ヒューマノイドと警察官 四章 (とましの)
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33話

コンビニへ突っ込んだ自動車を運転していたのは人間ではなくヒューマノイドだった。その内部情報を解析した結果、持ち主が判明し逮捕に至る。

ヒューマノイドは自動車を運転することができない。だがアクセルを踏ませてコンビニへ突っ込ませることはできる。そこから攻め込み持ち主から動機を引き出せば、簡単に連続強盗事件へと繋がった。

持ち主こそが連続強盗事件の主犯で、運転していたヒューマノイドは犯人のひとりである。そして自宅近くで捜査していた捜査員を目障りに思い犯行に至ったらしい。

あまりにあっけない終わりと犯人の凶行に捜査本部はざわつく。しかしそんな彼らをいつも労い叱咤していた課長は不在のままだった。

 

怪我の治療のため病院で年を越した一課長は一月頭に職場復帰を果たした。するとすぐに上層部に呼ばれてマスコミの話を持ちかけられる。

あの事故でのM001の活躍は事故当日中にマスコミまで届いていた。あの激しい事故の中でM001が少女を守り無傷で助け出す。それは美談として複数のマスコミに持ち上げられていた。

それだけなら関係ない話だが、事の発端となったM001は警視庁所属である。あげくSPとして今まで多くの要人を守ってきた。そのためマスコミはさらに盛り上がり今までは映画化の話まで出ている。

警視庁のSPで、さらに最新鋭Mシリーズのヒューマノイド。市販のヒューマノイドの持たない戦闘モードを持ち、それを使い人を守る。それが特に若い女性に気に入られ、話題は何ヵ月も絶えることがなかった。

だが事故の当事者である捜査一課長はそれらの話題に背を向け沈黙を貫いていた。上層部の質問や広報の要請にも応じず、何もなかったように仕事に専念する。

 

 

そして半年が経った夏のある日、捜査一課に金髪の外国人風な若者が現れた。

「やあ、真珠!」

半年間まったく姿を現さなかったレオーネは気安い態度で課長のデスクへ近づく。書類に目を通していた魚住はレオーネを見ることなく口を開いた。

「随分と久しぶりだな」

「寂しがらせてゴメンよ、真珠。起動したのが昨日なんだよ。思ったより多くの箇所を破損してたらしくてね」

半年間眠り続けたというレオーネの言葉に、魚住は素直に驚き相手を見上げた。するとレオーネは半年前と変わらない穏やかな笑顔を見せる。

「僕たちMシリーズは特注品だからね。新しいパーツを用意するにも時間がかかるんだよ。特に背骨や腰回りは特殊合金でできてるから」

「そうか」

「それで、3号君は元気?」

不意の問いかけに魚住は目を丸めた。心が闇に沈みゆくように視線も落としていく。

そして知らないのかとつぶやいた。

「即死だったらしい。修理不可能だと聞いた」

「そんなはずはないよ。僕は彼に助けられたんだから。……真琴は?」

「事故後は見てねぇよ。連中と会う理由もない」

話が違うと言いたいらしいレオーネとの会話を切り上げるべく書類を手に取る。するとレオーネは腕を組み人間のようにため息を吐き出した。

「真珠、今朝のニュース見たかい?」

「何のニュースだ」

今度は雑談に付き合わされるのか。そう思いながら魚住の目は書類の内容にだけ向けられる。

「Mシリーズの最新機体が警視庁に入ったんだよ。だから僕は捜査一課に移動できそうだ」

「……なんで移動しようとしてんだよ」

「君を守れと言われたからだよ」

誰にと問いかけるための言葉は喉を通らず飲み込まれる。

そんなことをレオーネに頼むのはこの世にひとりしかいない。けれどもうこの世のどこにもいなかった。

 

 



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34話

最新型であるRーM004とRーM005は双子のヒューマノイドとして開発された。同じ年頃の外見を持つ二体は警備部でSPとして働くことになる。

そして旧型のRーM001は捜査一課へ移動となった。その001を題材とした映画が事故の一年後である師走に封切りとなる。

だがやはり魚住はそれら話題に背を向け続けていた。

 

 

「魚住さん、ヒューマノイドが襲われる事件が多発しているそうですね」

部下の有栖川から話を向けられた魚住はひとつうなずいた。

「今回の法改正でヒューマノイドも法律面で人と同じように扱うことになった。近々、連続暴行事件として捜査本部が作られる予定だ。けど捜査本部が無くても犯人逮捕に努めねぇとな」

「はい。ああ、それでですけど。この資料を見てもらえますか」

また資料室にこもっていたらしい有栖川は一冊のファイルを差し出してきた。

「酷似する事件がいくつかあったので資料にまとめてみました」

有栖川から渡されたファイルに目を通しているとレオーネがデスクへやってくる。

「真珠、捜査に行こう」

「あ? どういうことだ」

「いいから急いで」

強引に魚住の腕をつかんだレオーネはいつになく強い力で引っ張っていく。半ば引きずられるように連れ出された魚住はそのまま地下駐車場で車に乗せられた。

助手席に乗せられた魚住は運転席に乗り込むレオーネを見る。

「どこに行くつもりだ」

一課に来てから何かとふざけることの多いレオーネだが、ここまで強引なのは初めてだ。そのため問いかけるとレオーネは珍しく苦悶の表情を見せる。

「真琴が複数の人間に追われてるんだ」

「徳川が? なんでだ」

「真琴もヒューマノイドだからかもしれない」

もしかしたらヒューマノイド暴行事件に巻き込まれたかもしれない。そう案じているらしいレオーネはハンドルを握る手に力を込める。

普通のヒューマノイドは自動車の運転をすることができない。市販のヒューマノイドでは人間ほど優れた反射神経などを持つことができないためだ。だがMシリーズ001であるレオーネは特別に試験を受けて運転免許を与えられていた。

人間と変わらない運転技術を持つレオーネはサイレンを鳴らしながら現場へ向かう。

 

 

現場近くで車を降りた魚住たちはレオーネと共に徳川を探した。そこは治安の悪い場所で入り組んだ路地も多い。そのため見つけられるかと思ったが、案外すぐに見つけられた。

複数の男が悲鳴をあげながら飛び出してきたその路地の奥に徳川がいたのだ。

「助けてくれてありがとう。あ、001……と魚住さん」

一緒にいる男に礼を述べていた徳川は魚住を見るなり小さく会釈をした。

「徳川を追っていたというのはさっきの男たちか?」

魚住の問いかけになぜか気まずそうな顔を見せた徳川は一緒にいる男を見上げた。男は魚住たちのことなど気にした様子もなく路地の奥へ向かい歩き出す。その背中を眺めながら徳川は魚住の元へ近付く。

「すみません。まだ完成していないので、知らせていませんでした」

「何の話だ?」

徳川の言う意味がわからず魚住は自然とその目をレオーネへ向ける。しかしレオーネは魚住の視線に気づくことなく驚きの目で路地の奥を見つめていた。

「真琴、アレはなんだい? 最新型? それとも修理できたの?」

驚きから抜けられないままレオーネは徳川へ視線を移す。そうして問いかけた先で徳川は戸惑ったように表情を曇らせる。

レオーネと徳川を見ていた魚住は急速に近付いてくるそれに気づいた。同時に殴りかかられたレオーネはそれを受け止め目を丸める。

「僕と君はいつから拳で挨拶をする間柄になったんだい?」

悲しいなぁと茶化すように告げたレオーネだがその顔は楽しげではなかった。口許は笑っているがその瞳は既に紫色に変わっている。

そこでやっと反応できた徳川は慌てて男にしがみついた。背後からしがみつきレオーネから男を引き離そうとする。

「やめろ、レオーネは攻撃対象じゃない。俺は何もされてないだろ!」

レオーネがその手をつかみ、徳川は背後から必死で止めようとする。そんなふたりの奮闘の脇で、魚住は茫然自失のまま固まっていた。

 

 

 



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35話

一年前、街で出会った光秀は最初こそ無表情だった。

自分を廃棄処理するのだと語る時も感情が出ておらず不信感と違和感を抱いた。少なくとも市販され街を歩くヒューマノイドには表情や感情が存在している。それを考えれば出会った時の光秀が開発途中だと言うのもうなずけた。

しかし魚住が持ち主になる旨を告げて、光秀が網膜認証を終えた瞬間から変わった。そこで初めて笑った光秀は開発途中とは思えないほど感情豊かな顔を見せる。

そして光秀は様々な表情を見せ、そんな光秀に魚住は何度も救われ癒されていた。

 

 

紫色の瞳のそれは無表情のまま魚住やレオーネには顔も向けなかった。何事もないような態度で片手に持っていた眼鏡をかけている。しかし相変わらずその瞳は紫色のままだ。

「真琴、はじめて僕の名前を呼んでくれたのは嬉しいと思うよ。だけど僕が目覚めてから半年間、彼を隠し続けていたのは悲しいな」

呆然とそれを見つめる魚住のそばでレオーネは悲しげな顔を見せていた。すると徳川は神妙な顔でレオーネを見上げる。

「すまない、隠すつもりはなかった」

「少なくとも修理可能ならそう言って欲しかったよ」

「いや……修理は、できなかった。腰部分の損傷が酷すぎて媒体もほぼ使えなかった。差し込み口も潰れていたから、データも取り出せなかったくらいだ」

「それならアレは新型? だとしたら開発期間の短い新型だね。005たちだって開発から世に出すまで四年かかったらしいのに」

隠し事をされた事が気に入らないのか、レオーネの口調はいつもより厳しい。そして徳川はそんなレオーネを前に悲しげな顔を見せた。

「機体そのものは、元々信長の手元にあったんだ。教授が彼の後継機として開発していたから。それと……」

言葉途中で徳川は魚住に視線を移した。視線に気付いた魚住はゆっくりと徳川に顔を向ける。

「信長が魚住さんの家に行った時のことを覚えてますか」

「忘れようとしてんだけどな」

「あの時に003から記憶と感情プログラムをコピーしていたそうです。事故がなくてもあの時点で……その、壊れることはわかっていたので」

壊れるという言葉を口にした瞬間、徳川は苦しげな顔で胸をつかんでいた。そのしぐさも今の彼の表情も、一年前には見られないほど人間らしい。

「つまり壊れる前に記憶と感情を取り出していて……今の彼に入れた? もし前の彼から引き継いでいるのなら、あんな態度はないと思うけど」

「記憶回路も感情プログラムも問題ない。行動プログラムも信長が組み上げて俺が演算処理と再構築したものが搭載されている。だけど動かないんだ。元に戻らない」

徳川の苦しげな表情は、あれが思った通りに動いていないためのものなのだろう。そんなことを魚住は他人事のように考える。

そうして再び『それ』に目を向けるが、やはり周囲を眺めているだけでこちらを見なかった。いくら外見が同じでもこちらを見なければ意味がない。そう思いながらも、魚住は徳川に問いかけていた。

「持ち主は決まっているのか?」

「いえそれは……ですが彼を欲しがっている人間は多いです。なので強制的に網膜を認証されないよう眼鏡をかけさせています」

まだ持ち主はいないが、持ち主になりたい人間は多いらしい。思わぬ言葉に眉を浮かせた魚住はちらりとそれを見る。

それは徳川に背を向けて通りの向こうを眺めていた。おそらく先程逃げた連中が戻ることを危惧しているのだろう。そんなところも光秀と似ているように思える。

「なぜ欲しがるんだ? ヒューマノイドが欲しいのなら買えばいいだろう」

自分は光秀以外のヒューマノイドを欲しいと思わない。しかし単純にヒューマノイドを欲しいと思うなら店へ行けば良い。最近は専門の店へ行けば自分好みの外見をオーダーすることも可能と聞く。そう指摘した魚住の目の前で徳川が驚いた顔を見せた。そしてレオーネも「君らしいね」と笑って見せる。

 

 



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36話

「Mシリーズは特別に開発された戦闘機能付きヒューマノイドだって、知ってるよね」

徳川を研究所まで送り届けるため自動車で移動する。その間にレオーネが説明を始めた。

市販のヒューマノイドには戦闘機能が搭載されていない。それは人が日常生活を送る上で必要ない機能であるためだ。そうやって必要ない機能を取り除いていくことで価格を抑えることができる。

しかしMシリーズは元々警察の要請によって研究開発が行われてきた。現に001や最新型の004と005は警視庁に所属している。そしてそのため戦闘から反射能力まで、すべてにおいて桁違いのスペックを持っていた。

「002は戦闘機能を捨てたらしいけど、その分だけ演算能力がずば抜けてる。そんな高すぎるスペックのヒューマノイドを欲しがる人はいくらでもいるよ」

「……レオーネのあの映画の影響もあるだろう」

自動車の運転をしながら語るレオーネの後部座席で徳川がぽつりとつぶやいた。とたんにレオーネは苦笑いを浮かべて不可抗力だと返す。

「だけど、僕が開発発表された時は一億出すという人もいたらしいよ。002が生まれて米国へ贈られた時は、次の機体を買うという人もいた。まだ何も発表していないのにね」

一億という金額を耳にしても魚住はそれを実感することができなかった。もしレオーネの話が事実なら、一億を越える価値のある新型が野良として街を歩いていたことになる。

「レオーネはあの映画を見てないのか」

そこで再び徳川が口を挟んだため、レオーネはバックミラー越しにちらりと見た。

「今の僕は真珠以外に目を向けない主義だからね。だけどそんなにその映画の影響は大きいの?」

「映画に003も出てるんだ。主人公である001が事故の中で少女を守る時に、瀕死の003がそれを助けた。それを映画も忠実に再現してる。だから……」

適切な言葉を探しているかのように徳川は言葉を途切らせ視線を動かしていた。魚住はそんな徳川の様子をじっと見つめる。

「きちんと魚住さんの元へ届けられるようになるまで、黙っているつもりだった。迷惑をかけたくなかったから。今の彼を守ってくれなんて言えないから」

すみませんと小声で謝罪した徳川を魚住はじっと見つめていた。彼の言いたいことが欠片も理解できないのは、魚住自身の理解力の問題か。それともここでは自分だけがヒューマノイドではないためか。

「真珠」

返す言葉すら浮かばない魚住に、運転席から声がかかった。

「今の君に、003を守る義務はないんだよ。ああ、003というよりも006か。あの子は君の知るヒューマノイドではないし、持ち主でもないからね。だから真琴は、元に戻せるまで黙っていたんだよ」

君を苦しめたくないからねと告げるレオーネは穏やかな声色を持つ。この半年間、レオーネは毎日こうして魚住に穏やかな態度を向けている。だからこそ魚住は何事もないように仕事をしてこられた。

しかし優しくされ気を使われ続けるのは、性に合わないと心から思う。

「俺はテメェらに守られ続けるほど弱くねぇよ」

赤信号で止まる車内の中で魚住がそう告げるとレオーネはすぐに口を開きかけた。しかし口を閉ざすとにこやかに微笑んで見せる。

「……それでこそ真珠だね」

 

 



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37話

一年ぶりの月城国際ヒューマノイド研究所は外観こそ同じだったが雰囲気が変わっていた。聞けば一年前は新人の雑用担当扱いだった徳川も開発に参加しているらしい。

そして談話室に現れた石黒も一年前と少し変わっていた。

「お久しぶりです。魚住さん」

「顔がこけてない。肌つやもいい。恋人でもできたか?」

「保護者のような人間ならいますが何か?」

挨拶代わりのような指摘に石黒は露骨に顔をしかめてそっぽを向いた。そんなふたりの脇で徳川がにこやかな顔を見せる。

「食事を抜くと慶次に叱られるもんな」

「うるさいですよ。こんな話題を続けるなら俺は戻ります」

「わかった。話題を変える。ここの雰囲気が変わったようだが何かあったのか?」

機嫌を損ねてしまった石黒に、魚住は話題を変えるべく質問を向ける。すると石黒は眼鏡をはずしハンカチでふきながら「簡単なことです」と言い出す。

「開発責任者が変わったんですよ。研究者の実力を正当に評価する人間に」

「前の管理職は徳川を評価していなかったよな」

「ええ、交代が決まったときは揉めたようですが、才能の差がありましたからね。今の開発責任者は国内有数の頭脳と言われる男です。彼のおかげでM001の修理も半年でできましたし、M006もあの通りです」

そう告げた石黒はふき終えた眼鏡をかけた。そんな彼はやはりヒューマノイドをヒューマノイドとしか見ていないタイプの人間らしい。光秀に戻すという目的を持つ徳川と違い、006の状態に満足しているようだった。

だがやはり徳川は、そんな石黒の発言が気に入らないのか眉を寄せる。

「あれはまだ完成とは言わない」

「しかし彼は自己の判断で活動できてますよ」

「だが元に戻ってない」

だからまだ何も完成していないと徳川は真剣な瞳で告げる。そんな徳川を見下ろしていた石黒はややあってその目を魚住に向けた。

「魚住さんは、なぜここに来たんですか?」

一年前と変わらない挑発めいた問いかけに魚住は笑みを浮かべた。

「感情プログラムを完成させるには人と直接関わる必要がある。そしてそれは研究者にはできない事だと、前に言ったよな」

「今の006に必要なのは落ち着ける環境と肯定ですよ」

一年前に石黒から告げられた言葉を出したところで、石黒から逆に返される。それはまさしく一年前に魚住自身が発言したものだった。

本当にこの研究員は一筋縄ではいかないと思いながら魚住は腕を組んだ。

「石黒は、あいつを俺に預けるのに反対ってことか?」

「事故後のあなたなら反対したかもしれませんが、今のあなたなら構いませんよ」

「どういうことだ?」

「001がいなければ立っていられないような男に彼を預けたくないだけです」

いちいち発言が挑発的なのだが、言葉そのものは間違っていない。この半年間、レオーネはいつも魚住を気遣い続けていた。もちろん今もこれからもレオーネは変わらないだろう。だがそれに頼り続けていては誰かを守ることなどできない。

「006は003とほぼ同じ機体ですが、思考速度や学習能力は飛躍的に上がっています。しかしそれは設定上の話です。現在の006は何も学習しようとしません。開発者である徳川の声は聞きますが、それ以外の研究員の指示は聞きません」

「学習しないっつっても、車にぶつかるな程度の躾はできてるんだろ?」

「その程度のことなら」

「なら同じだろ」

出会った頃の光秀は字も読めず何も知らなかった。その状態から言葉を交わし共に生活をして、光秀は様々なことを学んでいる。だから今回も同じ事をすればいい。そう思うままに告げた魚住は、機能が停止したように動かない006を見た。

 

 

 



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38話

仕事中だったため一度警視庁に戻った魚住は就業後に改めて石黒と連絡を取った。すると石黒は、006はひとりで警視庁に向かったと言う。

とたんに魚住は眉をひそめて歩く速度を速めた。

「ひとりで出歩けるのか?」

あんな何もできなさそうな無反応の状態で電車に乗ることができるのか。そんな疑問を向けると石黒は可能だと返してきた。

『会話はできませんが、文字の認識はできるようですから電車に乗ることはできます』

「そうか。今回は文字が読めるんだな」

『記憶も感情プログラムも003の物なんですよ。あなたが教えたものはすべて006に引き継がれています。ですから……以前の続きのように接しても、問題はないと思います。どう接していたのかは知りませんが』

石黒はたまに挑発的な態度を取るが、基本的な部分で親切な男だった。こちらが情報を出し惜しみしている時ですら、石黒は怒らず助言してくれている。だからこそ魚住も石黒を少なからず頼りに思っていた。

 

 

警視庁の一階ロビーに行くと一年前にも見た姿がそこにあった。魚住が近付くと眼鏡をかけた006が顔を向けてくる。彼が無表情なのは持ち主がいないためだろう。かつて光秀も魚住が持ち主になるまで表情が乏しかった。

そんな事を思い出しながら、魚住は006に声をかける。

「ここまでひとりで来られたんだな」

魚住の問いかけに006はうなずき返しはしたがすぐに顔を背けてしまった。ただなぜか006は何かを探るように周囲に視線を走らせている。

「何か気になるものでもあるのか?」

そのため問いかけたが006は首を横に振って返す。それだけのやり取りで、言葉を認識できていることはわかった。言語機能は働いているが、しゃべることはしないということなのか。詳しいことまでは魚住もわからない。

そんな006を連れて帰宅した魚住は玄関を開けて006を通した。戸惑うこともなく靴を脱いで廊下を進んだ006はリビングで足を止める。

魚住は荷物を置いてコートを脱いだ。その足でキッチンに入るとカウンターごしに006を見る。

「そこらへんに座ってろ。コーヒーは飲めるよな」

声をかけながらお湯を沸かすとカップをふたつ取り出す。食器も小物も何もかも、魚住は一年前のまま捨てずに置いていた。むしろ何も捨てられなかったと言ったほうが正しいだろう。

コーヒーを入れてリビングに戻ると006は立ったまま室内を眺めていた。魚住はカップをテーブルに置いてソファの前に座る。すると006は紫色の瞳を魚住へ向けた。コーヒーを飲む魚住を眺め、テーブルに置かれたもうひとつのカップを見る。

そして魚住のそばに座ると改めてコーヒーを飲む魚住を見た。さらに真似をするようにコーヒーを飲み始める。

そんな006の行動を横目に見てしまった魚住は涙があふれるのを全力で阻止した。

 

 



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39話

006は毎朝六時に起動してまずシステムチェックを行う。すべてのシステムが問題なく動いているか、エラーはないかを自己分析する。それは最初の起動から毎朝行っていることだった。

もちろん自己分析でも装置を使った検査でもエラーはひとつも見つかっていない。しかし最初の起動時から006は失敗作ではないかとささやかれていた。

天才緋田信長が製作したヒューマノイドはどれも高性能で革新的だと言われる。しかも研究所に復帰し、開発責任者となって三機目でのこの有り様だ。

そのため天才のはじめての挫折かと研究員たちがささやいていた。もちろん中には開発責任者からはずすべきではと言う者もいる。

その状況下で006は研究とはまったく無縁の男の元へ行くよう命じられた。その瞬間に006の思考回路は「排除」と「廃棄」という単語を検出した。

排除なのか廃棄なのか。どちらにしても自分は研究所にとって不必要となった。そう認識した006は指示に従って男の元へ移る。

 

 

しかし男の元へ移った翌朝から小さなエラーが生じるようになった。むしろ男の職場だという施設に行った時から認知機能に誤差が生じている。初めて見たものを『はじめて』と認識できないのだ。

そして今、006は男がベランダで煙草を吸うその背中を初めて見たと認識できないでいた。度重なるエラーはシステムを狂わせて深刻な損傷を引き起こす。そのためこのエラーは早急に解消しなければならない。

しかし006にはこれを直す方法がわからなかった。そのため外部刺激を遮断しようと耳を手でふさいで目を閉ざす。しかしエラーを知らせる警告音は途切れることなく鳴り続けていた。

 

「どうした」

006の異変に気付いた男が煙草の火を消して室内に戻ってくる。煙草の匂いをまとった男は固い手で006の手に触れた。

「大丈夫か? どこかエラーが起きてるのか?」

「……っ」

エラーが起きてつらいのだと訴えたくても言葉がうまく紡げない。それでもなんとか口を開きかけたところで、男が首を横に振った。

「つらいんだろ。無理に話そうとしなくて良い」

そう告げた男は006を腕に包み込む。

それが抱き締めるという行為であることは006も知っていた。ただ初めて触れた人間の暖かさに006は素直な驚きを覚える。

腕に包まれた状態で背中を撫でられる間に警告音が途切れた。しかし思考回路は完全に停止して何も考えることができなくなる。しかしそれでも構うことなく、006は男の背中に腕を回してぎゅっとつかんだ。

するとそこで006の瞳が鋼色に変わる。しかし006はそんな変化にも気づけないまま男の肩に頭を落とした。

 

研究所から不必要の烙印を押された自分に存在する価値はあるのか。それは疑念として長く思考回路をさ迷っている。しかしその思考回路が停止した今は、男の暖かさだけを素直に感じることができた。

 

 

初めて深刻なエラーが起きたあの夜から006は思考回路を止めていた。目の前のものが初めて触れるものかどうかはどうでもいい。ただ廃棄熱とは違う人間の暖かさが心地よくて、捨てられたこともどうでも良くなった。研究所は廃棄したつもりでも、男のそばに置かせてくれたことは嬉しい。

そう思い始めた頃に、二度目のエラーが起きた。

 

 

バスルームでの洗浄後、男から手招きされてソファの前に座る。そこは男の足元で、最近はよくここで頭をふかれていた。頭を乾かすという行為がプログラムに無いということを男は知っていたらしい。

慣れた手つきの男に頭をふかれながら用意されていた飲み物を飲む。昨日はコーヒーだったが今日は清涼飲料水だった。

「この量なら果糖によるシステムエラーはないと石黒は言っていたけどな。おかしいところがあったら教えてくれ」

まるで研究員のような物言いで男は報告を求める。清涼飲料水を飲んだ006は何もない事を報告すべく男を見上げた。しかしタオルを手にした男を見た瞬間に体内が暖かくなるような錯覚を覚える。

再びエラーを知らせる警告音が鳴り出して006は耳に手を当てた。警告音の中で再び思考回路を稼働させて対処法を探る。そして前回の事を思い出した006は心配そうにこちらを見る男を見つめた。

エラーを静めるためには男の体温が必要だ。そう思考回路が結論付け、006は立ち上がり男にしがみついた。勢い余って男をソファに倒してしまったが、柔らかな場所なら問題ないはずだ。

「果糖でエラーが起きてるのか?」

倒された男は006の耳元でそうつぶやく。

「感情プログラムの暴走はもうないはずだけどな」

おまえは違うからと、男はわからない事を言う。しかし感情プログラムという単語が、006に新たな疑念を抱かせた。研究員たちの話では、自分は感情プログラムが機能していないらしい。

だとしたらもしそれが動いたら、自分は欠陥品ではなくなるのだろうか。そうすれば目の前の男の役に立つことも可能なのだろうか。男は喜んでくれるだろうか。

そんな考えが006の思考回路でぐるぐると回り続けていた。

 

 

 



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40話

師走も終わりに近づいた日曜日、魚住は朝から家の中で働き続けていた。

この一年は仕事詰めで家のことには手をまわしていない。むしろ部屋に帰っても光秀の痕跡を見つけないよう努めてきた。

しかしそうやって目を背けて放置してきたものと、今は戦わなければならない。特にシンクの水垢やコンロの油汚れというものは徹底的に落としていきたい。そう考えた魚住は朝からキッチンで孤軍奮闘を続けていた。

だが愛用している洗剤が切れてしまい作業の手を止める。

この洗剤は対油戦線においてかなりの効果を見せてきた代物である。この武器なしで油汚れと戦っても苦戦を強いられるだけだろう。

買い物に出掛けることを決めた魚住は洗濯機の前にいた006に声をかけた。上着をまとい玄関を出ながらついでに食材も買おうかと頭を巡らせる。

「おまえは何が食べたい?」

マンションを出ながら問いかけるが006は目を向けるだけで何も答えない。

「おまえの好みがわかれば、それにしてやれるんだけどな」

今夜の献立を考えながら買い物に出掛ける。006にはコートとマフラーをつけさせているため寒さはないだろう。そう思っても、言葉を交わすことができなければ相手の気持ちも望みも知ることはできない。

そして魚住は006の目が先日の男たちを見つけている事にも気づけなかった。

 

薬局で洗剤の新商品を見つけた魚住はつい品物に集中してしまう。そうして気が付いた時には006の姿が見えなくなっていた。

買い物かごを店内に放置して外へ飛び出した魚住は006の姿を探す。同時に携帯を取り出して石黒に電話を掛け006がいなくなった事を説明する。

すると石黒から006の居場所を告げられた。

「どうしてわかるんだ?」

『あんな子供をGPSもつけずに外へ出したりしませんよ』

魚住の問いかけに石黒はいつもと変わらない落ち着いた声で返す。まったく頼りになる男だと思いながら魚住は礼を述べて示された場所に向かった。

商店街を抜けてオフィス街の一角へ向かう。路地へ飛び込んだ魚住は三人の男に組み敷かれた006を見つけた。

「警察だ!」

身分証を見せながら男たちに制止を促す。すると男たちは顔を見合わせ、うちふたりが動き出した。

「そー言えば警視庁にヒューマノイドが来たとか言ってたな」

「どうりでそこらのヒューマノイドよりキレイな顔してるわけだ」

男ふたりは言葉を交わしながら仲間に目を向けた。

「強制コード使って網膜認証しちまえよ。警視庁の最新型ならすげー値段つきそうだ」

「売る前に楽しませろよ」

「わかってるって」

男たちの発言に魚住は自分の耳を疑う。もし彼らがヒューマノイド暴行事件の犯人なら認識していた暴行と意味合いが変わってくる。こんなことならもっと所轄から情報を集めておくべきだったと魚住は顔をしかめた。

ヒューマノイドを性交渉の相手に望む人間がいる事は石黒から教えられていた。しかし魚住はそんなものは自分を含めてごく一部だと思い込んでいた。

そしてさらに言えば、この事件の捜査を上は乗り気ではなかった。ヒューマノイドのために貴重な人員を割くなと、魚住は何度も言われている。

006に覆い被さっている男が眼鏡を取り上げ放り投げる。眼鏡は網膜認証を阻むために徳川が006にかけさせていたはずだ。

そう考えた瞬間、魚住は抵抗しない006の元へ駆け寄ろうとした。

「光秀!」

「おーっと、あんたはおれらと遊ぼうな」

走りだしかけた魚住の胸ぐらをつかんだ男は、そのままの勢いで魚住を壁に叩きつける。あげく楽しげな顔で魚住を眺めた。

「おれ、男ならどっちでもいいんだわ。人間でもヒューマノイドでも。けど人間レイプするとそれなりの罪になるだろ?」

「テメェ……」

罪悪感も遵法精神も持たない男のセリフに魚住は憤然と歯を噛み締めた。

 

 

 



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41話

名前を呼ばれた瞬間から、今まで停止していたプログラムが起動を始める。それは行動プログラムと合致して思考回路と演算処理能力を飛躍的にアップさせた。

そうして導き出された結論に従い、彼は上に覆い被さる男を蹴り上げる。さらにそのままの体勢から腕力を使い飛び上がるような形で立ち上がった。

その上で彼は紫色の瞳で魚住の無事を確認し、残りふたりに視点を定める。

 

「俺の魚住に軽々しく触ってんじゃねぇぞ」

 

注意の意図を持って声をかけると男ふたりが顔をしかめて振り向いた。そのためさらにこちらに意識を向けさせるため、近くの壁を殴り付ける。コンクリートでできたビルの壁はそれだけで小さな亀裂を走らせた。

さらに彼は地面に落ちた眼鏡を踏み潰しながらゆっくりと歩を進める。すると男ふたりは色を失い魚住から離れるとそのまま逃げ出してしまう。

そのため男たちを拘束すべく歩を進めていると魚住に手を捕まれる。魚住に目を向けると路地の奥に倒れている男を見ていた。

「あれを拘束すりゃいいのか」

「ふたりを追うより、あの男を逮捕して口を割らせたほうがいい」

「口を割る? わかんねぇけどハンカチで拘束しとくわ」

魚住の指示にうなずき彼はハンカチを取り出した。それを使い男の親指を固定し手を縛り付ける。その間に魚住は携帯で電話をかけ応援を呼んでいた。

 

 

五分程度で駆けつけたパトカーに男が乗せられるのを確認して魚住は彼に目を向けた。すると腕を組みパトカーを眺めていた彼が視線に気付いてやってくる。

「光秀だよな?」

やってきた彼に問いかけると、一瞬驚いたような顔を見せる。だがすぐに紫色の目を細めて笑みを浮かべた。

「他の誰に見えるんだよ」

「他……の誰にも見えない」

「だろ? こんなハイスペック他にいねぇし。あ、001がいるか」

あいつもそこそこ使えるヤツだからなと、彼は余裕を含んだ顔でつぶやく。その姿が不意に歪んで見えて、魚住は強く歯を噛み締めた。彼がただの006だった間は耐えてこられたが、今回はもう無理らしい。

こぼれる涙もそのままに魚住は光秀を引き寄せ強く抱き締めた。泣き顔を隠すように光秀の肩に頭を落とす。すると光秀は、どこで学んだのか魚住の背中を撫でてくれた。

そんなふたりのそばに捜査員たちの間を抜けて有栖川がやってくる。

「お疲れ様です。魚住さん大変で……光秀君?」

「なんで疑問系なんだよ」

「いえ……えっと、往来で抱き合うのはどうかと思うよ」

「魚住、犯人に追い詰められてたからな。すげぇ怖かったんじゃね?」

「そうなんですか?」

光秀の説明を聞いた有栖川は泣くほど怖かったのかと驚きの目で魚住を見た。そのため魚住はそのままでいられず光秀から離れる。

「そんなわけあるか」

「ですよね」

犯人を恐れるなどありえない。そう主張すれば有栖川も笑顔でうなずいてくれる。しかし有栖川はその笑顔のまま白いハンカチを差し出してきた。

「後は我々に任せて魚住さんは休日を続けてください」

優秀な部下は何かを察したのだろうがあえて指摘することもしない。そんな有栖川の言葉に甘えることにして魚住は現場を離れた。

 

 

 



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42話

帰宅した魚住はまずキッチンに入り買った食材を冷蔵庫にしまい込んだ。すると光秀がキッチンにやってきて鋼色の瞳で魚住を見つめてくる。

そんな光秀の行動に魚住は冷蔵庫を閉めながら問いかけた。

「どうした?」

「俺の型式が変わってる」

「ああ、M006だな」

「ってことは、修理したんじゃないんだな」

「修理不可能だったらしい」

魚住が質問に答えてやると光秀はそっかとつぶやきながら顔を背けた。その様子を眺めていた魚住は自然と光秀の頬に手を伸ばす。

「事故の瞬間、俺をかばっておまえも逃げられたんじゃないのか?」

頬をそっと撫でながら問いかけると、光秀は首を傾けた。

「俺が障壁になって車の勢い弱めねぇと店内の連中がヤバかったろ。それにどうせ壊れて動かなくなるなら、誰かを守って壊れたほうがマシだと思った」

「だとしてももっと他に」

「魚住が無事ならそれで良かったんだ。あの時はな」

自分は壊れかけていたからと、光秀は満足げな顔で言う。しかし魚住はそんな光秀の言葉が納得できず顔をしかめた。すると光秀は今までなら見せなかっただろう、苦笑いを見せる。

「もうあんなことはしねぇよ」

「絶対だぞ」

魚住の態度を観察した光秀は、これは拗ねているというやつかと認識した。その上で魚住の胸ぐらをつかみ引き寄せると顔を近づける。

「とりあえずその前にすることがあるわ」

鼻先が触れるほど顔を近づけた光秀は不意にその瞳を紫に変えた。魚住は突然の変化に驚きながらも光秀を凝視する。ここで目を背けたら負けるような気がするが、そもそもそんなことで戦うのも意味がない。

そうして目をそらしかけた時、触れるだけのキスをされた。

「光秀、まだ掃除が……」

今日の大掃除は魚住の中でかなり重要な位置を占めている。だからここで光秀と遊んでいるわけにはいかない。そう考えた魚住は心を鬼にして光秀から離れようとした。

しかし光秀はそんな魚住の胸ぐらをつかみ冷蔵庫に背中を押し付ける。そうして逃げ場を無くさせると再び顔を近づけた。

「離れんな。まだ網膜認証の途中だ」

魚住の目を見つめたまま告げた光秀は再び顔を近づけていく。今度は深く口付けられ魚住は眉間にしわ寄せた。しかも光秀は目を閉じることもせず、まっすぐにこちらを見続けている。

そのため魚住も目を閉ざすことができなかった。

 

 

あまりに長すぎるキスに魚住は酸欠になりかけながら光秀の肩を殴り付けた。思い切り殴ってもびくともしない光秀は不思議そうな顔で魚住から離れる。

「網膜認証、できねぇんだけど……」

「は……余計なこと、してっ…からだろ……」

魚住は酸素不足でふらつく身体を冷蔵庫にもたれながら恨みを含んで返す。すると光秀はそんなわけがないと笑った。

「魚住の網膜は見えてたし。つーか、おまえこの一年で弱くなったか?」

「テメェは少し…ガサツが過ぎるだろ。行動プログラム変えたせいか」

「おー、そうかもな。それで網膜認証ミスるんだ」

魚住の言いたい部分を無視して嬉しそうに納得する。そんな無邪気過ぎる笑顔を前にした魚住は怒りが消えていくのを感じていた。

「けどまぁ、いいか。おまえは持ち主っつーか魚住だもんな」

嬉しそうに笑う光秀の瞳が鋼色に戻る。機体が新しくなっても光秀はマイペースな性格のままらしい。

そんな光秀を見つめながら魚住も表情を緩める。

「おまえもヒューマノイドと言うより光秀だな」

 

 

 

 



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43話 おまけ1

夜の八時にかかってきた電話に出た石黒はまず昼の礼を向けられた。レポートを作成する手を止めた石黒は眼鏡をはずしながらたいしたことではない旨を告げる。そうして目頭を指で押さえながら話を聞いていると網膜認証にまで話が及んだ。

無反応だった006が突然目覚めて003を取り戻す。それは感情プログラムの起動と言う可能性を考えれば理解できた。しかし網膜認証ができない理由まではわからない。

「網膜認証ができない理由……既に網膜認証されているということでしょうか。しかしだとしたら彼が魚住さんの元にいるはずがありませんし」

ヒューマノイドは網膜認証した人物を持ち主とする。そして常に持ち主のそばにいて指示に従うようプログラムされている。

もし魚住以外の人間の網膜を認証していたなら、電話先に006がいるのはおかしい。しかし電話の向こうで相変わらず彼はアルコールは無いのかと訴えている。その変わらない声は以前の彼そのものだった。

眼鏡をかけ直した石黒は、電話を続けたまま席を立つ。その足で部署を離れた彼は研究所内を歩いた。

 

大型装置を備えた作業室に入ると、モニターに大量の数列が流れている。その中央に置かれた座席には徳川がいて、眠そうに頭を揺らしていた。

そしてそのそばの椅子に座る緋田は端末の操作を中断して石黒に顔を向ける。

「僕に用事かい? もし真琴に用だというなら今は無理だよ」

今は充電とアップデート中だからと緋田は悠然とした口調で告げた。そんな緋田を前にして石黒は網膜認証ができない理由について聞いてみる。

「006が魚住さんの網膜認証を試みたところエラーが出てしまったそうです」

「それはそうだよ。彼の右目は003の物を使っているからね。片目は既にあの持ち主の網膜を認証してるんだよ。その認証をリセットしない限り新たな網膜認証はできないよ」

緋田は慌てることも悩むこともなく平然と答える。それを聞いた石黒は自然と眉をひそめていた。

「つまり006は開発中から既に持ち主が決まっていたということですね。ではここの研究員たちと一切言葉を交わさなかったのはそのせいなのでは?」

「持ち主の有無は関係ないよ。自分を否定する人間の言葉なんて聞きたくないだけだからね。もし感情プログラムが機能していたら、反論くらいしていただろうけど」

緋田の説明を聞いた石黒は電話先の魚住のためにわかりやすく噛み砕いて説明する。するとなぜ感情プログラムが突然動き出したのかと新たな質問を向けられた。そのため石黒も、同じ思いで緋田に問いかける。

すると緋田は黄緑色の瞳を細めて笑みをこぼした。

「簡単なことだよ。僕がそのようにプログラムした」

「なぜそんなことをしたんですか。そのせいで徳川がどれほど苦労した事か」

「そうだね。真琴はとても頑張っていた。だけど真琴もあれをナンバーでしか呼ばなかった。君たちは優秀なのかもしれないけど、ヒューマノイドも生きているのだという事を忘れてる。だからあれの名前を誰も呼ばなかった。それだけだよ」

端的だがわかりやすい説明に石黒は返す言葉を失った。

研究員である限り、当然だがヒューマノイドの内部構造を目にする。そして開発段階で失敗したそれを廃棄する事もある。

そうして研究員は次第にヒューマノイドを物としてとらえるようになる。そうしなければ廃棄のたびに心を痛めることになるためだ。

「僕はそういう考え方に嫌気が差してここを離れた。もちろん真琴がいなければ今もここにいることはなかったよ。兄弟を気遣うように必死な真琴の姿は僕の心の琴線に触れるからね」

「……そう、ですね。内部媒体が焼ける寸前まで演算処理を続ける徳川の姿は、焦った人間のそれにとても似ていました」

結局は自分たちが至らなかっただけなのか。そう認識した石黒はどう説明すべきかと考えながら電話口に耳を当てた。

すると電話の向こうから魚住の落ち着いた声が聞こえる。

『だが人として見ないからこそ、石黒はいつも冷静に対処できたんだろ。昼間の事もそうだが、俺はそういう石黒に助けられた。それに物として見てるからって、石黒に思いやりがないなんて思えねぇけどな』

光秀のことをいつも思いやってくれてるからと、言われた石黒の顔が真っ赤に染まる。さらに顔をしかめた石黒は挙動不審なほどに視線を彷徨わせた。

「あなたは少し黙っていてくれますか。俺は真面目に彼についてですね」

誰が見てもわかるほどに照れた石黒を眺めていた緋田は口許を緩めて視線を転じた。そばの座席では先程まで眠そうに頭を揺らしていた徳川が完全に眠り込んでいる。

 



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44話 おまけ2

破損した003を見たあの日、強制的に電源を落とされた彼は眠っている間に修理を受けた。

国内有数の天才と呼ばれる緋田信長の事を彼は知らない。001の開発に参加したとは聞いている。けれど彼が生まれた時、緋田は研究所を去っていた。

 

 

眠りから覚めた彼はここ数日体内を蝕んでいた熱が消えていることに気づく。

「気分はどうだい?」

「問題ない」

黄緑色の瞳にのぞき込まれた彼は反射的に返していた。すると相手は緋色の髪を揺らしてそれは良かったと微笑んでくれる。

「ところで真琴はどうしてここに?」

優しげな眼差しを向けたまま、緋田はそばの椅子に腰かけた。状態を見ながら起き上がった彼はゆっくりと緋田に目を向ける。

「生まれ変わったら、生んでくれた人たちに恩返ししようと思ったんだ」

質問の答えがおかしかったのか、緋田はなぜか大きく目を見開いた。驚いた様子でこちらを見ていた緋田はややあって視線をわずかに落とす。

「君は米国で破損して廃棄処分になったよね。その時の記憶もすべて消されてる?」

「彼らはバックアップされた物にまで手を出さなかった。だから記憶はある。だけどもう002になりたくない」

「どうしてだい? 当時の君は研究所の最高傑作と言われていたそうじゃないか」

「ここではそうかもしれないが向こうではそれほどでもない。米国はここと同じように機械工学が進んでいて、俺のようなのはいくらでもいる。ただ向こうのヒューマノイドは戦闘に特化した物ばかりだから……」

開発者の質問に答えるのは行動プログラムにのっとった行動だ。しかしそれでも言いたくない気持ちが勝り彼は口を閉ざした。

そんな彼を見つめていた緋田はひとつ嘆息を漏らす。

「もしかして君、セクサロイドとして使われた?」

不意打ちのような質問に彼は驚き緋田を見やった。紫色の瞳を見開かせたまま思い出したくない過去に顔を歪ませる。

「この研究所に君がヒューマノイドだと知る人間はいなかった。003のことがなければ三成たちに知られることもなかっただろう。だけど本来君は彼らにシステムチェックを受ける側なんだよ。だけどそれを受けずに来たということは……」

人間に触れられたくないということではないか。その指摘が届く前に、彼は耳を手でふさぎ首を横に振った。

「君は人間を心の底から拒絶したんだね」

「していない。そんなことは」

「行動プログラムはそうだろうけど、感情プログラムは拒絶した。その矛盾が君の思考回路ごとシステムを破壊したんだね」

「ちが……」

「だけどね。真琴」

否定しようとした彼の手をそっとつかんだ緋田は寝台に腰かけて間近に彼を見つめた。

「君のそれは正しいことなんだよ。そして今の君も正しいことをしてくれた。僕の開発した003を助けようとしてくれてありがとう」

緋田から向けられた肯定と感謝に、彼は涙がこぼれるのもそのままに視線をあげる。するとそこには緋田の穏やかな表情があった。

「ねぇ、真琴。僕はこれから001の修理と006の開発をしなきゃならないんだ。だから君の力を貸してくれないか。少なくとも君は僕よりも端末の扱いが速いからね」

彼は端末に触れるだけでその端末のシステムを操作できる。これはキーボードを打ち込まなければ端末に入力できない人間と比べれば早いだろう。

だが自分のような存在にヒューマノイドの開発ができるのかと、彼は強い不安を抱いた。

しかし緋田はそんな彼の手をぎゅっと握り大丈夫だと声をかけてくれる。

「君の優秀さは僕が保証する。だから自信を持ちなよ」

緋田から向けられた優しい言葉に、彼は肩の力が抜けるような錯覚を覚えた。

 

 



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