超速閃空コスモソード (オリーブドラブ)
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第1話 ラオフェン・ドラッフェの伝説

 遥か昔、惑星アースグランド――当時は「地球」と呼称されていた――では、大規模な大戦があった。

 

 蒼く広大な星を二つに隔てた陣営の片方は、圧倒的な物量で攻め入る相手に対抗すべく、優秀なパイロットを積極的に投入した。

 

 本来あるべき休みもなく、戦いのみに生きることを強いられた彼らは、パイロットという「人」の枠を超える成長を余儀無くされ――「エースパイロット」と呼ばれる「超人」と化していく。

 

 そうして戦い抜いた先が敗戦であっても、彼らはその瞬間まで戦うことを辞めなかった。折れることすら許さない時代が、彼らをその境地へ追いやったのだ。

 

 資源も戦力も豊かな勢力は、兵に無理はさせない。ゆえに、エースパイロットなどという、「(イビツ)」な存在も生まれない。

 

 ――エースパイロットがいない時代こそ、人々が待ち望む平和な世界なのだ。

 

 ◇

 

 星々なのか、爆発なのか。神秘の光か、命の灯火か。

 遠目に見ては判別できない、この空間を裂くように――二つの閃光が宇宙を翔ける。

 

『ラオフェン! さっさとコイツを引き剥がせ!』

「わかってるよ、慌てるな」

 

 青い黒鉄に固められた機械仕掛けの鳥。その中に住まう主が、怒号を上げる。その前方を翔んでいた赤い鋼鉄の鳥が、宥めるように緩やかに速度を落とし――後方に回る。

 青い鳥にしがみ付く、醜悪な怪物。四本の羽と八本もの脚と六つの眼、二本の鎌を持つその「敵」は――主を狙うように鳥の上を歩いていた。

 

 だが、彼らの願いが叶うことはない。

 赤い鳥から放たれる青白い閃光に切り裂かれ、怪物達は体液を撒き散らして離れていく。その様を見届けた青い鳥の主は、胸を撫で下ろしつつ――視線で並走する赤い鳥を射抜いた。

 

『……礼は言うがな。もう少し早く処理してくれねぇか、心臓に悪くて敵わん』

「セドリック。気持ちはわかるが、それならせめて真っ直ぐ翔んでくれ。振り払いたいのもわかるけど、あっちこっちにフラフラされたら当たるものも当たらない」

『わぁったよ。次はもうちょっと、お前の腕を当てにしてやらぁ』

「次なんてごめんだけどな、オレは。お前もだろ?」

『違いねぇ』

 

 愚痴る青い鳥のぶっきらぼうな声色に、赤い鳥は苦笑いを浮かべる。その二つの閃光の目に――巨大な影が映り込んだ。

 広大なヒレを広げ、悠々と暗黒の海を漂う鋼鉄の鯨。そう呼んで差し支えないシルエットが、鳥達の姿を覆い尽くす。

 

 ――宇宙戦艦、とも呼ばれるそれは。鳥達を招き入れるように、後部の扉を開く。その意図を汲むように、機械仕掛けの鳥達はその先へと吸い込まれて行った。

 

 ◇

 

「ラオフェン・ドラッフェ大尉。我が艦隊の護衛を成し遂げてくれたこと、誠に感謝する。――貴君には最後まで助けられてばかりだ」

「いえ、そういう任務ですから。……他の部隊も、無事に離脱できましたか?」

「ああ。貴君らの働きが功を奏し、皆無事に戦域を離脱している。……あとは、奴らの『ラスト・コア』を討つのみだ」

 

 星屑の海を一望する艦橋。その中で艦長の座に腰を下ろす妙齢の女性が、傍らに立つ少年に賛辞を送る。

 藍色の艶やかな長髪を纏め上げ、凛々しくも猛々しい翡翠色の眼差しを持つ色白の美女。彼女の目に映る、十六歳前後といった容貌の黒髪の少年は、これから「死地」に赴く戦士とは思えないほどに落ち着いた物腰で、宇宙の彼方を見つめていた。

 

 ――この空の中に漂う船は、彼らを載せるこの一隻のみ。他の艦隊は皆、傷つき戦う力を失い、この戦場から退いていた。

 

「『UI』……ユナイト・インベーダー。五十年以上に渡り、我々人類を脅かしてきた侵略者達との戦いが、今日をもって幕を下ろす。……その歴史的瞬間に立ち会えるとは、私も果報者だ」

「息を吐くようにハードル上げるの、やめてくれません? 次の出撃であっさり落とされたら、笑えないじゃないですか」

「君がそんなつまらない死に方をするとは、私は思わないよ」

 

 この艦に身を置いている戦士達は全員、人類を脅かす外宇宙の侵略者を討つべく、決死の覚悟で志願してきた猛者ばかりだ。

 各々の配置につき、己の任務に忠実に従う彼らは――畏敬の念を込め、少年の表情を一瞥している。

 

「次の出撃が、正真正銘、最後の戦いになる。……君がこの宇宙に勝利を刻んでくれた暁には、我々で出来る限りの望みを叶えたい」

「――オレが望むものは、皆の笑顔。それだけですよ。パイロットとして戦うことになった日から、それはずっと変わらない」

「ラオフェン大尉……」

 

 少年の言葉に含まれたニュアンスが、艦長の顔色を曇らせる。彼の云う「人類の平和」は――守るべき人々の手で、乱されていた。

 

 ◇

 

 ――球状の巨大な「核」をコロニーとし、無限に増殖して人類を襲う宇宙生物「ユナイト・インベーダー」、通称「UI(ユー・アイ)」。何千万という尖兵に守られた「核」が一つの星に近づくだけで、その星の人々は残らず尖兵達の食料になると言われていた。

 

 人類は大軍を率いてこれを迎え撃つが、無尽蔵に発生する尖兵達との戦いに疲弊し、五十年の時の中で徐々に追い詰められていた。

 

 ――前方からの攻撃に対し、絶対的な防御力を持つ装甲を備えた尖兵は、宇宙艦隊の巨大レーザー砲の掃射から「核」を守り。非戦時は全員で「核」に張り付き、装甲の繭で超長距離からの狙撃を防ぐ。

 大艦隊の陽動で尖兵をおびき寄せ、「核」から離れた瞬間を狙い撃つ――という作戦も打たれたが、「核」を破壊できる狙撃レーザー砲自体が一発ごとに莫大な予算を失う上、大艦隊と同時に運用するとなれば大赤字を免れない。

 そういった理由から、軍の上層部がその作戦を決行することは稀であった。現場にいない高官達は、UIの脅威を正確には理解していないのだ。

 

 ――だが、陽動作戦がUI駆逐の主戦術とならなかったのは、単に予算だけが原因というわけではない。

 

 このUIとの戦争で真価を発揮した高速宇宙戦闘機「コスモソード」の登場が、運命を変えたのだ。

 

 尖兵達の反応速度を超える速さで宇宙生物の大群を掻い潜り、脆弱な「核」に接近し、直接討つ。何千万という宇宙生物の妨害の只中を、速さだけを武器に突っ切る――という半ば特攻のような作戦。

 それを、艦長の隣に立つ少年――ラオフェン・ドラッフェが、実現してしまったのである。パイロットの生還率は絶望的であるものの、陽動作戦からのレーザー狙撃に比べれば遥かに安価。金にがめつい上層部が食いつかないはずがなかった。

 

 さらに宇宙生物達が反応する前に背後に回れば、尖兵達の弱点である背中を撃つこともできる。「コスモソード」にしか出来ない強襲作戦は瞬く間に広まり、戦場を席巻するに至った。

 

 ――が。それが実を結ぶケースはほんの一握り。大半のパイロットは生還はおろか「核」に辿り着くことさえ叶わず、激突の恐れから減速したところを尖兵に囚われ、その牙の餌食となった。

 より多くの兵を生かすために身を粉にしたラオフェンが編み出した、コスモソードの戦法が――より多くの兵を殺す事態を、招いたのである。捨て身の突撃で幾百もの「核」を撃ち抜き、人類に希望を灯したラオフェンの実績を「ダシ」にした高官達によって。

 

 それでもラオフェンはコスモソードを駆るパイロットの筆頭格として、各星系を転戦。UIを追い詰め、とうとうUI最後の砦「ラスト・コア」との決戦を控えるに至ったのだ。

 半世紀に渡る無益な戦いに、ようやく終わりが近づいている。

 

 ――にも拘らず、その表情に明るさがないのは。高官達が自分達の後ろで繰り広げている「内紛」が理由だった。

 

 超人的な操縦センスを持つラオフェンの奮戦により、人類の領域は九分九厘奪還された。それにより「戦争の終わり」が見えてきたことで、高官達による戦後の地位を巡る権力争いが起きているのだ。

 

 人類を守る矛であるはずのコスモソードは、前線で戦うラオフェン達の後ろで、模擬戦という名の代理戦争によってパイロット共々消耗されている。その「コスモソードによる模擬戦」で威光を示し、勢力を伸ばしている官僚や将官は、当然ながら戦争の立役者であるラオフェンにも目を付けていた。

 

 終戦を迎え次第、自らの傘下に加えようと企む者。単なるエースパイロットには到底収まらない功績と名声を持つ彼を危惧し、暗殺しようと画策する者。安全地帯で甘い汁を吸う彼らは、揃って自分の利益のみを追求していた。

 

 元は現地徴用兵であり、職業軍人ですらないラオフェンは、それでも人類の平和のため、人々の笑顔のためにもと戦ってきた。だが、その先に待っているものが醜い権力争いだと思えば――暗くなるのも、無理はない。

 

 ◇

 

「……総司令官も、軍や政府の腐敗には悩んでおられる。上層部の力を持ってしても、この流れを押し留めることは叶わぬ……と」

「ええ。……わかっています」

 

 艦長――ゼノヴィア・コルトーゼ将軍は、何も言う資格はない、と言わんばかりに目を伏せる。

 自分一人が責めを受けることに免じて、他の者の過ちを許して欲しい――態度でそう示す彼女の横顔を、ラオフェンは切なげな苦笑を浮かべ、見守っていた。

 

「ドラッフェ大尉。――出撃準備が整いました」

 

 その時。この艦橋に軍靴を鳴らして、一人の年老いた男が踏み込んでくる。ラオフェンとゼノヴィアの前で整然と敬礼する彼に対し、ラオフェンはいよいよかと表情を引き締めた。

 

「ありがとうございます。――必ず、あなた達を無事に家族のもとへ帰してみせます。あなた方整備班の、誠意に誓って」

「我らクルー一同、この戦争に勝利するために全てを捨てた身。……大尉こそ、必ず帰ってきてください。終戦の暁には、大尉を主賓に飲み明かすと部下どもに約束してるんです」

「そう思われてる、というだけでもここまで来た甲斐がありました。感謝しています」

 

 老齢の整備士に敬礼を返し、ラオフェンは艦橋を後にする彼の背に続く。――最後に、ゼノヴィアの瞳を一瞥して。

 

「では――行きます」

「行ってくる――とは、言ってくれないのね」

 

 ◇

 

「ラオフェン! どういうことだ、これは!」

「どうもこうもない。これくらいやらなきゃ、お前は命令がなくても勝手に飛び出してくるだろうが」

「当たり前だ! この俺を誰だと思ってやがる!」

 

 出撃を控え、乗機のコスモソードに歩み寄るラオフェン。そんな彼を待っていたのは、戦友の怒号だった。

 ラオフェンの胸倉を掴む長身の男は、銀髪の短い髪を揺らしながら、紅い眼光で鋭く少年を射抜く。だが、その鬼気迫る表情を前にしても少年は眉一つ動かさない。

 こうなることは、わかりきっていたのだ。

 

 黒の機体に縁を青く塗装した、セドリックの乗機であるコスモソードは――整備班の手で厳重にテープで固定され、出撃できないようにされている。

 犠牲を最小限に抑えるため、ラオフェン単機の出撃となるこの作戦においても、上の意に反して勝手に出撃しかねないセドリックを封じるため、ラオフェンが指示していたのだ。

 

「セドリック。宇宙海賊だったお前を戦力に引き込み、この艦に乗せてるのは強力な戦力が一つでも欲しかったからに過ぎない。本来ならとっくに、安全な牢の中で終戦を待っていればいい身なんだ」

「ふざけんな……! このセドリック・ハウルドから絶対に奪っちゃいけねぇ『死に場所』を、この土壇場でぶん取るつもりか!」

「……わかってくれ。この作戦に、僚機はいらない。オレが単独で『ラスト・コア』の防御網を突破し、奴らの最後の『核』を撃つ。たったそれだけの内容なんだ。これは決死隊も同然だし、いくら報酬が出たところで死んだら割に合わない。だから、もうお前を傭兵として雇う意味はないんだよ」

 

 あくまで諭すように。ラオフェンはセドリックと名乗る男を見上げ、宥めようとする。その態度が、さらに火に油を注ぐ結果を招いた。

 銀髪の男は少年の背を機体に押し付け、さらに圧力をかける。

 

「俺は金目当てでこの艦隊に加わったつもりはねぇ! 宇宙最強のパイロットだった俺を打ち倒したお前と、今度こそ決着を付けるために! 戦争が終わるまで付き合えないって抜かす、お前ともう一度戦うために! 宇宙海賊を休業してまでここに来たんだぞ! だのにてめぇは最後に死んで勝ち逃げか! 契約不履行だぞゴラァ!」

「聞くんだ、セドリック。お前が以前、脱走兵からぶんどったって言うコスモソードだが――あれは旋回性能に特化した格闘戦タイプだ。オレの乗機はそこを犠牲にして、UIの防御網を抜けるための推進力に特化した加速タイプ。そもそも土俵が違うし、今までだってそうやって適材適所で戦ってきたはずだろう」

 

 かつて私腹を肥やす有力者ばかりを狙う義賊だったセドリックは、命惜しさに軍から脱走したパイロットからコスモソードを奪っていた。

 その後。彼は正規訓練を受けていない身でありながら、巧みなセンスでその機体を乗りこなし、ラオフェンを擁する艦を襲ったが――格闘戦タイプに改修した彼のコスモソードに返り討ちにされた。

 

 以来彼は、ラオフェンと再び雌雄を決するために彼に同行し、共に戦うようになっていた。金で軍に雇われた傭兵、という体裁で。

 

 だが、ラオフェンのコスモソードはセドリックと一度戦った時を除く全ての作戦で、推力特化の加速タイプだけで戦っている。格闘戦タイプのコスモソードでは、UIの防御網は突破できないからだ。

 そんな彼の進路を切り開くため、格闘戦タイプの旋回性能を駆使してUIの尖兵達を撹乱する。それが、いつものセドリックの役回り。

 しかしこの作戦においては、ラオフェンの単独行動が主となる。よって、セドリックが加わる意味はないのだ。

 

「俺が正規の軍人じゃねぇから……幾ら積んでも割に合わないから、出るなっつーのか!? お前一人で奴らの大群を抜けようってか、死に急いでんじゃねぇ! ……だったら俺も今この場で軍人になってやる、書類をよこせ!」

「そんな手続きをする時間も、必要もない。――勝負なら、生き延びたお前の勝ちだ」

「ふざっ……けんなっつってんだろうがッ! そんな決着で納得できるわけッ――!?」

 

 その先の言葉は続かなかった。

 一瞬のうちにセドリックの意識を刈り取る、ラオフェンの拳。腹部に伝わる衝撃と圧力が、男の視界を、意識を、暗黒の中へ沈めて行く。

 

「こ、のっ……自信過剰野郎がッ……!」

「……」

 

 視界が薄れて行く中でも、セドリックは両足を震わせ――崩れ落ちながら。憎々しげに声を漏らし、表情の見えないラオフェンを睨み上げる。

 少年は、そんな彼を抱え――表情には、一瞥もせず。無言で歩み寄る整備班に、彼の身柄を託した。……あれほど猛り狂っていた宇宙海賊はもう、指一本動かさない。

 

「……では、大尉。どうか――ご武運を」

「ああ。……今まで、本当にありがとう」

 

 そして、行く手を阻む者がいなくなり。ラオフェンは今度こそ、整備班の面々に見送られ、自身の乗機に身を投じた。

 純白の機体を囲む、赤い縁取り。加速タイプの証である、速さを追求した流線型のフォルム。その機械仕掛けの赤い鳥が、宇宙という大空へ羽ばたいて行く。

 

 ――その鳥が、巣に帰ることは、もう、ない。

 

 ◇

 

 この日、星霜歴2025年。

 

 約半世紀に渡り、人類を苦しめた外宇宙からの侵略者「ユナイト・インベーダー」――UI。彼らとの戦争は、ある一人の少年の手で幕を閉じられた。

 

 その少年――ラオフェン・ドラッフェは。UIの最後の砦「ラスト・コア」と共に散り。救世主の伝説として、その名を後世に伝えられている。

 

 ――そう、伝えられていた。

 



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第2話 砂漠の惑星ロッコル

 ――星霜歴2028年。

 UI戦争の終結から三年の月日を経た、この時代の中で――人類は驚くべき早さで復興を遂げ、半世紀前の栄華を取り戻しつつあった。

 

 軍部はこの戦争の勝利を経て、次なる脅威に備えて軍拡を推し進めている。

 半世紀に渡る戦争で失われた優秀なパイロット達の穴を埋めるべく、次世代のエース育成を目指した訓練を積極的に取り入れるようになっていた。

 

 そして――UIと共に宇宙から姿を消した「ラオフェン・ドラッフェ」の名は、救世主として今も人々に語り継がれている。

 軍とは無関係の教科書にまでその名が載り、彼に救われた星の住民の間では、ラオフェンを軍神として祀る宗教まで台頭するほどであった。

 

 この全宇宙に、ラオフェン・ドラッフェを知らない者はいない。――だが、その名が知れ渡ったところで、その少年はもはやこの世にはいないのだ。

 

 ――エースパイロットがいない時代こそ。彼自身が願った、人々が望む平和な世界なのだから。

 

 ◇

 

「それは――本当なのですか!?」

 

 青い空の下に広がる一大都市。宙を飛ぶ車が飛び交い、多種多様な種族の宇宙人達が道行く街並みが、男の視界に広がっている。

 その後ろで叫ぶ女性は、その男の背を真摯な瞳で射抜き、彼の真意を問うている。

 

 髪の色、目の色、尻尾の有無。ありとあらゆる部位が異なる異星人同士の交流を見下ろす男は、彼女に視線を合わせることなく――この超高層ビルのガラス壁から、平和を謳歌する人々の営みを見守っていた。

 ――かつて自分が見出した少年が、全てを賭けて守り抜いた世界を。

 

「ああ。……あれから、もう三年になる。彼と共にあらゆる宙域で戦ってきた君なら、知る権利はあると思ってな」

「どうして、なぜそんな……! 彼ほどの英雄を、そんなことで野放しにするだなんて!」

「――出来る限りの望みを叶えたい、と彼に言ったのは君だろう。今がその時だと、私は思うのだがね」

「だからと言って、そんなこと……!」

 

 自分の言葉に動揺し、憤慨する部下を一瞥もせず。白髪の男は皴の寄った口元を緩め、未来ある子供を抱く人々を見つめる。

 彼の瞳に映る人々の暮らしだけが、彼の全てであるかのように。

 

 ――全宇宙を束ねるコズミシア星間連合政府。その中枢である第一惑星アースグランドの首都「へレンズシティ」に住まう人々は、彼に見守られながら平和のひと時の中に生きている。

 かつて「ワシントン」と呼ばれていたこの街は、コズミシア星間連合軍の本拠地となっており、数多のパイロット候補生がこの近辺の基地で訓練に励んでいる。

 男がふと視線を上げた先では、コスモソードの練習機が沖の向こうで激しい訓練に臨んでいた。

 

「コルトーゼ将軍。彼の生い立ちは知っているかね」

「……はい。この惑星アースグランドの一国家『ジャパン・エンパイア』の出身で、パイロットとして徴兵されるまでは曲芸飛行士として活躍していたと――」

「――その頃から。今も。彼はずっと、目に映る人々の笑顔を願い続けていた。強硬な軍部への反発から、脱走者が絶えないと言われていた現地徴用兵でありながら……彼がパイロットとして戦い続けていたのも、自分の戦いが人々の笑顔に繋がると信じていたからだ」

「……っ」

 

 ようやく部下と目を合わせた男は、皺の中に隠された鋭い眼差しで彼女を貫いた。その威厳と言葉の重みに触れ、部下の女性――ゼノヴィアは息を飲む。

 コズミシア星間連合軍総司令官、ハリオン・ルメニオンの眼光は――歴戦の女傑すらも黙らせる覇気を纏っていた。

 

「――私達は、それを裏切った。政府の官僚共は彼をダシに内輪もめに明け暮れた挙句、彼を危険視するあまり暗殺まで企てた。軍部は彼の退役すら認めず、口八丁手八丁で彼を軍に縛り付けようとした。……そうなってしまっては、もはやあの少年が己の願いを叶える術は、一つしかない」

「それで……そのような、ご決断を……?」

「この星は……いや、宇宙は。彼の力あってこその平和に満ちている。誰にも異論は許されぬはずだ」

「いいえ……いいえ! だからと言って彼という存在が、辺境の惑星で朽ち果てるなど……! あってはならないことではありませんか!?」

「コルトーゼ将軍。ラオフェン・ドラッフェはその役目を終えた。……そろそろ、眠らせるべきだとは思わないかね」

 

 ハリオンは諭すような口調で宥めるが――ゼノヴィアは唇を噛み締め、引き下がる気配を見せない。彼はそんな部下の姿を見遣ると、再び視線を街並みに戻し、独り言のように呟いた。

 

「――そんなに納得がいかないのであれば、直に彼と話すといい。彼なら今、惑星ロッコルにいる」

「……惑星ロッコル……!」

 

 その名前が出たことで、ゼノヴィアは目を剥く。そんな彼女の様子を見遣るハリオンは、スゥッと目を細めた。

 

「うむ。――君の娘の、配属先だな」

 

 ◇

 

(最悪、ね)

 

 配属先が発表されてから一ヶ月。悪い夢であって欲しい、と何度願ったか。

 ゼナイダ・コルトーゼは宇宙に浮かぶ砂漠の星を見つめ、暗闇の海の中で深く溜息をつく。ヘルメットに収まるミドルヘアの髪が無重力により、その視界の隅でふわりと揺らめいた。

 

 彼女を乗せた白銀のコスモソードは、緑で縁取りされた翼で宇宙を切り裂き、眼前の不毛の土地を目指す。

 母譲りの藍色の髪や翡翠色の瞳。色白の肌に類稀な美貌。全てが男の劣情を揺さぶる色香を放っているが――その表情は死人のようであった。

 

 その理由は、自身がコズミシア星間連合軍の名将、ゼノヴィア・コルトーゼの娘でありながら、ロッコルという辺境中の辺境惑星に配属されることになった点にある。

 

 敬愛する母のような気高い軍人となるべく努力を重ね、齢十七で軍のパイロット課程を修了した彼女だが――曲がったことを絶対に許さない性質が、腐敗した上層部の不興を買う結果となっていたのだ。

 

 全宇宙にその名を響かせる女傑・コルトーゼ将軍の娘とあっては、生意気であっても無下には出来ない。そこで彼らは「治安の悪い僻地だからこそ、優秀なパイロットが目を光らせねばならない」と体のいい理由をつけ、彼女を辺境の惑星ロッコルに配属したのである。

 

 その真意に気づかない彼女ではなかったが、どのみち新任少尉の身では発言力などないに等しい。その上、母にまで「これも試練」と言われれば、従う他なかった。

 

(……しかし、妙だ。普段の母上なら、このような横暴は絶対に許さないはず。なのにこの件に限っては、是が非でも私をロッコルに行かせようとしているようにも伺えた。母上をそうさせるほどの何かが、あそこにあるとでも……?)

 

 どれほど思案しても、強く反発しなかったことを後悔しても。今の彼女には、前に進む以外に道はない。

 緑の機械仕掛けの鳥は、憂鬱な面持ちの主を乗せて、辺境の惑星へ向かっていく……。

 

 ◇

 

 惑星ロッコル。

 コズミシア星間連合政府の管轄下において、最も中枢から離れた小惑星である。

 他の惑星と同様に様々な種族が共同で生活できる環境であるが、その整備状況は類を見ないほどに劣悪であるとされ、専ら貧民層の溜まり場として、その地位を獲得している。

 近年は戦争終結に伴う落ち着きもあってか、治安も良好のようだが――それ以前は血で血を洗う無益な抗争が絶えなかったという。

 

(……なによ、あれ)

 

 そんな場所へ降り立つことになってしまった彼女の前には今――白い航跡で描かれた「WELCOME!」の文字が視界を埋めるように広がっている。燦々と輝く太陽の下で行われた、あまりにも大きく派手な出迎えに、ゼナイダは困惑を隠せない。

 

(……貧しさのあまり、頭がおかしくなってるのかしら。この惑星の住民は)

 

 そこからやがて生まれ出た否定的な感情に、ゼナイダは細い眉を吊り上げる。遠目に伺えるオンボロの民間機は、フラフラになりながら懸命に、青空に航跡のメッセージを描いていた。

 

 ゼナイダが着任する地点――小都市「ポロッケタウン」。その目的地への到着を目前にしての、この頭の悪そうな「大歓迎」であった。

 こちらを誘導するように飛ぶ民間機。あり合わせの素材を継ぎ接ぎで形にしたようなハリボテ同然のそのフォルムは、この星の貧しさを主張するかのようなみずぼらしさを放っている。

 

(本来ならば先任の駐屯パイロットが出迎えに来るべきでしょう? なぜこんなボロボロの民間機が……。もしや、これがここの軍用機……?)

 

 軍用機を差し置き、翼を振って味方機であることを主張する民間機。その手慣れた動作や風貌に見合わない優雅な飛行に、ちぐはぐさを感じつつも――ゼナイダは促されるまま、着陸地点を目指した。

 

 ◇

 

「……最悪、だわ」

 

 地上に降りて早々、出てきた言葉がそれだった。ポロッケタウンの駐屯基地――と読んでいいのか怪しいその場所は、タンブルウィードが飛び交う荒地も同然であった。

 

 辛うじて機体を格納できるスペースはあるものの、ゼナイダ機を除くコスモソードはたったの一機。

 入念に整備され尽くした格納庫に、所狭しと並ぶコスモソードの景観――というアースグランドの基地に馴染んでいたゼナイダにとって、このポロッケタウン駐屯基地の荒れようは目に余るものがあった。

 

 派手な航跡メッセージでゼナイダを出迎えた民間機は、基地から離れた敷地に降り立っている。――どうやら軍用機らしからぬフォルム、というわけではなく本当に民間機だったらしい。

 その非常識極まりない歓迎に、エリート出身の新米パイロットはさらに頭を痛めた。一体どれほど叩けば、文字通りの埃が出てくるのか――と。

 

「パイロットさーん! ようこそ、惑星ロッコルのポロッケタウンへ!」

 

 そう考え込んでいるところへ、黒髪の青年が手を振って駆け寄ってくる。黒いライダースジャケットに赤いグローブを嵌めた彼は、派手な身振り手振りで自身の存在を主張していた。

 端正な顔立ちではあるが、その立ち振舞いからは頭の悪そうな印象しか抱けない。即座に彼が、あの民間機のパイロットであると看破したゼナイダは、冷ややかな眼差しで睨む。

 

「……あなた、民間人よね。ここの正規パイロットは何をしているの?」

「えーと、すみませんパイロットさん。うちの人、多分今頃飲みに行ってる頃でして」

「うちの人って……。というか、こんな昼間から基地も空けて飲みに行ってるって、どうなってるのよこの星は」

「あはは……。まぁ、おおらかな人でいっぱいですから、この街は」

 

 緊張感のない笑みを浮かべる青年の物言いに、ゼナイダはため息と共に額に手を当てる。あまりに非常識な町と基地と住民に、文字通り頭を痛めていた。

 基地の外に乗機を泊めた彼が、ここに徒歩で来た――ということは、民間人の立ち入りすら容認しているということになる。つくづく、非常識。もはや基地という体裁を成しているとは言えない有様だ。

 

「あの人なら今も飲み屋にいると思います。近くですのでご案内しますよ」

「……悪いけどお願いするわ。先任から基地の情報も聞かなくちゃならないし。……それにしても、あなたは一体?」

「あっ、すみません! そういえば自己紹介もまだでした!」

 

 青年はハッと顔を上げると、ゼナイダの正面に立ち――朗らかな笑顔を浮かべ、大仰に両手を広げた。

 

「オレは竜造寺(りゅうぞうじ)カケル! このポロッケタウンに花いっぱいの笑顔を振り撒く曲芸飛行士ですっ!」

(頭の悪い男ね。見るからに)

「せっかくですし、お近づきにこれをどうぞ! オレの故郷に伝わる伝統的食べ物! 『素麺(そうめん)』です!」

「私はゼナイダ・コルトーゼ少尉。……そのわけのわからない食べ物は遠慮させて頂くわ。バカが移りそう」

 

 その、頭の中に花畑が広がっているような自己紹介に、ゼナイダは冷ややかな眼差しを向ける。そんな彼女の冷淡な態度など意に介さず、その眼前に小さく箱詰めされた土産を差し出してきた。

 それを蚊を払うように手振りで拒絶するゼナイダは、うなだれるカケルを無視して基地の外へと踏み出して行く。町へと繰り出す彼女を追い、カケルが慌てて走り出したのはその直後だった。

 

(――コルトーゼ、か)

 

 ◇

 

 タンブルウィードが忙しく転げ回り、へレンズシティに劣らぬ多種類の宇宙人が、狭い街道を行き交っている。

 舗装もされず、砂塵に地の色を染められた、低い建物ばかりの町並み。さながら西部劇のようなその光景に、ゼナイダは激しい文明の差を感じていた。

 

(……星間連合の管轄下に、こんな文明未発達な都市があるとは思わなかったわ。私も、まだまだ勉強不足ね)

 

 そんな彼女に、町の施設を一つ一つ丁寧に説明しつつ。カケルはある酒場のウエスタンドアを開き、笑顔で彼女を招き入れる。

 どうにも胡散臭いその振る舞いを訝しみつつ――彼女は応じるように中へ踏み込んだ。

 

「おうカケルじゃねぇか。なんだぁそのべっぴん。新しい彼女?」

「違うよ、新しくここに来てくれた軍のパイロットさん。前にジャックロウおじさんが話してたろ?」

「あー……そうだっけか?」

 

 そこでは享楽的な男達が昼間から飲んで騒ぐ、よく言えば自由奔放、悪く言えば無秩序な光景が広がっていた。その中の知り合いらしき一人の青年が、酔っ払った様子でカケルに声を掛ける。

 艶やかなブラウンの髪や金色の瞳など、見目麗しい容姿ではあるが――そのぐうたらな振る舞いと着崩し過ぎな緑のジャケット姿からは、容姿に見合う気品はまるで感じられなかった。

 

「竜造寺さん。こちらの知能指数が怪しい男は?」

「知能……。え、ええと。こっちはアイロス・フュードマン。この街で賭け事ばっかりしてるレーサーです」

「おい、レディの前で間違えんなよカケル。ただのレーサーじゃねぇ。この街で一番の、超一流レーサー……だぜ? 麗しいお嬢さん」

「街で一番の愚かな頭脳であることは理解したわ」

 

 容赦のないゼナイダの物言いに眉を顰めるアイロスは、カケルを手招きするとそっと耳打ちする。

 

「おい……なんなんだこの失礼な女」

「ま、まぁ悪い子じゃないから仲良くしてあげてよ。……多分」

「さっきの物言いからどこを抽出すればそんな判断に至るのか教えろ! ……あだっ!?」

 

 その時。チラチラと横目でゼナイダを見遣りながら、しきりに抗議するアイロスの脳天に――上方からの拳骨が炸裂した。

 頭を抑えながら、その拳――を放った張本人を睨み上げる彼の視界には、一人の少女の姿があった。

 

 ――が、少女という表現は十八歳という彼女の年齢に準じた言い方でしかない。その豊満に飛び出た巨峰とくびれた腰、山なりに膨らんだ臀部という肢体は、大人の女性としての色香を存分に孕んでいた。

 

 淡い桃色のシャギーショートの髪を白いリボンで飾った彼女は、碧色の強気な切れ目でアイロスを見下ろしている。一見するとそのままでも色白な肌の持ち主ではあるが、青いホットパンツやベージュのベストトップの隙間からは、さらに白い柔肌が覗いている。

 さらに彼女のベストトップは、身長に合わせたものより遥かに大きなサイズでありながら、持ち主の巨峰に押し上げられ、今にもボタンがはち切れそうなほどに張り詰めていた。

 

 西暦時代のカウガールを彷彿させるその衣装と、胸と共に腰で揺れる一丁の光線銃(レイガン)が意味する通り――彼女、カリン・マーシャスはこのポロッケタウンに駐在している保安官である。

 

「なにすんだカリン!」

「それはこっちのセリフよ。酒場のツケ、もう何ヶ月滞納してると思ってんの。お喋りする暇があるなら日雇いでも何でもやって、さっさと返済しろ穀潰し」

「ンだとォ!? 俺様を誰だと思ってやがる、ポロッケタウン一の超一流レーサーに向かって!」

「なぁにが超一流よ。こないだ酔っ払ったままレースに出たせいで、あんたに賭けた客に大損させて大量に借金抱えてるくせして」

「うるっせぇ! だから次のレースで全部取り返すっつってんだろうが!」

 

 そんなカリンに対し、アイロスは目を剥いて怒鳴り散らす。だが、その怒気を至近距離から浴びても、当の女保安官は眉一つ動かすことなく彼を見下ろしていた。

 彼女の圧倒的なプロポーションと、そのグラマラスな身体つきを余すところなく表現した服装に、見慣れているはずの周囲の常連客も喉を鳴らして凝視している。――が、すぐさま彼女が余所見しながら投げてきた灰皿を額に喰らい、邪念を霧散させられてしまった。

 

「もうとっくにあんたのマシンは差し押さえられてるのに?」

「ぐっ……へ、へっ。俺様くらいになりゃあ、安物のレンタカーでも優勝は狙えるのさ」

「あっそう。じゃあ今度それで負けたら、十年ここでタダ働きして返済しなさいね」

「んなぁ!? おいコラ、カリン! てめぇそれが幼馴染への仕打ちかぁ!?」

「腐れ縁よ、それを言うなら。幼馴染なんて綺麗な言い回し使うんだったら、あと百年は男を磨きな」

 

 まるで容赦のない物言いを、一通りアイロスにぶつけた後。カリンは新顔のゼナイダに気づくことなく、カケルに目を移し――

 

「いらっしゃいカケル! 今日のフライトもかっこよかったよ!」

「あ、ああ、ありがとうカリン。でもアイロスがそこでしょぼくれてるんだけど……」

「いいのよコイツの笑顔は咲かせなくて。それより喉乾いたでしょ? 何か飲んでく?」

「いや、後でまた貰うよ。ジャックロウおじさん見なかった? 多分ここだと思ったんだけど、姿が見えなくて」

 

 ――態度を急変させて、華やかな笑顔で彼の腕に体を絡めた。まるで自分の匂いをマーキングするかの如くその肢体を擦り付けながら、彼を椅子へと案内しようとする。

 その光景に歯ぎしりする常連客達を一瞥して冷や汗をかくカケルは、そんな彼女を制して用件を告げた。

 

「え、父さん? ……うーん。父さんだったら今頃、民間飛行場で飲み仲間とドンチャン騒いでる頃かな」

「オレの機体の近くでか? しょうがないな、もー……」

「あはは、ごめんねあんな父さんで。でも、父さんに何の用事? 急がないなら、ゆっくりしてってよ。あたし奢るから」

「おぃい! 奢る金あるなら酒場のツケくらい立て替えろよ!」

「黙れ穀潰し」

「ンだとォ!?」

「えっと、正確には用件があるのはオレじゃなくて――こっちの少尉さんなんだ」

 

 しばらく内輪話で放置されていたゼナイダに、ようやくカリンは目線を合わせる。体にぴっちりと張り付いた、コズミシア星間連合軍のパイロットスーツを纏った彼女から、カリンはおおよその事情を察するのだった。

 

「ああ、なるほど。あなたが例の新しくポロッケタウンに来たっていう、軍のパイロットさんね? 初めまして、あたしは駐在保安官のカリン・マーシャスよ。よろしくね!」

 

 そして満面の笑みとともに手を差し出し――握手を求めた。その好意的な挨拶に自分の手で応じつつ、ゼナイダは横目でカケルを見遣りながら問う。

 

「ゼナイダ・コルトーゼ少尉よ。……こちらこそよろしく、と言いたいところだけど。品性に欠けたその格好と言動を見るに、脳に必要なエネルギーを丸ごと乳に吸われているようね。町の治安は任せるから、私達パイロットの邪魔だけはしないでちょうだい」

「……は?」

 

 その瞬間、カリンの表情から一瞬にして笑顔が消え去り。今にも腰の光線銃に手が伸びそうなほどの殺気が迸る。

 悍ましい威圧に触れたカケルは、その状況から酒場の危機を察し、慌てて二人の間に割って入った。

 

「え、ええと! こっちはカリンっていう町の保安官さんで、アイロスの幼馴染なんです! この町唯一の軍人のジャックロウおじさんの一人娘で、明るく活発でいつもみんなの人気者で――」

「――どいてカケル。そいつ撃てない」

「ちょ、待ってカリン光線銃抜かないで! 今彼女に君がいい子なのを説明してるとこだからぁぁぁ!」

「……つくづく低俗な文明ね、この星は。ちょっと毒づかれた程度で安易に武器を抜く。まるで猿だわ」

「んぬぁんですってぇえぇ!」

「コルトーゼさんも煽っちゃらめぇえ!」

 

 どこまでもポロッケタウンの住民に毒を吐くゼナイダに、カリンは激情のままに飛び掛かろうとする。それを懸命に宥めるカケルだったが、さらに加速するゼナイダの煽りに悲鳴を上げるのだった。

 詰め寄るカリンに押され、一歩も引かないゼナイダに挟まれ。爆乳と美乳に挟まれたカケルは一触即発の事態を回避すべく、懸命に説得を試みていた。

 

 ――だが。事態はさらに、混迷を極める。

 

「う、うわぁっ!?」

「きゃあ!?」

「……っ!」

 

 揉み合いの弾みで転倒してしまう三人。その中で真っ先に我に返ったカケルは――いつしか、天に向かってそそり立つ張りのいい膨らみを、揉みしだいていることに気づいた。

 右手にカリンを、左手にゼナイダを。

 

「んぁっ!?」

「ぅんっ……?」

 

 その感覚を遅れて感じ取った二人が、相次いで甘い吐息を漏らす。やがて我に返った二人は状況を察すると、慌てて同時に胸を隠した。

 

「も、もう! カケルったら、相変わらず変な転び方するよね!」

「あぁいや、ごめんカリン」

「……カケルのえっち」

 

 だが、カリンはさほど気にしていないのか――むしろ好意的ですらあった。ほんのりと頬を染めながら、微笑を浮かべて呟かれた言葉からは「怒り」というものはまるで感じられない。

 

 ――しかし、一方のゼナイダは。

 

「……ぃ……だ……」

 

 俯いたまま、うわ言のように何かを呟いていた。

 

「……ほ、だ……」

 

 ――どこか打ち所が悪かったのかも知れない。彼女の様子からそんな可能性を危惧したカリンはカケルと顔を見合わせ、優しげに声を掛ける。

 

「ね、ねえちょっと。あんた大丈夫――」

 

 その瞬間。ゼナイダはガバッと一気に立ち上がると、胸を片手で隠しながら腰の光線銃を引き抜き、息つく間もなく天井に乱射する。

 突然の暴走に酒場は騒然となり、カケルとカリンも唖然となってしまった。

 

「――逮捕だあぁあぁあ! 公然猥褻罪の、現行犯逮捕だあぁあぁあッ!」

「え、ちょ、待っ――」

「――逮捕するぅうぅう! 逮捕すりゅうぅぅうう!」

 

 その非常識極まりない行動と、茹で蛸のように真っ赤に染まった顔。ぐるぐると回り、定まらない視線。それらの状況証拠から、ウブな彼女がラッキースケベを受けて暴走を起こしたと看破したカリンが、宥めようと歩み寄る。

 だが、ゼナイダはまるで耳を貸す気配を見せず――いきなり当事者のカケル目掛けて発砲してきた。

 

「うわぁ!?」

「竜造寺カケルぅぅう! 逮捕だあぁあぁあ!」

「ちょ、待ちなさいゼナイダ! あんたこんなところで発砲なんか――ひゃあ!?」

 

 それを止めようとしたカリンまで発砲され、慌てて伏せた彼女の頭上を、青白い閃光が突き抜けて行く。木造の壁に小さな穴を幾つも作りながら、暴走するゼナイダは酒場を飛び出したカケルを追い始めた。

 

 ◇

 

「と、とにかく民間飛行場が一番人が少ないはず! それにジャックロウおじさんに会わせれば、目的を思い出して落ち着きが戻るかも……ひぃ!?」

 

 これ以上乱射させれば、酒場の常連客に当たる。そう踏んだカケルはなんとか人通りの少ない場所へ誘導するべく走り出したのだが――その後ろを走るゼナイダは、女性とは思えないほどの速さで肉迫してくる。

 

「や、やばい。ジャックロウおじさんに会っても正気に戻るかな、あれ……」

「逮捕するぅうぅう!」

「待ちなさいゼナイダぁぁあぁあ!」

 

 さらにその後ろから、暴走機関車と化したゼナイダを追う女保安官。三人の壮絶な追跡劇は、道行く顔馴染みの町民達を唖然とさせる。

 

「お、おい。カケルの奴なにやってんだ? 二股? 修羅場?」

「見ねえ顔が光線銃持って追いかけてるぜ。多分あいつが浮気相手だな」

「カリンの奴もモテる男に惚れて大変だねぇ」

「おーいカケル、これに懲りたら女遊びもほどほどにしとけよー」

 

 だが、基本的に自由奔放な住民が多数を占めるこの町では、捕り物も修羅場も珍しい光景ではない。すぐにいつものことと慣れてしまった彼らは、気ままに手を振り、最前線で決死の逃避行を続けるカケルをからかうのだった。

 

「ちょっ……ちょっとぉ! 全然そんな状況じゃないんですけ――ほぉあ!?」

「逮捕すりゅうぅぅうう!」

「いい加減にしなさいゼナイダぁあ! それ逮捕じゃなくて銃殺ぅうぅ!」

 

 そんな能天気な住民達に突っ込む暇もなく、青白い閃光が頬や足元を掠める。一瞬の油断が命取りに繋がる状況に陥り、カケルは顎に冷や汗を滴らせた。

 その元凶たるゼナイダを懸命に追うカリンは、胸を激しく揺らしながら汗を散らして街道を走る。自分の胸や尻を厭らしく見つめるギャラリーに、ガンを飛ばしながら。

 

 ――やがて。アリーナのように大きく広がったドームが、三人の視界に入ってくる。カケルの機体を含む民間機を格納する、民間飛行場だ。

 その入り口近くでは、三十代半ばの仲間達と共に木箱に腰掛け、酒を意気揚々と呷る五十代の小柄な男の姿が伺えた。禿げ上がり、微かに白髪が残った頭と髭が特徴的だ。

 

「おん? なんじゃカケルか! おーい! お前も飲むか――って、んん?」

 

 カケルの腰程度しかない身長の持ち主である彼は、カケルに気づくと陽気に手を振り始める。――が、その後ろの人影に気づくと、すぐさま白い顎髭を撫で、鋭い目つきに変わった。

 

「あ、ジャックロウおじさん! この人は新しく着任してきた軍のパイロットで――」

「んひょおぉおぉぉお〜っ! プリプリのかわいこちゃんじゃ〜っ!」

「ちょっ、おじさんっ!?」

 

 そして、疾きこと風の如く。ジャックロウと呼ばれた小柄の男は、その体躯からは想像もつかない速度で走り出し――カケルとすれ違う瞬間、ゼナイダ目掛けて飛びかかった。

 体を大の字にして、ムササビのように襲い来る変態。その女の敵を前に、冷静さを取り戻したようにゼナイダは無表情になる。

 

「ほげがッ!」

 

 直後。程よい大きさで、形の整ったゼナイダの双丘に飛び掛かるジャックロウの顔面に――非情の裏拳がめり込む。

 生涯、前が見えなくなりそうな一撃を浴びたジャックロウの小さな体は、螺旋状の回転と共に宙を舞う。青空の下に舞い散る鼻血の雨が、その威力を物語っていた。

 

 凄惨を極めるその仕打ちに、カケルは涙目になりつつ声にならない悲鳴を上げる。――だが、惨劇は終わらない。

 

 錐揉み回転の果てにジャックロウが辿り着いたのは、セクシーな衣装に身を包む年頃の娘。はち切れんばかりの爆乳にへばりついた彼は、妻譲りの美女に「成長」した愛娘の柔らかさを前に、下卑た笑みを浮かべた。

 全身でカリンの肢体に抱きつく父は、顔を擦り付けるように娘の胸に埋もれて行く。

 

「んっほぉお〜……えぇ気持ちじゃあ! 母さんと瓜二つの、このぷるんぷるんのおっぱ――ぼぎゃえぁあぁあ!」

 

 ――路傍の生ゴミを見下ろすような眼差しで自身を射抜く、娘の眼に気づかないまま。

 

 一瞬でひっぺがされたところに渾身のストレートを叩き込まれたのは、その直後のことだった。もう元に戻せるかもわからないほどに、顔を陥没させられたジャックロウは、矢の如し疾さで後方に吹き飛ばされてしまった。

 

 その最高速度は現在進行形で先を走っていたゼナイダとカケルを抜き去るほどであり――彼の体はカケルの眼前で、さっきまで椅子にしていた木箱に突き刺さってしまう。

 轟音と共に爆散する木箱。あまりの事態に酔いを覚まし、逃げ惑う飲み仲間。血だるまで横たわるジャックロウだけが、現場に残されていた。

 

「ジャッ……ジャックロウおじさぁあぁあぁあぁああんッ!」

 

 刹那。

 耐え難い悲劇に直面したカケルの、悲痛な叫びが青空を衝く。

 



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第3話 エースパイロットの目醒め

「はぁあ……」

 

 地下深くの地下牢に幽閉された、一人の男。置かれている状況に対して、余りにも緊張感に欠けるため息を漏らす彼は――牢の隅で膝を抱え、明日の朝日を夢見ていた。

 その両手は、超合金製の手錠で封じられている。

 

 ◇

 

 ――あの後、結局ゼナイダに捕らえられたカケルは敢え無く連行され、カリンの保安事務所の地下牢に封じられてしまった。

 その様子を事務室からモニターで監視するゼナイダを、カリンがじろりと睨む。

 

「……あんたねぇ。ちょっと胸触られたくらいで、大袈裟なのよ。これだけ懲らしめたら、もう十分でしょ?」

「さ、先ほどのことは忘れなさい。私の、生涯の汚点だわ。……それより、保安官のくせに犯罪者の肩を持つの? あなた」

「まぁまぁ、二人ともそうカリカリするでない。今日一日くらい牢で一晩反省させて、明日には帰してやってもよかろう」

 

 包帯だらけのジャックロウは二人の口論を取りなそうと口を挟むが、そんな小柄の老兵にゼナイダは厳しい目線を向ける。

 

「ジャックロウ・マーシャス三等軍曹。あなたの発言権を認めた覚えはないわ。……それに明日に帰すつもりもない。公然猥褻罪は最低六ヶ月以内の懲役。それがルールよ」

「最低六ヶ月以内なら明日帰してもいいでしょうが! ホンット頭カチカチなんだから」

「黙りなさい乳牛」

「んぬァんですってェ!?」

 

 ゼナイダとカリンの睨み合いはさらに加熱し、互いの乳房が双方の胸を圧迫する。それを受け、ジャックロウが鼻の下を伸ばして身を乗り出してきた。

 

「落ち着かんかい二人とも! 喧嘩するならワシもそこに挟んで――はばがッ!」

 

 ――直ちに両者の蹴りで黙らされたが。

 カリンの踵落としとゼナイダの蹴り上げが同時に炸裂し、ジャックロウの顔面が上下からの挟み撃ちにひしゃげる。

 再び血だるまと化した彼は、力無く崩れ落ち――彼女達はその惨状を意に介さず、睨み合いを続行した。

 

「誰に対してもそんなに甘いのかとも思ったけど――あのレーサー気取りの愚物に対しては、あなたも毅然だったわね。……竜造寺カケルだけ特別なのは、あなたの恋人だから?」

「ち、ちがっ! そりゃ、いつかはって思うことはあるけど……」

「保安官失格ね。男絡みの私情を挟んで、減刑の交渉だなんて」

 

 失望、という感情を表情に表し、ゼナイダは目を細めてカリンを一瞥する。そんな彼女に視線を合わせず、女保安官は天井を仰いだ。

 ふと、昔のことを振り返るように。

 

「――この町にとって、そんな軽いもんじゃないのよ。カケルの存在は」

「……?」

 

 すると、彼女は自分のデスクに飾られた写真立てを手に取り――自分達に囲まれ、満面の笑みを浮かべたカケルの写真を見つめる。

 写真の記憶を辿り、思い起こされる過去の日々を回想し、カリンは口元を僅かに緩めた。

 

「……カケルがここに来たのは、戦争が終わってすぐ。三年前になるかな。……その頃は、戦争のせいで政府に物資や飛行機をどんどん徴収されてたせいで、町の治安は荒んでたんだ」

「……この町が?」

 

 その言葉に、ゼナイダは訝しげな表情になる。自由奔放なようでも、よく見れば犯罪らしい犯罪はさほど見られず、住民全てが和気藹々と暮らしている、このポロッケタウン。

 そんな町並みが、つい三年前まで治安が荒れ果てていたなど、にわかには想像できないことであった。

 

「うん。強盗も殺人も当たり前。みんな殺伐としてて、父さんも軍人だったせいで謂れのない襲撃を受けたこともあった」

「……当時は、政府管理下の惑星全てが戦争に参加する法令が出ていたからね。士官学校で習ったわ」

「そ。あたし達は気ままに暮らしたかっただけなのに、政府に何もかも踏み荒らされて、皆も殺気立つようになって……。そんな時だったの。父さんが、ひょっこりカケルを連れてきたのは」

「マーシャス三等軍曹が、彼をここへ?」

「あの飛行機ごと行き倒れてたところを、父さんが拾ったんだって。そうしてカケルがこの町に来た頃から、カケルはずっとあんな調子だった」

 

 僅か三年前のことでありながら、当時を語るカリンは昔を懐かしむような口ぶりだった。その様子から、過ごしてきた三年間の密度の深さが窺い知れる。

 

「それほど人民の精神が荒廃しているところへあんな男が来たら、ろくなことにならないと思うのだけど」

「ふふ……実際そうだったわ。あたしも初めて会った時は『なんだこのお花畑野郎、目ん玉くり抜くぞ』って感じだった」

「容易に想像できてしまうわね」

「ほっといて! ――まぁ、そんなカケルだったから、来たばかりの頃は敵だらけだった。カケルの飛行機を売りさばこうとして、街を牛耳っていたマフィアが攻めてきたりさ」

「……そんなことになったから、彼の飛行機はあんなボロボロに?」

「違うわ。カケルが来た時から、飛行機はあのまま」

「え……?」

 

 カリンが語る内容と、今の町並みがまるで噛み合わない。そんな万事休すの事態になって、なぜカケルは今も無事なのか。

 ゼナイダとしては、不思議でならなかった。

 

「カケルは、マフィアも悪漢も強盗も。みんなやっつけちゃったの。誰一人殺さず、自分も死なず。……殺させず」

「なっ……!? バカなことを言わないで、彼がそれほど強いとでも――」

「――実際、強かったのよ。でも、カケルが本当に『強い』のは、そこじゃない」

 

 話が進むごとに、カリンは頬を赤らめ。幸せそのものといった穏やかな笑みを浮かべる。その瞳に、かつての「悪」と肩を組んで笑う想い人の写真を映して。

 

「相手の心が折れるまで打ちのめしたあと。カケルはその相手と飲んで騒いで――最後に、空を飛んだ。カケルの曲芸飛行を見た奴はみんな、そんなカケルと戦うことがバカバカしくなって――最後はどいつもこいつも、カケルと肩組んでどんちゃん騒ぎ」

「……」

「自分を殺しに来た相手とも、友達になっちゃう。カケルは、そういう人なのよ。マフィアのボスは、どんちゃん騒ぎしたいがために足を洗って、今はあの酒場のオーナー。マフィアの用心棒だったアイロスは、飲み代欲しさにレーサーになった。……暗く淀んだポロッケタウンを、カケルは一人で塗り替えちゃったんだ」

「……そんな、バカなこと……」

「そうよね。バカもいいとこ。大バカだわ。……気がついたらあたしも、みんなも。あいつの周りに集まって、カケルのフライトを楽しみにしてる」

 

 一通り語り終えたカリンは、体をほぐすように両手を組んで天井に伸ばす。言いたいことを言い尽くした、満足げな表情だ。

 

「『みんなの笑顔』。いつも、カケルはそう言って戦うし、飛ぶ。全部それだけのために、カケルは頑張ってる」

「……」

「確かにバカはバカだけど。あんたが冷たく見下してるバカとは、全然違うってあたしは思うわ」

 

 ちらりと、こちらを真剣に見つめるゼナイダを見遣り、カリンは口元を緩めた。

 

「……笑顔、か」

 

 ――そうして、オウム返しのようにゼナイダが呟く時。

 事務所の外から、異様な喧騒が響いていた。

 

 ◇

 

「……? 何か騒がしいわね」

「なんだろ、また酔っ払いの喧嘩かな。もー、しょうがないなぁ。今日だけで十二件目よ」

「……それはさすがに同情するわ」

 

 何事かと身を乗り出すカリンが、外の様子を見ようとウェスタンドアを開く――直前。逆に入り口の方からドアが開かれ、見慣れた顔が飛び出してきた。

 

「おいカリン大変だ! やべーぞやべーぞ!」

「んなっ!? 何よアイロス藪から棒に!」

「今は口喧嘩してる場合じゃねぇ! 外見ろ外! まじやべー!」

 

 ただならぬ焦燥を漂わせるアイロスの表情に、訝しげな視線を注ぐカリンは――僅か一瞬だけゼナイダと顔を見合わせ、事務所の外に出る。

 

 そして彼が指差した、青空の彼方を見上げ――戦慄した。

 

 空を裂き、ポロッケタウンの上空を飛翔する一機の宇宙戦闘機。その全貌に――カリンは見覚えがあった。

 

「う、そ……でしょ!? あの青い縁取りの翼、黒いボディ……!」

「あぁ間違いねぇ! 軍でもどうしようもねぇって噂の、最強最悪の宇宙海賊だ! なんでこんな田舎町に来たんだよ!?」

 

 情報技術に疎いこのロッコルにも、名が知れている存在はいくつかある。そのうちの一つが、私腹を肥やす官僚ばかりを狙う義賊で有名な、宇宙海賊セドリック・ハウルドだ。

 その獲物の殆どは金持ちばかりであるが、稀に個人的な恨みがある人間も襲う、気まぐれで行動が読めない危険人物としても知られている。

 

 ――その宇宙海賊が、ここへ来た。そこから予想される大惨事を予見し、ポロッケタウンの住民は突如現れた侵略者を前に騒然となっていたのだ。

 

「宇宙海賊ですって!? ――あ、あのコスモソードは……!」

「むむっ! こりゃあオオゴトの予感がするぞい!」

 

 その緊急事態を受けてゼナイダと、ボロ雑巾のようになっていたジャックロウも飛び起きてくる。

 

「父さん!」

「わかっておる! コルトーゼ少尉殿、出撃ですぞ!」

「言われるまでもない! マーシャス保安官、あなたは住民の避難誘導に回りなさい! あなたの方が顔は広いでしょう!」

「わ、わかったわ! ――ほら手伝え穀潰し!」

「なんで俺様までぇえ! 俺様フツー保護対象じゃねぇえぇ!?」

 

 ゼナイダは着任早々の初陣に緊張を走らせつつ、険しい表情を浮かべる。だが、プレッシャーに飲まれまいと声を張り上げ、カリンに指示を送った。

 その鬼気迫る面持ちに、確かな覚悟を垣間見たカリンは、深く頷くとアイロスの首根っこを掴み、引きずり回しながら行動に移っていく。

 

 その様子を見送ったゼナイダは、ジャックロウを率いて基地へ向かう――前に。事務所へ引き返し、牢の鍵を開けた。

 モニターには、突然鍵を開けられ目を丸くするカケルの様子が窺える。

 

『おおっ! 鍵が開いたってことは……許してくれたんですねコルトーゼさん!』

「勘違いしないで。住民に避難命令が出ている以上、あなたをここに放置して危険に晒すわけにもいかないだけ。事が済めば、あなたには直ちにそこへ戻ってもらうから」

『え? 避難命令?』

「詳しく説明している時間はないわ。マーシャス保安官が避難誘導しているから、あなた

はすぐに逃げなさい。いいわね」

『あっ、ちょ――』

 

 だが、悠長にその様子を見ているわけにはいかない。すでに宇宙海賊が上空に現れてから、五分以上が経過している。

 これ以上野放しにしていては、いざという時に迅速な対応ができない。ゼナイダは焦る余り通話を一方的に切ると、足早に事務所を飛び出して行く。

 

「行くわよマーシャス三等軍曹! 目的は所属不明機の確保、不可能である場合は撃墜!」

「了解じゃあ! ――セドリック・ハウルドか。ならば、奴の狙いは……」

「マーシャス三等軍曹、なにブツブツ言ってるの! 急ぐわよ!」

「わかっておりますぞい!」

 

 その後ろに追従するジャックロウは、神妙な面持ちで空を走る青い鳥を見上げ――ひとりごちる。彼の胸中を知る者は、誰もいない……。

 

 ◇

 

「ひぃ、ひぃ……。あぁもう、なんで地下牢の階段って、こうも無駄に長いのっ!」

 

 息を切らしながら、薄暗い螺旋階段を駆け上がり始めて――約三十分。異常事態に伴う情状酌量により、牢から仮釈放されたカケルは、懸命に脱出を目指していた。

 

 僅かな灯りを頼りに長い登り道を疾走し、息も絶え絶えになる頃。ようやく、陽の光が視界に差し込んでくる。

 

「や、やっと出口か……ぜぇ、ぜぇ。本釈放されたら、設計者に文句言ってやるっ……!」

 

 ふらふらになりながら、なんとか地上の事務所内にたどり着く。辺りはすでに無人となっており、自分が捕まるまでの喧騒が嘘のようだった。

 

「事務所内にも、道にも、誰もいない……。みんな、もう無事に逃げたみたいだな」

 

 カケルは事務所から外へと足を運び、タンブルウィードが転がる音だけが響く街道を目の当たりにする。そこに至り、ある一つの疑問に行き当たった時――事態は動いた。

 

「――そういや避難って聞いてるが、みんな何から逃げたんだ? たくもー、コルトーゼさんったら肝心なこと……」

 

 カケルの視界に飛び込む、この星ではあり得ない光景。青空の向こうに広がるそれを目の当たりにして、彼は言葉を失った。

 

 ――ポロッケタウンの町から、僅かに離れた場所で飛び交う、三機のコスモソード。

 しかも、そのうちの一機は……。

 

「セドリックが……!? まさか!」

 

 その光景に愕然となり、普段町の仲間達の前では、決して見せない鋭い表情に変貌する。次いで、弾かれたように駆け出し、民間飛行場へと急行し始めた。

 

「くそッ……!」

 

 普段の彼らしからぬ面持ちで、空を見上げる視線は――激しく飛び交い、レーザー砲を撃ち合うコスモソード達の空戦を映していた。

 

 町からやや離れた空域ではあるものの、いつここまで飛び火するかわからない状況だ。――何より、新任少尉と実戦から長らく離れていた老兵が、終戦近くまで最前線にいた宇宙海賊に対抗できる望みは薄い。

 

「――ッ!」

 

 そこまで思考が追いついた瞬間、カケルは力任せに手錠を引きちぎり――避難経路とは真逆の道を疾走する。――民間飛行場を目指して。

 

「……!?」

 

 ――というところで、カケルはふと、足を止める。思わず走ることも忘れてしまうような物体が、視界に映り込んできたためだ。

 

 ピンク一色に塗装された機体を運ぶ、錆び付いたキャタピラ。その異様な外装の戦車は、荒々しく土埃を噴き上げながら、砂塵の大地を進撃している。

 ――UI戦争が始まる以前から存在する、軍の広域戦闘車両「コスモハンマー」だ。近年ではすでに制式採用の座を降り、民間にも流れるようになった機体である。

 

 それがこの町にも隠されていたことに驚愕しつつ――その異様なカラーリングに、カケルは暫し閉口していた。

 

「……なんだありゃ」

 

 ◇

 

 一方、宇宙海賊のコスモソードに迫るゼナイダ機とジャックロウ機は――縦横無尽にこちらの攻撃をかわす相手の技巧に、苦戦を強いられていた。

 

「くっ……あ、当たらない……シミュレーションと全然違うッ!」

『少尉殿! 後ろに付かれておりますぞ!』

「わかってる!」

 

 背後を取っても、こちらが確実に狙いを定める前に姿を消し、体勢を崩されてしまう。だが、狙いを怠り迂闊に撃っては、町に被害が及ぶ可能性もあった。

 

(なんなの、この海賊の動き……! 遠くに誘おうにもこちらの誘導には引っかからないし、その割りには町に手を出す気配はまるでない! かと思えば、しきりに町の上を飛ぶし――まるで行動が読めない! 奴は一体、何が狙いで……!?)

 

 付かず離れず、といった距離で町の近くを飛び回り、迎撃に出たゼナイダ機とジャックロウ機と戦う。が、町に被害を及ぼす気配はない。

 その一方で、二機には執拗な攻撃を仕掛けている。これでは戦う気があるのかないのか、今一つ判断がつかない。

 

『……少尉殿。こりゃあ恐らく、宇宙海賊は町から新手が出てくるのを待っているようですぞ!』

「なんですって!? ――そうか、確かに……」

 

 どこか含みのあるジャックロウの物言いを訝しみつつも、ゼナイダはその言葉に確かな信憑性を感じていた。――「新手」が町から出てくるのを待っていて、その「新手」を誘き寄せるために町の近くを飛び回っているのだとすれば。

 町の近くで戦う割りには、被害が及ばないギリギリの距離を保っていることにも説明がつく。いきなり町を破壊しては、「新手」と戦うことは叶わないからだ。

 

「でも、仮にそうだとして――宇宙海賊が動くほどの存在がこの町にあるだなんて……きゃあ!?」

 

 その時。予想だにしない角度からレーザーが横切り、ゼナイダは思わず短い悲鳴を上げる。遥か下方――地面の方向から飛んで来たレーザーが、しきりに宇宙海賊のコスモソードを付け狙う。

 

 意気揚々としたカリンの叫びが通信から響いてきたのは、その直後だった。

 

『ゼナイダ! 父さん! 住民の避難は大方終わったわ。ここからはあたし達のターンよ!』

「あ、あれはコスモハンマー!? あんな骨董品で戦うつもりなの!?」

『カリン!? なんじゃその色遣い! キモッ!』

『ちょ、キモいとか言うなぁあぁぁ! せっかく助太刀に来てやったっていうのにぃ!』

『てゆーか何で俺様が操縦士なんだおかしいだろ! 住民の避難終わってねーし! 俺様民間人だし!』

『うっさい穀潰し! 家賃も滞納してんだから、たまにはここで男見せて返済しろ!』

『イデデデデ! 砲手席から頭蹴るんじゃねぇ! チクショー! 生きて帰ったら訴えてやる!』

 

 通信の向こう側から響き渡る、情けない男の嗚咽から察するに、アイロスも操縦士としてこき使われているらしい。

 カリンはしきりに砲手席から彼の頭を踏みつけながら、レーザー砲による対空射撃を続行していた。

 

「――とにかく、奴が体勢を立て直す前に仕留めるわ! 長引けば、機動性で劣る彼女達が危ない!」

『了解じゃ!』

 

 退役して数十年を経た骨董品の戦車とはいえ、一介の保安官がこれほどの装備を隠し持っていたことに驚愕しつつ、ゼナイダはすぐさま気を取り直して攻撃を再開する。

 ジャックロウもそれに追従し、黄色い縁取りで塗装された純白のコスモソードを走らせた。

 

 航跡で弧を描き、背後に回る二機。その前方を飛ぶ宇宙海賊を狙い、レーザーが流星群となり襲い掛かる。

 

 その全てを紙一重でかわしつつ、宇宙海賊は付かず離れずの距離を保ち――宙返りに移った。

 

「くっ――!」

 

 当たってはいない。だが、もう少し。

 その「『命中』に届きかけている」現状が、ゼナイダの焦りを駆り立てる。

 

『少尉殿、いかん!』

「――!」

 

 もう少しで当てられる。そんな目の前の状況に、気を取られていたせいか。

 同士討ちを狙った宇宙海賊の挙動に気付かず、そのまま追いかけてしまった彼女の眼前に――地上から放たれたレーザーが迫った。

 

 咄嗟に機体を盾にして、コクピットへの直撃を避けたジャックロウのフォローがなければ、今頃は味方の誤射で撃墜されていただろう。

 

『と、父さぁああんっ!』

『大丈夫じゃカリン、心配するな! ――と言いたいところじゃが、さすがにコイツは手痛い! スマンが脱出する!』

『おいどーすんだよ! 爺さんやられちまったぞ!』

「……!」

 

 次々と通信回線から飛び込んでくる情報が、さらにゼナイダの精神に焦りを齎していく。自分の迂闊な深追いが、部下を窮地へと追いやってしまった。

 パラシュートで脱出する彼の光景が、その事実を重く突き付ける。気づけば、操縦桿を握る彼女の手は震えていた。

 

 ――戦況の悪化。味方に広がる混乱。自分のミスが招いた窮地。それら全てが、小さな肩に重くのし掛かり――正常な判断をさらに狂わせる。

 

『ゼナイダ! 危ないっ!』

「……!」

 

 そして。身に降りかかる責任の重さゆえに「今」を見失った彼女では――宇宙海賊の攻撃を凌ぐことは出来なかった。

 一瞬にして背後をとった漆黒のコスモソードが、容赦のないレーザーの雨を降らせる。為す術もなく蜂の巣にされて行くゼナイダ機。

 カリンの対空射撃で、ようやく追い払った頃には――すでに彼女の機体は、飛行することすらままならない状況に陥っていた。

 

『ゼナイダ脱出して! あたし達でアイツを引き付けるっ!』

『お、おいおい無茶苦茶言うんじゃねぇよ! コスモソードが二機もやられたんだぜ!? 意地張ってねぇで俺様達も逃げ――いでぇ!』

『男がグズグズ言うんじゃない! 町を守る保安官が駐在軍に任せっきりだなんて、いい恥さらしよ!』

『だから俺様は保安官じゃねぇってのにぃぃいい!』

 

 その上、自分があれほど罵ったポロッケタウンの住民達が、今も援護射撃で自分のために戦っている。――本来、それは軍人である自分の役割であるはずなのに。

 

「……すま、ない」

 

 情けなくて、涙が出る。

 無念を募らせたまま、コスモソードから緊急脱出した彼女は空を仰ぎ――憎々しげに宇宙海賊を睨み付けた。

 

「……ちくしょう。ちくしょう! ちくしょうちくしょうちくしょうっ!」

 

 そして、苦し紛れに――目尻に涙を浮かべながら、彼女は腰のホルスターに手を伸ばす。パラシュートで降下しながら、コスモソード目掛けて光線銃を連発するという、エリート軍人らしからぬ行為に周囲の注目が集まった。

 

(何が軍人、何がエリート! 何がコスモソード! 私は結局、何も守れていない!)

 

 ――それは、ゼナイダ自身のあるべき姿だったのかも知れない。負けず嫌いで意地っ張りな、ゼナイダ・コルトーゼという少女の。

 

 戦時中、共にヘレンズシティで育ってきた友人達が次々と徴兵されて行く中。コルトーゼ将軍の息女という身分を理由に、徴兵を免れてきた彼女は、いつも戦争に巻き込まれて行く友人達を見送ることしか出来なかった。

 そんな彼女に心配させまいと、友人達は皆、笑顔で旅立ち――誰一人、帰ってくることはなかった。

 

 あの日の笑顔を守るには、少女はあまりにも無力だった。だからこそ彼女は、母のような軍人となり、全てを守る力を渇望するに至ったのである。

 ――UI戦争を終わらせた、伝説のラオフェン・ドラッフェと共に戦った名将と知られる、母のように……と。

 

 だが、その野心とは裏腹に――現実にある光景は、自分が原因で全てが崩れている。そのギャップに伴う痛みが、彼女の胸に突き刺さり――それはやがて、宇宙海賊への怒りへと変化していた。

 

 ◇

 

「ゼナイダ……」

 

 銃身が焼け付くまで、ひたすら引き金を引き。動かなくなれば、銃身をなげつける。エリート軍人には程遠い、感情に任せた行動に――カリンは、自分に近しいものを感じていた。

 

「お、おいカリンやべぇぞ! あんにゃろぉコッチに来やがった!」

「――わかってる! グチグチ言ってないでさっさとかわしなさい! それでも自称レーサーなわけ!?」

「自称って言うなぁぁあ!」

 

 だが、感傷に浸る暇はない。宇宙海賊の狙いは、いよいよ地上を走るコスモハンマーに迫っていた。地上に向けて容赦無く放たれるレーザーの嵐が、土埃を絶え間無く噴き上げる。

 ――その中を掻い潜り、しきりに跳ね回る車体が、砂塵の渦中から飛び出してきた。アイロスの腕がなければ、とうに横転しているような無茶な運転である。

 

「ひょあぁあぁあ! 死ぬぅうぅ! もう俺様死ぬぅううぅぅうぅ!」

「死ぬ死ぬ言ってるうちはまだ死にゃあしないわ! ぴーぴー泣いてる暇があったら飛ばせぇ!」

 

 怯まずレーザー砲を連射するカリンの怒号が、車内に反響する。泣きべそをかきながらハンドルを切るアイロスの絶叫を、掻き消すように。

 

「……! レーザーが止んだ……?」

「な、なんだぁ。助かったのかぁ?」

 

 すると。宇宙海賊は突如、レーザーの連射を止め――高度を上げた。カリンは精魂尽きた様子でぼやくアイロスを尻目に――太陽を背にして舞い上がる機体を、手で顔を覆いながら見上げる。

 

 ――直後。その視界に、爆弾が迫った。

 

「……う、そ」

 

 回避も、退避も間に合わない。逃れられない「絶対の死」の突然過ぎる来訪に、カリンは乾いた声を漏らすことしかできなかった。

 

 ――が。

 

「え……!?」

 

 何かが閃いた。

 

「……!」

 

 その「何か」に、宇宙海賊がコクピットの中で唇を噛む。――気がつけば、コスモハンマーの傍らには、カリン達を吹き飛ばすはずだった爆弾が突き刺さっていた。

 だが――その爆弾が役目を果たす気配は、一向に見られない。カリンとしては、何が起きたかもわからず、ただ茫然と立ち尽くす他なかった。

 

 ――尤も、それは近すぎたせいでわからなかったカリンだけであり。パラシュートで地上に降り立ち、遠目から見ていたゼナイダとジャックロウは、カリン達の近くで起きた事態をハッキリと目撃していた。

 

「……爆弾の信管だけを……レーザーで、撃ち抜いた……!? そ、そんな、そんなこと……!?」

「――やはり、隠し通せるのは今日までだったようじゃな。のう? ラオフェン・ドラッフェ」

「えっ……!?」

 

 あまりに人間離れしている所業に、戦慄するゼナイダを一瞥し――ジャックロウは、レーザーが飛んできた方向を見遣る。

 ――その先には、頭の悪い曲芸でゼナイダを出迎えた、あの継ぎ接ぎだらけの民間機が漂っていた。

 

 先ほどの手腕とまるで噛み合わない、その頼りないシルエットと、ジャックロウが漏らした言葉に困惑するゼナイダ。

 そんな彼女を、さらに混乱の渦に叩き込むかの如く。張りぼての機体は、そのフォルムに見合わない急加速に突入し――ありあわせの材料で作られた外装を、その風圧で剥ぎ取って行く。

 

「――この瞬間を、待っていたんだ。楽しませてもらうぜ、ラオフェン」

 

 その光景を見つめる、漆黒のコスモソードのパイロットは――歪に口元を釣り上げ、赤い瞳で最後の敵を射抜く。

 

 刹那。

 

「お前は、あくまで義賊であり……罪のない人々を脅かすような奴じゃ、なかった」

 

 外装が全て剥がれ落ち――その中から、真紅の縁取りのコスモソードが現れ。

 

「その矜恃に背いてまで、オレと一戦交えたいというのなら――いいだろう」

 

 コクピットに棲まう竜造寺カケルは――全ての脅威を駆逐する眼光で。

 

「――『曲芸』ついでに、始末をつけてやる」

 

 排除すべき「障害」を、その黒い瞳に捉えるのだった。

 



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最終話 みんなの笑顔

 翼が風を切り裂く轟音。吹き抜ける風。その「余波」が、地上に降りたゼナイダとジャックロウの頬を撫でる。

 

「そ、んな」

 

 その突風を巻き起こす、赤い縁取りのコスモソード。白銀の機体を超高速で運ぶ、その加速タイプの流線型フォルムは――士官学校の教科書で何度も見かけた。

 そればかりか、この宇宙――コズミシアを救った救世主として、その機体を模した銅像を毎日のように見てきた。

 

 ――その「実物」が、記憶にある姿と寸分違わぬ佇まいで、青空を駆け抜けている。その超常的な光景が、ゼナイダに激しい衝撃と動揺を齎していた。

 

 死を賭して軍神と祀られた、ラオフェン・ドラッフェは生きていた。それも、このような辺境の惑星で――曲芸飛行士として。

 

 そのような受け入れがたい事実を、強引でも認めさせるかのように。彼は、落下中の爆弾の信管だけを撃ち抜き、不発を成功させるという離れ業をやってのけた。

 さらによくよく思い返せば、あの曲芸飛行で見せた大きな「WELCOME!」の航跡文字も、加速タイプの弱点である旋回性能の低さが原因だとすれば……文字の異様な大きさに説明がつく。

 

(……まさか、母上が私をここへ派遣したのは……!)

 

 もし、この事実を母が把握していたのなら――ラオフェン・ドラッフェがこの星にいる可能性に、以前から気づいていたのなら。自分がここへ遣わされたことにも合点がいく。

 全ての状況が噛み合い、ゼナイダは――明るみに出た現実に、為す術もなく打ちのめされ。愕然とした表情で、両膝を着くのだった。

 

(……わ、私……かの伝説のエースパイロットに、なんたる無礼を……)

 

 そして今になって、自分が伝説のラオフェン・ドラッフェを相手に、どれほど尊大な態度で接していたか――という記憶が蘇る。ラオフェンが存命だったということさえ、今まで知る由もなかったのだから当然と言えば当然なのだが。

 頭を抱え、声にならない叫びを上げて悶絶するゼナイダ。そんな彼女を他所に――

 

「おほぉ!? なんか外ヅラがベリベリ剥がれてカッチョいいコスモソードが出てきたぞ!? なんかよくわかんないけど、まぁいいかやっちまえカケルぅう!」

「うっそ! カケルの飛行機ってコスモソードだったの!? ――すっごい! よぉし、やっちゃえカケルーっ!」

 

 ――情報がまともに届かない、辺境惑星特有の感性ゆえ。

 ラオフェン・ドラッフェの偉大さを今ひとつ理解していない地元民のカリンとアイロスは、コスモハンマーから身を乗り出して、諸手を挙げながら歓声を上げていた。まるで、曲芸をせがむような声色で。

 

「あ……あなた達! あのコスモソードのパイロットを何方と心得て……!」

「――あれでよいのです少尉殿。少なくともカケル自身は、そう望んでおるはず」

「マーシャス三等軍曹……! あなたは……!?」

「ワシのことは、どうでもよいでしょう。……今はただ、あやつらの選択を受け入れてくだされ。ラオフェンと、ハリオンの選択を」

「……!?」

 

 彼女達の振る舞いを咎めようとするゼナイダを、いつになく神妙な面持ちのジャックロウが制止する。その異様な雰囲気と、彼の口から出てきた言葉に、若き少尉はさらに目を剥いた。

 ハリオン――とは、ハリオン・ルメニオンのことか。一介の三等軍曹が総司令官を呼び捨てとは、一体どのような了見だというのか。

 矢継ぎ早に脳裏を駆け巡る疑問に混乱するゼナイダ。そんな彼女を一瞥した老兵は、どこか儚げな表情で、青空を翔ける赤い鳥を見上げた。

 

(――カケルよ。お前が振り撒く笑顔はやはり、戦場には似合わんのう)

 

 機械仕掛けの赤い鳥は、青い鳥の猛攻を鮮やかにかわし――優雅に空を走る。まるで、曲芸のように。

 

 ◇

 

 ――UI戦争が激化し、中枢惑星アースグランドから徴兵制度が施行される頃。

 その星の一国家「ジャパン・エンパイア」の都市に、竜造寺カケルという少年飛行士がいた。

 

 巷で有名な曲芸飛行士として知られ、戦争に苦しむ人々を励ますために飛ぶ彼の笑顔は――荒んだ時代に生きる人々に、前を向くための活力を齎してきた。

 そんな日々を続け、いつか戦争が終わる時まで、みんなと一緒に笑い合えれば。少年は、いつもそれだけを願い、操縦桿を握り続けた。

 

 ――軍部にその操縦技術を見出され、徴兵の対象とされるまでは。

 

 半ば強制的に軍に組み込まれた彼は、それでもなお理想を捨てず。戦争を終わらせるために戦えば、きっとみんなを笑顔にできると、そう信じてコスモソードに搭乗した。

 そして初陣で――彼は同期全員と所属部隊を喪った。

 

 ただ一人生き延び、単機でその全ての仇を討ってみせた彼は、直ちに総司令部へ召喚され――自らの名を捨てることを強いられた。

 職業軍人達を軒並み虐殺した尖兵の大群を、元曲芸飛行士の現地徴用兵に屠られた――とあっては、軍部の威信に関わるためだ。

 そして、公的に戦死扱いとなった「竜造寺カケル」に代わり――総司令官ハリオン・ルメニオンに、新たなコードネーム「ラオフェン・ドラッフェ」を授けられた少年は、半世紀に渡る宇宙戦争に終止符を打つべく、その最前線へと投入されていくこととなる。

 

 自由を奪われ、名前も奪われ。それでも少年は、いつかは自分の夢が叶うと信じて、飽くなき闘争に身を投じ続けた。

 しかし時代は、政府は、人々は。そんな彼に、さらなる裏切りを重ねていく。

 

 ――やがて戦争の終わりも近づき、「ラスト・コア」との決戦が見えた頃。勝利を確信した官僚や軍部の権力争いが激化し、ラオフェンまでもがそれに巻き込まれる可能性が濃厚となった。

 自分が戦えば戦うほど、見知らぬ誰かが不幸となり、「笑顔」という希望から遠ざかって行く。そう実感したラオフェンは、彼の窮状を憂いたハリオンの提案を基に――ある一つの決断を下す。

 

 それは、終戦に乗じた脱走。

 

 「ラスト・コア」を破壊し、世界をUIから救って見せたラオフェンは、その足で宇宙の彼方へと旅立ち――最寄り惑星ロッコルへと身を寄せた。

 それは漂着ではなく、ハリオンの采配によるものである。彼の幼少期からの悪友であったジャックロウは、旧友の連絡通りに現れた救世主を匿い――ポロッケタウンへと誘った。

 

 そして乗機の加速タイプのコスモソードを、ハリボテの外装で覆い隠した彼は――ポロッケタウンの竜造寺カケルとして、新たな一歩を踏み出したのである。

 あの日思い描き、今はもう叶わない――人々と笑い合う未来を、新天地に築くために。生まれ育った故郷さえ、捨てて。

 

 ラオフェン・ドラッフェの戦死をハリオンが公表し、彼を利用せんと企んでいた権力者達の目論見が阻止されたのは、その頃の話である。

 

 ――そうして、永遠の眠りについたはずの獅子が、その眠りを妨げられ。今まさに、怒りの雄叫びを上げようとしていた。

 

 ◇

 

(やるな――こっちは三年間、憂さ晴らしの戦い漬けだったってのに。あっちはまるでブランクってもんを感じねぇ。曲芸だか何だかで遊び呆けてるって聞いたから、いっちょ目を覚ましてやろうと思ったのによ)

 

 セドリックとしては、自分を打ち負かした最大のライバルが、戦いから離れて呑気な曲芸飛行士をやっていることが許せなかった。

 ゆえにその目を覚ましてやる、と意気込んでの今回の奇襲であったが――自分の攻撃を軽々とかわす、往年と遜色ない彼の機動を前に「嬉しい誤算」を感じていた。

 

 ラオフェン・ドラッフェの腕は、三年もの間、砂漠の星に埋れていても……全く錆び付いていなかった。

 それが証明されただけでも、収穫としては十分だった。もう現時点で、「ラオフェン・ドラッフェ」との再会を夢見たセドリックの目的は、達成されたと言っていい。

 

 ――だが、強欲な宇宙海賊はこの機に乗じ、あの日叶わなかった決着を付けようと目論んだ。加速タイプのコスモソードに肉迫すべく、漆黒の機体が唸りをあげて襲いかかる。

 

「さっき潰した格闘戦タイプの二機だって、終戦後に改修された後継機だったはず。なのに、あの日から弄ってない上にドッグファイトにも不向きな加速タイプでありながら、あの二機に勝る回避運動……。やはりお前は『ラオフェン』だよ、竜造寺カケル」

 

 通信は繋がっていないが、セドリックは言い聞かせるような独り言を、赤い鳥の背に浴びせる。――その操縦桿を握る主は、普段決して見せない眼差しで、背後につきまとう宇宙海賊を一瞥した。

 

 そして――加速タイプ特有の大型ジェットを噴き上げ、遥か空の彼方へと急上昇していく。

 

「……ふん、だが詰めが甘いな。三年前に俺がお前に敗れたのは、同じスペックの格闘戦タイプ同士だったからだ。――加速性能が高くとも、旋回性能で劣るお前の加速タイプでは、俺の後ろは絶対に取れん!」

 

 それに追従するように、セドリック機も機首を上方へ向けて行く。彼は、宙返りでこちらの背後を取るつもりだと睨んでいた。

 

 彼の赤い瞳は、決して獲物を逃すまいとカケル機を狙う。だが――その機影が太陽に重なる瞬間。

 彼の機体は、一瞬にして姿を消してしまった。

 

「ちっ――陽射しを目くらましにしやがったか。だが、まだだ。俺はお前が乗る加速タイプのデータは、頭にびっちり叩き込んである。例え姿を消そうと、俺にはお前が宙返りでどこに降りてくるかが、手に取るようにわかるぞ!」

 

 だが、セドリックは焦る気配を見せず、見失ったカケル機の降下点に当たりをつけた。

 例え行方を見失っても、大回りな宙返りをするつもりとわかっていれば、旋回性能で勝るこちらがその降下点へ先回りすればいい。

 待ち伏せからの一網打尽を狙うセドリックは、小回りの利く自機を反転させるべく宙返りに入る。

 

 ――その時だった。

 

「……あ?」

 

 宙返りに入り、機体が逆さになったセドリックの視界に、大きな影が差す。雲ひとつない、快晴だったはずの、この空に。

 

 バカな、さっきまでそんな天候ではなかったはず。そう感じたセドリックは、深く考えることもせず、視線を下へ――青空へと移し。

 

 真っ向から迫るカケル機に、戦慄する。

 

「バッ――!?」

 

 余りのことに、声も出ない。

 

 加速タイプのカケル機が、こんな鋭い角度で旋回して来れるはずがない。機体の旋回性能を鑑みれば、万に一つもあり得ない場所からの出現だった。

 

 ――だが、目の前に迫るコスモソードは幻覚でも蜃気楼でもない。予想だにしない位置から強襲してきた赤い鳥は、風を切る轟音と共に、宙返りしている最中のセドリック機に肉迫する。

 

 その後部には、あるはずの「炎」がなかった。それが宇宙海賊に、この現象の答えを齎す。

 

(こ、これは宙返りじゃない! 失速(ストール)だッ!)

 

 ――あの太陽を利用した急上昇で行方をくらました後。カケルは、宙返りに入ると見せかけ、その場で機体を失速させ――機体の質量のみによる急降下に突入していたのだ。

 重い機首を重力に引かれ、垂直落下するように降下姿勢に入った彼の機体は、自分の誘いに乗った宇宙海賊の機体下部に回り込んだのである。

 

 宙返りの最中だったため、機体が上下反対にひっくり返った体勢だったセドリックは、死角を狙うその接近に気づくことが出来なかった。

 

 ――旋回性能が低い加速タイプで、このような作戦を実行すれば。急降下からの引き上げが間に合わず、地面に激突する可能性が飛躍的に跳ね上がる。

 格闘戦タイプでも実行が憚られる、その無謀極まりない戦法を――彼は躊躇なくやってのけたのだ。

 

 自分なら墜ちない。その傲慢とも云うべき絶対的な自信に基づいて。

 

「このっ――自信過剰野郎がァアァアァアッ!」

 

 天から来たる裁きの如く、宇宙海賊に降り注ぐレーザー掃射。コクピット「だけ」には絶対に当てない、その猛攻を浴びたセドリック機は為す術もなく墜落していく。

 

 パラシュートで脱出し、その愛機が無残に墜ちて行く様を見せ付けられ――セドリックはあの日の屈辱を思い起こすように、慟哭する。

 

 そして――カケル機は、そのまま地表へと急接近し。

 

 ――機首を徐々に上げ、滑らかに地上を駆けていた。やがて、滑るように地上で停止して見せた彼の機体に――カリン達が目一杯の歓声を浴びせる。

 

 その一連の展開はさながら、「曲芸」のようであった。

 

(ふざ、けんなよ……クソッタレが……)

 

 その光景を目の当たりにして。宣言通り「曲芸」ついでに倒されたセドリックは、乾いた笑いを上げていた。

 

 ――あの速度から地上に近づいて、ああも機首を優雅に引き上げて着陸まで持って行くのは、旋回性能に秀でた格闘戦タイプでも難しい。

 それを、よりによって旋回が鈍い加速タイプでやってのける。どれほどの馬鹿力で操縦桿を引けば、そんな挙動になるというのか。

 

 超合金製の手錠を力任せで引きちぎる程の膂力がなければ、到底不可能な所業である。だが、それをやってのけるような者はもはや「人間」ではない。

 ――「エースパイロット」という、「超人」である。

 

 ◇

 

 セドリック機が「曲芸」ついでに撃ち落とされた後。

 その身柄を引き取りに現れたのは――ゼノヴィア・コルトーゼ将軍であった。年齢を感じさせない美貌を持つ彼女は、ポニーテールに結ばれた藍色の長髪を靡かせ――「曲芸」を終えたカケルの前に立つ。

 

「……三年ぶりね。少し髪も伸びて、大人っぽくなったわ」

「ゼノヴィア将軍も、お変わりなく」

 

 三年の時を経て再会した二人は、場違いなほどに当たり障りのない言葉を交わす。言いたいことは山程あれど、それを全て口にするほど子供でもない。

 

 そこへ、ゼノヴィア直属の部下達に連行されていくセドリックが通り掛かる。だが、かつてのライバルに対し、かつてラオフェンだった男は視線を合わせない。

 

「負けたよ。言い訳の余地もねぇ、ブッチギリの完敗だ」

「……」

「不思議なもんだが、あの時みてぇな悔しさはまるでない。やっと、お前とガチで戦えたからな」

「……何の話だ? オレはカリン達に本日二回目の『曲芸』を披露したに過ぎないが」

「……へっ、そうかよ。つくづく、自信過剰野郎だなオメーは」

 

 そのやり取りを最後に、セドリックはカケルとすれ違い――ゼノヴィアが乗ってきた宇宙艇に連行されていく。最後まで、カケルはセドリックの方を見向きもしなかった。

 ――この一件はカケルにとっては「戦い」ですらなく。セドリックの撃墜など「曲芸」を盛り上げるためのスパイスでしかない。

 

 言外かつ冷酷に、そう言い放たれたセドリックは――憑き物が落ちた表情で、自分を完膚無きまでに打ちのめした男の背を見遣る。

 彼にはわかっていたからだ。「戦い」未満と宣告された上で、実力で叩きのめされたこの結果が――義賊としてのポリシーに反した自分に対する、彼なりの「報い」なのだと。

 

「――やはり、セドリックはあなたの差し金でしたか。ハリオンさんからオレのことは聞いたようですが」

「えぇ。戦後、あなたと決着が付けられないウサを、銀河のあちこちで晴らしていたからね……。軟弱者ばかりになった軍部では抑えられない状況だったし、いい機会だと思ったのよ」

「情報を流してオレにぶつけさせ、鎮静化させるついでに、今のオレの力量を測るため――ですか」

「ええ。そして、あなたの力は三年程度の眠りでは到底錆び付かない域に達していた――という結論に至ったわ」

 

 一方。ゼノヴィアは淡々と、己の決断と行動を、悪びれる気配もなくカケルに語る。それが正しいのだと信じてここまで来た、と言わんばかりに。

 

 ――そんな二人を。

 駆け付けたカリン達は、不安げな表情で見守っていた。特にゼナイダは、敬愛していた母がラオフェンを取り戻すために、この町に危機を呼び込んでいたと知り――複雑な面持ちを浮かべている。

 

「――ラオフェン・ドラッフェ大尉。改めて通告します。あなたのあるべき姿で、コズミシア星間連合軍に復帰なさい。この宇宙の救世主たるあなたが、このような辺境惑星にいる理由などありません」

「――謹んで、お断りします。ラオフェン・ドラッフェはすでに世間的にも、書類上でも死んだ身。死人がこの世に顔を出す理由などありません。竜造寺カケルは、己の夢に生きるただの曲芸飛行士です」

 

 互いの宣言が、真っ向から対立する。静寂に包まれる中、二人は真摯な瞳を揺るぎなく交わしていた。

 カケルを連れて行くなんてとんでもない! と言わんばかりに暴れるカリンをゼナイダが取り押さえる中――先にゼノヴィアが口を開いた。

 

「……あなたの願い。戦う理由。その全てを総司令官から伺ったわ。『みんなの笑顔』――それがあなたの力であり、全てだと」

「はい」

「この星の……この町の『みんな』が、今のあなたの全て? 惑星アースグランドに、『ジャパン・エンパイア』に、全てはないの……?」

「あの星のみんなは、ラオフェン・ドラッフェを求めている。でも、ここには竜造寺カケルしかいない。それだけのことです」

 

 それに対応するように、カケルも口を開き――やがて。

 穏やかな――そう、「いつも通り」の。華やかな笑顔を浮かべ、言い切って見せる。

 

「オレはこのポロッケタウンに花いっぱいの笑顔を振り撒く、曲芸飛行士ですから」

 

「……!」

 

 その満面の笑みと、初めて会った時と変わらない言葉に。ゼナイダは目を見開き、その笑顔を見つめる。

 初対面の時は頭の悪い発言とした、その言葉は――幾多の戦いに苛まれた少年が、それでも最後まで見放さなかった自分自身への「希望」だったのだと、ようやくわかったからだ。

 

「――そう。わかったわ。ひとまず、今日のところはお暇させて頂きます。セドリックの護送もあることですし」

「わかって貰えましたか」

「勘違いしないで。今日のところは引き下がる、というだけのことよ。私は、あなたを決して諦めない。――万一、この基地のパイロットに欠員が出た場合。あなたには補充戦力として、軍に戻って頂きますから」

「欠員?」

 

 厳しい表情で自分を睨むゼノヴィアに対し、カケルは要領が得られないとばかりに小首をかしげる。そんな彼に対し、歴戦の知将はさらに言葉を畳み掛けた。

 

「そう、欠員です。――例えば、この基地のパイロットが『妊娠』してしまい、そのパイロットが軍務を続行出来なくなった場合。あなたにはその穴を埋めて頂かなくてはならないわ」

 

「……〜ッ!?」

 

 刹那。母の発言から、その意図を察したゼナイダは顔を真っ赤に染め、カケルの凛々しい横顔を見つめる。動揺のあまり、暑さとは無関係の汗が全身を伝った。

 

 ――母は、娘を救世主ラオフェン・ドラッフェの妃とすべく、自分をここへ遣わしていた。

 

 「妊娠」ができる――つまり「女性」であるパイロットは、この基地には自分しかいない。

 その事実に全ての疑問が解消され、その意味が齎す重さに、生真面目さに隠れた純情な乙女の感性が悲鳴を上げる。

 

(わ、わた、私が……ラオフェン・ドラッフェ大尉の子を……!? わ、私、私は……!)

 

 すると――当のラオフェンことカケルが、こちらへと視線を移した。自分と目を合わせる伝説の英雄の眼差しに、心臓が跳ね上がるような衝撃を受け――先ほどのやり取りもあり、緊張が極限以上に張り詰めてしまう。

 あまりの事象ゆえ、もう気絶してしまった方が楽なんじゃないか。そんな考えまで過るようになった時――ふと、視線を外したカケルは。

 

「……だってさ。そんなことしちゃダメだよおじさん」

「なんでワシなんじゃ!」

 

 間抜けな声色で、ジャックロウに的外れな警告を飛ばすのだった。眉をへの字に曲げ、「めっ!」と注意する彼に、老兵は短い手足をバタバタ動かして反論する。

 今までの緊張感を丸ごと台無しにする、その場違いなやり取りに――ゼナイダ、カリン、アイロスの三人は揃ってずっこける。

 

「だっておじさん、前科しかないし。それが原因で奥さんに逃げられたんでしょ?」

「だからと言ってワシばっかり悪者にするんじゃないわい全く! そんな意地悪ばっかり言うんじゃったら、カリンは嫁にやらんぞい!」

 

 そして、自分の緊張を台無しにされた怒りと、自分をダシにされた怒りが合わさり――ゼナイダとカリンは、憤怒の形相で立ち上がる。

 修羅の化身とした彼女達のオーラに慄くアイロスを尻目に、二人はやがてジャックロウの両脇に立つと――

 

「だぁれがこんな不埒者のぉぉおぉおッ!」

「あたしをダシにすんじゃねぇえぇえッ!」

「ぶぎょぅあぁあぁあッ!」

 

 ――顔面と後頭部に、体重を乗せたミドルキックを炸裂させた。

 腰程度の等身しかない彼の頭部に、両者の蹴りが挟み撃ちのように決まり――老兵は全身から鮮血を撒き散らして、錐揉み回転しながら飛翔する。

 

 やがて彼だった肉塊は、激しい回転と共に山なりに飛び――カケルとゼノヴィアの間に突き刺さるのだった。

 

 ――そして。

 そんな老兵の末路を、路傍の生ゴミを見るような目で見下ろすゼノヴィアを他所に。

 

「ジャッ……ジャックロウおじさぁあぁあぁあぁんッ!」

 

 かつて救世主だった青年の悲痛な慟哭が、天を衝くのだった。

 

 ◇

 

 ――それから約一ヶ月。

 撃墜されたゼナイダとジャックロウには新たなコスモソードが配備され、基地には多くの新任パイロットが着任していた。

 

「コルトーゼ先任少尉! 訓練お疲れ様です!」

「少尉殿! 冷たいお飲み物をどうぞ!」

「お前達! シャワーと換えのお召し物の準備よ!」

「はい!」

 

 ……しかも、全員女性。

 飛行訓練から帰って来たゼナイダは、あの戦いの後に突然配属されてきた部下達の、手厚すぎるケアを受け――渋い表情を浮かべていた。

 

(それだけ母上が本気である、ということか……)

 

 生まれも育ちも身体の発育も年齢も階級も、何もかもが全く彼女達。ただ一つ、彼女達にはゼノヴィア直属の部下という共通点があった。

 言うまでもなく、皆がラオフェン・ドラッフェの籠絡を目的に派遣されてきたパイロットである。

 

 彼女達自身は何も知らないようだが、いずれにせよこの街にいる限り――

 

「あ、見て見てみんなアレ! カケル君の曲芸飛行始まるみたい!」

「えっホント!? 見る見るー!」

「きゃーっ! かっこいいー!」

 

 ――嫌でもカケルの曲芸飛行を目にすることになる。

 徴兵される以前から有名だったこともあり、洗練された彼のフライトは、純粋な女性達の歓心を惹きつける完成度であった。

 

 ルックスも人当たりもよく、町の住民からも慕われているカケルを悪く思うパイロットは、この基地にはいない。

 ……ゼノヴィアはこれを見越し、彼女達の中から将来の「妃」を生み出し、合法的にカケルをラオフェンとして軍に引き戻そうとしているのだ。

 

 それを看破しているゼナイダは、そんな母の形振り構わない姿勢を脅威に感じつつ――渡されたタオルで汗を拭きながら、思いを寄せる英雄の勇姿を見上げていた。

 

(わ、私も、いつかは彼と……)

 

 あの日見た、凛々しい横顔が脳裏を過る度。全身を焦がすような熱に苛まれ、思考を乱されてしまう。

 十七年の人生経験がまるで通用しない、その感覚に翻弄されつつも――彼女はその甘美な熱に酔いしれるように、空を舞う想い人を見上げるのだった。

 

「……なんじゃいなんじゃい! 一人くらいワシのところに来たってええじゃないか!」

「父さんは無理よ。目つきがやらしいもん」

「なんじゃとう!?」

 

 一方。同じタイミングで着陸したにも拘らず、誰一人出迎えに来ないジャックロウは、柵越しに毒づく娘に噛み付いていた。

 そんな父の情けない姿にため息をつきながら、カリンは後ろを振り返り――自分の「足」となっているアイロスを一瞥する。

 

「……とにかく、向こうが本気になった以上、あたしも気合を入れなきゃね。軍なんかにカケルは絶対渡さないわ。アイロス! 次の店行くわよ、車出して!」

「またぁ!? もう荷物積みすぎで俺様のレンタカーがお釈迦になりそうなんだけど!?」

「知らないわよあんたの懐事情なんて。ホラ、さっさと出す! 次は勝負水着と勝負下着よ! ――言っとくけど、あんたは店の外で留守番。死んでもあんたには見せないから」

「あんまりだ! 職権乱用だ!」

 

 パトロールにかこつけたカリンのショッピングに付き合わされ、アイロスのレンタカーはすでに荷物の山で押し潰されそうになっている。

 だが無情にも、カリンの買い物続行宣言は青空に広く響き渡り――アイロスの悲鳴がそれに反響するのだった。

 

「……見てなさいカケル。絶対あたしが捕まえて、曲芸飛行士を続けさせて見せるから」

「うぅ……カケルのバッキャロ……」

 

 青空に航跡を描くカケルに、カリンは熱い眼差しを送り――後部座席からアイロスの頭を踏んづける。

 

 そんな見慣れた日常を、守り抜かれた青空から見下ろして。カケルは今日も、馴染みの笑顔を空から振りまいていた。

 

 ◇

 

 遥か昔、惑星アースグランド――当時は「地球」と呼称されていた――では、大規模な大戦があった。

 

 蒼く広大な星を二つに隔てた陣営の片方は、圧倒的な物量で攻め入る相手に対抗すべく、優秀なパイロットを積極的に投入した。

 

 本来あるべき休みもなく、戦いのみに生きることを強いられた彼らは、パイロットという「人」の枠を超える成長を余儀無くされ――「エースパイロット」と呼ばれる「超人」と化していく。

 

 そうして戦い抜いた先が敗戦であっても、彼らはその瞬間まで戦うことを辞めなかった。折れることすら許さない時代が、彼らをその境地へ追いやったのだ。

 

 資源も戦力も豊かな勢力は、兵に無理はさせない。ゆえに、エースパイロットなどという、「(イビツ)」な存在も生まれない。

 

 ――エースパイロットがいない時代こそ、人々が待ち望む平和な世界なのだ。

 



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番外編 残された姫君達

 ――星霜歴2028年、惑星アースグランド。かつて「地球」と呼ばれていたこの星は今、コズミシア星間連合の中枢として、全宇宙を率いる存在となっていた。

 

 その代表国家の一つ「ジャパン・エンパイア」は、国粋主義に傾倒した国として有名であり、独自の文化と矜恃を深く重んじている。

 配備されているコスモソードも基礎技術こそコズミシア製のものだが、それ以外はネジ一本に至るまで、全て自国の製品で製造しているという徹底ぶりであった。

 

 そして。

 君主たる征夷大将軍への忠誠を絶対とする、その国には――強く気高く、そして美しい女性パイロットがいた。

 

 コズミシアの剣たる高速宇宙戦闘機「コスモソード」を自在に操り、軍内部での模擬戦では常勝無敗。圧倒的――否、絶対的なまでの強さと美貌を併せ持つ彼女の存在は、コズミシア中に知れ渡っていた。

 

「おい、見ろよあれ……!」

「あれがあの、ジャパン・エンパイアのお姫様か……」

 

 ――惑星アースグランド、へレンズシティ航空基地。コズミシア星間連合空軍の中枢とも云うべき、その基地には無数のコスモソードが配備されている。

 純白の塗装で統一されたその内の一機から、蝶の如く軽やかに舞い降りた絶世の美女に、周囲の誰もが目を奪われていた。その圧倒的存在感に、彼女より階級の高い軍人すらも息を飲んでいる。

 

 ジャパン・エンパイア国防軍より出向し、二年に渡りコズミシア星間連合軍に所属している若き女性パイロット――辻霧(つじきり)マイ中尉。

 武家の名門・辻霧家の出身であり、当時齢十四にして、コスモソードの正規パイロットに選ばれた才媛。

 

 東方の国ならではの、エキゾチックな黒髪はボブカットに切り揃えられ、白く艶やかな肌との対比になっている。強い意志を感じさせる切れ目の瞳や、彫像の如く整えられた美貌は、周囲の男達の視線を独占していた。

 

 UI戦争により優秀なパイロットの多くが戦死し、女性パイロットが増えてきたと言っても、コズミシア星間連合軍の中心であるこの基地においては、まだまだ男性が多数を占めている。

 彼らの好色の眼差しに晒されても、彼女は眉一つ動かすことなく悠然と基地内を歩いていた。訓練飛行を終えた彼女の頬を伝う汗の一滴すらも、男達の目を惹き付けている。

 肢体に密着し、ボディラインを露わにしているパイロットスーツも、彼女の均整の取れたプロポーションを遺憾無く強調していた。

 

「やっぱ……ツジキリ中尉、最高だよなァ……。確かジャパン・エンパイアの武家って、ガチガチの血統主義なんだろ? いいよなー、向こうの貴族様はよ。あんな激マブとヤれるんだぜ?」

「でも聞いた話じゃあ、バッサバッサと縁談を断り続けてるってハナシだ。コズミシアの高官からの誘いだけじゃなく、上級武家からの見合いまで袖にしてるってよ」

「マジ? 俺達みたいな外国人からってならまだしも、地元の縁談まで切ってんのかよ。血統主義を重んじてるなら、武家からの誘いは本望なんじゃないのか?」

「それなんだが……噂によると、三年前に好きだった男を戦争で亡くしたんだそうな。以来、縁談は軒並み断り続けてるんだってよ」

「へぇ……よく実家が納得したなぁ」

「今や中尉殿はジャパン・エンパイア最強のパイロット。その武名はコズミシア中に知れ渡ってんだ、国も無闇に口出し出来ねぇんだろ」

 

 男達が語るように、マイは戦後から三年を経た今も、故郷に帰ることなくヘレンズシティ航空基地でパイロットを続けている。無論その間、名声と美貌を聞き付けた有力者達からの縁談は絶えなかった。

 ヘレンズシティの実業家。名門武家の長男。コズミシア星間連合政府の高官。果ては、征夷大将軍の側室の誘いまで。彼らはジャパン・エンパイアが輩出した名パイロットである彼女を、どうにか手に入れようと策を弄していた。

 

 ――だが。ジャパン・エンパイア軍は無論のこと、コズミシア星間連合軍の中においても絶大な名声と発言力を持つ彼女を、意のままにする事は困難を極め。実家である辻霧家ですら、彼女を完全にコントロールするには至らず。

 今年に入って十七歳になり、より強さと美しさに磨きを掛けた今でも、彼女は独り身で在り続けていた。

 

 武の道に生まれ落ちた、絶対不可侵の戦乙女。それが、世に知られる辻霧マイの姿なのである。

 

「……よう。相変わらず、道を歩くだけで世の男を振り回してやがるな」

石動(いするぎ)教官……」

「石動少佐だ、辻霧。確かに教官職には違いないが……もうお前は、俺の生徒じゃない」

「ですが……今でも少佐は、私の教官です」

 

 その時。右目を漆黒の眼帯で覆い隠した屈強な軍人が現れ、彼女の隣を歩き始めた。

 切り揃えられた黒髪は荒々しく逆立っており、獰猛な肉食獣を彷彿とさせる強面であるが――そのような外見とは裏腹に、語り口は穏やかなものである。

 

 そんな彼……石動ケンタ少佐を前に、寡黙な彼女は珍しく私情で口を開いていた。今やジャパン・エンパイア最強のパイロットとなった教え子の横顔を、彼は暫し神妙に見つめる。

 

「聞いたぜ。征夷大将軍の側室の話、蹴ったんだってな。武家の者としてあり得ない、お前の教え子はどうなってるんだって、里のうるせぇオヤジ共に散々どやされたぞ」

「申し訳ありません。腕においても心においても未だ未熟であるがゆえ、今は軍人として精進せねばならないと判断して……」

「……お前のやることにいちいちケチを付けるつもりはない。お前のおかげで、我が日埜本帝国(ひのもとていこく)もコズミシア星間連合政府から一目置かれる立場になれたんだ。お前には、目に見えるカタチだけの階級だけじゃ抑えられない、実質的な求心力ってもんがある。オヤジ共も、ただグチる相手が欲しかっただけだろうよ」

 

 教え子のことで骨を折ることを厭わず、むしろどんとこい、とばかりに鼻を鳴らすケンタ。齢二十五とは思えぬその横顔を見上げ、マイは安堵するように息を吐く。

 

 ――戦時中、UIの攻撃で右目を負傷して以来。前線を退いてコスモソードのパイロットを養成する教官となっていた彼は、辻霧マイを輩出したことでコズミシア星間連合軍から注目を集めていた。

 その縁で、彼女と同じくジャパン・エンパイア国防軍からの出向という形で、このヘレンズシティ航空基地に着任しているのである。今では泣く子も黙る鬼教官として、コズミシア軍の若手パイロット達から恐れられる存在だ。

 

 マイとしては、自分のエゴで恩師であるケンタを振り回しているのではないか……という自責の念もあったのだが。その胸中を見抜いているケンタは彼女の不安を取り除くべく、そのように振舞っているのだ。

 ――そして、彼女を深く知っている彼は。マイが縁談を断り続けている真意にも、辿り着いている。

 

「……あと、何年掛かる」

「……わかりません」

 

 何が、とは言わない。そんなことはお互い、分かり切っている。

 

「辻霧。例の坊主がそうだったように、お前にはお前の信じた道があり、人生がある。坊主は終わっちまったが、お前にはまだまだ続きがある。いつまで掛けても構わないが……いつかは、踏ん切りってもんを付けとけ」

「はい……わかっています」

「わかってないから、三年も引きずってんだろうが」

 

 ケンタの追及をうけ、マイの視線が下方に落ちる。迷いの色を濃く滲ませる、その眼差しを一瞥し――強面の教官は、僅かに溜め息をついて離れていく。そろそろ、訓練生のところに戻らねばならない。

 

「……」

「……ま、そいつ自身の根底にあるものってのは、どうしたって他人には動かせねぇ。お前のやりたいようにやるのが一番には違いないが……いいか、後悔はするな。忠告はしたぞ」

 

 ひらひらと手を振り、立ち去って行くケンタ。その背を、マイはただ見送るしかなかった。

 豊かな胸に乗せられた、彼女の白くか細い手は――失われた「過去」に縋るように、力無く震えている。

 

(……カケルお兄様……)

 

 ◇

 

「先日のお茶会以来ですね、マイ。またこうして同席出来て、嬉しいですわ」

「いえ……こちらこそ。またこうしてお招き頂けて、至極光栄に存じます。マリオン様」

「あまり固くなさらないで下さいませ。今日はそちらで仰るところの、ええと……」

「無礼講、でしょうか」

「そう、そうです。ブレイコウで参りましょう」

 

 訓練結果を一通り報告し終えたのち。マイはへレンズシティの街並みを一望できる高層ビルのレストランで、ある人物と顔を付き合わせていた。真紅のドレスを纏う彼女の容姿は、普段の軍服姿とは程遠い淑女の様相となっている。

 このレストランにいる人間は、誰もがコズミシアにおける超上流階級ばかりだが――この場にいる者達もまた、マイの美貌には釘付けにされているようだった。

 

 ……だが、彼らが目を奪われているのはマイ一人ではない。

 

 今、窓から街の景色を一望しているもう一人の少女。マイと同席しているその人物は、蒼いドレスを纏う神秘的な美少女であった。

 

 艶やかな光沢を放つ銀髪を、サイドテールのように結んでいる彼女は、マイ以上に白く珠のような肌の持ち主であった。ややスレンダーな体躯であるが、それでも身長に対して見れば非常に女性的なラインを描いている。

 例えるなら、美の妖精。あらゆる種族を超越し、魅了する絶対の存在。

 

 それが彼女、マリオン・ルメニオンなのである。コズミシア星間連合軍総司令官の一人娘である彼女は、軍の内外からその美しさもあって以前から注目されていた。

 そのため、マイ以上に縁談の話が濁流のように降りかかっている人物でもある。同じ悩みを抱えた女として、彼女達は階級を超えて友人としての付き合いを続けていたのだ。

 

「来週にはコスミュールコーポレーションの社長と縁談なのですが……あまり気は進みませんわね」

「コスミュールといえば、コスモソードの製造を請け負う大企業ではありませんか。お気に召さないのですか?」

「確かに、私を通じて軍と企業がより密接に繋がるのであれば、この星々の防衛体制はより磐石なものとなるでしょう」

「でしたら……」

「……ただ」

 

 コズミシア星間連合の中においても、特に強い権勢を持つ大企業コスミュールコーポレーション。

 五十年に渡る大戦を終わらせた兵器を造り出した企業であることから、軍と同様に高い名声と資金を集めていることでも広く知られている。

 

 三年前にUI戦争が終結して以来。軍部は戦争を終わらせ民衆を救った立役者として、劇的に勢力を伸ばしてきた。

 今では次なる脅威に備えるべく軍拡化の動きも高まりつつあり、事実上コズミシアは、全宇宙規模の軍事国家になろうとしている。

 

 そのような時代において経済面で幅を利かせるのが、軍需企業だ。その筆頭たるコスミュールコーポレーションからの縁談を切るなど、並大抵のことではない。

 例え、総司令官の令嬢であるとしても。

 

「……」

 

 ――だが。そこまで理解していながらも、マイはそれ以上彼女を追及しようとはしなかった。

 

 同じ貌をしているからだ。

 愛する人を失い、その影を振り切れずにいる自分と……。

 

「……ただ、今は……そんなことは考えられそうには、ありませんの。いつか彼を忘れる時までは……」

「マリオン様……」

「でも……忘れてしまうというのは、怖いことです。この気持ちまで、いつか失ってしまうのかと思うと」

 

 憂いを帯びたその横顔を見遣るマイは、何も言えないまま唇を結ぶ。彼女が縁談を受け入れない理由を知る彼女としては、これ以上言い募るのは憚られた。

 

 ――マリオン・ルメニオンは、ラオフェン・ドラッフェを愛していた。否、今もその想いに変わりはない。

 UI戦争終結と共に消息を絶ち、軍部により戦死と公表された、今でも。

 

「そのようなことは、ラオフェン様も望まれてはおられないかも知れません。それでも私は……」

「……私も是非一度、ラオフェン大尉にはお会いしたいと思っていました。我が祖国にとっても、大恩ある方でしたから」

 

 UI戦争に終止符を打ち、この全宇宙を侵略者から救った救世主。その存在は直に会ったことのない者達にとっても、英雄となる。

 ――戦場で、直接助けられたことのあるジャパン・エンパイアの軍人にとっては、尚更であった。

 

「……不思議、ですね。目を閉じれば、あの人の笑顔はいくらでも思い出せるのに。鮮明に、覚えているのに。その人がもういない上に、自分自身までそのことに慣れかけている」

「そういう、ものでしょうか……」

「わかりません。……ただ。『君を笑顔にしたい。戦争が終われば君が笑う、というのならオレは戦う』――そんな夢を語ってくださったあの方の微笑みだけが、今も私の中に在り続けているのです」

 

 マリオンは時に、ラオフェンという救世主がどのような人柄であったかをマイに語っていた。その節々から感じられる、大らかな人物像に――マイは少なからず、既視感を覚えていた。

 

「笑顔に……」

 

 自分がパイロットになるきっかけにもなった。三年前に永遠に失った、最愛の幼馴染。

 その少年の笑みが、マリオンの言葉に呼応するように。彼女の胸中に、蘇っていた。

 

 ◇

 

 ――星霜歴2025年。UI戦争の幕開けから、およそ半世紀。

 長きに渡る戦いの中で突如、戦場の主役として颯爽と登場した「コスモソード」の存在に、コズミシア全域の誰もが注目していた。

 

 そのきっかけであり、急先鋒でもあるラオフェン・ドラッフェ大尉の活躍が民衆に知れ渡っている頃。

 ジャパン・エンパイアと諸外国に呼ばれている「日埜本帝国(ひのもとていこく)」では、徴兵制度の施行が進んでいた。「ジャパン・エンパイア国防軍」と呼称されている帝国軍では現在、多くの幼い少年兵達が全国各地から掻き集められている。

 

 その対象は諸外国で云うところの貴族に相当する、武家の者達。特に年若い次男や三男が、主な兵力源として多数徴用されていた。

 しかし。十五にも満たず、軍人としての教育も完了していない少年達の中には、兵役を恐れる余り出奔する者も少なからず存在しており、帝国内はコズミシア全域の縮図であるかのように、余裕のない状況が続いていた。

 

 このような事態に陥った原因としては、徴兵制度の施行当初に徴用された武家の男子達が、初陣で一人残らず全滅したことが挙げられている。

 満足に訓練も終えていない子供が、歴戦の兵士すら羽虫のように潰されて行く戦場に放り込まれれば、どうなるか。その結果が、すでに現実の数字として現れてしまっているのだ。

 

 そうした結果から、これ以降の徴用された武家の少年達は次々と脱走し。それを見た民衆が、こぞって武家を糾弾する。そんな悪循環が、絶えず繰り返されていた。

 

 これを受け、征夷大将軍は士気の低下を避けるべく、強制的であった徴兵制度を一時中断。有志を募る義勇軍として、改めて武家の者達に戦意を問う方針となった。

 

 その瞬間、真っ先に名乗りを上げたのが――男子ですらない、当時十四歳の辻霧マイ少尉だった。

 

「……で。結局残ったのもこいつ、か」

 

 日埜本帝国の首都・東京。

 国家の中枢であるその大都市の郊外には、コスモソードの新人パイロットを養成するための、特殊な教育機関が設けられている。

 そこで徴兵されてきた武家の若者達が、次代のパイロットになるべく訓練を受ける……の、だが。

 

「石動教官。次の御指導、お願いします」

「……まぁ、待て。武家の名に恥じぬ帝国男児が絶滅しかかっているという現状への憂いで、暫く前を向けそうにねぇ。俺が立ち直るまで、少し待ってろ」

 

 基礎体力。座学。飛行訓練。そのいずれにおいても、今期の新人達は軒並み使い物になる気配がなく。

 その中で唯一、突出した才能を発揮していた人物が「女」であったことに、当時の石動ケンタ大尉は情けなさの余り目を伏せていた。

 

 深くため息をつき、俯く強面の教官。そんな彼を真摯な眼差しで射抜くマイの後ろでは、心を折られた少年達が膝をついていた。

 彼らとて武家の男子。自分達が女子のマイより劣っていることに、何も思わないはずはない。だが、その思いとは裏腹に、目に見える結果は悲惨なものとなっていた。

 それゆえ。彼らはただ、屈辱の表情で俯くより他ないのである。

 

 ケンタは、そんな彼らの様子を一瞥したのち。汗一つかくことなく、欠片も妥協することもなく、次の試練を求めるマイに視線を移した。

 その時の彼が浮かべていた苦々しい面持ちは、「普通、逆だろう」という彼自身の胸中をありのままに映している。

 

「……辻霧。お前、何のためにパイロットを目指した。武家の出とはいえ、女のお前が」

「ここに来た日に、申し上げた通りであります。武家の者としての務めを果たし、祖国に奉仕するための――」

「――そういう耳障りのいいおべんちゃらは、いらねぇ」

「……!」

 

 ケンタの問いに、マイはあくまで真剣な面持ちで答えようとする。が、彼は鋭い眼差しで彼女の瞳を射抜き、その言葉を遮った。

 それを受け、マイの表情は僅かに強張る。

 

 ――帝国において、女性パイロットという存在は希少ではあれど前例がないわけではない。

 長引く戦争により男手が失われるに連れ、それを補うために女性パイロットが組み込まれてきたケースは幾つかある。

 

 だが、それはあくまで後方支援の予備人員としてのみであり、最前線に立つ役目は男子一色であり続けてきた。

 最前線そのものであるコスモソードのパイロットに女性、それも若い娘が志願するなど、前代未聞なのである。

 

 その動機について彼女は、今口にした言葉の通り武家として真っ当な「御題目」を掲げていたのだが。

 徹底した現場主義であり、人類の道理が通じない侵略者を相手にしてきたケンタにとって、そのような「取って付けた建前」に興味はないのである。

 

 戦場という極限状態に置かれれば、人の理性は簡単に失われる。その時に露わになる本性は、当人の意図に反して他者を陥れてしまうこともある。

 だからこそ、建前の先に隠された本音を知る必要があったのだ。武家の者達が、美辞麗句で塗り固めた防壁の向こうにある、本心を。

 

「……そ、れは」

「まぁ、言えんだろうな。実家の両親にも話してねぇことを、赤の他人に言えたら苦労はねぇ。……まして、家来の坊主が理由とあっちゃあな」

「……!?」

 

 だが。その美辞麗句で固められた環境で純粋培養されてきた彼女に、それを求めるのは難しいということは容易に予想されていた。

 だから、自分から殻を破らせるよりも容易く、本性を解きほぐすため。ケンタは自分の口から、彼女の「御題目」を剥がすことを選んだのである。

 

「この帝国で、初めて徴兵制度が施行された半年前。第一期生の一人だった『竜造寺(りゅうぞうじ)カケル』はお前の家来であり、幼馴染だった」

「ど、どうしてそれを……!?」

「そいつの仇を討つために、お前はパイロットを目指してここに来た……だろ。わざわざお前の実家と親しい上級武家のお偉方から聞き出したんだ、苦労したぜ」

「……!」

 

 ケンタが身辺調査の中で見つけた、マイが戦う本当の理由。その全てが見抜かれていたことを悟り、彼女は唇を噛み彼を睨む。

 だがケンタ自身も、このような眼で見られることになるのは想定内だった。そうでもしなくては、彼女の本心には辿り着けないからだ。

 

 ――女としての自分を捨ててまで、武家の姫君が戦場の空に向かう理由には。

 

 ◇

 

 帝国内に僅かに存在する上級武家。一握りの大貴族とも云うべき、その天上人の中でも特に強い権勢を持つ辻霧家は、常に他の勢力を圧倒する権威を誇っていた。

 

 その名家に生まれ育ったマイは、幼少の頃から己が持つ価値というものを理解していた。

 ……そして理解していたがゆえに。のし掛かる重圧に苦しむ余り、他者との交流を拒み続けていた。

 

 それを解消するべく、「同世代の友人」を用意すべきという声が上がり。辻霧家が従える幾多の下級武家の中から、友人役の適任者を探し出すことになったのである。

 

 だが、実際にマイの友人候補として送り出されてきたのは。これを好機に辻霧家と懇意になり、あわよくば婿として迎えてもらおう――という下級武家らの息が掛かった子息ばかりであり。

 その卑しい下心を敏感に感じ取ったマイは、さらに人間不信となり自分の屋敷に閉じ籠るようになってしまった。

 

 そんな折。

 屋敷の窓から外の景観を眺める日々を送っていたマイは、ある日――桜が舞う春空の上で、優雅な曲芸飛行を見せる一機の民間飛行機を目撃する。

 

 翼が空に描く美しい曲線。機体を彩るように、風に煽られ舞い飛ぶ桜。その演出に魅入られたマイは連日、食い入るようにその曲芸飛行を見つめるようになった。

 誰に対しても無感情で、どんな高価なものにも興味を示さなかった娘が、見たことのない溌剌とした表情で曲芸飛行に熱中している。そんな光景を目撃した、父である辻霧家当主は、曲芸飛行のパイロットを調査するよう部下に命じた。

 

 ――やがてその実態が、当時十三歳の少年飛行士であることが発覚したのである。

 

 少年飛行士の名は、竜造寺カケル。

 辻霧家が従える数百の下級武家。その一つである竜造寺家の次男坊であった。

 

 彼は幼少期から、武家の出身でありながら、下町の平民と同じ遊びに興じる変わり者として知られていた人物であり。

 平民の友人達を喜ばせるために少年飛行士となっていたその当時でも、「武家の者でありながら、曲芸飛行などという遊戯に現を抜かすうつけ者」として他の武家からは白い目で見られていた。

 そんな立場である上、竜造寺家が下級武士の中でも最下位であるということもあり、マイの友人候補を選ぶ際には歯牙にも掛けられなかったのである。

 

 ――やがて、カケルは辻霧家に招かれマイと対面。周囲が「なぜあんなうつけ者が」と妬む中、屈託無く友人として接しようとする彼の姿に、マイはかつてない表情で懐くようになった。

 今までの友人候補とは違う。誰の息も掛かっていないし、下心も感じない。そんな人間に出会ったのはこの時が初めてであり、マイは瞬く間に彼に夢中になってしまうのだった。

 

 だが、それから三年。戦況が悪化し、帝国で徴兵制度が施行されることが決まった瞬間。カケルはすぐさま、コスモソードのパイロットとして徴用されることになってしまった。

 

 理由としては、まず優先的に徴兵される「武家の次男若しくは三男」に該当していること。次に、曲芸飛行とはいえ既に三年以上の飛行経験があり、実戦レベルまで鍛えるのが容易であるという見込みがあること。

 そして――マイと懇意であったこと。

 

 マイを狙うがゆえに、彼の存在を疎んでいた他の上級武家が、優先的に彼を徴用するよう軍部に働きかけていたのである。実際、飛行士としての彼自身が持つ能力が無視できないものであったことも、その点では優位に働いてしまったのだ。

 

 これを受け、マイはカケルの徴用を辞めさせるよう父に懇願したのだが――征夷大将軍の勅命である徴兵を断る、というのは武家にとっては最大の恥であり、カケルにそれをさせてしまうのは酷である、と断じられてしまうのだった。

 さらに当のカケルまでもがあっさりと徴兵に応じてしまい、マイは彼の門出を見送るしかなくなってしまうのであった。

 

「大丈夫だよ。皆の笑顔も、君の笑顔も。ちゃんと、オレが守るから」

 

 旅立ちの日。彼の家族すら笑顔で見送っている中で、一人泣きじゃくっていた自分に、彼が微笑と共に遺した最期の言葉を――マイは今でも、はっきりと覚えていた。

 

(カケルお兄様は、あの時……生きて帰る、とは言って下さらなかった。わかっていらしたというの。もう、生きては帰れないと……)

 

 そして、その言葉を最期にカケルは初陣で消息を絶ち――戦死と公表された。

 それから半年を経た今。今度はマイ自身が、パイロットとして戦場に立とうとしている。

 

 最愛の彼を奪ったUIを、一匹残らず駆逐するために。

 

 ◇

 

『色恋は人生を狂わせる、とはいうが……。狂った人生を歩んでる小娘が、一番優秀なパイロット候補っていうのは皮肉な話だぜ』

「狂ってなど、いません。私は、私なりに正気であります」

『女はコスモソードになんか乗るもんじゃねぇ、普通はな。その普通から外れてんだ、十分狂ってるさ』

 

 マイの才覚に対応するかのように、訓練は苛烈さを増して行き――脱落者は過去最多に及んでいた。

 だが、その中で遠因であるマイ自身は次々と訓練を乗り越え、叩き上げの職業軍人であるケンタに肉迫するほどの技量まで成長しつつあった。

 

 そんな彼女の抜きん出た才能に、内心で舌を巻きながら。あくまで教官として接する彼に対し、マイは自分の過去を勝手に調べられたこともあって、冷淡に接していた。

 

 現在、二人は澄み渡る青空の下。

 カーキ色に塗装された帝国製コスモソードを操り、祖国の空を駆け抜けている。両機とも、ドッグファイトに長ける格闘戦タイプの機体であった。

 

 マンツーマンでの模擬戦を終え、基地に帰投する最中であるが――その中で交わされる通信でも、彼らの間には刺々しい雰囲気が漂っていた。

 

「……カケルお兄様をお慕い申し上げるこの気持ちが、間違いであると仰るのですか」

『別に、男の趣味に口を挟む気はねぇよ。だがな、やっぱ女が男の土俵に上がるってのは普通じゃねぇんだ。本当なら、そんなことがあっちゃいけねぇ。女を守るために強く生まれてきたのが、男なんだからな』

「……」

『だから女が男に成り代わるんなら、女を捨てるくらいでなきゃいけねぇ。だがお前は、女として例の坊主を愛してる。……そういう矛盾があんだよ、お前には』

 

 歯に衣着せぬ物言い――であるようで、どこか温かみのある声色。そんなケンタの言葉に触れ、マイの眉が僅かに緩む。

 

『だから……強さを身に付けな。心の矛盾を埋めるほどの、圧倒的な強さをな。どうせ今更コスモソードを降りる気も、例の坊主を忘れる気もねぇんだろ。だったら、時間が過ぎて嫌でも忘れちまうまでは……もうそれしか、お前が生き延びる手段はねぇぞ』

「……言われずとも。私はもとより、そのつもりです」

『けっ、大物め』

 

 そして、相変わらずな憎まれ口を叩くマイの物言いも。ケンタに比例するように、何処と無く角が取れたものに、変わっていた。

 

 ――その時。

 

『緊急入電、緊急入電! 東京上空に、所属不明の機影が多数――ゆ、UI! UIです!』

 

「……!?」

『ち……どうやら、卒業試験はちと前倒しになりそうだな』

 

 突如、通信に入り込んできた緊急入電(エマージェンシー)。その赤く発光している警報に、ケンタが舌打ちする一方で――マイは不意を突くように訪れた初陣の瞬間を前に、冷や汗をかいていた。

 白い頬を伝う雫を、拭う余裕すらない。操縦桿を握る手が、震える。それは恐れか、武者震いか。

 

『……来やがったなクソが! いいか、辻霧は攻撃より回避を優先しろ!』

「りょ……了解ッ!」

 

 それを確かめる暇もなく。

 四本の羽と、八本もの脚。そして六つの眼と二本の鎌を持つ醜悪な怪物が、群れを成して東京の上空から舞い降りようとしていた。

 

 まだ惑星アースグランドが「地球」と呼ばれていた、遥か昔の時代。

 その連綿と続く歴史の一つである「昭和」を彷彿させる、ノスタルジックな街並みが今――侵略者が跋扈する戦場になろうとしていた。

 

 ◇

 

 一瞬にして、阿鼻叫喚の煉獄と成り果てた東京。その街道を逃げ惑う力なき人々に、空から襲い来る獰猛な怪物達が覆いかぶさっていく。

 常人の数倍の体格を持つ彼らは、建物や道路に張り付き次々と人間を襲っていた。その光景を目の当たりにしたケンタとマイは、同時に歯を食いしばる。

 

 燃え盛る市街地の施設や、脱線し横たわる路面電車の残骸が、被害の大きさを物語っているようだった。

 

「正規部隊はまだ動いていないのですか!?」

『すでに緊急出動命令(スクランブル)は掛かってる。だが奴らを補足してからまだ二分も経ってねぇからな。連中がここに到着して攻撃を開始するまで、あと十分は掛かるだろうぜ』

「そんな! 十分も奴らを放っていたら、この東京の民は皆……!」

『だから俺達で始末をつけるんだ! いくぞ辻霧!』

「――はいッ!」

 

 正規部隊がこの戦地に合流するまでには、まだ時間が掛かる。その時を待っていては何もかも手遅れになってしまうだろう。

 この状況を打開するには、今すぐUIを叩き人民を避難させるしかない。二人はその一心で、カーキ色の機体を同時に下方へ滑らせる。

 

 滑空するように地上へ近づく両機の目前で、UIの尖兵が建物を喰らい始める。

 その中で、恐怖に慄くまま死を待つ、幼い子供を抱く母親の姿が目に入る瞬間――マイの心中に渦巻く「恐れ」が「怒り」へと変質し、彼女の精神を突き動かした。

 

「……消えろぉおぉおッ!」

 

 激情のままに射撃レバーを倒し、主翼部に搭載されたレーザー砲が火を噴く。青白い閃光が雨となり閃き、尖兵の全身へと降り注いだ。

 蜂の巣と化し、生命活動を停止したその個体は、力無く建物から剥がれ落ち。生き延びた親子は、互いの生存を確かめ合うように抱き合っている。

 

 破損した建物を通り過ぎる瞬間に、その姿を目撃したマイは安堵するように息を吐く。無事にUIの尖兵を撃破出来たことではなく、あの親子が生き延びたことに、彼女は安心を覚えていた。

 

『ボサッとすんじゃねぇ死ぬぞ!』

「――ッ!」

 

 だが、眼前に飛びかかってきた尖兵の鎌が、彼女の意識を一気に現実へ引き戻す。振り下ろされた刃がマイ機のコクピットに迫る瞬間――別方向から閃いた蒼いレーザーが、鎌もろとも尖兵を撃ち抜いた。

 その向こうでは、ケンタ機が無数の尖兵を屠りながらこちらへ前進している。その圧倒的な立ち回りは、負傷により最前線を退いた男とは思えぬ奮戦ぶりであった。

 

「教官!」

『……とにかく持ち堪えろ! 格闘戦タイプの俺達じゃあ、大気圏外にいる「核」は叩けねぇ。加速タイプの到着まで、俺達で被害の拡大を食い止めるしかねぇんだ!』

「はいッ!」

 

 彼が放つ気迫から、その実力の片鱗を感じ取ったマイは、息を飲み戦火へ飛び込んで行く。ケンタに続くように尖兵達に挑む彼女は、新兵特有の覚束なさはあったが――それを補うほどの天才的な技量で、尖兵の鎌をかわし続けていた。

 

(……やはり、あのガキは天才だな。並の新兵なら、もう三十回は死んでるところだ。場数さえ踏めば、俺はもちろん――あのラオフェン・ドラッフェにすら迫るパイロットになれる)

 

 口にこそ出さないが。ケンタはすでに、この初陣で怒涛の戦果を挙げている彼女の力を、高く評価していた。

 通常の新兵が遭遇すれば、十秒も持たず鎌に切り裂かれているこの戦況で、五分以上も戦い続けている。

 大気圏外からこの尖兵達を操っている「核」を討たなくては永久に終わらない戦いだが、すでに彼女はこの絶望的な戦局にも屈しないパイロットへと成長していた。

 

 この娘は、間違いなく強くなる。帝国を象徴するパイロットになるだろう。

 だからこそ、何が何でも、こんなところで死なせるわけにはいかない。

 

「辻霧ッ!」

 

 ――その一心で。

 

「……教官ッ!? あ、あぁっ……!」

 

 ケンタは、物量に押し切られかけていたマイを庇うように、鎌と機体の間へ割り込んでいた。マイ機の盾になるように、鎌の一閃を浴びたケンタ機は――黒煙と共に、東京郊外の山中へと落ちていく。

 

(……へっ)

 

 その時には、ケンタ自身はすでにパラシュートで脱出していたのだが。

 

 ――戦闘の真っ只中で緊急脱出しておいて、無事に逃げおおせるような世の中なら、もっと多くのパイロットが生き延びていた。

 

 戦闘中の損傷により機体から脱出する際、当然ながらパラシュートで降下している最中は完全な無防備となる。人間を喰らうUIの尖兵が、それを見逃すはずもない。

 

 戦場での緊急脱出は、生きたままUIの餌になることを意味していた。それを知りながら、ケンタは敢えてその道を選び――パラシュートでの脱出に臨んでいる。

 生きたまま捕食される恐怖から、操縦不能になっても脱出に踏み切れず墜落死するパイロットもいる中で、彼は自らその道に踏み切ったのだ。

 

(見てな、辻霧。帝国の軍人ってのは、クソ厄介な生き物だってことをよ!)

 

 ただ、彼は尖兵の餌になることを望んでいるわけではない。一匹でも多くのUIを、道連れにすることが狙いだったのである。

 ――胸に抱いた手榴弾を、連中の口の中で炸裂させることで。

 

「だ、だめ、です。だめぇえぇえ!」

 

 これから死にゆく者とは思えない貌で、獰猛に嗤うケンタ。

 彼の表情からこの先の行動を予見したマイは、動揺のあまり叫ぶが――すでに尖兵の牙は、ケンタに決断を迫るように唸っていた。

 

 そして彼は、一欠片の迷いもなく手榴弾のピンを抜き――

 

「がぁっ!?」

 

 ――自爆のため、それを胸に抱こうとした瞬間。突如吹き抜けた烈風に、その行動を遮られたのだった。

 

 不自然に発生した猛風に煽られ、ケンタは思わず手にしていた手榴弾を取り落としてしまった。

 彼がこの風の原因を求め、眼前を凝視した先では――蒼い閃光に撃ち抜かれた尖兵が、次々と墜落していく光景が広がっている。

 

 コスモソードのレーザー砲のようだが――その射角はかなり高い。自分はもちろん、近くを飛んでいるマイでもない。

 遥か空高くから撃ち抜いたということか。そう結論づけたケンタが、青空を見上げた先では。

 

「……!? あの加速タイプは……!」

 

 先ほどのレーザーを放ち、間一髪自分を救ったコスモソード。太陽を背にして、東京上空に現れたそれは――赤く縁取りした加速タイプの機体であった。

 加速タイプ特有の流線型ボディは、紛れもなくUIの「核」を倒すためのもの。そしてその機体のカラーリングは――ケンタも、噂を通して聞き及んでいた。

 

「ラオフェン……ドラッフェ!」

 

 ケンタがその名を叫んだ時。赤い縁取りと白いボディが特徴の、その加速タイプのコスモソードは、再びレーザー掃射を開始した。

 

 先ほどのように、ケンタやマイ機だけには当たらない絶妙な射撃を繰り返し、次から次へとUIを駆逐して行く――伝説のパイロット。

 その鬼神の如き戦いには、マイも閉口したままとなっていた。

 

(……す、凄い。あれが、伝説のラオフェン・ドラッフェ……!? でも、あれは……)

 

 だが。尖兵とのドッグファイトには不向きであるはずの加速タイプで、獅子奮迅の活躍を見せる彼の技量に、感嘆する一方で。

 彼女は――ラオフェン機の挙動に、どこか既視感を覚えていた。記憶の中で舞い飛ぶ桜が、青空を翔ける加速タイプと重なって行く。

 

「……はっ、そうだ……石動教官ッ!」

 

 それから僅かな間を置いて、ようやく自分の状況を思い起こしたのか。マイは尖兵を屠り続けるラオフェン機を他所に、パラシュートで山中へ降りて行くケンタを追おうとする。

 

 ――だが。行く手を阻む尖兵目掛け、レーザー砲の発射レバーを引く瞬間。

 

『負け犬はあの甘ちゃんに任せな。新兵が他人の心配なんかしてっと、あっという間にあの世行きだぜ!』

「なっ……!」

 

 もう一機。漆黒のボディと青い縁取りを持つ、格闘戦タイプのコスモソードが現れ――瞬く間に目の前の尖兵達を蜂の巣にしてしまった。

 

『オラァアァ! 黙ってくたばりやがれ蛆虫共がァアァア!』

「ちょ、やめっ――!」

 

 獰猛な叫びと共にUIを襲い、市街地戦であるにも拘らず爆弾まで使うそのコスモソードに、マイは抗議の声を上げようとするが――その叫びさえ、黒の機体は爆風で掻き消してしまう。

 

(なんて奴! あのラオフェン・ドラッフェ大尉と一緒に現れたみたいだけど……まさか仲間なの!? あんな荒くれ者が!)

 

 しかも、よく見れば。

 一歩間違えば市街地に甚大な被害を齎す禁じ手である爆弾は、地上の街には一発も落ちていない。そればかりか、爆風もほとんど及んでいない。

 

「……信じ、られない」

 

 一見、周囲の被害を考慮しない野蛮な戦法のようにも見える、黒のコスモソードの戦い方は。市街地を爆撃しないギリギリのラインで、効率的に尖兵を殲滅する大胆かつ繊細な立ち回りだったのだ。

 

 この機体のパイロット――セドリック・ハウルドは、それを可能にする程の超人的技量の持ち主なのである。

 

 彼が凄まじい勢いで尖兵達を屠る一方で、ラオフェン機は彼の言う通り、ケンタが着地した山中へと向かっていた。

 確かに、無理に自分がケンタを救出しようとするよりは、格闘戦タイプの性能を活かして尖兵の駆逐に専念した方が効率的だろう。ハンデをものともしない技量であるとはいえ、ラオフェン機は本来ドッグファイトには向かない加速タイプなのだから。

 

(でも……気に入らないわ、あの男)

『さァ、狩りの時間だ。せいぜい、足を引っ張らないように頑張れよド素人』

「……協力には感謝します。でも、言葉遣いには気をつけてください。上官の――ラオフェン大尉の沽券に関わりますよ」

『はぁあ!? 俺はあいつの部下じゃねーよナメたクチ利いてるとブチ犯すぞコラァ! 聞いてんのかアァ!?』

(……本当、気に入らない)

 

 ただ。ケンタを「負け犬」呼ばわりし、乱暴な言葉遣いで自分を罵り、市街地を危険に晒した彼のことは、どうにも気に食わず。

 マイは止む無く協力を仰ぐ一方で、セドリックに対し強い嫌悪感を抱くのだった。

 

 ◇

 

 一方。山中に着地したケンタは、道無き道をふらつきながら歩いていた。

 森の中を歩む彼の頭上では、未だ熾烈な空中戦が続いている。

 

「クソッタレ……まさかこの俺が、真っ先に脱落とはな……。教え子を残して早々に退場なんて、いい恥さらしだぜ」

 

 苦々しい表情で空を仰ぐ彼の眼は、セドリック機と共に奮戦するマイ機を映していた。彼女はこの初陣の中で、もはや新兵という枠には到底収まらない器へと成長している。

 

「辻霧……」

 

 その戦い振りは、教官としてはこの上なく鼻が高い。はずなのに、彼の表情は憂いを帯びている。

 あれほど命を削って戦っているというのに、戦う理由である竜造寺カケルはこの世にいない。その現実が、当人以上にケンタを苛んでいたのだ。

 

(……だから、死んだ人間なんて忘れた方がいいんだよ……クソッ!)

 

 どれほど生きている人間が死んだ人間のために戦ったところで。死んでしまった人間は、悲しみも喜びもしない。それどころか、知りもしない。

 死んでしまえば、お終いなのだ。だから生きている人間は、死者に魂を引かれてはならない。

 

 その信条に反して戦うマイは、どこへ向かうのか。その行く末を、ケンタはただただ案じていた。

 

「……ッ!?」

 

 すると。ケンタがいる森の中に、突如猛風が吹き抜け――草木が荒々しく揺らめいた。

 何事かと視線を移した先では、赤く縁取られた加速タイプのコスモソードが、山の平地に着陸している様子が伺える。

 

「……お待たせしました!」

「まさか……!?」

 

 恐らくは、パラシュートで脱出した自分の救出に来たのだろう。それは、容易に予想できた。

 

 が。コクピットから出て来たラオフェン・ドラッフェが――年若い少年だったことまでは。さしもの彼も、予測しかねていた。

 素顔こそヘルメットで隠されてはいるが、その体格や声色は十六歳前後の少年のそれだったのである。

 

「石動ケンタ大尉ですね! お怪我はありませんか!?」

「……なかったらあんたが来る意味なんてねぇだろう。ご覧の通り、無様なもんだ」

 

 駆けつけてきた少年は、自機の破片で深く抉られたケンタの肩口を見るや否や、手にしていた包帯で処置をし始めた。その慣れた手つきから、過去に何人もこうして負傷したパイロットを救出してきたのだろうと、ケンタは一人思案する。

 

(……こんな、辻霧とさして変わらねぇガキが「ラオフェン・ドラッフェ」とはな。全く……何をやってんだろうな、俺達大人は)

 

 マイも、ラオフェンも。恐らくは、マイに加勢している黒いコスモソードのパイロットも。年若い身でありながら、自分達よりも死に近しい境地に身を置いている。

 だのに、そんな子供達を守るべき大人の自分が、真っ先に戦線から離され。挙句、守るべき子供に処置を受けている。足を、引っ張っている。

 

 ――情けない。自分の弱さへの怒りで、どうにかなってしまう。

 

「……」

 

 その憤りを噛み締めるように口元を結び、ケンタは戦場の空を見上げた。

 

 処置を行なっているラオフェンの頭上では、今も黒いコスモソードが激しく飛び回っている。

 市街地の只中であることを厭わず、高所から矢継ぎ早に爆弾を投下する、その獰猛な戦いぶりは血に飢えた狼を彷彿させていた。

 

「……おい、あんたの連れ……放っといてもいいのか。東京のど真ん中で、あんなに爆弾ばら撒いてやがるのに」

「心配いりませんよ。セドリックなら、絶対に外しません」

「……」

 

 その危うさを指摘しても、ラオフェンは動じないばかりか――確信を持った声色で、そう言い切って見せる。

 

 事実、あの黒いコスモソードは大量の爆弾を、断続的に投下し続けているが……その全弾は、全て尖兵にのみ命中している。市街地には、一発も落ちていない。

 まるでUIの群れが、爆弾の雨から町を守る「傘」になっているかのようだった。

 

 大量の爆弾を全て寸分狂わず、多数の標的に命中させる技量。人智を超越した、その狙いの正確さを見れば……心配無用と言い切るラオフェンの言い分も理解できてしまう。

 

 そして、理解できてしまうからこそ。

 自分と彼らの間に広がる力の差というものを、嫌というほど実感してしまうのだった。それはさらに、不甲斐ない自分自身への怒りへと繋がっていく。

 

(クソが……! クソッタレが!)

 

 だが、今はそれを押し殺し。目の前の脅威を取り除かねばならない。UIを東京から、一匹残らず駆逐せねばならない。

 そのためには――「核」を撃破する鍵となるラオフェンを、いつまでもここに留まらせるわけにはいかないのだ。

 

「オイ……もういいぞ」

「喋らないでください、傷に障ります。ここの地点をあなたの部隊に連絡しますから、そのまま安静に――」

「――いいっつってんだろうが!」

 

 恩を仇で返す所業。そうと知りながら、ケンタは優しく包帯を巻くラオフェンを、勢いよく突き飛ばす。

 普通なら派手に転倒しているところだが、彼は僅かによろめくのみだった。筋力や体幹まで超人的らしい。

 ……だが、その挙動には微かな動揺の色が見受けられた。

 

「そんなことしてる場合じゃねぇだろ! あんたがさっさと空に上がりゃあ……一分一秒でも早く、『核』を潰しゃあ! UIの連中は殲滅出来るんだ!」

「……!」

「力があるなら! 誰も彼も救える力があるなら、大局を見誤るな! 今あんたがやらなきゃならないのは、負け犬に手当てすることなんかじゃねぇ。UIのクソッタレ共を、一刻も早くブチのめすことだろうが!」

 

 ケンタはラオフェンの胸ぐらを掴み、自分の方へと引き寄せようとする。しかし、ラオフェンの体幹が異常なのか――逆にケンタの体が持ち上がってしまった。

 それでも構うことなく、ケンタはなおも言い募る。

 

「加速タイプに乗ってきたってこたぁ、包囲網を抜けて『核』を潰す気なんだろ。だったら早くしやがれ、あそこで戦ってる奴らが力尽きる前に! あんたが俺にかまってるこの瞬間も、辻霧やあんたのツレは、無尽蔵に沸く尖兵共に苦しめられてんだぞ!」

「……辻霧!?」

 

 畳み掛けるように訴える彼の言葉を受け、ラオフェンは驚愕と共に空を見上げる。セドリック機に守られながら、尖兵達を相手に奮戦している彼女の機体は、徐々に傷付き始めていた。

 

「……」

 

 視線を落とし、拳を握りしめるラオフェン。その胸中を知る術はないが――ケンタは、有る程度当たりを付けていた。

 負傷者を置き去りにするという、彼にとっては耐え難い苦渋の決断に、踏み切ろうとしているのだと。

 

「……ここの地点はあなたの部隊に通達します。ここから、動かないでください」

「……ああ」

 

 胸ぐらから手が離れ、ケンタは尻餅をつくように草むらの上に腰を落とす。そんな彼を暫し見下ろした後――ラオフェンは、意を決して宣言した。

 

「あなたの言葉を……信じます。どうか、ご無事で」

「おう。……さっさと行け、英雄候補」

 

 ようやくケンタの意図を汲んだラオフェンは、踵を返して自機に乗り込み――流れるように素早く離陸して行く。その鮮やかな立ち回りを見送り、ケンタは空を仰いだ。

 空を裂き、この星の外へと舞い上がるコスモソードを、眼に映して。

 

「しかし、あいつ……くっそうめぇな、帝国語」

 

 そして。自国民と遜色ないほど、流暢に自国の言葉を操る彼に、どこか近しいものを感じていた。さらに「辻霧」の家名に反応を示していたことも――彼に、ある疑念を抱かせている。

 

(まぁ……もし、万が一、そうだとしても。武家の男が決めたことだ、外野が口を挟むもんじゃねぇ)

 

 だが、敢えて口にはしない。曖昧なまま、それを表立って言葉にしては、あの少女の人生をさらに狂わせてしまう。

 

 もし、竜造寺カケルが、今もどこかで生きているなら。そんなことは、決して望まない。

 

 ゆえにケンタは、口を噤むのだ。宇宙へ飛び立つラオフェン・ドラッフェの背に、少女が愛した少年飛行士の影を重ねたとしても。

 

 ◇

 

「――おいたがすぎたな、UI」

 

 惑星アースグランド周辺の宙域。その暗黒の海原に、巨大な球体が漂っていた。

 漆黒に染まるその球体の周囲には――おびただしい数の尖兵達が犇めいている。彼らは皆、自分達の生命線である「核」を護衛するために結集した近衛兵だ。

 

 彼らはここから、大気圏を抜け地上へと降下し、東京を襲っているのである。そんな彼らを正面に捉え、宇宙を駆ける加速タイプのコスモソードが今、決戦を挑もうとしていた。

 

 暗い無重力の海を泳ぐ、純白の流線型。赤く縁取られたその機体を駆るラオフェンは――ヘルメットに隠された鋭利な眼光で、遙か彼方の「核」を射抜く。

 無数の尖兵、などという雑魚に用はない。狙いは、その中枢ただ一つ。彼自身の眼が、言外にそう語っているようだった。

 

「――遊びは終わりだ。『曲芸』ついでに、オレが始末をつけてやる」

 

 そして。踏み抜かれたアクセルに、呼応するかの如く。彗星の如き速さで、彼を乗せたコスモソードは宇宙に閃いた。

 

 その圧倒的な速さは、飛行機の速度からは逸脱したスピードであり――尖兵が接近に気づいた頃には、すでにその傍らを通り過ぎるほどであった。

 彼の視界を、数多の怪物達が一瞬にも満たない間に横切って行く。衝突を恐れれば、その瞬間に死が待っている。減速したが最後、近衛兵に包囲され鎌の餌食になるからだ。

 

(……)

 

 ゆえに彼は。焦りも恐れも抱くことなく――自分なら絶対に出来る、という確信だけを胸に秘め、怪物の濁流を掻い潜っていた。

 ともすれば、自信過剰とも取れる、その豪胆さこそが――この死地を潜り抜ける、最大の鍵なのである。

 

(……終わりだ)

 

 だから、彼は。

 

 近衛兵達を潜り抜けた先に待っていた、脆弱な「核」をレーザーで撃ち抜き、そのまま通り過ぎた後も。

 「核」の爆発で近衛兵達が焼き払われる中、殺人的加速で爆炎から逃げおおせた後も。

 

 最後まで、にこりとも笑わず。徹頭徹尾、ただ無表情に。UIの中枢を屠り、この戦いの宇宙(そら)を駆け抜けたのだ。

 

 数多のパイロットを殺めた強敵を、いとも簡単に倒すことも。犠牲者の仇を討ち、遺族の無念を晴らすことも。

 

 ――「敵を倒す」ことより「笑顔を守る」ことを本懐とする、このラオフェン・ドラッフェという男にとっては。

 

「近衛兵九千。及びその『核』、殲滅完了。経過時間は……加速開始から約四秒、と言ったところか。ま、そんなものだろう」

 

 「やって当たり前」のことに、過ぎないのだから。

 

 ◇

 

 ――同時刻。

 東京を襲っていたUIの尖兵達は、突如それまでの勢いを失い始めていた。兵士を生み出す拠点である「核」が討たれ、数が増やせなくなったのである。

 

「……やりやがったなァ、ラオフェン」

 

 元を絶たれれば、尖兵達も長くは生きられない。だからこそ彼らは死を賭して「核」を守ろうとする。

 だが、彼らの感知能力を超える速さで接近し撃破すれば、その決死の防壁も意味を成さない。それが出来るラオフェンが戦線に加わった時点で、すでに彼らの末路は決まっていたのだろう。

 

「ま、心配なんざ欠片もしちゃいねぇがな。あいつが宇宙に上がった時点で、分かり切ってた筋書きだ」

 

 急に数が激減し、羽虫のように撃ち落とされて行く尖兵達。その死骸で埋め尽くされた街道を見下ろすセドリックは、宇宙での決着を悟っていた。

 

 ラオフェンにより「核」が討たれた時点で、尖兵の増殖は打ち止めとなっていた。無尽蔵に沸いていた時でも、十分に持ち堪えていられた自分なら、残りの兵隊を始末することなど朝飯前。

 その確信のもと、セドリックは東京に取り残された敗残兵を、一匹残らず掃討していた。満身創痍になりながら、不屈の闘志で戦い抜いた新兵と共に。

 

『はぁ、はぁ……』

「ほおぉ。ド素人にしちゃ、頑張ったじゃねぇか。まさか最後まで生きてるとは思わなかったぜ」

『う……うる、さい……』

「けっ、減らず口を叩く元気まであるとはな」

 

 いけ好かない女パイロットに毒づきながら、セドリックはコクピットから青空を仰ぐ。レーダーの動きを見るに――宇宙にいるラオフェンは、すでに戦域離脱の準備に入ろうとしているようだった。

 

「挨拶もなしにおさらばか。まァ、あいつらしいっちゃあいつらしいか」

『……な、なにを……』

「おい、アマ。俺達はもう引き上げるから、あの負け犬はお前が拾っとけ。わざわざ面倒を見に来たラオフェンに感謝しとくんだな」

『え、ちょっ――!?』

 

 東京を襲うUIは撃滅した。ならばもう、自分達がここに居座る理由もない。ということだろう。

 戦闘を終えた途端、早々に引き上げ始めていたラオフェンに続くように、セドリックも宇宙目掛けて舞い上がっていく。新兵――マイは咄嗟に引き止めようとしたが、その呼び掛けは徒労に終わった。

 

 瞬く間に飛び去っていく漆黒のコスモソードを、茫然と見送る彼女は――暫し、神妙に彼らが消えた空の向こうを見つめていた。

 疾風のように駆けつけ、烈火の如く戦い、嵐のように去って行く。そんな彼らを、彼女はただ見送ることしか出来ずいる。

 

(負けられない……負けて、なるものか)

 

 しかもそのうちの一人には、好き放題言われるがままだった。その結末に、武家としての尊厳をいたく傷つけられた彼女は、唇を噛み締めながら山の中へと降りて行く。

 その周囲では、ようやく帝国軍の救援部隊が駆けつけようとしていた。――戦いが始まってから、今に至るまで。十分も経っていなかったのである。

 

(……でも……)

 

 遅れて到着した同志達を見つめながら。マイは一人、ラオフェンが見せた飛行を思い返していた。

 甘く切ない記憶に刻まれた、最愛の少年。その彼が、溌剌とした笑顔と共に見せてくれた、あの曲芸飛行。

 

 戦うために研ぎ澄まされているはずの、ラオフェンの戦闘飛行に。彼女はなぜか、竜造寺カケルの影を重ねていたのである。

 

(……ラオフェン・ドラッフェ。あなたは、一体……)

 

 本来なら決して噛み合わない両者が、どういうわけか自分の中では完全に合致している。なぜそんな考えに至ったのかが自分でもわからず――彼女は、ただ困惑した面持ちで空の果てを仰ぐのだった。

 

 ◇

 

「しかし、無断出撃とはな。お前らしくもねぇ」

「我ながら、無茶をしたとは思うよ。反省してる」

 

 ――東京の戦いが終わり、翌日。母艦である宇宙戦艦に帰投していたラオフェンは、セドリック共々、独房にて禁固刑に処せられていた。

 

 この件での出撃は、実はラオフェンの独断による行動だったのである。

 当時は大規模な強襲作戦を遂行した直後であり、本来なら数日は休養を取らねばならないはずだった。ところが東京にUIが現れたという情報を聞きつけ、上官の制止も聞かず飛び出していたのだ。

 

 疲弊を押して無断で出撃。並のパイロットなら、自殺行為に等しい行動なのだ。

 結果としては「いつも通り」の大戦果を引っさげての帰還となったが、彼らを待っていたのは命令違反による禁固刑だった。

 

 この刑罰を下したゼノヴィア・コルトーゼ将軍としては、満足に休ませるには独房に閉じ込めるしかない、という意図もあったのだろう。

 そんな彼女の意図を汲んだラオフェンは、これ以上彼女に心配を掛けないためにも、この刑に甘んじることに決めたのだった。

 

 ちなみにセドリックまで付いてきたのは、単にラオフェンが出て行くと聞いてノリで同行したためらしい。結局彼も、ラオフェンと同じ罪状で独房に閉じ込められている。

 

「一度は捨てた故郷でも、故郷には違いない。……か?」

「……まぁな。付き合わせて、悪かったな」

「俺が勝手に付いて来たんだ、気にすんな。……で、どうだ。吹っ切れたのか? お前は」

 

 セドリックの問いに。かつて竜造寺カケルとして生を受けた少年は、強く頷き天井を仰ぐ。その拳を、確かな決意で震わせて。

 

「ああ。もう、あそこには帰らない。これ以上、マイが戦わくても済む時代を……刺し違えてでも、この手に掴むと決めた。それを願った石動大尉のためにも、オレは戦うよ」

 

 静かに、そして厳かに。そう宣言するラオフェンは――UIとの最終決戦が近いことを、第六感で感じていた。

 この禁固刑が解かれ、数ヶ月後。その直感が示していた通り、ラオフェンは「ラスト・コア」との決戦に臨み――消息を絶つ。

 

 そして、惑星ロッコルのポロッケタウンに身を寄せ、竜造寺カケルとして第三の人生へと踏み出して行くのだった。

 

 それから三年。星霜歴2028年を迎えた現在でも。ラオフェン――ことカケルは、新天地に見出した居場所で、再び曲芸飛行士として空を駆けている。

 

 だが。

 

 彼は、気がついていなかった。

 

 UI戦争の終結から三年が過ぎた今でも、あの少女が――日埜本帝国の少年飛行士を、愛し続けているのだと。

 

 ◇

 

 ――過去を思い返し、暫し物思いに耽っていたマイは。眼前で、同じような貌を浮かべるマリオンを前にして、我に返ったようにハッとなる。

 

「あ……も、申し訳ありません。マリオン様を前にしていながら……」

「ふふ、いいのですよマイ。今日は、ええと……そう、ブレイコウ? なのですから。やはりあなたも……忘れられないのですね」

「……お恥ずかしい限りです」

 

 たおやかな微笑を浮かべる美姫の前で、マイは顔を赤らめ俯いてしまった。鉄血の軍人としての威厳など、まるでない。

 

「そんなことはありませんわ。もし恥ずかしいことだというのなら、私も恥じらわねばなりませんわね」

「あ、いえ、そういうつもりでは……」

 

 そんな彼女に、労わるように語り掛けるマリオンは。やがて、真摯な眼差しで彼女の瞳を射抜き――聖母のような笑みを浮かべた。

 

「けれど。ただ一人の愛しい人へ、一途な想いを貫く。そんな愛の形があっても構わないと、私は信じていますわ」

「……!」

 

 死してなおも、生者の心を掴む男。そんな相手への一途な愛は、決して間違いではない。そう言い切るマリオンの言葉に、マイは目を剥いた。

 

 死者に囚われてはならない、と豪語するケンタとは真っ向から対立する思想だが――マイはなぜか、恩師の教えより彼女の言葉に、心を引き寄せられていた。

 それは、竜造寺カケルへの想いを捨てられない彼女にとっては、ある種の救いだったのかも知れない。

 

「だからこそ私は、心のどこかで信じておりますの。いつかラオフェン様が……ひょっこりと、帰って来てくださる時を」

「そ、それは……」

「きっと、あり得ないでしょうね。でも、構いませんわ。私は、信じたいことを信じます」

「信じたい、ことを……」

 

 例え、荒唐無稽でも。決してあり得ないことでも。それで自分の心が救われるなら、信じたいものを信じる。

 そう語る彼女の横顔を、マイは羨望の眼差しで見つめていた。そんな風に生きられたら、どんなに――

 

 ――いつか、竜造寺カケルに会える日が来たら、どんなに。

 

(……っ!)

 

 考えてしまった。自分も、マリオンのように。

 そして、それこそが本心なのだと、嫌でも思い知らされてしまう。

 

(カケルお兄様……私、やっぱり……あなた様のことが……)

 

 この瞬間。彼女達は、互いに告げることなく。同じ想いを抱え、生き続ける道を選ぶのだった。

 いつまでも、愛する人の帰りを待ち続ける。そんな、途方もない道のりを。

 

 ――だが。二人は知らなかった。

 

 自分達が「同じ男」を、愛しているのだということを。

 

 ◇

 

(マイ……マリオン……君達は、今どうしてる? 素敵な相手を見つけて、幸せになってくれてるだろうか……)

 

 一方。惑星ロッコルで穏やかに暮らす、竜造寺カケルは。

 ポロッケタウンの外れにあるオアシスを背に、雲ひとつない晴れ渡る空を仰いでいた。

 

「コラッ! 見張りが何ボーッとしてんだ」

「あたっ!? ご、ごめんアイロス」

「全く……しっかりしてくれよエースパイロットさん」

 

 その時。物思いに耽っていた彼の後頭部に、棒切れが命中する。頭をさすりながら振り返った彼の前には、アイロス・フュードマンが呆れ顔で立っていた。

 

 ――今日は飛行訓練の疲れを癒そうと集まった、ポロッケタウン基地の女性パイロット達が、オアシスで水浴びをする日。

 カケルとアイロスは、その見張り役を任されているのだ。女性パイロット達は全員が見目麗しい美女ばかりであり、狙う輩は後を絶たない。

 

 大勢の美女が水浴びしている、となれば覗きに来る者達はこぞってオアシスに集まるだろう。そんな連中を取り締まるのが、今日の仕事なのだ。

 

 カケルとアイロスの後ろでは、女性達が和気藹々とはしゃいでいる声が響いている。

 そんな女性陣と、見張りに徹する男性陣を隔てる草むらを一瞥し、アイロスは深くため息をついた。

 

「……ったくよォ。覗きてぇのはこっちだってぇのによ。だいたい、なんでカリンまであっち側なんだよ。あいつパイロットじゃねーだろ」

「女の子同士って、すぐ仲良くなっちゃうからね。すっかり馴染んでるみたいだし」

「その裏じゃ陰口の叩き合い、ってのが相場だけどな。――あら? ていうか、おっさんはどこ行ったんだ?」

「え? ……あ、ほ、ほんとだ。おじさん、どこ行ったんだろう」

 

 その時。アイロスはふと、見張り役が一人足りないことに気づく。それに呼応するように、カケルも辺りを見渡し始めた。

 

 見張り役は、彼ら二人だけではない。本来ならもう一人――ジャックロウ・マーシャス三等軍曹がいるはずなのだが。

 そのジャックロウの姿が見えず、二人は狼狽する。人一倍小柄である彼はなにぶん見失いやすく、背の高い草むらが多いこのオアシスでは、一度見失うと中々見つからないのだ。

 

「待てよ……まさか! おっさん覗きに行ったんじゃ!?」

「そ、そんな!? いつもカリンとゼナイダさんにちょっかい掛けるだけで死にかけてるのに! 今回はあの二人だけじゃなくて、女性パイロット皆がいるんだよ!? ここでそんなことしたら……!」

「お、おい! 早く探し出すぞ! でないとせっかくのオアシスが血の色に――」

 

 そこで浮上した、最悪の可能性。それが意味する結末を回避すべく、二人は焦燥を露わに捜索を始めた――その時だった。

 

 宙を舞い、螺旋状に回転する何かが、二人の足元に墜落した。

 

 べちゃり、という粘ついた水音を立てたそれは……赤黒い肉塊のように伺える。それが何なのか。わかってしまった二人は、声にならない悲鳴を上げて凍りつく。

 

 それは確かに――コズミシア星間連合軍所属、ジャックロウ・マーシャス三等軍曹。だった、「何か」であった。

 

「おっ……おっさぁあぁああん!」

「ジャッ……ジャックロウおじさぁあぁあぁあぁんッ!」

 

 あまりの惨劇に停止していた思考が動き出し、やや遅れて爆発するような絶叫を上げる二人。

 そんな彼らに、微かに反応するかのように……ジャックロウは血だるまになりながら、震える指先で「ぱいおつまつり」とダイイングメッセージを刻むのだった。

 

 ――そうして、相変わらずな日常を送る彼らと。彼らの暮らしを知ることなく、日々を過ごすマイやマリオン。

 双方が交わる日は、いつか……来るのだろうか。

 




 本作「超速閃空コスモソード」は、今話を以って最終話となります。ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました!

 本作はカクヨムの「少年エース原作漫画コンテスト」に応募していた作品であり、その当時は規定文字数の都合から全4話となっていました。ここでは、その都合で端折られたヒロインやキャラ達に言及した「番外編」も、こうして加筆させて頂いております。

 元を辿れば、本作を書こうと思い立ったのは当時ハマっていた「スターフォックス64」がきっかけでした。

 ニコ動で某実況を見る→面白そう→買ってみる→ハマる→コスモソード書く→コンテスト参加→余裕で落ちる→端折った番外編を加筆←今ここ

 だいたいそんな調子でした。今でも、その動画を見てイメージを組み立ててみたり。
 コンテスト当時は「マクロスを彷彿させる」というレビューも頂いておりましたが、言われるまでそんな見方があることには気付きませんでした。
 作品を公開してみて違う角度から評価を貰う、というのは作者側にとっても非常に貴重な財産であり、自身の見識を改善する機会でもあります。こうした意見を多方面から貰えるような作者に、いつかはなってみたいです。

 では、改めて。拙作を最後まで楽しんで頂き、誠にありがとうございました。機会がありましたら、またどこかでお会いしましょう。
 失礼します。


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番外編 嫌いな空、好きな空

 

 あたし……カリン・マーシャスはこないだまで、空が嫌いだった。政府の偉い役人共が、遠い宇宙からあたし達を見下してるようだから。

 

 ――あたし達が住んでいる「惑星ロッコル」は、昔から星間連合政府から「辺境」と軽視され、殆ど放置されている状態だ。

 このポロッケタウンも、UI戦争が終わって間もない頃は治安も酷くて、皆荒れに荒れてたのに……政府は、何もしてくれなかった。唯一の軍人だった父さんは歳を押して、無理して頑張ってたのに。

 

 何かの道楽でこの星に来た政府の官僚が、汚いネズミを見るような眼であたし達を見ていた時のことは、今でもはっきり覚えている。この街と星が汚いのは、お前らみたいなのがのさばっているからだ――と、勝手なことばかり口にしていた。

 そのくせ、あたしの胸に露骨な視線を注いで誘おうとしていたのだからタチが悪い。確か、思い切りキンタマ蹴り上げてやったんだっけ。逃げ帰る奴らの背中だけは、傑作だった。

 

 ――そう。あたしにとって空は、宇宙は、嫌な奴が来る為にある入り口でしかなかった。だから、ずっと嫌いだったんだ。

 

 皆の笑顔を咲かせる為……なんて、頭のおかしなことばかり口にする、底抜けに明るい曲芸飛行士に逢うまでは。

 

 はじめは本当に、ただのお花畑野郎だとしか思っていなかった。今時、子供でも口にしないような綺麗事を、おおっぴらに言い放つ彼のことは、とにかく目障りだった。

 でも……彼がそれだけではないということを証明したのは、すぐのことだった。彼は外見からは想像もつかない腕っ節で街の悪漢達を黙らせると、お得意の曲芸飛行で皆を瞬く間に魅了してしまったのだ。

 気づけばあたしも、父さんも、用心棒をやっていたアイロスのバカも。皆、争うことも忘れて、彼のフライトを楽しんでいたんだ。

 

 あの日から、あたしの眼に映る空は――いつも、綺麗になった。あんなに嫌いだった空を、今はこんなにも好きになっている。暗く淀んでいたはずの、この眼に広がる大空が。蒼く澄み渡る快晴に変わったのだ。

 思えばあたしは、今になってこの故郷(ふるさと)を……ようやく好きになれたのかも知れない。大嫌いだったこの星の空も、あたしにとっては「故郷」だったんだから。

 

「……ねぇ、カケル」

 

 だからあたしは――酔い潰れてカウンターで寝ている、無防備な彼にそっと寄り添い。その頬に、唇を寄せるのだ。

 

「ありがとね。この街を、好きにさせてくれて」

 

 「皆の笑顔」。ただその為だけに戦い、翔び続けてきた彼が、幸せな夢を見てくれていると願って。

 



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番外編 黒狼の正義

 虚空を走る流星の群れが、眩い軌跡を絶えず描き。破壊を司る異形の群れが、この大海に死を呼ぶ。

 星の海原を駆け巡る人類の勇士達は、同胞を脅かす魔物を討たんと命を賭け――その使命に殉じる。

 

 それは、この時代においてはごくありふれた景色であり。勇士達の敗死によって幕を下ろすまでが、様式美であるかのようであった。

 その流れに逆らう者が、1人や2人いたところで、何も変わりはしない。人は人でしかなく、それを越える存在にはなり得ないのだから。

 

 ――「正義」という大層な理想など、成せるはずがないのだから。

 

 ◇

 

「隊長、応答してください! 隊長、隊長ッ!」

 

 メドラ・ユング少尉の眼に映る世界は、真っ白であった。

 ――否、正確には違う。彼女の眼前で繰り広げられている激戦は未だ続いており、多くの同胞達が異形の怪物に挑み続けている。

 

 だが、初陣早々に隊長機を撃墜され孤立してしまった彼女には、それすらも見えなくなっていた。戦闘宙域に突入し、1分も経たないうちに彼女はもう――使命すらも見失ってしまったのだ。

 

 彼女達が搭乗している高速宇宙戦闘機「コスモソード」は、人類を脅かす宇宙生物を駆逐するために造り出された新兵器。その真価を発揮できさえすれば、何一つ恐れることなく全ての危難を斬り払うことも容易い。

 しかしそれは、戦士としての覚悟を胸に、「正義」を成さんと挑める者にだけ許された力であり。その域に達しない者にとっては、ただ宇宙を漂うだけの鉄の棺桶に他ならない。

 

 人類の盾にして、矛。その大役を担う星間連合軍のパイロットでありながら、メドラは操縦桿を握る手を震わせ、眼前の戦場を直視できずにいる。

 目を背けていては死を待つばかりだと、頭で理解していながら。実際の行動においては、その逆を直進している。

 

 ――過去にも、このような状況に陥り戦闘どころではなくなった新兵は数多くいる。そして、そうなった者は例外なく若き命を散らしてきた。

 

「ひっ……!」

 

 それは無論、メドラにも降りかかる運命であり。彼女の機体に迫る宇宙生物の牙は、戦場に迷い込んだ子羊に狙いを定めていた。

 視界を埋め尽くすほどに迫る、死の宣告者。その気配をキャノピー越しに感じ取り、我に帰った時にはもう――回避など、間に合わないところまで来ていた。

 

 メドラの機体に組み付いた彼の者は、牙で彼女を抉り出すべくコクピットに狙いを定める。ここまで近づかれてはもはや、レーザー砲も役には立たない。

 この先に待ち受けているのは、逃れられぬ「死」のみ。それほどの危機が迫っていたことを、今になってようやく理解した彼女は――震えながら宇宙(そら)を仰ぐ。

 

 ――お父さん……お母さん……!――

 

 元々、パイロットになるつもりなどなかった。安全な内地で、事務員として細々と暮らしていくつもりだった。

 しかし、パイロット不足に喘ぐ軍部は、そんなメドラを見逃してはくれなかったのだ。本来ならコスモソードのパイロットとしては適性がないにも拘らず、「数合わせ」のために転属させられてしまったのである。

 わけもわからないままコスモソードに乗せられ、わけもわからないまま戦わされ、わけもわからないまま死んでいく。そんな彼女の受難は、この時代の不条理を凝縮したかのようであった。

 

 あまりに儚く、一瞬にも満たない15年間の人生。その終幕を前に、彼女は走馬灯を見ることさえ叶わぬまま――異形の牙に、

 

「いやぁあぁあっ――あ!?」

 

 幼い命を摘み取られ、なかった。

 

 闇を裂くように翔ぶ、灼熱の一閃。漆黒の殻に守られた異形の身体を、容易く焼き斬るその剣は――少女に迫る牙を、一瞬のうちに遠ざけてしまう。

 レーザー砲によって撃ち抜かれた宇宙生物は、瞬く間に命というしがらみから解放され、天に召されて行く。メドラ機からゆっくりと離れ、星の海を漂う黒の骸が、徐々に少女の視界から消え去っていった。

 

「えっ……!? あ、れは……」

 

 異形の災厄から少女を救い、魔の物を撃ち倒した熱線。その一撃が来た方角には――こちらを目指して翔び続ける、1機のコスモソードの姿があった。

 しかしそれは、星間連合軍のものではない。本来なら純白に塗装されているはずのその機体は、闇のような漆黒に塗りつぶされている。

 

 ――それは元々事務員志望であり、パイロットとしての知識にも疎いメドラでさえも、よく知っている姿であった。

 

 星間連合軍から奪ったコスモソードで、あらゆる星を渡り歩く流離(さすら)いのならず者。彼は人類の矛を私欲の為に操り、各惑星で悪逆の限りを尽くしているのだという。

 ――「黒狼」の異名を持つ、宇宙海賊セドリック・ハウルド。その悪鬼が操るコスモソードは、漆黒に塗られている。そう、幾度も報じられているのだ。

 

『おい』

「ひゃいっ!?」

 

 悪名高い賊の機体が、傍まで近づいてきた瞬間。低い男の声が傍受され、メドラは動転の余り奇妙な声を漏らしてしまった。

 そんな彼女を気にする様子もなく、宇宙海賊は自分達を取り巻く戦況を一瞥する。すでにコスモソードの数は当初の半数以下まで減少しており、メドラと同じ新兵の多くは、現世(うつしよ)から脱しているようであった。

 

 戦況は――素人同然のメドラから見ても明らかなほどに、芳しくない。その光景を改めて目の当たりにした彼女は、状況が切迫している事実に直面し、息を飲む。

 一方、ただ静かに戦局を見つめていた宇宙海賊は――コクピットの中で目を細めつつ、メドラの方へと視線を移した。数多の死線を潜り抜けてきたならず者の眼差しが、戦を知って間も無い少女の瞳を射抜く。

 

『新兵か』

「……は、はい」

『指は動くか。操縦桿は握れるか』

「……はい」

『なら手を貸せ。奴らを潰す』

「……」

 

 分かっている。いくら隊長機を落とされ、この戦場で孤立しているからといって、お尋ね者の言いなりになるなど軍人としては余りにもお粗末だ。パイロットの適性云々どころの問題ではない。

 だが、選り好みをしていられる場合でもない。自分と同様に指揮系統を見失った新兵達は、ほとんど戦死してしまった。残る正規パイロット達も皆、危機に瀕している。

 

 この宇宙海賊が、少なくとも自分よりは場慣れしているというのなら。これ以上の被害を食い止められるのなら。

 誘いに乗り、この海賊を利用することもやむを得ないはず。そう、これは緊急時ゆえの苦肉の策なのだ。

 

 ――大丈夫。私、悪くない――

 

「わかり、ました」

『えらく間が空いたな。……まぁいい』

 

 その一心で顔を上げるメドラを、キャノピー越しに一瞥しつつ。宇宙海賊は異形の群勢に視線を向け、操縦桿を握る手に力を込める。

 

 数十年も前から人類の敵として、多くの命を蹂躙してきた異形の生命体。彼らがいる限り、この宇宙に安全な場所はないとされている時代の中で――彼は流浪の戦士として、独り星の海を渡り歩いてきた。

 こんな修羅場など、潜り抜けて当たり前。それが、セドリック・ハウルドという男の「普通」なのである。

 

『お前、前進できるか。左右に曲がれるか』

「……バカにしてるんですか。確かに適性はないですけど、ちゃんと飛ばせる訓練くらい受けてます!」

『だったら十分だ。お前、真っ直ぐ飛んで「餌」になれ。俺が「罠」をやる』

「……」

 

 死ねと言われているようなものだ。さすが宇宙海賊、乱暴にも程がある。

 ――だが、彼に逆らったところで何も状況は好転しない。加えて、一度死に掛けたこともあり、メドラはすでに通常の新兵とは異なる精神に達していた。

 彼に従おうが、従わまいが。ここで死んで両親に会えなくなるなら、同じことであると。

 

「……これで私が死んだら、あなたの懸賞金がさらに増えますからね」

『それも悪くねぇな』

 

 皮肉たっぷりに、宇宙海賊はそう返してくる。いちいち嫌味な男だ。

 だから、敢えて話に乗ってやる。乗った上で必ず生き延びて、吠え面かかせてやる。

 

 急加速に備え、エンジンを噴かせるメドラ機が、そう告げていたのだろう。期待の挙動から彼女の胸中を察した宇宙海賊は、薄ら笑いを浮かべ敵方に視線を移す。

 

 ――いい性格してるぜ――

 

 口元を歪めて嗤うならず者は、骨のある新兵に一番槍を託し、滑るように上昇していく。

 そんな彼を見上げながら、メドラはフットペダルを押し込み――異形の群れへと肉薄していった。牙さえ持たない1匹の羊が、狼の森に迷い込むように。

 

 そうして果敢に宇宙を駆け抜ける白い翼は、星の海に艶やかな軌跡を描き――狼達を引きつけていた。

 自分達に迫る敵機を察知した宇宙生物の群勢が、彼女に狙いを定めるのは、もはや必然であり。その獰猛な牙は人間の生き血を求め、メドラ機を狙っていた。

 

「――生憎だったな、蛆虫共」

 

 だが、必然はそこまで。純白のコスモソードを襲う凶禍の牙が、その機体に伸びることはない。

 格好の獲物が放つ「無防備」という甘美な香りが、異形の群れから思考を奪い。頭上に迫る黒狼の刃さえ、霞ませてしまう。

 

 それこそが、セドリック・ハウルドの必然。メドラ機の陽動に容易く惑わされ、死を待つ肉塊と化した宇宙生物達に――漆黒のコスモソードは、熱線の豪雨を以て死罰を下す。

 天より異形を穿つ灼熱の嵐は、人類に仇なす無法者を一瞬のうちに焼き切り、貫いて行く。無数の凶眼は瞬く間に生気を失い、命だった何かは虚空へと四散した。

 

 ――その裁きを与えた断罪者は、正義の使者には程遠いならず者だが。命を賭して戦地を翔ぶ、幼気な少女にだけは決して当たらぬ彼の閃光は、この世界に確かな正義を灯していた。

 

 それからも、少女はただひたすらに真っ直ぐ。次の一瞬に待ち受ける死の可能性に震え、それでもフットペダルからは足を離さず。

 宇宙海賊に命運を託し、戦渦の宇宙を駆け抜ける。

 

 そんな彼女に、応えるかのように。ならず者もまた、決して彼女が傷つかぬよう――その穢れなき翼に迫る災厄を、斬り払い続けていた。

 僅か数ミリの誤差が生じれば、その瞬間に彼女の翼は熱線に焼かれ、死の奈落へと消えて行く。

 そうと知りながら彼は躊躇うことなく、確実に当てられるように。異形の群れを、限界まで引きつけ――撃ち続けていた。

 

 ――死にたくない死にたくないって、今にも泣きそうなアイツなら、止まることなく飛び続けてくれる――

 

 ――アイツだって、囮がなくなったら困るはず。だからきっと、助けてくれる――

 

 それは、互いを信頼しているかのようであり。呪っているかのようでもあった。

 

 ◇

 

 そんな2人が、この戦いを生き延び。宙域に潜む全ての異形を駆逐したのは、彼らが巡り逢ってから僅か5分後のことである。

 

 音速を悠に超えるコスモソードのパイロット達は、刹那さえも永遠のように感じてしまうものだ。数十年の寿命を使い切ったかのような思いで、戦いを終えたメドラは息を荒げ、虚空を仰いでいる。

 

『……どうした、ただ翔ぶだけで精一杯か?』

「……うるさい、ですっ」

 

 決死の覚悟で初陣を潜り抜けた少女に対し、宇宙海賊はならず者らしく辛辣な言葉をぶつける。そんな彼に泣かされることが気に食わず、少女は目尻に貯めた涙が溢れる前に――憎まれ口を返していた。

 

「……でも。しょうがない、よね」

 

 ――自分は新兵で。孤立していて。彼は場慣れしていて。強くて。

 それだけ揃えば言い訳としては十分だと、彼女は決め付けていた。こんな最低な男に、恩義を感じてしまう言い訳としては。

 

『しかし、よく俺のような海賊の言い分を聞いたもんだな』

「……不本意ながら、助けて頂いたのは事実ですから。ここは、『義賊』って言うことにして差し上げます」

『……義賊。義賊ねぇ』

 

 そんな彼女にむず痒い言葉を浴びせられ、宇宙海賊はコクピットの中で僅かに視線を泳がせる。その様子が、どこか可笑しくて――キャノピー越しに彼の表情を見遣るメドラは、口元を緩ませていた。

 

「結局、お尋ね者ですけど。悪い人ですけど。それでも、奴らと戦ってくれたことだけは『正義』だって思いたいんです」

『よせよ、正義なんて。……そういう御大層な言葉はな、人間に成せるような軽いもんじゃねぇんだ』

「……正義は、軽くない……?」

『あぁ。……だから俺に「正義」はいらねぇ。「義」の一文字で、ちょうどいい』

 

 悪党と蔑まれ、罵られて当然という世界に生きてきた彼にとって。「正義」などという言葉は、あまりにもむず痒く、眩しい。

 故に彼は妥協点として、「義賊」という評価だけを受け取ることにした。「正義」未満の「義」だけで十分。そう、言い切るかのように。

 

「……行くんですね」

『……あぁ。あばよ』

 

 これ以上関わっては、どんな照れ臭い言葉をぶつけて来られるか分かったものではない。その不確定要素から逃れるかのように、漆黒のコスモソードは急速に旋回し――遥か彼方に広がる暗黒の大海へと、進路を変える。

 

 ――この時代だ。次に生きて会えることは恐らく、もうないだろう。セドリックにはもちろん、メドラにも、それは分かりきっていた。

 分かりきっていたから。どうせ最後だから、「正義」などという大仰な言葉を残したのだ。

 

 この先、何があっても。彼のどこかに、自分という存在が残るように。

 ――それが彼女の、「命の恩人」に対する仕打ちであった。

 

「……ふふっ」

『……ムカつく奴だ』

 

 そんな彼女に、ため息をつきながら。孤高の「義賊」は、次なる戦場を目指して飛び去って行く。救援に駆けつけた味方部隊に発見されたメドラ機から、逃げるかのように。

 

「……ほんとにね。ムカつく」

 

 そして、友軍機の機影を一瞥した後。消え去って行く黒狼の翼を見上げて、口元を緩めて呟く彼女もまた――彼と同じように。

 

 いつか会えればと、笑っていた。

 

 ◇

 

 それから、何年もの歳月をかけて。この宇宙から異形の群れが滅ぼされ、人類の「正義」が成し遂げられたのだが。

 その成就の陰に、人知れず戦い続けていた黒狼の翼が隠されていたことを、知るものはいない――。

 



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