金星の主は赤い弓兵に興味津々のようです (あーさぁ)
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金星の主は赤い弓兵に興味津々のようです

 

 午前のクエストを終え、カルデアへ帰還した足そのままで向かうのは食堂。というのも、サーヴァントに食事は必須ではないのは周知の事実だが、マスターであり人間である自分はそうもいかない。腹が減っては戦はできぬ、だ──くぅくぅ、と空腹に唸りを上げる腹を押さえ、今日の昼食メニューは何だろう、と期待に胸を膨らませる。

 

 無意識で足早になってしまうのも仕方ないだろう、なにせ今日の昼食を作ってくれるのは褐色肌が特徴的な、赤い外套の弓兵。厨房の主と言っても過言ではないほどの食通、料理のレパートリーの多さもさることながら、素材の味を存分に引き出すスキルを持つ"あの人"。そう、エミヤだ。

 

 さぁ、今日の昼食は何かなー?

 

 ワクワクしながら歩いていると、いつの間にか食堂へと辿り着いていた。じゅるりっ、と口の端から溢れてくる涎を拭いながら、いざ、中へ──

 

 

 

「あら、マスターじゃない。貴方もお昼?」

 

 

 

 迎えてくれたのは赤い外套の弓兵、ではなく──二つに括られた黒髪と真紅の瞳が特徴的の、蠱惑的な布地が少ない下着にも思える衣装を身に纏った女性。彼女はサーヴァント、アーチャー。真名はイシュタル、自身と波長の合う人間を依り代としており、例外的にカルデアへ現界するに至った女神の一柱である。

 

 に、しても──なぜ、彼女がこんなところへ?

 

「んふふっ、なぜ私が食堂に居るんだろう、って顔してるわね……私がここに居る理由は、"アレ"よ」

 

 こちらの心中を察したのか、食堂の壁へ背中を預けていたイシュタルは意味深に微笑むと真紅の瞳を奥へと向けた。まばらに職員達が食事している光景、その最奥。最も厨房に近い席、そこには──

 

 

 

「………っ……この絶妙な火加減で煮られたであろう具の数々、食欲を刺激する香ばしい匂いのツユがまた格別です。そして、この焼き魚。脂の乗った身が、ホロホロと口の中で溶けていくのが……ああ、幸せです。おかわり」

 

「もっきゅ、もっきゅ……んっ、く……もっきゅもっきゅ……おかわりだ」

 

 

 

 まず目を引いたのは、長机の上へ積み上げられていた皿の壁。そして、その連山の隙間から見えたのは二つの人影──前者は箸を片手に、椀を片手に、一定のペースで食事の一品一品を味わう青き騎士王。後者は無造作に皿の上へ盛られたハンバーガーを豪快に口元へ運び、もっきゅ、もっきゅっ、と咀嚼していく黒の騎士王。

 

 そう、人影の正体はアルトリアと、アルトリア・オルタだった。

 

 彼女達は、そう、"異端"なのだ。

 

 たしかにサーヴァントは食事を摂らない、食事が生存、存命に直結していないが故だ。しかし、サーヴァント達にも趣味趣向がある、フラストレーションは溜まっていく、だからこそ"ガス抜き"は必要。アルトリアと、アルトリア・オルタ。二人を"異端"と呼んだのは、その"ガス抜き"方法のせい。そう、彼女達の欲求不満解消方法は"食事"というサーヴァントらしからぬ理由なのだ。

 

 彼女達が持つ食事への欲求は、本当に底がない。

 

 アルトリアは手の込んだ、作り込まれた食事を好む。対してアルトリア・オルタは、いわゆる大味派。味、工程など二の次、簡単に言えば完成するまでが早くて、量が多くて、そこそこ美味いモノを好む──唯一の共通点は摂取量、先に述べたように、底がない。ストップを掛けなければ、食材は根こそぎ彼女達の胃袋へ収まってしまう程。

 

「あれ、どう考えても摂取量と体積の比率がおかしいわよねぇ。よほど消化が早いのか、または飲み込む時に素粒子レベルまで細かくされてるのか……あ、いや、もしかしたら、胃袋に小規模なブラックホールが生成されてるとか……?」

 

 隣で顎に手を当て、ひたすら運ばれてくる料理を咀嚼していく二人の騎士王を興味深そうに観察するイシュタル。だが、数秒後には諦めの溜め息を吐き出し、関心を失っていた。つまり、彼女が食堂に居た理由は"二人の騎士王を観察することではない"──では、何故?

 

 そんな疑問が胸中を横切った時、不意にイシュタルの唇が吊り上がる。ニマニマと、本当に楽しそうな表情だ。その視線の先に居たのは、二人の騎士王ではない。彼女の真紅の瞳が射抜いていたのは──どこか疲れた様子を見せながらも、二人のハラペコ騎士王へと料理を運び続けるウェイター。もとい、赤い外套の弓兵、エミヤだ。

 

──楽しそうだね、イシュタル。エミヤがどうかした?

 

「いえ、どうもしないわよ。ただ、ああやって人間が何かに抗うのを眺めるのって楽しいじゃない。最後は潰れるのか、怒りだすのか、そんなの想像してたら、ついつい顔が緩んじゃう」

 

 さすがは女神様、歪んでますね、とは口が裂けても言えない。

 

 しかし、困った。エミヤがアルトリア達に付きっきりで食事を与えなければ、おそらく"恐ろしいことになる"。もう彼女達の食事は始まってしまっている、これを止めようものなら令呪の使用も視野に入れなければならない。それほどまでに、彼女達の食事を止めるのには覚悟がいる。だが、現実問題、"こんなこと"で令呪を消費することは出来ないワケで──つまるところ、自分が昼食にありつけるのは彼女達の後、二人が「ご馳走さまでした」と自ら満足を主張した後、ということになる。

 

 くぅくぅ、お腹が空きました。

 

 エミヤに食事を作ってもらえると期待していた分、"おあずけ"という事実は堪える。終わりの見えないアルトリア達の食事、それを待つのは苦痛、いや、絶望しかない──こうなったら、ロマン辺りが買ってるであろうパンを強奪するしかないか?

 

「──あら、もしかして、お腹減ってるのマスター?」

 

 と、その時、こちらの腹の虫を聞きつけたらしい女神様が小首を傾げた。その言動を見て、しまった、と心の中だけで舌を打つ。なにせ「人間が何かに抗うのを眺めるのが好き」なんて言うイシュタルのことだ、"空腹を我慢するマスター"を楽しげに観察するだろう。ニマニマと楽しそうに微笑みながら、ああ、間違いない。

 

「…………………んー」

 

 だが、意外。こちらの予想を裏切り、イシュタルは指を顎に当て何やら思案中。だが、何かを思い付いたのだろう。楽しげな微笑みを見せた彼女は、こちらへ広げた掌を突きつけてくる。ずずいっ、と向けられて、つい気圧されてしまうほどだ。そして──

 

 

 

「5000QP、それで貴方が満足するモノ作ったげる。どう?」

 

 

 

 二重の意味で、驚いた。

 

 イシュタルが自分から「料理を作る」と言ったこともさることながら、彼女が提示した値段は相場の10倍はある。法律などあって無いようなものなので使い方は正しくないが、法外な値段だ。もちろん値段に見合った料理を作る自信があるのか、と抗議しようかとも思ったが──「女神様お手製よ、それくらい喜んで払ってくれるわよね?」と先に釘を刺された。しにたい。

 

 とはいえ、もう空腹は限界だ。期待が大きかったこともあって、その反動は凄まじい。あまりにも相場を外れた値段への懸念、イシュタルが作る食事という不安を感じながらも、首を縦に振ってしまうほどに──

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「美味でした……まだ腹八分といったところですが、満足です。アーチャー、やはり貴方が作る食事は素晴らしい。その手腕、流石という他ありません。次の機会も、期待していますよ」

 

「まだ少し物足りんが、こんなものか──さて、青いの。私は今、気分がいい。食後の運動がてら、相手をしてやろう」

 

「……っ……ほう、大きく出たものです。そこまで言われては、引き下がるわけにはいきませんね──来るがいい、オルタ。たいへん美味であった焼き魚定食によって普段の三割増しに煌めく我が聖剣、貴公に受け止め切れるか?」

 

「抜かせ、貴様こそ無数のハンバーガーによって膨れ上がった我が反転極光に呑まれぬよう、せいぜい身構えておくことだ──」

 

 皿の壁を築き上げた騎士王ふたり、アルトリアとアルトリア・オルタは同時に食事を終えた。さらには、それだけに留まらず即座に臨戦態勢。微かな魔力の風が二人の周囲を駆け抜けていくと──青き衣に白銀の鎧を身に纏う青き騎士王と、漆黒の衣と鎧を着込む黒き騎士王姿が、そこにあった。

 

 バチバチと視線の火花を上げる二人は、そのまま同時に踵を返していく。おそらくは先の言葉通り、食後の運動のためシミュレーターへと向かったのだろう。雄々しく、強い覇気を全身から発散させながら食堂を去っていく二人の背中を見送っていたのは──

 

(やれやれ、ようやく、か……)

 

 ひたすらに彼女達の食事を作っては運び、を繰り返していた厨房の主。赤い外套の弓兵、エミヤ。皿の壁という途方もない物量、これを全て片付けねばならない絶望感と、嵐が過ぎ去ったような安堵感に溜め息を吐く彼だけだった。

 

 今すぐにでも片付けたい、とはエミヤも思っている。しかし、先の激戦から来る疲労は彼の体を鈍らせていた。結果として、皿の壁を見上げ棒立ちという現実逃避に落ち着くのも仕方のないことかもしれない──だが、代わりに、気付くこともある。

 

 どこか甘辛い、それでいて香ばしい匂いがエミヤの鼻孔をくすぐっていく。嗅ぎ慣れない、おそらくは数多の香辛料から感じる匂い。その出所はすぐに分かった、先程まで自分が居たはずの厨房の方からだ。

 

(はて、間違いなく火は落としたはずだが……)

 

 自分が何かを忘れているというのは考えにくい、それだけの自信がエミヤにはあった。故に彼は、この鼻孔をくすぐっていく甘辛い香辛料の匂いに興味が湧いた。何を、誰が作っているのだろうか、と。

 

 申し訳程度に壁を形成していた皿を持ち、厨房へと舞い戻ったエミヤが目にしたのは、スレンダーな背中、二つに括った黒髪の女性の後ろ姿。包丁を用いて、まな板の上に転がる食材を切っているイシュタルの姿だった。

 

「君はイシュタル、だったな……」

 

「あら、お疲れさま。ちょっと厨房、借りてるわよ」

 

 手にしていた皿を水場へ置きつつエミヤが躊躇いがちに声を掛けると、イシュタルは悪びれもせず彼へ真紅の瞳を向ける。トントントンッ、と一定のリズムで食材に包丁を入れていきながら──その様相を見ていたエミヤは切り方、切り口を見て"手慣れている"と感じた。たとえ話しかけても、自分の指を切るような失態は見せないだろう、と。

 

「別に私の厨房ではないのでね、許可を得る必要などないさ──ところで、なぜ君が厨房で調理に勤しんでいるのかな?」

 

「あー、それはね、誰かさんの手が空かなかったせいで、お腹を減らしてる可哀想なマスターのせい」

 

「……………? あ……」

 

 イシュタルが顎で指し示した方を見ると、長机に突っ伏しているマスターの姿。それを見たエミヤは、バツが悪そうに苦笑を浮かべる。あまりの忙しさに彼が食堂に居たことさえ気付かなかったのは、他ならぬ自分の落ち度であると自覚したから。

 

「すまない、女神様の御手を煩わせてしまったようだ」

 

「ああ、いーのいーの、それなりに見返りは貰えるから──でも、そうね、悪いと思ってるなら手ぐらいは貸してもらおうかしら。いいわよね、アーチャー?」

 

「ああ、無論だ──指示をくれ、イシュタル」

 

「はいはい。それじゃ、そこのピーマンと筍、切っといて──あ、えーっと……」

 

 水場で手を洗ったエミヤは、イシュタルが指差す野菜の群れを見て頷く。それと同時に、そこへ集められた食材から出来上がる完成形を瞬時に導き出す──近場にあるのは、おそらく豚と思われる肉。そして指示にあるピーマンと筍、用意してある鍋から連想する料理を。

 

「了解した──ふむ、青椒肉絲か。ではピーマンと筍、どちらも細切りで問題ないな。ああ、筍は湯通ししておいて構わんのだろう?」

 

「………え? あー、うん………いいわ、それで」

 

 あまりにも的確すぎるエミヤの返答に、イシュタルが小さく驚きの声を挙げた。人に何かを頼む、という行為に慣れていないのだろう。いくら料理が出来るからと言って、"野菜を切っておけ"だけでは言われた方が困る。"何を作るから"、"どういう形で切るのか"まで伝えなければいけないのが普通だ。

 

 それに途中で気付いたイシュタルが細かく指示を言い直そうとしたが、エミヤは瞬時に完成形を理解し必要な作業へ入った。自然に、淡々と──そんな彼の一連の動作と流れ、それを目の当たりにしたイシュタルは、妙な感覚に陥っていた。

 

(あれ、なんでかしら……すごく、しっくり来るっていうか、妙に懐かしい。既視感、ってやつかな……もしかして、この()のせい?)

 

 そもそも、普段のイシュタルなら頼まれても誰かのために料理を作るようなことはしなかっただろう。マスターが空腹だと知った時、ふと彼女の脳裏へ浮かんだのは"料理のレシピ"。沸き上がったのは、"料理をしたい"という欲求──どれも、これも、女神には無かったもの、必要なかったものだ。

 

 

 

 だから、全部──

 

 頭に料理のレシピが浮かんだのも──

 

 久しぶりに料理したいな、と思ってしまったのも──

 

 いま現在も感じている、妙な既視感も──

 

 欠けていたパズルのピースが埋まるような感覚も──

 

 すべて、全部、きっと、この()のせい──

 

 

 

 女神には無かったもの、感じれなかったものを、イシュタルは()を通じて感じている。たしかな記憶ではない、あくまで気のせいだ。ただ、その感覚は悪い気分ではない──むしろ、どこか落ち着けるような、それが当たり前のような、言葉に出来ない安心感。

 

(不思議なこともあるのね。たぶん、この()(エミヤ)と相性が良いんでしょう。もしかしたら、何かしら関係があったのかもしれないわ──それを確かめる術なんて無いんだけど、ね)

 

 考えるだけ、無駄なこと。

 

 確かめようとするだけ、野暮なこと。

 

 気にしない、気にしない。

 

 そう結論付けたイシュタルは、再び目線を手元、まな板の上へ載る食材へ落とす。モヤモヤとした、拭いきれない妙な感覚に無視を決め込んで──とんとんっ、とんとんっ、とんっ、一定だった包丁が奏でるリズムが、僅かだが狂っているのを彼女が自覚することは、なかった。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「そんなに急がなくても、料理は逃げないわよ?」

 

 出来上がった料理、青椒肉絲を初めとする中華料理に舌鼓を打つマスターの姿を見ているイシュタルの口元には苦笑が見て取れた。だが、その心中は落ち着かない──先の妙な感覚、言葉に出来ないモヤモヤした何かが、彼女の胸中に巣食っているせいだ。

 

 それが何なのか、を知る術はない。

 

 もしかしたら、聞けば答えを得れるかもしれない。

 

 いや、そうだとしたら──

 

 グルグルと思考の迷路に陥っていたイシュタルの瞳は、何もない虚空を捉えていた。マスターが、自分の料理を食べている、その光景を客観的に眺める、まさに心ここに在らず──そんな彼女が我に返ったのは、ふと鼻先を掠めていく甘い匂いに気付いた時。

 

「…………………え?」

 

 ふと見ればイシュタルが座る席、彼女の手元にはティーカップが置かれていた。陶磁器で出来たティーカップと、ソーサー。丁度よい量の液体が注がれたソレを置いたのは、いつの間にか傍らで立っていた赤い外套の弓兵、エミヤだ。

 

「お詫びも兼ねて、紅茶を淹れてみたのだが……お気に召さなかったかな?」

 

 言われて、もう一度イシュタルは手元のティーカップへ視線を落とす。すると、ゆらゆらと、暖かみのある紅茶が作る水面へ映る(じぶん)の顔──()が誰なのか、いま目の前に居る英霊との関係、それは分からない。きっと今までは、興味がなかった。だから、気にしなかった。

 

 でも、今は──

 

 涌き出てくる疑問、モヤモヤとした感覚、それを払拭するためにはどうすればいいか、と思考が渦を巻くが──とりあえず、とイシュタルは手元のカップをソーサーごと持ち上げる。そして、一口。少しだけカップを傾けると、暖かい紅茶が喉を通っていく。その緩やかで、優しい味は、疑問も、モヤモヤも、すべてを押し流してくれた……ような気がした。

 

 

 

「……………………あ、美味しい」

 

「ああ、それは良かった……」

 

 

 

 一口、二口、と紅茶を飲むイシュタルは、とあることを心に決めた。それは、()とエミヤのことをハッキリさせる、というモノ──彼女には、確信があった。きっと、この()とエミヤは無関係ではない。どこかで、何らかの関係を持っている。それを知りたいと思った、興味が湧いた。何より、胸中にある疑問、モヤモヤとした感覚を払拭したかった。

 

(絶対、尻尾掴んでやるんだから、今に見てなさいよ──)

 

 人知れず決意したイシュタルの頬は、少しだけ赤い。

 

 じとっ、と恨めしそうにエミヤを上目遣いで睨み付ける彼女だったが、その視線に気付いた彼は小首を傾げ「ああ」と何やら納得したような様子。どこか人の良い笑顔をイシュタルへ向けると──

 

 

 

「おかわりは如何かな?」

 

 

 

 と、一言。

 

 

 

「……………………………………………………………………いる」

 

 

 

 

 何とも前途多難だ、とイシュタルは溜め息を吐き出す。どうやって()とエミヤの関係を確かめるのか、マスターに助けを請うべきか、むしろ本人に問い詰めるべきか、と三度、思考の迷路に入り込もうとして──やめた。急ぐ必要はない、と思い至ったからだ。

 

 少しずつ、知って(思い出して)いけばいい。

 

 だから、今は、まだ──

 

 まだ時間はある、焦る必要はない、と──

 

 

 

 イシュタルは、(じぶん)に言い聞かせる──

 

 

 

 緩やかな、穏やかな時間──

 

 "奇跡のような時間"を、噛み締めながら── 

 

 

 



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金星の主は赤い弓兵に興味津々のようです(2)

 

 昼も過ぎ、夕方へ差し掛かろうという中途半端な時分。誰も居ないエントランスを抜き足、差し足、忍び足。なるべく音を立てぬよう警戒しながら、見るからに怪しさ爆発なスニーキングに勤しむのは金星の主、イシュタル──こっそりと、誰も居ないエントランスを横切っていく彼女の顔は真剣そのものである。

 

(()とエミヤの関係性を調べる前に、まずは敵(?)を知ることから始めなきゃ。っていうか、そもそもサーヴァント化した時に得た知識を探ってもアイツ(エミヤ)の情報が無いっておかしいでしょ……)

 

 見るからに怪しさ爆発、むしろ失笑すら誘いかねないイシュタルのスニーキング。その奇行の理由は、"英霊エミヤについて調べる"という目的のため──というのも、彼女が心の中だけで吐いた悪態の通り、サーヴァント化した時に聖杯から与えられた知識には、"英霊エミヤ"という項目が存在しなかったのである。

 

 それは文字通り、"エミヤ"という英雄は存在しないということ。では、いま現在、カルデアに現界するエミヤというサーヴァントは何者なのか、という疑問が出てくる──ただ、それは問題ではない。何故ならサーヴァントとして召喚される英霊は"伝えられたモノ"と"可能性の具現"。二つの可能性を秘めているからだ。

 

(聖杯の知識は史実であり記録、つまり過去から現在に至るまでの情報、逸話の具現。それにアイツ(エミヤ)という項目がないのは、裏を返せば彼が"可能性の具現"であるということ。言い方を変えれば"未来の具現"、"未完の英雄"、"伝えられる逸話のない英雄"だってこと──もし、この仮定が正しければ、"英霊エミヤの原型"となる人間が存在してるハズ)

 

 ここ数日、イシュタルは聖杯から与えられた知識を隅々まで調べ尽くした。紀元前から現代まで、エミヤという名の英雄の痕跡を探し抜いた。果ては神代、原初の時代から直近の戦乱までも紐解いてみた、しかし収穫はゼロ。"英霊エミヤ"という逸話は、存在しなかったのだ──その結果から、彼女は"英霊エミヤ"は"可能性の具現"であると断定した。

 

 その予想は正しいはずだ、むしろ、そうでないと理屈が合わない。だから、その点について不安はない。それは間違いない、その仮定が間違っていることなど有り得ないことなのだから。では、何が問題なのかというと──"英霊エミヤ"という"可能性"に至る原型(人間)、その特定にある。

 

 数十億を越える人間の群れから、その原型となる人物を見つけ出すことなど不可能に近い。いつの時代、どの国に居たのか、ある程度までは絞り込めたとしても──見付け切るには莫大な時間を要するだろう、まさに砂漠へ落ちた針を見つけ出すほどの不毛、もはや絶望しかない。

 

 だが、イシュタルの瞳に曇りはない。

 

(ふんっ、だから何だってのよ。こちとら幸運ステータスAよ、あと女神補正とかあるもの、きっと見付かる──ううん、絶対、見付けてやるんだから……ッ!!)

 

 と、イシュタルが決意を新たにした頃、どうやら目的地へ到着したらしい。彼女は素早く遮蔽物の影を伝い、身を隠しながら目的地の安全を確かめ、周囲に誰も居ないことを確認すると一気に、目的地へと飛び込んだ──特に遮蔽物もない、ただ机が一つだけ置かれたエントランスの一角へ。

 

 イシュタルの目的、目指していたもの、それは──

 

 丸みを帯びた楕円形の板のようなモノ、真っ黒な大きめのディスプレイ、もはや電子機器の代表格とも言える"タブレット端末"。主に職員が使用する共用端末だが、サーヴァントの娯楽用として置かれている備品だ。

 

 彼女は知っている、これが人間の科学技術の粋を極めた装置であることを。これを使えば、膨大な情報を検索できることも──そう、彼女は聖杯から与えられた知識ではなく、もっと小さな視点を求めたのだ。聖杯が記録するほどの逸話や常識ではなく、いつかの時代で起きた些細な事象を、どこかの国で起きた小さな事件を、時の流れに忘れ去られたはずの"些事"を。

 

(…………………くっ……ッ!!)

 

 人類の叡知の結晶とも言えるタブレット端末を目の前にして、イシュタルは顔をしかめる。科学という魔術の対極に位置する物、その存在に気圧されていた。重ねて言うが、彼女は"真剣"である──モノ言わぬ電子機器、落下の衝撃で壊れるほどに脆い精密機械の集合体を、まるで親の仇のように睨む彼女。

 

(大丈夫、知識はあるもの。ええ、タブレットだろうがハムレットだろうが関係あるもんですか……ッ……ええ、っとぉ……そう、まずは電源、電源を入れなきゃね……ッ!!)

 

 どやぁ、と誰も居ないエントランスで誇らしげなイシュタル。とりあえず立て掛けられたタブレットを持ち上げる、ようなことはせず──左から、右から、目を細めて何かを探している様子。おそらく電源ボタンを探しているのだろうが、あいにくと、タブレットのランプを見る限りソレは"待機中"だ。

 

 ブラックアウトしているだけのディスプレイに、「むむむっ」と眉根を寄せる(じぶん)の顔が映る。どこに何があるのか、触れても良いものなのか、まったくもって分からない──と、その時、ふと彼女の指先が無意識のままディスプレイへ触れた。

 

「……っ……に"ゃ……ッ!!」

 

 瞬間、ディスプレイに光が点る。待機状態から復帰したタブレット端末の挙動にイシュタルは、びくっ、と大きく体を強張らせ、彼女らしからぬ可愛らしい悲鳴を上げた──思わず後ずさる彼女だが、撤退はない。恐る恐る、といった様子でディスプレイへ視線を走らせていく。

 

(ま、まぁ、画面が出たなら良しよ、良しっ。え、っと……ど、どれを押せばいいのよぉ……なんか小さいのがいっぱいで、何が何だか……ッ……あぁ、もうっ……い、いんたーねっと……ふぁて、ご……よう、つべ……?)

 

 オロオロとした様子でタブレットの画面を睨み付け、とりあえずデスクトップへ表示されたアイコンを読んでいくイシュタル。そうこうしているうちにタッチパネルに反応がない状態が続いたせいで、タブレットのバックライトが落ちた──突如として暗くなったディスプレイ、かなり見辛くなった画面を見て彼女の焦燥感に拍車が掛かる。

 

(ち、ちょっと、なんで暗くなるのッ!? 電池ッ!? 電池切れッ!!)

 

 タブレット端末の挙動を見て絶句するイシュタル、彼女は電池切れだと思っているようだが端末はドックに載せられたまま。もちろん、画面上部の電池残量アイコンも100%だ──ただタブレット端末が待機モードへ移行しようとする挙動なのだが、そんなこと思いもよらない彼女は、とうとう頭を抱えてしまう。

 

 もはや、軽いパニック状態である。

 

 だから、気付かなかった。

 

 いつの間にやら、"誰か"がエントランスを訪れていたことに──

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 昼食の後片付けを終えたエミヤは、小休止がてらエントランスを訪れた。幸いにも午前、午後、共にマスターから同行の要請がなかったおかげで今日は丸一日がオフ──降って湧いた余暇、特にやることもない彼がサーヴァント達の憩いの場であるエントランスを訪れるのは必然だった。

 

 おかげさまで、というべきか、タイミング悪くというべきか、エントランスへ足を踏み入れたエミヤは先客の姿を見付けた──布地の少ない刺激的な衣装を纏う、艶やかな黒髪を二つに束ねた女性、イシュタルの背中を。

 

(む、う……あれは……イシュタル、か……)

 

 むうっ、と唸りを上げるエミヤの表情は重い。

 

 その理由は、ここ最近のイシュタルの行動のせい。先日、共に厨房で料理を作ってからというもの、やたら彼女の視線が突き刺さる、と彼は感じていた。廊下を歩いている時も、厨房に立っている時も、マスターと立ち話をしている時まで、だ。

 

 もちろん、それが嫌というワケではない、嫌悪もない。ただ、身に覚えがないのだ。睨まれるようなことをイシュタルにした、という自覚がない──自分が何をしたのか、と彼女を問い詰めるのは簡単だ。しかし、エミヤは理由を聞かない。それでは、根本的な解決にならないと思ったからだ。

 

 とはいえ、身に覚えがない以上、どれだけ考えても彼女の機嫌を損ねた理由は闇の中。いつまでも"こんな状態"を続けるのは非合理的だ、早急に解決すべきなのも分かっている。

 

 しかし──

 

(ああ、分かっている、分かっているさ。話さないと何も解決しない、分かっているとも──だが、行動に移せない。彼女と話すことを、彼女のことを知ってしまうのを、躊躇ってしまう。何故なんだ?)

 

 エミヤの胸中は、複雑だった。

 

 頭ではイシュタルと話をして、円滑な関係を築くべきだと分かっている。だが心が、魂が、"彼女"との関わりを拒否していた。いや、違う、"あえて遠ざけようとしている"。本当に大事なモノを宝石箱へ入れ、厳重に鍵を掛けるように──

 

 失いたくない、傷付けたくないと──

 

 心が、魂が、イシュタルとの接触を拒む──

 

(あの時、彼女の指示で料理を作っていた時に感じた既視感も妙だ。初めて会ったはずの彼女に"懐かしさ"を感じるなど、どうかしている──初見の相手を"失いたくない"、"傷付けたくない"、"懐かしい"などと……ッ……これでは、まるで……)

 

 エントランスの入口で棒立ちのまま、思考の迷路に入り込んだエミヤ。ぐるぐる、ぐるぐる、自分自身でも理解できない"想い"は彼を困惑させる──そのまま一秒が過ぎ、一分が過ぎた頃。

 

 

 

「……っ……に"ゃ……ッ!!」

 

 

 

「…………っ…………ッ!?」

 

 遠くから聞こえた、可愛らしい悲鳴によって現実へ引き戻される。ふと声のした方を見れば、オロオロと狼狽えた様子で両手を振り乱すイシュタルの姿──その瞬間、エミヤは、彼女が涙目になっているのに気付く。普通ならば気付くことなどできない、それは彼が持つ"鷹の目"、弓兵に必要不可欠な並外れた視力の賜物。

 

 何が起こったのかは、分からない。

 

 だが、エミヤの体は勝手に動いていた。

 

 寸前まで考えていた思考は、もう頭から抜け落ちている。

 

 跳び、駆け、エミヤはイシュタルへと距離を詰めていく。

 

 心に、魂に、導かれるままに──

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「どうしたッ!? 何があったッ!?」

 

「……ッ……んにゃあぁぁぁ……ッ!!」

 

 いきなり背後から聞こえた声に、イシュタルは心底から驚いた。跳び上がらんばかりに大きく、びくんっ、と肩を震わせた彼女は盛大な悲鳴を上げてしまっていた──少しばかりパニックになっていたのも理由の一端だが、それより何より、聞こえた声に驚いた。

 

「……な……っ……な、なあぁぁぁ……ッ!?!?」

 

 イシュタルの呂律は回らない、心臓が飛び出るほどに驚いたせいだ。誰かがエントランスに居たことに気付いておらず、よりにもよって背後に立っていたのは赤い外套の弓兵──ある意味、今の彼女が最も会いたくない人物である。

 

「あ、その、すまない。驚かすつもりはなかった、信じてほしい──まぁ、なんだ……そう、悲鳴が聞こえたのでな。何かあったのかと思って、慌てて駆け付けた次第だ」

 

 どうどう、とジェスチャー混じりに落ち着くようエミヤはイシュタルへ言葉を選び話しかけた。しかし彼女には、まったくもって効果がない。「あぅあぅ」と、口から言葉にならない声を漏らすだけ。

 

 そんなイシュタルの様子を見てエミヤは、さしあたり大事ないと察した。身の危険などない、そう判断して──ふと、彼の視界に入ってきたモノがある。おそらく彼女が体を強張らせた時に、机が揺れたせいだろう。再び待機モードから復帰したタブレット端末のディスプレイが、淡い光を漏らしていた。

 

(ふむ、なるほど……)

 

 エミヤはイシュタルへと駆け寄った要因、可愛らしい悲鳴を上げた理由は分からない。ただ、彼女が立っていたのはタブレット端末の前であったことから、"彼女がタブレット端末の挙動に驚いた"のだろう、と推察した──奇しくも、その推察に間違いはない。

 

 だから、というワケではないが、エミヤはひょいっ、とタブレット端末を持ち上げ、ディスプレイをイシュタルの方へと向けた──さらに彼は指を画面へ滑らし、いくつもの画面を切り替えながら、努めて優しく、問い掛けてきた。

 

「何か調べモノかね? それとも、暇潰しでも?」

 

「……ぁ……っ……え、っと……そう、調べたいことがあって……ッ……ッ!!」

 

 目まぐるしく変化していく状況についていけないイシュタルは、なかば反射的にエミヤの問い掛けに答えてしまっていた。調べたいことがある、と。その失言に彼女が気付いたところで、後の祭り。

 

 「ふむっ」と納得顔を浮かべたエミヤは手にしていたタブレット端末を操作し、検索エンジンを起動した。もっともネットワークを用いたものではなく、カルデアのデータベースへ繋げただけだが──どうやら彼は、イシュタルの代わりに端末を操作する腹積もりのようだ。

 

「で、何を知りたいのだね? 教えてくれたら、私が調べよう」

 

 ああ、やはり。

 

 その言葉を聞いたイシュタルの体温が、一気に上がる。羞恥に顔は赤く染まり、今にも湯気がでそうなほど。だが、それも仕方のないことだろう。なにせ、検索しようとした対象(エミヤ)が目の前に居るのだ──おまけに、検索したいモノを教えろ、ときたものだ。

 

 もちろん、正直に言えるはずがない。

 

 

 

(お、教えられるワケないでしょうがぁぁぁぁッ!!)

 

 

 

 では、どうするべきか?

 

 もはや思考しようにも、イシュタルの頭はショートしてしまっていて上手く働かない。酸欠になった魚のように、口を開閉するだけだ。無論、言葉など出てこない。そんな彼女の様子を見かねてか、エミヤは不思議そうに小首を傾げ──

 

「大体のことは調べられるぞ、例えば料理のレシピだな。このようなモノが人理修復に必要だとは思えんが、和洋中すべての分野を網羅している──ほかには、そうだな……」

 

 と、苦笑混じりに説明を始めた。さらには素早く指を画面へ滑らせ画面を切り替えていく。その画面も、彼の言葉も、今のイシュタルには見えない、入ってこない──今の彼女の思考は、いかにして"この状況"を切り抜けるか。それしか、考えることができなくなっていた。

 

 もはや、なりふりかまってなどいられない。

 

 そう判断したイシュタルは──

 

「そ、そうなのよ、ちょっと新しい料理とか、挑戦してみようかなぁ、なぁんて……」

 

 と、苦し紛れの一言を、平静を装いながら絞り出す。

 

 それが、致命傷になるとも知らずに──

 

 そんな苦し紛れの嘘を聞いたエミヤは、「ふむっ」と顎に手を当て何やら思案。たっぷり数秒が経過した時、本当に嬉しそうに、楽しそうに、エミヤが微笑んでみせる。その表情を向けられたイシュタルは、一度だけ心臓を跳ねさせたが──

 

 

 

「では、せっかくだ、私が指南しよう。どうせ今日は丸々オフで、やることもなかったので気にしなくていい。君が納得するまで、付き合おう──そうと決まれば善は急げだ、食堂に行くぞ」

 

 

 

「…………………………………え"?」

 

 一瞬で、血の気が失せた。

 

 さらに一瞬後、エミヤの言葉が頭へ入ってくる。

 

 エミヤは言った、今日は丸々オフだと。指南してくれる、と。イシュタルが新しい料理をマスターするまで付き合う、と──それは、つまり、少なくとも彼女が新しい料理を覚えるまでは"二人っきり"という意味であって。

 

 それを理解したイシュタルの頬が、真っ赤に染まる。

 

(ち、ちょっと待って、まだ色々と心の準備が……ッ!!)

 

 もはや、逃げる手立てはない。

 

 エミヤはタブレットをドックへ戻すとイシュタルへ向き直り、「先に行って準備をしておく」とだけ言い残し踵を返した。その背中へ制止の言葉を吐こうとしたが、彼女の口から言葉は出ない──エントランスへ取り残されたイシュタルは、暫し放心。頭の中で、数秒前からの出来事を脳内で反芻しているのだろう。

 

 そして、ようやく我に返ったイシュタルは羞恥に耐えかねたのか両の掌で顔を覆う。掌を通し、自分の顔がとんでもなく熱いのを自覚してしまった──だが、覆った掌、その指の隙間から、確かに見える。形の整った口元が、緩やかに弧を描いていたのが。

 

 

 

「……人の気も、知らないでっ……ッ……」

 

 

 

 呟きは、今この場に居ない赤い外套の弓兵へ向けて。

 

 望んでなかった、余計なお世話、ありがた迷惑。

 

 なのにイシュタルは、それが嫌ではなかった。

 

 ただ少し、いや、かなり、悔しいだけ。

 

 だから、もう一度だけ──

 

 彼が去っていった方へ視線を向け、一言だけ呟いた──

 

 

 

「…………ばぁか」

 

 

 

 と──

 





ただ近代文明(タブレット)の操作方法が分からず、オロオロするイシュタ凛のメカオンチっぷりが書きたかっただけです(吐血)


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