声を掛けただけで止めてしまった。その凄まじさは少女にとって衝撃となって映っていた。つまり英雄を見る乙女心そのものである。

 

そして、彼の男マクシミリアンは、ラインハルトを相手にして終始、上位者として君臨していたのだ。あのラインハルトが許しを乞うしかなかった。

その衝撃は少女の幼心を傷つけるには十分過ぎた。

絶対に自分では勝つことの出来ない絶対者であると、無意識の内に認めてしまったのである。

 

だからこそマクシミリアンの怜悧な瞳に睨まれると知らず身が竦んでしまう。

 

「たしかそなたは、今はセルベリアと名乗っているのだったか、なればこれよりはそう呼ぶとしよう。.......して我が弟はどこにいる?」

「それは......」

「それは僕がお答えいたします」

 

焦りと緊張で顔色を悪くするセルベリアを見かねてアイスが背に庇いながら、穏やかな口調でそう言った

 

「む?貴様は.....」

「アイス・ハイドリヒと申します。拝謁すること光栄に存じます、ラインハルト様とは親しくさせて頂いております」

「ハイドリヒの倅か。なるほどな.....それで?」

「ラインハルト様は今、先の戦争により負った傷を療養している最中です、此度の戦勝会には御出席されておりません。代わりにこちらのセルベリアが名代として参上した次第です」

「そうか、ラインハルトが重傷を負い死の縁を彷徨っていると聞いたが真であったか」

 

形の良いアイスの眉が寄せられる。

.....どこでそれを?

ラインハルトが倒れている事を知る者は一部しかいない筈。その者達にしたって口に出す事を禁じている。知りうる術はない。

まさか.......。

一抹の疑念が生じる中、マクシミリアンは凍える様な声で言った。

 

「控えよアイス・ハイドリヒ。余はその娘に用がある」

「......かしこまりました」

 

アイスが後背をチラリと覗き見る。心配そうな色を込められた視線に、セルベリアは大丈夫だと頷く。もう己を取り戻していた。

それを確認したアイスは頷き返し横にズレた。

 

「先の戦争の顛末は余も幾分か聞いておる、ラインハルトの居た部隊が全滅した事もな、恐らくそこには貴様も居たのだろう、大変だったようだな......」

「いえ、私は大丈夫です。受けた傷も既に癒えていますので、ただ、ラインハルト様をお守りしきれなかった事が無念でなりません」

「聞き及んだ戦場は酷く凄惨であったと聞いたが、傷は癒えたというのか。やはり恐ろしい存在よお前達は」

 

得心が云ったと笑みを含むマクシミリアン。

それを聞いてセルベリアも理解する。

 

「.....やはりあの力を知っていたのですね。マクシミリアン皇子が、あの時、兵器と言われた言葉をようやく理解しました、恐ろしい力です」

「故に嘆かわしい事だ。あの力をもっと早くラインハルトが知っていれば、死に瀕するようなことは起きなかったかもしれんというのに」

「わ、私のせいです。私が至らなかったばかりに....」

「違うな、それは違うぞセルベリア。大いなる力を持つ者はその力の有りようを知っておかなければならん。それが力を使役する者の責任だ、奴はそれを怠り、結果何百という兵士を失う事になった、その中には親しい学友も居たであろう」

「ッ!」

 

その言葉に死んでいった者達の事を思い出す。

 

仲間内で最も体格に恵まれたバッシュナー。冷静沈着にして参謀役のカイネ。親しかった女学生のマリーシャ。能力はあるのにサボりたがる弟分のエイギット。

他にも多く居るがみんな気の良い少年、少女達だった。共にラインハルト様の力になろうと誓い合った仲間達だ。

 

......みんなラインハルト様を庇って死んでいった。

その死に様は今でも忘れられない。

気付けばセルベリアは自らの唇を噛んでいた。

 

「......やはり無知なる我が弟に貴様を任せたのは間違いであった、セルベリアよ、余の下に来い。力の使い方を教えてやる」

「.....?」

「分からぬか、余の庇護下に入れと言っている。それが全てを失ったラインハルトの為でもある」

「殿下のため.....」

 

確かに今、私達は弱い立場にある。狙われている殿下の事を考えれば、強い者の庇護に入ったほうが安全なのかもしれない。だがそれは私が殿下の元を去ることになる。

それだけは嫌だった。例え結ばれる事は叶わないと知りながらも、あの人の傍から離れるなんて死んでも嫌だ。

けれど、それが殿下のためになるのであれば、そうすべきではないのか?

殿下を真に想うのであれば、私個人の思いなど......。

 

セルベリアは分岐点に立っていた。これからの運命を変える程の。

もしマクシミリアンの手を取っていれば、ラインハルトは守られる事になる。誰からの目にも見付からない、遠い僻地の洋館で、余生を送ることになる。もしかするとラインハルトにとっても、それが良いのかもしれない。

戦う事を止め、穏やかな人生を過ごす事が出来ただろう、それはラインハルトの望む事でもある。

 

―――しかし。

 

「それは御無用に願います兄上」

 

背後から掛かる声、振り向けば、

なんと重体であるはずのラインハルトが立っていたのである。顔色は悪いが不敵に笑みを浮かべていた。さしものマクシミリアンでさえ驚きに目を瞠る。

それはセルベリアも同じだ。呆然となって見ていたかと思うとやがて瞳が潤みだす。

 

「殿下!」

 

駆け寄って体を支える。ふらりと軽い体。立っているのもやっとな程に弱っているのだと分かる。

 

「なぜ来たのですか安静にしておかなければいけないのに!」

「許せ、馬鹿な事をしていると思うが、ここで動かなければ俺は一生後悔していただろう」

「なぜ.....?」

「馬鹿者。分かれ、それぐらい」

 

擦れた声でふっと笑い。

ふわりとセルベリアの体が抱きしめられる。少年の熱を感じて少女の心が熱くなる。カッと燃えるように頬は朱に染まり。人の目を感じ恥ずかしさに慌てる。

 

「で、殿下!?なにを....ひと、人が見てますから」

「構わん、お前を失うかもしれないと思った俺の思いに比べれば気恥ずかしさなど何だというのか」

「聞いておられたのですか......」

「少しだけだがな、大体の話は察した。お前、兄上の所に行こうとしただろ」

「っ!?」

 

ドキリと心がはねた。

何故分かったのかと驚きに染まる。

 

「それがお前の幸せに繋がるのなら構わん。だが俺のために犠牲になろうというのであれば話は違うぞ」

「......ごめんなさい」

 

申し訳なさと求めてくれる嬉しさと殿下が目を覚ました事と、色々な事が起こり過ぎて涙が出そうになる。

そんな涙まじりの軍服姿の少女を見てほっと笑みを浮かべるアイスに目配せをするラインハルト。

......礼を言うぞ友よ。

 

セルベリアに付いていてくれた事を感謝したラインハルトは次いで首をマクシミリアンに向け。

視線が切り結ぶ。

鋭い眼光のマクシミリアンの眼差しを見てラインハルトは不敵な笑みを崩さない。

 

「兄上、心配には及ばずとも、俺は俺達の力だけでこの世界を生きていくと決めました。それは今も変わりません。俺の心は折れていない.......!」

「.......お前が進むその道は茨だぞ、歩くたびに傷つくだろう、お前は帝国の闇をまだ知らない、余の元に下れ、それがお前の為でもあるのだ」

「鳥籠の人生に意味はないでしょう、この世に生まれた以上、そんな生き方に興味は無い」

「......そうか、やはりお前は余の邪魔をするのか」

「俺に兄さんは嫌えませんよ.....」

「ぬけぬけと口にしおって、もうよいわ、勝手に野垂れ死ぬがいい.....!」

 

視線が外れる。

激しい視線の鍔迫り合いは、マクシミリアンが引いた事で唐突に終わる。

マントを翻し、去って行く後ろ姿を見送って。

足元から崩れ落ちる。何とか支えたセルベリアは。

 

「大丈夫ですか殿下!?」

 

聞くが返事がない。体は震えて熱をもっている。額からは発汗していた。

こんなにも苦しそうなのに、私を心配して来てくれたのか......。

主の行動に感極まっているとラインハルトの口から途切れ途切れに呟かれる。

 

「.....嫌な予感がしたんだ、何か事が起きるとしたら今夜ではないかと、もしかするとあの時、戦場で狙われたのは俺ではなく......ッウぐ!」

「もう無理に喋らないでください!早く帰りましょう!アイス殿も肩を....!」

 

ラインハルトの両脇を担いで黒真珠の間から退室した。

 

 

貴族たちが何事かとざわめいていたがそんなものは無視してセルベリア達はラインハルトを病室に連れ帰った。

看護婦から事情を聞けばやはり勝手に抜け出して来たらしい。

 

「まったく、困った人だ......」

 

横たわるラインハルトの様子を傍の椅子に座り、眺めるセルベリアには微笑みが浮かんでいた。

ふとマクシミリアンに言われた言葉を思い出す。

......大いなる力を持つ者はその力の有りようを知っておかなければならない。

 

「殿下を守るためには、この力を完全に支配する必要がある」

 

今回の戦争でそれを強く思い知らされた。

天才だなんだと言われて思い上がっていた。この力を嫌い使う事を忌避した。

その結果、多くの仲間が死んでしまった。

もう二度とあんな思いはしたくはない。

だからこそ、

 

これから、私がするべき事は二つ。

 

この体に眠る力を掌握して、

あらゆる攻撃から主を護る力を手にし、この世界の誰にも負けない、最強の兵士に。

私はならなければならない。

 

もう一つは、

 

「拠点が必要になるな。殿下の敵を迎え撃つための城があれば、殿下の助けとなる兵士や仲間も手に入る。どこかにないものだろうか?手頃な城が.....」

 

生憎、城の事は詳しくないが。

卒業するまでにまだ時間がある。調べるのもいいだろう。

 

......いや待て、一つだけ心当たりがある。一つの町の名前だ。ここからそんなに離れていない。

確かその町の名は。

 

「ニュルンベルクだったか......?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




捕捉・何でラインハルト死にかけてたの?と思った方は九話参照。


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三十八話

「望むものは全て与えてやる、争いとは無縁の平穏な人生も。それだけに及ばず地位や財。ありとあらゆる褒賞も思いのままだ。お前にとっても悪い話ではあるまい.....」

「......」

 

除染作業が完了しておらず、人気のない廊下に、

マクシミリアンの声が朗々と響く中、それを耳にしながらもセルベリアは過去の記憶に意識を浸らせていた。

 

そして思い出した。七年前の記憶を。

無力を嘆き力を求めた、全ての始まりとなったあの日の夜。

確かにあの時、マクシミリアン皇子は私に言っていた。

 

自分の元に来いと。

 

殿下に寸前で引き留めてもらっていなかったら、私はどうしていただろうか?

 

断っていただろうか。それとも......。

 

いや、そんな事を考えてもせんないこと。

あの時は殿下の力が今よりも弱かったからこそ、揺らぎはした。あらゆる勢力から殿下を守るためには自分を犠牲にするべきではと。

だが、今であればその心配はない。

刺客が襲って来ようと私が返り討ちにできる。どんな勢力が攻撃してこようと彼の軍は負けない。

だからこそ自信をもって言える。

 

「今までもそしてこれからも私の主はただ一人、ラインハルト様だけです、だから貴方の誘いには答えられない」

 

きっぱりとそう言ったセルベリア。表情には揺るがぬ意志が見て取れた。

.....それに、マクシミリアン皇子では私の望むものを与える事は不可能だ。

だって私が欲しいものは......。

そっと思いを胸にしまう。今はまだ。

と、そこに――

 

「そうか。......ふ、よもや余の申し出が再三に渡って断られるとはな。まあいい.....」

 

何故か、断られたというのにそれを面白がるようにマクシミリアンは薄い微笑を浮かべる。

セルベリアの返答に対しても氷の貌は崩れない。

意外にもあっさりと諦めた(てい)の態度で、逆にそれを不審に思った。

.....もしや。

 

「私が断ると分かっていたのでは?」

「余とて人だ、人の情を察する事くらいは出来る。そなたが弟の元を離れる事は無いだろう事は、あの時のお前達を見ていれば分かる」

 

これほど即答されるとは流石に思わなかったがな。と酷薄な笑みと共に言うのを聞いて。

ますます不審な思いは募るばかり。

だとしたらなぜ、あえて聞いてきたのだ.......?

訝しむセルベリアは思い切って聞いてみる事にした。

 

「マクシミリアン皇子らしくありませんね。無駄を嫌う貴方がわざわざそのようなお戯れをするとは......もしかして、本国で何かあったのですか?」

 

賭けだった。それを聞いたのは。

昨夜、秘密裏に会議が行われていた事と、本国で何かあったかもしれないとエリーシャが言っていた意味深な言葉を思い出し、カマをかけてみることにしたのだ。そしてそれは成功する事になる。

その言葉にマクシミリアンの目が鋭くなり。

 

「.....流石だな、その勘の鋭さは驚嘆に値する、それに気づいたとはな。......セルベリア大佐の言う通り、昨夜の事だ。帝都より急報が入った。おかげで本国から来る筈であった援軍の動きが停滞していてな、ガリア公国進攻の方針を話し合っていたのだ、そこで低下した戦力を補う為には大佐の力が必要だと考えた。故に余自ら誘いに来たというわけだ」

「私の力を必要とするほどの事とはいったい......?」

 

.....何が起きたというのだ。援軍を動かせない状況だと?そのような緊急事態。帝都、いや帝国全体を揺るがすほどの大事(だいじ)が起きなければ発生するとは思えない。

 

「セルベリア大佐にとっても因縁のある相手だ」

 

セルベリアの反応を楽しむような声。事実、楽しんでいるのかもしれない。セルベリアは小出しにされていく情報を吟味した。

.....私にとっても因縁のある相手。つまりそれは殿下と関わりがある事だと思う。さらに、それまでマクシミリアンが言った言葉を思い返す、なぜ私に七年前の事を思い出させた?

それを含めて意味があったとしたなら、答えはおのずと出ていた。

 

「まさか.....」セルベリアの口から震えた声が漏れ出た。徐々に鼓動が激しさを増していくのを感じる。

答えに至ったと理解したマクシミリアンが頷きながら口にした。

 

「―――三日前、連邦軍が帝国との境界線である西方戦線を越え進撃を開始した」

 

セルベリアの紅い瞳が驚愕に瞠る。

――連邦軍襲来。その知らせを聞いた瞬間、セルベリアが内心で思ったのは。ついに.....だった。

遂にこの日が訪れた。

 

私が力を望む事になった全ての元凶。

七年前、完膚なきまでに敗北という味をなめさせられた仇敵。

 

「状況は七年前のダゴン戦役と酷似している、小競り合いが続いていたかと思うと、大規模な軍勢を動員して一気呵成に東進を始めた。だが、その動員兵力は恐らくその比ではない。情報局国境監査班の情報ではダゴン会戦が最終報告で40万だったのに対し、今回の初期報告では西方戦線全域を合わせれば100万を優に超えていたそうだ」

「っ!」

 

帝国の長い戦歴においても史上類を見ないほどの大兵力だ。しかも初期報告での数ということは、これ以降さらに増えていくという事でもある。

いったい連邦はどれほどの兵を西方戦線に送って来くるつもりなのか想像も出来ない。

 

「既に西方戦線は破られ、帝国領内には連邦軍が連綿と列をなして雪崩れ込んでいる。情報局は一杯喰わされた、連邦の大進攻を帝国は予測できておらず、現在も防衛線は後退を続けており、早期の戦力投入が望まれる。これを迅速に対処しなければ、最悪の場合、首都にまで連邦の手が伸びる可能性が高いと余は考えている。その前に何としても敵の進軍を止めなければならない」

 

その言葉に成程とセルベリアは頷いた。

この時、セルベリアはガリア方面侵攻軍は根底にあった攻撃方針を撤回、進撃を中止し後退した後、防衛線を繰り広げる帝国軍と合流を図る気なのだろうと考えた。昨夜遅くに開かれた会議も恐らくその方針改訂の合議を行っていたのだ。

つまりである。

 

「それでは、ガリア方面侵攻軍はガリア公国に対する攻撃を取り止め、停戦するのですね」

 

激しい戦火を交えたにも関わらず、呆気ない幕切れだったなと思うが、帝国の危機とあれば仕方ない。ガリア公国程度の小国に構っていて首都を陥落されましたでは話にならない。故にマクシミリアン皇子は防衛線の救援に向かうのだと、そう思っていたのだが......。

 

「いいや、それは違う。我が軍はこれまで通りガリア公国の進攻を続ける、ガリア方面侵攻軍の方針は当初から何も変わることはない」

「.......え?」

 

呆気なくその考えは崩された。

マクシミリアンの意図を把握しかねて困惑するセルベリア。

 

「それはどういう意味でしょうか?」

「言葉通りだ。余はこれまでの計画通りガリアを落とす」

「なぜですか!?未曾有の危機が帝国に迫りつつある中、ガリアのような小国に構っている暇はないはずですが!」

「これは異な事を言う、余の役職はガリア方面軍最高司令官なるぞ。何も不思議な事ではあるまい、よもや神聖不可侵なる皇帝より任ぜられた命令に背けと言うのか?」

「クッ.......!」

 

それを言われれば何も言い返す事など出来ない。

帝国皇帝は神聖不可侵なる絶対の存在。

基本的に彼の存在から賜った命令は絶対尊守である。極端な話、命令を全うできなければ死を賜る事もありうる。それ程に強制力の強い力。貴族の中にはそれを名誉と感じる者も少なくない。

一介の兵士であるセルベリアが、ガリア方面軍の方針に口出しすれば、皇帝の命令を背かせようと、示唆したのではと疑われかねない。そうなれば処断は免れないだろう。

だが皇帝の子であるマクシミリアンならばその限りではないはずだ。例え皇帝から与えられた命令であろうと撤回しようと思えば出来る。現にラインハルトなんかは皇帝の命令を辞退した程なのだから。

 

......ではなぜガリア公国への進攻を止めようとしない。

逆に考えればそれだけの何かがガリアにあるという事なのだろうが、帝国の一大事よりも優先する目的とは何なのか、セルベリアには分かりかねた。

だが、マクシミリアンが今現在、何を考えているのか、その目論見は次の言葉で分かることになる。

 

「セルベリア大佐に質問だが、連邦という脅威が迫る中、ラインハルトはどう動くと考える?」

「それは.......っ!?」

 

その言葉にセルベリアは愕然とした面持ちになる。

マクシミリアンが何を考えているのか分かってしまったからだ。ここで思い出してほしい、帝都と西方戦線の間に何があるかを。それは殿下の居るニュルンベルクだ。否が応でも戦いは免れない。

 

「順調に連邦の攻勢が進めばおのずと我が弟は連邦軍と戦う事になるだろう。余を前にして一歩も引かなかったあの男が敵を眼前にして逃げるとは思えんからな」

「まさか連邦軍が殿下を襲うのを狙っているのか!?」

 

その答えに至りセルベリアは目の前の男を睨んだ。皇子だろうともはや関係ない。視線には敵意すら滲ませていた。言葉も荒々しいものになる。

 

「何を怒っている。ただの推測にすぎない、実際にそうなるかはラインハルト次第であろう、もしかしたら帝国軍に任せて後方に退避するかもしれん」

「思ってもいない事をっ!殿下が連邦軍と争わないはずがない事を貴方は知っているはずだ!」

 

だからこそ私達は力を求めた。その為のニュルンベルク軍だ。

いずれ来るであろう再戦を望んでいたのは他でもない殿下自身なのだから。

それを利用してマクシミリアンは殿下と連邦軍を共倒れさせる腹積もりだというのなら許せるはずがない。

こうしてはいられない早く殿下の元に向かわなければ!

 

その時、マクシミリアンは釘を指す様に言った。

 

「セルベリア大佐及び遊撃機動大隊はガリア方面軍の指揮下にある。勝手な行動を取ろうものなら敵前逃亡の罪で処断する」

 

動き出そうとするセルベリアの足が止まる。顔は苦悶の表情で染まっていた。

マクシミリアンは何も変な事を言っていない、一度、ガリア方面軍の指揮下として動いている以上、例えガリア方面軍の旗下ではないとはいえ。新たなるラインハルトの命令がない場合は指揮権はマクシミリアンにある。軍規を乱す迂闊な動きをすればマクシミリアンが処罰する権限がある。

気付いたらもう遅い、この瞬間をもってギルランダイオ要塞はセルベリアを閉じこめる為の監檻となったのだ。

そしてマクシミリアンは悪魔の取引を持ち掛けた。

 

「だが、余のものとなればラインハルトを救いに行かせてやる。余の手勢も幾人か借してやろう」

 

初めからこれを狙っていたのだ。マクシミリアンは。

セルベリアを手中におさめる事を微塵も諦めてはいなかった。

厭らしいほど狡猾に蜘蛛の糸を張り巡らせていた。セルベリアはその糸に絡まる哀れな青い蝶。

もし仮に素直にマクシミリアンの誘いに乗ったとしても、その証明にヴァルキュリアの遺物を置いていかせる腹積もりであった。背筋が薄ら寒くなる程に恐ろしい男である。

 

完全に退路を封じられたセルベリアは立ち尽くし力なく俯いている。もはや諦めてマクシミリアンのものになるしかないかと思われた。

影に隠れて表情の窺えないセルベリアの口からポツリと紡がれる。

 

「.....一つだけ聞きたい事があります」

「ふむ?申してみよ」

 

何を言うのか興味深げに薄い笑みを張りつけていたマクシミリアンの表情が次のセルベリアの言葉で固まる。

 

「.......七年前の事です、士官候補生であった私達はダゴン会戦時を利用して予備役将校訓練課程を行っていました。その目的は実錬教育であり実際の戦争を肌で感じ学ぶというものでした。そして当時七千人の兵士達と共に従軍していたラインハルト様を含む104班は待ち伏せていた連邦の部隊に襲われ全滅、ラインハルト様は生死を彷徨う事となりました。その事は貴方も知っているはずですね.....」

「......ああ、だがあれは不慮な事故で片付いたはずだ。稀にそういう事はあるからな」

「ですがあの状況に違和感を持つ者がいました、その彼が機密情報であった進軍ルートの流出があったと思われる日に学内府を訪れた者を調べたところ、非公式にですが貴方が訪れていた事を知り得たのです」

「.......」

 

淡々と口にするセルベリアの言葉をマクシミリアンは無表情で聞いている。

それに構わずセルベリアは一拍後、それを口にした。

 

「貴方が連邦に情報を売ったのですか?」

 

あまりも不敬な言葉にも関わらずマクシミリアンは怒りを露わにしなかった。ただ能面のような感情を伺わせない表情でセルベリアを見て、

 

「......七年前からそう思っていたのか?」

「はい、ですが確信したのは最近の事です。貴族の位を継いだ時に最高機密を知る権限が与えられます、その時に調べてもらいました。貴方は殿下を邪魔だと強く感じていたのを見受けられました、動機は十分にあるはずです」

「なるほど、それで余がラインハルトを亡き者にせんとして敵に情報を売ったと思ったわけか。だが証拠はあるというのか.....?」

「残念ながら明確な証拠はありません、なので罪に問うことは出来ないでしょう。が、もとよりそのつもりもありません」

 

その言葉が意外だったのかマクシミリアンに初めて困惑の色が現れる。

 

「もとより罪に問うきはないと申すか。だとしたらなぜそんな意味の無い事を聞く?」

「私は貴方の口から真相が知りたいだけです」

 

だが、この時、既にセルベリアは確信を持っていた。

同胞であるヴァルキュリアの存在が疑惑を確信に至らせていたのだ。

......やはり七年前、槍と盾を届けてきたのは......。

 

表情の窺えないセルベリア。不穏な気配を孕んでいた。プルトが僅かに身じろぎする。

そんな中でもマクシミリアンは泰然とした態度を止めず、何事か考えるように無言が続く。

やがて口を開いた。

 

「......そうだと言ったら?―――っ!」

 

――途端にマクシミリアンの背筋に凍るような寒気が走る、水瀑布の如き殺気を浴びせられたのだ。驚愕はその後に起こった。

なんとセルベリアの姿がいきなり巨大化したように見えたのだ。だが違う、それは瞬く間にセルベリアが接近した事でマクシミリアンの目が錯覚した、幻覚の像。

 

気付いたらセルベリアが目の前に迫っていて、腰元の刀を抜き放った後だった。流麗な曲線を描いて振るわれた剣閃がピタリと細い首筋で止まる。薄皮一枚のミリ単位で静止した刃。あまりの早業に。実にマクシミリアンが出来た事は腰の剣に手をやるのみであった。その代わり配下のヴァルキュリアは見事な動きを見せた、寸前で間に割り込んだ彼女が自身の体を盾にマクシミリアンを守ろうとしたのだ。

だがセルベリアがその気であれば二人の首を刎ねる事も容易い。完全に生殺与奪を握っていた。

不気味な緊張感が満ちる中、この状況でも気負った様子の無いマクシミリアンの声が響く。

 

「自分が何をしているのか分かっているのか......」

 

逆にこちらを尋問するかのような圧が込められていた。まるで命を失う事を恐れていない。

そんなある種の異常を思わせる声に対しても動揺を見せず静謐を体現するセルベリアは。流れる動作で刀を鞘に納めると、マクシリアンの青い瞳を見詰め返した。

 

「突如の無礼を申し訳ありません。ですが、これこそが私の返答です」

「なに.....?」

「例え殺されようとも私は貴様に従うつもりはない!!」

 

その言葉には絶対の確信が込められていた。紅い瞳からは例えあらゆる権力を笠に脅されようとも屈する事はない不動の信念が見て取れる。

 

「ならば死ぬか?余に刃を向けた以上、ここから生きて帰れると思わぬことだ」

「元より覚悟の上、主を裏切るくらいならこの首差し出しましょう。ですが私とてただで死ぬつもりは毛頭ありません。死ぬ間際には蒼き炎となってこの要塞ごと全てを焼き尽くしてご覧にいれます。次に全てを失うのはマクシミリアン殿下となるでしょう」

「貴様......!」

 

これにはさしものマクシミリアンでさえ呻いた。

蒼き炎とはヴァルキュリア人が自らの命を代償にして起こす事象の事だ。覚醒した蒼い炎のオーラでさえ比べ物にならない、文字通り命を燃やして起きる炎の爆発は、一瞬にして数キロの範囲にわたって大地を焼き尽くす。

仮にここでソレが起きようものならギルランダイオ要塞は地上から消し飛ぶだろう。

 

何故そこまでできる.....?

マクシミリアンには理解できない。目の前の女がそこまでして自分に服従することを拒むのか。

何故そこまでラインハルトに固執するのかが分からない。

 

「分からぬな、どうしてラインハルトの為にそこまでする?拾ってもらった恩があるというだけで、貴様は死を厭わぬというのか」

 

なぜそんな簡単な事を聞くのだろうと思いながらセルベリアは紡ぐように言う。

セルベリアにとってその質問は至極簡単な事だった。

 

「......確かに私は拾ってもらった事に多大な感謝の念を感じています、だけどそれだけでその人の為に死ねるほど私は出来た人間ではない。私はあの人と共に生きている中で、その優しさに触れ、人となりを知っていく内に気付けば虜となっていたのです。初めは戸惑いましたが、今はこの思いが心地いい.....この感情こそが愛というものなのでしょう」

 

マクシミリアンは耳障りな言葉を聞いたとばかりに、露骨に顔をしかめさせた。その表情には失望の色がありありと描かれている。

 

「あれほどの力を持つ貴様ですらあいつと同じ事を言うのか。愛だ慈しみだと下らぬ戯言を!それがいったい何だと言うのだ!力こそが全てのこの世界に、愛など無価値、そんなもの力なき弱者の言葉に過ぎん!」

「そうは思いません、愛は死の恐怖を凌駕する唯一の感情だと考えます。事実、私は死を恐れてなどいない、本当に大切なものの為なら命すら投げうてる、だからこそ私は誰よりも強い......!」

「.....っ!」

 

言葉を失うマクシミリアン。

セルベリアの言葉にある女性の姿が脳裏をよぎる。

 

その人は誰よりも気高く強かった、幼いマクシミリアンにとって世界の全てであり、唯一心を通わせることの出来た大切な存在、その人もまた大切な子供を守るために自らの命を投げうった。

記憶の底に封じていたビジョンが次々と浮き上がる。

 

【地に転がる黒鉄の列車】【燃え上がる黒煙】【泣きそうな笑顔を浮かべる母親】【泣き叫ぶこどもの声】

【たった一人墓前に立つ少年の姿】――までを思い出したところでマクシミリアンは過去を振り払った。

それまで氷を思わせる凍てついた貌が崩れ去り、今にも泣きそうな子供の様な。悲痛な表情が垣間見える。

.....俺はまだこの感情を捨て切れていないのか。

 

「こういう甘さを克服する為に力が要るんだ!絶対の力が.....!」

 

吐き捨てるように言ったマクシミリアン。その豹変に驚いた様子のセルベリアを睨んだ。

 

「貴様と余ではその価値観があまりにも違い過ぎる、交わらぬ平行線のようだな。ここまでラインハルトに毒されていようとは。もはやお前は必要ない......!」

 

もはや用はないとばかりに背を翻した。そのまま立ち去っていくかと思ったが、最後にマクシミリアンはこう残した。

 

「......貴様らの情報を売ったのは余ではない、だが奴の命を奪おうと動いた者がいるのは確かだ、せいぜい気をつけるといい」

 

言って歩き出す、その後ろをプルトが付いて行く。

 

それをセルベリアは黙って見届けるしかなかった。彼らの姿が見えなくなってようやくホッと安堵のため息をこぼす。戦場とはまた別の緊張感だった。

一時はどうなるかと思ったが、なんとかこの状況を凌げた。

 

殿下の忠誠を裏切ってまで生き永らえる気はない。

場合によっては死を引き換えに炎となってやるつもりだったが、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。

私にはまだやるべき事が残っている。

 

まずは状況の整理をしよう。

 

三日前、つまりギルランダイオ要塞が陥落した日から程なくして連邦軍は帝国に対する大進攻を始めた。

その動員兵力は現時点で100万を超える大規模。恐らくヨーロッパ世界において史上最大級の戦争になる。

ラインハルト旗下であるニュルンベルク軍も動くことになるだろう。その救援に向かいたくても、

ガリア方面軍は依然として方針を当初のものから変更することはなく。勝手に動く事は許されない。

 

「どうすればいい.....!」

 

考えれば考えるほど焦りが生まれてくる。

......またなのか、私はまた大事な時にあの人の傍に居れない!

やるせない思いに渋面を浮かべた。

 

と、その時―――ハッと何かに気付いたセルベリア。

いきなりその場から走り出す。

 

要塞中を駆け回りながら誰かを探す様に忙しなく視線を巡らせる。

 

途中、出会った女官たちに聞いてみたが彼女達も分からないそうで首を振った。

 

「いったい何処にいる.....?」

 

それでも諦めず要塞を隈なく探していると、ようやく出会う事に成功した。

それはセルベリアが要塞後部にある一階の廊下を歩いていた時だ、

目の前の扉がガチャリと開いたかと思えば、ちょうどそこから目的の人物が現れた。

その人物とは――

 

「あら?奇遇ですね。なぜセルベリア様がここに?」

 

丁寧な口調で言うのは切れ長の瞳に黒い髪の女官。

エリーシャ=ヴァレンタイン扮する仮初の姿エリーであり、セルベリアが探していた人物だ。

 

「お前こそ何でこんな所から出て来るんだ?どうりで見つからないはずだ」

 

マクシミリアン殿下の近辺情報を探っていたはずだが、上手くいかなかったのだろうか。それにしては穏やかな笑みを浮かべている。失敗したとは思えない。

セルベリアはもう一度、エリーシャが出てきた部屋の名称が書かれた看板を見た。

 

そこには『情報書簡庫』と達筆で書かれており、潜入作戦を行うエリーシャとの関連性がない。まさかこの状況で読書を楽しんでいたわけではあるまい。

はたして一体どういう事だ?

 

 

 



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三十九話

それは三日前、ギルランダイオ要塞陥落の日まで時は遡る。



不気味なまでにシンと静まり返った、

凶悪なラグナイトガスによって侵されている廊下は、蒼い毒煙で充満している。

もはや人の活動できる領域から逸脱したその中を、

たった一人、進み続ける影がある。

孤立した帝国軍を助けに行ったセルベリアと別れ単独で要塞内に消えたエリーシャだ。

メイド服にガスマスクという異様な風貌のままに、

物音ひとつしない廊下にコツコツと彼女の足音だけが響く。

 

不自然なほどの静寂、いや違う。

立ち込める毒ガスのせいで見え難いが、目を凝らせばいたる所で死屍累々の骸が床に転がっているのが分かる。

それは猛威から逃げ遅れた兵士達であり。

数えるのも馬鹿らしいほどの死体が廊下の先まで続いているのだ。

 

そんな中に居ながら少しも気にした素振りを見せないエリーシャは歩を緩めることもなく前だけを見据えている。

しかし、マスクの奥に隠れた視線は隈なく巡らせていた。何かを探すように。

ゆっくりと一階の廊下を進む中、ふとエリーシャの歩みが止まった。

その視線はある一点で集中する。

 

視線の先には一つの袋があった。

ひと一人を入れることの出来る大きさで、正しくそれは死んだ人間を収納する為の道具である。

戦場では珍しくないありふれた物の一つ。

何を考えたかエリーシャは()()()に近寄った。

たった一つ、ぽつんと取り残された様に置かれている事を奇妙に思ったのだ。

 

ジッパーを下ろして袋を開ける。中には白衣を着た少女の遺体が納入していた。

遺体を検分して分かった事は少女がガリア人という事だ。しかも兵士ではなく、衣類から見て医療に従事する者だという事が分かる。

 

死因は一発の銃弾、胸元が黒く変色した血糊で染め上げられている。

少女の遺体を無言で見下ろしていたエリーシャはどこからともなく一本のナイフを取り出すと、鋭利な切っ先を傷口に当てた。躊躇せずナイフを引き、

傷口を開くと綺麗なピンク色の肉が姿を見せる。

普通の女性なら卒倒モノの光景だが、

全く動じた様子を見せないエリーシャは機械的に作業を続ける。

 

時間を掛けず少女の体から鉄の弾が摘出された。

付着した血を拭い取り、少女の命を奪ったその弾丸を鑑定すると面白い事が分かった。

 

「これは.....帝国軍のものではなく、ガリア公国軍式の銃弾ですか」

 

条約によって国が作る武器・兵器にはどこの国の物か分かるよう符号が刷られている。

それは弾丸の一つにとっても例外ではなく一目見ただけでエリーシャにはそれが何処の国で造られ使われている物なのかが分かった。言葉にすると簡単なようだが本来、生産国を特定するには専門的な知識が多量に必要となり。

これほどの短時間で特定できるものではない。安に此処が現在戦争しているガリア軍の基地であり、帝国式銃の物ではないと判断した末に落ち着いた結論だ。

 

「穿透創をつくる程の威力ではないという事は性能の低い拳銃の可能性が高い、かといってこの傷口の焦げ方はかなり近くから撃たれないと出来ないはず、撃った者はこの娘にとっても信頼できる人物だったということ.....」

 

呟きながら事の真相を探っていく。

弾痕の傷跡から恐らく五メートルと離れていないだろう。

近距離から放った弾が少女の体に留まっていた程の低威力という事は性能を無視して外面を煌びやかなものとした鑑賞用の拳銃である可能性が高い。つまりお飾りの武器というわけだ。

そんな物を使うのは実戦に立つ兵士ではなく外面を重視する貴族の指揮官だけだ。

 

ここで最初に考えていた兵士同士の攻防戦に巻き込まれた哀れな被害者という線が消えた。

 

なにより非戦闘員の人間はこの場所において少女一人だけというものおかしい。

やはり何かしらの陰謀に巻き込まれたと考えるのが妥当だろう。

となると彼女は味方に殺されるまでの何かをしてしまったのだ。意図的かあるいは偶然か、そこまでは現状では分からないが口封じに殺害された可能性は高い。

 

何かを聞いてしまった。もしくは......。

 

「誰かと遭遇してしまった......」

 

恐らくその誰かにとっても少女と出くわしてしまったのはアクシデントだったのだろう。

絶対に見られてはいけない場面を見られてしまった為に少女を殺害する事で証拠を消した。

ではそれ程に見られたくない状況とは何か?。

 

もはや現時点でガリア軍の負けは覆らない。

それはセルベリアからの報告を聞いた時点で確信していた。

あの時、要塞司令部を制圧した後、彼女からの報告を受けた情報では上層部は撤退した後でもぬけの殻だった。

もしかすると逃走する上層部の誰かが少女を殺害したのかもしれない。仮にそうだとすると、それは逸早くこのギルランダイオ要塞から逃げ出した者だ。司令部が放棄される前に敵前逃亡を図り。誰からも見られないようこの要塞より逃走する瞬間を少女に目撃され。やむを得ず罪のない少女を凶弾にかけた......と考えられるだろう。

 

そして、現在ギルランダイオ要塞より逃げおおせたガリア軍上層部の人間はたった一人しかいない。

さらに言えば今この時、これほどの非道な策を弄する敵の将に思い当たる人物がいる。

すなわちこの状況を作り出した張本人。

それは......。

 

「ガリア公国軍最高司令官ゲオルグ・ダモン将軍」

 

エリーシャの中でピタリと事件のパズルがはまった。

確かに彼の男であればガリア人である少女に警戒される事なく近距離からの射撃が可能だろう。

なんせガリアの英雄なのだから。国民を守るはずの将軍がまさか自分に危害を加えてくるとは夢にも思うまい。

殺傷力の低い銃弾だったのにも納得する。味方を置いて逸早く逃走する輩だ、元から自らが打って出て奮戦する気など露ほどもないのだろう。

 

「ということは()()もこの近くにあるという事ですね」

 

思いのほか早くアレに関する手がかりを得たエリーシャの視線は少女から最も近くにあった扉へと向けられた。

その部屋の名前は『情報書簡庫』と書かれており、本来であれば素通りしていたかもしれない何の変哲もない部屋だったが、もはやエリーシャの猛禽類の如き瞳は、書庫の扉を捉えて離さない。

 

「.....ここですか」

 

そう呟いたエリーシャは立ち上がる前に最後に少女の方を見た。

虚ろな目で天井を仰ぎ見る少女の亡骸に穏やかな笑みを浮かべると。

 

「ありがとうございます、貴女の御蔭で探しものが見つかりそうですわ」

 

そっと少女の顔を覆うように手で触れるとゆっくりと離す。すると少女の瞳は閉じられ、眠るように絶えた姿が残った。

せめてもの手向けと礼を述べたエリーシャは立ち上がり、部屋の前に立つと少女に安らぎを与えた手で扉を開けた。

 

中に入ると部屋いっぱいの本棚が並ぶ光景が映る。

書庫という名前に違わずかなりの蔵書量を誇る内装を見渡すと壁側の方を見ながら一周を描くようにゆっくりと歩き始める。時折本棚に触れてみては何かを探すようにしていて。どうやら本自体に興味はないようである。

 

それは、傍目からは何をしているのか分からない行動を続けながら、書庫内を半周していた時である。エリーシャはその違和感に気付いた。

 

「?コレは.....」

 

ふと視線が下がった。壁から床に向けられたエリーシャの目にある物が映る。

それは書庫に落ちていてはいけない物であり、この部屋においては危険な状況に陥る可能性のある小さな異物。

エリーシャはそれを摘まみ上げるとジッと見詰めた。貼られているラベルを見て生産社を見極める。

 

「コイーバ産の葉巻ですか、高級品ですね」

 

中ほどで火の消えた葉巻はまだ真新しく、使われてからまだ日は経っていない。先端には踏み潰された痕が残っていた。まさか戦争の真っ最中に高級葉巻を吹かしている兵士が居るとは思えない。というか兵士の給金では賄えない贅沢品だ。一本とて手に入れるのは不可能なはず。

十中八九、件の人物の仕業だろう。

 

それを見ながら内心で呆れを隠せない。

こんな証拠を置いて行くなんて迂闊に過ぎるというものだ。

これでは子供でも探し当てられるのではないだろうか、と思いながら葉巻の踏み潰された靴跡の向きから位置を割り出した。爪先の痕がこちらを向いているという事はその重心の反対から来たという事だ。扉の位置から考えて......。

 

壁側の方を向いたエリーシャは目の前の本棚に向かって手を伸ばし。

思いっきり横に引いてみた。

ズズズ....と鈍い音を響かせながらゆっくりと本棚は動いていき。

 

そして、遂に隠された通路の入り口が露わになった。

 

「.....見つけた」

 

知らず仮面越しの口元は弧を描いていた。恐らくはダモン将軍が使用したであろう脱出経路。エリーシャが探していたアレとはこの隠し通路の事だったのだ。

正確には司令官室に繋がる道を.....である。

 

「後は女官として要塞内に留まり、時が訪れるのを待つだけですね」

 

せっかく見つけたのは良いが今は意味を為さない。この通路を使うのはマクシミリアン殿下が司令官室に入ってからとなる。完全なマクシミリアンの居室となるのを待たなければならない。そこに運び込まれるであろう情報こそがエリーシャ、ひいてはラインハルトが欲するモノだからだ。

 

計画通りに行くかは分からない。成功する確率の方が低いだろう。それでも実行しないという選択肢だけはなかった。全ては敬愛する主君のためにつつがなく事を為す。それが出来るメイドというものだ。

その為にもまずは、本当にこの通路が司令官室と繋がっているのか調べる為にエリーシャの姿は入口の中へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「―――というわけでして、つつがなく司令官室に忍び込む事に成功した後は、もう一度潜入するために女官として働いていたというわけです。それから今日、セルベリア様のおかげで二度目の潜入は成功しました」

 

場所はセルベリア達に用意された宿舎。そこで二人は内密に会談を行っていた。

隊長格に与えられたわりかし広い部屋でエリーシャはセルベリアに潜入成功の旨を伝えると、それまでの過程を語っていた。

そこまでの話を黙って聞いていたセルベリアは組んでいた腕を解くと。

 

「そうか、お前の事だからどうとでもするのだと思っていたがやはりそうだったな。まさか脱出経路を探し出してしまうとは流石だ........」

 

話を聞いただけでも手際の良さに感嘆の思いしか出てこない。自分では到底そんな働きは出来ないだろうと強く思う。もしかしたらあの時、エリーシャが傍に居たら毒ガスの存在に気付き惨劇を回避できていたかもしれないとさえ思う。

 

考えが顔に出ていたのか、エリーシャはこちらをジッと見て言った。

 

「セルベリア様は常に最善の手を打たれていました、きっと私がその場に居ようとも状況は変わらなかったはずです、だから気を落とさないでください」

「.....そうだな、過去を嘆いてばかりいても死んだ部下が戻って来るわけではないか」

 

慰めの言葉を掛けられたことに目を瞬かせたが、フッと笑みを浮かべたセルベリアはそう言った。

気分を変えるために話を振ってみる。

 

「それでお前が情報工作(スパイ)までして得た情報は殿下が望むモノだったのか?」

「正直、私自身の判断では何とも言えません。目ぼしいものは全て頭に入れているので漏れは心配ないですが。本当にアレらが御主人様の望む情報なのか報告するまでは.....といったところでしょう」

「ふむ、例えばどんなものがあった?」

「そうですね....ああ、セルベリア様にも関連しそうなものであれば『古代ヴァルキュリア人の文献』等でしょうか。ガリア公国で語られるお伽噺であったり伝承、他には当時の遺跡といった場所の資料も多々見受けられましたが」

「ヴァルキュリアか......」

 

それを聞いて思い出すのはやはり先ほど死闘じみた対決を行ったプルトと名乗ったヴァルキュリアだろう。同じ施設の出身と言っていたが。どうしても思い出せない。それに恨み言を語っていたが目には仄暗い光はなく。セルベリアを超えようとする強い意志の光があった。とても復讐者の目には見えなかった。本当に私を憎んでいるのだろうか。

 

「いや、それよりも何の目的で此処に....?」

 

エリーシャの語った古代ヴァルキュリアの伝承が関係するのだろうか。いったいマクシミリアン皇子は何をしようと企んでいるのか、ヴァルキュリアを欲していたようだがそれだけなのか。考えても分からないが、とても嫌な予感だけはした。

 

答えの出ない考えにうんうんと唸り声を上げていると、今度はその様子を黙って見ていたエリーシャが話を振って来た。

 

「そういえば(わたくし)の事を探していたようですが、結局あれは何だったのでしょうか?話をしようとした時にここではマズイと場所を変えたのではなかったですか?」

「ん?.......ああ!そうだった!忘れていたっ、悠長に話しをしている場合ではなかった!つい間諜としての働きが成功したのか気になり聞いたのがいけなかった!」

 

エリーシャの話に夢中になってすっかり本来の目的を忘れていた。思わず素っ頓狂な声を上げてセルベリアは目の前の侍女長に詰め寄った。

 

「一大事なんだ!連邦軍が動いた!殿下の身に危険が迫っている!!」

 

セルベリアは勢いよくエリーシャに事情を説明した。

西方戦線より連邦の大軍が帝都に進攻を始めた事。

それを対処する防衛戦力が押し込まれている事。

急ぎ救援に向かわなければならないのに、ガリア方面軍は依然としてガリア攻めを止めない事。それによってセルベリア達も動きを制限されている事。ラインハルトに敵が迫っている云々(二度目)。

 

次々と言葉の放射をまくしたてる。セルベリアにしては珍しく内心の焦りが窺えた。

 

一騎当千と言ってもいい歴戦のセルベリアが、この取り乱しようである。

事態がどれほど重い事なのか理解できるというものだろう。

 

だというのに、それに対するエリーシャの顔色は一切なにも変わらず。

午後のティータイムを楽しむかのように静かに聞いている。

そして、全てを聞き終えたエリーシャの口から驚くべき言葉が発せられた。

 

「......そうですか、ようやく彼の軍は動き出しましたか。想定よりも遅かったですね」

「は?」

 

ポカンと呆気に口を開くセルベリア。美人が台無しである。

 

「なに?......どういう意味だ。まさか、こうなることを予期していたというのか!?」

「はい。正確にはわたくしではなく、ご主人様です。既に1年前からこの状況を予測していました。ゆえに手も打ってあります」

「1年も前からだとっ!?ありえん!いったいどうやって連邦軍の動きを読んだというのだ!」

「大西洋連邦機構とて一枚岩ではありません。強硬な同盟政策に反対する思想団体は腐るほどあります、その中の一つのファシズム系団体とコンタクトをとり情報提供といった工作活動を行わせているのです。そういった存在を私たちは『草』と呼んでいます。他にも連邦に送り込んだ部下に思想活動をさせているのですが、思想に共感してくれた者達を協力者(エージェント)に仕立て上げ、求める情報を得るための仲介役にさせたりしています。今では商人や芸術家、詩人、舞台役者に医者といった多種多様な職業や人種の方々が間諜として働いてくれています。そういった存在が連邦の各地に団体や組合を合わせて五十以上はあるでしょうか。彼らから送られてくる僅かな情報を頼りにラインハルト様が出した結論です」

「......今更だがお前達の存在が末恐ろしく思うぞ、国以外でそんな事が出来る非正規の組織はお前達ぐらいだ。そんなのが帝都に巣くっていたとはな」

 

恐ろしいものを見たとでも云うようにため息を吐く。こんな奴らがいる中を数年間に渡って過ごしていたかと思うとゾッとしない。

だがエリーシャは微かに首を振って。

 

「真に恐ろしいのはご主人様です。幾ら協力者が居ようと厳しい連邦の目から逃れる為には情報をパズルのように細切れに細分化する必要があります、なので僅かばかりの情報を少しずつしか受け取れません。虫食いだらけの情報を繋げ合わせ、価値あるものに変えるには膨大な時間と根気が必要となります。ラインハルト様はそれら一つ一つを見極め検分の果てに物資が軍に買い占められている事に気づけば、そのせいで物流が遅延し物価の高騰、政治家の扇動により帝国に対する市民感情の高まり、それに伴い徴兵令が行われるだろうことを予想し、逸早く大規模な軍の動きがある事を事前に察知したのです」

「できるのかそんな事が?雲を掴むような話だな」

「我々とはかけはなれた視点から物事を見ているのでしょう、類まれな才覚が為せる御業です。実際にラインハルト様の言う通りに市場が動いていた事を知らされた時には薄ら寒い思いをしたものです」

「ふむ、よくは分からなかったが流石は殿下という事だな?」

「........」

 

今いちその凄さを理解しきれていないようで。とりあえず殿下は凄いで済ませてしまう。そんなセルベリアをエリーシャはジトリとした目で見詰めていた。そこはかとない非難の色が窺える。

視線の痛さに耐えきれずセルベリアは口を開いた。

 

「は、話はわかった、事前に想定していたという事は、この状況を打開する手もあるのだな。教えてくれ、私はどうすればいい?」

 

セルベリアの真剣な目に、ふうっと軽く息を漏らした侍女長は懐に手を忍ばせると複数枚の紙を取り出した。

それをセルベリアの眼前に置く。

手に取って内容に目を通していくセルベリア。直ぐに赤瞳が見開いた。

 

「コレは.....指令書か!?」

「はい、ニュルンベルクを発つ前にご主人様から預かってきました。きっとこうなる事を見越していたのでしょう」

「これさえあれば私達はガリア方面軍から離れる事が出来る!さっそくこいつを上に叩き付けてやろう!」

「お待ちください」

 

指令書を掴んで意気揚々と部屋から出て行こうとするセルベリアに静止の声を上げる。

訝しむ表情で振りかえったセルベリアを見返しながら、エリーシャは静かな口調でこう言った。

 

「今、動くのはお控え下さい。もう少し待つべきです」

「なにを悠長な事を言っている!この時にも殿下の身に危険が迫っているかもしれないというのに!」

「まずは落ち着いてください、興奮するのは分からなくもありませんが視野狭窄となっては意味がありません。遊撃機動大隊の兵士達をここに置いて行く気ですか?」

「っ......!」

 

その言葉に熱くなっていた頭が急速に冷やされていくのが自分でも分かった。己の部下達の現状を思い出したからだ。半数近くが毒ガスの影響もあって直ぐには動けない。ラグナエイドによる治療を受けているとはいえ今日、明日で完治するものではなかった。無論セルベリアは彼らをこの地に残して置いて行く気はない。捨て石程度に使われるのが目に見えているからだ。

 

「決行するのは最低でも五日後です、それまでどうかご辛抱下さい」

「そういう事なら致し方ないか、分かった。お前の言うとおりにする。だが....」

「大丈夫です。ラインハルト様がお創りになられた、五つの部隊の中でも最速を誇る遊撃機動大隊の足ならば間に合います、必ず私が間に合わせます。命に賭けても.....」

「......分かった、そこまで言うなら大人しく従う、必ずや殿下を救ってみせるぞ」

 

頷き合う二人。

その言葉に偽りはなく、二人の女は自らの命を一人の男の為に使う事を決めていた。

その後、ほどなくして内密の会談が終わり、エリーシャはまた女官として部屋を出て行った。

怪しまれぬよう変わりなくその日まで女官として働くようだ。

 

残された指令書を片手に一人立つセルベリアは。

 

「殿下。もう少しだけ待っていて下さい、直ぐに向かいます。今度こそ、絶対に御身に傷はつけさせません」

 

誓いを忘れないように強くそう言った。

 

 

 

 

 

 

 




捕捉・隠し経路については二十九話を参照


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四十話

征暦1935年3月22日。

 

ギルランダイオ要塞に駐在するガリア方面軍は遂に公国領内に向けて進軍を再開した。

イレギュラーとも呼ぶべきガリア正規軍の残した毒ガス兵器による弊害は、予想以上の人的被害と時間的浪費という傷跡をガリア方面軍に与える事になり。これはマクシミリアン達にとっても痛恨の極みであった。

というのも本来の戦略的計画上ではギルランダイオ要塞を陥落せしめた後、敵が態勢を立て直す暇もない内に一気呵成とばかり敵領内に雪崩れ込み、ガリア公国首都ランドグリーズに繋がる主な防衛拠点を制圧する目論見があった。

すなわち電撃戦による速さでの侵攻で瞬く間に決着をつけるのが狙いだ。

だがそれもダモンの策によって計画の見直しを余儀なくされる。

ガリア進攻における最重要本拠点と考えていたギルランダイオ要塞の完全な毒ガスの除去は最優先事項であったため、今日に至るまで再侵攻は断念せざるをえなかったのだ。

ようやく全ての消毒作業が終わり要塞の支配を完全なものとした事で、マクシミリアンは待機していたガリア方面軍に発令を下す。

 

ガリア公国を攻めるにあたって、マクシミリアンは軍を三つに分けた。

すなわち北部、中部、南部を制圧する進攻部隊。

これらの担当をするのはドライシュテルンと呼ばれるマクシミリアン幕僚の指揮官達。

 

初老の将軍ベルホルト・グレゴールが指揮する北部方面軍には北部沿岸沿いの街を始めとした生産都市の制圧を任せている、中でも目下、最重要拠点と考えられる鉱山都市『ファウゼン』は今後の戦略上、何としてもも手に入れなければならない場所である。

 

南部はラディ・イェーガーに任せた。ガリア有数の森林地帯である『クローデンの森』に隠匿されていると噂のガリア軍秘密基地の発見、及び制圧が主な任務だ。これを疎かにすると大部隊で進軍する中部方面軍の横っ腹を不意打ちで襲われる恐れがあるためだ。

故に、それを阻止するべく。剛柔併せた戦術で臨機応変に対処できるであろうイェーガーが置かれた。

 

そして中部には新参者であるジェシカ・エドワーズを据えた。反対の意見も少なくはなかったが、あえてマクシミリアンは彼女を指揮官にした。その理由が語られる事は未だない。

なぜなら彼女を選んだ理由は、彼女自身の能力というよりも(勿論優秀である事は認めている)その特異な血に由来する事が大きいからである。

 

マクシミリアンは語る。

 

「戦争というのはただ勝てば良いと云うわけではない。勝ち方にこそ意味がある、つまり結果ではなく過程こそが重要なのだ」

 

「なぜか分かるか?」とマクシミリアンは壁際にひっそりと佇むように立つ銀髪の女に向けて言った。その女は五日前、セルベリアに勝負を挑んだ元は同じ実験施設の同輩であるヴァルキュリア。セルベリアから受けた居合の太刀傷はすっかり完治しているのか背筋をしっかりと伸ばして彫像のように待機しているプルト―――は護衛対象のそんな問いに対して暫し考える様子を見せるが、やがて首を横に振った。

 

「結果的に勝利を得ようと、それまでに辿った過程が杜撰であれば、それに価値はない―――それでは被支配下となった民は納得しない。いずれ国のためと立ち上がり反旗を翻すであろう」

「例えるならば先の毒ガス兵器がそれに当たるのですね」

「そうだ。アレは言うなれば違反行為、ルールを無視した蛮行だ。それ故、その脅威は計り知れず。我が軍は窮地に立たされた。もはや迅速の勢いでランドグリーズを落とす事は不可能であろう、敵の狙い通りかは知らぬが持久戦に持ち込まれた形だ」

 

故にマクシミリアンはガリア進攻における方針を転換させた。

一息にキング(ガリア首都)を取るのではなく。ルールに則り盤上の駒を一歩ずつ動かし、雑多な(都市)を落としていく事にした。何も問題はない。

敵が卑怯な策を謀ろうとと構わない。盤上の駒を操る打ち手として、むしろ楽しさすら覚える。

 

「正道をもって余は敵を叩き潰す。だが敵の罠を食い破るには力が不可欠であり、ガリアの民を服従させるに足る力。それこそが.....」

「私達....ヴァルキュリア人」

その呟きを肯定するかのように冷たい笑みを浮かべ。

「先の戦闘においてセルベリア大佐は実に有益な成果を出してくれた。ヴァルキュリアの戦闘能力は野戦においては一個大隊の働きを凌駕し、攻城兵器としても有用である事が分かった」

「はい......」

 

同意するように頷くプルトは何か思うところがあるのか表情を変えずに黙り込んでいる。

凡そ考えている事は一つ。

 

「不服か?決着をつけられなかった事が」

「いえ.....はい。不満が無いと云えば嘘になります。せっかく機会を与えて下さったと云うのに申し訳ありません」

「構わぬ、これでこちらの意志は良く分かった事だろう。あの女の行動は制限できた筈だ。重要なのはこの要塞に留めおき、ラインハルトの救援に向かわせない事にある、かねがね成功といえよう」

 

だが意外だったのはこちらの威に対しても退かなかった姿勢にある。

力で迫れば膝を崩さざるをえないと考えていたのだが、死んでもこちら側に下る気はないと云った様子だった。

逆にこちらを脅す始末。厄介な存在だ。

 

「やはり元からの目的であるアレの回収を強行すべきか......」

「?......あの女を呼び寄せたのは要塞攻めだけの為ではなかったのですか」

「無論だ。セルベリア大佐を呼んだ本来の目的は、彼女が持ってくるであろう『ヴァルキュリアの槍』と『ヴァルキュリアの盾』双方の遺物の回収にあった。お前達のどちらかに使わせるために....」

 

危険な前線に送ったのもその為だ。あわよくば戦死してくれればよかったのだが。

思いとは裏腹に人形は戦場を舞台に踊り切ってしまった。

 

「であれば次の手を打たねばならん。なにせ我らは遺物を持ち合わせておらぬからな、味方にできない以上は殺してでも奪い取る必要がある」

「それでしたら今度こそ私に御命じ下さい。どの様な手を使おうともセルベリアの首を討ち取ってご覧にいれましょう!」

「.....いや、これ以上こちらから手を出して警戒されるのも厄介だ。最前線に送り込み、わざと物資の供給を滞らせる。敵陣の中に孤立させれば、流石のセルベリアといえど力尽きよう。敵に討たせるのも一興か....」

 

冷酷に淡々とセルベリア殺害の計画を考えるマクシミリアン。

そこに一切の慈悲もなく。対象が弟の腹心であるのにも関わらず何の感慨も覚えていないのか、その怜悧な瞳に映るのは机に置かれた盤上だけ。ただの駒としか見ていないのだ。あるいは自分すらも......。

 

ふとマクシミリアンの視線が盤上から重なる様に置かれた幾枚もの書類に注がれた。それはガリア国内古今東西のヴァルキュリア伝承や遺跡の在りかが記された文献だ。

それらを眺めながら――おもむろに目の前のヴァルキュリアに命令を与える。

 

「お前達にはバリアス砂漠に行ってもらう。砂漠の中にあると言われる古代ヴァルキュリア人の遺跡に侵入するのが任務だ、お前が扉を開く鍵となれ――そこに余が探し求めているものがあるはずだ」

 

古代ヴァルキュリアの遺物はヴァルキュリアの血を引き継ぐものにしか扱えない。遺跡でも同様のギミックが施されていて、ヴァルキュリアにしか扉を開く事が出来ないのだ。それ故、マクシミリアンがその血に連なる者であるとされるプルトにその命を与えた事は至極当然のことでもある。

 

残念そうにしていたプルトもまた自らに求められる役割を自覚して私事(わたくしごと)を振り払った。

......今はまだセルベリアに勝つ見込みは薄い。ならば次に会う時まで、強くなっていればいいのだから。そう思い返事をした。

 

「分かりました、全てはマクシミリアン様の仰せのままに」

 

..............。

 

 

そして、一通りの指示が終わった頃合いである―――それは起きた。

コンコンと扉を叩く音。部屋の前に立つ衛兵からのノックである。

平常であれば鳴らないそれにマクシミリアンは訝しんだ。何用かと疑問の声を扉に向かって投げかけた。

 

「何事だ?」

「―――私事中のこと申し訳ありません、来室の方が訪れまして。許可を求めております」

「なに?そのような者が来るとは聞いていない。いったいどこの誰だ」

 

疑念の色が濃くなる。ドライシュテルンが発った今、この日、この時間にやって来る者に心当たりがない。

.....まさか、もうあの男が来たというのか?。

チラリと視線を傍に立つプルトに向ける。が、その表情からしてどうやら違うようだ。

ならばいったい誰が。

 

「もしや....」

 

薄く驚きの色が混じった呟きが漏れる。衛兵が来客者の名前を告げた。

 

「遊撃機動大隊『大隊長』セルベリア・ブレス大佐です」

「.......分かった。通せ」

「は!」

 

的中した名前にやはりかと思いつつ、彼女の来客を意外に感じた。

あれだけ脅しつけてやったのだ。こちらが味方でない事はあれも分かっているはず。あえて緊張状態を形成したのもセルベリアの動きを制限させるためだ。連邦と帝国の戦争が終わるまでこの要塞に封じ込めておくために。

勝手な動きができないよう監視も付けさせた。奴らの報告からは何も問題は起きていなかった。

ならばいったい、お前は何をしに来たセルベリア・ブレス......。

 

考えを巡らせていると許可が降りた事で居室の扉がゆっくりと開かれる。

そこから蒼い銀髪を靡かせながらセルベリアが現れた。

やはり昔見た時とは比べものにならない強い意志を感じさせる紅い瞳がこちらを見抜く。

マクシミリアンもまた泰然とそれを見返した。

 

「突然の事ながら来室の許可を頂き感謝します」

「うむ」

 

兵士達の模範にできそうなほど流麗に構えていた敬礼を解いたセルベリアが口を開く。

先ずは何てことの無い礼を述べながら話し始め。それに軽く頷くマクシミリアン。

 

「して.....何用で此処に来た。まさか遊びに来たと云うわけではあるまい。こう見えて余は格式ばった口調は好まん、単刀直入に申すがいい」

 

いっそ鮮やかにマクシミリアンはいきなり話の核心に切り込んだ。相手の反応を窺う為でもある。

しかしセルベリアは動揺を見せず「では手短に....」と一呼吸置いて言った。

 

「申し上げたい事はただ一つ。私達『遊撃機動大隊』の異動許可を与えて頂きたく参上仕った次第です」

 

セルベリアの言葉を聞いたマクシミリアンは思わず気が抜けた。

何というか拍子抜けである。

まさか先日の事を忘れたわけではあるまい。それとも心変わりしている事に一縷の望みをかけたか。

だとするなら残念ながらこちらの答えは変わらない。

 

「その事なら言ったはずだ。貴殿はガリア攻めに協力していだだく。離隊させるつもりはない、当然ながら異動の許可は与えない。大方ラインハルトの元に向かいたいのだろうが、私設軍であるラインハルトの部隊に帝国軍兵を援軍として送ることは帝国法で禁止されている。それを知らないセルベリア大佐ではあるまい」

「はい、確かに貴族などが権利の濫用で恣意的に帝国軍を動かせないよう法で禁じられているのは知っています。ですが帝国軍であれば何の問題もないはずですね?」

「.....なにを言っている」

 

セルベリアは懐から一枚の封書を取り出して。睨みつけるマクシミリアンの前に置いた。

それを見たマクシミリアンの目に初めて動揺の色が灯った。

何故ならその紙には帝国の軍用官印が押されていたからだ。

軍用官印とは帝国軍が正式に発行したという証でもある。

つまりそれは皇帝の意志そのものと言っても過言ではない。

 

「軍の指令書......いえ、厳密には招集命令書と言ったほうが正しいでしょうか」

「招集命令だと、まさか.....!」

 

封書の中から発行紙を取り出すとその内容を読む。

内容にはこうあった.....。

 

『皇帝の名のもとに命ずる。

全権総指揮者ラインハルト・フォン・レギンレイヴ上級大将は第八都市駐在全私設部隊を率いて帝国軍に参列せよ。時刻三月の終わりまでに必ず帝都に入り、皇帝に拝謁の儀を賜る栄誉を受け。新たな指令を授けるものとする』

 

これの正体を語るには今から一月ほど前まで遡る事になる。

二月も終わりと成った頃に皇帝がラインハルトに送った命令書だ。

ラインハルトがセルベリアをお共に帝都に向かう事となった原因でもある。そして既に謁見が終わり意味の無い紙切れかというとそうでもない。時刻は三月の終わりまでと書かれているので期限は切れておらず、無茶苦茶だが使えると云えば使えるのだ。

つまりどういう事かと云うとセルベリア達はこの命令書に書かれた内容を逆手に取ってガリア方面軍からの離隊を画策しているのである。この話しのミソは~ラインハルト・フォン・レギンレイヴ上級大将は第八都市駐在全私設部隊を率いて~の文だ。この文章での見方を変えれば指揮者であるラインハルトに率いられるため彼の元に集まらなければならないと解釈できない事もない。

 

「―――ですので私達は招集命令の範囲内に含まれていると考えガリア方面軍を離隊し帝都に向かう必要があります」

説明を述べつつそう言ったセルベリアに、マクシミリアンは怒気を露わにした。

 

「ふざけるのも大概にせよ!このような子供の戯言の様な理屈で通ると思っておるのか!例えこの命令書が有効で貴様の屁理屈が通ったとしても―――やはり帝国法に基づき一私設部隊でしかない奴に部隊は送れん。なぜならあ奴は帝国軍の指揮下に入っておらんのだからな!」

「いいえ、ラインハルト様は帝国軍の指揮下にあります」

「なんだと、どこの軍だというのだ」

「それは―――ハプスブルク州駐在軍です」

 

帝国軍というのは基本的にどの貴族領にも逗留している。

外敵から国土を守る防衛戦力の役割を持つ帝国部隊。

だがそれとは別に貴族の内乱防止のための抑止力という側面も持っている―――が、ラインハルトの自領であるハプスブルクにもそれは存在した。

 

「これがその証です。皇帝陛下の招集令が来た時に一緒に送られてきたものです」

 

手渡された指令書を見てマクシミリアンは唸り声を上げる。

 

「そうか、気づくべきだった.....私設部隊にしては上級大将などとあまりにも位が高すぎる。帝国第3機甲軍の全権を手に入れていたか」

 

恐らくその軍は本来であればガリア方面軍と合流する手筈になっていたのだ。皇帝がラインハルトに与えるはずであった軍隊。ラインハルトがその話し自体を蹴ったせいで曖昧霧散としていたが権利そのものは失われていない。

 

皇帝の意向が込められた命令書の強制力と正式な帝国軍編成書がある以上、もはや法によってセルベリアを縛る事は出来ない。認めなければ今度はこちらが皇帝の意に反するとして疑われかねない。ただでさえ本国が攻撃を受けている中、ガリア進攻を強行しているのだ。こちらの腹を探られるかもしれない、可能性はゼロではないだろう。

自身の目指す先を考えるならば、今、帝国の諜報機関に動かれるわけにはいかなかった。

 

「......よかろう、現時刻をもってセルベリア大佐および遊撃機動大隊の離隊を認める」

 

表面上は冷静に告げていたが、内心(はらわた)が煮えくり返る程の怒りを感じていた。現状を唯々諾々と認めざるを得ない事に納得がいかないのだ。

 

「感謝します、それでは私はこれで失礼いたします。マクシミリアン様もお達者で」

「ああ、貴様の働きにはこちらも感謝の念が拭えない。要塞戦の勝利を祝した宴を開こうと思うが如何か?」

「ありがとうございます。ですがそれには及びません、帝国軍人の務めを果たしただけですので失礼ながら辞退させていただきます。それに戦いはまだ終わっておりませんので.....」

「.......そうか、見事な心意気よ、セルベリア大佐こそ帝国の誉れであろう、また会える日を楽しみにしている」

「ええ、私もです」

 

お互い表情を微塵も変えずに言葉を交わし合う。ニコリとも笑わない。それを最後にセルベリアは退室した。

背中を見送ってバタンと閉まる扉。

静かな時が過ぎる中、それまで黙っていたプルトが口を開いた。

 

「よろしいのですか?このまま行かせてしまっても」

 

単純な疑問から掛けられた一声に、目を閉じて黙考していたマクシミリアンがふと盤上の駒に目を向ける。蒼銀の輝きを放つ馬型の駒をジッと見て。―――それを盤上から取り除いた。

 

「用済みの駒に価値はない。カラミティレーベンに通達、本国の帰路につく遊撃機動大隊を急襲しセルベリア・ブレスを―――抹殺せよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★    ★    ★

 

 

 

 

 

 

帝国側に面する要塞の外の一角にズラリと屈強な兵士達が整列していた。

戦争で受けた傷もすっかり良くなり無事に全快した遊撃機動大隊の面々である。

前もって彼らの敬愛する大隊長殿に待機しておくよう命じられていたのだ。

激しい戦争によって百名近くが殉職したとはいえ、前よりも血気に溢れている程に士気が高い。

整然と立ち並ぶ彼らの前にセルベリアが現れる。気付いた兵士達は身を引き締めた。緊張感が立ち込める。

眼前の兵士達を見渡すと言った。

 

「待たせたなお前達、これより我らは本国に帰参しラインハルト様の元に向かう。既に既知の者もいるかもしれんが現在、帝国は連邦軍の進攻を受けている。この要塞戦を遥かに超える激しい戦火に見舞われるであろう事は明白であり全滅の可能性すらありうるだろう。だが我らに同胞を見捨てるという選択肢は存在しない!立ちはだかる敵は全て焼き払い!刃に傷つき倒れ死ぬのが我らの役目だ!味方を鼓舞し民を救い主君を守れ!それが我ら遊撃機動大隊の存在意義である!!」

「―――応っ!!!」

「乗り込め!」

 

セルベリアの号令に従い、各々は迅速に動き。各小隊に割り振られた軍用車に素早く乗り込む。

軍用トラックのジェネレーターが青く稼働を始める。一瞬で物々しい雰囲気が形成された。

それを見て取るセルベリアも自身専用の軍用車に向かい、助手席に乗り込む。

 

「――ん?」

 

そこで気づいた。なぜか運転席に見慣れた人物が座っていたのだ。

艶やかな黒髪にどこか浮世離れした雰囲気の女官―――ではなくメイド服に身を包むエリーシャである。

やや戸惑った表情で言った。

 

「なぜお前がこっちに居る」

「正規のルートでは時間が掛かり過ぎますので、少し特別な急ぎようの道を使います。なので私が案内をします」

 

ドライビング用の黒手袋をキュッと装着しながら微笑む。

成程そうかとセルベリアは頷き。

不安そうに「戦が始まる前に間に合うか?」と問いかけた。

するとエリーシャは首を振ってこう言った。

 

「この作戦は恐らく戦争前に間に合ってはいけないのです。一番はタイミングが重要です、早すぎてもいけず遅すぎてもいけない。一応日にちは調整はしたので大丈夫だと思うのです。ラインハルト様の指定した日に合えばいいのですが」

「作戦、調整?.....お前まだ何か私に隠している事がないか」

「......ふふ、それでは行きます」

 

言うと思い切りアクセルを踏んだ。足で踏まれた軍用車は泣き叫ぶようにラジエーターの稼働音を響かせ勢いよく動き出した。

急激な加重に驚きの声を上げるセルベリア。抗議の視線を向ける。声も上げようと思ったが止める。今は一刻も早くここを離れた方がいい、そう思ったからだ。

 

なので次点で気になっていた事を聞いてみる事にする。

 

「それで。今から向かうのは何処だ、ニュルンベルクではないのだろう?」

パチクリと目を瞬かせる。

「おや、良く分かりましたね」

セルベリアは当然だと頷き自信を持って言った。

「分かるさ、あの人がこの状況で何もせず手をこまねいているだけのはずがない。きっともう動き出している筈だ、何か大きなことをしようとしているのではないだろうか......」

「正解です、計画通りであればラインハルト様は―――」

 

そしてエリーシャは言った。次なる戦場の舞台となるその名を。

 

「―――連邦との国境線、帝国西部の最前地帯『ハイドリヒ』に向かったはずです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第一章『連邦軍撃退編』開幕!


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四十一話 連邦軍撃退編

征暦1935年 3月16日。

その日、円環の都とも称されるニュルンベルクの朝は一人の少年から始まりを告げる。

 

「号外、号外だよーー!!ガリア公国に攻め入った帝国軍が大勝利をおさめたよ!!何とあの難攻不落のギルランダイオ要塞をたったの一日で落としちゃったんだ!!詳しくはこの新聞を読んでね!」

 

ニュルンベルクの広場に少年の呼び声が響き渡った。

特徴的な紺色の髪をしている、ダルクス人だ。彼は皆に届けと喉を震わせ、肩掛けバッグの中から何十枚と刷られた新聞を取り出して特大のニュースを披露する。

その声に釣られた一人が新聞を買いだすと、さらに大勢の人が新聞売りの少年の周りに集まる、広場はたちまち活気に包まれた。

みな一様に新聞を読んでいくと喝采を上げる。新聞には見出しでこう書かれていた。

 

『皇帝の名のもとに発足したガリア方面軍が中立国ガリアに圧倒的勝利をおさめる!!』

 

続けて内容には難攻不落のギルランダイオ要塞をたった一日で落とした事や、帝国の攻勢に対してガリアは卑劣な策を取ったがコレを完璧に打ち破って軍の被害は軽微だと書かれてあり、ガリア方面軍への称賛と美辞麗句がこれでもかと紙面を埋めつくしている。

 

それを読み上げては―――ほら見た事かと、帝国に敵対するからこうなるんだと民衆は声高に言い。そうだそうだと周りも賛同の声を上げる。

それはそうだ。大勝利を上げたのだから帝国人として嬉しくない筈がない。

勝利の報に沸き立ち。その喜びを共有したくて家族の元に駆けていく。この町からも軍に入った者は数多い。ガリア方面軍に配属された家族もいるだろう、駆けて行ったのはそういった者達だ。

 

バッグから溢れんばかりに入っていた新聞はあっという間に無くなっていった。その様子に売り子の少年も満足気だ。平時は売れにくい新聞も勝利の報にはみんな飛びつく。勝利というものはそれ程に人を惹きつけるのだ。だからこそ、紙面に書かれている事が、百パーセント事実である事はないと確信をもって言える。なぜなら出版社は真実の中に虚実を混ぜる事で民衆受けするように書いているからだ。誰も帝国の兵士が何人死んだかなんて知りたくない。そういった負の面は隠される事が多いのだ。

恐らくこの新聞もまたその典型例であろう。

 

帝都で人気のある帝戦社らしい字面だ、とラインハルトは帝戦新聞を読みながらそう感想づけた。

 

ラインハルトが居るのは広場の一角にあるカフェテラス。上品かつシンプルな様式で作られた席の一つに座っていて、呆れた事にサングラスを掛けるだけの最小限の変装で済ませている。この町の城主たる男が外に出ているのにそれでいいのかと思わなくもないが現に誰もラインハルトに気付いた様子はない。

 

そんな暇もないのだろう、みんな勝利という美酒に酔いしれて浮かれていた。

中には国歌まで歌い出した若者達までいる、誰もが新聞に書かれている事を真実と決めて疑っていない光景を眺めながらラインハルトは先んじて注文していた紅茶で喉を潤す。

 

「.....。真実なのだろうが、さて、どこまでが本当なのだろうな」

 

全てが嘘ということはないだろうが、どこかに虚が潜んでいるのも事実だ。先ずは疑って見極める必要がある。

なぜならラインハルトが知りたいのは民衆が喜ぶ張りぼての情報ではなくその先に隠された真実なのだから。

面倒な事をしている自覚はあるがラインハルトにはそれをする理由があった。

 

それは―――セルベリア達の安否を確認する為である。

 

というのも事情があり、前もって言うがラインハルトには昨夜の内に情報省から要塞陥落の報告が来ている。だったらなぜこんな事をしているのかというと、その報告に不備があったからだ。己の腹心であるセルベリア含めた遊撃機動大隊の安否確認が未だ取れておらず。引き続き報告を待ったが一向に返って来る気配がない。あるいは意図的に報告が打ち切られた可能性があり。誰がそんなことをするかというと一人しかいない、兄上マクシミリアンだ。

 

理由は恐らく情報規制の為だろう。

だが情報というのはどれだけ必死に隠そうとしてもどこからか流れてしまうものだ。

現にこうして手元にある新聞は戦場に従軍する記者が書いたものだろう。

ならばどこかにセルベリア達に関する記事があったとしてもおかしくはない。

覚醒したヴァルキュリアほど戦場で目立つものはないからだ。

それがないということは規制をかけられている可能性が高いという事でもあった。

 

その証拠に新聞に載せられている写真はどれも当たり障りのないものばかりだ。例えば兵士が戦場を駆ける姿であったりだとか談笑する場面を切り取ったものであったりと、見栄えのするものばかりである。

だがそれでも、どこかにあるはずだ。探し求める情報の一片が。規制の裏をかいて記者が伝えようとする真実がどこかに。

 

だがどんなに調べてもセルベリアに関する記事は一つも()()()()()()

全ての紙面を読み上げて。これ以上は調べても有益な情報は得られないかと思いかけたその時、

とある写真に目が留まる。

それは戦勝記念に撮ったのだろうギルランダイオ要塞の門の前に並ぶ帝国軍の将校達。

注目すべきは彼らではなく、その後ろに鎮座する門だ。戦前は立派な門構えだったであろうそれは特徴的な円形の破壊痕のせいですっかりと変わり果てた様相を見せている。

 

「.....ヴァルキュリアの光」

 

それはまごう事なく蒼き光の力による破壊の痕だった。数日前に兵器研究試験場のドームに空けた穴と酷似している。覚醒したセルベリアがこれを行ったのであろう事は想像に難くない。

命令通り思う存分セルベリアは暴れまわった事だろう。その姿に思いを馳せ浮かぶ笑み。

 

しかし、と浮かべていた笑みを消す。これほどの活躍を公にしないのは何故だ。

考えうる理由は幾つかあるが一つは、セルベリアの武勲を横取りする目論見。だがこの可能性は低いだろう。

そんなことをする意味がないからだ。

 

可能性が高いものとしてはセルベリアの存在自体を抹消しようと云うものだ。

勘だが恐らくこれだろう。恨まれているからな俺は。そう思うと我ながら可笑しなものだ。俺のことを憎んでいるであろう兄上の元に何よりも代えがたい腹心の二人を送り出したのだから。狂っていると言われても仕方ない。

 

だが、それでも果たしたかったのだ、あの時の約束を。大切な兄との最後の絆だったから......。

それも、もう失われた。

 

兄上は俺との約束という最後の柵を断ち斬った。もはや俺のことを敵としか見なさない事だろう。危険なのはセルベリア達だ。目的を果たし用済みとなった彼女たちの首を兄上は冷酷に切る恐れがある。セルベリア達の情報が規制されている時点でそれは明白。そういう男だマクシミリアンとは。

故に、先んじてエリーシャには策を施している。アレがあれば兄上も無理に手は出して来ない筈だ。何も問題はない―――と分かっているのだが。

 

それでも心配になって、こうして民間の情報メディアを使ってまで調べているのだから。女々しいものだ。一時は手放そうとさえ思っていたのに、いざ居なくなればそれに耐えられない。常に傍に居てくれるあいつがいないとこうも不安に襲われる。

 

「.......やはり俺は将の器ではないのだろうな」

 

もっと泰然と振る舞うべきなのだろうが難しいものだ。軍隊を指導するよりも家庭菜園で花を育てる方が性に合っている気がする。この戦争が終わったらそうするのも悪くない。

 

「その時、リアは一緒に居てくれるだろうか......?」

 

物憂げな様子でラインハルトは空しく呟いた。

勿論セルベリアが隣の椅子に座っているはずもなく。返ってくるのは無音である―――かに思われたが背後から音もなく忍び寄った人影が代わりに返事をした。

 

「それは分かりかねますが、勝手に出歩かれて困るのは確かですな」

「む?」

 

声に釣られて振り向いた先には男が立っていた。

これといって特徴のない凡庸な顔つき、質素な服装と相まって一見すると平民にしか見えない。

その男を見てラインハルトは口元をニヤリと歪ませる。

 

「なんだギュンターか、居たのなら先に言ってくれればいいものを人が悪いな」

「失礼、ですが城下に出るのであれば自分に一言、言って欲しかったものです......」

「言わずもがな最初から気づいていただろうに、どうせ他にも居るのだろう?」

 

広場を見渡すがそれらしき護衛の姿は窺えない。目の前の男の様に平民を装って陰ながら護衛対象であるラインハルトを守っているのだろう。頭が下がる思いだ。

だったら勝手に動くなとツッコまれそうだが仕方ないこれが性分なのだから。

 

「それで、どうかしたか」

「先ほど通信がありました」

 

―――途端にラインハルトの目が鋭さを見せる。

それまであった空気が霧散していた。纏う雰囲気が明らかに変わる。

低い声でラインハルトは訊ねた。

 

「どっちだ?」

「西です」

 

ギュンターは簡潔にそれだけを述べた。他人が聞いても訳が分からないだろう。だがラインハルトにとってはそれだけで十分だったのか即座に席から立ち上がる。

 

「......やはり連邦は動いたか。恐らくガリア方面軍の動きが切っ掛けになったのだろう.......。各部隊長を呼び出せ。これより........軍議を行う」

 

ラインハルトは自らを将の器にないといったがそれは違う。確かに争いを好む気質ではないのは確かだが、軍の上に立つ資格を彼は持っている。

なぜなら、()()に向けて歩き出すラインハルトの目には既に、

戦いに赴く将としての輝きが灯っているのだから.....。

 

 

 

 

 



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四十二話

ギュンターからの報告を聞いたラインハルトは、ニュルンベルク郊外に設置していた軍議用天幕に向かった。急ぎ天幕に足を踏み入れると、時をおかずして続々と他の副長達も集まった。

後は残る最後の将達を待つばかりである......。

 

「―――失礼するぜ!すみやせん大将!準備に手間取っちまって遅れた!」

 

野太い男の声が室内に響き渡る。

声の正体は『突撃機甲旅団』団長のオッサー・フレッサー准将。―――が豪快に天幕の戸を開け放ちながら開口一番で言ってきた。遅刻しておいて悪気はこれっぽっちもない様子に、ラインハルトの横で補佐をしていた『皇近衛騎士団』団長のシュタインは苦言を呈した。

 

「オッサー准将、何をしておられたのですか。隊長格はすぐさま出頭せよとの命令だったはず」

「ワハハ!そう怒んなって、Ⅸ号重戦車(ケーファー)の配備具合を確かめてたら時間が掛かっちまったんだよ」

 

オッサーはやはり悪気もなく言った。

 

(きゅう)号重戦車ケーファー』

帝国陸軍主力機『(ろく)号重戦車B型ティーガーⅡ』改良発展型戦車の名称である。

最新型戦車であり中型戦車の完成形とも目されるⅨ号は火力・防御力ともに従来の重戦車を遥かに凌ぐ性能となっている。更には欠点であった機動力は新型ジェネレーターを搭載した事でパワー不足を払拭。足回りも強化してあった。特徴はその大きな70口径10.5cm戦車砲にあり、車体は一回(ひとまわ)りも巨大で総重量はなんと中型戦車としては驚きの33tである。

 

開発コンセプトとして『傑作機90t級(なな)号戦車レーヴェの性能を基にした後継機』というのがあり、原型であるⅥ号重戦車B型ティーガーⅡとの合いの子でもある。

因みにニュルンベルクで保有するケーファー戦車の多くが、本来であれば各戦線に送るべき軍需物資なのだが、この際、多くは語るまい。だからこれが軍規違反というやつかもしれないが聞かなかったことにしよう。緊急事態という言い訳も立つ......はずだ。

 

とにかくそれをオッサーは此度の戦争で実戦投入する気でいるらしい。

量産体制が万全の開発生産都市であるニュルンベルクなら数を揃えるのは容易く、既に三百輛以上ものⅨ号ケーファー中戦車を保有していた。

実質上、現行におけるラインハルト私設部隊最強戦車である。

 

つまりオッサーの言う準備とは保有するケーファー戦車全てを突撃機甲旅団に再配備して組み込んだという意味だ。

確かにそれは時間が掛かるのも仕方ない。むしろ良く今日までに間に合ったものだと感心する。

 

「許す、早く席に着け」

「おうよ!」

 

オッサーが大人しく座るのを確認すると、ラインハルトは天幕に居る全員をゆっくりと左端から順に見渡す。傍に控えるシュタイン・ボロネーゼ准将を除き、ウェルナー・ロイエンタール中佐、リューネ・ロギンス少佐、最後にオッサー・フレッサー准将。以下四名が円卓の席に座っている。

おもむろにラインハルトは口を開いた。

 

「これより軍議を始める」

 

その言葉で明らかに空気が引き締まった。すかさずシュタインが概要の説明をしていく。

説明は事の始まりであるニュルンベルクに入った通信から始まる。

 

「一刻ほど前に、ハイドリヒ領より通信が入りました。内容は連邦国軍の大規模侵攻を確認したというものです」

「......前もって大将から言われてたから準備だけは進めてたけどよ、いざ本当に事が起きるとはなあ」

「以前より大戦の流れはあった。七年前のダゴン会戦から今まで奴らは動員する兵力を抑えていた。小規模の戦にとどまり、防衛戦に務めていたのも全ては此度の為だったのだろう」

「つまり今まで圧倒的に帝国が有利だと思われていたのは連邦の罠で、その偽りの姿に帝国軍は騙されていたってわけですかい」

「そうだ」

 

これまで連邦が帝国との戦線を膠着状態に維持していたのは、一大反攻作戦を始動するための時間稼ぎだったのだとラインハルトは確信する。皇帝は膠着する戦線の打開策としてガリア攻めを行わせたが、意図せずそれが連邦軍が待っていた最後の切っ掛けとなってしまったのだ。実はというと新たに発足したガリア方面軍、その兵力は西方戦線から抽出されたものだ。なぜ最前線から兵力を出したかというと軍上層部は連邦軍が攻勢に打って出るとは毛ほども思っていなかったからだ。なぜならラインハルトが言ったように連邦はそれまで防衛戦にしか力を回さず、兵を出したとしても小競り合い程度の攻勢しかしてこなかったからだ。

 

開戦当初より帝国軍優勢の戦況である事もあって。

これを連邦軍の戦意低下と考えた上層部は、それまで過剰投入していた西方戦線からの兵力分割を認めた。

それが連邦の策だとも知らず。

帝国の目がガリアに向き、西方戦線の兵力が薄くなった瞬間を狙って―――連邦軍は進撃を開始したのだ。

全ては連邦の筋書き通りだった事を知りオッサーが歯噛みする。

 

「クソっ!大将はこうなる事を分かってたってのによ!上層部は何やってんだ凡暗共(ボンクラども)が!!」

 

上層部の不甲斐なさに悪態をつくオッサー。元々軍には過去の事もあって良い感情を向けていない。これ見よがしに悪しざまに言う事に罪悪感なぞ微塵も感じていないだろう。

 

「仕方ないさ、こればかりはな。一応帝都に行った時にも上奏したのだが聞き入れてもらえなかった。連邦の守りが堅かったのも確かなのだからな」

それでも納得はしかねるといった顔で。

「確かに上層部だって馬鹿しかいないわけじゃない。だが大将が分かってるくらいだから他にも同じ考えの奴はいなかったのかい?」

ラインハルトは首を振った。

「いなかった。だがそれも無理はない。......俺が連邦の動向に気付けたのは()()()()()()()()()()()()()に他ならないのだから.....」

 

歴史の流れ。世界は大戦に向かっている事をラインハルトだけが知る。

だからこそ連邦に潜ませた諜報員からの報告を聞いて、連邦が進攻を企てている事を予想した。

つまりこれは、

 

「連邦版バルバロッサ作戦というわけだ.......」

 

ラインハルトの口から呟かれたその言葉に、首を傾げるオッサー。いや、他の者もその言葉に聞き及びはなかったのか不思議そうな表情だ。

 

「ばるば....何ですかいそれは?」

「......ここより遥か遠い世界で起きた戦争で使われた作戦名だ。その状況と今が酷く酷似していると思ってな」

「ほおっ!そりゃ面白い!そんな話は聞いた事がないですぜ、かなり昔の話なんでしょうな。ちなみにその戦争で勝ったのはどっちなんですかい?つまり防衛側と侵略側どちらが勝ったんでしょうか......」

 

興味津々と云った表情で聞いてくる。骨身まで生粋の軍人であるオッサーからしてみれば興味のある話題なのかもしれない。

 

「.....防衛側の国だったはずだ。状況と照らし合わせれば帝国ということになるな」

「おお、ならその戦いを真似すれば容易に勝てるんじゃないですかい!!」

「だが確か....その国が勝てた要因の大きな一つは()()()()()()による侵略側の疲弊だったはずだ。その点に関して言えばこちらは今から春が来る最中、状況はこちらに甘くはないということだ」

 

まさか冬そのものを持ってくるなんて芸当が出来る筈もなく。

実現不可能な事だと知り期待満面だったオッサーは一転して残念がる。

と、そこで脱線しかけていた話を戻す為にシュタインが熟黙を止めた。

 

「この軍議の目的はラインハルト様がこれより如何なる方針を下すかを決める場です、余計な話は慎んでください」

「へいへい、分かってるよ」

「......そうだな、それでは単刀直入に言うとしよう。我が軍の方針は無論、連邦軍との一戦を交えるというものだ。それも今すぐに向かう」

 

その言葉に反応したのは金銀妖瞳(ヘテロクロミア)を持つウェルナー。驚いた様子でラインハルトに訊ねる。

 

「今すぐにですか?それはつまり帝国軍本隊を待たずにということですよね」

「そうだ」

「それは流石に無謀です殿下!帝国軍が結集するのを待って、僕らも軍に再編されましょう」

 

いつになくウェルナーは声を張り上げ、必死の様子でラインハルトの考えを思い止まらせようとする。

こちらの部隊数は総力を上げても一万に満たないものだ。連邦の一軍と戦えるかも怪しい。だというのに数十万を優に超える連邦軍と戦うなど自殺行為にしかならない。

故に、ここはいったん味方である軍の元に向かい再編成されるべきであるとウェルナーは持論を説く。

ウェルナーの言っている事は正しい、だがそれでもラインハルトは首を振って。

 

「お前の言う事も一理ある。だがそれでも俺は向かわねばならんのだ。あいつを、友を助けに行かなければならない」

ラインハルトの言う相手が誰なのか直ぐに察した。

「.....ハイドリヒ卿の事ですか」

「ああ。あいつの領土であるハイドリヒは西方戦線と面している。たとえハイドリヒ駐在の軍が防衛線を繰り広げていようと、本隊が結集する前に蹂躙されてしまう。あいつはきっと民を見捨てて逃げようとはしないだろうから、最後まで戦うはずだ、本隊を待っていてはきっと間に合わない。だから俺は手遅れになる前に救援に赴く」

「なぜそこまでして.....!」

 

それほどに危険を冒してまで向かうつもりなのかウェルナーには分からなかった。

いったい何が主をそうまで駆り立てるのか、その理由を知りたい。

ラインハルトは語る。その胸の内を、隠すことはしなかった。

 

「それはアイスが俺の友である以前に命の恩人でもあるからだ」

「っ!」

「七年前のダゴン会戦を覚えているな?」

「.....勿論です、殿下と班は違えども、僕もあの会戦を経験した身ですので」

「ならば知っているはず、俺が戦場で死に瀕していた事を。その時、救援に来てくれたのがあいつの部隊だった。以来、俺はアイスと断金の契りを立てた。もしあやつが窮地に陥った時は必ず俺が助けに駆けつけると!故にこれは決定事項だ、認められぬと言うのであれば一人でも俺は行くぞ!」

 

言うとラインハルトは立ち上がって本当に天幕から出て行こうとした。

唖然とするウェルナー。ラインハルトが天幕の戸に手を触れようとした時、アッと声を上げて慌てて制止する。この人なら本当に一人で行きかねないと判断したのだ。

 

「お、お待ちください殿下!分かりました、認めますから!軽率な行動だけはおやめください!」

「........であるか」

 

あっさりと振り向いたラインハルトは満面の笑みでそう言った。悪い冗談だ。

その笑みを見てハアっと項垂れるウェルナー。最初から分かっていたのだ殿下を止められる訳がないと。

 

......だけど仕方ないじゃないか!殿下の暴走を止められる者が今は僕しかいないのだから。シュタイン准将もオッサー准将もリューネ少佐も殿下の悪ノリを止めようとしない。

むしろオッサーやリューネは煽るタイプだ。殿下を止められるのはあの人しかいない。

早く帰ってきてくださいセルベリア大佐、僕じゃあこの人たちを相手にしきれません.....!

 

哀愁漂う面持ちでセルベリアの帰還を願うウェルナーだった。私設部隊長の中で一番の最年少であり随一の苦労人である。そんなウェルナーの心配をよそに、座り直したラインハルトは言う。

 

「とはいってもウェルナーの心配は最もだ。俺とて何の策もなしにこんな事を言いはしないさ」

 

ラインハルトの言葉にそれまで無言を貫いていた男が口を開く。特殊部隊隊長のリューネだ。

 

「お前さんが考えなしに言ってない事はこいつも分かってるさ、だけど、どうする気だい?百万以上からなる大軍勢なんだろ?だとすれば連邦は必ず一地方においても十数万から数十万の大軍は動かしてくる、こんな小勢の生半可な作戦じゃ磨り潰されるのがオチだぜ」

 

まるで連邦軍の事を熟知しているかのような物言いである、いや、実際この中でリューネほど連邦軍に詳しい者は居ないだろう。なぜならリューネ少佐は元はといえど連邦の軍人だったからだ。とはいっても元々の国籍は帝国だ。どういう意味かというと連邦に亡命した後、その後どういった経緯があったかは知らないが彼は帝国に戻って来たのだ。

だが二度も亡命した恥知らずのリューネ・ロギンスに帰る居場所はなく。軍の中においても酷く冷遇されていた。

そんな時、捨て駒程度に扱われていた彼の部隊を拾ったのがラインハルトだ。

 

「お前さんが親友(ダチ)に救われたように俺はお前さんに救われた恩がある。だからお前さんが行けと言えばどこにでも行ってやる。どんな死地だって潜ってやるさ、だけどお前さんが無駄死にする事だけは絶対に避けなきゃならねえ。ここにいる全員がそう思っているんだぜ.......」

「無論分かっている、お前達の忠心は痛い程にな。故に俺はずっと前から綿密な計画を立てていた。この戦いには勝つ上で三つの鍵が必要となる。その鍵となる重要な存在の一つはお前達であり、もう一つは.....」

「―――失礼する」

 

その時―――厚い布の扉がバサリと翻ったかと思うと天幕の中に一人の男が入って来た。

それほど背が高いわけではないが引き締まった肉体をしている偉丈夫だ。帝国軍の黒い軍服を身に纏い、明らかに将校としての雰囲気を備えていた。

 

その男こそラインハルトが待っていた最後の将であり、この戦いに勝つための鍵の一つ。

 

「.....待っていたぞウォルフ。いや.....。ハプスブルク駐在帝国第三機甲軍司令官ウォルフ・ミッターマイヤー中将......!」

 

帝国の勇将と名高いその男――ウォルフは精悍な顔つきに穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ええ、参りましたぞ。主君の命により殿下の力となる為に。......少し遅れてしまいましたかな?」

「いや、無理を言ったのはこちらだ。それにこれほど早く来てくれるとは思わなかったぞ」

「軍は先に西部に移動させています。此処に来たのは私を含め護衛の少数だけですので」

 

ラインハルトはセルベリアが発ったその日に、ウォルフに向けて通信を送っていた。連邦が近々動く可能性がある事と軍の編成をしておいて欲しい旨を。

そして今日、ハイドリヒからの通信があったのと同時に合流する通信を送った。

 

だが帝国第三機甲軍は大勢だ。移動力はお世辞にも早いとは言えず、その強大さが逆に足枷となる事を理解していたウォルフは軍を既にハプスブルクの最西域に向かわせていた。これで身軽となった彼らは最小限の部下達を引き連れて此処ニュルンベルク郊外にやって来たのだ。最悪、後で合流するのも仕方なしと考えていただけに嬉しい誤算であった。

 

指揮権委任書を取り出したウォルフがそれをラインハルトに手渡した。

 

「それでは我が軍の指揮権を譲渡します」

「承った」

 

これで帝国第三機甲軍10万6千がラインハルトの指揮下に入った。

連邦軍と戦う為の駒は揃い。あと必要なのは舞台だけだ。

そしてそれは既に用意されている。整えられている。

これより激戦地の一つとなるであろう、友が待つ辺境のハイドリヒ領。

そこが決戦の地となるだろう。

 

「座ってくれウォルフ。これより策を話す、連邦軍と戦う為にあいつと共に計画した我が策を.....」

 

そしてラインハルトは連邦に勝つための最後の鍵である策を話しだすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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四十三話

昨夜から降っていた雨は、昼前になってようやく上がった。大変有難い。なにしろ春先とはいえ外気は未だ冷たく、濡れて凍えるのは流石に遠慮したいからだ。

 

行進する戦車の上から外を見下ろすアイスは自分の部隊を眺める。

行軍中だから不思議はないが、みんな口数が少ない。しかし、それにしても、静かすぎるように思う。

森と森の間を縫うように出来た街道に列をなして進む彼らは、見えない敵から身を守るようにして用心深く視線を彷徨わせていた。職業軍人である彼らがこうまでして気を張り詰めている。

その最たる理由は一言で済む。

 

―――ここが既に連邦軍との交戦地帯だからだ。

 

なのでいつどこから進攻する連邦軍が現れても不思議ではない。先を行かせた斥候部隊からの報告がない以上、いらぬ心配なのかもしれないが、何が起こるか分からないのだ。彼らにとっては連邦が攻め込んでくるというのも寝耳に水の事だったろうから。不安になるのも仕方ない。

 

......だが、とアイスは無念そうに首を振った。

唯一、自分だけは想定していた事だったというのに。このような窮地に陥ってしまうとは、これでは殿下に顔向けができないな。

こうなってしまったのは全て自分の不徳の為すところだ。

あの時、選択を間違えなければこうはならなかった。

そう考えながらアイスは行軍を進めた。

 

 

もうじき森を抜ける――――

 

 

 

 

★   ★   ★

 

 

 

 

征暦1935年3月30日

 

アスターテ平原。

ハイドリヒ領西部に位置する地名である。

起伏のある丘陵地帯と平らな平原地帯で構成されたその地形は、見渡すほどに広大であり凡そ数十万人もの人間を優に収めても余裕がある。現に帝国軍の大規模演習場としても使われるほどだ。

そのアスターテ平原を分断して北から南にかけて境界線であるかのように東西を割く河川がある。

ライン川の名称で呼ばれ、アルプス山脈に端を発し、中部ヨーロッパをほぼ北流して北海に注ぐ川だ。

古来より西岸を連邦側(現帝国領)東岸を帝国側としてある種、国境線としての役割をもっていた。

その東岸には現在、辺境伯アイス・ハイドリヒの率いる私設部隊が駐留していた。

先んじて帝国の外敵を打ち払う辺境伯としての力を見せつけるかのように木っ端貴族とは比較にならない数万からなる軍勢である。岸際に整然と横並びの陣を構えていた。

どうやら対岸から来るであろう連邦軍をライン川の瀬戸際で待ち構えようという布陣のようだ。

 

更には対岸にも同様の陣形を組んでいて、ちょうどライン川の両岸を結ぶ大橋と合わせればH形の構えになっている。先んじて西岸と東岸を制圧した隙の無い、超突猛進型である帝国にしては珍しい。防衛側であることを活かした見事な防御型の陣形であった。

これにはいかなる大軍と云えども、ちょっとやそこらの攻撃ではビクともしないだろう。

 

しかし、このとき事態は雲行きの怪しい方向へ向かおうとしていた。

 

発端は東岸にある臨時司令部の本陣から始まる.....。

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「なぜだ伯よ!なぜ儂の意見に耳を傾けて下さらぬのじゃ!下劣なる連邦軍によって傷つけられた帝国の威信を取り戻すためには自ら討って出る他ないというのに何故分からんのだ!!」

 

熱気の籠った狭い密室の中に、男の荒い声が響いた。

苛立たしさを隠さない激情の込められた声音だ。

皺の刻まれた表情にもまた納得しかねるといった感情が色濃く表れていた。

外見は六十がらみの武人である、貴族の男は古くから()()()()()()に仕える老臣の一人であった。

睨みつける目線の先にはアイス・ハイドリヒが居た。仕えるべき主を見る目ではない。

なぜか周囲にいる半数近くの男達も同じ目をしていた。

 

「......」

 

それまで沈黙を保っていた赤毛の青年――アイスは気づかれない程度の小さなため息を一つこぼすと重く閉ざしていた口を開いた。

このままでは引っこみが付かなくなってしまった老臣に向けて言う。

 

「あなた方の言い分も分かります。ですが攻めるだけが帝国騎士の本分ではないはずです。ここは守りを固め味方の来援が来るのを待つべきだと僕は思いますよ」

 

静かに述べたアイスに対して老臣の男は顔を真っ赤にさせると苛烈に言った。

もはや叫びに近い。

 

「なりません!伯は辺境領を治める当主の本分をお忘れか!率先して動かず、ただ味方が来てくれるのを待つだけなど低俗な平民からなる帝国軍にもできる事!それでは栄光ある帝国貴族としての示しがつきません!このままでは武勇で馳せたハイドリヒの名が泣きますぞ!他の貴族共にも何と言われるか、想像するだけでも腹立たしい!ご再考をお願いしまする!」

 

方針の撤回を求める老臣を見てアイスは内心で大きくため息を吐いた。

先程からコレの繰り返しである。

 

方針の撤回。つまり老臣の男は連邦軍を防衛の構えで迎え撃とうとするアイスの考えとは逆に、こちらから討って出て攻勢に転じたいと考えているのだ。

それに関しては完全に却下と決めているアイスにとってコレは無駄な問答である。ため息の一つでも吐きたくなるというものだ。だがここにきて彼らの主張は高まりを帯びていた。引き下がる気はないといった様子だ。

 

彼らの主張も分からないではない。一刻も早く自分の領地を踏み荒らす侵略者を撃退したいと思うのはアイスもまた同様だ。それが叶うのであれば彼らに進軍命令を出す事に何の躊躇もない。

だが勝つ見込みがないのであれば話は別だ。そのような無謀をさせる訳にはいかなかった。

勝つための策があるのであれば違うが、聞いてみると返ってきた言葉は、

 

「我ら『ハイドリヒの騎士』は最強の軍団!古来より帝国の先鋒を務めてきもうした!連邦にもその勇名轟いております!その我らが攻めてきたと知れば彼奴等は恐れをなして歩みを止めるでしょうぞ!その隙に敵の只中を突き進み、敵の首魁を討ち取れば低俗な平民で構成された烏合の衆である連邦軍は瓦解する事でしょう!」

 

つまり平たく言えば敵に向かってひたすら突撃を敢行するだけである。

これで勝利を確信しているのだから始末が悪い。彼らの戦争は旧時代で止まっている。帝国がまだ騎馬隊を使っていた時の戦法だ。

......数年前もこの戦法で当主であった父も付き従っていた兄も死んだと云うのに、まだ分からないのか。

 

震えるほど拳を固く結ぶアイス。その様子を見た老臣はアイスが首を縦に振らないと察したのか、ならばと言い方を変える。

 

「伯はそれほどに味方をお見捨てになりたいのか?先ほどもヤハト砦から救援信号が届いたと聞いておりますぞ」

これにはアイスの顔も厳しい表情になる。それについては隠しておいたはずなのだが。

「あれは明らかに敵の罠です、僕たちを誘き寄せて一網打尽にしたい敵の策でしょう、乗る必要はありません」

「はて、その確証はないはず。もしかすると未だに砦の兵士達は死守しているのかもしれませんぞ、いやそうに違いない!」

 

ヤハト砦とはハイドリヒ領最西部にある砦の事だ。

連邦進攻の知らせを逸早くアイスの元に届かせた砦は、その立地故に、最も早く連邦軍に攻められ既に陥落しているはずの場所なのだ。だが、おかしな事に未だヤハト砦からの救援信号が発せられていた。これをアイスは敵の罠と断じたのだがその情報をあえて隠していた。彼らの様に砦の兵士達が戦い続けていると信じる者が出ないようにするためだ。

 

「既に後退する帝国軍の国境防衛部隊が続々と此処を通過しています、彼らが戦い続け生き延びている可能性は万に一つもありません。それ以上は希望的観測というものです、可能性の低い憶測で軍を動かすわけにはいきません」

「っ!......な、ならば防衛部隊が戦線を維持していた時に動いていれば!防衛部隊と連携して連邦軍を追い返す事も可能だったはずですぞ!それなのに我が軍は連邦の侵攻を逸早く知ったのにも関わらず帝都と他の都市群に報告した以外はこの地で二週間あまりも時を無為に費やしたではありませんか!何を考えておいでか!」

 

確かに老臣の言う通り、後退しながら戦線維持に努めていた国境防衛部隊と力を合わせる事が出来れば状況もまた違っていただろう。それは否定しない。だがそれは到底実現不可能だった事だろう。原因は目の前の彼らにある。

そのほとんどが平民で構成されている帝国軍と貴族やその子弟と従士で構成されている私設部隊は言わば水と油。平然と低俗な平民と呼んでいる彼らが、完璧に帝国軍と連携を取れるはずがない。平民は指揮官になれないと言われているが、それは内地の部隊での話だ。損耗率の激しい国境部隊には平民の指揮官も珍しくはない。

きっとどこかで軋轢を生んだはずだ、その歪みが此度の戦争における致命傷にならないとも言い切れない。戦線が崩壊する可能性だってあるのだ。ならば帝国軍と貴族の私設部隊は分けて戦うほうが邪魔をし合わないし効率も上がる。

その考えが老臣達には分からないだろう。彼らにとって平民とは使い潰す駒に過ぎないのだから。

妾の母を持ちほどんとの時間を平民として生きてきたアイスにとって彼らの価値観は相いれないものである。

 

「先ほども言った通り、救援を待ちます」

「ですが本隊の援軍はもう暫くの時間が必要なはずですぞ」

「いえ、本隊ではありません」

 

本隊を待っていないという言葉に老臣が首を傾げる。何を言っているのかと訝しむ。

 

「なにを.....?ではどこから援軍が来ると言うのですか、隣のウィップローズ家ですかな?あそこの当主が動くとは思えませんがの」

「違います......ラインハルト殿下です」

「は......」

 

目を点にしていた老臣はやがて面白い冗談を聞いたかのように笑い出す。

 

「ハッハッハ!何を言うかと思えばあの皇子がですか、七年前の初陣以来戦場に立つ事を拒否し都市に籠ってばかりいるばかりか、ダルクス人などという薄汚れた民族を重用する事で虚けと囁かれるあの皇子ですかな?」

「口を慎みなさい、それ以上は不敬罪と見なします、父の代から仕える貴方を捕えたくはない」

「だまらっしゃい!まさかあの皇子と懇意にしているという噂が本当だったとは嘆かわしい!先代ハイドリヒ卿とジーク様はフランツ第一皇子を支持しておられたというのに!」

 

未だに老臣達の多くは今は亡き先代当主の呪縛に囚われている。

彼らの生きた半世紀以上が父と共にあったであろうから仕方のない事だが、現当主であるアイスの命令も受け付けない頑固な姿勢は就任以前からの困りごとであった。このままでは碌な事にならないのは目に見えているのだが、この領地において彼らの影響力は計り知れないものがある。領地運営にも老臣達の力が必要であった事から今も改善されていないままにある。

 

恐らく正当な後継者である兄ジークが当主の座に着いていれば老臣達も素直に命令に従っていたのだと思う。彼らは平民の血を引く自分の事を当主として認めていないのだ。

だがそれでも、

 

「僕は僕だ、先代の様にはなれない。嫌でも受け入れてもらう、今の当主は僕なのだから。貴方達も僕に従ってもらう」

有無を言わさぬ冷たい気迫。感情を伺わせない怜悧な瞳が老臣達を貫く。

「ぐうっ!若造が.......!。貴様はやはりハイドリヒの器に相応しくない、歴代の当主様方が持っていた闘争の火が見られん。まるで氷のようだ......!」

 

もはやさざ波程度のこゆるぎもしないアイスの様子を氷と表した老臣はこれ以上は言っても無駄だと分かり、悔し気に顔を歪ませる。

 

「伯よ.....それでも儂らは『ハイドリヒの騎士』であることを止める事は出来んのだ」

 

諦めたのか僅かに首を振ると老臣は本陣に居た半数の騎士達を背後に引き連れて出て行った。

落ちかける夕焼けの光に消える彼らの背中が何かを物語るようであったが、それが何なのかアイスには分からなかった。正当後継者でありハイドリヒの騎士であった兄ならばもしかすると分かったのかもしれない。

 

そして歯車は狂う。

 

もしアイスが貴族という存在を理解していたらソレは起きなかった事態だ。

時に効率や計算と云った理から外れ、無謀と分かっていても体裁を重視して動くのが貴族という生き物であり、平民とは相容れない価値観をもった、別世界で生きる住人だということを、平民として生きてきたアイスは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

その一端に気付くのは翌日の明朝、西岸から彼らの部隊が消えた報告を聞いた時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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四十四話

第一次ヨーロッパ大戦は馬と鉄砲で始まり、戦車と飛行船で終わった戦争と言われている。

いまだ戦車の登場が起きていなかった時代、決戦兵科として戦場の勝敗を左右したのは騎兵だ。

銃器も現代ほど発達していなかった為に、騎兵の力は戦場において脅威であった。

戦場を暴れまわる彼らは、敵には恐れの象徴として、味方からは英雄として憧れの目で見られる、

正に戦舞台の華。

 

とりわけ帝国の騎士は他国にも名が轟くほどであり、

帝国の武を担う存在だった。

数多くの騎士団が生まれ、その多くが伝説を残してきた。

中でも有名なのが『ハイドリヒの騎士』だ。

 

彼らが帝国の歴史に現れたのは中世からの事である。

戦場に参加すれば必ず大将の首を討ち取り、味方を救い、帝国を勝利に導いてきた。

彼らの為してきた偉業は枚挙に暇がないほどで、その武功によって時の皇帝は後のハイドリヒ卿となる男に伯爵の称号を与えた、連邦との大いなる壁となるよう領地を辺境に据えて。

それがハイドリヒ辺境伯の始まりである。

 

そしてその後も彼らは無双の如き活躍をしてきた。彼らの活躍を描いた劇の演目が生まれるほどで。現代でもそれは高い人気を誇っている。

 

......だが、無敵の援軍と称された彼らの時代は唐突に終わりを告げる。

 

騎兵よりも頑強で突破力がある戦車の台頭によって。

火力は比べるまでもない。騎兵が一人の兵士を撃ち殺す間に戦車は一つの陣地を踏み潰す。

それが決定的な差となった。

次第に戦場の主役は戦車に移っていったのは語るまでもない。

すると当然ながら騎兵に対する価値は薄れていき、しまいには偵察兵の上級兵科程度の価値にまで成り下がっていった。

 

貴族達も馬から鉄の馬に鞍替えする事で時代に乗り遅れぬよう努めた。

戦場の光景が様変わりしていく中、騎兵の価値を世に示そうとしたのがハイドリヒの騎士である。

戦車が大地を駆けるのを横目に貴族の誇りである騎兵にこだわり続けた彼らは、とどのつまり時代に適応できなかった者達だ。戦車が騎兵の役割に取って代わるのを許せず、全盛の栄華に固執し続けた。

その結果が今の『ハイドリヒ軽騎兵団』である。

騎兵6000人、歩兵2000人、戦車10輌のあくまで騎兵を主体とした構成部隊。

 

古くからハイドリヒ領の一地方を治める豪族である老臣達はハイドリヒ騎兵団を夜の内に移動させた。前もって西岸を守る本隊からは最も遠い地点に布陣していたので、誰からも見咎められることなく眼前の森に入る事に成功する。

深まった森に侵入すると明かりを灯して夜間行進に切り替えた。

慎重に敵に気取られぬよう静かに進んでいく。

彼らの最終的な目的はヤハト砦に居る兵士の救出にあった。今もまだ懸命に戦う味方の元に駆けつけコレを救い連れ出す。正しく英雄の為す行いだ。それこそが帝国貴族の誇りであり。先陣を切って低俗な連邦軍を撃滅する事こそが帝国を勝利に導くための正しい行いだと信じている。

 

輝かしい栄達を取り戻すべく猛進する軽騎兵団は翌日の明朝頃には森を抜けて湿原地帯に出た。生い茂る草木が胸元辺りまで成長した一帯は歩兵には邪魔な障害になるが騎兵にとっては何の問題もない。あるとしたら昨夜から降り注ぐ雨ぐらいだ。それも馬蹄の音を掻き消して本隊から抜けるのに一役買ってくれたのだから文句も言えない。早く止んでくれるのを願うばかりである。

湿原を通り過ぎようと命令を下しかけた時、斥候からの報告が届いた。

 

「なに、連邦軍の中隊規模部隊が直ぐ傍まで来ているだと?」

 

軽騎兵団の指揮官を務める老臣の男は報告を聞いて皺のある顔を歪ませる。

もう少し後になるかと思っておったが、存外、近くまで来ていたか。

 

「ユリウス、どうする見つからぬよう迂回するか?」

 

同時代を生きた戦友でもある初老の男が馬を寄せて尋ねてきた。

ヤハト砦救出を目的とする以上、このような場所で敵に捕捉されるのは回避したい。

アイスに向かって直々に言った老臣の騎士――ユリウスは首を振る。応えは否。

 

「この大所帯では今から動いても間に合わぬ。それに、栄えあるハイドリヒ騎兵団に退却の二文字はない。敵を見付けた以上、壊滅的打撃を与えるのが我らの役目だ。たかだか中隊規模の部隊なぞ迅速に全滅させればよい。敵の攪乱にも使えるしのう」

「分かった、ならば」

「うむ、銃剣突撃をさせる.....」

 

戦闘が始まる。それを確信したユリウスは喜悦の笑みを浮かべていた。戦う事が楽しみで仕方ないとばかりに。ユリウスだけではない、周りにいる全ての騎兵達が似たような笑みを浮かべている。

ハイドリヒ騎兵団の武勇伝として語られる突撃。それをこれから為そうと云うのだ。

伝説の再来である。

子供の頃から寝物語として聞いている若き騎兵達は嫌が応にも士気が上がった。

 

士気の炎が鎮まらないうちにユリウスは陣形を整えさせた。平坦な横五列に並ばせた突撃陣形だ。時間の問題もあって複雑な形にすることを諦めシンプルなものとした。だがそれが強い。

騎兵が最も力を発揮する陣形と言っていいだろう。

全ての騎兵を投入するまでもない。700で事足りると判断したユリウスは後方で指揮を執る。

 

陣形の構築自体は十数分間という短い間で終わった。その手腕は流石と言わざるをえない。

整然と並んだ騎兵たち。馬の嘶く声だけが湿原に響き渡る。騎士は静かに敵が訪れるのを待つ。

そしてその時は間もなく訪れた。

 

遥か視界の先、湿原の奥まった森の中から連邦軍の歩兵が現れる。

森と同化するような緑の軍服に身を包んだ偵察兵だ。続々と森の中から何十人という兵士が出て来て、最終的なその数は900人に上った。二個中隊規模だ。

 

双眼鏡でそれを確認したユリウスはやはりとほくそ笑む。睨んだ通り斥候部隊だった。

あれは言わば目であり耳だ。潰すことが出来れば敵の攪乱に繋がる。指揮官の首を持ち帰れば独断専行の罪を帳消しに出来るだろう。数多の武功を立てればあの小僧とて文句は言えまい。

 

状況もこちらに味方した。生い茂る草木が敵の索敵を阻害してくれたのだ。御蔭で湿地帯の中ほどまで来た所でも敵がこちらに気付いた様子はない。

ユリウスは無言で『乗馬せよ』の合図を出す。限界まで気づかれぬよう騎士達にはあらかじめ下馬させておいたのだ。それでもまだ彼我の距離は五百メートルはあった。

だがこれだけ近づければ十分過ぎる。

 

騎士達は対歩兵用の装備を従士から受け取ると背中に掛け馬に跨る。武器は突撃銃のℤⅯ ⅯPを採用している。ツェヒマイスター社(ℤⅯ社)の最高傑作と称されるほどのマシンガンだ。

他にも同社のライフル銃ℤⅯ Karを使用する軽騎兵も多い。他の銃よりも大幅な軽量化に成功しているため馬上において扱いやすい武器となっている。

これらを区別する為に便宜上、偵察銃騎兵・突撃銃騎兵という兵科で呼ばれている。さらには隠し玉の対戦車槍騎兵などというものまであるほどだ。

 

静かに準備を整えた騎兵達。それだけで高い練度である事がありありと分かる。戦闘を間近に控えてなお、気を乱すような者は誰一人としていない。

手塩にかけて育て上げた騎兵達の様子を見てユリウスは満足げに頷くと豪快に息を吸う。

そして―――号令を下した。

 

「突撃ーーッッ!」

 

ユリウスのけたましい突撃命令が湿原に響き渡る。

瞬間―――まるで雷に打たれたかのように同じタイミングで700からなる騎兵隊は地面を踏み出した。邪魔な草原を踏み荒らし、一気に駆け抜けていく。風と一体化するような疾走感であった。

瞬きをする間にグングンと距離を伸ばしていく。

 

ここでようやく異変に気づいた連邦の偵察兵が目の前から迫ってくる騎兵の存在を認識し、何事か叫んでいる。恐らく敵の接近を報告しているのだろう。

思った通り連邦斥候部隊は慌てて臨戦態勢の様子を取り始める。その間にも帝国騎兵隊は猛進を続け、彼我の距離は遂に百メートル以内に入った。

連邦軍兵士からすると一斉に迫り来る騎兵の姿は恐怖以外のものでしかないだろう。

荒々しい馬蹄の音を聞き引き攣った顔の兵士たち、だが直前で迎撃の準備は整った。

 

「放てィッ!騎兵を寄せ付けるな!」

 

指揮官の命令の下に、銃撃が開始される。

バババババン!―――銃砲の音が響いた瞬間、何人もの騎兵達が顔を苦悶させ落馬する。距離から考えて恐らく偵察銃の弾が命中したのだろう。

それに対して突進する騎兵の勢いは衰えるどころか、やってくれたなと味方の死に憤慨する騎兵隊は軍馬の足を加速させる。

 

「抜剣せよ!」

 

先頭を駆ける騎兵の声で腰に差していた軍剣を構えだす騎兵隊。剣甲兵の扱う長剣より短く、振り回しやすい得物となっている。偵察銃や突撃銃を使用する前のサブウェポンとして使われる。

抜剣は隊長騎兵の出す最後の命令だ。つまり後はどちらかが全滅するまで戦い抜くのみである。

 

「ウォオオオオオオオ!!」

「うわああああ!?.....ガッ!」

 

とうとう一人の騎兵が敵の戦列歩兵に到達した。悲鳴を上げる目の前の兵士が突進する馬の体によって吹っ飛ばされる。車と衝突するのと大差ない。肺が破裂し血を吐いて絶命する。

騎兵はそれだけで止まらず、敵の奥深くまで入りこみ隊列を乱し、混乱する兵士を討たんと馬から降りる。

そこから先は乱戦である。目につく兵士に向かって軍剣を切り込んだ。肩口から袈裟に入り吹き上がる血しぶき。袈裟切りを受けた兵士が激痛で地面を転がる。それを助けようと他の兵士達が銃を構えるが、その前に連射される銃撃音。バタバタと連邦の兵士が倒れていく。

前から来た騎兵の突撃銃によって掃射を受けたのだ。助けられた騎兵も背中の偵察銃を構えると撃ち出し始める。

 

見れば700の騎兵隊がどんどん斥候部隊に雪崩れ込み、陣形を崩しながら攻撃を行っている。

抵抗の甲斐なく陣形の中まで侵入を受けた斥候部隊。

あちこちで上がる怒号と悲鳴が響き渡り、瞬く間に血で血を洗う戦場となっていた。

 

恨み骨髄なのはどちらも同じか、両軍は一歩も退かず。

どちらかが全滅するまで戦いは続いた。

 

決着はそれから一時間後に着いた。

 

後に両軍の決戦地からアスターテ会戦として呼ばれ語られる事になる。

その発端となる戦闘はハイドリヒ軽騎兵団の一勝で幕を下ろす。

実に激しい戦闘であったが騎兵団側の被害は驚くほど少なかった。

奇襲が成功した戦術的有利が働いた事に加え、騎士の練度が圧倒的に連邦の兵士よりも高かった事が勝利に繋がったといえる。

 

勝利に湧く騎兵達の声が湿原に広がる。

―――それも束の間の事だ。

 

後の戦史家が描いたアスターテ回想録にはこうある。

『ハイドリヒ卿の命により斥候に出ていた騎兵団が、

湿原地帯にて敵連邦の斥候と遭遇し戦闘を行う。

これを迅速な対応で騎兵を駆使した騎兵団が勝利する。

湿原に勝利の声が勇ましく響いた。

..........だが。

この直ぐ後に敵の()()()()()が現れ、これと交戦する。』

 

 

 

 

―――その時、

戦場に孤立する約500弱となってしまった騎兵隊の遥か前方にて、

三十輌近くもの中戦車が森の奥より飛び出して来た!

その奥から追随するは2000の歩兵部隊。戦車の背中に隠れる形で行進してくる。

中戦車は怒濤の勢いでこちらに向けて迫って来た。

その光景に騎兵隊は騒然とする。

 

先ほどは騎兵隊が連邦軍の虚を突いたが、今度は連邦軍が騎兵隊の虚を突く番であった。

ならばこのまま500の軽騎兵は為す術なく戦車の餌食となってしまうのか。

 

......否である。

 

「第一次騎兵隊、戦線離脱!歩兵部隊は前に出ろッ!方陣態勢をとり戦車の壁となるのだ!本隊はその後ろから追随するぞ!対戦車戦闘用意!」

 

飛び出した戦車の確認をした瞬間にユリウスはまたもや響く声で叫んでいた。湿原に轟く声を聞いた騎兵隊の動きは迅速で直ちに離脱を始める。同時に待機させていた2000の歩兵部隊を前進させると、その後ろをユリウス率いる5300の騎兵団が続く。

ユリウスは獰猛な笑みで中戦車を見ていた。

 

.....騎兵では戦車に勝てないと言われてきた。

儂らの時代は終わったのだと。違う、終わってなどいない!お前達は諦めてしまっただけだ。

儂らは歴代当主の御意志を継ぎ、示さねばならない。騎兵が戦車に勝てるという事を.......。

その為に長年かけた戦術をこれより駆使する。

 

「連邦の指揮官よ無謀と笑っているか?ならば見せてやろう。帝国最強と謳われたハイドリヒ軽騎兵団のその力!貴様らに敗北を刻んでやる!!」

 

まず先に2000の歩兵部隊が目標地点に到達した。

前から向かって来る戦車を迎撃せんと陣形を構える。

その頃には生き残った500の軽騎兵隊は戦場を脱兎の勢いで逃げ出していた。

 

凡そ二十八輌の中戦車と600の歩兵からなる連邦軍戦車部隊も逃げる騎兵隊に砲口を向ける事はなく。

戦闘意志のある前方のハイドリヒ歩兵部隊に狙いを済ませると、行進しながら砲撃を開始した。

走行中の射撃は命中率が低い。あえてそうしたのは戦車部隊の威圧にこちらが怖気づいて敗走すると考えたのだろう、いわゆる威嚇射撃だ。

....馬鹿め、それで臆する我が兵ではない。戦車と戦う為に鍛えた歩兵なのだ。

歩兵部隊が戦車を引きつけている間が好機と捉えたユリウスは命令を走らせた。

 

「ザルツ千人騎兵長は左翼から回り込み敵戦車の背後を突け!ダンテ千人騎兵長はその援護を!右翼も同様に敵戦車の背後を突く!ギルブレイクよ行ってくれるな....?」

「「了解!」」

 

年若い千人騎兵長二人の声が揃い。戦友である壮年の騎士も静かに頷く。

二人の千人騎兵長が合わせて2000の軽騎兵を率いて本隊から別動する。味方の歩兵部隊を左翼より追い抜いた2000の騎兵は曲線軌道を描きながら戦車と敵歩兵600の間に割り入ろうとした。

戦車の弱点は後部にあるラジエーターだ。そこを破壊すればどんなに頑強な戦車であろうと行動不能は免れない。燃料に引火すれば内側から爆発する。それが騎兵で戦車に勝つ唯一の手立てだ。

 

故にザルツ千人騎兵長が戦車隊の背後を攻撃して戦車の破壊を目論み、それを邪魔しようとするでろう歩兵部隊の妨害をダンテ千人騎兵長が受け負う戦法だ。

軽騎兵団副長ギルブレイクとその副官も右翼から同じ動きで攻撃を加える、挟撃作戦である。

 

その時には戦車砲がこちらの歩兵部隊に被害を出し始めていた。

負けじとこちらも対戦車槍で牽制するが、放たれた槍の一撃は戦車の頑丈な前面装甲によってダメージが通らない。ならば比較的装甲の薄い側面を狙い撃たんとすれば、戦車周りに配置された守護部隊によって狙い撃ちにされる。

 

やはり背後からの攻撃でなければ戦車にダメージを与える事は出来ない。

勝負の行方は両翼から挟撃する4000の軽騎兵に委ねられる事となる。

湿原に降り注ぐ雨はいつしか激しさを増していた。

 

 

 

はたして激戦の果てに、

 

敵歩兵の壁を最初に突破したのは年若いザルツ千人騎兵長であった。

 

戦闘が膠着するのを嫌った彼は愛用のℤⅯ ⅯP3を乱射し、防衛する戦車部隊の兵士たちを次々と撃ち殺しながら一点突破を図ったのだ。

被弾率の高い馬上という危険を押しながらもザルツは地面に降りることなく騎兵を率いて戦車の背後に回る事に成功。戦車周りに張り付いていた歩兵は残らず射殺する。戦車の背後が、がら空きになった。

 

「対戦車槍騎兵VB PL 用意!」

 

VB PLとはフォン・ビスマルク社(VB社)が開発した元祖対戦車槍の事だ。戦車を相手に想定した対抗手段として開発された対戦車兵器を軽騎兵が装備する事で騎兵でも戦車を破壊する事が理論上可能となるのだ。その代わり騎手としての高い技能が要求される。対戦車槍の携帯上、片手で手綱を操らなくてはならないからだ。

 

そしてその難題は軽々とクリアされている。ザルツの命令に一人の騎兵が反応した。

馬を戦車の背後に近づけると。

それまで中世の騎士の如く構えていた対戦車槍を中戦車の後部ラジエーター部分に向けた。穂先は蒼い結晶体を捉えている。

 

―――パシュっと乾いた音が鳴った瞬間、火薬が炸裂し発射体であった先端部分が勢いよく飛来した。俗に鉄笠と呼ばれる飛翔体は見事な精度でラジエーターに突き刺さり、その衝撃で内側に秘められた化学燃料が発火現象を起こす。結果――中戦車は内側から破裂する風船の如く火柱を噴き上げて爆破した。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()が後ろから近づいた対戦車騎兵の攻撃によって破壊されたのを確認したユリウスは会心の笑みを浮かべた。

背後に控える2000の予備部隊も歓声を上げる。これで湿原に残る敵戦車全ての撃沈を確認したからだ。

それすなわち騎兵が戦車に打ち勝った瞬間でもある。

 

彼らにとってそれは悲願だ。

中には泣いて喜ぶ者までいた。自分達のこれまでは無駄ではなかったのだと。

その通りだ、無駄な事があろうか。今この瞬間、帝国に新たな兵科が誕生したのだ。今までは自分達が便宜上使っていた偵察銃騎兵と突撃銃騎兵、そして戦車破壊の立役者である対戦車槍騎兵の三つが、実戦でも通用しうると分かった。

帝国軍務省にこの成果を報告すれば必ずや正式に新兵科として発足されるだろう。

そうなれば失われた栄光を取り戻すことが出来る。

 

 

歓喜する騎兵たち。英雄と呼ばれていた頃を幻視する。

あるいはそうなっていてもおかしくはなかっただろう。

 

だが、アスターテ回想録にこうある。

()()()()()が現れ、これと交戦する』....と。

あえて歴史家が大戦車部隊と綴ったのだ。たかだが三十輌近くの戦車が出現しただけで、こう述べるであろうか。

時に歴史書とは誇張された文章が多々見られるのは珍しくない。これもその類なのか。

 

―――真相はこうである。

 

 

 

 

 

その時、ユリウスは大地が鳴動するのを感じた。

馬の上からでも分かるほどの地面の揺れ。すわ地震かと思ったが、揺れは一定の大きさに留まり、だが時間が経っても治まる事はなかった。

それどころか少しづつ揺れ自体が近づいているように感じる。

 

「まさか........っ!?」

 

嫌な予感を感じて一筋の汗が頬を垂れる。皺だらけの表情が強張り。

ハッと顔を振り向かせた。

近づいて来る音の出所は......背後の森!

ユリウスは心の臓をわし掴みされた思いで、もう遅いと分かっていながらも口を開く。

 

「全部隊はんて―――」

 

言葉の途中で、

―――鬱蒼と茂る森の中から敵戦車は現れる。

砲塔は無防備な背中を見せる予備部隊に向いていて、

奇襲に成功した中戦車10輌の砲門は一斉に火を吹いた。

乗っていた馬ごと騎兵の体が景気よく吹き飛ぶ。

 

突然の事に予備部隊は混乱の渦に落とされる。今度こそ勝利したと思ったらまさか前からではなく後ろから敵が現れるとは思ってもみなかった事だろう。

ユリウスもまた愕然としていた。早く命令を出さなければいけないのに何故敵が背後を取れたのか考えていた。

気付けば雨は止んでいた。――脳裏を雷鳴が打つ。

 

「っなんたる迂闊!たかが雨で敵の接近に気付けぬとは!」

 

西岸の本隊から抜け出る際、馬蹄の音を掻き消してくれたように、激しい雨音が戦車の接近する音を気づきにくくしていたのだ。

それに気付いたとしても遅い。

中戦車と共に現れた大量の歩兵が攻撃を仕掛けている。凶弾が一人の騎兵を襲ったのを見たユリウスは直ぐに命令を出した。今反転すれば損害は免れない。ならば.....!

 

「第三次予備騎兵隊は急ぎ前進せよ!前の部隊と合流する!」

 

後ろに退路がないなら前に出ればいい。それが一番被害を最小限に食い止めながらこの状況を脱する事の出来る最善。目の前の戦場では勝利した3000の騎兵と1800の歩兵がこちらの異変を察したのか合流を図ろうとしていた。

 

十分過ぎる程の戦果は残した。もはやこの戦場に未練はない。

 

「よし!部隊と合流した後、そのまま湿原を脱出するぞ!!」

 

そのためにユリウスは強く手綱を振るった。

砲火を背中に浴びながら1300の騎兵達は戦場の中心に向かって駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「......流石は、過去『帝国8個軍将(アルハトネ)』に選ばれたハイドリヒ最強の騎士《來馬》のユリウス、判断が早い。やはり私の予想どおり後ろの騎兵隊は背中を小突いてやっただけで前に動き出したか」

 

森の茂みで隠れるように停車していた中戦車の上から、双眼鏡で前方の戦場を眺めていた女は穏やかな口調で言った。黒の軍帽子に緑彩色のコートを着込んでいる。帽子の隙間から覗く金髪を掻き分け双眼鏡から目を離す。

見た者がハッとするような端正な顔立ちの美女だった。

てっきり誘いかとも思ったけど違ったようだ、という言葉に傍に控える副官が同意する。

 

「グデーリィン装甲大隊長の慧眼の賜物です。まさか敵もこの広い湿原を前にして後ろを取られるとは思ってもいなかった事でしょうね」

「まあ、何やら敵は目の前の戦場に固執していたきらいがあったからね。現にあんな無茶な戦い方で戦車に攻撃している所を見せられると執念を感じざるをえないよ、流石は帝国に謳われたハイドリヒ軽騎兵団といったところなのかな.......」

 

敬意を表するような事を言った後に、そこで顔を嫌悪の表情に歪めて連邦軍第33装甲大隊長グデーリィン大佐は言った。

 

「だからこそ本当に気味が悪い。時代遅れのレイシスト、今はもう輝かしい戦車の時代だ。現代でお前達の出番はない、戦車が騎兵に負けるなんて事があってはいけない。帝国の亡霊共は墓場に帰るがいい、この私が土に還らせてやろう」

 

ここで騎兵という存在そのもの消し去ってやる。それほどの強い思いを込めてグデーリィンは作戦の最終段階に移った。

 

「潜ませていた戦車部隊を全て投入開始!戦場の中心に集まった騎兵団を包囲殲滅せよ!」

 

その声に伝令兵が各地の部隊に命令を伝達する。

それから程なくして状況は戦場に表れた。

周囲の森に潜ませていた戦車部隊が一斉に湿原地帯に入っていったのだ。

投入された戦車の数は百輌に上った。

 

前方から50輌、左右からは20輌づつ、後ろから10輌からなる大戦車部隊だ。目標は湿原中央で合流を果たした軽騎兵団。包囲するというよりは各部隊が交差する一点に居る軽騎兵団を轢き殺すといった勢いで猛然と進軍する。この攻撃を脱するにはもはや散り散りとなって我先にと逃げる他ないだろう。戦う軍としての集団的要素は失われる。

 

彼らがこの土壇場でどう動くかは知らないが、この未来が覆ることはない。戦車部隊による壊滅か逃走による消失か二つに一つだ。結果は変わらない。

 

遠くからその様を見届けるグデーリィンは中戦車が駆け抜けていく光景に陶然とした表情で言った。

 

「ああ、やはり戦車による包囲殲滅戦とはかくも美しいものだ。如何なる名画といえども目の前の芸術には遠く及ばない。そしてこれほどに多くの戦車を運用できなければこの形にはならない。大量の戦車を送ってくれた本国には感謝のほかない......が、その多くが他国の力を借りているとなれば少々思うところもあるな」

 

グデーリィンの言葉通りこの作戦で使われている多くの戦車は連邦製の物ではなかった。

ではどこかというと、自国の名を冠する大西洋の遥か先にある大陸からの物だ。

その国の名を、

 

「ビンランド合衆国。あの国は対帝国の為に我が国と同盟関係を結んでおきながら此度の戦争には一兵も出さぬ気だ」

「帝国とは貿易協定を結んでいますからね。その代わり大量の物資や兵器を提供する事で戦後の割譲会議に参加しようというのでしょう」

「守銭奴共がっ厚顔無恥とは正にこの事だ。まあ、自国の主力中戦車M4シャーマンを五千輌近く無償で送って来たのは褒めてあげますけどね。御蔭でこの北東戦線にも有り余るほどの戦車を使える」

 

そこだけは感謝しないといけませんね、とニコリともせずに言った。いつもなら戦車の事となれば目がない彼女が今は戦場だけを見ていた。

副官はこの女上司が顔色を変えるのは戦車を見る時ぐらいだという事を知っている。極度の戦車至上主義と言っても過言ではない。その彼女が今は戦場の騎兵だけを見詰めている理由、それは怒りだ。

 

戦場において戦車こそが至高と豪語する女潔の前で騎兵という時代遅れの産廃が戦車を破壊する様を見せつけたのだ。彼女は静かに怒りを内包し熱を高めていた。

 

帝国の軽騎兵部隊には同情する。グデーリィン大隊長は本気で潰す気だ。その怒りは彼らが全滅するまで消えない事だろう。

 

「大隊長命令です。雷の如く素早く殲滅しなさい。騎士団ごっこに興じる帝国の蛮族を全て葬るのです」

「了解です!」

 

更には駄目押しとばかりにこの念の押しようである。

もはやハイドリヒ軽騎兵団に生き残る術は無いのだ。

それでも諦めていない6000弱の軽騎兵団は包囲から脱出せんと突破を図ろうとしているが苦戦している。

 

目の前からは50輌からなる戦車部隊が壁のように迫って来て、そこに対応していては横っ腹を突き崩さんと左右から槍の如き一撃を繰り出す20輌の戦車部隊。後ろからは逃がさないように退路を塞ぐ10輌の戦車部隊が張り付いている。これでは逃げる事すら出来ない。

 

もはや全滅は時間の問題かに思えたその時―――

 

「報告!遥か前方より敵の増援部隊が現れました!」

 

その報告は届いた。

グデーリィンが素早く双眼鏡を構えて見れば、

確かに退路を塞いでいた自軍の中戦車部隊が、

背後から現れた帝国の新手部隊によって攻撃を受けている光景が映った。

 

時刻は正午、雲がかった空が晴れ、真上から太陽の陽が差す快晴の頃。

 

 

 

 

 

 

 

――――駆けつけたハイドリヒ伯の本隊一万二千が湿原地帯に到着した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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四十五話

それはアイス・ハイドリヒ率いる本隊が到着した間際の事である。

刻一刻と連邦の大部隊に包囲されつつあるハイドリヒ軽騎兵団。

彼らが何とか活路を見出そうと懸命に抗う最中。

その外側から、包囲する戦車部隊の背後に向けて秘密裏に接近する謎の歩兵部隊の影があった。

それは軽騎兵団に属する歩兵でも連邦の部隊のどちらでもなかった。その正体はハイドリヒ本隊の先遣部隊である。

 

既に連邦軍と戦闘を行う軽騎兵団を発見した先遣隊は、連邦軍に気付かれないよう、湿地帯のいたる所に繁殖する草むらを隠れ蓑にゆっくりと接近を試みていたのだ。幸い敵はハイドリヒ軽騎兵団を袋叩きにする事に熱中してこちらに気付いた様子はない。

御蔭で至近距離まで近づく事に成功する先遣隊。

鬱蒼と伸びる茂みの中から一人の士官が顔を出す。

視界の先で映る戦闘を垣間見た。

 

凡そ二十輌からなる戦車部隊が突進を仕掛け、包囲陣の中に閉じ込められたハイドリヒ軽騎兵団を蹂躙している所であった。

その反対側からも同じく二十輌の戦車部隊が激しい攻勢を仕掛けているのが見て取れた。まったく同時に行われる二方向からの攻撃にハイドリヒ軽騎兵団は為す術もなく。榴弾の雨を浴びている。一方的な戦いを見て、

 

「.....耄碌したとはいえ、あのユリウス翁を戦術でこうも完膚なきまでに負かせるとは」

 

敵ながらあっぱれの一言だ。もはや目の前の戦いは容易に詰みの状況だろう。

その光景を双眼鏡片手に見詰めていた士官の男――ルッツ少佐はそう冷静に結論付けた。

これから自分達は奇襲を仕掛けるがそれで勝敗の趨勢が変わるとは思えない、というのが正直な考えだ。

なんせこちらは千にも満たない上に歩兵しかいない。

屁のツッパリにしかならんだろう。こちらが返り討ちに合う可能性の方が高い。

 

「若もあのような男は放っておけばよいというのに....」

 

思わず愚痴がこぼれる。

ユリウス率いる軽騎兵団が独断先行した事に気づいたのは夜が明けた黄昏時の事だ。

報告を聞いたアイスは直ぐさま部隊を編成し引き戻すべく追いかけた。

配下は引き留めたがアイスはそれを是としなかった。

『父の代から仕える彼を見殺しには出来ない、見殺しにすればこれから先、他の先代派が味方になる事は無いだろう。僕がこの地を治める為には彼らの力が必要だ』

 

そう言ってアイスは自分達を説得したのだ。

先代当主に固執し続ける老人達は愚かとしか言いようがない。今の当主はアイスその人なのだから、彼に仕えるのが筋だと考えるのが若い世代達だ。

 

「一昔前までは名を馳せた武人であったかもしれないが、もう貴方の力が通用する時代ではなくなったという事でしょう、世代交代ですユリウス爺。大人しく私に助けられて隠居するといい.....」

 

温和な顔に似合わぬ野性味溢れた笑みを浮かべたルッツは周囲に隠れる部下達に告げた。

 

「これより攻撃を開始する。若の指示通り動け、いいな」

「隊長、もし軽騎兵団が自分達の狙いに気付かなかったらどうすれば?」

「その為に私がこの隊長に選ばれたのだが、もし失敗したらその時はみんな仲良く全滅するとしよう。なに、きっと上手くいく。若の作戦を信じろ」

 

自分が仕える男の力がどれ程のものか、部下たちはこの戦場で知る事になるだろう。

ルッツ少佐率いる以下800の先遣隊は作戦を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

「報告!ダンテ騎兵隊半壊!敵戦車の進撃を食い止めていたダンテ千人騎兵長が散華されました!これ以上はもう持ちませんっ」

「.....っ!」

 

その報告を聞いたユリウスはいよいよもって終わりが近づいている事を自覚した。

敵がこちらを包囲するにあたって前から壁のように迫る五十輌もの大戦車部隊の対応をギルブレイクに、退路を断つ後ろの戦車部隊をザルツ。そして報告にあったダンテには左手の戦車部隊を任せていた。散華というのは討死したという意味である。ダンテを失った事で包囲攻撃防衛の一角が崩れた、軽騎兵団の全滅という未来は分刻みで近づきつつある。

 

「もはやここまでか......」

 

覇気のあったユリウスが力なく(こうべ)を垂れた。長い戦歴の中で初めての事である。それほどまでに厳しい状況下なのだ。

打開策も浮かばず。諦めが胸中を支配する。

 

正にそんな時だった。

 

ふとそれに気付いたユリウスは顔を上げて戦場を見る。

 

老いたとはいえ未だ勘は錆びついていない。

絶体絶命の状況であるからこそ、暴走せず冷静に戦況を見ていたユリウスは戦の流れが変化したのを敏感に感じ取っていた。それまで整然と包囲を構えていた一角が綻びを見せ始めたのだ。続けて爆発音が轟く。こちらに向けて迫っていた敵中戦車が破壊されたのが遠くからでも見えた。

 

「......なんだ?戦闘が行われている、どこの部隊だ?」

 

確認したところ恐らくだが猛進する敵の背後から忽然と現れた未確認部隊が、連邦軍戦車部隊に向けて攻撃を始めているようだ。

混乱した戦場では部隊を完全に把握する事は出来ない。

それでも敵ではない事は確かだ。

もはや死を覚悟していたユリウスに活路の光が差す。

ならばと、

正確な状況を理解していなくとも、自分に課せられた役割は最善を尽くす事のみである。

 

「今一度立ち上がれ栄光ある騎士達よ!まだ朽ち果てる時ではない、好機は今ぞ!!一丸となって敵を討ち倒すのだ!包囲の一角を突き崩すぞ!」

「応!」

 

枯れ果てた喉に鞭を打ち、咆哮の如き声を叫ぶ。

周囲の騎士達がその声に呼応して雄叫びを上げた。

苛烈なる敵の攻撃をギリギリのところで食い止めていた彼らに指示を出す。各自の判断で戦いを行っていた騎士達が、一つの目的の元に動き出した。

包囲網の一角に生まれた歪みの如き僅かな綻びに向けて。

兵力が6000を切ったハイドリヒ軽騎兵団は最後の抵抗とばかりに反撃を仕掛ける。

 

ここまでくると軍馬に乗っている騎兵は僅かばかりである。そのほとんどが歩兵となって銃撃戦を展開していた。

 

ハイドリヒ軽騎兵団が繰り出す突然の攻勢に二十輌からなる敵戦車部隊からも動揺の色が見える。

外側の奇襲部隊と内側からの全力攻撃だ。混乱しないはずがない。

先ほどよりも目に見えて包囲の壁が薄くなっているのが分かる。

 

だがそれでも.....。

あと一歩のところで敵の陣容を崩せない。歩兵だけでは突破力に欠けるのだ。

味方全員を脱出させるほどの穴を作るには火力が必要不可欠である。

だがそんなもの機動力を重視したハイドリヒ軽騎兵団に存在しない。

 

「度し難い!高火力の兵器を持ってさえいれば突破は可能だというのに!。.......いやまて」

 

馬上から見詰めていたユリウスはハッと何かを思い出したように表情を変える。

そうだ、一つだけあった。

我が兵団が保有する中で最強の火力を備えた兵器が。

それを使えばこの場から逃げる事も可能かもしれない。

だがそれは同時に自身の信念を捻じ曲げる事になる。ハイドリヒ軽騎兵団団長としての誇りが根底から崩れ去るだろう.....。

 

思い悩むユリウス。それを見かねたのか傍に居た若い騎士が言った。

 

「ユリウス団長。我々は既に覚悟は出来ています。降伏はないということを。最後の一兵となるまで戦い抜く所存です。最後の下知を下さい、最後の突撃命令を.....!」

「っ....!」

 

死を覚悟した若い騎士の言葉によってユリウスの決意は固まる。

躊躇は一瞬だった。

 

「......戦車を使う」

 

その言葉に一瞬、配下の者達が驚きの表情になるが、ユリウスの顔を見て直ぐに頷いた。

.....そうだこれでよい。

 

「儂の負け戦に次代を担う若き者達を巻き込むわけにはいかん!もうこれ以上誰も死ぬな!」

 

これより先は判断を誤るな。

儂の役目は誇りに固執して無謀にも敵と戦い全滅する事ではない。

後の帝国の礎となる若き兵士を育て、生き抜かせる事にあるのだ。

 

「.......この状況を考えると戦車があってよかったかもしれん、伯には感謝せねばならんのう。不用な物と思っていたがこれでは伯に合わせる顔がないわい。......いやいまは」

 

いま考えるは悔やむ事ではなく、この死地にあって活路という道を切り開く事のみ。

 

覇気の籠った目を取り戻したユリウスの視界の先では、戦争前夜ハイドリヒ伯が強制的に組み込んだ十輌の戦車が初めてその砲口から火を吹き上げたのだった。

 

「全部隊は帝国戦車を基点に包囲から脱出せよ!」

 

―――戦場の光景はまた様変わりしてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「....驚いた。あの男が己の信念を捻じ曲げるとは。情報部もあてにならないな、まんまと騙されたよ。しかし、あの包囲から僅かとはいえ逃げおおせるとは思わなかったぞ.......」

 

視線の先で完璧と思われていた包囲網は突撃を敢行した帝国の戦車部隊と、その背後から現れた帝国の奇襲部隊の挟撃によって包囲に僅かな抜け道が生まれた。生き残ったハイドリヒ軽騎兵団の騎士達がその道を通って脱出を図っている光景を見ながらグデーリィンは静かにそう言った。

傍に控えていた副官の男も確かに同じ思いだったが、

だがそれでもハイドリヒ軽騎兵団の損害は著しいモノとなっている。包囲攻撃を受けて小一時間程度だというのに、6000いた兵力はもはやその数を半減させている。水を差されたとはいえ完全な勝利と言っていいだろう。

だからこそ機嫌を悪くする上司に向けて称賛の言葉を送る。

 

「大佐殿。敵はあの悪名高きハイドリヒの悪鬼共です。これを大佐殿は完璧と言っていい程に打ち負かしたのです。突撃十字鷲勲章は確実に授与される事でしょう。おめでとうございます!」

 

賛辞を聞いても表情をピクリとも動かさなかったグデーリィンだったが、おもむろに視線を副官に移す。

冷たい笑みを浮かべている。

それを見た長い付き合いの副官は後ずさる。これ以上ないほどに彼女が怒りを覚えている時の反応だからだ。

静かな口調でグデーリィンは言う。

 

「.....私は勲章が欲しくて戦ったわけではない。戦車の栄光を示すためにあの男の首を求めて指揮を執ったのだ、それを逃したのでは何の意味もない。.......左翼の第四装甲部隊に命令。反転し逃げた敵を追え、敵の一兵に至るまで抹殺せよ!」

 

その命令は激しいまでに苛烈であった。

何が彼女をそうまでして駆り立てるのか。それは彼女にしか分からない。

だが酷くあの敵に執着している事だけは明白だ。

 

それこそ敵の本隊と思われる軍勢が現れたというのに、それを歯牙にもかけない様子はどこか異常だ。副官の男は――少々暴走気味の美貌の隊長殿に向けて言った。

 

「ご覧の通り遥か前方の東の森から敵本隊―――恐らくハイドリヒ卿の部隊と思われる敵軍が出現した模様です。左翼後方より現れた奇襲部隊もまた本隊に属する部隊でしょう。どうやらハイドリヒ伯は最初からご自慢のハイドリヒ軽騎兵団を囮にして、釣られた我らの部隊を誘き出し、その背後を攻撃する算段だったのかもしれません。だとすれば危険です、敵には何らかの策がまだある可能性があります。ここは一度退かれて態勢を整えるのも一手かと愚考いたしますが」

 

副官の進言に、グデーリィンはうむと頷き。その言葉に同意する。副官の言葉をちゃんと聞いているあたり頭は冷静であるようだ。

 

「私も当初はそう思ったが、それならば助けに来るのが遅すぎではないか?ここまであの騎兵団を使い潰す必要はないはず。我々を騙す為の捨て石的作戦だったのかもしれないが、リスクが高すぎる。これが徹頭徹尾奴らの作戦だったとはどうしても思えない」

 

違和感が拭えないといった風である。実際その通りだ。

現在のハイドリヒ軍が置かれている状況は偶然の結果に過ぎないのだが、彼女等が知る由はない。

グデーリィン達が考えるハイドリヒ軽騎兵団と本隊の連携した作戦というものはなく、急ごしらえの作戦でしかないのだから。

 

「分かりました。でしたらお好きな方を選択するのが後腐れないでしょう。我々は貴女の選んだ道であれば後悔しません」

「無論そのつもりだ。迫る敵も逃げる敵も関係ない、そのすべてを蹂躙する。それが私の装甲大隊に課せられた役割なのだから―――『第一から第三の混成装甲中隊』に伝令!東より接近する敵本隊と思われる軍勢を撃破せよ!第四以外の各部隊は装甲中隊を中心に臨機応変の機動をもって攻撃開始!」

 

グデーリィンの命令によって、戦場の陣形は著しく変わっていった。

すなわち〇形の包囲陣から▷形の魚鱗陣にだ。

それまで前面の壁となっていた50輌からなる第三混成装甲中隊が縦の並列陣、退路を断つ装甲部隊と右翼の装甲部隊はそれぞれ斜線の陣となって、▷形を成していた。

 

対するハイドリヒ伯本隊の16000は鶴翼の陣を展開しようとしている最中だ。

通常であればハイドリヒ伯が先手を打てた場面にも関わらず、驚くことに陣形の展開が終わるのは装甲大隊の方が先だった。

その陣形構築速度は見事なもので、グデーリィンの装甲大隊は瞬く間に、完璧な魚鱗の陣を布いた。異常なまでの即自対応力だ。

高い練度の差を見せつけた総勢10000を超える大戦車部隊は、敵軍に向けて進撃を開始する。獰猛な鉄の牙が不完全なハイドリヒ伯の本隊に剥いた。

先手は装甲大隊が取る。

 

――――かに思われたがグデーリィンの元にその報告が届いた。

 

「なに!?第四装甲部隊が足を止められただと!?いったいどういう事だ!」

『――――っ!』

 

通信機を介して第四装甲部隊の隊長が焦った声で説明する。

それを聞いたグデーリィンの目が見開く。『やられた!』と内心で強く思った。

つまり要約するとこうだ。

ほんの数分前まで、合流を果たし北東に向けて逃げていた、恐らくは森に逃げ込もうというのだろう、ハイドリヒ軽騎兵団の背後に追撃をかけていた第四装甲部隊。彼らはグデーリィンの指示通り敵を逃がすつもりは毛頭なかった。その攻勢は激しく背を向けて逃げる帝国兵をガリガリと踏み潰していった。

そのままであればハイドリヒ軽騎兵団とルッツ少佐の先遣隊は北東の森に入る前に全滅していただろう。

 

だが攻勢の途中で異常自体は起きた。

なんと前方に突如として大小多数の沼地が出現したのだ。

それによって中戦車の多くがぬかるみに足を取られて行動不能に陥らされたのである。

 

通信機を握りしめる上司のただならぬ気配に副官も動揺を隠せない。

戦車の弱点は後部の積層ラジエーター部分だけではない。足回り。つまり履帯がダメージを受ければ戦車は動く事も出来ず鉄の塊になり下がるのだ。

破壊されたわけではないので修理すればまた使えるようになるのだが、短時間で出来るものではない。

 

それが示すことは一つだ。――――追撃の失敗である。

 

「っですがなぜ!戦車の行動を阻害するほどの悪地がいきなり生まれたのですか!?」

「誘導されたのだろう.......だがそれ以上に先程の雨だ」

 

ふいにグデーリィンは空を見上げる。

雲ひとつない空天日の晴天だ。大振りの雨が降っていたとは思えない熱量の日光が降り注いでいる。忌々しそうに黒帽子を深くかぶり直した。

 

「.....元々ここは湿地帯で沼地は散見されていた。だがあの雨で予想以上に増水したんだ。戦車の足を止める程に。......合衆国お得意の大量生産によって製造されるシャーマン中戦車の構造は簡略化されている。そのせいで数は揃えられるんだが性能は標準の域を超えない。履帯の耐久力の低さも弱点の一つだ」

「帝国の戦車はなぜ動けるのでしょうか」

「単純に性能の差だろう。恐らくあれは7.5cm砲装甲車だ。言わずと知れた帝国Ⅳ号戦車。現在最も帝国で多く使用されている名機。.....流石だな。改良を経て悪地をものともしないとは。帝国の戦車製造技術レベルは、三大国一と言っても過言ではない。噂の新型Ⅸ号重戦車を是非見て見たい」

 

先程までは先頭を進んでいたはずだが味方を逃がす為に戻って来たのだろう。北東の森に向けて突き進むハイドリヒ軽騎兵団の最後尾で殿を務めている10輌の帝国戦車が、追撃する第四装甲部隊を相手に奮戦している様を双眼鏡で捉えながらグデーリィンは言う。

 

技術情報部から新型戦車『Ⅸ号』の存在を聞かされていた。

帝国軍事機密のため未だに連邦軍はその存在の性能を把握できていない。

故に知る必要がある。攻撃力、耐久力、機動力。あらゆる能力を。弱点を。知らなければならない。

だからこそグデーリィンは本国よりある任務を課せられていた。

その最重要任務は『新型戦車の鹵獲』である。

 

その為にあらゆる障害を取り除く必要がある。ハイドリヒ軽騎兵団もその一つだったのだが。どうやらそれを達成することは難しいようだ。

 

「.....チッ!これ以上は被害を無駄に出すだけ。追撃は中止させなさい」

 

......いや、それ以上に排除するべき障害が存在する事を知った今。ハイドリヒ軽騎兵団に煩わされている暇はないというのが正しい。

舌打ちを打ったグデーリィンは視線を前に移した。

 

「この地ではハイドリヒ軽騎兵団こそが最も手強い敵になると思っていたのだが。.....どうやら違ったようです」

 

現状、最優先で排除するべきはただ一人。

 

「アイス・ハイドリヒ辺境伯。彼こそが最大の障壁になるでしょう」

 

もし本隊による牽制、ハイドリヒ軽騎兵団を脱出させた手際、悪地による追撃の妨害すら彼の読み通りならば彼の戦術家としての能力の高さが窺える。数年前に妾の子が当主になってからも臣下に恵まれず、飾りだけの当主だと言われていたのだが、どうやら藪を突いて蛇を出してしまったかもしれない。

 

警戒度を引き上げた。

 

湿地帯の茂みを利用しての奇襲や戦車を沼のぬかるみに嵌めた事といい、どうやら地の利は敵にあるようだ。

軍人としての勘が叫ぶ。

甘く見ていい敵ではないと。油断するとこちらが喰われかねない。

 

.....だからこそ僥倖としか言いようがない。最も手強い敵を戦争の始めに倒せるのだ。これを好機と言わずして何と言う!

形の良い彼女の唇が弧を描く。

 

「小細工を行わせる暇もなくハイドリヒ伯はここで倒す!装甲大隊蹂躙せよ!!」

 

言下に連邦軍の攻撃はより苛烈に、より激しさを増していった。

目の前の帝国軍は防ぐだけで手一杯の様子。中戦車を主体とした装甲大隊の突撃にジリジリと押されつつある。このままいけばいずれ敵の守りは崩れるだろう。事実、アイスがどんなに小賢しい知恵を働かせようと、この戦いで連邦軍が負ける事はない。

 

そして、程なくして決着はつくだろう。

だがそれがどのような結末になるかまでは彼女にも分からない。

 

勝利はどちらの手に委ねられるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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四十六話

「どうやら彼奴(きゃつ)らは逃げきれたようですな」

「......うん、ルッツが上手くやってくれたみたいだ」

 

東の森付近にて、本陣を構えていたアイスは視界の端でハイドリヒ軽騎兵団と先遣隊の合同部隊と思われる友軍が、東の森に向かって撤退していくのを確認しほっと安堵する。

 

「本当に良かった。危険な任務を彼に任せてしまった、全滅もありえただろう」

 

.....それでも彼らは少しも躊躇することなく職務を全うしてくれた。僕の無責任な命令に従い。

感謝の思いもあり同時に申し訳なさを感じる。

ジッと軽騎兵団が逃れた森の先を高みから眺めていると、すぐ横から声が掛かる。

 

「この湿原の要所を逆手にとったアイス様の的確な指示と意図が彼らを救ったのです。そうでなければ団は全滅していたことでしょう、あなたの判断は正しい」

 

脱色した銅線のような髪とたくましい長身の男。自分と似た赤い髪が燃えるように逆立つ。

アイスが十五歳で初めて戦場に出た頃からの副官。ワーレンである。年は二十後半と云ったところだ。

山賊の様な迫力のある顔だが、反して細やかな心配りの出来る男だ。

今も無理な命令を下した負い目を感じているアイスに向けて間違いではないとそっと言った。

 

その言葉に救われたのかフッと肩の力を抜く。それまで張っていた緊張感が解けていくのをアイスは感じていた。

 

「時には諌めてくれよ?お前は僕に甘すぎるから」

「その時がくればしっかりと、まあその時がくるとは思えませぬがな.....」

 

慇懃に頷く彼を見てアイスは苦笑する。

さてと視線を戦場に移した。

優先すべき課題は何とか達成する事が出来た。後は自分達がこの局面を無事に乗り越える事だけだ。だがそれが難しい。

 

「強いな....」

 

アイスの呟きが戦況を如実に表していた。

遥か前方では連邦軍の装甲部隊が波のように押し寄せ。列火の如き進撃を続けている。それを迎撃するハイドリヒ軍だが徐々に後退を余儀なくされていた。鎧袖一触とまではいかないが、かなりの苦戦を強いられている。あまりにも練度が違い過ぎるのだ。

 

本来であれば包囲対象である軽騎兵団に気を取られている内に、こちらは攻撃陣形を整え。

先遣隊による奇襲攻撃によって混乱する連邦軍の背後を先制攻撃するはずであった。

だがそうはならなかった。

こちらが陣形を整える前に敵は混乱を収拾し、逆に手痛い一撃を加えてくる始末。

目の前の連邦軍は真に精鋭であった。

調練を施した戦闘集団とはいえ、一私設部隊でしかない貴族の軍では本物の軍には及ばない。

だからこそライン川にて援軍が到着するまで防衛に徹するべきだったのだが。

 

「もはや簡単に逃がしてくはくれないだろうね」

 

ワーレンもその意見に同意する。

 

「目前で獲物を取り逃がした鬱憤を晴らそうというのでしょうな、こうなったら敵もタダでは諦めません。貴方様の首を取るまで食らい付いて離さない事でしょう」

「だがこのままでは勝ち目は無い、彼我に実力差がありすぎる。あの敵と互角に渡り合えるのはハイドリヒ軽騎兵団ぐらいのものだ」

「ですな、練度においては我が軍随一でしたから」

「やれやれ、こちらは最強の手札を早々に失ってしまった訳だ、本来であればもっと後に使うつもりだったのだけれど。半壊した彼らはもうこの戦いでは使えないか.....」

 

考えれば考えるほど厳しい状況の悪さに苦笑(にがわら)うしかない。

出来ればこうなる前に連れ戻したかった。というのが偽りなき思いだが、今更それを考えたところで遅きに失している。この状況下で打開しなければならない。

現状の手札で打てる策は限られている。そして、敵は最強の手札であったユリウスを手玉に取った戦術家だ。

自軍が持てるすべてを用いたとしても最後には力で負ける。

それがアイスの出した結論である。

ならば、普通に戦って勝てないのであれば、兵法という理の埒外から鬼策をもって凌ぐしかない。

 

「......下策も下策。常道ではないのだが致し方ない、我が天運に賭けて見るとしようか」

 

言って天を仰ぐ。陽射しの降り注ぐ青い空を見て。

次に眼下の戦場にぽつぽつと形成された沼地の確認をした。そこに含まれる水量の有無を確かめ。

最後に肌を通り抜けてゆく風を感じる。背後の森から多量の冷たい空気が流れてくる。

凡そ条件は満たしている。

これならば発現する可能性は極めて高い.....。

 

「大丈夫、策はある。この場所だからこそ可能な作戦が。......いや作戦とも言えないのだけれど条件は全て揃っている。賭ける価値はありそうだ」

「ほう.....この湿地帯だからこそできる策ですとな?」

 

一体何なのか分からないワーレンは首を傾げる。

.....はたして主はどのような作戦を考えたのか。

 

「ああ、そして僕らは何もする必要は無い。ただ目の前の敵の攻撃を防ぐだけで良い。その策というのは.......」

 

作戦内容を教えようと口を開いたが、

その時、本陣に一人の兵士がふらりと入って来るのが見えた。帝国軍の兵卒に与えられる赤銅の鎧兜を身に纏うその兵士は実に悠然とした態度で二人の元にやって来る。あまりにも自然だからか周りに立つ衛士は未だにその異常に気付かない。

唯一その異常に気付いたワーレンが制止した。

 

「待て、なんだ貴様は!」

 

咄嗟にアイスを庇うように立ち、無造作に近づく鎧兜を睨みつけた。

臆病な性根の者なら腰を抜かしてしまうだろう眼光の鋭さである。だが兵士は動じた様子もなく。兜で隠された表情は読めない。

時間が止まったかのような一瞬の緊張感を切って、鎧兜の男は言った。

 

「......安心しました。このままハイドリヒ卿の背後を取れてしまうのではないかと些か危惧しました」

 

男の言った言葉はつまり、アイスの首を狙って来たと告白したようなもので。一瞬驚きに目を見開いたワーレンは直ぐにその巨眼に怒りを灯した。

 

「曲者だ!護衛兵よアイス様を守れ!」

 

本陣に響く怒声。主人を守れとの命令に反応した衛兵は弾かれたように動き出した。瞬く間に刺客である鎧甲冑の男を中心に円陣を組むと。古来より本陣を守護する儀式的な意味合いで使われる短槍を突きつけ包囲した。

少しでもおかしな動きを見せれば即座に突き殺されるだろう。

 

普通であれば生きた心地のしない針の筵に座らされた気持ちのはずだ。だがこの状況においても鎧兜の男に取り乱す様子はない。それどころかあっさりと両手を上げて無抵抗のポーズを示す。

その態度は追い詰められた者とは思えない。未だ余裕があった。

 

そこまでくると何やらおかしい。彼は本当に刺客なのか。いや、そうとは思えない。

 

「貴様いったい何者だ!我が軍の者ではあるまい!」

「.......」

 

目をグワッと見開き威圧するワーレン。殺気で逆立つ真紅の髪は獅子を思わせた。正体不明の怪しい存在を本陣の只中まで侵入を許したのだ。主の傍に控える副官の一人として、その事実は容易く看過できるものではなかった。

対する鎧兜の男は無言を貫く。この状況で大した度胸だなと逆に感心を覚えるほどだ。

 

「答えぬか......ならばその命いらぬと見える!よかろう語る事もなく死ぬがよい!」

「......待て!殺してはならない、槍をおろすんだ」

 

いよいよ我慢の限界を迎えたワーレンが男を処刑しようとしたところで待ったをかけたのはアイスであった。

敵ではない。ある種の直感でそう思ったアイスは守る様に立つワーレンの背から前に出ると、護衛兵達の警戒を解かせる。危険です!と背後から聞こえる声を手で制して目の前の一兵卒に扮した刺客に問う。

 

「君はいったい何者だ?僕を殺す気であればあの距離だ、そのまま殺す事もできたはず。だがそうしなかったということは君の目的は僕を殺す事ではないんだろう?という事は僕に用があるのだと思うんだがどうかな」

 

両手を上げたポーズを崩さぬままに、鎧兜は素直に頷いた。

 

「はい、ご推察の通りです。私は主君ラインハルト様の命により馳せ参じた使いの者です」

「!そうか、やはり殿下の。ではなぜそのような格好で来られたのだ。使者ならば軽装で十分のはず」

「申し遅れました、わたしはギュンターと申します。主に殿下の身辺警護などを任せられているのですが、仕事柄あの主の御友人と名高きアイス殿の警護の程に興味を持ち、今回このような愚挙を行った次第です、真に申し訳ございません」

 

鉄の兜を脱いで、丁寧に腰を折るギュンター。

アイスは慌てて頭を上げさせた。殿下の使いであれば何の問題もない。

兜に隠れていた彼の顔は予想と違って凡庸だった。どこにでもいるような特徴のない顔をしている。強いて言うならば帝国に多数存在する平民の平均的な特徴.....と言う表現が正しいように思える。外見だけで云えばお世辞にも貴族の本陣に一人で乗り込む等という大胆不敵な行いをした者とは思えない。だがその目だけは闇の中を覗いているような深淵の黒をたたえていた。

 

正真正銘の貴族であるアイスを見るその目にも幾分の臆した気配はない。

逆にこちらが気圧される気分になる。

 

「なるほど、流石は殿下の警護を許された者という事か。君もまた只者ではないようだ」

「さて、そんなことより。主から預かってきた物をお渡しします」

 

どうぞ。そう言ってギュンターが手渡して来た物は三つの袋だった。掌に乗る小さなそれをアイスは受け取る。

これは?と疑問を問うアイスに対してギュンターが返した言葉は耳慣れないものだった。

 

「コウメイの知恵袋です」

「.....コウメイとは誰の事だ?」

「.....さて、私にも分かりかねますが、中には主の言葉が書かれた紙が入っています、アイス殿はそれに従って動いていただきたい」

「......ああ、いつものアレか」

 

彼自身も知らないようで困った表情に既視感を覚え納得する。

時折だが殿下は耳慣れない言葉を言う時がある。恐らく異国の言葉だと思う、何故それを殿下が知っているのかはしらないが、もう慣れている。今回のコレも殿下の遊び心が多分に含まれているに違いない。

どの様な意味なのかを聞くには直接会って訊ねるしかない。

さっそく、一つ目の袋を空けて中にある紙を読む。

内容はこちらの状況を把握している旨と計画の多少の変更について書かれていた。

 

「了解した、直ちにこれより殿下の元に向かう事とする。君もご苦労だった」

 

内容について頷くと殿下の任務を見事果たしたギュンターに労いの声を掛ける。

コクリと小さく頷いたギュンター。本当に極僅かな動作であった。最低限の愛想に苦笑を禁じ得ない。任務を終え後は殿下の元に帰参するギュンターを見送ろうかと思ったのだが、何故か彼はそこから一歩も動かなかった。

どうしたのだろうと思い。遅れて戦場を眺めているのだと気が付いた。

やがて口を開く。

 

「かなり厳しい戦況のようですな。迫り来る敵の攻勢に迎撃が追いついていないといった様子ですが、ハッキリと言って惰弱極まりない軍です」

「ああ、お恥ずかしい限りだ。全ては僕の無能さゆえだよ」

「そのようですな」

「っな!貴様!無礼だぞ口を慎め!アイス様の苦悩を知りもせぬ走狗如きが.....!」

 

怒りをあらわにしたワーレンが気炎を昇らせながら近づくのを片手で抑える。

 

「よせ、本当の事だ。こうなる前に手を打っておくべきだった僕の落ち度だ」

 

自身の為に我が事の様に怒る副官を見て胸が詰まる思いだが、彼の言っている事も正しい。もし彼が本当に僕の命を狙う輩であったなら今頃、僕は死んでいただろう。返す言葉もない。

 

「ですが撤退する隙を与えない敵の攻勢にどう対処するつもりなのか興味があります。アイス殿個人の力量を見定めさせて頂く」

「試されられていると云う事か。君の期待に答えられなかったら?」

「....今後、我が主との関係は断っていただく。これより先は強者でなくては生き残れぬ世界となるでしょう。足手まといの弱者と同盟する必要性は皆無。いや、どちらにせよ期待にそえねばここで死ぬのですが」

「同盟.....そうか君はそこまで先の事を考えて。.....ならば僕も期待に答えるとしよう。ラインハルト様の横に立つ友として、共に戦い合うと誓ったのだから......!」

 

故に此処で朽ち果てるつもりは毛頭ない。

そして、偶然か必然か、それは起きた。誰も気づかない戦場の只中で。事態は始まろうとしてる。

 

その変化を真っ先に気付いたのはやはりアイスだった。

....やはり予想は正しかった。

 

雲を切って覗く太陽光が大地に降り注ぎ。雨によって濡れた湿地帯は十分な水分と湿度を含み。陽の光によって蒸発、水蒸気となって大気中を漂う。背後の濡れた森の地面は密集する木々が影になる事によって冷たいまま空気中に冷却放射される。風は西に向かって流れている。つまり湿地帯に向けて。

冷却した冷たい風が湿地帯の水蒸気とぶつかり合えば、凝固する。

すると後はどうなる?単純な理科学の勉強だ。

凝固した水蒸気はいずれ上昇気流に乗って雨となる。ならば、

その前の段階はすなわち....。

 

――答えは目の前にある。

 

白――視界が白く染まる。最初はもや程度のものだったが、徐々に認識できるほどの規模に。

その現象の名は霧と言う。

珍しくも何ともない、世界中で起きうる只の自然現象。

それが湿地帯を中心にどんどんと広がりを見せていく。

空にミルクを溶かしこんだような真っ白な霧が、味方も敵も同様に覆い隠していく。それが始まって五分と経っていない。あっという間の出来事であった。

誰も彼もが動揺を隠せない中、ただ一人。この事態を読んでいたアイスだけは指示を出していた。

 

「全部隊に告げる!戦闘状態を継続しつつ、ゆるやかに後退せよ!」

 

霧が何もかもを吞み込む前に、指示を受けた帝国軍は動き出す。敵部隊に砲火を浴びせながらも徐々に下がっていった。それを追いかける連邦軍だったが直ぐに霧が前方の視界を覆い隠す。一寸先も見えぬ白。前後不確かになった部隊が混乱する。味方と同士討ちになる部隊すらあった。もはや戦闘どころではない。

 

 

 

本陣にも霧が広がってきた。

 

「これは......」

 

初めてギュンターの目に驚きの感情が垣間見えた。

劣勢だった戦況が一瞬で覆ったのだ。驚くのも無理はない。

彼の目が真っ直ぐにこちらを向いた。

 

「アイス殿はこうなる事を知っていたのですね?」

 

疑問符ではあるが、確信している物言いだ。嘘を言っても直ぐにバレそうである。

怖いので素直に頷く事にした。

 

「君はこの湿地帯が何と呼ばれているか知らないようだね。地元の人間しか知らない事だし無理はない」

「あ、そういえば此処でしたか」

ワーレンが思い出したように言う。

「そう。ここはネールゾンプ湿原、別名『霧隠れの沼地』と言われるほど霧が多発する事で有名な場所だ。雨が降り霧が発生する条件を全て満たしているとなれば高確率で霧が出現すると読んでいた」

 

だからこそアイスは迅速に対応できた。そして敵の指揮官はこの突発的な状況に対して未だ対処できずにいるようだ。両軍における指揮をとる者の初動の差が、この戦の結末を決定づけるものとなった。

―――すなわち。

 

「敵はこの霧で混乱している!この霧に乗じて我が軍はこれより撤退する!」

 

指示を飛ばし。アイス達も本陣から速やかに退去を行う。

そうして立ち往生する連邦の大軍を前にして、霧を盾にしたハイドリヒ軍は悠々と退いていく。

後に調べたところ死傷者は驚くほど少なかったと言われる。

辺境伯アイス・ハイドリヒは後世に残る見事な撤退劇を演じて見せたのだ。

 

ついぞこの湿地帯を舞台に起きた戦争で、連邦・帝国のどちらからも、確定しうる勝利者が出る事は無かった。

いや、あるいはどちらも自分達こそが勝者であると訴えるかもしれないが、

 

指揮官の胸中が語られる事はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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四十七話

「おいおい、こりゃ何にも見えねえぞ」

 

誰かがそう言った。自分は黙々と足を進めながらそれに同意する。

周囲を警戒しながら歩くのは連邦軍第33装甲大隊所属歩兵小隊第六班。

現在、帝国軍と交戦中であり、その最中、大規模に発生した霧のせいで。交戦する敵部隊を見失い。他にも部隊との連絡も取れない出来ない状況にあった。

 

白い霧が邪魔で視界はゼロと言ってもいい。

いつ敵が目の前から現れてもおかしくない状況だ。おっかなびっくり進むしかなく、小隊の歩みは遅かった。

 

それでも敵のいる方向に進むのは、今だ指揮官である大佐からの後退命令が出ていないからだ。

命令がない以上、進まなければならない。

戦争を継続しなければならない。

 

耳を澄ませば、混乱と怒号が辺り一面から聞こえてくる。敵と交戦しているのか銃を乱射する音も。中戦車の荒々しい苛烈な砲撃もまだ続いている。

自分達はその音を頼りに前を歩いていた。

 

緊張で汗が滲む。霧が出る前でさえこれほどの緊張感はなかった。目に見える敵と戦う事は怖くはあったが恐怖はなかった。視界が遮断され、敏感になった聴覚だけで戦場に立つ事がこんなにも恐ろしいなんて思わなかった。

霧は幽鬼が住まう世界と言われる。

成る程、その通りだ。

今にも直ぐそこから人ならざる者達が出て来てしまいそうな予感を覚える。

 

早く慣れ親しんだ世界に戻りたい。

帝国兵を撃ち殺す。ただそれだけを考えていればいい楽な世界に。

敵を殺すだけの兵士に恐怖は余分だ。

少なくとも自分には必要ない。冷たく、どこまでも深く。殺す事だけを考える。

 

恐怖を思い出せば、人を殺す恐怖も思い出してしまうから.....。

 

「おい、大丈夫か顔色が悪いぞ」

「問題ない.....。いや、本音を言うと、今すぐにでもここを出たい」

「無理もないぜこんな状況じゃな、それと気づいたか?敵はどうも逃げてるようだぜ。さっきから帝国兵を一人も見ない最前線だっていうのに」

[.....」

 

言われてみれば確かにそうだ。霧が出る前は30秒で帝国兵が何十人も目の前に現れたが、もう小隊が進み続けて五分は経とうとしているのに、一向に敵が出てくる気配はない。

 

「この霧だ、おかしくはない。前にもう一つ部隊が進んでいるはずだ。彼らが戦っている様子もないし、敵は予想よりも戦場を後退しているかもしれない」

「それだけの後退は撤退と同義だ。という事は俺達の勝ちか?エンデルセン」

 

緑色の戦闘服に身を包む兵士の男――友人でもあるアレクス=マルコ一等兵の顔に笑みが浮かぶ。

自分もその可能性を考えていた。

だが、

 

「油断は禁物だ、敵の罠かもしれない」

 

結局はそこに帰結した。

状況が読めないからないからこそ、気を緩めるべきではない。

敵を最後の一兵まで残らず殺すまでは安心できない。

それが敵愾心からくるものなのか臆病からくるのか今となっては分からない。

 

「お前は昔から慎重だな」

「そういうお前は気楽すぎる。ここは戦場だぞ、もっと用心しろ」

「この状況じゃそれも難しいぜ、何にも見えないんだからよ。だったらもっと楽にしようぜ、いま根を詰めていたら持たねえよお前」

「.....良いんだよ俺は帝国兵を殺せれば体がどうなったって」

「親父さんの仇だってことは分かる、俺だってそうだ。でもお前が死んだらミリアはどうなる?本当に一人になるぞ」

 

たった一人、故郷に残してきた妹の事を言われると返答に困る。

それを知っててマルコも言うのだから質が悪い。

 

「.....今はそんな事を考えている暇はない。ここに居る以上、俺達は兵士だ余計な事は考えるな」

 

逃げるように自分は戦場に目を向けた。

白、白、白、どこを見ても白一色の世界に閉じ込められた自分達――小隊十二名は戦場に取り残された迷い子だ。いや、あるいは自分だけが迷っているのかもしれない。

故郷のしがらみ、殺された家族の復讐心に自分の心は迷わされている。

 

もう何も考えたくない。ただ、ただ、自分は敵を殺す兵士だと云う事に囚われたい。それだけが自分の心を前に進めてくれる。――――その終着点に辿り着くまで自分はただの兵士だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――そして兵士は終わりをもたらす者に出会う。

 

 

「.......銃声が聞こえる」

 

誰かがそう言った。銃を構えながら自分もそれに同意する。

「密集隊形!」連邦軍第33装甲大隊所属歩兵小隊第六班12名が一斉に人所に固まり。周囲を警戒する。この霧では味方の識別すら難しい、せめて同じ小隊の者だけでも同士討ちを割けるための措置だ。隣で同様に銃を構えるマルコが言う。

 

「........今聞こえたのって前を行っていたもう一つの小隊だよな?」

「音の近さから考えて恐らくは.....」

 

頷きながら呟く。

つまり、敵が近くに居るという事に他ならない。

沈黙が降りる。

誰も何も言わず、動かず、ただ敵が現れるのを待つ。

敵がノコノコと霧の中から出てくる瞬間を待って。

 

やがて前方の銃撃音がふっと途絶えた。戦闘が終わったのだ。

この時、自分はやけに静かに戦いが終わった事に少し疑問を覚える。もしお互いが銃を使い戦っているなら一方が負けても(負けはイコール死)、敵の銃声が断続的に続くはず。今のは一方が死んで銃撃が止んだような静まり方だった。つまり敵は銃を使っていない。

馬鹿な。ありうるのか、そんな事が。

だとしたら敵は......。

 

 

 

 

―――ストン、肉を割く音。

小気味よく聴こえた音に釣られて、横を見る。立っていた兵士の顔に短刀が突き刺さっていた。

信じられないものを見る様な兵士の眼球がグリンとまわり。白目を剥く。銃を手に仰向けに倒れた。あっけなく一人殺されたのだと理解する。全員の意識が倒れた兵士に向かう、無意識の動きであった。その瞬間―――

 

白い(とばり)を切り裂いて黒い獣が眼前に現れた。

 

脳がその事実を受け入れる前に黒い獣――装束を纏った男が飛ぶように迫り。その手に掴む刃で微動だにしない――動揺で硬直した兵士の喉元を切り裂いた。赤い血潮で汚れるのを嫌った獣は流れるように頭を掴み手首を返す。ビチャビチャと遅れて溢れ出す血糊で直ぐ横に立っていた兵士の戦闘服が赤く汚れる。恐怖に彩られた兵士が引き攣った声を出す。

 

「あああ――――グッ!?」奇怪な音が口から漏れる。兵士の背後の霧から現れた装束が刃で背中越しに心臓を貫いていた。

敵は一人ではない。それに気付いた自分が銃口を向け、トリガーに指を掛ける。マズルフラッシュが閃き弾丸を発射する。無数の銃弾が装束に迫り―――心臓を刺され即死した兵士の体を肉の盾にして防がれる。

 

「なっ!?こいつ!」

 

味方を盾にされ怒りに顔を歪ませるマルコが銃を乱射するも、マルコが気を取られた瞬間を狙って最初の敵が刃を肩に突き立てようとする―――。

 

「マルコ、後ろだ!」

「うおっ!」

 

慌てて地面を転がり頭を庇う。咄嗟に偵察銃の狙いを付ける間もなく撃ち続けた。八発の弾道は空を穿ち後方に飛び退いた装束を纏う敵は霧の中に消えていく。見ればもう一人の装束も居なくなっていた。

逃げた訳ではないだろう。こちらを襲う機を窺っているはずだ。

その間にマルコを助け起こす。

 

「大丈夫か」

「ああ.....いったい何なんだ?さっきのは帝国兵とは思えんが」

「分からん。だが敵なのは間違いない」

 

それまで戦ってきた帝国兵とは明らかに異質。だが敵である事に違いはない。

ならば自分のやるべきことは決まっている。敵は殺す。

 

「今ので何人殺された」

「三人だ。あっという間だった」

 

あまりにも突然の事で誰も反応できなかった。自分もそうだ。

一瞬の事ではあったが戦い慣れしている印象を受けた。

それだけではない、

 

「なぜこちらの居場所が分かった。物音ひとつ出さなかったっていうのに!」

 

敵はまるで自分達が待ち構えている事に気づいていたかのようであった。ありえない。この霧で数メートル先も見えない悪視の状況下。敵も状況は同じはずなのになぜ手に取る様にこちらの居場所が分かった?。

考えても答えは出ない。

それどころか状況はなお悪くなる一方だった。

 

こちらの態勢が整う前に敵は襲いかかって来た。やはり霧の中から忽然と飛び出して来たかと思うと、驚かされた。なぜなら襲撃者は九人いたからだ。ちょうど生き残っている数と同じで。これを偶然と思うほど甘い性格ではない。思い知った。敵は戦闘のスペシャリストだ。逃げるべきだったのだ。集団組織としての格が違い過ぎる。

目の前に敵が迫ってくる、銃弾は先程使い切って再装填していない。

 

......ああ、やはり恐怖は余分だ。

 

死への恐怖は、故郷に帰りたいと思わせる。もう一度、妹に会いたいと渇望させる。復讐に逃げてきたのに。戦場に逃げてきたのに。最後に帰結するところは結局そこだったのだ。

 

生きたい、生きて故郷に帰りたい。

 

「うおおおおおお!!」

 

気付けば叫んでいた。喉元目がけて迫り来る刃を前に、空の銃で防ぐ。木目を切り裂き半ばで止まる刃。勢いよく銃を振り払って刃ごと放り投げた。霧の中に消えるのを無視して目の前の襲撃者に殴りかかる。顔面目がけて突き出した拳を払うように交差させる襲撃者の手。一瞬の事だった。チクリと腕を刺す痛みが襲う。見れば腕には深々と針が差し込まれていた。あの一瞬で撃ち込まれたらしい。腕に力が入らない。

ならばと蹴りを叩き込もうとするが、その前に足を潰された。甲ごと踏み抜く勢いで落とされた足が爪先を潰したのだ。ベキリと骨が折れる音と激痛が走り、悲鳴を―――上げる暇もなく喉を掴まれた。握りつぶす勢いで呼吸も出来ない。

強すぎる、文字通り手も足も出なかった。

 

「あ......かは」

 

急速に視界が暗転していくのを感じ、これで終わるのだと思った。

だが違った、こいつは正真正銘の悪魔だった。

 

ふと喉を締める力が緩む。

 

「私の質問に答えろ。お前は誰だ」

 

やけにはっきりと聞こえたその声に、正直なんと言えばいいのか分からなかった。

 

「.....し、質問の意味が分からない。哲学を語れと言うのならグラマトロジーを読むんだな。そうすれば....グァッ!」

「舌は回るな。ならば教えろお前の名前、所属部隊名、認識番号をだ」

「誰が言うか....馬鹿が」

「そうか。だが直ぐに教えたくなるはずだ」

「なに.....?」

 

訝しむ自分の横に誰かが連れて来られるのが分かった。

 

「っ!マルコお前か?」

「すまねえ、ドジ踏んじまった」

 

生きていた事に安堵する。だが直ぐに、なぜ殺さないのかという疑問が襲ってきた。

いや、考えるまでもない。

 

「人質のつもりか」

 

情報を吐かせるために、仲間を人質に取ったのだ。

そう思ったのだが、そんな考えは甘すぎた。敵は自分が考えるよりも悪辣だった。

黒髪の男は首を振って、

 

「違う。見せしめだ」

 

そう言うと自分の首から手を離して、崩れ落ちる自分を一瞥もせず、腰のベルトに掛かっていた黒い手袋を取り出すと嵌める。手術を開始する前の医者の様に、マルコの前に立った。

そして、黒手袋を嵌めた手でベタリと顔に触る。

何をしている......?

 

一分もしない内に変化が起きた。

 

訝しんでいたマルコの顔がいきなり引き攣った様な表情に変わり、異常な程の発汗が始まる。ガタガタと体が震え始め―――途端に口から泡を吹いて、ゆっくりと地面に倒れた。

ピクリとも動かない友人の姿を見て、

 

「マルコ.....?」

 

呼びかけるも反応はない。明らかに死んでいる。

あっけなく友人が目の前で殺されたのを呆然と見ていた。

マルコを殺した張本人は平然とした様子で、

 

「理解したな。毒を塗っている、今のように死にたくなければ話しなさい全てを」

「お、お前はその為だけに殺したのか.....」

 

毒の有無を自分に見せるという、ただそれだけの行為の為にマルコは死んだ。

 

「恐怖すれば人は良く喋る、効率的に考えればおかしなことではない」

「ふざけるな!なんでそんな事ができる。お前達帝国は何で平然と人を殺せるんだ!」

「さて、元から私はこういう人間ですので分かりかねます」

 

男の目には底のない黒があった。

自分はその目に心底、恐怖を覚える。その人間性に、死を感じたよりもなお深い恐怖を。

同時に湧き上がる生の渇望。どうしようもないほどに恐怖は生を求める。

 

「それよりもどうぞ、早く喋って下さい。こう見えて急いでいますので、さもなくば我が黒指はお前の心臓を掴む事でしょう......」

「待て!近づけるな!喋る。貴方に教える!だから......殺すな!」

「ええ、良いでしょう私はお前を殺さない、我が主の御名に賭けて誓いましょう」

 

触れそうな程に近い黒き手が離れていき安堵する。

情けない、あまりにも情けない。友人を殺した敵を目の前にして助けを乞う事しかできないなんて。

だが自分は生きて故郷に帰りたいんだ。兵士としての今までを全て投げうってでも。

待ってくれている家族がいるから。

だから俺は......。

 

全てを話した。自分の名前から第33装甲大隊の事も大佐を含めた全てを俺は、男に話した。

 

靴を舐めろと言われれば靴だろうが舐める勢いで喋る俺を冷えた目で見下ろしながら黙って聞いていた男はやがて首を縦に振った。

 

「いいでしょう。所々、混乱する箇所が見受けられましたが。必要な事は全て分かりました」

「なら、これで助けてくれるんだな!?」

 

縋るような目で見上げる俺を、男はキョトンとした目で見る。不思議で仕方ないとばかりに。

背筋に冷たさが走った。

 

「助ける?いいえ、いいえ。私は殺さないだけです.......私はね」

 

俺が何か言おうと口をひらき―――視界が捻じれる。最後は骨が折れる音を耳にしながら、視界が闇に閉ざされていくのを感じていた。

最後に思うのは何てことない。故郷の風景......俺はただ帰りたかっただけなんだ。

 

ここが、兵士になりきれなかった俺の終着点。...............................................

...........................................................

...................................

.......................

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

背後の『左手』によって首を捻じ曲げられた兵士の死体が、地面に転がるのを何の感慨もなく見下ろしていたギュンターは。早々に準備に取り掛かる。

兵士の衣服を剥いでそれを自分に纏う。遺体は泥の中に隠した。

連邦軍特有の戦闘服に身を包んだギュンターは振り返る。

見ればもう一人が同様に戦闘服に着替え終わる所だ。

周囲に九人、いやそれ以上の影が霧の中にあった、

 

「これで8隊目、紛れる為の容れ物は十分でしょう。それでは作戦通り二人一組となって敵部隊に紛れて下さい、その後、負傷兵として隊を抜け国境で落ち合いましょう。我らの任務は敵後方の兵站拠点の偵察です。あまり目立たぬよう心がけてください。それでは.....行け」

 

影絵のようにあった人影が消える。残った九人のうち戦闘服に着替えた者を除き八人に命令する。

 

「お前達は北に向かいなさい、集合場所に私達が戻らなければ失敗と見なし、その後、長と合流を図るのです、手順はルート22を使いなさい」

 

八人も無音で霧の中に掻き消えた。

その場には二人だけが残る。ギュンターは相方に視線を向けて、

 

「それでは私の事はコレからエンデルセンと呼びなさい、部隊は全滅し撤退を余儀なくされ、精神に異常をきたした我々は後方の野戦病院に送られる事になるでしょう。脱走はその時です。顔が割れる前に逃亡すれば問題ないはずです」

「はい、分かりましたエンデルセン、俺はマルコだ」

 

顔に包帯を巻きながらマルコが頷く。

 

「それにしても、この霧のおかげでだいぶやりやすくなりましたね」

 

本来の作戦では東の森で決行する手筈だった。時間も手間も掛かると思われていたのに、今のところこちらはほとんど犠牲なく任務を進める事に成功している。全てはこの白い濃霧のおかげだ。敵の気配を感知する術に長けている自分達にとって、これほど適した状況もそうはないだろう。戦場においては猶更だ。

だがなぜかギュンターはふと何か遠くを見るような目で霧の向こうに視線を移していた。

疑問に思ったマルコが問う。

 

「何を考えておいでですか?」

「あの男の事だ」

「例の殿下のご友人の方ですか。試しに行ったそうですね、貴方の目から見て如何でしたか?」

「分からない、あの男の底が見えなかった」

 

その言葉に驚いた表情になるマルコ。この人がそこまで言うなんて初めて聞いたからだ。

黒き死と帝都で恐れられた鬼人の目にすら力の底を映させないとは、いったいどんな人間なんだろう。

 

「この霧も奴は読んでいた。近くに卿の生家があるらしく、幼い時から母親と住んでいた。森と共に生きた事から自然の移り行きが読めると言っていた。だがそんな不確かなものを頼りに自らを含め大勢の人間の命を危険に晒し、自らを疎ましく思う臣下の命を救った、利益と損害の天秤が(いびつ)だ。一歩間違えれば自分も臣下も全てを失っていてもおかしくはなかった、だが卿はか細い可能性の糸を掴んだ。自らの運と天性の勘によって」

「良く分かりませんが、つまり御眼鏡に適ったと云う事ですか」

「......」

 

そこを踏まえて分からない。一物を含む味方でも助けに向かうその在りようは正しく英雄そのものだが、同時に危うい。我が主はその辺りを好んでいるようだが、万が一でも危険に晒すわけにはいかない。もう少し調べて見る必要がある。

 

「監視対象の一つに据えるべきだな.....」

「そうですか。そこまで貴方が人を評価するとは初めての事では?」

「......そうでもないさ。これで三人目だ。底すらないと思わせた化け物は存外居るものだ」

 

そういえば、計画通り事が進めば、その三人がこの地に揃う事になる。

そうなればこの地は正しく連邦にとっての地獄となるだろう。

どれだけ生きて帰れるか。

 

「行くぞ」

 

微かな笑みを浮かべていたギュンターとマルコの二人は歩き出す。

連邦軍の本隊がある西に向かって。

 

やがて直ぐに二人の体は霧の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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四十八話

突如として発生した白い霧、理不尽な自然の猛威に襲われて混乱した第33装甲大隊。その長であるターニャ・グデーリィン大佐はそれらの収拾に奔走させられる事になった、おかげでハイドリヒ伯とその私設軍隊を取り逃がしてから――約12時間が経過していた。追撃はしておらず、それどころか部隊をまとめ終わると、その場に待機させ、僅かな供回りだけ連れて彼女は後方の大本営に向かった。

その理由は.....。

 

 

 

 

 

――コンコンと緊急用に設置された会合室の扉を叩いて、

 

「失礼します、第33装甲大隊長ターニャ・グデーリィン大佐です。招集命令を受け参りました」

「―――ああ、来たか。君で最後だ、空いた席に座りたまえ」

 

入室した彼女を待っていたのは、一人の男だった。いや、厳密には並みいる将校達が揃っているのだが、まずはその男を紹介させてほしい。

 

年は五十を超える。

だが年齢を感じさせない引き締まった体躯に、連邦軍将校特有の深緑のキャップと軍服を身に纏うその男こそ、北東戦線総司令官パエッタ大将である。

司令官に選ばれただけあり有能な士官だ。

 

彼は厳格な表情で席を示す、頷いたグデーリィンは静かに歩き、中央の机に置かれた地図を囲むように配置された――その空席に座る。

その間、周りに座っている士官達を横目で視認した。

錚々たる面々が揃っている、北東戦線における主要な指揮官達だ。

 

連邦加盟国ダキア公国の山猫旅団(ピシカサバティカ)

ルシタニア小連邦の群青大鷹師団(ブルディノス)、同じくカッパドキアのコルテマ騎士団、

トラキア将国の鉄馬機甲軍団、南国ヒスパニア砲兵大隊。アラビア・ペトラエア合同旅団。

これらは全て連邦に属する国々からの派遣軍隊だ。他にも無数の有力な部隊が各国々から提出されている。

それらを束ねるのが大西洋連邦機構において二強の一角を誇るヴァロワ共和国より選定されたパエッタ大将というわけだ。

 

(.......ん?)

 

主要所属国である軍人達が一堂に介すという中々お目にかかれない光景を、興味深く視線だけで見ていた時だ、一人だけ何やらおかしな軍人を見付けた。

というのも、その軍人は腕を枕にして寝ていたからだ。隠れて良く分からないが体格から見て男だろう。

それよりも、

 

.....こんな場所で寝ているのか、というか寝れるのか。

 

作戦会合室で眠れる男の胆力が凄まじいのか、只の阿保なのか判断に困る。考えあぐねていると、

 

どうやら最後の訪問者が到着した事で、中断されていたらしい会合が再開された。

この場で最初に口を開いたのはやはり。

 

「....ちょうどいい、今来た者も居る事だ。もう一度、件の内容を繰り返させてもらおう。この戦線の勝敗が左右される重大な事なので、今一度深く理解して頂きたい」

パエッタ大将の視線が私を見てそう言った。情報を把握出来ていないので大変ありがたい。

周りの将校達も渋々ながら理解を示してくれた。

彼らにとっては小娘の私に邪魔された事が不服なのだろう。

パエッタ大将は「ありがとう」と礼を述べ。

 

「.....それでは、私が君たちを呼んだ理由を話させていただきたい。......今から約六時間前の事だ、先行させていた連邦軍第15軍団からの通信が完全に途絶した。彼らは、現時点において失敗した帝国軍誘引包囲作戦に参加していた者達だ」

 

――帝国軍誘引包囲作戦。

それは作戦の名の通り、術中に嵌めて誘い出した帝国軍を、大軍をもって包囲殲滅する作戦の事だ。その第一段階は占領した帝国の防衛施設を利用して、偽りの救援信号を出させる事から始まる。そして、その信号に誘引され騙されて来た帝国軍を本隊――第2軍の力を持って全滅させるまでが作戦内容だ。単純でシンプルだが帝国貴族にはコレが良く効く。味方の窮地を救う事こそ貴族の誇りだと豪語する愚かな存在をターゲットにした作戦。第15軍団は誘引した帝国軍の退路を塞ぐのが任務内容だったはずだ、後退したハイドリヒ軍と接敵した可能性は十分に高いだろう。だが、それがロストしたと聞いても誰も驚く者は居ない。彼らは既に聞いた話だからだろう、しかし、グデーリィンにでさえ動揺は見られなかった。先んじて送られた通達を読んだためだ。

その作戦には私も......。

 

と、そこに嫌味な声が響く。

 

「おや、そういえば貴女もその作戦に参加していたのではありませんか?ターニャ殿」

 

声の方を向くと、ニヤニヤと厭らしく笑みを浮かべる男がこちらを見ていた。

お前は本当に私の味方か?と言いたくなる邪な顔の男は、連邦軍第19工兵連隊長オズマ大佐。残念ながら私に近しい軍の人間だ。

 

「.....確かに本作戦には参加していたが、何か....?」

「おお、いえいえ!別に失敗した責を追求するわけではありませんとも!.....ただ、どのような顔をしてこの場に来るものかと思っていたのですよ、敵を目前にして逃げられたというではありませんか!いやぁ、貴女の様な美人でも男に逃げられる事があるのですなぁ.....」

 

冗談交じりの言葉に、周囲からも笑い声が上がる。

何が楽しいのか冗句の程度が低すぎて笑えない。

この男、どうやら私に対してライバル意識があるようで。何かと突っかかって来るのだ。昔、演習訓練の時に女だからと舐めて掛かってくるオズマを完膚なきまでにのしてしまった事を未だに根に持っているらしい。狭量な男だ。

付き合ってやる気にもならない、無視を決め込む事に......。

 

「敵を逃がすとは貴女らしくもない。そういえばターニャ殿は帝国の血を引いているのでしたな、もしや同郷の人間に手心を加えたのではないか?なんせ貴女の率いる第33装甲大隊は.....」

「――黙れ!!」

 

瞬間――オズマを鋭く睨んでいた。熱く怒りが込み上げる。

何を言われようとも耐えるつもりでいた。だが私の出生と部下の事を言われるのだけは我慢ならない。

 

二人の間を剣呑な空気が流れる。周りの誰も止めようとはしない。彼女にどんな背景があるかを知っているからだ。連邦においても有名だった。腫れ物を扱う様なその目を見て、

グデーリィンはこの場に味方がいない事を改めて理解する。

もしかしたら中にはオズマ同様、仲間とすら思っていない者も少なくはないかもしれない。

分かっていた事だ。それでも自分と慕ってくれる部下の名誉の為にも退く気はなかった。

 

こういう席での口論はどちらに味方が多いかで決まる。その場合、包囲作戦で失敗した私に対して味方となってくれる者はいないだろう、場合によっては最悪、作戦失敗の責任追及にまで至る可能性がある。そうなると確実に大隊長の座からは降ろされる。応じて階級も格下げられるだろう。あるいはそれがオズマの狙いかもしれない。同階級の競争相手を蹴落とす為の演出。まんまと誘い水に乗ってしまったと云うわけだ。

.....例えそうだとしても侮られたままで黙っている私ではない。

 

オズマの顔が真っ赤に染まるような、怒りに悶える程の返答を装填して、口を開こうとしたところ、

 

「――あの、それで通信が途絶した味方の軍はどうなってしまったんですか?」

 

何だか気怠そうな男の声が。

その男を見て少し驚いた。

先ほどまで机に突っ伏して寝ていた妙な男だった。

その男がいきなりむくりと起き上がってパエッタ大将に質問を行ったのだ。

男の階級章を注目して目を見開く。准将を示すモノだからである。

自分よりも上の階級だった事に驚いたのだ。

誰も注意しなかったのは出来なかったからだ。

総司令官パエッタ大将の次席幕僚であり参謀に向けて起きろと言える者はいなかったようだ。

......いったい何者だ?。

 

剣呑な空気は、空気の読めない男のせいで曖昧霧散となった。

オズマもそれを察したのかチッと舌打ちをすると、余計な事をしやがってと言いたげな目で睨む。対する男は気にした様子もなく、やはり覇気のない目をしていた。

 

毒気を抜かされたオズマはそれきり黙る。流石にこれ以上なにかする気はないようだ。

だが変わって男を見る視線には何故か嘲りの感情が浮かんでいた。そして気づく、周囲の者もまた男を呆れたような目で見ていた事に。

それを疑念に感じるよりも早く、パエッタ大将がハアっとため息を漏らす。

 

「またかねウェンリー准将、先ほども同じ質問を聞いた気がするが?」

「はあ、そうでしたっけ。すみません」

 

頭を掻いて謝る男――ウェンリー准将は何とも覇気のない男だった。

ボサボサの黒髪に眠そうな目。悪くない顔立ちなのだが、どこか締まりのない顔。

何とも非常勤という言葉が似合いそうで。階級は准将。

何だかちぐはぐな印象を彼からは受ける。

 

.......ウェンリー?どこかで聞いた事があるような。

 

「まあいい、それで君の質問だが......恐らくは先行した連邦軍は壊滅したものと思われる、信じられぬことだが通信が途絶してから六時間なんの音沙汰もない以上、極めてその可能性は高い」

准将はようやく思い出したかのように、

「ああ、そうでしたね。それで閣下は危機感を覚え、部隊を集結させることにしたんでしたね」

のほほんと言った。

「そうだ。故に我らは一丸となって戦わなければならない!皆、私に力を貸してほしい!これは聖戦なのだ!民を長きに渡って蔑ろにする帝国を倒し、真の自由を与える為の聖戦!勝利だけが望まれる!それが各国の兵士を預かった私の責務であり!それが危ぶまれるのであれば全戦力をもって応じるのみ!皆でこの試練に挑もうではないか!」

 

パエッタ大将が、拳を固め、熱く語る。

その熱意に押されたのか、おおっとざわめきが起きる。同調する声が響く中、その横でウェンリー准将はあくびをかました。

見咎めたパエッタ大将が不機嫌そうに呟く。

 

「....ウェンリー准将。ヤル気があるのか君は」

「.....え?....あ、はい、もちろんです閣下。閣下のこの戦争に賭ける意気込みは感服に値します」

 

そんなこと微塵も思っていなさそうな淡々とした口調であった。しかも自分の将校専用の帽子をサワサワ手遊びしながらの事だ。誰からの目にも准将が集中していない事が分かる。

嘲るように誰かが小さく呟いた。「穀潰しのウェンリー」......と。

 

それで思い出した。彼の名は連邦軍において私とはまた違った意味で有名だ。

確か数年前に起きた戦争で奇跡的な戦功を上げた将校が彼だ。本名はウェンリー=オスマイヤ。

アラビアで起きた帝国との小競り合いに巻き込まれた難民を無傷で逃がした事で一躍有名になった。だがそれ以降目立った活躍もなく准将となった事で穀潰しと揶揄されるようになったと聞いている。

 

おおよそ准将の出世に嫉妬した者達が流したのだろう。

ままある事だ。現に同じ階級のオズマ大佐から難癖をつけられたばかりなのだから。

それにしても准将の態度は傍から見れば冷や冷やさせられる。

あれでは火に油を注ぐことにしかならないだろう。このままいけば叱責されるのも時間の問題だ。

 

何故か自分がハラハラしながら見ていると、誰かの手が上がった。浅黒い肌に黒髪。白いターバンを頭に巻いた男。確かあれはアラビアの将軍ではなかったか......。

 

「如何なされたイブラハム・カーン中将」

「具体的にどのような策を御考えか。大将殿は」

「うむ、まずはこれを見て欲しい」

 

その言葉によくぞ聞いてくれたとばかりに立ち上がると、パエッタ大将は前の檀上から降り中央テーブルまで歩いた。指図棒を手に持ち、テーブルに広げられた地図上を指し示す。

 

「ここが現在、我々が居る地点だ。ここから東23㎞先にラインという河川が存在する。第15軍団から最後の通信が届いたのも同一だ。辺境伯ハイドリヒ軍発見の報告の後、其処から先は通信不能の状態にあった。恐らくは敵の通信妨害があったと思われる――よって敵の大軍がアスターテ平原に集結している可能性が高い。第15軍団はそれと戦い全滅したと私は考えている」

 

ライン川を越えた先にある――アスターテ平原と思われる平地部分まで指示棒をスライドさせながらパエッタ大将は説明をする。

 

「総勢約8万の兵力を持っていた第15軍団が撤退する暇もなく倒されるなど、よほど戦力差に開きがあったとしか思えん、帝国は我々と同じように包囲作戦を取ったのだと考える。最低でも20万は必要な筈だ」

「20万.....!我が第2軍の総兵力よりも多いではないか!.....まて、最低といったか?」

「そうですな。残念ながら敵はそれ以上かもしれません」

 

その言葉で将校達の間に動揺が広がる。

パエッタ大将率いる本隊――第2軍の総兵力は15万。通常であれば頼もしさを感じる数字も、今だけはその威光に陰りが見える。帝国の20万という仮想数値に目に見えて不安を覚えている様子だ。オズマ大佐は顔を青ざめていた。

ウェンリー准将は.....ダメだ。ボーっと上の空で何かを考えている。本当に彼らと同じ情報を共有しているのだろうか。動揺した様子は全くない。

 

「――そこでだ!」

 

突然の大きな言葉に肩を震わせる。パエッタ大将が自信満々の表情で――――じっくりと将校達を見渡しながら言った。

「私はこの強大な敵を前に打ち砕く用意があります。それは三個分進攻撃です」

「三個分進攻撃?それはいったいどのような作戦なのでしょうか」

「簡単な事です、要は3つの軍団をもって三通りの進路から同時に攻撃を開始することで、敵はこの複数の戦況を同時に対処しなければなりません。まず間違いなく首脳部は混乱の極地に至る事でしょう。この作戦が成功した暁には驚くほど少ない被害で圧倒的な勝利を収める事が可能となります」

「おおっ.....!!」

 

絶対の自負が込められた発言に、色めき立つ各国の将校達。

だが、その中で一人の将校が声を上げる。

 

「ですが、軍を三つに分けるとの事ですが、敵よりも少ない我が軍を更に少なくすれば攻撃力の低下は否めません。これで三個分進攻撃が成功するでしょうか.....?」

「確かに.....」

「心配なされるな、我が軍を三つに分ける様なことはせん。北東戦線における二つの軍の力を借りる。つまり第6軍と第27軍の力をだ......!」

「ムーア大将とパストーレ中将の軍を!」

 

将校達の視線が一斉に地図に向かう。

ちょうどアスターテ平原を北と南で挟み込むかのように第6軍と第27軍の現在地を示す印が在るではないか。

 

「彼らの軍は既にライン川を越えている。そしてアスターテ平原より、およそ北40㎞の地点にパストーレ中将の第27軍12万が.....。南36㎞の地点にムーア大将の第6軍11万が行軍中だ。そして既に彼らとは話がついている。目下、アスターテ平原に向かって移動中とのこと......さて諸君これでも不安かね?」

 

張り詰めていた部屋の空気が弛緩するのを感じた。

パエッタ大将の言葉で安心した将校の気が緩んだのだ。作戦が成功すればアスターテ平原に計38万もの大軍勢が集結する事になる。安心するのも仕方ないと云える。

もうすでに勝ったと思い込んでいる者までいた。オズマは言うに及ばず、カーン中将まで一応の納得をしていた。

満場一致の流れが生まれ始めている事に言い知れぬ危機感を覚える。見積もりが甘いと言わざるを得ない。提言したいが左官程度の階級である私に発言力は皆無と言って云い。何を言おうと無駄だろう。

その時だ、思いがけない人物が発言を行ったのは。

 

「お待ちください閣下。それは早計です」

なんとウェンリー准将が真剣な表情でパエッタ大将に食って掛かったではないか!

パエッタ大将の顔色が変わる。

 

「なに.....?」

「我々がこの作戦通りに動いたとして、作戦通り術中に掛かってくれる訳ではありません。敵もまた常に考え動いている事をお忘れなきよう閣下」

「分かっておる、あたりまえではないか」

不機嫌そうに鼻を鳴らした。何を当然の事をといわんばかりに。

 

「それならば斥候を送り、より綿密に情報を探った上で判断する方が良いんじゃないでしょうか。今は少し慎重に欠けているように思えます」

「分かっていないのは君だよ准将。敵はアスターテ平原から離れる事は無い、大軍を動かすにはあそこが最も適した地形だ。むざむざ敵が有利な状況を捨ててまで動くとは思えん、ありえぬことだ」

 

パエッタ大将は帝国軍がアスターテ平原より動く事は無いと考えているようだ。確かに数十万規模の大軍を動かすには平原をおいて他にはない。普通の指揮官ならば地の利を活かして大軍を動かせるこの地に腰を構えるだろう。侵略者である連邦軍を迎え撃つには格好の場所だ、

 

「帝国軍がただ動かずにいるとは思えません、逆にこちらを攻撃してくる可能性もあります。その場合、地の理は敵にあります。奇襲を行うのは容易かと、ムーア大将とパストーレ中将にも注意喚起をしていただきたいと思います。」

「准将、君はこう言いたいのかね。敵はわざわざ平地を移動して第6軍と第27軍の各個撃破を狙うと」

「はい、閣下。確かに三個分進攻撃は素晴らしい案かと思います。ですが同時に危険も高い作戦です、今少し慎重に、第15軍がなぜ逃げる事も出来ずに全滅したのか、それを深く考える必要があると危惧します。まずはそれを調べてからでも遅くはありません」

「他に何があると言うのだ、第15軍は敵の策に嵌り包囲され逃げる事も出来なかった。ただそれだけであろう。ならば我々は更なる大軍をもって敵を討ち滅ぼすだけだ!」

 

パエッタ大将は自分の予想を確信している。准将の意見で今さら意思が覆ることはない、それが分かっているのか准将も渋い表情で――帽子を握り潰す。

 

「そういえば准将は第6軍と第27軍を本隊より分散させるのにも反対していたな、君が言っているのは慎重ではなく臆病者の考えだ。臆病では戦争に勝てんぞ」

「そうかもしれません。ですが.....」

「それにだ!我が軍には“アレ”があるではないか....。例え帝国が罠を張っていようとも無駄だ。その罠ごと踏み潰してくれるわ!これ以上の問答は不要だ!何かあるならば後日、報告書を提出せよ!」

「......分かりました閣下」

 

折れたのは准将だった。あるいは准将自身、自分の意見で大将の方針が変わるとは思っていなかったのかもしれない。それでも懸念するところをしっかりと伝えた度胸には驚かされた。

ジッと見詰めていると、何やら考えている准将と目が合った。キョトンと目を瞬かせている。

不覚にも綻んでしまう。

 

.......面白い人だ。

 

 

 

 

 

 

結局、軍の方針は三個分進攻撃に決定した。

ウェンリー准将が意見を具申した以外は誰も反対する者は出ず。

それで高官だけによる作戦会議は終いとなった。

 

パラパラと将校達が退出する中、私はとある人物を探す。

目当ての人物は直ぐに見つかった。まだ彼は席を立たず考え込んでいる様子。

邪魔をするのも気がひけるので待っていたら。

 

「ん?貴女は.....」

と、気づいて向こうから声を掛けてくれたので。

「ターニャ=グデーリィン大佐です。初めましてウェンリー准将」

「....初めまして、どうも。」

 

差し伸べられる私の手を見て、おずおずと握手を返してくれた。

ニコリと微笑み。

 

「先ほどの事ですが。上官にも臆せず意見する姿勢にとても感服しました」

「いえ....。大したことではないですよ。結局なんの意味もなかったわけですし。僕が何を言おうとあれは決定事項だったんだ。それを告げる場でしかなかった、分かっていながら言わずにはいれなかった.....」

「この作戦が失敗するとお考えですか准将は」

 

単刀直入に聞いてきた私に一瞬驚いた様子を見せる。そして、返答を考えているようだ。

いきなり来た私に言うか言うまいか悩む顔の准将は、考えた末に答えてくれた。

 

「実用性は認めるよ。成功する可能性もある。欠けているのは柔軟性とその先だね」

「その先....?」

 

「有史以来、帝国領に攻め入ったのはナポレオン皇帝の時世以来の事になる。大西洋連邦機構となってからは二度目の試み、名だたる名将が揃っているけれど侵攻作戦の指揮を執った事があるのは七年前に准将だったパエッタ大将だけだ。これからは先は我々にとっても未知の領域になる、幼子が初めて来る道で迷ってしまうように我が軍も帝国領の只中で道に迷ってしまう、幼子であれば親が共に連れだって行けばいい、だが我々には敵がいる。何が起きるか分からないのであれば綿密に探る事は重要となってくる」

 

「我が軍はそれを怠っているとお考えですか」

「彼ら自身そうは思っていないだろうね。だけど慢心が見えるのは否めない。恐らくその理由は史上初の600万を越える大遠征軍と新型兵器の存在によるところが大きいだろうね......」

 

言われて思い出す、あの巨大な兵器の威容を.....。

確かにあれには目を奪われた。

アレの存在を知った時はこれさえあればもはや帝国を恐れる事はない、と思ったほどだ。

そう考えれば、なるほど、私自身も知らず驕っていたかもしれない。

 

ちなみに私の部隊に連邦産の戦車がなかったのも、その存在が大きく影響している。

連邦軍が新型兵器を開発するのに力を注いだのは良いが、そのせいで生産工場が不足し、戦車の生産が間に合わなくなってしまったのだ。

そのせいで外国に力を借りるという、本末転倒な事になっていた。上層部は馬鹿なんだろうか。

その事を知った時はお腹が捩れるかと思った。主にお笑い方面の意味で。

 

副官には変わったジョークセンスをお持ちですねと言われた。

なぜだろう......。

 

その間に何かを考えていたウェンリー准将は私を見て言った。

 

「僕に協力してくれませんか。もしもの時を考え保険を取っておきたい」

「保険とは?」

「うん、もしも仮に.....この戦で敗れた場合、予想できる被害は甚大なものになります。僕はその被害を出来るだけ最小限に留めたいと考えています、そしてそれは迅速に指揮を執れるかでその被害規模は変わってくる。だけど混乱した戦闘時に他の部隊長と連絡を取っている暇はないでしょう。だから、その時は貴女に僕の指揮に従ってもらいたい。それは貴女の帝国籍部隊――第33装甲大隊にこそうってつけです」

 

その時、グデーリィンの目が細まった。

 

「......やはり知っていましたか私達の事を。......では先ほど助けてくれたのは最初からこれが理由ですか。オズマ大佐を使ったのも准将の仕業ですね」

「.....気づかれていたのか......ごめん、貴女のことは調べさせてもらった。彼を利用したのを認める」

 

やはりそうだったか。おかしいとは思ったのだ。

あの状況で他の将校が居る場で突っかかって来たのには違和感があった。そして准将が助けてくれた時に疑った。

そして今ので確信に至る。

 

「演技が上手いですね、いや、下手といったほうが良いのかな。なぜわざわざ私を知っている節を匂わせたのですか、今のがなければ気づかなかったでしょうに」

 

いや、分かっている。この人は人を騙す事に慣れていない。

だからこそ最後の最後にボロが出た。

わざわざこんな芝居を打ったのは必要に刈られての事だろう。

准将はいきなり頭を下げた。

 

「本当に申し訳ない!軍全体を考えての事とはいえ君に危険な役割を与えようとした事は確かなんだ。騙すようなことをした。でもさっきの話は嘘じゃない、軍人としてではなく、僕個人の頼みとして僕に力を貸してくれないだろうか」

「引き受けましょう」

「直ぐに返答を聞けるとは.....って早いっ!?......良いのかい?」

「構いませんよ、元々さっき助けてもらった礼を言いに来たのですから」

「だけどあれは.....」

 

そう。あれは私に恩を感じさせる為の仕込みだった。

そこに善意はなく、嫌らしい程に計算尽くした利算目的の行い。

凡人の皮を被り、その裏では謀略の限りを尽くしている。

だからこそ面白いと思った。准将の戦いはもう始まっている。仲間の生存確率を上げる為に人知れず動いている。だからこそ面白いと思った。

この男なら私を、私の部隊を無意味に使い潰す事はしないだろう。

 

......それに、男に助けてもらったのは初めてだ。

つまるところ。どうやら私は呆れた事に、私を利用しようとするこの男を気に入ってしまったようだ。

 

「―――良かったですな」

 

突然の声に振り返る。この場に居た将校たちは退出したはず.....。

二人以外誰も居ない会合室の扉を開けて男が入ってくる。

浅黒い肌のその男は.....。

 

「貴方は......カーン中将!....何故ここに?」

 

連邦属州アラビアの将軍、イブラハム=カーン中将その人だった。

なぜここに来たのかと疑問に思っていると、中将は笑みを浮かべながらウェンリー准将の元に。

まさか.....。

 

「そうじゃよ、俺もこの男の誘いに乗った協力者じゃ。この男には借りがあるからのう」

 

まるでこちらの考えを読んでいるかのように言った。

やはりか。よほどウェンリー准将は用意周到に事を進めているようだ。

まさか中将すら抱き込んでいるとは。

 

「中将には間で撤退の基点となってもらいます。大佐にはその流れに合わせて後詰をお願いしたい。僕は先導します、そうすれば全体を動かせる、詳しくはこれから話していきましょう」

 

「うむ、だがやはり妙な事じゃのう、戦う前に負けた時の事を決めるというのも」

 

「連邦が滅びない為に、僕らは戦で負けた時の事を考えるんです、次の戦いの為に。だからこの話し合いが無駄に終わる事を願いましょう」

 

「そうですね、結局のところ我が軍が勝てばいいのですから。これが意味の無い雑談になればそれに越したことはない」

 

「さしずめ僕らのしている事は捕らぬ狸の皮算用というやつですね」

 

「......何ですソレは?」

 

「諺です。たしか東の海を越えた先の国にあるキョウという国の言葉だったは

ず......」

 

...........................

 

 

 

 

 

......................

 

 

 

 

 

...........

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 



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四十九話

――12時間前。

 

 

猛然と押し寄せる連邦軍を霧の中に孤立させて撤退する事に成功したハイドリヒ軍は―――目下、東に向けて逃走中であった。行きと同じく森の中を突き進み、一度の休憩も挟むことなく拠点に向けて先を急ぐ。撤退を成功させたにも拘らず彼らに余裕はなかった。アイスもまた落ち着いて自軍を帰参の途に着かせたかったが、それはもう出来ない。

 

なぜなら現在、ハイドリヒ軍は――――窮地に陥っていた。

 

「―――報告します!南に続いて北の街道からも新手の敵部隊が出現しました!敵はこちらの退路を塞ごうと森を迂回しながら動いているようですっ!」

 

新たな報告が届いた。

これで13度目になる敵の出現にアイスはようやく敵の作戦が読めてきた。

先程の連邦軍部隊は言うなれば囮だ。本命はこちらの退路を断ち、森全体を囲む包囲網を作り上げるのが敵の作戦だったのだ。北と南に向かわせていた偵察部隊からの報告により徐々に分かって来た囲みの厚さから考えて、敵はもっと多くの敵軍の出現を予想していたらしい。それこそ、10万もの敵を包囲殲滅するための作戦だったのではないだろうか。

 

......考える事は同じということか。とはいえ、未だ東からの報告がない事から敵の包囲網が不完全である事が分かる。完成する前に撤退を行えたことは幸運以外のなにものでもない。

アイスは伝令の兵士に指示を出す。

 

「防衛戦を徹底させよ!敵の足止めだけでいい!無理はさせるな!一刻も早くこの森から脱出する事だけを考えよ!」

 

いま優先すべきは抗う事ではなく逃げること。

このまま敵に退路を塞がれるその前に森を抜ける。

どんなに格好が悪くとも逃げ切ればこちらの勝ちだ。

 

その為にハイドリヒ軍は先を急いでいた。なりふり構わず一目散に逃げていた。

いっそ清々しいまでに、敵との交戦を避ける。臆病と罵られようが気にしない無様な逃げ様だったが、それが功を奏して驚くほど速い動きで軍を動かせた。行きよりも一時間も早く、森を抜けようとしていた。

 

その時――遠くで爆発音が轟いた。しかも一度では終わらず断続的に、続けて鬨の声が上がるのも耳に届く。それは前方から聞こえた。聞き慣れて間もない戦争の音。戦火の狼煙だ。

つまり敵は.....。

 

「東の偵察隊より報告!森を抜けた先に敵の大部隊アリ!交戦を開始したとの事です!」

「構わない突破しろ!ここで足を止められれば全滅は必至!全部隊を突入させる!」

 

予想通り目の前にも敵がいた。だがもはや止まれない。一分一秒でも時間を掛ければ敵の増援がこちらの側面に食いつく。そうなればもう逃げられない、我が軍は包囲され全滅するだろう。

北と南に割り振られた以外の一万を使って目の前の敵部隊に向けて攻撃を開始させる事にした。

やがてアイスの居る本隊も森を抜け......。

 

視界が開けたその先に、見慣れた光景が出迎える。

雄大な幅広の河川が視界を横切るように、遥か彼方まで続くライン川。その川を向こう岸まで繋ぐのは古めかしい石材作りの『アルキメデスの大橋』。古代の職人の手によって造られたそれは全長にして50メートル、当時から西との交易の路となった重要な建築物である。

その先にはいよいよ果てしなく広大なアスターテ平原が広がり、遠く地平線の彼方には丘陵と盆地が波間のように形づくられている。

懐かしい光景だ。しかし、感慨に耽る暇もない。

森を抜けた事でようやくアイスにも戦場の様子が分かった。

 

敵は西岸一帯に陣を敷いている、報告の通り敵の数は2万を超える大部隊だ。

しかも敵は現在、大橋の制圧を行っている最中だった!

それを待機させておいた東岸のハイドリヒ軍が必死になって阻止しようとしているのが見える。アイスが保険の為に予め東岸の部隊を残しておいたのだ。

だがそれも橋の半ばまで制圧されていて、激しい攻防戦が繰り広げられている。

 

―――マズイ。

このままアルキメデスの大橋を占領されたら、アスターテ平原に逃げ込めない。

それは計画の失敗を意味する。

それだけは何としても阻止しなければならない!

 

何とかハイドリヒ軍を大橋に向かわせようとするが、それを阻止するべく敵も一万の兵を分けてこちらに寄こしていた。

つまり現在の戦況は、扇状地のような開けた地形に一万の兵が布陣している我が軍―対―西岸一帯に扇状に半円を描いてそれを防ぐ敵軍一万。それと大橋を制圧しようとする一万の占領部隊―対―それに抗う東岸八千の味方というかなり拮抗した状況になっていた。

 

だが時間はこちらの味方をしない。それどころか時間が経てば経つほど敵が優勢になってくる。

敵は恐らく森の包囲に使っていた兵力をここに集中させる筈だ。

森の中に無数存在する街道を使って押し寄せる敵を何とか足止めしているが、それも長くは持たない。短期決戦が望まれる。

だが......。

 

 

 

 

無理だ。

この敵の厚さを短時間で突破するなんて不可能に近い。

敵の指揮官は取り逃がしたハイドリヒ軍の本隊が迫っている事に気づいていたのだろう。

万全の状態で迎え撃つ準備を終わらせていた。

目の前の方陣隊形を取る敵を突破するには凡そ半日を要するだろう。

......いや、あるはずだ。まだ何か手が!

諦めが胸中を支配する中、それでも必死に、持てる力を振り絞りながら自分が打てる策を冷静に考えていた―――アイスの元に急報が届く。絶望に落とす無慈悲な報告が。

 

「北の街道を偵察していた部隊からの新たな報告が届きました!やはり敵は森を大きく迂回しながら此処に向かっている模様です!」

「南の街道からも同様の報告が上がりました!続々とこの地点を目指しているようです!一時間後に到達するものと思われます!」

「.......」

アイスは諦めたように目を瞑った。

 

 

 

 

.....ここまでか。申し訳ありません殿下、僕はここまでのようです。

万策は尽きた。もはや我が軍に生き残る術は無い。

 

思えば西岸より軽騎兵団が消えた時から歯車は狂いだした。

それでも彼らに責を問うつもりはない。

これが僕の選んだ選択だからだ、僕が選んだ人生だ。後悔はしない。

ただ、惜しむらくは殿下と立てた計画を全う出来なかった事だけ。

僕がここで死ねばば殿下の計画が失敗に終わる。

どうか、

 

「お逃げ下さいラインハルト様.......!」

 

悲痛な叫びを張り上げ、

全てを諦めかけたその時――――橋の上で爆発が轟いた。

その音は森を抜ける際に聞いた音と一緒で。

アイスが顔を上げて視線を向ける、いったい何が起きたのかと見て見れば、橋の真ん中で煙が上がっている。そこで気づいた、よく見れば橋の上の連邦軍が後退している事に。

明らかに異常が発生していた。

何が起きている.....?

疑問に思ったアイスは懐の双眼鏡を手に掴むとそっと覗き込み。

そしてアイスは橋の上の光景を捉えた。

 

戦車の爆発なのか知らないが、モクモクと上がる煙の中に誰か居る。それも一人じゃない、数十人の人影が見える。ゆっくりと煙が晴れた先に居た者とは.......。

 

「アレは.....何だ......?」

 

戸惑いの声が漏れる。

それは人型と形容するものだった。

帝国兵の鎧兜と似ているが全くの異質の存在である事が分かる。

視線の先に立っていたのは全身を蒼い騎士甲冑のような防具で纏った者達。

見た事のない装備。見た事のない兵士。

所属不明の部隊である。

 

見た事のない装甲服で固めた彼らはハイドリヒ軍の兵士達を背後に庇い、目の前の連邦の兵士達と相対している。

息を吞んで見守っていると......。

 

おもむろにその機械兵とでも言うべき兵士10人が前に出る。

彼らが何気なく腰に抱えながら構えている武器を見て、連邦兵達に動揺が走るのが分かった。アイスもまた信じられない物を見る様な目で見ていた。

それは俗に対戦車用重機関銃と呼ばれる兵器で、本来であれば地面に設置して使う防衛用の物、その大きさは縦にすれば使用者の身長よりも長大で、重量は150㎏を優に超え、持って使う事なんて出来る代物ではないからだ。秒間で50発の弾丸を射出するその破壊力は凄まじく、戦車の装甲すらも薄い面であれば貫通する化け物の様な重機関銃のはず。それをまるで普通の突撃銃を小脇に構えるが如く......。

 

平然と歩いて来る機械兵を見て、慌てた様子で連邦の指揮官が大声を叫ぶと、数百人もの歩兵達が突撃銃を構えて撃ち出してくる。

長大な対戦車用重機関銃を両手で持つ機械兵達はそれを防ぐ事も出来ず、射撃の雨を浴びる事になる。

無防備に撃たれる様を見て、殺られたと思い苦々しい表情になったアイスがその光景を見て固まる。

何と機械兵達はまるで何事も起きていないかのように歩き続けていて、迫り来る無数の銃弾は蒼い甲冑が全て弾いているではないか!

 

帝国で正式に支給される鎧兜の装甲服でさえあの弾丸の暴風雨の中では3秒と持たないだろう。

無風の中に居るかのように無傷で向かって来る機械兵達を必死に止めようと連邦兵達が抗う中、それを嘲笑うかのように機械兵は対戦車用重機関銃の砲塔を前に突き出し―――指揮官が後退命令を出すよりも早く、一斉に撃ち出した!

 

瞬間――橋の上に居た数百人の連邦兵が逃げる暇もなく。暴虐のような無数のライフル弾によって体を撃ち抜かれていった。橋の上という限られた地形のせいで後ろに逃げようとする指揮官も等しく、無数の兵士を貫いてなお威力を減じさせないその弾丸に体を吹き飛ばされ一瞬の内に肉隗へと変えられていった。橋を占領せんとしていた数百人の連邦兵が、たった10人の機械兵によって一掃されていく。その様は何とも爽快な光景で、一つの戦争の概念が変わる瞬間でもあった。

 

それが五分ほど続いただろうか。やがて弾切れになる頃には橋の上は凄惨なものとなっていた。人の原型を留めている者は少なく、肉の塊としか言えない物に溢れ、ピンクの肉片と赤い血のコントラストによってアルキメデスの大橋は鮮やかに染め上げられていた。

 

――シンと静まりかえる戦場。いや、継続的に銃弾の音があちこちで聞こえてはいるのだが、対戦車重機関銃の轟音に耳が慣れてしまったせいで、やけに静かに聞こえるのだろう。遠く離れた此処からでもそう思うのだ。

橋を占領しようとしていた連邦兵はその比ではないだろう。どれほどの恐怖を彼らが感じているか想像するのは難しくない。それほどに衝撃的な事が起きたのだ。

そのせいか、いまだ混乱から抜け出せない連邦軍、呆然自失の様子で新たな部隊を橋に送り出す事が出来ずにいた。

 

先に動いたのは機械兵だった。

横並びに立つ10人の間から一人の機械兵が飛び出すのを皮切りに、後ろに控えていた大勢の機械兵達も走り出した。鈍重な全身鎧を着込んでいるとは思えないスピードは偵察猟兵に匹敵する。あっという間に鮮血の絨毯を渡り切った機械兵が敵兵に迫った。無駄だと理解していながらも突撃銃による反撃を行うが、一刀の元に切り伏せられた。新たな鮮血が舞うのを前にして機械兵は淡々と次の標的に目を向ける。恐怖による悲鳴が上がるのを無視して更に斬りかかっていった!

二人目を斬り殺す頃には後ろの機械兵達も追いつき、思い思いの蹂躙を開始していった。

そう、蹂躙だ。もう既にそれは戦闘と呼べるものではなかった。一方がただ敵を殺す。独壇場に切り替わっていたのだ。彼ら奇怪な機械兵達の武器は様々で、あるものは長大な大剣をもって数多の兵士を斬り飛ばしている。またある者は軽機関銃を手に持ち俊敏に動きながら多数の敵兵を撃ち殺していた。その横に目を向けて――驚愕する。呆れた事に先程の対戦車用重機関銃を両腰に2門、首に掛けたベルトで支えつつ、そのまま乱射、圧倒的な火力でもって肉隗を量産している者までいた。人の力では凡そ不可能な芸当は、恐らくあの鎧に仕組みがあるのだろう。

そうでなくてはあの人の身を超越した、人外の如き力の説明のしよがない。

 

中でも群を抜いて凄まじい挙動を見せる機械兵が居た。

その兵士は最初に先陣を切って飛び出した者で、片手の武器――物々しい砲身に片刃のブレードを埋め込んだような得物を、瞬く間に乱舞させ無数の敵を撃破している。

凄まじい技のキレと人間離れした動きが為す奇跡の様な挙動。

素早く敵との間合いを詰め、瞬きをする間に斬り払われた胴体。冗談のように人間の体が二つに別れた、続けて手首を返すだけで鮮血が宙を舞う。地面に崩れ落ちた事で二人目が倒された事に遅れて気づいた。

その動きは獣の様な荒々しさが有りながら繊細な技能によって可能となっている、どれほどの努力の果てに培われたモノなのか想像もつかない。

 

あっさりと敵陣の真っただ中に侵入した機械兵は囲まれているというのに気にした様子もなく。

逆にこれ幸いとばかりに銃砲を構えた。

 

そして―――

 

砲口から光が瞬いたかと思うと射線上で爆発が轟いた。まるで戦車の砲弾が発射されたような威力に玩具の人形でも吹き飛ばすかのように兵士の体が宙を舞い上がる。何度も聞いた音はこの銃砲を鳴らす音だったらしい。

遅れて肉片が地面に落ちる。今ので周囲の連邦兵が恐慌に陥るのが手に取る様に分かった。

我先にと持ち場を離れて逃げ出している。

それを止めようと指揮官が何事かを叫ぶが、次の瞬間には銃砲から放たれた無数の銃弾に襲われ物言わぬ骸となる。もちろん撃ったのは先程の機械兵だ。砲身に隠された幾つものギミックを使って戦闘を有利に進めていくその一騎当千の如き活躍の兵士は目立つ。

 

何百という連邦兵がコレを討とうと躍起になるが出来ない。

なぜなら兵士は一人ではないからだ。気づけば百人もの機械兵が戦闘を行っていた。そのどれもが一騎当百の如き働きを見せている。個でありながら群となって一人一人が補うように、軍の動きをしているのだから、連邦軍にとっては悪夢の様にしか思えないだろう。悪魔が地獄から軍団を生み出したような――そんな非現実的な強さに指揮官達も頭を抱えていた。なんせこちらの攻撃は全て全身鎧で弾かれ、逆に規格外の兵器の数々でこちらに襲いかかって来るのだ。評するのであれば百鬼当万と言った処だろう。彼らは万の軍勢に匹敵する。

 

現に視界の先で橋の制圧部隊が崩壊していくのが分かる。

最初は端の綻びからだったが、徐々に綻びは全体に伝播していった。

これほど簡単に綻びが生まれたのには理由がある。それは橋の制圧部隊は歩兵しか居なかった為だ。

戦車といった兵器を使っては石材の大橋が砲撃によって崩れる恐れもあり、またその重量によって負担をかける事に不安を抱いた指揮官が無傷での橋の制圧を望んだ事もあり、部隊には歩兵しか居なかった。だが歩兵の軽量武器では全身鎧の耐久力を突破する事が出来ない。そんな理由があり逸早く戦線は崩れた。勝てないと分かっていながら戦うほど辛いものはない。逃げ出したくなるのも仕方ない事だろう。

 

そして、それと同時に東岸の部隊8千が動きを見せた。

こちらと合流しようと大橋を渡り始めたのだ。

それに危機感を覚えたのは本隊と戦う1万の連邦部隊だ。未だ我が軍は敵の鉄壁を崩せない状況だが、背後から攻撃を受ければ話は別だ。制圧部隊の戦線が崩されつつある今、大橋を移動する8千の敵に攻撃を受ければ完全に崩壊するだろう。そのままこちらの背後に敵の爪が伸びれば、前後を挟撃される事になる。しかも謎の機械兵というオマケつきだ。苦戦は免れないだろう事は明白である。

 

......敵は。

 

「北に向かって移動している.....。敵は撤退を選んだか」

 

どうやら連邦軍はこの場面で戦略的撤退を選んだようだ。

前後を挟撃される前に陣形を紡錘形に変え、上流に向けて移動を始めている。

臆病なのか、慎重なのか、あるいは......。

 

やがて北の森に遮られて連邦軍の姿が見えなくなるのを眺めながら考えに耽っていると、前方でざわめきが起き出すのを聞いて、ふとそちらに目線を向ける。

あの機械兵がこちらに向かって来ている光景が映った。

ゴクリと息を吞み、緊張の面持ちになる。

大丈夫だ、アレは恐らく殿下の......。

だが敵ではないと分かっていながらも畏怖せずにはいられない。

部下も同じ思いなのか自然と兵士達が道を開けていく。

歩みを止めない機械兵はその道を通って、やがて目の前までやって来た。

アイスは微笑んで、

 

「ありがとう、おかげで助かったよ。君たちの活躍がなければ僕たちは逃げれずに全滅していた。君達はいったい......?」

 

蒼い騎士甲冑(ブループレートアーマー)の兵士はこちらをジッと見ている。

何事か言おうとして声が面越しに籠る。聞き取れなかったアイスは首を傾げる。

すこし無言になる兵士はフルフェイスを取ろうとして......出来ずに止めた。

どうやら外部からは取り外す事が出来ない仕掛けになっているらしい。

忌々しそうに頭をガンガン叩いている。

やがて諦めると今度は口元に手を向けた。呼吸孔があると思われる部分にガスマスクのような形の機械が付随していて、それを何やら触っていると......。

 

「.......ハルト....殿下に頼まれて来た。貴方達を助けるようにって.....」

 

今度は声が聞き取れた。

そしてその声が女性のものであった事に驚く。

屈強な男を想像していたアイスは呆気に取られた。まさかあのような戦いぶりを見せた兵士が女だとは思わなかったのだ。

.....それを可能にするのがその鎧と云う事なのか。

彼女らの強さの秘密に考えを巡らせかけるが首を振る。

いや、それよりも。

 

「やはり殿下が送ってくれた部隊だったか.......。感謝しますラインハルト様.....」

 

絶体絶命のピンチを救ってくれたのは彼女達の主であるラインハルトの命令であった事を聞き。

姿の見えない主に感謝を捧げる。

そういえばと、ふと思い出す。ギュンターという男に渡された袋の事を。読む機会を逸してしまっていて忘れていた。

二つ目の袋を取り出して中を読んでみる。

そこには次の指示と保険に部隊を送っておく旨が書かれていた。

 

「.......なるほど汎用戦術迎撃兵装ヴァジュラ。それがこの兵器の名前か.....。ラインハルト様もとんでもない物を作ったものだ.....。戦争が変わりかねない」

 

この説明によれば、たった一人で戦車に匹敵する耐久力と機動力を持っている事になる。そこに数多の兵器を武装するだけで応用が利く。むしろ人型の戦車と思った方が良い。恐ろしい力を秘めている。これからの戦争に影響するだろう。味方である事が本当に良かったと思う。

 

「とりあえず防衛戦を森で行ってくれている副官達を呼び戻そう。その後は直ぐに橋を渡って平原部に移動する、恐らく敵は直ぐに戻ってくるはず」

 

一旦は逃げたものの敵は直ぐに部隊を編成して戻って来る。包囲に配置していた部隊を集結させて今度はもっと大軍で。その前にこちらも態勢を整えておかなければならない。逃げるつもりはなかった。

 

「敵を沿岸で迎え撃つ!すまないが君達にも協力してもらえないだろうか?」

 

その問いかけに彼女はコクリと首を振って、

 

「分かった。貴方の指示に従おう、それがハルト.....殿下から受けた命令でもあるから」

「そうか、ならば僕もラインハルト様の計画を実行に移すために。まずは前段階として......あの橋を落とすとしようか」

 

その目の向こうには建築物としても名高いアルキメデスの大橋が映っていた。

 

 

 

 

 



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五十話

挟撃される事を恐れ退却した連邦軍が、それから姿を現したのは一時間後の事である。

やはり包囲の一角として周辺に散っていた戦力を結集させたのだろう。

森が震えるほどの大軍を引き連れてきた。その数は目測でも軽く数万を超えていて。

目の前の対岸一帯を数えきれないほどの連邦軍が埋めつくしていた。

 

対するこちらもまた一時間の内に、合流した部隊と本隊を編成した事で二万と成った大軍を、岸に沿うように並ばせた横列陣形で待機させていた。後ろにはアスターテ平原が広がっている。

ライン川を挟んで睨み合うように構える二つの大軍。

どちらも目立った動きはなく、静観の構えを見せている。

両軍の間を緊迫した気配が渦巻いていた。

 

既に戦いは始まっている。

 

始まりは唐突に、幕は連邦軍が切った。

整然と並んだ数百からなる歩兵部隊が橋を渡って来た。同数の部隊が後ろから等間隔で三つ。合わせれば千に届く。どうやら敵の指揮官は先程と同じく正攻法で橋を制圧する気のようだ。先ほど多くの被害を受けたにも関わらず、物量による力攻めを選んだ連邦軍。何か勝算があるのかと思いきや―――

 

悲鳴と怒声が響き渡る。

切り飛ばされた腕が地面に転がり、間欠泉の如く噴き上がる血潮が橋を汚す。

恐慌状態に陥った兵士が混乱のあまり橋から滑落する。死が溢れ、染み出した血溜まりが橋を伝って川に注がれる。

激しい戦闘が繰り広げられている。――が、圧倒的なまでの力の差によって連邦軍は蹂躙されていく。いっそ哀れな程だ。

 

それが出来るのは百人からなる無敵の援軍―――ヴァジュラス・ゲイルをおいて他ならない。彼らは橋の上に陣取っていた。まるで敵を待ち受けるかのように。

そして、こちらに押し寄せ迫り来る連邦軍を―――圧倒的な力で殴り返したのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの程度の橋を制圧するのにいったいどれだけ時間を掛けるつもりだ!前線指揮官は何をしている!敵は小勢ではないか!」

 

橋の上を戦場にして千人の味方が百人の機械兵に蹴散らされていく、その光景を遠くから眺めていた男が居る、第15軍総司令官のヒューズ中将だ――彼は苛立ちの表情で戦場を見ていて、ついに我慢の限界を超えたのか叫び出した。

攻め始めてから情勢は一向に進展していない。それどころか一時は橋の瀬戸際まで追い詰めたかに思ったら、それまでが肩慣らしだったとでも言うように、本気になった敵の巻き返しによってあっさりと橋の半ばまで押し返される始末。遊ばれている、そう思い激怒したヒューズ中将の命令によって新たな制圧部隊が突入していく、殲滅される。先ほどからその繰り返しであった。

隣に立つ参謀兼副官の男が見かねて口を開いた。

 

「やはりあの正体不明の部隊にはこちらの銃弾が効かず、反して予想を超える高火力武装で身を固めているようです、橋の制圧は今しばらく掛かるかと思われます閣下」

「されとて敵も不死身ではあるまい!もっと多くの兵を投入せよ!敵が休む暇もなく何百、何千という兵を叩き付けろ!いかなる常識を超えた敵兵士であろうと数の前には敵うまい!何のために全軍を集結させたと思っているのだ!」

「それでは予想する以上の損耗率となりますが?」

「構わん、何人死のうと兵士の補充は幾らでもいる。損害なんぞ気にするな!」

 

何せこちらには8万の兵だけではない、後方には更に多くの軍隊が控えているのだ。

多少の千や二千なんぞ気にする数字ではない。重要なのは敵指揮官の首を取る事である。

 

「目の前に居るのはあのハイドリヒ伯の軍なのだ。辺境伯を討った戦功ともなれば俺は晴れて大将になれる!......そうだ、本来であれば俺こそが北東戦線における大将となるはずだったのだ。まかり間違ってあんな男がこの軍の総司令官になっているが、それは正しくない.......」

 

......この戦いで勝利をおさめてそれを証明してやる。

恰好の獲物を前にしてヒューズ中将の燻っていた野心に火が点いた。

自身の功績の為であれば何人の部下が戦死しようと構わない。本気でそう思っていた。

だからこそ無謀としか思えない戦い方も許容する。

それが最も味方に被害の出る作戦であったとしても微塵も気にしない。

 

だが、一見無謀とも思えるその作戦もあながち的外れな訳ではなかった。無謀だが無駄ではない。

彼ら――ヴァジュラス・ゲイルの使用する弾薬とて無限ではない、いつか打ち止めになる。現にあの暴虐を振るっていた対戦車用重機関銃は既に弾が尽きている。残りの銃火器等の弾薬を消費しながら近接戦を行っているのがその証拠だ。

そして、彼らには時間という制限があった。無敵と思える彼らと言えど長時間戦える訳ではないのだ。もちろん現時点で連邦軍がその情報を知りえる事はないが、それでも結果的に見れば彼らを相手に物量戦は悪い判断ではなかった。むしろ効果的とも言える程だ。

 

それに加え―――

 

「河川の調査に行っていた部隊からの報告です!調べて見たところ明らかに河川の水位は低く、あの深さであれば軍を渡川するのは難しくないとの事でした!中将閣下の見立て通りです!」

「そうか、やはりそうか!.....帝国軍も運がない、どうやら勝利の女神は俺に微笑んだらしい!......待機させていた軍は全て前進せよ!戦場の第二幕を上げるぞ!」

 

中央の大橋の上で激しい攻防戦が行われている中、左右の部隊を無駄に遊ばせているはずもない。新たに部隊を投入できる場所がないか調べさせていた。そして時期的によるものかは知らないが、川の水位が下がっている事が判明する。

好機と見たヒューズ中将の命令の下に、動き出す左右の軍勢。

石の橋という条件ゆえに戸惑われていた戦車の投入も川ならば問題ないと云う事でようやく行われる。次々と川に入っていく連邦の中戦車群。その上に何人もの兵士が乗り込んでいるのが見える。タンクデサントというやつだ。乗り切れなかった歩兵達は川底を歩いて対岸の上陸を試みていて、水が胸元辺りまできているのも気にせず前だけを見ている。

 

対するハイドリヒ軍もまた指を咥えて見ているだけなはずがなく、連邦軍を上陸させまいと防衛線を展開している。放たれる偵察銃の弾雨が連邦軍に降り注ぎ、バタバタと川の中で息絶える兵士達。流れる血で川が赤く染まっていく。時間が経つにつれその量は増え、色は鮮明になっていき、川全体が真っ赤になるのもそう先の事ではなかった。

 

両軍ともに多少の血が流れるのは当たり前の事だが、明らかに連邦軍の流す血の方が多い。

それでも退く事を忘れたかのように進み続ける連邦軍。少しづつだが着実に距離を詰めていく。

そして――ついに榴弾の雨を潜り抜けた連邦製の重戦車が川岸に乗り込んだ!

 

瞬間―――それを待ち受けていた帝国の重戦車が上陸した直後の無防備な重戦車の顔面目掛けて砲弾を撃ち放った。音速で迫る砲弾をまともに受けてしまう重戦車。しかし、ダメージは軽傷に留まった。驚く事にその分厚い装甲版が重戦車の砲弾をものともせずに撥ね返したのだ。

それを見たハイドリヒ軍にどよめきが走る。

 

帝国の重戦車ですらあの距離からの着弾は甚大なダメージを受けるのは避けられないからだ。だが、連邦の戦車はほぼ無傷、それは連邦製の戦車の特徴によるものだった。そも戦車というのは三つの要素から成り立つ。攻撃火力・装甲耐久力・走行機動力の三点だ。これらのパラメーターを上げる事によって強い戦車は出来上がる。だが全てを万能に上げる事は難しい。帝国のように火力と機動力を上げればその代わり、速度を上げる為に装甲板は薄くなり耐久力が下がる。そう言った風にどちらかを長所にすればどこかに短所が生まれる。

 

そして連邦軍の戦車は攻撃力と耐久力に重きを置いていた。帝国の戦車と比べて1.8倍もの厚さを誇る鋼鉄の鎧はあらゆる攻撃を撥ね退ける。重量によって機動力は落ちるが、このような制圧戦の場合であれば適役と言えるだろう。

 

長い砲塔を備える連邦軍の重戦車が狙いを定め――先程の恨みを返すかのように徹甲弾を撃ち放つ。

耐久力が低いといっても他国に比べれば十分に厚い装甲板を、徹甲弾は一瞬で突き穿った!

耐えられない程のダメージを受けた重戦車は噴炎と共に大破する。

 

上陸を果たした重戦車を基点に兵士達が川岸に上がっていく。遂に防衛線が破られた瞬間である。

こうなれば数で圧倒的に勝る連邦軍の勝利は揺らがない。

ライン川を挟んでの攻防戦は連邦軍の勝利によって終わるかに思われた。

 

――――その時である、アルキメデスの大橋が震える程の爆発が橋の中心で起きたのは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑強なる石の大橋がその半ばから大きな音を立てて崩落する。

激しい音と噴煙を上げて、無数の悲鳴が川の中に落ちていく光景を見ていたアイスは、隣に気配を感じ視線はそのままに言った。

 

「ご苦労だったね、時間稼ぎありがとう。君達には無理を言ってしまった。仲間は大丈夫だったかい」

蒼い全身甲冑を身に纏う娘が横合いに立つ。

先ほど後退を済ませたのを見ていたので大丈夫だと思うが、橋を解体するための爆破に巻き込まれなかったか心配だったが、

 

「ん、問題ない....。みんな無事、心配しなくていい。あれくらいで死ぬほど弱くない」

どうやら杞憂に終わったらしい。10倍の敵を前にして繰り広げていたあの戦いを()()()()()で済ませる彼女の豪胆さに何と言っていいやら。言っている感じからして嘘ではないのだろう。まだまだ余裕がありそうだ。末恐ろしい。

 

「そうなんだ。凄いな......確かイムカさんだったよね」

「.....あまり名前を呼ばせるのは好きじゃない。だけど貴方の事はハルトから聞いている、友達だって言っていた。だから......イムカでいい」

 

その言葉を聞いて苦笑を覚える。もしかしなくても殿下に認められているから呼び捨てでも構わないと言っているのだこの娘は。そうじゃなかったら名前さえ教えてくれなかっただろう。警戒心が強い、まるで主人にしか懐かない猫のようである。というか、殿下がハルトの愛称で呼ばせていると云う事はかなり親しい間柄のはずだ。いったいどんな関係なのだろうか。恐らく聞いても教えてくれないだろう。

気にはなったが余計な詮索は控える事にした。

 

「そうか、じゃあ教えてほしいイムカ、君達はあとどれくらい戦える?」

「私達が持って来た高火力武装の弾薬は全て使い果たした、でも通常の火器兵装を貸してもらえればまだ戦える。でも、もって一時間とちょっとくらい......その後は拠点で整備しなければならない」

「戦うたびに稼働熱が溜まっていくんだったね。あまり無理をさせる訳にはいかないか......」

「?.....何かあるなら言えばいい」

首を傾げたイムカが聞いてくる。

「いや、君達だけに負担は掛けられないから......分かった言うよ。僕の軍には今、殿を任せられる部隊が居なくてね、本当なら唯一の精鋭部隊に頼むつもりだったんだけど残念ながらその部隊はある事情があって使えないんだ。他の副官達は左右の部隊を指揮しているから頼むわけにもいかない」

渋るアイスだったが、イムカはイイから聞かせろとばかりに詰め寄った。無言の威圧感にたまらず教えてしまう。

それを聞いたイムカは、

 

「ん、そういう事なら問題ない。最後まで私達が面倒を見る。早く撤退を進めるといい」

「簡単に言うけど一番危険な役割だよ。消耗している君達に頼むのはやはりどうかなと....ここは僕の本隊を使おうかと思うんだ」

「それこそ危険過ぎる。大丈夫、私達はそう簡単にやられはしない。ハルトに貰った鎧がある」

「だが、僕にも意地がある、守ってもらうだけの存在じゃないんだ。その程度の存在だったら、はなっから殿下の友人を名乗る資格もないからね。だから......」

僕が戦うしかないんだ――と言おうとした所で、

 

「―――ならばその任、どうか儂らに御命じ下さい」

 

背後から掛けられた男の声に正直驚きを隠せなかった。

いきなり掛けられた言葉にではなく――その声が誰の者か分かったからだ。

まさか、この人が来るなんて......。

 

「......ユリウス」

 

振り返れば眼下にハイドリヒ軽騎兵団長ユリウスが跪き頭を垂れていた。その後ろには老練な副団長や年若い千人騎兵長達も一様に跪いていて。

その姿はまるで主に忠誠を誓う騎士の如く。

 

「.....いったい何のつもりだ、お前達には後方で待機しているように言っていたはずだが」

「はっ、申し訳ございませぬ!度重なる命令違反、もはや自死の覚悟で此処に居りまする。ゆえに!最後の御奉公のつもりで、恥を忍んで貴方様の下に参りました!どうかこの愚か者に最初で最後の命令をお与えください、友軍を救う機会を!それをもって我が騎兵団は解散させて頂きます!」

信じられないとアイスの目が語る。

 

「騎兵団を解散するだと?あれほど騎兵団存続に固執していた貴方がなぜ今それを言う」

「時代に遅れた老いた者達の妄執を先のある者達に背負わせる事の愚かさに気付いたのです、我々も変わるべき時が来た、ただそれだけの事に気づかされました」

「そうか.......面を上げてくれユリウス団長」

 

顔を上げるユリウス。その目は先代ハイドリヒ伯の残した栄光に縋る老人の目ではなく、最後のハイドリヒ騎兵団長ユリウスとしての曇りなき武人の眼差しであった。よほど先の戦いで心境の変化があったらしい。

それならば、とアイスは言う。

 

「これからは僕の為に戦えると誓えるか、先代ではない、ハイドリヒ伯としても未熟なこの僕に」

「現在のハイドリヒ伯は貴方様です、我が主よ.......」

「......そうか。ならばこの戦いで汚名を濯ぐがいい、見事殿(しんがり)を果たした暁には、先の件である独断専行の罪は問わない事とする、役目を果たせ我がハイドリヒ軍最強の将よ.......!」

「っ!ありがたきお言葉!この身命を賭して果たさせて頂きまする!!」

「いや、命を懸けてもらっては困るよ。貴方達には今後も僕の元で働いてもらう予定ですからね。勿論、未熟な我が軍に軽騎兵団を遊ばせている暇も解体する余裕もない、こき使わせてもらいますので覚悟しておいてください」

「な、なんと.....!!」

 

その言葉に感極まったのかユリウスは涙を流すほどの喜びを露わにする。

彼らがハイドリヒ軍で最強の部隊である事は疑いようのない事実だ。

元々は彼らにこの任務を任せるつもりであったのだから。

だが、ユリウス達には悪いが今の彼らの部隊の状況では不安な点がある。

先の戦いで既に彼らの軽騎兵団は半壊するほどの被害を受けていた。

そんな状況で最も消耗の激しい撤退戦を行えば今度こそ全滅もありうるだろう。

なぜなら、

 

「この撤退戦はただの撤退ではない、次の作戦の為の戦略的後退だ。敵を出来るだけ引きつけながら撤退する事になる。攻撃を受けるギリギリの距離を保って逃げるんだ、現在の騎兵団の残存戦力ではハッキリと言って難しい」

「......っ!」

 

冷静な言葉にユリウスの顔が悔しげに歪む。武人の誇りを傷つけたアイスに対しての怒りではなく、自分達の行った過ちで味方を助けられない自らに対しての悔しさだ。

.....やはりここは儂らの命に賭けてでも味方を逃せるなら本望。

何かを言おうとユリウスが口を開いた時だ。

 

「私達が援護する.....。そうするのが一番効率が良い」

それまでジッと成り行きを眺めていたイムカが唐突にそう言った。

一瞬は驚いたアイスだったが言われて考える。彼女の提案は正しく正鵠を得ていた。

精鋭の軽騎兵団に殿を任せ、ヴァジュラス・ゲイルにはその援護に回って貰えば彼女達の負担も少なく、かつユリウス達の被害を最小に抑えながら撤退する事が出来る。

これが現状においての最善なはずだ。

 

「......分かりました。最後まで面倒をかけてしまいますがよろしく頼みます、ユリウスもそれで良いですね?」

「勿論です!彼らの尋常ならざる強さは既に周知でありますれば、これ以上ない援護となりましょう!」

「.......よろしく」

「ははっ!かたじけないイムカ殿!礼を言いますぞ!」

 

立ち上がるとイムカに向かって深々と頭を下げる騎士達。当の本人は関心なさそうな所が相まってその構図はどこか面白い。アイスは視線を川縁に移した。

橋を落したいま、悠長にしている暇はない。川岸では既に激しい戦闘が行われている。じきに河川一帯は大勢の連邦軍に制圧される事だろう。

 

――計画通りである。敵に川を渡らせるのが目的だった。そして此処から敵を引き付けながら後退する。獲物に食いつかせる前の魚の様に、僕という存在を餌にして。

連邦軍の指揮官にとっては悪名高いハイドリヒ伯という名の餌は実に魅力的に移る事だろう。大軍で押し寄せてきたのも好都合だ。

そう思っていると、

 

「.....うん、だからそういう手筈で。.....分かった、直ぐに私も戻る」

 

何やらイムカがぶつぶつと呟いているのに気付く。近くに居る僕たちを見ておらず、どこか遠くを見ている様で。まるで誰かと交信をしているようだが、通信機の類は見られない。いったい何をしているのか気になって見ていれば、イムカもこちらを見て.......。

 

「隊長と連絡を取った、いつでもイケるって」

「通信機械はないようだけど.....っまさか、鎧に内蔵されているのか」

「ん、基本的に隊長からの送信でしか繋がらないけど、そう。ヴァジュラには内蔵型の無線機が組み込まれていて、隊長や司令塔の命令によって動く事で状況把握できない戦闘時の場合でも命令に従う事で安全に行動する事が出来る.....というかこの機能がないと戦闘が出来ない、ヴァジュラの耐久性は外部からの情報をほとんど遮断するから」

 

全身を守ってくれるヴァジュラの耐久力は折り紙付きだが、それゆえに装甲が厚い。それこそあらゆる銃弾を跳ね返すほどに(ある専門家は戦車の砲弾すら防ぐと豪語する)そのため外気に触れる場所は限りなく埋められていて一点の隙間もない程だ。おかげで外部からの音すら遮断する程のモノになってしまい、これでは戦闘に支障が出てしまう事を危惧した開発班は部隊内で情報を共有できるよう無線機を埋め込む事にしたのである。

 

一兵士でしかないイムカが代理として来たのも直ぐに情報を送れる為だった。

 

それを聞いて深く感心する。兵士一人一人と無線で交信できる事の利便性についてだ。より緻密な戦術を立てる事も出来る、画期的な発明といえるだろう。

だが、ふと疑問に思う。

知れば知る程ヴァジュラという兵器の規格外さが良く分かる。

軍事先進国の帝国軍においても聞いた事のない兵器だ。

帝国の技術の粋を集めてもはたして同等の物が出来るだろうか。

いや、実際こうして目の前に在るのだから、その物言いは実に可笑しな事だろう。

 

だが、何故かこう思ってしまう。

 

これは本当に現在の帝国の技術で作れる物なのだろうか......?

 

 

 

 

 



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五十一話

ライン河川の防衛を放棄したハイドリヒ軍が、ゆっくりと後退を始めていく。

逃げ先はアスターテ平原。広大な敷地が広がりを見せる其処に向けて軍を後退させていた。

すかさず第15軍司令官ヒューズ中将は命令を出す。

「逃がすな!敵を追撃せよ!平原であれば敵に逃げ場はない、ハイドリヒ伯を捕らえるのだ!」

 

東の川岸を制圧した数万もの連邦軍が、逃げる帝国軍を追いかけるのを見ながらヒューズは自らも動くべく車輛を前進させる。制圧された対岸に向かおうとした。だがそこでヒューズの身を案じた副官が言う。

「......閣下はここでお待ちください、深入りは危険です」

「危険だと?よく見てみろアレを、障害物一つ無い、あるとすれば丘陵があるだけの平原地帯だ。敵がどこから現れようとも直ぐに索敵できる。仮に敵に増援があったとしても一時撤退するだけの余裕はある。問題はない、あるとすれば敵の首魁を取り逃がす事だけだ!」

 

よほどハイドリヒ伯の首に執心していると見え。視野狭窄になっているのではと心配したが、流石に一つの軍を任された男である。熱くなり過ぎている様に思えたが冷静な判断は怠っていなかった。リスクとリターンを秤にかけた上での行動だ。自らが指揮を執った方が何があっても動きやすいと考えたのだ。

 

「俺とて敵に何か考えがある事ぐらいは分かる。あの広いアスターテ平原に逃げ込むのだ。まだ奴らには何かある。撤退はそれを見極めてからでも遅くはない」

「お気づきでしたか......!出過ぎた真似をしました」

 

自分が考えていた敵の思惑についてヒューズも気づいていた事を知り、副官は恥ずかしそうにする。

逃げるハイドリヒ軍の背中を攻撃する連邦軍。

その様子を見詰めていたヒューズは敵の思惑について考えていた。

ひとつ引っかかる。

 

......敵が橋を落とした事だ。なぜ落としたのか。単純に考えれば連邦軍を渡らせない為だが、只の妨害目的だったのだろうか。それにしては川岸を取られたと見るや直ぐさま防衛線を放棄した敵の引き際が良すぎる。誘い込まれている節があるのは読めるが、他にも目的がある気がする。それはいったい何だ......?

 

考えを巡らすほど何やら薄ら寒いものを感じた。

嫌な予感がする。

引き返すか?。

........いや、それは出来ない。

現時点で何も起きていないというのに、後退する事を認めるわけにはいかない。

栄えある遠征軍の一角として動いている以上は何か一つでも功績を上げなければ。

そのために目の前の敵を追撃するのだから。

 

一瞬は退く事を考えたヒューズだったが結局は進む事を選んだ。

それが彼の命運を分ける事になるとは誰も知らない。

 

そして、彼はアスターテ平原に足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

撤退戦は苛烈を極めた。

 

逃げるハイドリヒ軍に対して連邦軍は容赦しなかった。

陣形を整える時間すらも惜しいのかひたすらに敵の背中を追い。

さんざん受けた痛みを返すとばかりに放たれる砲撃の嵐、

撃ち出される榴弾の雨がハイドリヒ軍に降りかかった。

目の前を行動していた部隊が吹き飛ばされる。爆発の余波がここにまで届くほどの威力だった。混迷を極めた兵士達が逃げ惑う。

 

開けた地形のため障害物もない、隠れる場所すらない状況下では、力の差がハッキリと現れる。

果敢にも遅滞戦闘を行う帝国兵達だが散漫とした動きが目立ち、連邦軍に対して目立った攻撃が出来ていない。彼我の兵士の力量には歴然とした差があった。

 

その原因は現当主の力が増すのを恐れていた者達にある。

未だアイスを当主と認めていなかったユリウスを筆頭とした豪族勢力が、兵の鍛錬を妨害していたのである。只の嫌がらせだ。いま考えれば何と愚かな事をしてたのだろうか。

そのつけをいま自分自身が支払う事になっているのだから皮肉なものだ―――とユリウスは笑みを浮かべる。

 

こんな状況で狂ったと思われても仕方がないが、嬉しかったのだ。

まだこんな老いぼれが必要とされる戦場がある事に。

そして、ハイドリヒ伯の元で戦える事に。

彼にとっては獅子身中の虫であったはずの儂等を、伯は危険を顧みず救ってくれた。

 

救ってもらったのは初陣の時、先代に助けられて以来のことだ.......。

まるであの御方のようではないか。

 

懐かしむように、思い出すように、アイスと誰かを重ねる。

その写し身がピタリとはまってユリウスはまた笑みを深めた。

今となってはなぜ反発していたのか、不思議に思うくらい認めている。

恐らくは伯の深い度量に感服しているからに他ならない。

どこの世界に命令を無視した部下を許し、重要な殿をも任せる指揮官が居ると言うのか。

 

あまりにも器が大きすぎる。敵わないと、思い知らされたのだ。

だからこそ彼の元に下る事を選んで正解だったと思う。他の者達もそれに同意した。

 

―――視界の端で連邦軍が味方の兵士を襲っている。

 

「誇りあるハイドリヒ軽騎兵団よ味方を救うぞ!まずは右に百の増援を送れ!倒そうと考えるな威嚇射撃を続ければ良い!戦闘を停滞させよ敵の足を止めるのだ!――左翼の部隊が突出し過ぎている。横の部隊と連携を取りゆっくりと後退せよ!周囲の部隊はその援護を行え!味方が後退するまで耐えるのだ―――」

 

矢継ぎ早に次々とユリウスは周囲の士官たちに執声を飛ばす。そこに間断の隙間はなく命令は細部にまで行き届いていた。ありえない事だ、次々とリアルタイムで進行されていく戦闘を現場指揮だけで補っているのだ。よほど有能な指揮官でないと戦線は呆気なく崩壊するだろう。

その声に従って数多の部隊は動いている。彼らは軽騎兵団の生き残りだ。戦闘を行っていたハイドリヒ伯の兵士と入れ替わる様に次々と戦線に投入され始める。

 

しばらくして戦線は目に見えて安定していくのが分かった。帝国優勢とまではいかないが、少なくとも先程の様な敗走同然の一方的に攻撃を受けるだけのものではなくなり、攻めを受け流す形で被害は減っていったのだ。

だが誤解しないでほしいのは被害が減っているだけでこちらからは効果的な攻撃を敵に与える事は決してないと云う事だ。少しでも敵の足を止める為に戦闘を続ける、多くの味方を後ろに逃がすために血を流し続ける、それが撤退戦である。決して敵に勝つことは出来ず、徐々に味方が磨り減らされていく。つまり殿を務めたユリウスは少しでも効率よく時間を稼ぐために、少しずつ軽騎兵団が削られていくのを容認しなければならない。

それは精神を擦り減らす過酷な作業だ。

 

逆を言えば経験豊かなユリウスと彼に鍛えられた精鋭である軽騎兵団にしか出来ない事だった。

それをユリウスも軽騎兵団も理解していた。

ハイドリヒ軍最強の部隊を自負している。誇りがある。

だからこそ数万の敵を前にして怯む事はなかった。

 

程なくして2万のハイドリヒ軍は後退を行い、前線には4千の軽騎兵団が残された。

戦場を俯瞰して見ると歪ながら逆三角形の形となるだろう。

そうなると当然ながら連邦軍の攻撃が突き出している中央の軽騎兵団に集中していく。

苛烈な攻撃に晒される軽騎兵団。

ここで落ち着いて動けるかで指揮官と部隊の質が問われる、重要なターニングポイントだ。慌てて後退すれば本隊を巻き込み混乱する事になる、そうなれば戦線は崩壊し敗走に繋がる事にもなりえる。

 

だからこそ慎重に見計らってユリウスは後退の指示を出す。

整然とした見事な動きだった。

敵の攻撃を冷静に対処しながらも深入りはせず、適度な交戦を続けながら撤退する様は精鋭の名に相応しかった。途中敵の猛攻撃に包囲されかけた部隊があればアイスより貸し与えられた戦車を突撃させ救出した――前の軽騎兵団を知る者は実に驚いた事だろう。

 

更には前もってアイスに頼んで30輌近い戦車を前線に配置しておいた程で――部隊はそれを盾にしながら被害を軽微なものとしつつ効率よく後退を続ける。もはやそこに居るのはハイドリヒ軍の知る軍団ではなかった。

だが、それでも彼我の戦力差は如何ともしがたく。敵の数は膨大で。

そのうえ、

 

「ユリウス団長!敵は被害が高くなるのも無視して突撃を掛けています!このままでは戦線が押し上げられます!」

 

まるで敵は自殺でもする勢いで、自分の部隊の被害を気にもせず、無数の歩兵による突撃を敢行させていた。そこに戦術を駆使しようという考えはなく、ただガムシャラに物量で押す。

数の利を活かそうという考えだろう。最も被害が出るが搦め手がないぶん厄介だ。

 

「サマル大尉の部隊が敵に囲まれています!」

「戦車で包囲を破れ!」

「―――ダメです間に合いません!」

 

視界の先で暴力的な数の連邦軍に囲まれている部隊が見える。逃げる前に敵に退路を断たれたのだろう。助けに行こうにも出せる兵は限られている。戦車も間に合わないとなれば彼らの生存は絶望的だ。囲まれて圧殺される。

呑気に見ているだけしかない事にユリウスは歯噛みして、

 

―――その横を蒼い騎士の一団が走り抜ける。

重い鎧を着ているとは思えない速度で、厚い包囲の壁に迫った一団は包囲の壁に食らい付いた。あっさりと崩壊した壁の中に侵入を果たした一団がそれから姿を現すのは直ぐの事だった。

先に騎兵団の兵士が飛び出してきて、それから蒼い騎士達が連邦軍を吹き飛ばしながら出て来た。

最後に出て来たのは唯一固有の武器を持ったあの騎士だ。砲身に取り付けられたブレードで連邦軍を斬りつけながら躍り出ると、最後は丁寧に機銃の掃射で一掃した。慌てて退き下がる連邦軍。

 

助けられた部隊と蒼い騎士の一団が戻って来る。

ユリウスは破顔して最後に戻った騎士を出迎えた。

 

「かたじけない、感謝するぞイムカ殿!まこと無双の暴れっぷり!胸がすく思いだ!」

「今ので最後の弾薬を使い切った、でも問題ない。何人来ようと切り倒して見せる」

「ハッハッハ!見事、見事!貴殿こそ現代の英雄ですなっ」

 

事も無げに淡々と言うその姿から強がりでも何でもない事が分かる。

実績から裏付ける強者の余裕だ。

落ち着き払った態度は味方として実に心強い。

既に何度も部隊の窮地を救ってもらっている。殿という過酷な戦いでも安定して戦闘できるのは彼らの御蔭だ。そして強者が揃う蒼い騎士達の中でもこの御仁は傑出している。

恐らく英雄と謳われた全盛期の頃の自分でも戦えば勝機はあるまい。地に伏せるのが誰かなど目に見えていた。それ程に彼女の戦闘は凄まじくそして美しい。何度も目を奪われた。

 

例え年若く女性であろうとも強者には尊敬の念を覚えるのが帝国の武人だ。

なによりユリウス自身この泰然自若な女騎士を気に入ってしまった。

何が言いたいかと云うと.....。

 

「......イムカ殿。この戦いが終わればぜひ儂の孫の婚約者になってはくれんだろうか?」

 

至極真面目な顔でそう言った。

強い血を取り入れたいと考えるのは武家の本質だ。

いまが戦場だと云う事も忘れてイムカに詰め寄る。

.....孫とイムカ殿との間に生まれた子は強い世継ぎになるだろう。

そんな妄想から始まったが今となっては本気でそう考えていた。

ちなみに孫の年齢は今年で26歳になる。可愛くて仕方なく。必ず週に一回は顔を見に伺うほど溺愛していた。

突然いったい何を言っているだこいつはと言いたげに見ていたイムカの返答は素っ気なく。

 

「.....無理、それは出来ない。私には為さなければならない事がある」

「ではそれが終わってからでも良いので、お願いだ!貴殿程の実力を持った者はそうは居らん!もし慕う相手が居なければぜひ我が家に来てほしい!」

 

熱烈なラブコール。そして驚くほど粘るユリウス。

それ程にイムカの能力を買っているのだろうが対応に困る。

というか血走った眼が怖い。

受けるつもりは微塵も無いので何か断りの材料を探していると.....。

脳裏をチラつく男の姿があった。

 

「.....あの日たすけられてから、私はハルト殿下の協力者になると決めた。私の為すべき事が終わったらハルトの夢の為に戦うと誓ったから.....」

 

「むう....そうか、それならば仕方ない。ラインハルト殿下の御手付きの者を取るわけにはいかぬか」

 

「?....!っべつに、そういう関係じゃ.....ない!」

 

何か変に意味を汲まれたようで、妙な納得のされ方をした気がした。御手付きがどういう意味かを考えたイムカは直ぐに察したのか強く首を振る。それまで平然とした態度が初めて崩れるのを見てユリウスはじんわりと笑みを浮かべた。なるほどのう.....と納得したように頷く。

 

「貴殿がそこまで入れ込む程とは、ラインハルト殿下か.....当主様もあの方を過大に評価していたが、やはり噂で聞く事と実際では違うようだな......それ程のものか」

 

興味が湧いた。二人が認める存在が只の男のはずがない。

きっと何かあるに違いない。そしてそれはこの戦場で分かる。

 

ハイドリヒ軍が向かう先を見据えた。

 

恐らくはあの先に.......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いったいどれほど経っただろうか。

連邦軍の激しい追撃が迫っているのを遥か遠くからでも感じる。

後方の味方が必死になって耐えてくれている。全滅の報は届かない事から最悪には至っていないようだ。ひとまずその事に安堵する。

だが安心してはいられない。

もっと早く目的地に急がなければ。

なまじもう目と鼻の先に在る所まで近づいていただけに焦燥感が湧き上がる。

その焦りに目敏く気づいたのは先程合流を果たした副官のルッツだ。

 

「大丈夫ですか若?顔が優れないようですが、いや、こんな状況だそれも仕方ありませんがね」

「ああ、流石に疲れたよ。半日も経っていないというのに、本当の戦争がここまで疲れるものとは思わなかった。お前は大丈夫そうだな」

「まあ昔から爺さんにこっぴどくしごかれてたんでね。このくらいは余裕ですよ。未だに週一のペースで鍛錬を受けさせられているんで」

 

というかソッチの方が疲れますよ――とげんなりしながら言うルッツに声を出して笑う。

ルッツが祖父に可愛がられている――痛めつけられている(本人談)のは有名な話だ。

確かそれが嫌で逃げるようにアイスの元に転がり込んできたのだったか。

ルッツは困った様に頬を掻き、

 

「い、いや俺の事じゃなくてですね......。本当に来ているんでしょうかこの平原に」

「殿下の事か?」

「そうです」

「心配ない、イムカ達――蒼い騎士の姿をした彼らを見ただろう?援軍を送ってくれたのがその証拠だ。殿下は既にここに来ている」

説明をするがそれでも何か心配の種があるのか、眉根を寄せたルッツの顔は拭えない様子だ。

「確かにあの部隊は凄まじく強かった、ですがあれ以上の戦力をあのラインハルト皇子が保有しているとは思えない、後方から迫る連邦軍は目測で6から7万、いやそれ以上の数を越えようかという大軍です、生半可な援軍では打ち勝てない。あのラインハルト殿下にそれほどの力があるのですか」

 

なるほど、計画を話したルッツが心配していたのはそういう事か。あまりの大軍にこちらの予測が外れて殿下の援軍ごと敗北を喫するのではと考えたのだろう。

やれやれ何を心配しているかと思えば.......。

にこやかにアイスは笑みを浮かべた。

それに釣られてルッツもへへっと笑った。やっぱり何かあるんだな....と思ったのだろう。だが、

 

「確かにその通りだ、いまだ力をつけていると云えど殿下に数万の敵を倒すだけの私設兵力は存在しない」

「!?」

無慈悲に告げられた言葉に目を剥いた。

副官の動揺を無視して、思い出すように言う。

 

「確か.....殿下の私設部隊(ニュルンベルク軍)の保有兵力は8千かそこらだったはず」

「は、八千!たった八千!?.....引き上げましょう若!今ならまだ間に合う!分散すれば若だけでも逃げ切れるはずだ!」

祖父に似た厳めしい風貌を必死の形相に歪め、酷く慌てた様子のルッツを見てぽかんと呆気に取られながら、

「おいおいどうした?」

「何でそんなに落ち着いていられるんですか!若!数は力です!.....もし仮に、そんな事ありえないと思うけどその八千そこらの兵があの援軍みたく超強くても!.....それでもあの連邦軍の数には勝てない!最強の個の力だけでは圧倒的な数の力に押しつぶされるだけです!」

 

反論の余地はなく、まったくの正論だ。

だからアイスがした事はと云えば困った様に微笑むだけである。

 

「なぜ何も言わないのですか」

「お前の言っている事が正しいからさ、僕には何も言い返せないよ、ただ言える事は殿下は必ず何とかすると言っていた。必ず軍をまとめて駆けつけると.....僕はそれを信じる」

「たったそれだけの事で......!」

「それで十分だ。殿下は必ず軍を連れて来るだろう、それがどんな方法であろうと、何があっても必ずだ」

 

それは確固たる自信の込められた言葉だ。

誰かを信じる事は難しい。それが自分の命に関わってくるとなると猶更だ。だがアイスはそうじゃない、絶対の信頼が込められた――その目を見て声を失うルッツ。

申し訳なく思う。

根拠のない事に巻き込ませる事に。

本来であれば計画は見直す必要があるだろう。

不確かな要素が多すぎる。

 

だがそれでも援軍は必ず来ると確信している。

その数が多いか少ないかは別として、殿下は必ずやって来るだろう。豪放磊落な性格だがあの人は義理堅い。命を救った恩を返しに――自分の命を顧みずにやって来るのだから困りものだ。僕は最後のところで駆けつけたに過ぎないのに。殿下を最後まで守り切ったのはあの娘だ.....。

 

前方に小高い丘が見えた。

そこがアスターテ平原の奥に続く丘陵地帯の入口だ。

車輛から降りたアイスは、

 

「......全軍を停止、その場から反転、追撃する連邦軍との第二次戦闘を再開せよ」

「若!」

 

背中に掛かる制止の声を無視したアイスは前に向けて歩き出した。

最初はゆっくりと、だが徐々に駆け足になって、傾斜な丘を駆け上っていく。

.....最低でも五万であれば連邦軍とも数の上で拮抗する。だが、五万を下回ればこの戦いで勝つのは難しくなるだろう。

 

ドッドッと心臓が早鐘を打つのを感じた。

 

殿下は必ず来る。だが何人の援軍を引き連れて来るかまでは分からない。

この目で見るまでは不安が晴れる事はない。

 

不安からか懐に手を忍ばせ三つ目の袋を取り出した、その中に手を無造作に突っ込む。

その中を見ずとも何が入っているのか分かる。

 

アスターテ平原は広大な地形と丘陵地帯からなる。

橋近くの平地から見れば一面が平坦な地形だと見える。だが実際は少し違う、特殊な地勢からそう見えるだけで現実には幾つもの大きな窪地が存在する。

平地の低い視点からは見えない死角が生まれるのだ。広大過ぎるゆえに同じ光景が連なっているように見えて遠近感が狂い、連邦軍からはなだらかな丘がある様にしか見えないだろう。

まさかその先に大軍を伏せれるだけの地形が存在するとは思わない、知らず誤認している訳だ。

つまり連邦軍からは認識できない死角―――そこに致命的なまでの勝機が存在する。

軍勢を隠すならこの先のクレーター部分であり、援軍は必ず其処に伏せている――そういう手筈だ。

その確信から三つ目の袋に入っていたそれを握りしめた。

 

次の瞬間、丘を登り切ったアイスの視界の先には、

―――果たして計画通り、急激に地面が凹みクレーターの様に陥没した場所に―ラインハルトの援軍は存在した。

だが彼の予想は大きく外れる事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍、軍、軍―――

眼下には見渡す限りの軍勢が整然と並んでいた。

緑の草原が黒い絨毯で埋め尽くされるような光景だった。

数百の移動榴弾砲が点在し、千の戦車が置かれ、その数十倍の帝国兵が整列している。

五万どころではない、その倍はあるだろうか。予想していたよりも遥かに多い。

 

数えきれない程の威容の軍勢を目の当たりにして――ゾワリと鳥肌が走るのを確かに感じた。

身震いが止まらず、知らない内に口元は弧を描いていた。

まさかである。いったいこれだけの大軍をどうやって集めたのかまるで分からない。

しかし、誰も考え付かないような事をしでかしたのだけは分かる。

 

殿下はこの時の為にずっと前から動いていた。帝都で再開した時、いや、それよりも前から、半年前のあの日から準備を進めてきたのだ。それが目の前の光景に繋がっている。奇跡でも偶然でもない、これはラインハルト様が手繰り寄せた必然――今まさに現実に起きている事なのだ。全てがラインハルト様の筋書き通りに動いている。

賞賛のため息を浮かべた。

 

「計画は相成った。であれば作戦は第二段階に移行ですねラインハルト様?......お見事です、本当に貴方という人は僕の予想の遥か上を超える、魅せてくれる、だから貴方に仕えたい。やはり貴方は僕にとってまごう事なき王の器だ。.....祝砲の狼煙を上げますお聞きください」

 

その手に持っていた――三つ目の袋から取り出したピストルを空に向かって発砲した。

内部に音響弾が込められていた弾丸は信管の炸裂と共に――音の爆発が起きる。

周囲に響き渡る不協和音が作戦の合図だった。

 

それにより連邦軍誘引殲滅作戦《誘い虎口(さそいこぐち)》が発動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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五十二話

アスターテ平原に響き渡る破裂したような音響弾の合図は遠く離れた場所からでもよく聴こえた。

正方形に陣を構える帝国軍の遥か最後尾の奥、最も安全な位置に布陣された本陣。時が来るのを待っていた金髪の男は、此処にまで届いたその音を耳で拾い、微かに笑みを浮かべた。

味方の軍勢に囲まれながら仁王立ちで前を見据えていたその男――ラインハルトは全軍を見渡しながら語り掛けた。その声を何万という人間が聞く。

 

「全軍傾注せよ.......長らく待たせたが、時は来た。これより連邦軍との交戦に入る。篤と知れこれは只の一戦ではない!西方戦線における重大な戦略の要となる一戦だ。ノコノコとやって来た侵略者を一兵残らず殲滅する。この一戦において降伏を受け入れる事はなく、彼の軍の全滅、それだけが俺の求めであり、それこそが帝国の安寧に繋がる。俺は......俺は戦いが好きではない、だが時に戦わなければ生き残れない事を俺は知っている。力を持たない者は淘汰される世界である事を俺は身をもって知っている。故に諸君等に問う、諸君等は弱者か?奪われる側の人間か?」

 

やけに静かな時間が流れ、その一瞬後。――何万という人間の声で空気は震える。

 

「否!―――否!!我らは帝国の先兵なり!帝国が示す力の代行者なり!我らの進む先に敵は無く、踏み荒らした大地には屍の道が出来ている!」

「よくぞ吠えた帝国の益荒男達よ、ヴァルハラの英雄達よ!その言葉に偽りなくば俺に示すがよい!この俺ラインハルト・フォン・レギンレイブに証明せよ!汝らにヴァルキュリアの加護あれ!――第一陣前進せよ!!」

 

 

 

 

 

 

戦前の通例の一幕を終え、帝国軍第三機甲師団がラインハルトの命令で前進を開始する。

百の戦車と万に届こうかという軍勢が遮蔽物となっていた丘を駆け上がり向こう側に消えていく。

恐らく今頃は丘を埋めつくさんばかりに駆け下りる帝国軍を見て連邦軍はさぞかし驚いている事だろう。

彼らの視点からはこの特殊な地形を知る術がないからいきなり現れたように見えるはずだ。

「続けて戦術支援榴弾砲を平原の連邦軍に向けて叩き込め。間違ってもアイス.....ハイドリヒ卿の軍に当てるな。あくまで敵を動揺させるのが狙いだ、ハイドリヒ卿の軍が立て直す時間さえ作れれば良い」

「かしこまりました......『支援連隊に告ぐ、作戦行動開始、敵を一掃せよ』」

 

通信士を介して命令が通達される。それから少しの時間を要して配置していた幾百という砲兵隊が同数の榴弾を撃ち始めた。激しい砲火の音が連続するのを聞きながらラインハルトは傍に控えるように立っていた副官に問う。

 

「ここからは出し惜しみなしだ全力で叩く。その場合、やはり確実なのは物量戦だろう。.....だが拮抗した戦力では圧倒的な勝利は望めない。こちらも相応の出血を強いる事になる、当然それでは駄目だ。今後を考えるのであれば被害は最小限に留める必要がある。......ならば早々に切り札を切るべきか、否か?」

 

その副官――皇近衛騎士団団長シュタインは指先を細い顎に触れると、少し思案気に目線を落す。女性のように整った顔立ちをしているからそれが何とも明媚に映る。

 

「.....戦とは流れです。勝敗は常に戦場を流れる情報によって左右されるもの。敵は殿下が考案した釣り野伏せによって少なからず動揺しているはず、優勢の流れはこちらにあり、主導権を握っている立場にあります。そして、この権利を握り続けた方が勝者となります。ならば離す道理はないかと......」

「なるほど、良く分かった。戦場の主導権は俺が握りつぶすとしよう.......温存していた戦術機甲殻兵200名と突撃機甲旅団は出撃開始、なお先んじて送った機甲殻部隊も回収と整備が終了しだい各自復帰させよ」

 

現状持ちうる二つの切り札をラインハルトは早々に行使する覚悟を決めた。

本来であれば温存するべき二つの部隊。

計画の内であれば戦場に上げるのはもう少し先の事になるはずだった。

だから、これから先は計画から外れた所から戦いが進められていくだろう。

そうならざるをえなかった理由は幾つもある。

その一つは。

 

「.....本来の計画であればここでセルベリア率いる遊撃機動大隊を出陣させるはずだった。連邦軍を正面から“崩す”役回りだ。セルベリアの力と我が軍の物量で戦えば敵は即座に瓦解した事だろう。そうなれば次の策で圧倒的な勝利を見込めたはずだ」

 

それが最も被害が少なく、確実に勝てる勝利の方程式。

だがその理想の方式は脆くも崩れ去る。

度重なるイレギュラーが起き、セルベリアは居らず。

挙句の果てに暴走した部下を追って敵陣の奥深くに消えたアイス。この地に到着したラインハルトが真っ先にその事を報告で知った時はさすがに焦りを覚えた程だ。必死に策を講じて。

大軍を伏せた後、すぐさま救援部隊を送り出すことにした。

それがギュンターやイムカ達と云う訳だ。

作戦の性質上、敵にこちらの軍が気取られぬよう少数しか出せなかった事から送り出す部隊は精鋭である必要があった。それが功を奏し秘密裏に進行していた計画は何とか成功と言える所まできていた。たった一つのボタンの掛け違いで失敗していてもおかしくはなかっただろう。此処まで来れたのは一重にその場その場でのアドリブが何とか上手くいき。狂いかけた歯車を無理やり噛み合わせただけに過ぎないのだ。

今回の戦いは完璧な計画なんてものは存在しないと云う事をラインハルトに教えてくれた。

現在、筋書き通りに動いているプランはせいぜい当初の半分くらいだ。

何度、本当にコレで良いのか?と己に問いかけただろうか。

計り知れない重圧と不安が全身に圧し掛かる。

 

―――が、ラインハルトは不敵な笑みを浮かべて見せた。

全ては己の筋書き通りに動いていると周囲に思わせる為だ。

引き連れてきた軍勢の細かな数は総じて約11万4千人。物見の報告では敵の数は対岸に居る軍も合わせて8万と云った処らしい。ここにアイスの軍も合わせれば十分に勝機を見いだせる数だろう。だが、敵はそれだけではない、それ以上の軍が控えている事は確実。最悪倍以上の敵と戦う事になる。だとすればこんな序盤で不安な態度を部下に見せる訳にはいかないのだ。どれほどの敵だろうと俺なら勝てる。そう思わせる。

だからこそ此処で圧倒的な勝利を演出しなければならない。

その為に、彼らにはセルベリアの代役を担ってもらう。

だが同時にラインハルトには重大な懸念があった――

 

「本当に二つの部隊で事を為せるか?決定的な一打を叩き込み戦の趨勢を初手で決める、それには敵を瓦解させる程の衝撃を与える必要がある。その場合、ヴァジュラが有効打になりうる筈だった。だが既にヴァジュラス・ゲイルは敵に知られている以上、それは極めて難しい状況となった、人は未知に恐怖するが二度目であれば対抗策を考えようとするからな.......。っやはり俺はまた選択を間違えてしまったのか.......いや、そんなはずはない!あの一手が間違いなはずがない、友を救う為の行動が無駄なはずが....!」

 

たった一つの迷いが、真っ白な紙に墨汁を垂らしたような滲みとなった。

焦りと不安から、気づけば自らの弱い本心を吐露していた。

本当にあの時の命令が最善だったのか分からない。

言葉にすればするほど疑念が湧き上がってくる。

疑念は焦りを生み、焦りは不安に繋がる。悪循環に嵌りかけたその時、

 

「落ち着いて心を沈めなさいハルト」

「――っ!」

 

母が子に掛ける様な優しい声音。その懐かしい呼び掛けでハッと我に返る。

それはまだ幼少時代の頃に呼んでくれて今では言わなくなった自身の愛称。あの頃と変わらず落ち着きをもたらしてくれる効果は健在のようだ。

それは恐らく昔から彼は俺にとって兄のような存在であり、母の様に慈しみを与えてくれる存在だったから安心するのだろう。

外れかかった仮面をはめ直す。――いつものふてぶてしい不遜な顔を張りつけた。

 

「....すまない師匠もう大丈夫だ。......駄目だな考えすぎるのも、もっと良い選択が無かったのか何て、答えは出ない。考えれば考える程深みにはまってしまうだけだというのに」

「仕方ありません、殿下は戦の経験があまりないのですから、ご自分の指揮に不安を感じるのも指揮官として当然の事です」

「それもあるんだがな......」

 

ラインハルトは眼前の平原を見渡す。

確かにシュタインの言う通り戦経験の浅さからくる不安もあるのだろうが、きっと他にも理由はあった。このこびりつくような焦りがどこから来ているのか思い当たる記憶がある。

.....やはりあの時、夢で見た光景と似ているな。

 

「この辺りなんだ、七年前に俺が敗北を喫した因縁の地は」

「.....そうでしたか」

 

感情を思わせない声音で静かに呟く。

シュタインも知っているはずだ、七年前に起きたあの出来事を。

あの日、俺はほとんど全てを失ったと言っても過言ではない。

俺の力になると言ってくれた者は一人を残して等しく死んだ。

そう仕向けた者が居る――それを知った瞬間から俺の復讐は始まった。

その為に“禁じた知識”すらも使う事を決めたのだから。

 

だが七年前と同じ場所に立つ事に、知らず俺は恐怖していたのかもしれない。

余計な事を考えたのも防衛意識が働いた故の事だろう。

自己分析を済ませ不安を払拭していると。

スラリと腰の剣を抜き放ったシュタインは直剣を胸に翳し恭し気に言った。

 

「御安心を殿下。今度は私達が守ります、我ら皇近衛騎士団(ロイヤルガーディアン)が貴方をあらゆる害威から護り切って見せます、だから殿下は御自分の為すべき事だけを御考えください」

「......そうだったな。お前達が居るから俺は何も不安に思う必要はない。そして彼らは俺が作った最強の部隊だ、何も心配する事はなかった。ただ作戦を遂行する事だけを考えよう――これより我ら全軍は打って出るぞ!」

 

征暦1935年3月30日

 

日が傾き始めたアスターテ平原にて、

連邦・帝国軍合わせて20万を超える大会戦が行われようとしていた。

両国の歴史から見ても稀な大規模戦闘である。

そして、これは後に起きる。

連邦との間で繰り広げられる数多の戦いの、ほんの序章に過ぎないのであった。

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます!
気が付けばこの物語も一年目を迎える事が出来ました。これも読んでくれる読者さん達のおかげです。本当にありがとうございます!拙い作品ですがこれからもよろしくお願いします。ダラダラ続けるつもりはないので早く終わらせます。ほのぼの日常編を書きたい。でも書きたい事が多すぎて進まないジレンマ。


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五十三話

――5年前。

 

それは肌寒い日の事だった。

夜の帝都を人々が白い息を吐きながら帰路に着く中、ひときわ賑わいを見せる帝都の一角、今もまた一組の軍人達が手を擦り合わせながら店の中に入っていく。俗に酒場と呼ばれる所だ。

凍える体に酒を入れて温まろうというのだろう。他にも多くの店が軒を連ねていて、同様の理由で訪れる人で活気が溢れている。大きな歓楽街。

 

帝都に多数見受けられる寄り合い所とでもいうべき街角の店に一人の男が居た。

 

酒場なのだから当然だろうが、その風貌は周りの者とは少々異なっていた。

バーカウンターに座るその男は、酷く疲れている様子だ。

着ている服も元は高価な下地で仕立てられた物だろうが、今は草臥れて見る影もない。

髪は何日も洗っていないのか油まみれで、ネギ坊主のままに伸びる髭で口元は覆われている。

外見だけで判断すれば完全に浮浪者の様相であった。

店主が立ち入りを禁止しない所を見るに知人の常連なのだろうか。

そうでなかったら追い出されても仕方ないと思える程だ。

 

抜け殻のような男に当然ながら誰も関わろうとしない。

それどころか不自然なほど男の周囲には誰も居なかった。

ぽっかりとそこだけ空間が空いている。

まるで男と関わるのを恐れるかのように。

 

男もまたそれを望んでいるのか一言も喋らずグラスを傾け黙ってチビチビと酒を舌で飲んでいる。何とも寂しげな雰囲気だ。

 

............。

 

それから時計の針が一時間を回った時。

軋む音を立てながら酒場の扉が開いた。

 

ふと店中の視線が向けられる。

いつもであれば直ぐに視線は興味を失い霧散するはずがその時だけは違った。

僅かに驚きや息を飲む声があちこちで起きる。

なにやら動揺が広がる中、やはりあの浮浪染みた男だけは興味を持たず背中を向けたままだ。はなから自分には関係ない事だと考えているのか無関心だった。

 

だが意外な事に新たな来店者の足音は男の方に向かっていた。

そして、

 

「フレッサー少佐だな?」

「......あ?」

 

自分が声を掛けられるとは微塵も考えていなかった事から反応が遅れた。その男――オッサー・フレッサーはそこで初めて背後を振り返った。まず視界に入り込んできたのは鮮やかな黄金、目を奪われ。次いで輪郭を捉えてようやくそれが髪の色だということに気付く。驚くほど整った顔立ちの少年が立っていた。その横には銀髪の少女。こちらも見た事がないほどの美貌で、今まで見てきた美女が全て色褪せるほどに少女は美で構成されていた。

少女の反対側には黒髪の女が立つ、流麗な立ち振る舞いは堂に入っており、腰には儀礼用の剣を帯びている。

妙な三人組だった。中央に立つ少年を見詰める。

上等な仕立ての服装で身なりの良い格好をしている。

平民ではありえない。

だとすれば、

「貴族か.....。失せろボウズ、誰だか知らんが俺に関わるな」

「貴様.....っ!」

 

少年の言葉を無下に一蹴する男を銀髪の少女が睨みつけた。

前に出ようとする少女をスッと横合いから伸びた手が制止する。

少年が止めたのだ。その目はこちらを見ていて、

 

「勘違いしないでもらおうか。俺は貴族じゃない、そして貴方が大の貴族嫌いだと云う事も知っている。上官であるテイラー男爵との間で起きた事も既に調査済みだ」

その言葉でオッサーは察した。

「ああ、なら調査官か、とうとう俺を捕らえに来たってわけだ。.......チクショウが俺から何もかも奪うだけじゃ飽き足らず今度は俺自身って事かい、貴族様の手口には反吐が出るぜ.....!」

 

部下達を奪うだけでなく地位も名誉も落とされて、あげく今度は尊厳までも取り上げるのか!

落ち窪んだ瞳から覗く眼光が少年を睨む。

剣呑な空気が酒場を覆った。今にも男は爆発しそうな様子で。

そうなれば少年に殴りかかっていただろう。

実際そうなっていれば即座に少女が間に割って入り、瞬時に拳打を男のどてっ腹に埋め込んでいただろうからオッサーが動かなかったのは幸いでしかないのだが、そうとは知らないオッサーはゆっくりと拳を固めようとする。

だがそれが振るわれる事はなかった。少年の次に発した言葉が驚愕に過ぎたからだ。

 

「――いや貴方が捕まる事はないよ、なぜなら君の上官であったテイラー男爵は今頃、牢屋の中だから」

 

「......は?」

 

何だかデジャブな反応だが、その驚愕の度合いは大きく違った。

オッサーにとってそれは正に驚天動地の事だ。

捕まった?あの貴族が.....?ありえないだろう。

少年の言った言葉を上手く呑み込めない。理解と拒絶が巡るましく巡って思考が乱れに乱れた。

ようやく言葉に出来た事といったら。

 

「う、嘘だ!」

 

これだけだ。

ブルブルと震える大男を静かに見据える少年は嘘つき呼ばわりされながらも怒りは見せず、ただ落ち着いて言った。

 

「信じられないのなら、後日、確認に来ればいい。だがこれだけは言っておく、もう貴方は自由だ。軍に戻る事も出来るだろう」

あまりにも少年が淡々としているものだから、本当なんじゃないかと思えてしまう。

「.....仮にそれが真実だとしてそれが出来るお前は、いや、あんたは何者なんだ?なぜ一介の平民如きにこんな事をしてくれたんだ......?」

「別に俺とて只の道楽のつもりで助けたわけではない、俺の利になると判断したから動いただけだ。.....それに、お前は奪われる痛みを知っている。俺もあの戦争で経緯は違えど大切な者達を奪われた身だ.....なぜか他人事だとは思えなくてな、見過ごせば俺の負けだと思っただけだ」

 

そう語る少年の瞳はどこか空虚で乾いていた。哀しみと悲嘆が入り混じる悲しい瞳だ。

いったい何をその目は見たのか、

どれほどの絶望を抱いたのか少年の過去を知らないオッサーにうかがい知る事は出来ない。

だが計り知れない悲劇があった事は想像に難くない。自分もまた同じ目をしていたから分かる。

その年で俺と同じ量の絶望を知っている少年に同情する。

....もし本当に彼の言っている事が真実であれば、彼は俺の恩人になる。誰も助けてくれなかった世界で唯一俺の味方をしてくれたこの貴族の少年に恩を返してやりたい。

 

それは同情から来る思いだったが、徐々に膨らんでくるその思いは時が経つにつれて強い信念になる。

 

「.....さっき貴方は自分の利になると言ったな。それは何だ?俺が貴方に与えられるモノは少ないが俺に出来る事があるなら言ってくれ、貴方の助けになりたい」

「恩を感じる必要は無いんだが、だがそうだな俺は善人じゃないからな、もし俺に恩を感じるというのならこの手を取れ......俺に力を貸してくれ、もう奪われたくないんだ」

 

後に思い返せばその言葉に込められていた感情は懇願だったと思う。

祈るような思いだった。もう大切なモノを失いたくない。そんな感情が痛いほど伝わってきた。

だからその手を掴むのに何ら躊躇はなかった。

 

差し伸べられた手を自分の大きな手が掴んだ瞬間、オッサー・フレッサーという人間は立ち上がった。どん底に落とされた闇から這い上がるために。

その目はもう強い輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

オッサー・フレッサー准将は自他ともに認める叩き上げの軍人である。

貧民街で生を受けた彼の家もまた貧しく。

次男坊であった彼は兄弟たちを食べさせていく為に15という若さで家を出た。

そしてその足で帝国軍の戸を叩いたのだ。

彼は若かったが運よく体格に恵まれていた、年齢を偽るなどして何とか入隊する事に成功し、大人たちに混じって歩兵訓練に日夜励む事となる。

初めての戦争はその翌年、辺境という場所がら小競り合いが頻繁に行われる事もあって、その年も当然のようにどちらが領域侵犯をおこなったとかで始まった。どちらが行っていようと関係ないのだ。ただ大義名分を掲げる理由さえあればいい。

そして、オッサーもその戦に参戦する事になり、彼は初めての戦場を駆けるのだった。

16歳の誕生日の事である。

それが軍人としての彼の始まりだ。

 

少年時代は常に戦場を泥だらけになりながら這いずり回っていたと言って云いだろう。

休息が取れるのは塹壕の中か野戦病院に居る時だけ。

もはや彼にとって戦争こそが日常でだったのだ。

それを苦に思った事は一度もない。元からそういう生来のモノだったのか、はたまた戦場にネジを一本どこかに忘れてきたのかもしれない。

 

いつしか彼は部隊を率いるまでになっていた。

長いこと共に戦って来た戦友たちだ。

豪放な性格のおかげか兵士から慕われていたようで。そういった者達が集まって出来たのが彼の最初の部隊だった。その部隊は強く、後に多くの戦績を上げる事になる。

軍の中においても次第に評価されていくのはそう遅くはなかった。

それに比例して上官とのもめ事も多くなったが。

まあ、そんな事もありながら色々と紆余曲折を経て遂には少尉にまでなった。平民出身という事を考えれば驚くほど速いスピード出世と言っていいだろう。

 

だが、その頃からだろうか身分というものに差を感じ始めたのは。

帝国に絶対の存在として君臨する貴族。

ただ貴族に生まれたからという理由で全てを許されると思っている特権階級の上位者。

名家に生まれただけの無能な人間が自分の上官になる。何度も死ぬ思いをして勝ち取って来た位をあっさりと超えて当然のように命令するのだ。何度その命令で死にかけただろう。平民を唯の捨て石としか思っていないのだ。許せないのはその無駄な命令で何人もの戦友達が命を落とした事だ。彼らの能力に見合った死地ではない。路傍の石を扱うかのような愚挙に何度やるせない思いをした事か。それからも何度も部下達を無駄に死なせてしまった。

 

それは計り知れない不満となって心の底に澱みとなり沈殿していった。

意外な事にオッサーは一度も反発した事はなかった。その頃には分かっていたからだ。貴族と平民の間には埋まる事のない歴然とした差がある事に。

平民の士官が不審な死を遂げた事があった。警察は動かない。表沙汰になることも無かった事から恐らくそういう事なのだろう。

 

摘発に動いても無駄である事を察して直ぐに軍から部隊ごと異動させた。

それからも複数に渡って彼の部隊は転属する事になる。

その度に功績を上げ続けた。

平民としては異例の左官にまで登りつめるまでに。

 

その様子を嫉妬の目で見る男が居た。テイラーという男だ。

男爵だったが彼はお世辞にも優秀な軍人ではなかった。それどころか悪事に手を染めるのを何とも思わない程度には下衆な性根を持っていて、部下の功績を自分のモノにすることで伸し上がって来たような男である。

テイラー自身も自分が有能であるとは思っていない。だからこそ平民でありながら優秀な士官を見ると、あえて自分の部下にして、その功績を奪い嘲け笑うのだ。身分の差を痛感して苦渋に染まる部下の顔を見るのがたまらなく楽しい。何人もそれで使い潰してきた。

その標的にオッサーは選ばれたのだ。異動願いを出したばかりの事である。不運としか言いようがない。

 

何も知らないオッサーはテイラーの軍に加入した。

時を同じくしてその年、大きな戦争が起きた。

名をダゴン会戦という。連邦との間で起きたそれは両軍共に大きな被害が出た。

その被害の中にオッサーの部隊はあった。

ほぼ壊滅と言っていい程に悲惨な状態であったそうだ。

誤解のないように言っておくが、会戦当初の折オッサー達は連邦軍を相手に勝ち続けた。一つの局地戦においては多大な貢献を果たしたのだ。あまりの強さにその地では戦闘そのものが行われなくなった程で、戦争終結辺りまでは負けていなかった。ならばなぜ彼の部隊が壊滅したかというと、切り捨てたのだ。

オッサー達の上げた多大な功績に目が眩んだ彼らの上官であるテイラーが無謀な命令を指示した。

その結果、あっけなく敗北に追い込まれた。

なお無謀な命令だったとしてもそれだけで簡単に負けるオッサー達ではない。明らかに作為的なものがあった。オッサーが負けるよう仕組んだ。それにテイラーが一枚咬んでいるのは言うまでもない。しかもそれだけで終わらず。戦争後、部隊全滅の責任全てを負わされたオッサーは軍を除隊処分となった。それも裏で仕組んだテイラーの仕業だ。平民一人を陥れる事など造作もない、と言わんばかりであった。

当然オッサーも抗議したが、それが受け入れられる事はなく。議題は法廷にまで上がったがオッサーの味方をする者は誰一人居なかった。当時の法廷は貴族重視の裁決となる場合が多かったのだ。それでも抗議を続けたが、その度にオッサーは財産を失っていった。

 

2年の月日が経ち、気づけば財も積み上げた地位も全て無くなっていた。

裁判を起こす事も出来ず毎日を失意の中で過ごしていた。

そんな折に現れたラインハルトによって救い上げあられたのだ。

彼もまた優秀な人材を探していた。ニュルンベルクの城主となってからまだ間もなく、人材不足が悩みの種だったからだ。人を探しに二人の共を連れて帝都に居たところオッサーの噂を聞きつけたのである。

そこからは先述の通りである。

ラインハルトの手によってあっさりと事態は解決した。裁判すら開く必要もない。

一週間そこらで証拠を集め軍警察と共にテイナー男爵の別荘に乗り込んだ。(真っ先にお供二人が突撃した)

テイラー自身も供述を認め直ぐさま御用となった。

主に二人のお供が暴れた御蔭かもしれない。真っ青な顔で保護してくれっとすっ飛んで来たから何があったか想像できるので割愛させていただく。

何人もの人生を狂わせたテイラー男爵は今後一生、牢の中で過ごす事になるだろう。

 

そんな裏側を経てようやくオッサーは人生をやり直す事が出来るようになったのだ。

 

 

 

 

あれから五年の月日が経った。

短いようで長かった。

あの貴族の少年がまさか帝国の皇子だったとは思いもしなかった。知った時は驚いた。あのテイラーが捕まったと聞いた時よりもずっとだ。同時に納得した。それだけの権力をもっていれば貴族の横暴を暴く事も容易い事だろう。だが平民の為にそこまでしてくれる人は居ない。

しかも自分の創設した部隊にいきなり隊長として抜擢してくれる者も居ないだろう。

平民では左官が限界だった昇進も今では准将だ。

帝国という国においてはありえない事だった。

 

これも全て救ってくれた大将の御蔭だ。救ってもらえてなければ今頃は生きていなかっただろう。日々を自堕落に過ごしやがて何も為せぬまま死んでいたはずだ。

感謝してもしきれない。

だから、これからの人生は大将の為に使うと決めた。

大将の恩為に戦う。

 

戦える日を待った。その間に軍を増強し装備を補強し兵站を統制した。

そして今日、ようやくその日は訪れた。

奇しくも目の前に聳える敵は7年前に戦った連邦軍。

敵は八万を超える。

望むところだ。その程度で俺を止められると思ってんのか?今の俺はちと強いぜ。

何せ五年もこの日が来るのを待っていたんだからな。

 

だから感謝するぜ大将。

もうちっと待つかと思ったが、早々に出番をくれるって言うんだからよお!

 

――現在、状況はこうだ。

遥か遠くに見えるライン東岸から列のように続く大勢の連邦軍とハイドリヒ軍が戦闘を繰り広げている。その時点で10万に届こうかという大軍の攻防戦。その光景は圧巻の一言だ。

ハイドリヒ軍を中央に据えて左翼側に位置する突撃機甲旅団五千と第三機甲軍5万。右翼からは残りの第三機甲軍5万がハイドリヒ軍と対峙する連邦軍を挟み込むように展開しつつある。

右翼と連携して挟んで叩く、それが狙いだ。

敵もそれを阻止しようと扇形に陣形を変えつつある。だが敵の陣形には綻びがある、まだ完全ではない。

其処を突くのが、

 

「俺たち突撃機甲旅団だ」

 

突撃開始の合図の元に300輌の重戦車が突撃を敢行する。

――ヴィイイイインと背後のラジエーターが声量を震わせながら突角陣の隊形で突き進み。それに付き従って歩兵も走る。既に前方では戦闘が始まっている。第三機甲軍の歩兵部隊だ。先頭に居たのだから当たり前だが一番槍を上げられなかった事が残念でならない。ちと出遅れたが今度は俺たちの番だ。援護を兼ねて砲撃を開始しながら、なおも突き進んでいき、敵の歩兵を蹴散らしていった。大規模な戦車部隊に敵も危険と判断したのだろう、敵も慌てて戦車部隊を出してくる。戦車と抗するには戦車しかない。

こちらの重戦車に対して敵も重戦車を出してきた。連邦製の戦車は硬い事で有名だ。強大な戦車砲の一撃でも当たりどころでは無傷を誇る。特に前面の装甲は最も硬いとされている。

だからそこ以外を攻撃するのが常道だ。

だがオッサーは獰猛な笑みを浮かべて言った。

 

「――撃て!」

 

戦車長であるオッサーの命令で放たれる戦車砲の一弾。

従来よりも長い砲塔から射出した弾頭は一直線に飛来して敵重戦車に迫る。着弾箇所は前面部分になる。弾かれて終わりだろう、敵の誰もがそう思った。

 

――しかし。

敵戦車の装甲に着弾した瞬間、コンマ0.1秒の間を持って10,5cm砲の弾頭は分厚い装甲板を貫いた。装甲が破られた際に生じたバジンと凄まじい音が遅れて耳朶を叩き、周囲の者に驚愕を与える。紅い粉塵が舞うのを呆然と見ているしかなかった。

まさか前面装甲を破る戦車砲が出て来るとは思いもしなかったのだ。

それがⅨ号重戦車ケーファーの華々しい登場となった。

 

誰もが驚く中、既にオッサーは次の標的に目を移している。

戦いに飢えた猛虎が新たな獲物を定めて、次の餌食となる戦車が出るのは、

それから直ぐの事であった―――

 

 

 

 

 



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五十四話

帝国には語られる事のない部隊が存在する。

存在するのに決して公には現れる事のない、闇に隠された者達。

重大な軍事犯罪を犯した者達が入る事となる、懲罰部隊だ。

強制的に所属させられ満足とはいえない装備で戦わされる。

それだけならいいが彼らの向かう戦場は常に最も過酷な場所だとされる。

自殺と同義のような任務を負わされることも珍しくなく。

一度の戦いで50%が生きて帰る事はない。

それはもう死刑と同じことではないだろうか。

それでも彼らが戦うのは戦争が終われば自らに課せられた罰が許されるからだ。

罪が清算されるその日まで彼らは戦う。

 

中でも少数ながら最強にして最凶と呼ばれる幻の部隊があった。

名を帝国軍第666ゲイル大隊。

通称≪死に急ぎ部隊≫とも呼ばれる彼らは、特級軍規違反者によって構成されている。

懲罰部隊は本来、密猟者、軍規有罪者から集められるものだが、その部隊は全員が共通する違反によって集まられた者達だ。

それは二重亡命者である。

今は規制されているがその昔、帝国の許可なく無断で国境を越え、連邦に逃れた者達が少なくない数存在した。帝国の支配を嫌った者達が自由に憧れて連邦に逃れたのだ。多くは其処に定住して連邦という国に受け入れられた事だろう。だが中には酷い差別を余儀なくされた者達も居た筈だ。そういった者達やその子孫が母国である帝国に戻る事を望む場合がある。それが二重亡命者だ。だが今の帝国にはそういった者達をすんなりと受け入れる法律はない。間者であったり危険思想を持ち込む者を入れる可能性があるからだ。逆に犯罪者として入国後すぐに逮捕される事もある。そういった者達の受け入れ先が懲罰部隊と云う訳だ。戦争で帝国に貢献する事で失った国籍を取り戻す事ができる。

帝国人ではない帝国部隊、ゆえに幻の部隊と称される第666ゲイル大隊。

彼らはありとあらゆる戦線に姿を現し、窮地に立つ味方を救い続けた。

戦うたびにその身を犠牲にしながら。

そして、彼らは多くの戦いを経て、征暦1934年2月26日。

つまり連邦軍の大進攻が起きる約1年前のその日に。

 

.......部隊は全滅した。

 

誰一人として生き残って居らず、現に帝国軍機密人事部にある帳簿に、

彼らのページは『全て死亡』の文字が書かれてある。

誰にも語られる事なく闇に葬られた真実を知る者は軍に居ない。

そして、

後世その事が明るみになる事は決してないだろう......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ俺は記さなければならない。その日、何が起きたのかを。

ここに、闇に隠された真実を綴ろう。

 

『とある男のレポート  題名・666』

 

 

 

 

             ―0―

 

 

 

          

征暦1934年は穏やかな年だった。

6年前を皮切りに征暦1930年より激化の一途を辿るヨーロッパ大戦だったが、その年だけは小規模な戦いに留まったからだ。勿論だからといって死傷者が少なかったわけではない。万を超える人間が亡くなったのも確かだ。だが例年に比べれば比較的に小康状態と言っても良い程には争いが沈静化していたのも事実で。

その事を疑問を思った者は少ない。帝国軍上層部はそれを敵の戦意低下と考え、その間に次なる侵攻の目をガリアに向けていた程だ。

 

.....だが、それこそが、今になって思えば嵐の前の静けさだったのだろう。

大戦の足音は着実に近づいていたのに、それに気付いた者は僅か一握り。

誰もが束の間の平穏を楽しんでいた。しかし、ある者は既に動いていたのだ。

全ては偶然の事だったが――俺たちゲイル大隊はその一端に触れる事になった。

そして死に急ぐ俺たちの運命も大きく動き出す事になる。

 

 

 

 

「――お前達に下す命令はただ一つ、帝国の為に死ね。それだけだ。それが出来てようやく貴様らは帝国の一員と認められるのだ。分かるか?偉大なる祖国を裏切った貴様らは人間ではない。蛆虫にも劣る糞共、本来であれば銃殺刑すら免れないだろう、だが寛容なる帝国は貴様らを受け入れた、その事に感謝し、どこにも居場所のない貴様らがその命を捧げるは当然のことだ。故に戦場で味方を助け死ね、敵を殺し死ね、理解したな?

――それでは諸君、大隊諸君、作戦行動を開始せよ」

 

帝国軍第666ゲイル大隊長レイドから発せられた声音はどこまでも無機質で淡々としていた。

その言葉通り俺たちを人間として見ていないのが、彼の目を見れば分かる。

いつもの事だ。戦闘開始の前のブリーフィングに必ず言う、隊長の口癖のようなもの。

だがそれが正しい。

俺たちに課せられる任務はおよそ普通の軍人にさせる事ではないのだから。

普通の指揮官では気が咎めて命令も下せまい。

男の口から発せられた言葉を聞く兵士達の表情は機械のように感情を窺わせない。非人道的な言葉を吐く男に反発する者は居らず、命令を遂行する事だけを考える。

それだけが俺たちに許されたこの地獄で生き抜く術だった。

当初は反発する者も居たが、

第666ゲイル大隊の背後には正規軍が控えている。

彼らの銃口が狙うのは敵ではなく俺たちだ。

反乱を起こそうものなら正規軍に殺される。そういう手筈になっている。

現に多くの部隊が彼らによって消されている。だから俺たちは前に進むしかなかった。

そこが地雷原の上だろうと関係ない。

まともな戦闘服を着る事も許されず、支給される武器も二つだけ。

流化爆弾と呼ばれる流体ラグナイトを元に作られた手榴弾と一丁の拳銃だけだ。

コレだけで何をしろというのか、そう思うだろう。

だが俺たちに与えられた役割は極めて過酷なものだった。

 

 

               ――1――

 

 

 

「――っ今だ!投げ込め!」

 

一斉に投げ込まれていく手榴弾が放物線を描き、隙だらけの背中を見せていた敵部隊に降り注ぐ。

俺もまた手の内に在る手榴弾の安全装置を引き抜き思い切り投げつけた。

戦車の目の前に落ちた手榴弾を、前進する戦車が踏み潰す。

――瞬間、敵兵が慌てるのも無視して蒼い閃光が煌めいた後に直ぐさま圧縮した爆発が上がる。

周囲でも呼応するように蒼い光が連続した。それは一瞬の事だったが威力は甚大で。

重厚な戦車が機能停止する程であった。

 

目標を破壊した事を確認すると直ぐ撤退行動に移る。大破した戦車近くの兵士達が混乱しているのを無視して背中を見せる。後は正規軍に任せれば良い。だが敵の裏側に回り込んでいるので、そう易々と逃げられるはずもなく。敵に見つかり交戦を余儀なくされた。この場合、俺たちが生き残る確率は限りなく低くなる。まともな装備ではないのだから当たり前だが、コレらの武器はあくまで戦車に対する攻撃にしか使えないからだ。

 

そう。

俺たち第666ゲイル大隊に課せられた任務は『歩兵による戦車の迎撃』だった。

まともな指揮官だったら考えもしないだろう、馬鹿げた戦法だ。しかも実験的な意味合いも兼ねているようで特定の武器しか使う事を許されていない。本来であれば対戦車槍がなければ歯が立たない歩兵の装備では逆立ちしたって戦車には勝てないのだ。

 

だがそんな絶望的な状況下を生き抜いてきたのが第666ゲイル大隊だ。

 

前から現れた敵を確認した俺たちは一瞬の動揺もなく即座に散開すると、近くの木々に隠れる。

流れる動作で腰元の拳銃を引き抜いて敵を狙い撃つ。

トリガーを引いた瞬間、激しい反動が体を震わせる。対戦車用に作られたと聞いたが未だ戦車相手に使った事はない。恐らく欠陥品だろう――は狙い違わず兵士の胸を貫いた。

その威力を物語るかのように兵士の胸に空けられた銃痕は向こう側が見えるくらいにポッカリと空洞になっていた。あまりの攻撃力の高さに周りの兵士達からどよめきの声が上がるのが聞こえた。流れるように手榴弾が落ちてきて悲鳴に変わったが。爆発音の後に残るのは静けさだけ。焼け焦げた肉の臭いを嗅ぎながら俺たちは次の予定目標地に向かった。

 

 

 

 

                ――2――

 

 

 

 

「......おかしい、正規軍はどうした?」

 

それは幾度の交戦を潜り抜け、二輌目の戦車を小破に追い込んでいた時だ。異変に気づいた。

それまで激しい戦闘を繰り広げていたはずの正規軍が後退を開始していたのだ。それだけならまだ作戦行動範囲内の動きと考えて疑いはしなかった。だが前線からも次々と兵が抜けているのを確認して、いよいよ戦場の様子がオカシイと思い始めた。

俺たちが先んじて敵の攪乱をして正規軍が正面制圧を行う――そういう作戦だったはずだ。

これでは何のために俺たちが危険を冒しながら戦っているのか分からない。

こうしている今も仲間の一人が撃たれた。正式に支給されている軍服ではない――粗末な戦闘服の耐久力では偵察銃程度の一弾ですら致命傷は免れない。

激痛に悶えながら仲間が死ぬのを見て俺は撤退を選んだ。

もちろん撤退命令は出ていない。普段ならば無断で敵前から逃げようものなら見咎めた正規軍の手で殺される。

だが今はその正規軍が居ないので俺たちを殺そうとするのは目の前の敵だけだ。

刻一刻と予断を許さぬ状況が近づく中、このままでは全滅すると考えたのは俺たちだけではないらしく、他のゲイル中隊も撤退に移っているのが確認できた。

中隊権限を持つ俺もまた部下を後方に撤退させる事にした。

 

向かうは第666ゲイル大隊長レイドの居る駐屯地までだ。

そこまで行けば正規軍も居る。誰もが助かると考えていたが。

 

 

 

.....現実はどこまでも俺たちに過酷で非情だった。

 

 

 

 

 

 

                ――3――

 

 

 

「俺もお前達と同じ亡命者だ。だから俺を殺しても何の意味もない、最後に君は正規軍士官を殺して鬱憤を晴らしたいのだろうが、それは出来ない事を先に謝っておこう。君が殺そうとしている男はお前達と同じ境遇でありながら軍に命令され怯えながら仲間を死地に追いやることを正当化するうちに、いつの間にか本当に自分は正当な帝国軍士官であるのだと信じて疑わなかった......只の愚かな傀儡に過ぎないのだから」

 

それが無人の駐屯地にただ一人だけ残された俺たちの隊長レイドが、事の顛末――つまり俺たちが囮に使わされている事を聞かされ、全滅するしかない状況に激昂した兵士の一人が拳銃でレイドを撃ち殺そうとした時に語った言葉だった。

今まで誰もが憎き帝国士官だと思っていたレイド隊長が実は同じ境遇の人間だと聞かされた俺たちの受けた衝撃は計り知れない。撃ち殺そうとしていた兵士も呆気に取られて拳銃を落とす始末。

囚人に囚人を監視させるとは何て皮肉だ。そういう実験だったらしいが、どこまでも軍に弄ばれるのだな、とその時の俺は諦めていた。

 

何処にも居場所なんて無い。生まれ育った帝国にも、希望を胸に渡った連邦にも、俺たちを受け入れてくれる場所はなかった。平民だというだけで認めようとしない帝国軍に憤慨した。帝国人だというだけでろくに兵糧・物資を送らない連邦軍に絶望した。そして今、おめおめと戻って来た帝国軍に見捨てられ、敵となった連邦軍に囲まれつつある現状に疲れ切っていた。

認められようと懸命に尽くしてきたが、どうやら逆に危険分子と判断されたらしい。

優秀な部隊であったことが返って仇になるとは、思いもしなかった。

 

そうして、この何もない駐屯地を死守する事が俺たちに与えられた最後の命令だ。

何と虚しい命令だろうか。

そこに作戦としての意味はない。ただ俺たちが全滅するまで戦えという事だ。

回りくどい真似だが、上層部は連邦軍の手で俺たちを全滅させたいのだろう。

 

『敵接近』の報を聞いても俺たちは誰も動こうとはしなかった。

分かっているからだ。俺たちに基地防衛の為の装備はない。

恐らく攻め込まれれば一刻と持たないだろう。

逃げようとしないのは、帝国兵としての国に殉じる責任感から来るものではない。どうせ逃げても殺される。死ぬ運命が同じならそれが帝国でも連邦でも変わらないと諦め切っているだけだ。

 

でも仕方ないんだ。俺たちは祖国を裏切った恥知らず。死ぬことでしか罪を払えない。

だからこうなるのも仕方のないこと......。

 

 

 

―――そんな訳があるか!

 

俺たちはこんな目に遭わなければならないほど罪深い事をしたのか!?

蔑まれながら国の為に戦い続けた。その結果がコレか。

認められない、認めてたまるかこんな理不尽。

国に人生を狂わされてきた。だけど最後まで弄ばれ続けるのか。それを良しとするのか。

どんなに絶望的な状況でも抗い続けたのが第666ゲイル大隊だろう。

 

その言葉に賛同した部下達が立ち上がる。他の者達も呼応した。

全員が最後まで戦う事を選んだのだ。

みんな何か重いものから解放されたような顔つきだ。

翻弄されてきた人生の中で唯一、自由を得た様な気がした。

国に奉仕する戦いではなく、自分の為に戦うからかもしれない。

 

程なくして前の街道から敵が現れた。

歩兵が数百、万全な装備に戦車もいる。前面に戦車を押し出して歩兵が追随している隊形だ。

前言撤回。

あれらが攻めて来れば全滅するのに十分も掛からないかもしれない。

いや、今更時間を気にしたところで制圧されるのは確実なのだから関係ないか。援軍が来るわけでもないのだから.....。

 

直進する戦車の砲塔が俺たちの隠れる宿舎に向けられる。

駐屯地の中に迎い入れて包囲攻撃する作戦が呆気なく看破された。

 

事態はその時に起きていた。

静まり返る中、誰もが前方の敵戦車――ではなく後ろに視線を向けていた。

誰もが呆然としている視線の先。

 

正規軍が撤退したであろう方向の道から、一人の女が歩いて来る。

女は帝国軍の軍服を纏っていた。援軍だろうか、分からない。

だが女が尋常ではない手合いだと濃密な気配が教えてくれる。圧迫するようなプレッシャーをビリビリと感じる。精鋭である第666ゲイル大隊の誰もが肌を粟立たせていた。

目の前の数百からなる部隊と戦車よりも後ろの女の方が危険だと感じていたのだ。

 

敵戦車も同じことを考えたのかは知らないが。宿舎に向けていた砲塔が女に向けられる。

照準が女に定められるのを見て隠れろと叫ぶが、女は無言で立ち尽くし、片手に持つ槍先を前に向けた。包み込むような蒼い光が女の全身を伝って槍に流れ込み。目覚めたようにギュルギュルと回転する螺旋の槍。その姿はまるで神話に語られる女神の様で。

息を飲む光景の中、戦車砲の一弾は放たれる。

 

同時に女も槍を突き出した。瞬間――放出された光が矢のように飛び。俺たちの見ている最中で光線と砲弾が交じり合う。呆気なく、人を簡単に殺戮する破壊力の秘められた砲弾は光に吞まれ蒸発した。光はそのまま尾を引きながら戦車に向かい、もろとも何人もの敵を吞み込んで視界の彼方に消えていった。後に残るのは焼け爛れた鉄の残骸と無人の街道だけだった。

 

 

近づいてくる女に対して思わず俺は問いかけていた。

――どうやら俺たちは気づかない内に死んでしまっていたようだ、貴女が伝承に伝わる戦の神か?

馬鹿げた質問をする男に女からの返答があった。

「神は人を救わない、人だけが人を救えるのだ。だから私は神ではない。......だが、同胞に見捨てられた哀れなお前達を救えるのは我が主だけだろう」

――救ってくれるのか、俺たちを。国を裏切った恥知らずの集団だぞ。それでも助けるというのか。

「知らん、お前達が何者だろうと知った事か。主がそれを望まれたのだ、ならばお前達は今後、我が主にのみ尽せばいい。裏切れば私がお前達を皆殺しにしてやる」

脅しではないだろう。確固たる事実として口にしている。

女が何者なのか依然として分からないが、女の語る言葉は純然たる真実だと直感する。

助けてくれるというのも本当だろう。

軍がこれ以上俺たちを騙す理由もない。

だとしたら、

――居場所をくれ!戦い疲れた俺たちに安らぎを与えてくれるなら、悪魔だって構わない!どうせ一度は国を捨てた俺たちだ、この命、悪魔にだって売ってやる。

慟哭するような男の言葉を聞き女は『いいだろう』と頷いた。

「喜べ、我が主よりお前達の置かれている複雑な立場から救済する為の策は頂いている」

その言葉に俺たちは喜んだ。

だが、続けて女はこう言った。

「故に――お前達にはここで死んでもらう」

おもむろに突きつけられる槍。

反応する暇もなく、誰もが呆然と立ち尽くす――内心では驚愕の極地の中。

俺たちの動揺を無視して蒼い光が駐屯地全体を染め上げた――

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

アスターテ平原の只中で勃発した戦争は、時間が経つにつれ更に激しさを増していた。

広大な平原を舞台に展開された戦闘があちこちで始まったからだ。

数千、数万の歩兵が陣取り合戦の如く動く様は大地そのものが蠢いているかのようで、一見乱雑に動いているように見える歩兵の動きだが上空から俯瞰して見れば、論理的に動いている事が分かる。

ライン川の西岸から端を発して大河のように列を成して平原に流れ込んでいた連邦軍が、対戦する中央のハイドリヒ軍を相手にしながらも両翼より迫る帝国軍を受け止める為に半円型の陣形を形成したのだ。その様は『➡』のようにも見える。

 

堅実な受けの態勢となった連邦軍の陣形を相手に帝国軍も猛攻撃を仕掛ける。

一進一退の激戦となっていた。

長期戦になるかと思われたが、戦況は目まぐるしく変貌しつつあった。始まりは左翼からだった。

突撃機甲旅団なる一団が数百の戦車隊を引き連れて突撃を敢行した事で、敵の防衛線に穴が空いたのだ。帝国軍はその隙を逃さず殺到する数千の歩兵が。連邦軍の内部を攻撃し始めたのである。それでも広大な平原で行われている戦争から見れば小さな穴だ。事実、連邦軍からしたらまだ傷は浅い。だが、人でもそうだが体の内側に入り込まれれば弱い。最初は傷が浅くとも更に傷が浸食されていけば徐々に疾患となって体内を蝕む毒となる。いずれは命の危険にすら及ぶだろう。それは軍とて同じことだ。

役割を担う者が必要になる。傷口はできた。後は傷を深く広げていくだけだ。

ならば必要なのは最前線に立って戦う勇者、最も死傷率の高い死線となるだろう、デスゾーンに飛び込める者だ。

 

戦場に出来た空白地帯。そこに、

死を恐れぬかのように先頭に立つ者達が居た。

勇敢な帝国の兵士でも躊躇する死線――その一定の線を越えれば確実に死ぬ。

それを彼らは容易く超えて見せる。

 

その瞬間、前方から数えきれない程の弾幕が押し寄せる。

これ以上の接近を許さない連邦の兵士達が束になって敢行する一斉射撃だ。

その膨大さゆえに本来点のそれがもはや逃げ場のない面となって迫り来る。

理不尽なまでの死の嵐――を意に介した様子もなく駆け抜けた彼らは瞬く間に敵兵との距離をゼロにして、呆気に取られる敵兵士の頭を吹き飛ばす。

頭に風穴を空けられた兵士は脳漿をまき散らしながら崩れ落ちる。地面に血糊が撒き散った。

 

その光景を見て周りに控えていた兵士は震えながら、この弾幕の中を鎧で撥ね退けながら強引に突破してきた目の前の敵――蒼い甲冑のようで、それよりも分厚い外骨格を身に纏った。一見すると騎士のような外見の兵士から距離を置くように後ずさる。

 

勝ち目はないと理解していた。報告で聞いていたからだ。

帝国軍には無双の強さを誇る蒼い鎧の兵士が居ると。歩兵の武器装備では勝ち目は薄いと。

あらかじめ知りえていた情報だったから、目の前の異常な敵に恐怖はしたものの、恐慌はしなかった。士気は崩れることなく保たれたまま。ラインハルトの危惧していた事が的中してしまった。

 

最悪な事に彼らの取った行動は迅速だった。

直ぐに通信兵が無線を取りどこかと連絡を送り合う、通信兵を守るかのように技甲兵が大盾を展開し、複数の兵士がその周りを取り囲む。

彼らの行動の意味は一目瞭然だ。

目の前の強敵を倒せるだけの兵器を呼んでいるのだ。ならば青い騎士鎧が取るべき最良の行動は通信兵の撃破および通信の阻害だろう。

 

だが蒼い騎士鎧は悠々と単発式の拳銃に次の弾を込めていた。

明らかにこちらを舐め切っている態度に、連邦の兵士達は唖然として次に憤慨した。

落ち着いて見れば敵は単発式の銃の他に武器を持っている様子は無いではないか。

ならばと、怒りに任せて銃を乱射するが分厚い装甲を破る事は出来ない。

蒼い騎士鎧の余裕が耐久力の高さからくるものなのは直ぐに理解した。

ならば鎧の耐久力を上回る武器であれば少しは余裕の態度も剥がれるのでは、と考えた兵士が腰から手榴弾を取り出した時だ、それまで傲慢にも立ちぼうけていた蒼い騎士鎧が動きを見せた。

 

いきなりこちらに向かって猛然と突進する。

流石に手榴弾を見て怖気づいたのかと思った兵士だったが、それは違う。

亀のように固まる連邦の兵士達の後方から戦車が近づいて来たからだ。

それを見て待っていたと言わんばかりに動き出したのだ。通信兵が呼んでいたのが戦車である事は明白だろう。頼もしい味方の救援に兵士達は慌てて散開する――暇もなく既に敵は目の前まで接近していた。

 

「――っ早い!?」

 

油断していた訳ではなかった。あの耐久力を見て目測を誤ったのだ。あの鎧の重量でこれほど早く動けるはずがないと。

まず手榴弾を持っていた兵士がガツンと殴られた。顔面に突き刺さる程の一撃を受けて即死する。

そこからは早業だった、瞬く間に手榴弾を奪い器用に安全ピンを抜くと兵士達の眼前に投げ入れる。

狙いは技甲兵だ。さしもの技甲兵の大盾ですら爆弾の威力には敵わず。至近距離で起きた爆発に巻き込まれて倒れ伏す。しかし流石というか死んではいなかった。腕の骨を折り重傷だろうが微かに息をしていた。死に体の技甲兵に近寄る蒼い騎士鎧。トドメを刺すのかと思えば、近くに転がっていた大盾を拾うとそれを装備した。本来であれば両手で使うそれを片手のみで軽々と扱う。

 

大盾を手に入れた蒼い騎士鎧は、

爆発から生き残った周囲の兵士達を無視して大地を蹴る。

もはや兵士を敵と見ていなかった、彼が見詰めるはこちらに向かって前進してくる戦車のみ。

グングンと被我の距離が近づく。

それまでラジエーターを吹かせて無限軌道を回していた戦車が停止する。

接近する蒼い騎士鎧を敵と見定めたのだろう、照準を合わせていた。

対する蒼い騎士は愚直に直進する。普通であればジグザクに動き狙いを絞らせないようにするものだが、そのような意図は皆無である。直撃する事はないと高を括っているのか、或いは当たっても耐えられると自負しているのか、恐らく後者だろう。

 

「猪め、如何に耐久力が高いとはいえ、戦車の一撃には耐えられまい!」

 

傲慢に過ぎる愚かな行動だと断じた連邦の戦車長は、命令を下した。

装填士が砲弾を装填する。照準を定めた砲手がトリガーを引く。戦車全体が震える程の衝撃が起きて火薬の音と共に放たれる砲弾。砲手の腕によるものか狙いは見事突進する蒼い騎士に迫り。躱す暇もなく直撃した。

戦車を護衛していた兵士から歓声が上がる。――それも束の間。

 

舞い上がる土煙の中から蒼い騎士鎧が勢いよく飛び出した。

まったくの無傷だ。走りながら派手にひしゃげた大盾を投げ捨てる――あれで防ぎ切ったのだと理解した戦車長が驚愕を露わにした。直ぐさま次の装填を急がせるが。もう遅い。

護衛兵の攻撃をまるで無視して突破する蒼い疾風が戦車の砲塔を掻い潜り――

 

――蒼い騎士鎧が戦車の目の前に到着した。

おもむろに単発式大口径拳銃を突きつける。

狙うのは前面装甲――より正確に言えば数ミリの小さな窓。操縦手が外を覗く為に存在する孔である。ピタリと銃口が窓にくっつき戦車内に居る操縦手に向けられていて、

 

「!?や、やめ――!」

 

引き絞るような悲鳴の途中で、呆気なくトリガーは引かれる。

超々零距離射撃――

撃鉄の音が鳴った瞬間、戦車内部は鮮血に染まった。

戦車内で悲鳴が上がる。恐らく中は阿鼻叫喚の光景となっているだろう。

鉄の棺桶と化した内側で渦巻く混乱を無視して跳躍する。

装甲に飛び乗ると、弾を再装填した。

 

戦車の弱点である後部のラジエーターを無視して、砲塔後部上面に銃口を向ける。そこが最も戦車の装甲が薄い部分だ。被弾した時に衝撃を上に逃す役割を持つため自然とそうならざるをえないのだ。銃口を下に向けて狙いを定める。まるでどこに車長が座っているか知っているかのように。

 

構えて躊躇なく撃つ。単発式大口径拳銃より放たれた凶弾が装甲に直撃する。拳銃の一撃とは思えない程の爆発音が足元から響き。薬莢が落ちた。

その威力を物語るように装甲に抉れたような傷口が生まれる。が、流石に一撃では穿てない。

弾を再装填する、撃つ。再装填、撃つ。再装填、撃つ――

何度も繰り返す内に傷は深くなっていった。

 

「――ひぃっ!?何なんだこいつは!?だ、誰か助けてくれ!」

 

車長の悲鳴が内側から漏れ聞こえる。

声には計り知れない恐怖が宿っていた。

頑強な戦車の装甲を隔て守られているというのに微塵も安心した様子は無い。

どんどん削られていく装甲の音を聞いて限界を悟ったのだ。信じられない事だが今にも穴が穿たれてしまいそうである。

 

「撃ちまくれ!ブリキ野郎を殺せ!隊長達を助けるんだ!」

 

護衛する役割の歩兵部隊が、戦車の上に立つ騎士鎧を囲みこんで狙い撃っている。

一心不乱に撃ちまくるが金剛の如き騎士鎧にダメージは通らない。細かな傷が付けられるのみだ。

その間にも蒼い騎士鎧は一連の作業を淡々と続けている。

撃ち続ける歩兵達に焦燥感が滲む。

 

「ックソ!何なんだよコイツ!?撃たれてるのにお構いなしかよ!狂ってんじゃねえのか!?歩兵が戦車を破壊するとか出鱈目だろが!......っ」

 

焦りとは裏腹に装甲の限界は訪れた。拳銃で撃ち続ける六度目の事だ。

放たれた弾丸が装甲板を貫き、その奥にいた車長の頭を穿った。

また戦車内が紅く血に染まる。

 

 

 

 

残された砲手と装填手の口からこの世の終わりの様な悲鳴が上がる中、

蒼い騎士鎧は初めて本来の用途で使われた単発式大口径拳銃を見詰めていた。

装甲を破り戦車長を討つという快挙を成し遂げた己の愛機を青い騎士鎧は。

 

「......車長を殺すまでに普通の兵士なら10回死んでもお釣りがくる。

やっぱ欠陥品だよなぁこいつ。改めて言うがこれを作った奴は大馬鹿だ」

 

数年来の愛機を欠陥品呼ばわり。ぞんざいな言いようであった。

だが彼の言い分も最もだ。普通であれば今のような零距離射撃なんていう芸当は不可能だ。十中八九近づくまでに殺されている。先の戦闘はひとえにヴァジュラという鎧があって初めて成立するのだ。

当時はこれを生身で使えって言ってたんだから軍は本当に俺たちを殺したかったんだろうなあ。

と思っていると背後に複数の気配がやって来るのを感じた。

いつの間にか護衛の歩兵部隊が全滅している。敵ではない、遅れて来た部下達が片づけたのだ。遅れた理由は周囲の部隊を倒して回って来たからだ。

部下の一人が戦車の有様を見て。

 

「うわぁ、すげえ、戦車がボロボロ......無茶し過ぎですよ()()()大隊長。俺たちが来るのを待っていて下さいと言ったじゃないですか」

「その声はマーレ君か?遅かったじゃないか、中隊長ともあろうものが情けないねえ、先に戦車が来たから始めちゃったよ。それより首断ち鋏(くびたちばさみ)を持ってないか装甲板をこじ開けたいんだ.....あと、その馬鹿な男はもう居ないぜ。蒼い悪魔の炎に焼かれて死んじまった。俺さんは――リューネ・ロギンスだ」

「あ、すみません。あれから一年も経つのに慣れないな.....鋏ならここに」

「根深い記憶だからねえ。おいおい慣れていくとしようぜ。お!これこれ!片方を頼むな.....」

 

ヴァジュラス・ゲイル大隊長リューネが嬉々として掲げるそれは形容するなら大きな鋏である。

首断ち鋏≪くびたちばさみ≫と名付けられているれっきとした近接武器だ。最もヴァジュラ専用と銘打たれているのだが。使い方は単純である。元々の鋏と大して使用方法は変わらない。対象が紙か人であるかの違いだけなのだから。挟んで斬るそれだけだ。他にも使い方は様々あり、例えばリューネが今まさにやろうとしている装甲破りがそのひとつだ。

鋏を二人一組で掴み、共同作業で行われる――大きな鋏の二枚刃の間に戦車の装甲を入れる。後は力を思いっきり込めて引くだけだ。せーのの声掛けで込められる力――バキバキと装甲に食い込む刃が深々と斜めに入っていく。信じられないその光景は人の力で成しているとは到底思えないもので、専用に設計された鋏の作用と二体のヴァジュラの強靭な力の相乗効果によってのみ可能な芸当なのだ。

ものの数十秒で最も薄い砲塔後部上面の装甲が断ち切られてしまった。同時に戦車内部で爆発が起きた。中に居た存命の乗組員二人が手榴弾で自決を図ったのだ。装甲が破られるのを見てもはや生き残る術は無いと諦めたのだろう。

 

 

 

まともに爆風を受けた自分の体に異常がないか確認する。

問題ない無傷だ。

この鎧は見事リューネを守り切って見せた。

兜の中でニヒルに笑う。

......旦那も人が悪い、あんだけ脅しつけといて、これほどの鎧をくれるんだからよ。

 

思い出すのはあの日。

あの女に連れられて入った森の中で待っていた男に新しい名前を与えられた時だ。

 

「――お前達にはとある兵器の試験運用をしてもらう。一人の天才を迎え入れた事でようやく形に成りそうなんだ、いまだ完成には程遠いがテストプレイヤーは必要だろう。死の危険も付き纏うだろうな。だが精鋭と名高いお前達なら無事に乗り切れると信じている。承諾するなら新しい名と生を与えよう、拒否するなら悪いが機密を守る為に死んでもらう。俺達がこの森に居る事は誰にも知られてはならないんだ.....」

 

気が付けば囲まれていた。

森に溶け込むような緑と黒の迷彩服を纏った兵士達に完全に包囲されていたのだ。手にはコレまた見た事のない迷彩色カラーの銃器。精鋭である俺たちがまったく気配に気づかなかった。只者ではない事が分かる。いつの間にか場違いな侍女服を着た女が男の横に立っていて何事かを話している。

男はそうかと頷き良く分からない事を言った。

「――その情報が確かなら奴らが動くのは半年後から1年以内と見積もった方が良い、引き続き草の者達との情報収集を強めてくれ。やはり無理をしてハイドリヒの国境まで来た甲斐があった、予想以上の収穫もあった事だしな」

そう言って俺を見る男の顔には笑みがあった。収穫とは俺達の事だろう。つまり男は本来の目的である何かを達成した後、もののついでに俺達の事を知ったのだろう。

 

悪魔の様な取引を俺達は受ける事にした。そうする他に選択肢が無かったとも言える。

結果論だが受けて良かったと思う。

少なくとも以前の様な危険と安全の天秤の量りが片方に傾いているなんて事はなくなった。生身で戦車に特攻しろと言われる事はないし部下に強要させる事もない。

代わりに変な鎧を着て戦車を破壊する任務を受け負う事になったが。結局一年を通して実験を繰り返したが一度も失敗する事はなかった。実験に携わる研究者の誰もが無理な命令もせず慎重になってくれたおかげだ。それを誰が厳命したのかも既に知っていた。

危険と安全を兼ね備えている。悪くない仕事だ。なにより俺達を裏切者と罵る者も居ない。

それだけで十分に恵まれた職場だ。なにより国籍を取り戻せたのが大きい。不自由なく暮らせる事がどれほど素晴らしい事か。部下の中には家族を呼び寄せる者も少なくない。安息がある。ようやく手に入れた居場所だ。

それを奪おうとしている奴らに容赦はしない。

 

だからこれは――

 

「――俺達に残された最後の居場所を守る為の戦いだ。命令することはただ一つ、暴れろ。歯向かう兵器は全て破壊し、敵に恐怖を刻み付けろ。それだけが俺達の立場を保障してくれる。..........理解したな?――それでは諸君、かつては死に急ぎと揶揄された大隊諸君。作戦行動を開始せよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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五十五話

「――急いで!もうとっくに限界時間(リミットタイム)を超えているのよ!?これ以上は搭乗士の命に関わるわ!誰一人死なせては駄目よ!1番から33番のナット外して!」

「了解!――背部三重装甲基板取り外します!――外しました!」

「ラジエーター機能解除!出力低下途中!台座に降ろして!はいヨーイ!」

 

喧々諤々(けんけんがくがく)たる男達の怒号が響き合う中で、唯一の女性であるメルケン・リッヒ大尉の甲高い声がひときわ目立って聞こえる。統一された作業着を着て手を休めず動いている彼女達は、鎧の接合部に差されたオイルで汚れるのも気にせず、目の前に鎮座する蒼い騎士鎧の装甲を取り外す事だけに集中していた。背後では20万を超える軍の戦争が行われているのに、それをまったく気にも留めていない。彼らにとってはそれよりも重要な事だからだ。

 

知っての通り、無敵と思われる兵器にも時間という弱点が存在する。ヴァジュラの耐久時間は三時間一杯しかなく。この時間を超えるとラジエーターの稼働熱によりヴァジュラ全体が発熱を始め。搭乗士自身に危険を及ぼしかねない諸刃の剣。それが戦術機甲殻兵器ヴァジュラの構造上、避けられない短所の一つ。故にヴァジュラを出動する際は、出動と同時に帰還時刻を見越して極めて慎重に調整しなければならない。

 

本来であれば先の救援の目的で出動したイムカ達を含めた100機の部隊は二時間を超えた時点で撤退しなければならなかったのだ。だが任務が救援であるがゆえに撤退すれば壊滅を余儀なくされるハイドリヒ軍を救うため彼女達は戦場に残った。時間ギリギリまで、ハイドリヒ軍を援護する事に決めたのだ。

 

彼らの献身によってハイドリヒ軍は無事に目的地まで向かう事に成功する。――その時まで軽騎兵団と共に戦っていた彼らは包囲作戦が発動した事でようやく自身も撤退行動に移り。何とか整備部隊の居る安全なクレーター跡まで撤退する事に成功した。待ち構えていた整備部隊の手によって急ぎ兵装を解かれる最中の事であった。

次々と整備員の手によって解かれていく鎧の中から搭乗士が現れる。

体にピッタリと接着した特殊なスーツを着た軍人が倒れ込むように投げ出されるのを整備員が受け止めて救助していく。まともに立てる者の方が少なく、多くの者が稼働の反動で脱水症状を起こしていて。

 

場は救助を待つ者と救援する者で酷く混沌としていた。

数十ある作業台に乗せられたヴァジュラから出されていくVー2部隊の兵士達。誰もが疲れ切った様子だ。地獄のような日々を生き抜いたゲイルの軍人ですら消耗は激しい。再び戦うには休息が必要になるだろう事は明らかだった。

 

片っ端からハッチを開ける作業が続き、ようやく最後の一人が作業台に乗せられる。

整備の場を任されているメルケン・リッヒ隊長は自ら目の前の装甲具を解いていく。自分は大丈夫だからと、他の兵士の救助を優先させたこの頑なな少女は自分が助けると決めていた。

 

最後のナットを取り外すと、鎧からプシューと空気圧の抜ける音がした。ラジエーターの稼働熱で温められた空気が排出されているのだ。ハッチが開いて中から少女がゆっくりと現れる。危なげなく地面に降り立った。周りでは立っていられない程に体力を消耗している者達で続出している中、彼女だけは平然としていた。驚くほどのタフネスである。

 

「ご苦労様ですイムカ一等兵。どこか体調に異常はありませんか?」

「....特にない。それより喉が渇いた」

 

リッヒ大尉の心配をよそに、イムカはそこら辺をウォーキングした帰りのような態度で淡々と言った。まったくもっていつもと変わらないその様子にリッヒ大尉は苦笑を覚える。

短時間とはいえ激戦を繰り広げてきて戻って来た筈なのに疲労を微塵も感じさせない。

だが、事前に持っていた水筒を手渡すと、イムカは勢いよくそれを飲み干した。よほど体が水分を欲していたのだろう、返された水筒の中身は空だった。流石のエースも疲労を感じていない訳ではないようだ。

満足気にふうっと息を溢したイムカはリッヒ大尉から受け取ったタオルで汗を拭う。

 

「シャワー室で浴びてきたらどう?」

 

ヴァジュラ整備拠点には帰還兵の疲れを癒す為に給水施設も完備している。テントで隠されているが数十人でも余裕に入れるお風呂が拠点の一角に建設されていた。勿論、男女別だ。

見事作戦を遂行した彼女に労いの意味を込めてそう言ったのだが。

イムカは首を振って、

 

「そんな暇はない、直ぐに改修作業に入ってほしい。出撃準備が出来たらもう一度出撃する」

「....まさか直ぐ戦場に戻る気なの?貴女は作戦を無事に遂行したのだから後は隊長達に任せても良いんだからね。それに、続けざまに出動するのはやはり体に負担がかかり過ぎるわ」

「任務が成功しても戦いが終わったわけではない。どう戦況が転ぶか分からない以上は勝つまで戦い続ける。それに恐らく今この瞬間が正念場だと私は思う」

「え?まだ戦いは始まったばかりよ。早急すぎるのでは」

 

ラインハルト率いる軍勢が交戦を始めてからまだ二時間と経っていない。正念場と言うには早すぎるのではないかと不思議そうにするリッヒ大尉だがイムカは確信していた。撤退するさなか戦場に漂う雰囲気を感じて。戦うべきは今だと、兵士の勘が告げていた。根拠はないが、とにかくそう直感したのだ。

――時を同じく、それを裏付けるかのようにラインハルトの指示がイムカ達に届いた。

駐屯地に訪れた伝令役の兵士が声高に言う。

 

「上級大将司令官より次の指令だ!特務試験部隊V-2は整備が整いしだい再出撃を行い、連邦軍を撃滅せよとの仰せである!」

「了解!」

 

V—2。それがイムカの所属する部隊名だ。コレに加えてリューネ隊長のVー1とVー3部隊が存在する。もっと細かく分けられているのだが大まかに言えばそんな感じだ。他の部隊は全て出張らっているため、今は整備兵とイムカ達しか居ない。隊長格の男が敬礼するのを見ながら、イムカがぽつりと言った。

 

「多分だけど、ハルト....殿下も分かっているんだと思う。勝敗の流れを作るのは今だって事に」

「流れ.....?」

「うん。昔、殿下が言ってた。物事の流れは始めが肝心だって。最後に帰結するまでの道筋を作っておけば、どんなに厳しい状況に陥ろうとも、戦いが長期化しようとも最後には勝つ。その為の流れを私達で作ろうとしている。私達はその為に創られた部隊だから.......」

 

リッヒ自身もイムカ達が司令官の切り札的存在である事を熟知している。だからもう止めはしない。自分が持てる力の全てを使って彼女達を送り出そう。――そう思った。

 

「分かったわ、そういう事なら完璧に仕上げる事を確約しようじゃない。――だからみんな!いいわね?整備部隊の本気を見せるよ!」

「オオッ!」

 

リッヒの言葉に奮い立つ整備兵達の唱和が揃う。女の身でありながら男所帯をまとめ上げる手腕は流石と思わせる光景であった。彼女もまた優秀な技術屋なのだ。創設されて間もないがリッヒ大尉を中心に上手く団結しているのも彼女の力量故の事だろう。

ただ一つ困った事がある。

 

「そうと決まれば.....専用武器をいっぱい用意したから是非見ていって!おススメはコレなんだけど戦車の装甲板も噛み切る切れ味のシザーカッター!ダイヤモンドコーティングで強化してあるから手入れも簡単!サブウェポンにはとある試験部隊が使っていたという幻の大口径拳銃『0レオン』!リューネ隊長も愛用している事で有名ね。この二つさえあれば対戦車戦闘も怖くない!他にも沢山あるわ。エースである貴女の為に用意したんだから!」

 

姉御肌な一面を一転させ目をキラキラと輝かせたリッヒ大尉はトラックの荷台から無数の武器を持ち出しイムカに披露する。元は武器製造に携わっていた職人でもある彼女は大のウェポンマニアなのだ。ヴァジュラの専用武器を造ったのも彼女が担当している部署だった。

どうやらリッヒは自分が作った武器を使ってもらう事を無上の喜びと感じる性質の様で。

イムカの戦いぶりに惚れ込んだリッヒは己の作品を使ってもらうべく勧めているのだ。

実はもう何回もその光景は繰り返されていた。慣れているのか周りは無視している。

 

「.....悪いけど必要ない。私にはもうヴァールがあるから」

 

だからイムカもいつものようにそう言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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五十六話 

それから30分後。イムカの姿は戦場に戻っていた。

ヴァジュラの冷却作業を終えた事で、地獄の様な暑さだった体内もひんやりと涼しい。

自然と体も軽やかなものとなって。ヴァールを斬り払う動きも一段と早い。

明らかに滑らかな可動部の挙動は整備兵の仕事ぶりが如実に分かる。良い腕だ。

視界が限定的に狭まるから必要ないと言ったのだが、メルケンに怒られたので渋々と付けた――ヘルムの中で小さく笑みを浮かべる。

直ぐ傍を銃弾が掠める音を聞きながら、イムカはヴァールを天高く振り上げた。

その光景を前に立ち尽くす敵が恐怖で声を上げるよりも早く、振り下ろされるヴァールの凶刃が敵を斬った。戦闘服越しにスッパリと切られた傷口から溢れる夥しい量の血。致命傷を受けた敵が膝から崩れた。さらに返す刀でイムカは振り向きざまにヴァールを切り上げる。また鮮血が舞った。背後から攻撃を仕掛けようとした敵を返り討ちにしたのだ。首筋にかけての傷口から血がドバドバと噴き上がるのを必死に手で抑えつける兵士が苦悶の表情でゆっくりかしずく。鬼気迫る表情でイムカを睨みゴポリと血を吐き絶命した。

 

.....コレでひとまず周囲の敵は掃討できた。

 

イムカの周りには血だらけの敵が死屍累々と転がっている。

交戦した敵部隊の全滅を確認した事で警戒を緩めた。ヴァールの刃が地面を向く。――その背後で一人の兵士が上半身を起き上がらせた。腹部の出血から見て重傷だ、長くはないだろう。それでも、その目には敵に一矢報い討たんとする気概が露われていた。対戦車槍を手に取り、震える穂先をイムカの背中に狙いを定めた――

パパパパパ!。と軽快な音が立て続けに響き。激痛に見舞われた敵は対戦車槍を落とす。同時に意識も暗い闇の底に落ちていった――

 

ハッとふりむいたイムカ。目線の先には、同僚のオスロ・ファーバー軍曹が立っていた。自分と同じ機械仕掛けの鎧を纏った彼は、愛用の突撃銃ZMMPBを地面に向けている。より厳密に言うなら、今はもう息絶えている敵の屍に銃口を向けていたのである。直ぐに助けられたのだと察した。

「油断したなクロム7。いくらこの鎧の耐久力が高いと云っても対戦車槍を背中に受ければひとたまりもない、精々気をつけろ」

精鋭を思わせる厳かな口調で歩いてくるが、

「――なんつってな。大丈夫かーイムカー?」

一転して、横柄な声を掛けてきた。

顔は見えないがヘルムの中でどんな顔をしているかおよそ想像できる。日頃から女性の味方を公言している彼の事だ、せっかくの美形な顔を台無しにするようなキザったらしい笑顔を浮かべているのだろう。少し癪だが助けられたのは事実だ。弱点である背中のラジエーターを破壊されれば、この鎧は死んだも同然。その前に爆発の余波で搭乗者はまず間違いなく死亡する。

だからイムカは感謝を込めて、()()()()()()()を向けた。

「――へ?」

間の抜けたオスロの声がヘルムから漏れる中、躊躇なくイムカは機関銃のトリガーを引いた。

ヴァールに内蔵されたギミックの一つ、ガトリング弾が放たれる。

バラまかれる弾雨は固まるオスロの後ろを飛び越えて、背後から爆裂剣で斬りかかろうとしていた敵を襲う。まだ生き残りが居たのだ。一拍後、その事に気が付いた彼は、

「.....ありがとね」

「ん、問題ない」

 

今度こそイムカ達は敵の部隊を全滅させた。が、戦闘は終わらない。周囲を見渡せば幾らでも敵の姿は確認できた。この一瞬において、イムカたちクロム小隊の戦闘状態が一時停まっただけに過ぎないのだ。敵がむやみに近づいて来ない理由はイムカ達を――より厳密に言うならばヴァジュラを警戒しての事だろう。

幾度もの戦いで敵もすっかり理解してしまったようだ。たかが歩兵の銃火器でこの鎧を破壊すること叶わぬと云う事に。

それならそれで問題はない。向こうから来ないならこっちが赴くだけだ。逃げたいなら逃げればいい。私はただ目の前の敵を倒すだけ。

 

イムカは次の獲物に向けて走り出した。

その後ろをオスロが追随する。コールサインはクロム6。同僚たるイムカの援護を務める。さらにその後ろをもう一人が走る。彼女はクロム2、三人からなる班の隊長を務めるメリッサ・マッカラン軍曹だ。基本的に私達はスリーマンセルで動く。目の前に新たな敵の一団が見えた。

 

『――歩兵30、戦車1。一個小隊規模。斬り込んでイムカ。私達は回り込む』

 

メリッサの声がヘルムに内蔵された通信機のスピーカーから聞こえた。事前にマルチ通信チャンネルの周波数を合わせている。イムカは一言だけ簡潔に、

 

「了解――!」

全力を込めた脚力が地面を砕き、イムカの体は加速する。時速60㎞を叩きだす勢いで、瞬く間にイムカの姿は敵の一団に迫った。もはや蒼い鎧を見ただけで恐怖に染まる敵。近寄るなと一斉に銃撃を開始する、体勢を傾けて敵の銃弾を躱すイムカは一瞬たりとも足を止める事はない。早々に無駄を悟った指揮官は兵士たちを後退させた。彼らの後ろから重戦車が顔を出す。人を簡単に殺す兵器。それを見てもイムカに動揺は見られない。

ヴァールを握る手に力を込めた――

 

指揮官の号令に従って長重な戦車砲が火を吹いた。瞬間、閃いたヴァールの刃が砲弾を斬っていた。

絶句。信じられない事が起きた。目の前で起きた事が現実とは思えない。受け止められたのではなく迎撃されたのだ。理解が追いつくその前に、

ザシュッ――。肉が裂ける音を伴なって血しぶく二重奏が重なる。

戦車の横を通り過ぎ様に、指揮官の首を横凪にしたイムカは直ぐに二人目を狙い撃ちにした。

水平に構えた銃身から放たれた銃撃を浴びて後方に控えていた敵が倒れる。その場で反転、構え直したヴァールの砲身カートリッジに弾を込める。直後に突きつけ、狙いを絞る。的は重戦車のラジエーター。蒼い水晶体に向けて砲撃を放つ。――爆炎。

 

衝撃と爆風が舞った。激しい炎熱の光が視界を妬く事はない。遮光板で覆われたヘルムが彼女の目を保護してくれる。火だるまの重戦車を唖然と見ているしかない敵兵。イムカは振り返ると同時にガトリングガンをばらまいた。それでバタバタと十人近くが倒れる。驚くほど無駄撃ちがない、その精度の高さに敵が兵装に恵まれただけの、只者ではない事をまざまざと見せつけられた連邦の兵士たち。なけなしの戦意は失われる。

勝てるわけがないと体を回れ右した。退却しようと試みるも。

 

「――逃がすかよ」

 

彼らの目の前には音もなく先回りしたオスロとメリッサが。銃口を向けて立っていた。戦車の爆発に気を取られている隙に敵の背後を取ったのだ。前後を挟まれた兵士たち。一人は戦車すら撃破してしまう敵だ。絶体絶命の窮地に。ここまでかと兵士の一人が全滅を覚悟する。

ふと遠目に味方の部隊が近づいてくるのが見えた。助けに駆けつけてくれたのだろう。それよりも全滅する方が早い。

 

「.....頼む同胞達よ。この悪魔どもを倒し、俺達の無念を晴らしてくれ」

 

鉛の弾丸が彼らを襲う一瞬前まで、兵士は敵への報復を願った。

あまりにも強すぎる敵だ。だがそれでも、必ずや仲間がお前たちを倒す、絶対に。

直後、胸に鈍い痛みを感じ兵士の意識は闇に飲まれた。

 

 

 

 



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五十七話 

新たな敵に向かってイムカが突貫するちょうどその頃、

夕焼けの染み込む平原の上でラインハルトは友人との再会を果たしていた。

夕日を吸って燃えるような赤い髪、人の良い優し気な容貌。

帝都から別れてまだ一か月程しか経っていないはずだが、もう一年も会っていなかった様な感覚を覚える。懐かしさに目を細めたラインハルトは目の前まで来たアイスに笑みを浮かべ、

 

「心配させたが約束を果たしに来たぞ」

「少しも心配していません。貴方は必ず来てくれると信じておりました」

「そうか、怪我はないか?」

「大丈夫です、殿下のおかけで生き永らえています。あれがなければ私はここに立ってはいなかったでしょう」

「どうやら救援部隊を送った事は無駄ではなかったようだな.....」

その言葉にアイスの表情が目に見えて暗くなる。何故か悔いるように彼は言う。

 

「申し訳ありませんラインハルト様、彼の部隊はこの戦いにおいての隠し玉だったはず。

それを私のせいで.......」

「何を言っている。お前を救う為に使えたことを俺は誇りに思っているんだぞ?間違いなく、あれを創ったのは今日の為だったのだろう。......そう思うよ」

 

心からの笑みを浮かべた。

それはいつもの相手を威圧するような不敵な笑みではなく、包み込むような柔らかなものだった。眩しいものを見るように目を細めたアイスはゆっくりと膝を折る。

 

「感謝を.....そして永久(とわ)の忠誠をここに」

「.....仰々しいな。礼には及ばん、お前は十分に役目を果たしてくれた。

......それより計画を進めるぞ、敵は後退を始めているようだ」

 

広大な戦場を見据える。

連邦軍殲滅計画。その第二段階である《誘い虎口》が発動してから、

アスターテの戦いは二時間が経過していた。

戦況は終始、帝国軍優勢と言って云いだろう。両翼の帝国軍が連邦軍を挟撃して苦しめている。

特に左翼の攻勢には目を瞠るものがある。

突撃機甲旅団を中心とした帝国軍五万五千が、激しい抵抗を見せた連邦軍の防衛線を突破したのだ。突撃を受けている敵の右翼はたまらず後退を余儀なくされている。

 

このままいけば全軍の敗走に繋がるのは時間の問題だろう。いや、もう撤退は始まっているかもしれない。どうやら新型戦車とヴァジュラも活躍しているようで、敵の防衛拠点が次々と撃破されていくのが、ここからでもよく分かる。止められるはずがない、彼らが今回の戦争に掛ける熱意は異常だ。その経緯を知っているからこその強さなのだろうが。ああなっては俺の命令で止まるかも怪しい。二人にはこの戦いで燻っていた火種を存分に吐き出してもらうとしよう。

きっとその火種は連邦軍を燃やす大火となるだろうから。

眼下に広がる戦場が炎で燃え広がる光景を幻視したラインハルトは、

 

「準備は整っているな?」

「ちょうど一年前程になりますか。ラインハルト様が領地に訪れた際、突然難題を突きつけられた時は驚いたものでしたが、秘密裏に半年前から施工を始め、ふた月前に何とか全ての工程を終える事が出来ました。誰にも気づかれぬよう進めるのは大変な作業でしたよ」

 

本当に大変だったのだろう、疲れたようにアイスは苦笑する。

当時反対派である貴族達にも気付かれないよう細心の注意を払う必要があったからだ。それは秘匿性が高く、周囲の貴族のみならず連邦にも気づかれるわけにはいかなかった。なぜなら、それこそがこの戦いにおける重要な計画の一つだからである。二つの陣営に気取られずに作業を進めるのは容易ではなく神経が磨り減る毎日だった事だろう。

 

「悪いな。だがこれで戦場には全ての条件が出揃った」

 

遂に()()()()退()()()()()連邦軍を見てラインハルトは時が訪れた事を悟った。

分かり易いように戦況を説明すると。

帝国軍のあまりにも強い大戦車隊の突進力によって、

後退する連邦軍だがまだまだ7万以上の兵力が存在する。なぜ早々に逃げるのかと云うと、どうやら敵はアスターテ平原での戦いを不利と考え、ライン川を越えた森林部まで後退する腹づもりのようだ。ライン川を挟んで睨み合い、勝負を長期戦に持ち込む。そうなれば今度はラインハルト達が不利な状況になる。敵にはまだまだ増援の目途があるが、こちらにはないからだ。

恐らくそれを敵の指揮官も考えたのだろう。

つまり対岸まで逃げられればラインハルトの負けだ。更なる援軍によって数の利は圧倒され戦況は形勢逆転となる。そして、このままいけば敵は逃げ切るだろう。川を渡る際に2万程削る事なら出来るだろうが全滅させることは出来ない。それは敗北と同義だ。

 

.....逃げ切れればの話だがな。

 

「これより計画は最終段階にシフトする。

......眠りに付かせていた龍を呼び覚ませ!」

 

 

 

                 

 

  戦法――《止水龍穴(しすいりゅうけつ)

 

 

 



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五十八話 

第15軍団長ヒューズ・フェリクスは気性が短く粗暴な男だ。

自己中心的と言ってもいい。自分の理想の為であればその他大多数は地獄に落ちても致し方ない。

常に優先すべきは自分の考えであり。結果、部下が何人死のうともそれが許されると考えている。

ハッキリ言って屑野郎だ。だがそれがまかり通る。

なぜなら彼には戦術家としての高い才能があったからだ。周りの者よりも遥かに。

才能だけで中将にまで上り詰めたからこそ。

 

『凡人どもが天才であるこの俺に尽くして働くのは当たり前の事だろう』

そんな事を平然と(のたま)う。

だが、それこそが究極的にいって指揮官の才能なのだろう。人を死なせることを躊躇わない。

凡人なら足踏みしてしまう事でも彼はノータイムでそれをやる。だから強い。

――今回もそうだった。

 

アスターテ平原の遥か地平線の先から現れる帝国軍。その数は膨大であり、一帯の平原を覆い尽さんとする勢いだ。どこにそんな数の兵を隠していたのかと驚愕を拭えない。目の前の光景が信じられなかった。

まるで蟻の巣穴の様に、そこから何万という兵士が這い出てくる。

 

「......敵の狙いはコレだったか」

「敵は大軍です助けに行くべきでは!」

「いや――!本隊は動かさない、あれは『釣り野伏せ』だ。周囲を警戒せよ、左右にも兵を伏せているかもしれん」

「ですが......!」

「落ち着け。心配せずとも前線部隊に命令は事前に与えておいた。何かあれば前線部隊は守りに徹するようにな。それよりも情報を調べさせろ、あれはハイドリヒ伯の軍ではない。あれだけの規模だ帝国軍の可能性が高いが。.......少し話が違うな」

 

今、正に今、奇襲を受けていると云うのに、

ヒューズ中将は敵が何者なのかの方が気になるようで遠い戦場を見据えている。

その間にも帝国軍は我が軍に対して攻撃を開始した。

逃げるハイドリヒ軍を追いかけていた15軍団は新たに出現した敵の攻撃に対して無防備すぎた。それまで狩人だと思って目の前の獲物を追っていたのに、実は罠に掛けられていたのは自分だったのだと気づいた時にはもう遅い。突如として出現した帝国軍が牙を剥く。

それでも危ういタイミングで防戦の陣形を作る事に成功したが、

敵はこちらの予想を遥かに超えて来た。

 

「強すぎる.....!なんだあの軍は!?」

 

敵は圧倒的に強すぎたのだ。あっという間に崩壊する前線。

右翼なんかは二時間も持たなかった。そんな馬鹿な!

次々と味方の部隊が倒されている。破壊の音が徐々に此処に向かって迫っていた。

帝国軍は右翼を突破すると回り込むように迂回しながらこちらの後方を目指して動き出した。敵の狙いが直ぐに分かった。こちらの退路を断つ気なのだ。

帝国重戦車を先頭に土煙を上げて接近してくるのが遠目からも確認できた。

ヒューズ中将も指揮をして対応する。予備部隊が迎撃に動くが、ダメだ敵の機動力の方が早い。よしんば敵の前に立ちはだかっても唐竹を割る様に突破され、間もなく撃破される。時間稼ぎにもならない。

舌打ちを一つ、

 

「撤退するぞ。後ろの森林部まで後退する。.......敵は強い。だが同時に敵の作戦は失敗した」

「我が軍に撤退の隙を与えた事ですね」

「そうだ。釣り野伏せは全軍を三隊に分け、二隊をあらかじめ左右に伏せさせておき、機を見て敵を三方から囲み包囲殲滅する戦法だ。だが敵はこの平原という立地故に正面にしか全軍を伏せていない。これでは我が軍の退路を断つことは出来ない。不完全な策だ」

 

このまま後退して森林部で戦闘を展開、本軍と合流すれば勝てる。

そう言ったヒューズ中将は、15軍団に撤退の指示を出した。命令が伝播し、全体は緩やかに動き出す。一つの生き物のように、第15軍団は背後のライン川に向かってゆるやかに後退を始めた。

ライン川には渡川用に幾つか即席の工作橋を架けてある。

それを渡って対岸に退却するのだ。ちょっとやそっとでは壊れない作りだ。

狭い橋ではないがそれでも7万もの第15軍団を渡らせるには少なくない時間が必要となるだろう。いったい何人がこの橋を渡れるだろうか。想像もしたくないが。

それでも本隊を逃すには十分過ぎる時間がある。

だからヒューズ中将だけでなく自分を含めて周りに居る誰もが全く恐怖を感じてはいなかった。

 

――その瞬間までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後列にいた兵士たちが早くも橋を渡り始めた。数百人の兵士が渡り出してもビクともしない橋を見て人知れず安心を覚える。流石は連邦製の工作橋だ高品質なんだろう。重戦車や兵器の類も運ばれて、それが長蛇の列を作っていた。背後からは相変わらず激しい戦闘の音が遠くに聞こえる。何十何百と放たれる砲弾の音が地面を震わせる。あまりの激しさに地面が揺れる様な錯覚を覚える程だ。

 

―――――――――

―――――――――?

―――――――――!?

 

――いや違う!

 

砲弾が地面に着弾する衝撃だけにしては地面の揺れが激し過ぎる。何万という人間の踏みしめる足音だけでこんな音は聞こえない。もっと超越した計り知れない何かが地面を伝って近づいてくるような。そんな音だ。地震とかそういった類の。

無意識に感じていた、人間の力では抗いようのない猛威が迫る感覚を。

もう誰もがその異常に気づいていた。ゴゴゴゴゴと地面を震わせながら迫る轟音を。

凡そ生物の本能に訴えかける恐怖の衝動が足元から這い上がり。

全員がゆっくりと音の迫る方に視線を向けた。

 

普段は気にも留めない身近な日常の風景の一部。それがどれほど恐ろしい力を発揮するか誰も考えた事はないだろう。目の前にしてようやく気づくのだ。

それが世界を一変させる程の災害だと云う事に。数秒後――それが全員の目に映った。

ライン川の上流から流れ込む水瀑布の迫るその瞬間が!

 

「........あ」

 

逃げる暇はなかった。いや、誰もが動けなかったのだ。目の前に迫ってくる圧倒的な力の奔流が。世界を構成するうえで下位の存在である人間に微動だにすることを許さなかった。仮に動けたとしても間に合わなかっただろう。それ程に全ては一瞬の出来事だった。圧倒的である自然の激流が全てを洗い流すまで10秒と必要なかったのだ。人も戦車も工作橋も悉く、凡そ人間の作り出したあらゆる物が創造主を含めて水の中に消えていった。

後に残ったのは濁流する河川が道を閉ざす光景だけ。

全員が息を吞み暫し呆然とするしかなかった。

 

「まさかこのタイミングで川が氾濫するなんて.....」

半ば現実逃避から漏れた声に対して鋭い叱声が飛ぶ。

「馬鹿か!これが本当に自然的に起きた事だと思っているのか!?」

 

それが氾濫する川を呆然と見ていたヒューズ中将の最初に言った言葉だ。

彼が狼狽する顔を初めて見た。

 

「どういう事ですか......?」

「分からないのか!?これだから凡人は......!

これは水計だ。上流に堰を作り機会を見て放流したのだろう。

......だが情報部からこんな情報は届いていない。そんな施設があるなんて聞いてないぞ.....!」

 

ヒューズ・フェリクスは震える声でブツブツと思案に耽る。それまであった余裕の表情が崩れた、その大きな要因は予めライン川に関する資料を読んでいた事が関係する。連邦の秘密情報部SIS(地域課)の諜報員が戦前の八か月前、帝国のあらゆる地域を諜報活動の一環として隈なく調べ上げた事がある。彼らの活動は人知れず行われた。

内容は多岐に渡り、ライン河川の調査もその一つだ。

その結果、ライン川に関する一つの報告書が出来上がった。帝国軍の上層部が知ればその完成度に驚異を抱いた事だろう。あらゆる治水施設の有無が事細かく網羅されたソレは戦況を有利に働かせる。.....はずだった。

 

「情報部の報告が間違っていた?いやありえない!文字通り命を懸けている諜報員が誤った情報を送るはずがない。だとすれば調査以降に作られたと考えるべきだ。しかし.....」

 

情報部の調査以降という事は施工から一年もない、それでは堰堤(えんてい)が半年間程度で作られた事になる。ありえない。治水という重要な施設がそんな急ピッチで作られるはずがない。堰堤を作るにあたって重要なのは耐久性と安全面だ。このふたつが考慮されてなければ決壊などの大事故に繋がりかねない。目の前の光景がそれだ。

つまりだ、上流のどこかにあるであろう堰堤が作られた理由は。

 

「軍事利用目的。それも我が軍の退路を断つために作られた事になる......」

 

自分で出した結論が信じられない。と云った様子で放心するヒューズ。彼はまさしく天才だった。濁流する川を見ただけで敵の意図を瞬時に見抜き、正しく敵の狙いを理解した。

だからこそ恐ろしい.....。

 

なぜならば敵は最低でも半年前から連邦軍の動向に気付き、罠を張り待ち構えていた事になるからだ。連邦軍の一大反攻作戦『ノーザンクロス』は帝国に気付かれるよりも早く進撃を始める事に意味があった。迎撃の暇を与えない程のスピードで軍を動かし勢いのままに首都を落とす。

その為には作戦決行まで敵に気付かれてはならない事が重要だった。上手くいったと思っていた。だが違ったのだ。敵は気づいていた。我が軍の到来を予期していた。そうでなくては目の前の光景を証明できない。いつだ、いったいいつから敵の術中に嵌っていた。ハイドリヒ伯を追撃した時からか。防衛線を突破し国境を越えた時か。調査以降の半年前からか。それとも、

 

「......1年前の最初からか?」

 

理解した瞬間、背筋に氷柱が差し込まれた様な感覚と共に、

動員兵力600万を超える史上最大の作戦、その足元が根底から崩れ去る錯覚を覚えた。計り知れない恐怖が襲う。恐らくこの事に気づいているのは世界で俺しかいない。そう思ったからだ。

帝国の掌の上にある事を知らない連邦軍。これは全ての戦線で戦う同胞達に危険が迫っている事を意味する。救えるのは俺しか居ない。――とヒューズはここまで読んだ。

 

天性の読みの深さだ。ただ惜しむらくはここまでの罠を用意したのが帝国軍などではなく、これら全てをたった一人の男が画策したのだと云う事だが、流石にそこまで正確に分かるはずがない。

それでも目の前の敵が異質である事は当に理解している。不完全と思っていた敵の作戦は川の氾濫によって完全なものとなった。恐らくだが情報部の報告から罠は無いと判断して川を渡った事さえ敵は計算に入れていたのだ。裏の裏をかいた敵の策に戦慄を拭えない。

いったい何手先を読んでこの状態を作り出したというのか。

 

「帝国の指揮官は化け物か......?」

 

凡そ何百手と先読みしなければ実現しなかった筈だ。失敗も含めてあらゆる展開を想定しながらリアルタイムの調整をしつつ己の作戦を成功に導いた敵に畏怖を覚える。美しいとすら思った。

例えばチェス等では卓越した打ち手同士は駒の動き一つで相手の考えが読めるというが、戦場にもそれがあるとヒューズは考える。ハイドリヒ伯を囮として誘い、伏兵を用い、後退を促し、退路を断ち、殲滅する。一連の流れを見て敵は冷酷にして緻密な完璧主義者だと云う事が分かる。恐らくだが敵の目的は我が軍の全滅だろう。完全に戦いの流れは敵に傾いてしまった。ここからの逆転は無い。退路を失い絶望的な状況と言える。諦めて投降する局面だ。

 

――普通の凡人ならば。

 

「俺が天才だから気づけた。だから生き延びる義務がある。伝えなければならない敵の真の恐ろしさを......。そうしなければ連邦軍に勝利は望めない」

「閣下.....?」

 

ヒューズ・フェリクスは天才だ。それを疑う余地はない。どんな状況だろうと彼は最善手を打つ事が出来る。そして、人を死地に向かわせる事に何の躊躇いもない。それが必要な事であると判断すればノータイムでそれをやる。だから今回もそうした。怪訝な表情で窺う副官に向けてヒューズは言った。

 

「本隊以外の全ての部隊は敵帝国軍に全力攻勢を開始せよ――」ちょうどその時、夕日が地平線に沈み、途端に闇が染まり出す「――全部隊が攻勢を仕掛けているその間に、本隊は闇夜に乗じて――逃走する」

 

東部戦線600万の同胞を救うために――彼は6万の部下を切り捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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五十九話 

日が完全に沈んでから約三時間が経過した。

 

夜も更けたアスターテ平原の戦いは闇が深まるにつれ、両軍の戦況は明らかに二極化していた。

連邦軍の攻勢はすっかり弱まり、逆に帝国軍の攻撃は昼と変わらぬ戦いぶりを発揮していたのだ。

これは暗闇が支配する環境が帝国軍にとって不利になりえない事を意味している。

その理由は単純で帝国軍の可視近赤外 (VNIR) 帯域が連邦軍よりも圧倒的に広いからだ。

帝国は世界初のノクトヴィジョン。つまり暗視装置の実用化に成功していた。

 

それらはⅤ号パンター戦車以降から搭載され始め、歩兵には突撃銃ZM MP44に装着して使用されるアクティブ赤外線方式の暗視スコープが作られた。

アクティブ方式であるため、赤外線を自ら投光する必要がある。

『照射装置』で投射した光の反射を『受像装置』で感知する事で暗視が可能となるのだ。

従来の多くがその暗視装置で最前線の兵士が使用している。

初期バッテリー付属のため有効距離は100mほど。

だが。完全に闇が支配する戦場の中で100m先の敵を感知している事がどれだけ戦闘に有利に働くかは想像するまでもない。

 

中でも圧倒的な戦果を上げていたのは勇猛な突撃機甲旅団でも、

無双を誇るヴァジュラス・ゲイルでもなく、央相互支援連隊に所属する無音の狙撃兵部隊だった。

暗視装置は赤外線ライトの出力によって視認距離が変わるため、帝国軍では装甲ハーフトラックに大型の赤外線照射灯を搭載した車両も作られた。60m口径赤外線サーチライトの有効射程は――驚異の1500m。

 

――総勢80名の狙撃兵たちは遮蔽物ひとつない戦場のど真ん中にズラリと並び、

暗視スコープで1500m先に捉えた敵を正確に撃ち殺していく光景は悪魔的だ。

 

その優位性は目隠しをされた敵に対して、だんびら刀で斬りつけるようなものだ。つまり一方的に殺される。次々と前線の兵士が最後まで理解できずに夜闇を切り裂く弾丸に頭や胸を撃ち抜かれていった。

 

結局、戦闘終了までに狙撃兵によって殺された連邦の兵士は、士官合わせて約4000人に上った事が後になって判明した。戦争終結後にこの事が連邦にも知られるようになると狙撃兵部隊は『ナイトハンター』と呼ばれ恐れられる事になる。が、現時点でそう呼ばれる事を知らない狙撃兵たちは、機械的な作業でトリガーを引き、ただ無言で闇を駆ける一弾を放つのみ。

並んだ照射機の光点が不気味に戦場を映した。

 

 

***

 

 

視界不良が恐怖と混乱を助長させる。

その一方で第三機甲軍10万は、暗視装置で捉えた敵に圧倒的な火力を浴びせ続ける。

もはや戦闘はいっそ哀れな程に、帝国軍の勝利は疑いようもない。

それでも連邦軍は必死の抵抗を続ける。追い詰められた六万の兵士が前進する様は、まるで最後に激しく燃える灯のようでった。彼らの最後の抵抗は帝国軍の目を惹きつける。ゆえに、

――その背後で1万の本隊が密かに動いていた事を第三機甲師団は気づけなかった。

 

それも仕方ない、暗視装置でも戦場全てを見渡す事は不可能なのだから。それに帝国軍に悟られぬよう慎重に動いていたこと、夜だったこと、約6万の味方の献身があってようやく、敵に知られず北に向かって脱出を図る事に成功する第15軍団本隊。このまま静かなる撤退は成功するかに思われた。

 

「よし、このまま撤退を――なに!?」

 

――だが彼らを待ち伏せていた部隊があった事を。

時代錯誤な軍馬に跨った騎兵の集団が、目の前に現れた事で知る。上流に沿って北に向かう矢先だった。前方の部隊が血しぶきを上げて倒れる。いつの間にか現れた軽騎兵に打ち倒されたのだ。先頭の老兵が嗤う。

 

「カカッ、沈む船から鼠が逃げ出しておるわ」

 

帝国軍の作る包囲網から脱する直前で、逃げる連邦の動向に気付いた男がいたのだ。軽騎兵団長ユリウスだ。この絶望的な局面で逃亡兵が出る事を見抜いていたユリウスは川岸付近に軽騎兵を動かしていた。夜の内に西岸からネールゾンプ湿原に移動した事からも分かる様に彼らは夜間行動に慣れている。

騎士という地位に甘んじず激しい修練を積んで騎兵戦術の『夜駆け』も習得している精鋭達だ。夜間戦闘に切り替える事など造作もない。

戦闘を開始する軽騎兵団の動きは夜の中において鮮やかな曲刀を思わせる。固まる敵に掛けて滑らかに斬り込んだ。凄惨な戦いだった。

 

「戦闘は最小限に撤退を優先!――なりふり構わず撤退しろ!!」

 

夜の戦闘に不慣れな第15軍団は不利な状況を嫌い、戦闘を避け、逃げる事を強行した事から、結果、軽騎兵団に倒されに倒される。その戦いぶりは凄まじく。

1万もいた15軍本隊がたった3千程度の軽騎兵団に、数千人にまで削られた程だ。

 

実に三分の二を失う結果となったのだ。

それでも多大な犠牲を払いながらも、ヒューズの指揮によって最後まで逃走を選択した本隊は、命からがら戦場より逃げおおせる事に成功した。戦っていたら壊滅していた事は疑いようがなく、それほどに軽騎兵団は執念深く強かった。

彼らが万全の状態であったなら逃げる暇もなかった事だろう。

 

その後の戦況は語るまでもない。

あらゆる不利的状況が加算した連邦軍は司令官が逃亡した事がトドメとなり。

一気に敗戦は濃厚なものとなっていき、ここからの流れで連邦軍が逆転することはもはやなく。

後はもう蹂躙されるのを待つばかりであった。

 

必死の抵抗を続ける戦いの旋律がむなしく戦場に響き続ける。

 

 

 

***

 

――そして八時間後。

 

......地平線の彼方から朝日が昇り夜の終わりを告げる。

あっという間だったように思う。

長かった戦いも終わってみれば一瞬の事だ。

そう、戦いは日の出と共にちょうど終結した。後には勝者である帝国軍が立っていて。

 

戦場には夥しい数の死が倒れていた。

その数は実に7万人を超える死傷者が出た。そのほとんどが連邦軍の兵士だ。

こちらは数千人程度の死傷者しか出ていない。圧倒的な勝利に軍が湧いている。

それまで半信半疑だった者達も認めざるを得ない。これほどに圧倒的な勝利に導いた指揮官の実力を。ラインハルトの力の強大さをこの場に居る誰もが気づいたのだ。彼はこれまで力を隠していただけなのだと。虚けと呼ばれ侮られていた男は真の英雄だった。尊敬と畏怖の念が一人の男に向けられる。

 

その男は快挙ともいえる偉業を成し遂げたばかりだというのに、

もはやこの平原での()()()()()()の余韻に浸る間もなく次の戦いに目を向けていた。

ほんの十数分前に二つの緊急通信が入った。

その内容は。

 

「――北と南から大規模な軍勢がアスターテ平原に向かって進んでいる。到着は最低でも一週間以内になるだろう。敵の目的は我が軍の挟撃にある事は明白だ。.....ハッキリ言ってこのままでは負けるだろうな」

 

影からの報告ではおよそ20万を超える見込みだ。もしこのまま何もせず敵の挟撃を許すような事になれば普通に考えて勝ち目はない。その言葉に司令室の空気は一段階重くなる。室内に揃った将校達の感情を示すようであった。八万もの敵を倒したばかりだというのに、立て続けに迫る敵の襲来を聞いて改めて敵の強大さを知ったという感じだ。だが――

 

「そんじゃあ作戦を考えるとしようぜ大将!敵が来るなら俺の部隊がぶっ潰す!何人来ようが関係ねえ!」

「そりゃそうだ、怖気づいても意味はない。敵が強大なのは最初から分かっていた事さ。何なら俺さんの部隊に任せてもらっても良いんだぜ?」

 

真っ先にそう言ったのは突撃機甲旅団長のオッサー・フレッサーと特務試験部隊ヴァジュラス・ゲイル隊長リューネ・ロギンスだった。強大な敵の数にまるで怯えた様子は無い。恐れ知らずの二人の頼もしいその様子に周りの者も鼓舞されたように頷き合う。明らかに張り詰めていた部屋の重圧が和らいだ。狙ってそうしたのであれば流石は歴戦の猛者と言えるだろう。

 

「.....心配せずとも働いてもらうとしよう。お前達にしか出来ない事だ、同様に安全は保障出来ないがな.....」

 

次の戦いで彼らには重要な任務を与える予定だ。

というか精鋭である彼らにしかできない。

危な過ぎて、普通の兵士だったら間違いなく死ぬが、なに、きっと大丈夫だろう。

......ふふふと意味深な笑みを浮かべるラインハルトを見て、戦意に溢れた二人はニヤリと笑い、

 

「.....おい、俺たち次の作戦で死ぬんじゃないか?」

「.....早まったかもしれねえな。旦那のあの顔はとんでもない事を考えてる時のだ。俺はいきなり未完成の鎧に入れられたぜ、あん時は死ぬかと思った」

「マジかよ.....?」

 

内心では戦々恐々と顔を青くしていた。

何をする気なんだ?怖くて聞けない二人であった。

大の大人が震える横で赤毛の青年が口を開いた。盤上の地図を見据えて、

 

「ラインハルト様が負けると言ったのは『このアスターテ平原で戦う場合は』と云う事ですね?」

「そうだ。敵の方が数で圧倒している以上は、この平原で戦うのは不利でしかない。先の戦いはあくまで我が軍よりも敵が少なく、用意周到していた作戦が上手く決まったから圧勝できた。だがもうこの平原に施した策はなく、次は対等の状況で戦わざるを得ない」

「そうなると数で勝る敵が有利なのは確かですね。普通の指揮官ならば平原に陣を敷き防御を固めて援軍が来るまで待つのが定石ですが.....」

「――叩きに行くぞ。勝つにはそれしかない」

 

ラインハルトは既に決めていたかのようにキッパリとそう言った。アイスも驚くことなく、それが当然であるかのように頷いた。どうやら彼も同じ考えのようだ。確かにアスターテ平原は大軍を動かすには都合の良い地形だ。だがそれは敵も同じこと。条件が同じであれば数で優勢な敵が優位に立つのは道理と言える。先に陣を敷いている我が軍が戦況を有利に運べるのも確かだが、一時の優位性に固執して此処に留まれば、いずれは数で勝る敵に包囲され全滅の憂き目に合うだろう。

だからこそ、そうなる前に、

 

「先んじて敵を待ち伏せし奇襲する。それこそが数で劣る我が軍が連邦軍に勝てる唯一の方法だ」

「.....ですが時間が足りませんね」

 

盤上の地図を見ていたアイスがそう言った。今度はラインハルトが頷く番だ。

その通りだ。時間が足りない。北と南から迫ってくるこの敵を対処する時間が圧倒的に足りない。

 

「北は『ラインケルツ』から南は『カッツェケルヒ』と考えれば、運よく順調に撃退できたとしても移動で2日の距離、撃退に3日、この平原に戻るので2日、1週間では一つの軍を撃退するのが限界です。まあ、これも現実的ではない数字ですが.....」

「だがやらねばならん。ライン川の氾濫が鎮まれば敵は西からも来る。そうなればどちらにせよ挟撃は免れない」

「だったら後退した方が手っ取り早いんじゃないですかい?」

「ダメだ。ここで各個撃破しなければ敵がこの平原で集結する事になってしまう。何十万という兵だ。今度こそ勝ち目はなくなる。我が軍に後退の文字はない」

 

それに――東にはハイドリヒ最大の都市がある。西方戦線から逃れた多くの民が集まっていた。もし仮に後退を選ぶ事になれば都市での防衛戦が展開される事になるだろう。そうなれば被害は甚大なものとなる。民間人も巻き込まれるだろう。それだけは避けたい。

アイスにもこの会議が始まる前に言ってある。後退はないと。最初は酷く反対されたが意思が固いと見るや渋々と云った様子で諦めた。それから何かを考えている。

そこでシュタインが口を開いた。

 

「ラインハルト様」

「なんだ、何か案でも?」

「はい、二正面作戦を行うべきかと。確かに最善は全軍で各個撃破を狙う事ですが、それは時間という制限があって実現不可能と言って云いでしょう。であれば次善の策です、こちらも二手に軍を分け北と南の軍を撃破するしかありません」

「.....戦争とは常に数の多い方が勝つ。戦争の要諦が戦力の集中という面からいえば二正面作戦は愚策であるといえる。だから二つに軍を分ける事は相応に危険を孕む事になる、.....違ったか?」

「いいえ間違いありません。私が教えた事です、だからこそ分かっているはず。既に状況がそれを許さないという事に。.......それとも、他に何か理由が?」

 

シュタインの冷徹な視線が射抜く。こちらの思惑を覗くような目だ。

そして完全に悟られていた。分かっていた事だが見透かされているな。

シュタインが睨んだ通り、俺は二正面作戦を敢えて取ろうとしなかった。その理由は幾つかあるが、中でも最たる理由は編成内容についてだ。どういう事かと云うと、

 

「分かった。二正面作戦を採用しよう、ならば編成内容だが....」

「アイス殿とラインハルト様の陣容で分けるのがよろしいかと」

「......それに加えてハイドリヒ卿には我が軍から6万の兵を貸し与え.....」

「――殿下」

 

冷たい声音がシュタインの口から発せられた。美麗な眉がキュッと寄せられる。その顔からは何を言っているんですか?と言外に声が聞こえるようであった。内心で冷や汗が滲む。

「な、なんだ?」

表向きは冷静沈着にして内側では死刑台に臨む囚人の様な気持ちでシュタインの言葉を待った。言ってくれるな....。そんな思いとは裏腹にシュタインはあくまで冷淡に言った。

 

「兵を貸し与えるにしても多すぎます。一個師団でよろしい」

「っ....却下だ。それはあまりにも少なすぎる!」

「先ほど殿下が言ったように戦争の要諦は戦力の集中にあります。これ以上の戦力分散は認められません。本来であれば一兵とて分ける余裕はないのです」

「それでは死にに行けと言っているようなものだ!俺の友に死ねというのか!?」

「いいえ。アイス殿にはラインハルト殿下が敵を撃退するまでの壁となって時間を稼いでいただきます。その間に敵を撃退した殿下の軍が足止めを受けている敵の後方に回り込み奇襲する戦法です」

 

シュタインの述べる作戦は実に合理的だ。バランスよく軍を分けるのではなく比重を片方に傾ける事で第三機甲軍の戦力の低下を防ぎながらアイスには俺が撃退するまでの時間を稼がせることが出来る。

いわば矛と盾の役割分担だ。俺が矛でアイスが盾。上手く運べばそのままアイスと戦う敵の後方に回り無防備な背中を攻撃する事が可能だろう。実用的な提案だ。.....唯一つ盾が破られない保障はないという点を除けばだが。恐らくシュタインはアイスの生死については、全く考慮していない。シュタインが提案したのは時間を稼ぐのにギリギリの兵力でしかないからだ。

 

やはりか。予想していた事が的中してしまった。シュタインはあまりにも合理的すぎる。子供の頃からの付き合いで知っている。彼は昔から冷血で冷徹な判断を下す男だった。必要だと考えれば極端な話だが無抵抗の人間だって殺せる。あの時もそうだった......。

だが俺には彼の考えを否定する事が出来ない。彼は言った。

 

――....私が最も最優先すべき事はラインハルト殿下の安寧を尊ぶことです。その為ならば私は幾らでも非情になれる。体を欠損しようと、人のあるべき心を失おうとも微塵も恐ろしくありません。

 

全ては俺の為に。彼の行動原理は其処に帰結する。それほどに想ってくれる者をどうして否定できよう。だが友人を見捨てる事も俺には出来ない。だから二正面作戦を敢えて無視していた。

それが現状における最善であることは理解していてもだ。

シュタインの提案を吞むべきだ、と心の片隅で思っていても。選べずにいた。

 

しかし、そんな俺の甘さからくる迷いを断ち斬ってくれたのは他ならない友だった。

 

「ラインハルト様、我々はその兵力で十分です」

「馬鹿な何を言っている?」

「確かにラインハルト様の御考え通り一日前の私の軍なら無理だったでしょう。ですが()()()()()ならば可能です。......そうだろユリウス?」

「然り、全てのハイドリヒの兵を招集させるとしましょう。儂が呼びかければ直ぐに駆けつける手筈です。逆に敵を撃滅させてご覧に入れましょうぞ」

 

領主と老兵が笑い合う。そんな何気ない光景を俺は衝撃を受けながら見ていた。まるで昔から忠誠を尽くしていたかのような、そんな物腰だが聞いていた印象とは明らかに異なる。

アイスを排斥しようと画策していた一派の、その筆頭が従順な態度を取っているのだから驚きだ。

いったい何があった?

疑惑の視線で見ていると老兵と目が合った。旧時代の英雄は俺に低頭すると、

 

「ラインハルト皇子。儂と主との間にあった経緯を知っているのであれば驚くのも無理はありますまい。ですが儂らは先の戦いでアイス・ハイドリヒを当主と認め申した。この命尽き果てるまで剣を捧げる所存です」

「....そうか、我が友を頼む」

 

彼らを助けに森に入ったと聞いたが、その時に俺の知らない事が色々とあったのだろうか。経緯を知らない俺からすると奇妙な光景だったが、なるほど。本当に彼らがアイスに忠誠を誓ったのであれば問題ない。最後の迷いは無くなった。

 

 

***

 

 

 

細かな内容を詰めた後、程なくして軍議は終わった。

次の作戦開始時間の猶予まで兵を休ませる為に各部隊長は陣幕を退出する。

ラインハルトだけが最後まで残り、まだ椅子に座って何かを考えている。

その視線の先には盤上の軍用図がある。影からあった報告によって作られた仮想敵の駒と自分の軍の駒が所せましと配置されていて。

ただそれをジッと見詰めている。いったい何を考えているのだろうか。

 

「――ラインハルト様。この近辺の正確な地図をお持ちしました」

「ありがとう、そこに置いてくれ」

 

一人の陣幕に入って来たのはアイスだった。手には数枚の紙が携えられてある。

頼んでおいた書類を運んで来てくれたのだ。次の作戦で必要になるだろうそれを、目の前に置くとアイスは近くの椅子に座った。黙して盤上の軍用図を見る。二人とも何も話そうとせず静かな時が流れる。

 

........................。

 

ふとラインハルトの視線が動いた。蒼い瞳が広大な机に広がる戦場盤図から青年だけを映す。

 

「北と南そして西から迫る、この三つからなる敵の動きをどう見る....」

 

それがどのような意図を含んだ言葉だったのか、アイスは正しく理解した。いや、この場においては誰か居ても彼にしか伝わらなかっただろう。ラインハルトの感じる違和感を理解できる者は。

だからアイスは間断なく答える事が出来た。

 

「規模は違えども、あの時の状況と酷く酷似しています」

「.....お前もそう思うか、只の偶然ではなく?」

「はい、シュミレーションの結果。七年前の戦法と全く同じ状況だという事が判明しています。まず間違いないはずです」

 

ラインハルトの奇妙な問いかけに対してアイスは直ぐに頷いた。

それだけで十分だった。ラインハルトの目に明らかな殺気が宿る。それを見ていたアイスが驚くほどの異常な殺意の感情。しかしながらすぐさま平静を取り戻し、その色は隠された。だがよく見れば怒りで体は震え強く拳が固められている。

「すまない」とラインハルトは込められた感情を吐き出すと、続けて独白する様に言った。

 

「.....俺は今も夢を見る。一日も忘れた事はない」

 

目を閉じれば当時の光景が鮮明に浮かぶ。夥しい死が溢れ、死が満たす戦場。あそこは地獄だった。あの日から全ては始まったと言って云い。あの惨劇を繰り返さない為に俺は力を求めた。

受けた痛みを、絶望を忘れないために。

そして俺は力を手に入れた。最初は塵芥も同然の小さな力だったが、仲間を増やし数を集めた事で何時しか形を成して鉄塊の如きとなり、何年もの歳月を掛けて練磨された力は、ただそこにあるだけで敵に畏怖を与える刃となった。

触れれば切れる最強の矛。

五つの私設部隊から構成された力の具現だ。あるいは俺の復讐を果たすための暴力装置。誰かを傷つけるその暴力を振り降ろす事に躊躇いはなく。

幾万もの命を吸ったその剣は、殺戮の魔剣へと昇華した。

 

「やはり来て居るのか.....」

 

その魔剣を振りかざすはラインハルト・フォン・レギンレイヴ。

いつの間にか俺自身が地獄を作る側になっていたのだ、と気づいた時にはもう俺の手は血で真っ赤に染まっていた。何千何万という人間の死体で作られた道を歩いている。だが後悔はない。その道の果てに一人の男が立っているからだ。奴の首を斬り落とすまでは歩みは止まらない。そいつは七年前の地獄を作り出した因縁の敵。

七年前のあの時の状況と現在の敵の動きが酷似している事は明白だ。

恐らくこの戦闘区域に来ているだろうあの男――

 

「パエッタ・カストーレ大将。くるなら来い。つけよう、あの日の決着を.....」

 

この盤上のどこかに居るはずの男の名を呟きながらラインハルトは睨みつけるように言って、

 

「だから、必ず勝って戻れ。いいな」

「はい、ラインハルト様――」

 

 

 



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六十話

征暦1935年4月2日

 

その日の昼、喧騒の声が響くライン川西岸に一台のジープが入って来た。

西の森の中から現れたそれは一定の速度で進み、部隊が張る数えきれないテント群の横を通り過ぎて行く。作業を進めていた兵士達が気を取られて視線を向けると、見惚れて固まる。視線ごと首が曲がって横切った車が見切れるまで見送った。そのまま十秒ほど無為に時が流れてようやく隊長格がハッとなり気を取り直した様に部下を作業に戻らせた。

兵士達が思わず見惚れていたのは車に乗っていたのが美しい女性だったからだ。

 

第33装甲大隊長ターニャである。

その美貌と軍帽から覗く金髪を靡かせジープを走らせている彼女は、

密集する兵士達の間を抜けたところで停まった。視界が開ける。近くに人は居ない。

 

だからだろう、生きている人間の匂いが薄れた事で噎せ返るような臭いが鼻を突く。

思わず顔を顰めた。この臭いに慣れているはずのターニャでも顔を歪ませる程の酷い臭い。遥か眼前の彼方から風に乗ってくる――死臭と呼ばれる類の臭気。それも数えるのも馬鹿らしい程の夥しい量の死体から発生する死臭だ。

 

「惨いな......」

 

遠目から見てもそれは凄惨な光景だった。

兵士の亡骸で平原が埋めつくされている。大地が見えない程に。川岸近くは更に酷い。死体が山となって積み重なっている。恐らくは追い詰められた兵士が逃げ場を失い、それでも最後まで戦い続けた結果だろう。なぜ彼らは逃げる事が出来なかったのか謎の答えは目の前に合った。

 

川だ、それも凄まじい音を立てながら流れてゆく水瀑布の如き奔流。

川の洪水が絶えず視界を横切っていく。莫大な運動力のアクセラレータ。

自然とはこれほどに驚異的な光景を作りだす事が可能なのか、と畏怖の念を感じさせるその一端を垣間見て、川がそう簡単には静まらない事が容易に分かった。

地理的に考えてもそうならざるを得ないのだ。

 

アスターテ平原はその名の通り平らな平原地帯からなる。

周りには山がなく高低差のない地形だ。そういう条件の河川は流れが遅く緩やかなのが特徴で。ヨーロッパ世界の大地は多くがコレにあたる。ライン川も同様で本来であれば穏やかな流れの川だったはずだ。だがそういう流れの弱い川が一度(ひとたび)洪水を引き起こせば長期に渡って続くのだ。川の増水が落ち着くのは最低でも一週間は掛かるだろう事は間違いない。

 

つまり第2軍はアスターテ平原を前にして進軍経路を遮断された形になる。最初に到着した部隊は目の前にして愕然とした事だろう。

状況は最悪だと言って云い。

なぜなら第2軍は今この時も、この戦争において最も重要なものを損失し続けている。

 

—それは時間だ。

 

現在進行している作戦に及ばず東部戦線全てにおいて、その最終目的は帝国首都の陥落にある。それには軍の速度が鍵になる。敵に起死回生のチャンスを与える暇もなく短時間で決着をつける事が、戦略上の最重要事項であり、ひいては国家が望む事だ。時に兵士一人の命よりも一分の価値が重い。残酷な話だがターニャはこれはそういう戦争だと考えている。

 

だからこそ、この瞬間においては黄金にも勝る貴重な時間が、立ち往生のまま、ただ無為に過ぎ去っている状況に言い知れぬ危機感を覚えるのも当然の事で、可及的速やかに解決しなければならない問題だと思ったターニャはこうして一人だけで駆けつけた。

 

ジープから降りたターニャは素早く辺りを見渡した。緑の瞳が一人の男の姿を探す。それほど時間を掛けずに見つける事が出来た。男は増水する川の傍に座って平原を眺めていた。まだこちらに気付いていない。

 

「准将.....!」

 

声を掛けると、ボーっと見ていた彼が首を傾げてこちらを見る。ターニャに気付くと呑気に手を振った。争いごとが苦手そうな顔に似合わず、頭は切れる。只の無能ではない――という印象を持つ男ウェンリー・オスマイヤ准将だ。現在進行している作戦に乗り気ではない彼だったが、先発の斥候部隊を自ら率いる事を志望した。参謀の一人なのでその必要はないのだが彼たっての強い願いはすんなりと受けられた。パエッタ大将にとっても厄介払い出来て良かった程度だろう。あまり関係性は良好とは言い難い。

目の前にやって来る私を見て彼は不思議そうに。

 

「どうしたんだい?情報は送ったはずだけど」

「はい、いいえ。だから来ました。......帝国軍は?」

「残念ながら僕たちが来た時には影も見当たらなかった」

 

首を振る准将を見て、ため息をこぼす。思ったよりも重苦しい吐息だった。これ以上悪くなると思っていなかった状況が更に悪くなったからだ。ここで敵を見失った事実は痛い。此処から先に進む事が出来ないと云う事は索敵することすら出来ないと云う事だ。敵がどう動いたか探れないのでは、敵の行動を予測する事ができず。それでは敵の攻撃を防ぐ事もできない。極めて不利な状況といえる。

 

それは先に来ていた准将の方がよっぽど良く分かっている事だったのだろう。

ため息する私を見て困ったように笑った。自分も同じことをしたのだろうか。

 

「君も分かっているだろうが、状況はあまり良くない。なにせ前に進む事が出来ないからね、軍を動かしようがない。一応は斥候部隊を上流に沿わせて進軍ルートを探らせているけれど、簡単には見つからないだろう。敵も1日やそこらで途切れるような川の氾濫にしていないだろうからね」

「敵が?どういう意味ですか。

......まさかこの川の氾濫が敵の仕業だと、准将は考えているのですか?」

「多分そうだろうね」

 

まさかと思った。考えすぎでは?だがウェンリー准将が淡々と語る説明を聞いていく内に私の顔が青くなっていくのが分かる。

 

「――つまり敵は15軍団の退路を断ったばかりか、我が軍の進軍を遅らせる為にこの川を氾濫させたと?だとしたら敵はあまりにも......っ」

「そうだね、怖い敵だ。瞬く間に8万の敵を全滅させる為の冷徹な策、そればかりか後続の軍を窮地に陥らせる事ができた訳だ。なにより怖いのはたったの一手で全てを覆らせた敵の手腕だ。時間的損失、人的損失、僕らが受けた損失は計り知れない。そしてこれから先も僕らは後手に回らざるをえなくなった。この一手は想像以上に重い」

「.....それでもあるはずです。私達に出来る事が」

 

そう言って思案気に眉のあたりに険を含ませる。

このまま何も抗じる手段もなく、唯諾々と時が流れるままにしておけば状況は更なる危険に陥るだろう。それではイケない。たとえ今は動く事ができなくとも、だからといって考える事を放棄する理由にはならないのだ。

 

 『歴戦の軍略家は戦う前から勝利を得る』

 

これは情報の大切さを語る言葉である。つまりは戦闘前の情報分析から来る準備で大抵の場合、勝敗が決するということだ。敵が見えないという条件は敵も同じはず。ならばここからの準備次第で互角以上に戦うことは可能と云う事だ。ウェンリーも頷いて、

 

「まずは敵を知るところから始めよう。ここに来て考えた事で色々と分かった事がある。まず敵の兵力だけど僕らが想定していた20万よりもずっと数が少ないんじゃないかな」

「その根拠は?」

「川を利用した退路の断ち方は見事だけど、それだけじゃない。逆説的に考えて敵は少ない兵力をカバーするために川の氾濫を利用したんだ。僕の見立てでは想定の三分の二程度。凡そ8万~15万の間だと思う」

「つまり第2軍の総兵力と大差はないと云う事ですね、ですが根拠としては弱いのでは?」

 

敵は第2軍の進軍を妨げる為に川を氾濫させた事を考えれば、第15軍の退路を断ったのはついででしかなかったかもしれない。優勢であったのには変わらず、包囲殲滅した後で川を氾濫させたかもしれないと考えた。

その考えを優しく頷き、ウェンリーはもう一つの根拠を語った。

目の前の平原を指さす。

遥か前方の小高い丘陵地帯を示して、

 

「あそこの盛り上がった丘が見えるかい?」

「?はい」

「ここからは良く分からないだろうけど、その奥には深いクレーターの様な地形がある。そこに軍を伏せておける。その許容範囲内には10万程の兵を隠すことが出来るだろう」

「なぜそんな事が分かるのですか?」

「こう見えて僕の専攻は地政学でね、『アスターテ』は古代ノーザン語で隕石を意味する。大昔に流星が落ちた平原だからアスターテ平原という名前を与えられている訳だ。だから隕石穴(クレーター)があちこちに見受けられる場所として業界では有名だよ。学会の論文も出ているしね」

 

そして地政学の観点から見てもクレーターの軍事的利用は可能だ。まず間違いないだろうとの言葉にターニャは感心する。そういった視点から見える事もあるのだな。私にはできない観点からのアプローチだ。やはりこの人は只者ではない、この僅かな情報から既に敵の輪郭を捉え始めているのだ。

やはり人間にとっての武器とは考える事だ。考える事を諦めなければ不利は覆せる。

 

「ヒューズ中将もそれを知っていた筈だけど、あえて乗り込んだ可能性が高い」

「自身の力を過信した結果です。ですがこれで第15軍が全滅した謎が解けましたね。

.......もしかするとまだ敵はそのクレーターに隠れているのでは?」

「同じ策を繰り返す程度の敵なら楽なんだけどね。それはないだろう、恐らく敵は既にこちらの三個分進攻撃に気付いている。だったら此処に残る愚に気付くはずだ」

「確かに.....。包囲殲滅されるのを手をこまねいて待つような甘い敵とは思えない」

 

その程度の敵だったら第15軍が負けるはずがない。ヒューズ中将は性格に難があったが有能な人物だった。才能だけで言うならば他の高官の誰よりも上だ。と少し前だったら思っていただろう。だが今は分からない。目の前のこの人のせいだ。ウェンリー准将の才能は底が見えない。というよりは雲のように実体が掴めないような感じだ。まだ知り合って間もないからだろうかそう思うのは。だが、なぜだか私は彼がこの戦争の鍵になるような気がしてならないのも確かだ。女の勘だ。

 

「この短時間で接近する二つの軍に気付いた敵の情報索敵能力は高い。

ならば僕たちの存在に気付いていたとしてもおかしくない。だとすれば見えない敵はこの平原で決戦を行いたいと考えているはず」

「それだけじゃない。

敵がこちらの狙いに気付いているのだとすれば集結そのものを阻止したいはずです!」

「見えて来たね敵の目的が」

「そうか!各個撃破!准将が言っていたのはこの事だったんですね......!?」

 

数日前に会合室で言っていた事を思い出す。

彼もまた敵の狙いは各個撃破にあると言っていた。正確には言ったのはパエッタ大将だが、それを示唆したのは紛れもない准将だ。驚きを隠せない。あの時点でただ一人だけ敵の狙いに気付いていたというのか。

その事を訊ねると、

 

「あの時点では予測に過ぎなかった。だけどこれでようやく確信をもてた」

「敵の狙いはやはり.....!。第6軍と第27軍にこの事を伝えなければ、敵が迫っていると!」

「落ち着いて、君に情報文を通達した時に一緒に送っているから、後はパエッタ大将次第だ」

「.....司令官はちゃんと伝えてくれるでしょうか?」

「どうだろう、こればかりは分からない。でも信じよう.....あの人もまたこの戦争に掛ける思いは強いはずだ。僕なんかよりもずっとね......」

 

准将が最後に呟いた言葉。

その言葉にどのよう意味が込められているのか、分からなかったけれど。

この戦争に来ている誰もが何らかの思いをもって来ている。

私だってそうだ。母の為にここに居る。帝国を倒し真の自由を得る為に。

 

だからこそ、司令官であるパエッタ大将は、その思いが誰より強くてもおかしな話ではないだろう。興味がないと言えば嘘になるが問い詰めるつもりはない。

 

いま、私がすべきことは次の決戦までに準備を怠らない事だ。

准将は言った敵はこの平原に戻って来ると。ならばこの平原で勝つための作戦を考える事だけに集中しろ。私の出来る最大のパフォーマンスで帝国軍を撃破する、その為の策を。

そして私の胸の中には既に考えがあった。それを確認する為に来たのだ。そのうえで判断した結論は――イケる。この平原なら何の問題もない。

 

「一つだけお願い(オーダー)があります。次の戦いまでに準備して欲しい部隊があるのです。合衆国からの贈り物である「――」を貸してもらいたい」

 

なぜそれを知っているのかと准将の目が驚愕に開かれる。連邦軍において機密事項であるその部隊の存在を知る者は少ない。北東戦線司令官の参謀付きである准将はその数少ない一人だった。その部隊を要請する権限を有している事実を話した事はないはずだが。

 

「.....いや、そういえば君の部隊は少し特殊だった。知っていたとしてもおかしくないか。.........分かった要請しておこう。だが君にあれを使いこなせるのかい?」

 

戸惑いを浮かべる彼に向けて微笑みを浮かべ、

 

「はい、私にはあれを十全に使いこなす用意があります。

――帝国軍を撃滅するための必勝の戦闘教義が!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「たったいま斥候部隊より届いた第15軍団の状態確認の裏付けとその報告書をお持ちしました」

「ご苦労......」

 

副官から報告書を受け取ったパエッタは書面に目を通すのを一瞬、逡巡した。

だが読まないわけにはいかない。最前線より送られて来た最新の情報を共有する事は指揮官の義務である。どんなに内容が過酷であろうとも。それを見ようとせず不知でいることは罪だ。

だから迷いは一瞬のもので直ぐに報告書に目を通す。

 

........内容を把握した。

 

やはり予想通り第十五軍団の全滅は確かだったようだ。もしかしたらと淡い希望もあったが、報告書には凄惨な戦場の様子が事細かく書き連ねられていた。戦端が開かれて間もなくの、初めての全滅がまさか第十五団になろうとは思いもよらなかった。というのがパエッタの偽りなき思いだ。

 

「生き延びていれば良いが....」

 

軍の士官学校を首席で卒業した天才がこのような所で簡単に死ぬとは思えない。きっとどこかに逃げ落ちているはずだ。と未だに心のどこかで期待しているのは目を掛けてやった者としての親心だろうか。彼自身は目を掛けられたとは微塵も思っていないだろうが。

それだけの価値がある程に才能も野心も申し分のない逸材だった。ここで失うのは惜しい。だがその可能性は決して高くないだろう。筋肉の薄くなった首を振って、

 

「いつの世も若い者から死んでいく。戦争の常とはいえ実に無情だ.....っ!」

 

気づけば手が微かに震えていた。それは怒りによって?――違う恐れからだ。

なんとパエッタ・カストーレは7年前から軽度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症していた。その事を他者に漏らした事はない。いや当時からを知る副官を除いては。

察した副官が精神安定剤を手にする。小瓶の中から錠剤を数粒取り出すとパエッタに渡した。手渡されたそれを飲み込むと動悸の震えは収まった。

 

「.....作戦進行中の第6軍と第27軍に通信を送れ、敵が迎え撃たんと待ち構えている可能性がある。警戒を怠るなと.....」

 

しわがれた声だ。数日前に威勢よく自慢の作戦を語った男のものとは思えない。

まるで弱弱しい精魂尽き果てた老人のよう。だがその目だけはギラギラと輝いていた。

沈痛の表情でそれを見ていた副官は、

 

「閣下、あまり無理はなさらぬように」

 

副官の慮る言葉に、しかしパエッタはフンと鼻で笑って、

「無理?――無理くらいするさ、我が悲願を達成する為なら幾らでも無理はする。もとより承知の上でここに来たのだから。......お前も忘れた事はあるまい、あの日の恐怖を、戦友を目の前で殺された悲しみを、あの化け物に対する憎悪を!」

 

血を吐く様な叫び。目は血走っていた。

その目が見ているのは副官ではない、別の誰か、長年に渡って身と心を蝕む程の恐怖を刻み付けた遠い記憶の憎むべき敵だ。思い出すだけで身震いする。

自分の部隊が戦友が目の前で光に焼かれるおぞましき光景がフラッシュバックする。

 

いつの間にかだった。

勝利を目前にした我が軍の前に、いつの間にか現れた。

()()()()()()()()によって、あっという間に周囲は地獄と化した。あの時の光景は今でも忘れられない。少女の一振りによって容易く兵士たちは屠られていき。血の海に佇む少女が槍を突き出せば、光の矢によって百の兵が消失した。如何なる攻撃をも無効にする光の盾。

全員が襲われた絶望と圧倒的な死の恐怖に。

どうする事もできず、逃げる事しか出来なかった。少女の姿をした化け物は、執拗に追いかけ味方を殺して回った。まるでこの戦場から逃がさないように。潰して回ったのだ。人間がミンチにされる光景を見たのは初めてだ。あまりにも残酷すぎる。

気づけば意識を失って、

 

次に目が覚めたのは病院のベッドの上だった。

医者にそれを言うと幻覚だと諭された。だが違う、あれは幻などでは断じてない!だが、あれがなんだったのか分からない。眠れない夜が続いた。

月日が流れる度に幻だったのかと思い始めた、自分が許せない。戦友の死を忘れようとしているようだからだ。だから私はもう一度確かめたい。

 

この目で見て、あの地を超えて、

ようやく私は初めてこの恐怖に打ち勝てる気がした。

だから私は行かなければならないのだ!あの呪われた地アスターテ平原に!

終わらない悪夢を終わらせる。その為に。

 

「.....あれの到着はまだか?」

「はい、本国からの報告では到着は五日後となるようです」

「そうか。間に合わせろ。あれさえ来れば、あの化け物がたとえ現れたとしても、倒すことができよう。その為に本国に無理をして造らせたのだからな.....」

 

クククと笑う。

まさか思うまい。

たった一人の化け物を倒すために、長年を掛けて上層部に働きかけ、あの兵器を完成させたとは。軍も予想だにしていないだろう。

当たり前だ狂気の沙汰でしかない。

予想外だったのはその功績で大将に昇進した事だが、それが良い方向に転がり込んだ。

連邦軍主導の一大反攻作戦その北東戦線の総司令官に選ばれる事になったのだから。

 

これで思う存分に力を行使できる。

 

七年の歳月を掛けて造り出したその力の名は――ヴァロワ陸軍主力艦。

またの名を『陸上駆逐艦アルバトロス』

それが意味することは一つ。

世界で初めて陸上戦艦を造り上げた帝国から数年遅れて、ようやく連邦も同じ舞台に立つ事が出来たという訳だ。今までは防戦一方でしかなかったが、技術が追いついた事で流れは変わった。

 

......ここから連邦軍の逆襲が始まる。

 

 

 

 

 

 



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六十一話

ちょっと難産、できれば一話に収めたかった。


アスターテ平原を南に行くと、

その先には切り立った嶮しい山々と谷が隆起した、過酷な大地が広がる。

枯れ木谷(かれきだに)』とも、試練の山とも呼ばれるそこは人の手が入らない未開の地。

手つかずの自然が残されている事は珍しい事ではない。

敵国と面した辺境である事から未だ舗装整備が整っていないのだ。

驚く事に監視塔を設置した軍事基地すら無かった。

それ程に過酷な場所と云う事だ。

その不便すぎる立地とこれまで一度も侵入を受けた事がなかった事から軍事に関する建造物は一つもない。道という道は存在せず、まるで獣道のような悪路を通る事でしかその山を越える事は出来なかった。だから地元の人間でも山に入る者は滅多になかったし、ここを登山しようと考える物好きは山伏といったユグド教の修行僧ぐらいのものだ。

 

荒れ果てた山だ。四月だというのに春の訪れは遠く、寒さの堪える外気が吹きすさび。

そのせいか獣すらいない。だから普段は静かな山だった。

だが今は違う。耳を澄まさずとも山々の合間から聞こえる、物々しい足音。兵器が運ばれる音。人の熱気がここまで届くようであった。

 

眼下を数えきれない軍勢が進軍している。その数は10万を超える。

左右を嶮しい山と山の間に生まれた流れから、長蛇の列を帯びて進んでいるのは三個分進攻撃の片翼を担う第6軍。彼らは目的地を急いでいた。

作戦予定の決行時間に間に合わせるために。

それにはこの山を越えるのが一番の近道だった。遅れるわけにはいかない。

司令官のその思いが強行軍を推し進めていた。勇猛というよりは功績欲からくる無謀さだ。

どういう意味かというと、

 

進軍目標であるアスターテ平原。

そこに陣取っているであろう帝国軍に対して最初に攻撃を加えたいのだ。

戦争において高い評価を得る事が出来る一番槍を狙っての事だろう。

 

第六軍の司令官を務めるムーア大将は自尊心の強い男だ。

この作戦を成功に収めるには自分の力が必要不可欠である。自分の判断が間違う事はない。心底そう信じていた。傍から見れば馬鹿げた考えの様にも思えるが、大将という軍部の最高位を与えられている彼の才能は本物だ。これまで多くの帝国軍を撃破してきた猛将である。

 

そんな彼を象徴するかのように、

ゴロゴロと雷のような音を立てながら、彼の乗る巨大な戦車が谷間を進んでいく。

その威容はガリア方面軍総司令官マクシミリアン旗下の超大型戦車『ゲルビル』に匹敵した。

対帝国の為に作られた巨大戦車の一つである。

 

この巨大戦車は帝国進撃において心強い攻撃の主要兵器となる、と同時に防衛の要でもあった。通信設備も整っているため緊急の際は臨時の防衛拠点としても利用できるからだ。

さらに言えば兵士の精神にも向上的な作用を及ぼす。巨大戦車に追随する連邦兵はみな一様に士気が高い。勇壮なる将軍と頑強なる戦車と共にあるという共通認識が強い士気向上に繋がっているのだ。それが影響してかムーア大将を信奉する者は多い。

おかげで無理な山岳地帯の突破にも疲弊の声はあるものの不満が上がる事はなかった。

冷たい風を浴びながら黙々と歩く数万余の連邦兵士たち。

 

 

 

巨大戦車の上層部――窓口からその様子を見ていたムーア大将は、傍らに立ち尽くす忠実な副官達に向けて声をかけた。

 

「兵士の士気は高い、これならば時間通りに山越えは可能だろう.....どこの軍よりも早く帝国軍の横っ腹を問答無用で叩きこむ。それがわが軍の最重要事項だ。それが叶った暁には俺の第6軍の栄光は約束されるだろう」

「まったくもって閣下のおっしゃる通りかと!愚鈍なる帝国軍の慌てふためく姿が目に浮かびますな!」

「大将閣下の指揮下にある限りもはや我が軍の勝利は明白です!」

 

そうだそうだと誰もが勇んでそう言った。

誰も作戦が失敗するなんて思ってもいないのか。副官たちはムーアの意見に同調して自分の意見を言おうとはしない。――いや、よく見れば彼らの目にはどこか強迫観念染みた畏れの色が見え隠れしていてる。それを見ていたムーア大将は満足そうに頷いた。

 

「そうだ。敵を無駄に恐れる必要はない、俺の指揮があれば必ず勝てるのだ。お前たちはただ勝利だけを考えればいい」

 

先ほどムーア大将は自尊心の強い男だと言ったが、

より正確に言うならば、彼は他人の意見をひどく嫌う。

自分の考えた作戦は完璧だ。ほかに修正する必要はない、だから何も言うんじゃねえ。

.....と言った具合に異常なまでのワンマンプレーが目立つのが第六軍司令部の特色だった。

猛将と呼ばれるまでに至った強固な自意識が彼の長所であり短所でもあった。

参謀の意見を取り入れずとも戦いを勝利に導き、何人もの名将を屠ってきた実績が最後の後押しとなった。戦争に勝てる指揮官は希少だ、そういう人材は何としても連邦軍に必要だったのだ。

一大反攻作戦を控える間は特に。

たとえ性格に難があろうと許容範囲内の事である。それが軍の考えだ。

 

それ以降、彼は自分の力だけで戦うことを好むようになり。

副官等もそんな彼に意見をするほどの度胸はない。

結果、第六軍司令部は絶対的な力をふりかざすムーアの為に動くマリオネットでしかなく。

もはや作戦参謀は機能していない状況だった。

 

そんな状況を憂う男が一人だけ居た。

この戦争で配属してきた新参のラップ少将だ。

彼はこの異質な環境を改善する必要があると考えた。

ムーアの意思を絶対とした一種の暴政がまかり通り、参謀は何も意見できないこの環境は、いつか第六軍を危険な状況に陥らせる。今までは良かったかもしれないが、この大規模な作戦では柔軟な思考を必要とされる。彼だけの猪突猛進な動きでは突然の状況で即座に動けるか分からない。思考を分散させるべきだ。

敵地であるならなおさら、全員が一丸となって戦わなければ帝国に勝てない。

 

そう唱えたラップ少将は――

 

「......っぅ」

 

戦車内部の空間にムーアと彼の副官が囲むように立っている。

 

その間に、顔を腫らした彼は無残にも床に倒れこんでいた。

新品同様だった制服は破かれ、腹も殴られているのか青痣による内出血が幾つも見えている。辛うじて意識がある程度だ。ムーア曰く洗礼を与えた、ということらしい。どう見てもリンチの後だったが。床に倒れるラップを前にした副官たちは何も見ていないかのように直立している。彼らの目にあるのは傍観、ラップ少将に対する同情はない。まるで見慣れた光景だとでも言うかのようだ。

 

「.....どうやらラップ少将に同意する者は居ないらしい。喜ばしいことだ。

もっとも彼のように我が軍が窮地に陥るかもしれない、などと敗北主義の糞共が語るような事を真に受ける愚か者は居ないと信じていたがな」

「は、ハイッ....閣下の仰る通りかと.....っ()()()()()()()()()()()()()()()信憑性に欠けるものであったと閣下のお考えを我ら一同も支持します!」

 

どこか震えた声音の副官の言葉にもういちど頷いたムーアは太い腕を組んで、

 

「当然だ、敵は依然として平原に陣を構えているはずだ。我が軍が攻撃を与えるのであって、その逆はない。そうでなくてはならないのだ、それに帝国軍もまさかこの移動に不向きな山岳を越えて来るとは思うまい。必ずこの作戦は成功する。――俺が止まるわけにはいかんのだ」

 

先述したようにこの山岳地帯はその過酷さゆえに、人の手が入ることは無く。長い間、放置されたままの未開地であった。およそ大規模な軍の戦闘には不向きな地形で、万を超す膨大な数の人間が山を越える何て事は歴史上でもなかったことだ。

 

だからこそムーアはそこに目をつけた。

まさか連邦軍が山超えをして来るなんて帝国軍は夢にも思うまい。

きっと安全な遠回りのルートを進んでくると考えているはずだ。敵が兵を伏せておくとするならそこだろう。我が軍は敵の裏を突いて無防備な背後に急襲を仕掛ける。

何も知らない帝国軍は必ず総崩れに陥るだろう――

それが彼のシナリオだ。

 

そしていずれは帝国を倒す。

これほどの偉業はハンニバルもナポレオンでも達成できていない。

歴史に残る幾多の天才や戦略家でも出来なかったことを自分がやる。

子供の頃から憧れていた、そんな思いが否応なく猛将ムーアの胸を熱くさせた。

栄光は目の前にある。それを邪魔する者は例え味方でも許しはしない。

 

欲望に墜ちた男の様子を見てラップは思う。

この人は危険だ――

驕り昂った自意識が味方の区別すら出来ていないじゃないか。

自己認識の肥大とナルシズムは自身を含めた他者を破滅させる。

過去の偉人達がなぜ身を滅ぶす事になったか。それは自分が特別だという誤認からだ。

物語の主人公のように考えている、この勘違いが過去の偉人達を英雄たらしめてきた。

 

残念ながらムーア大将にもその資質があった。

自分こそが特別だと考える英雄の資質が。

だが彼は分かっているのだろうか。現実は英雄のような活躍が出来る者はほんの一部で。ほとんどは名も語られないような敗北者の積み重ねで物語が出来上がっている事を。彼は気づいているのだろうか、自分が道化となる可能性がある事に。

 

いや、もしかしたら分かっているのだろう。

猛将として謳われてきた彼が只の馬鹿ではない筈だ。先ほどあった通信で帝国軍が待ち伏せている事も薄々本当の事だと考えているかもしれない、その上で彼は敵を怖れず進軍を止めないのかもしれない。なぜなら彼は連邦の猛将と名高き指揮官なのだから。

 

だとしたらもう何を言っても意味がない。訴えかけても彼の進みは止まらないだろう。

だからラップは薄れる視界の中で祈った。

せめてこの行軍が無事に成功し、友の元に向かえますようにと――

 

 

.....だが彼の願いもむなしく、帝国軍襲来の報が届くのはそれから15分後の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






戦場のヴァルキュリア4が発売されました!みんな買うんだぞ(作者は夏までおあずけ)
ひとまず最後までストーリーは把握したけど、思った通り連邦側も中々の悪さで俺得でした。おかげでインスピレーション湧いてきたー。元々のオリジナルストーリーと上手く兼ね合い出来そうで助かる。


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六十二話

『こちら北の渓谷!背後より帝国軍の奇襲を受け――......』

 

『メーデー!先行していた歩哨部隊から司令部へ。敵影発見!戦車複数!.....お、多すぎる!どこに隠れていたんだ!?さらに敵多数出現――大部隊です至急増援を!!』

 

『山中より帝国軍出現!既に戦闘を開始しています!――っ後ろからも!?......ダメです!!部隊が孤立してこのままでは――っ!!?』

 

『南ルート行軍途中で敵の待ち伏せにあい被害甚大!怪我人多数!.....っこれより後退戦に移行する!許可を求ム!!』

 

その一室、

拠点兼司令部を兼ねた巨大戦車の通信室は混迷を極めていた。

通信機械が並んだコンソールの受信機から各地の部隊長の応援要請が響き渡る。

その声には焦りと混乱が満ち満ちていた。救援の声が絶えることはない。

たった15分前までとは打って変わった状況に、

しかし、司令部の動きは実に愚鈍極まりないものだった。

 

『現在進行形で帝国軍の奇襲攻撃を受けている』、

この事実を吞み込むのに、第六司令部はそれから5分という時間を浪費した程だ。

事情把握に20分以上も掛けてしまったのだ無能と言わざるを得ない。だが一部を除いた者達にこの評価を下すのは少々酷な話かもしれない。

なぜなら司令官を除いた副官達はすぐさま事情を理解していたのだ。

この山岳地帯全域で帝国軍の待ち伏せを受けたのだと、通信を聞いて彼らは察した。

 

だったらなぜ直ぐに動けなかったのかというと、やはりその理由は司令官であるムーア大将にあった。彼の考えでは帝国軍が平原から動く事はないはずだからだ。それが確固たる前提条件であり、だからこそ彼は絶対の自信をもって進軍を行っていたのだ。それが敵に読まれていたのだと思い知らされたわけである。

彼の自尊心は完全に打ち砕かれた事だろう。

しかも先程の第2軍からのものと思われる通信を敵の罠と断じて信じなかった、と云う事も拍車に掛けていた。

これでは滑稽な道化である。

いったい司令官が受けた思いはどれ程のものであろうか。その怒りを想像して副官達は恐怖で動けずにいた。

 

率先して動けば彼の逆鱗に触れるのではないか、床に気絶しているラップ少将のようにされるのは御免だ。そんな思いから誰も何も言わない。

ただ通信士が叫ぶ切迫した声だけが虚しく響いていた。

 

.........。

 

そんな非生産的な状況が流れていると、おもむろにムーア大将は首を巡らせた。

敵襲来の報を受けてから初めての反応に、副官達は恐る恐るの様子で待つ。

するとムーア大将は驚く事を言った。

 

全軍に告ぐ(オーダー)。強制行軍を発令!各自独断専行にて対処せよ」

「.......」

「どうした復唱しろ」

「っは、はいっ了解!」

「.....敵は俺の動きを読んでいたのではない、只の偶然だ。大規模な軍勢は潜んでいないはずだ。各進攻部隊で対処できる。よって我が本隊は先に進む、敵の障害に構うな!」

 

この期に及んでムーア大将はこれが敵の大規模な軍による攻撃であるとは考えてはいなかった。

せいぜい辺境の1地方部隊のささやかな妨害だろうと。

だから俺の動きが読まれたわけではないのだ。何の問題もない。そう考えていた。普段通りであれば気づけたはずだ。だがプライドを傷付けられんとする防衛反応が働いたのだろう。間違いを改めようとはしなかった。

 

そしてこの時、既に山岳地帯には数万を超す第三機甲軍が潜んでいた。

この認識の甘さが決定的となる。

下山を開始していた本隊の元に知らせが走った。

 

「――報告!先行部隊が敵の大規模な戦車部隊の待ち伏せを受けました!」

「っ!」

 

本隊を引き連れる巨大戦車の遠く見据える先、

荒れた山道を降りた麓には森林が広がる。

そこには、突撃機甲旅団からなる二千の兵と数十の戦車が、

ラインハルトの命令で連邦軍を待ち構えていた。

道を閉鎖するように現れた旅団兵は一斉に攻撃を開始したのだ。

 

放たれる火砲が隠れる場所のない連邦兵に襲いかかる。

バタバタと悲鳴を上げて倒れていく将兵達。

あまりにも不利な状況に対処する暇もなく鴨打ちにされていた。

それを聞いてムーアは増援を送るが苦戦を強いられる。

その間にも山岳各地から帝国軍襲撃の報が届けられ司令部は混乱に陥っていた。

 

副官連中との連携が上手く取れずにいるのが原因だろう。

それまでムーアだけの力で副官を必要としなかった環境に加え、それを良しとしていた副官達の練度不足のせいで指示は空回り、軍の動きは停滞を始める。

帝国軍の襲撃ポイントは全部で13箇所。山岳地帯全域が未曾有の混乱に襲われている。

後手に回らざるを得ない、この緊急事態を解決するのは簡単ではないだろう。

 

さらに言えば連邦軍には不運な事にラインハルトの仕掛けた奇襲は終わりではない。

混沌極まる司令部の扉が開いて、兵士が入って来た。慌てた様子で、

 

「敵襲です!左右から帝国軍が現れました!」

「なんだと!?なぜ敵が伏せている事に気づかなかった!歩哨はなにをしていた!」

「敵は少数です!だから気づけませんでした!――ですが恐ろしく強い!敵は見た事のない兵器を身に纏い、こちらの攻撃を弾き、驚くほどの損害を与えてくるのです!」

 

本隊が通過する山と断崖の間に流れる川のような道には幾つもの横穴が存在する。

そこに大規模な軍を隠す事は出来ないが、少数を隠す事なら可能だった。

本来であれば1万に届かんとする敵の本隊相手に、少数での奇襲なんて自殺行為でしかないだろう。だが、その百人が只の兵士ではなかったら?

 

――横穴から出現した特務試験部隊V1、V3の攻撃は開始され――何の問題もなく奇襲は成功した。その数198名からなる同時攻撃に巨大戦車の周囲は瞬く間に戦場と化したのだった。

安全なはずの本隊が襲撃を受けたショック、そしてこれまでとまったく異質な敵に動揺が広がる。

迎撃に出る兵が悉く葬り去られて。戦車周りの防衛部隊は思わず司令部に判断を仰いだのだ。

司令部に激震が走った――

 

「......」

 

どうしたらいいのか分からず司令部は逆に静まり返っていた程だ。

最初の報告から30分と経っていない。短い間にあまりにも多くの事が起きている。

そして短時間の間に溢れかえる様な情報が去来して、司令部は完全にキャパオーバーしていた。

圧迫する情報量でパソコンがショートするようなものだ。

日頃から副官や参謀を寄せ付けなかったムーアが招いた事態であると言って云いだろう。

 

これで襲撃ポイントは14になった。かなり細かく分けられているのがわかるだろう。

山岳地帯ほぼ全域に部隊が伏せられていた。ラインハルトの狙いはそこにある。

敵司令部を混乱させる。それが狙いだ。

それに気付かない司令部は尚も止まる事のない情報に翻弄され続ける事になる。気づく暇もなく既にラインハルトの術中に嵌っていたのだ。

 

それを良しとしない男がいた。

「ッ――無能共が!たかが小勢に翻弄されおって!――お前達もだ!敵が送る情報に惑わされるな!今は目の前の敵を倒す事だけを考えろ!」

「りょっ了解!!」

 

良くも悪くも状況に変化を与えるのは最高責任者であるムーア大将だ。

彼の言葉でバラバラだった意思が一つになる。

つまり本隊を襲う左右の敵に専念することになった。

 

「反転せよ!この俺自ら踏み潰してくれる!」

 

裂帛なる指示の元、巨大戦車は動き出す。

頑強なる存在は進路を変えてゆっくりと向きを曲動する。その動きはやはり戦車なんだと思わせる。大きな履帯が掘削機のような威圧感を醸し出していた。

狙いは断崖の下で密集する岩を盾にして戦うリューネ率いるV1部隊だ。

歩兵相手に無双の如き戦いぶりを発揮していた彼らでも、あの質量の化け物から真向勝負では相手にならない。

踏み潰されて跡形も残らないだろう。

リューネもその光景を苦笑いしながら、迫り来る質量を眺めていた。ふと目線が上に向き、

 

その時だ――

 

司令部に一人の男が飛ぶように入って来た。

誰かと思えばさっき報告に来た兵士だ。報告係なのだろうか。

彼は先程よりも慌てた様子で、

 

「報告です!敵の増援が現れました!」

「またか、どこだ?」

 

そう訊ねるムーアを前に、彼は震える手を上に振り、必死に何かを伝えようとする。息を吐く暇もなく来たのだろう。動機が荒い。呼吸を整えようとしている。その間にも手は上を向き、一指し指が天上を指している。どういう意味か分からず司令部の誰もが首を傾げている。

数秒を要してようやく落ち着いた男は口を開く。

ありえないものを見た様な表情で、ムーアの問いに答えた。

 

「――真上から来ます!!」

 

 

 

 

 *    *     *

 

 

 

それは報告の五分前の事である。

 

崖の上に彼らは居た。リューネ達が背にしていた断崖だ。

聳えたつ断崖絶壁の遥か800m上から見下ろす光景は圧巻で。

戦場全体が隈なく見渡せる。味方の奇襲が成功して今は優勢に事が運んでいるようだ。

その様子を崖の上から見ているのはV2部隊。

全員がヴァジュラを装備済みだ、イムカもまた全身甲冑のようなソレを着装しているのだが、一つだけいつもとは違う追加装備が与えられていた。ヴァジュラ用のバックパックの様な特殊な器具を背負っているのだ。

イムカだけではない並び立つ全員が同様の装備をしていた。

いったい何に使う物なのだろう。いや使い方は知っている。だが一度も使用した事はなかった。

そんな得体の知れない物をイムカ達は使おうとしていた。

恐怖心がないはずがないわけで、

 

「......なあ姉さん。俺ってさ自分ではそこそこ真っ当に生きて来たつもりなんだぜ」

「無駄口叩くんじゃない、と言いたいけど奇遇ね。私もいまそんな事を考えてたわ。それで分かった事なんだけど私って罪な女だったわ――あんたは?」

「ああ、泣かされて来た男は多いもんな納得――俺はやっぱし良い子ちゃんだったよ」

「あら、だったらおかしいわね、なら何でここに立っているのかしら。あんたを刺したい女なんて星の数ほど多そうだけど」

「刺されなくても死にそうな目には合ってるけどな。いやもう絶対死ぬだろこれ」

 

ヒュウヒュウと風の吹く崖下を眺めているオスロは死人のような声音で隣に立つメリッサに言った。今なら刺し殺そうとしてくる女すら抱擁できる自信があった。それほどに現実逃避するような事を今から行う予定なのだ。過去の行いを見詰め返していたオスロは嘆いた。

 

「うう最後に女を抱きたくとも鎧の棺桶に入れられちゃソレすら出来ない。世界は残酷だ」

「あんたは一生そこから出ないのが世の為さ――イムカもそう思うだろ?」

 

それに対してイムカは呆れた声で言った。

 

「.....二人ともそんなに不安?」

「うん」「うん」

 

二人の首が揃って縦に振られる。

よっぽど背中の物に対して懐疑的なのだろう。

いまから行う行動を只の自殺だとすら思っているはずだ。

死を恐れない彼らがこうまで反対するのが意外だった。

 

「逆になんでイムカはそんなに信用できんの、お前も使うのは初めてだろ?」

「ちゃんとレクチャーは受けた」

「実際に使うのは初めてじゃん!?しかもレクチャーってあれの事か!俺には飛ぶ、引く、の二つしか教えてもらってないんだけど!?」

「十分、簡単でいい」

 

何を難しい事があるだろうか?

不思議に思っているイムカの考えを読んだのかオスロは呆れた様子で、

 

「それで実行に移せるのはお前ぐらいだよホントに」

「ほんと天才ってこういう娘を言うのね、まっこの隊のエースなんだからそうじゃないと困るんだけど――おっと話している内に敵が動き出したわね」

「.....」

 

イムカの見下ろす先では巨大戦車がゆっくりと回頭しているところだ。

連邦軍にあれだけの巨大な戦車を造り出す技術があった事には驚きだが逆に好都合だ。的は大きい方が良い。作戦目標が簡単に見つかるから。

恐らくあの中に居るのだろう。

逸る気持ちを抑えながら恰好のタイミングを見計らう。

 

「作戦通り目標は接近中!全員覚悟を決めろ!」

 

隊長が声を張り上げる。全員が身構えた。恐怖を払うよう足に力が込められる。

 

「――降下!」

 

その合図が聞こえた瞬間イムカは勢いよく跳んだ。

空中に向かって投げ出された5トン近くある鉄の体は一瞬の停滞の後に、重力と自重で一気に落ちていった。まさに目にも止まらぬ速度でグングンと節理的に墜落する。あわやこのまま地面に叩きつけられて残骸と化すのかと思ったその時、イムカは肩の紐を引いた。

 

――バサリと広がったソレは空気を孕み凧の様に空を舞う。

圧し掛かる自重が軽減されたのを感じて、

 

()()()()()()降下に成功したのだとイムカは実感する。

砲弾よろしく落ちていた体も蝶のように軽やかだ。重力という束縛も今だけは通用しない。

横を見れば仲間達も降下に成功している事が確認できた。

上空から見れば幾つもの白い帆が目標に向かって降りているのが分かるだろう。

 

空を覆う異変に気づいた連邦の兵士は唖然とその光景を見上げていた。

何が起きているのか分からないだろう。

いや分かっていたとしてももう遅い。

お前達は私達に時間を与えすぎた。

もっと前に早く動いていればこうはならなかったはずだ。私達が崖を登り切る前に妨害役のリューネ達を片づけて、通過する事も出来ただろう。

その前に動けなかった判断の遅さがお前達の敗因だ。

 

そして見事に手綱を操り、

パラシュートに運ばれたイムカの体は重々しい音を立てながら降り立った。

着地の瞬間、鉄と鉄が衝撃で響きだすガッシィイインと音を立てる――巨大戦車の頭上に。

イムカは居た。

 

 

 

 

もしラインハルトが見ていたらこう言うだろう。

――王手(チェック)と。

 

 

 

 

 

















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六十三話

意外にもパラシュート、あるいは落下傘と呼ばれる降下装置の歴史は古い。

中世前には既に幾つもの文献が残されていた程だ。

その名前も元々は連邦の発明家が名付けた代物だった。

時代に適応できず一時は消えた技術だったが、近年になって事情が変わった。

飛行機の発明により需要が高まった為である。

1911年には現代の基礎となる背負い式を帝国が発明した。

同年にビンランド合衆国が軍事的利用を試みるようになるのは有名な話だ。

そして今回の奇襲降下作戦は実戦における世界初の公的な使用となる。

 

――背負い式パラシュートでイムカがエアボーンを決めた時を同じくして、

 

異変に気づいたムーア大将が天井を見詰めていた。

なにが異常な存在が乗り込んできた事に気づいたのだ。

 

「敵か!まさかパラシュートで降りてくるとはな!野蛮な帝国らしい卑怯な真似だ!」

 

だが認めざるをえない、敵の手腕を。

見事な作戦だ。

まさか空中挺身で空から奇襲をかけて来るとは予想だにしなかった。

強風が吹き荒れる山岳でのパラシュート降下は危険が多い。

事故が起きる可能性が高く。その手は取らないと考えていたからだ。

だが敵はやった。危険を顧みず飛び降りた。

だとしたら間違いなく敵は精鋭だ。

精鋭を送って来たと云う事は敵の狙いは、

 

「此処か......!?」

 

少数精鋭による司令部の壊滅が敵の目的だと気づいた時にはもう遅い。敵はまごう事なき精鋭だった。命令を出す暇もなく、易々と敵が巨大戦車に侵入した事を無線で告げられた。

それを最後に戦車内部から味方の交信は途絶えた。

ムーアは急いで扉を厳重に閉めるよう指示を出す。

司令部にある物は何でも使ってバリケードにした。

 

『第六護衛団に告ぐ!敵の狙いは司令部だ!現在敵の侵入を受けている!直ちに急行せよ!繰り返す敵の狙いは――』

 

周囲の部隊を呼び集めようと無線機越しの叫びにも似た命令を発動していた。

その途中で途切れる――。

 

全員の目が唯一の外に繋がる扉に向けられた。

耳を澄ませば重々しい重厚感のある足音が聞こえてくる。敵の足音だ。

――ライフル音が反響した。

司令部外に取り残された数少ない兵士達が抵抗しているのだ。だがその音も直ぐに消える。

敵の反撃に合ったようだ。

音からして銃ではなく近接武器、剣や刀といった武器で斬りつけられたようだ。

苦悶の悲鳴を上げることなく体が崩れる音がした。

恐ろしいまでの手練れだ。

 

そして敵は遂に扉の向こう側に来た。来てしまった。

敵と司令部を挟むのは扉一枚しかない。絶体絶命だ。

 

だがムーアは笑みを浮かべた。

「無駄だ!その鋼鉄製の扉は戦車と同じ素材で作られている!破壊不可能だ!貴様らがこの部屋に辿り着く事はない。俺の味方は直ぐにやって来るぞ?貴様らの作戦は失敗だ!フハハハハ!」

 

敵の侵入を受けても暫くの間は持ちこたえれるように内部の防衛も完璧だ。

敵が扉を破るよりも味方が駆けつける方が早いとムーアは理解していた。

手榴弾でも傷つかない。鉄壁の盾である。

それこそ()()()()()()()()武器が無い限りは――

 

「お前達は無駄死にだ!無惨に死ね帝国軍!この俺の邪魔をした報いだ――」

 

その瞬間――鋼鉄の扉は吹き飛んだ。

留め金が弾け飛び、一瞬で扉という意味を失った鋼鉄板はムーアの顔を掠めて後ろの壁に激突した。硬い音を立ててバタンと倒れるのを黙って見ていた。静寂が支配する。

 

無音の圧力をムーアはひしひしと感じた。

それはいつもはムーア大将自身が発するプレッシャーに似ていて、いつもは副官を黙らせるそれが、皮肉な事に今はムーア本人に襲いかかっていた。目の前の敵によっていつもの立場は逆転していたのだ。

 

敵は妙な鎧に身を包みこちらを見ていた。

初めて見る敵は確かに只の兵士ではなかった。

片手には長大な武器が握られていた。砲身のような機構を見て、あれで扉を破壊したのだと確信する。ここにいる全員が襲いかかっても勝ち目はないだろう。

ムーアが敵を確認したと同様に敵もムーアを確認したようで、

 

「お前がこの軍の指揮官だな?」

「.....そうだ」

「降伏しろ。大人しく投稿すれば命までは取らない。軍に戦闘を停止するよう命令をしろ」

「ふ......それで君は俺がはいそうですかと素直に承諾すると思うのかね?」

「従わないと大勢の連邦兵が死ぬ事になる」

「貴様ら帝国軍もだろ?それが俺達の望みだ。死ね帝国豚ども」

「.......残念だこれで無駄な血が流れる」

 

手首をグルンと返して武器を構える。血塗りのブレードが鮮やかに映った。

こちらに恐怖を与える目的のパフォーマンスである事は明らかだ。

恐怖に吞まれる部下にムーアは叫んだ。

 

「お前たち分かっているな?投降した者はこの俺が殺す!臆病者は我が軍に無用だ、この局面を乗り越えた真の強者だけが俺の友だと理解しろ!連邦万歳!帝国を倒せ!」

「連邦万歳!帝国を倒せ!」

 

鼓舞された全員が備え付けの武器を構える。そのほとんどが小銃だったが、彼らに降伏の意思は見受けられなかった。最後まで戦おうというのだろう。

何が彼らにそうさせるのかイムカには分からなかった。名誉、恐怖、怒り、あまりにも複雑で色々な感情が交差している。今日初めて出会う彼らをイムカが理解できるはずがない。

 

.....理解する必要は無い。

降伏させることが出来ないのであれば敵は殺す。

それだけ、

 

――瞬間、紅く染まったヴァールの刃が敵の首筋に向かって軌跡を描いた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遅れて入って来たオスロとメリッサが見たものは見るに堪えない惨状だった。

辺り一面が鮮血に染まっていた。生きている者はほとんど居らず。

割られた人間がそこかしらで倒れていた。そのほとんどが首を一撃の出血死だ。

よくもまあ鮮やかなものだと感心させられる殺しっぷりだ。

殺した当の本人はヴァールの血糊を拭いていて、

 

「ごめん作戦失敗、敵は降伏を拒否した」

「だろうな、この現状を見たら馬鹿でも分かる。全員殺したのか?」

 

聞いたにも関わらず、

全員死んでんだろうなと思っていたオスロは次の言葉で驚いた。

 

「いや、一人だけまだ生きてる」

「まじで?玉砕覚悟で全滅パターンかと思ったんだが」

「うん、指揮官の命令で投降を禁じられてたから真っ先に敵の将軍を殺したんだけど、それでも敵は投降しなかった。.....怖かった」

「そういうのは時々あるもんだが。ほとんどが専制君主制とか帝国でよく聞く話で、民主制の連邦には珍しい事なんだけどな。ここの指揮官はよっぽど部下の洗脳が上手かったらしい。それでよく生け捕りにできたな......」

「生け捕りにしたつもりはない。最初から気絶していた」

「どういう状況?」

 

聞かれても分かるわけがない。

何せその捕虜は本当にイムカが来る前から味方のリンチに合い気絶していたのだから。まったくイムカ達とは関係のない所で起きた異例の状況だ。彼——ラップ少将が起きて事情を話さない限り分かるはずがないのだ。

 

「一応捕虜にしておくか」

「そうね、そうしましょう隊長からはそういう指示も含まれていた事だし」

「でもどうする。作戦は失敗してしまった」

 

本来の作戦では敵将を降伏させ、一切の戦闘行動を禁止し、この山岳地帯における戦争を終わらせる。いわば短時間による一撃必殺。それで敵軍を沈黙させるのが狙いだった。それが失敗したとなるとかなり困難な状況に陥ったと言って云いだろう。

なんせ周囲は敵ばかり、大勢の敵に囲まれている状況だ。

いかに対歩兵無双を謳い文句にしているヴァジュラス・ゲイルでもこの数の差では一時間と持たない。仲良く磨り潰されるのがオチだ。初めて経験する戦争で全滅なんて事になったら期待してくれている殿下に合わせる顔が無い。それだけは嫌だった。

でもいくら考えもこの状況を打破する方法を思いつかない。

 

『死』という言葉すら頭をよぎった。

ヴァジュラの中で汗が頬を垂れる。まだ稼働限界まで一時間ある。汗が流れる理由もオーバーヒートの暑さからではないのだろう。

 

「まだ稼働時間に余裕がある。思い切って敵の包囲を突き破る」

「無茶だわ。恐らく予想できる被害は九割ってところね。――九割が死ぬ。それじゃ駄目だわ私達の力はまだこの戦争に必要よ」

「でもそれ以外に方法はない」

「――いやあるぜまだ生き残る方法が」

 

オスロは似合わないニヒルな笑み(ヘルムがあるので見えない)を浮かべてイムカに言った。

驚く二人の女性から熱い視線を受ける。今日まで大型特殊免許を取得していた自分に感謝した。

実際には早く話せと言わんばかりに苛立った二人からの睨みつける視線だったが、オスロは気にしないようだ。満を持して男は口を開いた。

 

「ま、なんていうかアレだ.......この戦車――鹵獲しちまわない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







1章に時間が掛かり過ぎているので、
ちょこちょこ執筆で間を空けずにちょこちょこ投稿しようかなと思う。
密度は薄くなるかもしれんがお許せ。
感想と評価くれた方ありがとう。


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六十四話

注意
ちょっとグロいかも。


山岳地帯を抜けた先に広がる森の手前で、

山道の出入り口を封鎖する形で配置された突撃機甲旅団と連邦軍が激しい戦闘を繰り広げていた。

 

現在の戦況はややこちらに分がある。敵は狭い山道に密集しているので射線が楽に当たるからだ。

攻撃を一点に集中することで敵は多大な犠牲を出し続けている。

とはいえ幾ら優勢であろうとも数の上では敵が圧倒していた。

いつ抜けられてもおかしくはないだろう。気の抜ける戦いではない。

戦いが長期化するのは目に見えていた。

 

そんな両軍が激しく殴り合う様子をラインハルトは後方で見ていた。

 

「封鎖戦は順調.....か」

「今のところは」

「分かっているな?敵の通過を許せば俺達の負けだ。絶対に敵をこの山岳から出すな」

「御心配なく。軍勢が北に通過できる山道の出入り口はここだけです。ハイドリヒ卿の情報が正しければですが.....」

「問題ない情報は正確だ。

()()があったから山岳全域に軍を配置することができたんだ」

 

そう言って取り出したのは地図だ。

数日前の軍議が終わった後に持ってきてもらったのがコレだ。

これのおかげで作戦を立てる事が出来た。

どこに兵を配置できるか、細部に渡って描かれている地形図を見て決めたのだ。

敵の進軍ルートを予測できたのもこれのおかげだった。

 

なぜそんなに詳しい情報が載っているのかというと、

元々この山はハイドリヒ家と深い縁があった。

彼の名高きハイドリヒの騎士が生まれたのがこの山だからだ。

過酷な環境ゆえに良い名馬の生産地であり、騎士の演習場として格好の場所でもある。昔から騎士の修行場として親しまれてきた。ゆえにその名は試練の山と呼ばれるのである。

 

「やれる事はやった。後は待つだけだ。勝つか負けるかは彼女達に掛かっている」

 

作戦通り進行していれば勝敗の鍵は特務試験部隊V2が握っているはずだ。

イムカのいる部隊だ。成功率はおせじにも高いとはいえない。敵将のもとに着くまでにも危険な過程を辿らなければならない。周囲の軍勢の只中から敵将を見つけるのでさえ大変なのに、そこから降伏させるのは至難の業だろう。それが出来るのは彼女達しかいない。それ以外に短時間で勝利する方法はない。全ては彼女達に掛かっていた。

 

「作戦通り進んでいれば今頃は敵軍の只中だろうな....」

 

......何をしてでも勝てイムカ。

たとえ敵を地獄に叩き落そうとも.....俺が許す。

全ての罪は俺が背負う。

だから絶対に生きて戻って来い。ずっと傍に居る。

 

それが、あの時交わした俺とお前の約束だ。

 

 

 

 

*  *  *

 

 

 

猛将ムーア大将の率いる本隊、

通称――第六護衛団は敵の奇襲攻撃に対してようやく混乱を収拾する事に成功していた。

 

左右の奇襲から始まった敵の攻撃は、最初こそ敵の異様さに押されていたが、

こちらの10分の1よりも少ない数である事を理解してからは立ち直ろうとしていた。

 

だがそんな時に起こった空からの奇襲でかなりの損害を被った。

悔しいが敵の思惑は成功したといっていい。あれで完全に大混乱に陥った。

白い帆に運ばれて降りてくる何十という敵からの一斉射撃で多くの兵士が倒されたのだ。

撃ち落とそうと狙撃させても敵には通用しなかった。あの分厚い鎧に阻まれて。

戦場の只中に現れた奴らは蹂躙を開始した。

思いのままの兵器で武装した敵は強く、こちらの攻撃は全く歯が立たない。

悪魔のような敵に対して混乱しない方がオカシイ。

恐怖の権化のような敵を相手にそれでも歩兵達が逃げ出さなかったのは背後の存在が大きい。

 

第六護衛団が信奉するムーア大将が乗る巨大戦車のおかげだ。

 

あれを支えに士気を失わなかった兵士は多い。

次第に落ち着きを取り戻した第六護衛団は数の利を生かして攻勢に転じた。

包囲して一斉射撃を敢行する。

単純だが現在ではあの異様な敵を撃破するまでに至っていた。

 

また一人の敵が複数からなる対戦車槍の一撃を躱せず背中に直撃した。

爆発の威力に耐えきれず敵の戦闘鎧は四散した。残骸となった敵に歓声が上がる。

このままいけば順調に敵を殲滅させられるだろう。

奇襲によるアドバンテージはもはや無くなった。

 

勝てると誰もが確信していた。

だが異変は背後で起きていたのだ。

何人かは気づいていたようだが只の歩兵でしかなかった俺は知る由もない。

始まりは異常な音から来た。

 

もはや第六護衛団の誰もが慣れ親しんだ音だ。超重なキャタピラが地面を掘り穿つ時に生じるゴロゴロゴロと雷雲のような独特音が聞こえてみんなが振り返る。

やはり巨大戦車が動いていた。

その威容に味方から感嘆の声が漏れる。その目には親しみが込められている。

 

そういえば、ふと思い出す。

噂だがあの巨大戦車は元は帝国の超重戦車を模倣して作られた物らしい。

いわばデットコピーだ。設計を模倣しているから内部の構造も似ているらしく、司令官室の内装まで一緒なんだとか。まあ誰も信じていないが。

だけど、もしコピーした通りのままだったとしたら、帝国戦車を動かせる者であれば帝国兵でも簡単に巨大戦車を動かすことが出来るのではないだろうか。と友人と談笑したことがあった。

その時はそんな状況が訪れるはずがないか。と笑って馬鹿げた考えを払おうとしたものだが。

 

その時だ、巨大戦車の砲塔があらぬ方向を見ている事に気づいた。

進軍上仕方のない事だが巨大戦車の背後には多くの軍勢が集結している。それと巨大戦車が向かい合ったのだ。あれでは味方に射線が当たってしまうじゃないか。悪戯では済まされない危険な行為だ。

なにかオカシイ。そう思ったのは俺だけではないらしい他にも不審そうに見始めた。

遠くの方で誰かの叫び声が聞こえる。遠目で分かりずらいがどうやら将校の男が必死に何かを伝えているようだ。何を言っているのか聞き取ろうとしたところで――

 

――落雷が落ちた。

いや違う。そう思うほどの音の爆発が奔流となって巻き起こったのだ。光と熱が俺達を襲う。

列車砲にも使われる80㎝ドーラ砲(帝国名)が火を吹いたのだ。

音速を超えて放たれた800ⅿmの質量弾だ。発射時の音を聞いた時にはもう地面が爆発していた。

一瞬で百何十人という命が失われた瞬間を全員が呆然と見ていた。

いったい何が起きているのか理解できない。

そんな俺達の思いを無視して、

 

――死を生み出す行進が。そして始まる。

巨大戦車は前進を開始する。()()()()()()()()()()()に向かってゆっくりと動き出した。

 

「逃げろおおおおおお――!!」

 

その叫びが誰のものか理解する余裕はなかった。

あれは帝国軍を倒すための物なのになんで!?そんな思いも直ぐに消えた。

全員が一斉に逃げ始めたからだ。迫り来る巨大戦車から逃げる。それしかもう頭の中にはなかった。

逃げ遅れた者がキャタピラの餌食となる、その光景を見た瞬間どうでもよくなった。

無限軌道が一回りするごとに百人近くが潰されているのを見てしまえば、生き残るために行動するしか他にないだろう。味方であるはずの巨大戦車に味方が紅い染みに変えられている悪夢のような光景を見てしまえばもう戦いなんかどうでもよかった。

 

第六護衛団は先程の比ではない大混乱に叩き落とされる。

陣形は崩れ、蟻を散らした様に巨大戦車の前から逃げ出した。無常にも迫り来るキャタピラから少しでも離れようとするが、残酷なまでに間に合わない。

 

「うわあああああ!」

「なんで!なんでだよ!?」

「ヒギャアアアア!!」

「つぶれる?!あああぴぎゃ!」

 

ブチぐちゃブチぐちゃブチぐちゃブチブチ!

ブチュ!グチュ!ブチャ!グチグチ!ぷち

ぶちぶちびちぶちびちうぁびヴバギュびゅち

 

無数の音が――破裂する肉の音がここからでも聞こえる。人間が轢き殺される音だ。

 

心の底から信じられないと思う今も、

巨大戦車はその全てで奪い続ける。

戦場には1万もの軍が存在した。何よりも頼もしいと思っていた仲間達の命を。

塵屑の様な扱いで無惨にも奪っていく。

まるで虫を潰すようにブチブチと命が潰されていった。

 

全員が誇りに思っていた巨大戦車はもうどこにも居ない。

巨大戦車が進むたびに爆発と悲鳴が生まれる。戦車も人も何もかも圧倒的な質量で押しつぶして(たいら)にならす。地獄を作り出す悪魔の兵器があるだけだ。

 

蹂躙。

その光景に相応しい言葉がこれ以外にあるだろうか。

 

やがて巨大戦車は壁を目の前にして止まった。

10回転はしただろうか。端に行き着くまでに轢き殺した人間は千に上るだろう。地面にできた履帯の痕がその壮絶さを物語っていた。ありえないことに戦車が一枚の板になっている程だ。千五百トン以上もの質量が掛かったプレスによって、人であったものの血と肉が地面に張り付いている。

 

初めて見るおぞましい光景に誰もが口を閉ざす。

考える事は一つだ。ああならなくて良かった――という安堵だけだった。

復讐心なんてこれっぽちも湧かなかった。寝食を共にした仲間だというのにだ。

 

ゆっくりと巨大戦車が回頭している。照準はこちらを見ていた。

俺達の信じていた巨大戦車が俺達を殺そうとしている。

 

心の中でバキバキという音を聞いた。

それは兵士が戦う上で必要な、誇りと戦意が折れる音だ。

 

心が折れたのは俺だけではない。横に居る兵士も膝を落としている。その横もその横も――

信じていた存在に最悪な形で裏切られたのだ。もう第六護衛団は戦えない。

戦う為に必要な支柱を失ってしまったのだから。

それから暫くして巨大戦車が乗っ取られたこと、ムーア大将が戦死した事を知った。

 

 

――巨大戦車が二度目の前進を開始する前に第六護衛団は降伏を宣言した。

 

 




巨大戦車のイメージは
キャタピラが付いて横幅が二倍あるドーラです。(ラピュタじゃないよ)

補足。
戦車 モンスターで検索した方が早いです。




感想・お気に入り登録ありがとうございます。返信よりも次話を書いた方が喜んでもらえると思ったので書いていませんが読者さんの応援嬉しく思っています。


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六十五話

司令官用のテントから珍しいラインハルトの怒声が飛ぶ。

 

「まだ連絡は来ないのか!?もう作戦進行時間は過ぎたはずだが.....」

「特務試験部隊からの通信は一切ありません」

 

淡々とした通信士の物言いにラインハルトは唇を噛んだ。

奇襲降下作戦が始まってから、もう一時間が経とうとしていた。

作戦が成功に終わったなら敵から何かしらの反応があるはずだ。だが敵軍からその様子はない。未だこちらの封鎖網を突破しようと必死だ。敵からの反応が何もないと云う事は理由は一つしかない。だが、まさかそんな。

 

「どうやら作戦は失敗したようです」

 

認められないでいた事実をあっさりとシュタインは口にした。

口の中に苦いものが満ちる。

分かっていたことだ。作戦は失敗した。

作戦成功の報告がないということはそれ以外にない。ならば当然の帰結として、作戦に関わっていたヴァジュラス・ゲイルは全滅したのだ。真実はあまりにも無慈悲だ。

イムカ達はもう帰ってこないだろう。敵に包囲されて無惨に殺された。

選択を誤ったのだ。

 

何て愚かな真似をしてしまったんだろうか。

ヴァジュラは無敵の鎧でもなんでもない。攻撃を受けたら壊れる機械の鎧だ。それを忘れて危険な作戦を彼女達に押し付けた。成功率が低い事は分かっていたはずなのに。彼女達ならできると思い違いをした俺の責任だ。

 

「また俺は仲間を死なせてしまったのか......」

「殿下これは....」

「黙れ」

 

慰めようとするシュタインを黙らせる。

これは遊びではなく戦争をしているのだ。だから部隊が全滅することは仕方のない事だ。そんな事を言おうとしたのだろう。普通の司令官ならそれで納得するだろう。だがそんな慰めが俺の心を癒すことはない。反吐が出る。

もっと彼女達のために何かできたはずだ。後悔だけが募る。

せめて、完成させていれば。あんなガラクタではなく。

 

()()()()()を完成させてさえいれば.....助けられた」

「.....完成?あれが完成体ではないのですか?」

「あんな物、本来の力と比べればゴミのようなものだ。だが作れなかった。何もかも足りない....」

 

シュタインには分からなかった。ラインハルトが何を言っているのかを。

あれほどの力を引き出す兵器がゴミとはいったいどういう事なのか理解できない。

それでもラインハルトが苦悩している事だけは痛いほど分かる。

彼の苦悩が晴れるとすればあの部隊が戻ってくる他はない。

だがあの部隊の生存は絶望的だ。

掛ける言葉を見付けられずにいた、その時、慌ただしい雰囲気がテントの外から聞こえて来た。

 

「何事です?」

「敵に動きがありました!何かこちらに向かってきます!」

「なに!?」

 

その報告で弾かれたようにラインハルトは動いた。

勢いよくテントから飛び出して遠く視線の先を睨みつける。

帝国戦車と連邦戦車が争う場所よりも、更に奥から何か動く存在が見えた。

ここからでも良く分かる。遠近感が狂ったような存在感だ。あまりにも巨大な戦車である。

戦車の外見に既視感を覚えた。

 

「帝国の超重戦車に似ているな。デットコピーとは思えない出来だ....」

 

連邦の諜報部も侮れない。

だが驚くべきはそれを製造できた技術力だ。いくら近年にかけて連邦の戦車製造力は目覚ましいものがあるとはいえ、これは一朝一夕で為せる物ではない。連邦の戦車製造技術が今の帝国に追いつくにはあと五年は必要なはず。

だからこそ、その技術力を与えたのは別の者である可能性が高い。他の勢力が介入しているとすれば。連邦の他に戦車生産力の高い国は一つしかない。..........まさか。

いやだがあの国が介入したという情報はなかった。今はまだ帝国と貿易協定を結んでいる、この時期にあの国が動いたと考えるのは早計だ。だが、もしあの国が秘密裏に連邦を助力していた場合、戦況は一変しかねない。

 

「.....いや今はそれよりも」

 

あの超重戦車をどうにかする方法を考えなければならない。

といってもほとんど絶望的だ。軍勢を山岳に分散させた今、あれを破壊する力は残されていない。あの国との関係性を疑ったのは、ほとんど現実逃避に近いだろう。ハッキリ言って現在の戦力であれを倒すのは不可能だった。逃げるべきか、選択を迫られる。

 

「避難してください殿下。私が殿を務めます」

「逃げろというのか。それも良いかもしれないな。.....俺が逃げれば突撃機甲旅団と第三機甲軍は全滅するだろう。何万人もの味方が死に俺は負ける」

「あなた一人は生き残れる、であれば私の勝ちです」

「.....いやまだだ、何か手はあるはずだ。.....ウェルナーに繋げ!奴の榴弾砲と高射砲で破壊を試みる。準備を急がせろ!」

「――お待ちください何か様子が変です!」

 

それまで淡々としていた通信兵が怪訝な様子で無線機に耳を当てている。

何かの音を拾おうとしているようだ。そして何かを聞いた通信兵は目を見開いた。

それから笑みが浮かび、何かを伝えるように指をさす。

 

「司令官!あの戦車を良く見て下さい!旗を!」

「旗?」

 

いくら巨大だとはいえ流石にそこまでは目視できないので、望遠鏡を借りてもう一度よく見てみる。そして通信兵が何に興奮しているかを理解した。

旗だ、確かに旗が翻っている。――帝国の軍旗が戦車の上に翻っていた!

それが意味することは限りなく一つだ。つまり、

 

「.....イムカ達が勝ったのか?」

 

そう呟いたと同時に爆発音が轟いた。狙いは俺達ではない。

超重戦車の放った巨大な弾頭が連邦軍の一角を吹き飛ばしたのだ。

ここからでも敵の動揺が伝わった。恐らくあれは敵にとっても特別な存在なのだろう。もはや目の前の帝国軍と戦っている余裕はない様子だ。後ろから迫る超重戦車によって激しい混乱に襲われていた。この瞬間を無駄にできない。命令を下した。

 

「突撃命令だ!突撃機甲旅団は突進を開始!連邦軍を蹴散らし封鎖戦に勝利せよ!――超重戦車は気にするな!今この時は確実にアレは我が軍の味方だ!」

 

それがこの山岳戦における最後の命令となった。

 

 

 

  *  *  *

 

 

出口を巡る山道の戦いは無事に終結した。

あれほど激戦を繰り広げたにも関わらず最後はあっけないものだった。

敵の混乱が予想以上に強かったのだ。

その隙を突いて突撃機甲旅団の戦車が命令通り突撃を敢行。連邦軍は為す術もなく竹を割った様に倒されていった。圧倒的な勝利だ。

それも全てはあの超重戦車のおかげだ。あれを見た敵は戦意を損失していた。それが特に印象的だ。

全員が見ている中でハッチが開き、内部から現れたのはやはりイムカ達だった。

今日一番の歓声が上がったのは言うまでもない。

 

彼らの戦果を聞いた。

色々とぶっ飛んだ報告だった。まるで映画の一幕のようだ。

敵本隊は壊滅的打撃を受け降伏。もはや軍としての働きは難しいと聞いて正直彼らに同情した。相手が悪かったとしか言いようがない。そして敵司令官が戦死した事を聞いてラインハルトは暫く熟考した。出来る事なら捕縛しておきたかった。というのが偽りなき本心だ。利用価値は極めて高い。生け捕りに出来ていたら戦争を終わらせる事すらできたかもしれない。殺したのは悪手だった。しかし、最悪ではない。捕虜が居ると聞いて、その男と会うことにした。その男に賭けてみる事にした――

 

「初めまして少将。この軍の指揮官で、帝国の第三皇子。

ラインハルト・フォン・レギンレイヴ上級大将だ。よろしく頼む」

「.....!?」

 

連れて来られた男は最初、何を言われたのか分からない様子だったが、理解が進むにつれ驚きに染まった。まさかこんな所で宿敵である帝国軍の司令官。しかも皇族と出くわすとは思ってもみなかったのだろう。

 

「....あ、光栄です殿下、お初に目にかかります」

「よい。変にへりくだる事はない。貴殿はわが国の民ではないのだから、俺に敬語は必要ない」

「では司令官殿と。私の事はジャン・ロベールとお呼びください.....」

「ファーストネームか?貴殿とは敵同士だが少しだけ親しみやすくなったな」

「恐縮です。それで司令官殿、私はなぜここに連れて来られたのでしょうか」

「話が早くて助かる。怯えていたらどうしようかと思っていたがその心配はないようだ。

......貴殿は現在の戦争の状況を把握できているか?」

「......はい」

 

感情を出さないように努めていた彼の表情に影が差す。

自分達の敗北を突きつけられて喜ぶ酔狂な人間は居ないだろう。

例えそれが自分をリンチにした奴らであろうとも。その事を言ったらギョッと驚かれた。

 

「部下からの報告で聞いた。その傷は最初からあったと」

「それだけで?」

「色々と推測はできる。直に話しをしてみて分かったが貴殿は臆病者の類ではない。

いや、それどころか勇気ある人だ。.....恐らく貴殿の主張が軍上層部は気に食わなかった。

傷はその結果だ.....違うか?」

「.....その通りです」

「ムーア大将の事は噂程度に聞いている。好戦的な人柄だと、やや猪突型の武将だそうだ」

「はは、その評価は間違ってないですね」

「貴殿は戦場の不利を悟って味方を救おうとした」

「.......」

 

なぜそこまで分かるんだろうか。この人はいったい何者だ。彼の目はそう物語っていた。ここに連れて来られた目的が分からないのだろう。不安そうにしている。安心させる様に微笑んだ。

なぜか余計に顔が強張った。なぜだ?

 

「そう警戒する事はない。俺の望みは君の望みでもある。――味方を救いたくはないか?」

「どういう意味ですか。俺が助けられる味方なんてもういない」

「いや居る。山岳地帯で今もなお戦っている数万余の兵が、貴殿の救うべき味方だ」

「......まさか、降伏を促せと言うのですか!」

「そうだ。もはや勝敗は決した。これ以上の戦いは無意味だ」

「無理だ味方を裏切れない!」

「裏切りじゃない!いいか良く聞けジャン・ロベール。これは救済措置だ。我が軍はこれから三日間を掛けて掃討戦を開始する。そうなれば大勢が死ぬぞ!?何万人もの人間が死ぬんだ!あの超重戦車も使うぞ。無駄死にだ。お前はそれを見てみぬふりをするのか」

「......なんで、何で俺なんだ」

「貴殿にしか出来ない事だからだ、現在の第六軍においてムーア大将旗下、幹部唯一の生き残りである少将は最高位の階級になった。最高軍務者である貴殿が呼びかければ――第六軍は降伏する」

 

それから彼には考える時間を半日間与えた。

酷く悩んでいる様子だった。簡単には頷けなかったことだろう。

 

――それでも最終的に彼は承諾した。

決意した決め手は捕虜を不当に扱わない事を制約した念書だ。

内容はラインハルト・フォン・レギンレイヴの名の下に彼らを保護すると誓ったのだ。これを破れば末代までの恥となるだろう。勝手に将兵を処刑しようものなら戦争犯罪で非難轟々だ。するつもりは全くないが。

 

敵との交信はイムカ達が鹵獲した超重戦車の通信システムを利用した。

流石は移動要塞と言われるだけはある。敵の無線機と繋げる事は容易だった。

そしてラップ少将の声明で降伏を促した。

ムーア大将の死亡も第六軍全てに伝わっただろう。その証明として、彼らが言うところの巨大戦車を使ってある種のパフォーマンスを行った。

内容は実に簡単な事だ。あらかじめ決めた日時に主砲を鳴らしたのだ。山岳地帯だから良く響いた。全ての軍がその音を聞いただろう。同時に嘘でない事が嫌でも理解できたはずだ

 

そして――征暦1935年4月5日

 

ほとんどの第六軍部隊が、三日の内に競うように降伏を宣言。帝国軍と共に山を降りて来た。

条約に基づいた武装解除を行い、彼らを捕虜とした。

いくつかの部隊は辛うじて来た道を戻り撤退したというが、もう戻って来ることはないだろう。

 

こうして、山岳地帯における第六軍との戦いは幕を閉じたのである。

 

 

 

 

連邦軍死傷者、

計3万845人。

 

行方不明者(撤退兵)

約2万人。

 

捕虜は7万3862人に上った――

 

 

 

 

 




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六十六話

これは少しだけ先の話――

 

霧隠れの沼地の異名で知られるネールゾンプ湿原より遥か西にそれはある。

西から迫る連邦軍を監視して、有事の際には本隊に伝える役目を持ち、その進攻を阻む。

北東戦線の連邦軍にとっては第一関門となる。数千人が入る規模の軍事基地であり、通信システム、戦車の整備工場などが揃っている。そのため此処を最初に落とす事は軍事的に考えて極めて合理的だ。

 

その基地こそが『ヤハトの大砦』である。

平時はハイドリヒ伯の将兵が詰め込まれていたが、現在は連邦軍の後方拠点となっていた。

連邦軍に占拠されてからはほぼ毎日、ひきりなしに何百という物資が運び込まれている。

それを守る四千人の兵士が砦に駐屯していた。

とはいえ前線からは遠い安全圏だからか、戦争中だというのにゲームに興じている者もちらほらと確認できた。のんきなものである。

 

彼らは知らない。

その様子を遠くの山で監視している者達が居た事を。

その集団は連邦の軍服を着ていた。

ならば連邦兵なのだろうか。いや違う。

彼らの無機質な目は友軍を見る目ではない。獲物を監視する狩人の目だ。

偽りの衣を纏って霞の如く忍び標的に接近する。それが彼らナイトウォーカーだった。

今回の任務は敵の兵站拠点を調査。  

時間まで周辺を散策して情報を送り続ける簡単な仕事だ。

 

いや、()()()と言うべきか。それだけでは済まない問題が生じたのだ。

彼らは任務を忠実に遂行していた。......アレが現れるまでは。

彼らの厳しい視線の先には基地がある。正確にはその隣だ。

 

 

――戦艦があった。

陸地においては無用の長物でしかないはずの戦艦が、陸地において堂々と鎮座している様はどこか非現実的で認めたくない光景だ。だが、あれはまごう事なき陸上戦艦と呼ばれる代物だ。

帝国軍が開発した史上最大の陸戦兵器。

それを敵が保持している。それがどれほどに危険な事か、情報に精通している彼らは理解していた。

 

()()()()戦場に出れば戦況は一変する。

このままでは殿下の率いる帝国軍は敗北するだろう。

戦艦の存在を確認した時から現実主義者の集まりである彼らはそう結論付けた。

含みの一切ない冷静な判断だ。

 

あまり時間は残されていない。

現在は物資の搬入が行われている様子だが、いつ動き出してもおかしくはない。

発進すればもう止める手立てはないだろう。戦場まで直線コースだ。

 

――だから発進する前に阻止する。

 

「全員準備は出来たな?」

「最後の通信は送った、問題ない」

「俺達が帝国軍を助ける事になるとはな。皮肉なものだ」

「帝国の為ではない俺達の雇い主の為だ。酒代ぐらいは稼ぐんだな」

 

笑い声が上がる。これから――生還率1パーセントの任務に赴くとは思えない和やかさだ。

影は太陽がなければ存在できない。

ならば此処で死ぬのも黙って見過ごすのも一緒の事だ。よって我ら死兵なり、

今頃は敵軍と戦っているだろう雇い主の邪魔はさせない。

 

「侵入経路は1年前に雇い主が用意したモノを使う」

 

1年前も来たことがある。その時は雇い主も一緒だった。

その目的は複数あるが、最大の理由は連邦にいたエージェントからの情報を受け取る事だった。連邦軍に発覚して追われていたのを国境線で拾ったのだ。ダルクス人の研究者で、名前は確かフォードという冴えない男だった気がする。彼の研究内容に強く興味を持った雇い主が自ら確保に乗り出したのだ。まあそれはいい。

重要なのはその時に雇い主が、

連邦軍が近い内に来たる日を予測して、あらかじめ近辺の軍事拠点に幾つかの工作を行ったのだ。ハイドリヒ伯の力を使って。

その一つが侵入経路の改設だ。連邦軍の知らない秘密の経路が存在する。

連邦軍に占拠された拠点を取り返す時に、攻略作戦で使う予定のものだった。

もう少し後で使う予定のそれを――いま使用する。潜入した後は好きに動かせるが。

一つだけ事柄を決めた。ギュンターは最後にそれを口にした。

 

「ヤハト砦に潜入した後の作戦特化は暗殺、

目標は戦艦の艦長と副長。見つけ次第速やかに殺害せよ。それでは幸運を祈る」

 

世間で公になる事はないだろう。闇の戦いが、

征暦1935年4月9日16時38分――快晴の頃に、

13名の影法師により人知れず行われようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

征暦1935年4月?日

 

 

黒煙が上がった。

それは一つではなく。幾つもの黒煙が平原を覆っている。

混乱した連邦軍の兵士が逃げ惑う声も聞こえる。戦闘が終わっていた

いやそれを戦闘と口にするのは憚れる。

なぜならその部隊はたった一人の敵によって蹂躙されたからだ。

 

黒煙の原因となっている戦車が無惨に朽ち果てている。

戦車長であった男が命からがら逃げ出していた。

息を荒げながら恐怖の表情を張りつけている。部隊が全滅していくのをその目で見ていたのだ。

だからこそ見ていたものが信じられなかった。

あれは人間じゃない。人間であるはずがない。

ボソボソと小さな声で呟きながら地面を這う。少しでも早くこの場所から逃げ出したかった。

 

だが軍靴の足音を背後から聞いてビクリと体が止まる。後ろを見た――

黒煙の中からゆっくりと女が現れた。その女の神々しい美貌を見て――悪魔でも見たかのように絶叫する。あの女が俺の部隊を全滅させた元凶だった。北部戦線の部隊が幾つも姿を消したのは、あの女の仕業であることは間違いないだろう。神出鬼没に現れては、北から南下するように部隊からの報告が途絶えたのだ。そして俺の部隊が北部戦線における最南部に位置する部隊だ。

北部戦線を分断するのがあの女の目的だったのか?だったとしても、たった一つの部隊にこれほどの被害を受けた事は信じがたい。この目で見てようやく理解するしかないのだ敵の異常性に。

 

「....なんなんだお前は。.....化け物が何で人間の姿をしている。

殺戮兵器が人間の真似をするんじゃねえよ。兵器は兵器らしくしていろよ。......化け物だと分かっていれば最初から近づかなかったのによ....」

「.......」

 

女は無言で見詰める。その顔は無表情で読めない。

きっと感情も無くて、人間を何とも思っていないんだろうな。化け物らしい。

誰かを愛するような感情は持ち合わせてないんだ。

死ぬまで人を殺し続ける誰からも愛されない化け物だ。

 

 

 

***

 

 

 

槍に貫かれるまで男は嗤っていた。

まるで私を嘲るように。最後の抵抗とばかりにだ。

こいつも私が戦闘に興じる戦闘マシーンにでも見えたのだろう。

人である心を忘れた事はないのだがな。

 

セルベリアは周囲に敵の生き残りがいないか確認して一息ついた。

何とかここまで来たか。長い道のりだった。

ギルランダイオ要塞から出発してから帝国内に戻ったは良いが、もう連邦軍が本格的に侵攻を始めていた。私達は何とか敵と遭遇しないように動かざるをえなかった。もし敵の大部隊と遭遇すればひとたまりもない。少しづつ迂回しながら南を目指した。それでも敵に見つかってしまう事はある。やむを得ない場合は全滅させる事で私達の情報を隠蔽してきた。そのせいで時間も倍以上は掛かってしまっただろう。

順調とは言い難い旅路に焦りばかりが募る。

早く、もっと早く、

 

「殿下の元に馳せ参じたい!――ですか?」

「うひゃあ!?」

 

いきなり背後から心で思っていた事を言い当てられて、

可愛らしい悲鳴が上がる。セルベリアをして気配を全く感じられなかった。

背筋が寒くなる程に恐ろしい手練れだ。敵だったら首を取られていた。

 

「き、きさま......!気配を殺して近づくなと何度も言っているだろうが!」

「ふふ、すみません」

 

彼女のスタイルなのか知らないが、

戦場に侍女服という珍妙な格好を崩さない侍女長。エリーシャは微笑みを浮かべて立っていた。

わざと気配を悟らせないようにしたのだ。

前々から思っていたが私をからかって楽しんでいる節がある。気の置けない奴だ。

 

「......まあいい、分かっているなら早く行くぞ。敵が来るかもしれない」

「大丈夫ですわ。この周囲に敵は居ません」

「何故分かる?....いややっぱり言わなくていい」

「隊長格を捕まえて情報を吐かせました。もうここから南は北東戦線の管轄になるようです。そして北東戦線の軍はとある場所に集結化しているようです」

「その場所は?」

「アスターテ平原。恐らくご主人様の軍と対抗するために動いているのではないでしょうか」

「......もう話してくれても良いんじゃないか?例の作戦とやらを」

「そうですわね、話しておきましょう。特に隠す事でもないのです」

「何だと!あれだけ焦らしておいて!?ずっと私は聞くのをこらえていたんだぞ!」

「その方が面白いかと――それで作戦というのも単純な事です。ただ時間を打ち合わせただけです。時間内にアスターテ平原に到着する。それだけです」

 

ぷんすか怒るセルベリアを適当にあしらう。

こいつとは一度決着をつけておいた方が良いんじゃないだろうか。

そう思うセルベリアだったが、

 

「時間内に到着できなかったら?」

「また別の作戦があります。例えば補給部隊を狙って襲撃して敵の弱体化を図ったり、ルート22地点に待機している仲間と合流してゲリラ活動をする案もあります。セルベリア様の存在は極めて驚異的となるでしょうから十分に効果を発揮できるでしょう。他にも――」

「いやもういい。とにかく時間に間に合えば良い、それだけだろ」

「はい、このまま一気に南下して敵を急襲します。後はセルベリア様にお任せします」

「では行こう――因縁深きアスターテ平原に!」

 

踵を返した視線の先に待つ――遊撃機動大隊の元に向かった。

遊んでいる暇はない。

これから、かつてない戦いが始まろうとしている。

そんな予感があった。

それと同時に今まで感じた事のない嫌な予感がした。それはあの時も感じた予感だ。

 

ひと月前のあの村で、七年前のあの戦場で、

殿下を助けられなかったあの時と一緒だった。

もう何もかもが手遅れになってしまった後のような、

もう一度だって味わいたくないと思っていた、それを今もまた感じていた。

 

だが今度こそ、

 

「今度こそ必ず守って見せる!――あの日の誓いにかけて!」

 

遊撃機動大隊300弱は南下を開始した。

向かうは決戦の地。アスターテ平原。

後に帝国と連邦の戦争の趨勢を分ける事になる。

 

物語の始まりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熾烈な争いが広がっていた。

何千、何万という軍人が凄惨な殺し合いをしている。

 

血糊が霧となって立ち込め、死体が大地を覆う。血の河が生者を紅く彩る。

地獄が地上に顕現していた。

 

第二次アスターテ会戦である。

その戦いは開戦から現在に至るまで一進一退を続けていた。

戦場にいる全員が目の前の敵だけを見ている。地上を這う人間だけを見て戦っている。

 

だから前線の帝国軍は誰も気づいていなかった。

僅かな人間だけがあれに気付いた様子だ。ラインハルトもその一人だった。

本陣にいた彼はあれを見ていた。呆然とした表情だ。自分の見ている光景が信じられなかった。

 

本陣にいる誰もが、あれを正確に理解できてはいない。

世界に一人だけ残されたような孤独感を味わう。この場においては彼だげが正しくあれを理解していたからだ。そして迫る現実を、静かに受け入れた彼の口は自然と開いて、

 

「............我が帝国軍の負けだ」

 

実にあっさりと帝国軍の敗北を認めた。

 









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六十七話

戦いから一夜が明けて、アスターテ平原に向かう間際、ラインハルトは数名の将校を緊急の用件で招集した。突然の事に驚いた彼らだったが、ラインハルトの口から飛び出した内容を聞いて困惑する事になる。

 

「.....捕虜の移送をこの俺にですか?」

「そうだ、頼めるのがお前しかいなくてな.....ミッターマイヤー中将。俺には彼らを保護する義務がある。貴殿が移送隊を護衛してくれれば安心だ、敵からは勿論の事だが、不当に処刑しようと考える輩から捕虜を守ってやってほしい」

「なるほど。敵ではなく味方から捕虜を守るのが最大の理由ですか。誓約書を書いたと聞きましたが、それが関係しているようだ」

「その通りだ。敵の投降を促すのに協力してくれたラップ少将が取り付けた唯一の条件だ」

 

取り出した紙切れをウォルフは面白そうに見た。

 

「このような紙一枚、意味などあってないようなもの。破り捨ててしまえば良いのではないですか?どうせ捕虜を不当に扱ったかどうかなど、この戦争に関係ないのですから」

「だからといって誓約を破る理由にはならない。絶対に遵守してほしい」

「お優しいですな殿下は。ダルクス人や捕虜といい。自分に関係ない者を守ろうとしている」

「圧制者たる帝国の皇子らしくないのは自覚している」

「ハッハッハ!良いではありませんか、俺は嫌いではありませんぞ殿下の生き方は。.....ですが俺の生き方は戦う事です。戦争こそが全てだ。だから此処で前線を離れるというのは実に不本意だ」

 

彼の目は笑っていない。

それはそうだ。彼は戦争をするために前線まで来たのだ。

どこよりも早く戦争が出来るから俺に協力してくれたのだから。今さらそれを反故にすると云う事は彼にとって裏切りでしかないだろう。俺にとっても彼が抜けるのは痛手でしかない。

なぜそんな一見、不毛な事をするかというと、

 

「無論、勝つためだ」

 

「.....?」

「お前は俺を優しいと言ったがソレは違う。俺はこの戦争に勝つためなら何だってやる。ラップ少将に捕虜を投降させたのも連邦軍を案じての事ではない。時間内に勝つために必要だったからだ。アスターテ平原に戻るためのな」

 

俺達にはタイムリミットが存在した。

それはライン川の氾濫が治まるまでの時間だ。見積もりは凡そ一週間のみ。この一週間で敵に勝たなければならなかった。そしてそれは不可能に近かった。山岳戦は決着が着くまでに時間が掛かり過ぎる。ゆえに俺は敵司令官の首だけを求めた。ヴァジュラス・ゲイルによる奇襲降下作戦もその為だ。敵を一気に降伏させるしか、我が軍に勝利はなかった。

それも完璧とは言えなかったが、何とか成功した。少将の声明と超重戦車の恐怖で降伏させたのだ。俺は優しくない。敵の優しさに付け込んだだけだ。本当の強さを持っていたのはラップ少将だろう。俺はこの戦争を合理的に勝つ事しか考えていない男だ。

 

そう言うと何故かウォルフの笑みは深まった。

 

「どこまでも勝利に貪欲である、それこそが貴方の本質か。実に俺好みの良い答えだ。....ならば聞こう、この俺に捕虜の移送をさせる、真の理由を......」

「実に簡単な事さ、動かしてほしいんだ。.....帝国を」

「帝国を?....どういう意味でしょうか?」

「こう言えば分かるだろう。捕虜を移送する時に東のウィップローズ領を経由して帝国軍駐在都市ローゼに向かえ。五日もあれば足りるだろう」

「......ああ、なるほど。そういう事ですか。だから捕虜と共にですか、確かに戦利品を見せれば焦るでしょうな彼らは」

「好きなだけ挑発するといい、このままでは()()()()()()()が敵を全滅させるとな。きっと泡を食って動き出すぞ」

「.....面白そうだ。そう云う事でしたら喜んで捕虜を移送させましょう。.....フフ実に楽しみだ」

 

ちなみに彼は珍しい庶民出身の将軍だ。

彼が何を想像しているのか分かってラインハルトも笑みを浮かべる。さぞかし面白い絵図が見れるだろう。それからウォルフは直ぐに、それでは早速準備に取り掛かるとしましょう、と言いテントから出て行った。早ければ早いほどいい。

 

椅子に腰掛けたラインハルトは書類の山を見る。

三日間の間に行われた戦いの結末は連邦軍約7万を捕虜にしたた事で終わった。勝利は喜ばしい事だが、代わりにやるべきことが多々増えた。その一つを片づけたラインハルトは休むことなく次の報告書を確認する。厳しい視線になった。

 

ヴァジュラス・ゲイルの被害に関する報告書だった。

今回の戦いでかなり被害を受けてしまったようだ。

奇襲降下作戦における囮役リューネ・ロギンス少佐率いる特務試験部隊V1は11人、

同様に挟撃の片翼であったV3は15人、

本命であったイムカの居るV2は30人が殉死した。

つまり合計で56機ものヴァジュラが破壊され、全体の総兵力が15%低下したと云う事だ。

 

あれほどの難易度の高い作戦でこれだけの被害は少ない方だろう。

だが次の戦いは出撃のタイミングを慎重に選ばなければならない。

早すぎては駄目だ。ギリギリまで温存する必要がある。だからこそ、次に彼らを出撃させる時は最も厳しい局面になるだろう。

 

「次の戦いはお前達に無理をさせるかもしれないな」

「.....ん?旦那、まるで今まで無理をさせてなかったかのような言い方なんだが」

「む?.....違ったか?」

 

たっぷり考えた後、吐き出されたラインハルトのすっとぼけた言葉に、

 

「おいー!?全滅覚悟の決死の作戦をやったばかりだろが!

.....まさかあれで無理じゃないって言うんじゃないだろうねこの旦那はっ」

「......冗談だ」

 

どうやら心労の絶えない部下のためにリラックスさせようという前衛的な試みは失敗したようだ。どうも俺が言う事を真に受ける者が多い。前から薄々思っていたがどうやら俺は冗談が少しばかり苦手のようだ。

 

それに思わず冗談だと言ったが、はたして今回ばかりは冗談にならない気がする。恐らく次の戦いでは彼らを無理させる事になるだろう。今回は損耗率15%で済んだが、次は全滅と云う事も十分にありうるのだ。なんせ次のアスターテ平原での戦いは総力戦になるだろうから。

もはや敵を一網打尽にする策はなく、削り合いになるだろう。

その場合、戦力差だけがものをいう。シュタインの報告では、こちらが使用できる戦力は八万~九万しかいないと報告が既に合った。これを聞いた時、

 

――撤退すべきでは?

 

当然その考えも合ったが、それは駄目だ。彼女達との約束がある。あの時間までは平原で待つと約束したのだ。もう彼女達を戦力に組み込んだ上で戦略を立てている。戦略とは兵力数、地形、兵器、そして時間。あらゆる要素が複雑に噛み合った『結果』だ。結果こそが全てだ、それが戦争だ。負ければ全てを失う、あの日のように。

死んでもあの時の無力感を味わいたくない。

だからこそ、

 

「――躊躇うなよ旦那」

 

まるで胸の内を告げられたかのような言葉にドキリとした。

 

「なに?」

「状況が最悪になる前に俺達に無理をさせろよ?......たとえ全滅すると思っても」

「っ......」

「旦那がそれだけ悩むって事は、きっと命令する時が必ず訪れる。その時に俺達に死ぬよう言うかもしれねえ。旦那は冷酷な顔に似合わず優しいからな。そこだけが心配だぜ」

「馬鹿が気軽に死ぬなんて言うな、お前達には生きてもらうつもりだ。もうお前達は死に急ぎ部隊じゃないんだからな」

「......そうかい。ま、俺も新しい人生を満喫するつもりだからな」

 

こんな所で死ぬつもりはないさ、と男はニヒルに笑う。

最初に初めて会った時とはもはや別人の彼は、まさしく新しい生き方を見付けたのだろう。屈託のない笑いだった。自然と俺も笑みを浮かべていた。彼らを生かすのが俺の責務だ。

――勝とう。この戦い必ず。

強くそう思う。

 

最後の準備は終わった。――行くとしよう。恐らくこれが最後の戦いになるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

それから数刻後には陣を畳んで軍勢を北に向けて進ませたラインハルトは計算通りの日程でアスターテ平原に到着した。その日は征暦1935年4月8日だった。

 

雲一つないぬけた青空の下、8万6000人が丘陵地帯に展開した。

大平原を目の前にして丘の上に幅広い陣形をとったのだ。

そこから先には進まず静観の構えである。不穏な緊張感さえあった。

その理由は彼らの遥か先、ライン川東岸に流れ込む――大軍勢の光景にあった。

 

目測で不確かだが凡そ4万の軍勢が既に東岸に渡っていた。その軍は平原に広範囲な陣形で展開していて、こちらを牽制するように窺っていた。

その後ろで続々と敵軍がライン川を渡河する様子を見て、ラインハルトはあと一歩の差で到着が遅れた事を痛感していた。

 

だがラインハルトの計算が間違っていたわけではない。

敵の侵攻を阻む防波堤の役割を担っていたライン川の氾濫はその猛威を鎮めたわけではなかった。

未だその流れは速く通常であれば兵士を渡らせることは不可能な状況だ。その不可能を可能にしてしまった存在はライン川において堂々とその姿を誇示していた。

 

何と言うか妙な表現だが――軍艦が川に架かっていた。そうとしか言いようがない。

まるで破壊された大橋の代わりを果たすかのように艦艇が両岸を跨いでいるのだ。

その正体をラインハルトだけでなく帝国軍全員が思い当たっていた。

同時になぜ連邦軍があれを保有しているのかと驚愕を伴なって。

 

その正体は紛れもなく陸上戦艦の類だった。

帝国の戦艦よりは小さい型だが質量にして3000t級はあるだろうか。超重戦車の約二倍だ。海上の艦船ならば大型駆逐艦と呼ばれる物だ。138mm砲が五門搭載されている。

軽巡機関砲は四門、驚異的な大型兵器だ。

その大型兵器を橋代わりに足場にさせて兵を送っているのだ。信じられない運用法だ。

帝国貴族が見たら怒りで我を忘れるかもしれない。あんな使い方は普通じゃない。

 

だがその御蔭でラインハルトの計算は崩されたのだ。

どうやら敵にも一筋縄ではいかない奴がいるようだ。

最初の目的であった東岸の制圧は実現不可能となり――こちらに利するはずの状況はいま消えた。

確認できた兵器の能力、兵力の差だけでも圧倒的に連邦軍の方が有利だ。

客観的に見て現状の戦力で勝てる確率は五分に届かない。

戦いはもう既に始まっている。

 

――だがそれでも負けるつもりはなかった。

 

「勝つぞ!――この戦いに勝利し全てを終わらせる。

.....ヴァルキュリアよ俺に勝利を導いてくれ。――第一陣前進!」

 

言下に戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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六十八話

わらわらと大勢の帝国軍が平原に迫ってくる。

その数は優に八万を超えた。

こちらの数の約二倍に相当する。

 

「やっぱり打って出て来るか。.....やれやれ、もう少し到着は時間が掛かると思ったんだけどな、予想よりもずっと早い、御蔭で最悪なタイミングで敵と交戦する事になりそうだ」

『二日前の時点で上が准将の進言を聞いていれば、とっくに渡り終えていたはずなんですけどね』

「.....どうやら敵は僕らをこの平原から叩きだすつもりだ、第十五軍のように」

 

彼らを半日で壊滅させた敵だ、僕が見て来たどの敵よりも強いだろう。

来ないでほしいなーとか思いながら、目の前から向かって来る帝国軍を確認していたウェンリーは無線機を手に取る。交信する相手はこの難しい局面を打破する頼もしい味方だ。

背後にそびえるエーゲル級大型駆逐艦の艦長に向けて、

 

「それでは艦砲射撃をお願いします」

 

カフェで紅茶を頼むような気安い口調で行われた注文(オーダー)はその印象に反して重厚かつ強大な兵器を動かす。艦橋に位置した138mmの砲台が軋むような機械音を立てながら回ると、照準を遥か前方より迫る帝国軍に定めて――火砲が鳴る。

衝撃が空気を震わせて、放たれた鉄の弾頭が大気をかき乱した。

 

思わず耳を押さえたウェンリーが見たものは、進攻する帝国軍の目の前の土砂が派手に吹き飛ぶところであった。その衝撃はあまりにも凄まじく。先頭の戦車が玩具のようにひっくり返り、巻き上げられた百㎏の土砂が頭上より降り注いだ。何十人という兵士が軒並み埋もれた程だ。

激しい爆発が連続する。

 

同様の現象が他にも四か所の着弾地点で起きていた。

一瞬で五十人近くの死傷者が出ていた。

圧倒的な戦略兵器だ。たった一隻で戦況を変えうる力を持つ。

これこそが連邦軍の秘密兵器だ。

 

その後も、

エーゲル級大型駆逐艦『ミラン』は固定砲台となり、長い射程の砲撃で一方的な攻撃を仕掛ける.....とはならなかった。

 

丘陵地帯に展開していた帝国軍が反撃を始めたからだ。

一斉に放たれた砲撃は驚くほどの射程距離を伸ばして、迎撃に動き出した戦車を襲った。距離にして2km(2000m)を超えていた。射程と比例して連邦軍の戦車装甲を貫通する威力だ。

恐らく帝国が誇る野砲の攻撃だろう。流石にそうやすやすとマウントを取らせてはくれない。

 

戦いの初動は双方に小さくない被害を出して始まった。

 

それから六時間――

両軍激しい攻防をを交わす事になったが、激しい攻めを行う帝国軍と比べて連邦軍はどちらかというと守りに準拠していた。敵は数的有利を活かすために、連邦は不利的状況を耐えるために。状況が軍に自然とそうさせたのだ。それに連邦軍は受ける戦いが得意だ。伊達にに第二次ヨーロッパ大戦初期から帝国軍の侵攻を受け続けていない。

 

おかげで、

目立った敵の動きは最初だけで、戦いは長期化の構えとなった。

平原に施したバリケードに隠れた連邦軍の抗戦に帝国軍は苦戦を余儀なくされている。

バリケードとは、死臭が立ち昇る骸の事だ。すなわち全滅した約八万人もの犠牲者からなる死の壁である。これは疫病を防止するため一か所に集められていたモノだ。腐敗が進んでいた為に焼却処分する予定であった。苦肉の判断だ。積み上げられた死体が壁となったのである。奇しくもそれが戦車の突破を難しくさせた。

 

戦友の亡骸を糧に戦う連邦軍は強かった。

そして、何キロにも渡る平原の戦いは、直ぐに来た落日と共に静けさが落ちた。

戦闘開始時刻じたいが昼過ぎだった事もあり、我を忘れて戦った兵士にとっては、

あっという間の事だっただろう。

疲れた体を落として安堵する、

一日目の戦いが終わったのだと連邦軍は一息を吐いた。まだまだ戦えるさと笑い合いながら。

それが彼らにとって悲劇の始まりだと知らずに。

 

まず哨戒に出ていた兵士が人知れず頭を撃ち抜かれて死んだ。

それから短時間の間に何人もの犠牲者が出た。気づいた時には百人近くが倒されていた。

そう、狙撃だ。中央相互支援連隊に所属するナイトハンターによる『夜狩り』が開始された。

彼らの任務内奥は様々あるがその一つは敵に恐怖を与える事だ。前線の敵を休ませない。示唆行為こそが彼らに課せられた目的だ。忠実に彼らは実行した。

 

こうして敵からの静かなる攻撃を夜の間、受け続ける事になったのである。

帝国軍にはノクトヴィジョンがあった。

それを知らない連邦軍は訳も分からず耐え続けるしかなかった。

10時間。それが彼らが受けた苦しみの時間である。

何十もの哨光機を煌々と照射し夜を照らし続けたが、あまり効果は上がらなかった。

 

夜間戦闘は最後まで連邦軍が苦戦を強いられる事になる。

.....1日目の記述はコレで終わりだ。初戦としてはかなり少ないと言えよう。

 

理由は戦闘の最初日は驚くほど戦いに動きがなかった事が上げられる。

後のアスターテ会戦録にも指して取り上げられることは無かった。

要は普段と同じでつまらない戦争情景なので、記述する必要がないと云う事だ。

 

 

 

 

というのも、その次の日の四月九日、

――世界に衝撃が走る。

そして後世まで残る軍史の移り目となったせいだ。

 

 

 

***

 

 

 

――そして四月九日。両軍にとって運命の日となる、

その時が訪れようとしていた。

 

夜から継続していた戦いが朝に引き継がれた第二次アスターテ会戦は、

朝日が昇る前にはもう激しい戦いを再開していた。

昨日よりも明らかに敵の攻勢が強い。

それを連邦軍が必死に食い止めている構図だ。

 

その間にも『ミラン』からの援護射撃は始まっており、帝国軍に甚大な被害を与え続けていた。

コレも連邦軍に防衛寄りの戦い方をさせた要因の一つである事は疑いようがない。

間違いなく『ミラン』はこの戦場におけるアドバンテージだ。まず何と言っても単純に巨大だ。大きいと云う事はそれだけで戦争において有利に繋がりやすい。その大きさで敵は畏怖し味方は頼もしく感じるからだ。現に敵の方が圧倒的に数が上でも、全くと言っていいほど士気が低下していない。『ミラン』が彼らの精神的支柱になっているからだ。

 

逆を言えばそういった兵士の拠り所となる存在を失った軍は脆い。体ではなく心が傷を受けるからだ。人であれ兵器であれ信頼していた存在を失うと人間は簡単に弱くなる。鍛え上げて来た軍人でもそうだ。いやあるいは軍人のほうがソレは顕著に表れるかもしれない。

 

――だからこそ、敵がミランを狙うのは当然の事だった。

 

―――――――――

―――――――――!

―――――――――!!

 

ソレは地鳴りと共に現れた。

地平線の彼方から姿を露わにする、その威容を目撃した連邦軍に衝撃が走る。

未知ではなく、既知故にだ。

 

とてつもなく巨大な戦車だった。長大な砲塔に無骨な装甲、その姿はまさに動く要塞。

あれを知っている。恐らくこの場に居る多くがそうだろう。

猛将と呼ばれた将軍の乗った巨大戦車だ。知らないわけがない。

それがなぜ帝国軍に従っているのか、理由を想像する事は難しくない

帝国軍が平原に戻って来た時点でその可能性を考えていたから。

 

すなわち第六軍の敗北。それが確定した。

それでも実際にこの目で見ると、どうやって敵がアレを拿捕できたのか理解できない。あれほどの兵器を破壊ではなく拿捕、そこに真実が見え隠れしているのだが、そこまでだ。

唯一分かる事は、

敵は僕たちの知らない特別な何かを持っていると云う事だけ.....。

 

同時にようやく分かった。

帝国軍はアレの到着を待っていたのだ。だから攻勢にどこかノリが無かった。

僕だけじゃなかった。敵もまた『待つ戦い』をしていたのだ。

 

ますます勝てる気がしなくなった。時間が経つごとに敵の規格外さが良く分かる。今まで戦ってきたどの帝国軍よりも遥かに強く、そして異質だ。

想定する中では凡そ最強の軍隊だと確信していた。

 

「――まあだからといって負けてやれないんだけどね」

「第2番艦ミランより入電、巨大戦車迎撃の出撃許可を願うとの旨です」

「前線に出したくはなかったが.....仕方ない。出撃許可を認めよう。

無理だけはしないでください。――でなきゃ僕たちに女神が微笑む事はない」

 

物騒な事を呟いたウェンリーの目に冗談の色はない。

巨大戦車と大型駆逐艦。この二つの巨大兵器の戦いが自分達の明日を左右すると理解していたからだ。そしてそれは敵にとっても同じだろう。敵もここでミランを破壊したいはずだ。

偶然でもなく必然的にお互いの優先順位が一致した結果。

 

――巨大兵器同士の雌雄をかけた戦いは実現した。

 

凄まじい音を立てながら大型駆逐艦ミランは平原に乗り上げる。

水しぶきのように土砂が巻き上げられて、

巡航時速三十五km/hで動く軍艦はそのまま勢いよく前進を開始した。艦首は南東を向いている。

前方に集中する連邦軍に進路が当たらないようするためだ。

グルリと迂回するように三日月の進路を描き、駆動する履帯の痕がアーチの形をかたどった。

流麗な曲線軌道を描いたかと思ったら――138mmの砲門がピタリと巨大戦車を狙っていた。

円運動を実行した事で横の砲門が敵を狙いやすくなったのだ。

 

そして流れざまにミランは攻撃を行った。

138mm砲による一斉射撃が敢行される。計五門からなる攻撃は見事に巨大戦車を狙い撃った。三発は周囲に当たり地面を抉っただけの結果となったが、残り二発が直撃したのだ。

巨大戦車から激しい爆発音が響いた。

オオっと連邦軍から歓声が上がる。

 

――だが

 

次の瞬間――その何倍もの轟音が巨大戦車より放たれた。

800mm列車砲からなる巨大弾頭が音の壁を破壊し風を貫いたのだ。

生じたソニックウェーブの耳障りな音を聞いた兵士が見たものは、平原の一角が吹き飛ぶところだった。軍艦の隣の地面が根こそぎ抉れた。あまりの威力を目撃して軍の手が一瞬止まる。

あれがもし自分達に向けられたらと思うと身震いする。

 

そうはさせない――とばかりにミランは足を休ませる事無く平原を縦横無尽に駆け巡り始めた。

敵の破壊力は凄まじい。だが当たらなければどうということはない。巨大戦車の仕組みは突撃砲に似ている。その巨大さ故に砲身を回頭する事が出来ないのだ。上下の弾道計算しかできない。そこに付け入る隙がある。すなわち機動力を活かしてのヒットアンドウェイ。一撃離脱戦法である。

 

――数時間をかけて、

広い平原を活かした戦いは有利に運んだ。

未だに敵の攻撃を一発も被弾せず無傷のミラン。逆に彼の攻撃はもう何発も当たっていた。巨大戦車の至る所から黒煙が上がっているのを見てミランの勝利を誰もが信じた。

 

「勝てる勝てるぞ!列車砲の弾道にさえ注意していれば小回りの利かない巨大戦車では動き回るミランを当てることは出来ない!嬲り殺しにできる!!」

 

観戦していた兵士の言う通りだ。巨大戦車はミランの機動力に翻弄されて狙いが付けられないでいた。ミランを指揮している艦長の作戦勝ちだ。更に五門同時の一斉射撃が全て巨大戦車に直撃する。ひときわ大きな爆発音が起きた。装甲板が吹き飛んでいる。もはや稼働しているのが限界の様子だ。

大破寸前といったところだろう。

最後のトドメを撃つために時計回りに平原を走るミラン。

次の射撃体勢が整えば直ぐさま放つ構えだ。

終わりだ。

 

その時――巨大戦車に異変が起きた。

車体の足元から突如として白煙が噴き出したのだ。燃料に引火したかと思ったが違う。

実害のない只の煙だ。

全員が戸惑う最中、あれよあれよという間に巨大戦車は白煙の中に消えた。

大きな砲身も見えなくなってしまう。

まさかアレは、

 

「煙幕かな....?」

「....ひ、卑怯者ー!」

「そうだ!逃げるな!」

 

この期に及んで煙幕に隠れるなんて。

全員が帝国軍に怒声を浴びせた。正々堂々と戦え馬鹿ヤロウ!というのが連邦軍の総意だろう。

ただ、彼だけを除いては。

 

.....本当にあれは逃げる為の手段なんだろうか。考える中で最も手強いと判断した目の前の敵が何もせず逃げるとは思えなかった。ミランが白煙に近づきつつある。白煙越しにトドメを撃つ気だ。

依然として帝国軍に動きはない。巨大戦車を見捨てる気か。

そんなはずない。第十五軍と第六軍をも倒した彼らなら必ず逆転の一手を考えるはずだ。

.......逆転?

 

「まさか――連絡班!直ぐに艦長に繋いでくれ!狙われているぞ!面舵を取れ!」

 

音よりも早く、

その瞬間――白煙を貫いて砲弾が飛び出した。

その狙いは正確無比にして80cm砲の弾頭は吸い込まれるようにミランに向かい――

 

――直撃した艦体の腹が一瞬にして吹き飛んだ。

驚愕の声を上げる暇もなく遅れて爆発音が耳を打った。

僕たちに出来た事は衝撃波で四散した煙幕の奥から、

ゆっくりと現れる巨大戦車の勇壮を見詰め続ける事だけだった。

 

どうやって巨大戦車がミランに砲弾を当てる事が出来たのか、恐らく仕組み自体は簡単だ。だがそれが自分に出来るかというと首を傾げざるをえない。天性の弾道予測計算能力が必要だ。そして敵にはそれが出来る人間が居たのだろう。逆転の発想だ。

 

『どうやって巨大戦車は白煙の中からミランを正確に命中させたのでしょうか?』

「.....推測だけど、恐らく観測手は別にいたんだろうね。誘導射撃だ」

「おお!なるほど!巨大戦車の砲撃班ではなく、どこか見晴らしの利く場所で観測していた別チームに弾道予測計算を行わせて、その計算式を巨大戦車に送る。いわば遠隔操作と云う事ですか。確かにそれなら白煙で視界を遮られれても巨大戦車が正確に目標を命中させる事が出来た事に納得がいきます!」

「そう。そして煙幕は砲身を隠す意味もあった。まさか視界不良の中で正確に狙われているとは思わなかっただろうね......見事にミランを釣られたよ」

 

爆発して派手に炎上するミラン。たったの一撃で大破に追い込まれた訳は彼の耐久性の弱さにある。機動力を活かした戦闘を得意とする為に装甲は薄く作られており。本来は攪乱や後方からの援護に適した兵器なのだ。前線に出して榴弾の雨を掻い潜らせたり巨大兵器と戦わせるには分が悪い。最初日で投入しなかったのにはそういう理由がある。

 

「それでもあの巨大戦車相手なら勝機はあると思ったんだけどな」

『たった二十秒で二次元的弾道予測値を割り出すような輩です、准将の責任ではありません』

「いや、僕がもっと早く気づいていれば躱せたはずだよ。――分かっていた事だけど敵にも僕の常識では計り知れない天才がいるもんだね」

『認めざるをえないでしょうね。.....おや准将。敵にも、と云う事は我が軍にもあのような天才が存在するのですか?もしそうなら是非会ってみたいのですが』

「君の事ですよグデーリン大佐」

 

そう言うと()()()()()()照れたような感情が伝わってくる。

面と向かって褒められたことが無いのだろうか。いや、面とは向かってないのだけれど。

 

『あれが実現できるのは私の戦術を採用してくれた准将の御蔭です!』

「君の発案した戦術なら勝機はある――そう判断したからね」

『彼らは?』

「大丈夫、あと三分後に到着する。作戦に備えてくれ」

『配備は終わりました、あの巨大兵器同士の戦いで時間が稼げましたから』

「なら」『ええ』

「――僕⦅私達の勝ちだ』」

 

無線機をoffにする。

周囲を見ると珍妙なものを見るような目が僕を囲んでいた。

いったいどうしたんだろうかと思ったけど、そりゃそうだ。

あの大型駆逐艦が倒された直後だというのに、落ち着いて話す僕が信じられなかったのだろう。

彼らにとってすればミランが最後の頼みの綱だったのだ。

それが倒されたとなれば悲嘆に暮れるというものだ。納得する。

 

遠目に映るミランはもう全体に火が上がっていた。

倒されはしたがミランは十分に役目を全うしてくれた。

――時間を稼いでくれた。

 

勝利に湧く帝国軍を見る。

彼らには悪いけれどここで死んでもらう事になる。すまない。

ウェンリーは彼らを最強の敵と定めた上で謝った。

時間切れだ。もう彼らに勝ち目は残されていない。

 

恐らく、この戦いは歴史に残る。

 

それは一回の戦いで十万を超える程の大会戦が起きたから?――違う。

 

史上初めての巨大兵器同士による大乱闘が行われたから?――違う。

 

 

『世界で初めて飛行機が実戦に投入されたからだ』

 

 

戦場では多くの思惑が蠢くなか、

偶然か必然か征暦1935年四月九日に――戦争の転換点は訪れた。

 








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六十九話

「なんだありゃあ?」

 

それを最初に目撃したのは突撃機甲旅団団長オッサー・フレッサー准将だった。

史上まれに見る巨大兵器同士の大型バトル。

その決着が着いた事を確認したラインハルトは直ぐさま突撃機甲旅団に突撃命令を出した。最も厄介だったあの陸上戦艦モドキを撃破する事に成功した事で、邪魔な障害は取り除かれた。平原に存在する数万そこらの連邦軍を一網打尽にする好機と判断したのだ。

 

その命令を待っていたとばかりに一気呵成に前進を開始する戦車団の背中を見送っていた、途中の事である。ふと何気なく青天を見上げた彼の視線に奇妙なモノが映った。

 

向うの空から何か来る。小さな影が近づいていきた。

最初は鳥かと思った。大量の鳥が群れをなして飛んでいるのだと。

だが時間が経つごとに違和を感じた。

................!

 

いや違うアレは鳥じゃねえっ。デカすぎる!

ぼんやりとした考えを否定する。

懐から双眼鏡を取り出してようやくその全容を捉えた。

鉄の機体が雲の上を飛んでいる。

鳥だと思っていたがその形状はどちらかというとトンボに近い。

大きな羽を広げている。間接部には四つのプロペラ。

腹の部分が異様に膨らんでいて、見るからに重々しい成りをしている。

帝国で主流の『飛行船』ではない。

見た事のない物体だ。しかも飛行している。

ピンときた、そういや前に大将が言ってたな。

 

「あれが噂に聞く『飛行機』ってやつか?実際に見るのは初めてだ」

 

 

 

 

 

***

 

 

この世界で飛行機という存在は珍しい。

 

その存在が初めて確認されたのは第一次ヨーロッパ大戦の終わりだ。

空を飛行する武装兵器という謳い文句でそれなりの話題になった。

一時は各国が注目した兵器だったが当時から飛行船が主流の時代だった事もあり、思ったより開発は進まなかった。帝国では偵察機として使われた時期もあったが、あまりに不良が多かったこと、飛行船に武装を摘んだ方が安価に済むとの代用案が採用された事でいつしかお蔵入りになったのだ。

 

連邦においてもそれは変わりなく似たような理由で消えた数ある内の一つでしかない。

結局、第一次ヨーロッパ大戦終結まで飛行機が実戦に投入されることは無かった。誰からも見向きされなくなった哀れな奇怪品。結果、ヨーロッパ世界で飛行機が積極的に研究される事はなかった。その有用性に当時の人間は誰も気付かなかったのだ。信じられないだろうか?

 

だが時に技術は枝分かれする。

どれだけ先進的な技術であったとしても大衆に理解されなければ失われるのだ。

パラシュートが良い例だ。十六世紀半ばには形にまでなった技術も多くの人間に理解されなかった事で失われ、一時はロストテクノロジーとなった。だが近代に入った事でようやく人々にその有用性が理解されるようになった。

つまりどれだけ革新的な技術であったとしても、それを理解できなければ意味が無い。理解されなければ捨てられるだけだ。

 

だが逆に途中で技術が途切れても、どこかで可能性の種子は芽吹く。

先進国である帝国と連邦が理解できなかった技術も、別の国では驚くほどの発展性を見せる。

 

そして飛行機という存在に活路を見出した国がある。

それは飛行機を世界で初めて作り出した発祥の国だ。

三十年の歳月をかけてその国は秘密裏に種子を芽吹かせた。

長い時間をかけて花開いた兵器は空に君臨する暴虐の化身に生まれ変わる。

その成果を世界に見せるため、とある戦争に送り出した。

恰好のお披露目の場、それは――第二次ヨーロッパ大戦である。

 

 

 

 

 

――流麗線を描いた飛行機の鉄の腹がゆっくりと割り開かれる。

中に詰まっていたのは黒光りする種のような物だ。それらは全て爆弾だ。数キログラムの火薬燃料が詰められている。他には何もない。それらを降下させるシステムは全て自動化されていて、搭乗員が僅かばかり居るだけだ。

およそ百の黒い火薬の種子が整然と並んでいる。まるでその時が来るのを待っているかのようで、

無音の静寂がより内装を不気味に映した。

 

 

 

 

 

遥か高度上空で何が行われようとしているのか、

知る由もない地上のオッサーは呑気に空を見上げていた。

せいぜい偵察目的だろうと勘ぐっていたのだ。

帝国で飛行機の信頼性は薄い。そう思うのも仕方ない事である。

そして彼は歴史の目撃者となる。

 

巨大飛行機の鉄の腹から黒い種が零れ落ちた。

 

それは一つだけではない。連なる様に八つの種が降ってくる。

気付いた帝国軍が出来た事は、落ちてくるその様子をただ黙って見ている事だけだった。

帝国と連邦が見向きもしなかった技術の種子。

何回もの誕生と発展を繰り返し生まれたソレは、

まるで世界に存在を示すかのように地上へと向かい。

 

――巨大戦車の頭上に落ちた。

その瞬間――凄まじい爆発が生じる。一気に火花が上がった。

あっという間に火に包まれた巨大戦車はその被害に耐えられず今度こそ内部から爆発を巻き起こす。赤い熱量と空気が張り裂ける音を戦場に居る誰もが聞いた。

 

「こいつはまずい!全員散開しろ――!?」

 

大破した巨大戦車から離れるように指示を出すオッサーが見たものは、

....百を超える黒い種が次々と空より降り注ぐ光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「.....B....ー17爆撃機....だと?」

 

空を覆わんとするその兵器の名をラインハルトは知っていた。

情報媒体でしか見た事がないがまず間違いない。

だからこそ信じられない。あれが存在する事が許容できないでいた。

この世界にあるはずのない兵器だ。

 

なによりあれを連邦が作れるはずがない。

ここは幾つもの偶然が重なって飛行機が発展しなかったヨーロッパ世界だ。

それが世界の常識だった。

もしあれを作り出せるとしたらこの小さな世界の外からやってきた他国に他ならない。

 

「――ビンランド合衆国!......やはり手を回していたか!?」

 

もしやと思っていたが、やはりあの国が連邦の背後に潜んでいた。

B-17爆撃機がそれを証明している。

合衆国とは貿易協定を結んでいた。その内容の数ヶ条に、『両国は一切の軍事干渉を行わない』というのがある。簡単に言えば連邦に兵器を売らない、軍勢を帝国に送らない、という内容だ。

これはヨーロッパ大戦に合衆国を参戦させたくない軍上層部の思惑が絡んでいる。

だがもはや、その協定が遵守されていない事は明白だろう。

 

これで合点がいく。

連邦の劇的な技術力向上の裏には合衆国があった。

他にも色々と手を貸していたのだろう。あの陸上戦艦モドキも合衆国の差し金か。

もっと早く気づくべきだった。

気づいた時にはもう遅い。今から帝国空軍(飛行船部隊)に打診しても間に合わない。

それに飛行船では戦闘機に勝てない。

敵は空の女王だ。四発重戦略爆撃機B-17フライングフォートレス。

何人も近寄れぬ空を舞う要塞。

その身に秘めたる力は凄まじい。

 

数にして60からなる、

空の爆撃機による擲弾降下が行われた結果――巨大戦車を筆頭に一部の前線部隊は破壊された。

数十キロ先の光景は実に凄惨だ。

無防備な頭上を取られて何もできない内に爆撃で幾つもの部隊が爆発に巻き込まれていく。

前線が崩壊していく様子を俺は黙って見ていた。

制空権を取られた時点で勝敗は決まった。

 

「......我が帝国軍の負けだ」

 

 

 

 

 

 

 

ラインハルトが負けを認めた。それを聞いていた本陣が静まり返る。

負ける時はあっさりと負けるものだ。だがそのショックに頭が追いついていない。

誰もが何も言えない中、静かに近づいたのはシュタインだった。

彼は寄り添うように傍に立つと、

 

「私が降伏を願い出ましょう。全てを失う前に殿下はお逃げください」

 

時間を稼いで俺を逃がそうというのだろう。

買出しに出かけてくるかのような気軽さだった。汚名を着るという事なのに全く気にした様子はない。いつもそうだ、何を言われても嫌な顔ひとつしない。たまには嫌だと言ってくれてもいいんだぞ?幼少の頃から仕えてくれて俺を陰で支えてくれた男を置いていかなければならない。

......嫌だな。負けたくない。

 

もっと俺に時間があれば、飛行機を作れていれば、変えられた。

まただ、また俺に力がないからみんなを助けられない。

もう大切なものを奪われたくないから戦おうと決めたのに。

あの時から何も変わっていないじゃないか。

 

「殿下は頑張りました。それは誰よりも私が知っています。貴方に仕える事ができたのは私の誇りです、貴方といた十年間は筆舌し難き眩い時間でした。ありがとうございます。だからこそ貴方は帝国に必要だ――だから泣かないでください私の愛しい殿下」

「泣いてなどいない......っ」

 

顔を見られたくなくて俯いた。

視界が滲んでいる。濡れているのは俺か、地面か。

いつの間にか雨が降ったんだ。

 

嫌だ逃げたくない失うのはもう嫌だ。

どれだけ願っても意味はない。これが戦争だ、奪い奪われる。分かっていた事だ。

それでも嫌なものは嫌だった。だが、

諦めたくないと感情は訴えるが、理性は現実を冷静に受け入れる。

ここからの勝利はゼロに等しい。

 

「俺はお前を.....」

「――失礼致します!殿下にご報告の儀がございます!」

「.....どうした?」

 

ゴシゴシと顔を拭いて本陣に入って来た士官を見やる。

確か通信関係に準ずる任務に務めている男だ。

ラインハルトが認め敬礼を解いた男は、

 

「先ほど本陣に通信が送られてきました。送り主は『左手の男』です」

「なに!?」

 

それは秘密の言葉だ。諜報部隊が防諜対策に使う暗号の一つ。

つまり送り主はギュンター達の秘密部隊と云う事だ。

彼らには幾つかの任務を託した。彼らには悪いがそれは全て無駄になってしまう。

通信は声だけだが士官が紙媒体に写している。

それを受け取って読んだ。

やはり暗号文で書かれている。解読方法を知るのは俺と僅かばかりだ。

三重に隠された暗号を解いて、文章を読み解いた。

理解した瞬間――

 

「馬鹿ヤロウ!死ぬ気か!?」

 

俺の戦いに支障が出るので戦艦に乗り込むだと、何を言ってやがる。そんな事を命令した覚えはないぞ。思わず我を忘れて怒声を上げた。みんなビックリしているが構うものか。

あまりにも無謀すぎる。不可能だ。

死にに行く様なもの。何でそんな馬鹿な真似を.....?

 

 

 

 

―――――――

 

........いや、考えるまでもない。俺を勝たせるためだ。

平原で俺が勝つと信じて、彼らは命を懸けた決死の作戦に挑もうとしている。

こんな俺の為に命を懸けて作戦に挑もうとしている奴らがいる。

 

 

俺は何をしている?何でもう諦めようとしている。

たかが爆撃機が現れたぐらいで何を取り乱している。

こんな事で簡単に諦めるぐらいなら七年前に死んでいれば良かったんだ。

.....でも俺は戦う事を決めた。だから生きる事を選んだ。もうあんな思いをしたくない、

 

「.....死んだ仲間に誓ったんだ。.....だから!

どんなに絶望的な状況であろうと俺は絶対に諦めない!!」

「殿下?」

「戦うぞ俺は!最後まで戦いそして死ぬ!それが俺の信念だ!」

「.......」

「俺の為に戦ってくれている仲間の死を無駄にはできない!だから俺に力を貸してくれみんな!俺達は負けない!この戦いに勝利する!.....だから、こんな俺でも信じてくれるなら俺と共に戦ってほしい!」

「―――承知」

 

シュタインを始めとした全員が膝を落とした。

最も高貴な礼だ。主君と思う者にしかしないそれをラインハルトに行う。

全員の意思は決まっていた。唯一人(ただひとり)を主と認めた時から、この人に付いて行こうと。

絶望した主がもう一度立ち上がると言うならそれを支えるのが我らの役目だ。

ラインハルトは頷き、そして戦場を見据えた。赤く広がる炎を目に、

 

「まずは被害報告だ。先ほどの爆撃による被害を報告せよ!」

「は!――先程の一撃で超重戦車は完全大破!回復は不可能です!それから突撃機甲旅団が壊滅的打撃を受け、フレッサー准将の生死は不明!並び前線部隊は半壊!各所で増援を求める声アリ!それ以外の部隊は現時点で被害は軽微!戦闘継続は可能な状態です!」

「っ.....ならば直ぐさま予備兵力から増援を送れ!被害甚大な部隊は第一防衛線から後退する事を許可する!及び.....特務試験部隊V1を前線に投入!戦線の維持に努めさせろ!」

 

一瞬だけ躊躇したがヴァジュラス・ゲイルを使用する事を決断した。

前線が危険ないま彼らの力が必要だ。

もはや一部の最前線に秩序はない、爆撃の影響で混乱している。危険な状態だ。

今の前線部隊は膨らんだ風船だ。針の一指しで弾けかねない。

もしいま敵の攻撃を受ければひとたまりもないだろう。

そうなればもう戦争と呼べるものではなくなる。

 

「っ!」

 

........もし敵がそれを狙っていたら?

こうなる事を見越していた者が居たら、この瞬間を見過ごすはずはない。

 

そして敵はやはり前線の綻びを見逃さなかった。

既に前線では動きがあったのだ。あまりにも早すぎる敵の動きに、ラインハルトは驚きを見せた。

予想通り敵の先頭は機甲部隊が中心となっている。その布陣に、

あらかじめ爆撃を利用しようとする魂胆が明確に見えた。

 

「まさかこの戦法は.......!」

 

信じられない事だが、どうやら俺は二つ目の歴史的快挙を見届ける事になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

――数分前。

前線から少しだけ離れた位置にその部隊はあった。

 

「....どうやら第一段階は成功したようですね見事なものです」

 

空からの攻撃であっという間に戦況は変わった。

敵の前線部隊はそのほとんどが爆撃の被害を受けて使いものにならない。

 

――目論み通りである。

やはり私の考えは間違っていなかった。

当初は重工業都市の破壊を目的に運ばれて来た爆撃機を一目見た時から、これは戦車戦にも使えると目を付けた。だから准将に頼んでエディンバラ軍に要請してもらったのだ。懐疑的な上層部の思惑とは裏腹に、その答えは目の前にある。エクセレント。

後は煮るなり焼くなり、こちらの自由だ。

ここからはどう転んでも敵に勝ち目はない。

好き勝手に弄ばれて朽ちるのを待つだけの儚い存在だ。

せめてものたむけに、この私みずから介錯してやろう。

 

ふっと笑みグデーリンは背後を振り返り部下達を見据えた。

百の戦車が陣形を組んでいる。

一点に集中した小隊傘形隊形を構える第三十三装甲大隊だ。

これから始まるのは戦争ではない一つのアートだ。思い描くは戦車が織りなす芸術作品。

炎と鉄の協奏曲が鳴り響く最高の総合芸術。

 

「お前達は全員で一つの楽器だ!戦争音楽!私は奏でる『ハーメルンの角笛』を!目の前の障害を叩き壊し私はお前達を楽園に連れて行こう!」

 

その声を兵士達は陶酔した表情で聞く。指揮者に魅せられた観客の様に。

美しき英雄の声は澄み渡り、彼らの胸を打つ。

彼女の勝利の為ならば何だってできる。正に彼らは一つの意思の下、生きた楽器となる。

天才の描きだしたその作品の名は、

 

「進め!これより――『電撃戦』の最終段階に移行する!!」

 

また一つ戦争は次の次元に移った。

 

 

 



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七十話

......『ブリッツクリーク』という戦術がある。

その要諦は進撃速度と目標破壊力の大きい戦車を中心とする装甲兵力を集中して運用し、敵の防衛線の最も弱い部分に突入してこれを突破する。

突破後は機動力を活かして適地奥深くまで侵入して交戦し、敵を攪乱して戦意を喪失させることを最大の目標とする。そのためには戦車が破壊できない堅固な目標は歩兵や砲兵攻撃に任せて迂回し、また,進路上の障害物は空軍の『爆撃機』に攻撃、破壊させ可能な限り装甲部隊の進撃速度を遅らせないようにする作戦の事だ。

 

これによって戦車隊の被害を最小限に抑えながら、最大の攻撃を与える事が可能となる。

19世紀を代表する戦術の一つだ。

まさか実際にこの目で見る事になろうとは思いもしなかった。

 

「....どうやら敵には戦車戦の天才がいるようだ」

 

認めよう。

いまこの瞬間、この世界において最も最先端の戦術を駆使しているのは目の前で展開している連邦軍だ。一点に集中した戦車隊が鮮やかな機動をもって前線を食い破っている光景は実に見事というしかない。惚れ惚れするような機動だ。コレを考えた指揮官は紛れもなく天才だ。

天才が指揮する戦車隊か。

恐らく帝国の将軍クラスでも彼の部隊と戦術を破れる者はゼロだ。

それほどに、この時代においては完成した戦法なのだ。

こと爆撃機という存在が大きい。

あれではどんなに鍛えられた部隊でも意味はない。

戦闘そのものが出来ないのだ。地上から見上げる事しか出来ない、戦争の定義が崩壊している。

 

もし俺達が敗北して、ここを抜かれた場合――帝国は滅ぶ。

誰も勝てないからだ。

帝都は火の海になるだろう。

そしてニュルンベルクも。工業都市は軒並み破壊される。

あのダルクス人の親子も只では済まない。

大勢の人々の命に危険が迫っていた。

 

やはり戦いを諦める訳にはいかない。

ここで敵の侵攻を止める。

「ですがそれでは矛盾しているのでは?」とシュタインが言った。

誰も勝てないとたった今言ったばかりではありませんか。

であれば我が軍にも勝ち目は無いのでは?.....と。

 

確かにシュタインの言う通りだ。

誰も勝てないと評しておきながら自分が勝てる道理はない。

そう勝てる筈は無いのだ。

......普通であれば。

 

だが、あえて言おう。この俺にとって、

 

「――電撃戦は生きた化石に等しい」

 

俺の前に立ち塞がるには1000年遅かった.

一見、完璧に思えて付け入る隙は多々ある。

故に我が軍が敵に勝っている部分で勝負すれば勝機はある。

 

その一つがヴァジュラの通信システムだ。

あれは俺が自ら作り上げた特別製だ。

瞬時に味方との交信が可能な通信機械をヴァジュラ内部に埋め込んである。

基本的に親機が子機に送受信する為の物だが、マスター機は全員の通信機に送受信が可能だ。

それは俺が持っている。

 

まだ試作段階で完璧とは口が裂けても言えない。

設備が足りない、支援兵器がない、何もかもが足りない。

しかしやらなければならない。

不完全だろうが何だろうが、現状の持てる手札で挑まなければならない。

状況は最悪だ。

それでも負けるつもりはなかった。

俺には力強い仲間が居るから。

 

「その為にもまずは――」

 

第一の目標である、あの爆撃機が邪魔だ。

あれを撃退しない事には我が軍の勝利はありえない。

現在、B-17の飛行機部隊は敵からの反撃がない事を良い事に悠々と北の空を回遊している姿が確認できる。一回目の擲弾降下が終わり、降下地点から離れた為に、北を大きく迂回しながら戻ってくるつもりだ。恐らく次の降下ポイントは中央だろう。侵攻する敵装甲部隊の進路上の敵を破壊する気だ。そしてその中央にはあの部隊がある。

それを確認したラインハルトは、

 

「――急ぎウェルナーに繋げ」

 

この状況を変えられる者が居るとすれば、

それは彼をおいて他に居ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

その通信を聞いた中央相互支援連隊長ウェルナー・ロイエンタールの第一声は、

 

「無理です」

 

だった。その彼は、

金と銀の色素を併せ持った珍しい目線を無線機に注いでいる。穴が空くほどに見詰めていた。

......いまこの無線機の向こうの人物は何と言った?

もしかして聞き間違えたのだろうかと思って聞き返したのだが、帰って来た言葉は、

 

『お前の部隊があの飛行機を撃ち落とせ』

 

やはり荒唐無稽だった。

あまりにも突飛な命令に主君と云う事も忘れて思わず拒否してしまった程だ。

それほどに無理難題だった。

あんな空を飛ぶ怪鳥の如き鉄の塊をどうやって落とせと云うのか。

普段から空想の様な事を言う人だったが、いよいよ頭が変になったんだろうか。

この戦況だ、そうなるのも仕方ない。可哀想に、

 

『.....おい何を馬鹿な事を言っている』

「......口に出てました?」

『ハッキリとな。俺の頭がおかしくなったと思っているようだが.....」

「違うんです殿下!これは.....!」

「構わん。どうせこれから強くそう思うだろうからな」

「え?」

 

首を傾げるウェルナーをよそにラインハルトの声が続く。

 

『命令はただ一つ、爆撃機の撃退だ』

「っ本気なんですね....?」

『無論だ。もうすぐ第二波がやって来る、時間は無いが、お前の力ならあの爆撃機を破壊できる』

「どうやって?」

『88mm高射砲だ、あれを使え。弾は榴弾型を使用しろ。元々は飛行船を破壊する為に用意した武器だ。射程距離の問題は無いだろう』

「無理ですよ!飛行船は前もって機体性能を調べているから予測計算できますが。あの飛行機というやつは何の情報も持ち合わせていないんです!状況が違います!」

 

『今から言う事を記憶しろ。――全長は22.8m、全幅は31.64m、爆弾搭載量4000㎏を超え平原一帯を焼け野原に出来る力を持つ、最高速度は526km/hに到達可能、狙って当てることは出来ない。だが、初戦でそこまでの速さは出さないはずだ。 高度は8,138mまで上昇する事が可能。だがこれも降下爆撃の際は目標に近づくため2000m付近まで接近するはずだ。そうでなくても通常は4000mをキープするに留まるはずだ――他に必要な情報はあるか?』

 

スラスラと回答用紙を読み上げるような容易さで機体性能を暴露していくラインハルトの声が無線機から響く。まるで最初から知っていたかのような淀みない口調に、ウェルナーの頭が追いつかない。

 

「え?へ?何ですか今のは?.....まさか」

『あの飛行機の性能だ』

 

あっさりと告げられた声に、何が何やら分からない。

あれ、おかしくない?何で殿下がその情報を知っているのさ。

突拍子もないとはこの事だ。

.....あー分かった。やっぱり殿下おかしくなっちゃったんだ。

これまでの激戦のせいで精神に支障をきたしてしまったのか。そうに違いない。

 

『違うわ!大馬鹿者!』

「うわあ!また!?」

『いいかげん思った事を口にするのはよせ。

――それより頼んだぞ、お前の予測能力だけが頼りだ』

「っ....つまり失敗すれば」

『....俺を含めた全員が死ぬと思え』

 

その言葉の重みにウェルナーは息をのむ。

僕が失敗すればみんなと殿下が死ぬ。計り知れない重圧だ。

それを感じたウェルナーは思わず足がすくむ――ことはなかった。

 

それどころかフツフツと高揚感が湧き上がるのを実感した。

....これは?

自分に起きた変化にウェルナー自身が戸惑った。

だがこの感覚は悪くない。

そして気づいた、....いま僕は初めて殿下に頼られているんだ。

 

人は弱い。自分達で作った世界の理にしか生きられない。

僕もそうだった。この目のせいで不幸な生き方を強要されていた。

だけどあの人はこの世界の理不尽に真向から立ち向かった。

その鮮烈な生き方に....僕はいつしか憧れていた。

 

今度は僕が理不尽に立ち向かう番だ。

 

「まったく.....あの頃から変わってませんね。いつも貴方は無茶ばかり言う」

『すまない、これしか思いつかなかった。だがお前なら俺達を救ってくれると信じている』

「分かりました、先ほどのは本当ですね?なら.....そこまで言うならやってみましょう。もう時間もないんでしょうから」

『頼んだぞ。あと狙撃兵を借りるぞ――ん?笑っているのか....?』

「じゃあ切りますよー.....」

『――』

 

無線機をoffにして部下に手渡す。

それを受け取った副官は見た。今まで見た事のない青年の自信に満ちた顔を。

思わず見惚れていた彼女は美しい金の瞳がこちらを向いた事でハッと我に返る。

慌てて無線機を持っていった。

 

その後ろ姿を不思議そうに見送ったウェルナーは、ふうっと息を吐き、首を振る。

....やってやる。

何も無茶を押し付けられるのは初めての事じゃない。

先程も超重戦車の弾道計算をしたばかりだ。

Bが観測と計算を行いAに通信で送る。最後にAがBの指示通りに引き金を引く。それと何も変わらない。一つ違う事は平面から立体になるだけだ。何も問題は無い、落ち着いてやれば出来る。

最初の指示を出す。

 

「全砲兵部隊に告げます、破壊目標を空の飛行物体に変更してください」

 

その命令が伝播され、丘陵地帯で戦っていた砲兵部隊が目標を地上の戦車から空の飛行機に移す。数人がかりで照準を変える、その兵器の名は88mm高射砲。その名の通り本来は高い位置に存在する敵を倒すために作られた代物だ。主に飛行船を目的にラインハルトが改良した対空砲である。

野砲でありながら戦車砲を遥かに超える射程の長さから戦車破壊に使われていたソレがここでようやく本来の形で使用される事になるのだと云う事を誰も知らない。

それはともあれ丘陵地帯から平原に至るまで存在する300の照準は空に向けられた。

 

ウェルナーもまた視線は空にあった。破壊目標である飛行機を遠目で確認する。

フォートレスとか言うらしい、あの物体は、

まるで自分達こそが空の支配者であると誇示するかのように、雲より低い所を飛んでいる。

自分達を撃ち落とせるものはいないと思っているのか。

だが、その余裕とは裏腹に驚くほどの飛行速度だ。

あれでは狙って当てるなんて芸当は誰にもできない。

恐らく僕でも直撃は無理だ。

 

――だけど、確率を近づける事はできる。

 

「....弾道計算開始」

 

その瞬間――世界の音が消える。

戦場の激しい戦いの音だけでなく、隣に立つ副官の息遣いすらも聞こえなくなった。

鉄と硝煙の匂いも無くなり、あるのは金と銀の瞳が妖しく彷徨う視覚のみ。

だがその目が見ているのも飛行機ではなく、それを取り巻く膨大な数字と計算式だった。

驚くべきことに彼には測定器を使わずとも彼我の距離が見えていた。

そこから割り出し、弾道がどう放物線を描けば、その距離に到達するか導き出していく。

恐らく彼の見ている世界を常人が見れば吐き気を催すだろう。

それ程に異常な世界の中で彼は式を構築する。

 

その間にも爆撃機はグングンと接近している。

ラインハルトの言う通り機体が徐々に高度を下げている。

コレは降下爆撃態勢と言って目標に近づく事で、擲弾降下による目標破壊の成功率を上げる戦術だ。それによって超重戦車もピンポイントで破壊されてしまったのだが。

 

今回はそれが命取りになる。

最初の降下爆撃による計算(イメージ)は頭の中にある。

そこから照らし合わせれば、どのような編隊で軌道を描き向かって来るかが予測できる。

驚異的な速さで弾道を予測した。

 

「第一砲兵隊は砲塔角度を15上に調整し右に3動かした後、砲撃命令を待て。

 .....第二・第三は飛行集団の両翼を叩き中央に誘導してください」

 

言下に両翼から砲撃が開始される。

放たれた88mm砲弾は目にも止まらない速さで空に向かう。

あっという間に飛翔距離を伸ばして高度2000mまで上がり――その遥か上空の爆撃機に迫る。

百発近い砲撃は、しかし直撃には至らない。

空中の敵を当てるのは至難の業だ。そう簡単には当たらない。

....問題ない。両翼からの攻撃は囮だ、

 

これで敵は警戒して狙いを絞る。

つまり攻撃命令を出していなかった()()()に敵は来る。

来い、そこにある見えない道を通って。

 

捉える射程距離と数多もの放物線が待ち構える、完璧な位置に誘い込まれたとも知らず、

滑空する爆撃機はいよいよ急降下爆撃態勢に移行する。速度を抑えて高度が下がってくる。

.....3000.....2500.....2300。そして、

金銀の目にしか見えない道に爆撃機が重なった瞬間、ウェルナーは第一砲兵隊に命令を下した。

 

「88㎜高射砲(アハトアハト)――発射!」

 

ドドドンッと爆発音が連続して、

50の榴弾が一斉に音を超えて放たれた。

狙いは正確に爆撃機を捉えていた。だが、なんと驚く事に放たれる寸前、先頭の爆撃機が緊急回避を実行したのだ。直前に敵の狙いを読んでいたのか分からないが、もう高射砲は放たれた後だ。

 

「ッ――!」

 

砲手としての勘か、躱されると誰もが思った。

その直感は残念ながら当たる事になる。

まんまと爆撃機は直前で射線から逃れる事に成功し、直ぐ傍を榴弾が通り過ぎたのだ。

全員が絶望する中、

....ただひとりウェルナーだけは笑みを崩さなかった。、

 

その瞬間――榴弾は自ら爆発した。

自壊した瞬間に榴弾の破片が空中に飛び散り、勢いよく四散したその破片が爆撃機を襲う。

甚大な被害を負った。

翼の一部が吹き飛び、左翼のプロペラが破損し、その影響でエンジンに故障を及ぼしたのだ。

 

結果――爆撃機は地上に墜落する。

 

それを追うようにして他の二機も地上に落ちた。平原に落ちたソレはバラバラに砕け散る。

無様に落ちたその姿を敵も味方も見ていた。

無敵の兵器ではない事が証明されたのだ。

 

この事実を敵は驚愕を味方は歓声をもって迎え入れた。

 

 

 

 

***

 

 

 

ブゥゥゥンとプロペラの風切り音が聞こえる程に近い。

黒煙を上げた爆撃機がすぐ横を通り過ぎて行った――

――十数秒後、墜落する爆撃機は激しく地面に叩きつけられ、

そのショックで燃料に引火したのだろう。盛大に爆発する音が風に乗って聞こえてくる。

 

「.....流石だな。三次元弾道予測計算を完全に駆使している。

もはや敵は逃げようと絡めとられるだけだ。奴にしか見えない『空白の道』とやらに....」

「ラインハルト様っ危険です!御下がりを!」

 

不敵な表情で丘上に仁王立つラインハルトが呑気に評する。

その背後で慌てた様子の騎士が必死に訴えるが、意に介した様子のないラインハルトは眼下を見据える。広大な平原が視界に広がっていた。

ラインハルトは前線にほど近い高台に来ていた。丘陵地帯で最も高い場所だ。

 

ここからなら平原の戦いがよく見渡せた

前線に刻まれた傷口を見れば爆撃による被害の大きさが分かる。

そして、その傷口から装甲部隊が侵入した。瞬く間に帝国軍の陣形内部を攪乱する。

 

恐らくアレが電撃戦の核となる部隊だ。

焼夷弾の爆撃で混乱した味方の部隊を的確に攻撃している。

戦車隊を巧みに操り、気づいた時にはもう包囲されている。なす術もなく蹂躙された。

まるで一つの生き物のように帝国軍の陣地を次々と破壊していった。

情報の伝達が早い証拠だ。

悔しいが突撃機甲旅団よりも練度が上だ。あれほど早くは動かせない。

戦車乗りとしての天性の才能だ。

 

手強い敵だが、だからこそ叩き潰す価値がある。

あの装甲部隊さえ撃破できれば風向きは変わるだろう。

...それが最も難しいんだけどな。

 

なぜなら、

爆撃機の影響で一部の前線部隊の通信が乱れているのだろう。

それが原因で他の部隊との統制が取れていなかった。

そんな混乱を極める帝国軍は敵にとって格好の獲物でしかない。

危惧した通りの事が起きようとしていた。

一刻も早く装甲部隊を止める必要がある。

 

ならばどうやって撃破するのか?

普通の部隊では無理だ。同様に第三機甲軍でも難しい。

通常の正攻法では勝てない可能性の方が高い。

それでは駄目だ。

絶対に勝てる方法でなければならない。そんな方法があるのかと問われたらそんなものはない。

だが少しでも勝利に近づく方法は存在する。

その為の鍵はヴァジュラが握っていた。いや、正確には内蔵されている。

 

ふと見上げれば小さな気球が空を舞っていた。

尻尾に細長い紐が括り付けられている、それは俺の後ろまで伸びていて、

 

「――GMP観測気球の打ち上げ成功」

「受信画像投影電子パネルを起動させます――感度良好を確認――成功」

「V1の識別反応を確認――成功」

 

俺の背後に集められた夥しい数の機材と繋がっている。

数人の技術士官により手際よく機械が組み立てられていた。

彼らはまるで子供のように目を輝かせている。

組み立てた玩具が無事に動いたのを見て喜んでいるのだから子供と変わらない。

 

机に置かれた電子板の上に樹脂シートを敷く。

透明のシートには縦線と横線が幾重にも刻まれており座標図となっていた。

薄い緑色の電子板には小さな光点が点滅しているのが分かる。一つだけではない百以上が点滅していた。それを確認した技術士官が満面の笑みになる。たまらず歓声を上げた者もいた。

 

それを見た俺の反応は何ともいえないものだった。

....やはり感度が低い。画素も不鮮明で荒いな。

当然だが敵の識別反応も無い。

本来なら此処に熱感知式のレーダー兵器を付属させる事で、

敵の位置情報も映さなければならないのだ。

 

だが其処までには至っていない。不完全なシステムと言って云い。

 

だから敵を知る為の目が必要になる。

それは彼らに担わせる。中央相互連隊が誇る狙撃部隊だ。

精鋭の狙撃兵三十人を高台に配置した。もちろん敵兵を狙撃する為ではない。指定した戦車の動向を監視させるためだ。リアルタイムで情報を送り続けてもらう。かなりアナログな方法だが、これで敵の位置情報を逐次知る事が出来る。敵情報は電子パネルの座標図にチェスの駒を置く事で視覚的に瞬間的な判断を行えるようにした。

これでようやくシステムは50%が補完された。

現状ではここまでが限界だ。

 

最後に、このシステムの命は味方との情報伝達の速さにある。

味方との瞬間的な交信が出来なければ意味が無い。

だからこれが必要になる。先ほども言ったマスター機という奴だ。

無線機をヘッドセットとインカムに繋げて使用する。

部下から受け取って頭部に装着した。

 

.....それにしても妙な事になった。

この不完全なシステムが俺達全員の行く末を左右する事になるなんて、正直これを作った本人も意外だったのだ。信用出来ないわけではない。だがこれは本来であれば使うつもりのない戦術だった。セルベリアが居れば使用する必要のない。あくまで保険のつもりで作った機能だから妙な気分だ。....彼らには遊び半分で作ったなんて言えないな。

 

そんないい加減なモノに命を懸けているとは知る由もない彼らは実に真面目な様子で準備を終えた。ヴァジュラの配置も済み、コレで全ての準備は整った。後は俺の言葉を待つだけだ。

 

ラインハルトもソレを見て厳かな雰囲気になる。

.....確かに電撃戦はこの時代において圧倒的とも云える戦術だ。

コレに対抗できる戦術は世界中を探してもそうはないだろう。

 

「だが、だからこそ俺はあえて言おう。――我が軍の勝利だと!!これより逆転劇を開始する!」

 

言下にラインハルトは無線機をonにした。

その瞬間、ヴァジュラは真の力を発揮する。

――戦術歩兵システム、

【SARS】(空間識覚を拡張、及び交信を主体とした命令指揮系統の構築)

発動。

 

 

 

「.....見せてやろう100年先の戦術を」

 

 



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七十一話

高台に布陣したラインハルトの眼下では戦況が目まぐるしい速さで移っていた。

その激しさは炎の様に。

一秒とて同じ景色は無い。その刹那の間に何百人と死者が増え続ける。

人も兵器も物資も大量に消費されていくこの戦場を、もし数値に起こそうとすれば途方もない時間と労力が必要になる事だろう。もし戦場という名の盤上計算機があるならば夥しい数値を今も叩き出しているに違いない。そんな物があれば一目で戦況を理解できるだろう。

そんな都合の良い物はないが――その一端を俺は目にしていた。

 

「――D7の30m前方に敵の戦車部隊が隠れている!D4、D5は回り込みながら地点A-134に急行し対戦車槍を使用、敵戦車を迅速に撃破せよ!D7は撃破を確認後――突撃。歩兵の掃討に移行!E4はその場で待機、命令あるまで待て!C2とC3はそのまま対戦車用重機関銃による威嚇射撃で敵を後退させ続けろA部隊は強行する敵の足止めだ敵を前に出すな!」

 

視線の先にある画面、そこに広がる戦場とラインハルトの指示によって動き回る光の点。

GMP観測気球《ダイアグラム》によって広域な戦場が画面上に投影されているのだ。

識別反応である光点が常に味方の位置情報を教えてくれていた。

後はそれに合わせて味方を動かせばいい。

傍目から見ればチェスをしながら指示を出して遊んでいるようにしか見えないが本人は真剣そのものである。起動してまだ45分しか経ってないが大粒の汗が滴り落ちていた、

 

それでも画面を凝視しながら、絶え間なく連続する狙撃兵部隊から送られてきた情報を瞬時に画面と照らし合わせ駒を動かし続ける。その間にも指示は淀みなく行われている。瞬間的な判断力が求められる、一瞬でも遅れれば味方が死ぬ。尋常ではないプレッシャーがラインハルトの体に襲いかかっていた。数キロメートル離れた高台の上に居るラインハルトだが、その意識は最前線にあった。そして、

「――待たせたなE4!擲弾を敵の頭上に振らせてやれ!」

 

その数秒後、画面上に立たせていた駒が取り除かれる。

敵戦車の撃破を狙撃兵が確認したからだ。後退する敵の横合いに待ち伏せていた味方の攻撃が敵集団を倒した事によって一部の敵が混乱した。この時点で敵戦車の撃破数は15輌を数える。

ヴァジュラス・ゲイルが装甲大隊と接敵してからの時間を考えると敵戦車一輌を大破させるのに必要な時間は3分を切る。

驚くほどの速さで敵は倒されていくが、

 

「――敵なおも前進を開始した模様、直ぐに第二波が来ます!」

「っ!」

 

しかし、敵の攻勢は留まるどころかより一層の激しさを増していく。

目の前の敵を止めるのに精一杯で他に目を向ける余裕はなかった。

それでもラインハルトは落ち着いていた。観測班から送られる敵の位置情報を更新していく事で逐次敵の動きを把握できているからだ。敵の動きが分かれば対処も容易い。

 

報告の通り敵の第二波は休む間もなくやって来た。

さらに続く報告で敵の編成が変わった事に気づく。

それまで一輌編成からなる小隊でスクラムを組んでいたのに対して、今度は十輌の戦車を中心に構成された中隊規模で突撃を敢行して来たのだ。それが大まかに分けて三つのルートを通って来ている。不味い事に一つは高台を目標に向かって前進していた。急いで迎撃する必要がある。

 

「V1F部隊を中心に高台を目指す敵を叩く!それ以外は各自の判断で迎撃を行え!迎撃難シと判断すれば第一防衛線までの後退を許す!」

 

V1Fは鉄重石(ファーベライト)の名を意味する。

彼らはその名の通り強く硬い要となる柱石。隊長リューネが率いる部隊だ。

高台に向かって来る敵兵は彼らによって倒される。

時間は掛けない。

目標は敵戦車一輌を、

 

「40秒で破壊するぞ――いいな?」

『――了解した。俺達を導いてくれ』

 

そして悪魔達は戦場に出撃した。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「――報告!高台の制圧に向かった第三十三―八中隊が敵の攻撃を受け壊滅的打撃!全ての戦車が瞬く間に破壊されました!生き残ったのは歩兵だけです!」

「馬鹿な!?」

 

その戦報を受けて第三十三装甲大隊参謀の副官は驚愕した。

...いったい何が起きているんだ。

大隊長殿の作戦は上手くいったはず。

なのになぜ我が軍にこうも被害が出る。敵はなぜこれ程に巧妙な迎撃が取れるんだ。

おかしい、何かが異質だ。

全てはあの敵が原因だ。

 

――蒼い悪魔。

我々がそう呼称する敵は丘陵地帯に入った途端に忽然と現れ、我が部隊の誇る戦車を次々と撃破していった。

その数は問題ではない。精々が百に満たない小勢だ。

当初は誰もがそう思った。

だが敵の戦いぶりは次元が違った。

たった一機で歩兵の小隊を相手取る力。こちらの攻撃をモノともしない耐久力。あらゆる能力がこちらの想定を超えていた。だがそれだけならば問題ではなかった。

 

幾ら巨大な力を秘めた怪物であろうと、それは個の力だ。一人では限界がある。

みんなで力を合わせれば。集団の力であれば強大な力にも立ち向かえる。

我が第三十三装甲大隊はどんな敵とも戦える。

――そう思っていた。通信の向こうで味方が倒される悲痛な叫びを聞くまでは。

敵はこちらの想定をまたもや超えて来たのだ。

奴らは単体での戦いをしていると思わせて、その実、味方との協力を強く意識していた。

 

一人を囲んだと思ったら、その瞬間無防備になった横腹を叩くのだ。まるで待ち構えていたかのように鮮やかな反撃を受け戦車が破壊された。その混乱に乗じて逃げられる。敵は後退と奇襲を繰り返す事でこちらの出血を強いて来たのだ。追撃すればこちらの予想していなかった場所からの攻撃が何度もあった。その都度、貴重な戦車を失いながら後退する部隊が続出する。

気づけば数十輌を瞬く間に失ってしまった。

まるで敵は我が部隊の動きを読んでいるかのような戦ぶりだ。そしてそれを可能にする異常なまでの連携力の高さ。一つの生き物を相手にしているかのようだ。

だがおかしな事に歩兵の被害は少ない。

敵は戦車に狙いを付けて戦っている様な気がする。

 

敵は大隊長殿の考案した電撃戦には戦車の存在が不可欠な事に気づいたのか。

そんなはずはない。こんな戦場の中で作戦の要諦に気付けるはずがない。仮に気づけたとしてこれほど迅速に対処できるはずがないのだ。

だとしたら何故?

考えを巡らすが答えは出ず、自分の低能さ加減に嫌気を差していると、唐突に大隊長殿が声を掛けて来た。時間切れだ。

 

「それでは考えを聞かせてもらおう。この現状がどうして起きているのか」

「.....正直分かりません。この奇妙な展開が何故起きてしまっているのか。....ですが」

「良い、答えが出ていなくても考えを述べてみるといい」

「...あの悪魔はどうやってか分かりませんが味方同士との交信が可能のようです、周囲の状況を瞬時に把握して味方の援護を行い、状況が悪くなれば後退する。あのような視覚的視野の狭い兵装で何故そのような事が可能なのか分かりませんが。恐らくあれば只の武装ではなくもっと高度な兵器の一種だと考えます」

「敵がこちらの動きを読んでいるかのような戦いについてはどう思う」

「高度な通信機械を兼ね備えている兵器と仮定して後方に指令所となる拠点を形成し、其処から命令を全体に伝播させているのではないかと考えます.....」

「なるほどそうか」

「ですが荒唐無稽な事です。そのような兵器は聞いた事がありません!通信機械にしてもリアルタイムで交信できる程の代物は連邦にも存在しません!」

 

そうだ、そんな物は存在しない。無いものを定義して考えるのは夢想家のする事だ。軍の参謀としては発想が飛躍している。現実的合理性がない。合理性のない考えはまだ仮定でしかない。それなのに大隊長殿は、

 

「その仮定が合っている前提で戦うとしよう」

「ええ正気ですか....!?」

「正気も正気だ。お前は正解に近づく力を持っているが正解を当てる力はまだまだだな」

 

確かに大隊長殿のような即断即決ができる判断力は持ち合わせておりませんけど。

そんな笑って言わなくても良いじゃないですか。

 

「――安心しろ私も同じ事を考えた」

「なんですって」

「お前と意見が一致したなら仮定は限りなく正解に近づくのだよ副官君」

「ですが敵の異常性は変わりません、どうやってアレを打破します」

「君が自分で言ったじゃないか敵の指令所があると。私はもう目途を付けたよ」

「......まさか!」

「ああ、あの高台に敵の指令所はある」

 

彼女が指を指す先は、先ほど第三十三ー八中隊が全滅の憂き目に合った制圧目標だ。確かにあそこなら全体を見渡すには格好の場所だ。大隊長殿が同じ考えだったと云う事は、もしや第二波の目的は敵の指令所を炙り出す為の陽動作戦だったのか、

 

「三つの進軍ルートの内、あそこが最も早く激しい迎撃を受けた。恐らく敵の中でも精鋭にだ。よほど守りたい者が居るのだろう。故に高台を制圧すれば奴らの統制は失われると考えて良いだろう。歩兵を高台の背後に回して攻略する、第三波はそれの援護だ準備を進めてくれ」

 

まさか其処まで考えての第二波攻勢だったとは思い至らなかった。

我らが大隊長殿はたった二度の攻撃で敵の指揮官を見付けてしまったのだ。

次の第三波で決着はつくだろう。

 

「それでは直ぐに攻略部隊の編制をしてきます」

「――いや違うぞ、私達の役割は援護だ。攻略部隊にはもう准将が要請を頼んであるだろう」

「我々以外の部隊で?」

 

驚きを隠せなかった。

自慢ではないが我が部隊は精鋭だ。大隊長殿においては既に将校クラスの力量を持つ。連邦軍中を探してもこれだけの部隊は存在しない。

その我々を差し置いて攻略部隊を任されるとは、どこの部隊だ。

 

「性格には難があるが有能だ、准将に助けられて少し丸くなっていたがな」

 

可笑しなものを見たとでも言いたげに笑みを浮かべる大隊長殿を見てますます謎が深まる。彼女が准将という人物はウェンリー准将の事だろう。最近、何やら仲良さげに話しているのを大勢が目撃している。あの野郎、手出したらぶっ殺してやる、それは部隊全員の総意だ。

.....まあいい。

それよりもウェンリー准将が助けた部隊と聞いて思い当たる節がある。

数日前に北の上流で保護した部隊があったのだ。

だが、まさかあの生き残り部隊を使うとは思わなかった。

あるいは彼自身の要望だろうか。

 

—――――――

―――――――――

 

それから十分後、準備を終えた第三十三装甲大隊の元に通達が来た。

「――攻略部隊が予定の地点に到着しました。作戦を開始します」

それを聞いた彼女は無線機をonにして、

 

「大隊総員突撃せよ、これが最後の命令だ。武運を祈る」

 

温存していた戦力の全てを叩き込むつもりだ。手加減する気はなかった。

いや、その余裕もないのだ。驚く事に追い込まれているのは我が部隊も同様だ。ここで勝てなければ逆に窮地に陥る可能性がある。ありえない事だが、戦場では何が起きるか分からない。奇跡もあれば地獄もある。混沌が支配する場所だ。

 

....いや、やはりありえない。

どうあがいた所で高台の帝国軍が彼の将軍に勝つ確率はゼロに等しい。

その男は最年少で将校過程を突破した英才だ。

直ぐにでもあの高台は制圧される。

なぜなら我が連邦軍が誇るその男――

 

ヒューズ・フェリクス中将率いる4千の兵が高台攻略を開始したからだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

....天才という名の自負は粉々に打ち砕かれた。

 

それがこの戦争で俺が得た唯一の戦利品だ。

その他大勢の凡人は天才の為にその生を投げうつのは当然の事だと思っていた。

だが人生で最大の辛酸を舐めさせられて、

泥にまみれながら恐怖に引き攣って逃げて来た事で分かった。

俺は天才だと思いあがっていただけの凡人に過ぎなかったのだと云う事を。

 

大勢の部下を見捨てて逃げたのは戦略上の観点からではない、死にたくなかったからだ。それ以来、何のために生き延びてしまったのか考えるようになった。彼らの死を無駄にすることは許されない。

彼らの死を背負い、彼らの無念を払う事が俺に許された唯一の償いなのだ。

 

そして今、その好機はやって来た。

 

6万人を切り捨て敵の激しい追撃から生き延びたのはこの時のためだったのかもしれない。

そう思えるほどの好機。

上手くいけばこの戦いそのものを終わらせる事が出来るだろう。

 

最初は疑問だった。

なぜ戦線が崩壊しないのか戦場を見渡す中、不思議に思っていた。

空からの爆撃をまともに受け正面から大軍に押されている。

これ程の被害を受けて敵の士気は絶望的なはずだ。

にもかかわらず戦いは続いている。ありえない。

戦えるはずがないのだ。兵士というのは群として機能している内は機械の様に動く事が出来る。だが一旦それが機能しなくなれば脆い。戦線は歪に綻んでいる。大勢の前線指揮官が不在、あるいは戦死したのだろう。つまり集団的機能は絶望的なレベルに低下している。

言うなれば各自の部隊が独断で行動している状況だ。幾つもの部隊が戦場の只中で孤立している。本来であれば其処まで群としての機能が弱まれば戦意を喪失して敗走するか、呆気なく刈り取られるものだが、敵の抵抗は予想以上に強い。

それは敵の士気が高い事を意味する。

この状況で前線の兵士が諦めない理由は一つだ。

 

――それは軍団司令官の存在に他ならない。

帝国軍の司令官が危険を冒して前線に出張る事で、彼らの士気を首の皮一枚で繋げていたのだ。

それを知った時は驚きよりも感嘆した。感動すら覚えたと言っていい。

司令官自ら危険を承知で前線に出向くなど普通ではありえない。

後方の安全圏で指揮を執るのが普通だ。何時でも逃げられるように。

だが敵はそれをしない。普通なら愚かと断じられるべき行為だ。

 

だが普通とは何だ?

凡人が定義した浅はかな考えの事だ。故に敵をその定義で当てはめる事は出来ないだろう。何故なら敵は普通じゃない――化け物だ。

先の戦いで感じた畏怖、決して俺程度の凡人では理解できない常識を超えた何か。

それこそが天才なのだろう。

 

「―――」

 

きっと彼を止めなければ、この状況は逆転する。

もう既に未知の爆撃機を撃墜するという前兆が現れ始めていた。急がねば。

あの化け物を捕らえるチャンスは今しかない。

倒すではなく、捕らえる。

 

彼――帝国第三皇子ラインハルト・フォン・レギンレイブを捕縛する絶好の瞬間は今この時だ。

帝国の皇子を捕まえる事が出来れば高度な政治的材料に使う事が出来るだろう。

見捨てた部下達に報いる事ができる。

 

彼が指揮しているであろう高台に数千の兵を差し向けた。

喉元に刃を突きつけられた状態でどう凌ぐ。

もし逆転を講じる手があるというのなら見せてくれ。

この卑賎な凡人に六万人を殺したあの時の様な鮮やかな一手を。

だが今度は俺も一緒に戦う。もう逃げはしない。

 

ヒューズは敵であるラインハルトに魅せられていた。決してたどり着けない境地に至っている敵に対して尊敬すらしていた。その過程で得た挫折が彼を強くした。自分の弱さを認めた事で地に足が着いたのだ。指揮官として一段階押し上げられた彼の部隊は強く。あっという間に高台を制圧するかに思われた。

 

――だが、それを許すはずがない男がいた。

 

第15軍団攻略部隊4千人が中腹まで差し迫った時、彼らの前に現れたのは、それまでとは異なる部隊だった。真紅を基調とした黒衣の軽鎧装部隊。腰には帝国所縁の儀礼剣を差し、多連装機関銃で武装している。その陣容からは不退転の意思を明確に感じられる。最初から撤退する気は微塵も無い。敵から放たれるプレッシャーで立ちはだかる壁を想起した程だ。

 

時刻は13時45分。

早くも真上の日が傾き始めた高台を舞台に、この戦争の行方を決める戦いは始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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七十二話

現在の戦況を一言で言うならば、絶体絶命。それ以外に適した言葉はないだろう。

正面から装甲部隊を中心とした敵が押し寄せてきているし、空からいつ爆弾が落ちて来ても不思議ではない状況だ。そしてトドメとばかりに背後から敵の歩兵部隊が登ってきているとの通信が先程あった。電撃戦の要である戦車を破壊するのに集中していたせいで、いつの間にか防衛線を抜けられてしまっていたようだ。

 

どうやら敵はココがくさいと感じたらしい。

気取られぬように注意を払っていたつもりだったんだが、やはりさっきの攻撃で気づいたのだろう。敵の狙いを逸らす余裕は無かった。それほどに敵は強かった。

こちらの方が圧倒的に情報伝達の疎通が早いはずなのに、敵の動きはこちらに勝るとも劣らない。恐らく敵の指揮官は感覚で戦場を見通しているのだ。つまり勘と経験則だけで俺の歩兵戦術システムに食らい付いている。

 

これが経験の差か。

いや、システム自体が完全ではないせいでもある。

俺一人の負担が大きいのもソレが理由だ。

一時間ぶっ通しで指揮していれば疲労で判断も誤るさ。

 

――それでもまだ想定内だ。

この高台に敵が列挙として押し寄せる事は予想がついていた。

崩壊しかけていた戦線を支える為に俺が此処に居る事を味方全員に伝えている。

その御蔭で士気はギリギリの所で保たれているのだ。

これがなければ既に戦線は崩壊していた事だろう。

 

つまり俺が危険を押してでもこの高台に来た理由は三つ。

一つは正面から迫り来る装甲部隊を戦車破壊のV1部隊で迎撃するため。

二つ目は司令官自ら前線に出て兵士達の士気を上げる目論見があった。

とある異国の地では御大将が前線に出陣しなかったがために味方の士気が下がり、そのまま負け戦に繋がったという前例が幾つもある。俺は城を枕に腹を切るつもりもないし戦を終わらせない為に士気を下げる訳にはいかないので嬉々として前に出た。側近には強く引き止められたが無理もない。

 

だが俺がこの戦いに勝つためには是が非でも必要な事だ。

何故なら三つ目の理由というのは――俺自らを囮にすることだからである。

 

敵が有能と見込んで俺は賭けに出た。

敵は直ぐにでも捕虜にした帝国兵から指揮官の詳細を調べ上げるだろう。

それがまさか帝国の皇子だと云う事が分かれば、司令官の首だ戦場に居る誰よりも価値はある。敵は必ず俺を倒すか、捕らえるかで血気に逸るだろう。つまり敵の目が俺に向けられる。

 

それは自然と戦場全体の戦力バランスが一つ所に傾く事に他ならない。

右翼と左翼の軍が担う労力は今よりずっと楽になるだろう。その間に建て直しを図る。といっても別に右翼と左翼の軍で現在の状況を打破しようというのではない。戦闘を継続するだけで十分だ。

決して中央・右翼・左翼に布陣している支援連隊の88m高射砲を破壊されるわけにはいかない。

あの兵器だけが戦局を変える唯一の勝利条件だ。

その条件を満たすことが出来れば――敵は後退を余儀なくされるだろう。

 

だが、その間俺達は耐え続けなければいけない。

前後を挟まれた形で何千という敵から高台を死守する。正直難しいというレベルではない。

 

我ながら作戦とも言えない。

一つのピースが欠けるだけで破綻する、ハッキリ言って成功確率はゼロに等しい。こんな事をするのは馬鹿のやる事だ。もしこの戦いに負ければきっと俺は大馬鹿者として世間に笑われる事だろう。出来る事なら今からでもやり直しを要求したいところだが、

まあそれも良いだろう。受け入れてやるさ、そう思える。

 

俺に後悔がないのは仲間を信じているからだ。

どんな結果でも受けいれる覚悟がある。

だが同時に俺もまた彼らの信頼に応えなければならない。

だからこそ彼らの期待に応える為に負けるわけにはいかない。

 

「.....矛盾しているな」

 

だがそういうものだろう。俺達は矛盾の中に生きている。

そうしなければ生き延びられないのだから。

窮地の中に活路を得るしかないのだ。

全員が生き残るために戦っていた。俺の周囲にいた者達も持ち場に向かい。一人また一人と俺の元から去って行く。俺の近くに居るのは最小限の護衛だけだ。そして、

 

「....殿下、これより私も騎士団の指揮を執りに向かいます」

 

皇近衛騎士団1500名は既に高台防衛の任に赴いている。現在は中腹辺りで上がってくる敵と交戦している事だろう。あそこが最も壮絶な激戦地となっている事は報告を聞くまでもない。団長であるシュタインに選抜されただけあり、彼らは俺の誇る施設部隊の中でも最も練度に優れた部隊で。最も信頼おける部隊だ。だから俺が言うべきは一つ。

 

「ああ――背中は任せた」

 

あえて顔は見なかった。これが最後の会話だと思わない。彼は必ず帰ってくる。

だから俺は俺の務めを果たそう。

俺は無線機の受信感度を広域にして全ての私設部隊に告げた。

 

「総司令官ラインハルトより全部隊に告ぐ。――認めよう、戦況は厳しいものである。強大なる敵より勝利を見出すは至難の状況といえよう。だが決してココが死に場所だと思うな。死ぬ時は一緒だろうがココで死ぬつもりは全くない。まだ妻を娶ってもいないからな、美人な嫁と子を為して家族を作るのが俺の夢だ。夢半ばに散るつもりはない。お前達もそうだろう、甲斐性なしの俺と違ってお前達には一人一人に待っている家族が居る。誰でもいい大切な者を思い出せ、その者の顔を曇らせるな」

 

その言葉で脳裏に浮かんだのはセルベリアだった。

きっと俺が死んだら彼女は泣くだろう。

誰よりも強いくせに涙脆くて、氷の如き美貌の裏に甘えたい幼子が覗いている。

強くて弱い愛らしい女だ。

そんな彼女を残して逝けるはずがない。

 

「.....だから帰るぞ俺達の故郷に」

 

恐らくコレがこの戦いのラストオーダーだ。

少しは味方の士気に効果があれば良いんだが。そう思って辺りを見渡したのだが、兵士達は感極まったように俺を見ていた。膝を着いている者までいる。

どうやら効果が絶大だったようだ。

後で聞いた話だが彼らはもう死ぬ覚悟をしていたらしい。

もはや死ぬしかない状況で、主の俺が諦めてない事を知り、自分を恥じたらしい。

 

兵士達の目が変わる。負け戦特有の不安に揺れた目はない。

それからは早い。一人の意識が全体に派生するのは直ぐの事だった。

先ほどの広域通信を聞いて全ての部隊が奮起する。

たかが言葉、されど言葉だ。

時に言葉が与える力は絶大な力を発揮する。

 

それだけで敵に勝てるほど戦争は甘くない。

だが。それでも先程よりは負けにくくなったのは誰からの目にも明らかだ。

 

 

 

***

 

 

 

陸上大型艦と超重戦車の一騎打ちで始まった。

第二次アスターテ平原二日目の戦いは佳境に移っていた。

平原地帯に展開していた帝国軍の前線部隊は爆撃機の擲弾降下によって甚大な被害を受けたのは知っているだろう。その後、帝国軍の前線は丘陵地帯まで後退した。この時に受けた装甲部隊による電撃作戦で一万もの将兵が戦死する事となった。現在の前線は丘陵地帯の入口付近となっている。その近くの高台より状況を打破する為にヴァジュラス・ゲイルを投下した事で敵装甲部隊の撃破に成功、多大なる戦果を上げた。拮抗状態が形成され、その間に前線部隊の立て直しを図るも、丘陵地帯の複雑な地形を生かした敵の歩兵部隊に、隙を突かれて背後に回り込まれた。他の部隊が迎撃に動くよりも早く強襲した敵を防いだのが1500名からなる皇近衛騎士団だ。

 

両軍共に激しい戦いだった。

お互い一歩も退かず、目の前の敵を倒し続けた。

両者が流した鮮血で高台が紅く染められた程だ。

 

――約二時間で皇近衛騎士団700人が壮絶な戦死を遂げた。

 

中腹に点在していた急造のトーチカ群は全て破壊され、迎撃の為の防衛陣地も悉く制圧された。

頂上までの侵入経路は無防備な状態だ。このままいけば頂上までの制圧は免れない。

――だが、

 

「......ゴフッ」

 

その前にシュタインの剣がヒューズの胸を貫いた。

泥と血で全身が汚れ満身創痍のシュタインだが、その目は強い輝きを放っていた。

スラリと肉から剣身を抜き放つと、血が溢れ出た。

致命傷である。

 

「....そうか、この一瞬の為に防衛陣地を放棄したのか、味方を犠牲にして、

.....俺の首を狙いに来るために」

 

全ては一瞬の事だった。

味方の死体に紛れて近づいてくる事に気づけなかったのだ。

仲間が死んでいくのを横目に、淡々と血の海を這う。

何という精神力だ。いや、まるで死ぬ事を恐れていないかのような気迫すら感じられる。

でなければこのような凶行を成し遂げられるはずがない。

 

「無謀な策だ、死を恐れないのか?」

「.....あの御方に救われた時より私の死はあの方の為にある。ならば私の命で彼が救えるのならば何を躊躇う必要があるのか分かりません」

「――っ」

 

きっとこの男は大切な者の為になら死ぬ事すら出来る狂人だ。

その目が物語っている。

妄信的な澄んだ目だ。死に行く魂すら身震いする。

どんな生き方をすればこんな精神構造になるのだろうか。

 

最後の一瞬はそんな只の疑問であった。

 

「――集え、一斉射撃」

 

力の抜けた人形の様に倒れかかるヒューズの死体を、シュタインは素早く剣を手放した右手で盾の様に掴んだ。続けざまに呆然と構える敵に向けて左手の軽機関銃を撃ち放つ。

奇襲を仕掛けた騎士団10名による一斉射撃がヒューズの手勢50名を襲った。

忽然と現れた少数の敵に第十五軍団生き残り部隊は即応出来ず、瞬く間に数を減らしていった。

遅れて反撃する敵の銃弾が盾にしたヒューズを肉片にする。

成人男性の平均的な体重60㎏を優に超える肉の盾を片腕だけで支えているシュタインは実に淡々としたものだ。微塵も罪悪感なぞ感じていないだろう。敵もまさか自分達の隊長を盾に使われているなんて思ってもいないはずだ。

 

もはや原型を留めてすらいない肉の盾をあっさり放り投げると素早く散開する。

ようやく異変に気づいた敵が攻略を一旦取り止め引き返してきたのだ。

シュタイン達は20人にも満たない小勢だ。あっという間に殺されるだろう。

 

――ここで援軍が到達しなければの話だが。

 

駆け下りる敵の横から蒼い影が突貫した。

それは一人だけではなく何十というヴァジュラの部隊だった。

ゲイル部隊――V2が戦闘を開始する。

 

彼らの力は対歩兵に限って言えば一局面を変えうる程の機能だ。

やはりと言うべきかその戦いぶりは凄まじい。敵兵を次々と薙ぎ払っていく。

その戦いぶりをトーチカの影から見ていたシュタインは何故か顔を歪めた。

怪訝な様子で呟く。

 

「.....ここで温存していた彼らを使うという事は、前線で何らかの動きがあったはず、

その目的が殿下の救援か前線の交代かで意味が大きく変わる....」

 

前線の引継ぎ。すなわちV1との戦線交代であれば、それは戦闘の継続を意味する。

――つまり殿下がリューネに託した作戦は未だに成功していない。

そう考えるのが自然であり妥当な判断だ。

だがもし、V2の作戦内容がラインハルトの救援であるならば話は変わる。

目的が成功した場合のみ、高台より撤退する手筈になっているからだ。

 

――殿下の推測が正しければそれで勝利条件の一つが埋まる。

 

早急に聞き出したい欲求に刈られるが混戦状態の最中だ。先ずはこの戦いを終わらせなければならない。幸い敵は指揮官を失っている、戦いが長引く事はない。

 

「直ぐに終わらせ戻ります――それまでお待ちください」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

数刻前、

 

『――目標の戦車は全て破壊した。作戦は.....成功だ』

「っ....よくやってくれた!本当に良くやってくれた!」

 

V1部隊長リューネ・ロギンスからの報告に、ラインハルトは安堵した。

 

電撃戦に最も必要な要素となる戦車、その破壊こそがV1に与えた作戦内容である。

ソレがどれほど難しい事か考えるまでもない。

通常の戦い方であれば無理だった。

人型の戦車による戦術歩兵システムを活用した効率的な戦法が不可能を可能にした。

ヴァジュラと戦術歩兵システム、そしてゲイル大隊。

これらが揃っていたからこそ成し遂げられた成功だ。

 

『旦那のおかげだ、あんたの指揮がなかったら俺達はその前に全滅していた」

「俺の指揮に迷わず良く動いてくれた、無理をさせたがお前達にしか不可能だった」

『そうかもな、アスターテ軍事演習場の軍事座標図を知っていたのが俺さん達だけだから、他の部隊に任せられない』

 

彼らが俺の命令通りに動けた訳はソコにある。

アスターテ平原は演習場として使われているのは知っての通りだ。

そういった軍が所有する地形にはそれぞれ専用の座標が付けられている。

効率的な兵の運用の為に作られたものだ。

今回はそれを応用した。

おかげで緊急的に使用した戦術歩兵システムだったが、座標図を理解していたV1は俺の指揮に付いて来る事が出来たのだ。因みに座標図の提供元はアイスだ。

山岳地帯の地図を得た時に一緒に受け取っていた。

何が必要になるか分からないものである。

だが時間も無かったので、伝える事が出来たのはV1のみだった。

彼らの起こした功績は計り知れない。

 

「少しばかりお前達を酷使しすぎたな」

『.....ん?ああ、そうだな少し無理をしちまったかな』

「どうした?」

「心配すんなって少し疲れただけさ」

「そうか....ちょうどV2部隊と交代時間だ後は彼らに任せて戻ってこい、予定の位置に整備拠点を用意している30分あれば.....っ」

 

立ちくらみに似た眩暈を感じた。

三時間ぶっ続けで指揮を執り続けたのだ。

肉体ではなく精神が疲労したのだろう。

そうだ三時間だ、それはヴァジュラの稼働限界を示している。

 

彼らは無事なのかと心配になるが問題ない。

三時間以降からは搭乗者に危険が及ぶと云っても直ぐに、何かが起きる訳ではない。

段々と熱が留まり続けるだけだ。その過程で冷却機構が破壊され搭乗者に危険が及ぶ仕組みだ。

30分程度であれば持つ、その時間なら整備拠点に戻ることも可能だ。

現にイムカ達は稼働限界から45分も経過した後に助け出されたが、死者は一人も出ていない。

 

どうなるか分からなかったので既にV2部隊を出動させている。

俺の計算上であれば何の問題もなく引き継げるだろう。

そのはずだった。

 

『すまんそりゃ無理そうだ』

「....なに?いまなんて言った?」

『言うか迷ったんだがな。さっきから冷却装置が働いていない。急激に熱量が上がり始めている、このままいけば数分でお陀仏だ.....参ったなこりゃ』

 

最初は冗談を言っているのかと思った。

だが冗談半分で言っているのではない事が彼の声音で分かる。

少しばかりの不安とある種の覚悟を感じ取ったからだ。

何らかの異常が起きている事は確定だ。

だがラインハルトにはそれが受け入れられなかった。

 

「!?――馬鹿なありえないっ、それほど早く危険域に達するはずがない!」

 

――いったい何が起きている。急激に熱量が上昇を続けているだと。そんな現象は実験段階では起きていない。いったい何が原因で異常事態は起きている。

 

何が起きているのか考え――そしてラインハルトは気づいた。

ヴァジュラの耐久実験では行っていない事を、知らず行ってしまっていた。

それは一つしかない。

戦術歩兵システム【SARS】だ。

だがそれで何故、稼働熱の上昇が起きているのか、

 

「っ分かったぞ、それは――バッファオーバーラン現象だ!」

 

バッファオーバーラン現象、

それはコンピュータープログラムにおける、設計者の意図していないメモリ領域の破壊が起こされる欠陥の一つ。又はそれによって引き起こされる現象の事だ。

つまりこの異常はヴァジュラ体内の演算機能が戦術歩兵システムによって圧迫された事が原因で冷却機能が破壊されたのだ。稼働熱が上昇しているのはその為だ。

言うなれば旧型の携帯機で最新のソフトを取り込むようなもの。

必要な出力を上げる為に熱量が高まるのは当然だ。

 

「まずい早く戻れ!」

『....ダメだ動けない、これも稼働熱の影響か?....暑いな蒸し風呂に居るみてぇだ』

 

愕然とした。

急激な熱量の上昇は冷却機能が完全破壊された事を意味する。

その熱量は運動機能を司る回路にまで影響を与える程だ。

救援部隊を送る事を考えるが、ダメだ遠すぎる。

同様に同じ前線で戦う第三機甲軍に助けさせる案も駄目だ、

彼らにはヴァジュラを整備する術がない。

整備部隊を前線に出す危険は犯せない。全滅すれば他の部隊も共倒れになる。

一瞬で幾つもの救出案を作り出すが、導き出された回答は、

――もう間に合わない。

 

あまりにも残酷な結果だけが答えとして現れる。

――なんて言えばいい。彼らに何を伝えるべきだ。あと数分で脱水症状で死ぬ事を言うのか?それとも敵に鹵獲されるのを防ぐために組み込まれた一定の熱量を超えると発動する一種の自爆装置について伝えるべきか?

どちらにせよ死ぬことを教えろというのか。残酷すぎる。

答えは何も伝えない、言わない事なんだろう。

それがお互いのためだ。

――だが、それは無責任過ぎるだろうが。

 

「リューネ・ロギンス隊長、聞いてくれ――」

 

現状を全て説明した。

システムの欠陥によって引き起こされた事故である事、助けに向かわせても間に合わない事も、出来る事は全て隠さず話した。それが俺に出来る唯一の責任だと思ったからだ。

手短に説明を終えると、返ってくるであろう罵詈雑言を待った。

 

『....ッチ、こんな事なら80年物のグリューワインを飲んでおくんだったぜ』

「何を呑気な事を言っている?俺は見捨てる判断をしたんだぞ何故なにも言わない!」

『旦那がこうなるから言うか迷ったんだ。別に旦那が悪い事なんて一つもないだろ』

「だが、これは非道だ。俺はお前達を死に駒として扱ったんだぞ、戦争に勝つためだけに」

『そうだこれは戦争だ、何も文句はないさ、今更泣き言を喚くくらいなら、最初から旦那の手を払いのけてたさ、こうなる事を理解した上で俺達は旦那と契約したんだ。....なめんなよ俺達を』

 

覚悟が足りていないのは俺の方だった。

彼らは覚悟を決めていたんだ。とっくの昔に。

 

『他の奴らの事も気にするな、旦那はあの時終わるはずだった俺達を助けてくれた。光の方に引き込んでくれた。自由を与えてくれた。感謝してるぜ、だからこれは創意だ。俺達が犠牲になる事で旦那がこの戦いに勝てるならきっと俺の人生に悔いはない、ありがとよ』

「礼を言うのはこちらの方だ、ありがとう」

 

感謝してもしきれない。

彼らが戦車を破壊してくれたおかげで、僅かな勝利の道筋は生まれた。

 

『ニュルンベルクに戻る事は無理そうだからよ、あいつらの事....頼んで良いか』

「V1部隊全員の家族に恩赦を与える、その後の生活も出来るだけ助けよう。英雄達の残した家族は絶対に俺が護る.....だから何も心配する事はない」

『よかった旦那ならそう言ってくれると思っていたぜ、だから戦えたんだ.....全くそこまでしてくれる奴なんていねーよ、変な奴だよな旦那は』

「当然だ」

『.....はは、旦那がこの国を治めたらきっと良い国になるだろうな]

「リューネ?」

『旦那ならこの国を....このクソッタレな国を変えてくれる、俺みたいな亡命者でも自由に暮らせる国を作ってくれるだろう」

 

途中で意識が混濁している。

俺に話しかけているのではない、独り言を呟いている。

恐らく自分の心情を無意識に吐露しているのだ。

 

『その時は俺も戦うからさ....アイツの考えだけじゃないよ。俺も決めたんだ』

「リューネ、お前....」

『俺は旦那を....―――』

 

そこで通信は途絶した。

恐らく通信機能まで破壊されたのだと考えられる。

急いでモニターを確認した。識別反応はまだ生きている。

だが――

 

「.....ああ」

 

モニター上のヴァジュラを示す光点が次々と消えていく。

識別消失が意味することは一つ――自爆装置が作動したのだ。

ヴァジュラという兵器の情報を敵対勢力に渡さない為の措置がプログラム通りに実行されていく。

80あった光点はもう10程度しかない。

それも一つ一つ泡沫のように消えていく。彼らの命が消えていく。

モニターで彼らを感じているのに何も出来ない。

嫌がおうにも無力さを味わされる。黙って見ている事しか許されない。

そして無情にも最後の――リューネの識別反応が消えた。

 

この瞬間、V1部隊の全滅が確認された。

あまりにもあっけない最後の瞬間を見送った俺は無線機の周波数をV2部隊に変える。

 

「最重要通達だ作戦内容の変更を行う。プランB2

V1部隊との前線交代を中止、至急俺の元に集合せよ本隊を回収した後、撤退する」

 

目的は達成した。

これ以上ここに留まる必要はない。

彼らの死を無駄にしない為にも今は後方に退く。

無線機をonにして後退する準備を行わせる。

特に機器類は重要だ。一つも残さず回収しなければならない。

 

――また俺は仲間を死なせてしまった。

 

そう思った瞬間、視界が歪む。

先程から感じていた眩暈がひどくなったようだ。

動悸も激しい、息が苦しくなってきた。

 

「――殿下!?」

 

その言葉を最後にラインハルトは意識を落とした。

 

 



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七十三話

「――後退ですか」

 

その通信を聞いたターニャは高台攻略が失敗に終わった事を悟る。

信じられない事だった。

作戦の成功率は高い、作戦前はそう思っていた。

だが結果はこの通りだ。

ターニャの視界には戦車の残骸が映っていた。彼女の第三十三装甲大隊の保有する中戦車だ。それが夥しい数、大破していた。それを視野に耳は無線機に傾けながら疑問に思った事を問う。

 

「私の部隊だけではなく、全部隊を後退させるのか?」

『はい、全部隊を平原中央のクレーターまで後退させます、そこで敵を向い撃つ算段です』

「本気で言っているのか?私の部隊はほとんどの戦車を失ったが、まだこちらには三万の将兵と、

ビンランド合衆国義勇軍の爆撃機が健在だ。まだ我々は負けていない!」

『っ!――そうは言われても上官命令ですので!コール33は指定の位置に向かってください!』

「何だと貴様、どこの部署だっ上官の名前を言え!勝算があるのに引き下がっていられるか!」

 

なぜか統制官と喧嘩腰の言い合いになった。

確かに自分を含め多くの犠牲が出たのは認める。

だが空からの爆撃という圧倒的なアドバンテージがありながら、後退するのはどういう事か理由を説明しろ。というのがターニャの言い分である。かくなるうえは上官某に掛け合ってやろうと思っていた。だが好都合な事にその上官の方が割って入って来た。

 

『あーここからは僕が切説明しますんで、君は別の部隊にコールをお願いします』

 

――この威厳の欠片もない声はもしや。

 

『あ、変わりました僕です分かりますか?』

 

「え、ええ....やはり准将でしたか。

.....それで後退の理由に関してはいったい?いま後退すれば我が軍は完全に勝算を失います、それは准将も分かっているはず」

 

『ターニャさんが疑問に思うのも当然です、ですが少々事情が変わりました』

 

「事情ですか?」

 

『はい、600秒後に爆撃機は完全撤退を開始します』

 

「っなぜ!?」

 

『知っていると思うけど、合衆国は僕らの連邦とは軍の仕組みから違う。その戦法や戦争理論も全く異なる仕組みで構成されている』

 

「勿論それは知っていますが、戦争理論が違う?.....まさか」

 

『そのまさかで、僕もさっき知ったんだけど。

....つまり――戦闘ドクトリンも根本から違ったんだ」

 

戦闘ドクトリンとは、

作戦・戦闘における軍隊の基本的な運用思想の事を言う。

それは不原則的な戦争を学術的に研究したものであり、簡単に言うと教科書のようなものだ。

才能がない者でも読み込めば誰でも一定の効果を上げる事ができる。

つまり戦闘ドクトリンとは軍隊の行動指針を決める時に欠かせないものなのだ。

因みに電撃戦もコレの一種である。

 

「僕たちには意識のズレがあった。この大進攻は連邦軍にとって、その後の命運を分ける程の戦争になると考えられている。どれ程の犠牲を出しても負けるわけにはいかないと本国は覚悟の上で犠牲者に対する見積もりを出した。だけど合衆国はそうじゃない、彼らは僕ら程に決死の覚悟で挑んでいる訳ではない、それが撤退戦略案に現れている」

「あ!」

 

彼の言わんとしている事が分かった。

撤退戦略案。つまり兵力数が一定の数を割った場合のみ撤退が許される割合の事だ。

連邦と合衆国ではその割合が違う。

なぜそんな当たり前の事を失念していた。

その時、ウェンリーの言葉を思い出す。

600万からなる大軍故の慢心。――それがこれか。不味いぞ。

ただでさえこの国は一世一代の大博打を行っている最中だ。

 

「.....確か連邦軍の撤退許可割合数は撤退が5割、降伏可能が7割越えだったはず」

 

コレは通常の連邦軍の割合ではない。

本作戦[ノーザンクロス]では直ぐには撤退できない様に割合が引き上げられている。

連邦の決死の覚悟が窺える。

――では合衆国義勇軍は?

 

「撤退が3割、降伏可能は5割越えだ」

「なんてこと」

 

目を覆う。

あの爆撃機は今まで何機撃墜された。

私が視認しただけでも10機を超えていただろう。

彼女の予想通り、

総勢60機の爆撃機部隊『フライングタイガース』はこの時点で被撃墜数18機に上っていた。

3割という条件を満たしている。

半ば機械的に合衆国義勇軍は戦闘ドクトリンに基づき、撤退を決めた。

陸地に取り残された連邦軍を見捨てて爆撃機は西の空に旋回していく。この時、彼らには連邦軍を見捨てたという気はなかった。仕方ないのである。軍の規制に忠実なだけ。

あらかじめ決まっていた事を実行している、ただそれだけだ。

だが連邦軍にとってはたまったものではない。

 

「クソッ!民主主義を騙る拝金主義者共が!」

 

遠くの空に消えていく飛行機の群れを忌々し気に睨みつける。

あっという間に影も形も無くなった。

恐らく西の空軍基地に向かって行ったのだろう。

 

この時点で戦いの優劣は最初に戻った。

不味い事になる。制空権を失った以上、勝負の行方は兵力数がモノを云う。

電撃戦で1万を削ったとはいえ、帝国軍は6万もの兵を残している。

こちらは3万弱を下回る、単純に二倍の兵力差である。

真正面から立ち向かっては勝ち目がない。

後退を決めた准将の判断は正しかった。

 

「分かりました直ぐに後退を始めます」

 

ターニャは自らの過ちを理解して、直ぐさま前線から退く準備に取り掛かる。

彼女にしては諦めが早い気がする。

自慢の戦車部隊を壊滅状態にさせられたのだ。彼女の怒りはいかほどのものか。想像しただけで副官は身震いしていた。激情のままに攻撃を仕掛けるかと思ったが彼女は冷静に指示を出している。

それは彼女が受けた任務が関係していた。

ターニャが与えられた任務というのは先述した通り――

 

ターニャの目の前には数領の中戦車が鎮座している。

シャーマン中戦車でもなければ連邦製の戦車でもない。帝国軍Ⅸ号戦車だ。

より正確に言えば突撃機甲旅団が保有する戦車を鹵獲したものだ。

ターニャは既に目的を達成していた。これを本国に送還すれば任務は成功だ。

 

――部下の死はこれで報いる。

美しい壮健な戦車だ。最初の爆撃で戦闘不能にしていなければ我が部隊はこの戦車によって負けていた。これを本国が研究したら連邦の戦車製造レベルは向上するだろう。

これらが連邦で量産され戦線に配備される事になれば最も帝国軍を苦しめる兵器となるはずだ。

それが私なりの復讐だ。

 

しかし、それを妨げる存在が居る事をこの戦場で知った。

人の形をした帝国の新型兵器だ。

もしあれが帝国で量産される事になれば悪夢でしかない。

戦車戦という概念が根底から覆される。

だからこそ知識をこちらも有する必要がある。

 

「――そう思って鹵獲したのだがな」

 

Ⅸ号戦車の横にガラクタが山積みされていた。

何らかの部品だったのであろう機械が無造作に重ねられている。

それはヴァジュラの残骸だった。

破壊されたもの、捕縛されたものとで分けられていたのだが、今はゴミとして一つに固められている。そうこれはゴミだ、驚異の戦闘兵器でも、それ以外の何でもなく、無価値なものとしてただそこにある。

 

つい先ほどまでの戦利品はこうだ。

戦闘不能にしたもの――8体。

鹵獲したもの――4体。

計――12体のヴァジュラをターニャは手に入れていた。

今は0だ。コレがどういう事か分かるだろうか。自爆したのだ。背中のラジエーター機構が限界負荷に達して内部から爆発した。これで外部・内部ともにダメになった。

中の人間が苦しみながら死ぬのをターニャも見ていた。

恐らく敵に奪われる事を防ぐための処置だと考えられる。

だが、あれは人が作り上げた物のする所業ではない。――と考えるのがこの時代の価値観である。

故に、

「これを作った人間は普通じゃない、多かれ少なかれ狂っている。

こんな物を作る、造れてしまう帝国は人を人とも思っていない証だ!!」

 

そう思ってしまっても仕方ない事だ。

彼女もまた帝国の圧政に虐げられた一人なのだから。

――やはり帝国臣民は虐げられている。

彼らを助ける事が出来るのは我達だけなんんだ。

 

帝国の圧政に苦しめられている人々を救う事こそがターニャの真の目的だ。

そして故郷をこの手で開放する。

母に託された夢を思い返していたターニャの元に驚きの報告が舞い降りた。

一人の兵士が駆け足気味にやって来て、

 

「――例の鎧兜に生き残りがいました!」

「なに、本当か!?」

「はい重傷ですがまだ息があります!」

「私の元に連れて来い。――いや私が行く!」

 

制止を聞く前に兵士の横を走り抜ける。

そこは直ぐに着いた。

ここまで近いと前線から最も深くまで入り込んだ敵だろう。

つまり連中の中で最も強い精鋭と推測できる。

到着したターニャの前では、ちょうど鎧から中身を引っぺがす作業が終わる所だった。

 

見るも無残な姿だ。生きているのが不思議な程に。

特に背中の傷が酷い。皮が割け肉が焼け爛れている。恐らくだが爆発の衝撃で背骨も折れていた。何も処置しなければこの男はもって数分で死ぬ、素人目でもそれが分かった。

ターニャにとってこの死にかけの男は部下の仇だ。殺してやりたい程に憎い。

このまま放置してやろうかと思った。それも一瞬の事で、

 

「救護班を呼べ。この男を助けるぞ!帝国の犠牲者だ!」

 

男を助ける事を選んだ。

素早く兵士にタンカーで運ばせて衛生兵の元まで向かわせた。

帝国の非道な実験に巻き込まれた哀れな犠牲者を助け出す。――という同情だけで助けるわけではない。その情報を抜き取る事で帝国に打ち勝つ鍵とする。

 

連れて行かれた男を見送ったターニャは傍らに放置されていたヴァジュラを見下ろす。吹っ飛んだ背中の辺りに型番が刷られている。番号名――001、恐らく隊長機だ。唯一この男だけが生きていられたのも、それが関係しているのだろう。そう考えると納得がいく。この男にだけ特別な安全機構が備わっていなければ他と同様に即死だったはずだからだ。つまり男は帝国軍にとっても特別な地位にいる可能性が高い。

――情報局に渡したら拷問されるだろう。それとも.....。

 

「まあいい、考えるのは後だ――撤収するぞ!」

 

被りを振って歩き出す。帝国軍が攻勢を仕掛けてくる前に離れるとしよう。

.....ふと振り返って高台を見据える。

そういえば帝国軍の様子が大人しい気がする。前線から聞こえていた激しい銃間の声が段々と弱まっていた。もしかすると帝国の方でも何かあったのかもしれない。――引き分けたか。

だとすると.....本隊は間に合うかもしれないな。

 

明日の明後日、約10万の兵が到着する。

そうなれば北東戦線本隊が今度こそ帝国軍を蹂躙するだろう。

私達は負けたが目の前の帝国軍に――勝ち目は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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七十四話

その日は最悪の目覚めだった。

最初に感じたのは朝日の木漏れ日でもなければ、小鳥の囀りでもない。

ラインハルトを覚醒させたのは激しい地面の揺れだった。

 

「――何だ!?」

 

飛び起きて辺りを見渡す。何が起きているのか把握するのに数十秒を要した。2月の梅雨のように思考が鈍い。それでも寝起きの気怠さを一瞬で吹き飛ばした原因を思い出す。

――戦いは?V2部隊に命令を与えてからの記憶がない。そこから倒れたのか、理由は....そうだ、俺は仲間を失ったんだ。

 

彼にはもっと生きて欲しかった。不条理な人生を歩んできた男がようやく幸せを掴もうとしていたのに。全ては俺の責任だ。.....だが悔いていられない。事実を受け止めて前を見据える。俺はまだ生きているのだから。泣き言は死んだ後で幾らでもできる。生きている間は戦い続ける、俺の為に死んだ者達の為にも。

まずは現状を把握する事から始めるべきだ。

 

「.....あれからどうなった?」

 

部隊を後退させる命令を出してからの記憶がない。

少なくとも俺が生きていると云う事は味方も生き残っているはずだが。

作戦は上手くいったのだろうか。

 

ラインハルトの目的は連邦軍を後退させる事にあった。

その為には爆撃機を撤退させる必要があると考えた。

最初から全滅できるとは思っていない。だがそれで十分だ。

ヴィンランド合衆国が航空機を投入したのはこれが初めての事。つまり戦略的観点から見ても無理はできないはずだ。全滅は避けたいだろう。そして恐らく爆撃機を操作するパイロットは合衆国の人間だと思われる。義勇軍として加入した合衆国の部隊が支援したと考えるのが妥当だろう。

 

ならば付け入る隙はある。

全滅を避けたいのであれば一定の数を撃墜するだけで撤退するだろう事は容易に推測できた。

敵が撤退を判断する数は分からなかったが、多くはないだろう。合衆国にとっても大事な虎の子のはずだからだ。

そして爆撃機が撤退すれば連邦軍も退かざるをえない。制空権を失った時点で勝敗は兵の数が物を言う。それでも戦場に留まろうと考える奴は無能か馬鹿か、一握りの天才だけだ。

 

十中八九敵は後退する、その瞬間こそが千載一遇の好機だ。

俺ならその瞬間、全部隊で攻撃を開始させる。

全力で一斉攻勢に転じれば兵力差で我が軍の勝利は確実だ。

それがラインハルトの考えていた作戦の全貌だった。

 

だがラインハルトは倒れ、その間の過程を知らない。それが一抹の不安となってラインハルトの表情を曇らせる。もしかすれば現状は好転していないかもしれない。

胸中に妙な焦りを覚えたラインハルトの前にひとまずの朗報が現れた。

ラインハルトが眠っていた簡易天幕の元に一人の男が入って来る。

その男を見てラインハルトは笑みを浮かべた。

 

「無事だったか」

「殿下もご無事で何よりです、直ぐに医師を...」

「必要ない少し頭が鈍いだけだ問題ない」

「そうですか」

 

その男――シュタインも笑みをたたえて返礼する。

別れた時から何も変わらない様子だ。目立った怪我はない。

激戦があったはずなのに。

 

「流石だな、俺が命拾いしているのもお前達の御蔭なのだろうな」

「痛み入ります、その御言葉で死んだ者達も報われましょう」

「ああ、皆は良くやってくれた。それなのにこの俺の体たらく済まなく思う」

「そのような事は....」

「――いい、それよりも爆撃機の撃退は上手くいったのか?」

「敵の新型飛行部隊は撤退しました、殿下の目論見通りです」

「そうかウェルナーもやってくれたか、奴には無茶をさせた後で労うとしよう」

 

ウェルナー達の働きがなければ、こうして無事に話をする事も出来なかっただろう。それほどにこの戦争で彼らが果たした功績は大きい。存分に褒美を与えてやらなければな。

ラインハルトはひとまず最悪の展開は免れた事に安堵した。

それから何があったかを知るべくシュタインに問う。

それを待っていたのだろうシュタインは淀みなく答える。

 

「背後より迫る連邦の歩兵部隊を特務試験部隊と共に一掃した後、殿下の元に馳せ参じました。お倒れになる前に出された命令に則り、我々は前線からの後退を行いました。時を同じくして連邦軍も後退を開始したようです、やはり例の飛行部隊の撤退が決め手になったのは間違いないかと」

「だろうな、あれは空からの圧倒的なアドバンテージがあってこそ効果を発揮する突撃戦法だ。空からの支援がなくなれば連邦軍に優位性はなくなる、むしろ全滅を回避した敵の判断が優れていた。.....いやこれは俺の責任か、俺が倒れさえしなければ直ぐに進軍命令を出し決着をつけられたはずだ.....」

 

首を振っての言葉にラインハルトは目を瞑る。

何があったのか段々と分かって来た。――だからこそ後悔の念が湧き上がる。

 

「――やはり俺のせいだな、司令官不在で一時的に指揮系統が乱れたんだろう?だから直ぐに攻撃は行えなかった。敵はその間に後退しただろうから戦闘は今も継続中か――」

「はい殿下が倒れてからちょうど1日が経過しました、その間に敵は平原中央のクレーター付近まで退き、先程までは攻略戦が行われていました、敵の防衛力は堅実で攻略の目途は未だ経っていません.....」

ラインハルトの顔が悔し気に歪む。シュタインの言葉は続き、

「――ですが攻撃に転じられなかったのは前線の被害が予想以上に重度なものであったためです、敵が退いたのに合わせて我が軍も編成を立て直す必要があったのです。それで遅れが生じました。なので殿下がお倒れになられたから決定的な好機を逃した、と云う訳ではありません」

 

早とちりしているラインハルトに言い聞かせるようであった。

爆撃の被害がそこまで及んでいたとは思わなかったラインハルトは「そうだったのか」と軽い驚きを口にした。ラインハルトをして爆撃機の威力は予想を超えていた。

やはり合衆国は危険だ。今までは連邦にばかり目を向けていたが今後は合衆国も視野に入れておかなければならないだろう。

 

「だが今はあの国よりも連邦軍を――っ!」

 

またもや大きい地面の振動を感じた。

だが地震とは違う。爆発で起きる人為的な一瞬の揺れだ。

その揺れの強さに危うくベットから転げ落ちかけるラインハルトを咄嗟にシュタインが支える。いまの揺れが先程、自分を覚醒に導いたものと同様のものである事を瞬時に理解した。同時に前日にもこの揺れを体験した事がある。

 

――まさか!?

ラインハルトの顔が一気に強張る。

動揺する主君を腕にかき抱いてシュタインは言った。

 

「ご自分の目で確認されるのが良いでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

この戦争は今まで多くの予想を超えて来た。

信じられないような現実が次々と押し寄せて、こちらを翻弄しようとして来る。どんなに必死になっても現実は常識を外れて目の前に現れるのだ。

そして今日もまたラインハルトの想像を軽々と超えた。

 

丘の上にラインハルトは居た。

天幕が在ったのはラインハルトが倒れた場所からそう遠くない所にあったのだ。そして視線の先、より厳密には双眼鏡の先だが――の映る光景にはあの陸上戦艦が存在した。

先の戦いで鹵獲した超重戦車の一撃により大破したはずのそれだが、レンズ越しに見える戦艦は壮健な姿を誇っている。つまり全くの別物であるその戦艦は平原で帝国軍を相手に猛威を振るっていた。

艦橋上の機関砲のバラ射ちで吹き飛ばされる兵士達で血の海が作られている。

帝国軍は為す術もなく逃げ惑うしかない。敵は十万を超えている。圧倒的な兵力に前線の帝国軍は後退を余儀なくされていた。

目を疑う光景に立ち尽くしていたラインハルトの傍らにシュタインが立ち。

 

「約二時間前に敵の増援が現れました。計画通り我が軍はV2部隊でこれの迎撃に当たっています」と説明をするがラインハルトはそれどころではない様子で、血相を変える。

「どういう事だ陸上戦艦が二隻だと.....!?」

 

ラインハルトの絶叫が示す通りアスターテ平原で猛威を振りかざす戦艦の数は一つではなく、その後ろにもう一つ同質の物が鎮座していた。攻撃には参加せず戦場を傍観しているに留まっているようだが、戦場に与える影響力は甚大だ。ことラインハルトに与えた影響は大きい。二隻ある事が問題ではないのだ。複数存在する事が問題なんだ。いったい連邦にはどれほどの余力がある。まだまだ力を隠しているのではないか?そう疑わせるには十分な光景だ。

一隻だけでも苦戦は必死だというのに。それが二隻、あるいはそれ以上あるとなると絶望的だ。

このままでは全滅するぞ。

 

――逃げるしかない。

 

指揮官なら誰でもそう考えるはずだ。

ラインハルトも直ぐさま司令官として全軍に滅諦命令を下そうとした。

だが寸でのところで、おかしいと感じた。

こんな状況であれば、例え無能な指揮官でも撤退を決断する。

ならばなぜシュタインはそうしない。

俺が何かあった場合、指揮権はその下に引き継がれる。

彼は有能を絵に描いたような男だ。戦局を理解していないとは思えない。

 

だとすれば何故。

 

その疑問に答えるように戦場で変化が起きたのは正にその瞬間だった。

気付かなかったが、よく見れば北の方角でも戦いが起きている。

なんだ?と思って双眼鏡に目を当てる。

映ったのは奇妙な光景だった。

それは――

 

「あれは騎馬隊か?」

 

ラインハルトの目に困惑の色が灯る。

あのような部隊はラインハルトの軍には存在しないからだ。

しかし強い。騎馬突撃で連邦兵を蹴散らしていく様は見事というしかない。古来よりの戦いぶりを思わせる彼らの戦法だがそこに古さはない、まるで新しい近代兵科のようである。現代でも通用するように作られている完成された戦術だ。その後ろから遅れてやってくる大軍を見て、ラインハルトはようやく気づいた。

 

はためく旗印に見覚えがある。

紅の下地に金の馬鎧――ハイドリヒ伯の軍勢だ。

 

そうこの時、北より現れたのはアイスの軍だった。

北より迫っていた連邦軍の別動隊を迎撃する為に一週間前に別れた友が、敵を倒して戻って来たのだ。その数は6万。別れた時より倍の数だ。ハイドリヒ軽騎兵団も完全復活を遂げている。

あれがハイドリヒ伯として認められたアイスの力だ。

それは士気にも現れていた。

敵の兵器を見ても士気は衰えるどころか、

ここからでもハイドリヒ伯軍から立ち上がる気炎が見て取れるようであった。

 

位置的にちょうど陸上戦艦を前にしても臆した気配はない。

それどころか軽騎兵団は陸上戦艦に向けて突撃を敢行する程だ。

 

「無謀過ぎる!死ぬ気か!?」

 

見ているこちらが青ざめる程の突撃に思わず叫ぶ。

当然、陸上戦艦も北から迫る軽騎兵団を見過ごすはずがなく。

長大な四門の機関砲を差し向けると、狙いを定めて照射する。

四発の轟音が轟きハイドリヒ軽騎兵団に降りかかる。

地面が爆発して馬と人が吹き飛ばされる。衝撃で馬から投げ落とされた者もピクリとも動かない。何十人もの騎兵が犠牲となっても、なお止まる事はない軽騎兵団。

 

「止めなければ全滅するぞ!アイスに通告しろ!」

「それには及びません」

「馬鹿な....」

 

何を言っている?

焦るラインハルトとは裏腹にシュタインは何も問題ないとばかりに淡々としている。

どうやら彼らの突撃の意味を理解しているようだ。

そしてシュタインは意外な事を言う。ラインハルトを見て逆に問い返したのだ。

 

「お忘れですか?この戦いの筋書きは殿下が計画したはずです」

「なに?」

 

俺が計画した筋書きだと?

いったい何の事だ。俺がこの状況を作り出したというのか?

困惑を隠せない。

倒れたショックで忘れてしまったのか。

思い出せないラインハルトにシュタインは語り掛ける。

思い出せるように、讃えるように、

 

「強大な敵と相対し幾多もの苦難を乗り越え、ようやく我々は殿下の描いた到達点を迎える事が出来たのです。.....本来であれば到底起こりえるものではなかった難行、その御業は神すらも欺き、奇跡を現実のものに変える鬼策、殿下はあの日、ニュルンベルクで我々に伝えたその時から、この日を待っていたはずです......」

 

おもむろにシュタインは指をさす。

自然とそれに釣られたラインハルトの視線がアスターテ平原を見た。

シュタインの指し示す先にあるのはハイドリヒ伯の軍勢。

()()()到着した彼の軍の中心だ。

 

そう彼らは北から現れた。

つまりそれは、彼女が来る方角と同じだ。

――まさか。

緊張が高まる中、シュタインの声を聞いた。

 

「最強の矛の帰還を......」

 

瞬間、軍勢の中から信じられないような光が迸り放たれた。光の線が平原を割るかのように突き進み、瞬きをする刹那の間に軽騎兵団の頭上を飛び越え――そして陸上戦艦の艦橋が光に飲まれた。

その光景を戦場に居る誰もが見ていた。

誰もが理解できないなか、目を見開いたラインハルトは、それが反撃の嚆矢であったことを理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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七十五話

「....閃光の被弾を確認、ですが被害軽微のもよう、僅かに着弾点が逸れたようです。次は照準を0.5mm下げて修正してください」

「分かった」

 

黒煙を上げる陸上戦艦から、遥か十数キロ彼方に二人は居た。

 

いつもの侍女服を風になびかせ。草原に立つエリーシャが指示を出している。

その恰好に似つかわしい軍用望遠スコープを目に当てて。

その横でヴァルキュリアの槍を構えるセルベリア。

その彼女は通常の構えとは異なっていた。普段であれば中世の騎士の如く構えるそれを、現在はその身を地面に伏せながら、長大な槍を狙撃銃のように構えている。

 

その図が表すことは一つ。狙撃したのだ陸上戦艦を。

いかにセルベリアといえど、この距離を目視で当てる事は不可能。

故にエリーシャが目となり、狙撃をサポートした。

それが先程の一撃だ。

狙いは機関部を外れて艦橋とそこにいた軍人を焼き尽くすだけに終わったが、その射程と威力は絶大だ。このまま一方的に槍の力で蹂躙できるのではないかと思う。

しかし――

 

それから間もなく放たれた第二射目が陸上戦艦に直撃する事はなかった。

放たれた光の嚆矢が戦艦に直撃する寸前で捻じ曲がり外れたのだ。

その結果を分かっていたセルベリアは立ち上がる。

 

「やはりこの距離では当てられないか。私の力は長距離間で湾曲するから。全力で質量を込めても掠めるのがせいぜいだな」

 

無敵に思えるセルベリアの力も万能ではない。

弱点とも言えないものだが、短所は存在する。すなわち長距離面だ。

セルベリアの力の性質は光渦だ。

つまり波長が光である以上、大気中の水分が薄い鏡膜のようになって光を捻じ曲げる。

大気の影響は距離に比例する。

短距離なら問題ないが、長距離ともなればその影響が『湾曲』となって現れる。

これ以上やっても体力の無駄だ。

だから――

 

「接近して直接この槍を叩き込む」

 

それが最も確実に敵の軍艦を沈める方法だろう。

どれほど強固な耐久力を誇る戦車だろうと紙くずのように貫くヴァルキュリアの槍。その一撃に閃光線を合わせれば破壊できない兵器はないと自負している。

そうなると足が必要だな。軍艦に近づく為の足が....。

 

そう考えていたセルベリアの元に、図ったかの様に馬蹄の足音が近づいて来た。

数名の従士を引き連れて壮年の騎士がセルベリアの前に現れる。

 

「セルベリア殿!お待たせしもうしたな!」

「貴公は確か軽騎兵団団長ユリウス卿か」

「カッカッカ!貴女様に名を憶えて頂いたは光栄の至りですじゃっ、それよりも作戦内容に変化があるように見受けられたがいかがした?」

「お分かりになられましたか、恥ずかしい事に最初の一打で仕留めるつもりでしたが見た通り外れました。ゆえに必中の距離にて敵を狙いに行こうかと思います」

「成る程。.....あい分かった!それならば儂の軍馬をお使いくだされいっ我が名馬は一瞬の内に百里を駆けましょうぞ!」

そう言うとユリウスは躊躇う事無く馬から降りた。

驚く事に自らの愛馬をセルベリアに渡そうというのだ。

コレには見ていた従士たちも驚きの表情である。

物に拘らないユリウスという男が最も大切に手掛けていた馬だ。

そんな事を知らないセルベリアでも、この馬がユリウスにとってどれほど大事な物なのかが見ただけで理解できた。よく手入れされた見事な馬だ。だがそれゆえに疑問に思う。

 

「いいのか?」

「勿論です!先の戦いではセルベリア殿の救援があって勝ち得たようなもの!主君を助けて頂いたお礼と思って下され!それにこやつで武勲を立てて貰えれば儂にとって至上の喜び、それが軍艦を相手にしたとなれば尚更!」

 

興奮した様子で語るユリウスはまるで子供だ。

彼の心にあるのは一つ。愛馬に跨ったセルベリアが軍艦を討ち果たす光景を目撃したい、ただそれだけ。新たな英雄の誕生の瞬間に心を逸らせていた。

それは先の戦い――つまりハイドリヒ軍と連邦軍との戦いで見せた英雄的行動の数々が原因でもある。

ユリウスの協力を得て開戦を前に大軍勢を招集する事に成功したハイドリヒ軍。開戦当初は戦いを優位に進ませる事が出来た。しかし敵は十万を超える敵。次第に戦いは膠着状態となる。、

その攻略の鍵となったのが北より南下してきたセルベリアだった。あくまで偶然だが背後を取る事に成功したセルベリアの攻撃により警戒の薄かった連邦軍は動揺し、その隙をアイスは逃さず全軍による進撃命令で連邦軍を蹴散らした。――という経緯があってセルベリア達に対する信頼は高い。

「それにアイス伯よりセルベリア殿を支援せよとの命令を拝命されております!」

「了解した、ならばありがたくコレは頂戴しよう」

 

ひらりと軽やかに飛び乗ると軍馬の上に跨った。

ヴァルキュリアの槍と盾を手に跨るセルベリアの姿は正に戦乙女の名に相応しく、近代的な戦場に似つかわしいギャップも相まって現実離れした姿だ。

 

セルベリアは見据える。

遥か彼方の戦場を。連邦軍に押されている帝国軍の姿を。

敵の戦艦が味方を攻撃している。このままでは味方は総崩れになる。

そうなれば今度こそあの人を失ってしまう。

そんな事を許せるはずがない。

 

「守って見せる必ず!」

 

その思いに呼応するかのように馬がヒヒンと嘶いた。

名前はカエサルと言うらしいこいつは。

初めて乗られるはずなのに一切拒否する様子もない。まるで最初からそれを望んでいたかのように。セルベリアは軍馬と共にあった。

私のせいで危険な目に遭わせてしまうな、と鬣を撫でてやれば。

気にするなと返事をする。

穏やかに笑みを浮かべていたセルベリア。その視線が黒煙を上げる陸上戦艦に向けられる。

 

これより作戦を開始する。

前代未聞の一騎駆けだ。その場の者達が目撃するのはお伽噺の様な光景。

人の力では抗えない巨大な敵と戦う――魔女のお話である。

 

 

 

**

 

 

「中陣、突撃!セルベリア殿に続け――――――っ!!」

 

威勢の良いユリウスの突撃命令を背に、青い彗星の如くセルベリアを乗せた軍馬が真っ先に飛び出した。足元の榴弾で掘り返された悪路をものともせず、赤茶けた大地を矢のように駆ける。

すぐさま場面は何万という人間が蠢く戦場に転換した。

先んじて突撃した先陣が既に連邦軍と熾烈な争いを繰り広げている。

その役目はセルベリアに道を作る為である。敵戦艦までの道だ。

セルベリアを含めた中陣、第二波が来た事に気づいた敵が部隊を揃えて掃射する。

だがセルベリアには意味が無い。その全ての弾雨を盾で無効化してしまった。

おまけに馬に直撃するはずの弾丸でさえ張り巡らせた蒼いオーラが悉くを弾いてしまう。

セルベリアは全く速度を落とさないままに敵の前衛まで躍り込み、驚愕する敵に向かってバッサリと斬り払う。それだけで冗談のように人が死ぬ。鮮血が彼らの視界一面を紅く染め上げた。

 

「死にたい奴から前に出ろ!」

 

更にもう一度、ブンっと槍を振り回す。

青い光芒が円を描き、その内側に居た敵はなます切りにされる。まとめて五人が一気に死んだ。硬い戦闘服を着こんでいたにも関わらず、薄絹を裂く様な手軽さで切断されたのだ。理解よりも早く先に死が訪れた。

それは彼らにとっても幸運だったのかもしれない。仲間を殺されたと逆上した技甲兵がセルベリアに近づき、自らのレンチを振りかざしたその刹那、返す刀で戻って来た槍の側面で強かに打ち付けられたからだ。糸の切れた人形の様に吹き飛んだ技甲兵は即死出来ず、折れた肋骨が肺に食い込み地獄の苦しみの後に絶命した。

 

「何だこの女は!?」

「ふざけやがってぶっ殺してや」

「煩い私は急いでいる!」

「ぐぁああっ!?」

 

抵抗しようとした兵士の武器が腕ごと消失した。

グルグルと回る槍先から放たれた光の一矢が吹き飛ばしたのだ。手加減できる技でもないとはいえ手首から先を失った兵士は狂ったように絶叫している。

セルベリアは正しく連邦軍にとって災厄をまき散らす魔女だった。

当たるを幸い、槍の力を行使して暴れまくる。

密集している敵兵に光弾を撃ちまくり葬っていく。

セルベリアの操る軍馬が進む事に犠牲者の山は増えていった。

 

「退け退け――――!」

 

敵わないと悟った部隊長が後退の号令を出す。

前衛で脂汗をかきながら防衛に従事していた兵士達がそれを聞いて助かったとばかりに勢いよく逃げ出していく、その背中を見ていたセルベリアは周囲を見渡した。

見れば周りの敵は軒並み後退している様子だ。

各自の判断にしてはタイミングが良すぎる。

恐らく後方の軍司令部が前衛を引き下げたのだろう。

その理由は――

 

――瞬間、セルベリアは無数の榴弾に襲われた。

爆発の勢いで視界の土砂は巻き上げられる。

たった一人の敵をターゲットにして十数発の榴弾が打ち上げられたのだ。その威力は凄まじく点で叩かれた地面には幾つものクレーターが出来ていた。その一帯を噴煙が覆っている。

その様子を見守っていた連邦軍側から歓声が上がる。

セルベリアを狙い撃ったであろう筒状の武器は名を『擲弾砲』という。

本戦争より新たに追加された物だ。

開発したのはヴィンランド合衆国。曲射攻撃を可能とする迫撃砲の一種で、強力な破壊力を秘めた新兵器。エディンバラを通じてヴァロワに送られていた。

生身の人間が受けたらひとたまりもないだろう。絶命は必死だ。

 

だからフラリと煙の中からセルベリアが現れた時、それを見ていた擲弾兵は腰を抜かしてしまった。幽霊を見たとでも思ったのだろう。

だがセルベリアは無傷だ。その身に怪我一つ負っていない。

身動き一つ取れない敵に向かってセルベリアは言う。

 

「弱い弱すぎるぞ。この程度では私を殺せない。

......私を殺したいなら211ミリ榴弾砲を持ってくるといい」

「ヒッ.....うわああああああ!」

 

人間離れしたセルベリアに敵は恐慌状態となった。彼女が見せた力の一端を理解できず、圧倒的な大軍にも関わらず逃亡する兵士が続出する。反対に並びなき強さを誇るセルベリアに軽騎兵の士気は過熱する。追撃を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

「.....いまのを見たか?」

 

驚愕を隠せない副官の隣でパエッタは唸るような声を上げた。

彼らがいる場所は、戦場渡せる位置に居た戦艦アルバトロスのブリッジ内だ。

ここからならセルベリアの戦いぶりが逐一見通せた。

槍を翳し青き光芒を閃かせ、極大の光で味方を飲み込んでいくセルベリアに副官は青ざめた顔で、

 

「はい信じられません。....まさかアレは」

「奴だ.....七年前に俺達の友達を皆殺しにした.....あの魔女だ。

.......ふ、フハハハハハ!」

 

突然の狂ったような笑い声に周囲は唖然とする。

それまで見せた事のないパエッタの姿に一時は騒然となりかけたが、副官が何とか落ち着かせた。パエッタに対しても平静を促す。ようやく笑い声を止めたパエッタだが見詰める先は一点、セルベリアのみに注がれていた。仲間を見捨てた七年前から、今まで生恥を晒して生きて来た、全ての理由はあの化け物を討ち果たすためだ。

パエッタは命令する。復讐を果たすために。

 

「これよりアルバトロスは戦闘態勢に移行する!進路一帯に避難命令を出せ!進路を左舷に転換後、前進を開始せよ!.....全ての砲門は照準を一点に集中!目標は敵騎兵団の先頭に立つ脅威の帝国兵だ!」

 

この日の為に用意した陸上戦艦が真の目的の為に動き出す。

質量三千トンの巨大建造物は重々しい地響きを立てながらゆっくりと旋回していく。

その間に進路上の連邦軍は急いで避難する。轢かれては適わない。

数十分でセルベリアとの道は開かれた。

発進する直前、パエッタは前方の艦に命令を出していた。

もしもの時を考えての別動策だ。

これで帝国軍に勝ち目は無い。....例え道半ばで果てようとも。

 

そんな不吉な一念と共に前進を開始する。

アルバトロスは動き出した。メイン兵装138mm砲の五つの砲門は、ハイドリヒ軽騎兵団を率いて迫るセルベリアただ一人に向けられていた。

 

 

 

 



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七十六話

旋回を始めた陸上戦艦を見て、敵軍の動きが変化した事に気づいた。

交戦する回数が明らかに減り、戦場全体に流布する雰囲気が明変わる。

いよいよ敵は本腰を入れてきたようだと悟る。

好都合だ。こちらから行く手間が省けた。

現状を見据えてセルベリアは笑みを浮かべた。

陸上戦艦が目標を自分に捉えている。

普通の兵士であれば卒倒する状況だが、ヴァルキュリアであるセルベリアにはそれがない。恐怖はあるがそれよりも恐ろしい事を知っている彼女にとって自身に迫る恐怖はどうということではない。抑制できる。

 

だからこそセルベリアの顔つきが変わる時、それは最も恐れていた事が起ころうとしている事でもある。すなわちラインハルトの身に危険が迫っている場合だ。

何が起きているかというと動き出したのだ。陸上戦艦が。

勿論それはアルバトロスの事ではない。

セルベリアが狙撃を行い被害を被った軍艦『エーゲル』が前進を開始した。

もうもうと黒煙を上げているがそれでも十分な速度で敵の軍艦は帝国軍の本陣に向かっている。

これこそパエッタの別動策である。無事を確認した後、帝国軍本陣に攻撃命令を発令した。

突撃せよと通達したのだ。

 

「させるか!」

 

カエサルの手綱をしならせ本陣に向かう軍艦を追おうとしたが、数十メートル前方の地面に砲弾が直撃する。アルバトロスの133mm機関砲だ。同時に五つが降って来た。直撃こそ免れたものの敵の狙いは明らかだ。妨害と撃破。先にアルバトロスと倒さなければ進めない。だが倒してから間に合うという保証はどこにもない。間に合わないかもしれない。

 

「......」

 

――どうする。もう一度、遠距離狙撃を試みるか?

いやダメだ。この距離では当たらない可能性がある。

やるなら必中の距離、それも一撃で葬らなければならない。

だが近づこうにも敵の壁が厚い。

それを退けている間に敵艦は本陣に到達する。

無理を通せばヴァルキュリアの力だ。何とかギリギリ間に合うだろう。

 

だがそうすれば確実にアルバトロスは後ろのハイドリヒ軍を蹂躙する。

唐突に選択を迫られる。

セルベリアはここで選ばなければならない。

大切な主君か、その主君の親友のどちらかを。

 

普通であれば此処でセルベリアが選ぶのはラインハルトなのは間違いない。

一瞬の躊躇いも無くハイドリヒ軍を切り捨てる。

例えそれでラインハルトの怒りを買う事になろうとも。

それでラインハルトが生きるなら迷いはない。

 

カエサルを方向転換させようとしたその時、セルベリアは視界に映り込んだもの見て思わず笑みを浮かべた。それを確認した瞬間、セルベリアは進路を元に戻した。

なんとセルベリアはラインハルトではなくハイドリヒ軍と共に戦う事を選んだのだ。

 

「......任せるぞ」

 

意味深げに唇から漏れる声。

それにどういう意味が含まれているのかは分からない。

だがただ一つ分かっている事がある。

それはセルベリアとアルバトロスの戦いが避けられないものになった事である。

 

あれだけ遠かった彼我の距離が。もう既に数キロメートルまで縮まっていた。何故か極端に敵との交戦がなくなったからだ。一直線に敵の元まで通過する事ができた。

そこまで来た時、おもむろにヴァルキュリアの槍を構える。

騎士の馬上槍の如く狙いをすませて一気に撃ち放った。

 

空気を巻き込む音を音を伴ないながら突き進む閃光は見事、アルバトロスに命中するも、頑強な鉄板の装甲に虚しく弾かれてしまう。

やはりオーラを込めた全力の一撃でなければあの装甲を貫く事はできないか。

冷静に観察したセルベリアは徐々に馬速を早める。

 

巨大な質量を伴なったアルバトロスがいよいよ目の前まで迫って来た。

その比較は蟻が象と戦うようなものだ。踏み潰されたらひとたまりもない。

現にアルバトロスはその質量を活かしてセルベリアを轢き殺すつもりだ。

圧倒的な力の前では人間ごときを殺す事なんて児戯にも等しい

 

しかしセルベリアに人の常識は通用しない。

彼女もまたその身に圧倒的な力を秘めているのだから。

勝負は一瞬。交差した瞬間に決まった。

 

直前でセルベリアは鐙から跳躍した。

勢いよく空中に舞い上がったセルベリア。目の前に迫るアルバトロス、激突する直前でヴァルキュリアの槍を突きだした。回転する螺旋の槍と舳先がぶつかり合った。

装甲が削れる想像を絶する金切り音が響き渡り。

 

「ハアアアアアア!!!」

 

全力を込めてオーラを撃ち出した。その衝撃でセルベリアの体は後方に飛ばされる。計算していた訳ではないが、衝突の衝撃で潰れる寸前だったセルベリアの体は、撃ち出されたオーラによって緩和された。御蔭で勢いよく空中に投げ出されただけで済んだ。地面を何度も転がり倒れる。

アルバトロスは完全に沈黙した。もう動く事はできない様子だ。

代わりにセルベリアも満身創痍だった。

相打ちで済んだのが奇跡だ。

 

「....いやまだだ」

 

敵の士官を捕縛しなければならない。

あれほどの陸上戦艦だ。前線指揮官クラスのはずがない。

きっとこの戦争を終結に近づける程度の将校が指揮をしているはずだ。

ココで逃せば戦が長引いてしまう。

セルベリアむくりと起き上がり、疲弊する体に鞭打ってアルバトロスに向けて歩き出す。

その足取りはしっかりとしていた。

 

 

 

 

 

 

**

 

 

―――――――――

 

 

―――

 

 

 

カツン、カツンと廊下の奥から足音が響いてきた。

一定のリズムは狂う事なく。静かに、だが存在を示すかのように近づいてくる。

.....来たか。

まるで長年それを待っていたかのように老人は顔を上げる。

 

そして彼女は現れた。

あれからいくばくかの時が経ち、少女は大人になっていた。

美しくなった、と形容するのは敵ながらオカシイ事だろうか。

だがあの時と変わらない。その瞳だけは。

何者にも負けないという強い意志が感じられる。

その力はあまりにも脅威だ。

 

それを見てストンと今までつっかえていたものが落ちた。

どうやっても消えなかった恐怖が薄れていくのを感じる。

判断は間違っていなかったのだと納得した。

 

そうか、これが私の望んだ事だったのだ。

全力を尽くして戦い、そして見事に敗れた。

部下や友が眠るこの地で......。

実に満足な気分だ。例え負けようとも悔いはない。

最後にそれが知れたのだから。

 

だからパエッタは笑みを浮かべてこう言った。

 

「よく来てくれた心から感謝する。君を待っていた」

 

 

 

待っていたと語るパエッタにさしものセルベリアでさえ動きを止めた。

通常であれば勝利をかすめ取った憎き敵だ。

憎悪をもって出迎えるのが筋だと思うが、目の前の指揮官は何やら満ち足りた表情をしている。

どう見ても本心を言っているようにしかみえない。

だが何かおかしい。異常事態が起きようとしている。

いや前兆は既にあった。

セルベリアはブリッジを見渡して。

 

「貴様がこの船の指揮官か......他の乗員はどうした?」

 

ブリッジには誰も居なかった。

そもそもココに来るまで敵との邂逅は一回もなかった。

侵入を妨げようとする兵士すら立ち塞がる事はなかったのだ。

当然の疑問にパエッタは頷き、

 

「儂はこの軍の最高司令官パエッタ大将だ」

「なに!?」

 

パエッタが何者であるかを知り驚きを隠せない。

まさかここで出くわす事になるとは思いもしなかった。

思いがけず戦局の終幕が訪れようとしている事を知る。

かつてない好機だ。そう考えていたセルベリアに、パエッタは先程の彼女の質問を律儀に返した。

 

「兵士は退艦させた。君が相手では無駄に犠牲を強いるだけだからな」

「?私達が何者なのかを知っているのか?」

「君達の事は何も知らない。.....だが君とは初めてではないはずだ」

「何を言っている?連邦軍に知り合いは居ない」

 

事実、目の前の老人に対してセルベリアに覚えはない。

あの日だけで何百人という敵を怒りのままに殺し尽したのだ、

その中の一人であったパエッタを覚えているはずもない。

 

「――残念だなダゴン戦役では私の作戦で君達の部隊は壊滅したと聞いたのだが」

 

セルベリアの目が見開かれる。

思いがけない事を聞いた、何を言ったのか理解が遅れる。

 

「......いま何と言った」

「あの作戦で指揮していたのは儂だ。七年前のアスターテで起きた事を忘れたとは言わせんぞ。それとも君にとっては覚えておく必要のない事だったかな――」

 

それまで警戒していたセルベリアの雰囲気が、ガラリと変わった。

そしてパエッタは感じ取った。恐ろしいまでの濃密な殺気を――しかしパエッタは笑みを保つ。もはや死ぬ覚悟は済ませた。相手に強い関心を持たせる事で少しでも時間を稼ぐのだ。

......だがこれは少しばかり意外だ。これほどまで強い反応を示すとは。

 

内心で驚きを感じていたパエッタの喉元に槍が突きつけられていた。まるで反応できなかった。

 

「貴様が、貴様が......っ」

「....ここまで恨まれているとはな」

「っ当たり前だ!貴様のせいで何人死んだと思っている!」

「それはこちらの台詞だ!よくも儂の部下を何人も殺してくれたものだな」

「先に私の仲間を殺したのはお前達だ」

「ほう、そうだったのか成る程......」

 

納得した。

どうやら彼女もまた多くの友人を失ったのだろう。

驚く事ではない。あの戦争はどちらも痛手を被る形で終わった。

あれは何の意味もない戦いだった。

 

「ならば、さぞかし儂の事が憎いだろう?今すぐ八つ裂きにしたいはずだ」

 

パエッタにはセルベリアの憤怒が手に取る様に分かった。

いっそ先程の一撃で血しぶきを上げていてもおかしくなかっただろう。

だが同時にセルベリアが殺す事はないとも思っていた。

儂が死んだら降伏する者が居なくなる。それでは戦闘が終わらない。

場が混乱して戦争が無駄に長引いてしまう。

だから降伏を宣言させるまでは殺せないはずだ。

 

それが正しい事をセルベリアの苦悶の表情が教えてくれる。激しい葛藤を見せていた。

....せいぜい苦しむがいい、味方の仇を前にして腸が煮えくり返っているのはお前だけではない!

パエッタの心を浸していたのは暗い愉悦だ。

最後の瞬間が訪れるまでセルベリアの苦しむ姿を楽しんでやる、

という負け惜しみでしかない行為だが、復讐を遂げられるなら何でもいい。

復讐する対象が目の前に居るのに仇を討てないのは悪夢だ。

彼女の悔しさは想像を絶する事だろう。

 

――そう思っていたのはここまでだ。

 

ふとセルベリアは突き出していた槍をおろす。

気づけば目に宿っていた殺気が晴れていた。

 

「.....そうだ七年前もそうだった。私は怒りに吞まれて我を忘れた。

――その結果、私は本当に大切な人を失いかけた。......だからもう間違えない。本質を見失わないそれが死んだ仲間の意思だから」

「仲間の死を正当化する気か、それで儂に対する憎しみを捨てきれるか?」

「飲み込むさ、私はもう選択を間違えない」

「馬鹿な君も悪夢を見たはずだ――」

「これ以上の問答は必要ない、そして時間稼ぎに付き合う気もない」

「っ...!」

「お前の魂胆は読めている。私を動揺させ時間を稼ぎ、その間にもう一つの軍艦が帝国軍本陣を急襲する狙いだな......」

 

読まれていたか。確かに帝国軍本陣を陥落させるのが狙いだ。

だがそこまで分かっていて、その余裕はなんだ。

理由は直ぐに分かった。セルベリアが「アレを見ろ」と指差した方角に目を向ける。

ブリッジの窓の向こう、そこには帝国軍を蹴散らして進む陸上戦艦エーゲルの姿がある。

――いや、凝らして見れば艦橋の上で連邦兵を相手に帝国兵が戦っている。

報告で聞いた特殊な鎧で武装した兵士だ。次々と船に乗り込んでは攻撃を行っているではないか。

 

偶然にも先程のセルベリアの遠距離攻撃が功を奏して、艦橋が焼き尽くされた際、地上用迎撃武器が軒並み使いものにならなくなっていた。ヴァジュラス・ゲイルがその隙を見逃すはずがない。侵入に成功していた。それを見てセルベリアは彼女に託したのだ。

 

「信じられんあの兵器が魔女以外に制圧されかけているとは」

「あれが私の信じた仲間だ。――諦めろもう貴様達に勝ち目は無い」

 

投降を促す。なけなしの希望は断たれた。

もはや連邦軍の敗北は確定した。これが覆る事はない。

唯一希望があるとすれば最後に残った四番艦『フォーゲンナー』だったが一昨日から通信が途絶しているため情報が一切分からない。もしあれがこの場にあれば連邦は勝てていただろう。

深いため息を吐いてパエッタは、

 

「完敗だ.....負けを認めよう」

 

それを受けてセルベリアが捕縛に動こうとしたその時、パエッタは懐からある物を取り出した。

手のひらに収まるリモコン形のスイッチだ。

嫌な予感はこのブリッジに入った直後から感じていた。

パエッタの不穏な言葉や乗員を脱出させた事を知り、その予感は現実味を帯びていき、男から離れろと警鐘は鳴り響いていた。

 

――つまりこの男は最初から、

 

「道連れだ魔女よ共に逝こう。この船は君の為に作ったのだから」

 

ブリッジは一瞬で爆炎に包まれた。

 

 

 

 

 














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七十七話

旗艦アルバトロスの爆発は遠く平原地帯からでも確認できた。

勢いよく上がった火柱が空に昇り、黒煙となっている。

壮絶な最後を遂げた大将に向けて敬礼する――北東戦線の決着を見届けたウェンリー准将はかねてよりの作戦を発動する事に決めた。

 

「全軍に撤退命令を指示してください」

「.....了解」

 

管制官達の働きによりウェンリーの命令は直ぐに各軍の指導部に行き渡る。

返答も直ぐだった。反応は様々だ。

曰く――我が軍は負けていないまだ戦える!など血気盛んに継戦を主張する者や、勘の良い物は早速“軍艦が撃沈したのはパエッタ大将の独断専行である”といった責任問題からの回避を口にした。

流石に表立って撤退を口にする者はいない。

ほとんどが反対意見だった。

戦後の事を考えて誰も自軍のせいで負けたと言及されたくないのだ。

 

総司令官が戦死した事を報じてなお反対意見が六割を超えている。

次席幕僚であるウェンリーの声もあまり効果がない。

連邦軍の弱点とも言える短所が出てしまった形だ。

どういう意味かと言うと例えば帝国軍は指揮権が上から下に一本化されている縦社会だ。上が駄目なら次に指揮権が移動する。

だが連邦軍の指揮権は横の並列社会である。そのため各部隊が独立した軍を持っているので意見が分かれやすいのだ。それを統括するのが総司令官の役目である。

逆に言えば総司令官が不在でも混乱が起きない強みがある連邦軍だが、現時点では全くの無意味である。今すぐ撤退に移らなければ各個撃破される恐れがあった。

 

現在、アスターテ平原には13万を超える大軍が存在する。

敵は14万といったところだ。数の上では拮抗している。勝敗の行方はまだ分からない。そう考える前線指揮官が居るのも無理はない。

だが連邦軍と帝国軍の間には大きな隔たりがある事を忘れている。

つまり連邦軍にはこれ以上の増援は存在しないが帝国軍はそうではないという点だ。

彼らは全軍で既に30万人以上もの兵力を失っている事を本当に分かっているのだろうか。

北東戦線はこれ以上兵力を捻出できない。

信じられない事にその事を多くの指揮官が失念していた。

何故か?――それは作戦企画書「ノーザンクロス作戦」の動員兵力600万という数字に惑わされたからだ。かつてない規模で行われる作戦によりその安心感が現実を見失わせた。

指揮官達はまだ戦える、負けるはずがない。そう信じた結果......全滅するのだろう。

新たな敵の増援によって。

 

何が何でも撤退しなければならない。

全滅を避けるために。

状況の危険性を訴えて説得している時間はない。

強制的に今すぐ実行する。その為の手は既に打っていた。

 

「カーン中将が撤退案に賛成を表明!約五万の軍が撤退出来ます!」

 

まず内通者であるカーン中将が撤退を支持した事を全軍に伝える。

彼はパエッタ大将の次に高位の階級である。軍に与える影響力は最も高い。

それによって流れが変わった。

抗戦から撤退へと。全体の意識が傾きつつある。

それでも前線の部隊は最後まで戦おうと腹を括る者もいた。

そういう者達を撤退に決断させたのはターニャの働きが大きい。

最も功績が高い第三十三装甲大隊があえて矢面に立ち、撤退を促したのだ。

復活した戦車部隊は大いに活躍した。

 

最後に本隊を引き継いだウェンリー准将が、約3万の兵を動かす事で、全軍の意識は一気に撤退に移る。駄目押しとばかりに、

 

「この撤退に関する全ての責任は僕が負います」

 

と言った事で各国の部隊長は納得した。

幸いとばかりに動き出したのである。その一連の流れは見事なものだった。

まるであらかじめ決めていた事を実行しているような整然としたものであった。

 

撤退作戦は成功し、数時間足らずで連邦軍はアスターテ平原を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

敵ながら圧巻の撤退劇だった。

帝国軍は連邦軍の動きに追いつけなかったといって言い。

それ程に迅速な動きだった。

まるで最初から撤退を決めていたかのような、そんな流れがあった。

いやありえない。仮にそこまで読んでいた奴が居たとしたらゾッとする。

敗北を読んでいたと云う事はその過程すらも見えていた事になるからだ。

もしその男が軍の司令官だったら、また結果は変わっていただろう。

戦いに勝ったはずなのに薄ら寒い思いをさせられたのは初めてだ。

 

何てことを考えているのは余計な時間があるせいだろう。

俺はその報告が来るのを待っていた。

一分一秒が長い。

 

―――

――――

 

「第三衛生班より入電!セルベリア様の救助が確認されました!」

「搬送先はどこだ!!」

「ひいっ!?」

 

その報告を聞いた瞬間、通信兵に詰め寄った俺は尋問するように問い詰める。

後になって悪い事をしたと思うが、その時の俺には余裕がなかった。

また喪ってしまうのではないか。俺の胸中を占めていたのは圧倒的な恐怖。

......喪失の恐怖だ。

仲間を失ってしまう。もう十分だ。これ以上はもう耐えられない。

場所を聞きだした俺は急ぎ宿舎兼治療室に向かう。

高級士官が入れられる其処は軍令所の近くにある。

 

気づけば俺の歩みは走り出していた。

早く安否を確認しなければ。という使命感に似た感情に支配されていたのだ。

制止する護衛を置き去りに、伝えられた天幕を探し出すと、勢いよくその中に入った。

もう一度言う、勢いよく入ったのだ。確認する暇も惜しかった。

そういえば高級士官は男女で分かれていたと思い出したのはその後だ。

 

幕内に入って率直に思った事は――白いな。

美しい彫像を思わせるキメ細やかな肌、背筋から首にかけてラインに沿った白い背中が目に眩しい。

 

「......で、殿下?」

 

あちらもこっちに気付いたようで呆気に取られている。

上半身裸のセルベリアが治療を受けている所だった。

俺はそんな彼女の見事な裸身をマジマジと眺め。

そして一言、

 

「....良かった(怪我がなくて)」

 

俺はホッと胸を撫でおろした。

どうやらセルベリアは無傷のようだ。

怪我どころかシミ一つ無い。

長旅の垢を湿ったタオルで拭いたりとボディケアをしているだけのようだ。女医からも軽い問診で済んでいるようだし、ひとまず問題ないだろう。

本当に良かった。

 

「何がそんなによろしかったのでしょうか?」

 

満足気に良かった良かったと何度も頷いていると、なぜか女医からの視線が痛い事に気づいた。寿命が縮まるような心配が無くなり、ようやく俺は自分が何をしているのか客観的に観る事ができた。そういえば女性用の高級士官室は男子禁制だったな。

数倍の敵を前にした時も爆撃機が襲ってきた時も奇跡的に切り抜けて来たラインハルトだったが、この場をどうしたら切り抜けられるか全く思いつかない。

頼もしい味方のセルベリアは――駄目だ真っ赤になって思考に異常をきたしている様子だ。下手すれば敵になりかねない。そうなれば悪夢だ。迅速な撤退が求められる。そう、あの敵の様な引き際を思い出せ。

よし撤退だ。回れ右をして戸に手をかけようとして、

 

「殿下?後でお話があります」

 

巧妙に退路を断たれた。やるなこの女医。

案の定逃げられはしなかった。

まさかセルベリアがあの爆発を受けて全くの無傷だなんて思いもしなかった。――と思うのは俺が悪いのだろう。彼女がどれほど強いのか、あの日たすけた少女が強すぎる。それを忘れていた俺の――不備だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回エピローグ。





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エピローグⅡ/Ⅰ

その後、女医から天幕を追い出された俺は渋々軍指令所に戻り第二次アスターテ戦の事後報告を聞いていた。その内容は膨大で精度に欠けた情報も数多く出回っていた為、一時は緘口令を布くなどして混乱を避ける事になる。通常であれば戦時中と云う事もありおおざっぱに把握できていれば良しというところなのだろうが、あえて一日使ってでも情報の整理に務めた。その間に天幕を訪れたアイスが挨拶に来た。

 

「ラインハルト様の御蔭で我が領土は守られました。我が領内の人間は一生この日の事を忘我する事はないでしょう。.....ハイドリヒ伯として感謝を」

「助けられたのはお互い様だ。結局あの時、駆けつけるのが間に合わなければ負けていただろう。この戦かいの勝利は俺とお前どちらが欠けていても手にする事はできなかった」

「ラインハルト様が窮地の際は次は私が駆けつけます。.....それまでお達者で」

「.....ああ、お前も無理はするなよ」

 

アイスとは此処で別れる事になる。

彼には撤退した連邦軍を追撃する役目があるからだ。

ハイドリヒ領内に残る敵を一掃する。それが伯爵としてのアイスの務めだ。

もう心配する事はないだろう。この戦いで多くの臣下から認められたアイスならば、もう俺が手を貸す必要は無い。きっとハイドリヒ領を守り切るはずだ。

 

彼は増援を待たずして西の森に消えた。その背に軽騎兵団を伴なって。

六万もの軍勢が居なくなった事でアスターテ平原も大夫スッキリした。

だからと云うわけではないが滞っていた報告が流れてくるようになる。

そしてその報告がようやく俺の耳に入る。

Bー17爆撃機の空爆によって消息不明となっていたオッサーが生きていた事が判明したのだ。負傷したものの命に別状はないようだ。その報告が遅れたのも今の今まで意識を失って救護室で眠っていかららしい。起きたら戦いが終わっていた事を聞き悔しそうにしているとの事だった。

それを俺は苦笑しながら聞いた。

 

朗報といえばそれくらいだ。

後は夥しい犠牲者の数や喪失した兵器類等の見積もりが延々と報告書として送られてきた。

その中には俺が見知った者達も含まれる。

誰も死なない戦争なんてものはない。分かってはいた。だがそれでも刻まれた傷は深く苦い。勝利は蜜のように甘いと言うがアレは嘘だな。勝利は血と鉄の味だ。

 

さらに待機すること二日間。

アスターテ平原にようやく待ち望んでいた者達が現れた。

帝国軍本隊その数――約30万人。ぞろぞろと途切れる事のない赤い川が平原に到着した。

軍を率いるのは帝国元帥ガロア・ミュッケンベルガー将軍。

齢六十にして錚々たる偉丈夫を誇る男だ。

彼の到着で反攻作戦『幻狼の扉』が発動した事を知る。

作戦の存在は知っていた。

 

というより、その作戦企画書を製作したのは他でもないラインハルトだ。

父親である皇帝の元に登城した際、来る連邦軍の進撃を予期していたラインハルトは、あの日、反攻作戦を上奏していた。その時は、一笑に付されて終わった。

だが事態は急変する。

まさか上奏した半月後、本当に連邦軍が攻め込んでくると思っていなかった帝国軍上層部は混乱した。作戦本部はまるで対応できておらず、効果的な対抗策を話し合われたが、日々を無為に過ごすだけに終わった。そんな時に目を向けられたのがラインハルトの作戦だ。

 

上層部は目を瞠った。

自分達が何日もかけて作った作戦案よりも優れていたその内容に。

実用的と判断した首脳部。

すぐさま埋もれかけた作戦は実行に移された、というわけだ。

経緯を知って納得するラインハルトは上層部の無能ぶりを改めて実感した。

 

屈辱なのは軍部だろう。

一度は嘲笑った作戦を使用するしかないのだから。

恐らくガロア将軍が出張ったのも、もう失態を見せられないという、思惑の表れだ。

わざわざアスターテ平原に来たのも、つまりここからはラインハルトに出番はない。と言いたのだろう。結局、ラインハルトは第三機甲軍を同行していたウォルフに返すと、軍の思惑通り戦場を後にする事になった。元からそのつもりだったので異論はない。ラインハルトはそう言わんばかりだった。

 

 

そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒真珠の間で行われている舞踏会から、少し離れた中庭の椅子にラインハルトは腰掛けていた。

晩餐会の祝宴内容はアスターテ平原の勝利を祝ってのものだ。

主役であるはずのラインハルトが人の全くいない中庭に居る理由は――ぶっちゃけ面倒だから逃げて来たわけである。半月前までは虚け皇子と呼ばれていた自分が、今ではアスターテの英雄だ。

手の平を返した様に褒めたたえてくる連中が煩わしすぎたのだ。

遠くから明るい音楽が聞こえてくるのを、鼻唄混じりに口ずさみ。

やがてため息を吐いた。

 

「こんな事をしている場合じゃないんだけどな」

 

戦争はまだ続いている。

恐らく年内に終わる事はない。いつ終わるのかも分からない戦争だ。

いまもどこかで戦っている兵士がいる。

だがココにいる連中は戦争を遠い異国の出来事とでも思っているらしい。

自分達には関係の無い事だと、繁栄を享受している。

それがどれだけの血税で賄われているのかも知らずに。

 

確かにアスターテの戦いは大きな勝利だ。

祝う価値は十分にある。戦意高揚に繋がるなら大いに結構な事だ。

――それでも手放しで喜ぶ気にはなれないがな。

 

俺がこの舞踏会に出席したのは必要だったからだ。

大勢の敵を地獄に叩き落す事になったのも、その為だ。

そう、俺がアスターテで三十万もの将兵を殲滅したのには理由がある。

それは――

 

「戦争の早期決着。――()()を結ぶためには必要な事だからなぁ」

 

連邦政府との間に条約を結び戦争を終わらせる、全てはその為だ。

だからラインハルトは大勢の敵を殺した。その後、訪れる真の平和のために。

この馬鹿げた戦いを終わらせるためなら、ピエロにでも英雄にでもなってやる。

出たくもない晩餐会に出席したのも次の上奏合議に入る為だ。

褒美は要らないが上層部に訴える必要がある。

 

「そうなるとまた親父の命令を拒否する事になりそうだが.....まあいいか」

 

皇帝の意に背く事のはずなのに、そこはあっけらかんとしたものだ。

むしろ楽しみですらある。

大事なのは選択肢だ。

例えどんな結果になろうとも選択を間違えなければ最悪には至らない。

その為ならば平気で皇帝の下賜も辞退するつもりだ。

そんなだから虚けと呼ばれるのだが、ラインハルトは全く気にしない。

 

それを考えると気分も乗って来る。今なら音楽と相まって踊りの一つでも披露してやっても良いとすら思う。相手がいないなら歌でも歌うかと本気で考えていると、良い所に来客が来た。

 

「こんな所にいたのですね」

 

慣れ親しんだ声に顔を上げると、庭園の小道からセルベリアが姿を見せた。

今日の服装はいつもと違い、舞踏会用に仕立てられた純白のドレスだ。

私用の衣装ではないだろうから、会場に保管されていた無数のドレスの内からコーディネートされたのだろう。それにしても珍しい、彼女はそういった服を嫌がると思ったのだが。

何はともあれ仕立て人は良い仕事をした。

特に体のラインがハッキリわかるところが完璧だ。

プロポーションが抜群の彼女に良く似合っている。

 

「....街中に立っているだけで広告料を取れそうだ」

「え?」

「なんでもない、それよりどうした舞踏会は?」

「殿下こそ、主役がいないと令嬢方が残念そうでしたよ」

「退屈だから抜け出してきた」

「私もです」

子供がコッソリ抜け出してきた時の様で、おかしくてお互い笑みを浮かべ合う。

ラインハルトが隣を軽く叩く素振りを見せると、セルベリアはそこに座った。

暫く無言の時間が流れる。

だが嫌な空気じゃない落ち着く。

思えば不思議な距離感だ。俺と彼女の関係はなんだろう。

 

「殿下お体の具合はいかがですか?」

「お前今日だけで十回ぐらい同じことを聞いてないか?

戦場で倒れたのは一週間以上も前の事だし、疲れてただけだもう大丈夫さ」

「心配なんです。殿下は危険な事を好む性質なので」

「そんなことは無い。俺は安穏としたいのに周りがそれをさせてくれないんだ」

俺は城に籠って楽して生きたいだけなのに。

あんな命が幾つあっても足りない戦場はもうこりごりだ。

愚痴を漏らすとセルベリアは切なそうに微笑んだ。

 

「私も殿下には安全に過ごして頂きたいです」

「そうだな帰ったら菜園を造ってみるのもいい、命を創る事ほど素晴らしい事はこの世界にない」

「私も手伝ってよろしいでしょうか」

「勿論だ来るものは拒まないさ、何であろうとな」

色々とやる事もあるが、

城に戻れば少しは時間も取れるだろう。

そうと決まれば親父から褒美とやらを受け取って.....。

そういえば。

 

「リアにも褒美を与える約束があったな」

「それは.....」

「何でも願いを叶えてやるというやつだ」

我ながら大それた約束をしたものだ。

俺では叶えてやれない程の願いだったらどうしようか。

少しだけ心配になった帝国の皇子に黙りこくっていたセルベリアが何かを決意したように口を開いた。

 

「本当に何でも叶えてくれますか?」

「も、勿論だ俺に出来る事なら何でも言うとよい」

「.....それでは、この想いを伝える事を許してください」

そんな些細な願いをした後に彼女は言った。

 

「愛しています。...あの日より殿下をお慕いしてまいりました」

ずっと言えなかった。秘めた思いをようやく伝えることが出来た。セルベリアの表情はそんな達成感にも似た感情と不安が混ざり合った事で、何とも言えない顔になっている。つまりドキドキで胸が一杯だ。

 

「.....」

告白を受けるずっと前から彼女の想いに俺は気が付いていた。

だけど気づかないフリをしてきた。彼女の想いには答えられない。そう思っていたからだ。

何故なら俺は――人間じゃないからだ。

全てを話せば彼女に嫌われてしまうだろう。

それが怖かった。

 

――けど、ずっと悩んでいた気持ちにケリを着け、勇気を振り絞ってセルベリアは告白してくれた。だったら俺もその気持ちに応えなければならない。

この人になら俺の秘密を知ってもらいたい。

そう思ったラインハルトは墓場まで持って行くつもりだった秘密を、とうとう話すことにした。

 

「リア、聞いてくれ――」

 

 

 

 

『俺は生まれてから3年で母親に捨てられた』そんな前置きで始まった殿下の語りは、それまでの私が知るラインハルトという人間の印象を根柢から覆す事となった。

事の始まりは殿下が生誕されて3歳の折、母親の愛を一身に受けて何不自由なく過ごしていた殿下は日々にある違和感を覚えるようになった。知らないはずの事を知っている。

本で読む知識も、景色に移る物体も殿下の目に新鮮に映ることは無かった。

 

――遠い異邦の誰かの記憶が俺にはあったのだ。

最初は些細な事柄を思い出すだけだったが、時間が進むにつれ限度が酷くなった。

この世界に存在する物から存在しない物まで。とりわけ多かったのは宇宙を渡る船の知識だ。

それは子供が知るには異常に高度な知識だった。

そんな記憶がおもちゃ箱をひっくり返した様な勢いで思い出されていくのだ。

当然だが――俺は発狂した。

 

それまでの快活な性格は失われ、部屋に引きこもり毎日何かをブツブツと呟く気味の悪い幼児になった。

そんな俺をあっさり母親は見限った。悪魔付きと思われたらしい。まあ半分は正解みたいなものだから仕方ない。

でも当時の俺は膨大な知識に押しつぶされる恐怖で怖くてたまらなかった。

母親という庇護を失った俺を気に掛けてくれる者はいない。

孤独の中で死ぬ寸前だった俺を救ってくれたのは義兄の母上だ。

邸宅に招いて一緒に暮らす事になった。叔母上は優しい人だった。

自らの子供ではない俺に対しても分け隔てなく愛情を注いでくれたんだ。

そこでようやく俺は自分という存在を確立する事ができた。

 

そんな幸せの日々も長くは続かなかったんだが――

こうして俺は俺になった。生まれ変わったんだ。

だけど俺という存在が異質なのは変わらない。実の母親が化け物と呼んだくらいだ。真っ当なモノじゃない。だから俺は誰かに愛されていい存在じゃないのさ。

 

そう言って微笑む殿下は寂しげだ。

知らなかった殿下にそんな秘密があったなんて。

思えば昔から私には理解できない不思議な事を言ったりしていたのも、前世の記憶が関係していたのだろう。理解はした納得はできない。なぜ殿下はそんな事で自分は愛されるべきではないと思っているのだろうか。

 

「本当は殿下は私の事が嫌いなのではないですか?」

「そんなわけないだろ好きに決まっている!」

「本当ですか?私こそ化け物です、他の者にはない力を持っている。比べてみれば十人中十人が私の事を化け物と恐れるでしょう」

「俺はそんな事思ったことは無い、超能力というのは前の世界にも存在した。お前はどこにでもいるただの女だ。だが俺は魂から違う」

「私にとっても同じことです、殿下はどこにでもいるただの男です。化け物の私に優しくしてくれた唯一無二の人.....そんな人を前世の記憶があるからと嫌うはずがありません」

「.....っ」

 

俺は断言するセルベリアの言葉が嬉しかった。受け入れられるとは思わなかった。

記憶を持っている事がコンプレックスに感じていた俺にとってそれだけで救われた思いだ。

人は引け目に思っていた事を、認められた時ほど嬉しい事はない。

こんな俺を受け入れてくれるというのなら、俺はお前を――

 

舞踏会から最終演目の交響曲が流れて来た。

ラインハルトは立ちあがり手を差し伸べる。

 

「せっかく此処に来て一回も踊らないのはつまらん、相手をしてくれないか」

「......はい!」

 

舞踏会には決まりがある。

最後の演目では伴侶としか踊ってはいけないという決まりだ。

伴侶をもっていない独身の男が誘う場合、それは愛の告白となる。

月が綺麗ですね――という感じだ。

つまりラインハルトは古典的表現でもって迂遠にセルベリアの告白に応えたのである。

セルベリアはそれを知らなかったが、どうでもいい事である。

彼と踊るのを七年前の舞踏会のあの日からずっと夢見ていたのだから。

 

「リア――」

「は、はい?....ん」

 

夢見心地で踊っていると唐突にラインハルトに呼ばれて、気づけば唇を奪われていた。

同時に演目の歌も終わる。静まり返る中庭で二人は唯一の鼓動を確かめ合う程に抱き合う。このまま時間が止まればいいと思った。――だが突然その静けさが破られる。

遠くの草陰からガサリと音が鳴る。

 

「――誰だ!?」

 

セルベリアをして近くに居た者の気配を感じられなかった。完全に気配を隠していたその何者かは驚いたように走り去る。黒い影が突風の速さで横切り庭園の奥に消えた。直ぐに追いかけるがドレスを着ていたセルベリアが追いつけるはずもない。直ぐに見失った。

セルベリアが捜索している間に、ラインハルトは草葉の影からある物を見付ける。

 

「......これは」

 

ラインハルトも見た事のある意外な物だ。

....何故これがここに?本来ならばあるはずのない物だ。

それはダルクス紋様の描かれたストールだった。

もしやと思いセルベリアが戻ってくる前にそれを懐に入れた。

 

 

 

 

まさかこれが後に、自分を巡る騒動のキッカケになるとは、この時はラインハルト自身も思いもしなかったであろう。

それが分かるのはもう少し後、戦乱只中のガリア公国での事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグⅡ/Ⅱ

――仄暗く深い森の中を進む白霊の姿があった。

 

夜の闇が一切の光を落とし、辿る道は影すら見えない。

なのに闇の中を歩く何者かは、目の前を阻む木々を縫うように進む。

自分の部屋の中を進むような気安さだ。

森の中を熟知する狩人ですら舌を巻く速さで走破して、白い残光だけが空間に描かれる。

やがて光は森の奥で歩みを止める。

 

そこが白霊の目的地だからだ。

首を巡らせ周りを見渡すが、勿論景色が見えているわけではない。人の発する呼吸から流れる気配を感じ取る為の動きだ。そして目的地にまだ誰も来ていない事を感じ取ると落胆する。自らが教育した子達に対する不甲斐なさを感じていると――

 

厚い雲の切れ目から月が姿を覗かせた。

月の光で闇夜が斬り払われた、白霊の正体が照らし出される。

月光で映し出された――その類まれなる美貌の女は、ゆっくりと視線を仰ぐ。

その手には剣が握られていた。渦巻いた柄が特徴的だ。目の錯覚か剣刃から蒼いオーラが漏れ出ている。それが女の白い髪を幻想的に演出していた。

 

「一番乗りは先生か」

 

見上げる程に大きな岩の上に男が座っている。

紫煙をくゆらせ野卑な笑みを浮かべて女を見下ろす傭兵の男――ヤン・クロードベルトが其処に居た。女は細く目を尖らせる。

 

「....隠れているように言ったはず博士を危険に晒すことは容認できません」

「かてえこと言うなって、ココに連れて来られてからずっと地下に籠らされてたんだ。久々の戦闘と空気を楽しまないでどうするよ。....それで状況は?敵は蹴散らしたんだろうな」

「無論、大規模小隊ごとき問題なく殲滅しました追撃の手もありません」

「問題なくか。.....最低でも百人以上は居た筈なんだがな」

 

その全てを殲滅したと言う割りに女の剣には血糊が一滴も付着してない。

薄反り刃は穢れき刀身を保ったまま。そもそも女の装備といえばそれぐらいだ。これで百人以上を倒したとは俄かには信じがたい。

 

――だがこいつは、こいつらならそれが可能だ。

 

眼下に立つ女の――紅い目を見て確信する。

人の姿をした化生の物―ヴァルキュリアならば、敵が百人だろうと勝てるだろう。

まさか本当に存在するとはな。しかも――

伝承にのみ現れた存在を、帝国は秘密裏に保有し研究しているときた。

どうやらこの世界は俺が思うよりもずっと面白いようだ。

雇い主を裏切って奴の提案をのんだかいがある。

 

楽しくて楽しくて仕方がない。

と、そこに――

 

「アルファちゃんがお帰りですよ~、おかえりを言って欲しいっすー。

.....およ?何やら楽しそうっすね~、あたしらも混ぜて下さいよ」

 

快活な色を含んだ声の主が森の奥から現れた。燃えるような赤い髪の、これまた美女と言っても過言ではない。満面の笑みで登場した女――だけでなく、その後ろからゾロゾロと人が現れる。その全員が共通して美女美少女達だった。

 

――いや、もう一つ共通点がある。

純潔とは違い戦闘時にのみ現れるらしい、その瞳は紅く染まっていた。

つまり彼女達は全員が――ヴァルキュリアの混血だ。

 

「先生いっぱい敵を殺してきたっす」

「ふふふ!初めての実戦で緊張したけど意外と楽勝だったわね!」

「おじさんの指示通り動いたおかげだと思うよ?」

 

帝国はヴァルキュリアを保有・研究し――そして兵士に仕立てた。

それこそが帝国軍第一次計画試験小隊『ゼロ・ワルキューレ』

構成員全員がヴァルキュリアという異質な部隊だ。

何の因果かそれを俺が指揮する事になった。

 

「......つくづく楽しみだ」

 

一人一人が化け物じみた力を持っている。

千の兵を与えられたに等しい。少数でこれだけの戦力なら並の戦闘で負ける事はまずありえない。

これならば俺の野望も.....。

 

ヤンは煙草を握りつぶすと岩場から飛び降りる。

危なげなく着地して振り返った。

岩場の下は洞窟になっていて奥行きがある。ヤンはその中に合図を出した。

 

「出てこいよ博士っもう敵はいないぜ!」

「........――そうですか、いやはや一時はどうなるかと思いましたが、皆さんのおかげで助かりました」

 

洞穴から出て来たのは痩せた科学者風の男。

荒事に慣れていないのか、それとも元からなのかどこか疲れた印象の風貌だ。だがその目だけは少年の様な輝きを放っている。会って日も浅いが不思議な男だ。

戦闘を終えた少女達を見て、白髪の女に問いかける。ワクワクした様子で、

 

「ゼロ、初の実戦データを取りたいんだが」

「いけません直ぐに移動します」

「.......少しだけ」

「却下」

「......残念だ貴重なデータが取れると思ったのに」

「諦めて下さいクラベル・アインシュタイン。データの収集ならガリア公国に着けば幾らでも取る事が可能です」

 

あからさまに男はガックリと肩を落とす。

生きがいを奪われた勢いで絶望している。――だが仕方ない敵がどこからくるか分からないのだ。目的地に急ぐ必要がある。幸い連邦軍は撤退を始めていると先行している班から連絡があった。程なくして道は開けるだろう。

 

「そうだな、次の実験場に急ぐことにするよ。.....あの娘達も首を長くして待っているだろう」

 

男は世界に手を差し伸べる。掴みたいのは万物の真理だ。

知りたい、この世の力の仕組みを。

その解明には彼女が必要だ。実験を次の段階に進めよう。

 

その為ならば――この国が終わっても構わない。

 

 

 

『天災』が脆弱な世界に解き放たれた事を。

......帝国はまだ知らない。

 

 





ここまで読んでいただきありがとうございました。


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幕間「優先すべき物」

本編に関係ありません。


天に届かんばかりに聳え立つ高層ビル、何百もの摩天楼。

地面に敷かれた交通地帯を、一瞬の狂いもなく整然と走る何千もの自動車。

そこに暮らす何万もの人々が穏やかに生きる平和な日常。

――俺の意識はその世界にあった。

 

西暦2935年9月11日は特別な日だった。

僕が設計を手掛けた航行艦が人類史初の快挙を成し遂げた日だからだ。

今日の報道ニュースはその事で一色だ。恐らく世界中が同じだろう。

凄い事なんだなと自分でも思うけど、あまり実感が湧かない。

感動はなかった。

 

だから今日の航海式の式典で主要ゲストとして呼ばれていたのに辞退した。

あれが完成した時点で契約は履行された。

.....僕は自由だ。

その事を実感したかったのかもしれない。

 

生まれた時から僕の命は僕のものではなかった。

惑星開発という名目で人工的に作られた命、テラフォーミング後の星に降り立ち生活実験を行うためのプランナーベイビーとして僕は生まれた。研究機関に買われた僕は何度も過酷な実験を繰り返した。脳に負荷を与える事で活性化を促す領域拡張訓練によって、膨大な知識量を植え付ける事に成功した後は、あらゆる知識のインプラント実験に移行する。おかげで色々な知識を有する事が出来た。

彼らが行ったのは天才を作る実験だ。

幾度もの技術革命が繰り返されたこの世界では、もはやナチュラルによって新たな革命的技術の誕生が起きる事はないとされた。既存の人間の脳では限界がある。

 

ならば限界を超えた人間の脳を作れば新たな技術革命が起きるのではないか。

もうこの星だけではまかりきれない程に増えた人類を救う為の新たなる技術の誕生を彼らは僕たちに求めたのだ。そして僕は創った――希望の船を。

生まれた星を棄てるための船をありがたがる彼らが僕には酷く滑稽に映った。

 

沿岸部の気象システムによって完全に操作された穏やかな外気を感じながら、僕は白衣のポケットから球体を取り出し。球体上の――360°三次元虚像投射機を使って空間に画面を展開する。

だだっぴろく展開された画面だが第三者が覗き込む事は出来ない。

虹彩認証システムによって登録された網膜でしか見る事ができないからだ。数十年前に確立された只の覗き込み防止システムに過ぎず。これは何世代も前の携帯電話だ。

今は埋め込み式インターフェースが主流だが僕はそれが好きではなかった。

本当に機械になってしまう感覚があったからだ。

 

僕は――いや俺は素早く投影鍵盤に指を叩き込む。

検索結果――画面上に俺の知りたい事が映し出されていく。

羅列された文字と図を眺める作業に耽る。

 

このビルの屋上に来た時はいつもこうしていた。

研究に行き詰ったり悩んだら此処に来て空を眺めていたものだ。

人口物に囲まれたこの世界では空だけが心の拠り所だった。

 

だが今だけは空に目も向けず一心不乱に何かを読み込んでいた。

この世界の俺ではありえない事だ。

 

「...やはりここは....夢か」

 

それにしてはリアルな夢だ。

意識がハッキリしている。本当は現実はここで、今までが夢だったのかもしれない。

そんな事を考えて首を振る。ありえない、俺はラインハルトだ。

その証左にあの世界で培った記憶が存在する。

あの世界で戦った記憶が偽りのはずがない。

だからこそ俺はこうしてデータリストに目を通しているんじゃないか。

 

「あの世界で生き残る為の策が夢の中にあるというのも皮肉な事だがな」

 

とある設計図に目が止まる。

そこにはどうしても俺が知り得たかった技術が書かれていた。

この機構ならば彼らは死なずに済んだ。

 

「後悔するのは終わりだ。やるべきことは一つ。――この世界の情報をまとめて、あの世界で反映できる技術を探し出す事だ。.....光学スキンは技術的に不可能だな。光学迷彩機を作る時間もない.....光学塗装か、これなら直ぐに実用可能だ.....武器は」

「――飛翔技術工師?さっきからブツブツと何をしているんですか?」

 

疑問の声を掛けて来たのは細身の青年だった。

同様の白衣を着た彼は俺の行動を興味深げに見ていた。

彼は俺の助手だ。そして同じプランナー出身でもある。

 

「なんだ助手君か驚かせないでくれ」

「さっきまで一緒にぼんやりと空を見ていたくせに。いきなり起きたかと思ったらIFを機動して.....珍しいですね調べものは『SARS』ですか」

「そうだが.....俺は生前、君とこんな話をした事があったか?」

「何を言ってるんです?変ですね自分がまるで死んだかのように言って」

「だってここは夢の中だろう?」

「......寝ぼけてるんですか?」

 

呆れた目で俺を見て来る助手君を見ていると本当にここが夢の中か自信がなくなるな。だがここは俺が見ている夢のはずだ。どういう原理が働いているか知らないが奇妙な夢だ。

そう思っていると助手君はおもむろに言った。

 

「......でもまあここが夢だろうと現実だろうと変わらないですよ。私が見ている現実と飛翔技術工師が見ている現実が全く同位のものであるという保証はありませんからね」

「.....胡蝶の夢か」

「そうです、この世界は現実かもしれないし、只の夢幻かもしれない。あるいは同じか、全く違うモノなのかもしれない。それは誰にも分からないんですから、だったら考えるだけ無駄じゃないですか」

「.......そうだな、俺達はただ受け入れる事しかできない、この世界でもあの世界でもそれは同じだった」

 

この世界の記憶をもって生まれて来てしまった。

それに抗う術は無く。ただ受け入れ、乗り越えていくしかない。

 

「それで、なぜ貴方がSARSに興味を?専門外のはず」

「それは....いわば夢だな」

「夢?」

「俺の望む夢だ。守りたいもの。死なせたくない人がいる。その為にこの力がいる」

 

この世界の技術を流用してSARSを強化する。

.....『SARS』とはつまり。

 

――と、その時、頭上を五つの影が横切った。

凄まじい速さで街を超えていく。戦闘機かと思ったが違う。

それは五体で一つの編成を組んでいた。

街に入った事で減退しながら空を旋回している、ようやく目に映った。

 

六枚羽を背中に背負った天使のような形をしている。

全長五メートルの鉄の巨人は、その右手に超高圧縮電磁リコイルガンで武装していた。目立った所以外でも幾つもの凶悪な兵装が内臓されている事を知っている。

 

「東インド共和国製の国旗にあの機体カラーから見て現行主力機『ヴァイシャ』かな?」

「いやよく見てみろ宇宙仕様の六枚羽だ。最新鋭の光式線銃が内臓されている。

.....つまり恐らくアレこそが世界最強のSARS――ヴァジュラだ」

 

神の装飾品を冠する雷の炎。

そう呼ばれる由縁はその破壊力にある。物理的に傷つける事は不可能な金剛の鎧と、たった一機で戦艦に匹敵するバラモン級の武装。数少ないバラモン級の中でもヴァジュラはその上をいく戦略爆撃型兵器だ。本来は縦横無尽に空を舞い、上空高度からの殲滅を行う。

俺があの世界で再現できたのは骨格だけ。真のヴァジュラの十分の一も再現できていない。

 

彼我の技術格差は天と地だ。

あまりにも遠すぎる。空に浮かぶヴァジュラを見て強く思う。

――だが、いつか必ず届かせる。

でなければこの先、俺があの世界で生き残ることは出来ないだろう。

連邦、帝国、合衆国、これらの敵を相手するにはヴァジュラを真の姿に近づけるしかない。それを先の戦いで強く思い知らされた。

平和というものは信頼できる他国と握手を交わして実現するものではなく。

圧倒的な力を力を持った唯一国が他国を抑える事で実現する。

それが最も被害の出ない平和の作り方だ。

戦争を終わらせる兵器、それがヴァジュラだった。

 

「夢と言えば.....ようやく僕の夢が実現しそうなんですよ」

「助手君の研究は確か....『次元跳躍に関する空間の移動』だったね」

「はい簡単に言えばワープ装置です。惑星間の平行間移動を目的とした試作機第一号が完成しました。その被検体には是非飛翔技術工師に――いや先輩にお願いしたいです!」

「君の研究もまた人類史に大きな発展を促す事だろう。その一助になれるのであれば喜んで引き受けよう。.......あれ?」

 

デジャブだ。前にも同じ話をした気がする。確かあの時もこの屋上で夢を語り合ったのだ。

この世界の記憶に引き寄せられているのか。

そもそも俺はなぜ記憶をもって生れて来た。何かしらの理由があるはずだ。

それは助手君の研究が関係している可能性が高い。

彼の実験は同位階の次元を跳躍するものだ。

もしかしたら平行世界を渡る事も不可能ではないかもしれない。

彼の実験で何かが起き魂だけが次元の壁を破ったとしてもおかしくはないだろう。

 

分からないのは思い出せないからだ。

全ての記憶を引き継いだわけではない。中には失われたものもある。

忘れてしまった事もあるだろう。

 

思い出せば俺がこの世界の記憶を持って生まれてきてしまった謎が分かるのだろうか。

解明するのも面白いかもしれない。そう思ったが結局は――もうどうでもいい事だ。

その謎を知った所で無意味だ。

俺が何者だろうと関係ない。

それでも構わないと言ってくれた人が居る。あの世界が俺の居場所だ。

 

「――だからもう戻るよ」

 

そう言うと世界は緩やかに崩壊していく。

夢から覚める時だ。

薄れゆく視界の中で最後に見たのは宇宙を目指す巨大な艦の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい夢を見ていた。

もう見ることは無いと思っていた世界の景色に郷愁は湧かなかった。

あの世界で生の実感を覚えた事がなかったからだ。

言うなれば無機質。道具として生かされていたから研究を達成しても何の喜びもない。

だけどここなら俺は人間として生きていられる。生を実感できる。

目を覚ましたラインハルトは体を起こして窓を見る。

まだ朝日が昇り始めたばかりなのか外は暗く夜空が薄ら白ばんでいる。

珍しく寝起きが良い。――いや良くはなかった。

 

「っ!」

 

突如激しい頭痛に見舞わられたからだ。

頭を押さえるが、脳みその中に直接注射器で異物を注入されているような感覚だ。痛みは微塵も和らがない。のたうち回りそうになる苦しさを耐えること数秒間。始まりも突然だったが終わりも呆気ないものだった。一瞬で痛みは消え去り通常の感覚が戻って来る。それが何だったのかラインハルトは既に知っている。

記憶の流入だ。

あちらの世界の記憶が流れ込んでくるのを脳は自動的に防ごうとする。

その際に防衛反応として生じる痛みだ。

 

子供の頃はこれが毎日続いた。

死んだら楽になれると数えるのも馬鹿らしい程に何度も思った。

事実あの人が助けてくれなかったら自殺していただろう。

抱きしめてくれたあの温もりを俺は生涯忘れない。

あの柔らかな――

 

「.....柔らかな?」

 

気づいた。頭を押さえる手とは別の方の手が何かを掴んでいる。

ふわふわと苦痛から逃れた手を優しく包み込んでくれている。

覚えがある様なないような。不思議な手触りだ。

何だこれは?部屋が暗くて良く分からない。

ジッと見てみるが視覚情報での判断は難しい。ならば触感に頼るしかない。

何度も執拗に揉んでみる。

押せば沈み力を抜くと反発してくる確かな手ごたえに何故だが無性に癒される。

男の本能を刺激するような誘惑に満ちていた。前にもどこかでコレに触れたことがある。だが分からない。

――ありえない!1000年後の情報をインプラントされた俺の知識ですら理解できない体感情報だと!?

驚愕を拭えない。そんな情報がこの世には存在するのか。

驚天動地の俺を無視して手は自然と動き続ける。

 

この手は何をやってるんだ。

完全に独立した器官となった手に見切りをつけて俺は昨晩の記憶を必死に思い起こす。直ぐに思い出せない。恐らく記憶の流入による軽い記憶障害のせいだ。前にもこうなった事がある。その時は丸三日間の記憶が欠落していた。

 

確か昨日は勝利を祝う祝賀会が行われていて、ぬけ出した俺の元にセルベリアが来た。

そして語り想いを告げ合った。お互いの想いは結ばれ口づけを交わし、その直後に現れた闖入者を取り逃がした。その後は?――

長年の想いを成就させた男女がする事は一つだ。

熱くたぎった体は水を差された事で冷えるどころかより燃え上がり,本能の赴くままに俺は彼女を部屋に連れ込んだ。ベットに倒し濃厚な口づけを交わした後はお互い獣のように求め合ったのだ。

 

昨晩の情事を思い出した俺はゆっくりとソレから手を離した。

本能が抗議の声を上げるが、何とか理性で思いとどまる。

昨晩の続きをしたいのはやまやまだが、流石にこれ以上、彼女に負担を強いるわけにはいかない。

やがて朝日が顔を出し部屋の中に光が入る。

 

やはり一糸まとわぬ姿の彼女がそこに居た。

あどけない顔で寝ている。幸せそうな表情だ。

まさか横の下衆に乳房を執拗に揉まれてたとは思わんだろう。

罪悪感に苛まれる。

とうとう彼女を穢してしまった。本当に俺なんかで良かったのだろうか。想いを告げられた後でもそう思ってしまう俺はきっとダメ野郎だ。

彼女は俺を愛してくれた。ならば俺も全身全霊をもって彼女を愛そう。

それが俺に出来る唯一の責任だ。

 

.....それにしても。

ベットの惨状を見て一言、

 

「やり過ぎた」

 

別の意味で頭が痛い。

何の計画性もなく彼女の中に出してしまった。マズイ、コレは本当にまずい。もしこれで彼女が妊娠してしまったらどうする。いや、その時は祝福するつもりだが。

彼女は俺が保有する最強の戦力だ。

そしてこれからも過酷な戦いは続くだろう。彼女の力が必要になるのはまず間違いない。それなのに俺が彼女を無計画に妊娠させてしまえば、俺だけじゃない彼女自身も含めて周りが危険に陥る。

 

それだけは阻止しなければならない。

だがそれが最も難しい事を既に実感している。

彼女とセックスをした事で分かった事だが、肉体的な性の接触を知った今、彼女に手を出さない自信が全くない。というか絶対にまた俺は彼女を抱くだろう。もう既に肉欲の衝動が理性をつつき始めている。まさか生殖行為がこれほどに俺の精神に負担を掛けるとは思わなかった。

何度も抱けばそれだけ妊娠する可能性が増してしまう。

 

.....もう一度言おう。

これから先、俺を巻き込む状況はより過酷なものになっていく。

宿敵である連邦との戦争は終わりが見えず、その背後にいるであろう合衆国にも目を配らなければならない。そして敵は恐らく俺の後ろにもいる。味方であるはずの帝国もまた信用できない。

だから俺は力を溜めてコレに備えなければならない。

その最たるものが俺のもつ『未来技術』だ。

この技術を要して状況を打破していく事になるだろう。だが未来兵器の再現には時間がかかる。いまある最高の設備と俺の知識を有しても再現には年単位は必要だ。

ならば今すぐに研究開発に取り掛かるべきだろう。

それだけ早く兵器が完成する時間が短縮するのだから。

 

だが物事には優先順位がある。

何を先に作るべきか、何を後回しにするべきかだ。

これを間違えれば膨大な投資と浪費を無駄にする事になる。

時に上に立つ者は最も的確で無駄のない答えを選ばなければならないのだ。

そして今の俺に必要な物は新機構導入後のSARSでもなければ、ましてや宇宙戦艦でもない。

現時点で最も必要な未来技術、ソレは――!

 

「――避妊具(コンドーム)だ」

 

大真面目な顔でそんな事を言った帝国の皇子(上に立つ者)が居た。

セルベリアはまだ眠っている。

かくしてラインハルトの挑戦は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




壮大に始まった下らなくも真面目な話。
なお番外編。


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第2章 王都防衛編
プロローグ ガリア公国潜入編


戦争が始まって早くも数カ月が経とうとしている。

 

ラジオから流れる国営放送の話では帝国軍の攻勢は激しく、既にブルールを始めとした東部から中部の主要都市が制圧されてしまったらしい。ガリア正規軍は今も必死の抵抗を続けている。それを聞くと自分も銃を手に戦地に向かいたい義憤に刈られるのを必死に抑え込む、そんな事を今日だけで何度繰り返した事か。

だがそんな自分の願望は叶えられない。

 

ガリア公国南部の国境――そこの検門官である自分にはガリアの玄関口を守る義務がある。

最前線である中部地方から此処まで100km以上の距離があった。

何と言っても帝国の宿敵である連邦領は目と鼻の先だ。帝国は容易に手を出せない。

その為、戦時下でありながらも国境付近は依然として戦前と変わらない雰囲気がある。

ここにいる兵士達は平和な日常を共有していた。

流石にカードゲームに興じるような不謹慎な奴はいないが、温かくなってきた気候が眠気を誘うのか欠伸を噛みしめる者は少なからず存在した。

 

仕方がない、最初の内は富裕層あたりが外国に避難する等の仕事があったが、それも日に日に少なくなっている。朝を除けば一日に五十人程度が通過すれば多い方だろう。

今の時刻は昼を過ぎた頃合い。一番暇な時間だ。

他の職員達は談義で盛り上がっている。

 

そんな光景を横目にぼんやりしていると、車両の音が聞こえて来た。

やがて道路の先から一台の車輛が現れた。

ブロロロと音を吹かせながら大型のトラックがこちらに向かい走って来る。

見たところ一般車ではないな。

 

検門所のゲート手前で兵士達がトラックを手で制止する。

指示が見えたのか兵士達の前で車輛は止まる。エンジンは掛かったままドアは開き、中から中年の男が降りてくる。服装は極めて平凡に揃えていて、武器は携帯していない、どこにでもいる街の男だ。にこやかに笑顔を浮かべている。

協力的な様子に兵士達も警戒を解いた。

商会の人間でガリア公国に軍需物質を届けに来たらしい。内容は嗜好品だ。連邦の嗜好品は質が良いからな、高級士官用だろう。

 

直ぐさま職員が台帳を確認して照会する。

確かに同様の名の商会が通知してある。聞いた事の無い会社名だ。しかも気になる事に緊急の搬送だ。送り先は王都ランドグリーズ。通常であれば前もって当局に知らせておくはずだ。

 

同僚の兵士と話し合う。

 

「どう思う」

「問題ないだろ、緊急とはいえ正規の手続きは済んでる。戦時下でこれから物入りになるからな。むしろこれからドンドン運搬されてくるかもしれない、いちいち構ってられんよ」

「......そうだな」

だが何か引っかかる。

長年の勘だが、男が何かを隠している気がする。

探りを入れてみるか。

 

「一応中身をらためさせてもらうぞ」

「構いませんよ。.....ですが一つ言い忘れていた事があります。

......実は荷物の他に男女を二人乗せているんですよ」

「なに!密入国者じゃないだろうなっ....?」

「とんでもない。ちゃんと通行手形は持っていますよ。我が商会の大事なお客様でして......これです」

男から手渡された証書を見る。不備は見当たらない。

連邦国籍の男とガリア国籍の女か。労働関係の仕事に従事しているようだ。

珍しくもないガリアでも一般的な職業だ。

この時分に観光ではないだろうが。

通行目的を聞いたら通しても問題ないだろう。

 

「分かった。顔を確認したい、呼んでくれるか?」

「分かりました」

 

男はトラックの後ろに回ると扉を開いた。

男が丁寧な口調で話す声が聞こえる。大事なお客様というのは偽りではないらしい。そして事情を説明し終わったのだろう、荷台から男が現れた。

 

検門官は瞠目する。今まで何千人という通行者を見て来た。

だからある程度、その人間がどういう者なのか一目見ただけで推測できる。

そんな俺が一見して思ったことは――この男は只者ではないと云う事だ。

 

どう見ても平凡な街の男ではない。

まずその目だ、見ただけで圧倒される力がある。常人とは違う。

まるで老獪な官僚のように静かな重みがあった。

服装こそ平民らしい物だが。それだけに違和感がある。

隠しきれない凄みと言えるものが男にはあった。

貴族と言われた方がまだ納得するかもしれない。

そう思うのは俺だけではないはずだ。

 

「.....どうした」

「っ....失礼しました」

 

悪い癖だ。考えに没頭していた。

相手が何者なのか考えるのは後だ。職務を忘れてはいけない。

咳ばらいをして、

 

「規約に則り幾つか質問をさせていただきます。ガリア公国への入国は初めてですか?」

「ああ」

「入国目的は?」

「....安否確認だ。妻がガリアに居る家族を心配していてな」

「奥様ですか.....?」

 

確かにガリア国籍の物だった事を思い出す。

夫婦だったのか。安否確認の為に王都に向かうのなら妥当だな。あそこには戦火から逃れた国境沿いの避難民が集まっていると聞く。件の女性が金髪の男に手を引かれて来た。

ダルクス人だ。民芸品であるダルクス紋様の布を頭に巻いている。

 

「妻のイムカだ」

「っ....」

 

その言葉に一瞬、女性は男の方を見るが何も言わず検門官に対して頭を小さく下げる。一言も喋る気配はない。ガリアは保守的な国だ。差別的要因からダルクス人を妻にするガリア人は珍しい。だから少しだけ意外に思ったが、連邦は他より差別が少ない、この組み合わせも珍しくなかった。

帝国だったらこうはいかないだろう。

検門官の頭から一つの疑いが除外された。この二人が帝国のスパイであるという疑いだ。

それ程に帝国のダルクス人に対する偏見と差別は根強く。

帝国にとってダルクス人は劣等民族でしかない。

人権無視で国際的世論が批判しているぐらいだ。

抱き寄せられている女性からは男に対する確かな信頼が感じられる。

親密な関係である事は明らかだ。

 

荷台の中をあらためていた兵士を止めさせる。

これ以上調べても無意味だろう。

幾つかの質問を終えて早々に切り上げる。

 

「質問は以上です。ありがとうございましたっ

未だガリア国内は情勢が不安定なので十分に気をつけて下さい」

「忠告に感謝する。帰りもまた君達に見送られたいものだな」

 

そう言うと彼は奥さんの手を引いて荷台に乗り込み。

それを確認した商会の中年男は、ハンチング帽を脱ぎ兵士達にお辞儀をしてハンドルを握る。エンジンはかけたままだったので直ぐにトラックは動き出した。ゲートを潜り抜けガリア領内に入っていく。その後ろ姿を見送る検門官が口を開いた。

 

「いったい何者なんだろうな?一般人とは思えないが」

「少なくとも良い所の出だぞ、話し方で分かる」

「商会の男の反応から見るにどこぞの御曹司かね」

「ダルクス人の妻を持った御曹司か?きな臭い話だな」

 

戦時下のガリアは身をくらませるにはうってつけだ。

危険ではあるが愛の逃避行というやつか。

どちらにしてもガリア公国に害をあだなす敵ではないだろう。

――だが、

 

「やはり一応、本部に連絡は入れておこう」

「おいおい本気か?」

同僚の兵士が呆れたように言ってくる。必要性を感じていないのだ。

当然だ。ゲートを通した警戒度の低い相手を、わざわざ調べるというのだから。意味が分からない。

 

「あの男は何かを隠している。何か重大な事を」

「根拠は?」

「長年の経験からくる勘だ」

 

ますます呆れた兵士が肩を竦める。

疑い深すぎるのは分かる。何もなければそれでいい。

だが何かが起きてからでは遅いのだ。

最前線で戦っている兵士が居る。彼らが命を懸けて戦っているのに、俺達があぐらをかくわけにはいかない。どんな些細な異変でも徹底して見極める、それが俺達ガリア情報部――国境監視官の戦いだ。

 

もう見えなくなったトラックを見る。

本部が動いて何もなければ帰ってくるだろう。

だがあの男――ハルトと名乗った男の顔を思い出しながら検閲官は予感を覚えていた。

 

もう彼らがこの国境を越えて戻る事はないかもしれない。そんな予感を......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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一話

小さな格子から見える景色が長閑な麦畑になった所でイムカは警戒の糸を解いた。

ガリア公国――南部国境線を無事に潜り抜ける事に成功した。誰かが追って来ている様子もない。

どうやら潜入に成功したようだ。

最初の難関だった。ここが抜けられなければ、わざわざ危険な長旅をして来た意味がない。

 

――ここまで来るのに一か月以上かかった。

それも敵国である連邦領を通ってガリア公国に入るという大胆な作戦のせいだ。

なぜ帝国からのルートを使わなかったのか分はからない。

だけど何か考えがあったのだろう。帝国ルートを使えない理由が。

ラインハルトがそれを語る事はない。

危険を冒してでもガリア公国に来た理由も謎だ。

だけど、なぜ自分が彼の護衛に選ばれたのかは分かる。

 

それは私がダルクス人だからだ。

この世界で最も人々から蔑まれている人種は何かと尋ねられれば、私はダルクス人だと言う。

世界から虐げられ続ける歴史を鑑みればおのずと出る答えだ。

子供でも分かる。――だからこそ気づけるはずがない。

最も被差別意識が高い帝国。その中で最も高貴な血筋を受け継ぐ男がダルクス人を妻と呼び親し気にしているなんて。笑い話でも出ないだろう。

 

国境も過ぎ去った。もう通常の兵士と主君の関係に戻るべきだろう。

それが何故か寂しく思った。心の中で笑う。

一時とはいえ彼の特別になれたのだ、これ以上を望む事は許されない。

だからイムカは意を決して、

 

「皇子....これからの転向は?」

 

だがラインハルトは何も言わない。

聞こえなかったのかな、もう一度言うが、やはりだんまりだ。

無視されているわけではないはずだ。たまにダルクス人とは喋りたくもないという人がいるが、ラインハルトはそういう類いの差別はしない。

あえて知らんぷりしているように見える。

少し考え.....まさか、とイムカは結論に至った。

まだ続いているのか。もしそうなら確かに彼は今の呼び方で振り向かないだろう。

仕方なく顔を赤らめたイムカが恥ずかしそうに言った。

 

「......あなた」

 

それまで見向きもしなかったラインハルトが簡単にイムカの方を振り向いた。

そして極上の笑みを浮かべて言うのだ。

 

「どうした我が妻よ」

「ま、まだ続けるのですか、この設定」

「勿論だ、少なくともこの国にいる間は俺とお前の関係は夫婦と云う事になっている。例え二人だけしか居ないと分かっていても、その油断が命取りになる事だってありうる。その可能性を減らすためにも演じる事に徹底するんだ」

「分かった。いえ....分かりました」

「なんならマイダーリンと呼んでもいいんだぞ?.....冗談だ、そう怖い顔で睨むな」

 

そんな事を言えるはずがない。恥ずかしさのあまりジト目で睨みつける。

この人は信じられない事だが、この状況を楽しんでいる。そうとしか思えない。

だとすれば狂気の沙汰だ。

敵地に二人で潜入すること自体が狂気のそれでしかない。

これがラインハルトでなければ誰も付いて来ない。

 

「――コホン、目的に変更はない。俺達は王都ランドグリーズを目指す。

.....その途中幾つかの街を中継する事になるだろう。ガリア軍が常駐している事は確実だ。俺達の素性がバレる様な事は避けること、これは問題ないだろう。問題なのはむしろ......」

「帝国軍の動向」

「そうだ帝国軍の侵攻が思ったよりも早い」

 

ラインハルトが頷く。

連邦領に入ってから聞こえた噂では、

陸軍を中心とした帝国軍はガリア内部を破竹の勢いで進んでいる。

新聞社の話では東部ブルール、南部クローデン、北部ファウゼンといった地方や都市が帝国の制圧下に落ちたと報道されていた。ガリア公国が落ちれば其処を橋頭保に帝国軍は新たな軍事ルートから軍を動かす事が出来るようになる。『ノーザンクロス作戦』を発動している連邦としても対岸の火事ではないのだ。

 

ラインハルトが危惧している事は一つ、

中継する街のどこかで帝国軍とかち合ってしまうのではないかと云う事だ。

ガリア国内の中でも中部は最も広大で肥沃な土地で知られている。

河川で遮られた西部と中部を繋ぐ橋がある。王都に続く道だ。

当然ガリア軍の中部防衛にかける優先度は断トツだと予想される。

つまり激戦地だ。中部に近づけば近づくほど危険性は高まるだろう。

本格的な防衛戦で街が封鎖される事もありうる。

できればその前に王都に潜入したい。

 

「危険に付き合わせて悪いな」

「私の役目はあなたを守ること。任務だから仕方ない」

「そうか....ありがとう」

 

面と向かって礼を言われると、どうしていいか分からない。

どいうか兵士に言う言葉ではない。

いちいち上司が部下に顔色を窺う必要は無い。

やはりこの人は変だ。

傲慢な帝国という数年前まであった印象がガラリと変えられてしまったのは間違いなくラインハルトのせいだ。変人だが、この人の横にいるのは心地いい。

 

――だから忘れてしまいそうになる。

私が彼の元に居る理由を。

――全ては私の故郷を滅ぼした奴らに復讐するため。

それだけが私の生きる目的だ。

ラインハルトと一緒に居るのは、その機会を得るには好都合だから。

なぜ今そんな事を考えたのか自分でも分からない。

けれど胸騒ぎがする。この国に入った時から心が落ち着かない。

もしかしたらその時が訪れようとしているのかもしれない。

 

仮にその瞬間が目の前に訪れたとして、

その時、私は彼を守るのか。それとも――

考えるのが怖くなってイムカはその疑問に答えを出さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――聡い子だ。

寄りかかって来たイムカを見てラインハルトは思う。

華奢な体だ。この小さな体には復讐の炎が抑え込まれている。

解き放たれれば壊れてしまうのではないか。そう思った。

だから言わなかった。なぜ彼女を護衛に選んだのか、その理由を。

理由を言えば彼女は走り出すだろう。復讐の道を。

なぜなら、

 

――彼女の復讐するべき相手がこの国にいる。

その可能性が極めて高い。彼女も薄々その事に気づいている。

そして迷っている。

正しい道を模索している状況だろう。

俺が彼女にしてやれることは何もない。自分で考え自分で選ばなければならないからだ。そうでなければ後々必ず後悔する事になる。俺もそうだった。

仲間が殺され復讐を誓った。この世にない知識を再現した。何万人もの将兵を地獄に落とした。

その度に悩み苦しんだ。本当にコレは正しい事なのかと。

正しい答えは誰にも分からない。

だけど考え抜いた末に出した答えに後悔はない。

彼女にもそうであって欲しい。

 

俺が出来る事はない。

だけど彼女が悩んでいる間、寄りかかれる場所なら与えてやれる。

広い肩ではないがイムカを支えるぐらい訳はない。

――なんたって妻を支えるのは夫の役目だからな。

 

ラインハルトは何も言わず静かに寄り添った。

自動車のエンジン音だけが車内に静かに聞こえる。

 

 

 

 

 

ガリア南部と中部の境目にメルフェア市という地方都市がある。

四方をマイルス川に囲まれた天然の要害である其処は古くから交易都市として栄えてきた。

歴史ある町並みだ。位置的にも重要で帝国との国境方面にはクローデンの森が広がっている。

別名『ガリアの南門』と称される街に入った俺達の目には厳戒態勢を取るガリア軍の姿が映った。

どうやら帝国軍がクローデンの森に潜伏しているらしい。

そのせいで続々とガリア軍の部隊がこの街に集まっている。

 

協力者である商会の男と別れて俺達は宿をとった。

 

「なに?義勇軍がクローデンの森に進軍しただと」

 

宿の主人と他愛ない話をしながら情報交換をしている流れでそれを聞いた。

どうやらこの街に集まる軍は正規軍ではなく義勇軍であるらしい。

ガリア公国陸軍には大まかにわかて二つの軍がある。

 

一つは職業軍人を中心とした正規軍。陸軍の大半を占める軍隊だ。

昔からの慣習が今も残り古くからの貴族が指揮官に座る事が多いらしい。

プライドが高く平均的に能力は高い。帝国も似たようなものだ。

 

そしてガリア義勇軍。

ガリア公国は国民皆兵制度を義務としている。

この制度では各教育機関での軍事訓練を、単位科目として義務付けており,

十八歳から二十五歳の若者は必ず実施しなければならない。

有事の際には一般市民が、義勇軍に招集されるのだ。

その義勇軍が攻勢に転じている事を知り俺は感心した。

 

「その義勇軍の指揮官は有能だな」

「へえ?旦那それはどういう事ですかい?」

 

宿屋の主人は俺の言葉が気になったのか聞いてくる。

 

「なに簡単な事だ。まず帝国軍を相手に防衛戦は自殺行為だ、機動力に秀でた戦車部隊が退路を塞ぎ、前面から物量で押されるとガリア軍では太刀打ちできない。勝率はゼロに等しい。

――だが攻めるなら勝ち筋は幾らでもある」

「ですが帝国軍は守りも強いですよ、義勇軍では歯が立たないのでは?」

「そうでもないぞ。確かに帝国兵は自軍の拠点を守る事に秀でている。だがそれは帝国の豊富な資材や技術で要塞化された防塞拠点であればの話だ。森林で埋め尽くされたクローデンには物資を搬入するだけでも苦労するはずだ。そんな環境ではろくな拠点も造れはしないだろう」

「な、なるほど」

「それにガリア軍には地の利がある。ゲリラ戦法を駆使して戦えば機動力を封じられた帝国軍なぞ、ハネ豚から羽が取れたようなもの。この戦いガリア軍は圧倒的な優位に立てる!」

「おお......!!」

 

気づけば説明に熱が入り。周囲には人だかりが出来ていた。

みな一様に聞き耳を立てていたようだ。

ラインハルトに感心した様子だ。ここまで自信満々に語る奴も珍しいのだろう。

帝国軍の実状を知っている俺が言うのだ間違いない。

 

「旦那は軍学士なのかい?」

「ただの連邦市民さ、帝国との関係は知っているだろう?嫌でも詳しくなる」

「そうか旦那は連邦の....。今は連邦も大変だろう、もう何十万人も犠牲者が出たとここにも噂は届いているよ.....」

「ああ、アレか....惨いもんだよ、帝国の奴ら加減ってもんを知らねえ」

 

俺が連邦市民と云う事を知ると明らかに空気が変わった。

ラインハルトは首を傾げる。何のことかさっぱりだ。

詳しく聞いてみるといま世間では、ある新聞が巷を騒がせているらしい。

見出しはこうだ。

 

『四十万人が戦死!?指揮官は帝国の脅威、殲滅のラインハルト!!』

6月7日、連邦政府は北東戦線の被害状況を発表した。

――その数、実に四十万人。

驚くべきはこれが一か月にも満たない短期間で起きた事である。

連邦政府の見立てでは、敵はあらかじめ準備を整えて連邦軍を待ち構えていたとされる。

これは信じがたい事だ。連邦軍が発動した『ノーザンクロス作戦』は重要機密とされてきた背景をもつ。そのため帝国軍の虚を討つ狙いがあった。これはその前提が崩れた事を示す。

さらに驚くべきことに、これを実行したのが帝国の皇位継承権第二位のラインハルト・フォン・レギンレイブ上級大将である事が判明している。(この戦争後、副元帥に任命される)

彼はこれまで表立って目立つことは無かった。

自領にある工業都市で兵器開発を積極的に進め、これが評価されて来た功績がある。

今後は彼の動向にも注目が集まるだろう。

現在は皇帝の意向に逆らった事で謹慎処分を受けている模様......。

 

新聞を持つ手が固まる。

そこには俺に関する情報がつらつらと紙面一杯に書かれていた。誤った情報も多い。まず四十万人も殺してない。十万人近くは捕虜にしたし、残り十万はアイスが撃破した分だ。俺が殺したのは二十万人ぐらいだ。....それでも多いか。殲滅と悪名を付けられるぐらいには。

幸い顔写真は張られていない。あっても子供時代の物やイメージ像だ。

ずっと表舞台に顔を出してこなかったからな。出回っているはずがない。

 

「さあ旦那も飲め!酔って寝ている間に帝国軍なんかガリア軍が追い払ってくれるさ!!」

「あ、ああ.....」

 

メルフェア市民は土地柄か陽気な者が多い。

温暖な気候と肥沃な大地に恵まれているおかげだろう。

すっかりどんちゃん騒ぎに巻き込まれてしまった。

空になった酒杯に新たな酒が注ぎ足される。

それを一息に飲むと周りから歓声が上がる。

 

「美味い酒だ、おかわり」

「良い飲みっぷりだな!こいつは俺のおごりだよ面白い話の礼だ!」

 

素直に受け取った。潜入の為だ仕方ない。

そう、これはいらぬ疑いを掛けられないよう仕方なくなのだ。

南部産の極上のワインが止まらなくなったからではないのだ。

だからドンドン持って来い。

 

終わらない酒飲み達の夜はこうして更けていった。

 

後で二日酔いに苦しんだのは言うまでもない。

 

 



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二話

――酔って寝ている間にガリア軍がクローデンの森を奪還した。

 

その吉報は直ぐにメルフェア市を駆け巡る。

俺が起きてきた昼頃には市民のほとんどに情報が回っていたぐらいだ。

そこからも彼らの関心が窺える。町中が喜びに包まれていた。

その一方で俺は二日酔いに悩まされていた。

口当たりが甘くて飲み過ぎたのもあるが、アルコール度数も相当の物だったのだろう。酒に関しては自信があったんだけどな。粉々に打ち砕かれた気分だ。

 

やつれた顔で一階に降りて来た俺は、

宿屋のカフェテラスで酔い覚ましのコーヒーを一杯飲む。

前に座るイムカの呆れ混じりの視線が痛い。彼女はもう先に座って俺を待っていた。

 

――頼むからそんな目で見ないでくれ。事情は教えたよな?

調子を取り戻すのに幾ばくかの時間を要した。

周りからは愛する妻との慎ましいティータイムにしか見えない筈だ。

部屋の隅で後ろにも人は居ない。

声を落として俺は言った。

 

「それでどうだった」

「うん、ハルトの見立て通り。

この街に着いてからハルトを尾行していた男は――この国の諜報員だと思う」

 

それをいち早く察知したのはイムカだった。

この街に着いてから宿屋に入った後も何者かの視線を感じると聞いて、俺達は一芝居を打つことにした。道楽の若者を演じて浴びるように酒を飲み続けたのもその為だ。

後は根気くらべだ。市民と酒を飲み続けるだけの俺に、初期調査を諦めて帰る男を、先に部屋で休ませていたと見せかけたイムカにその男をつけさせたのだ。誤算は紺比べが朝方まで続くとは思わなかった事だが。

 

「やっぱりか。つまり国境の時点で勘ぐられていたと云う事か」

 

なるほどな。一度安心させてから大きな街に滞在する仲間に身辺を調査させる作戦か。国境を通過できた安心感でボロを出させる狙いだな。メルフェア市は南部から入ると必ず通過する事になるから、ふるいにかけるにはうってつけの場所だ。

 

――なんだ思ったよりずっと優秀じゃないかガリア軍。

彼らを過小評価し過ぎていたかもしれない。これなら期待できるな。

俺がわざわざ手を貸す必要もないかもしれない。

だがここまで来た以上、潜入計画は進行する。

俺達は何としてもランドグリーズに向かわなければならないのだ。

 

「張り込ませているだけなら俺達の素性に気付いた訳ではないだろう。

――だが分からないな。なぜ勘づかれたんだろうパスは完璧だったはず」

「それはきっと目だと思う」

「目?たったそれだけでか?」

「訓練した者なら目だけで対象の情報を読み取る事が出来る。

それにハルトの目は一般人のそれとは明らかに違うから」

 

考えた事も無かったな。.....目か。

目を見ただけの情報だけで俺を追い詰める。

これから俺はそんな敵を相手にしなければならない。

ガリアの暗部を甘く見ると一瞬で詰むな。

今回はイムカが気づいてくれたから助かったが、次もこう上手くいく保障はどこにもない。油断はできない。気を引き締めないとならない。

 

同じ思いのイムカもコクリと頷く。

ならばやるべきことは一つだ。出立の準備だ。

ラインハルトは立ちあがる。

真剣な顔つきで彼は言った。

 

「これから俺とデートに行くぞ」

「......え?」

 

思ってた言葉と違う。とイムカは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

 

外はちょっとしたお祭り状態だった。

街を襲う危機が一旦は遠のいたのだ。喜ばないはずがない。

賑やかな大通りを突き進み街を見て回る。

昼食は露店で買い食いだ。

 

「コレとコレをくれ」

「はいよ!」

 

頼むと露店のおっちゃんが手際よく調理を始める。

周囲に焼き肉の香ばしい匂いが漂う。

唾が喉を伝う。すきっ腹には堪える。そうして手渡されたのは牛肉の串焼きとテールスープだ。ガリアの通貨ダカット(DUCAT)を支払ってイムカにも串を渡す。キョトンとしている。手慣れている俺がそんなにオカシイのだろうか。平民の料理くらい俺だって食べる。

それに今は連邦市民だからな。皇子としての体裁なんて気にする必要は無い。

勢いよく肉汁滴る焼き串に齧り付いても咎める者は居ないのだから。

 

.....おお、美味い。炭火で焼いているから外はカリッと中はジューシーな出来合いだ。

何度も咀嚼しないと噛み切れないが、噛めば噛むほど旨味が出てくる。口の中に残った油をコップに入ったテールスープで押し流すのも何とも言い難い。凝縮された骨髄のエキスが大量に入っていて口当たりは濃厚だ。濃い目の肉料理を更に濃ゆいスープで上回るとはな。露店ならではの荒々しい料理だ。

それにしても、飲み終わったコップを返しながら俺は露店のおっちゃんに聞いた。

周りを見渡しながら、

 

「ここは食糧販売店が多いな。どこを見ても飲食店ばかりだ」

「当たり前だ!ここはガリアでも有数の穀倉地帯だぜ。知らないのか?ガリア国民の三分の二の腹はメルフェアが満たすって言われてるぐらいなんだぜ!」

「南部の生産自給力が高いのは知っていたが聞くのと見るのでは違うな。此処がガリアの食糧生産流通の入口か.....」

 

一大生産都市であるメルフェア市が発端となって物資が全国に流通する。

ガリア軍の関心は王都の次に高いはずだ。

この流通ルートを封鎖されればガリア国民の半数以上が飢える事になるからだ。

 

そう考えるとガリア正規軍ではなく義勇軍が南部の防衛を任されたのも頷ける。

ガリア正規軍は中部方面の防衛に大勢力を展開している。

理由は王都を守るのもあるが、半分は南部から送られる物資の流通ルートを確保するためだろう。

兵站物資は戦争において最も大事な要素の一つだ。

これを維持できるかで戦局は大きく変わる。

 

逆に言えば兵站の維持に労力を割いている間は戦争を諦めていないと云う事だ。

朗報だ。ガリア軍はまだ戦う意思を棄ててはいない。

俺は焼き串をもう一本買ってその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

――三時間後、

イムカは喧騒から遠く離れた広場のベンチに座っていた。

連れまわした当のラインハルトは何処かに行ってしまった。

商会の男と会って来ると言っていた。

どうやらこの時間に落ちあう約束をしていたらしい。

 

.....何の用事だろう。いやこれだけは分かる。

また何かよからぬ事を企んでいるに違いない。

そして誰もが驚く様な事をするのだ。

ラインハルトという男はそういう人だ。

 

自然にフッと笑みが溢れる。

楽しい、そう思ったのは久しぶりだ。

街を巡って色々な名所を見て回った。いつしか時間を忘れて、彼の手に引かれるのを楽しんでいた。心がざわつく。彼に気付かれるんじゃないかと思った。

彼をに触られるとドキドキして胸がキュウっとする。

病気かな。と同僚の女兵士に言うと何故かにんまりと笑うだけ。

意味が分からない。私は......。

 

「あの....となりに座っても良いですか?」

 

ぼんやり考えていると声を掛けられた。

その一瞬、イムカは警戒するが声の主を見て直ぐに緊張は解かれた。

それは少女が自らと同じ人種であったからに他ならない。

すなわちダルクス人だ。純朴を絵にかいたような少女だった。

どう見ても敵の諜報員ではないだろう。

 

「.....構わない」

 

イムカの返答は素っ気ないものだったが、パアッと花が咲いたような笑顔を浮かべ少女は「ありがとうございます!」と礼を言ってベンチに座った。

聞いてもないのに喋りかけて来た。

 

「私ここで兄さんを待っているんです。貴女も誰かを待っているんですか?」

 

コクリと頷く。流石に無視はできない。

物怖じしない性格なのか少女は気にした様子もなく。

 

「あ、すみません私はイサラと言います」

「.....イムカ」

「イムカさんよろしくお願いします」

 

よろしくも何もない。

もう話すことは無い、そう思ってラインハルトが来るのを待っていると、嫌に視線を感じる。イサラがこちらをチラチラ気にしていた。

まだ何かあるのだろうか。

 

「.....なに?」

「あの、失礼ですがもしかして....イムカさんってエンジニアですか?」

「え.....」

「鉄と油の微かな匂いからそう思ったんですが.....違いましたか?」

 

コテンと首を傾げる少女を――イムカは驚愕の目で見ていた。

恐らく少女の言う鉄と油の匂いはヴァールと手入れ油の事だろう。

当然、国境潜入の際は隠蔽処置をしていた。

完璧に隠していたはずのソレを気づかれた。この短時間で。

この少女はただの一般人ではない。

 

「貴女は一体....何者?」

「私は何者という訳ではないんですが、父が戦車の技術者だったんです。その縁で私も技術者を目指しています。......それで分かったんです、鉄と油の匂いは毎日嗅いでますから」

 

だった。ということは彼女の父親はもう.....。

苦労しただろう。

イムカの表情でそれを察したのかイサラは笑って、

 

「今は父の友人だった方の家に養子に入っています。御蔭で不自由なく生活を送れました」

「.....そう、良かった」

 

親の居ないダルクス人は悲惨だ。

身寄りのない子供は施設に入れられる。それならまだ良い。衣食住は賄われる。だが政府や自治体の非保護対象であるダルクス人は扱いが悪い。子供の頃から働きに出される事もある。働き口がなければ路頭に迷うだけだ。都市の裏にはストリートチルドレンが多数存在する。そのほとんどがダルクス人だ。過去の歴史のせいで自治権をもつことが出来ないせいだ。

少し前、帝国で自治権を求め武装蜂起したダルクス系武装勢力が存在したそうだが結果は壊滅よりも酷かった。無関係のダルクス人も含めたほとんどに重い重税が与えられ、苦しい生活を強いられた。ラインハルトが来る前のニュルンベルクがその筆頭だ。

 

この少女は多くのダルクス人と違い平穏な生活を送れていたのだろう。その笑顔を見てそう思った。願わくば少女の笑顔が曇らないでほしい。同じ民族の血を流す者としての些細な願いだ。

――だが世界は悪意で満ちている。彼女達の血はそれを引き寄せてしまう。

少しづつ会話に花が咲き始めたところだった。

 

「お!やっぱり!横顔も良いけど正面から見たら全然違うぜ――君達可愛いねえっ」

「おおマジだ!お嬢さん俺達と一緒に飲まない?」

「もちろんコイツの奢りだよ!」

「アハハハハハ!」

 

見知らぬ五人の男が寄って来る。

ヘラヘラと嫌な笑みを浮かべていた。

赤らんだ顔から見て男達が酔っているのは明らかだ。

恐らくこのお祭り騒ぎに便乗して昼から飲んでいるのだろう。

心の中でため息を吐く。この手合いは面倒だ。

立ち去ろうかと思ったがラインハルトが迎えに来る。

はぐれてしまうかもしれないのでベンチから離れられない。

それにイサらもいる。彼女を置いて行く事は出来ない。

男達が立ち退くのを待つしかない。

 

「.....いらない」

 

興味を微塵も感じられないほど無愛想に呟いた。これでイムカの意思は伝わっただろう。

だが男達は執拗に迫った。

「そう言わずにさぁ!知り合いがやってる店があるんだそこに行こう!」

「楽しいよ行けば君も喜ぶよ!」

「やめてください!」

 

言い寄る男達の手を払ってイサラは立ち上がる。

自分の意思をハッキリと悪漢に告げる。

 

「私達はそんな所に行きません、どこかに行ってください!」

 

イムカがしまったと思った時には遅い。

男達の薄い笑顔が消える。

 

「.....あ?」

イサラの態度が癪に触ったのか男が剣呑な声を上げた。

目の色が変わる。男の目には侮蔑の感情が宿っていた。

イムカ達の顔や服装を見て確信したのだろう。

 

「おいダルクス人。俺達はただ楽しくやろうって言ってるだけだろ?それを何だ、折角の気分が台無しじゃねえかどうしてくれるんだ」

「そんな事は知りません、貴方達の勝手な言い分です」

「あーうぜ、家名も持たない下僕のダルクス人風情が口答えしてんじゃねえよ.....」

 

男の言葉にはダルクス人に対する差別の感情が込められていた。

そもそも男達はイムカの人種を分かった上で近づいたはずだ。

つまりこれは偶然ではない。

明らかに人種差別の対象としてイムカ達に近づいたのだ。

目的は嫌がらせだろう。

あっさり振られて化けの皮が剥がれたが。ほいほい付いていったら何をされていたか分かったものではない。ダルクス人の婦女子が暴行される事件は多いのだ。

 

「私の名前はイサラ・ギュンターです。ダルクス人でも姓を持てます。下僕ではありません!」

「嘘つくなよダルクス人が姓を持てるはずがない」

「養子に迎えられたら不可能ではありません」

「チッ.....だからなんだよ。歴史的に観てお前らには奴隷の血が流れてんだよ。

神聖なヴァルキュリアの加護を受けている俺達ガリア人に支配されてきた民族なんだよダルクス人ってのは.....!」

 

男が激昂する。

ヴァルキュリアの加護。恐らく大公家の事を指しているのだろう。

大公家はヴァルキュリアの血を引いている。そう昔から噂されている。

 

「大公家は例えダルクス人でも分け隔てのない平等な社会の実現を望んでいます。

私が生まれたガリア公国とはそういう国です!」

「小娘が知った口をきくんじゃねえ!」

 

驚く事に男は拳を振り上げ体勢をとった。イムカは瞠目した。

まさか殴る気か、この公衆の面前で。

最悪の予想通りだった。簡単に男の拳は落とされる。

酔っているせいで加減が出来ていない。大惨事になる。

 

イムカは咄嗟にイサラの手を引いた。先に体勢が崩れた事で間一髪直撃を免れた。倒れかかるイサラを受け止める。だがそのせいで次の攻撃を避けられない。

今度はイムカを足蹴にしようとする。当たる。

 

「――オイ」

「ゲボッ!?」

 

当たる直前、横から繰り出された足が男の横腹を足蹴にする。男は勢いよく地面に這いつくばった。痛みで悶絶する男を驚愕の様子で見ていた男が、その男を睨みつける。

 

「てめえ何しやがる!」

「それは俺のセリフだ。人の女を蹴ろうとするとか、どういう了見だ」

「――ハルト!」

 

険しい眼光のラインハルトが立っていた。

どこかの露店で買ったのだろう。両手にはアイスクリームが握られている。

男達もそれで事情を察したのだろう。ラインハルトとイムカを見比べて驚いている。

 

「ダルクス人の連れか?」

「見た目は俺達と変わらないぞ違うんじゃないか?」

「南部はダルクス人差別が強いと聞いてはいたが.....ここまでとはな」

 

想像よりも酷い、ラインハルトの顔はそう物語っていた。

こんなにも軽く見られるのかダルクス人は。

帝国のダルクス人に対する扱いとそう大差がないじゃないか。

その目には失望すら感じられた。

 

「てめえ.....!俺達のシマで手を出したらどうなるか分かってるんだろうな!」

 

仲間をやられて怒る男達。誰が見ても自業自得と言うしかないのだが、そんな事は男達に関係ない。酔いの良い気分と楽しみを邪魔された、というだけで処刑の理由には十分だった。

男達がジリジリと間合いを詰めてくる。

 

「コレ持っててくれるか」

「ハルト私も――!」

「いやお前は手を出すな周囲を見張ってくれ」

「.....分かった」

 

手渡されたアイスクリームを持って不承不承と頷くイムカ。

本当は一番に男達を殴り倒したい。だがそれをやれば疑われるのは必須だろう。

ここは敵地のど真ん中だ。状況的に男のラインハルトに任せた方が良いと判断した。

それにイサラが不安そうにしている。

 

「イムカさん、あの人は.....?」

「大丈夫、彼は私の.....夫だから」

 

その言葉には確かな信頼が込められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三話

――数分後。

威勢よく啖呵を吐いた男達は地面に転がっていた。

喧嘩にもならなかった。酒に酔った不良程度に負けるほど腕は鈍っていない。数発で片は付いた。

殴られた箇所を抑えながら痛みに耐えている。

的確に急所を突いたからな。辛そうだ。

だが同情はしない。

路地裏の吐瀉物を見るかのような目で、男達を見下ろすラインハルト。

遠慮なく男の背に足を乗せた。そして――

 

「グエッッ!」

 

思いっきり踏みつけにした。潰れたカエルみたいな声が吐き出される。

こいつがイムカを殴ろうとした奴だ。

止めなければ彼女は怪我を負っていた。足に力を込める。

ミシミシと鈍い音が響く。男の悲鳴が上がった。

 

「もう許してくれ俺達が悪かったよ!」

 

手を出してはいけない相手だった。

すっかり酔いも醒めて顔を真っ青にした男が許しを乞う。

それを聞いたラインハルトは、より力を強めた。

何も分かっていない。

 

「違うな、許しを乞うべき相手を間違っているぞ。俺ではなく彼女達にだ」

「っ....謝ります、どうか許してください.....!」

 

その声はか細く途切れそうな程だったが彼女の耳に届いた。

イムカに守られていた少女が前に出る。

怯えのない目で男を見つめ、そして言った。

 

「許せません。貴方のした行為は決して許されるものではない」

 

再び足に力を入れる。男はもう半泣きだ。

無様な姿を公衆に晒し続けている。

どうしてこんなことに。そう思っているだろう。

自業自得と言うしかない。

 

「.....ですが、それではダメなんです。それでは争いは無くならない。だからダルクス人はどんな理不尽にも耐えてきたんです。同胞のため、貴方達を許します。

.....でも、私には分かりません。貴方を許せば私たちは許されるのでしょうか?」

 

その疑問に答えられる者は誰もいない。否、答えたとしてそれは一つだ。

――許されることはない。

それが世界の共通認識だ。

少女は男を許したいと考えている。

だがその反面、人として許せない気持ちもある。少女は相反する二つの感情に揺れていた。

別に許す必要はないんじゃないか。

 

「別に許す必要はない」

 

声に出ていた。

少女は驚いた様子で俺を見る。

今までそんな事を言われたことがなかったのだろう。

それほどに世界が彼女たちに押し付けた罪は重い。

冗談じゃない。この世界はおかしい。

彼女たちに何の罪がある。

健気に生きている者を踏み潰すな。

だから悲劇が起きる。

 

「無理に取り繕うから歪つが生まれる。

こいつらみたいな考えの輩が増えるんだ。大丈夫、君のした事は正しい。

声を上げ続けろ。そうすれば人はいつか共感する。.....俺みたいにな」

 

だから諦めるな。

きっと君が、ダルクス人が報われる日は来る。

うまく言えた自信はない。

だけど、俺みたいな酔狂な奴がいる事を知ってもらう事が彼女の支えになればと思う。

もう一人ぐらい少女を支える味方が居ればな.....。

そう考える俺の元に一人の男が走ってくるのが見えた。

新手か?そう思った俺の警戒は杞憂に終わる。

 

「おーいイサラー」

 

人を落ち着かせる温かみに溢れた声だ。

その声に似合った穏やかな顔立ちの男、手にはアイスクリームが握られていた。

 

「にいさん!」

「いやー待たせたね、混んじゃってさ。

.....はい、イサラが食べたがったアイスクリーム」

「....もう!そんな場合じゃなかったんですよ兄さん!」

「あれ?どうかしたのかい?」

 

何とも気の抜けた会話だ。いや。

少女の怯えが完全に無くなっている。

さっきまで強張っていた表情は和んでいた。

 

....どうやら先程の俺の心配は無用だったようだ。

もう彼女には、受け入れてくれる誰かが居たのだから。

 

「行こうイムカ、もう大丈夫だ」

「....わかった」

 

早く此処を離れたほうがいい。

少しだけ目立ち過ぎた。あとは彼に任せてしまおう。

俺達はこそこそと場を離れようとした。

のだが――

 

「あ、待ってください。イムカさんお礼をさせてください!」

 

少女が駆けてきた。

....まあ、責任感の強そうな少女の事だからすんなりと別れるのは無理だろうと思っていた。

しかし参ったな。ここで現地人と関りを持つのは避けたかったのだが。

イムカの名前を知っているようだし。

ここで無理に逃げると調べまわれそうだ。

この手の子は礼なんて必要ないと言っても聞かないだろう。

不用意に断れば疑われるかもしれない。

 

――最善手は一つだ。

何か簡単な礼をしてもらって即座に別れる。

それしかない。

 

ならばそれは俺の目的に沿う形で叶えてもらうのがベストだろう。

 

「.....それなら一つだけ頼みがある」

 

俺は懐から封書を取り出した。

それは、ここに来る前に会いに行った協力者の男から受け取った。とあるルートから密かに運ばれた密書だ。これを持って俺はある場所に向かう。

少女にはその目的地までの道案内をしてもらう、というのが即座に組み立てた俺の考えだ。

その場所というのは、

 

「——ガリア義勇軍本部まで連れて行ってくれないか?」

 

なぜか少女とその兄は顔を見合わせた。

そして笑顔でこう言った。

 

「「お安い御用です!」さ」

 

この時、俺はもっと慎重に動くべきだったのかもしれない。

まさかこの兄妹と強く関わってしまう事になるとは。

この時の俺は諜報員の見えない姿に意識を傾けていたせいで微塵も考えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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四話

交易都市メルフェアの一角に位置する防衛機能、ガリア義勇軍本部(仮)。

本来はガリア正規軍が管理する其処は現在、ガリア義勇軍が駐屯する施設となっている。

来るべき反攻作戦に向けて、着々と兵力が中央に集められているからだ。

 

聞こえはいいが、つまり軍は中部以外を放棄したとも言える。

手薄な場所は義勇軍に当たらせて、せいぜい時間を稼ぐがいい。

つまりはそういうことだ。捨て鉢にされた。

そう考えるのが自然だろう。

 

だから驚いたものだ。

ガリア義勇軍がクローデンの森を奪還したという報せを聞いたときは。

酒場ではガリア軍が有利だとは言ったものの、実際にやるとでは違う。

成功する確率は低いと考えていた。

 

その作戦を行った指揮官とは、いったいどんな奴なのだろう.....。

 

 

 

「....それでその魚には雌雄同体といって、日に何回も性別が変わるものもあるんだ!」

「ほう.....興味深いな」

「そうだろっ僕もそれを知ったときは感動したよ!生物には不可能なんてない。そう思ったんだ」

「同感だ、生物にはまだ我々の理解の及ばない未知の領域がある」

「そうそう、この前森で珍しい生き物を発見してね....」

 

道すがらラインハルトは少女の兄と話をしていた。というか意気投合していた。最初は普通に世間話程度だった。それが気づいたら専門的でマニアックな題材に切り替わっていたのだ。彼の知識は幅広く、動植物から海洋生物まで饒舌に語りつくす。感心しきりに相槌を打つラインハルト。まるで学友のようだ。

ラインハルトも妙な食いつきを見せたのがいけなかった。

どんどんと良くわからない話で盛り上がっている。

後ろで見ていたイサラとイムカは呆れた様子だ。

 

「もう兄さん....」

「ハルト.....」

 

二人は見合って苦笑した。

 

しかし....イムカの心中は穏やかではいられない。

ラインハルトは確かにこう言った。

ガリア義勇軍本部に連れて行ってくれと。

 

本気だろうか。帝国の皇子が敵国の軍に訪問しようなんて。

獣の巣に無手で足を踏み入れようとする程の蛮行だ。

いったい何の目的で.....。分からない。

 

緊張する鼓動を無理に押さえつける。

もしもの時は.....。

この時、イムカは死を覚悟した。

 

そんな事を知る由もない俺は少女の兄と爬虫類の骨数について熱い討論を行っていた。

それから十分ほど話しただろうか。

気づけば義勇軍本部の前に着いていた。

 

ラインハルトは名残惜しいが彼らとはここまでだな、と思い二人に別れを告げる。

 

「面白かったよ」

「イサラを助けてくれてありがとう。このお礼は必ずするから」

「いや、話を聞けただけで十分だ」

「.....兄さん」

「うん分かってる」

 

ギュンター兄妹を見て、ラインハルトは少しだけ懐かしさを覚えていた。

それはもう戻りはしない過去の記憶、二人で話す兄弟の姿が重なって見えた。

....憧憬か。いや違う。俺は取り戻す、その為にここに来たのだから。

 

だがこの二人とは、

きっと、もう会うことはないだろう。

この戦時下だ。簡単ではないだろうし、俺の正体を知ればどの口が言うのかと思うだろう。

だが、できればこの兄妹が無事に過ごせることを切に願う。

 

 

**

 

 

ゲート前に立つ門番に話しかける。

責任者に会いたい旨を伝える。アポイントは昨日の内に取ってある。

商会の男が手を回してくれた。

とはいえ昨日の今日だ。

門前払いされる可能性も視野に入れてある。

義勇軍とはいえ、いきなりの訪問者を入れるほどザルではない。

......と思ったのだが、

 

待たされること一時間後、

なぜかとんとん拍子で話は進み。

あっさりと敷地内に入ることを許可され、

 

そして現在、俺は義勇軍第三中隊長エレノア・バーロット大尉の前に立っていた。

望んでいたのは俺の方だがここまで上手くいきすぎている状況に逆に戸惑いを隠せない。

誰の差し金だ。裏で働いた力があるのは確実だ。

 

まさか彼女か....?

いやしかし、一か月余りで手を回す余裕があるとは思えない。

この封書を手に入れるだけでも手間がかかったはずだ。

考えに没頭していると、

 

「つまり話の内容というのは商隊の護衛という事でよろしいのでしょうか。えー.....」

「....ああ、失礼した。私は商会代理の者でハルトと申します。

はい、商隊というほどのものでありませんが、近況を鑑み、安全に商品を王都に運ぶ為にも、ガリア義勇軍のお力をお借りしたい」

 

ガリア公国に入った当初より単独行動は危険と判断していた。

――ガリア軍に護衛してもらう。

それは何も帝国軍から身を守る為だけではない。

ガリアに正体を補足されるのを避ける為でもある。

まさかガリア軍に護衛を頼むのが敵であるわけがない、そう思わせる事で身分の隠蔽を行うのだ。軍と共に行動することが保証にも繋がる。それだけではないが。

 

「.....連邦内で護衛は募らなかったのですか?」

「火急の用ですので傭兵を雇う時間がなかったこと、

ガリア国内の情勢を把握しているガリア軍の方が安全性が高い事を考えての判断です」

「それではガリア正規軍に頼む方が良かったのでは?」

 

質疑応答を淀みなく答えながらラインハルトは思う。

少し警戒されているな。

こちらの動きを読もうとする節が見える。

ならば隠すよりもここは正直に話すか。

 

「彼らではダメですね」

「ダメ?」

「エリート部隊でしょう?昔からそうなんですが、ソリが合わないというか、上から目線で見下してくるじゃないですか、嫌いなんですよ。そういう奴らが」

「......それだけですか?」

「?はい」

 

はて?何かおかしな事を言っただろうか。

エレノア大尉が肩を震わせている。横の士官も同様に。

 

....ああ、同胞の悪口を聞いて怒らせてしまったか。

 

「申し訳ありません、同じ国家に従事する仲間の事を嫌いなどと」

「いえ、分かりました」

 

分かったのか。

先ほどまでの鋭利な視線とは打って変わり、

探るような気配は穏やかなものになっている。

目には共感の色すらあった。時に正直に話すことが正解の場合もある。

これは上手くいったか?

 

「護衛の任は請け負いましょう。ですが申し訳ありません。

近隣から部隊を招集するのに最低でも二日はかかる予定です。

それまで滞在して頂きたいのですが」

 

ま、そう上手くいかないか。

帝国軍の攻勢を考えれば足止めはこちらの首を絞めかねない。

....仕方ない。当初の予定通りコレを使うとしよう。

 

「なるほど。しかし我々にも事情がある。....仕方ありません。

これは内密にお願いしたいのですが、今回、我が商品の送り届け先は特別でして.....」

「.....特別とは?」

「コレを」

 

そう言って取り出した蝋がされた封書を机上に置く。

朱蝋に押された家印を見て、エレノアの目つきが変わる。

当然だ。これはガリア公国でも有数の名家が作成した本物の書状だ。

 

「これは....」

「お分かりいただけましたか?」

 

それがどれほど重要な物であるか知らないはずがないだろう。

それを手にする俺の立場を理解したはずだ。

暗にラインハルトはそう告げた。

 

そうラインハルトはこの街に来る前から幾通りもの策を練っていた。

きっとこうなるだろう、と予測し。その解決策をすでに得ていたのだ。

それも俺一人では実現できない。

心強い仲間が居ればこそ。

彼女が危険を冒してまで手に入れてくれた物だ。有効的に使わせてもらう。

エレノアは緊張した面持ちで封蝋を破り、

 

「....ふう」

 

書状を読み終え、長い沈黙の後にため息を吐く。

そして貫くような視線で俺を見た。臆さず見返していると、何度か頷き。

まるで悪戯を仕掛けた子供を見る様な、しょうがないと云った感じで笑みを浮かべる。

 

「分かりました。協力します。貴方の要望に従い、

直ぐに手配しましょう。何か他に必要な要望があるなら可能な限り用意しますが」

「ありがとうございます。では一つだけ。

護衛の部隊は少数精鋭であることを望みます。....お分かりいただけますね?」

「はい、それほどに重要な積荷ということですか。

.....分かりました自慢の部隊を用意させていただきます」

 

本当は重要なのは積荷ではなく人の方なんだが。

上手く誤解してくれた。

そうなるように誘導した当の本人は悪びれた様子もなく。

ことのなりゆきがスムーズに行って満足していた。

だが、ここで一つだけ誤算が起きる。

エレノアが付け加えるように言った。

 

「ですが、その必要はないでしょう...実を言うと、もう部隊の目途は経っているのです」

「それは.....」

 

どういう意味だ。ラインハルトは怪訝に思った。

何か計算違いな事が起きようとしている。

俺は何を読み間違えた。分からない。

 

「貴方と対談する前に、一人の士官が訪ねて来たのです。

もしも彼が護衛を必要とした時はそれは自分の部隊が行います.....と。

.....入りなさい」

 

その言葉で後ろのドアが開く。

その人物を見てラインハルトは驚愕する。

入ってきたのは先ほどまで一緒に居た男だった。

イサラという女の子の兄で、

名前は.....。

 

「ウェルキン・ギュンター少尉!失礼します!」

 

それは街で噂になっていた、

クローデンの森の帝国軍を打ち破った若き英雄の名だった。

とんでもないミスを侵していた事に気付くも、もう遅い。

俺の顔はというと、それはもう引きつった笑みを浮かべている事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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五話

感想とかありがとね、読んでるからね。



驚きで声が出ない。

事態を飲み込めずにいた。

こんなことがあるのか?だとすれば運命とは怖いものだ。

まさか先程別れを告げたばかりの優男と直ぐに、軍人の姿で再会することになるとは。

想像すらしていなかった。

 

....本当に偶然なのか?

明らかに意図された結果で生まれた状況だ。

誰の思惑か。それを見極めなければ、この場で詰む。

 

「彼が今回の護衛任務に()()して来た。ウェルキン・ギュンター少尉です」

 

志願という言葉を強調してエレノアは紹介した。

ウェルキン・ギュンター。その名前は一足先に聞いている。

先のクローデンの戦いで一功を立てた部隊長の名として。

酒場でも妙に話題に上がっていた。

不思議に思い尋ねると、ギュンターという姓がとりわけ有名なのだとか。

第一次世界大戦でガリアを救った英雄の名前だからだ。

しかも件の隊長は、その英雄の息子らしいときた。噂にならないはずがない。

 

その若き英雄が、まさか彼だとはな。

いや、ウェルキンというのだったか。

正体を隠す思惑で、お互いに自己紹介しなかったのが裏目にでたな。

知っていれば彼に道案内を頼まなかった。

当然だ。この事態を避けられたかもしれない。

 

「やあ、驚かすつもりはなかったんだ。

どうしても妹を助けてくれたお礼をしたかったんだよ」

 

短い間だったが彼とは道すがら話もした。だから分かる。

この男は人を騙す技に長けていない。

恐らくウェルキンの言葉は本心からのものだ。

だからこそ質が悪い。

読めない。彼らの裏の目的が。

これが敵の罠なのかも判断がつかない。

いや、迷うな。平静を装え。

 

「驚くなという方に無理がある。

君が軍人だったのもそうだが、よく俺の目的を予想できたものだ」

「ほとんど勘かな。貴方のような人が義勇軍を利用するのは用途が限られているからね」

 

それでピタリと的中させるのは大したものだよ。

僅かな時間でここまでお膳立てするとは。

なるほど、確かに判断と行動力は見張るものがある。

クローデンの森で武勲を立てたのも偶然ではないらしい。

 

まずいな優秀過ぎる。俺の正体がバレる可能性がある。

護衛役には標準を望むはずだった。

だが、もはや断れる状況でもない。

毒を食らわば皿までという言葉もある。

飲み込むしかないだろう。

 

「王都までよろしく頼む」

「任せてよ」

 

屈託なく笑う。毒ではないな。

こちらとしては苦笑うしかない。

まあいいさ。手札は先に切っておいた。

今の時点で俺が捕まる心配はない。

想定外の想定内だ。

 

「それではギュンター少尉貴下、第七小隊に命令です。ハルトさんとその小隊の護衛を任せます」

「はっ!」

 

こうして俺はウェルキンと共に王都に向かう事になった。

本当に大丈夫だろうか。

俺は目的を達成できるのか、一抹の不安を感じながらも、しかし、

実はこの兄妹と旅をすることに、嬉しさもあったりするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

 

ラインハルト達が退室した後、

一人残ったエレノアは椅子に背中を預け息を吐いた。

.....こんな事になるなんて。

藪をつついたら蛇が出た。いいや、そんな生易しいものではなかった。

まさか、ここであんな大物の名が出てくるとは思わなかった。

 

エレノアの目に映る一枚の書状。

そこに押されている朱印はこの国の貴族のものだ。

中身も正しく偽造ではない。割札とされるもの。

私の権限で改められるものではない。

 

この紙一枚に込められた権限はそれほどに絶大だ。

その背景に居る存在を考えれば、一介の士官ではどうすることもできない。

彼らに申し訳ないことをした。

 

国境駐在官から一通の警告が来たのが昨日、

その張本人が義勇軍本部に来たという報せを受けたのが、一時間前だった。

当初はそれほど警戒していたわけではなかった。

情勢を考えれば、軍に協力を仰ぐ事は珍しい事ではないからだ。

実際に会って判断を下す、問題なければ通過させようと考えていた。

会う直前になって部下が駆け込んできたのには驚いた。

しかも当の人物の護衛を買って出たのだから尚更だ。

関係は置いといて、その訪問者と会った。

あえて部下の事は伏せて話をした。

 

予想した通り護衛の打診だった。

何度か質問を行ったがどれも納得できる。

不可解なところは感じられない。警戒は薄らいでいた。

しかし、ここでカマを掛けてみた。

部隊を招集するのに時間が掛かると。

案の定彼は渋い顔をした。時間を気にしているようだ。

その間に行われる身辺調査を嫌っての事だろうか。

確かに招集というのはブラフだ。直ぐにでも出せる部隊はいる。

 

通常であればそうしたものも、しなかったのは、やはり国境から警戒せよの報せがあったからに他ならない。この街に滞在させて調べさせようと考えていた。

だが、その考えを相手は読んでいたのだろう。

この書状を出してきた。

書面には、この書簡を持ってきた人物の身分証明を保証するといった内容が書かれていた。

ここで素直に信じられれば良かったのだが、エレノアには一つの違和感があった。

 

――これ程の効果のある手形を、なぜ国境で出さなかったのか?

最初からこれを使って入国していれば、何事も疑われずに来れたものを、なぜここで?

――いや、

あるいは入国前は持っていなかったのではないか。

国内で手形を手に入れる時間は限られているはず、恐らくこの街に居た協力者から手に入れたものだと思われる。計画的な犯行だ。何らかの目的があるに違いない。

それがガリアに不利益を与えないという保証はない。

故に、その目的を私達軍は知らなければならない。

 

なぜなら貴族はガリア国民を守る気などないのだから。

 

しかし、商会とこの手紙の主との繋がりを知る権限が私にはない。

彼とその商会はもう通すしかない以上、その道中で探るしかないだろう。

 

そしてその役目を担うのは義勇軍第七小隊....ではない。

彼らは良くも悪くも民兵だ。その命令は酷というもの。

それに彼らは何も知らない方が良い。

彼らを表に立てれば、こちらの裏の動きをハルトさんは読めないはず。

そう考えればウェルキンが志願してきたのは好都合だった。

 

エレノアは静かに覚悟を決めた。

私の判断が間違っていれば辞職では済まないだろう。

それでも良い。この国を守る為ならば、蛇の巣に手を突きだすことさえも厭わない。

 

副官に命じて秘匿回線を繋げさせる。

滅多に使われない回線であり、特殊なコードでしか繋がらず。

厳重に保護されており、何人もの通信士の仲介の果てにようやく繋がった。

その通信先の相手は、気だるげな声で反応した。

 

「あー?俺さんに何か用かい『女狐』さん」

「相変わらずですねクロウ中佐。お願いがあります、貴方の部隊を借してくれませんか?」

「俺さんの部隊の代わりなんて幾らでもいるだろ」

「いいえ必要なんです。クローデンの森で人知れず活躍したあの部隊が」

 

蛇の道は蛇に通ずるという。

大貴族を背後に控えさせる、ハルトという謎の男の正体を突き止めるには。

ガリア軍諜報部所属ラムゼイ・クロウ中佐のあの部隊しかいない。

 

 

 

 

 

 

 

「懲罰部隊422——

通称『ネームレス』を私に借してください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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六話

出発は翌日の明朝となった。

直ぐにこの街を離れる必要がある。長居は無用だ。

そう考えたラインハルトは、事の次第を外で待っていたイムカに伝えた。

同時にウェルキンが軍属であり、道中の護衛である事もだ。

この気持ちを共有したかった。

やはりイムカも驚いたようだ。

 

「どうしてこうなった」

ラインハルトは大きくため息をこぼした。

それが彼の心情を物語っていた。

 

「最悪、気取られたかもしれん」

あのエレノアという女士官、表向きは涼しい顔をしていたが、明らかにこちらを警戒していた。

俺の正体とまではいかないが、正体を怪しんだのは間違いない。

時間をあちらに与えていれば、最悪、強硬手段を取られていたかもしれない、

 

義勇軍を利用しようと考えたのは悪手だったか?

いや、それは結果論に過ぎない。

運が悪かった。そう考えよう。

イムカが申し訳なさそうに言う。

 

「イサラはエンジニアだった。多分、戦車乗りかもしれない。

.....すまない、先に言うべきだった」

「いや、イムカのせいじゃない。俺たちも隠していたお互い様だ」

 

だが、とラインハルトは付け足して。

「ここからはより慎重にいこう。

彼らが今後、俺たちの敵になるかどうかは分からない。だが味方になる事は決してない」

「分かった」

 

そう、俺たちは敵同士だ。

味方になる事は決してないのだから.......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝、待機場所に訪れると第七小隊の面々が揃っていた。

軍服姿のウェルキンが駆け寄ってくる(やはり軍人なんだな)

ニコニコしてるなあ。

昔、別宅で飼っていた犬がこんなだった気がする。

若干失礼な事を考えながら、ラインハルトは握手をした。

 

「おはよう!いい朝だね。出立の準備は出来てるよ」

「おはようギュンター少尉」

「あははウェルキンでいいよ」

「なら俺もラ....ではなくハルトでいい」

 

そう言うとウェルキンは満面の笑みで、

 

「分かったよハルト!これからよろしく!」

「.....ああ、よろしく」

 

やはりこの男は何も知らないのかな。

エレノアから何かしら命令されているやもと案じたが、考え過ぎか。

だが少しだけラインハルトはホッとした。一歩間違えれば敵になる相手とはいえ、できれば戦いたくない。その為にこの国に来たのではないのだ。

 

「紹介するよ僕の仲間たちだ。彼女は――」

「—よ、よろしくお願いします!副官のアリシア・メルキオットです!」

 

アリシアは真面目に敬礼をして俺を迎えてくれた。

義勇兵とはいえかなり様になっているので感心した。

自警団で働いていた経験があるからだとか。

後になってそれを聞いた。

ウェルキンは首元のインカムを使って、

 

「イサラも出ておいで」

 

すると、

ひと際目を引く重戦車のハッチが開き、中から少女が出てきた。

イサラだ。イサラは恥ずかしそうに会釈をした。

イムカの言っていた通り戦車乗りか。

大したものだ。あの年で一部隊の戦車を任されているとは。

いやそれよりこの戦車だ。

 

「随分と立派な戦車だな。ガリア軍のか?」

「これは父が残してくれた物を私が組み上げました」

「これを?....そうか、素晴らしいな」

 

イサラは褒められて嬉しいのか照れている。

見れば分かる。よく整備されていた。彼女の技術者としての誇りが伺える。

名前はあるのかと聞くと教えてくれた。

いい名前だ。

 

「よろしくなエーデルワイス」

 

鋼鉄の装甲を撫でる。冷たい感触が返ってきた。

ラインハルトはこの戦車を見事に気に入っていた。

戦車があるなら安心だ。兵士の武装は....。

キョロキョロと誰かを探すイサラが尋ねてきた。

 

「あのイムカさんは.....?」

「ああ、直ぐそばにいる。呼んで来よう」

 

イサラは嬉しそうだ。随分と懐かれている。

荷台に居るイムカを呼んだ。

降りてきた彼女の事を紹介しようと思った。

だがその時だ、

 

「—なんだいダルクス人かい」

「ん?」

 

明らかに落胆ともとれる声が聞こえた。

それは第七小隊の女兵士が発した言葉だった。

赤毛の女が不満げな顔を露わにしている。

差別的ともとれる言葉に、真っ先に反応したのはイサラだ。

 

「ロージーさん!」

「あたいはあんたの事も認めたわけじゃないんだからね」

「ダルクス人とかは関係ないじゃないですか!」

「みんな一緒さ、ダルクス人は不幸を運んでくる」

 

断言する言葉に、

その場の空気が一瞬で剣呑になった。

アリシアは顔を青くしている。

護衛対象に対する物言いではない。

厳罰に処されてもおかしくないだろう。

 

正規軍であればありえない事も、義勇軍ならではという事か。

どうやらこの部隊も問題を抱えているようだ。

意外ではあったが珍しい事ではない。

だが、いきなりトラブルはごめんだな。

 

言い合いをする二人の前にラインハルトが無言で歩み寄る。

それを止める者は誰もいない。

護衛対象を怒らせた。そう思ったのだろう。

当たり前だ。既婚者を侮蔑されて怒らない者はいない。

 

マズイことになる、と第七小隊所属ラルゴ・ポッテルは思った。

....何で隊長は止めないんだ。

ウェルキンは何も言わず静観している。

 

その間にラインハルトはロージーの前に来てしまった。

元々気の強い性分のロージーの事だ。後には退けない状況で逆に張り合うぞ。

ラルゴの悪い予感は的中した。

ロージーはあろうことかラインハルトにまでガンつけたのだ

衝突する。誰もが思った。しかし、

ラインハルトが見ていた物は、

 

「何だその貧弱な装備は」

「なっ」

 

思ってもみなかった質問にロージーは呆気にとられた。

そして赤面する。自分の装備を馬鹿にされたと思ったのだろう。

ギロリと睨み上げる。

 

「あたい達は義勇軍だよっ!

まともな装備なんて支給されるはずがないだろ!」

 

そう、彼女たちの装備は、お世辞にも上等とは言い難い物ばかりだった。

どれも旧式の武器ばかり。

最新の武器や豊潤な支給品はほとんどが正規軍に送られ、義勇軍には残り物を回される。

仕方がない事だ。末端の兵士にまで装備を充実させれば、あっという間に小国の金庫は空になるだろう。そういった裏事情があることをラインハルトはここで知った。物量に恵まれた帝国では考えられない事だ。そこに思い至らなかったのだ。

この国の()()()は苦労しているんだな。

 

しかしガリアの軍需事情がここまで酷い物だとは思わなかった。

これには困った。この程度の質では道中心もとない。

この部隊の抱える事情以前の問題だ。

なるほどと頷き

 

「それなら俺が援助してやるさ」

「何を言って....?」

 

戸惑う面々を放置してトラックの荷台を開ける。

そこには大小連なる箱が整然と並べられていた。

その一つの箱を持ってきて開錠する。

中には銃器が詰まっている。無造作に一つ取ってロージーに手渡す。

第七小隊からどよめきが上がる。

明らかに最新鋭、しかもこれは合衆国製の突撃銃 ロビンソン(M91)だ。

連邦軍でも採用されている武器で、生産性も高い事から数多く流通している。信頼性の高い武器だ。ガリアン1よりよっぽど高性能だ。ラインハルトは他にも連邦の高品質な防弾用戦闘服を開けた。思わず受け取ってしまったロージーが慌てて、

 

「ちょっと何やってんだい!?

勝手にそんなことしていいわけないだろ!」

「ん?なぜだ」

「そ、そりゃ軍規違反とか色々あるだろ」

「どうなんだウェルキン」

「うーん。いいんじゃないかな」

「な、隊長!?」

「それに君の態度は軍規に則っているのか?」

「っ!」

 

何か咄嗟に言い返してやろうかと思ったが。

ぐうの音も出ない。

というか反論する理由がないのだ。

粗悪な装備には常々不満を持っていた。一新出来るまたとないチャンスに、まずラルゴが先に食いついた。

「こいつはすげえな!最新のフルオート式か!

こんな物、普通は正規軍じゃないと持てないぜ!」

ピクリと耳が反応する。

.....そんなに凄いのかいコレ?

今さらながらに手元の銃を見た。

確かに先進国の造った銃だ。完成度があたいのと全然違う。

図った様にラインハルトが言う。

 

「いらないなら返してくれ」

「あ、あたいのだろ!......っ悪かったよ」

「そうか大事に使ってくれ」

「う.....」

 

何とも言えない表情でロージーは肩を落とした。

気力が削がれたのも仕方ない。

最初から相手にされていないのだから。

イサラの見る目が尊敬の眼差しだ。

あのロージーさんを.....。

 

「凄いですハルトさん......!」

「ふっ、真向から戦わないのが兵法の初歩だ。

それよりイサラ、君にはコレだ」

「え?私にですか?ですが私は戦車乗りです」

「戦場では何が起こるか分からない。

最悪を想定して事に当たれ、後悔しても遅いんだ。

.....だから頼む使ってくれないか」

 

イサラはハッとした。

自信にあふれたラインハルトの表情に陰りが見えたからだ。

その眼には深い悲しみが伺える。

気づけば受け取っていた。

内側に着込むタイプの防弾服だ。

兄さん以外の人から貰った初めての物だ。大切にしよう。

 

「ありがとうございます!」

 

そんなに喜んでくれると思わなかった。

ラインハルトは少しだけこそばゆかった。

さてこれで全員に装備が行き渡った。

優に500000ダカットを超える金額だ。

いまだ騙されているんじゃないかと心配するアリシアに説明する。

 

「心配しなくとも、これらは無償援助だ。

依頼主として、俺たちを無事に王都まで連れていく為の出資だと思ってくれればいい」

「......凄いお金持ちって本当にいるんだね、ウェルキン」

「うんそうだねアリシア」

 

無償での大盤振る舞いにただただ放心するしかない。

もはや正規軍よりも正規軍らしい最新鋭の装備に身を包んだ第七小隊の戦力は、従来の比ではないだろう。恐らくどこの部隊よりも贅沢だと断言できる。降って湧いた幸運を彼らは甘受した。

 

そして準備は整った。

ラインハルト達はメルフェア市を北門から出発する。

門を抜けると北の空が広がっていた。

青く澄んだ静かな空だ。

空をふと見上げてその空気を感じていたラインハルトは誰かに向けて呟いた。

 

「お前はいまどこにいる。俺はここにいるぞ」

 

見つけてくれ、時が迫っている。

何もかもが手遅れになる前に。

この空の下に会いに行く。計画は.....順調だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




潜入編はこれで終わりです。
次は『仮面と猟犬』編です。
ガリア中部を舞台に追いかけっこが始まります。


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七話

ガリア中部と南部を繋ぐ街道を帝国軍に占拠されていた。

 

南部から届く物資がせき止められ。

このままでは中部は干上がるのも時間の問題だろう。

早急に対処しなければならない。そんな上層部の考えにより派遣されたのが、ガリア公国軍最高幹部ダモン将軍直轄部隊所属ヒラルキン中隊だ。

ヒラルキン大尉は約400の兵をもって帝国軍を攻撃した。

しかしーー

 

「どうして!?どうしてなのよ!敵は少数じゃないの!

なのにどうして――こっちが押されてるのよ!?」

 

偵察の報告では100そこらの少数部隊、直ぐに撃退できると踏んでいたヒラルキン大尉の思惑とは裏腹に敵は精鋭だった。敵の守りは固く、こちらの攻撃は跳ね返され、逆に被害を被っている。

四倍の敵を前にしても帝国軍の士気は異様に高い。

これでは敵を後退させることも難しい。

 

「そもそもアレは本当に帝国軍なの?」

 

そう困惑するのも無理ない事で、

敵の帝国兵は全員が髑髏の様な仮面を被っていた。

帝国兵が面を被っているのは珍しい事ではない。ブリキの兵士と揶揄される事もある程だ。

だが、あれはどの資料にも載っていない。

まるで冥界から呼び起こされた亡者の兵隊だ。

倒されても退かない姿を見てそう思う。

 

「敵は死を恐れていないとでもいうの!?」

 

ありえない。

もしそうだとしたら、どうやって倒せばいいというのか。

現状は正攻法を取るしかないのだ。

正面からぶつかり合う。我ながら愚策もいいところだ。

しかし、敵の背後にある森から別動隊の消息が途絶えた今、そうするしかない。

 

「前衛部隊抜かれました!敵が来ます!」

「なにい!?」

 

報告通り敵が遠くに見えた。

こちらの兵士を圧倒している。敵の中でも際立って動きが早い。早すぎる。前衛の部隊長は指揮を執る暇もない。とりわけ先頭に立つ兵士、なんだあれは!?自分の背丈よりも長大なライフルを軽々と構えたその兵士は的確に兵士を撃ちぬいている。報告を聞いて愕然とした。ほぼ全てが兵長クラス、部隊長だった。

まさかあの混戦の中を冷静に判断しながら戦っているというのか。

人間技じゃない。

 

「糞ッタレ!敵は本当に冥界の兵士か何かか!?」

 

この日何度目かの絶叫が響いた。

その間も敵の進撃は目覚ましく。

陣形が食い破られるのは時間の問題だろう。

 

「って、撤退する!」

 

こうして二度目の撤退命令が発動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「あら~逃げて行ったわよ。あいつらも懲りないわね」

 

双眼鏡で戦況を覗いていたリディアは腕を上にんーと伸びをした。

朝から同じ態勢で凝った筋肉がほぐれるのを感じる。

気持ちがいい。艶っぽい声が口から洩れる。

豊かな双丘が軍服を押し上げる。

男なら眼福な光景に、しかしジグは興味を示さず、咎めるように言った。

 

「気を緩み過ぎですよリディアさん。まだ戦闘が終わったわけじゃないんです」

「あんたは緊張し過ぎなのよジグ。あたしみたく余裕を持ちなさい」

「リディアさんのそれは余裕ではなく油断と言うんですっ」

「やーね。ダルクス人て真面目過ぎんのよ」

「ダルクス人は関係ないでしょ!」

 

ムッとなるジグが興奮したように言う。

仮面の兵士が周囲を固める中リディアとジグだけが顔を出していた。

金髪褐色のリディアとは違いジグはダルクス人だと一目で分かる。

胸には隊長の胸章が輝いている。帝国には珍しいダルクス人の隊長だ。

少年のような見た目からもかなり若い。この若さで稀有な事例だと言えよう。

だがその才能は本物だ。彼の部隊は随一の勇猛を誇る。

ジグ自身も最前線に立ち果敢に戦ってきた。

だからこそ今の立場があるのだろう。

現に今も戦いに走りたい気持ちを抑えているところだ。

そう云うところをリディアは若いと笑う。

 

「そこも可愛げがあって悪くないんだけどねぇ」

「いったい何の話ですか?」

「あんたはダハウみたいになるなって言ってるのよ、

これは忠告、自分の力を超えた悲願大望は身を滅ぼすだけよ」

「何を言っているのですか、ダハウ様こそダルクス人の希望であり我々カラミティ・レーベンの同志たちが集うべき象徴です。僕はダハウ様の様になりたい!」

 

輝かせるジグの目はヒーローを語る少年のそれだ。

彼にとって、その人物がどれだけ大事かが良く分かる。

彼のみならず、周囲を固める仮面の兵士全員の総意だ。

彼らはカラミティ・レーベン。ダルクス人のみで構成された部隊だ。

リディアの様な例外を除き全員がダルクス人である。

つまらなそうにリディアは言う。

 

「.....あっそ。好きにすれば?」

「いえ、リディアさん。貴女の忠告は胸に刻んでおきます。

僕たちの事を心配してくれたんですよね」

「はあ?そんなわけないでしょバカバカしい」

 

くだらないとかぶりを振って、軍帽を被り直す。

それよりもと視線を戦場に戻す。

視線の先には例の部隊があった。先ほどは先頭に立って敵を撤退に追い込んだあの部隊だ。

探るような目でリディアは呟いた。

 

「——それで?あいつは何なの?」

「.....分かりません。あの部隊の詳細はダハウ様も教えてくれませんでした」

 

ジグも困惑している。

知らされてない事にリディアは眉を寄せ、ならばそれも当然かと頷く。

なにせ二週間前に突然、部隊に加えると言い放ち、連れてきた謎の部隊なのだ。

古参の誰もがあの部隊の事を把握しかねていた。

ダハウを除いては。

 

(だとすれば別勢力の介入もありえるわね)

 

いったい何者だろう。あれほどの強さ、本国でも名の知れた部隊のはず。

追加人員の情報を明確にされていない時点で、

ダハウが何かを隠しているのは明白だ。問い詰めても無駄だろう。

腹心であるジグにさえ伝えられてない事からも分かる。

恐らく帝国の誰か、貴族かそれに順当する者がダハウに接触した。

これはある意味、マクシミリアンに対する裏切りではないか?

 

(目的は暗殺かしら?)

 

流石に突飛すぎるか。

私があのお方の力を使えば喋らざるをえない。

だが、それで利を得るかは首を傾げる。

カラミティ・レーベンを利用する別勢力が存在したとして、そいつらは帝国にいるはずだ。

このガリアでの影響力は低いだろう。

私が帝国軍に申告したところでうまみはない。

ならば今は状況を観察するだけでいい。

打てる手札は多く揃えておいた方がいいだろう。

あのお方の目的に反する様なら、その時は.....。

 

「くく、面白くなってきたじゃない」

 

そう言って笑うリディアの言葉の意味をジグは理解できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

リディアとジグの関心の的である部隊の隊長は女である。

顔は分からない。カラミティ・レーベンの特徴である髑髏の仮面を被っている事から、どんな顔をしているのか判断することが出来ないのだ。本人も滅多に人前に出ることはない。

それもあってカラミティレーベンの隊員からは仮面の令嬢と揶揄されていた。

あくまで戦闘に出る前の話だ。

彼らが戦場に投入されると話が変わる。

まずその機動力の高さに驚いた。自分達も機動力には自信があったが、彼らはまるでレベルが違う。幾度もの戦場を駆け巡った動きである。

そして先頭に立つ女兵士の戦闘力は次元が違う。

ほぼ一人で何人もの隊長格の首を上げている。

彼女の働きで命を助けられた隊員も多いだろう。

たった数回の出撃で彼女たちはカラミティ・レーベンに認められていた。

もう実力を侮る意味で仮面の令嬢と言う者はいないだろう.....。

 

その調査報告書を見たダハウはふっと笑った。

 

「さすが....というべきだな」

 

カラミティ・レーベンの隊長ダハウは獅子の鬣と体躯を彷彿とさせる。ダルクス人とは思えない覇気を纏う軍人だ。そんな男が心からの称賛を口にした。

身内意識の高いダルクス人の集団に認められるのは容易な事ではない。

それを可能とした彼女の腕を褒めた。

 

「リディアとジグはやはり怪しんでいるか」

 

何も伝えていない隊長達は疑問に思っている様子だ。

特にリディアは心中で画策している事だろう。彼女の正体を知られればリディアは軍に申告するだろう。そうなれば自分の身は危うくなる。

危険を孕むであろうことは分かっていた。

それでもダルクス人の安寧を思えばこそだ。

自分の判断が間違っていたとは思わない。

 

だからこそあの日、彼女の提案に乗ったのだから。

 

そう、彼女が抹殺対象となり追撃命令が出た時から、自分には別の道が生まれた。それは我々ダルクス人を生かす道となるかもしれない。

これはマクシミリアン殿下に対する裏切りだ。

ゆえにその道が間違っていた時は罰は自分一人で受けよう。

誰にも話していないのは、このためだ。

ダハウの静かな重い決意。それは虐げられる民族の自由を願う全ての同胞達の思いが込められている。自由を願い死んでいった同胞の為にもダハウは止まらない。

 

「たとえ魔女に魂を売ろうとも悲願を達成する....」

「——もしやその魔女とは私の事か」

 

返事が返ってきた。

誰も居ないはずの部屋から。ダハウは慌てて視線を巡らせる。声の正体は直ぐに見つかった。部屋の隅にもたれかかる様に立っていた。その女こそ件の人物である仮面の令嬢だ。

その名の通り仮面はしたまま。表情は読めない。

この部屋に入って来たことに全く気付かなかった。

冷や汗が首筋を流れる。

ダハウは礼を欠いた発言を謝罪する。

 

「失礼しました、お気に障られたのであれば謝ります」

 

立場が上の者、しかも隊長が隊員に行う簡易的なものではない。

誰が見てもどちらが上の立場か一目で分かる。

仮面の令嬢とはそこまでの者なのか。

当の本人は気にした様子もなく。

 

「別にいい。勝手に入ったのは私なのだから」

 

当然のように受け取る。いっそ傲慢ですらあった。

この場において支配者は仮面の令嬢だ。

ダハウもそれを受け入れていた。他の者が見たら驚く事だろう。だからこそ誰にも気づかれないよう気配を隠して入って来たのだろうか。

 

「.....それで何用でしょうか?」

 

ここに訪れた目的をダハウは問う。

とは言ったものの、彼女の訪問の意図は初めから分かっている。

話を円滑に進ませるための社交辞令だ。

仮面の令嬢も気にせず答えた。

 

「例の件について斥候の報告を聞きに来た」

 

やはりか。

カラミティ・レーベンは南部から続く街道を占拠している。

主な目的はガリア軍の物資を拿捕すること。それだけでなく、

例の件――つまりガリア軍の動向を把握する事も任務の一つだ。

 

それに関連して仮面の令嬢は一つの命令を与えていた。

それは軍だけでなく南部を通る民間団体であれば残らず調査しなければならない。

というものだ。目的は分からない。

だが彼女は何かを探している。あるいは誰かを。

ここに来た時からずっと。

そもそも、この街道近くに陣を張ると言ったのも彼女の案だった。

 

何かがあるのだろう、この場所に。彼女にとって極めて重要な事項が。

ダハウは首を横に振る。

 

「残念ながら斥候の報告では南の街道を通ってくるのはガリア軍のみとの事です」

 

此処を占拠して二週間が過ぎたが依然として向かってくるのは敵勢力だけだ。

中部ガリアに続く脇道は幾つかあるが民間人が通る事は一度としてなかった。

変わらない答えに仮面の令嬢は無反応で「.....そうか」とだけ呟いた。

平静を装っているだけだろう。内心はそうじゃないはずだ。

固く閉じられた手が物語っている。

 

「....引き続き街道の監視を行え」

「しかし...」

「分かっている。敵の反撃が日増しに強くなっている。だが此処を離れるわけにはいかない。

これは絶対条件だ」

 

本道を奪い返そうと敵の部隊が次第に増強されている。

敵もようやく本気になり始めたようだ。

カラミティレーベンにとっては悪い知らせだ。

いくら精強な我が部隊といえども正面切って敵の大部隊と戦えば全滅の憂き目に会うだろう。

この状態が続けば撤退もありうる。

仮面の令嬢もそれが分かっているのだ。

だからこそ彼女は自ら前線に立ち奮戦する事で今の状態を維持している。

しかし、それももってあと.....。

 

「....三日、あと三日待ちましょう。

それで何も起きなければ撤退を開始します。よろしいですね。

私とて隊員を無駄死にさせるわけには――っ!」

 

途中で言葉が切れる。

仮面の令嬢を中心に殺気が吹き出した。

仮面がダハウを見る。

 

「分かっていないようだな。.....これは命令だ。失敗は許されない。

絶対に成功させなければならないのだ。

例え私や貴様とその部下たちが諸共死のうとも任務は必ず遂行する」

 

有無を言わさぬ迫力にダハウは瞠目する。

それほどまでに成功させたい理由とは何だ。

 

そもそも彼女がガリアに現れた理由は。ガリア侵攻の為などではない。

我々を利用する意味は。それによって達成される目論見とは。

彼女は詳細を語らない。ただ機密事項であるとして、さらにその正体を隠している。

何のために。.....いや、まて彼女には忠誠を誓う者がいる。

唯一無二の存在。その者が関係しているとすればどうだ。

 

彼女が命を懸けるに値する作戦.....まさか。

その可能性を考え、ダハウは雷鳴に打たれた様に硬直する。

.....それはありえない事だ。

 

「.....来ているのか?貴女の主君が」

 

信じられない思いで呟いた。その瞬間――喉を掴まれた。

 

「ぐっ!?」

あいだに合った距離を瞬く間にゼロにして仮面の令嬢がダハウの首を掴んだのだ。

万力のような力で抑え込まれ酸欠になる。

霞がかかった視界の中で彼女の冷淡な声が聞こえた。

 

「それ以上の発言を禁止する。誰かに伝えれば私が殺す」

 

あまりに苛烈な発言にダハウは逆に確信した。

.....そういう事か。読めてきたぞ。

ダハウは手首を掴み、力を込めた。

 

「む....」

彼女の締め上げる手が緩む。一瞬を逃さずダハウは仮面の令嬢の手を引き離した。

お互いの視線が交差する。

ダハウは無理に笑みを浮かべた。

獰猛な笑みだ。

 

「殺されるのは困りますな。私にも必ず達成しなければならない悲願がある。

ダルクス人の自由の為に。未来のダルクス人の為に。

その為ならば私は地獄の底までお供しましょう。ですが部下は違う。

彼らこそ未来だ。無駄死にはさせられない」

「裏切るという事か」

「まさか、何のために危ない橋を渡っていると思っているのですか。

最後まで渡りきるつもりですよ。その代わり必ず条件はのんでもらいますぞ」

 

ダハウは清濁併せ持つ男だった。

部下の犠牲を既に受け入れ、先の未来を掴み取る覚悟がある。

それ程の覚悟がなければ掴む事はできない。

『ダルクス人の自治権実現』はそれ程に途方もない夢だった。

その夢を叶える一端が手の届く所にいる。

ならば迷うことはない。ダハウは決定を下した。

たった一人のために自らを含めた108名の犠牲を受け入れる。

 

「....分かっている。この作戦が成功した暁には自治都市でも何でも望めば良い。

たとえダルクス人でも働きに応じた見返りを与える。あの御方はそういう人だからな」

 

その相手を憂いているのが分かる。

どのような作戦なのか詳細は問うまい。

彼女の言う通り見返りは大きい。

ならばこの作戦は成功させる、それだけだ。

その時、ジグが部屋に駆け込んできた。

 

「大変です!ダハウ様!」

 

何かを言おうとするが仮面の令嬢が居ることに気付き驚く。

 

「なぜ貴様が!ダハウ様に何をしている!」

 

二人のただ事ならぬ様子に気付き仮面の令嬢に対して敵意を見せるジグ。

今にも掴みかからんばかりだ。

このままでは天幕が地獄絵図に変わるのも時間の問題だろう。

こんなところで手塩にかけた部下を死なせるわけにはいかん。

ダハウは手で制止した。

 

「.....大丈夫だジグ。

私と彼女に少しの行き違いが合っただけだ。.....だがもうその心配もない。

.....そうですね?」

「....ああ、そうだな。ジグと言ったか?何の用だ」

 

ふっと自分から離れた仮面の令嬢が頷いた。

そしてジグに向けて無造作に聞くが、ジグはというと何でお前に喋らなければならないんだと尚も睨んでいる。その様子にやれやれとため息を吐く仮面の令嬢。若き部下の怒りが増長する。

それを抑え込んだのはダハウの一声だった。

 

「ジグ何があった」

「っ――攻撃です!裏の森より敵が出現しました!至急森に潜ませていた部隊で迎撃させています!」

「そうか、敵に地の利がある以上無理はさせられない、後退させよ」

「それではダハウ様自らが」

 

頷く刹那、目の前を黒衣がひらめく。

 

「私がいく」

 

仮面の令嬢が言った。

これで何度目の出撃だ。どんな体力をしているのか底が見えない。

それが彼女の役割か。いったいどれほどの絆が両者にあるのか計る事すらできない。

よほど大切な.....。

 

「貴女は本当に待つつもりなのですな」

「当然だ、この場所であの方を出迎える。それが計画だ。

それに確信している。その時はもう....近くまで来ていると」

 

まずは敵を払う。彼女はそう言って天幕を出て行った。

その行動に一点の曇りもない。信じられる者がいる。

そこにダハウは光を感じた。

 

「....羨ましいものだ。信じるモノがある。それだけで人は強くなり救われるのだな。

私にはもう過去のものだが、ダルクス人には必要なものだ」

 

見つけられるだろうか。

荒野に投げ出された我が民族にとっての光を。

その果てしない旅路を、どうか見守っていてくれ。

 

今は亡き妻にダハウはそう祈った。

 

 

 

 



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八話

その日、ラインハルトと装備を新たにした第七小隊は街道を進んでいた。

旅は大きなトラブルもなく順調だった。

一行が中部地方に差し掛かった頃だ。

戦火の足音がラインハルト達を捉えた。

 

「....音がする。」

 

それは明らかに銃砲の音だった。

前方、それほど遠くはない森の向こうから。

 

「数は....恐らく五百人規模の戦い」

 

イムカが耳打ちする。

それを聞いてラインハルトは思案する。

まず間違いなくガリア正規軍と帝国軍の戦いだろう。

 

面倒だな巻き込まれないよう避けて通ろう。

そう戦車上のウェルキンに提案すると、ウェルキンは少し困った顔をした。

 

「あの森を抜けるのが一番安全なルートなんだ」

 

どうやら他の道は軒並み帝国軍の手に渡っているらしい。

遠回りするほうが危険だという事だ。

ここはガリアの主要な街道、ここが敵の手に渡れば南部と中部が寸断される。

それだけは防がなければならないとウェルキンは言った。

それから直ぐにウェルキンが提案した。

 

「ここは一度、メルフェア市まで戻ろう」

「いいのか?味方が戦っているようだぞ。大事な要所なのだろうここは?」

「君達を危険にさらす訳にはいかないからね。本部に打診して街道の攻略作戦を策案する」

「危険を排除して通るという事か。成程な.....」

 

今度はラインハルトが内心困った顔になる。

それでは時間がかかりすぎる。刻限は迫っているのだ。

しかしそれをウェルキンに言うわけにはいかず。

どうしたものかと考えていると、

 

「誰か来た」

 

イムカの言葉に全員が振り返ると、偵察に出ていたロージーとラルゴ達が戻ってきた。

その後ろに誰かいる。傷を負ったガリア兵だ。青い顔をしている。息も絶え絶えの様子だが、自分の足でしっかりと立ち、ウェルキンの前に来た。

 

「隊長殿とお見受けする。私はガリア正規軍の第三中隊所属エミル少尉です。

.....どうか!我が部隊に救援を!このままでは我が中隊は.....ぐぁっ!」

「おいおい無茶すんじゃねえよ」

「俺は大丈夫ですっだが今も俺の仲間は戦っている。助けに行かなければ。

くそ.....!作戦は成功していたのに.....!」

 

無念そうにそう呟く兵士を支えるラルゴが、道すがら聞いていたのだろう詳細を教えてくれた。

どうやら彼らの部隊は森に潜み、敵の背後を強襲する事に成功したようだ。

そして――混乱し統率の取れない敵に対して、構うものかと攻撃を続けながら、敵本陣を目視するまで接近した。勝てると誰もが確信した。

その時だった。奴らが現れたのは。

 

「奴ら.....?」

「仮面を被った奴らだ。仲間が次々と倒された。直ぐに俺の部隊は瓦解して。

俺は.....逃げた」

 

仮面の部隊。それが彼らの部隊を襲った。

戦局は一変し彼らは森に逃げる事で一命を取り留めた。

しかし森から出られたのは男一人。呆然と佇む中、

そこでラルゴ達と遭遇したというわけだ。

事情を知って第七小隊は彼に同情の様子を向ける。

どうにかしてやれないかとウェルキンを見るが、ウェルキンは首を横に振る。

装備を一新したところでこの数では無理難題だ。

全滅の危険性さえある。

ウェルキンが即是することができないのも無理はない。

しかしエミル伍長も諦めず必死に作戦の協調を乞う。

それがラインハルトの意思を決定づけた。

 

「まだ作戦は生きている!

俺の部隊が敵の背後を取った時を同じくして中隊も正面突破を図る手はずだ!」

「.....それは本当か?」

「あなたは」

「俺の事はいい、それより先の言葉が事実なら.....」

 

この戦い、まだ希望はある。

この作戦の本命が中隊による正面攻撃なら俺たちがすべきは攪乱だけでいい。

危険度はぐっと下がる。成功する確率も生存率も上がる。

つまりは俺達で彼らの代理を行う。

ニヤリとラインハルトは内心で笑った。

 

この作戦が上手くいけば時間をロスすることなく目的地に向かう事ができるからだ。

 

「俺は彼の要請に応える事に賛成する」

 

イムカを含め小隊全員が驚く。

まさか護衛対象の俺から、そんな事を言い出すとは思わなかったのだろう。

ウェルキンだけは黙って俺を見ている。

彼が有能な兵士なら理解しているはずだ。この状況を。

絶好の好機をこの男が見逃すはずがない。

クローデンの森で帝国軍を相手に勝利したウェルキンなら。

 

「....そうだね。僕もそう思う」

「ウェルキン!?」

 

どうしてと詰め寄る副官のアリシアを手で制する。

 

「分かっているよアリシア。

――僕達の任務はあくまで護送が目的だ。作戦続行が難しいと判断すれば僕はハルトさん達や皆を優先する。でもね、可能なら僕は彼らも助けたい。そして第七小隊にはそれができると信じている」

「よく言ったぜ隊長!いっちょやってみるか!」

 

ラルゴが気炎を吐く。

その他の隊員達もだ。味方の窮地にやる気を見せている。

アリシアも頷いた。

 

「よし!第七小隊はこれより戦闘行動を開始する。

各自準備に入ってくれ。第一目標は味方の救出。

情報にある仮面の部隊は未知数の敵だ。心してかかるように」

「了解!」

 

迅速に戦闘準備を開始する第七小隊を横目にラインハルトは言う。

 

「——ウェルキン俺達にも手伝わせてくれ」

「え?——それは」

「足手まといになるつもりはない。俺達は軍属の経験がある」

 

そういうとラインハルトは武器を取り出して見せた。

遠距離兵種—狙撃兵が使うスナイパーライフルだ。

妙に年季の入った武器を取り出すラインハルトを驚いた眼で見るウェルキン。

その後ろでイムカがちゃっかりヴァールの点検を始めていた。

 

この夫婦はいったい....?

ようやくウェルキンもこの二人が只者ではない事を察し始める。

だが今はそれを考えるよりもやるべきことがあった。

 

「....分かった頼めるかい?」

「任せろ」

 

ラインハルトは意気揚々と言った。

今から戦場に向かうとは思えない胆気だ。

こうして第七小隊とラインハルトの戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少しづつ投稿できたらいいな。


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九話

ラインハルトが森に入った瞬間、敵の待ち伏せに遭う、という事は起きなかった。

それは先んじて森に突入した第七小隊の報告もあり驚きはない。

が、少し拍子抜けではある。敵はどうやら敗走するガリア兵を追撃する趣向は持ち合わせていないようだ。仮想敵の評価を一段階上げる。これで簡単に追撃をかける程度の敵なら難しくはなかった。猪が相手なら罠にかけてしまえばいいからだ。

しかし敵はその逆で慎重だ。

簡単に勝てる相手ではないだろう。

 

だがこちらの動きも悪くない。

いやむしろ良い。義勇兵とは思えない慣れた様子で森を踏破する第七小隊の面々。

その後方を従軍する形で付いてきているラインハルトが視線を巡らせる。

森を歩くというのは意外と難しい事だ。

平坦ではない地面と道なき道を進む。

それだけで体力は消耗するし緊張で足がもつれるものだ。

彼らにはそれがない。

これはクローデンの森で得た経験が彼らを一端の兵士にまで強くしているのだと考えられる。

これもその一つか、

 

「獣道とは考えたな.....」

 

感心したようにラインハルトは言った。

今俺が歩いているのは道と呼ぶには憚られる程度の獣の行く道だ。

気にした事はなかったが、

こうやって獣道を歩けば体力の消耗を抑えられる。

敵に気付かれず接近するには都合が良い。

普通の兵士にはない発想だ。

俺だったら考えもしなかっただろう。

専門的な知識をもつウェルキンならではの用兵だと言える。

おかげで敵に遭遇することなく森を抜けられそうだ。

何かあるとすればイムカからのプレッシャーが痛いくらいだ。

 

「どうしたイムカ何を怒っている?」

「.....怒っているわけではない。でもハルトの行動は軽率過ぎると思う」

 

俺の護衛を自負するイムカからすれば俺が戦場に立つ事は言語道断。

あってはならない事らしい。

それはそうだラインハルトがおかしいのだ。

言って止まるとはイムカも思っていない。ので――

 

「絶対に敵の表に立っては駄目....絶対に」

 

念を押すようにそう言った。

 

「分かった分かった肝に命じる」

 

だがその言葉は儚く破られる事になる。

仮面の部隊。彼らによって――

森を抜ける直前、交信がウェルキンの元に飛来する。

 

「っ――!アリシア達が交戦に入った!敵は.....っ――仮面の部隊!!」

 

とうとうアリシア達偵察部隊が交戦状態に入った。

しかも敵は例の仮面部隊だという。

全員が武器を構え直す。ラインハルトも背中のスナイパーライフルを構える。

軍学校以来の獲物の感触を確かめ弾倉を確認する。問題ない。

瞬き程度の瞬間に否応なく緊張感が上昇するのが分かる。

 

「——突入!!」

 

ウェルキンの合図を号令に全員が走り出した。

 

 

 

 

 

森を抜け視界が広がった瞬間、目の前は戦場だった。

ガリア正規軍と仮面の部隊が戦う、まさにその渦中だ。

いつしか嗅ぎなれた血の匂いを吸いながらラインハルトは狙撃銃を構えた。

その照準は仮面を付けた帝国兵に向けられている。

本来であれば、そう本来であれば彼らを撃つ必要はなかったはずだ。

だが奇しくも状況がそれを許さない。

ラインハルトはこの先に進まなければならないのだ。

だから心を沈める。静かな水の底に落とし込むように。

淡々と照準を合わせ。そして――

 

「....許せ」

 

引き金をひいた。

撃鉄が落ちた瞬間、弾丸は帝国兵に向かって飛来し、吸い込まれるように帝国兵の足を撃ちぬいた。苦悶の声を上げて帝国兵が倒れる。それを確認してラインハルトはスコープから目を離す。

 

「.....」

 

これがラインハルトのできる限界だ。命は取らない。しかし戦闘不能にする。何という面倒さだろう。兵士ではない。自分に課した縛りは自分を危険に晒すだろう。だがそれでいい、この戦い方でラインハルトは先に進む。そう決めていた。

次の敵に照準を合わせ――撃つ。

 

また苦悶の声が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

次の敵は.....?

空になった弾倉に新たな弾を込めながら戦場を見渡していると違和感に気付いた。何だこの敵は妙だぞ。誰一人逃げようとしていない。数の利では正規軍を含めたこちらが上回っている。

だが例の仮面をつけた部隊が後退する様子はない。

 

....何だ、なぜ逃げようとしない。

仮面の帝国兵に言い知れぬ悪寒を感じた。

だがその答えが出ぬまま戦いは推移していく。

戦況はこちらに有利なまま。

ガリア正規軍が敵を押している。

 

このままいけば勝つだろう、恐らく誰もがそう思った。

ラインハルトもガリア正規軍の勝利を疑わなかった。

だがそんな兵士の士気が弛緩した瞬間を狙っていたのだ――奴らは。

 

「ん?」

 

兵士の一人がそんな声を上げた。

何だか前衛が押し返されていないか。

そう思った次の瞬間――黒い影が目の前を横切った。

もの凄い速さで何かが通り抜けたように見えた。

そう思い横に居た兵士に何気なく視線をずらした。

その兵士の胸に風穴があいていた。

 

悲鳴を上げる事もできなかった。

なぜならその兵士も後から迫る黒い流れによって飲み込まれたからだ。

前線は瞬く間に崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この局面でまだ温存していただと!?」

 

新たに現れ出た敵部隊にラインハルトは驚きの声を上げた。

この土壇場で敵はまだ兵を温存していた。何という度胸だ。

並みの指揮官に出来る事ではない。

どんな肝の太さをしているんだ。

 

遠くからでも分かる。あの敵は強い。

あっという間に前線の兵が崩れた。

恐らくあの部隊がエミル少尉の部隊を襲った敵だろう。

森で出くわさなかったのは、

エミル達の別動隊を壊滅させた後に力を温存させたためだ。

 

やられたな。一気に流れをひっくり返された。

敵の動きを見ていると周りから悲鳴の様な声が上がる。

まただ、またあの敵が現れた――と。

成程、あの敵を倒さない限り前に進む事はできないらしい。

ならば、

 

「ウェルキン俺達であの敵を倒すぞ」

「うんそれしかないみたいだね」

 

敵のプレッシャーに完全に士気をくじかれている正規軍を見てウェルキンも頷いた。

このままでは士気の低下が全体に伝播する。

手遅れになる前に敵を叩かなければならない。

 

その為に核を叩く。

つまりあの部隊の隊長を....だ。

弾倉の充填完了。ラインハルトは狙撃銃を構える。

照準を先頭を走る敵に定める。恐らくあれが敵の支柱、核となる存在だ。

悪く思うなよとは言わん、だがここで確実に――止める。

 

一瞬の静止時間の後、ラインハルトは引き金を引いた。

放たれた弾丸は見事な精度を描き敵に向かう。狙いは足、着弾軌道。

当たる。確信をもったコンマ数秒後。しかし――

驚くべき事が起きた。なんと敵は俺が引き金を引いた瞬間、それを知覚したかのようにコースを変えたのだ。神がかり的なタイミングで俺の放った弾丸は避けられた。

 

「っ!?」

 

それまで一度も外すことのなかったラインハルト初の失点。

軍学校でも的を外す事は稀だった。

言い知れぬ焦燥を感じながら二度目の照準を合わせる。

今度は絶対に当てる。その覚悟をもって放たれた二射目は――しかしまたもや避けられた。同様のタイミングで、まるでこちらが撃つのを分かっているかのように。

 

やはり只のまぐれではなかった。

いったいどんな直感をしている。

どれほどの戦場に立てばあれほどの勘が身につくのだろうか。

 

あれではまるで.......。

.......まるで?

その時、ふと彼女の事が脳裏をよぎる。

なぜあの敵を見て彼女を思い出すのか。

ジッと見つめる。

次第にラインハルトの表情が驚きに変わっていく。

 

「.....まさか」

 

似ているのだ。俺が知る彼女の動きとあの敵の挙動が。

見れば見るほど似ている。

成程これが焦燥感の原因か。

だがまだ確信は持てない。敵は仮面と黒衣に身を包み、性別すら分からない状況だ。違うかもしれない。しかし、とラインハルトはこの場所が南部と中部を繋ぐ要衝であることを思い出す。

だとすればその確証は高い。

 

ラインハルトの動きが止まったのをイムカが訝しんでいる。

考える時間は短かったがそれでも時間は進む。

ウェルキンの焦り混じりの声が聞こえた。

 

「まずいなアリシア達の方に行ってる」

 

敵は一直線にアリシア達の方に向かっていた。

このままでは何も知らない彼女達があの敵と戦う事になる。

危険だ。早く合流して指揮をしなければならない。

イサラにエーデルワイス号の発進命令を出そうとした。

その時、

考え事に耽っていたラインハルトが戦車の上に乗ってきた。

......ハルト?

驚くウェルキンを無視しておもむろにラインハルトは銃を構えた。

 

「確かめてみるか」

 

その謎の言葉と共にラインハルトは銃を撃った。

弾丸の方向性は目標は的を大きく外していた。

それまでの見事な精度と違い、狙いは敵の前方を流れていった。

まるで気づけといわんばかりに。

ここでようやく敵がこちらを見た。

距離は遠く離れている。だがラインハルトには分かった。

敵がこちらを目視したのを。

圧倒的なプレッシャーをここからでもビリビリと感じる。

経験したことのない恐怖に襲われた。

圧倒的上位者を前にした獲物の気分だ。

それでもラインハルトは敵から目をそらさない。

さあ俺はここにいるぞ。

 

反応は劇的だった。

それまで一瞬たりとも動きを止めなかった敵が突然、足を止めたのだ。

この戦場において自殺行為極まりない。

だが、そんな事はお構いなしと敵はラインハルトだけを見ている。

そして敵は飛ぶように走り出した。——こちらに向かって。

 

――釣れた。

敵の動きから確証は確信となる。

そう思った瞬間、ラインハルトは銃を構えた。

照準は的を大きくずらす。

撃っては外し撃っては外しを繰り返した。

敵がこちらに来ているのに棒立ちしていてはウェルキンに気取られるからだ。

なので偽装行為を行う。

一発――40m、二発――30m三発――20m四発――10m、弾倉が空になる。

イムカが動きヴァールの斬撃を繰り出す。

しかし敵はそれを跳躍でかわし――

 

そして――ゼロ。

トンと軽やかな音色と共に戦車の上に着地した。

髑髏の仮面が目の前にある。

彼我の距離はもはやない。互いの吐息が聞こえる程だ。

敵はいつでもラインハルトの命を取れるだろう。

 

 

 

「見つけた」

——と声がした。

それはラインハルトの言葉だったかもしれないし敵の声だったかもしれない。

あるいはお互いの言葉か。

 

ラインハルトは頷き、森を目で見やる。

それで敵も理解した。

仮面の敵はラインハルトの無防備な腹を打つ。

倒れこむラインハルトを受け止め、荷物の様に担ぎ、走り出した。

敵の攻撃を意図も容易く掻い潜り、そのまま森の中に消えた。

 

 

一瞬の出来事だった。

残されたウェルキンが呆然としている。

何が起こったのか理解できない。

ただ分かる事は一つ。それは――

 

「——っハルトさんが敵に攫われたーーーー!!?」

 

 

――である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回『仮面編』終了
ラインハルトVS仮面の女


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十話

仮面の女は目下、

ラインハルトを拉致して森の中の逃走を続けていた。

成人男性を抱えているとは思えない速さで。

どんどん戦場から離れていた。

やがて河川にたどり着いた。深くはないが、かなり川幅がある。

飛び越えるのは難しい。

流石にラインハルトを抱いて向こう岸に渡る事はできなかったらしい。

そこで仮面の女の逃走劇は終わる。

 

ラインハルトを地面に降ろす。

その際の所作は壊れ物を扱うように優しいものだった。

敵であるはずのラインハルトをなぜそのように扱うのだろうか。

少なくとも他人が見れば疑問に思うだろう。

とにかくだ。仮面の女はラインハルトに危害を与える気はないらしい。

 

横たわらせたラインハルトを優しく揺する。

だがラインハルトは目を覚まさない。

あれ?——っと仮面の女が首を傾げる。

ゆさゆさと揺すっても......反応がない。

 

ここで仮面の女が慌てた様な動揺を見せる。

あれだけの弾幕の中を涼し気にしていたあの仮面の女がだ。

おかしい。どうして、そんなはずはないと言わんばかり。

他者を威圧し欺く仮面が剥がれたかのように見えた。

可憐な少女の様にあの手この手で起こそうとしている。

 

ここで仮面の女は気が付いた。

ラインハルトの口元が薄っすら笑みを浮かべている事に。

——って。

 

「っ起きてるではないですか殿下!?」

「——クハハハハ!久しいなセルベリア!」

 

仮面の女——もといセルベリアは驚いた様子で仮面を脱ぐ。

艶やかな銀髪が露わになる、輝く美貌も変わらない。

だが今は奇妙な表情になっている。

ようやく騙されたのだと気づき。赤ら顔になる。

もう意地が悪い。久しぶりに再会できたばかりだというのに。

そんな思いでラインハルトをジト目で見る。

 

「悪かった.....会えて嬉しいよリア」

「っ....で、殿下ぁ.....!」

「おいで」

 

広げられた腕に向かって子犬の様に飛び込む。

力強い腕に抱かれてセルベリアは惚けた。

二か月間の労力が報われた瞬間だ。

 

そうセルベリアは半月近くも、ラインハルト達より早くガリア公国に潜入していたのだ。

今回の潜入計画。まさかラインハルトが先頭であるはずがない。

ラインハルト組は——最後に来たのだ。

既に多くの仲間達がガリアに潜伏している。

全てはラインハルトの計画だ。

まずセルベリアと邂逅するのが第一の関門だった。

 

「....まさかと思ったよ。

まさかお前があの様な部隊に潜んでいるとは思わなかった」

「申し訳ございません殿下。あの部隊は特殊ゆえ隠れ蓑にするのに都合が良いと思ったのです」

「お前はギルランダイオ要塞で顔が割れているからな。直ぐに俺が気づくべきだった許せ」

 

そうだ、もっと早くに気付くべきだった。

ギルランダイオ要塞で交戦したという。

セルベリアの報告にあったあの部隊だと。

そうかそこに身を寄せていたのか。

 

「あれが....カラミティレーベン。ダルクス人部隊か」

 

噂には聞いた事がある。

過酷な戦地には常に彼らの姿があり。

常勝無敗のダルクス人だけで構成された部隊があると。

兄上直轄の特殊部隊だ。俺でも手が出せなかった。

よくもそんな異質の部隊に潜伏できたものである。

 

「部隊長ダハウに謀反の兆しあり。

奴の目的はダルクス人の自由経済権と都市の自治権です。

それらを与えてくれる者の方につくでしょう。私の目から見ても実現に足る男です、味方に引き入れれば殿下の力になるでしょう」

「それほどの男か興味があるな。一度話をしてみたいものだが」

 

いまはその時間が足りない。

直ぐにでも敵味方がここにやって来るだろう。

その前にセルベリアと計画の詰め合わせをしなければならない。

 

「聞けセルベリア今後の計画だが——」

「はい分かっています。

殿下の護衛である義勇軍部隊を全滅させる事で殿下の死を偽装する——でしたよね?

その後、我々と行動を共にする。それが計画の第一段階だったはず」

「.......」

 

すらすらと告げるセルベリアの言う通り、

当初の計画ではセルベリアの部隊で俺の護衛部隊を襲わせるつもりだった。

つまり俺は——いや、ハルトは本来ここで死ぬ予定だったのだ。

ハルトという存在をガリア公国から消す。偽装工作。

成功すれば俺はガリア公国の追撃の手から逃れる事が出来る。

王都に入る手は幾らでもある。

この戦時下だ。難民で溢れかえっている今、潜り込むのは容易い事だろう。

 

 

——ウェルキン達を殺す事さえ出来れば。

 

.....無理だな。

直ぐに結論は出た。

ウェルキンは殺せない。

 

「悪いなセルベリア計画は変更だ」

「え?」

「俺は義勇軍と王都を目指す事にした。

お前は引き続きカラミティレーベンと行動を共にしてくれ」

 

っとセルベリアに言ったところ、

何を言われたか分からない。

そんな顔でセルベリアは俺を見ている。

やけに嬉しそうだった顔が一転、徐々に悲し気なものになる。

 

「何故です?」

「ウェルキン.....俺を護衛する部隊長だ。

彼は帝国軍からクローデンの森を奪還した英雄だ」

 

これの意味するところは大きい。主に軍事の面では、

実質メルフェア市を救った事と同じ事だ。

そして穀倉地帯であるメルフェア市を救ったという事はガリアを救ったという事だ。

分かるな。もはやウェルキン・ギュンターは彼自身が知るよりも遥かに重大な存在になりつつある。もうすでにメルフェア市から発信されてガリア国内に広まっている頃合いではないだろうか。

近くに従軍記者が居た事からまず間違いないだろう。

恐らくだが王都から招集されているはずだ。

あるいはこれから声が掛かる。

 

そんな男を殺してみろ、どんな悪影響が起きるか考えただけで頭が痛い。

それは俺の目的に沿わないし、ガリア公国の弱体化は避けたい。

何よりこれからの戦いにウェルキンの力は頼りになる。

だから殺す訳にはいかないのだ。

分かってくれるなセルベリア。

 

「分かりません」

 

そうかそうか分かってくれるか.........ん?

聞き間違いだろうか、分からないと聞こえた気がしたのだが。

そういえばさっきからセルベリアの様子がおかしいような。

困惑する俺に向かってセルベリアは言う。

 

「それはあくまで殿下の希望的観測に過ぎないではないですか。

このまま殿下を敵の手の中に置く事は私が容認できません。

そこにいては貴方を守れない」

「......それでも計画変更に変わりはない、持ち場につけセルベリア敵が来るぞ」

「嫌です!」

 

頑なに俺の命令を拒むセルベリア。

こうまで我儘を言うのは珍しいな。

どうすればいい、どう説得すれば彼女は納得してくれる。

考えあぐねているとセルベリアが妙な気を発し始めた。

殺気ではない。だが俺に向かって放たれている。

 

「何をする気だ」

「貴方を力づくにでも連れて行きます。

処罰は後でいかようにも」

「本気か?」

「はい」

 

先程のような演技ではなく。

どうやら今度は本気でセルベリアは俺を攫う気らしい。

それは困るな。

確かに彼女の所にいた方が身の安全はあるかもしれない。

だが俺とて覚悟の上でここまで来たんだ。

これが最善と判断した自分の意志は通させてもらう。

そして俺の意志は変わらない。

 

「ならば抵抗するとしよう力の限り本気でな」

「私に勝てるとお思いですか」

「勝つ?勝つのではないお前が負けるのだ」

「?.....ご冗談を」

 

ふっと笑うセルベリア。

完全に俺をなめているな。俺を攫うのはもう確定している後のようだ。

傲慢だな。やれやれどうやら俺を本当に本気にさせたようだ。

その鼻っ柱を負ってやる。

たまには負ける苦みを知るのもいいものだぞ。

 

腰を僅かに落とすセルベリア。

いつでも動けるように力を込めているのだ。

それは肉食獣が獲物を狙う姿を連想させた。

それを見てもラインハルトは無型のまま。

 

「.....構えないのですか?」

「必要ない。ことお前に限ってはな....」

 

そのふてぶてしい態度にセルベリアの目が鋭くなった。

....殿下は私が本気を出さないと思っているのか。

ならばその考えは間違いだ。私は本気でいく。

それが殿下を守る最善だと信じているからだ。

 

私が守りますから。だから——

 

「戻って来てください!」

 

言下にセルベリアは走り出す。その勢いだけで地面が砕け砂利が舞う。

足場の悪さをものともしなかった。ノータイムでラインハルトの視界から消える。

驚くべき速さだ。

次に現れた時はもうラインハルトの背後に立っていた。

ラインハルトが気づいた様子はない。

——取った。後は当て身で気絶させるだけ。

申し訳ございません殿下、御身に傷を与える事お許し下さい。

決着は風が吹くよりも一瞬だった。だがその一瞬早くラインハルトの言葉()はセルベリアの耳朶を撃つ。

 

「愛してるぞ......リア」

「——ふぇ!?」

 

いきなりの愛の告白に変な声がでた。

——いいい、いきなり何を言ってるのですか。

動揺を全く隠せなかった。たったその一言で。

カアッと体が熱くなる。銃弾に撃たれた様に動けなくなった。

ラインハルトと目が合う。さも真剣といった様子で、

 

「お前を心から愛してるよ。

誓おう、この世の誰よりもお前が大切だ。

この戦いが終わったら......」

 

何だか気になる事を言ってきた。

この戦いが終わったらこの戦いが終わったら何ですか!?

その後を凄く聞きたいです!

続くラインハルトの言葉を待つ。

もう全ての集中力がそこに注がれていた。

 

だからだろう。おもむろにラインハルトが手を高く振り上げ、

——ぺしっと手刀を自分の頭に叩き込むのを黙って見ているしかなかった。

 

「お前の負けだ」

「??」

 

突然の勝利宣言。遅れて気づく自分があっさり負けた事を。

今の手刀が本気だったら気を失っていたのは私の方だ。

愕然とする。

——な、納得できない。

何だか理不尽なものを見た気がした。

 

「こ、こんにゃ事で私に勝ったつもりですか。そ、そんな事——!?」

 

頬に手を当てられたと思ったらいきなりキスをされた。

何が起こっているのか理解できない。

抗議していた口が塞がれた事だけは分かる。

 

静かに流れる川の音が何故かやけに大きく聞こえた。

ここが敵地だとか、そんな些細な事はどうでもよくなる。

視界が霞がかる。酸素を求めて口を開く。にゅるんと舌が入って来た。

——!?

口内の侵略者を撃退しようと舌で押し返すも。

返す刀であっさり撃退された。サーベルの様に舌を巧みに操り硬口蓋を刺激される。

内臓に手を入れられたようなものだ。

為すすべなく口内を蹂躙されていく。

舌先で突かれる度に快楽が脳内を支配する。

もはやどうすることもできなかった。

こちらの刀はとっくに折れている。

完全に戦意喪失した。

1分の応酬の末とどめを刺されたセルベリアは地面に座り込み。

切なげに下手人の男を見上げる。

 

「これで認めるか負けを」

「.....はい」

 

真っ赤な顔で頷いた。

ラインハルトは実に晴れやかな顔でよしと言った。

最低であるこの男。

本気を見せるってそういう意味かよ。

——っと突っ込みどころは多いがとにかくラインハルトはセルベリアを納得させることができた。ならば展開は次に進む。セルベリアの耳に口元を寄せ、次の命令を与えた。

彼女はそれを黙って聞いている。

 

「——以上が次の命令だ。俺を守るという意味では同じ事だ」

「.....分かりました私が殿下を王都まで導きます」

 

そこでタイムリミットがやってきた。

森の中からイムカを先頭に第七小隊が突撃を敢行してきたのだ。

俺達を発見して武器を構える。正確に言えば俺の後ろにいるセルベリアに向けて。

撃つな!とウェルキンが指示を出す。

 

時を同じくして向こう岸からも敵が現れた。

ダルクス人の大男が先頭にいる。

もしやあの男がダハウか。

俺達を間に挟んで第七小隊とカラミティレーベンの緊張状態が構成された。

どちらも撃てない状態という事だ。

 

「行け.....リア」

「.....はい」

 

仮面を被り直してよろよろと立ち上がる。

俺は両手を上げた。

ゆっくりとセルベリアが俺から離れていく。

川を渡って向こう岸に着いた。

 

「——ハルト!」

 

十分に離れた事を確認してイムカが駆けつける。

俺の前に立ち弾避けの盾になる。

大丈夫だ敵は撃たない。

その時、向こう岸のダハウと目が合った。

驚いた様子でイムカと俺を見比べている。

恐らく俺の正体を知っているのだろう。

ダルクス人のイムカと俺の関係性を把握しかねているようだ。

 

....ダルクス人の自由と自治か。

あの男にとっては果てしない道だろうな。

俺に何ができるかは分からんが。

助けはしてやろうと思う。

それを伝える方法を考え、何気なく俺はイムカの肩を抱いた。

共存と繁栄を意味して。

これだけで伝わる訳はないが。それでも少しは意思が伝わればいい。

 

何かを感じ取った様子のダハウは誰にも気づかれない程度の会釈をして、部隊を率いて森の中に消えていった。目的を達成しこれから退却するはずだ。

じきに俺達も先に進めるだろう。

 

王都まであと少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




爆死.....しろ


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十一話

ダハウの部隊が撤退した事で森を抜けられるようになったラインハルト達が中部地方に入って僅か半日が経過した時の事だ。第七小隊が交戦した森に、二十人余りの部隊がやって来た。

彼らは黒い衣装に身を包んでいる。

この時、まだガリア正規軍は街道に残っていたが彼らは一目を避けるように、

ただ静かに森の中に入った。

まるで彼らと出会うのを嫌うように。

 

それが彼らに課せられた罰であった。

彼らは懲罰部隊422——通称ネームレスと呼ばれる部隊だった。

その忌み名の通り彼らには名がない。名前を軍に奪われているからだ。

理由は多々ある。だがいずれもが軍規違反を行った者達だ。

懲罰部隊 隊長№7(本名クルト・アーヴィング)もその一人だった。

彼は奪われた名前を取り戻し元居た正規軍に復帰すべく任務に励んでいた。

 

今回の任務は、とある外国籍の男の素性を調べるというものだ。

対象の男の名前はハルト。

商会を仲介して入国した旅行者風の夫婦の片割れらしい。

表向き怪しい所は無いが、上の命令だ。

何かしらあるのだろう。

そこまでは知らされていないが。

とにかくネームレスに下された命令は男を追跡する事だ。

これまでに比べれば比較的簡単な任務である。

仲間達の表情も明るい。今夜はここで宿営する。

 

「——はいクルト」

「ん....ああ、ありがとうリエラ」

 

対象者を追跡する為の道筋を割り出す為に図面と向かい合っていたクルトの横から手が伸びる。その手に握られていたのは鉄製のコップで、中には温かいスープが注がれていた。

礼を言ってコップを受け取る。

クルトの横に立っていたのは緋色の髪をした女性だ。

名前で呼ばれた女性は嬉しそうに頷く。

仲間内の特に親しい関係の者達だけは名前で呼び合っていた。

リエラは図面を覗き込み、

 

「どうクルト?」

「うん問題ない。

 このルートなら街道を通らずに行けば気づかれず回り込める」

「....本当にやるの?」

 

おずおずと言うリエラ。

その瞳は不安に揺れていた。

だからクルトはその不安を払拭させる為、率直に頷いた。

 

「ああ、それが最も効率が良い方法だ。

時間は有限である以上、俺達は合理的判断をする必要がある」

「でも相手は民間人だよ?もし違ったら可哀そう。

 それに、もしかしたら味方と交戦することになるかもしれない......」

「.....まあ、その話はアルフォンスが戻ってからでも良いだろう」

 

あえてその話に結論をつけなかった。

確かにリエラの言う通り、クルトがやろうとしている事は危険な賭けだ。

間違っていれば大きな損失を出すだけになるだろう。

だからこそ、それを見極める為にここに来たのだ。

この森は対象が最後に訪れた場所だ。

何か対象に関する情報が残っているかもしれない。

 

そして偵察に秀でたアルフォンスなら何か有力な情報を持ってくるに違いない。短い間だがクルトは自らの隊員達の優秀さを疑っていなかった。それもみんなが俺を認めてくれたからだ。

最初は隊長として認めてもらえず隊員一人を動かすのにも四苦八苦していた。

少しずつ戦いを経て俺という存在を認めてもらえた。

それもリエラとグスルグが居なければ不可能だっただろう。

彼女達には感謝してもしきれない。

 

「どうしたのクルト?」

「いや何でもない。.....ただリエラには感謝している、そう思っただけだ」

「ええ!?」

 

堅物そのものなクルトだが褒める所は褒めるし感謝もする。

だからいつも奇襲染みたそれにリエラは咄嗟に対応できない。

口に手を当てて驚いて見せる。

彼女は過去の事もあり褒められ慣れてないのだ。

しどろもどろと照れるリエラ。

それを微笑ましそうに見ていたクルトに楽しむ男の声が上がる。

 

「本当に二人は相性が良いんだな」

「グスルグ」

 

宿営作業を終えやって来たグスルグがクルトの対面に座る。

その手には金属のコップがある。

スープを一口飲み、うん美味いと称賛する。

 

「これはリエラが?寄せ集めの具材だけで上手に作ったな。

 将来は良い嫁さんになるぞ」

「わ、私がクルトのお嫁さんに?

ちょっとグスルグ!私たちまだ出会って日が短いんだから気が早いよ!」

「.....いや別にクルトの嫁にとは言ってないんだがな」

「っっ!!!」

「リエラ?」

 

何だか自爆した様子のリエラを不思議そうに見るクルト。

その視線にいたたまれなくなったリエラは顔を真っ赤にして走り去っていった。

 

「どうしたんだリエラは?」

「.....はあ、道のりは遠いようだな」

 

この朴念仁め、と首を振るグスルグ。

何でこの男は戦闘の時はあれほど鋭い読みを見せるのに、こういう時だけ鈍いんだ。

恐らくリエラはクルトに惚れている、あるいは意識し始めているというのに。

死神と恐れられたあの娘を唯一認め普通に接してくれたのがクルトだ。

好意を寄せるのは不思議な事ではない。

それはネームレス全員が共有している認識だった。

いつくっつくのか隊員達で賭けの対象になっている程だ。

 

この様子なら半年以内にくっつくと賭けた俺の負けかな?

己の勝率の低さに深いため息を吐いた。

賭けとは関係なしに二人には束の間の幸せを育んでもらいたい。

いや、それはネームレス全員に言える事だ。

懲罰部隊という特性上何があるか分からん、先の見えない行程を歩まされている俺達にとって、その程度の幸せぐらいねだったって良いだろう?。

 

.....せめてダルクス人である俺以外は。

自分はどうでもいい。仲間だけは、そう思わずにはいられない。

だからこそ今回の作戦は重要だ。

 

「本当にやるんだなクルト」

「リエラもだがそんなに心配か?」

「当り前だ下手すれば正規軍に戻れなくなるぞ」

「その為の俺達ネームレスだろう」

 

クルトの意志は固い。

きっと彼の中ではもう方向が決まっているのだろう。

 

「だがな対象者を直接捕縛するとなると確実に護衛の義勇軍と交戦する事になるぞ」

 

そうリエラが心配していたのはそれだ。

クルトの作戦は対象であるハルトの捕縛。

そうなると確実に味方と戦う事になる。

心配はそれだけじゃない。

 

「しかも相手はクローデンの森を解放した英雄様だというじゃないか。

 リスクが高すぎるんじゃないか?」

 

かなりの強敵と戦う事になる。

仲間の誰かを失うかもしれない。

あまりにも見返りが少なすぎる。そう考えているのは俺だけじゃない。

 

クルトは何も言わずスープに口をつける。

静かに何かを考えているようだ。

 

やはり結論は付かないまま、やがてコップが空になった。

そのころ合いでアルフォンスが戻って来た。

斥候に向いてなさそうな金髪碧眼でやや小太りのアルフォンスだが、その容姿を裏切る形で諜報能力が高い。キザな言動でたびたび女性隊員にしばかれている様子が見られるが、今回は真剣な様子でクルトの前まで来た。

 

「戻ったぜ隊長」

「ご苦労、報告を聞く」

「ああ、首尾は上々、この森に駐屯する正規軍に事の顛末を聞いてきた」

 

アルフォンスの報告は以下の通り。

ガリア正規軍は終始苦戦を強いられていた。

最初の攻撃から三度目の攻撃作戦も失敗に終わるかに思われたが、敵の背後を急襲する役目の別動隊を第七義勇軍が引き継いでくれたことで辛くも勝利を収めるに至った。

その際、対象も戦闘に加わっていたことが分かった。

その時点でもうおかしい。調べ上げた情報では対象が軍に所属していた経歴は存在しない。

なのに現場の人間からその腕前を非常に高く評価されていた程だという。

その事から対象には空白の経歴が在る事が推測できる。

 

続く報告に驚いた。

何と対象が一度は敵に捕まっていた事が判明する。

驚くのはここからだ。この時、対象の生存は絶望視されていた。だがウェルキン・ギュンター少尉の必死の捜索により対象は救出されている。

一度は敵に捕まっておきながら怪我もなく助けられているのは奇跡というほかない。

これは現場にいた多数の目撃者がいる事から事実であることが分かる。

現場の将兵からも手厚くもてなされたようだ。

 

その点から踏まえて導きだされる答えは、

 

「怪しい事この上ないな」

 

何も知らない正規兵からすれば奇跡の生還者だが、裏に精通する俺達からすれば非常に不気味な存在だ。この男、調べれば調べる程に謎が出てくるな。

ではこの男、いったい何者なのか。

そう悩む彼らに後ろで黙っていたフレデリカが助言する。

 

「敵の手から生還した事を考えれば対象は帝国のスパイである可能性が高いでしょうね」

 

接触した際に何かしらの情報を交換したかもしれない——と。

艶やかな黒髪で美貌を誇る彼女だが裏の道に最も精通している。

その彼女が続けて言う。

 

「最近は国境を越えて街に不法入国する一団が増えていると聞くわ。

 もしかすると彼もその一人なのかもしれないわね」

 

それは情報部からの情報だった。

北から迫る帝国軍とは別の不穏分子が幾つかガリアに入った形跡がある。

フレデリカはそれを調べていた。

もしも対象が帝国のスパイなら恐ろしい事だ。

ガリア公国に入れる手引きをしている者を始めとした売国奴が貴族の中にいる。

しかもそれはかなり上位の人間も関与している事は間違いないだろう。

祖国の詰み加減に眩暈がする思いだ。

 

「やはり強行してでも対象を捕縛するべきだな。

 尋問して洗いざらい背後関係を吐いてもらおう」

 

この期に及んでは誰も異論はない。

そういう事ならとリエラも頷いた。故郷の危機だ。

誰しもがガリアの置かれている危険に危機感を募らせた。

今までに比べて易しい任務?とんでもない。

かつてない程に重要な任務が転がりこんできたのだ。

この国の運命を左右するほどの。

 

いったいぜんたいハルトという男の背後にはどんな黒幕が存在するのか。

想像もつかない。見えない壁が立ちはだかった様な、

漠然とした恐怖だけがリエラ達を襲っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

 

その様子を遠くで見ていた者がいた。

その正体はセルベリアだ。

なんと彼女は撤退するダハウ達から一時離脱し少数の兵士を率いて森に隠れ残っていたのだ。

彼らが感じていた立ちはだかる壁は錯覚ではなく、事実強大な壁が近くに潜んでいたのだ。

その理由はラインハルトの命令にあった。

あの時ラインハルトはこう言った。

 

『俺を追って来る者達がいるはずだ。

もし居た場合、命は取らず迎撃を頼む、俺が王都に入るまでの時間稼ぎをしてくれ』

 

——と。ラインハルトには分かっていたのだ自分の影を追う猟犬の存在に気付いていた。

死を偽装する工作を放棄した以上は迎撃する必要がある。

先を見据えてその任務をセルベリアに与えていた。

 

「流石です殿下」

 

用意周到なラインハルトに賛辞の言葉を送り、セルベリアは身を翻した。

兵を待機させていた場所に戻る。そこには仮面の部隊が命令を待っていた。

20人に満たない兵数だがダハウが貸してくれた部隊だ。

その際、ラインハルト殿下を必ず守れと言われ託された。

殿下を全面的に協力する気になったようだ。

何か考えが吹っ切れたらしい。

理由は知らん。

だがありがたく使わせてもらうとしよう。

 

「これより敵の妨害工作を行う。敵の追撃を阻止せよ」

 

命令を与えるにつけ条件を加えた。

殿下は言った。敵の命は取るなと。それは敵の命を取るのが可哀そうだとかいう博愛精神からくるものではない。恐らく殿下は敵に何らかの利用価値を見出した。殿下はそれが有効利用できると判断したのだ。あくまで合理的に殿下は命令を与えたに他ならない。

そして私ならそれが可能だと信じてくれている。

ならば私がすべきことは——

 

「遊んでやろう猟犬ども」

 

対象を追わせず、嬲ってやる。

いったい誰を追っているのか、その身をもって教えてやる。

ラインハルト・フォン・レギンレイブを追わせはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ハルトの背後にはガリア貴族がいる、その背後に黒幕が居て、その黒幕の背後にはラインハルト・フォン・レギンレイブの存在がある。......あれ?




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十二話

あれから人知れず森を抜けだしたネームレスは、

クルトの計画通り僅か数日で道程を踏破し、対象の前に回り込む事に成功。

木々が密集した林道に潜むネームレスの面々は対象が通りかかるのを狙って待機していた。

 

目的は対象の捕縛一点のみ。

唯一の障害は護衛の義勇軍第七小隊。

本来は味方である彼らと戦う事になる。

被害は最小限に食い止めなければならない。

人知れず彼らはそんなプレッシャーと戦っていた。

あと数時間後に対象がここを通る。

日が真上に来た、日差しが視界を遮る。正にそんな時だった。

 

「.......ん?」

 

そこでクルトは異変に気付いた。

何だ?いやに静かだ。

遅れて気づく。そうか動物の気配が全くしない。

さっきまであった鳥の囀りさえも今は何処かに消えていた。

残るのは肌に張り付く様な緊張感のみ。

 

それは数日前からあった感覚だ。

まるで誰かに見つめられているような不快感。

仲間に索敵をさせていたが原因を掴む事は出来なかった。

 

だが、やはりおかしい。

俺達以外に誰かが居る。

極限まで張り詰められた状況のおかげで気づけた。

声をかけようとした。

 

——その瞬間。

 

「——っ!クルト危ない!」

 

間髪入れずリエラがクルトを地面に押し倒した。

その上をライフル弾がかすめ飛んでいく。その破壊力は凄まじく、後ろの木が粉砕された。バラバラと木っ端が舞い落ちるのを目撃するクルトの背筋に冷たいものが走る。

常人離れした直感でリエラが守ってくれていなければ、今頃俺は致命的な重傷を負っていたかもしれない。だが何よりここまで接近されて気づけなかった事実にゾッとする。

 

「って、敵襲——!!」

 

反射的に叫んで仲間に知らせる。遅すぎる指示にクルトは歯噛みした。

はっと状況を理解したネームレスが対応を開始する。

林道を介しての戦いが始まった。

あちこちで銃撃音が鳴り響くのを聞きながらクルトは周囲を見渡す。

どこからか現れた不明の敵を確認する。

クルトの顔が驚きに満ちた。

 

「まさか仮面の兵かっ!?」

 

報告で聞いていた奇妙な仮面の兵士が木々を挟んだ先に居た。

なぜ奴らがここに?

その疑問を考える余裕はなかった。

なぜなら敵はもう目の前まで来たからだ。

射程距離内に入った敵は構えた突撃銃を向けて乱射する。

密集する木を盾に防ぐクルトは武器の安全装置を外す。

考えている余裕はない。

まずはこの状況を打開する。

近くにリエラが居る。アイコンタクトを送る。

直ぐに了解の合図が返ってきた。

 

——よし行けリエラ!

目線による無言の号令でリエラは走りだした。

横を走り抜けようとするリエラに敵の照準が向けられる。

撃ちだされる弾雨を俊敏な動きで躱すリエラ。

敵の注意がリエラに向いた。

「ここだ!」

 

クルトの攻撃が敵に襲い掛かる。

突撃銃から放たれる無数の銃弾が敵を貫いた。

断末魔の声が響き渡る。

敵をひとり撃破した。

 

「リエラ無事か」

「うん私は大丈夫だよクルトは?」

「リエラのおかげで無事だ」

 

どうやらお互い怪我もないようで良かった。

ほっと安心するクルト。二人の視線が敵に向く。

 

「クルトこれって.....」

「ああ、完全に尾けられていたな」

 

でなければこうも接近して気づかないはずがない。

敵は俺達に完全に狙いをつけていた。

いったいいつから敵は俺達を補足していた?

一瞬でいくつもの疑問が湧いては消える。

だがその猶予すらも敵は与えてくれない。

次々と出没する敵がこちらに向けて一斉射撃を敢行してくる。

その攻勢にたまらずクルト達は後退を余儀なくされる。

 

あちこちで仲間の怒号が響き渡るのを聞く。

なんとか仲間は無事のようだ。

こんな状況下で誰一人として犠牲者が出ていないのは流石といえる。

だがこのままでは遠からず仲間の誰かが死ぬ。

そうクルトは確信した。森に向かって叫ぶ。

 

「グスルグ聞こえているか!?全員を撤退させろ!!」

 

選んだのは撤退。

それはつまり作戦の失敗を意味する。

だがクルトに後悔は微塵もなかった。

ここで仲間の誰かを失う方がずっと後悔するだろう。

だからこそ、その命令に躊躇いはなかった。

 

「分かった!クルトお前は!?」

 

こんな時でも頼りになる俺の仲間は直ぐにみんなをまとめてこの場を離れるだろう。

だがそれには少しの時間がいる。

誰かがこの場に残る必要があるのだ。

 

「俺が時間を稼ぐ!」

 

そしてそれは隊長である俺の役目だ。

 

「っ待て!だったら俺が!」

「俺が一番敵に近い逃げきれん。これが最も合理的判断だ。.....君に部隊を任せる」

 

恐らくこれが最後の命令になるかもしれない。

グスルグなら俺なき後の部隊をまとめるのに適任だ。

彼なら上手くやってくれるだろう。

最後の命令を送り出した。

いやまだ一つ残っていた。

 

「リエラ君も早く——」

「——私もここに残るからねクルト」

 

言い終わる前にリエラが言葉を遮る。

まるでそれが当然の事のようにリエラはクルトの横に留まる。

そこが自分の居るべき場所だと言うように。

「すまないリエラ」

「気にしないでクルト、一人じゃ時間は稼げないもの」

 

ふっと笑みをこぼす。

こんな時でも笑みを絶やさない彼女に対してクルトは申し訳ない気持ちで一杯になった。だが同時にクルトの思考は合理的判断を下す。

 

「分かった。——行くぞリエラ!!」

「うん!」

 

奮起したクルトは銃撃戦を開始した。

全ての弾倉が尽きるまで懸命に引き金を引く。

 

どうやら倒された仲間を見て慎重になったのか。

敵は前に出てこようとしない。

あるいはこちらの動向を読み弾を尽きさせる算段なのか。

どちらにせよ好都合だ。

これで時間を稼げる。

 

クルトは木の陰を伝いながら動き回る。

出来るだけ射線に当たらないよう気を付けながら戦った。

リエラもクルトの体に張り付くように移動する。

お互いがお互いを守り合う、息の合ったコンビネーションだ。

普通の兵士なら既に何回も死んでいる状況を辛くも潜り抜け続ける。

しかしその時()は刻一秒と迫っていた。

 

 

 

 

そして——

カチンという撃鉄の空回る音を聞いた瞬間、

クルトはその時の訪れを悟った。

全ての弾丸が尽きたのだ。

力なく銃口を地面に向ける。

 

.....ここまでか。

俺達の健闘も空しく終わる。

見れば最初の一人を倒した以外はほぼ無傷の様だ。

敵は強かった。

とても用意周到だ。敵の指揮官はどんな人物なのだろう。

どうやって俺達に追跡を匂わせず追い詰めたんだ。

無駄だと分かっているが、俺の頭は知りたいという思いで溢れていた。

 

もし次があるなら俺は負けない。

負け惜しみにも程があるだろう。

馬鹿だな俺は。

自嘲するように呟く。後悔しても遅いというのに。

 

クルトは気づく。

分からない。どうして俺は後悔している?

これが最も合理的だったはずだろう。

ならば後悔する事はないはずなのに、頭はもう一度を繰り返す。

諦めきれていない。この状況で。

 

理由があるとするならもう分かっていた。

今も懸命に抗い続けるリエラを見る。

彼女の存在が俺に諦めさせないでいた。

どうにかして彼女だけでも逃がせないか考える。

だが無理だ。そんなことは奇跡が起きない限り不可能だ。

それでも俺の頭はリエラを生かす事を考え続ける。

 

.....そうだ俺は彼女に生きてほしい。

こんなところでリエラを死なせてはいけない。

俺は彼女の事が好きだから。

 

その結論に自然と行き着いていた。

分からない。どうして今になって俺はこんな事を考えるんだ。

この状況で頭がおかしくなったか。

だとしてもこれが俺の真意だ。

 

リエラに対する気持ちに気付いたクルトは完全に諦めていた四肢に再び力を入れる。弾の尽きた銃を構える。もう手持ちの武器がほぼ尽きた俺に残された選択肢は一つしかない。僅かに残された手榴弾を手に自爆特攻である。効果は低いが注目はされる。その間にリエラを逃がそう。

 

そして実行に移そうとした。

その時——

 

意図しない方角から爆発音が轟いた。

「なんだ!?」

 

クルトだけじゃない敵にも動揺が走っている。

いったい何が起きている。

困惑するクルトをよそにリエラが叫ぶ。

 

「クルトこっち!」

そう言ってリエラはクルトを先行させて走らせる。

訳も分からずクルトは言われるがままリエラの指示する方に向かって走る。

後ろから銃弾が雨あられのように襲い掛かるが木々によって奇跡的に阻まれる。

 

そして林道を抜けた先にネームレスが待っていた。

先頭に居るのはあの男、グスルグだ。

彼はクルトの姿を確認するとニッと笑みを浮かべ。

「よおクルト生きてたな」

 

その時のクルトの表情は奇妙なものだった。

困惑と驚きが綯い交ぜになった、理解できないと云った顔だ。

グスルグは更に笑みを深める。

「悪かったな遅れて。戦車を出すのに時間が掛かっちまった」

 

言われて思い出す。確かに先程の爆発音は戦車砲の一撃に似ていた。

ネームレスが唯一保有する中戦車c型の強化標準砲塔だ。

ようやく理解する。

彼らは俺達を助ける為に戻って来たのだと。

「どうして逃げなかった?」

「本気で言ってるなら大馬鹿野郎だお前は」

 

グスルグの声音に怒りが含まれる。

ハッとしてクルトはグスルグを見た。

「もう俺達に隊長を失う思いをさせないでくれ」

 

お前がネームレスの隊長だ、そう言ってクルトの胸を叩く。

猟犬の顔が描かれたネームレスの胸章を。

クルトはゆっくりとその意味を呑みこみ。頷いた。

 

「.....すまない。ありがとう来てくれて」

「ああ」

 

クルトはようやく笑みを浮かべる事が出来た。

それにしても、

「よく救援が来ると分かったなリエラ。まるで図り合わせたような動きだったぞ」

あの咄嗟の働きがなければ蜂の巣にされていたのは確実だ。

なぜリエラにはグスルグ達が戻ってくると分かったのだろうか。

リエラは意外と云った顔で言った。

「え?元からそういう作戦だったんじゃないの?」

 

はなからリエラは仲間が見捨てるとは考えていなかったらしい。

どうやら俺は勘違いをしていた。

はぐれ者のネームレス。忌み嫌われる俺達だが、何よりも頼もしい部下と思っていたが。違う。

俺なんかじゃ敵わない最高の仲間達だった。

 

「一時撤退する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

気配が遠ざかっているのを感じる。

どうやら猟犬は尻尾を巻いて逃げるらしい。

一度の接敵でそう決めた。賢い選択だ。

彼我の置かれた状況を良く分かっている。

しかし完全に撤退したわけではない。態勢を整えたらまた戻ってくるだろう。

思いのほか敵は強かった。

奇襲で総崩れに終わると思っていたがこちらの想定を超えてきた。

手痛い反撃をしてやられた。

見積もりが甘かったと言わざるを得ない。

その結果、一人の死傷者を出した。

 

部隊の動揺を沈めたセルベリアは深い森の奥を見詰めていた。

その背後に兵士が駆け寄る。

「隊長殿自分に追わせてください!仲間の仇を討たせて下さい!」

 

それに続いて全ての兵士が声を上げる。

だが静かに聞いていたセルベリアは彼らの提案を一蹴した。

 

「必要ない」

「隊長殿!」

 

必要ないとはどういうことかと兵士達が叫ぶ。

セルベリアがゆっくりと振り返る。

途端に兵士達が静まり返った。尋常ではないプレッシャーが圧しかかったのだ。

誰かがゴクリと喉を鳴らす。

仮面から彼女の声が漏れる。

 

「必要ないと言った。これは私の責任だ.....」

 

セルベリアはおもむろに背中に担いでいた武装を取り出した。

ものものしい長身のライフル銃だ。国境を渡る際に持ってきた唯一の物である。

大の男でも扱う事の難しいそれを軽々と構えたセルベリアはカラミティレーベンに告げた。

 

「——故にここから先は私ひとりで行く」

 

その姿は正に獲物を求める狩人のようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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十三話

その気配に真っ先に気付いたのはリエラだった。

後ろからまるで水爆布の如き殺意の波動が放たれたのを感じる。

—-この殺気は!

先程、クルトの命を奪いかけた死弾が放たれる直前に感じたものに他ならない。

 

「敵!追って来てる!」

「っ!!」

 

先頭を行く仲間に追っ手が放たれた事を叫ぶ。

直ぐにクルト達が臨戦態勢を取る。迎え撃つ算段は取れていた。

リエラもまた銃を手に後ろを振り返った。

途端に息をのんだ。

 

冷や汗が頬を落ちる。

体力に自信のある彼女だ。疲れから来るものではない。

これまで多くの戦場に身を置かされ続けた。

その度に生き残り続け『死神』とまで畏れられた高い彼女の生存能力が告げているのだ。

あれは勝てる敵じゃない。逃げなさい——と。

 

こんな事は今まで一度たりともなかった経験だ。

どんな敵もクルトと一緒ならば潜り抜けられる。

そう思っていた確かな自信が揺らぐのを感じた。

今からでも脇目を振らず逃げるべきでは。

そうクルトに具申しようとしたが。

 

「来るぞ」

 

もうその判断はあまりにも遅かった。

アルフォンスの声に引かれて林の先を見据える。

シンと静まり返りその中に自分達の緊張した息遣いだけが聞こえる。

まるで自分達だけがこの雑木林に取り残された様な錯覚に陥る。

 

そんな中で彼女は悠然と現れた。

 

幽鬼の様な白い仮面に黒衣を纏った女。

その傍らには凡そ扱えるとは思えない程に長大な銃。

なによりリエラを驚かせたのは彼女が一人で来ている事が分かったからだ。

なぜ敵が一人で追って来たのかは分からない。

だが誰の目に見ても好機である事は明らかだ。

 

「取り囲み確実に殺せ」

 

敵ひとりに対して過剰な反応では、とは全く思わなかった。

むしろ迅速に動き有利なポジションをリエラは確保した。

一秒でも早く倒さなければ大変な事になる。

リエラは銃を構えて敵に狙いを定めた。

味方からの合図を待つリエラの目に映ったのは、

 

「——え?」

 

彼女はおもむろに長大な銃を構え、照準を定める事無く引き金を引いた。

それはあまりにも無造作に行われた。

風を切り裂き放たれた彼女の一弾は鬱蒼と茂る林の中を隠れる様に距離を詰めていたグスルグに事もなく直撃する。グスルグの身体が宙を舞う。

 

「うそ.....」

 

あまりにあっけなく仲間が倒された。

目標を確認すらしていなかったはずだ。どうしてあんな芸当が出来るのか理解できない。

彼女は立て続けに引き金を引いていく。

その都度、林の向こうで悲鳴が上がるのをリエラは聞いているしかなかった。

背筋が凍る。

 

このままでは全滅する。

味方の合図を待つ暇はない。リエラは草葉の陰から飛び出した。

射程内に入ると素早く照準を敵に向ける。狙いは頭部。一撃で仕留める。

その思いで放った一撃を彼女は屈んで躱した。リエラがそこに居るのを知っていたかのような動きだった。事実わかっていたのだろう。リエラが殺気に気付いた様に、セルベリアもまたリエラの気配を読んでいたのだ。

 

リエラが駆けだす。

当たらないなら当たる距離まで近づき確実に仕留める。

そんな意思を感じたセルベリアは仮面の奥で笑みを浮かべた。

面白い。——だが、

 

「まずは指揮官からだ」

 

セルベリアは迫るリエラを無視して敵中央に目を向けた。

人の気配が集まっている。目ではなく六感が敵の居場所を教えてくれる。

ひときわ守りが厚い一角に向けてセルベリアは引き金を引いた。

 

「!?」

 

リエラが瞠目する。そんななぜ。

その一弾が放たれた場所はまごうことなくクルト達のいた場所。

直後に爆発音が響いた。

呆然と立ち尽くすリエラの耳に女の声が届いた。

屈伸運動をした後の様な軽い声音で、

 

「.....さて相手をしてやろう。後はお前だけだ」

「ああああああアアアア!」

 

声にならない咆哮を上げてリエラは地面を蹴った。

瞬く間に彼我の距離は迫り。ゼロになろうとした瞬間、複数の発砲音が木霊する。

もはや当たらない方がおかしい。そんな距離で放たれた銃撃だ。

だが弾丸が捉えたのは霞みゆくセルベリアの残像のみ。

既に実体はリエラの背後に回っていた。

長大なライフル銃を装備してなおその速さ。

常人では追いきれないそれを、しかしリエラの目は追っていた。

振り向きざまにリエラの足が跳ねた。

バネの様に地面を蹴り上げリエラの足撃がセルベリアを襲う。

それをセルベリアは銃身でガードする。

バキリと鈍い音が響く。砲身がくの字にへし折れた。

 

自らの武器が破損したのを見て感心したようにセルベリアが声を上げる。

 

「良い動きをする」

「よくもみんなを!」

 

セルベリアの評価に聞き耳を立てる様子のないリエラは再度銃を構えてセルベリアを狙い、引き金を引こうとした瞬間、驚くべき事が起きた。

セルベリアの指が割って入り驚くべき早業でリエラの指をからめとるとクルンと銃が反転する。

自身に向いた銃口を見てリエラは咄嗟にトリガーから指を離した。直後に響く発砲音。

頭上を弾丸がかすめた。ゾッとする。危うく自分で自分を撃つところだった。

 

「よく躱したな」

 

楽し気なセルベリアの声にリエラはキッと睨み上げた。

 

「許さない絶対に.....!」

「誰か大切な人間でもいたか?」

 

その言葉にリエラの目に力がこもる。

その通りだ。あなたに殺されたのは私にとって大切な人達だった。

誰からも疎まれた私が与えられた唯一の居場所だったのに。

あっさりと全てを失った。

 

「....ええ、何よりも大切だった。それを貴女に簡単に奪われた」

「そうか、仕方ない事だ。私も大切なものを守らなければならない」

「.....だったら私も殺して」

 

味方は全滅。武器は奪われた。

もう私に勝ち目はない。この女性が私を生かしているのは気まぐれに過ぎない。

獲物を仕留める前の狩人の様に。

狩って狩られる残酷なこの世界にクルトが居ないなら生きている意味なんてない。

諦めた様にリエラは目を閉じた。

 

セルベリアがリエラの銃を構える。

 

「お前は良い兵士だ部下の弔いになるだろう」

 

そう言ってセルベリアは引き金を引いた。

一発の発砲音が虚しく空に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「.....リエラ!」

 

手を伸ばすがその手は空を切る。

暫し呆然としていたクルトだが自分が意識を覚ました事に気付く。

気絶していたのか俺は?何が起きた。

直ぐに思い出せた。

 

そうだいきなり敵のライフル弾が俺達の前に飛来して。

それが中戦車の予備パーツであるラグナイトタンクに直撃し引火した。

直後に起きた爆発に俺達は巻き込まれたんだ。

揮発したラグナイト燃料は人体に害がある。

致死性ではないとはいえ俺達はラグナイト中毒を起こしていたというわけだ。

気絶していた理由はそれか。

 

「っみんなは」

 

辺りを見渡し倒れた仲間の安否を確認する。

大丈夫だ息はある。俺の周りに居た仲間も中毒を起こしていただけだ。

これなら直ぐに目を覚ますだろう。

だがリエラを含めた前衛組は別だ。グスルグが撃たれたのは知っている。

生存は絶望視だろう。

 

「くそっ」

 

それでも自分の目で確かめるまでは信じられない。

悲惨な光景を見に歩き出そうとした。

その時、信じられないものを見た。

目の前の茂みががさりと揺れ、そこから現れたのは——

 

「.....ようクルト」

「グスルグ!?」

 

信じられない事に茂みの中から現れたのはグスルグを始めとした兵士達だった。

全員無傷というわけではなかったが五体満足で生きていた。

ありえない、あのライフル弾を受けて命を留めているなんて。

そう考えるクルトの目の前にグスルグが何やら黒い弾状の物を見せた。

 

「非殺傷用の訓練弾だ。これじゃ命を奪えるわけがない」

「何だと、どういう事だ」

「見ての通りさ。俺達は最初から敵に遊ばれていたって事だろ」

 

完敗だよと自虐的に笑うグスルグ。

どういう理由で敵が俺達を生かしたのかは分からない。

だがどういう理由であれ俺達は生きている。

そのことを今は喜ぼう。

しかしグスルグの顔は暗雲たるものだった。

 

「どうした?」

 

ややあってグスルグの口が重く開いた。

 

「リエラが居ない」

「......は?」

 

その言葉を理解した瞬間、クルトは走り出した。

グスルグが止める声も聞こえず茂みをかき分ける。

直ぐに目の前に光景が広がる。

リエラが居た場所、しかしそこにリエラの姿はなく、

地面には大量の血痕だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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十四話

ゆっくりとリエラは目を覚ました。

 

.....あれ私生きてる?

ぼんやりとした意識の中でそう思った。

次第に意識がはっきりしていく。

そうだあの時、私は撃たれて倒れた。

今でもあの瞬間を思い出せる。リアルな死が這い寄ってくるあの感覚を。

ここはどこ?

直ぐに自分が車の荷台の中に居る事が分かった。

色んな物が所狭しと押し込まれていて私もその一つだった。

 

まさか敵に捕まった?

あの時の前後関係を考えれば間違いなくそうだろう。

帝国軍に捕虜にされているのだと思った。

だからごそりと現れた人物に強く警戒した。

 

「あ、起きたのね」

 

良かったと微笑む栗色の髪の女性。

その女性が着ている服を見て緊張が抜けるのが分かった。

なぜならその女性が着ていたのはガリア公国の軍服だったからだ。

良かった、私は味方に保護されたのだ。

安心からふらりと体が傾く。

女性が慌てて体を支えてくれた。

 

「ありがとう」

「もう大丈夫です安静にしていれば直ぐ良くなりますよ」

 

慈愛に満ちた声だ。心が落ち着く。

ゆっくりと視線を巡らす。

どうやら大型四輪自動車の中の様だが。

 

「あのここは?」

「まずは自己紹介ね、私達はガリア義勇軍第七小隊、私は副官のアリシア。

そしてここは私達と同行している方のトラックよ、荷台を借りて貴女の治療をしていたの」

「なぜ私は生きているのでしょうか?」

「銃弾は心臓の上をそれて抜けていったわ奇跡というしかないわね。

そしてここには大量のラグナエイドがあった、貴女が助かったのはこの二つがあったおかげよ」

 

それも同行者さんに感謝しないとね。とアリシアさんは言った。

どうやら治療する場所だけでなく治療道具まで惜しみなく分け与えてくれたのだそうだ。

リエラはコクりと頷いた。

その同行者さんには感謝しなくちゃ。

 

「貴女は道の真ん中で倒れていたのよ覚えてない?」

 

全く覚えがなかった。

私は森の中で敵に撃たれた。なのにどうしてそんな所で倒れていたんだろう。

クルト達もどうなったのだろうか。

あの爆発ではとうてい助からないのでは。

そんなよくない想像ばかりが頭をよぎる。

 

「アリシアさん、私が倒れていた近くに私と同じ服の人達はいませんでしたか?私の仲間なんです」

だがアリシアさんは残念そうに首を横に振った。

その場にいたのは私ひとりだったらしい。

仲間が私を置いていくはずがない。

つまりはそういう事だろう。

 

暗い表情になるリエラを励ます様にアリシアが言った。

 

「きっと大丈夫よ、貴女の仲間は生きてるわ、今もどこかで貴女を探しているはずよ!それまでは私達と一緒に行きましょう?まずは貴女の怪我を治さないとねっ」

「はいありがとうございます」

 

それは只の慰めだったのだろう。だが、

......そうだきっと生きてる。

強くリエラはアリシアの言葉を信じた。

そう思わなければ気が狂ってしまっていただろうから。

 

「そうだ貴女が目を覚ましたら呼んでほしいと頼まれていたんだったわ。

この荷台をかしてくれた人なんだけど会ってもらえるかしら?」

「はいぜひ私からもお礼を言いたいので」

 

体調が万全じゃないなら無理しなくて良いのよ?と言ってくれたがリエラは大丈夫ですと言った。

ここの医療物資がなければ死んでいた身だ。

それらを無償で提供してくれたのだ。命の恩人と言っても過言ではない。

きちんとお礼を言いたかった。

 

血を失い過ぎてぼんやりする頭でもそう考えた。

だが何かを忘れている気がする。

重要な何かを。

 

アリシアさんの言葉を聞いてから違和感を覚えていた。

だけど何もおかしな事はなかったはず。

彼女達は義勇軍第七小隊所属で彼女は副官.......。

 

まって第七小隊とはどこかで聞いた覚えがなかった?

しかもごく最近の事だ。

あと少しで答えが見つかる謎解きの様なもどかしさを感じているリエラにアリシアは言った。

 

「そうそう彼良い人だから安心してね、私達や隊長のウェルキンも信頼しているから。

()()()さんの事は......」

 

——ハルト。その名前で全てを思い出した。

リエラの喉元から声が出かかった。

そうだ。ここが、この部隊こそがそうではないか。

この部隊こそが私達のターゲットだ。

その目標こそがハルトその人である。

今ようやくリエラは自分の置かれている立場を理解した。なんたること、

つまり自分は目的対象のいる部隊に拾われてしまったのだ。

なんたる偶然。いや偶然ではない。

そうなる可能性はあまりにも高かった。

 

状況を理解した上でリエラに出来た事はといえば、うそでしょ......と愕然としながらこれから待ち受ける未来について想像する事ぐらいであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

あの重傷者が目を覚ました事を受けてラインハルトは荷台に入る。

内心やや驚いていた。

まさかあの傷で直ぐに目を覚ますとは思わなかったのである。

当分寝たきりだろうと思っていたが。

驚くべき回復能力だ。本当に人間か。

そのゴリラガールもといリエラ(アリシアから聞いた)と面会する。

 

リエラはというと何だか落ち着かない様子だ。

ラインハルトが入って来た瞬間からせわしなく視線が泳いでいる。

動悸も激しくなっているようで興奮状態が見て取れる。

明らかに俺に対して強い興味をもっていた。

 

.....これはビンゴか?

リエラの分かりやすい動きが逆にブラフにも見えたが、話をして直ぐに分かった。彼女は嘘をつくのが得意な人間じゃない。貴族社会で生きてきたラインハルトにはそれが良く分かる。

特に相手がなぜ自分に興味を持っているのかを図るのは容易だ。

投げ入れる餌に食いつくかどうか泳がせるだけでいい。

 

「.....なにわともあれ健勝な様子で何より。手助けをした甲斐があったというものだ」

「は、はい。ありがとうございました助けて頂き感謝します」

「礼には及ばないさ。ガリア軍の為に働けたなら俺にとって無類の喜びだ。故郷より持ち込んだラグナエイドが無駄にならずにすんだ」

「素晴らしい性能ですね流石は連邦の....」

 

あっさりと餌に食いついた。

彼女は俺が連邦から来たことを知っていた。

ガリア国内の人間ではないと予め知っていなければ分からない情報をだ。

やはり確定だな。いや話を聞いた限りセルベリアが動いた事は確実、恐らく彼女の手によって運びこまれたのだろう。つまり彼女こそが追跡者。俺の首を付け狙う猟犬だ。

少し想像とは違ったが。

 

ともあれセルベリアはお膳立てをしてくれたというわけか。

それにしては早すぎるが。

やれやれ優秀過ぎる部下を持つと気苦労が絶えないな。

 

さて追跡者の一人を確保した時点でこの旅は俺の勝ちといえるだろう。

なにせガリアが俺を追っているという事実を確認できただけでなく、同時に猟犬の首輪を掴む事に成功したのだ。

後はこちらで相手の追跡をコントロールできる。

王都に行くまでの間、俺が捕まる可能性はほぼ無くなった。

 

後は何事もなく次の街を経由すれば河川に出る。

そしてかの有名なランドグリーズ前の大橋を渡れば王都は目の前だ。

目的は完遂される。

 

まあそう簡単にはいかないだろうな。

まず間違いなく障害はある。

ウェルキンに聞いた限りでは帝国軍の動きが予想よりも早い。

次の街は最前線からそう離れてはいない。

帝国軍が動く前に街に到着すればいいが間に合うだろうか。

あるいはガリア正規軍が耐えきればそれで良い。

 

手札は残り少ない。

俺とイムカ、義勇軍第七小隊そして猟犬。

打てる手がある内に策を弄す必要がある。

ここまで来て捕まる訳にはいかない。

それは帝国軍に対しても言えることなのだから。

 

「これから短い道のりだがよろしく頼む」

「よ、よろしくお願いしますハルトさん」

 

俺はリエラと握手をした。

こうして知らずにリエラはラインハルトの遠大にして無謀な計画に組み込まれるのであった。

 

 

 

 

 



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十五話

新しくリエラを迎えた数日後、ラインハルト達は町に到着した。

ガリア中部地方西部に位置するその町はガリアにとって肺の様な場所である。

王都ランドグリーズを始め東西南北の主要な街道全てに繋がっているためだ。

物資というガリアの血が経由して各地に届けられる。

よって此処は交通の要であり、ガリア軍が何としてでも守りたい場所と言えるだろう。

東に数十㎞の地点でガリア正規軍による防衛線が布かれているはずだ。

帝国軍が入り込む余地はない町の正門を。

しかしラインハルトは難なく通過する。

 

町に人影はほとんどなかった。

特に子供の姿がない事を確認する。

それらを尻目に義勇軍第七小隊は町の広場に集合した。

ウェルキンが全員の点呼を取る。

「アリシア」

「はい」

「ラルゴ」

「うす」

「ロージー」

「あいよ.....」

アリシアからスタートしてラインハルト、イムカ、そしてリエラで終わる。

全員の無事を確認して、よしとウェルキンは頷いた。

 

怪我の大なり小なりはあったけど全員が無事に揃っている。

本当に幸運な事だと思う。

いつ誰が死ぬか分からない時代だ。

今日目の前にいる仲間が明日はいないかもしれない。

だからこそ兵士には休息が必要なのだ。

 

「それじゃあ今日はここで解散しよう。時刻は明日の0070時に広場に集合、

それまでの間は自由時間とする、各自解散」

 

和やかな歓声が広がる。

隊員達は幾つかのグループを作ってぞろぞろと広場を後にする。

きっと思い思いの時間を過ごすのだろう。

補給物資の買い付けに行く者もいれば専用兵舎に寝に行く者もいるだろう。

さてラインハルトはと云うと、イムカを連れ立って街に繰り出した。

 

 

町中をゆっくりと二人で歩く。

別に長旅で疲れた体を癒しに遊びに行こうという訳ではない。

その理由はというと、

 

「.....ついてきてるか?」

「来てる隠れながら.....」

 

あまり意味がないけど。

そう二人のやや後方を尾行する人影があった。

勿論それはリエラだ。建物の陰に隠れて俺達を観察している。

安静にしてろと言っておいたのに。

どうやら彼女は真面目な性格の様だ。

 

「無線通信で連絡を取った形跡は?」

「ない。恐らくこの町の電報局にある無線暗号通信を使うはず」

「好きにさせろ、猟犬が来た時には俺達はもう町を出ている」

「でも.....」

「大丈夫だ俺を信じろ」

「.....分かった」

 

イムカが心配しているのが手に取る様に分かる。

文字通り密着しているからな。

きっと俺が何を考えているのか分からないのだろう。

彼女には全てを伝えている訳ではないから仕方ない。

俺の無謀な計画を知れば彼女は必ず反対するだろうから。

 

だから俺は狡い奴だ。

俺を信じろと言えば彼女は承諾するしかない。

少しだけ罪悪感を感じる。

 

さてリエラだが彼女はまだ自分が猟犬だと俺に気付かれていないと思っている。

彼女には悪いがそう信じこんでもらおう。

強硬手段に出られても困るからな。

俺が何者であるかをバラすのはもう少し後だ。

それは今じゃない。

 

だから今は立場を誤魔化すしかない。

私たちは只の夫婦ですよと云った具合に。

これはその為の偽装工作(デート)である。

 

そこでラインハルトはふと重大な事に気付く。

....そういえば俺ってデートするの初めてじゃないか?

偽装とはいえデート自体初めてのこと。

 

何をすればいいんだ?

自然な流れでデートする事になったから何も考えていなかった。

分からない。どうすればいい。

そもそも本当にはた目からは俺達が夫婦に見えているのか?

 

とりあえず周囲を見渡して何かヒントを探す。

やはり通りに人は少なかったが初老の男女が目に映る。

何とも仲睦まじい様子で男性が女性の手を握っている。

おお、あれだ。

 

とりあえず隣を歩くイムカの手をジッと見る。

そしておもむろに手を伸ばして、

 

「っ」

 

サッと逃げられた。なぜだ?

後ろを気にしていたイムカの目がこちらを向いた。

瞳の奥には戸惑いと驚きがある。

しまったと思った。

結果を優先して過程を疎かにしてしまった事に気付いたのだ。

相手の同意を得ていなかった。

何たる不覚、俺としたことが。

 

「....夫婦の様に見えるから手を繋いでもいいか?」

「っ!......分かった」

 

自分の手を見て何かを葛藤するイムカだったが、しぶしぶと云った様子で頷いた。

あまり気乗りしなてない様子だ。

任務だから仕方ないといった感じだろうか。

少しだけショックを受ける。

好かれているかは分からないが嫌われてないと思っていたからな。

実は嫌われてたりするんだろうか。

 

「すまない」

 

手を握る際に何故か謝られた。

その意図を理解できずにいたが、イムカの手を握って何となく理解した。

その手はお世辞にも女性的とは言えなかった。

恐らく何百、何千と武器を振るってきたからだろう。

手の皮は厚く硬くなっていた兵士の手だ。

恐らくだがその手で俺と手を繋ぐのを躊躇ったのではないか。

 

馬鹿め、馬鹿者め。

何を恥ずかしがる必要がある。

むしろ誇らしいぞ。この手を握れる男が俺で光栄に思う。

なんどこの手に守られてきたことか。

感謝しても足りないぐらいだ。

この手は少しもイムカの魅力を損なうものではない。手にキスの一つでもしてやろうか。

 

そう思っている事を言葉にするのは難しい。

だから行動で思いを伝えたかった。

もっと深く彼女の手を握りしめる。

俗にいう恋人繋ぎというやつだ。

彼女の心の温もりや体の温かさが伝わってくる。

 

イムカが俯いてしまった。

だがもう嫌がられていない事が良く分かる。

 

「さあ行こうデートの始まりだ」

 

建前がなくなった様な気がしたがまあいい。

今はこのささやかな自由時間を楽しもう。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

手を取り合った二人が動き出す。

それに応じて建物の陰に隠れて覗き見ていた人影も動き出す。

.....よ、よしばれてないわね。

どうやら二人は私の完璧な尾行に気付いていないようだ。

もしかして私には探偵の才能があったのかもしれない。

と得意げに自画自賛するのは案の定リエラだ。

何も知らない彼女は妙にその自信を強めてその後も二人の尾行を継続する。

 

リエラはこの町に来る道中で決意を固めた。

クルトはきっと生きている。

なら私が今すべきことは合流するその日まで、彼らの知りうる情報を探る事だ。

そして彼らの正体を暴いてやる。

リエラは考えた。

きっと彼らはこの町で何か怪しげな事をしでかすのではないかと。

この町は交通の要所、何かするならここしかない。

悪いことをしないように監視しなければ。

 

「....わたし頑張るからねクルト。それにみんな。」

 

今は亡き仲間達に思いをはせながらも、リエラの視線は二人の後姿を捉えて離さない。

そうすると二人は商店街に入って行った。

 

一見何てことのない商店が連なる場所のようだが。

もしや此処に彼らの密会する場所が?

と思ったがどうやら普通にお店を見て回っている。

 

傍目からは普通の夫婦にしか見えない。

いやしかし、あれはきっと世を忍ぶ仮の姿に違いない。

気を長くして耐えていると二人はようやく一軒のお店に入っていった。

外観からして服飾店の様だ。

小さい店なので中に入れない遠くから伺う。

 

数分後、彼らは出てきた。

イムカさんの服が変わっている。

成程この旅で汚れていた服を一新したのだろう。

綺麗に整えられている。

しかもダルクス文様がちゃんと刻まれていた。

恐らくあの店はダルクス人が経営しているのだろう。

イムカさんの為に合う服屋を探していたのだ。

時間をかけて回っていたのはその為か。

 

よくできた旦那さんだなぁ。

ちゃんとお嫁さんの文化を尊重しているのが分かる。

何だかあったかい気持ちになった。

素敵な二人だなぁ。

本当にお似合いだと思う。

 

買い物をする節々でそう思う。二人はとても信頼し合っている。人種の差異を思わせない程に。特にイムカさんは完全に惚れているね。夫婦なのだから当然なのだけど、まるで恋する乙女の様にハルトさんの姿を目で追っているのだ。

そりゃあそうよねあんな格好いい人そうそういないもの。

まあクルトの次ぐらいにだけどね。

何故か張り合うリエラ。乙女には時として譲れないものがあるのだ。

 

リエラレポートに二人は相思相愛、という書き込みが更新される。

だからこそ二人がスパイとは思えない。

やはり何かの間違いなんじゃ。

むしろそうであってほしいと思う。

早々に二人に対して情が湧いてしまうリエラ。人間性はともかく追跡者に向いてないのは確かである。

 

悩むリエラをよそに二人は買い物を終え近くのレストランに寄りディナーを楽しんでいた。

意外にもその所作が目を惹いた。あまりに綺麗すぎたのだ。ラインハルトのテーブルマナーが。

まるで宮廷料理を嗜むかのように庶民料理を口にするものだから、女性客から目を釘付けにした。思わず自分の相方と比べてしまい羨む様な目をイムカに向ける程だ。

 

リエラもそれを見てほえーと口に出していた。

例え出された料理が庶民のものでも食べる人が違うとこうも変わるものなのかと感心する。

自分には真似できない。

確かハルトさんは自分を只の平民だと言っていた。

只の平民があんなテーブルマナーを習得するものだろうか。

むしろ貴族のよう....。

 

リエラレポートにハルトさんの食事風景はまるで貴族のよう、と更新された。

まさかラインハルトも普通に食事をしているだけで怪しまれるとは思っていなかっただろう。

どんなに隠そうとしても普段の何気ない所作は出てしまう。

それはラインハルトも過言ではなかった。

 

意外とこのまま行けばリエラはラインハルトの正体に限りなく迫れたかもしれない。

土台無理な話だったのだ。

いくら取り繕っても平民には見えない。

いずれボロが出ただろう。

 

その事に真っ先に気付いたのは対面のイムカだった。

明らかにラインハルトが衆目の視線を集めている事に気付きその理由を理解した。今さら取り繕うよう言っても無駄だろう。根本的な解決にはならない。

今も好奇の目を向けられてなお特に気にした様子はないのだから。

見られる事に慣れ過ぎているからだ。

これではイムカと比べられて余計に目立ってしまう。

しかも帝国式の所作だ分かる者が見れば一発で分かってしまう。

 

早くこの場から立ち去った方が良いだろう。

だとすればどこに。

不自然にならない場所にしなければならない。

 

私達二人が向かってもおかしくはなく、尚且つ追跡するリエラの目を欺く場所だ。

そんな都合の良い場所があるだろうか。

.....ある。

だがそこに行くのは躊躇われた。

自然と頬が紅潮するのを感じる。

しかし背に腹は代えられない。

ちょうどディナー(夕食)を終えたタイミングでイムカはラインハルトを連れ出した。

それを見ていたリエラも動き出す。

 

「どこに行くんだろう?」

 

何だか只ならぬ様子を感じた。

鬼気迫ると云っても良いだろう。

しかしようやく現れた異変を逃す訳にはいかない。

例えもうすぐ夜の帳が降りようとも、彼らが明るい看板の立ち並ぶ地区に足を踏み入れようとも、リエラの追跡は止まらない。まさに猟犬の名に相応しい働きである。

 

しかしピタリとリエラの足が止まった。

ぽかんとした顔で二人が入って行った建物を見上げる。

これは想像していなかった。

 

「でもそうよね二人は夫婦なんだし........あぅ」

 

顔を赤くして恥ずかしそうに見上げるその建物の名は『ディープナイト』。

風俗街の一角にあるそれは、いわゆる大人のお店である。

男女二人が入って行ったのだ。目的はひとつしかない。

 

リエラは回れ右をした。

流石の猟犬でもそこにばかりは立ち入れなかった。

どことなく背中に哀愁が伺えるのは気のせいであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




評価・感想ありがとうございます。


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十六話

何が起きたのか俺にも分からない。

有無を言わさずイムカに手を引かれて連れられて来たのは俗にいう連れ込み宿だった。

男と女がハートマークに囲まれた、

怪しげな看板の宿に戸惑いつつも、受付にこの部屋を割り当てられた。

中に入って見ると装飾が凝っていて、

想像よりもずっと清潔感に溢れた室内だった。

ほう初めて来たが意外と居心地の良い作りなんだな。

感想おわり。

 

「.......」

 

長い沈黙にいたたまれなくなり視線を調度品からスイっと横にずらす。

中央辺りに白いベットが置かれていてイムカが腰掛けている。

そのイムカはと云うと部屋に入ってからは一度も喋らず。

今も沈黙を保ったまま俯いている。

その表情を読む事はできない。

 

どうしたんだ?

と安易に尋ねるのは簡単だが。

何やら男の真価が試されている気がしてならない。

頭をフル回転させて考えてみる。

 

最初に考えられるのは偽装工作の一環だろう。

リエラの目を遮るのにこの部屋は都合がいい。

夫婦という役割上、疑われる心配もないはずだ。

もしかすると俺が気づいてないだけで何かを疑われる個所があったのかもしれない。

それに気づいたイムカが機転を利かせてくれたのだろう。

それなら辻褄も会う。

 

少し驚いたがそれなら納得だ。

ちょうどいい、ここで寝るか。

朝になったら出るとしよう。

........。

どうも今のイムカの反応を見るに、それだけじゃないらしい。

明らかに思いつめている。

まるでこれから初夜を行う前の新婦の様だ。いやまさかな。

 

駄目だやはり素直に聞こう。

イムカの横に座る。

 

「どうしたんだ悩み事か?」

「......この部屋に連れて来た理由は聞かない?」

「偽装工作の一環だろう?俺が何かへまをしたんだな」

「......」

 

彼女の様子から俺の答えはやはり間違っていないらしい。

だから別にイムカが俺を誘っているとかは思わないし抱こうとも思わん。

もしかしたら夫婦という関係で潜入した以上その必要もあるかもしれない。

だが俺からその話をする事はなかった。

彼女には本当に好きな相手としてほしいからだ。

 

「悪いな色々とお前には負担をかけてばかりだ」

「......違う、私は好きでここにいる」

 

どうかな。恐らくエリーシャの差し金だろう。

なぜなら今回の潜入作戦のほぼ全貌はあいつが考えたものだからだ。

イムカと俺を夫婦に仕立て上げたのもあいつの案だ。

という事はこれもエリーシャの企みだろう。

 

「隠すなエリーシャに何を言われた?」

「......旅の途中どこかで貴方に抱かれろと」

「やっぱりか」

 

はあっと息を吐く。

エリーシャめ俺に黙っていたな。

偽装工作の一環......ではないな。

いったいどういうつもりだ。

俺がイムカを抱くことに何の意味があるというのだ。

あいつには俺の目的を教えている。

ならばそうする必要もないと分かっているはずだ。

 

「分からないけど貴方には枷が必要だとエリーシャは言っていた」

「枷.....?」

 

つまり俺を縛るための措置という事か。

どういう意味なのか俺には分からなかった。

とりあえず分かった事はイムカは意を決して俺をここに連れて来たという事だ。

どうやら一時的な避難という訳ではないらしい。だが、

 

「イムカはそれで良いのか?」

「ハルトは.....いや?」

 

正直に言えば嫌ではなかった。

どうやら俺は彼女を一人の女性として好ましく思っているようだ。

今日のデートも楽しかった。

心から楽しめた。好きでもない相手とこんな事はできない。

しかし俺はもう一人の女を愛している身だ。

任務の為とはいえこんな事が許されるのだろうか。

 

思えば彼女との出会いは唐突だった。

当時俺はとある研究機関の所在を探していた。

ある時期から存在が消えた機関の居場所を探っていた時に出会ったのが国境沿いの村にいたイムカだった。到着した時には既に村は壊滅していた。

彼女はその村の唯一の生き残りだった。

 

死にかけていた少女を救い面倒を見る様になってから、どんどん俺は彼女に好意を持つようになっていった。俺と同じ復讐という目的を持ち、それに向かって己を磨く迷わぬ信念に俺も助けられた。特に己の半身ともいうべきセルベリアが居なかった時期だからより顕著にそう思った。

いつしか俺は、

 

「お前を好きになっていた」

 

言った。言ってしまった。

今ならまだ間に合う。だがもう俺の口から彼女に対する本心が吐き出されるのを止めることはできなかった。

 

「お前だから好きなんだ。共に復讐を誓い合ったお前だからこそ俺は気兼ねなく接する事が出来た。初めてできたダルクス人の友人だ。お前の御蔭でニュルンベルクのダルクス人もやっと俺を信用してくれた。ずっと助けられていたよ、イムカお前に」

「......私も好きになっていた。気づけば貴方の事を考えていた。

許されない事だと分かっていても、もう自分でも自分が分からない程に貴方の事が好きになってしまった」

 

ずっと彼女は悩んでいたんだろう。

立場や人種、何もかもが違う。

許されないと思っていても人の心はどうしようもない。

俺と違い作りものじゃない。だからこそ愛おしいのだ。

 

俺に彼女を手に入れる資格はあるのか。

自分に問う。彼女を守り切れるか。分からない。

だがどんな障害があろうとも彼女と共に歩めるなら負ける気はしない。

 

「それと一つだけ」

「ん?」

「エリーシャから言付け、こういう時になったら言えと言われていた。

『あの時の約束の褒美の権利をイムカさんに差し上げました必ず叶えて下さいね?』と.....」

 

私には分からないけどハルトなら分かる。

イムカが不思議そうに首を傾げている。

俺には心当たりがあった。確かそうギルランダイオ要塞攻略前の一つだけ願いを叶えるという口約束のアレだ。まさかそれをここで持ち出すとは思わなかった。

よっぽどあいつは俺とイムカを一緒にしたいらしい。

 

ふっと笑みを浮かべる。

敵わないなあいつには。

最初から逃げ場なんて無かったんじゃないか。

まあそんなものがなくても結果は一緒だったがな。

 

ともあれ腹は決まった。

イムカが拒まないのであれば喜んで彼女を抱こう。

ただセルベリアには悪いと思っている。

刺されても文句は言えないだろう。

 

イムカとの関係も考える必要がある。

ダルクス人というだけで問題視する帝国の人間は多いだろうからな。

特に貴族は顕著だ。そいつらに文句を言わせない程の圧倒的な立場をもてば問題ないんだが。

そうだな例えば、

 

「.....皇帝でも目指してみるか」

「え?」

 

まあ冗談だが。

俺より皇帝に向いている人は他に居る。

だからイムカよこの人なら本当にやりかねない等と本気の目でみないでくれ。

只の冗談だぞ?だがイムカを守れる程度の力はつけるつもりだ。

 

「守られてばかりだけどな」

「そんな事はない私たちはそれ以上に貴方に守られている」

「ならお互い守り守られていこう」

「うん......ぁ」

 

イムカが潤んだ目で見上げる。

自然と唇に視線が向いてしまう。

ぷくりとした小さな唇にゆっくりと誘導され、

気づけば触れる様なキスをしていた。

 

唇を当てるだけの柔らかな口づけだったが、多幸感で満たされていくのが分かる。

何度も何度も当てては離れを繰り返す。

車のエンジンをかける様に体が次第に熱くなる。

 

ドンドンと爆発するような音が遠くで聞こえた気がした。

それは俺の心臓の音だろうか。どくどくと血が激しく脈打つ。

いよいよ雰囲気は温まり場は最高潮に達した。

そして俺はゆっくりと彼女の服を脱がせようと手をかけた。

 

——その時である。

直ぐ近くでバーン!と空気が破裂した様な音が聞こえたと思ったら爆発音が轟いたのは。

ようやく気付く。外で何かが起きている事に。

錯覚ではなく本当に爆発が起きていた。

 

「なんだ!?」

 

ただ事ではない事がおきている。

慌てて外の様子を確認しようと窓を開け放った。

温かな風が肌を撫でる。

 

「っ....!」

 

外の光景を見て絶句する。

一面が赤に染まっていた。炎が町を焼いている。

火事とかちゃちなものではない。大火災だ何棟もの建物が火柱に包まれていた。

こんな短時間にどうやって。——いや、

それよりもこれ程の規模だ。

考えられる原因は一つしかない。

 

「帝国軍の奇襲攻撃.....!」

 

それが始まった事を意味していた。

 

 

 

 




次回ヴァルキュリア部隊VSラインハルト。
久しぶりの主人公の戦闘回になります。
気長にお待ちください。


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十七話

小高い丘から街を見下ろす二人の男女が居た。眼下に町が焼け落ちる。

静かにその光景を見ていた男は背後に立つ女に語りかける。

 

「家は人の歴史を形作りそこに生きた人間の証を残す。それは何よりも重要で尊いものだ、長い年月この町は此処に存在したんだろうね。それが今目の前で失われていく。命も歴史も。我々は実に罪深い生き物だと思わないかい?」

「はいお兄様、ですが我々はそれを望んでいます」

「その通りだ、でも思うんだ僕は....いや僕たちは人の歴史を消す事すらも自在にできてしまう。だとすればどうして神は僕達を作ってしまったんだろうかと」

「それはお兄様が望む全てを手に入れる為に」

「そうだねこの力をもって生まれて来た僕達にはそれが許される」

 

下等な人間を支配するために神が僕に与えた使命。

家が人の歴史なら燃え落ちる度に歴史は変わる。

歴史とは脆い。そのしてこの世の歴史は汚れてしまった。

誰かが正しい歴史に修正しなければならない。

 

その役目が許され神に選ばれし者それこそがヴァルキュリアなのだから。

これはその手始めだ。

その男——ハイエルは高らかに言った。

 

「我が同胞達よ人間の手によって汚されし歴史を浄火せよ」

 

言下に新たな炎が吹きあがる。町のあちこちで民衆が決起するかの如く。

計画通り仲間達が動き出したのだ。

彼女達も久しぶりの戦闘だ。きっと血気に逸っている事だろう。

遊び過ぎないといいが。

 

「——いや人間では相手にもならないか」

 

人間程度では彼女たちの遊び相手にもならない。

勝てる者がいるとすればそれは同じヴァルキュリアだけだ。

そしてその心配はない。

ガリア公国にはヴァルキュリアで構成された部隊は存在しない。

恐らく世界で唯一の部隊である僕達だけだ。

 

もし仮にその部隊に勝てる人間が居るとすればそれは類稀なる統率力を持った人間が指揮した場合だ。そしてそれはガリアには居ない。だが僕達には居る。

特権階級の貴族だったが没落し傭兵に落ちたかの男ヤン・クロードベルトが僕達を指揮すればこの世で僕達に勝てる敵はもういない。

 

——いや、まだあの男が居たか。

最強の魔女を手に入れたあの男なら、あるいはその刃は僕達に届きうるかもしれない。

先の戦では知られざる天才をようやく帝国は彼の才能を認知しただろう。

そうなれば帝国は変わるだろう。より強く生まれ変わる。

それは僕の望むものではない。

なぜなら僕は........なのだから。

 

「....帝国の歴史を浄化するダルクスの血の下に」

 

穢された歴史を修正する。

行くとしよう。まずは計画通り王都に潜入する為に作戦を遂行する。

 

「目的は避難民、彼らに紛れて王都に入る。行くよエムリル」

「はいお兄様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

ラインハルトが店を出ると既に外は混乱の極みに達していた。

通りは身に着けた物だけを持ち出して火の手を逃れて来た民衆で溢れている。

警邏達が避難する民衆を誘導していた。

その一人に話しかけた。

 

「おい敵の数は分かるか現れた方向は?」

「な、何だね君は見てわかるだろ今は忙しい....」

「あんたの仕事が重要なのは分かっている、その上で聞いている!敵の規模と知っている情報を教えろ!」

 

鬼気迫るラインハルトに押されてたじたじの警邏が教える。

 

「お、俺も知らないんだ。ただ敵が攻撃を仕掛けて来たとしか上からは来ていない。

たぶん上も分からないんだと思う。俺達も避難民をどこに誘導すればいいか迷っているんだ」

「これだけの攻撃を受けて敵の居場所が分からないだと?」

 

そんな事がありうるのか?

あっという間に火の手が幾つも上がったぞ。

それこそ大隊規模以上の軍が動員されているはずだ。

それに同等の爆弾と燃料がなければ起こりえない芸当だ。

それ程の軍勢の接近を事前に察知できなかったというのもおかしい。

 

「....それなら火の手が最初に目撃された方向を教えてくれ」

「あっちだ北の広場の方....」

「ありがとう。ならそこからできるだけ反対方向に避難民を誘導してくれ。

できるだけ俺も民を避難させる」

「あ、どこに行くんだ.....!」

 

警邏の男が静止するのを尻目にラインハルトとイムカは走り出す。

目的は北の広場、奇しくもそこは第七小隊と解散した場所だ。

恐らくウェルキン達はそこに居る。

急いで合流しなければ逃げる事すらままならない。

 

無人の商店街を駆け抜ける。

昼に来た時とは違い今は閑散としている。

ここに居た人達はあらかた逃げられたようだ。

だがもう此処もじきに火の手が回るだろう。

初めてイムカと歩き回った思い出の場所だというのに。

あのレストランもダルクス人の店も全て焼ける。

 

......くそっ!

俺には彼らの無念を思う資格はないが、それでも心の中で悪態をつかずには居られなかった。

俺はもう知ってしまっている彼らの過ごした日々を。

守り続けてきたものを。

だからこそ少しでも俺は守りたい。

偽善と笑われようと俺の足は動いていた。

 

やがて十字路に差し迫る。

確かここを左に行けば倉庫街だ。

俺のトラックがある場所だったな、この先、何があるか分からん。アレをイムカに取りに行かせよう。俺は鍵を手渡した。起動用のキーだ。彼女もそれで俺の意図を理解する。

 

「広場で合流しよう」

「分かった、けど危ない事はしないで直ぐに戻るから」

 

俺達は頷き合い二手に分かれた。

.....悪いなイムカ。それは少しばかり保証できない。

俺は広場に続く道を走る。

その途中、立ち尽くす民間人を見つける。

逃げ遅れたのか放心する男に向けて避難するよう叫ぶ。

 

「あんたも早く逃げろ!」

「.....ど、どこに逃げればいいんだ」

 

男は困惑したように聞き返す。

よほど動転してしまっているのだろうか。

違和感を覚えながらも俺は来た道を指さす。

 

「なに.....?」

 

しかし背後の道は炎の壁によって遮られていた。

さっきまでは確かに存在した退路が塞がれたのだ。

男が泣き叫ぶ。

 

「まただ!逃げられない——この広場から!」

 

檻の様に炎が男の逃げ場を遮るのだと。

あらゆる道を模索しても無駄だった。

何度も何度も、まるで炎という大蛇が意思を持って動いているかの様に。

ことごとく目の前で炎が逃げ道を潰していく、と男は言った。

 

上空から見ればより顕著に分かった事だろう。

広場を中心に炎がとぐろを巻いているのが。

当然ラインハルトにそれは見えないが、ようやく違和感に気付いた。

 

観察すれば確かに隣接する建物に火が移る様子がない。

明らかに自然的な動きではなかった。

まるで火を操る魔法だ。

ありえないとは言えなかった。

この世界には時に超常的な力を持った人間が存在する。

だがこれ程の規模の力は普通ではない。

それこそセルベリアの様に訓練された者でなければ不可能な芸当だ。

何だか嫌な予感がする。

 

入るのは容易く出るのは困難。

恐ろしい蟻地獄の巣に足を踏み入れた様な感覚だ。

そして恐らくその感覚は正しい。

どうやら敵は俺達を広場に向かわせたいようだ。

炎がじりじりと押し寄せてくる。

 

「もしかするともう既に俺は敵の術中にいるのかもしれない」

 

だが後戻りは出来ない。

前に進むしか道はなかった。

覚悟を決めて男を伴い広場に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

広場に入ると義勇軍第七小隊が集合していた。

他にも大勢の兵士と民間人が取り残されている。各々で消火活動や手当が行われていた。

俺に気付いたウェルキンが駆け寄ってくる。

 

「ハルト!?良かった無事だったんだね!」

「ああ遅れてすまない、それで状況は?」

「.....そうだねハルトの考えも聞きたいし、うん」

一瞬考えるウェルキンだったが頷いてラインハルトに状況を余さず教える。普通であれば教える事のできない機密情報も加えて。

「最初に電報局所が破壊されたらしい。敵はまず前線との情報通信を遮断したこれで前線からの救援は見込めなくなった」

 

まず前線との情報を遮断する。定石通りの戦術だ。

やはり敵は部隊としての運用がされている。

 

「それに加えて未だ帝国軍の姿を目撃した者がいない」

「.....」

「ハルトは敵の正体は何だと思う?」

 

思案する。

ここまで来ても帝国軍の気配は全く感じられない。

俺達に気付かれずこれ程の被害を出す。

つまり敵は極少数精鋭部隊だ。

俺が知る限りでガリア方面軍にそんな部隊は居なかった。

ならばガリア侵攻後、新たに創設されたか、あるいは秘匿されていたとしか考えられない。

前者であればいい、少数精鋭部隊を敵の真ん中に送り込む、それは捨て駒として運用される懲罰部隊だからだ。だがもし後者であれば最悪だ。

その状況ですら生き残る自信のある秘密兵器という事になる。

そしてそれは俺が知る限りでは一つしかない。

 

「.....ヴァルキュリア」

「え?」

「敵は恐らくヴァルキュリアだ」

「あのお伽噺のかい?」

 

内心なにを言っているんだと思われている事だろう。それはそうだ俺ですら信じられないのだ。

あれの存在は実際にこの目で見るまでは受け入れられなかった。

今でも彼女の力を理解できたとは言い難い。

それをここで説明している時間はない。

いま言えることは。

 

「信じて欲しいここから生きて出るには俺の指示を聞いてくれ」

 

ヴァルキュリアと戦うには皆んなの協力が必要だ。

ウェルキンが素直に従ってくれるかで決まる。

 

「分かった君がそう言うなら従うよ」

 

俺の願いはあっさり通った。

もしかするとウェルキンは俺の正体に気付いているのではと思う時がある。薄々勘づいてるのかもしれない。それでも素直に従ってくれているのは俺を信じてくれているからだ。良い奴らだ。

立場から考えて俺は彼らを裏切っている身だ。

だとしても彼らの信頼に応えたい。

そう思うのは傲慢だろうか。

 

「....——っ!」

 

ふとそんな事を考えた俺の思いを掻き消したのはパチパチと叩かれる場違いな拍手の音であった。すぐ近く、見れば教会の上に女が立っていた。

いつからそこにいたのか広場に立つ俺たちを見下ろしている。まるで天上に立つ神のように。

誰もがそう思った。それ程に彼女の姿は幻想的だ。

烈火の髪に朱い瞳、立ち上る蒼いオーラ、その腰には剣のような物が二刀携えられている。

 

女は観衆の目が全て自分に向いた事を確認するとコホンと喉を鳴らす。笑みを浮かべて、

 

「初めまして人間の皆さん今宵はお集まり頂き感謝するっす」

 

ペコリと頭を下げる。その行動と見た目に反して砕けた口調のせいで周りが困惑する。あの女はどういう存在なのか把握しかねた。

ただ一人ラインハルトだけが苦虫を噛み潰した様な顔になる。

 

「皆さんにはこれから私と殺し合いをしてもらいます、ただそれではつまらないのでゲームを提案させてもらいますルールは単純.....」

形の良い白い指をピンと立てる。

 

「....まず一つサシでやりましょう、一人一人味わって楽しみたいですからね。二つ銃火器の使用は禁止します、一瞬で決着が着いてしまいますから面白くありません。お分かり頂けましたか?それでは——」

 

女はその場で跳んだ。

凡そ高さ三階建てはある教会の屋根から身を投げ出した。

あっと悲鳴が上がる中、女は地面に向かって落ちる。

あわや大惨事になるかと思われた。

だが驚く事に女は猫の様に身を翻しくるくると身を回転させたかと思えば。

そのままスタッと着地してしまったではないか。

女は何事もないかのように笑みを崩さず、

 

「——やりましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教会から着地した女に驚愕の視線が注がれる。

普通ならあんな高さから落ちたら人は死ぬ。

潰れた果実の様に地面に赤い染みをつくる。

それが常識だ。その常識がいま脆くも崩れ去る。

だからこそ誰も何も言えずにいた。

何か不気味なものを見る目で怯えていた。

 

「....あれ?もしかして驚かせ過ぎちゃいましたか。この程度で?本当に人間って愚かなモルモットっすね敵を前に棒立ちは笑えるっす」

 

何が可笑しかったのか女は快活に笑う。

その間に我に返った兵士達が動き出す。

この女は敵。帝国兵だ。

未だ未知の存在だが倒すべき敵だと各部隊長が判断する。

指示を出し女を取り囲ませた。

 

「武器を捨て投降しろ!」

 

貴様は既に無力化されている。

その言葉に女はポカンとした、そして堪えきれないとばかりに爆笑する。

そのまま地面を転がらんばかりの勢いだった。

腹を抱えて、

 

「.....ひーひー、本当に人間って愚かなんすね」

 

女が投降する気配はない。

周囲を囲む兵士の一人がこいつっと怒りで銃口を女に向けた。

その瞬間、兵士の足元から炎が吹きあがる。

炎はたちまち兵士の身体全体を包み込んだ。

 

「ぎゃああああああ!!!?」

 

火達磨に成った兵士が地面を転がる。

どんなに地面に擦り付けても火は消えない。

後に残ったのは炭化して消し炭になった人であった何かだ。

それを驚愕して見ていた兵士達が恐怖で思わず銃を向けてしまった。

 

「あああアアアアアア!??」

「体が、体が燃える.....!?」

「熱い熱い熱い!!!」

 

その全員が一斉に人体発火した。

枯れ木に火を点ける様な気安さだった。

普通なら人はこんなに簡単に燃えないはずだ。

だが炎は女の意思によって熱量が上げられている様に見えた。

信じられない事だが女は炎を制御している。

 

「言ったじゃないすか一瞬で決着が着くから銃火器は厳禁だって」

 

あれは女が不利になるから嫌がったのではなく、銃を使う側が問答無用で炎に巻かれるから、女がつまらないから嫌がったのだと気づかされた。

部隊長が恐怖に引きつった顔で言った。

 

「何だお前は何なんだいったい!?」

「ああそういえば自己紹介がまだでしたね。コホン—―

私は帝国軍特務試験部隊ゼロ・ワルキューレ所属個体識別aアルテミス。しがない只のヴァルキュリアっす。先程見せたように炎を操る事が出来るので銃を使う者が居れば問答無用で焼き殺します。それじゃあ剣を持って殺し合うっすよ」

 

準備出来ただろと言わんばかりの態度だ。

ようやく気付く目の前の女は人間じゃない。

肉体ではなくその精神性が常人とは逸脱している。

アルテミスはそれでも向かってこない兵士を見て、ため息を吐き。

 

「分かりましたルール変更してあげるっす、全員で掛かって来てもいいっすよ」

 

明らかな挑発だ。

だが各部隊長はそれなら勝てるのではと思った。

いくら炎を操って見せた魔女でもこの数で一斉に仕掛ければ。

本当にこの女が言う通りの条件で戦えば炎を使わないのであれば勝算はある。

彼らは僅かな希望に縋った。

 

己の得物を近接武器に持ち替える。

兵士達が再度女を取り囲んだ。一見するとリンチだが実態は違った。

余裕綽々の女一人に青い顔をした屈強な兵士達が取り囲むという奇妙な構図だ。

現実的な表現ではないが人間のカテゴライズに当てはまらない。

どちらかと云うと強大な火竜を前にした様な圧迫感があった。

気づけばガチガチと歯の根が合わない。

信じられない恐れているのか、たった一人の敵を相手に。

 

怖気づくガリア兵を相手にアルテミスはスラリと剣を抜き放った。

その奇妙な剣は刀の様に薄い刀身をしていた。

にもかかわらず鋼の様に鈍い重厚さを感じる。

その剣から放たれるプレッシャーが兵士達を襲う。

「っ....うおおおおおお!」

たまらず緊張の糸が切れてしまった。

部隊長の指示を待たずに兵士達が走り出す。

誰もが思った、この女はやばいと。一秒でも早く殺さないといけない。

それが戦闘の幕開けとなった。

 

「死ねえええええ!」

 

必死の気迫と共に兵士が得物で殴り掛かる。

男の腕力で振り上げられたそれは暴力的な勢いで振り下ろされた。

当たれば致命的な一撃、それをアルテミスは直前で躱した。

楽しむ様に口を吊り上げる。

 

「やればできるじゃないっすか!」

 

兵士を褒めた直後アルテミスの手がブレた。

烈火の速さで迫る刀身を映した兵士の目をやき、避ける暇もなく頭が二つに切断された。

倒れ伏した兵士の頭から血は吹き出ず、辺りに焦げ臭い匂いが漂った。

「今度はこちらの番——ってあれ?」

 

何で避けなかったんすか。とアルテミスは首を傾げる。

まさか今ので死ぬとは思わなかった。手加減したつもりなんですけどねえ。

どれだけ弱いんすか人間は。

少々呆れ気味にアルテミスは剣を翻した。

それだけでまた兵士が一人死んだ。

仲間の仇を討とうと背後から迫った兵士の胴が泣き別れになる。

 

「.....人間とはいえ訓練された軍人なら少しは楽しめると思ったんすけどねえ」

 

どうやら過大評価だったようだ。

あっさりと期待を裏切られ落胆する。

やはり人間では私を楽しませる事はできないのか。

 

「もういいっす、さっさと終わらせましょう」

 

アルテミスの身体が陽炎の様に掻き消えた。

あまりの速さに目で捉えきれない。気づいた時には目の前にいて失望した顔のアルテミスが剣を振るう。あえて手加減されたそれを兵士は直前で受け止める。——がその直後、武器ごと兵士は切り落とされた。一瞬の抵抗もなかった。またアルテミスは失意の表情になる。

振るわれた刃を止める事も躱す事も出来ない。

これでは遊びにもならない。只の作業と化していた。

また無情なる刃が振り降ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女の一撃でまた一人の兵士の命が散った。

やはり傷口から鮮血は吹き上がらず肉と血の焦げた匂いが強くなる。

恐らくあの刀身自体が焼きごての様に常に熱を発しているのだ。

赤い刀身がその証左だろう。

手術に使われる医療メスと同じだ。

ヒートブレード。あの剣をまともに受けるのは自殺行為だな。

少なくとも普通の武器ではな。

ガリア兵が殺されていくのを冷静な様子で見ているラインハルトは考えを巡らせる。

生き残る方法を模索していた。

 

あの女の動きと剣の描く軌跡を観察しろ。

その癖を見抜けば戦いは有利になる。

驚くべき速さでラインハルトは女の戦いを分析していった。

何十通りものシュミレーション頭の中で再現した結果、その全てはラインハルトの死で収束する。

勝てない。どうあがいても勝機を見いだせない。

 

逃げても無駄だろう。

あの炎で直ぐに追い詰められて焼き殺されるのが目に見えていた。

本当にここで死ぬかもしれないな。

いっそ降参するか。いや——

民間人の俺はともかく軍人であるウェルキン達は間違いなく殺されるだろう。

計画も失敗する。それは駄目だ。

 

勝つしか俺達が生き残る道はない。

そして考える時間もなかった。

 

「もう我慢ならないぜ隊長!」

「待て待つんだ!」

 

味方が殺されていくのを我慢ならないラルゴが加勢に行こうとするのを必死にウェルキンが静止している。ウェルキン達には動かないよう伝えているがこちらも限界だな。彼らが行っても殺されるだけだ。今回だけは俺の出番だろう。

一か八か賭けに出よう。

ラインハルトは広場に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう終わりっすか?」

 

アルテミスの言葉に誰も返す言葉がなかった。

それ程に目を覆いたくなる光景だった。

この場に居た半数もの兵士が無残な姿で横たわっている。

たった一人の敵によって作られた光景だ。

民間人が多数いるが彼等はみな一様に恐怖に染まっていた。

化け物を見る様な目でアルテミスを見ていた。

次は自分達の番だと酷く怯えている。

 

それを見て内心ため息を吐く。

一般市民じゃ話にならない。こんなもんすかね。

後は簡単に炎で焼き払ってしまおうか。

どうせ目撃者は消すつもりだ。ゲームが継続出来ないなら手っ取り早く焼いてしまおう。

そう考えていたアルテミスの前に一人の男が歩み出る。

 

「俺が相手をしよう」

「ん?」

 

突然出て来た男に注目が集まる。

市民の身なりをした金髪の男だ。どうやらこの男が私の相手をしようと言うらしい。

何という無謀な男なんだ。まさか名乗り出る馬鹿が居るとは思っていなかったアルテミスは面食らってしまった。

 

「....あーお兄さんが私の相手をしてくれるんすか?」

「ああ、お前の言うゲームに参加させてもらうが不服か?」

 

微塵も臆した様子がない。

この状況で無人の野に立つが如く平常心を保っている。

何だこの男は。アルテミスをして奇妙と思わせた。

何か後ろで軍人が騒いでるっすね。何か良くわからないけど。

面白い。面白過ぎるっすよこの人。

 

「いい!いいっすよ!武器はどうします?この辺にある好きな奴を使っていいっすよ!」

「....それを」

「お?」

 

死骸から武器をはぎ取って好きに使わせようと思ったが、男が指さしたのは何と自分の腰にあるもう一振りの剣だった。本来二刀流の彼女が本気を出す時に使う相方である。

まさか敵の得物を欲しがるとは傲岸不遜な男だ。

ますます面白い。敵の得物を使ってはいけないというルールはない。

面白がったアルテミスは承諾して剣を放り投げる。

宙を渡る剣をパシリと男が掴む。男は何回か素振りをして具合を確かめると中段で構えた。

その構えは今までのどの敵よりも堂に入っている。

思った通り楽しめそうだ。

 

「それじゃあ行きますよ!」

 

言下にアルテミスは地面を蹴った。

その瞬間アルテミスの体は陽炎の様に消える。あまりの速さに人間の動体視力では追いきれないのだ。人としての能力が違い過ぎる。誰もが金髪の男の死の未来を垣間見た。

アルテミスもまた男の背後に回り現れた時、ああまたかと思った。この人も期待外れっすね。男がこちらに気付いた様子はない。落胆の顔になる。

これで終わり。

その確信をもって横凪に振るわれる魔剣。

——が、

キュイィィィンと甲高い音が鳴り響きアルテミスは瞠目する。

なんと男は死の直前に反応して見せたのだ。

振り向きざまに剣を滑らせ攻撃を防ぎ切った。

男と鍔迫り合う。初めて一撃で死ななかった。

アルテミスの顔に笑みが広がる。

見つけたようやく私を楽しませてくれる敵を。

そうなると俄然男に興味がわく。

 

「お兄さん名前は?」

「.....一般市民Aだ」

「ぷっ何すかそれ」

「聞き出してみろ」

 

傲岸不遜な男だ。

この私の前に立てる時点で一般市民であるはずがない。

まあいい、男の言う通り正体を力づくで聞き出してやる。だからどうかそれまでに死なないで下さいね。アルテミスは鍔迫り合いの状態から剣に力を込め勢いよく押し込む。

たたらを踏む男に向かって再度最速の一撃を叩き込んだ。

またも驚かされる事になる。

目にも止まらぬ斬撃を男は完璧に対処して見せた。

見切られている。なぜ?

直ぐに理解する。あれだけのガリア兵を斬殺した後だ。

私の動きを観察する時間はたっぷりあった。

男は私の動きを観察し対策を練ったのだろう。

 

それでもとアルテミスは驚愕する。

この短時間で私の動きを看破できるはずがない。

もしそれができるとしたら想像を絶する数多の修羅場を潜り抜けた者か。

圧倒的な戦いの経験値と戦いのセンスを兼ね備えた世に言う天才と呼ばれる者だけだ。

もしかするとさらにその先の、

両方である可能性にアルテミスは歓喜した。

圧倒的に私よりも上のレベルの好敵手。

 

「ずっと待っていた、貴方の様な敵が現れるのを。だからもっと......私を楽しませろ!」

 

出し惜しみはしない。全力で戦う。

それが許される相手なのだから。

戦いの場は加速度的にヒートアップしていった。

 

 

 



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十八話

「.....すごい」

 

これまで数多くの修羅場を潜り抜けてきたウェルキンをもってしても、目の前で繰り広げられる戦いを驚嘆の目で見るしかなかった。彼と彼女の戦いはそれ程にレベルの高いモノだった。

まず先手を取るのはやはり彼女だ。

暴風の様な速さで動きまわり視界に捉えさせない。

同じ場所に一瞬も存在しない彼女の幻影がフォントの合わない動画の様にブレて見える。

正しく常人には彼女の影すら見る事は出来ないだろうスピードで叩き込まれる斬撃。

それを彼は全てはじき返す。

寸分の狂いも許されない刹那、彼は不動ながら最小限の動きだけで剣を振るい防いで見せるのだ。まるで暴風をそぎ落とす凪の様に。

彼女の攻撃は全て彼の剣によって弾き落とされる。

 

いったいどれ程の修練を積めば可能なのか僕には分からない。

だけどそうしなければならない程の事情が彼にはあったのだろう。

きっと彼はその力を僕達に見せたくはなかったはずだ。

それでも彼はいま必死になって戦ってくれている。僕達みんなの為に。

 

.....いつか話してくれるだろうか?彼の本当の姿を。

それを知ってしまった時、僕はどうする?

答えは出なかった。少なくともこの戦いが終わるまでは。

重要なのはまずはこの戦いを生き伸びる事だ。

彼からの合図があれば直ぐに動けるよう部隊に指示を出す。

 

「.....全員で生き残ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

激しい攻防から一転、アルテミスは俺の周囲を円を描くように動きながら様子を見ている。その顔には少なからぬ動揺が見て取れる。十三回。

それが俺の現時点で死んだ回数だ。

いや正確にはアルテミスが俺の首を取ったと確信して剣を振るった回数だろうか。

だが俺の首は未だ繋がっている。

彼女にとっては不可解でしかないだろう。

勝利を確信して振るった剣を悉く防がれたのだから。

アルテミスはどうしてか理由を考える。

直ぐに答えは出た。

 

「驚いた私の攻撃を先読みしてるんすね、それも凄く精密な防御の型で。

一度も攻撃を仕掛けて来ないのは全てのリソースを防御に振ってるからっすか」

「流石にバレたか如何にもお前の様な奴と戦い勝つには僅かな隙を狙うしかないからな」

 

最初から勝つには土台の部分で無理な話だ。

それはセルベリアとの訓練で昔から理解している。

だから俺は生き伸びる為の剣を磨いてきた。

どんなに攻撃が早くても関係ない。

神経を全集中すれば相手の最初の挙動からどんな剣を繰り出すかが分かる。

後はそれに対して最善の型で動けばいい。

 

「師は言った俺の剣は風だと。あらゆる攻撃を弾き落とす鉄壁の剣だ。

これを破るのは少し手間だぞ」

「普通は机上の空論で終わる話をここまで形にしている奴は初めて見るっすよ、人間がこれほどの技量を備えているとは驚きっすね」

「あまり人間をなめない方がいいぞ」

「そうっすね考えを改めるっす。——でもやっぱり結局勝つのは私っすよ」

 

確かに技量こそ高いが防ぐだけで手いっぱい。

俺には攻略の糸口がないのだと彼女は自信満々に言う。

ラインハルトも否定はしなかった。

 

「そうかもな」

「....普通の人間なら激昂する所っすよ」

「生憎と普通の感性で生き残れるほど軟な世界に生きてないんでな」

 

静かに前中段で剣を構える。

その程度の挑発には乗らない。

ただ時が来るまでやるべき事をやるだけだ。

それに攻略の糸口がない訳ではなかった。

 

ラインハルトが動揺しないのを見て不服そうにする。

なぜ勝てないと分かっていて、なお諦めないのか理解できない、

 

「諦めさせてやるっすよ絶望に陰るまで」

「お前には無理だ俺が戦ってきた敵の中でお前はそこまで強くない」

「——っ人間風情が!これで終わりにしてやる!」

 

次の瞬間。

激昂するアルテミスの体がブレた。

——幻炎の如く。

ラインハルトの視界から消えたアルテミスは恐るべきスピードで距離を詰め、炎が湧いた様に目の前に現れる。気づいた瞬間には間合いの中に入られていた。

——さっきより更に早い!

数段階上のスピードで振り払われた魔剣が俺の胴を両断しようと迫る。

咄嗟に反応しようと動いた腕が瞬間的に止まる。

違うこれは——フェイント!

直前で無理やり剣の軌道を変える。

直後に不協和音が辺りに響いた。

俺の足を切り落とそうとしていた剣が止まる。

危うく足が一本無くなるところだった。

 

「こ、この技まで防がれるなんてっ」

 

呆然と己の剣と交差する俺の剣を見つめる。

どうやら今のが絶対の自信のある技だったようだ。

確かにあれほどの動きでフェイントをされたら躱しようがない。

俺が防げたのはあくまでセルベリアとの経験と運が良かっただけ。

あとは勘だ。

 

作戦は悪くなかった。経験値の差が出ただけだ。

言葉で焦らせ動揺を誘いフェイント攻撃で決着をつける算段が崩れたいま、彼女のプライドはズタズタに引き裂かれた事だろう。その隙を逃すはずもない。

 

「今度はこちらの番だ防ぎきって見ろ」

 

ここで初めてラインハルトは攻勢に転じた。

ひゅっと息を吐き右腕に力を込めると勢いよく敵の剣を弾き、返す刀で袈裟切りに切りつけた。アルテミスが慌てて剣で防ぐ。しかし調子を整える余裕は与えない。

曲調の切り変わった舞踏の様にラインハルトは連撃を繰り出し続ける。

たまらず後退するアルテミス。

自分が後ろに退いている事に気付く暇すらなかった。

 

「っ——なんでっ」

 

自分の様な速さはない。落ち着いて対処すれば躱すのは難しくないはずだ。

一度体勢を整えようと考えるスキを狙ってラインハルトの剣突きが襲う。

首を捻って避けようとするが躱しきれず頬を浅く裂かれる。

 

「痛っ!」

 

赤い血が頬を流れる。傷を負わされた。

それだけでアルテミスの精神を衝撃が襲う。

ヴァルキュリアである私が人間に手傷を付けられるなんて。

怒りが湧き上がる。刹那的な衝動に突き動かされ、ただ思い切り剣を振るった。

そこに剣の術理はなく速さにモノを言わせただけの一撃だ。

そんな技と言うにも稚拙な一撃がラインハルトに通用するはずもなく、ミリ単位で相手の剣筋を見切り最小限の動きだけで躱して見せた。

そんな完璧な芸当を見せられたアルテミスが次のラインハルトの攻撃を躱せる訳もなかった。

 

「これで終わりだ」

 

手首を返して振るわれる剣刃。

それを防ごうとして技量の差を突き付けられる。

剣を警戒するあまり他に目が行っていなかった。

それを見切ったラインハルトが蹴りを放ったのだ。

ブンっと音を立てて長い脚から繰り出される一撃はアルテミスの腹部に直撃し強烈なダメージを与えた。

「がハッ!」

口から空気が吐き出され、勢いよく地面を転がる。

直ぐには動けなかった。

ピタリと首筋に冷たい物が押し当てられる。

それが自分が安易に渡した剣の腹だと理解するのに時間はかからなかった。

避けられない。この距離だと炎を出すよりも早く喉を斬られる。

負けた私が剣で。

 

「ありえない」

「言っただろ人間をなめるなとゲームオーバーだ諦めろ」

 

諦める何を?

決まっている。これから待ち受けるのは私の死だ。

嫌だ死にたくない。まだ生きたいよ。

しかし認めざるを得ない現実にジワリと涙が滲む。

 

「いや殺さないで」

「広場を囲む炎の壁を解いて全員を解放しろ話はそれからだ」

 

言われた通り炎の壁を消す。

消える様に念じるとたちまち炎は鎮火した。

ラインハルトはそれを確認して。

 

「よし——ウェルキン!」

 

出された合図に呼応してウェルキン達がすかさず動き出す。

その顔には笑みがあった。

炎によって囚われていた市民達は助かったのだと歓喜の涙を流してすらいた。

 

これでもう大丈夫だろう。彼らの避難はウェルキン達に任せる。後はこの女だ。

俺には彼女に確認しなければならない事があった。

 

「最後に一つだけ聞きたい事がある。——お前は特務機関『獅子十二泉協会(レーベンスボルン)』出身者だな?」

 

帝国軍でも僅かしか知らない。

その機関の名を言う。

すると女はどうしてそれをと云った顔で俺を見上げた。

やはりそうか。

レーベンスボルンとは特別な血筋を持った子供達を誕生・育成させる為の施設運営母体の事だ。

帝国中から特別な血つまりヴァルキュリアの因子を受け継ぐ者をかき集め研究する事を目的としている。従順な帝国の兵器に仕立てる。その為ならば掛け合わせ、要は強制的に子を産ませる事もあるのだという。悪辣非道なる帝国の闇そのものだ。

名前の通り帝国に十二あるそれを——俺は数年前に全て潰して回った。

.....潰したはずだった。

だがまだ一つだけ残っていた。

それが彼女達の存在で発覚した。

セルベリアから聞いたギルランダイオ要塞に居たヴァルキュリアも恐らく同様の存在だろう。

そうなると俺に彼女は殺せない。

俺こそ彼女達を生み出してしまった(帝国)そのものなのだから。

結局誰一人として救えなかった。

この世界に生まれてしまった哀れなヴァルキュリアを今度こそ俺は救いたい。

 

「お前たちは帝国に洗脳されている哀れな犠牲者だ、いつの日か救ってみせる」

「.....いったい誰なんすかあんた」

「悪いがそれだけは答えられない。だが俺の言葉に嘘偽りはない」

 

困惑する彼女から剣を引き離す。

手を差し伸べようとした瞬間、それを見計らっていた様にして頭上から影が舞い降りた。

 

勢いをそのままに上段からの唐竹割が来る。

青い光芒が尾を引いて剣身が俺を真っ二つにしようと迫る。

咄嗟に俺は剣を構えて受け止めた。不協和音が辺りに響く。

新手か。やはりその女もヴァルキュリアの特徴を備えていた。

その女はまだ若かったが落ち着いた様子で俺を見据えている。

呆れ混じりにアルテミスに向けて言う。

 

「何で貴女が倒されてるんですか馬鹿なんですか?」

「ニーアちゃん!助けに来てくれたんすね.....!」

「貴女が倒されたら作戦が失敗するじゃないですか仕方なくですよ馬鹿」

「うー酷いっすニーアちゃん」

 

抗議を無視してニーアと呼ばれた女は俺を見る。

 

「それで?この馬鹿を倒す程の力量から見て一角の武人とお見受けしますが何者です?」

「その問いは繰り返しになるが答えられない」

「そうですかでは無理やりにでも聞きましょう」

「ニーアちゃんでも勝てないと思うっすよ?」

「馬鹿、二人でやるんでしょうが」

 

ピキリと青筋を立て睨む。美しい顔が台無しだ。

二対一は流石にキツイな。だが防御に徹すればやれない事はない。

 

「例え殺されようと口を割る気はないがな」

「問題ありません貴方の心に直接聞き出します」

「心....?妙な言い回しだな」

「ニーアちゃんは手で触れた人の心が読めるんすよ凄いでしょ」

「馬鹿!人の能力を喋る人がどこにいますか!?」

「え?私喋っちゃったっす」

「.....馬鹿がここに居た」

 

ため息をこぼすニーアを前にラインハルトは怪訝な表情になる。

人の心が読めるだと?ヴァルキュリアにそんな超能力はないはずだが。

そういえばアルテミスも火を自在に操っていたな。

実験によって後から付け足したのか。恐らく非人道的な方法で。

帝国内でどんな実験がされていたのか考えたくもない。

つまり彼女らはヴァルキュリアの力に加え炎熱能力(パイロキネシス)精神感応(テレパス)といった特殊能力を付与された超能力者(サイキッカー)でもあるという事だ。

そういえば前世でもそんな研究がされていたな。

人間の脳を開発する実験が。

 

しかしまずいな。それが本当なら彼女に触れられた時点で俺が何者か分かるという事だ。

絶対に触られる訳にはいかない。

こんなところで足止めされる訳にはいかないのだ。

神経を集中させ意識的に呼吸をする。

 

「.....我が剣は風、踏み入れるものなら入ってくるがいい」

 

少しキザな気もするがこれぐらいが丁度いい。

相手を威圧するには格を見せつける必要がある。

狙い通り二人が息をのむ。迂闊には手を出してこない。

このまま膠着状態が続けばいいが。

 

「貴方は強い。ですが姉様の為にも作戦を失敗する訳にはいかないのです!」

 

言下に地面を踏み込み勢いよく走り出した。

速いがアルテミス程ではない。

間合いに入った瞬間、ラインハルトの剣が動く。

手首を返して翻ったそれをニーアはその場に伏せる程の低姿勢で躱す。

驚くべき柔らかさとバネで肉体を制御し低姿勢のままに足を狙ってきた。

横凪に切り払われる魔剣をラインハルトはその場で跳躍する事で躱す。

足は人の基盤だ。弱点になりうるからこそ、そこを狙われても対処できる様に訓練は嫌というほど積んできた。空中体勢からの全体重を乗せた一撃を叩き込もうとした所で邪魔が入った。

飛び上がったアルテミスが横から割って入りラインハルトの横腹に峰打ちを入れようとしたのだ。

寸での所で手首を返しそれを防ぐ。

ガキュイィィンと音が鳴ってラインハルトの体躯が飛ばされた。

ヴァルキュリアの膂力によって吹き飛ばされるも見事に着地して見せる。軸足が全く崩れない。

そして余裕の笑みを浮かべる。その程度かと。

内心は冷や汗ものだったが。

 

「人間が空中で私達の連携技を躱すなんて」

「見事に防がれましたね.....本当に凄いっす」

 

一方は警戒の色でもう一方は尊敬の色でラインハルトを見る。

余裕ぶって見せた甲斐があった。

優勢の様に見えて消耗が激しいのはラインハルトの方だ。

呼吸で誤魔化しているがもう保たない。

あと少しあと少しなんだ。

とその時——

 

「——ハルト!後ろだ!」

 

聞こえた瞬間、何も考えず後背に向かって剣を振り払う。

独楽の様に身を捻り振り払われた剣はちょうど俺の背中を切りつけよとした敵の剣とかち合った。切り結ぶ敵を視界に収める。今度は黒い髪の少女だ。

三人目のヴァルキュリアの出現を即座に理解する。

頭の中の警鐘が鳴る。

これ以上はもう無理だ。だがそれを無理やり頭の片隅に押し込んで最後の抵抗を行う。

もうとっくに限界は超えていた。

それでもラインハルトは諦めなかった。

だがしかし――

 

唐突にラインハルトの体がピタリと止まった。

自分の意思とは裏腹に体が全く動かない。

どんなに力を込めても無駄だった。万力の様な力で体全体が固まっている。

すると黒髪少女が言った。不思議な手印を結び。

 

「金縛りの術です」

 

金縛りだと?そんなちゃちなものじゃないはずだ。

指一本すらまともに動かせないぞ。

これも超能力の一種なのか?。

揃いも揃ってでたらめな力だ、冗談じゃないぞ。

 

「よくやったわディー、そのまま抑えておいて」

「ディーちゃんまで居たんすか隠れて様子を伺っていたんすね」

「肯定」

 

コクりと頷くディーと呼ばれた少女が指を振る。

それだけで両腕が後ろでに拘束される。

一人でに自由を奪われるというのは不思議な感覚だ。

所謂念動力者(サイコキネシス)というやつだろうか。

不可視の縄で簀巻きにされニーアの前に突き出される。

 

「さあ何を隠しているのか私に教えて下さい」

 

そう言うとニーアが俺の頭に手を乗せようとする。

ゆっくりと近づく手に観念する。

ここまでか。そう思った瞬間、俺とニーアの間を一発の銃弾が通り抜ける。

 

「そこまでだ彼を離すんだ」

 

見れば銃を構えたウェルキンが立っていた。

ラインハルトの目が見開く。

何をしているんだ。

銃を向けた者がどんな末路を辿ったか知っているはずだ。

死ぬ気か。逃げろウェルキンお前達だけでも。

だがそんな願いとは裏腹にウェルキンは真剣な顔で銃口をニーアに差し向けた。

アルテミスがその間に割り入った。

 

「待つっす。この人は私とのゲームに勝った。だからあんた達は生かしてやるっす。だけど次はないっすよ死にたくないなら街の人間を連れてさっさと逃げるっすよ」

「彼を置いて逃げる事は出来ない」

「死にたいんすか?」

「僕達を救うために戦ってくれた彼を置いて逃げるぐらいなら死んだ方がましだよ」

「......人間ってのは本当に愚かっすね」

 

それは侮蔑とは違う、どこかもどかしい様子でアルテミスは言うと、手の平をウェルキンに向けた。

チラリとラインハルトを見た。

熱い鼓動を認識する。

どうも自分はこの男の剣に惚れてしまったようだ。

だから撃ってくれるな。あんたを殺したくはないんすよ。

この人の頑張りを無駄にしてはいけない。

一触即発の中、唐突にニーアがそれを止める。

 

「待って彼が何か言うわディー拘束を緩めてあげて」

「了解」

 

手印を結ぶとラインハルトの口が動かせるようになった。だが無理に固められていたせいか上手く舌が回らない。それを察してニーアが顔を近づける。

 

「素直に喋る気になったかしら?」

「.....逃げろ」

 

その一言にニーアは成程と頷きウェルキンを見据える。

「貴方によ逃げろと言っているわ命の恩人の言葉に素直に従っておきなさいな」

「っ!」

 

ギュッと奥歯を噛む。だが答えは一つだ。

ウェルキンは偵察銃のボルトを引き銃弾を装填する。退く気のないウェルキンを冷たい眼差しで見るニーア。

馬鹿が素直に従っておけばいいものを。

愚かな判断をする奴は嫌いだ。

内心そう思いアルテミスに男を殺すよう命令する。

何故かまだ焼き殺していないアルテミスを不思議に思いながら口にしようとした。

だがラインハルトの言葉は続いていた。

 

「違うウェルキンに言ったんじゃない。お前たちに言ったんだ」

「......え?」

 

何を言っているんだこの男は。

不可解に思いながらもどうせ男の出まかせだろう。

と最初そう思った。だがこの男は不敵な笑みを崩さなかった。

するとヴゥイイイインとどこからともなくラジエーターの駆動音が聞こえて来た。

......戦車いや違う、これは何?

戸惑うニーアを前にラインハルトが笑う。

 

「来たぞ来てしまった。——蒼い機神(ヴァルキリー)が」

 

言下に壁をぶち破って広場にそれは現れた。

蒼い機体を身にまとい手にはヴァールが握られている。

ヴァジュラではない、より軽量化され背中に背負ったラジエーターも小型化されている。

先の戦争での教訓を生かし一人での着衣脱を可能とした機構になっている。

それでいて性能差はヴァジュラの約四倍だ。

その機体の名を俺はヴァルキリーと呼んだ。

 

「ひっかきまわせ.....イムカ」

 

誰にも聞こえない微かな呟きだった。

だがそれに呼応したかの様にイムカは動き出す。

機械の筋肉が一瞬でイムカを俺の前に導き、あっという間に彼我の距離をゼロにする。

ラジエーターの発光が蒼い線を描きヴァルキュリア三人の目を惹いた。

いきなり眼前に現れたイムカが手に持つヴァールを振り回す。

重い鉄の塊がまるで小枝の様に動き三人に襲い掛かった。

 

「っ——躱せ!」

 

アルテミスの言葉で三人がその場から飛ぶ。

直後その空間を乱舞するヴァールの刃が襲う。

あと一歩遅ければ格子状に体が裁断されていただろう。

三人の背中にひやりとしたモノが伝う。

それは恐怖と呼ばれるものだ。

たった一人からなる敵を相手に恐れを覚えている。

ありえない事だ。何なんだこの敵は。

 

幽鬼の様に佇む騎士の様な敵は金髪の男を守る様に立ち。

尋常ではない殺気を放っている。

脅威度は男の比ではない。

只者ではないと三人は理解する。額から汗が滲んだ。

 

「....炎よ我が手に集え」

「三人で連携するわよ」

「委細承知」

 

本気でいかなければこちらが殺されるだろう。

それ程の凄みがアレにはあった。

アルテミスが火球を作り出しニーアが指示を出す、その横でディーが小刀を構える。

三人の戦女神と一人の機神の戦いが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




三人の小娘がラスボスに立ち向かう構図ですね。


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十九話

「すまない遅れた、換装に手間取ってしまった」

 

俺を庇うように立つイムカが謝る。

いや良いタイミングだ、これ以上ない程にな。

事実かなりのインパクトを彼女達に与えられたはずだ。こちらを警戒して近づかない。

恐らくあと一押しで彼女らを撤退に追い込める。

それにはイムカの力が必要不可欠となる。

 

「.....ハルトあれは」

「ああ帝国のヴァルキュリアだ。いけるか?」

 

しかし相手はヴァルキュリア。それは困難を極める事だろう。

だが、俺を庇うように立ちふさがるイムカはヴァールを一振り。

ブォンと風が鳴りその感触にイムカはただ一言だけ。

 

「問題はない」

「実力はセルベリアの半分程度。だが未知の力を秘めている気を付けろ」

「了解」

 

そう言うとイムカは四肢に力を溜める様にかがみこむと、一息に駆けだした。

その余波で硬い地面のタイルが粉砕された程だ。

正常に稼働している。その動作に確信を得た。

時速にして110㎞以上の瞬間的な爆発力を引き出すヴァルキリーの鎧を身に纏ったイムカは一瞬にして敵との差を縮める。

その人間離れした速さで迫るイムカに身構えていた三人が圧倒される。

 

「何なんすか本当に人間すかあれ!?」

「速い!」

「分からないわよ!とにかく迎撃するわよ!」

 

動揺を隠せないままにニーアの言葉でアルテミスが前に出た。

手を前に突き出し魔法の言葉を唱える。

別に唱えなくても使えるがイメージを底上げする為の必要な措置だ。

 

「炎よ壁となって敵の進みを阻害せよ!」

 

言下に火球が蠢き形を変えたかと思うとあっという間に高い炎の壁となって眼前に現れた。

鉄すら溶かす灼熱の壁だいかなる敵の攻撃も通さない。

そのまま燃え尽きるがいい。

絶対の自信をもって放たれた炎の壁を意に介さずイムカの足は止まらない。

一直線に駆け抜ける。そしてイムカの体は炎の中に消えていった。

勝った、そう思った直後、信じられない光景を目にした。

なんと高温の炎の中から何事もなかった様にイムカが走り抜けてきたのだ。

鎧に変形は見られない全くの無傷である。

 

「噓!?」

 

自分から出たとは思えない驚愕の声を上げる。

今日だけでいったい何度目だろうか。

絶対の攻撃を躱される自信喪失を味わされるのは。

呆気に取られている間にとうとうイムカが目の前に迫りヴァールを横凪に切り払う。

無防備に立ち尽くすアルテミスに凶刃が迫る。

殺される。その寸前で横から黒い影が割り込んだ。

ニーアである。間一髪のタイミングで入ったニーアの剣がヴァールの一撃を受け止める。

ありえないぐらい重い一撃に腕に痺れる痛みが走る。

苦痛で顔がゆがむ。どんだけ馬鹿力してるのよ。

 

「ディー!こいつの動きを止めて!」

 

大の大人でも赤子の様にひねる彼女の力ならこの馬鹿力を抑え込める。そう判断しての事だったが淡々とした言葉が返ってくる。

 

「無理、私の念力は目を見ないと発動しない。それに無機物は操れない」

「そうだった意味ないわね!」

「.....ひどい」

 

吐き捨てる様に言われ肩を落としてしょげるディー。

普段なら悪かったわねと反省するが今はそれに構っている暇すらない。

一合受けただけで分かる。こいつはやばい。

アルテミスの炎もディーの念力も効かない。

単体でこちらの戦力を上回っている。

馬鹿げてるわね。

 

——ごくりと生唾を呑みこんだ。

この敵は危険だ。

だからこそ敵の正体を探らなければならない。

敵は固い甲殻の中。どうする?

攻略方法を企てるがそれをイムカが許すはずもなく。

鍔迫り合いを止め即座に連撃を繰り出してきた。

類稀なる反射神経をもってしても躱すのは容易ではなく。

次々とニーアの体に生傷が増えていく。

 

「ニーアちゃんどいて!」

 

その言葉にニーアは後ろに飛びのいた。直後降りかかる無数の炎弾、当たれば火傷では済まないそれをイムカはヴァールで草を薙ぐように切り払っていく。

その動きには一切の無駄がない。音階を舞うかのようであった。

改めて人間業じゃない。やはりアルファの炎でも倒せなかった。

つまりウィークポイントを探さなければ私達に勝ち目はない。

 

「アルファ!時間を稼いで!」

「分かった!」

 

アルファが敵を引き付けている間に周囲に視線を巡らせる。

弱点、弱点はどこ?

必ずあるはずだどんな敵にも弱点はある。

 

「......あの男」

 

そして見つけた。あの金髪の男だ。

最初に現れた時もそうだが今も敵は位置を変えながらも常に金髪の男を後ろにして守れる様に立ちまわっている。つまりあの男こそが敵の弱点に他ならない。

あの男を仕留めれば勝負の流れはこちらに傾くだろう。

男はまだ息を整えている途中だ。

いける。

 

「ディー!援護して!」

「合点」

 

指示を出した直ぐ、ニーアは陸上選手の様に走り出した。

勢いよく地面を蹴りだした体は相対的に前へと進む。

その速度は四足獣に匹敵した。

その動きに反応できた者は少ない。がその僅かな数に当然イムカは含まれる。駆け抜けるニーアの前に炎弾を切り分けるイムカが割り込んだ。通さないという気迫が伺える。

突破するのは至難を極めるだろう。

だがニーアは足を緩めない。彼我が接敵する直前、二人の前に小さな影が躍り出る。

 

ディーである。小刀を構え忍者の様に動く彼女がイムカの前に立ち塞がったのだ。

肉薄するディー。邪魔だとばかりに振るわれるヴァールの刃が迫る。大振りに振るわれたそれをギリギリの所で躱す。完全には避けきれず薄皮一枚切り裂かれるが微塵も気にせずディーは小刀をイムカに叩き込んだ。

狙いは脇の関節部分。鎧の継ぎ目である。

 

「っ!」

 

刃が通らない。

小刀は正確に脇を抜けて心臓に到達する角度から入った。

しかし切先は特殊な防刃繊維によって止められていた。

ありえない。ディーは内心驚愕する。

通常なら如何なる戦闘服であろうと串刺しにする自分の一撃が全くの無効。

普通ではない、いったいどんな素材ならそれが可能だというのだろう。

 

ディーは知らない。それが少しだけ先の未来の技術で作られていることを。合成繊維という柔らかい金属の糸で編んだ化学の衣服であるそれは100年先の時代でも防弾チョッキ等に用いられている。それを何重にも重ねて鎧の下に張り合わせた。

つまりは金属布の着ぐるみを着ているようなもの。

普通であれば人間に着せる代物ではないがヴァルキリーであれば楽に動かせる。その結果、刺突、殴打、斬撃に対する耐性を備えている。

だけでなく不燃素材でもあるため火にも強い。

まさしくヴァルキュリアを倒す為に作られたと言っても過言ではない。

 

(決まったな)

 

ラインハルトは確信する。

イムカはかわせなかったのではない、躱さなかったのだ。

あえて大振りの一撃を繰り出し隙を晒した。

その理由を問うまでもない。

振り子の如く返って来たヴァールの砲身がディーの無防備な体を殴打する。

もろに受けてしまった彼女は散りゆく木っ端の様に弾き飛ばされてしまう。

完全にカウンターが決まった形だ。

あれでは生きていても戦闘不能は免れないだろう。

 

俺があれだけ手こずった相手をものともしない。

あれほどの攻防を一瞬の間で終わらせるとは、まったく末恐ろしい才能である。

仲間である事が頼もしい。

 

ここまでで僅か数秒の出来事である。

 

ラインハルトの目前にニーアが迫っていた。

仲間が倒されたにも関わらず視線を俺から外さない。

凄まじい集中力である。イムカを倒せないと判断して全力をもって俺を仕留めに来たか。判断が早いな。イムカは間に合わない。駆けつけるのに更に数秒を要するだろう。

つまりここで俺が防げなければ俺達の負けだ。

だが逆に言えば敵の攻撃を一手でも防ぐ事が出来れば俺の勝ちでもある。

イムカが駆けつける数秒を稼げばいいのだから。

決着は一瞬でつくだろう。

そして俺には勝算があった。

ここまでの戦いによって研ぎ澄まされた感覚が俺を次のレベルに引き上げた。

緩やかに世界が流れていくのを感じる。

イムカとディーの戦いを冷静に見届けられたのもこの力のおかげだ。

それはいわゆるゾーンと呼ばれるもので、一部のアスリートに時折発現する事象だった。

 

人によって違うらしいが時間の流れが遅く感じる事があるらしい。

恐らくそれだろう。

 

ラインハルトは静かに剣を下段に構えた。

フッと呼気を止める。次の瞬間——ラインハルトの体が動いた。

迫りくるニーアに向けて体を前に出し剣を振るう。

地面に向いていた剣先が跳ね上がり大上段の一撃を繰り出してきた彼女の剣とかち合う。

その瞬間をゆっくりとラインハルトは見ていた。

剣と剣が直撃する瞬間を見逃さない。

そしてここだというタイミングで手首を返した。

剣はクルリと回転して彼女の剣を巻き取る。

カキンと小気味良い音がしたと思った時には彼女の剣は空中を舞っていた。

尋常ならざる剣技である。

一瞬でも遅れていたらラインハルトの頭が割れていた事だろう。

この緩やかな世界を体得したからこそできる技だった。

敵は武器を失った。勝った。

 

ラインハルトが油断した——その瞬間をニーアは見逃さなかった。

なんと彼女は一歩足を踏み込んだのだ。

片刃が自分の肌を切り裂くのも気にせず前に出た彼女はソッとラインハルトの剣を抱きしめて見せた。しまったと思った時にはもう遅い。

万力の如き力で固定され微塵も剣を動かせなくされていた。

そして次の瞬間ラインハルトの顔めがけて鋭い蹴りが放たれる。

その体勢から蹴れるのか。

軟体動物もびっくりの動きに驚きを隠せないながらも咄嗟に上体を反らす事で何とか躱す事に成功した。だがそのせいで背中から地面に倒れるのを防ぐことは出来なかった。

直ぐに態勢を整えようとしたが、気づけば取られた剣が喉元に向けられていた。

やられた。

 

「私の勝ちね」

 

流石にここからの逆転は無理だろう。

大人しく観念するしかない。

ラインハルトは降参のポーズを取った。

だが気になる事がある。

 

「どうして俺が斬らないと分かった?」

 

あの瞬間、俺は彼女を斬れた。

なのに彼女は退くどころか前に出て来た。

まるで俺が斬らないと分かっていたかのように。

 

「....いいわ教えてあげる、あの馬鹿が言ってたと思うけど私は人の心が読めるの。それは直に手で触れないと分からない事だけれど、それとは別に分かる事がある、直感のようなものだけれど相手の機微や感情を何となく感じる事ができるの。貴方はあの時、私を殺すつもりがなかった。そう感じたから前に出たのよ」

「成程そうか、なら次は無心の境地を習得しないとならないようだな」

 

考えを読まれるなら何も考えなければいい。

至極単純な事だ。そう思っていたらクスリと笑われた。

 

「面白い人ねこの状況で次があると考えるなんて。

貴方が何者なのか次第ではここで殺す事だってありえるのに」

「.....まっそこは大丈夫だろう俺の命までは取れないはずだ」

「貴方が嘘をついてない事が分かるからこそますます興味が湧いてきたわ。

——さあ答えて貴方は何者なの?」

 

ゆっくりと彼女の手が伸びてきて。

そして俺の頭に触れる。僅かな時間の後、彼女に変化が現れる。

徐々に顔が驚きに染まっていき、俺をありえないものを見るような目で見る。

どうやら俺の正体に気付いたようだ。

確かめる様に口をひらく。

 

「まさか....貴方は.....」

「ニーアちゃん後ろ!!」

「....え?」

 

ニーアが振り向こうとするその背中を一刀の斬撃が走る。

何かを言おうとするもそれは声にはならずニーアはどっと地面に倒れた。

その地面を彼女の血が伝う。

その背後には返り血を浴びたかのような赤い彼女の髪が風になびいていた。

彼女は剣にこびりついた血を払うと、

 

「大丈夫でしたかハルトさん?」

 

そう優しく笑いかけてきた。

まさか彼女に助けられるとは思わなかった。

そういえば広場には合流していなかったな。

どこかに隠れ潜んでいたのだろう。敵が油断するのを待っていたのだ猟犬の如く。

 

「ああ、助かったよリエラ」

 

猟犬部隊(ネームレス)のリエラがそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十話

「.....そんな」

 

ハイエルに付き従い歩いていたエムリルが唐突に立ち止まった。

呆然と立ち尽くす彼女の視線が宙を彷徨う。まるで近くのモノを視ている様でもあり遠くを見ているようでもある。事実彼女は遠くで起きた事象に驚愕していた。

ただならぬ様子の彼女にハイエルが問う。

 

「どうしました?」

「.....い、妹が.....ニーアが倒されました」

 

告げられた言葉は驚くべきものであった。

彼女の思い違いではないだろう。双子である彼女達は遠くからでも意思の疎通ができる。妹との回線が途切れたのは紛れもない事実。

それはつまりヴァルキュリアが倒されたという事だ。

史上最強の個であるヴァルキュリアが敵によって倒された。

ならばその敵も同じヴァルキュリアである可能性が高い。

 

「やはりガリアにも存在しましたか」

 

しかも軍隊に所属している自分達と同様の存在だ。

作戦を進める中で邪魔な存在となるだろう。

作戦遂行すら危ぶまれる。だがそれでも。

 

「想定内です作戦は続行します」

 

そう言うと何事もなかった様に歩き出す。

だが動けないのがエムリルだ。

唯一の肉親とも言うべき妹が瀕死の状況を見過ごせるほど軍人として優秀ではなかった。叶うならば今すぐ助けに行きたい。だがそれは兄として敬愛する彼の意思に背く事になる。ジレンマが彼女を襲っていた。

それを見かねたハイエルが言う。

 

「大丈夫でしょう彼女達を信じなさい」

 

同じヴァルキュリアだからこそ分かる。

彼女達がただで転ぶはずがないと。

心配する事は何もない。

 

「それとも君は僕を信じられないのかい?」

「私が兄さまを信じないはずがありません、なぜなら私は兄さまの妹だから」

「良い子ですよ、それでいい」

 

路地を通り抜けたハイエルの視線の先に人だかりが映る。

焼け落ちた町から逃げ延びた難民たちだ。

不安な表情の彼らはこれから移動を開始するのだろう。

希望である王都に向かって。そこが地獄になるとも知らずに。

 

ほくそ笑むと二人は難民達の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ニーアちゃん!ディー!」

 

叫ぶが二人からの反応はない。ぐったりと地面に倒れて動かない。

二人ともやられてしまった。

背後から急襲した卑怯な敵を睨みつける。

ビクリと肩を震わせるも正面から見据える。

その手には私の愛剣と同じ形状の剣が握られている。

ハルトが弾き飛ばしたニーアの剣だ。それを空中で掴み流れる様にニーアの背中を斬りつけたのだ。咄嗟の事で助けられなかった。

結果としてレプリカを二本も奪われてしまったのは痛恨の極みだ。

何より仲間を二人もやられてしまった。

今すぐにでもあの女を殺してやりたい。

だがそれはできない。むしろ私までやられる可能性の方が高い。

一番の障害である蒼い鎧の兵士が気を伺っている。

一瞬でも意識を反らせば首が飛ぶだろう。

もう選択肢は一つ逃げるしかない。

だけどこのままおめおめと私だけ逃げるなんて事が出来るわけがない。

一矢でも報いて見せる。

 

「炎よ渦巻け!!」

 

剣が呼応するように輝き出し。

言下に最大出力の蜷局を巻いた炎が現れる。

広場全体に熱波が広がる程のそれはかつてない程に強大だ。

ラインハルト達をのみこまんとする勢いである。

しかもまだ余力を見せているように見えた。

いったいどれ程の力を秘めているのかと驚愕する。

イムカはともかく生身の人間はひとたまりもないだろう。

絶体絶命のピンチに動いたのはリエラだった。

 

なんとラインハルト達の前に出たかと思うとおもむろに剣を構える。

 

「リエラ!?」

「ハルトさん私分かったんです。....ずっと不思議だった昔から自分が何なのか。でもようやくわかったんです彼女達を見て本能で理解した」

 

いきなり何を言っているのか分からなかったがラインハルトはそれを黙って聞いた。

リエラはこの戦いで何かを悟ったのだ。

そしてそれは恐らくこの場を生きて脱出する為に必要なキーである、とラインハルトは何故かそう思った。彼女の後姿が誰かに幻視して重なって見えたからだろう。

そうそれはまるで、

 

「私は——ヴァルキュリアなんだって」

 

その瞬間、蒼いオーラが彼女を中心に渦巻いた。

それは間違いなくヴァルキュリアの兆候である。

何度も見て来たからこそ見間違えるはずがない。

リエラはヴァルキュリアだった。

剣が反応するように輝き出す。そこでようやく気付く、これがヴァルキュリアの槍と盾を模して造られた模造品(レプリカ)であることに。

 

「そうかコレが彼女達の力を引き出していたのか」

 

敵の強大な力の秘密はこれか。

ならばこちらも利用できるはずだ。

恐らくリエラは今回が初のヴァルキュリア化であるはずだ。力に目覚めたのは恐らくセルベリアから受けた傷が原因だ。死に瀕して表面化していたのがヴァルキュリアの槍のレプリカである剣を握った事で完全に目覚めたのだろう。

 

だとすればチャンスは一回だけだ。

 

「リエラ.....落ち着いて剣を握れ。意識を集中させ剣に力を込めるイメージで。力に逆らわず意識を解放し、ただあるがままに力を流し剣を振れ」

「はい」

 

言われる通りにリエラは意識を集中する。

ラインハルトの言葉に疑問は持たなかった。

彼の言っている事が正しいと理解していたからだ。——そしてリエラは剣を振った。至極あっさりと振り切った。剣は空間を斬った。何も起こらないと思ったが違う。

文字通りズッと僅かに空間が別れたのだ。

不可視の斬撃である。

 

斬撃は頭上に渦巻いていた炎ごとアルテミスの剣を分断した。

何が起こったか分からなかったアルテミスは恐る恐る右手に握られた剣を見る。

凡そこの世の物とは思えない程に鋭利な切断面を残し半ばから剣が切り落とされていた。

それでリエラの正体をアルテミスも気付いた。

自らと同じ同族だという事に。

 

「次から次へと厄介っすね......!」

 

悪態を吐くがそれだけだ。どうしようもない。

剣を折られてしまった以上、力は半減する。

このままでは確実に負けるだろう。

どうしようもない程に追い込まれているのを感じる。

直ぐにでも敵は攻勢に転じるだろう。

考えろ考えろ考えろ。どうすればいい?

どうしたらハルト達を退かせることが出来る。

数秒の葛藤の末にアルテミスが考え出した結論は、全てのプライドを捨てる事だった。

 

「たすけて....みんな」

 

おもむろにアルテミスは剣を頭上に掲げる。残りの力を振り絞り火球を作り出した。しかしそれはラインハルト達に向けられたものではない。ぱしゅっと乾いた音が鳴り夜空に向かって放たれる火球が煌々と夜空を照らす。

それを見たラインハルトが叫んだ。

 

「全員この場から退け!」

 

あれが何なのか直ぐに察しがついた。

恐らくあれは照明弾だ。しかも仲間を呼び寄せる効果付きの。

この場に何人居るのか知らないが、きっとまだ何人ものヴァルキュリアが居るのだろう。

流石にそれら全員を相手にしている余裕はない。

敵が集まる前に撤退する。

幸いこの場から脱出するための条件は整った。

町の人々は既に脱出している。後は俺達だけだ。

 

「行くぞ今はここまでだ。だがいずれ決着はつける」

 

つけなければならない。

ガリア公国内で彼女達に勝てるのは俺達しかいないのだから。

....決戦は恐らくあの場所になるだろう。その時は俺自らが動く。

その決意と共にラインハルトは広場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後、広場にはヴァルキュリアが集結していた。

数にして十二人。駆けつけた彼女達は広場の惨状を見て驚いた。

三人の仲間の内二人が倒されていたのだから当然だ。

 

「救難信号見てまさかとは思ったけどニーアとディーがやられるなんてね」

 

信じられないと首を振る。

他にも思い思いの感情を露わにしていた。

とにかく直ぐに手当は行われた。が、状態は芳しくない。

ディーは利き腕を複雑骨折していたがまだいい。問題はニーアの方だ。背中を深々と斬られている。あと数ミリ深ければ即死していただろう。どちらにせよ直ぐにでも治療しなければ助からない。アルテミスが一人の女に縋りつく。

 

「お願いしますニーアちゃんを助けて下さい」

「へえ、あんたがお願いするとこなんて初めて見た」

 

女は意外なものを見る目で笑った。

こんな憔悴しているアルテミスを見るのは初めてだった。

それほどコテンパンにやられたのだろう。

 

「まあ私に任せなさい」

 

そう言った彼女はニーアの傷口に手を置いた。

ほのかに光があふれだす。

医療従事者なら分かる、それがラグナエイドの発光と酷似したものであることに。事実それは回復の兆しだった。みるみるうちに患部の傷口が治っていく。

数分後には完璧に処置が済んだ。ニーアは穏やかに眠っている。

 

「これでよしと」

「ありがとうございますイース」

「一命は取り留めたけど血を流し過ぎたわ体に血が戻るまでは目を覚まさないでしょうね安静にさせておきなさい」

「それじゃあ....」

「ええ作戦は無事に遂行されたわ、あんたの力の御蔭でね」

 

既に町は逆巻く炎によって壊滅した。

もう一部しかその存在があった事を証明する建造物は残っていない。

それも全てはアルテミスの力によるものだ。

 

「あんたが町の破壊に力を使っていたから短時間で作戦遂行が出来た」

「でも私は敵のヴァルキュリアや人間に負けました」

「何言ってんのよ勝ちでしょこれはあんたの」

 

イースと呼ばれた女はだから笑いなさいよと言って笑った。

 

「いつもみたいに自信満々に勝ち誇りなさいそれがあんたでしょ?」

「......そっすね」

 

無理やりにでもいい、笑う。

いい仲間に恵まれたものだとそう思った。

 

「それより敵にもヴァルキュリアが居ると分かった以上、隊長の命令もある。直ぐにこの場所から撤退するぞ」

「ヤンのおじさんはヴァルキュリアが居たら戦わずに後退しろって言ってたよね」

「私達もヴァルキュリアなんだから大丈夫なのにね」

 

笑い合う少女の横に立つ長身の女が首を振る。

 

「いや.....今回の事でよく分かった。どうやら私達は少し慢心していたようだ。隊長が厳命したのはそれを見抜いていたからだろう。やはりあの男指揮者としては正しい....か」

「そうね私達も反省しないと。仲間を二人も失う所だったわ」

「えー」

「ブーブー!」

 

不満そうな少女達をよそに頷き合うお姉さん組。

自分達の力が絶対のものではないと理解したのだ。

戦闘経験の足りなさが如実に表れた。今後はそこを踏まえて動くべきだろう。

アルテミスもまたそう思う。イースは勝ちだと言ってくれたがやはり自分にとっては負けに等しい。きっとあの人たちとはまた戦う事になるだろう。その時に必ずリベンジを果たす。

 

「決戦は....王都」

 

 

 

 



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二十一話

この世には持つ者と持たざる者の二通りの人間がいる。

誰もが知っている、それはこの世界で最も不変な真実だ。

それは貴族という名でこの帝国にも存在する。持つ者として。

 

しかしそんな貴族の中にも二通りの人間がいた。

持っているのに奪う者と持っていたのに奪われた者だ。

貴族は貴族からも奪いながら常に政争を繰り広げている。

その中にヤン・クロードベルトはいた。

俺は持っていたのに奪われちまった側だ。

正確には俺ではなく当主である親父がだが。同じ事だろうよ。

どんな意図があったにせよ三大貴族であるブラウンシュバイク候に立てつこうなんぞ馬鹿な事をするからこうなる。おかげで家は取り潰し一族郎党は食うに困った。

どんな薄汚い事でもやった。殺しに誘拐あらゆる悪事に手を染めた。

そうするしか生き残る道がなかったからな。

その過程で闘技場の優秀な奴隷共を手駒に加えられたり悪い事ばかりじゃあなかった。

まあそいつらも全員あの魔女に殺されちまったんだが。

だが神は俺を見捨てなかった。

新たなる手駒を俺に与えてくれた。あの魔女と同じ化け物共を。

 

ようやくだ、ようやく俺は怨嗟の中で死んでいった一族の悲願を叶えられる。

奪われたクロードベルトの家名と領地を取り戻すのだ。

その為には功績を立てなければならない。

今回の都市襲撃案もその一環だった。

これで敵前線は後方と分断された。

あとはいかようにも料理できる。

一気に片を付けるか。あるいは少しずつなぶり殺しにするか選ぶだけだ。

 

これで俺の昇進は間違いないな。

そう思っての独断専行だった。どうやらこれがまずかったようだ。

本陣に呼び出された俺は意気揚々と向かったはいいが、出迎えたのは男どもの厳しい視線の数々だった。いや一人だけ女がいた。

この軍の指揮官だ。確か名はジェシカと言ったか。

まだ若いこの年で一軍を担うとは大したものだ。さぞかし指揮官としての才能があるのだろう。

もしくはその体で誑し込んだか。

 

「それで俺を呼び出したのは何の用だ?」

「貴様っその口の聞き方は無礼だろう!」

「構いません——単刀直入に聞きましょう。なぜあの部隊を動かしたのですか?待機命令を出していたはずですが」

「おかしなことを言うお嬢さんだ戦争を有利に進める為じゃないか」

「いいえ分かりません。....なぜ私の命令を無視したのですか」

 

それが理由か。命令無視、確かに俺は今回の作戦を独断で行った。

だがそれはそうせざるをえなかったからだ。ヤンはやれやれと首を振る。

 

「ならその質問に答える前に聞きたい。お前さんが俺達に与えた命令は待機、ただそれだけだった。その理由はなんだ?」

「.....部隊の温存を行っただけです。あなた方の力はこの先の戦いに必要ですから」

至極もっともな言い分だ。

だがヤンはそれを否定した。

「違うね。あんたは俺の部隊を使う気がない、この先もずっと。.....違うか?」

それに対してジェシカは目を細める。続けてヤンは言う。

「大体は俺も部隊についての事情を知っている。おおかた、あの部隊が傷つくのを恐れたんだろう。.....同郷だもんなぁ?お前さんの」

「.....っ」

 

微弱な表情の変化をヤンは感じ取った。

やはりだ。この女は仲間が傷つくのを恐れている。

それはこの女の戦い方からも分かる。

堅実なのだ。この女の戦争は。

時間をかけてゆっくりと攻め立てている。

まるでお互いが傷つくのを恐れるかのように。まさかと思っていたがこれで納得がいった。

この女は戦争そのものを嫌っている。

 

「何でお前さんの様な人間が軍の指揮官をやっているのか知らないが、これだけは忠告しておいてやる。あんたのやり方じゃこの戦争には勝てないぜ絶対にな」

「......何ですって?」

 

強い視線にさらされながらもヤンは皮肉った様に笑う。

 

「だってそうだろ?この戦争を終わらせるなら俺達を使うのが一番の早道だと分かっているはずだ。なのにそれをしない......あんたは恐れているんだ仲間が死ぬのを。そして相手を殺す事を」

「っ黙りなさい!もう十分です。......ヤン・クロードベルト、貴方を軍規違反の罪で拘束します」

 

兵士に囲まれたヤンは大人しく拘束を受ける。

拒むつもりはない。なぜなら分かっているからだ。

この戦争は俺達がいなければ勝てない。

いづれ俺達に機会は与えられるだろう。この女が望むまいが。

 

それはきっと遠くない未来だ。

 

 

 



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番外編 聖夜の贈り物

帝都の街並みをしんしんと降り積もる雪が覆っている。

すっかり冬景色となった24日のクリスマスイブ。

それはヨーロッパ世界において一年で最も大切な祭日。

町は大きな賑わいを見せる。露店には多くのクリスマスマーケットが軒を連ね、多くの人々が飾りつけやプレゼントを買いに訪れている。どこか慌ただしい様子なのは買い付けの出来る最後の日だからだ。25日からは全ての商店が閉じられるので、買い付けを忘れた者がプレゼントを買いに走る光景は街の風物詩だ。

ならば大通りのいたる所で人々がその土地名産のグリューワインを飲みかわし顔を赤くさせている光景もまた名物の光景と言って良いのだろう。

 

戦乱が続いた帝国がやっと落ち着きを取り戻したのだ。

安心してこの日を迎える事が出来て皆が喜びに満ちていた。

 

《皇帝の死去が発端となって始まった帝国の内乱》

 

第一皇太子と第二皇子が皇位を巡って争われた権力闘争は、一部の大貴族と将軍派が第一皇太子に付いた事で、渦巻く戦火は拡大し、後に≪血潮の時代≫と呼ばれる程の大戦となった。

第一皇太子フランツ軍900万を相手に、第二皇子ラインハルトはたった100万の軍勢で戦いを挑み。この不利な状況でラインハルトは奇跡的な勝利をおさめることになる。多くの将校がその命を代償に変えて。彼は数多の苦難を乗り越えたのだ。

 

来年からいよいよラインハルトが皇帝の御世となる時代だ。

それを祝う意味も兼ねていた。

 

飾り付けられた大通りを三人の男女が歩いている。

一人はサングラスをかけた金髪の男。

一人は銀髪に赤い瞳の美女。

一人は腰まで伸びる紺色の髪を幾何学文様のストールで縛った女。

 

言うまでもなく変装したラインハルトとセルベリアにイムカだ。

この男、もはや一国と各属州国の帝となるくせに未だ少数で外に出る癖が治っていないようだ。今日だけは特別と云う事で二人に許しを得て外出しているのだが。楽し気に辺りを見渡すあたり警戒心がなさすぎる。見るもの全てが新鮮とでも云うようなラインハルトの様子に、セルベリアとイムカは笑みを浮かべている。

 

「殿下。あまり私達の目から離れないでください、危険ですので」

「うん.....ハルトは集中すると周りが見えなくなる傾向があるから心配」

 

二人の言葉にラインハルトは子供のようにムッとなり振り返る。

 

「俺は迷子になる子供か。ちゃんとわきまえているさ」

 

心外だとでも言いたげなラインハルトだがその手にはマーケットの商品が携えられている。

それを見てきまり悪げにすると棚に戻した。露店のおっちゃんが残念がる。

何事もなかった様に道を歩くラインハルト。

まだクスクスする二人を見て、何だかロマンがないなあ、と思いながら話を切り替えようと話題を考える。キラキラと輝く街並みを何気なく見ていると、一つ一つの輝きが記憶の残滓のようで、今までの事が脳裏をよぎる。しみじみとラインハルトは言った。

 

「思い返せば思い返すほどあの戦いに勝てたのが不思議なほどだ、お前達には感謝せねばならないな。皆の尽力がなければ俺はここに立ってはいまい」

「何を言っているのですか、逆でしょう。殿下が居なければこの戦いに勝利はありえなかった。常に我々を引っ張ってくれたのは貴方です」

「ハルトが立たなければきっと帝国は割れていた、フランツ皇太子が病気で亡くなり、求心的存在を失った貴族派と将軍派の泥沼の戦いになっていた。たぶん帝国は崩壊していたと思う」

「俺がやった事は繋ぎ止めただけに過ぎない、それも不十分で内乱によって属国が連邦に鞍替えしなかったのはセルベリアのおかげでヒルダ公国が動いてくれたからだ。あれがなければ分裂を止める事は出来なかっただろう......そういえば元首エリザが是非セルベリアを国に招待したいと言っていたぞ、国賓級で招きたいそうだ」

「それは.....あの方には悪いのですが辞退させていただきます。ヒルダに行ったらそのまま帰れないような気がするので」

 

慕ってくれるのは嬉しいが、あの方の情念は些か強すぎる。

恐らくセルベリアが頼めば帝国に反旗を翻す事も容易だろう程度には、お姉さまと心酔されていた。国家元首としてそれでいいのか、と思わずにはいられない。

 

「イムカにも感謝している。ニュルンベルクが陥落した時、エムリナとニサを守ってくれていたからこそダルクス人の自治都市が実現した。彼女が死んでいれば確認できている真のダルクス王家の末裔の血が途絶えていただろう」

「私はただ敵を倒していただけ、ダハウ達カラミティ・レーベンが二人を死守した、そしてエムリナ自身が戦ってくれたから......耐える事が出来た。あれがなければみんな死んでいた」

 

完全に敵軍に包囲されていたニュルンベルクで救援が来るまで三日三晩戦えたのはダルクス人部隊カラミティ・レーベンとラインハルト親衛隊を名乗る、彼を信奉する武装民兵が蜂起して一緒に戦ってくれたおかげだ。絶望的な状況でも一丸となって戦えたからこそニュルンベルクを守り切れたのだから。

 

「多くの苦難を乗り越えて俺は皇帝になる道を選んだ。死んだ兄上に託された時から想いは変わらない。国内をおさめたら次は連邦に攻め入る。首都を陥落し降伏させ講和を結ぶ。交渉の仲介は中立国ガリアに頼む事となるだろう」

 

300万の軍を動員予定だ。先の戦争で負った傷を回復させる暇は与えない。

来年には連邦攻めを行う用意は整えている。必ずや勝利をおさめなければならない。たとえどれほどの犠牲を出す事になろうとも後に訪れる平和を実現させるためには必要な事だ。犠牲を出す覚悟はとうに出来ている。

 

―――だが。

 

「連邦が窮地に陥れば必ずや奴らが出て来るだろう」

「もしやそれは」

「合衆国だ、同盟国の危機に必ず彼の軍は来る。奴らは危険だ。何としても合衆国が動く前に連邦を講和の席に着かせなければならない」

「それほどに危険?」

「うむ、聞き及んだ情報では研究機関の人間が亡命したとの話もある。事実確認を調査しているが本当なら不味い事になる。時間を稼ぐためにも東の隣国の皇国との同盟を締結する。彼の国を援助し太平洋上で行われている戦争を勝たせる事ができれば合衆国も動けまい。これからは時間との勝負となるだろう」

「御安心ください必ずや勝利を我が君に」

「きっと次の戦いもハルトなら勝てる」

 

いつの間にか話が軍関係に染まっていた事に気づいた。それも大切だが今だけは.....。

三人は広場に来ていた。中央には聳える大きなクリスマスツリーが。

その周囲には恋人たちがたむろっている。

そう、今だけは恋人となった二人との時間を共有したい。

 

ほうっと飾り立てられたツリーに目を奪われている二人を見て、ラインハルトは覚悟を決める。

懐に忍ばせていた物を取り出す。

 

「本当ならもっと早く渡したかったんだが、これを二人に贈らせてほしい」

 

取り出したのはエンゲージリング。キラリと輝く二つの指輪を見て二人が息を吞む。

それを女性に贈る意味は一つしかない。

 

「今はまだ戦争中だから無理だが、戦争が終わって平和になったら改めてちゃんと贈らせてもらうつもりだ。その時は......結婚しよう」

 

静寂が流れる。

二人から何の反応もないので不安になって来た。

もしや間違えたか、と思って顔を上げて見たら。

なんと二人して涙をポロポロと流して泣いているではないか。

慌てたラインハルトがどうしたと聞く前に。勢いよく抱き付かれた。

 

「......こんなに幸せで良いのでしょうか、私は多くの者の血でこの手を汚して来たのに、そんな私が許されるのでしょうか」

「その手は俺の為に汚してくれたものだろう。ならば責められるべきは俺だ。そんな俺でもいいか?」

「無論です!貴方の為なら死すら惜しくない!」

 

ギュッとイムカが服を握る。

 

「見てハルトこんなに固い手だよ?戦いばかりで少しも女らしくなんてない体だよ?」

「俺の為に戦ってくれた手だ、お前は魅力的だよイムカ。抱きしめさせてくれ」

 

空いた手に飛び込むイムカ。女性としての柔らかさを感じさせるその体を強く抱きしめた。

いつまでも三人は重なっていた。

気づけば日を跨ぎ聖夜の鐘が鳴る。

 

その音は三人を祝福するようでも、行く末を憂うようでもあった。

 

平和な時代は、まだ遠い......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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番外編 ハッピークリスマス

作者から今年最後の投稿をプレゼントです。


24日の夕刻から始まるクリスマスイブも終わり夜中になる。

良い子はぐっすりと夢の中、目覚めるその時を楽しみに表情を綻ばせて眠りにつく。

なぜなら次に目が覚めると目の前には.....。

 

「わあ!プレゼントだー!ありがとございますサンター!」

 

枕もとの長靴下に入れられているプレゼントを見て、ニサはぴょんぴょんと喜びを全身で表した。

そう、胸に期待を膨らませて眠るのは次の日、

サンタクロースがプレゼントを運んで持ってきてくれるからだ。

 

帝国、いやヨーロッパ中の子供達が歓喜する朝だった。

どうやら世界中を飛び回り、忙しいはずのサンタクロースのおじさんは、ちゃんとニサにもプレゼントを用意してくれていたようだ。

流石はサンタ、働く聖人君主である。

しかし煙突が一つもなく、何百人といる衛兵に守られているはずの帝都の主城にどうやって忍び込んだのだろうか、まったくもって不思議である。世の中には時にそういう事があるのだ。

 

「.......フッ」

 

そこに、どこからともなく現れるラインハルト。

娘のように可愛がる少女が喜ぶ姿を見に来たのだろう。

ニサが帝都に居るのは単純で遊びに来たからだ。しかも一人で。勿論、少女を引率する護衛はいる。つまり世界唯一のダルクス系自治都市ニュルンベルクで市政の勉強に励んでいる母親を置いてきたという意味だ。母親の心配をよそに突然やって来た少女をラインハルトは喜んで迎え入れた。

なぜ来たのか理由を問うと、ニサ曰く「おとーさんの所に居た方がサンターが良い物をくれる気がしたからー」だった。

 

 

なるほど、確かに躾の厳しい母親の所でサンタに貰えるプレゼントよりも、ニサに甘いらしいラインハルトの所に来た方が、貰えるプレゼントはよりニサ好みの物になり、かつグレードも上なのは確実だ。それを本能で感じ取ったのだ末恐ろしい少女である。

直々に護衛を行っているダハウの苦労が浮かばれる。

だがそんな事は知らぬとばかりにラインハルトも一緒になって楽しんでいた。

何かなー、何だろうなと児女と共にはしゃいでいる男の姿は次期皇帝とは思えない。

 

ラッピングのリボンをしゅるりと外し、口の開いたプレゼントの包みから中身を取り出す。

露わになったソレを見てニサの目が輝く。

 

「すごい!ニサが欲しかった奴だ!」

「......そうか、あっていたか」

 

ニサの喜びようを見てなぜかラインハルトがほっとする。

まるで直前まで本当にこれで良かったのか心配していた本音が漏れたようであった。が、気のせいだろう。プレゼントをくれたのはサンタクロースなのだから。きっとセルベリアとイムカの三人で帰りのマーケットを物色してあれでもない、これでもないと何かを探すようにしていた、なんて裏事情はなかったはずだ。

 

――それにしても。

 

「本当にそれで良かったのか?」

 

少女自身の口から聞いてもまだ納得しかねると云った顔で、ラインハルトは聞いた。

自分で買っておいて何だが、どう贔屓目に見ても、それが少女の喜ぶ物だとは思えないからだ。

なぜならニサが箱から取り出したのは小ぶりの剣だから。

刃を潰してあるレプリカだが、ちゃんとした細工の施された子供用のそれは、貴族の子弟が剣術を学ぶ場合に使用される事がある。

それが、ニサの望んだ物だった。少女らしからぬ物を欲しがりラインハルトの方が戸惑っている。

 

「うん!おかーさん達みたく強くなるの!えいってやって悪い人をビューンってやっつけるの!」

 

えいえいと剣を突き出しながら誰かの真似をする。

この場合で言うおかーさん達と言うのはセルベリアとイムカの事だろう。いや、あるいは言葉通りエムリナの事だろうか。報告では覚醒した彼女の姿を間近で見ていたとあったが。

なるほどな、戦う彼女達の姿を見て憧れを持ったのだろう。それで自分も剣を持ちたがったのだ。

 

剣と云う事はやはりセルベリアの剣技を目指しているのだろうか。剣を使うのは彼女しかいないから恐らくそうだろう。もしかするとセルベリアに師事してもらいたいと言うかもしれない。彼女に憧れて弟子入りを頼む者は少なくないのだ。彼女自身は弟子に興味ないのか悉く断っているらしいが。妹の様に可愛がっているニサの頼みとなれば話は違うかもしれないな。

 

――と思っていると。

 

「だからおとーさん、私に戦い方をおしえてくれませんか?」

 

無邪気に喜んでいた先程とは違い真剣な目でニサは言う。

思い違いをしていた事に気づく。どうやらニサが剣を教えてもらいたいのは剣の極地を知るセルベリアではなく俺であったらしい。

 

「俺に?......こう言っては何だがリアの方が俺の何十倍も強いぞ」

「んーん、おそわるなら絶対におとーさんが良い!」

「よわったな、何でまた俺なんだ」

 

正直そんな時間は取れないと云うのが本音だ。皇帝になる上で法律に関する勉強など政策の法案作り、貴族に対する根回しなどやる事が多すぎる。今まで怠けていた訳ではないがやはり皇帝になる者にしか教えられない事などが多々あったりするのだ。それを片っ端から吸収して来年の正式な戴冠に間に合わせなければならない。他に費やす時間なんて無いのである。

だから無論――

 

「おとーさんに助けられたあの日を覚えているよ、あの時から私にとっての憧れはおとーさんだけになったの。だからおとーさんに教えてもらいたいな.....ダメですか?」

「――構わないさ」

 

時間なんていくらでも作れる。なに、少しばかり睡眠時間を削れば問題ないだろう。三時間ぐらいしか寝る事が出来ない事になるが関係ないな。未来の幹部候補を育てる事も皇帝として重要な課題だ。いや、ニサを兵士にするなんて言語道断だしするつもりはこれっぽっちもないのだが。

少女の強くなりたいという意思は尊重すべきだ。かつては俺もそれを望んだ事があるのだから。

 

「やったー!おとうさんに教えてもらえる!.....強くなれるかなおとうさんみたいに」

「なれるさ、俺なんかよりずっと強くなれる。なにせお前には――ダルクス王家と古代民族ヴァキュリアの血が流れているのだから」

 

それが発覚したのは最近の事だ。俺の留守を狙って行われた第一次ニュルンベルク攻防戦の最中、フランツ軍によって制圧間際まで攻め込まれたニュルンベルク城で起きた彼の事件≪血の三日間≫

そこで初めて彼女のヴァルキュリアとしての覚醒が観測される事になる。専属侍女として働いていた事と俺の私室で保管していた槍と盾を敵に奪われてはならない、と持ち出して守った彼女の使命感が奇跡の様に重なって起きたそれは侵入して来た敵に撃たれた事で繋がった。――ヴァルキュリアに変貌した彼女は、急行したダハウ達と共に市街戦で激戦を繰り広げていたイムカと合流し民兵と力を合わせて都市を守り切ったのである。

 

同時にエムリナ達が王家傍流の血を引いている事も発覚した。

ダルクス人でありながらヴァルキュリア人の血を引いていた事、それこそがエムリナに王家の血が流れている可能性を示す由縁でもあった。

これは調査途中だが――遥か昔、古代ヴァルキュリア人がダルクス人の国を滅ぼした時、民族支配の為に王家の一部を古代ヴァルキュリア人は血族として迎え入れる事で、潤滑にダルクス人を隷属させることに成功させたのではないかと考えられている。古代ヴァルキュリア人が滅んだ事で混血の一族も滅んだと思われていた。だがセルベリアたち古代ヴァルキュリア人の子孫が生き残っていたように、混血の一族も完全には滅んではいなかった。

その一族の生き残りの1人がエムリナと云う訳だ。

 

その血は何世代にも渡って薄まったとはいえ、連綿と受け継がれて来た遺伝子は確かにこの小さな少女の体に秘められている。戦神の血を引いているのだ戦いの才能がないとは思えない。

将来が楽しみだ。

娘の成長を夢想する父親の様な考えに浸っていた。

 

その時、母娘に隠された衝撃の新事実を軽くぶっ飛ばす程の事を当のニサが言った。

ラインハルトの言葉を聞いて嬉しそうにしながら。

 

「みんなを守れるくらい強くなるんだ!そしたら―――生まれてくる赤ちゃんも私が守るから安心してねおとうさん!」

「そうか、そうか。ニサが守ってくれるならあんし........赤ちゃん?」

 

待て、何のことだ。生まれてくる赤ちゃんとは何だ。

そこいらで赤ん坊が自然と生まれてくる、なんて事はなかったはずだが。

前の時ならいざ知らず、この時代に置いて赤子が生まれるという意味は、人間の母親が居ると云う事だ。しかもそれは顔も知らない母体というだけの認識ではなく、生んだ子供を育てる肉親が存在するはずだ。愛情を与えてくれる母という存在の認識が希薄な俺にとって、そもそも家族というのがあまり実感の湧かない存在だ。今は亡き伯母上と兄上ぐらいだろうか。近しい感情を覚えたのは。―――それよりもニサの言葉だ。その言い方ではまるで.....。

いや、そんなはずはないと思いながら、無理に笑い声を上げる。

 

「ははは!そうか赤ん坊が生まれるのか、いったい誰と誰のだ?」

「ほえ?」

「――え?」

 

不思議そうにするニサ、とラインハルト。

二人して首を傾げている。何か認識の違いがあるのは明白である。

......まさか。

あえて無視していた予想が現実味を帯びてきて、焦燥感にも似たものを覚えだす。

何だか緊張してきた。

そんなラインハルトを無視してニサはあっけらかんと言い放った。

 

「おとーさんとリアおねーちゃんの赤ちゃんだよ」

 

かつて『おとーさん』呼びで周囲を騒然とさせたニサの爆弾発言がさらなる進化を遂げて降りかかったのだ。その言葉に込められた破壊力は凄まじく。しばらくの間ラインハルトは放心していた。これが戦場なら秒殺だったろう。ハッと我に戻る。忘我の彼方から帰って来た。

 

「その話は本当なのか?」

「ほんとうだよだって直接きいたもん!おっきいお部屋でメイドのおねーちゃんとお話してたよ」

「何と言っていた?」

「えっとぅ、メイドのおねーちゃんが体調はどうですか?って聞いてて、リアおねーちゃんがやっぱり最近おかしい、前から吐き気はあったが、とうとう悪阻まで覚え始めた。本当に赤ちゃんが出来たかもしれないって!メイドのおねーちゃんもそれから何度か質問した後におめでとうございますって言ってたよ、ニサはその時、かくれんぼしてたらから気づかれなかったけど」

「......エリーシャが認めたなら可能性は高いと云う事か。」

 

一気に真実感が増した。妊娠したか確認するメディカルチェックをした後に彼女が認めたと云う事は、そういう事なのだろう。セルベリアが――俺の子を妊娠している。

その事実を知ったラインハルトに去来した感情は複雑に尽くしがたいものであった。

勿論、真っ先に来た素の感情は喜びであった。戸惑いと今まで感じた事のない温かい何かが胸をじんわりとさせて、たまらない思いにさせる。これが子の親になる気持ちか。

ひとしきり感動を噛みしめていると、頭の中の冷静な部分が水を差す。

 

――おい、計画はどうするんだよ?

 

「!?――しまった!来年の侵攻計画が!」

 

依然として強大な力を持つセルベリアの存在は今後の計画でも必要不可欠。

だが妊娠しているとなれば戦場に出す訳にはいかなくなるのは自明の理。

計画の中核に据えている以上、計画案を見直す必要がある!

ぬかったわ、誤ってそうならないよう、これまで慎重に慎重を重ねてきたというのに。

 

「避妊具を開発させてまで避けていたのだが、逆にそれが隙となったか。この時代の避妊具が完璧であるはずがない事を失念していた俺の過ちだな。.......子を為すのは平和な時代が訪れてからと考えていたのだが......」

 

まるで同級生を孕ませてしまった十代の若者のような、やっちまったあ、という感じの顔で項垂れる。これで戦争に負けたらシャレにならんぞ。

 

どうしたものかと頭を悩ませていると。

 

「もうおとーさん嬉しくないの!赤ちゃんだよ?」

「い、いや嬉しいぞ。だが今は重大な案件が――」

「――赤ちゃんより大事な事なんてないよ!もっと喜ぼうよ!」

 

なにかニサの気に障る事をしてしまったのか、プクリと頬を膨らませて、怒られた。

愛らしくも御立腹な彼女にたじたじとなる。

こうなったらもうラインハルトに勝ち目はない。大人しく降伏を選ぶのみである。

 

「そうだな、まずは喜び。それから考えるとしよう。それに、まさかあいつ.....」

 

ひとまず侵攻計画は横に置いておくとしても、気になる事が一つある。

まだセルベリア本人からその話を聞いていない事だ。告白するタイミングを見計らっているのか、あえて隠しているのか、恐らく後者だろう。その理由は一つしかない、戦争に行く気なのだ。子を宿したとなれば計画の妨げになると考え、何事もないかのように振る舞っている。そうとしか考えられない――そういう女だ。

俺の邪魔になる事を死ぬほど嫌うからな。

 

――仕方のない。

 

「リアの所に行ってくる、労いの言葉をかけにな。それから少しお説教だ」

 

そうは言うが顔には隠しきれない笑みを浮かべて。母親の務めを果たせ――と言いに向かうラインハルトの背中を見送ったニサは満面の笑みでこう言った。

 

「ハッピークリスマス!おとーさん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今年最後の投稿、作中の伏線を解放した番外編、楽しんでいただけたなら幸いです。


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