Fate Zero After ## (焼肉大将軍)
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プロローグ
終わりの景色


 

 見よ、蒼ざめたる馬あり。これに乘る者の名を死と言ひ、陰府、これに隨ふ。

 かの者、疫病と野獣を率い、地上に死を落とす。人々、これにあらがう術なくて皆死ぬべし。

 

 

 聖杯だったモノより洩れ出でた炎が空間を蹂躙していく。

 その足元の血溜りから這出た闇よりも猶暗い亡者の軍勢が炎に巻かれ、焼かれながら隊列を成す。血溜りが一際大きくボコリと膨らみ、白い物が見えた。

 それは骨だ。動物の頭骨である。それに絡み付いた炎がその鬣となり、血がその肉となる。その青白き馬は主を背に乗せ起き上がった。

 血溜りは一層黒々と深まり、大きく拡がっていく。周囲には死の臭いが満ち、腐肉と炎で出来た亡者の軍勢は見る間にその数を増していく。次第に産み出されるのは亡者だけではなく、獣や蟲、悪霊や魍魎が混ざり始め、悍ましき瘴気を辺りにばら撒き始めた。

 一呼吸で臓腑を爛れさせ、ありあらゆる生命の存在を許さぬ魔風である。

 その姿は正に黙示録の再現であった。

 亡者の主が笑う。人の形をした炎が笑っていた。

 

「クク、ここに我が悲願は成就せし。全ては決し、受肉は成した。下らぬ結末など、何度でも引っくり返してやるさ。今、これより、この地より、侵略を開始する。今度はこの天地の果てまで全てを塗り潰してくれよう。貴様もその礎と為れ、ライダー」

 

 死を駆る炎に対するは、有角の霊獣を駆る赤銅の英霊とそのマスター。

 炎は笑ったが、彼等は笑わなかった。

 

「させると思うか、アヴェンジャー」

「これで終わりだ。アンタはここで止める」

 

 星の名を持つ霊馬に跨ったライダーとマスターたる魔術師が口々に言った。

 対峙した彼等は各々の腰の武器に手を掛け、暫し睨み合う。

 炎が世界を焼く音だけが周囲に響く。死がアヴェンジャーの放つ熱波に乗って周囲に拡がり、その足元から滾々と湧き出る亡者の数は今もって増すばかりである。時間と共にアヴェンジャーの優位は確固たる物に成ろうとしていた。

 

「この瘴気、坊主、大事無いか?」

「心配するな。こちとら水銀使いだ。毒の扱いは手馴れている。今度は降りないぞ、僕は」

 

 真っ直ぐに敵を見据えるマスターにライダーは満足そうに笑った。そして、

 

「ふん、そんな事、分かっておるさ。ハッ、では征くぞッ!!」

 

 咆哮と共に、ライダーが仕掛ける。霊馬が主の意思に従い地を蹴り駆けた。と同時に、アヴェンジャーの放った五つの矢が空を切って飛来する。アヴェンジャーの息をも吐かせぬ五連射撃だ。音速を超過した火矢は炎の軌跡を空に残して、ライダー達へと迫った。

 その様、その威力は正に流星の如し。しかし、対するライダーの一刀は、稲妻の如き鋭さで迫り来る火矢を打ち払う。

 初矢をライダーが切り払うと同時に、霊馬がその駆ける軌跡を変え、続く二矢を掻い潜る。ライダーの外套を貫いた次の一矢がそのままビル壁を貫いて夜の闇に消え、最後の一矢をライダーは返す刀で切り払う。

 そこで、アヴェンジャーがその笑みを一層深くした。

 その笑みの意味に気付く間があったかどうか。切り払った矢と全く同じ弾道、その影に隠れる形で撃ち出されていた不可視の六射目が彼等へと迫っていたのである。矢は吸い込まれる様にライダー、そしてその前に跨る彼のマスターへと向かう。一刀を振るった直後の隙を射抜く神業を前にしては、さしものライダーも回避は不可能であった。

 しかし、その絶死の瞬間を前に、彼等に一切の動揺は無い。

 既に、魔術師ウェイバー・ベルベットの詠唱は完了している。

 

「Fervor,mei Sanguis ――滾れ、我が血潮」

 

 突如彼等の前に出現した鈍色の盾に弾かれ、流星はその軌道を逸らした。それはウェイバーの魔術に拠って圧縮された呪操水銀の盾である。同時に、

 

「今度はこちらから征くぞッ!!『■■■■■■』」

 

 ライダーが吼えると同時にその手の剣を一閃し、その剣の延長線上の全てを両断する。真名解放された宝具による斬撃である。ウェイバーの呪操水銀の盾で出来た死角から、それは亡者の軍勢を両断しながらアヴェンジャーへと迫った。

 

「クク、クハハッ!! 良いぞ、抗って見せろ。俺はその全てを踏み潰してやろう」

 

 アヴェンジャーの駆る冥馬は戦慄くと、迫り来る斬撃が彼等を両断せんとする刹那、地を蹴って跳躍する。結果斬撃が薙ぎ払ったのは亡者共と跳躍した冥馬のその影のみ。

 着地と同時に体勢を建て直し、即座にアヴェンジャーは弓を掲げて反撃に出る。否、出ようとした。しかし、その時にはライダーは接近を終えていた。彼の駆る霊馬ブケファラスの踏み込みは正に神速。

 着地でアヴェンジャーの体勢が崩れた瞬間、横合いを駆け抜けつつ、交叉と同時に繰り出される一刀は最早回避も防御も不可能である。しかし、その刃が届く事は無い。

 ライダーが決着の刃を振るわんとした時、空中より四つの影が落ちた。

 空中より落下した一騎の英霊がその勢いのままに振るう戦斧の一撃に、咄嗟に主を護るべく逆袈裟の斬撃をライダーが合わせて止める。しかし、拮抗は一瞬。戦斧の主ごと敵を屠らんと空中から矢の雨が降り注いだ。

 

「Fervor,mei Sanguis ――脈動せよ、我が臓腑」

 

 詠唱と同時にウェイバーは腕を掲げる。その鈍色に輝く腕が空中より飛来する二十余の矢の雨を映すと、同時にその袖口から空中に二十余の銀光が奔った。それは中天を逆様に、地より立ち上る矢の雨を描き出す。

 降り注いだ矢は人間の動体視力を遥か凌駕する速度であった。しかし、ウェイバーが繰り出したのは、水銀鏡を利用し、その鏡面に映した物を呪操水銀にて自動的に再現する迎撃魔術である。

 問題は、その威力。矢の雨は水銀で出来た模造品を易々と貫いて獲物へと迫った。英霊による攻撃である。ただの魔術師であるウェイバーに凌げる道理は無い。

 しかし、水銀の矢を貫いた事で一瞬、その速度が僅かに落ちた。その一瞬に、霊馬ブケファラスの神速は矢の雨を置き去りに駆け抜ける。霊馬の影を追って、矢の雨が一帯を蹂躙し、その矢に貫かれ蜂の巣となったトラックが大きく跳ねて炎上し、砕かれたアスファルトの破片が宙を舞う。

 英霊同士の全力全開。出し惜しみ無しの最終決戦。

 その何と凄まじき事か。周囲の被害とは裏腹に、彼等は未だ互いに無傷なのである。

 ライダーとアヴェンジャーは再び距離を取って向かい合った。

 

「やはり、貴様は余の全力を以って打ち砕かねばならん様だな」

「それはこちらの台詞だ、征服王。来るが良い。奪い尽くして、殺してやる」

 

 彼等は互いに獰猛に笑い合い、互いの宝具を解放する。

 

「集え、我が同胞!! 余と轡を並べし勇者達よ!! これぞ征服王イスカンダルたる余が誇る最強宝具『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』なり!!」

 

 ライダーが天に吼える。同時に世界が熱砂の大平原へと変質し、そこに立ち並ぶは荘厳なる無双の軍勢。英霊と成って魂を世界に召し上げられて猶、ライダー、征服王イスカンダルに忠義を尽くす伝説の勇者達。時空を超えて彼の召喚に応じる、永遠の盟友達。

 これぞ英霊の大軍勢を召喚するライダーの最強宝具『王の軍勢』である。

 その彼等の心象風景たる熱砂の大平原の中に唯一つ変わらずある異物。

 世界すら焼く醜悪なる炎。

 

「殺し尽くせ、壊し尽くせ、奪い尽くせ、我が走狗よ。この世の地獄を、この世全てを焼き尽くせ『■■■■■■■』!!」

 

 アヴェンジャーが手の中の血塊を握り潰す。そこから溢れた血が濁流と成り、亡者の軍勢へと変質する。爆発的に増殖する亡者の軍勢。血溜りより生まれ出でた悪霊魍魎が跋扈し、魔蟲、魔獣が隊列を成す。そして、この世全ての不吉を孕んだこの魔の軍勢は、真っ向からライダーの召喚した無双の軍勢と相対したのである。

 ライダーとアヴェンジャー。

 向かい合う二騎の英霊。その背後に背負うモノの何と対照的な事か。

 それは共に人のまま人の臨界を超えた彼等の歩み、その生そのものの差異なのだ。

 互いに恐るべき軍勢召喚宝具を持つ彼等の、鬨の声が重なる。

 

「「蹂躙せよ!!」」

 

 ここに、この偽典の聖杯戦争の雌雄を決する決戦の幕が開く。

 

 



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第一幕 戦争開始
戦争開始


注意事項を良くお読み下さい。
R-18展開になる時は注意書きを入れます。





 聖杯戦争。

 およそ二百年前、アインツベルン、マキリ、遠坂、後に始まりの御三家と呼ばれる魔術師達は互いの秘術を持合い、万能の願望器『聖杯』を召還する事に成功する。が、それは血で血を洗う闘争への幕開けに過ぎなかった。

 聖杯は土地の魔力を吸って一定周期で降誕する。聖杯はその意思によって七人の魔術師を選定し、彼等にその膨大な魔力の一部を与えて『サーヴァント』と呼ばれる英霊召還を可能とさせる。聖杯を得るに相応しい一人を死闘をもって決させるために。

 七人の魔術師に七騎の英霊。超常の存在を率いた殺し合いの儀式。

 それを聖杯戦争と呼ぶ。

 

 およそ十年前、一人の若者が聖杯戦争に参加した。彼はそこで夢を見る。

 これはその続きの物語である。

 

 魔術師達の最高学府、ロンドンの時計塔は一つの話題で持ち切りだった。誰も彼もが次の聖杯戦争に参加する人間の事で言い合っている。その内容は決まってこうだ。時計塔が誇る二人の講師、交霊科の双璧、天才オーギュストと麒麟児ウェイバー。どちらが聖杯戦争に参加するのか?

 時計塔所属の魔術師、須山円がその話題に特段の興味を示したのは、話題に上っている人物が自分の恩師であるからに他ならなかった。否、ただの恩師では無い。

 彼女は恩師であるウェイバーに特別な感情を抱いていた。

 

「何だ、スヤマか。どうした?」

 

 彼女がノックをして部屋に入ると、ウェイバー・ベルベットは書きかけの書類の手を止めて振り返った。彼女を見る顔は今日も不機嫌そうだ。

 

「ねぇ、先生。今、学内で生徒が何の噂をしているか知ってらっしゃいます?」

 

 ウェイバーの不機嫌そうだった眦が更に上がる。

 

「さぁな。生徒がしてる噂なんて僕が知るか」

「時計塔の天才と麒麟児のどちらが聖杯戦争に参加するのか? 皆それを気にしてます」

 

 マドカは言いながら勝手に椅子を出すと腰掛ける。

 

「それは学部長が決める事だ。暇なのか? この間出した課題は済ませたんだろうな?」

「参加出来そうなのですか?」

 

 ウェイバーは憮然として言った。

 

「さぁな。分からん。だが、無理でも行くつもりだ。ああ、これは学部長には言うなよ? コーヒーを飲むなら勝手に飲んでくれ。僕は出てくる。学部長と話があるんだ」

 

 ウェイバーはそう言うとマドカを残して部屋から出て行った。マドカは部屋のコーヒーメイカーを取るとマグカップに注ぐ。勝手に彼女がウェイバーの部屋でコーヒーが飲めるようにと持ち込んだ物だ。籠の中には、他にも幾つかのマグカップがあった。それぞれ別の女生徒の物である。

 むぅ、と腕を組むとマドカは窓の外を見る。ガラスに自分の姿が映っていた。

 黒い髪と真っ白な肌、そして整い過ぎたその容姿の半分は生来の物ではない。マドカの半身は精巧な人形で出来ている。幼い頃、彼女は雪崩に巻き込まれ半身を失った。

 遠い異国から来た人間。片言でしか喋れず、おまけに半身が人形とあっては忌避されるのは当然と言えた。そんな中、唯一彼女に対して他の人間と同じ様に接してくれたウェイバーに彼女が好意を抱くのは至極当然の流れだったと言えよう。

 ウェイバーの机の上を見る。そこには綺麗に梱包された赤い布と一枚の書き掛けの手紙があった。マドカは躊躇する事無く中を見る。そこには他の講師にあてたメッセージが書かれていた。内容は自分が聖杯戦争に参加出来る様協力してくれ、という物だった。

 彼はどうあっても聖杯戦争に参加したいのだろう。

 過去に聖杯戦争を生き抜いた麒麟児か、失敗を知らぬ天才か。生徒はその様に囃し立てているが、実際の所、学内政治に興味を持たなかったウェイバーは厳しい立場だという噂を、マドカは耳にしていた。ウェイバーは生徒からの人気は高いが講師からの人気、取分け学科長連中からの評価は低い。古い血統を重視する連中は彼を毛嫌いしていると聞いた。血統を鼻にかけたオーギュストとは真逆の評価だ。

 何とか彼に協力してあげたかった。しかし、彼女には何も無い。

 およそ十年前、まだ時計塔の生徒だったウェイバー・ベルベットは何のとりえも無い人間だったという。当時の彼を知る年配の講師からマドカはそう聞いた事があった。大した事のない血統の小さな少年。彼は何を血迷ったか自らの師であり、時計塔の代表として聖杯戦争に参加する予定だった講師ロード・エルメロイの聖遺物を盗んで単身聖杯戦争に参加したのだった。

 そこで彼に何があったのか、詳しくはマドカは知らない。ただ、当時のウェイバーとでは比べるべくも無い実力者であったロード・エルメロイはその半ばで命を落とし、彼は聖杯戦争を生き残った。それから彼は数年世界を放浪した後、時計塔に帰ってくる。

 その後のウェイバーの活躍は目覚ましかった。自身の魔術研究、編纂で講師になったかと思えば、アーチボルト家の魔術刻印を持たぬ身でありながら秘伝の月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を修めてロード・エルメロイの魔術研究を纏め上げ、聖杯戦争での失敗により没落したアーチボルト家を再興させてのけたのである。

 昔、彼の部屋で綺麗に飾られている汚い布を見て、マドカは聞いた事がある。その時、彼は不機嫌そうな顔をしただけで何も言わなかった。それがウェイバーが召還したサーヴァント縁の品だったと彼女が知ったのは少し経ってからだった。

 珍しく酒に酔ったウェイバーが教えてくれたのだった。彼が語ったのは聖杯戦争で出会った自らのサーヴァントの事ばかりだった。少し嫉妬した事を思い出す。

 コーヒーに口を付ける。

 マズい。コーヒーは完全に煮立っていて風味も何もなかった。

 マドカは暫く黙り込んでいたが、やがて笑顔になると、メモ帳に手を伸ばした。

 

 その日、部屋に戻ったウェイバーが見つけたメモにはこう記されていた。

 

『先生、私とっても良い方法を考えました。たまたま里帰りで日本に帰った私が、たまたま聖杯戦争に参加する事になって、たまたまサーヴァントを召還した上で、たまたま親日家で日本を訪れた先生にマスター権を譲れば良いんです。

 先生は無理矢理参加すると仰ってましたけど、絶対学科長やオーギュスト先生の邪魔が入るでしょう? 一旦、聖杯戦争が始まってしまえば監視も解けるんじゃないかしら?』

 

「ファック!! あの馬鹿野郎!!」

 

   ##

 

 練成陣を描く手を止めて、マドカは腕を組んだ。

 考えてみれば、ウェイバーと全く同じ事をしているとマドカは思う。彼もこうして師の聖遺物を持ち出して勝手に聖杯戦争に参加したのだ。して見ると、ウェイバー先生が私に文句を言う筋合いは全く無いし、それどころか先生が聖杯戦争に参加する手助けをしている自分に感謝してしかるべきだ。いつもはつれない態度の先生も、今回ばかりは私の気持ちと私が先生にとってどれだけ重要な存在か気付いてくれる事だろう。泣いて喜ぶに違いない。ウェイバーのそんな姿は全く想像出来なかったが気にしない。

 自然と笑みがもれる。

 

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ」

 

 恐れはあった。無謀だと思っている自分もいる。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」

 

 だが気にしない。恋する乙女は無敵なのだ。

 マドカは練成陣を書き終えると、ウェイバーの部屋から勝手に持ち出した赤い布を取り出す。これで目的は成る筈だ。ウェイバーが語る所の最高の英霊は召喚される。マドカは陣の中心に向けて右手を突き出し、呪文を紡ぐ。

 その右手の甲には既に三画の朱色の紋様、令呪が顕現されていた。

 

「抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ!!」

 

 右手に痛みが奔ると同時に、閃光が辺りを満たし、一陣の風が吹く。

 眩んだ眼が徐々に視界を取り戻した先には、果たして、一人の男が立っていた。赤い巻き毛に赤いマントを羽織い、赤銅色の鎧を着込んだ天を突く巨体。その男の発する気迫と恐るべき魔力の余波とが相まって、ある種神懸り的な威圧感を放っている。

 彼女の才能が、否、本能がこれは人間では無いモノだと理解していた。

 男が口を開く。

 

「問おう。貴様が余を招きしマスターか?」

 

 こうして、須山円は聖杯戦争に参戦した。

 

 




作品についてのQA

Qこの設定(その他諸々)は(頭)おかしいんじゃry
A:考えるな感じるんだ

では亀の歩みで出発します。


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騎兵と少女

「問おう。貴様が余を招きしマスターか?」

 

 マドカの眼前に出現した男、ライダーはそう問いかける。赤い巻き毛に赤いマントを羽織い、赤銅色の鎧を着込んだ天を突く巨体。ライダーの発する気迫と恐るべき魔力の余波とが相まって、ある種神懸り的な威圧感を放っている。

 マドカはサーヴァントを召喚した透視の能力を使うまでもなく、自らが目当ての英霊を召喚せしめた事を確信する。その威風は正に伝え聞いた通りだ。彼女は感動で言葉が出なかった。

 大英雄、『征服王イスカンダル』。

 彼は齢二十歳にしてマケドニアの王位を継ぐや否や古代ギリシアを統率してペルシアへの侵攻に踏み切り、以降エジプト、西インドまでをも席巻する東方遠征の偉業をわずか十年足らずで成し遂げた大英雄である。その偉業から逸話、影響も広範に存在し、イスラム教においては預言者、ヒンドゥー教においては軍神としての霊格を持つ。

 こくこくと頷くマドカに、ライダーは小首を傾げ微笑を向ける。

 

「ふむ、感動で言葉も出ぬか。まぁ、この征服王の威風を目の当たりにすれば、それも仕方のない事であろう」

 

 ライダーは辺りをぐるりと見回すと、夜風を肺へと一杯に押し込み、目を瞑る。そうして、暫く振りの肉体を一頻り楽しむと、マドカへと視線を向ける。

 

「さて、娘よ。早速だが、書庫に案内してもらおうか」

「書庫? ああ、イリアスね?」

 

 マドカの持っている鞄には分厚いハードカバーの装飾の一冊、ホメロスの詩集が入っている。彼女はそれを取り出すとライダーへと渡した。

 彼らがいる場所は九条北東の山間部の麓にある雑木林の中の空き地だ。魔力溜まりとなっているそこでマドカはサーヴァントの召喚を試みた。彼女は以前のウェイバーに倣って近くの民家に押入り……、いや、潜伏している。彼女は召喚に必要な道具に触媒、そして、召喚した後の為にホメロスの詩集を用意していたのだった。

 

「ふむ、随分と用意が良いではないか。どうやら、余を召喚すべくして、召喚した様だが。一つ聞いておく事がある」

 

 ライダーはその大きな手でマドカから詩集を摘み上げると、視線を険しくする。

 

「娘、お前は聖杯を――」

「そんな事より、ライダー。貴方、前回こちらに召喚された時の記憶はあるの!?」

 

 びっ、とライダーに人差し指を突きつけ、マドカが問う。ライダーは鼻白み、

 

「いや、今、大事な――」

「ええ、大事な事よ。ライダー、答えなさい!!」

「いや、だからな……」

 

 退く様子の無いマドカの剣幕に、ライダーは手の甲を頭にぐりぐりと押し当てる。

 

「えーい、まぁ、良いわい。前回冬木で行われた聖杯戦争の記憶なら持っておるが、それがどうした?」

 

 その瞬間、マドカの顔にぱっと満面の笑みが浮かんだ。

 

「やった!! ありがとう、ライダー!! 最高の結果だわ!!」

 

 言うが早いか、ライダーに抱きつくマドカ。話の通じぬマスターとはいえ振り払うわけにもいかず、ライダーは空を見上げて、頭を掻いた。前回の聖杯戦争と聞いて、彼が思い出すのは以前の聖杯戦争でのマスターとの出会い。

 あの小僧は、最初余に会った時、腰を抜かしていたっけか、と彼は空を見上げて懐かしむのだった。

 

 本来、彼等聖杯に招かれた英霊に前回の聖杯戦争の記憶という物は存在しない。しかし、そんな事は露知らぬマドカは、その異常に、その意味する処に、気付く事は無かったのである。

 

 

  #####

 

 

「ほぉ、ではあの坊主が今や教鞭を取っておるのか」

「ええ、時計塔のウェイバー・ベルベットと言えば結構な有名人なんだから」

 

 事情を説明し終えたマドカは我が事の様に無い胸を張って言う。

 

「そうか。ふむ、そうか。アイツがなぁ」

 

 ライダーは思い出に浸る様に空を見て微笑みを浮かべる。その表情はマドカの胸をチクリと刺した。彼等の間のある種の信頼関係が垣間見えたからだ。サーヴァントとマスターという令呪による主従関係を超えた信頼。彼は自分の知らないウェイバーを知っていて、私は知らない。

 彼等と自分との間に存在する超えられない隔たり。

 思い浮かんだそうしたモヤモヤを吹き飛ばすべく、マドカはライダーを指差し吠える。

 

「ライダー!! 貴方の力を見せなさい!!」

「何だ、藪から棒に」

「さっき話したでしょ。私はウェイバー先生が来るまで絶対に負けられないの。だから、貴方の強さを見せて頂戴!!」

「余の力が見たい、か。成る程、確かに師弟。似た様な事を言いよるわ」

 

 ライダーはそう言うと不敵に笑う。途端、その存在感が数倍に増した様にマドカには感じられた。先程までの砕けた態度とは打って変わって剣呑な空気を纏ったライダーは、その巨体が数倍に膨れ上がった様に見える。

 ライダーが矢庭に腰の宝剣を抜き放ち、虚空を見据えた。

 その気迫、その威風にマドカは息を呑んで立ち尽くす。これが英霊。人智を超えし者。完全に圧倒されながらも、その一挙一動に惹き付けられ目が離せない。

 

「征服王イスカンダルがこの一斬に覇権を問う!!」

 

 ライダーが虚空に吼える。次の踏み込みでアスファルトが砕け、まるで落雷の様な轟音と振動が辺りを揺るがす。彼は虚空を切った。その刃が虚空を、月夜に浮かぶ中天を切り裂いた。

 マドカは言葉を失った。

 天を見よ。ライダーによって割れた空がぱっくりと口を開けて裏返り、そこから途方も無く強壮なモノが出現する、その様を。

 マドカは理屈でなく本能で理解する。

 まだ彼女が英霊というモノを侮っていたという事を。

 

「こうやって轅の綱を切り落とし、余はこれを手に入れた」

 

 空中から現れたそれは唸り声を上げると、蹄と雷鳴を中空に刻みながらライダーの隣へと駆け下る。超常の魔力を迸らせるそれは、二頭の神牛が牽く戦車であった。

 宝具――逸話、象徴が形となった彼等英霊各々が隠し持つ切り札。ライダーの見せた宝具は正に、騎乗兵の英霊と呼ぶに相応しい物だった。

 

「ゴルディアス王がゼウス神に捧げた供物でな。見ての通り空中すらも走破出来る代物よ」

 

 ライダーはそう嘯くと、雄牛の首筋に腕を回して撫でてやる。その顔に浮かんだ誇らしげな笑みは、彼が絶大な信頼を寄せてそれを愛用してきたことの証であろう。

 

「前回の聖杯戦争では、坊主とこれに乗って連夜空を駆けたものだ」

 

 マドカはそれを聞いて、ライダーと共に戦場を駆ける勇ましき姿のウェイバーを幻視する。恐るべき敵サーヴァントを雄々しく見据え、時にライダーに指示を出し、時にその魔術、月霊髄液を操りライダーの背中を護る。と、そこまで想像したマドカの幻想を、続くライダーの言葉がぶち殺した。

 

「最初に乗った時だったか、坊主は泡を噴いて気絶しとったなぁ」

 

 いや……確かに、先生が運動している所は見た事が無いし、唯一の趣味はゲームだし、そもそも彼は研究者肌の講師だから仕方ないのかも知れないんだけども、とマドカは額に指を当てて一頻り考えてから、ライダーを指差す。

 

「良いわ、ライダー。私も乗せて頂戴!!」

 

 ライダーは豪快に笑うと、戦車に乗り込み、マドカへと片手を差し出した。

 

「成る程、女だてらに勇壮なその気風、誠に重畳。この征服王のマスターたる者、そうでなくてはならん」

 

 マドカは少ししてから差し出された手の意味を悟り、その大きな手を取った。ライダーはマドカの身体を軽々と車上へと引き上げると、雄牛の手綱を握る。

 

「では征くぞ。先ずは、一帯の地理を把握する所からだ」

 

 ライダーが手綱を一打ち揺らすと同時に、二頭の神牛は唸りを上げて走り出す。蹄が稲光を生んで空気を踏締め、戦車は次第に速度を上げて空中へと駆け上がる。見る間に森の木々が遥か眼下に過ぎ去り、彼方には九条繁華街の夜の煌きが浮かび上がる。

 

「凄い凄い!!」

 

 はしゃぐマドカにライダーは笑みを返し、遥か先に見える街明りへと目を向ける。

 

「彼方にこそ栄えあれ。しっかり掴まっておれ」

 

 戦車は速度を上げて空を行く。マドカは強くライダーの外套を握り締め、その疾走していく眼下の景色に魅入っていた。これがウェイバー先生の見た景色なのだ。その感動に打ち震えながら、マドカは遥か彼方に煌く街の明りを見詰めた。

 この街に敵はいる。あの明りの下に、いずれ劣らぬ英霊を従えた強力な魔術師達が潜んでいるのだ。恐らく、あの天才オーギュストもいるのだろう。

 しかし、彼女に不安は無かった。隣に立って手綱を握るこの強壮な英霊の存在故だ。彼ならば再びウェイバーを護ってくれるに違いなかった。そう信じる事が出来た。

 

「ライダー、勝つわよ!!」

「フン、当然であろう!!」

 

 マドカは一層強くライダーの外套を握り締めた。

 




良く考えたらライダーが主人公で、ウェイバーはヒロインだよね。


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戦士ふたり

二人目と三人目




 九条の都市部中心から北西、小高い丘の上には教会があって、街を一望出来る様になっている。

男が教会に現れた時には既に日は落ちて辺りは夕闇に包まれていた。異様な男だった。和服を着流し、草履を履いた長身の男。袖から覗く変形した指先と、服の上からでも分厚い筋肉の鎧、そして何よりその腰に差した日本刀と、ボサボサに伸びた前髪の間から見え隠れする射る様な眼光。

 現代日本という時代には些か不似合いな存在である。

 男は教会の木戸を押し開けると、首を二三度巡らせる。そして、目的の人物を見つけ破顔した。教会最前列の椅子に座り、聖書を捲っていた神父に彼は声を掛けた。

 

「あー、すまん。ここに、代行者なるものが来ていると聞いた」

 

 神父が振り返る。その首に――

 

「お前だな?」

 

 抜き打ち一閃。親指で鍔を弾いたと見えた刹那、男の全身が回転し、腕は倍速で以って反転する。翻った白刃が神父の首へと真っ直ぐに迫る。瞬きの間に、刃は神父の首を飛ばすだろう。しかし、金属を打ち鳴らす音が響き――神父の声が静まり返った教会へと響いた。

 

「いきなり、何をする?」

 

 神父の袖口から滑り出た黒刃が男の放った斬撃を受け止めていたのである。

 必殺の一撃を苦も無く受け止めた神父の驚嘆すべき技量に、しかし、男は愉悦の笑みを溢した。

 

「無作法、相済まぬ。金剛地武丸と言うもんだ。武芸者をやってる。ここに代行者なる恐るべき人間がいると聞いてな。是非、立ち合ってもらいたい」

 

 男、武丸の言葉に、神父は首を振る。

 

「悪いが、ここには任務で来ている。応える義理はない。お引取り願おう」

 

 神父はそう言って、切っ先を払い立ち上がる。

 否、立ち上がろうとした。

 途端、神父の顔に驚愕の色が浮かぶ。男が涼しげな顔で、そして、恐るべき怪力を切っ先に込めているせいで全く身体が動かぬのだ。

 代行者。聖堂教会が誇る戦闘集団。異端討伐の殺人部隊。幾年の訓練と戦闘と神の奇跡の果てに人を超えた超常の戦闘鬼。その自負が、自分が力で押されている、という事実が神父に驚愕を齎した。

 

「武人とは不便な物だな。いざという時、我が身を助けるのは磨いた武芸に他ならん」

 

 武丸の足が翻る。回し蹴りが神父の胸板を蹴り抜く。衝撃で神父は椅子の背をへし折り、後列の座席をなぎ倒して転がる。と、武丸の眼前に座席が舞った。同時に、それを貫き黒刃が迫る。

 黒鍵、と呼ばれる刃渡り一メートル程の投擲武器だ。先の武丸の一撃を防いでのけたのもこれである。武丸は一本目の腹を手の甲で逸らし、地面にべたりと伏せた。その頭上を、二、三、と黒鍵が飛来して、背後の壁面へと突き立っていく。

 

「ほうっ」

 

 喇叭の様なそれは呼吸音だった。武丸が肺に溜めた空気を口腔に仕込んだ針を乗せて吐き出したのだ。飛来する針を避けるべく、座席の合間から神父が転がり出る。

 その隙に、そのタイミングに、武丸は合わせて跳んだ。伏せた身体を逸らし飛び掛るそれは肉食獣のそれである。否、魔術によって強化された彼の速さはその何倍か。

 その瞬間である。武丸の腕に熱が奔った。彼がそちらに目を切る。

 そこで勝負は付いた。神父が先程まで読んでいた聖書が傍らで開いたと見えると、恐るべき勢いで中空にページをばら撒き始めたのである。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 武丸は吠えながら聖書で埋まった視界で刃を振った。刃は空を切り、その伸び切った腕に、神父の指が絡み付く。一瞬で間節を極めた神父は背後を取ると武丸の首に膝を落とし、その顔から地面へと落とす。彼等は飛び掛った速度のまま地面へと着地した。

 

「くっ、糞、何をしたッ!?」

 

 砕けた鼻から滴る血を迸らせながら叫ぶ武丸の腕を逆に捩じ上げながら、神父は膝に力を入れる。神父は黙し、その腕を一度振ると袖口から黒鍵の柄が滑り出た。柄だけだ。それが抜き放たれると同時に刀身を煌かせる。魔力によって刀身を顕現させる暗器。これこそが先程の攻防において神父が惜しげもなく黒鍵を放てた理由である。

 武丸が自由な方の手で小刀を抜き、最期の抵抗を行おうとした時――

 

「そこまでだ!!双方武器を収めよッ!!」

 

 礼拝堂の奥から声が響いた。

 二人の間に割って入ったのは一人の老神父だった。神父は納得がいかぬ調子で言う。

 

「しかし、ですね。こいつは……」

「ならぬ。その手の令呪を見てみよ。そいつは此度の参加者に他ならん。ならば、聖杯戦争が開始する前に、戦い、まして、殺すことはまかりならん」

 

 彼等は暫し睨み合っていたがやがて神父が折れた。彼は黒鍵を収め、武丸を解放する。

 

「一体何だってんだッ?」

 

 怪訝な顔をする武丸に神父が言った。

 

「私の名はサヴィオ。元代行者にして今回の聖杯戦争の元監督役」

「何故殺さない?」

 

 解放され、起き上がった武丸が怪訝そうな顔で問うた。

 

「今はまだ戦う時ではないそうだ。少なくとも、七人の魔術師が揃うまでは」

 

 これも奇縁とでも言うべきか。彼等の手の甲には、互いに三画の朱色の紋様があった。静かに神父、サヴィオは続ける。

 

「今の私は聖杯戦争参加者だ。君もね。心配せずとも、直ぐに戦う事になるだろう。その時こそ、その首を刎ねてやる」

 

 

 

 その後、武丸は教会の奥から出てきた聖杯戦争の監督役だという老神父の口から信じ難い事を耳にする。曰く、この九条の街が聖杯戦争なる闘争儀式の場に選ばれ、偶然ここに来た武丸はそれに巻き込まれたと言うのだ。

 否、聖杯戦争の監督役をやる為に代行者であるサヴィオが来日し、彼と死合う為に武丸はここ九条を訪れた。だとすればこれは必然だ。否、それどころか幸運であったと言える。あの恐るべき代行者を含めた六人もの超常の魔術師と戦えるのだから。そして、何より、英霊の存在。

 武道の極みを求めて魔道の家と袂を分かった己にとって、英霊とは生涯を賭けて至るべき先だ。生涯を賭した求道の果てだ。

 彼等を見たい。そして、適うなら剣を交えたい。

 話を聞いた後、夜風に吹かれていても武丸の中には熱があった。

 そして、更に好都合な事に彼は目当ての英霊を呼び出す触媒となる物を持っていた。腰に差した日本刀、家を出るときに失敬したとある英霊縁の宝剣である。

 出来過ぎている。何者か、この絵を描いた者の存在を武丸は感じずにはいられなかった。そして、それに感謝せずにはいられなかった。

 彼は街外れの廃墟を仮宿と定めると、教会にて受け取った書物を片手にすぐさま儀式の準備に取り掛かった。

 

「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者」

 

 うろついていた野犬の血で書上げた練成陣の中心で、老神父に教えてもらった呪文を武丸は読み上げる。

 

「抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ!!」

 

 右手に痛みが奔ると同時に、閃光が辺りを満たし、魔力の本流が一陣の風となって辺りを薙ぐ。閃光に眩んだ目でも十分に、武丸には眼前にいる存在の恐るべき魔力と存在感を感じ取る事が出来た。手が震える。怖れか、武者震いか、武丸にも分からなかった。

 宝剣を触媒とした以上、確実にかの退魔の大英雄を呼び寄せたはずである。

 しかし、果たして白んだ視界に映ったのは、小柄な少女であった。

 武丸が伝え聞いた武勇から想像した勇壮な姿とは似ても似つかぬ少女だ。華奢で小柄な身体に艶やかな黒髪。白と赤の祭服の腰にはいかにも不似合いな大振りの鉈を差していた。若々しい黒瞳と白い素肌、その頬だけが今は赤い。年の頃は十四、五といった所だろうか。

 そして、何よりも目を引いたのは頭に付けた禍々しき魔力を帯びた朱色の鬼面と――

 

「さ、酒くっせぇ」

 

 辺り一面に漂う酒気の大本、その手に持った瓢箪である。

 あまりの酒気に武丸は思わず呻いた。

 

「問うわ。アンタが私を招いたマスター?」

 

 少女は問いかける。その口が動く度に酒気を纏った甘ったるい息が武丸の鼻腔を擽り、それが彼の怒りを誘った。正にフランベ状態だ。

 

「あ、ああ、そうだが。何で酒を、いや、そんな事より、何故だ!? 俺は確かに、かのライコウを呼んだ筈なのだ!! 英霊縁の品、触媒とやらがあれば、その英霊を呼べるのでは無かったのか!?何故、お前の様な女子供が――」

 

 言葉の途中で武丸は一歩飛び退く。少女の放った殺気、その視線に混じった冷たい物に彼の本能が警鐘を鳴らしたのである。少女は紛れも無く、人知を超えた存在、英霊なのだ。

 

「アンタ、何も知らないみたいね。まぁ、そうでもなきゃ、アタシみたいなバーサーカーを呼び出す筈がないか」

 

 少女はそう言うと、武丸をねめつける。理性持つ狂戦士。この矛盾に、しかし、主である武丸は気付かない。勿論、彼はサーヴァントのマスターに成った事でそのステータスを読み取る透視能力を得ている。しかし、彼が読み取ったのは少女の顕現したクラスがバーサーカーであると言う程度だ。

 

「先の殺気、お前化生の類か?」

 

 そう言った武丸の眼前に刃が迫った。

 

「なッ!?」

 

 咄嗟にしゃがんだ武丸の頭上を旋回した鉈が通り過ぎ、コンクリートの壁に突き刺さる。見れば刀身の半分程が壁中に埋まっていた。それに冷や汗を流していたのも束の間に、武丸の視界が急降下し、側頭部に鈍い痛みを覚えると同時に止まる。

 少女が自分より遥かに大きな武丸の頭を掴み、床に叩き付けたのだ。

 

「二度とそう呼ぶな。次は無いわよ」

 

 憤怒の形相で少女は怒気を辺りに撒き散らす。が、武丸がその顔を見る事は適わなかった。彼が手首を掴み、どれ程力を振り絞っても、彼の頭を掴んだ小さな腕が微動だにしないのだ。そして、床のみを映していた視界が今度は急浮上し、回転する。

 背中に鈍い衝撃と激痛が奔るに至ってようやく、武丸は少女に壁に向ってぶん投げられたのだと悟った。二メートル近い武丸の巨体を、軽々と宙に放った腕は、しかし、歳相応の少女の物である。武丸は起き上がるでもなくまじまじとその細腕を眺めていたが、怒りと後悔の混じった瞳で彼の手、令呪を見つめる少女の表情を見るに至って、笑い出した。

 

「く、くくっ、はははッ!! どう見ても歳相応の女児にしか見えんが、ハハッ、そんな顔をするな」

 

 武丸はのそりと起き上がると、少女に向って頭を下げる。

 

「ふむ、済まなかったな。許せ。お前が何であれ、戦の相棒である事に変わりはないからな。気に障ると言うなら二度と言わん。それに、腕の方に不足は無さそうだ」

 

 そう言って、武丸は顔を上げると豪快に笑い飛ばした。ステータス等より、自ら体験した少女の膂力の方が彼にとっては分かり易かったのである。そして、何より、怪物じみた力を持つこの少女が自分の顔色を窺う姿など彼は見たく無かった。少女はそんな自らの主の態度にどう対応すべきか暫し思案していたが、やがて大きく酒を煽った。

 

「あー、やめやめ。怒ってるの馬鹿らしくなっちゃったじゃない」

 

 少女は頭の鬼面を押さえると、真面目な調子に戻って言う。

 

「それじゃ、アタシのクラス特性と宝具の説明するから良く聞いときなさい」

「あー、待て待て」

 

 武丸は少女の言葉を片手を上げて制す。

 

「その前に、一杯やろう。俺も呑む。主従の、いや、戦友の誓いって奴だ。これから俺の背中を頼む、バーサーカー」

 

 そう言って彼は笑った。

 

 

 #####

 

 

「何故、彼に嘘の呪文を教えたのです?」

 

 教会の代行者、サヴィオは老神父に問うた。

 夜半、暗い礼拝堂の中で、サヴィオと老神父、彼等は向かい合って座っている。

 

「嘘ではない。現にサーヴァントの召喚は成った筈だ」

「ですが、アレはバーサーカーを召喚するものだ」

「ふむ、猪武者には御しきれまいな」

 

 老神父は何でもない事の様に言った。

 

「ワシとて、弟子は可愛いのだ。出来ればお前に勝ち残って欲しいのだよ。しかし、文句を言われる筋合いでもあるまい。殺されそうであった奴を助け、召喚の手筈まで教えてやったのだ。審判役として、恥じる所はなかろう?」

 

 そう言って笑った老神父に、サヴィオは薄く微笑む。

 

「私は勝ち残れるでしょうか?」

「代行者ともあろうものが、何を弱気な」

 

 老神父は頭を振って嘆くと、力強い言葉で言った。

 

「願いを思い出すのだ。サヴィオ。ならば、お前が揺らぐ事などありはせん。さすれば私利私欲で戦う軟弱な魔術師共に、お前が負ける道理は無い」

「ふむ、そうか。そうですね。ああ、そうだ。ありがとうございます」

「礼などいらんわ。お前はお前の願いの為に戦うのだ」

「はい、そして出来ればこれが最後の戦いにならんことを」

 

 サヴィオは目を閉じ、再び老神父に問うた。

 

「こう考え戦いに臨む私は、やはり出来損ないなのでしょうか?」

「代行者としてはそうかも知れぬ。お前は結局心を殺し切れなかった。お前が他の代行者共に低く見られておったのは知っておる」

「刃を向けられなければ殺せない。正義でなければ戦えない。望んで手を汚しておきながら、私はまだ綺麗なままでいようとしているのです」

 

 サヴィオは自らの手を開き、握る。

 

「願いとて、そうだ。私は弱い人間です。この世界が救われる事で、詰まる所、私は私を救いたいのだ」

「ふむ、ワシはお前の甘さは嫌いではない。それにな、世界を救う聖人とは、かような男ではあるまいか、と思っているのだ。福音と救済を、お前自身の手で掴み取るのだ。お前の願いは必ず成し遂げられるであろう」

 

 サヴィオは老神父に礼を言う。最早、迷いは無かった。彼は聖水と聖塩で描いた練成陣へと向き直ると、懐から触媒を取り出す。それはただの石だった。千年以上もの時を風雨に曝され続け、なお魔力を帯びている、というだけのブロック状の石灰岩である。

 

「かの英霊を呼び寄せる事に成功すれば、お前の勝利は揺ぎ無いものとなろう」

 

 老神父の言葉にサヴィオは頷く。

 

「閉じよ。閉じよ。閉じよ――」

 

 呪文を紡ぐに随って、令呪が熱を持っていく。令呪が熱を持つに随って、彼の心は冷えていく。代行者であった時の、苛烈なる感覚が戻っていく。福音と救済が鉄の信仰へと変わり、彼は冷徹な殺戮機械へと戻っていく。

 

「抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ!!」

 

 サヴィオの右手に痛みが奔る。それと同時に、閃光と魔力の本流が辺りに迸る。閃光に眩んだ目がやがて視界を取り戻し、その中心たる練成陣の中心には漆黒の男が立っていた。

 黒衣のローブに腰まで届く艶やかな黒髪、闇の奥で銀の目だけが輝いている。 

 

「問おう。貴方が私のマスターか?」

 

 そう問う男に、自らのサーヴァントに、サヴィオは膝を付いて頭を下げる。

 

「その通りです。偉大なる預言者よ」

 

 彼は自らの勝利を確信し、笑みを深めた。

 

 




登場人物紹介は出揃ってから


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英雄王

4人目


 時計塔の天才講師、オーギュスト・エーカーにとっての日本という未知の国は、驚きの連続だった。当初抱いていた印象としては、極東のバナナ園、さもなくば猿の国、と言った程度であったが、西九条国際空港から中心街へ向う電車でラッシュに巻き込まれてからはその印象を若干修正せざるを得なくなった。

 スーツに身を包んだ人間が、互いに会話を交わすでもなく無く詰めるだけ詰め込まれ、電車に揺られていく。更に信じ難い事には、あの糞狭い空間にすし詰めになりながらも、彼等のその手には各々新聞、本に情報端末、音楽機器が握られているという事だ。

 成る程、企業戦士、とはこういう物か。

 彼等は途上国の人間ではなく、文化を持つマシーンなのだ、とオーギュストは思った。つまり、魔術、神秘ひいては自分とは相性が悪い。彼はコーヒーを飲みながら、優雅に新聞を折り畳む。

 それは奇妙な光景だった。ラッシュ時のすし詰め状態の車両でありながら、オーギュストを中心に2メートル程の空間には誰一人立っておらず、周囲の人間の誰一人として、その事を気にも留めぬのである。彼等はその空間が空いた分だけ、身動き一つ出来ぬ程に身を寄せ合って立っている。彼にとって存在しないのは、周囲の乗客だけではない。彼の手にしたコーヒーカップの液面は全く波打つ事も無く凪いでいる。列車の加減速、カーブで掛かる遠心力はおろか、振動すらもまるで影響を受ける事無く、彼は優雅に座っている。

 オーギュストは中心街に到着すると、予約を入れておいた駅前のロイヤルホテルにチェックインする。もう少し、この国の街並みを見て回りたかったが、我慢せざるを得ない。彼は十階建てのロイヤルホテルの上階、七階より上を借切った上で、最上階のスイートルームに宿泊している。

 オーギュストはここを聖杯戦争における自らの拠点とするつもりだった。

 戦闘に耐えうるだけの準備、すなわち拠点の工房化とサーヴァントの召喚こそは急務である。彼は数日掛かりでホテルの七階より上を自らの工房と化した上で、満月の夜を待って、英霊召喚の儀式に取り掛かった。

 既に彼は至高の英霊を呼び寄せる為の触媒も用意してあった。

 血と土で描いた練成陣の中心に一枚の粘土版を置く。アッカド文字と鎧を纏った戦士の絵が描かれたそれは神代の一品だった。この触媒は必ずや彼の前に目当ての英霊を導くだろう。

 全てにおいて、抜かりは無い。

 

「繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する」

 

 オーギュスト・エーカーの人生は勝利と栄光の中にあった。家は八代を重ねる名門魔術の家系。中でも彼は突出した傑物と呼ばれた。皆は彼を天才と呼び、祝福した。彼はそれに応え続けた。

 天才。そう呼ばれ、そう望まれて、そう生きた。

 後継者の座を決める為、才ある兄弟親類を皆殺しにした時、彼はこの世界の有り様と、自らの天稟を底抜けに理解した。魔術刻印を受け継ぐべく、祖父から両親まで皆殺しにしたのはその四年後の事だった。

 

「告げる。汝の身は我が下に」

 

 彼は触媒となる粘土板を今一度見る。

 神の後継。百識王アッシールバニパル。アッシリアの偉大な征服者にして、この世全ての書物、知識を我が物とした賢王。触媒とは彼の残した粘土板であった。彼をサーヴァントとして呼び出したならば、至高のキャスターと言わざるをえまい。かの英霊を使役し、その知恵、知識を得て、自らを完成に至らしめる。

 更なる英知を、更なる魔道の深淵を。

 自分という器に、彼は注ぎ続ける。器がいつか満つるまで。

 子供が積み上げた砂の城にいつか壊れるのを期待する無邪気さで。

 彼は魔術師であり続ける。

 オーギュストにとってはサーヴァントさえも自らを彩る装飾品でしかない。

 

「抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ!!」

 

 オーギュストの右手に痛みが奔る。それと同時に、閃光と魔力の本流が辺りに迸る。閃光に眩んだ目がやがて視界を取り戻し、果たしてその中心にいたのは、閃光よりも猶目映い、金色の英霊だった。

 金紗の髪と荘厳たる神の鍛えし黄金の甲冑。男はどこまでも厚顔不遜に立っており、その血色の瞳だけが妖しげな光りを帯びて浮いている。男が問うた。試す様に。

 

「問おう。貴様が我のマスターか?」

「ああ、その通りだ。キャスター」

 

 オーギュストは自らの勝利を確信する。眼前に現れた英霊の放つ存在感。この圧倒的王気は正に王の中の王。世界はまたしても自分を裏切らなかった。と、悦に入っていたオーギュストに黄金の英霊の一喝が水を差す。

 

「たわけ、この我が、何故、魔術師等と名乗らねばならん」

「何故? 名高き百識王が据えられるとすればキャスター以外に……」

 

 言葉の途中でオーギュストは眼前の英霊が違う事に気付く。聖杯によって与えられたサーヴァントに対する透視のスキルによって、自らのサーヴァントのクラスと魔力のステータスが分かったからだ。

 

「アーチャー、だと?」

「ふん、この我とその様な雑種を同一視するなど、怒りを通り越して憐憫を禁じえんが、貴様、この王を呼び出しておきながら、その不敬どう詫びるつもりだ?」

 

 金色の英霊、アーチャーの殺気が一帯に満ちる。それは返答を誤れば、絶対の死が待つと確信させるに十分な圧威を湛えていたが――

 

「くっ、ははあはははっはははははははは」

 

 オーギュストは笑い出した。

 眼前の英霊がどれ程とてつもない存在か悟ったからだ。なんと何処まで世界は私を甘やかせば気が済むのだ。成る程、計画は大いに狂った、と彼は思った。何をするでもなく、あの英霊は勝ち続けるだろう。マスターは茶でも飲んでいれば良い、というわけだ。

 

「この我に応える舌も持たぬか。ならば生きる価値も無い」

 

 アーチャーが鼻を鳴らし、目を瞑る。再びその瞳を開いた時に映るのは、羽虫を払う時のそれだ。詰まる所、オーギュストは全くこの英霊のお眼鏡に適わなかったらしい。

 アーチャーが片腕を持ち上げる。途端、その背後の空間が歪み、一振りの刃が顔を覗かせる。その美しさとそれに込められた圧倒的な魔力の気配。紛れも無く、この英霊の切り札、宝具に違いあるまい。その切っ先が主であるはずの、オーギュストに向いている。

 オーギュストは黙ってそれを眺めていた。彼は眼前の自らを殺そうとするサーヴァントに見惚れていた。次の瞬間、彼の身体が肉片となっていても不思議ではない状況で、彼の中で起き上がった感情は恐怖では無く感動だった。

 

「…………」

 

 オーギュストが虚空に何事か呟く、と同時に、アーチャーの背後、彼の顕現させた刃が爆発した。反応する間があったかどうか、爆炎はアーチャーを包み込み、果たしてその頬を撫で、髪を靡かせただけに終わる。避ける必要すらも無い。アーチャーが備える対魔力スキルであった。

 

「下らん。せめて散り様で我を興じさせよ」

 

 言葉と共に、先の爆発で舞い上がった煙幕を切り裂いて、アーチャーの背後から刃が飛ぶ。

 音は無い。超音速で飛来したそれはオーギュストの左半身をこの世から消し飛ばし、背後の壁に大穴を開けて虚空に消える。正に彗星の如き一撃である。千切れたオーギュストの首が床に転がり、半身を失った身体がゆっくりと倒れた。オーギュストが天才であれば、相手は英霊、天災の如き物。勝ち目などあろうはずもない。

 

「令呪は使わなかったか。ふん、無駄な時間を過ごした」

 

 そうごちた、アーチャーの耳に有り得ぬ声が響く。

 

「ええ、必要ありませんでしたので。私の散り様はお気に召して頂けませんでしたか?」

 

 首だけになったオーギュストが笑い、同時に部屋の扉を開けてオーギュストが入ってくる。ふと見れば、先程アーチャーが壁面に開けた大穴も今は無い。部屋の真ん中に横たわるオーギュストの死体以外、オーギュスト本人ですらが全てが元通りになっている。

 

「しかし、目立つ真似はやめて頂きたい。ここが異界化した我が工房で無ければ今頃は大騒ぎとなっていたでしょう」

 

 オーギュストは言いながら、自らの生首を持ち上げる。と、それはぼろと崩れ、ただの土塊へと戻り、彼の右手と混ざって消えた。これこそが時計塔交霊科屈指の泥人形使い、天才オーギュストの魔術である。

 

「ふん、三文役者め。王の裁定を受け入れぬ不届き者が、よくまた我の前に顔を出せたものだな?」

「ええ、私は貴方のマスターですから」

 

 二人の間をしばし不穏な静寂が包み、ドアのベルが鳴った。

 オーギュストが出ると、ドアの前に立っていた支配人は慌てた風な声で、

 

「すいません、お客様。何かありましたでしょうか?先程――」

「ああ、丁度良かった。シャンパンとグラスを二人分用意してくれ」

 

 そう言って、オーギュストは笑いながら相手の目を覗き込んだ。すると、次第に支配人である男の目が虚ろになってくる。オーギュストはもう一度繰り返した。

 

「何も問題は無かった。君はシャンパンとグラスを用意する。良いね?」

 

 支配人は頷くと、ふらつく足取りで去っていく。オーギュストはそれを確認するとアーチャーの方へと振り返った。

 

「お気に召して頂けるかは分かりませんが、まぁ、飲みましょう。最古の英雄王の顕現と、このオーギュスト・エーカーの勝利を祝してね」

 

 




英雄王ファンの方には先に謝っておきます。


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誕生回帰

5人目



 その夜、僕は生まれた。

 子宮の中、羊水の海の中に意識だけがある。ここに天は無く地はない。赤子の様に丸まっている僕は生命の脈動の中で生まれる事を待っている。母体の子宮の中は次第に熱を失って、フラスコへと戻る。僕は子宮から押し出され、その生を得る。

 人は生まれる時泣くと言うが、僕は泣かなかった。僕は人間ではない。

 排水音と共に、水槽から真っ赤な溶液が抜けていく。まだ目は見えない。初めて重力に曝された僕は、自然と溶液の浮力が残っている内に身体を伸ばして立ち上がる。

 僕が始めて見た景色は、薄暗いガラス張りの部屋だった。否、水槽の中で目覚めた僕は、ガラス越しに薄暗い部屋を見ているのだ。そこは石牢に似ていて、僕が生まれた水槽以外には何も無かった。水槽のガラスに手を付く、水槽は簡単に割れ、僕は石牢の中に出る。

 意識はまだ朦朧としていたが、どこか行かなくてはならない事は理解していた。

 

「あ、ああ、う、あ」

 

 喉に触れる。声はまだ出ない。

 不意に、石牢に光りが差し込む。目の前の扉が開いたのだ。石造りの扉はゆっくりと持ち上がり、石牢の中へと闖入者が入ってくる。

 一匹の獅子だった。彼も腹が減っているのだろう。唸り声を上げて、こちらへとにじり寄って来る。推定体重は四百キロ程だろうか。僕も腹が減っていた。

 あれだけあれば足りそうだ。

 

 

 錬金術の名門ラドクリフ家に東洋の魔術師から、聖杯の器を造れというふざけた依頼が来たのは数十年前の事になる。元は数代前の当主同士が因縁浅からぬ仲だったと言う。その話を持ち込んだ東洋の魔術師こそ間桐家当主、間桐臓硯である。

 間桐とは元々アインツベルン、遠坂と組んで冬木の地で聖杯戦争という儀式を創り上げた始まりの御三家の一角である。本来であれば外来のラドクリフ家になど話を持ってくる理由は無い。儀式の大本、聖杯の器は錬金術に秀でたアインツベルンが、英霊との契約を間桐が、場を冬木の管理者である遠坂がそれぞれ提供し合う事で聖杯戦争は執り行われている。

 間桐としては外来の魔術師に家の秘奥を晒すリスクを犯して、儀式に噛ませる必要は無い。まして、それが聖杯戦争が始まれば敵となるとなれば尚更だ。

 そんなラドクリフ家前当主の疑問を嘲笑うかの様に、間桐臓硯は言ったという。

 

「次なる御三家、次なる聖杯戦争を行おうと思う」

 

 既に彼には冬木の土地に拘る理由は無くなっていた。繰り返された冬木の聖杯戦争。その四回目において聖杯の破片を手にした彼は儀式を執り行うに必要な情報を殆どその手にしていた。また、彼には保険を掛けておく必要があった。

 第三回の聖杯戦争に召喚されたアンリマユによる聖杯の侵食の影響である。

 そして、何より、間桐臓硯の不死性こそが理由だった。既に五百年の時を生きた間桐の怪物はその不死と盲執でもって残りの御三家を出し抜き、聖杯を掴もうと、否掴むまで聖杯戦争という恐るべき闘争儀式を繰り返そうとしていたのである。

 その協力者として、間桐臓硯の目に止まったのが、錬金術の名門ラドクリフと九条の管理者御形であった。アインツベルンと遠坂の代わりとなる者である。

 

 

 ラドクリフ家現当主、ノイマン・B・ラドクリフは聖杯戦争に参加するに当たって、悩んだ末に四体のホムンクルスを創造する事にした。元々荒事に向かぬ魔術と素養のノイマンが参戦した所で敗北は目に見えている。ならば勝てる者を造り出せば良い、と彼はそう考えた。

 ラドクリフ家の英知の結晶、戦闘特化ホムンクルス「アドモニ」。その四体の内の最後の一人がやっと食事を止め、戦闘の間へと足を踏み入れた。ノイマンは愉悦の笑みを浮かべ、自室にてそれを眺めている。

 産まれる以前に、必要な情報と、自らの存在理由を彼等にはインストールしてある。さらに、先の食事で皆、獅子の戦闘本能と膂力を吸収出来た筈である。程なくして、彼等四人の生死を賭した生存戦が始まるであろう。ノイマンは自らの造り出した存在を見て歓喜する。

 これは聖杯戦争に参加する上での試金石と成る筈だ。最も優れた一体が生き残り、死んだ他者の力を吸収する。これを東洋では蟲毒と言うらしい。かの蟲使い間桐臓硯によってラドクリフ家に齎された方法だ。

 

 

 全身血塗れになったが、喉の渇きと空腹が失せた僕は、獅子が入ってきた入り口から部屋の外へと進む。それはだだっ広い部屋に繋がっていて、そこには僕がいた。

 それぞれ、四人。ガラスに写った僕と全く同じ顔をした少年、少女がいた。

 皆、裸で血に塗れている。

 

「さて、それぞれ準備は良いかな?」

 

 声が聞こえた。声と共に頭の中に情報が流れ込んでくる。海鳴りの音の様な声なき声が頭の中で情報となって組み上がっていく。生まれて初めて感じる感覚のはずなのに、何度となく知っている感覚。否、僕は知っている。否、情報が組み上がる。僕は知る。

 僕達は戦う為に造られた存在だ。

 

「戦え。勝ち残った者が聖杯戦争へと参加する事になる」

 

 創造主、我等が父、錬金術師ノイマン・B・ラドクリフが告げる。

 

「戦え。殺し合え。勝ち残り、己の存在価値を証明せよ」

 

 僕が吠える。僕達が吠える。

 その創られた本能の命じるがまま、僕達は戦闘を開始した。

 一体が、雄型の僕がべたりと床に伏せ、突き上げた腕を地面へと突き入れる。残り二人、雄型の僕と雌型の僕が、互いにそれぞれ大きく飛び退き、背後の壁へと着地する。その内の一人、壁に着地し身を縮込ませた僕の足、大腿部が膨れ上がる。その目が真っ直ぐに僕を捉えた。

 一瞬の視線の交錯。僕は腕を僕へと向けた。その直後、足先の床が砕けて影が伸びた。床に伏せた僕の腕だ、と気付いた時にはもう遅い。床を砕いて伸びた腕が、僕の喉にその指を恐るべき力で食い込ませている。

 

「ウッ、が、ァあアァ――」

 

 ドッという音が身体の内側から耳に響いた。振り解こうとした瞬間、その爪が伸び僕の首を刺し貫いていた。痛みが危険信号となって自身の損傷を脳に伝える。と、同時に壁面の僕が跳び、視界の端で壁面に着地したもう一人の僕の上半身が膨れ上がり――

 

「――――――ッ!!!!!!」

 

 吠えた。声を超えた声。人の可聴域を遥かに超えた、指向性を持った音の爆弾が、真っ直ぐに僕の耳へと撃ち込まれる。音速で届いたそれは瞬く間に鼓膜を破砕、に止まらずその奥の三半規管を蹂躙する。しかし、それだけでは終わらない。音の衝撃は肺内部の空気を共鳴させ、僕の肺を内側からズタズタに引き裂いていた。

 

「ァアァ、ァ――」

 

 声にならない声を上げ、僕は血泡を口腔耳鼻から撒き散らす。その間にも砲弾の如き速度で跳びかかった僕の姿がどんどん大きくなり、首に巻き付いた指は首をへし折るべく力を込めている。

 だが、僕は真っ直ぐに僕に跳びかかる標的のみを見ていた。

 真っ直ぐに腕を伸ばし、掌を向ける。腕は砲身で、弦の様に背なから腕の筋肉を引き絞る。そして、音もなく掌を貫いた弾丸が砲弾の如く跳びかかる僕へと真っ直ぐに突き刺さる。目を射抜いて脳漿を抉り頭蓋を貫き、僕は跳びかかった勢いのまま、僕の傍らを通り過ぎ、倒れて動かなくなった。

 

「さぁ、敵が反撃してきたぞ、どうするんだ、ガンマ。眺めていて良いのか、ベータ。有利な状況とも言えなくなってきたぞ? だが、まだ劣勢だな。さぁ、どうするんだ?」

 

 創造主の、父の熱に浮かされた様な声が部屋中に響き渡る。その瞬間、僕達は同時に動いた。雄型の僕、ガンマが大きく伸ばした腕を振るって、僕の身体が宙に浮き、雌型の僕、ベータが大きく息を吸い込む。僕は逆転する視界の中で、次なる標的へと腕を振るう。

 遠心力で撓った腕、その指先から五発の弾丸が飛ぶ。それは僕の骨だ。それこそが骨格操作機能型ホムンクルスである僕の能力。破骨細胞、創造細胞を自在に操り骨の強度から機能を自在に操る僕の能力を以ってすれば、周辺筋肉を利用した骨のボーガンを創造するのもワケは無い。

 亜音速で飛来する五発の弾丸は、三発がガンマに、二発がベータに向って飛んでいく。ベータは壁を蹴って避け、弾丸は彼女のいた壁面を穿つに止まる。そして、ガンマは避けなかった。弾丸はガンマに突き刺さり、そこで止まった。

 皮膚操作機能による鋼の鎧だ、という事に気付いた瞬間、僕は死を覚悟した。

 ガンマの腕が翻り、僕の身体は真っ逆さまに落下する。

 迫る地面。その途中、不意に戒めが緩み、僕は床へと足から着地する。左足が衝撃で折れると同時に再生を開始する中で、上半身が溶けて悶え死ぬガンマの姿が僕への戒めが解けた理由を雄弁に物語っていた。

 内臓操作機能型のベータが背後からガンマへと強酸の消化液を噴霧したのだ。

 これで二人。

 僕達は互いに向かい合い睨み合う。

 最早、勝負はあった。無傷のベータに比べ、僕は満身創痍の状況である。首には無数の裂傷、肺はズタズタで、聴覚は機能しない。平衡感覚も危うく、足の骨も折れている。だが、諦めない。死んで良い理由にはならない。

 生き残る事は僕に与えられた至上命令だ。

 僕は手をベータに向ける。掌を突き破った骨の鏃がベータに向い、避けられる。と同時に僕は彼女に向って駆ける。手には滑り出た骨の刃が一振り。足の骨は既に修復されていた。これはベータの予想外である筈だった。が、遅い。ベータは勝利を確信して大きく息を吸い込む。

 瞬間、僕の身体から白刃が躍り出た。

 これぞ切り札。肋骨による二十四の刃が弧を描き、ベータの身体を串刺しにする。

 まだだ。

 次の瞬間、ベータに突き刺さり、その身体を捉えた肋骨が本来あるべき位置に急速に舞い戻る。僕の方に、ベータを連れて。終わりだ。僕は手にしたナイフをベータへと振り下ろす。

 一閃。軽い手応えと共に、ベータの額、左目から胸にかけて、紅い線が奔り、血が噴出する。

 勝った。

 

「まだ、だ」

 

 ベータが笑う。悪寒が奔る。咄嗟に距離を取ろうとしても、突き刺した骨剣がベータの身体に食い込んで動かない。その内臓が僕の肋骨の尽くを受け止めているのだ。そして、ベータの腕が僕の顔を掴む。繰り出すは臓腑全てを溶かす強酸の接吻。

 胸と胸が触れ合い、全く同じ顔が近付く。

 

「さよなら」

 

 僕達の口は同じ言葉を吐き出した。僕は咄嗟に手にしたナイフを彼女の目へと突き刺すと、力の限り奥へと捻じ込んだ。血塗れだった視界が真っ赤に染まる。それは本能的な生への渇望か。機械的な慟哭か。僕達は喉が枯れるまで、同じ様に叫んだ。

 

 

  #####

 

 

「おめでとう、アルファ。君は選ばれた」

 

 父様はそう言って微笑むと私に拍手を送ってくれる。先ず一つ、私は期待に応える事が出来たのだ。だが、負けた私達も父様の期待には応えていた。彼等は私の血肉、力となったのだ。達成感と安堵が戦闘で痛んだ身体に沁みていく。

 

「令呪の譲渡、いや、吸収か。これも滞り無い様だな」

 

 父様は私の手の甲で妖しく輝く三画の紋様を見て、嬉しそうに笑う。その顔を見るだけで私も胸が一杯になってくる。ラドクリフ家の代表として令呪を発現させた男から、先程その魔術刻印ごと吸収した物だ。

 

「ほら、アルファ、こちらを向きなさい」

 

 父様は屈み込むと、タオルで真っ赤に染まっている私の顔を拭ってくれる。口元に付いた血肉を拭き取ると、今度は血と脂で固まった髪を優しく拭ってくれる。

 

「ありがとうございます」

 

 私は微笑む。先程手に入れたばかりの感情の発露だった。

 父様は立ち上がると、私を魔方陣の中心へと導く。私の食べ残しで父様が描いた物だ。その陣の中心には触媒となる巨大なサファイアのペンダントが置かれている。

 

「既に聖遺物は用意してある。これを触媒とすれば、最高の剣の英霊を召喚出来るだろう」

 

 父様の言葉に答える様に、私は令呪の描かれた手を掲げる。

 

「閉じよ――」

「アルファ、お前はかの偉大なる王を従えて、全てのサーヴァントとマスターを狩り尽せ。そして、何としてでも私に聖杯を齎すのだ」

「告げる。汝の身は――」

 

 私の唱える呪文と父様の御言葉。二つの呪文が互いに交錯する。

 

「抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ!!」

 

 言葉と同時に、手の紋様に電気が奔った。紋様は一際紅く光り、辺りに暴風が舞い、土煙が舞い上がる。突如として出現する驚くべき魔力の拍動。しかし、そこに圧迫感は不思議と無かった。土煙の中で、誰かが私の手を取る。

 白煙の切れ間から、白銀の威風が見える。魔方陣の中心に、白銀の英霊が立っていた。銀の鎧と風に棚引く銀髪と肩掛けの衣。私より遥か高い位置にある蒼く輝く瞳が優しそうに弧を描き、彼は私の手を取ったまま恭しく膝を付くと、その手の甲、令呪へと接吻した。

 

「貴方が我がマスターですね? 可愛らしいお嬢さん」

 




一人称ミスった感がありますね。


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音蜘蛛

6人目


 魔術師、イル・バナードの計画が狂ったのは一体どのタイミングだったのか?

 フリーランスの魔術師である彼は極東、九条の地で聖杯戦争と呼ばれる大掛かりな魔術儀式が行われる事を知って、自らの商売にやってきた人間である。彼の扱う商品は貴重なマジックアイテムに武器弾薬、そして、情報。今回の商品は参加が確実視されている時計塔の麒麟児ウェイバー・ベルベットと天才オーギュスト・エーカー、ラドクリフ家の俊英ノイマン・B・ラドクリフに聖堂教会の元代行者サヴィオに関する物だ。それぞれ経歴と得意分野、それから間桐の蟲を使った魔術について調査してある。

 聖杯戦争が差し迫った今、幾らでも足元を見れる状況だ。顧客の候補としてはオーギュスト、ノイマン、御形と言った所か。彼らには精々金を出してもらうとしよう。

 また、全く愚かしい事ではあるが、万能の聖杯を賭けて争うという状況だというのに、暴力で不当に商品を攫っていく阿呆がいないとも限らない。英霊とやらを既に召喚しているとあってはこちらに万に一つも勝ち目は無いのだ。

 その点、彼に抜け目は無かった。自らが死ぬと同時に、大きな事故が起こり、聖杯戦争の秘匿が難しくなる様に手は打ってある。商談相手からも、自分を生かしたまま脳髄から情報を得る事が可能であろう間桐は外した。

 まぁ、多少値が張ろうが、貴重な商人を態々殺す様な馬鹿もおるまい。

 と、彼はその様に考えていた。

 イルは魔術師ではあったが、根源や聖杯戦争に興味は無かった。そんな物に執り憑かれ、我が子を他家に売り払った父親を憎悪しているからかも知れなかった。彼は全く世俗的な人間であり、そんな自分を肯定していた。金の為には何でもやった。付いた渾名が、『溝攫い』、『ハイエナ』、『死体漁り』である。彼は気にしなかった。

 どちらかと言えば、勇名であるはずの『魔術師殺しに殺されなかった男』という名の方が余程気に入らなかった。まだ若かった彼が金で雇われて紛争に参加し、勝ち馬に乗って金を稼いでいると、決まって『魔術師殺し』と呼ばれる名うての魔術師が敵対してきたのだ。その度に、彼は身を隠さねばならなくなった。それが繰り返される内に、その様な名が付けられた。

 尤も、イルは戦闘が激化すると同時に金を持って逃亡していたので、戦闘の最も激化するタイミングを見計らって参戦していた魔術師殺しとかち合わずに済んだ、というだけの話である。

 脅威には近付かない。

 魔術だけでなく、人生における鉄則である。

 そんな彼が聖杯戦争への参加を余儀なくされたのは、全く皮肉な事としか言い様が無い。

 その日、駅前のビジネスホテルで目が覚めたイルの右手には令呪が顕現していた。彼は一頻り考えた後、これはチャンスだと思う事にした。令呪は魔術的に譲渡が可能なのだ。

 売り付けよう。しかし、相手はどうするか?

 聖堂教会の元代行者は論外。フォンダート家の魔術師が聖杯戦争に参加すべく九条入りしたとの情報もあるが詳細不明。時計塔の講師も単身での参加になる筈だから美味い相手とは言い難い。金を唸るほど持っていて、聖杯戦争に参戦出来る素養のある魔術師の予備がいる家が良い。喉から手が出るほど令呪を欲しがる筈だ。とするとラドクリフ家が好適か。

 思わぬ大金の気配に、気が緩んでいたに違いない。

 また、昼の街中で魔術戦を仕掛けられるとは思っていなかったせいもある。

 ラドクリフ家が聖杯戦争の為に郊外に設けた別荘に向って歩く途中、駅前の繁華街で大きな耳鳴りがした後、彼の耳元で囁きかける声が聞こえた。彼は直ぐに振り返って辺りを見回したが、勿論、人はいない。姿の見えぬ敵手はイルの鼓膜を遠方より振動させる事で、彼のみに囁きかけているのだ。

 

「路地裏に入りなさい」

 

 声はそう告げる。イルの脳内で警鐘が鳴り響き、脳がフル回転を始める。

 

「早くしなさい。殺したって良いのですよ?」

 

 立ち尽くすイルを囁き声が急かす。恐らく相手は九条に入った魔術師であるイルを張っていたのだろう。そして、令呪を顕現したという確認が取れた為、強行手段に出た。どういう原理かは分からないが、完全に敵の術中にいるらしい。巣に絡め取られた獲物というワケだ。原理は分からぬでも、状況から敵には当りが付いた。

 『音蜘蛛』の異名を持つ魔術師、フォンダート家のアレッシオ・フォンダートとアレッシア・フォンダート兄妹に間違いあるまい。

 イルは自身の装備を確認すると、意を決して路地裏へと踏み込んでいった。

 殺せるというのはハッタリでは無いだろう。遠方より音を使って鼓膜、引いては三半規管と脳に衝撃を与え獲物を殺す。彼らの暗殺の手際をイルは知っていた。聖杯戦争に参加するだろう魔術師の事は調べ上げている。

 彼等には音を使った洗脳や催眠の能力は無いらしい。一般人相手はまだしも魔術師には通用しないのだろう。でなければ、このような回りくどい方法を取る理由が無い。令呪を買い取った上で自分を商人として利用するつもりという事も無いだろう。であれば、初手からああも高圧的な態度は取るまい。裏路地には人払いの結界が施してあった。ここで何が起ころうと表通りを歩く人間達が気付く事は無い。例え、人が殺されようと。

 裏路地を命令通りに進んだ先には、一人の男が立っていた。

 

「お初にお目にかかる。僕はアレッシオ・フォンダートと言う者だ」

 

 予想通り。男、アレッシオは白い歯を見せて微笑む。本心を見せない顔に張り付いた笑み。最も自分が険悪する物だ。鏡を見ているようで気分が悪い。

 

「そりゃあ、どうも。ハハ、こりゃあ都合が良かった。丁度、貴方を訪ねたいと思っていたんですよ」

 

 イルも笑みを返す。アレッシオは嘲る様に言った。

 

「ハッ、笑わせるな、ハイエナが。ラドクリフに金をせびりに行く最中だったか?」

 

 途端に、耳鳴りが酷くなる。頭痛と吐き気でイルは片膝を付いた。

 

「お前の様なハイエナにはこの儀式は相応しくない。まだ英霊を召喚していなかったなら丁度良いじゃないか。後はこの僕に任せて、安心して死ぬと良い」

 

 アレッシオはイルの腕を取ると、手袋を剥ぎ取りその下の令呪を確認する。それと同時にイルの腕が動く。ワンアクション。脇に隠された拳銃がイルの手の中へ滑り出る。

 

「死ね。糞ったれ」

 

 乾いた音が響き、最後に眼前が歪むのを見た。果たして、弾丸はアレッシオに当たる事無く、その前方の見えざる壁に弾かれ、イルは耳鼻から血を撒き散らして地面に倒れる。

 

「愚かな。ここは既に我が巣。我が狩場。万に一つも勝機は無い」

 

 アレッシオがイルの髪を掴んで持ち上げ、その顔が歪む。と、同時に、イルの身体が白煙を上げたかと思うと数枚の札を残して消え失せた。陰陽道に於ける式神の法。アレッシオが相手をしていたのは札を使って本人を模した人形だったのだ。それだけでは無い。宙に舞った残りの赤い札が突如アレッシオの眼前で爆発したのである。

 

「お兄様、大丈夫ですかッ!?」

 

 妹であるアレッシア・フォンダートの声が辺りに響く。

 

「う、ぐうぅお、お、オノレッ!! アレッシア!! 奴はどこにいる!?」

 

 白煙の中から顔を出したアレッシオの顔は鬼気迫る物であった。見えざる壁によって直撃は防いでいたものの、爆炎でその頬から右目、側頭部にかけてが焼け爛れているのである。

 

「動かないでッ!! 今、治療します」

「いらぬッ!! それより奴はどこだ!?」

 

 アレッシオが片手を負傷箇所に当てて呪文を紡ぐ。すると時間が巻き戻されるが如く、見る間に傷が塞がっていくでは無いか。恐るべき治癒魔術の腕前である。少し押し黙っていたアレッシアが、若干不安がちに言った。

 

「すみません、お兄様。見つかりません。いないのです。敵は、あの卑しいハイエナめは。私の音界の外に出てしまったのでしょうか?」

「お前の索敵半径は3キロ弱。まだ逃げ去れまい。地上にいないとなれば、下か」

 

 落ち着きを取り戻したアレッシオは腕を組み、地面を睨む。

 

 

 

 その頃、イルは下水道を疾走していた。彼は式神と入れ替わった後、マンホールから地下下水道へと逃れていたのである。式神の核札からフォンダート兄妹の会話を盗み聞いた限り、妹の方は敵の場所を探知する能力、ソナーの様な物を持っているらしい。

 殺すならばそちらだが、位置の分からぬ方が探知能力を持っているとは厄介である。

 また、式神では大した手傷を負わせる事は出来なかったらしい。

 全く、計画が狂った。

 強力な魔術師が二人、直ぐにも追ってくるだろう。彼等は急いでいる筈だ。自分が英霊を召喚してしまえば勝ち目がない。そして、取り逃がせば儀式を妨害した邪魔者として審判役の聖堂教会に排除される運命が待っている。彼等は是が非でもイルを殺しに来るに違いない。

 イルは走りながら、鼻から垂れた血を拭った。呪とは即ち契約。式神が受けたフィードバックは術者に返る。彼は気にせず札を一枚取り出すと呪文を紡ぐ。式神の術だった。宙に浮いた札は見る間に厚みを帯びて人間、イルと瓜二つに変化する。イルは式神をその場に残し、自分は下水の上へと身を躍らせる。その足が水に触れた瞬間、油の様に水面に浮き上がり、彼は水上を自在に駆ける。古来忍術に於ける水蜘蛛の術だ。そのままイルは水路を渡り切ると、すぐさま左手を壁に当てて、目を閉じた。

 解析、開始。

 魔力の波が一瞬で周辺一帯の下水網に伝播し、イルへと収束する。彼は突き当たりにある開けた場所を確認すると、そちらに向って走り出した。儀式を行う場所はそこしかない。しかし、行き止まり故に逃げ場も無かった。彼は迷わなかった。

 イルは開けた場所に出ると、すぐさま入ってきた入り口に懐から取り出した鏡を置く。鏡は八卦鏡と呼ばれる風水に於ける術具だ。凶事を反射、そして吉事を集中させる効果がある。それから、イルは持っていた金属と自らの血で魔法陣を描き始めた。敵は索敵範囲が半径3キロに及ぶと言っていた。逃げ切るのは無理だろう。不意打ちも不可能だ。正面切っての戦闘など自殺行為に等しい。とあれば、行動は決まっている。

 降霊術に必要な魔法陣を描くと、そのままイルは周囲に別の魔法陣を描いていく。ここは単なる下水道の吹き溜まりだ。気は淀んで停滞している。英霊を召喚する場としては最悪以下だ。故に場を先ず作る必要があった。魔方陣を囲むように陰陽五行図、それを更に包むように太極図を描くと彼は下水の水に指先を付けて、呪文を唱える。緩やかだった水の流れが少し早くなる。

 水は地下下水道網、引いては九条地下の気を導く。鏡は方向を作り、汚れた空気は太極図内にて反転させ、五行図で流れを作る。水、砂、向を整え、本命の降霊魔法陣を竜穴化する。風水による地理五訣の法である。しかし、イルの予想を遥かに下回る程、気の集いが悪い。否、水脈としては異常な程だ。聖杯の顕現にあたり、この地の魔力が枯渇しているのかも知れなかった。

 その時、不意に、眩暈と共に口の中に鉄の味が拡がった。下水道内に置いてきた式神が破られた反動である。遂に、敵が追ってきたのだ。

 

「閉じよ。閉じよ。閉じよ――」

 

 イルは詠唱を急ぐ、その途中――

 

「見つけた」

 

 耳鳴りと共に、先の女の声がする。補足されたのだ。八卦鏡の鏡面に罅が奔り、先程と同じ頭痛と吐き気が襲ってくる。キリキリと頭を締め付けられる感覚はどんどん酷くなり、彼は膝を付く。

 

「祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には――」

 

 しかし、彼は詠唱を止めなかった。その胸元から紙で出来た人形が落ちる。イルの髪の毛を結んだ人形だ。厭魅の術である。人形を自身の分身とし、受けるダメージを肩代わりさせているのだ。しかし、それにも限界がある。人形の頭部は既に真っ赤に染まり幾筋もの切れ間が見える。

 イルは努めて大きく息を吸った。導引術に於ける吐納である。そして呼吸を止め、胎息に至り、自らの魔術回路を魔力が循環する事で、敵の魔術への耐性を高める。その顔に浮かぶのは青褪めた幽鬼の如き形相であった。

 イルの扱う魔術体系は混沌魔術と呼ばれる物だ。近現代に生まれた魔術の潮流で、既存の魔術体系の借用、あるいはそれらを組み合わせる事で新しい魔術体系を生み出すという物である。イルの生家の秘奥ともいうべき魔術と複合する事で恐るべき数の魔術技巧を可能とする一方、神秘の秘匿性は失われ、その出力は高いとは言いがたい。

 

「告げる――。汝の――」

 

 イルは再び呪文を紡ぐ。詠唱もあと僅か、という所だった。

 

「ふむ、間に合った様だな」

 

 背後から嗜虐の笑みを浮かべたアレッシオ・フォンダートの声が掛かる。

 

「もう逃げられんぞ。薄汚いハイエナがッ!!」

 

 アレッシオが手を前に翳し、その指を打ち鳴らす。と同時に、大気がうねる。カマイタチと呼ばれる真空の刃である。イルの肩から血が吹き出る。その身体が衝撃に大きく傾ぎ、そこへ更なる斬撃が打ち込まれる。防刃仕様のコートが裂けて、霧状に吹き上がった血が辺りを染める。

 

「フン、手こずらせる――」

「我は常世全ての善と成る者――」

 

 それでもイルは詠唱を止めない。否、自らに掛けた自己暗示によって、既に自らの力では詠唱を止められぬのである。そしてその身体は胎息による強化と自己暗示による神経遮断を以って捨て身の防御とし、アレッシオの攻撃にすら耐えている。

 今、イルの張り付いた青褪めた幽鬼の如き形相は更に凄絶な笑みを浮かべているのだった。

 

「馬鹿なッ!? 貴様、詠唱を止めろッ!!」

 

 アレッシオが悲鳴じみた声を上げ、一際大きな真空の刃が繰り出される――

 

「抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ」

 

 果たして、それは閃光と共に掻き消えた。

 小柄な体躯に、無骨な鉄の鎧と紫の衣を纏った威風。輝く金髪を後で括り、射る様な眼差しをした少女。少女は絶死の刃を苦も無く片手で払いのけ、振り返ってイルに問う。

 その瞬間、イルは自分を取り巻く全てを忘れた。

 

「問います。貴方が私のマスターか?」

 



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屑と聖女

 イルの目の前に出現した少女。

 

「問います。貴方が私のマスターか?」

 

 小柄な体躯に、無骨な鉄の鎧と紫の衣を纏った威風。輝く金髪を後で括り、射る様な眼差しをした少女。少女は相対する魔術師の放った絶死の刃を苦も無く片手で払いのけ、振り返ってイルに問うた。

 その光景に魅入っていたのも僅か数瞬、イルの頭は次いで混乱に陥った。

 ありえない。

 ラドクリフに売りつける為、また、いざという時の為に、大枚を叩いてルーアン大聖堂で手に入れた聖骸。それを触媒とした以上、呼び出されるのは、かの『獅子心王』である筈なのだ。

 しかし、目の前に現れたのは、かの苛烈な戦王とは似ても似つかぬ可憐な少女である。

 

「返事が出来る状況では無いようですね。では――」

 

 少女はイルの顔色を見て取ると、アレッシオ・フォンダートへと向き直り、その射る様な眼差しを相手に向ける。

 

「治療の邪魔です。疾く、去りなさい。続けると言うのなら、容赦はしません」

 

 彼女は淡々と告げ、その腰の細剣に手を掛ける。そこへ、

 

「何をやってる。逃がさず、殺せ」

 

 イルは搾り出す様に言った。

 

「禍根はここで断て。奴等はマスターとして参戦してくる可能性もある」

「いえ、彼にもう戦意はありません。私は騎士だ。戦意の無い者を斬る事は出来ません」

 

 そう言うと少女はアレッシオに背を向ける。躊躇無く、彼女は敵である魔術師に無防備な背を晒したのである。一瞬の緊張が周囲に張り詰める。しかし、それでもアレッシオには何も出来なかった。その時、小柄な少女の背に、彼が見たのは死であった。

 その無防備な背に攻撃を繰り出したならば自分は死ぬと、彼は試さずして理解してしまった。それは自身の魔術に絶対の自信を持つアレッシオには耐え難い屈辱であった。しかし、彼はその顔に引き攣った様な笑みを浮かべながらも、何も言わずにその場から走り去る。

 

「何をやってる!? みすみす――」

「黙って下さい。傷に障ります」

 

 それを見て怒りを顕わにするイルに取り合う事無く、少女は治療を開始する。彼のコートを脱がせ、肩口の傷へと手を当てる。その手から温かな光がイルへと降り注ぎ、傷は次第に閉じていく。

 

「治療魔術か……」

「いえ、主の御力です。その様な物と一緒にしないで頂きたい」

 

 少女が澄ました顔で答え、イルはムッとして押し黙った。彼は柔らかな光が自らの傷を癒していくのを感じながら、自らの召喚したサーヴァントを窺い見る。先程から彼女の持つ空気や言動への拒否感がどうにも治まらぬのを彼は感じていた。もっと有体に言えば、その節々から垣間見える慈悲や信仰、騎士道精神とやらへの拒否感だ。窮地の自分を救い、英霊ともあろう者がその傷を甲斐甲斐しくも手当てしてくれていると言うのに、どうしようもない自分はその事を罵倒したくて仕方が無いのだ。

 先ず、敵の首を刎ねろと叫びたくて仕方が無いのである。

 

「まだ痛みますか?」

「いや……、大丈夫。ありがとう。助かりました」

 

 イルは内心を隠すべくどこか卑屈な笑みを浮かべると、手を動かして傷跡に触れる。傷は既に癒着しており、握った指先には問題なく行動出来るだけの力を感じる。謝礼の言葉を口にしながら、イルはマスターとなった事で得た透視能力の確認を行っていた。

 心と身体を切り離す。体と口と顔と頭をそれぞれ独立させる。舌は七枚程あるのが好ましい。

 それがイル・バナードという男の生き方だった。先程のアレッシオが態度を変えて擦り寄ってくるなら彼は問題なく笑いながら対応し、歓談しながら銃殺してのけるだろう。

 その筈だった。

 

「どうかしましたか?」

 

 イルの表情に変化は無い。しかし、少女はその内心の変化を見逃さなかった。イルは咄嗟に答えに窮し、口篭ると戸惑いの表情を浮べてみせる。

 

「これは……」

 

 最悪の状況だ。

 透視によって見えるのは目の前の少女のステータスばかりで、肝心のスキルや宝具は愚か、その真名すら判然としないのだ。そして、急場凌ぎの召喚のせいだろうか。少女のステータスは惨憺たる物だった。何よりも、彼女の該当クラスが……。

 

「ルーラー?」

「ええ、どうやら聖杯戦争において特殊クラスで召喚された様ですね」

 

 少女は何でも無い事の様に答える。だが、イルは途方に暮れていた。通常聖杯戦争で召喚された英霊は剣の英霊セイバー、槍の英霊ランサー、弓の英霊アーチャー、騎乗兵の英霊ライダー、魔術師の英霊キャスター、暗殺者の英霊アサシン、狂戦士の英霊バーサーカーの七つのクラスに振り分けられる。各クラスによって特徴と獲得するスキルがある訳だが、目の前にいる少女は全くの未知数と言う訳だ。

 

「む、失礼ですね。そこまで落胆しなくても良いでしょう? 私達は運命共同体。これから二人で聖杯を得るべく戦わなくてはいけないのです。そのパートナーを見るなり、その態度は感心出来ません」

 

 イルの内心を読み取ったかの様に少女、ルーラーは淡々と続ける。イルは咄嗟に自分の顔に手をやった。ルーラーの態度に、彼が感じた物、それは恐怖だった。

 些か驚きはした。だが、態度に出したのは特殊クラスに驚いた事のみである。失望や落胆等はおくびにも出していない筈だ。それは彼の根幹を揺るがす物に対する恐怖だった。自分が長年の経験で得た処世術は完璧であるはずだ。否、完璧でなくてはならない。こんな怒りや拒否感で崩れる様な物ではない。まして、この様な小娘に看破されるなど、在ってはならない。

 そんな彼の不安を感じ取ったのか、

 

「心配はいりません。主は必ず私達を聖杯の元へ導いて下さいます」

 

 諭す様に、ルーラーは力強く言い切った。

 イルはそんな少女の目を見る。底抜けに澄んだ少女の瞳は何も映しはしなかった。それは信仰に生きる者の目だ。狂信者の眼差しだ。まるっきり徹頭徹尾、彼女は自らが正しいと信じ切っている。神が自らを裏切るはずが無いと夢妄している。

 慈愛に満ち、信仰心に溢れ、騎士道を重んじる少女。

 反吐が出る。

 どうやら彼女とイルの相性は最悪の様だった。敵への容赦を知らぬ苛烈な王。その能力と性格からセイバーとして獅子心王の召喚を狙った筈が、結果召喚されたのは誰とも知らぬ夢想家の小娘だ。尤も、贅沢を言えるような状況では無かったから仕方が無い。彼女がどれ程弱くても、それについては文句は無い。

 問題は彼女の生き方であり、彼女の眼差しである。この少女の目がイルには、彼の作り笑いで出来た薄皮の下、その奥底まで見透かしている様に思えてならないのだ。

 それがイルには耐えられないのだ。

 イルは立ち上がるとルーラーへと背を向ける。彼女の目から彼は目を逸らした。同時に自らの内側に渦巻く物からも目を逸らした。そして、彼は目を逸らした自分の行動を、これからの行動についての考えを読まれまいとする打算的な行動に過ぎないと結論付けた。

 状況に変わりは無い、とイルは考える。どれ程弱く、甘ったれた英雄だろうと、令呪ごとラドクリフに売れば金になる事は間違いない。故に、一画たりとも令呪を失う事無く、速やかに自分を狙ってきたフォンダート兄妹を抹殺し、後顧の憂いを断った後に、ラドクリフと商談を行わねばならない。

 考えてみれば、ああいう貴族はかえってルーラーの信仰心に何かしら感じる物があるかも知れない。貴族たるの義務、等と言う阿呆臭い御旗を掲げる事にまるで恥じらいのない豚共だ。それに、ラドクリフなら既に自前の強力なサーヴァントを召喚している筈だから、彼女が弱い事もそこまで気にすまい。なにより、ラドクリフがルーラーを手に入れた後で金を払わず自分を殺そうとするなら、ルーラーは止めてくれるだろう。

 

「行きましょう。あいつを逃がすわけにはいかない。まだ、それ程遠くへは行っていない筈です」

 

 例え英霊が相手だろうと、言い包めてみせる。そう意思を定めたイルに、当然の如くルーラーは首を振り、反論する。

 

「彼にもう戦意はないと申した筈です」

「今はそうでも令呪が宿り、サーヴァントを得れば必ずもう一度現れる。それに、奴は私の魔術を見た。召喚したサーヴァントもだ。他の参加者に情報が流れる事は十二分に考えられる」

「かも知れない、から殺すのですか?」

 

 ルーラーの瞳には明確に非難の色があった。

 成る程、理性的な説得は無理か。

 

「あいつが何人殺したと思ってる!? もう一度襲ってきた時に、また無関係の死人が出るかも知れないんだぞッ!!」

 

 イルは怒りを顕わに、壁に思い切り拳を叩き付けた。無論、先の襲撃において死人など出ていない。彼等は人払いの結界へとイルを誘導して仕掛けている。しかし、ルーラーの様な人物には非常に有効な嘘だった筈である。無辜の民を巻き込む残虐非道の魔術師となれば彼女は黙っていまい。それに、音蜘蛛の手口から二人が全く無実無根という事はありえない。

 故に、この場に嘘があるとすればそれはイルの怒りをおいて他に無い。

 

「分かりました。イル、貴方を誇り高いマスターと見込んで、お願いがあります」

 

 ルーラーは真っ直ぐにイルの瞳を覗き込む。それから彼女は頭を下げ、

 

「決して私には嘘を吐かないで下さい。お願いします」

 

 

   #####

 

 

 アレッシオ・フォンダートは拠点としているホテルに戻るなり、怒鳴り声を上げた。

 

「糞ッ!!忌々しいハイエナめッ!! あと少しという所でッ!!」

「兄様、暫く姿を隠しましょう。聖堂教会の――」

 

 寄り添う様にして荒れる兄を宥める妹、アレッシア・フォンダート。その言葉の途中、

 

「お前は私に、この私にあのコソ泥から逃げ回れと言うのかッ!?」

 

 アレッシオの手が妹の頬を強かに打ちつけた。倒れ込むアレッシアにアレッシオは更なる剣幕で続ける。

 

「元はと言えば、お前が最初にあの男を見逃したせいでは無いかッ!!」

 

 そう言ってアレッシオが拳を振り上げた瞬間、その腕が弾け飛んだ。窓ガラスを突き破って飛来したバレットM82狙撃銃のRaufossMk211弾頭である。この弾丸は徹甲弾、炸裂弾、焼夷弾の機能を併せ持つ多目的弾頭で、その高い貫通力は音の結界毎アレッシオの腕を引き裂き、爆裂する事でその身体を八つ裂きにして、辺りに金属片と火炎を撒き散らした。

 即死であった。そも直撃の瞬間、その衝撃でアレッシオは死んでいる。熱を感知したスプリンクラーが警報と共に水を噴出し、割れた窓から煙が上がる。

 仕手は七百メートル先、高層ビルの屋上にて発砲煙と砂埃に煙るイル・バナードだ。

 彼は下水道にて採取したアレッシオの毛髪を使った卜占にて彼らの拠点割り出し、脅威を刈り取るべく追撃に回ったのである。

 しかし、一撃にて幕とはいかなかった。アレッシアは我が身の危険も省みず、涙を流して上半身の無くなった兄の亡骸を抱え上げる。炎煙る部屋の中に彼女の影が見えた時、イルは冷や汗を流した。奇襲の瞬間、あの部屋は衝撃と金属片と炎とが荒れ狂う地獄となった筈である。真に恐るべきは、それさえ凌いで見せたあの女魔術師に違いない。

 高層ビルの屋上に伏せたイルは冷静に煙を散らせ、照準を合わせる。

 

「よくも……、よくも兄様を……。殺してやる!!」

 

 怒りが彼女を麻痺させていた。

 魔術回路は即座に活性化し、魔術によって強化されたアレッシアの視覚は七百メートル先にいるイルの姿を容易に捉え、その音の結界は一瞬で彼を補足するだろう。更には自らを音の結界で護る事で攻防一体とする。如何な大火力の狙撃も、来る事が分かっていれば逸らす事など訳は無い。音の結界は標的を一瞬で捕捉すると同時に、その脳髄を掻き回し、発狂死させる事さえ可能だ。

 しかし、それが適う事は無い。

 スプリンクラーから降り注いだ大量の水は彼女の音を減衰させ、今猶燃える焼夷剤の煙、炎と相まって彼女の視界を塞いでいる。そして、怒りが、狙撃によって敬愛する兄の身体がバラバラになったという事実が、彼女を無防備にした。

 不意に眩暈、息切れ、動悸がアレッシアを襲う。と同時に、部屋の中に聞きなれない言葉が満ちた。その言葉を聴く度に、眩暈は次第に酷くなり、彼女は遂に立っていられなくなる。

 そして、部屋の扉が開く。そこにイル・バナードが立っていた。彼は真っ直ぐに指をアレッシアへと指している。厭魅、呪の真言、そしてガンド。

 呪術である。それぞれ系統の違う三種の呪術によって、既にアレッシアは朦朧とした意識で倒れ、荒い息をついている。

 

「何……故……?」

「悪いが殺しの手管を語る趣味は無いんでねェ」

 

 アレッシアの問いに、イルが笑う。

 先ず式神による狙撃を行い、敵を負傷させその能力を削ぎ、注意を外に引き付けた後、既にホテル内に潜んだ自らが直接手を下す。敵を殺し、その反撃さえ塞ぐ。その為の手段は問わぬ戦争屋の手際だ。

 

「さて、精々、運命でも呪ってくれ」

 

 イルは下卑た笑みを浮かべ、アレッシアの首へと手を伸ばした。

 




屑一丁入りまーす。


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蠢動

7人目?


 九条港内の倉庫の一角、穴の開いたトタン屋根から辺りに金糸状の月光が降り注いでいる。その光りの下に男はいた。闇に浮かぶ白い肌と闇に溶ける蒼い鎧。月光よりも静かに輝く銀髪を靡かせて、男はどこぞ虚空を眺めながら木箱の上に座り、長物、槍を手に親指の爪を噛んでいた。

 その足元に斃れる無数の死体。

 皆、尋常の物ではない。変色し膨らんだ手足、骨を持たぬ身体、鱗や翼を持つ物まである。内容も犬、猫などの小動物から人間まで多種多様だ。

 合成獣、キメラと呼ばれる魔術によって創られた生命体である。

 

「良くやった、ランサー。これで敵の根城の一つは潰したと見て良いだろう」

 

 変色し膨らんだアメーバ状の腕らしきものを踏み潰し、倉庫の奥から現れた男が言った。黒い詰襟と学帽、白手袋をした男。姿勢は良いが背は低く、闇の中笑う様は凶相とさえ言える。一方の銀髪の男が、月下に俯く様が神秘的な彫像の如き美麗さとあっては見事に対照的な二人と言わざるを得まい。

 銀髪の男、ランサーは気だるそうに問う。

 

「さて、マスター。この状況、貴方はどう見る?」

「人の変質。間桐の手口とは少し違うな。キャスターか、さもなくばラドクリフの仕業と見るが」

「正解だ。が、着眼点が間違っている。私はこの大物をどうするか、と聞いたのだ」

 

 ランサーの言葉と同時に男は振り返り、大きく後方に飛び退く。同時に、さっと何か粘膜の輝きが男が元いた場所を横切った。

 男は更に後方に二、三歩と後退りながら、暗闇の奥へと目を凝らした。銀髪の男、槍の英霊ランサーはちらとそちらを見たきり動かない。

 

「何だ、この化け物はッ!?」

 

 男は冷や汗を浮かべ、呻く様に言った。その凶相が笑みで歪む。

 全く笑える状況ではなかった。

 目や、歯、臓器等、身体の器官を残しながらドロドロに蕩けた巨大なゲル状の生物が、倉庫の奥に積まれたコンテナの間から這い出てきているのである。それは腕だったモノか、最早触手とも言えぬアメーバ状の粘膜が傍らの木箱を包み込み、圧壊していく。

 砕けた板が生物の中に取り込まれ、蕩けていく様を見て、男は渇いた笑い声を上げた。それは男の近くにあった物だ。先程、とっさに飛び退いていなければ、自分がああなっていたに違いなかった。

 

「さて、マスター、ご理解頂けたか? この状況、いかがする?」

「いかがするも糞も無い。この様な存在、生かしておけるか」

 

 男がゲル状生物に向けて指を指す。と、同時に、ゲル状の生物の身体が大きく振るえ、仰け反ったと見えると、男へと無数の触手を発射した。

 

「チッ」

 

 男の舌打ちが鳴る。男を獲物と見定めたこの恐るべき軟体生物は二十の触手の雨を降らせたのである。その触手の触れる刹那、男の身体が沈み込む。倒れる様に頭に迫った触手を避け、その勢いをそのままに触手の合間を縫って走り抜ける。

 

「裂けろ」

 

 男が触手の包囲を抜けると同時に、軟体生物の臓腑が裂けた。次いでその脳が潰れ、眼球が四散し、心臓が縦に千切れる。

 これぞ詰襟の男、魔術師、狗城直衛の繰る気功術。敵の体内に気を撃ち込み、操作或いは破壊を可能とする恐るべき魔術である。初手で撃ち込んだ気弾が軟体生物の体内を駆け巡り、その器官部で爆発したのだ。

 

「まだだよ。マスター」

 

 軟体生物の一部がボコリと持ち上がり、狗城へと木片を振り掛けた。咄嗟に彼は腕を振る。そのワンアクションで脇に仕込んだ拳銃が手の中へと滑り出た。銃声が鳴って撃ち出された弾丸は飛来する木片を砕き、次々と撃落としていく。

 しかし、撃落としたのは木片だけだ。飛び散ったゲル状生物の体液が頬に付着する。瞬間、ジュウと音を立てて狗城の頬肉が灼けた。ゲル状生物の強酸の体液である。

 たたらを踏んで背後へと狗城が逃れる。それと同時に、ゲル状生物の身体から無数の触手が伸びた。その無数の触手は地面を掴み、その身体が顫動する。見よ、その醜悪に蠢く様を。ゲル状生物がその潰れた眼前に立つ獲物へと追走を開始したのである。

 

「ぐうぅ、このッ!!」

「無駄だよ。マスター、こいつに重要な器官なんて物はもうないんだ。あんな物、人間であった時の名残に過ぎない。こいつは目だって見えてはいない」

 

 呻く狗城に、ランサーが言う。

 狗城は目を疑った。ランサーは動いていない。ただゲル状生物が移動した事で、狗城とランサーがゲル状生物を挟み込む形になり、ランサーがその背後を取ったというだけの事だ。そして、僅か二メートル程の距離にいるランサーを無視し、ゲル状生物は遥かに間合いの遠いこちらへと触手を伸ばしているのである。

 ゲル状生物は全くランサーに気付いていない。

 

「こいつは地面を伝わる振動で獲物を感知している。故に、高台で動かない私は認識出来ない」

「貴様、ランサー、知っていたなッ!? 何故、それを黙っていたッ!?」

 怒りを顕わにする主に対し、ランサーは不敵に笑い――

「ここだ。この位置が良い」

 

 その手の中で槍が回転し、その穂先がゲル状生物へと向けられる。その穂先が天上より降り注ぐ月光に隠れた。何故なら、その蒼き輝きは月光その物だからに他ならない。

 

「ここなら排水溝から十分に距離が離れている。そして、自切する暇など与えない」

 

 ランサーが槍をゲル状生物へと突き入れる。

 変化は一瞬だった。

 ゲル状生物が一際大きく畝って叫びを上げた。この世の終わりの如き絶叫。それが断末魔の叫びとなって、見る間にゲル状生物は乾涸びたのである。

 その様を見た狗城は、自身が自らのサーヴァントに対して畏怖の念を抱くのを禁じえなかった。ランサーは一歩たりとも動いていない。この英霊にはその必要すらも無かったのである。先と同様に彼は月光に照らされながら、木箱に腰掛てただ爪を噛んでいる。そこには敵を滅した高揚もマスターを囮に使った謝意もない。恐るべき魔術生物はおろか自らの主の生死にすらも全く興味が無いとばかりに見下ろすランサーの瞳に、狗城は畏怖の念を募らせるしかなかったのである。

 

「全てが計画通りか? 賢人王。主を餌として囮に使うとはとんだサーヴァントだ」

「計画通り? 違うね。知っていたんだ」

 

 ランサーはそう言うと、自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

「さぁ、マスター、行くとしよう。もうここには何も無い。それに、夜は始まったばかりだ」

 








ランサーは最後に殺してやる。



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九人目

8人目、9人目?


 九条の旧市街の離れに居を構える管理者、御形の邸宅に今宵は四つの影があった。

 間桐と御形。今回の聖杯戦争における御三家の内、二つの家の聖杯戦争参加者である。その手には互いに令呪が顕現している。

 

「するとご老人は冬木の聖杯戦争において死亡した、と」

「ええ、間違いなく。結局、天の杯は成りませんでした」

 

 御形の若当主の問いに間桐の少年が答える。少年は部屋の中だというのに顔を隠すようにフードを被っており、その表情はようとして知れない。部屋が薄暗いということもあって、人という形から頭だけがぽっかりと抜け落ち、そこに眼だけが浮かんでいる様に見える。

 それは彼の背後に佇む影と真逆の光景であった。

 部屋の薄闇の中に四肢の陰影は溶け込み、輪郭すらも曖昧に、存在感と共に中空に仮面だけが浮かんでいるのだ。正しく、間桐の少年の召喚したサーヴァント、アサシンである。

 

「では君があの怪物の意思を継ぐと?」

「いえ、全くそんな気はありません。むしろ、真逆ですね。僕はただあの爺の敷いた運命を否定したいのですよ。間桐の悲願を踏み躙って、ゲラゲラと笑いたいんです」

 

 そう言って、彼は笑った。闇の中で瞳が弧を描く。その目に宿っているのは狂人独特の猛執の光だ。元々この聖杯戦争の為だけに用意された間桐臓硯の傀儡である。冬木の聖杯戦争で操手である臓硯が死に、精神に疾患を来したのだろう。

 そう御形家当主、御形充は結論付けた。

 

「ふむ、では、君は、えーと、何と呼べば良いだろうか?」

「マキリと呼んで下さい。名前は持っていないのでね。ただのマキリだ」

「では、マキリ君。君は、この九条の擬似聖杯には興味が無いと?」

「ええ。それに、私では勝ち残れませんからね。そして、貴方を頼ったのは正解だった」

 

 少年、マキリは笑いながら、御形の背後に目をやる。部屋に満ちる圧迫感と獣臭の源。人ならざる存在。御形の召喚したサーヴァント、アヴェンジャーだ。

 その身体が揺れ、同時に女の喘ぎ声が上がった。蒼い衣が足元に落ちており、半裸のその逞しい背には女の腕が巻きついている。男が身体を揺する度、女の切なげな喘ぎ声が上がる。既に男と女の臭いが部屋中に漂っていた。この英霊、アヴェンジャーはあろう事か、敵となりうる魔術師がサーヴァントを連れて家に上がり込んでいるというのに、主を放って女を抱いているのである。何れにせよ、肝が太い事は間違いない。

 しかし、それをマスターである御形は叱責しなかった。

 する必要が無い。獅子の前の肉に蠅が一匹止まっただけの話だ。恐らく、今、この瞬間に、眼前の魔術師とサーヴァントが御形を殺しに掛かっても、マスターが死ぬ前にアヴェンジャーは苦も無く二人を肉塊に変えてのけるだろう。そしてそれは、マキリもアサシンも気付いている筈だった。この英霊の放つ、圧倒的な暴の気配を。

 

「あれは?」

「ああ、昨日捕らえた女魔術師だ。聖杯戦争に参加するつもりだったらしい」

 

 マキリの質問に御形は平然と答え、アヴェンジャーの方を向く。

 

「王よ。お戯れもそこまでにして頂きたい。マキリとの同盟の――」

「クク、戯れとは、それはこちらの台詞だぞ、我が主よ。浅慮は済んだか? 全ては俺に任せておけば良い。心配せずとも存分に蹂躙してやるさ。他の魔術師、サーヴァント共、その一切を、須らく全て奪い尽くして、殺してやる」

 

 アヴェンジャーが肩越しに言い、怖気の走る哄笑が響く。

 

「クク、聖杯の力を以って受肉を成し、かつての様に、この世界に消えぬ傷跡を残してやる。俺という恐怖を誰も忘れぬ様に」

 

 御形は苦笑を返す。

 

「王よ。ゆめゆめ油断めされるな。貴方がそうであるように、敵もまた、超常の英雄英傑なのですから」

「油断するな、か。確かにそうだな。俺は英雄とは戦った事がない。前回は英雄とは俺の走狗だった者達に与えられた称号だった。敵は全て死んでいくだけの藁に過ぎなかった」

 

 アヴェンジャーはマキリの背後に立つ漆黒のサーヴァントを睨めつける。

 

「アサシンよ、お前はどちらだ?」

 

 黙すアサシンに代わって、マスターであるマキリが応える。

 

「我がアサシンは間諜のサーヴァント。必ずや、お役に立ちましょう」

「だ、そうだ、アサシン。我に従え。さもなくば死ね」

 

 アヴェンジャーは腕に抱いた女を自らの衣の上に座らせると、立ち上がり言った。

 

「では、楽しい戦争を始めようか」

 







参戦人数が多いのは仕様です。


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登場人物紹介

 登場人物紹介

 

□ウェイバー・ベルベット

 

時計塔講師。

ライダーとの再会の為に聖杯戦争に参加しようとしていたが……。

ライダーとマドカに振り回される苦労人。

 

□須山マドカ

 

ウェイバーの教え子。ライダーのマスター。

ウェイバーへの恋慕から彼の役に立とうと勝手に聖杯戦争に参加する。

降霊魔術の使い手。

 

□ライダー

 

マドカの召喚したサーヴァント。『騎乗兵』の英霊。

赤銅の巨漢。その真名はマケドニアの征服王イスカンダル。

 

□オーギュスト・エイカー

 

時計塔講師。アーチャーのマスター。

更なる力と名声を求めて聖杯戦争に参加。

時計塔屈指の土人形使い。予想外のアーチャー召喚に勝利を確信する。

 

□アーチャー

 

オーギュストの召喚した黄金のサーヴァント。『弓兵』の英霊。

その真名はウルクの英雄王ギルガメッシュ。

 

□ノイマン・B・ラドクリフ

 

錬金術師。擬似聖杯の器を作成。

聖杯を勝ち取るべくアルファを送り込む。

 

□アルファ

 

ラドクリフの戦闘用ホムンクルス。セイバーのマスター。

ただノイマンの命じるままに聖杯戦争に参加。

錬金術と身体操作によって戦う。

 

□セイバー

 

『剣士』の英霊。

聖杯を邪教の者に渡さぬ為に参戦。

アルファが放っておけない様子。

 

□イル・バナード

 

商人。ルーラーのマスター。

小金を稼ぎに来たつもりが、成り行きで聖杯戦争に参戦してしまう。

令呪と英霊を他の参加者に高く売り付ける事が目的。

ルーラーを嫌悪しているが、それを悟られない様に振舞う。

 

□ルーラー

 

『統治者』の英霊。

急拵えの召喚により散々たるステータスとなる。

何故か自らの勝利を確信している様子。

 

□狗城直衛

 

傭兵。ランサーのマスター。

参戦目的不明。気孔と近代武器を使いこなす。

ランサーを完全には信用していない。

 

□ランサー

 

『槍兵』の英霊。

同じく参戦目的不明。

どこか勝利への執着が無い様に見える。

 

 

□金剛地武丸

 

武芸者。バーサーカーのマスター。

代行者サヴィオと戦う為に九条に訪れ令呪を得る。

そのまま戦闘を求めて聖杯戦争に参戦。

 

□バーサーカー

 

鬼の面をつけた童女。

バーサーカーだが言語を解し、暴走しがちな武丸のストッパー役。

 

□サヴィオ

 

元代行者。キャスターのマスター。

参戦目的不明。キャスターを召喚した事で勝利を確信する。

 

□キャスター

 

『魔術師』の英霊。

同じく参戦目的不明。

 

□マキリ

間桐の魔術師。アサシンのマスター。

参戦目的不明。間桐に恨みを抱いているらしいが……。

 

□アサシン

 

『暗殺者』の英霊。気配遮断のスキルを持つ。

 

□御形充

土地の管理者。アヴェンジャーのマスター。

 

□アヴェンジャー

 

『復讐者』の英霊。

圧倒的な存在感を誇る。

受肉を成す為に聖杯戦争に参戦。

 





簡単に登場人物の紹介。
ステータスは無し。

しかし評価って付かないもんだねぇ。
さびしいぜ。


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第二幕 英霊集結
英霊集結


「ふむ、始まったと見て、間違いない様だね」

 

 九条の街外れにあるラドクリフ家の洋館の一室。テレビを前に白銀の英霊、セイバーは言った。テレビ画面では燃え盛るホテルの一室が映っている。金切り声を上げるレポーターが何事か叫んでいる。どうやら先程、九条繁華街近くのホテルにて爆弾騒ぎとそれによる火災があったらしい。先日から起こる住民の失踪・怪死と共に市全域に厳戒態勢が敷かれた上での事であった。

 勿論、ニュースの内容は審判役を務める教会によって情報統制が入っているにしても、これは一戦やらかしたと見て間違いあるまい。全ての英霊が出揃い、審判役から聖杯戦争の開始が言い渡された直後の事である。

 セイバーはテーブルの上の皿から胡桃を取ると片手で器用に殻を割って中身を食べた。

 

「マスターは、どうする気かな?」

「知れた事。全て倒す。それが父様から与えられた至上命令だもの」

 

 マスターであるホムンクルスの少女は当然とばかりに答える。少女の言葉の自信は虚勢ではない。彼らは圧倒的に有利な状況にある。御三家の一角ラドクリフ家の手回しによって敵地の中に強固な工房を構え、今回の聖杯戦争において最強の戦闘能力を持つ魔術師が最優のサーヴァントであるセイバーを召喚したのだ。正に磐石の布陣である。

 

「苛烈だね。だが、それは結果に過ぎない」

 

 セイバーが親指で胡桃を弾く。胡桃は真っ直ぐに飛んで、窓の外、庭の向こうの通りにある電柱の上に止まっていたカラスを射抜く。

 

「あれは……」

「使い魔だね。視線が四つ。この拠点は既に敵にも知られている様だ」

 

 言いながらセイバーは塀の上に座っていた猫へと胡桃を飛ばして撃落とし、少女へと向き直って微笑む。

 

「では出掛けようか」

「出掛けるって、どこへ?」

「さて、何処にしようか? 何にしても、こんな所にいたって気が滅入るだけだろう?」

「意味不明。拠点を放棄するつもり?」

「いや、そんなつもりは無いさ。少し、辺りを見て回るだけだ。そうだな、マスター。君はどう行動するべきだと考えているのかな?」

 

 批判の言葉を述べたマスターに対して、セイバーは肩を竦める。アルファは淡々と続けた。

 

「聖杯戦争の序盤は様子見がセオリー。私達は強固な工房というアドバンテージがある。この工房内で守りを固め、使い魔で情報を収集する。動き回らなければならないのは寧ろ強固な拠点を確保出来ない外来の魔術師達、それと、アサシンやバーサーカーのマスターとなった者達」

「へぇ、何故そう思う」

 

 セイバーは笑いながら腕を組み、アルファへと問うた。本来、各英霊には召喚された時点で聖杯戦争についての知識が備わっている。アルファはセイバーの真意が分からず、苛立ちを感じながらも、問いに答える。

 

「消耗の激しいバーサーカーで長期戦は無理。マスターが保たない。正攻法で勝ち目の無いアサシンも同じ。敵の情報収集が生命線になる以上、動かなくてはならない。外来の魔術師達はどう頑張ってもそれ程強固な工房を築けない。時間が無いし、拠点を強化すればするほど他の魔術師に居場所がバレやすくなる。例外はキャスターくらい」

「他のマスターについての情報は?」

「今判明しているマスターは六人。正確には六組。御三家の私、マキリ、御形。時計塔の講師オーギュスト。元審判役の聖堂教会所属の神父サヴィオ。東欧の魔術師フォンダート兄妹。もう一人時計塔から参加すると聞いていたけど、そちらは結局、参加出来なかった。だから、残る一人は不明」

「ふむ、彼らについて詳しい情報はあるのかい?」

 

 セイバーが続けて問い、アルファが返す。

 

「マキリの拠点は南東の住宅街にある古い一軒家。蟲を魔術によって使役する。御形の拠点は旧市街の外れにある。魔術の種類は不明。時計塔のオーギュストは駅前のホテルを拠点に選んでいる。拠点を隠す気ゼロ。相当な自信家だけど、それに見合う実力はある。時計塔屈指の土使い。元監督役サヴィオの拠点は不明。元代行者らしく、戦闘経験、身体能力は断トツと見るべき。フォンダート兄妹も拠点不明。音を操り、暗殺を得意とすると聞いてる」

「良く知ってるね。その情報はどこから?」

「父様が私の為に調べてくれた物だから間違いない」

 

 アルファはそう断じた。それを聞くと、セイバーは一度目を閉じて黙り込み、何事か考え込んでいたが、少しすると元の柔和な表情に戻る。

 

「ふむ、成る程。では他の参加者はどう行動する?」

「優先的に令呪を与えられる御三家、マキリと御形は安定して戦闘能力の高い三騎士の残り、ランサー、アーチャー、もしくは強力な宝具を持つ英霊が多いライダーのいずれかを召喚した筈。時計塔のオーギュストも多分そう。マスターは身を潜め、ランサー、ライダーの機動力、アーチャーの単独行動スキルを活かして偵察、哨戒行動を取る」

「何故、その三クラスだと思う?」

「安定して強い。消耗が激しいバーサーカー、大した戦闘能力を持たないアサシン、対魔力スキルを持つ相手に絶対不利のキャスターを、早い段階で降霊可能な御三家の人間が態々選ぶ理由が無い。そして、オーギュストが拠点の隠匿に力を注いでいないのも、自身の力の誇示だけでなく、強力な英霊を従えているからだと推測出来る。それに、彼等は強力な英霊を呼べる触媒を得られるだけのツテもある。戦闘に秀でたクラスは御三家とオーギュストで独占していると見て良い」

「ふむ、成る程。では他のマスターは?」

「外来の魔術師達については詳細不明。でも、行動は大体分かる。バーサーカーのマスターは敵を探してセットで徘徊」

「何故、二人一緒で徘徊すると思う?」

「理性も対魔力スキルも持たないバーサーカーの単独行動は自殺行為。そして、対魔力スキルを持たないバーサーカーでは敵の工房内での戦闘に耐えられない。故に、獲物を探して徘徊。キャスターのマスターは陣地作成一択。アサシンはマスターは身を潜めつつ、情報収集」

「何故、アサシンは単独行動する?」

「下手に二人で出歩くとアサシンが持つ気配遮断スキルの邪魔にしかならない。それに、戦闘になった場合、アサシンの戦闘能力ではマスターを護りきれない」

 

 アルファは一度言葉を切って自らのサーヴァントを見据えた。相変わらず彼は笑っているばかりでその真意は見定める事はアルファには出来なかった。彼女は続ける。

 

「彼等は暗殺の機を待つ為、土地の龍脈上にあるであろう敵の拠点を探す。でも、御三家とオーギュストの工房には迂闊には踏み込めない。気配遮断スキルも万能じゃない。そして、アサシンの戦闘能力では三騎士には勝てない。それは向こうも分かっているはず」

「成る程、では僕等が取るべき行動は?」

「こちらに威力偵察を行う可能性のある御三家との戦闘に向け、万全の態勢で望む事」

 

 セイバーは首を振る。

 

「それでは不足だ。僕達が恐れるべきは、最優のサーヴァントに対して弓、槍、騎兵が手を組む事だ。一度、威力偵察に来たランサー辺りを逃がせば、これは癖の強い他のサーヴァントと違って簡単に起こりうる。拠点が互いに分かっている御三家達は接触が容易だしね」

「偵察に来た敵を工房内で確実に仕留めれば……」

「向こうも雌雄を決するつもりでは来ない。敵も英霊、逃げに徹されれば確実に落とせるとは言い難いな。宝具を使えば殺れるだろうが、僕の宝具は使えば真名がバレる。この拠点が敵の使い魔共に見張られてるとあっては、他の連中にもバレるだろう」

 

 セイバーは言いながら、腰の剣を指で叩いた。

 

「ではどうするの?」

 

 アルファの問いに、セイバーは笑顔を返す。

 

「先にランサー、アーチャー、ライダー辺りの誰かと組んでしまおう。バーサーカーを使い潰すのが最も美味いが、流石に無理だろうからね。さて、先の三騎を従えているであろう、マキリ、御形、オーギュストとやらについて詳しく分かるかい?」

 

 

 

 かくして、夜半、セイバーとそのマスター、アルファは監視の使い魔を処理した上で洋館を抜け出し、古臭い店屋が軒を連ねる商店街を通って南東の住宅街へと向った。目的地は御三家の一角、マキリの館。目的は同盟の申し入れだ。

 今は間桐と名を変えたマキリ家は、怪物と呼ばれた先代の当主が先日亡くなっており、今回参戦したのは新鋭の若造だと言う。得体の知れない御形よりも御し易し、との判断であった。先代同士が交流があった事もある。オーギュストを外したのは、自信過剰な手合いであろう点と、外来のマスターと組んでは、御形とマキリ、御三家同士の結束を呼びかねないとのセイバーの懸念からだった。

 尤も同盟成立と同時に御形、オーギュストと切り崩しに掛かる予定であるので、問題では無いのかも知れない。無論、彼等を先に叩くのは三騎士の二体が手を組んだとあらば、敵の更なる同盟を呼びかねないからだ。彼等さえ落としてしまえば、残る三騎が手を組んだとて恐るるに足らず、という訳である。

 

「セイバー、何故、貴方は霊体化しないの?」

「何故って、つまらないだろう? それに折角女性と店を眺めながら歩くんだ。当世風に言えばデートという奴じゃあないか? そのエスコート役たる男に、消えろってのは酷いんじゃあないかい?」

 

 セイバーはそう言って肩を竦めると、先程自動販売機で買ったアイスを一口齧る。彼はその銀髪を後で括り、ラドクリフの洋館にあった黒のスーツを着こなしている。どこか無機質な印象を残す美少女と一部の乱れも無くスーツを着込んだ優男。疎らに燈る街灯の下、シャッター街を歩く彼等の姿は、少々異質な存在と言える。

 とはいえ、辺りに人目は無かった。他の魔術師の仕業であろうが、既に先日から行方不明者や怪死者が出ている上に、更には爆弾騒ぎがあったばかりと来ている。夜半の人通りが無くなるのも無理は無い。

 

「貴方を現界させるにも大量の魔力が必要。こんな事で消耗は馬鹿らしいわ」

「こんな事とは心外だね。どの様な道であれ、道中楽しまなくては。それに、君にはこの程度、大した事は無いだろう? はい、どうぞ。冷たくて美味しいよ」

 

 セイバーはそう言ってアイスをアルファへと差し出す。彼女は暫しセイバーを睨んでいたが、やがてそれを受け取って口を付けた。

 

「美味……しい……?」

 

 口の中に広がった未知の食感に、アルファは怪訝な顔をする。それは彼女にとって未知の食感だった。何より、冷たくて、甘い。神妙な顔付きになっているアルファの顔を見て、セイバーは微笑んでいる。それがどうにもアルファには気に入らない。

 

「何?」

「いや、何も」

 

 ジト目で睨むアルファにセイバーはただ微笑を返す。それがまたアルファには気に入らない。

 

「貴方のやっている事は無駄だらけだわ」

「ふむ、そうかい? それより、アレなんか似合うと思うんだけど、どうだろう?」

 

 そう言ってセイバーは目の前を指差す。アルファが促されて視線を向けた先にあったのは、明りの落ちたブティックのウィンドウに飾られた白いワンピースだった。

 

「セイバー、貴方、あんな物を着る気?」

「僕が? ハハッ、マスター、君が着るんだよ。君は華奢だし、素材が良いからね。ああいう服が似合うんじゃあないかと思う訳だ」

「……意味不明。機能的じゃない」

 

 アルファはセイバーを睨み付ける。アルファはこの英霊が苦手だと改めて思った。ステータスは高いし、何より父様の選んだ触媒によって呼ばれた英霊なのだ。弱い筈は無い。しかし、軽口が多く、どうにも捉え所が無い。何より、真面目でないのだ。この聖杯戦争に対して。

 私が聖杯を持ち帰れるかどうかは、この英霊に掛かっていると言うのにッ!!

 憤懣を宿した少女の瞳を、セイバーは肩を竦めてやり過ごす。正に、柳に風、暖簾に腕押しといった体だった。アルファはどうにも堪え切れなくなって言う。

 

「真面目にやって、セイバー」

「ふむ、真面目に? それは心外という物だ。これでも私は、至極真面目にやっているのだがね。まぁ、良いだろう。では、マスター。今、僕達を付けている奴は誰だと思う?」

「えっ?」

 

 アルファは不意の言葉に頓狂な声を上げる。彼女は全く気付いていなかった。咄嗟に、アルファが敵の気配を探ろうとし、セイバーがそれを制する。

 

「あ、視線を送らない。索敵もしない。緊張が相手に伝わる。笑って笑って。何でもない会話をしている様に。一人じゃないね。幾つか視線を感じる。魔術師とサーヴァントに、使い魔かな」

「セイバー、いつから気付いていたの?」

 

 アルファは笑おうとして、ぎこちなく引き攣った顔で聞く。ムカつく事にセイバーはその様子に大きく笑うと、細い路地を指差す。示した先は目指す間桐邸とは逆方向だ。

 

「ちょっと前から、気配はあった。人気も無い事だし、誘い出そうか」

「正気とは思えない。速やかにこの場から離脱するべき」

 

 アルファは自らのサーヴァントの信じ難い言葉に我知らず声を荒げる。最早、彼女は自らの態度を気にかける余裕も無かった。当初の予定は既に崩壊している。敵に知られる事無く間桐との接触は最早不可能。否、この場に止まれば、敵サーヴァントとの戦闘は避けられまい。それも他の敵魔術師に監視された状態で相手取る羽目になりかねない。それだけは避けなければならなかった。

 

「ふふ、それは正論だが、正道ではないね。あらゆる道は切り拓く物だ。降りかかる火の粉は払わなければならない」

 

 対するセイバーはあくまで泰然自若とした態度を崩さない。

 その目は自負と自信に満ちている。しかし、彼が肉食獣を思わせる好戦的な笑みを浮かべ、その目に妖しい光が宿るのを見て取ると、アルファはどうしようもない不安に襲われるのだった。其処に在るのは伝承に語られる常勝の騎士では無く、戦闘を愉しまんとする戦鬼の貌だ。

 アルファは失策を悟った。自らのサーヴァントについて見誤っていたと。

 このサーヴァントを私は、御し切れるのか? どうこの場を切り抜ければ良い? 逃げる様にセイバーを説得する。どうやって? 令呪を切る? こんな序盤で?

 彼女の頭脳は目まぐるしく回転し、自問自答を繰り返した。アルファは幼子が抱くのと同種の焦燥で以って、言葉を探す。全ては、自らの存在理由の為に。彼女に全てを押し付けて高みの見物を決め込む父親の為に。

 しかし、結果として、それは徒労に終わる。

 セイバーが笑いながら言う。

 

「と、言うよりもね。既に敵の手の内みたいだ」

 

 弾かれた様に、アルファが周囲を見渡す。正に、その通りだった。

 街灯の明りも疎らな夜のシャッター街。そこに一切の人影は無い。

 余りにも、人気が無さ過ぎる!!

 

「セイバー、何時から!?」

 

 弾かれた様に視線を上げて、アルファは周囲を見回す。澱んだ魔力に拠る檻。何故、気付かなかったのか、彼らのいる商店街の一角を包み込む様に、すっぽりと辺り一円が魔術結界によって覆われている。

 アルファは、確かに今聖杯戦争における最高の戦闘能力を誇るマスターである。しかし、それはあくまでカタログスペックだけの話だ。創造されたばかりのホムンクルスである彼女には、吸収し、植えつけられた知識は在っても、経験は存在し得ない。ましてそれが他の魔術系統による物であれば尚更である。

 絶対的な魔術戦の経験不足。

 それこそが彼女の如何ともし難い弱点であり、彼女が結界に気付かなかった理由である。

 

「心配しなくて良い。何も問題は無いよ」

 

 緊張に身を固くするアルファに、セイバーは普段通りの優しい微笑みを向け、その頭をくしゃくしゃと撫でた。その笑顔を受けて、アルファの脳裏にある予感が過ぎる。彼女は即座に何事か説得を試み様とした。しかし、口から出たのは短い悲鳴だった。

 

「ヒッ――」

 

 突如、空気が変質した。

 セイバーがその魔力と闘気を周囲へと発したのである。

 剣の英霊の臨戦態勢。その恐るべき剣気による圧迫感は、戦闘特化ホムンクルスであるアルファにすら死というものを理解させるに余りあった。

 気圧されたアルファが一歩飛び退く。そして、セイバーに動きが無い事に気付き、自らの胴が繋がっている事を確認すると同時に、彼女のその身体から汗が噴出した。

 

「な、何を――」

 

 アルファが抗議の声を上げ、セイバーが遮る。

 

「静かに」

 

 その気当てに反応したのはアルファだけでは無かった。

 

「反応、二つ――見ィつけた」

 

 セイバーは後方に振り返り、不敵に笑う。

 

「敵だ、マスター。先に行く」

 

 言葉と同時に霊体化したセイバーの姿が掻き消える。彼の眼は既に追跡者の影を捉えていた。敵へと向ったセイバーの魔力を追って、直ぐにアルファも走り出す。

 ここに聖杯戦争、緒戦の火蓋が切って落とされようとしていた。

 

 

  #####

 

 

「ふうむ、空気が変わったな。何とも心地良い闘気を放つものよ。成る程、狙われておると見て、受けて立つ腹積もりか。あの英霊、相当な自信家らしい」

 

 同刻、セイバー達の遥か上空、神威の車輪上に仁王立ちし、ライダーは腕を組んでそうごちた。傍らに立つ彼のマスター、マドカは目を凝らして地上を見つつ、自らのサーヴァントに問いかける。

 

「こちらには気付いたかしら?」

「さて、どうであろうな? 既に、何人か、集っておるようだからのぅ!!」

 

 答えるライダーは心底愉快そうな笑みを浮かべ、遥か眼下を見下ろしていた。これから始まるであろう激闘の予感に高揚しているのに違いない。

 

「ラドクリフが偵察用の使い魔を始末したのは裏目に出たみたいね。ラドクリフが動くとみて直接様子を見に来た連中が他にもいるみたい。どうするの、ライダー?」

「仕掛ける――と、言いたい所ではあるが、ふむ、幾人か出揃うまで、もう少しばかり様子を見るか。もっと面白い事態になるやも知れぬ」

「ふぅん、仕掛けるのね」

 

 そう呟いたマドカの顔を見てライダーは怪訝な顔をする。

 

「おい、嬢ちゃん、そりゃあ――」

 

 マドカの左目が燃えていた。比喩ではない。確かに彼女の左目が青白い炎に包まれているのだ。マドカが続ける。

 

「敵は四人。五騎結集って事かしら」

「ほう、分かるのか?」

 

 マドカの索敵能力に感心し、嬉しそうに笑うライダーの顔はどこか餓えた獣を思わせる剣呑な雰囲気を纏っていた。腰の剣に廻した指に力が込められているのが見て取れる。マドカは釘を刺す。

 

「ええ、見える。ライダー、私達は負けられない。分かってるわよね」

「フン、誰に向って言っておる。無論であろう」

「オーケー、気張るわよ」

 

 にやりと笑うライダーに、微笑を返すマドカ。彼女は足元のトランクケースを開くと、人形を取り出した。カラベラ人形と呼ばれるそれは、メキシコで死者の日に飾る子供大の髑髏の人形だ。それぞれが色の違う服を着飾り、その手に武器を持っている。

 

「何だそれは?」

「私の、戦闘用魔術礼装」

 

 その言葉と同時に、彼等しゃれこうべの顎がカタカタと音を立ててさざめき始めた。

 






本格的に戦闘開始。
もうちょっと導入部は続きます。


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アーケード上の死闘

「ふむ、アレは一戦やらかすか?」

「本気かしら? 私達にとっては都合は良いけど」

 

 走り出すサーヴァントとそのマスターの姿を見つめる二つの影。バーサーカーとそのマスター、金剛地武丸である。彼らは商店街の外れのアーケードの上に陣取っていた。標的であるセイバー達とはおよそ二百メートル程の距離である。

 彼等の行く先にはサーヴァントがいる筈だ。先の気当に反応した魔力の揺らぎは二つ。あの英霊は見逃すまい。そして、この状況、上手く先んじて敵を発見出来た、と言うよりは、釣られたと見る方が正しかろう。

 あの英霊はわざと気配を断たず、敵を誘っていた。

 発見された奴等や、武丸達がその気配に釣られて集まってくるのを待っていたのだ。

 そしてこの人払いの結界。武丸は息を呑む。

 

「いや、先程の闘気は本物だった。バーサーカー、酔いはどれ程で醒める?」

「まだ、ちょっと掛かるわよ。って、まさか……」

 

 バーサーカーは信じがたい物を見る様な目で、自らのマスターを睨む。武丸は気にした風でもなく、快活に笑う。

 

「おう、闘らぬ理由はなかろうよ」

「ちょっと、待ちなさい。勝手に潰し合ってくれるのよ。静観するのが当然でしょ!?」

「そんなつまらん事を言うなよ。奴はどこからでも来いと言っておる。挑まぬは恥だ。それにな、早くこの酒の効果の程を試したいのだ」

 

 武丸はそう言って紅い紐で縛られた瓢箪を揺らした。恐るべき魔力を秘めたそれは召喚時にバーサーカーが持っていた品、バーサーカーの宝具である。この御神酒こそがバーサーカー、狂戦士が理性を持つと言う矛盾、そのカラクリの種であった。

 

「アンタねぇ、ちょっとは――」

「いや、どうやらそう考えているのは我々だけでは無い様だぞ」

 

 バーサーカーの言葉を遮り、武丸が言う。その不敵な笑みは、前方、行く手を塞ぐようにアーケードの上に立つ一人の男に向いていた。

 風に靡く銀髪に蒼の鎧、純白の肌に手にした長槍。そして、その人ならざる気配と魔力。

 槍の英霊、ランサーと見て間違いあるまい。

 

「あの得物、ランサーか」

「三騎士の一角か。退くわよ、マスター」

 

 武丸の横でバーサーカーが言った。

 三騎士。聖杯戦争に呼ばれる七騎の英霊の中でも耐魔力スキルを持ち、直接戦闘能力に長けるセイバー、アーチャー、そしてランサーの三騎。中でもランサーはその敏捷性の高さから最速のサーヴァントと呼ばれる存在だ。

 

「いや、押し通る。相手が変わっただけの事。是非もない展開だ」

 

 武丸は親指で腰の太刀の鍔を押し上げる。

 

「それに、奴からは逃げ切れまいよ」

 

 武丸は周囲に目をやった。中空に浮かぶルーン文字。既にランサーの隠匿のルーン魔術によって、ここは何が起ころうと周囲から認識出来ぬ状況になっている。

 向こうも闘る気とあれば最早、是非も無い。武丸の魔術回路が瞬時に活性化し、強化の魔術が唱えられる。と同時に、武丸は瓢箪の酒を一口煽った。およそ数秒、彼は完全な臨戦態勢に入る。

 

「お前が人払いの主か。俺の名は、金剛地武丸。異国の英霊よ、いざ、尋常に勝負!!」

 

 名乗りを上げたマスターを無視して、バーサーカーはその前へと歩み出る。

 

「何やってる、バーサーカー」

「クラス名を敵の前で呼ぶなと……。もう良いわ。馬鹿に何言っても無駄だもの。二人掛かりでやるから合わせなさい」

 

 呆れ顔のバーサーカーは一つ大きく溜息を吐き、ランサーへと向き直った。

 

「何を言ってる。二人掛かりなど」

「何言ってんのよ。コイツ、並みの英霊じゃないわ」

 

 バーサーカーは顎をしゃくって言い、それから、武丸を睨む。武丸の顔にはありありと不満が滲み出ていた。否、彼は不満だった。女子供だからだろうか。自らのサーヴァントが作法は元より、ここまで機微の分からぬ野暮天だとは。彼は一度大きく息を吸い――

 

「ふふ、来ないなら、こちらから行くぞ」

 

 その言葉はその槍より遅れて届く。ランサーは悠々と、武丸とバーサーカー、二人の死線を踏み越えた。その踏み込みは、強化と酒により数倍に鋭敏化した武丸の眼を置き去りに、バーサーカーにすら反応を許さない。

 

「えっ」

 

 バーサーカーの頓狂な声と同時に、ランサーが背に回した槍の石突がバーサーカーの腹に打ち込まれる。バーサーカーの身体が衝撃に宙に舞い、続く音速の踏み込みから放たれる超音速の刺突が武丸へと迫る。

 絶死の一撃を前に、上がったのは血風ではなく金属同士の擦過音と火花のみ。武丸は身を引きながら鞘を引き上げ、寸での所でランサーの槍を逸らしていたのである。緊迫する武丸と、笑うランサー。即座にランサーの槍が回転し、その柄が武丸の側頭部へと向って空を切る。

 弾ける様な音の後、武丸の身体が大きく傾いだ。裂けた額から血が垂れる。しかし、武丸の眼光に揺らぎは無い。彼は抜き放った太刀の柄頭で柄の一撃を受けていた。その身体が獲物を狙う肉食獣の如く沈み込む。

 

「へぇ」

 

 と感嘆を漏らすランサーの背後、バーサーカーが地面に着地した。と同時に、その左手が腰に下げた鉈を掴む。二振りの大鉈、その一本は、既に彼女の右手に握られている。彼女もまた、ランサーの初撃を鉈の腹で受け、自ら後方に跳ぶ事で、その衝撃を殺していたのである。

 バーサーカーの腕が翻り、左右の宙に鉈が舞う。空中に放られた鉈は、柄に巻かれた縄によって繋がっており、その縄はバーサーカーの手に握られている。

 その腕が翻り、風を切る音と共に、鉈が飛んだ。

 背後より頭へと迫った大鉈を、ランサーは一瞥もせず、横に跳んで避ける。遠心力と鉈の重みによる凄まじい一撃。獲物に避けられた大鉈は代わりに足場であるアーチの鉄柱を易々と切り裂いてバーサーカーの元へと引き戻される。

 その着地の一瞬の隙に、武丸はランサーへと飛び掛かった。鞘から抜くと切るの動作を同時に行う横薙ぎの抜刀術。その斬撃をランサーは槍を立ててその柄で防ぐ。金属同士が打ち合い火花が瞬き、それが消える間に、彼らは三度切り結んだ。

 抜刀術を防ぎ、刃を弾くと同時にランサーの槍が縦に回転し、切っ先が武丸の頭上へと降ってくる。それを左手で引き抜いた鞘で受け、武丸は身体を沈ませ前に出た。一瞬の接近。その踏み込みと同時に、右手に握った刀が跳ね上がり、武丸は逆袈裟に切り込んだ。

 しかし、届かない。距離を詰めたと見えた刹那の後には、ランサーが一歩、武丸に倍する速度で後方に飛退き、敵の間合いの外へと脱している。

 槍の切っ先がランサーの手元に引き戻される。その全身の速度を次なる突きに込めるべく、ランサーは姿勢を落とし――横に跳んだ。

 同時に、ランサーの立っていた場所を旋回する大鉈が擦過する。背後から飛び掛かったバーサーカーの一撃である。バーサーカーの繰る旋回する大鉈は正に竜巻の如し。

 遠心力によって加速する鎖鎌をはじめとする鎖状武器の先端は目を超える。このバーサーカーの大鉈はそれ所ではない。目に映らず、触れればコンクリートや鉄柱だろうと容易く膾にしていく様は正に手の中の竜巻だ。

 体勢を立て直す隙は与えない。間髪入れずにバーサーカーがランサーを追って、その右の大鉈が触れるアーチの鉄柱をバターの様に刻んで行く。ランサーが迫り来るその右手の大鉈を一瞥した瞬間、彼女は回転させていた左の大鉈に繋がる縄を放した。

 解き放たれた左の大鉈は旋回しながら大きく弧を描いて飛び、ランサーの視覚の外から蛇の如くうねりを上げて迫る。その瞬間、ランサーの身体が沈み込み、胴を両断する筈だった一撃は肩口を僅かに抉ったのみに止まる。

 即座に大鉈を引き戻し追撃を掛けるバーサーカーと身体を起こし跳び退くランサー。

 追う者と追われる者、二人の構図は変わらない。

 易々と優位を捨てる程、このバーサーカーは甘くない。しかし、ランサーも然る者。最速のサーヴァントと称される槍の英霊である。背後より迫る死の旋風を前に、ただ逃げるのみの彼ではない。ランサーは一歩、二歩と飛退きながら反転し、その勢いのまま槍をバーサーカーへと突き放つ。

 

「その程度、甘いのよッ!!」

 

 大鉈が槍の穂先を打ち払う。と同時にランサーの手が槍の柄を滑る様に移動し、衝撃を利用し彼の身体が回転する。ランサーの手の中で槍が旋回し、大振りの横薙ぎがバーサーカーの頭へと迫る。

 バーサーカーは一歩飛退いてそれを避け、そして、見た。

 

「俺を無視してくれるなよ」

 

 刀を振り上げランサーの背後から飛び掛る武丸と、親指を一舐めし笑うランサーを。

 

「勿論、そんなつもりは無い」

 

 咄嗟に背に奔った怖気に従い、バーサーカーが叫ぶ。

 

「避けて、マスターッ!!」

 

 ランサーの身体が回転し、槍が続く形で旋回する。バーサーカーに放った横薙ぎの勢いをそのままに、槍の穂先は大きく弧を描いて武丸の足へと迫る。正にその一陣の死の風は次の瞬間、武丸の両足を切り落とすだろう。

 その一撃を前に、武丸はにやりと笑う。

 

「そいつは重畳だ」

 

 言うと同時に、武丸は跳んだ。槍は空を切ってその足下を通過し、武丸は上段からの渾身の打ち込みを放つ。ボコリと盛り上がった背なから腕の筋肉が収縮する様はボーガンの弦の如し。しかし、放たれる重さと速度はその比ではない。

 殺った!!

 そう武丸に確信させるだけの完璧な拍子であった。それは酔いからくる高揚では決してない。返し技としてこれ以上は無いタイミングだった。大振りの隙は致命的な物だ。ランサーは自らの槍の威力故に跳躍し避ける事も、槍を引き戻し受ける事も最早適わぬ。彼が体勢を整えるよりも確実に早く、武丸の刃は彼を断つ。

 故に、武丸には理解が出来なかった。

 ランサーの槍の穂先が蒼く灰光った。と同時に、武丸の足下を通り過ぎた槍が慣性の法則すら無視して倍速で巻き戻り、跳ね上がる。それは武術に非ず。魔の理に因って物理法則すら無視した軌道を描き、槍の穂先は武丸の額、先程付いた傷に向って突き進む。

 

「う、うおぉおおおおおおお!!」 

 

 金属を打ち合わせる一際大きな音が響いた。

 飛び掛った勢いのまま武丸の身体がランサーの脇を抜け、バーサーカーの隣へと着地する。彼は反転し、ランサーに向き合った。およそ一拍の間の後、ぽたりと傷口より零れ出た血が地面を塗らし、武丸の身体が大きくふら付く。

 その貌が血に塗れた。槍を受けた額の肉が大きく削ぎ落とされ、そこから一筋二筋と流れた血によって赤く染まった双眸は、しかし、狂気染みた光りを以ってランサーを真っ直ぐに見据えている。まだ彼の意思は萎えていなかった。

 してやられた怒りと敵の技量への驚嘆と賛美、一瞬の死の影と快悦、それらが混ざり合って溶け、倒れようとする身体とは裏腹に、彼は奮い立っている。そこに生だの死だのという感情は既に消え、その胸中には戦う意思だけがあった。

 その極限状態が故に、武丸は自身を襲った不可思議な現象に気付かなかった。額を切られたにしては出血が少な過ぎる。また、致命傷というには傷が浅いにも関わらず、武丸の身体は深刻な状態にあった。否、確かに彼は大量の血液を失っていた。

 

「やる。今のを防いだばかりか、まだ立つか」

 

 ランサーが笑いながら賛辞を送る。その槍の穂先が蒼い光りと魔力を放っていた。否、それだけでは無い。その槍の刃先に付着した血が内に吸い込まれて消えていくのだ。何と凄絶な光景か。咽鳴りの音と共に槍は蒼い光りを放つ。その魔槍は武丸の血を呑んでいるのだ。

 揺れる視界の中で武丸はそれを見つめる。

 物理法則さえ無視した軌道を描き、敵の血を吸う魔槍。

 正しく、この槍はランサーの宝具に間違いあるまい。

 宝具が発揮する効果は大別して二つ。その真名の解放と同時に一撃必殺の大威力を発揮する物。もう一つは武器がそもそも宝具としての性質を帯びた利器型の物。

 過剰分泌された脳内麻薬によって痛みは既になく、血を失った事で却って武丸は冷静になっていた。死の淵にこそある無謬の精神。ランサーの槍は後者と見て間違いなかろう。

 

「マスターから、離れろッ!!」

 

 バーサーカーが吼え、大鉈が空を切って飛ぶ。ランサーは難なくそれを弾き落とし、一歩飛退いた。するとバーサーカーはそれを追わず、マスターである武丸の方へ寄り。

 

「傷を見せなさい。少しなら治療魔術も使えるから」

 

 心配そうに武丸を覗き込むバーサーカーの手を、武丸は振り払う。

 

「良い。やめろ。今は奴から目を切るな。この程度の距離、奴の足と槍ならば一瞬だ。気付いたらあの世になりかねん」

 

 武丸は刀を構え、霞む視界が拭った傍から赤く染まるのを見て、力無く笑った。

 

「悪い。やっぱり無理だ……。止血してくれ」

「馬鹿。もうアンタは引っ込んでなさい」

 

 バーサーカーが片手を翳し呟くと同時に、武丸の額から流れていた血が止まり、視界の揺れが収まる。失血は止まり、痺れていた指先に力が戻る。

 バーサーカーが武丸の治療をする間、およそ数十秒。武丸の苦慮とは裏腹に、ランサーは槍を担ぎ上げ、笑いながら立っていた。

 待っていてくれたのか?

 回復と同時に、武丸は嬉しくなって常の豪放な笑みをバーサーカーに返す。

 

「そりゃあ……、無理だ。こんな有名な英霊と闘れるチャンスを逃してたまるか。それに、二人掛かりでこの様だ。一人じゃ勝てんだろう?」

「へぇ、僕の正体に気付いたかい?」

 

 意外だと言う様なランサーに、武丸は自信満々に応じる。

 

「フン、当然だ。ルーン魔術に通じる槍使い。雪の様に白い肌と銀の髪。そして血を吸う月光の如き蒼槍とくれば、一人しかいるまいよ。迂闊だったな。ケルトの英雄、『フィアナ騎士団長』フィン・マックール」

「えっ」

 

 武丸の言葉に驚きの声を上げたのは、誰あろう彼のサーヴァントであるバーサーカーである。武丸は少々苦々しい顔で、隣に立つ少女を睨めつける。

 

「何故、お前が驚く」

「あ、いや、その、マスターが色々考えて闘ってるのが、ちょっと意外だったから」

 

 バーサーカーは頬を赤らめ、ばつが悪そうに笑う。

 

「お前は俺を何だと思って――」

 

 やりとりの途中で、武丸は咄嗟に身構える。その刀を握る手に我知らず力が入っていた。隣に立つバーサーカーも同様だ。

 ランサーの纏う空気が変質していた。

 緒戦にしてその真名を暴かれたランサーは深い笑みを返す。

 

「迂闊、迂闊か。ふふ、それ決めるのは君じゃない。死者は剣を取れない、語らない、何も出来ない。だから、真名が分かった所で構わない。にしても、随分と余裕だねぇ。君達今、生死の縁に立ってるという自覚はあるかい?」

 

 ランサーは片手で槍を回し、その切っ先を武丸に向けると、逆手の親指を舐める。

 ランサー、フィン・マックール。

 ケルト神話における大英雄。数多の英雄英傑が集うフィオナ騎士団の最盛期を築いた騎士団長。その最も有名な逸話としては知恵の鮭からこの世全ての知識を得た彼は、親指を舐める事でその叡智を授かる事が出来るというものだ。先程から、見もせずに難なく武丸やバーサーカーの攻撃を避けた種はこれであろう。彼は見ずとも知っていたのだ。

 本気で来る。

 武丸とバーサーカーがランサーを前にそう予感した時、彼らの元へ一際大きな魔力の揺らぎが届いた。方位は、ここより東北東。先のサーヴァントの向った方向である。恐るべき魔力の気配は、英霊同士の戦闘が始まった事を示していた。

 ランサーが笑う。

 

「ふふ、向こうも始まった様だ」

 

 

  #####

 

 

 セイバーにとってはここまで全く予想通りの展開だった。使い魔共に監視されている状況、恐らく間桐の屋敷の方も、であるならそもそも秘密裏に接触等出来る筈も無い。先ずは邪魔者共を散らす必要があった。

 そして、元より、推測によって動いている部分が多過ぎる、と彼は考えていた。間桐が三騎士の一角を従えているとする仮説も実際の所は分からない。マキリのマスターが若造だと言うのなら、地力の差を埋める為にバーサーカーを召喚する事も考えられる。それに、例え触媒があったとて確実に目当ての英霊を目当てのクラスで召喚出来るとは限らない。そもそも触媒となる聖遺物の入手に手惑えばクラス選択も糞も無い。

 間桐の人間が取り合えずの同盟を組むに値するかどうかも不明だ。度し難い危険人物である可能性もある。こちらは相手の人と成りすらも分からないのだから。で、あるならば、相応しい敵を釣り出せば良い、とセイバーは考えた。

 自ら動いて敵を待つ。ランサーなりライダーなり、こちらに真っ向から挑める能力のある英霊なら同盟相手として不足は無い。そして、真っ向切って戦いを挑む様なマスターなら、奸智に長けているとは言い難い我がマスターが同盟を組む相手として最適である。多少自信過剰な位が丁度良いと言う物で、それが誇りある相手であるなら最高だ。

 漁夫の利狙いの第三者が登場するなら、それを相対したサーヴァントと同盟を結ぶ理由とするまでである。憂慮すべきは敵が即座に逃走するほど圧倒しない事、宝具による一発逆転を狙う程追い詰め過ぎない事。同盟を組むメリットを相手が感じる程度にはこちらの力を見せ付ける事。

 そして、不意を突いたアサシンの襲撃があろうともマスターを守り抜く事。

 セイバーは自らを追って走るアルファに視線を走らせる。父の為に働く娘。造物主の為に動く傀儡。愚かな子供。哀れな人形。そして、今生の我が主。

 聖杯を手に入れる為。かの聖遺物を邪教の者共の手に渡さぬ為、セイバーは参戦した。

 それが我が使命だと思っていた。

 使命は全てに優先される。

 人は何かを成す為に生を受けるのだ。

 そう思い、そう信じて、そう生きた。そこにあるのは苛烈なまでの信仰の熱だ。

 願いはあった。幾つも、幾らでも。

 彼の理想に共感し、それに殉じていった彼の同胞。皆、彼の力が及ばぬばかりに死んでいった。

誰より平和を望んだ彼の人生は、誰より戦火に彩られていた。理想とは誘蛾灯の様な物で、彼のそれは多くの者を惹き付け、そして死に追い遣っていった。神々は彼に祝福を与えたが、現実はどこまでも無慈悲だった。彼の王道とは殉教への道だった。

 しかし、人は戦わねばならぬ。

 人の権利とは全て戦いによって獲得された物だ。平和とはただ与えられる物ではない。

 戦い、戦い、戦い、その果てにこそ神は訪れる。

 ならば、全ては是非も無い。死した我が身は剣としてただ在るのみ。

 思考に耽るも一瞬に、霊体化したセイバーの視界をその速度故に街並みが駆け抜け。ビルの壁面を駆け上がった彼は、その屋上にて敵と対峙する。

 先のセイバーの気当てに反応したのは二人。しかし、そこに立っていたのは一人だけである。紫の鎧と金の髪。凛々しき顔と華奢な矮躯。しかし、その内より滲み出る闘気と魔力は人間のそれでは無い。

 彼女は何処までも真っ直ぐにセイバーを見据えていた。

 この敵手は単身、セイバーを待ち構えていたのだ。

 

「逃げ切れぬと悟ったか。いや、そんな目じゃあないな」

 

 セイバーは嘯きながら、相対した敵手に視線を返し、続けて問う。

 

「その清澄な闘気、騎士の一角と見るが、如何かな?」

 

 向かい合った瞬間に、互いの力量を知る。

 マスターがサーヴァントを召喚した事で得た透視能力ではない。彼等英霊の持つ幾多の戦闘経験のみが成し得る戦闘直感である。

 

「人に名を問う前に、自らが名乗るべきでは? とは言え、この様な戦とあれば、それもままならぬのですね。良いでしょう、私はルーラーのクラスを拠り代に現界した者。そちらの腰に差した剣、セイバーとお見受けしますが、如何です?」

 

 言葉と同時にルーラーの魔力が迸り、その手に彼女の得物が出現する。彼女の背丈よりも長い棒。先端には鋼細工が見受けられるが、刃ではない。槍ではなく棍と見るべき代物である。恐らくルーラーという英霊の正体に関わる代物なのだろう、呪布が巻き付けられている。

 ルーラーが苦も無くそれを一薙ぎし、風が舞い、周囲の空気が張り詰める。

 東洋に広く伝わる棍術や棒術、杖術の使い手か。その何れともセイバーは対峙した経験は無かったが、その時、セイバーに湧き上がっていたのは全く別の懸念であった。

 即ち、ルーラーのマスターの所在。

 セイバーの気当てに反応した敵手は二人。つまり、ルーラーは単独行動でなく、マスターと行動していた筈なのだ。その姿が今は無い。

 どこぞに潜んでルーラーを魔術によってサポートしつつ事の成り行きを見守るのであれば良し。しかし、マスターを狙っている様であれば、速やかに始末せねばならぬ。

 セイバーは真っ向から見据えるルーラーへと笑みを返した。

 

「その通り。これから闘う相手と、いや、貴方の様な見目麗しい女性に名も名乗れぬとは痛恨の極みだが、これも聖杯戦争の倣いであれば致し方ない事か」

 

 さも口惜しそうに言うセイバーの軽口に、ルーラーの顔が怒りでさっと朱色に染まる。

 

「戯れ言を。あなたも騎士でありながら、神聖なる決闘を前にその物言い。恥を知りなさい」

 

 怒り心頭と言った様子でルーラーは喝破する。それにセイバーは肩を竦めて見せた。

 

「ふむ、見解の相違だ。決闘など、僕はするつもりは無い」

 

 相も変わらぬ砕けた口調。しかし、今度はルーラーは何を言うでもなく、無言で棍を構える。セイバーがその腰の剣に手を掛けていたからだ。

 セイバーは自然体のまま左手で鞘を掴み、親指で剣の柄を押し上げる。対するルーラーは、身体を半身に開いて腰を落とし、棍の先をセイバーに向けて構えた。

 ルーラーの握る棍、その長さ、実に三メートル超、重さに至っては十キロに迫る長大武器である。ルーラーが可憐な少女を思わせる、否、その物である華奢な体躯の主ともあって、長大な棍を構える姿はある種異様な迫力を醸し出していた。

 対するセイバーはそれ処では無い。

 無造作に構えるその身体から放たれる威圧感は最早化生のそれである。

 緊迫した空気が対峙した二人を包んだ。その時である。

 

「ふざけないで、セイバー。速やかに敵を倒しなさい。結界が解け次第離脱するわ」

 

 追いついたアルファの声が、背後よりセイバーに掛かった。セイバーが振り返ると、十メートル程後方、隣接するビルの屋上にアルファが厳しい顔で立っている。どうやら先走ったセイバーの行動に、相当お冠の様子だ。セイバーは肩を竦め、自らのマスターへと微笑んで見せた。

 

「了解しました。我が主よ」

 

 アルファに笑顔で答えるセイバーに、ルーラーは鼻を鳴らす。

 

「敵を前にして、背を見せるとは随分な余裕ですね、セイバー」

 

 冷たい視線を向けるルーラーに向き直ると、セイバーは笑みを返す。

 

「ああ、全く余裕だ。僕は君が逃げるなら見逃すつもりだった。君は選択を間違えた」

 

 誇り高き相手ではあるが、特殊クラス。同盟を組むには少々弱い。敵魔術師も不明。

 さて、如何様にするべきか。

 




ドドドドドドドドドド!!



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絶対強者

 睨み合うルーラーとセイバー。

 互いを包む空気が見る間に張り詰め、彼等英霊の放つ闘気、魔力が渦を巻く。雑居ビル内に身を潜ませ、事態の推移を見守るルーラーのマスター、イル・バナードにとっては、熱波が押し寄せている様な錯覚があった。

 沈黙は僅かに数秒。

 しかし、彼等互いの神経は研ぎ澄まされ、永遠とも言える一瞬を対峙していた。

 その均衡も、やがて崩れる。

 

「ハァアア!!」

 

 咆哮と共にルーラーの棍が唸りを上げた。

 先手を取ったのは間合いに勝るルーラーであった。一歩踏み込んで対手との距離を詰め、その全身のバネによって繰り出される神速の刺突を放つ。その動作、起こりが在ったと見えた刹那には、空気の爆ぜる炸裂音と共に突き出された棍が空を切ってセイバーへと打ち込まれている。その突きは正に銃弾の如し。

 しかし、対するは剣の英霊。真っ直ぐに向かい来る棍先を、セイバーは身体を半身に開きつつ仰け反る形で回避した。鼻先数センチの距離を棍が通過し、ぱっと宙にセイバーの銀髪が舞った。それをイルが視認した時には、既にセイバーへと次なる刺突が打ち込まれている。

 迫り来る、息をも吐かせぬ六連突き。宛ら回転拳銃から吐き出される弾丸である。否、威力はそれの何十倍か。

 その時、恐るべき光景をイルは見た。

 突きに反応し、セイバーの身体が左右に揺れた。突き出された棍先が真っ直ぐにセイバーの頭の在った位置を貫くも、そこに在るのはセイバーの回避動作に遅れて従うその銀髪のみ。次の瞬間、セイバーの身体が沈み込む。

 突き出される棍を紙一重で回避せしめたセイバーは、その棍が引き戻されるに合わせて前に出たのだ。その姿は風に揺れる柳の如く、ルーラーの繰り出す死の鏃の隙間を縫って間合いを詰めていく。攻め立てていた筈の、ルーラーの六連突きが終わった時には、セイバーはルーラーの眼前に立っていた。既にルーラーの間合いの利は消失している。

 これには対するルーラーさえも息を呑み、そして笑う。

 同時にルーラーが一歩踏み込む。その棍先が跳ね上がり、石突がセイバーの胸板へと打ち込まれた。その衝撃にセイバーの身体が後方へと浮き上がる。

 否、セイバーはその恐るべき超人的反応に拠って石突が打ち込まれる瞬間に、左手で柄を受け自ら後方に跳ぶ事で、攻撃を受け流している。

 

「それで避けたつもりですか?」

 

 言葉と同時に、ルーラーはセイバーの着地の瞬間を狙ってその腹へと突きを繰り出す。セイバーが咄嗟に空中で身を捩り、同時に突き出された棍の先端がうねりを上げて弧を描いた。

 牽制動作。腹狙いと見せ掛け回避を誘い、無防備になった頭を狙う。愚直で真面目一辺倒な性格とは裏腹に、戦闘でのルーラーは中々に実戦的らしい。否、非力な女性の身でありながら英霊に至るまでの彼女の人生の道程で、叩き上げられざるを得なかったのであろう。

 しかし、セイバーを捉えるには至らない。下方より弧を描いて側頭部へと迫る一撃とセイバーの腕が交差する。正に刹那の瞬間に、セイバーは頭を下げつつ、迫り来る棍の柄を掌底で押し上げたのだ。側頭部に打ち込まれる筈だった一撃は跳ね上げられ、セイバーの頭上を通過する。

 直後、セイバーは着地と同時に地を蹴り前に出た。

 跳び込んだセイバーに合わせて、ルーラーは棍を振り下ろす。だが、遅い。容易いとばかりにセイバーが身をかわして振り下ろしの一撃を避けた。と同時に、ルーラーはその棍の柄を蹴り上げる。予想だにしないタイミングで棍の軌道が振り下ろしから逆袈裟に変化し、金属の打ち鳴らされる音と共にセイバーの足が止まる。

 

「見事だ。僕に剣を抜かせたな」

 

 セイバーが微笑む。彼は腰の鞘から剣を引き上げ、刀身にて迫り来る棍を受け止めていた。鞘から僅かに覗かせた刀身が不可思議な煌きを放ち、彼は鞘を引き抜いて棍を跳ね上げる。

 ルーラーが一歩跳び退き、彼等は互いに睨み合った。

 

「何故、剣を抜かないのです?」

 

 怪訝な顔をしてルーラーが問う。

 

「真名を明かさぬ様振舞っているだけだ。文句があるなら、その棍にて言うと良い」

 

 微笑むセイバー。これを侮辱と受け取ったか、ルーラーは眉を顰め、空に掲げた棍を手の中で回転させた。轟と風を切る音が響く。

 

「良いでしょう。いつまで凌げるか、試して見ると良い!!」

 

 言うが早いか、ルーラーが地を蹴り跳ぶ。間合いを詰めると同時に、回転の勢いをそのままに頭部狙いの横薙ぎの一撃。これをセイバーが身を屈め避けると、彼女はその勢いのまま独楽の様に回転し、足払いを仕掛ける。

 セイバーは一歩跳び退きこれを避ける。ルーラーはそのまま回転しつつ、棍を振り上げ、前方へ身を躍らせると同時に大上段からの一撃を放つ。セイバーは更に一歩退く形で回避し、その鼻先を通過した棍が思い切り地面へと打ち付けられた。その威力に足元のコンクリートが砕け、棍先が地面に埋没する。

 その瞬間、ルーラーが笑った。

 そのまま彼女は棍を捻りながら、その柄を蹴り上げたのだ。

 棍先が跳ね上がると同時にコンクリートが爆散し、セイバーへと礫の雨が降り掛かる。ショットガンの如き飛礫も、セイバーに手傷を負わせる為の物ではない。全てはその視界を塞ぐ為。

 即座にルーラーは棍を振り下ろす。

 その一撃を、セイバーの引き抜いた一刀が打ち払った。

 その剣の異容にルーラーは目を瞠る。抜き放たれた一刀の放つ、その神々しき輝きは正しく御伽噺に語られる聖剣に違いあるまい。しかし、その剣の何と不可思議な事か。刀身が陽炎の様に揺らめいて、その輪郭すら杳として知れぬのである。

 否、ルーラーがその剣に見惚れたのはそんな事では無かった。そんな事は全く問題にもならない事だった。余人には知る由も無いが、彼女はこの瞬間に天啓を得たのだ。

 それは魔力を介して繋がった主であるイルにも届く程の強烈な歓喜であった。

 

 

  #####

 

 

「何をしてる……」

 

 イルは思わず呻いた。

 棒立ちのルーラーに、セイバーが剣を鞘に収めて歩み寄る。

 雑居ビルの中に潜み、闘争の様子を窺っていたイルだったが、彼は戦闘の開始と同時に動き出していた。もしもの時に、敵のマスターを殺せるだけの手筈を整えた上で、交渉する為だ。

 以降、彼は魔術の波動と式神と使い魔の視覚を介して事態を確認していたのだった。最早一刻の猶予も無い事を悟ったイルは階段を駆け上がりながら令呪を使用すべく右手を上げる。

 

「魔術師イル・バナードが令呪を以って我が傀儡に――」

 

 その時である。その魔力の揺らぎ故、だろう。

 彼が踊り場を通過しようとした瞬間に、横手の窓から滑り込んだ銀糸がイルの右手に絡み付いた。

 

「なッ、これは――ぐグァアァアアアァ!!」

 

 発見された。イルが失態を悟った時にはもう遅い、右手に絡み付いた銀糸がその腕を絞め潰す勢いで締上げたのだ。

 

「残念、掴まえた」 

 

 声と共に影が窓から滑り込み、彼等は対峙する。

 イルは眼前の絶対強者、アルファと向き合った瞬間に自らの敗北を悟った。

 しかし、そんな事は彼にとってはどうでも良かった。

 彼の腕に巻きついている銀糸がラドクリフの錬金術による金属操作である事の方が重要だ。

 

「は、は、丁度良かった。私達を買ってくれませんか?」

 

 イルは荒い息を吐きながら、笑顔を見せる。

 これより彼の戦いが始まった。

 

 

  #####

 

 

 同刻、自らのマスターの危機を悟った事で、我に返ったルーラーは迫り来るセイバーを前に逡巡の表情を見せる。彼女は咄嗟に動けなかった。そこに先程までの苛烈で凛とした美しき戦乙女の姿は無い。迷い、躊躇う姿は目に涙を溜めた見た目相応の少女のそれだ。その表情に気付いたセイバーが自然と足を緩めた。

 

「ッ、く……御免ッ!!」

 

 迷いを振り切る様に、否、振り切る為に、ぎゅっと目を瞑り、ルーラーが吼える。

 踏み込むと同時に頭部狙いの横薙ぎから石突に繋げた連撃。

 しかし、彼女の迷い故か、又しても先の攻防の繰り返し、とはいかなかった。

 

「それはもう見たよ」

 

 セイバーが笑い、今度はルーラーの身体が後方へと吹き飛んだ。

 頭部狙いの一撃に対し、セイバーは一歩踏み込み身体を沈める事で避け、その腰の剣を抜き放つ。その神速の踏み込みから放たれる抜刀術は同じく神速。彼はその速度を乗せた剣の柄頭による一撃をルーラーの石突に合わせたのだ。

 打ち込んだ筈のルーラーが自らの力に拠って後方に跳ね飛ばされる。

 彼女の身体は放物線を描いて飛び、ビル屋上の欄干へと背中から向う。錆付き腐って杭の如く立ち並ぶ欄干へとその無防備な背中から突っ込んでいく。しかし、激突の瞬間ルーラーは身を捻り、欄干を掴んで自らの身体を空中へと投げ出した。先は地上二十メートルの上空である。

 この時、ルーラーの身体が貫かれる凄惨な情景を脳裏に浮かべた者はただの一人として存在しなかった。イルとアルファはそれどころでは無かったし、セイバーは彼女が死ぬはずが無いと確信していた。

 ルーラーの身体が自由落下を始め、地上に向けて落ちていく。彼女は猫の様に空中にて体勢を立て直し、次の展開へと思考を巡らすと、イルのいる隣の雑居ビルに目を奔らせる。

 身体が宙にある間のみのインターバル。その間、凡そ二秒。

 それは致命的な隙だった。

 ルーラーが空中に身を投げるのと、全く同時にセイバーは動いていた。飛び越えた欄干を蹴って跳び、対面のビルの壁面を蹴って反転する。ビルの壁面を使った三角跳び。

 一瞬で、セイバーはルーラーに迫り、剣を抜く。

 在り得ぬ強襲。一瞬の油断に、ルーラーの反応が遅れる。

 直後、瞬いた光がルーラーを貫いた。

 

 






売りは戦闘シーンです(キリッ)

キャラ立てをもうちょい先にやれば良かったと思わなくもないorz


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強襲

 時間は少し遡り、商店街アーケード上の死闘。

 主を背に護る形で進み出た少女はそのまま敵と睨み合う。槍を構え銀髪を風に靡かせる長身痩躯の美丈夫、ランサーと相対するは両手に大鉈を持つ小柄な少女、バーサーカーである。彼らの間に存在する空気が張り詰め、互いの闘気、魔力が渦巻く。それは一陣の魔風となって彼らの頬を撫でた。

 バーサーカーの頬に一筋の汗が伝う。

 ランサーの纏う空気が一変していた。先程までの小競り合いとは違う。本気で殺りに来るという訳だ。彼女にはある種の予感があった。

 勝てない――。

 バーサーカーにとって聖杯戦争のシステムは非常に都合の悪い物だ。彼女の持つクラス適性は二つ、即ち、バーサーカーとキャスターである。そのどちらで召喚されても彼女の特性は死ぬ。バーサーカーになれば理性と魔術能力を失い、キャスターになれば戦闘能力を失う。

 まして相手は怪物殺しの逸話を持つケルトの英雄、フィン・マックール。

 相性も悪い。元より、ステータスもランサーには遥かに及ばない。

 このままでは勝てな――

 

「おい、バーサーカー。出過ぎるな。次は同時に仕掛ける」

 

 背後からバーサーカーの主である武丸の声が掛かった。彼女はそちらにちらと視線を向ける。

 

「馬鹿言ってないで休んでなさい」

「馬鹿を言うな。そんな勿体無い事が出来るか。それにありゃあ一人じゃ無理だ。なに、俺は血の気が多くてな。丁度良い位と言う物よ」

 

 武丸は言い放つ。

 強がりだ。一瞥するまでも無く分かる。サーヴァントであるバーサーカーとマスターである武丸は魔力によって繋がっている。彼女は武丸の状態が良く分かっていた。そもバーサーカーの治癒魔術は傷を癒しただけに過ぎない。失った血と魔力はどうしようもない。

 彼の額には脂汗が浮かんでいるし、顔色も悪い。

 

「さっきまでフラフラだった癖に何言って――」

 

 言葉の途中、彼等は同時に動いた。

 ランサーが突進し槍を突き出す。その踏み込みに先んじて、出鼻を挫くべくバーサーカーが鉈を振り上げ投擲体勢に入る。しかし、先手はランサーだった。詰まる所、その踏み込みの速度が、放たれる一突きが、バーサーカーの想像を超えていた。

 対峙した十メートルの間合いを一歩で詰め、ランサーの槍がバーサーカーへと真っ直ぐに奔る。同時に、世界が反転し、彼女の眼前を突き出された槍が過ぎった。大きな影が視界を覆い、突き進んだ槍は、刀と打ち合わされて火花を散らす。

 背後から主である武丸に引き倒されたのだ。そう彼女が気付いた時には、三合四合と槍と刃が打ち交され、金属が打ち鳴らされる甲高い音と共に血霧が舞う。それは刃の悲鳴であった。

 打ち合う度に、ランサーの槍に抉り取られて飛んだ刃の破片によって、武丸の頬が、腕が、肩が裂けて血が吹き出ているのだ。刃の死の残響音と共に、武丸の口から苦悶の呻きが洩れる。

 護られているのだ。

 バーサーカーはカッと目頭が熱くなった。

 

「マスターから、離れろッ!!」

 

 言葉と同時に、右手の大鉈を投擲する。ランサーはさっと槍を引き戻すと石突を引き上げて飛来する鉈を打ち払い、次なる一撃に先んじて距離を取る。

 

「バーサーカー、無事か?」

 

 武丸は聞きながら、手にした太刀を放り捨てる。刃毀れ処ではない。その刃と言わず峰と言わず抉り取られて湾曲し、ただの一度の手合わせで最早刀としては使い物にならぬ有様であった。

 

「ええ、ありがとう」

 

 バーサーカーは武丸の方を見なかった。

 その背に武丸は手を回す。

 

「悪いな。刀を借りるぞ」

 

 彼はバーサーカーの背に差してあった太刀を掴むと、バーサーカーの前へと進み出る。それはバーサーカーを召喚する際に触媒として使用した家伝の宝刀であった。

 まだ気力は折れていないらしい。

 

「ふふ、そろそろ、本気で殺りに行かせてもらおうか」

 

 ランサーが親指を一舐めし、槍をくるりと回す。すると立ち上った魔力が一陣の風になり、槍の穂先が蒼い光を放つ。宝具の解放。次は全力で来る。全速の全力で。

 それ故だろう。武丸は厳しい面持ちで、バーサーカーへと言った。

 

「先に仕掛ける。奴の槍は傷を、血を狙う。俺が囮になる。槍が止まった瞬間に、斬れ」

 

 バーサーカーは武丸の顔を見なかった。

 見たくなかった。そこにあるのは覚悟を以って死に臨む顔に違いなかった。

 彼等と同じ様に、あの時と同じ様に。

 それが彼女には耐えられなかった。

 ランサーが宝具を解放した以上、その槍が受け切れない事は武丸が最も良く分かっている筈だった。であれば槍が止まるというのは、その身体が貫かれた時だ。血を吸う魔槍は必ず武丸の命まで吸い尽くすだろう。そも白鮭の叡智で作戦が筒抜けとあっては成功する筈も無い。

 だから、バーサーカーは言い放つ。

 

「嫌だ」

 

 そして、彼女は頭に付けた真赤な鬼面を顔へと回した。

 

 

  #####

 

 

 同刻、バーサーカーとそのマスターに対するランサー、の遥か三百メートル後方のデパートの屋上にて、ランサーのマスター、狗城直衛は双眼鏡を片手に立っていた。事の顛末を見届けるには絶好の位置である。ここならば戦闘に巻き込まれる事はまずあるまい。

 

「全く、何て馬鹿馬鹿しさだ……」

 

 狗城は誰にともなく呟く。彼はその背に冷たい物を感じずにはいられなかった。

 双眼鏡を通して眼前に映し出されるそれは正に神代の御伽噺。人ならざる超常の存在が繰り広げる戦闘譚だ。しかし、狗城が驚愕せざるを得なかったのは、その渦中に魔術師であるバーサーカーのマスターがいる事だ。信じ難い事に、あの怪物共とバーサーカーのマスターは真っ向から渡り合っているのである。

 勿論、彼のランサーはまだ本気ではない。奥の手も隠している。

 その気になれば、敵を瞬殺する事も十分可能だろう。

 しかし、それでも、あれは人が踏み込める領域ではない。否、踏み込んで良い領域では無いのだ。狗城とて聖杯戦争に参加した魔術師である。数々の魔術を修め、秘伝の気功術と傭兵時代に習得した様々な格闘術によって戦う、銃火器の扱いにも長じた傑物である。

 その狗城をして、サーヴァントと闘おうとは夢にも思わぬ。彼等英霊との近接戦闘とは、即ち死に等しいと分かっているからだ。

 とは言え、敵が如何な怪物であろうとも仕留めねばならぬ事に変わりは無い。

 バーサーカーのマスターの殺害は急務と言えた。ランサーは緒戦にて宝具を使用するも凌がれ、その真名までも看破されたのだ。対策を練られる前に、他の魔術師に情報が拡散する前に、是が非でも仕留めねばなるまい。

 否、それよりもランサーの真意は何だ?

 狗城は腕を組み、暫し思案する。例え、二対一。敵が怪物の如き戦闘能力とは言え、斯くも容易く手の内を晒す程、『賢人王』は、フィン・マックールはヌルくない。彼はその宝具に拠って全てが見えているのだ。如何様にでも手が打てた筈である。

 どうにも狗城にはランサーの思考が読み取れない。これは今に始まった事では無かった。彼は普段は黙して何を語ることも無く、呆と何処か遠くを見ている。しかし、時折、不意にその目は知性の輝きを見せ、その行動が違えた事は一度も無いのだ。

 狗城は主を囮にキャスターの生成した怪生物を難なく仕留めたランサーの姿を思い出す。白鮭の叡智を持つ彼の思考は、狗城の如き凡人には到底理解出来ない物なのだろう。

 それならば、それで良い。ただ、すべき事を成すのみである。

 それにしても、あのバーサーカーは何だ?

 狗城は双眼鏡を覗き込む。

 マスターに与えられる透視の能力は敵のステータスだけでなく、敵の使用しているスキルや宝具の能力まで把握出来る物であるが、敵のサーヴァント、バーサーカーのステータスは惨々たる物だった。ランサーとでは比べるべくもない。しかし、それは問題ではない。

 元々、バーサーカーとは強力な英霊を喚べない魔術師が、弱い英霊を狂化によって多量の魔力と引き換えに強化して使役するクラスだ。弱いのは別に良い。

 しかし、狂化のスキルを持たぬとはどういう訳だ。

 クラス特性として狂化のスキルを持つが故の狂戦士。しかし、あのバーサーカーは狂化のスキルを持っていないのだ。常時発動の狂化スキルが狗城に見て取れぬ訳は無い。何より、ランサーを前にマスターと会話し、連携を取るその姿は、バーサーカーのそれでは無い。

 そこまで考えた時だった。

 

「ア――アァ――アアア――アァアア――!!」

 

 バーサーカーがその頭に付けた真っ赤な鬼面を顔へと回し、吼えた。

 突如として奔流となって嵐の如く逆巻く魔力。

 

「何だ、アレは!?」

 

 髪を振り乱し、天へと吼えるバーサーカー。変貌はその様子だけでは無かった。狗城は我が目を疑う。バーサーカーのステータスが上昇していた。ランサーとも並び立つ程である。それだけではない。狂化のスキルが発動しているのだ。今正に、バーサーカーはバーサーカーへと成ったのだ。

 

「アァ――アアア――!!」

 

 バーサーカーがランサーへと飛び掛った。

 大鉈による一撃を一歩退いて軽やかにかわし、ランサーは槍を担いだまま横に走る。大鉈がアーケードの骨組みを切り裂き、勢いのまま身を伏せたバーサーカーの顔がランサーを追って上がる。鬼面の奥、血走った目がランサーの陰を追って奔り、同時にその指がアーケードの骨組みに喰い込んだ。

 

「アァ――アアァ――!!」

 

 バーサーカーの左腕が奔る。放り投げられた大鉈が宙を舞い、その行く手を遮る形でランサーへと飛来する。ランサーは咄嗟に立ち止まり、仰け反る形でそれを避けた。と、同時にバーサーカーが腕を引く。綱が張り詰め、大鉈が舞い戻る。それに合わせて、バーサーカーは跳んだ。

 地を蹴ると同時に、アーケードの骨組みを掴んだ右腕の力で以って自らを放り投げる。バーサーカーの小柄な身体が宙を舞い、ランサーを跳び越えると同時に引き戻された大鉈を掴み取る。そのままバーサーカーは空中にてくるりと反転し、掴み取った大鉈を即座にランサーに向けて投擲した。

 恐るべき速度で旋回しながら向い来る大鉈を、ランサーは咄嗟に横に跳んで避ける。しかし、そこは既に死地である。一瞬遅れてバーサーカーを追っていた縄がランサーを中心に輪を描き、投げられた大鉈が離れるに従ってその輪を閉じたのだ。

 大鉈はランサーの遥か後方のコンクリートの壁に埋まって止まり、もう一本はバーサーカーの手の中に。彼女がその怪力で以って縄を引き、張り詰めた縄がランサーの首を締上げる。

 ランサーも縄に手やっているが、今のバーサーカーの膂力は彼を遥かに凌いでいた。直に縄はランサーの首に喰い込み、窒息、否、その頸を圧し折るだろう。

 最早、一刻の猶予も無い。

 こちらはこちらの戦争を開始する。

 狗城はランサーが張った人払いの結界の外にて、自身を隠遁の魔術で隠して待機している。しかし、それは別に臆病風に吹かれたからでも、ランサーの力を妄信しているからでもない。

 ただ、敵を狙い撃つ為にだ。

 狗城直衛という人間の行動に伊達や酔狂の入り込む余地は無い。

 彼が構えるは完全消音狙撃銃と謳われたロシア製狙撃銃VSS。その特徴は弾丸を重くした事に拠って威力を確保しつつも、超音速弾に付き物の炸裂音を消してのけた点にある。

 その威力はただでさえ400m以内ならば敵防弾チョッキを容易に貫通し、狗城の狙撃能力と相まって百発百中の精度を誇る。更に、この銃と気功術師である狗城との相性は最高だ。魔力の乗らぬ鉛球と言えど、軽気功によって質量を増加させる事など訳は無い。これによって消音性能はそのままに銃弾の威力は数倍に跳ね上がる。

 自身の殺気は弾丸に込めた。気功術師である狗城の殺気を読んでの回避は不可能である。

 スコープを覗き込む狗城はバーサーカーのマスターを狙おうとして、目を剥いた。

 絶体絶命の状況にあって、彼のサーヴァントは、ランサーはこちらに笑いかけたのだ。

 

「あ、あの馬鹿野郎!! 何のつもりだッ!?」

 

 狗城は怒りを顕わにする。視線で敵に潜伏先がバレる。それは狙撃手にとって死活問題だ。増して、それは自らを救おうとしている主なのだ。コンクリートの壁面に這わせた指が怒りで我知らず閉じられる。指の中でコンクリートが砕けた。

 そんな主の怒りも露知らず、とばかりに全知を誇る彼のサーヴァント、ランサーはバーサーカーに向き直ると再び笑みを見せる。

 

「ふ……ふっ、やるね。少し名残惜しいよ」

「アァ――アアア――!!」

 

 それを挑発と受け取ったのか、バーサーカーが吼えると同時に、大鉈を逆手に構え、縄を引きながらランサーへと突進する。一瞬縄に掛かる力が増し、次の瞬間、突進の加速に拠って縄が緩んだ。合わせてランサーは槍の刃先を地に突き立て、梃子の要領で柄を押し込む。彼は縄が首に掛かる瞬間に、咄嗟に槍の柄を挟み込んでいたのである。

 ランサーの身体が沈み込み、その首が輪から抜ける。即座に、ランサーは槍の柄を蹴り上げ、宙に浮いた槍を掴むと、突っ込んでくるバーサーカーへ横薙ぎの一撃を合わせる。

 大鉈と槍が交錯し、金属が打ち合わされる大音量が周囲に響き渡る。軍配は力で勝るバーサーカーに上がった。押し負けたランサーは後方へ逃れ、アーケード上から落下する。

 笑みを浮かべ落下するランサー。その姿が中空にて掻き消えた。霊体化だ。

 

「では、また、いずれ」

 

 それだけ言い残すと、ランサーは闇の中へと完全に消え去った。

 

「な、何だとッ!? 真名を知られた相手を見逃すというのか!?」

 

 ありえない。

 狗城は余りの事に愕然としたが、直ぐに違うという事に気付く。

 ランサーは自分に仕留めろと言っているのだ。

 ランサーのこちらに向けた笑みの理由に気付くと、狗城は気を取り直し、戦闘終了直後の弛みを突くべく銃を構える。幸い、バーサーカーのマスターはランサーの視線の意図に気付かなかったらしい。彼はこちらに背を向けたまま、片膝を着いた。どうやら、回復魔術を受けたとは言え、ランサーの宝具を受けた影響は大きい様だ。

 そして、バーサーカーは狂化中。今ならば、邪魔は入らない。苦も無く葬れる。

 狗城はほくそ笑み、引き金に指をかけた。

 その時である。

 突如、空中より人形、頭部に髑髏を据えられた骸骨人形が降り注いだのだ。

 最初の一体がその手のナイフを構えて、着地と同時に狗城へと走る。その距離凡そ二メートル。狗城はスコープから目を離し、迫る人形へと向き直る。同時に、その視界に影が落ちた。その頭上に降り注いだ次なる一体がその手の斧を振り被り、真っ直ぐに振り下ろしたのである。

 斧の鈍い輝きと黒い影が一瞬交錯し、頭蓋の砕ける音と、コンクリートの破砕音が重なり、響く。果たして、地面に叩き付けられた斧がコンクリートを砕き、その腕と交差した狗城の足が、人形の頭蓋を蹴り砕いていた。

 間髪入れずにナイフを構えた一体が体勢の崩れた狗城に迫る。狗城は一瞬身を起こそうとして、止めた。次の瞬間、ナイフの煌きが狗城の首筋へと奔り、突如方向を変える。人形のナイフを突き出したその腕が間接部で圧し折れていた。交差の瞬間、人形の突き出したナイフを持つ手に狗城の腕が絡み付き、一瞬で捻り折ったのである。

 しかし、人形は止まらない。片腕が圧し折れた事などまるで意に介さず、猶も逆手のナイフを振り被る。

 

「チッ」

 

 舌打ちと共に狗城は身を起こしつつ、折れた人形の腕を掴んだ手を下へと引き落とす。すると人形の膝が折れ、ナイフを振るう腕が泳いだ。合気で言う所の崩しである。そのまま人形を引き寄せ、その頭蓋へと膝蹴りを叩き込む。衝撃に髑髏が砕け、人形の身体が跳ね上がる。と、狗城はもう一度腕を引き、人形を引き寄せた。

 同時に火花と共に銃声が鳴って、狗城が盾にした人形の背に次々と弾丸が突き刺さり、代わりにライフル弾を吐き出した。空中から舞い降りた次なる人形が狗城へと発砲し、狗城は引き寄せた人形を盾に、その腹越しに狙撃銃VSSをぶっ放したのである。

 ライフル弾は人形の腹を易々と貫通し、拳銃を持った人形の頭蓋を貫く。

 狗城は掴んでいた人形を足元に放り投げ、その頭蓋を踏み砕くと、最後の一体へと向き直った。残るは槍を構えた人形が一匹。狗城は銃を構える。

 襲撃者が何者かは分からぬが恐れるに足らず。

 狗城がそう考えた矢先、言葉と共にその眼前に少女が、そして、赤銅の巨人が降って来た。

 

「戦士の戦いに、無粋な横槍は止して貰おうか」

 

 ドン、という重低音と共に着地の衝撃でコンクリートの床が砕け、粉塵が巻き上がる。腕の一振りと共に赤いマントがはためき、天を突く巨体の主が顔を出す。

 舞い降りた巨躯のサーヴァント、ライダーは獰猛な獣を想わせる笑みを浮かべて言った。

 

「さぁ、魔術師よ、サーヴァントを呼ぶが良い」

 

 

 




真打登場。

ちょっと次の投稿は時間空きます。




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デッドマン

 同刻、東北東の雑居ビル内部。

 暗闇の中、二人の魔術師は対峙する。

 しかし、この時、相対したセイバーとルーラー、彼等互いのマスターの魔術戦、その趨勢は既に決していた。ぴちゃとルーラーのマスター、イル・バナードの腕を伝った血の雫が床に落ちた。

 彼は今も腕を魔術に拠って編まれた銀糸にて締上げられている。腕に絡み付いた銀糸は容赦無く肉に食込み、骨を軋ませる。その右腕は血を滲ませドス黒く鬱血していた。

 眼前の少女の胸先三寸で、彼の腕は挽肉に変わるだろう。

 元より、セイバーのマスター、アルファと相対した時点で勝敗は決していたのである。

 故に、苦しげにイルは繰り返す。

 

「い、如何です? 私達を買ってくれませんか?」

 

 対するアルファは無表情のまま腕を横に振るった。すると、恐るべき勢いで銀糸が引かれ、イルは肩から壁に激突し、膝を付く。肺の空気と共に、苦しげな呻きを漏らしながら、イルは自らの腕を見る。

 彼は笑みを浮かべた。

 目の前の少女がその気なら、既に彼の右腕は潰されている筈だ。先程までは確かにそうだった。腕を絞め潰さんと恐るべき力が加わっていた銀糸が今は幾分緩くなっている。仮に、イルが相手の立場であったならば、やはり相手が口を開く前に腕を潰し、否、令呪を奪うべく切断している事だろう。尋問ならばそれからでも出来る。

 暴を以って、交渉を有利に運ぶのは基本だが、そこに手心は厳禁だ。

 もし加えるとするならば、次の鞭の為の飴で在るべし。

 しかし、眼前の少女の選択は、どっち付かずな物だった。

 腕を絞め潰すでもなく、解放でもない、幼稚な暴力。

 それは躊躇等といった甘い考えに拠る物では決して無い。被造物であるホムンクルスがそんな人並の感覚は持ってはいまい。であれば、態度の意味は明白だ。

 彼女は判断を保留した。迷っているのだ。

 イルは悟られぬ様に顔を伏せる。そこにあるのは許しを乞う弱者の笑みではない。

 

「ハズレみたい。結界の主は貴方では無いようね。で、私達、とは?」

 

 少女が言った。イルは顔を上げる。既に表情は毅然とした風を装った物に変わっている。

 

「く、クク、私とサーヴァントですよ。如何です? 貴方、ラドクリフの魔術師でしょう? ならば、私の令呪は咽から手が出るほど欲しい筈だ。貴方達の戦闘能力に、更に一騎の英霊が加われば正に磐石と――」

「何が目的? それとも今更命乞い? そんな事をして貴方に何のメリットがあるの? 時間稼ぎはいらない。心して、正直に答えなさい。でないと――」 

 

 イルの言葉を途中で遮り、アルファは怖気の奔る笑顔を見せる。

 

「その腕が無くなるわ」

「ぐ、くぅ、ぐが、ガアあァ――!!」

 

 言葉と共に、銀糸の圧力が増した。イルは激痛に堪らず仰け反り、次の瞬間、その視界が反転する。アルファが腕を横に薙いだと同時に恐るべき力で腕に絡んだ銀糸が引かれ、彼の身体は宙を舞ったのだ。

 踊り場から階下へ、イルは成す術も無く落下し、その勢いのまま背中から壁面へと叩き付けられる。衝撃と共に、肺の空気がくぐもった音を立てて吐き出され、イルは床へと転がった。懐の中身がぶち撒けられて床を転がる。

 

「……立場が分かったかしら? 心して答えなさい」

 

 伏せたイルを見下ろし、アルファが言う。全く無機質な声だった。銀糸の圧迫が再び弛む。

 

「ガ、ゲホッ、ガはっ、く、はは。金ですよ。他意はありません」

 

 暴の気配をチラつかせ、痛みで立場を理解させながらの交渉。

 その殺気は本物だった。しかし、イルは眼前の少女がまだ直接的な、最終的な行動を取る気が無い事を確信していた。付近に人払いの結界の主、そしてそのサーヴァントがいる事を彼女は知っている。だから、先程速やかにここから離脱する、と彼女はセイバーに吐露している。にも関わらず、まだ交渉を続けようとしている。

 腕を切り取らないのは、ルーラーとの契約を見越しての事だろう。

 例え、腕ごと令呪を奪ったとしても、ルーラーが再契約に応じる保証は無い。令呪で言う事を聞かそうにも、腕の魔術回路と一体化した令呪を引き剥がすのには時間が掛かる。その間に、マスターの腕を取り戻そうとするルーラーと戦闘になる危険すらあるのだ。

 強がっていても、内心は焦っている事だろう。

 荒れ狂うその心中とは裏腹に、イルは脅えた目で媚びた笑顔を浮べる。

 

「私はしがない商人でしてね。情報、武器弾薬、護符に礼装何でもござれ。今日の目玉が令呪と英霊です。少々値は張りますが、後悔はさせませんよ」

 

 しかし、焦っているのは彼もまた同じだった。

 あのセイバーを相手にして、そう長くルーラーが持ち堪えられる筈が無い。彼らにはそれ程の差があった。それこそ一見しただけで解る程の絶望的な戦力差が。

 

「お金? 万能の願望器を前に、魔術師の宿願を前にして興味が無いと言うの?」

 

 アルファの目が真っ直ぐにイルを覗き込み、互いの瞳がお互いを映し合う。凡そあらゆる感情を顕さぬ怜悧な瞳と、死んだ魚の目。互いの視線が交錯する。

 試されている、とイルは察した。

 問題は無い筈だった。このホムンクルスは敵手との戦力差が解らぬ程未熟では無い。完全にイルが恐れるに足らぬ、いつでも殺せる手合いである事は理解出来ただろう。そして、彼女の右手の令呪は確認済み。間違いなく透視能力でルーラーのステータスを視ている筈である。

 彼女は彼我の戦力差を明確に理解している筈だ。

 そして、イルは先程、彼が懐からぶち撒けた礼装や宝石を、少女が目で追った事を確認していた。無論、その際に生じた一拍の思考の間と、一瞬彼から目を切った事もだ。未使用の礼装や宝石は彼の話を裏付け、彼に利用価値がある事を示していた。彼から目を切ったのは恐れるに足らぬという強者の油断だ。

 また、彼女は接触によって人払いの結界を張った魔術師がイルでは無いと悟った。姿の見えぬ第三の魔術師、しかもこれ程広範囲に強力な暗示の結界を瞬時に展開出来る程の手練の存在は、彼女に逃げの一手を取らせるに十二分な理由であった筈だ。

 増して聖杯戦争序盤、まだ様子見がセオリーの段階だ。自由意思に乏しいホムンクルスであれば、それから逸脱した行動を取ろうとは思うまい。

 早くこの場より離脱したい。だが、目の前に差し出された餌は抗い難いだろう。

 ラドクリフは是が非でも令呪とサーヴァントが欲しい筈なのだ。

 ラドクリフ家が此度の聖杯戦争の為に、複数のホムンクルスを製造すべくその材料を調達していた事は調査済みである。恐らくは彼女に万が一があった際の予備、そして諜報、防衛戦力として使い捨てる腹積もりなのだろう。

 それは詰まり、単身で参加している他の魔術師と違い、彼等は他の参加者から令呪とサーヴァントを得る事が出来れば、家長であるノイマンや別のホムンクルスをマスターとして参戦させる事が出来るという事だ。多少危険を犯しても、令呪を欲しがる訳である。

 だからこそ、イルは商談相手にラドクリフを選んでいたのだ。

 イルは目を逸らさず、笑みを深くする。

 

「ええ、その通り。全く。元々僕は商人でね。貴方達ラドクリフに他の聖杯戦争参加者の情報を売ろうと訪れたこの街で、偶然令呪が宿りましてね。宿ったこの令呪をどう売ろうかと思案していた所なんですよ」

「では何故、サーヴァントを召喚しているの?」

 

 アルファの問いにイルは間髪入れずに答える。

 

「先日襲撃を受けましてねェ。撃退の為に、急遽召喚させて頂きました。強力な英霊とは言い難いですが、使い様は幾らでもあります。ま、その分は割引かせて頂きますよ。と言っても、そちらにとっては金銭など聖杯を前には何の価値も無いでしょう? 私達は必ずご期待に沿えると思いますがね。先ずは当主であるノイマン殿と話をさせて頂きたい。それとも、令呪譲渡を持ちかけた相手を打ちのめすのも、ノイマン氏の指示ですか?」

「父様の、いえ、でも……」

 

 ノイマンの名を出した途端、アルファの顔色が変わったのをイルは見逃さなかった。ホムンクルスの常ではあるが、彼等にとって造物主の命令は絶対だ。この少女も例外では無いらしい。

 最強の性能に不熟な精神。ホムンクルス特有の歪さだ。

 であれば、これを利用しない手は無かった。

 

「チャンスを逃すのは愚者の行いですよ。ラドクリフ家がどれ程の思いでこの聖杯戦争に挑んでいるかは貴方の方が良く知っているでしょう? 浅慮で令呪とサーヴァントを得る機会を失ったとあれば、ノイマン氏もどれ程落胆する事か」

「そ、それは……」

 

 口篭るアルファ。その機械の様だった少女の瞳に、人間を見た。イルは確信する。彼女は恐るべき怪物であると同時に、父親の顔色を窺うただの小娘に過ぎない。サーカスの猛獣と同じ、恐れるには値しない。彼は畳み掛ける様に続ける。

 

「いや、貴方は知っている筈だ。彼は、ノイマン氏は聖杯を欲している。彼等は聖杯を欲している。ラドクリフの悲願たる根源の渦に至る道が開いているのだから」

 

 イルは言いながら、精神を外の使い魔に集中させる。まだルーラーは存命している筈だが、それもいつまで持つかは定かでない。絶対に、ルーラーの脱落だけは阻止しなければならなかった。使い魔と視界を同調させる。

 しかし、先のルーラーの激情。魔力のパスを逆流し、マスターであるイルにも伝わる程の歓喜の情。あれは一体何だったのか? 否、それよりもセイバーの光を操る聖剣。

 その威容は人の鍛えしソレでは無い。正に物質化した奇跡そのもの。宝具として最上級に位置する物と見て間違いない。そして、そんなランクにある光の聖剣、イルは一つの解に思い至る。

 否、即座に連想したというのが正しいか。

 最強の聖剣、エクスカリバー。

 あのセイバーがブリタニアの騎士王であるならば、あの頭抜けたステータスにも納得だ。であれば、残りの宝具は鞘だろう。恐らくは全サーヴァント中最高の戦闘能力と対魔力を持つであろうあのセイバーを相手に、伝承通りなら所有者に不死の再生能力を与える鞘を奪った上で、一振りで千人を薙ぎ払う極光の剣を掻い潜って首を獲らねばならんわけだ。

 成る程、あれに挑むは愚か者のする事だとしか言い様が無い。

 彼は考えながら舌を動かす。しかし、

 

「この令呪があれば彼は参戦出来る。否、彼でなくとも、貴方達は優秀なホムンクルスを用意出来る。そちらの陣営は魔術師に不自由しない筈だ。貴方達は誰よりも優位に立てる。僕は金を手に入れて通常営業に戻る。誰も損をしない。勝利は――」

「それはダメ」

 突如として、眼前の少女の顔色が変わった。その目に危険な色が浮かぶ。

「父様を危険には晒さない。私の代わりも必要無い」 

 

 確固たる口振だった。アルファは続ける。

 

「要はサーヴァントと令呪が手に入れば良いんでしょう? 貴方は要らない」

「何を馬鹿な――」

 

 イルが失敗を悟り、咄嗟に口を開くも、全ては既に遅かった。

 

「その腕だけ持ち帰れば良い話」

 

 言葉と共に、アルファが腕を振る。同時にイルの右手に巻き付いた銀糸が圧迫感を増す。最早問答無用でイルの腕を絞め潰す、否、切断するつもりなのだ。

 願いに魅せられ呼ばれた英霊ならば、敵であろうと再契約可能と高を括ったか。そうイルは考え、即座に自らの考えを否定する。眼前の少女の目にそんな思考は存在しない。彼女は湧き上がる子供染みた単色の激情に任せ、全てを台無しにするつもりなのだ。

 

「残念――だ」

 

 イルの腕が撓り、銀糸の拘束を抜けた。見よ、その腕の関節が外れ、軟体動物の様に蠢く様を。拘束を抜けると同時にその腕が跳ね上がり、即座に間接を戻すとその指が銀糸に触れる。

 

「KEN」

 

 言葉と同時に血文字が宙に浮かび上がり、アルファの銀糸が燃え上がった。火のルーン魔術である。その炎は銀糸を辿って、繰手であるアルファへと迫る。

 アルファは即座に銀糸を切り、炎から逃れるべく背後に跳ぶ。

 同時に、彼女の上半身が膨れ上がった。大きく吸い込んだ空気が肺内部で圧縮され、咆哮によって飛ぶ。肺機能操作による指向性を持った音の砲弾である。

 振動する空気の塊は燃え上がる炎を裂いて飛来し、即座に耳鼻より鼓膜、三半規管は愚か、肺までも蹂躙する。その威力を我が身で以って知っているアルファは勝利を確信する。

 故に、彼女には何が起こったのか分からなかったに違いない。

 咆哮を放ったと同時に、彼女の耳から一筋の血が流れ、アルファは片膝を着いた。彼女は見た。ゆっくりと世界が傾き、地面が競り上がってくる様を。

 勿論、これは三半規管にダメージを受けた事で平衡感覚を失った彼女の錯覚である。

 彼女を襲った物の正体、それは同じく音であった。正確には、先日イルと戦ったフォンダート兄妹の魔術、音の結界である。イルは音の結界によってアルファの咆哮を無力化すると同時に、その三半規管へ振動を直接叩き込んだのだ。

 イルは笑みを深くする。

 これぞ彼の混沌魔術。その骨子。敵の魔術を奪う『劣化複製(デッドコピー)』。

 イルは足元の宝石をアルファに向って蹴り上げる。それは先程、イルが床にぶち撒けた魔術礼装の一つであった。と、同時に彼は片手で拳銃を抜き、片手で目を覆う。直後、閃光が周囲を包み込んだ。

 二百万カンデラに及ぶ瞬間的な宝石の発光。強烈な閃光は瞼を貫き、直接視神経を蹂躙する。その威力は正にスタングレネードのそれだ。例え人に在らざるホムンクルスだとしても、否、人間以上の身体性能を有するホムンクルスだからこそ、視覚への直接的な攻撃は効いた筈だった。

 それは先の三半規管への一撃で確認済みである。

 価格は凡そスタングレネードの三十倍だが、魔術礼装ならでは利点があった。一つは小さく傍目にその機能が解らない利便性。もう一つは閃光と共に無防備な視神経へ直接、宝石に刻印した呪詛を叩き込めるという魔術性能である。直撃を受ければ短期的にだが失明、眩暈、吐き気、錯乱、失語症や意識混濁といった諸症状に襲われ昏倒する。

 しかし、イルが拳銃を構えると同時に、アルファは階段の陰へと向って跳んだ。銃火と跳弾の火花のみが瞬き、一拍の静寂が訪れる。銃弾は空を切った。

 

「良く、やる。まだ粘るか……」

 

 イルは素直に認めた。このホムンクルスの少女は彼の想像を超える怪物だ。昏倒する処か、あの一瞬で追撃から逃れるべく身を隠すとは。

 しかし、視覚と聴覚は奪った。呪詛も全く効かなかった筈はあるまい。

 イルは万全を期すべく壁を一度叩く。と、同時に階上から影が落ちた。何かが降ってきたのだ。小さいが一つ、二つではない。数十の影が、階段の陰に隠れたアルファ目掛けて降りかかる。

 小さな悲鳴の後、階段の陰に隠れていたアルファが倒れ込む形でその姿を晒した。腕から血を流し、息も絶え絶えに彼女は呻く。

 

「こ、これは……」

 

 アルファの視線の先に在った物。それは無数の蜘蛛だ。切り裂かれ体液を滴らせる蜘蛛の死骸。彼女の腕に付いた傷跡はこれの仕業と見て間違いあるまい。

 

「俺の使い魔だ。強力な神経毒を持ってる。さっき、ビルの中に大量に撒いておいた」

 

 イルは階段を上りながら凄絶な笑みを浮かべる。彼の本心からの笑みであった。

 

「安心しろ、殺しはしねェよ。大事なセイバーのマスターだからなァ。交渉の大事な駒だ。残念ながら穏便には行かなかったが、アンタを操りゃァ儲けの方は増えそうだ」

 

 イルは地金を晒し、アルファの髪を掴んで引き起こそうとする。彼は勝利を確信していた。

 しかし――

 

「そう……残念ね。そうはならない」

 

 その目がイルを捉え、アルファは確固とした口調で断じた。その言葉と共に、血風が舞う。 

 

「な……え? 嘘、だ……」

 

 イルが驚愕に目を剥いた。その手にはぬらり、とした感触があった。人肌の温かさだ。それは自らの血であった。アルファの指から噴出した血液、それが宛らウォーターカッターの如くイルの腹部を抉っていたのである。

 膝を着くイルを尻目に、アルファは何事も無かったかの様に立ち上がる。その挙動に神経毒の影響など微塵も無い。

 謀られたかッ!? 最初から毒蜘蛛に咬まれてなどいなかったのだッ!!

 イルは自らの迂闊さを呪う。

 しかし、現実は違う。彼が迂闊だったのに間違いは無いが、彼女の腕の傷は本物だった。

 恐るべき事に、先の攻撃自体が解毒法なのだ。彼女は血管に進入した蜘蛛の毒液を血液ごと恐るべき勢いで噴射する事で解毒と同時に、イルの腹に風穴を開けてのけたのである。血管操作を行った上で、心臓機能操作によって指先の血圧を三百メガパスカルまで加圧、指先に開けた一ミリに満たぬ傷口から噴射された血液は音速に迫る血の刃となってイルを襲った。

 この技は通常戦闘では役に立たない。

 加圧のせいで狙いを付けるのが難しく、溜めが長い。また直ぐに血が勢いを失ってしまう為、有効射程も短い。何より周囲の毛細血管群に多大な付加をかける上に、大量の血液を失う技だからだ。しかし、状況は逆転した。

 彼のミスは確実を期する余りに、遅きに失した事。そして、彼女を生け捕りにしようとした事だ。

 それが結局、アルファに回復を許し、不用意な接近をする事に繋がる。

 詰まる所、彼は見誤ったのだ。

 彼我の絶対的な戦力差を。

 それでもイルは諦めなかった。崩れ落ちそうになる身体を、切れそうになる意識を、意思の力で繋ぎ止め、叫ぶ。

 

「やれッ!!」

 

 イルの言葉と共に階上から数十の毒蜘蛛がアルファへと飛び掛った。自らの使い魔を総動員しての一斉攻撃。しかし、アルファはそちらを一瞥し、薙ぎ払った。

 懐から取り出した銀糸が横薙ぎに蜘蛛の群を両断する。と、同時に空中にて寄り固まった銀糸が見る間に蜘蛛の巣状に編み上げられていき、その先が今猶燃え上がるルーンの火へと落ちた。

 イルが魔術を解除しようとした時にはもう遅い。

 

「Sulphur――」

 

 アルファの詠唱と同時に、ルーンの炎はイルの意思を無視して一瞬で蜘蛛の巣全体に燃え広がり、そこへと降りかかった毒蜘蛛の群を燃やし尽くす。正に一掃。降りかかった毒蜘蛛達は断末魔の叫びと共に燃え上がり、灰となって落ちていく。

 

「まだだッ!!」

 

 イルはアルファを指差す。ガンド、指差した者を呪う北欧魔術だ。

 空気が揺らぎ、不可視の魔弾が空を切る。しかし――

 

「無駄」

 

 アルファは、くすりと笑った。

 揺らぎが彼女を包んだ瞬間、割れて弾ける。正に着弾と同時の解呪であった。

 

「Recuva――これで終わり。貴方も私の血肉になりなさい」

 

 言葉と共に、アルファの腕の傷が消えていく。魔術と身体操作による恐るべき速度の治癒能力。イルは全てを理解した。手傷を負っていた筈の彼女が一瞬の内に回復していた種がこれだ。呪詛に至っては先程同様、即座に解呪してのけたに違いない。

 イルは顔を上げてアルファを見据える。憎悪に燃える目と、口元の媚びた笑み。眼前の死を前にも、彼の表情は変わらなかった。

 一方で煌々と燃える炎を背に微笑む少女。その美しくも残酷な笑みの何と絶望的な事か。

 その時である。

 壁面を十メートル、横一文字に光の奔流が切り裂いた。

 コンクリートの瓦礫が舞い、衝撃にイルは倒れ、踊り場から階段を転げ落ちる。

 

「ぐ、糞が、今度は何だ……」

 

 痛みに呻きながら、イルは視線を上げた。

 

「待ったかい、マスター? 随分とピンチだった様だけれど、何とか間に合ったみたいだね」

「別に必要無かったけど、ありがとう。セイバー」

 

 そこにはアルファとそのサーヴァント、白銀の騎士、セイバーが立っていた。

 






正義は勝つ。


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騎兵と槍兵。そして

 同刻、デパート屋上へと舞い降りたライダーとそのマスター、須山マドカはランサーのマスター狗城直衛と相対する。マドカは足元に転がった自らの魔術礼装へと目をやった。

 何れも頭蓋を砕かれた三体のカラベラ人形。マドカは冷汗を流す。

 強襲した人形の数は四体。狗城を取り囲む形で舞い降りた彼等はそれぞれその手に斧、ナイフ、槍、拳銃と違う武器を持ち、その目には蒼い炎が宿っていた。

 須山マドカの降霊術『御魂降し』によって動く彼等は、それぞれ武術の達人である生前の頭蓋の主達の動きを再現し、驚くべき程正確な連携を得意とする。また死をも恐れぬ彼等は手足が千切れようと戦い続ける狂戦士だ。唯一の弱点はその頭蓋だが、魔力と家伝の漆によって保護されたそれは銃弾さえも跳ね返す程の強度を持つ。

 しかし、一蹴。

 目の前の男が恐るべき魔術師である事に疑いの余地は無い。

 しかし、その手に狙撃銃を構えた男の顔には死相があった。

 男は今、サーヴァントも従えずライダーの前に立っているのだ。ライダーの気迫に動じた所を見せぬのは立派だが、絶体絶命の窮地である事に間違いは無い。

 

「聞こえなかったか? 余はサーヴァントを呼ぶが良いと言ったのだぞ、魔術師よ。それとも、その豆鉄砲で余に相対して見せる気か?」

 

 ライダーは獰猛な獣の様な笑みを浮かべ、対する狗城は渇いた笑みを返す。

 

「く、クハハ……。それも良いかも知れないな」

 

 狗城は銃把に掛けた指を上げ、セレクターを押し込む。フルオート射撃へと切り替えたのだ。その行動の意味は、ライダー、マドカ共に分からなかったが、彼等は狗城の表情から抵抗の意を察した。

 

「止めておけ。そんな物で余の一刀は防げんぞ」

 

 ライダーが静かに告げる。その顔に笑みは無かった。

 

「それは、やってみなければ分からない」

 

 言いながら、狗城はその手の令呪をちらと見る。無論、彼もライダーと真っ向勝負と洒落込むつもりは毛頭無かった。そんな物は自殺と全く変わらない。しかし、言い成りに令呪を使う事もまた出来そうも無かった。武人然としたライダーの言葉に嘘は無くとも、今も彼を睨み付けているライダーの隣に立つ少女が易々とそれを許すとは、彼には思えなかったからだ。

 先程の人形共の手並みから、狗城はマドカの技量を把握していた。

 

「令呪を以って、我がサーヴァントに――」

「させると思う? アンタはここで叩くッ!! 『精霊降し』」

 

 狗城が令呪に魔力を込めると同時に、マドカの半身に青白い炎が宿った。その左足がコンクリートの床面を踏み砕き、彼女は跳んだ。狗城とマドカの間にあった間合いは一瞬で消失し、彼女は振り被った腕を真っ直ぐに突き出す。

 彼女の半身は人形で出来ている。幼き日の事故で半身を失ったからだ。そこへ自身の降霊魔術『精霊降し』で地霊、魍魎の類を憑依させ剛力を得るマドカの十八番。その一撃は岩石をも粉砕し、鉄板に拳の跡を残す程の威力を誇る。先程、遥か上空、ライダーの宝具『神威の車輪』から飛び下り、ビル屋上へ着地せしめたのも、魔術による気流制御等の類では無く、ただ『精霊降し』に拠って落下の衝撃に耐えただけの話であった。

 その恐るべき魔拳は、空気の唸る音を残し、空を切る。

 拳が着弾する直前、狗城の身体が霞の様に掻き消え、マドカは在り得ぬ物を見た。振るった腕に狗城は乗っていた。紙一重で拳を避けて跳躍し、伸び切ったその腕に着地。言うは易いが、如何程の技量がこれを可能とするのか。しかも、軽気功に拠る体重操作で、着地の瞬間すらその重さを感じさせぬのだ。

 故に、マドカの反応は遅れ、彼女の身体はその勢いのまま、拳を突き出した体勢のまま前進する。その顔に向け、狗城の足が跳ね上がった。

 カウンターで入る。防御も回避も不可能だ、とマドカは判断した。

 狗城の蹴りは正に神速を誇る物だったが、死の直前にのみ顕れる極限の集中状態が彼女にその判断を可能にした。故に、マドカは死を悟る。全ての時間は緩やかに流れ、しかし、蹴り足がマドカの顔に触れようとしたその刹那、横合いから野太い腕が割って入った。

 

「無事か、嬢ちゃん?」 

 

 ライダーの腕が狗城の蹴りを難なく払いのけていた。

 狗城は跳び退き、着地と同時に銃口をライダーへと向ける。その顔には苦々しい物が浮かんでいた。必殺を期して放った蹴りを難なく叩き落とされたのだ。先の蹴り、内功に拠ってその脚は鋼と化し、軽気功に拠って文字通りその全体重を乗せた物だった。その威力は高速で打ち込まれる数十キロの鉄槌に等しい。ライダーが助けなければ、マドカの首から上は無くなっていた筈だった。

 彼女の背に冷たい物が奔る。

 

「あ、ありがと、ライダ――ひゃ」

 

 死の実感に竦んだマドカの頭を、ライダーの大きな手がくしゃくしゃと撫でた。

 

「な、何するのよッ!?」

「お転婆なのは結構だがな、余り先走るな。まぁ、この場は余に任せておけ」

 

 堪らず抗議の声を上げるマドカに笑って答え、ライダーは狗城へと向き直る。 

 

「フハハ、しかし、やりおる。今のは少し痺れたぞ」

 

 ライダーは笑い、狗城は笑わなかった。

 ライダーはその腰の剣の柄に軽く手を乗せるのみ、抜剣すらしていない。一方狗城は銃を構え後は引き金を引くのみの体勢。その銃口は真っ直ぐにライダーを捉えている。

 しかし、狗城に勝ち目は無い。それは相対する彼等自身が最も良く分かっている事だった。

 

「もう一度だけ言う。サーヴァントを呼ぶが良い」

 

 ライダーの言葉に、狗城は身体の力を抜く。

 

「流石は英霊。アレを難なく防ぐか。だが――」

 

 狗城は一度たりともライダーから視線を切らなかった。一度たりとも殺気を放たなかった。

 だが最小の動きと共に、その手に構えた銃口は空中を滑るかの様に移動した。

 

「これは防げるか?」

 

 銃口がマドカを捉え、狗城はその引き金を引いた。

 

「この、愚か者がッ!!」

 

 ライダーは一歩踏み込み、その身体で火線を切る。自ら盾となってマドカを護るべく、銃口前へと身を躍らせたのである。同時にVSSが火を噴いた。VSSのフルオートでの発射速度は秒間十五発を誇る。その銃弾一発一発に気を込めるには余りに短い。

 しかし、死の直前にのみ顕れる極限の集中状態が、狗城に在り得ぬ操気を可能にした。今や鉛の弾はその威力を増し、霊体であるライダーの身体をも貫くだろう。しかし――

 

「そんな物で余の一刀は防げぬと言ったッ!!」

 

 狗城は見た。射出された三発の弾丸がまるで意思を持つかの様にその軌道を変え、ライダーから逸れたのだ。ライダー、征服王イスカンダルの逸話の一つに、戦場にて彼に降りかかる幾千の矢の雨がただの一つも当たる事は無かったという物がある。これぞライダーが持つ『矢よけ』のスキル。あらゆる投擲攻撃は彼に届く事は無い。

 咆哮の如き一喝と同時に、ライダーの一斬が煌いた。

 四発目の弾丸が叩き斬られた銃身から虚空へ向けて放たれる。その銃火と共に蒼月が瞬き、一際大きな火花が散った。

 

「危機一髪、と言った所かな。視た以上に危うかったが、無事かい? マスター」

 

 横合いから突き出された蒼い槍がライダーの剣を阻んでいた。狗城の危機を救ったのは、壁面を駆け上がって彼等の間に割り込んだ最速のサーヴァント、ランサーである。

 硬直は一瞬に、ランサーとライダー、互いの視線が錯綜する。相対した二体の英霊は、互いの得物を跳ね上げ、弾かれた様に距離を取った。

 片や強力な宝具を持つライダーに片や最速を誇るランサー。片やケルトの大英雄フィン・マックールに片やマケドニアの征服王イスカンダル。共に戦闘に特化したクラスを得た二人の英霊。

 尋常ならざる闘気が重圧となって視る者全てに降り注ぎ、これから始まる激闘を予感させる。

 しかし、ライダーは、にやりと嬉しそうに笑い――

 

「ほう、意外だな。その狙撃手が貴様の主か。まぁ、良い。我が名は征服王イスカンダル!!此度はライダーのクラスを得て現界した。槍の英霊よ、貴様も名乗るが良い」

 

 自らの真名を名乗り上げた。

 不意の事態にマドカと狗城は反応出来なかった。

 時に情報とは千金にも代え難い物となる。

 本来、聖杯戦争において英霊の真名とは絶対に明かしてはならない、秘匿するべき物である。彼等召喚された英霊は過去の存在であり、有名な逸話を持つが故に英霊なのだ。真名を知られればその能力や宝具、弱点までも敵に知られる事になる。

 それは聖杯戦争という生存戦では絶対的不利な状況に陥る事を意味する。

 少なくとも、プラスに働く事はありえない。

 しかし、この英霊は臆面も無く自らの真名を名乗り上げたのである。

 

「ば、バカーーーー!!?? 真名名乗り上げるとか、アンタ、な、何考えてんのよッ!? さっき、負けられないって言ったでしょーがッ!?」

「まぁ、そう熱り立つでない。この征服王イスカンダルの威名に、余の名の何処に名乗るに憚られる事があると言うのだ」

「じょ、状況を考えなさいよ!!!」

 

 豪放磊落を地で行くライダーに叫ぶマドカ。

 既に先程までの闘争の空気は雲散霧消している。

 

「なぁに、負けなければ良いであろう。それに、嬢ちゃんは余が敗北すると思うのか?」

「そ、それは……思わない、けど……」

 

 豪快に笑うライダーに口篭るマドカ。

 暫し唖然として彼等の様子を眺めていた狗城は苦い顔をし、ランサーは薄い笑みを浮べる。

 

「ランサー、お前――」

「知っているのに敢えて問うか。いや、卑怯とは言うまい。我が名はフィン・マックール。フィアナ騎士団長、白指のフィン・マックールだ」

 

 止めようとする狗城を制してランサーは応える。彼は既に、自らの真名をライダーが知っている事を知っていた。ライダーは知っていて敢えて名乗りを上げたのだ。

 

「ほう、見物していた事に気付いていたか。おうとも、これは戦場の倣いに他ならぬ。先程のバーサーカーとの一戦、実に見事であった。地上に月を観るとは思いもよらぬ収穫であったわ。して、ランサーよ。貴様、余の軍門に降らぬか?」

 

 続いてライダーが口にしたのはまたもや突拍子も無い言葉だった。その正気とは思えない提案に、改めてマドカは自らのサーヴァントがつくづく規格外なのだと思い知る。無論、悪い方向にではあったが。

 

「ふふ、正気かい? いや、だから名乗ったのかな?」

 

 ランサーは楽しそうに返す。どうやらこの状況を楽しんでいるらしい。

 

「無論であろう。名乗りもせぬ者の言葉等響くまい。貴様が聖杯に何を望むのかは分からぬが、その願望。共に天地を喰らう大望に比して猶重いと申すか? 我が軍門に降り、聖杯を譲るのであれば、余は貴様を朋友として遇し、世界を征する快悦を分かち合う所存である」

 

 腕を組み胸を張るライダーにランサーは首を振り、

 

「悪いが、それは出来ない相談だ」

 

 その手の中で槍が回転して翻る。それに呼応するように、ライダーは剣を引き抜いた。

 

「交渉決裂か。至極、残念だ。しかし、気変わりしたならばいつでも言うが良い。こちらはいつでも大歓迎なのでな」

 

 闘争の空気ではない。そうライダーが変えてしまった。

 しかし、至極当然の様に、彼等は向かい合う。

 

「ふむ、消耗は無いようだな」

「へぇ、随分と甘い事を言う」

 

 ライダーの言葉にランサーは不敵に笑う。そこに連戦の疲労は見えない。

 ランサーの宝具『蒼月血槍(レイン・ビルガ)』は血を吸う魔槍である。その吸い上げた血、魔力は当然繰手であるランサーへと還元される。詰まり、先程のバーサーカー戦での疲労はランサーには存在しない。こと継戦能力においてこの英霊は頭抜けた存在なのである。

 で、あるならば、勝負を分けるのは彼等互いの技量のみ。

 ライダーとランサー、互いに高いレベルで纏まったステータスではあるが、両者の差は明確だった。力はライダー。速さはランサー。後は天と地ほどの幸運の差か。

 

「では、主殿に剣を向けた事、後悔してもらおうか。なに、今はコイツも満腹でね。枯渇死はしないだろうから心配いらない」

「先に嬢ちゃんに銃を向けたのはそちらであろう。そもそもだなぁ、こそこそと戦士の戦いを汚すような事をしておる貴様のマスターが悪いのだ」

 

 闘争の予兆はまるで無かった。

 行動の起こりも全く無かった。

 ただ、火花と剣戟の音で以って、何が起こったかを知る。

 

「ぐ、う……や、やるね」

「ふん、少々、油断が過ぎるぞ、ランサー」

 

 ライダーの一刀をランサーが柄で受けていた。否、柄で受ける形で辛くも持ち堪えていると言った方が正しいか。さしものランサーもライダーを相手に力勝負は分が悪い。その怪力に押し込まれる形でランサーは膝を付き、剣は猶も圧力を増してその肩口まで迫っている。

 ほんの僅かでも気を抜けば、ライダーの剣はそのまま肩口からランサーを圧し切るであろう。

 狗城は咄嗟にランサーを助けるべく動く。しかし、彼は驚愕を隠せなかった。

 先の一合、先手はランサーだったのだ。

 前触れも無く、恐るべき速度でランサーの槍がライダー目掛けて跳ね上がった。それに遅れる形で振り被ったライダーはどうしようもなく遅過ぎた。次の瞬間、槍がライダーの咽を貫き、それで終わる――筈だった。

 詰まりは、その一斬が速過ぎた。

 その轟雷の如き一刀は、自らの咽を貫く筈だったランサーの槍の穂先を弾き、その勢いのままに槍ごとランサーを両断せんと迫った。咄嗟に圧された槍の柄を取って両腕で堪えるランサー。しかし、その一刀は止まらない。押し切る形で圧倒し、その恐るべき圧力に足場のコンクリートが砕け、ランサーが膝を付く。

 それは自らの槍を捧げ頭を垂れる臣下の姿に他ならない。

 

「ランサー、合わせろッ!!」

 

 横手より接近すると同時に、カラベラ人形から拾い上げた手斧を振り被り、狗城はライダーへと飛び掛った。ライダーが狗城へと注意を向ければ、その瞬間にランサーは窮地を脱せる。否、隙あらばその首を獲る事すら出来るだろう。しかし、

 

「片腹痛いのぅ。その様な小細工で、このイスカンダルが殺れると思うたかッ!?」

 

 一喝と共にライダーの野太い脚が翻る。身動きの取れぬランサーに避ける方法等ある訳もなく、その蹴りはランサーの胴を捉え、その身体を軽々と空中へと跳ね上げた。衝撃にランサーの身体がくの字に曲がり、中空を舞って、ライダーへと飛び掛る狗城へと迫る。

 

「な、何だとッ!?」

 

 予想外の事態にも、狗城は咄嗟に手斧を放し、ランサーを空中でキャッチする。しかし、その衝撃に身体は後方へと流れた。先は地上四十メートルの空中である。咄嗟に狗城は片足を欄干に引っ掛け、落ちるのを拒否した。欄干に絡めた足と腹筋の力のみで身体を支える。そこへ、

 

「また、同じ事が出来るかしら?」

 

 マドカが迫る。振り上げた拳から青白い炎が一層激しく逆巻き、

 

「ぐぇ」

 

 その襟首をライダーが掴んで止めた。

 

「な、何すんのよッ!? 折角のチャンスを――」

 

 抗議の声を上げるマドカの言葉が途中で止まる。音も無く飛来した数本のナイフが次々と目前のコンクリートの床へと突き刺さった為である。ライダーが止めていなければ、飛来したナイフに全身を貫かれていた筈だった。

 咄嗟にナイフの飛来した後方を振り返るマドカ。

 

「新手ッ!? そんな、私とライダーが接近に気付かないなんて」

「そりゃあ嬢ちゃん、当然だろうな。ありゃあ、どう見ても――」

 

 そこに在ったのは暗闇の空中に浮かぶカラベラ人形。狗城に破壊されたマドカの魔術礼装の残りの一体である。それがずるり、と八つに裂かれて地に落ち、代わりに中空に現れたのは白い面。漆黒の風貌は闇に溶け込み、その白い面のみが中空に浮いている。

 

「アサシンに違いなかろうて」

 

 アサシンのスキル『気配遮断』。サーヴァントの感知能力すら無効化する魔術師殺しに特化したサーヴァント。反面そのステータスは低く、真っ向勝負であればライダーに敗北はありえない。

 しかし、マドカは怖気が止まらなかった。

 アサシンが口を開く。全く抑揚の無い声音だった。

 

「このライダーは難敵だ。協力を、ランサー」

 

 弾かれた様に前を向くマドカ。

 そこには既に欄干から屋上へと降り、槍を構えるランサーとそのマスターの姿があった。

 

「全く信用出来んが、またとない好機には違いない。ランサー、ライダーの足を止めろ。マスターを殺る」

「だ、そうだ。さて、絶体絶命だね。凌げるかい、征服王?」

 

 口端から流れる一筋の血を指で拭い、ランサーは槍を担ぎ上げる。

 

「ふむ、挟撃か。まったく、どいつもこいつも詰まらぬ真似をしおってからに。何故二体一となったなら、その数の利を以って余へと向って来んのだ。騎士の名が泣くぞ、ランサー」

 

 ライダーは言いながら、マドカを背に庇いつつ、視線をランサーへ、意識を背後のアサシンへと向ける。空気が変わる。ライダーの気迫は、背後のアサシンが動くのを止まらせるに十分過ぎる程の圧威を備えていた。しかし、ランサーは止まらない。

「ラ、ライダー……、このままじゃ……」

「心配するな、嬢ちゃん。余の軍略スキルは伊達ではないぞ」

 

 背後のマドカにライダーはにやりと笑い、同時に巨大な魔力が畝る。直後、稲光が瞬き、雷鳴と共に強大な魔力は巨大な質量と成って天空より降り注いだ。

 

「来い、神の仔らよ!!」

 

 ライダーの咆哮と共に、雷を纏って天空より駆け下った戦車はその勢いのままランサー達を轢き潰すべくデパート屋上へと落下した。ライダー達が飛び降りた後、そのまま上空にて待機させていた『神威の車輪』を呼び寄せたのだ。

 突如突っ込んできた二頭の雷牛に牽かれる戦車は、相手にしてみれば暴走する大型トラックの如し。否、威力はそれの何十倍か。デパート屋上は着地の衝撃に半壊し、飛んだ稲妻が地を裂いて奔った。大災害の如き様相を呈する戦場で、しかし、彼等に動揺は無い。

 ライダーはマドカを抱え上げ、走り来る戦車に飛び乗ると手綱を掴む。最早戦況は一変した。空中に逃げればただの的である以上、攻防一体の宝具『神威の車輪』の蹂躙走法を前に、狭いデパート屋上では逃げ場は無い。彼等は勝利を確信する。

 それを油断と呼べるかは解らない。

 戦車に乗ってしまえばマスターであるマドカの危険は激減するし、一方的に敵を蹂躙出来る。また、あのまま戦えば二体のサーヴァントからマスターであるマドカを護り切る事は難しい。故に、『神威の車輪』による奇襲からの流れに一切のミスは無い。しかし、ライダーはマドカを戦車の御者台に引き上げる為、彼女を抱えなくてはならなかったし、戦車を操る為に手綱を握らなくてはならなかった。つまり、剣を振るえなかった。

 それはどうしようもない隙だった。

 そして、それを見逃すランサーでは無い。

 突っ込んできた戦車を回避したランサーはその勢いのまま跳び上がり、空中よりライダーへと襲い掛かった。振り上げられた槍の穂先が蒼く輝き、空に三日月を描き出す。その恐るべきシャムシールは吸い込まれる様にライダーへと向かった。

 咄嗟に、ライダーはマドカを抱く手に力を込め、

 

「ッ、ライダー!! 信じてるわよ!!」

 

 マドカはその腕を引き剥がした。ライダーとマドカの視線が一瞬だけ交錯し、当然の如く彼女は疾走する戦車から落下し、戦車が巻き上げた土煙の中に消える。そして、

 

「AAAAAAAAAA――」

 

 ライダーは自由になった腕で剣を抜き放つ。

 一際大きな火花と共に剣と槍、力と力がぶつかり合って拮抗し、

 

「AALaLaLaLaaaaie!!」

 

 咆哮と共に、ライダーの一刀は蒼月を打ち払った。槍を弾かれたランサーは、その衝撃で後方に跳ね飛ばされ、『神威の車輪』を牽く二頭の雷牛、その一頭の背へと着地する。

 その瞬間、雷牛が背の異物を振り落とすべく戦慄きながら大きく身体を揺らした。しかし、その背に立つランサーは悠々と槍を回し、穂先をもう一頭の雷牛へと向ける。元より時速二百キロ近い速度で高速疾走している雷牛である。超人的なボディバランスと言わざるを得まい。

 

「この戦車は確かに脅威だが、牽く牛がいなければ無用の長物。さて、征服王、こうされると、君はどう凌ぐのかな?」

「やってみるが良い。余を前に、その余裕があればの話だが」

 

 ライダーの闘気が立ち昇り、同時にその剣に魔力が渦巻く。

 その暴風の如き、恐るべき魔力の波動は正しく奇跡の具現である宝具のみが備え得る物。ライダーが掲げたあの剣こそ、彼の東方遠征の折にゴルディアスの結び目を断ち切った物と見て間違いあるまい。ライダーも本気である。

 本来は騎乗兵の英霊であるライダーが剣の宝具は持ち得ない筈であるが、それを見てもランサーは気にしなかった。それは彼も同じだからだ。

 ランサーは満足そうに薄く微笑み、その親指を一舐めする。

 

「悪いが時間が無いのでな。いや、それはそちらも同じ事であろう?」

「さて、どうかな? こちらはもう少し時間を掛けさせてもらうよ」

 

 ライダーとは対象に、ランサーに焦る様子は全く無い。

 それは本来在り得ない余裕である。ランサーもまた、ライダーと同様にアサシンの前に自らのマスターを一人立たせてしまっているのだ。まさか、先程追撃を防いでくれたと言うだけで、アサシンを信用した訳ではあるまい。

 であるならば、この余裕は最初からアサシンと組んでいたと考えるのが自然である。

 ライダーは怪訝な顔付きでランサーを見据え、首を振る。目の前の英霊の表情からは何も窺い知る事が出来なかった。何れにせよ、一刻の猶予も無いと見るべきだ。ライダーはそう断じ、目の前の敵手へと集中する。

 

「一瞬で決めさせてもらうぞ、ランサー」

 

 飛蹄雷牛がコンクリートの地面を蹴って空を駆け、ライダー対ランサー、その第二幕。その恐るべき空中戦の火蓋が切って落とされた。

 






気が付いたら空中戦が始まっていた。
何が起こったのか分からねーと思うが、何が起こったのか分からなかった。
プロットがどうにかなりそうだった。

まぁ、強力なサーヴァント同士が互いの手の内を見つつ戦うのは序盤の華だよね。


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空中戦

 ライダーが手綱を引く。それと同時に『神威の車輪』が大きく揺れ、雷牛は弧を描きながら地面へ向って落下を開始した。自然落下を遥かに上回る速度故に、戦車上の二人の身体は重力のくびきより解放され、その足が浮き上がる。

 雷牛の背に乗るランサーは当然上方、ライダーの元へと吸い寄せられた。

 雷牛を操ると同時に手綱を掴むその手に力を込めて身体を支えるライダーとは裏腹に、不意の方向転換によって反応する間もなく足場を失うランサー。最早ライダーに切り捨てられるより他は無い。勝負はあった――相手がランサー、フィン・マックールでさえ無ければだ。

 ランサーはその白指の叡智に拠って知っていた。ライダーが方向転換を掛けるタイミングを。そして、それに合わせて飛び上がったのである。

 銀の影が弾丸の様に奔り、蒼月が瞬く。

 ライダーの剣が如何なる宝具であろうとも、その速度を前に真名解放を行う隙は無い。

 

「ぬうぅううううううん!!」

 

 ライダーが吼え、火花と共に鮮血が散った。

 駆け下るライダーは戦車と共に下へ、跳び上がったランサーは上へ。剣と槍の一瞬の交差と共に、赤銅と蒼の影が交差する。

 落下する戦車が地面に激突する直前に、ライダーは急制動を掛けて反転し、壁面へと着地したランサーを見上げた。其処へ、血の雫が落ちてライダーの頬を朱に染める。

 彼の、ライダーの血であった。

 ランサーの槍は鎧を貫き、ライダーの脇腹を抉っていた。

 深い傷ではない。

 ライダーが咄嗟に振るった一刀が、槍の軌道を逸らした為だ。

 で無ければ、槍は心臓を貫いていただろう。

 しかし、掠り傷に過ぎぬ、と断じる事もまた出来なかった。ライダーは確かに全身から力の喪失を感じていた。血と魔力を啜る魔槍の効果である。

 

「はっ、やりおるではないかッ!!」

 

 しかし、奥歯を噛締めて笑い、ライダーは手綱を引く。雷牛達は戦慄きながら、ランサーを追って魔空へと駆け上がる。魔力のパスに拠ってまだマドカが無事である事は分かるものの、アサシンとあのランサーのマスターが相手では長くは持つまい。

 状況は切迫していた。

 ライダーは即座にランサーを叩き伏せ、マドカと合流を図らなければならなかった。

 

「退いてもらうぞ、ランサーッ!!」

 

 壁面に垂直に空を駆け上がりながら、ライダーが吼える。合わせてその戦車を牽く二頭の雷牛が戦慄き、蹄が一層強く稲妻を迸らせて壁面のランサーへと迫る。蹂躙疾走。全てを呑み込み踏み潰す二頭四対の剛脚は宛ら削岩機の様である。

 そしてその後に待つのは二本の車輪とそれに取り付けられた大鎌だ。車輪にひき潰されるか、大鎌に八つ裂きにされるか。この恐るべき戦車の前に立つものには、死、あるのみ。

 その恐るべき戦車を駆るライダーの胸中にはただ一つ。

 直ぐに助ける。

 その想いを、その焦りを、ランサーは嘲笑う。

 

「勝負を焦り過ぎだよ」

 

 壁を蹴り、反転しながらランサーが落下する。弧を描いたその軌道は、猛スピードで迫り来る雷牛を跳び越え、手綱を握る戦車上のライダーへと迫った。咄嗟にライダーは手綱を引きながら、逆手で剣を振り上げる。

 落下の勢いをそのままに槍を突き出すランサー。その穂先を打ち払わんと剣を振るライダー。飛び降りた槍兵と駆け上がる騎兵の姿は先程の一合を逆様に描き出す。

 しかし、彼等の得物が互いに打ち鳴らされる事は無かった。

 交差の瞬間、ランサーの槍の穂先が、ライダーの振るう刃に触れる直前に蛇の如く畝った。槍の柄の撓りを利用した回転突きである。刃を潜り抜ける形で弧を描いた穂先は打ち払われる事無く、そのままライダーの肩へと奔った。

 蒼月と銀光の瞬きと共に二人の英霊が交差する。中天に、ぱっと鮮血が散って、しかし、重なった影は別たれる事は無い。ライダーの肩を抉ったランサーはその勢いのまま傍らを通り過ぎると同時に反転し、戦車の御者台の欄干へと着地したのである。

 ランサーの槍がその腕の中で回転し、同時にライダーが手綱を引いた。

 

「ふん、貴様の騎乗を許した覚えは無いぞ、ランサーッ!!」

 

 天空へと突き進んでいた戦車が突如としてその進行方向を変える。暗闇に奔る稲妻の線がデパートの壁面に巻き付く様にカーブを描いたと同時に、ライダーが剣を横薙ぎに反転する。その横薙ぎの一斬はランサーの首へと吸い込まれる様に奔り、寸前槍の柄に防がれた。

 咄嗟にランサーは槍を立て、その柄で受けて見せたのだ。正に驚嘆すべき反応速度と言えよう。しかし、遠心力と衝撃に、踏ん張る事も出来ずにランサーの身体は戦車を放り出されて宙を舞う。

 振り払った。

 そう確信し、ライダーは手綱を引く。雷牛はその脚を緩める事無く空へと向って舵を切り、戦車の軌道が弧を描こうとした瞬間、がくり、とライダーの乗る戦車の速度が落ちた。

 突如、二頭の神牛が失速したのだ。その直後、衝撃が彼等を襲った。

 神牛が不意に何かに弾かれたのだ。彼等は踏鞴を踏んで蹌踉き、当然背後で牽かれる戦車は衝撃に大きく揺れた。上下に激しく揺さ振られながらライダーは前を見る。

 何が起こったのか理解した時、ライダーは自らの顔に獰猛な笑みが浮かぶのを感じた。

 

「まずいのぅ。状況が状況だと言うのに――愉しくなってきおったわ!!」

 

 見よ、魔術によって編まれた靄がタールの如く雷牛に絡み付いている。否、それだけでは無い。眼前に迫っているのは不可視の壁だ。避ける間もなく雷牛は真っ直ぐ壁に突っ込み、自らの速度と重みに押し潰される。恐るべき『神威の車輪』の威力がそのまま自らに返っているのだ。

 再び戦車が大きく揺れる。しかし、その疾走を止めるには至らない。血を噴きながら雷牛が嘶き、稲妻を纏った剛脚が不可視の壁を蹴り砕く。同時に――

 

「Eolh――Nyd――Rad」 

 

 その背後の中空に浮かび上がり謳われる原初の三文字。その詠唱を聞く瞬間まで、ライダーは失念していた。この槍兵が恐るべきルーン魔術の達人だという事を。束縛魔術と魔術防壁、そして、移動魔術。

 ライダーが振り返ると同時に、陣風と蒼月が奔った。

 戦車の速度が落ちた瞬間を見計らい、ランサーが背後から強襲したのである。ランサーとライダー、互いの剣と槍が瞬き、二つの影は戦車上で交差する。

 その禍々しい蒼月は水面に浮かぶそれに等しい。捉え様とも形無く、ただ歪みながら輝くのみ。ライダーが咄嗟に上げた剣を避ける様に、ランサーの魔槍は弧を描いてその肩を抉った。

 先程の傷口を、より深く。

 物理法則すら無視した軌道を描き相手の血を吸う魔槍。

 その穂先が咽を鳴らし、刃に付着した血を、魔力を吸い上げる。

 

「ぐうぅうぅうおおおおおお!!」

 

 ライダーの苦しげな唸りが咆哮に転じると共に、槍を受けるべく掲げた刃が敵を切り捨てんとランサーへと奔る。しかし、そこに先程までの剛雷の如き凄まじさは無い。肩の傷の影響である。

 ランサーは身体を捻りながら迫る刃を潜り抜け、跳躍の勢いのままライダーの脇を通り過ぎる。交差の瞬間、正に刹那の攻防。そこに在ったのは紙一重の、しかし、致命的な差であった。

 無傷のランサーと手傷を重ねたライダー。

 このまま続ければ、先に待つ光景は火を見るよりも明らかだ。

 

「さぁ、空中戦といこうじゃないか」

 

 故に、ランサーは止まらない。

 ランサーの身体が空中で反転すると同時に、ルーン文字描かれ、彼等の向う先に不可視の壁が顕れる。それは神牛に停止を、ランサーに足場を齎した。

 空を蹴ったランサーがライダーへと迫る。

 ライダーが突き出された穂先を辛くも払い除けるも、跳躍の勢いのままに傍らを通り過ぎたランサーは即座に反転し、空中に張った魔術障壁を蹴って再びライダーへと襲い来る。

 空中に銀光と蒼月が瞬き、十余の火花と共に、血潮が舞う。

 ここに至って、両者の速さの差が明確に浮き彫りになった。恐るべき速度で天駆ける『神威の車輪』ではあるが、短距離ならば最速の英霊の跳躍速度が上を行く。増して、白鮭の叡智による先見とルーン魔術によって、敵に先んじて空中を自在に跳ね回るランサーの始動性、旋回性には敵うべくも無い。対照的に戦車はその速度をルーン魔術によって減じられているのだ。

 状況を打破出来るとすれば宝具の解放だが、それには一瞬の溜めが必要となる。

 この槍兵の前に、宝具の真名を謳い上げる一拍の間は長過ぎた。

 結果、空を蹴って跳躍を繰り返し、十方より襲い来るランサーの蒼槍を、ライダーは戦車上でただ防ぐのみ。しかし、如何にライダーと云えど、物理法則すら無視した軌道を描くランサーの蒼槍を凌ぎ切る事は不可能であった。交差の度に傷は増え、次第に戦車の御者台はその鮮血に染まっていく。

 その速度の前に宝具の解放を封じられた今、最早ここは空中に築かれた槍兵の狩場であった。

 しかし、その絶望的状況に在って猶、ライダーは不敵に笑う。防御の為に掲げた剣に隠れたその眼は、虎視眈々と反撃の機を窺っているのだ。

 唯一にして最大の誤算は、それをランサーが十二分に理解している事である。英霊たるの性であろう。彼等は互いの技量に対して、敵同士でありながら、絶対の信頼を寄せていた。

 故に、魔術を紡ぐランサーに油断は無い。ルーン魔術を併用してライダーの足を止め、自らの最速を以って死角を取り、その恐るべき魔槍で仕留める。

 宝具解放の隙が無い以上、速さで劣るライダーにこれを防ぐ術は無い。

 

「Eolh――Nyd――Rad」

 

 すれ違い様に放った槍での攻撃と同時の詠唱。魔術に拠って編まれた靄がタールの如くライダーに絡み付き、同時に空中に現れた壁を蹴って、ランサーは跳躍を繰り返し、ライダーの背後を取る。

 薄い微笑みと共にその手の槍の穂先が蒼く瞬き、空中の魔術障壁を蹴って跳んだランサーは一陣の旋風となってライダーに迫る。その姿、速度は正に蒼き弾丸の如し。

 ランサーの動きに無駄は無い。一瞬の後に、魔槍はライダーを背から貫くだろう。

 ただ唯一の誤算は、宝具の存在。

 

「ふん、見事な手際。だが、少しばかり余を侮ったな、ランサー!!」

 

 ライダーは右手の剣を横に薙ぐ。そのただの一振りで彼の巨体に絡み付いていた魔術の靄は幻の様に雲散霧消する。そして間髪入れず、手綱を引いて雷牛の進行方向を変える事で戦車を傾け、振り返ると同時に剣を振り上げて背後より躍り掛かるランサーを迎え撃つ。

 ライダーの持つ剣はゴルディアスの結び目を断ち切った逸話が具現化した宝具である。

 ただの農民に過ぎなかったゴルディアスが神託を得て王となった際に、ゼウス神へと納めた『神威の車輪』を神殿へと括り付けた轅の紐。これを解き、『神威の車輪』を手にした者は遥か東方、アジアの覇者となる事を予言された不朽不解の結び目。

 結び目ごと運命を切り開いたライダーの剣は、あらゆる束縛、封印の類を一刀両断する正に快刀乱麻を断つ利剣である。如何にランサーが恐るべきルーン魔術の使い手であったとしても、拘束魔術、魔術障壁等この剣の前では意味を成さない。

 大きく弧を描いて振り下ろされた槍の一撃をライダーが剣の腹で受ける。衝撃に戦車が揺れ、その肩の傷口より血が噴き出た。ライダーの顔が苦痛に歪み、そして不敵な笑みへと変わる。

 槍を受けると同時に剣を立て、その穂先から柄を滑らせる形で切り落とす。押されたランサーの槍が逸れ、ライダーの一刀は真っ直ぐにランサーへと迫った。

 高速で跳ね回り、背後より迫ったランサーの槍に切り落としを合わせてのけた技量は見事と言う他は無い。跳躍の勢いのままに前に出るランサーにその一斬を避ける術はない。瞬きの間も待たず、刃はランサーを唐竹に両断するだろう。

 しかし、それでも、相手は最速。

 ぱっと鮮血が舞ったと同時にライダーの身体が横へと跳ねた。咄嗟に身を捩じり頭部への斬撃を避けたランサーは、交差の瞬間にライダーの膝を蹴って横手へと跳んだのである。肩口へと喰い込んだ刃は、一瞬の手応えだけを残して空を切る。

 辛うじて窮地を脱したランサー。対して、絶好の好機を逃したライダーは、にやりと笑った。

 

「その動き、益々以って見事、と言いたい所ではある、が少々迂闊であったな」

 

 窮地を脱すべくランサーが跳んだ先、其処は窮地ではなく、死地であった。

 空中に血の軌跡を残しながら御者台から空中へと躍り出たランサー、そこに待ち受けていたのはデパートの壁面だ。壁面とそれに並走する戦車に挟み込まれた形である。

 咄嗟に身体を反転させ、壁面へと着地しするランサー。同時に、戦車が傾いた車体を立て直し、ランサーを挟み潰さんと壁面へと迫った。ランサーの眼前で、その車輪から飛び出た大鎌が削岩機の如く回転する。

 しかし、舞ったのは血飛沫ではなく、紅色のルーン。

 

「Nyd――」

 

 車輪が着弾する直前、刻まれたルーン文字に従って空中へと浮き上がった魔術障壁に拠って、ランサーへと迫った大鎌の刃はその眼前数センチの距離にて静止した。圧倒的なエネルギーの塊と魔術障壁とがぶつかり合い、周囲に余波を撒き散らせながら互いに拮抗する。しかし、

 

「甘いッ!!」

 

 咆哮一閃。ライダーの一刀が魔術障壁を切り払い、戦車はライダーを押し潰すべく壁面へと迫る。

 如何にランサーの魔術障壁が強固な物であろうと所詮は魔術。

 ライダーの宝具の前では意味が無い。

 しかし、戦車が止まった一瞬の隙に、ランサーは上へと駆け出していた。旋回する大鎌の刃先が大腿を抉り、鮮血が回転によって血風となって周囲に撒き散らされる。だが、ランサーは止まらない。彼が地を蹴った一瞬の後、その影を追って着弾した戦車が外壁をぶち抜いて、その車輪の半ばまでがビルの壁面へと埋まった。一瞬離脱が遅かったならば、ランサーは大鎌に引き裂かれ、壁面と戦車の車輪とに圧し潰されてバラバラになっていただろう。

 正に間一髪。とは言え、彼にその余韻に浸る様な暇は存在しない。

 コンクリートの壁面に埋まった車輪が外壁を押し潰し、足を掠めた大鎌がそのままビル壁を抉りながら追走を開始したのである。コンクリートの塊を砕き、斬り飛ばしながらもルーン魔術の頸木から解放された『神威の車輪』がその速度を緩める事は無い。

 壁面を駆け上がるランサーを追って、壁面を抉りながら戦車の大鎌が迫る。足に傷を負った状態のランサーはただ逃げるのみ。最早戦車を振り切る事も、束縛のルーン魔術を張り直す事も不可能であった。

 勿論、咄嗟の回避行動とは言え、デパートの壁面と並走していた戦車から、ランサーが壁面側へと跳んでしまった事は偶然では無い。猛攻を凌ぎながら巧みに誘導し、ランサーが跳び掛かると同時に戦車を傾け、切り落としに拠って、戦車と壁面に挟まれた死地へと跳ぶ方向を限定する。自ら動き、戦場を操るライダーの狙い通りの展開である。

 ここに攻守は逆転し、彼等は主の待つビルの屋上へと直走る。

 

 

 




第2幕終了したら全員の判明ステータス表出します。



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精霊降し

 少し時は遡り、デパート屋上。

 マドカが戦車から落下する瞬間、彼女の半身は青白い炎に包まれた。マドカの魔術『精霊降し』である。これによって落下の衝撃に耐えた彼女は、跳ね起きると同時に地を蹴り跳んだ。

 同時に飛来した五つの短剣が彼女の影を射抜く。

 内一本が肩を掠め、マドカの白肌を赤く染めた。

 

「イッタいわね!! 乙女の柔肌に何て事すんのよッ!?」

 

 語気を荒げる彼女の顔には焦りがあった。

 その眼前に白面が浮いていた。アサシンである。

 勝ち目が無い。それは直ぐに理解出来た。

 アサシンは戦闘能力に秀でたクラスでは無いし、眼前の英霊のステータスは殆どがEかD。しかし、それでも英霊、超常の存在である。マドカを殺すのにそれほど時間は掛かるまい。ライダーが戻るまで数秒か、数分か。

 持ち堪える。

 マドカが意思を定めると同時に、彼女を覆っていた炎が一層強く燃え上がった。その意思を、

 

「諦めろ」

 

 押し潰すかの様な声が響き、同時に影が跳ぶ。

 空中より投擲される三つの短剣を前に、マドカは全力で踏み込む。狙いは『神威の車輪』に拠って砕けたコンクリート片。爪先が一片の巨大なコンクリートの塊を跳ね上げる。それはマドカを覆い隠す程のコンクリートの盾だ。

 短剣がコンクリート片に減り込んで止まり、ほっとしたのも束の間に、前方に跳ね上げたコンクリート片がマドカに向って落ちてきた。アサシンがコンクリート片に着地したのだ。

 

「舐めんじゃないわよッ!!」

 

 マドカの右腕が燃え上がり、突き出された右拳がコンクリート片を粉砕する。と、同時に、アサシンは跳んでいた。その手の短刀が煌き、マドカの腕が反射的に上がる。

 しかし、防御に意味は無い。アサシンの狙いは腕の動脈と神経、その切断だ。

 炎と鉄の煌きが交差する。アサシンの振るった短刀がマドカの肘から手首を這う様に滑り、そして止まる。同時に、彼女の足がアサシンの白面を下から蹴り上げた。

 蹈鞴を踏んで後退するアサシンと飛び退くマドカ。彼等の間に少し距離が開く。

 動く標的の橈骨動脈と正中神経を正確に狙ったアサシンの一撃は見事と言う他無い。しかし、彼の失敗はマドカを生身と見た事だ。彼女の半身は人形で出来ている。そして、『精霊降し』によって炎を宿した時のその強度は鋼鉄を誇る。また、神経も動脈も通っていないとなれば当てが外れたのは当然と言えよう。

 しかし、次は無い。

 そうと分かってしまえば、アサシンにとってマドカを解体するに然したる問題は存在しない。

 アサシンは両手の短刀を逆手に握り、だらりと腕を垂らして前傾に構えた。無造作な、獲物を狙う野生の獣を想わせる所作。そこにはライダーやランサーに見られる様な圧倒的な闘気も、殺気の奔流も存在しない。無機物の様な静けさと絶対的な死があるだけだ。

 恐らく、マドカがアサシンの放つ殺気を感じ取った時には、その首が宙を浮いているに違いない。

 マドカが更に距離を取ろうとして、背後から声が掛かり、

 

「随分粘るもんだ」

 

 狗城の拳が迫る。

 マドカは弾かれた様に振り返り、弧を描いて顔へ迫る裏拳を咄嗟に腕を上げて受ける。

 衝撃に腕を包んだ炎が揺らめき、鋼鉄を誇る筈の腕が軋みを上げる。狗城が無造作に振るった裏拳は正に鉄槌の如し。マドカはその衝撃に逆らわず、咄嗟に後方に跳び退く事で威力を殺そうとして、不意にその体勢が崩れた。

 跳び退こうとするマドカの足に、狗城の踵が掛かっているのだ。踏み込んだ足を相手の足に絡めて体勢を崩す、中国拳法における梱鎖歩と呼ばれる技である。

 咄嗟にマドカは狗城の袖を掴み、倒れようとする身体を持ち堪える。

 

「素人が」

 

 失敗を悟った時にはもう遅い。袖を掴むマドカの腕を狗城が取った。瞬間、膝が折れる。崩しに拠って前のめりにつんのめったマドカの顔を、待ち構えていた狗城の左の掌打が迎え撃つ。咄嗟に顔を庇った左腕の防御を跳ね除け、強かに打ち込まれた掌がマドカの顎を意識と共に跳ね上げた。

 一瞬の暗転の後、白く明滅し、揺れる視界。脳震盪に拠ってマドカの意識はそこで途切れた。

 

 

 

 狗城が止めの一撃を繰り出すべく腕を振り被り、同時に、アサシンが彼等へと跳び掛かる。

 元より敵同士。アサシンはどちらの獲物も逃がすつもりは無かった。

 先程ランサーのマスターを助けたのは、戦闘を継続させ、ライダーのマスターを殺すべく手を貸しただけの事。邪魔なサーヴァントがいないとあれば、ここは暗殺者の狩場に過ぎない。

 その時、マドカの口が動いた。

 

「『憑鬼装』」

 

 同時に、強烈な前蹴りが狗城の腹を貫いた。衝撃に狗城は後方へと跳ね飛ばされ、欄干に背中から打ち付けられる。反動でマドカは逆方向へ跳び、欄干の上へと着地した。

 結果、獲物が左右に跳んだ事でアサシンの襲撃は空振りに終わる。

 

「ぐ、これは、奥の手って奴か? ま、結果的に助けられたな」

 

 口角から流れた一筋の血を指先で拭い、立ち上がりながら狗城は眼前の敵、一人と一体を見据えて笑みを浮かべる。不敵な笑みは彼の形相と相まって凶相を作り出す。

 狗城に然程のダメージは無い。蹴り込まれる瞬間、咄嗟に後方に跳び退き威力を軽減し、吐納で極限まで強化したその鋼の様な腹筋で耐える。先の蹴り、彼で無ければ即死だった筈である。しかし、最も気に掛けるべきは、その威力ではない。

 先の一撃には起こりが無かった。先程までの大振りの拳打とは大違いの、洗練された一撃である。何より、狗城の掌打は確実に彼女の意識を刈り取った筈なのだ。

 何らかの魔術と見て間違いあるまい。

 狗城は欄干の上に立つマドカを見る。青白い炎が全身に纏わり憑き、何処か遠くを見る様な目で妖艶に笑う彼女の姿は如何にも尋常ではない。

 とはいえ、最大の問題は狗城とマドカに挟まれた形で沈黙するアサシンに違いなかった。

 ランサーは何をやっている? アサシンの隙を突いて令呪を切るべきか。

 狗城がそこまで考えた時、大きくデパートが揺れた。この場の誰も与り知らぬ事ではあるが『神威の車輪』の着弾であった。一瞬、ではあるが、その場の誰もがそちらに意識が逸れた。否、ただ一人、意識を失っているマドカを除いてだ。

 この時、マドカは確かに気を失っていた。

 しかし、彼女の全身の魔術回路は澱みなく魔力が循環し、半身を覆っていた炎は今や全身を覆っている。そして、その炎に操られる様に、彼女は跳び上がった。

 『憑鬼装』――マドカが『精霊降し』を使った状態で意識を失うと、人形部に憑依させていた悪霊、魍魎の類は彼女の全身へと浸食を開始する。身体の支配権を乗っ取りに掛かるのだ。この習性を利用し、いざという時自動的に、自らを人の限界を超えた超人と成す魔術である。

 問題は本人の意識が消失しているが故に、制御が全く効かないと言う事だ。

 跳び上がったマドカが腕を振ると同時に、その腕に絡み付いていた炎が幾つもの炎弾と成って狗城、アサシンへと降り掛かる。しかし、遅い。

 狗城とアサシンは炎に呑まれる事無く、その隙間を縫って駆ける。狗城はアサシンを見据えながら距離を取り、アサシンはマドカへと迫る。その時である。空中で炎がその形を変え、怨霊と成って彼等へと襲い掛かったのだ。

 

「ぐ、うぁあぐおおおおおおおおお!!」

 

 避けた筈の炎に巻かれ狗城は身を捻ってのたうちながらも、咆哮と共に渾身の力で全身を振るい、放った発勁で炎を振り払う。耐熱仕様のコートと耐火のアミュレットが無ければ焼け死んでいたに違いない。その頬から左目にかけてが焼け焦げ、炎の明りが幽鬼の如き形相を更に凄絶に浮かび上がらせる。

 

「やってくれたな。殺すッ!!」

 

 狗城は言うと同時に殺気を指に込め、空中へと向ける。気弾に拠る狙撃の構えだ。

 一方、その視線の先、空中にて、向い来る怨霊の炎を切って跳び上がったアサシンはマドカと相対していた。

 

「うふふ、あはははははっはははっははは」

 

 狂った様に笑いながらマドカが炎を放つ。炎は怨霊と成って膨れ上がりアサシンへと迫る。それを銀の輝きが一撃の下に両断した。相手は英霊。怨霊を切り払う等訳は無い。しかし、その時にはマドカはアサシンへと接近を終えていた。

 炎の噴射による高速落下である。そして、怨霊を切り払った一瞬の隙を突き、マドカの振り下ろした拳が真っ直ぐにアサシンへと突き刺さる。

 完璧なタイミングだった。

 しかし、相手は英霊。今のマドカが超人ならば、敵は魔人とも言うべき存在。

 直撃と見えたマドカの拳を、アサシンは掴み取っていた。マドカがその手を振り払う間もなく、アサシンの短刀を握った腕が翻る。最早、その一撃をマドカに防ぐ術は無い。

 ナイフの銀光が真っ直ぐにマドカの首へと走り、不意に弾けた。

 アサシンの手から血飛沫が舞い、ナイフが落ちる。流れ弾であった。狗城がマドカへと放った気弾が、攻防の一瞬、彼らが縺れ合った為にアサシンの手の甲に命中したのだ。

 これは狗城が激昂し、狙いが逸れた為であったが、彼はアサシンへの着弾を見て即座に冷静さを取り戻す。アサシンを討つこれ以上無い好機であった。

 

「運が無かったな。逃さんッ!!」

 

 狗城の指が空を切る。と、同時にアサシンの右手の甲へと撃ち込まれた気弾が、血流に乗って移動を開始する。狗城の放つ気弾は撃ち込まれた箇所より血流に乗って対象の各部を巡り、内部より爆破する浸透勁。対象が如何なサーヴァントとは言え、心臓を潰されては死ぬしかあるまい。

 しかし、無論、ただ死を待つだけのアサシンでは無い。

 即座にアサシンは掴んだマドカの腕を引き、体勢の崩れたその腹部へと膝を叩き込む。咄嗟に防御した腕が圧し折れ、マドカの身体がくの字に折れる。吐血とくぐもった呻きをその場に残し、彼女の身体はその衝撃にデパート屋上から地上五十メートルの空中へと弾き飛ばされた。同時に、アサシンの跳ね上げた脚、その大腿部に取り付けられた鞘から、一本の短刀が滑り出る。

 

「な、何だとッ!?」

 

 狗城が驚愕の呻きを上げたと同時に、宙に鮮血が舞った。

 空中にて短刀を掴み取ったアサシンが、躊躇無く自らの手首を切り落したのだ。

 気弾が体内を巡る前に撃ち込まれた腕を自切する。対魔力スキルを持たないアサシンに出来る、最も単純で確実な対処法だろう。しかし、言うは易し、行うは難し。

 即座に自らの腕を切断し、戦闘を続行するアサシン。その判断力、胆力は恐るべしと言わざるを得まい。もし手を切り落すのが数秒遅れていれば、気弾は腕から全身へと巡り、最早対処のしようも無くなっていた筈である。

 切り落された手とナイフが地面に落下し、次いでアサシンが舞い降りる。その漆黒のローブが揺らめき、その白面の奥、アサシンの血走った目が狗城を射抜いた。

 

「邪魔を――」

 

 その背後より、アサシンの言葉を遮る形で炎が襲い掛かった。蹴り飛ばされ、地上へと落下しつつあるマドカが放った怨霊の炎である。しかし、背後より襲った炎も、アサシンを捉えるには至らない。反転するアサシンに従ってローブがはためき、その手の短刀が弧を描いて炎を両断する。

 炎はアサシンを捉えるには至らなかった。

 しかし、その視界、意識を奪うには十分過ぎた。

 

「六大開拳八大招式・裡門頂肘ッ!!」

 

 その隙を、狗城が突く。

 その踏み込みは巧夫の極致。凡そ十メートルの距離を一歩で潰し、懐に跳び込むと同時に跳ね上がった狗城の肘がアサシンの腹へと打ち込まれる。片手を失い、炎を切り払ったばかりのアサシンにその一撃を防ぐ術は無かった。アサシンの身体が衝撃に宙を舞い、背中から激突した欄干をぶち抜いて、デパート屋上から空中と放り出されると、彼は成す術も無く落下していった。

 

「紙一重、命があるだけ儲け物か。まぁ、良い。とっととライダーのマスターを追え、アサシン」

 

 それを見送り、嘯いた狗城の足ががくりと折れる。その膝に一筋の朱色の線があった。そこから溢れた血が服を紅く染めていた。先程アサシンに一撃を入れた瞬間に受けた反撃の痕である。

 つくづく、怪物。

 狗城は渋い顔で一息吐いて煙草を銜える。

 それから傷の処置をするべく懐に手を伸ばし、反射的に振り返った。

 轟音と共に近付いてくる強大な魔力の畝り。

 そちらを見据えていた狗城が起き上がろうとして、足に奔った痛みに気を取られた。その直後、跳び上がった蒼い影が欄干を超えて屋上へと着地する。狗城のサーヴァント、ランサーである。その影がそのまま狗城へと向って、一直線に奔った。と、同時に、彼が駆け抜けたデパート屋上の一角が砕けて宙を舞う。

 コンクリートの床面を爆砕して奔った稲妻が、現れた威容を殊更に巨大に見せた。否、それに渦巻く強大な魔力の波動こそがそう錯覚させるのだろう。

 蒼影の軌跡を追って、猛進する二頭の雷牛に牽かれた戦車。

 ライダーの駆る宝具『神威の車輪』である。

 狗城が視線を傷口から戻した時には、視界は稲光を纏う巨大な雷牛で埋まっていた。

 それは如何ともし難い、死だ。しかし、笑いたくなる様な絶望的な光景は直ぐに掻き消える。狗城が腹部に衝撃を感じると同時に視界は回転し、コンクリートを映したかと思えば、夜空で埋まる。彼が空を仰いでいると自覚する前に、彼の身体は宙を舞っていた。

 

 

  #####

 

 

 一方、落下するアサシンは空中で体勢を整え、下方を落下するマドカへと相対していた。

 共に身動きの取れぬ空中、ではない。マドカの纏った炎が大きく膨らみ夜空に青い髑髏を描き出すと、それは鎌首を擡げた蛇の様にアサシンへと奔った。

 炎がアサシンへと喰らいつく瞬間、炎が闇に消えた。消失したのではない。アサシンが纏っていたローブを脱ぎ滑らし、炎を覆い隠す形で放り拡げたのである。見る間に漆黒のローブは炎に呑まれて焼け爛れ、同時にアサシンは跳躍した。

 ローブが炎に蹂躙される一瞬に、上昇気流を受けて気球の様に拡がったそれを足場に壁面へと跳躍したのである。更に彼は回避の瞬間、自ら傷を焼く事で切断した右腕の止血を施していたのであった。

 そのままアサシンは壁面を駆け下り、マドカへと迫る。

 一発、二発と続けて放られた炎弾が空を切り、デパート壁面へと着弾して、闇夜に大輪の炎の華を咲き誇らせる。しかし、アサシンを捉えるには至らない。この恐るべき暗殺者は壁面の小さな起伏や窓枠を蹴る事で方向を変え、追い縋る炎を避けながら恐るべき速度で壁面を駆け下っているのだ。二人の距離は次第に詰まり、地面が迫る。

 

「うふふふ、あはははあははははっは――」

 

 マドカの身体が猫の様に空中で反転し、彼女は道路上に伸びた街灯のポールへと着地する。衝撃にポールが圧し折れて、一瞬マドカの体勢が崩れた。と同時に、

 

「――殺った」

 

 アサシンが壁面を蹴って、マドカへと真っ直ぐに跳んだ。

 ナイフが空中で瞬き、街灯の明りを反射して煌きを空に残す。その美しい輝線は魔術師であるマドカに反応すら許さぬ速度で真っ直ぐにその首へと奔った。

 死。

 ぱっと咲いた血の華が彼女の頬を濡らしたが、悪霊に憑かれた今の彼女には分からない。

 しかし、そこに痛みが無かったのは間違い無かった。

 マドカの白くか細いその首に刃が食込むその刹那、横合いから飛来した大鉈がナイフを振るうアサシンの腕を切り落としたからだ。

 

「がッ、な、なにッ!?」

 

 苦痛と驚愕とに呻きながら、アサシンは弾かれた様に距離を取る。

 切断された腕が宙を舞い、飛来した大鉈はビルの壁面に埋まった。

 大鉈の飛んで来た方向を睨むアサシン。最早両手を失った彼に勝機等存在しまい。それでも霊体化しないのは英霊としての矜持か、それとも逃げ切れぬと悟ったが故の諦念か。

 否、彼は諦めて等いなかった。離脱の瞬間に拾い上げていた切断された左腕を、右の肘関節で挟み込んで切断面を器用に合わせる。ただそれだけで、アサシンの切断された左腕の指がぴくりと動いた。それだけではない。その腕の表層で揺らめく魔力の残滓。

 蛭だ。腕の上で蠢く大小無数の蛭がアサシンの腕に噛み付いていたのである。

 蛭は人を噛んで血を吸う事から害虫として忌避される一方、古来より医療に用いられてきた生物である。その唾液は血液の凝固を妨げ、漢方においては滋養強壮の効能を持つ。そして、昨今、接合した四肢の端部を蛭に血を吸わせる事で、その再生を促すという治療法が発見されている。

 その応用、魔力に拠って産み出された魔蟲を利用したマキリの再生魔術の効果であった。切断面の両側から腕に噛み付いた蛭。魔力を蓄え肥え太ったそれを起点に、大量の魔力がアサシンの腕を行き交っているのである。僅か数秒、アサシンの腕は既に握力が回復しつつあった。

 

「姿を現せ。何者だ?」

 

 アサシンが裏路地の闇の中に問う。それに応えるかの様に、

 

「ほう、腕が癒着した様だな。一体、どういう手品だ?」

「分からないけど、そのせいで逃げなかったのなら、失敗だったわね」

 

 街路地から顔を覗かせたのは二人。

 彼等は連れ立って表通りに歩み出ると、そのままアサシンと相対する。太刀を佩いた偉丈夫と大鉈を手にした少女、バーサーカーとそのマスター、金剛地武丸である。

 

「いざ尋常に、とは言えんが、来るが良い。暗殺者とはいえ英霊。戦って死ね」

 

 武丸はそう言うと、凄絶な笑みを浮かべた。

 

 





アッサシーン。


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最初の脱落者

 アサシンの前に進み出た二人の男女。

 バーサーカーとそのマスター、金剛地武丸。

 男のその足取り、やや重いか。

 軽やかな足取りのバーサーカーに比べ、マスターである武丸には先程のランサーとの死闘の影響がありありと見て取れる。しかし、その眼光に翳りは無い。いや、より一層鋭くアサシンを射抜いている。先程ランサーに負わされた傷も塞がっていた。

 完全に、とは行かぬまでも、戦闘をこなせる程度には回復したと見て間違いあるまい。バーサーカーの狂化スキルも今は発動していない様だ。彼女は再び言語能力を獲得していた。

 

「ッと、まだ、少し血が足らんな」

 

 言いながら、武丸は奥歯で口に含んだ丸薬をバリバリと音を立てて噛み砕く。滋養強壮に効く諸々の薬草と蛇や魔獣などの生血を混ぜ合わせた代物であった。先程から武丸はダース単位で飲み込んでいるが、本来一粒で一昼夜休み無く動き回れると言われる程の物である。常人ならば過血症とアドレナリンの過剰分泌、高血圧のトリプルコンボで心臓疾患の危機である筈だが、ランサーとの死闘で血と共に多量の魔力を失った武丸にはまだまだ足りぬらしい。

 

「アンタは回復に努めなさいよ。コイツの相手は私がやるわ」

 

 少女、バーサーカーが言いながら軽く手元の綱を引くと、アサシンの腕を切り裂き、コンクリートの壁面に柄まで埋まっていた筈の大鉈がパッと空を切って彼女の元へと返った。大鉈はその勢いのままバーサーカーの傍らを通り過ぎ、その綱を握った少女の両手を起点に弧を描く。

 ひうん、ひうんと風切音を鳴らして旋回する大鉈は鎌首を擡げた蛇と同じ。主の手の中で力を溜め、敵に喰らいつくその時を待っている。

 

「それにしても、この状況、こちらにとっては好都合ね。アサシンと、ライダーのマスター、二人も倒せるなんてツイてる」

 

 バーサーカーはそう言って無邪気な笑みを見せる。

 

「やめとけ、ライダーのマスターには先程の借りがある」

 

 武丸は顔を顰め、自らのサーヴァントに釘を刺した。

 ランサーとの戦闘の直後、魔術戦の気配に釣られて遥か後方、デパート屋上を仰ぎ見た瞬間、バーサーカー組の視界に飛び込んできたのは、上空から轟音を立てて落下したライダー達と、それに相対する狙撃銃を持った魔術師の姿であった。

 数百メートルの距離があるとは言え、鬼火に照らされた彼等を視認するのはバーサーカー組にとっては造作も無い事である。その光景を見た瞬間、彼等は全てを理解した。

 狙撃銃片手にこちらを狙っていたランサーのマスターを、ライダー組が強襲したのだ。そして、それによってランサーは戦闘を切上げ、主を守る為に離脱した。

 それだけでは無い。

 それだけならば、タイミング的にランサーが間に合った筈は無い。ランサーのマスターが助かり、今猶ランサーとライダーが戦っている筈は無いのだ。

 アサシンの邪魔が入ったから?

 それこそ有り得ない。

 この程度のアサシンに、あのライダーが手間取る道理が無い。

 つまり、あの派手な登場は、警告だ。

 彼は勝利を掠め取る様な真似をしなかった。

 遠目から見ただけだが、武丸はそう断じた。彼はそう信じたのである。

 

「だから借りなんて無いってば。どうせ、漁夫の利を得ようとして失敗。令呪使われてランサー呼ばれ、仕留め損なっただけでしょ」

「ッ~、どうしてお前はそう野暮天なんだ? もうちょっとだなぁ……。いや、まぁ、良い。それより、ありゃあどうなってる? どうやら正気とは思えんが」

 

 呆れ顔のバーサーカーに武丸は仏頂面を返し、それからマドカの方に顎を刳って言った。バーサーカーはマドカの身体に纏わり付いた青い炎を暫し眺め、その生気を失った眼を見ると口を開いた。

 

「降霊術ね。憑依させた悪霊に振り回されてるみたいだわ」

「分かるのか?」

「一応ね。似た様な事も出来るから」

「ふむ、なら、そっちは任せた。俺は、アサシンを殺る――」

 

 武丸の眼光が剃刀の様に鋭く光った。彼が腰に佩いた太刀の鞘に手を掛け、一歩アサシンの方へと進み出る。同時に、

 

「あははははははははあああははっははははは!!」

 

 辺りを劈く様な高笑いが響いた。天を仰いで哄笑したマドカの身体が前屈みに倒れ、彼女はその身体を獲物を前にした肉食獣の如く丸め――跳んだ。

 炎が一層揺らめき、マドカはその炎に命じられるまま武丸へと躍り掛かった。

 凡そ人体の限界を完全に超越した速度。そこから繰り出されるは岩盤をも打ち抜く魔拳である。

 しかし、ここに二つ問題があった。

 先程アサシンに人形部の右腕を折られた彼女が振るうのは、当然生身の左手だ。

 本来、彼女が戦闘において生身の肉体を本気で使う事は無い。振るう拳は右、蹴り足も右。生身の部位はあくまで補助に徹し、常に半身の人形部を降霊術で操作して戦っている。理由は単純だ。過ぎたる力は身を滅ぼす。その強過ぎる拳打の威力に、彼女の生身の肉体は耐えられ無いからである。本気で撃ち込まれた拳は岩盤を打ち抜くと同時に、砕けて赤い染みへと変わるだろう。

 問題は、不幸にも彼女がそれを気にする正気を失っている事。

 突き出されたマドカの腕が空を切り、武丸の眼前数センチの距離で停止する。

 そして、幸運にも彼等には全く通用しない事だ。

 バーサーカーの手にした二本の大鉈、その柄に結び付けられた綱が空中で弧を描き、絡め取ったマドカの腕を止めていた。

 

「任されたわ。私が相手よ、お姉さん」

 

 バーサーカーが微笑みながら綱を引き、マドカは空中、武丸の眼前から引き落とされる。しかし、彼女も然る者、腕を引かれながらも空中で体勢を整え着地、と同時に、その腕の炎が膨れ上がり、綱を伝ってバーサーカーへと迫った。

 

「舞いなさい」

 

 バーサーカーの手の中で大鉈が回転し、迫った炎を振り払う。と同時に、その柄に結ばれた綱が回転に拠って縒り合わされ、マドカの腕に一層強く巻き付いた。間髪入れず、バーサーカーが腕を、大鉈の柄を大きく横に振る。

 柄に巻き付けられた綱がピンと張り詰め、腕を引かれる形でマドカの身体が宙を舞う。バーサーカーを中心にマドカは空中にて弧を描き、恐るべき速度で背中からアスファルトの地面へと迫った。

 数瞬の後、彼女の身体はミートパテか、さもなくば地面の染みへと変わるだろう。

 

「あの馬鹿は殺すな、って言ってるけど、マスターを殺そうとした以上、死んで――」

 

 しかし、不意にバーサーカーが弾かれた様に距離を取り、

 

「来る。避けてッ!! マスターッ!!」

 

 上空を仰いで叫ぶ。

 同時にその場に二つの影が落ちた。

 一つ、傍らへと落下した蒼影はそのまま横へと走った。担いでいるのは人と槍、ランサーである。

 次いで、眼前へと落ちた巨影。巨大な魔力と共に大気が唸り、巨大な戦車が落下する。ライダーの駆る宝具『神威の車輪』であった。宙を舞うマドカと落下した巨影が一瞬交差する。バーサーカーからマドカを護るべく、その間に割って入る形で落下した戦車はアスファルトを爆砕して停止した。衝撃に瓦礫と噴煙が巻き上がり、断裂した電線が火花を散らす。

 

「嬢ちゃん、無事かッ!?」

 

 戦車上の巨漢、ライダーが言った。

 その野太い腕に、マドカが抱き抱えられていた。そして、マドカを抱き止めているのとは逆の手に抜き放たれた剣がある。マドカの腕に巻き付いていた綱は切断されていた。

 如何なる神業か。地面へと叩き付けられようとしているマドカを、それを遥かに上回る速度で落下するライダーが、その交差の一瞬に、彼女の腕に絡み付いた綱を叩き切り、救出してのけたのである。正に間一髪のタイミングであり、そして、それが合図となった。

 戦車落下の齎した恐るべき大破壊と奇跡の救出劇。誰もがそれに瞠目し、意識を奪われた瞬間に、アサシンは一層強くナイフを握り込んだ。そして、武丸へと向って跳びかかる。

 否、跳ぼうとした。その時には、武丸はアサシンへの接近を終えていた。

 ライダーの乱入。恐るべき魔力と共に眼前に落下した『神威の車輪』は確実にその場にいた者の意識をそちらへと奪った筈である。互いにこれを必殺の好機と見た武丸とアサシン。意図は同じなれど、敏捷性においてアサシンは武丸の上を行く。しかし、先んじたのは武丸であった。

 戦車落下を見て取り、直後の隙を突くべく動いたアサシンに対し、武丸はただ敵手であるアサシンだけを見ていた。その眼前数センチの距離までマドカの拳が迫ろうと、僅か数メートルの距離にライダーの戦車が落下し、アスファルトが砕け、稲妻が地面を裂こうとも、彼は瞬き一つせず、必殺の機会を待っていたのである。最早、狂人の域ともいうべき、胆力、集中力であった。

 否、それだけではない。

 彼はバーサーカーに任せると言った。故に任せた。それが故の集中である。

 結果、彼は必殺を得た。

 アサシンの意識がほんの僅か逸れると同時に、武丸は地面を滑る様に跳躍していた。

 人の移動動作には構造上必ず、上肢下肢の上下運動が伴う様になっている。それを極限まで殺し、足運びを服で隠す。結果、初動は隠匿され、四肢の駆動を悟らせぬ事に拠って、敵に接近を悟らせぬ移動術。諸所の武術で運足、歩法と呼ばれる物、その極致。対した相手はまるで地が縮んだ様に錯覚する。

 故にそれは縮地と呼ばれる。

 一歩で数メートルの距離を詰める速度をそのままに、武丸の身体は滑る様に移動した。 

 錯覚はほんの一瞬。しかし、その時には全てが終わっている。

 

「――鞍馬金剛流抜刀術・火蜂」

 

 ただ、火花のみが瞬き、納刀の際に鯉口を鍔が打った音のみが響いた。

 アサシンはナイフを逆手に握って掲げ、武丸は柄に手をやったまま、彼等は動かなかった。否、動けなかったし、動き終わっていた。

 火花の出所はアサシンの握ったナイフであった。ナイフの刀身が落下し、奇麗な切断面を覗かせる。次いで、アサシンの上半身がゆっくりと、ゆっくりと落下した。

 神速の抜刀と、同じく納刀。返り血すらも置き去りに、武丸の恐るべき一刀は火花の瞬きのみを残して、アサシンを横一文字に両断したのである。

 ここに初戦にして聖杯戦争最初の脱落者が発生した。

 マスター殺しの英霊、アサシンがマスターに殺されるという異常事態。

 この異なる聖杯戦争の開幕は、これより更なる混迷を見せる。

 

「今度は流石に再生出来んだろう? 俺の勝ちだ」

 

 武丸が言った。それから彼は振り返り、落下してきたライダー、そして、ランサーへと目をやる。

 

「ほう、見事――」

 

 感嘆した様子で呟くライダー。その背後からバーサーカーが躍り掛かる。

 

「余所見とは余裕ね、ライダーッ!!」

 

 大鉈がその首筋へ迫り、突如軌道を変えて跳ね上がった。柄だ。ライダーは振り返ると同時に、柄頭で迫り来る大鉈の腹を突き上げ、弾いてのけたのである。

 

「ふん、その程度か、バーサーカー」

「なッ!? 馬鹿なッ!?」

 

 これにはバーサーカーも驚愕の呻きを上げた。

 それもその筈、バーサーカーの攻撃は全くの死角からの強襲だった。

 しかし、バーサーカーの強烈な闘気に反応し反転したライダーは、その剣を傾け刀身に迫り来る敵を映す事で、彼女の攻撃の軌道を正確に把握していたのだった。

 刹那の機転と恐るべき技量である。

 即座に振り下ろしの一撃をバーサーカーへと返すライダー。初撃が弾かれた事で体勢を崩したバーサーカーは、からくももう一方の大鉈でそれを受ける。

 しかし、そこは空中。踏ん張りも利かず、そもそも今のバーサーカーの膂力はライダーを遥かに下回る。当然の如く、その剣圧に押されるままに、バーサーカーは地へと勢い良く叩き落された。

 背中から地面に叩き付けられたバーサーカーの身体が鞠の様に弾んだ。一方、バーサーカーを打ち払ったライダーは、腕の中で黙り込むマドカへと目をやった。彼女の気性にしては厭に静かだと思ったからだ。無論、魔力のパスが繋がっているライダーには、彼女が無事だという事は分かっている。

 その認識が甘かったという他は無い。

 

「すまんな、嬢ちゃん。ちと遅れた。しかし、見直したぞ。やるではないか」

 

 腕は折れ、傷はあるが深くは無い。マドカは薄く微笑み、ライダーを見詰めていた。何処か焦点の定まらぬ眼である。しかし、マドカが無事と見るとライダーは破顔した。豪快で、温かな心底からの笑みだ。それが、不意に曇った。

 轟、と音を立て、ライダーの身体が燃え上がった。怨霊の炎がライダーに牙を剥いたのである。今のマドカは正気では無い。否、意識すら無く、自らに降霊した悪霊、魍魎の悪意に従い、ただ眼前の敵に襲い掛かる狂戦士なのだ。

 至近距離で放たれた怨霊の炎はライダーに絡み付き、彼を見る間に火達磨に変えた。本来ライダーの実力であれば避ける事も、切り払う事も容易い魔術であっただろう。しかし、助けた主からの零距離攻撃は全くの予想外だったに違いない。そして、ライダーの対魔力では怨霊の炎を完全に防ぐ事など出来はしない。

 

「ぐうぅお、おおおおおおおおおお!!」

 

 全身を焼かれながらライダーが吼えた。

 同時に雷牛が空へと駆け出すべく地を蹴って、ライダーの乗る戦車が回転する。戦車が回転した事で車輪に付いた大鎌が空を切り、背後からバーサーカーの頭部へと迫った。

 地面へと叩き付けられた衝撃によろめき、咄嗟に振り返るので精一杯だったバーサーカーにそれを避ける術など存在しない。刹那の後に、両断されるか、柘榴となるか。

 そこへ彼女のマスターである武丸が奔った。

 豹の如き前傾姿勢で右の車輪に付けられた大鎌を掻い潜り、それを遥かに凌駕する勢いのままにバーサーカーを押し倒す。頭部を引き裂く筈だった大鎌は僅かに武丸の肩口を抉るに止まり、戦車は空中へと舞い上がった。

 

「無事か、バーサーカー?」

「う、うん、ごめんなさい。それより――」

 

 縺れ合い倒れた二人。凡そ眼前三十センチ程の距離にいるマスターに向って赤ら顔で謝罪の言葉を口にするバーサーカー。武丸は彼女の無事を確認すると、その言葉を遮った。

 

「ああ、それより、早く立て。どうやら先の雪辱戦に臨めるらしい」

 

 立ち上がった武丸の視線の先にはランサーがいた。

 そこにある光景に、バーサーカーは息を呑む。

 百舌鳥の早贄か、串刺刑に掛かった罪人か。

 ランサーの長槍が掲げられている。そこに貫かれたアサシンの上半身があった。咽の鳴る音と共に、蒼槍は一層輝き恐るべき魔力を放つ。やがて、アサシンの上半身が光と共に魔力に還り、雲散霧消するとランサーは槍を一振りし、言った。

 

「悪いが回復させてもらった。そろそろ良いかな?」

 

 マスターである狗城を背後に庇って進み出ると、ランサーは銀髪を振り翳し、槍を構える。

 

「いや、役者がまだ揃っていない」

 

 武丸はそう言うと、上空を指差す。それから、彼等は互いに上空を見上げた。

 その視線の先、天駆ける戦車上の炎が風に揺られて空に尾を引く。怨霊の青き鬼火はライダーの全身に纏わり付き、その身体を焼き焦がしていた。息をする度に咽が焼け、焼けた皮膚から染み込んで来るのは、怨霊の謳い上げる呪詛の大合唱。これは身体だけでなく、精神を焼く炎なのだ。

 

「うふふふふ、あは、あははははっはあはっはははははっはははっはは!!」

 

 天を仰いでマドカが笑う。この時の彼女が気付く筈も無いが、炎に巻かれて猶、その身体を抱く腕には再び取り落とさぬ様にと終始力が篭っていた。

 

「うふふ、うふ、あは、あははあはははははっは――」

 

 ベチィ、という音と共に、マドカの哄笑が途絶える。ライダーが指先でマドカの額を強かに弾いたのだった。所謂デコピンである。しかし、その威力はマドカの顔を跳ね上げ、その額に赤く腫れを残す程の物だった。

 

「ふん、どうやらちいっとばかし厄介な事になっておるようだのう」

 

 マドカの身体を抱きかかえ、足を手綱に絡めて器用に雷牛を操りながら、炎の奥でライダーは不敵に笑った。そして、マドカの額を弾いた指で、腰の剣を掴むと、彼は斬った。

 マドカの背後、その虚空に浮かぶ怨霊の炎の群を、自らに纏わり付く炎を、その一刀の元に斬り裂いたのだ。糸が切れた人形の様に意識を失い倒れ込むマドカ。

 

「ふん、怨霊如きが余の覇道を阻もうなどと片腹痛いわッ!!」

 

 ライダーは剣を収めて手綱を取り、眼下、戦場であった道路上へと目を向ける。

 そこにはマスターを背後に庇い、バーサーカー達と対峙するランサーの姿があった。否、彼等は互いに対峙しながらも、ライダーへと視線を送っている。ランサーと武丸、彼等は互いに笑っていた。戦場に相見えた幸運を誇る武人の笑みだ。

 対照的に狗城とバーサーカーは渋い顔である。

 

「ふむ、まだ先程の続きを望むか。何とも嬉しい誘いではあるが。この状況、どうしたもんかのぅ」

 

 ライダーも彼等と同種の笑みを浮かべ、そうごちた時、腕の中でマドカがもぞりと動いた。

 

「ぅ、ん、ラ、ライダー……、何で!? 私、今、ランサーのマスターに……」

 

 意識が覚醒し、ライダーに抱き止められている事に気付くと、マドカは弾かれた様に距離を取ろうとする。ライダーは身を離しつつ腕を取った。

 

「おいおい、嬢ちゃん、暴れるな。また落っこちるぞ」

「あ、アレはあの場を切り抜ける為に仕方なく――」

 

 不意にマドカが黙り込む。節々が焼け焦げ傷だらけのライダーの姿、自らの意識の断絶から、状況に思い至ったのだ。恐らく、ランサーのマスターに敗北し、意識を失って暴走した自分をライダーが救ってくれたのだろう。それだけではない。彼の火傷の原因は自らの魔術に違いなかった。そこに思い至ったマドカは、言葉を探して目を伏せる。

 マスター失格だと、そう思った。

 今日だけで何度助けられただろう。

 慙愧の念ではない。ただ、彼女は自分が弱い事がどうしようも無く許せなかった。

 

「ライダー、ゴメ――」

 

 マドカが謝ろうとした時、ライダーの言葉が遮る。

 

「すまなかったな、嬢ちゃん。申し開きのしようもない失態だ。余が付いていながら危険に晒してしまった。で、だ。非常に言い難いんだがな、もう少し付き合ってくれるか?」

 

 マドカはぽかんとした顔でライダーを見上げる。そこには常の豪放磊落な笑みがあった。マドカは何か言い掛けて止め、代わりにライダーを指差して叫ぶ。

 

「ッ、何馬鹿な事言ってんのよッ!? 行くわよ。さっきの借り、絶対返してやるんだからッ!!」

「その気性、誠に重畳」

 

 ライダーが笑い、マドカはバツが悪そうに押し黙る。

 

「では行くぞ」

 

 ライダーが言葉と共に手綱を振るい、雷牛は再び戦場へと向けて疾走を開始した。

 その先で待つ二騎と二人が互いに口を開く。

 

「さて、来るか。バーサーカー、酔いはどれ程持つ?」

「もう暫く。今更だけど、アレ、離脱するチャンスだったんじゃないの?」

「そう言うな。本調子とは言い難いが、気分は良いんだ。もう暫し、俺の好きにやらせてくれ」

「まぁ、良いけど……。約束は忘れないでね」

 

 呆れ口調のバーサーカーと、からからと笑う上機嫌の武丸。

 

「この状況、勿論何か考えがあるんだろうな? 賢人王」

「ふふ、さてさて、どうだかね」

 

 苦虫を噛み潰した顔で青筋を浮べる狗城と、薄く微笑むランサー。

 武丸が瓢箪の酒を一口呷り、バーサーカーは大鉈を構え直す。ランサーは親指を一舐めし、狗城は懐から拳銃を取り出した。

 かくして、三つ巴の戦いが再び始まろうとしていた。

 





アッサシーン。


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正義の影、闇の奥

 同刻、戦場から遥か彼方。

 燭台の明りに照らされ、木製のテーブルに向かい合う二つの影があった。

 元代行者サヴィオとそのサーヴァント、キャスターである。

 ダン、と音がして真っ二つに机が割れた。サヴィオが握り締めた拳を振り下ろしたのだ。

 

「あの馬鹿共、市街地で戦闘を繰り広げるとは、何を考えているッ!?」

 

 サヴィオは我慢ならぬと語気を荒げる。

 聖杯戦争は秘匿され、秘密裏に行われなければならない。複数の英霊の市街地での戦闘は、その大前提が崩れかねない事態であった。無論、それを阻止する為の動きが存在しない訳ではない。聖堂教会より派遣された監督役がその秘匿の為に今頃は奔走している筈である。恐らく、上手くいけば局地的な竜巻、さもなくばテロとして情報統制される事になるだろう。

 しかし、彼の怒りはそんな事ではなかった。

 聖杯戦争の隠匿は元より、あそこまで大々的に戦闘を行っては周辺への被害は甚大である。これより更なる激化を見せれば、周囲は地獄の様相を呈すだろう。事実、戦場となったデパートは既に、半壊している。夜半とは言え、多くの住民が被害にあった筈である。

 多くの何も知らぬ人間が……。

 サヴィオの握り込んだ拳から血の雫が落ちた。爪が恐るべき力で掌に食込んでいるのだ。

 

「安心しなさい、サヴィオ。問題ありません。ランサーの人払いの結界に、誰ぞのそれぞれ術式の違う認識操作結界が二つ、そして私の空間剥離魔術によって、あの一帯は無辜の民には認識も、近寄る事も出来なくなっていますから」

 

 向かい合ったサヴィオのサーヴァントが諭す様に言った。

 漆黒。艶やかな黒髪に黒のローブ。背は高いが、整った細面に華奢な体躯は如何にも武勇に優れた英雄のそれでは無い。

 魔術師の英霊、キャスターである。

 

「とは言え、被害は零ではない。デパート内部にいた人間はアサシンに喰われた様ですね。戦闘に備えて力を付ける為、腹を満たしたのでしょう。あのアサシンは、相当に弱い英霊だった様ですから」

 

 キャスターは淡々と言った。

 魂喰い。魔力に拠って出来た存在であるサーヴァントは、その顕現に必要な魔力をマスターから得て現界を果たしている。しかし、薄弱なマスターからの補給を補う時、また、更なる力を得ようとした時、人を襲って多人数から魔力を補充しようとするのは非常に理に適った方法である。

 聖杯戦争の常ではあるが、サヴィオにはそれは許し難い暴挙であったらしい。

 憤怒の形相で押し黙り、一層強く拳を握り締めている。

 

「アサシンが許し難いですか? それは構いませんが、冷静に成りなさい、サヴィオ。今はその怒りを仕舞っておきなさい。貴方の正義が必要なのは今ではない」

「いえ……、違うのです。そうではありません。正義などでは決して無いのです」

 

 サヴィオは首を振って続ける。

 

「申し訳ありません。話を戻しましょう」

「そうですね。続けましょうか」

 

 キャスターが指を鳴らすと、まるで時が逆様に巻き戻るかの如く、割れたテーブルが起き上がり、元の位置へと戻った。それだけではない。破損部位が何事も無かったかの様に復元しているのである。続けてキャスターが指で机を叩くと紅茶の入った茶器が出現した。

 

「マケドニアの征服王イスカンダルにエリンの賢人王フィン・マックール、共にかなり強力なサーヴァントである様ですね。緒戦にてその真名が割れたのは幸いでした」

 

 サヴィオは目の前に映し出された映像を見ながら言った。

 水鏡。テーブルの上の空中に拡がった水の膜に、遥か彼方で繰り広げられているライダー達の死闘が映し出されているのである。それだけでは無い。中央の大きな水鏡に連なる形で円形に拡がった水の膜はその数実に十余。それぞれが別の映像を映し出している。その中には、セイバーと対峙するルーラーの姿もあった。キャスターの遠見の魔術である。

 彼等は既に街の全域に魔術的な仕掛けを施してある。起こった戦闘風景を映し出す事など訳は無い。であれば、直接戦闘能力に劣るキャスターが自陣から出る理由は無かった。

 キャスターは優雅な仕草で一口紅茶を啜り、一頻り香りを楽しんでから、マスターであるサヴィオに答える。

 

「特にランサーはキャスターに選ばれてもおかしくないレベルの魔術の使い手の様ですね。対魔力も高く、油断のならない相手となるでしょう。相手がフィン・マックールであるのなら、かの白指を封じる為に敵の拠点を迅速に潰す必要がありますね」

「その際は私にお任せを」

 

 サヴィオは自らの胸板を叩き、頭を下げる。それは臣下の振る舞いに他ならない。

 そこに偽りは無かった。彼は自ら頭を垂れ、自らの召喚したサーヴァントに忠誠を誓っているのだ。否、忠誠等と言う生易しい物ではない。その瞳に映るのは信仰の熱だ。狂信の輝きだ。この若き修道士が自らのサーヴァントに抱いているのは、神に抱くのと同種の崇敬の念である。

 キャスターは満足そうにサヴィオへと微笑を返す。

 

「ええ、期待しています。ですが、ランサーとの直接戦闘になる様な事態は絶対に避けて下さい。無用な危険を犯す必要はありません。それに、その必要も無い。彼の能力は攻撃と離脱を繰り返し、敵の戦力を削る戦法でこそ最もその真価を発揮します。それは彼も、否、彼が最も理解している。ランサーには他の陣営の戦力を削ってもらうのが良いでしょう。彼のマスターも手段を選ばぬ手合いの様ですし、幾人か削ってくれるかも知れませんね。サヴィオ、ランサーのマスターには勝てますか?」

「無論です。今の私が負ける理由がありません」

 

 サヴィオは至極当然だ、と頷いた。はったりではない。そう確信させるだけの力強さがそこにはあった。とは言え、それも当然である。如何に超人的な魔術師であろうとも、所詮は人間。本物の超人に勝てる道理は無い。凡そ、人間である限り、今のサヴィオに勝てる魔術師など存在するまい。

 聞いたキャスターの方も、その答えが返ってくる事は承知の上であったらしい。

 

「結構。ライダーはあの宝具の剣に注意が必要ですね。魔術防壁は意味を為さない様だ。とは言え、あの程度の対魔力であれば恐るるには足らない。マスターも未熟。さて、サヴィオ、彼等のステータス、宝具の値はどうなっていますか?」

「どちらも最上、Aランク以上です」

「成る程、ならばどちらも、まだ奥の手があるようですね。此度の聖杯戦争、存外に縛りが緩い。いや、自分が複数宝具を持っているというのに、敵の宝具を単一と見るのはどうやら傲慢が過ぎた、と言う事でしょうか」

 

 キャスターは言いながら楽しそうに笑う。

 直接戦闘能力に劣り、敵が対魔力スキルを備えるが故の最弱のクラス、魔術師の英霊でありながら、このキャスターにはあの尋常ならざる敵を前に、まるで臆する所が無い。ライダー達の恐るべき戦闘風景をその目で見ていたにも関わらずである。

 

「バーサーカーのステータスはどうです?」

「今は大した事はありません。軒並み最低のEランクです。狂化のスキルも発動していません」

「そうですか。信じ難い事に、彼女は狂化のスキルを任意で発動出来る様ですね。マスターの異常な戦闘能力と言い、スキルか宝具か、何かしらの種があるのでしょう」

「はい、あのマスターの男。つい先日、私が小競り合った時には、あれ程の力はありませんでした。異様な魔力と言い、あの瓢箪はバーサーカーの宝具と見て間違い無いと思われます」

「ふむ、成る程。出で立ちからして東洋の英霊でしょうが、あの狂化後の姿、真っ当な英霊とは言い難い。何か思い当たる英霊がありますか?」

 

 キャスターの問いにサヴィオは暫し考え込み、頭を下げた。

 

「申し訳ありません。私も東洋の伝承には疎いもので」

「ふむ、まぁ、分からない物は仕方ありません。ステータスは低く、対魔力も無い。少々懸念事項もありますが、バーサーカーに対しては自滅を待つのがベターですかね。それよりも、やはり問題は――」

「雑居ビルで戦闘を行っているセイバーですか?」

 

 サヴィオの呟きに、キャスターは頷く。

 

「ルーラー、エクストラクラスの方は大した事が無い。とは言え、セイバーはかなり余力を残して圧倒しています。やはり、我等の最大の障害はセイバーと見て間違い無いでしょう」

 

 水の膜の一つが楕円形に拡がり、セイバーの姿を映し出す。

 白銀の威容。陽炎の如く揺らめく宝剣。サヴィオは息を呑んだ。

 剣の英霊、セイバー。最優のサーヴァントと呼ばれる存在。

 最もバランスが良く、全てのステータスが高いランクで纏まっている。高い対魔力スキルに機動力を確保出来る騎乗スキルを併せ持ち、更には剣に属する宝具を持つ。近接戦闘において、間違いなく最強の一角であろう。何より魔術師の英霊であるキャスターにとって、高い対魔力で魔術を無効化する剣の英霊、セイバーは最も相性の悪い存在なのだ。

 

「王よ、貴方ならば倒せますか?」

「直接戦闘では無理ですね。全く勝ち目が無いでしょう」

 

 キャスターは自らが及ばぬであろう事をあっさりと認めた。しかし、と彼は続ける。

 

「とは言え、殺す方法は幾らでもあります。逆にサヴィオ、貴方はセイバーのマスターに何分程有れば勝てますか?」

「今の私ならば二分もあれば」

「結構。では、我が大神殿で戦う限り、我々に敵は無い」

 

 キャスターは満足そうに微笑む。

 

「予定通り計画を推し進めましょう。彼等は好きに戦わせておけば良い。その為の手助けもしましょう。あと数日もあれば、我等の勝利は確定します」

 

 

  #####

 

 

 同刻、ライダー、ランサー、バーサーカー、そして各々のマスター三名、彼等三組のマスターとサーヴァントが睨み合う大通りの傍ら、消滅したアサシンの腕を癒着させていた魔蛭の背に一筋の亀裂が入る。亀裂は次第に大きく拡がりその背が二つに裂けて、その内より出でたモノが顔を出す。

 蛾だ。

 魔蛭より生まれ出でたのは禍々しき有毒色の羽を拡げ、闇夜に羽ばたく蛾であった。

 この新たなる魔蟲は、彼等魔術師達の相対する戦場を横切って空中へと舞い上がる。

 その飛ぶという動作。羽根の上下運動と共に禍々しく瞬く鱗粉が、夜の闇の中空気に乗って戦場全体へと降り注ぐ。それは空気と共に標的の身体の内へと至り、肺中に留まる発信機とも言うべき物。標的を破滅へと導く布石、静かな致死毒であった。

 戦場より遥か彼方、御形邸。

 魔蟲の繰手、マキリは薄い笑みを浮べる。

 

「種は撒き終わりました。これで彼等の居場所は常に把握出来るでしょう」

「結構。こと聖杯戦争、生存戦においてその潜伏拠点の情報は千金の価値を持つ。特にそれが彼等の様に特定の拠点を持たない外来の魔術師とあれば猶更だ」

 

 マキリと御形、同盟を組む二人の魔術師は、その拠点である御形邸からテーブルの上の水晶玉に映る遥か彼方の戦場を様相を鳥瞰しているのだった。

 だが、と満足気な顔だった御形の顔付きが曇る。

 

「しかし、一体使い潰して一人も殺れないとはね。強力なサーヴァントであるライダーとランサー、この二組を脱落させる好機だったと言うのに。少々、期待外れと言わざるを得ないな」

 

 御形がマキリを、否、その背後を睨んだ。

 

「宝具を切ってこれでは暗殺者の英霊の名が泣くと思わないか? アサシンよ」

 

 御形が睨み付けた虚空、部屋の暗闇の一部が不意に輪郭を形作り、人型を形作る。中空に浮かぶ白面と闇に溶ける威容、そこには先程消滅した筈のアサシンの姿があった。

 

「名など暗殺者には不要ですよ。敵がアサシンを脱落したものと考えてくれるなら、この状況は悪くありません」

 

 物言わぬアサシンに代わってマキリが答える。

 

「と言うよりも、見切られていた、とみるべきでしょう。敵はかの賢人王フィン・マックール。敵魔術師をアサシンが運悪く殺し切れなかったのでは無く、殺せない事が分かったからランサーはライダーを優先した」

「そんな馬鹿な、と言いたい所だが、成る程、万物を見通すという白指か」

 

 御形は言いながら顔を手で覆った。身震いと共に、彼は聖杯戦争という物を真に理解する。古今東西の伝説に語られる英雄英傑が戦うというその意味を。彼等は正に尋常ならざる存在なのだ。

 

「ええ、敵がフィン・マックールである限り、可能性は高いと言えるでしょう。しかし、彼は殺されて死んだ。この世全ての知見を得る白指を持ちながらも死の運命からは逃れられなかった」

 

 ぞわり、とマキリの身体が波打つ。それは身震い等という生易しい物ではない。皮下で蠢く魔蟲が宿主の精神に呼応するかの様に活性化しているのだ。それはおぞましくも凄まじい、恐るべき光景であった。

 御形は暫し息を呑む。本来異物である魔蟲の体内活性は地獄の激痛を伴う筈である。しかし、眼前の青年が苦しみ悶える様子は無い。興奮し心拍数が、体音が上がる。皮下で醜悪に蠢く魔蟲が、そんな当然の代謝反応と同じでしかないと言うのか。

 だとすれば、彼は最早人では無い。

 

「ならば、当然、殺せるが道理。アサシン、予定通りだ。行動を開始しろ。隙在らば、狩って良い」

 

 マキリの言葉と同時に空中へと白面が浮かび上がる。その数、実に六。六つの白面がそれぞれ同時に無機質な言葉を返した。

 

「「心得ました。我が主」」

 

 言うが早いか、六体のアサシンの姿が霊体化によって掻き消えた。

 これぞ自らの分体を創り出すアサシンの恐るべき宝具である。

 御形は笑い出した。壁面に映ったその影が、不意に歪み、同時に笑う。

 

「敵も味方も、皆尋常ならざる怪物揃い、と来たか。ワンサイドゲームに成るかと思っていたが、成る程如何して、全く、愉しませてくれる」

 

 






今回は動きなし。
次回はちょっと動きます。


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王と聖女

 時は少し遡り、雑居ビル内部。

 倒れ伏すイルにとって、眼前の光景は全く絶望的な物であった。

 凡そ数メートルの距離に、恐るべき戦闘能力を有するホムンクルス、アルファとそのサーヴァント、白銀の英霊、セイバーが立っている。屋上でルーラーと戦っていた筈のセイバーが、壁を切り裂いて雪崩れ込んで来たのだ。それだけではない。その足元に横たわる女性の姿。

 

「ルー……ラー?」

 

 イルは血反吐を吐きながら呻いた。

 セイバーの前で倒れているのはイルのサーヴァント、ルーラーに間違いなかった。

 絶望的な状況である。

 魔術戦で負傷、サーヴァントも敗北となれば、最早この状況は覆し様が無い。

 だが、覆さなくて良い。イルはこれを好機と見た。

 敵の優勢は絶対。そして、話が通じると思しきサーヴァントが現れた。

 

「なぁ、あ……んた……ぅ……」

 

 イルは口を動かそうとして、呂律が上手く廻らない事を知る。血液を失ったせいで顔は蒼白、唇は紫色に変色し、身体は血塗れでそこら中が傷だらけだった。立ち上がろうとしたが足に上手く力が入らなかった。身体が鉛になった様に重い。

 彼の使い魔の神経毒の症状であった。

 アルファは自らの血液をウォーターカッターの如く撃ち出す事で、攻撃と同時に神経毒を排出し、解毒を成した。で、あれば、それを撃ち込まれたイルが神経毒に侵されるのは当然である。

 それだけではない。

 

「ぐぅ……うう……がッ……ぁ……ぅぁ……ッ!!」

 

 イルは神経毒のせいで叫ぶ事も出来ず、眼を剥いてのた打ちまわった。アルファの血液を撃ち込まれた事で、彼の体内で血液の凝固と拒絶反応が生じ始めたのだ。

 人に在らざるホムンクルスの血液である。拒絶反応は人のそれとは比べ物にならない。更に、アルファの強大な魔力が宿った血液は、撃ち込まれた周辺部位の魔術回路にまで影響を及ぼしているのだ。自らが内から焼かれていく地獄の苦しみであった。

 その様を冷やかな視線で見下ろし、アルファは無慈悲に言った。

 

「セイバー、アレが死ぬ前に腕を刎ねて。令呪とルーラーは回収します」

 

 セイバーが頭を掻き、何か言おうとして、

 

「そ、そうは、させません……」

 

 ルーラーがそれを遮った。

 彼女は蹌踉めく足をその気力で支え、起き上がる。何と凄まじい光景か。起き上がったルーラーの、その身体はふらついているにも関わらず、イルを護る様に水平に構えた剣の切っ先は微動だにしていないのだ。血と埃に塗れながらも眼光鋭く剣を掲げ、その括られていた髪が解けて風に靡く様は如何にも凄絶で美しい。

 これには生物学的に同姓であるアルファですら、暫し見蕩れた。それは彼女の隣に立つセイバーもまた同様である。彼はじっとルーラーを凝視していた。否、ルーラーの手にした剣を、彼は食い入る様に見詰めていた。

 ルーラーが手にしているのは黄金の細剣。レイピアと呼ばれる刺突剣である。神々しさすら感じられるその美しく神聖な威容はルーラーの宝具と見て間違いあるまい。

 

「ハハハ、成る程、素晴らしい。僕のコイツの一刀を防ぐとは、良い剣だ。そして、美しい」

 

 セイバーは笑いながら、自らの腰に差した剣の柄を指先で叩いた。

 その賛辞に嘘は無い。セイバーの宝具は至高の聖剣とも言うべき物。真名解放こそ無かったものの、セイバーの、剣の英霊の宝具による攻撃を凌いでみせたのだ。並みの名刀ではその身体毎両断されていた筈である。そう、この雑居ビルの外壁を横一文字に切り裂いたセイバーの一斬を、ルーラーは咄嗟にその剣で受ける事で両断を免れていたのであった。

 彼等の背後、そのコンクリートの壁面は真っ直ぐ五メートル程横に奔った切断痕と、人一人優に通れる巨大な穴がある。それらは皆、セイバーの一撃に寄って出来た物であった。

 先程、飛び掛ったセイバーの一斬に対し、ルーラーは咄嗟にビルの外壁を足場に構えて剣を抜いた。セイバーの振るった刃はコンクリートを易々と切断しながら横薙ぎに奔り、受けたルーラーは衝撃に跳ね飛ばされて壁面を砕き、ビル内部へと転がり込んだのだ。

 宝具である彼女の細剣は耐えれても、彼女が足場としたコンクリートの外壁が、セイバーの放った一刀の衝撃に耐え切れなかったのである。

 

「何にしても、君が無事で良かった。で、まだやる気かい?」

 

 セイバーは打って変わって優しく問うた。そこに先程までの鬼気迫る物は無い。ルーラーの剣を見るや、セイバーは臨戦態勢を解いてしまった。元々どこか掴み処の無い飄々とした男ではあるが、アルファは益々以って自らの英霊の事が分からなくなる。

 

「セイバー、貴方、何をやって――」

「申し訳ありません。偉大なる我が王よ」

 

 アルファの言葉を遮る形でルーラーが言った。そして、彼女は深々と頭を下げると、手にした剣を鞘へと戻した。

 

「最早、私は貴方に剣を向ける事は出来ません。さりとて、退く訳にも参りません」

 

 ルーラーは続ける。哀願と言うには、真っ直ぐにセイバーを見据える目は苛烈に過ぎる光が宿っていた。それはどこまでも純粋で、愚直な精神の発露であった。イルが最も忌み嫌う物である。

 

「ではどうすると? 無駄だよ。分かっているだろう?」

 

 セイバーが剣を抜く。

 それは何とも不可思議な剣であった。引き抜かれた剣の刀身が陽炎の様に揺らめいて、その輪郭すら杳として知れぬのである。しかし、その揺らぎから洩れ出でる神聖にして不可侵の輝きとそこに込められた恐るべき魔力の気配から、その剣が人の鍛えし物ではないと直感的に、本能的に理解出来るのだ。

 その揺らめく切っ先を、セイバーはルーラーへと突き付けた。

 同時に空気が一変した。セイバーの発する剣気が恐るべき圧迫感と成って辺りに突き刺さる。パン、と音がして頭上の蛍光灯が砕け、ガラス片が舞った。彼は本気だ。本気で意に沿わぬと在らば、ルーラーを切り捨てる気でいるのだ。それもまたその場の全員が直感的に理解出来た。

 イルは何も言えなかったし、アルファも何も言えなかった。

 しかし、ルーラーは臆する事無く言った。

 

「無駄ではありません。仮初とは言え、彼は私の主なのです」

 

 当然とばかりに、愚問とばかりに、彼女は言った。

 

「何よりも、彼は今死の淵にあって、私の助けを必要としている。見捨てる訳にはいきません」

 

 嘗てそうであった様に、今もそうである様に、どこまでもルーラーは聖女であった。

 そして、その言葉には奇妙な説得力を持っていた。本気、だという事が言葉から感じ取れる為であろうか。また、死に掛けて弱っていたの事も手伝って、すんなりとイルの耳へと入った。

 対するセイバーは、剣先でルーラーの顎を上げ、その瞳を真っ直ぐに覗き込む。

 ルーラーは目を逸らさなかった。

 暫し、沈黙が辺りを包み、やがてセイバーが言った。

 

「迷いは、無いようだね」

 

 状況に焦れたアルファが檄して叫ぶ。

 

「セイバー、死なない程度に痛めつけなさい!! 私があの男の腕を――」

「駄目だね。残念だが、それは出来ない相談だ」

 

 それを遮り、セイバーは笑った。彼は鞘に剣を収める。

 

「祖国に、我が神に、その身命を捧げた忠臣を斬る剣を、僕は持ち合わせていない」

「セイバー、貴方、一体何をッ!?」

「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません」

 

 ルーラーはセイバーに再び深々と頭を垂れると、倒れたイルを抱き起こす。

 

「お待たせしました、マスター。もう大丈夫です」

 

 そう言ってイルの顔を覗き込むルーラーは、一点の曇りも無い晴れやかな笑顔をしていた。

 翳した手から温かな光が溢れ、次第にイルの身体を蝕んでいた激痛が引いていく。温かさを感じながら、イルはルーラー、それからセイバーへと視線を動かした。

 彼の口元が自然と緩む。イルは初めて、自らのサーヴァントに感謝した。

 最高の展開だ。

 彼は自らの勝利を確信する。

 アルファは自らのサーヴァントを御し切れていない。見る限り、彼等の主導権を握っているのはマスターではなくサーヴァントであるセイバーである。最早、こうなってはサーヴァントの意見を無視して、イルを殺す事は出来まい。増して、アルファには元々自らの令呪を切ってまで、取引を持ちかけているイルを殺すメリットも無ければ、度胸も無いのである。

 先程までの狂態も、間が空いた事で、既に成りを潜めていた。

 篭絡出来る。

 否、ルーラーがセイバーと所縁のある英霊であるのならば、弱い事はマイナスとはなるまい。当初の予定以上の値でラドクリフに令呪とルーラーを売り付ける事も可能である。そして、セイバーを自らの王と称するルーラーもそれに反対するまい。

 それはイルにとって非常に重要な事だった。

 敵がそうである様に、イルもまた自らのサーヴァントを御し切れてはいなかった。

 ルーラーは高潔にして慈愛に満ち、正に聖女と呼ぶに相応しい精神性を有するが、それ故にその信仰、騎士道に悖る行動は頑として取ろうとしない。更に厄介なのは、彼女が自らの勝利を、自らが聖杯を手に入れる事を、何故か確信している事である。

 セイバーに捕捉され、真っ向から挑む事になったのも、ルーラーのこの気質のせいであった。

 恐るべき夢想家。それも、他者にまで犠牲を強いる最も厄介な手合いである。無論、この手の輩の扱い方はイルとて心得ている。何も問題は無い筈であった。彼女のその瞳を見るまでは。

 ルーラーのその何処までも澄んだ瞳を向けられると、イルは自らの内の不可侵の部分、誰にも触れられぬ様に厚く創り上げた仮面と滑らかな舌の遥か奥にある彼自身を見透かされている様に感じるのだ。それはイルにとって堪らない恐怖だった。

 そして、彼はその初めて味わう恐怖に対する術を持たなかった。

 相手が英霊でなければ暴力に訴えていたに違いない。しかし、如何にルーラーが今聖杯戦争最弱と思しきステータスとは言え、相手は英霊、イルでは逆立ちしようと勝ち目が無い。また、令呪を一つたりとも使う訳にいかないとあっては、無理矢理言う事を聞かせるというのは不可能である。

 結局、イルは彼女とは直ぐに売り払ってお仕舞いの関係だと自らに言い聞かせる事で、恐怖を直視しない様にやり過ごすしか無かった。彼は安易な道に逃げたのだ。

 結果として、イルはその内心とは裏腹に、表面上はルーラーの意思を最大限尊重するという態度を取っていたのである。故に、売り抜けについても、ルーラーに話をご破算にされないよう彼は頭を捻らなければならなかった。

 それだけではない。イルはルーラーの真名すら未だに知らないのだ。

 幾らイルが問い質そうとも、ルーラーは頑としてそれに答えなかった。彼女は理由すら述べず、ただ、申し訳なさそうに謝るだけだった。その度に、イルは必死に怒りを静めねばならなかった。

 その馬鹿馬鹿しい苦悩からも、ようやく解放される。

 イルは笑みを深くする。全てが彼にとって都合良く廻りつつあった。

 しかし、血液の凝固と魔術回路の暴走による想像を絶する激痛と解放の最中にあって、猶、冷静に勘定を優先するイルの精神もまた尋常では無い。こと生き汚さという点において、彼は紛れも無く今聖杯戦争一のマスターである。

 成すべき正義が無いから悪にも転じ、殉じるべき信念が無いから死ぬ必要が無く、護るべき他者が無いから身軽に動き、語るべき理想が無いから手段を選ばない。彼の行動を縛る摂理は何も無く、彼は最適解を誤らない。それがイル・バナードという魔術師である。

 ルーラーの治癒の腕は確かな物だった。凡そ数十秒、蒼白だった顔色は血色を取り戻し、腹の風穴は愚か、腕の傷さえも消えている。イルは何度か手を握り、開き、自らの回復を確認すると視線を上げた。すると、

 

「ふむ、顔色も戻った様ですね。大丈夫ですか、マスター?」

 

 心配気に顔を覗き込むルーラーと視線が合い、咄嗟にイルは目を逸らす。

 

「セイバー、どういうつもり!?」

「どういうつもり、とは?」

「あの魔術師は敵よ。それもこちらを殺そうとした」

「殺しかかったのはこちらだ。それに、これだけやられれば、向こうも下手な真似はしないだろうさ」

 

 激するアルファを宥めつつ、セイバーはイルへと言った。

 

「さて、そっちの魔術師殿よ。頼めるなら、ルーラーの治癒をお願い出来るかな? どうも今の状況、僕のマスターには頼み辛いんでね」

「そりゃあ、勿論構いませんがね」

 

 セイバーの言葉に、イルは首肯する。

 

「ありがとうございます、マスター」

 

 ぱっとルーラーが微笑む。正に華の様な笑顔だった。

 

「ああ、これは正に、正に主の導き。私がこの聖杯戦争に参戦する事になったのは、貴方にお会いする為だったのですね」

 

 彼女はセイバーを見上げて続ける。

 

「ここに偉大なる王は再誕し、偽りの歴史は正される」

 

 成る程、カムランにて倒れた騎士王はアヴァロンより戻るという伝説か。

 聞きながら、イルはセイバーを見た。

 セイバー、光を操る至高の聖剣を持つ騎士の王。

 実際に、我が目で見て、イルはその正体を確信する。

 騎士王アルトリウス・ペンドラゴン。

 選定の剣を抜き放って王と成り、ブリタニアを纏め上げて円卓の騎士と共に侵略者と戦った騎士の王。今猶世界中で語られる伝説のアーサー王その人である。これが剣の英霊のクラスを得て現界したとあらば、正に最強の英霊と見て間違いあるまい。

 そして、セイバーが騎士王であるならば、セイバーを我が王と仰ぐルーラーの正体も自ずと見えてくる。即ち、円卓の関係者、若しくは後年のブリタニアの英雄に間違いあるまい。

 そして、彼女の持つ他者を癒す回復能力。

 イルは一つの解に行き着く。

 聖杯の乙女ディンドラン。

 円卓の騎士パーシヴァルの兄妹にして、聖杯へと導き手。

 彼女の正体がディンドランであるのならば、その聖女の如き精神性、ルーラーという特異なクラスでの召喚も納得出来る。しかし、それも最早関係が無い話だ。

 イルはそう結論付け、それ以上の思考を放棄した。

 

 

   #####

 

 

「どうか我等をお導き下さい。聖王よ」

 

 互いの治療が済むと、ルーラーは片膝を付いてセイバーへと頭を下げた。セイバーは暫し真剣な表情でルーラーを見ていたが、不意に破顔しイルに向って口を開く。

 

「との事だが、同盟の申し入れと受け取って構わないかな?」

「セイバー、あなた勝手に――」

「そりゃあ構いません、と言うよりも私としても望む所だ。元々こちらに戦闘の意思は無いですしね。御三家の一角、そして何より、最優と名高いセイバーと組めるならこれ程ありがたい事は無い」

 

 セイバーを咎めようとするアルファの言葉を、イルが切った。しれっとした顔をしているが、言葉を重ねたのは間違いなくワザとであろう。イルが続ける。

 

「不運にも戦闘となってしまいましたが、まぁ、事故の様な物です。お互い水に流しましょう。状況が状況ですから。それより今はこれからの事に付いて、建設的な話し合いをするべきだ」

 

 イルはそう言って、アルファへと笑いかけた。

 まるでこちらは気にしていない、とでも言う様に。

 サーヴァントとマスターは魔力のパスに拠って繋がっている。それに拠って彼等は互いの状態を大まかに把握する事が可能である。先の戦闘、セイバーが駆け付けた時には、確かに趨勢が決まっていた。彼が見たのは地に伏したイルと、それを見下ろすアルファの姿である。しかし、戦闘中にアルファは一度危機的状況に陥っていた筈なのだ。

 これは挑発だ。そして、我がマスターが冷静に受け流せる筈が無い。

 

「水に流す? ふざけないで。信用出来ない」

 

 案の定、アルファは顔を真っ赤にして否定する。とは言え、それだけだ。自らのサーヴァントが戦闘の意思を見せぬ以上、短絡的な手段に出る訳には行かない。アルファが如何に激していたとしても、その程度の分別は残っている。否、敵の傍らに控えるルーラーに絶対に敵わないという事が本能的に理解出来てしまっているせいもあるだろう。

 アルファの言葉に、イルは大仰に嘆いてみせる。

 

「信用出来ない? それは少々心外だ。ルーラーの気高い精神は見たでしょう? 彼女が王と仰ぐそちらのセイバーを裏切るとでも?」

「私は貴方が信用ならないと言っている」

 

 イルはアルファのその言葉に満足そうに頷いた。

 

「成る程、私が信用出来ない。ルーラーは手に入れたいが、そこが問題な訳だ。では、こうしましょう。私は聖杯戦争を辞退します」

「「なッ!?」」

 

 アルファとルーラーの声が重なる。彼の提案は、彼のサーヴァントであるルーラーにとっても寝耳に水だったらしい。

 

「待って下さい、マスター。どういう事です!? それでは――」

 

 慌てるルーラーをイルが片手を上げて制する。

 

「ああ、落ち着いて。勿論、これには条件があります。私が聖杯戦争から辞退する代わりに、貴方達にルーラーと令呪を買い取って頂きたい。つまり、同盟ではなく、委譲だ」

 

 イルは続ける。

 

「私は元々商人でね。ああ、名乗るのがまだでしたねェ。イル・バナードと申します。聖杯戦争参加者に触媒となるアイテムや礼装、他の参加者の情報を売りに来たのですが、他の魔術師に襲撃されたせいで、ルーラーを召喚してしまった。事故とは言え、召喚した以上はマスターとして彼女の願いを叶えてやりたかったが、私では勝ち抜けそうに無い」

「さっき言った事は本気だった、と? 信じられない。万能の願望器が手に入るというのに、そのチャンスをみすみす捨てるなんて」

 

 アルファがイルを睨む。未だ懐疑的であるらしい。アルファの言葉にイルが苦笑する。

 セイバーは笑えなかった。それを言ったアルファが最も万能の願望器と関係の無い所で命を賭けている事を知っているからだった。恐らく絶対に手に入る事の無い願いを追っているのだ。そして、セイバーはそれを笑う気にはならなかった。

 

「人間、それぞれ器という物がある。私は無駄に死ぬ気はありません。だから丁度良かった。心配なら自己強制証文も用意しましょう。ただ、そちらもルーラーの願いは無下にしないと約束して頂きたい。ルーラーも王と仰ぐセイバー殿の元で戦うなら文句は無いでしょう。どうです、ルーラー?」

「……はい、分かりました。マスターがそれで良いと言うのなら、私はその判断に従います」

 

 ルーラーがイルに深々と頭を下げた。

 成る程、役者が違う。この眼前の魔術師の思うままに話が進んでいるではないか。

 そう思ってセイバーは薄く微笑む。相手の提示した条件は幾点かに目を瞑れば非常に魅力的に思えた。恐らく、アルファの創造主であるあの男に話を持っていけば、直ぐにもルーラーのマスターとして次のホムンクルスを用意してくれるだろう。

 単純に考えて、戦力は倍増する。しかし、そこから先が気に食わない。

 恐らくこのイルという男は新しいホムンクルスの餌として殺されるし、サーヴァントが増えれば無茶な命令も増えるだろう。私を王と慕ってくれるルーラーを捨駒として使い潰す破目にも成りかねない。アルファの精神性から鑑みるに、その功名心から彼女と新しいホムンクルスは互いに互いを邪魔者だとして相争うだろう。

 それ等はどうあっても許せる事ではない。

 如何様にするべきか、とセイバーが暫し思案していると、ルーラーが言った。

 

「しかし、マスター、あなたは何か願いが――」

「私は一度あなたに命を救われた。これで元あるべきだった形に戻る。だから、これで良い」

 

 イルはルーラーの言葉を遮って笑いかける。笑顔ではあったが、その言葉には反論を許さない力強さがあった。一方、その言葉にセイバーは笑みを深くする。

 成る程、万能の聖杯を前に、望みは無いと言切るか。

 

「一つ聞かせて欲しいんだがね、ルーラーのマスターよ。不運にも戦闘になった、と君は言うが、君にその意思はあったのか? それとも、君は最初から商談をするつもりだったのかい?」

「ハハ、戦闘の意思なんてありませんよ。最初は同盟の為に、そちらの拠点に向う途中でした」

「へぇ、同盟、ね。では何故、迎え撃ったんだい?」

「逃げ切れそうになかったので。殺気を向けられて動揺したのもあります。そちらが臨戦態勢である以上、正当な自己防衛かと思いますがね。それに、そちらがラドクリフの代表だという事に気付いたのも戦闘開始後の事でした。ラドクリフの代表はノイマン氏だと思っていましたから」

「私が迎え撃つべきだと主張したのです。マスターは撤退するつもりでした」

 

 ルーラーが堪らずといった様子で横から口を挟んだ。

 

「別に責めてる訳じゃあないよ。それじゃあ、この展開は君の思い通りと言う訳だ」

「……ええ、そうなりますね。身体を張った甲斐があった様です」

 

 一拍の間があった。しかし、イルは笑みを崩さない。

 セイバーはイルを見る。痩せぎすの幽鬼を想わせる容貌なのだが、崩れる事の無い微笑が印象を和らげている。その言葉は筋が通っているし、とても理性的だ。ルーラーの事を気に掛ける態度も好印象。ルーラーも彼を信用している様に見える。

 しかし、どうにも得体の知れない処がある。

 否、明らかに異常なのだ。

 理性的過ぎる。彼は先程アルファに殺され掛けていたのだ。地獄の苦しみに呻いていた筈なのだ。それが何故、即座に笑いながら令呪とサーヴァントの委譲等と言い出せるのだ?

 令呪を渡した瞬間に、殺されない保障など何も無いと言うのに。

 余程の愚か者か、でなければ、どこか壊れている。破綻している。

 彼は信用に足るべきか。信頼に値するか。

 セイバーは暫し思考に耽っていたが、ルーラーの顔を見て、遂に憂慮であると悟った。少なくとも彼女に嘘は無い。それに、自己強制証文を用意すると言うのなら、万に一つも無いだろう。

 自己強制証文とは彼等魔術師が重要な契約を結ぶ際に、それを違える事が無い様に自らの魂を縛る呪術契約術式である。原理上いかなる手段を用いても解除は不可能な代物だ。

 と、そこで、稲光と共に雷鳴が轟いた。近い。雷音と共に肌に刺さる巨大な魔力の畝りは、そう遠くない距離で今猶戦闘が続いている事を示していた。そして、何より今、何処の誰とも分からぬ魔術師の張った結界の中にいるのだ。悠長な事をしている暇は無い。

 そう考えたのはイルも同じだったらしい。彼は話を引き戻す。

 

「悠長な事をしている暇は無さそうだ。で、どうですかね、先程の話は? ラドクリフには他にも魔術師やホムンクルスがいる筈でしょう。彼等に――」 

「それは~~ッ!!」

 

 アルファがイルの言葉を遮った。それは駄目だ、と言いたかったのだろう。言葉を続けられず、歯噛みする彼女の表情からそれは察せられた。彼女は今、本能と理性の狭間で揺らいでいるのだ。

 それは自らの存在理由への葛藤であった。

 

 

   #####   

 

 

 父様を危険には晒せない。

 私の代わりも必要無い。

 私は全て上手くやってみせる。

 だから、だから……。

 アルファの心の中で色々な感情の畝りが逆巻いていた。まるで嵐の様に。

 彼女は全く自分が分からなくなっていた。

 以前はもっと冷静に、機械的に物事を見れた筈だ。

 彼等を、兄妹を、同胞を、私自身を自らの血肉にした時、彼等は私の一部になる事で、その役目を全うしたと、そう思えた筈なのに。たった数週間前の事なのに、今はそうは思えない。

 それもこれもセイバーのせいだ。

 鬱陶しいこの男のせいだ。

 サーヴァントのくせに、私を助けると言ったくせに。

 彼女は気付かない。自身が今、自らの変化にこそ苛立っているのだと。戸惑っているのだと。

 

「まぁ、待って下さい。そうは言うがどちらが有利かは分かり切った事でしょう? そもそも、令呪を持ち帰ろうとした以上、貴方だって分かっている筈だ」

 

 ルーラーのマスターが宥める様に言う。それがまた気に障る。

 煩い。分からない。分かりたくない。

 そもそもこの男の腕を食べてしまえば良いのだ。

 それで私の令呪が増える。サーヴァントも増える。

 大丈夫だ。私なら二騎の英霊だって従えて――

 

「ふむ、そうだな。えーと、ルーラーのマスター君、すまないが彼女のマスターは続けてもらえないか? 君は私が雇おう」

 

 その時、アルファの頭上から言葉と共に手が下りた。セイバーの言葉だった。セイバーの手だった。その掌が優しくアルファの頭を撫でた。

 アルファは抗議の声を上げようとして言葉に詰まる。

 

「大丈夫だ、マスター。僕に任せてくれないか。君に悪いようにはしない」

 

 頭を撫でながら、セイバーは優しく微笑む。

 

「どうかな? ルーラーのマスター君。君は魔術の心得もあるし、それなりに腕も立つだろう? 当初は戦おうとしていた様だし、なに、戦闘は私に任せておけば良い。マスターとは違うが、私としてもあの男とはあまり関わりたく無いのでね」

 

 セイバーの言葉は聞き捨てならない物だったが、提案自体はアルファにとっても歓迎出来る内容だった。しかし、

 

「待って、セイバー。そんなお金どこに?」

 

 アルファの問いは至極当然の疑問だった。彼等は召喚されたサーヴァントだ。生前ならいざ知らず、金銭の持ち合わせ等あろう筈も無い。

 しかし、セイバーは微笑むと、懐から巨大なサファイヤが装飾されたネックレスを取り出した。

 

「私を召喚するのに使った触媒だ。魔術的に非常に強力な護符でもある。売れば結構な値が付くだろう。今の持ち主はマスターの家だが、元々は私の物だ。これでどうかな? 命を賭けるには足らないか?」

 

 ルーラーのマスターは暫しセイバーが手に持つネックレスを呆然と眺めていたが、やがて大声で笑い出した。それの持つ途轍もない価値に気が付いたのだろう。彼は一頻り笑うと、薄い笑みを浮べて言った。

 

「成る程、十分命を張るに足る。今更、キャンセルは利きませんがよろしいか?」

「無論だ。ただし、死ぬ気で働いてもらうがね」

「セイバー、勝手に話を進めないで」

 

 私が睨むと、やっとセイバーは頭を撫でていた手を放す。

 

「おっと、それは失礼。だが、これからの戦いに向けて同盟を組むというのは既定路線だろう?」

「最初の条件は同じ御三家同士だった筈でしょう?」

「それはそれでやれば良い。旅は道連れと言うだろう? それに時間切れだ――」

 

 言葉の途中でセイバーは背後、ビルに開けた大穴から外を見る。そして、言った。不敵に、愉しむかの様に。

 

「敵が来る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はセイバー組とルーラー組の話でした。
2章も折り返し地点は超えた感じです。


既に凄まじい勢いで読者が脱落している気がする。
何かしらテコ入れ考えます。


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集いし者達

 轟、と風が逆巻き、稲光と共に空気の炸裂音が響き渡る。剣戟の音と共に空中に火花が散って、影と影が交差する。彼等は戦いながら大通りを南下していた。

 

「フン、どうした、ランサー!? 逃げておるばかりでは槍の英霊の名が泣くぞッ!!」

 

 ライダーが吼えると同時に、彼の駆る二頭の神牛が戦慄き、『神威の車輪』は更に勢いを増して疾走する。ランサーを追った戦車は正に一筋の剛雷と成って、大通りを真っ直ぐに貫いた。

 稲妻が周囲に奔り、戦車の突進の衝撃に巻き上げられた街路樹が宙を舞う。

 しかし、

 

「Eolh――Nyd――Rad」 

 

 ライダー等の駆る戦車の背後、中空に浮かび上がるは原初の三文字。跳ね上げられた街路樹を盾に、その影に潜む形で跳び上がったランサーのルーン魔術である。

 突如戦車の軌道上に出現した不可視の壁と、その足にタールの如く絡み付く靄。

 

「ぬるいッ!! そう同じ手が通じると思ったかッ!?」

 

 ライダーが吼えると同時に、その剣が翻る。正に一刀両断に、右方の魔術障壁を切り破り、更なる魔術から逃れるべく戦車の軌道が弧を描く。その無茶な旋回故に、戦車はビルの壁面へとぶち当たり、その速度を落としながらもビル壁を抉りながら空中へと舞い上がる。

 その刹那、車上に一つの影が落ちた。

 

「隙有りだ。俺の相手もしてくれよ」

 

 空中より飛び掛ったバーサーカーのマスター、金剛地武丸である。大上段に構えた刃を渾身の力で以って振り下ろす。落下の速度を乗せたその一刀に対するは、神牛を御しながら片腕で放つ逆袈裟の一斬。交叉の刹那、武丸は自らの勝利を確信する。

 そも熟練の剛剣は受けの動作を許さない。

 受けた相手の刃毎、敵を両断する一刀こそが剛剣の極意なれば故である。

 増してバーサーカーの宝具に拠って超人と化した武丸の一刀は、容易く鋼鉄をも斬り裂く魔剣とも呼ぶべき物。武丸が本気で放った振り下ろしを受けれる人間など存在し得まい。

 刃と剣とが交叉し、鉄と鉄が打ち合わされる甲高い音と共に一際大きな火花が散って、

 彼等は鍔迫り合って拮抗した。

 確かに人はその一刀に抗し得ぬだろう。しかし、相手は人ではない。

 英霊、ライダーの膂力は、武丸の確信を遥か超えた域にある。

 正に恐るべき膂力と宝具の強度という他あるまい。しかし、その拮抗も一瞬。武丸の着地の衝撃で大きく戦車が揺れ、同時に鍔迫り合ったまま武丸の指がライダーの剣を握る手を取った。

 

「指絡み、綟摺」

 

 瞬く間に武丸の手がライダーの右手薬指と小指を包み、その間接の可動域を超えて捩じ上げる。同時に、武丸の腹を蹴り上げる事で脱しようとしたライダーの顔に緊迫が走った。ライダーの足が翻るより早く、武丸の踵がそれを止めている。

 

「ほぉう、やるでは――」

「どいて、ライダーッ!!」

 

 獰猛な笑みを浮べるライダーの巨躯の影から飛び出たマドカがその手を武丸へと向ける。同時にその指先に青白い炎の塊が浮かび上がった。掌大の青い火球。マドカの招魂術に拠って形成された鬼火と呼ばれる亡者の炎であった。

 

「我流招霊術の三、焔魂ッ!!」

 

 マドカが叫ぶと同時に鬼火は空を切って武丸へと奔る。武丸がそちらへちらと視線を切る。その瞬きの間に満たぬ刹那、指二本と引き換えにその首を獲らんとライダーの銅剣が跳ね上がる。

 

「ぐッ、ハッ、やる!! だが――」

 

 武丸は即座にライダーの指を離し、刃を傾けて迫り来る銅剣を往なしつつ、背後へと跳躍した。刃は薄皮一枚を裂くに留まり、宙返りを打ちながら武丸は戦車から空中へと身を投げ出した。その前髪を撫で、眼前を放たれた鬼火が擦過し、不意に弾けた。

 武丸の影に隠れる形で飛来した不可視の魔弾が炎を裂いてマドカへと迫ったのである。

 ランサーのマスター、狗城直衛の気弾であった。

 死角より出現したそれは炎を貫き、吸い込まれる様にマドカへと突き進む。

 

「あ――」

 

 世界が静止する感覚があった。全ての時間はゆっくりと流れ、死が近付いてくる感覚である。マドカの脳裏を千の言葉が駆け巡ったが、その身体は全く動かなかった。

 直後、彼女の視界は赤く染まった。

 

「無事か、嬢ちゃん」

 

 ライダーの赤銅の外套がそこに在った。

 マドカの危機を救ったのは彼女の英霊、ライダーであった。彼はマドカを迫り来る気弾から庇うべく、我が身を盾としたのだった。咄嗟にマドカが叫ぶ。

 

「ライダーッ!?」

 

 ライダーの身を案じるマドカの姿は些か滑稽に映ったに違いない。

 彼女を護るそれは即ち金剛の盾である。豆鉄砲に抜かれる道理は無い。

 気弾がライダーに突き刺さったと見えた刹那、その対魔力で以って雲散霧消し、ただの微風へと変わる。ライダーは獰猛な笑みを浮べた。

 

「少し飛ばす。振り落とされるでないぞ」

「ライダ――」

 

 マドカの言葉が途中で途切れる。彼等の乗る戦車が不意の急制動と共にその軌道を変え、弧を描きながら空中へと舞い上がったからだ。それから彼はちらと周囲に目をやった。

 その舞い上がる機影を見上げ、狗城は舌打ちを一つすると、ビルの壁面を蹴って大通りへと飛び降りる。同時に飛来した大鉈が、狗城のいた空間を抜けてビルの壁面へと突き刺さった。

 大通りを挟んだ対面のビル上から、バーサーカーがその手の大鉈を投擲したのだ。

 狗城が空中で身を捻り、拳銃を抜き放つと同時に、バーサーカーは跳躍した。轟音と共に飛来する弾丸が眼下を通過し、バーサーカーは壁面へと着地すると同時に、壁に埋まった大鉈を引き抜くと、狗城を追って壁面を駆け下りる。

 更なる轟音と共に銃弾がバーサーカーへと奔り、大鉈に薙がれて虚空に消えた。

 

「遅いわね。殺った――」

「残念。遅い」

 

 背筋に奔った悪寒に従い、バーサーカーは振り被った大鉈を直感的に自らに引き寄せる。直後、咄嗟に顔を庇った大鉈の分厚い腹に、横合いから迫った蒼槍が突き刺さった。その衝撃に彼女の小柄な身体が回転し、落下の勢いそのままにアスファルト上を転がった。

 バーサーカーが受身を取って顔を上げた時には、眼前に槍が在る。

 

「ッう!?」

 

 突き出された槍に対し、弾かれた様に彼女は大きく仰け反る。否、確かに弾かれたのだ。瞬いた蒼月はバーサーカーの回避動作に先んじた。しかし、槍の穂先がバーサーカーの側頭部に掛けた鬼面にその軌道を逸らされたのである。

 ランサーの魔槍を弾くとは正に恐るべき硬度と言えよう。しかし、殴られた様な衝撃にバーサーカーは踏鞴を踏んで後退し、ランサーがその隙を逃す理由は無い。

 即座に槍が回転し、後退するバーサーカーの腹に石突が突き刺さる。

 

「うッ、あ゛ァ……」

 

 バーサーカーの口から嗚咽を漏れた。

 

「これで終わりだ」

 

 ランサーが笑みを浮かべ、親指を舐めると同時にその手の中でくるりと槍が回転する。蒼く明滅する穂先がバーサーカーへと向けられると同時に、恐るべき速さでその石突が、

 後方より迫る武丸へと打ち出された。

 

「残念だったねェ。狂戦士」

 

 背後よりランサーを強襲した武丸を迎え撃つ石突は正に神速。対するは、同じく神速の連突きである。ぎり、と骨の軋む音がした。片手で握り込んだ刀を小脇に構え、跳び込みと共にただ突き出す。それは正に引き絞られ放たれる直前の弓である。

 武丸の背なから腕の筋肉が膨張し、骨と共に刀の柄が握り込むその握力に軋みを上げる。

 

「連突き、篠山濤」 

 

 直後、三つの火花が散った。

 七分の力で突きを放つ。槍と刀が打ち合わされ、互いに逸らし合うと同時に、次なる突きを。腕を引き寄せる動作を突きより速く、更なる捻りを加え引き絞られた力をただ一刀の突きとして解き放つ。槍と刀が打ち合わされる度に衝撃で握力が死んでいき、槍が擦過する度に血風が舞う。それでも彼は止まらない。しかし、

 

「残念だと言った。突き技で槍兵に勝てるとでも思ったのか?」

 

 ランサーが笑みを消す。繰り出される突きを捌きながら反転、直後に放たれた突きを槍の柄で跳ね上げ、その勢いのまま横薙ぎの一撃を放つ。その一撃に武丸は反応が出来なかった。槍が吸い込まれる様に武丸の側頭部に迫る。

 

「危ないッ!!」

 

 その死の旋風が武丸の頭部を削ぎ落とす直前、正に間一髪のタイミングで、バーサーカーが横合いから武丸に飛び掛った。その勢いのまま抱き付く形で武丸を押し倒し、槍は武丸の米神を掠めただけで空を切る。

 しかし、彼等は窮地を脱した訳では無い。

 ランサーは即座に倒れ込んだ相手に追撃を掛けようとして、しかし、後方へと跳躍した。

 直後、敵を轢き潰さんと彼等の間に割り込む形で神威の車輪が落下する。

 アスファルトが爆砕し、周囲に稲妻が奔り、戦車はその車輪を止めて停止した。

 倒れ込むバーサーカーと武丸、距離を取ったランサーと狗城、彼等は互いに戦車上のライダーの動きを伺い息を呑む。暫し、沈黙があった。

 車上のライダーが言う。

 

「まぁ、待て、貴様ら。ここは武器を収めるが良い。これ以上、敵に手の内を晒してまで、勝負を急く事もあるまいよ」

 

 ライダーはそう言うと、大通り沿いのビルの一つを見据えて吼えた。

 そのビルの壁面を横一文字に抉る傷跡と大穴。それは先程ルーラーとの戦闘においてセイバーが付けた物であった。

 

「いつまで見とる気だ? 貴様が真に聖杯に呼ばれた英雄英傑だと言うのなら、姿を現すが良い!!」

 

 ライダーの言葉に遅れ、ビル内から拍手を打ち鳴らす音が響いた。次いで壁面に開いた大穴から一騎の英霊が顔を出す。

 

「悪いね。余りに見事な演舞に、つい見入ってしまった」

 

 男はそう言うと拍手を鳴らす手を止めて、大通りへと飛び降りた。

 銀の鎧と風に棚引く銀髪と肩掛けの衣。白銀の英霊、セイバーである。

 

「ほう、演舞と来たか。悪いが余の舞はちと荒々しいぞ。その腰に差した剣が飾りでは無いと云うならば受けてみるか?」

 

 ライダーは剣を持ち上げ、獰猛な笑みを見せる。対するセイバーは肩を竦め、ライダーの背後に立つマドカに目をやった。

 

「へぇ、面白い。と言いたい所だが、日を改めようか。まさか、君が怪我したマスターを庇いながら戦えると思っているならば別だがね」

 

 むぅ、と押し黙るライダーを見て取ると、セイバーは周囲へと視線を巡らせる。

 

「それに皆消耗が激しそうだ。まだまだ戦えそうなのは、君とランサーくらいかな?」

 

 悠々と構えるセイバーを尻目に、片膝を付いて血を拭う武丸と、起き上がりその手当てに勤しむバーサーカー。武丸はしてやられたという忸怩たる思いに奥歯を噛締め、バーサーカーはこの場から離脱すべく周囲に視線を配る。

 

「大丈夫?」

「ああ、まだやれる。そっちは無事か、バーサーカー?」

「ええ、私は大丈夫だけど、この状況ちょっと拙いわ。離脱するわよ」

「逃げろってのか!?」

「声がデカいわよッ!!」

 

 売り言葉に買い言葉。勿論、周囲には丸聞こえであった。武丸はあくまで納得が行かぬ風であったが、はたと気付く。バーサーカーが目をやっているのは、先程から戦っているライダーでもランサーでも無く、新たに乱入したセイバーでも無い。

 彼女は焦りとも脅えとも見える表情で、虚空に目をやっているのだ。

 それはバーサーカーだけでは無かった。

 

「ランサー、退くぞ。これ以上は付き合いきれん」

「何を言ってるんだ、マスター? 続行だよ。これからが本番なんだから」

 

 狗城に笑みを返し、ランサーもまた虚空を見据える。

 彼等は互いに別の方向を見ていた。

 

「嬢ちゃん、治癒は――」

「折れた方の手は直ぐには無理。他はもう済んだわ。それよりライダー、気付いてる?」

 

 ライダーに答えるマドカの目に青い炎が宿っていた。彼女は一層強くライダーの外套の端を握り締める。ライダーは背後のマドカに頷いて見せると、天に吼えた。

 

「フン、まだ闇に紛れて覗き見しとる連中がいるようだのう。おいこら!! 情けないとは思わんのか!? 誇るべき真名を持ち合わせておきながら、コソコソと覗き見に徹するというなら、腰抜けだわな。英霊が聞いて呆れるわなぁ。んん!?」

 

 そうしてライダーは魔空を仰ぎ、周囲の闇をぐるりと見渡すと、不敵な笑みを浮かべる。

 

「聖杯に招かれし英霊は、今、ここに集うが良い!! 猶も顔見せを怖じるような臆病者は、この征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ!!」

 

 周囲一円に響き渡る程の大音声。

 ライダーが自らの真名を高らかに名乗り上げた事に対する反応は三者三様。ランサー、セイバー、武丸は心底楽しそうに笑い、狗城、バーサーカーは虚を突かれ唖然とし、マドカはただ一人真剣な表情で虚空を見詰めていた。

 

「ライダー……来る!!」

 

 マドカの言葉と同時に、その視線の先に黄金の輝きがあった。

 その目映さを、ライダーは知っている。

 果たして黄金の輝きは大通り沿いに立ち並ぶ街灯の一本の上に、神々しく輝く黄金の甲冑の立ち姿と成って現界した。太陽の如き金色の鎧に髪。金色の英霊、アーチャーである。

 その妖しく光る血色の目が、その場の全員を見下ろしていた。

 

「相変わらずだな、征服王。お前の声は良く響く」

 

 

 

 



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最強対最凶

 突如として出現した金色の英霊。それがライダーの挑発に乗ってきた五騎目のサーヴァントである事に疑いの余地は無い。その場の全員が固唾を飲んで、新たに出現した英霊の挙動を見守っていた。五騎もの英霊が一同に会した戦場。最早事態は全く予測が付かぬ方向へと推移している。

 下手な動きは命取りだと、その場の全員が実感しているのだ。

 この場で複数のサーヴァントを敵に回せば、それは即ち死を意味する。

 しかし、そんな状況を歯牙にも掛けず、金色の英霊、アーチャーは言い放つ。

 

「相変わらずだな、征服王。お前の声は良く響く」

 

 彼は戦車を駆る赤銅の英霊、ライダーのみを真っ直ぐに見据えていた。対するライダーも真っ直ぐにアーチャーを見据え、獰猛な笑みを返す。

 

「フン、貴様の傲岸不遜な態度も変わらぬな、英雄王」

 

 ライダーは腰の銅剣を抜き放ち、続ける。

 

「まさか再び相見えるとは、正に僥倖。此度の遠征もまた、随分と心躍らせてくれおるわ」

「フン、再び我に挑むか? 良かろう。挑戦を許すぞ、征服王。幾度なりとも挑むが良い。何度でも、この我が手ずから理を示してやろう」

「抜かせ、今度は負けぬ」

 

 彼等の間の空気が次第に張り詰める。その剣呑な空気、互いの気迫が重圧と成って周囲を襲った。ライダーの背後のマドカは、ライダーの外套を握る手に自然力を込める。彼女は恐る恐る聞いた。

 

「ライダー、あの英霊を知ってるの?」

 

 マドカの言葉に、ライダーは応と頷く。

 

「ん、ああ、ウェイバーから前回の聖杯戦争の事は聞いているのだったな? アレは嘗ての聖杯戦争で余を降したアーチャー、バビロニアの英雄王ギルガメッシュよ」

「「英雄王ギルガメッシュ!?」」

 

 その場の何人かが言葉を漏らした。

 それも致し方ない事であろう。

 神代、その中でも最も古き時代、この天地に並ぶ者無しとまで呼ばれた伝説の英雄王。恐らくは英霊の極致。限りなく神霊に近い存在である。増して、過去の聖杯戦争において、先程から各々その力量を目にしている眼前の恐るべきライダーを倒しているとあっては彼等の驚愕も致し方あるまい。

 

「フン、しかし、有象無象共を相手に存外梃子摺っている様では無いか。既に幾分消耗している様に見えるぞ、征服王」

「ああ、此度の聖杯戦争もどうやら一筋縄では行かぬ様でなぁ。そういう貴様こそ、態々戦場に顔を出すとはどういう風の吹き回しだ。前回は、この我と相見えるのは真の英雄のみで良い、等と抜かしておったと言うのに」

「たわけ、我を差し置いて王を称する愚か者の顔を見物に来たに過ぎん。お前が参戦しているとは予想外であったがな。しかし、他にも居るのだろう? 王を称する不埒者が」

「ふむ、そうさなぁ」

 

 ライダーは言いながら、ちらとランサーへと目をやった。釣られてアーチャーもランサーへと目をやる。当のランサーは薄く微笑むと親指を一舐めし、恭しく頭を垂れた。

 

「お初にお目に掛かる、バビロニアの英雄王よ」

「フン、その欺瞞に満ちた眼、気に入らぬな。臓物の腐臭が漂っておるわ」

 

 アーチャーはランサーを睨み付けると、膠も無く言い捨てる。ランサーはアーチャーの言にも薄い笑みを返し、槍を肩に担ぎ上げる。

 

「ハハ、これは手厳しい。しかし、この白指の予言を覚えておかれると良い。今、貴方の傍らには死の影がある。それは如何に貴方が金色の如き輝きを放とうとも消せぬ物です。否、貴方がその輝きを増せば増す程に、影はその濃さを増すでしょう」

「我は、詐欺師の言葉には耳を――」

 

 言葉の途中で彼等は同時に動いた。

 直後、二十の魔弾が闇を切り裂いて飛来する。

 火矢であった。炎を纏った矢が空中に赤い軌跡を描いて飛来したのだ。その様は正に流星の如し。否、威力もその物である。それが二十、その場のサーヴァントとマスターへと襲い掛かった。

 アーチャーが街灯を蹴って跳躍し、ライダー、ランサーは背後のマスターを護りながらその手の得物で飛来した火矢を切り落とす。避けられた火矢がビルの外壁を打ち抜き、弾かれた火矢が地を抉り、アスファルトを爆砕する。

 着弾したアスファルトの地面が畝の様に掘り起こされ、アスファルトの熔けた嫌な臭いが鼻を刺す。衝撃にトラックが横転し、倒れた電柱に引かれて千切れたケーブルが断続的に火花を散らす。

 飛散した瓦礫と粉塵が晴れるに従い、周囲の惨状が目の当たりになるにつれ、その場に集った魔術師等はその表情を険しくする。それは先の攻撃を難なく凌いで見せた英霊達も同様だった。

 怒りと驚愕、そして、恐れ。皆、その顔に余裕は無い。冗談では無かった。己が英霊がそれぞれ庇わなければマスター達は皆死んでいる。彼等は眼前の惨状の中に、千切れ飛んだ己を見た事であろう。その矢の恐るべき正確さと威力に、彼等は身震いが止まらなかった。

 火矢の着弾の轟音から一拍の静寂の後、

 

「え? な、なんで……?」

「助太刀感謝する、で良いのか? この状況は」

 

 バーサーカーと武丸が頓狂な声を上げた。

 火矢が飛来した瞬間、バーサーカーと武丸は咄嗟に互いを庇うべく動きながら、同時に悟っていた。無傷で凌ぎ切るのは不可能であると。彼等に迫り来る火矢は八本。逃げ場は無い。全て弾く事など出来そうも無かった。故に彼等は腕の一本も覚悟していた。

 が、結果的に彼等は無傷だった。

 彼等の前に立った白銀の英霊、セイバーがその全てを切り落としてのけたからである。

 

「女性には優しくする主義でね。それに――」

 

 セイバーは矢の飛んできた方角を見据えて続ける。

 

「どうにも、この手の不意打ちはいっとう嫌いでねェ」

 

 その言葉にセイバーの放つ殺気と剣気が混ざり合い、矢の主へと飛んだ。同時に、ビシリ、と音を立ててその足元のアスファルトに亀裂が入る。剣の英霊の臨戦態勢。その何と凄まじき事か。

 否、更なる殺気と怒気、そして魔力のうねりがその背後より巻き起こる。

 

「痴れ者が……。天に仰ぎ見るべきこの我を、同じ大地に立たせるかッ!!」

 

 怒声と共に、アーチャーの背後の空間が歪んだ。

 水面の揺らぎの如く、空間が波打ち、数多の武器が顔を出す。

 抜き身の剣と槍、槌、斧、それらは多種多様にして、一つとして同じ物は存在しない。その輝きの何たる眩しさか。そのどれもが眼を奪われる程の美しさを誇り、そして、恐るべき魔力を放っている。明らかに尋常の武器ではなく、その全てが宝具の域にある代物。否、その刀身に秘められた強大な魔力の気配は明らかに宝具その物としか思えない。

 それが十余、アーチャーの背後の中空にて解放の時を待っている。

 通常、宝具とはその英霊の武勇、逸話の中でも取分け有名な物が具現化した物である。

 セイバーの剣にせよ、ランサーの槍にせよ、そこに例外は無い。

 で、あるならば、この英霊は一体どれ程の逸話を持つ英霊だと言うのか。

 その異常な光景に、その場の全員が瞠目する。

 否、その種を知るライダーとランサーの二騎を除いてである。

 

「この不敬、万死に値する!!」

 

 アーチャーが吼える。その眼は、数百メートル先の虚空、先程ライダー達が戦闘を行っていたデパート屋上に立つ騎影を既に捉えていた。

 彼がその腕を掲げ、

 

「最早肉片1つも残さぬぞ!!」

 

 天に吠えると同時に、その背後に浮かぶ十余の宝具が空を切る。音を越えて飛来する十余の金刃は、正に闇を裂く彗星の如し。夜の中天にその眩き残影を残して獲物へと突き進む。

 それら射出された宝具群は常人の反射神経を遥か凌駕するその場の魔術師達にすら光の奔流としか映らなかったに違いない。

 衝撃に遅れて轟音が鼓膜を叩き、爆発に遅れて彼等は振り返る。

 そう、それは爆発と呼ぶのが正しい。 

 アーチャーの射出した宝具群は、その恐るべき速さと威力で以て、着弾したデパートの屋上から数えて上階二階分を消し飛ばしていた。巻き上げられた粉塵と共に破砕した瓦礫の山が大通りへと降り注ぐ。

 

「な、なんて……」

「何て威力だ……!!」

 

 マドカと狗城が口々に言った。この金色の英霊の齎した恐るべき光景に、彼等は背筋に冷たい物が奔るのを止められなかった。

 続けてセイバーと武丸がその表情を固くする。

 

「ハハ、信じられないね」

「全くだ。奴さん、アレを避けやがった!!」

 

 言葉と同時に、砕けたコンクリート片と舞い上がった粉塵の影を一筋の光芒が奔った。その光は真っ直ぐにデパートの壁面を駆け降りると、その速度のまま大通りを疾走し、彼等へと向かって突き進む。

 風に棚引く蒼と黒の衣を纏った流線形のフォルム。ヘッドライトの明かりの影に浮かび上がる武骨な威容。乾式クラッチのけたたましい音と車体後方に備えたマフラーから吹き出る爆音を駆って、それは現れた。

 今宵最後の参戦者、英霊、アヴェンジャーである。

 彼が駆るは悪魔の名を持つイタリア、ドゥカティ社製大型二輪ディアベル。見ればアベンジャーの纏っていた蒼衣がそのフレームを包んでいた。彼等サーヴァントの武具とは魔力によって編まれた物。それを自らが駆るバイクに纏わせる事で性能の底上げを図るとは。

 アヴェンジャーの駆るディアベルは、その科学と魔術の融合によって通常考えられぬ速度と旋回性を実現している。その荒々しき威容とは裏腹に、上空より降りかかるコンクリート片を速度を落とすことなく巧みにかわすその操縦技巧は芸術的でさえあった。

 

「ほォう、騎乗兵の英霊である余を差し置いて、あれほど見事な手綱捌きを見せるとは」

「下手に近寄らないほうが良い。第二波が来る」

 

 それを見て獰猛な笑みを見せるライダーと薄い笑みを返すランサー。

 その言葉の直後、疾走するアベンジャーと迎え撃つアーチャー、彼等、黄金と蒼黒の二騎の英霊は互いを見据え、同時に構えた。

 オートバイを両足で操りながら、アベンジャーは背より引き出した弓に矢を番える。対するアーチャーが片手を掲げると同時に、その背後の空間に二十余の刃が顔を出す。

 巻き上がった粉塵の煙りの奥、黄金の英霊の朱眼が妖しく揺らめいた。

 アーチャーは両腕を組み、飽く迄も傲然と鼻を鳴らして言い放つ。

 

「フン、狂犬めが、狗は狗らしく大人しく地に伏しておけば良いものを。この我に弓を向けるか、雑種。その無礼、その愚行、死を以て知るが良いッ!!」

「ククッ、あくまで待ち受けるつもりか。逆上せるな。その油断が命取りよ」

 

 アベンジャーが束ね射つべく構えた五矢がその手の中で不意に燃え上がり、空に五つの魔星を描く。火矢は炎の軌跡を残し、真っ直ぐにアーチャーへと向かって空を切った。

 アベンジャーの火矢は音を超えて飛び、コンクリートのビル壁をも容易く貫く程の威力を誇る。増して高速で走行するバイクを駆りながら、針の穴を通すかの様なその精密な狙撃は正に魔技と言わざるを得まい。

 しかし、対するは弓の英霊。

 遠距離戦で弓の英霊アーチャーに、否、この英雄王に火力で勝る者など存在しない。

 アーチャーはその掲げた腕を横に振る。ただそれだけの動作で以て、彼の背後に控える数多の宝具達は恐るべき彗星となって彼の眼前に立ちはだかる全てを粉砕するだろう。

 アーチャー、英雄王ギルガメッシュの持つ宝具『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』。これは王律鍵バヴイルに依って、時空を繋げた自らの宝物庫から自在に宝物を取り出せるという、それだけの代物である。本来であれば攻撃力は無い。

 しかし、これを永延たる旅路の果て、この世全ての宝物を手中に収めた最古の英雄王が使用した時、この世のありあらゆる宝具を状況に応じて展開し、弾丸として射出する、比類なき超火力宝具と化すのである。

 アーチャーとアベンジャー、彼等の距離は既に先程の半分以下にまで詰まっていた。増して高速で接近するアベンジャーの速度自体が射出する宝具の速度に加算されるのだ。

 最早アーチャーの放つ剣林弾雨、その掃討射撃より逃れる術は無い。

 その筈だった。

 しかし、アーチャーが腕を振る刹那、別方向、彼の背後より複数の光が奔った。矢だ。闇の中より飛来した無数の矢が、アーチャーの背後、虚空にて待機し、繰り手の号令を待つ彼の宝具群を次々と撃ち落としたのである。

 

「何ッ!?」

 

 アーチャーが驚愕と共に振り返り、彼は見た。

 その眼前数センチに迫る矢を。その視界の半分が鏃で埋る。死の音は聞こえない。彼の耳に届いたのは矢と宝具が打ち合わされる無数の残響音のみであった。恐らく刹那の後に彼は聴くに違いない。頭蓋の裏側から響く終わりの音色を。

 気配は無く、音は無かった。

その一射はそれら全てを置き去りに、敵に一切の反応を許さぬ魔弾である。

 しかし、次の瞬間、火花の瞬きと共に上がったのは誰あろうアーチャーの天を突く怒声であった。

 

「痴れ狗がッ!! 何処の鼠だッ!!」

 

 吼えるアーチャーの手には一振りの曲刀が握られていた。

 それなるはクトネシリカ。またの名を虎杖丸。

 持ち主の凶事に反応し、危機を切り払う宝剣、その原典である。

 正に刹那の攻防。射出するべく展開していた王の財宝が降り注いだ矢の雨によって次々と撃ち落された先の一瞬、アーチャーは虚空に浮かんだクトネシリカを引き抜き、迫り来る矢を切り払っていたのである。

 

「この我に――」

 

 尚も闇の奥へと吼えるアーチャーの声が不意に途切れ、怒声が夜の大通りに木霊する。アーチャーは舌打ちを一つ残し、そのまま背後に剣を振るいながら、横へと跳躍していた。

同時に火花が散って、アーチャーに切り払われた五発の火矢がその勢いをそのままに左右に軌道を逸らされ、彼の横を擦過して背後のビルへと着弾した。

 その何と凄まじき威力である事か。アベンジャーが放った火矢はビルの外壁を貫通し、突き刺さったアスファルトの地面を衝撃で爆砕する。

 その様は正に発破か隕石か。

 否、アベンジャーの魔弓が放った火矢はビルに大穴を開け、大通りに巨大な弾痕を作り出しただけではない。着弾と同時に、その矢は炎へと変わっていたのである。

 見よ、矢に貫かれたビルがその穴から一息に燃え上っていく様を。抉れた地面を炎が嘗め尽くして行く様を。炎の明りが周囲を紅く染めていく。

矢 から自らの身体へと、炎に照らされ尚一層朱く染まったアーチャーの瞳が動いた。見ればその金色の鎧の、火矢が掠めた部位が熔けている。その黄金の鎧はアーチャーの持つ数ある財宝の中でも最堅を誇る不朽の宝甲。例え宝具であろうとも生なかな攻撃では傷一つ付かぬ神代の一品である。それを容易く溶解させるとは。

 アーチャーの顔色がさっと変わり、額に青筋が浮かび上がった。

 正に恐るべしと言わざるを得まい。アベンジャーの魔弓の威力と、次の瞬間アーチャーから放たれた全てを押し潰さんとする超然とした圧意。それは共に尋常ではない。

 アーチャーの手の中でクトネシリカが妖しく瞬き、アベンジャーは真っ直ぐにアーチャーへと向かって突き進みながら、再び身体を大きく反らしてその手の弓を引き絞る。

 

「クハハ、やる。今のを弾くか。だが――」

「死ね」

 

 アベンジャーの言葉を殺意が断った。

 直後、アーチャーの手の中でクトネシリカが翻り、アベンジャーへと向かって空を切る。

 それは軽い投擲だった。手首の返しのみで放られた曲刀は、しかし空中にて不意に旋回し、直後まるで意思を得たかの様に加速して、向かい来るアベンジャーへと奔った。

 アベンジャーの顔に初めて驚愕の表情が浮び、旋回する刃が蒼黒の機影を両断する。両断された蒼衣と共に車体が前のめりに宙を舞い、空中にて爆発炎上した。

 炎はその勢いのまま直進する。一方、敵を両断せしめた宝剣は凡そ五十メートルほど飛ぶとその速度を落としながら上空へと舞い上がり、空中に大きく弧を描くと加速しながら舞い戻る。

 同時に両断された大型バイクの残骸が上げる炎を裂いて、一つの影が横へと走った。纏った炎に照されながら、蒼黒の機影は真っ直ぐに大通り沿いのビルへと奔る。

 バイクであった。先程確かに両断され、炎上した筈の蒼黒の大型二輪をまるで何事も無かったかの様にアベンジャーが駆っている。それは有り得ぬ光景であった。そう、有り得る筈がない。その証拠がアーチャーへと向かい来る。

 両断され炎上するディアベルの残骸が止まる事無く、その勢いのままアーチャーへと突っ込んで来たのである。それは時速、重量、共に凡そ二百キロを超えて迫る鋼鉄の塊だ。人間を挽肉に変えるには十二分過ぎる代物である。

 その直撃の瞬間、空間の揺らぎより顕現した糸がアーチャーの手首へと巻き付き、

 グシャリ、と鋼鉄の潰れる音がした。

 同時に変形したディアベルの車体が浮き上がり、そこに飛来した矢が撃ち込まれる。

 

「おのれ、鬱陶しいッ!! その程度で、この我を殺れるとでも思ったかッ!?」

 

 アーチャーの怒声が轟き、金色の奔流が瞬いた。

 アーチャーの射出した十余の宝剣、宝槍が燃え盛るディアベルの車体をバラバラに引き裂き、矢の飛来した先、闇に紛れた弓手、そして、アベンジャーへと向かって空を切る。

 一瞬の攻防。

 アーチャーは突っ込んで来たディアベルへと拳を撃ち込んで止めると、それに併せた後方からの狙撃を即座にディアベルを空中へと放り上げ、盾とする事で防いだのである。更に、その鉄塊の盾を死角に『王の財宝』を展開、狙撃に寄って潜伏位置の露見した弓手とアベンジャーへと宝具を射出。

 この恐るべき英霊は瞬きの間にそれをやってのけたのである。

 それを可能としたのが彼の手首に巻き付いた紐。持ち主に無双の剛力を齎す大士師の髪で編まれた輪であった。

 一方、方向を変え、ビルへと走るアベンジャーは更に速度を上げて、飛来する宝具の雨を掻い潜る。ビルの壁面を前に一切その速度を緩める事無く突き進み、その前輪が歩道の段差で大きく跳ねた。空中で車体を傾け、その後輪で電柱を蹴って方向を変え、アベンジャーはビルのガラス張りの正面玄関へと突っ込んだ。

 直後、その影を貫いて奔った魔槍、魔剣の弾丸がビルの壁面を貫いて周囲に瓦礫をぶち撒ける。周囲に散らばる瓦礫、粉塵の奥より返礼とばかりに火矢が飛んだ。それも一つ二つではない。巨大な魔力の畝りと共に、アベンジャーは大通り沿いに立ち並ぶビルの一階をぶち抜いて疾走りながら、同時にアーチャーに向って次々と火矢を放つ。

 流鏑馬の要領で、バイクを駆りながら敵を射る。問題は敵の魔力と動きを読み、ビルの外壁越しにそれを行っている点であろう。そして、アベンジャーにはそれを行うに足る能力がある。

 外壁を貫いた火矢がアーチャーへと迫った。轟音と魔力の気配で大まかなアベンジャーの位置が分かっても、出所は愚か矢自体が壁を貫くまで見えぬ分、当然アーチャーの反応は遅れる。

 火矢が肩を掠め、炎がアーチャーの黄金の鎧を溶かし、その背後のビルを貫いていく。先程、突進するディアベルを受け止め傷一つ付かなかった鎧が溶けていた。直撃すればアーチャーとて只では済むまい。

 とは言え、ただ射られている様な英雄王では無い。回避と同時に攻撃に転ずるべくアーチャーは『王の財宝』を起動する。しかし、その一瞬、アーチャーの眼前の空間が波打ち、その視界が揺らぎ、宝具に隠れる瞬間を、アベンジャーは逃さなかった。

 狙い澄ましたかの様に、三本の火矢が外壁を貫いてアーチャーへと迫った。

 アーチャーは即座に回避方向を誘導された事を悟る。矢が壁を貫いて出現したのは、アーチャーが回避の為に地を蹴ると同時であった。アーチャーの回避動作を見てから射たのであれば間に合わぬ道理である。

 その絶体絶命の状況に、しかし、アーチャーは不遜に笑った。

 

「フン、読み損なったな」

 

 空間の揺らぎより出現したのは目映く輝く巨大な鏡であった。アーチャーの姿を後ろに丸々隠す程の大きさを誇る。勿論ただの鏡では無い。見よ、火矢が鏡に触れた瞬間、鏃、箆、矢羽と見る間にその鏡面へと吸い込まれ、代わりに鏡面に写った火矢が鏡面を越えて撃ち出されたのだ。

 同質、同速、方向のみを百八十度反転し、火矢は射手へと舞い戻る。

 全てを反射する絶対防壁。アイギスの盾、その原典であった。

 

「最早、投擲武器は我には届かぬぞ。痴れ狗めが、己の愚挙を悔いながら死ぬが良いッ!!」

 

 アイギスの盾の後方に陣取ったアーチャー、その背後の空間が歪み、十余の宝剣宝槍がその刃を覗かせ、空を切った。舞い戻った火矢が三つ、新たに射出された宝剣宝槍が十二、それぞれ大通りに紅色金色の輝線を描き、次々とアベンジャーの魔力の気配を追ってビルへと撃ち込まると、爆炎と成ってビル内を蹂躙し、破砕された瓦礫粉塵がビルを抜けて通りへと降り注ぐ。

 直後、支柱を砕かれた事でビルが轟音と共に崩壊を開始し、自重で押し潰れながら大通りへと倒れ込む。と、同時に空を切った宝剣宝槍が次々にその上階へと撃ち込まれ、爆ぜた。

 魔力の織り成す暴風が四方に吹き荒れ、まるでアーチャーを避けるかの様に、ビルは左右に砕けた瓦礫を撒き散らしながら、両隣のビルを巻き込み倒壊する。

 その何と凄まじい光景か。

 

「フン、他愛無い――」

 

 両腕を組み、そうごちるアーチャーの言葉を切って、ガラスの砕ける音と共に、倒壊するビルの上階から蒼黒の機影が跳んだ。

 

「何を勝ち誇る? 俺は此処にして、貴様は其処にいる。まだこれからだ。愉しい戦争はここからだ。さぁ、貴様の力の果てを見せろッ!!」

 

 ビルの五階だった部分から宙へと跳び出した蒼黒の機影はその勢いのまま真っ直ぐにアーチャーへと躍り掛かった。

 

「チッ、猪口才な!!」

 

 即座にアーチャーの展開した宝具が空を切り、空中にてアベンジャーの放った火矢と打つかり合って、互いにその軌道を逸らし合う。一方が虚空へ駆け上がり、もう一方がアスファルトを砕いて大地へと弾痕を残す。

 最早遮る物は何も無く、アベンジャーの駆る大型バイクの前輪がアーチャーの眼前へと迫った。崩壊するビルが巻き上げた粉塵が一瞬、対峙する二人を包み隠し、そして晴れた。

 アーチャーとアベンジャー二人の位置に変化は無い。

 

「ぐ、く、貴様ッ!!」

「『天の鎖(エルキドゥ)』。驕るな、痴れ狗。この世全てを手に入れた我の力に底は無い。まして貴様如きが見ようなど思い上がりも甚だしいわ」

 

 アベンジャーが彼の駆る大型二輪毎、空中に縫い止められていた。交差の直前、その周囲の空間の揺らぎから出現した鎖がアベンジャーを絡め取り、縛り上げていたのである。

 

 

 

 

 




え~、長らくお待たせしました。
アーチャーVSアベンジャー戦。
ルーラーが出てくるとこまで進めたかったんですが、この体たらくです。


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黒の炎

 『天の鎖(エルキドゥ)』、メソポタミア神話において豊穣神によって放たれた地上を滅ぼす神獣を捕縛した逸品である。冬木での聖杯戦争において、向かい来るライダーを止め、彼にトドメを刺したのもこの宝具であった。

 アーチャーに向って跳び掛かったアベンジャー。

 二人の影が交差する一瞬に、空中、八方から出現した鎖はアベンジャーが駆る大型二輪毎、その身体に巻き付き、空中に縫い止めてしまった。

 

「ぐ、クッ――」

 

 アベンジャーのくぐもった声と共に、鎖の擦れる音とその身体の軋む音がする。巻き付いた鎖が恐るべき力で締上げているのだ。そして、それに抗おうとするアベンジャーの肉と骨が悲鳴を上げているのである。その力にバイクのフレームが湾曲し、サスペンションが圧し折れる。『天の鎖』はアベンジャーの自由を完全に奪い去っていた。

 

「アーチャー、何て出鱈目な強さだ……。それにアベンジャー、イレギュラークラスだと!?」

 

 戦いを見守っていた狗城が思わず呻いた。

 奇襲からビル群を盾にその速度を活かしてアーチャーに迫ったアベンジャーの行動にミスは無い。否、弓の英霊と見紛う程のその狙撃能力と、槍の英霊すら凌駕しようかと云う速度、騎乗兵の英霊に引けを取らぬ操縦技巧までをも見せたあのアベンジャーは明らかに異常である。

 しかし、敵わぬ。

 恐るべきはそれすら退けてのけたこのアーチャー、英雄王ギルガメッシュであろう。

 

「ククッ、野良犬の躾には過ぎた代物だ。死の瞬間まで、存分に味わうが良い」

 

 残酷な笑みを浮かべ、アーチャーは片手を上げる。同時にその背後の空間が歪み何本もの宝剣魔剣が顔を出す。

 そこで、アーチャーの眼前へとアベンジャーの腕がすっと伸びた。即座にその腕にアベンジャーの背後の空間より出現した鎖が絡み付き、その指はアーチャーに届く事無く、その眼前数センチで停止する。

 

「フン、狂犬めが、無駄な足掻きを。その鎖は貴様如きに切る事は敵わぬ。その腕は永劫我に届く事は無い。む、新たに我が宝物を取り出すまでも無かったか。ほれ、貴様の死が帰って来たぞ」

 

 嘲る様にアーチャーが言う。その視線の先には、空中を旋回し速度を上げながら舞い戻るクトネシリカの姿があった。曲刀はまるで意思を持つかの様に真っ直ぐにアベンジャーへと飛来する。同時に、アベンジャーへと巻き付いている鎖の締め付けが一層激しくなった。アベンジャーはバイクを抱きかかえる形で縛り上げられ、その胸部に割れたバイクのカウルが突き刺さる。

 

「が、カッ、ぐ――」

 

 くぐもった声となってアベンジャーの肺から空気が洩れる。

 最早勝負は決したと見る他あるまい。『天の鎖』がその身体を絞め潰すが早いか、舞い戻ったクトネシリカがその身体を両断するが早いか。二つに一つ。しかし、アベンジャーは猶も屈さぬと渾身の力を振り絞ってアーチャーへと顔を上げ、

 果たして、そこに浮かんだのは醜悪なる笑みであった。

 

「が、ぐ、カッ、クッ、く、クハハ、ヒャハハハハハハハハハ!!」

 

 呵々大笑と共にアベンジャーの身体が炎上し、その身体を拘束している鎖へと炎が燃え広がる。それはただの炎では無い。否、炎ですら無かった。途方も無き怨嗟の螺旋、憎悪の坩堝。ドス黒いそれ等が絡み合い、寄り集まった悍ましい何かが炎の形を成しているのだ。アベンジャーから噴出したそれは全てを混ぜ合わせた黒、全てを塗り潰す黒の炎に見えるのである。

 そして、触れた物を侵食し、燃やし、熔かし、塗り潰す、その性質もまた炎に同じ。

 黒炎が纏わり付いたと同時に、彼を縛り上げていた『天の鎖』の拘束が緩んだ。否、炎による侵蝕を防ぐ為にアーチャーが自ら緩めたのだ。即座に『天の鎖』が空間の歪みへと引き戻されていく。

 自由になった上体を捻り、アベンジャーが背後を向いた。それと同時にアーチャーの背後に展開されていた宝具が飛翔ぶ。それは金色の尾を引く彗星となって真っ直ぐにアベンジャーへと奔り、その勢いをそのままに左右に軌道を逸らされ、彼の横を擦過して左右のビルへと着弾した。

 先程の情景を逆様に、背後より飛来したクトネシリカを受け止めたアベンジャーが、横薙ぎの一刀で以って、アーチャーの撃ち出した宝剣魔剣を切り払ったのである。

 その手のクトネシリカが燃えていた。

 

「むゥ、あの鎖の拘束を抜けるか……」

「嘘、何……アレ……」

 

 ライダーとマドカが呻く様に言った。

 英雄王の唯一無二の親友の名を持つ宝具『天の鎖』。ライダーはその身を以ってその力を知っている。前回の聖杯戦争時、彼は『天の鎖』に寄って自由を奪われた所を、アーチャーにその胸を貫かれて敗退したのだ。

 だからこそ、彼は知っている。

 アレは力で如何こう出来る様な代物ではない。

 そして、それに英雄王は、アーチャーは絶対の信頼を置いている。

 だからこそ、ライダーはあの宝具を攻略するのは自分だと思っていた。腰に差した破戒の宝剣によって、今度こそあの宝具を断ち斬り、アーチャーを打倒するのだと。

 知らず彼は奥歯を噛締める。その口角から血が流れた。

 悔しさと、更なる強敵に対する高揚が綯交ぜとなって、その瞳は燃えていた。

 今はアーチャーと一騎打ちの体を成しているが、元々アベンジャーは全員に攻撃して参戦した乱入者である。それを討ち果たす事に何の問題があろうか。しかし、直ぐにも手綱を引き、駆け出そうとする衝動をライダーが止めたのは、彼のマスターの存在に他ならなかった。

 ライダーの外套を掴み、震える彼女の手がライダーを止めていた。

 マドカは信じられなかった。

 降霊術に寄って悪霊、魍魎の炎を宿して戦う彼女だからこそ、アベンジャーが纏っているモノの異質さがはっきりと理解出来た。否、理解出来ない事が理解出来たと言うべきか。

 結論から言えば、マドカの炎とアベンジャーのソレは全く違う物だ。

 雨粒と嵐が同質で無い様に、水滴と海が同体で無い様に、小石と月が同価値で無い様に、アベンジャーの纏った炎はこの世に非ざる代物である。

 

「貴様、よりにもよってこの我の宝物に触れるとは、そこまで死に急ぐかッ、狗ッ!!」

「ククッ、麒麟も老いては駑馬に劣る。随分と目が悪くなった様だな。俺が狗に見えたか、英雄王? 俺は貴様の咽笛を噛み切る狼よ。そら、牙が届くぞ」

 

 怒声を上げ、更なる宝具を展開するアーチャーに、アベンジャーは臆する事無く全速力で突っ込んだ。アベンジャーがグリップを握り込むと同時に、彼が駆るバイクは唸りを上げて加速する。

 二発の宝具が飛んだ。アベンジャーは車体を傾け、タイヤを滑らせながらその手の曲刀を地面と水平に構えた。突き進んだ機影が飛来する宝具を潜り抜けると同時に、黒炎が瞬く。

 下段から跳ね上がった曲刀が、咄嗟に跳び退いたアーチャーの脇腹を掠めた。金属同士が打ち鳴らされる甲高い音を立て、アーチャーは衝撃に弾かれ姿勢を崩す。刃を受け止めた金色の鎧に一文字の線が見えた。溶解痕である。刃の掠めた部分が溶けているのだ。

 続けてアベンジャーは返す刀で、クトネシリカを投擲する。

 

「チッ、おのれ――」

「鈍い、終わりだ」

 

 アーチャーが宝具を撃ち出すよりも、それは疾かった。

 クトネシリカが炎を取り込みながら加速し、アーチャーの横で今正に撃ち出されんとしている宝剣を打ち払った。宝具同士の衝突に一際大きな火花が散って、同時に発生した衝撃波が周囲を叩く。

 その刹那、彼等は同時に剣を取った。

 共にアーチャーが射出すべく展開した宝剣と魔剣である。アベンジャーはアーチャーに向かいながら空中に展開された剣を掴んだ。同時にその手から迸った炎が宝剣を侵蝕し、その刀身が妖しく揺らめく。それをちらと一瞥すると、アベンジャーは更に速度を上げて真っ直ぐにアーチャーへと向かって疾走する。対するアーチャーも背後に浮かんだ魔剣を抜き放って構えると、真っ向から迎え撃った。

 先ず、アーチャーの姿が揺らめいた。熱だ。アーチャーの手にした魔剣が啜った繰り手の魔力を、その刀身から光と共に凄まじい炎熱に変えて放出しているのである。

 それなるは最強の魔剣と謳われる太陽剣グラム。持ち手の魔力を収束し、擬似的にムスペルヘイムの炎へと変えて撃ち出すその一斬は、敵を焼く等と云う生易しい物ではない。その刀身から撃ち出される火炎が射線上全ての物を薙ぎ払い、蒸発せしめる死の魔剣である。

 対するアベンジャーの姿が歪んだ。否、彼が手にした宝剣がその周辺の空間すら歪めているのである。螺旋剣カラドボルグ。突き出されたその一刀は周囲の空間ごと全てを喰らい、歪め、捻り、切断しながら突き進む。

 

「オオオオオオオオオオオッ!!」

 

 魔剣の剣先から放たれた滅びの火炎の大波が死の螺旋とぶつかり合って拮抗し、千の炎と成って周囲へと弾け飛ぶ。千切れた炎はアスファルトを溶かし、ビルを貫通し、着弾と共に爆炎と成って、闇夜に真っ赤な大輪の華を咲かせた。次いで衝撃と熱波が辺りを襲う。

 

「きゃ――」

 

 短い悲鳴を上げるマドカをライダーの巨大な身体が庇った。

 ランサーは己が主を、セイバーは敵であるバーサーカー達を同様にその背後へと庇った。各々の対魔力が襲い掛かる地獄の熱波を荒れ狂う暴風に変え、背後に護る存在を救った。

 

「ッ、何て威力だ……。こりゃあ、助かっ――」

 

 武丸が暴風に顔を顰めながら、前に立つセイバーに声を掛けようとして言葉に詰まる。

 ぞわり、と背なから全身に怖気が奔った。

 腹から血飛沫が上がり、臓物が地面に毀れる。いつ斬られたのか、武丸の超人的反射神経を以てして、全く判然としなかった。咄嗟に彼は自ら熱波の中に逃れようとして、ギリギリで踏み止まった。そして、自らの胴に触れ、それがまだ繋がっている事を確認する。

 反応出来ぬは当然である。

 彼は斬られてなどいなかった。

 その獣染みた死への嗅覚に寄って、ハッキリと彼は自らの死を幻視したのである。

 その事実に武丸は愕然とする他無かった。それは彼の人生の中で体験した事のない衝撃だった。

 傍らのバーサーカーがそれに気付いた様子は無い。

 武丸の咽が鳴った。冷汗が額を伝うのを彼は感じた。震えが止まらなかった。

 バーサーカー達を護る様に前に立っていて、武丸からはセイバーの表情を窺う事は出来なかった。しかし、分かる事がある。アーチャーとアベンジャー、あの恐るべき英霊のどちらが勝っていたとしても、残った方も生きては帰れまい。

 武丸は呼吸を正し、炎の奥へと目を凝らした。

 彼の顔は我知らず凄絶な笑みによって歪んでいた。

 

 一帯が昼よりも明るく、地獄の様に熱かった。

 アーチャーとアベンジャー、二騎の英霊が切り結んだその周囲は正に爆心地の如き様層である。最新式の焼痍榴弾を複数大通りで爆裂させれば、凡そ似た様な惨状が再現出来るに違いない。彼らがその宝剣魔剣を打ち合った際の衝撃に、足元のアスファルトが爆散するも、そこに飛散した筈の瓦礫は無かった。

 同時に発生した余りの熱量に、その周囲数メートルに渡ってアスファルトは瞬間的に気化し、更にその周囲は放出された炎熱によって広範囲に渡って焼け爛れ、アスファルトや街灯、電柱までもが液状化してしまっている。

 更に広範囲に撒き散らされた炎に寄って一帯が赤々と燃えていた。

 その炎の中心に二つの影があった。

 果たして、黄金と蒼黒の英霊は、この恐るべきアーチャーとアベンジャーは、炎の中で、地獄の中心で、真っ直ぐに向かい合い、対峙していたのである。

 

「ククッ、やる。殺ったかと思ったが、あの距離、あのタイミングでまさか無傷とはな。その鎧、増々以て欲しくなったぞ、英雄王」

「フン、狂犬めが。あと、一刹那で焼き払えていたものを小癪な真似を」

「それはこちらの台詞だ。そっ首落とせるかと思ったが、存外にカンが良い」

 

 怒り心頭といった様子で吐き捨てるアーチャーに対し、アベンジャーは禍々しい笑みを返す。

 轟々と燃え盛る炎の中、空気を歪めているのが果たして炎の熱に拠るものだけであったかどうか。恐るべき破壊跡に、彼ら二騎のサーヴァントの放つ重圧渦巻く光景は見る者の心をへし折るに十分過ぎる物であった。否、真に凄まじきは、黄金と蒼黒、向かい合ったこの両英霊の衝突。その余波で以て、周囲にこれほどの大破壊を齎して猶、彼ら自身には然したる負傷が見受けられない点である。

 彼らは互いに殺気を放ち、前哨戦は終わりとばかりに更なる魔技、宝具の限りを尽くして直ぐにも戦いを続行するだろう。一帯を炎の海に変えながら、更なる地獄

の様な闘争を。

 

「よくも汚らしいその手で、我が宝物に触れたものだな。その不敬、万死に値するぞ」

「ククッ、剣の真価は振るってこそ、斬ってこそよ。戦場にて振るわれるが本懐であろう。無論、これ程の一品を無碍にするつもりは無い。俺が存分に振るってやるさ。さぁ、次を出せ」

 

 そう言うとアベンジャーはその手の曲刀を持ち上げ、その刃筋を舌で舐る。同時にそれを見たアーチャーの米神にビキリ、と青筋が浮かび上がった。

 アーチャーはアベンジャーの手にした曲刀を睨む。その手には先程投擲した筈のクトネシリカが握られていた。その宝剣こそが、アーチャーとアベンジャー、この二騎の英霊の勝負の行方を分けた代物である。

 しかし、多くの英霊が見守る中激突した先の一合、その刹那の瞬間を見届けたのは、アーチャーとアベンジャー、彼等両名を除いて他に無かった。アーチャーは怒りに身体を震わせながら、アベンジャーは不敵な笑みを浮かべ、彼らはその一瞬を思い返す。

 凡そ一分前。螺旋剣カラドボルグを手に突進するアベンジャーと魔剣グラムを振るい迎撃するアーチャー。その交差の瞬間、魔剣グラムの切っ先から放たれた炎熱の塊が眼前全てを覆い尽くす灼熱の壁と成ってアベンジャーの前へと立塞がった。しかし、アベンジャーは臆する事無く自らの駆るバイクのアクセルを握り込み、更に加速しながら真っ直ぐに炎へと突っ込んで行く。

 そこに一切の躊躇は無い。結果、その即断が彼を救った。仮に一瞬でもアベンジャーが迷い、遅れていれば、魔剣の炎は彼を呑み込み、燃やし尽くしていただろう。

 そして、アベンジャーはその手の螺旋剣カラドボルグを更なる速度で以て炎へと、その奥に立つアーチャーへと突き出した。アベンジャーの炎に侵された宝剣はその周囲の空間ごとムスペルヘイムの火炎を喰らい、歪め、捻じり、抉りながら突き進む。

 二つの宝具の激突の衝撃が暴風となり、カラドボルグに抉られ弾かれたグラムの炎が周囲へと飛散する。しかし、その拮抗も一瞬であった。

数ある宝具の中でも随一を誇る螺旋剣カラドボルグの貫通力が空間ごと炎を抉り、その炎の奥、魔剣グラムを握るアーチャーへと迫った。空気が軋みを上げ、螺旋を描いた斬撃が剣を振るうアーチャーの腕へと奔り、

 

「フン、残念だったな。我の勝ちだ」

 

 アーチャーは残忍な笑みを浮かべた。

 ムスペルヘイムの炎を突破したカラドボルグの死の螺旋も、更にアーチャーを包む不朽の宝甲を貫くには至らない。そして、先手必勝の一点突破が防がれたならば、この勝負、出力で勝る太陽剣グラムが敗北する理由は無い。

 アーチャーは更なる魔力を込め、魔剣グラムを振り抜いた。それと同時に一層刀身から放たれる炎は勢いを増し、カラドボルグから放たれる死の螺旋も次第に炎に没していく。

 アーチャーは自らの勝利を確信した。

 その確信、その慢心がアーチャーの反応を遅らせたに違いない。

 突如、先程アーチャーの宝具を弾き、そのまま宙を舞っていた曲刀クトネシリカが背後からアーチャーへと迫ったのである。

 憑依刀クトネシリカ。その刀身に雷神、狼神を憑神として宿した宝剣。その能力は、繰手の危機に自動的に反応して鞘を飛び出し、降り掛かる災禍を切り払い、敵を斬り殺すと云う代物である。

 その刀身は今、アベンジャーの炎を纏っている。

アーチャーが飛来するクトネシリカに気付いた時、その刃は既にその眼前にあった。

 

「何ッ!?」

 

 アーチャーは咄嗟に身体を反らしながら後方へと跳躍する。

 ほんの一瞬、あと僅か間が在ったなら、魔剣グラムの炎はアベンジャーを焼き尽くしていただろう。しかし、アーチャーが迫り来るクトネシリカを咄嗟に回避するには、魔剣グラムによる攻撃を中断せざるを得なかったのである。そして、その眼前数センチの距離を回転するクトネシリカが通過し、魔剣グラムの放った炎を裂いて、アベンジャーへと奔った。

 アベンジャーは螺旋剣を空へと跳ね上げ、絡み付く炎を振り払うと、空いた方の手で飛来するクトネシリカを掴み取る。

 かくして、炎の中、彼等二騎の英霊は向かい合い、睨み合ったのである。

 その一瞬の攻防の過半は、宝剣魔剣が打ち合わされた瞬間四散した炎に隠され、彼らの戦いを見守っていた英霊達には見えなかった。故に彼等には競り負ける筈だったアベンジャーが何故健在でいるのかが分からなかった。

 否、ライダー達が疑問に思う事はそれだけではない。

 アベンジャーが敵の宝具を奪って扱える事も、アベンジャーの駆るバイクが先程から破損する度一瞬で復元している事も、不可思議ではあるが、それがアベンジャーのスキルか宝具かに拠る現象だと思えば納得は出来る。

 しかし、先程アーチャーの背後から矢による狙撃を行い、彼の展開していた宝具を射落した者の存在については、彼らがどれ程頭を捻ろうとも如何な解らぬのであった。

 数百メートルの距離を隔てて空中に展開するアーチャーの宝具を瞬く間に撃ち落す。

 それは正に人間業では無い。間違いなく英霊の仕業であろう。

 しかし、そう考える一方で、先程脱落したアサシンを含め、既にこの場には七騎の英霊が出揃っているでは無いか。

 ならば魔弾の主は一体何者か?

 その疑問が、場に割って入らんとするライダーに思考の間を与え、その足を止めた。

 そして、アーチャーは更なる宝具を展開する。

 

「次を出せ? フン、良いだろう。その小癪な手癖の悪さと逃げ足で以て、何処まで凌げるか試してみるが良い」

 

 アーチャーが言う。同時に周囲に光が満ちた。炎の切れ間から十方へと差す光芒が、辺りを眩く照らし出す。その何と幻想的で、絶望的な光景である事か。

 地上一メートルから三十メートルまで、アベンジャーを取り囲む形でその四方の中空が波打ち、そこから数十の剣が、槍が、斧が槌が鉈が矢が戦輪が、無数の宝具が出現する。そのどれもが金色に光り輝き、その刃は魔力を迸らせながら獲物を貫く時を待っている。アーチャーが一度号令を発すれば、この金色の宝具群は一陣の暴風と成ってあらゆる敵を蹂躙せしめるだろう。

 

「死角皆無の全方位射撃だ。さぁ、踊れ雑――」

「それは失策だったぞ、英雄王」

 

 しかし、アーチャーの言葉を遮り、アベンジャーが浮かべたのは醜悪なる笑みであった。

 同時にその身体に纏わり付いていた黒炎が膨れ上がった。この世の負の一切を凝縮させたかの様な炎。その怨念は一層猛り狂い、その呪詛は目に見えて密度を増すと、周囲へと侵攻を開始する。膨れ上がった炎がアベンジャーの身体に収まり切らず、周囲へと拡がり始めたのである。

 アベンジャーが目を剥いて吼え、

 

「我、勝てり――」

 

 同時に彼の言葉を裂いて瞬いた光刃が、その首へと真っ直ぐに迫った。

アベンジャーの背後から跳び掛かったセイバーの一刀であった。裂帛の咆哮と共に振るわれたそれは宛ら死の颶風。横薙ぎの一刀は陽炎の如く揺らめく刀身、その刃筋に映える幾重もの残光を残してアベンジャーの首へと吸い込まれる様に奔った。

意識の外より迫る神速の一刀。その前には死あるのみ。アベンジャーが振り抜かれた一刀の影を見た時には、その首は宙を舞っている事だろう。

 しかし、唯一の誤算は、その絶対の確信の外に在る、宝具の存在。

 セイバーの振るった刃がアベンジャーの首に喰い込む寸前に、アベンジャーの握ったクトネシリカが咆哮し、跳ね上がった。憑依刀クトネシリカの自動防御である。

 間一髪に、跳ね上がった曲刀よって迫り来る刃を知る。アベンジャーは迷う事無く曲刀の動くに合わせて腕を振ろうとして、衝撃に弾かれた。

 

「グ、ぐぅう!?」

 

 打ち込まれたクトネシリカの峰がアベンジャーの肩を砕いていた。恐るべきはその一刀。セイバーの振るった斬撃は、曲刀と打ち合わされ火花を散らしながらも、止まる事無くアベンジャーへと迫ったのである。

 その威力に圧されたクトネシリカの峰がアベンジャーの肩に喰い込み、その骨を砕いたのだ。そして、それでも刃は止まらない。衝撃にアベンジャーの乗るバイクのフレームが圧し折れ、限界まで潰れたタイヤが地面を勢い良く滑って、大きく跳ねた。それと同時に、アベンジャーはフットレストを蹴って刃から逃れるべく跳躍する。否、しようとした。

 同時にバイクを蹴り倒したセイバーが、刃を握る腕に一層の力を込めて、猶も敵へと迫ったのである。一瞬宙に浮いたアベンジャーの身体が刃に押し込まれる形で着地し、崩れた。セイバーは太刀合いの勢いに任せてクトネシリカ毎、アベンジャーを両断する腹である。

 否、その筈であった。

 

「く、ククッ、良いぞ。素晴らしい。では見せてやろう。我が侵――」

 

 窮地にある筈のアベンジャーが悍ましい笑みを浮かべる。そして、それと同時にその腕から黒炎が噴き上がったと見えるや否や、セイバーは剣を引き、後方に跳躍する形で距離を取った。

 その時である。

ガラスの破砕音が響くと同時に、セイバーの後方にある雑居ビル、その三階の窓からガラスを突き破った人影が夜の中天へと投げ出された。

 

「な、何だとッ!?」

 

 咄嗟に振り返ったセイバーが驚愕の呻きを上げる。

 その目に入ったのは、宙を舞う紫鎧に包まれた華奢な矮躯。落下に従い、その美しき金の髪と朱い血が空中に尾を引いた。

 ビルから投げ出され力無く落下するは、雑居ビルでマスターを守りながら事態の推移を見守っていた筈のサーヴァント、ルーラーその人であった。

 






話に全く関係ない事ですが、著者にリョナ趣味はありません(棒)
この連休中にもう一度更新出来たら良いなぁ。


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激突

「ルーラーッ!?」

 

 セイバーが叫ぶ。血を流しながらビルから力無く落下するルーラーを見ると、セイバーは即座にそちらへと駆け出した。当然、無防備な背をアベンジャーに晒す事になるが、セイバーには追撃は来ないという確信があった。

 そして、彼の予想通り、アベンジャーは黙って走り去るセイバーを見送った。

 その直後、再びガラスを突き破った二つの人影がルーラーを追って宙を舞い、ドンッという爆音が夜の市街に響いた。

 ルーラー達の飛び出た雑居ビルの三階部分で爆発が起こったのだ。衝撃に雑居ビルのガラスが吹き飛んで大通りへと降り注ぎ、爆炎が飛び降りた人影を照らし出す。

 

「なッ!?」

 

 セイバーは絶句した。

 爆風に煽られながら三階から落下しているのは、彼の指示に従って雑居ビル内部に潜み、事態の推移を見守っていた魔術師、アルファとイルの二人だったからだ。

 驚愕に見開かれたセイバーの目が即座に鋭い物に変わった。

 彼は弾丸の如き速度で駆けると、地を蹴って跳び上がる。セイバーは力無く落下するルーラーを抱留めると、そのまま壁を蹴ってアルファとイルの傍らを上へと駆け抜けた。

 

「セイバー!!」

「分かってるッ!!」

 

 交差の瞬間、アルファが叫び、セイバーが応じる。

 直後、爆炎の奥から炎を裂いて二本の戦斧が飛んだ。

 戦斧は回転しながら恐るべき速度で空を切って、落下するイルとアルファの背へと迫り、二つの火花を宙に残して虚空に消える。ルーラーを片手に抱いたまま、彼女の腰に差した細剣を抜き放ったセイバーの一刀が、飛来した戦斧を両断したのである。

 

「――――――――」

 

 セイバーが何事か叫んだ。

 しかし、その言葉もまた、轟音に掻き消されて虚空に消えた。

 彼等の背後にて、アーチャーがアベンジャーに対し、展開した宝具の全方位一斉投擲を開始したからである。

 

 

  #####

 

 

 アベンジャーを取り囲む形で展開した宝具の数、凡そ三十余。そのどれもが目を瞠る程華美な装飾に彩られ、そのどれもが目を覆う程強烈な魔力を放っている。悍ましいまでに美しいその光景は見る者に、赤子が血染めの獅子に抱くのと同種の感動を想起させた。

 アベンジャーは背を向けたセイバーを追わなかった。

 その様な状況では無い。

 彼の目が周囲に展開された宝具間を滑る様に動き、最後にアーチャーを捉える。

 

「今――またとない好機だった筈だが、何故、撃たなかった?」

「ほう、貴様程度を相手に、この我に隙を突けと? 身の程を弁えろ、野良犬が」

アベンジャーの問いに、アーチャーは微笑を浮かべて続ける。

「とは言え、雑種同士、互いに相食む様は中々の見世物だったぞ。さて、その砕けた肩でどこまで凌げるか、見せてみよ」

「ククッ、ああ、良かろう。その程度、造作も無い」

 

 アーチャーとアベンジャーは互いに薄い笑みを浮かべた。しかし、対照的に彼等から放たれる殺気は密度を増し、周囲の空間を埋め尽くしていく。緊迫が辺りを包んだ。

 そのまま彼等は暫し睨み合い、互いに動かなかった。

 その硬直を、爆音が破る。

 アーチャーは行くぞ、と言い、アベンジャーは来い、と受けた。

 彼等の視線が交差し、互いに嗤う。二騎の英霊は同時に動いた。アーチャーの号令一下、その宝具群が虚空に黄金の軌線を描いて降り注ぎ、アベンジャーの纏う黒炎が一層大きく膨れ上がる。

 アーチャーの宝具投擲は鮮麗にして苛烈。その破壊力は絶大である。空を切って飛来する刀剣はビルを貫き、着弾箇所の路面は発破を掛けられたかの様に吹き飛ばされ、魔力の暴風と共に稲妻や炎を周囲へと迸らせる。

 轟音が夜気を揺るがし、炸裂し明滅する暴力的なまでの閃光の瞬きが、夜の闇を切り払う。

 膨大な魔力を滾らせた、いずれ劣らぬ神秘の具現。アベンジャーへと殺到した流星群の如き無数の宝具はその余波で以て、絨毯爆撃の如く市街一角を蹂躙した。

 これ程の大破壊が刀剣やそれに類する武具の投擲に拠る物と一体誰が信じようか。

 流星に貫かれた周囲のビルが轟音と共に倒壊し、木端微塵に砕け散り撒き上げられたアスファルトやコンクリート片が、粉塵と成って周囲を煙らせる。このあらゆる生命の存在を許さぬ暴虐災禍の只中に在って、しかし、その濛々たる粉塵の奥、醜悪なる黒炎は脈動する。

 万雷の如く撃ち込まれた宝具群はビルを貫き、路面を抉り飛ばし、地に赤熱の爪痕を残して、

 炎に囚われ黒く染まった。

 

「……ッ!!」

 

 誰ともなく、その様を見ていた全員が息を呑んだ。

 攻め手が異常なら、受け手もまた規格外。

 撒き上がった粉塵の奥、醜悪なる黒の炎を纏ったアベンジャーが姿を現す。

 健在であった。否、全くの無傷であった。

 粉塵の奥、炎の中、瓦礫の上に無傷のアベンジャーただ独りが立っている。その両手にはアーチャーの投擲した宝具が握られていた。両刃の大剣と、槌である。残る宝具は全てアベンジャーの足元に突き立てられ、あるいは瓦礫の中に突き刺さったまま果てていた。

 その全てを黒の炎が包み込み、煌々と燃えている。

 四方より降り注いだ宝具の内、ただの一本とてアベンジャーへと届いた刃は存在しなかった。

 アベンジャーは一歩進み出ると、無造作に片手を、槌を掲げ、アーチャーへと投げ放つ。投擲された槌は回転しながら真っ直ぐにアーチャーへと迫り、空中で雷撃と成って奔った。

 稲光と共に地面を稲妻が駆け巡り、アーチャーの背後に立つビルを貫いた。瓦礫と粉塵が再び辺りを覆い、やがてそれが収まると、果たしてそこには直撃の寸前身を翻し、稲妻を回避せしめたアーチャーが立っていた。

 彼等はそのまま互いを見据え、睨み合う。

 神速で展開された攻防を、一体幾人が見届ける事が出来たのか。少なくともライダーと共に固唾を呑んで戦闘を見守っていたマドカには見えなかった。しかし、何が起こったかは分かる。

 アベンジャーは四方より飛来した剣を斧を槍を槌を、次々と掴み取り、持ち替え、縦横無尽に振り回して、襲い来る宝具群を切り払い、打ち払ったのである。

それは本来有り得ぬ光景だ。

 宝具とはそもそも使い手の武具や逸話が昇華した代物。使い手である英霊の為だけに特化した専用の武装である。他の英霊の手に渡った所で十全に扱える道理は無い。

 アベンジャーが手にした所で、単なる名刀、頑丈な武具止まりで在る筈なのだ。しかし、現実に、アベンジャーは掴み取った宝具を己の両腕の如く巧みに操ってアーチャーの猛攻を凌ぎ切っている。

 不可解と言えば、それも不可解な話である。

 先程、アベンジャーの肩はセイバーによって砕かれていた筈だ。それが今は全く問題無く動いている。治癒魔術の類かとマドカは目を細めて、アベンジャーの姿を注視した。

 しかし、視覚強化魔術を施そうとも、アベンジャーの輪郭は醜悪に蠢く黒炎に隠れ、マドカが幾ら目を凝らそうともその細部までは見通す事が出来なかった。

 

「アベンジャーの腕を覆っている物、アレは一体――」

「影だねェ。アーチャーの宝具が飛来した瞬間、アベンジャーの足元から伸びていた別人の影が彼の腕に絡み付いた。肩の骨がイカれていた筈だが、結果はご覧の通りだ」

 

 宙に浮いた戦車上のマドカ達の居る位置から下方、荒れ果てた大通りに立つランサーとそのマスター、狗城が言った。彼等にはどうやら先の攻防がしっかりと見えていたらしい。否、見えなかったのはマドカ一人である様だ。

 

「ッ、何よ――アレ、冗談でしょう?」

「まったくだな。英霊の極致、これ程か――」

 

 怯えた顔で吐き捨てるバーサーカーとは対照的に、そのマスター、武丸は震えながら小さく呟く。その顔には怯えている様な、感動に打ち震えている様な、複雑な笑みが浮かんでいた。腰に差した刀を握り締める指には血管が浮かび上がっている。

 無意識ではあるが、彼はいつでも駆け出せる様に四肢に力を込めていた。

 

「フン、どうやら……、アベンジャーのマスター、治癒魔術は苦手らしいな。砕けた肩を癒すのではなく、魔術の鎧を組んで無理矢理動かすとは」

「咄嗟だったからねェ。治癒魔術を使っていたら、アベンジャーはあの猛攻を片手で凌ぐ羽目になっていただろう。何しろ、彼のマスター、この場にいる訳じゃァないからね。

 そりゃあ、あのアベンジャーに、工房に居ながら魔術行使でサポートと指示が行えるなら、自ら出張る理由が無いさ」

 

 ランサーは笑って言ったが、狗城の顔は凍り付いた。

 

「何ですって!?」

 

 マドカが思わず口を挟む。それは彼女にとっても信じ難い言葉だった。

 それは詰まり、あのアーチャーとアベンジャーの激突の刹那、自らの視界の遥か外、超々遠距離からの魔術行使で、アベンジャーのマスターは戦況を五分に持って行ったと言う事である。

 此処は自らの工房内では無い。偶然、戦場となった街中である。遠隔地の事態の推移を把握出来る目と、正確で素早い魔術操作、何よりサーヴァント同士の戦闘に耐えられる強度が求められる状況だった。

 しかし、凡そ殆どの魔術の行使において、正確性と強度は距離と密接な関係を持っている。

 マドカの降霊魔術はその顕著な例である。自らの半身に悪霊、魍魎を憑依させる『精霊降し』は高い出力で自在に駆使出来るが、人形に憑依させる『御霊降し』はそうはいかない。須山の魔術は、加工した本人の頭蓋という触媒を使い、動きを代々の守護霊に任せる事で、この問題をクリアしている。それでも操れるのは数十メートルの距離が精々であろう。

 アベンジャーのマスターが影という元々質量を持たない物を操っているのならこの問題は一層深刻である筈なのだ。恐るべき腕前、離れ業と言わざるを得ない。

 

「と言うよりもな、嬢ちゃん。ギリギリのタイミングまで魔術を温存し、あ奴が動かぬ腕を敢えて晒しておいたのは、恐らくワザとであろうよ」

 

 マドカの横に立つライダーが言った。

 先程とは打って変わってライダーは冷静さを取り戻していた。眼前の強敵が繰り出す魔技を視るその眼差しには高揚と共に、怜悧さを窺わせる鋭い光が在る。迂闊に飛び出して敵う相手では無い事は彼も十分に承知しているのだろう。

 それは彼の傍らでその外套を掴み、殊更に怯えているマドカの存在故であったのかも知れない。

 

「でも、何でそんな!?」

 

 マドカの疑問は尤もである。

 アーチャーの宝具は既に展開されていた。魔術の起動が一瞬遅ければ、片腕のアベンジャーは投擲された宝具群に成す術も無く貫かれていたに違い無いからだ。余りにもリスキー過ぎる。

 

「宝具を手に入れる為、であろうなぁ。あのアベンジャーはアーチャーの攻撃を誘っておったのだ。中々小賢しい真似をする」

 

 ライダーは言いながら、更なる可能性を考えていた。

 詰まり、アベンジャーのマスターは、超音速で飛来する宝具の投擲に魔術の起動を合わせる事が、リスキーだと思わない程の腕を持つ魔術師なのか。それとも、片腕でもアベンジャーには問題の無い状況だったのか。

 その答えを彼が知るのは数日後の事になる。

 考えうる限り最悪のタイミングで、彼等はそれを体感する事になるのだった。

 

「揃いも揃ってズレてるわね」

 

 バーサーカーが吐き捨てる様に言った。

 当然である。

 如何にアベンジャーのマスターが優れていようとも、彼等英霊にとっては驚くには値しても、脅威には当たらない。所詮現代の魔術師の技巧。生前のランサーやバーサーカーと比べれば術者としての力量は遥かに劣る。

 

「そんな事より、何なのよ、あのアーチャーとアベンジャーは……滅茶苦茶じゃない、あんなの……」

 

 バーサーカーは対峙する二騎の英霊を見つめる。

 彼女にとって、アベンジャーのマスターの能力など、眼前で激突する二騎のサーヴァントの出鱈目な能力に比べれば些末な事でしかない。

 マスターである武丸は首肯する。。

 

「アーチャー、英雄王ギルガメッシュの方の能力は、伝承で集めたありとあらゆる宝具を自在に召喚し、投擲する能力ってトコか。凄まじい火力と対応能力だ」

「その通り。攻め手に回ると手の付けようがないね。それよりも、だ――」

「問題はあの炎。間違いなく宝具、アベンジャーの切り札なのだろうが、あの宝具の雨を受けて無傷とは、どういう理屈だ?」

「ふうむ、見る限り、捌き切ったに間違いは無いのだが、何か不自然よのぅ。恐らく、炎が侵食した物を自分の宝具として扱えるのであろう。そういう能力を持つ英霊を余は見た事があるぞ。

 とは言え、何度も復元するバイクと言い、どうもそれだけでは無さそうだが」

 

 武丸とランサー、そのマスター狗城、ライダーと口々に言った。

 恐るべき事に、内三人が語る言葉には喜色が浮かんでいた。特にランサーとライダー。この二騎の英霊はアーチャーとアベンジャーの戦闘を目の当たりにして猶、些かも臆する所が見られない。その様にマドカは気が遠くなる思いがした。

 

「おい、ランサーよ。貴様はこの勝負、どう見る?」

 

 ライダーは傍らに立つ自らの主の肩に手をやると、常と変らぬ豪気な体で、ランサーへと問うた。この時、既に彼等に闘争の気配は無い。既に彼等の勝負には一段落が着いていたし、眼前の脅威であるアーチャーとアベンジャーの事もある。賢明なマスター諸氏は情報収集に努めているし、混戦になる様な事態は皆避けたいのだろう。先程まで相争い、命の遣り取りをしていたと言うのに、否、だからこそ、今この場には奇妙な一体感があり、暗黙の了解があった。

 

「英雄王が不利だねェ。このまま乖離剣を使わないなら、喰われるよ」

 

 乖離剣の文字にライダーが反応する。

 アーチャー、英雄王ギルガメッシュの切り札にして、前回の聖杯戦争においてライダーをその切り札毎葬り去った宝具である。ライダーの声に剣呑な響きが混じった。

 

「ほう……、それは白指の予言か?」

「いや、ただの感想。さて、どうする、征服王? この小競り合いで、あのアベンジャーは三十ばかし宝具を手に入れて増強されてる。英雄王は乖離剣を抜くと思うかい?」

 

 ライダーは首を振り、呆れ顔で続ける。

 

「いや、抜かんだろうなぁ、アイツは。プライドの塊の様な男だからのぅ。で、更に宝具を乱射する」

「切り札を抱えたまま脱落するタイプだね。で、結果、アベンジャーが更に強化される」

 

 ランサーは親指を一舐めすると、ぞっとする笑みを見せた。

 

「ただまぁ、その選択肢は正解だ。彼が乖離剣を抜いたら、僕は発動を確認した瞬間、後ろからアーチャーに跳び掛かる。アベンジャーはお陀仏だし、乖離剣はその威力故に他の宝具と併用出来ない。連発も無理。宝具を取り出す時間は与えない。確実に殺れる」

「イスカンダルたる余は決して勝利を盗み取る様な真似はせぬ。奴とは因縁もあるからのう。で、だ、ランサー、させると思うか?」

 

 野太い首を捻ってボキボキと鳴らし、ライダーは眼下に立つランサーへと言った。ぎろりと睨むその双眸には刃の鋭さがある。空気を緊迫が包んだが、それは直ぐにランサーの笑みに拠って雲散霧消した。ランサーは両手を上げて続ける気は無い事を告げる。

 

「となると、やれる事は何も無いねェ。でも覚えておくと良い、征服王よ。乖離剣は最強の剣であり、同時に英雄王の唯一の弱点だ。完全たる今の君の宝具ならば、打倒出来るかも知れないね」

「フン、貴様に言われるまでもない。奴との勝負を制し、聖杯は余が手に入れる。その時には、貴様との決着も付いている事だろうよ、賢人王」

 

 ライダーはアベンジャーと対峙するアーチャーを見据えて言った。

 幾度でも挑めと奴は言った。次は越える。求め臨んだ最果ての、その先をこそ見る為に。

 一方、ライダーの気炎にランサーは薄い笑みを返す。

 

「ふふ、そうなると良いねェ。戦うならば御し易そうな相手が良い」

「貴様、それはどういう意味だ?」

 

 納得がいかぬ風のライダーをランサーは無視して告げる。

 

「さてね、それより、気付いているかい?」

「チッ、ああ、余達に気取らせぬとは中々やりおる。こりゃあ、既に囲まれているようだのぅ」

 

 腰の剣を抜き放ち、周囲に視線を奔らせたライダーがそう言った時、

 どこからともなく虚空に声が響いた。

『そこまでだ、英雄王よ。ここはお引き下さい。これ以上はナンセンスだ』

 幻覚によって偽装され、不自然な反響を伴う、出所の知れぬ声。

 戦闘の停止を求めるその声にマドカは聞き覚えがあった。

 彼女は咄嗟に理解する。

 アーチャーのマスターが誰であるのかを。

 その声はアーチャーのマスター、時計塔の天才講師、オーギュスト・エーカーの物であった。

 

 

 








<<後書き>>

今回の書き直しで唯一の活躍場面をカットされたキャラが出た気がするが気にしない。


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