戦闘民族は迷宮都市の夢を見るか (アリ・ゲーター)
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1.はじまりの記憶

 おぼろげに覚えている記憶がある。

 脳に直接転写された情報とは別の、感触、音、色、そんなようなものだ。

 外に見える圧倒的な黒。輝く無数の星々。そして凄まじい振動。冷凍睡眠( コールドスリープ)が溶け、こわばる手足。

 自分を食いに来たケモノ。

 それを倒し、俺を抱き上げ、微笑んだ( おやじ)の顔。

 ついでに言えばさらに昔の記憶もあった。

 記憶というより記録というべきもの。家族に恵まれず、境遇に恵まれず、自力で自身の生を切り開く事も出来なかった。作り物の話に逃げ込んでいつの間にか死んでいた、何にもなれなかった人間。

 その記録の知識からすると、何とも困った事に──ドラゴンボールのようだった。

 漫画のはずだ、創作物のはずだと思っても、宇宙ポッド内で転写された知識がそれを真っ向から切って捨てる。

 ──惑星ベジータ生まれのサイヤ人。王の近衛を務めたエリートの血を引きながらも戦闘力が低く、辺境の惑星送りにされた出来損ない。

 

「ナッシュ」

 

 俺に付けられた名前らしい。池の水面で自分を映し、もう一度その名前をつぶやく。

 首をひねった。やっぱりどうも自分の名前である気がしない。

 

「アウル」

 

 枯れた男の声がした。

 俺は振り返り、お帰りと声をかける。

 何度も呼ばれた名だ、養父(おやじ)に付けられた名前だった。やはりどうもこっちに馴染みがある。

 

「魚でもいたか? 」

 

 俺は首を振る、何となく眺めていたと伝えると、養父は肩をすくめた。

 

「飯になるならともかく、ただ水面見つめててもなあ……どっかの偉い先生じゃあるめえし」

 

 呆れ顔でそう言い、次いでニカッと笑みを浮かべる。

 

「喜べ! 今日は大量でな、たっぷり稼いできたぞ。さあメシだメシ!」

 

 そう言い、右手で食料でパンパンになっているらしい大きな麻袋を掲げてみせる。

 体は現金なもので、まるでそれを合図にしたように腹がぐるると猛獣のようなうなりを放った。気分も浮ついてきて、思わず「おっしゃー」と声が出てしまう。こんなにメシが大好きになったのはきっとやっぱりサイヤ人ボディのせいだ。三度のメシが美味いったらない。色々小難しい事を考えてても落ち込んでいても、食べればケロッと忘れるのだから得なもんだ。

 

「おお、てめーはまったくいつもいつもよく食うなあ」

「おやじは飲んでばかりだな」

「そりゃおめー、おりゃ酒が飲みたくてわざわざ酒の神(ソーマ)様の【ファミリア】に入ったんだからよ、毎日飲んで当然だろ? そいでちょっとのツマミに良い女でもいりゃ俺は満足ってもんよ」

 

 めちゃくちゃ俗物な事を言う。何でも酒屋の跡取り息子だった養父は若い頃この迷宮都市(オラリオ)にとんでもなく美味い酒があると聞いて訪れ、それが市場に出回るものでなく、【ファミリア】内で限定的に飲まれているのを知ると、一も二もなく志願し、冒険者となったらしい。

 とはいえ、そのとんでもなく美味い酒、この【ソーマ・ファミリア】に入ったからとはいえ易々と飲めるものでもなく、何かの機会にちょっとしたおこぼれに預かるか、探索で結構な貢献をした団員に褒賞(ほうしょう)として下げ渡されるというものらしい。あまりの美味さに、ソーマを飲みたいがために探索で無茶をしてしまう団員も後を絶たないようだ。

 もちろん、今養父が目の前で煽っている酒はそんな上等なものではない。とはいえ庶民が毎日の楽しみに飲むにしてはかなり値の張る蒸留酒(ブランデー)らしいのだが。

 

 しかし、と思う。本当にドラゴンボールなんだろうか? ドラゴンボール始まるんだろうか?

 あの世界の地球は結構……こう、なんでも有りだったし、こんな場所があってもおかしくないとは思うのだが。

 神様が都市をうろちょろ歩いていて、底の知れないダンジョンがあって、世界はモンスターが一杯。ヒトという種族がヒューマンだの獣人だのエルフだのって色々居るのは、何となくドラゴンボールでも地域によってありそうな気もしなくもないけども。

 地球じゃないのか?

 そんな事も思う。というかそっちの確率の方が高い。頭に焼き付けられたサイヤ人としての知識、そして命令(オーダー)を考えるに、地球と似たような環境の惑星なんだろう。そして、その惑星を売り物にするために送り込まれた先兵であり侵略者(インベーダー)が俺という事らしい。

 むろん、そんな命令に従う気はさらさらない。身のうちに眠る暴力的な衝動──煮えたぎるような闘争心は感じるものの、同時に駄目な人生だったろうと、一度でき上がった人格を下敷きにしているのだ。街の子供との喧嘩はしょっちゅうだったがやりすぎるって事もなく、今のところひどくサイヤ人らしからぬサイヤ人だと言える。きっと悟空より大人しい。

 育ての親にも──恵まれた? のだろうか、少なくとも悪い養父ではない。余った時間に受けた都市外の調査依頼で倒れていた俺を拾ってくれたという。怪我かと思ったら空腹で倒れていたのだそうだ。周囲には破壊されつくされた地形、巨大な足跡が見つかり──新種の巨人型モンスター、その破壊の痕跡だという事になったらしい。俺はおそらく、どこかから連れられてきた被害者、いわば食い残しだろう、という事だった。

 うん。

 その巨人型モンスター、俺だよね。

 状況的に多分、宇宙ポッドからでてすぐ月を見てしまって大猿化、暴れ回ったに違いない。ブルーツ波怖い、まともに月見もできなくなった。

 

 食事を終えると、食器を洗い、踏み台をどかす。多分今五歳くらいだと思うのだけど、とても身長が小さい。家事をやるのも一手間かかる。居間に戻ると、養父が空の酒瓶を抱いていびきをかいていた。

 

「ああもう、仕方ねーおやじだな」

 

 寝台(ベッド)から布団を抱え上げ、養父の体にかける。むごむごと何かを呟き、再びいびきをかき始めた。

 この養父は悪い人ではないのだが、結構な生活無能力者なのだ。

 放っておけば服は買って洗わず汚れが酷くなったら捨て、食事は屋台で全て済まし、掃除もせずネズミやゴキブリと同居生活になるだろう。記憶も曖昧で、物心つくかつかないかって年の俺が「ああこりゃ駄目だ」と思って家事を覚えるくらいには駄目だったのだ。

 しかし、正直、なんで養父が俺を拾ったのか、今でもよくわからない。

 聞けば気まぐれとしか言ってくれないが。

 ──まさか小間使いほしさに子供を?

 いやそれはさすがに無い。三歳児みたいなのがまともに家事できるとか思うわけがない。多分、きっと。信じてるおやじ。

 ふと浮かんだ想像を頭を振って追い出しつつ、俺もまた設えられた寝台に潜り込み、寝る事にした。

 サイヤ人とはいえ、子供は子供、たっぷり食べれば次に来るのは眠気なのだ。

 たっぷりの中綿のある布団に包まれ、とろとろと意識は閉じていった。

 

 □

 

  【ソーマ・ファミリア】の団員は本拠地(ホーム)にはあまり居ない。

 それは神酒(ソーマ)に釣られた団員たちが熱心にダンジョンで稼いでいるという事もあり、貴重な神酒(ソーマ)を保管してある酒蔵に守りを割いているためでもあるが、なにより本拠地(ホーム)そのものがそう広いものではない、多くの団員は無所属(フリー)の一般人と同じように各々で部屋を借りたり、かなり以前に購入されたものらしい、本拠地(ホーム)と酒蔵の丁度間ほどに位置する集合住宅で寝起きをしている。

 何しろ主神が主神だ、ファミリアの運営には興味を示す事もなく、そのためか団員が増えても本拠地(ホーム)の拡張もおざなりで、嘘か真か話によればもう百年ほどちょっとした修繕のみで済ましているらしい。

 集合住宅の方も建築されて何年経ったか判らないほど古い建物だ。もっとも基礎部分は全て石造りなので、木造部分を定期的に取り替えれば半永久的に持つ家なのかもしれないが。

 そんな古い住宅の一室に俺と養父は住んでいた。

 隣の部屋──といっても両隣は空き部屋なので、一部屋おいて隣に三人家族が住んでいた。

 小人族(パルゥム)という種族だ。一般的なヒューマンよりも背が低く、力も低い。その代わり器用ですばしこい、と養父は教えてくれた。

 

「にーちゃ! うま!」

「へいへい」

 

 そしてそんな小人族(パルゥム)のアーデ夫妻、その一人娘が今、俺の背中からよじよじと這い上り、肩にまたがろうとするリリルカだった。

 肩に登ったのを確認して足を押さえて立ち上がる。

 

「たかーい!」

 

 どう考えても普通の肩車なのだが、どうもこれがリリの言う『うま』らしい。視点が高くなるのが楽しいようで、俺の記憶にあるお馬さんごっこという奴をやったら「うまじゃない!」とむくれさせてしまった。

 

「いけー!」

 

 という突撃命令に従い、ドアを開けて外に出る。通りにはいつも通り、通る人の姿は少なく、荷物を積んだ馬車が混雑するメインストリートを避けて通る程度だ。貧民街(スラム)でもあるダイダロス通り、通称迷宮街に隣接していて、お世辞にも治安が良いとは言えない。地価も安いのか周辺に住んでいる人達も一般的な市民からすると、『ガラが悪い』感じらしい。

 ともあれ、既に慣れた俺や生まれたリリにとってみれば当たり前の風景だ。

 近所に住むお婆さんが散歩している隣をリリを担いで挨拶しながら走る。

 

「ごー! ごー!」

「さー! いえっさー!」

 

 遊びの中で教えた言葉を使うリリ。さすがに複雑な意味の言葉までは覚えてくれないものの『GO』が前進や進めなどという意味だって事は早々と理解してしまったらしい。

 リリを担いだまま通りを走り、三段の階段を一飛びに飛び降りる。小さな農園の柵を飛びまたぎ、野鍛冶の看板にリリが当たりそうになるまで近づき、しゃがんで回避させる。

 俺にとっては障害物競走だが、乗っているリリにとってはジェットコースターのようなものだろう。

 最初は散歩するだけだったのが、段々こういう遊びになってきてしまった。リリがまたきゃっきゃと喜ぶので、つい俺もノリにノってしまったのが原因かもしれない。近所の人ももう慣れっこなのだろう、冒険者の子という事で「元気だねえ」程度に思われているようだ。

 最後のカーブを曲がり、膨らんだ分は壁を蹴って減衰、路地の奥にあったのはそこそこに広い敷地と、山積みになっている大量の煉瓦、板材、鉄パイプ、切り出された石だ。

 何か建物が建つ予定だったらしいが、間際にごたごたと面倒臭い事情が起きて、そのまま放置されたらしい。板材などは(さん)積みされているものもあれば立てかけてあるものもあり、野良猫が喜びそうな狭くて雨露をしのげる空間が出来ている。

 もちろん地元の子供もこんな絶好の遊び場を逃すわけもなく、煉瓦を勝手に組み替えて秘密基地を作ったり、互いの秘密基地を攻撃して陣取り合戦めいたものをやっていたりもしていた。

 

「到着だぜっ」

「ついたー!」

 

 俺達が到着すると、先に陣取り、石材の上に腰を下ろしてふんぞりかえる茶髪の子供が腕を組んでこちらを睨む。その頭には尖った大きな耳、少々ボリュームの少ない尾はその眼光とは裏腹に元気よく揺れていた。

 モール・ハーブル。俺の同い年の狼人(ウェアウルフ)だ。我が強くちょっと間が抜けているが、正々堂々を好み、人も良い。子供たちのガキ大将だった。

 

「よく来たなアウル・ノーザンホーク!」

「いやお前が呼んだんじゃん」

 

 俺はそう突っ込みつつしゃがんでリリを下ろす。

 

「にーちゃ、にーちゃ」

「おう?」

「負けちゃ……やー!」

「おうよ!」

 

 幼いながらの激励を受け取った。

 俺はリリの頭を一つ撫で、ちょっと離れて見ててな、と言う。

 うんと頷き大人しく離れて行くリリを見届け、モールに向かい合う。

 やっと喋って良いのかとアイコンタクト、良いと頷くとモールも頷き言葉を続ける。

 

「いよいよお前とのしゆうを決する時がきたっ! 俺は今までの俺と違うぞ!」

 

 どこかの劇か本で覚えたような台詞を、ドンという効果音が浮かんできそうな顔で喋る。

 周囲の子供が意味が分からず、しゆうって何だ? と小声で喋っていた。

 

「おおお! 何が違うんだ!?」

「ファハハ! 聞いておどろけ、俺はダンジョンにいってきたぞ、コボルトを二体も倒してきた!」

「すげーな、モール! 怖くなかったか?」

 

 本当に驚きから疑問を投げかけると、モールは沈黙した。たっぷり十秒は黙り込み「怖くなんてなかった」と言う。

 周囲の子供達は訳知り顔でうんうんと頷く。俺もまた頷き、頑張ったなと声をかけた。

 

「う……あり──う、う、うるせえ!【ステイタス】を更新してもらった俺は今までの俺とは違うぜ!!」

 

 そう言い構えるモール。

 言葉の通り、モールは神の恩恵(ファルナ)を幼少にありながら受けた子だった。

 ファミリア内での結婚、出産はままある事らしい。眷属(ファミリア)内に出来た子供は同じく眷属と見なす。そういう暗黙の掟じみたものがオラリオにはあった。リリもそうであり、きっとモールもそうなのだろう。

 喧嘩友達というのがいるとしたらこういうのを指すのかもしれない。

 俺の中身はともかく、体は極めつけだ、戦闘民族半端ない。馬鹿げた身体能力ゆえに養父も、どこかのファミリアの中で生まれた子なんじゃないかと言っていたくらいだ。一応親も探してくれたらしいが、少なくともオラリオにはいないと言っていた。それは……当然なのだがちょっと後ろめたくもなった思い出だ。

 そしてこの近場ではモールだけが俺に対抗でき、張り合って見せた。

 逆に言えば神の恩恵(ファルナ)持ちのモールも、自分の相手になる同年代が居なかったのだろう。

 この遊び場の大将だったモールは初めて見た時、ふんぞりかえってるくせにどこかつまらなさそうでいじけて見えたのだ。

 

「おっしゃ、こい!」

「おおッ!」

 

 だんッ、とモールは立っていた石材を蹴り、一跳び、二跳び、跳ねるように石材の山を駆け下りた。

 狼人(ウェアウルフ)の得意とする戦い方はサイヤ人とも通じる。強く、速い。元より強い身体能力が神の恩恵(ファルナ)の強化で、五体そのものが凶器と化す。

 最初の交差で掌底がひねりを加え、放たれる。狙いは肩、これまでの喧嘩で真っ正直な頭や首狙いは当たらないと判っている。動きの限定された所を狙ってきた。

 躱せない、いや、躱さない。

 体を落とし、逆に肩からぶつかる。

 がつんという衝撃──が少ない!?

 不思議に思う間もなく、すり抜けるように側面に回ったモールの唇がにやりと笑った気がした。

 脇腹に衝撃。体が浮かされる。

 見えたのは膝だ、掌底は最初からフェイクだった。

 十分に重さとスピードが乗った膝を受け、体が後ろに一回転した。地面に手を付き、さらに一回転、そこでようやく足から着地する。

 脇腹がジンジンする。おう……けっこう痛い。

 

「おお、やるなあ、モール。そんなのいつ覚えたんだよ」

「……母ちゃんにならった……つか、覚えさせられたというか」

 

 いかん、トラウマスイッチだったらしい。モールの目からハイライトが消えたような気がする。尻尾も元気なく垂れ下がった。

 モールは頭をぶんぶん振ると、まだこんなもんじゃない、と姿勢を低く取る。

 土煙を残し、こちらに迫る。

 極端に低い姿勢のままの走法、『敏捷』アビリティのおかげだろう、通常では不可能な事もなんなくこなす。

 なるほど、と思った。自分の目線より低い位置にあると、距離感がずれる。もしかしたら体格の良いモンスター相手にもこういう体さばきは有効なのかもしれない。気づけば間合いを詰められている感じと言えば良いのだろうか。

 でもなあ、とタイミングを合わせてただ真上に跳ぶ。

 

「え゛う!?」

 

 空振りに終わった左フック、それを眼下に眺め、俺は重力に任せて落ちた。

 

「っげふ!」

 

 無防備なモールの背中に着地。

 モールは姿勢を維持できず、そのまま潰される。

 

「いやー、それ真っ正面からやる技じゃないだろ多分」

「んぐおぉ……ちくしょう」

 

 モールの背中に乗っかり、言った。

 いくら距離感が掴みにくかろうと真っ正面から来れば、別に何と言うこともないのだった。おそらく、誰かと連携して戦う時こそ最大限に効果があり、次点で気づいてない相手に奇襲をかける時くらいだろうか。

 

「いつまで乗ってんじゃ……ねえっ!」

「んぉ!?」

 

 モールは腕立て伏せのような形で全身を跳ねさせ、俺をはねのける。向き直り、あったまって来たぜと笑った。

 釣られるようにこちらも笑い、腕をぐるぐる回す。

 

「よーっしゃ、次は俺から行くぜー!」

「いつでもこいよッ」

 

 構えたモールに向かい、俺は馬鹿正直に正面から走る。

 一歩、二歩、三歩、一足ごとに増す速度。

 そして正面から、遠い間合いで、全力の張り手を唐竹割のごとく、大上段から放った。

 モールの驚く顔が見える、もちろん間合いが遠すぎる、当たるわけがない。

 でも良い。その勢いのまま、左手も右手を追い、前転の要領で体を丸める。

 伸ばした左足の踵がガードの姿勢をとったモールの腕に衝撃を与える。

 縦回転の胴回し蹴り、とでも言うんだろうか。

 回転は止まってしまったが追撃はこない。残った右足も使い、さらに一撃を加えると、その反動で跳躍、後方に回転して距離を取る。

 

「っいっっでえええええ!!」

 

 ガードした両手をわなわなさせながら叫んだ。

 

「なんて威力だちきしょー! ばか力が!」

「にっひひ、力だけじゃねーもんね」

「くそ、フェイントか、真似っこしやがって」

「おうさ、さっきの歩法ってか技も真似させて貰うぜー」

「やれるもんならやってみろ!」

 

 そんなじゃれ合いじみた喧嘩を続ける事しばし。

 体力の限界か、立ち上がれないモールを後ろに、俺は勝利の拳を突き上げていた。

 

「今日も勝ち越しだぜモール! これで俺の35勝3敗だな」

「あ゛~くそう、勝てなかったー」

 

 終わったと言うのを感じたのか、リリがとてとてと駆け寄ってきた。

 

「にいちゃ、だいじょぶ?」

「おう、へーきへーき、リリのおかげで勝ったぜー!」

 

 そう言って抱き上げ、高い高いの要領で抱え上げた。

 

「よう」

 

 モールが声を上げる。そこに込められた複雑な感情に俺は思わず息を飲んだ。

 

「俺な、ちょっとしたらオラリオを出るたいだ」

「モール? そりゃどうしたんだ?」

「知らねえ、判んねえよ。でも親父も母ちゃんもそう言うんだ。神さまと一緒に行くんだって」

 

 細かい事情は知らされていないらしい。

 何かがあったんだろう。神同士のいさかいか、団員同士のいさかいか。二年前にゼウス、ヘラという二大【ファミリア】がオラリオを去ってしまい、その影響は未だに都市を揺さぶっているらしい。

 といっても、子供の耳に聞こえてくる情報なんて場末のうわさ話か団員達の会話から漏れ聞こえるものでしかないが。逆にいえば子供の耳にも入ってくるくらい、この都市は今不安定なのかもしれない。

 

「最後ぐらい勝ちたかったんだけどなあ」

 

 そんな事を言うモールを夕日が照らす。その顔はどこか大人びて見えた。

 俺はおさまりの悪い髪を掻いた。

 そろそろ帰らないとどやされる時間だ。それに何も言わないでこのまま、というわけにもいかない。

 ただ、どうも上手い言葉ってのが出てこない。良い旅を(ボン・ボヤージュ)……って、どこからそんな言葉が出てきたのか謎過ぎるぞ俺の頭。

 

「モール」

 

 色々考えたけど、結局単純な言葉しか浮かばなかった。面倒臭い事はどうにも無理だ。

 だから言う。

 

()()()

 

 モールは一瞬目を丸くし、次いで頷いた。

 手を振り言う。

 

「ああ、またな!」

 

 再会はいつになるか、再会できるかもわからない。

 それでも言う。また会おうと。

 俺と同じく初耳だったらしい、空き地の皆がモールに何かと声をかけている。その様子を視界の片隅に入れ、俺は手を一つ振ってその場を離れた。リリもまた真似をするように手を振っていた。それ自体が楽しくなってきたのか、いつまでも。



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2.変化は気づかぬうちに

 ただ何となく、このまま冒険者になり、ダンジョンに潜り、人には有り余るこの体の力を存分に使って儲けてやろう。

 そんな風に思っていた。

 養父は結構な駄目人間だが、それでも大食いの俺をずっと養ってくれた。読み書きは怪しいものの喋る方の共通語(コイネー)を教えてくれ、酒のついでに話し相手が欲しかっただけだろうけど、ダンジョンで起こった事、オラリオの事、オラリオの外の世界、様々な話をしてくれた。

 義理もあるし、感情的に恩も感じている。

 だから冒険者となって、一稼ぎし、常々溺れるほど飲んでみたいとか言っている大好物の『神酒(ソーマ)』でもそのうちドヤ顔で渡してやろうとか、そのくらいの事はぼんやりと考えていたのだ。

 

 □

 

 季節は回り、俺自身も多分八歳。記憶としては五年間が過ぎた。

 思えば知識や記憶に対して脳とかがまだまだ発展途上だったのだろう。今思い返すと六歳になるまでの期間はどこか夢をみていたようなぼんやりとした感じに思える。

 このところ、俺には悩みがあった。

 俺に……というか俺と養父にだが。

 どうも金欠のようなのだ。

 ぐぎるる、とせつない声を上げる腹にちょっと待てと声をかけ、近所とも言えるダイダロス通りにひょいひょいと入って行く。

 一応入り口から出口まで迷わないよう、矢印が壁面に刻まれているのだが、よく見るとそれとは別の記号がいくつも書き込まれている。θという、丸に横線の入った記号を右、φ丸に縦線、ちょっとアレなイタズラ書きに感じなくもない記号を左にといくつかの路地を曲がっていくと人の話し声が聞こえはじめた。

 ダイダロス通りの中程にある広場、そこで付近に暮らす住民たちが集まっていた。

 

「次ぃー、【デメテル・ファミリア】からの仕事だ! 肥料の運搬、雑草取りの仕事、体の頑健な者10名求むぅー! 賃金は一日500ヴァリス!」

 

 輪の中心に居る帽子を被った男が何ぞやが書かれている板きれを手によく通る声を張り上げると、俺が、いや俺がやるぞと声を上げ、手を上げた

 帽子の男の隣に立っていた、体つきの良い男二人がそんな手を上げた者達をじろじろと眺め、お前は良し、お前は駄目だと、豆をふるい分けるかのように選別していく。

 当然のことではあるが、ダイダロス通りの住民達も全員が全員こそ泥であったり、乞食であったりするわけじゃない。こうして毎日訪れる口入れ屋に日雇いの仕事を仲介してもらい、それなりに働いて稼いでいる者が大多数だ。

 もちろん子供、大人の区別などもなく、めぼしい仕事がないかと集まった者達の姿はそれこそ子供から老人まで、小人族(パルゥム)からヒューマン、獣人やドワーフ、ハーフエルフの姿もある。

 

「次ぃー、【ディアンケヒト・ファミリア】からの仕事、ポーションの治療試験を行うため老人二名、若者二名、子供二名の募集だ。経過観察のため七日は現場に居て貰う、飯代は向こう持ち、七日で4000ヴァリスだ!」

「おーう、酒は飲めるんかい?」

「当たり前な事を聞くんじゃねえ、七日間は酒禁止だ!」

 

 そんな問答があるも、好条件に手を上げる人は多い。特に肉体労働が難しい老人や子供が多いようだ。

 俺はといえば、この一連の【ファミリア】系が終わった後の募集、一般の業者からの仕事を待っていた。

 なんだかんだで潤っているのか【ファミリア】からの仕事は賃金も割高になるし、体面があるためか、賃金の踏み倒しなどもないらしい。何も問題がなければ俺もそちらの仕事を請けたいのだが、冒険者登録もされていない身ではあるけど【ソーマ・ファミリア】の身内としての扱いはされてしまうのだ。他の【ファミリア】の仕事をこっそり請けるというのは不可能ではないが、バれた時に非常に大変な事になるのだった。

 以前、【アストレア・ファミリア】の仕事に、対立派閥らしい【ファミリア】の息のかかった男がそれを請け、スパイじみた事をしたらしい。その末路は──やめよう。思い出しただけで震えが来る。

 あれでは命が助かっても男としては……もう。

 ゾクゾクと背筋に走る寒気を追い出すように首を振る。

 ちょうどほどよく、北東地域の資材搬入の仕事が紹介されたので、やるぞーと言い、手を上げた。

 

 □

 

 ちょっとしたバイトを終え、その賃金でパンを買い、食材、酒を買う。

 家に戻ると、既に養父はダンジョンから戻った後だった。傷を負ったらしく、自分で包帯を巻き手当をしている。

 

「おせえぞ!」

 

 怒鳴り声が飛んできた。機嫌が悪いらしい。俺はとりあえず酒瓶を渡しておく。

 

「チッ」

 

 一瞬、複雑な感情を込めた目で俺を見て、養父はそれを一口飲み、安酒じゃねえかと文句を言う。

 

「メシ用意すっから待ってろよ、今日は良いベーコンがあったんだ」

 

 残り物のベーコンだが、切れっ端という事で安くしてもらった。暖房も兼ねた竈に火をかけ、鉄板にパンとベーコンを乗せて同時に焼き付けていく。

 カリカリベーコンになるまで焼き、その油をパンで吸い取る。

 卵があればベーコンエッグにしたい所だが、実のところ卵はけっこう高い。

 皿にトーストの上にベーコンを乗せただけの食事を出すと、養父は無言で頬張った。

 

「よお」

 

 酒を一口煽り、言う。

 

「もっと稼げねえのか?」

 

 忸怩たるものを覚えつつ、俺は何でもないように返した。

 

「冒険者登録すれば、俺も魔石を金に替えられるよ」

 

 ギルドも無制限に魔石の換金を引き受けているわけではない。冒険者登録が必須であり、それには当然【ファミリア】の団員である事の届けが必要だった。

 いや、かつてはそうだったらしいが、冒険者同士の魔石の強奪が相次ぎ、さらには冒険者として登録されていない、それでいて冒険者を専門に『狩る』者らさえ出てきてしまい、制限をつけざるを得なかったらしい。

 ちっ、と養父は舌打ちをして押し黙った。

  神の恩恵(ファルナ)を受けた覚えはない、その気になればすぐにでも【ファミリア】に入れる──と言った事もあるのだが、俺の身体能力を知っていた養父はまるで信じようとはしなかった。

 

 養父は変わっていた。

 きっかけはおそらく一年前。ザニス、という男が副団長に昇格した、というのをひどく気に食わなさそうに言っていたのを覚えている。

 そしてほどなくしたある日は酷く荒れた。

 良い酒といつもより二倍増しな美味い物を買ってきて、やけっぱちのように飲み、食らい、荒れた。

 それまでずっと【ソーマ・ファミリア】を支えた団長が死に、副団長のザニスが団長となった。そんな日だった事を知ったのはかなり後の事だ。

 荒れた養父は団員からも敬遠されるようになってしまった。

 いや、余裕が無くなってきたのは養父だけではないのかもしれない。ある程度親しくしていた小人族(パルゥム)のアーデ夫妻も顔を見る事が少なくなった。会えば挨拶くらいはするのだが。今では五歳になったリリが一人で家に居る事が多い。俺はかつての記憶があったからだが、彼女は元から頭が良かったんだろう、その歳なのに家事の大体は覚えてしまい、手のかからない部分があったから尚更だったのかもしれない。

 ただ、子供をなるべく一人にさせたくない。そんな気がして、時間を作っては会いに行き、外に連れ出した。同い年の子と遊ばせるようにするも、気づけば俺も巻き込まれている事が多い。

 迷宮都市(オラリオ)では冒険者が花形だ。特に英雄と呼ばれるような冒険者達の話、英雄譚は昔から今まで子供達に大人気という事らしい。

 迷宮神聖譚(ダンジョンオラトリア)をはじめとしてアルゴノゥト、ユリシーズ、ノルナゲスト、ヴィリーナなどなど、それはもう、興味があまりない俺でもタイトルを覚えてしまうくらいにはその手の話に触れる機会があった。

 そして、そんな子供達の遊びの定番の一つが、やはりそういう英雄ごっことでも言うべきもだった。

 

「ぶもおぉぉぉぉぉっ!」

「うおー来たァー! ミノタウルスだぁぁぁ!」

「逃げろぉー!」

 

 俺が囚われの王女様のリリを背に追いかけると蜘蛛の子を散らすように子供たちが逃げていく。

 何をしているのかと言えば、アルゴノゥトの牛人役だった。

 ここまでは定番の流れで、ばらばらに逃げる冒険者役の子供たちをこれから鬼ごっこの要領で俺が捕まえるのだが……最後まで捕まらなかった子に牛人役が「お前が最後の一人だ」と言うと、物語で定番の台詞を喋り、牛人を打倒する。最後は王女様も加わって牛人役フルボッコという、どうにもこちらにはいたたまれない結末だ。

 そんな遊びに付き合い、神の恩恵(ファルナ)を受けているとはいえ、俺に付き合ってたっぷり走り回って疲れてしまったリリを背負って帰宅する。

 なかなか背が伸びてくれない俺と小人族(パルゥム)のリリは近所のおばちゃんには本当の兄妹みたいだと言われる事も多い。それはそれで微妙な気持ちにならなくもないのだが、飴ちゃんをくれるのでそれはありがたい。

 季節の移り変わりを感じさせる乾いた風が吹き抜ける。

 肌寒い風に心寒さでも覚えたのか、リリが首を肩に乗せてきた。

 そのまま耳元で言う。

 

「にーちゃん、リリが困ってたら助けてくれる?」

「おうよ。そりゃ助けるさ、困ってんのか?」

「んーん」

 

 リリはそう言い首を振った。

 

「なんだそりゃ」

 

 変な奴だなと笑うと、釣られたのか背中でころころと笑う。

 

「じゃあね、じゃあね。リリもにーちゃんが困ってたら助けてあげる」

「頼もしい事言うなあ、よっしゃ! いざって時は頼むぜ?」

「ん!」

 

 リリが心持ち陽気になったような気がして、なんとなく、俺の足も軽くなったように感じた。

 

 □

 

 ──馬車に乗っていた。

 ごつごつとした地形の起伏を捉え、馬車は揺れる。

 緩衝材(バネ)などはないのか、あってもこんな用途の馬車には要らないのかは判らない。座椅子などもなく、頑丈そうな敷き板の上にひとまとまりの藁があり、その上に座っていた。

 視線を上げれば、死んだような目つきの子供達。年頃は俺と同じくらいかもっと上。種族はばらばらだ。

 自分もこんな目つきをしているのかと思うと胸に苦いものが、そしてもやもやとした、曖昧な怒りがこみ上げた。

 

  気づかぬ間に養父の白髪が増え、一気に老け込んだ気がしていた。

 ダンジョンに潜る時間も日に日に減り、怪我が増えていくようになる。

 上層で堅実に稼ぐのが良いんじゃないかと言った事もあるがなしのつぶてだ。拳骨が降ってきた事もある。その力の弱さに、俺の方が悲しくなった。

 ある日バイトを終えて帰り、いつも通りメシでも作ろうかとしていた時だった。

 養父と、眼鏡をかけ怜悧な印象の男、そして隊商(キャラバン)じみた馬車数台と男達が来た。男達はどこか荒んだ空気をまとわりつかせている。

 養父は「これからお前はルーファスさんの言う事の通りにしろ」とだけぽつりと言った。背中を見せあぐらをかき、酒を飲んでいた。呼びかけてもこちらを見ようとはしない。

 眼鏡の男は最初から興味がないように、俺をじろりと一目見て、キャラバンの男達と話していた。

 ルーファスと名乗った男は粗暴な男だった。

 鞭を見せ、鳴り響かせ、驚かせれば子供などは言う事を聞くものだと思っている。冒険者にもこの手の荒くれた男は少なくない、慣れてはいたがあまり楽しいものではなかった。

 ──逃げてしまおうか。

 そんな考えが頭をかすめたが、実行はできなかった。

 

「暴れられても困るのでね」

 

 眼鏡の男がそう言い、押さえつけてきたからだ。細面で力があるようには見えないが、もがいてはみたがビクともしない。俺の首と後ろ手をぎちぎちと縛り上げると、ルーファスに向かって言った。

 

「ガキとはいえ恩恵(ファルナ)持ちだ、ステイタスは最低だろうがそれでも大人を超える程度の力はある。扱いには注意するんだな」

「そうさなあ、縛ったまま行くか。頑丈にもなるんだろう?」

「ああ、ちょっとやそっとじゃ死なないよ。まあおいおい試すんだね」

「そうだな、そうしよう」

 

 男達の会話を背に、俺は養父を見ていた。

 頑なに向けられた背中、何も語らず酒を飲んでいた。

 

 ──頭では理解していた。知識としてはそういったものが世界にあるのだという事は知っている。

 俺は売られたのだった。

 

 □

 

 奴隷。あいまいなイメージだけの知識しかなかったが、それはただ人を右から左に流せば良い、というものでもないらしい。

 ルーファスは俺()()に奴隷としての主人への態度、言葉遣い、果ては歩き方や用の足し方まで叩き込んだ。馬車の子供達はよほどあちこちの地方から集められていたのか、共通語(コイネー)も片言でしか話せない子もいる。

 ルーファスは暴君であり父だった。

 反発の芽を見ればすぐさま鞭を振るい、言う事を聞く者には温顔を見せる。

 効率的に子供を躾けるため、意図的にそういう事をしているのだとはすぐに判ったが、だからどうというものでもない。

 俺は自分でも不思議に思うくらい、従順に言う事に従っていた。

 多分、ルーファスに対して俺はひどく無関心なのだろう。ルーファスはこちらを品物としてしか見ておらず、俺もまたそんな目で見る人間を人とは思えなかった。

 一週間ほどは拘束されたままだったが、あまり従順だったためか、拘束も解かれる事になった。

 昼間の移動中、馬車はおそろしく揺れる。

 常に地震で揺れている部屋に居るようなものだ、途中から入ってきた子供はこの揺れで何度も吐き戻していた。

 慣れたとしても体力の消耗はひどく、夜になり、ようやっと落ち着いても食事の後の躾が待っている。

 終われば眠るだけだ。

 饐えた臭いのする馬車で、保温性だけは中々良い藁の中に身を潜らせる。

 その繰り返しが幾日も過ぎた。

 

 俺が売られたのは、大きな開拓農場だった。

 見渡す限りが切り開かれた農場。

 その光景に、無感動になっていた俺もさすがに驚きを感じた。

 ルーファスから地主に羊皮紙の束が渡される。奴隷の売買証明書だ。逃げ出したとしても、その先で見つかり、司法の場に証明書の持ち主がそれを手に現れれば無条件で引き戻される。

 ルーファス自体はそれを魔法の証書のように教え、決して逃げられないように言っていたが──漏れ聞いた話を継ぎ合わせればそんなもののようだ。

 列に並ばされ、それまで着ていた服をはぎ取られる。虫避けのためか、もうもうと立ちこめるヨモギの煙の中に十つ数えるまで居させられ、それを出ると水をかけられ、乱暴にぬぐわれる。

 流れ作業である程度身綺麗にされ、カゴに山盛りになっている服の山から合うのを着ろと指示される。

 色も生地もばらばらの服だ。古着をかき集めたらしい。買われた中では俺が一番体が小さかったが、それでも何となく手にとった小さめな服を着込む事ができた。

 灰色の短衣(チュニック)を腰帯で止め、下はズボンの裾をブーツの中に突っ込んでいる。

 皆に服が行き渡った頃合いで、号令がかけられた。

 集められると、中心の木箱に先程の地主が乗り、買われた皆を見渡す。

 その足下に立つ背の高いやせぎすの男が大声を出した。

 

「これよりお前達の主人であるルブエントス領主、アントン・シモン伯爵──その代人である家宰、ヨーゼフ様からお言葉をいただく。静かに聞け!」

 

 地主ではなかったらしい。そのヨーゼフ様とやらは初老と言っていい年頃らしく、髪も髭も白いものの方が多い。細い目、への字に結んだ口はいかにも気むずかしそうでもあった。

 話自体は妙に長くなった。言葉をまとめきれない人なのかもしれない。

 要点は、開いた土地からの収穫の一割を奴隷の収入とし、貯めれば自分の身の上を買う事も出来る、という事。奴隷達の看守であるローレンはかつて冒険者であり、Lv.2の力を持っている事。

 そして、長々とかかっていたのはこの土地の状況説明だった。

 なんでも隣国に絶えず圧迫されているこの王国は状況を改善しようと、直轄地だったが人のほとんど住んでいなかった北部地域を貴族達に開拓させ、新たな収入源にしようとしているらしい。

 貴族達にも十分にうまみがあり、5年間の収穫からの非課税、そして開拓地の八割を貴族は得る。

 ……だそうだった。最後には自分の言葉に酔っていたような感じでもある。忠誠心豊かで、そのアントン伯爵様へ誠心誠意お仕えしようではないかと言っていた。聞かされている方はどうにもぽかんとするしかない。どこかの校長先生のような人というのはどこにでもいるようだ。

 

 寝起きはここでせよと言われた部屋は四畳ほどの小部屋だった。窓は無く、壁には棚や何かを下げていたらしい釘が見える。倉庫に使っていたのだろう。

 入り口に下げてある布を下ろすと真っ暗になりそうな部屋だ。情けのように、古ぼけたカンテラが壁に掛けられており、その下には

 部屋には俺も含めて三人が入れられた。

 小麦色の髪を持つヒューマンの少年、赤毛の犬人(シアンスロープ)の少女だ。

 少年はロイ、少女はミレイと言った。どちらも同じ馬車の中では見た事がない。他の奴隷商人が連れてきたのかもしれなかった。

 

「こんな境遇だけど、鉱山や傭兵に売りつけられるよりずっとマシだよ、チャンスもあるし腐らず行こう」

 

 ロイは随分と前向きだ、13歳だという、三人の中で一番年長のようにも見えた、そんな自分が頑張らないと、なんて思っているようだ。

 

「ミレイ……」

 

 と言ったきり黙ってしまった少女は引っ込み思案、というより自分に降りかかった変転に対応できず、自分を閉ざしてしまった目をしている。揺れる馬車の中ではよく見た目だ。

 ロイはそれを見ると膝立ちでミレイに寄り、正面からのぞき込んだ。

 

「ミレイは何歳?」

「……10」

「どういう所で育ったの?」

「シュメン……って町、村?」

「海は見えたかい? それとも山の中?」

「……海は、あった。お日様が沈む海」

 

 それを聞くと、ロイは首を傾げ、数秒黙考した。

 

「紅フア貝……えーと、内側がちょっと透き通った、手のひらくらいまで大きくなる貝はあったりする?」

 

 ミレイの目にはじめて感情が揺れた。

 

「……あった。紅貝(フロウトニ)って呼んでた。削って……腕輪にしたり、首輪にしたり。綺麗な貝」

「うんうん、『白い海』の東海岸でしかとれない貝なんだ。上手く加工するのが大変らしいけど、職人さんが螺鈿と組み合わせて使いたがってたね、色合いが凄く綺麗になるんだってさ」

 

 ぽかんとするミレイに、ロイは頬を掻いて言う。

 

「父さんが交易商だったんだ。破産しちゃったけどね。『シュメン』産の貝は質が良いって言うんで扱い量を多くしてくれって顧客から言われた事も多いよ、それに確か角を持ったエイが居るんだっけ?」

「んー……潜り魚(サフヴィ)かな? 砂の中に潜ってて、角だけ出してるの。焼いても美味しいし、お酢で漬けて、オリーブと一緒に食べるともっと美味しい」

 

 ミレイはまばたきをした。

 初めて目の前の少年(ロイ)を認識したように、まじまじと見る。

 

「ロイ……ロイは凄いね、なんでも知ってる」

「そうだよ、僕はちょっとした物知りなんだ。だから困ったり泣きたくなったら言ってくれよ。何とかなるかもしれないから」

 

 ミレイはまだ笑顔を作れない、ただその目は先程の閉じこもった目とは違っていた。

 

「……まるで女を口説いているような」

「ぶぁッ……何を言うんだい!?」

「口説く?」

 

 首を傾げるミレイに、ロイは顔を真っ赤にして言う。

 

「い、いや! その、元気づけようとね! 口説いたんじゃなくてね!」

 

 口説くの意味が分からずにいるのか、頭が追いつかないのか、疑問顔になりながら、ミレイは頷き、ありがとうと返す。

 そんな様子を見守り、俺もまた、いつからか燻っていた怒りのようなものが蓋をされ、鎮まるのを感じる。

 自嘲か、賞賛か、自分でも判らない感情がよぎり、小さく笑った。

 

「すげーなあ、お前」

 

 どんな境遇にあっても自分一人で帰結する事もなく、人と手を携えていける人間なんだろう。

 ある意味とても健康な、人らしい『強さ』に触れた気がした。

 返答に困っているらしいロイを見て、俺もあぐらをかいて座り、向き直って言う。

 

「アウル──ただのアウルだ。8歳、一番年下だけどよろしくな」



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3.ただ生きる中で

 おとなしく奴隷なんてものをやっていると季節の移り変わりも早い。

 奴隷──と言っても、四六時中酷使され、鞭打たれ、使い潰されるものでもなく、そこそこ値の張る財産といった扱いだ。最低限の衣食住はあるし、むやみな暴力は──もちろん陰では色々あるが、表だっては無い。使われている身からするとどうだか知らないが農耕馬かその延長のような気分で使っているのかもしれない。

 とはいえ、俺の今の仕事は農耕馬とはほど遠いものだった。

 

「おう! 近いな、近いぜ、20は群れてやがる。臭いの固まりだ、臭ェったらありゃしねえ」

 

 先行する犬人(シアンスロープ)のグレイがその名前の通りの灰色の尻尾を持ち上げ、軽く揺らせている。警戒心とちょっとした不快って所だろうか。

 藪の隙間を抜け、木々の根を踏みしばし。

 グレイが立ち止まり、巨木に隠れるように身を潜めると右手を横に出した。ここまで来れば俺にも鳴き声──しゃべり声なんだろうか、で判る。コボルトだ。ダンジョンでは知らないが野生のコボルトは群れる事が多い。そして夜行性だ、狼の群れのように家畜を襲い、時には人を襲う。道具は使わないが爪や牙はそりゃ不潔なもので、傷を付けられると感染症で死ぬ事もあり、他のもっと強いモンスターよりよほど嫌がられていた。

 ハンドサインは『巣穴有り』、そして数は27。俺はいつも通り『突っ込む』と示す。グレイは頷き、『散ったのは任せろ』とサインを出し、腰の槌矛(メイス)を手に取り構えた。

 それを横目に木々の間を走り、少し開けた場所に出る。

 襲撃に気づいたらしいコボルトの見張りがその犬頭をこちらに向け、声を上げようとするも、その前に拳が心臓を打ち抜く。柔な骨が砕ける感触、吹き飛び盛大な音がして、コボルト達が目を覚まし、地面に斜めに掘られたあちこちの巣穴から首を出してきた。

 固まっているもう一体の見張りの首をへし折り、派手に()()()()をかけられ巣穴から這い出るも半ば恐慌状態にあるコボルト達を走りざまに蹴散らしていく。

 数えた数は25。

 近くに撃ち漏らしが無いか確認していると、グレイが梢の間から出てきて、手を振り、終わったぞと声を掛けてきた。

 

「悪ぃ、ちょっと逃げたみたいだ」

「おお、気にすんな。水飲みに離れる所だったらしいぜ」

 

 そう言い、グレイは槌矛(メイス)についた血を振り払う。

 

「ほんじゃ後はダニィの奴らに任せっか」

「あー、確か隣の方まで出張してるんじゃ?」

 

 俺がそう言うと、グレイはげんなりとした顔で肩を落とす。

 

「そういやそうだった。仕方ねー、手伝うか」

「取り出しとくくらいはなー」

 

 何をしているかと言えば農場周辺のモンスターの討伐だった。

 迷宮都市(オラリオ)のダンジョンでなくても野生のモンスターは存在する。

 聞いた話では古代にダンジョンから地上に出たモンスター達の末裔らしい。繁殖能力を持ちながら、同時にダンジョンのモンスターと同じように核となる魔石も存在する──のだが、繁殖の過程で子孫に魔石を削り削り残していった結果、コボルトだとほぼ砂粒みたいなものだ。

 ただこいつらを殺して放っておくと『死体食い』に来るのだ。同種か、他のモンスターが。魔石を無駄にしないためだろうとは言われている。

 なので討伐した後は魔石のある周辺部位、心臓あたりをえぐり取り、焼いて灰にするのだった。もちろんその灰を水の中でふるいにかけてやれば魔石も回収できる。コボルト程度だと砂金のようなもので、よほどまとまらないと売ることもできない。

 ダニィというのはその心臓部分の処理班だ、心臓部分だけとはいえ灰になるまで焼くというのはこれで結構時間がかかる。群れを討伐した場合なんてそれはもう一晩掛けて焼かないと中々灰にまではなってくれない。

 元石大工だったというダニィがそれならばと焼却炉を作ったところ、これが大成功だった。

 焼却時間も短時間になり、話を聞きつけた隣の農場まで頼ってくる事になったのだ。ダニィも処理班の班長に任命され「なんでこんな血生臭い事やるハメに……」と落ち込んでいたのはさすがにちょっと不憫だったが。

 内側にたっぷり油の塗られた革袋に心臓を詰め込み、大量の(なきがら)を後に山を下った。

 

 □

 

 話の長いヨーゼフさんが言っていた通り、この開拓農場は国策で行われているらしい。大量に奴隷を買い付け、それを労働力にしている。労働力にならないためか小さい子供の数は少なく、買われる奴隷のほとんどは成年で、子供もそれなりに体格が良いか、獣人、とりわけ猪人(ボアズ)のように体力に恵まれた者が多い。

 女の奴隷も同じくらい買われている、単純に炊事や洗濯といった家事、家畜の世話、日々酷使される服の繕いなど、やはり男だけでやろうとすると荒っぽく雑然としてしまう。それに人は奴隷だけでなく、貴族の元の領地から連れてきた領民や仕えていた奉公人達も多い。奴隷を監督して仕事をする彼らの暮らしぶりは当然ながら奴隷より段違いで良い。彼らの世話をするのもそうした女の奴隷が多いようだ。

 さらに言えば若くて美しい奴隷が選ばれ、そこにはやはり、よくある生臭い理由も存在している。

 

「アウルッ! アウル、居るか!?」

 

 慌てた声と共にロイが小屋に飛び込んできた。

 どれほど急いで来たのか、吹き出した汗で小麦色の髪がべたりと額に張り付いている。転びでもしたのか、膝が泥にまみれていた。

 常ではないその様子に、俺は無意識に口を結んだ。何が起こったのかはわからないが、とりあえずと水桶から土器(かわらけ)の器で水を取り、渡す。

 

「まずは飲め、そんで息が落ち着いたら話せ。どうしたんだよ?」

 

 ロイは目をまたたかせると、頷き、水を飲む。深呼吸を一度、二度し、ごめんと言った。

 

「ミレイが奉公人達に連れて行かれた、頼む……!!」

 

 ロイが泡を食うはずだ。

 奉公人も自由民である伯爵の領民も、表だって奴隷をどうこうするってのはない。

 だがバレなければ良い、女一人手込めにしたところでバレるわけがない。そう考える奴はやはり居て、ましてや大人連中もそのくらいは『ちょっとした遊び』程度に考えてるふしもあり、大目に見られているというのもまた現状だった。泣き寝入りしている女──一部の見目麗しい少年もだが、は、決して少なくなかった。

 

「とりあえず行く、乗れっ、場所は!」

「ラクランの所だ! きっとあいつらの遊び場所だ、納屋に行ってくれ!」 

 

 分かったと言ってロイを背負い、走り出す。

 急ぐ。ここは農場でも一際森に近い、外縁部なのだ。

 整地もされていない、道もまだ作られていないむき出しの地面を蹴る。

 背中で呻く声が聞こえたが、構う余裕はない。走るというより跳ねる、といった方が近いかもしれない。

 ミレイが目を付けられたのはこれが初めてではなかった。

 元々早熟だったのかもしれない、会って一年も経つ頃にはふとした時にドキリとするような女っぽいものを漂わせていた。背も大きくなり、胸もまた。

 俺自身はサイヤ人の特性みたいなものか、枯れてしまってるのか、逆に子供すぎるのか、あまり気にする事もなかったが、ロイには相当目の毒というか……気の毒というか、うん。

 ロイも14歳、思春期真っ盛りの時にそんな少女が無邪気に甘えてくるのだからたまったものじゃなかったかもしれない。深呼吸をして心を落ち着けている姿を何度か見かけたような気がする。

 そしてそんな少女に目をつけた男というのも多分少なくなかったんだろう。

 将来有望そうな奴隷に唾でもつけておこうという気だったのか。

 ……さすがにあの年頃がどストライクという連中じゃない事を祈りたい。

 

 神の恩恵(ファルナ)を受けているという触れこみがあったからか、俺は農作業は一年の間だけやらされ、その後は農場の看守でありモンスター討伐の責任者でもあるローレンの下に預けられた。特殊な立ち位置だけに奉公人や自由民もおいそれと手を出しにくい。

 だからこそ、時には露骨に睨んで牽制したりもしていたが、結局はあいつらからすれば、奴隷は奴隷という事だったのかもしれない。

 モンスター狩りで離れている時にやることをやってしまえば文句は言えまい。

 そう考えていたのだとしたら。

 

「チッ」

 

 舌打ちする。あいつらに対する怒りというより、それに触発されたどろどろした荒々しい感情。形容しにくいそれを身のうちに感じて。

 

「……ッごめん、僕は何もできなくて」

 

 舌打ちを別の意味に捉えたか、単にそう考えていたのか、背中のロイがそう言った。

 

「馬鹿言うなよ。俺は体を張るしかできねえからな。後はお前に丸投げだよ」

「……ああ!」

 

 話しつつ、足は緩めていない。ごうごうと風を裂きながら走る俺に、すれ違った作業者達が何があったのかと驚いている。

 畑の脇を抜け、小川が迫る。

 北の山から流れる川の分流だ、小川といっても8M(メドル)はあり流れも速い。増水に備えて土が盛られている。

 

「跳ぶぞ! 舌噛むな!」

 

 言うが早いか、川縁を蹴り、対岸に着地、勢いは前に進む速度に変える。

 ショートカットだった。上流と下流に橋があるがこの一番急流になっている場所を渡ってしまうと、麦畑を一つ挟んですぐがラクランの持つ納屋だ。

 

「……っいよし! ロイ! ビンゴだ!」

 

 納屋の前で俺の姿を見たのか、慌てて中に入る見張りの姿が見えた。

 なるべく背中に負担を掛けないように足を止め、スピードを殺す。背中でガチガチになっているロイを、悪ぃと言いながら地面に落とし、薄暗い納屋に入る。

 

 ミレイが赤子のように体を丸め転がされ、男達に囲まれていた。

 服は乱れ、破れている場所もある。

 抵抗したのか、頬を殴られたようで口の端には血、腫れていた。

 一人の長髪の男がミレイの膝に手を掛け、そのままの状態でこちらを見て固まっている。

 

「ま、待……」

 

 男の一人が何かを言いかけたが無視した。誰かが行動を起こすより早く動き、ミレイを抱き起こして肩に担ぎ、そのままバックステップ、一足で納屋を出る。

 硬い顔になっているロイに、間に合った、と頷き、ミレイを預けた。

 

「お、おい! ガキにゃわからねえだろうが、まだ何もしちゃいねえからな!」

 

 そんな声がかかった。出てきた納屋の入り口を見ると、焦った顔でこちらを見ている長髪の男が居る。

 男というには若いかもしれない、三白眼で、くすんだ金髪、中背。確か、この辺一帯を仕切っているラクランの次男坊。

 なにもしてないらしい。まだね。

 あー、うん。

 これはだめだ。

 思いっきりぶん殴ろう。

 ──なんて、感情にまかせて動ければ楽だった。キレやすい子供と言われてもいい。

 サイヤ人なんてそっちが正解だ。よほどの力量差がある相手でもない限りは感情に歯止めなんてきっと掛けない。場合によっちゃ下級戦闘員と宇宙の帝王ほどの差があっても怒りのままに。

 だがそれをやったとして、その先どうするのだろう。思い切りぶん殴ったりしたら間違いなく殺してしまう。

 

「世界は強い奴に優しくない」

 

 この農場唯一のLv.2、ローレンはそう言う。

 元迷宮都市(オラリオ)の冒険者、恩恵を受け力を持つからこそ、それが一般人に牙をむいた時、それがたやすく一般人を殺せるものだと気づかせてしまった時、強者は怪物(モンスター)となんら変わらなくなる。

 恩恵を受ける者と一般人、長い歴史を持つオラリオでさえ両者の軋轢は避けられない。

 外の世界ではなおさらだ。

 モンスターに刃を向けている間だけ重宝される。そう言い、注意深く力をさらけ出さないローレンの処世術はきっと正しく、賢い。

 

「アウル」

 

 ロイが俺に声をかけ、腕を掴む。真っ直ぐな目で俺を見た。

 

「後は僕に丸投げにするんだろ?」

 

 目を閉じる。

 息を吐き、意識して肩から力を抜いた。

 

「そうだな、そうだった」

 

 そう言って俺は何と無いきまりの悪さを覚えて頭の後ろをガリガリと掻いた。

 ロイは、緊張が解けたのかぽろぽろと涙をこぼすミレイを抱きながら、その目を納屋の男達に向けた。

 

「……ルドル・ラクラン、マイル・アーウィス、フィルディン・ボロ、エイン・ティン、イーラ・ウェルシダ、アレイ・ヴォイチェク」

 

 一人一人の名前を挙げてゆく。

 まさか農奴の一人にここまで名前が知られているとは思っていなかったのか、驚いたように男達の視線がロイに集まった。

 

「僕は、忘れない」

 

 区切るようにそう言い、行こうと俺の肩を叩く。

 

「なんでぇあいつ……」

 

 納屋に背を向ける俺達に、どこか気味悪そうな呟きが聞こえた。

 

 山間から吹き抜ける乾いて冷たい風が頬を撫でる。

 帰り道、最初はロイに横抱きに抱えられていたミレイだったが、途中で落ち着いたのか、少し恥ずかしそうにしながら自分で歩くと言い、下ろされた。

 

「ロイ、アウル……その、ありがとう」

 

 どうなるかと思った、と腫れた頬をさする。どうも違和感があるようで、むずがゆい顔をする。

 

「歯、抜けちゃった」

「おいおいマジか……?」

「子供の歯かい?」

 

 ミレイは頷き、ぐらついてたから、と言う。口の端から流れていた血はそれのようだ。

 よほど強く殴られたのかと一瞬不安に感じた俺は、どこか拍子抜けしたような気がした。同時に、まだそんな年ごろなんだよなあとも思う。遊び半分だったとしても、子供相手になにしてるんだよと、怒りなのか呆れなのか分からない感情が沸いてきた。

 ……考えてみれば俺も子供だったか。そんな自分への突っ込みも共に。

 しかし、と歩くロイを見て言う。

 

「あれでよかったのか?」

 

 名前を呼んで、忘れないと言っただけだ。彼我の立場を考えればあの連中、明日にもそんな事は忘れているだろう。

 ロイは頷いた。どこか『少年』というものを捨てたような、目的を持った者の顔をしている。

 まるで別人を見てしまったようで、少しはっとした。

 

「うん、あれで良い。彼らもこれから色々分かってくる。それとさ……僕はここで足場を固めるよ。そう決めた。よほどの我が儘でも通せるくらいになってやる。その時になれば『忘れない』の意味があいつらにも伝わるさ」

 

 これは。

 すごい怒っている。そしてそれだけじゃない。

 ロイは、このわずかな時間で、一枚も二枚も自分の殻を破ってしまった。

 

「……あー、かなわねえなあ」

 

 強い力を持っていても、色々な記憶や知識を持っていても。人間的な部分で。

 ミレイもロイの言った意味は分からなくても、何か感じるものがあったのか、はにかむように笑った。元気なく垂れ下がっていた尻尾がゆらゆらと揺れる。

 

 □

 

 ミレイの一件があった後、どんな伝手を頼んだか分からないが、ロイとミレイはベッジフ翁と呼ばれる、奉公人の中でも顔役と言っていい人の預かりとなった。住み込みで世話をし、時には来客の応対までもしているらしい。

 話を聞くと、伯爵の元に居れば悠々自適の隠居生活が出来たにも関わらず、働かねば体が腐るとばかりにこの開拓に参加してきたという。

 引退しているとはいえ、権威でもある人の預かりになった事で、ミレイに対するちょっかいはぱったりと止んだ。

 ロイはあの時の言葉通り、とにかく色々動いているようだ。元々良い教育を受けていた事から、ベッジフ翁の書類仕事の手伝いや、奉公人や自由民に対しても口添えをし、恩を売り、奥方衆への配慮も忘れていない。

 傍で見ているミレイが心配になってしまうほど働いているらしく相談された事もあった。

 

 三人が放り込まれていた狭い部屋も、今は再び倉庫になっている。

 俺は俺でローレン預かりの身となってからは、外縁部に建てられていた仮小屋に寝泊まりしている。モンスターが迷い込んできた時に駆けつけて対処するためだ。何しろ神の恩恵(ファルナ)を受けているのはこの農場で五人しかいない。うち一人というか俺はそう思われているだけなので実質四人だ。

 さらにその中の三人は伯爵が後援者(パトロン)となっている【ファミリア】からの応援らしく、それなりの配慮をしなければならない。住処も農場中央にある奉公人達の住居が集中している場所の、それなりに大きな家が提供されている。討伐時には問題ないものの、侵入してきたモンスターに対しては初動が遅れてしまうのだ。

 そして最後の一人のローレンは唯一のLv.2であり、名目上のとはいえ看守としての役も兼任しているので、中央からは外せない。

 そうなると俺が来る前はどうなっていたのかと言えば、一般人でもある程度対処できるゴブリンやコボルトのような低級モンスターでない場合、避難を優先させつつ弓矢や投石で時間を稼いでいたらしい。家畜や畑に被害が出る事もあり、結構大変だったようだ。

 そう、神の恩恵(ファルナ)の価値は高い。

 自分が特別だと増長しても困る、とあえて一年の間、通常の農奴と同じ扱いで置いたらしいが、俺自身は相当な値段で取引されたらしく、当初から対モンスター用に買ったらしい。

 そして、ローレン預かりになってからは、戦力になるよう形式を問わず戦闘訓練をさせられ、モンスターを退治し、それ以外は比較的自由に過ごしている……といっても、勉強するタイプでもなければ、じっと寝て過ごせるタイプでもない、大抵は山に分け入っている事が多かった。

 

「ブギァッ!」

 

 断末魔、というには短い叫びを上げて猪が倒れる。

 額には陥没痕、目玉も軽く飛び出ていて、グロいといえばグロい。

 やった事は単純で、真っ正面から走り寄り、猪が気づいて反応する前に殴った。

 必殺技『まっすぐ行ってぶっとばす』だ。それなりに訓練にもなる。意外と猪は俊敏で、猪突猛進なんて言葉があるが、全力走行中にターンしたり、跳ねたり、蛇行して木々を避けたりなんてのはお手のものだったのだ。この世界の猪が特別だったのかは分からないが、正直そこらのモンスターよりよっぽど速くて強い。最初は逃げる猪を追って飛びつき、馬乗りになって格闘したものだったが、今では俺も随分成長したらしく、今のような真似もできるようになっていた。

 よっこいせと無意味に声を掛けながら首部分を肩にかついで持って行く。本当はこう、プロレスのアルゼンチンバックブリーカーみたいに担ぐと楽なのだが、死ぬとやはり緩むのか、脱糞やら失禁やらをされる事があるのだ。一度は酷い目にあってしまった。

 近くを流れる沢まで下り、猪の首にロープを巻き付けてそのまま水中に沈める。

 冬でもなければこうして冷やしてやるのが一番てっとり早い。体温が高いままだと皮が脂でぬるぬると削ぎにくい上に肉も持ちが悪く、なにより不味くなる。

 獲物を冷やしている間、何となく体を動かした。

 殴り、避け、虎爪、避ける動作から思い切った踏み込み、斜めに打ち下ろす肘。

 大槍が迫る。避けられず弾くしかない絶妙の速さ。裏拳で弾き、身を前に。だが槍の引き手の方が速い。先読みに置いて負けている。次の突きをかろうじて体を倒す事で躱すも、そのまま振り下ろし。

 

「ぐぬぅ……」

 

 気づけば対ローレンのイメージトレーニングになってしまった。

 そして前回の模擬戦の焼き直しのように、俺が負ける。

 ローレンは強かった。

 【ステイタス】に頼るだけでない強さがある。30代にしか見えないが、その実もっと10くらい年上で、長いキャリアを持っていてもおかしくない。

 そしてローレンには俺が神の恩恵(ファルナ)を受けたわけではない事を見抜かれてしまってもいた。

 

「お前の強さは【ステイタス】に根付いたものじゃないな。種族特性……その尾、聞いた事がないが猿人(ワーエイプ)とでも言うのか?」

 

 そんな事を言われたものだった。

 なぜ気づいたかと聞けば、【ステイタス】更新も無しにそこまで異常な早さで強くなるのはおかしい、と言う。

 隠したいならもっと上手く隠せとも。

 ローレンはその事を雇い主に報告しなかった。

 自分自身がオラリオから逃げ出した身だからとも言っていたが。その辺りの心情はよく分からない。

 

「らぁっ!」

 

 かけ声と共に岩を殴る。

 割れた。というより破裂させた。破片がびしびしと当たる。

 人の身に余るほどの力は身につけた。

 同時に、この程度なのかと言う思いもある。

 この程度ではないだろうと、自分の体が疼いている。もっと強くなれる。もっと破壊できると。

 慣れ親しんで来た感じさえするその衝動を、震脚のごとく足を踏み、細く息を吸い、吐く事で抑えた。

 

 猪を持ち帰り、内臓を抜き取り皮を剥ぎ取る。

 肉と骨になったら、肉部分は大ざっぱに切り分け、骨は奥方衆(おかみさん)への土産にでもロイに持たせてやるとしよう。良い出汁が取れるのだ。

 はぎ取った皮を加工するため板に打ち付けたところで、その知らせはもたらされた。

 

 隣国のラキア王国がこの地に向かい、出兵したと言う知らせだった。



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4.戦争と

 穏やかな風に乗り雲が飛んでゆく。

 雲の落とす影が草原の色を変えながら通り過ぎる。

 草原には男が横になっていた。

 再び見えた太陽に耐えかねたように目をつぶり、大きなあくびをする。

 

「……戦争ねえ」

 

 男はやる気や気力というものがごっそり削げてしまったような、いかにも疲れた声を出す。

 

「だるいな」

 

 対策会議は揉めに揉めている。抵抗派も恭順派も現実を見ていない。

 己に割り振られるだろう仕事を思えばため息の百や二百は出るだろう。

 悪い予感しかせず、早々と肩に疲れを感じた。

「あ~あ」とひときわ大きくため息を吐き、身を起こす。

 

 ローレン・ケイスという男は敗北者だった。

 何に敗北したのかは自身でもつかめていない。だが、きっと何かに負けてしまったのだろう。

 元は迷宮都市(オラリオ)の冒険者だった。

 夢を見て、物語に憧れ、自らの力を試しにオラリオを訪れ、神の眷属(ファミリア)となり、日夜ダンジョンに足を運んだ。未知を求め戦い、仲間達と笑い、酒を酌み交わす。剽げているがそれなりに【ファミリア】を大事にする神と頼もしい先達、信頼できる友人、ソリが合わないが互いに負けられないと切磋琢磨する好敵手。

 彼の思う価値あるもの全てがそこにあった。

 だがその全てを手放したのも、彼自身だった。

 理解(わか)ってしまったのだ。自身が、生死ぎりぎりの境になった時、仲間を置いて逃げていってしまうような卑怯者なのだと。

 ある激戦、複数の【ファミリア】が混じり合い、四方八方から襲い来る強敵と戦う中、男はただ一人逃げ出した。

 記憶が飛び、気づけばオラリオの市壁の上で座り込み、(ほう)けていた。

 ローレンはその時思ったのだ──もう自分は冒険者ではないと。

 幽鬼のようにふらふらと彷徨い、目的もなくただ生きる日々が続いた。

 主神(かみ)の情けゆえか背中に刻んだ恩恵(ファルナ)は消えていない。神の恩恵を昇華させ、一段階の昇格(ランクアップ)を果たしたローレンの力は、オラリオでこそどこにでもいる第三級冒険者でしかなかったが、外に出れば別だ。ただ食うだけというなら十分過ぎるほどの力だった。

 当てもなく流浪し、気づけば故郷に帰っていた。

 無為徒食の日々が続く。

 どこから聞きつけたのか、ある日領主から腕を当て込んでの仕事の依頼があった。依頼という形をとっているものの実質的には命令だ。仕事内容は開拓領地の守備と奴隷の看守。平たく言えば用心棒だろう。

 ローレンは胸の中で笑った。今の自分に似合いだと。

 淡々と流れる日々。

 ある日、妙な子供が奴隷として買われた。通常の10倍の値で買われた子供は、それもそのはず、いずこともしれない神の【ファミリア】、野良の恩恵持ちだった。子供は、ヨーゼフの考えで、同時期に買われた子供の奴隷と同じ扱いにされた。ただオラリオ出身という事だけが、ローレンの心をわずかに揺らした。

 一年が過ぎるとその子供をローレンが鍛える事になった。

 子供の扱いなどは知らない。面倒くささを隠す事もせず相手をしていると、じきにその異常さに気づいた。

 それは異常という言葉では生ぬるいほどの異常。

 なにせその子供は、神の恩恵(ファルナ)など持ち合わせていない。

 それなのに、恩恵を受けたものと同等の力を持ち、速さを持つ。そして、それが当たり前のように、日々成長し続ける。

 獣人は亜人(デミヒューマン)の五種族の中でもとりわけ小分類される数が多く、世に知られていない種族もまた多いと聞く。猿のごとき尾を持つ子供もその一種だろう。そういった種族特性と考えるより他ない、とローレンは考えながら、同時に何か違うとも感じていた。

 ──それもどうでもいい。

 そう思いつつ、気づけば助言を与えている。ローレンはそんな自分に苦笑を漏らす日が多くなった。

 子供はその『力』だけではなく、不思議な所もあった。

 どこで覚えたか分からない、奇妙な倫理観を持っている。

 その年齢のものとは思えない気の回し方、複雑な考え方をする。

 何より、本来持っている在り方と性格が一致していない。

 既に子供はローレンよりも力が強く、速い。それでも手合わせで勝てないのは技術も経験もあるが、なによりその子供の持つ『ズレ』のせいで本来の力がまるで発揮されないからだった。

 おかしいのは人だけではなく、モンスターを相手にしても同じように力を発揮できない。

 ローレンは子供の相手など生まれて初めてだったが、それでもこの子供がとても風変わりなのはよく理解した。

 ──それはそれでいい。

 こんな僻地で弱いモンスターを相手どる限りは、大した問題にもならない。

 とてつもなく変わった子供だが、世に知られる事もなく、ここで出来た同じ奴隷の友達連中と育ち、死んでいくのだろう。

 ローレンはそう思っていた。

 

 □

 

 槍が天を向き、波のごとくゆっくりと動いてゆく。

 蹄鉄が街道の石を打ち、兵の着用する目の荒い鎖鎧(チェインメイル)が馬の揺れに合わせ鈍い音を立てる。

 鳥の視線から見れば、それは街道という川を逆流する津波のようにも見えた事だろう。

 ラキア王国の出兵。その知らせがもたらされたのは軍の出立より一日後の事だった。

 出兵を隠そうともしない、それに加えて隣国、国境を面した国、都市はこの好戦的な国に対して決して無頓着でいられないのだ。複数の情報筋をラキア王国に潜ませるのはもはや常識と言っても良い。

 ラキア王国、軍神アレスによる国家系【ファミリア】だ。

 君主含め兵士一人一人がいわば【アレス・ファミリア】の団員であり、その力は、よしんばその大多数がLv.1の【ステイタス】しかもっていないと言えど、オラリオのように突出した力を持つ都市以外にはとてつもない脅威だった。

 かつてクロッゾの魔剣を独占し、世界を暴れ回った時の力は無く、『神時代』──戦士の力量は量より質、と言われる時代とはいえ、それでもなお、三万を超える兵力を動員できるラキア王国はその他多くの国家や都市、近しい者たちにとっては脅威だったのだ。

 

「では、私はこのまま進軍すればよいのだな。マルティヌス、お前は?」

 

 金色に輝く髪、宝玉のように赤い瞳、同じ色の洗練された鎧。

 人とは文字通りに『外れた』美しさを持つ美丈夫が馬に乗り、笑みを浮かべてそう言った。

 男神(アレス)、ラキア王国の主神であり、軍神であり戦神だ。荘厳といって良い美しさとは別にその性惰は猪突猛進、そしてその神の性格をそのままに反映しているのがラキア王国というものだった。

 そのアレスに併走し、話す男の姿があった。

 壮年の男だった。若い頃はさぞや、と思わせる整った容貌を持ち、色の抜けた灰色の髪を後ろになでつけている。その額には豪奢な宝石をあつらえた額冠(サークレット)が輝く、戦陣における王冠の略装だ。

 マルティヌス、と呼ばれた壮年の男は自身の幼い時からまったく変わらぬ主神を見、答えた。

 

「私は今回、少し複雑な動きをします。切り崩し、攪乱、そして獲物を追う猟犬役でしょうか」

 

 王国の君主自らが日陰役に徹すると言う。

 それをまたいつもの事、とばかりにアレスは頷いた。

 

「搦め手が入り交じった戦は好かん、が……必要なんだな?」

「はい。もっとも、主軍が勝たなくては意味もありません。アレス様はいつも通り将達を叱咤していただければ」

「うむ! 任せておけ」

 

 しかし、と思い出したようにふとアレスは目を細めた。

 

「すまんな、マルティヌス」

「アレス様?」

「お前に愚王の名を着せている。実を知れば評価も裏返ろうにな」

「良いのです」

 

『俺はお前達と世界を駆け抜けたいのだ』

 幼少の頃、そう言って目をきらきらと、それこそ子供のような顔で自分に語った主神。マルティヌスの思い出せる最初の思い出。

 もっとも、とマルティヌスは苦笑した。

 

「オラリオはさすがにそろそろ諦めて頂きたいものではありますが」

「……む、そ、そうか? いや、しかしな、負けたままというのもな」

 

 ぶつぶつと小声になる軍神。

 マルティヌスは苦笑を深め、いたしかたないと思う。アレスとてオラリオを敵に据える事がどういう事か、それはよく理解しているのだ。理解しているが、それに従う事はできない。神としての在り方がそうだからだ。

 さて、と視線を街道の先へと延ばした。

 この分では息子(マリウス)も苦労する事だろうし、布石を打っておくかと。

 戦争には莫大な戦費が必要だ。神の恩恵(ファルナ)を授かった兵達による軍屯制、一部の関税撤廃による商業誘致、新産業の育成。微に大に手を打ち国を富ませた。

 個性的すぎる主神が表に立ち、それに引きずられるままというイメージ。『愚王』と称されるマルティヌスだったが、その実、それだけの戦争を度々繰り返してもびくともしない体制を作り上げてもいた。

 東の隣国、王国でありながら領主の力が強くなり過ぎ、分裂しかけているその国。

 ラキアの度重なる侵略により穀倉地帯を削り取られ、窮鼠が巣穴に潜り込むように連合し、北部に大規模な開拓を成功させ、再び富む兆しを見せている。

 ──そろそろ摘み頃だろう。

 この地を加えればラキアの地力はさらに盤石のものとなる。

 そう思い、マルティヌスは深く頷いた。

 

 □

 

 開戦の知らせから一ヶ月が経った。

 戦争が始まっても農場の暮らしは変わらない。少なくとも表向きはそうだった。

 前線からは遠く離れている。戦火に直接巻き込まれる事はない。

 ただ、戦のために供出されてゆく食料が増えた。

 地力が良いのか、昨年は豊作だった事もあり、飢える事はないものの、増える馬車に、そしてピリピリとし始めた上の者に、奴隷達もまた少しずつ不安を重ねていた。

 ひっきりなしに行き交う伝令、平常時の倍にも三倍にも増えたそれを知りつつも、戦況を教えられる事もなく、ただ日頃の仕事をこなすだけだった。

 むろん、噂は飛び交う。

 

 既に王都も陥落し、貴族達は恭順の姿勢を取っている。

 西の黒い盾が未だに国境を越えさせていない。

 ラキアの大群は領地をゆっくり飲み込みつつ東へ向かっている。

 ラキアは国をかすめただけで南へ向かってしまった。

 

 根も葉もない噂もあれば、誰かの漏れ聞いた話が出元になっているようなものもあったが、自軍優勢とか、早々に追い返したという話は少ない。

 長きにわたり、数年に一度も侵攻を受けていたような国ではそれも仕方ない事かもしれなかった。

 

 小さな仮小屋の中でちろちろと火が(くすぶ)っている。

 煙は三角屋根の天井に溜まり、やがて葺いた藁の隙間から抜けてゆく。

 天井には切り分けられた塩蔵の肉が吊され、火を使うたびに煙で燻される仕組みだ。アウルがいつからかモンスター退治のついでにと狩りを始めるようになり、獲物を持ってくるようになると、台所方から猟師の経験があるという一人の男を紹介されて教わったものだ。

 毎度毎度、皮も剥がず、血抜きもしないで持ってこられても手間がかかって仕方無い、という事らしい。

 少し考えれば当たり前だったのだが、持って行けば何とかするだろうとたかを括っていたアウルは、その面倒臭さを知り、冷や汗をかいたものだった。

 解体された肉の半分はこの付近一帯の台所方へ持ち込まれ、他の区域より豪華な食事になっており、それを知る一部の者はそしらぬ振りで食事をしに来たりもしている。

 塊のまま塩で水を抜き、七日ほど燻された肉は褐色に染まり、浮き出た脂で表面にツヤが出ている。吊り下げられたそれを下ろし、臭いを嗅げば、ぷんと良い香りがした。薪は付近で取れる木の実を落とす木だ。開拓地という事もあり薪そのものには不便がない。

 2(セルチ)ほどの厚さにナイフで切ると、温度が低いためか中はまだまだ赤い生肉の色をしている。

 ただ、アウルとしてはこの状態で焼いて食べるというのも中々好きな味だった。

 おき火に薪をくべ、火を強める。

 やがて火が落ち着き、炭火となったら串を打った肉を火の周りを囲うように炙った。

 熱され落ちる脂が串を伝う。一滴が火に落ち、香ばしい煙を上げた。

 焼き上がった肉を頬張り、咀嚼し、飲み込む。

 夢中で最後の一串を食べ終えると、アウルは「旨かった」としみじみ言い、まだ少々物足りなさそうな目でストックの肉を眺めると、首を振った。

 サイヤ人の食欲は旺盛だ、とにかく食べる。例に漏れずアウルもまた大食漢で、割り当てられる食事ではとても足りない。やせ細る、というほどではないものの、狩りを始めて自分で食を得るようになるまで、色々その他の手段で食べてはいたものの、とうてい満足できる量ではなかったのだ。

 思い出したように水を汲み喉を潤す。

 その顔が、ふと何かに気づいたように戸口に向いた。

 

「こんな時間になんだ?」

 

 独り言を漏らす。

 おぼろげながらアウルも気配というものを感じ取る事が出来るようになっていた。

 大きな気配ほど感じ取りやすい。モンスターを倒していくうち、あるいは狩りで獲物を求めているうちにいつの間にか身についていたものだった。

 アウルが気づいたのは小屋に近づくローレンの気配だ。

 神の恩恵(ファルナ)を受けている者は皆、気配が濃い。オラリオで聞いた、一般人でも、冒険者であるかないかを判別できるというのも、無意識にそういった『気』の濃さを感じ取っているからかもしれなかった。

 

 □

 

 星空──というには少し淀んだ空が広がっていた。

 青白い月が雲のふちを照らしたと思えば、ゆるゆると隠れる。

 枯れた、少々疲れた顔をした男の顔がカンテラに照らされ、伸びた影が揺れていた。

 呼びかけずとも物音で気づいたのか、仮小屋からアウルが怪訝な面持ちを隠そうともせず出てきた。

 ローレンはカンテラを軽く持ち上げ、よう、と言葉をかける。

 

「お前は初耳になるだろうがな、農場(ここ)は明日で多分潰されるぜ」

 

 驚きの色に染まるアウルの顔を見て、ローレンは肩をすくめた。

 ()()()()()()()()。説明に必要な事を頭に浮かべ、整理できず、頭をガリガリと掻いた。思いつくままにアウルに話す。

 先日からラキア王国の部隊が姿を現し、開拓農場と王都を結ぶ街道に布陣、降伏を迫っていた。

 王都ではラキア王国侵攻に合わせるように小貴族達の反乱、先年から問題となっていた野盗達が結託して物資の強奪を繰り返すようになり、とても支援できる状況ではない。

 そもそも王都や他の都市で蓋をされた形のここに兵が来れたのかという事だったが、おそらくは北の山越えだろうとローレンは言った。モンスターに悩まされるとはいえ、Lv.2の部隊長クラスが数人でも居れば可能だと。

 降伏を迫ってきた部隊の様子を実際に偵察してきた者の意見も裏付けになった。

 猶予はたった一日。

 交渉の余地もなく、翌日には攻撃に移るという。

 

「ま、奴さんにはこちらの戦力はバレバレ。時間を置かないのは少数精鋭で他のあちこちも切り刻んで行くつもりなんだろう」

 

 アウルは目を地面に落とし、何とか教えられた情報を消化するとローレンに目を向けた。

 ローレンとは師弟に近いものかもしれない、ただそれも仕事でやっていることのはず、情が沸いた……というのもあるのかもしれないが、アウルからすればそれほど親しみを感じさせられるような覚えはなかった。

 

「それで、あんたは何かやるのか?」

「ああ。別に逃げ出したって構わねえんだが……」

 

 そうまでして生きるのもダルいしな、という言葉を口の中で飲み込み。

 

「結局な、降伏はしないって事になった。明日、やれるだけやってみようって事だな」

「やれるだけって……」

 

 おいおいとアウルは呟く、ローレンは妙な、やさしげな表情で続けた。

 

「奴隷の男共を前に立てて、それぞれの区域のモンスター狩り班で攻撃して時間を稼ぐ。その間に」

 

 援軍を待つのだろうか。しかし援軍は見込めないと言ったはずだった。アウルは怪訝な顔になる。

 

「ヨーゼフと一部の連中のみ、俺が護衛になって逃がす。そういう段取りになった」

「それは……」

「ああ。お前らは捨てられたな」

 

 そうかと、アウルは思った。特に怒りも感じない、そういうものだろうとは思っていたからだ。

 ただ友達(ロイ)が築きかけていた足場が崩れてしまうのが残念だった。

 猶予もなかった、こうなったら知り合った二人だけでもどう逃がすか、それを考えなくてはいけない。

 唇を噛むアウルに、ローレンは、だが、と続けた。

 

「その前にちょっと夜襲でも掛けてみようかと思ってな」

 

 お前を誘いに来た、と言う。

 結局のところ、ヨーゼフも含め、会議で唾を飛ばし合った連中は皆判っていないのだ。【ステイタス】を昇華させた部隊長クラスが数人いる、Lv.1とはいえ神の恩恵(ファルナ)を受けた兵が小隊規模で居るという意味を。

 持ちこたえるどころか、ただ蹴散らされるだけなのだ。半刻ほども持ちはしない。

 そして複数の同レベル相手に足手まといを連れた状態で敵うわけもない。

 最初から破綻している目論みであり、現実が見えていないと。

 

「お前用に餌も用意しておいた」

 

 羊皮紙を三枚、アウルの前でひらひらと動かす。

 アウルにも見覚えのある物だ。

 

「こんな時だからだろう、夜襲で上手く行く可能性を囁いたら気持ち良く奮発してくれた。お前とお前の友達(ダチ)の証明書だ。ついでに後見人になって面倒見てくれるとさ。どうだ?」

 

 足下を見てくれる。

 アウルはそう思い、見透かされている事に口を曲げた。

 一般人、しかもまだ子供と言って良い年のミレイを連れて逃げても、これから戦場として荒れる事になるこの国を抜けるまでが大変──というレベルではない。

 

「……んで、その上手く行くっていうやり方は?」

 

 ぶすっとしたままそう言うアウルに、ローレンはニヤリと笑い、言った。

 

「部隊長クラス全員の生け捕りだ」

 

 その誰でも判る、判りすぎるほどの困難さに、アウルは正気かと目をむく。

 ローレンは肩をすくめ、肯定した。

 カンテラの灯りで影が揺れ、どこかで人の争いに呆れるかのようなフクロウの声が聞こえた。

 



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5.国の終わり

 梢の狭間からまたたきする星が見える。

 月は雲に隠れ、闇夜はいつになく深い。

 なるべく音を立てないよう、用心し森を縫うように進む。

 先行するローレンが止まった。

 森が切れる、街道のある開けた平野に出た。

 王都へと結びつく連絡道路でもあり、普段は荷を積んだ馬車がひっきりなしに行き来している。

 ただ開けた場所という印象しかないそこには陣幕が張られ、幾つものテントが並んでいる。

 闇に慣れた目にはまぶしいとすら感じる篝火が置かれ、兵が二人。

 ラキア軍はよく訓練されている方なのかもしれない。軍事関係の知識などまったく無かった俺には比較対象も無い。それでもこれほど有利な状況下で、見張りが油断している様子もない。

 俺はひどく抑えた小声でローレンの背中に声をかけた。

 

「それで、どういう作戦で行くんだよ」

 

 呆れた事にまだローレンは『敵を何とかするための策』とやらを明かしてくれていない。

 敵陣を見るまでは判らないと、はぐらかすばかりだったのだ。

 ローレンはわずかにこちらを振り向き、口の端を上げた。

 

「いいか、ラキアって国はそれなりに強さに飢えてる。わざわざ住民の居ない地域のモンスター狩りに繰り出すほどな」

 

 判りやすい能力の底上げ、【基本アビリティ】の熟練度を上げるには【経験値(エクセリア)】が必要で、それを得るには日常の訓練、あるいは俗な言い方をすれば修羅場をくぐる経験が必要だ。

 それを得るために大規模な国家系【ファミリア】であり、オラリオのようにダンジョンを抱えていない以上、地上のモンスターを相手どるか、人同士の戦争でもするしかないだろう。

 

「だからな、Lv.1程度に見える恩恵持ちが相手になった時は、大体Lv.2連中は出てこない。下っ端の良い訓練になるからな」

 

 何か。

 凄い嫌な予感がする。

 ローレンは優しげな目でこちらを見て、ついでにがっちりと俺を掴んで言った。

 

「だからな、きっちり騒いで大勢おびき出せ」

 

 Lv.2の力で思い切り放り投げられ、宙を舞った。

 ──やっぱりかああああああ!?

 心の中で叫びつつ姿勢を制御する。体をよじり、尾を使いバランスを取る。

 だん、と街道の石の路面に着地した。

 真っ正面。

 そう、見張り達の真っ正面だ。

 おのれローレン。終わったら絶対仕返す。

 ただ、それよりも先に──

 

「らああああああっ!」

 

 叫ぶ。叫びながら驚く見張りに突っ込んで行く。

 ローレンが具体的に何をやるのかは判らないが、引きつけてやろう。思い切り暴れてやろう。

 勢いのままの跳び蹴りで篝火もろとも吹き飛ぶ見張り。

 陣幕に火が移り、敵襲だという声と、人のざわめきが聞こえた。

 

 □

 

 二、三人を吹き飛ばし、意識を刈り取った頃だろうか。連中の戦い方が変わってきた。

 連携を取り、常に二人一組で攻撃してくる。

 後ろでは腕を組んでいる軽装の男がいる。周囲を囲んでいる連中が命令を仰いでいる所を見るとLv.2、部隊長クラスの一人なのだろう。

 

「くそ、やりにくいっ!」

 

 俺の体格は小さい。

 逆にこれを生かして懐に飛び込んで一撃というのが得意なパターンだった。

 長柄の重い獲物など相手にするのは得意だったのだが、早々に見切られたらしい。俺の相手をしているのは速さのあるナイフ使い。体術も織り交ぜ、トリッキーな動きをかましてくる。

 もっとも速さならこちらが上だった。

 蹴りを躱し、踏み込み、ナイフを持つ拳ごと裏拳で弾く。

 そして入る横槍。

 そのまま文字通り横から突き入れられた槍だ。投げるにも適した短槍を振るわれ、躱す。躱した時にはナイフ使いの崩れた姿勢はすでに戻っていた。

 ──武器でも持ってくるべきだったか。

 一瞬思うが、思っただけだ。どうも武器は苦手意識があってまったく訓練していない。土壇場で使い物になるようなもんじゃない。

 攻撃の切れ間を縫い、バックステップ、距離を置いた。

 息を細く吐く。

 足先で地面を探り、石畳を均等の力で踏む。

 乾いた喉に唾液を送り、飲み込んだ。

 やりにくいのは相性の問題だけじゃない。

 どうやら俺は命のやりとりに緊張しているようだった。

 考えてみれば、初めてだ。命を獲ろうとしてくる人間相手の戦闘は。

 最初は俺の姿を見て加減したようだが、軍人らしく意識の切り替えも早いのだろう。数人やられた後はこっちを殺す気満々で攻撃してきていた。

 モンスターや野生の動物の殺意とは違う。

 知恵を持って絡みつく、油断も隙もない、独特な感覚。

 ──迷うな、と自分に語りかける。相手がどういうつもりだろうと、こちらのやる事は変わらないはずだ。

 ナイフ使いと三度目の応酬、槍使いの援護を受け、回転しながらの大振りな肘。

 コメカミを狙うそれに、こちらから額をぶつけてやった。

 

「ォらああッ!」

 

 押し出す。体全体を使ったような頭突きでナイフ使いは吹っ飛んだ。寸瞬、突き出される短槍。だが遅い。

 意表を突かれたのか一瞬の間があり、十分に対応できる。

 肩をかすめる槍、体を戻し距離を詰める俺。

 相手のブーツを思い切り踏み、骨の砕ける感触を感じるより早く、脇腹を殴り抜いて悶絶させる。

 うげえ、と大きな声を上げ転がる男。

 次は──と警戒するも、囲んでいるもののうち動く者はいない。

 

「俺がやる。しかし見誤ったな。この坊、Lv.2って所だったか」

 

 やり過ぎた、かもしれない。

 奥で腕を組んでいた男がその腕をほどき、出てきてしまった。

 しかし、こんな状況で手を抜けるかとも思う。

 軽装だ。防具は何かの皮甲で作った胸当てと手足の小手のみ。だが、その獲物は身の程もある大剣だった。

 

「子供に見える……が、もしかして小人族(パルゥム)混血(ハーフ)だったりするのか?」

 

 涼しい顔つきでその大剣を振る。風を切り裂く音と共に篝火が揺れる。

 火に劣らぬ赤い髪を揺らし、男はこちらに剣を向けた。

 

「一応聞いておくが投降しないか? こちらには死者は出ていない。今なら助けられるぞ」

「へっ」

 

 鼻で笑う。

 自分だけ助かれば良いというなら手段なんていくらでもあった。そうも行かないからこうやって面倒臭い事になっている。

 そうか、という言葉と共に降ってきた斬撃はローレンの槍より速かった。

 だが見えている。集中力は高まっている。

 皮を切らせ、躱す。

 だが──

 次に繋げられない。

 技の入り、戻りの速さが段違いだ。

 体さばきと共に剣を振りかぶり、打つ。その動きが一定ではない。一定でないながら、そこには一分の乱れもない。

 奇策に頼らない技量。神から与えられた恩恵(ファルナ)ではない、ただ日々の反復した修練だけが可能にする動き。人体の持つ反射をねじ伏せ、斬る事に特化した、本来不自然な動きを体にすり込む『剣術』。

 おいおい、と思う。

 達人、なんて言葉も浮かんだ。そんなもの単語として聞いた事しかない。本当にそんなものなのかも判らない。ただ、その技量、明らかに格上だ。

経験値(エクセリア)】が得にくい、昇格(ランクアップ)の機会が極端に少ない地上だからこそ、こうもなるのか。

 一撃、一撃ごとに傷が増える。

 攻撃の機会が無かった。

 回避以外の行動をすれば潰される。

 攻撃は最大の防御、きっとそれを突き詰めようとしたのだろう。

 実直で無骨、小手先の技など出す前に潰される。これを覆せるのはおそらく、同等以上の技量か、力。

 くそったれだ。

 どちらも持ち合わせがない。

 

「グッ」

 

 熱が走る。声をかみ殺した。

 肩を削られる。躱しきれなくなってきた。

 多少の希望を込めて見るも、やはり相手の目に油断は無い。消耗も無い。

 詰みか?

 

「ヅッ!」

 

 かろうじて胴の払いを躱すが足を斬られた。

 浅手だが、力の入りが効かない。

 追い打ちが。大剣の突きが迫る。

 回避、否、後ろに──

 死?

 サイヤ人とか二度目の人生とかそんなのを全部無にして。

 そうだ、そんなのは全部無関係に押しつぶされる。

 そんな圧倒的なのが死。

 殺される。『俺』もこの強い『体』ももろともに。

 

 ──え?

 強い違和感があった。

 

 そしてぶづりと体の奥で何かが切れ、潰れる感触。

 後ろに逃れても、間に合わなかった。

 腹に大剣が突き刺さり、引き抜かれる。

 

「ガ……ぐ、ぁ」

 

 だが、立てる。背骨が絶たれていないのは体重の軽さのおかげか。

 血が足りない。視界が暗くなったり明るくなったりする。

 しかし、やれる。

 やらないと。

 やっと分かった。

 俺はまだ()()()()()()

 体はボロボロ、だが精神は加速している。

 敵は初めて油断を見せている。

 だから踏み込む。

 ──一歩。

 敵が気づいた。驚きの顔、そして表情とは裏腹に剣を構えるのは速い。

 ──二歩。

 振り下ろすより速く懐に入り込む。

 地を蹴り、全力で、驚愕のままの顔を打ち抜いた。

 

 □

 

 夢を見ているような気がする。

 あるいは酒に酔い続けているような気がする。

 それなのにがっちりと歯車は噛み合い、意識はこれまでにないほど研ぎ澄まされている。もやもやとどこかで燻っていた怒りとか、妙な濁りめいたものはもう無い。

 俺は俺である事が多分初めて出来た。

 血まみれの右手を眺める。

 開き、閉じ、握りしめる。

 敵を殴り抜いて、頭蓋が砕け、柔らかいものを潰す感触がまだ残っていた。

 は、と笑いが出る。

 安堵も幾分か混じっていた。

 俺は別に殺す事を楽しむタイプではないらしい。ただ戦いの結果として殺しても、それはそれと思う程度だ。

 

「分からないもんだな」

 

 サイヤ人の『体』と『俺』という存在、どこか別のもののように考え、自覚せず境を設けてきたが、それは必要がない事だったのだろう。

 俺は俺以外に主は無く、体も心も一つしかない。

 それが理屈でなく、直感として染み渡った。

 その対価は人の命一個。そして代償として、死にかけた。

 いや、現在進行形で死にかけている。

 腹部をでっかい剣でえぐられ、それでもなかなか死なない10歳児。笑ったりしてる。

 シュール過ぎてホラーだ。

 そう、笑い事でもない、とどめを刺しに、敵を討とうと他の兵が動き出した。

 突きを避け、払いを止め、打ち下ろしを打ち軌道を曲げる。

 見えなかったものが見える。というより、感じ取れる速さが増している。

 こんな窮地だと言うのに楽しくなってくる。いよいよ壊れてきたのかもしれない、あるいはこれこそ──

 視界が飛ぶ。

 コマ送りに近い。消耗しすぎた。

 送られてくる攻撃への反応が鈍る。

 逸らしきれない──斧の一撃を、大槍が防いだ。

 金属を打ち合わせたとは思えない、重い音が響く。

 

「使いな」

 

 小瓶が放られた。

 割って入ったローレンはLv.1とはいえ六人を相手に悠々と立ち回る。

 かがり火に照らされ濃紺の液体が揺れる。回復薬(ポーション)だろうか?

 

「なけなしの一本だ、飲むなよ? そういう時は傷にぶっかけろ」

 

 言い終えるや、ローレンは舌打ちをした。

 大槍がしなる、いや、そう見えるほどの高速の三連撃。

 敵の攻撃を弾き、戦闘に空隙を作り出す。

 同時に俺の襟首を掴み、凄まじい勢いで後方に距離を取った。

 

「よう、追いかけっこはこの辺にしておこうか」

「最大戦力がのこのこ出張り、ただ掻き回しただけか?」

 

 現れたのは全身鎧(プレートアーマー)を纏ったいかにも重厚そうな男だった。

 それだけではない。

 俺とローレンを逃がさぬ、とばかりに赤髪の傷だらけの男が、金髪のどこか優男風の男が姿を見せた。

 気で計るまでもなく、見れば一目で分かる。

 Lv.2──【ステイタス】を一段階昇華させた戦士達だった。

 窮地だ、どこからどう見ても窮地だ。

 だが、ローレンはどこか困ったような笑いを見せ、言った。

 

「最大戦力……最大戦力ね、確かにな。だが俺じゃないんだ」

「……何?」

 

 訝しげな男はそこでようやくこの場の状況に気づいたようだった。

 

「おい、グレンは、グレンの奴はどこに行った?」

 

 へたり込む兵士の襟首を持ち上げ、そう詰問する。

 兵士は震える指先で示した。

 20(メドル)は飛ばされた、首から上の無い死体を。

 

 沈黙がその場を支配する。

 くく、とローレンの笑いが聞こえた。

 

「アウル、ズレは治ったみたいじゃねえか。あれがお前の本気か?」

 

 俺は答えず、ごぼ、と喉からせり上がった血の塊を吐き出した。鉄の味に顔がしかむ。

 ポーションで腹の傷は塞がっても、既に出た血はそのままらしい。内臓が変な風にくっついていないと良いのだが。

 

「ローレン、聞くけど、あんたの言ってた考えってのは?」

「お前さんの本気を引っ張りだして力ずく」

「……ひでえ」

「ま、生きるか死ぬかの瀬戸際でこそ人間、本性が出るもんだ。出せたろ本気?」

 

 どうも騙されたような気分だ。

 無言でじっとりと見ていると、ローレンは冷や汗を一筋垂らし、頬を掻いた。

 

「まあほれ、俺も他のLv.2を陽動して目が向かないようにしてたしよ、ハイ・ポーションだって結構高いんだぜ?」

 

 傷の治りが早いと思ったらハイ・ポーションだったらしい。

 ため息を一つ落として切りをつける。

 ──俺は死にかけ、生き返ったのだろう。

 身のうちにこれまで以上の力が猛っているのが分かる。

 恩恵(ファルナ)を受けた者のランクアップもこんな感じなのだろうか。

 試しに、と警戒をし武器を構えて包囲している敵の一人に接近し、足を引っかけ転ばす。

 

「……なるほど」

 

 速い。それにとんでもなく体が動きやすい。

 俺自身の中の問題が片付いたからなのか、死にかけたせいなのかは判らない。

 だが、これなら。

 

「確かに、何とかなりそうだ」

 

 その言葉に反応したか「舐めるな!」とか「くそガキが!」とか怒りの声が巻き起こる。

 そして俺は戦争に飲まれようとしている現状を何とかするための、当初の目的を力ずくで実行した。

 

 □

 

『神時代』なんていう現代では量より質と言われている。【ステイタス】がLv.2の戦士が一人いれば、その下のLv.1が10人居ようと、場合によっては100人居ようと勝ち目がある。それほどに昇格(ランクアップ)、器の昇華は劇的な差を生む。

 それが戦争においてどういう事になるかといえば、人質の価値が高くなっている。

 もっともこれはかつての現代の知識を持っているからこそ、そういう比較が生まれただけであって、こちらではごく当たり前の事でもあったのだが。

 ローレンと俺の夜襲によって、ラキアの部隊84名を捕縛し、Lv.2の三名以外は全て解放した。

 全員を人質としなかったのは、Lv.2が三人も居れば価値としては十分だったという事と、当たり前だが農場の側にそれだけの人数を拘留する施設も力も無かったからだ。

 ラキア王国の動きは速かった。解放した兵に書簡を持たせてからわずか三日で、人質の解放にあたっての交渉、そのための一団が訪れていた。

 ヨーゼフやローレン、他開拓地の主立った者は中央の館に集まって目下交渉中だ。

 俺はといえば、牢屋の前でひたすら暇をしていた。

 

「だ~る~い~ぞ~」

 

 間延びした声を出してみるも、答えてくれるのは空を陽気に飛ぶ小鳥くらいなものだ。

 牢屋とはいえ中身も外見もそう悪く無い。堅牢な石壁で作られた家があったので、急遽鉄格子がはめ込まれ、捕虜を入れている。しかし、何せ捕虜が捕虜だ。万が一逃げ出した場合、俺かローレン以外に止められる者がいない。

 そのため二人で交代しつつ牢の見張りをしていたのだが、とにかくやる事がないのだ。

 

「いっそ逃げ出してくれねえかなー」

 

 などと不謹慎な事を口にする。

 そうすれば追いかけて捕まえる仕事ができるのだけど、と半ば本気でそう思っていると、ふと人の気配を感じた。

 神の恩恵(ファルナ)を受けている者の気配だ、一般人より強く濃い。

 見れば灰色の髪をオールバックにした、柔和そうな男がこちらに向かって歩いて来る。

 年齢は4、50代だろうか、武装はしておらず、普通の服の上にローブを羽織っていた。

 俺が気づいた事に相手も気づいたらしい。こちらの警戒心を解くように両手を軽く上げて近づいてくる。

 やや距離を置いて止まると、やあ、と声を掛けてきた。

 

「君がノーザンホーク君ですか?」

 

 養父の姓名(ファミリーネーム)を出され、微妙な気分になる。

 

「アウルでいいですよ、そちらはラキアの方で?」

「ええ、交渉の使者殿と一緒に来た者ですよ」

 

 使者の護衛なのだろうか? それにしては妙な物腰だ。

 何か違和感でもあるかのように額をさすり、男はまじまじと俺を見た。

 はて、とどこか不思議な様子で首を傾げる。

 俺から何か有利になりそうな情報を掴もうとか、その手のやり口なのだろうか?

 そうも思ったが、どうもその後は当たり障りのない会話、歳はいくつかとか、友達は、とかそんな事を聞き、最近の天気がどうの、子供が出来すぎて困るだの、他愛のない事を話して去って行った。

 

 交渉は想定通り、ヨーゼフにすればそれ以上に上手くまとまったようだった。

 開拓地は戦時中の安全が保証された。戦後はラキアとの戦争に対して自領に引きこもり中立を保っているシモン伯爵家の物とする旨が決まり、戦後の混乱を考慮し、税の優遇も与えられた。もちろん、それもシモン伯爵家がラキアに恭順すればという条件付きではあるが──間違いなく恭順を示すだろうというのがベッジフ翁の近くで仕事をしていたロイの考えだ。現在ヨーゼフが直に説得に向かっている。

 そして人質の三人は即座に解放され、ラキアの使者達と共に出ていった。

 こういう時は裏切られないように、代人としての人質か何かをとっておくのではないかと思い、また同じく考える人はいたようで、何人かヨーゼフに食ってかかっていたが「大丈夫だ、今は私を信用していてほしい」と言われて引き下がっていた。よほど信頼できる根拠でもあったのだろうか。

 

 二週間が経ち、最初は緊張がほぐれなかったものの、あの後ラキアからも王都からも何も接触が無く、いつしか人々の気もゆるみ始めた頃。

 ヨーゼフが戻り、帰還のささやかなパーティが行われたらしい。

 もっとも、俺は当然ながら招かれておらず、ローレンから聞いた話だったのだが。

 予想通りシモン伯爵はラキアへの恭順を誓った。そしてそれだけでは恭順の姿勢としてはよくないと考えたのか、自らも兵を出し、ラキア軍の味方として立った。

 それはいわば王都を西からラキアが、東からシモン伯が挟撃する形となり、形勢を見た日和見の貴族達も次々と寝返り始める。

 雪崩が起きたかのように崩壊してゆく国の基盤。

 辺境は一日一日と領主の寝返り、そしてさらに僻地では独立の宣言が起こり、西の守備の要であった城もついに陥落、王都を残すのみという話だった。

 

「国が滅亡するなんてあっという間なんだな」

 

 ローレンはそう言い、祝いで出された酒だと言い、俺にも一瓶よこしてくれた。

 考えてみれば、この体になってしっかり飲むのは初めてかもしれない。

 10歳児が飲んでいいものだろうか、まあいいや飲んじゃえ、と勢いで栓を抜き、ワインを口に含む。

 結構酸味がある、ただ苦さはなくフルーティ。飲みやすくはあるけど、ワインとしては美味しくないかもしれない。

 子供向けのジュースにアルコールが入ったような……ああ。

 一応のローレンの配慮らしい。

 一口飲んで、様子を見る。もう一口を飲んで頷いた。

 

「うん、どうも俺はいける口っぽい」

 

 そこそこに気持ちよく酔うけども、顔が赤くなるほどじゃない。うまし。

 

「へえ、言うじゃねえか、よし瓶を上げな」

「む……?」

 

 ローレンが俺の上げた瓶に自分の瓶をぶつける。乾杯というには豪快な音がした。

 

「お前の初勝利に乾杯だ」

「ん、初勝利……か?」

 

 モンスター相手には散々戦ってきたつもりだったが。

 そう思って首を傾げるとローレンは酒精が回ったか、からからと笑った。

 

「勝利ってのは勝ち取る事だ、今回お前は自分と二人の自由、ついでにここの安全を勝って取ったんだよ」

 

 なるほど、と思う。勝って利を得る。だから勝利か。

 そういう意味ならば、と俺は頷き、瓶を上げて言った。

 初勝利に乾杯だ、と。

 瓶だけど、というツッコミを頭で思いつつ。



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6.旅へ

 温かい色味のランプに照らされ、並んだ料理は二割増しで旨そうに見える。

 年季の入った樫のテーブルに腰掛けた労働者や冒険者、旅人や商人、怪しげな占い師にひっかけられた青年。

 思い思いに話し、酒を飲み、歌い、笑い、後ろ暗そうな話をし、時には嘆きの声も聞こえる。

 酒場というのは良いものだ。

 店主(マスター)に酒を頼み、ついでに多めのチップを弾めばちょっとした聞きたい事を教えてくれたり、知ってそうな人を教えてくれた。

 大きな町や都市ではギルドの支部が行う事も多いが、ちょっとした町くらいだと酒場が仕事の紹介をやっている事も多い。

 もちろん酒を飲み、食事をしているだけでもうわさ話が耳に入ってきたりもする。

 どうやらラキア王国がまたぞろ迷宮都市(オラリオ)侵攻を企てて正規兵の増員を行うらしい。開戦がいつになるかは判らないが。

 

「ラキアかあ」

 

 ブラウン・エールを飲みながらそう呟く。

 この地方に来たら飲めと言われる酒だ。ナッツにも似た香りが口の中に広がり、これがまたびりっと香辛料(スパイス)を効かせた肉によく合う。

 むろん頼んでいる、子羊のナヴァランソース煮込み。ピリリと辛い、味も濃く、チリソースのような味だ。

 頬張り、やたら柔らかく煮込んであるラム肉を口の中で溶かす。そのくらい柔らかい。うまし、そしてエールをごくり。オッサンめいているがたまらない。

 

 ラキア王国、その名前を聞くのも久しぶりに感じた。

 開拓地を巡っての争い、あれからすでに二年も経っている。

 ロイとミレイは元気でやってるだろうか。

 二人とも奉公人の道を選んだ。ベッジフ翁と気が合ったようだ、今頃は元気に働いているだろうと思う。

 少し心配があるとすれば、俺がやった事──二人を自由の立場にしたことでやっかまれているのではないか、というところだ。

 モンスター退治を仕事にし、一人で居る事の多かった俺とは立場が違う。確かにあの農場では奴隷の身とはいえ長く真面目に働けば自分の身代を買い戻せるのだが、最低でも10年、最初の取引額次第では30年掛けても無理だ。諦めている者も多い。そんな中で突然自由の身になる者がいればどうなるのか。

 

「まあ平気か」

 

 ロイの事だ、抜け目なく、上手くやる事だろう。ミレイも別れ際には随分個性が出てきていた。何事にも一生懸命な姿は年上に、特に年配の人に好評だった。心配するほどの事もない。

 そのうち近くを通りかかった時にでも訪ねてみようか。

 そう思い、空になったジョッキを持ち上げお代わりを頼んだ。

 

 二年の間に俺も色々な経験をし、知識も得た。

 今の俺は冒険者というより、何でも屋。尻尾を隠し小人族(パルゥム)と言えば一向に伸びない背格好のままでも仕事を得る事はできた。

 モンスター討伐は元より、運び屋、隊商(キャラバン)の護衛、捜索依頼、うしろめたくなりそうな事以外は何でもやった。

 失敗は数多い。

 意気込んで旅に出てみたものの、思えば俺の頭の中には迷宮都市(オラリオ)と開拓農場、かつての便利な文明社会の知識しかなかったのだ。世間知らずもいいところで、騙される事もあり、山で迷う事もあり、腹の中真っ黒な猫人(キャットピープル)には散々利用され、振り回された。

 一番危なかったのは救出依頼と騙されて身一つで砂漠のど真ん中に取り残された時だったろうか──

 水も無し食料も無しという状況が一番の天敵だと身を以て知った。あんな状況に投げ出されるくらいならベジータ様のお料理地獄耐久24時間の方がまだマシというものだった。

 足の向くまま旅をする。そんな無軌道な生活を続けていたが、一応軸になっているものはある。

 闘いと飯だ。

 なんとも野蛮で原始的なのだが、楽しいし旨いから仕方無い。

 それも闘いが好きと言っても、サイヤ人としては変わっているのか、単純に破壊や蹂躙して楽しいというのではなく、戦闘行為そのものが楽しいようだった。ついでに自分の全力を出し尽くし、勝てれば申し分ない。

 もっとも、相手にはなかなか恵まれなかった。

 当たり前かも知れない。迷宮都市(オラリオ)でならともかく、普通の国や都市では【ファミリア】こそ多いものの昇格(ランクアップ)を果たしLv.2となった者さえ少なく、Lv.3というと下手をすると一国の最強になり、Lv.4ともなれば英雄か泣く子も黙るなまはげ扱い、Lv.5以上に至っては語る事さえ恐ろしい……というのはさすがに言い過ぎか。

 強い奴と闘いたいと思ってもそうそう居るわけでもなく、必然、モンスターとの戦いが多くなった。

 古代に地上に進出したモンスター達だが、強さが薄まっているとはいえ、フォモールやブラックライノス、ダンジョンの深いところから来た連中は中々手強い。

 深層から来ただけに単純ではなく、地上に順応し、適応し、技を覚え、人と戦うための手段、生きるための手段を覚える。

 そしてそういうモンスターは大抵の人間ではどうしようもできず、居ついた場所は、森であれば『死の森』とか呼ばれていたり、山間だったら『絶望の渓谷』とか大層な名前がついていたりもした。判りやすい。

 とはいえ半年もそんな場所ばかり攻めていたら、さすがに物足りなくなってきて、力を抑えて人相手に戦う事が多くなった。それはそれでモンスターには無い技巧を味わえる。その意味では俺より格上はごろごろ居るのだ。

 

 強くなる。

 日々強くなる。その実感に俺はどうもどっぷりハマっていた。

 

 □

 

 白いわたあめのような雲が悠々と空を泳いでいる。

 出港してからしばらく聞こえていた海鳥の鳴き声も今はしない。

 波が舳先で砕かれ、しぶく音。船の軋む音。

 白い四角の帆はほど良い風を受け、気持ちよさそうに膨らんでいた。

 しばらくすると水平線にあるぽつんと小さい点にしか見えなかったものがやがて大きくなり、はっきりと島の影に見えるようになる。

 

「オジナ島が見えたぞーっ! 底ずりに気をつけえー!」

 

 先頭を行く船からよく通る声が伝わる。

 岩礁地帯らしい、俺が乗っている船の水手(かこ)達も動きが忙しくなり、舵を取り、ゆるゆると進路を曲げてゆく。

 島を迂回するような形で進むと、遠間に見える海がわずかに黒みがかって見えるようになった。

 漁場に到着したらしい。

 帆はかえって邪魔になるのか下ろされ、たたまれた。

 先頭を進んでいた船が二隻、ゆるゆると近づき、何やら話している。

 ややあって相談がまとまったのか、他の船に向かい手での合図となにやら大声で漁師用語らしい、マキだのサゲだのという言葉が聞こえる。

 二隻の船が錨を下ろし、網の真ん中部分の支えとなった。網の両端をそれぞれ一隻づつの船が受け持ち、浮きのついた網を次々と投入しながら大きく輪を描くように進んでいく。

 

「良い陽気じゃ。今日は大漁な気がするのう」

「お、そうなんかい?」

 

 日焼けで真っ黒になった太い腕を組みながら、この船の船頭であるドワーフがそう声を掛けてきた。

 あまり海では見かけないドワーフ達だが、本人曰く、魚好きが高じて海に出てしまった変わり者らしい。

 

「おやっさんはいつも大漁な気がしてるじゃないですかい」

 

 横合いの水手(かこ)から即座に入ったツッコミに、うるせえ! と怒鳴り返す。

 

「しかしナッシュよ、腕前の方を見せてもらっといてなんだがなあ、本当に素手でいいのか?」

 

 船頭の若干不安そうな声に、俺は、素手が良いんだ、と笑って答える。

 各地を回るようになってから、サイヤ人の名前である『ナッシュ』で通している。これは偽名を使った方が良いというローレンの助言だ……偽名というわけではないけども。どうもあの時の戦争で、ラキアのお偉いさんに名前と顔を覚えられてしまったらしい。最初のうちこそ来るなら来いという気分だったのだが、考えてみれば真っ当に暗殺とか仕組んでくるならともかく、人質を取られたりすると非常に困る。確かに用心は必要だった。

 

「来たぁっ! ()()()()だぁぁッ!!」

 

 見張りが悲鳴のような声を上げ、急を知らせる。漁をしている船達にも聞こえるようにか、首からかけていた貝笛を取り、大きく長く鳴らした。

 

「一発目で当たりとはのう、やはりよほどの大漁だったか」

 

 がははと腹を抱えて船頭が笑った。笑い事じゃねえっすよ! と水手(かこ)達から言われるも、意に介さず、俺に鋭い視線を向けて言った。

 

「さてナッシュ、頼んだぞ。ふぅむ……景気付けに一杯()っていくか?」

「ドワーフ流の景気付けは後で頼むよ、じゃあちょっくら行ってくる」

 

 俺は船縁を蹴り、大海原に姿を見せた巨大なモンスター、小さな島ほどもある亀、あるいは竜とも言える大甲竜(アスピドケロン)に一直線に向かって行った。

 

大甲竜(アスピドケロン)』、大型になりやすい海のモンスターの中でもとりわけ巨大とされるモンスターだ。

 この全長50M(メドル)はありそうな個体さえ、むしろ小さい方だろう。記録や伝承の中ではそれこそ人が人跡未踏の無人島だと思い乗り込んだらアスピドケロンだったという話も残っている。

 その図体に見合う大食いで鯨や鮫など、食いでのある獲物ばかりを狙う、人間からしたらたまたま遭遇でもしない限りは比較的安全なモンスターなのだが。

 どうやらこの大甲竜(アスピドケロン)はどこかで潮目でも読み間違えたか、人の居住域の近くに迷いこんで来てしまったらしい。さらに悪い事に囲い網漁で魚を集められるのを学習し、それを目当てに漁船を見つけると寄ってきて根こそぎ横取りしていくのだという。

 間も悪かった。

 この国には海の守護を旨とし、モンスターと戦う武闘派【ファミリア】もいるのだが、海に囲まれた島国であるため、守る範囲が広すぎるのだ。今は遙か西の海に行っており、助けを呼んでもいつ来るかが判らない状況、季節も今が箭魚(ナギ)と呼ばれる魚の時期に当たっていて、この時期の漁で半年分の収入を得るという。

 そんな生活がかかって藁をもすがる思いで討伐依頼を出していた漁師達と、凄いモンスターが居ると聞いてノコノコやってきた俺の利害が完全に一致したというわけだった。

 

 海面を蹴る。

 歩けば沈む水面もある程度以上の速さで蹴ればそれは踏み固められた地面と同じようなものだ。

 爆発するような音としぶきを後ろに残し、さらに一歩、一歩と加速。

 見る間にその小山のごとき大きさが迫ってくる。

 大甲竜(アスピドケロン)の反応は鈍い。だが視線はこちらを捉えた。

 彼我の距離は1000M(メドル)ほどだったか。

 勢いのままに、牙を剥く顎を下から蹴り上げる。

 ばぐん、と顎が閉ざされ膨らんだ長い首から異様な音が聞こえた。

 盛大な咆哮(ハウル)でも放とうとしていたのだろう、この巨体なら威嚇だけでなく物理的な威力さえある。

 むろんそれで終わらせない。

 海面に着水するや、両の足で思い切り蹴りつけた。

 水面の爆発と共に跳躍──

 

「らァァッ!」

 

 衝撃。

 のけぞり気味だった首が血煙を上げてさらに持ち上がる。同じ箇所に二度攻撃を食らい、揺すられ、視界はドロドロだろう、人間ならば。

 だがこいつは竜種、1000年もの時間、その中の世代交代で魔石を削り弱体化したとはいえ、まごう事なき最強種の竜。

 こんな程度の耐久力ではない。

 口元が緩む。一足でその場を離脱、距離を取った。

 

「グオオオオオオオァァァ!!」

 

 竜が吼える、そして巨躯を生かし、水面下の前足で大波を起こしてみせた。

 回避はしない。厚みの無い波だ、突破できる。

 両手を前で組み、波に向かい跳んだ。

 速度のせいか、ゴムで出来た壁を抜くかのような重さがガードした両腕に加わる。

 しぶきをあげて波を突破した前にあったのは、大きく口を開いた竜の顔だった。口内には魔石の輝きを紅く染めたような色が。

 

「あ、これやば──」

 

 竜の息吹(ドラゴンブレス)

 熱波か光か判らない奔流に吹き飛ばされ、海中、海中のくせに熱波で沸騰したか真っ白な気泡だらけの海だ。

 ガードの姿勢のままだったのが良かった。

 ()()はあるが、両手が焦げ付くだけで済んでいる。海中をなお勢いのままに流されながら両手が動く事を確認した。

 強い。

 わずかな攻防ですら下手すれば死にそうだ。

 だがそれでこそ。

 長引けば死。

 それでこそ。

 ヒリヒリとした緊張感に恐怖と歓喜が沸いて、それを丸ごと楽しむ自分が居る。

 ──海底に足がついた。

 大甲竜(あいつ)は追ってくるだろうか? 俺を逃せぬ敵だと思うほどに痛撃を与えてやれただろうか?

 分からない。分からないからこちらから行く。

 食いしばった歯の間から泡が漏れた。

 気を右足に溜め、思い切り蹴りつける。

 ごぼん、と足場の岩盤が割れる音がし、俺は吹き飛ばされた方向へ一直線に向かう。

 そして見えた竜の顎門(あぎと)

 追ってきていた。

 昂揚感のままに笑う。

 気づき、食ってしまおうと大口を開ける竜の前で再び水を蹴り方向転換、長い首に沿い腹部へ回り込む。

 

「ぶ、ち……」

 

 腹甲、首の付け根を狙って渾身の気を集中させた右拳を──

 

「抜けェ────ッ!」

 

 叩き込んだ。

 爆圧が俺自身にも傷を付け、吹き飛ばす。視界の端に大きく胸部が抉れ、断末魔の叫びを上げる大甲竜(アスピドケロン)の姿を捉えた。

 

 □

 

 満月に近い、大きな丸を描く月が雲間に見えている。

 身のうちに猛々しく、凶暴なものがうごめくのを感じ、苦笑した。二、三日は夜の外出を控えた方が良いようだ。大猿になっても理性を保てるわけじゃない。山中の奥深くで試した所、気づけば裸で周囲の被害はそれは甚大なものだった。環境破壊も良いところだ。

 モンスター討伐を果たし、謝礼金とおまけの歓待を受け、良い気分で夜道を歩く。

 戦闘の成果も上々。気の制御(コントロール)、これも実戦で使いものになりそうだった。

 

「気かぁ……」

 

 意識せずとも常に体内、体外を巡り、取りまいているもの。

 これそのものは感じていたが、意識的に制御できるようになったのはラキアとの戦い以降だ。

 何となく手のひらの一部分に集める。

 手から離れさせると、僅かなゆらぎを残し、拡散してしまった。

 

「かめはめ波とか撃ってみてえなあ……」

 

 結構なロマンだが、正直どうやって良いものかが分からない。

 当然といえば当然か、絵で知っているだけで見たことがないのだ。模倣もできず、完全に自分で暗中模索していくしかない。

 今のところ分かるのは自分の体から離れれば離れるほど気の制御が難しくなること。

 竜のブレスを防いだ時も両手に気を練り、盾のように放出して防いだが、末端部はダメージを通してしまっていた。

 気を漫然と放出するだけでなく、回転、あるいは対流を起こす。外縁部はそれにより気の圧縮が起き……ないか。それをやるにはやはり拡散させず留めるための鍛錬が要るようだった。

 

 土ではあるが綺麗に整えられた道を歩き、川をまたぐ橋を通る。かつては赤色に塗られていたらしい橋も相当に時間が経ったらしい、夜目にもわかる茶褐色になっている。

 木製の橋、飾られた欄干、川の向こうには板張り屋根に重しの石が乗せられた家々。

 合間合間には昔話に出てくるような茅葺き屋根の家も見える。

 ノスタルジーというか郷愁というか、やはりそういう思いに囚われる事が多い。

 本当にこの『極東』と呼ばれる島は、日本に近いようだ。それもどこか時代めいた。

 ここに来て良かったものはやはり食事だろう。米の飯──大陸でもあるにはあったが何となく違うモノだった。それがここでは思い出にある白い飯、ほっかほかの粘りのあるご飯が食えるのだ。

 それに調味料も味噌、醤油という大豆から作るものが揃っている。この国に来て炙り味噌のおにぎりを食べた時は、それはもう何とも言えない感慨深い味だった。

 ……思い出すと腹が減る。漁師達の宴席らしく、山ほどの海の幸を食ってきたというのに。

 今ならまだ飯を頼めるかもしれない。宿への道を急ぐ事にした。

 

 □

 

 極東に滞在する事しばし。

 居心地の良さについつい長居してしまっている。

 飯が旨く、酒が旨いだけじゃない。

 この地はこの地で戦乱があったらしく、あちこちで戦火の残り火が燻り、荒々しい者達が多く、当然トラブルも多い。おかげで俺のような腕っ節で稼ぐタイプにはこの上ない稼ぎ場所にもなっていた。

 

 そんなある日、それを見たのはただの偶然だった。

 海と巨大な湖に挟まれた小高い台地、ちょっとした仕事の帰りに近道として通りがかった時だ。

 雑木林の中、開けた場所で元気の良い声が聞こえた。

 子供達が5、6人集まり、武術の練習だろうか、稽古をしている。

 年齢はバラバラだったが、10歳前後に見える三人が技も一段上のようで、年少の子にあれこれと教えてもいるようだ。

 妙な髪型──古代日本の髪の結い方のような、その男が何ぞや笑いかけながら重さを感じない動きで子供達の前に立った。

 神だろうとは一目で分かった。気の性質が人とはまるで違うし、なんと言うか格好も浮いている。

 どうやら神が武術を教えようとしているらしい。

 ちょっとした興味本位で見ていた俺は、次の瞬間硬直していた。

 それはどうやら剣の型のようだった。

 連続した一つの流れ、上段からの振り下ろし、突き、下段、小手による受け、上段から打ち落としての逆袈裟。

 動き自体は遅い。子供達に見せるためだろう、ひどくゆっくりしたものだ。

 だが──淀みなく、無駄がない。

 俺自身剣術なんてど素人だ。だからそれで斬りかかられたと想定して考える。

 気づけば神の動きは終わっていた。俺は知らずに止めていた息をゆっくりと吐く。

 自分と同じ力と速さを持った相手が、あの技量で斬りにきたらどうなるか。

 俺の中のイメージでは一手は打ち落とすが、二手で致傷、三手で詰んだ。

 子供の声が聞こえる。

 

「タケミカヅチ様。もっと一撃必殺のようなものはないのですか?」

「はは、桜花は体に恵まれているからな。いずれ斧術でも教えてやろう」

「はい!」

 

 タケミカヅチ、か。

 幾度か口の中で名前を転がす。

 俺は頷き、気づかれないよう気を消しその場を後にした。

 明確に超えたいと思ったのは初めてかもしれない。それほどの衝撃だ。

 その日、宿に帰る気にもならず、一晩中高山の奥で体を動かしていた。



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7.まろばし

 地に足を付け、自然体で立つ。

 呼吸を細く緩やかに。ただ立つという以外、何も力を使わない。全身から力みを抜き去る。

 長く続けているうちに半ば寝ているような気分にもなる。夢か現か、時間の感覚は引き延ばされ、あるいは圧縮される。

 木の葉が一枚、落ちる。

 視認し、腕が動いた。

 

「……はあー」

 

 葉っぱを指でつまんでため息を吐く。

 まだまだ無駄な力みが抜けていないらしい。腕の動き出しで体が揺らいでしまった。

 静から動、動から静への瞬時の転換。

 気取った言い方をすれば無拍子。予備動作を無くし、最も単純な動きで攻撃まで繋げる。

 これを気を併用し、用いる。

 気を殺した状態から瞬時に最大まで高めた気で攻撃。

 攻撃のみではない。全ての動きにこれを応用すれば、どうなるだろうか。

 ──(いかづち)の如く動いてみろ。

 武神の言った言葉が頭によぎる。

 

「……ぐぬ」

 

 言われずとも。

 俺は再び体の隅々までも静かにし、地味で迂遠にも思える修行を続けた。

 

 □

 

 武神タケミカヅチ。

 俺が会ったのはそんな神だ。

 迷宮都市(オラリオ)で育った俺からするとどうも『神』というのは享楽的で胡散臭いところがあり、近寄るのをためらうものがあったのだが、彼の神はある意味で珍しい人格者、もとい神格者だった。

 相手が神であるという事からあまり関わりを持つ気にもなれず、一週間ほどは隠れ見ていただけだったのだが、さすがに限界がある。それに性にも合わない。

 当たってみるだけ当たってみようと、賽物代わりの米一俵を抱えて(やしろ)を訪ねてみたら、多少の問答の後、こちらが拍子抜けするほどにあっけなく武術を教えてくれる事になったのだった。

 なんでも恩恵(ファルナ)欲しさに取り入ろうとする人間も結構いて、その欲求そのものは構わないものの、あまりに【ファミリア】に入る事を軽く考えている者が多いのだという。そういう手合いの者は断っているが、逆にそれ以外──タケミカヅチの『神』としての力ではなく、『武』を求めてくる者は珍しく、なかなか嬉しかったらしい。

 ただ、その後は一筋縄で行くというわけにはいかなかった。

 最初にどれだけ出来るのかを見せる事になり、一通りの演武めいた事をしたら大層怪しまれてしまったのだ。

 

恩恵(ファルナ)を受けているようには見えなかったが、見誤ったな。どうしたものか」

 

 そう言い、困り顔になる。

 他【ファミリア】に入っているわけでも神の恩恵(ファルナ)を受けたわけでもないと正直な所を言うと今度は頭を抱えてしまった。

 俺は頬を掻いて嘘じゃないんだけど、と言うと、神は頭痛をこらえるような顔で手を振った。

 

「嘘をついていないのは判ってる。だがな、それが問題なんだ」

 

 直截に聞く。と前置きし、神タケミカヅチは真顔とも、表情を消したとも、言いようのつかない不思議な顔になり、問う。

 

「お前、人間(ひと)か?」

「……宇宙人?」

 

 神の威厳もなんのその、なんだそれはと言わんばかりにその場で崩れ落ちた。

 

 俺は洗いざらい、というほどじゃないが、外宇宙から小型の宇宙船で幼い時にこの星に来た事を明かした。

 サイヤ人という種族、フリーザ軍という、惑星規模の侵略、売買をする強大な組織についてもまた。

 なにせ神を前に隠し事をしても意味がない。これから教わろうってのにそんな事で怪しまれるのもシャクだ。

 一通り聞き終わると、神タケミカヅチは難しい顔で、うむむと呻り、息を吐き、頷いた。

 

「うむ。まぁ……いいか。アウル、お前は別にこの世界をどうこうする気はないのだろう」

 

 いいんだ、と心の中でツッコミつつ、頷く。

 生まれる前の精神や知識が影響しているにせよ、俺は宇宙ポッドで仕込まれた命令に従うつもりなんてさらさら無い。

 

「そのフリーザ軍というのがタチが悪そうだが、そいつらから見て辺境……という事はすぐにどうこうという話でもあるまいしな」

 

 しかし俺達も舐められたものだ、とむすっとした顔をする。

 確かに舐められているのだろう、サイヤ人とはいえ三歳児を送りこんで制圧可能と見込まれたわけなのだから。なぜこの星の戦力が低く見積もられているのか俺も不思議なところだ。

 調査方法が間違っていたのか、そもそも認識できない力だったのか。はたまた、俺自体の価値があまりに低すぎて捨て駒扱いだったのか。

 

「しかしそうだな、その話は口にしない方が良いだろう。特に他の神連中には注意しておけ。絶対面白がってオモチャにされるぞ」

 

 出来た神様だ。眷属(ファミリア)ではないこちらの心配までしてくれる。

 その後は再び俺の現在の力を確認する作業に戻ったが、気の扱いについては何か思うものがあるようで、助言を貰った。

 

「『気』をあって当然のものだと思え。手が指を曲げ物を掴むように意識せず、当たり前のように在るものにするといい」

 

 聞くと、『神の力(アルカナム)』と通じるところがあるかもしれん、と言う。

 あるいは、と何か考え、わからんな、と首を振る。

 何か思い当たるものはあったが、推測もいいところ、と言った感じだろうか。

 何はともあれ、こうして俺は神タケミカヅチに師事するようになったのだった。

 

 □

 

 笹の藪の中からじっと機を窺う。

 秋も早々と去ろうとしており、笹の葉も色あせて見える。

 寒風が木々の梢の中を通り抜け、枝を揺らし、葉を散らせた。

 野の獣にとってはこの時期は生命線だ、たっぷり食って肥り、冬に備えなければならない。そのための食い物は森が恵んでくれる。

 元気の良い気が近づいてきた。

 人のものではない。

 獣道をガサガサと草葉を揺らし、近づいてくる。

 それは間近に潜んでいる俺にも気づかず、通り過ぎようとしていた。

 

「ふっ」

 

 浅い一息。片膝立ちの姿勢から予備動作をつけず動き出し、獲物を抑えるように掌底。

 額に手を当て、気を『通』す。

 ──だいぶ形になってきた。

 一瞬で意識を失って倒れた猪を肩に担ぎ、そう思う。

 無拍子での移動と攻撃、気を融和させ、それが当たり前であるかのように動けるようにする。

 おそらく突き詰めると構えが要らなくなる。

 俺はそこまで行き着いていないし、それに重力がある以上、地の支えが要る以上は構えも、わずかな拍子も出てしまう。解消の方法は既に思い描けているが、それはもっと高みにありそうだ。

 血抜きをし、内蔵(ワタ)を抜いた猪を手土産に(やしろ)に行った。

 階段を掃き、落ち葉を掃除する少女、(ミコト)が俺に気づいた。

 

「アウルさん、す、すごい猪ですね!」

 

 律儀に箒の先についた葉を払い、木に立てかけてからこちらに走り寄る。

 ヤマト・(ミコト)(やしろ)で育てられた孤児、年長組の一人だ。そろそろ11歳になるらしい、几帳面でしっかり者、まだまだ遊びたい盛りのはずだが、年少の子供達の世話をし、時には麓の町で畑を手伝い日銭を稼いだりもしている。えらい。

 

「よっ、お疲れ。この時期のだからな、脂がのってて美味いぞ。ちゃっちゃと捌いちゃおう。手伝ってくれるか?」

「はいっ!」

 

 今日はしし汁にしましょう、と早くも料理を浮かべる(ミコト)。石段を登ると古くに建てられた立派な鳥居があり、それをくぐると、石が敷かれた開けた場所があった。

 手前の拝殿は部屋のしきりがなく、十分な広さのある造りになっていて、日頃は子供達の道場として、あるいは来客時の応対や麓の町の人達が日頃の息抜きに演劇などやる際、貸したりもしている。

 そこからさらに奥の本殿、拝殿よりさらに大きい建物が皆の住処(ホーム)だ。

 ここの主神であるタケミカヅチ、そして他の神様、ツクヨミやフトダマ、ウケモチといった神様達がそれぞれの眷属(ファミリア)、そして引き取った孤児達と共に住んでいる。

 戦争、モンスター、疫病、様々な事情からこの国は荒れている。

 一応戦争はひとまずの片がついたらしいのだが──それにしてもすぐに国が落ち着くわけもなく、食い扶持に困って捨てられた、あるいは親を亡くした、そんな孤児達が結構多い。

 ここの神様達は確かに神によくあるように享楽的ではあるものの、根が善い。神の力(アルカナム)を使えない状態でも手の届く限りは何とかしようと、そういう孤児達を引き取り育てている。

 それだけに猪一頭、70kg大の肉でもあまり長期保存を考える必要もない、一週間もあれば食べきってしまう。俺が本気を出すと一日になってしまうが。

 

「アウル、火を持ってきたよ!」

 

 孤児達の一人、鏡という男の子が松明(たいまつ)に火をつけ持ってきてくれた。

 

「おっし、んじゃーしっかり毛を焼いてな」

 

 言い、猪を土間の近く、板の上に置く。

 毛皮は極東だと北の方以外は使われていない。日本と同様高温多湿な気候のせいだろう。皮を剥いでなめすよりも、毛を焼いて皮も食べてしまう。そしてまた猪の皮というのが脂の美味さも手伝い絶品なのだ。

 塩で締め、脂ごと炭火でじっくり焼き上げた皮、このぱりさくじゅわーの三連コンボは人を虜にする。うまし。

 もっともそれはやるとしても後だ。短刀で腹を割き、足と腕を分割する。

 大ざっぱに割けた肉を(ミコト)に渡すと、骨と肉を綺麗により分け、骨は大鍋に入れていく。

 ざっと解体が終わった所で、千草(チグサ)が年下の子供達を連れ、篭に野菜を入れて持ってきてくれた。(やしろ)の中に作った畑で採れた野菜、近場の沢で群生している山菜もある。

 後は任せて下さいと言うので、(ミコト)千草(チグサ)に任せ、子供達を連れて台所を離れる。

 料理上手な二人だ、あまり人手がいても邪魔になってしまう。

 

「まだかなー」

 

 などと気の早すぎる事を言う子供の頭にチョップを食らわした。

 空を仰げばまだ明るいものの既に日は山の稜線に近いところまで落ち始めている。

 この分だとちょうど日の暮れた頃にはでき上がりそうだ。

 遊び始めた子供達をツクヨミ様に任せ、近場の川で汚れでも落として来る事にした。

 

 獣脂で作った蝋燭のほのかな灯りの中、子供達が賑やかに椀をかっこんでいる。

 神様達もその様子を見つつ箸を動かす。

 大鍋一杯に作られたしし汁──味の濃い豚汁のようなものだが、野菜もふんだんに入り、こればかりは買ってきたものらしい芋がごろごろ入り、薬味として刻んだ野蒜(ノビル)が浮かんでいた。

 今日は普通に味噌仕立てのようだ、こってりとした猪の脂に負けないよう熟した味噌を使ったらしい。

 タケミカヅチ様などもお代わりを(ミコト)によそってもらっている、ついでに要らぬ一言「これならいつ嫁に出しても恥ずかしくないな」などと言ってしまい「お嫁になんて行きたくないです」と半泣きになった(ミコト)に肉無し汁を出されていた。ツクヨミ様や他の神様からも「無いわー」と駄目出しを食らっている。本人はまるで判っていない様子だったが。

 

 

 食事の後、(タケミカヅチ)様と連れだって、(やしろ)の裏山へ行く。

 日はすっかり暮れ、虫の鳴き声の中、雑木林の中に開けた場所で五歩の距離を置き、向かい合った。

 

「よし、いつも通りだ。来い」

 

 組み手は互いにゆっくりとした動きで行っている。

 一般人と同じ力でしかない神様に本気で動けば力とスピードだけで圧倒できるのは当たり前だ。それでは稽古にならない。

 10手、20手、と攻防が繰り返される。

 互いに同じ速さで動き、打ち終わりは相手に触れず止める。

 はたから見れば遊んでいるようにも見えるかも知れない。

 だがこれは寸止めであっても実際にその攻撃を受けたらどうなるのか、それを頭に思い描きながら行う稽古だ。常に真剣、緊張もする。しなければ意味がない。

 タケミカヅチ様によれば戦いとは突き詰めたところ、相手を動かすか、自分から動くかの二択しかないという。そして俺の相手をしている間は、常に自らは動かず相手を動かすという戦い方をしていた。

 技の起こりを打つ。技の終わりを打つ。いわばカウンターを中心に据えた『待ち』の戦い方だ。

 ある程度まで武を高めれば融通無碍、相手がどう動こうとそれに応じた対応が自在に取れるという。

 当たり前だが俺はまったくそこまで行きつけていない。今は相手の動きに動かされないように動く事で精一杯だ。この組み手だと結局一度も勝った試しがない。伸びてないのかと悩む俺にタケミカヅチ様は大笑して言っていた。

 

「当たり前だ、年季が違う」

 

 確かに神様に寿命は無い。それもそうかとも思うのだが、毎回負け続けではさすがに悔しい。

 ──32手。

 肋への一撃をかろうじて躱すが体が崩れた。

 思いつきでさらにそのまま体を崩し、後ろ蹴りへ移行。

 意表をついたかと思ったが甘かった。それは悪手とばかりに姿勢を低くし躱し、軸足を払われる。

 

「参った」

「うむ」

 

 目前で止められた拳。

 もし相手が俺と同じだけの力を持っていればこれで頭を砕かれて終わりだ。もっとも、実際にやるのであれば気の要素も絡み、さらに複雑化するのだが。

 組み手を終えた後はタケミカヅチ様には少し離れてもらい、気を用いた体術を見せ、細かな指摘を貰う。

 闇雲に鍛えるだけでも地力は上がるのだが、どうしても制御が甘くなる。気の制御が甘くなれば技の正確さ、体さばきにブレが生まれ、頭で意識した動きと体がずれ、体感的には上手く噛み合っている時より半分程度の強さになってしまう感じだ。

 そういえば、と思い出す。

 ドラゴンボールなんて物語の中で、ギニューが孫悟空の体を奪った事があった。

 全く力を発揮できずという落ちがあったが、逆に言えばそれまでボディチェンジしてきた相手の力は十全に引き出せたという事でもある。

 それが示す事は、孫悟空は高いレベルで気をコントロールし、体術、技と合わせ練り込んでいたからではないだろうか。

 推測に過ぎない。だがベジータが急激に強くなっていったのも地球での戦いを経て気の制御というものを目の当たりにしてからだった。

 おそらく、コロンブスの卵のようなものなのだろう。

 多くの宇宙人──宇宙ポッドで記憶させられたものだが、その大半は身体的に地球人より遙かに強い。また『気』も生まれながらに扱えるものさえいる。そんな状況では体、技、気、全てを練り込み複合的に鍛えるという発想自体が生まれないのかもしれない。

 

 鍛錬を終え、タケミカヅチ様を(やしろ)に送る。

 時間にすれば一時間ほどだったろうか、桜花(オウカ)(ミコト)千草(チグサ)と一緒に修行をしないのはそれなりに理由がある。

 刺激的過ぎる、らしい。

 

「お前に引っ張られて無茶をしすぎても困る」

 

 なんて言われた。

 申し訳なさそうに言うからこっちとしても困る。

 俺は未だ(タケミカヅチ)様の【ファミリア】に入ったわけでもないし、いわば外弟子のようなものだ。何も納めずには悪いと思うのでちょこちょこ食料の差し入れはしているが。

 まったく人の善い神だ。と少し矛盾した思いを抱き、何となく自然と口が綻んでしまった。

 かつて養父の絡みから保護されていた事になっていた【ソーマ・ファミリア】、そしてその主神をふと思い出す。

 遠目に見たかの姿は、まったく人に興味を失っているように見えた。

 

「リリの奴はどうしてるかねえ」

 

 妹分、と言っていい存在を連想した。

 会いたいという気持ちと会いたくないという気持ちが同時にある。

 養子とはいえ子供を奴隷として売る親、そんな事を知って欲しくはない。知れば怖がるだろう、それにもしかしたら俺の養父を恨むかもしれない。

 頭を振る。

 この手の事は考えれば考えるほどドツボにはまる。いけない。

 リリ自体しっかりしていたし、父母そろって結構元気だった。俺のようにはならないだろう。

 かつて見知った星座とはまったく違う星空、そんな夜空を眺め、意味もなく浅い息を吐いた。



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8.巡り巡り

 季節は過ぎゆく。

 木を枯らせ、葉を落とさせた冷たい風はいつしかぬくもりをおび、溶けた白雪の中から顔を覗かせたふきのとうも大きく育ち、花を咲かせる。

 鳥たちが子育ての準備に追われ、巣作りのための枝を運び、人々もまた一冬の間に硬くなった田に鍬を入れ始めた。

 雪解けでかさを増した川の流れも落ち着き、水の色は透き通っている。かじかむ、というほどでもなくなった水温に誘われるように、子供達が川辺で遊びだし、あるいはその日の夕餉にでもするのか笊を持ち、沢ガニを探す姿もあった。

 日ごとに増す活気。

 しかしそんな人里とは裏腹に、(やしろ)ではどんよりとした空気が流れていた。

 

「聞き回ってみたのですが、やっぱり……行き先はわかりませんでした」

 

 桜花(オウカ)(ミコト)千草(チグサ)(やしろ)の中で育った子供達の中では年長の三人が神タケミカヅチの前でうなだれていた。

 タケミカヅチもまた、あぐらを組んだ足を揺すり、難しい顔で「うむ……」と唸った。

 

「……お前達、とりあえず年下の子供らには春姫(ハルヒメ)の事は伏せておけ。いずれ知る事になるかもしれんがな」

 

 そう言い、ふう、とため息を吐いた。

 ──窮屈そうな暮らしを知り、羽根を伸ばさせてやろうとしたが、人の子らには余計な世話だったのか。

 タケミカヅチは懊悩していた。こういう結果になってしまった一因は自分にもあるのではないかと。

 神社の麓にあるひときわ大きな館。その家の娘、春姫(ハルヒメ)という狐人(ルナール)の少女。

 心優しい少女だった。素直な感情で人をいたわれる素朴な優しさを持っている。

 年頃は三人と同じく11歳だ。五年ほど前から篭の鳥のような境遇を見かねて連れ出させ、養育している子達と遊ばせたのだった。

 その少女が勘当されていたのだという。

 極東の大神、アマテラスに仕える代々の貴族の家だ。滅多な事では血族を義断するなどという事はない。

 なにかがあったのだ。

 神の力(アルカナム)を手放し、人と同等の身として地上に降りた身だ。タケミカヅチにそれを後悔する気持ちはない。ただ、時に不自由な自らにもどかしさを感じる事は──万能でありえた自らを知るだけに尚更だった。

 

 日が傾き、影を伸ばす。

 夕焼けの橙に染まった海の見える港町をアウルは歩いていた。

 曲がりくねった道を知った物のようにすいすいと入って行く。

 黒髪黒目という特徴は似たような者の多い極東では目立ちもしない。大きな徳利を片手に酒屋に入るのも、酒を買いに出された子供とも見える。通い帳を持っていない事を除けばそう珍しくもない姿だろう。

 ただその姿がさらに荷積み人足達住まう長屋の一画にあり、そしてそこが賭場だと知る者からは少し疑問を抱かれる風体だったかもしれない。

 (おもて)番の、まだ少年の色が残る若い男もまた困惑した面持ちだった。

 

「代貸を呼んでくれるかい? ナッシュが来たって言えば通じるよ。それと良い酒を持ってきたんだ、ちょっと燗にしといて欲しいんだが」

「はあ……え? その、飲まれるんで?」

 

 そんな反応にアウルもまた慣れているように小さい苦笑いを一つこぼす。

 

小人族(パルゥム)ってんだ、この辺りには少ないか、聞いた事はあるだろ? こう見えて結構年いってんだぜ?」

 

 しゃあしゃあと嘘をついた。精神年齢はともかく少なくともアウルが生まれてから13年しか経っていない。

 ただアウルにとっても既に慣れた擬態だ。旅をし、依頼を受け稼ぎを得る中で、いわば舐められないように、いつしか馴染んだ設定だった。

 やがて応対に出てきた中番が恐縮しきりな態度で奥座敷に案内した。

 

「へえ、今代貸がお出でになりますんで、少々お待ち下せえ」

「いや急に訪ねたのは俺の方だから、急がないでくれって言って貰えるかい。ゆっくり待たせてもらうよ」

「そう言っていただければ有り難く。今、茶をお持ちします」

 

 そう言って中番が下がったが、ほどなく引き戸が開かれ、遊女らしき女を連れた端麗な容姿の男が姿を見せた。

 

「よく来てくれましたねナッシュの旦那。前もって言って下されば馳走の一つも用意したんですが」

 

 少々残念そうに笑い、アウルの対面に座った。

 ダークエルフだ。エルフのうちの一種族と言われている。

 くすんで見える銀髪に褐色の肌、長い耳は片方が半ばから千切れていた。

 額や頬にも傷跡が残り、細く端麗な容姿とはうらはらに峻烈たる風情を漂わせている。

 艶やかな衣装の女が盆から香の物やぬた、刺身など、急いで用意したのだろう肴を並べ、二人に酒を注いだ。

 アウルとダークエルフは共に杯を持ち上げる。

 

「しかしこうして旦那が来てくれるのは初めてですね。今日は一つ遊びにでも?」

「あーいや、急に悪い。戦田川の寒作りが出来たってんでついな」

 

 そんな事を言い、後は手酌で良いか? と聞く。

 なるほど、と察した様子のダークエルフは頷き、遊女を下がらせた。あまり聞かせられない話があるという事だろう。

 女が部屋を出、布の擦れる音が遠ざかるのを待ち、アウルは空になった杯に酒を注ぎ、もう一杯と飲み干す。

 

「今年は仕込みが良いようですな」

「だねえ、もう少し辛くても良いんだが」

「これから暑くなりますからねえ、この位のを甕に汲んで井戸水できゅっと冷やしたのも美味いですよ」

「燗を頼んだのは失敗だったかな」

「いや、これはこれで」

 

 などとしばし他愛の無い事を話す。杯を卓に置き、一拍間を置くと、アウルは口を開いた。

 

「サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)って娘、狐人(ルナール)なんだが、何か知らないか?」

 

 ダークエルフは、ほうと呟き、逡巡を隠すように杯を空ける。

 

「サンジョウノ……なかなかの大物ですな。しかもお役人だ。私らなどでは仰ぎ見るだけで肩が凝ります」

「だなあ、大物だ。そこの娘が勘当されて行方が判らなくなった。サンジョウノと同僚の小人族(パルゥム)が一口噛んでるみたいだが、どうもキナ臭くてさ」

 

 アウルはアウルで、あまり(やしろ)の孤児達には知られたくない手段で探りを入れていた。

 情報収集を得意とするわけでもなんでもなかったが、使用人に小金を握らせ口の回りを良くする程度の事は世の中を渡る上で覚えていたのだ。

 もっとも、それで判った事は(ミコト)達が集めたような情報に毛が生えたようなものに過ぎなかったが。

 それでもサンジョウノの家の(みやこ)に赴任している嫡男、その位階がつい最近上がった事。くだんの小人族(パルゥム)がその推薦者となった事などを知り、見えない部分で何かがあると感じていた。

 餅は餅屋、というわけでもあるまいが、代貸に聞きに来たのも、何か耳にしている事があるのではないかと思ったからだ。

 

「……旦那。渡世の仁義ってもんがこちらにもありましてね」

 

 案の定だったのだろう。ダークエルフは難しい顔でそう言う。察しろという事なのだろう。

 

「……んー。そうか、仕方ねえな」

 

 アウルとしても無理に口を割らせる気はない。

 極東に来て早々に知り合った男だった。

 モンスターの棲まう自然洞窟に縄で縛られ、放置されていたのだ。技を試しに来ていたアウルが居なければモンスターの胃袋の中だっただろう。

 その時はたまたま助けたというだけだったが、後日再び会う機会があり、ウマが会ったのか時折酒を飲み交わす仲になっていた。

 ダークエルフはエルフと同じようにやはり閉鎖的であり人里離れた場所に村を作って暮らしている事が多い。ただ、そんな場所にも戦火が及び、焼け出され、野盗に捕まり売られ、逃げ出した。

 そんな半生だったらしい。

 無宿者の中で育ち、博徒となって頭角を現し、『片耳の』馬刀(バト)そんな名前で恐れられるようにもなった。

 むろん出る杭は打たれる。アウルと会ったのは、そんな、出過ぎたがゆえに制裁を受け、死ぬ間際の事だった。

 借りがある。

 命そのものの借りだ。

 ダークエルフは悩み、やがて額を二度こんこんと打って言った。

 

「こいつぁ噂なんですがね──」

 

 遊郭の亡八達が二人、無残な姿で川に浮かんでいたのだという。

 ただ亡き者にするだけならわざわざ人目に晒す必要はない。それこそモンスターの餌にでもしてしまえば何も残らない。

 

「内緒ででかい仕事を引き受けていたって話です、大陸の連中ともツルんでいたらしくてね」

 

『親』からの制裁、見せしめだろうと言った。

 いやはや金とは恐ろしいと、首を振る。

 

「お狐さんは海を越えていざ知らず。まったくこんこんちきな話って奴ですよ」

 

 銚子を傾け、いつしか空になっているのに気づくとおおいと声を上げて人を呼んだ。

 

「いやはや、生臭いうわさ話です。酒で清めるに限りますね」

 

 話は終わり、という事だろう。

 やがて酒を女が酒を運んでくると、アウルは仁義を曲げてまで教えてくれたダークエルフに礼意として一献、と酒を注いだ。

 

 アウルにとって、サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)という存在はあまり近しいものではない。

 彼がタケミカヅチに師事し、(やしろ)の孤児達と親交を持つようになった時には(やしろ)の経営のために特に仲の良かった三人も日銭を稼ぎに走り回っており、狐人(ルナール)の少女と遊んでいる姿を見た事は無かったし、会った事も無い。

 むろん話は聞いた事があったが、結局それは親しい人の友人というだけで、そう重きをなすものではなかった。

 今回の一件についても、一肌脱いでやろう、という気持ちで動いただけだ。

 ただ、その結果があまりはかばかしいもので無い事には多少暗然とせざるを得なかった。

 

「あまり良い報告じゃない」

 

 そう前置きして神タケミカヅチに情報源を伏せ、話す。おそらくこうだろう、という推測も交え。

 対面するタケミカヅチはあぐらをかき、腕を組んだまま静かに聞き終えると、ぽつりと、そうかと呟いた。

 

「その話、孤児(こども)達には話したか?」

「いや、話せねえよ」

「うむ。桜花(オウカ)はともかく(ミコト)千草(チグサ)がな……黙っておいてくれ」

 

 知れば己を責め、必要以上に落ち込むだろう。

 桜花(オウカ)は幼い時期から頼られ慣れているせいか、精神的には最も強いが、(ミコト)は生真面目で千草(チグサ)は優しすぎる。

 そして桜花(オウカ)とて別に冷たいわけでもなんでもない、耐えられるというだけだ。

 

「手の届かん所に行ってしまったか」

 

 人間(こども)達というのは──難しいな。

 (タケミカヅチ)は目を閉じ、呟いた。

 

 □

 

 白亜の摩天楼が巨大な影を落とす。

 西日を遮る天を突くがごとき偉容。

 幼い時から慣れ親しんだ影だ、地元の子供達がゆっくり動くその影で遊んでいる。

 リリルカ・アーデはその姿を見て、わけもなく醜い感情が首をもたげるのを覚えた。

 ただ、そんな感情すらさらさらと音を立てて崩れるように、すぐに消えていってしまう。

 ──疲れている。

 とぼとぼと歩く足。

 とぼとぼとしか歩けない。

 

「限界……かな」

 

 自分は駄目なのか。という諦念が重くのしかかる。

 パーティの目から逃れるようにして得たわずかな魔石を換金する余力すら無く、ダンジョンを出て、安全な場所についてからは柱の影に隠れるように座り込み、立つ事もできなかった。

 自分に冒険者の才能はない。リリルカがその事に気づいたのはダンジョンに入るようになってすぐの事だ。

 二年前か、三年前か。

 父と母は段々金にうるさくなり、しばらくすると顔を見る事さえなくなり、いつしかダンジョンで死んでいた。

 死骸の無い墓。その墓の前で【ソーマ・ファミリア】に養われた恩を返すべきだと言われ、親の代わりとなる形で半ば無理矢理ダンジョンに連れ出された。

 それでも最初はまだ良かった。

 年端もいかない少女が初めから上手く戦えない事などは当たり前だからだ。

 【ロキ・ファミリア】などには最速昇格記録(レコード)をもつアイズ・ヴァレンシュタイン、8歳にしてLv.2への昇格(ランクアップ)を果たした少女もいるが、それは例外中の例外というものだ。

 【ファミリア】の団員も当然ながらそこまでは求めておらず、将来的に親並の戦力になればいいという程度の期待だったが──リリルカにはそれも重荷に過ぎた。

 力が弱く、反応が鈍く、選択を迷う。

 訓練次第ではどうにかなりそうな部分もあれば、転じて長所になる部分もある。ただ【ソーマ・ファミリア】という環境がそんな悠長な成長を許さなかった。

 求められたのは即戦力。

 リリルカは苦手を押して戦い続けた。

 懸命にダンジョンに潜り、体力に少しでも余裕が出来たら訓練をし、戦い続けた。

 5歳の時に仲良くしていた年上の幼なじみがいなくなり、しばらくしたら親もまたいなくなった。

 リリルカの名前を呼んでくれる者はもうパーティの仲間くらいしかいない。

 誰でもいいから認められたかった。

 しかし、どれだけ努力しても、積み重ねても、リリルカは足手まといのままだった。

 努力すれば必ず成果は出る、なんて言葉をどこかで聞いた覚えもある。そんな事誰が言ったのだろう。

 きっと、才能に恵まれてる奴に違いない。

 リリルカが血を吐くような思いをして努力し得たものは、無能を蔑む目と、アーデ、とただ人を識別する記号のようにファミリーネームでしか呼ばなくなった仲間だった。

 ──自分は要らない。

 その事実を頭は理解し、感情は拒んだ。

 世界から自分だけ疎外されているような感覚。恐ろしいほどの寒さ。

 ──自分は要らない。

 認めざるを得なかった。死にたいほどの自己嫌悪が貫き、同時に死ぬ程の勇気もない事を理解する。

 自分ではなくなりたかった。

 

「にーちゃん、リリは……困ってるよ」

 

 誰もいない、手入れもされなくなった寝るだけの部屋でそう呟く。

 その声は誰にも届く事はなかった。

 

 □

 

 自分を呼ぶ声にアウルは振り向いた。

 境内にある椎の木から孤児の一人である男の子が下りてくる。

 

「鏡か」

「アウルさん行っちゃうの!?」

 

 本殿の縁側で先程タケミカヅチに伝えた事を聞かれたらしい。

 アウルは頭を掻き、言う。

 

「おう。まだもうちょい居るけどな」

 

 アウルが極東に来てから既に春を二度迎えていた。

 武神(タケミカヅチ)に師事し、教わるべき事は教わったという感じがしている。

 未だ立ち組み手では勝った試しが無いものの、相当に食い下がれるようにはなった。

 しっかり形の決まった技というものは教わっていない。

 タケミカヅチの見たところ、アウルにそのようなものは余分であり、いかなる時でも自在に体が動くようにするための心、技。そして搦め手に引っかからない為の経験が必要だと言う。

 基礎をずっと固めていたようなものだ。

 後はそれを生かし、実戦の中、あるいは自らで創意工夫して練り上げるのが良い。

 そう判断し、旅に出る事を言うと、タケミカヅチは頷いた、それが良いだろうと。

 ふむ、と顎を一つ撫で、思いついたように言った。

 

「アウル、俺の【ファミリア】に入らんか?」

 

 困ったように笑い、首を振るアウル。

 

「そうか、そうだろうな。お前の主はお前だ。姿形(なり)は小さいくせに、その辺はお前は誰よりも大人だな」

「ごめん、ありがとうな、その……師匠」

 

 多少照れながらアウルがそう言うと、タケミカヅチは豪快に笑った。

 

 一晩降った雨もすっかり上がり、雲一つない空に太陽が輝く。

 我先にと伸び出した草木の香りが風に乗り、鼻をくすぐった。

 これから暑くなってくるのだろう、狭間の季節。

 アウルは大きな鳥居の下で見送る孤児達と一人一人話をして別れを告げる。孤児達にはアウルが武者修行の旅に出る、とタケミカヅチから話がしてあったらしい。

 年長の三人などはこの二年で随分身長を伸ばし、一応年上のはずのアウルを大きく超えていた。

 もうどっちが年上に見えるかなんて判らねえなあ、と嘆き、笑いが起こる。

 

「いつでも遊びに来い、土産もいつでも歓迎だぞ」

 

 (やしろ)の主神がそう言い、(ミコト)千草(チグサ)が餞別にと作った大きな弁当を渡す。

 野鍛冶を手伝いながら作ったという無骨な短刀を桜花(オウカ)も渡し、元気でと声を掛ける。

 

「じゃあな、みんな!」

 

 腕を上げ、意気揚々と階段に足を踏み出した。

 行き先は決めてある。大陸中央の険峻というのも馬鹿らしいほどの山岳地帯。

 かつては主要な街道に沿った旅だったゆえに聞きかじっただけの場所だ。

 難所中の難所、岩山のあちこちは、ダンジョンなら深層に出現するモンスター。飛竜(ワイヴァーン)が巣を作り、麓の集落も時折被害に遭うらしい。

 気の制御(コントロール)にも慣れ、構想していた技がある。

 ──腕を試すには丁度いい。

 獰猛、というには角が取れた、楽しい事を目前にした子供のような笑みが浮かんでいた。



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9.空と戦と

 気というものは不思議な性質を持っている。

 単純なエネルギーにもなればその質を……それこそ無駄を考えなければ炎や光、風そのものにも出来るようだ。

 ただそれはモノを動かす、運動させるという事は出来ても、停滞させる、冷やすという方向にはどうあっても行かないらしい。

 体内で循環させ、渦を巻くように練り上げた気をさらに体表に移す。

 そのまとまった気をさらにそのまま右手から左手へ体表をなぞるように移動させ、感覚が馴染んできたところで掌からその気の(かたまり)を分離させた。

 気塊(きかい)が浮いているのではない、体の周囲に纏っているというイメージだ。

 そのまま体の周囲に沿ってぐるぐると気塊を動かす。

 また右手にそれを戻し──

 

「ふッ」

 

 投げた。

 流星のような残光を残し飛んで行き、岩に大穴を開け、大きなカーブを描いて戻る。

 それをまた手でつかみ取り、もう少し複雑な動きはできないかと繰り返す。

 修行の成果と言うべきか。

 俺は普通の気弾とか放出技のかめはめ波とかが出来る前に繰気弾もどきが出来てしまっていた。

 ……ヤムチャなのだろうか。ヤムチャの性質でもあるのだろうか。ヤムチャしなきゃいけないのだろうか。

 独学って難しい。

 もっともこれは繰気弾というより気で作ったヨーヨーのようなものだ、おそらく操作のやり方そのものが違う。少なくとも気の操作に関しては自分に近ければ近いほど精度が増し、遠くなるほど制御が甘くなるようだった。

 もしかしたらこれは俺自身の性質に基づくものかもしれない。

 最後に全力で気を解放し、その状態であっても気に無駄が無いよう動くための鍛錬をする。

 これはさらに難しかった。

 肉体の動きの無駄なら省き方は判っている。

 だが問題は存在自体ひどく曖昧な『気』だ。

 これは気の総量が多くなればなるほど扱いが難しく、無駄が出過ぎてしまう。

 気を高める事によって風が巻くなどは、ひとえに制御しきれていない気が勝手にそういう現象を起こしているだけだ。

 かつての知識を思い出す。

 超サイヤ人状態を平常時であるかのように自然体にもっていく。

 そんな修行を悟空がしていた事があった。

 そういう事なのだろうか?

 気が強くなり過ぎ、生み出す気の総量が制御をはるかに上回った。

 それを肉体の内に込め、単純な破壊力としたのがベジータで、普通に扱えるように、制御の限界を高めようとしたのが悟空という事だろうか。

 

「いずれにせよ……遠い話……ッッかあ!」

 

 当たり前だが超サイヤ人とかどうすりゃいいのってレベルだ。

 気を絞り出し、力を使い果たしてばったりと仰向けに倒れた。

 他人事のように荒くなった自分の呼吸を聞く。

 全力疾走で長距離走を走ってしまった時のような苦しさと脱力感が体を襲う。

 集中していた時は流れなかった汗が一気に噴き出し、顔を流れて地面に落ちた。

 なんでこんな苦しい事わざわざしているのだろうかと思う時もたまにある。

 ただ、鍛えれば鍛えるほど強くなる実感があり、どうにもやめられない。中毒者(ジャンキー)みたいなものだろうか。

 それに──

 

「ヴォアアアアアアアアアッ!」

 

 日が翳ったと思いきや、そんな雄叫びと共に襲いかかってくるバグベアーの巨大な爪を体を捻って躱す。

 熊に似てるがモンスター、美味そうなのに狩っても食えないので困る奴だ。

 熊との違いはもう一つ。

 片手で地を叩き、体を回転、勢いで身を起こす。

 逃がさないとばかりに繰り出された毛むくじゃらの太い腕。

 ()()()、そのまま接敵、胸部に蹴りを入れて魔石部分ごと心臓部を潰すと、うめき声を上げ、後ずさるように倒れ伏した。

 素早く好戦的だが熊より打たれ弱い。

 ダンジョンにいるものならいざ知らず、地上のバグベアーなら神の恩恵(ファルナ)を授かったばかりの戦士でも対応可能なモンスターだった。

 早くも灰化を始めるモンスターを見て、魔石が残ってるうちに肉囓ったら食えるのだろうか、なんて思いを覚えなくもない。やらないが。

 まばらに木が生える岩場を眺め、周囲にモンスターらしい気配がないのを確認すると再び腰を下ろした。

 力を絞り尽くした状態での戦い。

 こういうのも面白い、今度もっとやってみよう。

 

「さて……」

 

 息も落ち着いた所で青い空を見上げ独りごちる。

 運動したら腹が減ってしまった。

 本物の熊でも狩りに行って来よう。

 

 □

 

 どんな動物でも焼いて食うなら肋の肉が一番美味いものだ。

 リブ肉とも呼ばれている部分、骨付きのそれをじっくり炙り焼いたもの。これが美味い。

 味付けは塩のみ、探したら山ワサビがあったので、そぎ切りにして肉と一緒につまむ。

 滴った脂が燃え、煙となり鼻をくすぐる。

 熊肉は猪よりもずっと肉質がしっかりしていてかみ応えがある。

 獣臭さが気になるかといえばそうでもない、印象よりもずっと上品だ。

 一頭分の肋肉はあっという間に食い終わってしまい、口の回りの脂をぬぐいながら、麓で熊の毛皮と交換した酒を飲む。

 ジャールとか言っていたか、麦とか稗とか雑穀で作るらしい、酸味が強いが口の中がさっぱりする。

 良い気分になり、肉焼き用に落ち着かせた火に薪をくべ、火勢を大きくした。

 ゆらゆら大きくなる火を眺めつつ、明日はどうしようかと考える。

 天に突き立つ剣の山(ルチヤバル)とこの付近では呼ぶらしい。

 噂ってのは大抵あてにならないものだが、本当にあてにならないものだった。

 確かに凄まじい難所だ、崩れやすい岩肌に、断崖絶壁としか言えない峰が連なる。雪すら深く積もる事ができず、ある程度溜まっては雪崩として落ちてゆく。

 足場になるのはわずかな岩の割れ(クラック)やちょっとしたでっぱり。

 確かに難所だった。

 ただモンスターすら住処にするにはあまりに環境が悪いようで、噂に聞いた飛竜(ワイヴァーン)の姿などどこにやら。ゴブリンの一匹すら麓に行かないと居ないような山だ。何かと話が混ざってしまっていたのかもしれない。

 もっとも、せっかくここまで来たので登ってきてしまったのだが。

 気を極力抑え込み、指一本、爪先の引っかかりのみで全身を持ち上げる。

 オーバーハング、屋根のひさしのように突き出た壁面などはまた極端にアーチの強いものがあり、難儀させられた。壁面も石灰質で剥がれやすい、ようやくかかったと思ったクラックが崩れるなどはざらだ。

 腕一本、指一本で体を全て支えるハメになり、脆い岩肌だけに反動もつけられない、そんな場面もあった。

 登り切った時はロッククライマーとして一回り大きくなったような気がした。空気が美味い。次の瞬間何をやっているのかと我に返ってしまったが。

 

「やっぱ一人で何とかするしかないか」

 

 飛竜(ワイヴァーン)を探していたのはただ戦いたいってだけじゃない。空中戦の相手が欲しかった。

 舞空術、という技がある。技というか、あれは技なのだろうか?

 空を飛ぶ、という言葉にすればシンプルなものだが、普通の人間からすれば夢のような技だ。

 ある程度以上の気を使え、コントロールができればおそらく出来るはずなのだが、やはりこれも完全に我流でやるしかない。

 空を飛ぶ、といっても方法には迷った。気というものがあまりになんでもできる曖昧なものだからこそ、幾通りもの方法が考えられてしまう。

 もっとも、色々試してみた結果、浮くという事には成功した。

 感覚でいえば気で体を支えているっていう感じだろうか。

 ただの気の放出による反発ではなく、もっとこう……波長を変えた、絞った感じの気だ。ふんわりしすぎて何とも困る。多分フリーザ軍の訓練施設とかにはこういうものを解析したマニュアルもあるのだろうが、少なくとも宇宙ポッドから教育(インプリント)された知識には含まれていない。

 あるいは一度目にする機会さえあれば、どう気を運用しているかが判りそうなのだが……

 頭を振る。無いものねだりをしても仕方がない。

 浮く、という事ができても自在に動けるかは別問題だ。

 その状態を維持したまま気を放出すれば一応単純に飛行するって事はできる。

 方向を変えるなら気の放出する向きを変えればいい。

 ただ、それだけでは駄目だった。

 ──地上に意識が縛られている。

 空での戦いは地上での戦いとまるで違うのだ。

 支えがない、蹴り一つするにも軸足というものが作れない。踏み込みなんてものも当然無く、五体で戦うためにはそのたびに細かな気の放出による姿勢の維持が必要になる。

 そしておそらく、攻撃に対応するための構えも必要がなくなる。あるとしても構えのない構え、即座に動けるよう体を緩めておくというくらいだろう。

 

「あるいはやっぱ、遠隔攻撃かー」

 

 ドラゴンボールの戦闘では一番の華だろう。

 気弾、気砲、気円斬その他もろもろ。

 繰気弾もどきだけでなく、一応極東で過ごした二年で気弾っぽいのやかめはめ波もどきの気功波を出す事はできるようにはなった。ただ、どうも拡散しやすい感じがある。気の収束が苦手なのか、性格的にぴんとこないのか。

 ……血筋的にはどうもナッパの従弟にあたるらしいし、気でもって広域攻撃をする分には得意なのかもしれない。

 ふと心配になり、頭を触る。

 

「……変な遺伝子が無いといいけどな」

 

 結構な長さのある髪だ、短くはできるが、これ以上長くなる事もない。そしてふさふさだ、良かった。

 サイヤ人の顔はそんなにバリエーション豊かじゃないのだろう、今のところ目つきの悪い悟飯君って感じでまとまっている。そう見た目を気にするわけじゃないが──毛根は大事にしよう、うん。

 

 □

 

 天に突き立つ剣の山(ルチヤバル)、その最も高い峰、尖塔にも見える頂上に立つ。

 とても眺めが良い。麓に広がる針葉樹の森林、その向こうにはまた山々に囲まれた盆地にひっそりと集落が見える。静まりかえった岩山と雪の世界。くしゃみ一つで雪崩が起きそうだ。

 

「よっし、行くかっ!」

 

 気合いを入れ、山の頂上から断崖絶壁となっている場所を飛び降りた。

 呻りを上げる風が喧しい。

 迫ってくるのこぎりのような岩肌、当たらぬよう、気の放射で微調整。

 崖下の、猫の額ほどの平かな地面が迫る、ぎりぎりまで粘り、舞空術を使い、同時に下方への気の放射でブレーキをかける。

 急減速の衝撃が身を震わせ、止まった。

 鼻先と地面まで指二本と言ったところか。

 ……もう少し攻める事ができそうだ。ただ一度などはタイミングを粘りすぎて頭から岩に突っ込んでしまった。誰かが見ていなくて幸いだった。頭を埋め込んで逆さまでじたばたしている姿とか見せられたもんじゃない。

 幾度か同じ事を繰り返し、制御を完璧なものにするべく練り込んでゆく。

 普通に飛ぶ分にはここまで細かい制御は必要ないのだろうが、何となくだが判ってきた事がある。

 舞空術ってのは基本にして奥義だ。

 鶴仙流やるじゃねーかと思う。地球外の戦闘員は大体習得していたりもするが。

 舞空術というのはいわば地上戦における『身のこなし』のほとんどを気による制御に依存するという事だ。

 ただ攻撃を受け流す、というだけでも舞空術の細かな制御技術があれば、受け流しただけでなく、カウンターの一撃も入れられる。さらに言えば慣性に対しても応用が効く、いわばものすごい重いハンマーを振り回したとしても、体が振り回される恐れがない。

 そして最大の利点は足場を考える必要がないという事か。

 ある程度以上の力で戦う事になると足場の方が持たないという事が多い、その解決になってくれるのだ。

 これは極めないとだろう。応用の仕方によっては地上戦でも十分活用できる。

 山岳でしばらく訓練し、次は麓の森、杉が立ち並ぶ木々の合間を縫うように飛んだ。

 なるべく複雑に、じぐざくとした進路をできるだけ速く。

 気を纏っている状態でぶち当たるとよほどの巨木でもない限りへし折ってしまう。

 最初のうちはやはり折ってしまったものだった。

 次第に動きを変化させる。

 木を曲がって回避し、その動きに合わせて横からの蹴り。

 バレルロールを描くように動き、合間に幾つもの連撃。

 急加速から急減速、下方へ木の葉が落ちるように流れるように動き、地上すれすれで左右に回転しながら移動。

 途中から曲芸じみたものになってしまったのはどうしたものだろう。多分そのうち役に立つに違いない……と信じたい。

 

 しかし、改めて思う。

 この星ってなんなのだろうと。

 まず悟空達の居る『地球』とはかけ離れているのは間違いない。

 飛ぶ事が出来るようになって何が便利かと言えば、空からの視点を手に入れた事だ。

 細長い島国の極東、複雑な海岸線を描く大陸の東部、広大な海、北方の氷河に覆われた地域。

 制御も良くなり、舞空術の持続時間が長くなってからはとりあえずは、と世界を鳥の視点から見て回った。

 違いは多々あるものの、どちらかと言えば地形はかつての知識にある地球、ユーラシア大陸とかがあるそれに近いものを覚える。

 文化や技術レベルって部分だとどうだろう。

 魔石を使った技術がかなりあちこちにまで普及している、単純に科学技術が発達していないから未熟とも言えない。それに少なくとも普通の火薬や長距離航海を可能にする造船技術もある。銃があまり発達していないのは、モンスターとの戦いが多く、人同士の戦いが少ないとか、神による恩恵(ファルナ)の影響だろうか。

 ラキアあたりで内燃機関や鉄砲を用いた集団戦闘の可能性を示唆したら凄い事になる気も……しないな。変人が訳の分からない事を言っている、なんて思われるだけだ。

 魔法大国(アルテナ)で仕入れた世界地図、その描かれていない部分や間違っている所にちょこちょこと書き加えながら、そんなとりとめのない事を考える。

 どうもふとすると考えが物騒な方向に向いてしまって困る。

 それに近代兵器を使われたところで、今の俺でも十分に対抗できそうだ。

 ただ──

 

「まだまだ、だよなあ……」

 

 こんな(モノ)ではまだまだベジータ王子にも数多くいる戦闘員にも及びもつかない。

 知識としてだが、なまじ知ってしまっているだけに。そして気を扱い実感の沸いた今でこそ力不足がよく判ってしまう。

 そして『届かない』という事がどうも許せない。これはもう戦闘民族のプライドがとかそういうのでなく、男は仕方無い部分だろう、多分、きっと、おそらく。

 

「いつか、挑めればな」

 

 心の奥にある熱いモノを感じながら呟いた。

 手元でばきりという音がする。

 

「あっ……」

 

 鉛筆、といっても黒鉛を木の板にはめ込んだだけのものだが、粉々になってしまっていた。力んでいたらしい。

 長持ちするものなので替えも買っていない。

 視界の下で俺の間抜けぶりを笑うように、渡り鳥たちの群れが悠々と飛んでいた。

 

 □

 

 一年の間、そうして修行をしては人里に出て、適当に依頼をこなし、あるいは傭兵として戦った。

 誕生日はよく判らないが、15歳になっている事は間違いない。身長も少しは伸びた……指一本分だったが。

 偽名として使っていたナッシュの名前も最近はそこそこ有名になってきてしまった。【ファミリア】に属してるわけでもなし、神様達につけられるらしい二つ名なども無縁だったが、最近では妙な通り名が付けられてしまっている。

神出鬼没(エルシーブ)』とか、あまり捻りもない通り名だ。多分、迷宮都市(オラリオ)でやっている事が段々外でも普及してしまったのだろう。名前の通った傭兵や冒険者は二つ名で呼ばれる事が多く、周囲が勝手に付けるものもあれば、自分で名乗ってしまうのも居る。

『爆砕☆鉄拳』とかにならずに済んだのをよろこんでおくべきか。ネーミングセンスまでもオラリオは輸出してしまっているようで、もう慣れたは慣れたのだが、今でも酒場で油断している時に不意打ちされると、おぅふ、となる事は無くも無い。

 そして先日、二つ名がもう一つ増えてしまったようだった。

 堅城ドロストレア、かつてラキアに滅ぼされた王国に所属していた南方の山国、その要所である城だ。

 ラキアの戦争時に独立を計り、その後何度となく攻められたが、未だに独立を保っているのはひとえにこの城塞都市と言っても良い堅城が盾になっているからだった。

 中心を囲む旧い城壁から、都市が拡大するにつれ何度も何度も囲み直した城壁。不落の城という名前に釣られて安定を求める人の流入もあり、これだけ大きくなったものらしい。

 頑丈で硬い岩盤の上に建てられている迷宮都市(オラリオ)に匹敵する高い城壁、地下水が豊富で水の手は切れず、通常郊外に作るはずの畑を城内に作ってしまう念の入れ用、真っ当に力で攻めるしかないが、城壁にはダンジョンで採掘された超硬金属(アダマンタイト)すら用いられており、ドロストレア相手の戦いはいかにして城内の相手をおびき出すか、あるいは壁を越えて切り込むかの二択を強いられる事になる。そしてドロストレア側もその二択に対しては十分過ぎるほどの用心を重ねており、築かれてから500年、未だ不落と名高い城だった。

 請け負った仕事は、若い貴族の救出だった。ドロストレアのさらに南に位置する王国、黒い弓が旗印の新興国の貴族だ。

 どうも不落のドロストレアを相手に功を焦り突出しすぎ、あっという間に生け捕られてしまったらしいのだ。

 先代の王の子息であり、禅譲の形で王位を譲られた現王にとってはわが子のように大事にしたいらしいのだが、本人は過保護に過ぎると憤っていたようで、自らの力で座る席を得ようとした結果だそうだった。

 ──気持ちは分からないでもないが、と依頼主である総大将が頭が痛そうに言っていた。

 俺にこんな話が来たのは理由がある。傭兵としても身軽な格好──もっとも傭兵の中にはアマゾネスなども居て、もっと身軽な格好をしていたりもするのだが、戦場での戦い方と最近名前が知られているのでお鉢が回ってきたものらしい。

 俺にとって傭兵稼ぎは修行の場でもある、神の恩恵(ファルナ)持ちだと判断されれば最前線に回された。気を抑えた状態で一対多の戦い、あるいは矢の雨の中を触れる事無くくぐり抜けるのは良い鍛錬になるのだ。

 ドロストレア内に潜入する。

 軍に相対していない、断崖と接地している側、東側の一部は警備も手薄で潜入しやすかった。

 気を探りながら慎重に探索を進め、中央の大きな建物に向かう。

 大体こういうのは()()()の人間が集まっているものだと相場が決まっている。案の定二、三人も気絶させると目的の監禁されている部屋が判った。鍵も奪っておく。

 濡れ羽のごとき髪、憂いに満ちた目、白貌に朱の濃い唇。

 囚われのお姫様か、と突っ込みたくなるような王子サマだった。別の意味で何もされていないか心配してしまう。

 普通にドアから入っていった俺を最初は敵方だと思っていたらしい。キッと睨まれた。

 

「あんたの救出に雇われた傭兵ですよサイモン侯、手早く抜けてしまいましょう」

「おお、おお! 本当かい、失態を晒した僕を助けに!?」

 

 秘密裏に。依頼(オーダー)ではそう言われている。王の大事にしている人間を捕虜にされたなどと報告しては大将の首が危ないって事だ。救出任務なのに少数どころか俺一人に事を任されたのは逆に言えば他に手立てがなかったという事でもあるのだろう。

 いざという時には俺を裏切り者という扱いで切り捨てる、という思惑もあるいに違いない。傭兵ってのはそういうものだ。

 対象は無事見つけたし、五体も満足、身代金目的に監禁されていただけだ。後は逃げ出すだけなのだが、それが難しかった。

 一度失敗してしまったからには功績で替えるしかないと思っていたのかもしれないが、城内から門を開けてしまおうと言い出したのだ。

 止めたが止まらなかった。無理に止めるなら大声を出すとか、何とも言えないような事を言われてはこっちも黙らざるを得ないというか、抗弁する気もなくなる。

 ちなみに7層あるうちの内側から3層目の城壁で追っ手に捕まった。

 壁際に追い込まれ、サイモン侯はレイピアで敵兵を威嚇しながら「再び虜囚の屈辱を飲むくらいならば貴様らを冥府の道連れにしてくれよう」などと気分を出している。

 

「もう、ええわ……」

 

 どこの寒い漫才に巻き込まれたのかと、ついそんな言葉が出た。

 気を込めた足で踏み込む。盛大な音と共に入る亀裂。動揺する兵士達を尻目に城壁に向き直った。

 

「サイモン侯、俺の後ろに。兵士の兄さんらは破片に注意な」

 

 案外機敏な動きで背後に動くサイモン侯を確認し、右手に気を集め、城壁を殴り壊した。

 爆音に驚き、何が起きたのかと集まってくる市民、兵士達は呆気にとられているようだ。

 救出対象もぽかんとしているので、腕を叩き、今のうちに行こうと声をかけた。

 そこまではっちゃけてしまえば、もう後は同じ事をやるだけだ。城壁全てに穴を開け、力ずくで押し通った。最後の分厚い城壁が破れた時には背中側のドロストレアからは悲鳴、正面の自軍からは盛大な歓声が上がる。

 いつの間に調達したのか、馬に乗ったサイモン侯が未だ土煙の舞う中、穴から飛び出て自軍に向かい大声を放った。

 

「諸君ッ! ドロストレアの城壁は全てが陥落した! 難攻不落を謳われた城を落とすには今だ! 諸君一人一人が英雄たる事を見せるのは今だ! 500年の歴史に幕を引いてやろう!!」

 

 台詞を考えていたようには見えなかったが……アドリブだろうか? よくそんなに咄嗟に台詞がでてくるものだと感心してしまう。

 その美貌もあり、芝居がかった台詞がよく似合っていた。

 軍の志気は最高潮に高まり、拳が上げられ、喚声がこだまする。

 大将も突発的な事態にありながら、この機会を逃さなかったようだ。戦鼓の重い響きが鳴らされ、進撃の合図が出される。

 

「いざ行くぞッ! 我が名はサイモン・クラーノ・アンテノシア! 続けぇーい!!」

 

 再び馬を巡らせ、自軍で奪い取るように持ってきた戦旗を掲げて先頭に立ち突貫する。

 ノリノリである。どうしよう。

 

「とりあえず……死なせたら任務失敗だよな」

 

 救出任務とか秘密裏にとかもうぐたぐたになってる気がしないでもないが。動揺している様子ながら任務に忠実な、サイモン侯を狙う弓兵を倒していった。

 

 翌々日の戦勝祝い、接収されたドロストレアの中心、要塞にも見える館で行われたそれで、ひとまずの戦功褒賞、主立ったものへの内示のようなものが行われる。

 ──サイモン侯が知略を働かせ、わざと捕虜となり、強力な傭兵を手引きし内部から城壁を破壊した。

 そういう事にしたらしい。サイモン侯が捕まったのを隠せないならもう英雄に仕立ててしまえという事だ。

 本人もノリノリだしこれでいいのだろう。

 俺も多額の謝礼、口止め料も含んでいるだろうそれを受け取り、頷いておく。

 そしてこの一件以来、500年の堅城に終止符を打った英雄サイモン侯と共に、推定Lv.4以上の小人族(パルゥム)『壊城』のナッシュという名前が広まってしまったのだった。

 



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10.知恵と蛇と

 国破れて山河有り、とは誰の詩だったか。

 堅城ドロストレアの落城により、ただそれのみによって一国の王は降伏の使者を送り、また一つ国が滅んだ。

 国が無くなったとはいえ人が居なくなったわけじゃない。

 戦の趨勢があまりにも急に傾いたためか、実質的な人死には極端に少ないようで、戦力はそっくり残っている。占領した側もいつ足下をひっくり返されるか判らない状況下で安心していられず、戦争が終わったというのに傭兵達を雇い続けていた。

 俺は正直とっとと離れたいのだが、目立ち過ぎたというか、やり過ぎたというか、大将とお調子者(サイモン)の思惑のせいというか、占領側の最大戦力扱いをされていて、なかなか簡単には抜けられない状態になっていた。

 推定とはいえLv.4以上、迷宮都市(オラリオ)以外ではそう居ない高レベル、『壊城』という安直な二つ名、それをドロストレアの住民に伝わる形で発表していたのも、抑止力として使える、という事だろう。

 この城塞都市に住んでいる市民、そして兵士達は長年の不落を支えてきた城壁をそれこそ信仰のように信じて、頼りにしてきた。心の支えであり、それがある限り負ける事がないと思い込んでいたのだ。

 だからこそそれを砕いてしまった『壊城』がいる限り、勝てない、抗いようがないと思ってしまう。

 ……治安に役立つのはいいとしても、化け物扱いされているようで、もうちょっとどうにかならないだろうか。

 城壁自体は迷宮都市(オラリオ)産の超硬金属(アダマンタイト)が心材に含まれているとはいえ、それほどの純度があるようには感じなかった。ラキアの軍隊が攻城兵器を持ち出せば正面突破もできるんじゃないだろうか。

 能力(ステイタス)を腕力に特化した恩恵(ファルナ)持ちのドワーフならLv.3でも破れたかもしれない。

 などと考えて見ても意味はない。要は印象の問題だ。

 特にやることを与えられているでもなく、所属しているだけでタダ飯と報酬を貰える。グータラするにはこれ以上ない環境なのだが……うん。

 

「……暇は苦手だ」

 

 戦う場があるわけでもなく、きっちり鍛錬できるような場所でもない。

 城壁の上で逆さ腕立てをしつつ、ぼやいた。

 

 二週間ほども経つと、さすがにドロストレアも幾分かは落ち着きを取り戻していた。市街では瓦礫も撤去され、市が開かれ、積荷を積んだ馬車が行き交う。

 占領した国の方からも官僚らが続々と集まり、今後の方針も決まって矢継ぎ早に指示が出ているようだ。

 そんなせわしさの中、俺とサイモンだけが暇を持てあましていた。

 俺はともかく、侯爵であるサイモンがそんな事でいいのかと思ったが、実務的な事は全て家宰がやってくれるそうで、式典や儀式めいた事でもなければそう出番もないらしい。

 それで何をしているのかと言えば。

 

「それでだね、領地は南海に面した港町も含む豊かな地域だ、200AC(エルカ)もの広さがあってだね、毎年豊かな海の幸と真珠のごとき砂浜、澄んだエメラルドのような景色が楽しめるのさ、これはいいだろう?」

 

 自領の自慢……というわけではなく、抱え込み、要するにスカウトだ。傭兵は多しといえど、ステイタスを二度ほども昇華したなら傭兵団の団長クラスだ。高レベル(らしい)傭兵が無所属(フリー)でいることなどほとんど無く、よほどの事情があるか、くせ者か、どちらかと言っていい。そんなよほどの事情があってもなお、味方に引き入れておきたいと思ったのだろう。

 評価されるのは悪い気持ちはしない。ただ、誰かに仕えるつもりはない。

 そう言ってきっぱり断ったのだが、どうもこの男、人の話を聞かない。

 というかもしかしたら暇潰しに来ているだけかもしれない。俺が黙々とスクワットをしている傍でワインを飲みながら勧誘の言葉を続けている。

 

「ところで君は小人族(パルゥム)ってわけじゃなかったんだね、特に尻尾以外に目立った耳とかは無いみたいだけど獣人かな?」

 

 勧誘のネタも尽きてきたのか、思い出したかのようにそんな事を言う。

 確かに普段は尻尾は腰に巻いて服の中だ、気づくわけもない。

 今は部屋にいるのでくつろぎモードだった。意外と尻尾は尻尾で同じ姿勢でいると凝るので困る。

 

「サイヤ人、かなり遠方に住んでる種族だよ、少なくとも俺以外に同族見た事はないなあ」

 

 見かけたらやばいのだが。何がやばいって惑星がやばい。

 サイモンは形の良い顎に指を当て、ふむと頷いた。異様に美形なだけに何気ない仕草でさえサマになる。

 

「しっかりしているように見えたけど、かなり年下だったかい?」

「……15だよ」

「それは……うん、そうか」

 

 サイモンの目が優しく同情に満ちたものになった。やめてくれ。同情はいらない、身長がほしい。

 何となく空気がだらりとして感じるようになったその時、ドアがノックされ、失礼します、と若い声が聞こえた。

 いいぞー、と声を掛けるとややあってドアが開く。

 身なりの良い少年だ、俺だけでなくサイモンが座っているのを見ると、緊張したのか一瞬固まり、敬礼をする。騎士見習いのフォウといっただろうか。色々持ち上げられてしまった事もあり、俺が与えられた部屋は元領主が住んでいた館の中だ。サイモンと大将も同じ館に居室を持っている。

 用を聞くと、サイモンと俺に来客があったらしく、取り次ぐかどうか判断を聞きにきたらしい。とりあえずはと来客の名前を聞くと、それは確かにむやみに追い返すわけにもいかず、かといって素直に取り次ぐのもどうかという客だった。

 

「オラリオの【ヘルメス・ファミリア】……しかも神様自ら?」

 

 サイモンが柳眉を寄せ、困惑げに呟いた。

 

 □

 

 橙黄色の髪に、傷一つ無い端整な顔、肢体は均整が取れ、どこか人には無い雰囲気を漂わせている。

 ゆるみ、明るいその顔は優男、という言葉がぴったりかもしれない。

 どこか飄々とした様子で神は言った。

 

「たまたま旅の途中に近くまで寄っていたんだ、それで聞けば城塞都市(ドロストレア)が陥落したそうじゃないか、近場の村々はそれをなした英雄達の話でもちきりだったよ。これは一つ挨拶しておこうと思ってね」

 

 おどけた様子で「お近づきの印に」と言うと、後ろに控える犬人(シアンスロープ)の少女が飾られた小箱を開け、中身を見せる。

 

「おお、これはもしや噂のインク要らずの羽根ペンですか。名高い【万能者(ペルセウス)】の作と聞いております」

「ハハハ、いやオラリオの外でもうちの眷属(こども)の名前が聞けるなんて嬉しいね。侯爵には見慣れたようなものかもしれないけど、気持ちだと思って受け取ってくれよ」

「はは、これはサロンでも自慢できますよ、ありがたく頂きます」

 

 流れるようにあれやこれやと話し始める二人。

 しかしおどれーた。

 サイモンが如才なく喋っている。

 あのノリとフィーリングで生きてるようなお調子者が、正直もう二日目には面倒臭くなって普通にタメ口聞いてもかえって喜んでいた変人が。

 やはり良いところの生まれってのは違うようだ。

 

「それで彼が?」

「ええ、こたびの戦果の立役者です」

「……なぜか君を見て驚いているみたいだけどね」

「あはは、なぜでしょう」

 

 どうやら話がこちらに移ったようだ。立場としては俺は現状サイモンの直雇いということになっている。後ろに控えていたが、一応空気を読んで前に出た。

 サイモンが俺を紹介すると、神ヘルメスは橙黄色の瞳を面白げにまたたき、へえ、と感嘆したような声を上げた。

 

「聞いたよ君の事はね! あの城壁を指一本で完膚なきまでに粉砕したんだって?」

 

 ……俺はいつの間に『クンッ』を覚えたのだろう? いやあの技は指二本だったか。

 俺は口をひくつかせて答える。

 

「あー、さすがにそれはもの凄い尾ひれがついてます」

「お、やっぱり? 実際はどんな感じで城壁壊したんだい?」

「そりゃ、こう……正拳突き?」

 

 神ヘルメスはなるほどなあ、と頷くと、さも感嘆したように言った。

 

「Lv.4でもよほど力特化でもないと難しいよな、鍛えるには相当苦労したろうね」

「おや?」

 

 唐突に足を踏まれた。

 サイモンだ。

 イタズラかこの野郎と見たら、待てをするように手をひらひらと振る、掌には『さぐり』と書いてあった。

 

「ん……? どうかしたかい?」

「いや、どうもゴキブリが居たような気がして」

 

 神の問いに答えるサイモン、不思議な表情をするヘルメス。後ろの犬人(シアンスロープ)の少女がG(ゴキブリ)と聞きびくりと身を震わせる。

 肩をすくめ仕切り直しとばかりに【ファミリア】の主神を聞いてくる。

 今更ながら気づいた。なるほど、と。目立つというのは色々痛くもない腹を探られるものだ。

 

「すいません、傭兵連中の間じゃ【ステイタス】だけでなく所属【ファミリア】やレベルを明かすのも禁忌(タブー)でしてね」

 

 これ自体は本当の事だ、傭兵はいつ敵味方に分かれるかも判らない。実際には戦によって死ぬ事は少なく、人質として金を請求したりされたりする事が多いが、それでも戦は戦だ。モンスターではなく人を相手に戦う場所でそんな情報を垂れ流しにするのはよほどの世間知らずくらいなものだった。ギルドに所属し、レベルを公開している迷宮都市(オラリオ)とは事情が違っている。

 

「う~ん、そりゃ残念。友神の一柱(ひとり)がすごく強い眷属がいるって自慢していたものでね、ひょっとしてとも思ったんだけど」

 

 元よりそれほど期待していなかったのかあっさりと引く。ただの好奇心だったろうか。

 

「ま、気が向いたら迷宮都市(オラリオ)にも来てくれよ! 退屈だけはさせない場所だぜ!」

 

 そう言い、サイモンと再び話を始める。

 神が居たのはそう長い時間の事ではなく、風が吹くように来て、去っていった。

 

「いやあ……」

 

 と、サイモンがぬるくなった茶で喉を潤し呟く。

 

「神相手に誤魔化すのは大変だね。あ、フォウ君、水を汲んできてくれるかな、お茶を淹れたくとも少々水が心許ないようだ」

 

 はい、と言いきびきびと水瓶を抱えて行く少年。

 出て行くのを見計らって、俺は心からの声を吐く。

 

「サイモン、お前って頭回るんだなあ……」

「……君、もしかして僕をもの凄い無能のように思っていなかったかい?」

「まさか天下の侯爵閣下にそのような不届きな事思っても言えるわけが」

「君とは一度ゆっくりと話をした方が良いようだね」

「そんときゃとっとと逃げ出すよ」

 

 それは困る、とサイモンは肩をすくめた。

 空になったカップを卓に置き、気取るように髪をなでつけ、口を開く。

 

「まあ、これだけ名前を売ったんだ。好奇心旺盛な神々だけじゃない。武力の欲しい権力者は星の数ほど居るし、味方にならないならいっそ、というのも居るだろう。これから大変だよナッシュ」

「噂広めていいように使ってる側が言うもんじゃねえよな」

「僕の味方になってくれればそういう面倒臭さとは無縁になるよ? もちろん君の主神(かみ)にも最大限の援助を行うしね」

 

 再び勧誘の台詞に戻るサイモンに、そういうのはいいからと呆れて首を振る。

 地位も名声も必要な時は必要なのだろうが、今の俺に要るとは思えなかった。

 

 □

 

 新雪にくっきりついた足跡も、降り積もり続ける雪でまたたくまに消えてゆく。

 空は薄暗く、舞う雪がただ白い。

 銀世界、というには幾分かくすんだ光景だ。

 風が吹いたわけでもない、枝が重さに耐えかねてか、どこかで雪がドサリと落ちる音がした。

 雪原を歩いている。

 雪原といっても一面に広がる平野というわけじゃない、あちこちにはまばらに木々が立ち並び、今は視界が悪くて見えないものの、前方には山が幾筋もの稜線を見せている。

 吐いた息が白く煙り、やがて薄れる。

 気を高めていればさほど寒さも問題じゃないものの、それはそれで見た目も異様に映る、毛皮の防寒着を着込み、フード付きの帽子を被っていた。

 ひときわ大きい杉を見つけ、その幹に印がついているのを確認した。

 

「もう少しか、追い込んでるって話だが……出番あるかねえ」

 

 ドロストレアの戦い以後、やたら有名になってしまい、契約が終わったと同時にあちこちから勧誘の使者が来る事態になってしまっていた。他人の思惑が多分に含まれていたとはいえ、名前が売れすぎるのも面倒臭いものだ。

 俺が選んだのはもっとも単純な方法、逃げの一手だった。ただ月明かりの無い夜に荷物を持って舞空術で宿を飛び出しただけだったが。

 この『飛べる』という事に関しては素性よりも何よりも秘密にしておいた方が良いのかもしれない。

 恩恵(ファルナ)の使い方によってはやりようはある気もするのだが、『飛ぶ』という発想自体に中々行かないようで、舞空術そのものが大きなアドバンテージとなっている。

 知られてしまえば、俺には思いも付かない対策を立てられてしまう可能性はあった。

 北に向かい夜の空を飛び、中央を走る山脈を抜け、砂漠を越える。

 南北に長く延びる大山脈、ユーラル山脈、複雑に枝分かれする川。その近くにそこそこ大きな町を見つけて降り立った。

 ドロストレアは大陸でもかなり南方にある場所だ、情報は人伝いであり、ここまで距離が空けば名前が伝わっている心配はないだろう。

 予想通りというべきか、この辺一帯、カルランと呼ばれている地方では迷宮都市(オラリオ)の一級冒険者ならともかく、近頃有名になった傭兵の噂なんてまるで入っていない。

 一帯を治める国は遊牧系の『バルア・ハン』、民はトナカイの遊牧を主とするヒューマンと、ユーラル山脈の豊富な鉱石を求めて定住したドワーフ、そして交易に利を見た者達だ。林業も盛んなせいか、エルフとは仲が悪いらしい。

 ひとまず宿を借り、周辺を探索、その後は仕事、飯のタネ探しだ。

 大体はどこにいっても酒場に行けば良い、ギルドの支部があればそっちで依頼を受け付けている時もあるが。そして情報が必要なら馬宿に行って馬丁にいくばくかの金を握らせるとあまり聞けない話が聞けたりもする。

 この町はウォルグ川を使った水上交易で栄えているらしい、金の巡りも良いようだ。大きな酒場、小さな酒場と幾つもあり、労働者が酒を酌み交わしている。

 うち一つ、旅人が多い酒場──これは馬宿があれば間違いなくそれだったが、そこに入り、酒と食事を頼む。主人らしき男が出てきたので大体の滞在期間、そしてモンスター退治なり護衛なり、腕っ節があればいいという仕事があれば声を掛けてくれと言っておいた。

 相手からすれば俺は流れ者の得体の知れない相手だ、すぐに割の良い仕事は回してこない。

 出元の怪しい依頼から、あるいは誰も片付けようとしないような依頼、兎小屋を狙っているコボルドの退治、そんな仕事を片付けていると、あるとき間違えとしか思えないような金額の仕事を紹介された。

 薦めはしねえ、と前置きをされて大まかな内容を説明する。

 モンスター討伐の依頼だ。モンスターの種類は伏せられており、ただ強いという事は確からしい。手負いであり、ある場所までは追い込んだもののそこで手詰まりになってしまったようだ。

 確かに怪しい依頼だった。出元は言えない、モンスターの種類も不明、追い込んだ人数、どれだけの神の眷属が参加しているのか、それも不明。ただ、報酬は良い。

 たまにあるのだ、やましさプンプンのこの手の依頼が。特に新しく居ついて、住民に顔もろくに知られていない内に飛び込んでくる事が。

 面白い、と思った。

 使い捨てにする気満々の依頼だ、どれほどのモンスターなのか。

 二つ返事で引き受け、酒場の主人には渋い顔をされた。

 

 手書きの地図によれば、そろそろのはずだった。

 今だ降り続ける雪で、夜でもないのに視界が悪い。いっそ舞空術で空から見渡してみるかと思っていたところ、風上から木の燃える臭いがわずかに鼻をついた。

 

「おし、見っけ」

 

 風上の方には小高い丘とぽつぽつと生える木々が重そうに雪を被っている。

 近づけば丘の斜面はひさしのように大きく張り出した岩盤があり、人の手も加えられているらしく、何本もの大きな石柱によって支えられている。その影から煙りが出ており、野営をしている事が判った。

 火を囲んでいるのは一隊、と言っても良い人数だった。

 30人ほどは居るだろうか、装備はばらついているものの、大体が統一されている。おそらく領主か誰かの私兵なのだろう。

 話を聞くにここはドワーフの廃坑、その入り口にあたる所らしい。元からそういう形だったのだろう、ひさしのようになっていた岩盤を内側からさらに削り、柱で支え、相当に高さのある天井を作り出している。奥には魔石灯で照らされた鉱山の入り口が見えた。

 よく来てくれた、と心にも思ってなさそうな顔で、ガルイと名乗った髭の隊長が前金だと言いずしりと金貨の入った皮袋を渡してくる。払いは悪くないらしい。

 仕事を聞けば、鉱山の奥に逃げ込んでしまったモンスターの退治だと言う。

 

「油断せぬよう言っておくが、インファント・ドラゴンを相手にするようなものだと思ってくれればよい」

 

 未だ明確にモンスターの名前を出さない事にちょっとした違和感を持ちつつも、その程度ならと請負う。

 魔石灯の明かりを頼りに鉱山を進み、死体が無造作に転がっているのを見かけた。

 少なくとも俺の前に雇われた二人組の冒険者、彼らの隊のうち腕効きが3人、未帰還だそうだ。着ている鎧を見るに、彼らの隊のうちの一人だろう。首がねじられ、背中側に顔があり、苦悶と恐怖に彩られた表情をしている。

 投げられたのだろうか、腕や足も随分とひしゃげていた。

 

「血が……」

 

 妙だな、と口の中でつぶやく。

 この兵の間近で大きな血痕が残っていた。

 だがこの兵の死体に大きな出血は少ない。

 まるで死体を囮に使い、近寄った者を奇襲したかのような──

 当然それはモンスターの戦い方ではない。

 

「仲間割れか……?」

 

 あるいはモンスターと言う名目で()()の始末でもさせようとしているか。

 それはそれで、これだけの人数で追われる()()に興味が沸かなくもない。

 ただ……気を探っても、それほど強い気、というものは感じられない。獣のようにじっと機会を待ち身を伏しているのだろうか。

 いくつかの分岐を経て、わずかな気を感じる方へと歩を進める。もっともそれほどの精度がない、コウモリでも群れていればそれを大きな一塊の気として捉えてしまう事もある。

 天井が高く、幅のある広間に出た。岩盤が水を含んでいるのか、時折水の滴り落ちる音がする。

 真っ正面、男の体が見えた。壁際に腰掛け、うつむいているようにも見える。魔石灯に照らされたその肌色はどこか青白い。

 

「兵の一人って感じじゃねえな、冒険者か」

 

 無造作に歩み寄る、かがみ込んで様子を見た時だった。

 音もなく、ただ気配だけが天井から()()()くる。

 半ば予期していた。

 俺は地を蹴り、ほとんど水平に後ろへ飛び退り、躱す。

 ずしゃ、と水袋が落ちた時のような音、擦過音の混じる吐息が聞こえる。

 うねる太い胴体、きらめく鱗、締め付けられれば並の男など背骨ごと砕かれるだろう。

 そして続く上半身はそれとは対照的に艶めかしい成熟した女の体だ。

 半人半蛇(ラミア)。そう呼ばれるモンスターだった。

 オラリオでならともかく、地上ではそうお目にかかるものじゃない、敵とするのは初めてだ。どのくらい強いのかも判らない。

 俺は戦いが始まる感覚に高揚を感じた。笑いが浮かぶ。

 まずは確かめてみるか、と敵の攻撃を受ける気で構えた。

 ラミアは動かない。ただ敵意の炎の宿る瞳がこちらをじっと睨め付ける。

 動かない。

 動かない。

 動かない。

 どさりと、音が広間に響く。

 数十秒も構えて待っていたら、力を失ったように倒れ伏してしまった。

 

「……えぇ」

 

 そりゃねーべ。

 間抜けな絵面を笑うように、水滴がしたたり小さく音を立てた。

 よく見ればラミアの体には無数の傷がある、胴体の鱗もあちこちが剥げ、血がにじみ出していた。

 

「おいおい……なんでそんなボロボロなんだよ」

 

 追い込まれる間にやられたものか、ここで死んでいる連中にやられたのか。

 ともあれ、こんなんでは戦いどころじゃない。モンスターの生死確認とトドメを刺すだけの仕事になってしまったようだ。

 

「……クふ、クッ。あレだけ嬲っておキ、よく言ウ、人間(ヒト)め」

 

 つい口を突いて出ただけの言葉に、返答があり、俺は唖然とした。

 

「えーと……」

 

 ゆっくり二度まばたき。

 何となく自分の頬を自分でぺちぺちと叩いてみる。間違いなくさっきの言葉は目の前の倒れたラミアが言った言葉だ。

 

「……モンスターって喋れたんか」

 

 驚きとしか言いようがない。ただコボルドやゴブリン、その他諸々今まで見たモンスターで人の言葉を喋っているのも解している様子も見たことがない。

 種族により違うのだろうか? しかし喋れる種族など聞いた事が。希少種?

 思考が絡まる。混乱する頭をとりあえず落ち着けと、拳で額をゴンゴンと打ち、目下の状況をどうしたものか、という事を考えた。

 ラミアにもう一度声をかけても何の反応もない、様子を見てみたが、油断をさせて不意を打つつもりもなく、本当に気絶状態にあるらしい。その体の下には段々出血から血だまりができはじめていた。

 水滴の音はもしかしたら血の滴る音も混じっていたかもしれない。

 

「討伐すりゃいい……ってもんなのかね、これ」

 

 どうしようか、と久々に単純に行きそうもない問題に頭を悩ませた。



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11.隠れ家と

 魔石灯の淡い光に照らされ、群青の液体が傷口を覆い、癒してゆく。

 汚れ、削られ、くすんで見える紫紺の鱗も液体がふりかかると急速に再生を始め、出血も収まった。

 なるほど、と感心する。

 回復薬(ポーション)ってモンスターにも普通に効くのだと。そして元々の生命力のためか、効き目が強い。どれくらい強いかっていうと戦闘民族(サイヤ人)回復薬(ポーション)使ったのと同じくらい効く。

 万能薬(エリクサー)を使えば腕の一本や二本欠損してもにょきにょき生えてきそうなレベルだ。試す気はないが。

 

「おい」

 

 肩を掴みゆさぶる。

 閉じていた目がわずかに開き、小さく呻きを漏らした。

 朦朧としてはいるが完全に意識を失っている、ってわけでもないらしい。

 もう一本の回復薬(ポーション)を開け、ラミアの上半身を起こして口に当て傾ける。

 だいぶ口の端からこぼれたものの、喉が動き、嚥下した事がわかった。

 やがてその目が焦点を結ぶと、弱々しげに、諦念した瞳で言った。

 

「……まダ、弄ぶカ。早く殺セ」

「いや、その気はねえけどな、本当に喋れるんだなあ……」

 

 現状この廃坑の中、意思疎通が可能で、そして息があるのはこの半人半蛇(ラミア)だけだ。

 身も蓋もないが敵対するなら改めて倒せばいいとも考え、とりあえず回復薬(ポーション)で手当を試みていた。

 そしてやはり()()()()()()()というのは幻覚でも幻聴でもなんでもなかったらしい。

 

「とりあえず言っておくと、俺はお前を倒すために雇われた──んだが、細かい事情はぜんっぜん聞いてねえ。お前みたいな妙なのが相手だって話もな。俺はラミアってな会ったのも初めてなんだが、人の言葉喋れるもんなのか?」

「……否、ダ」

 

 言葉をかけてみれば、諦めきった様子で逃げる事もこちらを襲うそぶりも見せない。

 俺はどうしようかと頭の後ろを掻きつつ、どこに住んでいたのかと聞く。

 ラミアはその黄銅にも似た色の瞳で、初めて見たもののように俺を見た。そして言う。

 

「ダンジョン。お前タチがオラリオと言ウ場所ダ」

「……そりゃまた。よくこんな所まで来れたな」

 

 どんだけ離れているというのか。同じ大陸の北側というのは違いないが。

 

「フ……ふ、自ラ来たなラ良かっタ」

 

 連れ出したのは人間(ヒト)だ、と続けた。

 

「弱らさレ、閉じ込めらレタ。運ばレ、鎖につながレタ」

 

 そして、と言いかけ、身を震わせる。言葉にならない、と言うように自らの肩を抱いてうつむいた。

 嬲る、とか弄ぶ、とかいう言葉が出てくる以上()()()()()なのだろう。

『怪物趣味』そんな性癖を聞いた事もある、お目にかかった事はなかったが。要するにモンスター愛好家というか、モンスターに欲情するたぐいの人間の事らしい。そんな人にとっては言葉を喋るラミアなんて、それはもう垂涎モノなのだろう。実際どんな事を致していたかなんてのはちょっと想像つかないが。

 

「それで、逃げ出してきたのか?」

「……そうダ。弱り切っタように見せたら、油断しタ」

 

 ラミアは何かを思い出すように目を閉じ、開け、俺を見た。

 

「あノ……白い……冷たいモノは、空かラ降っているモノは、何と言ウ?」

「ん? あー、雪の事か?」

「……雪。そう呼ぶノか」

 

 あれは綺麗だった、と微笑みを浮かべる。

 ほう、と息を吐くと脱力したかのように腕を垂らし、目を閉じた。

 

「──満足ダ。もウいい。お前のような人間(ヒト)と最後ニ話せテ良かっタ」

「いや、さすがにもう殺す気はないんだけどな」

 

 見境なしに殺すの大好きってわけでもない。

 モンスターとはいえ言葉を喋り、意思疎通ができるのだったら、敵でない限り、倒そうという気分にはなれないようだ。

 ラミアは目を大きく開き、おかしなモノを見るように首を傾げる。

 

「お前ハ私を倒スために雇われタと言っていたガ?」

「そうだなあ、だから依頼は失敗だ」

 

 仕方無い、と面倒ごとを背負い込む事を決める。

 ここで見逃すだけだと間違いなく後味が悪い。

 それに、そういう事情があったのなら、この場合むしろ敵になり得るのは──

 

「ちょっと待ってな、依頼者と(ナシ)つけてくるから」

 

 どこかぼうっとした様子のラミアを放置し、俺は廃坑の入り口に向かって歩き始めた。

 

 □

 

「随分時間がかかったな」

 

 入り口から出ると待っていた隊長が開口一番そう言った。

 

「ああ、中々手強かったからな」

「仕留めたのか!?」

「証拠の魔石は無い。砕いちまった」

「……む、そうか。ディッジ! 確認してこい!」

 

 兵の一人が廃坑の中に入ってゆくのを見、何か考えるかのように隊長は髭を撫でた。

 

「それで貴様、ナッシュとか言ったか。ご苦労だった。後金を払わねばな」

「確認してからでも良いんじゃねーか?」

「なに、どのみち()()()だ」

 

 そう言い、隊長は懐から皮袋を出し、こちらに投げる。

 

「金貨は不足していてな、砂金で替えておいてくれ、それと……モンスターは『変わり種』だっただろう。口止め料だ」

 

 そう言い、隊長は懐から回復薬(ポーション)のような小瓶を取り出し──突如、俺に向けて振りかけた。

 

「殺れッ!!」

 

 合図に従い、周囲の兵達が装填していたクロスボウの矢を放ち、さらにトドメと腰構えにした剣、そして槍で突きかかってくる。

 

「いいねぇ」

 

 至近で放たれたクロスボウの矢を躱し、突きかかってくる武器に手刀で撃ち合い、壊す。

 こうして戦う気満々で来てくれた方がやはり単純明快で良い。

 

「んなッ! 毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)が効かんだと!?」

「そりゃまた高ぇもん使ったなあ」

 

 さっき振りかけられた液体だ。やけに毒々しい色をしていると思ったら相当な劇毒だったらしい。

毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)』オラリオのダンジョンに居るという毒で有名な蛆型モンスターだ。毒の強さは上級冒険者の『耐異常(アビリティ)』をも貫通するほどだと言う。

 おそらく俺も不用意に、何の備えもない状態で触れてしまえば毒に侵される。身体機能も気で高まっている分並より回復が早いだろうが、ダメージを受けるのは間違いない。

 もっとも、気を纏って触れる前に弾いてしまったのだが。

 

「そんなこったろうと思った」

 

 とりあえず全員無力化し縛り上げておく。

 弾いた毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)の体液がかかった兵士も居た、変色した皮膚を押さえ苦痛に呻きをあげている。

 

「後で助けは呼んでやるよ」

 

 そう言い、野営の天幕の中にまとめて放り込む。

 さて、と廃坑に入ろうとして、ふと思い出し、さっき受け取った皮袋を開けた。

 

「……だよなあ」

 

 砂のぎっしりつまった袋を腹いせに天幕に投げこむ。誰かに当たったらしく、ぐうという呻きが聞こえた。

 

 廃坑内で先に入っていったディッジとかいう兵に追いつき、とりあえず首を絞めて落とす。

 そいつを肩に担ぎ、奥に向かった。

 

「よう」

「……仲間割レか?」

 

 ラミアの居た場所まで行くと、逃げもせずに待っていたようだった。訝しげに俺が担いでいる兵と俺を見比べる。

 

「違えよ。とりあえずここを出るぞ、動けないならお前も担いでやるけど」

「……いヤ、動けル」

 

 なぜか驚いたような顔でこちらを見る。

 よく分からないが、問題ないようなので再び廃坑の入り口に向かい歩き出した。行ったり来たりとどうも目まぐるしい。

 坑道を歩く音、そして蛇体の動く静かな擦過音。

 何も喋らず……ってほど無口でもないので、多分ラミアが疑問に思っているだろう事を道々に説明する。半分は推測も含んでいるが。

 ここの領主、あるいはそれより上の立場の者はいわば『怪物趣味』だった。そしてどういう伝手だか知らないが、言葉を喋るラミアを得た。

 歓喜するそいつだったが、ある日ラミアが逃げ出す。

 元より弱っていたはず、とあなどり養っていた私兵で探し追い詰めるも逆襲され被害を出した。

 慌ててラミアを殺す、あるいは消耗させるために渡りの傭兵や冒険者を当たり、雇う。

 

「口封じも込みでな」

 

 結構な手際で殺しにかかってきた。

 実際毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)の毒とか不意打ちでぶっかけられたら相当に昇格(ランクアップ)を重ねた者か、よほど警戒心の強い者でない限りまずやられる。

 

人間(ヒト)とは難しイ……モノだナ」

 

 多分、言葉そのままの意味なのだろう。

 俺はそうだな、と頷く以外、上手い返し方を思いつかなかった。

 

 □

 

 いったん町に戻り、酒場の主人に「案の定だった」と報告した。拘束しておいた私兵達の救助、その手配も頼む。

 別に慈善事業ってわけでもない、これはこれで酒場の主人が私兵の主に貸しを作れる、あるいはもっと直接的に報酬を要求するかもしれない。

 そして俺はそういう『儲け話』を持ち込んだ客だ。酒場の主人もその辺は判っている。何か欲しいモンはあるかと言うので、かなりの量の食料と酒を融通してもらった。

 元から持っていた荷物はでかいバックパック一つ分だったが、さすがに食料や酒もあると(かさ)が張る。悩んだ末、郊外にある農家を訪ね、荷車を売って貰い、それに酒樽や食料を積む、それに雑貨屋を訪れ、適当な古着や目に付いた道具を買い込み、宿を引き払った。

 いつしか雪は止んでいたが、日も落ちかけている。

 そんな時間帯に荷車を牽いて門を出ようとするなど不審も良いところかもしれないが、そこは田舎の良さというかなんと言うか。守衛に酒を一瓶汲ませたらあっさり通してくれる。

 雪が積もっているとはいえ……いや、むしろこの時期ならではという事か、ソリを使って物を運んだらしい、街道は綺麗に固められている。結構な重さになった荷車を引いても、車輪が埋まりすぎるという事もない。

 しばらく荷車を牽き、薄闇が落ちかけた頃、よっこらせとばかりに荷車を担いで飛び上がった。

 

 ドワーフの廃坑から1キルロ()ほど離れた川縁、細く立つ煙を目印に下りる。

 離れる前に作っておいた火はさすがに弱くなっている。荷車を地面に置き、薪を継ぎ足した。

 

「ぁ、む……?」

 

 物音で気づいたか、焚き火で暖を取りながら眠ってしまっていたらしい半人半蛇(ラミア)が小さく声を上げ、目を開ける。

 私兵達からかっぱらってきた陣幕で覆い、風は防いでいるのだが、当たり前に寒い。蛇の要素が入ってるモンスターだけに、冬眠とかしたくなってくるのだろうか?

 とりあえず先程買って荷車に積んだ古着を出し、ラミアに着せた。上半身は人の女の姿で、かつ裸なのだ。欲情するって事もないが目のやり場には困る。

 

「……慣レないが、暖かイな」

 

 何となく落ち着かなさそうにウールの短衣(チュニック)や羽織った毛皮のマントを引っ張る。

 蛇体の部分は動くのに必要らしく、着衣はしたくないらしい。

 見た目の上でも、毛糸のセーターに無理矢理蛇の体を押し込んだラミアとか、シュールにもほどがある。俺も無理にとは言わなかった。

 さて、と呟き、俺は火の上に鍋をかけた。周囲に積もっている雪をかき集め、鍋に入れて溶かす。いろいろ話さなくてはいけない事もあるが、まずは腹ごしらえだ。

 ベーコンの固まりをザクザクと乱雑に切り、ポロネギやジャガイモ、赤カブや赤キャベツもザクザクと切り、鍋に投入。麦酒(エール)を加え、塩で味をつける。

 薪を追加、火を強め、煮立たせる。煤がでるので鍋でないと出来ない。

 火が通り、カブが煮溶けてきたら男料理のボルシチもどきの完成だ。真っ赤な色、浮いた脂、こってりと絡みつきそうな香り。もっとも、多分見た目しか再現できてないが。

 木の椀によそいスプーンを入れ、ラミアにも渡す。

 そういえばモンスターってこういうのを食べられるのか、とか食べ方判るのかとか一瞬思ったのだが、一瞬ためらった後、普通にスプーンを使って食べ始めた。

 

「……旨イな」

 

 あっという間に空にし、脱力したようなため息を吐いた。

 

「そいつぁ良かった。というか何食ってたんだ?」

「……ダンジョンでは肉果実(ミルーツ)やキノコ、色々食べルものハあった。捕まっテからは……ほトんど食べラれなカった」

「そうか……パンも食うか?」

 

 頷くラミアにお代わりをよそい、硬いが腹持ちの良いパンを渡す。

 

「こレがパン……」

「初めてだったか?」

「話ニ聞いた事はアった」

 

 そのまま食べてもいいがと、俺は一つパンを取ってちぎり、スープに浸して食べる。

 この辺りのパンは原料がライ麦だ、重くてどっしりしている。食べ方も薄切りにして具を挟むとか、スープでふやかして食べる方がうまい。

 しばらく二人とも無言で食べ続ける。

 ラミアはよほど空腹だったのだろうし、俺は俺でだいぶ腹を空かしていた。

 やがて大鍋一杯に作ったボルシチもどきも無くなると、ラミアは満足気な吐息を吐き、言った。

 

「旨カった……」

「そりゃ良かった。(ミコト)飯ならもっと旨いんだがなあ」

「……そ、そレはなんダ、ホ、本当か」

 

 食いついた。フィッシュ。蛇なのにフィッシュ。目の輝きが違う。食い気キャラなのだろうか。

 

「本当だよ、ただ作れる奴が遠い場所に居るんでな」

「ソうか……」

 

 がっくりと首を落とす。ちなみに千草(チグサ)も料理は(ミコト)に負けず劣らず上手い、ただその味付けは年に見合わずガタイの良い誰かさんの好みに特化していて、仕上げを任せるととにかく万人向けではない味になってしまうのが常だった。孤児達はどこのタチの悪い神に仕込まれたのか、ひそかに桜花(もげろ)飯と(ミコト)飯と呼んでいる。桜花(オウカ)が絡まなければ普通に美味しいのに。

 腹ごしらえをし終え、弱くなった火勢を補うために薪を一つ放り込む。麦酒(エール)を汲み、ぐびりと飲んだ。

 それで、と話を切り出した。

 

「お前はこれからどうする?」

「……これかラか、考えタ事も無かった」

 

 置かれた環境を考えればそうかもしれない。未来を望む事は出来なかったのだろう。

 ラミアは星を見上げるように顔を上げ、目を細める。誰かの名前のような単語を小さく呟いた。

 やがて困ったように俺を見て、首を振る。

 

「どウしよう?」

「と、言われてもなあ……何かやりたい事とか欲しいものとかねえのか?」

 

 人生相談じみてきた。ラミアはどこかぼうっとした様子でそういえば、と問題の答え合わせをする生徒のようにこちらを見て言った。

 

「子供がホしい」

「……なんだそりゃ」

 

 酒を吹きそうになってしまった。

 母性溢れすぎてるのかもしれないし、もしかしたら食料的な意味で欲しいのかもしれない。

 後者だったら困る。

 

「フェルズが言うニは、憧憬。私モ……何度も思イ出す、親と子。あんナ風に静かニ暮らせレばと」

 

 何かを思い出しているのか、ラミアは目を細め、穏やかな微笑みを浮かべた。

 フェルズとか憧憬とか、どうも分からないが、とりあえず物騒な意味での『子供が欲しい』ではないらしい。

 

「子供なあ……地上だとラミア自体ほとんど話を聞かないし、どこかには居るんだろうけど、難しそうだな」

「そウか……」

 

 そもそも半人半蛇(ラミア)の雄っているのだろうか、聞いた事がない。というかどうやって子供作るのか……卵生? 疑問が疑問を呼びそうだ。考えるのはやめにしておく。

 俺はぼんやりと考えていた事を思い出し、言った。

 

「子供はともかく静かな暮らしならちょっと当てがある。聞くか?」

 

 □

 

 ユーラル山脈、その南方には中央を抜ける街道と内海を挟み、さらに東西に走る山脈がある。

 領土としてはラキアの端っこ、辺境と言ってもいいかもしれない。

 険しい山々が連なり、住んでいる動物は崖をものともしない山羊やカモシカくらいなものだ。ふもとの森林地帯には多様なモンスターが居ついている。人の集落はなく、それどころか踏み入れた形跡もない。未だ人跡未踏と言って良いような土地だった。

 山々に囲まれたすり鉢状の盆地がある。三つほどの川の流れが合流し、朝夕には霧が多い。

 空気が滞留しやすいためか、湿度がほどよくあるためか、標高の割には暖かいようで、その盆地だけふもとと同じような木々が見えた。

 

「ほっ」

 

 と気の抜けたかけ声と共に手刀で薪を割る。

 綺麗に割るには気を薄く硬く循環させ刃のようにする。地味だがコントロールの修行には良い。

 積み上げた薪はすでに俺の身長を超えている。もちろん薪割したからといってすぐ使えるわけでもない、来年の秋頃には何とか使えるかといった所だ。今は集めた枯れ木を燃料にして何とかしているが、やはり時間がかかる。

 

「白石はスりつぶシたが……?」

 

 声をかけられ振り向くと、不思議そうな顔で鉢を抱える半人半蛇(ラミア)の姿。

 お疲れさんと声をかけ、鶏小屋に入り、飼料箱を開け粉状になった石灰岩を入れ混ぜる。

 

「貝殻でもいいらしいんだがこれを混ぜておかないと卵がうまく出来ねーらしい。そんなに一杯混ぜなくてもいいみたいだけどな、一週間に一回くらい今の要領で餌に混ぜるくらいで良いんじゃねえか?」

「分かっタ、やっテくる」

 

 そう言い、椀に飼料を盛って、鶏の給餌箱に餌を入れに行く。

 さて、と言い 俺は家の外壁に立てかけた鍬を持って畑に行った。

 でっかい木を根ごとひっこ抜き、その木でもって慣らした土地だ、広さはどのくらいだろう、まだとりあえず試してみたって感じでもあり、それほど広くはない。

 ざっくざくと端から鍬を入れていく。柔らかくするだけならもっと簡単な方法もあるが、これは土をひっくり返す作業だ。大ざっぱに殴って完成とかそういうもんじゃない。寒い時期にやっておくとカチコチに固まっていた下の方の土に霜が入り、溶けたりすることでほどよくほぐれる……らしい。他にも何か理由があったと思ったが、畑いじりをやっていたのも農場にいた一年だ、さすがに細かい事は覚えていない。

 

「……そのうちロイにでも聞きに行くか」

 

 農場に居たときの友人を思い出した。

 畑の土起こしはしたものの、この後どうしたものだったかと。

 何か蒔いていたような気もしたが、種を蒔く時期より少し前で良かったような気もする。

 はて、と首をひねりつつ、とりあえずはもうやる事も無し、土から出てきた石を担ぎ上げて家に戻る。割れば漬け物石にちょうど良さそうだ。

 

 城塞都市(ドロストレア)での一件、そして行き場のないラミアの事はきっかけになったが、俺自身そろそろどこかに拠点を持ちたいと思っていた。

 旅から旅の暮らしは楽だが、稼ぎが増えるにつれ荷物も増える。宝石類に替えても換金場所がそうどこにでもあるわけじゃない。商売の神を主神に抱くファミリアが運営している銀行もあるのだが、実際に【ファミリア】に所属しているわけでもなく、偽名でもって稼いでいる身としてはなかなか利用しづらいものでもあった。

 ただ拠点と言っても、俺は俺であちこちに飛び回っていたい。安全に荷物を置いておく事ができ、どうせなら体を動かして鍛錬できるよう、人里から離れた場所が良い。

 いっそ空からしか行けないような場所に家を建ててしまえ、と思ったのはある意味自然な考えだったと思う。

 二週間かけて、ひとまずここまでは形が出来た。

 今まで簡易な小屋くらいしか作った事はなかったが、今回の家は丸太を組み上げたログハウスだ。組み上げた状態で乾燥させるため、切り倒してすぐ使える。力は有り余ってるだけにガワだけはすぐに出来た。

 内装はおいおい整えるとして、()で切り出してきた石材で竈を作る。家の近くで井戸を掘り、鶏小屋を作り、一番近くの町で買った鶏を20羽ほど放し、畑も形だけだが作っておいた。

 周辺の森にはモンスターもいたが強くはない、一番手強そうなのがアルミラージくらいのもので、普通の狼の方が強いかもしれない。一度だけ山に住んでいたらしい半人半鳥(ハーピィ)が鶏を狙ってきた事があったが、半人半蛇(ラミア)の姿を見かけると泡を食って逃げていった。モンスター同士だと彼我の力の差というものに敏感になるのだろうか。

 

「ミィズ、卵取りすぎじゃね?」

「早イ者勝ちだ」

 

 10個以上の茹で卵を抱え、皮を剥いてはほくほくと食べるラミア。

 ミィズという名前があったらしい、これは自分で思いつく事もあれば『異端児(ゼノス)』と呼ばれる同胞の誰かに付けて貰う事もあるそうだ。

 俺は付近で採れた野生の香草(ハーブ)で香り付けした塩味野菜スープを啜り、形の不揃いなパンを付けて食べる。ミィズが作ったものだ。どっちもこなれていないにせよ、初めて作ったなら上出来だと思う。膨らんだパンなんて俺自身焼いた事がない。鶏を仕入れて来た時にそこの奥さんから貰ったパン種を渡し、聞いた通りに伝えただけだった。

 ミィズにはそれなりに暮らせるよう生活の知識を教えていたが、恐ろしいほど柔軟に飲み込んでいく。

 たまに力加減を間違えて井戸からつるべを引き上げようとして勢い余り水を被ったり、野鳥を捕まえようとして、捕まえたはいいが登っていた木から飛び出してしまい川に落ちて水を被ったり。

 意外と天然なのかもしれないと最近は思っている。

 テーブルなども無く、床板に座っての夕餉を終え、暖房用に石を削って作った火鉢を置いた。そのうち同じ要領で暖炉を作っても良いかもしれない。煙突が面倒臭そうだが、そこは外で調達してくればいい。

 寝台なども作ってはいない、現状床にごろ寝だ。毛皮を敷いてあるのでそう寝心地は悪く無い。

 寝ようかと思った時、ミィズが声をかけてきた。

 

「アウル、あリがとう。人間(ヒト)とハ傷つけ合ウだけかと諦めかけテいた」

「……おう、気にすんな」

 

 まっすぐに礼を言われると中々恥ずかしい。割となりゆきだったし、そう重く取られても、なんというかアレだ。

 むずむずしたものを感じて背中を向ける。

 

「囲い者といウのも悪ク無いのダな」

「ちょっと待て」

 

 すぐに向き直った。

 

「どこでそういう言葉を覚えてきたかは何となく分かるが、囲い者って意味違うからな」

「……そうナのか?」

「お前が俺の妾にでもなるなら別だが、そういうつもりは無いだろ?」

「ウん、アウルは連れ合いとしテは興味無イ」

 

 それはそれで微妙な気分にならなくもないが……

 前聞いたところによるとミィズの好みは一角兎(アルミラージ)のような可愛くて守りたくなるようなタイプらしい。

 

「囲い者ってどっちかというとそういう意味含んでるからな」

 

 なんと、と言いたげに大きく目を開く。

 

「……その、エっと、すまナい?」

「いーから寝とけ。明日は晴れそうだし狩りを教えてやる。結構コツがあるからな」

 

 そう言い目を閉じた。

 自分の感情は理解している。

 極東の孤児達と同じだ、付き合った時間は短くとも友達だと思っている。

 種族はモンスターであれど、俺の感性ではミィズもまたヒトの範疇でもあるのだ。

 それは多分異常に思われるのだろう。

 それでもいいと思った。

 自分の思いを曲げるとしたら自身でなくてはならない。

 世の中などに左右されたくはない。

(堅えなあ)

 口の中で自分を笑い、やがて意識は暗く落ちていった。



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12.竜と戦いと

 色の抜けた世界。

 温度が無い。暖かさも冷たさもない世界。

 飢え、乾き、それを潤すために食う。

 何の感情も動かない。止まった世界。

 その中で、いつもほのかに温度のある存在(もの)があった。

 人間(ヒト)の大人と子供。

 強者と弱者、単純な色分けしかできない自らにはその関係は理解できないものだった。

 それでも気づけば目は追っていた。

 腹を満たす獲物でしかない、それだけの存在(もの)だったはずの親子を襲うでもなくただ見る。

 馬鹿らしい、という感情が自らに芽生え、次にそれを恐ろしいと思った。

 いつしか世界に色がついていた。

 風は涼しく、日は暖かいものと感じていた。

 必要がなく、感じる意味がなかったものが当たり前にあるようになっていた。

 触れたい、と思った。

 それが食欲なのか、破壊の欲求なのかも分からなかった。

 

 いつものように繰り返される夢を見て、ミィズは半目を開け、みじろぎをした。

 窓から入る日が白磁のごとき肢体を照らす。

 

「ん……むゥ」

 

 夢かうつつか、ふわふわと浮かぶような心持ちで一つ寝返りをうった。

 毛布がずれ、蛇体の下半身が覗き、日を浴び、細かな鱗がきらきらと紫紺の色を見せる。

 寒さを感じたのか、下半身を丸めるように持ち上げ、腕で抱いた。体育座りのようなと、この世界の生まれでない者なら言うかもしれない。

 そのままごろり、ごろりと寝返りを打つ。

 彼女の寝起きは悪いようだった。

 雄鶏の鳴き声が三度も四度も響き、やっと意識の霧が晴れてゆく。

 上半身を起こし、むゅい、と意味不明な言葉を呟き、眠そうに目をこすった。

 そのままの姿勢でぼんやりと日差しの落ちる窓を眺め、大きくあくびをする。

 近頃だらけているな、と我が事ながらミィズは思った。

 ダンジョンに生まれ、わけもわからぬままに人間からもモンスターからも殺されかけ、わずかな物音にすら気を配って逃げ延びていた。異端児(ゼノス)と呼ばれる人間と同じ知性を持ったモンスター、同胞達に見つけられ、共に生活するようになっても、『隠れ里』と呼ばれる安全地帯であっても今ほど安心してしまっていた事はない。近くにいるモンスターは弱く、家というものはそれだけで安心感がある。

 堕ラミアである。駄ラミアになってしまう前に起きなくては。

 そんな事をふわふわ考えながら、柔らかい日差しについこくりと舟をこぎだしてしまった。

 朝こそそんな状態であるが、昼間は別だ。

 水汲みから始まり、鶏の世話、畑の手入れ、家の管理。

 生活を維持するための仕事を終えると、近場の森に入り、薪を集め、ついでにロープ代わりに使えそうな蔓を採集していく。

 途中、枯れ草の中に穴を見つけ、無造作に手を突っ込むと、越冬中だったアナグマを捕まえた。

 ミィズはふと指を顎にあて考える仕草を見せると、口笛を吹いた。抑揚を付け、三回ほど同じ音を立てる。

 しんと静まり、風の吹く音ばかりが聞こえる森、高い音が響き渡った。

 何かを待つような半人半蛇(ラミア)の前にやがて姿を現したのは、一匹の一角兎(アルミラージ)だった。

 長い耳を動かし、ミィズの機嫌を伺うように見上げている。

 

「リュン、獲物を捕っタ。半分やろウ」

「キュイィ」

 

 甲高い声を上げ、おそるおそると近寄ってくる。

 自分の腹ほどの高さにある頭をそっと撫で、ミィズは毛並みを堪能する。赤い大きな目が心地よさ気に細くなった。

 この一角兎(アルミラージ)は数日前にミィズに襲いかかり、返り討ちにあったモンスターだった。

 元々同胞にも同じ姿の者がおり、またミィズの好みからしてもどうもとどめを刺すのをためらってしまっていたら、いつの間にか懐いてきてしまったものだ。

 調教(テイム)と呼ばれる技術が人間の中で確立されていることをミィズは知らない。

 ただ、大別すればモンスターという共通点もあってか、言葉は通じずとも何とない仕草や動きで自分に恭順を示しているのだ、という事はわかった。迷いながらも、その可愛らしさに当てられ、つい餌付けとも思えるような事をしているのだった。

 アナグマを置き、鋭い爪で足の付け根に切れ目を入れると、無造作に両足をもぎとる。

 残りの部分を、食って良いぞと押しやった。

 アナグマを器用に抱え、何度となく振り返りながら茂みに消えてゆくアルミラージ。

 さすがにこんな場所で直接食べるのは落ち着かないのだろう、巣穴に持って行ってゆっくり食べるに違いない。

 ミィズは手を振り見送ると、木々の合間から見える空を見た。

 鱗状の雲が集まり、厚さを増している。

 天気が悪くなるのだったか、と覚えた知識を反芻した。

 ──空。

 ダンジョンの燐光ではない陽の光。

 日ごとに様相を変える空は、見て飽きる事がない。

 一日ずっと流れる雲を見ていた事さえあった。

 

「レイは……こノ空を飛びたイと言っていタな」

 

 同胞の歌人鳥(セイレーン)を思い出し、ミィズはふとため息を漏らした。

 異端児(ゼノス)と呼ばれる者達はダンジョンでならばすでに生き抜くすべは心得ている。人間達の知らない安全地帯、『隠れ里』と呼ばれる未開拓領域。年月をかけて探し、見つけた数は10や20ではない。

 襲いかかってくるモンスター達の魔石を取り込み、自己強化を行っている以上、異端児(ゼノス)らを狙う狩猟者(ハンター)を除けばよほど深層にでも行かない限りは強敵という強敵もいない。

 対して、地上はどうだろう。

 ミィズは囚われている間、嫌というほど感じた人の悪意を思い出す。

 人とモンスター。古代から今に至るまで連綿と戦い、殺し合い続けた二種。交わる事のできない水と油。

 きっと人により排斥されるだろう。ダンジョン攻略を中断してでも討伐に来るだろう。

 強ければ強いほど、そんなモンスターが地上にいることに、人間(ヒト)は耐えられない。

 アウルのような視点を持つ者はそう居ない。自身でもそう言っていた。第三者なだけだと。

 ミィズはため息を吐き、日が翳り、暗くなった空を再び見上げた。

 

 □

 

 空が暗くなる。

 日が沈み、月が顔を出す。

 真円を描く月の輪郭がうっすらと見え、アウルは昂揚する血とは裏腹に苦い笑いを漏らした。

 雪と氷の世界、ちらほらと岩の地肌が見える。遠目には川にも見えるだろう氷河の中、ぽっかりと空いた洞窟に身を潜めていた。

 右腕は折れ、左足の脛も折れている。

 体のあちこちに深い傷、出血でふらつく体。

 満身創痍と言っても良い状態だった。

 それでも、とアウルはその存在を思い出し、おもちゃを貰った子供のような笑みを浮かべる。

 ──鎧袖一触。

 まるで子供扱いだった。アウルの叩き込んだ渾身の一撃、岩を砕き、岩盤を抉る一撃はわずかに傷を残すのみ、対して相手は鬱陶しい蝿を追い払うような何気ない所作でアウルを行動不能に近いまでに追い込んだ。

 逃げられたのはただ()()がアウルに興味を抱かなかったからだ。

 

「……く、くく。まさかこんな所になあ」

 

 笑う。

 おとぎ話の存在、迷宮都市(オラリオ)に住んだことのある者なら誰でも知っている冒険譚の最大の敵。

 

「隻眼の黒竜……な。こんな所にいやがったのか」

 

 昔話では迷宮都市(オラリオ)で戦い、英雄に追い払われたという。

 だがその強さを文字通り肌身で知り、人間に追い払われたという事実が信じられない。

 いや、とアウルは首を振る。

 人には知恵がある。知恵のみで何十倍もの力の差のある相手を下す。

 

「『呪詛《カース》』か?」

 

 魔法とは違い、代償を伴いながらも相手に対して支障(デメリット)を与える、いわば呪い。

 むろんその多くは神時代に発現したものだろうが、それ以前、古代に無かったとは言い切れない。

 いや、むしろ呪法なんてものは古くから人間と共にあったものか、とアウルは思う。この世界でもない、ドラゴンボールなんてもののある世界でもない、奇跡の存在しない世界の知識があるからこそ、そんな考えも浮かぶ。

 北の果て、と言って良い地だ。地平線から昇った月の位置は恐ろしく低い。

 だが、満月だった。

 運が良いのか悪いのか。

 アウルは口の端で凍った血を舐め苦笑した。

 満月の夜は早くに寝場所を見つけるようにしている。日はまだ高いがどこかおあつらえ向きの場所はないかと探していた時だった。そのとんでもない気に気づいたのは。

 それは膨大だった。大きすぎ、その気が雲のように覆い尽くし、意識しなければ気づく事もなかった。

 血が沸き立ち、見境もなく、誘蛾灯に誘われる蛾のように一直線に探し当て、そしてあっけなく叩きのめされた。

 出血で頭に昇っていた血が抜けでもしたのか、今のアウルは冷静だ。少し前に比べれば、だが。

 

「ぶっ倒す……!」

 

 ぎりと歯をきしらせた。

 ──幸いここなら暴れても、地形が変わる程度で済む。

 切り札はあった、ただしそれは本当の切り札だ。記憶の曖昧な幼少期以来、注意深くしまい続けてきた。

 当たり前だ。アレは理性が無くなり、ただ暴れる獣になりかねない。

 青くかすんでいた月はいつしかその輪郭をはっきりと際だたせ、朧だった色は白く、夜の闇を照らしだす。

 

「……が、かッ」

 

 変化は唐突だった。

 アウルの容貌が歪む。

 大きく見開かれた目はただ月のみを映し出し、魅入られているかのようだ。

 犬歯が伸び、体が肥大する。

 骨が伸び、肉が捻れ、耐えきれなくなった服が千切れ始めた。

 

「ガアアアアアアアアアアッ!」

 

 堰を切ったかのように急激な変化が起こる。

 氷河が崩れ、濛々とした白い煙を生み出した。

 その煙の中から飛び出す巨体。

 大猿としか言い様が無いその姿。

 

「ゴオアアアァァアアアアッッッ!」

 

 堪えきれぬ体内の熱をはき出すかのように吼えた。震えが走り、静寂だったはずの光景は見る影もなく、音を立て氷が崩れ、雪が舞い、樹氷が砕ける。

 大猿は灼熱を宿した目で何かを求めるかのように見回すと、望みの敵を見つけたのか、再び大地を震わす一声を上げ、野生そのままの動きで跳び上がった。

 

 □

 

 山から吹く風が乾いたものから湿りを含んだものになった。

 冬も極まれば後は暖かくなるだけだ。

 やがて一月もすればちらほらと気の早い草花の芽が顔を覗かせる事だろう。

 ヒューマンの青年、ロイは柄にもなくそんな事を思いながら窓を閉めた。

 暖炉にくべられている薪が、油が多かったのかぱちりとはねる。

 例年に比べ今年は雪が少なかった、雪解け水の被害が少なさそうなのは良いが、夏場の水不足が来るかも知れない。ベッジフ翁に教えられた知識の一つを思い出し、そう考えた。

 

「やっぱり備えて貯水池があった方がいいか」

 

 机に重なっている紙のうち一枚を取り、少し悩んだ顔をし、さらさらと書き加えてゆく。

 かつては国営事業の一環だったこの農場は、ラキア王国に吸収されて以来、拡大の一途を辿っている。

 ラキアは自他共に認める軍事国家だ。主神(アレス)からして軍神であるし、戦いをし続ける事で成立させてきた国だ。戦いを休む事はあっても、停まる事はない。

 それには膨大な軍費がかかる。そして軍糧が。

 ラキアに対抗するために作られたこの一大農場は、皮肉にも戦を続けるラキアの大きな助けになっていた。

 労働力は戦争により捕らえられた者もいれば、どこからか集められた奴隷もいる、また新天地を求めてくる難民も受け入れ、土地を貸し与えている。

 以前は各貴族がそれぞれの土地の利権を主張し、またもめ事も少なくなかったが、現在はシモン伯爵家の領地として一元管理されており、効率は良くなっている。ただ、それだけに伯爵家の負担は大きくなり、奴隷から奉公人となったロイもまた、その下で忙しく働く身だった。

 書類を片付けているロイの耳にノックの音が響く。

 

「ミレイ?」

 

 犬人(シアンスロープ)の女性が部屋に入った。

 彼女は慌ただしげに、どちらかというと動転しているかのようにわたわたと手を振る。

 やがて自分でも落ち着こうと思ったのか深呼吸をして、言った。

 

「……ロイ。アウルが来た!」

 

 ロイは驚きに目を大きく開け、そして笑みを浮かべた。

 

「あいつ……! 唐突だな!」

 

 それだけじゃない、とミレイは言う。

 

「怪我だらけで、どうしようかって……もう。なんとかはしたけど、ロイ、来て!」

「そりゃ……なんだって!?」

 

 二人が慌ただしい様子で入っていったのは、農場の中央にある大きな館、その端に位置する小さな離れだった。

 普段は使用人が使っているだろう寝台に小柄な姿がある。

 包帯まみれの痛々しい姿、それを見て険しい顔で近づいたロイは、その横の卓に積まれた無数の椀、空になっている大鍋を見て、何とも言い難い表情になった。

 

「ええと……ミレイ?」

「うん、言いたい事はわかるから安心して」

 

 なんでもとりあえずの怪我の手当を済ませると、人の心配をよそに、食えば治ると言い、食事を持ってこさせたのだと言う。それも十人分や二十人分か。最後は調理場が匙を投げて鍋ごと持って行かせたらしい。

 

「で、お腹一杯食べたから寝るって?」

「……うん。その、腹八分って言ってたけど」

 

 そういえば食う時はとんでもなく食う奴だった、とロイは片手で額を覆い、ため息を吐く。

 その視線の先には寝台で満足そうに眠るアウルの姿があった。

 

 日も沈み始め、赤い色がのどかな風景を朱に染める頃、時間を見繕い、再び様子を見に来たロイは、ドアを開けた直後、よう、と暢気な声を聞いた。

 

「……アウル。色々言いたい事も聞きたい事もあるけど、久しぶりだね」

「だなあ、えーと……5、いや6年ぶりか? すっかり大人っぽくなってんなあ」

「そりゃあねえ。僕ももう21だ、去年結婚もしたんだよ?」

「マジか……」

 

 連絡しようとはしたんだけどね、とロイは苦笑する。

 アウルはやっちまった、と言わんばかりに拳を額に当てていた。

 偽名を使って、さらには小人族(パルゥム)に見えるのを良いことにそれで通してきたわけだが、それが裏目に出てしまったようだった。

 舞空術で手軽に行けるようになった時点で、事情を話し、どこか大きな町の伝書屋を挟んで連絡を取る事くらいはできたのだ。いつでもできるからと後伸ばしにしたツケというものだった。

 

「相手はミレイか?」

「あはは、まあ、そうなんだけどね」

 

 予想通りだったとはいえ、友人達の結婚を知らずにもいたアウルは決まりが悪そうに笑い、祝いの言葉を贈る。

 ロイは穏やかにありがとうと言葉を受け取り、それで、と真面目な声に戻して続けた。

 

「その怪我はどうしたんだい? 僕はその……戦いの事はよく判らないが、君をそんな傷つけるような、尋常じゃないモンスターが近くに居るのか?」

「あー、いや。居る事は居るけどめっちゃ遠いよ、テリトリーから出てくる気は無いみたいだしな、安心しな」

 

 それを聞き、ロイは顔をわずかに緩ませたが、次に怪訝な表情に変わった。

 そんな遠い場所の戦いで、どうして傷を負ったまま、ここに来たのだろう?

 その疑問をそのまま口に出すとアウルは、そりゃそうだ、と苦笑いを返し、髪を掻く。

 

「なんつーかな、もっとずっと北の方で戦ってたんだが、吹っ飛ばされた……らしい」

「……らしい?」

「よく覚えてねーんだ。ただ最後の一撃は尻尾の一振りだったな。あんな単純な一発で成層圏まで飛ばされるとか、ねーだろ。どうなってんだアレ」

「せいそうけん?」

「ん……あー、雲の上の事な」

 

 ロイは想像しようとしたが、目を閉じ、唸ると、早々に諦めた。

 首を振り、肩をすくめる。

 

「大変な戦いをしてきたって事は判ったよ。ところでその、体は平気なのかい?」

 

 迷ったようにロイは言う。

 それもそうだろう、アウルの姿は全身を包帯で巻かれ、ところどころに血の染みもある痛々しい姿だ。

 見たままの容態なら医師を呼んだ方が良いのだろうが、友人のあまりな食欲と、起きてから平然と話す様子から、どうしようかとも考えあぐねていた。医師といってもそう気軽に呼び出せるものではないのだ。

 アウルはそれを判っていたのかいないのか、おう、と答えた。身を起こし、体を確認するように手を握り、関節を動かす。やがて、訝しげに眉がひそめられた。手を腰のあたりに持って行く。

 

「むう……」

「どうしたんだい?」

「いや尻尾がさ、ちぎれちまったっぽい」

「なっ、ええ!?」

 

 大丈夫どころじゃなかった、と慌てた様子のロイに、平気平気とアウルは手を振る。

 

「多分そのうち生えてくるだろ」

「……獣人の尻尾ってそういうモノだったっけ?」

「そーそー」

 

 適当に答えたアウルは、体の確認を終え、回復薬(ポーション)を服用して一ヶ月といった所かと見当をつける。

 もっともサイヤ人の回復力であっても一ヶ月を見込んだあたり、かなりの重傷ではあった。

 

「いやあ、あんな強ぇーなんてなあ。ちょっと図に乗ってたんだけど、冷や水浴びせられた気分だ」

 

 そんな事を言いながら、アウルの顔は喜色に染まっていた。

 加減をしなくてもいい、それどころか全力を以てしても届かない敵がいる。

 力を鍛え、技を磨く事は楽しい、だがそのどちらかというのでなく、全てを振るえる相手が居た事に、アウルはただ喜びを感じていた。

 

「……もっと鍛えないとな」

 

 そんな独白に、傍らのロイは、昔より酷くなってるなあ、と苦笑を浮かべた。

 

 □

 

「サイヤ人の生殺しはやめましょう」

 

 いかなる電波を受けたか、浮いている移動用ポッドの上で宇宙の帝王がそんな言葉を吐いた。

 青灰色の肌を持つ側近が怪訝な顔をした。

 疑問が渦巻く、だが、頭は無難な選択肢を選んだ。

 

「ハ……、では現在レルヘット星の侵略に取りかかっているベジータとナッパを呼び戻します」

 

 宇宙の帝王は、先程自ら言った言葉に戸惑うような顔をして首を振った。

 

「いいえ、それには及びません。彼らには十分に働いてもらいましょう」

「ハ……」

 

 側近は上司の判断に無駄口ははさまない。

 宇宙の帝王は首をかしげた。

 

「……ここのところの運動で私も疲れているのかもしれませんね。ザーボンさん、あなたの有給休暇も溜まっていますし、少し観光地にでも行きましょうか?」

 

 その言葉に青灰色の肌を持つ側近は困ったように言う。

 

「ハ……いえ、さすがにドドリア一人に任せるわけには」

「──よいのですよ、常に揃っていては危急の事態に弱くなりますしね」

 

 その言葉に側近は深い敬意を示す。

 ところでサイヤ人がどうこうというのはなんだったのだろう、と思う。

 上司が思い過ごしだと判断している以上あえて突っ込む気は無かったのだが。

 

 徹底的に対処しておけば良かったと思うのはこれよりずっと後の事になる。



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